P「俺の」伊織「私の」 (108)
寝付きが悪い日くらいある。
完璧に管理された空調の下、私専用に作られたベッドで横になっても、眠れない時は眠れない。
頭の中で羊を数えても兎を数えても、眠気は一向に来ない。
何度も寝方を変えてみたけど、まるで効果無し。
そのうち、布団に熱が篭り始め、その中にいるのが息苦しくなってきた。
溜息を一つつき、すぐに眠るのを諦める。
私は枕元に置いたシャルルを抱き上げて、そっとベッドを抜け出した。
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カーテンを少し捲ると、白い月が見えた。
雲一つ無い夜空は、明日は晴れだと伝えてきてくれる。
机の上に置いてある携帯電話を取り、画面を月明かりで照らしながら見る。
時刻は十一時を過ぎ。
私は何の逡巡もなく、履歴の一番上の項目を選択して、耳元に電話を当てる。
こんな時間に突然電話をするなんて非常識だけど、この人だけは特別。
窓ガラスに薄く写る自分の姿を確認。
電話だけど、なぜか身なりを気にしてしまう。
うん、大丈夫。
自他共に認める可愛いアイドルがそこに写っていた。
3コール目の音が鳴り終わる前に通話へ切り替わった。
「もしもし、こんな時間にどうしたー?」
遅い時間にかけているけど、普段どおりののんびりした声。
「用が無いなら電話なんてするわけないでしょ」
電話の向こうから、かすかな笑い声が聞こえてきた。
「そうか。じゃあこんな時間にかけてくるくらいに緊急な用事を教えてくれないか?」
緊急。確かに私にとっては緊急な用事。
だから素直に答えることにする。
「私が眠くなるまで、話し相手になりなさい」
私のいつも通りの上から目線の命令。
横柄な態度にも関わらず、プロデューサーはいつも通りに返してきてくれる。
「仰せのままに、伊織お嬢様」
耳にこそばゆい感じを覚え、微笑む自分の姿がガラスに写っていた。
「今日の仕事はどうだった?」
「もちろん完璧よ。もっと大きな仕事でもいいくらい」
「伊織には役不足だったか。じゃあもうちょっと大きいのを取ってこないとな」
そう言って、電話の向こうのプロデューサーは嬉しそうに笑ってくれた。
私がこうして電話をしているのは、特に意味があるわけでも、誰かに言われてやってるわけじゃない。
ただ少し寝付きが悪いから、こうして電話をしているだけ。
プロデューサーの声は、どこか安心する。
寂しいなんて気持ちは全然ないけど、この優しい声はずっと聴いていても飽きない。
だから私は、ここ最近、仕事で会えていないプロデューサーに、ちょっとだけ甘えていた。
「明日は久しぶりに会うわね。何日ぶりかしら?」
「確か四日ぶりくらいかな。なんだ、寂しかったのか?」
相変わらず馬鹿なことを訊いてくる。
四日程度会わなかったくらいで寂しいだなんて。
「なんで私があんたに会えないくらいで、寂しがらないといけないのよ」
「俺は寂しかったんだけどな。傍で伊織がツッコミを入れてくれないと物足りない」
はぁ……ツッコミを入れたくて入れてるわけじゃない。
ボケばっかりのうちのメンツだと、話が進まなくなるから。
「まあ伊織は俺よりやよいだよなぁ。やよい、明日が凄い楽しみだって言ってたぞ」
「やよいと会うのも、本当に久しぶりね」
プロデューサーはこうして電話をしているけど、やよいは会話すらできていない。
まさか、事務所で顔を合わす機会すらないなんて、思いもしなかった。
やよいの仕事はどちらかと言えば、国外や離島が多いから、仕方ないと言えば仕方ないんだけど。
やよいと会えると思うだけで、今からでも心がドキドキする。
「大丈夫だ。やよいは責任を持って俺が監督するから」
「それ、何度目のセリフよ……」
私はやよいの過去の所業を思い出しながら、小さく溜息をついた。
