みも「なんかμ'sのみんなが忍者になってた件……」 (976)

────────
──────
────



「…………」



さて、何から話そう……。


えーと、最後の記憶は……


そうだ、たしかライブが終わった夜にμ'sのメンバーと打ち上げをして。

そんな強くもないくせについつい調子に乗って飲み過ぎちゃって。

……だって楽しかったんだもん。仕方ないじゃん。

で、記憶が無くなっちゃって。

それから何があったかはわからない。

目が覚めると知らない場所にいた。

しかもよりによって外とか。

……最悪。

ここはドコ?

私は……三森すずこ。

うん、それくらいはわかる。大丈夫。

虫の鳴き声。草の匂い。

私が過ごしてた東京と違って、高層ビルの代わりに建ち並んでいるのは、木。

それもいっぱい。



みも「森……?」


「あ、目覚ました? 水汲んできたから飲んでいいよ」

みも「…そら?」

「え? なんで私の名前知ってるの!? エスパー!?」

みも「なんでと言われても……。ていうかその格好なに? 忍者みたい。イベントでもあったの?」

「みたいじゃなくてちゃんとした忍者だから! まだ下忍だけど……」

みも「ゲニン?」

空丸「一応、自己紹介しておくと。私は空丸。よろしくね」

空丸「あなたは?」

みも「は?」

空丸「え? あの、あなたの名前は…」

みも「何言ってんの? 大丈夫? しっかりしてー! そらー! ていうかここはどこなの!?」

空丸「うーん、気を失ってたみたいだし、まだ記憶が曖昧なのかなぁ……」


「おーい!」


空丸「あっ…」

「あ、その子気が付いたんだ?」

空丸「ちょっとー、水汲んでくるからちゃんと見ててって言ったのに」

SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1468643079


「あはは、ごめんごめん。あっちで手裏剣の練習してた」

みも「くっすんもいたんだ」

「ほぇ?」

空丸「知ってるの? ちょっと名前、微妙に間違ってるけど」

みも「え?」

空丸「この子は紅寸(くすん)」

紅寸「よろしくー」

みも「く、くすん……?」

みも「……??」


紅寸「どしたの? この子」

空丸「なんかねー、変な子なんだよねー」

紅寸「変な子、というと?」

空丸「初対面なのに私の名前知ってたし。さっきだって紅寸の名前もほぼ言い当ててたでしょ?」

紅寸「あー、うん、すごいね。あ、もしかして、スパイなんじゃないの?」

空丸「スパイ……たしかに。でもスパイならこんな風にベラベラ喋ったりしないんじゃない? 疑ってくださいって言ってるようなもんじゃん」

紅寸「……私らもベラベラ喋ってるけど大丈夫かな?」

空丸「あぅ、それは……」

紅寸「とりあえず頭領のところに連れていかないと! 私たちが忍者ってこと喋っちゃったんでしょ?」

空丸「そだねー。んじゃそうしよっか」


空丸「ねぇ」

みも「ん?」

空丸「まずあなたの名前を聞かせてほしいんだけど」

みも「またそれー? なんで知らないの? ドッキリ?」

紅寸「??」

空丸「こんな調子で困ってるんだよねー」

みも「もう仕方ないなー。私は三森すずこ。みもりんって呼んでたじゃん、くっすんは」

紅寸「みも…」

空丸「りん…? 変な名前」

紅寸「なんかふにゃふにゃしてるから鈴でよくない?」

空丸「あ、それいいね。すずとか言ってたし、ダブルミーニングで鈴(りん)」

みも「いや…、なんか違和感しかないんだけど」

紅寸「さて、行こっか。鈴ちゃん」

空丸「これから鈴を頭領のところに連れていきまーす」

鈴「とーりょー? あたし早く家に帰りたいんだけど」


忍びの里 妙州(みょうず)



鈴「みょーず? μ'sじゃなくて?」

紅寸「なにそれ?」

空丸「あー、鈴」

鈴「なに?」

空丸「私らにはいいけどさ、この先で今みたいな変なこと言わない方がいいよ?」

鈴「なんで? ていうか変なこと言ってるのはそっちじゃん」

紅寸「……殺されちゃっても知らないよ? まぁ別に私には関係ないけど」

鈴「殺される? なんで?」

空丸「とにかくっ、妙なことは口にしない! いい?」

鈴「はーい」


鹿「あ、空丸、紅寸。おかえりー。……その子は?」

空丸「森で倒れてたから拾ってきた。まだ記憶が混濁してるみたいで、とりあえず頭領に会わせようかな、と」

鹿「ふーん…。大丈夫? 敵じゃない? めちゃくちゃ怪しいんだけど」

鈴「??」

空丸「悪い子じゃない、と思う……」

鹿「まぁいいや。じゃあ空はその子……えーと」

空丸「鈴っていうの」

鹿「鈴を連れて私と来て」

紅寸「くすんは?」

鹿「紅寸は……あー、畑の草むしりでもしてれば?」

紅寸「わかった!」


鹿「危険なものは持ってない、かな……」
ゴソゴソ

鈴「あたしのバッグー! 返してー!」

空丸「鈴、大人しくしてて」

鹿「…ん? なにこの四角いの? 手裏剣?」

鈴「え? スマホ知らないの?」

鹿「すまほ…? 空、知ってる?」

空丸「知らない」

鈴「……やっぱりおかしい」


鈴「もういいでしょ、あたしの荷物返して!」

鹿「よくわかんないものだらけだったけど、まぁいっか」

空丸「さて、頭領は部屋にいる?」

鹿「むしろ部屋にいない時の方が珍しい」

空丸「あ、たしかに」

鈴「さっきからとーりょーとーりょー言ってるけどなんなのそれ?」

空丸「頭領っていうのはこの里で一番偉い人。それも知らないの?」

鈴「むぅ……そらに馬鹿にされるとムカつくー」

空丸「妙州の頭領、蛇龍乃(じゃりゅの)さんっていうから失礼のないようにね」

鈴「じゃ、じゃりゅにょ…あぅっ、舌噛んだ!」

空丸「言いづらいのね。でも今みたいに名前噛んじゃうと」

鈴「か、噛んじゃうと……?」

空丸「すんごい拗ねるから気を付けて」

鈴「あ、そう…」


蛇龍乃の間


ガラッ…


蛇龍乃「ほわぁっ…! こ、こらぁっ、鹿ぁー! 入ってくる時はノックくらいしろっていつも言って」

鹿「あー! またじゃりゅのんってばゲームばっかしてるー」

蛇龍乃「別に何しようが私の勝手じゃん」
ピコピコ

鹿「もう少し、頭領としての自覚と威厳を持てってみんな言ってるよー?」

蛇龍乃「んじゃ頭領辞めるわ」
ピコピコ

鹿「チッ……ったく……」


鈴「ナンジョールノ先輩だ……あ、ここではナンジャーリュニョ先輩か」

空丸「まーた変なこと言ってるよ、この子は…」


蛇龍乃「…ん? ところで誰? その子」

鹿「なんか空が森で拾ってきたんだって」

蛇龍乃「ふーん」

空丸「はい、まだ混乱しているみたいで。自分が誰かもわかってない様子だったんで」

鈴「わかるよ、それくらい…」

鹿「鈴はどこから来たの?」

鈴「東京」

鹿「とーきょー?」

蛇龍乃「どこだ……」

空丸「さぁ……?」

鹿「忍者ではないの?」

鈴「違う」

鹿「じゃあ何やってる人?」

鈴「声優」

蛇龍乃「なんじゃそりゃ」

空丸「ね? おかしいでしょ?」


蛇龍乃「……ていうかさ、空」

空丸「はい」

蛇龍乃「なんで連れてきちゃったわけ? この里のこと知られちゃったからにはこのまま生かして帰すわけにはいかないじゃん」

鈴「え……」

鹿「まぁそうなるよね」

蛇龍乃「私、そういうのあんま好きじゃないんだよねぇ…」

鈴「ま、待って待って! え、なにあたし殺されちゃうの? 嘘でしょ?」

鹿「いや殺すよ?」

空丸「……待ってください……この鈴を、ここに置くわけにはいかないでしょうか…?」

蛇龍乃「…え? いや、あのさ……ここって忍者の里なのわかるよね? 本人がさっき言ってたように忍者じゃないんでしょ? その子」

空丸「そうなんですけど……訓練を積ませれば使い物になったりならなかったりするかなー、と」

鈴「ちょっと、空! あたし忍者になんかなんないからね!?」

空丸「ならここで死ぬ?」

鈴「うぇ…、それはやだけど」

鹿「空、まだ置いてあげるか決まったわけじゃないでしょ」

空丸「私が責任持つから、どうか…」

鹿「無理無理。ねぇ? じゃりゅのん」

蛇龍乃「んー……なんでもいい……勝手に決めてくれ」
ピコピコ

鹿「こ、こいつっ……」

空丸「あ、ありがとうございますっ! ほら、鈴もお礼言って」

鈴「えー、ほんとにあたし忍者になるのー?」

蛇龍乃「…あー、でもさ、私はいいけどみんながそれで納得するかどうか」

空丸「…っ」

蛇龍乃「些細な不満が火種になって里が崩壊なんてことになっちゃ終わりだからね」

蛇龍乃「こうしようか。三日間はここに置いてあげる。その間にみんなを納得させること。勿論、そこの鹿も含めてね」

蛇龍乃「そして三日後、一人でも反対する者がいたらそこの、えーと……鈴ちゃん?は処刑ってことでよろしく」

空丸「三日……はい、わかりました。必ず、皆を納得させてみせます」

蛇龍乃「ん、がんばってー」

鈴「マジか……」


鹿「……」


空丸「ここ、とりあえず鈴の部屋ね。狭いけど勘弁して」

鈴「ほんとに狭い…」

鹿「……」

空丸「あと、その変な格好じゃ目立つからこれに着替えといて」

鈴「…究極に地味でダサいけど、我慢するかぁ」

空丸「じゃあ着替え終わったらみんなに挨拶に」

鹿「空、ちょっといい?」

空丸「ん? うん。鈴、ここで待ってて」

鈴「へーい…」



空丸「鹿ちゃん?」

鹿「……どういうつもり?」

空丸「鈴のこと?」

鹿「空ならこうなることわかってたでしょ? あの子のこと殺したいわけ?」

空丸「でもあのまま森に放置してたら、それこそのたれ死んでたかもしれないから」

鹿「そんなの知ったことじゃないじゃん」

空丸「…それに、なんか放っておけなかったんだよね」

鹿「はぁ…?」

空丸「大丈夫。なんとかしてみせる」

鹿「私一人でも首を振ればあの子死ぬんだよ?」

空丸「…うん」

鹿「はぁ……私は絶対に同情なんてしないからね」


ガラッ…


空丸「鈴、お待たせー……っていない!?」





鈴「すごー、お屋敷って感じ…。写真撮っとこ」
カシャッ


鈴「こんなのなかなか見られないからねー」
カシャッ


鈴「…って呑気に撮影してる場合じゃなくて……どうしよう、ここままじゃあたし、三日後には…」

鈴「ガチ、だよね……特にシカちゃんあたしのことよく思ってなさそうだったしぃ……」

鈴「人生最大のピンチだ……逃げるか」

鈴「いや、ここら辺の地理とかわかんないし、電波も立ってないし。……もう別の世界線と考えた方が楽な気がしてきた……」

鈴「そして今はなにより……お腹空いた」
グゥー

鈴「ご飯、ご飯はまだかえー……へ、はわっ!?」
フラフラ

「……!」

鈴「ぎゃぁーっ!?」

「ごめんごめん、ビックリさせちゃった?」

鈴「すごっ……ぶつかりそうになったのに一瞬で消えたみたいに……あ、そっか、忍者なのか」

「うーん? もしかして、空丸が連れてきたって人?」

鈴「りっぴー…あっ、言っちゃいけないんだった…!」

立飛「うん? どしたの?」

鈴「ううん、なんでもないなんでもない」

立飛「くすっ、変な人。あ、私、立飛(りっぴ)っていうの。よろしくー」

鈴「りっぴ……伸ばさないのか……」

立飛「??」

鈴「あたしはみもり…じゃなかった。ここでは鈴って呼ばれてる、みたい…」


鈴「えっと、あのさ、りっぴー…さん」

立飛「いいよ、呼び捨てで。鈴の方が歳上っぽいし」

鈴「うぐぅ……若さめぇ……」

立飛「…? 空丸と一緒じゃないの? 一人でフラフラしてると危ないよ? 仕掛けとかあるから」

鈴「そっか、忍者屋敷……。えっとね、お腹空いちゃって、つい…」

立飛「ふふっ、そっかそっか。ご飯ならそろそろだと思うよ。じゃあ一緒に行こっか」

鈴「助かる。ありがと、りっぴー」

立飛「空丸は……まぁいっか」



鈴「ねぇ、りっぴー。聞いてもいい?」

立飛「なに?」

鈴「ここって、どこ?」

立飛「ここ? 屋敷の中」

鈴「あ、そういうことじゃなくて……なんていうか、地名? とかあれば」

立飛「妙州」

鈴「東京…は通じないんだっけ、じゃあ江戸?とは近いのかな?」

立飛「え、ど……?」

鈴「え?」

立飛「え?」

鈴「じゃ、じゃあこのみょーずの外には何があるの?」

立飛「山と川。あと危険」

鈴「…………町とかは」

立飛「あるよ」

鈴「ほんと!?」

立飛「でもすっごーく遠いの」

鈴「どれくらい…?」

立飛「うーん、私の足で一週間くらいかなぁ」

鈴「…忍者の足でってことだよね。車とかは、自動車やタクシーやバスなんか」

立飛「??」

鈴「あるわけないよね…。てことは私の足だとそれ以上……二週間とか、下手すりゃ一ヶ月以上…」

鈴「……死ぬわっ! ……これはますますここから出られなくなったわけか……」

立飛「??」


鈴「……なんとかして町まで行ければ……でも町に行ったとしても東京に戻る手段が…」

立飛「鈴ちゃん?」

鈴「りっぴー、あと聞きたいことがまだ」


空丸「あーっ! いたーっ!」


鈴「そらまる」

立飛「空丸だ」

空丸「部屋にいてって言ったでしょー?」

鈴「だってお腹すいたんだもん」

空丸「立飛が面倒見ててくれてたわけね。ありがと」

立飛「全然全然、お喋りしてただけだし。ねー?」

鈴「うん。そらがなかなか戻ってこないのが悪いんじゃん」

立飛「そうだそうだー」

空丸「誰のためを思って私が動いてるかわかってる……? まぁでも立飛が仲良くしてくれてたみたいで幸いだ」

立飛「うん、話しやすくて好きだよ。私」

空丸「これなら立飛は大丈夫そうかな」

立飛「なんの話?」




立飛「え? 鈴ちゃんをずっとここに置いておく?」

空丸「そうそう、仕方ないことだけどそんな話になっちゃって。でも立飛が味方についくれるのは心強い」

立飛「…それとこれとは別問題じゃない?」

空丸「え…?」

立飛「悪い人じゃないとは思うけど、里に一生身を置くって……それ謂わば家族同然の扱いってことでしょ?」

立飛「そんな簡単に決められないよ」

空丸「そう、だよね……」

立飛「別に頭ごなしに反対してるってわけじゃなくて。ていうかこういうのって賢い空丸だったら一番に嫌がりそうなものだけど」


立飛「あの鈴ちゃんに、何かあるの?」

空丸「…わかんない」

立飛「変な空丸ー」


鈴「ねー、そらー、りっぴー。ご飯はー?」

空丸「はいはい」

立飛「そろそろできたかなー? 牌ちゃんのとこ行こー」

鈴「ぱいちゃん?」

空丸「正式には牌流(はいながれ)なんだけど、なんか自然とみんな牌(ぱい)ちゃんって呼ぶようになったの」




牌流「さぁさぁたーんと召し上がれー」

空丸「おぉー」

立飛「さすが牌ちゃんのご飯はいつも美味しそうー!」

牌流「今日はお客さんが来てるっていうから気合い入れてみたの。山菜のパスタに鮭のカルパッチョ、それと南瓜の冷製スープでーす!」

鈴「とてもここが忍者屋敷とは思えない食卓だ。たしかに美味しそう」

牌流「あっ、あなたがお客さん……えーと、すずちゃん? りんちゃん?」

空丸「鈴だよ」

鈴「よろしく。ぱいちゃん」

牌流「きゃー、すごい可愛いお顔してるー。ゆっくりしてってねー」

鈴「ありがとー」


鈴「もぐもぐ……あれ? そういえば他の人たちは?」

牌流「他の人たちって?」

鈴「なんじょ…じゃりゅにょしゃんちょか」

空丸「蛇龍乃さんはいつも自分の部屋で食べてるから。滅多なことが無い限り出てこないよ」

立飛「ご飯を持ってってあげる鹿ちゃんも一緒にそこで食べてるから」

鈴「ふーん…」

立飛「あ、ヱ密は?」

空丸「仕事。明日には帰ってくるんじゃなかったっけ?」

鈴「えみつ……あー、えみつん」

鈴「えぇと、じゃあうっちーって人もいる?」

牌流「…!?」

立飛「え、誰か話したの…?」

空丸「鈴って本当は何者なの…? そんなことまで知ってるって…」


鈴「な、なにこの空気……なんかまずかった?」

牌流「あー、なんていうか…」

立飛「いろいろと複雑でね」

鈴「うっちーが?」

空丸「空蜘(うっち)さんは……また今度話すよ。この屋敷にはいるけど、ちょっと訳ありだから」

鈴「……?」

鈴「忍者にはいろいろあるんだなぁ……じゃあくっすんは? あたしがここに来る時、一緒だったけど」

牌流「あっ」

立飛「あー」

空丸「忘れてた」

牌流「どうりで何か足んないと思ってたんだよねー」

立飛「どこにいるの?」

空丸「まだ畑にいるかと」


牌流「紅寸は頑張り屋さんだからねぇ」

立飛「へー、そっかー」

空丸「ちゃんと紅寸の分残しといてあげようね」

鈴「……誰も呼びに行ってあげないの?」

立飛「忍びなら御飯時くらい察しなきゃ」

空丸「そうそう、だからいつまで経っても下忍のままなんだよねー」

牌流「そういう空だって下忍じゃん」

空丸「そういう牌ちゃんだって」

鈴「…下忍って一番下っぱってこと? ふーん、そらとぱいちゃんとくっすんは下忍なんだー」

鈴「あれ? りっぴーも?」

立飛「わ、私は…」

空丸「立飛は中忍。ここにいるなかでは一番上かな」

鈴「おー、さすがりっぴー。じゃあ一番強いってこと?」

立飛「ううん、そういうわけじゃないよ。戦うとなれば当然相性もあるだろうし、それになにも単純な戦闘能力だけで決められてるわけじゃないから」

牌流「戦うだけが忍びじゃないの」

鈴「奥が深いんだなぁ……まぁあたしには関係無いけど」


鈴「…って、それよりくっすん呼びに行ってあげようよ! かわいそうじゃん!」

空丸「えー、ご飯中だし」

立飛「同じく。食べられる時に食べておかないと。いつ何が起こるかわかんないし」

鈴「んー、じゃああたしが行ってくるよ」

牌流「……!」

牌流「待って。鈴ちゃんじゃ場所わかんないでしょ? あと慣れてない子がうろうろしたら危ないよ」

鈴「あ、そっか…」

牌流「だから私が紅寸のとこ行ってくる」

鈴「あ、ほんと?」

空丸「珍しいー。牌ちゃんが自分からそんなこと言うのなんて」

立飛「ほんとほんと。あやしー」


鈴「でもみんな変わらず良い人たちで安心した」

空丸「変わらず…?」

鈴「あ、シカちゃんはちょっと怖いけど…」

立飛「あー、鹿ちゃんはしょうがないよ。相当な人見知りだし」

空丸「うん、私たち以上に人見知り」

立飛「だからあまり外部の人間のことを良く思わないんだよね」

鈴「そっか……てことはこのままいけばあたしの命はあの人次第ってこと…」

立飛「……」


「うわぁぁぁぁーーーーっ!!!!」


立飛「…!?」

鈴「な、なになに……っ、今の、悲鳴……?」

空丸「紅寸の声……何かあったんじゃ…!」

立飛「畑の方からみたいだよ」

空丸「まさか敵襲!?」

立飛「…ちょっと見てくる」

空丸「私も…!」

鈴「あ、あたしもっ!」

空丸「いや、鈴は危ないから…」

立飛「大丈夫だよ、多分」

空丸「え…?」


空丸「紅寸っ!」

鈴「くっすんっ、大丈夫!?」


紅寸「ひぃっ…! た、たたた、助けて……っ」


「……」


鈴「くっすんの近くに誰か……あっ」

空丸「空蜘…さん……? な、なんでここに……?」

鈴「ねぇ、そら。なんでくっすんはうっちーにあんなに怯えてるの? 一緒にここで暮らしてるんじゃないの?」

空丸「そ、それは……ちょっと話すと長くなるから……。端的に言うと、紅寸は一度、空蜘さんに酷い目に遇わされてるから」

鈴「酷い目……?」


「ふふふっ……」


紅寸「や、やだっ……来ないでっ、来ないでぇっ…!!」



鈴「なんかよくわかんないけど、助けてあげてよ。そら」

空丸「い、いやいやっ、私なんかが空蜘さんに敵うわけがっ……ああでも紅寸の大ピンチに…」

鈴「情けな…」

空丸「でもどうにかしなきゃ……立飛!」

立飛「……」

空丸「ちょっと、なにボーッとしてんの!? 立飛なら勝てないまでも足止めくらいは」

立飛「…あー、やっぱり」

空丸「え?」


立飛「何してるの? 牌ちゃん」


「……」


鈴「へ? ぱいちゃん? だってどう見てもうっちーじゃ」

空丸「……まさか」

紅寸「え、え……?」


「……くすっ」


牌流「もー! 立飛ったら、バラすの早すぎー!」


牌流「あー、おもしろかったー」


紅寸「も、もぅーっ! 牌ちゃんっ! 本気でビックリしたんだからっ!」

牌流「あはは、ごめんごめん」

紅寸「次やったら本気で怒るからねーっ!」


鈴「あれ? うっちーの顔がぱいちゃんになってる……どゆこと?」

立飛「あれが牌ちゃんの忍法」

鈴「忍法?」

空丸「…日頃の作画の不安定さを利用して、一度見た者ならそっくりそのままその人の姿に写り変われるっていう忍者の術だよ」

空丸「声や背格好も」

鈴「マジか、すごっ……声優いらないじゃん」

立飛「……でも鈴ちゃんいるのに術見せちゃうとか後で怒られるよ?」

牌流「だからこれ秘密にしといてね?」

空丸「も、もう手遅れかなぁ…」

牌流「え…?」

立飛「ほら、鹿ちゃんがあっちで手招いてる」

空丸「うわ、あんな笑顔の鹿ちゃんとか恐ろしすぎる…」

牌流「ど、どうしようどうしようっ…!」

紅寸「罰が当たったんだよ! 私をからかったりなんかするから!」


牌流「うぅ……失敗したぁ……」


鈴「いやー、忍者の技ってすごいんだねー。そらもなんかああいうの出来るの?」

空丸「……まぁ、うん」

鈴「へー、どんなのどんなの? 見せてよ」

空丸「やだ」

鈴「えー! 気になるじゃーん!」

立飛「あのね、鈴ちゃん。忍びの人間は無闇に術を見せびらかしたりしないの。それが生命線みたいなものだから」

鈴「ふーん、さっきのぱいちゃんは?」

紅寸「あれはただのアホだよ、アホ」

鈴「あはは。あ、そういえばさ、りっぴーはなんでぱいちゃんの変装見破れたの?」

立飛「んー、なんとなくかなぁ。そんな感じがしたってだけ」

鈴「やっぱすごいねぇ。そらなんかビビりまくってたのに」

空丸「…そーそー、立飛はすんごい優秀だからねー」

立飛「た、たまたまだからっ」

鈴「あ、それとついでにもう一ついい?」

空丸「なに?」

鈴「うっちーのことなんだけど」

紅寸「…っ」

鈴「くっすんは虐められたりしてるの?」

紅寸「え、えっと……」

立飛「……」

空丸「……あー、空蜘さんはね」

立飛「空丸っ」

空丸「別にいいじゃん。これくらい」

鈴「…?」

空丸「…空蜘さんは元々はここの里の人間じゃないの」


鹿「……」

牌流「ごめんなさいっ! もうしませんっ! 絶対しませんっ!」

鹿「反省してる?」

牌流「してます! めっちゃしてます!」

鹿「まぁどっちでもいいよ。罰は受けてもらうから」

牌流「ば、罰ってもしかして…」

鹿「そんなに空蜘のことが大好きなら一緒にいればいいんじゃない?」

牌流「え、えー……?」

鹿「空蜘と忍法勝負。朝まで生きてれば許してあげる」

牌流「む、無理無理無理ーっ!! だって私、そんな戦闘タイプじゃないしっ!!」

牌流「他のことなら何だってするから許してっ、鹿ちゃんっ!」

鹿「…何だってする?」

牌流「うんっ、うんっ!」


鹿「……そう、だったら──」






『忍法』、それは選ばれし忍びの心に蔓延る非情な謀

ある忍びは蜘蛛糸の術をめぐらせ、ある忍びは蛇毒の術をめぐらせる

大忍者時代

狡猾さを競いあう二つの忍び

その名を蜘蛛と蛇といった……


鈴「蛇? 蜘蛛? うぇ、背中がゾワゾワする…」

空丸「ここは蛇の忍びの里だからね。それに対して空蜘さんは蜘蛛の忍び。元は敵対する組織の人間だったってわけ」

鈴「てことは、へびさんチームとくもさんチームに分かれて戦ってるってこと?」

空丸「いきなり運動会みたいになってるけど……まぁそんな感じ」

立飛「空丸。だから喋りすぎ」

空丸「うん? どうせ空蜘さんとも会わせなきゃいけないんだから知っておくべきでしょ?」

紅寸「くすんもこれくらい別にいいと思うけどなー」

立飛「…もぅ、私部屋に戻るから」



鈴「もしかしてりっぴー機嫌悪い?」

空丸「立飛は真面目だからねぇ」

紅寸「一番若いのに強いし」

空丸「良い子だし」

紅寸「頼りになるし」

空丸「可愛いし」

紅寸「おっぱいもおっきいし」

鈴「忍者だと動いたりする時とか邪魔になっちゃうんじゃない?」

空丸「…あー」

紅寸「…鈴ちゃんのおっぱいは忍者向きだね」

鈴「へ?」

空丸「素質ありそう」

鈴「うっさいっ!」
ベシッ

空丸「痛っ」


空丸「いや真面目な話、素質って超大事だよ」

鈴「嫌味にしか聞こえないんですけどー」

空丸「ほら頭領の蛇龍乃さんとか。ここだけの話、ほら…胸があれじゃん?」

鈴「あー、まぁたしかにちっこいけど。強いの?」

空丸「うん、物凄く強い。…らしい」

鈴「らしいって…」

空丸「戦ってるとこ見たことないし」

紅寸「そういえばくすんもないなー。あの人、基本部屋でごろごろしてるから」

鈴「……じゃあシカちゃんは?」

紅寸「そこそこ強い」

鈴「りっぴーは?」

紅寸「なかなか強い」

鈴「…ぱいちゃんは?」

空丸「弱い。あの術だって下忍の私と紅寸くらいしか騙せないし」

鈴「ってそれ胸の大きさ全然関係無いじゃんっ!」

紅寸「ほんとだ!」

鈴「くっすんはアホだから下忍なの?」

紅寸「えっ…!?」

空丸「会って半日も経たずにそれを見抜くとは。さすが鈴」

空丸「基本となる身体能力はなかなかなんだけどねー、紅寸は」

鈴「頭が悪いと忍者はやっていけないのかぁ」

空丸「どっちかっていうと策略を凝らして敵を欺くのがメインだから」

紅寸「空丸は頭は良いけど身体能力が可哀想なくらい低いから下忍から上がれないの」

鈴「あー、やっぱりかー」


空丸「鈴なら私や紅寸よりも強くなれそうな気がするけどなぁ…」

鈴「はぁ? あたし、戦うとか無理だからっ! まぁプロレスなら観るのは好きだけど…」

紅寸「ぷろれす?」

空丸「そうは言ってもここに残れることになったら鈴も忍びになるんだよ?」

鈴「え? えぇー!? あ、あたしが忍者に!?」

空丸「だってそうでしょ、普通に考えて」

鈴「……あたし、声優なんですけど」

紅寸「え、鈴ちゃんってずっとここにいるの?」

空丸「そうなったらいいねーって話。まぁなんとかしないとね。殺されちゃうの嫌だし」

鈴「まだこの若さで死にたくない……生きて東京に帰りたい……」

紅寸「…どゆこと?」




紅寸「へぇー、三日後までに全員を説得ねぇ」

空丸「紅寸は鈴がここで暮らすの反対?」

紅寸「ううん、私はいいよ。賑やかになるの楽しいし」

鈴「よしっ、1票獲得! あ、そらもいるから2票か。じゃりゅにょしゃんもどっちでもよさげだったし、りっぴーとぱいちゃんのも合わせて5票」

鈴「あれ? なんか余裕そうな気がしてきた」

空丸「なんでこの子、こんな能天気なの…」

紅寸「鈴ちゃんが一番アホなんじゃない?」


鈴「あとはー、シカちゃんとえみつんと、うっちーかぁ……まぁなんとかなるっしょ。あははー」

空丸「……」

紅寸「この人、死にそう……」


鈴「早くえみつんに会いたいなぁ。明日帰ってくるんだっけ?」

紅寸「うん」

鈴「楽しみだなぁ。私の知ってるまんまだよね、たぶん」

紅寸「え、知ってるの?」

空丸「また妄言でしょ」

鈴「むぅー、じゃあどんな人? 合ってる自信あるからっ」

空丸「どんな人と言われても、うーん…」

紅寸「強くて優しくて面倒見が良くて鍛練にも付き合ってくれて、あとおっぱいがおっきい!」

空丸「よく歌ってるよね」

紅寸「ヱ密の歌好きー!」

鈴「やっぱあたしの知ってるえみつんじゃん」

紅寸「この里のエース」

空丸「蛇龍乃さんもヱ密のことは一番信頼してるんじゃないかな」

鈴「へー、さすがえみつん」



鹿「……」


蛇龍乃の間



鹿「じゃりゅのんじゃりゅのんー!」

蛇龍乃「んー…」
ピコピコ

鹿「やっぱあの鈴って子、めちゃくちゃ怪しいって!」

蛇龍乃「なんで? 可愛らしい子じゃん」

鹿「なんかこの里のみんなのこと知ってる風だしさ、空とか完全に心許しちゃってるみたいだしさー」

蛇龍乃「コミュ力高いなー、うらやま」

鹿「絶対どこかのスパイだよっ、諜報のやつ! 殺そ? さっさと殺しちゃお?」

蛇龍乃「まだだめー。あと三日待ちなー」

鹿「どうせ私はあの子の里入りに反対するんだから今殺しても一緒じゃーん!」

蛇龍乃「むり」

鹿「チッ……」

蛇龍乃「ん? 今、舌打ちした?」

鹿「した。文句あるの?」

蛇龍乃「あ、いや……私、一応頭領なんですけど……」

鹿「だから何?」

蛇龍乃「なんでもないっス……うへぇ、鹿が怒ってるよぉ、こわいよこわいよぉ…」

鹿「大体さぁ、じゃりゅのんは甘すぎなんだよ。空蜘の件だって捕らえたままいつまで経っても殺さないし」

蛇龍乃「ははは、殺すなんてそんな物騒な。世の中、ラブアンドピースだから」

鹿「忍びの世界にラブアンドピースなんてねーよっ」


蛇龍乃「…前にも言ったっしょ? 空蜘はもううちの仲間。最近ではずっと大人しくしてんじゃん」

鹿「牢にぎちぎちに拘束してるのに仲間、ねぇ……すげぇラブアンドピース。恐れ入ったわー」

蛇龍乃「あ、あれは更正の手段としてだな…」

鹿「腐っても蜘蛛でしょ? 飼い慣らせるの?」

蛇龍乃「いちいち口が悪いやつだなー。私が血も涙も無い極悪非道みたいに聞こえるからやめて」

鹿「はいはい」

蛇龍乃「……それに、あれだけの戦闘能力をもった蜘蛛もなかなかいないし。殺すには勿体無いっしょ」

蛇龍乃「この里の為に働いてもらいたい。だからこそ、みんなには仲間として歓迎してもらいたいんだけどなぁ」

鹿「……」

蛇龍乃「あの鈴ちゃんも一緒にね。あー楽しくなりそうだ、はははは」

鹿「ゲームのやり過ぎでついにおかしくなったか…」


鹿「…!」

蛇龍乃「…誰?」


「空丸です。鈴も一緒です」


鹿「……」

蛇龍乃「いいよ、入っても」


ガラッ…


空丸「失礼します」

鈴「こんばんわ」


鹿「…何の用件?」

空丸「えーと、ですねぇ…」

鈴「シカちゃんっ、疲れてるでしょ? そーかー、だよねー? うんうん、じゃああたしが肩マッサージしてあげるねー」

鹿「なっ、ちょ、触ろうとすんなー!」

鈴「えー! ちょっとくらいいいじゃーん、ほらほらー」

鹿「私に取り入ろうとしてるの見え見えだからっ! どうせ気に入られようとのことでしょ」

鈴「バ、バレてる…!?」
ガーン

鹿「どんなに機嫌取ろうと絶対に殺してやるからねー! 絶対っ、ぜーったいっ!」

鈴「ぎゃー! 聞きたくないー!」


蛇龍乃「あー、うるせーうるせー……んで、空。まさか用件ってあれ?」

空丸「あれと言いますと?」

蛇龍乃「あれっていったらあれ以外ないでしょ。横で騒いでるやつら」


鹿「はははっ、殺す! 今すぐ殺ーすっ!」

鈴「ぎゃぁーっ! あと三日待ってくださいーっ!」


空丸「……いや、あれとは違います」

蛇龍乃「あっそ。鹿ー、ちょっとうるさいから静かにして」

空丸「鈴も変なことしないの!」


鈴「へーい…」

鹿「あと三日……あと三日……」



蛇龍乃「空蜘の所に行きたい…?」

空丸「はい。鈴のこと、紹介したいので。さっき言ってた鈴をここに残す条件……あれって空蜘さんも含めて、でしょ?」

蛇龍乃「さすが空。よくわかってるね」

鹿「…いやだから、私が反対するから空蜘が何て言おうが関係ないから。会うだけ寿命縮めるだけじゃん」

鹿「下手すりゃ死ぬよ? 鈴はどうでもいいけど、空がいなくなるのはやだ…」

空丸「あの、許可を頂きたいんですが…」

鹿「無理無理。空蜘には会わせない。あと鈴は殺す。諦めて帰った帰った……ねぇ? じゃりゅのん」

蛇龍乃「うん、いいよー」

鹿「ほら、頭領もこう言って……え?」

空丸「あ、ありがとうございます!」

蛇龍乃「ついでに拘束も解いてあげよっか。ずっとあのままじゃ可哀想だし」

鹿「てめーっ、正気かよぉぉっ!?」

蛇龍乃「ん?」

空丸「あ、いやぁ……さすがに拘束解くのはどうかと……もしかして蛇龍乃さんが付いててくれるんですか? ああそれだったら」

蛇龍乃「え、やだ。なんで私がそんなめんどくさいことしなきゃいけないの?」

空丸「じゃ、じゃあ…」
チラッ

鹿「……は?」


鹿「わ、私…? えぇぇ……っ」

空丸「大丈夫…?」

鈴「こんなに恐れられてるうっちーって……あ、そうだっ! シカちゃんには悪いけどー、ここで死んでもらえば私が生き延びる可能性がアーップ」

鹿「そーこーっ、聞こえてんだけどー!?」

鈴「ありゃ、失礼」

鹿「とにかくっ、私は絶対に嫌だからね! あんな化け物の監視役なんか」

蛇龍乃「いつも偉そうなくせにここぞという時に使い物にならんヤツの代表例だな……」

蛇龍乃「まぁ正直、鹿じゃ手に余るか…」

空丸「と、とりあえずは拘束したままでよいのでは」

蛇龍乃「むり。解放してあげるって私が決めたもーん」

鹿「決めたもーん、じゃねーよっ! ったく、気まぐれもいい加減にしてよねー!」

蛇龍乃「そんな怒んなよ……。んじゃ、こうしよう」

蛇龍乃「明日にはヱ密が戻ってくる、よね? 知らんけど……。ヱ密が戻ってき次第、空蜘を解放してあげよう」

空丸「あー、なるほど。ヱ密なら」

蛇龍乃「うん、もしなんかあった時に対処出来るの、私を除けばヱ密くらいだからね」

蛇龍乃「てことで、空蜘に会えるのは明日になるけどいい? 空」

空丸「はい、問題無いです。ありがとうございます。鈴もお礼言って」

鈴「ん、ありがと。にゃんじゃりゅにょしゃん」



ガララッ…


コトッ…


「…………」


カツン……カツン……


カツン……カツン……




空蜘「…………誰」
ジャラッ


立飛「…私。そろそろ水が無くなってる頃かなって思って」

空蜘「わぁっ、ありがとー。ごくごくっ……ふはぁー、生き返るー」

立飛「じゃあ私はこれで」

空蜘「あ、待って」

立飛「なに?」

空蜘「立飛ちゃんってさ、私のこと全然怖がらないよね? なんでかなぁ?」

立飛「鎖で縛られてるし、今は別に怖がる必要なくない? その状態じゃ術も使えないみたいだし」

空蜘「今は、ねぇ……。ふふっ、もしこれが無くても私には負けないと思ってるんじゃない?」

立飛「はは、まさかぁ。さすがに買い被りすぎだよ、それは」

空蜘「ふーん、そっかそっか。あともう一つ聞きたいんだけど、こんな風に捕虜に情けをかけてくれたりして怒られたりしないの?」

立飛「あー、それは大丈夫。頭領に命じられてのことだから。あ、それと多分明日ここから出られるって」

空蜘「え…? ホント!? ……蛇の頭領……蛇龍乃……何考えてるんだろ」

立飛「…じゃあまた明日ね」

空蜘「……うん、ありがと」







空蜘「…………ここから、出られる……ふふ、ふふふっ……」



空丸「ここがお風呂ね」

鈴「ボロい、狭い……けど思ってたよりもちゃんとしてる。でもこれじゃみんなで入れないね」

空丸「みんなで?」

鈴「うん。一緒に生活してるならみんなと一緒にわいわい入った方が楽しくない?」

空丸「その感性がよくわかんない……。一応言っておくと、いつでも入れるわけじゃないからね?」

鈴「そうなの? 朝とかシャワー浴びたいよ」

空丸「しゃわー? また妙なこと言ってる……朝は無理。それと上の人から順番に入るって決まりがあるから明日とかも私が言うまで勝手に使っちゃダメだよ?」

鈴「なにそれめんどー……勝手に使ったらどうなるの?」

空丸「鹿ちゃんあたりに殺されちゃうんじゃない? まぁ蛇龍乃さんには鈴を殺すなって釘を刺されてるみたいだからそこまではいないと思うけど…」

鈴「あー…、ていうかなんであたしシカちゃんにあんなに嫌われてるの?」

空丸「さっきも言ったように、人見知りだから」

鈴「それだけの理由で殺そうとするなんか頭おかしいでしょっ!」

空丸「…私も詳しくは知らないけど昔色々あったみたいだよ」

鈴「ふーん……なんとかして気に入ってもらわなきゃ、三日後のあたしは…」

空丸「屍になってるだろうね」

鈴「そんな他人事みたいに言ってー! そもそもそらが連れてきたんでしょー! ハッ、まさか最初からそれ目的で…」

鈴「あたしが死んだ後、肉体を切り刻んで鍋とかにしちゃうんだぁー……みんなで美味しそうにみも鍋を堪能しちゃうんだぁぁー…!!」

空丸「なわけないでしょ……。でもまぁそうならないように、明日から頑張ろうね」


鈴「うん…」

空丸「ほら、さっさとお風呂入っちゃって。鈴が出ないと私が使えないから」

鈴「あ、ならそら先に入ってもいいよ? あたしなら後でも」

空丸「今日は私が掃除当番だからねー、最後に入る決まりになってるの」

鈴「掃除かぁ……あたしがするよ。ここに来てからそらにはお世話になりっぱなしだし、それくらい」

空丸「鈴……気持ちは嬉しいけど、鈴は疲れてるでしょ? 慣れない場所にいきなり連れてこられたわけだから」

空丸「私のことは気にしないでゆっくり浸かってきて」

鈴「ん、わかった。ありがと、そら」

鈴「んじゃお言葉に甘えて……あ」

空丸「…?」

鈴「こっそり覗いたりしないよね?」

空丸「りっぴーのならともかく、鈴の裸見て何が楽しいの、それ…」

鈴「…ていっ!」
ベシッ

空丸「痛いっ」


チャポン…


鈴「ふはぁぁ……極楽……良い湯加減じゃぁ……」


鈴「はぁ……」



なんであたしこんな所にいるんだろう。
いつかは帰れる日が来るのかな。

ここのみんなも、あたしが元いた世界と同じで良い人ばっかだけど。

それでも、あたしは東京に戻って今までみたいに声優をやりたい。

……忍者とか、やだ。

まぁそれもこのまま生きていればの話で。
三日後にはあたし、殺されちゃってるかもしれないんだよね。

殺されるとしたら、どんな風に殺されるのかな。

忍者だから、手裏剣の的にされたり、刀の試し斬りに使われたり。

うっちーは拘束されてるとか言ってたし、あたしもそうなったりして……。



鈴「うぅ……みも鍋はやだよぉっ……!! そうならないためにもっ」


鈴「シカちゃんを攻略しなくちゃ……あーでも、どうすればいいか全然わかんないしー」


鈴「……えみつんに相談してみよ。たしか明日会えるんだよね。この世界でもきっと力になってくれる……そらもいるし」



鈴「ふぅー、気持ちよかったー」



空丸「あ、やっと出てきた」

鈴「あれ? ずっと待ってたの?」

空丸「だって鈴を部屋まで連れていかなきゃいけないでしょ」

鈴「そっかそっか」




空丸「最初に来た所。ここ、鈴の部屋ね」

鈴「おー、布団があるー!」

空丸「紅寸に頼んでおいたんだー。明日ちゃんとお礼言うんだよ?」

鈴「うん」

空丸「じゃあ今日はゆっくり休んで。また朝に呼びに来るから」

鈴「ありがとー」


空丸「……あっ」

鈴「ん?」

空丸「いい? 何度も言うようだけどくれぐれも勝手に屋敷の中をうろつかないこと! わかった!?」

鈴「はいはい、危険がいっぱいなんでしょ。大人しく部屋に籠ってますよー」

空丸「…あとそれと」

鈴「まだ何かあるのー?」

空丸「こういうこと言うのはあれだけどさ……まだ鈴はこの里の人間って認められたわけじゃないの」

鈴「それくらいわかってるよー…」

空丸「…中には鈴のことをあまり良く思ってない人もいる」

鈴「はいはい、シカちゃんでしょ?」

空丸「も、だけど……他のみんなも同じ。鈴が思ってる以上に簡単な話じゃないんだよ」

鈴「……うん」

空丸「だから誰も信用したりしないで? あ、私は間違いなく鈴の味方だからいいんだけど」

鈴「…?」

空丸「うーん、だから、要は誰かが何か言ってきてもほいほい鵜呑みにしないこと。鈴はここのこと何もわかんないでしょ? 大変なことになってからじゃ遅いからね」

空丸「私が付いててあげれば一番いいんだけど、この後風呂掃除があるし……やっぱ終わったらここで一緒に寝てあげよっか?」

鈴「…そら、あたしに惚れてるの? 大丈夫だよ、子供じゃないんだしー」

空丸「鈴は何しでかすかわかんないから心配なんだよねぇ…」

鈴「平気平気ー」



シーン……


鈴「…………」


鈴「……ありゃ? なになに……、どうなってんの!?」


鈴「なんであたし、閉じ込められた……つーかなにここっ!? 懲罰房!?」


鈴「暗いし、なんか空気が冷たい……」


鈴「……どうしてこうなった」


ジャラッ…


鈴「ひぃぃっ…!?」


「知らない顔……誰? あなた」


鈴「えっ、ぇ……? う、うっちー……?」


空蜘「こっちが訊いてるんだけど」


鈴「うっちーがいるってことは……うっちーが閉じ込められてる場所って、もしかしなくてもここだよね……?」


空蜘「おい、誰か訊いてんだからさっさと答えろよ」


鈴「バイオレンスうっちーだ……こりゃくっすんもビビりまくるはずだ」


鈴「うっちーに会えるのはえみつんが戻ってくる明日の筈じゃ……予定が早まった? でもえみつんはいないし、そらもどっか行っちゃったし…」


鈴「ていうか夜は寝たいよー……」


空蜘「ひとの話聞いてんのかよっ!! 誰だって言ってんのっ!! ブッ殺すよ…?」


〈遡り、少し前〉



鈴「……やっぱり全然電波立たない。山奥だからかな?」

鈴「当たり前だけどコンセントも無いし、何かと不便だ…」

鈴「…ふっふっふ、こういうこともあろうかとソーラーチャージ式のスマホ予備バッテリー持っててよかったー」

鈴「昼間に充電してればスマホは使えるし。写真も撮り放題ー!」
カシャッ


鈴「みんなの写真撮って、元の世界に戻れればネタに出来るのになぁ」
カシャッ


コンコン…


鈴「ひぇっ…!? だ、誰……?」


「私。空丸」


鈴「あー、なんだそらかー。ビックリさせないでよ」


ガラッ…


鈴「早くない? あ、掃除適当にしたんでしょー?」
カシャッ


鈴「ん? ああ、なんでもないなんでもない。それで何か用事?」


鈴「へ? 着いてこいって? えー、今からー?」


鈴「しょうがないなぁ……」






鈴「なにここ? そらの部屋? …え? 入れって?」


ガララッ…


鈴「んー、いいけど…」

鈴「うぇ…、じめじめする……こんな所で暮らしてるの? もしかしてそらって虐められて」


ガララッ…


鈴「へ……?」


鈴「…………」


鈴「ちょっと…? そらさーん…? もしかしてここがあたしの部屋……? いやぁ、さっきよりは広いけど、ここはちょっと…」


鈴「……」


鈴「そらー? ちょ、出してっ! ねー、返事してよー!」
ドンドンドンッ


シーン……


鈴「……?? どゆこと……?」



牌流「はぁ……これで許してくれるんだよね?」

鹿「うん、さっきの件は帳消しにしてあげる」

牌流「でも、心が痛いよぉ……ごめんね、鈴ちゃん…」

鹿「ふふふ…」

牌流「ま、まさか死んじゃったりしないよね…? これじゃ私が殺したみたいじゃんっ」

鹿「大丈夫大丈夫。空蜘は鎖で縛られてるし、それにじゃりゅのんの術によって空蜘も術は封じられてるから。どうなるってことじゃないよ」

牌流「じゃあなんでこんなことするの?」

鹿「ふふふ…、まぁそれでも空蜘の恐ろしさには触れられるからね。それにビビってとっととこの里から逃げ出してくれればいいなーって」

牌流「うっわー、鹿ちゃん性格わるー……さすがの牌ちゃんもこれにはドン引き」

鹿「だ、だってっ、じゃりゅのんが殺しちゃ駄目っていうから! 勝手にいなくなってもらうしか方法無いでしょ!」

鹿「あんな余所者と一緒の空気なんてあと三日も吸えないっての」

牌流「そんなだから友達増えないんだよ…」

鹿「し、忍びに馴れ合いとか不要だしっ! ていうか私が悪者みたいになってるけど、牌ちゃんも共犯だからね?」

牌流「うぐっ…」

鹿「共犯。仲間。友達」

牌流「えぇー……」



鈴「えー、ここで寝ろってことー…?」

鈴「それはやだなぁ……なんか不衛生っぽいし、布団すら用意されてないって……」


空蜘「おい」


鈴「くぅ……そらめ、今度会ったらただじゃおかないんだから」

鈴「ねぇそらー! 聞こえてるー!? さっさとここから出せー!」
ドンドンドンッ


空蜘「おいっ」


鈴「はぁ……反応無し……やっぱりここで衰弱死させて、みも鍋にするつもりなんだぁ……ぐすっ…」

鈴「……ムカつくからさっき撮ったそらの画像を加工して遊んでやろーっと」
ピッ

鈴「思いっきり変な顔にしてやる」
ピッピッ


空蜘「…て、てめー、わざとやってんだろー! 私を無視すんなー! こっち向けー!」


鈴「ほぁ? あ、うっちー」

空蜘「やったぁ、やっと反応してくれたぁ♪ …じゃなくてっ、てめー誰だって何回言わせんだこのやろー!」

鈴「あたし? あたしはみも…じゃなくて、鈴」

空蜘「鈴…? 聞かない名前だけど、新入り?」

鈴「いやーそれがさー、あたしは別に新入りになりたいわけじゃないの」

鈴「でもさー、ここで暮らせるようにならなきゃ殺すなんて言われちゃって……もう不幸のドン底……」

鈴「あたしが何したっていうんだよ……うぇーん……」


空蜘「……よくわかんないけど、なんか大変そうだね」



空蜘「…うんうん、鈴の気持ちよくわかるよ」

鈴「ほんと? そう言ってくれるのうっちーだけだよー。みんなさ、なんかどんどん話進めようとしてさー、あたしの言うことなんて全然聞いてくれないわけよ…」

空蜘「可哀想な鈴ちゃん。私だったら鈴ちゃんの力になってあげられると思うの」

鈴「うっちー…! うっちーは元の世界のうっちーより良い子そうだ」

空蜘「……でもね、私今こんな状態だから」
ジャラッ

鈴「あー」

空蜘「…ねぇ、鈴ちゃん。お願いがあるんだけど」

鈴「おねがい?」

空蜘「この鎖、外してくれない? そうしてくれたら鈴ちゃんを今の状況から救ってあげる」

鈴「えー……でもうっちーって敵だったんでしょ? 悪い人だから拘束されてるんでしょー?」

鈴「そんな勝手なことしたら駄目なことくらいあたしにもわかるもん」


空蜘「…………ぐすっ…」


空蜘「…ちがうもん……っ、私……悪いことなんか、してないもんっ……ひぐっ……」


鈴「おや…?」

空蜘「何も…してないのに、ここの人たちは……私がただ蜘蛛の忍びだからって理由でっ……捕まえて、散々酷いことされてっ……ぐすっ……うぇぇんっ……」

鈴「そうなの…?」

空蜘「うん…っ、だから、おねがぁい……こんなかわいそうな私を、助けてぇ……?」


鈴「……」

空蜘「鈴ちゃん……おねがぁいっ……!」

鈴「んー、やっぱ無理。そらまるに信用しちゃ駄目って言われてるから」


空蜘「……チッ」


鈴「…ていうか自分だけは味方みたいなこと言っておいて、あっさり騙してくれちゃって……そらのくせにぃ…」


空蜘「…ほらね? 鈴ちゃんはここの連中に騙されてるんだよ。たしかに私は余所者だよ? でもだからこそ、鈴ちゃんの本当の味方って言えるんじゃないかなぁ…?」

鈴「んー、そう言われれば、そうなのかなぁ…」

空蜘「うんうん」

鈴「あ、でもあたし鍵なんか持ってないよ」

空蜘「なんとかして壊せるでしょ? 忍者なら」

鈴「いや、あたし忍者じゃないし…」

空蜘「…は?」

鈴「え?」

空蜘「ここの新入りって…」

鈴「まぁそんなのかもしれないしそうじゃないのかもしれないけど、あたし普通の人間だもん。声優だもん」

空蜘「じゃあ身体能力が高いとか術が使えるとか…」

鈴「あるわけないじゃん、そんなの」

空蜘「……チッ」

空蜘「ただの能無し、役立たずじゃん! 何しに来たの!?」

鈴「そんなのこっちが聞きたいよっ!」



空蜘「はぁぁ……術が使えればこんな鎖なんか余裕で壊せるのになぁ」

鈴「鎖付けられてると術は使えないんだ?」

空蜘「そういうわけじゃないけど……私の場合、封じられてるの」

鈴「封じられてる?」

空蜘「そ、蛇龍乃がそういうの扱えるみたいで。……忍びの術を封じられる術なんて反則だよね」

鈴「へー、それがじゃりゅにょしゃんの術なんだー。でもなんか地味…」

空蜘「…私が思うに、それだけじゃないんだよね。多分」

鈴「ん? 他にもいっぱい使えるってこと? すごっ、みんな何個も持ってるんだ?」

空蜘「まさかー、術を合わせ持つなんか普通じゃないから。でも聞いたことあるの……二つの術を持つ、『デュアル・トリック』の忍びが存在するって」

鈴「ふーん、さすがー、すごいんだねぇ。じゃりゅにょしゃん」

鈴「…ていうか喋っちゃっていいの? そういうのりっぴーは良くないって言ってたけど」

空蜘「別にー。蛇龍乃がどうなろうと私には関係ないし」

鈴「うーん…、やっぱうっちーは悪い人のようだ」


鈴「……もしや全員悪い人なんじゃ……そらも含め。よく考えてみれば忍者で良い人ってのも想像しづらい……偏見だけど」


鈴「あ、そうだそうだ。そらの画像を変な顔に加工するんだった」

鈴「あたしを騙すそらなんて超絶ブサイクになってみんなに笑われちゃえばいいんだよーだ」
ピッ


鈴「……ん……あれ?」


空蜘「手に持ってるそれ、なに…?」


鈴「…あたし、そらを撮ったはずだよね…? なんでそらじゃなくてぱいちゃんが写ってるんだろ?」


鈴「??」



空蜘「また無視してるし……おい」


鈴「スマホの故障? え、マジ……こんな場所に携帯ショップなんか無いし修理出せないじゃん」

鈴「さいあくー…」


空蜘「だから私を無視すんなってー! 死にたいの? 鎖で縛られてるからってナメてんだろ?」


鈴「…! 試し撮りしてみよう。まだ故障と決まったわけじゃない……うん」


空蜘「おいこらー! その目の下のでっかいクマに風穴開けんぞー!」


鈴「ふぁんふぁん、ふぁんたじー!」
ピッ


カシャッ…


空蜘「んっ! 眩しっ…、なんか光って…」

鈴「あれ? 今度は普通に撮れてる」

空蜘「てめーっ! いきなりなにすんだこら……え? あれ…」


空蜘「この感覚って、もしかして……」


空蜘「……術が、解かれた…?」







『忍法』、それは選ばれし忍びの心に蔓延る非情な謀

ある忍びは蜘蛛糸の術をめぐらせ、ある忍びは蛇毒の術をめぐらせる

大忍者時代

狡猾さを競いあう二つの忍び

その名を蜘蛛と蛇といった……


蛇龍乃の間



蛇龍乃「……鹿」

鹿「……なに?」

蛇龍乃「腹減った」

鹿「やだ」

蛇龍乃「……頭領命令。お前に任務を与える。私のために迅速にカップ麺を作ってくるのだ」

鹿「無理。つーかいつまでゲームやってるんの? はよ寝ろ。私も寝る」

蛇龍乃「ははは、世迷い言を。夜中は忍者にとってもゲーマーにとってもゴールデンタイムだ」
ピコピコ

鹿「あっそ。じゃあ私は部屋に戻って休むから」

蛇龍乃「やぁだーやぁだぁー! ラーメン食べたいのー! 今すぐ健康に悪いものを体内に摂取しなきゃ死ぬー!」
バタバタ

蛇龍乃「頭領の私が死んだらこの里の一大事だぞー! 無法地帯になるぞー! 妙州はスラム街みたいになってもいいのかぁー!」
バタバタ

鹿「コイツうるせぇ……そんなに食べたいなら自分でやればいいじゃん」

蛇龍乃「今、手が離せないから頼んでるのわかんない? 私の側近ならそれくらい察し……、ん?」

鹿「…? どしたの?」

蛇龍乃「…術が解かれたみたい」

鹿「ん?」

蛇龍乃「私が空蜘にかけてた術」

鹿「は? 冗談でしょ? あれ解除出来るの術をかけた本人……じゃりゅのんだけじゃん」

蛇龍乃「その筈なんだけど……どういうこっちゃ……?」

鹿「てかそれが本当なら、今頃空蜘は」


ガシャーンッ!!


鹿「…っ!?」

蛇龍乃「これはちょっとヤバいな。はぁ……まだ途中だったのに……しゃーない、行くぞ、鹿っ! 私につづ…うぉっ、ふぎゃっ…!」
バタッ

鹿「……」

蛇龍乃「うぅ…痛いよぉ……最近、まったく動いてなかったから筋肉が固まって…」

鹿「頭領以前にあんた本当に忍びかよっ!!」

蛇龍乃「すまんが、鹿。私を空蜘の所までおぶっていっておくれ……」



鹿「はぁっ…はぁっ…!」

蛇龍乃「これくらいでヘバんなよー」

鹿「誰のせいだ誰のっ…! ていうかなんで術解かれたのっ!? じゃりゅのんゲームばっかして忍びの仕事しないから術忘れちゃったんじゃないの…?」

蛇龍乃「そんなことはない、と思う……おそらく空蜘自身に何かが起こったのか、それか死んだか」

鹿「ああその線も考えられるのか…」

蛇龍乃「…でもさっきの破壊音からして、それは無いかな」




空蜘「…!」


鹿「あっ、いたっ! 空蜘、やっぱり脱走して……こっちに気付いたみたいだけど」

蛇龍乃「まぁ術を解かれたなら再度かけるまでよ」

鹿「頼むよ、ホントに。じゃりゅのんから術を取ったらただのニートなんだから」

蛇龍乃「任せろ」


空蜘「また私を封じるつもり? ふーん…、でもいいのかなぁ? この子がどうなっても」


蛇龍乃「あ…」

鹿「何やってんの、あの子…」


鈴「ぎゃー! 殺されるー! 助けてくださいー!」
バタバタ

空蜘「…大人しくして。殺すよ?」

鈴「はい…」


蛇龍乃「……」

鹿「……」



紅寸「なになにっ、今のすごい音っ!」

空丸「まさか敵襲とか? 私たち隠れてた方がよかったんじゃ…」

立飛「たしかあっちの方って空蜘が幽閉してある所」

牌流「……嫌な予感がする」



鈴「たーすーけーてーっ! 死にたくない死にたくないーっ!」
バタバタ

空蜘「黙れっつってんだろ」

鈴「あい…」


立飛「え……空蜘が、外に…」

紅寸「は、はわわわわっ…!」

牌流「マジか……しかもあの人質にされてるのって」

空丸「り、鈴っ!!」

立飛「鈴の首に巻き付いてるのって、空蜘の糸……てことは術使えてるってこと……?」


空蜘「あーあ、こんなに囲まれちゃった……あれ? あの人はいないの?」

鈴「あの人ってえみつんのこと?」

空蜘「だから喋るなって」
ペシッ

鈴「いてっ!」

空蜘「だったら好都合だね。やっと私にも運が向いてきたかも♪」


鹿「ヱ密がいないからってナメられちゃってんね、私たち…」

鹿「でもじゃりゅのんが空蜘の術を封じてくれたらこの人数で一気に畳み掛ければ」

立飛「うん、まぁなんとかなんじゃない?」


空蜘「…! 何企んでるの? 妙な動きしたらこの子殺すって言ったでしょ?」

鈴「ひぃーっ!」

空蜘「ふふっ、それでもいいの?」



鹿「全然いいよ」

立飛「まぁ、うん」

牌流「ごめんね、鈴ちゃん」

紅寸「もう空蜘に脅えなくて済むならそれも仕方無いかなって」


蛇龍乃「…おい、お前ら……」


鈴「ちょ、ちょっとっ、みんなぁーっ!?」

空蜘「……一瞬で見捨てられるとか、人質人選ミスったかも」


空丸「だ、だめだめー! いくら空蜘さんがイカれてるからって鈴を犠牲するとか」

空丸「まだ来たばっかりだっていっても鈴は私たちの仲間になるかもしれない子でしょっ!?」

紅寸「でもまだ仲間じゃないし…」

牌流「…うん」

空丸「い、一緒にご飯食べたじゃんっ、紅寸も牌ちゃんも立飛も! 鈴が仲間じゃないから簡単に見捨てるの? そんなんじゃもしまたこういうことが起こった時に誰も信用出来なくなる……私たちは家族同然でしょ? だったら信頼関係をもっと」

立飛「だから空丸は甘いんだよ。私たちは忍び……そんな信頼とか」

蛇龍乃「私も空と同じかな」

鹿「じゃりゅのん!?」

立飛「…っ」

蛇龍乃「空蜘はもう私のものだし。鈴ちゃんとも三日後までは殺さないって約束した。だから私の目の前で誰も死なせるわけにはいかない」


空蜘「……」

鈴「じゃりゅにょしゃん…」


蛇龍乃「さぁどうする? 空蜘。無抵抗な私たちを今ここで全滅させる?」


空蜘「……」


空蜘「……っ」


空蜘「……一緒に来て」
グイッ

鈴「きゃっ!」


ヒュッ…


鹿「に、逃がすかぁっ!」
シュッ

空丸「ちょっ、鹿ちゃんっ!」


空蜘「ぅあっ…! くっ…」
グサッ


立飛「ナイス、鹿ちゃん! このまま一気に」


シュルルルッ…


鹿「うぎゃっ…!」

立飛「ぐっ、あの体勢から攻撃とか嘘でしょっ…!?」

鹿「空蜘はっ!? なっ、速い、もうあんな遠くに…」


〈緊急ミーティング〉



蛇龍乃「……はい、皆も知っての通り。 空蜘が脱走し、鈴ちゃんが拐われてしまいました」


空丸「あの、空蜘さんはどうやって出てきたんですか? 明日までは拘束されている筈でしょ?」

紅寸「うんうん」

蛇龍乃「良い質問だ、空。二十破螺衝をあげよう」

蛇龍乃「…うん、一番の疑問はそこなんだよね。私自ら術を解除しなきゃあの鎖を空蜘が壊したりなんか出来る筈がないのに」

紅寸「誰かが外したとか? 裏切者がこの中に…?」

立飛「問題はそこじゃないよ、紅寸。空蜘は術を使ってた。ということはなんらかの方法で術を破った……鎖を外せたのは術を使えたからでしょ」

空丸「そう、考えるべきはどうやって蛇龍乃さんの術を破ったのか」

蛇龍乃「私は解いていない。空蜘が自力で術を破れるのならとっくに破って逃げていた筈」

紅寸「うーん、じゃあ……なんでだろ? よくわかんない」

立飛「私たちの中の誰かが何かしたとしてもあの術を破れるわけがない」

空丸「誰も蛇龍乃さんの術に敵わないし、そうなると……」

蛇龍乃「はい、ここで二つ目の疑問。どうして鈴ちゃんは真っ先に人質になってしまったのか」

牌流「…っ」

鹿「……」

紅寸「鈴ちゃんが一番弱いから?」

空丸「普通に考えれば近くにいたからだけど……鈴は部屋にいた筈だし」

立飛「勝手に抜け出したとか? 夕方も一人でうろうろしてたよね」

空丸「部屋から出るなって言っておいたのに…」

蛇龍乃「……」


蛇龍乃「…さっきから黙ってるそこの二人」


鹿「…っ」

牌流「ひゃ、ひゃいっ…!」

蛇龍乃「なーにーをー、隠してるのかなぁ?」


牌流「あ、えぇと…っ」

鹿「知らない知らない、何も隠し事なんか無いよ。ね? 牌ちゃん」

牌流「へ? あ、う、うんっ…!」


蛇龍乃「……」
ジーッ


鹿「……」
プイッ

蛇龍乃「……」
ジーッ

牌流「あ、ぁ……うぅ……ゃ……」

蛇龍乃「怒らないから話してみな?」

牌流「は、はぃ……あの、その……実は」

鹿「こ、こらぁっ…!」

蛇龍乃「鹿は黙ってろ。さぁ牌ちゃん、続けて?」

牌流「はい……」






蛇龍乃「お前ら……」


空丸「り、鈴を空蜘さんの所に閉じ込めた!? なんでそんなことっ!」

牌流「だ、だって鹿ちゃんがやれって言ったから……でもまさかこんなことになるだなんて…」

鹿「そ、そうだよっ、術が破られるなんか想像しないって…!」

蛇龍乃「しーかぁぁー……殺すなって何度も何度も何度も何度も言っておいたよねー?」

鹿「い、いや私はだから殺そうとしたわけじゃなくて、ビビって勝手に逃げ出してくれたらいいなーと…」

蛇龍乃「一緒だ、バカ。はぁ……いらんことやってくれたなぁ……」

鹿「でもっ、術がちゃんとかかってればこんなことになってないじゃんっ! ていうかそもそもの問題はそっちでしょ!」

空丸「…てことは空蜘さんを封じてた術を解かれる時、ずっと鈴は側にいたんだ……」

立飛「まぁそうなるよね。私が見に行った時は大人しくしてたし」


空丸「……もしかしたらさ、術を解いたのって、鈴なんじゃない?」


「「「はぁ…?」」」


紅寸「そもそも忍者じゃないんでしょ? 鈴ちゃんって」

鹿「あんな普通の子にじゃりゅのんの術が破れるわけないでしょ」

牌流「あ……」

空丸「まぁそんなわけないんだけどね……言ってみただけー」

蛇龍乃「実は私もそれ考えてたんだよね。…というか可能性を潰していけばもうそれしか残ってないし」

空丸「え?」

立飛「鈴が…? そんな、まさか…」

蛇龍乃「有り得ないとは思うよ。でもそれしか考えられないのも事実。だとしたら尚更このままにしてはおけないな…」


蛇龍乃「鹿、立飛。……お前ら、さっき私の命令に背いてたよね?」

鹿「ぎくっ…」

立飛「…っ」

蛇龍乃「空蜘に攻撃するなって言ってんのに、手裏剣投げたり襲い掛かろうとしたり……もしそのせいで鈴ちゃんが殺されたりしたらどうするの?」

鹿「あ、あれは忍びとしての性というか…」

蛇龍乃「もうお前の言うことなんか聞いてやらんもーん」

鹿「う、うぅっ……ごめんねぇ、じゃりゅのん……っ」

立飛「…ごめんなさい」

蛇龍乃「立飛は可愛いから許す」

立飛「わーい!」

鹿「おいっ!」



蛇龍乃「鹿、立飛。罰として二人には任務を与える」


蛇龍乃「空蜘と鈴ちゃん、この二人を殺さず生かしたままここに連れて帰ってこい」


鹿「マジで言ってる……?」

蛇龍乃「超マジ」

鹿「えぇー……まぁ、さっきの攻撃でけっこう深く抉った手応えあったからそんなに遠くには行ってないと思うけど……それでもこの山の中、探すのだけでも不可能に近いよ」

立飛「…それは大丈夫。追わせてあるから」

蛇龍乃「さすが立飛、えらいえらい」

立飛「でも、正直私と鹿ちゃんだけじゃ……鈴ちゃんを守りながら空蜘を戦闘不能に追い込むなんて」

鹿「そうだよ、せめてヱ密が戻ってきてから」

蛇龍乃「そんな悠長な時間は無い」

鹿「ちょ、じゃりゅのーんっ、いくら手負いといっても相手はあの空蜘なのわかってる!? 術もガンガン使ってくるだろうし」

蛇龍乃「うん」

立飛「うん、って……」

鹿「じゃりゅのんは私たちに死ねって言ってるの…!?」


蛇龍乃「……」


蛇龍乃「甘えるなよ、これはお前たちの失態だ。私に従わないのならあの時、空蜘をしっかり殺しておけ」

蛇龍乃「命令には背くくせに、対象は取り逃がした? この一族としても、忍びとしても失格だな」


立飛「…っ」

鹿「……」


蛇龍乃「さっさと行け。任務を完遂するまで戻ってくるな」


鹿、立飛「「…はい」」



空丸「あのっ、私も一緒に」

蛇龍乃「空はコイツらの足手まといになるから無理。紅寸と一緒に草むしりでもしてて」

空丸「……」



山中



空蜘「はぁっ、はぁっ……くぅっ……痛ぁっ、油断した……」


鈴「こんなに血が……大丈夫? うっちー」

空蜘「…別に、これくらいなんともない。糸で縫えば塞がるし」

鈴「だ、だめっ…」

空蜘「なに…?」

鈴「ちゃんと洗い流してからじゃなきゃ。もしバイ菌入ったままだったりしちゃ大変だよ」

空蜘「うっせーなー」

鈴「あたし、ちょっとどっかからか水汲んでくるから。痛いと思うけどそれまでそのままにしておいてね!」

空蜘「……逃げるつもり…? 別にいいけど、熊や狼に食い殺されても知らないよ」

鈴「…っ、が、がんばる……ていうか逃げないしっ!」

空蜘「ふーん、狼よりも私に殺される方がいいんだ?」

鈴「うぇ…、それもやだけど……でも、うっちーはね、私の元いた世界では大切な仲間だったの。だからここでも、そうなれたらいいよね」

空蜘「はぁ……?」

鈴「じゃあ行ってくるから待っててね! 勝手に縫っちゃダメだかんねっ?」
タタタタッ


空蜘「……変な子…」






『忍法』、それは選ばれし忍びの心に蔓延る非情な謀

ある忍びは蜘蛛糸の術をめぐらせ、ある忍びは蛇毒の術をめぐらせる

大忍者時代

狡猾さを競いあう二つの忍び

その名を蜘蛛と蛇といった……



鈴「ふぁぁ、疲れたぁ…」


空蜘「……ホントに戻ってくるなんて、よっぽど死にたがりなんだねぇ……鈴は」

鈴「はいはい、もうそれにも慣れてきたよ……足出して。洗い流してあげるから」

空蜘「あ、水? ちょっと貸して」

鈴「いいけど、自分で出来る? ほい」

空蜘「ごくごくごくっ……ぷはぁーっ! 妙州の水もなかなか美味しい」

鈴「ってなんで飲んでんのっ!? あたしがせっかく汲んできた水ぅぅ…!!」

空蜘「別にいいじゃん。もう一本あるんだし」

鈴「なんで知ってんの……これはあたし用の水として隠し持ってたかったのに…」

空蜘「……」

鈴「…ていうか簡単に飲んじゃうんだ」

空蜘「ん?」

鈴「いや、こういうのってさ、忍者なら毒が盛られてるかもーとか警戒するもんじゃないの?」

空蜘「…鈴はアホっぽいからそこまで頭回りそうにないし。身構えるだけ無駄」

鈴「あー、失礼なー! あたしだってこう見えても……もういいよ、傷口見せて」

空蜘「…ん」

鈴「ちょっと滲みるかも」
バシャッ






鹿「大体の位置は掴めてるんでしょ?」

立飛「うん、それは問題ない、けど…」

鹿「…? 空蜘の様子は? まだ移動してる?」

立飛「…ううん、さっきから止まってる」

鹿「そっか、なら今のうちに距離を詰めて……あぁぁでも戦うのこえぇよぉぉっ!!」

立飛「……」

鹿「立飛? さっきからちょっと不機嫌? 私、なんかしちゃった?」

立飛「……鈴が空蜘の傷の手当てしてる」


鹿「は? なんで?」

立飛「…知らないよ、そんなの」

鹿「……鈴…アイツってさ、もしかしたら蜘蛛の忍びなんじゃないの?」

立飛「……」

鹿「空蜘を解放する為に送り込まれたとか……だからじゃりゅのんの術も破ることができた……人質になってたのも鈴の自作自演と考えれば…」

立飛「でも鈴をあそこに持ってったのは鹿ちゃんでしょ?」

鹿「そうだけどー、でも怪しいじゃーん! …それにもし、鈴が素性を隠してて、本当に凄腕の忍びだったとしたら」

立飛「空蜘一人相手にするだけでもかなり無理あるのに、そうだったら間違いなく私ら死ぬね」

鹿「…よし、帰ろう」

立飛「任務放棄?」

鹿「ここから遠く離れた場所で、二人のんびり暮らそうか、立飛」

立飛「鹿ちゃん一人でどうぞ。みんなにはそう報告しとくね」

鹿「ちょっ、立飛っ! じょーだんだってぇー!」


立飛「多分、鈴は忍びじゃない……ううん、少なくとも敵じゃないと思う」

鹿「何を根拠に」

立飛「もしそうだったら、頭領ならとっくに見抜いてるよ」

鹿「あー、そうだねぇ……何かと目敏いから」

立飛「だからこそ、今回のは本当にイレギュラーなこと。鈴は仲間じゃないけど敵でもない」

立飛「……でも、私たちがこれから空蜘と一戦交えようとしてるのに」


立飛「さっきの鈴には、ちょっとムカついた」


鹿「……り、立飛、二人きりの時に機嫌悪くなるのやめて……私、傷付いちゃうから」



シュタタタタッ…



立飛「鹿ちゃん、待って」

鹿「ん?」

立飛「もうそろそろ。これ以上近付くと気付かれる。ここで作戦会議しよう」

鹿「…うん、そだね」



立飛「この山の中腹にある洞窟、そこに二人がいる」

鹿「洞窟かぁ……ぶっ壊して埋めちゃう?」

立飛「…任務。空蜘と鈴を生かしたまま里に連れて帰ること。空蜘はそれくらいじゃ死なないけど、鈴は間違いなく死ぬね」

鹿「あーもーっ! ただでさえ普通やっても勝てるかわからない相手に、そんな縛りプレイとか難易度高すぎっ!」

立飛「でもやるしかない」

鹿「こういう時、頼もしいよね、立飛は。何か素晴らしい作戦あるのっ?」

立飛「無いよ、鹿ちゃん頑張って」

鹿「……」

立飛「…でも、まぁ付け入る隙があるとすればやっぱり空蜘が負ってる傷かなぁ。治療したといってもすぐには万全にはならないと思うし」

立飛「えっと、たしか足の…」

鹿「左太股の裏側。かなり深く抉ってやったから長期戦になれば少しは有利になるかも…、ならないかも……それまでに瞬殺されてるかも……うぁぁ……」

立飛「鹿ちゃん、自信もと…?」

鹿「うんっ! 私、精一杯頑張るね!」

立飛「急にどしたの…」

鹿「まぁこっちは二人っていうアドバンテージをなんとか生かして」

立飛「うん、それとさっきみたいに鈴を人質に取られるだけで私たち何も出来なくなっちゃうから。まずは空蜘から鈴を離して……本格的に戦うのはそれからだよ」

鹿「それが難しいような……」

立飛「空蜘が鈴にどれだけ…っ、痛っ…」

鹿「立飛っ!?」

立飛「…平気。追わせてたのが殺られちゃっただけ」



シュルルルッ…

ザクッ!!



鈴「ぎゃぁぁーっ!! ……あれ? 痛くない…?」


ポトッ…


鈴「へ? ひぃっ、こ、こーもり……?」

空蜘「……チッ」

鈴「あ、あたしお腹空いたっていっても、さすがにコーモリは…好まないというかなんというか」


空蜘「……来る」


鈴「クル? へ? 誰が」

空蜘「多分蛇の連中でしょ。はぁー、めんどくさ」

鈴「え? 戦うの? その傷で…」

空蜘「別にこれくらいなんでもないよ。蛇は二人を除けば残りは雑魚だし……あれでしょ? 蛇龍乃は里を離れられないだろうし、頼みの綱のもう一人は不在」



ザッ…


空蜘「…! ……あはっ、ああもう一人いた……うんうん、キミとは一度戦ってみたかったんだよねぇ♪」


立飛「……こんばんわ」


鈴「りっぴー! 助けにきてくれたのー?」


立飛「……」


鈴「あ、あれ……なんか睨まれてる……?」


空蜘「まさか一人で来たわけじゃないよね?」

立飛「さぁね?」

空蜘「…本気で私に負けないって思ってる顔だねぇ……おもしろい」



【立飛 VS 空蜘】



立飛「…行くよ。はぁぁっ!」


シュタタタタッ…


立飛がその足で大地を蹴る。

空蜘との間合いを一瞬にして詰め、懐に忍ばせていた短刀を抜いた。


立飛「ふぅっ!」


空蜘「…遅い」
ヒュッ


予備動作も無しに、立飛の視角から姿を消す空蜘。

そして次の瞬間には無防備になっていた背後から現れ、鋭い蹴りを放った。


立飛「くっ…!」


驚異的な反射速度で身を捩り、寸前で避けるも。
既にそこには空蜘の姿は消えており。

間髪入れず、次は真上から手刀を繰り出す。


立飛「くぅぁっ…!」


不利な体勢ながら自ら地を転がり、これも避ける立飛。

が、更なる追撃が襲ってくる。


空蜘「えいっ!」


鎌鼬なさがらに、勢いよく振り抜かれる腕。

立飛は即座に両手で防御するも、衝撃を受け止めきれず……吹き飛んだ。


立飛「ぐっ、うぁぁっ…!!」



立飛「はぁ……はぁ……っ」


空蜘「あれ? この程度なの?」


空蜘「ちょっとガッカリかも。もう少し楽しませてくれると思ったのになぁ…」


立飛「…だから言ったでしょ、買い被り過ぎだっ、てっ!」
ヒュッ


空蜘目掛け、手裏剣を投げる。

しかし、それをあっさりと避ける空蜘。


立飛「……」


空蜘「試してるの? 怪我、なんともないよ? じゃあ今度はこっちから仕掛けてあげようかな」
ヒュンッ

立飛「…っ!」


風を切るように立飛へと詰め寄る空蜘。

立飛も背後へ飛び、距離を取る。


が、またしても空蜘は消え……緊張感の欠片もない甘い声は後ろから立飛の元へ届いた。


空蜘「だからぁ、遅いんだって」

立飛「こ、のっ…!」


立飛の足が地に着く間も取らせないほど、常人離れした空蜘の速さ。

いくら忍者といえど、空中でその進路を変えるなど不可能。

振り向く暇さえ与えてはくれない。
立飛は聴こえた声の在処、背後へと短刀を突き立てた。


空蜘「へぇ…」


が、その短刀は空蜘を捉えることは叶わず空を掠める。

闇雲に伸ばされた立飛の腕は、空蜘にとっては格好の獲物だ。

空蜘の手がそっと立飛の腕に触れる。

そして、少しの力が加わっただけで。


バキッ──!!


立飛「ぁぁあああっ、ぐぁぁっ…!!」


短刀がその手から溢れる。

更に空蜘は立飛の首を掴み、力任せに投げ飛ばした。



立飛「ぁああ……うぅっ、くっ……はぁっ、はぁっ……」


空蜘「くすっ、すっごい痛そうな音してたけど、大丈夫?」

空蜘「あ、そうそう。さっき貰ったコレ、やっぱいらないから返してあげるね」


ヒュッ…


空蜘が先程奪った短刀を立飛へと投げ付ける。

一直線に飛んでくるそれは、うずくまったままの立飛の服を掠め、首から僅か数センチ横の地面へと突き刺さった。


立飛「…っ、はぁ、はぁっ……」






鈴「う、うっちー……やめてよ……りっぴーが死んじゃうっ…!」


空蜘「うん、殺そうとしてるんだよ?」


鈴「おねがいっ、もうやめてっ! りっぴーも逃げてよ……あたしのことなら、もういいからっ…」



立飛「はぁっ……はぁっ……、任務じゃなかったら、誰もこんなことなんか、してないって……」


立飛「鈴を、助けることもっ……私は、別に…」


立飛「しかも、さぁ、あはは……向こうは殺す気満々なのにっ……こっちは殺さず、生かして連れてこいだなんて……」


立飛「無理難題言うんだもん、うちらの頭領は……ははっ…」


空蜘「あはっ、なにそれ……殺そうと思えば殺せるけど、手加減してるってこと?」


立飛「…まぁ、そんな感じ…?」


空蜘「よくその状態で冗談なんか言えるよね。すごいすごい」

空蜘「でも……冗談だとしても、ナメた口利いてくるのはちょっとだけ頭にきたかも」


立飛「はは……ナメられるのは嫌い? うん、実は私もなんだよね」

立飛「ぅ……くっ…!」


ヒュッ…


地面に刺さっていた短刀を抜き、空蜘へと投げ返す。


空蜘「……」
パシッ


空蜘は眉一つ動かさず、立飛から放たれた短刀を掴んだ。


空蜘「……やっぱ頭にくるなぁ……弱いくせに」

空蜘「何考えてんだろ? まさか本当に私に勝てるとでも思ってる? まぁ無策で挑んでくるわけがないよね」

空蜘「…今のところは、無策としか考えられないけど。何を隠してるの?」


立飛「……」


空蜘「答えるわけ、ないよね。じゃあこうしてみよう」


立飛「…っ!?」


空蜘「こんなショボい刀、要らないって言ったでしょ?」


ヒュッ…


鈴「え……」


空蜘が投げ放った短刀。

それは立飛ではなく、鈴へと狙いを定められたものであった。


立飛「あ、や、やばっ…!」


空蜘「ふふ……さて、」



鈴「なっ、ぇ……いゃっ、ゃああぁぁぁっ…!!」


ただの声優である鈴に超速で飛んでくる短刀を避ける術などありはせず。

それどころか恐怖で足がすくみ、動くことすら出来ない。


死んだ──。


そう、鈴は生を諦めた。


目を瞑り、死を覚悟した瞬間。


キーンッ──。


鈴の喉元を突き刺す筈だった短刀は何者かによって阻止された。



鈴「……っ、……ぇ……へ……?」


空蜘「…ほぉら、やっぱり鼠が潜んでた」



鈴「し、しかちゃ…、しかちゃぁんっ! ありがとうぅぅっ…! あたしっ、死んじゃうかと思ってぇっ…」

鹿「か、勘違いしないでよねっ…! あんたが死ぬと私がじゃりゅのんに殺されちゃうの……だから仕方無くなんだから!」

鈴「ツンデレ?」


鹿「ごめん、立飛。作戦パァになっちゃった」


立飛「ううん、今のは、しょうがないよ…」


鈴「ていうかシカちゃんいたならもっと早く出てきてりっぴーを助けてあげてよっ!」

鹿「だからぁっ、作戦だったんだって! もう使えないから普通に戦うしかない、か…」

鹿「その代わりにこれで二対一になったわけ、だけど…」



立飛「はぁっ……はぁっ……」


鹿「…立飛があそこまで深傷負わされるとは……それに加え、空蜘はまだ術も使ってないときた……」

鹿「……この状況であの化け物に勝つとか……無理じゃない?」




~回想~



鹿『追わせてたのが…って、それ私ら気付かれたってこと?』

立飛『うん、多分』

鹿『マジか…』

立飛『急ごう、もし動かれたら行方追えなくなっちゃう』

鹿『えっ、まだどう戦うかも決めてないじゃん…』

立飛『んー、とりま私が空蜘と戦うよ』

鹿『立飛とかいう勇者』


立飛『で、鹿ちゃんがこれこれああやってこうなったらこうしてー、そこで私がずぎゃーんって、みたいな?』

鹿『立飛とかいう愚か者』

立飛『てのは冗談として…』


立飛『……最悪、アレがあるから……私には』


鹿『……そんなこと、私がさせない』

立飛『…うん、期待してるよ。鹿ちゃん』


鹿「絶対に私が、させない……」


鈴「シカちゃん…?」

鹿「……鈴。ちょっと訊きたいことあるんだけど」

鈴「えー…スリーサイズは無理だよ?」

鹿「お前のなんかこれっぽっちも興味ねーよっ!」

鈴「うぅっ、どいひー……この世界のシカちゃんってどんだけあたしのこと嫌いなの……」


鹿「単刀直入に訊くけど、じゃりゅのんが空蜘にかけてた術を破ったのって、鈴…?」


鈴「へ? 術……?」

鹿「空蜘は鎖で拘束されてたでしょ? なのに私たちが見た時には鎖は壊されてた…」

鈴「あ、うん……壊してた」

鹿「術が解かれない限り、空蜘が自力であの鎖を破壊するとか無理なの。あの時、何があったの? 鈴が何かしたわけじゃないの…?」

鈴「あたし? あたしは別に何も……術とかよくわかんないし」


鈴「…うん、スマホで写真撮っただけだよ。あ、そういえばうっちー、怒ったかと思えば、すぐに笑い出してたような…」




鹿「スマホデシャシン??」




【立飛、鹿 VS 空蜘】



ウォォォォォン……



鹿「……」


立飛「……」


鈴「ひっ……熊や狼とか言ってたけど、ホントにいるんだ……」
ビクッ

鹿「そりゃいるでしょ。妙州の山に生息する獣は一際狂暴。迷い込んだ人間を食い殺したって話もよく耳にするね」

鈴「うぇ…、なんかあったら助けてね、シカちゃん」

鹿「うんっ! やだー!」

鈴「ガビーン…」

鹿「それくらい自分でなんとかして。私もこれから立飛と一緒に空蜘と戦うんだから。ていうかマジでナメられてるなぁ…」


空蜘「……」


鹿「…本当は私と立飛で鈴の前に立つカタチにしたかったのに。正直ここで追撃されてたら終わってた。まったく仕掛けてくる様子がないってことは、ナメられまくってるねー……まぁその方がありがたいけど」


鹿「さて、鈴」

鈴「はいっ」


鹿「私、もう守ってやんないからさっきみたいなことにならないように奥の方に隠れててよ」

鈴「う、うん……でもシカちゃんたちは」

鹿「私らの弱点になるなって言ってんの。鈴が自力で里に戻ってくれればそれが一番良いけど、途中で獣に襲われて殺されちゃったりしたら任務失敗になるから……はぁ、めんどくさ」

鈴「…うん。死なないよね……? シカちゃん」

鹿「鈴なんかに心配されるとか……。私を誰だと思ってんの?」

鈴「じゃりゅにょしゃんのお世話係?」

鹿「だ、誰がっ! ナンバー2と言えっ!」

鈴「おぉ、なんかすごそう」

鹿「ったく……んじゃ行ってくるから、もう狙われたりしないでよね」



鹿「……」


立飛「……」
コクッ



鹿「はぁぁぁっ!!」


鹿が空蜘の元へと突っ込む。

空蜘は依然として立飛の方を向いており、鹿が迫る背後は無防備とも思える、が。


鹿の攻撃が触れる寸前。

ゆらり──と。

空蜘がやっと反応を見せる。

そして、

振り向き様の掌底突き。


ドスッ──!!


それはものの見事に鹿の腹部へと決まった。



鹿「ぐぉっ…!!!!」


短い悲鳴と共に、物凄い勢いで吹き飛ぶ鹿。


鹿「い、痛ぇぇ……げほっ、げほっ……し、死ぬ……もう、無理……」

鈴「弱っ!! シカちゃんめっちゃ弱っ!!」

鹿「うっ、せぇ……ちょっとっ、黙って、ろ……ぜぇ、ぜぇ……」


空蜘「…ほんとほんと、なぁに? 今の。手応え無さすぎー」


鹿「はぁっ、はぁっ……ていうか、さっきから……私ら相手だと、術を使う必要も無いってか……」


空蜘「だって弱すぎるんだもん。そこそこやるのかなって思ってたそこの子も、もう右腕ぶっ壊してあげたし。これ以上は楽しめなさそうかなぁ」

空蜘「うん、つまんないからそろそろ殺してあげるね」


鹿「……だって。言われてるよ? 立飛」


立飛「だったら、少しくらいは楽しませてあげないと、ねっ!」



立飛の瞳に再び闘気が灯る。それと同時に──。

闇の中、森の奥──その両脇から二匹の狼が飛び出してきた。

そして二つの牙はそれぞれ別の方向から空蜘を襲わんと迫り来る。



空蜘「……術? ふーん、でもまぁこれくらい」


まず、空蜘の右側から狼が首筋に噛み付こうと飛び掛かるも。
これをいとも簡単に片腕で薙ぎ払う空蜘。


バシッ──!


すると反対側から別の狼が地上を這うように低い体勢から空蜘の左足を狙う。

これも蹴り飛ばそうと左足を振り抜くが、そこで音も無く背後から飛んでくる手裏剣に気付く。

そう、この手裏剣。鹿が放ったもの。



空蜘「チッ……うざいっ」


空蜘は手裏剣を避けるべく、屈みつつも器用に左足で狼を蹴散らす。


ドゴッ──!!


そこで終わったかと思いきや、いつの間にいたのか。



空蜘「…っ!」


空蜘の間合い内には既に立飛の姿があった。


完全なる死角、上空、斜め上からの攻撃。

一方の空蜘は今まさに屈もうする動作の最中の無理な体勢下。


討ち取った──。


一瞬はそう確信した立飛だったが、次の瞬間には全身に強烈な殴打を食らい、またしても空蜘の肌にすら触れることを許されなかった。


ドスッ──!!


立飛「ぁぁぐっ…ぅぅ!!」



完璧なタイミングだった。

辛うじて反応は間に合ったとしても、あの体勢からでは腕も足も立飛へは届かない筈。

立飛自身も反撃の想定はしていた。
それに対処する策も一応ながら用意はしていた。

……が、立飛を襲った攻撃は有り得ない角度からのものであった。

腕でもなく、足でもない。ましてや飛び道具を使わせる暇など無かった。


なら、何故──?


残った可能性は一つ……そう、術。


立飛を襲った衝撃こそ、空蜘の術によるものであった。


躰から生成させる糸を自由自在に操る──それこそが空蜘の術。


今の場合、一瞬にしてその糸を何百、何千にも編み上げ、棍のようなものを造り上げたのである。


空蜘「チッ……油断した」


術を使わせられたことに憤りを覚えつつ、安堵を見せる空蜘に対する攻撃はまだ止まない。

最初に払われた狼がまたしても空蜘に襲い掛かる。


空蜘「ただの獣のくせにしつこいっ!」


糸を編み込み、展開したままだった元は糸の棍を操り、狼を迎撃する。

狼はそれに対抗する術を持っているわけなく、あっさりと倒され、今度こそ確実に息を絶たれたわけだが。


そこに一つの影──。


ザクッ──!!


空蜘「うぁっ!? ぎゃぁぁっ──!!」


この戦いが始まってから初めて耳にする、空蜘の悲鳴が広き森に響き渡る。




鹿「ふぅー……立飛、今は私より弱くなってんだからあんま無理しちゃ駄目でしょ」


空蜘の左の太股には、くないが深々と突き刺さっていた。

妙州の里で空蜘が負った傷、それと同じ箇所を鹿が狙ったわけだ。



空蜘「はぁっ、はぁっ、はぁっ……うぅぅぁぁああ……っ」



鹿「…っ、そんなことしても無駄……もう手遅れだから。認めたら? 私らの勝ちだって。これが本物の毒だったら、とっくに死んでたのわかるでしょ……?」


空蜘「……っ」



立飛「はぁ、はぁ……上手くいったね……」

鹿「普通にやっても勝ち目ないからね……なんとか不意を付けてよかった。さすが私」

立飛「…でも、まだ油断しちゃ駄目だよ」

鹿「わかってる。あの状態でも術を使えるって、やっぱ化け物だ…」

立飛「ここからが、本番……なんとかして空蜘の意識を飛ばさなきゃ」

鹿「次は睡眠薬でいく?」

立飛「それでいこう」

鹿「あの術をどうにか避けつつ、掠り傷でも与えられれば……うん、空蜘は動けないからなんとかなるか、な…」

立飛「し、鹿ちゃんっ!! 後ろっ!!」

鹿「なっ!? くぅっ…!!」


立飛の咄嗟の声により、ギリギリで飛び退き、攻撃を避けた鹿。

……攻撃? 誰の?

そんなものは一人しかいない。

先程の場所に踞っていた空蜘はもうそこには居らず、立飛と鹿がさっきまでいた場所。

そこに姿はあった。

そう、攻撃を仕掛けてきたのは空蜘自身。


糸を使ってのものではなく、身体そのものを使い、飛び掛かってきた。

術の展開については立飛は充分に警戒はしていた。

ただ、有り得ないことが起こったせいで、その反応が遅れてしまったのだ。



鹿「はぁっ、はぁっ……ごめん、助かった、立飛」

立飛「ううん、でも……」

鹿「なんで動いてるの……? 間違いなく、麻痺は効いてる筈なのにっ! 空蜘の躰に抗体があった、とか……」

立飛「違うと思う……だって、その証拠に」



空蜘「はぁっ……はぁっ…、はぁっ……チッ……ぁぐっ…、ふぅ、ふぅっ……!」



立飛「相当、無理してる…」

鹿「じゃあなんで…!? 身体の神経を直で麻痺させてるんだよ? そんなの精神力でどうにか出来るわけが」

立飛「……術」

鹿「え…?」

立飛「身体の神経すべてに糸を通して、それで無理矢理に筋肉を操ってる…」

鹿「う、嘘でしょ……」

立飛「信じられないけど、それしか考えられなくない…?」

鹿「……っ、まぁそれならそれで、向こうから近付いてきてくれるから、睡眠させる機会が増えるとポジティブに考えれば」

立飛「来るよっ!」

鹿「うぉっ! 危なっ…」


またしても間一髪で避ける。


……が、次は飛び退いた末の着地の間を与えず、空蜘が超反応で追撃に移る。

狙いは、鹿。


鹿「や、やばっ…」


ズドッ──!!


鹿「ふぎゅっ、うぁぁああっ…!!」


繰り出された掌底が鹿の躰の真ん中を打ち、その衝撃から肋骨が数本破壊された。



立飛「鹿ちゃっ…、このぉっ!!」


立飛が攻撃を終えたばかりの空蜘を狙う。

……が。


グサッ──!!


立飛「ぅあっ、ぐぁぁあああああっ……!!」



失策──。

これまでどんな局面においても常に冷静でいた立飛の初めてのミスだった。

空蜘は身体の内側で術を展開している状態。

だから、外へ放つ術は無い、と。

結果、それは完全なる思い違いだった。


一瞬にして編み上がった槍は、非情にも立飛の腹部を貫いた。



空蜘「はぁっ、はぁっ、はぁっ……くっ、ぅあ……ッ、きゅ……ふぅっ……!!」



鹿「ぁ……かはっ…、はぁっ……ひゅ……ぅっ」


立飛「ぅ…ぎゅ……ふぅっ、はっ、げほっ、げほっ…! ふぅっ、ふぅっ……!」



空蜘「はぁっ、はぁっ、はぁっ、はぁっ……!」


本来なら動く筈のない筋肉を術により無理矢理に酷使させているのだ。

空蜘自身の負担も尋常ではない程に大きい。

しかし、それでも空蜘は尚も自らを操ることを止めない。


空蜘「ぁ……ふうっ……きゅ…ッ、こ、ろす……!」


立飛「げほっ、げほっ……はぁっ、うぐぅ……ぁあ……ぁ……っ」


空蜘が狙いを定めたのはもう既に満身創痍の立飛。

痙攣しきった全身の筋肉を無視し、ふらふらと近付く。


殺される──。


そう、本能的に悟った立飛。

だが、逃げようにも身体が言うことを聞いてくれない。


立飛「……ははっ、ここまで、かぁ……」


立飛「私が、殺されたら……次は、鹿ちゃん……っ、で、その後は……鈴……これはまぁいいや……はは……」


立飛「させない……、どうせ、死ぬのなら……あんたも、道連れ……」


空蜘「……っ!?」



ドクン──。


立飛の瞳が緋色に染まる。


ドクン、ドクン──。




鹿「ぁ……あぁっ、だ、だめっ……やめて、立飛……」



~回想~



立飛『はぁー、疲れたぁー』


蛇龍乃『おー、その術もかなり完成されてきたみたいだね。さすが立飛、偉いぞ。優秀だー。だが……』

立飛『えへへー……ん?』

蛇龍乃『自分の意識を分散して他の何かに移し制御する術、か……何度も聞くようだけど、負担はどのくらいあるの?』

立飛『えっと、その対象によるんだけど。敵の尾行や監視、情報収集に使える蝙蝠なら意識を5%くらい注げば済むかなぁ』

立飛『戦闘にも使える獣だったりするとその容量はもう少しだけ増えて10~15%……多くても30%くらい?』

蛇龍乃『……一つ一つは少なく済むとしても同時に使えば負担は大きくなるだろ?』

立飛『うん』

蛇龍乃『そして術を使用中…意識を注いでいる対象が攻撃を受ければそのダメージは立飛にも及ぶ』

立飛『あ、うん……でも別に痛みは生じるけど傷ができるとかじゃなくて、なんていうんだろ? んー、精神に干渉されるみたいな?……自分でも上手く説明出来ない…』

蛇龍乃『強力な術だが使い方を誤れば身を滅ぼすからくれぐれも気を付けるんだぞ? 私の可愛い立飛にもしものことがあったら、私は…わたしはぁっ…!』

立飛『そ、そこは自分でちゃんと考えてるから大丈夫! どんなに使ったとしても意識の30%は残しておかないとこの身体で活動できなくなっちゃうからね』

蛇龍乃『…ん、まぁ立飛はかしこくてかわいい子だからあまり心配はしてないんだけど』


蛇龍乃『……もう一つだけ訊いていい?』


蛇龍乃『その術、人間に使うことは可能……?』


立飛『……可能、だとは思うけど……それだと私の意識、全部注がなきゃ無理だと思う。それに使用時間も極端に短くなる』

蛇龍乃『使ったことあるの?』

立飛『ううんっ、対象が動物の時と感覚としては同じだと思うから……そこから想定すると』

蛇龍乃『ああ、そっか……うん』

立飛『あと人が対象の場合、その人が強い弱いに関わらず意識全部が必要だから……あー、相当精神力が強い人だと完璧に制御することは難しいかも…』

立飛『うーん、よくわかんない。ごめんね?』

蛇龍乃『いやいいよ。誰も人間に使えなんて言ったりしないから。というか……絶対に使うなよ』

立飛『うん』

蛇龍乃『ぜったいのぜったいのぜーったいにね?』

立飛『わかってるよー!』



立飛「ごめんなさい……約束、守れなくて……」


ドクン──。


立飛「…あ、また命令無視しちゃった……あはは、私……全然、優秀なんかじゃ、ないよ……」


ドクン──。


立飛「みんなして、買い被りすぎ……はぁ、はぁっ……でも、私が、守る……私なら、鹿ちゃんを守れる……」


ドクン、ドクン──。


立飛「…私にしか、出来ない……」



鹿ちゃん、信じてるよ。

今のこの状態の私じゃ、空蜘を完全に制御するなんてとても無理。

でも、

数秒くらいなら、どうにかしてみせるから。

その間に、なんとかしてよね。


信じてるから、ね……。


立飛「ばいばい……っ、鹿ちゃん……みんな」


ドクン、ドクンッ──!


