「銀子ちゃん、待った?」
「遅い」
弟弟子という存在を私は初め、便利な持ち駒に過ぎないと、そう捉えていた。
「ごめんごめん。今日に限ってあいが寝過ごして、俺まで寝坊しちゃってさ」
「そのまま永眠すれば良かったのに」
「酷くないっ!?」
酷くない。酷いのはいつも八一だ。
きっと、桂香さんならわかってくれる。
私はいつでも、いつだって待たされて、置いてけぼりで、もう立っているのすら辛い。
「八一、手」
「へ? ゆ、指とか折らないでよ……?」
恐る恐る差し出される八一の手に触れて、自分の指を彼の指に絡ませると、それだけで大駒一枚、いや二枚分は強くなれた気がした。
「行くわよ」
「あ、うん。あの……手、繋いだまま?」
「デートなんだから当然でしょ?」
私は歩き出す。力強く飛車先を突くように。
昔、よちよち歩きで私の後を追っていた竜の雛の道を、姉弟子として切り拓くように。
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たとえば、九頭竜八一と私がそれぞれ別々の師匠の元へと弟子入りしたとして。
小さい頃から内弟子として長い長い時間を共有していなければ、どうなっていただろう。
師匠である清滝鋼介から教わったことは数え切れないほどあって、棋風は元より将棋に対する姿勢や考え方は私も八一も師匠の影響を多分に受けている自覚はある。
きっと別の棋士が師匠だったならば、今の自分とは性格も、ともすれば人格すらも違っていたのかも知れない。
けれど、どうだろう。
同じ一門という接点がなかったとしても、狭い将棋界の中で私と八一はいずれ出会って、そして私はやっぱり八一のことを。
「姉弟子?」
聞き慣れた弟弟子の声に我に返る。
「なによ」
「いや、どんな局面を長考していたのかなと」
この将棋星人め。
将棋のことしか頭にないのはお前だけだ。
将棋と同じくらい、私は八一のことを。
「その顔は序盤の定跡から中盤にかけての変化について考えている顔でしょう?」
あながち的外れではないのが、むかつく。
「銀子ちゃん、何か飲む?」
「ん」
差し出されたメニューから飲み物を選んだ。
訪れたショッピングモールの中で、どこにでもあるチェーン店の喫茶店に立ち寄り、そこで弟弟子の八一とひとときを過ごす。
「ケーキとかは?」
「いらない」
八一が必ずケーキセットを注文すると読みきった上で、それを分けて貰う作戦だった。
「じゃあ、これと、これのケーキセットで」
やはり頼んだ。八一のことなら全部わかる。
「お待たせしました」
しばらくして、ケーキが運ばれてきた。
それはメニューの中ででもっとも気になっていた、レモンのレアチーズケーキだった。
思わず目を見張ると、八一はにやりと笑い。
「これ、食べたかったでしょ?」
「どうしてこれだと思ったの?」
「多分……弟弟子だから、かな」
バカ八一。そこは、彼氏だからって言え。
「最近、小童どもと何かあった?」
「へ? い、いや、別に……何も」
姉弟子の私に恭しくケーキを献上した弟弟子はどこか気が抜けていてぼんやりしている。
その表情が八一の対局を気にかける師匠と重なり、直感で弟子について尋ねてみたが、どうやら図星だったらしく、目を泳がせた。
「ロリコン」
「やめてくださいよ、公共の場で」
「ふーん。密室なら女子小学生に何をしてもいいと思ってるんだ。完全に犯罪者の思考ね」
「どうしてそうなるんだよ!? 違うって!」
「じゃあ、どうしたの?」
適度にからかってから改めて尋ねると、もうからかわれるのはごめんだとばかりに御し安い八一は予想外の一手を放ってきた。
「姉弟子って初恋はいつでした?」
「は、はあ?」
何をいきなり。そんなの言えるわけない。
「さあ。どうだったかしら。覚えてないわ」
「ちなみに俺は中学の頃、桂香さんに憧れて、それがたぶん初恋だったと思います」
「ぶちころすぞ」
聞いてもいないことを言うな。バカ八一。
「でも、それはあくまでも憧れでして……」
「憧れって意味なら、私も入門したその日から師匠に恋をしていると言えなくもないわ」
「あのジジイ。逆破門してやる!」
私と同じく憤慨した様子の八一を眺めて溜飲を下げて、閑話休題。本題へと移ろう。
「で? 何でそんなことが気になるのよ?」
「たとえばですよ? 師匠が俺たちを弟子に取った時にまだ16歳の青年だったとして、もしもそんな若い師匠だったら、姉弟子は憧れと恋の区別がつきますか?」
「もちろん、つくわ」
きっぱりと断言する。それは別物であると。
