おそらく自分は、普通の人生を送れない。
なんとなくそう意識し始めたのは、たぶん中学生の時だったと思う。
放クラの活動が軌道に乗ってきて、アイドルをすることにも慣れてきた頃、周りの同級生たちが部活を始め、それまでお遊びだったクラブ活動とは打って変わって、本気で「大会」を目指すような部活動を始めて、なんとなく感じ始めた。
もちろんあたしは部活動はどこにも入っていなくて、アイドル活動で成果を出すことで特例として認められていた。他のみんなにその話をするときは、ちょっと誇らしい気持ちだったのを覚えている。普通じゃない、特別な優越感。
でもわがままなことに、同級生たちと競い合う時間を、ちょっと羨ましく思うこともあった。
蝉が鳴いている。その蝉の声と同じくらいの音量で、吹奏楽部が練習している音が聞こえてくる。
高校の教室は校門から遠いところにあって、中庭を通っていると、教室で練習している吹奏楽の音がよく聞こえる。こんなに大きな音を出す楽器より大きく聞こえる蝉の鳴き声って、すごい。
なんとなく「あー」と声を出してみると、芝生を踏む自分の足音が、消えてしまったような気がした。
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プールの横の自動販売機で、いちごオレのボタンを押した。ガコン。暑い。夏休み直前の日差しはシャツの中まで蒸すような暑さで、日焼け止めを塗っていなかったら今頃どうなるのだろうと冷や汗が流れる。夏はドラマの撮影があるのに。
同級生が使っているのよりも良い日焼け止めで肌を守っても、暑いものは暑い。ほんとは水の方がいいのだろうけど、甘いものを飲みたい気分だから今日は仕方ない。
このあとダンスレッスンがある。この甘味の分は後から取り戻せばいい。一口含むと、炎天下の自販機で冷やされたいちごオレは口の中から身体を冷やしてくれた。ここだけ冷房が効いたみたい。罪悪感があるからか、あんまり甘くはなかった気がする。
スマホで時間を確認すると、待ち合わせの15分前だった。プロデューサーさんが来る前に、いつものコンビニに着いておきたい。
高校に入ってすぐ、夏葉さんが車で迎えにきてくれたことがあった。当然、あんな目立つ車が高校に来たら高校生は大騒ぎになる。
夏葉さんは慣れてるからか、ものともしてなかったけど、あたしはなんだか恥ずかしくて、助手席に乗りながら次からはコンビニにしてください、と言った。それ以降、事務所の人が高校に直接来ることはない。
多分、それが普通の高校生だから。
「おつかれ果穂、水飲むか?」
待ち合わせの5分前なのに、コンビニのいつもの場所に車は止めてあった。外からは中が覗けないようになってるけど、ナンバープレートで覚えてるからすぐ後部座席のドアを開ける。
「いいです。持ってるので」
喉が渇いているのを見透かされたみたいで、ちょっとムッとしてしまう。プロデューサーさんは「そうか、」と水をカバンにしまいながら、ちょっと何か言いそうにしたあと、前を向いた。あたしは音を立ててドアを閉めた。
いちごオレを買ったことがなんだか悪いことのように思えて、何を持っているのか聞かれるのかとドキドキしている。多分この人はそんなことでは怒らないけど、この人に引け目を感じる自分がちょっと嫌だ。
「暑いな、今日も」
露骨に話題を作るプロデューサーさんを、このまま無視したらどうなるのかちょっと想像してみる。たぶん、自分で返事をしながら車を出すんだろうな。
ちょっと前のあたしならすぐに返事をしてたと思うけど、最近はなんだか、ちょっとプロデューサーさんにムッとなることが多い。
なんだか、距離感にムズムズするのだ。喉が渇いているのを当ててきたこともそうだし、
「日焼け止めは塗った?」
あたしの予想より、あたしのことを考えてくれてる行動をするし。
「もうすぐ撮影なんですよ」
「はは、それもそうだな」
