サターニャ「サタニキア百科事典」 (255)
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preface:
ていぎ 【定義】
(1) ある事物や用語の意味・内容を、こういうものであると、はっきり説明すること
(2) 議論の出発点
(3) 議論の終着点
「それじゃあまず、言葉の――から始めましょうか。まあ、単なる雑談なんだけど」
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ある冬の日、私はガヴリール、ヴィネット、ラフィエルを自宅に呼んで鍋をした。
年が明けてから最初の集まりだったので、年寄りくさい表現をすれば、新年会のようなものだ。
私の用意した漆黒の闇鍋は早々に却下され、ヴィネットの采配で魚介鍋が催された。
シメの雑炊も食べ終え、ガヴリールと私はテレビを見ながらお茶を飲んでいた。
ヴィネットとラフエルは台所で食器を洗ってくれている。
「なあ、そういえばお前、なんで手首にそれつけてるの?」
ガヴリールは机に頬杖をつき、退屈そうにモニタを眺めながら言った。
多分、私の手首に巻いているコレのことだろう。
「ああ、自分でも忘れてたわ。通販で買ったのよ」
「お前も懲りないね。浴衣で痛い目を見ただろうに」
「玉石混交なのよ。これはきっといいものに違いないわ」
「典型的なカモの思考。で、それは何て言うの?」
「ふふん、聞いて震え上がりなさい。これは、ミサンガサンダーっていうのよ」
「頭悪そうな名前」
「おやおや、面白アイテムのお披露目ですか?」
ラフィエルが台所から戻って来て、自分の分のお茶をテーブルに置いた。
「このミサンガは、電流を発生させることで、全身の筋肉をほぐしてリラックスさせるのよ」
「普通の怪しげな健康商品ですね。そんなにお疲れなんですか?」
「普通に怪しいって矛盾しないか。何というか、地味」
二人は何故か優しい目をしてこっちを見てくる。
確かに、この説明だと疲れ気味の中年女性みたいかもしれない。
「いやいや、このミサンガの本質は、電気を発生させる点にあるのよ。
装着者に触れた相手に、電撃を食らわせることができるの」
「うわ、なんだよそれ。全身ガムパッチンかよ」
「ガム人間ですね」
「何よ、そんな不名誉な呼び方しなくったっていいじゃない」
「ああ、すみません。これでは、泳げないみたいですね」
「私は悪魔なんだから、ガム悪魔よ!」
「ガムはいいのかよ」
「まあ、それは置いておいて、ガヴリール」
「なんだよ」
「年も越したことだし、握手しましょう」
「この流れですると思う?」
「なになに、腕相撲でもするの?」
洗い物を終えたヴィネットがハンカチで手を拭きながら戻って来た。
「違うよ、こいつがまた通販で妙なものを……」
「それ、ガヴちゃんも腕に巻いたらどうなるんですか?」
「はぁ? なんでガヴリールに渡さないといけないのよ」
「ですから、お二人とも身に着けて握手をした場合、どうなるんですか?」
「さあ、どうなるのかしら……。悪魔か天使として、弱い方が痛い思いをする、とか?」
「サターニャさん、丸腰の天使をやり込めたとして、それはサターニャさんの実力ですか?」
「何が言いたいのよ」
「同じ土俵に立つ相手を倒してこそ、優位を主張できる……そうではありませんか?」
「はーん、なかなか言うじゃない。その提案、乗ったわ!」
「ちょっとラフィ、なんだかよくわからないけど、そんなむやみに煽らなくても」
ヴィネットが私とガヴリールの間に腕を入れて、制止しようとする。
「いいだろう、あんまり痛くても泣くんじゃないぞ」
ガヴリールは不敵な笑みを浮かべ、腕まくりをした。
「なぜかガヴまでノリノリだ!」
「たまには格の違いってやつを見せとかないとな」
「サターニャさん、もう一つありますか?」
「あるわよ、二本セットだったの。ちょっと待ってなさい」
私は引き出しの中から商品の箱ごと取り出し、テーブルの上に置いた。
「説明書を見せてもらってもいいですか?」
「いいわよ」
「ラフィ、私にも見せて」
「ほれ、サターニャ。こんな感じでいいのか?」
「それでいいわ。じゃあ、せーので握手するわよ。覚悟しておくことね」
「はいはい、それじゃあするか」
「なるほど、発電機能があるのね。なになに、発電量はその人の筋肉の量に比例します……ん、これって」
「お二人とも、化学の授業は寝てたんですかね」
「うん、ラフィ?」
「せーのっ!」
私は全身の力を込めて――しかし握りつぶさないように――ガヴリールの細い手をぎゅっと握った。
「いったあぁぁぁぁ! ……ううぅえぇぇ……うぅ……ぐすっ」
「いたたた……何よこれ、二人ともダメージを食らってるじゃない!」
左手がまだジンジンと痺れている。
ガヴリールは握った手を差し出したままうずくまっていた。
「当然ですよ。電流って体内を流れると痛いんですから、サターニャさんからガヴちゃんに流れる以上、双方に痛みはあります」
「わかってたなら、なんで提案したのよ、ラフィ! ガヴ泣いちゃったじゃない」
「ガヴちゃんの方が若干マシになってるはずなんですけどね。すみません」
「あー、ガヴリール。私が悪かったわ。ごめんなさい」
「……ぐすっ……うえぇ……私の手、無くなってない?」
「大丈夫よガヴ、きれいな白い手じゃない」
ヴィネットが差し出されているガヴリールの手を両手でやさしく包む。
「本当?……うぅ……」
「見ればわかるでしょう!? あー、もう。ガヴリール、ほら、これあげるから泣き止みなさい」
私は棚に飾っていたクマの編みぐるみを差し出した。
「ガヴ、よかったわね。これ、サターニャがくれるって」
「はぁ? こんな子供騙しで機嫌が直るわけないでしょ」
ガヴリールは顔をあげると、いつもの眼を半分閉じたような、人を見下した顔でそう言い放った。
「あんた、平気じゃない! もう、心配して損した……ちょっと、クマから手をはなしなさいよ」
私がクマを引っ込めようとすると、ガヴリールはクマの右手を人差し指と親指でつまんだ。
「くれるんじゃなかったのかよ」
「え、何。欲しいの?」
「これ、結構かわいいよね」
ガヴリールはクマをじっと見つめていた。
そんなに気に入ったのだろうか。
「それならあげるけど」
「ちょろい」
ガヴリールが何か呟いたようだったが、うまく聞き取れなかった。
「何か言った?」
「おや、このクマさん、タグがありませんね?」
ラフィエルはガヴリールの手の中のクマをしげしげと眺めている。
「ああそれ、私が作ったのよ」
「え、マジで? 美術2のサターニャが!?」
「何で私の成績を知っているのよ!」
「いや、適当に言っただけなんだけど」
「そういえば、ケーキの盛り付けとか結構上手だったものね。私もちょっと欲しいかも」
ヴィネットも感心した様子でガヴリールの持っている編みぐるみを覗き込んできた。
「私にも、自作のメダルをくださいましたね。手芸が得意なんですね」
「昔から作ることは好きだったからね」
「絵は下手だけどな」
「うるさい! そういうこと言うなら、それ、返してもらうわよ」
私がクマに手を伸ばすと、ガヴリールに手を払われた。
「これはもう私のものだ。返してほしいなら買いなおすことだな。いくら出すか言ってみろ」
「友人のプレゼントを売るってどういう根性してるのよ。ガヴリールの外道!」
「意外と気に入っているみたいですね」
「……ねぇ、サターニャ。ちょっと相談があるんだけど」
ヴィネットが私に耳打ちをしてきた。
私はよく彼女に宿題を手伝ってもらっているが、彼女から私に頼み事なんて、珍しい。
「なに? ヴィネット」
「あっ、今じゃなくていいのよ。また後日ね」
「ふーん、そう?」
もうすでに遅い時間となっており、することも無くなったので、その日はすぐに解散となった。
そして次の日、私は二人から相談を受けることになるのだった。
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day 1:
ぎ だい 【議題】
(1)会議で審議する事柄の題目
(2) 物語の主張する問い。その解決は主に読者の解釈に委ねられる。
「この話に――なんてものはないわよ。論理ではなく、単なる経験的命題、つまりは昔語りにすぎないわ。
まあ、そういうものほど、まとまりがなくて長いんだけど」
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「ほうほう、なるほど。ふむふむ」
「全く、どうしたものかしらね」
「つまり、安請け合いした挙句、手に負えなくなったという訳ですね」
「はっきり言うわね。まあ、そうなんだけど」
その日はラフィエルと昼食をとっていた。
彼女は昼休みはいつもクラスの友人たちと過ごすらしいが、
たまに登校途中で会った時に、一緒に昼ごはんを食べる約束をしたりする。
今日もそのような具合で、彼女のクラスでおにぎりを食べながら話を聞いてもらっていた。
ラフィエルは人の心を引き出すのが上手だ。
彼女に「そうなんですか、大変でしたね」なんて言われていると、
しまっておいた気持ちもするすると流れ出してしまう。
だからついつい、余計なことまで話しすぎてしまう。
「時系列順に詳しく思い出して、落ち着いて考えてみましょう」
「ええ、そうね」
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「サターニャ、編み物を教えてもらえないかしら」
それは、一週間ほど前のことだった。
ガヴリールがお手洗いに行っているときに、ヴィネットから相談を受けた。
バレンタインデーの日にガヴリールに贈り物がしたいのだという。
元々はチョコをあげようと思っていたらしいが、
私のあみぐるみを見て、マフラーや手袋を贈ることを思いついたらしい。
友人の手助けをすることは当然だし、私はもちろん快諾した。
そして、その日の放課後に、ガヴリールからも似たような話を持ち掛けられた。
ガヴリールは定期的にゲーム雑誌の立ち読みのために本屋に寄り道をする。
本屋の静けさが苦手な私は、一人で入らなくて済むため、よく彼女について行っていた。
本を読むことは嫌いではない。
知らないことを教えてくれるし、何度聞き返しても怒ったりしない。
写真を目当てに雑誌をぱらぱらとめくるのも好きだ。
その日、ガヴリールはいつもの雑誌ではなく、手芸コーナーへと向かった。
背表紙を上から順に目で追う彼女の横で、家庭科で何か課題でも出ていたのだろうか、
と思い出していると、彼女は唐突に話を切り出してきた。
「そういえば、そろそろバレンタインだよな」
そうね、ヴィネットも張り切りそう――なんて言いそうになるのをこらえる。
あぶないあぶない、うっかり口を滑らせるところだった。
「お前に言うのも癪なんだが……」
「なによ」
「実は、ヴィーネにプレゼントがしたい。だから、編みぐるみの作り方を教えてくれ」
本棚の高いところにある本をとってくれとでも言うみたいに、何気ない調子で彼女は言った。
「あんたね、頼み方ってものがあるでしょう?」
そういえば、編みぐるみをガヴリールにあげたときにヴィネットも欲しいって言ってたっけ。
私はたくさんの本から編みぐるみの本を探す。
この手の本は結構入れ替わりが早い。
私の知っている本があるだろうか。
「だめか?」
「下界には、敵に塩を送るっていう言葉があるのよ」
「そうか、助かる」
彼女は一冊の本を手に取ると、満足げにゆっくりとページを開いた。
ヴィネットだけをひいきするわけにもいくまい。
それに、ガヴリールが誰かのために何かをしたがる、それは私にとって小さな落雷だった。
太古の地球で稲妻が山火事を起こし、地形を変えたように――それは、私のどこかに火を放ったのだ。
それから私たちは手芸店に寄って、最低限の道具を揃えた。
後日、直接編み方を教える約束をして、その日は別れた。
その翌日の放課後、私は再び手芸店から出てきた。
今度はガヴリールではなく、ヴィネットと一緒だ。
彼女にはマフラーの作り方を教えることになった。
手袋のように、相手の体格を詳しく知る必要もなく、構造が単純なので、
もちろん根気は必要だが、作り方自体は比較的簡単だからだ。
布地を編むときに使う道具には、かぎ針という、先が曲がっていて引っかかるようになっている針を一本使って編む方法と、
棒針という、抜けないようにお尻に留めのついた真っすぐな棒を二本使って編む方法がある。
ちなみにガヴリールに教えるのはかぎ針で、私もいつもはこちらを使う。
お店にはかぎ針と棒針のそれぞれで編んだマフラーの見本が置いてあり、彼女は棒針の方を気に入った。
私は棒針はあまり得意ではなかったが、せっかくのやる気をそぐようなことはしたくなかったし、
私自身の練習にもなるかと思い、棒針を教えることにした。
「ありがとうね、サターニャ。私、がんばってみる」
ヴィネットはそう言って、ふぅと白い息を吐き出した。
その様子に、ふとおばあ様のことを思い出す。
おばあ様は愛煙家で、おじい様のプレゼントだというパイプたばこを、家事仕事の後に吸っていた。
うっとりとしているようで、しかし、どこか乾いたその眼差しが格好良くて、私にも吸わせろとせがんだものだ。
その度におばあ様は、これは、諦めとか、願いとか、疲れなんかを煙にして吐き出す道具だから、
そういうのがあんまりない私には美味しくないよ、と煙に巻いた。
ヴィネットの白い息は、期待が溢れ出した煙なのかもしれない。
息を吸うと寒さが鼻を突き、冷えた空気が頭をすっきりさせる。
私の中にも明るい気持ちが満ちてくるようだった。
気付けば、作ったものを誰かにあげることが怖くなっていた。
手作りの品は、相手に気に入られなかったときに大きな痛手となる。
ラフィエルにあげたサタニキアメダルも、割と真面目に作ったつもりだったんだけどな……。
私が通販に惹かれたのは、既製品ならば責任の所在が私にないと考えたからかもしれない。
だから、前向きに誰かに何かを作ろうとする彼女らを、少し眩しくも思う。
私が何かを自分で作り始めたのは、何がきっかけだっただろうか?
お父様のケーキを作る様子を見たからかもしれない。
お父様がたくさんの常連さんを抱えていることを私は知っている。
もちろん、そのお客さんがケーキを買って帰るときの表情もだ。
それとも、お母様が幼稚園に通うための手提げを縫ってくれたこと?
お母様が施してくれたコウモリの刺繍は、私の自慢だった。
しかし、もっと昔に何か別のことがあったのではないかという気もする。
たまにそのことを考えると、強風の中で湿った花火にマッチで火をつけるように、もどかしい気持ちになるのだ。
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「ここまでは順調だったんですね」
「まあ、何も始めてないしね」
私はパックのお茶でのどを潤し、続きを話し始める。
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ヴィネットと買い物をした次の日の放課後に、私はガヴリールの家に招かれた。
テーブルに向かい合って座りって彼女に教え始める。
自分のかぎ針と毛糸玉を持参するのを忘れたので、とりあえず私が目の前でやってみせ、
次にガヴリールに本を見ながら編んでもらうことにした。
「まずは正方形のコースターを作ることから始めましょう」
「へい」
ガヴリールは床にどけたノートパソコンをちらちらと見ている。
何でもネトゲで期間限定のクエストがあるとか言っていたので、気になっているのだろう。
編み始めてしまえば集中すると思い、気にせず始めることにした。
「いい? まずこんな感じに結び目から、紐を作って始めるのよ」
「ふむふむ」
「それで、次にこうやって網目を一つ増やして、紐を伸ばすの」
「うーん、わかりにくいな。もう一回やって」
「いいわよ。ここを、こうね」
「難しい。もう一回」
「しょうがないわね、こうよ」
「あと一回頼む」
「要求に応じてたら一段終わっちゃったんだけど……」
「次の段の作り方も知りたいから、続けてやってみてよ」
「もう、いい加減に自分でもやってみなさいよ!」
「わからない箇所があったら、不安でできないでしょ」
「じゃあ、どこまですればいいのよ」
「ここまで」
ガヴが教本の編み図の終点を指差す。
一応、編み図の読み方は覚えたらしいが……。
「全部じゃない! 逐次教えるから、まず自分でやってみなさい」
「なんか面倒になってきた……終わったら、机の上に置いておいてよ」
ガヴリールはぐるりと後ろを向き、ノートパソコンを開こうとする。
「まだ一編みもしていないのにそれ!? いいから糸とかぎ針を握ってみなさいよ、ほら」
私はかぎ針から糸を外し、両端を持って引っ張った。
「あー、ほどいちゃうなんて、もったいない」
「いいからやってみなさい!」
なんとかお猪口が置ける程度のコースターを作らせた頃には、私はくたくたになっていた。
もう飽きちゃったのかと思っていると、ガヴリールが次回の予定を聞いてきたので、もう少し続けてみることになった。
「次はもうちょっとがんばりなさいよ」
「へい」
人にものを教えるというのは、なかなかの重労働であると知った。
いつもサングラスをかけている妙に威圧的な担任も、
その黒いレンズの裏側に疲れを隠しているのだろうか。
その日の風呂上りに数学の宿題をやっていないことを思い出したので、
なんとなく手を付けてみることにした。
次の日はヴィネットに棒針を教えに行った。
棒針はしばらくやっていなかったため、復習が必要だった。
夜遅くまで練習していたので少し寝不足だったが、ヴィネットは熱心に話を聞いてくれて、
最後には一人でも進められるようになった。
最初からきれいに編むのは難しいので、20センチくらいの短いマフラーをいくつか作って練習することにした。
こうすることで、途中を均一に編むだけでなく、末端を処理する練習にもなる。
それから数日たって、ヴィネットの進み具合を確認することになった。
「おじゃまします」
「いらっしゃい、サターニャ」
「ヴィネットの部屋はいつもきれいね! ガヴリールにも見習わせたいくらい」
仮にも乙女の部屋とは思えない惨状を思い浮かべる。
一応、毛糸玉が汚れない場所は確保してもらっているけれど……。
「それはね、サターニャ……。巻貝のぐるぐるをアイロンで真っすぐに伸ばそうっていうくらい、無謀なことよ」
ヴィネットがどこか遠くを見つめるような目つきをする。
「そ、そうなの」
経験者は語る、ということだろうか。
「それはそうと、どう? マフラーの進み具合は」
「ああ、うん。それが、まだこれだけなの。ごめん」
ヴィネットは編みかけのマフラーをカゴから取り出す。
確か前回は八段ほど進んでいたので、進んだのは四段ほどだろうか。
「そうなんだ。途中でわからなくなっちゃった?」
「いや、やり始めたら、そこそこは進むんだけど、始めるまでに家事とか宿題を終わらせようと思うと、なかなかね」
「なるほど。時間が取れそうにないなら、もう少し短時間でできるものにする?」
「いや、時間はあると思うのよ。でも、なんとなくぐずぐずしてしまうというか」
その感覚は少しわかる気がする。
新しく服を買った時には、なかなか袖を通す踏ん切りがつかないものだ。
一度着てしまえば気恥ずかしさもなくなり、週に一度は着るようになったりもする。
勉強しないといけないと思うほど、ついだらだらとテレビを見たりしてしまう。
着火にはそれなりにエネルギーが必要だ。
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「という具合に、あんまりうまく進んでないのよ」
「なるほど。まあ、慣れないことは取っ掛かりがわからなかったり、なんとなくやる気が出ないものですしね」
「目標もあるんだし、もっとすいすい進むと思ったんだけどなぁ」
「よく知っているかどうかって大事ですよ。
商品を選ぶときにも、名前だけでも聞いたことのある商品は、全く知らない商品より選ばれやすいと聞きますし」
「それなら、まず慣れてもらうこと、なのね」
ラフィエルが机の上に載せていた私の手にそっと触れた。
「こうして私の手が触れてもサターニャさんはなんともありませんが、
魚は素手で触られると火傷をしてしまいます。
自我を持つとは、そういうことではないでしょうか。
ほら、私たちも魂を取り扱う上で善悪で役割分担してますし」
ここでラフィエルの言う善悪は、魂のパラメータについてのことだ。
死んだ人間から魂を回収するのも天使や悪魔の務め。
魂は天界と魔界の内部にある天国と地獄を経由して、下界に再配置される。
例えば30の善と70の悪という具合に、魂は善悪を兼ね備えており、この魂は全体として40の悪ということになる。
魂は放っておくと下界を漂い、悪の魂と善の魂はぶつかると打ち消しあってしまう。
回収する時には、回収者自身の魂が削られないように、天使は善なる魂を、悪魔は悪なる魂を、それぞれ分別して回収するわけだ。
魂の善悪という指標には厄介なところがあって、完全にどちらかに偏った魂は死んでしまい、完全に消滅してしまうらしい。
そのことを昔の人間がなんとかという現象として言い当てたことがあったらしいが……なんだったかな。
なんにせよ、悪魔は善に傾かない程度に善を、同様に天使も悪を大切にしている。
まあ、善悪とは言っても、それぞれが思う善悪ではあると思うけど。
神の言う「善悪」とは、私たちの言う善悪と、響きは同じでも、意味するものは違う。
私は、道徳観念というよりは性格、私たちの言う「献身と保身」に近いことだと思う。
つまり、悪魔は大切な誰かを、天使は確固たる自己を見つけてこそ一人前ではないか、と。
「人はそれぞれ違った認識を持つものです」
「その人の本質を見抜いたうえで、方法を選んで教えろっていうこと?」
「うーん、本質というか、個性といいますか」
「個性とか、本質とか……。私、本質っていうのがよくわからないのよね」
「辞書には、それ抜きには語れないものとか、そういうことが書いてあると思いますけど」
「例えば、食べ終えた魚の骨だけを持ってこれが本質だ、なんていわれてもしっくりこないわ。
そもそも、骨は生まれたときに完成してるわけじゃないでしょう?」
「生命の本質なんて、それこそ定義する人の数だけありますしね」
「例えば、かまどの本質とは何か? それは、薪を燃やして火で加熱することよね」
「その点で言えば、ガスバーナーやIHも本質的に同じと言えますね」
「そうね。だとすれば、燃やすものも、熱の元になるものも、なんでもいいことになる。
それどころか、与えるということすら取り除いてしまえる。
何かが、何かを使って、何かに対して、何らかの作用をする。
そんなスカスカな、透明な水槽みたいなものが、果たして本質なのかしら」
「そうです、それでいいんですよ。
本質なんて、あると思えばあるし、ないと思えばない。
そこらの人間と、河原の小石とに、何の違いがありますか?
