春を売る、そして恋を知る (28)
高層ビルが並ぶ街並みの中で、一際高いタワーの上層階。そこに私の住処がある。
政治家や官僚、実業家に時には裏稼業の人たちも。俗に言う『ステータス』を持つ男たちに抱かれるのが、私の仕事だ。生まれた時から、それは宿命づけられていた。
私の上で、汗をかきながら腰を振っているのが今晩の客。この時間を過ごすためだけに、彼は一般人が一年かけて働くような額を支払っているらしい。一般人とかかわることがないから、あまり実感はわかない。
「気持ち良い……んっ……」
ウィスパーボイスで言葉を漏らし、足を彼の腰に絡ませる。こういう演技はオーナーに躾けられた。12で母を亡くした私を、彼は父親代わりのように育ててくれた。感謝しつつも、そのおかげで私はいよいよここから抜け出すことができなくなったわけだけど。
間もなく、男は果てた。汗で濡れた体をそのまま私の体に重ねてきて、不快感を隠すために演技のため息をついた。
今日の仕事もこれで終わりだ。お疲れ様、私。
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男を部屋から送り、しばらくするとオーナーが部屋にやって来た。
四十路を超えているはずなのに、見た目はそれよりも十は若い。すらっと伸びた手足にグレーのスーツが様になっている。テレビに映れば、俳優と思われても不思議ではない。
「お疲れ様、まどか。今日もいい仕事だったらしいね」
満足気に私かけた声色は、出来のいい娘に話しかけるものなのか、それともよく躾けられたペットに向けたものなのか分からない。
返事をしない私に「反抗期なのかなぁ」とわざとらしく肩をすくめて見せた。
生まれた時から彼の下で過ごしているが、私は彼の名前も知らない。このビルの支配人であること、表向きの顔は実業家であること、そしてろくでもない人間であるということ。それ以上のことを私は知らない。名前すら。
彼は私の名前を知っているのに、決して名前を呼ぼうとはしない。『まどか』と彼が付けた名前で、まるで所有物であることを言い聞かせるかのように呼び続ける。
「何か用?」
「つれないなぁ、せっかくの家族団らんでもと思ったんだけど」
拗ねた振りで、彼は舌打ちして見せた。
私には父親がいない。いないというより、誰か分からないということが正しいのかもしれない。私と同じ仕事をしていた母親は、誰の子かもしれぬ私を孕んでしまった。父親が分からないままに私はこの世に生まれてきて、そしてそれからずっと、このビルで育ってきた。
だから、このビルのオーナーである彼が父親というのも強ち間違いでないのかもしれない。母親の後を継がせると、小学校を出るころ(とはいえ、私は学校に通ってはいなかったのだけど。母が亡くなったタイミングでもあった)に私を働かせ始めた彼が真っ当な人間だとは思えないけれど、少なくとも私も真っ当な人間ではないのだろうし。
そんな彼が「家族」という言葉を使ってくると、少し耳を傾けてしまう自分が自分でも嫌いだ。
「まどかの好きな、チーズタルトを用意したんだ。良かったら、お茶でもしないかい?」
時計の針が指さすのは日付の変更後だというのに、この時間にそんな提案をしてくるなんて。抜け目ないようで、こういうちょっと不思議な面がある。
だから私は彼を憎めない。憎めきれない。
「……いいよ」
私をこの部屋に閉じ込めた男と家族であるということに。母親の跡を継がせると決めた男と一緒に暮らしているということに。
全てのことが赦せない。
その筈なのに、受け容れてしまっている自分が、抗おうとしない自分が、一番赦せない。
外の世界に焦がれることが無駄だと分かっていて、最初から何もしていないことを自分が一番理解している。それなのに、オーナーのせいにするのが一番楽だから、私はオーナーを憎むことで自分への苛立ちを今日も誤魔化す。
……それでも、悔しいことにチーズタルトは絶品だったわけだけど。
タルトを食べ終えると、彼はそれが当然のように私をベッドに誘った。その日一番の『仕事』をしたと評価した子を、一日の最後に彼は抱く。
これが『家族団らん』なんて、鼻で笑ってしまう。
ユズさんはこの行為を心待ちにしていると言っていたけれど、私はどうしても好きになれなかった。私に本当の家族はいないと、改めて伝えられているようで。
オーナーの行為はいつも決まった流れで、それを守っていれば乱暴に扱われることも、不機嫌になることもない。まるで仕事のルーティーンであるかのように、彼は私を抱く。
愛情は無い。それでも、私はそれを拒むことができない。
彼に不必要だと判断されたら、私はどこに行けばいいのだろう。学校に通ったことはなかったから、同世代の知り合いなんて一人もいない。私が知っていると言えるのは、オーナーと、私と似たような境遇だったユズさんだけだ。二人ともこのビルの住人で、外のことなんて何もない。
虚しくなるだけの行為であっても、私は彼に求められるために抱かれる。そのために生きている。
薄皮越しに、彼が満足したのを感じた。
それに、恋ってどんな感情か分からないもん。
かっこいい、優しい、いい人。それだけでは恋になり得ないなら、何を以て恋になるのだろうか。
「恋ってよく、わかんない」
そう漏らす私に、ユズさんは「ま、そのうちいい人が見つかれば分かるよ」と慰めるように言った。
「ユズさんにとって、オーナーは『良い人』なの?」
うーん、と悩む振りを見せて、オーナーは口を開いた。
「いい人……『良い人』ではないかな。自分の商品に手を出すし。平気で他の男に抱かせるし」
ならばなぜオーナーをと口を開きそうになったところで、ユズさんは言葉を続けた。
「でもね、私にとって『好い人』ではあるの。善人ではなくても、私は彼が好い」
感覚なんだけどね、と恥ずかしそうに付け足された。
その感覚が分からない私にとっては遠い世界のような話だ。
「いつかまどかにもそういう人ができるよ」
ユズさんはそう言うけれど、こんな生活の私に「好い人」が見つかるとは思えない。恋を知る機会は、私には一生無いのかもしれない。
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