答えた後、もっと優しく返事をしてもよかったのでは、と自分の中でちょっとぐるぐるする。でも冷たく突き放したことにスッキリしてる自分もいる。なんなんだろう。
喉が渇いたのでいちごオレを飲もうとしたけど、プロデューサーさんに見られるのがなんだか嫌で、代わりにスマホを開いた。学級委員からクラスのグループに、明日の日課が送られてきている。すぐに画面を閉じる。
「じゃ、ちょっと早いけど行くか」
「はい」
なるべくそっけなく返事をして、あたしはスマホを眺めるふりを続けた。黒い画面にあたしの顔が写っている。クラスの他の子より日焼けしていない白い肌。眉間に皺が寄っているのが、ちょっと気になった。
「果穂! 今日は早いのね!」
少し遅れてレッスン室に入ってきた夏葉さんが、元気に声をかけてきた。
「はい、今日は短縮授業の日なので!」
そのことはプロデューサーさんには伝えてなかったのに、車はいつもより早い時間に来ていた。もしかしていつもあんなに早いのかな。ちょっと眉間に皺が寄るのを感じて、すぐに頭を振る。
最近は放クラ5人が揃うことは少なくなってきていた。夏葉さんは大学を卒業してから本格的にドラマなんかに出るようになったし、樹里ちゃんや凛世さんは大学生で、ちょこ先輩は専門学校に通っているから、また活動時間がバラバラになってしまっていた。
ちょこ先輩とレッスンの時間が被ることはほとんどない。久しぶりに会いたいな。でも口には出さない。もう子供じゃないんだから。
小学生の頃は、子供ながらに5人は生活リズムがバラバラだと思っていたけど、今思うとあの時期は、比較的5人で活動できる時間は多かったのだ。
放課後のクライマックスは、気付かないうちに過ぎているのかもしれない。
レッスンが終わっても、まだ蝉は鳴いていた。人通りの少ない道を選んで事務所に向かいながら、夏葉さんとアイスを齧る。
「果穂はもうすぐ夏休みかしら?」
「そうです! でもその前に、お盆特番の収録で凛世さんとお泊まりロケがあります」
「羨ましいわね」
ラムネのアイスを齧りながら、夏葉さんはお淑やかな笑顔を見せてくれた。美人。
夏葉さんは大学を卒業したあたりから、あたしたちがお菓子を食べてても何も言わなくなっていた。むしろ、こうして一緒に食べることの方が多い。この時間も大切にしてくれているのかもしれない。
「夏葉さんは映画の撮影、どうですか?」
「順調よ! 昨日は1つ目の打ち上げがあったわ」
同時に何本撮影してるんだろう。打ち上げがあるということは、撮影が順調なのは本当なのだろう。
放クラ5人で活動していた頃は、お仕事の人たちと打ち上げをすることはほぼなかった。当時はそれが当たり前だと思っていたけど、今考えれば、お酒が出る場にあたしたちが行っても邪魔になると遠慮してたんだと思う。夏葉さんか、プロデューサーさんが。プロデューサーさんはああいう性格だし、あたしたちを送ったあとに1人で顔を出していてもおかしくはないけど。
そう思うと、夏葉さんは成人したての時期にあまりお酒の場に顔を出さなかったということになる。凛世さんは、大学生になってすぐは新歓に呼ばれた話をよくしてくれていた。
「夏葉さんは」
「ん?」
「……夏葉さんは、普通の大学生活、送りたかったですか?」
「普通の大学生活ね」
少し含みがある言い方をして、夏葉さんはアイスの下の方を齧った。もうかなり溶けてきてる。
「なんか、お友達とお酒飲んだり、サークル活動とか、してみたり」
「そうね、もちろんそこそこに充実はしていたけど、アイドルを始めてからはその機会は減ったわね」
「寂しかったり、しませんでしたか?」
もともとがアイドルのあたしと違って、夏葉さんは途中からアイドルになったんだ。だったら、感じる差はもっと大きいのかもしれない。
「なかったわね」
人差し指が冷たい。アイスが溶けてきていたから、あたしは急いで下の方を齧る。
「だってそのぶん貴女たちと一緒に過ごしていたし、両立もできていた自負があるわ」
「そう言われるとなんだかくすぐったいですね」