立飛の瞳が緋色に満たされた。

そして、その瞳が向けられた先──空蜘の瞳に緋色が移る。


……その瞬間。



鹿「や、め、ろぉぉぉぉぉっ!!!!」


無謀にも単身で空蜘に襲い掛かる鹿がいた。


空蜘「はぁっ、はぁっ……じゃ、まっ!!」


ドゴッ──!!


鹿「ぐぁあああっ…!!」


やはり敵う筈もなく、いとも簡単に返り討ちに遇う。

だが。


鹿「ぐぅっ、ま、まだまだぁ…!」


即座に起き上がり、またしても空蜘に攻撃を仕掛ける。



鹿「ぁぐっ、はぁっ、はぁっ、げほっ、げほっ…!!」


何度倒れても起き上がり、無謀な攻撃を続ける鹿。

幾度と無く全身を殴打され、傷だらけ。

立ち上がれるのが不思議なくらい。

それでも──、

立飛を死なせない、という想いからか諦めることはしなかった。



立飛「し、鹿ちゃ……なに、してんの……馬鹿なの……?」


鹿「はぁっ……はぁっ……柄にもないことしてっ、私って……かっけー……げほっ、げほっ…!」

鹿「…だからっ、まだそれは使うなよ……私が、なんとかする、からっ…」


立飛「ば、ばかっ…! 私は、鹿ちゃんを死なせないようにって…」


鹿「はは……私も、同じ……立飛を、死なせたり、しない……ぜったいのぜったいの、ぜーったいに……ね」


立飛「ば、ばかぁっ! ほんと鹿ちゃん馬鹿っ! 状況わかって言ってるの…!? このままじゃ二人とも死んじゃうんだよっ!?」


鹿「だーかーらー……私も死なないように、善処してんの…」



空蜘「くっ、いい加減っ、しつこいなぁ…! はぁっ、はぁっ、はぁっ……うぅっ、ぐぅぅ…!」


空蜘の酷使され続けてきた躰が悲鳴を上げ始める。

不意に動きが鈍くなった瞬間を鹿は見逃さなかった。


鹿「り、鈴ーっ…!!」


鈴「は、はいぃっ!」


鹿「あれやれ、あれっ! なんか忘れたけど、ま…マホーなんとかってやつ!」


鈴「わ、わかった! じゃあ撮るよー? シカちゃん笑って笑ってー」


鹿「って私に向けてどうすんだよっ!! うぅっ、げほっ、げほっ…! 真面目にやれっ、真面目に!」


鈴「あ、うっちーにか。ほんとに効果あるのかなぁ……けど、シカちゃんが言うから」


鈴「ふぁんふぁんふぁんたじー!」
ピッ


カシャッ…


空蜘「…っ!? ぇ……なっ……!」



~回想~



鹿『スマホデシャシン…ってなに?』


鈴『なにと言われても、もうこれ以上ないくらいにそのままなんだけど……』

鈴『んー、シカちゃんにもわかりやすく説明すると』

鹿『……』

鈴『あ、でもこれ今悠長に言ってる場合? りっぴー、死にそうになってるよ?』

鹿『全員死なないように聞いてんのっ! 早くしろ。もしかしたらそれで本当に空蜘の術が破れるかもしれないから』

鈴『うぅ……バイオレンスシカちゃん……』






鹿『す、すっげー……! それ場面を一瞬で絵に残せるの? 鈴の術?』

鈴『いや、私の世界ではみんな持ってるよ』

鹿『はぁ? 私の世界って……鈴は外国人とか?』

鈴『純粋な日本人だよ。タイ人でもよかったけど』


鹿『…まぁとりあえず、これを使った時に牌ちゃんの術を見抜いて、空蜘の…あ、いやじゃりゅのんの術を解いたんだよね…』

鈴『まぁそうなんだけど、でも本当にそうだったらちょっとおかしいの』

鹿『おかしい?』

鈴『じゃりゅにょしゃんの術が解かれたのはいいとして、そらまるのふりをしたぱいちゃんを撮った時にさ、画像にはぱいちゃん写ってたの』

鹿『それのなにがおかしいの? 術を破ったならそうなんじゃない?』

鈴『いや、まぁそうなんだけどさ、うっちーの件からしたら撮った瞬間に術が解けるんでしょ?』

鈴『だったら、私がそらまるを撮った時にぱいちゃんに戻ってるはずじゃないの?』

鹿『ん? んん……たしかに、そうだね……鈴って実は頭いい…?』

鈴『みんなにアホ扱いされてけっこう傷付いてんだからねっ!』

鹿『…まぁいいや。百聞は一見にしかず……ちょっと私の術破ってみて』

鈴『えぇと……撮ればいいだけ、だよね? おっけー』


カシャッ…


カシャッ…


カシャッ…



鈴『……まだやるのー?』

鹿『…いや、もういい』


鹿『ふむ……本当に術を破れるとか……未だに信じられない。けど、どーにもなぁ……』

鹿『成功したり、失敗したり。そんな不安定な術なの…? これじゃ博打になっちゃうじゃん』

鈴『そう言われましても…』

鹿『なにか規則性だったり、条件を満たさないといけないのかなぁ…』


鈴『うーん……これが成功した時で、こっちが失敗……で、こっちが成功……ん?』

鹿『なにかわかった?』

鈴『わかった、のかなぁ……一つ気付いたんだけどね。成功した時は綺麗に写ってるけど失敗した時は微妙にぶれてるの……んー、そんくらい?』

鹿『…そのぶれるっていうのは? どういう時に起こるの?』

鈴『写真に写る人が動いてたり、逆に撮る人…私の手が動いてたり』

鹿『ならちゃんと撮れよバカ!』

鈴『シカちゃんが動いたのかもしれないじゃーんっ!』


鹿『……てことはあんな半端ないスピードで動きまくってる空蜘を撮っても意味はないってことか』

鹿『というかそもそも空蜘は術使ってないし……』

鹿『……まぁでもこれから先、もしかしたらそういう機会は巡ってくるのかも。じゃあ、鈴』

鈴『…ん』

鹿『私が合図したら空蜘の術を破れ』

鈴『……』

鹿『鈴……?』

鈴『……うっちーを殺すの? だったら嫌だよ……あ、もちろんシカちゃんやりっぴーが死んじゃうのも嫌だけど』

鹿『……』


鈴『殺すつもりなら、私は協力しない』


鹿『お前……そんな甘いこと』

鈴『……』

鹿『……殺さないよ。つーか殺せない、殺すわけにはいかない。そういう任務だからね』

鈴『うん、わかった』


鹿『……』



カシャッ…


立飛「え……なに…? 光が……」


鹿「空蜘はっ…!」



空蜘「ぁ……ぐぁ、はっ……ふぅぅ……な、なんで……っ」
バタッ


文字通り、糸が切れたようにその場に崩れ込む空蜘。

それもその筈。

身体中に巡らされていた術……糸が鈴によってすべて消失してしまったのだ。

誤魔化されていた筋肉のダメージが何十倍にもなって空蜘へとのし掛かってくる。

もはや指先一つ動かすことすらままならない。

これまで立飛、鹿、二人の忍びを置き去りにするほどの圧倒的な速さで宙を翔ていた蜘蛛は、地に伏すカタチとなった。



鹿「はぁ……上手くいった……」


立飛「なに……? どういうこと……?」


鹿「こればっかりは鈴のおかげ……悔しいけど」


立飛「鈴が……? 全然、わかんないし……」


鹿「後で、ゆっくり話すから……とりあえず、今は…」


立飛「…うん」



空蜘「──」



鹿「死んで、ないよね……?」

立飛「気は失ってるのかな……」


鹿「はぁぁ……生きてることが不思議だよ……」

立飛「ね、今回ばかりは死ぬかと、思ったぁ…」

鹿「……さて、問題はどうやってこの空蜘を連れて帰るか、だけど」

立飛「……私、無理かなぁ……自分一人で精一杯……シカちゃんだってそうでしょ…?」

鹿「あー、うん……誰か応援呼ぼっか」

立飛「じゃあ里に連絡を……探せばそこら辺に蝙蝠の一匹くらいいるでしょ…」

鹿「よろしくー……はぁぁ、疲れたぁ……」

立飛「私も……」

鹿「あ、その前に……一応空蜘を拘束しとこっか。立飛、縄かなにか持ってる?」

立飛「あ、うん。たしかあったはず……」


空蜘「──」



鹿「はぁっ、はぁ……さて、これでとりあえずは、任務完す─」


グサッ──!


鹿「ぃ…ぁきゃ……っ、はぁっ……がはっ…!」
ドサッ


立飛「し、鹿ちゃ──ぐはぁっ!!」
グタッ


突如として何もない所から現れたら槍。

それは二人の身体を貫いた。


そう、空蜘の術によるもの──。


ゆらり、と起き上がる空蜘。

この戦いが始まって何度目となるだろう。

有り得ない──誰しもが思った筈だ。

そもそも意識が残っていたことに驚きだが、筋肉が動くわけがない。
ならば再度、術を体内に展開したか。

否。

そう出来るだけの余力など空蜘には残って無かった。


空蜘「うぅぁ……っ、ぐっ、はぁ、はぁぁっ……こ、ろ、す……っ」


地面と自身の躰を支えるだけの頼りない細い糸。

相当に不安定ながらもたしかに立ち上がった空蜘。

ゆらゆらと揺れながら、数秒前とは逆の立ち位置。
代わりに地に伏すこととなった立飛と鹿を見下ろす。



空蜘「ふぅっ、ふぅっ……ぐっ、うぅぅ……げほっ、げほっ…!! はぁ、はぁ、はぁ……」



立飛「ぁう……ふっ、ぁ……しか、ちゃ……生きて、る……?」


鹿「……っ、はぁ……うぁっ、ぎりぎり……」


ドスッ──!!


鹿「うぁぁっ、ぎゃぁぁっ…!!」


槍の形をした糸の束は、丸太のように形状を変え。

何度も鹿へと振り下ろされる。


ドスッ──!! ドスッ──!!


鹿「はぁっ、ぐぎゅっ、ぁ……ぅあ……」


空蜘「あはっ…ははははっ、げほっ、げほっ…! 死ねっ……はぁっ、はぁっ……死ねぇっ…!!」


立飛「ぁ……っ……や、め……ッ」


ドクン──。


立飛の瞳が緋色へと変化する。


鹿「…っ、……!」


鹿は薄れ行く意識の中で、その緋色を見付けた。

今度ばかりは止められない。

ああ、もう仕方無いのだ、と。

立飛が命を賭してまで私を守ろうとするというならば、自分の役目は立飛が与えてくれる数秒でとどめを刺すこと──。

空蜘を、殺すことだ──。

だから、まだ自分が死ぬわけにはいかない。

鹿は手放しかけた意識を強く手繰り寄せた。



ドクン、ドクン──。


さぁ準備は整った。

死ぬ時は道連れだ、空蜘──。


立飛「ぅ……くっ…!」


立飛は力を振り絞り、手裏剣を空蜘へと投げ付ける。

防御意識そっちのけでひたすら鹿を攻撃している空蜘の脇腹へそれは突き刺さる。

命中したことはした、が致命傷には程遠い。

しかし、それで充分だ。

注意をこちらに向けてくれれば。


空蜘「……っ」


反射的にこちらに振り向いた空蜘の瞳へと、自身の緋色を移す。

即ち、立飛の意識を余すこと無くすべて、空蜘へ注いだ。



空蜘「ぁ……え……はぁっ……うぅっ」



しん、と。
空蜘の動きが突如として止む。

……と、同時に立飛の身体は活動を停止した。


鹿「はぁっ、はぁっ、はぁぁぁぁっ…!!」


最後の力を振り絞り、短刀を抜き、空蜘へ。


そして、その刃が喉元……頸動脈をかっ切ろうとしたその瞬間──。




カシャッ…




鹿「え……」


スマホのシャッター音が鳴る。

ボタンを押したのは当然、鈴。

その対象は──空蜘。


すると、どうなるか。

立飛の術が破られ、空蜘に意識が戻った。

すぐそこまで迫っていた刃。

空蜘は瞬間的に武器とも言えぬ何かを編み上げ、鹿へ反撃した。

が、刃の行き先が逸れるも、なんとか意地で喉元を切りつける。


鹿「うぅぁぁああああっ…!!」



空蜘「がはっ、ふぅっ、ぁ……きゅ、ぁ……ぇ……はっ……ひゅ……っ」


鹿「な、なに……して、ん、の……っ、りん……っ」


鈴「はぁっ……はぁっ……だって、殺そうと、してたから……あたし……、あた、し……」


鹿「ふっ、ざけん、なっ……なんのために、立飛がっ……げほっ、げほっ…! はぁ、はぁ……ぁ……──」
グタッ


空蜘「ひゅっ、ふぁっ……ぁ……ぐっ、ぅぅうう……はっ……死、ねぇ…………まさか、わたし、が……──」
ドサッ



長きに渡る戦いが終わった。

立っている者は鈴を除けば誰もいない。

三つの身体が、力無く地に伏した──。

空蜘も今度こそ、その意識は無く。

三人とも、とっくに限界は越えていた。


鈴「あたしは……あたしは、ただ……誰にも死んでほしくなかっただけなのに……」


鈴「ひぐっ……うぅっ……ぅぅ……」



身体の力が抜け、膝を付き、泣き崩れる鈴。


すると、そこに──。


「──死んでほしくないのなら、泣く前にやることがあるんじゃない?」


この世界では初めて耳する声。

でも、とても懐かしい、声。



「──うん、なんとか生きてはいるみたい。三人とも」


鈴「え、えみ、つん……っ」


ヱ密「……私の名前……あなた……というかその前に、これどういう状況?」






『忍法』、それは選ばれし忍びの心に蔓延る非情な謀

ある忍びは蜘蛛糸の術をめぐらせ、ある忍びは蛇毒の術をめぐらせる

大忍者時代

狡猾さを競いあう二つの忍び

その名を蜘蛛と蛇といった……



妙州の里



空丸「……大丈夫かなぁ、立飛に鹿ちゃん……鈴も」

紅寸「立飛は優秀だし、鹿ちゃんもやればできる子。……しかし相手が悪すぎるのだ…」

空丸「正直、あの任務は無いよ……だってさ、空蜘さん相手にたった二人って。しかも鈴というお荷物付き……」

紅寸「……全然帰ってこないねぇ。むしる草もそろそろ無くなるよ」


空丸「もうすぐ、夜が明ける」


紅寸「あ、ここにお墓建てる?」

空丸「縁起でもないこと言わないで、紅寸……あ、そういえば牌ちゃんは?」

紅寸「部屋」

空丸「そっか。今回さぁ、牌ちゃんの責任でもあるじゃん……挽回の機会も与えてもらえなくて、やっぱ気にしてるのかなぁ」

紅寸「ううん、さっき覗いたらぐーぐー寝てたよ。夜更かしは美容に良くないからって」

空丸「……」

紅寸「私らもそろそろ寝ない?」

空丸「私はまだ立飛たちを待ってるから、紅寸は先に休んでても」

紅寸「あっ!」

空丸「ん?」

紅寸「誰かこっちに……あれ、ヱ密……?」

空丸「鈴も一緒だ!」

紅寸「それにヱ密、なんか荷物いっぱい抱えて……骸が三つ?」


ヱ密「あ、紅寸、空丸。ただいまー! 久しぶりだねー!」


紅寸「私、みんなに知らせてくる!」



空丸「なんでヱ密が鈴と一緒に?」

ヱ密「たまたま見掛けたから拾ってきた。ね?」

鈴「……うん」

空丸「鈴…? どしたの? どこか怪我した?」

鈴「……」

ヱ密「ちょっと疲れちゃったんだよね? 蛇龍乃さんには私から報告しておくから休んできなよ」

鈴「……うん、そうする」


空丸「……鈴」







蛇龍乃「お、ヱ密」

ヱ密「ただいま戻りました」

蛇龍乃「ご苦労さん……で、その三人…」


立飛「──」

鹿「──」

空蜘「──」


蛇龍乃「死んでんの…?」

ヱ密「息はあるみたい。傷はみんなかなり酷いけど。一応、応急処置は済ませたよ」

蛇龍乃「あらあら、生きてるのが不思議ってくらいの大怪我だな……でもまぁ、任務は果たしたってことか」

蛇龍乃「ヱ密が助太刀してあげたの?」

ヱ密「ううん、私が見付けた時にはもう既にこの状態」

蛇龍乃「ふぅん、あれ? そういえば鈴ちゃんは?」

ヱ密「部屋で休んでるよ。相当堪えたみたいで」

蛇龍乃「そっか。ヱ密、詳細聞かせて? わかってる範囲で構わないから」

ヱ密「ここに来る途中にあの子……鈴ちゃんに聞いたんで、大体はわかるかなぁ」

蛇龍乃「そっか、そっか。んじゃ、コイツらを寝かせて……あ、その前に」



蛇龍乃「……鹿、立飛、よくやったな。えらいぞ」


蛇龍乃の間



ヱ密「──て感じ、かなぁ。鈴ちゃんに聞いた内容だと」


蛇龍乃「……あれほど人間に術を使用するなって言っておいたのに……あの馬鹿」

蛇龍乃「後で説教が必要かな、立飛には」


蛇龍乃「…で、私が一番知りたいのが、鈴ちゃんが用いたとされる術破りの手段だが」

ヱ密「これ、みたい」
スッ

蛇龍乃「あー、たしかにここに来た時、こういうの持ってた気がする。ん? パクってきたの?」

ヱ密「うん。私も気になるし」

蛇龍乃「ほぉー、んー……私のゲーム機とちょっと似てるなぁ」

ヱ密「スマホっていう道具らしいよ」

蛇龍乃「すまほ、とな?」

ヱ密「あと術を破ったのがそのスマホのシャシンって機能らしくて」

蛇龍乃「しゃしん?」


ヱ密「真実を写す、と書いて……写真」


蛇龍乃「うぉ……」

ヱ密「忍びの私たちにとってみればめちゃくちゃ恐ろしい言葉だよね」

蛇龍乃「かなり、ね……」


蛇龍乃「んー、スマホと写真、かぁ……まぁ詳しいことは鈴ちゃんが目を覚ましたら聞くとしよう」

蛇龍乃「これ、ちゃんと返しといてね」

ヱ密「いいの?」

蛇龍乃「いいもなにも、鈴ちゃんのでしょ?」

ヱ密「ふふっ、了解でーす」



蛇龍乃「じゃあヱ密はそれを返したらもう休んでよし」

ヱ密「あ、別に私はそんなに疲れてないし。一応、空丸には頼んでおいたけど、あの三人をちゃんと治療してあげないと」

蛇龍乃「平気平気。私が見ておくから。アイツらの傷の具合も確認しときたいし」

ヱ密「え? でも朝だし、蛇龍乃さんそろそろ寝る時間なんじゃ…」

蛇龍乃「そうなんだよぉ…、いつもの通りさっきまでゲームしてたから眠くて眠くて…」

ヱ密「な、なら尚更私が」

蛇龍乃「ていうか正直私も責任感じてんだよねぇ……つい勢いでアイツらだけのせいみたいに言っちゃったけど」

ヱ密「それは頭領として当然のことだよ。命令違反に容赦なんかしたら規律に関わるから」

蛇龍乃「そうだとしても、今回ばかりはちょっと無茶ぶりが過ぎたかなって反省中…」

蛇龍乃「鈴ちゃんの術破りがあったにせよ、立飛と鹿だけに任せて、考えてみれば私、なーんにもしてねぇなーって」

ヱ密「なんにもしないのはいつものことじゃ…?」

蛇龍乃「うぅ……ヱ密、ひどい……そうだよねぇ、私ってちょっと術が使えるくらいで体術もたいしたことないし、何より動こうとしないし……だめだめ頭領なんだよなぁ……」

ヱ密「じょ、冗談だからね?」

蛇龍乃「……よし、ヱ密……今日から頭領よろしく。私は引き続き隠居生活に入らせてもらう」

ヱ密「蛇龍乃さん、しっかりー!」


蛇龍乃「とまぁ、冗談はこれくらいにして。治療くらい私に任せてよ」

ヱ密「ん、わかった。立飛と鹿ちゃん、あと空蜘のこと、よろしくね」


治療室



蛇龍乃「……こう改めて見ると、本当に生きてんのかって思うくらいの重傷具合だな」

蛇龍乃「よくやってくれたよ、本当に」



蛇龍乃「あんなに白くて綺麗な肌してたのに、左の太股が半分無くなってるとか……喉の傷も、相当深いな……」

蛇龍乃「一番ヤバイのは筋肉かな……鋼のように硬直しきってる。果たして元通りになるのか、な…」


蛇龍乃「…鹿も鹿で相当悲惨な状態だ。何本骨イカれてんだ……全身打撲と、急所は外れてるにせよ、こりゃ内臓傷付いちゃってんな」


蛇龍乃「……立飛。はぁ……無茶苦茶しやがって……ごめんね」

蛇龍乃「生きて帰ってきてくれて、すげぇ嬉しいよ。でも……」

蛇龍乃「呼吸が薄い。脈も弱い……術の影響か」

蛇龍乃「ただでさえボロボロの体であの術を使えばそりゃこうなるか……死ぬ覚悟で、命を注いで、そこまでしてでも仲間を死なせたくなかった……任務を遂行しようとした」

蛇龍乃「…やっぱり、お前は誰よりも優秀だよ。立飛」



蛇龍乃「…さて、蛇龍乃さん特製の薬を調合してコイツらに与えてやるかなぁ」

蛇龍乃「でもまずその前に……紅寸」


紅寸「っ!?」


蛇龍乃「隠れてないで出てくれば?」


紅寸「な、なんでわかったの…」

蛇龍乃「ははは、この私を誰だと思ってる。頭領様だぞ」

紅寸「さ、さすがー」

蛇龍乃「だろー? もっと讃えるがよい、崇めるがよい」

紅寸「すごーい! サイコー! チートゲーマー!」

蛇龍乃「はーはっはっ! …で、紅寸はここで何しようとしてたの?」

紅寸「あ、その……えっと……みんなが心配で」

蛇龍乃「ふーん、言うつもりはないってこと。じゃあ当ててあげよっか?」


紅寸「…っ」


蛇龍乃「……紅寸さぁ、空蜘を殺すつもりでしょ?」


紅寸「…っ」

蛇龍乃「私、言ったよね? 空蜘は仲間にするつもりだって」

紅寸「……」

蛇龍乃「そりゃあ、鹿と立飛のこんな状態見れば怖くもなるか…」

蛇龍乃「紅寸の気持ちはよくわかるよ。だから私は怒ってるわけじゃない」


蛇龍乃「遅かれ早かれ、こういうことになるとは思ってたよ。ならなきゃ私が仕向けていたくらいだ」

紅寸「……?」

蛇龍乃「敵だった忍びを仲間にすることほど難しいものはない。空蜘は私とヱ密以外は完全に見下してたからねぇ……そういうところで仲間意識、信頼は絶対に築けない」


蛇龍乃「……だから、今回の件は良い機会だと思ってしまった」


紅寸「……立飛と鹿ちゃんが死んじゃってたかもしれないのに…?」


蛇龍乃「そうだ」


蛇龍乃「私はコイツらを信じてた、……と綺麗事を言ってしまうのは容易いが、頭領失格だな」

蛇龍乃「それでも、私は空蜘が欲しかった」

紅寸「なんで……? そこまでしてまで」

蛇龍乃「さぁ? なんでだろね」

紅寸「え?」


蛇龍乃「こんな意味わかんないことばっか言って、まったく働かない私……こんなどうしようもない頭領を紅寸はこれからも慕ってくれる? 命を預けてくれる?」


紅寸「……そんなの、当たり前じゃん。ここに来た時から、それは今も変わってないよ。これから先も、同じ」


蛇龍乃「ありがとう。じゃあこれは頭領としての命令じゃなくて、私のただの我が儘として聞いてくれ」


蛇龍乃「コイツを……空蜘をこの里の仲間に加えたい。そして、皆も受け入れてやってほしい」


紅寸「……」



蛇龍乃「見れば見るほどすげぇ怪我だなコイツら……バイオハザードかよ」


蛇龍乃「早く元気になれよー」
ペタペタ



蛇龍乃「…よし、鹿と立飛はこれでいいかな」


蛇龍乃「あとは空蜘用の薬の調合だけど。……紅寸」


紅寸「はい…?」


蛇龍乃「そこの棚の下段、一番右の瓶に入っている薬草を磨り潰してこれと混ぜておいてくれる?」

蛇龍乃「それでもう完成。張りつめた筋肉を緩和させる薬だ。それを空蜘に水と一緒に飲ませてやって」

紅寸「私が……?」

蛇龍乃「うん、頼んだぞー」

蛇龍乃「…あ、それと」


蛇龍乃「さっき言ったように薬草は棚の下段、一番右だ。その隣の瓶には猛毒が入ってるから間違えないように気を付けるように」


紅寸「えっ…?」


蛇龍乃「んじゃ私は疲れたからもう休む。あとよろしくねー」


紅寸「えっ、ちょ、ちょっと…!」



紅寸「……なんで薬草の隣に猛毒なんか」



空蜘「──」


紅寸「……」


正午過ぎ



鹿「──……っ、ぁ……ハッ! 立飛っ…! ふぐぉっ…、か、からだ痛ぇっ…!!」


鹿「げほっ、げほっ……はぁっ、はぁっ……死ぬかと思った……ていうか生きてんだ、私……」


鹿「ここは、里……?」


空蜘「ねぇ……うるさいからちょっと静かにしてくれない?」


鹿「え…? う、空蜘っ…!? なんでここにっ!」

空蜘「こっちが聞きたいよ。また捕まっちゃったんだろうねぇ……術は封じられてるし、身体も全然動かない……」

鹿「……」

空蜘「殺したかったら殺せばぁー? もうどうでもいいや」

鹿「…そんなことより、立飛はっ!?」

空蜘「ん? あの子なら…ほら、向こうで眠ってる」


立飛「……ぅ…………すぅ…………」


鹿「よかったぁ……無事で…」

空蜘「無事、ねぇ…」

鹿「なに…?」

空蜘「…なんていうか、呼吸の種類が変。生きてるけど、生きてる者の呼吸とは異なってるんだよねぇ」

鹿「……立飛」

空蜘「最後、私にとんでもない術掛けたでしょ? 一瞬、殺されたと思ったけど、すぐに戻ったし……なんだったの、あれ?」

鹿「……」





カシャッ…


鹿『な、なに……して、ん、の……っ、りん……っ』


鈴『はぁっ……はぁっ……だって、殺そうと、してたから……あたし……、あた、し……』


鹿『ふっ、ざけん、なっ……なんのために、立飛がっ……げほっ、げほっ…! はぁ、はぁ……ぁ……──』




鹿「…っ、鈴っ……あいつ……!」


鹿「ぅ…くっ、はぁっ、はぁっ……」


空蜘「どこいくの? そんな怪我で。あ、喉乾いちゃったから水持ってきてくれると嬉しいなぁ」


鹿「ふぅっ……くっ、はぁ……はぁ……」


空蜘「……無視かよ」






鹿「はぁ、はぁっ……鈴っ、アイツ、絶対に、許さない……っ」


鹿「ここ、だったよね……鈴の部屋……」


ヱ密「鈴ちゃんならまだ眠ってるよ」


鹿「ヱ密……戻ってたんだ、おかえり」

ヱ密「ただいま。鹿ちゃん、大変だったみたいだね。お疲れ様」

鹿「はは、まぁ散々な目に遇ったよ……ヱ密がもう少し早く戻ってれば私がこんなことしなくてもよかったんだけどなぁ」

ヱ密「ふふ、ごめんごめん。…それより、鈴ちゃんに何か用事?」

鹿「……っ」

ヱ密「急ぎの用件じゃなければまだ寝かせておいてあげたいんだけど。駄目?」

鹿「……駄目」

ヱ密「…そっか」

鹿「ヱ密さぁ、私がコイツを殺すって言ったら……どうせ止めるんでしょ?」

ヱ密「…うん」

鹿「頼むから、さ……今だけは、見逃してくれない……? 鈴はっ……コイツは、この、裏切り者はっ……!」

ヱ密「……鹿ちゃん」


ヱ密「ちょっとお話ししよっか」



ヱ密「大丈夫…? まだ無理しちゃ駄目だよ」

鹿「別に、こんくらい平気だし……あぅっ、痛っ…!」

ヱ密「ほらー、じゃあそっち座ってて。お茶でも用意してくるから」

鹿「…ん」




鹿「──てのが、昨夜のこと」


ヱ密「…うん、私が鈴ちゃんから聞いた話と大体同じだ」

鹿「だったらヱ密だってわかるでしょ…?」

ヱ密「……死なせたくないって。誰にも死んでほしくない……って。鈴ちゃん言ってた」

ヱ密「皆と会って一日も経ってないんでしょ? そのわりには妙に思い入れあるみたいに喋るよね、あの子」

鹿「だから怪しいんだよ……そんな鈴を、少しでも信じて、頼ってしまった自分を許せない……」

鹿「それと同じくらいに、私は鈴を許さないっ…」

ヱ密「あの子のことをもっとよく知ってからでもそれは遅くないんじゃない?」

鹿「のんびり待てるほど、今の私は気が長くないんだよね……っ、鈴のせいで、立飛は無駄死にするところだったのわかるでしょ…?」

鹿「忍びとして……鈴は忍びじゃないにしても、この世界に足を踏み入れた者として……仲間を裏切るなんか許されないっ!」

ヱ密「仲間……鹿ちゃんは鈴ちゃんをその時は仲間だと認めてたんだ? 蛇龍乃さんから聞いたけど、今この里で鈴ちゃんを仲間にするかどうかって議題が上がってるんでしょ?」

鹿「あ……ちょ、今のなし……」

ヱ密「ふふっ、それにね、この里の雰囲気、私は好きだよ。みんなで楽しく仲良く……本物の家族みたいで」

ヱ密「でもね、忍びなら状況によってはそんな家族さえも切り捨てなきゃいけない時は必ず訪れる」

ヱ密「この忍びの世界、求められるのはいつだって結果だけだから」

鹿「…っ、空蜘の件がそれだったってこと…?」

ヱ密「それは私にはわからないけど、でも、結果として」


ヱ密「誰も死んでいないのは事実」


ヱ密「蛇龍乃さんが与えた任務は何だった?」

鹿「……空蜘と鈴を、生かしたまま里に連れて帰ること」

ヱ密「うん、じゃああの時に鈴ちゃんが立飛の術を破らなかったらどうなってたか想像できる…?」

鹿「……っ」

ヱ密「鹿ちゃんが空蜘を殺して、空蜘の中にいた立飛も死んでいた……違う?」

鹿「そ、そんなのっ、ただの結果論じゃんっ…!」

ヱ密「結果論の何が悪いの? 過程がどんなに滞りなく進んでいたとしても、任務が失敗に終わればそこには何の価値も生まれない」

鹿「…っ」

ヱ密「まぁ……どんな想いを抱いて鹿ちゃんと立飛が戦っていたかはわかるけど、この結果だけを見れば」


ヱ密「鈴ちゃんのおかげで任務は成功した。鈴ちゃんがいたからこそ、誰も死ぬことはなかった」


ヱ密「これは揺るぎない事実……受け止めなくちゃならないこと」

ヱ密「だから、立飛が無駄死にするところだったと鈴ちゃんを憎むよりも。立飛が生きててくれたことに感謝し、それが誰のおかげか、誰がもたらしてくれたものなのかをしっかり考えるべきだと、私は思う」


鹿「……」


ヱ密「例えそれが偶然であったとしても、幸運によるものだったとしても……忍者にとってそれほど有り難いことはないよ」


ヱ密「闇を背負いし忍びに光は射さない、故に天に愛されることなど無い」


ヱ密「でも、この里が……私たちがずっと仲間としてこの先も笑い合っていたいと、そう望むのなら……あの子は私たちに必要なんじゃないかな」


夕刻



鈴「……ん、ぅう……朝……?」


鹿「はぁ……呑気なもんだねぇ。なんで重傷の私よりもぐっすり眠ってくれちゃってんの、鈴」


鈴「ひゅぇ…? し、シカちゃ……っ」


鹿「……」


鈴「ぁ……え、えっと……」

鹿「…そんなに怖がらなくても」

鈴「え……」

鹿「…な、なんていうか、その……」


鹿「……ありがと。鈴のおかげで、立飛が死なずにすんだから…」


鈴「シカちゃん…」

鹿「……っ」

鈴「やっとデレてくれたのっ?」

鹿「は、はぁっ…? 調子に乗んなよっ、今回はたまたま偶然と幸運が重なって、良い方向に転んだけどっ…」

鈴「シカちゃぁんっ!」
ギューッ

鹿「ちょっ、抱きつくなっ…って、痛ぇぇーーっ!!」

鈴「あ、そっか。怪我してるんだよね。ごめん……でもだったらなんでここに?」

鹿「……空蜘がうるさいから逃げてきた。代わりに話し相手になってやったら?」

鹿「立飛のお見舞いも兼ねてさ」

鈴「うん、わかった。行ってくるね」




鹿「…はぁ……偶然と幸運、か……だったら、忍びってなんなんだろ……。鈴は本当に、私たちに……」






『忍法』、それは選ばれし忍びの心に蔓延る非情な謀

ある忍びは蜘蛛糸の術をめぐらせ、ある忍びは蛇毒の術をめぐらせる

大忍者時代

狡猾さを競いあう二つの忍び

その名を蜘蛛と蛇といった……


治療室



空蜘「……ぅああぁぁ……死ぬぅ……っ」


空蜘「喉が乾きまくって……っ、水飲みたすぎて、死にそう……」


ガラッ…


空蜘「…ん? あっ」


鈴「うっちー、怪我は大丈夫?」


空蜘「鈴。…そっちこそ」

鈴「へ?」

空蜘「あの人……鹿ちゃんにとっくに殺されてんのかと思った」

鈴「あ、あぁー……ね、あたしも目覚ました時に側にシカちゃんいたから殺されちゃうって思ったけど、なんか逆に感謝されちゃって」

鈴「なんとか命拾い……あはは」

空蜘「ふぅん……まぁいいや、どうでも。それよりさぁ、ちょっとそこの水飲ませてくれない?」

鈴「あ、うん。そんなに怪我酷いの? そうだよね……あれだけ」

空蜘「身体が私の意思に従ってくれないだけ……ちょっとやりすぎちゃったかな」

鈴「やられすぎちゃったんでしょ。すごかったもん、三人とも……あたし、怖かった……」

空蜘「……これは自分で痛め付けた反動で、別にあの二人にやられたわけじゃないし。私がやられるわけないじゃん……それより、水!」

鈴「ん、はいはい」



空蜘「んく、んくっ……ふはぁ、生き返ったぁー」

鈴「この前もそうだったけど、うっちーは本当に美味しそうにお水飲むよね」

空蜘「ん、そう?」

鈴「うん……ねぇ、うっちー」

空蜘「前から気になってたんだけど、なんでうっちーって最後伸ばすの?」

鈴「え? あ、嫌だった?」

空蜘「別に嫌ってわけじゃない、けど……呼ばれ慣れてないし、それに……なんか馴れ馴れしい! 仲良しみたいに思われちゃうじゃん」

鈴「あたしは、仲良くなりたいけどなぁ。この世界のうっちーとも……みんなとも」

空蜘「……やっぱり鈴って変な子」

鈴「あはは、よく言われる。だから、ね……もうみんなと喧嘩しないで?」

空蜘「……」

鈴「じゃりゅにょさんもうっちーのこと、ここの仲間にしたいって思ってるし、うっちーの強さはみんなも嫌ってくらい認めてると思うし……あとはうっちーがもうちょっとだけ私たちの方へ歩み寄ってくれれば」

空蜘「……」

鈴「…ってここの人間じゃない私が言うのも変だよね。あはは…」

空蜘「この世界の人間じゃないって、鈴は言ってたよね……嘘か本当か知らないけど」

鈴「…うん」

空蜘「なら私以上に、ここの連中のことなんかどうでもいい筈でしょ? それなのに、こんな……あ、帰り方わかんないのか。帰れるならすぐにでもこんな所にいたくないよね」

鈴「そ、それは……」



空蜘「……」


鈴「……」



空蜘「……考えとく」

鈴「…え?」

空蜘「さっきの話。……殺さないよ。まぁ向こうから喧嘩売ってきたら容赦なく蹴散らすけどね」

鈴「……うん!」


空蜘「あー、お腹すいた。なんか作ってきて。あとお酒も」

鈴「あ、あたしに言われても……うっちーは怪我人なんだから、そんなお酒なんか飲んじゃ」

空蜘「うっさいなぁー、私が飲みたいって言ってんだからとっとと用意してきなよ! ほーらぁー!」

鈴「だ、駄目だって…! まずはじゃりゅにょしゃんに相談しないと」

空蜘「あれに言ったら出してくれるわけないじゃん。だから鈴に頼んでるのー!」

鈴「え、えー……そ、そんなのバレたらあたしも怒られちゃうじゃんっ!」

空蜘「んなの私の知ったことかー!」

鈴「ああもうーっ! …って、あんまり大きな声出したら駄目。りっぴーまだ眠ってるんだから」



立飛「…………ぅ………ぅ…………すぅ…………」



空蜘「…あー、この子ならしばらく起きないよ。もしかしたら一生、目を覚まさないままかもね」

鈴「え……?」


治療室の外



空丸「……」


ヱ密「……空丸?」

空丸「…っ、あ、ヱ密かぁ……ビックリした。気配消して側にいる癖やめてよねー」

ヱ密「ごめんごめん。それよりこんな所に突っ立って、何してるの? 入らないの?」

空丸「あ、いや……別に。そうだ、私、鍛練してくるから……じゃあねっ!」

ヱ密「……?」



ガラッ…



ヱ密「お邪魔しまーす」


鈴「あ、えみつん」

空蜘「げっ…」

鈴「ん?」

空蜘「…な、なんでもないのよ、なんでも……」


ヱ密「鈴ちゃん」

鈴「なぁに?」

ヱ密「蛇龍乃さんが呼んでるからちょっといい?」

鈴「あ、うん。じゃあうっちー、またね」

空蜘「ん、ぁ……鈴……ここ、退屈だから……また遊びにくることを許可してあげないことも……ない、よ」

鈴「うっちー……うんっ、ばいばーい」


蛇龍乃の間


ガラッ…



ヱ密「鈴ちゃん、連れてきたよ」


蛇龍乃「おー、ご苦労さーん」

鈴「あたしに用があるって」

蛇龍乃「そうそう、そうなんだよね」

ヱ密「私、外した方がいい?」

蛇龍乃「いや、いていいよ。そんな大層な話でもないし」


蛇龍乃「…んで、鈴ちゃん」

鈴「は、はい…」


蛇龍乃「最近、どう?」


鈴「へ…? ど、どうって言われても、まぁまぁ……かな」

蛇龍乃「そっかそっか。それなら何よりだね」

鈴「……?」

蛇龍乃「いや、ね……昨晩から朝方にかけては大変だったろうから、私との約束忘れちゃってるんじゃないかと思ってたけど。うん、順調ならよかった」

鈴「約束……って」

蛇龍乃「あれ? 昨日言っておいたよね?」


蛇龍乃「己の存在について、三日後までにここにいる全員を納得させることが出来なかったら、その時は死んでもらうって」


鈴「…っ」


ヱ密「……」


蛇龍乃「空蜘の件。かなり貢献してくれたみたいだね。鈴ちゃんのおかげで誰も死ぬことなく、任務は成功した。私としてもかなり助かったよ」

蛇龍乃「……でもね、それとこれとはまったく別の話だ。私は、約束は必ず守る」

鈴「……」


蛇龍乃「それを踏まえたうえで、もう一度聞かせてくれる? ……最近、どう?」

鈴「……一番、あたしのことを嫌ってたシカちゃんとも少し近付けたような気がするし、多分、大丈夫かな、って…」

蛇龍乃「多分? おやおや、自分の命がかかってるのにかなりののんびり屋さんだね、鈴ちゃんは。…だがそれは、良く言えば楽観者であり、悪く言えば愚か者だ」

蛇龍乃「鈴ちゃんのいた世界がどんなものかは知らないけど、この忍びの世界は非情なもの。最も信用していた人間に裏切られるなんて日常茶飯事だからね」

蛇龍乃「まぁだからこそ私はそうならない為に、この里の間だけでは互いに信頼し合える絆……そういうものを築こうと日々励んではいるが」

蛇龍乃「昨日今日、ここに来た鈴ちゃんには当て嵌まらないだろう」

鈴「……っ」


ヱ密「鈴ちゃん、キツい言い方してるけど蛇龍乃さんは鈴ちゃんを思ってのことだから」

蛇龍乃「うん、その通り。出来れば死なせたくない。……が、私個人の言い分だけで通せるものではない。押し通したとしてもそこに信頼、絆は生まれない」


蛇龍乃「似たような例を並べれば、空蜘について。これは反対に私の我が儘を押し通してのものだ。だが鈴ちゃんの場合、これと同じには出来ない。どうしてだと思う? 敵であった筈の空蜘と友好的な鈴ちゃん……普通に考えればキミの方が受け入れやすいのは当然だよね」


蛇龍乃「ならば何故、空蜘はよくて鈴ちゃんは駄目なのか。その答えは能力にある。ここは忍びの里、力無くして絆は結べない。まぁ決して能力が高ければそれで良しという問題じゃないけど。後々を見据えてみれば私の独断で決めたとしてもお釣りが返ってくると考えている」


蛇龍乃「わかる? そこが空蜘と鈴ちゃんとの決定的な差だ。皆を納得させるほどの能力が鈴ちゃんにはある? 無論、キミがここにいるくらいなら死んだ方がマシだと思っているのなら私はもう何も言わないけど」


鈴「……」


蛇龍乃「力も何も無い、勝手もわからない。それなのに二日三日で信用されてみろだなんて不可能だ。そこまでは求めていないよ。だからせめて、鈴ちゃんがここにいてもまぁいいや、くらいでいい」

蛇龍乃「そう思わせられる? 今の状態で私がそう問うた時に、皆が皆、首を立てに振るだろうか」


鈴「それ、は……」

ヱ密「私は迎え入れたいけどなぁ、鈴ちゃんのこと」

鈴「えみつん…」


蛇龍乃「ははは、ヱ密は甘いからなぁ。まぁそういう者もいるよ。ここにはいろんな人間がいるから。だから反対に一見好意的に接してくれていてもこの里を大切に思うあまり、内心では拒絶している者も」

蛇龍乃「例えば……今眠ったままのヤツとかね」

鈴「……りっぴー、そうだっ、りっぴーはまだ……うっちーが一生起きないかもみたいに言ってたけど、そんなの嘘だよね……?」

蛇龍乃「それについては私もわからない」

鈴「そんな……」

ヱ密「怪我の具合はかなり酷いけど、それが原因ってわけじゃなさそうだから……きっと、術の…」

蛇龍乃「そう、立飛は術を行使し、一度は自らのすべてを放棄した。本来ならばそれは戻ってくる筈のないものだ。が、鈴ちゃんの“写真”とかいう術により強制的に戻された……おそらく今の立飛は術の影響で意識が混在して上手く繋ぎ合わせられない、といった状態か」

鈴「混在…?」

蛇龍乃「意識というものは集合体。しかし、写真の影響を受けてバラバラになったと思われる。実際に私の術も破ったでしょ? その時の感覚としては、消されたというよりは壊されたといった具合だった」

蛇龍乃「といっても立飛の場合、意識そのものが破壊されたわけじゃない。あくまで術が壊されたというわけ。だからちゃんと生きてはいる……ただちぐはぐになった意識を整理するのに時間がかかっているだけ。それがいつ終わるのかは予測できないけど」


ヱ密「…なんにせよそれが術の影響ってわけならもう一度鈴ちゃんによる写真で覚醒させることはできないの?」

鈴「あ、そっか。それなら…」

蛇龍乃「……私も一度それは考えてみたけど、やめておいた方がいいと思う」


ヱ密「どうして?」


蛇龍乃「さっきも言ったけど写真で術を破られるということは、現在まさに展開している術を突として破壊されるということ。ヱ密は実際に受けてないからわからないのは仕方無いか。でも、だからそれを壊された影響は術者にかかるの。まぁ大小様々だと思うけどね」

蛇龍乃「私の場合、ちょっとした違和感だけだったけど。空蜘の事例を見てみればその恐ろしさはわかるでしょ?」

蛇龍乃「鹿から聞いた話によると、あの時の空蜘は身体の内側に術を展開して強制的に筋肉を動かしていた……そこには正常な自我などあるわけない。そんな中、写真を受けて今のあの状態だ」

蛇龍乃「要は、術を壊されるに耐えうる意識の備えを保っているかどうか。それは術者の能力の強い弱い関係無く、破られた後の対応がとれるかだ」


ヱ密「あぁ、なるほど」

鈴「……??」


蛇龍乃「わかりやすく説明すると、例えば鈴ちゃんが立っているとしよう。そこに正面から石を投げられた。しっかりとした意識があればそれを避けたり、防いだり、色々とどうにかしようがある」

蛇龍乃「ただ、立ったまま寝ていた場合……なにもできないよね? 極端に言うと、つまりそういうこと」

鈴「あー、わかりやすい」

蛇龍乃「うん、だから、今の立飛に写真を使うことはかなり危険なんだよ。下手すりゃ、耐えられなくて脳が壊死してもおかしくない」


鈴「…じゃあ、りっぴーはこのままいつまで経っても眠った状態……?」

蛇龍乃「……だと困るよね。私も困るし、なにより鈴ちゃんが死んでしまうから」

鈴「あたしが…?」

蛇龍乃「沈黙は否として捉えるのがこの世界の常識」

ヱ密「ほら、スパイが捕まった時とか。口を割らないと凌辱されたり拷問されたりするでしょ? 私は屈しないとか言ってめちゃめちゃエロいことされるやつ」

鈴「うぇ…」

蛇龍乃「それとはまた違うような……ん、一緒なのか…? ま、まぁとりあえず明後日までに立飛が目を覚まさないと鈴ちゃんの死が確定するってわけ」

鈴「え、えぇーっ! そんなのどうしようもないじゃんっ!」

蛇龍乃「まぁ私に考えがある。ヱ密、ちょっとみんなをここに集めてくれる?」

ヱ密「はーい」



蛇龍乃「──というわけで、立飛は命に心配はないもののいつ目を覚ますのか定かではない」


鹿「……っ」

紅寸「立飛……」

牌流「でも、明日いきなり起きる可能性もあるんだよね…?」

蛇龍乃「それは勿論。一分後だったり明日だったり一週間後だったり、はたまた百年後だったりするかもしれない」

空丸「百年後って……」

蛇龍乃「立飛の精神がどうなっているかなんて私たちにはわからない、どうにかできるものじゃない。……でも、何か出来るとしたら、それはやっぱり鈴ちゃんの写真しかないと思うの」

鈴「…え? さっきはそれをするとりっぴーが死んじゃうかもしれないからって」

蛇龍乃「うん、今の状態ではそうなんだよね」

鹿「どういうこと? じゃりゅのん」

空丸「わかる?」

牌流「全然」

紅寸「話にまったくついていけない」


蛇龍乃「立飛の精神状態について。意識が混在してそれらを上手く繋ぎ合わせられないといった感じ。さてここで問題。意識はどこにある? 紅寸」

紅寸「へ? え、えーと、えーとー……部屋?」

蛇龍乃「よし、今すぐ取りに行ってこい。そうじゃないだろっ!」

紅寸「やばい…、うぅ、そんな難題いきなり言われても」

蛇龍乃「全然難題じゃないんだけど。じゃあ、空」

空丸「意識は当然、脳にありますよね?」

蛇龍乃「はい、正解」

紅寸「あ、そっか。ひっかけ問題だったか」

ヱ密「まったくひっかけてないよ、紅寸」



蛇龍乃「はい、話を戻すぞー。意識は脳の中にある。しかし、自らの意思を通じた意識の他にも。潜在意識……無意識とも言われるものも、そこには存在している」


蛇龍乃「えー、何を言いたいかというと。鈴ちゃんの写真で立飛が繋ぎ合わそうとしている意識を強制的に整理させることは可能だろう。しかしそれだけに耐えうる精神力が今の立飛にはまったく足りていない」


空丸「質問、潜在意識っていうからには眠ったままの…今の状態でもあるんじゃないですか?」

蛇龍乃「良い質問だ、さすが空。だが、潜在意識と名が付いていてもそれが脳と物理的にくっついてるわけじゃないでしょ?」


蛇龍乃「立飛は一旦潜在意識含む全ての意識を放棄した。自分の中から投げ棄てた。それが数秒だったにしろ、その間は立飛の脳の中には何も無くなった……即ち、ゼロになった」


蛇龍乃「だから今の立飛の脳内の潜在意識は活動を停止している」


鹿「……そういえば」



空蜘『無事、ねぇ…』

鹿『なに…?』

空蜘『…なんていうか、呼吸の種類が変。生きてるけど、生きてる者の呼吸とは異なってるんだよねぇ』



蛇龍乃「潜在意識が活動停止している今、写真で強制的に術に干渉すれば死に至る危険性がある。だが、まずその潜在意識を活動させることが出来れば死ぬことは無いだろう」

空丸「そんなの、どうやって…」

紅寸「それこそ私たちにどうにかできることじゃ…」

蛇龍乃「そこで、精神を活性化させる秘薬というものがある。……それを使いたいが、残念ながらここにはそんなものはない。相当に繊細な技術、配合が不可欠な為、私ですら調合するなど不可能だ」

ヱ密「あぁ、そっか」

蛇龍乃「そういうこと」



蛇龍乃「さて、任務を与えるぞ。ここから少し離れた場所にある村に、今賀斎甲というジジイがいる。こういう秘薬に関しては達人だ」


鈴「今が最高? そのフレーズどこかで聞いたような…」

蛇龍乃「鈴ちゃん以外は知っていると思うけど、この里の元頭領だったジジイ。しかし、まぁその時に一悶着あって……面倒なことに元忍びのくせに相当な忍者嫌いなんだよね」

蛇龍乃「ついでにそいつの影響か、そこに暮らしてる村人も同じく忍者を嫌ってるらしい」

蛇龍乃「私が行ってもどうせ拗れるだけだ。村人やジジイに危害を加えるわけにもいかない。さて、そこでこの中で面が割れてない者といったら?」


鈴「あ、あたし……?」


蛇龍乃「嫌だったら無理に行けとは言わない」

鈴「…あたしがその薬を貰ってくれば、りっぴーは助かるんだよね…」

蛇龍乃「必ず助かるとは限らないが、今よりも好転する可能性は高い」

鈴「なら行くよ」

蛇龍乃「ありがとう、鈴ちゃん。頼んでおいてあれだけど私は昨日言っておいた三日後の約束。猶予を与えるつもりはないよ」

鈴「うん、それに間に合うように帰ってくるよ」


鹿「鈴一人に任せて、大丈夫なの…?」

ヱ密「私も一緒に行こうか?」

蛇龍乃「ヱ密は顔割れてるじゃん。いかにも忍びって雰囲気だし。それに、鹿や立飛がこの状態の今、万一の時に戦える人間がいなくなるのは困る」

蛇龍乃「…そこで、牌ちゃん」

牌流「は、はいっ」

蛇龍乃「町娘にでも化けて鈴ちゃんと一緒に行ってくれる?」

牌流「わかった。空蜘の件も元は私のせいだし、そのせいで立飛があんな状態になったんだもんね……まかせてっ! 私、頑張るっ!」

蛇龍乃「…牌ちゃんは張り切り過ぎるとすんごい勢いで空回りしちゃうから程々にね。あのジジイにはなるべく顔を合わせないこと」

牌流「わかった!」


蛇龍乃「あと村までの道中の護衛に、紅寸」

紅寸「私?」

蛇龍乃「頼んだよ。紅寸はくれぐれも村には足を踏み入れないように。騒ぎになると面倒だから」

紅寸「おっけー」


蛇龍乃「村までの地図がこれね。そして立飛の症状を記した紙もあるからこれをジジイに渡して」

鈴「うん」


蛇龍乃「牌ちゃん、紅寸、鈴ちゃん。三人とも頼んだぞ」



「「「はいっ!」」」




空丸「あのー、私は…」

蛇龍乃「空は……うーん、牌ちゃんいなくなるから料理よろしく。あと掃除と畑の世話ね」

空丸「……はい」







『忍法』、それは選ばれし忍びの心に蔓延る非情な謀

ある忍びは蜘蛛糸の術をめぐらせ、ある忍びは蛇毒の術をめぐらせる

大忍者時代

狡猾さを競いあう二つの忍び

その名を蜘蛛と蛇といった……


妙州の里



蛇龍乃「お邪魔しますよー……っと」
フラー


空丸「あれ? 蛇龍乃さん」

鹿「じゃりゅのんが自分から出てくるなんて珍しい。空からクナイでも降ってくるんじゃない…?」

蛇龍乃「失礼なっ…! あー、でも雨は降りそうだよね。そんな匂いする」

鹿「で、何かあった? 晩飯ならもう少しかかるよ」

蛇龍乃「んー……あの三人は? 鈴ちゃんたち」
キョロキョロ

空丸「もうとっくに里を出ていきましたけど…?」

鹿「会議終わってからもうその足のまますごい勢いで。こう…ダダダーッて」

空丸「超張り切ってたよねー。あーあ、私も一緒に行きたかったなぁー」

蛇龍乃「あー、そう……そっかぁ……」

空丸「…?」

鹿「なに? なんか伝え忘れたことでもあった?」

蛇龍乃「…いや、そういうわけじゃないんだけど。そんなすぐ帰ってこられるわけでもないし、せめてご飯食べてから行けばいいのにって…」

空丸「まぁたしかに。私も三人用にお弁当でも持たせようと思ったのにすぐ行っちゃうんだもん…」

蛇龍乃「雨の匂いも近付いてるの気付いてんのかな……さすがに気付くよな、忍者なら……」


蛇龍乃「……やっぱ人選ミスったかも。今になって心配が増してきたぞ…」

鹿「そんなに? らしくないよー? じゃりゅのん」

空丸「そうですよ。任務といっても村に行って秘薬を受け取ってくるだけでしょ?」

蛇龍乃「まぁ、そうなんだけどさぁ……でも、あの三人……すんげぇアホそうじゃん?」

空丸「あー…」

鹿「…たしかに」



蛇龍乃「何事も無ければいいんだが……」


一方、その頃。山中の三人



ズバッ──!


鈴「へ? ぎゃーーっ!!」


牌流「鈴ちゃん、大丈夫……って、ひゃぁっ!?」


ズバッ──!!



紅寸「あはは、二人とも何してんのー……はわっ!? わぁーーっ!!」


ズバッ──!!!



山中を歩いていた三人は一瞬にして、地上から姿を消した。


……何が起こったかというと。


猪捕縛用の仕掛け。

それに容易く引っ掛かった三人は網に捕らわれ、側にあった大木に吊り上げられるカタチとなった。




鈴「うぅー……あぁぁー……頭に血が上るぅー……」
プラーン

鈴「…そういえばりっぴーが言ってたっけ。里の外には危険がいっぱいって……こういうことだったのね」


鈴「……ていうかあたしはともかく……なんで二人まで一緒になって引っ掛かってんの!?」


牌流「まさか近くにもう一つあるなんて思わなかったの…」


紅寸「二つあったらさすがに三つは無いかなって……」


鈴「……」



……鈴は思った。

この二人は忍びのくせに、とんでもなくアホだ。

自分がしっかりしなきゃヤバい、と。


パサッ…


牌流「鈴ちゃん、落っこちないように気を付けて。手、掴んで」

鈴「ん、ありがと……よっ、と」


携えていた短刀で網を破り、罠から脱け出した三人。


紅寸「いやぁ、猪ならそのままだけど。私たちは忍びだから自力で脱出できるのだー」

牌流「ほんとほんと。忍びやっててよかったー」

鈴「……その前に引っ掛からないようにしようよ。次からは注意してよねー!」

紅寸「おっけー」

牌流「なんかね、鈴ちゃんといると気が緩むっていうか。里にいると私ら下忍で下っぱだから何かと気を遣うんだよねぇ」

紅寸「あ、それわかる。鈴ちゃん相手なら別に何も考える必要無いもんね」

鈴「ちょっとちょっとっ、なにあたしのせいにしてんのー!」

鈴「…でもまぁ、ぱいちゃんとくっすんと一緒はたしかにリラックスできるかも。二人が一番あたしの世界の二人に近いし」

牌流「あたしの世界のふたり?」

紅寸「あはは、鈴ちゃんがまたおかしなこと言ってるー」

鈴「ううん、なんでもない」

牌流「そっか。なんでもないのかー」

紅寸「まぁ難しいことは考えずに楽しい旅にしよー!」

牌流「おー」



鈴「ふんふふんふふ~ん♪ だってハロウィン終わらない~♪ だってハロウィン終わらない~♪」

牌流「あ、お歌?」

紅寸「鈴ちゃんって歌うの好きなの?」

鈴「こう見えてもあたし歌手もやってるんだよー?」

牌流「へー、すごーい!」

紅寸「今のなんて曲?」

鈴「へ? え、えーと……なんだっけなぁ……ダンススターなんとかってやつ」

紅寸「ふーん」

牌流「歌なら私も知ってるよ」


牌流「らららんらん♪ らららんらん♪ ららーららーらーらーららー♪」


牌流「ふふっ、これ歌うとね、いつも妙州の山の動物たちが寄ってきてくるの。山菜摘みに行く時とか。兎やリスなんか遊びに来てくれて可愛いの」

鈴「へぇ、すごいねー。あ、でも今は夜だよ? 真っ暗」

紅寸「残念。兎さんやリスさんはお休みしてるかなぁ」


ウォォォン…


鈴「ひぃっ…! この遠吠えは…」


ゾロゾロゾロ…

ウォォーーン……


三人は狼の群れに囲まれた。


鈴「ぱいちゃんのアホーっ!!」


牌流「あっ、ごめん…」

鈴「どうすんのっ、これ…」

牌流「こういう時の為の護衛役だもんね。紅寸」

紅寸「うん、頑張る。…ていうか私は鈴ちゃんの護衛だから牌ちゃんは自分でなんとかしてよ」

牌流「私、そういうんじゃないんだけど……まぁ仕方ないか」

鈴「結構な数いるけど大丈夫なの? あ、くっすんってめちゃくちゃ強かったり?」

牌流「めちゃくちゃ強かったら下忍なんかやってないって。そこそこは強いけどね」

鈴「そこそことめちゃくちゃがどんなもんなのかまったくわからない…」

紅寸「とりあえず、これ全部倒すのは無理だよ?」

鈴「え、じゃあどうすんの…」

紅寸「それは、勿論……逃げる!」

牌流「まぁそうだよね」


紅寸「私が道を切り開くから鈴ちゃんは私に続いて全力ダッシュ! 牌ちゃんは殿任せた」

牌流「はーい」

鈴「なんて雑な作戦……りっぴーやシカちゃんやえみつんといる時の安心感がまったく無い」

牌流「大丈夫大丈夫。一応、私たちだって忍びの端くれなんだから。鈴ちゃんのことは絶対に守るよ」

紅寸「そうそう。だから鈴ちゃんは脇目も振らず、全力で駆け抜けて」

鈴「うん……わかった!」


紅寸「…よし、じゃあいくよ、三……二……一……零っ!」


ダダダダダッ…


紅寸が正面に位置する狼の群れに向かって駆け出す。

それに続く、鈴。

そして、牌流。


三人が動き出したことにより、様子を窺っていた狼たちも紅寸たちを獲物として捉え。

一斉に襲い掛かってきた。


紅寸「はぁぁぁっ!!」


拾った木の枝を右手に、右斜め前から飛び出してきた狼に一振り。

そして、持ち換え、逆側から飛び掛かってくる狼も薙ぎ払う。


バキッ──!


ズドッ──!


その後も、枝を振り、足技も駆使し、躍るような舞闘で次々と狼たちを撃退する紅寸。


鈴「はぁっ、はぁっ……おぉ、すごいっ……!」


そんな中、脇から飛び出してきた狼。

紅寸が過ぎ去った後ろにいる鈴目掛け、牙を光らせる。


鈴「ひっ、きゃ、きゃぁー」


牙が鈴に触れる間際。


牌流「はぁっ!」


バキッ──!


牌流がそれを防ぐ。


鈴「ぱ、ぱいちゃ…、助かった。ありが」

牌流「止まらないで。全力で走って! 鈴ちゃんのことは私と紅寸が絶対に守るから」

鈴「う、うんっ!」



未だ止むことの無い狼の群れの猛攻。

吠声、地に響く足音からまだ相当な数が三人を狙っている。

現代、東京ならばまず有り得ない状況だろう。

鈴は余計なことなど考えず、ただ無我夢中で走るだけ。

恐怖はあっても、最初の不安など既に消えていた。


これまでの道中、アホなことばかりしていて頼りがいの無い二人だったが。

一度、戦闘に入ると。

それはもうスイッチが入ったように、人が変わったように。


それはもう、頼もしいものであった。


紅寸「はあぁぁっ!!」


紅寸が道を開いてくれる。

だから自分はただ真っ直ぐ走るだけでいい。


牌流「たぁぁっ!」


牌流は絶対に守ると言った。

だから、どんなに狼の吠声が近くに聞こえても、どんなに鋭い牙が迫ってきたとしても。

自分が気にする必要は無い。

その言葉通りに、鈴に狼の牙は勿論のこと。毛の一本足りとも触れることはただの一度も無かった。




そしてついに、狼の群れを突っ切った三人。

しかし、まだ群れは後方から迫ってくる。


鈴「はぁっ……はぁっ……!」


紅寸「この位置関係になれば」

牌流「うん。鈴ちゃん、耳塞いでて」
ポイッ

鈴「え…?」



パァーンッ──!!!!


牌流が投げ放ったのは、炮烙玉。

凄まじい爆発が起こり、狼の大群もろともそこら辺一帯の木々までも消し飛んだ。


以後、狼は三人に迫り来ることなく。

鈴は窮地を脱したのであった。



鈴「すご……」

牌流「獣相手にはこれが一番でしょ」

紅寸「お見事」

鈴「……てか、二人ともやっぱ強いんだね。さすが忍者…」

紅寸「??」

牌流「まぁあれくらいはね」


鈴「二人のこと見直しちゃった。頼りにしてるから、これからもよろしくね」

牌流「……っ!」

紅寸「ほ、ほぁ……」

鈴「ん…? どしたの? あたし、なんか変なこと言った?」


牌流「ヤバぁ……今、ドキッとしちゃった……」


紅寸「そっか……鈴ちゃんが里の仲間になれば私、一番下っぱじゃなくなるんだ。頼られるのってちょっといいかも……!」


鈴「うん……?」

牌流「な、なんでもない、なんでもない」

紅寸「コホンっ……鈴ちゃん、困ったことがあればいつでもこのくすんを頼ってくれたまえ」

鈴「あ、ありがと……」

紅寸「よし、んじゃ先を急ごっか」

鈴「そうだね。あ、道逸れてない? 大丈夫?」

牌流「鈴ちゃん、地図持ってる?」

鈴「うん、にんじゃりゅにょさんから預かった地図がこれ」

紅寸「忍蛇龍乃?」

鈴「あたしの世界ではナンジョルノだからこっちでもニンジャリュニョさん」

牌流「へー」

紅寸「意味わかるの? 牌ちゃん」

牌流「ううん、全然」

紅寸「だよね。それより、地図」



牌流「今……この辺かなぁ?」

紅寸「で、目的地の村がここだから……あっち?」

牌流「こっちじゃない?」

紅寸「えー? 何を根拠に」

牌流「女の勘」

鈴「……いや、女の勘とかよりさ、ちゃんと方角調べた方がいいんじゃない?」

鈴「…ほら、南の方向へ進めば」

紅寸「おぉ、鈴ちゃんやるー」

牌流「南ね、南」

紅寸「よーし、出発ー」







鈴「……」


牌流「……」


紅寸「……南って、どっち?」

鈴「え……」

牌流「どっち? 鈴ちゃん」

鈴「そんなのあたしが知るわけないじゃんっ!」


牌流「あ、そういえば……ふふっ、ふふふっ…」

鈴「ぱいちゃん?」

紅寸「なんか気持ち悪い…」

牌流「安心して、鈴ちゃん。方角を知りたいんだって?」

鈴「あ、うん……ていうかさっきから話して」

牌流「そういう時はね、空を見るの」

鈴「空……?」

牌流「そう。まずは北斗七星を探す。そしてそこから北極星を探す。その位置が北になるから、南はその反対ってわけ」

鈴「……」

牌流「ふふんっ、どう? すごいでしょー?」

鈴「あ、いや、えーと……」

紅寸「星なんか一つも見えないけど?」

牌流「えっ…」

鈴「雲がかかってるのかなぁ…」


牌流「……」
ショボン


鈴「んー、あっ、たしか木の切り株の年輪でわかるとか聞いた覚えが」

紅寸「あーあー! それ、くすんも知ってる!」

鈴「おー、よかった」

紅寸「これでバッチリだね。切り株なら天気とか関係無いし!」

鈴「うん!」

牌流「……で、その切り株なんかどこにあるの?」

鈴「……」

紅寸「……」




ガシッ……ガシッ……


紅寸「ふっ、はぁっ、たぁっ!」


ガシッ……ガシッ……



鈴「くっすん、頑張れー」

牌流「切り倒すのに時間掛かりそうだし、私たちはちょっと休憩してよっか」



鈴「あたしお腹空いたよぉ……」

牌流「言われてみれば、私も。里から何か持ってくればよかったねぇ…」

鈴「近くにコンビニ無いかなー? ってあるわけないか…」

牌流「猪でも捕まえてきてお鍋でも作ろっか?」

鈴「え、そんなこと出来るの? すごいっ!」

牌流「ふふっ、任せて。こんなこともあろうかと調味料持ってきたし」

牌流「じゃあ私は猪捕まえて、あと適当に食べられそうな野菜や山菜、木の実なんかも探してくるから」

鈴「迷子にならずに戻ってくるんだよ?」

牌流「あはは、平気平気。鈴ちゃんはその間に水汲んできて、あと火も起こしておいてもらえる?」

鈴「水……、火……、わかんない……」

牌流「水の流れる音がするから、多分あっちの方に少し下れば川があると思う。火は……なんとかして頑張って」

鈴「よ、よしっ……!」

牌流「じゃあ気を付けてねー。私も行ってくる。……猪、近くにいるといいなー」


そう言って、牌流は闇へと消えていった。



鈴「あたしも水用意しなきゃ。あっ、くっすん」



ガシッ……ガシッ……


紅寸「えいっ、やぁっ、とぅっ!」


ガシッ……ガシッ……


鈴「おーい、くっすーん!」


紅寸「ほぇ? どーしたの?」

鈴「牌流ちゃんとお鍋作るから、あたし水汲んでくるね」

紅寸「うん、いってらっしゃい」

鈴「悪いんだけど、くっすんは火起こしといてー」

紅寸「え? くすん、木と戦って」

鈴「よろしくねー」



ガシッ……ガシッ……


ガシッ……ガシッ……



紅寸「ふぅ……疲れたぁ……これ、切り倒すよりも歩き回って切り株探した方が早いんじゃ」


紅寸「…まぁいっか」



ガサガサ…


鈴「ただいまー」


紅寸「あ、鈴ちゃん。おかえり」

鈴「たっぷり水汲んできたよ。お鍋用のと、私たちの飲み水」

紅寸「ありがと。火も起こしておいたから」

鈴「おぉ、さすが忍者。ぱいちゃんは?」

紅寸「知らない。まだ戻ってきてないよ」

鈴「そっか。じゃあ待ってよう。火消えないようにしなきゃ。切り株はどう?」

紅寸「もう少し。ぱいちゃん帰ってくるまでに倒すのが目標」


ガシッ……ガシッ……


鈴「……」


ガシッ……ガシッ……



鈴「ねー、くっすん」


紅寸「んー? なーにー?」


鈴「あたしたちが目指してる村ってどのくらいで着くの?」


紅寸「んー……さっきまでのペースだと、お鍋食べてから出発したとして夜明けくらいかなぁ」


鈴「…そっか」


紅寸「大丈夫。何事も無ければ約束の時間までには余裕で戻ってこられるよ」


鈴「…うん」



ガシッ……ガシッ……


ガシッ……ガシッ……



紅寸「お、そろそろ。倒れるから下敷きにならないよう気を付けてね」

鈴「はーい」


紅寸「ふぅっ、…はぁっ!」


ガシッ…


メキメキ……


ズシャーン…!!



鈴「おー! あんなでっかい木を……すごいねぇ」

紅寸「ふふふ。さて、年輪年輪…」


紅寸「ん、北はあっちか」

鈴「あたしたち、南目指してるんだよ?」

紅寸「じゃあ逆側。こっちだ!」

鈴「これでお鍋食べたら出発できるね」








鈴「……」


紅寸「……」


鈴「……ぱいちゃん、遅いね」

紅寸「いろんなもの採ってるんじゃない? 料理に関してはこだわりあるみたいだし」

鈴「ふーん。ぱいちゃんのご飯美味しかったから楽しみ。早く食べたいなぁ…」


鈴「…猪かぁ……美味しいって聞くけど、実際食べてみるとどうなんだろ」

紅寸「なかなか美味しいよ。くすんは大好き」

鈴「へぇ、そりゃ楽しみ」


鈴「まだかなぁ…」



ポツポツ……


鈴「あ、雨……」


ポツポツ……


紅寸「…雨足、強くなりそうかも。木の下に移動しよう」

鈴「火、消えちゃう……」

紅寸「また起こせばいいから」

鈴「……うん」



ザーザー……


鈴「うへぇ……結構強くなっちゃったね」

紅寸「山の天候は変わりやすいからね。そんなに長くは続かないと思うけど…」

鈴「ぱいちゃん、大丈夫かなぁ……迷子になってないかな」

紅寸「ああ見えて意外としっかりしてるから心配無いよ。雨降ってきたからすぐ戻ってくる筈」

鈴「…ん」



紅寸「ふわぁ……眠くなってきた……うとうと……」


鈴「……あたし、ちょっと探してくるね」


紅寸「ふぇ……? え、ちょっと……危ないから駄目!」


鈴「平気平気ー! さっきも一人で川まで行けたし」


紅寸「い、今は雨降って地面がぬかるんでるからっ…、私も一緒に行くから! 一人で行動しちゃ駄目っ!」


紅寸「って、聞いてないし……待ってってばっ!!」



ガサガサ……


鈴「ぱいちゃーん? どこー?」


鈴「雨降ってきたからもう戻ってきてよー! 風邪ひいちゃうよー?」



牌流「ん……あ、鈴ちゃん。おーい、鈴ちゃーん!」



鈴「ほ……? 声が……あ、ぱいちゃんっ! もー、なかなか帰ってこないから心配し」
ズルッ

鈴「きゃっ!?」


山の急斜面。

足を滑らせた鈴が体勢を崩す。

そして、その体はふわっと宙に投げ出され。

道をはみ出した先の崖へと落下していった。


牌流「り、鈴ちゃっ」


と、そこに。

風を斬るように駆けてきた紅寸がギリギリのところでその腕を掴む。


紅寸「くぅっ…!」


……が、あまりに咄嗟の出来事であった為。

余裕など無く、鈴をこちらに引き寄せるだけで精一杯。

強い力で引き寄せた反動から、代わりに紅寸が崖下へと放り出させることとなった。


鈴「ぁ……く、くっすーんっ!!」



星も見えない夜。

忍者でもない鈴では夜目が効かず、紅寸が転がり落ちた下がどうなっているのか確かめようがない。

どれくらいの深さなのか。危険は無いのか。

紅寸がどのような状態なのか。


まるでわからない。



一方、崖下へ転がり落ちた紅寸。



紅寸「はぁ、ビックリした……痛たたぁ……」


7、8メートルといったところか。

忍びなのだから、落下にあたって受け身を取ることなど造作もない。

大した高さからではなかったおかげで、生きてはいるし、大怪我を負ったわけでもなかった。

それでも、あちこち擦りむいてはいるし、ふくらはぎに尖った木の枝が刺さってはいるが。

さして問題は無かった。


紅寸「…よいしょ、っと……痛っ……」


ゆっくり立ち上がると、やはり痛みはあるものの活動にはそれほど影響はないことがわかった。

とりあえずの血止めと包帯での応急処置を施した。


紅寸「……ん、おっけ」


普通に歩けるし、今落ちてきた崖を登ることだって可能。



そうして登りきった先には、やはりというか当然というか、鈴と牌流の姿があった。


紅寸「ただいま」


鈴「く、くっすん……大丈夫……?」

牌流「心配しすぎ。忍者ならこんくらいで死んだりしないって」

紅寸「そうそう。ちょっと擦りむいたくらい」

鈴「よかったぁ…」


紅寸「……でも」



パチンッ──!!



乾いた音が響く。

同時に、鈴の頬に鋭い痛みが走った。


鈴「あぅっ…!」


牌流「ちょ、ちょっと! 紅寸! 何してんの!?」


紅寸「──なんで私の言うこと聞かなかったの?」


紅寸「……危ないって言ったでしょ? 死にたいの?」


鈴「ご、ごめんな、さい……」


紅寸「一人で勝手な行動しないで。里を出ると危険がたくさんあるんだから……そんなナメたことばっかしてると、絶対にそのうち、死ぬよ」


鈴「……っ」


牌流「…紅寸、言い過ぎ。鈴ちゃんだってそれくらい」

鈴「いいの。あたしが、悪かったから……」

牌流「……私も、戻ってくるの遅くなっちゃったから。鈴ちゃんは心配してくれたんだよね…」

鈴「……ごめんなさい」

紅寸「……」

牌流「…紅寸」

紅寸「…ん、私も……ごめん」


紅寸「ちょっと酷かったよね、今のは……ごめんなさい。でも、わかってほしくて……私も牌ちゃんも鈴ちゃんに危ない目に遇ってほしくないから…」


鈴「…うん」




紅寸「……」

牌流「……」

紅寸「……どうしよう。こういう空気、苦手……」

牌流「自分で招いたんじゃん…」

紅寸「そ、そうだけど……えーと、えーと……よしっ、この話はおしまい!」

紅寸「鈴ちゃんは身体能力も空丸以下で反応速度もめちゃめちゃ鈍くて、おまけに頭も弱いから……里に戻るまで私から離れるの禁止ね!」

鈴「くっすん……ありがと」


牌流「…むぅ……ていうか、紅寸はどうせ村には入れないでしょ? だから、鈴ちゃんには私が付いててあげる!」

紅寸「あ、そうだった」

鈴「ぱいちゃんも、ありがと……二人とも、ごめんなさい。……ありがとう」

紅寸「ん、さっきのとこ戻ろ? ずぶ濡れになっちゃう」

牌流「冷えた体を暖めるにはやっぱお鍋でしょ。すぐ準備するからね。期待しといていいよ?」

紅寸「美味しいもの食べて、またワイワイしよ? 鈴ちゃん」

牌流「鈴ちゃんが元気無いとつまんないからねー」


鈴「うんっ!」



……多分、宿命だったのだろう。


忍びがどうとか、仲間がどうとかではなく。

それはきっと、私が私である為に──課せられた、宿命。



『──……っ、────!!』

『な──か──っ、──忍者──れる──っ!!』


言い争う声が聞こえる。

父親と、……もう一人は、誰だろう。

もっともっと昔に、聞いたことがあったような。

……思い出せない。わからない。

でも、

大好きな父親とケンカするなんて、とっても悪い人に違いない。

まだ幼かった私はただただその耳に入ってくる怒声が怖くて。

布団を被り、寝たふりをしていた。


だが、耳を塞いでいても時折、断片的に届いてくる。

“忍者”という言葉を聞いたのは、この時が初めてだったと思う。

それだけ。

会話の内容など入ってこないし、理解も出来ない。

私には関係無いこと。大人同士のいざこざだろう。

……でも、妙に不思議と。

記憶の欠片として、大人になった今でも脳裏に焼き付いているままだった。


忍者ってなんだろう。

気になってはいたが、聞いてはいけないような気がした。

……口にしたらきっと怒られる。

忘れよう。大好きな父親と母親を困らせたくないし。

うん。これから先も、ずっとずっと家族で笑い合って、幸せに──。


だが、それも早すぎるくらい。唐突に終わりを告げられた。



私が十八歳の時だった。


私が住んでいた地域一帯で、大きな乱争が起きた。

そのせいで多くの人が亡くなった。

蜘蛛の巣を散らしたように、それはもう悲惨な状況で。

生まれて初めて、私は地獄絵図を見た。


父親は、母親は、巻き込まれて死んでしまったのだろうか。

もしかしたら、どこかで生き長らえているのかもしれない。


でも、結果。

私は家族と離ればなれになり、一人で生きていくこととなった。



女が一人で生きていくなんてこの時代、容易なことではない。

だから色々と悪いこともした。

生きていく為に、騙し、盗み……命さえも奪ってきた。



しかし、そんな生活が長く続くこともなく。


ある時、いつものように化粧を施し、大人の女を取り繕って。
馬鹿そうな男を騙し、金を巻き上げるつもりだった。

が、油断からか。こういうことにも慣れてきてつい気を抜いてしまっていたか。

失敗した──。

あってはならないことだ。

何故なら、それは死を意味するから。


捕らえられた私。
吟味するように醜い笑みを浮かべ、目の前に立つ男三人。


このまま乱暴され、殺されてしまうんだろうな。


今まで散々悪事を働いてきた報いか。


……ああ、そうか。なら、仕方ないか。


すべてを受け入れ、眼を瞑り、死を覚悟した私。




──だったが、次に眼を開くと。


そこには私を捕らえた三人の男たちは倒れており、見覚えの無い一つの姿があった。


『……助けて、くれたの……?』

『この大馬鹿者め……子供のくせに遊びがすぎたな』

『わ、私っ…、子供じゃないもん! もう二十歳越えてるし』


わざとらしく深い溜め息を一回。

そしてその後、私についてこいと言った。

数年前の乱争と、そして今回──本当なら既に二度も失っていた筈の命。

自棄になっていた私は、抵抗することなくその誘いを受け入れてしまった。



そして、連れてこられた先。


『……ここは?』

『忍びの里。忍者共の集落──妙州だ』

『忍者……?』


そして私たちを迎えるように奥の方から一人の女が姿を現す。


『おいおいジジイ……最近、里から離れて何を遊んでるのかと思っていたけど……まさか女の子拾ってくるとは、たまげたなぁ。いい加減、自分の歳考えろよ……』


女の名は、蛇龍乃。

そして、私をここに連れてきた男の名は、今賀斎甲。


この日から私は忍びとして育てられることとなった──。




──────
────
──




牌流「すぅ……すぅ……」


鈴「…ぱいちゃん……おーい、ぱいちゃーん」

牌流「…ふぁ……? ん……私、寝てた……?」

紅寸「……少しだけ休憩って言っておいたのに、深く眠っちゃうんだもん…」

牌流「えへへ……、ごめんごめん……」

鈴「どうしたの? 疲れてる?」

牌流「ううん、ちょっとまだボーッとしててるだけ。懐かしい夢見てた……」

紅寸「……」

鈴「まだ休んでいく?」

牌流「鈴ちゃんが頑張ってるんだから、私のせいで到着遅らせるわけにいかないでしょ。さ、行こ?」

鈴「うん」


紅寸「……」


鈴「くっすん…?」

牌流「何してんの? 行くよ、紅寸」

紅寸「…あ、ごめん。さぁ出発ー!」



そして歩くこと数時間。

雲も晴れ、朝陽が昇り始める頃。



牌流「もうそろそろかな」

鈴「はぁ……はぁ……疲れたぁ……こんなに歩くことなんかそうそうないよ」

紅寸「…はぁっ……はぁっ……」

牌流「…? てか鈴ちゃんはともかく、紅寸までなにへばってんの?」

紅寸「はぁっ……はぁ……あはは、鍛練足りなかったかも……里に帰ったら、もっと精進しなきゃ」



牌流「──じゃじゃーんっ!」


鈴「おぉー、やっぱすごいね。ぱいちゃんの術。全然、別人じゃん」

牌流「でしょでしょー?」

牌流「じゃあ任務内容を確認するね。鈴ちゃん、立飛の病状が記された紙持ってるよね?」

鈴「うん、ちゃんとここに」

牌流「よし、これをあのじーちゃんに渡して秘薬を調合してもらうんだけど……」

鈴「うんうん」


牌流「…それ、で…………」

鈴「……? ぱいちゃん?」


牌流「あ、ううんっ、なんでもない。私が直接じーちゃんに会うわけにはいかないから。顔合わせると私ってバレちゃうからね」

牌流「だから村の中までは私も一緒に同行するけど、じーちゃんにこれをお願いするのは鈴ちゃんの仕事」

鈴「う、うん! 頑張るよ、りっぴーの為に」

牌流「まぁ鈴ちゃんみたいに若くて可愛い子には弱いからね。きっと大丈夫だよ」

鈴「わ、若くて、可愛い……」

牌流「無理そうだったら、おっぱい見せるくらいして多少強引に」

鈴「うぇっ、そうならないように、なんとか頑張る……」


牌流「で、紅寸は村には足を踏み入れず、ここで私たちが戻ってくるのを……って、紅寸!?」

鈴「え…? く、くっすん!? どうしたの!?」


紅寸「はぁっ……はぁっ……な、なんでも、ない……ちょっと、疲れただけ……」



地面に倒れ込む紅寸。

明らかにただ事ではなく。
大量の汗と動悸がその苦しさを表すようだった。


牌流「…すごい熱……何があったの……?」

鈴「ぁ…ぱいちゃん、くっすんの足……血が」

牌流「怪我…? こんなのいつ……ぁ、あの時……まさかこの傷口から感染……破傷風とか……でも、それにしては発症が早すぎる」

鈴「あ、あたしの、せい……」


紅寸「はぁ、はぁ……大したことないから、二人は、任務に……っ」


牌流「……っ」

鈴「ぱいちゃん、くっすんは……大丈夫なの……?」

牌流「……わからない。私には医学の知識なんて無いから軽々に判断して、もしも紅寸に万一のことがあったら…」

鈴「そんな……」


紅寸「だいじょうぶ、だって……っ、だから、任務を、最優先、に……」


牌流「……」

鈴「…ぱ、ぱいちゃん、どうするの」

牌流「……」

鈴「ぱいちゃんっ…」

牌流「……紅寸を、今賀斎甲に診てもらう。あのじーちゃんならなんとかしてくれる筈だから」

鈴「でも、それって……二人が忍者って、バラすことに」

紅寸「だ、め……そんなこと、して……もし、立飛の薬、作ってもらえなかったりしたら……っ」

牌流「……大丈夫。……私がなんとかする」


牌流「誰も、死なせない……私が助けてみせる……紅寸も、立飛も、鈴ちゃんも」



村へ足を踏み入れる三人。

せめて騒ぎにならぬようにと、牌流が背中におぶっている紅寸には顔を見られぬよう布が被せられてあった。



牌流「……鈴ちゃん、村の人から今賀斎甲の家を聞き出してきて」

鈴「うん」


鈴は内心焦っていた。

一刻も早く、紅寸の治療をお願いしなくてはいけない。

だが、怪しまれて大騒ぎに発展し、捕らえられてしまっては目も当てられない。


……冷静に、落ち着いて。

忍者の仲間ということを悟られず、ただの旅人を装うよう心掛けた。己に言い聞かせた。



恐る恐る、農作業をしている村人に話し掛ける。


すると、拍子抜けするくらいにあっさりと今賀斎甲の住みかを教えてくれた。

……なんでも今の鈴のように、遠方から秘薬を求めてこの村を訪ねてくる者もたまにいるらしい。

元忍びということは知らない人間も多いが、秘薬に関する達人という噂は一部で広まっているとか。


ほっと、鈴は安堵した。

だが、気を緩めてはいけない。

忍者とバレればそれまでだ。

慎重に、且つ自然に──。



牌流「…聞き出せた?」

鈴「うん、あの家だって」



三人は足を進める。

向かった先は勿論、今賀斎甲が居住しているという建物。

家の前に立つ三人。

そして、牌流は扉を叩いて呼び掛けた。


「──……誰だ?」


静かに、扉越しから返答があった。


牌流「……」


実際に顔を合わせるまでは旅人を装うのかと思いきや。


牌流「──私です。牌流です」


「……」


妙州の里



ヱ密「……」


蛇龍乃「……気になってるならいいよ、訊いてくれても」

ヱ密「あ、いや…」

蛇龍乃「おかしいと思ってるんでしょ? 私があの三人に与えた任務……というか牌ちゃんを使ったこと」

ヱ密「……うん」


蛇龍乃「実際、村に入れば危険なんて無い。内部まで牌ちゃんを付き添わせる必要はないからね。それどころか、隠居したとはいえあのジジイは元忍び……元頭領だ」

蛇龍乃「気配で察せられてもなんら不思議じゃない……本気で目的だけを果たそうとするなら村の中へは鈴ちゃん一人で行くべきだ」

ヱ密「まぁ牌ちゃんは元頭領のあの人に一番、可愛がられてたから…、でも」


蛇龍乃「そう、矛盾してるんだよ、この任務は。立飛のことだけを考えたら鈴ちゃん一人で速やかに秘薬を受け取ってきてもらうのが最善……だが、私はあのジジイに牌ちゃんを見付けてほしいとも思っている」


ヱ密「……」

蛇龍乃「さしずめ、これは私からジジイへの贈り物……いや、当て付けかな……」


蛇龍乃「……私は、牌ちゃんも立飛も……勿論、ヱ密たち他の皆のことを大切に思っている。出来ることなら、失いたくない」

蛇龍乃「……ただ、幸せなんか人それぞれだ。こんないつ死んでしまうかわからない忍びなんかより、もっと幸せな生き方もある」

蛇龍乃「あの子が何を選ぶか、どう生きていきたいのか……それを縛り付けるなんか任務と称しても私に従わせる権利なんかない」


ヱ密「もしかして…」


蛇龍乃「…うん、牌ちゃんは……蛇の忍びである牌流は、あのジジイ、今賀斎甲の孫だ」



牌流「──私です。牌流です」


「…………」


牌流「……」

鈴「……」


しばらくの沈黙があった後。


ギギィ……


返答の無いまま、扉は開かれた。


牌流「入ろう、鈴ちゃん」

鈴「う、うん…」

牌流「紅寸も、もう少しだけ我慢してね」

紅寸「……ん、はぁ……はぁっ……」



白髪の老人──この者が、今賀斎甲。

鈴たち三人を険しい目付きで一瞥し、不機嫌そうに腰掛ける。


今賀斎甲「……蛇龍乃の奴め」



牌流「御無沙汰しております。元頭領」


今賀斎甲「……帰れ。忍者風情がこの村に足を踏み入れるな」

牌流「帰れません。任務ですので」

今賀斎甲「…任務、じゃと……?」

牌流「はい」


牌流「…鈴ちゃん、あれ貸して」

鈴「あ、うん……えーと……あった、これ」
ガサッ


今賀斎甲「……」


牌流「これを」

今賀斎甲「……」


牌流から差し出された紙を受け取り、それに目を落とす今賀斎甲。


今賀斎甲「……混在している意識、潜在部分を活性させる、か……蛇龍乃め、面倒を持ってきおって」



牌流「頼みたいことは二つ。一つは、それにも記されてある通り、立飛を覚醒させるに必要となる秘薬。……そしてもう一つが」


紅寸「はぁっ……はぁ……はぁ……っ」


牌流「ここへの道中で負った傷から、発症したものと思われます」

牌流「紅寸の病状を診て、薬を処方して頂けませんか? お願いします」


今賀斎甲「断る。わしはもう忍びのお前らとは手を切った。……都合の良い時ばかり、頼ってきおって……と、任務を下したのは蛇龍乃じゃったか。お前に言っても仕方ないな」

今賀斎甲「里に戻り、蛇龍乃に伝えておけ。面倒を持ってくるな、と」


牌流「はい、伝えておきます。しかし、任務を終えるまで里に戻るわけにはいきません」

今賀斎甲「……」


牌流「どうか、お願いします」

今賀斎甲「……偉そうな口を叩きおって。一端の忍びになったつもりか。お前ごときが」


牌流「はい。最初は右も左も分からなかった私ですが、ようやく一人前の忍びになり、こうして任務を与えてもらえるまでに成長することができました」

牌流「それもこれも、私に生き方を示し、導いてくれた貴方や現頭領である蛇龍乃さんのおかげ。……そして何より、私は忍びの家系であるから」


今賀斎甲「……っ、お前、知っておったのか……」


牌流「知ったのは忍びになってから。……でもね、じーちゃんのことはすぐにわかったよ」


今賀斎甲「…蛇龍乃か」


牌流「ううん、蛇龍乃さんは一度もそんなこと口にしなかった。じーちゃんと蛇龍乃さんだけの秘密だったんでしょ? 里の皆も誰も知らない」


今賀斎甲「ならば、何故…」


牌流「…残ってたから。記憶の欠片に、じーちゃんの声が。ずっと見ててくれてたんでしょ…? じゃなかったらあんなタイミング良く助けてくれるわけないもん…」

牌流「……本当は、私を忍びになんてするつもりなかった。だって、私の両親も忍びじゃなかった……」



私が幼い時分に聞いた言い争いは、多分私を忍びとして育てる育てないの話だったんだと思う。

そこでの結論は、私を忍びにはせず、このまま平穏な暮らしを送らせること。


しかし、あの乱争の後──。

状況は一変した。平穏な暮らしなど泡沫のように消えていったのだ。

危なっかしい橋ばかり渡ろうとする私を見るに堪えなくなり、里へ連れ帰り。

忍びとして育てることに決めた。

生きていく為には、強さが必要だ、と。


闇を背負いし忍びに光は射さない、故に天に愛されることなど無い。


誰かの手を借りずとも、神に祈ることなどせずとも、天に見離されたとしても。

最後に信じられるのは、己の力のみ。


牌流「──そう、じーちゃんは教えてくれたよね。どんなに危険な目に遇っても、力があれば生き抜くことは出来る」


今賀斎甲「……」


牌流「でも、それって忍びとしておかしいよね。……じーちゃんさ、蛇龍乃さんに頼み込んだんじゃない…? それか、最初からそういう話だったか」

今賀斎甲「……」

牌流「私はこの里に来てから……忍びになってから、ただの一度も命が賭かった任務を下されたことがない。少しでも命を落とす可能性がある任務には絶対に私は指名されない」


牌流「余計なことしないでよ。私は強くなった……戦闘的な強さはまだまだかもしれない。でも、命を落とす覚悟、里の為に命を賭けて戦う、そんな強さなんかとっくに身に付いてる」


牌流「──だから、任務を遂げないままに帰るわけにはいかないの。貴方を殺してでも秘薬は作らせてみせる……!」


今賀斎甲「……」


牌流「……恩人であり、師匠であり、肉親でもある貴方を手に掛けるなんて、したくない……さっきはあんなこと言ってたのに、忍び失格だなぁ」


牌流「さっき、じーちゃんはもう忍びじゃないから私たちのことなんか知らないって言ったよね……なら私も忍びとしてじゃなく、じーちゃんの孫としてお願いする」


牌流「じーちゃん、私の大切な仲間を助けて」


今賀斎甲「……」





今賀斎甲「……ふふっ、あっはっはっ! 強くなったな、牌」


牌流「じーちゃん……うん」


今賀斎甲「大切な孫の頼みなら無下にはできんからな……だが、一つ条件がある。お前が孫として頼んでくるなら、わしも爺としてお前に頼む」


牌流「なに…?」


今賀斎甲「自分でこの道にお前を招いておいてなんだが……、わしもやはり孫は可愛い。あの横着な蛇龍乃に頭を下げてまで牌を危険に晒したくなかったからな」


今賀斎甲「……牌、忍びは辞めてここでわしと暮らせ。これが秘薬を授けてやる唯一の条件じゃ」


牌流「……」


今賀斎甲「悪くなかろう? お前一人が忍びから足を洗うだけで、立飛と紅寸が助かるのじゃ」


牌流「嫌だ。私は忍びを辞めない。秘薬も作ってもらう。紅寸も助けてもらう」


今賀斎甲「牌、お前……ふははっ、あーはっはっは! ふふ、冗談じゃよ。今更、蛇龍乃からお前を取ったりせんよ。じゃなかったら、とっくの昔にそうしてる」


牌流「……うん」



今賀斎甲「さて、紅寸の治療から始めるか。牌、そいつをこっちに寝かせろ」

牌流「うんっ」


今賀斎甲「それからそこの小娘」

鈴「あ、あたし? は、はいっ」

今賀斎甲「お前、誰じゃ?」

鈴「……」


鈴「え、えっと、あたしは……鈴っていいます」


今賀斎甲「……牌、お前と一緒におるということは、この娘も」

牌流「あー、鈴ちゃんはまだ忍びってわけじゃなくて……なんていうんだろ、猶予中?」

今賀斎甲「……まぁよい。小娘、お前は外にある井戸で水汲んでこい」

鈴「は、はいっ!」





キコキコキコ……


ジャバー…


鈴「……なんかあたし、水汲んでばっかじゃない?」



溜まっていた血を抜き、消毒。

そして、縫合。

今賀斎甲によって、手際良く処置が施される。



今賀斎甲「……先程飲ませた薬も効いて、すぐに熱も下がるじゃろ」


牌流「ありがと、じーちゃん」



紅寸「すぅ……すぅ……くすぅ……くすぅ……」


鈴「くっすん、寝ちゃった」

今賀斎甲「こやつは昔からぶっ倒れるまで無理する癖があるからな……牌、よく言い聞かせておけよ」

牌流「…うん。蛇龍乃さんに叱ってもらう」

今賀斎甲「うむ、それが一番じゃな」




今賀斎甲「あとは、立飛の秘薬じゃったな……」

牌流「何か手伝うことある?」

今賀斎甲「……いや、不要じゃ。知識も無いお前がいても邪魔になるだけじゃ」

牌流「はいはい、相変わらず愛想無いんだから」

今賀斎甲「……帰りもあの山道じゃろ? 今のうちに休んでおけ」

牌流「うん……あ、ならその間に御飯作ってあげるよ。じーちゃん、いつも何食べてるの?」

今賀斎甲「米や、畑の野菜……そんな大したもんは食っとらん」

牌流「ちゃんとしっかり食べなきゃ駄目だよ。ちょっと待っててね、すぐ用意するから」

鈴「あたしも手伝うよ」

牌流「鈴ちゃんはちゃんと休んでて。一番体力無いんだから」

鈴「はーい…」



トントントン…


牌流「…ねぇ、じーちゃん」


今賀斎甲「……やかましい、喋り掛けるな……手元が狂う」

牌流「むぅー…」


今賀斎甲「……なんじゃ、どうした」

牌流「うん、もうそろそろ完成するけどそっちはどう?」

今賀斎甲「…まだかかる。お前らで先に食っておけ」

牌流「…せっかくこうして一緒にいるんだから、待ってるよ」

今賀斎甲「……ふんっ、勝手にせい…」


牌流「ふふ、もう素直じゃないんだから……あ、背中、こんなに小さかったんだ……」


鈴「家族、かぁ……みんな元気にしてるかなぁ……」



「きゃぁーーっ!!」


突如、家の外から悲鳴が上がる。


牌流「…っ!?」

鈴「な、なに、なんだろ……」


ガラッ…


扉が開き、一人の村人が入ってきた。


「こ、甲さんっ!」


今賀斎甲「…どうした、何があった」


「山賊がっ、山賊が村を襲いに来やがった!」


鈴「さ、山賊……っ」


今賀斎甲「チッ……こんな時に……わかった、すぐに」

牌流「いいよ、じーちゃん。私が行く」

今賀斎甲「馬鹿を言うな、お前に何が」


牌流「隠居した年寄りは無理しないの。それに、過保護も結構だけど……あまり私をナメないでよね」


そう言って、牌流は家の外へと飛び出していった。




「おい、さっさと金になるもの全部集めてこい!」

「酒もあるだけここに持ってこいよ! はははっ!」

「それか面倒だから皆殺しにしちまうか。こんなちんけな村、どうなったって誰も困んねーだろ!」

「それもそうだな、ひゃはははっ!」


あれが山賊。

数は、四人。
武器は……大鎌、刀、棍棒。

まぁ、なんとなるか。




牌流「──ねぇ、そんな格好でこの村に入ってこないでくれる?」


「あぁ…?」



「おっ、女じゃん! しかも若い姉ちゃんだぜ!」

「はははっ、つーか今この女なんつったよ?」

「威勢がいい女は嫌いじゃねぇけど、まずは痛い目に遇ってもらって、それからゆっくりお楽しみといくか」

「おい、顔はやめてやれよ。綺麗なままにしておけばあとで売り物になるかもしれねぇ」



牌流「随分とお喋りがお好きみたいね。それとも女に負けるのが怖いのかしら?」


「んだと、コラァッ!!」

「調子乗んなよ、女のクセによぉっ!!」


牌流の挑発に乗り、突っ込んでくる山賊の四人。

牌流を目掛け──抜かれる刀、振り下ろされる棍棒、そして大鎌。


……完全に殺す気じゃん。後で楽しむとか言ってなかったっけ?