「師匠のことは尊敬しているし、桂香さんも含めて家族として愛しているけど、それと八一に抱く感情はまったくの別物よ」
「姉弟子……」
「初めは都合の良い駒に過ぎなかったケド」
「おい」
だって本当のことだもん。無論、今は違う。
「でもね、取るに足らない持ち駒に過ぎなかった弟弟子が勝手に駒台を離れて前へ前へと進んで、私を置いて、ひとりで"竜"に成って……」
気づけば私は置き去りで。初めてわかった。
「だから、失いたくないって思ったのよ」
「……同歩」
「は?」
いきなり将棋用語を呟かれて首を傾げると。
「俺も、銀子ちゃんが女流棋士として成功している姿を見て、置いていかれたくないって、失いたくないって必死だったんだよ」
「八一……」
なんだろう。お互い素直になれて、嬉しい。
「だいたい、銀子ちゃんはズルいよ」
「へ?」
「性格最悪な癖にさ。テレビに映る時だけは澄ましちゃって。あれじゃあ大きなお友達が群がるに決まってるじゃん。ほんと酷いよ」
「おいこらワレ。喧嘩売ってんの?」
思わず胸ぐらを掴むも八一は怯まなかった。
「俺だって、嫉妬くらいするんだよ!」
「あ、うん……そう、でしゅか」
嫉妬。嫉妬かあ。GJ、私。ナイス、私。
「俺は竜王になってからも連敗続きで、そんな中、小学生の女の子を弟子に取ったもんだから人気なんてゼロを通り越してマイナスだってことは姉弟子もわかるでしょ? まあ、別に人気者になりたいわけじゃないけど、人気者の近くに嫌われ者は居られないから……」
なるほど。八一なりに色々悩んでいた様子。
「嫉妬なんて無意味よ」
八一の気持ちはわかる。痛いほどに。
それでもそれは要らぬ心配なのだ。
私自身、主に八一の節操の無さが理由で幾度も『熱い』嫉妬の炎で身を焼き焦がしてきたので、どの口が抜かすのかと思われるかも知れないが、これだけは言わせて貰おう。
「私は八一以外、見えてないから」
八一や他のプロ棋士が『将棋星人』ならば、私は『八一星人』。それほどに、好きだ。
「だいたい、プロ棋士の男どもからしてみれば私以上に目障りな存在なんて居ない筈よ」
「そんなことは……」
「八一にだってわかるでしょ? 惚れた腫れたと切った張ったの勝負は切り離せないって」
棋界は戦場。そこに恋愛が入る余地はない。
「それとも八一は私に負けてくれる?」
「それだけはありえない」
八一の目つきが変わる。弟弟子から"竜"に。
「全力で、叩き潰す」
ああ、だからこそ。私はこの人が、好きだ。
「あっ……ごめん。ついムキになって」
「バカ八一」
「ごめんってば」
声が震える。嬉しさと、そして、"恐怖"で。
「な、泣かないで、銀子ちゃん」
「ひっく……泣いて、ないもん」
強がっても涙が止まらない。流れ続ける。
怖かった。そしてそれ以上に嬉しかった。
やっと入門した当初と同じ、対等になれた。
他のプロ棋士にするように、接してくれた。
「八一、将棋指そ?」
「いいけど……銀子ちゃんには負けないよ」
それでいい。勝ちたいのではなく指したい。
それからしばらく、棋譜を交わし合った。
とっておきの作戦をぶつけて八一が受ける。
私は負けて、悔しくて、だから強くなる。
八一の後ろではなく隣で戦える棋士に成る。
「お客様、そろそろ閉店のお時間です」
結局、それから閉店まで暗譜で指し続けた。
何度負けても萎えることはない熱さがある。
熱い。この"熱"を好きな人を共有することが出来て私は嬉しかった。店を出ると八一が。
「とっても楽しかったよ」
「同歩」
そう言って、嬉しそうに笑う。
その無邪気さは昔から全然かわらない。
私もその頃を思い出して、素直に笑った。
幸せだった。
そして幸せなひとときは黒い悪魔によって、終わりを迎える。
「あら? 先生、偶然ね」
「あ、天衣? どうしてここに……?」
店を出るのを待ち構えていたかのように、その黒い小さな少女は佇み、にやりと笑う。
「もし良ければ自宅まで送るわ」
パチンと小さくてしなやかな指を鳴らすと、即座に高級車が音もなく車寄せに滑り込み、運転手が恭しく後部座席のドアを開けた。
変装していたようだが私にはわかる。
この運転手は私と八一が過ごしたあの店の店員だった。
全て仕組まれて会話を聞かれていた。
「いや、今日は姉弟子と一緒だから……」
「ふん。むしろ好都合よ」
好戦的な眼差しを向けられて気づく。敵だ。
「そこの黒いの、あんたの師匠が余計なお世話だって言ってるのがわからないの?」
「そう仰らずに、お乗りくださいなお姉様」
猫撫で声に怖気が走る。なにを企んでいる。
「こんなの放って置いて、帰るわよ、八一」
「あ、うん」