「あら、素直に感謝しているのよ?」
なんですかそれ、とちょっと照れ隠しをするように早歩きをして、続く言葉を思い付かなかったから、誤魔化すようにアイスの最後の一口を食べた。
「それに、普通の大学生活って何なのかしら」
「え?」
「大学生はこれまでと比べて自由な時間が増えるし、私はそれをアイドルにあてただけとも言えるわ」
「なるほど」
「もちろん小学生からアイドルをしていると、また普通とは違った生活なのかもしれないけどね」
「普通とは、違った」
おうむ返しをしてみると、その言葉は思ったより口の中で重く響いた。
普通とは、違った。
「でも普通じゃないってことは、特別ってことよ」
「特別?」
「そう! せっかくなら、特別な時間を生きてみたいとは思わない?」
そう言うと、クラスのみんなが見てるドラマの主演女優は、アイスの最後の一口を齧った。
「あら、このアイス、当たり外れがあるのね」
特別な時間を生きる。もしそれを選んでしまっていたら、それを選んだ人からすれば、普通の時間は特別なものになるのでは。
「果穂はどうだった?」
「あたしは……」
冷えた人差し指で、アイスの棒をひっくり返す。
「あ、当たりです」
今日の待ち合わせは、あたしの方が早かった。
待ち合わせ時間の10分前、コンビニのいつもの位置にプロデューサーさんの車はなかった。ちょっと嬉しい。胸を張るような気持ちになる。
「おう」
「樹里ちゃん!」
コンビニの中でぼーっと涼んでいると、後ろから声をかけられた。
「なんでこんなところに?」
「近くで収録あってさ。ほら、ラジオの」
「あー」
樹里ちゃんはラジオのレギュラー番組を持っている。生放送ではないから、月に1回まとめて収録して、それをずっと繰り返してる。アイドルを始める前はラジオというと生放送だと思っていたけど、録音しておくのが普通らしい。
「果穂拾うついでに、アタシも事務所まで送ってくれるって」
「なるほどです!」
なんとなく会話が途切れる。店内だしそれでいいのだけれど、なんだか手持ち無沙汰で、そういえば渡したいものがあることを思い出した。
「樹里ちゃん、これあげます」
「え?」
カバンから制汗剤を取り出す。CMの収録をした時、スポンサーの人から貰った物だけど、あたしにはなんだか匂いが合わなかった。
「サンキュー?」
あげるのは誰でもよかったけど、誰かと思い浮かべたらなんとなく樹里ちゃんだった。あさひさんも貰ってくれそうだけど、こういう香りがするものは冬優子さんが管理してあげてそう。
「果穂、スカート短くね?」
「そうですか?」
スカートの裾を摘んでみる。他のクラスの子と、そんなに変わらないと思う。むしろ記憶の中の樹里ちゃんはもっと短かった気もするけど。
「脚が長いのかもな」
「急に褒めても何も出ませんよ」
「今制汗剤でてきたばっかだろ」
「そうでした」
話に花が咲きそうになったけど、2人とも笑う前にここが店内だってことを思い出して、どちらからともなく外に出た。蝉の声が顔にぶつかってきて、蒸し暑い空気がアスファルトから登ってきている。
「あー」
でも樹里ちゃんの声を聞くと、外に出た方が話しやすそうだな、と思った。店内は涼しいけど、暑い外の方が気兼ねなくおしゃべりできる。
「あ、果穂ちゃん!」
樹里ちゃんの車の話を聞いていたら、学校の方からクラスの子が駆け寄ってきた。
「友達?」
「はい」
「おう」
樹里ちゃんは気を遣ってくれたのか店内に戻って行って、代わりにクラスの子が私の隣にやってきた。
「ごめん、さっきの人大丈夫?」
「うん、平気だよ」
思ったより、クラスの子達はあたしが放クラのメンバーといても反応しない。プライベートだとなんとなく変装してるから、マネージャーの人なんかと勘違いしてくれてるかな。
「実は文化祭の件で相談があって……」
「文化祭?」
文化祭は夏休み明けのはず。たしか9月とか。
プロデューサーさんは気を遣ってくれているのか、あたしの学校行事の日は絶対に仕事を入れない。ありがたいと言えばありがたいけど、そういうところもなんだかちょっと。