どちらも原子なり素粒子なり弦なりの、寄せ集めに過ぎないじゃないですか。
冬の日に積もった雪を両手で掬って、あなたは何のために生まれたのかと問い詰めることに、
何の意味があると思いますか?」
「いや、なにもそこまでは言ってないんだけど……」
「器が大きいだの小さいだのいうのはまやかしで、同じ人間なんだから器は似たようなものです。
その水槽に何を満たすか、それが個性というものです。
千年前の人は、水槽にコーラを入れることができますか?
酒を満たして飲み干すも、油と芯を入れて火をつけるも、それは自由。
要するに、個性とは骨ではなく肉だと思いますね」
「つまり、何が言いたいのよ」
「ボディビルダーに30キロの米俵を持ち上げるように言うことと、
小学生の子供に同じことを言うのは違うということです。
人はみな、自作の眼鏡でそれぞれ違った世界を見るものですよ」
「そんなに例えばかり言われると、かえってぼんやりしていてよくわかんないけど……」
「サターニャさんはアホの子ですからね。あるいは天然」
「あんたにしてはわかりやすく侮辱するじゃない」
「白痴と言っているのではありませんよ。ただ、論理体系が少し独特ということです。
損をするとわかっている選択肢をわざわざ選ぶ人なんていません」
要するに、ガヴリールとヴィーネに同じ方法で教えたのがよくなかったのだろうか。
ラフィエルの言う通りかもしれない。
人はそれぞれ自前の言語を持っている。
歩み寄り無しでは言葉が通じないのは当たり前のことだ。
だから、人にものを教えるときには、自分にわかるようにではなく相手にわかるように教えないといけない。
ちょっと別の方法も探してみよう。
「そうだ、日記をつけるといいですよ。出来事と感情を意識して分けて書くんです」
「何それ、小学生の宿題? 面倒で、いつも一行くらいしか書いてなかったわ。
あれそれをして楽しかった、とか」
「野心ある野球少年はスコアブックをつけるものです。きっと面白いですよ。それに、冷静になれます」
「ふーん……」
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Y’'二l, '、/o/ マl、 .}-ミ{^ヽ.、__ \-x}
{ ‐'^j: . .{ {. . : . . :ヾk_ノ.ヽ、ノ \.ヘヲ
day 2:
いきもの【生き物】
(1) 生きているもの。生物。
(2) 人間の使うものではあるが、時に人間の力ではどうにもならない働きをするもの。
(3) いずれこのサタニキア様が大悪魔になった時にひれ伏す定めにあるもの。
「いずれ全ての――は私の軍門に下るのよ!」
「長生きできるといいですね、サターニャさん!」
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ラフィエルに助言をもらった次の日から、教え方を変えてみることにした。
ガヴリールには、私が目の前で同じ操作をやってみせながら、
自分でも同時に進めてもらう方法をとることにした。
この方が操作の前後を見比べることで理解がしやすいみたいだ。
また、ゲームに習熟していることから、どちらかというと独学が向くのかと思い
、
編み方の動画が見られるサイトも教えてあげた。
ただ、手本を見せる方法は、ちょっとばかり普通とは違うやり方だった。
私とガヴリールは、前回と同じく向かい合ってテーブルについていた。
「なぁ、この編み方、やっぱりよくわかんないよ」
「どれ? やってみるから見てなさい」
「いや、正面でやられても、左右反転してるからわかりにくい」
「そんなこと言われても、私も右利きだし」
「ちょっとそこで座ったまま足開いて」
「え、こう?」
ガヴリールは編み針を持ったまま歩いてきて、私の足の間に座り、二人羽織のような格好になった。
「これなら見たままを参考にできる」
「あんたの頭が邪魔でよく見えないんだけど」
「がんばってくれ、ほら、肩貸すから」
「しょうがないわねぇ」
私はガヴリールの肩にあごを載せながら、増やし目の編み方を教えた。
顔にかかるガヴリールの髪が、少しくすぐったかった。
「ねぇ、もういいでしょ?」
「あともうちょいで終わるから、そのまま」
「足が痺れてきたんだけど」
「待て」
「犬か!」
「うるさい、静かにして」
この体勢が落ち着くというので、私は座りながらガヴリールとベッドに挟まれるような形になっていた。
ガヴリールにもたれかかられながら、サンドイッチのトマトはこんな気持ちなんだろうかと考えていた。
でも、ガヴリールもこう見えてヴィーネのことを大切に思っているのよね。
手間のかかるものをプレゼントしようと考えるくらいだし。
ヴィーネの方は、まあ何というか、わかりやすいようでいて、わかりにくいというか、二段底というか。
いや、そもそも心なんて、何番底かなんてわからないもの。
一番奥に来たと思ったら、一番外側に一周して戻って来た、なんて。
それでも、あんな風に誰かを大切に想えるっていうことは幸せなことだと思う。
私にも、いつかそんな相手ができるのかな……。
「よし、できた!」
ガヴリールが勢いよく体を反らし、後頭部が私の鼻に直撃した。
「ちょっと! 何するのよ!」
「あっ、悪い。サターニャなら回避できるかと思って。首とか伸びそうだし」
「妖怪か! もう、この石頭! 」
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ヴィネットには、音楽をかけることを提案した。
集中力をあげる方法をラフィエルからいくつか教わり、その一つが環境音楽だった。
「環境音楽は、耳に入る音が無意味になるようにすることに意味があるのよ。
歌はダメね。本当は、ただの雑音がいいの。
生き物は、常に感覚を鋭敏にしておく必要がある。
無意識に意味を感じ取る、つまり脳のリソースが割かれてしまうのよ」
「なんかサターニャが、それっぽいこと言ってる」
「以上、ラフィエル談! ということで、早速聞いてみましょう。用意してみたわ」
「わざわざありがとう。サターニャは下界の音楽に詳しいのね」
「魔界通販でね!」
「急に不安になってきたわ……」
ヴィネットのパソコンを借りて、CDを再生してみることにした。
「まず一曲目! 悪魔的海浜 <デビルズオーシャン> 」
再生ボタンをクリックすると、ごぽごぽと、粘着質の泡がねっとりと弾けるような音がする。
片栗粉をまぶした洗濯糊を煮詰めるとこんな音だろうか。
「うぇっ、血の色に淀んだ海水が目に浮かぶようだわ。魔界の海は生臭いのよね……。別のでお願い」
「わかったわ。では二曲目、悪魔的黒板<デビルズネイル>」
「その曲名ってまさか、かけなくていい! あっ、遅かった!」
背筋がゾクゾクするような甲高いこの音は、まさしく黒板を爪でひっかいたときの音だ。
「確かに雑音ではあるけど! 落ち着くわけがないでしょう! 早く止めて!」
「注文が多いわね……」
「何一つ要求に従ってない!」
「三曲目、悪魔的業火<デビルズファイア>」
「曲名が不穏すぎる……。あれ、この暖炉の音いいわね。
昔、お母さんが暖炉の前で編み物をしていたのを思い出すわ」
スピーカーからは、薪のパチパチと弾ける音が聞こえてくる。
「じゃあ、これにしましょうか。業火に焼かれながら想いを紡ぐ、なかなか悪魔的じゃない」
「その言い方だと怨嗟の言葉か何かみたいね……」
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「そうなんですか、うまくいっているようで何よりです」
「あんたのアドバイスのおかげよ。ありがと」
私はまた登校途中にラフィエルにつかまり、彼女のクラスで一緒に昼ごはんを食べていた。
私はいつも通り、おにぎりとメロンパンで、ラフィエルはお弁当だ。
前から思っていたけれど、周りの女子のお弁当箱は小さい。
私の基準がずれているのかとも思ったが、男子はそうでもないから不思議だ。
同じ生き物なのに、どうしてこんなに燃費が違うのだろうか。
「サターニャさんからそんな素直な言葉が聞けるなんて、明日は終末ですかね」
「まだ月曜日なんだから、週末はまだ先に決まってるじゃない」
「そういえば、今日のコロッケは手作りなんですよ。おひとついかがですか」
「いいの? 悪いわね」
「はい、あーん」
ラフィエルが箸で差し出す一切れを口で受け止める。
カリッという爽快な音を立てて味わう。
やや強めに効いた塩味がカボチャの甘味を引き立てている。
「サターニャさんは、意外と奥手なところがありますよね」
「はぁ? 悪魔が控えめなわけないじゃない」
傍若無人で唯我独尊、それが私だ。
「そうでしょうか。最初は昼食だって自分からは誰とも積極的に関わらず、
それに、これまでどんな頼み事も断れなかったじゃないですか」
「そんなことないと思うけど」
「私はその点、サターニャさんの一歩先を行きますよ。サターニャさんの家にも進んで訪ねるほどです」
「いや、あれは不法侵入……」
「愛ゆえです!」
「あ、愛って」
「悔しかったら、私の家にも侵入してみてくださいよ!」
「どうしてそうなるのよ! あんたのことだから、絶対、罠を張り巡らしているに決まってるわ。
というか、自分でも侵入って認めてるじゃないのよ!」
「サターニャさんは、良き友人になりたいんですか? それとも、恩人になりたいんですか?」
「はぁ? どういう意味よ」
「サターニャさんは大悪魔になりたいとおっしゃってますし、
誰かの上に立つ練習がしたいというのであれば、止めようとは思いませんが、
よくある勘違いをしてはいけませんよ。
友人間は親子のように献身による関係ではなく、また、献身は対価を要求するものではありません。
もしそれを差し出させようとするのならば、それは契約です。
痛手にならない程度に抑えるというのも、お互いのためですよ」
「そんなことくらい、わかってるわよ」
「ところで、サターニャさんはさっき、私のコロッケを食べましたね?」
「なかなかいい味付けだったわよ。褒めてあげるわ」
「代わりに、私にもそのメロンパンを一口ください」
「えぇ、今の話の流れでその要求する?」
「天使が愛するべきは秩序ですから」
「まあいいわ。あんたもメロンパンが好きだったのね。今度おすすめとか教えなさいな」
私はメロンパンの齧った部分の反対を手でちぎり、ラフィエルに差し出した。
「はい、どうぞ」
「わかってません、わかってませんよ、サターニャさん……」
ラフィエルは、処置なしといった具合に手をひらひらと振ってみせた。
「何がよ。いらないなら私が食べるけど」
「いえ、いただきます」
メロンパンを受け取ったラフィエルは、言葉とは裏腹にゆっくりと時間をかけてその一切れを食べたのだった。
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やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かじ。
下界にいた昔の人の言葉だが、これは金言だと思う。
言葉なり身振りでの情報伝達効率はあまりよいとは言えない。
脳みそを直接つなぐことでもできたなら飛躍的に向上するのだろうが……その場合、自我はどうなるのかしら?
なんにせよ、世の中うまい話というのはそうないものだ。
暖炉の熱効率なんかも10%ほどで、ほとんどのエネルギーは煙突から吐き出しているのだという。
教え方にもいろいろあるが、内容自体についても、人に一教えるためには、自分が十知っていなくてはならない。
例えば、デッサンをするときにリンゴの内部だけを描くことはできず、
いわばリンゴと空気の境界をあぶりだしているといえる。
その境界が紙に収まるようにするには、キャンバスを大きくするか、リンゴを小さく描けばよい。
できるだけ詳細なリンゴを描くためには、それなりに広いキャンバスが必要だ。
ということで、最近の私は、学校から帰ってから暇さえあれば編み物をしていた。
棒針は一応の編み方を知っていたくらいでマフラーを完成させたことなど無かった。
そこで、全体の流れを把握し、念のためと手袋や帽子の作り方についても、本を買ってきて調べていた。
ガヴリールに教えている、かぎ針での編みぐるみは、マフラーと違って作品に曲面が多く、
また組み立ての微妙なバランスでも表情を変えるため、作品ごとに何度か作ってみてコツを掴む必要があった。
それに、初めから複雑なものが作れるわけではなく、段階というものもある。
多少の不格好さは味であり、手作りの温かみを生むが、それでもお手本になるものを見せてあげたかった。
ジョギングや山登りでハイになるように、リズミカルな単純作業は精神を高揚させるらしく、
毛糸が無くなりそうになっていることに気付くころには日をまたいでいた、なんてこともしばしばだった。
ガヴリールやヴィネットとは、携帯でやり取りをして教える日取りを決めることが多かった。
二人は教室の席が近いこともあって、秘密の会話がしにくいからだ。
魔界にいたころのこういうときの手段は、手紙か、せいぜいが電話だったが、
人間たちは随分と高速で確実な通信手段を考えたものだと思う。
だが、それ故に……なにか大きな、得体のしれないものに飲み込まれているのではないかと、不安にもなる。
「文明」の字が示す通り、人類の進歩に言葉と照明の歴史は欠かせない。
本の燃える様が他の物が燃えるよりもおぞましく感じるのは、それがまるで自らの右手を食いちぎるような、
あるいはこめかみに銃口を押し付けて引き金を引くような、自滅の虚しさを感じるからだろう。
原始、人間は落雷によって生じた火を絶やさないように守り、道具として使い始めたという。
中でも狼煙の発見は狩りを容易にし、また、人間同士の戦でも永く使われた。
狼煙は天候に左右され、単純な信号しか送れないものの、その伝達距離は百キロにも及ぶ。
やがて望遠鏡の発達により手旗信号やモールス信号が開発され、さらには無線電信が普及。
今や一人に一台、携帯電話が割り当てられている。
いまどき、狼煙なんて上げるのは文章の中くらいだが、煙の伝達手段としての利用はそれなりに残されている。
街に黒煙が上がれば携帯電話を構えた人々が群がり、
淹れたコーヒーから湯気が消えれば、それは自身の余裕が失われている証拠である。
閑話休題。
特にアナログからデジタルへの切り替えにより、より正確に、大容量の情報が伝えられるようになった。
しかし……この、デジタルというのは、情報の輪郭だけを抽出して無理に分類するようなもので、厄介なもののように思う。
例えば――あまり正確なたとえではないが――時計を思い浮かべてみよう。
デジタル時計といえば、数字がそれぞれお七本の直線の有無で表示される文字盤、
アナログ時計といえば数字が輪になった文字盤を思い浮かべるだろう。
デジタルだと一目で時刻を読み上げることができて実用的だ。
しかし、今が一日の内のどのくらいの位置であるとか、一日はぐるっと一周して繰り返されることとか、
そういう部分が見えにくくなってしまったように思う。
電子メールなりチャットでのやりとりは、聞き間違いも無いし、見返せるし、実に便利だ。
そのデジタルな明快さは、人間関係さえもくっきりと規定してしまうように思える。
下界に来るまでは、人間関係とはスープの中の野菜同士の関係のようなものと思っていたが、それは違ったらしい。
それは複雑に編まれた網で、結び目が個人。
電話帳として他人をリストアップすることで、自己と他者の、
あるいは、ある他者と別の他者との区別を明瞭にしてネットワークを構築する。
それはまるで、相手に応じて別の国語辞書を使い分けろと言われているみたいだ。
例えば、私とヴィネットがいるときのガヴリールは、私だけがいるときと、ヴィネットだけがいるときの
加重平均にでもなっているのだろうか?