八一の手を引き踵を返すと、背後から。
「感想戦はもう済んだのかしら?」
感想戦。その単語が妙に引っかかり尋ねた。
「黒いの、もしかして気づいてるの?」
「ええ。もうすっかり"乾燥"されたようで」
感想ではなく乾燥。たしかにそう聞こえた。
「か、乾燥って、何のことよ」
「ねえ、銀子お姉様」
しらばっくれると、真っ黒な笑みを浮かべ。
「私の師匠は『怖かった』でしょう?」
「っ!?」
思わず下腹部に手が伸びそれが敗着だった。
「フハッ!」
瞬間、高らかに愉悦を漏らす。竜王の弟子。
「フハハハハハハハハハハハハッ!!!!」
師弟関係では姪に当たる夜叉神天衣の愉悦。
「~~~~~っ!! ぶちころす……!!」
高らかな哄笑に赤面しながら、私はこの黒い小童の名前を絶対許さないリストに刻んだ。
「ど、どうしちゃったんだよ、天衣」
突然嗤いだした弟子に困惑する師匠の八一。
しかし、私は知っている。この小学生をここまで歪ませたのは他ならぬ八一であると。
「ほら、さっさと乗りなさい」
「お、押すなって!」
嗤い終えた天衣が呆然とする八一の不意を突いて車に押し込んだ。それも作戦だろう。
こうなれば、私も一緒に車に乗るしかない。
「流石に後部座席に3人は窮屈ね」
押し込んだ張本人の癖に天衣は愚痴を吐き。
「仕方ないから、私はここで踊ってあげる」
「うおっ!?」
おもむろに腰掛ける。八一の、膝の上に。
「黒いの……一体これは何のつもり?」
「あなたには関係ないわ。空銀子」
関係ないだと。そうはいくか。私は八一の。
「私は先生の二番弟子よ」
「だから?」
「だから、二番目には慣れてるの」
「竜王の側室にでもなるつもり?」
「否定はしないわ」
ああ、そういうこと。これが八一の悩みか。
「八一」
「は、はひっ!?」
「私、言ったわよね?」
熱い。マグマのような嫉妬が、溢れ出る。
「私は八一しか見えてないって」
「た、たしかにそう仰いました!」
「それなのに八一は他の女を見てるの?」
あくまでも冷静に寄せる。八一を詰ます。
「もちろん俺だって、姉弟子だけを……」
「先生。私を見て」
膝の上の小学生が八一の顔を小さな両手で挟み込み、そしてまるで口づけるように囁く。
「あのね、空銀子ったらね。あの店で先生に叩き潰すって言われて、思わず……くふっ」
「それ以上言ったらぶちころす……!」
胸ぐらを掴んで引き寄せると、すかさず。
「あ、姉弟子、抑えて抑えて!」
「八一! このガキを庇うつもり!?」
「そりゃあ庇いますよ! 弟子なんだから!」
八一が割って入り、黒い悪魔はご満悦だ。
「残念でした。先生は私の味方よ」
「チッ……ただ守られてるだけのガキが」
「今はね。そのうち、私が先生を守るわ」
「守るって、誰から?」
「さあ? 束縛が激し過ぎて先生の棋力を落としかねない、重たい重たい姉弟弟子とか?」
「降りる。停めなさい」
「ちょ、姉弟子っ!?」
車が停まり、私は降りて、八一も降りた。
「それでは、師匠。お姉様。ご機嫌よう」
最後まで猫撫で声で神経を逆撫でして、夜叉神天衣は去っていった。はらわたが煮える。
「あれがあんたの悩みね?」
「な、悩みってほどではないけど……」
八一にあのガキへの恋愛感情はない。
そのくらいは私にだってわかる。
ならば、必要以上に嫉妬する必要はない。
「タクシー、拾うわよ」
「あ、あの、姉弟子……?」
「銀子」
「あ、ごめん。それでその、銀子ちゃん」
「なによ」
道端でタクシーが通りかかるのを待ちながら、八一は恐る恐る尋ねてきた。
「その……怒らないの?」
無論、激怒している。熱く煮えたぎってる。
しかし、それはあの黒い悪魔に対するもの。
八一にも責任はあるだろうが釘を刺された。
「私は……八一の重荷にはならない」
「え? 銀子ちゃん、今なんて……?」
丁度タクシーが停まり、エンジン音で私の囁きは掻き消され、黙って車内に乗り込んだ。
「八一。今日は楽しかった」
「うん。こちらこそ、楽しかったよ」
「これからもっともっと、楽しもう」
勝負の世界は、楽しいことばかりではない。
辛いことも、悲しいことも、たくさんある。
それでも、だからこそ、それ以上に楽しむ。
「クソガキなんかに……絶対に負けない」
自称竜王の側室は言った。師匠を縛るなと。
師匠を弱くするなと。上等だ。やってやる。
膝に置いた手を握り締めて、覚悟を決めた。
どっちが八一をより高みに導けるか勝負だ。
【りゅうおうのそくしつ!】
FIN
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