牌流「…遅い」


これをなんなく回避する。

戦闘経験は多くない牌流であったが、里では常に皆と鍛練に励んでいる。

あのヱ密や立飛の相手をすることもあった。

手練れの忍びとただの山賊。

その差は歴然だ。

ヱ密に比べると誇張無しにそれはスローモーションのように感じた。


山賊たちの目には消えたように映っていただろう。

牌流は避けると同時に背後へと回り込み、手刀を数発浴びせた。


「ぁぐッ──!」


山賊たちにしてみれば、それは華奢な女によるものではなく、屈強な大男に殴られたのと同じ衝撃だった。

悲鳴を上げる間もなく、崩れ込む四人の輩。


そして、牌流は静かに言った。


牌流「──消えろ。二度とここに近付くな。さもなくば殺す」


可愛らしいその姿からは想像し難い迫力。

言い表せない恐怖が襲う。
この女は本気だ。本当に殺そうとしている──。



そうして山賊たちはこの村から逃げ出していった。





牌流「ふぅー…」


軽く溜め息を吐く牌流。

すると、そこに。


パチパチパチ…


牌流「へ?」


拍手喝采。

気付けば村人が集まり、勇敢に戦い賊を追い払った牌流へ称賛の声を上げていた。

一瞬、忍びということがバレたのではないかとヒヤッとしたが。

それは忍びであることなど関係無しに、ただ村を救った一人の人間へと向けられたものであった。



牌流「あ、あはは……いやぁ、どうもどうも……」



そして再び、今賀斎甲の家へと。



牌流「ただいまー」


鈴「おかえり、ぱいちゃん。すごかった、カッコよかったよー」

牌流「まぁねー! どうだった? じーちゃん」

今賀斎甲「…まぁまぁじゃな」

牌流「うん」


今賀斎甲「……牌、飯の支度をせい。腹が減った」

牌流「あ、うん!」

今賀斎甲「それと……ほれ、秘薬じゃ。これを水と一緒に飲ませてやれ」

牌流「わっ、ありがとー! さっすがー! じーちゃん大好きー!」


今賀斎甲「まったく……調子の良い奴め……」



牌流「じゃあ、鈴ちゃん」

鈴「ん?」

牌流「鈴ちゃんが持ってて。途中で落っことしたりしないでよ?」

鈴「え、あたしが持ってるの? なんか怖いんだけど、責任重大……ぱいちゃん持っててよー」

牌流「…あー、私はほら、今から御飯の準備するから」

鈴「あ、そっか。ん……無くないように頑張る」





牌流「はーい、お待たせー」


鈴「わぁ、おいしそー!」

今賀斎甲「ほぉ……これはなかなか」


紅寸「ん、んー……ご飯の、匂い……」


鈴「あ、くっすん。起きて大丈夫なの?」

牌流「どうなの?」

今賀斎甲「まぁ心配ないじゃろ」


紅寸「くすんも、ご飯食べる……」


鈴「動ける? そっちに持ってってあげよっか?」

紅寸「うーん……大丈夫そうだ。ていうか動けなかったら帰れないしね。…って、あっ! 元頭領だ……こんにちわ」

今賀斎甲「今更過ぎるわ…。お前ら、さっさと食って帰れよ。蛇龍乃の奴も立飛もお前らの帰りを待っておるのだろう」

紅寸「うん。早く立飛を目覚めさせてあげないと」

鈴「だねー」

牌流「……」






今賀斎甲「──では、達者でな」


鈴「はーい」

紅寸「ありがとうございましたっ、傷の手当てもしてくれたみたいで」

今賀斎甲「忍びに言うのもおかしな話じゃが、あまり無茶するなよ」

紅寸「はいっ!」


紅寸「じゃあ行こっか」

鈴「うん!」


牌流「……」


鈴「あれ…? ぱいちゃん?」

紅寸「どしたの?」


牌流「……私、ここにいる」


鈴「え?」

紅寸「何言ってるの…」


牌流「紅寸、鈴ちゃん、ごめんね。蛇龍乃さんや皆にも伝えておいて。……牌流は、里には戻りません」



今賀斎甲「……牌」


紅寸「ちょ、ちょっと待ってよ…! なんでそんないきなり」

鈴「そりゃあ家族だもんね……一緒にいたいよね」

紅寸「鈴ちゃん……いいの?」

鈴「…寂しいよ。寂しい、けど……ぱいちゃんが決めたことだから」

紅寸「で、でも…」

鈴「わかってあげよ…?」

紅寸「……っ」


牌流「紅寸、今まで一緒に忍びやれて楽しかった。ごめんね」


牌流「別に忍びが嫌になったわけじゃないよ。ただ、またさっきみたいなことがあると心配だし。こんな私でも、この村一つくらいは守ってあげられる」


牌流「……鈴ちゃん。そういえばまだ謝ってなかったよね」


鈴「へ?」


牌流「空蜘の件の時、騙しちゃってごめんね? 短い間だったけど、一緒にいられて嬉しかったよ」



牌流「バイバイ。紅寸、鈴ちゃん──」




昨日と同じ道を辿り、妙州の里を目指す鈴と紅寸。


三人でいた時のような賑やかさは無く。

足音だけが森へ響く。

与えられていた任務は無事に果たしたが、今はそれより──。

なんとも言えない空虚感に包まれていた二人だった。






『忍法』、それは選ばれし忍びの心に蔓延る非情な謀

ある忍びは蜘蛛糸の術をめぐらせ、ある忍びは蛇毒の術をめぐらせる

大忍者時代

狡猾さを競いあう二つの忍び

その名を蜘蛛と蛇といった……


妙州の里



鈴「はぁ……疲れたぁ、やっと帰ってこられた」

紅寸「もう夜かぁ。陽が沈むまでには着くと思ってたのに。ごめんね、鈴ちゃん」

鈴「ううん、くっすんは怪我してるんだから無理しちゃ駄目。最高さんにも言われたでしょ」

紅寸「…ん」




ヱ密「お疲れ様。秘薬貰えた?」


鈴「…うん」

紅寸「でも…」


ヱ密「牌ちゃんは……そっか」

紅寸「死んじゃったわけじゃないよ」

ヱ密「…うん、わかってる」

鈴「わかってるって……知ってたの? えみつん」

ヱ密「さっき蛇龍乃さんからね。こうなるかもって」

鈴「そう…」

紅寸「……」

ヱ密「……疲れてるだろうけど、蛇龍乃さんとこに報告」

鈴「うん」



ヱ密「あれ? 紅寸、足どうしたの? なんか歩き方おかしい」

紅寸「ちょっとね。でも大したことないよ。治療もしてもらったし」

ヱ密「そう? あれだったら鈴ちゃんだけでも」

紅寸「…ううん、私も行く」


蛇龍乃の間



鈴「──てわけで、秘薬は貰えたけど。ぱいちゃんが…」


蛇龍乃「そっかそっか。うん、まぁご苦労さん」


紅寸「……」


蛇龍乃「今日はもうゆっくり休んでていいよ。あ、立飛に秘薬を与える時になったら鈴ちゃんには協力してもらうから、それまでは」

紅寸「なんで牌ちゃんを行かせたの…」

鈴「く、くっすん…」

蛇龍乃「……」

紅寸「こうなるくらいだったら私と鈴ちゃんだけで行けばよかったのに……っ、全部知ってたうえで、こんなっ…!」

蛇龍乃「……」


紅寸「私も、牌ちゃんも、みんなだって……この里のために、あんたに命を預けてるのに……酷いよ、こんなの……」

紅寸「牌ちゃんは、忍びなのにっ、死ぬ機会も与えてもらえないどころか……それを奪うようなこと」


蛇龍乃「……忍びだからといって死んでいいというわけじゃない。命を賭けるからといって死んで当然と思ってほしくない……忍びだから他の人間と比べて命が軽いと思ってない? 紅寸は」


蛇龍乃「同じ忍びであってもその命の重さは等しい。私の命と紅寸の命を天秤に乗せても釣り合いが取れるほどにね。まぁそこらへんは状況や先を見越しての判断も自ずと関わってくるから必ずしもではないけど」


蛇龍乃「……それでも、一つの命は一つの命であり、一つの死は同じく一つの死だ」


蛇龍乃「その逆も然り。死を宿命とする忍びがいるように生きることを宿命とする者もいる。人の生き方なんて砂塵よりも遥か無限に存在する……そこで幸せを欲して何が悪い?」


蛇龍乃「選んだのは牌流だ。もしそれがどうしても気に入らないというなら、向こうが呆れ折れるくらいに説得したり、無理矢理にでも引き摺り帰ってくればよかったんじゃない?」


紅寸「……っ」


蛇龍乃「それをしなかった……ということは、紅寸だって本当はわかってるんでしょ。でも自分の思いも確かに在る、それは当然だ。だから気の済むまで私を責めていいよ」




紅寸「……ずるいなぁ、やっぱり」


紅寸「生意気なこと言ってごめんなさいっ!」


蛇龍乃「ははは、いいよいいよ。ていうか紅寸はちょっと生意気なくらいがちょうどいいし」

蛇龍乃「ほら、二人とも休んでおいで。ヱ密、風呂沸かしておいてくれた?」

ヱ密「うん」

蛇龍乃「だ、そうだ」

鈴「え?」

紅寸「いいの?」

蛇龍乃「今日だけは特別ね」



鈴「ふぁー、スッキリしたぁ。やっぱお風呂は気持ちいいねぇ。あ、喉乾いた……水、水」


空蜘「ごくっごくっ……ぷはぁー」


鈴「あ、うっちー」

空蜘「なんだ、鈴か」

鈴「もう動けるようになったの?」

空蜘「ふふ、まぁねー。一流の忍びは治癒力も高いから。そこの誰かさんはまだひーひー言ってるけど」

鹿「そ、そんなひーひーなんて言ってないし…!」

空蜘「弱いって可哀想。私にはそんな気持ち一生わからないんだろうなぁ」

鹿「誰がっ…」

鈴「うっちー、シカちゃん虐めちゃ駄目だよ?」

鹿「いじめられてないもんっ! ていうか鈴、生意気! 殺すよ?」

鈴「シカちゃんが言うとマジっぽいからやめてください。ごめんなさい」

空蜘「ふぅん、鈴には強気なんだぁ? 弱い者いじめなんてダサーい。まぁ私は弱い者いじめ大好きだけどね」

空蜘「鈴、鹿ちゃんに虐められたら私に言うんだよ? 代わりに私が千倍にしてお返ししてあげるから」

鈴「うん!」

鹿「うん、じゃなくて……空蜘を味方につけるとか卑怯だ卑怯ーっ!」




空丸「……」



空丸「……」


ヱ密「……?」


空丸「はぁ……」


ヱ密「…わっ!」

空丸「ひゃっ!? え、ヱ密…!? またー? ていうか今のは完全にわざとでしょっ!」

ヱ密「何してんの?」

空丸「…別にー」

ヱ密「ふーん……空丸さぁ」

空丸「なに?」


ヱ密「妬いてるでしょ?」


空丸「なっ、ななななっ……なんでっ!」

ヱ密「鈴ちゃんがみんなとどんどん仲良くなってくから。私が一番最初に唾付けたのにそれを横からかっさらいやがってこの泥棒蛇泥棒蜘蛛共がー」

空丸「お、思ってないからそんなのっ!」

ヱ密「ホントにー?」

空丸「ああもうっ、ヱ密しつこいー!」

ヱ密「はいはい」

空丸「もぅ……」



ヱ密「鹿ちゃん、空蜘ー」


鈴「あ、えみつんだ」

空蜘「なんか用? 今、鹿ちゃん虐めてるから忙しいんだけど」

鹿「絶対近いうちに空蜘より強くなってやるもんっ…!」

ヱ密「包帯替えるから治療室行くよ。薬も塗り直さなきゃ」

空蜘「いや、もう動けるから別にいらない。そのうち勝手に治るでしょ」

鹿「あー、私も大丈夫かなぁ。そこまで痛み無いし。既に治ってんじゃない?」

ヱ密「でもちゃんと治療しないと長引いちゃうよ?」

空蜘「へーきへーき」

鹿「いいっていいって」

ヱ密「そういうわけには」

空蜘「もーしつこいー」

鹿「ヱ密は心配性だね。私だってそんなやわじゃないってー。あはははー」


ヱ密「……ふーん、あっそー。私、今すんごい二人の治療してあげたい気分なのに。そっかそっか、もう治っちゃったかー……じゃあまた新しく怪我してもらうしかないか」


空蜘「っ!?」

鹿「い、いきますいきます…!」

ヱ密「よし、素直でよろしい。……でも次からは余計な手間取らせないでね?」

鹿「……はい」

空蜘「はいはい…」



鈴「……さすがえみつん、強いなー」


空丸「……」


鈴「おや? そら、いつの間に。何してんの?」

空丸「ん、御飯の仕度。牌ちゃんいなくなったから私がやんなきゃ」

鈴「そっか。手伝うよ」

空丸「…いい」

鈴「なんで?」

空丸「一人でやりたいから。それに鈴はまだここの仲間と認められたわけじゃないし、御飯はみんなが口にするものだから」

鈴「あ、ごめん。そうだよね」



空丸「……」


鈴「……ねぇ、そら」

空丸「…なに?」

鈴「なんか久しぶりだね、こうして二人で話すの」

空丸「あ、うん。そうだね…」

鈴「……うん」

空丸「……」


鈴「あたしも早く認められてみんなにご飯作ってあげたいなぁ。タイ料理は得意なんだよ、あたし」

空丸「鯛料理?」

鈴「うん、タイ料理」

空丸「ふーん……でも、鈴はずっとここにいるわけじゃないんでしょ。殺されるのが嫌だからとりあえずの居場所としてここに留まるだけで」

鈴「……」


鈴「……」


空丸「だからいつかはいなくなっちゃう。ごめんね、私が連れてきちゃったから。余計なことしたよね」


鈴「……そら。なんか怒ってる……?」

空丸「怒ってない」

鈴「じゃあ拗ねてる?」

空丸「拗ねてもない」

鈴「んー、じゃあなんだろ……」

空丸「……ていうかこんな所にいないで、みんなのとこ行ってくれば?」

鈴「へ? ううん、そらと一緒にいたいから」

空丸「…さっきも言ったけど本当に怒ってるわけじゃないから。だから、鈴をこの里の仲間として迎えることに意地悪して反対したりなんかしないし……私の機嫌なんて窺わなくていいよ?」

鈴「ん? ああ、それなら全然心配してないから」

空丸「それはそれでどうかと思うけど…」

鈴「あはは、だよね。じゃりゅにょさんも言ってた。最も信用してる人に裏切られるなんてよくあることだー、って」

空丸「だったら」

鈴「それでもあたしは、そらのことは一番信用してるから」

空丸「え……?」

鈴「だってそうじゃない? そらは一番最初にあたしを助けてくれたんだし」

空丸「それだけで…? 鈴は考えが甘すぎ」

鈴「いいじゃん、今だけは。だってまだ忍びじゃないし」


鈴「あたしの世界のそらと今目の前にいるそらはまったくの別人かもしれない。ただのそっくりさん、ドッペルゲンガー、名前だってたまたま同じなだけかも」

鈴「だからあたしは、そらだから信じるんじゃなくて。そらだから信じたいって……そう思ってる」


鈴「たとえそらが裏切ったとしても。信じたいって気持ちはたしかにそこにあったものだし、その時のあたしをあたしは誇ってるんじゃないかな」


空丸「……」


鈴「あはは、バカだよね。甘いよね。何言ってるかわかんないよね? でも、そらのことは出逢った時からずっと大好きだもん。こればっかりは仕方ない、うん」

空丸「……ふふっ、本当に何言ってるかわかんない。けど、なんか嬉しい……会ってまだ二日くらいなのに、不思議……」


空丸「私も…、私も鈴のこと信じたい。そしてそれを誇れる自分になりたい」

鈴「そら…」


空丸「ごめん。態度悪かったよね。ごめんなさい」

鈴「ううん、いいの」

空丸「よし、それじゃあ鈴、そこにお皿並べといてくれる?」

鈴「…うん!」


蛇龍乃の間



蛇龍乃「はむっ……もぐもぐ……」


自室にて晩飯を食べる蛇龍乃。


蛇龍乃「もぐもぐ……ずずーっ……いやぁ、ぼっち飯は美味しいなぁー!」


蛇龍乃「……」

蛇龍乃「……別に寂しくないし」

蛇龍乃「…つーか鹿め、自分で側近とか言っておきながら私ほったらかしに、空蜘や鈴ちゃんとばっか楽しそうにわちゃわちゃしやがって……」


……ここにも一人、陰ながら嫉妬を募らせる者がいた。



蛇龍乃「ごちそーさん……さて、そろそろやるか。よっこらせ、っと…」



重い腰を上げ、向かった先は。

立飛が眠っている治療室。


蛇龍乃「ん…?」


……扉を開け、中へ入ると。



鹿「あ、じゃりゅのんだ」

紅寸「いらっしゃーい」

ヱ密「ご飯食べ終わりました?」


その他にも、空丸、空蜘、鈴の姿もあり。
この里で暮らす者全員が揃っていた。



蛇龍乃「……もしかして、私、ガチでハブられてる……?」


蛇龍乃「ごめんよ……そうだよね。ぐすっ……私なんかいても皆の憩いの妨げになるだけだもんね……」

蛇龍乃「ふふふ……消えるわ……この里から、この世界から……さらば」


空丸「え、ちょっと…!」

鈴「わー! 待って待って! じゃりゅにょしゃんっ!」



蛇龍乃「え……いていいの? こんな私なんかでも……皆と一緒に」


空丸「当たり前ですよー」

鹿「つか何のキャラだよ、それ…」

ヱ密「私たち、蛇龍乃さん来るの待ってて」


蛇龍乃「え? なんで? 誕生日かなんか?」


鈴「なんでって…」

空蜘「そろそろかなぁーって」

紅寸「立飛復活の儀」


蛇龍乃「あー、なるほどね。それで」


蛇龍乃「……」


空蜘「……?」

空丸「あれ? そのつもりでここに来たわけじゃないんですか?」


蛇龍乃「あー、いや……そのつもりだよ。そのつもりだけど」


蛇龍乃「……悪いんだけどさ、私と鈴ちゃん以外ここから出ててくれない?」

蛇龍乃「あ、ヱ密はいてくれ。それと、私が許可を出すまでここには入ってくるなよ。というわけで、鹿と空蜘は今夜どこか別の部屋で休んで」


空蜘「別にいいけど」

鹿「なんで?」

紅寸「いちゃいけないの?」


蛇龍乃「うん、駄目」


紅寸「どうして?」


蛇龍乃「……人間なら誰だって、見られたくない姿の一つや二つあるだろ」




立飛「……ぅ……すぅ…………ぅ……」


鹿「見られたくない姿、って……」

紅寸「よくわかんないけど、私たちだって立飛が気になるよー!」


蛇龍乃「駄目駄目。ヱ密」


ヱ密「うん。はい、鈴ちゃん以外のみんなはお忘れ物のないよう速やかに退場してくださーい」

鹿「えー!」

紅寸「横暴だー!」

ヱ密「はいはい、頭領の言葉には従いましょうねー。立飛が起きるかもしれないっていうのに、代わりに誰かが私の手により永眠することになったら困るよね…?」

鹿「ひっ…!」

空蜘「なんかあるとすぐ力で屈伏させようとするよ、この人!」

紅寸「ヱ密の暴力忍者ー!」

ヱ密「はい退場退場ー。空丸、連れてってこの子たち」

空丸「はーい」


鹿「ちぇー…」

紅寸「一体何が始まるというんですかー」


ヱ密「わかってると思うけど、こっそり覗こうだなんて間違っても考えないことね」

ヱ密「私と蛇龍乃さんに勘づかれない自信と半殺しになる覚悟があるなら、別だけど?」




ヱ密「まったく……まぁ仲間が心配で気になるのはわかるけど」


蛇龍乃「やっと出てったか。よし、んじゃ始めるか…」

ヱ密「…私を残したってことは、そういうことになると…?」

蛇龍乃「んー、まぁそうならないのが一番だけど。念の為」


鈴「なんか怖い……」



蛇龍乃「……さて、ジジイが調合した秘薬を飲ませるところからだな」


ヱ密「はい、お水」

蛇龍乃「ん、ありがと」


立飛「……ぅ……すぅ…………ぅ……」



蛇龍乃「頑張って飲むんだぞ、立飛」


粉末状の秘薬を立飛の口に。

そして、ゆっくりと水を流し込む。


立飛「……っ……ぅ…………ッ……」


蛇龍乃「…よし、飲み込んだな」

ヱ密「その秘薬、即効性はあるのかな」

蛇龍乃「あるよ」

ヱ密「わかるの?」

蛇龍乃「ジジイの秘薬だからね。あのジジイは老い先短ければ、気も短いときたものだ」

ヱ密「だから回復までの時間も短いと? どういう理屈なの…」

蛇龍乃「まぁ見てればわかる」








立飛「すぅ…………すぅ…………すぅ……」



ヱ密「…呼吸が規則的になってきた」

蛇龍乃「腕は鈍ってないようだな、ジジイ」

ヱ密「これで潜在的な意識は活動を再開したってことでいいの?」

蛇龍乃「うん。でも精神に拘わる繊細なものだから、念の為もう少し時間を置こう」



立飛「すぅ……すぅ……」


鈴「ねぇ、これって普通に眠ってるように見えるけど。揺さぶったりして起こせないの?」

蛇龍乃「やってみたら? 無駄だと思うけど」

鈴「…うん」


鈴「りっぴー、りっぴー」

立飛「すぅ……すぅ……」


鈴が何度も身体を揺らして呼び掛けても、立飛は依然として眠ったままだった。


鈴「駄目かぁ……」

蛇龍乃「だろうね」

ヱ密「てことは、予め話してたように」

蛇龍乃「うん。ここからは鈴ちゃんの仕事」

鈴「……このスマホで、りっぴーを撮ればいいんだよね」

蛇龍乃「そうそう。何も難しいことじゃない。頼んだよ」

鈴「…うん!」


蛇龍乃「……ヱ密」

ヱ密「…わかってる」



立飛「すぅ……すぅ……すぅ……」

鈴「……」


鈴はスマホを手に、立飛の側に立つ。

そして──。


鈴「……りっぴー、戻ってきて」


鈴「ふぁんふぁん、ふぁんたじー!」
ピッ


カシャッ…


スマホが光を放ち、シャッターが押された。



立飛「……すぅ……っ、ぁ……か、はっ……ぅ……ッ」


立飛が長く閉ざしていた瞳を覗かせる。


鈴「りっぴー! よかった、目覚まし」

蛇龍乃「下がれっ、鈴ちゃん!」

鈴「え…」


立飛「ぅぅ……っ、あっ……うぅぅぁぁあああああっ!!!!」


起き上がった立飛は眼前にいる鈴へ、掴み掛かろうと腕を伸ばす。


鈴「きゃっ…!」


腕が届く間際で制したのはヱ密だった。

立飛の両腕を取り、のし掛かるように暴れる体を押さえ付ける。


立飛「ぁぁ……ぅうううっ、ぐぅぅぅっ……!!!!」


ヱ密「立飛っ、終わったから! もう、ここは戦場じゃない。妙州の里」



鈴「ど、どういうこと……あたし、失敗しちゃったの……」


蛇龍乃「いや、あれで成功だよ」

鈴「じゃあなんでりっぴーはっ」

蛇龍乃「さっきも言ったでしょ? 意識に干渉する秘薬だったり今みたいな術だったり、精神に拘わる繊細なこと」

蛇龍乃「混在していた意識は元の場所へと戻った。戻ったからこそ、立飛の今の状態だ」


鈴「混乱してるの……?」

蛇龍乃「簡単に言えばそうかな。立飛が術を使用した……本来ならば禁じられていた術を使用したんだ……その時の状況は恐らく、死の間際だったり、死と隣り合わせだったんだろう」

蛇龍乃「いくら忍びといえども、死は恐ろしい。そうでなくても立飛はこの里で一番若いからね」


蛇龍乃「ああ、鈴ちゃんは見てたんだっけ。術を使った時、立飛がどんな精神状態にあったのか……想像つく?」


鈴「わ、わかんないよ……そんなの」

蛇龍乃「うん。私もわからない。本人以外、誰もわからない」



尚もヱ密に押さえ付けられたまま、もがき続ける立飛。


立飛「ぁぁあああっ、うぅぅぐぅっ…!! ぁぁああああああっ!!!!」

ヱ密「…っ、くっ……この子、こんなに力強かったっ、けっ…?」


蛇龍乃「ははっ、立飛は最も伸びしろがあるとこの私が睨んでいたからね。意識の深い所を小突いてやったことで、眠っていた力が一気に解放されてるんでしょ」

鈴「そんな呑気な…」


ヱ密「ああ、そうっ…、これ……私じゃなかったらっ、完全に殺されてたよ、くっ…!」


蛇龍乃「うん、だからヱ密を残しておいた。ありがとう、助かったよ」





そして、その一時的な力の暴走も底を付きてきたのか。

徐々に抗う力も弱くなってきた。


立飛「ぅぅっ……ぐっ、ふぅっ、ふぅっ……ぁ……ぅぅうううっ……!!」

ヱ密「はぁ……はぁ……」



立飛「ぁ……ふっ……はぁっ……ぁ……ゅ…」



蛇龍乃「ヱ密、もう離してやって」


ヱ密「うん…」

蛇龍乃「またさっきみたいになったらよろしく」

ヱ密「はいはい…」

鈴「……も、もうりっぴーは大丈夫なの?」

蛇龍乃「……いや」



立飛「……ゅ……きゅ……っ、はぁっ……ぎゅ……ぅぅ……っ!」



鈴「りっぴー……?」

蛇龍乃「……」


先程までとはまた様子が違う苦しみに襲われているかのような立飛。


立飛「ぁぎゅ……ぐぁ、はっ……ふぁ……ぅぁ……ぅぅあっ……」


立飛「はぁっ、ふぁ……っ、ぅう……はぁっ、はぁっ、はぁっ……!」



荒い呼吸。

涙、鼻水、涎、大量の汗を顔面から垂れ流し。

苦しみに悶える。


立飛「ぁ……かっ、ふっ……ぎゅぁ……ッ、ぉ……あ……ぉえぇぇぇぇぇっ……!!」


更には、嘔吐までも──。




鈴「り、りっぴーっ……!」


自分の知っている立飛とは、あまりにもかけ離れた姿を。

辛い……胸が痛い。

あんなに苦しそうにしているのに、私は何もしてあげられない。

見てられなくなり、思わず目を瞑ろうとする、が。


蛇龍乃「目を背けるなっ!」


蛇龍乃「何も間違ってないよ。鈴ちゃんのおかげで何人もの命が救われた……でも同時に、その代償があれだ」


蛇龍乃「術を破るというのはそう単純な話じゃない。これから先も使うことがあるかもしれない……だが、使い方次第ではああなってもおかしくないということ」


蛇龍乃「自らの行動によってもたらせた果てを……しっかりと目に焼き付けておくといいよ」



立飛「はぁっ、はぁっ、ぅぅ……ッ……ぁ、ぁぁあああっ、ぎゅ……がぁ、はぁっ……!!」



鈴「……っ」


鈴「ごめん、なさい……ごめんなさい、りっぴー……ごめんな、さい……」


蛇龍乃「私は怒ってるわけじゃないし、責めてるわけでもない。言ったでしょ? 鈴ちゃんのおかげって」


蛇龍乃「だが、言い方を変えれば鈴ちゃんのせいで、ともなる。今、鈴ちゃんは自分のせいで立飛が苦しんでいると後悔してるんだろうけど……それは少し違う」


蛇龍乃「鈴ちゃんの“おかげ”でどうなったか……誰も死なずに済んだ。鈴ちゃんの“せい”でどうなったか……見ての通り、今の立飛だ」


蛇龍乃「誇らしく思うのも、嘆くのも自分の好きにすればいい。だが、“おかげ”だとしても“せい”だとしても重なるものがある。何かわかる?」


蛇龍乃「責任だ。何をするにあたってもそれは必ず付いて回る。こうしたらどうなるか、ああしたらどうなるか……術を使うなら尚更」


蛇龍乃「……鈴ちゃんには、どうかそのことを忘れないでいてほしい」


鈴「…………はい」






それから半日に渡って、立飛は苦しみ続けた。


鈴はその間、眼前の光景を受け入れるべく、目を背けることは一度もしなかった。


そして、正午過ぎ。



立飛「……っ、ん……んん……」


一旦は意識を失い、眠りについていた立飛が目を覚ます。



立飛「ここ、は…………私、生きてる……夢……?」



鈴「りっぴー……っ、よかった……」

立飛「り、鈴っ……? なんで……私は……あれ?」


まだ混乱している。

当然ながら、何が起こってどうして自分がここにいるのか理解出来ない。

空蜘に入って、自分は鹿に殺される筈だった。

そうなる為に命の全量を注ぎ、術を行使した。

が、記憶を辿ってみれば……鹿に殺される直前に自分の意識が突如消し飛んだのを覚えている。

精神が耐えられなかったのか。

いや、違う……あれは他からの干渉があった。

他? あの状態の自分を誰がどうできるというのか。

術を封じられた? いや、破られた……破壊された。

術を破壊? そんなこと……



立飛「ハッ…! 鈴っ、この、よくもっ!」


長らく眠ったままだったのが嘘に思えるくらい、滑らかに頭を回転させ。

記憶を手繰り寄せ、導きだした解答──目の前にいる敵を睨み付ける。



パチンッ──!!


不意を突かれ、頬に衝撃が走る。

それは鈴の頬にではなく、立飛へ向けられた平手打ちだった。



立飛「え……?」


蛇龍乃「……馬鹿。心配させるな、……馬鹿」

立飛「ぁ……ごめんなさい…」

蛇龍乃「……でも、よく頑張ったな。偉いぞ、立飛」


ぽんと立飛の頭に手を乗せ、撫でる蛇龍乃。

その瞳には涙が浮かんでいた。


立飛「……うん。あっ、鹿ちゃんはっ!? 鹿ちゃんは無事なの!?」

蛇龍乃「向こうでピンピンしてるよ。後でここに来させる」

立飛「そっかぁ……よかった……ぐすっ……ねぇ、私が意識無くしてからどうなったの?」

蛇龍乃「あー、それは鈴ちゃんに聞いて。私はもう疲れた……眠い……ふわぁ……んじゃ」


蛇龍乃「…あ、忘れ物」


パチンッ──!!


鈴「痛ぁっ! な、なんでー?」

蛇龍乃「ん、なんとなく。立飛だけ叩かれるの可哀想じゃん? ふふっ」

鈴「うぅ……」


蛇龍乃「これで少しはスッキリしたでしょ? 立飛」

立飛「あははっ、まだちょっと足りないかなぁ?」

鈴「え、えぇー……」

蛇龍乃「まぁ死なないくらいに程々にな。そんじゃ」



鈴「──てわけで、ごめんね。りっぴー」


立飛「え、空蜘もここに……って当然か。それが任務だったもんね。えっと、あとは私のために今賀斎のじーちゃんのとこに」

立飛「それで、牌ちゃんが……」


鈴「…うん」

立飛「私が眠ってた間になんか色々あったんだぁ……あんまりついていけない」

鈴「りっぴー、助けに来てくれてありがとね」

立飛「…まぁ、任務だし」

鈴「まだ怒ってる…? 殺さないって約束してくれるなら、蛇龍乃さんが言ってたようにあと2発くらいなら……」

立飛「……もういいよ。鹿ちゃんが無事で、こうして私も生きてるんだし」

鈴「そっか」

立飛「…私も、鈴にお礼言わないと。……ありがと」

鈴「怪我の方は大丈夫?」

立飛「大丈夫のわけないでしょ。右肩折れてるわ、お腹に穴空いてるわ……痛いに決まってるよ」

鈴「だ、だよね……りっぴーって全然顔に出さないから」


ガラッ…


鹿「立飛っ!」


鈴「あ、シカちゃん」

立飛「ホントに元気そう」


鹿「立飛っ、起きてくれてよかったよぉーっ!!」
ギューッ

立飛「ぅぎゃっ! って、痛いわっ!」

鹿「あはは、ごめんごめん」


鈴「ふふ、じゃああたしはこれで」


鹿「あ、鈴っ……立飛のこと、ありがと」

鈴「うん、二人が元気であたしも嬉しい」



立飛「…なぁに? 今の……随分と甘い顔しちゃって」

鹿「そんなんじゃないよ。でも、少しくらいは感謝してあげてもいいかなぁ、って」

鹿「鈴がどんな奴だろうと、どんな変なことしようと、立飛の命がここにあるのは鈴があそこにいてくれたからこそだから」

立飛「……」

鹿「複雑そうな顔してる」

立飛「ちょっ、だから近いって!」
バシッ

鹿「ぐほぁっ…! あ、あのぉ……私も、一応怪我人なんだけど…」

立飛「あ、ごめん……」


ガラッ…


空蜘「おじゃましまぁす」


鹿「おっ…」

立飛「う、空蜘……」


空蜘「あ、二人がかりでもまったく私に歯が立たなかった人たちだぁ♪」


立飛「むぅ……」

鹿「そんな包帯ぐるぐるでよく言えるよねぇ」

立飛「空蜘ってここの仲間になったって本当…?」

空蜘「さぁ? どうだろ? 再戦ならいつでも受けてあげるよ。あー……でも、あの術受けるのだけはちょっと勘弁かも」

立飛「もう使わないよ。術無しでも次は勝ってみせるから」

空蜘「あはっ、おもしろい」



その後も入れ替わり、立ち替わりで皆、立飛の元を訪れていた。



そして夕刻。


場所、大広間。



鈴「あぅ……」


後ろ手に縛られた状態で、正座を強いられている鈴がいた。


夕刻。そう、即ち──鈴がこの里に来てから丸三日が経過した。




蛇龍乃「よし、皆揃ったなー?」


場に一同に会する、妙州の里の衆。


蛇龍乃「……鈴ちゃん、覚えてるよね? ここに来た時に、最初に私と交わした約束」


鈴「……」



『こうしようか。三日間はここに置いてあげる。その間にみんなを納得させること』


『そして三日後、一人でも反対する者がいたらそこの、えーと……鈴ちゃん?は処刑ってことでよろしく』




鈴「はい」


蛇龍乃「よし、良い眼だ。あ、期待してないと思うけど……私は絶対に情けはかけないし、容赦もしない。いいね?」


鈴「はい」


蛇龍乃「最期になるかもしれない。何か言っておくことはある?」


鈴「…………みんなが、ここにいるみんなが、私のよく知ってるみんなのままで良かった」


蛇龍乃「またおかしなことを。じゃあ始めようか」



蛇龍乃「──空丸」


空丸「はい」


蛇龍乃以外の六人の忍びが鈴の正面に横一列に並ぶ形。

その中から、空丸が一歩前に出る。


そして──。


ザクッ──!


短刀を抜き、自らの足元の床へと突き刺した。


空丸「私は、勿論賛成。元々は私が連れてきたわけだし。最初に森で出逢った時から鈴には不思議と縁みたいなものを感じてた」

空丸「だから、このままずっと一緒にいたい。いつまでも」


鈴「…そら」



蛇龍乃「──紅寸」


紅寸「はい」


空丸が元の列へと戻り、代わりに紅寸が前へと出てくる。


ザクッ──!


空丸と同じように、床へと短刀を突き刺した。



紅寸「私もいいと思う。危なっかしいところもあるし、忍びに向いてるとも思えないけど、鈴ちゃんといると楽しい」

紅寸「牌ちゃんがいなくなって、一緒にアホなことしてくれるのなんて鈴ちゃんくらいだしね」


鈴「くっすん…」



蛇龍乃「──鹿」


鹿「はい」


列から前に出て、じっと鈴を見つめる鹿。

そして、小さく溜め息を漏らし、照れ臭そうに笑みを浮かべ。


ザクッ──!


三本目の刀が、床に刺さった。


鹿「…私も甘くなったなぁ。最初は絶対に殺してやるって決めてたのに……立飛を救ってくれてありがとう。あとついでに、空蜘も…」

鹿「でも、調子に乗ってたらいつでも殺すからね。ふふっ」


鈴「シカちゃん…」



蛇龍乃「──空蜘」


空蜘「はい」


ゆらりと気怠そうに足を出す。


ザクッ──!


四本目。


空蜘「ていうか私も勝手に仲間入れられてるし。私がいつ了承したっけー? ここの頭領様は超強引みたいだから、鈴も覚悟しといた方がいいよ?」

空蜘「まぁ、余所者は余所者通しで仲良くしよっか♪」


鈴「…うっちー」



蛇龍乃「──ヱ密」


ヱ密「はい」


凛々しく堂々たる立ち姿。

その手にある短刀は既に抜かれてあり。


ザクッ──!


さも当然のように、深々と床に突き刺された。


ヱ密「私は嫌な印象なんか一度も受けなかったから。なんていうんだろう、守ってあげたくなる……のかな。なんか不思議な子だよね。そのスマホ?っていうのも興味深いし」

ヱ密「忍びは闇に生き、決して天に祈らない。でもそんな嘗ての常識を覆し、私たちに新しい生き方を示してくれる……そんな気がちょっぴりしてる」


鈴「えみつん…」



蛇龍乃「──立飛」


立飛「…はい」


複雑そうな表情でゆっくりと前に踏み出す。

短刀は抜かれず、まだその手の中に。

正面にいる鈴をじっと見ていたかと思えば、蛇龍乃の方へと目をやる。

そしてまた鈴へと。

かと思えば再度、蛇龍乃へ。

その視線の移動が何往復か続いた後、今度は俯き、じっと自分の足元に目を下ろす。


立飛「……っ、…………っ」


しばらくした後。

やっとその手から短刀が抜かれ。


ザクッ──!


六本目。

鈴の目の前には綺麗に並んだ六本の短刀があった。



立飛「……これで私が嫌だって言ったら、私だけ悪者みたいじゃん」


蛇龍乃「誰もそんなこと思わないから、自分のやりたいようにしていいよ。立飛」

蛇龍乃「そこに刺さっている刀を抜き、正面の奴の喉を突き刺そうがお前の自由だ。誰も責めたりしない」


立飛「……鈴、これで貸し借りはチャラね。助けてくれた恩は帳消し。これからは対等だから……今日からまた、よろしく」


鈴「りっぴー……」


蛇龍乃「本当にいいの? 立飛」

立飛「うん、いいよ。これでいいんだよ」



六人の忍びの前に六本の短刀が並ぶ。


と、そこに。


ザクッ──!



牌流「ごめん、帰ってきちゃった。鈴ちゃんが忍びになるんなら、追い越されないように私ももっと強くならなくちゃ」

牌流「鈴ちゃんの前でまだまだ格好いいところ見せたいしね」


鈴「ぱいちゃん……どうして」


牌流「あはは、じーちゃんに怒られちゃった。年寄り扱いするな、お前の世話になるほど落ちぶれてない、って」

牌流「……あと、私もやっぱり寂しかったのかな。みんなと離れるの」



蛇龍乃「おかえり、牌ちゃん。ジジイは私になんか言ってた?」


牌流「余計なお節介焼くな、それと二度と面倒事を持ってくるな。だって」


蛇龍乃「ははははっ」


愉快そうに笑い、牌流の元へと足を運ぶ。


牌流の足元へ突き刺さった短刀。


その隣へ。



ザクッ──!



自らが携えていた短刀を抜き、突き刺した。




蛇龍乃「鈴」


鈴「はい」


蛇龍乃「これが……空丸、紅寸、鹿、空蜘、ヱ密、立飛、牌流、そして私の答えだ」



綺麗に横一列に並んだ八本の短刀。


その側に立つ、八人の忍びの姿。




蛇龍乃「鈴、ようこそ──妙州の里へ」



鈴「みんな……はい、これからよろしくお願いしますっ!」



蛇龍乃「よし、今宵は宴だ」

空蜘「お酒飲んでいいの!?」

蛇龍乃「これからこの里の為に働いてくれるならいいよ」

空蜘「うん、働く働く」

鹿「軽っ! じゃりゅのん、やっぱコイツ信用できなくなーい?」

蛇龍乃「うーん……」

鹿「ヱ密もなんか言ってやってよ、なんなら殴っても」

ヱ密「んー? ごくっごくっ……ぷはぁーっ! なんか言った?」

立飛「って、ヱ密が飲んだら誰がこの里守るの!? なんかあったらどうすんの!?」

ヱ密「まぁ大丈夫っしょ。カンパーイ!」

空蜘「カンパーイ!」

牌流「はいはーい! じゃあ今夜はいつも以上に気合い入れてお料理作るねー!」

紅寸「おー! 牌ちゃんの料理、もう百年くらい食べてなかった気分! 空丸の御飯はあんまり美味しくなかったから…」

空丸「ちょっと紅寸っ、聞こえてるんだけどー」

紅寸「ありゃ、ごめんごめん」

空丸「もぅ…」



鈴「あ、そらー」

空丸「ん?」

鈴「さっき言ってたこと。いつまでも一緒にいたいって。……やっぱあたしに惚れてるの?」

空丸「なっ、いやっ、あれはその……みんなで一緒にって意味だからっ! だから別にっ…」

鈴「ふーん、まぁそういうことにしといてあげようかなぁ」


空丸「ねぇ、鈴。やっぱり、元の世界に戻りたい……?」

鈴「え……」

鈴「…………よく、わかんない……でも、今はここが楽しい!」


鈴「この忍びの里、妙州が……好き」



忍び……忍者、か。

あたしに務まるのかな。あんま自信ないけど。

でも、まぁ……今はそれでいっか。



『忍法』、それは選ばれし忍びの心に蔓延る非情な謀

ある忍びは蜘蛛糸の術をめぐらせ、ある忍びは蛇毒の術をめぐらせる

大忍者時代

狡猾さを競いあう二つの忍び

その名を蜘蛛と蛇といった……







第一章『邂逅』





━━Fin━━

──────
────
──


第一章『邂逅』



ある日突然、見知らぬ地に落とされた一人の少女(当時二十九歳)。

目を覚ますと、そこは木々が立ち並ぶ深い森の中。


ここは何処? あたしは、三森すずこ──。


その少女(当時二十九歳)は後に、鈴と呼ばれることとなる。


「ちゃんとした忍者だから! 私は空丸。この子は紅寸」


自らを忍者と名乗る嘗ての仲間。

そして、何もわからぬまま連れていかれた先は。

忍びが暮らす集落──妙州。


「こうしようか。三日間はここに置いてあげる。その間にみんなを納得させること」


頭領の蛇龍乃に言い渡された言葉。

その意味として、己の存在を認めてもらう。
即ち、ここで暮らしている八人の忍び全員に許可を貰うということ。


「なんか余裕そうな気がしてきた。まぁなんとかなるっしょ。あははー」


状況の重みを理解出来ず、楽観的な鈴。

世界は違えど、自分がよく知っている八人。
だからきっと大丈夫。なんとかなる。

と、軽く考えていた鈴だったが。


「悪い人じゃないとは思うけど、里に一生身を置くって……それ謂わば家族同然の扱いってことでしょ?」

「どんなに機嫌取ろうと絶対に殺してやるからねー! 絶対っ、ぜーったいっ!」

「…中には鈴のことをあまり良く思ってない人もいる」


素性不明な余所者をこの忍びの里に迎え入れるなど、そうすんなりと通る話ではなかった。


その一方で──。


「…………ここから、出られる……ふふ、ふふふっ……」


敵対する忍びであった空蜘。
蛇龍乃により術を封じられ、牢に捕らえられていた身。


「ふぁんふぁん、ふぁんたじー!」

「この感覚って、もしかして……術が、解かれた…?」


だったが、ひょんなことからその術が解かれ、鈴を人質に里から逃亡してしまう。



「鹿、立飛。罰として二人には任務を与える。空蜘と鈴ちゃん、この二人を殺さず生かしたままここに連れて帰ってこい」


頭領からの指令が飛び、里を逃亡した空蜘と鈴の行方を追う鹿と立飛。


「うんうん、キミとは一度戦ってみたかったんだよねぇ♪」

「……こんばんわ」


任務を果たすべく、死に物狂いで空蜘に戦いを挑むが──。


「あれ? この程度なの? ちょっとガッカリかも。もう少し楽しませてくれると思ったのになぁ……つまんないからそろそろ殺してあげるね」


圧倒的な空蜘の強さにまるで太刀打ち出来ない。

どころか、次の瞬間には絶命させられてもおかしくない状況に晒される。


「させない……、どうせ、死ぬのなら……あんたも、道連れ……。ばいばい……っ、鹿ちゃん……みんな」


そこで立飛が選んだのは、自らの命を賭しての術の発動だった。


「や、め、ろぉぉぉぉぉっ!!!!」

「ふぁんふぁんふぁんたじー!」


一旦は鹿と鈴の活躍によって、なんとかその使用を免れるも。


「はぁぁっ……こ、ろ、す……っ……はぁっ、はぁっ……死ねぇっ…!!」


恐ろしいまでの狂気を振りかざし続ける空蜘を止める──即ち、殺す手段など最早これしか残されていなかった。

ドクン──。

立飛が命を投げ出し、空蜘を制御し、その意識を奪う。
そこに鹿が最後の力を振り絞り、とどめを刺そうとする──が。

その寸前で、光が放たれた。

鈴が手にしているのは、術を破壊する能力をもつとされているスマホ。


「だって、殺そうと、してたから……あたし……、あた、し……」


そのせいで空蜘の意識は戻り、反撃に遇った鹿は地に倒れる。


「ふっ、ざけん、なっ……なんのために、立飛がっ……げほっ、げほっ…! はぁ、はぁ……ぁ……──」


深傷を負ったままの激闘。ついに力尽きた三者。

裏切りとも思える鈴の行動によって戦いは幕を閉じたのだった。



里で目を覚ました鹿は、裏切りを見せた鈴を殺そうといきり立つが。


「…っ、鈴っ……あいつ……!」


その鹿の前に立ち塞がる人物。


「誰も死んでいないのは事実。結果論の何が悪いの? 過程がどんなに滞りなく進んでいたとしても、任務が失敗に終わればそこには何の価値も生まれない」


ヱ密によってそれは阻止され、鹿の心境にも変化をもたらす。

少しずつ鈴のことを認め始める皆だったが、そこでまたしても新たな問題が浮上する。


「…なんていうか、呼吸の種類が変。生きてるけど、生きてる者の呼吸とは異なってるんだよねぇ」

「立飛は術を行使し、一度は自らのすべてを放棄した。本来ならばそれは戻ってくる筈のないものだ。が、鈴ちゃんの“写真”とかいう術により強制的に戻された……おそらく今の立飛は術の影響で意識が混在して上手く繋ぎ合わせられない、といった状態か」


術を使用した影響で昏睡状態。
しかもいつ意識が快復するかもわからないといった立飛。

そこで蛇龍乃が一同を前に指令を下す。


「さて、任務を与えるぞ。ここから少し離れた場所にある村に、今賀斎甲というジジイがいる。こういう秘薬に関しては達人だ」


鈴、紅寸、牌流の三人は立飛を救うことができる唯一の秘薬を求め、今賀斎甲が住まうとされる村へと向かった。

が、その道中。


「──なんで私の言うこと聞かなかったの?」


鈴の身勝手な行動を反省させるべく、頬を叩く紅寸。

その際に負った傷により、村を前に倒れ込む。

予期せぬ事態に戸惑う鈴と牌流だったが。


「……紅寸を、今賀斎甲に診てもらう。あのじーちゃんならなんとかしてくれる筈だから」


意を決したように牌流が言った。

しかし、本来ならば忍びということを隠し、秘薬を貰う予定だった。
忍者嫌いと言われている今賀斎の元へ、堂々と忍者として訪ねるなど。


「誰も、死なせない……私が助けてみせる……紅寸も、立飛も、鈴ちゃんも」

「……帰れ。忍者風情がこの村に足を踏み入れるな」

「──だから、任務を遂げないままに帰るわけにはいかないの。貴方を殺してでも秘薬は作らせてみせる……!」


今賀斎甲の孫であった牌流の説得により、秘薬を調合してもらうことに成功する。

だが、秘薬を受け取り、妙州の里へと帰ろうとした時。


「紅寸、鈴ちゃん、ごめんね。蛇龍乃さんや皆にも伝えておいて。……牌流は、里には戻りません」


忍びを辞め、今賀斎甲と共にこの村に残ると口にした牌流。


「私も、牌ちゃんも、みんなだって……この里のために、あんたに命を預けてるのに……酷いよ、こんなの……」


里へ戻り、任務を下した蛇龍乃に紅寸は激昂した。


「死を宿命とする忍びがいるように生きることを宿命とする者もいる。人の生き方なんて砂塵よりも遥か無限に存在する……そこで幸せを欲して何が悪い?」


忍びとする以前にただ一人の人間としての生き方を牌流に示した蛇龍乃の心意を知った紅寸は、これ以上何も言えなかった。


そして、持ち帰った秘薬を立飛に投与。

ついに鈴のスマホによる術破りが行われる。


「ぁ……かっ、ふっ……ぎゅぁ……ッ、ぉ……あ……ぉえぇぇぇぇぇっ……!!」


強制的に精神を干渉されたせいか、苦しみに悶える立飛。

自分のせいでこんなことに……と、後悔する鈴に。

蛇龍乃からの声。


「目を背けるなっ!」

「術を破るというのはそう単純な話じゃない。これから先も使うことがあるかもしれない……だが、使い方次第ではああなってもおかしくないということ」

「自らの行動によってもたらせた果てを……しっかりと目に焼き付けておくといいよ」


自分のせいであっても、自分のおかげであっても、その責任はすべて自分に存在している。

そのことをしっかりと胸に受け止め、苦しむ立飛の姿をしかと見続けた鈴だった。


そして、鈴がこの里に来てから丸三日が経過した。

皆の言葉によって鈴の生死が左右される刻──。


「……鈴ちゃん、覚えてるよね? ここに来た時に、最初に私と交わした約束」


「これが……空丸、紅寸、鹿、空蜘、ヱ密、立飛、牌流、そして私の答えだ」


鈴の前には。


綺麗に横一列に並んだ八本の短刀。


その側に立つ、八人の忍びの姿。



「鈴、ようこそ──妙州の里へ」



こうして、鈴は妙州の里の仲間に迎えられたのであった。

────



鈴がこの妙州の里に正式に迎えられてから、早三ヶ月程が経とうとしていた──。


怪我を負っていた立飛、鹿、空蜘も完全に回復しており。

元の生活に戻り、各々が粛々と鍛練に励んでいる。


……そして、鈴も。



立飛「あれを的として狙って。まず私が手本見せるから」

鈴「うん」


立飛「はっ!」
ヒュッ


ザクッ…


立飛が放った手裏剣。

それは見事、的と定めた木の幹に突き刺さった。


鈴「おー、すごい!」

立飛「…じゃあ次は鈴、やってみて」

鈴「よーしっ! ていっ!」
ヒュッ


ヘロヘロ…


ポトッ…


立飛「……」

鈴「ありゃ…? もっかい! てゃっ!」


ヘニャン…


ポトッ…


鈴「おかしいな……」


その後、何度投げようとも的に命中するどころか。


……届きすらしない。



立飛「……もういいや。別のことしよっか」

鈴「いやぁ、難しいねぇ。手裏剣投げるのって。みんな簡単そうにやってんのになー」

立飛「……」



立飛「はい、あそこに塀があるでしょ? それを飛び越えるからそこで見てて」

鈴「あ、あれを飛び越える……?」


駆け出す立飛。

その速度のまま、跳ねるように。


シュタッ…


前方にあるおよそ二メートル程の塀を優々と飛び越えてみせた。


立飛「はい、鈴の番ね」


鈴「え、えー……」


立飛「早くっ!」


鈴「う、うんっ……、たぁぁぁぁっ!!」


全力で走り出す鈴。


先程見た、立飛の姿を思い出し。
それを真似るように心掛け。


力強く地を蹴った──。


……が、


ゴンッ──!!


鈴「ぁびゅっ…!?」


跳躍がまるで足りず、塀に顔面を打ち付ける結果に。

あまりにも忍びらしからぬ不恰好さに、立飛も頭を抱える。



立飛「……はぁ」


鈴「いっ、痛ぁぁっ! うぅぁ……痛いよぉっ……もうやだぁぁ……」

立飛「それはこっちの台詞だからっ! もうやだよっ、こんないくら教えてもまるで成長しない人の相手!」

鹿「たしかに。三ヶ月も修行してるのにここまでまったく進歩がないなんて、逆に驚き…」

立飛「もう私、教えるのやだ。鹿ちゃん交代して」

鹿「無理。なんかの間違いで殺しちゃいそう」

立飛「もーいいよーそれでもー」

空蜘「ふふふ、鈴って本当に忍びの素質無いよねぇー。弱すぎて吐くレベル」


倒れたままの鈴の元へ、わらわらと集まる三人。


鹿「それには賛同。鈴が百人で掛かってきても無双できる自信あるなぁ」

立飛「あー、私はあれだったら二百はいけそうかも」

空蜘「少なっ、百とか二百とか。鈴相手なら千でも余裕でしょ」


鈴「酷い言われよう……ていうかみんながおかしすぎるんだよーっだ」

鈴「……元の世界ではあたし、体力とかまぁまぁ自信あったのになぁ…」


ヱ密「なになにー? なんの話してるの?」

鹿「あー、ヱ密」

立飛「何人の鈴を殺せるかって話」

空蜘「この子、弱すぎるから」

鹿「ヱ密だったらどんくらいいけそう?」

ヱ密「えー、鈴ちゃんでしょー? んー……一億くらい?」

鹿、立飛「「すごー!!」」

空蜘「あ、私やっぱ二億いけるかも」



鈴「ふぁぁ……忍びの道は大変だぁ……」




鈴「なんであたし、こんなことやってんだろ……」


~回想~



鈴『おじゃましまーっす』


蛇龍乃『…ん、あぁ来たね、鈴』


宴が行われた翌日。

蛇龍乃に呼び出された鈴。

そこにヱ密や鹿の姿は無く、意外なことに二人きりになるのは初めてだった。


鈴『あたしに用事?』

蛇龍乃『……うん』

鈴『な、なんでしょう……?』


蛇龍乃『……鈴』


神妙な面持ちで、蛇龍乃は言った。


蛇龍乃『昨日の今日で申し訳ないんだけどさ、やっぱ死んでもらうことにしたわ』








鈴『え……ぇ……は、はい? な、なんでっ、なんで……そんな……』


蛇龍乃『…………』


鈴『……ゃ……や、だ……やだぁ……っ』



瞳に涙を浮かべる鈴の様に、堪えきれなくなった蛇龍乃が吹き出す。


蛇龍乃『……っ……ふふっ、あはははっ……ごめん、冗談』

鈴『へ……? も、もー! ビックリさせないでよっ!』

蛇龍乃『いやぁ、面白かった。もう出てっていいよ』

鈴『はい? まさかそれだけのためにっ!?』

蛇龍乃『ははっ、これも嘘。ちゃんと用件はあるよ』


鈴『……じゃりゅにょしゃん、嘘ばっか……』



蛇龍乃『とりあえず、話は二つ。まず一つ目が、鈴のこと』

鈴『あたしのこと…?』

蛇龍乃『鈴はもうここの人間。私は鈴の上に立つ者として、鈴のことをよく知っておく必要がある』

蛇龍乃『最初にチラッとは聞いてたと思うけど、正直私もよく理解はしてないからね。とりあえず、もう一度包み隠さず話してくれる? どんなとんでも話でも真剣に聞くからさ』

鈴『…うん。あたしは──』



ここではない、違う世界から迷い込んできた。

別の世界、元の世界では東京を主な活動場所として声優業に携わっている。


元の世界──それは、こことは大きく異なる。

文明もずっと発達している。何をとってもここよりは便利で。

ご飯だって、お風呂だって、住まいだって。

そもそも忍者なんかいないし、争いなんかそうそう起こるものではない。

ここの皆が当たり前のように使っている術も、向こうの世界では絶対に受け入れられない。


どうやってここに来たのかも覚えてない、知らない、わからない。

気が付くと森で倒れてて、空丸に介抱されて……今に到る。



蛇龍乃『ほぉー……そっかそっか、なるほどねぇ』

鈴『信じてくれないかもしれないけど…』

蛇龍乃『いや、信じるよ。でも半分だけね。これだけで全部信じたらそれはそれで怪しいでしょ、私が』

鈴『まぁ、うん…』


蛇龍乃『あとこれは聞いておかなきゃなぁ……鈴はさ、その元の世界に帰りたいの?』


鈴『……あ、え……そ、それ、は……』



鈴『…………帰りたい。やっぱり、帰りたいよ……家族にも会いたいし、向こうのみんなとも』


蛇龍乃『…そう。ま、当然だな』

鈴『でもここのみんなのことだって大好きだし、せっかく仲良くなったから離れたくないって気持ちもあって…』

蛇龍乃『うん、私の方でも鈴が元の世界に戻れる手段が無いかあたってみるよ』

鈴『ほんと…?』

蛇龍乃『でも期待はしないで。違う世界から迷い込んできたとか事例なんて耳にしたことないし。まぁ……もしかしたら町ならそういう情報もなくはないこともないような、ない気が……あー……よくわからん』

鈴『だよね……それでも、ありがと』


蛇龍乃『…ん、それで二つ目の話だが』

鈴『うん』

蛇龍乃『その写真が使える……なんつったっけ? 素魔法 ?』

鈴『スマホ』

蛇龍乃『スマホも鈴がいた世界の発明ってこと?』

鈴『そうだよ。電波があればもっといろんなこと出来るけど』

蛇龍乃『いろんなことって? 例えば?』

鈴『うーん、電話とかメールとか、あとアプリで遊んだりとか』

蛇龍乃『??』



鈴はスマホについて簡単に説明した。



蛇龍乃『ほぅほぅ、つまり通信手段ってわけね』

鈴『そんな感じ』


蛇龍乃『実に興味深い……と、まぁそれは置いといて。写真についてだけど、どうして忍びの術を破れるの? 説明つく?』

鈴『いや全然』

蛇龍乃『鈴の世界ではそういった使い方はしないの?』

鈴『うん。さっきも言ったように忍者……そもそも術なんか誰も使えないから』

蛇龍乃『ふむ……そうだったね。なら例えば私たちの誰かが鈴の世界に行ったとして、そこで写真を使われたら同じように術は破られる?』

鈴『うーん……どうなんだろ……? ていうか今のじゃりゅにょさんってデスノートについて探ってるLそっくりだね』

蛇龍乃『ん?』

鈴『あ、なんでもない。こっちの話。世界を越えた向こうの話、かな』


蛇龍乃『鈴が持ってるスマホはこれだけ?』

鈴『うん』

蛇龍乃『じゃあもし壊されたりしたら終わりじゃん』

鈴『そうなんだよねぇ。修理できる人なんかいないだろうし……大事にしなきゃ』

蛇龍乃『……さっき聞いた説明によると、これを使うのに特別な力は必要ない。てことは、鈴以外の誰かが使ったとしても同じように術を破れるってことだよね』

鈴『た、たぶん……』

蛇龍乃『…後で検証してみるか。とりあえず、この噂が広まらないようにしないとね。他の輩に知られれば鈴の身に危険が及ぶだけだ』

蛇龍乃『それに今後、必要になるかもしれないし。管理を怠らないように』

鈴『うん』


蛇龍乃『……さて、ここからが本題になるわけだが』


蛇龍乃『写真について、まだまだ謎が多い……今わかっていることはこれに撮られれば使用している術が打ち破られる。たったそれだけ』

蛇龍乃『だからそれに伴うリスクを予測することは難しい。立飛の件もあったでしょ? それを抜きにしても、意識を保っていれば良しって問題じゃないのかもしれない……よって、鈴』

鈴『はい』

蛇龍乃『今後、緊急時を除いて仲間に写真を使うことを禁止する。いいな?』


鈴『…わかった。もう使わない』

蛇龍乃『使用しなくてはならない不測の事態に陥ったとしたら、その時は私が指示を出す……が、そんな都合良くいつも側にいられるとは限らない』

蛇龍乃『時には鈴の判断に委ねる場合も出てくるかもしれない。が、注意しなくてはいけないのが……仲間が、アイツらが何を考えてそうしているのか、ということ』

鈴『……?』

蛇龍乃『一見窮地に追い込まれているように見えても、実は策を講じているだけとかよくあるからね。忍びなら』

鈴『あー、なるほど…』

蛇龍乃『まずは皆のことをよく知るところからかな。死なない程度に鍛えてもらうといい』

鈴『へ……?』

蛇龍乃『ん、なに?』

鈴『鍛えるって、あたしも忍者になるの…?』

蛇龍乃『え?』

鈴『え?』

蛇龍乃『何を今更……この里に加わったのなら当然でしょ。私も、皆も、鈴を忍びとして迎え入れたんだから』

鈴『マジか……』

蛇龍乃『マジだ。大丈夫。鈴ならきっと強くなれるよ……知らんけど』




鈴「……じゃりゅにょしゃんの嘘つき……全然強くならないじゃん」


倒れたまま、視界に入った空は茜色に染まった、綺麗な夕焼けだった。

この空は、向こうの世界に繋がっているのだろうか──。


鈴「……空を飛べたら、戻れるのかなぁ……なんてね」


鈴「…ん? 痛っ!」


視界に影が重なったかと思ったら、額に軽い衝撃。

……デコピンされた。


鹿「いつまで寝てんの? 鈴」

立飛「あの塀すら越えられないのに空飛ぶとか、笑える」

鈴「あ、ひどーい、りっぴー」


鈴「…そうだ」

立飛「ん?」

鈴「みんなはさ、すごい術とか使えるじゃん? 空飛べる人とかいるの?」

立飛「は?」

鹿「空を飛ぶ術って……そんなのあるわけないでしょ」

立飛「そうそう、空蜘は聞いたある?」

空蜘「空飛べたらそんなのもう化け物じゃん」


鈴「……あたしからすれば、充分みんな化け物なんだけど」


立飛「鈴、鍛練の続き」

鈴「あ、うん」

鹿「あれ? 今日の晩御飯って鈴の当番じゃなかったっけ?」

鈴「そうだそうだ、忘れてた!」

空蜘「お腹空いた。さっさと作って」



そして陽が沈んだ頃。

一室に集まり、晩飯を食している八人。



空丸「蛇龍乃さんがみんなと食べるなんて珍しいですよねー」

紅寸「前に鈴ちゃんが作った時もここに来てなかったっけ?」

空蜘「あーそうだったね。なんか見慣れない人がいるなぁって思った」

蛇龍乃「ん……もぐもぐ……」

鈴「もしかしてっ、あたしが作るご飯が美味しすぎるからいっぱいおかわりするために?」

鹿「いや、そこまで美味しくはないから。不味くもないけど」

ヱ密「牌ちゃんの御飯に慣れすぎちゃってるからね、皆。仕方ない仕方ない」


蛇龍乃「……まぁ、美味い不味いの前に、鈴の飯は味が薄いんだよねぇ。塩、塩……っと」


鈴「まさかそれでっ…?塩を足しにここまで来るのが面倒だから」

立飛「私も、塩」

空蜘「あ、私も」

紅寸「くすんも」

ヱ密「じゃあ私も」

鈴「ぱいちゃんいつもどうやってあんな美味しいパスタやらカルパッチョやら作ってんの……」


牌流「ただいまー」


立飛「おかえりー」

紅寸「晩御飯に間に合ってよかったね」

鈴「ぱいちゃんの分もあるからすぐ用意するね」

牌流「うん、ありがとー」




牌流「……薄っ!」

鈴「ごめん…」

牌流「あ、ううんっ、美味しいよ! すごく美味しい!」

蛇龍乃「ご苦労さん、牌ちゃん。問題無かった?」

牌流「うん、勿論」

鈴「何の任務だったの?」

牌流「ん、暗殺」

鈴「え……?」


牌流「??」

鈴「あ、暗殺って……人を殺したってこと……?」

牌流「そうだよ?」

鈴「……っ」

牌流「どしたの? 鈴ちゃん」

鈴「……なんでもない」


蛇龍乃「……」


鹿「牌ちゃんの術はこの中で一番暗殺に向いてるよね」

紅寸「ヱ密だったら勢い余って百人くらい余分に殺しちゃいそうだもん」

ヱ密「加減くらいするよ、私でも…」


空丸「お風呂沸きましたよー、蛇龍乃さん」

蛇龍乃「今日はいいや、めんどくせ」

鹿「入れよっ」

蛇龍乃「一刻も早く部屋に戻らないと死ぬ病。てなわけで、さらば」


空蜘「……じゃあ私が最初に入っちゃおっと」

鹿「だーめ。じゃりゅのんが入らないなら、次は私かヱ密」

空蜘「あははっ、弱いくせにー」

鹿「強い弱い関係無いからっ、空蜘は鈴と一緒でまだ新入りでしょ」

空蜘「あれって古い順だったの?」

ヱ密「そういうわけじゃないよ。私より立飛の方が昔からいるし」

空蜘「ふーん、まぁどうでもいいや。鈴、なんかして遊ぼー」


鈴「……」


空蜘「鈴? ねー、鈴ー!」

鈴「え? あ、なに?」

空蜘「鈴のくせに私を無視するとはいい度胸だね」



夜が更けるに連れて、皆、順に風呂を済ませ。

一番最後だった鈴もようやく風呂掃除を終え、就寝しようと自室へ戻る。



鈴「眠い……今日はいつもより遅くなっちゃった」

鈴「うっちーが遊んでばっかりでなかなかお風呂入ってくれないから……」


ガラッ…


鈴「……え?」


自室の扉を開き、目にした光景は──。



蛇龍乃「あー、やっと帰ってきたかー」


他人の部屋で寛ぎまくっている蛇龍乃がいた。


鈴「何してんの……ここ、あたしの部屋なんだけど。ていうか一刻も早く部屋に戻らないと死ぬ病は!?」

蛇龍乃「心配してくれてありがとう。でもさっきまでいたからだいじょぶよ」

鈴「……あたし、もう寝るんだけど、何かあったの?」

蛇龍乃「んー、ちょっと気になったことがあってねー」

鈴「気になったこと…?」

蛇龍乃「そっかそうだよねぇー、この前、鈴が話してた話だと争いなんて滅多に起こんないんだよねー……」

鈴「……?」

蛇龍乃「あー、鈴ってさ…」

鈴「うん…」




蛇龍乃「──人を殺したこと無いでしょ?」


鈴「ひ、人を殺し…って、そんなの、あるわけないじゃん……」


蛇龍乃「ふーん、やっぱりかぁ」

鈴「…みんなは、あるの……? さっきぱいちゃんも言ってたけど」

蛇龍乃「そりゃあ忍びだからね。勿論」

鈴「……っ」

蛇龍乃「…なに? その顔は。まさか私たちのことを善良な人間だと思ってたわけじゃないでしょ」

蛇龍乃「鈴が皆に好意的に接しているのは見ててわかるし、それを皆喜んでる。……でも、今日私たちが人殺しだと知ったよね。なら明日から態度を変える?」

鈴「……そんなことは……しない、けど……この世界には悪い人もいるってことだよね……だから」

蛇龍乃「はははははっ!」

鈴「……」

蛇龍乃「鈴のいう悪い人ってのはどういった人間を指すのかな。盗みを働いた者? 暴力を振るった者? 人を殺した者?」

鈴「う、うん……だからってそういう人を殺したりするのは賛成できない、けど」

蛇龍乃「今私が言ったのは全て私たちにも当て嵌まるのは理解できる? 鈴はまだ忍びってものをあまりわかってないみたいだね」

蛇龍乃「だったらハッキリ言おう。忍びは悪だ。だから人も殺す……それが任務なら当然のことだ」

蛇龍乃「間違っても、正義の味方なんかじゃあない」


鈴「……っ」


蛇龍乃「そして、鈴。お前も今はもう忍びの一員だ。これが何を意味するのかわかる?」



鈴「……あたしにも、人を殺せって……?」

蛇龍乃「半分正解で半分不正解」


蛇龍乃「私たちは依頼を受け、それを任務として遂行する。ならばその依頼を出しているのは誰か?」

蛇龍乃「勿論、私じゃない。だってそうでしょ? 私がこの里のやつらに誰かを殺せと命令しても、それはただの私怨でしかない。そもそもそんなことしても意味は無いし、時間の無駄だ」

蛇龍乃「忍びとは、遊びでも競技でもなく、仕事。仕事だからそれを斡旋してくれる者がいる。例えば、ここら辺の地のお偉いさんだったり、もっと大きなところだと……国だったりね」

蛇龍乃「じゃあ何故、そんな大きな権力を持っている筈の人間が私たちなんかに依頼するのか。それは簡単。奴らは自分の手を汚したくないから……自分たちでそういうことをしてしまうと都合が悪いから」

蛇龍乃「よって、私たちが依頼を受け、殺す人間の殆どは悪人ではなく善人なんだよ」

蛇龍乃「汚れ仕事を請け負っているのが私たち。と言えばわかりやすいかな」


蛇龍乃「……話を戻そう」

蛇龍乃「さっき私が鈴に問うた件の答だが……人を殺すから忍びではなく、強いから忍びではない」


蛇龍乃「覚悟を決めた者が忍びなんだよ」


鈴「…忍びとしての、覚悟……」


蛇龍乃「そう、だからといって、覚悟がある?だなんて馬鹿なことは聞かない」


蛇龍乃「鈴は忍びなんだから、覚悟を決めてもらう。まずはそこからかな」


鈴「……それって、やっぱり、人を殺せって……」


蛇龍乃「まぁそうだね。いざという時に躊躇されても私が困るから。慣れだよ慣れ」

蛇龍乃「前にも言ったでしょ? ここの一員になったからには私の命令は絶対。といっても、無理は言っても無茶は言わないから安心して」

鈴「安心って……」

蛇龍乃「ヱ密に出来ることしかヱ密に言わないし、鹿に出来ることしか私は鹿に言わない。それと一緒で、鈴に出来ることしか私は言わない」

蛇龍乃「だから私が言ったことはやり遂げてくれないと困るんだよ」


ガラッ…


鈴「…!?」


話の最中、唐突に扉が開き、姿を現したのはヱ密。


ヱ密「例の件、問題無いよ。いつでも大丈夫」

蛇龍乃「さんきゅー」

鈴「……?」


蛇龍乃「──さて、鈴。いきなりで悪いんだけど、さっそく殺しにいこうか」


鈴「え…?」


蛇龍乃「任務だ。この里にスパイが忍び込んでいることが判明した。このまま野放しにしてはおけない……殺しに行け」


蛇龍乃「対象の名は──空丸」

──……。



空丸「すぅ……すぅ……んん……すぅ……」



……丑三つ時。

自室でいつものように眠っている空丸。


そのすぐ傍に立つ、人影。



鈴「…………そら」


嘗ての親友。

この世界でも、誰よりも最初に私を見付けてくれた。

いつだって、自分の一番の味方でいてくれた。


そんな人を、あたしは今から殺そうとしている──。


滲んだ涙で視界がぼやける。

運命の不条理に抗うように、奥歯を噛み締める。

その手には鞘から抜かれた短刀が月の光を浴び、鈍く輝く。


鈴「…………」


空丸「すぅ……すぅ……」


鈴「……起きてよ……起きてあたしを殴ってよ……自分はスパイなんかじゃないって、聞かせてよ……」



鈴「……っ、そら……」


少し遡り、鈴の自室。



鈴「ぇ……あたしに、そらを殺せって……」


蛇龍乃「そうだよ。これは任務だから絶対に従ってもらう」

鈴「……っ」

蛇龍乃「どうしたの、出来ない? 私なりにかなり配慮してあげたんだけどなぁ……最初から善人を手に掛けるのは可哀想かなって。だから…」


蛇龍乃「悪人にしておいてあげたよ。ほぉら、こっちが正義だ。悪を裁く……随分とやり易くなったでしょ?」


鈴「……っ、そらが、そんな筈ないじゃん……」

蛇龍乃「僅か数ヵ月の付き合いの鈴に何がわかるの」


……違う。

たった数ヵ月じゃない。もう何年も一緒にいて、私はそらのことをよく知ってる。

みんなのことだって。


ヱ密「残念だけどこれが真実だよ。空丸は、私たちの敵……裏切り者。ううん、元々仲間じゃなかった。ただここに敵が紛れ込んでいただけ」

鈴「……じゃりゅのさん言ってたよね……この里の間でお互いに信頼し合える絆を作るって」

蛇龍乃「その為だよ。今まで信頼を築いていた間柄だったとしても、この私を憚ったんだ……それは死に価する」


鈴「……っ」


鈴「……なんであたしなの…? あたしが、そらに敵うわけない……」


ヱ密「大丈夫。薬で眠らせてあるから。ちょっとやそっとのことじゃ、絶対に起きない」

蛇龍乃「そう、だから鈴は安心して任務に臨んでくれ」


鈴「……嫌、……嫌だ……」


蛇龍乃「そんな言葉に耳を貸すつもりはない」



蛇龍乃「空だって、忍びだ。こんなことして報いを受ける覚悟はあるだろう……そして、忍びとしての覚悟を受け入れる鈴」

蛇龍乃「これほど御誂え向きの場面などそうそう出会せるものじゃない」


蛇龍乃「…ああ、そうそう」


蛇龍乃は懐から一本の短刀を鈴に差し出す。


蛇龍乃「遅くなってしまったが、私からの里入り祝いだ。忍びとしてこれから私の為に、この里の為に、一層励んでくれ。鈴」


鈴「…………」


ヱ密「鈴ちゃん。受け取りなさい」

鈴「…っ」


初めて目にするヱ密の剣幕に押され、蛇龍乃から短刀を受け取る鈴。



蛇龍乃「…よぉし、それでいい」


蛇龍乃「さぁ、鈴」


蛇龍乃「忍びとして、仲間を殺してきな」


ヱ密「ガッカリさせないでね、鈴ちゃん」



鈴「……忍びと、して……仲間、を…………そらを……」



こうして鈴は、半強制的に空丸の元へと向かわさせられた。


そして、空丸の自室。



空丸「すぅ……すぅ……」


鈴「…………」


眠っている空丸を見下ろす鈴。

空丸に掛かる月明かりに鈴の影が被さっても、目を覚ます様子はない。


鈴「……殺せって、言ってた……」


……なんだろう。

涙や震え、躰の外へ押し溢れていくものは止めどない。

でも、心の最底は冷たく、冷静。

凍えるくらいに、気持ち悪い。


鈴「……殺せって……忍びなら、殺せって……言ってた……」


忍び──?

忍びってなんなんだろう。

私は別に、忍びなんてなりたいと思ったことなんか一度も無かったのに。


覚悟を決めるって、こういうことなのかな。

仲間を……大切な人を殺してまで、それって今の私に必要なものなのかな。


もし、私が殺さなかったら……与えられた任務を放棄したなら。

きっと、殺されるのは私の方なのだろう。


鈴「……ねぇ、そら……ねぇ……っ、起きてよ……っ」


空丸の体を揺らし、呼び掛ける。



鈴「お願い、だからっ……起きて……一緒に、逃げよ……? ねぇっ!」


空丸「すぅ……すぅ……すぅ……」


鈴「……っ」



どれだけ揺らしても、名前を呼んでも、体を叩いても。

空丸は目を覚ますことはなかった。



鈴「…………おかしいよ、こんなの……」



……空丸が悪であるとか。私が善であるとか。

悪である空丸に情を捨てきれずに、任務を放棄したら、加担したとされ私も悪と呼ばれる。

私は空丸の側についたとしたら、私たちからの見方……少なくとも信じている私からしたら。

私たちの方が善となり、それを殺そうとする蛇龍乃たちが悪となる。


……違う。

そんなことじゃない。そんな問題じゃない。


私は、みんなのことが大好きだ。

それは、善とか悪とか関係無く……ただの私の素直な想い。


鈴「……あたしが、死ねば……」


この自らの喉をかっ切って、自殺する?

それも違う。

そんなことしても空丸が救われるわけじゃない。

救う……?

悪である空丸を。

今は、今だけは善でいられる私が。


そっか──。


最初から、そうするしかなかったんだ。



鈴「……ごめんね……っ、そら……」

──……。


ガラッ…


自室へ戻った鈴。

そこには、胡座を掻いたままそっと目を上げる蛇龍乃。

その隣にはヱ密がいた。



ヱ密「おかえり」

蛇龍乃「ちゃんと殺れた?」


鈴「……」


鈴は手に握られていた短刀を、自分と蛇龍乃の間へと放り捨てた。


蛇龍乃「……ふぅん、綺麗だねぇ。洗ったわけじゃないだろうに、綺麗なままだ」


ヱ密「……」


蛇龍乃「…さて、私が何か言う前に報告を聞こうか」


鈴「任務は失敗しました」


蛇龍乃「ほぅ……続けて」


鈴「続けるも何も……こんな任務、あたしは嫌だった。だからしなかった」


蛇龍乃「ははは、したいしたくないとか……お前の話なんか聞いてないんだよ」


鈴「それはこっちの台詞。仲間を殺せだなんて、そんな任務聞くつもりないよ」


鈴「そうまでして手にしないといけない覚悟だとしたら、あたしは忍びにはならない」


鈴「……いいよ、その刀であたしを殺して」


蛇龍乃「……」


蛇龍乃が目の前に転がっている短刀に目をやる。

そして、それを握り、立ち上がった。



蛇龍乃「……本当に、いいの?」


刃先を鈴の首筋に這わせ、蛇龍乃が言う。


ヱ密「ちょっとっ、蛇龍乃さん!」


鈴「……いいよ」


蛇龍乃「…あれ? おかしいな」

鈴「……なにが」

蛇龍乃「てっきり私を殺してもいいけど、空は殺さないで。とか言ってくるのかと思ったよ」

鈴「…本当はそうするつもりだったけど、ここに帰ってくる途中にうっちーがいたから」

蛇龍乃「……」

鈴「頼んでおいた。そらを連れてここから遠くに逃げてって……だから多分今頃は」

蛇龍乃「くくっ、あははははっ!」

鈴「なに……なにがおかしいの」

蛇龍乃「あーごめんごめん、お前ごときがあれを手懐けられると思っていたのがついおかしくてね」

鈴「……え?」

蛇龍乃「空蜘の気配に私たちが気付いてなかったとでも?」

ヱ密「私たちが最初にここに来た時から近くをふらふらしてたよね。……今もずっと」

蛇龍乃「まぁ気取られてないと思っているほど阿呆じゃないだろう…」


蛇龍乃「どうせ今もそこにいるんでしょ、空蜘」


鈴「え?」


カタッ…


天井の板が擦れ、その隙間から空蜘が飛び下り、姿を現す。


空蜘「まぁそりゃバレるよねー」


鈴「な、なんでっ…!? そらは!?」

空蜘「んー、部屋ですやすや寝てんじゃない?」

鈴「あたしを、騙したの……?」

空蜘「騙したっていうか、そっちの方が面白いものが見れるかなぁーって」

鈴「…っ、おもしろいものって、仲間が殺されるのがそんなにおもしろいの…!? みんなおかしいよっ!」


空蜘「……くくっ、ふふふっ…」

蛇龍乃「…あー、鈴」


鈴「あたしが説得させるからっ! うっちーだって元は敵だったんでしょ? だったらそらも」

ヱ密「そうじゃなくて、鈴ちゃん」

空蜘「ふふふっ、あははっ!」

蛇龍乃「空蜘が大爆笑してるのは、鈴のことね」


鈴「……ん、どういうこと?」


蛇龍乃「誰も殺さないよ、空も鈴も。仲間を殺せなんて私が命令するわけないじゃん」




鈴「……はい?」


蛇龍乃「ラブアンドピースを掲げる私がそんな仲間に仲間を殺せだなんて物騒なこと」

鈴「い、いや言ったし! 絶対言ってたしっ! え、じゃあそらは…」

ヱ密「正真正銘、私たちの仲間。スパイでもなんでもないよ。ねぇ? 蛇龍乃さん」

蛇龍乃「……え、ああ……まぁ……」

鈴「よ、よかったぁ……」


空蜘「仲間を殺せと言わないとか……じゃあもしさ、空丸ちゃんが本当に敵だったらどうするの? 殺さないの?」

空蜘「それっておかしいよね?」


蛇龍乃「私は殺せとは言わないが死ねとは言うよ」

空蜘「はは、自害しろってこと? それに従う敵なんているわけないじゃん」


蛇龍乃「そうだね、ならその時は……私自ら殺してやるさ」



蛇龍乃「……というわけで、仲間は大切にしないとね。鈴」

鈴「……」

蛇龍乃「な、なんだっ、頭領に向かってその目はー」

鈴「べーつーにー」


鈴「でもさ、本当にあたしがそらを殺してたらどうしてたの……?」

ヱ密「それな。私も思ってた。空丸に飲ませた睡眠薬は本物だし」

蛇龍乃「……不安要素を取り払っておきたかったんだが……まぁ今のところは、いいか」

鈴「……?」

蛇龍乃「そんなことより、この刀は本当に祝いの品だから持っててよ。鈴」

鈴「あ、うん…」


蛇龍乃「さっきも言ったけど、私はお前らに、仲間に対して“死ね”は使っても“殺せ”は絶対に使わない」

蛇龍乃「これ覚えててね」

空蜘「私には使っていいよ。鹿ちゃんを殺せーって命令してくれたら喜んで♪」

蛇龍乃「あーあ、そんなこと言ってるから術封じる期間が一ヶ月伸びちゃったじゃん」

空蜘「今の嘘。ていうかいつになったら私への封術を解除してくれるのー?」

蛇龍乃「さぁー? 空蜘が良い子にしてたらそのうちにね」

空蜘「えー、私ずっと良い子じゃんー」


蛇龍乃「あ、鈴」

鈴「ん?」

蛇龍乃「多分、今すげぇホッとしてるんだろうけど……忍びなんだから人は殺してもらうよ?」

鈴「え……?」


蛇龍乃「……少し、難しい話をしよう」



蛇龍乃「私はここの仲間を大切に思っている……だから殺させるくらいなら私の手で殺す」

蛇龍乃「そして私たちが時折任務として殺している者たち……私たちの手で討たれる者だ。これから先、鈴にも殺してもらう人間……」

蛇龍乃「ここの里の忍びと、今言った任務として討つべき人間。この二つの命の重さは、等しい。どんな命でも同じ命だからね」

蛇龍乃「だからどんなに信頼を注いで傍にいる者でもそれで重みが生まれるわけではないし、任務を遂行するにあたって討つべき命でも軽くなるわけじゃない」


蛇龍乃「ここまではわかる?」

鈴「…うん」

蛇龍乃「じゃあ続き…」


蛇龍乃「今さっき、鈴は空を討てなかったよね? うん、討たないのが正解。それは良し。だが、鈴が討つべき命は他にある」

蛇龍乃「命の重さが同じならどうしてそこには、討ってよい命と悪い命があるのだろう?」


鈴「……任務だから?」


蛇龍乃「任務……確かにそうだけど。残念ながら、不正解。まぁサービスとして1点くらいはあげる」

蛇龍乃「まぁたしかに、それでも間違ってはない。卵に例えるなら、殻が任務……そしてその中身が本質といったところか」

蛇龍乃「…よって本質を理解していない鈴では忍びとしての成長はついてこないし、忍びとして生きてはいけない」



鈴「よくわかんない……」


蛇龍乃「まぁ、そうだろうね。これは実際に感じてもらうのが一番」


蛇龍乃「さぁ今度はガチの任務だ……といってもそんな大事なものじゃない」


蛇龍乃「──ただの暗殺。対象は町にいるから少し遠いけどね」

蛇龍乃「鈴、頼んだよ」

鈴「あ、あたし……?」

蛇龍乃「あとヱ密も一緒に同行して。でもあくまで殺すのは鈴の役目だから、余計な手出しはしないこと」

ヱ密「うん、わかった」

蛇龍乃「それと……ずっと里にいるのも退屈でしょ。空蜘も町で遊んでおいで」

空蜘「いいのっ?」

蛇龍乃「私からの御褒美だ」

空蜘「やったー! ホントはさっさと術返してほしいんどけど、まぁいいや」


蛇龍乃「じゃあ今日のところはゆっくり休んで、明日ここを発ってくれればいいよ。詳しい概要も明日伝える」

ヱ密「はい」

空蜘「はーい」


鈴「……」



蛇龍乃「ヱ密、鈴のことよろしく頼んだよ」

ヱ密「うん……きっと大丈夫だよ、鈴ちゃんなら」





蛇龍乃「さて、どうなるか……」


翌朝。



蛇龍乃「なぁに、簡単な任務だよ」

蛇龍乃「今回の対象は役人でもなんでもない、ただの町人だ。これといって金を持ってるわけでもなければ力が強いわけでもない……ただ、あの町を治める者にとって邪魔な人間というわけ」

蛇龍乃「近頃、不平不満を募らせた町人たちによる反乱が相次いでいるらしい。どうやらそいつはそんな反乱を先頭に立って煽っている首謀者なんだよね」

蛇龍乃「まぁしかしそいつらの主張は尤もなものだ。城に暮らす者たちが贅沢を堪能する為に、民は暴税を食らい貧困に喘いでいるからね」

蛇龍乃「正義を振りかざしているってわけ。何度も言うが、そんな正義を討つ私たちは完全なる悪ね」


鈴「悪……あ、城ってことはそこって城下町なの?」

蛇龍乃「そうだよ。この依頼はそこの城主ではないが、その側近からのものだ」

空蜘「あー、あそこの側近っていうと、えーと……きさらなんちゃらって人」

鈴「木皿さん?」

ヱ密「いや、たしか如月だったよね」

蛇龍乃「そうそう、如月」

鈴「きさらぎ……またしても微妙に名前変わってる」


空蜘「でもさ、そういう話なら私たちに頼まずに自分ら城兵で片付けちゃえばいいじゃん」

ヱ密「うん、そだよね」

蛇龍乃「普通に考えればそうなんだけどね。そうできない事情も色々あるらしい。城主ではないのなら尚更。兵を勝手に動かすわけにもいかないし、周りに与える印象といった面もあるしねー」

蛇龍乃「まぁそこら辺は私たちには関係無い話だ。余計な詮索はせずに、ただ貰った依頼を完遂すればいい」

空蜘「…ふぅん、まぁそっか」


蛇龍乃「ん、せっかく町に行くんだ。怪しまれない程度に情報を探ってみるのもいいかもね。鈴の世界への手掛かりが何か見付かるかも」

鈴「あー、なるほど」

蛇龍乃「でも、くれぐれも自然にね。違う世界から来ましたーなんつっても相手にされるわけないし、下手すりゃ処刑されちゃうかもだから」

鈴「うぅ、気を付けます…」

蛇龍乃「ヱ密。鈴のことちゃんと見ててあげてね。この子、目を離すととんでもないことしてそうだから」

ヱ密「はーい」

空蜘「鈴はアホだからねぇ」

蛇龍乃「空蜘も空蜘で無駄に騒ぎを起こさないように」

空蜘「はいはい、わかってますよー」

蛇龍乃「…ホントにわかってんのか……」

空蜘「うん! だから術返して」

蛇龍乃「まだ無理」

空蜘「……チッ」


蛇龍乃「鈴、私があげた刀はちゃんと持ってる?」

鈴「う、うん……ここに」

蛇龍乃「よしよし」

蛇龍乃「無抵抗な状態になるまではヱ密が追い込んでもいい。というかただの町人といっても大の男だ、今の鈴だと返り討ちに遇うかもだし。ただしあくまでも、とどめを刺すのは……命を捕るのは、鈴の役目だから」

蛇龍乃「それを忘れないようにね」

ヱ密「だって? 鈴ちゃん」

鈴「……うん」


蛇龍乃「じゃあ行ってらっさーい。私は眠いから寝る……おやすみー」



ヱ密「よし、んじゃ行こっか」

空蜘「里の外出るの久しぶりだから楽しみだー」

ヱ密「鈴ちゃんも大丈夫?」

鈴「う、うんっ」

ヱ密「じゃあ町を目指して出発ー!」

空蜘「おー!」


シュタタタタタッ…


颯爽と駆け出すヱ密と空蜘。



鈴「えっ、いや、ちょっとっ…!」


一瞬にして里から離れ、遥か遠くに。

それこそ既に豆粒に見えるくらいにずっと先へ。


鈴「…………」


鈴「……え、えーと……ま、待ってー!」


……一人、置き去りにされる鈴。


と、そこにヱ密と空蜘が思い出したように引き返してきた。


ヱ密「あ、ごめん。まだ早く走れないんだっけ」

空蜘「弱いくせにノロマとか。出発して一秒で既に足手まといになってんじゃん」

鈴「二人が速すぎるんだよっ!」

ヱ密「んー、まぁそんな急ぎの任務じゃないし、のんびり行こっか」

空蜘「えー、私、早く町に行きたいんだけどー」

鈴「ご、ごめんなさぃぃ……」



そうして、鈴、ヱ密、空蜘の三人は町へと向かったのであった。


妙州の里



空丸「……あれ? ここにもいない」


立飛「ん、空丸? どしたの?」

空丸「鈴が何処にもいなくて」

立飛「へぇー、一人で鍛練でもしてんじゃん? 昨日、改めて自分の弱さを実感してたみたいだし」

立飛「ていうか、それくらいしてくんないとっ……いつまであんなヘナチョコのままでいるつもり……」

空丸「……立飛って鈴のことになると人が変わるよね。妹系で可愛い立飛戻ってきてー!」

立飛「よく考えれば空丸もヘナチョコだよね」

空丸「ついに私にまで牙を剥くように……」

立飛「あはは、うそうそ。そういや、いないっていったら空蜘も今日はまだ見てないなー」

空丸「空蜘さんも?」

立飛「まぁ空蜘はいつもフラフラしてるからねぇ。そんな気に掛ける必要も」


紅寸「あ、空丸に立飛。ヱ密知らない?」


立飛「あ、ヘナチョコの紅寸だ」

紅寸「へ、へなちょこ!?」

空丸「あー……今、黒立飛だから。ヱ密もいないの?」

紅寸「も…?」

立飛「なんか鈴も空蜘も姿が見えないんだよね」

紅寸「えー! まさか誘拐されたとか?」

空丸「鈴はともかくとして、あの二人を誘拐するとかどんな手練れ…」


鹿「あ、こんな所にいた。何してんのの? 誰も来ないって牌ちゃんが泣きそうにしてるよ」


紅寸「御飯だ!」



牌流「えー! 鈴ちゃんたちいないのー? それって大変じゃーん!」

鹿「うん、まぁあの二人はあれだけど……もぐもぐ……」

空丸「しっかりしてるヱ密がいないのは……もぐもぐ、おかしいよね」

立飛「んー……ヱ密がしっかりしてる……? もぐもぐ…」

紅寸「牌ちゃん、おかわり!」

牌流「はいはーい……ていうかみんなのそんな呑気に御飯食べてるけど」

紅寸「大丈夫でしょ。ヱ密も空蜘も殺したって死にそうにないし」

立飛「私も鹿ちゃんも殺そうとして逆に殺されたしねー、あはは」

鹿「あはは。そだね、あん時はマジで死ぬかと思ったよー……ってそんな笑い話じゃないからっ、立飛!」

紅寸「じゃあ鈴ちゃんは?」

立飛「殺そうとしたらすぐ死んじゃいそう」

鹿「むしろ殺そうとしなくても死んでそう」

空丸「……ホントにどっかで死んでそうな気がしてきた」

牌流「もっとみんな、心配してあげようよ」

鹿「んー、まぁ三人揃っていなくなるのはさすがに不自然だし、食べ終わったらじゃりゅのんに訊いてみよっか」



蛇龍乃の間



蛇龍乃「すやぁ……すやぁ……」


鹿「じゃりゅのーん、起きろー」


蛇龍乃「むにゃぁ……んー……あと、はちじかん……」


鹿「ねぇねぇ、ちょっと聞きたいことがあるんだけどー? おーい」


蛇龍乃「んみゅぅ……ぁぁ……あと、じゅうじかん……すやすや……」




鹿「……」



蛇龍乃「ぅみゃぁ……すやすや……あと、にじゅぅ…じ、かん……」

鹿「……っ!」


ドスッ──!