それとも、また別のガヴリールなのだろうか……。
また、その過剰なまでの明晰さは、何か想像もつかないものの一部であるようにも思える。
蜘蛛の巣によく似たその様子は、生物の時間に習った脳の構造と似ているかもしれない。
それは、炎上という言葉にも表れているようだ。
人と人を繋ぐ糸は、導火線でもあったらしい。
大規模なニューロンの発火は高揚しているときにみられる現象だ。
人はだれでも15分だけなら有名になれるという……。
私の尊大な態度は、その実は虚勢なのではないか、という勘違いも、
自らと違う構造を持つ生き物たちに埋没して過ごしているうちに、
わずかに真実味を持ち始めたようにも思えてしまう。
夏休みの宿題を慌てて間に合わせたのも、赤点の回避に努めたのも、
弱みを見せまいとする、最低限の抵抗だったのかもしれない。
彼らの執念的といえるほどの現実性の前に、私は大悪魔だという言葉は、
GPSを搭載した飛行機の航路に浮かぶ雲くらいの効力しか持たないようにも思えてくる。
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.ノ: :_,..、r:| .ノ:. . . :{ .| :} |x、. . : V: . . . : . . ..|
day 3:
のろし【狼煙】
(1) 昔、戦争の合図や事件が起こった知らせとして、火をたいて上げた煙。
(2) 親しい二人の秘密のやり取り。
(3) 現代人が暇つぶしに上げるもの。140文字で飛ばすのが当世風。
「口は災いの元。――を上げるときには、一度自分の中で咀嚼するのよ」
「喉が煤だらけになりそうですね」
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ある日の土曜日、私はガヴリールの家に来ていた。
一人で家にいるとパソコンを触ってしまい、制作が進まないというので、私はある作戦を実行することにした。
その日の少し前に、ラフィエルにやる気の出し方について相談していた。
「大切なのは、飴とムチと、飴がもらえるという希望です」
「希望?」
「溺れる者は藁をも掴む。どうしても藁を掴ませたいのならば、部屋を水で満たせばいいのです」
「わかるように言いなさいよ」
「心理学的には、オペラント条件付けと呼ばれる方法ですが……」
このときに、ヴィネットに提案した音楽と、もう一つ別の方法を教えてもらっていて、今回はそれを試してみることにした。
「はぁ……火を見てると落ち着くな」
もう一つの方法とは、アロマキャンドル。
編み物をする前に香りを嗅ぐ習慣を付け、
逆に、香りを嗅いだときに編み始めないと落ち着かなくさせる、という作戦だ。
香りによって色々な効果があるそうだが、リラックスしすぎて眠くなってもいけないので、
ミントガムを噛んだ時のように頭がすっきりする、さわやかな香りを選んだ。
そのまま置いていてもいい匂いだが、やはり火をつけると部屋全体に香りが広がる。
「ちょ、なんか危ない眼をしてるわよ、あんた」
ガヴリールは両手であごを支えるようにしてテーブルに両肘をつき、
うっとりとした眼差しで蝋燭を見つめている。
これは逆効果だった……?
でも、確かに火は見入らせる力がある。
「これは引き込まれるな……。お前も、家で蝋燭立てて儀式とかしないの?」
「悪魔は儀式を催される側よ!
なんで私が人間どもに菓子折り持って出向くみたいな真似をしなくちゃいけないのよ!」
ガヴリールは席を立ち、カーテンを閉めた。
彼女の家のカーテンは遮光性の高い上等なカーテンで、昼間でもカーテンを閉めると時間がわからなくなる。
朝日が差し込まないから朝起きられないのだろうか。
これも文明の弊害かもしれない。
「でも、召喚と同時に周りを火の海にするのって、かっこよくない?」
ガヴリールはドアの方へ向かい、部屋の電気を消した。
「あ、いいわねそれ。でも自分の部屋を火の海にする趣味はないわ。というか、なんで暗くしたのよ」
「いや、でもこれ、なんか悪魔的じゃないか? ほら、照明を消すとさ。
今度サターニャの家で蝋燭祭りしよう」
「火は聖なるものって感じがするけど……。これじゃ、編めないじゃない」
確か、火を崇拝する教えもあったはずだ。
炎は闇の住人である悪魔の天敵。
かつて下界の罪人は、悪魔や魔女と呼ばれ業火で焼かれたと聞く。
その風習は根深く、焼かれるときに翼を広げている悪魔に見えることから、
鶏の悪魔風などと呼ばれる料理の名前にさえ残っている。
悪魔を鶏で例えるなんて、失礼な話だ。
それなら、鶏の罪人風とでもした方が、知恵が得られそうでいいじゃないか。
羽を表したいなら、鶏の鶏風とでもすればいい。
それはさておき、夏休みに悪魔祓いの本をラフィエルに見せられた時に感じたのも、ひりつくような熱気だった。
「それに、使い魔がいるから、火気厳禁よ。やるならここで」
「やだよ。火事になったらどうするのさ」
「私の家は燃えてもいいっていうの!? なんで私の周りの天使共はこう発想が悪魔的なのかしらね……」
「脱線はいいからさ、そろそろ本筋に戻った方がいいんじゃないの」
「わざわざ電気消して暗くしたのは誰よ、全く 」
それから再び電気をつけて、前回の途中から始めた。
ガヴリールはいつもよりリラックスしているみたいで、
彼女には時々編み目がきつくなりすぎる癖があったが、
それが抑えられているらしく、前回よりも面のでこぼこが減っていた。
──────────────────────
──────────────
──────
お昼はガヴリールが買い置きしていたカップ麺を頂いた。
私は醤油ラーメンで、ガヴリールはきつねうどん。
毛糸玉が汚れないようにベッドの上に道具をよけて、テレビを流しながら二人で食事をする。
「ああー、なんか目が変になってる気がする」
「私の手つきが鮮やかすぎたか?」
「いや、つい蝋燭の炎を見ちゃってて」
「あー、わかる」
ガヴリールが作業中に私の足の間を陣取るので、私はその間、特に何もできない。
彼女の手の中で秩序が構築されていくのを見守るのも退屈しないし、なんとなく落ち着くので好きだったが、
今日はぼんやりと揺れる火を見ていることも多かった。
「禅の修行でもろうそくの火を見つめるって言うしね。一点集中で目を鍛えるのは、集中力の向上にいいんだと」
「へぇ、そうなの。ふふん、私がどんどん最強になっていくのを、指をくわえて見ていることね」
「まあ、集中力だけあっても、赤ん坊にラップトップ持たせるようなものだけどね。将棋なら定石も知らないと」
「体は資本よ。あんたもインスタント食品ばっかり食べてないで、体力付けなさい」
「母親かよ」
「……」
二人してずるずると麺をすすり、会話が途切れる。
「蝋燭の炎って、周りの音を吸収するみたいだよね。
一面の雪景色みたいに、その周囲の暗闇から、光だけでなく音も奪い去る」
「そうね。たき火とかでも、パチパチって音はするけど、印象としてはとても静かだわ」
暗闇の中に灯る蝋燭の小さな光が安息をもたらすのは、
その明るさが闇と対比されて一層暖かく感じるから、のみではない。
炎はその明るさに眼を慣れさせることで、周囲に立ち込める不安を闇で塗りつぶすのだ。
もたらされた無意味さによる平穏は、母の鼓動と同じリズムで揺れるその姿によって、
目の奥深く、心の底まで滲んでくる。
「火って生き物と似ている気がするのよ」
「そうか? どの辺が?」
「火は、蝋とか、薪とか、燃えるものを吸い上げて、灰とか酸素にして吐き出すわけでしょう?」
「燃焼は劇的な酸化だから。酸素は消費されるぞ」
「あれ、二酸化炭素だっけ……まあいいわ。
これって、日々ご飯を食べる私たちと類似しているように思うのよ。
生涯を蝋燭に例えるなんて、結構本質的な気がするのよね」
「ふぅん。蝋燭なら、つけたり消したりできるのにね」
「できるんじゃないかしら。たまに着くか確認する程度にちびちび使う人もいれば、ずっとつけっぱなしの人もいる」
「どうだか。ま、いつか燃え尽きるのは確かだよ」
「ごちそうさま」
「はいよ、お粗末さん」
先に食べ終えた私は、残ったスープを台所に捨てに行った。
ガヴリールは猫舌なのかふぅふぅと息を吹きかけながら食べていた。
一度に麺を数本ずつしかとらず一口が小さいので、小動物の食事風景を見ているようだった。
「さっき食べたラーメンどうだった? おいしかったらまた買おうと思うんだけど」
「うーん、私はちょっと苦手かも」
「えっ、マジか……」
ガヴリールは持っていた箸を落としたのか、カップの中のスープがポチャンとはねたような音がした。
「な、なによ。驚きすぎでしょ」
三角コーナーに向けて容器を傾けながらガヴリールを見ると、
目の前で犬が急に二足歩行を始めた時みたいな顔をしていた。
「お前、今日は体調が悪かったんだな。無理させてしまってすまない」
「なんで商品の味じゃなくて私を疑うのよ! 誰だって好みはあるでしょ」
「だってお前、なんでもうまいって言って食べるじゃん。
石油とかでも喉を鳴らして飲み干せるんじゃないの? 腰に手を当ててさ」
「失礼すぎる! あまりに塩っ辛いのは苦手なのよ」
「そういえば、海水飲んでしょっぱいって言ってたっけか」
容器を軽く水ですすいで不燃物のごみ箱に捨てる。
ガヴリールはテレビを眺めていた。
画面の中の料理教室は、三十分加熱された食材が一瞬で登場する場面だった。
「悪魔の舌のアキレス腱は塩だったか」
「え、こんにゃく? 塩で揉むと水が抜けて、味がしみ込みやすくなるらしいわね。ヴィネットが言ってたわ」
「うん? ああ、そうだね」
ガヴリールはのっそりとリモコンを手に取り、つまらなさそうにチャンネルを変えた。
──────────────────────
──────────────
──────
午後からも少し編み進めた後、彼女もさすがに疲れてきたらしく、休憩することにした。
ガヴリールはノートパソコンをいじっていて、私はテレビゲームをやらせてもらっていた。
『悪魔の街に火を放て!』
その文句から始まるのは、世界を侵食する悪魔の街の増殖を、放火によって食い止めるゲームだ。
”武器はなんでもいい
ライター、火炎瓶、ダイナマイト、それにタバコ
ただし、君も悪魔の街の住人だ
全てを燃やし尽くしてはいけない
なぜなら、自分の居場所を失ってしまうから”
悪魔の私が操作するのも、なんというかきまりの悪い感じだが……。
単なる遊びということで、私は黒き炎の神の僕たる悪魔として、街に火をつけて回ることにした。
妨害してくる敵に攻撃が当たれば気持ちのいい効果音とともに敵が炎に包まれて消滅し、
戦局の勝利はファンファーレで大げさに祝福してくれる。
お手軽な全能感……こういうゲームは初めてするが、
ガヴリールが夢中になるのも無理はないかもしれない。
「下界の娯楽もなかなかやるわね。もっと早く教えなさいよ」
「お前がそんなにハマるとはね」
「これって一人でしかできないの? ガヴリールも加勢しなさい」
「コントローラーがない」
「そうなの。残念ね」
画面の中で左右に増えていくコンビニを焼き払うと、主人公のレベルが上がったらしく、
彼の頭上にポップアップが表示されてメロディが流れた。
「成長が目に見えるなんて、わかりやすくていいわね」
「成長ねぇ」
ガヴリールが、猫のつもりで描いた絵を「かわいいパンダですね」などとほめられた時のような、
何か言いたげな嫌そうな声を出す。
「なによ」
「人間的成長だのなんだの、よく言うけどさ。結局、成長なんてしないんじゃないの?」
「はあ? 勉強すれば頭がよくなるし、たくさん走ったら足が速くなるじゃない」
「果たしてそれは本質的なの?
例えば、この部屋の中にリンゴが一つあったとする。
テーブルの上かもしれないし、ベッドの上かもしれない。
そこに貴賤はあると思う?」
「うーん、あんまり変わらないわね。」
「私が勉強をするかしないかっていうのも、もっと高い視点から見れば、
リンゴがどこに置いてあるかくらいの違いでしょ」
「リンゴが洗濯機の中にあったら困るわよ。間違えて洗っちゃうかもしれないじゃない」
「ゲームのパラメータだって、外に持ち出しはできない。
攻撃力が100でも999でも、単なるデータであり等価なんだよ」
「そうかしら? レベルが上がったら倒せなかったボスが倒せたりするわ」
「別の例で言ってみるとすれば……
人が和室の中でポーズをとるのを行灯で照らして、障子に映った影が、そいつの外面。
見違えるというのは、違うポーズをとったにすぎない」
「でも、取るのが難しい姿勢だってあるわ
例えば、ずっと逆立ちし続けるのには修行が必要よ」
「そうだね、その場合は、若いうちはよくても、歳を取れば倒れる
年寄りの這いつくばる姿は、足のおぼつかない幼子とよく似ているよ」
「もし仮にそうだとしても、身の振り方、使い方を知ることは大事よ。
包丁の刃を上に持って野菜を切ろうとする人がどこにいるのかしら? 人差し指が真っ二つよ。
なんにしても、編み物を始めたのは成長でしょう?」
「ああ、そうかもな……」
なんでガヴリールがここまで成長しないことにこだわるのかわからない。
前に彼女は、駄天の前も後も私は私だ、みたいなことを言っていたが、そのことを考えているのだろうか。
変化を受け入れるということは、その前を否定することと表裏一体なのかもしれないが……。
「……なんかお前、今日テンション低い?」
「そうかしら……。味方を欺くには、まず敵からよ」
「味方を欺いてどうするんだよ。クーデターか」
「味方の味方は敵、みたいな意味よ!」
「何それ、恋敵か何かか?」
「まあ、編み物にハマる気持ちはわからなくもないかな」
「そう。あんたにしてはなかなかわかってるじゃない」
「感情っていうものは、ためこんでばかりいると、溢れちゃうものなんだよ。
特に、感情を揺り動かされることがあるとね」
「あんたはいっつも溜め込んでそうだしね。もっと表情筋を使いなさい」
「例えば、戦争は割といい例なんじゃないかな。
ある画家は戦時下の苦しい生活の後に全く新しい画風を切り開き、
ある哲学者は徴兵の後に自らの思想を結実させた。
現状に満足しきっていたら、作詞家はきっと一行だって詩を書こうとは思わない。
一時の承認のために、はやる気持ちでこしらえたものは虚ろ。
漫画家は描こうと思って書くんじゃなくて、描かずにはいられないんだよ。
幸福というよりは、不満であることが駆り立てるんだろうね。
だから、愛する夫が仕事に出かけて会えないときに、妻は編み物で気持ちを吐き出す。
そして、何事も手札は多い方がいいよね」
コルク栓を抜くときのように回りくどく、周到な言い方だが、
編み方を教えたことに感謝しているということだろうか。
自分の考えは世間一般と同じだから正しくて、
そう思ってしまう以外にないといった具合……もっと素直になってもいいのに。
そうしたら、私も自然な流れで、二人で一緒に遊ぶのも悪くないと言えるのに。
「それはもう、玉ねぎを切って涙が出るくらいに自然なこと。
あるいは、うまそうに焼けた肉を目にしたときのよだれ……
そう考えると、幸せの予行演習とも言えるかもしれないけど。
多分、本当に自由なことなんて、そうは無いんだよ」
「うへぇ、胸焼けがするわ。あんたたち、もう同棲でも何でもすれば?」
「友人同士で同棲なんてするわけないでしょ。
ルームシェアは確かに出費が抑えられるかもしれないけど、生活リズムが合わない」
「同じ高校生でしょう? 社会人か! というか、てっきりラヴ的なアレなのかと」
「普通に世話になってるからそのお礼だよ。っていうか、なんだよラヴって」
「哲学的な問いね……天使の方が詳しそうだけど」
「ラヴ的なアレの例を出してみろよ」
「そ、それはその……ちゅーとか」
「ぷっ、キスくらいで恥ずかしがるなよ。小学生か」
「何よ。あんただってしたことないくせに」
「じゃあ、練習してみる?」
「えっ?」
「……」
会話が途切れる。
妙なイメージが頭の中に浮かび、慌てて取り消す。
テレビの画面の中で主人公が袋叩きに遭っているのに気づき、慌てて形勢を立て直す。
「……悪い、今のナシ」
ガヴリールは自分と私のバッグを取り違えたときみたいに、ごく自然に詫びた。
「何のことやら。私は何も聞こえなかったわよ」
「ん、そうか」
一体何だったんだ……。
少しどきどきしてしまったのは、不意打ちに変なことを言われたせいで、仕方のないことなのだ。
それだけのことだ。
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──────
「それにしても、自分の操作するキャラの後姿が見えるって言うのは不思議ねぇ」
私は拡大するショッピングモールの駐車場をダイナマイトで爆破していると、
勢い余って街を火の海にしてしまい、ゲームオーバーになった。
「あっ、やられちゃった。もう、あんたもこのサタニキア様の使い魔なら、しゃんとしなさい!」
「そういうのはやってるとすぐ慣れるよ。視界が拡張されただけだ。目が飛び出して宙を漂ってる感じ」
「不気味すぎるわ……悪魔でもそんなやついないわよ。
でも、こういうのを昔からやっていると、他人の気持ちに敏感になりそうね」
「どうだろうね。キャラは操作できちゃうし、自分として認識するのが自然になると思うよ」
「でも、キャラが痛そうな目に遭ってたら、かわいそうって思うじゃない」
ガヴリールが、同じ議題で再度会議を開く前にコーヒーを飲むときのように、はぁ、とため息をついた。
「相手の気持ちになる、ねぇ。一体何なんだろうね」
「それこそ、天使のあんたが詳しくなくてどうするのよ」
「いやぁ……どうにもね。例えば、あいての幸せを考えるっていうのが納得いかないというか。
結局それって、私の考える相手が喜ぶことなわけでしょ?