「ま、明日は久しぶりに会うからな。寂しくなくても、明日は俺に存分に甘えてくれ」
「はぁ……」
少し頭が痛くなる。
窓ガラスに軽く額を押し付けて、熱くなりかけの頭を無理矢理冷やす。
「甘えろってね、私はそんなに子供じゃないわよ」
「え、嫌なのか?」
「当たり前でしょ。あんたに甘えるくらいなら、小鳥に甘えたほうがマシよ」
「なら、俺を小鳥さんと思ってくれ」
「無理無理無理無理。鏡見て言いなさいよね」
ただのプロデューサーと、なぜか私たちと同じくらい人気がある美人事務員。
どっちに甘えたいかなんて、考えるまでもない。
「伊織は冷たいなぁ。もっと俺に優しくしてくれ」
「優しくしてるでしょ。まだ不満だって言うの?」
「いつ優しくされたっけ?」
「えっ」
思いがけない問い掛けに、言葉が詰まる。
いつ優しくしたかしら……。
言われてみると、そんなにことをした記憶はあんまりない。
だけど、こういうのは返事を早くしないと、からかわれる原因になる。
記憶を一瞬で無理矢理掘り起こし、内容については何も考えずに口に出す。
「ほ、ほら、先週くらいに、雪歩の代わりにお茶を淹れてあげたわ」
「……あれが伊織の優しさなのか?」
言ったあとで、自分でもこれはどうだろうと思った。
「ち、違うわよ。えっと、ちょっと急に言われたから思い出せないだけよ」
早口で取り繕うけれど、上手くいかない。
そのうち、向こうから、ふふっと言った小さな笑い声が聞こえてきた。
「冗談だよ。伊織が優しくない日なんて無かったよ」
「なっ!?」
ぽんっと顔が熱くなった気がした。
この、馬鹿プロデューサー!
「さてと、可愛い伊織も堪能したし、時間も時間だからそろそろ寝ようか」
結局からかわれる。悔しい。
電話したのが普段よりも遅かったから、プロデューサーも早めに切り上げたかったのかもしれない。
「目の下に隈なんて作って来られると、伊織の可愛さが上手に伝えられないからな」
「なによ、さっきから褒めてばっかり。気持ち悪いわね」
「俺の深夜のテンションって言ったらこんなもんだよ」
饒舌な口ぶりに、頭を抑える。
「はぁ、やっぱりあんたの相手は疲れるわ……」
「おっと、脱線した。そろそろ寝れそうか?」
「そうね、あんたの相手をして疲れたから、ぐっすりと眠れそうよ」
ちょっとだけ嫌味を篭めてみたけど、プロデューサーは意に介さない様子だった。
「よかった。伊織が安眠できるなら、俺もすぐに寝れそうだ」
さっきまでのお気楽な声とは打って変わって、優しい声。
だから私も、意地と一緒に張っていた肩の力を抜く。
「今日はありがと」
電話の向こうの相手に微笑んでみる。
伝わらないと分かっているからできる、少し恥ずかしい行為。
「どういたしまして。また明日な」
「ええ、また明日」
「おやすみ、伊織」
「おやすみなさい、プロデューサー」
私はそう言って、携帯を耳から離した。
そっと胸に手を当ててみると、少しだけ鼓動が早くなっているのが分かる。
窓ガラスに薄く映る自分の顔も、ほんのりと赤みを帯びていた。
プロデューサーと話すと、不思議と心が暖かくなる。
今までも優しい人とは多く出会ってきたけど、話すだけでこんな気持ちになれるのはプロデューサーだけ。
携帯をテーブルに置き、すっかり熱がなくなったベッドに潜り込む。
眠れる時間は短いけれど、ぐっすりと眠れそうね。
シャルルに軽く口づけをして、あったかな溜息を一つ。
「にひひっ、大好き」
私は大きな安心感に包まれながら瞼を閉じた。
「目的地まで、残り、三キロです」
カーナビの機械的な声で目が覚める。
顔を上げると、前方にはくねくねと曲がりくねった道がある。
その先には大きな砂浜と、青い海が見えた。
「起きたか。おはよう、伊織」
右横からプロデューサーが声をかけてくる。
「ん……おはよう」
私は狭い車内の中で、大きな欠伸と一緒に全身を伸ばした。
目を擦りながらカーナビの時計を見る。