鹿は布団ごと蛇龍乃を蹴り飛ばした。



蛇龍乃「んうぉぉっ…!?」
ゴロンゴロン


蛇龍乃「な、何事!?」

鹿「おはよう」

蛇龍乃「な、何奴!?」

鹿「鹿様でござる」

蛇龍乃「うぬぅ……なんて暴力的な奴だ。せっかく気持ちよく眠っていたのに……」

鹿「いくら呼び掛けても起きようとしないからしょーがないでしょ。蹴り飛ばした私も足も痛いんだよ……」

蛇龍乃「嘘つけっ! 立飛だったらもっと優しく起こしてくれるだろうに……ん?」


立飛「おはよ」


蛇龍乃「あれ? なんか立飛がいるぞ……ていうか皆も」


鹿と立飛だけでなく、空丸、牌流、紅寸も蛇龍乃の部屋に集まっていた。


蛇龍乃「あー」




蛇龍乃「……そうか、誕生日か。また歳を重ねてしまった……」


鹿「いや、違うぞ」



蛇龍乃「え? あの三人? それなら──」



立飛「ふーん、任務の為に町へ…」

紅寸「ずるい! くすんも町に行きたかったのに!」

牌流「私も鈴ちゃんたちとお出掛けしたかった! だってこの前の任務も一人で寂しかったしー」

空丸「私も一緒に行きたかったなー」


蛇龍乃「遠足じゃないんだから……真面目に忍びしてくださいお願いします」

蛇龍乃「つーか、あれ? 言ってなかったっけ? 言ったよー」

鹿「ここにいる誰一人知らなかったんだけど、じゃりゅのんは誰と話してたのかな?」

紅寸「ついにボケてきた…!?」

蛇龍乃「おいこら、紅寸。んー……あー、夢だったのかな……まぁ夢であっても、忍びなら私の夢に入ってくるくらいしなさいよ」

立飛「ごめん、それはさすがに無茶だよ」

空丸「立飛、真面目に答えなくていいから」

蛇龍乃「そうか、無茶か…」

鹿「無茶だ」


蛇龍乃「……叩き起こされたから目が冴えてしまった。牌ちゃん、御飯くれ」

牌流「おばあちゃん、御飯ならさっき食べたでしょ?」

蛇龍乃「あー、そだったねぇ。こりゃ失礼。んじゃまた一眠りと……って、騙されるか!」


蛇龍乃「うわぁーんっ、皆が私を虐めるよぉーっ!」

鹿「じゃりゅのんが大事な周知を怠るからでしょ」

空丸「空蜘さんを町になんか連れてって、逃げちゃわないですか? 心配…」

蛇龍乃「それは心配いらない。こっちには人質があるから」

紅寸「人質?」

立飛「空蜘の術のことでしょ」


蛇龍乃「そうそう。空蜘は強さを過剰に欲してるからね、術を封じられたままの状態で私の元からいなくなるなんてまず有り得ない」


空丸「まぁ術無しでも化け物じみた強さには変わりはないんですけどねぇ」

立飛「だねぇ。術を使えなかったとしても空蜘に一対一で勝てるのなんてヱ密だけだろうし」

鹿「私は?」

立飛「そんなに死に急がなくても……鹿ちゃん」

蛇龍乃「んなことより、牌ちゃん御飯まだー?」

牌流「はーい。ただいまお持ちしまーす」


鹿「これを機に規則正しい生活すれば?」

蛇龍乃「無理。食ったら寝る。ていうか昼間に寝て、夜中活動する方が忍びとして規則正しい生活って思わない?」

紅寸「あー、言われてみればたしかに。くすんもお昼寝しようかなー」

蛇龍乃「無理。くすんは草むしりがあるでしょ? 畑の草が伸びてきてるし」

紅寸「わかった!」


立飛「ねぇ、そういやさ。今回の任務って何なの? 鈴も任務に加わるとか早くない? 付き添い?」

蛇龍乃「ただの暗殺。まぁこれは鈴に与えた任務だよ。ヱ密はあくまで補助役として同行させてる」

空丸「鈴に暗殺なんて……出来るの?」

蛇龍乃「やってもらわなくちゃ困るんだよねぇ」

鹿「空蜘も補助として?」

蛇龍乃「あれはただの息抜き。あんま閉じ込めてばっかなのも可哀想だし、ね…」


町へ向かう道中の三人。



鈴「はぁっ……はぁっ……! ちょ、ちょっと、休憩……!」


空蜘「えー! またぁー? これで何回目ー?」

鈴「だ、だってぇ……走ってたらそりゃ疲れちゃうよー!」

空蜘「だったら私に掴まってればいいのに」

鈴「い、いや、あれは……」



~回想~


鈴『ふぅ……歩いても歩いても森ばっかだね』

ヱ密『町へはまだ山を三つくらい越えなきゃだからしばらく続くよ』


空蜘『……』


鈴『えー、そうなのー?』

ヱ密『頑張って、鈴ちゃん』

鈴『うんっ、頑張る!』


空蜘『……』


空蜘『……』


空蜘『……ていうかさっ!』


鈴『ん? うっちー?』

ヱ密『どしたー? 空蜘』

空蜘『こんなたらたら歩いてたら着くまでに季節二つくらい変わっちゃうからっ!』

ヱ密『まぁまぁ』

空蜘『私は意味の無いことが一番嫌いなの!』

鈴『あたしのせいだよね、ごめん…』

空蜘『そんなの今更言われなくてもわかりまくってるから!』

鈴『うぅ……うっちーが不機嫌になっちゃってるよ……』

ヱ密『そうは言ってもねぇ、空蜘』

空蜘『もう無理。鈴、ちょっと来て』

鈴『へ?』


呼ばれるがままに空蜘の傍へと近付く鈴。

空蜘は鈴の腕を掴み、引き寄せた。


鈴『な、なに…? えっ…』

空蜘『うん、最初からこうすればよかったねぇ』


そして軽々と抱き抱え、お姫様だっこのような状態で空蜘の腕のなかに包まれる鈴。


鈴『う、うっちー? やば……一瞬、ドキッとしちゃった……あたし、重くない?』

空蜘『軽すぎるくらい』

鈴『そっか、よかったぁー……って、何するつもり…!?』

空蜘『途中で振り落とされないようにしっかり掴まっててね』

鈴『ひぇ? ま、まさか……』

ヱ密『空蜘、あの速さのまま万一落としたら鈴ちゃん死んでもおかしくないから気を付けてね』

空蜘『わかってるわかってる』

鈴『し、死んでもおかしくないって……』

空蜘『よーい、スタートー!』


空蜘は鈴を抱えたまま、超速で走り出した。


鈴『ゃ……あっ……ぎゃ、ぎゃああぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!』


鈴『や、やだっ……ゅあっ、怖いっ……こわいこわいこわいーっ!!!!』



最凶最悪のアトラクション──。

あまりの恐怖に、暴れまくる鈴。



鈴『た、たしゅけてっ、おろしてぇぇっ!! 死んじゃうぅぅぅぅぅっ…!!!!』


空蜘『……煩いなぁ、この子』


鈴『やだやだやだぁぁぁぁぁ!!!! ホント無理だからっ、おねがい止まってっ、うっちーっ!!!!』



鈴『はやくぅっ、ほんとお願いだからぁっ…!!!! 無理無理無理無理ぃぃーっ!!!!』


鈴『ぎゃぁぁぁぁーーーーっ!!!! やぁぁぁぁだぁぁぁぁぁーーーーっ!!!!』



ヱ密『……空蜘、一旦止まってあげよっか…』


空蜘『……チッ』





鈴『はぁっ、はぁっ、はぁぁぁ……死ぬかと思った……』


空蜘『……』

鈴『なんてことすんのっ、うっちー!』

空蜘『えー……なんで私、怒られてるの……』

鈴『あたしホントこういう絶叫系無理なんだからっ!』

空蜘『知らねーよっ! いいからさっさとまた私に掴まって!』

鈴『もうあれは無理っ! 絶対絶対むりーっ!』

空蜘『……鈴』

鈴『ひぃっ…!』

ヱ密『じゃ、じゃあせめて走ろっか。それならいいでしょ? 空蜘も鈴ちゃんも』

空蜘『鈴が走っても、たかが知れてるじゃん…』

鈴『は、走る走るっ! あたしめっちゃ走るからっ!』



そして今に至る……。

空には満月。

もうとっくに陽が沈み、辺りは闇に包まれていた。



空蜘「大体、鈴はわがまますぎなんだよー」

鈴「うぅ、うっちーがますます不機嫌に……」

空蜘「鈴のくせに私に文句ばっかつけやがってよー」

鈴「あれ? そういえばえみつんは?」

空蜘「無視すんなっ」
ペシッ

鈴「ふぎゃっ!」


ヱ密「こーら、鈴ちゃんを虐めちゃ駄目でしょー」

空蜘「これは教育上必要な体罰です」

鈴「えみつーんっ」

ヱ密「おぉよしよし、怖かったねぇ」

鈴「うんっ……えみつん大好きー!」


空蜘「チッ……で、何処行ってたの?」

ヱ密「どっか休める場所無いかなーって探してた。向こうにね、お寺があったからそこで」

空蜘「え? 今休んでるじゃん」

ヱ密「あー、鈴ちゃんも相当疲れてるだろうし、今夜はゆっくり休んでまた明日の朝出発しようよ」

鈴「ほんとっ?」

空蜘「えー……休まなくていいよー……ヱ密は鈴に甘いんだからぁ……」

ヱ密「実は蛇龍乃さんからお酒預かってきてる」

空蜘「…!」

ヱ密「空蜘が我が儘言い出したらこれ飲ませろって」

空蜘「うんうん、仕方ないね。今夜はそこで休もっか♪」



ヱ密に連れられ、鈴と空蜘が少し歩いた先には、古びた寺があった。

御世辞にも綺麗とは言い難い外観。

境内も以前に山賊が物色したであろうと窺えるほどに荒らされた状態だった。



鈴「…………」


ヱ密「鈴ちゃん?」

空蜘「なに突っ立ってんの。早く入るよ」


鈴「い、いやぁ……勝手に入っていいのかなーって……」

ヱ密「さっき見た時、誰もいないみたいだったし」

空蜘「そもそもこんなボロいんだし、使われてるわけないじゃん」

鈴「あー、うん……」


不気味な雰囲気に、足を踏み入れることを躊躇してしまう鈴。


ヱ密「ほら、鈴ちゃん。平気だから。奥に仏様も見えるでしょ?」

鈴「…見えるから余計に駄目な気がするんだけど」


空蜘「うわぁ……汚ねぇ……」


ヱ密「じゃあ私はちょっと食べられるもの探してくるから。空蜘とゆっくりしてて」

鈴「うん、ありがと」


空蜘「鈴ー! ちょっと来てー!」


鈴「はーい……」


そして、鈴は渋々と寺に入ることにした。


鈴「うわっ、汚なっ!」

空蜘「でしょー? これはさすがに酷いよねー」

鈴「うん…」

空蜘「というわけで。鈴、掃除して」

鈴「えー、あたしがー? まぁ仕方無いか…」

空蜘「…? あれ? そういえばヱ密は?」

鈴「ん、食料探しに行くって」


空蜘「はぁー? まだお酒貰ってないんだけどー!」

鈴「まぁそのうち戻ってく」

空蜘「多分、そう遠くには行ってないよね……あーあ、めんどくさ」


そうぼやきながら、空蜘は闇の中へと消えていった。


鈴「…え? はっ……ちょ、ちょっとっ、うっちー!?」

鈴「あ、あたしを一人にしないでよーっ!」


慌てて外を確認するも、その姿は既に 何処にも見当たらず。


鈴「……マジか」


……一人取り残される鈴だった。


鈴「……こわい……何も起こりませんように、何も起こりませんように……」


鈴「と、とりあえず、掃除してよう……」



腐った木の枝や石ころ、泥が混じった土。

用途のよくわからないガラクタや何かの破片。


それと──。


鈴「ん? なんだろこれ……ひぇっ」


鈴「ぎゃ、ぎゃぁぁぁぁーーーーっ!!!!」



鈴が不用意に拾い上げた物は、人骨であった。


鈴「ほ、骨ぇ……っ、まさか、人間の……?」



鈴「も、もぅやだよぉ……ぐすっ……早く帰ってきて……えみつん、うっちー……」


すると追い打ちを掛けるように。

背後の方から、ギィィ、と床が軋む音が響く。


鈴「ひぃぃっ…!? ごめんなさいごめんなさいっ……助けてくださいお願いしますっ」


……あまりの恐怖で振り向けない鈴に。



空蜘「なんだ、生きてるじゃん」



鈴「う、うっちー……? うっちーっ!」

空蜘「すごい悲鳴聞こえてきたから何事かと思えば…」

鈴「うっちぃ……もうあたしの傍からいなくならないでね…?」

空蜘「……鈴」

空蜘「で、何かあったの?」

鈴「う、うん……あそこに、骨が……」

空蜘「あー、うん。それで?」

鈴「え? いや、骨が…」

空蜘「うん。……まさかそれだけ?」

鈴「そ、そうだけど……」

空蜘「別に驚くことじゃないでしょ。それくらいでビビり過ぎ、情けないねぇ」


呆れた表情で鈴に目をやる空蜘。


鈴「あ、あたしはうっちーたちと違って人殺しじゃないからそんな耐性なんて備わってないのっ!」


空蜘「……」


鈴「あ……ご、ごめん……」

空蜘「何が?」

鈴「いや、その……つい酷い事言っちゃって」

空蜘「酷い事?」

鈴「だから、あの……人殺し、とか……」


空蜘「あー、それ? 別に何とも思ってないからいいよ。事実だし」

鈴「……ごめん…」

空蜘「あはは。うんうん、鈴もすぐに人殺しの仲間入りだからそんなこと言えるのも今のうちだもんねぇ」

鈴「そんな嬉しそうに言わないでよ…」

空蜘「まぁ今の鈴を見てると、とても務まるようには思えないけどー」


空蜘は愉快そうな口調で、酒に口を付けながら話す。


空蜘「ごくごくっ……ぷはぁー」

空蜘「ていうか掃除殆ど終わってないじゃん。ほら、さっさと働く」

鈴「……」

空蜘「ん?」

鈴「さっきあんなことがあったから、その……怖くて……」

空蜘「あはははっ、ただの骨でしょ? 襲ってくるわけでもないのに。大丈夫だから、何かあっても私がここにいるでしょ?」

鈴「う、うん…」

空蜘「さぁ働け働けー、私の為に働けー! あははっ」



たかが掃除に、過度に恐怖している鈴の様子を面白がる空蜘。


空蜘「鈴ってさぁ、超ビビりだよねー」

空蜘「その上、超弱いし超ノロマだし、更には超アホだし」


鈴「むぅ……どーせあたしはなんにもできませんよーだ……」


空蜘「鈴がいた世界って、鈴みたいな人ばっかりなの?」


鈴「んー、まぁ……あたしが特別劣ってるってわけじゃないと思うけど」


空蜘「ふーん、じゃあ私がその世界に行けば最強じゃん!」


鈴「そだねー…」

空蜘「ねぇ、鈴。一つ聞いていい?」

鈴「ん、なに?」

空蜘「鈴ってなんでそんなに弱いの?」

鈴「はいはい、うっちーは強くていいねー。あー羨ましー」

空蜘「いや、真面目な話」

鈴「…?」

空蜘「真剣に強くなろうって気はあるの?」

鈴「え…」

空蜘「まぁ鈴の境遇はなんとなく知ってるけどさ。迷い込んできて、殺されない為に里の一員……忍びになった」

空蜘「自分は仕方無く忍びになっちゃったから弱いままでも構わないとな思ってない?」

空蜘「ここのみんなは甘いからねぇ。なんだかんだ言っても守ってもらえる。今回の任務だって、私やヱ密に頼りっきりじゃん」


鈴「……」


空蜘「いつまで弱いままでいるつもりなの?」

鈴「……っ」

空蜘「まぁ私には関係無いけどねー。でも、忍びの先輩としてアドバイスしてあげると…」




空蜘「忍びってね、弱いとすぐ死んじゃうんだよ?」


空蜘「まぁ私からすればみんな弱いんだけどねー、あはははっ」

空蜘「あ、そうだ。鈴ってあの変な術使えるんだよね」

鈴「術っていうか、なんというか…」

空蜘「その変な四角いやつが光ると術を破れるとか。それはまぁまぁかな。弱い鈴には勿体無いくらい」

鈴「これ? うん、だよね……なんでそうなるかはよくわかんないけど」

空蜘「なら私が貰ってあげるよ」

鈴「え?」

空蜘「どうせすぐ死んじゃう鈴が持ってるより、私が持ってた方がいいに決まってんじゃん」

鈴「だ、駄目だよっ…」

空蜘「えー、じゃあちょっと見るだけ。一瞬、貸して」

鈴「ダメ……じゃりゅのさんから絶対に他の人に渡すなって言われてるから。うっちーだからじゃなくて、えみつんやみんなにも」

空蜘「あははっ、そんなのバレないって。すぐ返すからさぁー、ね? 鈴のくせに私に逆らうなー!」

鈴「ほ、ほんとに無理だからっ…!」

空蜘「いいからいいからー」


執拗に迫る空蜘。

と、そこに。


ゴツンッ──!


空蜘「痛ぃっ!」


ヱ密「まーた鈴ちゃん虐めて…」

空蜘「痛たた……ちょっと遊んでただけだから」

ヱ密「他の事なら別にいいけどさぁ、そのスマホに関しては蛇龍乃さんに本気で怒られるよ?」

空蜘「はーい…」



空蜘「でも、さっき私が話したことは真剣に考えた方がいいと思うよ? 鈴」

鈴「…うん」

ヱ密「なに? 他にも虐められてたの?」

鈴「あ、いや……」

空蜘「鈴はいつまで経っても弱いねーって話。ヱ密はどう思う? 鈴が弱いままでいること」

ヱ密「それは鈴ちゃんが考えることでしょ」

空蜘「まぁ、そだねー」

ヱ密「それより御飯にしよっか。お待たせ」

空蜘「わーい!」

ヱ密「鈴ちゃんも。ほら」

鈴「あ、うん…!」




火を起こし、網を乗せ。

その上には、魚や猪の肉、それと。


鈴「え、えみつん……なんかとってもカラフルなキノコがあるんだけど、大丈夫なんだよね……?」

ヱ密「勿論。多分……きっと……」

鈴「ちょっ、そんな自信無さげに! まさか毒キノコなんじゃ…」

空蜘「なら食べてみればわかるじゃん。はい、鈴。口開けて、あーん」

鈴「ひぇっ!? んっ、んんーっ! もがもがっ……ふあっ……ん、ゴクンっ……」




空蜘「どう?」

ヱ密「体に異常は?」

鈴「…………おいしい!」

空蜘「おー」

ヱ密「よし、これは食べられるもの……っと」

鈴「えっ、本気でヤバいやつの可能性あったの…!?」

ヱ密「うそうそ。ちゃんと危険の無いものってわかってたから」


──……。



鈴「ごちそうさまでした」

ヱ密「全然足りなかったでしょ? ごめんな、あれだけしか採ってこられなくて」

鈴「ううん、充分だよ。ありがと」

ヱ密「お煎餅ならあるけど食べる?」

鈴「……!」

ヱ密「ん?」

鈴「やっぱりえみつんはえみつんだなぁって。一つ貰う」

ヱ密「それ食べたらもう休んで。明日も早いから」

鈴「うん」

空蜘「ヱ密、私にも頂戴」

ヱ密「ほい」








鈴「…………」


ヱ密「眠れない?」

鈴「ん……疲れてるはずなんだけどね」

ヱ密「……大丈夫。私が見張ってるから安心して眠って」

鈴「…えみつんは寝ないの?」

ヱ密「私くらいの忍びになると、一晩や二晩寝なくても問題無いから」

鈴「……すごいなぁ、えみつんは」


鈴「……じゃあ、ごめんね。あたし、寝るね…」

ヱ密「うん、おやすみ。鈴ちゃん」



寺の入口。

階段に腰掛け、月を眺めているヱ密。



ヱ密「……」


……そこに。


空蜘「…ホントに寝ないつもり?」


ヱ密「鈴ちゃんは眠った?」

空蜘「すやすやしてる」

ヱ密「ふふ、そう…」



空蜘「……」


ヱ密「……」


空蜘「……せっかくだし、一杯くらい付き合ってよ」

ヱ密「ん、一杯だけね」


ヱ密は差し出された杯を受け取った。


空蜘「かんぱーいっ」

ヱ密「乾杯」




一気に飲み干した空蜘はおもむろに立ち上がり。



空蜘「さて……と、酔い醒まし酔い醒まし」


ヱ密「気を付けてねー」


空蜘「はは、誰に言ってんの。余裕だよ」



森の中へと消えていった──。



そして、しばらくすると──。



空蜘「ただいまー」


ヱ密「お帰り。何人いた?」

空蜘「五人。あれ? 六人だったかな?」

ヱ密「あー、やっぱそんくらいか。で、何者だって?」

空蜘「さぁ? 散々痛め付けてやったのに一向に口割らないから殺した」

ヱ密「そっか。まぁお疲れ様」


空蜘「さて、飲み直すかー」

ヱ密「なんの為の酔い醒ましだったの…」

空蜘「いいじゃんいいじゃん」

ヱ密「……また腕上げた? 気配の殺し方からしてまったくの雑魚ってわけじゃなかったでしょ、さっきの連中」

空蜘「まぁねー。試してみる? 今度は前のようにはいかないよ?」

ヱ密「やめとく、ていうかもう仲間じゃん」

空蜘「だーかーらー、何度も言ってるけど、仲間だなんて私は一言も口にしたことないからね」

ヱ密「はいはい。じゃあお客さん、里の居心地はいかがですか?」

空蜘「……うん。悪くはない、かな」

ヱ密「ふふ、それはそれは」

空蜘「…でも、ヱ密とはまた一回本気で手合わせしたいよ。負けたままじゃ私の気が済まないから」

ヱ密「……ん、わかった」

ヱ密「でもそれは空蜘が術を返してもらってからね。今の状態じゃさすがに、ね」

空蜘「うん。……ねぇ、あの人本当に術返してくれる気あるの…?」

ヱ密「さぁ……私に訊かれてもそればかりは」


空蜘「なんかいいように使われてるだけな気がする……」

ヱ密「そりゃそうでしょ。いいように使うのが頭領の役目。そして使われるのが私たち」

空蜘「あ、そっか。ん……? まぁいいや」


ヱ密「…そろそろ空蜘も休んだら?」

空蜘「ん、そうしよっかなぁ……ヱ密は?」

ヱ密「空蜘が眠らないと警戒を解けないじゃん」

空蜘「仲間とか言いつつ信用してないのかよっ」

ヱ密「あはは。あー、明日からだけど、ちょっと急ごうか」

空蜘「私はそうしたいけど、鈴がうるさいから…」

ヱ密「私に任せて」

空蜘「…?」



──……。


そして、翌朝──。



鈴「おはよ……まだねみゅい……」


ヱ密「おはよう。まぁこんな場所じゃ眠った気しないよね」

鈴「ん……でも平気。あたしも頑張らないと」

ヱ密「あー、まだいいよいいよ。寝てても」

鈴「へ?」


ストンッ──!


鈴「ふぁぅっ…!」


ヱ密の手刀が綺麗に首に決まり、鈴は気を失った。


ヱ密「これで運びやすくなった」

空蜘「おー! その手があったかー!」



墜ちた状態の鈴をヱ密が抱え。

超高速での移動を始めたのだった──。



そして、里を発って三日目──。

鈴たちは目的地である城下町のすぐ側まで辿り着いた。



鈴「…ん、んん……あれ? もう着いたの? なんかあたし、あんまり最近の記憶無いような…」


空蜘「…やっぱアホだ」

ヱ密「さて、鈴ちゃん」

鈴「ん?」

ヱ密「この格好のままじゃ忍者ですって言い回ってるようだから、着替えるよ」

鈴「着替えあるの?」

ヱ密「うん、ここに」


予め用意していた和服を受け取り、それに着替える三人。


鈴「わー、ヒラヒラしてるー」

ヱ密「うん、似合ってる。可愛いね、鈴ちゃん」

鈴「えへへー、そう?」

ヱ密「空蜘も着替え終わった?」

空蜘「うん。あ、ヱ密、お小遣い頂戴。任務は二人でやるんでしょ? 私はその間、勝手に時間潰してるから」

ヱ密「空蜘は無駄遣いしそうだから駄目」

空蜘「そっか。うん、わかった」

鈴「あれ? うっちーにしては妙に素直だね」

空蜘「あー、貰えないなら貰えないで、そこら辺の人間殺して奪えばいいだけだから」

鈴「…っ!?」

ヱ密「わかったわかったっ、これだけ渡すから! お願いだから騒ぎ起こさないで!」
ジャラッ

空蜘「わぁ、ヱ密って親切ー! 優しいねー!」

鈴「……」



町娘の格好に衣装替えした三人は、城下町に降り立つ。


ガヤガヤ…



鈴「おー、思ってたより賑やかだね。この世界に来てからずっと山奥にいたからすんごい都会に見える」

鈴「…あれ? じゃりゅにょさんがここは貧困に喘いでるーとか言ってなかった?」

ヱ密「うん、まぁでもそこまで裕福な暮らしは皆してないと思うよ。それでも活気があるのは良いことだしね」

鈴「ふーん、そうだねぇ」

ヱ密「ん? 空蜘は…?」

鈴「あれ…? さっきまで隣を歩いてた筈なのに…」

ヱ密「またか…」



と、そこに──。


「スリだぁー!! 誰かそいつを捕まえてくれぇーっ!!」


突如、叫び声が響いてきた。


鈴「ス、スリって……ここって結構治安悪いのかなぁ。…ってまさかっ」

ヱ密「一瞬ヒヤッとしたけど、さすがにあの子の仕業じゃなくて安心した…」



タタタタタッ…


前方からこちらへ向かってくるスリと思わしき一人の男が鈴たちの元を過ぎ、走り去っていく。



ヱ密「……」

鈴「捕まえないの…?」

ヱ密「あのねぇ、鈴ちゃん。私たちはこれから任務を遂行しなきゃいけないの。変に目立っても何も良いことなんてないでしょ?」

鈴「そうだけど…」



すると、少し離れた後ろの方から──。


「ぐぇっ…!」


背後から聞こえた短い悲鳴の先には、先程の男が地に伏していた。

その倒れた男の側には、一人の女。


「く、くそっ…! 離しやがれっ!」

空蜘「お金盗んだらいけないんだよー? あーでも、それの九割を私にくれるならぁ、見逃してあげないこともないかも♪」


……空蜘だった。


「きゅ、九割だとっ!? ふざけんなっ! この女っ!」

空蜘「ふぅん……じゃあ処刑されちゃうかもねぇ。お兄さん。ざんねーん、かわいそー! 首落とされたり、馬に繋がれて引き摺り回されたり、重り付けられて沈められたり」

「……わ、わかったわかった! これ全部あんたにやるからっ、早く離してくれっ!」

空蜘「わーいっ、ありがとー!」



空蜘がスリの男から奪った金を受け取ろうとしたその時。

騒ぎを聞きつけ、ぞろぞろと駆け付けてきた役人によって男は取り押さえられた。



空蜘「あーあ、さっさと渡してくんないから」

ヱ密「騒ぎを起こすなってあれほど言っておいたでしょ…」

空蜘「私じゃないもん。あのさっきの男の人が」

ヱ密「だーかーらーっ、そんなのにわざわざ関わるなっつーの……はぁ…」

鈴「でもうっちーって意外と良い人なんだね。ちょっと見直しちゃった」

空蜘「うん? 良い人? …まぁそういうことにしとこっかな」


そこに、別の一人の男。
風貌としては二十代前半といったところだろうか。

そんな青年が三人の元へと近寄り、声を掛けてきた。


「あの、先程は取り返して頂きありがとうございました」


ヱ密「……」

空蜘「……」

鈴「い、いえ……ほら、うっちー。お礼言ってくれてるよ」

空蜘「…あー、うん。で、何か用? お礼に五割くらいくれるの?」

鈴「もう、うっちーっ」


「あはは、そういうことではないのですが。これは大切なお金だったので、是非お礼をと思いまして」

空蜘「あっそ。次からは助けてあげないからせいぜい気を付けなよ。あー、次は無いかもねー」

「…?」

ヱ密「私たち、旅をしていて今回はたまたまここに訪れただけなんです」

「あぁ、そういうことでしたか。先程あんなことがあったばかりですので、どうぞお気を付けて」


ヱ密「…そうですね。世の中何かと物騒ですからね。そろそろいいですか? 私たち、少し急いでいるので」

「これはこれは、失礼致しました。この度は本当に有り難うございました。では私はこれで」


そう言って男は去っていった。



鈴「……ねぇ、なんか二人とも冷たくない? 良い人そうだったし、もう少し愛想良くしてあげても…」

ヱ密「……」

空蜘「…まぁ、あれなら余裕そうだねぇ」

鈴「……?」


ヱ密「空蜘が余計なことするから…」

空蜘「あはっ、ごめんごめーん」

鈴「なんの話?」

ヱ密「……今回、鈴ちゃんが殺す標的ね。さっきの人だから」

鈴「え……」


ヱ密「さて、とりあえず宿を探そう」





少し歩いた先にあった宿屋に足を踏み入れる三人。


ヱ密「すみません。三人、一泊。部屋は一つで構いません」



前払い。店主に宿代を渡し、一室に通してもらった。



ヱ密「……まだ陽が高いね。殺すのは夜の方が都合が良いから、それまでは町を彷徨いてよっか。鈴ちゃんの世界についての手掛かり調べてみよ」

鈴「あ、うん…」

ヱ密「空蜘はどうする?」

空蜘「私もぶらついてる。二人とは一緒には行動しないけどね。それじゃ」


部屋を出ていこうとする空蜘に。


ヱ密「待って」

空蜘「なーにー?」

ヱ密「目立たない、騒ぎを起こさない、妙なことに関わらない。はい、復唱」

空蜘「あーはいはい、目立たない騒ぎ起こさない妙なことに関わらない」

ヱ密「ホントに頼むよー? あ、一応日付変わる頃には一旦ここに戻ってきてね」

空蜘「はーい」


鈴「ばいばい、うっちー」

空蜘「ふふっ♪ 今度はビビんなよ? 鈴」

鈴「う、うん…」




鈴「……」


ヱ密「……恐い?」

鈴「え?」

ヱ密「人の命を奪うこと」

鈴「……まぁ、うん……そりゃあね。私の世界じゃ、人殺しは何よりも重い罪だから」

ヱ密「ここだってそれは同じだよ」

鈴「……時々ね、えみつんやみんなが怖くなるの。それが忍びだからって言われれば、それまでなんだけど」

ヱ密「うん、私たちは忍び。何をするにしてもその根本はそこにある」



鈴「……忍び、覚悟……善と、悪…………私は……」


ヱ密「忍びを志す者の大前提としての言葉に、こういうものがあるの。悪は染まるもの。善は装うもの」


ヱ密「だからといってなにも悪いことばかりしろって意味じゃなくて。何事にも躊躇しない覚悟……やっぱりね、そういうのがいざ必要になった時に邪魔してくるのは心なんだよ」


ヱ密「悪とか善の前に、根底には必ず心がある。悪にも善にも染まることはなく、装うこともできない心がそこには存在している」


ヱ密「それは変えられるものでは決してないし、変えなくてもいいもの。この世界で、鈴ちゃんにとって一番大切なものは何?」

鈴「ぇ……一番大切な、もの……えみつんは? あるの? そういうの…」

ヱ密「あるよ。私は里の皆が大切。怠けてばっかりの蛇龍乃さんも、いつも好き勝手やって手の掛かる空蜘だって。勿論他の皆も、同じくらい大好き」


鈴「……」

ヱ密「ん、どしたの?」

鈴「いや、えみつんからそんな言葉が聞けるなんて……なんか嬉しいなぁ、って」

鈴「それも、さっき言ってた、装った善なの…?」

ヱ密「さぁー? どうだろねー?」

鈴「教えてくれないんだ…」


ヱ密「それは自分で感じてもらわないと。何もかも私が教えて、示して、導いてあげたんじゃ意味無いでしょ?」

鈴「…はは、えみつんって優しそうにみえて、実は一番厳しいかも」

ヱ密「ふふっ、そうかもね。さて、少し町を歩こっか」



宿を後に、町に出た二人。


……とりあえず、騒ぎらしい騒ぎは起きていないようで。

空蜘は今のところは大人しくしてくれているだろうと、肩を撫で下ろす。



鈴「ねぇ、えみつーん」

ヱ密「んー?」

鈴「なんて訊けばいいのかなぁ? 違う世界とか言うわけにもいかないし…」

ヱ密「うーん、あまり直接的な言葉を使うわけにもいかないし……ここらで普段見掛けない人とかちょっと変わった人っていう方向でさりげなく探ってみるしかないかな」

ヱ密「この世界に来たばかりの鈴ちゃんみたいに、最初はそりゃ戸惑うだろうから、普通とは違う言動とかで注目されてた可能性があったりする、かも」

鈴「あー、なるほど」

ヱ密「…まぁそれも、鈴ちゃんと同じ境遇の人がもしいたらの話だけど」

鈴「……いるのかな、そんな人」

ヱ密「可能性は限りなく低いねー」

鈴「だよねぇ……あっ、あの人は?」

ヱ密「誰?」


ヱ密「誰?」

鈴「木皿さん」

ヱ密「……? もしかして、如月さんのこと?」

鈴「そう、そのきさらぎさん」

ヱ密「その人が何か知ってると? どうしてそう思うの?」

鈴「いや……なんとなく」

ヱ密「なんとなくって……でもどっちにしろそれは絶対に無理だね。私たちは秘密裏に依頼されてるんだから訪ねるわけにいかないよ」

鈴「そっか、そうだよねぇ…」



あてもないまま。

町の大通りをふらふらと歩く鈴とヱ密。


ヱ密「何処かで休憩する?」

鈴「あー、あたし甘いもの食べたい。そういう所ある?」

ヱ密「んー……あそこ入ってみよっか」



甘味処、と書かれた看板の店。

通り沿いの長椅子に腰を下ろす。



鈴「おー、いいねぇ。老舗って感じ」

ヱ密「妙州にもこういうお店一軒くらいあればいいのに」

鈴「ねー。ホントそれ。あたしお団子にしよっと。えみつんは?」

ヱ密「お饅頭にしようかなー」



「御待たせ致しました。はい、どうぞ」


店員らしき年輩の女性が注文しておいた団子と饅頭、あと茶を二つ運んできた。


鈴「わぁ、美味しそう! ありがとうございます」

ヱ密「もぐもぐ……うん、美味しい」

鈴「食べるの早っ」

ヱ密「皆へのお土産に買って帰ろうかなぁ」

鈴「おばあちゃん、ちょっとお訊ねしたいんですけど」


「はいはい、なんでしょう?」


鈴「最近この辺で変わった人とか見ませんでしたか?」

「変わった人……と、言われましてもねぇ……」

鈴「珍しい、というか……うーん、見慣れない人というか」

「うーん……ああ、いましたよ」

鈴「ほ、本当ですかっ? どんな人でした?」

「今ちょうど私の目の前に」


鈴「へ…?」


「あんたら、旅のお方ですか? あまり見掛けない顔でしたので」

鈴「……あー、まぁそんな感じです…」



その後も、いくつか店を回ってみたが。

これといった情報も得られず。



次第に陽も暮れていき、看板を閉める店が殆ど。

この時間にもなって賑わっている場所といったら、酒場くらいのもので。



ヱ密「収穫なかったね。残念」

鈴「まぁそんな簡単に見付かるとは思ってなかったから。あの酒場は覗かないの?」

ヱ密「どうせ空蜘が居座ってるでしょ。そこに私たちが行ったんじゃあの子も羽を伸ばせないだろうし」

ヱ密「それに、空蜘だったら巧いこと聞き出してくれてるよ。多分」

鈴「…そっか」



鈴「……」

ヱ密「……まだすぐには動かないから」

鈴「そうなの…?」

ヱ密「まだ夜も浅い。もう少し更けてからね。標的の住む家も割れたし、もう少ししてから任務開始といこうか」

鈴「いつの間に……うん、わかった」

ヱ密「それまで宿に戻って休んでよう」


鈴「……うん」





……そっか。


あと数時間後に、私。


人を、殺すんだ──。


──…………。



鈴「…………」


ヱ密「……だいぶ、外も静かになったね」

鈴「……うん」

ヱ密「じゃあ行こっか。ちゃんと蛇龍乃さんから貰った刀は持ってる?」

鈴「……うん」


ヱ密「相手が無抵抗……動けなくなるまでは私がやるから、鈴ちゃんは」


鈴「殺せば、いいんだよ、ね……っ」


ヱ密「喉か心臓を貫けば簡単に命は奪れる。ただその代わり、思いっきりね? 鈴ちゃんの半端な力だと一刺しで殺せないかもだから」

ヱ密「あと、心臓を刺すのなら刃は水平……横向きに。肋骨に阻まれるのを避ける為に」

ヱ密「私たちは命を奪うのであって、拷問が目的じゃない。だからせめて……与える苦しみは最小限にしてあげよう?」


鈴「……わかった」



鈴「……殺す……殺さなきゃ……あたしは……」



鈴「……もう、忍びなんだから」





鈴とヱ密は宿を抜け、夜の闇へと身を消した──。



一方、その頃──。


ガヤガヤ…


こんな夜更けにも拘わらず、賑わっている場所。

……そこは酒屋ではなく。


畳の上に何人もの大人が腰を下ろし、皆ただ一点だけに視線を向けている。

その視線の先には。

逆さまになった湯呑みほどの大きさの壷。

人の手によって、それが持ち上げられる。

その中から姿を現したのは──二つの賽子。


「──ゴロクの半っ!」


「はははっ、またそこの姉ちゃんの一人負けだな!」


空蜘「えー? ホントにー?」


「悪いねぇ、この金は頂くぜっ、ははははっ!」

空蜘「イカサマしてんじゃないのー?」

「そんなの無い無い。姉ちゃんの運が悪ぃだけさ」


空蜘「……術があれば賽の目を操作するなんかわけないのに」


「おら、気を落としてねーで。次どうする?」

空蜘「うーん……もう今のでお金無くなっちゃったし、もういいかなぁ」



空蜘「……これ以上やると、つい殺しちゃいそうだし、ね」



そう言って、空蜘は賭博場を後にした。



町の外。

すっかり酔いが醒めてしまった空蜘は一人、通りを歩いていた。



空蜘「あーあ、お金無くなっちゃったぁ……スッカラカン」


空蜘「さて、どうしようか。またヱ密に……って、今頃は任務中かぁ」


空蜘「お金お金、どっかに落ちてないかなー? そこら辺の家に押し入って奪ってもいいんだけど、それやると今度こそヱ密キレちゃいそう……」


空蜘「はぁ、仕方ない……大人しく宿に戻って寝よっかな……ん?」



「…………」


離れた場所から空蜘を見ている人影。

空蜘がその者の存在に気付くと、向こうは不敵な笑みを浮かべ。

町の外の方へと歩いていった──。



空蜘「……誰だろ……まぁ誰でもいいけど、喧嘩売られちゃったのかな」


空蜘「町の外なら、ちょっとくらいいいよね?」



空蜘はその人影を追い、町の外へと姿を消した──。



ヱ密と鈴はある長屋の一室の前にいた。



鈴「ここが、あの人の家…?」

ヱ密「そうだよ」

鈴「ま、まさかここで……?」

ヱ密「そうしたいところだけど、時間掛かり過ぎちゃうと騒がれそうだし。どこか邪魔の入らない場所に連れていこっか」

鈴「連れていくって……どうやって?」

ヱ密「…まぁせっかく昼間に対面して話してたからね」


薄く笑みを浮かべたヱ密は、扉の前に立ち。


トントン、と。


ヱ密「……夜分遅くに失礼致します。いらっしゃいますでしょうか?」


すると、しばらくして部屋の中から声が返ってくる。


「……どなたですか?」


ヱ密「……昼間、お会いした旅の者です。連れがいなくなってしまいまして……こちらにお邪魔してはおりませんでしょうか?」


「いえ、ここには来ておりませんが」


ヱ密「そう、ですか……そうですよね……ああ、どうしよう……もしも、あの子に万一の事があったら……っ」


涙声を作り、深刻さを装うヱ密。

すると、扉が開き。

中から例の青年が姿を見せた。


「いなくなってしまったというのは…」

ヱ密「はい……さっきまでは一緒にいたのですが、気付くと姿が無くなっていて……宿にも戻っていないみたいで……っ」

「ということはまだそう遠くには行っていませんね。私でよければ力になりますよ」

ヱ密「い、いえっ、そんな……御迷惑をお掛けするわけには…」

「あの方には助けて頂いたご恩がありますし、是非協力させてくださいっ!」

ヱ密「本当、ですか……? なんと心強い……」

「急ぎましょう。もし何か事件に巻き込まれてしまっては一大事です」

ヱ密「はい……ありがとうございます、本当に」


ヱ密「──ありがとう」


外に出るため、こちらへ近付いてきた青年に向かって。

スッと、腕を動かしたかと思えば。

見えぬ速さで、手刀をその首元に叩き込んだ。


「ぁぐっ…──」


倒れ込む男をヱ密が受け止める。



ヱ密「…さぁ行こうか。鈴ちゃん」

鈴「…う、うん」

ヱ密「この状態を万が一誰かに見られたら面倒なことになるから、少し急ぐよ。着いてきて」



二人が向かった先は、町外れにある小屋。

農具などが整理されているその小さな小屋は、少なくとも朝を迎えるまでは人の出入りはないだろう。

といったことから、人間一人を監禁するには打ってつけの場所であった。



鈴「……」


ヱ密「鈴ちゃん、お煎餅食べる?」


鈴「…………いらない」


ヱ密「…だよね……さて、と」


入口の扉から最も遠い場所。

後ろ手に縄で縛られた男がそこにはいた。

まだ気を失っている状態。


男に近寄り、持っていた水の入ったバケツを頭から浴びせる。


すると、男は目を覚ました。



「──こ、ここは……? 私は、一体……」


ヱ密「おはよう。さっきは御親切にどうも」


「あ、あんたはっ……これは、どういうこと」


ヱ密「その前に一つ、訊きたいことがあるんだけど」


ヱ密「この世界ではない、違う世界について知っていることはある?」


鈴「えみつん……」


「ち、違う世界……? 何を言ってるのか、意味がわからないっ!」


ヱ密「……まぁ、そうだろうね。期待はしてなかったけど一応、と思って」


ヱ密「あのね、私たちがこの町を訪れた目的は……貴方を殺すことなの」


ヱ密「貴方に直接的な恨みは無いけど、ここで死んでもらう。ごめんね」


「な、なにを……言って、嘘……だろ、そんなのっ……!」



一歩一歩、男に向かって足を進めるヱ密。

その威圧感……どう考えても敵わない、どうにもならないといった絶望感は、その背中からでも鈴に伝わってくる。

だとすれば、迫られている男側からすれば比べ物にならない程。

更に、だろう。



「や……やめ、ろ……っ、やめ──ぁぎゃッ──」



男が悲鳴を上げようとした瞬間。

その喉に、二本の指が飛んできた。

つねられ? 捻られ? 何をやったのかは定かではないが。

悲鳴も途中でプツリと切れたように。


喉は、潰された──。


ヱ密は振り返り、鈴を見据える。


ヱ密「あとはよろしくね。鈴ちゃん」


鈴「……っ」


それだけを口にして、小屋の外へと出ていってしまった。




「……ゅ……ッ、ぁ……ひゅ……ふっ……」


鈴「…………」



経てして、この空間に残るのは──。


先程、喉を潰され、満足に声も発せない男。

蛇龍乃から言い渡された任務の対象となる人物。

即ち、鈴がその手で殺すべき相手。


そして、鈴はというと。


青ざめた表情で。

呼吸も徐々に荒く。

短刀を持つその右手は、ガタガタと震えていた。

鈴「……ぁ……はぁっ……はぁ……ッ……」



私は、この人を……殺さなきゃ。

殺す……?

どうして?

それは私が、忍びだから。




『ここの里の忍びと、今言った任務として討つべき人間。この二つの命の重さは、等しい。どんな命でも同じ命だからね』

『だからどんなに信頼を注いで傍にいる者でもそれで重みが生まれるわけではないし、任務を遂行するにあたって討つべき命でも軽くなるわけじゃない』

『命の重さが同じならどうしてそこには、討ってよい命と悪い命があるのだろう?』



鈴「同じ、命……里のみんなと、この人も……はぁっ……はぁ……」


鈴「命の、重さは……等しいっ……はぁ……はぁっ……」


鈴「だったらっ……あたしが、奪おうとしている命……、奪わなきゃいけない、命も……」


震えが止まらない。

頭が真っ白になる。

……これが。

命を、奪うということ──。


鈴「はぁっ、はぁっ……はぁ……っ……」



『自分は仕方無く忍びになっちゃったから弱いままでも構わないとな思ってない?』

『いつまで弱いままでいるつもりなの?』

『忍びってね、弱いとすぐ死んじゃうんだよ?』



鈴「……忍び……、忍びなら……、弱いままじゃ……っ、いけない……」



『忍びを志す者の大前提としての言葉に、こういうものがあるの。悪は染まるもの。善は装うもの』

『悪とか善の前に、根底には必ず心がある。悪にも善にも染まることはなく、装うこともできない心がそこには存在している』

『それは変えられるものでは決してないし、変えなくてもいいもの。この世界で、鈴ちゃんにとって一番大切なものは何?』



鈴「悪に、染まれ……心は、染まらない……装えない……っ」


鈴「あたしに、とっての……たいせつな……いちばん、たいせつなものは……」

鈴「たいせつなものは……」



やっぱり、仲間だ──。

この世界でも、元いた世界でも、それは同じく大切に感じていて。


知らない世界だから、他に大切なものが無いからじゃない。

そこに在るから、そう思うんだ。

そして私の心も、変わらずここに在る。

世界が変わってしまったとしても、変わらずに在る心は、私だけのものだ。


私は、弱い……とても、弱い。

だから、守ってもらってばかりで。

そんなのが当たり前だと、思ってて。


でも本当にそれで、仲間と呼べるのだろうか──。

……覚悟。

忍びとしての、覚悟とか。

そんな大それたものじゃなくていい。

人と人との絆。

仲間としての、信頼。

それは、私が守るもの。

救うとか助けるとかじゃなく、ただ守りたいと。

皆を守りたいって、私がそう思わなきゃ、駄目なんだ。


弱くたっていい──。

私の中の強い心は……世界が変わったとしても決して染められぬ、決して装えぬ、私の心は。


──…………。



鈴「……っ、はぁ……はぁっ……」


ヱ密「……ご苦労様」


鈴「えみつん……はぁっ、はぁ……あたし、あたしね……」


鈴「殺せたよ……っ、ちゃんと、やれたよ……っ……」


ヱ密「…うん」


鈴「はぁっ……はぁ……ぐすっ……ひぐっ……! みんなのためにっ、あたし……やれたからっ……!」


鈴「ぇぐっ……うぅっ、ひぐっ……はぁっ、はぁっ……うぶっ、おぇっ…! うぅぅ、ゅ…きゅ……おぇぇぇぇっっ……!!」


嘔吐。

追い詰められ、過度の緊張が精神を蝕み続けていた結果である。

何度も何度も、吐き。

返り血で赤に染まった顔の半分。

更には涙でぐしゃぐしゃになっていて。

それはもう酷い様であった。



鈴「げほっ、げほっ…! はぁっ、はぁっ……うぶっ、ゅ……ぁあ、はぁ……はぁっ……うぅぅっ……!」


ヱ密「…ありがとう」






そしてしばらく、鈴が落ち着くのを待ち。

水場で返り血等を洗い流し。

二人は宿へと向かい、歩いていた。


鈴「……」

ヱ密「後悔してる?」

鈴「してないよ」

ヱ密「そう、よかった」

鈴「えみつん」

ヱ密「なに?」

鈴「あたし、強くなる」

ヱ密「……ふふっ、期待してる」

鈴「うん」



深夜ということもあり、人通りは皆無。

誰とも出会すこともなく、二人は宿の前まで戻ってきた。


……が、そこには。



空蜘「……ぅ……ぁ……かはっ……ぅう……ッ」


鈴「え…?」

ヱ密「空蜘?」


戦闘の後と思われる傷だらけの姿で倒れている、空蜘がいた。



鈴「う、うっちー! 大丈夫っ!? ねぇっ、しっかりして!」

ヱ密「……」


空蜘「ぅう……っ、ぐっ……はぁ……はぁ……」


ヱ密「……とりあえず、部屋に連れていこう。まず傷の手当て」

鈴「う、うん…」



空蜘を宿の部屋に運び、ヱ密が傷の手当てを施す。

戸惑う鈴を尻目に、ヱ密は至って冷静に眈々と治療をしていた。

空蜘は殺伐とした表情で、血が出るほど下唇を噛み締め。

ただ、じっと下を向いたまま。


ヱ密「……はい、終わり」

空蜘「……っ」


ヱ密「……で、何があったの? 喧嘩吹っ掛けたんだろうけど、空蜘がここまでになる相手なんて」

鈴「そ、そうだよ……あんなに強いうっちーが負けるとか信じられ」


空蜘「…負けて、ない……っ!」


悔しさを表すように。

ギリリ、と歯軋り。



空蜘「術があればっ……あんな奴っ……!」



ヱ密「…誰かはわかんないってこと?」


空蜘「知らないよ、あんな奴……見たこともないしっ……!」

ヱ密「どんな風貌だった? 相手も忍者?」

空蜘「……変な格好してた……あとは知らない。もう寝る」



空蜘は直ぐ様、布団を頭から被り眠りについた。



鈴「……いいの?」

ヱ密「空蜘の性格からして、訊いても話してくれないでしょ」

鈴「気にならないの? うっちーより強い人……もしかしたら、えみつんよりも」

ヱ密「んー、別に。ていうか私や空蜘より強い人なんてそりゃいっぱいいるよ。いくら里で強いからって、なにも人類最強ってわけじゃないんだし」

鈴「そ、それは、そうだけど……」


空蜘「すぅ……すぅ……すぅ……」


ヱ密「……まぁでも、空蜘が人前でこんな熟睡するなんて。こりゃ相当堪えてるねぇ」

鈴「……うっちー」

ヱ密「鈴ちゃんも休んで。かなり疲弊してる筈でしょ?」

鈴「まぁ……うん」

ヱ密「朝にはここを出るから。そのつもりで」

鈴「うっちーは平気なの? もう少し休んでからの方が」


ヱ密「任務を終えたら速やかに帰還しないと。空蜘は心配いらないよ。この子、我が儘は言っても絶対に泣き言は吐かないし」

鈴「うん……うっちーならそんな気はするけど」


ヱ密「ほら、早く寝て。おやすみ」


鈴「……おやすみ」




──……。



ヱ密「……」



ヱ密「…………そりゃ、眠れって言う方が酷だよね」


鈴「すごっ、なんでわかるの? あたしが起きてるって」


ヱ密「…呼吸のリズム」


鈴「さすがだなぁ……ねぇ、えみつん」

ヱ密「なに?」

鈴「あたし、どうやったら強くなれる?」

ヱ密「……さぁ? そんなの人それぞれ違うんじゃないのー?」

鈴「えみつんはどうやって、そんなに強くなったの…?」

ヱ密「……」

鈴「えみつん…?」

ヱ密「どうせ参考にならないよ?」

鈴「それでも聞きたい」



ヱ密「…………私の場合は」



ヱ密「たくさんの人を殺してきた」


──……。


早朝、目を覚ました空蜘は部屋を後に。

町の外にある、雑木林にいた。



空蜘「……チッ……いるわけ、ないか」


そう、ここは昨晩に謎の人影を追って戦闘を繰り広げた場所。

当然、あれから何時間も経過している今、その者がここに潜んでいる期待なんて持ってはいなかったが。

術を封じられていたとはいえ、一対一での圧倒的な敗北を喫した──。

自分の強さに絶対的な自信を持っていた空蜘にとって、それを一晩で納得するなんてとてもではないが難しすぎて。


空蜘「……っ、絶対に、殺してやる……ッ」


と、そこに。


ヱ密「よかった。思ったより元気そうだね」


空蜘「……ヱ密」


ヱ密「ふーん、ここで戦ったんだ。……で、もしその人がいたらどうするつもりだったの?」


空蜘「…そんなの決まってんじゃん。今度こそ、殺してやる……」


ヱ密「どうやって? あの怪我の具合からいって、一方的にやられちゃったんでしょ。昨日の今日でそんな、ダメージだってまだ」


空蜘「…煩い」



ヱ密「術も使えない、怪我も治りきってない……しかもそんな熱くなったままの頭じゃ」

ヱ密「……今度こそ、殺されちゃうよ?」


空蜘蛛「……っ、いいよ……それでも」



相手に殺す気があれば、自分は殺されていた。

今こうして呼吸していることもなかっただろう。

それをしなかった。

しかも御丁寧に宿の前まで気絶した状態の自分を運んだ。

……運んだ?

いや、違う。あれは……


まぁなんにせよ、私は見逃されたのだ。

情けをかけられたわけではない。

あの者が何を目的かは知らないが、自分なんかが生きていても大した障害にはならない、と。

そのことが無性に腹立たしかった──。

だから。


空蜘「……もう平気。落ち着いた。私はもう少し昨日の奴を捜すから、ヱ密たちは先に帰っててよ」


ヱ密「……全然落ち着いてないじゃん」


空蜘「ははは、本当に大丈夫だから。次こそ……必ず……っ」


ヱ密「……はぁ」


一つ、溜め息を落とし。


……そして、唐突に。


グイッ──!!


空蜘「ぅぎゃっ…!!」



ヱ密は空蜘の首根っこを掴み、そのまま側に建っていた大木に叩き付けた。


空蜘「ぁ……ぎゅ……げほっ、げほっ…! な、何を……っ」


ヱ密「わかる? 弱いんだよ、空蜘は。弱いから敗けたの」

ヱ密「その弱さを受け入れなきゃ、これ以上強さは得られない……術を返してもらったとしても同じ。絶対に、また敗ける」


空蜘「…っ、ぅ……はぁっ……はぁっ……う、るさ、いっ……黙れっ……!」


ヱ密「……」


ぐぐぐっ、と。

掴んだままの首に、更に力が込められる。


空蜘「ゅ…あ……っ、ぎゅ、ひゅ……はっ……ぁ……っ!」



空蜘「はぁ、ぅあ……っ、こ、のぉ…っ!!」


空蜘が抵抗しようと、腕を伸ばすが簡単に弾かれてしまい。

ヱ密に、届くことはない。



空蜘「ぁ……きゅっ、ひゅ……ぁ……まっ、て……ほんとに、死ぬ……ぁ……っ」


ヱ密「…あ、ごめん」



首の拘束が解かれ、力が抜けたように空蜘はそのまま座り込む。



空蜘「けほっ、けほっ……はぁ、殺されるかと思った……」

ヱ密「まぁ悔しいのはわかるけどさ、もうちょい冷静になってからでも遅くはないでしょ」

空蜘「…ヱ密には、わからないよ……」

ヱ密「だって空蜘、何も話してくれないし」

空蜘「……」

ヱ密「教えてくれる気になった?」

空蜘「……死んでもヤダ」

ヱ密「まぁいいけど……帰ったら私からも蛇龍乃さんにお願いしてみるよ」

空蜘「…なにを?」

ヱ密「空蜘の術、返してあげたらー? って。現にこういうことがあったんだし」


空蜘「い、いやっ、待って待って! そんな言わなくていいからっ! 私が敗けたなんて誰かに喋ったらぶっ殺すからね…!?」

ヱ密「えー、でも報告はちゃんとしないと」

空蜘「こ、この件は任務とは全然関係ないでしょっ! 私が勝手にやったこと!」

空蜘「あの人も私に言ってたじゃん、息抜きしてこいって。だから私は任務には関係ない立場でただ同行してただけっ、ほら! 報告なんてまったく必要ない!」

ヱ密「……めちゃくちゃ必死だね……まぁ、そういうことにしといてあげようかな」

空蜘「うんうん」


ヱ密「なら大人しく私たちと帰るってことでいい?」

空蜘「う、うーん……」

ヱ密「里に戻ったら私が稽古の相手してあげるから。強くなりたいんでしょ?」

空蜘「……わかったよ」

ヱ密「良い子良い子。さ、鈴ちゃん起こして帰ろ?」


空蜘「はぁーい…」



宿を出て、帰路につく三人。



鈴「また何日もかけて山を越えるのかぁ…」

空蜘「鈴は殆ど寝てただけじゃん」

鈴「あはは、まぁそうなんだけどねー」

空蜘「……」

鈴「ん? うっちー?」

空蜘「…ん、ちょっとだけ、顔付きが逞しくなったような」

鈴「おぉ、あのうっちーに褒められるなんて」

空蜘「…えいっ!」
ペシッ

鈴「い、痛ぁっ! いきなりなにすんの!?」

空蜘「なんかイラッとした。あ、鈴」

鈴「……なにー?」

空蜘「昨夜の件、誰かに喋ったら殺すからね?」

鈴「昨夜の、件……? あー、うっちーが誰かにやられて倒れてたやつ」

空蜘「うるせー!」
バシッ

鈴「ふぎゃっ…!」


ヱ密「ほーら、二人とも。遊んでないで行くよー?」




……そして、半分辺りまで戻ってきたところで。



ヱ密「ふぅ……ちょっと休憩」


鈴「はぁ……疲れたぁ……」

空蜘「いや、鈴はヱ密に抱えられてただけじゃんっ!」

鈴「そうなんだけどー……やっぱそうそう慣れるもんじゃないしー」


里から町へ向かった時と同様に、抱えられた状態での移動。

ただ、以前と比べ腕の中で暴れ、絶叫することも少なくなっていた。


空蜘「ねぇ、ヱ密。さっきからちょっと気になってたんだけどさぁ……なんか遠回りしてない?」

ヱ密「うん、してる」

鈴「え、そうなの? なんで?」


ヱ密「…一応、念のためにね。空蜘を襲った者が何者かわからない以上、警戒するに越したことはないから」

ヱ密「尾行されてないかずっと気配に集中してたけど、うん……大丈夫みたい」

空蜘「なるほど。そういうことね」

鈴「あー、そんな強い人が里に来ちゃったら大変だもんね…」



ヱ密「…よし、休憩終わり」



その後も追手の気配は無く。

だが、念には念を、と。

ぐるりと山道を迂回して裏手の方から里へと降り立った三人。


空が茜色に染まり始める夕刻。

そして鈴とヱ密はその足で、蛇龍乃の元を訪れていた。



ヱ密「ただいま戻りました」

鈴「お久しぶりです。じゃりゅにょしゃん」


蛇龍乃「おかえりー。意外と時間掛かったね。あー、鈴ちゃん連れてだからか」

鈴「あはは、えみつんにはお世話になりっぱなしで」

ヱ密「…蛇龍乃さん、なんか里が静かすぎるんだけど何かあった?」

鈴「あ、たしかに。ここに来るまで誰とも会わなかったもんねー」


蛇龍乃「あー……それね……」



ヱ密「……?」

鈴「ま、まさか……」



蛇龍乃「……実は」








蛇龍乃「皆、寝てんだよね」


ヱ密「……は?」

鈴「ね、寝てる……? え、でもこんな時間に」


蛇龍乃「最初は軽い気持ちだったのよ……」


鈴「なんか始まった…」


蛇龍乃「基本、私って朝方に寝て夕方くらいに起きてくるじゃん? んで、私が寝てる間に皆が楽しそうにしてて」

蛇龍乃「てか、鈴ちゃんがうちに来てから……なんか皆が仲良くなってる気がするんだよねぇ。くだんない会話も増えててさ」


蛇龍乃「で、疎外感っていうの? 私らしくもないんだけど……そんなのがふと芽生えてきちゃったわけよ」

蛇龍乃「それで皆に、私と同じく忍びとして規則正しい生活をしてみろって提案してみたの」


蛇龍乃「最初はぶーぶー言ってた鹿や真面目で良い子で可愛い立飛は文句言ってたんだけど……すぐにハマっちゃったみたいで」

蛇龍乃「あ、紅寸は初日から超乗り気だった」


蛇龍乃「んで、ここ数日は私が一番の早起きに。アイツら暗くならないと部屋から出てこねーの」

蛇龍乃「まったく……困ったもんだよ。頭領として頭が痛いわー」


鈴「……」

ヱ密「……ちょっと、それはどうかと」

蛇龍乃「だよねぇ。ヱ密から皆に喝入れてあげてよ」

ヱ密「はいはい、わかったわかった」




蛇龍乃「……さて、では報告を聞こうか」


ヱ密「鈴ちゃん」

鈴「はい」


鈴「任務は、滞りなく完了しました。対象となっていた者は、私がこの手で仕留めました」


蛇龍乃「御苦労様。私があげた刀見せて」


鈴「へ? あ、はい」


鈴は里を発つ前に蛇龍乃から授けられた短刀を差し出した。


鈴「…ちゃんと、殺したよ? 勿論、血は洗い流してるけど」


蛇龍乃「…うん、わかってる。鈴の顔を見ればそんなのすぐ……うん、血の匂いだ」


……蛇龍乃は刃に顔を寄せ、満足げな笑みを浮かべる。



鈴「匂い……まだ残ってるの?」

蛇龍乃「わかる奴にはわかるよ」


鈴「ふーん……くんくん……」



自分でも嗅いでみたがよくわからない。

その刃から香るのは、微かな鉄の匂いと柄からの檜の匂い。


蛇龍乃「匂いもそうだけど。その時の感触、相手の表情。あと……何を思い、何を考え、何を果たそうとしたのか」

蛇龍乃「そういうのを忘れないことだね」


鈴「はい」


蛇龍乃「ヱ密もお疲れ様。鈴の面倒見るの大変じゃなかった?」

ヱ密「ううん、全然。どっちかというと、もう一人の方が……」

蛇龍乃「あー、そういや空蜘は? 一緒に帰ってきたんでしょ?」

ヱ密「部屋で休んでるんじゃないかなぁ」

鈴「そ、そうそう。長旅で疲れてたみたいだし」

蛇龍乃「んー? 鈴がこうしてピンピンしてるのに、あの空蜘が疲れた……?」


蛇龍乃「……なーんか怪しいなぁ」




──……。


一方、里に戻ってからの空蜘は。



空蜘「…しばらくあの人と顔合わせないようにしないと」


蛇龍乃を警戒し、通常時と比べ三倍の忍び足で部屋へと向かっていると。

何かを思い出し、立ち止まる。


空蜘「あ、お風呂入りたいなぁー」


しかし、まだ風呂など用意されているわけもなく。

用意を頼もうにも誰も屋敷内には見当たらない。


空蜘「……なんで? 引っ越し?」


近くにある空丸の部屋を開けてみると。


空丸「すぅ……すぅ……」


空蜘「なんでこんな時間に寝てんの、この子……」

空蜘「ねぇねぇ、ちょっとお風呂沸かしてくれない?」


空丸「すぅ…………すぅ…………」


空蜘「無視かよ……ていうか忍びなら私が入ってきた時点で飛び起きるでしょ……」


空蜘「おーい、お風呂用意してー」


ペチペチ…

軽く頬を叩いてみるが。


空丸「すやぁ……すやぁ……」


空蜘「…………殺したら起きるかな」




空丸は諦め、次に空蜘が向かったのは牌流の部屋だった。


ガラッ、と扉を開けると。


牌流「ん……ふぇ……? うっち……?」


空蜘「集団催眠をかけられているわけではないようだ。まぁこれが普通の反応だよね。忍びなら」


牌流「おかえり。戻ってきてたんだ?」

空蜘「ついさっきね」

牌流「そっかぁ、で……どしたの? 空蜘が私のとこ来るとか珍し」

空蜘「お風呂用意して。入りたいから」

牌流「えー、今からー? まだ眠いのにぃ……」

空蜘「早くして。ていうかなんで寝てんの……?」

牌流「ふあぁ……ぁ……あれ? 空蜘、どしたの? その怪我。そんな危険な任務だっけ?」

空蜘「……別に」

牌流「んー……? あ、わかった! ヱ密にやられちゃったんだ?」

空蜘「違うからっ」

牌流「じゃあ……もしかして、鈴ちゃんに?」

空蜘「んなわけないでしょ……そんなことより、早くお風呂ー!」

牌流「むぅ……しょうがないですねぇ……」

空蜘「あとお風呂上がったらなんか食べたいから適当なもの作っといてね」

牌流「……私、空蜘の使用人じゃないんだけど」

空蜘「つべこべ言わずにさっさと動くっ!」

牌流「はいはーい」



チャポン……


空蜘「はぁぁ……きもちー……」


温かい湯に浸かり、身体は寛げているが。

だからこそ、頭の中に蔓延る重いものがやけに活発的にになってくる。

……そう、例の忍び人生至上最大の屈辱。


空蜘「……チッ」


舌打ちも歯軋りも意識的なものであったが。

頬を伝う一筋の涙だけは、知らず知らずのものだった。


空蜘「……強くなってやる……もっともっと、強くなって……絶対に、ぶっ殺してやる……っ」



そして風呂から上がり、濡れた髪のまま向かった先は。

台所。

空蜘が入ると、そこには一人分の食事が用意されてあった。


牌流「急だったからそんなものしか間に合わなかったけど」


空蜘「あ、ありがと…」


牌流「はい、あとこれ」


台の上に、酒が置かれる。


空蜘「……いいの?」

牌流「あれ? いらなかった?」

空蜘「……いる。気が利くじゃん」

牌流「何があったかよくわかんないけど、お疲れなんでしょ?」


空蜘「…ありがと……いただきます」



空蜘「もぐもぐ……うん、やっぱり牌ちゃんの料理はいつ食べても美味しいねぇ」

牌流「ふふ、ありがと」

空蜘「ごくごくっ、お酒はもっと美味しい」

牌流「それはさすがに私が作ったものじゃないけどー」


牌流「普段も今くらい素直だったら可愛いのに。空蜘は弱ってるくらいがちょうどいいのかな?」

空蜘「別に弱ってないし。ふざけたこと言ってるとぶっ殺すよ? あーでも、今日は私の為に働いてくれたから見逃してあげる」

牌流「はいはい、それはどうも」


空蜘「……ねぇ、私ってさ」

牌流「うん?」

空蜘「……弱い?」

牌流「強い。少なくとも私よりは全然」

空蜘「だよねぇー! 向こうでヱ密にさー、弱いとか言われてぇ、そんなわけないのにねー!」

空蜘「術戻ったら真っ先に痛い目に遇わせてあげよーっと♪ ヱ密といい蛇龍乃といい、偉そうにしちゃってさぁ」

空蜘「牌ちゃんは私に忠実だから好きー。私がここの頭領になったら傍に置いてあげるよ」


酒が入ってきて、上機嫌になる空蜘。


……と、そこに。



蛇龍乃「…いやぁ、偉そうにして悪かったねぇ」


空蜘「おや?」


蛇龍乃「報告をすっぽかして、酒とは良い御身分だなぁ。空蜘」

空蜘「何でここにいるの……」



空蜘が目を細め、睨んだ先。

蛇龍乃の後ろにはヱ密と鈴もいた。


空蜘「ていうか私、任務には携わってないし。何しようが私の勝手でしょー?」

蛇龍乃「それでも不測の事態に陥ったのなら、私は知っておく必要があるの」


空蜘「……」


黙ったままヱ密に目をやる空蜘。


ヱ密「……」


蛇龍乃「ヱ密には訊いてないよ? あまり喋りたくなさそうだったし。まぁ私が聞き出そうとすれば話してくれるとは思うが」

蛇龍乃「出来ることならお前の口から聞きたいと思ってね……その怪我はどうしたの?」


空蜘「…………」


蛇龍乃「言ってくれたら術返してあげる、かも」

空蜘「ホント!? ぁ……いや、でも……」

蛇龍乃「ごめん。嘘」

空蜘「だと思った…」

蛇龍乃「でも、ちょっとは考えといてあげるからさ。話してくれない? 空蜘だってヱ密に話されるよりも自分で話した方が少しはマシじゃないかな」

空蜘「……」


空蜘「はいはい、言えばいいんでしょー」

空蜘「でもここじゃ嫌だ」

蛇龍乃「なら私の部屋に来てくれる?」

空蜘「お酒持ってっていい?」

蛇龍乃「溢さないって約束するなら」



蛇龍乃「じゃあもうヱ密と鈴は休んでていいから。飯食うなり風呂入るなり寝るなり好きにして」

ヱ密「え、蛇龍乃さんを空蜘と二人きりにするわけには…」

蛇龍乃「大丈夫だよ」

空蜘「ふふっ、ホントに信用してくれてないんだー? ヱ密、ひどーい」



鈴が風呂から上がり、台所へ戻る頃には昼間ずっと眠っていた皆も集まっており。

賑わいをみせていた。



牌流「あ、鈴ちゃん戻ってきた」

紅寸「もー、鈴ちゃん遅いよー」

空丸「鈴、早く座って」


鈴「ん? あたしを待っててくれたの?」


鹿「そりゃもちろん」

立飛「今日は宴。その主役は鈴だもん」

鈴「シカちゃんとりっぴーが優しいとか、悪い予感しかしないんだけど……って、主役…? あたしが?」

ヱ密「らしいよ?」

鈴「…なんのこっちゃ?」


鹿「任務。初めてだったんしょ? 人を殺したの」


鈴「あ……うん」


……なんとなく。

嫌な感触が両手に甦ってきたようだった。

命を奪った、あの感触が。


立飛「鈴のことだからビビって泣いて帰ってくるんじゃないかって思ってたけど」

紅寸「やるじゃん」

牌流「おめでとう。鈴ちゃん」

空丸「意外と平然としてるね。こんなもんかって感じ?」


鈴「…そんなことないよ。命は命だもん……今でもその重さは、この手にのし掛かってきてる」


鈴「……ていうかそのことで宴とか、おめでとう、とか……趣味悪いよ」


ヱ密「そういうんじゃないよ、鈴ちゃん」

空丸「そうそう」


立飛「忍びとしての第一歩。やっと、スタート地点に立てたね。今日はそのお祝い」



鈴「…………そっか」


三ヶ月前、ここの仲間として迎え入れてもらえて。

今回は私が忍びになってから、初めての任務。

……私、結果を残せたんだ。



鈴「みんな、ありがと」

鹿「とりあえず、今日は素直に喜んどけばいいから」

立飛「考えなきゃいけないことは、ちゃんと考えなきゃいけないけど。あんま難しく考え過ぎると、押し潰されちゃうよ?」

紅寸「うんうん。ただでさえ、鈴ちゃんはアホなんだから」

鈴「くっすんにアホ言われた……」


空丸「あれ? そういえば空蜘さんは?」

立飛「寝てんじゃないの?」

牌流「さっき蛇龍乃さんに連れていかれてたよ」

ヱ密「お説教中」

鹿「何したの、空蜘…」

立飛「どうせ町で騒ぎ起こしちゃったとかでしょ」

ヱ密「まぁそんなとこかなぁ」

鹿「ん……? てことはじゃりゅのんと一緒にいんの? ヤバくない? それ…」

ヱ密「ね? 私もそう思ったんだけど。蛇龍乃さんが大丈夫っていうから」

鹿「……今頃、死んでないよね」


ヱ密「さぁ…」



その頃、蛇龍乃は。



蛇龍乃「──ふぅん、なるほどねぇ…」



……なんと、生きていた。



空蜘「何か知ってる?」

蛇龍乃「んー……知ってる、って言ったら?」

空蜘「殺しにいくから、何がなんでも私の術は返してもらう」

蛇龍乃「…もし、術があれば負けなかったの?」

空蜘「……当たり前じゃん、そんなの」


蛇龍乃「本当に?」


空蜘「……っ」


蛇龍乃「実際その現場を見ていないから、その相手がどれほどの手練れだっかは知らないけど」

蛇龍乃「私は力も弱いし、まったく俊 敏でもない。体力だってそこら辺の村人と変わらない。ここでお前と殴り合いでもすれば瞬殺されるだろう」

空蜘「…それが純粋な殴り合いなら、ね」

蛇龍乃「ははは。でもね、この眼は今まで色々なものを見てきた。人や物や景色を……だから、なんとなくわかるんだよ」

蛇龍乃「……例えば、人間がもつ感情の起伏だったり。しかもお前は感情的になりやすいし。自分のこととなると特に、ね」


蛇龍乃「何が言いたいかわかる?」


空蜘「……はぁ、あんただけは敵に回したくないなぁ」

蛇龍乃「で、勝てるの? 敗けるの?」

空蜘「さぁねー? そんなのやってみなきゃわかんないじゃん」

蛇龍乃「……ホントめんどくさい奴だな」



蛇龍乃「どっちにしろ返さないけどねー、ばーかばーか」

空蜘「……」


蛇龍乃「だって知らないもん、私」

空蜘「…だろうね。最初から期待してなかったし」

蛇龍乃「ん、まぁ……でも、少し気になるなぁ……」


蛇龍乃「その空蜘が言ってた妙な格好も、妙な術も。顔も見てないんだっけ?」

空蜘「暗かったし、隠れてたし」

蛇龍乃「ふむ……たしかに、その術はヱ密とは相性が悪そうだ」

空蜘「でしょ? だからもしそいつが現れたり任務に絡んできたら、私にやらせて?」

蛇龍乃「死ぬつもり?」

空蜘「いいよ、死んでも。殺せるなら、いくらでも死ぬ」

空蜘「まぁそうならないために、もっと強くなるから。死なない為に、強くなる」

蛇龍乃「いくら強くても死ぬ時は死ぬよ」

空蜘「それが宿命なら仕方ないね」


蛇龍乃「ふふ、考えといてあげる」


蛇龍乃「でもそれを含め、私の命令は絶対だ。だから……この里の為に、私の為に……死んでもらうことになるかもね」


空蜘「うん、わかってる」



一方、台所では。


皆の呆れた表情が、鈴へと向けられていた。



「「「……………………」」」



鈴「あ、あれ……? あたし、なんか変なこと言った……?」



立飛「ごめん……鈴、さっき何て言った?」

鈴「へ? あたしも強くなりたい、って」

立飛「うん……それはいいよ。てかそうなってもらわないと困る」

紅寸「問題はその後。漠然とした強さだけを目指すのはオススメできないから」

牌流「で、私が、強くなりたいってどのくらい? って訊いたら」

空丸「鈴はなんて答えたんだっけ…?」


鈴「…ん、えみつんくらい」


ヱ密「……」

立飛「鈴は馬鹿なの?」

鹿「ていうか生意気……身の程を知れっ」

紅寸「鈴ちゃん、ヱ密の強さわかってるよね…?」

空丸「憧れるのはわかるけどさぁ、目標とするには高すぎるからっ!」


鈴「知ってるよ。えみつんがここで一番強いんでしょ?」


牌流「わかってるなら…」

鹿「だったらそういうことは、もう少し強くなってから言いなよ」

鈴「むぅ……なんかあたし馬鹿にされてる?」

空丸「気付くの遅っ!」

紅寸「やっぱアホだなぁ」


鈴「……でもさぁ」


鈴「えみつんはここにいる誰よりも強くて、誰からも頼られてて、誰も追い付けない、越えられないって」



鈴「じゃあ誰がえみつんを守ってあげるの?」


空丸「いや絶対に鈴じゃないでしょ」

鹿「てか何を偉そうに」

立飛「どの口が言ってんの?」

牌流「鈴ちゃん、疲れてる?」

紅寸「私だ」


鈴「…………」



……罵られまくる鈴だった。


ヱ密「ふふっ、あははっ…」

鈴「えみつんまで……あたし、真剣なんだけどなぁ」

ヱ密「…うん、ありがと。鈴ちゃん。でもね、もう大丈夫だから」

ヱ密「……私は、強くなったから」

鈴「えみつん……」


おそらく、蛇龍乃以外は誰も知らないであろうヱ密の過去。

任務を終えた夜、ヱ密はそれを昔話といって鈴に話していた。

それを聞いた上での、まるで身の丈を弁えていない先程の言葉。


……だったが。


ヱ密「でもね……私は鈴ちゃんの口から、そんなことを言わせる為に喋ったんじゃないよ」

鈴「……ごめん」



紅寸「なんの話?」

ヱ密「ううん、なんでもない」

立飛「…まぁ、鈴がそこまで言うようになったのは喜ぶべきなのかな?」

立飛「いいよ、鈴。また明日から鍛えてあげる」

鈴「うん。お願いします」



翌日。

屋敷の裏手にある荒れ地にて。


地が蹴られ、砂埃が舞う。

骨と骨が軋み合う音。そよぐ風は切り裂かれ。

時折、そこにある空気が破裂しているようであった。


それは対峙する二つの影。

空蜘とヱ密によるもの──。


そして、今も……。



空蜘「はぁぁぁっ!」


空蜘が地を滑るように。

低い体勢のまま、一瞬にしてヱ密の足下へと入り込み。

浮き上がるように上体を起こし、握らずして凶器とも呼べるその一本一本の指で喉元を狙う。


ヱ密「……っ」


ヱ密は上体を反らし避けるのと同時に、爪先で地面を蹴り、後ろへ飛び、距離をとろうとするが。

空蜘は避けられることを見越していたのか、その勢いのまま演舞さながらに跳動。

器用に空中にいながら横に回転し、逃がさまいと飛び退くヱ密にピタリと身体を寄せる。

左手のみを地に付け、支えとした状態から。続けざまに、斜め上から蹴りを放つ。

ヱ密からして、自身の左上方からのその攻撃。

死角から入り込んでくるそれを、感覚のみ冷静に左腕で払い除ける。

……が、ある違和感。


衝撃が、弱い──?


向かってくる力に、それ以上の力を込めて払ったにも拘わらず。

感触として残ったのはこちらから外へ押し退ける力のみ。

その手応えの無さの正体は、一秒を待たずしてまったくの逆方向から教えられることに。


ヱ密「くっ…!」


今、払い除けた筈の空蜘の右足が今度は右方から飛び込んでくる。


そう、左手を点として宙に浮いたままの空蜘は。

その左手だけで自らの体重、動きまでも制御。

そこにヱ密から加わった衝撃を利用しての近接間での不意打ちとなったわけである。


振り子の如く。して、空気抵抗をいともしない超速超激で繰り出された一打。



空蜘「死、ねぇぇぇっ!!」



大きく弧を描いた踵が、ヱ密の側頭部を捉える──。


刹那、ヱ密は咄嗟に右腕を盾に受けに撤する。

構わず脚を振り抜く空蜘。

完全に不意を突いた一撃だ。
苦し紛れの防御壁など、粉砕してしまえる確信があった。



……が、それは相手が並の忍びであったらの話で。

勿論、相手にしているのはあのヱ密なのだが。

しかし、それでも充分に一撃入れられると、空蜘は思っていた。



……しかし、


ガシッ──!!



空蜘「え、嘘っ…!?」


蹴りを食らい、体勢を少し崩すも、両の足は地についたまま。

通常ならば腕もろとも頭蓋骨までも粉砕してしまえる程の、あの超激を片手で受け止めきったのだ。


こうなると形勢は逆転。

この攻撃で決める筈だった空蜘は、不安定な体勢のままヱ密の間合い内に。


……即ち、格好の獲物と化す。


空蜘「ちょ、ちょっ……待っ」


ドゴッ──!!


ヱ密の左足が躊躇いなく振り抜かれ。

それは隙だらけの空蜘の胴に見事に決まった。


空蜘「ぁぎゃっ…!!」



避けることはおろか、受けも間に合わず。

もろに衝撃を受け。


……吹き飛ぶ、空蜘。




空蜘「ぅ……げほっ、げほっ……い、痛ぁい……」


ヱ密「ふぅ……惜しかったね、空蜘」

空蜘「……この、化け物めっ!」

ヱ密「いやほんと危なかったよ、今のは。空蜘の怪我が治って本調子だったら、もっと衝撃重くなってたろうから……多分もっていかれてたと思う」

ヱ密「まだ身体痛い筈なのに無理するからぁ」


空蜘「…もっかい」

ヱ密「えー、まだやるの? 何回ぶっ飛ばされれば気が済むの……。私も空蜘が相手だとあんま手加減する余裕無いから」

ヱ密「だって空蜘、本気で私を殺すつもりで挑んできてるんだもん……」

空蜘「うっさいうっさい! 戻ったら相手するって言ってたじゃん! 嫌なら大人しく殺されろっ!」

ヱ密「はいはい……お願いだから死なないで。そして殺さないで。稽古なんだからさ…」




先程からそんな二人の組み手の様子を、少し離れた場所からずっと見ている者。


鈴「しゅ……しゅごい……」


鈴がいた。


鈴「ていうか速すぎて目が追い付かない……何がどうなってるのか、さっぱり……」



立飛「よーくわかったでしょ? 鈴があんな風になれるわけないって」

鈴「ううん、あたし……強くなりたい」


立飛「……だったら」


立飛「突っ立ってないで少しは体動かしなよっ! ただ見てるだけで強くなれたら誰も苦労しないのっ!」

鈴「も、もうちょっとだけ…」

立飛「…りーんー? 稽古つけてくれって朝っぱらから叩き起こしてきたのは誰だっけー? 私はめっちゃ眠いなか、こうして付き合ってあげてるのにっ!」

鈴「あ、あたしだけど。でも、昼は過ぎてたような…」

立飛「眠たくて起きたくない間は私のなかではずっと朝なのっ!」

鈴「悪い生活習慣だなぁ……」



立飛「ていうかさ、私が鈴にヱ密を目標とさせたくないのはただヱ密が強すぎるからってだけじゃないの」

鈴「…と、いうと?」

立飛「忍びっていうのは、強ければよしってものじゃないのはわかる? 基本としては敵を欺くのを主としているわけで」

鈴「欺く……」

立飛「例えばこの前、鈴が任務としていた暗殺。まぁこれはヱ密が御膳立てしてくれたらしいけどね」

立飛「だから真っ向から立ち向かって、真剣勝負なんてのは極めて稀なんだよ。そういったのは侍や城兵にでもやらせておけばいいし」

立飛「そりゃ強いに越したことはないよ? でもね、それは忍びとしての素質ってものが大きく関係するわけ」

立飛「ヱ密みたいに体術に特化してたり、蛇龍乃さんみたいに近接はからきしだけど術を熟知してたり、牌ちゃんみたいに他人を騙すことに長けてたり」

鈴「あーなるほどなるほど」

立飛「私から見たら、鈴は体術の素質なんかゼロだよ。てかゼロどころかマイナス。氷点下」


鈴「あぅぅ……」



鈴「で、でも、あたし術とか使えないし…」

立飛「うん。だからといって体術を極めればいいって話でもない。出来もしないことに挑戦するってのは一般的美学においては聞こえはいいかもだけど、この忍びの世界ではそれは禁忌とされてる」


立飛「出来ないことはしない」


立飛「即ち、自分の出来ることをやる。それだけ。生きるために、そして……それが里のためになるから」


鈴「……」

立飛「理解した?」

鈴「なら、私が出来ることって……私の、素質って……?」

立飛「そんなのないよ」

鈴「は、はいっ?」

立飛「え、あると思ったの…? 鈴が出来ることって何? 得意なこととか」

鈴「え、えーと……一応、歌とダンスは……」


立飛「……」


鈴「……」


立飛「あはは……さよなら、鈴。悪いけど、ここに踊り子は必要ないの」

鈴「わー! ごめんなさいごめんなさいーっ!」



鈴「じゃああたし、どうすればいいの……?」

立飛「まぁさっきはついイジメちゃったけど、素質はある日突然花開いたりするからねぇ」

鈴「……りっぴー優しくない」

立飛「だって、鈴って見てるとなんかイジメたくなるんだもん」


鈴「……元の世界のりっぴーも心の中でそう思ってたのかなぁ」



立飛「だからまずは、忍びとしての基本からね。それが駄目だと何をやっても成功するわけないし」

鈴「基本…」

立飛「基本。基礎。これが人並みの忍びくらいになるまでは闇雲に強さだけを求めないこと。いい?」

鈴「……それっていつになるの? あたしも早くみんなの役に立てるように強くなりたいよ」

立飛「はぁ……鈴って自殺願望でもあったりする? そんなんじゃ早死にするだけだよ」

鈴「……わかってるよ……忍びが死と隣り合わせってことくらい。今までだって、何度も感じたことあるし」


立飛「……」


立飛「あのねぇ、鈴……あー」




立飛「……やっぱ虐めたくなるわー。ていうか今のは本気でイラッとした」



鈴「りっぴー……?」


途端、立飛の目付きが険しくなり。

……そして。


ドゴッ──!!


鈴「ぐぁっ…! ぁ……っ、げほっ、げほっ…!」


腹に強烈な蹴りが入り。

倒れる鈴に。

更に、その髪を掴み、頭を起こす。


鈴「ぁ……うっ、痛っ、痛いっ……り、りっぴ…!?」


立飛「何がわかってるって? 本物の恐怖も、死も、知らないくせして」


ゴスッ──!!


髪を掴んだまま、その頭を地面に強く叩き付ける──。



鈴「ぁぎゅっ…はっ、ぅ……ふぅっ……ぁあ……っ!」


立飛「痛いでしょ? 怖いでしょ? でも、死ぬほどの恐怖はこんなのの比じゃないくらい」


地面に頭を押し付けられ、もがく鈴に。

ドゴッ──!!

蹴りを叩き込む。


鈴「うぁっ、ぁ…ぎゅ、ぁっ…! はぁっ、はぁっ……げほっ、げほっ…!」


頭の拘束は解かれたものの、地を転がり。

腹を押さえ、伏したまま震える鈴。


立飛「……前から不思議に思ってたけど。鈴ってさぁ、私らに妙に安心感をもってるよね?」


立飛「あの時だって」


鈴がこの里に来た日。

空蜘に拐われた件。


立飛「どういうわけか知らないけど、殺されてもおかしくない状況でも殺されないとか勝手に思い込んでるみたいに」


立飛「普通ならさ。ガタガタ震え上がって、赤ん坊みたいに大泣きして、必死で命乞いしたり……頭がおかしくなるくらいの恐怖に押し潰されたり」


立飛「なんでだろ? まぁそれはどうでもいいや。だから鈴は死に対する実感が薄いんだよ」


立飛「そんなんでよく、私はわかってる、なんて言えるよね」


鈴「はぁ……はぁっ……ぅ……うぅっ、ぁ……ぐっ……!」


立飛「忍びをナメるなよ? 死ぬっていうのは鈴が考えてるほど、生易しいものじゃない」



立飛「ほらぁ…」


鈴「ゃ……やっ、ぅ……はぁっ、はぁっ……ぁぎゃっ…!」


踞る鈴を強制的に起き上がらせ。


ドゴッ──!!


平手ではなく、握り締めた拳で、殴る。


鈴「ぁあっ…! がぁ、ふっ……ぁ……ふぅっ、ふぁぅっ…!」


両腕を前に出し抵抗するも、それで立飛を制せるわけがなく。

襲ってくる拳が、振り止むことはない。


ドゴッ──!!


鈴「ぁぐぅっ! はっ、ふっ……ぁ……っ、うぅっ……ゃ、やめっ……!」


立飛「命の重さは等しい、って蛇龍乃さん言ってたっしょ? 殺す側、殺される側……じゃあ、鈴は自分の命についてはどう考えてるの?」


立飛「それについてまだ真剣に考えられないようじゃ、駄目だよ。あー、みんな優しいからね……鈴もみんなのことを信頼して、信用して、それはすごく良いことだと思うよ」


立飛「私もそういうの好きだし。でもね、そのなかでの安心感が邪魔して自分の思考以外のところで真剣味が作り及ばないのなら」


立飛「私だけにでも、恐怖を覚えてもらわないと困るよね」



倒れては起き上がらせられ、また倒れては起き上がらせられ。


鋭く、重い衝撃を幾度となく全身に浴びせられる。




鈴「ぁ…がぁっ、はっ……はぁっ、ゅ……ふっ……ぁあぅ……っ!」


立飛「自分の命を軽視することも、勘違いした覚悟を持つことも、百年早いんだよ」


立飛「ここの仲間として受け入れられた以上、その命は鈴一人のものじゃないの」


立飛「もしも、あんたのせいでここの誰かが死ぬようなことになれば……私はあんたを許さない」


立飛が短刀を抜き、その刃を鈴の首筋に触れされる。


鈴「ぁ……はぁっ、はぁっ……! ゃ……や……ぁっ」


刃を滑らせ、皮が切られると。

つーっと、赤い血が流れ出る。


立飛「人間はすぐ死んじゃう……私がもう少し力を入れさえすれば、鈴も簡単に死ぬ」


鈴「……っ、はぁ……ぅ、ぁ……あっ……」


立飛「ここで、死んでみる?」






丁度その頃──。



空蜘「死ねぇぇえええっ!!」


ヱ密「あ、え……ちょ、ちょっと待ってっ! 空蜘! 一旦止まって!」


空蜘「なに? どしたの?」

ヱ密「なんか様子がおかしい……あの二人」

空蜘「ん? あー…」



鈴「ゃ……ぁ……あ……はぁっ、はぁっ……」


立飛「わかってるんでしょ? ほら、死がすぐそこまで来てる。こういう時、鈴なら何て言うの?」


鈴「はぁ……はぁっ、ゃ……はっ、ゅ……ぅう……っ」


立飛「何も言わないの? 命乞いするとかさぁ。もしかしてまだ私が殺さないとか思っちゃってるの……?」


立飛「ねぇ……」



……と、そこに。


刃と首の間、遮るように一つの手が。


ヱ密のものだ。



ヱ密「……何してるの」

立飛「鈴が勘違いしてたみたいだから、それを正してた」

ヱ密「そう。詳しく聞かせて」

立飛「うん」



頭に血が昇っていたわけではなく。

立飛は最初から冷静そのものであった。

冷静であったからこそ、立飛は間違ってはいないわけで。

鈴を正してた、というのも言葉の通り、真であった。


そして、立飛から経緯を聞いたヱ密は。


ヱ密「…まぁ気持ちはわかるけど。これはやり過ぎ」

立飛「ん、そっかぁ」

ヱ密「とりあえず、鈴ちゃんを治療してあげたいから連れてくけど。いい?」

立飛「うん、もういいよ」


ヱ密「鈴ちゃん、立てる?」


鈴「…………うん」


顔は涙と土にまみれて、酷い様。

……その表情も。

肌が露出していた部分だけでも、痣がいくつも。



……痛かった。


……苦しかった。


……怖かった。



刃を突き付けられた時、私は何を思っていたんだろう──。



空蜘「ふふっ、随分と厳しいねぇ」

立飛「…そう? 普通じゃない?」

空蜘「鈴が嫌いだから? 反対に気に入ってるから?」


空蜘「…それとも、その服の下に隠れてる沢山の傷跡と何か関係あるのかなー?」


立飛「……見たの?」

空蜘「一つだけね。立飛が長い間寝てる時に、古い傷がチラッと見えちゃった。ふーん、でも、たくさんあるんだー?」

立飛「…っ」

空蜘「まぁ、立飛って従順そうだからねぇ……虐待されてたって言われても驚かないけど」

立飛「そんなんじゃないよ」

空蜘「あー、そう。ふーん、なんでもいいや」


空蜘「それよりさぁ、立飛が余計な事するからヱ密どっか行っちゃったじゃーん」


空蜘「あーあ、暇になっちゃった」


立飛「…じゃあ、私が相手してあげるよ」

空蜘「へ?」


空蜘「……ふふふっ、あはははっ! 冗談? やだよ、弱い人とやっても意味ないじゃん」


立飛「……そっかぁ」



肩を落とした立飛だったが、次の瞬間。


唐突に、空蜘目掛けて飛び掛かる──。



空蜘「はぁ……」


つまらなそうな目のまま、空蜘は横へと避けるが。

その速度に追い付き、立飛は更に蹴りを放つ。

攻撃は容易に受け止められたものの、少し驚いた顔を覗かせる空蜘。



空蜘「…へぇ、少しはやるようになったね」


立飛「どういたしまして」


空蜘「うん、少しだけなら相手になってあげる」


以前は圧倒され、まったく着いていけなかった空蜘の行動速度。

今の空蜘は本調子ではないとはいえ、反応するくらいは可能であった。

……かといって、常時追い付くことも、それを見切ることも叶わないが。

何処へ動いたか程度は察知できるので、不意打ちを浴びることも無い。


立飛「はぁぁああっ!!」


そして攻撃──。

元々、力の差は大きかったことから劣勢になるのは仕方がない。

だが、そのなかでも冷静に機会を窺っていれば攻撃に転じることも出来なくはない。

……まぁそれも空蜘が遊び半分。手を抜いているのも大きいが。


立飛が腕を突き出し、側面から空蜘を狙えば。

品定めするように、それを片腕で受け止め。

そのまま、身体ごと放り投げる──。



立飛「くっ……」


空中で身体を捻り、上手く着地を決める立飛。


空蜘「うんうん、力も速度も前より上達してるねぇ。最近、何かあったの?」


立飛「さぁ?」


空蜘「さぁ、って…」


立飛「前に空蜘と戦ってから、なんか身体軽いんだよねー。力もみなぎってくるみたいで」


空蜘「……ああ、なるほどねぇ。ていうかその後でしょ……多分」



立飛が空蜘との戦いで術を使用した後、昏睡状態に陥ったことがあった。

鈴による写真で、覚醒されたのだが。

その際、目が覚めてからしばらく意識の混濁。

それに伴う力の暴走。

その全てではないが、脳の奥深くに閉じ込められている素質の一部が溢れ出て。

身体に残っていたというわけだ。



治療室にて。



ヱ密「よし、これでオッケ」


鈴「…………ありがと」


ヱ密「うん」


鈴「……」


ヱ密「…立飛だって、鈴ちゃんが憎くてあんなことしたわけじゃないよ。それはわかってあげて?」

ヱ密「鈴ちゃんに死んでほしくないから……生きていてほしいから。そう思って」

鈴「……うん」

ヱ密「……あの子はここにいる誰よりも仲間への情が強いの。忍びとして時々危なっかしく思えるくらい」

鈴「……うん、うっちーの時も……そうだったもん」

ヱ密「鈴ちゃんも私たちの立派な仲間。立飛にとってもそれは同じ。だからこそ、大切に想ってる」


鈴「…………こわかった」


鈴「殺されるかと、思った……」


鈴「……でも、やっぱりどこかで安心があって……」


ヱ密「安心…?」


鈴「りっぴーならあたしを絶対に殺したりしない、って。……きっと、えみつんやみんなからしたらそれは普通で、当たり前のことだと思うの」


鈴「だってみんなはお互いを信頼してるから、安心して一緒にいられる」


鈴「……でも、あたしの場合はその信頼っていうのは……安心から入ったもので……だから、りっぴーは……」


鈴「こわい……震えが、止まらない……たったあれだけなのに。りっぴーなら殺したりしないだろうって、心の何処かで安心してた筈なのに……」


鈴「それでも……っ、こわい……こわくてたまらないの……」



ヱ密「それでいいんだよ。ていうかそれが当然。死ぬのは誰だってこわいに決まってる」

ヱ密「私だってそうだもん。だから悪いことじゃない」

ヱ密「死ぬのが怖いから死にたくない……たったそれだけ」


鈴「死にたく、ない……」



……ああ、そうだ。

思い出した。

さっき、りっぴーに刀を首に向けられた時。

私は思っていた。

強く祈っていた。

神に願っていた。


死にたくない──って。



ヱ密「戦いに生き残る秘訣は臆病であること。って聞いたことある?」


ヱ密「それと同じ。私たちは臆病だ。忍者は臆病だ。だから、隠れ潜む……闇に紛れる」


ヱ密「死にたくないから……死なないために、生きるために、強くなる」


ヱ密「誰かのために強さを得るんじゃなくて、まずは自分を生かすために強くなる」


ヱ密「忍びなら自分のために強さを欲するべき。そうやって手に入れた強さなら、きっと誰かを守れるから」


鈴「…うん」



一つ速度を上げた空蜘が立飛の背後に回り、首裏へと手刀を突き出す。


辛うじて反応した立飛は上体を屈め、それをギリギリで避ける。

が、そこに既に放たれていた蹴りが飛び込んでくる。


立飛「くっ、ぅ……!」


これにも反応してみせ、両腕を十字に重ね防御し、なんとか受け止めた。


……しかし。

そこで立飛の視界に入った地面。

在る筈のものが、無い──。

そう、それは空蜘が蹴りを放った足とは逆の足。


……これが意味することは。


現在、空蜘は宙に跳んでいる状態。


ならば、もう一つの足は、何処に──。


ドカッ──!!