つまり、私が手にパペットをはめて『わーい』って喜んでるようなものじゃん」
「そんなの、当り前じゃない。相手ならどう思うか想像すること、それが思いやることであって、言い当てることではないわ」
「思うだけならいいと思うよ。でも実際の行動が伴うとさ、自己満足に相手を巻き込むわけでしょ?」
「深読みしすぎなのよ。ヴィーネが作り笑いをしたりすると思う? 気持ちのこもった行動は何よりも嬉しいものよ」
「それは、そうだけどさぁ……。
まあでも、最低限のことはしようとしてるんだ。料理作ってくれたらおいしいって言うようにしてる」
「殊勝な心掛けね」
夕方なったので、私はそろそろ帰ることにした。
私は去り際に、引っかかっていたことを言っておくことにする。
「今日食べたラーメンなんだけど」
「塩分過多のアレか。どうした」
パソコンの前のガヴリールはこちらに目もくれず、声だけで返事をする。
「おいしくないラーメンを食べるのも悪くないわ」
「そこは正直なんだ」
「悪魔は嘘をつかないのよ。なんというか……そういうのも、面白いわ」
「へぇ、そうか」
そう答えるガヴリールの横顔は、心なしか満足そうだったように思う。
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く⌒\
ハ
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| j / ′ / | | j
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∧ ./ /⌒ーヘ ヽ〉 " 仏 _.丿
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人 / : : : : : \八 V〉 rヘ爪 | / /|
≧ーァ φ/: : : : : : : \ 、 \}rくア⌒\/八
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day 4:
しお 【塩】
(1) 精製したものは、一見砂糖に似る白い結晶。人間の生活に欠くことの出来ない調味料だが、
一度にたくさんなめると舌を刺すような刺激が有る。海水を蒸発させて作ったり岩塩から
精製したりする。工業用としても重要。
(2) 味音痴でも、さすがに海水はNG。でも、塩飴はおいしい。
「なあ、サターニャ。悪魔ってやっぱり――を振りかけられたら消滅すんの?」
「ナメクジか! 一緒に海行ったでしょ!」
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ある日の放課後、私はヴィネットの家に遊びに来ていた。
ヴィネットが誰かと話しながらの方が編み物が進むというので、たまにこうして家にお邪魔している。
人は二つのことを同時にできないのだという。
一つのことに集中して、もう一つのことを適当にこなすと、それで脳はいっぱいいっぱいになり、
余計なことを考えないようになる。
学生がよくラジオを聞きながら勉強するのはこのためだ。
だから、彼女の言うことは少しわかる。
彼女が作業をしている間、私も編み物をすることもあれば、宿題をすることもあった。
それに、誰かと一緒に食べる夕飯はおいしいのだ。
ヴィネットはいつも通りにベッドの上で壁にもたれかかるようにして座り、編みかけのマフラーを手に取った。
私はローテーブルを借りている。
「ごめんね、付き合ってもらっちゃって」
「いいのよ。私もこういうの、嫌いじゃないわ……ふわぁ」
腰を落ち着けると安心したせいか、あくびが出てしまった。
「やっぱり今日は帰る?」
「いやいや、大丈夫。宿題もはかどるし」
私はそう言って物理学の教科書を手に取って見せる。
「そう? そう言ってもらえると、こっちも助かるわ」
「そういえば、なんか最近、ガヴの家が、やけにいい匂いなのよね。なんでかしら」
「あ、それは……」
「何か知っているの?」
「さ、さぁ……ガヴリールも女の子だしね」
うっかり話してしまうところだった。気を付けないと。
「さて、宿題でもしましょうかね」
私は誤魔化すように腕まくりをして、やっぱり袖が邪魔になって元に戻す。
「サターニャ、ミサンガしてるんだ」
「ああ、これ? この前のよ。意外と効果あるみたいなの」
私は編み物をする姿勢が悪いらしく、すぐにひどい肩こりに悩まされるようになった。
これを付けていると少しだけましになる……ような気がする。
「ミサンガって、切れたときに願い事が叶うらしいわよ」
「悪魔は願掛けなんてしないわ。自らの手で勝ち取るのよ」
「はいはい、サターニャらしいわね」
巨人の肩の上に立つという言葉もあるが、その高みに立つのも一苦労で、勉強とはトランプタワーのようなものだ。
わからない箇所があればその説明を見て、その解説中に不明な部分があればそれを調べる、その繰り返し。
3段目が置かれていないのに4段目を置くことはできない。
授業開始から5分の箇所がうまく積めなければ、残り45分で積むはずだったカードは宙を舞うのみである。
そのことに気付いた私は、教科書を軽く読む程度の予習をするようになった。
三学期は期間が短いにもかかわらずほかの学期と同じ数の試験があるため、その対策で忙しい。
赤点を取って補修を受けることになれば、ガヴリールやヴィネットが困るかと思い、
最近は前より真面目に勉強するようになった。
全体の構造を把握することは重要だ。
下界の学校に通うことになったときも、まずは形態の把握から始めた。
しかし、何事もたまに確認しないと忘れてしまって、下の段から崩れてしまうこともある。
やっと一組積んだ先に、端からぼろぼろと崩れれば、腕は重くもなってしまう。
私は組んだ腕をノートの上に置き、だらしなく頭を載せてぼんやりとしていた。
「物理は難解ね。マクスウェル方程式とか、よくわからないわ。
というか、マクスウェルとかいう人間、仕事しすぎ」
「同一人物じゃないと思うけど……」
「私とラフィエルが発見をしたら、マクドウェル・ラフィの定理とかになるのかしらね」
「何の定理だ。マクスウェル・ベティの定理みたいに言うな」
「そもそも、式変形みたいなのがあんまり好きじゃないのよね
それって、同じものを、前とか後ろから、違う角度から眺めているだけじゃない。
あんまり意味が無い」
自分で言った言葉から、ガヴリールの話を思い出したので、聞いてみることにする。
「例えば、昨日の私と今日の私は、イコールでつなげるのかしら?
赤ん坊の私から、おばあちゃんの私まで等号でつなげるとしたら、
子供のころにはすでにおばあちゃんの思考ができるってことじゃないかしら」
「そうね、その場合はどっちかっていうと、数学のイコールというよりは、
プログラミングの等号記号、というか代入に近いのかもね
例えば、”a = a + 2”っていう書き方があるのよ。”aに2を足したものをaとする”っていう」
「プログラミング? 何よそれ」
「うーん、そうねぇ……。機械って、私たちの日常言語をそのまま理解できないのよ。
だから、翻訳して教えてあげるんだけど、そのときに使う言葉、かな」
「ふーん、なるほどね。魔界も色々と新しい機械が導入されてるらしいし、知っておくのはいいことじゃない」
「千咲ちゃんの受け売りなんだけどね。あの子、CとかJavaとかやってるみたいで。一体何を作るのやら」
「まあでも、等号でつながっているっていうのは、あながち間違ってないのかもね。
サターニャは、下界の生き物のセントラルドグマって知ってる?」
「ランドセルとドグマチールなら」
「なんでその単語を知っているのよ……。まあ、いいわ。生き物の体が出来上がる仕組みの一部のことよ。
体の設計図の原本であるDNAを転写して、RNAっていうメモ書きを作って、
それをリボソームっていう工場で翻訳してタンパク質、
つまり体の材料を組み立てるの。この流れが生命のセントラルドグマ、中心教義ね」
「翻訳っていうと、なんだか言葉みたいね」
「鋭いわね。DNAもRNAもタンパク質も、文章と同じで、記号が一列に並んだようなものなのよ。おおまかにはね。
人を一冊の小説に例えるのは、まさしくそうだと思うわ。
あるいは、音符に翻訳したらどんな音色を奏でるのかしら」
「でも、同じ設計図からだったら、いつでも同じものができちゃうんじゃないの?」
「ああ、DNAの全部を転写したり、翻訳したりしないのよ。時期によって転写する箇所も、翻訳する箇所も違う。
ジュースの缶だって、見る方向が違えば丸に見えたり長方形に見えたりするものよ」
「だから、複雑に折れ曲がった、同じDNAの周りをぐるっと一周しながら眺めるのが一生とも言えるかもしれないわね。
まあ人間の話だから、悪魔はわからないけど」
「ふーん、それじゃあ、生まれたときから資質は決まってるってわけなの? 報われない話ね」
「ああ、環境で転写や翻訳も変わるし、DNA自体も加工されることがあるらしいの。
本に付箋を貼るような加工、シトシンの5位のメチル化とかね。
だから、全く変化がないってわけでもないらしいのよ」
「そうなの。やっぱり成長はするのね」
「サターニャの運動が得意なのも、ご先祖様ががんばって体を鍛えた成果かもしれないわね」
「やけに詳しいじゃない。魔界で研究所でも持てるんじゃない?」
「そうかな。それもいいかも」
「何か作りたいものでもあるの?」
「ips細胞っていうのがあってね……というのは、冗談だけど。好きなものは詳しく知りたくなるものよ」
「好きなものかぁ」
私は何だろうか……メロンパン?
「そのマフラー、結構長くなってきたわね」
ヴィネットが編んでいるのは、2個のマフラーもどきのあとの3個目だ。
首の周りを一周するぐらいの長さにはなっている。
太めの糸でふんわりと編んでいて、もこもことして暖かそうだ。
「もうそろそろ本番にしないと間に合わないしね。慣れてきたし、ちょうどいいかなって」
「マフラーをつい長く編みすぎちゃうっていう話はよく聞くけど、そんな馬鹿なって思ってたのよね」
「ああ、よく聞く話ね」
「でも、実際やってみるとわかる気がするわ。
網目の数だけ、愛情が蓄積されていくような気がするもの」
「あ、愛情……」
「ああ、いや、言葉の綾よ。そんな重たいものでもなくって……」
「それでも、過ぎたるは猶及ばざるが如しっていう言葉の通り、ほどほどで終わらせないといけない。
そのときに感じるのは、諦めだと思うのよ」
「達成感じゃないの?」
「もちろん、それもあるとは思うけど……。
誰も、ここで終わりなんて言ってくれない。ゴールテープを持っていてくれない。
だから、小春日和のお日様のような、朗らかでちょっと冷たい諦めの中で、自らハサミを入れるのよ。きっとね」
「へぇ……」
ヴィネットを見ると、彼女は編んでいるときにいつもするように、微笑する直前の、
血の通った無表情とでもいうような顔をしていた。
ヴィネットは大口を開けて笑うことはしないが、話しているときは結構表情が豊かだ。
特に、ガヴリールと一緒にいるときは、眉を吊り上げて怒ったり、
花が咲くようにぱっと笑ってみせたり、ころころと変わる。
だから、作業に没頭する彼女を見ていると、例えるなら図書館の閉架の暗がりに潜む妙な色気というか、
あるいは平日の正午に通学路を通ったときの奇妙な非現実感に対する高揚というか、
そういうのに近いものを感じて、なんとなくどきどきしてしまうのだ。
それは、背徳感だけではなく、彼女自身の魅力だとも思える。
ヴィネットは、完成には諦めが必要だと言った。
諦め、それは大悪魔の対極に位置する。
偉大な悪魔はいつだって野心を自らの内に育てる。
不屈の精神と充足感、それらを美徳とするべきである。
しかし、このとき私は、それとは別のことを思い浮かべていた。
私のおばあ様は活動的な女性ではあったけれど、若い頃から胸の病気を患っていた。
まだ弟の生まれていないころ、共働きの両親は、学校から帰った私の世話をおばあ様にしてもらうことが多かった。
おばあ様は色々な遊びを知っていた。
おかげで私は誰よりもお手玉を長く続けることができたし、あやとりでたくさんの技を披露できた。
何かできるようになると決まって、「サターニャはきっと将来は大悪魔になるわね」と褒めてくれた。
私が折り紙で花を作れば、それがまるでルビーで出来ているみたいに、いつまでも大事に取っておいてくれた。
一つ教わるごとに、次に何を教えてもらうかを、二人で話し合った。
その日は、写実的な絵の描き方を教えてもらう予定だった。
私は学校から帰ると、珍しくお店が閉まっていることに気付いた。
両親が病気になったのかもしれないと思った私は、慌てて両親の部屋へと向かった。
ドアを開けるとお母様が机に突っ伏しているのが見えた。
何事かと私は駆け寄ると、私に気付いたお母様はきつく抱きしめてくれた。
おばあ様が亡くなった、そのことを実感したのは、おばあ様の葬儀の次の日に、
下校した後に出迎えてくれる人がいないことに気付いた時だった。
その日のために買っていたスケッチブックは、まだ白紙のままでとってある。
――あなたにとって、火って何?
えっ、火について……?
そうね……火は全てを奪っていくわ。
例えば、ある人が死んで、火葬されたとしましょう。
骨だけになった彼の重さがどのくらいか、想像できるかしら?
割合にして約5%。60キログラムの成人男性であれば、骨の無機成分の重さは僅か3キログラム程度。
彼の眉間に刻まれた皺も、右手の中指にできた立派なペンだこも、全て大気に拡散してしまうの。
骨から生前を推測することの難しさは、よく知っているはずよ。
そうでなければ、ティラノサウルスが立ち方を二転三転することもないはず、そうでしょ?
残された骨は、もはやただの石灰質でしかないの。
生き物は浅はかで、ありもしない希望を信じてしまう。
肉と皮が残されていれば、何かの拍子に目を覚ますのではないかと錯覚する。
人を劇場に例えるならば、役者の去った舞台でなお、幕が上がることを期待してしまう。
世界中にゾンビの伝承が残っているのはそのためよ。
だから、その演目が終わったならば、観客は劇場を焼き払わねばならないの。
人気のない廃屋は、災厄を招き入れてしまうから。
文章だってそうでしょう?
ピリオドは自然に打たれるものではなく、誰かが打たねばならないのよ……。
……あれ、私は誰に話しかけている?
「ああ、赤い毛糸が無くなっちゃったわ。どうしよう」
そういう時はぎりぎりまで進めたらだめよ。かえって面倒なことになるから。
私はそう言おうと思ったが、気づいたら机に突っ伏していて、金縛りにあったように体が動かなかった。
「そうだ、サターニャの髪と色が似てるし、ちょっと使ってもいいかしら?」
いいわけないでしょう? ヴィネットは一体何を言っているのかしら。
「じゃあ、ちょっと使わせてもらうわね」
髪を引っ張られる感覚。
ヴィネットがぐいぐいと引っ張るごとに、私はするするとほどけていった。
全身をヘビがはい回るような感覚の後に、体がどんどん軽くなっていく。
「あらあら、ほとんど骨だけになっちゃった。明日になったら、毛糸を買ってきて編んであげるからね」
冗談じゃない! 今すぐ私を返しなさいよ!
私は反論するために起き上がろうとしたが、それはできなかったし、声も出なかった。
なにせ、筋肉がほどけてしまったのだから。
糸を奪われた操り人形は、指一本たりとも動くことは無いのだ。
「あら、ちょっと糸を引っ張りすぎたみたいね。余っちゃったわ。
そうだ、火をつけてみたらどうかしら。糸に沿って走る閃光はねずみ花火みたいにきっときれいよ」
とんでもない! そんなことをしたら、骨に引火して、私が浄化されてしまう!
「サターニャ、そろそろ起きて」
うるさいわね。それができたら苦労しないわよ!
どうせもう動けないのだ。せめて静かに休ませてほしい。
「もう夜よ、サターニャ」
夜なら寝かせなさいよ。なんで起きる必要が……。
「サターニャってば!」
肩に手を載せられる感覚。
やめてくれ、そんなことをされては、崩れてしまう!
私は体をビクッと震わせて、ばねが仕込まれていたみたいに頭を跳ね上げた。
「サ、サターニャ……大丈夫? ひどい汗よ」
「ヴィネット……」
私は目の前にあった自分の手を確認する。
前髪が額に貼り付いて気持ちが悪い。
汗ばんだ手は蛍光灯の光を反射して、ぬらぬらとてかっていた。
どくどくと音を立てる心臓を、深めの呼吸で落ち着ける。
宿題をしているうちに寝てしまったらしい。
ヴィネットが心配そうに私を見つめていた。
「ちょっと、変な夢を見ちゃって。無理な体勢で寝るもんじゃないわね」
「シャワーでも浴びていく?」
「結構よ。もう遅いし、そろそろ帰るわ」
「そう……。今日は早く寝るのよ」
「ええ、そうする。気遣い感謝するわ」
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私は家に帰るとすぐにシャワーを浴びることにした。
水は色々なものを飲み込んで落ち着かせる。
タバコの匂いを消すには、頭から水をかぶり着替えるのが一番いいのだという。
髪をよく泡立てて、少し強めの水圧で洗い流す。
ヴィネットにはああ言ったが、私が何も失っていないというのは本当だろうか?
世の中では未だ無から何かが生まれるという現象は報告が無い。
化学や物理の授業でも繰り返し習うが、「なんとか保存則」は何者にも侵されざる聖域だ。
エネルギーにしろ質量にしろ、全体に変化はない。
やけに物々しい言い方だが、要するに、結果には原因があるという因果律の話だ。
元の毛糸玉と編みあがったマフラーは一見して等価ではないが、マフラーは自動で編みあがるものではない。
マフラーを編むヴィネット、彼女のエネルギーとなる食事、費やした時間、諸々込みで総和は一定だと思う。
つまり、系、すなわち想定する全体をどこで区切るか、
という話になるが――私という系で考えるからおかしなことを考えてしまうのであり――
四人を一つの系とみなせば、諸般のつり合いは取れている、ということになる。
だが、四人の関係を保とうというのは、結局のところ、
暗闇に灯る蝋燭を消すまいと必死になっているということなのだろうか。
その明るさに眼を慣らしてしまえば、周囲の言い知れぬ不安は暗闇に塗りつぶされる。
寄るべのない自己に他者を巻き込むことで正当化し、その挙句、停滞……。
しかし、それでも私は……。
小学生の頃の通知表には、性格についての項目があった。
創意工夫ができる、責任感がある、自然愛護の精神にあふれる、思いやりがある、などなど。
私はその欄を見るたびにうんざりした。
例えば、数学が数や論理を扱う技術の習熟度、体育が肉体を扱う能力の習熟度の評価だとすれば、
その項目は、他人を扱う腕前の優劣をつけるためなのか?
自分以外は、設定した系の外側は、全て道具に過ぎないとでもいうのだろうか。
危険物取扱免許のように、為政者は人間取り扱いの資格保持者だとでも言いたいのか……。
くそっ……。
何なのよ、損とか得とか、どうだっていいじゃないの、そんなの。
そもそも、私は数学が嫌いなのよ。
何でもかんでも数字で、明快な記号で表して、論理という、まばゆい炎で照らして、わかった気になって……。
見えているものは、いつだって何かを隠しているものよ。
立ったまま足の裏を見ることができる人間が、どこにいるっていうのよ……。
泡がすっかりなくなっているのに、湯をかぶり続けていたことに気付く。
うんざりした気持ちでシャワーを止め、リンスをしてから浴室を出る。
いけない、いけない。
冷静にならなければ。
最近、こういう時には、コーヒーを一杯飲むことにしている。
ガヴリールを冷やかしに喫茶店に通っているうちに、私はいつのまにかコーヒーの味が好きになっていた。
カフェインは一般に興奮作用があると言われるが、
ヘビの毒が薬としても使われるように、少量のカフェインは気分を落ち着かせる。
本来は植物が自己防衛のために毒として溜め込んだものらしいが、わざわざ好んで飲むなんて、
人間も変わった習性を身に着けたものだ。
カフェインには鎮痛作用もあり、頭痛薬にも含まれているのだという。
まあ、マスターの受け売りだけど。
砂糖は入れずにミルクだけを入れたコーヒーは、口当たりが優しく、後味がすっきりしているので好きだ。
本当はミルクも入れない方がコーヒー自体の味が味わえるのだろうけど、少し酸っぱくて、それはまだ少し大人の味。
ドライヤーで念入りに髪を乾かして、コーヒーを飲んでいると、気分も少しよくなってきた。
あんまり考えすぎるのもよくない。
私はまず手を動かすタイプなのである……あれ、手が出るタイプ、だったっけ?
