「ただいま」
「おかえりなさい、先生」
「いや~帰り道で犬の糞を踏んじまってさ。悪いけど俺の靴を洗っておいて……」
汚れたブーツをこちらに手渡そうとして、サイタマ先生は固まった。目をごしごし擦る。
そして再びこちらを凝視してから、問うた。
「お前、ジェノスか?」
「違います、先生。俺は……いや、私は今日から『ジェノ子』です。お見知り置きを」
先生が戸惑うのも無理はない。当然の反応。
何せ俺は、いや"私"は生まれ変わったのだ。
女性型ボディに換装して、私は女となった。
「ジェノ子って……意味わかんねえよ」
「先生」
「な、なんだよ」
「"強さ"とは、なんでしょう?」
ずっとその答えを探し求めて、解を得た。
「"強さ"とはつまり、相対的なもの」
「は?」
「戦慄のタツマキやサイタマ先生を観察して理解しました。どう見ても強そうに見えない者こそ、真の強者となる資格を有しているのだと。故に私は敢えて弱者となりました」
「おい、お前さらっと失礼じゃね?」
私は弱くなった。そして真の強さを得た。
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「先生から見て今の私は弱そうですか?」
「むしろ気味が悪くて怖えよ」
「こんなに華奢な腕で私は怪人と渡り合う」
自らの細腕を見やり、小さな拳を作る。
「今ならばきっと、先生とも渡り合える」
そう豪語すると先生の纏う空気が変わった。
「それなら表に出ろ」
こちらに背を向けて犬の糞が付いたままのブーツを履き直す先生の背中から怒気が立ち昇るのを幻視した。ようやく"本気"が見れる。
「お前に本当に"強さ"を教えてやる」
この胸の高鳴りは、女体化の影響だろうか。
いや、たとえ以前のボディでも感じた筈だ。
ようやく先生に認めて貰えた喜びに震える。
「ほら、かかってこい」
相対した先生はいつも通りだった。
こちらの性別が変わっても動じていない。
私はそのことにまた喜びを覚えて、渾身の突きを放った。先生の腹部に拳がめり込む。
「力、弱くなってんな」
当然ながら、先生にダメージはない。
それでも思うところがあった様子で。
どこかやりきれない表情を浮かべて。
「俺はお前の育て方を間違えた」
今度こそハッキリと後悔を滲ませた口調でそう告げて真一文字に口を結ぶ。反撃が来る。
「ごめんな、ジェノス。顔はわりと好みだったけど、やっぱり俺はお前が弱くなるのを見過ごせない。いいか、"強さ"ってのはな」
拳が振り上がる。回避出来ない。動けない。
「相対的なもんじゃなく、絶対的なもんだ」
ゴ ォ ッ ! !
風が、吹き荒れた。音が消え、肌が震える。
一拍遅れて吹き戻しがきた。背後の山が消え、先生の拳が目の前にあった。音が戻る。
「わかったか?」
コツンと額を小突かれて、我に返った。
結局、この人は本気を出してくれなかった。
それでも本気で向き合って、伝えてくれた。
絶対的な力とは別の本当の"強さ"を感じた。
「先生」
「わかったらさっさと帰るぞ。んで、犬の糞が付いたブーツを洗ってくれ」
「わかりました。ですが」
「ん? なんだよ」
いつもの調子でヘラヘラ笑う先生を見ていると動悸が激しくなって、切なかった。
「もう少しこのボディで居させてください」
「お前、俺の話ちゃんと聞いてたのか?」
呆れられても構わない。先生ならばきっと、なんだかんだ言っても傍に居てくれる。
この人はきっとそうした強さを持っている。
「やっぱ1発ぶん殴っておくべきだったか? いや、でも出来れば顔は傷つけたくないな。わりとマジで好みだし……どうしたもんか」
駄々を捏ねる私に困ってしまった先生がどうしたものかと禿頭を抱えていると、上空から。
「ちょっとサイタマ! 誰よその女!!」
思わず耳を覆いたくなる金切り声。
クルクルの緑色の髪が特徴的な女。
S級ヒーローの戦慄のタツマキだ。
「なんでお前がここに居んの?」
「妹のフブキから通報が入ったのよ! アンタが知らない女と歩いてるって! 説明して!」
「いや、説明ってお前関係ないだろ」
「関係ないって何よ!」
先生に詰め寄って詮索する戦慄のタツマキ。
先生の言う通り、この女は無関係な部外者。
というか、馴れ馴れしい。間に割って入る。
「私はジェノ子。先生の弟子だ」
「弟子? このハゲの?」
「ハゲているかどうかは重要ではない」
「ふん! ハゲに弟子を取る資格はないわ!」
「おいこら、だからハゲは関係ねえだろ」
この女。やはり、いけ好かない。許せない。
「焼却砲ッ!!」
ボ ッ ! !
手のひらから熱線を吐き出す。手応えあり。
「ふーん。なるほどね。その技、S級のジェノスの技ね。何がサイタマの弟子よ。本当はあの"鬼サイボーグ"の弟子なんじゃない」
当然のように無傷。やはりこの女は化物だ。
「この私に楯突いた報いを受けさせてーー」
「やめろ」
「ちょっと! 離しなさいよ、このハゲ!」
超能力で私の身体を粉砕する直前でサイタマ先生がタツマキを羽交い締めにして止めた。
「アンタ何回私に抱きつけば気が済むのよ! やっぱり私のこと好きなんでしょ!?」
「俺は聞き分けのないガキは嫌いだ」
「だから私はガキじゃないって言ってるでしょーがぁ! さっさと離しなさいよ!!」
「離したらジェノ子を粉々にするだろ?」
「だったらせめて前みたいに正面から抱きしめなさいよ! 後ろからじゃやだ!!」
前みたく、だと? 何だそれは。聞いてない。
「先生」
「どうした、ジェノ子」
「先生は以前タツマキを抱いたのですか?」
「まあ、成り行きで仕方なくな」
そんな、馬鹿な。嘘だ。悔しくて、堪らず。
「お、おい。いきなり何すんだよ」
「すみません。少しだけ、このままで」
タツマキを羽交い締めにする先生の背中に抱きついた。鍛えられていて安心する背中だ。
このまま一生、女のままで良いと思えた。
「キィーッ!! なんなのよ、アンタ! 早くサイタマから離れなさいよ!!」
「煩い。サイタマ先生は私だけの先生だ」
目と鼻の先でいがみ合う私たちに先生は辟易とした様子で、我関せずの態度を取った。
「なあ、俺もう帰ってブーツに付いた犬の糞を洗いたいんだけど……」
「その前にこの金魚の糞みたいにくっついてる女をどうにかしなさいよ!!」
「先生の肛門から出れるのなら本望だ」
「フハッ!」
何がそんなにおかしいのか、先生は嗤った。
もしかしたら先程のパンチの衝撃で潤滑液が股間から滲んだのがバレたのかも知れない。
ちょろちょろ。
「フハハハハハハハハハハハハッ!!!!」
「嗤って誤魔化すんじゃないわよハゲ!!」
「愉しそうで何より。それが私の幸せです」
これからもこの人について、もっと学ぼう。
そして愉しませてあげよう。力は絶対的かも知れないけれど愉悦は相対的なものだから。
【ウンパンマン 6撃目】
FIN
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