立飛「うぁっ…!!」


側面から突如現れた衝撃。

これにはさすがに反応が及ぶことがなく、無惨にも立飛は蹴り飛ばされた。



立飛「げほっ、げほっ……はぁー、やっぱまだ無理かー」


空蜘「あははっ。少しは腕を上げたようだけどねー、私には遠く及ばないねー」

立飛「ちぇっ……結局、一度も有効打当てられなかった」

空蜘「まぁ、でも……気が向いたらまた相手してあげるよ」

立飛「それはどーも」

空蜘「あ、また死にかけてみる? そしたらもっと強くなるかも」

立飛「ははは、さすがにそれはもうやめとく」



……と、そこに。


ヱ密「あ、二人でやってたの?」


立飛「ヱ密」

空蜘「おかえりー」

ヱ密「立飛、蛇龍乃さんから呼び出し」

立飛「あー、さっきの件?」

ヱ密「うん」

立飛「仕方ないか、じゃあ行ってくる。あ、鈴の様子どんな感じ?」

ヱ密「あれ? 気になるの?」

立飛「……べーつにー」


空蜘「ヱ密ー、私との続きはー?」

ヱ密「え、やだ。私これから山菜摘みに行ってくるから。空蜘も来る?」

空蜘「…めんどくさいから行かない」

ヱ密「あっそ。なら身体休めておけば? 動きっぱなしだと治り遅くなるよー」

空蜘「はいはい、うるさいなー」




空蜘「……一人だとやることないし、戻ろ…」


空蜘「あ、また牌ちゃんにつまみでも作らせよーっと」


蛇龍乃の間



立飛「こんちわー」

蛇龍乃「おー、立飛。待ってたよ…」

立飛「…なんかすごい眠そうな顔してるね」

蛇龍乃「ん…、さっき起きたから」

立飛「私も眠い…」

蛇龍乃「一緒に寝る?」

立飛「添い寝してもらいたくて呼んだの?」

蛇龍乃「ははは」


蛇龍乃「噂によると、鈴をボコったらしいじゃん?」


立飛「あ、うん」

蛇龍乃「命令に叛くわ、仲間を虐めるわ……あんなに良い子だった立飛がどんどん不良になってく」

蛇龍乃「あーこわいこわい。お願いだから私には手を上げないでおくれ」


立飛「もしかして、お説教される? 私」

蛇龍乃「ははは、なわけないじゃん。よくやったって褒めてあげようと思ってね」


蛇龍乃「近いうちに私の方から誰かに頼もうと考えてたから。助かった。正直さ、こういう役をやらせるのは私も心が痛いというか…」

立飛「まぁ、気持ちの良いものじゃないしね」

蛇龍乃「鹿か空蜘、どっちに頼もうか迷ってたところ。悪かったね、立飛。ありがと」

立飛「ううん、全然全然」


蛇龍乃「……嫌われるかもとか、そういうの怖くないの?」

立飛「嫌われることよりも誰かが死んじゃうことの方が、遥かに怖い。恐ろしいよ」

立飛「その為だったら、私は……」


蛇龍乃「鈴はねぇ……。自分のことより他人のこと。まるで昔の誰かさんを見ているようだ。そいつは今もあまり変わってないけどね。ふふっ」

立飛「もー、鈴と一緒にしないでよ。自分を助けられる強さを持たない人なんかが、他人を助けられるなんて出来るわけがない」

立飛「結局のところ、自分を守れるのなんて自分だけなんだから」

蛇龍乃「うん、その通りだ」



立飛「…ねぇ、私間違ってないよね?」

蛇龍乃「ん? 何が? さっきの鈴の件」

立飛「それも含め、私の全部…」


蛇龍乃「……」


蛇龍乃「立飛が間違ったことしてたら、殴ってでも私がとっくに正してるよ。立飛が鈴にやったようにね」

立飛「…ん、ありがと」



立飛が蛇龍乃の部屋を後に。

自室へと戻ろうと、廊下を歩いていると。

……正面から歩いてくる人影が。



立飛「……」


鈴「……あ」



そして、バッタリ出会す二人──。



立飛「…………」


鈴「…………」


空気が色を変えたみたいに。

温度を変えたみたいに。

濃度ですらも。


脈が、鼓動が、圧迫されていくようだ──。

トクントクン、と。


立飛「……」


立飛からしても、少なからず気まずさはあった。

痛々しい鈴の姿を視界から外し、そのまま去ろうとしたが。



鈴「……りっぴー」


立飛「なに?」


鈴「ごめんなさい。あたし、間違ってた。馬鹿だった」


鈴「だから……殴ってくれて、ありがとう。もし、またあたしが間違ってたこと口にしてたら、その時は殴ってくれていいから」


立飛「はは、殴ってくれていいって……死にたいの?」


鈴「死にたくない。死にたくないから、強くなりたい。自分のために、あたしは強くなりたい」


立飛「……!」


鈴「だから、勝手なお願いかもしれないけど。明日からもまた、お願いします」


立飛「いいよ。てか、せっかくカッコいい事言ってるのに、震えながらって…」

鈴「あ、あれ……?」



指先も、足も、肩も。

立飛を目の前に震えながら、鈴は立っていた。



立飛「私のこと怖いの?」


鈴「……怖い……けど、怖くない……だって信頼してるのも、安心しちゃうのも、りっぴーがりっぴーだからで。あたしの大好きな、りっぴーだから」

立飛「……はぁ、鈴は馬鹿だよねー、ホント」

鈴「ごめん…」


立飛「そろそろご飯できる頃かな。行こ、鈴」


鈴「りっぴー…」


立飛「ほら、早くー」


鈴「……うんっ」



「「…っ!?」」」


一同の目が丸くなり、そのすべては鈴に向けられていた。



牌流「……り、鈴ちゃんっ、どうしたの!? その顔…」

紅寸「熊にでも襲われた……?」


鈴「あはは……まぁ、そんな感じかなぁ」


空丸「相当狂暴な熊だったんだね……それにしても、命があってよかった」

鹿「…ん、あれ? 鈴って立飛と一緒に鍛練してたんじゃ」

牌流「あー、そういえば……立飛がついていながら」

紅寸「立飛、寝てたの? 早くから起こされたから」


立飛「どーも、私が熊です。あいあむべあー」


紅寸「そっかぁ。なら仕方な……えっ?」

空丸「え……?」

牌流「…てことは、この怪我って立飛が?」

鹿「おぉ……マジか……」

牌流「ちょっと立飛っ! 鈴ちゃんの可愛らしいお顔になんてことしてんのっ!」

鈴「ぱいちゃん、平気だから。なんでもないから」


紅寸「でもどうしてこうなっちゃったの?」

鹿「どーせ鈴がまたアホみたいなこと言って立飛をキレさせちゃったんでしょ」

鈴「え、えぇと……」

ヱ密「冬眠中の熊を叩き起こしたら、そりゃ大暴れしちゃうよ。ね? 立飛」

立飛「まぁねー」

空丸「いや、でも…」

鈴「ホントに平気だから。みんな、心配してくれてありがと」


空蜘「そうそう、本人がなんでもないって言ってんだからさぁ。いつまでも鈴なんかに構ってないで。ほーら、牌ちゃん」


牌流「…ん?」

空蜘「空になってるから注いで?」


鹿「そんくらい自分でやれよっ」

空蜘「えー、だって牌ちゃんに注いで貰うお酒は美味しいんだもん。鹿ちゃんに注がれると不味くなっちゃうけどねー」

鹿「してあげたこと一度もないからっ!」

牌流「あー、これから私、御飯よそわなきゃだから。自分でやって。空蜘」

空蜘「むー、じゃあしょーがないから鈴でいいや。こっち来て」

鈴「あたしー?」

空蜘「さっさと来てー」

鈴「はいはい。もう、うっちーは…」


鈴「美味しく注げるかわかんないけど……はい、どうぞ」

空蜘「ん、ごくごく……」

鈴「どう?」

空蜘「普通。ていうか誰に注がれようが味なんて変わるわけないじゃん。鈴ってアホなの?」

鈴「……」


空蜘「……意外。なんともなさそうだね」

鈴「へ?」

空蜘「昼間の件」

鈴「あー……そんなことないけど、受け止めなきゃいけないことだから…」

空蜘「私だったら絶対に殺しちゃうなぁ。だってムカつくじゃん。怒んないの?」

鈴「……怒るなんて、そんな全然。あそこで怒りなんて湧いてこなかったから……あたしは本当にまだまだ全然、弱いんだな、って」

鈴「それについても、強く実感させられたというか…」

空蜘「……弱い、か……まだまだ全然……うん……」

鈴「……?」


ふと、空蜘に脳裏にあの時の記憶が甦る──。


『わかる? 弱いんだよ、空蜘は。弱いから敗けたの』

『その弱さを受け入れなきゃ、これ以上強さは得られない……術を返してもらったとしても同じ。絶対に、また敗ける』


ヱ密から浴びせられた、言葉。

心に深く突き刺さったまま、今でもぐりぐりと抉られるような。



空蜘「……どれだけ強さを求めても、強くなったとしても……自分のなかから、弱さっていうのは完全に消すことはできない」

空蜘「大切なのは、それを受け止め、向き合うこと……鈴のくせに……」


空蜘「……まぁそれもいいんじゃない? せいぜい頑張りたまえよ。最弱の忍びなんだから」


鈴「う、うん……?」



そして、机の上に料理が並べられ。

皆、箸を伸ばす。


……そんななか。



鈴「ぁうっ…!」


牌流「あ、大丈夫? 熱かった?」

鈴「ううん、ちょっと滲みただけ…」

空丸「あー、口の中も切れちゃってるの?」

牌流「もっと早く言ってくれたら、スープじゃなくて違うのにしたのに」

鈴「ん……へーきへーき」

紅寸「……」


紅寸「こりゃあれだね」

ヱ密「あー、うん。たしかにあれだね」

空丸「ん?」

鹿「あれ……とは?」


紅寸「責任として、立飛はふーふーして鈴ちゃんに食べさせてあげるべき!」


立飛「え、は……?」


紅寸「ほらほら、立飛」

立飛「な、なんで私がそんなことしなきゃっ…」

ヱ密「それくらいしてあげても罰は当たらないよー?」

立飛「え、ヱ密までっ、やだよっ…!」


紅寸「立飛」


ヱ密「立飛」


鹿「立飛…」


空丸「…立飛」


牌流「……立飛」




立飛「な、なんなのなんなのっ、皆してーっ!」




立飛「…………」



立飛「……やればいいんでしょ」



皆の圧力に押され、いよいよ立飛は観念する。


……が、逆に戸惑うのは鈴の方で。


鈴「いやいやっ、いいよそんなのっ…! 自分で食べられるからっ」


立飛「鈴、ごめんねー」


鈴に対して微笑みを向ける立飛。

しかし、鈴にとってはそれはとても恐ろしいものとして目に入り。


その笑顔のまま、スープを掬い上げ。


鈴の口に突っ込む──。



鈴「ひゅっ、ぁうゃっ…! ぁっ……熱ぁっ、痛ぁぁっ…!」


熱さから広がる痛さに、思わず顔を歪める鈴。



紅寸「ちょっとちょっとっ、立飛!」

ヱ密「一番大事な行程すっ飛ばしてるからっ!」

牌流「鈴ちゃん泣いちゃってるじゃんっ!」

鹿「てか絶対わざとだ、この子…!」

空丸「鬼だ、鬼がいる……」



空蜘「あ、面白そう。鈴、もっかい口開けて」


鈴「絶対イヤーーっ!!」



そして、翌日。

この日から、鈴の忍びとしての本格的な鍛練が始まることになる──。



鈴「お願いします!」


立飛「……その前に、鈴」

鈴「なに?」

立飛「忍びとして、一番大切なことは何かわかってる?」

鈴「死なないこと」

立飛「忍びにとっての強さとは?」

鈴「生き抜くこと」

立飛「じゃあ侍と忍者の最も大きな違いは何かわかる?」

鈴「侍との、違い……うーん……ファッション?」

立飛「……紅寸。教えてあげて」


紅寸「うん」



……実は紅寸もいた。



紅寸「侍は戦って勝つ。忍者は戦わずして勝つ」


立飛「せいかーい」

紅寸「やった!」


鈴「ほー……くっすんが賢くみえる」


立飛「そう。よく卑怯者と罵られたり、虐げられたりされるけど。まったくもってその通り。要は勝てばそれでよし。与えられた任務を遂げる。それだけの為に」


立飛「だから、逃げるし隠れる。騙し憚り欺く。隙を狙ったり不意を突いたり。よって、忍びの辞書に決闘なんて言葉は存在しない」


鈴「うん…」

立飛「背後からグサリなんて、簡単そうに聞こえるかもだけど。実は真っ向から戦いを挑むよりも、遥かに難しいの」


立飛「はい、その為に最も注意しなければならないこと。なんでしょう?」

鈴「え、えーとー……相手に見つからないこと?」


立飛「……」


紅寸「……?」


鈴「あ、あれ……?」




立飛「正解」

鈴「な、なんだったの……今の溜めは」

立飛「見付からないこと。即ち、存在を曝かれないようにすること」

立飛「基本的に戦いに発展したらまずその時点で負け。そこから先は、死なない為に戦う。存在を知られたから殺す」

立飛「まぁここは鈴には求めても無理な話だけど。だからまずは忍びの基本から」

立飛「存在を曝かれないよう、気配を消す訓練ね」

鈴「気配を消す……おぉ、カッコいい」


立飛「これは何をやるにしても必要となるから、会得してもらわないと話にならない」

鈴「あ、あたしに出来るかな……」

紅寸「コツを掴めば簡単簡単」

立飛「紅寸はそんなに上手くないでしょ…」

鈴「あれだよね…? 呼吸しないで天井に足くっ付けて腕組んだまま逆さまになってるやつ…」


立飛「……」

紅寸「……」


鈴「あれ?」


立飛「なにそのビックリ人間…」

紅寸「蛙じゃないんだからさぁ」

鈴「ああいうのじゃないの……?」

立飛「呼吸しなかったら死んじゃうじゃん」

紅寸「そもそもどうやって天井にくっ付いてるの? 空蜘だったら術でそれっぽいこと出来るかもだけど…」


立飛「呼吸を止めることも、心臓を止めることも無理。だからこそ、如何にしてその活動を小さく出来るか」


立飛「身体の構造上、何を活動する時でも熱量が生み出されるの。それは身体の内側から外側に向かって放出される」


立飛「その放出量が多いと、比例して気配値も大きくなっていく。意味わかる?」


鈴「……????」


立飛「簡単な例を上げると、呼吸。紅寸」


紅寸「…………」


立飛「今、紅寸は勿論生きているし、生きているから呼吸もしてる。はい、次」


紅寸「はぁーっ、はぁーっ、はぁーっ」


立飛「これも同様に呼吸をしてる。同じ活動でも、熱量の差の違いがこれだけあるってこと」


鈴「あー、なるほど。静かに息しろってことだね」

立飛「めちゃくちゃ簡単に言えばそうだね」


立飛「他にも心臓や脈の音だったりっていうのにも気を遣わないといけないから大変」

鈴「心臓の音とか……どうにかしようがあるの……?」

立飛「どうにかする、じゃなくて、どうにかしないようにする……って感じかな」

鈴「………????」

立飛「これはさっきの呼吸にも通じることなんだけど、心臓の音……鼓動が大きくなる時っていうのはどんな時?」

鈴「うーん……あっ、恋しちゃった時だ」

立飛「……まぁ間違ってはないけど…」

紅寸「鈴ちゃんの頭の中はお花畑?」


鈴「むぅ……二人は恋したことないの?」

立飛「ないよ」

紅寸「うん、ない」

鈴「……え? ホントにー!? 嘘でしょ!?」


鈴「じゃあわかんないだろうなぁー」


鈴「今まで好きな人とかいなかったの? えー、絶対嘘だよー」


立飛「……話、戻していい? まだ続けたいならボコる。今度は紅寸が」

紅寸「ボコる」

鈴「話、戻してください…」



立飛「さっき鈴が言ったみたいに、心理的に衝撃を受けると鼓動は大きくなる。それともう一つ、疲労やダメージが蓄積された時ね」

鈴「あー、うんうん」

立飛「まぁ大体がこの二つに当てはまるから」

鈴「なるほど……言われてみればそうだ」

立飛「何が言いたいかというと……鼓動を小さくするのは不可能に近いから、極力平常値から乱さないようにする」


鈴「うん、わかったっ! 体力をつけろってことだよね」

立飛「それと精神力ね。どっちもすごく大事だから。ていうか鈴って体力ある方? ……なわけないか」

鈴「こう見えても歌って踊ってやってきたから、それなりには……あとジムにも通ってるし」

紅寸「じむ?」

鈴「体を鍛える施設みたいなの」


立飛「んー、じゃあちょっと試しに走ってきてよ。屋敷の周りを一周ぐるっと」

鈴「よーしっ、頑張るぞー!」

立飛「ついでに紅寸も走る? 鈴と競争」

紅寸「屋敷の上を飛び越えるのあり?」

立飛「なしっ! 普通に走って!」



立飛「はーい、スタートー」



立飛の合図と共に、鈴と紅寸は駆け出した。


……が、スタートして僅か三秒。



鈴「う、嘘でしょっ…!?」


同時にスタートを切った筈の紅寸の背中は、もう遠くへ。

十秒が経つ頃には、豆粒ほどの大きさになっていた。


ここの里、忍びの皆の身体能力は自分とは比べ物にならないくらい優れているのは知っていた。

しかし、こうして競うカタチで相手にすると。

これほどまでの差があるのか、と。


鈴も全力で走り、追うが。


……その姿は既に見えなくなっており。



……そして。



鈴「はぁっ……はぁっ……!」


屋敷の周りを一周し、元いた場所へと戻ってきた鈴。


紅寸「お疲れー、鈴ちゃん」

立飛「……てか遅っ! そこらの町娘とそんな変わんないじゃんっ!」


鈴「そりゃあそこらの町娘だもんっ! シティガールだもんっ! はぁっ、はぁっ……」


鈴「はぁぁ……っ、負け、たぁ……っ」


……負けた。

どころか、鈴は屋敷を一周する間に。

スタート時を含め、紅寸に三度抜かれていた。

つまりは、鈴が一周する間に、紅寸は三周。

……しかも、紅寸はまったく息を切らしてないという。

自分自身が相当無様に思えてきた鈴だった。



鈴「はぁ……あたし、ダメダメだ……」


立飛「…まぁ体力は地道に付けていくしかないからねぇ。じゃあ次」

鈴「次…? 何するの?」

立飛「ちょっと場所を変えるから走ってついてきて。あ、紅寸手拭い持ってる?」

紅寸「ほい」


立飛は紅寸から手拭いを受け取り。

それを。


鈴「んぐぅっ、んんぅーっ!? ふぃっふぃぃ…っ!?」


鈴の口全体を覆うように、きつく結び付けた。


立飛「その状態で全力疾走ね」



同時刻。屋敷内。



鹿「なーんか楽しそうだねぇ…」


牌流「…あ、鹿ちゃん。おはよ」



縁側に腰掛け寛いでいる牌流の元へ、ひょっこりと鹿が姿をみせ。

山奥へと走り出していく鈴たち三人を遠目に、そんな言葉を溢す。



牌流「鹿ちゃん、ぼっちにされて寂しいの? 蛇龍乃さんは?」

鹿「いつもの通りまだ寝てる。てか寂しくないしっ」

牌流「あー、まだ昼過ぎかぁ。鈴ちゃんたちね、さっき屋敷の周りかけっこしてたよ」

鹿「へぇー……そういやヱ密は?」

牌流「裏で空蜘と組み手してる。鹿ちゃんも交ぜてもらったら?」

鹿「冗談でしょ……あれに加わろうなら命がいくつあっても足りないって」

牌流「まぁねー」

鹿「空は?」

牌流「さぁ? まだ寝てんじゃない?」


鹿「ふーん。いやぁ……平和だねぇ、最近」

牌流「だねー。ずっとこんな毎日が続けばいいのになぁ……」

鹿「……」



鹿「……立飛ってさぁ」


牌流「うん?」


鹿「最近、人間らしくなってきたなぁと思って」

鹿「今まで、私たちといる時はいつも笑ってて素直で良い子で……作り笑顔ってわけじゃないけど」

鹿「たまにそれが辛そうに見える時があってさ……無理矢理、心を封じ込めてるみたいに」

牌流「……私は、立飛の昔のことはあんまり知らないから。鹿ちゃんは聞いたことあるんだっけ?」

鹿「…うん。少しだけど」


鹿「だから……昨日、立飛が鈴をあんなになるくらい手を上げたの……ちょっと安心した」

鹿「何を言われて怒ったのかもなんとなくわかる……わかるからこそ、鈴がここに来たこと」

鹿「良いことも悪いことも全部含めて……やっぱり良かったのかもって」

牌流「……うん」

鹿「前にね、じゃりゅのんも言ってたの」


『素直で忠実で従順な、そんな優等生の立飛は忍びとしての模範だ。おまけに愛想まで良いときてる』

『可愛らしくてつい甘やかしてしまうくらいにね』

『……でもね、頭領としてじゃなくて一人の人間として別に思うこともあってさ。この前みたいに命令に叛いたり、不機嫌そうな立飛を見るのは……実は、ちょっとだけ嬉しかったりする』



鹿「…って」

牌流「…ん、なんとなくわかるかも。一番若いのにいろんなもの背負ってるようで、大丈夫なのかなって心配になることあった」

牌流「でもだからって私が何かしてあげられるわけじゃないけど…」


鹿「相当怒ってた筈なのに、次の日にはまた鍛練に付き合ってやるとか……ホントいい奴だよねぇ。立飛は」

牌流「鈴ちゃんも相当タフだよね」

鹿「立飛のことだから、後に引かないように加減して殴ってやったんでしょ」

牌流「ううん、心の方」

鹿「あー、うん…」

牌流「心が折れて、泣いて出ていっちゃってもおかしくないのに。案外強いよね、あの子」

鹿「…そうかもね。ま、忍びとして強くなれるかは別問題」

牌流「ふふっ、わかんないよー? あっという間に私や鹿ちゃんより強くなっちゃったりして」

鹿「あはは、ないない。もしそうなると立飛は師範としても超優秀ってことじゃん。次期頭領候補」

鹿「つーか現頭領は何をやってんだか…」



牌流「ねぇ、鹿ちゃん」


鹿「んー?」

牌流「私も久しぶりに体動かしたくなっちゃった。ちょっと付き合ってくれない?」


鹿「いいよ。鈴なんかに負けてられないしね」



立飛と紅寸は、鈴がギリギリついこられるくらいの速度で進み。

鈴も死に物狂いになり、二人を追った。


途中、足が縺れ、倒れることも多く。

更には口での呼吸が封じられている状態により、肺が破裂しそうになるくらいの地獄の苦しみを味わい続ける。


それでも。


七転八倒。

……否、七転び八起きの精神で。

鈴は何度も起き上がり、二人の背中を目指した。



そして。


三人が山中を走り抜け、向かった先──。



鈴「っ、ふぅぁ…っ、ゅ……ぅ……っ、ふぅっ……!」


到着した途端、その場に倒れ込む鈴。


立飛「こんくらいで情けないなー、鈴は。まぁ、お疲れ様」


立飛が鈴の口を縛っている手拭いをほどくと。


鈴「ぷはっ…! はっ、はぁっ、はぁっ……! し、死ぬかとっ、思っ、たっ……はぁっ……はぁっ……!」


立飛「これから移動の時はずっとこれだからね」


鈴「うへぇ……マジ、で……っ?」



鈴「……ていうか、ここって…」


鈴が顔を上げ、目にした光景。


ザァァァーーッ…


それは、滝だった──。



鈴「……何をするかもうわかっちゃったような…」

立飛「あはは、なら話は早いね。うん、精神を鍛える鍛練」


ズドドドッ、という轟音──。

かなりの勢いで纏まった水が流れ落ち……叩き付けられてくる位置を指差し、立飛が言う。


立飛「走って暑くなったでしょ? 涼んできていいよ」

鈴「え、えぇ……あたし、打たせ湯すらも苦手なのに、あんなすごいの……体がバラバラになりそう……」

立飛「…勿論、ただ滝に打たれるだけじゃないから」

鈴「え…? 打たれながら何かするの!?」

立飛「ううん、鈴は何もしなくていい。私たちがするから」

鈴「……??」

紅寸「鈴ちゃんはただ動かず、精神を乱さないようにじっと打たれてればいいから。いい? 絶対動いちゃだめだよ?」

鈴「よ、よくわかんないけど……頑張る」




鈴「…………」


ズドドドドッ──!!


間近で見ると更に、それは拷問具のようなもので。

……怖じ気づく鈴だったが。



鈴「……っ、ゃ、やらなきゃ……」


意を決して、叩き注がれる滝の真下へと足を踏み出す。


バシャッ……


鈴「ひゃっ……冷たっ、てかこの時点でなんか既に、痛い……」




……そして。


鈴「ひゅぁっ、ぎゃっ…ぁ…! ぁぁあああっ、ぎゃぁーーっ!! ぃ痛い痛いっ、痛ぁぁーーっ!!」


脳天へと水のカタチをした凶器が、突き刺さる──。

耳に直接響く轟音で、より恐怖は増し。


冷たい──。


痛い──。


恐ろしい──。



許しを乞うように、目を開け、その先にいる二人を見ると。


……何かを言っている様子。


しかし、滝の音で何も聞こえない。


立飛はこちらを眺めながら、腕を動かしているよう。


そして、次の瞬間──。


ヒュッ──!


鈴「ゅへ……? なっ……ぁ……っ……!?」


顔の数ミリ横を何かが通り抜けた、ような……。

何が起こったのかまるでわからない鈴。


と、更に──。


ヒュッ──!


……また。


今度は首元スレスレ。

皮膚に掠るか掠らないかといった具合に。



鈴「ぇ……い、いゃ……ちょ……っ」


そして、また同じ様に。


ヒュッ──!


何かが自分の僅か横を通りすぎていく。


さすがに三度やられれば、わかる。

立飛は自分を狙って、何かを投げてきている──。


たまらずその恐怖から、滝を抜け出す鈴。



鈴「はぁっ、はぁっ……ちょっとりっぴーっ! 何すんの!?」

立飛「ん?」

鈴「ん? じゃなくてー! 何か投げてたでしょっ、今!」


目を下ろすと、立飛の手の中にはいくつもの石ころがあった。


立飛「鈴は何もしなくていいって言ったじゃん。最初だから絶対に当たらないように投げるし」

紅寸「何が起きても精神を乱さないようにする鍛練。段階を踏んでいくと、これを自分で避けなきゃいけなくなるのだ」


鈴「…あー……さっき言ってたのって、そういうこと……」


立飛「わかった? んじゃ早く戻って。さっきみたいに目は開けておいてね。紅寸も言ったように後々は避けてもらうから、少しでも目を慣らしておかないと」

紅寸「でも絶対に動いちゃだめだよ? 当たったら大怪我しちゃうからねー」


鈴「こ、怖すぎる……絶対に当たらないんだよね……? 信じていいんだよね……?」


紅寸「あはは、くすんはコントロールには自信があるのだー」

立飛「え? そうだっけ? ふーん、ま、いいや」


鈴「え……」


鈴「ま、待って待ってっ…! お願いだからくっすんは投げないで! りっぴーだけにして!」



必死に懇願し、なんとか石を投げる役は立飛だけということに。



……そして再度、滝の元へ戻り打たれ続ける鈴。


ヒュッ──!


そこにやはり、立飛から放たれた石が幾度となく飛んでくる。

本当に触れるか触れないかの絶妙なところにばかり。


当然、その軌道を目で追うことなんて不可能で。

……これを自分自身の力で避けられるようになるとは、到底思えない。


しかも、投げられるのは石ころだけではなく。

手裏剣やくないといったものまで時たま混ぜられていたことを、鈴は知らない。



そして、陽が暮れ始める頃──。



鈴「はぁ……疲れ、た……っ、ふぁ……へくちっ……」


紅寸「おつかれー」

立飛「さて、そろそろ帰ろっか。紅寸、手拭い」

紅寸「ほい」

鈴「うぇ……また、これ……」

立飛「あ、帰りはただ走るだけじゃなくて。極力足音を出さないことも意識してみて」

鈴「足音を出さないようにって、どうやればいいの……?」

紅寸「踵から地面に付ける感じ。慣れるまでは相当しんどいけどねー」

立飛「そうそう。普段の生活中でも心掛けといて。そのうち意識しなくても出来るように身体に染み付くから」


鈴「…踵から、か……」


試しにそのやり方で歩いてみると。


鈴「へぇー、なんだ結構簡単かも」

立飛「じゃあそれでちょっと向こう側まで全力で走ってみて」

鈴「うんっ、よーしっ…」


意気揚々と走り出す鈴だったが。


……直ぐ様。



鈴「ふぎゃっ…!」
バタッ


……体勢を崩し、倒れる。




鈴「いやっ、こんなの無理でしょっ…!」

紅寸「最初は難しいよねー、それ」

立飛「鈴。どうして私たちがあんなに早く移動出来るか、それはこの走り方にあるんだよ」


立飛「やっぱり早く走るのには人間、限界ってものがあるから。私たちの場合、走るというより跳ねるってイメージを持ってるかなぁ」

鈴「跳ねる……?」

立飛「重心の移動、熱量の向き。走るとなると、身体から発せられた熱量は着地と同時に地面にほぼ吸収される……だから、次の足を出す為に新たな熱量を発さなくてはならなくなる」

紅寸「その熱量をどれだけ無駄にしないようにするかってこと。そこで、踵」

立飛「この踵は、爪先や足の裏なんかと比べるとずっと多くの熱量を瞬間的にだけど溜め込める。その溜め込んだ熱量を逃がさないよう爪先へと向かわせると次の一歩を新たな熱量と合わさり、より強いものになるってわけ」


鈴「な、なるほどー……んー……?」

立飛「まぁ頭で理解しなくても、そういう習慣を身体に叩き込むことだね。コツを掴むまでは大変だけど、一回掴んじゃえば然程」


鈴「走り方や、呼吸の仕方……あと精神かぁ……やること多すぎるよー」

紅寸「こういうのってやっぱヱ密が断トツで上手いよね」

立飛「あー、ヱ密はこういう基本とか凌駕してもう殆ど遮断の域だもん」

鈴「へー、さすがえみつんだなぁ」

立飛「こういった基本的なものを一つ一つ会得している間に、戦闘能力も自然と上がっていくものだから。そういった強さの根底はやっぱり基本にあるの」

鈴「……うんっ、んゅっ…!? ふぁふっ、んんっ…!」

立飛「さ、帰ろ帰ろ」

紅寸「お腹すいたー」



ここまで走ってきた時同様。

口を手拭いで縛られ、帰路へ向かう鈴だった。


────…………。


それからの日々は、鈴にとって相当過酷なものだった──。


日課となった口を塞いだままでの移動。

それに加え、慣れない走り方を強いられているせいで、足が痙攣して動けなくなることも珍しくはない。

滝での精神修行も、引き続き行われており。


一日を終える頃には疲労困憊満身創痍で、死んだように眠る。


そんな毎日──。


声優時代の、歌やダンスのレッスン。レコーディングやアフレコ等といった多忙な毎日が、可愛く思えてくるくらい。


……辛く、苦しく、何度も挫けそうになった。

……一人、部屋で涙を流す時もあった。


それでも、弱音を吐くことは一度もなかった。



生きるために──。


強くなるために──。


私は、忍びだから──。




そして、鍛練を始めて、二ヶ月が経つ頃には。


少しずつその成果も見えはじめ、前に立飛が言っていた熱量の移動もなんとなく身体で感じられるように。

以前のように、山中の往復で倒れることもなく。

鈴の体力は格段に上昇していた。

走る速度も、今までよりも遥かに。


……それと。



ヒュッ──!


例の通り、滝に打たれている鈴目掛けて石が投げられる。


鈴「……」


が、鍛練当初の頃と異なるのは。

放たれたその石は、鈴の額一直線に向かってきていること。

いくら流れ落ちる水の幕で多少なりとも勢いが消されるからといって、それを受ければ大怪我は免れないだろう。


それを、鈴は。


鈴「……っ!」


なんと寸前で頭を右に寄せ、回避する。


ヒュッ──!


安堵する暇もなく、立て続けに投げられる石。


これも危なげ無く、避ける鈴。


ヒュッ──!


そして、更に。

投げられたのは石ころではなく、くない。

今度は目から遠い、右足を目掛けて。


そこでも鈴は足を引き、なんなくそれも避けた。



……完璧。

人はたった二ヶ月でここまで成長するものなのか。

と、言いたいところだが。

立飛と紅寸は然程本気で投げてはおらず。

今の鈴がギリギリ避けることが可能であろう速さで、石ころや手裏剣、くないを放っている。

当然、鈴が回避に失敗することも考慮し、急所は狙わないし致命傷を与えない程度に抑えていた。


そのことを鈴自身も重々承知しているわけで。



鈴「はぁ……ちょっとヒヤッとしちゃったのが何回か……。まだまだ全然だねぇ……」


立飛「ん、まぁ自分でそれがわかってるなら、まだ成長は望めるかなー」

紅寸「こんくらいで調子に乗られたらまた立飛怒っちゃうもんねー」

鈴「うん、もっと努力しなきゃ…」


……と、そこに。


鹿「おー、なんかしばらく見ない間に鈴がまるで忍びみたいになってる」


こっそり鍛練の様子を見ていたのか、森の奥の方から鹿が姿を現す。


紅寸「あ、鹿ちゃんだ」

立飛「さっきから誰かいるなーと思ってたら、なんだ鹿ちゃんかー」

鈴「珍しいね、シカちゃんがここまで来るなんて」

鹿「暇だったからねぇ。ちょっとは戦闘の方も強くなった? 鈴」

鈴「う、うーん……どうだろ」

紅寸「最近、組み手もやるようになったんだよね。鈴ちゃん」

立飛「せっかくだし、鹿ちゃんに相手してもらえば?」

紅寸「成長を見せつけてやれー」

鈴「よ、よしっ…!」

鹿「え、なに? マジでやるの? おもしれぇ」



唐突に始まった、鹿との組み手──。


先の様に、鈴の動体視力や基礎体力、反応速度は確実に上がってはいるが。


……戦闘時において、戦況を左右するに大きく関わってくるもの。

それは、まず力や速度といった単純な身体能力。

それと忍びならば、個々が有している術……その能力と使い方、相性といった。


あと、何よりも重要なものは……経験。


ただの組み手に術は使用しないものの、鈴には圧倒的にその経験が不足している。

こればかりは鍛練だけでどうにかなるものではないのだが。

更に言えば、身体能力ですらもまだまだ忍びと呼べる域には達してはいない。


……と、いうことから万に一つも鈴が鹿に勝つなど有り得ない。

当然それはここにいる皆、わかりきっている。

しかし、この二ヶ月間、過酷な鍛練をこなしてきた鈴がどこまでやれるのか見物ではあった。



鈴「……いくよ、シカちゃん」


鹿「ふふっ、どっからでもどうぞ」


鈴「はぁぁっ…!」



鈴が地を蹴り、鹿へと詰め寄る。

初速としてはまずまず。


数秒と経たずして鹿の間合いに入り、攻撃を仕掛けようと腕を伸ばす。


……が。


鹿「かうんたー」


ズドッ──!!


鈴「ひゅぇ…? ぁ、ぐほぉぁああっ…!!」


猪のように突っ込んできた、隙だらけの鈴の腹に強烈な一撃──。


防御も回避も出来るわけもなく。


……それをもろに受け、すごい勢いで吹っ飛ぶ鈴。




鹿「よっしゃ、勝ったー!」


立飛「……」

紅寸「……」


信じられないものを見たという風に、呆れきった視線を向ける二人。


鹿「ん? どしたの?」


紅寸「ちょっと鹿ちゃんー!?」

立飛「嘘でしょ、鹿ちゃん……」

鹿「いやー、私って強すぎるっていうかー」

紅寸「これ鹿ちゃんのストレス解消じゃないからねっ!?」

立飛「鈴の鍛練の成果を見たかったのに…」

鹿「あはは、鈴もまだまだ私には及ばないね」


紅寸「ダメだこの人……」


立飛「……鹿ちゃん、退場」


──……。



鹿に殴り飛ばされ、気を失っていた鈴。

しばらくして目を覚ますと。

そこは滝から少し離れた木陰だった。



鈴「……んぅ、ぅ……痛たた……っ」


空丸「あ、やっと起きた。大丈夫?」

鈴「あれ……? そら? なんでいるの?」

空丸「鹿ちゃんにぶっ飛ばされたって聞いたから、様子見にきた」

鈴「そっか。で、シカちゃんは?」

空丸「仲間外れにされたーって今頃屋敷で泣いてるよ」

鈴「あははっ……そうだよそうだよ、シカちゃんったら超ヒドイんだからー!」

空丸「相手してもらってたんでしょ?」

鈴「五秒くらいで終わったけどねー…」


鈴「…あ、りっぴーとくっすんは?」

空丸「向こうで組み手してる」

鈴「ん、ならあたしも鍛練の続き…」

空丸「ちょ、まだ休んでなよ。てか鈴、最近ずっと無理しすぎ」

鈴「…無理しすぎるくらいじゃないと、あたし全然ダメダメだから……」

空丸「でも休める時は休んでおかないと。あの二人もそのうち戻ってくるだろうし。ね?」

鈴「……うん」

空丸「喉渇いてない? 水汲んできてあげるからちょっと待ってて」

鈴「ありがと。そら」



空丸を待っている間。

……なんとなく、スマホが気になって開いてみた。


鹿に吹っ飛ばされた衝撃で壊れてないか心配になったが。

電源を入れれば起動し、どうやら無事な様子。


……思えば、ネット環境も無いこの世界で。

しかも写真の使用も禁じられているので、元いた世界のように頻繁にいじることも殆どなくなっていた。

だからこうして操作してみるのも何週間、いや何ヵ月ぶりであった。


特に意味もなく、以前を思い出すように指先で遊んでいると。



鈴「……あれ?」



保存した覚えのないアプリのようなアイコンが、画面上に表示されていた。


鈴「なんだろ、これ……」


開いてみると、そこには適当に数字とアルファベットを適当に羅列したような名前が付いているフォルダが。

5つ──。



鈴「……??」


……まるで身に覚えがない。

自分が忘れているだけだろうか、と首を傾げる鈴。

疑問に思いながらも、その中の一つをタップし開いてみる。


……と。



突如、画面が白く発光を始めた──。


鈴「ひゃっ…! な……び、びっくりしたぁ……なに、今の……」


鈴が二度ほど瞬きをしている間に、その白い光は消え。


……しかし、本当に驚いたのはその直後だった。



鈴「ひぃっ、ぁ……あっ……ぎゃぁぁーーーーっ!!!!」




その悲鳴を聞き、空丸が鈴の元へと駆け付ける。

離れた場所にいた立飛と紅寸も同様に。


空丸「鈴っ!?」

紅寸「何かあったの…?」


立飛「……え……今のって……」


立飛だけは、一瞬見えていた。


……消えゆく最中の“それ”が。



鈴「はぁっ……はぁっ……な、どういう、こと……?」


何が起きたのか。

スマホを片手に震えている鈴を問いただすと。


鈴「い、いきなりスマホが白く光って……」


光が消えたかと思えば。

身体中に電流が走ったような感覚に苛まれ。


……そして。


指の先から。


ゆらりと、極めて細い“糸”が現れた。



空丸「糸……?」

紅寸「っていうと、空蜘みたいなってこと?」


立飛「……空蜘の、糸…」


……そう、先程立飛が偶然見えたものも、まさしくそれだった。

自分だけが見たのだったら、光の反射か何か見間違えだったと。

言い聞かせることも出来たが、当の本人……鈴が同じことを口にしたのなら、それは。


紅寸「鈴ちゃんの、術? 空蜘と同じような…」

空丸「それか……錯覚、勘違いとかじゃ」

紅寸「んー、もっかいやってみてよ」


鈴「え、えぇ……うーん……やってみる」



さっきと同じように、フォルダの一つをタップする。

と、やはり。

……白い光。


鈴「ぁうっ…!」


ビリっとする気持ちの悪い感覚。


そして。


今度は誰の目にも見えた。


鈴の指先から伸びる、うっすらとした“糸”が──。


やがてそれは消え。



空丸「ほ、ほんとに……?」

紅寸「すごっ……鈴ちゃんすごっ!」

立飛「……鈴」

鈴「りっぴー…」

立飛「…どういうこと? これ」


……険しい表情で鈴を睨む立飛。


鈴「し、知らないよ……あたしだって、初めて」

立飛「……そう。じゃあ今日の鍛練はここまで」


立飛「行くよ。紅寸と空丸も一緒に来て」


蛇龍乃の間



蛇龍乃「……え? それマジで言ってる?」


紅寸「ホントだよ! もうビックリ! ね? 空丸」

空丸「信じられないことに…」


未だに謎のままである鈴のスマホ。

術を破る“写真”ですら有り得ないことであるのに。

今回に至っては、それの更に二段階くらい上を往く有り得ない、なのだ。



蛇龍乃「んー……まぁ、この目で見てみないと。鈴」

鈴「ま、またぁ……? あの感覚、好きじゃないんだけどなぁ……ビリビリしてぞわぞわするし」


鈴がスマホを操作すれば。

白い光。

そして糸が現れ、消える──。


それを目の当たりにした蛇龍乃は、訝しげに。


蛇龍乃「……なるほどね」


蛇龍乃「話によると、あと四つあるって言ってたよね。それらは使ってみたの?」

鈴「ううん、なんか怖くて……よくわかんないし」


蛇龍乃「…………あと、四つか……」



……少し考えた後、蛇龍乃は。



蛇龍乃「……鈴、これまでに何人の術に写真を使った?」


鈴「え? えぇと……最初がそら、じゃなくてぱいちゃんか。で、次にうっちー」

蛇龍乃「拘束してた空蜘のこと言ってるのなら、あれは私のだろ」

鈴「あ、そっか。じゃりゅにょさんのと……山でシカちゃんとうっちー、あとりっぴーの……それくらいかな」

蛇龍乃「あれ以降はまったく使ってないの?」

鈴「うん。禁止されたから」


蛇龍乃「…と、すると。五人か……丁度一致するね。まぁそれで間違いはないだろう」

鈴「へ?」

立飛「それって、鈴が破った術は……鈴も使えるってこと?」

蛇龍乃「……使える使えないでいったら、使えるになるんだろうけど」

紅寸「えっ、じゃあ鈴ちゃんめちゃくちゃ強いじゃんっ!」

蛇龍乃「そういうわけでもないよ、紅寸」


蛇龍乃「鈴、さっき糸を出してたよね。あれは空蜘の術とみて間違いはない……が。一つ訊くけど、あれを空蜘みたいに扱える?」


鈴「……む、無理、だと思う……動かし方も全然わかんないし、うっちーみたいにいっぱい出せないし」


蛇龍乃「そう、術っていうのはとても繊細なものだからね……使用、制御するにあたって、術にもよるけどややこしい演算が必要になったりする」


蛇龍乃「まぁそれでも術と分類されるものではあるけど、術としてまるで意味を果たさないだろうね。なんていうか……種(しゅ)と言えばしっくりくるかな」


鈴「種……」


空丸「なら訓練を積めば鈴でも扱える可能性はあるってこと、ですよね…?」

蛇龍乃「その可能性については否定はしないけど、やめといた方がいいかな」

紅寸「なんで?」

蛇龍乃「そりゃ危険だから。扱い方もまったく知らない素人が興味本意で手を出したら、死ぬよ?」

蛇龍乃「ほら、立飛の術とか良い例だ。それもあるんでしょ? その中に」

紅寸「あ、そっか」


蛇龍乃「わかってると思うけど、鈴。使っちゃ駄目だよ?」

鈴「うん、使わない」

蛇龍乃「良い子だ。あ、そうだ。ちょっとそれ貸して」

鈴「これ?」


蛇龍乃は鈴からスマホを受け取り。

何をするかというと。


検証──。


術に関しては他の誰よりも優れていると、自負している。

他人の術だろうと、ある程度難易度の高い演算でも行える自信はあった。

よって、このスマホを使えば、本当に自分以外の術の使用が可能なのかという。

そういった検証。


……だったが。



蛇龍乃「ありゃ……?」



……結果。


使えない。


演算がどうのこうのという以前の話。

何度画面をタップしようと、白い光は放たれなかった。


……この結果からわかること。

それは、種を展開することが可能なのは、鈴だけ。


ちなみに以前行った“写真”についての検証は。

蛇龍乃が使ったとしても、同じ効果が得られていた。



蛇龍乃「……」


安心と、不安──。


蛇龍乃のなかで、この二つが入り雑じっていた。


写真のことは一先ず置いておいて。

この種に関しては。鈴以外の誰も扱えないのなら、然程心配する必要はない。

鈴が使わなければ、何も関係ないのだから。


……が、もし。


もしも──。


何かの拍子で鈴がこれらの種を完璧に扱えるようになったとしたら、それは。



蛇龍乃「…………」


鈴「じゃりゅにょさん…?」



これをこのまま鈴に返していいものなのだろうか……?


珍しく悩んでしまったが。


結局、返すことにした。



蛇龍乃「写真も種も絶対に使わないこと。いいね?」

鈴「うん」

蛇龍乃「……あと、このことは他の皆には言わなくていいから。立飛も紅寸も空もわかった?」

紅寸「うん!」

空丸「はい」

立飛「ヱ密にもってこと?」

蛇龍乃「わざわざ伝える必要もないしね」

立飛「ん、わかった」




──…………。




……ずっと後になって判明することなのだが。


この時、蛇龍乃は大きなミスを“二つ”犯してしまっていた。


一つは、鈴にスマホを返してしまったこと──。


そして、もう一つは──。



“種”が発覚され、どうなることかと蛇龍乃は内心危惧していたが。

どうやらそれも杞憂に終わり。

何事も無く、穏やかな日々が続き。


一ヶ月の月日が過ぎた──。



鈴「……え? 任務……?」


そんなある日、蛇龍乃に呼び出された鈴。

そして、開口一番に告げられる。


こうして任務を与えられるのは、三ヶ月前の城下町での暗殺以来で。

……しかも、今回は。


蛇龍乃「鈴一人にやってもらう。単独任務だ」


鈴「あたし、一人で……」


任務内容は前と同じく、暗殺。

対象を殺すこと。どんな手を使ってでも。

やり遂げなくてはならない──。



鹿「…鈴一人で大丈夫なの? それ」

立飛「私もまだ早い気がするけど」


同じく場に居合わせた二人は怪訝な表情を浮かべる。


蛇龍乃「鈴だってもう一端の忍びだ。まさか殺し方を忘れたなんて言わないよね? 鈴」


鈴「……ちゃんと覚えてるよ。だから、やれる。やってみせる」


蛇龍乃の目を見据え、しっかりとした口調で答える。



……心境としては。

鈴は嬉しく思っていた。

人を殺すことが、ではなく。

自分一人に任務を与えてもらえたことが。

初めて、認めてもらえたような気がして。

これを達成できれば、自分自身にひとつ誇れる気がして。



蛇龍乃「……二つ、約束してもらえる? 鈴」


鈴「なに?」

蛇龍乃「一つ目。これは至極当たり前のことだが、虚偽の報告はしない。例えば対象を殺し損ねたとしても、ちゃんと殺しましたーなんて嘘はつかないで」

鈴「それは、勿論……うん」

蛇龍乃「だからといって、のこのこ戻ってきていいわけじゃない。遂げるまでここに帰ってくることは許さない。任務というものは、どのような内容であっても等しく重いものだから」

蛇龍乃「私が求めているのは結果のみ。惜しかったんですあと少しだったんです、とか言われてもそれは何もしていないのと同じ。わかるよね?」

鈴「はい」


蛇龍乃「……そして、二つ目。これも忍びとしては当然のことだが」

蛇龍乃「もし、捕らえられても……身柄を拘束されても。決して口を割らないこと。お前の失敗はすべてお前だけの責任だ」

蛇龍乃「この里のこと、私たちのこと、鈴が知っている情報……どんな些細なことであっても絶対に喋るな。その時は黙って殺されろ。非道な拷問や凌辱に遇ったとしても」

鈴「はい」


蛇龍乃「私から言いたいのはそれだけ。鈴、私を失望させないでよ?」

鈴「はい」

蛇龍乃「よし。んじゃ、今日はゆっくり休んで明日の朝にでもさっそく向かって」

鈴「わかりました。それでは失礼します」



……鈴が蛇龍乃の部屋から出ていった後。



蛇龍乃「てことで、よろしく。鹿、立飛」


立飛「あー、やっぱそういうこと」

鹿「鈴のお守りってわけねー。こっそり尾行して、ヤバくなったら助ければいいんでしょ?」


蛇龍乃「いや違うぞ」


立飛「へ?」

鹿「ん?」


蛇龍乃「助けなくていい。この程度の任務すら一人でこなせない奴はいらないから。二人に頼みたいのは後始末ね」


蛇龍乃「鈴は忍びとして、まだまだ完成されてないからねぇ」


蛇龍乃「もし、鈴が失敗して殺されたとしたら。鈴が所持してるスマホを破壊してほしい。で、もう一つ。鈴が殺されず捕らわれてしまった場合……その時は鈴を殺してスマホも壊す」


立飛「あー、なるほど」

鹿「でもでもじゃりゅのん。仲間を殺せっていうくらいなら自分で殺すって、前に言ってなかったっけ?」

蛇龍乃「うん。だから命令じゃなくてお願いしてるの。二人を見込んでね」

鹿「そういうことなら。うん、わかった。任せて」



鹿「…で、師匠の目から見てどうなの? 鈴はやれそう?」

立飛「んー……鈴が相当アホなことしない限り、まず失敗はしないとは思うけど」

立飛「殺す力は備わってるし、隙を突けるよう鍛練も積ませてる。失敗するとしたら、いざ場に立った時の覚悟や躊躇といった精神の乱れからかなぁ」

蛇龍乃「まぁその為の経験だからね」



そして、翌日。



鹿「え? 鈴、もう出発しちゃったの?」

立飛「夜明けと同じくらいにね。かなり張り切ってたから空回りしないか心配。……てか鹿ちゃんさぁ、今頃起きてきてやる気あるの!?」

鹿「ごめんごめん、立飛ー。そんな怒んないでよー、もー」

立飛「さっさと仕度してー」

鹿「はーい。あ、追わせてる?」

立飛「もちろん」

鹿「さすが立飛」


立飛の術──。

対象に自分の意識の一部を注ぎ、制御するというもの。

空蜘の件同様に今回もそれを使い、鈴が何処で何をしているのか。

鷹を介し、視覚や聴覚といった情報がタイムラグ無く、術者である立飛に送り込まれてくるというわけである。

勿論、鈴はまさか自分が見張られているなどとは思っていないだろうが。



鹿「お待たせぃ! んじゃ行こっかー」

立飛「うん」



与えられた任務を成功させるべく、邁進する鈴と。


万一の失敗時、情報の漏洩の危機に備え、鈴の動向を影ながら見張る立飛と鹿。


鈴にとって初めて、何もかもを自分一人の力でやり遂げなくてはならない任務が始まった──。



山中の森を突き進み、目的地を目指す鈴。

しばらくして疲れたのか、木陰に腰を下ろし息を整えていた。


鈴「ふぅーっ……」


急を要する任務では無いにしろ、速やかに済ませるに越したことはない。

今までだと長く走れなかった距離も、鍛練の積み重ねが生かされ。

以前に比べ、随分と軽やかに移動できるようになっていた。



鈴「……よしっ、休憩終わり!」


そして、再び走り出す。


……その姿は一見順調そのものに見えるのだが。




一方、少し離れた場所。

生い茂る木々の上を巧みに移動する鹿と立飛。


鹿「やっぱまだまだ遅いねぇ。すぐ追い付いちゃったし」


立飛「…………」


鹿「あ、あれ…? まだ怒ってる? いっぱい謝ったじゃーんっ!」

立飛「……そうじゃなくて。あれ……」


立飛が指差したのは、先程まで鈴が休んでいた木の下。

目をやるとそこには、一枚の紙切れが。

……そう、実はこれ、目的地までの地図である。


鹿「あちゃー……どうやって辿り着くつもりなのやら……」

立飛「追い付いたそうそうこれだよ……」


……頭を抱える二人。


立飛「はぁ……しょーがないなー」

鹿「お? 立飛、やさしいねー」

立飛「これっきりだから。蛇龍乃さんには内緒ね」


そう言って立飛は辺りを見回し、何かを発見すると。

意識を集中させる。


そして、瞳が緋色に満たされていき──。




鈴「はぁっ……はぁっ……」


地図を落としたことなど、未だ気が付いていない鈴は。

ただ黙々と走り続けている。


……と。

何やら脇の方から、ガサガサッ──と。


そして、突如。


鈴の進路を遮るように、猪の群れが横切る。


ドドドドドドッ──!!


鈴「わわっ…!? い、痛ったたぁ……びっくりしたぁ」


驚き、その場で尻餅を突き、倒れる鈴。


鈴「……あ、あの猪たち、何をそんな急いでたんだろ」


起き上がろうとすると。

ガサッ、と手に何かが触れた。


鈴「…ん? あ、地図。あぶなー、落っことしちゃうところだった」


鈴はまったく気付いていなかったが、猪の群れが通り過ぎた時に。

地図をくわえた一羽の鷹が、鈴の側にそれを落とし飛び去っていっていたのだ。


立飛「よーしよし。もうアホなことしないでよね」


鹿「んふふっ…」

立飛「どしたの? ちょっとキモいよ…?」

鹿「いやぁ、立飛ってさー鈴のことすごい気に入ってるよねー。なんか妬いちゃうわー」

立飛「べーつにー、そういうのじゃないしー」

鹿「そう? 最近の立飛、楽しそうだなーって思って」

立飛「まぁ……ね」


鹿「でも……もしもの時になったら、鈴を殺せる?」

立飛「……殺せるよ。当たり前じゃん…」

鹿「多分、立飛は出来ないよ」

立飛「なんでっ…?」

鹿「これが命令だったら、殺せると思う……けど、今回はそうじゃないじゃん」


『だから命令じゃなくてお願いしてるの。二人を見込んでね』


鹿「だから、私もここにいるんだよ。そもそもこんなの一人いれば充分なことじゃない? じゃりゅのんもそれをわかってるから…」

立飛「…なにそれっ……私、信用されてないの…!?」


鹿「違う違う、そういうわけじゃなくて。仲間を殺すってこと……任務だったらまず有り得ないでしょ? でもこういうケースなんかだと稀にあったりする」

鹿「その時、じゃりゅのんは命令はしない。やるもやらないも私たちの意思を汲んでくれるから。立飛にはやらせたくないって……私もそう思ってる」

立飛「そ、そんなのっ……同じことじゃんっ…!」

鹿「危なっかしいんだよ、立飛は」

立飛「はぁ…? 私が失敗するってこと!?」

鹿「そうじゃなくて……」


鹿「自分に嘘をつかなくていいところで、嘘をつくなってこと」


鹿「思い当たる節、あるでしょ?」


立飛「……そんなの、皆も一緒じゃん」

鹿「そうだよ。だから少しは頼ってよ、私を。本当の汚れ仕事は私や空蜘にでも任せて、さ?」


鹿「自分の出来ることだけをやる……私たちってそういうのでしょ? 立飛に潰れられると皆困るの。……背負わせてよ、そのずっと一人で抱えてる大荷物。私にも一つくらいさ」


立飛「…っ、な、なにカッコつけてんの……鹿ちゃんのくせに……」

鹿「あっ、ひどーっ…!」


立飛「……ふふ、うん、考えとく……あ、でも鹿ちゃんに渡すとすぐ捨てられちゃいそうだからなー」

鹿「立飛」

立飛「ほ?」

鹿「ちゅーしよっか?」

立飛「なんか妙にカッコつけてるかと思ったらそれ狙いかー……ないわぁ……妬いてるとか言ってたもんねぇ……」

鹿「ちょっ、冗談だからっ! マジでひくのやめてっ!」



立飛「まぁ私が鍛えてあげたんだから、ちょっとやそっとくらいじゃ失敗しないよ。鈴は」

鹿「さっき速攻で地図落としてたじゃん」

立飛「帰ったらお説教だ」



火の起こし方は紅寸に習った。

魚の捕り方も紅寸に習った。

山菜や茸の見分けはヱ密に。

野生動物の捕獲、解体についても紅寸に。

調理方法は牌流に。

寝床の探し方、作り方もヱ密に。


……方角がわからなくなったら星を探した。


そういった皆からの教えを胸に。

鈴はこう思った。


あたし、無人島でも余裕で生きていける──!


……それと。


今なら、オカダにも勝てそうな気がする──!




そして、里を発ってから何日もの夜を越え。


ようやく鈴は、目的地である城下町に辿り着いた。

そう、前回の任務の時と同じ場所。



鈴「おー、見えてきたー! 久しぶりだこの町もー!」


鈴「…っと、その前に……お着替えお着替えー」



町娘に扮した鈴は、いよいよ町へ降り立つ。



……と。



鈴「……っ」



町に一歩足を踏み入れた瞬間──。


……ドクン、と鼓動が一回大きく跳ねた。


心臓を刺した感触。

憎しみの眼差し。

命乞いの涙。

血の匂い、味。


どれも忘れたことなんて一瞬も無かった筈なのに。

より大きく、鮮明に。

……甦ってくる。


鈴「…っ、うぶっ……ぁ……」


途端に吐き気が襲ってきた。

堪らず通りの端にある下水路へ。


鈴「ぅ……あ、うぶっ、ぉ……おぇぇぇっ…!!」


鈴「はぁっ、はぁっ、はぁ……!」


……何を、やってる──!

白昼堂々、こんな目立つ真似を。


精神を、乱すな。

……思い出せ、思い出せ。

今までの鍛練を。

皆からの教えを。


これは、任務だ。

失敗は許されない。


私は、忍びだ。


忍びなら、悪に染まれ──。



鈴「はぁ……はぁ……」



次第に呼吸も落ち着いてきた。

鈴は周りを見渡し、注目されていない様子に安堵する。


衣服越しに、懐に携えてある短刀に触れ。

……自分が何であるのか。

……何をしなくてはいけないのか。

……どうあるべきなのか。


今一度、再確認し。

心を鎮める──。



まだ陽は高い位置にある。

決行は夜だ。

それまでは、情報収集。



張り詰めた雰囲気のままでは良くない。

あくまで自然に。

町に溶け込まなくては。


……大丈夫。出来る。

演じることなら、これまで何年もやってきた。

それこそ、忍びである期間よりも。

ずっと、ずっと長く──。



対象は、女。

二十代前半、酒屋で働く看板娘らしい。

誰からも好かれており、言い寄ってくる男も後を絶たないとか。


善人とか悪人とか、そういったことは蛇龍乃から聞かされてはいないが。

さして関係の無いこと。


任務対象だから、殺す。

それだけ。



……やがて夜が更けていき。


対象はこの日も店で働いており。

鈴は殺す隙を見定めるように、客として店内に侵入していた。


やはり女が一人でこんな場所にいれば。

男の一人や二人、自然と声を掛けてくるものだ。

……一人で何もせず、座っているのも不審がられるだろうから。

これは好都合だと、鈴は隣に男を招き、会話に応じる。


男と話しながらも、対象への注意は怠らない。

女は常連らしき者たちと、仲良さげに談笑していることもしばしば。


なるほど。

噂通り、良い子そうだ。



そして、しばらくして。

勤務時間が終わったのか、女が店の外へと姿を消す。

それを見て、鈴も席を立ち。

……女を追う。


ある程度の距離を保ちつつ。


女の足取りは少し軽いように思えた。


町の中心部にある酒屋から少し歩き。

用水路に架かる橋を渡った先は、町の外れの方。

人気も少なく、殺すには都合が良い。


鈴「…………」


殺しにいく隙を窺っていると。


女が向かう先には、一人の若い男がいた。

逢瀬、というわけだ。


二人は石段に腰掛け、仲睦まじそうに。

唇を重ね。

それより先はさすがにないものの。


……その横顔は、とても幸せそうに。


橋の向こう側にいる対象から目を離さぬよう、鈴は闇に潜み。

その時を待つ。


鈴「…………」


これから殺す相手のあんな表情見るものじゃないな、と鈴は少し後悔した。

それでも。

殺すことには変わりはない。


──……。


しばらくその様子を見ていると。

ようやく二人は腰を上げる。


鈴「……」


すると、二人揃ってこちら側へと橋を渡ってくる。


……どうする。

なにも対象が常に一人でいるとは思ってはいなかったが。

隣に男がいるとなると、今夜は止めておくか。

……いや、機会としては今が最適なのでは。

周りに人の気配は無い。

邪魔なのはあの男だけ。


微笑み合いながら、向かってくる二人。

そして。

鈴も足を踏み出し、橋を渡り始める。


……カツンカツン、と。


足音が夜に響く。



鈴と対象である女の距離は徐々に縮まっていき。



……五メートル。



カツン、カツン──。



鈴から見て橋の右側を歩く二人。

端を歩くのは男の方。

したがって、鈴は橋の左側を歩き進める。



三メートル。



……顔を見られぬよう、頭を伏せて。



カツンカツン──。



会話の内容も聞き取れるくらいに、標的はすぐそこに。



……一メートル。



懐に手を忍ばせ。

短刀を握る。



カツン、カツン──。



……零。



鈴「……」



すれ違い様──。


一瞬にして鞘から抜かれた刃。


……そして。



グシュッ──!



鈴が通り過ぎたその背後には。


血飛沫が舞い、夜の闇に真っ赤な花が咲いていた──。


直後。

バタン、と。

倒れ落ちる音──。


苦しそうに呻く声が耳に入ってくる。


……しかし、それもやがて止み。



……あっけなく。


見事にやり遂げた鈴。

手に持つ刀は、血に染まっていた。

顔にも、服にも、飛び散っているだろう。


鈴「……とりあえず、水で落として着替え」


すると。


「おいっ…!!!!」


背後から、涙と怒りが入り雑じった男の声が轟く。

……当然の反応だ。


鈴は振り返ることなく、走り出し。

その場から離れようとする。


男も当たり前に全力で追ってくるのだが。


いくら忍びとして未熟すぎる鈴とはいえ、何ヵ月も忍びの鍛練を受け続けてきた身。

そんな鈴を、ただの町人如きが捕らえられるわけがなく。



鈴は闇へと消えていった──。



その様子を離れた場所から見ていた二人。



鹿「おー、やるじゃん」

立飛「…うん、思ってたより」


鹿「どうですか? 師匠から見て今の鈴は」

立飛「んー、六十点かなぁ」

鹿「なんか厳しい。減点理由は?」

立飛「殺す瞬間、顔上げすぎ……隣にもう一人いるのに」

鹿「あー、まぁそれは今の鈴には求めすぎじゃない?」

立飛「もしかしたら顔見られちゃったかもね」

鹿「殺しておく?」

立飛「いやいや、私らがわざわざ騒ぎ起こしてどうすんの!」

鹿「ひっそりと」

立飛「放っておいていいんじゃない? 蛇龍乃さんに言ってしばらく鈴を町から遠ざければ」

鹿「そっかそっか」


鹿「んで、鈴は何してんの?」

立飛「……また吐いてる」

鹿「まだまだ経験が必要だねぇ」

立飛「でも、まぁ……殺す時にあれだけ堂々としてたから及第点かな」


鹿「さーて、帰ろ帰ろ」

立飛「お腹すいたー」

鹿「こんな時間に店開いてないよ」

立飛「なんか買っとけばよかったー!」


──…………。



任務をやり遂げ、数日を擁して里へ帰還した鈴。


一足先に里に戻った鹿と立飛から報告は受けてはいた蛇龍乃だが。


改めて、鈴から報告を訊く。



鈴「問題なく、任務完遂しました」


蛇龍乃「御苦労様。で、どうだった?」

鈴「ど、どうって……えーと……」

蛇龍乃「こんなもんか、って思った?」

鈴「……うん。やる前とやった後はめちゃくちゃ苦しかったけど」

鈴「いざ決行する瞬間になったら、自然と体が動いてくれたっていうか…」

蛇龍乃「鈴は忍びの素質あるかもねぇ」

鈴「ほんと?」

蛇龍乃「知らんけど」

鈴「……」


蛇龍乃「…まぁ素質云々はまだまだ先の話。今は経験を積んでいくことだね」

鈴「……もっといっぱい、殺して…」

蛇龍乃「……人を殺すことで、慣れていく……これも経験には違いないけど。本当の意味での経験というのは」

蛇龍乃「覚悟を重ねること。これに尽きる」

鈴「覚悟を、重ねる、かぁ……」


蛇龍乃「またこれからもたまに任務与えるかもだからよろしくねー」

鈴「う、うんっ!」

蛇龍乃「明日からもまた皆に鍛えてもらいな」


鈴が蛇龍乃の部屋を後にしようとすると。

そこに。


空蜘「あっ」


鈴「うっちー、久しぶりだねー」

空蜘「鈴ー! 任務から帰ってたんだぁ? お疲れ様ー!」

鈴「え、えぇっ……」

空蜘「疲れたでしょー? 上手くいったみたいでよかったー! さすが鈴だねー」

鈴「な、なんかうっちーがおかしくなってる……」


空蜘「ほらっ、鈴が任務成功したって!」

蛇龍乃「あー、うん……そうだね」

空蜘「だからぁ、返してくれるよねー? 私の術」


鈴「ん? どゆこと?」


……実は空蜘と蛇龍乃。

鈴が任務を成功するか否かを賭けていた。

空蜘はこの程度の任務、忍びなら失敗など有り得ないと。

それに、鈴の成長も目にしていた。

よって、鈴が成功する方に賭けていた。

蛇龍乃はというと。


蛇龍乃「え、いや……私も成功に賭けてたから不成立になったじゃん」

空蜘「はぁー? そんなの知らないしー!」

蛇龍乃「そう言われてもなぁ、普通賭けというのは別々のものに張るから成立するのであって…」

空蜘「それは知ってる」

蛇龍乃「でしょ? だから今回のはそもそも」

空蜘「でも私の予想は当たったじゃん」

蛇龍乃「あ、あれー……? 私がおかしいのかな……あくまで賭けの話はあったけど、クイズの話なんか」


鈴「……てか、賭けられてたんだ、あたし」


空蜘「ならもうクイズってことでいいよ。正解したんだから、返して」

蛇龍乃「無理」

空蜘「えー」

蛇龍乃「世の中すべてが空蜘の都合が良いようには動いてないの。残念だったね」


空蜘「……チッ」


鈴「でもうっちー、あたしのこと信じてくれてたんだ? なんか嬉しいなぁ」

空蜘「はぁ? あれくらいの超初歩的任務を失敗する奴なんかいねーよっ!」

鈴「あぅ……なにこの変わり身の速さ……」


空蜘「はぁーぁ……」


蛇龍乃「……」


蛇龍乃「……空蜘」

空蜘「なーにー……」

蛇龍乃「いいよ、返してあげる」

空蜘「…っ!? ほ、ホントにっ!?」

蛇龍乃「うん。じゃりゅのさんウソつかないもん」

空蜘「……何を企んでるの? 今までで一番恐ろしいんだけど」

蛇龍乃「ははは、そろそろ返してやろうと本気で考えてたところだったしねー」


蛇龍乃「ちょっと早いけどさっきの件、クイズだったってことで見事正解した空蜘には術を返還してあげまーす」


そう言って蛇龍乃は、右手を空蜘の方へと向ける。

そして扇ぐようにその手を揺らし。

……すると。


空蜘「あ……本当に、解けた」


空蜘「でも、なんで…?」

蛇龍乃「あれ? 何か不服?」

空蜘「そうじゃないけど…」


蛇龍乃「私は空蜘、お前を本当の仲間だと思ってるよ。それは信用の証として受け取ってくれ」


空蜘「……仲間」


蛇龍乃「今まで信用してなかったってわけじゃないけど……こんな術で封じられたまま、仲間だ信頼だと言われても良い気持ちはしないだろ」

蛇龍乃「悪かったね、今まで」


空蜘「ん、ありがと…」


蛇龍乃「んで、ここからは私のお願い聞いてもらうよ?」

空蜘「お願い…? 命令じゃなくて?」

蛇龍乃「さっき言ったっしょ? クイズにしてやるって。てことは私もそれに正解しているわけだ」

空蜘「まぁ……うん」


蛇龍乃「空蜘、仲間として私や皆のことを信頼してほしい。大切に思ってやってほしい。この里のためにこれから先、生きてほしい」


空蜘「……」


蛇龍乃「これは術と違ってなんの拘束力も無いし、お前を封じ込めるわけでもない。ただ単純に私の気持ちだ」


空蜘「……まぁ、クイズの結果なら仕方無いよね。ゲームとしてもある程度の公平性は必要だし」


空蜘「…うん、いいよ」




……空蜘は誰にも聞こえない声で、小さく溢す。




空蜘「……てか、そんなこと、とっくに思ってるよ……」


蛇龍乃「術が使えるようになったからってあんま暴れないでね」

空蜘「うん。でも久しぶりだからさぁ、試したいんだよねー。任務ちょーだい。殺しのやつ」

蛇龍乃「んー、今のとこはその予定は無いんだよなぁ」

空蜘「そっか。じゃあ…」


空蜘はくるっと鈴の方を向き。

蕩けそうな笑みを浮かべる。


鈴「え?」

空蜘「鈴でいいや。ちょーっと遊ぼうかぁ?」

鈴「や、やだやだやだっ、絶対やだーっ!」

空蜘「は? 鈴のくせに私に口答えしてんじゃねーよ」


蛇龍乃「……やっぱ封じたままの方がいいのかな」



念の為、空蜘の術が戻って数日の間は。

ヱ密に命じて、見張らせていたが。

心配していたことは起きはせず。


どうやら空蜘も、本気でこの里を居心地好く感じているようで。

対して、里の皆も。

最初の頃は賛否あったが、今となれば皆、空蜘のことは仲間として信頼していた。



穏やかな日々が続いていた──。



以前に引き続き、忍びの基本となる鍛練。

コツを掴んできた鈴だが、やはりそれは皆と比べればまだまだで。

鈴自身もそれは充分すぎるくらいに思い知らされているから。

努力は怠らず、精進し続ける。


そんな鈴の姿勢に皆、それぞれ胸を打たれるところがあり。

立飛を中心に、代わる代わる鈴の鍛練に付き合っていた。


強くなるのは、嬉しくて。

褒めてもらうのは、誇らしくて。

それにやはり、皆とこうして毎日を過ごすのは、とても楽しくて──。


元いた世界のことを思い出すのも、日に日に少なくなっていた。


……このまま戻れなくても構わない。


この世界で、私は──。


ここの皆が大好きだから。

こんな風に毎日、皆といられる日々が続いていってくれたら。


……私は、幸せ。



そう鈴が願う、大切に思う、そんな日々。


やっと手に入れた、そんな毎日。







…………それは唐突に砕け散ることになる。


──────
────
──



鈴「…………鍛練の成果」


真剣な眼差しの鈴。

緊張感が場を纏い。

ヒリヒリとした空気が張り詰める。


立飛「……」

鹿「……」


立飛と鹿は黙ったまま、ただ鈴に注意を注ぐ。

他にも。

紅寸、牌流、空丸も同じく。

同じ場にいた。



鈴「…………いくよ」


鈴の手に握られているのは、一つの手裏剣。

的である眼前の大木をしっかりと見据え。


そして──。


鈴「たぁぁっ!!」


シュッ──。



放たれた手裏剣は。


鈴の手を離れ。


的へと。


ただ真っ直ぐ飛んで──。




……いかず。


フニャフニャ……

ポトッ…



鈴「ありゃ…?」




空丸「鈴……」

鹿「ナメてんの?」

牌流「これはさすがに……ねぇ」

紅寸「あははっ! 鈴ちゃん下手くそー!」


……笑う者。怒る者。呆れる者。

そして師匠は、というと。


立飛「はぁぁぁぁー……」


一際大きな溜め息を落とし。


立飛「こればっかはいつまで経っても全然上達しないよねぇ…」

鈴「だね……なんでだろ?」

立飛「こっちが訊きたいよっ! ホントに……もー」


紅寸「接近戦……最近の組み手だとまぁまぁ成長は見られるのに」

鹿「それもだいぶ弱いけどね」

鈴「んー……これがこんな変な形してるのが悪いんだよ。もっと丸かったら、もうちょっと投げやすいのに」


……手裏剣を眺め、鈴が言う。


牌流「丸かったら殺具として成立しなくない?」

鈴「いや外側が鋭い刃みたいにめっちゃ斬れ味良くするとかさぁ」

空丸「それだと投げる前に鈴の手が血まみれになってるよね」

紅寸「うんうん、間違いないね」



立飛「ていうか近接よりこっちの方をもっと上達してもらいたいのに…」

鈴「なんで?」

立飛「…は? 今、なんでって言った? そんなこともまだわかんないの……?」

鈴「ご、ごめん。つい……わかってるっ、わかってるから!」

立飛「はい、なら答えてみて」

鈴「えーと……近接と違って遠距離からだと、自分が反撃に遇う危険が少ないから」

立飛「正解。わかってるならもうちょい頑張ってよ。今のままじゃマジヤバい」

鹿「鈴は術を持ってないから尚更ね」


鈴「術、かぁ……あ、シカちゃんのは、ん? あれってどっちに入るの?」

鹿「何が?」

鈴「遠距離とか近距離とか」

鹿「んー、どっちだろ? 近距離ってほど近距離でもないし、遠距離ってほど遠距離でもないし……かといって中距離ってのも違うし…」

鈴「りっぴーのは遠距離だよね?」

立飛「うーん、私のも微妙じゃない? 戦闘に使うとなれば近距離だし」


鈴「……あたしも術、使えたらいいのになぁ……」


鈴「ていうかあたし、そらとくっすんの術知らないや…」

紅寸「あれ? そうだっけ?」

空丸「あー…」

鹿「紅寸のはまず使う場面がそうそう無いから仕方ない。空のはなんかショボいし」

空丸「ちょっと鹿ちゃん、酷くない!?」


鈴「へぇー、どんなの? ……って教えてくれるわけないか」

空丸「まぁそのうちね」

紅寸「くすんのは別に見せてもいいよ」

鈴「ほんと? 見たい見たいっ」


紅寸「ほい。じゃあ、うーん……」


紅寸が周りをぐるっと見回すと。



紅寸「……」


……何故か皆、顔を伏せたり。

明後日の方向を向いたり。

その場から逃げ出したり、と。


バリエーションのとんだ様々な反応を見せていた。



立飛「……私はイヤ」

鹿「私も…」

空丸「……さて、掃除掃除」

牌流「わ、私も御飯の準備しないと…」


鈴「……??」


紅寸「まーこうなるよね」


……と、そこに。


紅寸「…ん? わわっ!」

鹿「お?」

鈴「…?」

立飛「鈴、こっちっ!」


立飛が鈴の腕を強く引き。

その直後、鈴や皆がいた場所に何かが勢いよく飛んできた。


ズシャッ──!!


鈴「な、なに……?」



空蜘「い、いったぁっ……うぅぅ……、あーっ! もーっ!」


鈴「う、うっちー?」


突如、飛んできたもの。

……それは空蜘だった。

いや、正確に言えば。

飛んできた、ではなく。


吹っ飛ばされた──。


吹っ飛ばされたのなら、当然、吹っ飛ばした者がいるわけで。



ヱ密「あー、えーと、なんていえばいいか……ごめんねっ、空蜘」


そう、空蜘を吹っ飛ばせる者など。

この里にはヱ密しかいないだろう。


空蜘「ごめんねっ、じゃねーよ! 私じゃなかったら死んでたからねっ!?」

ヱ密「だって空蜘相手だと手加減とか難しいからさー」


最近ではこれも日課となっている。

空蜘とヱ密の組み手。

この日も、鈴たちが鍛練していた場所より少し離れた所で行われていた。



鈴「うっちー、またえみつんに負けちゃったの?」

空蜘「はぁー? 負けてないからっ! 術が使えればこんな無様な姿晒すわけないじゃん!」

鈴「あれ? 術って返してもらったんじゃ」

空蜘「なんかねー、ここの人相手に使うなって言われちゃってさー」

鹿「当たり前でしょ……ただの組み手でそんなガチでやられても」


とっくに怪我が治り、状態万全の空蜘でも。

やはりヱ密を身体能力だけで相手するのは、多少無理があるようで。


空蜘「早く人間相手に試したいのにー……あっ」

鈴「……え?」

空蜘「鈴ちゃぁん?」

鈴「うぇっ…!? さ、さてと……あたし、ぱいちゃんのお手伝いしないと」

空蜘「そんなのいいからぁ、ちょーっと」

ヱ密「……まーた封じられちゃうよ? 空蜘」

空蜘「うそです、ごめんなさい」




妙州の里は、この日も平和であった。


家族みたい、と鈴は感じていた。


一緒の場所で暮らして。

一緒に御飯を食べて。

一緒に汗を流し。

一緒に、笑って。


皆を、里を、この暮らしを。


愛していた。




……しかし。


こんな日常を滅ぼそうする影が。

じりじりと、すぐ側まで迫ってきていることを。

鈴は勿論。

他の皆ですら。


まだ、誰も知らない──。



……夜。

御飯を食べ、風呂に入り。

変わらず明日も行われる鍛練に備え、あとは休むのみ。

鈴は自室で、手裏剣を手に取り、少し拗ねた表情を浮かべていた。



鈴「……なーんで思うように飛んでってくれないかなー、コイツは」


忍者といえば、手裏剣。

それはこの世界に来る前から、知識のなかにはあったことで。

だからこそ、忍びとなった自分がいつまでたっても上手く扱えないのは悔しかった。


鈴「あたしもみんなみたいにシュッて投げられるようになるのかなー? …よしっ、明日からも頑張ろうっ!」


そう意気込み、布団へ。


そして目を閉じると、昼間の疲れからかすぐに眠りについた──。





──…………。




鈴が眠ってからしばらく経つ頃。


夜が通り過ぎようとしているくらい。

夜明けにはまだ少し早いくらい。



「…………」


屋敷の中を徘徊する一つの影。


それは、この里に暮らす者ではなく。


……侵入者であった。


その侵入者はまるでここの住人のように。

入り組んでいるこの忍者屋敷を迷うことなく、躓くことなく。

眈々と進み。


ある部屋の前へ辿り着いた。


……そして。


スッ…


扉を引く。



開かれた扉の向こう、そこにいるのは。


……眠っている鈴。



「……見つけた」



侵入者は鈴を見付け、無垢な笑みを浮かべる。


そして、部屋へと一歩足を踏み入れたところで。


鈴「ぅ……ん、んん……?」


部屋に入ってきた者の存在に気付き、目を覚ます。

これも日頃の鍛練の成果であった。

自らの気配に気を遣うだけではなく、他人の気配にも注意を払う。

師匠である立飛の教え。


こんな突拍子もないことをするのは、空蜘か紅寸か蛇龍乃くらいだろうと。

……確認すると。



鈴「──えっ?」


驚きのあまり、一瞬で眠気が吹き飛ぶ。



だって──。



そこに立っているのは──。



私だったのだから──。





「あはは。今まで遠くからしか見たことなかったけど、本当に私そっくり」


自分と同じ顔、そして声をした侵入者は笑いながら言う。


鈴「…ぱいちゃん、だよね……?」


……牌流の悪戯?

でも、この格好って。

心を乱さぬよう鍛練は積んできた筈なのに。

動揺からか、その光景を受け入れられないでいる鈴だった。


そして、側に置いてあったスマホを手に取り。


カシャッ──!


「…んっ、まぶしっ…!」


スマホが光った先。

術ならこれで解けるはず。



……が、しかし──。


「……へぇ、それが噂のスマホってやつね」


目の前にいる私は私のままだ。


と、いうことは──。



いきなり光を当てられたからか。

鈴の顔をした侵入者は、先程までの笑みを消し。

少し不機嫌そうな表情で鈴を睨んだかと思えば。

きょろきょろと部屋の中を見渡し。

机の上に置いてあった手裏剣に目をやる。



「死なれると困るけど、死ななきゃいいのかな。同じ顔だし、わかりやすいように目印付けちゃおっか」


右手を開き、手裏剣の方へ向けると。


鈴「え……?」


なんと、手裏剣は宙に浮かび上がり。


ヒュッ──!!


突として、勢いをつけ鈴へと襲いかかる。



鈴「ぇ…なっ……ぁ……っ」


更に手裏剣は速度を高め。


鈴の顔目掛け、真っ直ぐ伸びていく。


鈴は動けず、固まったまま。


そして、手裏剣が鈴の顔に刺さる。


……その寸前。



シュルルルルッ──!


扉の隙間から伸びてくる、糸。


手裏剣より僅かに早く届いたその糸は。

鈴の身体に絡まり、巻き付けたその身体を強引に引っ張った。


鈴「きゃぁっ…!?」


部屋の端へと転がる鈴。

今も巻き付いたままの糸。

そのおかげで、あの手裏剣から回避できた。


鈴「い、糸……? うっちー……?」


部屋の入り口辺りに続いている糸の先。

そこにいたのは、やはり空蜘で。


空蜘「ボケーっとしてさぁ、死にたいの? 鈴」


鈴「ご、ごめん……ありがと」


相変わらず厳しい口調の空蜘。

……だが。

その表情は、これまで鈴が見てきた空蜘のなかで。

とびきりに。


恐ろしいくらいに、とても嬉しそうだった──。




空蜘「…くふふふっ、あははははっ!」


空蜘「そのヘンテコな格好、そのヘンテコな術……やっぱり、そうだよね?」


空蜘「まさかそっちから、殺されにきてくれるなんてねぇっ…!!」



鈴にとっての、初の殺しの任務。

あの城下町で空蜘が何者かに敗北を喫し、宿の前に倒れていた。

空蜘は多くは語らなかったが。


その相手こそ、まさに。

今、目の前にいるもう一人の鈴であった──。



「あー、あの時の人か。悪いけど、私その子に用があるから」


空蜘「ははは、そんなこと言わずに、ちょっと殺されてよ? 私に、さぁっ!!」


シュルルルルッ──!!


空蜘が糸を伸ばし、侵入者の身体を拘束する。

そして、屋敷の外へと投げ飛ばした。



舞台は屋敷の外へと移り。

対峙する、空蜘と侵入者。


……と、そこで。



空蜘「…あれ? 鈴?」


例の一件ではその顔を見ることはなく。

今こうして初めて目にする空蜘。

同じ里の仲間と、うりふたつのその姿。

躊躇してしまう者もいるだろうが。



空蜘「まぁいいや、どうでも。鈴に似てようがそっくりだろうが、鈴だろうが…」


空蜘「──ぶっ殺すだけだし」



……空蜘にとっては微塵も関係無かった。


「この前、あんだけやられたのに懲りてないの?」


空蜘「術が無い私に一回勝ったからって調子に乗らない方がいいよ?」



先程、侵入者を拘束していた糸は外に出たと同時に。

解かれていた。

これは侵入者が破ったものではなく。

空蜘自らが解放していたのだ。



「あのままでも別によかったのに」


空蜘「正々堂々お前を殺さないと虫の居所が治まらないからね」


……正々堂々?

この者を殺すことだけを考えていた、あの空蜘蛛が?

言動的矛盾。

そう、有り得ないのだ。

空蜘の口からそのような言葉が落とされるなど。


よって、侵入者の足下に落ちていた糸。


シュルルルルッ──!!


それが突如として、槍の形に束ねられ。


侵入者を突き刺す──。



その頃。

屋敷の自室に取り残された鈴。



鈴「はぁ……はぁ……」



空蜘のおかげで命拾いした。

真っ白になっていた頭の中も。

不規則に鼓動を刻みっぱなしだった心臓も。

……やっと落ち着いてきて。


今しがた起こった事を整理する。

いや、整理するまでもなく結論は一つだった。


わかる──。

私には、わかる。


あれは、私だ。


どうしてこんなこと今まで考えなかったんだう。

予想は出来た筈なのに。


私は、違う世界からこの世界に来た。


この世界には私の世界にもいた皆が、存在している。


つまりは二つの世界で、同時に存在しているということ。


……だったら。



この世界にも、私という人間がいても何らおかしくはないのだ。



あの者は、この世界に存在している、三森すずこ──。



【空蜘 VS 侵入者】



シュルルルルッ──!


束ねた糸が、一瞬にして強靭な槍と化す。

超至近距離からの不意討ち。


ガジュッ──!!


その先端は侵入者の左胸を突き刺した──。




……かのように思えたが。


突き刺したのは、左胸の前に突如浮かび現れた一枚のコインだった。

しかも。

そのコインは宙に完全に固定されているかのように、槍の衝撃にもまったく揺るがない。


貫かれることなく。

壊されることなく。

弾かれることなく。

表面に少しばかり、傷が付いたくらいで。



「あっぶなー、こわいこわい。こういうことも出来るのかー」



やがて槍は勢いを殺され、その形を失い、元の糸に戻っていく。



空蜘「……チッ」


悔しそうに舌打ちをする空蜘。


……が、それも空蜘の心とは別のもの。

防がれることなど、一応は想定していた。


だから。


空蜘「…っ!」


助走仕草など一切無しの、自慢の超速での移動。

侵入者の元へと、瞬く間に距離を縮める。

と、同時に。

先程、槍として編まれていた糸。

今まさに崩れていっているそれを、再度制御する。


シュルルルルッ──!


「……っ!?」


無数の糸。今度はそれら一本一本バラバラに。

網のように広がり、全方位から侵入者を絡み捕らえようと。


これならコインなんかではどうにもならない。

逃げる隙間も無く、回避は不可能。



ググググッ──!


空蜘の策通り、糸は侵入者の体を拘束した。

体を強く締め上げられ、身動きのとれない侵入者。

その目の前には、もう既に空蜘の姿がある。


もらった──!



空蜘「死ねぇぇぇぇっ!!」


空蜘は敵の喉をかっ切ろうと、指を伸ばす。



……が、しかし。


突如、拘束から逃れていた侵入者はそれを寸前で避け。

その動きのまま、真横から蹴りを放ち。

横腹に強い衝撃をくらった空蜘は、思わず地に崩れ込む。


空蜘「うぐぁっ…!!」



何故──。

どうやって、あの糸の拘束から逃れた──?


空蜘が侵入者の方を見ると。

その側には、ふわふわと短い刀が浮いていた。

そんな光景を目にすれば、嫌でも理解させられる。


……そう、侵入者はそれを遠隔で操作し。

瞬時に、空蜘の糸を断ち切ったのだ。



空蜘「…っ、ふーん……触れずして物を操る術、か……」


最初の手裏剣も、先程のコインも同じく。

先の対戦でなんとなくはわかっていたが。


空蜘「そういう細かい芸当もできるんだぁ? ちょっと厄介かも……てか聞いたことないし、そんな術」


「術? あー、忍者のね? うんうん」


空蜘「……そもそもお前何者? まさか忍びじゃぁ、ないよね?」


「答える必要はないかな」


そう言って侵入者は浮いていた刀を操作し、空蜘へ目掛け飛ばす。


シュッ──!


空蜘「…っ!」


即座に反応し、横に飛び退いて避ける。


が、その刀はまるで誘導ミサイルのように。

通り過ぎたかと思えば。

進路を変え、空蜘を追う。



空蜘「…チッ……しつこい」


……術を展開。


シュルルルルッ──!


迫ってくる刀を、放った糸で絡め取る。

そして逆にその刀を今度は空蜘が操作するかたちとなり。


制御を奪った刀で。


侵入者を斬り付ける──。



しかし、その刃が通ることはなく。

いつの間にか、敵の前には畳一畳分くらいの盾が張られていた。


これも侵入者の不可思議な術によるもの。

屋敷の瓦が何十枚も合わさり、何重にもなったそれは。

糸で操作されている刀の刃を折ってしまえるくらいで。


空蜘「……チッ」


ならば、と。

空蜘は再度、術を展開。


シュルルルルッ──!


電柱ほどの大きさ、太さの棍棒を編み上げ。

瓦の盾もろとも侵入者を破壊しようとする。


空蜘「はぁぁあああああっ!!!!」



ガシャーンッ──!!


すべての瓦は割れ落ちた。


が、その向こうにはあの侵入者の姿はなく。



「一つ一つが雑だね。それに、もっと先の先まで見ておかないと」


風が通り抜けるように。

戦いの最中だというのに、飄々とした声。

空蜘の背後から現れ、無防備なその背中に。


ドスッ──!!


掌底突き──。


更には、倒れ込む空蜘の頭に畳み掛けるように、踵を落とす。


空蜘「ぐっ、ぅうっ…!」


が、経験則から見ずして上体を逸らし。

なんとかこれを避ける空蜘。

そこから両手を地に付け、バネのように跳ね。

空中で体を捻り、侵入者の顔面に腕を伸ばす。


空蜘「こんっ、のぉぉっ!!」


「だから、雑だって」


侵入者は向かってくる腕を避けるだけではなく。

その腕を絡め取り、空蜘が突っ込んできた勢いを利用して空に放り投げる。


空蜘「ぁうっ、ぐっ、ぅぅっ……!!」



宙に投げ出された空蜘。

すかさず侵入者は地面を蹴り、空中で制御もとれない空蜘に飛び掛かる。


空蜘「や、やばっ……!」


咄嗟に術を展開し、編み上げた糸で防御壁を張るが。


スパッ──!


またしても刀が現れ、あっけなく壁は破られる。


……そして。


今度こそ、為す術が無い状態の空蜘に。

侵入者による蹴りが、腹のど真ん中に入り。


ドゴッ──!!


空蜘「ぁぎゅゃあっ…!!!!」


地に叩き落とされる──。



「ふぅー…」


それとは対照的に、華麗に着地を決める侵入者。



空蜘「うっ……ぁ……はぁっ、はぁ…….! げほっ、げほっ……!」



……強い。


術の撃ち合いでも、近接での打ち合いでも。

間違いなく、自分よりも格上だ。


……ただ、単純な速度では自分の方が僅かに勝っているし。

打撃の重さでは、ヱ密の方が確実に上。

ダメージは負っているが、動けないほどではないのがその証。


……しかし。


戦闘センス。

謂わば、場面場面での閃きというもの。

そればかりは、天才的だと──。

この者を認めざるをえない。



……と、空蜘が認識していると。


空蜘「…くっ!」


息をつく間も無く、刀が飛んでくる。


それを飛び退いて避けると。


空蜘「…っ!?」


その先には、待ち構えていたかのように。

木の太い幹が、水平に襲い掛かってきている。

これには術の展開が間に合わない。


空蜘は宙にいながらも、なんとか回避しようと体勢を変えるも。


ガツッ──!!


空蜘「ぅあっ…!!」


完全に避けることは出来ず。

脚を取られるカタチとなって、地に落とされる。


苦し紛れに。

不完全ながら、衝撃の瞬間に糸による防壁を張れたので折れてはいないようだが。

足の感覚がすぐには戻ってこない。


そんな空蜘に更なる追撃が襲ってくる。



空蜘「なっ……ぇ……う、嘘……でしょ……?」


「たしか空蜘の種はもう確保済みだったよね。ならうっかり殺しちゃっても問題無いのかな」



うねりを上げて、空蜘を狙って飛んでくる物。

それは。

巨大な大木──。

根っこから引き抜かれていたそれは。

人間一人、容易に圧し潰してしまえるくらいの大きさ、そして勢いをもって。


空蜘「…っ、ぅ……くぅっ……!!」




……ヤバい、どうする──。


このままでは。


足はまったく動かない。

術を使って防御を張る、もしくはあれを打ち落としてしまう他無い。


……が、そんな空蜘を嘲笑うかのように。

すぐ側には、ふわふわと浮かぶ刀が。


たとえ術を使ったとしても、またあれに壊されてしまうことは火を見るよりも明らか。

かといって、今更あの刀を糸で無力化しても、今度は飛び込んでくる大木へ対する防御が間に合わない。


……どうする。


どうすれば──。



考えている暇は無い──!



空蜘「はぁぁぁぁっ!!!!」


空蜘は当然、防御を選んだ。

自分の持つ力全てを注ぎ。

何百、何千にも重ね編み込んだ糸の壁──。


シュルルルルッ──!!!!


が、無情にも。


スパッ──!


一刀両断。

必死に編み込んだ糸壁は、簡単に斬り破られてしまった。


空蜘「ぅぅうっ…!!」


大木は、もう目の前まで。

動けない、術も意味を為さない。


どうしようもない、とはまさに、このこと。



……死ぬ。


……私、殺されちゃう。


結局殺せないまま、殺されるなんて。


無様過ぎて。


……本当に、笑える。



空蜘「…っ、ぅぁぁ…っ、ぁううっ、ううぅぅぅぅっ……!!!!」



憤り、悔しさ、悲しみ。


どれによるものなのか、誰にもわからないが。


一筋の涙が、空蜘の頬を伝った──。



そして。


……大木が、空蜘を、圧し潰す。



ズドンッ──!!!!




スッ…


その瞬間──。



突如現れた何者かにより、空蜘の体は抱えられ。



結果、死ぬ寸前で窮地を免れた空蜘だった。



空蜘「ぅぅ……はぁっ、はぁっ……」


ヱ密「危なかった……ギリギリ」


空蜘「……っ、ぅう…………ッ」



ヱ密によって救われた空蜘だったが。

……ギリリ、と歯を擦り合わせて。



空蜘「──……るな……っ、邪魔、を……するなっ!!!!」


ヱ密「……」


空蜘「はぁっ、はぁっ……はぁっ……!」



アイツは、自分が殺すべき相手。

絶対に、殺さなきゃいけない、相手。

私一人の力で、殺さなくては。

負けたまま、に。


負けた──?


……そうだ、自分は負けた。


あの城下町での一件だけじゃなく。


……今、この場でも。


術を使える万全の状態だったのに。


死んでいた。


ヱ密が来なかったら、確実に、殺されていた──。



……アイツは、強い。


……対して、私は、弱い。


これは、認めなくては、いけない事実。


……しかし。


空蜘「……っ、ぅぅっ、ぅぅうう……っ、ぅぅぅううううううッッ…!!!!」


……その悔しさを、吐き出すように。


唸る、空蜘。



そして──。



空蜘「…はぁっ、はぁっ……はぁぁ…………ヱ密」


空蜘「……私だけじゃ、勝てない……から」


空蜘「……手伝わせてあげても、いいよ」



ヱ密「うん、ありがとう」


空蜘「…言っとくけど、相当強いよ。あれ」

ヱ密「まぁガチの空蜘が、ここまでになるくらいの相手だからね…」

空蜘「多分、ヱ密よりも」

ヱ密「だろうね……でも二人でいけばなんとかなるでしょ」

空蜘「さぁねー」


ヱ密「……ていうかさ、あれ……鈴ちゃんなの? ちょっとわけがわからないんだけど」

空蜘「私だってわかんないよ。でも鈴じゃないよ。鈴は別にいるの確認してるし」

ヱ密「…そう、なら……余計な事考えなくていいってことだよね」

空蜘「当たり前。誰であろうと、殺す…!」

ヱ密「この忍びの里でこんな真似するなんか、良い度胸してるよね……許されることじゃない」


ヱ密「空蜘、動ける?」

空蜘「もう問題無い」

ヱ密「そっか、なら……」


空蜘、ヱ密。

二人は標的を見据え、立ち上がり。



空蜘「……第二ラウンドといこうか」



冷静を取り戻した空蜘は。

そう静かに溢した。



「あんまり長々といるつもりないんだけどなぁ。さっさと目的終わらせたいのに…」



【空蜘、ヱ密 VS 侵入者】




シュルルルルッ──!



仕切り直しの挨拶代わりに、と。

空蜘が相手を狙い、糸を伸ばす。


……が、やはり。

ふわり、と。

宙に浮いていた刀が、糸を断ち切ろうとする。


しかし、今度は二人がかり。


ヱ密「はぁぁっ!」


バシッ──!


瞬時に詰めていたヱ密が、糸に触れる前にその刀を弾き飛ばす。


「……っ」


遮られることなく、伸びる糸。

当然、侵入者はそれを避けようとする。


空蜘「逃がさない」


シュルルルルッ──!


遠隔での操作が可能なのは、空蜘とて同じこと。

一旦は避けられた糸は、鋭く曲がり。

侵入者の右腕を絡め取った──。


ヱ密「はぁぁあああっ!!」


刀を弾き落としてから、一直線に駆け抜け。

もう既に侵入者の眼前には、ヱ密の姿が。


そして、その拳を振るい、叩き込む──。


しかしその瞬間には、侵入者を守るように瓦の障壁が出来上がっており。

……が、それがどうしたと言わんばかりに。

構わず、叩き込むヱ密。


ガシャンッ──!!


瓦を破壊し、尚も勢いを保つその腕。

だが、障壁のせいで相手に届くのが僅かながら遅れたのも事実。

その僅かな間で、間一髪攻撃を避ける侵入者。


しかし、まだまだこれで終わりではない。

腕に絡んだ糸を手繰り寄せるように、空蜘も一瞬にして目の前に。


空蜘「…死ねっ」


至近距離から、攻撃を繰り出す。

ヱ密の攻撃を避けたばかりの侵入者は、不安定な体勢。

しかも右腕は糸によって使えない状態。


……普通に考えれば、避けようがないのだが。


クイッ…


空蜘「えっ…」


侵入者は腕に絡んでいた糸を引く。

と、空蜘は僅かばかりにバランスを崩す。


そして更に、先程破壊された瓦の残骸。

これを操作し、細かい破片は石つぶてに。

くわえて、大きな欠片はその視界を塞ぐように。


空蜘「ぅぐっ、このっ…!」


空蜘はそれでも腕を伸ばし、攻撃を試みるが。


これも当たらない。

それどころか、今度は糸を思いきり引っ張り。

もう一撃仕掛けようとしていたヱ密に対して。


グイッ──!!


空蜘「なっ……ぅぐっ…!」

ヱ密「…っ、やばっ…!」


空蜘の体を自らの前に持ってくる。

……そう、盾代わりに利用したのだ。


咄嗟に攻撃を止めるヱ密だが、尚も飛び込んでくる空蜘と衝突する。


ヱ密と空蜘、二人が怯んだ隙をこの者が見逃すわけがなく。


ドスッ──!!

ズドッ──!!


……瞬く間の二連撃。


と、同時に。

空蜘と繋がっていた糸を断つことも忘れず。



地に転がり込む、ヱ密と空蜘。


……それを涼しい顔で見下ろす侵入者。


ヱ密「あ…ぅっ……ぅ……大丈夫…? 空蜘」

空蜘「…何してんのっ、私に構わずにさぁ……アイツを」

ヱ密「それも考えたんだけどさ、一撃で仕留められるわけでもないし……ここで空蜘を失う方が勝機薄くなるしで、…っ!?」

空蜘「くっ…!」


何かを察し、その場から飛び退く二人。


ズダダダダッ──!!


一瞬前まで二人がいた場所には。

大量のくないと手裏剣が刺さっていた。

……無論、侵入者によるものだ。


それだけではない。


ヱ密「こ、こんなことも、出来るの……?」

空蜘「……チッ」


空には、先程と同じく数えきれないくらいの手裏剣とくない。


そして、それらは雨のように。


二人に狙いを定めて、降り注ぐ──。



ズダダダダッ──!!!!




空蜘「くぅっ、はぁっ……!」


ヱ密「…っ、はっ、ふぅっ……!」


……さすがは忍びのなかでも、手練れと知られるヱ密と空蜘。

その身体能力、動体視力、反応速度を駆使して苦しながらも避け続ける。

が、それもあくまで数本単位なら見極めも可能、というわけで。



「さーて、いつまで逃げ切れるかなー?」



空蜘「……っ」

ヱ密「う、嘘でしょ、こんなの……っ」



空の真下には……その数、百は越えているだろう、手裏剣とくないが。


……そして。


それは一気に降り注ぐ──。



空蜘「…どこまで持ちこたえられるか、わからないけど」


シュルルルルッ──!!


空蜘はヱ密の前に立ち、術を展開し。

半球型の防御障壁を編み上げる。



ズダダダダッ──!!!!


降り注いでくる手裏剣、くないを。

その障壁で、弾き、防ぐ──。



空蜘「…っ、ぅ……はっ、はぁっ……!」



疲弊はしているものの、なんとか防ぎ続ける。

しかし、それも長くは持たない。

何故なら、術の使用は無尽蔵ではないので。

当然ながら、使い続ければ体力の消費もある。


相手は空蜘の術とは違い、武器を操って攻撃している。

それこそ、有限である筈なのに。

最も恐ろしいことは。

障壁によって一旦弾かれた物でさえ、直ぐ様勢いを取り戻し。

何度も向かってくる。


……言ってしまえば、無限と同義なのである。


空蜘「はぁっ、はぁっ、はぁっ……くぅっ……!!」


削られた障壁をその都度修復する為に、絶えず糸を生成し続ける。

このままだと破られるのは時間の問題。


「へー、頑張るねー」


真向かいからこれを操っている侵入者は、さも余裕そうに二人を眺めている。

あの者は、なんの無理も無くこれほどまでの術を使い続けているのだとしたら。


……それこそ、化け物と呼ぶに相応しい。



と、そこで空蜘は一つ疑問に思う。

そもそもこんな耐久戦なんか仕掛けてこなくとも、例のように刃物を使い、糸を断てば済む話なのでは。


そんな時。


空蜘「…っ!?」


ヒュッ──!!


突如、背後から一本の槍が飛んでくる。


キィンッ──!!



ヱ密「…大丈夫、後ろは私に任せて」

空蜘「う、うんっ……!」


全方位を囲む、球体状の障壁を展開する余裕なんかない。

……よって、どうしても背後からの攻撃はヱ密に頼る他無い。



ズダダダダッ──!!!!


前方上空からは絶えず、手裏剣とくないが降り注ぎ続けている。


そして後方からは、槍の猛撃。


……ただひたすら、耐えるしかない。


だが。


耐えた先に何があるのか。


相手が力尽きてくれるのか。


里の誰かが助けてくれるのか。



空蜘「はぁっ……はぁっ……! はぁっ、はぁっ、はぁ……!」

ヱ密「…っ、空蜘っ……あと、どんくらい持ちそう…?」

空蜘「わ、わかんっ、ない……っ、なに……?」

ヱ密「私に、考えがある、けど…っ」

空蜘「なら、さっさとしてっ……!」


ヱ密「……わかった。空蜘、死ぬかもだけど、ごめんね」


そう言うとヱ密は。

糸の障壁の脇から、何かを前方へ投げる。


ヒュッ…


パーンッ──!!



それが弾けると。

辺りは大量の煙に包まれる。

……そう、煙幕を張ったのだ。


ズダダダダッ──!!


が、それで攻撃が止むわけもなく。

前からも後ろからも、変わらず続いている。


だから、障壁を緩めるわけにはいかず。

よって、空蜘は集中を切らすわけにはいかない。


……と、そこに。



グサッ──!!



空蜘「ぅあぁっ…!!」


背後から飛んできた槍が、空蜘の脇腹を貫いた。


背後からの攻撃。

今まで、ヱ密が防いでいたものだ。

ならば、今のは防ぎ損なったのか。


……否。

防ぐ気など、まったく無かった。

どころか、既にヱ密の姿は半球状の障壁内には在らず──。



ヱ密「はぁぁぁっ…!!」


障壁から抜け出し、侵入者へと超速で距離を詰める。



「……へぇ」


煙の中にその存在を見付けると、それまで操っていた手裏剣とくない。

その一部を、ヱ密へと放つ。


グサッ──!


ザクッ──!



ヱ密「…っ、ぅ……ぐっ……!」


それを背中に受けながらも、無視し続けたせいで。

あっという間に、ヱ密の背にはじっとりと血が滲んでおり。

それでも、あの侵入者を討つべく、勢いは止めない。



……そして、ついに。


ヱ密は侵入者のすぐ眼前まで──。



ヱ密「ここでっ、終わらせるっ…!」


「……っ」


力を振り絞っての、殴撃。

が、侵入者はこれを冷静に見極め、かわし。

その動作のまま、反撃を放つ。

放たれた右足からの蹴りを、左腕一本で受け止めるヱ密。



そこからは両者による打ち合い──。


この戦いが始まって初めてともいえる、近接でのまともな攻防。


負傷しているとはいえ、妙州随一の実力者のヱ密と互角に打ち合っている侵入者は。

やはり、相当な手練れで。

それどころか、まだ余裕を見せているようであった。


何故なら、こうしてヱ密を相手にしていながらも。

空蜘に対する攻撃は、まだ手を緩めてはいない。

近接で打ちながら、遠距離でも撃ち続けているのだ。


……が、片手間で制せられるほど、やはりヱ密は甘くなく。


「あ、やばい…」


ヱ密「はぁぁああっ…!!」


今まで掠ることもなかった攻撃だったが。

防御越しとはいえ、初めてまともに一撃を入れられた。


「痛っ…!」


一瞬、相手が怯んだ隙に。

更にもう一撃、と。


「…今のは油断したけど、もうやらせない」


今度は当たらず。

侵入者はその攻撃を避けると、逆にヱ密に強烈な蹴りを放ち。


ヱ密「ぁあっ、ぐぁっ…!!」


……あと一歩のところで、ヱ密は吹っ飛ばされる。


と、その直後──。


シュルルルルッ──!!



「え…?」


煙の中を突き抜け、現れたのは空蜘。


……先程、ヱ密の殴撃により、侵入者が怯んだ瞬間。

手裏剣とくないの乱撃が、僅かに弱まった。

その隙に、障壁から抜け出していたのである。


侵入者がそのことに直前まで気付けなかったのは。


ヱ密との打ち合いに、集中を注いでいたのと。


……それに、何より。


空蜘が障壁を張ったままだったから。



……そして、今。


この瞬間──。


誰を守るわけでもなく。

あの無人の空間だけを守り続けるべく。

展開していた半球状の障壁。


それに使用していた大量の糸が、空蜘の手に。


集束する──。


それは一瞬で形を変え。


強大な槍になり、侵入者の心臓を狙う。



「…っ、あ……マジでやばい……」



完璧に不意を突かれ──。


……初めて、侵入者の表情に焦りの影が映った。




空蜘「──死、ねぇぇぇぇぇっ!!!!」






ズシャッ──!!!!