「そう、私生徒会だから、もう準備始まってて」
「そうなんだ! 大変だね~」
ははは、と汗が浮かんだ笑顔を見せる彼女は、どこか誇らしそうだった。
文化祭当日はきっと参加させてもらえるだろうけど、クラスごとの出し物の準備はそうも行かないと思う。ウチのクラスは何をするんだろう。お化け屋敷かな。喫茶店かな。
文化祭は準備の期間が本番のようなところがあるけど、お仕事で放課後抜けてしまうあたしは、きっと本当の意味での文化祭には参加できない。あたしにとっての、特別な時間。
「相談って?」
「そう! 実はね、文化祭で有志のライブコーナーがあるんだけど、そこで果穂ちゃんに一曲披露してもらえないかなって……!」
「ライブコーナー?」
文化祭のライブコーナー。中学の時もあったし、なんとなくイメージはつく。
放クラや事務所のみんなとしていたようなライブとは訳が違うけど、あれはあれで独特の雰囲気があって、すごく盛り上がっている印象がある。
「楽しそう! ……あ、でも」
「もちろんリハとかは免除でいいよ! 本番だねぶっつけとかでも全然良いんだけど……やっぱ難しいかな?」
わからない。あたしとしては参加してみたいし、準備に関われるなら、それはきっと特別な時間になる。
「事務所の人に聞いてみるね!」
「ありがとう~! 絶対盛り上がる!」
「まだわかんないよ~でもあたしもやりたい!」
ちょっとワクワクする。もちろん本番は2ヶ月くらい先だけど、いつもしてることを、いつもと違うところでするのはワクワクする。
それに、特別な時間を共有させてもらえるかもしれない。あたしにも、普通の高校生みたいな、
「在校生のアイドルが文化祭でライブなんて、普通じゃできないからね!」
「……褒めても何も出ないよ~?」
「そんなんじゃないって! じゃあ、私はこれで!」
そう言うと、ちょうど様子を伺いにきた樹里ちゃんと入れ違いに、クラスの子はコンビニに吸い込まれていった。
「話は終わった?」
クラスの子に会釈をしながら、樹里ちゃんが隣に立った。
「はい! 文化祭で、ライブしてくれないかって……」
「お、いいじゃん。アタシも出ようか?」
「騒ぎになっちゃいます」
トークライブとかしてみるか~と樹里ちゃんが笑いながら、飲むか、と水を差し出してくれた。帰れなくなっちゃいますよ、と答えながら、一口飲んで樹里ちゃんに返す。
気が付かないうちに、喉が渇いていたらしい。冷たい水が喉に染みた。
蝉の声が耳に響く。
「お、アイツ来たよ」
樹里ちゃんの目線を追うと、プロデューサーさんの車が遠くの信号に引っかかってるのが見えた。窓が黒くて中は見えないけど、きっと運転席から手を振っているのだろう。見えないのに。あの人がそういうことをするのは、なんとなくわかる。
「駐車させるのもあれだし、あそこまで行くか」
「そうですね」
駆け出そうとして、ちょっと胸に引っかかることがあったので、ローファーをアスファルトに擦らせる。
「果穂?」
「ちょっと、言い忘れたことが」
踵を返して、コンビニに駆け込む。クラスの子はレジに並んでいた。
「果穂ちゃん?」
「あのね、さっき隣にいた人……誰かわかる?」
横目で雑誌のコーナーを見てみる。樹里ちゃんが表紙の、女性向け雑誌が目に入る。
「? マネージャーさん?」
「あのね、西城樹里だよ!」
「え!?」
あっと驚く顔がおかしくて、またね! と声をかけてから、振り返って待ってくれてる樹里ちゃんを追いかけた。
そうだ。あたしは普通の高校生じゃない。西城樹里とお友達の、アイドルの高校生だ。
普通、普通ってなんだ?
に○か「小学生なのに身長は160越で、バストが80ある女の子じゃないのはたしか」
「……って、福丸さんが」
小糸「ぴゃっ?!」
このSSまとめへのコメント
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