まあ、どちらでもいい。
安楽椅子に座って真相をズバリと言い当てる天才型の探偵もいれば、現場百篇を掲げて足で追い詰める刑事もいる。
私は多分、後者なのだと思う。
とにかく、できることをしよう。
ヴィネットがマフラーの本番に入ったので、仕上げ方の練習をしておこう。
目の止め方もフリンジも、そんなに難しくはないので大丈夫だとは思うが、念のためだ。
編み物の道具を入れているカゴを棚から机に持ってくる。
そして、いつも使っている棒針が見当たらないことに気付いた。
昨日はちょうど手袋を編み終えたので、棒針は毛糸玉に刺しておいたと思うのだが……。
買い置きの毛糸にも刺さっていないかとチェックしたが、見つからなかった。
ヴィネットの家に持って行ってなかったはずだが、
一応スクールバッグの中も探してみるも、やはり入っていなかった。
持ち出すことはないから、必ず部屋の中にあるはずだ。
もう一組、予備の針もあったが、小さくて扱いづらいので、できればいつもの針の方がいい。
何かの拍子に、どこかの隙間に入り込んでしまったのだろうか。
まあ、見つからなければ、明日新しく買いに行けばいいし、それに、差し迫った用事でもない。
今日は編みぐるみの練習をするか、疲れたし寝てしまえばいい。
しかし、羽音がすれど姿の見えない虫ほど気になるものは無いわけで、どうにも他の事に手を付けかねる。
……そうだ、掃除をしよう。
最近は忙しくてちゃんとしていなかったし、掃除するとなれば、普段意識しない場所にも気が向くことだろう。
せっかくシャワーを浴びたことも忘れて、私は組み立て式のフローリングワイパーを取り出し始めたのだった。
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結果から言うと、その掃除は無駄だった。
いつしか見つけることができなければ眠ることさえできないと思い込み、
棚を動かしてみても、冷蔵庫の下を探ってみても、針は出てこなかった。
そんな心境で掃除をしたところで部屋がきれいになるわけもなく、むしろ雑然とした印象を増していた。
それでもなお私は探し続けた。
小学校のときに友人から借りたはずの本が見つからなかったときも、確かこんな気持ちだったと思う。
心臓は血を一生懸命頭に送り、頭は血の返却を拒否しているようで、
頭が破裂してしまうのではないかと思えるくらい、私は他のことを考えられなくなっていた。
何度目になるか、髪をかきむしるときに、ふと手首に付けたミサンガが目に入った。
思えば、これがきっかけだった。
あのとき、ガヴリールにクマを差し出さなければ、今こうしていることもなかったのか……。
ミサンガを反対の手でいじってみる。
汗をかいていたらしく、少し湿っていた。
クマを離そうとしなかったガヴリールを思い出す。
頭の奥がスッと冷えていくように感じた。
私が今騒いでも何にもならない。
明日、新しく買いなおすことにして、今日はもう寝よう。
自嘲気味に短くため息をつき、ふと気まぐれに棒針編みの本を開いてみることにする。
本棚から、その大きくて薄めの本を取り出すと、何か棒状のものが足元に転がった。
それは、一時間も探し続けていた針だった。
どうやら教本に挟まっていたらしい。
そういえば、借りていた本を無くしてしまったことを謝るために泣きながら電話して聞かされたのは、
その前日にすでに返していたことを私が忘れていたということだったっけ……。
こういうのを確か、灯台下暗しというのだったと思うが、なんとも情けない気分になるものだ。
しばらく呆然と床を見つめ、自分への失望と安堵の入り混じった気持ちで針を拾った。
それから、いつもの針で糸を編んでいると、少し落ち着いてこれからのことを考えることができた。
気が付けば、時計は二時を回っていた。
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day 5:
おもいで【思い出】
(1) 深く心に残っていて、何かにつけて(なつかしく)思い出される事柄。
(2) 財産。
(3) 枷。
「大事なものではあるけど……。――は、まあ、それでも、――にすぎないわ」
──────────────────────────────────────
バレンタインが約一週間後に近付いてきたある日の昼休み、私は机に突っ伏していた。
四時間目の授業の途中からどうにも睡魔に抗えなくなり、堂々と寝てしまった。
授業終了のチャイムで目を覚ましたが、腕が痺れてしまっていて、しばらくそのままじっとしていた。
後でヴィネットにノートを見せてもらわないと……そんなことを考えながら、私はバッグからおにぎりを取り出す。
その時、誰かに背中を小突かれた感覚があり、振り返るとガヴリールとヴィネットがいた。。
「なんかお前、最近、静かだな。ぷっ、ほっぺに袖のあとがついてるぞ」
「うるさいわね、何か用?」
反射的に頬を撫でる。確かに少しあとになっているようだった。
最近は魔界通販を見ることが少なくなり、ガヴリールに勝負を挑むことも減った。
編み物のことや、最近増えてきたテストのこともあって、精神的にも時間的にもあまり余裕がない。
「魔界の胡散臭い番組でも見て、夜更かししてるんでしょ」
「そんなんじゃないわよ」
「寝ないと脳みそが干からびちゃうぞ」
「だから、そうじゃないって! 大体、私が眠いのは……!」
誰のせいだと思っているのよ――そう言おうとして、慌てて口をつぐむ。
ここでヴィネットに、あるいはガヴリールにばらしてしまったら、これまでの苦労が水の泡だ。
「……そうよ、魔王様のトークイベントがあったの」
おそらくガヴリールは心配してくれたのだろうが、私はいたたまれない気持ちになった。
「こら、ガヴ。サターニャは疲れてるんだから。ねぇサターニャ、一緒に食堂に行かない?」
薄氷の上に立つような状況に、私は疲れてしまっていた。
私は秘密を抱えることが苦手だ。
人の口には戸が立てられない。
がま口の財布と言うように、開閉するから口なのだ。
バレンタインなんて、早く過ぎ去ってほしい……。
「悪いけど、今日は一人で食べるわ」
私はそう言って、なるべく二人を見ないようにして席を立つ。
「おい、せっかく私が誘ってやったのに――」
「もう、放っておいて!」
ガヴリールが差し伸べてきた手を、私は空いている手で平手打ちしてしまった。
思ったよりも大きな、パチッという破裂するような音が響き、教室は一瞬だけ静まり返る。
「いたっ……」
「……ごめんなさい」
私は逃げるように教室を飛び出し、目的地も決めずに、廊下を適当に走った。
誰の視線にもさらされない場所へ行きたかった。
一人になれるなら、どこでもよかった。
そして、お手洗いから出てきた銀髪の女生徒――ラフィエルとぶつかった。
廊下で出くわした後、私の顔を見て何かを察したのか、
彼女は人気のない屋上へと続く階段で一緒に昼食をとってくれた。
私がおにぎりを食べ終える間、彼女は何も言わずに付き合ってくれた。
クラスに帰るときに、ラフィエルから放課後に遊びたいという申し出があった。
ガヴリールたちとは少し顔を合わせにくかったし、良い口実ができると思って私はそれを承諾した。
──────────────────────
──────────────
──────
「……とまぁ、こんなところね」
「私の知らないうちに、色々あったんですねぇ」
「そうね」
私とラフィエルは今、エンジェル珈琲という喫茶店に来ている。
ガヴリールのバイト先であり、私は冷やかしに通っているが、
今日は彼女のシフトが入っていないため、マスターが一人で接客をしている。
私はいつも通りに注文し、ラフィエルに、ガヴリールとヴィネットについて今日までの出来事を話していた。
「それにしても、サターニャさんと学校の外でこうして会うのも、久しぶりな気がしますね」
「言われてみるとそうね。あんたは気が付いたら近くにいるから、あんまり気に留めていなかったわ」
「ガヴちゃんもヴィーネさんもお忙しそうでしたしね。ちょっと寂しかったんですよ?」
「あんたにも心というものがあったのね……鬼の目にも涙ってやつかしら」
「天使学校次席を指してひどい言い草ですね」
「胸に手を当てて思い起こしてみなさいな」
「いいですよ。……ああ、サターニャさんのトナカイ姿、かわいかったですね」
「自省しなさいって意味だったんだけど。知らなかったとはいえ、私が使い魔の恰好をするなんて、屈辱だわ。忘れなさい」
「とんでもない。ばっちりと、デジタルで永久保管されてますよ。ほら、ここに」
ラフィエルはそう言って携帯を取り出した。
ロック画面は私が着ぐるみを着ている写真だ。
ラフィエルはこういうのはデフォルトのままだろうと思っていたが、
意外と子供っぽいところもあるんだな……。
でも、それを私の写真にするのは恥ずかしいからやめてほしい。
「こんなの、ガヴリールが見たらなんて言うのやら」
「ああ、ガヴちゃんにもこの写真あげましたよ。あと、ヴィーネさんにも」
「なんでよ!」
「さあ、なんででしょうね」
「お待たせしました。こちらブレンドになります」
マスターが湯気を立てるカップを二つ机に載せた。
私はクリームを入れて、ラフィエルはそのまま口をつける。
「それにしても、ガヴちゃんもひどいですね。サターニャさんが言い返せないのを知っていて、そんなことを言うなんて」
「いやいや、単に心配してくれただけだと思うわ。ガヴリールは口は悪いけど、意地は悪くない」
「そうですね。でも、秘密を抱えるというのは大変ですよね」
「昔の人もお腹が膨れるようだって言っていたしね……それは否定しないわ」
実際、ガヴリールやヴィネットと話すときには、
うっかり口を滑らせないように、最近はいつも緊張していたように思う。
こうしてラフィエルと気兼ねなく話をしていると、時間が一月ほど前に巻き戻ったみたいだった。
「サターニャさんは裏表がありませんから、隠し事をしていると自分が許せなくなるんですね」
「そんなことないわよ。悪魔は契約を守るものよ」
「誠実さも悪魔らしさなんですね。立派な心掛けです」
「ただ……」
「なんというか、あんたが言っていたことを思い出したというか……」
「私のことですか?」
「確かに、私もガヴリールにそんなことを言われたときにイラっとしたのよ。
でもそれは、いつものことだって流せる程度のこと。
そうじゃなくてね、何が癇に障ったのかを考えて、がっかりしたのよ」
「どういうことか、教えてもらえますか?」
「つまり、私がガヴリールに教えてあげているのに、
馬鹿にするようなことを言われたと思ってしまったということ。
飼い犬に手を噛まれたように感じてしまったのよ。
私はそんな立場にないのにね」
「なるほど、自らの傲慢さが嫌になったということですか」
「まあ、そんなところよ」
「そんなに気に病むことはありませんよ。
例えば料理を差し出すとして、満腹の相手に押し付けるのと、
三日も食べてない相手に渡すのでは、意味合いが違います。
確か、ガヴちゃんやヴィーネさんから頼まれたんですよね?」
「そうはいってもねぇ」
「そうですね……今から、サターニャさんの大悪魔にかける意志を測りたいと思います」
ラフィエルは先程までの励ますような調子から打って変わって、やけにマジメぶった態度でそう宣言した。
「はぁ? 何よそれ」
「いいですか? 私の質問に真剣に答えてくださいね」
答え方で生死が分かれるとでも言わんばかりだ。
ラフィエルがこういう言い方をするときは、決まってトラップが張られている。
気を付けていても毎回引っかかってしまうので、
いつか鼻を明かしてやりたいのだが、なかなかうまくいかない。
「まあ、いいわ。受けて立とうじゃない」
私がそう答えると、ラフィエルは、悪者を仕立て上げることを善しとするかとか、
自分の目的のために他者を犠牲にすることができるかとか、
そういうちょっと面倒な質問をいくつかしてきた。
「ガヴちゃんのことを考えると夜も眠れませんか」
「全く気にしてないわけじゃないけど……眠れないっていうほどでもないかな」
「体がだるく、疲れやすいですか?」
「うーん、ちょっとあるかも」
「今まで楽しめていた趣味や人付き合いが億劫になってきていますか?」
「そんなことないわ」
「これまで簡単にできていた判断や決断ができなくなっていますか?」
「別に変わりないし……ねえ、これって何か別のことを探ろうとしてない?」
「以上の診断結果を総合するとですね」
「今、診断って言った! 私は病気じゃない!」
「ガヴリマノリカル・サタプトノークの一種ですね」
「え、ガヴ……サタ? なんて?」
「サターニャさんのは、心因性自己完結硬化症、子供が無理すると棘が生えて自分に刺さるっていう病気です」
「はぁ、棘? 角ならあるけど」
「それもまた一つのガヴサタ……大丈夫、いずれカサブタになりますよ」
「カサ……え、何?」
「サターニャさんはどうして大悪魔になりたいんですか?」
「それは、人類の天敵として――」
「あ、そういう大仰なのはいいです」
「なによ、ノリが悪いわね……」
「きっかけは何だったんですか?」
「そうねぇ。多分、私は大悪魔だって啖呵を切ったのは、弟がいじめられていた時だと思う」
「弟さんのため、ですか」
「遊ぶにも鬼ごっこより絵本を選ぶようなやつだったからね。
お父様もお母様も弟が生まれてからは弟ばかり気にかけていたから、ちょっと嫉妬してたわ」
「サターニャさんとは違うタイプなんですね」
「そうかもしれないわね」
「ある日弟を近くの公園に連れて行ったときに、弟と砂場で山を作ってたのよ。
私は途中で飽きちゃって、虫を探しに行ったりして、でも弟は黙々と山を大きくしていた。
気付いたら近所のやんちゃな子たちが弟のそばにいて、山を蹴ったりしてたのよ。
それで私はカッとなって、その子たちに持っていた虫を投げつけたりして、追い払ったわ」
「最初の悪魔的行為が虫を投げつける……ふふっ」
「自分から聞いておいて、笑うんじゃないわよ」
「いえ、笑ってませんよ。あまりに微笑ましかったもので」
「そのときに確か、うちの弟に手を出したいなら、大悪魔の私を倒してからにしなさいって言ったのよ。
そうしたら弟が、私がすごい悪魔だって信じちゃって、。
期待を裏切らない様に演じていたら、いつのまにかそれが自然になってたの」
「なるほど、サターニャさんは、社会的に大悪魔になりたいわけではなく、誰かにとっての大悪魔になりたいわけですね」
「勝手に分析するんじゃない」
「サターニャさんは、もうすでに私にとっての大悪魔様ですよ。お笑い部門で」
「そんな部門にランクインしたって、嬉しくともなんともない!」
「その考え方は、結構危ういと思いますよ」
「何が言いたいの?」
「サターニャさん自身にとっての大悪魔を目指す方が賢明かと」
「それくらい、わかってるわよ」
「本当に、そうですか?」
「はぁ?」
ラフィエルが真剣な表情で私の眼を見据えた。
知識に裏打ちされた揺るぎのない自信を湛えた彼女の金色の瞳は、森の賢者たるフクロウを彷彿とさせる。
夜の森においてフクロウに敵う動物は皆無で、コウモリさえもその鋭い爪で捕らえてしまうのだという。
私は彼女にひとたび見つめられると、捕食者に背を見せまいとする小動物のごとく、
見返すことで精いっぱいになってしまうのだ。
あるいは、その満月を思わせる美しさに、単に見とれているだけなのかもしれないが……。
「怪しげな通販を利用するのも、ごみの分別をわざと間違えるのも、手っ取り早く結果を示すためですよね?」
「別に、そうじゃないけど。悪魔的行為を悪魔がする、それだけよ」
「悪魔的行為という言い方にも表れていますね。
サターニャさんが重きを置くのは「悪魔的」ではなく「行為」なんじゃないでしょうか。
その横暴な振る舞いとは裏腹に、心の奥底では、いつも誰かに頭を撫でてほしがっている。
そういう焼畑農業的な方法では、いつか行き詰ってしまいますし、
何より結果の良し悪しで自らを測るのは万能ではありませんよ?」
「うるさいわね……そんなことくらい、わかってるわよ。
このサタニキア様に説教でもしているつもり?」
「ほら、またそうやって大仰な言葉を使うじゃないですか。
自意識過剰な言葉遣いは臆病さを隠すためですよね?
本当は不安でたまらないんじゃないですか?」
「……言いたいことはそれだけ?」
私が努めて平静にそう言ってラフィエルを見つめると、彼女はビクッと体を震わせ、一瞬だけ目を泳がせた。
何かを言い淀むそぶりを見せた後、彼女はふっと表情をやわらげ、軽く頭を下げた。
「すみません、言いすぎました」
「なによ、急にそんなにしおらしくなられたら、調子が狂うわ。
一応自覚はしてる。でも、なかなか思うようにはならないものなのよ」
「ですが、心配なんです。サターニャさんがいつか、ぽっきりと折れてしまうようなことが起こるんじゃないかって。
自らに火を放ってしまうんじゃないかって」
自分を燃やすなんて、そんな恐ろしいこと、きっと私にはできない。
臆病者はきっと、その臆病さゆえに被害者として自らを正当化するため、加害者を仕立て上げる。
自らを調理したがる鶏なんていない。
その甲高い鳴き声は飼い主を糾弾するためにあるのだ。
「はは……。天使に心配されるなんて、私も落ちたものね……いや、悪魔だからもともと堕ちてはいるか」
「カッとなっても、やけを起こさないでくださいね。
そういう時は、鼻をつまんで息を止めてみてください。
きっと冷静になれますから」
「余計な心配は無用よ。この私の辞書に失敗なんて言葉はないもの」
「あー、ほらまたそうやってフラグを立てるじゃないですか」
「フラグ……って、何よ」
「フラグメントグレネードの略ですよ。起爆剤という意味で……」
ラフィエルは先程とは一変して、慇懃といえるほどにこやかにフラグなるものの説明を始めていた。
こういうときの彼女の言うことはあてにならない。
結局、心配するそぶりをみせたのも、からかうためなのだろうか……。
「あー、もう!」
わざと大きな音が鳴るように、私は握りこぶしで机を叩いた。
カップがカタリと音を立て、水面にさざ波が立つ。
それは威嚇したかったのかもしれないし、拳を痛めることで自分を罰したかったのかもしれなかった。
「どうせ、私程度の悪魔なんて、すぐにでも祓ってしまえるって、見下してるんでしょう!」
言おうとも思っていなかったその言葉は、驚くほど自然に怒鳴り声として喉からあふれてきた。
それはまさに、噴出と呼べるような感覚だった。
いや……本当に、少しも言おうと思っていなかったと断言できるだろうか。
夏休みの宿題を終わらせにヴィネットの家に行った時から、つまり、ラフィエルに悪魔祓いの教科書を見せられた時から、
私は拭いようのない違和感を感じていたのではなかったか。
お前なんていつでも殺せる、という意思表示の意味……それを、ずっと図りかねていたように思う。
そのとき感じた生々しい熱を、冗談という言葉で冷ませずにいた。
「サターニャさん、それ、本気で言ってますか?」
ラフィエルと目を合わせることができず、机の木目をじっと見ていた私には、その時のラフィエルの表情はわからない。
そのときの彼女の声音は、怒りであらぶっているわけでも、悲しみに震えているわけでもなく、
比較的冷静で……色で例えるなら、無色透明というのが近かったように思う。
ただ、そのセリフは割れたガラスのように鋭く、私の耳にいつまでも刺さったまま抜けなかった。
――すぐに謝らなければ!