──……。




紅寸「う、うそ……」

牌流「あ、あのヱ密と空蜘が……たった一人に……」



騒ぎに目を覚まし。

屋敷内から、この戦いにただただ目を奪われっぱなしだった。


紅寸も牌流も、あの二人の強さはよく知っている。

だからこそ、何度も目を疑った。


二人の視線の先には。


……重なるように倒れているヱ密と空蜘、二人の姿。



ヱ密「ゃ……はぁっ……ぅ……がっ、ぁっ……」


空蜘「ぅう…ぁ……ぎゅ、ふっ……げほっ、げほっ……ぁ……」



「あー、危なかったー。最後のはかなりヒヤッとしたかも」


侵入者が伏したままの二人に近付こうとした。


と、その時。


「……っ!?」


何かを察すると、先程まで操っていたように。

転がっていた槍を操作し。


ヒュッ──!!


放つ──。


……その先は、というと。




蛇龍乃「……マジか」


すやすやと眠っていた蛇龍乃が、ようやく場に姿を見せる。

するとそこにはヱ密と空蜘が敗れていたのだから、驚きを隠しきれない。


そんな蛇龍乃を狙い、ぐんぐんと速度を増した槍が迫る。


蛇龍乃「やべぇ……もしかして私、狙われてる……?」


蛇龍乃を目掛けて、迫り来る槍。


……それが届く寸前に。


鹿「あーもーっ、世話が焼けるっ…!」


その腕を掴み。

鹿が蛇龍乃を安全な場所まで退避させる。


そして、飛んできた槍はというと。


キィンッ──!!



立飛「ふぅっ……ていうかなに、今の……術?」


立飛が弾き落とした。




蛇龍乃「おー、ご苦労ご苦労」

鹿「ご苦労ご苦労じゃねーよっ! あれくらい一人でなんとかしてよっ!」

立飛「…てかさぁ、ヱ密と空蜘が二人がかりで負けるって相手相当ヤバくない……?」

鹿「どうすんの、あれ……って、いなくなってる?」


蛇龍乃「…追うぞ」

鹿「あの二人でもどうしようもないのに、勝算あるの!?」

蛇龍乃「あるよ」

立飛「え?」

蛇龍乃「私を狙ったこと。そして、今姿を消していること」


即ち、術を封じられることを恐れている。

いくら強くとも、術を封じてしまえば。

戦闘能力は半減するのは確実。


蛇龍乃「私があの術を封じるから、二人でなんとかして」

立飛「なるほど」

鹿「え、マジで言ってる……? てかもう逃げちゃったんじゃない?」


……鹿が言うように。

例の侵入者は、蛇龍乃に槍を放った直後に。

その場から姿を消していた──。



再び、屋敷内へと戻った侵入者は。


「ここにもいない……どこにいんのよ、ホントにー」


……うろうろと徘徊していた。


と、そこに。



「あー、いたいた。やっと見っけた」


空丸「あ、あれ…? 鈴?」


「ん、りん? あ、そうだね。あとであれも連れて帰らないと」

空丸「へ? 何言ってんの? 鈴」


「……まったく、この代替品はどんだけポンコツなんだか」


そう言って侵入者は。

銀色の鎖で装飾されている白い杖のようなものを取り出し。

……そして、それを空丸に握らせると。


空丸「…え? ぁ……うん? ……っ、ぁあ……っ……」



シャン…


シャン……シャン……


杖が揺れ、鎖が鳴る──。


……と。


ふらっ、と。


空丸は静かに目を閉じ、侵入者の腕のなかへと倒れ込む。



……そして。


十秒も経たずして。

目を覚ます。


……すると。



空「……ん、あー、涼(すず)? 迎えにきたってことは、やっと?」


空が涼(すず)と呼ぶ侵入者こそ。

本来、涼狐(すずこ)という人間。


……そう、この世界の三森すずこである。



涼狐「まーだやることは残ってるけどね」

空「何がまだなの?」

涼狐「回収。あと二つ、いや三つかな」

空「まだなんも全然終わってないじゃんっ!」

涼狐「なんかいろいろあってさー。てか見てたんじゃないの?」

空「まぁ途中までは見てたけどー。ヱ密と空蜘、どうだった? なかなか手強かっ……あーいや、涼ならそこまででもないか」

涼狐「んー、ちょっとだけ楽しめたかな」

空「ふーん、それは何よりでございますなぁ。んじゃ早いとこ回収回収ー」

涼狐「おっけー」

空「あ、一応言っとくけど。まだ私すぐには戦えないからね」

涼狐「わかってるよ。てかもう戦うまでもないっしょ。そもそも最初からそんながっつり戦うつもりもなかったし」


空「まだ蛇龍乃さんには気付かれてない?」

涼狐「それってここの頭領の人? さっきめっちゃ見られたけど」

空「じゃあ尚更急がなきゃじゃんっ!」

涼狐「だねー。私もトイズ奪われるの勘弁してほしいし」


空「よーし、んじゃ張り切って回収作業いこー!」

涼狐「回収だっ、回収だー!」



涼狐と空。

二人が回収と口にし、向かった先とは。



涼狐「あ、いたいた。久しぶりだね」


鈴「ぁ……っ、あ、あたし……」



……脅える鈴。

鈴も、ヱ密と空蜘がこのもう一人の自分によって倒されるのを目の当たりにしていた。

圧倒的な強さ。

同じ自分でも、強さは対極的で。

あの二人でどうしようもなかった相手に。

自分なんかが何か出来るわけがない。


……震え上がる鈴の前に。



牌流「鈴ちゃんに……私たちの仲間に、何か用?」

紅寸「てかそもそも何が目的でこんなこと…」


鈴を守るように、牌流。

そして紅寸も。


紅寸「…え?」

牌流「あれ? ていうか…」


二人は気付く。

涼狐の後ろにいる、空の存在に。


牌流「どうして、空がこの人と一緒にいるの……?」


空「……」

牌流「空っ!!」

空「あーこの人さ、鈴の双子のお姉ちゃんらしくてさぁ。だから全然悪い人じゃないよ? そんな警戒しなくてもいいから」


牌流「……」

紅寸「……嘘だよ、そんなの。さっき、ヱ密と空蜘をあんな目に」


空「ありゃ。もー、涼のせいで台無しじゃん」

涼狐「いや、私は喧嘩売られちゃったから仕方なく…」


牌流「すず、って……?」


涼狐「まぁとにかく、あまり時間無いからね」

空「来て、鈴。私たちと一緒に」


鈴「…っ、ゃ……やだ……」


鈴は震えながらも、スマホを構える。


涼狐「ははっ、それでどうにか出来ると思ってる? 最弱の忍びさん」


牌流「…鈴ちゃん、逃げて」

紅寸「皆のところへ行けばきっとなんとかしてくれる」

鈴「で、でも……くっすんとぱいちゃんは……」

紅寸「足止めくらいはしてみせるよ」

牌流「…うん、必ず」


空「悪いけど、それ無理だよ。二人じゃ足止めすら無理」

涼狐「だね」


……涼狐が右手を前に出すと。


触れるわけでもなく。

何かが飛んでくるわけでもなく。


ふわり、と。



牌流「えっ……!?」


紅寸「うぁっ…、…!?」



牌流と紅寸。

ただ、二人が勝手に吹っ飛んでいった──。



……そう、この涼狐。

物体だけではなく、人ですら操作対象なのである。


よって、先程のヱ密と空蜘との戦いの決着。

それは、向かってくる空蜘にヱ密を衝突させたというわけで。



鈴「なっ……そ、そんな……」


有り得ない、と。

忍びの皆の術を見てきて、何度もそう思った。

……だが、こんなの。

誰も、敵うわけがない。


ゴトッ…


呆気に取られた鈴の手から、スマホがするりと抜け落ちる。


すると、そのスマホが自動的に浮き上がり。

……涼狐の元へと。



涼狐「やっと一つ目。回収完了」

空「ほい、あと二つ急いで」

涼狐「まぁ一つは目の前にあるし。ねぇ? 大人しく来てくれる?」


鈴「…っ」



……一方、先程吹っ飛ばされた二人は。



紅寸「痛たたぁ…」


牌流「……」

紅寸「平気? 牌ちゃん」


牌流「……紅寸」

紅寸「……いいの?」

牌流「早くして。それしかないでしょっ!」


紅寸「…ん、ごめんね、牌ちゃん」

牌流「その代わり、絶対に鈴ちゃんをあいつらに渡さないで」

紅寸「それは約束する」



……牌流が衣服をずらし。


首を露にさせる。


そして、そこに──。


ガブッ──!


紅寸が歯を立て、噛み付く。


牌流「んっ……ぁ……っ、ぅ……はぁっ、ン……っ」



紅寸の術──。


……吸血。


即ち、他人の血を吸う。


勿論、これは下準備の段階。

それによって得られる効果は。

血を吸うことで、一時的に自らの能力全般を高められる、というもの。



牌流「ぁあ……っ、ぅ……ン、はぁっ……ゅ……」



牌流が死なない限界ギリギリまで。

紅寸はその血を、吸い続けた──。


……そして。


牌流はその場に倒れ込む。


紅寸「…ありがと、牌ちゃん」



──……。



鈴「こ、来ないで……っ」


涼狐「別に私が運んであげてもいいんだけど」

空「鈴、これは鈴にとっても悪いことじゃないから。私たちを信じてついてきてくれない?」


鈴「そんなの……どうやって信用しろっていうの!? そらだってずっとあたしをっ、あたしたちを騙してきてっ…」


空「……」

涼狐「しょうがないか…」


涼狐は能力を使って、鈴を操作しようとした。

その瞬間──。


紅寸「だぁぁーっ…!!」


涼狐「…っ!?」


空蜘並の速度をもって、突如仕掛けてくる紅寸。

それも跳び跳ねるようにして。

一直線に、ではなく。

目まぐるしく、ジグザグに一瞬一瞬で方向を変えつつ。


あのどうしようもない程に強力な、涼狐の能力。

あれを使われたら、いくら能力を高めたとしてもまるで意味を為さない。


……そこで紅寸は、ある仮説を立てていた。


先程、自分を吹き飛ばした際に右手を出していた。

あれは何だったのか。

普通に考えれば、対象を操作しているということなのだが。


……だとしたら、おかしい。

ヱ密と空蜘が戦っている時。

能力の発動は何度も行っていたが、毎回手を前に出していたわけではない。


……もしかしたら、能力の発動とあの動作はまったく関係が無いのではないか。


それよりも、注意すべき点は他にある。

これも先程、吹き飛ばされた時に感じたこと。

能力を使った瞬間に、涼狐の目が一瞬だけ僅かに光った気がしたのだ。

単なる勘違い、見間違えかもしれない。


が、仮説としては──。


あの能力は、対象を直接視界に捉える必要がある。


よって、可能な限り、視界に入らないようにする。


そして、完全には捉えられないようにする。


涼狐「…っ」


……この紅寸の仮説。

なんと、的中していた──。


……くわえて、涼狐の能力と、鈴のスマホによる能力。

この二つは、一見まったく関係が無さそうに思えるが。


ただ一つだけ、共通点があった。


スマホによる“写真”──当たり前だが、これは対象を画面内に収める必要がある。

そして、ぶれるとその効果は得られない。

……これと同じ。

人間の目は、カメラと違ってそう簡単に、ぶれたりはしない。

が……超速で、しかも不規則な動きをしているものに対してはどうだろうか。


それが今の状況である──。


涼狐は紅寸の動きを追えてはいるが、完全に捉えることは出来ていない。

……よって、今の紅寸自体をどうにかすることは不可能なのである。


紅寸「……っ!」


紅寸は涼狐の背後へと、回り込むように駆ける。

涼狐もそれを追うように、目を凝らす。


……涼狐の失策だった。


いくら紅寸が術によって能力上昇を得たとしても。

ヱ密を凌ぐほどではない。

だから、涼狐は単純に接近での打ち合いに応じればよかっただけ。

しかし。

紅寸が能力対策を講じてきたことにより、涼狐の意地がそれを邪魔した。

なにがなんでも、能力での勝利を目指し。

これしか頭に無く。

……負けず嫌いな涼狐の性格が招いた、失策。


距離を詰めようとする紅寸と。

距離を取ろうとする涼狐。


そんな追い掛けっこが続き。


紅寸「鈴ちゃんっ、早くっ! 逃げてっ!」


本当は自分が鈴を連れ去り、この場から離れれば一番良いのだが。

……さすがにそうはさせてはくれないだろう。


鈴「う、うんっ……」


鈴がこの場から離れようとすると。


涼狐「…逃がさない」


涼狐はその目を鈴へと向ける。

が、注意を切らした一瞬の隙に──。


空「涼っ! 後ろっ!」


涼狐「…っ!」


紅寸「はぁぁっ!」


背後に回り込んでいた紅寸の蹴りが、涼狐へと放たれる。


涼狐「くっ…」


さすがに決まることはなく、受け止められる。


そして、間髪入れず。

涼狐の反撃。

紅寸を蹴り飛ばし、即座に鈴を追う。

……そう考えていたが。


ガシッ──!!


紅寸「うぐぅっ…! ぁ……ぁああっ!」


涼狐「くっ…、離せっ!」


涼狐の蹴りは紅寸の腹部に決まった。

しかし、紅寸は。

その足にしがみつき、離さない。



涼狐「……はぁ、もう逃げられちゃったかー」


鈴を捕らえるのを断念した涼狐は、冷静を取り戻す。


そして。


ガンッ──!!


紅寸「うぁぁっ…!!」


力ずくで紅寸を床に叩き付けた──。



涼狐「まさかこんな伏兵が潜んでるとか。教えといてよ、空」

空「ごめんごめん」

涼狐「頭領さんに見付からないうちに退散しなきゃね」

空「あ、待って。涼」

涼狐「ん?」

空「スマホ貸して。紅寸の種もなんかの役に立つかもしれないから一応」

涼狐「あー、まだだったんだ?」


……空は涼狐から鈴のスマホを受け取り。


カシャッ──!


紅寸「ぇ……あっ、ぅぅううっ…! はっ、ぁぁあああっ! ぐぅぅぅぅうううううううっ……!!!!」



紅寸「がはっ、ぁ……ぎゅっ、はぁっ、ぅぅうううっ…!! ぁぎゃ、うっ……おえぇぇぇっ!!」


尋常じゃない苦しみに苛まれ。

のたうち回る紅寸。

全身が痙攣し、更には大量の吐血まで──。


……それも当然のこと。


体内に大量の血液を取り込んでおり。

全身の血管、筋肉、神経、細胞までを。

研ぎ澄ませていた状態。


それが、一瞬にして破壊されてしまったのだ。


と、そこに。


立飛「紅寸っ!?」


立飛。

それに鹿、蛇龍乃が駆け付ける。


涼狐「やっば…」

空「涼、さっさと退散!」


立飛「逃がすかっ!」

鹿「…って、空!?」


蛇龍乃が現れたことにより、即座に逃げようとする涼狐と空。

……が、逃がさまいと。

それを追う、立飛と鹿。


蛇龍乃「……っ!」


蛇龍乃が涼狐の能力を封じようとした瞬間──。


ヒュッ…


パーンッ──!!


空が投げた煙幕が一瞬早く弾け。


……蛇龍乃は涼狐たちの姿を見失った。


────…………。



朝陽が昇る頃。


……里は散々な状態だった。


建物はあちこち破壊されており。


ヱ密と空蜘の怪我も、決して軽くない。



空蜘「く、くぅぅっ……なんなの、なんなのっ、アイツっ…!!」

ヱ密「……それな。強い人なんかたくさんいるって思ってたけど、さすがにあれは……」


牌流も、血を与え過ぎたせいで。

今、意識を保っているのがやっとという状態。


……そして何より、重症なのが。


紅寸「ぅ……ふぅっ、はぁっ、はぁ……ぅあ、ぁ……」


時間が経って、少しは落ち着いてきたものの。

満足に活動するのはまだまだ難しい。


たった一人──。


たった一人の手によって。


……こんな。


それでも、死者が誰一人出なかったのは不幸中の幸いともいえる。



蛇龍乃「……」


普段は滅多に目にしない、深刻そうな表情を浮かべる蛇龍乃。


蛇龍乃「……何者だ、アイツら」


鈴「……多分だけど」


蛇龍乃「鈴…?」


皆の注目が鈴へと集まる。


鈴「た、探偵……だと思う」


「「「……っ!?」」」


「「「た、探偵……?」」」


鈴「へ?」


その言葉を耳にした瞬間。


……途端に皆の表情が変わる。



蛇龍乃「た、たたたたた探偵、だとぉ……!?」

鹿「ひっ、ひやぁぃぃぃぃっ……!!」

立飛「はっ、はわわわわわわっ!? た、探偵ぃぃぃっ!?」

ヱ密「ま、ままままままさかっ、そ、そそそそんなっ、ねぇ……!?」

牌流「た、たしゅけっ、たしゅけてっ、いやぁっ! いやぁぁっ…!!」

紅寸「はっ、ふぁ……ぁっ、はぁっ、はぁっ、もうだめだぁぁぁぁぁっ…!!」


……更には、あの空蜘までも。


空蜘「ゃ…やだぁ……探偵こわいいぃぃぃぃぃ……」



鈴「…………」


鈴「……あ、あのー、みなさん? どしたのですか?」


鹿「ど、どしたのって、そりゃぁ…」

蛇龍乃「た、たたたた探偵だぞぉ!? あの探偵だぞぉ…!?」


鈴「え、えーと……それがそこまで問題?」


立飛「鈴ってホントに超アホなんだからっ!」


立飛「……いい? 私ら忍びと、探偵って……相性超最悪なのっ!」


鈴「……と、言いますと?」


立飛「……忍びは隠れ潜む族種なのはわかってるよね? でも、探偵はそれを曝こうとしてくる……」

ヱ密「最凶最悪の天敵……狩る者と狩られる者みたいな……」

蛇龍乃「私ら、狩られる者ね……」



……皆、震え上がる。

この世界の探偵というのは、忍びにとってそこまで恐ろしいものなのか。


鹿「い、いやっ、でもまだ探偵って決まったわけじゃないでしょ…!」

立飛「そうだよそうだよっ、アホの鈴が適当に言ってるだけだし」

蛇龍乃「…そもそもなんで鈴はアイツらを探偵だと思うの?」


鈴「えーと、それは……」


……鈴は元の世界のことを話した。


アイドルについて。

探偵について。

世界ごとの私たちの存在について。



立飛「え? 私らもう一人いるの……?」

鹿「さすがに嘘でしょー……」

ヱ密「まぁそれが本当なら、空の件とかなんとなく辻褄が合うけど」

牌流「てことは空って探偵なの…!?」

紅寸「今まで探偵と暮らしていたとか……」

蛇龍乃「ふむ……なるほどねぇ。でも、鈴……」

鈴「うん?」

蛇龍乃「どうしてそんな大事なこと今まで黙ってたの……!?」

鈴「あ、あれぇ? 言ってなかったけー? 言ったよー!」

蛇龍乃「私はそんなこと一切聞いた覚えないしっ!」

鈴「そ、そうだっけ……? ご、ごめんなさい……」




蛇龍乃「……とりあえず、奴等が探偵か探偵じゃないかは一先ず置いとくとして」


蛇龍乃「いろいろ考えなきゃならんことが、ありすぎる……」


蛇龍乃「まず、あのもう一人の鈴についてだけど…」


空蜘「化け物。でも絶対に殺す」

ヱ密「同じく。次やるとしたら負けない」

牌流「てか、あれさすがに強すぎでしょ……同じ鈴ちゃんとは思えないくらい」

鹿「同じ鈴でも天と地の差じゃん! こっちの鈴は激弱なのに」

立飛「はぁ……なんでこうも質が違うんだろ…」

紅寸「あれがここにいる鈴ちゃんだったらどんなに楽だったか」


鈴「あ、あの……それくらいに……あたしのハートがブレイク寸前」



蛇龍乃「……それでも、術の力あってのあの強さでしょ? あー、鈴の話だと“トイズ”っていうんだっけ?」

蛇龍乃「だから私がそのトイズを封じたら、勝てるってしょ? ヱ密、空蜘」


ヱ密「それは勿論」

空蜘「当然」


紅寸「でもそのトイズっていうの術とは違うんでしょ? 封じられるの?」


蛇龍乃「…まぁ九分九厘問題無い。そうじゃなきゃ私から逃げた理由が見当たらない」

紅寸「そっか。あ、あとさ、多分なんだけど…」


……紅寸は皆に、涼狐のトイズの使用条件についての自論を伝えた。



ヱ密「あー、なるほど。そう言われてみればそうかも」

空蜘「そんなのよく気付いたねぇ」


蛇龍乃「…んで、スマホ奪われたんだっけ? 鈴」


鈴「……ごめんなさい」

蛇龍乃「……いや、これは私のミスだ。やはり私が所持しておけば……なんて今更言ってもどうしようもないが」

蛇龍乃「…まぁ、あの状況で奪われない方が難しい。命があっただけでも良かったよ」

鈴「……うん」


蛇龍乃「それで、紅寸と牌ちゃんの話によると奴等は鈴を狙ってたってこと?」

紅寸「うん、鈴ちゃんを連れていこうとしてて」

牌流「だから私たちでなんとか阻止しようと…」

蛇龍乃「よくやった……こうして鈴が無事なのも二人のおかげだよ」


蛇龍乃「……でも、スマホを欲しがっていて、そのうえ鈴も……ということは」


蛇龍乃「まさか、狙いは……“種”の方か……」


紅寸「…あ、たしかあの時」


『スマホ貸して。紅寸の種もなんかの役に立つかもしれないから一応』


空蜘「……あっ、私の時も」


『たしか空蜘の種はもう確保済みだったよね。ならうっかり殺しちゃっても問題無いのかな』


空蜘「……種って、なんのこと…?」

ヱ密「私も知らない。蛇龍乃さん…?」


蛇龍乃「……いや、別に皆に隠したかったわけじゃないけど。わざわざ言う必要も無いと、あの時は考えていたから…」



……蛇龍乃は、“種”について説明した。



空蜘「は……? なにそれ……」

鹿「術を、奪うってこと…?」

立飛「いや、そうじゃなくて。鹿ちゃん今でも術使えるでしょ?」

鹿「あ、そっか」

ヱ密「その種を扱えるのが鈴ちゃんだけだから、あの二人は鈴ちゃんを連れていこうとした…」



蛇龍乃「……何を企んでる……たとえ鈴を手に入れたとしても、満足に扱えるわけじゃないのに」

蛇龍乃「あ、紅寸の術も撮られたってことは……あと撮られてないのは」



牌流、蛇龍乃、鹿、空蜘、立飛、そして紅寸。

これら六人の術は、あのスマホにメモリーとして保存されていることになる。

……と、なれば。



ヱ密「…私だけ」


鈴「……あっ、そういえば」



『やっと一つ目。回収完了』

『ほい、あと二つ急いで』

『まぁ一つは目の前にあるし』



鈴「あと、二つ……その一つがあたしだとしたら……もしかして」


蛇龍乃「その回収というのが、ヱ密の種だとしたら……」

蛇龍乃「奴等がここを襲撃してきた目的は、“スマホ”と“鈴”と“ヱ密の種”……」


蛇龍乃「うーん……何がしたいのかますますわからん……」


蛇龍乃「でもまぁ、本当にそれが目当てなら、またここに来るだろうね」

ヱ密「望むところ」

空蜘「今度こそ、返り討ちにしてやるっ…!」

蛇龍乃「うん。その時は私が必ずあのトイズを封じてやるから、頼むぞ」




蛇龍乃「あとは……これが私のなかで一番の謎なんだが」



鈴「……そら」


蛇龍乃「……うん」

ヱ密「蛇龍乃さんでも見抜けなかったって……」

鹿「よくもまぁ、今までぬけぬけと」

立飛「ヘナチョコだと思ってたけど、蛇龍乃さんまで欺く相当の手練れだったってこと…」


蛇龍乃「……私も、少し前から引っ掛かってはいたんだよ」


蛇龍乃「だから、なんらかの術を使用しているのかと思って何度か封術を試してみたけど、尻尾は見えず…」


蛇龍乃「……それに、鈴にも」

鈴「へ? あたしが?」

蛇龍乃「前に一度、空を殺せって命じたことあったっしょ?」

鈴「あー……うん」

ヱ密「もしかして、あれ本気で…?」

蛇龍乃「半分ね」


蛇龍乃「さすがに空が黒であるなら、あれで確実に化けの皮は剥がれると踏んでいた……」

蛇龍乃「あの時、鈴は本気で任務と考えていたからね。多かれ少なかれ、殺気は携えていた筈だから……鈴の心一つで空は殺されていてもおかしくなかった……」

蛇龍乃「……だから、私のなかでは有り得ないんだよ……空はどうやって、私を欺き続けていたのか」



蛇龍乃「……ていうか、今回の件はすべて私の責任だ」


蛇龍乃「ごめん。悪かった…」



蛇龍乃は皆の前で、深々と頭を下げる。

空丸の件も、スマホの件も、種の件も。

自分の考えが足りなかったのだ、と。


……そのせいで、こんな事態を招いてしまった歯痒さ、申し訳無さから。


誰一人として、蛇龍乃を責める者はいなかった。


蛇龍乃「よし、謝った。皆、これからも私についてきてくれ」


鹿「切り替え早っ…!」

紅寸「まぁそうでなくちゃね」

立飛「ふふっ、うんうん」

空蜘「ここまで来たらとことん偉そうにしててくんないと、気持ち悪いし」


ヱ密「……蛇龍乃さん」


蛇龍乃「ん?」

牌流「もしかして、ヱ密は怒ってるとか?」

ヱ密「あ、ううん。そうじゃなくて」


ヱ密「……これからどうするつもり?」


紅寸「やっぱ怒ってる!」

鹿「ヱ密、ごめんね。このアホ頭領が」

蛇龍乃「おい鹿、まさかそれは私のことか…」

空蜘「ヱ密は怒るとすぐ暴力だから嫌い」

ヱ密「だーかーらー! 全然怒ってなんかないって!」


ヱ密「これから先の生活……忍びの里であるこの場所が割れたって、大問題じゃない?」


蛇龍乃「……うん」

鹿「しかも探偵に……」

立飛「まだわかんないでしょ」

空蜘「でもさぁ、ここにいたらまたあっちから来てくれるかもしんないじゃん」

牌流「てか、それが問題視されてるんじゃ…」

空蜘「今度こそ、ぶっ殺せるチャンス。アイツの術を封じようと、袋叩きにしようと、殺せるなら何だっていい」

空蜘「ヱ密はやられっぱなしでいいの?」

ヱ密「それは……悔しい、けど……」

空蜘「ならこのままでいいじゃん」

ヱ密「でも私や空蜘だけの意向で皆を危険に晒すわけにはいかない」


蛇龍乃「まぁ、そうだね……」

ヱ密「あと蛇龍乃さん」

蛇龍乃「なに?」

ヱ密「スマホについてはどう考えてるの? 取り返すべきだと思う?」



蛇龍乃「……私は別にあれに執着は無い」

蛇龍乃「奴等が何のために使用するのかわからないから、あれだけど……今の状況では無理に取り返す必要はまったく見当たらないかな」


蛇龍乃「鈴は?」

鈴「へ?」

蛇龍乃「あれは鈴のでしょ。やっぱ取り返したい?」

鈴「……いらない。元々殆ど使ってなかったしね」

蛇龍乃「ん、そっか」


鈴「それよりも……」


蛇龍乃「…?」

ヱ密「鈴ちゃん?」

鈴「あ、いや……」

立飛「何か言いたいことがあるなら言えば?」

紅寸「うん、言いなよ。何でも」

牌流「そうそう、遠慮しないで」

鈴「…うん」


鈴「……あのさ、そらは本当に敵なの…?」


鈴「もうあたしたちの仲間じゃないの……? また一緒に、ここで暮らせないの……?」



鈴のその問いに。


……皆、口を噤む。



鈴「スマホなんかどうでもいいから、あたしはそらを取り戻したいよ……!」



……そして、最初に口を開いたのは。


蛇龍乃「…鈴」


……蛇龍乃だった。



蛇龍乃「お前の気持ちもわかるが、それは私が絶対に許さないよ」


蛇龍乃「たとえ空が泣いて許しを乞うてきても、許すことは有り得ない」


鈴「…っ」


蛇龍乃「鈴、お前は裏切った空をその目で見たんでしょ? その時の空はどうだった……お前の目にどう映って見えた?」

蛇龍乃「そして何より、お前は忍び……わかっている筈だ」


鈴「…うん、ごめんなさい」

蛇龍乃「いいよ。人間なら当然の気持ちだから」



蛇龍乃「…話を戻そう。ここに居続けるかどうかという問題」


蛇龍乃「……仮にこのままここにいて、もし奴等が再び襲撃してきたとしよう」

蛇龍乃「その時の連中の狙いは、ヱ密……そして、鈴。お前らとなるわけだけど」

蛇龍乃「二人はどう考えてる?」


ヱ密「私個人の我が儘を言えば、迎え討ちたい……次こそは、絶対に」


空蜘「うんうん、やっぱそうだよねぇ。じゃあ決定」

蛇龍乃「空蜘、うるさい」

空蜘「はぁー?」


蛇龍乃「…鈴は?」


鈴「……あたしは、襲われる危険があるなら、場所は変えるべきだと思う」


空蜘「はぁ? ちょっと何言ってんの、鈴」

蛇龍乃「空蜘、ちょっと黙ってろ」


鈴「あたしが狙われてるから、とかじゃなくて…」



涼狐に痛め付けられ、負傷したヱ密と空蜘。

自分を守るために、身を犠牲にしてくれた牌流と紅寸。


……それは、誰か死んでいたとしてもおかしくないくらいに。



鈴「目の前でみんなが傷付くのは、嫌だ……逃げたっていいじゃん……やられっぱなしでもいいじゃん……」


鈴「もう、あの人たちとは関わらないでおこうよ……みんなで別の場所に隠れてさ、今までみたいに暮らそうよ」


鈴「スマホなんかいらない、そらも……戻って来なくていい……ここにいるみんながそのままでいてくれるなら……」


鈴「心を乱すなって……逃げ隠れするのが忍者だって、忍びなら……正々堂々、決闘なんかしないって……教えてくれたじゃん」



蛇龍乃「……そうだね」


蛇龍乃「わかった、この里は捨てよう。いい? ヱ密、空蜘」

ヱ密「うん」

空蜘「駄目」

蛇龍乃「うるせー」

空蜘「そっちが訊いてきたのに…」


蛇龍乃「ただし、今すぐというわけにはいかない」

蛇龍乃「牌ちゃんと紅寸はすぐ動ける状態じゃないし、ヱ密と空蜘の怪我も軽くない」

蛇龍乃「しばらく状態を見つつ、それからになるけど、いい? 鈴」

鈴「うんっ」




……この考えは甘かった。


蛇龍乃も、鈴も、ヱ密も、空蜘も。

ここにいる皆全員。


探偵を、涼狐たちを、まだまだ甘くみてしまっていた。


誰のせいというわけではなく。


無論、全員のせいだ──。


────…………。



探偵……とはまだ断定されてはいないが、涼狐による襲撃を受けてから二日が経っていた。


この頃には牌流、紅寸の体調も快復。

ヱ密と空蜘の怪我は、というと。


ヱ密「うん、もうなんともないよ」

鈴「うっちーも?」

空蜘「万全」


……二人はそう言っているが。

そんな筈がない。

先の戦闘で、ヱ密は数え切れないくらいの傷。

痛々しく背中を抉られており。

空蜘に関しては、何本もの槍にその体を突き刺されており。

致命傷には至らないまでも、いくつか骨が欠けていたりヒビが入っていたり、と。


しかし、そんな状態の二人でも。

いざ涼狐が現れたら、嬉々として戦闘に臨んでしまうだろう。



そして──。



蛇龍乃「……さて、ここともお別れだな」



ついに、この妙州の里を捨てる刻がやってきた──。



鈴「…………」



たった、半年と少し。


言葉にしたらちっぽけで、振り返ってみるとあっという間だったように感じる。


それでも、たくさんの思い出が詰まった、この妙州──。


離れるのは、やはり寂しい。

楽しいことだけじゃない。

辛いことも、悲しいことも、痛いことも。

色々なことが、たくさんあった。


……鈴ですら、こんなに感慨深く思うのに。

他の皆は、何年もここで暮らしてきたのだ。

寂しくないわけがないのに、皆そんな表情は一切見せることはなく。

改めて、皆の強さを感じた鈴だった。



鈴「お世話になりました」



鹿「で、何処に向かうの?」

蛇龍乃「さぁて、どうしよっか」

紅寸「え? 考えてないの?」

蛇龍乃「ははは、うそうそ。とりあえず、ずっと西に行こう」

蛇龍乃「もう何年も会ってないが一応あてはあるし、仕事は回してもらえると思う。知らんけど」

立飛「適当すぎー」

蛇龍乃「まぁ私がきっとなんとかしてみせるよ。任せろ。お前らは私の自慢だからね。その腕を燻らせておくのは惜しい」


空蜘「……」

蛇龍乃「…空蜘、向こうに行けばもうあの連中と会うこともないだろう」

空蜘「…うん」

蛇龍乃「いいの?」

空蜘「あはは。なにそれ、私になんて言ってほしいの?」

蛇龍乃「さぁ? お前が何て言おうと連れていくけど。空蜘の気持ちを聞いておこうと思ってね」


空蜘「……」


空蜘「私はもうここの里の一員だから、皆と一緒に行くよ。アイツは殺したいけど、私一人じゃどうにもできないし。執着し過ぎて無様に殺されるよりも、もっと強くなって、相手が忘れた頃に酒に毒でも混ぜてさくっと殺してやろうかな。それに、私がいなきゃ皆すぐ死んじゃいそうだしね。しょうがないから、気が向いたら守ってあげる」


空蜘「どう? これで満足? 頭領様」

蛇龍乃「はははっ、これ以上ない答えだね。まぁ本心として受け取っておくよ」


鈴「おぉ……うっちーも大人になったねぇ。あたしは嬉しいよ」

空蜘「うっせー、鈴のくせにっ」
バシッ

鈴「痛いっ!」



蛇龍乃「──さて、そろそろ行こっか」


……一同が屋敷を後にしようとした。



その時だった──。



ゾクッ──!



「「「……っ!?」」」



鈴「……??」



鈴以外の全員が、ある異変に気付く。


ヱ密「こ、これって……」

鹿「嘘、でしょ……?」


蛇龍乃「……っ」


つい先程まで穏やかな時間を過ごしていたのが、嘘のように。

皆の表情が。

突如として、一変する。



紅寸「そ、そんな……」



……皆が察したのは、気配。



牌流「いくらなんでも……」



そして、すぐにそれは姿を現し──。



鈴「え……?」



鈴の目でも容易に確認できるほどの。


屋敷を取り囲むように、押し迫る。


大群──。


武装を整えた兵が、視認できるだけでも。


……その数、五百。



立飛「こ、これってもしかしなくても……私らを狙って」

鹿「まさか……た、探偵……?」

紅寸「あれ全部!?」


蛇龍乃「……いや、見た感じあれは、どうみても城兵だ」


蛇龍乃「どういうことだ……まさか、ここまで……」



二日前に探偵の襲撃に遇ってからの、この状況は。

先のそれと関係していることは、最早間違いはないだろう。


……だが、しかし。


里を包囲しているのは、城兵。


何故、探偵がここまでの数の城兵を動かせる──?


いや、それにしても早すぎる。



……まったく予想だにせぬ。


想像の範疇を、優に越えていた。


と、いうことはあの涼狐や空もこの場にいるのか。


もしそうなら、それこそ、どうしようもない。


……いや、必ずいる。



紅寸「ど、どうするの……こんなの……」

空蜘「……考えたね。術を封じられない為に、わかりやすく数を使ってきたってわけ」

ヱ密「あれならわざわざ対策張らなくても一網打尽に出来るしね…」



この襲撃が、探偵によるものなら。

……その目的は、ヱ密と鈴。


しかし、たったそれだけの為に。

こんな軍勢を使ってまで。


今のこの状況も、相当に危機的だが。

その裏にある企みの概要は、とんでもなく底知れないものなのでは。


……などと、悠長に考えている暇はない。

今この瞬間も、兵の大群はこちらに迫ってきているのだから。


あれらを殲滅させるなど、普通に考えて不可能。


と、ならば。


残された道は、ただ一つ。


そう、遁逃──。


……が、それを遂げるには、一つにして最悪の障害が。



ヱ密「……私がやるから、皆はその間にここを離れて」


一歩、前に出たヱ密が言う。


紅寸「え、ヱ密っ…!? 何言ってるの…」

牌流「いやっ、あの数だよ!? いくらヱ密でも」


……ヱ密には、一瞬見えていた。

正面から迫り来る軍勢の奥に、涼狐の姿があったのを。

だが、涼狐はすぐには姿を現さない。

何故なら、蛇龍乃がここにいるからだ。


今、この状況で何より危険視しなくてはならないこと。

涼狐という存在──。

それは、あの涼狐と正面切って戦わないこと。

トイズを封じていないままの涼狐と戦うのは、あまりにも絶望的に勝機は薄い。


……だからこその、ヱ密の決心。


あの涼狐がいなければ、他は。

数こそあれど、ただの城兵。

この里の皆なら、なんとか逃げきれる可能性はあるかもしれない。


……しかし、あの涼狐だけは。


もしも皆揃って逃げようとすれば、必ず涼狐も追ってくる。

その時に万が一、蛇龍乃がそのトイズを封じるより先に命を討たれては。


涼狐の狙いが自分ならば、自分がこの場に留まれば蛇龍乃を追うことはない、と。


……ヱ密は、そう踏んでいた。


ヱ密「私があれを引き付けるから、そのうちに皆は裏の方から逃げて」

ヱ密「そして……絶対に、蛇龍乃さんと鈴ちゃんを守って」


鈴「え、えみつん……?」

鹿「ヱ密っ、それマジで言ってる…!?」

紅寸「死ぬつもり…? そんなのやだよっ!」

ヱ密「今ここで何より優先すべきは頭領である蛇龍乃さんの命。皆もわかるでしょ?」

ヱ密「それに、向こうの目的が私の種にあるのなら……まぁ殺されることはないんじゃない?」


こんな状況下においても、ヱ密は笑ってそう言った。


ヱ密「いいよね? 蛇龍乃さん」


蛇龍乃「…………そうだね」

蛇龍乃「あれが潜んでいるとなれば、ヱ密に頼るしかない……本当に、申し訳無いが」


ヱ密「謝らないでよ。この里に来た時から、貴女のために命を捨てる覚悟は備わってる」


蛇龍乃「…っ、あぁ……うん……じゃあ、よろしく。ヱ密」


立飛「でもさぁ、いくらヱ密でも五百の兵を相手になんか」

ヱ密「まぁなんとか皆が離れるまでは堪えてみせるよ。五百だろうが千だろうが」


……と、そこに。



空蜘「あー……それ、二百五十ね。一人頭、二百五十」



……空蜘がヱ密と同じように。

その足を一歩前に出す。


空蜘「私とヱ密なら、時間稼ぎくらいなんとかなるでしょ」


蛇龍乃「…空蜘、お前……」


立飛「う、空蜘までっ…!」

牌流「ま、待ってよ……よく考えればもっと他に別の方法が」

空蜘「そんな時間があれば苦労しないんだけどねぇ」

牌流「そ、そうだけど……でも……」



空蜘「…ねぇ」


空蜘は蛇龍乃の前に立ち。


蛇龍乃「……空蜘」


空蜘「こういう時の為に、私を里に入れたんでしょ? 余所者どころか、怨敵だった私を」


……言う。


対して、蛇龍乃は。



蛇龍乃「…………」



……少し黙った後、静かに口を開く。



蛇龍乃「……そうだ」



蛇龍乃はその瞳を、空蜘とヱ密に向けて。

普段と同じ。

任務を告げる時と、なんら変わらない口調で。

言った。



蛇龍乃「空蜘、ヱ密」


蛇龍乃「私のために、死んでくれ」



ヱ密と空蜘。


二人は、声を揃え。


勇ましく。


そして、誇らしく。



「はい」と答えた──。


ヱ密「ふふっ、そうこなくちゃね」

空蜘「ていうかあれを倒してしまっても構わんのだろー? なんて」



立飛「わ、私も……私も、ここに残る。残ってヱ密たちと一緒に戦う」

ヱ密「駄目」

立飛「なんでっ…!? 私だって力になれるっ!!」

ヱ密「勘違いしてない? 立飛」

空蜘「…あのさぁ、あくまで私たちは足止めなんだから。本当に重要なのはそっちでしょ?」

ヱ密「そうそう。まだどんな敵が潜んでるかわかんないのに、これ以上そっちの戦力を手薄にはできないの」

立飛「……っ」


空蜘「そっちは任せたからね、立飛」

ヱ密「立飛だけじゃなくて。鹿ちゃんも、紅寸も、牌ちゃんも。蛇龍乃さんと鈴ちゃんを絶対に守って」


立飛「……わかった」


立飛「こっちは心配しないで。私が必ずっ…!」


紅寸「うん、ヱ密も空蜘も死なないで」

牌流「生きて必ず、また…」

鹿「まぁたしかにこっちもこっちで相当大変かも。なんたって激弱な二人を抱えてだしねぇ…」

牌流「私たちがしっかりしなきゃね」



蛇龍乃「──よし、ヱ密と空蜘はなにがなんでもあの軍勢を、そして探偵を食い止めろ!」


蛇龍乃「そしてお前らは、私と鈴を死に物狂いで守れ! いいなっ!」


皆、力強く返事を返す。



……そんななかで。


ただ一人。




鈴「…っ、……嫌だ」



鈴「……えみつんもうっちーも、一緒に逃げようよ……やだよっ、二人が、死んじゃうかもしれないのにっ……あたしっ……」


鈴。

涙声で、二人の袖を引く。


ヱ密「鈴ちゃん……」

空蜘「……はぁー……ったく、鈴はいつまでたっても」


鈴「…あたし、いやだ……っ、二人を置いてなんかいかないっ…! あたしっ…、ぜったいに」


鈴「ふたりがいっしょじゃなきゃっ……、やだ……やだよ……っ、なんで……? みんなもっ…、なんでそんなっ」


と、そこに。



パチンッ──!!



喚く鈴の頬に、平手打ち。


牌流「うるさい。黙って」


……それを放ったのは、牌流。



鈴「……っ」



牌流「ヱ密と空蜘の覚悟を無駄にするな」


ヱ密「また必ず会えるよ。約束する」


空蜘「鈴のくせに、私たちの心配するなんて一兆年早い」


蛇龍乃「鈴は、なんのために強くなろうとしたの?」




鈴「……あたしは……、あたし、は……──」



蛇龍乃「──行くぞっ!」



蛇龍乃の号令を皮切りに。


一同、動き出す──。



蛇龍乃、鹿、立飛、紅寸、牌流、鈴。

六人は屋敷を飛び越え、裏の山中を突っ切るべく。


当然、屋敷の裏側にも敵兵は迫り来ている。


立飛、紅寸を先頭に。

蛇龍乃を抱え、走る鹿。

同じように、鈴を抱える牌流。



そんな蛇龍乃たちの向かおうとする先から。


……雪崩れ込んでくる兵の群れ。



立飛「紅寸、右方はお願いね」

紅寸「任せて」


そう二人が構えに入った、その瞬間。



ズドドドドドッ──!!!!



巨大な棍のようなものが、突如前方に現れ。


ただただ、恐ろしいまでの暴力的に。


六人の行く手を阻む兵達を。


薙ぎ払った──。



空蜘「……あー、疲れた。あとはそっちでなんとかしてよね」


当然、今の攻撃は空蜘によるもの。

屋敷の屋根の上に立ち、六つの背を見送ると。

軽快に飛び下り。



空蜘「お待たせ、ヱ密」

ヱ密「いいとこあるじゃん」

空蜘「べつに。ただの肩慣らし」


空蜘「てか、そんなことより」

ヱ密「うん。じゃあ、そろそろこっちも」



空蜘、ヱ密「「始めようか」」



津波のように押し寄せてくる、幾百の兵の群れ。


それらに真っ向から向かっていく二人。


……途中、右と左に進路を分かつ。


風さえも置き去りにしてしまうほどの速度で。


駆けていく──。



当然、敵も丸腰ではなく。

刀を抜き、矢を放つ。


……が、それらが二人を捉えることはなく。


爆発的ともいえるくらいに。

迫り来る軍勢を掻き分け、ヱ密が通り去った後には。

次々と地に転がる兵。



空蜘も初っぱなから出し惜しみなく、糸を展開し。

竜巻状に、乱舞。

全方位を蹴散らして廻る。




ヱ密「まだまだ、これから」


空蜘「あははははっ!! たーのしいーっ!!」



空蜘とヱ密、二人による無双の幕が上がった──。


──……。



屋敷前で無双を繰り広げている二人。


……その一方で。


こちらは屋敷から離れるべく山中を突き進む六人。



ズドッ──!!


立飛「はぁぁぁっ!!」


紅寸「たぁあああっ!!」



バシッ──!!



次々と襲い掛かってくる兵達を。

立飛と紅寸が、少ない手数で倒し退け。

蛇龍乃を抱えた鹿と、鈴を抱える牌流。

切り開いた道を駆け抜ける──。


殿に位置するは、鹿。

なにも攻撃は正面からではなく。

横から斬り付けられたり、更には背後から放たれた矢が飛んでくる。


さすがに立飛と紅寸も、そこまで対処することは難しく。

……と、いうか頭から除外しているだろう。


そんななか。


ヒュッ──!


鹿の背中へと、放たれた矢。


鹿「……っ」


……避けることは容易だが、それはしたくない。

何故なら、鹿と蛇龍乃が回避したとしても。

矢はその前を行く四人へと迫る。

むざむざと食らう立飛たちではないのだが。

余計な注意を割かせるわけにはいかないのだ。


それに、皆は自分を信頼してくれ、ただ前だけを目指している。


だからこれは、殿を請け負った鹿の役目──。


ぐにゃん、と。

地に映る鹿の影が、立体的に浮き上がり。

伸びる。


そしてそれは、鞭のようにしなやかに。


バシッ──!


背後から迫り来る幾本の矢を。

弾き落とした─。



ぐにゃり──。


更には、それは鹿の足下から二つに分かれ。

右と左。

それぞれから斬りかかってくる兵を打ち払う。



これこそが、鹿の術。

自らの影を操り、具現化させる。

物理的な攻撃も防御も可。

くわえて、その操っている影が攻撃を受けたとしても、鹿にはその衝撃は及ばない。

……という比較的使い勝手の良いものなのだが。


当然、そこに影が映っていなくては使用することは不可能。

自ずと影の濃さも拘わってくる。


……よって、先の空蜘との一戦。

深い闇の中、行われたそれでは。

大した効果が発揮出来なかった、というわけだ。



蛇龍乃「あまり多用し過ぎるなよ。先に何が待ってるかわからんから」


……忌々しい、あの聡明な探偵だ。

目的であるヱ密と鈴が分かれて行動することも、充分に想定はしている筈。

今のところ、涼狐がこちらを追ってきている気配はまだ無いが。

それはヱ密が打ち倒されることなく、今も戦っているという証。


ならば鈴を狙う別の者がこちらに現れても、なんらおかしくはない。


……だとすれば、空丸か。

それとも別の何者かが。

空丸があの皆が知っている空丸なら。

それほど危険視する必要もないように思えるが。


……はたして。



鹿「そうは言ってもさぁ、まずここを切り抜けなきゃどうしようもないでしょ」

蛇龍乃「…まぁ、そうだな……」



最も弱い鈴を守るようにして。

先頭には、立飛と紅寸。

後方には、鹿が。

それぞれ位置し。


そうして、速度を緩めることなく。

ぐんぐんと先に進んでいく蛇龍乃たち──。




……一見、順調そうに見える六人であったのだが。


──……。



こちらは戻って、屋敷前。


ヱ密と空蜘の無双乱舞によって。


数百の兵がその地に倒れているものの。

尚も無限に沸いてくる、新たな兵の群れ。



ヱ密「はぁっ……はぁっ……!」


空蜘「チッ……キリがない……っ、どんだけいんの、コイツら……」


徐々に体に掛かる疲労も重なって。

二日前に負傷した怪我の負担も、次第に大きくなってくる。

傷口が開き、激痛が襲い掛かってくる。


今まで考えないように徹してきた絶望の影が、二人の脳裏に薄く顔を見せ始めた。


……そんな時に。




涼狐「頑張るねー。正直、たった二人でここまでやるとは思わなかったよ」



ついにその姿を堂々と現した、涼狐──。


元々、死ぬ覚悟をもって戦ってきた二人だったが。


それは、改めての。


……死刑宣告のようなものと等しく。


ヱ密「……っ」

空蜘「やっとお出ましってわけ……」


涼狐「そろそろ降参したら? 別に貴女たちを殺そうってわけじゃないんだからさ」


空蜘「ははっ、よく言うよ。こんな無茶苦茶な強襲仕掛けてきておいて…」


ヱ密「目的は……、私の種が、欲しいんでしょ……?」


涼狐「うん、わかってるなら話は早い。それを渡してくれたらもう用は無いから逃がしてあげる」



空蜘「…ヱ密、絶対に術は使わないでね。……ってヱ密の術がどんなのか知らないけど」

ヱ密「……わかってる、でも」


ヱ密「皆の種を集めて何がしたいの……? 何を考えてるの……?」


涼狐「それを教える必要はない。あー、ていうか今は私もあのスマホとかいうの持ってないから、一緒に来てもらいたいんだけど……どう?」


ヱ密「……お断り」

空蜘「……まぁ、当然だよ……、ねっ!!」


瞬時に、空蜘が涼狐へと突っ込む。


……が。


涼狐の瞳が光ったと同時に。

空蜘はその体を別の方向へと、不条理に飛ばされる。


空蜘「ぐぅぅっ…!!」


だが、ただでは終わらないと。

空蜘は糸を展開し、槍を造る。


そして、それを涼狐へと投げ付けた。


ヒュッ──!!



やれやれ、またか、と。

腕を構え、向かってくるそれを叩き落とそうとする涼狐。


しかし。


涼狐「……っ!?」


その槍は涼狐が触れる直前に。


シュルルルッ──!


糸が解かれていく。


槍の形を放棄し。


バラバラになった糸は、涼狐の腕に絡み付いた。


手錠のように、両腕を拘束される涼狐。


涼狐「へぇ……やるじゃん」


そこに透かさず、ヱ密。


ヱ密「はぁぁあああっ!!」


両腕を縛られた涼狐へ、殴襲を仕掛ける。

殴打、手刀、蹴撃。

多種多様な技、角度から繰り出し、涼狐に迫る。


……が。


何一つとて、掠りもしない。

それどころか。


ズドッ──!!


ヱ密「ぁぎゅっ、ぐっ…! こ、のっ…!」

涼狐「もうとっくに限界でしょ? 前みたいなキレが全然無い」

ヱ密「ま、まだまだぁっ…!!」



何度倒されてもすぐに立ち上がり、反撃に牙を剥く、も。

両腕が使えなく、脚のみで応戦する涼狐に。

幾度となく、良いようにあしらわれ。

まるで、歯が立たない。




ヱ密「うぁぁっ、ぐぅっ……はぁっ、はぁっ……」



涼狐に吹っ飛ばされた空蜘も、襲い掛かってくる兵相手に奮闘していたが。



空蜘「はぁっ…、はぁっ……げほっ、げほっ……ぅう…っ」


……こちらも同じく、既に限界は越えていた。



……満身創痍。

もう戦うことはおろか、動くことすら儘ならない二人に。


涼狐「ねぇ、そろそろ諦めてくれない?」


戦場に転がっていた刀が一本。

ふわり、と浮き上がり。

涼狐の腕を縛っていた糸を断つ。


そしてそのまま、刀は涼狐の手に。



ヱ密「…っ、ぅ……はぁっ……う、空蜘……」

空蜘「…なに……ぜぇっ、ぜぇっ……」

ヱ密「……さっさと、逃げたら……? もう、私に付き合ってっ、くれなくても……いいから、さ」


空蜘「…………だね、うん……このまま、私が残ってても……っ」


自分がここにいる意味は、もう無い。

万に一つも、あの涼狐に勝てる可能性は残っていない。

……死神の鎌が首に構えられているといった、この絶望的な状況。


そもそもヱ密と空蜘の役目は、蛇龍乃たちがこの場所から離れるための足止め。

あれから充分な時間は稼げた。

役割は果たせたといっても構わないだろう。


だから、ここにいる意味なんて何も残ってない。


……それどころか。


種を欲しがる涼狐と、種を渡さないヱ密。

そんななかで、この状態の自分がいては。

ヱ密にとって、弱点、弱味になるかもしれない。


涼狐「……」


……同じく、涼狐も考えていた。

種を手に入れるには、ヱ密に術を使わせることが必須項。

なにがなんでも、ヱ密が自らそれを使おうとしないのなら。

ヱ密の目の前で空蜘を痛ぶり、促せる必要もあるのではないか、と。



ヱ密「……」

空蜘「……っ」


ヱ密と空蜘が、互いに目を合わせ。


……次の瞬間。


最後の力を振り絞り、二人は動き出す──。


涼狐「……!」


ヱ密は涼狐へと。

対して、空蜘は場から離れるように。


当然、涼狐は逃がさまいと。

向かい迫るヱ密を軽く退け。

逃げる空蜘の背を目で追い、トイズを使う。


……が。


涼狐「…っ!?」


そのトイズが空蜘を捉えるのより、一瞬早く。


シュルルルッ──!


空蜘は自らの体を包むように、糸を編み込んで。

姿を晒さぬよう、繭を作っていた──。


ならば、と。


涼狐は瞬時にその繭の元へと。

そして、手に持つ刀で。


ズバッ──!!


一刀両断──。


涼狐「あれ……?」


なんとその中には、空蜘の姿は在らず。

……代わりに。


パァーンッ──!!


煙幕。

視界は煙に包まれて。

……その煙が晴れる頃には、空蜘の姿は消えており。




涼狐「……あーあ、逃がしちゃった。まぁいいや」



先程の攻撃を受け、気を失っているヱ密の元へと足を運び。


涼狐「それにしても、あの状態でまだあれだけ動けたなんて。完全に私の油断かー」


涼狐「まぁでも、回収完了」


ヱ密の体を鎖できつく拘束し、言った。



涼狐「──残るは、あと一つ」


──……。



山中を駆け抜ける六人。


……だったが。



ズドッ──!!!!


立飛「なっ…、ぅあっ!? うぁぁぁあああっ…!!!!」


唐突に強襲を受けた立飛。

辛うじて反応が間に合い、咄嗟に防御した。


……筈なのだが。


立飛「…ぅ……ぁあ……っ、く……ぅ……──」


有り得ないほどの。

今まで味わったことのない、深さ、重み。

防御の上からでも意識を奪ってしまう衝撃──。


倒れ伏す、立飛。



……それは、今まで相手してきた兵によるものではなく。


牌流「り、立飛っ…!!」

蛇龍乃「足を止めるなっ!!」


直ぐ様、その者から距離を取るべく逃げる蛇龍乃と鹿。

そして、同じく牌流と鈴も。



それを追う、新たな刺客──。


紅寸「…っ、ごめん、立飛…!」


意識を失い、倒れたままの立飛の首筋に。


……歯を立て。


噛み付く──。


……そう、血を吸ったのだ。




鈴「…り、りっぴーっ!!」

牌流「立飛がたった一撃でって…」

鹿「ヤバい、マジでヤバいってあれっ…! なんなのっ!?」

蛇龍乃「おいこら鹿っ、もっと速く走れっ!」

鹿「無茶言うなっ、投げ捨ててやろうかっ!?」

牌流「ってもうそこまで!?」

蛇龍乃「あれの攻撃に捕まるなよっ!」


人間一人背負っているとはいえ、忍者の脚力。

それに追い付き、刺客は四人のすぐ背後まで。


鹿が影を使い、攻撃を試みるも。


……まったくそれを寄せ付けない。



鹿「や、やば……」


刺客が放った拳が、鹿の背中に触れようとした。


と、そこに。


紅寸「だぁぁぁぁっ!!」


術。

吸血により、能力を高めた紅寸が追いつき。

その拳を受け止める。

……が。


バキッ──!!!!


紅寸「ぎゅぁっ、ぁぁあああっ…!!!!」


その腕を破壊され、吹っ飛ばされる──。



それでも、まだ意識は残っており。

吹っ飛ばされた先にある木を、力強く蹴り。


紅寸「ぅううっ、ぐっ…! はあああぁぁっ!!」


再び、刺客の前に現る。

そして、その勢いのまま蹴りを叩き込む。


ズドッ──!!


これには予想していなかったのか、紅寸による攻撃を受け。

ついに足が止まる。


紅寸「ぁ……くっ、ぐほぉぁぁぁっ!!!!」


が、一瞬の足止めが限界で。

直ぐ様、反撃を食らい。

今度こそ意識を失い、吹っ飛ばされる紅寸。



鹿「く、紅寸……っ」

牌流「鹿ちゃんっ、二手に別れよう! このままじゃ全滅しちゃうっ!」

鹿「それしか、ないかっ…!」

牌流「私は絶対に鈴ちゃんを守るから、鹿ちゃんは蛇龍乃さんを!!」

鹿「わかった!!」



進路を別ち、左右別々の方向へ。


右に進んだ、鹿と蛇龍乃。

左に進んだ、牌流と鈴。


刺客が追ったのは──。


……左。

即ち、牌流と鈴が逃げた方向。



牌流「…っ、やっぱ、そうなるよねっ…!」


こうなることを確信していた牌流。

当然だ。

向こうの狙いは、自分が抱えている鈴なのだから。


鈴「ぱ、ぱいちゃんっ、もうあたしを放って逃げて…! このままじゃ、ぱいちゃんまで」

牌流「はぁっ、はぁっ……うるさいっ、黙って! あの二人とっ……ヱ密と空蜘と約束した、任されたのっ…!」

牌流「だから絶対にっ、鈴ちゃんを逃がすっ…!」

牌流「蛇龍乃さんからも命じられたっ、これは任務だから…! この命を賭けても遂げなきゃならない、任務……!」



牌流は脚が壊れるくらい必死に。


ただ夢中に、ただ懸命に。


全力で、森の中を駆けていく──。


何年も過ごした、この妙州の森。

地形は完璧に把握している。

大きな木々が建ち並び、入り汲んだこの森だ。

ただ真っ直ぐ走ることも、そう容易ではない。

慣れていない者なら、尚更に。


……そういう条件が、功を奏してか。

現に、一瞬で追い付かれるということはなく。

あわよくば、草木が障害になり姿を見失ってくれないかとも、薄く期待したが。

さすがにそこまで甘くない。


徐々に距離が縮まっていき。



捕まるまでに、早く。

早く、あの場所へ──。


牌流は鹿と分かれてから、ある地点を全力で目指していた。


……そしてようやく、すぐ近くまで辿り着く。


と、そこで。

牌流は追手が迫る背後へ向けて。

煙幕を張った──。



牌流の前方には川が見える。


牌流「……っ」

鈴「ぱいちゃん…?」


牌流「…さすがに、私じゃあれを倒して鈴ちゃんを完全に守ることは出来ない……だから、私は私の出来ることをやる」


牌流「あの川を下った先は、いつも鈴ちゃんが鍛練してた滝に出るから」

牌流「そこから先は、自分でなんとかして」

鈴「ぇ……そ、そんなのっ……やだよ、ぱいちゃんも一緒にっ」


牌流「……ねぇ、鈴ちゃん。鈴ちゃんは何のために、強くなろうとしたの?」


鈴「あ、あたしは…」


微笑みながらそう言った牌流は、鈴を川へと投げ込んだ──。



やがて煙幕を突っ切って、刺客がその姿を現す。


牌流はというと。

鈴を逃がした川とは、逆方向に走っていた。

ただ走っていたのではない。


それは。


……鈴に偽創した姿で。


あれだけの手練れだ。

すぐに見破られるだろう。


……しかし、煙幕に紛れ、不確かにしか視認できない間なら。


捕らえられるまでの僅かな間でも。


自分に注意を向けさせ。


鈴が逃れる時間を僅かでも稼げたなら。



私は、皆に少しだけでも誇れるような気がした──。


──…………。



私が、強くなりたかったのは。


死なないために。


生きるために。


自分を、生かすために。



……いつか誰かを守れるよう。



自分を、守るために──。




鈴「ぅ……はぁっ……はぁっ……うぅっ、なんで、なんでっ……!!」



何故、自分はこんなにも弱い。


自分が弱いせいで、皆が自分を守ろうとして。


自分のせいで、傷付き。



……これほどまでに。



自分自身の弱さを呪ったことはない──。



……流されていく。


……落ちていく。


……真っ逆さまに。



そんな瞬間。


この場所での鍛練を思い出す。


立飛がいて、紅寸がいて、皆がいて。


最初は散々だった。


辛くて、苦しくて、痛くて。


……泣いて。


何のために、あんな過酷な鍛練を続けてきたのか。


思い出す。


既に、この身体に染み付いていること。


そう。


心を乱すな。


まだまだ弱い自分だから。


精神だけでも、心だけでも。


強くあれ。


……強く。


自分を守るために、強くあれ──。


一度は失っていた。


皆が命を賭して、守ってくれたこの命。



だから、最後くらい。



自分で守らなくては──。



水が叩き付けられる音が。

間近に聞こえる。

牌流が言った通り、川を流れ、落とされた先は。

あの滝のある場所だった。


鈴「はぁ……はぁっ……げほっ、げほっ……逃げなく、ちゃ…」


鈴が水場から這い出て、顔を上げた視線の先。


そこには。



鈴「……っ」


一瞬にして鈴の表情が、絶望に色濃く染まる。




涼狐「──水遊びは楽しかった?」




自分と同じ顔をした。


涼狐の姿が、そこにはあった──。





……私は。


なんて、弱い。



自分すら。



守ることができなかった──。







第二章『最強の探偵、最弱の忍者』





━━Fin━━

──────
────
──



第二章『最強の探偵、最弱の忍者』



鈴が妙州の里に正式な仲間として迎え入れられ、三ヶ月が経とうする頃。


『写真について、まだまだ謎が多い……。今後、緊急時を除いて仲間に写真を使うことを禁止する。いいな?』


唯一の武器であるスマホの写真を禁じられ。

忍びとして、日々鍛練に励んでいる鈴だったが。


「いっ、痛ぁぁっ! うぅぁ……痛いよぉっ……もうやだぁぁ……」

「それはこっちの台詞だからっ! もうやだよっ、こんないくら教えてもまるで成長しない人の相手!」

「たしかに。三ヶ月も修行してるのにここまでまったく進歩がないなんて、逆に驚き…」


いつまでたっても、忍びとしての芽が出ないままであった──。

そんな中。

ある不安、恐怖が不意に鈴を襲う。


「何の任務だったの?」

「ん、暗殺」

「鈴ってさ……──人を殺したこと無いでしょ?」


人を殺すこと。

元いた世界では人として踏み入れてはいけない道。

だが、忍びであるならば、それは避けては通れない道。

逆に自分自身の首に刃物を突き付けられたかのように、激しく戸惑う鈴。


「さっき私が鈴に問うた件の答だが……人を殺すから忍びではなく、強いから忍びではない。覚悟を決めた者が忍びなんだよ」


そんな鈴に蛇龍乃から、忍びなら覚悟を決めろと言い渡され。

そして、人を殺すことを目的とした任務を告げられた。


「対象の名は──空丸」

「悪人にしておいてあげたよ。ほぉら、こっちが正義だ。悪を裁く……随分とやり易くなったでしょ?」


頭が真っ白になり、手足が震える鈴。

寝室に忍び込み、短刀を抜くが。

やはり躊躇が先に立ち、それよりも大切な仲間である空丸を手に掛けるなど。

鈴は最後までその刃を下ろすことが出来なかった。

即ち、任務放棄。

自分が殺されても構わないという決心で、蛇龍乃の元へ戻るが。


「誰も殺さないよ、空も鈴も。仲間を殺せなんて私が命令するわけないじゃん」


盛大な肩透かしをくらい、心の底から安堵する。

が、それで終わりの筈がなく。


「ここの里の忍びと、今言った任務として討つべき人間。この二つの命の重さは、等しい。どんな命でも同じ命だからね」

「命の重さが同じならどうしてそこには、討ってよい命と悪い命があるのだろう?」


「さぁ今度はガチの任務だ」


続けざまに任務を告げられる。


内容は、同じく暗殺──。


ヱ密、空蜘と共に対象が住まうとされている城下町へと向かうその道中で。

いまだ忍びに染まれない、覚悟を決めきれず迷ったままの鈴に空蜘が辛辣な言葉を浴びせる。


「真剣に強くなろうって気はあるの?」

「自分は仕方無く忍びになっちゃったから弱いままでも構わないとか思ってない?」

「いつまで弱いままでいるつもりなの? 忍びってね、弱いとすぐ死んじゃうんだよ?」


その言葉が、鈴の胸を抉る。

自分はもう忍びなんだから、弱いままじゃいけない──。


「忍びを志す者の大前提としての言葉に、こういうものがあるの。悪は染まるもの。善は装うもの」

「悪とか善の前に、根底には必ず心がある。悪にも善にも染まることはなく、装うこともできない心がそこには存在している」

「それは変えられるものでは決してないし、変えなくてもいいもの。この世界で、鈴ちゃんにとって一番大切なものは何?」


ヱ密の口から聞いた、心。

それは何物にも染まらず、装えず。

私の……私だけの、心──。


そんな皆からの言葉を胸に秘め。

いよいよ鈴は、身動きのとれない殺すべき対象を前にすることに。


「や……やめ、ろ……っ、やめ──ぁぎゃッ──」


その糧で、その覚悟を──剣に変えて。

私は。

仲間を、皆を守るべく──。

悪ニ染マレ。


「はぁぁぁあああああああああああああっっ!!!!」


手に持つ刃で、目の前の命を、貫いた──。


「はぁっ……はぁ……ぐすっ……ひぐっ……! みんなのためにっ、あたし……やれたからっ……!」

「…ありがとう」


生半可な気持ちを抱えていた自分を振り切り、鈴にとっての初殺の任務は終わった。


そんな鈴とヱ密が宿に戻ると。

そこには、傷だらけで倒れている空蜘の姿が。


「負けてないっ…!! 術があればっ……あんな奴っ……!」

「わかる? 弱いんだよ、空蜘は。弱いから敗けたの」

「その弱さを受け入れなきゃ、これ以上強さは得られない……術を返してもらったとしても同じ。絶対に、また敗ける」

「…っ、ぅ……はぁっ……はぁっ……う、るさ、いっ……黙れっ……!」


空蜘はその多くを語ることはなく、敗北した相手については謎のまま。



「……さて、では報告を聞こうか」

「任務は、滞りなく完了しました。対象となっていた者は、私がこの手で仕留めました」


里へ戻り、自身の口から結果報告をした鈴だった。


強くなりたい。

守ってもらってばかりの自分じゃ、もう嫌だから。

私は、強くなる──。


先の任務を経て、忍びとしての己と向き合い。

“強さ”を求める鈴だったが。


「……わかってるよ……忍びが死と隣り合わせってことくらい。今までだって、何度も感じたことあるし」

「何がわかってるって? 本物の恐怖も、死も、知らないくせして。忍びをナメるなよ? 死ぬっていうのは鈴が考えてるほど、生易しいものじゃない」


己自身の死に対する認識の薄さから立飛に叱咤され、“死”を間近に突き付けられた鈴は、途端に味わったことのない恐怖に襲われる。

そんな震え上がる鈴に、ヱ密は諭した。


「誰かのために強さを得るんじゃなくて、まずは自分を生かすために強くなる。そうやって手に入れた強さなら、きっと誰かを守れるから」


忍びとして大切なこと、それは死なないこと。

自分を生かす力が無くては、誰も守ることはできない。

二人の言葉を胸に受け、鈴は自分自身の為に強くなるべく鍛練に励むのだった。

基本となる、気配断ちと精神の維持。

元の世界でも他人より多忙な日々を送ってきた鈴だったが、それとは比べ物にならないくらいに忍者の修行というものは過酷であった。

しかし、弱音を吐くことなく熱心に打ち込み、その成果も徐々に見え始めてきた頃。


「……あれ? なんだろ、これ……」


知らぬ間にスマホに保存されてあったデータを開くと。

画面が白く光り、空蜘の糸のようなものが現れた。

過去に写真で破った術はこうしてスマホに保存され、これこそが“種”と呼ばれる鈴にしか扱えない術の種である。

この発覚を受け、写真と同じく前例の無いこの“種”について蛇龍乃は不安視していたが。

それから何事も無く、一月が過ぎた。


そして、少しずつだが忍びとして成長を見せる鈴に。


「鈴一人にやってもらう。単独任務だ」


再び、暗殺の任務を下した。

鈴は自分一人に与えてもらえたことを喜び、これまでの厳しい鍛練を経て得た覚悟を携えて殺しに臨む。

立飛と鹿が影ながら鈴を見守るなか。

グシュッ──!