時間は朝九時を少し過ぎたところだった。
そんな時間なのに、太陽の日差しが強く感じる。
空は雲ひとつ無い快晴。
今日の撮影には持って来いの、とても良い天気。
まだ少し眠たい目を覚まそうと、窓を少し開ける。
少し暑い風が潮の匂いを運んできていた。
カーナビが示すとおり、撮影場所の海は近いみたい。
今日の仕事はイメージビデオの撮影。
撮影場所はかなり遠いところにある海。
必然的に早朝から出発することになっていた。
昨日は遅くまで電話をしていたけど、遅刻することなくこうして車に乗ることは出来た。
だけど、身体はより多くの睡眠を求めていたようだった。
久しぶりにやよいと会え、話を弾ませていたけれど、気づいたら今の今まで熟睡していた。
やっぱり毎晩電話をするのは止めた方がいいかもしれない。
……昨日みたいな日はすぐに眠れないんだから、仕方がないわよね。
「ねえ、何か飲むものある?」
喉の渇きを覚えた私は、運転しているプロデューサーに話しかける。
「後ろにいくつか買ってあるから、好きなのを飲んでくれ」
私はシートベルトに引っ張られながらも、ビニールに入ったペットボトルを一本手に取った。
「あんまり良いの買ってないわね……」
「運転中なんだから、あんまり危ないことするなよ」
背後からそんなことを言ってくるけど、したくてしてるわけじゃない。
「だって、こうしないと取れないじゃない」
「やよいに言えばいいじゃないか」
「やよい?」
そういえば、今日はやよいと一緒に来てたんだった。
だけど、その肝心のやよいが後部座席に居ない。
あるのはコンビニで買った食べ物類と、『ひびき在中』と書かれた大きな麻袋が一つ。
「ね、ねぇ……やよいはどこにいるのよ?」
「普通にいるだろ……ん、えっ?あれ?」
プロデューサーはちらりとバックミラーを見て、それから運転中にも関わらず後ろを直接向いた。
「え、え、やよい?やよい!?」
「はーい、なんですかー?」
ベタンっという音が車内に響く。
同時に、フロントガラスの上からやよいの顔が逆さまに出てきた。
予想外の出来事に身体が仰け反る。
「な、なんでそんなところにいるのよ!?」
「あ、伊織ちゃん、おはよー」
「え、お、おはよう……じゃなくて!」
私が挨拶を返すと、やよいの頭に一輪の花が咲いた。
「や、やよい、危ないから中に戻ってくれ!」
プロデューサーは叫ぶように言った。
「はーい!」
頭を引っ込めたやよいは、開いた後部座席の窓からするするっと中に入ってきた。
無事に海に到着すると、すでにスタッフが準備を始めていた。
撮影監督に挨拶をし、用意された水着を受け取り着替える。
「やよい、そっちはもう着替えた?」
「うん、大丈夫だよー」
更衣室から出ると、オレンジのセパレートを来たやよいがいた。
各所に大きなひまわりの飾りもついて、元気なやよいにぴったりな水着に仕上がっていた。
「伊織ちゃんの水着も、とっても可愛いね」
私はスカートにフリルがついた、少し緩めのAライン。
やよいの言うように、少し可愛いすぎる印象があるピンク色の水着だった。
どうしてこれなのかしら。
私なら、もっと大人っぽい水着でも十分似合うのに。
それでも、こうして見事に着こなしているんだから、さすがスーパーアイドルと言ったところね。
「やよいもとっても似合ってるわよ。さ、行きましょ」
「伊織ちゃんこっちだよー」
一足先に砂浜に駆け出したやよいが手招きをしている。
一応カメラの前なので、私もやよいと一緒にはしゃいでみる。
ふりふりと揺れるツーテールを頑張って追いかける。
波打ち際まで辿りつくと、やよいは勢い良く水をぱしゃぱしゃとかけてきた。
「えへへ、気持ちいいね!」
「もう、私も負けてられないんだから」
ぱしゃーんと私も同じくらいの量で応戦する。
波が弾ける音と砂浜を踏みしめる音が心地よく響いていた。
……響く?