私はそうも思ったが、口をついたのは、それとは真逆の言葉だった。
「くどくどと、わかったようなことを上から言ってるんじゃないわよ
前に、私に恩人になりたいのかって言ったわよね。その言葉、そっくりそのまま返すわ」
「サターニャさんの気持ちは、よくわかりました」
二人の間に重たい沈黙の霧が立ち込める。
次に何を言うべきか……馬鹿な私には、全く見当がつかなかった。
濃霧の中で迷子になった私は、ただ座って霧が晴れるのを待つしかなかった。
「……そうです、それでいいんです。今日は、もうお開きにしましょうか」
ラフィエルが伝票をとり、隣に置いていたバッグを肩にかける。
「私はもう少し残るわ。コーヒーが残ってるの」
「そうですか。ではまた、学校で。さようなら」
「ええ、気を付けて帰りなさい」
ドアに付いたベルの音でラフィエルが去ったのを確認して、ようやく顔を上げる。
そこは二人掛けのシートが夕日で照らされるばかりで、まるで最初からだれもいなかったようだった。
一人で飲む冷めたコーヒーは、酸味ばかりが強くて、あまりおいしくなかった。
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day 6:
できそこない【出来損ない】
(1) 出来上がりが大変悪く、いっそ作らない方がましと思われるもの。
(2) xxxxxx(ペンで黒く塗りつぶされている)
「私は……」
「サターニャさんは、天然かもしれませんが、――なんかじゃありませんよ」
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明後日にバレンタインを控えたある日、私はガヴリールの家に来ていた。
ヴィネットは昨日の時点でマフラーを完成させていたので、
後はガヴリールが編みぐるみを仕上げれば、私もめでたくお役御免となる。
私がガヴリールに対して怒ってしまったことは、彼女は無かったことにしたいのか、
その次の日に私から謝ってみても、何のことかわからないふりをしてはぐらかされた。
それ以降、私たちは普段と変わりなく過ごしていると思う。
……私は、少しだけ引け目を感じてしまっているかもしれないけれど。
ラフィエルとは、廊下ですれ違えば挨拶ぐらいはするが、まだきちんと話せていない。
もし来年度もクラスが違ってしまえば、そのまま疎遠になってしまうのだろうか……。
色々と考えないといけないことはできてしまったが、とりあえずは目先の予定だ。
「ありゃ、キャンドルから黒い煙が出てる」
ガヴリールは慣れた手つきでキャンドルに火をつけた。
いつもはほとんど煙は出ないが、今日は確かに黒々とした細い煙が蒸気に混ざっていて、少し焦げ臭い。
火災事故を思わせるその煙は、凶報を知らせる狼煙のようだった。
何故だか目が離せず、じっと見ていると、その煙は私の中に入り込んできて、内側を煤だらけにされている気がしてくる。
その場の空気に飲まれやすいのは、私の中が空洞だからかもしれない……。
ピンセットを取って来たガヴリールが、ロウソクの芯をつまんで火を消す。
「昨日までは、何ともなかったんだけど」
「長く使っていると、芯が焦げてしまってこうなるのよ。ハサミで切って、短くするといいわよ」
「そうなんだ。まだ熱いし、後でしとく。今日はこっちを使おう」
ガヴリールは別のキャンドルを棚から持ってきて火をともす。
日曜日の朝に顔を洗った時のように頭がすっきりとしてくる、
嗅ぎなれた爽やかな香りが部屋に広がった。
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「なかなか上手にできたじゃない!」
「このくらい、私の手にかかれば容易い。でも、もっと褒めてもいいぞ」
「最初にコースターを作るのに何時間もかけていたくせに、よく言うわね。
でもまあ、このサタニキア様が太鼓判を押すわ。誇りなさい、ガヴリール!」
「そりゃどうも」
私は、つい先程作り終わったガヴリールの編みぐるみを手に載せていた。
ガヴリールが作ったのは、小さなアヒルを抱えたクマ。
クマは全体的にふんわりと編まれて、柔らかい印象だ。
頭部はきれいな饅頭の形をしていて、手足は左右とも、ほとんど同じ大きさでバランスが取れている。
アヒルは細めの糸できつめに編まれていて、胴体の複雑な曲面がなめらかに表現されている。
ベストな状態で仕上げるために、三日に分けて少しずつ進めてきた甲斐があって、これまでにない丁寧な作りになっていた。
「これならきっとヴィネットも喜んでくれるわね!」
「そうだといいけど」
ガヴリールは台所で紅茶の準備をしている。
今日で完成しそうだったので、祝杯を挙げるべく、彼女の家に来る前にコンビニでケーキを買っておいたのだ。
「それより、明日なんだけどさ……あちっ!」
彼女の悲鳴に続いて、中身の詰まった金属が落下する鈍い音。
ガヴリールの方を見ると、彼女の足元にやかんが落下していた。
私は思わず編みぐるみから手をはなし、彼女の元へと急ぐ。
やかんからこぼれた熱湯が水たまりを作り、それを回避しようとしたガヴリールが体勢を崩す。
私は倒れかかって来た彼女を両腕で抱きとめた。
腕の中にすっぽりと納まる小柄な彼女は驚くほど軽く、ちゃんと食事を摂っているのか心配になる。
「あ、ありがと……」
「別に。早く片付けましょう」
ガヴリールに自分で立ってもらって、空になったやかんを拾い上げる。
すると、どこからか妙な匂いが漂ってきた。
今日、一度嗅いだ覚えのある、無性に不安になるこの匂いは一体……。
「あっ、焦げてる! あちちっ」
一歩踏み出そうとしたガヴリールは水たまりを踏み、慌てて足を引っ込める。
部屋の中では編みぐるみから黒い煙が上がっていた。
ガヴリールの作品が、燃えてしまっている!
私は急いでコートを掴み、編みぐるみにかぶせた。
なんとか消火できたものの、クマは全身にひどいやけどを負ってしまっていた。
どうやら、私がうっかり手をはなしたときにアロマキャンドルの上に落ち、
その炎が引火してしまったらしい。
なんてことだ……。
「ご、ごめんなさい、ガヴリール……私が、ちゃんと机に置けば」
「いや、サターニャがすぐ来てくれなかったら転んでたし、仕方ないでしょ」
「でも、明後日に間に合わない……」
「まだ時間があるし、もう一回作ればいい。二回目だし、きっとすぐだよ」
「そ、そうよね」
「あっ!」
「こ、今度は何?」
「いや……そういえば、これ作るのに、この色の毛糸を使い切ってしまったんだった」
「それは、ちょっとまずいわね」
近くにある手芸店は、確か明日が定休日だったはずだ。
もう遅い時間だし、さすがに開いていないだろうか。
いや、一応行ってみるべきだろう。
「任せなさい、ガヴリール。今から買ってきてあげるわ」
「いや、別にいいよ。もう遅いし……おい、待てって!」
私はガヴリールの言葉も聞かず、焦げ臭いコートを羽織って寒空の下へと飛び出した。
手芸店までは歩いて十分ほどだ。
私は白い息を吐きながら懸命に走った。
何度か信号無視をしてまで急いだが、店内には灯りがともっておらず、やはり閉店時間をすぎてしまっていた。
私の家には、あの毛糸玉のストックは無いし、万事休すか……そう諦めかけた私は、あることを思い出した。
確か、同じ色の毛糸をヴィネットが買っていたはずだ。
もしかしたら、彼女に頼めば分けてもらえるかもしれない。
私はヴィネットに電話をかけ、これから家に行くので会ってほしいと伝えた。
数分の後に、ヴィネットは紙袋を持って戻って来た。
中身を確認すると、暗くてあんまり自信はないが、おそらくガヴリールが使っていたのと同じ色の毛糸が入っていた。
「これでよかった?」
「恩に着るわ、ヴィネット。このお返しは、いつか必ず」
私はそれだけ言い残すと、ヴィネットの返事も聞かずにアパートの階段を駆け下りたのだった。
「戻ったわよ、ガヴリール!」
「うん、おかえり。気にしなくてもいいから」
「何を言っているの? 私は不可能なんて概念は持ち合わせていないんだから! これを見なさい!」
私はヴィネットからもらった紙袋を差し出す。
「なにこれ? 服をほどいて毛糸を取り出せってこと?」
「違うわよ! 紙袋はそうだけど、中身は毛糸玉よ。とある筋からの提供!」
「ふーん。なるほど、確かに」
ガヴリールは紙袋から毛糸を取り出し、手に持ってしげしげと眺めた。
「良かったわね。これでなんとか作れる」
「いや、これじゃだめだ」
「えっ……」
私は言葉を失った。
蛍光灯の下で見ても、色は問題ないはずだが……。
「太さが違う。いつものより太いから、私の持っている別の色の毛糸となじまない」
ガヴリールの淡々とした声に、私はガツンと頭を殴られたようだった。
そうだ……色のことばかりに気を取られていて、すっかり忘れていた。
これでは、ガヴリールがプレゼントを完成させることができない……。
しかし、私にはもう何の解決策も思いつかなかった。
本当に、なんということをしでかしてしまったのか!
「ご、ごめ……ごめんなさい!」
私は彼女の顔を見ることができず、くるりと玄関へと引き換えし、力任せにドアを開けて外へと駆け出した。
「おい待て、サターニャ!」
後ろからガヴリールの声が聞こえたが、私は振り返ることができなかった。
なんだか最近、逃げてばかりだ。
いつから私はこんなに弱虫になってしまったのだろうか……。
何かに追われているわけでも、何かを待たせているわけでもないのに、私は走らずにはいられなかった。
ガヴリールの家から離れれば嫌な気持ちが弱まるとでも思ったのかもしれないが、
私の気持ちは一歩踏み出すごとに水を吸っていくようで、重くのしかかってくるばかりだった。
玄関のドアを、やっと一人は入れる程度だけ開けて、すり抜けるように家の中へ入る。
靴を脱ぐ気力も湧かず、私はその場にへたりこんでしまった。
今日のことは、全くの予想外だった。
それはまるで、水を入れたバケツの持ち手が、持ち上がった瞬間に壊れたかのような、完全に意識の外からの不意打ちだった。
何が業火で焼かれるだ……。
何が大悪魔だ。
私は、ちんけな放火魔にすぎなかった。
今回は、焼けたのが編みぐるみで、まだよかったのかもしれない……いや、全然よくはないが。
それでも、ガヴリール自身へ危害が及ばなかったのは不幸中の幸いだ。
しかし、それは今回についてであり、次回はどうなってしまうのだ……。
私は結局、アホの子なのだ。
きっと、他人と違う言語の中で生きていて、そのせいで不和が起こる。
おそらく、本質的に同じような出来事が、これからもあるに違いない。
そのときに火傷するのは、ガヴリールが、ヴィネットか、それともラフィエル、いや、もっと大きな……?
ガヴリールの家でやらせてもらったゲームのゲームオーバー画面が、ぎゅっと閉じた瞼の裏に映される。
火に包まれた街、焼け落ちていく家屋……。
私はこぼれそうになる涙を必死にこらえていた。
経験上、こういうときには一度泣いてしまえば楽になる。
しかし、私はそれを許したくなかった。
涙をはじめとする体液は、海水とよく似た成分なのだという。
だとすれば、肌は陸と海の境界なのかもしれない。
生命は一生のうちに進化を再現し、海から生まれて陸に上がる。
赤ん坊が事あるごとに涙を流すのは、母の胎内が懐かしいからだろう。
だが、私は赤ん坊ではない。
理性という炎を感情という海に呑まれるわけにはいかない。
私は悪魔なんかじゃないのかもしれない。
あえて名前を付けるなら、きっとそれは災厄。
災禍の住む家屋は焼却すべきではなかったのか。
今回の件は、ぎりぎりのところでの通知、最後通牒なのかもしれない。
崖から落ちたくないならどうするか?
山に登らなければいいではないか……。
焼け落ちる舞台というのも、悪魔的かもしれない。
せめて最期くらい、悪魔として振る舞うのも悪くない。
そう考えると頭が少しすっきりしてきた。
それはおそらく、乱雑な頭の中が整頓されたのではなく、諸々を捨て去ったが故の空虚さだったのだと思う。
気を取り直して洗面所で手を洗い、居間へと入ってコートを脱ぐ。
ポケットに入れたままにしていた携帯電話の電源を切ると、
下界での他者とのつながりも一緒に切断してしまったように思える。
机の上には、一冊のノートが出しっぱなしになっていた。
ラフィエルに言われてから、私は日記をつけている。
気分が乗らないときは一行だけだったり、書かなかったりすることもあるが、
ガヴリールやヴィネットの家に行った日には、どんなに夜遅くになっても筆はすらすらと進んだ。
昨日で一冊を使い切りそうになり、今日新しいノートを買ってこようかとも思っていた。
しかし、それももうおしまいだ。
もう今更、こんなものを持っていたところで仕方がない。
手始めに、私の過去から処分することにしよう。
私は読み終えた雑誌を捨てるためにまとめるときのように、ごく日常的な手つきでノートを掴み、台所へと向かった。
なんのことはない、ただ、ガスコンロにノートをかざし、点火ツマミを回すだけのことだ。
味付けにも火加減にも気を使う必要もないし、面倒な洗い物も出ない。
何百回と回したのと、何ら変わることのない動作で、緊張することも無い。
それなのに、ノートをバーナーの数センチ上で静止させたまま、私は荒い息遣いで立ち尽くしていた。
呼吸という現象は穏やかな燃焼なのだという……体内でくすぶっていてどうするのだ、
燃やすべき対象は、手の中にある!