鈴は、里に来たばかりの頃とはまるで別人のように、堂々とした立ち振舞いで対象を仕留めることに成功した。


「問題なく、任務完遂しました」

「……人を殺すことで、慣れていく……これも経験には違いないけど。本当の意味での経験というのは、覚悟を重ねること。これに尽きる」


蛇龍乃に、ほんの少しでも認めてもらえたことを誇りに思う鈴。

これから先もまた任務を与えてもらえるように、もっと強くならなきゃ──。

確かな手応えと達成感から、更なる邁進を心に決める。

そんななか。


「空蜘、仲間として私や皆のことを信頼してほしい。大切に思ってやってほしい。この里のためにこれから先、生きてほしい」

「…うん、いいよ。…………てか、そんなこと、とっくに思ってるよ……」


今まで長らく蛇龍乃によって封じられていた空蜘の術が、解かれることに。

こうして絆が結ばれる。いや、既に結ばれていた。

鈴も空蜘も、この里の忍びとして生きていこうと、そんな想いを胸に秘め。

元の世界に戻れなくとも構わない、皆とこうして過ごせる毎日を愛おしく、大切に思っていた──。


この世界での幸せをその手に掴み、ずっと続いてほしいと切に願っていた。

しかし、残酷にも。

そんな日々を脅かす存在は、唐突に鈴の前に現れたのだった。


「あはは。今まで遠くからしか見たことなかったけど、本当に私そっくり」


それは自分と同じ姿かたちをしている、自分だった──。

彼女の名は、涼狐。

元よりこの世界に存在する、三森すずこ。


「…くふふふっ、あははははっ! まさかそっちから、殺されにきてくれるなんてねぇっ…!!」


同時に、数ヵ月前の城下町で空蜘を打ち負かした相手でもあった。

あの時の屈辱を忘れることなく、再戦を強く待ち望んでいた空蜘は再び涼狐と相対するが。


「一つ一つが雑だね。それに、もっと先の先まで見ておかないと」

「…っ、ぅぁぁ…っ、ぁううっ、ううぅぅぅぅっ……!!!!」


術を使える万全な状態で挑んだにも拘わらず、涼狐の圧倒的な能力の前に手も足も出ない。

今度こそ、その命を絶たれてしまうと、空蜘の頬に涙が溢れた瞬間に。


「危なかった……ギリギリ」


そんな危機に駆け付けてきたのはヱ密だった。

この自分が誰かの手を借りるなどと、更なる屈辱。プライドを粉々にまで破壊された空蜘であったが。


「……私だけじゃ、勝てない……から……手伝わせてあげても、いいよ」


涼狐は強い、対して自分は弱い。

相手の強さを認め、己の弱さを受け止めた空蜘は、ヱ密との共闘を承諾して二人がかりで涼狐に挑んだ。

しかし。


「ゃ……はぁっ……ぅ……がっ、ぁっ……」

「ぅう…ぁ……ぎゅ、ふっ……げほっ、げほっ……ぁ……」


「あー、危なかったー。最後のはかなりヒヤッとしたかも」


それでも、涼狐に傷一つ負わせられず、地に倒し伏せられる二人。


戦闘を終え、再び屋敷内へと戻った涼狐は、空丸に白い杖を渡した。


「……ん、あー、涼? 迎えにきたってことは、やっと?」

「まーだやることは残ってるけどね。回収。あと二つ、いや三つかな」


鈴に迫る涼狐と空、それを阻止するべく紅寸と牌流がその前に立ち塞がる。

紅寸は術を使い、高めた戦闘能力で涼狐相手に奮闘して鈴を守った。

しかし、既にスマホは涼狐の手に渡ってしまっており、更には紅寸の種も奪われた末に逃げられてしまった。


死者は出なかったとはいえ、たった一人相手にこの惨状。

当然、涼狐は何者なのかという話になる、そんななか。


「た、探偵……だと思う」


その鈴の言葉に一同震え上がる。


「……忍びは隠れ潜む族種なのはわかってるよね? でも、探偵はそれを曝こうとしてくる……」

「最凶最悪の天敵……狩る者と狩られる者みたいな……」


敵の狙いは、鈴とヱ密の種。ということから。

八人はこの里を捨て、離れることを決断する。

そしていざ発とうとしたその時。

有り得ない数の城兵が、屋敷を囲んでいることに気付いた。


無秩序な混沌が、鼻先まで迫る──。


「私があれを引き付けるから、そのうちに皆は裏の方から逃げて」

「私とヱ密なら、時間稼ぎくらいなんとかなるでしょ」

「空蜘、ヱ密。私のために、死んでくれ」


皆が逃げ延びるための、涼狐の足止め。

それを買って出たヱ密と空蜘を残し、蛇龍乃たちは反対側からこの場所を離れることに。

だが、鈴は。


「…あたし、いやだ……っ、二人を置いてなんかいかないっ…! あたしっ…、ぜったいに」


「うるさい。黙って。ヱ密と空蜘の覚悟を無駄にするな」

「また必ず会えるよ。約束する」

「鈴のくせに、私たちの心配するなんて一兆年早い」

「鈴は、なんのために強くなろうとしたの?」



場に残り、幾百の城兵相手に無双を繰り広げてきたヱ密と空蜘蛛。

だが、それもやがて限界が見えてくる。


「頑張るねー。正直、たった二人でここまでやるとは思わなかったよ」


更には追い討ちを掛けるように、既に満身創痍の二人の眼前についに涼狐がその姿を見せた。

そうなってしまっては最早勝機など皆無。


「う、空蜘……さっさと、逃げたら……? もう、私に付き合ってっ、くれなくても……いいから、さ」

「…………だね、うん……このまま、私が残ってても……っ」


奇策によって辛うじて空蜘だけは逃げることに成功するも、ヱ密は涼狐によって倒され、捕らえられてしまった。


そしてもう一方で。


「…ぅ……ぁあ……っ、く……ぅ……──」

「ぁ……くっ、ぐほぉぁぁぁっ!!!!」


山中を駆け抜ける六人の前に、突如として現れた新たな刺客によって、立飛と紅寸は意識を飛ばされ戦闘不能に。

全滅だけは阻止しようと、残る四人は二手に分かれることを決心する。


「…っ、やっぱ、そうなるよねっ…!」


刺客が追ってきたのは、牌流と鈴の二人。


「ぱ、ぱいちゃんっ、もうあたしを放って逃げて…! このままじゃ、ぱいちゃんまで」

「うるさいっ、黙って! あの二人とっ……ヱ密と空蜘と約束した、任されたのっ…! 蛇龍乃さんからも命じられたっ、この命を賭けても遂げなきゃならない、任務……!」


決死の覚悟で、己の力を振り絞り、全力で森を駆け抜ける牌流だった。

そして、目指した先は。


「…さすがに、私じゃあれを倒して鈴ちゃんを完全に守ることは出来ない……だから、私は私の出来ることをやる」

「……ねぇ、鈴ちゃん。鈴ちゃんは何のために、強くなろうとしたの?」


追手に見付からぬうちに鈴を川へと逃がし、自分は敵を引き付ける為の犠牲となる決意を。



「ぅ……はぁっ……はぁっ……うぅっ、なんで、なんでっ……!!」


鈴は己の弱さを嘆き、呪った。

どうして自分はこんなにも弱い。

自分が弱いせいで、次々と皆が傷付き。

自分はなんのために強くなりたかったのか。

それは、自分を守るため──。

皆が命を賭してまで守ってくれたこの命。

最後くらいは、自分で守りきらなくては。


「はぁ……はぁっ……げほっ、げほっ……逃げなく、ちゃ…」


そんな鈴の目の前に映ったのは。

これ以上ないくらいの、絶望だった。


「──水遊びは楽しかった?」


涼狐の姿が、そこにはあった──。



……私は。

なんて、弱い。

自分すら。

守ることができなかった──。


数奇な運命の、悪戯。

私がこの世界で見付け、求めた日常は。

この世界の私の手によって、潰やされた。


────…………。



あれから、どのくらい気を失っていたのだろう。


鈴が目を覚ました場所は。


知らない場所だった。



鈴「…………ここ、は……?」


この世界に来てからずっと過ごしてきた、あの古びた屋敷の一室ではなく。

それよりも綺麗で、広い。

眠っているうちに、服装も着替えさせられており。

自分の体に目を落とすと。

……白い、洋装のような。

いつも身に纏っていた黒の忍び装束とは対照的なそれは。

今までの忍びとして生きてきた日々を、否定されているように思えて。


鈴「…みんなは……どうなったんだろ……」


枕元には、蛇龍乃から貰ったあの短刀が置かれていた。


……それを見て鈴は思う。

自分がいたから、皆をあんな目に遇わせてしまった。

あのスマホを持っていたせいで、“写真”とか“種”とか。

そんな訳の分からない力なんかがあったせいで。


私が、いたせいで──。


自分を守るために、強くなろうとしたのに。


忍びであった自分を殺されたような今では。

鈴を支えていた信念としての役割など、意味を成さないように。

最後に、この状況で、自分に何が出来る。

討ち倒された皆の弔いとして、一矢報いることが出来るとしたら──。


鈴「……っ」


鈴がその短刀に手を伸ばした。

その瞬間。


ふわり、と。

短刀が浮き上がり、鈴の手から逃げていく。


鈴「……」


特段、驚くことではなかった。

……こんなことが出来るのは、と。


涼狐「おはよう。よく眠れた?」


部屋の隅には、あの涼狐がいた。


涼狐「死のうとしたでしょ? やめてよね、それじゃ何のために連れてきたのかわかんないじゃん」


鈴「…………」


コイツが。

皆を。ヱ密や空蜘を。

鈴は激しく睨み付ける。


涼狐「そんな睨まないでよ。ていうかまともにこうして二人で話すの初めてかもね」


言葉を交わしたのは過去に三度。

一度目は、眠っていたところに突如現れ、そのまま空蜘と。

二度目は、紅寸と牌流が必死になって自分を逃がしてくれて。


……そして、三度目は。


────……。



涼狐『──水遊びは楽しかった?』


鈴『……っ』


涼狐が自分の目の前に現れた。

……それが、意味することは。

この者と戦っていたヱ密も空蜘が、敗北した、ということ。


涼狐『…えーと、鈴?だっけ? 迎えにきたから、一緒に帰ろ?』

鈴『……あたしの帰る場所は、この里……みんなと一緒にいられる場所しかない』

涼狐『そんなことないから、さ』


涼狐の言葉に従うつもりなど、更々無い鈴は。

懐から取り出した短刀を抜き、構える。


涼狐『ははっ、何の冗談?』


……そう、涼狐が笑いながら言う通り。

ヱ密と空蜘が二人がかりで敗北した涼狐に、鈴が敵うなど。

万に一つ、億に一つも、有り得ないのだ。


……それでも。


いくら強くたって、涼狐も人間であることに変わりはない。

心臓を突き刺せば。

首をかっ切れば。


鈴『はあああぁぁぁぁぁっ…!!!!』


鈴は刀を握り、涼狐に突っ込む。



涼狐『……怪我させると怒られちゃうからなぁ』


造作も無ければ動作も無く。

トイズにより、向かう方向とは真逆に吹っ飛ばされる鈴。


鈴『ぁうっ…! ぐっ、うぅぅっ…!』


ならば、そのまま涼狐の前から逃げようとするが。

今度は逆に。

涼狐の前へと引き戻されてしまう。



……蟻と巨象に等しい。

逃げることも出来なければ、近付くことも出来ない。


……が。


何度も何度も。


繰り返す。


そこに意味なんか無い。


それこそ、億や兆を重ねたとしても。


仮に奇跡が起こり、近付けたとしても。


……勝算は、零だ。



鈴『はぁっ、はぁっ、はぁっ……』


涼狐『そろそろいい? やっぱ自分が苦しんでるみたいで、なんか嫌だしさ…』


尚も向かってくる鈴に、もうトイズは使わず。

すぐ眼前に迫ってきた鈴の刀を容易に避け。


涼狐『おやすみ』


……すとん、と首を軽く叩いた。


すると、鈴は電池が切れたように気を失い。

刀はその手から溢れ落ちた。



そうして、鈴を根城へと連れ帰ったのだったが。




……これはかなり後になってわかること。

以前に蛇龍乃が犯したのと同様に。

この涼狐も。

いや、これは涼狐のミスとするには酷かもしれない。


偶然に偶然が重なってもたらされるもの。

だが、後に涼狐を苦しめることになる。


それはまだ、誰も知らない。


……恐らく、本人でさえも。


────……。



鈴「……っ」


涼狐「そろそろ機嫌直してよー。自分自身のそんな無愛想な顔見たくないんだけどー」


鈴「……ここは、何処なの?」

鈴「なんで、こんなことするのっ…! みんなはどうなったの…!? あんたらは、なんなの……!?」


涼狐「うん、全部教えてあげるからついてきて。鈴に会わせたい人がいる」


鈴「……会わせたい、人」



鈴は涼狐と共に部屋を出て。

長く広い廊下を歩き進む。

いくつもの階段を登り。


鈴「……ねぇ、あんたって」

涼狐「あんたじゃなくて涼狐」

鈴「いや、あたしもすずこなんだけど」

涼狐「あんたは鈴でしょ?」


鈴「……じゃあそれでいいや、もう」


おそらく、妙州の屋敷よりも何倍も、何十倍も大きな建物。


涼狐「ついたよ、鈴」


連れてこられた部屋の前。

その横には、窓があった。

そこから外に目をやると。


少し遠くに、町が見える。

その手前に大きな橋がある。

ここを囲むように堀がある。

すぐ側、窓の下には瓦が敷き詰められた大きな屋根。


鈴「ここって……」


そう、今自分がいる場所。

間違いなく。

ここは城だった──。



そして涼狐によって開かれた扉。


その向こうは。

一室というには、なんともだだっ広い。

絢爛豪華とも思える装飾が施された空間。


その最奥にいたのは。

……大奥か、遊廓か、さながら。

脇に二十近くもの女たちを侍らせた。


一人の女──。


それは、鈴自身もよく見知っている人物。

……いや、元の世界で親交の深かった人物というのが正しいか。

この世界に存在する、その者である。


手に持つ扇子でパタパタと扇ぎながら、女は口を開く。


「おかえり、すーちゃん。それと……いらっしゃい、初めまして。別の世界のすーちゃん」


鈴を見て妖しげな笑みを浮かべる彼女こそが。



ここの城主である──依咒(いず)。



そして、依咒は自分の両脇に目をやり。


依咒「もう下がっていいよ。今からちょーっとだけ、大切な話をするから」


「「「はい、依咒様」」」



……女たちを部屋から退散させる。



鈴「……きっちゃん」


……正直、予想はしていた。

まさか城主とは思っていなかったが。

なるほど、これならあの多数の兵を使った襲撃も納得がいくわけだ。



依咒「きっちゃん……? 私のこと? あー、そっちではそう呼ばれてんだ、私」


鈴「……なんで、王様? いや、女王様?」

依咒「…?」

涼狐「何かおかしいの?」

鈴「だって、探偵じゃないの……? 二人とも」

依咒「そうだけど?」

涼狐「依咒ちゃんは探偵兼、ここの城主だから」

鈴「け、兼業……?」


……探偵と城主を兼ねるなんか。

ここが異世界だから、それが通用しているのだろうか。

しかし、その貫禄。

依咒の女王……いや、城主としての姿は。

これ以上無いくらいに、似合っているようにも思えた鈴だった。


依咒「…ていうか、鈴ちゃん」


鈴「なに……?」


依咒「なんでいつまでもそんな遠くにいるの? もっとこっち来て」


鈴「……えー、あー……なんか、危なそうな気がするから」


依咒「なんもしないってー、怖がらなくてもいいからー」

涼狐「絶対なんかするでしょ。鈴を着替えさせる時とか率先してたじゃん」

依咒「それくらいよくないー?」


鈴「えぇ……まぁ別にいいけど……」



……結局。


依咒「おぉ……やっぱこうして並べてみるとホントそっくりー」

依咒「髪型は違うけど、髪の質感とかまったく同じじゃん」

鈴「ちょっ、近い近いっ!」


鈴の真横に、ピタリと寄り添うように。

興味津々に、頭やら腕やら肌をやたらと触りまくる依咒だった。


依咒「あ、でも筋肉の付き方とかは微妙に違う気がする」

鈴「も、もうっ、触りすぎだからっ! 涼狐も見てないで助けてよっ!」

涼狐「その鈴を好きにしていいから、あんま私にディープなことするのは控えてね。依咒ちゃん」

依咒「それはまだわかんない」

涼狐「…わかってよ」


──……。



鈴「……ていうかっ、あたしに話があるんじゃないの!? 全部教えてくれるってさっき言ってたじゃん!」


涼狐「あー、そうだったそうだった」

依咒「でもまだあの二人来てないし」

涼狐「どこで何してんの?」

依咒「さぁー? すーちゃん、呼んできて」

涼狐「はーい」



……あの二人とは。

おそらく、鈴が想像しているあの二人に間違いはないだろう。


依咒のペースに、つい飲まれそうになっていた鈴だったが。

空のことを思い出すと、なんとも複雑な気持ちになった。


あの里で何ヵ月もの時を共に過ごしてきた空は。

何を思っていたのか。

何を考えながら、鈴に接してきていたのか。



……そして、もう一人も。

あの森で、立飛と紅寸、それに牌流を襲った許しがたい敵。

そんな二人を前に、どんな顔をしていればいいのか。

そもそも自分は、この先どうすればいいのか。

何をするべきなのか。



鈴「……ねぇ、きっちゃん」


依咒「……あ、私っ?」

鈴「…そっか、きっちゃんはきっちゃんじゃないんだもんね。なんて呼べばいいの…?」

依咒「あー、皆は依咒様って呼んでるけど」

鈴「だろうね……王様だし」

依咒「鈴ちゃんの呼びたいように呼んでくれていいよ」

鈴「……そう」


……とりあえず。

この城から脱出して。

里の誰かと合流しなくては。


幸いにも、今ならあの涼狐もいない。

依咒だけだったら、自分でもなんとかなるかもしれない。

涼狐と同じく、依咒もトイズ持ちである可能性は極めて高い。

しかし、鈴の知っている通りの能力ならば。

涼狐のように、まったく手に負えないというわけではないような気もする。


鈴「……」


鈴は静かに懐に手を伸ばす。

……が。


鈴「あ、あれ……?」


……違和感。

いつも忍ばせていた短刀が無い。



鈴「…………あたしはアホか」


今着ている服はあの忍び装束ではないし。

……それに、短刀はここに来る前、涼狐に奪われたままだったのを思い出す。


依咒「……鈴ちゃんさぁ」


依咒「私のこと弱いと思ってるでしょ?」


思考を見透かすような、その眼を向けられ。

……ゾクリと、背筋に冷たい汗が伝う。


だが、鈴は。


鈴「……思ってるよ」


忍びの鍛練を受けてきた今となれば。

並の人間と比べ、高い身体能力はこの身に備わっている。


……それに、殺し方も。


この依咒をここで無力化してしまえば。

城主という立場。

それを人質にすれば、ここから逃げられるかもしれない。


鈴はすぐ傍にいる依咒の首に、手を伸ばす。

が、逆にその手をなんなく取られてしまう。


鈴「うぁっ…!」

依咒「知ってる。鈴ちゃんって弱いんだってね」

鈴「……っ」

依咒「こう見えて私強いよ。すーちゃんよりも」

鈴「…っ、う、嘘でしょ……?」


依咒は妖しげな笑みを浮かべ。

言う。


依咒「あははっ、うそうそ」

鈴「……」

依咒「あの子は最強だからねぇ、負ける姿なんて想像できないかな」


そして、思い出したように。


依咒「すーちゃんに一対一で勝てるのなんて、空くらいじゃない?」

鈴「え……?」


鈴「そらって、そんなに……?」


少なくとも、鈴の知っている空丸は。

とてもそんな風には思えない。

実際、戦っている姿を見たことはないが。


鈴「……それも、嘘?」

依咒「これはガチ。空は次元が違うから」


……それが本当だろうが、嘘だろうが。


鈴「……いいの? 敵であるあたしにわざわざそんなこと…」

依咒「え、敵?」

鈴「…え?」

依咒「鈴ちゃんって私らの味方でしょ」

鈴「はい…? そんなわけないじゃん、あたしは忍び……涼狐が襲ってたヱ密たちの仲間だもん」

依咒「あー、違う違う」

鈴「はぁ…?」

依咒「鈴ちゃんは私たちに協力してくれる。そういうのって味方って言わない?」

鈴「あたしが協力する…? なんで? するわけないじゃん」


依咒の一方的な物言いに。

さっぱり訳が分からないといった状態の鈴。

……鈴を見くびり、敵とすら思われていないならまだしも。


鈴「…その協力っていうのは、種のことでしょ?」

依咒「そうそう。鈴ちゃんしか使えないみたいだしね」

鈴「そんなのに協力なんてあたしがするわけないでしょ……そもそもどういう思考回路したら」


“種”という言葉を口にして。

鈴の脳裏にあることが過る。

たしか涼狐は、ヱ密の種を欲しがっていた。

……と、いうことは。

今、ヱ密は。


鈴「…えみつんは、この城にいるの?」


依咒「いるよ」


“種”を奪われたのか。

それとも、まだ奪われていないのか。

そのことを鈴が訊こうとした時。


ガラッと、扉が開く音。


その方向を見ると。

涼狐と一緒に入ってきた、二人の女。


依咒「…遅いっ! 空も御殺(みころ)も!」


空「いやぁ、今日集まるなんか聞いてなかったし。ねぇ? 御殺」

御殺「うんうん、完全に依咒さんの気まぐれだよねっ」

涼狐「困ったもんだよねー、ホントにこの人」


依咒「えー、すーちゃんまでー……?」



涼狐、空、御殺、依咒。


こうして鈴の前に、四人の探偵が集まった。



──……。



依咒「…さてと、じゃあ始めよっか」


御殺「え? 結局何するの?」

空「鈴の歓迎会とか?」

依咒「あ、それ採用」

涼狐「なら適当に食事も持ってきてもらう?」


鈴「……そんなの、しなくていい」


涼狐「…だね。なんかこの子、私たちのことを勘違いしてそうだから」

依咒「私なんてさっき襲われちゃったし」

御殺「あー、だからかー、さっきからすんごい睨まれてると思った」


空「鈴」


鈴「……そら」



……なんというか。


心の中が、気持ち悪い。

いろんなものを放り込まれて、ぐるぐる混ぜられたみたいに──。


二度も妙州を、ヱ密と空蜘を襲った涼狐。

逃げる鈴たちを追い掛けて、立飛と紅寸と牌流を襲った御殺。

幾百もの兵を里へと仕向けた依咒。

ずっと里の皆を騙し続けてきた空。


誰一人として、絶対に許せない筈なのに。


……この空気を懐かしく感じている自分がいた。


何とも言い表せられない気持ちを抱えたまま。

鈴は口を開く。

そして、訊く。


……まずは。



鈴「……どうして、あんなことしたの…」


涼狐「あんなことって?」


鈴「妙州を襲ったこと」


涼狐「それはもう鈴だって知ってるよね?」

御殺「目的は回収」

依咒「最初の時点では、空と鈴ちゃんとスマホとヱ密の種の四つ……だっけ?」

空「そこで鈴とヱ密は回収しきれなかったから、もう一回お邪魔したってわけ」



涼狐「…てか、その時点で勘違いしてるよね」


鈴「え…?」


涼狐「今言ったように私たちは回収の為にそっちに行っただけ。だから別に襲うつもりなんてなかったよ」

涼狐「そっちが攻撃してきたり逃げたりするからさー」

御殺「仕方なくだよね、仕方なく」

空「鈴たちが抵抗しなかったらさ、誰も傷一つ負う必要なんかなかったの」


鈴「そ、そんなのっ……いきなり来て、よこせついてこいなんか言われて、はいわかりましたなんて言うわけないじゃんっ!」


涼狐「まぁそれに関しては悪いと思ったよ。だから、ちゃんと殺さなかったでしょ?」


鈴「…っ、じゃあ、みんなは、生きてるの……?」


涼狐「私は殺してないけど。御殺は?」

御殺「しないしないっ、そんなこと」


……その信憑性は定かではないが。

二人が言うには、誰も命を落としてはいないらしい。


鈴「みんなは、どこにいるのっ…!?」


涼狐「さぁ? あの山のどっかに転がってるんじゃない?」

空「もうさすがにそこにはいないでしょ…」

御殺「どこかって、まぁ捜すのは簡単だけどね。私たち、探偵だし」


鈴「……もうみんなに、酷いことしないで…!」


涼狐「……ホントにこの子、私なの? ちょっとアホすぎない?」

涼狐「だからさぁ……何回も言ってるじゃん。私たちは別にあの忍者たちが憎くてあんなことしたんじゃないって」

涼狐「だからもう目的は果たしたんだから、わざわざそんな面倒なことしないよ」


鈴「目的は、果たした……って、えみつんの種は…」

鈴「そうだっ、えみつんはこの城にいるんでしょ…!? だったら会わせてよっ!!」


依咒「いいよー」


鈴「…え、いいの……? そんなあっさりと…」


依咒「むしろすぐに会わせるつもりだったし」

空「鈴からもさ、ヱ密を説得してよ。いい加減、種を渡してって」

涼狐「あ、そっか。あの人の種だけまだだっけ」

御殺「あれさえ手に入れば、もう準備整うのにね」


……ああ、そういうこと。

ヱ密が堪えているのなら、自分もこの人たちの言いなりになり、動くわけにはいかない。


というか、鈴はずっと疑問に思っていた。


この四人が何を企てているかはまだわからないが。

“種”を欲していることと、鈴をここに拐ってきたこと。

……この二つが織り成す意味。

即ち、鈴が“種”を発動させることが計画の必須条件である筈だ。

勿論、鈴が自らこれに協力してやる義理など無い。

しかし。

依咒は、鈴が自分たちに味方するのは当然みたいな考えを持っている。


……これは、一体。


鈴「ていうかっ、あたし協力しないからね! 大切なものをぶち壊しにされて、そんな気になれるわけないじゃんっ!」

鈴「戦うのは強いくせに、頭はおめでたいんだね。へー、人生楽しそー」


たっぷりと皮肉を込めて、言い放った鈴。

……だったが。


涼狐「え、でもあんたの方がおめでたい頭してるでしょ」

御殺「ちょ、直球すぎ…」

空「まぁ、あの里でも鈴はアホで有名だったしね」

依咒「てことは、賢いのがすーちゃんでアホなのが鈴ちゃん。分かりやすくてよくない?」


鈴「うっさいっ! そもそもそらはよくみんなを騙せてたよねっ、じゃりゅにょさんに気付かれてたら殺されてたよ!?」


涼狐「空が? なんで?」


鈴「はぁ…? なんでって、そりゃ探偵ってことを隠して忍者の里に入り込んでたんだからバレたら絶対殺されてるよ」


御殺「でもあの屋敷にいた間は、空さんはたしかに忍者だったでしょ?」


そう、空丸は妙州の忍びだった。

これは蛇龍乃が最も不思議に思っていたこと。

普通に考えれば、あの蛇龍乃が見抜けないわけがないのだ。

鈴だって殺せと命じられ、本気で考えていた瞬間もあった。

いくら探偵といえど、忍者に囲まれた環境下でそこまで隠し通せるものなのだろうか。

少なくとも鈴には、あの空丸はスパイだなんてとてもそんな風には見えなかった。

あそこにいたのは、心も体も忍びの空丸。

鈴だけじゃなく、蛇龍乃も、他の皆もそう思っていた筈だ。


依咒「あの期間の空は探偵としての自我なんて持ってなかったから、ボロが出るわけないよね」

空「まぁ少し怪しまれてはいたみたいだけど。そこはさすが頭領と褒めてあげてもいいんじゃん?」

涼狐「でも、そこまでが限界」


鈴「……どういうこと? そらはそらじゃないの?」


涼狐「空は空だよ。でも鈴が知ってる空は、ただの代替品だったってだけ」


鈴「代替品……? 術とかトイズとかで偽物を作ってたってこと……?」


だとしたら、ますます納得がいかない。

蛇龍乃は封術を何度も試みていた。

なんらかの異能によるものならば、それで化けの皮が剥がれないわけがないのだ。


依咒「あははっ、忍者の頭領ごときが空を上回れるわけないじゃーん」

涼狐「ついでに言えば、空が探偵ってこともちょっと違ってるかな」


鈴「…え? 四人は探偵でしょ? あたし知ってるもん!」


御殺「うん、それは間違ってないよ。ただ、依咒さんと同じく探偵だけってわけじゃなくて。本職は向こうの方」

涼狐「空は多才だからね。依咒ちゃんも依咒ちゃんで城主とかしてるわけだけど」

依咒「私は本業が探偵だもん。ま、ここで偉そうにしてるのもそれはそれでかーなり楽しいけどねっ」


鈴「……??」


……なんともややこしい。

整理すれば、こうだ。

涼狐、空、御殺、依咒の四人は。

鈴も知っている通り、あの四人組の探偵。

これに間違いはない。


しかし、依咒はここの城主も兼ねている。

ただ、依咒の場合、本業は探偵、と。

そして空は、というと。

探偵の他に主としているものがあるらしく。

……勿論、それは忍びというわけではなく。


先程、依咒は空が涼狐よりも強いと言った。

……それも何か関係しているのか。



鈴「……そらは、一体何者なの?」


当然、この疑問が出てくる。


鈴「……教えてくれるんでしょ? あたしの知りたいこと全部」


依咒「いいよ。あー、でもそれを話すにはあっちの件も併せての方がわかりやすいかも」


鈴「あっちの、件……」


涼狐「鈴が一番知りたがってること。“種”を使って私たちが何をしようとしているのか」

御殺「協力してもらわなきゃだから知っておいてもらわないとね」

空「期待してていいよ、鈴。きっと鈴も喜ぶから」


鈴「……」


依咒「とりあえず……ここじゃ雰囲気出ないし。行こっか、外」


鈴「へ…? 外?」


──……。



連れていかれた、外。

……といっても、城外と言えるのか言えないのか。


城の天守閣──。


そこに、鈴はいた。

気が付けば辺りは暗く。

空には。

ばら撒かれたように、輝く数多の星々。


まるで宝石箱を引っくり返したような夜空を背に。

依咒は鈴に問う。



依咒「鈴ちゃんにとって、この世界は何だと思う?」


鈴「えっ…」


唐突な質問。


鈴「……あたしが、暮らしてた世界とは……違う世界」


依咒「ならどう違う? 環境とかじゃなくて、その二つの位置関係は」


鈴「位置関係……?」


まず真っ先に考えたのが、タイムリープ。

よくありがちな。

過去か、未来か。


……だが少し考えて、それは絶対に有り得ないと結論。


何故なら。

未来にしては文明が衰退しているし。

過去にしてみれば、“江戸”という言葉が通じないのはそもそもおかしい。


……それになにより。


『時間』という影響を受けてのものならば。

自分が知っている人物が存在している筈がないのだ。

子孫、祖先とも違う。

あの人たちは私の知ってるあの人たちで、この人たちは私の知ってるこの人たち。


存在する、世界と世界。

それが前と後ろではないとしたら。


右と、左。

上と、下。

裏と、表。



依咒「どれも不正解。裏表はちょっと惜しいけど。でも、そこに位置関係なんかないよ」


依咒「鈴ちゃんの知ってる二つの世界。それらの関係を表すとしたら──本物と、偽物」


鈴「…………」



ここで一つ。

わからないことだらけのこの状況で。

更なる疑問が浮かぶ。



……というか。

それはこの城に来てから、ずっと引っ掛かっていたことであった。

依咒と話をしていると、それはだんだん濃さを増していって。

これに関しては決定的に、里の皆とこの四人とでハッキリと異なっている。


……それは。



どうして、この四人は。

こうも当たり前のように。



こことは違う世界の存在を受け入れているのか──。



それは本当にそれが在ると確信しているように。

当然、鈴からしてみれば、別の世界は在る。

だが、これを信じられるか信じられないかといえば。

……もし自分が逆の立場なら、絶対に笑い飛ばしていたに違いない。



鈴「本物と、偽物……?」


空「ここで鈴に質問。この世界と鈴の元いた世界……本物はどっちでしょう?」


鈴「そ、そんなの……」


もし仮に、依咒が言うように。

どちらかが本物で、どちらかが偽物とするなら。

……鈴にとっての本物は、元の世界ということに。


が、この世界での皆との日々。

それを偽物などとは、呼びたくはなかった。


答えを躊躇うそんな鈴に、涼狐は。


涼狐「この世界は、偽物」


鈴「え…?」



……てっきり自分を否定するための問いだと思っていた鈴は、目を丸くする。

だが、この世界の自分がそう口にした。

ということは。



鈴「……涼狐、自分がなんて言ってるか、わかってる?」


そう、それが意味することは──。


鈴「……それってあたしが本物で、あんたが偽物ってことじゃん」


涼狐「そうだよ」


鈴「それでいいの……?」


涼狐「いいけど。まぁ一つだけ訂正するなら、偽物は私一人だけど、本物は鈴一人じゃない」


鈴「……?」


まるで意味がわからない。

そもそもこの、世界がどうとかって話になってからというもの。

疑問は膨らむ一方なのだが。


空「わかりやすく例えると、多角柱」

空「バランス良く組み立てるとさ、底になるのは一面だけ。そしてその他の面は、全部本物の世界」

依咒「そう、その底こそがこの世界ってわけ。わかる? 鈴ちゃん」



鈴「…………なんとなく言ってることはわかるよ。裏面がここ、表面はすべて本物の世界がいくつも並んでるって」


鈴「でも、それを信じろって? そもそもただの探偵になんでそんなことわかるの?」


涼狐「あはは、そりゃ探偵だからね」

御殺「探偵に曝けないものはないよ」

依咒「それが世界の、世界を越えた理であってもね」


涼狐「……それに、ただの探偵じゃない。さっき言ったでしょ? 空は」


涼狐が空に目をやる。

それに釣られて、鈴も空を見ると。



空「…………」


……目を閉じたまま。

銀色の鎖が装飾されたいる白い杖を、空に掲げる空。


シャン…


シャン…


鎖が二、三度鳴る。


……すると。



鈴「え……?」



まるでスポットライトに照らされたかのように。

空が立っている辺りが、白く眩光。



鈴「な、なに、これ……」


涼狐「あの星たちはね。今、空に向いてるの。空だけのために輝いてる」


鈴「冗談、でしょ……そんなこと、あるわけ」


御殺「あるよ。空さんは、星詠みの巫女だもん」


鈴「み、巫女……?」


依咒「天に愛されてる空を、忍者がどうこう出来るわけないでしょ?」



……忍びの間で、こんな言葉がある。


『闇を背負いし忍びに光は射さない、故に天に愛されることなど無い』


皮肉にも。

これこそが、空が蛇龍乃の上を往くとされる理由。


──……。



空「ほい、どうだった? 鈴」


無茶苦茶だ。

それこそ、天地を揺るがすほどの無茶苦茶な光景を見せつけられた。

巫女。

先程言ってた本職というのが、これ。

……探偵兼、忍者兼、巫女。

これだけ聞いても、無茶苦茶だ。



鈴「……里では、わざと弱いふりしてたってこと」


空「えぇ……」

涼狐「ばいやー……鈴がアホすぎる」

御殺「こ、ここまで…?」

依咒「鈴ちゃん、さっきすーちゃんが言ってたの覚えてる? もー、しっかりしてっ!」


鈴「へ?」


涼狐「代替品って言ったでしょ……ここまできたら自然と察しない? 空っぽの器を創って、そこに忍者としての空を注いだってこと」


鈴「……はぁ? あー、もうなんでもいいや……」

鈴「で、そらがすごいのはわかったけどさ……これが涼狐たちの企みとなんの関係があるの?」


涼狐「…………」


鈴の理解力の無さに。

……涼狐は戦慄した。


涼狐「……空、あとはまかせたー。私、もうやだ」

空「まぁ、いいけど…」



空「鈴、さっき私が言った多角柱のように織り為って創造されてる幾つもの世界の集合体については覚えてる?」


鈴「……まぁ、うん……信じてないけど」


空「信じようが信じまいがどっちでもいいけどさ、私たちがやろうとしてることを簡単に説明すると」


空「──その多角柱を引っくり返す」


鈴「……は? はぁぁ…!?」



鈴「……えーと、ぐるって回ってだから……それって!あたしたちが空に落っこちちゃうじゃんっ!」


御殺「え?」

涼狐「ど、どんだけアホなの……」

依咒「鈴ちゃん。なにも物理的に引っくり返すわけじゃないから」

空「鈴、あのね…」


……空が言うには。

虚数、そして揺らぎの、その二つ向こう。

十三次元への干渉というわけだ。

異世界同士が密接し合う、虚の揺らぎ。

それを、再構築。

そして、再創造。

破壊することなく、その在を逆転させる。



鈴「なるほど……壮大すぎてまったくわかんない。空は神様かなんかなの? そんなこと出来るわけないじゃん」


空「うん、私は神様なんかじゃないから。出来ないよ」

鈴「ほら…」

空「…私一人の力じゃね」


鈴「え?」



空「…たとえば」


空は袖口からスマホを取り出し、鈴に渡す。


鈴「え? 今更、返されても…」

空「じゃなくて、なんでもいいから使ってみて」


空「……“種”を」


嫌だ。

それに、種の使用は蛇龍乃にも禁じられている。

……だが。

空が何をやろうとしているのか。

それが気になって。


鈴「……うん」


鈴は種を発動させた。

画面が白く発光し。

……そこから、淡い糸が現れる。


以前と同じ。

繊毛のようなのが僅かに伸びる。

それだけ。

鈴には、空蜘のようには扱えない。


鈴「……これがどうしたの」


そろそろ糸が消える。

鈴が空の方を見ると。


空「……」


白杖をスマホに向け。

鎖を鳴らす。

すると。


鈴「きゃっ…!?」


消えかけていた糸が。

閃光。

爆発。


強い光を放ち、弾けた。


……そして。



鈴「なっ……ぇ……えっ……!」



何処までも続く、巨大な魔方陣のように。

星は輝きを遮られ。

空を埋め尽くしてしまうくらいに。

張り巡らされた。

糸。

糸。

糸。

……無限の糸。


それを例えるならば。


蜘蛛の巣──。


夜空一面に、蜘蛛の巣が展開されていた。




空「ふぅ…」


空が白杖を振ると、一瞬にしてそれが消える。


先程の光景が錯覚だったように。


……空は、偉そうに広がり。


……星は、誇らしげに輝く。



鈴「…………」


ただ呆然としている鈴に。


依咒「……種に関していえば」


依咒が口を開く。


依咒「空は零を一にすることは出来ないけど……一を千にも億にも、それ以上にすることは出来る」

依咒「だから、零を一にするのは鈴ちゃんの役目ね」


鈴「……これで、世界を引っくり返せるっていうの……?」


空「まさか。たったこれだけで出来たら苦労はしないよ」

御殺「うん、だから私たちは」

涼狐「“種”を集めてた」


鈴「……だからって、あたしは……、あたしがいなきゃ、こんなの出来ないってことでしょ……? そんなの、あたし……」


御殺「協力してくれる? 鈴ちゃん」

依咒「断るわけないよね」


鈴「こ、こんなおそろしいこと……やだよ、あたし」


涼狐「そこのアホ。まだわかんない?」

鈴「え? なにが…」

涼狐「空の力、見たでしょ? 数え切れないくらい無数の異世界と干渉する……だったら、こう思わない?」


涼狐「鈴が元いた世界を見付けることくらい極めて容易いでしょ」


鈴「え……? あたしの、世界……」



久しく思い出していなかった、自分の世界。

戻れなくても構わないとさえ、既に諦めていたのに。

それが今。

こうして、誘惑のように。


……思い起こされる。



鈴「……あたし、帰れるの?」


依咒「私たちの計画に参加してくれるならね。ていうかそうしてくれなきゃ困るけど」


鈴「計画……」



十三次元への干渉。

異世界同士が密接し合う、虚の揺らぎ。

再構築。そして、再創造。


“種”を使って為されようとされる。


糸、

封、

偽、

影、

緋、

血、


何が必要で何が不必要なのか、鈴には到底解らないが。

……ただ、一つ言えることは。

もう一つの“種”が不可欠、という事実。


もし、全てが揃えば。


……それは即ち。


異世界に、理想郷を築く。



依咒「……名付けて、【Xenotopia】計画──!!」


────…………。



……少し遡り。


妙州の里の屋敷。


そこには、数え切れないくらいの兵の死体が転がる。


生きてる者はとっくに撤収した後だ。


ザッ…


そこに足を踏み入れる、一つの人影──。



牌流「……やっぱ誰もいない、か」


牌流「……当然だよね」



……あの時、鈴を逃がした後。

御殺に追われ。

そして、すぐに追い付かれた。


だが、無傷。

牌流は掠り傷一つ負ってはいなかった。


御殺は追っていたのが鈴ではなく、牌流だと気付いた瞬間。

興味を失ったように。

颯爽と何処かに消えていった。



牌流「鈴ちゃん、ちゃんと逃げられたかな……」



……御殺が去った後。

兵が退くまで、隠れやり過ごした牌流は。

妙州の森を走り回って、皆を捜した。


……が、誰一人見付からず。


立飛や紅寸が倒された場所に行っても。

そこに二人の姿は在らず。


牌流「連れていかれた……ううん、あいつらは鈴ちゃんだけを狙ってたから……」


だとしたら。

意識を取り戻し、自力で逃げたか。


ここに戻れば、誰か戻ってきているかと淡い期待を持っていたが。

やはり、誰も。


牌流「……?」


そんな時。

一羽の鷹が、牌流の目の前に。


牌流「これって、もしかして……」


留まる意味を見付けた牌流は。

一人、屋敷の中へと足を向かわす。



地獄絵図のような外とは対照的に。

屋敷内は、綺麗なままだった。



牌流「……」



またいつあの日々が戻ってきてもおかしくない。


……そんな風に思えて。



いつものように、御飯を作り。


いつものように、縁側に座って外を眺め。


いつものように、風呂に入り。


いつものように、就寝する。



──……。



……そして、牌流がここに戻ってきてから丸一日が経った頃。


ガラッ……


屋敷の入口が開く音。


気配。


足音。


……こちらに向かってくる。




牌流「おかえり、立飛」


立飛「ただいま。牌ちゃん」


その姿は痛々しく。

右腕をサラシで吊っており。

左腕は、ぷらんと力無く垂れ下がっている。


牌流「大丈夫?」

立飛「あはは…、両方ともイカれちゃった」

牌流「とりあえず、手当てしよっか」

立飛「ごめん、よろしく」



立飛の手当てをしながら。

牌流は立飛が気を失ってしまってからのことを話した。



立飛「ふぅん……じゃあ蛇龍乃さんと鹿ちゃんは上手く逃げられたのかな」

牌流「んー……さぁ?」

立飛「あの二人なら大丈夫でしょ。鹿ちゃんもやる時はやるし、多分……」

牌流「紅寸と、ヱ密に空蜘……あと、鈴ちゃん……皆、無事だといいんだけど」

立飛「……うん」


……正直、紅寸や鈴はともかく。

ヱ密と空蜘は。

特に敵の目的の一つだったヱ密は、無事という可能性は極めて低い。

牌流と立飛も、わかっていた。


立飛「表の死体の山。あの中に空蜘はいなかったの?」

牌流「うん。一応全部確認したけどいなかった」

立飛「そっか……」

牌流「……うん」


立飛「……これから、どうしよっか」

牌流「……ヱ密を、助けにいく…?」

立飛「何処に?」

牌流「わかんない」

立飛「…だよね。それに、仮に何処にいるかわかったところで助けにいこうなんて思わないよ」

立飛「……それは、忍びのやることじゃない」

牌流「…うん。ヱ密も、そんなの望んでないだろうしね」


牌流「でも、本当にそれでいいの? 立飛」

立飛「……いいよ」

牌流「忍びとして、じゃなくて。ヱ密の友人の立飛なら何て言うのかな」

立飛「……さぁ、どうだろね。わかんない。私は忍びだから」


立飛「蛇龍乃さんだったら、こういう時……なんて言うのかなぁ」



立飛「はぁ……」


牌流「……とりあえず、ここでのんびりしよっか。立飛も、その状態じゃしばらくは何も出来ないでしょ」

立飛「ご迷惑おかけします」

牌流「ふふっ、たまには甘えてくれてもいいのよ? ……立飛はさ、頑張りすぎなんだよ」

立飛「そう?」

牌流「人一倍真面目で、忍びとして真っ直ぐで、一番若いのに皆から頼りにされて……まぁ私も立飛に頼ってばっかりなんだけど」

牌流「……でもそれじゃ疲れちゃわない? ……忍びとしての自分を脱ぎ捨てるのが、怖い?」


立飛「……聞いたの?」


牌流「聞いてないよ。私は知らない、立飛のことは何も。ただ……私が見たまんま感じたまんま、そう思っただけ」

立飛「……」


牌流「忍びとしては正しいよ。捕らえられたヱ密を……仲間を助けたいって思うことは、忍びの志に反してる。見捨てたとしても誰にも咎められない。ヱ密だってそんなこと百も承知でこの場所に残ったんだから」

牌流「ましてやあんな化け物じみた強さの相手なんて、助けられる勝算は限り無く低い……でも」


立飛「牌ちゃんは、どうしたいの…?」

牌流「私は忍びとして優秀とは呼べなくて、まだまだだし、甘っちょろいからね」


牌流「助けたい。また皆と一緒にいたい……って思っちゃう。ヱ密のことも、鈴ちゃんのことも、皆のことも大好きだもん」

立飛「……ずるい」

立飛「私だってっ、皆のこと…」

牌流「知ってる。立飛が皆のこと、誰よりも大好きだって知ってる。忍びとしてじゃなくて、一人の人間として、そう思ってくれてるって」


牌流「立飛は、どうしたい?」


立飛「……そんなの、牌ちゃんと同じに決まってるじゃん。でも、私は忍びだから……蛇龍乃さんがここにいたら、絶対に反対する」

牌流「そうだね」

牌流「だから私、忍者辞めるね」

立飛「え…?」

牌流「勿論、忍者は好き。この里も好き。皆のことも大好き。仲間を救いたいって思うことが忍びとして失格、許されることじゃないなら……私はそれを捨てる」

牌流「ははは、こんな状況になってみてわかったけど……私、この気持ちを無視できるほど忍びに染まりきれてなかったみたい」


立飛「……辞めるって、もし仮にそれで救い出させたとして……どうするの? その後、牌ちゃんは」

牌流「その時は……頭でもなんでも下げるよ。零からでもマイナスからでも、また再スタートする」

立飛「そんな簡単にいくわけ…」

牌流「簡単じゃないよ。何もかも簡単にいかないってことくらいこの身に染みてる。ヱ密を救うなんてそれこそ、ね」

牌流「私一人じゃとても無理だよ。…そこで、一つ提案があるんだけど」

立飛「……私を試してるの?」

牌流「それもあるけど。私は私の我が儘を貫くために、立飛が必要なだけ」


立飛「……」



立飛「……本当に我が儘なのは、私の方だよ」


立飛「忍びとしての強い自分を捨てて、忍びじゃない弱い自分を晒け出す……というか、強くなんかない。弱いから、奪われ、壊された」


……だから。


立飛「牌ちゃん、私と一緒に死んでくれる?」


牌流「ふふっ、それが我が儘? そんなの当たり前じゃん。言ったでしょ? 甘えてくれていいって」

立飛「うん。私もヱ密を助けるために、忍びを辞める」


牌流「はい、よくできました」

立飛「最初からそれ狙いだったくせに」

牌流「あはは、バレてた?」

立飛「バレバレ」



立飛「それで、何か策はあるの?」

牌流「無い」

立飛「めっちゃ即答って…」

牌流「探偵ってことしか今のところ手掛かり無いしねぇ……うーん」


立飛「あー……あるよ、手掛かり」

牌流「へ?」

立飛「ほら、思い出してみてよ。ここを襲ってきたのはどんな人たちだった?」

牌流「探偵」

立飛「と?」

牌流「と…? たくさんの兵、城兵……あっ!」


立飛「あの探偵は、何処かの城となんらかの関わりがある可能性が高いんじゃない?」



……なんらかの関わりがあるどころか。

探偵自身が、紛れもなく城主であることを。

まだ二人は知らない。


牌流「何処の城かわかるの?」

立飛「いやぁ、それはさすがに…」

牌流「なら近くの所からしらみ潰しにあたっていくしかないか」

立飛「うん、地道に」


牌流「でもまぁそういうことなら、私たちに打ってつけの仕事だね」


調査、情報収集、潜入。

牌流と立飛の術の特性から。

そういうものは、二人が誰よりも得意としていること。


牌流「あー、でも立飛はもうちょっと回復してからじゃないと」

立飛「全然平気」

牌流「いやいや、両腕壊されてるのに全然平気って…」

立飛「やること決まったんだからこんな山奥に籠ってて、も、……?」

牌流「……? どうかした?」

立飛「なんか外の様子が…」

牌流「え? 別に気配なんか感じないけど」

立飛「そうじゃなくて、ちょっと違和感が…」


そう言われ、牌流と立飛は屋敷の外に出る。


……屋敷の外。

そこにはやはり人の気配は無く。

夜の闇に、静かに風が吹くだけだった。


立飛「なんだったんだろ、さっきの……気のせいかな」

牌流「やっぱ疲れてるんじゃない? 気を張り過ぎて」

立飛「うーん……」

牌流「とりあえず動くとしても、今夜は休んで明日に」


二人が再び屋敷内へと戻ろうとした。

その時だった。



牌流「……へ?」

立飛「なっ……」



夜空を覆うは、巨大な魔方陣。

……いや、無限の糸。


そう、鈴が空蜘の種を発動させ。

空がそれを展開したものだ。



牌流「な、なんなの……これ……?」

立飛「糸……?」

牌流「…って空蜘の? あれ全部!?」

立飛「…いや、糸じゃないかも……さすがに有り得ないよね」

牌流「ていうかそう言われてみれば、私にも糸に見えてきたんだけど……空蜘の仕業、ってわけじゃないよね…」

立飛「こんなことが出来るなら、あの探偵に敗けたりしないでしょ」


牌流「じゃあ、あれは……」

立飛「……種」

牌流「種……鈴ちゃんが、あれを……?」

立飛「それこそ、有り得ない……か……」



そして。

シーンが切り替わったかのように。

夜空に張っていた蜘蛛の巣は。

一瞬にして消えた。



牌流「……」


立飛「……」


牌流「なんだったの……あれ」

立飛「……私に訊かれても」


────…………。



突如、夜空に現れた魔方陣。

……蜘蛛の巣。


別の場所でそれを見ていた者が。



空蜘「……っ」


……空蜘。


空蜘「り、鈴……?」



やがてそれが消滅した後。

根城へと戻る。


……根城といっても、身を潜め。

体力の回復を待つだけのもの。


そこは。

……洞窟。


空蜘が進むその先には。


もう一人。



空蜘「…あ、やっと目覚ました?」


紅寸「……ここは……皆は……」


空蜘「随分長く眠ってたから、そのうち死んじゃうかと思った」



……空蜘は、涼狐から逃れてから。

満身創痍の体を引き摺って、蛇龍乃たちが逃げた方角へと向かった。


そこでたまたま発見した紅寸を保護し。

とりあえずこの場所に身を隠したというわけ。



紅寸「……皆は」


空蜘「知らない」

紅寸「……ヱ密は?」

空蜘「多分、あの探偵に連れていかれた」

紅寸「……」


そして、しばらく黙った後。

紅寸は。


紅寸「なんで、空蜘はここにいるの……」

空蜘「……」

紅寸「ヱ密を見捨てて……っ、一人だけ、逃げてきたんだ……?」






空蜘「…………ごめん」


紅寸「……っ」



……あの空蜘が謝るとは。

そんな、らしくない姿を見せ付けられ。

紅寸は胸を締め付けられるような衝動に駆られた。



紅寸「……ご、ごめん……私」

空蜘「いいよ、私が弱いだけだから」


紅寸「……空蜘?」


……空蜘の様子が、おかしい。



紅寸「あ、あのさ……空蜘」

空蜘「誰にやられたの?」

紅寸「え?」

空蜘「その怪我。相当めちゃくちゃ酷い状態」

紅寸「…わ、わかんない……いきなり現れて……立飛も一撃でやられちゃって」

空蜘「あの子が、一撃で……」


空蜘「……そっか」


空蜘「…ふふっ……あはははっ…!!」


紅寸「う、空蜘……?」


空蜘「あんなのが他にごろごろいるんじゃ、ますますどうしようもないね。てか、目を付けられた時点でとっくに詰んでた」


空蜘「あんなのに敵うわけないのにね。ムキになって、意地になって」


空蜘「あーあ、私、馬鹿みたい」



紅寸「ど、どうしちゃったの…? 空蜘がそんなこと言うなんて」


空蜘「あはははっ、じゃあなに? なんて言えばいいの?」


空蜘「次こそは絶対に負けない、絶対に殺してやるって? そんなの無理だよ。だってまた負けちゃうもん。何をやったって無駄」


空蜘「最初から無駄だったんだよ。もっと早く気付けばよかったのにね。そうしたら無駄な抵抗なんかしないで、ヱ密でも鈴でもスマホでも二つ返事で与えてあげてさぁ」


紅寸「……っ」


空蜘「こんな惨めな思いをしたり、哀れな姿を晒したりする必要もなかったのにねぇ。全部、無駄だったの。なにもかも全部」

紅寸「うるさいっ!!」

紅寸「皆、必死に戦ったっ……抗ったっ! 空蜘だって皆を守るために必死に戦ってくれたじゃんっ! それをっ、無駄なんて言うなっ!!」


空蜘「…なに? 私に説教?」

空蜘「そもそもさぁ、その必死になって戦った結果がこれ。わかる?」

空蜘「結果を示さなきゃ、どんなに頑張りました死ぬ気で戦いました、なんて言っても意味なんか一欠片も無い。そこに価値も無ければ意味も無い」


空蜘「そういうのなんていうか知ってる? 教えてあげよっか? あのね、無駄っていうんだよ」


紅寸「うるさいっ…!」


空蜘「そんなのもわからないから、いつまでたっても弱いんだよ。鬱陶しいからまた虐めてあげよっか?」


紅寸「…っ、ならそうしてもらおうかなっ、でもそんな腑抜けの空蜘には負けるつもりないからっ!」


空蜘「ふぅん……起き抜けなのに、随分と威勢が良いんだねぇ? 弱いくせに」


紅寸「弱いのはそっちでしょ、たった数回負けたくらいで情けなっ!」


空蜘「……まぁ、けど……今のはちょっとムカついたから、うっかり殺しちゃうかも」



時間が経って、ある程度は回復した空蜘と。

腕と肋骨を折られ、更には術の副作用も完全には抜けきっていない紅寸。

元々の実力差も相当だが。

そのうえこの状態ともあれば、勝ち目など僅かにすら見出だせないだろう。


……それでも。


紅寸「はぁぁぁあああっ!!!!」


腕は使えない。

動くだけでも、肋骨が軋み。

激痛が、容赦なく体を襲ってくるが。


空蜘に近付き、痛みに耐えながらも。

蹴りを放つ。


空蜘「……」


空蜘はそれをなんなく片手で受け止め。

紅寸の小さな体を、蹴り飛ばす。


ドスッ──!


紅寸「うぁぁぁっ…!!」



倒された後も。

紅寸は、直ぐ様起き上がり。

空蜘へと突っ込む。


……が、同じこと。


ドスッ──!


紅寸「ぁぎゃぁっ…!!」



倒れて、起き上がり。


また倒されては。


起き上がり。



……何度も、繰り返す。



ドスッ──!!


紅寸「うぅっ、ぐぅぅぅっ…!!」


空蜘「……」


またしても起き上がろうとする紅寸に。


ドスッ──!!


非情なほどまでの。

蹴り。


紅寸「ぁぎゅっ、ぐぅっ…! ふぅっ、ふぅっ…!」


空蜘「……無駄だってことわかんない?」


空蜘「もっと賢くなりなよ……ねぇ? ねぇっ!」


蹲る紅寸の頭を踏みつけ。

腹を蹴り飛ばす。


ズドッ──!!


何度も、何度も、何度も何度も──。



紅寸「ぅあっ……ふぎゅ、ぐぅっ……ぅぅううっ……!!」



洞窟内に、紅寸の呻き声が。

……響く。



空蜘「……っ」


空蜘「お前を見てるとイライラするんだよね……弱いくせに、弱いくせに弱いくせに、弱いくせに弱いくせに弱いくせにっ……!!」


空蜘「弱いお前じゃ、誰も守れない……守れなかった。これから先も、何をやったって一緒っ!!」


紅寸「…っ、う、うるさい……この、腑抜け……っ」


空蜘「偉そうな口叩いてっ、醜態晒してっ、勝てないから逃げて……弱いから、逃げるしかなくてっ!! 無様過ぎて、ホント笑えるよっ…!!」


空蜘「いい加減わかれよっ…!! 弱いやつが何をやったって、無駄なんだよっ!! 弱いのが悪いのっ、何もかもっ!! ぜんぶっ!!」




紅寸「ぁ……うぅっ…、ふぅっ、ふぅっ、空蜘……さっきから、…………誰に言ってるの……」


紅寸「そうだよ……っ、空蜘が言ってる通り、今の空蜘……弱いよ、カッコ悪い……」


空蜘「……うる、さい……っ、黙れ……!」



……もう何発目だろうか。


空蜘が紅寸の顔面に。


蹴りを叩き込む──。


しかし。


ガシッ──!


紅寸「…ぅうっ、ぁぁうううっ……!!」


なんと。

紅寸はそれを受け止めた。

折れている筈の、両腕で。


空蜘「……」


紅寸「今のあんたなんか、全然恐くない……っ、無様で、惨めで、誰よりも弱い……強さの欠片なんて、一片足りとも残ってないくらいに」


そう言って、紅寸は。


空蜘のふくらはぎに。


噛み付いた──。


……吸血。


本来、自らの能力を高める術。

なのだが。

血を吸われ過ぎた相手は。

行動不能に陥る。


当然だ。

相手の血を吸い尽くせば。

能力を高める以前に。

……吸われた方は、死ぬ。


ただ、むざむざと吸われ続ける者などいない。

……筈なのだが。



空蜘「…………」



……空蜘は。

黙って、それをただ眺めていた。

空蜘なら、紅寸を払い除けることなど。

極めて容易であるだろうに。


……しかし、それをしない。


まったく抗おうとしないまま。



……そして、やがて。



空蜘「……ぅ……っ、ぁ……はぁ、はぁ……っ」


その場に崩れ込む、空蜘。



紅寸「……なんなの……っ、何もしないとか……あんたは本当に、あの空蜘なの……?」


空蜘「ぁ……はっ、ぅう……ぁ……はぁっ……はぁっ……ぅ……」


紅寸「起き上がって、私を殺しにきてよ……気に入らない奴は、絶対に殺すんじゃなかったの!?」


紅寸「いつもそう言ってたじゃんっ…!!」



空蜘「ぁっ……、ぁ……はぁ……はぁ…………っ……」




紅寸「…………もういい」


紅寸「弱いあんたなんか……必要ない……っ」



紅寸は、空蜘を放ったまま。

洞窟を後にした。






空蜘「……ぁ……うぅ、はぁっ……ぜったいに、ころ、す……なんて……」


空蜘「……私は、よわい……むり、だよ…………なにを、やったっ、て…………無駄……」


空蜘「…………そっか……私、言ってたっけ…………絶対に、殺す、って……」


空蜘「……はは……っ、そんなこと……できもしない、のに……っ、…ばっかみたい……」


────…………。


遡り、少し前。



鹿「……は? 今なんつった?」

蛇龍乃「ん?」


皆の犠牲のうえ、無傷で逃げ延びた鹿と蛇龍乃。

二人は妙州の山から少し離れた山小屋。

そこに身を潜めていた。



蛇龍乃「なんかおかしなこと言った? 私」


鹿「……これから、何処に行くって?」

蛇龍乃「西。前に言っておいたっしょ? あれ? 言わなかったっけ?」

鹿「い、言ってたけど、さ……それは皆一緒だったからのことで」

蛇龍乃「うん?」

鹿「ヱ密と空蜘、他の皆とだってバラバラになっちゃった今じゃ、そんなの……っ、もっと他にやることあるでしょ!?」

蛇龍乃「やることって?」

鹿「戻って皆を探しにいくとか、とりあえず屋敷に戻って……立飛と紅寸だって、まだあそこにいるかもしれないし」

蛇龍乃「なんで? せっかく命辛々ここまで逃げてきたのに、わざわざ戻る…?」

鹿「いやっ、あの兵の大群だってもう退いたみたいだしっ」

蛇龍乃「退いてなかったら? もしあの探偵がそこに留まっていたとしたら? 殺されにいくようなものじゃん」


鹿「…っ、見捨てるの…? 放っておくの? 皆は体を張って私たちを逃がしてくれたのにっ、そんなのっ…」


蛇龍乃「だから、だろ?」


蛇龍乃「自分で言ってるじゃん。皆、犠牲になって私たちを逃がしてくれた。だったらこのまま安全な場所まで逃げることが、私たちの使命。違う?」

鹿「そ、そうだけど……っ、間違ってないけど、さぁっ……でも、何も思わないの? 皆に対して思うことはそれだけなの!?」


蛇龍乃「……もう終わったんだよ、あの里も。私たちも。何もかも壊され、奪われた」


蛇龍乃「残ったのはこの命だけ。なら大切にしなきゃね」


鹿「……っ」



蛇龍乃「さて、休憩終了。そろそろ行くぞ、鹿。夜目は私たちの方が利くから、今のうちに探偵がうろうろしてる危険地域からとんずら」

鹿「……」

蛇龍乃「鹿? ……馬鹿なこと考えてない?」

鹿「……仲間を心配することが、そんなに馬鹿なことなの……?」


蛇龍乃「忍びなら、そうだな」


鹿「…っ、……この、腰抜け」


蛇龍乃「ははっ、我が身可愛さに臆病なくらいが丁度良いんだよ」


蛇龍乃「一時の感情に振り回されるなんか、愚かとしか言えないな」


蛇龍乃「現段階での最悪の状況を教えてやろうか? ヱ密と鈴は奴等に捕らわれた。空蜘、立飛、紅寸、牌流は殺された。敵が本気だったら、私たちもあっさり殺されてただろうね」


蛇龍乃「もし生き延びた者がいるとしたら、それは敵の慢心か、殺す意味すらもないといったところか。よって、私とお前は情けで生かせてもらったにすぎない」


蛇龍乃「だったら有り難く、見逃してもらったこの命、謳歌することにしよう」



鹿「……あんたが、そんな冷たい人間だとは思わなかった」

蛇龍乃「私はお前がそんな熱いハートを持ってる奴とは知らなかったよ。私の目も衰えたかな、はははっ」

鹿「……っ」


……と、そんな時。


鹿「…っ!?」

蛇龍乃「……」



夜空に広がる、魔方陣のような蜘蛛の巣──。



鹿「な、なに、これ……」


蛇龍乃「…………」


鹿「まさか、空蜘……?」

蛇龍乃「……いや、“種”の方かな」

鹿「種……てことは、あれって……鈴が……」

蛇龍乃「鈴にはあんな真似、とてもじゃないが不可能だろ……まぁ、あれが種には違いないだろうけど」


蛇龍乃「…………と、すると……」



蛇龍乃「…………」


鹿「鈴は、生きてる……」


蛇龍乃「そりゃそうでしょ。鈴を殺す機会なんていくらでもあったし、それをわざわざ連れて帰ったってことは鈴を何かに利用しようとか、そういうんじゃない?」



……やがて。

空を埋め尽くしていた魔方陣は消え。


そして、蛇龍乃は。


蛇龍乃「さぁ行くぞ」

鹿「……行くって?」

蛇龍乃「何度言わせんだ……西だっつってんだろーが」

鹿「今の見て、何も思わないの…? 鈴が利用されてるのを見ても、どうにかしようとか、そういうの全然思わないの……?」


蛇龍乃「関係ないね、私には」


鹿「…っ、このっ…!!」



忍びとしては当然の選択。

だが、人としてあまりに冷酷な蛇龍乃の言動に。

憤った鹿は。


殴りかかった──。



……が。



結果としては。


その拳は届かなかった。


蛇龍乃が避けたわけでも、鹿が狙いを外したわけでもなく。


文字通り。

それは届くことはなかった。



蛇龍乃「…………」


鹿「……っ、そんな力を持ってながらっ……なんでっ……!」

鹿「あんただったら、鈴たちを助けることも……出来るんじゃないのっ……!?」


蛇龍乃「……」


蛇龍乃「頭領の私に向かって拳を振るうとか、どういう意味かわかってる?」

蛇龍乃「まぁ今のは見なかったことにしてあげるよ。……で、最後にもう一度だけ訊くけど」


蛇龍乃「行くぞ? 鹿」


鹿「……」


蛇龍乃「……そうか」


蛇龍乃「……死ぬなよ、鹿」



鹿「…………望み通り、死んでやるよ──」




……決別。


夜の闇へと、消え行く。


蛇龍乃は、鹿の前から。


……姿を消した。


────…………。



城内の一室。

そこに眠っている一人の少女(当時二十九歳)。



鈴「すぅ……すぅ……ん、ん……?」



鈴。

部屋に入ってきた何者かの気配を察して。

目を覚ます。


鈴「ん……あー、なんだ涼狐か」


涼狐「鈴ってアホなくせに、こういうのには敏感だよね。起こす手間が省けて助かるわー」


鈴「アホアホ言うなっ! ……まぁ忍びの鍛練受けてきたから、これくらい…」

涼狐「…ふーん」


鈴「……で、なんか用…?」


……鈴は涼狐を睨み、言う。


涼狐「なんか機嫌悪そう。寝起きだから? 私のことが嫌いだから?」

鈴「その二つは大正解。それに……あたしを拉致ってきたこと忘れてんの? それでヘラヘラしてられると思った?」

涼狐「うん」

鈴「やっぱあんた嫌い…」


涼狐「あれ? あの話聞いたからてっきり喜ぶと思ったのに。ちゃんと理解出来てなかったのかな……アホなのって可哀想」

鈴「理解はしてるからっ!」

涼狐「じゃあそんないつまでもうじうじしてる必要ないじゃん。鈴にとっても嬉しいことには変わりないでしょ?」


鈴「それは……そう、だけど……」



涼狐「……で、別にあんたに直接用事ってわけじゃないけど。この計画を遂行するにあたって足りないものが一つある。何かわかる?」

鈴「……えみつんの」

涼狐「そうそう。なんだ、わかってるじゃん」

鈴「……」


どうやら、ヱ密はまだ涼狐たちに種を渡してはいないようで。

涼狐が鈴を訪ねた目的。

……それは。


涼狐「じゃあ、よろしくね」

鈴「あたしに、えみつんを説得しろって……?」

涼狐「うん。そうしないと鈴だって自分の世界に戻れないわけだし。このまま種が手に入らないと私たちだって困る」

涼狐「利害の一致ってわけ。それに、あの人に会いたいでしょ?」


鈴「……うん」



そんな会話があって。


部屋を出て、涼狐に連れていかれた先。


いくつもの階段を下って。


ヱ密が幽閉されているという場所。


そこは。


……どうやら、地下のようだった。

清麿「なんだこれは……一定の文法法則すら……ん?」

清麿「第一の術……ザケル……?」

ゼオン「高翌翌翌嶺清麿……お前がオレのパートナーか」

清麿「どうしてオレの名を?」

ゼオン「お前の父の頼みで教育係をすることになった」

清麿「教育係? ふざけるな! なんでガキに……」ピカーン

清麿「うわあああ」

ゼオン「バカめ、呪文をとなえやがって」

清麿「お前何者だ――」

ゼオン「オレは魔物だ」



涼狐「ここね」



……まるで。

猛獣でも隔離しているかのような。

頑丈そうな鉄の扉。

そのうえ、いくつもの南京錠で施錠されている。



鈴「この中に、えみつんが……」


涼狐が鍵を外し、扉を開けると。



ヱ密「ん…? あ、涼狐」


涼狐「こんにちわ」

ヱ密「どしたの? 御飯?」

涼狐「朝に持ってきたばっかじゃん。もうお腹空いたの?」

ヱ密「だって退屈だし。やることないし」

涼狐「それが嫌ならさっさと種を提供してくれたら、すぐにでも解放してあげるって言ってるのに」

ヱ密「それは無理」

涼狐「頑なだなぁ、この人」


鈴「……」



……なんというか。


もっと存在な扱いを受けているのかと、想像していた鈴だったが。

それこそ、里に捕らえられていた時の空蜘のように。

暗い部屋に閉じ込め、鎖で拘束され。

……というようなことはなく。


涼狐「まぁいいや。今日はヱ密に会わせたい人がいてね」



ヱ密「あー、久しぶりだね……鈴ちゃん」


鈴「う、うん……元気そうで、良かった」


涼狐「……私いると話しづらいよね。しばらくしたら、また来るから」

涼狐「頼んだよ、鈴」


そう言って、涼狐はここから立ち去った。



鈴「あ、えっと……え、えみつ」

ヱ密「さっきの……涼狐は何を鈴ちゃんに頼んだの?」

鈴「そ、それは……」

ヱ密「まぁ一つしかないよね」


なんと答えるべきか。

黙ってしまう鈴に、ヱ密は。


ヱ密「……あの後、どうなった? 皆は無事?」


鈴「……っ」


……更に黙ってしまう。



ヱ密「…そう」

鈴「でもっ、死んではない……って、涼狐たちが」

ヱ密「うん。あの人たちは本当に種だけが目的みたいだしね」


鈴「……ごめん」


鈴「せっかく、えみつんが逃がしてくれたのに……あたし、こんな所にいて……」


ヱ密「それは鈴ちゃんが気にすることじゃないよ」

鈴「でも……っ」

ヱ密「それより、どうして涼狐は鈴ちゃんに頼んだの? 普通に考えれば、鈴ちゃんがそれに素直に従うとは、とても思えないけど」


鈴「……」


ヱ密「……何か聞いたの? 私は何も知らないから……あ、でも言っちゃ駄目って言われてる?」

鈴「そんなことは、ないけど……」


たしかに、口止めはされていない。

それに、分厚い鉄の扉を隔てているこの部屋。

たとえ涼狐が部屋のすぐ側にいたとしても、会話が聞かれているといったことはないだろう。


そもそも、ただ鈴に言われたから種を提供します。

……なんてことにはならないことくらい、涼狐だって理解している筈。


……鈴は。


涼狐の、空の、いや……あの四人の計画を。


ヱ密に話す。


──……。



ヱ密「……へぇ、素直に驚いた。てか、そんなの想像の範疇を軽く上回ってるよね」

鈴「あたしも、まだ信じられない……けど、あんなの見せられたらそれも……」

ヱ密「……空丸が巫女ねぇ、ちょっと面白いかも」


ヱ密「なるほど、たしかに鈴ちゃんにとって元の世界に戻ることは何よりも望むことだし」


鈴「……っ」



この世界と、元いた世界。

……どちらかを選べと言われたら。


偽物と言っていた。

だが、鈴はこの世界で皆と過ごしてきた日々。

それは、鈴にとって紛れもなく本物と呼べるものであって。

本物だとしても。

どちらかを選ばなくてはいけないのだとしたら。


……揺れ動いてしまう。



ヱ密「……別に鈴ちゃんが私を騙そうとしてるなんて、思ってはないけど。私は鈴ちゃんの言葉を信用している前提で言うと…」


ヱ密「それ、本当なの?」


鈴「え……?」


ヱ密「鈴ちゃんが涼狐たちから聞いた話を全部とするなら、疑問に思うことはいくつもある」


ヱ密「第一に、今言ったようにその話が真実であるのか。空丸がそんな力を持っていたとしても本当に実現可能なのか。それを実現したとして、この世界はどうなるのか」


ヱ密「聞けば聞くほど利益しか出てこないからさ、不利益が一切無いなんて、そんな話ほど鵜呑みには出来ないよね」


ヱ密「まぁ鈴ちゃんにしてみれば、元の世界に戻れるのならどうでもいい。そう思うことは当然だけど、そもそも本当にそれが可能なのか」


ヱ密「目の前で有り得ない光景を見せ付けられて、その勢いのまま信用させられたって邪推するよ、私からしてみれば」


鈴「……」


ヱ密「こうして戦いの場以外で接してみれば、涼狐はそう悪い人のようには見えない。捕らえた私や鈴ちゃんを拷問したり、力で従わせようともしない。それに、皆を殺していないとも言った」


ヱ密「……でも、それらをいくら重ねたところで、信用するには遠く及ばない」


ヱ密「いくら疑い尽くしても、足りないくらいに。……忍びであるなら、ね」



ヱ密「鈴ちゃん自身に一つ訊くけど……今の鈴ちゃんは、忍び?」



鈴「…………」



もし仮に、鈴がこの世界を捨てて、元の世界を選ぶのだとしたら。

今ここで自らを忍びと名乗るのは。

烏滸がましいことだ。


……たしかに、ヱ密の言う通り。

鈴はあんな無茶苦茶な光景を見せられて。

説得させられてしまった。

元の世界に戻れるという衝撃を受け、胸が埋め尽くされて。

この世界がその影響でどうなるのかなんて。

……考える余裕が無かった。




鈴「……あ、あたしは…」


鈴が口を開こうとした時。

ガタン、と。

扉が開き。



涼狐「どう? 鈴。種は手に入りそう?」


鈴「……」


涼狐「まぁそんな簡単にいかないよね。今日はもうおしまい。行くよ」

鈴「ねぇ、涼狐…」

涼狐「ヱ密、またこの子連れてきてあげるから。よーく考えといてね」

ヱ密「うん。ここ退屈だから有り難いよ。……またね、鈴ちゃん」


鈴「う、うん……」



鈴と涼狐は、ヱ密が囚われている部屋を後にした──。


────…………。



またまた遡って。

蜘蛛の巣が消えた直後の。

妙州。里。屋敷。



立飛「あれが種によるものだとしたら……鈴も探偵に捕まっちゃったってのが有力になってきたかな」

牌流「はぁ……私がもうちょっと上手く逃がしてあげてれば」

立飛「仕方ないよ。それを言うなら私があのもう一人の探偵を足止め出来てればよかっただけ。今更言ってもだし、切り換えていこ?」

牌流「だね……うん。じゃあ向かおっか。大丈夫? 立飛」

立飛「うん。片っ端から城に潜入して情報を得るんだからすぐにでも行動しないと」

牌流「途方もない作業だけど、とりあえずー……一番近いあの町に行ってみる?」

立飛「そだね」

牌流「…まぁ運良くあの探偵たちが関わってる城を見つけ出したところで、探偵に気付かれずにヱ密と鈴ちゃんを救出するなんて……ちょっと自信なくなってきた」


立飛「……あー、そのことなんだけど」


牌流「ん?」

立飛「ちょっと考えがあって、ね……牌ちゃんに頼みたいことがあるんだけど」

牌流「なに? 私に出来ることならなんでも言って」

立飛「ありがと。城に向かう前に寄っておきたい所があるの」

牌流「どこ?」


立飛「……調達。毒と、薬の」


────…………。



そして、それから数日が経ち。

牌流と立飛は、あの城下町に降り立っていた。



立飛「着いたー!」

牌流「テンション高い? 腕の調子はどんな感じ?」

立飛「ちょっと動かすだけで泣きそうになるほど痛ぃ…」

牌流「だ、だよね…」

立飛「でも、術を使う分にはそんな支障ないし。目的は、すぐそこ」


二人の視線の先に、聳え立つ城。


牌流「さっそく?」

立飛「だね。一つにそんな時間を割くわけにもいかないから」

牌流「じゃあ私は適当な兵にでも偽創して、城内に入り込めばいいかな」

立飛「ん……ちょっと待って……今、空から探ってるから」

牌流「おー、もう既に。さすが立飛」


立飛「……」


城の周りを飛ぶ鷹。

それに意識を注ぎ、集中する立飛。



……しばらくして。



立飛「ふぅー……」


牌流「どうだった?」

立飛「全然わからん」

牌流「……まぁ外からじゃ難しいよね」


城といってもやはり広い。

ここが本命というわけでもないので、違うなら違うで。

次々と別の城を当たりたい、と考える。

そこで二人は。



立飛「城の中に狼とか放つわけにもいかないしね。せいぜい鼠が限界かな。牌ちゃんも術で中に潜入。手分けして情報を得よう」

牌流「おっけー、任せて。でも探偵と鉢合わせちゃったらその時点でヤバいんだよねぇ…」

立飛「そこは全力で逃げる。間違っても戦おうなんて思わないでね?」

牌流「ははは。そこは身の程を弁えてるから、大丈夫」



こうして、立飛、牌流による潜入調査が始まった──。


立飛の術により、意識を注いだ数匹の鼠。

城中を駆け回り、鈴とヱ密。例の探偵たちの存在を確認する。

対して、牌流は。

偽創により、兵に扮したその身で。

闇雲に城内を探し回る、というよりは。

情報収集。

たとえ、ここが探偵と関係のある城じゃないにしろ。

そういう噂、手掛かりなどがもしかしたら見付かるのではないか、と。



……が、しかし。


結論からいえば、この城は外れ。


調査を開始してから数時間が経ち。

情報もなにも。空振りの連続。

さっさと退散しようと牌流が、誰もいない通路を堂々と歩いていると。


牌流「……っ」


気配。

……というか、違和感。

それは、ここの兵や城にいるような者の気配とは何か違っていて。

気配に気を遣っている気配、と。

探偵とは、また違う。


……言うなれば、同族。



牌流「……誰?」



発した瞬間、しまったと思った。

事を荒立てる場面ではない。

無視してさっさと逃げてしまえばよかったのに。



……今更ながらなかったことに、と。

牌流が場を離れようとすると。


ガタッ、と。

天井の方から音がしたのと同時に。

何者かが、襲い掛かってくる。



牌流「くっ…!」



牌流、それをなんとか回避。

姿を現したその者を見ると。


牌流「あっ…」


不意を突いた頭上からの攻撃を避けられたのに少し驚いていたその者は。

尚も牌流に攻撃を仕掛けてくる。

……が。




牌流「ま、待って待ってっ!! 紅寸っ、ストップ!!」


紅寸「へ…? なんで私の名前…」



紅寸だった。

……この姿では無理もない。

牌流が偽創を解くと。


紅寸「ぱ、牌ちゃん…? なんでこんな所に?」

牌流「それはこっちの台詞!」

紅寸「でも良かったぁ、無事だったんだね」



……紅寸がここにいる、ということは。

おそらく、自分たちと同じ考えをもって。

だとすれば。




牌流「お喋りはまた後にして。とりあえず出よ。ここは外れみたいだし」


──……。



立飛「紅寸っ!」

紅寸「立飛もいた! わぁ、立飛が一番死んでるんじゃないかって心配したよー!」

立飛「あはは、真っ先に脱落しちゃってごめんね。そういや、紅寸も私と同じ奴にやられたって」

紅寸「そうそう。立飛の血を吸いまくって挑んだのにまるで歯が立たなくて」

立飛「あー……どうりで目覚めた時、負傷とは別に死にそうになってたわけだわー……」


紅寸と立飛、二人してあの山中の逃亡の途中に。

御殺による強襲に遇い、同じように両腕を壊されていた。


牌流「あれ? 紅寸はもう怪我平気なの?」

紅寸「ううん、まだ完全には治ってないよ。両腕折られたちゃってたわけだし」

立飛「私と一緒だ」

牌流「でもそれにしては治り異様に早くない? 立飛なんかひぃひぃ言ってるのに」

立飛「だねぇ…」

紅寸「んー、なんでだろ。空蜘の血飲んだからかなぁ」

牌流「空蜘の血……」

立飛「へぇ、紅寸の術ってそういう効果もあったんだ。驚き」

紅寸「わかんない。自分でもビックリしてる」


牌流「まぁそれはそれで良いことだよね……あれ?」

立飛「うんうん……ん?」


紅寸「??」



立飛「…紅寸、空蜘と一緒だったの?」

牌流「なら空蜘もこの辺に来てるってこと?」


紅寸「いないよ」


紅寸「…あんな腑抜け、いても邪魔になるだけだし。置いてきた」


立飛「……」

牌流「……」


牌流「……あの紅寸がここまでキレてるなんて」

立飛「初めて見たかも…」

牌流「そういえば前にも、鈴ちゃんとの時に一回あったような…」

立飛「あー、鈴になら私もあったかなぁ。てか牌ちゃんも里発つ時にキレてたよね?」

牌流「あ、あれは……まぁ……」

立飛「今思えば、鈴っていろんな人にキレられてるよね……あれ? なんかイライラしてきた。大体なんで捕まってんの、あの子」

立飛「キレそう」

牌流「ちょ、立飛、落ち着いて…」



牌流「…で、紅寸は何があったの……空蜘と」

紅寸「あー、うん……まぁ一応助けてもらいはしたんだけどね」



……そして、紅寸は語る。



紅寸「──ってわけ。ホントに最低なヤツ!」


立飛「あの空蜘がそんなこと言うなんてねぇ……相当堪えたかぁ」

牌流「あんな圧倒的な力量差を見せ付けられたら……それも同じ相手に三回も敗けたんだもんね」

立飛「……うん。空蜘なら、生かされてること自体が屈辱って考えそうなものだけど…」

紅寸「屈辱に思ってくれてた方が何倍も良かったよ。あんな腑抜けた姿見せられて……あんなヤツ、もう知らない」


牌流「…立飛」

立飛「……うん、紅寸はああ言ってるけど。空蜘の力はこの先絶対必要になるから……こっちに加わってほしいところなんだよね」

牌流「でも、その空蜘にそんな意志が無いんじゃ…」

立飛「…うん」


立飛「ねぇ、紅寸」

紅寸「ん?」

立飛「その洞窟って、あの洞窟?」

紅寸「あの洞窟がどの洞窟のことを言ってるのかよくわかんないけど、里の山を北へ登っていった先にある所」

立飛「そっか」

紅寸「なに? 説得しに行くの? そんなことしても無駄だと思うよ」

立飛「……まぁ、そうだね」



……決して二人を軽く見ているわけではないが。

今は少しでも早く、探偵たちの根城を突き止めなくてはいけない。



で、あることから。

自分が今ここを離れることは出来ない、するべきではない、と。



立飛「紅寸、やることはわかってるよね?」

紅寸「城!」

立飛「そう、問題はそこをどうやって見付けるか」

紅寸「潜入!」

牌流「さっき鉢合わせしたもんね。残念ながらここは違ったみたいだから」

紅寸「移動!」

立飛「ここから近い次の城は……と」

紅寸「西!」


立飛「……」

牌流「……ていうかさっきから紅寸。発言が野生的になってない?」

立飛「気合い入ってるってことでいいの、かな…」


紅寸「なにしてんの、行くよ、二人とも!」


立飛「お、おー…」

牌流「こういう時の紅寸、ペース配分考えないからすぐバテそう…」


立飛「……牌ちゃん」

牌流「なに?」

立飛「私、腕こんなだしさ。ちょっと代筆お願いしていい?」

牌流「いいけど……手紙? もしかして空蜘に?」

立飛「まぁ、ね……」



紅寸「立飛っ、牌ちゃんっ! はーやーくー!!」



紅寸と合流して、この町を後に。

次の城へと向かった三人だった──。


────…………。



ある日の城。

鈴の部屋。


……そこに。



涼狐「そこのアホ」


鈴「……」


涼狐「聞こえてんの? あんたのことなんだけどー、鈴」

鈴「はぁ? あたしアホじゃないしー」


涼狐「……どうでもいいけど。進捗は?」


鈴「……」


涼狐「はぁ……」


涼狐「鈴さぁ、やる気あるの?」

鈴「そんなこと言われても…」

涼狐「わかってる? 鈴がやんわりとヱ密を諭して種を貰ってくれないとさぁ、力付くにせざるを得ないんだよ?」

鈴「……」

涼狐「拷問、凌辱……。依咒ちゃん、そういうの大好きだから嬉々として励んじゃうんだろうなぁ。そんな光景見たいの?」

鈴「えみつんに変なことしたら、あたし絶対協力しないからね」

涼狐「だったら、ちゃんとやることやってよ……」


鈴「…………」


~回想~



鈴『……ねぇ、涼狐』

涼狐『…なに?』


鈴『あの、なんつったっけ……ゼノトピア計画? それが実行されたらさ、この世界ってどうなるの……?』


涼狐『そんなこと鈴に関係あるの? 鈴は元いた世界に帰るんでしょ?』

鈴『……そうだけど。あたしのせいでこの世界に影響が出るなら、あたしはそれを知っておくべきだと思う』

涼狐『……ヱ密に訊けって言われた?』

鈴『単純にあたし自身の疑問。教えて。言えないの?』


涼狐『どうもならないよ。何も変わらない』


鈴『本当に……? 証拠は?』

涼狐『それを言ったところで鈴が理解できるわけないし』

鈴『そもそも、その計画自体がどうなの……? あたしを騙してない? あたしを利用しようとしてるだけなんでしょ?』


涼狐『……』


鈴『なんで黙るの? 何か疚しいことがあるから?』

涼狐『……あのさぁ、鈴』

涼狐『私にはあんたがわからない』

鈴『なにが…?』

涼狐『私たちが鈴を利用しようとしてる。これは間違ってない、その通り。あんたの力が必要だから』


鈴『ほら、やっぱそうじゃん。絶対嘘だもん、様々な世界の集合体を逆転させて、何も影響が出ないなんてそんな都合の良い話なんかあるわけない』

鈴『あたしを元の世界に戻せるなんてのも、どうせ嘘っぱちなんでしょ?』

涼狐『それはあんた自身の言葉じゃないでしょ。ヱ密からの受け売り。ますます頭悪そうに見えるからやめた方がいいよ』

鈴『…っ、そんなのどっちでも関係ないじゃんっ!』


涼狐『……じゃあ逆に訊くけど、鈴の力ってなに?』

鈴『は? そんなの、種を発動させる、力のことじゃ…』

涼狐『そう。それを使えるのは鈴だけだから、私たちは鈴を利用しようとしてる』

鈴『それがなんだっていうの?』

涼狐『種の力。どうして鈴だけが使えると思ってる?』

鈴『……あたしが持ってる、スマホ、だから…?』

涼狐『どうしてそのスマホを鈴は持ってたの?』

鈴『あたしが、元の世界から持ってきたから…』

涼狐『あんたが言う元の世界、それはこの世界から見ると異世界だよね?』

鈴『そうだよ』

涼狐『鈴は元の世界に戻りたい、そう思ってる?』

鈴『……それは、……うん……そんなことが本当に可能なら、ね』


涼狐『だったらどうしてもっとすがろうとしないの?』


涼狐『鈴が異世界から持ってきたスマホは、厳密に言えば鈴はこの世界で種を扱える唯一の存在。その種は異世界に干渉できる』

涼狐『相当のアホじゃなかったらこれらに関係性を見出だせる筈』

涼狐『私たちの言うことを心の底から信じようが信じまいが、今まで可能性が零だったものが零じゃなくなったわけでしょ』

鈴『……』

涼狐『ここまで可能性が歩み寄ってくれてるのに、それを躊躇している、踏み出せない理由』


涼狐『教えてあげようか? 鈴はさ、自分で選択することを拒んでるから、私たちを信じたくないんだよ』

鈴『……っ』

涼狐『鈴の世界がどんな世界なのか私は知らないけどさ。あんたを見てればある程度は想像できる。いくらここで忍者としての訓練を積んだからって、それは消しきれない』


涼狐『甘いんだよ、鈴は。常に良い人を演じてなきゃ隅に追いやられる世界……そんな所で育ったあんたは、世界が変わっても良い人でいたい、ってそう思ってる』


涼狐『だから、この世界を捨てることを異様に怖がってる。世界の選択を恐れている』


涼狐『降り立つ世界が変わってしまえば、そんなことまったく関係無いのに。ここがどうなろうが、誰も鈴を恨んだりしない、仕返しになんてどうやったっていけないのに』


涼狐『それが私にはまったく理解できない』


鈴『……あんたなんかに、わかんないよ』


涼狐『そうみたいだね。別に理解したいなんて思わないけど。世界は異なっていても、あんたは私であることには変わりない』


涼狐『だから、欲しいものが手を伸ばせば届く距離にあるのに。周りの目を気にしてそれをしないっていうのは、イライラするんだよね』


鈴『……』


涼狐『たった少しの勇気。それさえあれば手に入れられる。出来るよ、鈴なら』


涼狐『だって鈴は私なんだから』



──……。



涼狐「……聞いてる? 鈴」


鈴「……聞いてるよ。でも……えみつんを説得するなんて」

涼狐「…まぁそこをなんとかするのが鈴の役目」

鈴「そう言われても……あたしでさえ、涼狐たちのことまだ完全に信じられないのに、難しいよ……できないよ」

鈴「無理矢理なんて、えみつんを……そんなこと、したくないし」


涼狐「……っ」

鈴「きゃっ…!? な、なにっ…」


煮え切らない鈴の態度に。

涼狐はその胸ぐらを掴む。


涼狐「あんたさぁ……自分が悪者になるのが怖くて、私たちやヱ密のせいにして逃げて、我が儘ばっか言って、お姫様気取り?」

鈴「…っ、あ、あたしは……」

涼狐「忍者の時はどうだったか知らないけど、ここでは皆あんたに優しくしてくれるもんねぇ? 空も御殺も依咒ちゃんも」

涼狐「それ、なんでだかわかる? わかってるからここまで我が儘言えるんだもんねぇ。そうだよ、あんたの機嫌を損ねないように皆優しく接してあげてるだけ」

涼狐「この計画がどうなるかなんてあんた次第だもん。そりゃ誰でもそうするよ。気持ちよかったでしょ?」


涼狐「誰もあんたを怒ったり叱ったりする人間はいないんだもん」


涼狐「甘やかされたあんたにピッタリな、甘やかしてくれる環境」


鈴「……っ」


涼狐「……でもそれももう限界。知ってると思うけどさ、私、あんたのこと大嫌いだから」

涼狐「同族嫌悪……じゃなくて同人嫌悪? 初めて見た時からすごい気持ち悪かった……まぁそれは鈴も同じだとは思うけど」

鈴「……」

涼狐「私は探偵だから、基本殺したりはしない。でもいつまでもそんなあんたを見てるとさ、ついうっかり殺しちゃいそうになるんだよね」


涼狐「……まぁ、それをやっちゃうと何もかも終わりだからしないけど」


鈴「……」


涼狐「……一つ訊くけどさ、今ここで解放してあげる。あの連中のところに戻っていいよ、って言ったらどうするの?」


鈴「…………」




涼狐「……それすらも選べないとか」


涼狐「私たちのこととか、忍者の仲間のこととか、この世界とか、向こうの世界とか」


涼狐「そんなの一回全部放棄してさ、自分自身のこと真剣に考えてみなよ」


────…………。



いつまで続くか定かではない、城廻り。

……勿論、それは観光などではなく。


妙州の里を襲ったのは探偵と、“城兵”の大群。

そのことから探偵は城となんらかの関わりがあるのではないか、と。

唯一の手掛かりを頼りに。

有りとあらゆる城を調査し、情報を得ようとする牌流、立飛、紅寸の三人。



……だったが。



牌流「……きっつぅ…」


立飛「はぁっ……はぁっ……頭痛がヤバい……目が霞んできた……」

牌流「げほっ、げほっ……うぅ……立飛、無理しすぎないでね……立飛のは使いすぎると、シャレにならない、からっ……」

立飛「そ、それは……大丈夫……そこまで、アホじゃない……あれ……紅寸は……?」

牌流「ん……向こうで、倒れてる……」


……探せど探せど、一向に見付からない。


紅寸「ぅ……ぁあ……立飛、牌ちゃん……ちょっとでいいから、血吸わせてぇ……っ」

立飛「うぁぁっ、ちょっとー! 無理無理無理ーっ! 私らを殺すつもりー!?」

牌流「それやると紅寸は楽になるかもしれないけどっ、こっちが死にそうになるからっ…! ていうか紅寸だって後になってもっと苦しい思いするじゃんっ!」

紅寸「ぅあー……そうだった……うん、もう……だめ……」



……力尽きる三人。


少しの休息をとった後、次の城を目指すのであった。


──……。



またある日の城。

地下。鉄の扉。

その中。



鈴「……」


ヱ密「……鈴ちゃん、元気ない…?」


鈴「…………涼狐に、怒られた」



涼狐が言うように、鈴と探偵四人は仲間ではなく。

鈴の力が必要なだけで、“鈴”という一人の人間を見てくれているわけではない。

それは謂わば。

……利用する、利用される、の関係。

だからといって、項垂れる必要などなく。

涼狐の言葉が正しいのなら、鈴だって元の世界に戻るために四人を利用すればいいだけの話。

そうすることが、四人にとっても望むことで。

相互間で不利益が生じることもない。


……だからというか、なんというか。

この場所で鈴が本当に信頼できるのは、目の前にいるヱ密だけということに。



ヱ密「私は鈴ちゃんのこと好きだよ」

鈴「…えっ?」

ヱ密「たしかに、涼狐の言うことは正しい。あ、涼狐を信用するって意味じゃなくて」

ヱ密「可能不可能、嘘、真……それを確かめる手段、信じられる手段が無いのだとしたら。やっぱり大切なのは鈴ちゃんの気持ちだと思う」


鈴「あたしの、気持ち……」


ヱ密「世界を選択するうえで。この世界を無視できるほどの強い思いをもって……鈴ちゃんは元の世界に戻りたい?」


鈴「…………」



ヱ密「…もしこの問いに即答出来るようになったら。いいよ、種を渡しても」


鈴「……えみつんまで、あたしに…」


ヱ密「強くあろうとして、あの過酷な鍛練に取り組んだ。その時間は鈴ちゃんにとって、無駄な時間じゃなかった筈だよ」

ヱ密「涼狐には甘いって言われたかもしれないし、私も同じようにそう思う。でも、それ以上に鈴ちゃんは優しすぎる」

鈴「忍び、失格ってこと…」

ヱ密「それを決めるのは鈴ちゃん自身。その優しさも強さに数えてもいいし、それを糧にして自分が本当に望むものを目指すのも強さだから」


鈴「……うん」



……そして。

ガチャリ、と扉が開き。

現れたのは、涼狐。


涼狐「……行くよ、鈴」


鈴「…うん」


ヱ密「またね、鈴ちゃん。私はいつでもここにいるから」



地下を後に。

涼狐と並んで歩く通路。



鈴「……」


涼狐「……どう?」


鈴「……ん」


涼狐「はぁ……」



……気まずい。

あの日以降、鈴と涼狐は殆ど言葉を交わすことは無くなった。

変な感じ。

自分を蔑む涼狐を見ていると、どんどん自分のことが嫌いになっていくようで。

……涼狐も、同じ気持ちなのだろうか。


──……。



鈴「はぁ……」


自室に戻ってからも、依然として気分は曇ったまま。

元の世界に戻りたい、と思えば済むことなのに。


……良い人を演じている。

自分ではそんなつもりはなくとも、やはりそうなのだろうか。

悪に染まりきれていれば、どんなに楽だったか。


と、そこに。

ガラッと、襖が開き。


空「鈴、いる?」


鈴「…そら」


なんとも珍しい。

涼狐は勿論、御殺や依咒はたまに訪れることがあったが。

空がここに来るのは初めて。

しかも、一人で。


鈴「どしたの?」

空「え、来ちゃ駄目だった? たまには鈴と話したいなーって思って」


……そういえば。

この城で、空と鈴が二人きりになるのは初めてのこと。


鈴「ううん、あたしもそらと」


懐かしさに浸り、嬉しく思ったのも一瞬で。

……すぐに。

脳裏を過ったのは、涼狐の言葉。


『空も御殺も依咒ちゃんも、あんたの機嫌を損ねないように皆優しく接してあげてるだけ』



鈴「……そうだよね、そらも…」


空「…涼に何か言われた?」

鈴「涼狐、何か言ってたの……?」

空「ううん、私には別に。ただ、最近二人の様子がおかしいから気になってねー」


鈴「……」


鈴「……そらは、なんで…」

空「うん?」

鈴「なんでそらは、里であたしに優しくしてくれたの……?」


鈴「あの時のそらは、探偵や巫女の記憶はなかったって……だったら、わざわざあたしの機嫌を窺う必要もなかったわけでしょ……?」


空「うーん、それはやっぱり、鈴が涼だったからじゃないかな。私と涼はそりゃずっと昔から一緒にいたからさぁ、知らず知らずに鈴に惹かれちゃったとしてもおかしくないわけだし」

鈴「……そらにとって、あたしはあの場所での涼狐の代わりだったってわけ」

空「んー、それとはちょっと違うような」

鈴「なにが…?」

空「鈴と涼は似てる、っていうか同じだもん。上手く言えないけど、同じ人間として見えてる」

鈴「姿が似てるのは当然でしょ。でも全然同じじゃない……涼狐はあたしなんかよりずっと強くて頭が良くて、大人で…」

空「そうかなぁ? たしかに涼は強いけど、かといって完璧な人間ってわけでもないし。涼が持ってる魅力は鈴も持ってるからね」

鈴「そんなこと……」


空「じゃあさ、鈴の世界の私と今ここにいる私。鈴には違って見える?」

鈴「うん。だって向こうのそらは、前に見せてもらったようなとんでも能力なんか持ってないし」


鈴「……でも、二人とも大好きだよ」


鈴「裏切られたとしても、嫌いになんてなれない」


空「他の皆のことだって同じでしょ? ヱ密も、空蜘も、みんな。だから私も、涼のことも鈴のことも同じ人間として見てる」


空「これは涼にも言えることなんだけど。お互いのことをもっと理解しようとすれば、それが自分自身と向き合うこと、受け入れることになるんじゃないかな?」


空「存在が近すぎると拒絶してしまうのは仕方のないこと。二人が上手くいってないのは、心と心の干渉を避けようと突き放して接してしまうから」


空「まぁかなり難しいと思う、でも世界の境を越えようと鈴と涼は同じ人間なんだから分かり合えない筈はないよ」


空「なんていうか……涼には言ってないけど、そういうのが同じ世界で交わってしまった二人の宿命なんだと思う」


鈴「あたしが、涼狐と……」


鈴「……でもアイツ、超性格悪いし。すぐ怒るし、痛いところ突いてくるしー」

空「あはは、それは鈴にも言えることじゃないの? 思い当たるところない?」

鈴「……ある、かも」

空「あのどうしようもない涼ちゃんに鈴の方から歩み寄ってあげれば? 0.000000000000000001の1000000乗くらいのほんの極僅かな揺らぎの差で、鈴の方がお姉ちゃんになるわけだし」

鈴「え、それ本当?」

空「うそ。てきとー」

鈴「やっぱり。そらはこれだからなー」


鈴「…うん」

鈴「でも、ありがと。ちょっと元気になったかも」

空「それはそれは、光栄でございます」


鈴「あたしさ、ちゃんと考えてみるね」


────…………。



牌流たちが城の潜入調査を始めてから。

しばらくが経つ。


……が、まったく見付からず。

空振りの連続。


本当は城とはまったく関係が無いのでは。

と、普通ならとっくに諦めてしまうくらいに。

城を廻り続けていくにつれて、それは雲を掴むような話に思えてきた。


しかし、三人は諦めることなく繰り返す。

唯一の手掛かりを頼りに。



そして、城を調べ始め、三十九回。


即ち、三十九ヶ所もの城。


数えること、三十九にしてやっと──。



立飛「……見付けた」


ついにその場所を突き止めることに成功した三人。


とりあえず、牌流と紅寸をその城から引き上げさせ。

城の麓に在る城下町から少し離れた所にある山小屋で、今後のことについて話す。



紅寸「よし、行こう!」


立飛「えっ…」

牌流「待って待って、普通に突っ込んでも返り討ちに遇うだけでしょー!」

立飛「紅寸にはこの言葉をあげよう。アホ」

紅寸「立飛、生意気ー」

牌流「ヱ密と空蜘が二人がかりでもまったく敵わなかったのに、そのうえ他にも手練れはいる……私たちじゃどう考えても戦って倒すのは無理だよ」

立飛「だねー」

紅寸「じゃあ、戦わずして取り戻す……?」

牌流「そのための会議ね、これ」

立飛「まだヱ密と鈴があの城の何処にいるのかもわかってないし」


そう、立飛が見たのは、城内を徘徊する涼狐の姿。

それだけ。

涼狐に勘づかれるのを恐れて、早々に撤退させたのだ。


立飛「それは私が慎重に調べるとして」

立飛「牌ちゃんと紅寸は、まずあの城の見取図を手に入れてほしいのと、大体の戦力を探ってほしい。兵の数とか」

紅寸「わかった」

牌流「…肝心の作戦は、何か考えあるの?」

紅寸「うん、三人しかいないしね。それにあの城かなり大きいし…」

牌流「探偵と戦わずして、ヱ密と鈴ちゃんを城から拐うとか、かなり難しそうだぁ…」


立飛「……まぁ、なにもかも情報が揃ってからだね」



そこから更に細かな情報を集めるべく動く各人。


探っていることがバレないに越したことはない。


細心の注意を払い、数日を費やし。


求めていた情報は、ある程度集まった。

城の見取図。城側の大まかな戦力。


……そして。



立飛「どうやら鈴は自由に城の中を行動できてるみたい」


牌流「あ、そうなんだ? てっきりガチガチに監禁されてるのかと思ってた」

紅寸「うん。え、それって自力で逃げられないの?」

立飛「うーん……まぁ自由にっていっても、城の上層辺りをってだけだから。下層へ行く時は必ず誰かが一緒にいるし。鈴そっくりの探偵とか私や紅寸が戦った奴とか」

紅寸「あー」


立飛「……で、多分城の最深部、にあたるのかな。ヱ密はその地下の部屋に閉じ込められてる。これはもうガチガチにね」

牌流「まぁそりゃそうだよね。んじゃ、その部屋の鍵を手に入れてヱ密を解放する流れってことね」

紅寸「鍵は立飛や牌ちゃんならどうにかしてしれっと奪えるでしょ」

牌流「鍵が置いてる場所さえわかればね。それも調査済み? 立飛」


立飛「……」


紅寸「立飛?」

牌流「あ、まだそこまではわかってないか」


立飛「……わかってる、けど」


紅寸「けど?」

立飛「けどー……」


立飛「……これが最も最悪なことに」


立飛「ヱ密を監禁してる場所の鍵……あの探偵が持ってる」


紅寸「あの探偵って…」

牌流「鈴ちゃんの……」

立飛「うん……鈴はヱ密と会ってはいるみたいだから、その時は必ずその探偵が一緒にいてさぁ」

紅寸「じゃ、じゃあその探偵から鍵を直接奪わなきゃってこと、だよね……」

牌流「マジで……? 無理じゃん」

立飛「予想はしてたけど……これだけは違っててほしいって思ったね」

紅寸「寝てる隙にささっと盗み出すのは? ほら、立飛の術で」

立飛「鍵っていっても幾つも束になってるものだから、鼠や小動物では奪って運ぶのはとても無理。まさか犬や狼を使えって?」

牌流「…そんなことしたら一発で騒ぎになっちゃうね」

紅寸「そっかぁ……やっぱり倒すしか」

牌流「いや、だからそれは絶対無理ーっ」


立飛「……あれを倒して奪うか。それか……あの探偵自ら私たちに鍵を渡してもらうか」


紅寸「へ? くださいって言って、くれるわけなくない?」

立飛「……普通なら、ね…」

牌流「まさか、立飛……」

立飛「……とにかく、ヱ密も鈴も無事なようだし。しばらく様子を見よう。行動パターンも知っておきたいしね」

牌流「……」


──……。



そして、夜。

三人がとりあえずの拠点に置いている山小屋。



立飛「じゃあ私、夜の偵察に行ってきまーす」


紅寸「いってらっさーい。なんか私たちでやっておくことある?」

立飛「今のところはなしっ。あ、そういえば紅寸、怪我は?」

紅寸「もう万全っ」

立飛「おー、さすがー」

紅寸「立飛は?」

立飛「私も、まぁだいぶ治ったかなぁ」

紅寸「無理しちゃ駄目だよ?」


牌流「偵察、私も一緒に行こうか…?」

立飛「ううん、平気。あんま目立ちたくないしね」

牌流「そっか、気を付けて」

立飛「あはは、なにも私が城の中に入るわけじゃないから大丈夫。でも気付かれないようにしないと……うん」


そう言って立飛は、山小屋を出て。

城の近くへと向かっていった。


……と、そこに。



牌流「待って」


立飛「牌ちゃん? どしたの?」


立飛を追ってきた牌流。


牌流「……あの方法しかないの? もっと考えれば、何か別の」

立飛「これでもまだ足りないくらい」

立飛「……相当に運が良くてやっと成功するかしないかだから。最低でもあと一つ、保険を用意しておきたいところ」

牌流「そう、だけど……それで立飛に、もしものことがあったら、意味ないじゃん…」

立飛「うん。最悪は回避したいところだけど、最悪を恐れて萎縮しちゃったら私がここにいる意味は無い。それこそ忍びを捨てた意味が無い」

立飛「だから、その最悪をギリギリまで食い止めて、本当の最悪にさせないのが牌ちゃんの役目」


立飛「牌ちゃんのことは、一番信頼してるからね」


牌流「……立飛」


立飛「じゃあ、行ってくる。夜明けまでには戻るよ」



偵察のため、探偵が潜む城へと向かった立飛だった。


……が、城。その付近にも。

立飛の姿は在らず。


何処へいるのか、といえば。

それは。

町を通り過ぎ。

城も通り過ぎ。

山道を歩き。


山中、奥深くへと──。



「…………何処まで行くつもり……?」


と、そこに声。


立飛「うん、もう城からだいぶ離れたし、大丈夫かな」


そう立飛が言うと。

その頭上から飛び降り、目の前へと現れたのは。


空蜘「なんのつもり……?」


空蜘。



空蜘「大体はわかるよ。あの城に例の探偵がいる……鈴もヱ密も」

立飛「さすが空蜘。察しが良いね」

空蜘「そりゃあね……何度も何度も、城の位置を書いた文書を送ってくるんだもん」

立飛「へぇ、読んでくれてたんだ? 嬉しいなー」

空蜘「…白々しい。そうじゃなきゃ毎回毎回、私に届けられないでしょ。行く先々に次の城が書かれた文書。嫌がらせかと思うくらいにね……死ぬまで続くのかと思ってたよ」

立飛「どうせ暇だったからいいでしょ? 名所巡り。楽しかった?」



空蜘「…まぁね」


立飛「ふぅん……」


空蜘「……なに?」

立飛「いやぁ、空蜘がこんな面倒なことに付き合ってくれるなんてねー」

空蜘「そっちが言ってきたんじゃん。最初の手紙とか……」


空蜘「“私、もうすぐ死ぬと思うから。その前に決着つけよう”……なんて」


立飛「そうそう」

空蜘「ははっ、決着とか……笑える。私に一度も勝ったことないくせに。やるまでもないじゃん」

立飛「そっかそっか。空蜘はそのつもりはないの?」

空蜘「ないよ。私の方が強いのは明確なのに、わざわざやる意味なんてない」

立飛「……へぇ」


立飛「じゃあ空蜘はなんでここに来てくれたんだろ? 私と戦うつもりじゃないんだとしたら」


立飛「“私がもうすぐ死ぬかも”ってところを心配してくれたってことだよね?」


空蜘「はぁ…?……別に。そういうんじゃないし」


立飛「紅寸から聞いたよ。うん、ホント聞いたまんまだ……すっかり腑抜けきっちゃって」

立飛「まぁこれなら紅寸にも負けちゃうよね」

空蜘「……」

立飛「ていうかさぁ、空蜘って……随分と丸くなったね。甘くなったから、その分弱くなってさ」


立飛「……最初に私と鹿ちゃんと戦った時が一番強かったんじゃない?」


空蜘「…そうかもね」

立飛「あははっ、自分でもよーくわかってん、じゃんっ!」


バシッ──!!


空蜘「ぁぐっ…!」


唐突に。

あまりにも唐突に、空蜘を殴り付ける立飛。


立飛「あれ? 避けられなかった? 今の」

立飛「それに、反撃もしてこないし。あー、なるほどなるほど……もしこれでマジの喧嘩になってさ、本気で挑んできて負けたら、もっと傷付いちゃうもんねぇ?」


空蜘「……」


立飛「全力を出しても全然敵わない相手に、何度も何度もボコられちゃったからさぁ。怖くなっちゃったんでしょ? これ以上敗けを重ねるのが」


立飛「無駄とか、悟り開いてさぁ……敗けるのが怖いだけなんでしょ? 全力で戦うのが怖い、敗けるのが怖い。ほら、言ってみてよ」


立飛「私、空蜘の口から聞きたいなぁっ!」



ドスッ──!!


空蜘「うぐっ…!」


伏したままの空蜘に、蹴りを放り込む。


立飛「ほらぁ? 敗けるのが怖いです、って言ったら止めてあげるからさぁ」


空蜘「…っ、……あんま調子乗ってると、殺すよっ…?」



シュルルルルルッ──!


横になった体勢のまま。

立飛の首目掛けて、糸を伸ばす。


……が。


スパッ──!


短刀を抜き。

なんなくそれを斬り払う立飛。

そして。


ズドッ──!!


空蜘「ぁぎゃっ…、ぐっ……」


……蹴り飛ばした。

地を転がる空蜘を見下ろし。

言う。


立飛「あー、今やっと殺そうとしてくれた? でもごめんね。悪いけど、殺さないでくれる?」


空蜘「は、はぁ……?」


立飛「今、殺されると困るんだよねぇ。もうしばらくしたらヱ密と鈴を助けにいかないとだから、私は殺されるわけにはいかないの」

立飛「空蜘が私の代わりにやってくれる? だったら殺しにきてもいいけど」


空蜘「……」


立飛「そんな気ないでしょ? だったら、無抵抗に殴られ続けてくんない?」


立飛「…まぁ呼び出したのは私だし。本気でやりあうつもりはあったけどさぁ……やっぱり腑抜けたままの空蜘には殺されたくはないんだよね」


立飛「あー、でも、空蜘だって私には殺されたくないだろうから殺しはしないけど。空蜘も私を殺したいわけじゃないでしょ?」


空蜘「…さっきから……何を言いたいのか、さっぱりわかんないんだけど……」


立飛「わかんない? なら別にいいや」



ガシッ──!!


ズドッ──!!



……その後も。

抵抗しない空蜘を、ただ殴り続ける立飛。

それは遊びのように。

ヘラヘラと笑いながら。


殺さないが、暴力は浴びせる。

殺されたくないから、自分を殺そうとするな。


以前までの立飛なら、有り得ない姿、言動。

忍びを辞めたからだろうか。

自分に都合の良すぎる我が儘を振り翳し。

ただ純粋に、無抵抗の相手への、暴力を楽しんでいるように窺える。


──……。



立飛「あー、なんかつまんなくなってきた」


空蜘「…っ、はぁ……っ、ぁ……ぐ、ぅ……っ」


立飛「……惨めだねぇ、憐れだねぇ、情けないねぇ。それになにより……弱いね」

立飛「私が殺さないで、って言っただけで律儀にそれを守ってさ……ここまで好き放題やられても、何も出来ない……それが今の空蜘の弱さ」


空蜘「はぁ……はぁ……ああ、うん……もう、それで、いいよ……」


立飛「ねぇ……空蜘が弱くなった原因、教えてあげよっか? ほら、よくいるじゃん。敵対してた時は強かったのに、味方になると大したことないってやつ」


立飛「まぁそれはいくつものケースがあるから一概には言えないけど、空蜘の場合はね……情を持っちゃったから、かな」


空蜘「……」


立飛「情、仲間、信頼、絆……。どれも空蜘には適してなかったんだろうね。勿論、それをもって強くなる者も存在する。……でも、空蜘は違ったみたい」


立飛「元々、そんな綺麗なもの、美しいものを欲しがる質じゃないでしょ。楽しいよ、気持ちいいよ、温かいよ。それに浸るのは悪いことじゃない」


立飛「肝心なのはバランス。強さを欲していて、己を包む環境にも情を持つ。器用であれば……ううん、普通だったらそんなの何も問題じゃない。ただ、空蜘はそれが悪い方向へと進んでいったんだと思う」


立飛「強さも賢さも器用さも携えてる空蜘なのに、その普通だけには悲しいことに適応外。強さと情の釣り合いが取れてなかったんだよ」


立飛「だから、あんたは弱くなった。ここで勘違いしてほしくないのが、探偵が強いんじゃなくて空蜘自身が弱くなったってこと」


立飛「……探偵とか一度どっか頭の中から放り出してさ。本当の空蜘、自分自身について考え直したら?」


立飛「ムカつくから殺す、気に入らないから殺す……絶対に殺す。そんな空蜘は間違いなく強かったよ」


立飛「空蜘は誰を一番殺したいの? 誰になら殺されてもいいの? ……その二つは同じ人間だと思うけど、違う?」


空蜘「…………」



立飛「……そろそろ戻らなきゃ。牌ちゃんが心配しちゃう」


立飛「さよなら、空蜘。わざわざこんな遠い場所まで、痛め付けられに来てくれてありがとう」


────…………。



その夜から、三日が経ち。

山小屋に身を隠す三人は。

……皆、真剣な表情で。



立飛「──ていうのが、今回の作戦」


紅寸「……危なすぎない? 大丈夫……じゃないよね」

牌流「やっぱり……これしか、ないの……?」

立飛「……うん」



立飛、牌流、紅寸。

この三人で遂行する作戦。


目的は、ヱ密と鈴の奪還。

障害となることが確実視されているのが、探偵。


地下に幽閉されているヱ密を解放するには、涼狐が所持している鍵の束が必要。

……それがなくては始まらない。

まず鍵を入手したら、地下へ向かい施錠を解除する。

途中、鈴を保護して城から逃がす。

鍵さえどうにかなれば、あのヱ密ならなんとかするだろう。


とにかくこの作戦において、最も重要なのは。

探偵との接触をどれだけ最小限に抑えられるか。

それに限る。




……城の側へと場所を移し。



夜空に浮かぶ満月には、雲が掛かり。


そよぐ夜風は、ひんやりと心地好く。


これから起こる事など、想像も出来ないくらいに。


穏やかで。


静かな夜。


時刻は。


午前零時。


作戦、開始──。



ドゴーンッ──!!!!


荒々しい爆破音が響き渡る。

それは城の最上層を外側から、狙ったもの。


そして、続けざまに。


二撃、三撃、と──。



紅寸「おぉー、すごい破壊力」



爆発に巻き込まれぬよう、瓦に手を掛け、宙にぶら下がったままの紅寸が言う。


そう、これは城の外壁に潜んでいた紅寸によるもの。


紅寸「あとは、これをこうして……ほいっ」


つい先程の爆破により空いた大穴から。

油を撒き、火種を投げ込むと。

そそくさと、その場所から姿を消す。


紅寸「…あ、忘れるとこだった。ていっ!」


屋根から飛び降りながら。


更に、もう一発。



ドゴーンッ──!!!!


──……。



あんな轟音が響けば、嫌でも飛び起きる。

音の出所は、どうやら上層付近。

上層には、依咒や空の部屋がある。


涼狐「……」


……忍びの仕業か、と。


だとすれば、狙いは手に取るようにわかる。

鈴とヱ密。

もしかしたら、スマホも。


涼狐は自室を出たところで。



御殺「あっ、今のって…」


御殺と出会した。


涼狐「多分、あの忍びたちが」

御殺「鈴ちゃんを奪い返しに?」

涼狐「…恐らくね。とりあえず、鈴のところへ……まぁ九分九厘、あの爆破は陽動には違いないだろうから、そんな気にすることも」


と、そこに。


わざとらしく足音を掻き鳴らし。

二人の背後を駆け抜ける人影。

それは階段を登り、上層へと向かっていくものであった。



涼狐「…単体で来るわけがないんだよねぇ。鈴の部屋とは真逆だし」


……どう考えても囮。

すぐに追い掛け、トイズで捕まえれば、と一瞬思った涼狐だったが。

この城内。身を隠す場所はあちらこちらにある。

一瞬で片付けられるという保証もなく。


……そこに時間を割くくらいなら。


しかし、ほぼ確実に囮だろうが。

真の目的が上層にあるというのも、可能性的には零ではない。

そう、スマホだ。

計画が城の外に漏れているとは考えづらいが。

これも軽々に知らないと決め付けて掛かるのは危険。

もし、計画を知っていたとするならば、鈴やヱ密をどうこうするよりも、核であるスマホを破壊すれば済むという考えに到ったのかもしれない。



涼狐「でも無視は出来ないよね。御殺はあれを追って」

御殺「わかった。そっちは大丈夫?」

涼狐「鈴は絶対に渡さない。勿論、ヱ密も。鍵は私が持ってるから私が倒されない限りはね」

御殺「うん、なら安心だ」


御殺は先程の人影を追い、城の上層へ。

涼狐は、敵の目的の本命であろう鈴の元へと向かった──。




立飛側からすれば。

第一関門クリアといったところ。

もしここで涼狐と御殺が二人して鈴の元へと向かって来られていたら。

呆気なく作戦は失敗に終わっていたことだろう。

だからなんとしてでも、この二人を引き離したかった。


……先程の人影は、紅寸。

城の見取図を完璧に頭に叩き込んで。

最後の炮烙玉を投げ込むと同時に、屋根から飛び降りる。

そして爆破音に紛れ、空中から涼狐たちがいるフロアへと侵入。


即ち、元々城の頂上にいた紅寸は、爆破任務を終えて直ぐ様、下の層へと。

そこから再び、上へと移動したわけである。


──……。



一方、こちらは爆破合図前には、既に城内へと潜入していた。

立飛と牌流。


二人にとっての、まず最初の目標。

それは、涼狐より先に鈴の部屋に辿り着くこと。

これはそう難しいものではない。


……さすがに、物音立てず、すんなりと部屋間近まで接近できるほど警備は甘くない。

深夜といえど、鈴の部屋へと向かうルート。そして部屋の前には警備兵が常に目を光らせている。

ただ、なにも城門からのスタートというわけではなく。

ある程度の距離を進めてから、爆破騒ぎに便乗して一気に詰める、というもの。


それよりも、二人が危惧していたことといえば。

鈴の元へ向かってくるのが、涼狐ではなく御殺であった場合。

これも作戦が破綻に追いやられる不安要素の一つで。

今までの行動パターンから、御殺より涼狐の方が鈴と一緒にいる率が高い。

それに、涼狐は己の力に絶対の自信を持っている。

よって、本命である鈴へは自らが対処するのではないか。

……という、やや運任せによるもの。


あとは、紅寸が巧く計らってくれるのを信じ。



牌流「ここ、だよね…」

立飛「うん、間違いない」


扉の前にいた兵を、一瞬で殺し。

二人はその扉を開ける。


……と、中には。


鈴「え……? ぱ、ぱいちゃん? りっぴー? なんで、ここに……?」


部屋の中には、鈴以外誰も居らず一安心。

もしかしたら、鈴があの爆破音を聞いて部屋を飛び出してしまっている可能性も考えていたが。

それもなく。


牌流「鈴ちゃん、すぐに動ける準備しておいて」

鈴「なんで……駄目、早く逃げてっ…」

牌流「ヱ密も一緒に連れて帰るから。まぁここでさっさと鈴ちゃんだけでも逃がせた方が楽だったんだけど」


立飛「……」


牌流「…まぁ、そうは甘くないよね」



近付いてくる。

聞こえてくる、足音。


立飛と牌流がこの部屋に入ってから、僅か十秒ほどで。

姿を現したのは──。



涼狐「…ふーん、やっぱり」


やはり、涼狐。


立飛も牌流も、その涼狐の姿を見て安堵する。

御殺ではなくて、よかった、と。


……何故なら。

それは勿論、そうでなくては鍵が入手出来ないから。


……そう、鍵の入手。


何よりもこれが、作戦にとって必要不可欠にして、最難関でもある。


ならば、どうやって鍵を奪うのか。


以前に立飛が言っていた。


『……あれを倒して奪うか。それか……あの探偵自ら私たちに鍵を渡してもらうか』


倒すのは、不可能。


……だとすれば、残った手段は。


涼狐自ら、鍵を渡す──。


自ら……?


そのようなこと……。



立飛「…………っ」



……緋色に染まった瞳が。


……そこにはあった。



ドクン──。


ドクン、ドクン──。



涼狐「なっ……や、やば……っ」



立飛の術──。


それについては、涼狐も知っていた。


が、気付いた時には。

……既に遅く。


立飛は最初から、この瞬間だけを狙っていた。

涼狐が部屋に入ってくる、その瞬間だけを。

その隙を、見逃さないように。


完璧に不意を突かれてしまった、涼狐。

心の何処かで、忍びである者たちを軽く見ていたのだろう。


後悔した時には。

もうその瞳に捉えられ。


立飛の瞳を染めた緋色が。


涼狐の瞳へと。


移った──。



涼狐「ぁ……っ、うぅぅ、あっ……──」



そう、立飛は意識の全てを涼狐へと注ぎ込み。

涼狐の精神を支配した。

それと同時に、立飛の体は電池が切れたかのように。

その場に崩れ落ちる。



涼狐「──はぁっ、はぁっ……牌ちゃんっ!!」


そこからは速度が要。

一秒とて無駄には出来ない。

人間相手、それも涼狐という手練れ相手に。

長く持たないことくらい、立飛自身もよく心得ている。



ただ命を奪うだけなら、その心臓を貫いてしまえばいいだけ。

しかし、その手段では。

……立飛も間違いなく死ぬ。

全ての意識は涼狐の中にあるまま、戻すことは叶わないからだ。


だが、眼だけを壊すこの手段なら。

一応、意識は元の体へと戻すことが可能となるわけで。


……ただ、その後がどうなるかは、立飛自身にもわからないが。



牌流「立飛っ!! 早く戻ってっ!!」


涼狐「ぅうううううううっ、ぁぎゅぐぅぅぅぅっ!! はぁっ、はぁっ、はぁっ……ぅあっ……──」



ドクン、ドクン──!


なんとか意識を元の体へと戻すことには、成功。

しかし、立飛は意識を失ったまま、覚める気配は無い。


……こうなることくらい、覚悟の上。


だから、ここから先は牌流に任される。



涼狐「──なっ、ぁ……ぅうううっ、ぁああっ、ぐっ、ぎゃぁぁっ…!!!!」


必然的に、意識を取り戻す涼狐。

戻されたところで、その体に待っていたのは激痛。

涼狐は両眼を押さえ、苦しみに喘ぐ。


……と、そこへ。


またしても、足音。


もしこれが敵側のものだったら、作戦は成し遂げられないまま。


紅寸「ごめんっ、遅くなった!」


牌流「遅いっ、紅寸っ!」


牌流は、涼狐から奪った鍵を紅寸へと投げ渡す。


牌流「ヱ密のこと、頼んだよっ!」


紅寸「任せてっ! 牌ちゃんもそっち、しっかりね!」



鍵を受け取った紅寸は、その足で。

全速力で、ヱ密がいる地下へと向かう。


そして、牌流に残された仕事。

それは、意識を失ったままの立飛を抱え。

鈴と共に、この城から脱け出すこと。



牌流「鈴ちゃんっ、自分で行けるよね!?」

鈴「…っ」

牌流「鈴ちゃん?」



涼狐「ぅぅうっ、ぁぎっ、ぎゅっ……うっ、ぁぁあああっ…!!」


鈴「す、涼狐っ! 涼狐っ…!!」



牌流「え……?」


……牌流は目を疑った。


牌流そっちのけに、涼狐へと向かう鈴。



牌流「り、鈴ちゃんっ…! そんな奴放って、早くっ!」


鈴「涼狐っ…、しっかりしてっ! ねぇっ、涼狐っ…!!」


牌流の声など、耳に入っていないといった様子で。

涼狐に呼び掛ける、鈴。



牌流「…っ、なにやってんのっ…!! 早くしろってのが聞こえないのっ!?」


牌流が鈴の服を、引きちぎるほどの勢いで掴むと。

やっと鈴は、牌流の方を向く。


……が。



鈴「…なん、で……っ、なんで……こんな酷いこと、するのっ……?」


牌流「え……? な、なにを、言ってるの……? 鈴ちゃ」


鈴「涼狐はっ……何も、悪いことなんか、してないのにっ……」



涼狐「…ぁぁぐぅっ、はぁっ、はぁっ……り、鈴っ…! りんっ…!!」



鈴の名前を呼ぶ涼狐に。

身体を添わせ、声を掛ける。


鈴「涼狐、あたしはここにいるよ……何処にも行かないからっ、大丈夫だからっ……!」


牌流「鈴、ちゃん……なん、で……?」



……なんとも受け入れ難い。

理解出来ない。

その光景を前に。


ただ茫然と立ち尽くす、牌流。



事前に打合せしていた通りに、なんの狂いも無く。

作戦は進行している。

進行、していた。


……筈であったのに。




鈴「涼狐っ、大丈夫だから……あたし、ちゃんとここにいるからね……っ」


涼狐「…ぁう、ぅぅっ……はぁっ、はぁっ……り、ん……っ!」



牌流「……っ」



……なんだ、これは。


こんなこと、想定していない。


呆気に取られたまま、立ち尽くす牌流。


牌流は、いや牌流たち三人は。

探偵の手に渡った鈴を救出するべく、危険を承知でこの城に潜入。

立飛は自らの命を賭けてまで、涼狐を戦闘不能に追いやった。


それなのに。


どうして、鈴は。


……まさか。


寝返った──?


牌流たちを捨てて、探偵側に。


目の前には、牌流を睨む鈴の姿。

向けられるその眼には、恨み憎しみ、軽蔑の思いが込められているように。



鈴「…っ、涼狐、大丈夫だよ……あたしが、守るから」


牌流「……っ」



まるで、敵に放つそれのように。

……痛いくらいに、突き刺さる。



……どうする。


……どうするどうする。


どうする、どうする、どうするどうする、どうするどうするどうする。


どうすれば、いいの──。




…………落ち着け。


何よりも優先すべきは、任務。

この場合は、作戦になるが。

その目的は、鈴とヱ密の奪取。

なら。


……無理矢理にでも、鈴を連れていく?


いや、不可能だ──。


牌流は動けない立飛を、抱えて逃げなくてはならない。

鈴を無抵抗な状態にさせたとしても、人間二人を抱えてなど。



牌流「く……っ」


直にここにも敵が向かってくる。

……それこそ、御殺が現れてしまえば。

自分も、立飛も。


悠長に考えている暇など無い。


一秒が惜しい。


早く。


はやく、決めなくては──。


──……。



一方、こちらは。

牌流から鍵を受け取り、地下へと向かった紅寸。


行く手を阻む城兵を蹴散らし。


辿り着いたは、鉄の扉の前──。



紅寸「…ここに、ヱ密が……っ」


逸る想いと、焦る鼓動が、邪魔をして。

上手く、鍵を扱えない。


……もしかしたら、全部罠で。

この鍵も、偽物。

一瞬、そんなことが頭を過ったが。



紅寸「…すぅー……はぁー……」



心を落ち着かせるべく、深呼吸。


……落ち着いたか?