「ぷはぁー。生き返るぞー」
撮影が始まって一時間くらい経ったあと、車に残してあった麻袋のことを思い出した。
プロデューサーにそれを伝えると、急いでその麻袋を担いで戻ってきた。
中に入っていたのは、全身汗だくの響。
持っていたお茶を渡したら、あっという間に飲み干した。
「ねえ、なんでこんな袋の中に入ってたのよ?」
答えは知っているけど、とりあえず訊ねてみる。
「自分が聞きたいくらいだぞ。朝起きたらもう袋に詰められてたんだぞ……」
全身から『ガナハー』という擬音が聞こえて来た気がする。
私も昔は同じ境遇だったことを思い出す。
今はもう慣れっこだから、先手を打って逃げることができるけど。
「伊織ちゃーん、一緒に泳ごー!」
響を攫ってきた張本人が、浮き輪を片手に手を振っている。
遠くからでも眩しいくらいの笑顔に、私たちも揃って笑顔の溜息をついた。
響(友情出演)を加え、再開した撮影は順調に……いかなかった。
一つは猛暑のため。
海とは言っても、撮影中、ずっと泳いでいるわけじゃない
熱い砂浜の上で走ったり、寝っ転がったり。
少し撮っては小休止。そして再開と、効率の悪い撮影をしていた。
照らす太陽を久しく憎いと感じてしまう。
沖縄生まれの響も、さすがにこの暑さには参っていたようだった。
響は暑がりだから、沖縄代表と言うのはあんまり適格じゃないのかもしれないけど。
二つ目は、やよいがやたらと物を拾ってくるから。
どちらかというと、こっちが遅延の原因だった。
「伊織ちゃん、ウミガメ拾ったよー」
「産卵中だから邪魔しないであげて」
「伊織ちゃん見て見て、シャチ獲ってきたよー」
「獲らなくていいから」
「伊織ちゃん、ペンギンさんだよー」
「す、水族館から逃げてきたのかしら……?」
「伊織ちゃーん、こんなの拾ったんだけど」
のヮの<よう
「捨ててきて……」
のヮの<な、なにをするきさまらー
疲れた。
紆余曲折あったけど、なんとか漕ぎ着けたお昼の休憩時間。
パラソルの下で太陽から避難しようとすると、やよいに三度ほどおでこを叩かれた。
「伊織ちゃん、私、お昼ご飯獲って来るね!」
やよいはそう言い残し、どこからか持ってきた銛を片手に沖へと泳いで行った。
獲ってそれから調理するのは、お昼休憩という短い時間だと足らないんじゃないかと思った。
だけど、私にやよいは止められない。
止められる人がいたら知りたいくらい。
やよいがクラゲに刺されないように祈ることしか、私にはできなかった。
一方、響はすでにパラソルの下で寝っ転がり、やよいが連れてきた仔ペンギンと遊んでいた。
顔は白と黒。体は灰色の羽毛に覆われている、小さなペンギンだ。
「可愛いなぁ。キミはもう今から自分の家族だから、何でも言ってくれてもいいぞ」
ペンギン目線で話しかける響の頭を、その話し相手がぺちぺちと手(?)で叩いている。
「今やよいがすっごく美味しいのを獲ってきてくれてるから、楽しみにしてほしいぞ」
そう言って響は満面の笑みでペンギンに頬擦りをする。
これ、本当に会話が成立してるのかしら。
「ねえ、響。そのペンギンってこの辺りに棲んでるものなの?」
「そんなわけないぞ。この仔は南極のペンギンだからなっ」
やよい、本当にどっからこの仔拾ってきたのよ……やっぱり水族館よね。
「ちなみに、何て言うペンギンなの?」
「この子はな、とっても偉いペンギンなんだぞっ。伊織、分かるか?」
響がそれを頭に乗せながら、問題を出してくる。
偉いペンギン?