私はガスコンロのツマミに手をかける。
暖房をつけていないため、プラスチックのツマミは冷たく無表情で、私の決意を削ぐようだった。
こんなに固いツマミだっただろうか……私が少し力を入れても、それは決して回ろうとしなかった。
静止摩擦係数は、一般に動摩擦係数より大きい。
何事も思い切りは大事だ。
海に入るときだって、水が冷たいのは最初だけで、
だんだん海中の中にいる方が暖かくなり、浜に上がりたくなくなるものだ。
いつまでも二の足を踏んで足の裏を焦がしているよりも、さっさと潜ってしまう方がいい。
後で思い返せば、きっとなんでもないことに違いない。
そう、世の中、成長することなんてない。
全ては取るに足らないのだ……。
私はぐっと両目に力を込めて瞑り、その勢いのままツマミを時計回りに回した。
カチッという乾いた音がする。
それを聞いて私は、昔、弟と見たアニメの中で、悪役が自爆スイッチを押すときの音がこんな音だったな、などと、
全く場違いなことを思い出していた。
ふわっと熱風が手の甲に吹き付ける。
ああ、もう引き返せないのだな……。
そう思った次の瞬間、ノートを持っていた手の人差し指にナイフで刺すような痛みが走り、続いて強烈な熱が襲ってきた
「あつっ!」
私は反射的に手を引っ込め、そのはずみでノートは床に落下した。
指を見ると肌が熟れすぎたトマトのような色になっていたので、私は慌てて蛇口をひねり、流水で指を冷やした。
どうやら、変に力が入って加熱箇所がずれてしまったらしい。
数分間流れる水を見てぼんやりしていると、自分の行動が矛盾していることに気付き、白けた気持ちで水を止めた。
疲労が目に見えて堆積するものだとしたら、
私の頭上には吹雪の中を数時間さまよったときのようにずっしりと降り積もっていたことだろう。
手も足も鉛でできているみたいに思える。
思えば今日は走りっぱなしだった。
いや、もう少し前からかもしれない。
なんだか、もう、疲れた……。
シャワーを浴びるのも面倒で、そのまま布団を敷いて寝てしまおうと思い、ロフトへと向かおうとした。
そのとき、落ちた拍子に開いたままになっていたノートをなんとなく拾い上げ、
ボールペンで走り書きされた文章が目に入った。
――ガヴリールの家でラーメンを食べた。塩っ辛くて苦手だったが、こういうのも悪くない。
その記述を見た私は、見なかったことにすることも、破り捨てることもできなかった。
ただ、目を逸らすことができなかった。
それは、湯を張った浴槽の栓を抜き、蛇口をひねって湯を足すような心境だった。
笑うことも、泣くこともできず――誰にあてたわけでもないその文字列をただただ目で追っていた。
力を籠めず、淡々とページをめくり、文章を点検し、最後まで来たらまた初めから。
空になった缶が大きな音を立てて転がるように、空洞になった私の中でそれはよく響いた。
まるで機械か何かになってしまったかのように、私は床に座って壁にもたれかかりながら繰り返していた。
やがて、ページを繰る手も緩慢になり、いつしか私は眠ってしまっていた。
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day 7:
いんか【引火】
(1) 他の火や熱によって燃え出すこと。
(2) (記述なし)
「私が、――させてしまった……」
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「おい、サターニャ、起きろ」
肩を持って揺さぶられる感覚で急に目が覚めてきた。
ガヴリールの声がする。
私は一体どこで寝ていたのだろうか。
ゆっくりと目を開くと、彼女の必至な形相が目の前にあった。
しかし、それ以上に異質だったのが、彼女が何も身に着けていなかったことだった。
局部を隠す聖なる光とやらのせいで非常に眩しい。
これは、間違いなく夢だな……。
夢の中で目を覚ますとは、私は懐疑論にでも目覚めたのだろうか。
私がサタニキアという悪魔だったのも、蝶の見ている夢だったのかもしれない。
まあ、割といい夢だったかな……。
私は再び瞼を閉じようとする。
「おい、寝るな! この二度寝姫!」
「うるさいわね……疲れ身の術よ」
「意味不明だよ!」
「それはこっちのセリフよ。人様の家で全裸になるなんて、天使の礼儀ってのは変わってるわね」
「そんなわけあるか!」
「風呂場はそこのドアから出て左……」
「おい、寝ぼけるな。現在進行形で非常事態なんだよ!」
「はぁ……何があったのよ」
座ったまま寝てしまったせいか、あちこちが痛む体を伸ばしながら、彼女の話を聞く。
なんでも、天使は神足通という技で瞬間移動できるそうだが、一緒に飛ばす対象のコントロールが難しいそうだ。
彼女は携帯に連絡を入れてもインターホンを鳴らしても私の応答がないので、神足通を使って家に入ろうとしたらしい。
ガヴリールが不法侵入をするという発想に至ったのは、一体誰の影響なのやら……。
「それで、着衣一式を玄関先に置き忘れたっていうこと?」
「そう。お前だって、家の真ん前に高校生の制服が置かれていたら変に思われるでしょ。早く取ってきてくれ」
「はいはい」
玄関のドアを開けると、確かにガヴリールがいつも着ているパーカーとシャツが見えた。
手荷物は一緒にワープできたらしいが、なかなか難儀な技だ。
急いで衣服を回収し、彼女に届ける。
「いやぁ、助かったよ」
「それで、何の用? 今更私を責めても、毛糸は出てこないわよ」
「はぁ? なんでお前を責めないといけないんだよ。面倒くさい」
「だってそれは……あんたの編みぐるみ、焦がしちゃったし」
「あれは事故でしょ。大体、お前が助けてくれなかったら私がケガしてたかもしれないし、むしろ感謝してるよ」
「それは、そうかもしれないけど」
ガヴリールは、ゲームの最中に悪態をつくことはあっても、他人に怒るということを滅多にしない。
それは、成長を認めないという彼女の信念によるものなのかもしれないし、
そうすることが自分の得にはならないとわかっているからかもしれない。
いつもなら彼女に意地悪なことを言われると癇に障るが、
今ばかりは遠慮なしに責めてほしかった。
彼女にとって私は、そうする価値もないということなのだろうか。
「なら、いいじゃん」
「良くない! だって、あんたの一か月の努力が無駄に……!」
「無駄になるの?」
「だから、明日はバレンタインでしょ! もう間に合わないじゃない!」
「何が間に合わないって?」
ガヴリールは不敵な笑みを浮かべながら、バッグから透明なプラスチックの箱を取り出し、私の目の前に掲げた。
CDケースと思われるその箱の中には、編みぐるみのパーツが入っている。
その編みぐるみとは、まさしく私が昨日焦がしてしまったクマだった。
しかし、その頭部にはあるはずの穴が見当たらなかった。
おとといから取って来たのか、あるいは自然に治癒したかのように、そのパーツは完全だった。
「一体何がどうなって……」
「お前風に言うと、とある筋から譲ってもらったんだよ」
ガヴリールは箱をそっとテーブルに載せる。
「そもそも、よく考えれば、別の色の毛糸でもよかったしね」
良かった、ガヴリールのがんばりは無駄にならなかった。
そして、彼女はわざわざそれを私に言いに来たのか……。
私は急に腰の力が抜け、その場にへたりこんでしまった。
「同じ色がいいなら今日隣町まで買いに行けばよかったから、
別段大騒ぎするようなことでもなかったんだよ」
「そう……」
「お前も馬鹿だよな。何を勘違いしたんだか、急に走って帰っちゃうんだから」
昨日必死に築いた防波堤に、摂氏36℃の海から波が打ち寄せるのを感じる。
私はもう抵抗する気もなかったし、その必要もなかった。
ただ、救われた感覚が私を満たした。
本当に、よかった……。
「サターニャ、お前さ……」
「ひどい顔だぞ、なんだよそれ」
私の視界はひどく歪んでしまっていたが、そのとき、ガヴリールは多分呆れたような笑みを浮かべていたのだと思う。
思わず下を向くと、こぼれた涙が人差し指のやけどの跡を濡らした。
「泣きながら笑うなんて、器用な奴。よかったな、私しかいなくて。ラフィがいたら、写真撮られてたぞ」
「う、うるさい……」
私がしゃくりあげるのをこらえて、ようやく発した一言は、やっぱり憎まれ口だった。
「ま、お前には世話になったし、少しはサービスしてやろう」
私の前で仁王立ちしていた彼女は私の背後に回り込み、コアラの子供のように後ろから私を抱きしめてくれた。
「ちょっと汗くさいぞ。お前、制服で寝てたし、昨日風呂に入ってないでしょ」
「ご、ごめんなさい……嫌だったら、いいから」
「別にいいよ。私も髪が痛まないように洗わないときとかあるし、嫌じゃない」
耳の近くで彼女のハスキーな声がして、ちょっとぞくぞくする。
ガヴリールにお腹を優しくさすられていると、しわくちゃになった心にアイロンをかけられているようだった。
そうだ、アイロンだ……。
覆いかぶさっている彼女の体温もあって、私は夢を見るように、昔のことを思い出していた。
私が手を使って何かを作ることに興味を持ったのは、おばあ様のアイロンがけがきっかけだったように思う。
おばあ様の使っていたアイロンは、底の形こそお母様の使う電気アイロンと同じく雫のような形をしていたけれど、
内側に火をつけた炭を入れて、その熱を利用していた。
煙突のついたその形はまさしく船のようで、蒸気をあげながら皺を伸ばす様子は、
立ち込める霧の中での航海みたいに、行く手を遮る荒波を調停しているようだった。
一切の迷いのない、流れるようなその手つきが見ていて気持ちがよく、
赤く燃える黒炭を宿したアイロンは生き物のようにも思えて、
顔に当たる湿った熱気も、残される凪いだ水面も大好きだった。
もしかすると、元々私は、何かが出来上がることよりも、何かを作ること、それ自体が好きだったのかもしれない。
ガヴリールやヴィーネが編み物をする姿を見て感じていた安心感は、彼女らにおばあ様を重ねていたから、なのだと思う。
私の目が二つしかなくてよかった。
もしもっとたくさんあったなら、きっと私はあふれ出る涙で干からびてしまっていた。
私の耳が二つあってよかった。
一つだったなら、その声がどこから聞こえてくるのかわからなかっただろう。
私が私でよかった。
だって、そうでなくては……今、ここで、彼女の温かさを感じることはできなかった。
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私が落ち着くまで、彼女は静かに付き合ってくれた。
もう大丈夫だと私が言うと、彼女はパッと立ち上がり、いつもの鷹揚な口調で命令するのだった。
「じゃあ、いつもみたいに私の座椅子になってくれ」
「座椅子って……もう少し別の言い方はないのかしら」
私がそう言うと、私のお腹が、ぐぅと不満を申し立てた。
思えば昨日の夜から何も食べていなかった。
「まずは朝食にするか」
「そうさせてもらえると助かるわ」
六枚切りの食パンを二枚食べた後、歯を磨いて顔を洗い、服を着替えた。
一限目はとうに始まっていたが、今日くらいはサボってもいいだろう。
テーブルと少し離れて私が座り、私にもたれかかるようにしてテーブルとの間にガヴリールが座る。
彼女と編み物をするときはよくこんな風にしていた。
これではかえって気が散るのではないかと思っていたが、先程逆の立場になってみて、
案外悪くないかもしれないと認識を改めた。
「お前さあ、こんなちょっとした失敗で、絶交されるかもとか考えてただろ」
「それは……ちょっとだけね。一ミリくらい」
「一ミリって、小学生かよ。そうやって、一つの失敗で全部が崩壊するみたいに拡大解釈するとか、
現実を正しく見れなくなる症状をレンズの歪みっていうんだよ。気を付けろ」
「へぇ、そうなの。不良品の望遠鏡みたいね」
「まあ、遠くなんて見据えずに近場だけ見て生きていくのも悪くはないけどね……。どっちも見えるに越したことはない」
「人は、所詮は動物だ。天使も、悪魔も」
「当り前じゃない」
「不安っていうのは、姿が見えないから不安なんだって」
「そう」
「壁に背中を付けていると、視界だけを気にすればいいから、安心できて、落ち着くらしい」
「ふーん。それがどうかした?」
「別に、ただ思い出しただけ」
「そういえば、サターニャ、100%善である魂がどうなるか知ってる?」
「さぁ、確か死滅するとかいう話じゃなかったっけ」
「通説はそう。でも、それって都市伝説みたいなもので、見たことのあるやつなんていないんだよ」
「じゃあ、本当はどうなるの?」
「そもそも、そんな魂はありえない。体脂肪率100%の人間は、もはや人間でないのと同じ」
「死亡率は100%なのにねぇ」
「死の対義語は生じゃないからね。例の猫も毒ガスで死ぬ運命だし。
要するに……完璧なんて、完璧にありえないっていう、ごくありふれた結論だよ」
ガヴリールのクマは二時間ほどで完成した。
昨日のものとは違って頭が少しいびつだったりもしたが、それはそれで愛嬌がある。
形が崩れないように気を使いながら、彼女はそれをもとの箱に丁寧にしまった。
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その後、私たちは少し早めの昼ご飯を食べることにした。
冷蔵庫には何も作り置きをしていなかったはずなので、コンビニに買い出しに行くことになった。
ガヴリールによると、平日の昼間に学生が警官に見つかると補導対象となり、停学などの重い罰が下るのだという。
私は彼女に服を貸し、大学生のふりをすることにした。
「でかい」
「身長が違うからね、仕方ないわよ。コートで誤魔化しなさい」
「なんか悪魔的な匂いがする」
「ちょっと、匂いを嗅ぐのはやめて……悪魔的って、どういう意味よ!」
コンビニに向かう道でも店内にも警官らしき人物は見当たらなかったが、
彼女によると立ち読みしているおじさんが私服警官なのだという。
一見して漫画雑誌に夢中になっているようだが、それも罠なのだろうか。
それにしても、警察も随分暇なのね……平和で結構。
私はなるべく自然に、今日は休講なんてラッキーね、なんてわざわざ聞こえるように話しながら、
おじさんの視界に入らないように買い物を済ませた。
「怪しまれなくてよかったわね」
「何が?」
「あの私服警官よ。私の変装スキルもなかなかのものね」
「あれはただの暇なおじさんだろ」
「はぁ?」
「というか、万が一警察に見つかっても悪くて注意されるくらいで、停学なんてならん」
私は手に持っていた買い物袋を黙ってガヴリールにぶつけた。
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「今からチョコを作ります」
昼食を食べ終えるなり、ガヴリールはそう宣言した。
「何ヴィネットみたいなことを言っているのよ。午後からだけでも学校に行った方がいいんじゃないの?」
「いいから作るぞ。せっかく買ってきた生クリームとチョコが無駄になる」
「いや、あんた持ってないでしょ」
「あるぞ、ほれ」
彼女が冷蔵庫のドアを開けると、昨日までは無かったはずのレジ袋が放り込まれていた。
「いつの間に入れたのよ」
「お前が寝ている間に勝手に入れた。それより、ちゃちゃっと作ってしまうぞ」
「私はいいわよ。というか、自分の家で作りなさいよ」
「この私が教えてやるって言ってるんだ。観念して従え。
それに、仲直りするきっかけがほしい相手に、心当たりがあるんじゃないの?」
「それは……」
言われてみると、ラフィエルと仲直りするいい機会かもしれない。
私の言ったことを撤回する気はないが、相手も大きく間違ったことは言ってはいない……言い方はきつかったけど。
ラフィエルは少し意地悪なところもあるけれど、多分、下界では一番私のことを理解してくれている。
この前彼女が神経を逆なでするようなことを言ったのも、
おそらく私を心配したからであり、私の本心を引き出すためだったのだと思う。
私は素直じゃないから、普通の聞き方ではだめだと思ったのだろう。
彼女は頭のいい、実力派の女優なのだ……だからこそ、その素顔も気になるというものだが。
このまま友人を失うのは、やっぱり惜しい。
「わかった。どうしても教えたいっていうんだったら、聞いてあげないこともないわ」
「おい、口の利き方には気を付けろ。……まあいい。それじゃあ、指示通りにやってくれ」
「任せなさい!」
生チョコの作り方は意外と簡単で、調理実習の時の方が大変だった気がする。
板チョコを包丁で刻んで、加熱した生クリームで溶かし、型に流し込んで冷凍庫で凍らせる。
湯煎さえしないので、本当に初心者向けだった。
ガヴリールに早くしろとせっつかれながら、私は時間をかけて丁寧に工程をこなした。
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チョコが固まるのを待つ間、私たちはすることもなく、テレビの前でぼんやりしていた。
「チョコの作り方なんて、よく知ってたわね。調べたの?」
「ヴィーネに聞いた」
「ああ、なるほどね」
「なんか妙な顔してた」
「そりゃ、あんたがだれか男の人にあげるって思ったんじゃないの?」
「そうか……」
「後でちゃんと説明しておきなさいよ」
「うん、まあなんとかなるでしょ」
「ラフィエルは喜んでくれるかしら」
「物をもらって嫌な顔をするやつじゃないでしょ。カエルチョコとかは別かもしれないけど」
「でも結局、高校が終わったら離れ離れなのよね……」
「定めだからね、諦めろ」
「でも、悪魔が天使と仲良くしても意味ないぞって言われてるみたいで、なんだか悲しいわね」
「……逆に聞くけど、意味のある事って何だ」
「えっ? それは……幸福なこと、とか?」
「例えば、ある評判のいい外科医いたとする。
沢山の人々を救った実績もあって、もちろん自分の腕に誇りを持っていた。
やりがいのある仕事を持ってるのは、幸せなことだ」
「それは、きっとそうね」
「ある日、そいつが事故で両腕を切断することになった場合、そいつの意味は無くなったことと同じか?」
「さぁ……また、別の仕事を探せばいいじゃない」
「そう。意味とか価値なんてものは、主観的、任意なんだよ。自分で選んでいい」
「ああ、いやいや、私が意味ないって思ってるわけじゃないわよ?」
「もし天界と魔界が自由に行き来できて、別れなくてもすんだとするでしょ?
そうしたら今度は、なんで寿命なんてものがあるのかって、神様を恨み始めると思うよ。
生まれ変わっても、また出会うようにしてもらったって、きっと一緒。
永遠に一緒であることと、三年間、いや、今、ここで一緒であることは、多分変わりのないことだと思う」
「永遠なんて想像もつかないものを引き合いに出されても、よくわからないわよ」
「まあ聞いてよ……。
無限の過去と無限の未来に挟まれて、剃刀のように研ぎ澄まされた『今』とは、そもそも何か?
今は時間ではなく、ここは場所ではないんだよ、多分。
今そうであることは、永遠にそうであることに勝るよ、きっとね。
永遠なんてくだらない。
だから、好きになることに時間は関係なく、好きであることにもまた時間は関係ない」
「ふーん、そういうものかしら。その、もっとたくさんって思うことが、好きっていうことのような気もするけど」
「ちなみに遠距離は別れやすいらしいからね。今はどうか知らないけど、ここっていうのは重要だよ、多分」
「一気に俗っぽくなったわ……」
「大切なことは大抵そんなものだよ。お前は何も気にせず他人に突進していればいいよ。それで救われてる人もいる」
「人をイノシシみたいに言うんじゃない。……進行形?」
「お前ってホント、バカだよな」
「理由もなしにバカとか言うな!」
結局のところ、本質というのは、骨でも肉でもなく、もっと捉えどころのない、
動作や、あるいは認識みたいなものなのではないだろうか。
作業中に話をすると、無意識の奥底にあるものをぽろっと出してしまうこともあるらしく、
ここ最近はガヴリールやヴィネットやラフィエルから色々な話を聞いた。
面白いと思うことも、正しいと思うことも、納得がいかないこともあったが、
それらはどれも、本人の言語の内では一片の真理なのだと思う。
問題は、どの意見を可決するか、ということではない。
いいと思ったものは、伝えたくなるものだ。
つまり、翻訳するということに個性はある。
『語りえぬものについては、沈黙せねばならない』
下界に住んでいたある昔の人はかつてそう語り、このフレーズは多くの人々を魅了してきた。
でもきっと、初めにそう言った人は孤独な人だったのだと思う。
「語りえぬもの」、つまり、一人の人間の思考が及ばないものは確かに存在する。
私が都会のターミナル駅に行けば、百の単位で語りえぬものがうろついていることだろう。
例えば、すばらしい絵を見て圧倒されたときにはため息しか出ない。
これは、絵画の思考が言語の思考の外側にあるからだ。
言い表せないものを、その色使いや優美な流線形はぴたりと言い当てる。
しかし、どんなに写実的な絵画も、現実を完全に翻訳することはできない。
それでもなお、人は絵筆を折ることを良しとしなかった。
執拗なまでに絵の具を塗りたくってきた。
語りえぬものだからこそ、人は言い当ててやろうと躍起になる。
伸ばした手の先で消え失せるものほど、欲しくなる。
なぜなら、他の人に伝えるには、まず最初にそうするよりほかないからだ。
火を起こすには、まず石を打ち付けねばならない。
それに、完全に言いつくすことなんて、必要ないことだと思う。
簡単なことだ。
相手に、同じ方向を向いてもらえばいい。
同じものを見てもらえばいい。
ただ一言、「あっ」と言って指差せば事足りる。
その一言のために、私たちは手を尽くす。
彼女たちは毛糸を使ってみたりもするし、
私なら、例えばそう、チョコを溶かしてみたりもするのだ。
「それで、だ」
「なによ」
「私がお前に編み物を教えてもらったことに対する借りは、泣き叫ぶお前を慰めることでチャラになった」
「そ、そんなに叫んではなかったはずよ!」
「そして、お前にチョコの作り方を教えてやったことは、私の貸しだ」
「ふーん……?」
「一応確認するが、明日はバレンタイン」
「そうね。何が言いたいのよ」
「私は、明日編みぐるみを処分したいんだけど……それで、その……」
「もう、歯切れが悪いわね!」
一応、私も人並みに意図を察することはできる。
ガヴリールが言いたいのは、彼女がヴィネットにプレゼントを渡す邪魔を私にしてほしくないということだろう。
言われなくても私はそうするつもりだったし、
彼女がそのことをわざわざ持ちかけてくるのは、おそらく私のためであるということも察している。
、
つまり、彼女は私にラフィエルと二人っきりになる機会をくれたのだ。
「いや、まあ、なんだ。大したことじゃないんだけど」