偉い偉い……ナイトペンギンとかクインペンギンとか。
響が知っていそうなレベルの称号を探して行き、答えらしきものにたどり着く。
「……まさか こ う て い?」
「ピンポンだぞ!」
そう言って、夏には似合わない、ふっかふかのペンギンを抱きしめた。
ペンギンの世話って、一人の、それも多忙なアイドルができるものなのかしら。
上野動物園にでも預けたほうが良いような気がする。
楽しそうに遊ぶ響とペンギンを横目で見ていたとき、プロデューサーが両手に飲み物を持ってやってきた。
「ほい、伊織、響」
橙色のジュースの上にアイスが乗っていた。
「伊織のはオレンジフロート、響のはマンゴーフロートだ」
同じ色に見えるけど、中身は私たちの好みに合わせたみたい。
「ありがと。あんたにしては気が利くじゃないの」
汗だくになった器を受け取ると、冷たい雫が腕を伝ってくる。
「プロデューサー、この子と一緒に飲んでもいいか?」
「……その仔の世話は響に一任する」
なんとも放任主義な発言。
プロデューサーとしても、ペンギンをどう扱って良いのか分からないみたい。
水族館に問い合わせをすれば良いのに。
「ありがとだぞ!」
響の満面の笑顔に、プロデューサーはやれやれと言った感じで溜息をついた。
先端が匙になったストローで、アイスの部分を食べる。
猛暑だからか、切り口からアイスがすぐにジュースへと融けだす。
「よいしょっと。昼飯はどうしようか」
隣に座ったプロデューサーが尋ねてくる。
「なんでもいいんだけど……やよいの頑張りを無駄にはできないわよ?」
「そうなんだよ。でもいつ戻ってくるかも分からないんだよなぁ」
二人して沖を眺めるけれど、やよいの姿は全く見えない。
「一応受け入れる用意はしてあるんだが、果たしてどうなることか」
パラソルの外には、見慣れたバーベキューセットが置いてある。
これはやよいのロケには必ず一式が常備されている。
なんでも、やよいの魅力を存分に引き出す小道具だとか。
ただのお料理アイドルとは一線を画するのが、765プロの高槻やよい。
やよいって、一応アイドルよね?
「それにしても暑いな」
私たちは水着だけど、プロデューサーは生真面目にワイシャツ。
胸の辺りが透けて見えるくらい汗をかいている。
「暑すぎるわよ。少しでも雲が出てくれたらいいのに」
パラソルの下から空を見上げる。相変わらず雲の一片すら見当たらない。
あまりに強い直射日光に辟易する。
こればかりはプロデューサーに文句を言っても仕方がない。
だけど、言う相手がいないので、やっぱり矛先はプロデューサー。
「ねぇ、あの太陽どうにかしなさいよ」
「無茶言うなよ……それで何とか凌いでくれ」
私が現在進行形で食べているオレンジフロートを指差す。
「あら、そういえばあんたは食べないの?」
「俺はお茶で十分だよ」
そう言って少しだけお茶が入ったペットボトルを振って見せてくる。
まったく、そんな汗だくで言ったって、何の説得力もないんだから。
「あんたは幸せよ。私のものを分けてあげる」
半分融けてしまったアイスを掬い、プロデューサーの口元へ持っていく。
プロデューサーは特に遠慮することなく、それを食べる。
「いやあ、こりゃ冷たくて良いな」
「もう、欲しいならさっさと言いなさいよ」
「じゃあジュースもくれ」
「はいはい、仕方ないわね」
ストローを渡すと、プロデューサーはそのストロー一本分を飲む。
「ふぅ、暑い日に飲むオレンジジュースは一層美味しく感じるな」
少しで十分だったのか、すぐに容器を私に返してきた。
「我慢しないで、飲みたいなら飲みたいって言えばいいじゃない」
「我侭を言うんじゃなくて、聞くのが俺の仕事だからなぁ」
そう言って、空いた手で私の頭をこれまた遠慮なく撫でてくる。
なんでいつもこうやって勝手に撫でてくるのかしら。