「そういえば、明日はラフィエルと昼食をとる約束をしていたのよ」
「あ、そうなの?」
「あいつは食べるのが遅いから、昼休みが丸々潰れるわね」
わかっている、という意図を込めて、私は彼女にウインクをした。
「うざ」
「何よ、その言い草は!」
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「なあ、この店のケーキ、おいしそうだな」
テレビのモニタの中では、アナウンサーが新しくできたカフェのケーキを食べていた。
表示されている地図によると、わりと近場らしい。
「そうね、チョコで漆黒に染まっているところが悪魔的でいいわ」
「まあ、それだけなんだけど」
「もし今度行くなら、付き合ってあげてもいいわよ」
「そうか」
ガヴリールは口に手も当てずに、ふわぁと大きなあくびをした。
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その日の日記は、付け始めてから一番長い日記になった。
ガヴリールは今の気持ちが大事だと言っていた。
彼女の言うことはわかったつもりだし、それもまた正しいとは思う。
でも、やっぱり語れる過去があるというのは嬉しいことだ。
それに、未来を見据えないというのは、死に対する切実さを欠いた姿勢だ。
私がいつか子供を授かることがあったら、生きているとこんなにいいことがあるのだと教えてあげたい。
だから、私はこれからも日記を続けることにする。
そうだ、私の過去を文章に翻訳したそれを、『サタニキア百科事典』とでも呼ぶことにしようか。
/ / | ハ .ハ .ハ
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И ′ ∧ ´ ̄`ヽ :| |\__/
| | jI斗-― ∧ ハ | | |
| :| | /∧ 八 | / ∨_Ⅵ i | |
| :| l ハ/ \| \|\ /}/ ャ斧⌒}∧l |
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八 ..| | ',〈{ 圦::しj { |
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/ `, \ 人 八
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/ >―――ヘ `、/^Y゙\ ∨ /\ \
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day 8:
かんかい【寛解】
(1) 病気の症状が、一時的あるいは継続的に軽減した状態。または見かけ上消滅した状態。
(2) 赦されること。
「完治なんてしない、無くなりはしない……ただ、――と呼ぶのよ」
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バレンタインの当日、ラフィエルを待ち伏せるために、いつもより早めに学校に向かった。
改めて話をするというのもなんだか落ち着かなかった、というのもあるかもしれない。
朝の冷えた空気は凛としていて、自然にネクタイが締まっていくようで、私は少しだけ背筋を伸ばして姿勢よく歩いた。
自分の教室に入ろうとすると、隣の教室から出てきたらしいラフィエルに声を掛けられた。
昼休みに少し付き合ってほしいというので、私は了承した。
もしかしたら、彼女もヴィネットあたりから聞いていたのかもしれない。
その場でチョコを渡してもよかったのだが、
宿題をまだ済ませていないということにして、なんとなく別れてしまった。
人気がないと、かえって緊張してしまう。
昼休みに教室で、なんでもないことのように渡してしまいたかった。
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──────
「サターニャさん、ついてきてくださいね」
私はラフィエルに連れられて廊下を歩いていた。
手には昼食とチョコの包みを持っていて、彼女はカバンごと持ってきていた。
彼女の背中を見ながら階段を上がっていくと、
私が入学したての頃に慣れ親しんでいた場所へとたどり着いた。
「こんなところで食べるの? まあ、いいけど」
「いえ、まだ到着じゃありませんよ。紐が渡してありますが、またいでください」
「え、そこってほこりっぽいだけよ?」
階段の屋上へと続くドアのある踊り場は、立ち入り禁止と張り紙をされたロープが掛けられている。
物理的に乗り越えることは容易だが、心理的には結構障害物になるらしく、
生徒たちが立ち入らないため薄くほこりが積もっている。
何故それを私が知っているか……それは、聞かないでほしい。
ラフィエルはその閉じっぱなしの改札をやすやすと乗り越え、ドアノブに手を掛ける。
「外で食べるごはんは、きっとおいしいですよ」
吹き込んだ一陣の風が私の頬を撫でた。
「屋上は立ち入り禁止じゃなかったっけ」
「朝、窓から屋上に飛んではいって、鍵を開けておいたんですよ」
「だからあんな早くに登校してたの? とても天使とは思えないわね」
「善行のためですからね、やむなしです」
屋上は金網で囲まれたコンクリートの床があるきりで、
おそらく生徒の立ち入りを想定していないため、特にベンチなどはない。
しかし、普段見ることの少ない、遮るもののない青空というのは解放感があって、少し寒いのも気にならなかった。
「ではこれから、サターニャさんのために、ショー、あるいは儀式をお見せいたします」
「出し物? 面白そうじゃない」
「この中に何が入っているかわかりますか?」
ラフィエルは持っているバッグの中からお弁当箱くらいの大きさの紙袋を取り出した。
「何それ。答え方次第じゃ、私がすごく自意識過剰みたいになるじゃない。知らないわよ」
「この中には、悪魔祓いの教科書が入っています」
「へ……?」
思わず間抜けな声が漏れてしまった。
そんなものをプレゼントするつもりなのだろうか。
悪魔にわざわざそんなものを押し付けるなんて、どんな嫌がらせだ。
それはもう、宣戦布告じゃないか。
「今からこれを燃やします」
「燃やすなんて、ふざけるんじゃ……えっ、燃やすの?」
「ああ、ご心配には及びません。天界の書物は灰が残らないんですよ」
「そんなことじゃない!」
「油をしみ込ませましたし、それに火力でしたら申し分ありませんよ。このバーナー、業務用ですから」
ラフィエルはそう言って、スプレー缶と拳銃が一体化したような物々しいバーナーを取り出した。
「そうでもなくって……あんた、正気?」
「形あるものはいずれ崩れますからね。この本も、焼却されるのがちょっと早かったというだけのことです」
「論点はそこでもないわ……」
「点火しまーす」
ラフィエルが笑顔で銃口を紙袋に突きつけ、引き金に手を掛ける。
「待って! ちょっと待ちなさい!」
「なんでしょう?」
「なんでこんなことをするのよ! それに、まだ読めるんでしょう?」
自分でも的外れなことを言っている自覚はあったが、私も混乱していた。
こんなことをみすみすやらせて、彼女が天界に強制送還されてはたまったものではない。
「あらゆる道具は使い捨てですからね。
古びない道具があるとすれば、それは何ものとも触れていないっていうことですから。
それが実体を持たないものであってもそうです
例えば……いえ、神様に怒られそうなので、この話は、これ以上はやめておきましょう」
「それよ。私が言いたいのはそこ」
「はぁ。どこでしょうか」
「こんな、神への反逆みたいな、悪魔的な行いをしちゃっていいの?」
「善良ではないかもしれませんが、これは善なる行いではあるはずですよ。
もっとも、それに自覚的であることは悪かもしれませんが」
ああ、そういうことか……。
ラフィエルのテンションが雑というか、口調がやけに軽かったので見えづらかったが、彼女の意図がようやく読めた。
彼女がしようとしているのは、私に対する意思表示だ。
少々物騒ではあるが、これは彼女なりの善行、つまり献身なのだ。
私が止めるのも野暮というか、見届けることもまた彼女のためなのかもしれない。
「私が止めるのも変だし、これ以上は言わないけど……。
まったく、とんでもない大天使様ね。こんなの、聞いたことがないわ」
「お褒めにあずかり光栄です、ふふ」
ラフィエルは片手に本を持って上の方に火をつけた。
ボッという音とともにバーナーから青い炎が噴出し、すぐに紙袋へと燃え移った。
薄茶色の紙袋に灯る赤い炎は聖火を宿した松明のようで、
彼女の長い銀髪がその光を反射してきらきらと輝いた。
燃える紙袋をそっと地面に置くと瞬く間に全体が火に包まれ、白い煙が上がった。
本が燃えている間、私たちが声を出して言葉を交わすことは無かった。
私たちは赤々と燃える本をじっと見つめていた。
まるで、周囲の音も一緒に燃えてしまっているかのように静かだった。
ふと気になって煙を目で追う。
煙は少し上昇すると風にかき消えてしまったが、雲のない空によく映えた。
それは狼煙だった。
そのとき、私たちは確かに語り合っていたのだと思う。
悪魔祓いの本はどんどん小さくなっていき、最後に一瞬だけ白く強い光を放った後、跡形もなく消えた。
「これで、悪は去りましたね」
「あんた、悪とか言って平気なの?」
私は呆れたふりをしながら、袋を持つ手に力を込めた。
いよいよ時間が迫ってきている。
もう、私は逃げたりなんてしない。
大切なのは、行動で示すことだ。
言いたいことは、ちゃんと伝えると決めたのだ。
早いところ、渡すものを渡してしまわないと……。
袋を持っている左手の手首を右手で掴むと、編みこまれた紐の感触がする。
思えば、このミサンガはこの一か月ほどはずっと一緒だった。
そんなに手荒に扱っているつもりはなかったが、あちこちほつれてきていて、少し愛着もわいている。
そのでこぼこした表面をなぞっていると、不思議と緊張もほぐれるようだった。
私は意を決して、手に持っていた紙袋を彼女に手渡した。
「これ、あげるわ。この前は私が悪かったから、そのお詫び」
「ありがとうございます、サターニャさん」
賞状をもらう時のように、彼女は恭しい手つきで私の差し出した包みを受け取った。
その重さが私の手から彼女の手に移ると、私の肩も少し軽くなったようで、
彼女に悟られないように、私はそっと息を漏らした。
「一応生ものらしいから、数日のうちに食べきって頂戴」
「いえいえ、一生かけて味わい尽くす所存です」
「大げさよ! そんなに気に入ったなら、また作ってあげるから」
「そうですか、期待してますね」
「まったく……」
「わたしはプレゼントをもらうことで、確かに心からの謝罪を感じました」
「そう、よかったわね」
「でも、このプレゼントには、もっと気持ちを伝える力があると思うんですよ。
最大値を100とするなら、謝罪は20くらい」
彼女は、まるで真犯人を言い当てるときの探偵のように、
さも重要な事実を見落としているとばかりに芝居がかった深刻な口調で何やら言い始めた。
「余力があるのはいいことじゃない。持ち越しはできないの?」
「だめですよ、今日の分は、今日使い切らないと。他の気持ちも込めてみてください」
「えー……。じゃあ、前に弟子になってくれてありがとう。クビにしちゃったけど」
「それは5くらいですね」
「身体測定の時に勝負出来て楽しかったわ」
「3くらいです」
「判定が厳しいのよ!」
「まだまだサターニャさんの手には、たくさんの富が残されていますよ。贅沢は味方、さあ、もっと使いましょう」
ラフィエルが私にウインクをする。
これを言うのは少し照れくさいが……。
「……これからも、仲良くしてほしい」
「おめでとうございます、合格です!」
ラフィエルがパチリと両手を胸の前で打ち合わせる。
彼女は、赤ん坊が初めて自分の名前を呼んだ時の母親のように、いつにもましてにこやかだった。
「完全にあんたの裁量次第なのね」
「先のことはわかりませんからね、上限なしです」
私は肩をすくめ、小さくため息をついた。
でも、こういう風にからかわれるのもなんだか少し懐かしくて、
自然と口元はほころんでいたように思う。
ラフィエルはバッグから紙袋を取り出した。
大きさは、私が使っている枕の半分くらいだろうか。
「これは、先日の謝罪と、いつも私がサターニャさんで楽しんでいることへの感謝の……
いえ、この言い方はよくありませんね。
私と、友達でいてくれることへの感謝の気持ちです。
これからも、よろしくお願いしますね」
「そう、ありがたく受け取るわ。開けてもいい?」
「どうぞ。こちらこそ、ありがとうございます」
セロハンテープをはがして中を覗くと、毛糸の布地が見えた。
取り出してみると、細めの糸で精緻に編まれたマフラーだった。
端っこは丸く、肉球のような模様がついていて、猫の手のようになっている。
「これ、端っこは手袋になっているんですよ」
よく見ると末端から少し離れた場所にスリットが入っていて、ミトンになっているらしい。
「へぇ、そうなんだ。面白いものを見つけたわね」
「作るの、結構大変だったんですよ」
「えっ、これ手作りだったの!? あんた、めちゃくちゃ上手じゃない!」
これなら、ガヴリールかヴィネットに編み物を教えるのを手伝ってもらえたんじゃ……。
まあ、私も楽しかったし、いいか。
「でも、あんたの定義によると、友達は金銭の授受をしないのよね?」
「それはまあ、そうなりますね」
「だとすれば、私たちはもう、友達以上ってことね!」
天使を親友に持つ悪魔っていうのも、なかなかドラマチックで悪くない。
「と、友達以上……ですか。それってつまり……」
「あ、早くお昼ご飯を食べないと、休み時間が終わっちゃうわよ」
「え、あ、そうですね、はい。食べましょう!」
ラフィエルは胸の前でグッと握りこぶしを作って見せた。
「何よ、やけに元気じゃない」
「うふふ、なんででしょうね」
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ラフィエルが悪魔祓いの教科書を燃やした時に、私はその中身を確認しなかった。
目にするだけでもダメージを食らうので、その配慮だろうとは思うが、
もしかしたら本当は別の本だったのかもしれないし、本ですらなかったのかもしれない。
でも、そんなことは私にはどうでもいいことだ。
先に食べ終わって手持ち無沙汰になった私は、何度見ても変わるはずもないのに、
彼女にもらった袋の中を覗いて、その柔らかな秩序を確かめ、
それを構築した彼女の手さばきに思いを馳せた。
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放課後はラフィエルに一緒に帰ろうと誘われていたので、授業が終わるとすぐに隣の教室へ向かった。
ラフィエルからもらったマフラーを巻いていると、良いマフラーだな、とガヴリールが珍しく素直に褒めてくれた。
もしかすると、ガヴリールはラフィエルがこのマフラーを用意していることを知っていたのかもしれない。
彼女の言っていた、とある筋というのは、ラフィエルのことなのかも。
明日もしガヴリールが新しいマフラーを着けてきたら、私も褒めてあげようと思う。
ラフィエルのクラスの方が早く授業が終わっていたらしく、彼女は自分の席で待っていた。
私が彼女を呼ぶと、彼女もまたサターニャさんと呼び返してきた。
その声音は、いつもより少しだけ高く、弾んでいたように思う。
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「これが、本来の用途なわけ?」
「暖かいですよね……ご不満ですか?」
「あんたの一言のせいでね! 手をはなしなさい!」
ラフィエルのくれたマフラーは比較的長く、末端がちょうど手の位置にくる。
外に出るとやはりまだ風が冷たく、せっかくなので手袋になっている部分に手を入れてみようとしていると、
先にラフィエルが手にはめてしまった。
若干首が引っ張られる感覚はあったが、我慢できないほどでもないので放っておいた。
しかし、勘のよい私は見逃さなかった……犬に散歩をさせているおばさんが、こちらを見てくすりと笑ったことを。
傍から見ると、私がラフィエルに散歩させられているみたいではないか!
ラフィエルを傷つけてはいけないと、やんわりとやめさせようとしたが、
彼女はあろうことか、「悪魔たるもの、使い魔の気持ちも知っておくべきです」などと言い出したのだ。
「はーなーせー!」
私がマフラーを持って軽く引っ張ると、破れると思ったのか、さすがの彼女も手を抜いた。
「サターニャさんは、私がしもやけになってもいいとおっしゃるんですね」
「いつも手袋なんてしてなかったじゃない!」
「同じ本を燃やした仲じゃないですか」
「あんたが勝手に焼いただけでしょ!?」
「なんでそんなつれないことを言うんですか……。
仕方ないので、この高性能なバーナーで暖を取らなければ。
そういえば、サターニャさんの髪って赤くてよく燃えそうですね」
「なんてことを言うのかしらこの天使は。末恐ろしいわ……」
「そんなことしなくても、こうすればいいでしょう?」
私はラフィエルの手を掴み、ぎゅっと握る。
すると、バチッという音とともに、指先に刺すような衝撃が走る。
完全な不意打ちに、私は思わず彼女の手を振り払ってしまった。
これは一体……。
手のひらに目を遣り、はたと手首に巻かれた紐を思い出す。
「あっ……。ごめん、最近ミサンガサンダーつけっぱなしで」
「あーはい、怒ってませんよ。ええ、全く」
ラフィエルは手を差し出した姿勢のまま、先程と変わりない笑みを浮かべてそう言った。
こういうのを、貼り付いた笑顔とでもいうのだろうか。
「ご、ごめんなさい……すぐ外すから」
「あ、別にそのままで結構ですよ。気持ちは伝わってますから」
「そう? それならいいんだけど……あれ、なんか引っかかって外れない」
結び目が固結びになってしまっていたのか、ミサンガはいくら引っ張っても外れてくれなかった。
「あー、でも一応言っておきますね。
サターニャさんの……。サターニャさんの……ぼけなすー!」
ラフィエルはくるりと私に背を向けて走り出した。
「ぼけなすって……。あっ、ちょっと待って。待ちなさいよー!」
無理に力が掛かったせいか、ミサンガはほつれた部分からちぎれてしまった。
不良品だったのだろうか……だが、それは今はどうでもいい。
また私は失敗してしまった!
しかし、急いで追いかける私は、案外悪くない気分だった。
数メートル先を早足で歩くラフィエルもおそらくは、似たような気持ちだったんじゃないかと思う。
なんとか追いついた私は、白い息を吐きながら、彼女に再び左手を差し出した。
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day 9:
いきょうと【異教徒】
(1) 自分が信仰する宗教と異なる宗教を信仰している人。
(2) 他者一般。
(3) 特に親しい友達のこと。[【友達】同じ思想を共有する者達ではなく、互いの違いを認めた者同士のこと。]
「これにて、私と――たちとの一幕は、おしまい」
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,イ三三ェ.、,_ /......ヽ、/.....ヽ r:、 }. ヾ
./三三三三三] ./.^'ー.-/..._;..。--r:ー:-.、...ヘ.}.:、
f三>'^7^ヾr'´ ,.、,_ /......._,.ィ:^: :{: : : : :'、: : 1: :ヽ、..ヽ
レ'゙ / .j .,、 /... ......>i7: :r{: : :/i : .: : : : : : :}: : 1.:.\.Y
/ .| /...`'...._,。:'´: .:|:{:.、{_i: .:j ': :l、:. :. :i :|':_; i:. :i:}:リ
.' lヽ/..._,ィ! : : : :代.:| T'|-、,_:.|ヾ:. : :}.ィ'}:/}: :jl:r!
゜ ./...,/ : :i : : : : : : Nヘ:! ヾ ` ヽ:.// ' f|:/.:゙.:}
. j .入j^ : : : :| : : : : : :゙{ ≒zx=‐' ゜ `^~ V : : :|
| / !: : : : .:{: : : : : : :i; :、 ,.,.,.., ` '':Y : : !
,。‐ { 人 ': : : .:i,.:{ : : : : : : {ヾ:.、 j: .: :}
{ ... ..`´... 1j: : : : :ヘ1: .: : : : : | \ ァv '^7 ./: :j:.j
'、... ... ... ノ'{: :、: : : .:|: :i : : : : :! '、 .ノ /:.: .;'|:'
`ー-=‐'ノ'^;. .:ヽ: : :1.:ト! : : :i :l, /:. : :7.リ
'^ ヽ:. :.\:ヘ:}ヽ: : :ト:1 r:.--:-r‐}:1:. :/
\: : ::``.:.:ヘ: :Vヘ! .ハ:.、_;iノ,_ ノ |: :'
_,、 /´ ̄``'L'ヽ.V:.、 .{`''弋.:T,>ヽ!/
/ミ{, / \:ヘ:`. :ヽ''ー 、 / 〉:.:ヘ ト、 jェ、
,イ三三ヘ .' ヾ弋 : : ヘ`'..ー:‐:'^:代: :ヘ.l 1 /三k、
r三三三三k、 ! ヽ.. 丶'、:: : :.\./´丶:}. V: :ヘ ^!三三:、
/三三三三三ミIェ、| \.. `ヘ : : : :ヽ 1: : :'、 'マ三三、
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editor's note
とみ【富】
(1) 人間の生活を豊かにするのに役立つ物資・資源。
(2) 物語の終わりに手にするもの。
(3) 新たな物語の火種となるもの。
(4) 私たちの日々。
「それが、私の――よ。ふふ、せいぜい妬むことね!」
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これでおしまいです。何より読んでいただけることがすごく嬉しいです。
拙文にお付き合い頂きありがとうございました。
この場を借りて、AA職人の方々にお礼を申し上げます。
かわいいAA、かっこいいAA、色々ありますが、みな素敵なAAで、見ていてモチベーションがとても湧いてきます。
何度励まされたかわかりません。本当にありがとうございます。
今後も使わせていただくことがあるかと思いますが、ご容赦いただけると幸いです。
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