もしかしたら、この行動がプロデューサーの我侭なのかもしれない。
「一応言うけど、私の頭を撫でるなんて、世界一贅沢なことよ?」
「贅沢されるのが嫌なら止めるけど?」
「……ばか」
私は聞こえないように小声で呟き、撫でやすいようにとプロデューサーの方へ身体を近づけた。
と、ここで響が何の前触れも無く、突然立ち上がった。
「じ、自分、泳いでくるぞ……」
パーカーを勢いよく脱ぐと、下に着ていた真っ白なビキニが太陽に晒される。
同時に、体格の割りにやたら大きい胸がぽよんっと揺れた。
「う~ん、でかい。」
プロデューサーの手を思い切り抓って響を見る。
「どうしたのよ、急に」
「ここはもう熱すぎて我慢できないんだぞ……」
身体全体を大げさに揺さぶり、ご自慢の胸をアピールしてくる。
私より背がちっちゃいくせに、なんで胸だけはこんなにでかいのよ。
目の前でこの差を見せ付けられると、少しは千早の気持ちも分かるわね……。
「響、まだそれ残ってるぞ?」
プロデューサーがマンゴーフロートのことを訊くと、響はそれを一気に飲み干した。
「うがー、頭がキンキンするぞー」
「そんなに慌てて飲まなくても。欲しいからって取ったりしないぞ?」
そう言ってプロデューサーは私のジュースをひょいっと取って一口飲む。
「ちょっと、私が飲んでるところなんだから返しなさいよ!」
「すまんすまん。つい欲しくなってな」
「だから、そういうのは先に私の許可を取ってからやりなさいよ!」
ジュースを持った逆の手でプロデューサーの頬をもう一度抓った。
そうこうしていると、響はペンギンを抱っこして急いで海へと走って行った。
「自分、熱すぎてもう耐えられないんだぞ!」
こう言い残して。
どうしてあんなに慌ててるのかしら。
ひょっとして、やよいと一緒に泳ぎたいのかもね。
「ははは、響は相変わらずだな」
「ああやって変に慌ててるから、余計に熱くなるのよ」
私はプロデューサーに撫でられながら、アイスが溶けたオレンジジュースをストローで飲んだ。
「撮影、あとどれくらい残ってるの?」
「んー予定だとあと二時間分くらい。ちょっと押してるから更にかかるかも」
プロデューサーは左腕にはめた時計を見ながら時間の計算をしている。
表情からして、あまり進捗はよくないようだった。
「え、そんなにもあるの?」
「まあな。編集して、いいところばかりを集めるから、多いほうがいいんだ」
「それはわかるけど……」
あと二時間もこの炎天下で撮影。気が滅入りそうな思いだ。
「編集するのは小鳥さんだからな。本業じゃないから多めに撮っておきたい」
「なんでよりによって編集が小鳥なのよ……」
「できるのが小鳥さんしかいないんだよ。外注すると経費がな」
普段、善からぬ妄想をしては鼻血を吹いている小鳥。
なんだか変な編集をされそうで怖い。
最終チェックには私も参加しようと、溜息交じりでそう考えた。
「俺も確認するから、あんまり変な映像にはさせない。安心してくれ」
私の不安げな顔を見たのか、プロデューサーがそう声をかけてくれる。
「プロデューサー……」
恥ずかしくて、ちょっとだけ肩を竦める。
時々だけど、こうやって頼りになってくれるのが嬉しい。
ゆっくりと頭をプロデューサーの方へ傾けようとしたところ、急に撫でていた手が止まった。
不思議に思って顔を上げると、プロデューサーは不自然に何かを覗き込むような目をしていた。
それに、なぜか鼻の下が伸びている。
視線の先は私の顔よりも下。ちょうど胸の辺りだった。
私が肩を竦めたせいか、元々緩かった胸元が更に緩くなっていた。
「……ねえ、プロデューサー?」
私は頬が引き攣るのを我慢しながら笑顔で訊ねる。
「ん、どうした?」
「そこからはどんな景色が見えるのかしら?」
「げ」
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