よし、落ち着いた。


牌流と立飛が、託してくれた。

それに自分も、応えなくては。

大丈夫。

焦る必要は無い。


自分なら、出来る──。



……一つ一つ、鍵を外していく。


勿論、鍵は本物であり。

最上層を爆破し、御殺を誘き寄せ。

鈴を保護した後、駆け付けてきた涼狐から鍵を奪い。

それを託された紅寸。


こんな綱渡りのような作戦が。

怖いくらいに順調で。

ここまで、事を運んでこられた。

あとはヱ密をここから解放して、共に城から出られれば。


……完璧に果たせる。


カチャッ──。


最後の鍵が外れ。

鉄の扉が開けられた。



ヱ密「…へ? 紅寸?」


これ以上ないくらいの。

元気そうな姿の、ヱ密が。

そこにはいた。


紅寸「え、ヱ密ーっ! 会いたかったよーっ!」

ヱ密「わわっ、え、なんで紅寸がここにいるの?」


飛び付いてきた紅寸に対し、頭上にハテナを浮かべるヱ密。

それも仕方無い。

ここ、ヱ密が捕らえられている部屋は。

分厚い鉄の扉により、仕切られているせいで。

先の爆破音も届いてこず。

そろそろ寝ようとしていたところに、いきなり紅寸が現れた、というわけだ。


が、紅寸が何をしに。

何を目的に、この場所まで来たのかは。

大体は察しがつく。



紅寸「ヱ密が元気そうでよかった、安心したっ!」

ヱ密「…うん、紅寸も相変わらず元気だね」

紅寸「まぁあの後、色々あったけど……って呑気にそんな話してる場合じゃなかった!」


紅寸「早くここから出よっ! 牌ちゃんと立飛も今頃脱出してる筈だから、私たちも」

ヱ密「牌ちゃんと立飛もここに?」

紅寸「うんっ、この鍵も二人が奪ってくれたものだし」

ヱ密「え? 鍵って、涼狐が持ってたんじゃないの? どうやって…」

紅寸「ん、すずこ…?」

ヱ密「ああ、えっと、あの探偵」

紅寸「あ、うん。立飛が術でなんとかしてくれたから」

ヱ密「術、って……またあの子……、馬鹿…」


ヱ密「…なんで止めなかったの? そんな危険なこと、蛇龍乃さんは……あ、一緒じゃないのか。いたら、こんなことさせるわけないもんね…」

紅寸「叱るなら後にしてっ、今はヱ密も早くここから」

ヱ密「……」

紅寸「…ヱ密? どこか怪我してたり?」


ヱ密「……紅寸一人で、逃げて」


紅寸「え? な、なに言ってるの? ヱ密も一緒に」

ヱ密「私はここに残るから」

紅寸「は……? ちょ、ちょっとっ……え?」

ヱ密「紅寸も立飛も牌ちゃんも、助けにきてくれたのに悪いんだけど……ごめん。きっと鈴ちゃんも、ここから出ようとはしないと思う」

紅寸「な、なんでっ…!?」



……ヱ密の言葉に、耳を疑う紅寸。


ヱ密「私がいなくなったら、涼狐たちは絶対にまた追ってくる。また私のせいで皆に迷惑が掛かるし…」

紅寸「そんなことっ、誰も迷惑だなんて思ってないよっ!」


ヱ密「それに…」



鈴の気持ちも、まだ確かめられてはいない。

涼狐たちの計画のことも。

それについては、信じているわけではないし。

この先も、信じられる確証も無いだろう。


……だが、何がどうなろうと。

種を与える与えないは、ヱ密の意思一つであるわけで。

鈴が望んだとしても、やっぱり気に入らないから、という風に拒むことだって出来る。

じっくり見定めてからでも、遅くはない。



ヱ密「……これがいいんだよ。誰にとっても、これが一番…」


紅寸「本気、なの…?」

ヱ密「本気だよ。ここまでしてくれたのは嬉しいよ、感謝してる。ありがとう。でも、もういいの。私のことも、鈴ちゃんのことも」


紅寸「……っ、そうだよ……ここまでしたんだよ……」


紅寸「命を賭けて、立飛なんか一度その命を手放してっ……だから、いくらヱ密にそう言われたところで、はいそうですかって引き下がるわけにはいかないんだよ……っ」


ヱ密「……紅寸」


紅寸「ヱ密を倒してでも、連れていく」


紅寸が拳を構えた。

その瞬間。


紅寸「えっ、なっ…!? わわっ…!!」


突如、その体が部屋の外へと投げ飛ばされた──。


触れずしてこのようなことが出来るのは、涼狐のトイズ。

……否、他にも。



紅寸「ぅ……痛ぁっ……な、なにが……っ」


紅寸の体に、絡み付いていたのは。


糸──。


そう、この仕業。


……現れたのは。



空蜘「うんうん、ムカつくよねぇ。せっかく苦労を重ねて、助けてやろうとしたのにねぇ……でも、倒してでも連れていく? 違うでしょ」


空蜘「探偵もムカつくし、素直に従わないコイツもムカつく。じゃあさ、殺しちゃえばいいじゃん。ねぇ?」



紅寸「う、空蜘っ……なんで、ここに…」


空蜘「ヱ密が死ねば、あの探偵共もすっごく困るんでしょ? だったら、私が殺してあげよー。あ、違った……私に殺させてよ? 私さ、やっぱヱ密を殺したくて殺したくて、たまんないんみたいなんだよねぇ」


ヱ密「……空蜘」


……空蜘にとっての。

最も殺したい相手。

そして、殺されてもいいと思える相手。

それは、やはりこのヱ密を差し置いて誰もいない。



空蜘「ヱ密、私は本気で殺しにいくから。ヱ密も私を本気で殺しにきてくれると嬉しいなぁ……あははっ」



愉快げに笑う空蜘。

……だったが。



紅寸「…う、空蜘っ、今はそんなことしてる場合じゃないから! 探偵がここに来る前にヱ密を拘束してでもこの場所から」

空蜘「はぁ? 誰に指図してんの? お前らの作戦とか知らねーよ。そんな作戦とか探偵とかどうでもいいし。あとさ…」


……一変し。


空蜘「お前もあとで殺すから」


紅寸「……っ」



……恐怖。

今までのどんな空蜘よりも、遥かに恐ろしく見えた。

殺意で満たされた視線、表情、言葉。

そんな恐怖で、身が圧迫させられ。

震え上がる紅寸。



空蜘「さて、と……まさか私がこんな殺る気なのに、そっちはその気が無いなんてこと、ないよね? ヱ密」


空蜘からの問いに、少し黙った後。

口を開く、ヱ密。


ヱ密「……そうだね。私も殺されるわけにはいかないからさ。それに、空蜘相手じゃ殺すつもりで挑まないと、殺されそうだし……うん、仕方無いか」


ヱ密「殺されないように、殺すよ」


空蜘「あはっ、やっぱりヱ密は最高だよ」



互いに互いを殺す気が満々の、二人。



ヱ密「紅寸、そういうわけだからさ……早いとこ逃げた方がいいよ。空蜘はもうここで死ぬって公言してるようなものだし。私たちのことは気にしないで」


空蜘「なんで私が死ぬことになってるのかな? 死ぬのはそっち。ヱ密を殺した後で、ちゃんも殺しにいくから、震えて待ってなよ」


紅寸「……っ」



……なんだ、これは。

……どうすればいい。

と、紅寸も牌流と似たような状況に置かれることに。


『鈴もここから出ようとはしない』


……先程、ヱ密が言っていた。

まさか、本当に鈴も。

ということは、牌流は今どうしているのか。


作戦は、順調に進んでいた筈だ。

いや、順調どころではなく、完璧だった。

思い描いていた通りの、理想的な形に沿って。

鈴とヱ密にその気があったら、完璧に敵を出し抜けた筈だ。


……しかし、目の前の状況は。


最初から、戻るつもりはなかった。

なら、紅寸も牌流も立飛も。

なんのために、こんなことまでして──。


紅寸「……っ」


作戦。

鈴とヱ密を取り戻す、その目的を果たすべく、立てられた作戦。

……作戦。

いや、牌流や立飛と違って忍びを捨ててはいない紅寸にとってこれは任務と同義。

求められるのは、結果のみ。

だから、なんとしてでも成し遂げなくてはならない。


が、空蜘とヱ密の殺し合いに。


どうやって自分が、割って入れるのか──。


──……。



牌流「はぁっ、はぁっ……立飛、もうすぐ助けてあげるからねっ…!」



意識を失ったままの立飛。

それを抱えて走る牌流。

侵入者を逃がさまいと立ち塞がる城兵を殺しながら、城の外を目指す。

立飛を抱えたままではあるが、それを回避することはそれほど難しくはない。

ただ、追ってこられたり、仲間を呼ばれたりされると面倒だ。

だから、出会した兵は、確実に殺す。


……それを繰り返していき。


いくつか階段を下ってきた辺りで。


窓を破り、城外の屋根の上に出た。


そこまで来てしまえば、あとは至極容易である。

さすが元忍者といえるもので。

牌流は立飛を両腕に、屋根から地上へと飛び降りた。




牌流「ふぅ……」


優々と着地を決め、城からの脱出に成功。

背後を振り返り、城を見るが追手は無い様子。

ここでようやく、安堵の溜め息を落とす。



牌流「……っ、鈴ちゃん……どうして…」



……が、素直に喜べないのも事実。


というか、喜べる要素など一つとて有りはしない。


……牌流はあの時、鈴を連れ出すことを諦め、立飛を連れて脱出を決意。

あの状況では、実質それしか選択肢が残されてはなかった。

鈴のことは勿論、立飛がこれからどうなるのかもわからないし。

紅寸が上手くやれたかも、現状じゃ確認することも出来ない。



牌流「……とりあえず、今は立飛をあの山小屋に」


と、そこに。

こちらへ、城の方へと向かってくる人影。


……こんな時間に、誰が。

騒ぎを聞き付けた町民か。

無視して、その場から離れようとした牌流だったが。


牌流「……っ!?」


元忍びであるので常人と比べ、夜目は利く。

目を凝らし、窺うと。

近付いてくるその人影、牌流も知っている顔であった。


……噂によると、立場を踏まえず、かなり友好的な性格であると。

よって、牌流だけではなく、ここら辺一帯に住む者ならば誰でも知っているであろう。


この地域に限れば、一番の有名人。


それは、この城の主。


城主である、依咒の姿であった──。



牌流「どうして……」



どうして、このような一大事に城に居なかったのか。

どうして、このような時間に外を徘徊していたのか。

どうして、こんな暗闇の中ずっと私と目が合っているままなのか。


……そして、なにより目を疑ったのが。


どうして──。



……作戦の前に立飛から聞いていた。

ここの城主が、あの探偵の涼狐や御殺と親しげに会話をしていること。

もしかしたら、この城主も探偵の一味なのではないか、と。

城主自らが探偵なんて、まさかとは思っていたが。

今となれば、その可能性も考えるべきだ。


だとしたら、すぐに逃げた方がいい。

逃げるべきである。

……が、逃げられない。

正確には、逃げるわけにはいかない。



長い黒髪、妖艶な雰囲気、その左手には扇子。

そして、右手には。

……縄。

その縄の先には。


牌流「…っ、鹿ちゃん……っ」


縄で拘束された鹿。

依咒に引き摺られながら。


二人は、徐々にこちらへと。


何があったのかはわかる筈も無いが。

こんな状態の鹿を、放って逃げるわけにはいかない。

かといって、この依咒が涼狐や御殺並の力を持っていたら。

……牌流にはどうすることも出来ないのだが。



そして、目の前まで近付いてきたところで。

依咒が足を止めた。

一旦、城の方へと目をやり。

口を開く。



依咒「あーあ、やってくれたねぇ、ホントに」


牌流「……っ」



ゾクッとした──。


背筋が凍り、空気一つ一つが棘になり肌を刺すような。

その軽い口調とは正反対に、身に迫る圧力は今まで味わったことが無いもの。


……本能が告げる。


コイツはヤバい、と──。



そして、それまで月に掛かっていた雲が流れ。

先程よりも鮮明に窺える、その依咒の姿から放たれる圧は。

より濃くなって。

牌流を突き刺す。


……ヤバい。


何がどうヤバいのかは、上手く説明出来ないが。


これだけは言える。


間違いなく。


この女は危険だ、と──。


────…………。



遡ること、少し前。

立飛たちが城に潜入を開始したのが、午前零時頃であるから。

その数時間前になる。


城下町に構える一軒の店。

営業を終え、そろそろ店仕舞いしようとしていた矢先に。

一人の客が訪れる。


「ごめんくださーい!」


声を受け、出てみると、その姿を見て店の者は慌てる。


「い、依咒様っ…!?」


依咒「あ、おばあちゃん。お久し振りでー。元気そうでよかった。餃子残ってる?」



そう、この店は普段から依咒が贔屓にしている餃子店で。

自分で作ったり、城の者に作らせるよりも、美味しいという理由でこうして足を運ぶことも少なくなかった。


「こんなところまでわざわざ来ていただかなくとも、言って頂ければお届けに上がりましたのに…」

依咒「いいのいいの。私も町歩くの好きだし。ずっと城にいるのも息苦しいんだよねー」

「左様でございますか……しかし、申し訳ございません。すぐにお作り致しますので少々御待ちいただけますでしょうか…?」

依咒「あ、もう終わっちゃってた? ごめんね、こんな遅い時間に来ちゃって」

「いえいえっ、とんでもございません。狭い店ですが、どうぞお座りになってください」

依咒「ん、お邪魔しまーす」


案内され、席に腰を下ろす依咒。



今までもこういうことは何度かあったのだが。

……それでも慣れない。

この店に限らず、気紛れに町の民の元へ訪問する依咒に対しては、やはり恐縮してしまう。

当然だ。

城主であるその身は、何より重宝されるべきもの。

ましてや、たった一人で徘徊するなど危険ではないのかと心配に至る。

……まぁしかし、そういう気さくな面を持っているからこそ。

依咒は町民から多くの支持を集めており、多大な好感を得ている。

他の地域においては、民から暴虐な税を徴収しているとの話もよく耳にするが。

ここに限っては、まったくそのようなことは無く。

勿論、税自体は納められてはいるが、それは比較的軽いもので。

逆に民側から、もっと納めさせてくれという声も上がるほど。


そう、大きな城である故に、その分設備費用も膨大であることは言うまでもなく。

民が言うように、少量の税だけで維持出来ているとはとても考えられない。

かと言って、城に住まう者が貧困を堪えているのかといえば、それは違う。

依咒とて、贅沢を堪能しているくらいだ。


……ならば尚更、どうして、という疑問。

その答えは、町民が誰一人として知らない事実。


それは、依咒たちが“探偵”である、ということ。


探偵という業種、この世界においては決して多くはない故に、その個の能力は偉大なもので。有能でなくては、成果がついてこないからだ。

よって、探偵は何よりも貴重な存在である、と。

どの時代、世界においても、悪こそが財を持っているのは世の常。


それを曝く探偵こそが、絶対の正義であって。

その逆、疚しいことで金を得ている、例えば忍者なんかは絶対悪とされているのが、この世界の裏の構図である。



しばらくして、店の奥から先程の者が姿を現す。

その手には、依咒から注文を受けた品物。


「お待たせして申し訳ございませんでした、依咒様」

依咒「わぁ、美味しそうー! あ、これお代ね」


そう言って、ごっそりと大金を机に置く。


「こ、こんなに頂くわけにはいきませんっ…! 依咒様には日頃から良くしてもらっているというのに、罰が当たってしまいますっ…」

依咒「そんな遠慮しなくてもいいのに。じゃあこれだけでも持ってってよ」

「は、はぁ……本当に、よろしいのですか……?」

依咒「いいっていいって。この私が言ってんだから。んじゃまた来るねー。ありがとー」


何度も頭を下げ、依咒を見送る。

……この者に限らず、城兵ではない町民ですら。

依咒の為なら己のその命を投げ出しても構わないという想いは、誰しもが持っているだろう。


それくらい、依咒はこの地域において。

理想的、崇拝されるに価する城主であった──。


──……。



依咒「はむっ……もぐもぐ……やっぱ美味いわー」


店を後にしてから、依咒は真っ直ぐ城に戻ることはせず。

少し町から離れた、川の畔に腰を下ろし、先程受け取った餃子を口にしていた。


……と、そこに。



鹿「…振り向くな」


依咒「……」


背中に、刀の先端が触れた感触。


依咒「あれ? もしかして私、殺されそうになってる?」


鹿「城主の依咒……一人でこんな所をフラフラしてんだから、こうなることも覚悟の上でしょ?」


依咒「…ん、もぐもぐ……で、何か用?」


依咒は眉一つ動かすことなく、眈々と餃子を口に運びながら問う。


鹿「お前、城に探偵を飼っているな?」



鹿は蛇龍乃と別れたあれから。

単身で探偵の情報を追い、ここまで辿り着いていた。

そして、これからどうしたものかと考えていた矢先。

なんと、偶然にも城主の姿を町で見掛けて、こうして機を窺っていたというわけだ。


……が、この時の鹿はまさかこの城主である依咒が探偵とは、想像もしていなかった故での、今の問いである。



依咒「飼ってる、ってちょっと人聞き悪くない? まぁいるよ。私のお気に入りの可愛い探偵ちゃんたちが」


素直に白状したのもそうだが、刃物を突き付けられているというのに。

まったく慌てる様子もなく答える依咒に、少し驚いた。

……さすが一城の主。なかなか肝の座った奴だ、と。

鹿は続ける。


鹿「…なら話は早い。城に忍者が二人、世話になってると思うけど。それをすぐに解放してくれる? あと、その探偵共も全員殺して?」

依咒「無理。なんでそんなことしなきゃいけないの?」

鹿「……自分の状況わかってる? 偉そうな地位のわりに、理解力は乏しいのかな?」


鹿「今ここで殺されたくなったら、私の言うことを聞けって言ってるの。これならわかる?」


依咒「ああ、うん。でも殺されるのは勘弁だし、貴女の要求を飲むつもりもまったく無いんだけど。そういう場合はどうしたらいい?」


鹿「舐めてんの……?」


依咒「もぐもぐ……ふぅ、御馳走様でした」


箸と空の容器を地面に置き。

懐から扇子を取り出し、開く。

一瞬でも武器が見えたら、このまま背中を刺してやろうと考えていた鹿だったが。

それが扇子であったことで、僅かばかり安堵した。


……その隙を見計らい。


いや、隙という隙などではなかった。

が、依咒にとってそれは充分過ぎるほどの隙で。

ゆらり、と──。

思わず見惚れてしまうくらい、流れるような動き。

するりと反転し、気が付けば鹿の背後にその姿はあった。


鹿「なっ…!?」


鹿は即座に飛び退き、依咒と距離を取る。



……今の動き、明らかに只者ではない。

城主や城兵とか、そんな常人の域を軽く越えている。

まるで涼狐や御殺のような。


……まさか。



依咒「さっき探偵を殺せとか言ってたけど。なら自分でやってみたら? 忍者さん」


鹿「……っ」


後に牌流も味わうことになる。

ゾクリ、と背筋を刺す感覚。


危険信号──。


……先程までとは、まるで別人のように。



依咒「あれ? 顔色悪いね、大丈夫? まさか私が気付いてないとでも思った?」


鹿「…っ、はは……まんまと誘い出されたってわけ……」


依咒「いやぁ、私もたまにはスリリングな思いしたいなぁって。すーちゃんたちばっかズルいじゃん」


鹿「……っ」



鹿の頭の中には、戦うという選択肢など無く。

どうやって逃げるか、それだけを考えていた。

覚られないように。


……ゆっくり。


……ゆっくり、と。


慎重に少しずつ、踵へと重心を向かわせ。



熱量の移動。

忍びの基本である、それ。

何をするにしても最低限必要とされること。

戦うにしても、逃げるにしても。


だが、それを見透かすように、依咒は。


依咒「逃がさないよ? まだ何も遊んでないのに、逃がすわけないじゃん」


言うと同時に、踏み込んで見せる。


そして、鹿に何かをさせる間を与えず。


依咒の姿は、鹿のすぐ眼前へと。



鹿「…っ」



こうなれば鹿も、向かっていくしかない。

玉砕覚悟で、攻撃を繰り出す。



……が、まるで雲を相手にしているかのように。


捉えられる気がしない。

全てが完全に避けられて。


それは、依咒の反射神経とか動体視力がどうとか、優れているというのとは次元が違っているように感じて。


鹿が攻撃を放つ前から、何を何処に打つのかわかっているかのように。


……未来予知の域に近い、と鹿は思った。



鹿「…っ、はぁっ…、はぁっ……!」


依咒「ほらほら、もっと頑張って。一発でも掠らせられたら見逃してあげるからさぁ」



……その後も、体術、飛び道具を駆使して仕掛け続けるも。


依咒を捉えることは叶わなく。


やがて、回避するのにも飽きてきた依咒は。



バチンッ──!!


鹿「ぅぐゅぁっ…!?」


鋭い痛みが、鹿を襲う。

何かが、依咒の手元から伸びてきて。

まるで生き物のように、ぐにゃぐにゃと揺れながら。


鹿の体を、打つ──。


バチンッ──!!


鹿「ぁぎゃっ…!!」



バチンッ──!!


鹿「うぁぁっ…!!」



幾度となく、その体に激痛を与えるもの。


それは、鞭であった。



鹿「ぁ……ぎゅ、ぐぅっ……はぁっ、はぁっ……ぅう……っ」


依咒「ふふっ。これ、泣きたくなるくらい痛いでしょ? あ、もう泣いてるか。でも、もっともっと、悲痛に歪む表情を見せて?」


依咒「大丈夫。こんなんじゃ骨も折れないし、血も出ないし。それに、簡単に意識を失ったりしないから、いっぱい私を楽しませてくれる?」


依咒「…まぁ、もし途中で気を失ったら。ひっぱたいて起こしてあげるけどー」


バチンッ、と。

鞭を地面に叩き付ける音が、鳴り渡る。


鹿「ぅ……あ……ぁっ、や、やめ……っ……ぁあ……」



……コイツは。

憎いからとか、殺したいから、とか。

そんな理由なんか、微塵も持ってない。

ただ楽しいから。

ただ人を痛め付けるのが好きだから。

痛みにもがく姿を、泣き叫ぶ姿を、絶望に揺れる姿を。

……そしてやがては、死を懇願する姿を。

そういうものを堪能したいだけという。


嗜虐思考の持ち主。


最低最悪の、サディストだ──。


依咒「安心して。顔だけは綺麗なまま、残してあげるから」


そう言って、鞭を振り上げた瞬間。


依咒「……?」


耳に届いてきたのは、破壊音。

少し離れた場所。

そう、あの城から。

……目を向けてみると、どうやら城の上層部が爆破されているようで。



依咒「…あれ、仲間の仕業?」


鹿「…っ、し、しら……な、い……っ、本当に、知ら、ない……っ」


依咒「……本当に?」


恐怖に震え上がる鹿は、こくこくと首を振る。


……どうやら嘘はついていない様子。


涼狐たちがいるので、そう過度に心配する必要は無いが。

さすがに無視するわけにもいかない。



依咒「ちぇっ、ここからが楽しいのに…」


不満げに鞭を下ろす依咒に、鹿は安堵したが。

それも一瞬。

すぐに絶望に変わる。



依咒「じゃ、続きはお城でね?」


鹿「……っ」



依咒は、水辺から拾い上げた縄で鹿を縛り。

そのまま引き摺りながら、城の方へと歩いていったのだった──。


────…………。



……場面は戻り。


そんな嗜虐な城主である依咒に、為す術のないまま捕らわれた鹿。

それと鉢合わせてしまった、牌流。


……運が悪かったのか、それとも良かったのか。

別のルートから逃げていれば、こうして顔を合わすこともなかった。

しかし、そうしていたら鹿はこのまま。



牌流「……っ」


……かと言って、自分に何が出来る。

鹿がこのような状態に陥るような相手だ。

牌流ではどうしたって敵うわけがない。



依咒「へぇ、逃げようとしないんだ? それとも、諦めた?」


今すぐにでも逃げたいに決まっている。

立飛をいつまでもこの状態にしておくわけにはいかないのに。

が、鹿を放っておくわけにも。


牌流「……っ」


鹿「……」



鹿の方に目をやると。

……虚ろな視線がこちらに向けられる。

その瞳は、自分を助けてくれというものではなく。自分に構わずさっさと逃げてくれ、というものでもなく。


諦め、を物語るものであった。


肌が露出している腕と首元には、細い痣が見える。

それは殴られたり、棒で打たれたりされたものではないようで。


……だとすれば、鹿は何にやられた。



牌流「……鹿ちゃんに、何をしたの?」


依咒「ちょっとお仕置き、かな」



鹿「…っ、ぁ……うぅ……っ」


翳る瞳に、震える体。

そんな情けない姿を見せるな。

しっかりしろ──。


その諦めが自分に移ってしまう前に、目線を外し。

天に祈るように、牌流は空を仰いだ。



牌流「……!」


すると、ある妙案が舞い降りてきた。

……いや、とても妙案と呼べるものではないが。

だが、僅かな可能性に賭けるとしたら、これしかない。

ただ、これは私だけじゃ意味を成さない。

あとは、鹿が気付くかどうか。

それをクリアしてやっと、可能性が零ではなくなる。


牌流「……っ!」


鹿の瞳に灯った諦めを、消し飛ばすように。

強い眼差しを、鹿に向ける。



依咒「ふーん、よく見ると綺麗な顔してるねぇ。ねぇ、お城で一緒に楽しいことしない?」


牌流「…冗談言わないでよ、ねっ!」



そして──。


ついに牌流が動いた。


牌流「はぁぁっ!!」


牌流が選んだのは、飛び道具。

手裏剣、くない、短刀。

とにかく、投げられそうな物を片っ端から依咒に向かって放った。


依咒「…なに、このなんの捻りも無い攻撃」


バシッ──!


依咒は、いとも容易くそれらを鞭の一振りで弾き落とし。


そして、そのまま腕を返し。


鞭を牌流へと、放つ。


ヒュッ──!



牌流「…っ」



迫り来る、鞭。


まだだ。

まだ、これを食らうわけにはいかない。

この一撃はなんとしてでも、避けなくては。

自分が、今ここで動けなくなるわけにはいかないのだ。


……だったら。



牌流「…ごめんっ、立飛っ!」


バチンッ──!!


なんと、牌流。

気を失ったままの立飛を、盾として使い。

己の身を守った──。



依咒「マジか。私が言うのもあれだけど、相当酷いね、それ」


牌流「どういたしましてっ!」


放たれた鞭が、立飛の体を打っている間に。

牌流は懐から何かを取り出し。


それを、投げ付ける──。


パーンッ──!


辺り一帯を、煙が包む。

そう、牌流が投げたもの。

……煙玉。

逃亡の際の、忍者の上等手段。

煙幕を張ったのだ。


当然、瞬時に牌流は場から退散しようとする。


……鹿は、というと。

縄によって拘束されていた身。

だったが、依咒の手から伸びている縄の先には。

その姿は無かった。


いつの間に。

というか、どうやって拘束を解いたのか。


その答えは、空にあった。


夜空に浮かぶは、満月。

その光に照らされた地には、淡いながら“影”が映っていた。

……鹿の術。

そう、影の操作。

最初に牌流が投げた飛び道具、その中から刀を拾い上げ。

己を縛る縄を斬ったわけである。


視界を遮る煙幕に紛れ、逃げる牌流と鹿──。



依咒「……」


その煙の中に、光るものが。

依咒の瞳が、一瞬僅かにだけ光った。

……嘗ての涼狐と同じように、光るそれは。


トイズ──。


依咒のトイズ、それは。

五感強化。

視覚、聴覚、味覚、触覚、嗅覚。

その全てが研ぎ澄まされるというわけで。


煙に包まれていようと、離れていく影を捉えるのはとても容易い。

更に言えば、視覚に頼らずとも、聴覚だけでもそれは可能となる。

いくら忍者が足音を消す鍛練を重ねているからといって、依咒のトイズからは逃れることは出来ない。



依咒「さーて、どっちから、……っ!?」


……と。

突如、依咒の表情が変わる。

研ぎ澄まされた聴覚に届いてくるのは、忍者の足音だけではなく。


依咒「すー、ちゃん……?」


依咒の耳に、微かに聴こえてきたのは。


……涼狐の苦鳴。


まさか、あの涼狐が、敗けた?

そんなこと、あるわけがない。

だが、何かあったのは間違いない。


涼狐のその声を聴いた瞬間から、依咒の頭の中では牌流や鹿のことなど、興味の対象から消え去っており。


結果、二人は依咒から逃れられ。


依咒は城へ、涼狐の元へと戻っていった。


──……。



再び、場面は変わり。


こちらは、城の地下の一室。頑丈な鉄の扉。

その中には、瞳に確固たる殺意を灯した二人が対峙する。

……空蜘とヱ密。


外には、その光景を前に唇を噛み締める紅寸。



紅寸「……っ」



空蜘「最後に何か言っておくことある? ヱ密」


……殺したいから殺す、空蜘と。


ヱ密「そっちこそ。まぁ残念だよ、こんな結末になって。今まで私に勝ったことないでしょ? 本気で殺すつもりで挑んでくるみたいだけど…」

ヱ密「それでも、私には及ばない」


……殺されるわけにはいかないから殺す、ヱ密。



次の瞬間にも殺し合いが始まろうとしている、殺伐としたその空気のなかで。

紅寸が口を開く。



紅寸「……二人とも、本気なの?」


ヱ密「…うん、空蜘はここで殺す」

空蜘「うるさいなぁ、さっきからそう言ってんじゃん。さっさと消えろよ」


紅寸「…っ、私は忍びだから。これは、遂げなきゃいけない任務だから」

紅寸「ヱ密を皆のところへ連れて帰らなきゃいけない。だから空蜘にヱ密を殺させるわけにはいかない」


……二人を前に言い放つ。


ヱ密「だからって、紅寸に何が出来るの…? もう空蜘を止められないし、私も止まるつもりはない」

空蜘「無理矢理にでも止めてみる? 死ぬ順番が変わるだけだけど。まさか今ここで戦って、どうにかなるとか思ってるわけじゃないでしょ?」


紅寸「……うん。私じゃどうしたって無理。術を使って戦っても、ヱ密や空蜘には敵わない」


自分は、忍びだ。

忍びの本質とは、如何なるものか。

……戦ってどうにもならないのなら。


戦わなければいい──。


そもそも戦う必要なんかないのだ。

戦わずして遂げる、それが忍びの本来の在り方なのだから。


紅寸は笑って、二人に言う。



紅寸「ヱ密も空蜘も……二人ともアホなの?」



紅寸が目を付けたのは、この位置関係だった。


開かれた鉄の扉。

中に、空蜘とヱ密。

そして外に、紅寸。


紅寸「ちょっと大人しくしててもらうよ」


紅寸は部屋の中に、炮烙玉のようなものを投げ入れた──。



ヱ密「え…?」


空蜘「…は?」


そして、その鉄の扉を閉め。

鍵を掛けて、二人を閉じ込めたのだった。



ヱ密「ちょっ、紅寸っ!? 何やって」

空蜘「ぶっ殺すよ!?」



パーンッ──!!


すぐに、その炮烙玉のようなものは弾け。

部屋の中は、大量の煙に包まれる。


空蜘「くっ…!」


空蜘は咄嗟に術を展開。

瞬時に糸を編み上げ、防御壁を作るも。


空蜘「げほっ、げほっ……な、なに……っ」

ヱ密「こ、これって……っ」


紅寸が投げ入れたもの。

それは、炮烙玉でもなければ煙幕でもなく。


……煙状の、毒。


毒といっても、死に追いやるものではなく。

身体の自由を奪うための、麻痺毒だ。

煙状のそれは、いくら空蜘が糸で防ごうとしても不可能で。

こんな密室に放たれたら、対処の仕様が無い。


ヱ密「こ、このっ…!!」

空蜘「ふ、ざけんなっ…!!」


扉を叩く二人。

……だが。

ヱ密の力でも、空蜘の術でも。

何をしても、どれだけ衝撃を与えようとも、その扉は破壊出来ず。


……当然である。

元々、ヱ密を監禁するためだけに特注されたこの部屋だ。

人の力では、破壊することなど絶対不可能。

それこそ、人間を超越した衝撃……御殺くらいの力をもってすれば、どうにかなるかもしれないが。


ヱ密「はぁっ……はぁ、ぅ……ぁ……ぎっ……」


空蜘「く、っ……ころ、す……げほっ、げほっ……絶対に、殺す……っ」



徐々に身体に力が入らなくなり。


……二人は、その場に倒れ込む。


──……。



一方で。

二人が毒を吸い続けている間、紅寸はただ部屋の外で待っていたわけではなく。


紅寸「ぅ……ふぅっ……そろそろ、いいかな」


一旦その場所を離れ、戻ってきた時には。

……術を使用状態。

侵入者を捕らえるべく、城内を駆け回る兵を。

手当たり次第に襲い、血を吸った──。

仲間の血を吸うわけではないから、それは死に至るまで吸っても何も構うことはない。

よって、今の紅寸は極限まで能力値を高めた状態である。

……が、たしかに大量の血液を体内に取り入れれば能力は上昇する。

しかし、それと反比例するように、活動時間は激減するのだ。


時間は、長くは残されていない。



紅寸「早く、急がなきゃっ…」


既に煙は消えているだろうが、念の為にと。

口元にきつく手拭いを巻き、鉄の扉を再び開く。


……と、中には。



ヱ密「…っ、……ぁ……ふっ……ぁ……っ」


空蜘「ゅ……っ、あ……ぁ……ひゅ……」



小刻みに身体を痙攣させながら、床に伏す二人の姿。


紅寸「ふっ…、よいしょ、っと……!」



そんな二人を抱え、部屋を出る紅寸──。



紅寸「はぁっ…、はぁっ…! もう、少しっ…!」



ヱ密と空蜘、人間二人を抱えた状態のまま全力疾走。

立ち塞がる兵を、足技のみで蹴散らし。

その速度を落とさないまま、走り続ける。


城からの脱出を目指し──。



紅寸「はぁっ、はぁっ、はぁっ……!!」


地下から一階に戻り。

あとは外に出るだけ。


窓をぶち破り、やっと外が見えた。


……が、そこで。



紅寸「…っ!?」


ただならぬ気配を感じる。

その身を貫くような、それは。

……ヤバい。

城の奥から真っ直ぐこちらへ向かってくる。

普段なら、こんなに察することなど出来ないが、術を使用している今なら。

……誰が向かってくるのか、手に取るようにわかる。


まだ姿を見られたわけではないが。

このまま逃げれば、間違いなく追い付かれる。


せっかく、二人を連れ出したのに。

自分が捕まれば、ヱ密も空蜘も。



紅寸「…っ、あっ……!」


追い付かれること覚悟で、城を飛び出そうとした紅寸の視線の先に。

映ったもの。


……それは、牌流の姿だった。


紅寸「…これしか、ない……っ、こんな状況で、勝手に喧嘩した罰だよ…」


紅寸「お願い、気付いて……っ!」



紅寸は、牌流が逃げていく方向へ目掛け。

ヱ密と空蜘を、思いっきり放り投げた──。



そして、自分は。

再び、城内へと戻り。


……追ってきたその者の前に立つ。



紅寸「…やっぱり、あんたか」


御殺「さっきは上手く撒かれちゃったけど、もう逃がさない」



妙州の里から逃げる際に、この者の強さはその身で体感させられた。

だから真っ向から戦って倒そうなどと、馬鹿なことは考えない。

牌流が二人を見付け、ここから離れるまでの時間を稼ぐだけ。


紅寸「…っ、今度こそ負けない」



……とりあえず。

ここで戦っては駄目。

紅寸がいるのは、城の裏側付近で。

そこから放り投げた二人の存在に気付かれないよう、この場所から離れなければ。


紅寸「この前はあんな状況だったからね。こうしたちゃんとした一対一なら、あんたなんかに負けないよ」


御殺「すごい自信。でも、力の差がわかってないようなら、わからせてあげないとね」


紅寸「逆にこっちが教えてあげる。どうせ私の術も知ってるんでしょ? ほら、そこに転がってる兵士……私が吸い尽くしてあげたの」

紅寸「だから今の私、超強いよ?」


……嘘だ。

とっくにガス欠寸前。

今すぐにでも倒れてしまいたい。


普通に考えれば、すぐ後ろにある裏口から逃げるのが最善だろう。

こんな化け物相手に立ち向かっていくなど、笑い話にもならない。


……だからこそ、その疑問を察されないよう偽りの闘気をもって。


反対側へ。城の正門を目指し、そこから逃げる。



紅寸「はぁぁぁぁっ!!」


御殺に向かって、その身で突っ込む。

掻い潜り、そのまま突っ切れば逃げられる筈。

よって、初撃だけ。

なにがなんでも回避しなくては。


御殺「……!」


向かってくる紅寸。

御殺はその正面に立ち塞がり、拳を構え。

振り抜いた──。



御殺の拳は、何より重く。

おまけに、その動作速度も早い。

一発でもそれを食らってしまえば、おそらく立ち上がれないだろう。



紅寸「くっ、ぅぅうっ…!!」


御殺「なっ…速っ、このっ…!」



御殺が放った拳は、紅寸の胴を掠めるも。

なんとか体を捻り、寸前で回避。


紅寸は立ち塞がる御殺を越え。

先を目指し、通路を走り抜けようとした。


……が。


紅寸「え……ぁ……ぐっ、ぅ……げほっ…!!」


吐血。

術の影響がついに。

……いや、違う。

今さっきの攻撃によるものだ。


そんな、まさか。


普通じゃないとは思っていたが。


掠めただけで、これほどまでの衝撃が──。



紅寸「くっ、ぅうっ…! これ、くらいっ…!」


折れてしまいそうになる膝を、必死に堪え。

残っている力を振り絞り、走り続ける。


御殺「待てっ!」



当然、御殺も追ってくるが。


今の紅寸と御殺、単純な速度では僅かながら紅寸が上回っていた。


このまま行けば、捕まらずに城外へと出られる。



そして、正門が見えた辺りで。

……こちらへ向かってくる人影が見える。


紅寸「はぁっ、はぁっ……なっ…! あれは…っ」


依咒「……」



依咒だった──。


……そう、紅寸が、逃げていく牌流を見たということは。

当然、先程まで牌流と戦っていた依咒は。

城へと戻ってくる。


この時の紅寸は、依咒が城主だということは知っていても。

探偵ということは、まだ知らない。

ただの城主なら然程問題視する必要もないか、とそのまま突っ切ろうとした、が。


ヒュッ──!


唐突に、紅寸を目掛けて鞭が飛んでくる。


紅寸「や、やばっ…! くぅっ…!」


即座に飛び退き、床を転がり、辛うじて回避に成功したが。


紅寸「……っ」


……最悪の状況だ。

目の前には、依咒。

そして背後からは御殺が追ってきている。

万事休すか、と。

ついに諦めかけたその時──。


依咒「……」


倒れている紅寸には目も触れず。

依咒は城の奥へと向かっていった。


紅寸「へ……?」



どうして見逃してくれたかはさっぱりだが。

この機を逃すわけにはいかない、と。

紅寸は立ち上がり、再び外へと走り出す──。


御殺「ふーん、やっぱり最初から逃げるつもりだったんだ。でも、逃がさな」

依咒「御殺」

御殺「なに、依咒さん。今はあの子を」

依咒「そんなのどうでもいいから、すーちゃんは…?」

御殺「鈴ちゃんと一緒に空さんのところに…」


……依咒に呼び止められ、御殺は紅寸を追うことを放棄。


そのおかげで、紅寸は城からの脱出に成功したのだった──。



──……。



紅寸「はぁっ、はぁっ……まだ、倒れるわけには、いかな……っ」



……こんな所で寝てしまったら、すぐに見付かってしまう。

だから少しでも、城から離れないと。


が、とっくに限界を迎えていた紅寸。

無理もない。

ドーピングにドーピングを重ねたその身。

体内に取り込んだ血液は飽和状態。

その反動が、一気に襲ってくる。



紅寸「ぁ……ふぅっ、かっ……ぁ……もう、むり……っ……──」



……ついに力尽き、意識を手放した。


──……。



牌流「……っ」


……少し離れた辺りで、何か動いたような。

追手を疑い、身を隠すが。


牌流「……?」


どういうことか、それ以上何も反応が無い。

そのまま立ち去ろうとしたが、一応、と。

足音を立てぬよう、慎重にその場所へ様子を見に行くと。


牌流「……え?」


そこにいたのは。

倒れている、ヱ密と空蜘。


……これは一体、どういうことなのか。


ヱ密はともかく、どうしてここに空蜘が。

立飛が空蜘に連絡を取っていたのは知っていたが、まさかここに来ていたとは。

ヱ密の元へと向かった紅寸は何処に。

二人のこの状態、誰の仕業なのか。


……探偵か、それとも。


ということは、紅寸の身に何かあったのではないか、と不安に襲われる。



牌流「……とりあえず、このままにはしておけないけど。立飛もいるし、私一人じゃどうしようも…」


と、そこに。


鹿「…牌ちゃんっ」


牌流「あ、鹿ちゃん」


先の一件で、牌流とは別方向に逃げた鹿だったが。

依咒が城内へと戻ったのを確認して、牌流を追ってきていたのだ。


鹿「さっきはありがと、助かった……マジで」

牌流「うん、めちゃめちゃ驚いた。後で何があったか教えてね」

鹿「ほんとごめん…。ところでなんで牌ちゃんは……ていうか、その立飛っ…」

牌流「…色んな話はここを離れてから。今はこの二人をなんとかしなきゃ。でも丁度良いところに鹿ちゃん来てくれたから助かった」

鹿「ん…?」


牌流の視線の先へ目をやると。


鹿「え、ヱ密っ……と、空蜘……何があったの…!?」

牌流「さぁ、私にもさっぱり……。私、立飛抱えてるからさ。よろしくね、鹿ちゃん」

鹿「え……私が、二人を…?」

牌流「影使えばどうにかなるでしょ、早く早くっ!」

鹿「はい。……多分この先、私、牌ちゃんに一生逆らえないわー…」



牌流と鹿は、立飛とヱ密と空蜘を連れて。

ここに来てからの拠点にしていた山小屋へと向かった。


──……。



山小屋。

一先ず、三人を横たわらせ。



立飛「…………」


牌流「ごめんね、立飛……遅くなった」



立飛が目を覚まさないのは、やはり術の影響で。

……こうするしかなかったとはいえ、その姿を見るのは胸が痛かった。

自らの意識の全てを、涼狐へと注ぎ込んでいたその間。

立飛の中は空っぽ、謂わば抜け殻の状態になっていた。


……空蜘との一戦の時とは、状況は異なっており。

今回は、立飛自らの意思で意識を元の身体に戻せた。

よって、最悪に至ってはいないと信じたいところだが、このまま放っておいて目を覚ますとも言い難い。

それほど、危険な術なのである。

危険な行為と承知したうえでの、この今に至る。


そこで、牌流はある薬を立飛に飲ませた。


牌流「……お願い、目を覚まして……立飛」



……それは、閉鎖してしまった精神を無理矢理に呼び起こす、活性させる、秘薬。

状態が異なれば、適応する薬も異なる。

以前、立飛がこのような状態に陥ってしまった際に使用したものとは、また違った薬。



牌流と立飛は、妙州の里を発った後にまず向かったのは。

妙州の里から少し離れた村。

今賀斎甲の元だった。

……涼狐の眼を潰す毒と、この秘薬を貰い受けるために。

一悶着あったが、なんとかこれらを入手。


が、秘薬といっても万能ではない。

これを飲ませれば確実に意識を取り戻す、とは言い切れない。


……だから。


牌流「待ってるからね、立飛」


……あとは信じて祈るのみ。


忍びが神に祈るなんか、とんだお笑い草。

しかし、忍びではない今なら。

それくらい、許してほしい、と。



鹿「…大丈夫、だよね?」

牌流「……うん、立飛は強い子だから。きっと…」

鹿「……そうだね」


鹿も鹿で、依咒に与えられた傷跡が痛々しく。

白く綺麗だった肌は青く腫れ上がり、痣だらけの状態で。

……相当酷くやられたのか、と想像して恐ろしくなる牌流。


牌流「…ごめん、鹿ちゃん」

鹿「え、なにが?」

牌流「手当てしてあげたいけど、私まだやることあるから……自分で出来る?」

鹿「う、うん……勿論、これくらい自分でやれるけど……やることって?」


牌流「……紅寸を捜してくる」


鹿「あ、そっか……でも捜すって、どこを……危険過ぎない……?」

牌流「…城に捕まってたら無理だけど。もしかしたら、逃げた後でそこら辺にぶっ倒れてるかもしれないから」


……その牌流の予想は当たっており。



しばらくして、山小屋に戻ってきた牌流の腕のなかには。

紅寸の姿があった。



鹿「紅寸……っ、これも術の…」

牌流「…多分ね」

鹿「こんなになるまで…」


牌流「…っ、私……っ」


鹿「牌ちゃん…?」

牌流「…ううん、何でもない……今日はもう休もっか。明日、皆が目を覚ましてから話し合おう」

鹿「…だね。私も、今日はかなり、疲れた……精神的に」



立飛ら四人の処置を終え、寝かせて。

疲弊しきっていた牌流と鹿もこの日は休むことにした。



──……。



それから数時間が経った頃──。


牌流「…………」


……眠れない。

疲れている筈なのに。


部屋を見渡す。

立飛、紅寸、ヱ密、空蜘、鹿。


命を賭し、傷付き果てた皆の姿を見て。


涙が湧き出てくる。



牌流「……っ、ぅ……うぅっ……」


物音を立てぬよう、静かに小屋を出て。

朝焼けの空に、泣く。



……自分は、何をやっているのか。


立飛は一度その命を放棄し、涼狐を戦闘不能に陥らせて鍵を奪った。

紅寸はこんなボロボロの状態になってまで、ヱ密を救い出したというのに。


……対する自分は、というと。


何も出来なかった──。


あの状況で、鈴を説得することすら出来ず。

結果、むざむざと尻尾を巻いてあの場から逃げ出して。


……なにが忍びを辞めてまで二人を助けたい、だ。


あんな偉そうなことを言っておきながら、自分は何一つ遂げられていない。

満身創痍の皆と比べ、傷一つ負っていない、この身。

こんな自分が。

立飛と紅寸に、どんな顔をして会えばいいのか。


自分の無力さが。

弱さが。

情けなさが。


申し訳ない、許せない。


……悔しくて、どうしようもない。


────…………。



立飛以外の皆が目を覚まし。

里を離れてからのこと、各々が知っている情報を出し、話し合う。


……が、その空気は。


最悪なものであった──。



牌流「Xenotopia……?」


ヱ密「…まぁ、本当かどうかはわからないけど」

紅寸「いくらなんでも、そんなの……夢物語の域だよね…?」

鹿「…信じろっていうのが無理でしょ」


牌流「だから、鈴ちゃんは…」


鹿「でもっ、それでいきなり態度を豹変させたり……そんなのっ…」

ヱ密「私はそれも仕方無い、そういう風に考えても当然だと思う」

牌流「ヱ密…」


紅寸「…なら、私たちの気持ちは、どうなるの…? 私も、牌ちゃんも立飛も、鹿ちゃんだって……ヱ密と鈴ちゃんとまた、って…」

牌流「……」

ヱ密「それについては会った時言ったと思うけど、嬉しかったよ。でもね…」




ヱ密「誰がいつそんなこと頼んだ?」


鹿「ヱ密……?」

紅寸「え、ヱ密……っ」


ヱ密「あんな危険まで犯して、いつ誰が死んでもおかしくなかった。皆、そんな状態になって、立飛だって。こんなことされて、素直に喜べると思った?」

ヱ密「一時の感情だけで動いて、こんな無茶を重ねて……今まで里でそんな教えを受けてきたわけじゃないでしょ」


牌流「……なに、それっ…」

鹿「…っ、なんでそんなこと言うの…? 酷いよ、ヱ密…」

紅寸「皆、ヱ密と鈴ちゃんのことが大切だから、また一緒にいたいって思ったから……ここまでしたのにっ…」


ヱ密「それが間違ってるって言ってるの。牌ちゃんや立飛は忍びを辞めたらしいけど、私は今でもその誇りは捨ててない」


ヱ密「皆のその考えは間違ってる。蛇龍乃さんが今ここにいないことが、何よりの証拠」


ヱ密「あの人は、いつだって正しいから」


鹿「そんな……っ」

紅寸「……っ」


ヱ密「…ごめん。私、城に戻るね。皆も早いうちにここを離れた方がいいよ。涼狐にあんなことしちゃったんだから、その報復がこないとも限らない」


……そう言って立ち去ろうとするヱ密の前に。



牌流「…行かせない」


ヱ密「牌ちゃん……退いて」

牌流「退かない。私はもう、何も失いたくないの…」


ヱ密「……」



空蜘「……まぁそうだよねぇ」


今まで興味無さげに聞いていた空蜘が、口を開く。


空蜘「城に戻られると殺せるのがいつになるかわかったものじゃないし、ここで殺してあげるよ」


牌流「空蜘、何言って…」

ヱ密「…うん、空蜘ならそう言ってくると思ってた。いいよ、やろっか」


紅寸「ヱ密っ、空蜘っ…!」

鹿「なんでそうなっちゃうのっ…!? 私たち、仲間でしょ…?」


空蜘「…はぁ? 私がいつそんなこと言った? そっちが勝手に勘違いしてただけでしょ?」


鹿「なっ…、じゃあ、今まで里で一緒に暮らしてたのは……ははっ…、少しでも気を許してた私が馬鹿だったわ…」

鹿「……そうだよね……あんたはそういうやつだもんね」


空蜘「そうそう、元は敵同士だったんだから相入れるわけないじゃん。今すぐ殺してあげよっか?」


鹿「…ただで殺されると思う? 刺し違えてでも、お前を殺してやるっ…」


空蜘「あははっ、弱いくせに」


鹿「…試してみる?」


紅寸「ちょっ、鹿ちゃん、落ち着いてっ…!」


鹿「……馬鹿みたい……っ、仲間だと、思ってたのに……。そうなんだね……空蜘も、ヱ密も」



空蜘の発言により、更に険悪化した空気のなか。


……そこに。



牌流「……私は、今でも仲間だと思ってるよ」



牌流「空蜘もヱ密も、鈴ちゃんも……。反対に、空蜘やヱ密も私たちのことを仲間と思ってくれてるって、信じてる」



ヱ密「……」


空蜘「甘い戯れ言だね。やっぱ忍びに向いてないよ。辞めて良かったんじゃない?」


牌流「……そうかも、しれない。じゃあ空蜘、私を殺せる…?」


空蜘「……自分は気に入られてるから、私が躊躇して殺せないとでも思ってる? 殺せるよ、一瞬で殺せる……殺してほしい?」


牌流「殺して、ほしくない…」


空蜘「そう、ならあんま鬱陶しいこと言わないでね」


牌流「……私が望んでるあの日々には、私もいるから……死んだりしたくない。空蜘に、誰も殺させるわけにはいかない……ヱ密を城に戻らせるわけにはいかないの……っ」


空蜘「……」


ヱ密「……全部、泡沫に消えたんだよ。いくら過去を羨んでも、それは戻ってこない」

ヱ密「……人間は一人一人に望む幸せのカタチがある。鈴ちゃんの幸せの有り様を決めるのは、牌ちゃんじゃないでしょ?」


牌流「……わかってる……わかってるよ……っ、じゃあヱ密はどうなの……?」


牌流「鈴ちゃんがどうとか、探偵がどうとか、私たちが危険だからとか、そんなの関係無しに……ヱ密は何がしたいの…!?」


牌流「本当にそれが、ヱ密が望むものなの……?」



ヱ密「……」


空蜘「……ねぇ、もうそろそろいい?」



牌流「…っ、甘いこと言ってるのはわかってる、私が全然忍びに相応しくないってのも重々承知してる……そのうえで、最後に私の我が儘を、聞いてください…」


牌流「立飛が目を覚ますまで、一緒にいて。立飛は、ヱ密を想ってこうなったの……今でもそう想ってるまま」


牌流「空蜘のことだって、立飛は誰よりも気に掛けてくれてたでしょ……? だから、せめて……立飛と言葉を交わしてあげて……」



牌流「お願い……します……っ」





……牌流がなんとか繋ぎ止めたものの。

同じ場所にいながら、心はバラバラの六人。


接し方は違っても、皆が可愛がっていた鈴は、そこには居なく。

種類は違えど、皆が慕っていた蛇龍乃も、ここには居ない。


剥き出しになる。

……軋み。

……歪み。

こんなにも、脆い。

壊れていく寸前の状態。


蛇龍乃という精神的主柱を欠いた今では。

情に訴える牌流の言葉では、ヱ密と空蜘には届かない。


今、何より必要なもの。


それは。


そのことを、ここにいる全員が理解していた──。


────…………。



あれから一夜が明けた、城内。


あの後、涼狐は気を失い、倒れた。

すぐに処置が施され、痛みは引いてきたが、その眼は塞がったまま。


自室にて目を覚ました涼狐は、付きっきりで看病してくれていた鈴に。

あの夜のことを訊いていた。



涼狐「……情けない姿、見せちゃったね」


鈴「そんなこと、ない……ねぇ、涼狐」

涼狐「…なに?」

鈴「大丈夫……? 気分悪くない……?」

涼狐「平気。なんともないよ」

鈴「……嘘。そんなわけないじゃん……無理して強がらないでよ。涼狐はあたしなんでしょ? なら、あたしはあ んたの弱さも情けなさも、知ってる」


涼狐「……」


涼狐「……鈴」

鈴「…うん」


涼狐「なんであの時、助けに来た仲間と一緒に逃げなかったの?」


鈴「……わかんない」


涼狐「……そっか」

鈴「涼狐は、あたしがここに残って嬉しい?」

涼狐「そりゃあね。鈴は必要だもん。まぁ逃げてたら逃げてたでまた取り返すだけ」

鈴「そんな眼じゃ、無理でしょ…」

涼狐「無理じゃないよ。トイズは使えないけど……トイズが無くたって、私は誰にも負けたりしない」


鈴「……もう戦わなくていいよ、涼狐」

涼狐「そうは言っても、ヱ密は連れていかれちゃったみたいだし。私は依咒ちゃんに従うから、必要とあれば……あれ?」

鈴「ん?」

涼狐「依咒ちゃんは? ここにいる?」

鈴「ここにはあたしだけしかいないよ」

涼狐「なんだ、鈴だけか…」

鈴「なーにー、あたしじゃ不満なのー?」

涼狐「いやー、自分で言うのもあれだけどさぁ、依咒ちゃんって私のこと溺愛してるから。てっきりずっと傍にいてくれてるのかと思って」

涼狐「自惚れ過ぎてたかな、あはは」


鈴「みんな、ちゃんと心配してたよ。きっちゃんなんか怖いくらいに」

涼狐「ん…、なんとなく想像つく」

鈴「あたし、みんなを呼んでくるね。涼狐が目を覚ましたって」


……噂をすれば、とは正に、このことで。

鈴が立ち上がろうとした瞬間。


ガラッと、襖が開き。

入ってきたのは。



依咒「すーちゃん、おはよ」


依咒は、涼狐の枕元の側へと腰を下ろし。

その手を握り締めた。


涼狐「おはよ。やっぱ依咒ちゃんの声聞くと安心するなぁ」

依咒「私も」


鈴「…あたし、出ていった方がいい?」


依咒「うん」

涼狐「ううん」


鈴「え、どっち…?」


涼狐「いいよ、ここにいても。てか、この状態で依咒ちゃんと二人きりとか何されるかわかんないしー」

依咒「ひどっ!」

涼狐「もうその手の触り方とかホントにね」

依咒「もー、すーちゃんさー」


涼狐「…ねぇ、依咒ちゃん」

依咒「…うん」


涼狐「ごめん。今回の件、完全に私のミス。本当にごめんなさい」


依咒「私の方こそ、ごめん。すーちゃんに頼りっきりになってた。すーちゃんの力に甘えっぱなしで」


涼狐「……もう頼ってくれないの? 私がこんなになっちゃったから、用済み…?」

依咒「なわけないじゃん。これからもずっと一緒。まだまだ働いてもらうから」

涼狐「…うん、ありがと」

依咒「それに、その眼も空がきっとなんとかしてくれるから安心して」

涼狐「え、ホントに? これ治るの?」

依咒「いや、わかんないけど。空なら多分……あー、どうだろうなぁ…」

涼狐「ちょっとー、適当すぎでしょ…」


依咒「まぁとりあえず、今はゆっくり休んでて」

涼狐「ヱ密は、どうするの? 早く取り戻さなきゃ」

依咒「それは私に任せて。ちょっと考えがあるから」



……そして。

その後、他愛もない話をしている二人を見ていると。

鈴は、懐かしい気持ちに。

それは、家族みたいに、温かくて。


……家族。

忍びの皆のことも、そう思っていたな、と。

あの時の牌流の表情が、頭に酷くこびりついている。

差し伸べられたあの手を、拒絶してしまった。

……きっと、今頃恨んでいるのだろう。

もう戻ることは出来ない。

鈴は自分の意志で、断ち切ったのだ。


それは、この場所を選んだ、という顕れ。


涼狐たちと行動を共にすることを、望んでしまった。



鈴「…………」


依咒「──鈴ちゃん」


鈴「…へ? あ、なに?」

依咒「さっきからずっと呼んでるのに。ぼーっとして、どうかした?」

鈴「ううん、なんでもない。もう行くの?」

依咒「ちょっとやることがあってねー。じゃあ鈴ちゃん、すーちゃんをよろしくね」


依咒「じゃーねー、ばいばーい」



こちらに手を振りながら、部屋を後にする依咒。



鈴「意外といつも通りだったね。昨日とか相当ピリピリしてたのに」


涼狐「……ううん、全然普通じゃなかった」

鈴「え?」

涼狐「声とか喋り口調とかは普通だったけど、なんか伝わってきた……あれはめちゃくちゃ怒ってるね」

涼狐「私でさえ、ちょっと怖かった…」

鈴「そ、そうだったんだ…」

涼狐「……ああいう時の依咒ちゃんはやり過ぎちゃうことが多いから、心配」

鈴「……ちゃんと溺愛されてて良かったね」


涼狐「笑い話になればいいけど……ま、いっか」


──……。



城内のある一室。

そこにいたのは、涼狐の部屋から戻ってきた依咒と。

空だった。



依咒「空、スマホは持ってきた?」

空「うん、でも何に使うの?」


依咒「…ふふふふふっ……あーはっはっはっはっ!!」


空「ひぃっ、こわっ……いきなり笑いだして、この人怖すぎるんだけど」

依咒「この時の為に、城主やってたと言っても過言じゃない気がするの。ねぇ? 空もそう思うでしょ? そう思うよね?」

空「そ、そうっすねー…」


依咒「あの忍者共、私の可愛いすーちゃんにとんでもないことを……殺す、絶対に殺す……死よりも恐ろしい恐怖を与えてやる……ふふふふふふふっ」


空「……っ」


そろーっと、部屋から逃げようとする空に。


依咒「空、誰が帰っていいって言った?」


空「バ、バレた…」


依咒「はい、そこ座って!」

空「えー、それって私も必要? スマホがいるんじゃないの?」

依咒「両方必要。スマホも空も」


空「何するつもり…?」

依咒「いいからいいから。貸して」


空からスマホを受け取り、それを操作する依咒。

以前に鈴からその使い方を教わり、ある程度は依咒でも扱える。


……だが、何をしようというのか。

当然、電波など存在しないので通信は不可能。

種を扱うのも、鈴でなくては無理。

写真なら依咒でも使えるが、今ここで使う意味など無いように思える。


ならば、一体何を。


依咒「あった、これこれ」


依咒が画面をタップして開いたもの。

それは。

画像フォルダだった。

そのなかには、鈴が元の世界で撮った写真がいくつも保存されている。

鈴自身の写真は勿論。

元の世界の、依咒たち。


……そして。


忍びの面々も。


依咒「空ってさー、絵描くの上手だったじゃん? この七人、そっくりに描き写してくれる?」


その七人とは、言わずもがな。

ヱ密、空蜘、立飛、鹿、牌流、紅寸、蛇龍乃のことで。



空「あー……何しようとしてるのか、大体わかった気がする」

依咒「空、こいつの名前って何?」

空「立飛」

依咒「じゃあこれは?」

空「紅寸」


一人一人の名前と、それらが扱う術の詳細を空から聞き出し。

空に、顔を紙に描き写させる。


……そう。

依咒が考え付いた案。


依咒「この世界から、奴等の居場所を消し去ってやる……!」





それは、手配書の作成だった──。



名前と顔、事細かな風貌。

そして、忍者であること。

更には、術の詳細までを。


その全てを紙に書き起こし、大量に刷る──。



それは、瞬く間に地域一体を通り越し。

国中にばら蒔かれることとなった──。


勿論、手配書というからにはその報奨金の記載もあり。

その額は多大なもので。

対象の首を依咒の元に献上すれば、一生遊んで暮らせるだけの金を与える、と。

更に生け捕りの場合だと、それは十倍にまで跳ね上がる。


ヱ密に関しては、殺してしまうと種が手に入らないことから。

生け捕りのみ、との注意書が添えられており。

それと、涼狐に傷を負わせた張本人の立飛も同じく、生け捕りしか認めない。

……依咒自ら、制裁を加える為である。



────…………。



その手配書は、忍びたちもすぐに目にすることになる。



鹿「な、なにこれ……」


紅寸「こ、ここまでするの……?」


空蜘「術もバラされるって、もう忍びやっていけないじゃん」


ヱ密「……正直、甘く見てた」



……頭を抱え込むヱ密。

ここまで向こうが本気となると、たとえヱ密が種を与えたとしても。

それで帳消しにしてもらえるとは、とても思えない。

自分も、皆も、殺されるだろう。


牌流「最悪のタイミング……立飛だってまだ目を覚ましてないのに……っ」



相手は、あの探偵だ。

何処に逃げ隠れしようとも、必ずしや居場所を曝かれてしまう。


手配書が触れ回ったこの日から。


国全体が。


七人の敵に回った──。


──……。



……別の場所。


風に吹かれ、流れ着いた手配書を拾い上げ。


それを目にする者が一人──。



「……なんだこりゃ?」


「……は?」



その紙に書かれているのは。


……自分の名前、顔、術が事細かに綴られており。


おまけに多額の報奨金まで。


即ち、それは。


……国をあげての、忍び狩りというわけで。






蛇龍乃「……ひ、ひでぇ……私が一体、何をしたっていうんだよ……」






蛇龍乃「あの、馬鹿共……っ」


────…………。



絶望が色濃く浮かび上がった、この雰囲気に。

息をすることも、躊躇いがちになってしまう。



牌流「……ごめんなさい」


……自分のやろうとしていたことは。

何もかも間違っていたのだと、痛感させられる。

あの日々を取り戻したいから、と安直な気持ちから立飛や紅寸を巻き込んで。


結果、このような事態に陥ってしまった。



空蜘「どうしてくれるの? こんなんじゃ、あの探偵から逃げたところでこの国では生きてけない」


空蜘は誰に目を向けるでもなく、言った。


紅寸「黙って、空蜘。そんなこと今更言ったってしょうがないでしょ」

鹿「こんなの、さすがに誰も想像出来ないって…」


ヱ密「間違った行為には、間違った結果が伴う……わかったでしょ? 牌ちゃん」


牌流「…っ、私が、城に行って、どんな仕打ちでも受けて」

ヱ密「そういう問題じゃないことくらい理解してるよね? ここまできたら牌ちゃんの命一つで解決するものじゃない」

ヱ密「私や鈴ちゃんを助けようとした……その結果、皆が死を宣告されたようなもの。牌ちゃんが求めてたものは、牌ちゃん自身が壊したんだよ」


紅寸「…っ、ヱ密、それ以上言ったら殴るよっ…」

鹿「牌ちゃんだけのせいじゃないじゃんっ、責めるなら私や紅寸のことも責めなよ…!」


牌流「いいの、二人とも…」


ヱ密「……そうだね、ごめん。ちょっと私も余裕無くなってた……ごめんね、牌ちゃん」


牌流「……ううん、謝らないで、ヱ密」



皆それぞれ、明らかに余裕が欠けていて。

それを省みて。

言葉を選ぼうと、慎重になるなか。



空蜘「はぁー……そうなんだよねぇー……」


……と、そこに空蜘。


空蜘「もうなんか全員ムカつくし、ぶっ殺したい。ヱ密さぁ、さっきから自分が正しくてコイツらが間違ってるみたいな言い方してるけど」

空蜘「元はと言えば、捕まっちゃったヱ密が悪いんじゃん? そこで鈴と一緒にあの探偵共に何を吹き込まれたのか知らないけどさぁ」

空蜘「要は弱いのが悪いんだよ。私も含め、ここにいる全員が弱かったから。だから探偵にナメられてんの。それだけ」


吐き捨てるように、言ってみせた。


紅寸「空蜘…」

鹿「それこそ、今更言ったってどうしようもないじゃん…」


空蜘「ま、そうなんだけどねぇ。ムカついたから言ってみただけ」


ヱ密「正論だね。たしかに私が涼狐より強ければって話だけど……はは、そんな無茶苦茶言われても」



ヱ密「……とにかく、いつまでもここに留まっておくわけにはいかない。皆も早いとこ、出来るだけ遠くに逃げた方がいいよ」


鹿「……ヱ密は、どうするつもり…?」


ヱ密「言っておいた通り、城に戻るよ。まぁ無理だと思うけど、皆のことを見逃してもらえるようになんとか頼んでみるつもり」


ヱ密が種を与える代わりに、忍びの皆を見逃せ、と。

……おそらく、口頭上ではそれは受け入れられるだろう。

向こうの第一の目的は、忍者の命をどうこうというより、例の計画なのだから。

しかし、種を渡した後にそれが守られるかは保証できない。



空蜘「ヱ密、その前にちょっと顔貸してくれる?」

ヱ密「うん、私もそのつもりだったから」


……それは。

ほぼ間違いなく、殺し合いだろう。

どちらかが必ず、死ぬ。

その生き残ったどちらかも、ここに戻ってくることはない。



ヱ密「今度こそ、止めないよね? 牌ちゃん」


牌流「……っ」


……止められない。

止める権利など、自分には無い。



ヱ密「……皆、さよなら」



ヱ密と空蜘が出ていこうとした、その時──。







「牌ちゃんが止めなくても、私が止めるよ」



……部屋の奥の方から、聴こえた声。



紅寸「立飛っ…!」


それは、立飛のものだった。



牌流「よかった……目、覚ましてくれて」

鹿「もう…、心配させないでよ……っ」


立飛「あはは……ごめんね、心配かけて。ありがと、牌ちゃん」


牌流「……っ、謝らなきゃいけないのは、私の方」


牌流「……私、何も出来なくて、それどころか」

立飛「でもちゃんとヱ密いるじゃん。それに、私がこうして生きてるのは牌ちゃんのおかげ。牌ちゃんがいてくれなきゃ確実に死んでたからね」

牌流「……立飛」


立飛「紅寸も役目を果たしてヱ密を連れて帰ってきて偉い。鹿ちゃんとも合流できたんだ?」


立飛「空蜘もすっかり良い顔になっちゃって」



嬉しそうに、周りに目をやる立飛だったが。

一瞬で声色を変えてみせた、その視線の先には。



立飛「……で、何処に行こうしてるの? ヱ密」


向けられるその無垢な瞳に。

眈々と答えるヱ密。


ヱ密「わざわざ救ってもらったのに悪いけど、城に戻るんだよ。だからここでお別れ。最後に声が聴けてよかった」


立飛「どうして?」


立飛「私が寝てる間に何かあったみたいだけど。それは私を納得させられる理由?」

立飛「…見たところ、皆は微妙そうな顔してる。ヱ密、私はこの命を投げ出して、あんたを求めてみせた」


立飛「そんな私に、ヱ密はどう応えてくれるの?」


ヱ密「まだ何も事情を知らない立飛にこんなことを言うのは酷だろうけど……それは立飛が勝手にやったことでしょ?」


立飛「……へぇ、言ってくれるね。まぁ、でもまずは事情を知らないと……牌ちゃん、教えてくれる?」


牌流「あ、うん…」



……立飛は牌流の口から、これまで起こったことを聞く。



立飛「……あー、なるほどねぇ……想像以上に深刻だ。ヱ密が城に戻ろうとする気持ちもわからなくはない、かなぁ……うーん」


ヱ密「そう。自らを殺しかねないその術を使ってまで、こんな意味の無いことをするなんて、だから愚かだって言ってるの」

空蜘「馬鹿だねぇ。立飛はもう少し賢い子だと思ってたのに」

立飛「それを言うなら、空蜘も同じじゃない? だって空蜘も私たちがしようとしてたこと、知ってたよね?」

空蜘「…私はヱ密を殺せれば他はどうでもいいから。てかそう言ったのは立飛じゃん。あんな真似までして」


立飛「そうだけど、そうじゃないでしょ、空蜘」


立飛「空蜘だけじゃなくて、ヱ密も、皆も」


空蜘「……?」

ヱ密「…なにが?」


立飛「今こうして、牌ちゃんから話を聞いて……あ、一応訊くけど、全部本当のことだよね?」

牌流「…う、うん」

ヱ密「間違いないよ」


立飛「だったら……あれ? 私がおかしいのかな…」


鹿「…立飛?」

紅寸「何が言いたいの?」


立飛「一通り話を聞いて、率直に思ったこと……牌ちゃんや私たちを責めるとか、ヱ密を説得するかとか、そんなのの前にさ」




立飛「私は、鈴を殺したいと思ったんだけど」




立飛「理由がどうであれ、鈴は敵に寝返った……私たちを裏切った。違う? ヱ密」


ヱ密「…私は、鈴ちゃんの気持ちを尊重したいと思うから」

立飛「ははっ、誤魔化さないでよ。私が訊いてるのは、これが裏切りか裏切りじゃないかってこと。それに関してはどっちなの?」


ヱ密「それは……間違いなく、裏切り」

立飛「うん、そうだよね。ていうかさ…」

立飛「鈴の気持ちはどうこう言うくせに、私たちがヱ密を想う気持ちを一方的に咎めるのはおかしくない?」


ヱ密「……」


空蜘「あーあ、痛いとこ突かれちゃったねぇ」



立飛「……それに」


立飛「私と鹿ちゃんは、鈴に裏切られたのはこれで二度目。あの時は、結果救われたから良かったけど……今回は、どう? 鹿ちゃん」


鹿「……っ、立飛は、いいの…? それで……鈴のことを大切に想っていたからこそ、こんな、命を賭けて」

立飛「あの時まではね。でも今は違う。馬鹿な弟子に苛ついてしょうがない」

立飛「師匠として、裏切者の末路がどうなるか。その身に知らしめてあげないと」


鹿「……うん」


鹿「私もちょっと引っ掛かってたから……今回ばかしは、許せないかな」


空蜘「…まぁ、私も鈴を殺したいっていうのには同感」

立飛「さすが空蜘。そう言うと思ってたよ」



鹿、そして空蜘を囃し立てる立飛に。

牌流が言う。


牌流「…ちょっと、立飛っ! さっきから何言ってるの…!?」

立飛「なにって、当然のことを言ってるだけ。裏切者には死をもって償わせる。なにもおかしいことじゃないでしょ?」

牌流「でも、二人を助け出そうって……あの里で、そう言って…」

立飛「その時と今とでは、違うことが多すぎるよ……牌ちゃんは自分を責めてるみたいだけど、悪いのは明らかに鈴の方でしょ」


立飛「私が意識を失ってから、鈴と話せたのは牌ちゃんだけ。その時の鈴は、牌ちゃんの目にどう映ってた?」


牌流「……っ」



……自分に向けられた、鈴の拒絶が甦ってくる。

真意はわからないが。

あの時、鈴は。

牌流や立飛よりも、涼狐を選んだ。

これは、紛れもない事実──。

立飛が言う通り、鈴は裏切ったのだ。



牌流「……私、は…」


紅寸「立飛は、鈴ちゃんのことが嫌いなの…? だから、殺したいの……?」


牌流を見兼ねてか、紅寸がそれを遮り。

……立飛に問う。



立飛「好きだよ」

立飛「じゃなかったら、まず里に迎え入れてない。皆だって、それは一緒だよね」


一通り、周りに目をやって。

更に、続ける。



立飛「仲間だから、信頼してた人に裏切られるのは、なにより辛い……裏切者には死を、って言葉はそういうことでしょ」


立飛「大好きだったから、殺したいって思う……殺さなきゃって」


紅寸「……うん、そうだね…」


立飛「……牌ちゃんは?」


牌流「……大好きだったから、殺さなきゃいけない、か……辛いね。本当に、辛い……こんなに辛いのは、大好きだったからなんだよね……」


……と、そこに。

途中から黙ったままだったヱ密が、立飛に向かって。


ヱ密「……今さっき目を覚ましたばっかなのに、よくもまぁそこまで口が回るね。立飛」


立飛「ありがと。誉め言葉として受け取っておくよ」

ヱ密「鈴ちゃんの名を出して、皆を言いくるめて。それでとりあえずの結束を謀ろうとしてるのが丸見え」

立飛「だってその通りでしょ? ヱ密が今でも忍びを名乗るなら、ここで私に賛同してくれなきゃおかしいよね?」


立飛「城に戻るなんか、口が裂けても言えない筈」


ヱ密「…ふふっ、恐ろしい子」



ヱ密「でも、それで何が変わるの? いくら私たちが鈴ちゃんを殺そうと意気込んだところで、今の状況が好転するわけじゃない」

ヱ密「それに、鈴ちゃんのすぐ傍には涼狐や他の探偵がいる。ただ殺すと言っても簡単な話じゃないよ」


立飛「それは、そうだけど…」


ヱ密「……そもそも、私はやっぱり鈴ちゃんを手に掛けるつもりは」


……と、そこまで言い掛けたところで。



ヱ密「…っ!?」


空蜘「……っ」



近くにいたヱ密と空蜘だけが、感じ取った。


……扉の外にある、気配。



例の手配書を見た報奨金目当ての賊か。

だとしたら、なんと愚かな者なのか、と。

察するところによると、その気配は一つ。

たった一人でこの六人を相手にするなど。

……あの涼狐であっても、おそらく無理だろう。



空蜘「…馬鹿な奴」


ギィ、と扉が開いた瞬間。

空蜘は糸を伸ばし、その者を串刺しにしようとした。



……が。



空蜘「…え?」


糸は、その者に触れる手前で。

空蜘の制御を離れ、床に散らばり落ちる。


空蜘「……」


……再度、展開しようとするが。

今度は生成すら出来ない。



空蜘「これ、もしかして…」


こんなことが可能なのは。


……そう。


開いた扉の先に立っていたのは──。




蛇龍乃「随分なご挨拶だな、空蜘」



空蜘「あー…」

ヱ密「蛇龍乃さん……」



蛇龍乃「……」



唐突に現れた蛇龍乃の存在に、皆驚きを隠せずに。

先程までとはまた違った緊張感が、場を纏った。


……それもその筈。

蛇龍乃のその表情は、明らかに不機嫌そうで。

恐怖を越えた殺意すら、窺える。


蛇龍乃は。

目を細め、この場にいる全員の顔を睨み付ける。



……そして。



蛇龍乃「……私もある程度は知ってるけど。話せ、全部」


──……。



蛇龍乃「……ふーん」


蛇龍乃「まぁ、とりあえず…」



経緯を聞き終えた蛇龍乃は。

静かに歩を進め。


部屋の一番奥。

……立飛の前に立ち。



ガツッ──!


立飛「…ぁうっ!」



握り締めたその拳で。

殴った──。


そして、その側に立つ鹿、紅寸に対しても。


ガツッ──!


ガツッ──!



鹿「ぁぐっ…」


紅寸「痛っ…!」



踵を返し。

扉の前にいた空蜘、ヱ密を。


……最後に、牌流を。


同じ様に、殴ってみせた──。



殴った理由、については。

おそらく、一人一人に対し違った意味があって。

だが、この後、蛇龍乃が皆に向けて放った言葉は。

……清々しいまでに、等しく。




蛇龍乃「お前ら全員、馬鹿」


蛇龍乃「死ね」



蛇龍乃「…ったく、余計な事ばかりやってくれやがって」


……そう溢す蛇龍乃に。



鹿「…うるさい」


鹿「じゃりゅのんは皆のこと見捨てて自分だけ逃げ出したくせに。今更出てきて説教…? 何様のつもりなの?」


皆が蛇龍乃に圧倒されるなか、鹿が口を開く。


蛇龍乃「黙れ、誰に向かってそんな口を利いてる。何様だと? そんなの、頭領様に決まってるだろ」


鹿「…っ」


蛇龍乃「牌流、立飛。忍びを辞めたとかほざいてるらしいけど、誰がそんなこと許可した?」


牌流「だって、こうでもしなきゃ…」

立飛「ごめん、なさい……」



蛇龍乃「感情が先走っての行為は、忍びとしてあまりに愚直過ぎる」


蛇龍乃「その命がある限り、お前らは私の部下に変わりはない。後先考えず行動をしてこんな結果を招いたんだ、それを咎める権利を誰よりも私はもってるんだよ」


蛇龍乃「それに、立飛も紅寸もそんなふざけた術の使い方を誰が教えた? 他人の為にその命を無駄にするなんか、お前らは愚かな死にたがりか? 履き違えるなよ、お前らが命を賭けていいのは私にだけ」


紅寸「わ、わかってる、けど…」


蛇龍乃「私に逆らうことは許さん。あと、私を裏切ったら殺す」



空蜘「……偉そうに」


空蜘「ていうかさぁ、なにさっき殴ってくれちゃってるの? まぁ非力なあんたのだから、全然痛くなかったけど。ムカついたことは確か」

空蜘「今まではあんたの顔を立てるために従ってやってたけどさぁ」


空蜘「今の私、あんま機嫌良くないから……殺すよ?」


蛇龍乃「機嫌が良くないのはお互い様。聞こえなかった? 私に逆らうなって言ってんの」


蛇龍乃「舐めた口利いてると、殺すぞ」


空蜘「……っ」



理不尽を振り翳しての、威圧感。

それは、あの空蜘がそれ以上何も言えなくなるほどで。


……それと同時に、皆思い出す。


自分たちの頭領は。

蛇龍乃は。

こういう人だったのだ、と──。



蛇龍乃「ヱ密」


ヱ密「蛇龍乃さん…」

蛇龍乃「いくらお前が強いといっても。所詮、人の上に立てる器じゃないよ。だから誰も納得させられないし、従わせられない」

蛇龍乃「反って混乱を招くだけ。迷ってんでしょ? 自分がどうしたいのかも整理出来てないんだから、そりゃこうなるわ」


蛇龍乃「だったら黙って従ってろ。仕方無いから、私が導いてやるよ」


ヱ密「……はい」



蛇龍乃「……あの時、私が言ったこと覚えてる?」


バラバラになる直前。

里が城兵に囲まれ、そこに残るヱ密と空蜘に向けて。

蛇龍乃が言った言葉。


『空蜘、ヱ密。私のために、死んでくれ』



蛇龍乃「お前らはまだこうして生きている。だから、その命は私のためだけに使え」


蛇龍乃「間違えに間違えを重ねて、陥ったこの状況。最早、何が間違えだったかもわからなくなるほどにね。私も含め、ここにいる誰もに非はある」


蛇龍乃「まずそれを認めろ。認めたうえで、他人を責めるか? 弱さを嘆くか? 相手を恨むか?鈴を憎むか? ……違うな」


蛇龍乃「その非は本来、私に向くべきだ。だが、お前らごときが私を非難するなど許さない」


蛇龍乃「矛盾、我が儘、理不尽……その通り。何故なら、私がすべてだからね」


蛇龍乃「ならばどうする? お前たちに何が残る? 答は簡単。私に逆らうな、私に従え。即ち…」



蛇龍乃「──私のために、死ね」



筋が通っているのか、通っていないのか。

いや、通ってはいないのだろう。

本人が言っている通り、それは無茶苦茶だ。


……だが、そんな蛇龍乃にこれ以上言葉を返せる者は誰もおらず。

それは、ここにいる皆が妙州の忍びであることを意味しており。

誰もが、蛇龍乃を慕っており。

誰もが、蛇龍乃を認めており。

誰もが、蛇龍乃に命を賭ける覚悟を今となっても持ち続けている証。



……頭領。


それはただ一番上に立つ者を指すだけのものではなく。

理に適っていなくとも、強引であっても、どれだけ理不尽であっても。

人を動かせられるほどの器量。

必要なのは、説得力。

言葉の、重みだ。


それをもってすれば。

独り善がりではなく、独裁。

従う者と従わせる者。

双方に、信じて疑わない、その心さえあれば。

独裁は、信頼から生まれる。

信頼から生まれた独裁は、何よりも強いものとなる。



……こんなこと、蛇龍乃以外に誰が可能だろうか。

牌流でも、立飛でも、ヱ密でも無理だ。

情に訴えかけるわけでもなく、力で上から押さえ付けるわけでもなく。

自分に従うのは当然だ、と言わんばかりの最上級の我が儘。


それが、妙州の里。


忍びの頭領の。


蛇龍乃だ──。



蛇龍乃「…さて、説教はここまで」


鹿「はいはい。相変わらず、超わがままなんだから……なんでこんなヤツについていっちゃうんだろ」

紅寸「不思議ー」

ヱ密「こんな人だから、でしょ?」

鹿「そうかもねー」

空蜘「あーあ、ホントとんでもない人に捕まっちゃったよ」

牌流「そうだよね。蛇龍乃さんは私たちの頭領だもん」

立飛「うん……この人の下だから、私は忍びをやってこられた」

紅寸「なんだか今ならなんでもやれそうな気がする」


空蜘「あー、でもさぁ、いくらこの人がやる気出したところで今の最悪な状況変えられるの?」


思い出したように、空蜘が蛇龍乃に問う。


蛇龍乃「最悪、ねぇ……まぁ相当不利なことは確かだけど、最悪ではないでしょ」


ヱ密「…え?」

鹿「そう…? これ以上無いくらいに最悪に感じるんだけど」

牌流「うん…」

蛇龍乃「最悪じゃないよ。だって誰も死んでない。こうして皆生きてるじゃん」

空蜘「あー、まぁ、うん…」

立飛「そう、だね……うんっ!」

蛇龍乃「さて、誰も死んでないということは、どういうことでしょう。紅寸」

紅寸「へ? えっと……皆で頑張れるっ」

蛇龍乃「なんかざっくりしすぎてるから二十点」


蛇龍乃「誰も死んでないってことは、使える駒は揃ってるってこと」


空蜘「結局駒扱いかよっ、この人でなしっ!」

立飛「人でなし、ってそれ空蜘が言う?」

牌流「立飛が言うのもなんか違う気するけど…」

ヱ密「まぁ私たちは蛇龍乃さんに従うわけだから、言葉の意味的にはその通りでしょ」


蛇龍乃「はははっ、さすがヱ密。大人だねぇ。紅寸より優秀。でも、五十点」


蛇龍乃「私が扱う駒に捨て駒なんか存在しない。将棋でもチェスでも敵に駒与えないで勝つから」

紅寸「すごっ!」

鹿「いや、絶対嘘でしょ…」

蛇龍乃「うん、嘘。そこまで強くない…」

ヱ密「あの……これ、真面目に話してるんですよね……?」

蛇龍乃「超真面目」


立飛「…じゃあさ、この状況を打開する策あるの?」



……そう。

今、忍びたちが直面している問題。

それはあまりにも深刻で。

探偵に目を付けられているだけではなく。

出回った手配書。

謂わば、国中がこの七人を狙っているわけである。

何処に逃げようと隠れようと、あの探偵なら必ず曝いてくるのだろう。


……それに対し、蛇龍乃は。



蛇龍乃「あるよ。策」


立飛「え?」


立飛だけではなく、皆、蛇龍乃のあまりに軽い口振りに、揃って目を丸くする。



蛇龍乃「まぁ言うのは簡単だけどね、それをやるのはかなり骨が折れる」


蛇龍乃「お前らがその拙い頭で考えてる問題。手配書のこと、探偵のこと、鈴のこと。別々に考えるからこんがらがっちゃうけど、これらはたった一つの手段で殆ど解決するでしょ」


ヱ密「たった一つの手段……?」

空蜘「なにそれ?」


蛇龍乃「皆、難しく考えすぎ。まぁ、今までのことがあるからそうなっちゃうのもわかるけど」


蛇龍乃「愚行だと笑うか、無謀だと諦めるか、そういうのは置いておいて。この状況を打破する唯一無二の策」



蛇龍乃「それは、あの城を潰すことだ」



……言うは容易いがなんとやら。


しかし、たしかに。

城を潰すということ、それは即ち、探偵たちを倒すこと。

そうすれば鈴の身柄はこちらに渡る。

手配書に記載されている報奨金もあの城から支払われるものだ。

その城が消えてしまえば、民衆の興味も自ずと消える。



蛇龍乃「どう?」


鹿「い、いや……どうって…」

牌流「あまりに現実的じゃないっていうか…」

立飛「あの探偵に勝てってことだよね…?」

蛇龍乃「そうだけど?」


蛇龍乃「話によれば、あの涼狐って探偵の目は潰れてるらしいじゃん?」

ヱ密「…でも、今もそのままって保証は」

空蜘「あー、もしあのトイズっての使われちゃねぇ…」


蛇龍乃「……あのさぁ、ヱ密も空蜘も」


蛇龍乃「何回あれに負ければ気が済むの? そろそろ勝ってみせろよ」


蛇龍乃「まぁ無理と言おうと嫌だと言おうと、勝ってもらうけど」

蛇龍乃「さっき言ったろ? 私のために死ねって。命を賭して、私に従え」


蛇龍乃「世界がどうとか、鈴がどうとか、種とかスマホとか、そんなのは私だけが考えてればいいから。馬鹿すぎるお前らに求めるものはたった一つ」


蛇龍乃「ガキの喧嘩と一緒。ムカつくからぶっ殺す。それだけで充分でしょ?」




ヱ密「ははっ、たしかに……そうかも」

空蜘「んー、まぁその方が性に合ってるしね」

鹿「あの探偵に勝てとか、まーた無茶苦茶言って。もう笑いしか出てこないわ…」

蛇龍乃「私は使える駒しか使わない。期待してるから頑張ってねー」

紅寸「あはは、そんな簡単に言ってくれちゃってさぁ」


立飛「でもさ、まずどうするの? まさかいきなり城に攻め入るとか?」

牌流「え、マジで…」

鹿「それはいくらなんでも…」

紅寸「立飛が千人くらいいれば余裕そう」

ヱ密「怒られるよ、紅寸」

紅寸「冗談です。ごめんなさい」


蛇龍乃「うーん、そうだねぇ…」


蛇龍乃は手配書を目にして、言う。



蛇龍乃「…完全にこっちが悪者扱いときたものだ。とんでもないこと企んでおきながら、あくまで正義は自分たちにあるって顔だな」


蛇龍乃「まぁこちらは薦んで悪を為す身だから、その扱いは大歓迎。そのおかげで悪党なりの正義を思う存分、振り翳せるしね」


蛇龍乃「どうせなら、奴等のお望み通り、とことん悪者に成り下がってやろうか」



……そして、ニヤリと。

薄い笑みを浮かべ。




蛇龍乃「そうだな、まずは──」


────…………。




空「…どう? 涼」


涼狐「……ん、あー……なんか、ぼやっとだけ…」



涼狐の左目。

あれ以後、閉じきったままだった瞳が開かれた。

が、その眼は赤く充血しているように見える。



涼狐「んー……なんか変な感じ……」

空「あー、擦っちゃダメだって! そのうちちゃんと見えるようになると思うから」

涼狐「わかった、我慢する…」

空「えらいえらい」


鈴「さすがそら、すごい! でもなんでかたっぽだけ?」

空「とりあえず、今はこれが限界……。涼の目を塞いだのが術とかトイズだったらなんも問題無かったんだけどさ」

空「毒によっての破壊だからねぇ、これでも相当大変だったんだから」

涼狐「ありがと、空。大好き」

空「まぁねー」


鈴「でもこれどうやって治したの? そらの不思議パワー?」


……あの夜。

忍びたちがこの城から逃げ出した後。

空は、意識を失ったままの涼狐を夜空の下へと連れ出していた。

鈴、依咒、御殺が固唾を飲んで見守るなか。

空がいつものように、白杖を振り、鎖を鳴らしていたのは鈴も見てわかったが。


空「まぁ、かなり強引にだけどねー」

涼狐「あ、私も知りたい」


空「…うん、涼には教えとかないとだし」


涼狐「……?」



空「説明しよう。まず、涼の両目は完全には破壊されてなかったのであーる。毒によってその視力は奪われて、眼としての機能は失われてたけど」

空「怖い話すると、もしこれが眼球を引っこ抜かれてたりしてたら、完全にお手上げだったよ」

鈴「ひっ…」

涼狐「ふーん、あの子の詰めの甘さに助けられたってわけ」

空「まぁ立飛でも、自分の眼球をその手で潰すのはさすがに躊躇うだろうし。そもそも毒を使ってる時点でその必要は無いって思うのが普通」


空「…で、いくら私でも死んだ人を生き返らせたりさ、傷を修復したりするのはまず無理。だから私は涼の自己治癒力を強制的に高めたの。それも左目だけに集中させるようにね」

空「つっても人間の治癒力なんてたかが知れてるし、普通なら治癒力を高めたくらいで一度失った視力が元に戻ることはないから…」


空「そこで、鈴にも手伝ってもらったんだよね」

鈴「へ? あー、あれのこと? そらに言われるままにやっただけだけど」



鈴が空に頼まれたこと。

……それは、種の発動だった。


鈴によって発動され、空が展開した、立飛の種。

空は種をその持ち主以上に扱うことが出来る。

先の夜空に展開させた蜘蛛の巣がその一例だ。

よって、今回も同じく。立飛以上に強く展開することも、それを応用することも可能で。


空は自らの意識の一部を、涼狐へと注いだのであった。

……と、いっても。

なにも涼狐を支配するわけではなく。


空が涼狐に施したものが一つ。与えたものが一つ。

施したもの、それは治癒力の増大。

そして、与えたものは、空自らの意識。

正確には、空の力の容量を消費させての変換となる。

その変換されたものは、涼狐の意識と混じり合って、光を生み出す。

光。

そう、視界だ。



空「……だから、涼。今の涼の治癒力は全てが左目へと向かわせられてるの」


……それがどういうことか。


空「今の状態で傷を負うと、その傷に対しては治癒力は働かない」



空「……そして、涼の視界に映ってる景色は私の力によってのもの。それも永続的にね」


……それがどういうことか。



即ち、涼狐の目の前にある景色は空によって見させられているものであって。

だが、空の視界と同じものがそっくりそのまま涼狐へと流されているわけではなく。

涼狐の眼から見えているものは、涼狐の眼から見えているそのものである。

謂わば、涼狐の眼は空の力によって変換された視界を通す為だけの、筒のような役割。

役割はあっても、在るものは在るだけのもので。

在るものは在るべきカタチをしていなくてはならない。

よって、その為の治癒力による修復は、カタチを与えるだけの修復、というわけだ。


そういったことから、空が言いたいのは。


……涼狐の視力が本当の意味で戻ることは一生無い、と。




空「…言ってる意味、わかるでしょ?」


鈴「……?」


涼狐「……うん、ありがと。空」

空「…ごめんね、涼」


鈴「……よくわかんないけど、涼狐はあたしの顔が見えるの?」

涼狐「ぼやぁーっとしてる」

空「眼球自体はもうだいぶ修復されてるから、私の力が浸透するまで時間がかかってる感じかなぁ? その視界じゃまだトイズ使えないでしょ?」

涼狐「ん、やってみる」


鈴「なんであたし…?」


そう言って涼狐は、鈴の方を向き。

眼を凝らす。

……が。



涼狐「……やっぱ無理そう」


鈴「使えてたらあたし吹っ飛ばされてたの……? ていうか、涼狐はもうそんなの使う必要ないでしょ」

涼狐「そういうわけにはいかないよ。私のミスでヱ密を奪われたんだから私が……あれ?」

涼狐「そういえば、前に依咒ちゃんがなんか考えあるとか言ってたけど。どうなったんだろ?」


空「……」


涼狐「まだヱ密、ここにはいないよね? あれ? もしかしてもう取り返した?」

空「…それはまだ、だけど」

涼狐「ふーん、依咒ちゃんの考えってなんだったんだろ? なんか知ってる? 空」


空「え、えーと……それは……」


涼狐「……? 何を隠してるの? 依咒ちゃんに口止めされてる?」

空「そういうわけじゃ…」


空は窺うように、鈴に目をやる。


鈴「あたしがいたら、なんかまずい感じ?」

空「あ、いやぁ…」

涼狐「話して、空。鈴はここに残ってくれた、私を守ろうとしてくれた。それを聞く資格はあると思うけど」

鈴「涼狐……」



空「…うん、そうだね」



……空は手配書の件を、二人に話した。



鈴「え……?」


空「あまり鈴の耳には入れたくなかったんだけどさ、依咒さんが怖すぎて…」

鈴「あ、う、うん……」


空「やっぱりショック? 鈴は優しいからね。皆のこと、大好きだったもんね」

鈴「……」


涼狐「…空、鈴に変なこと言うのやめてよ」

涼狐「鈴はあの忍者たちより、私たちを選んでくれた。自分の気持ちに、正直に向き合ったんだよ。一番、望むこと……元の世界に戻りたいって」

涼狐「そうでしょ? 鈴」


鈴「…え、あ……うん……」


空「そうだったね。余計な心配することもなかったかも」


鈴「……うん」


涼狐「……それよりも」


空「涼?」

涼狐「鈴のことじゃなくても、ちょっと心配…」

空「なにが?」

涼狐「……私が言えたことじゃないけど、私も失態を犯しちゃった身だから」


涼狐「でも、依咒ちゃんも、私たち皆……あの忍者たちを甘く見すぎてるんじゃないか、って」


涼狐「この手段、向こう側からすれば、かなり痛いことには違いない、けど……」


涼狐「……なにか、嫌な予感がする」





鈴「……じゃりゅにょ、さん」


……鈴の頭に浮かんだのは。

企みに妖しげに笑う、蛇龍乃だった。

同時に、他の皆の姿も映って。

ゾクリ、と。

胸騒ぎを覚えた。


──……。



鈴「…………」



自室に戻った鈴は。

一人、想いを巡らせていた。


……空の言っていた話。

実際の手配書を見せてもらったが。

あれは。

明らかに、忍びの皆を殺すべく内容だった。


あの時、牌流を拒絶したのは、涼狐が殺されるかと思ったからで。

涼狐たちを受け入れてもよいと思えたのは、探偵側には殺意がなかったからで。

ヱ密が言っていたように、自分一人が踏ん切りをつければ誰も傷付かなくて済むと思って。


……そうすることが、誰にとっても最善で。


……それが今となっては、どうか。


牌流たちは鈴を救うべく、涼狐を傷付けた。

涼狐を傷付けられた依咒は、忍びの皆を殺そうとしている。

今まで、二人の命を奪ってきた鈴。

死に対する、慣れ、耐性、経験を積んできた。

しかし、仲間の命となるとまったく別だ。

どの命も、等しく同じ命。

奪ってもよい命、奪ってはいけない命。


仲間。


裏切り。


……私は。


私の仲間は、誰……?



鈴「……どうしたら」


鈴「どうしたら、いいんだろう……」



……と、そこに。


ガタガタッ、ガタンッ──!!


と、部屋の外から聞こえてきた音。

何事かと飛び出してみれば。


そこにいたのは。



涼狐「ぅ……いったぁ……」


鈴「す、涼狐……?」


……どうやら、上の階から転がり落ちてきたようで。


鈴「ちょっとっ、何やってんの? 大丈夫?」

涼狐「うぅ、私としたことが…」

鈴「まだあんま見えてないんでしょ? 大人しくしてなきゃ…」

涼狐「あはは、そうだね」


床に倒れた涼狐に、鈴が手を差し出すと。

それを掴んで、立ち上がる。



涼狐「よいしょ、っと……ありがと。鈴のお世話になる日が来るなんてねー」

鈴「……うん」


涼狐「鈴?」



鈴「……涼狐は、最近あたしに優しくしてくれるようになったよね。それに、あたしの前でよく笑うようになった」


涼狐「…それがどうかした?」


鈴「……」


涼狐「……鈴」


鈴「きっちゃんに、頼んでくれない…? 涼狐から」

涼狐「……何を?」

鈴「……忍びのみんなを、助けてあげて、って」

涼狐「……」

鈴「…あっ、もちろん、涼狐にしたことはあたしも嫌だったけど……でも……」

鈴「なにも、殺さなくても……」


涼狐「……別に、いいけど」

鈴「ホント?」

涼狐「でも、結果は変わらないよ」

鈴「きっちゃんが聞いてくれないってこと…? それだったら、あたし、協力しない。殺すつもりなら、あたしは…」

涼狐「鈴が協力しなくても、あの人たちは死ぬよ」

鈴「このままいけばそうかもしれないけど、涼狐たちの計画も叶わなくなるよね……?」

涼狐「違う。私が言ってるのは、何をどうしたってあの人たちは生きてはいけないってこと。依咒ちゃんが手を下しても下さなくても」

鈴「どういうこと……?」


鈴「あたしに、何か隠してるの……?」



涼狐「鈴は考えなくていいよ。もうすぐこの世界から開放されるんだからさ」


鈴「涼狐」

涼狐「…じゃあ鈴はどうなれば満足なの? 自分が元の生活に戻るだけじゃ不満?」

鈴「……だって、ここに来てからこれまで、みんなと同じ時間を過ごしてきたから……そのなかの誰かが死んだり、殺されたりするのは、嫌だよ」

涼狐「あの忍者たちも、私たちも誰も死なず、傷付け合うこともない世界。鈴が望むのはこれ?」

鈴「…うん、大体涼狐たちがこんなこと考えなきゃよかったんじゃんっ、そうしたらみんな幸せに…」

涼狐「それだと、鈴は一生この世界から戻れないよね」

鈴「…それでも、いいよ。それでもいいって思えた……今だって、涼狐たちが手を退いてくれれば」


涼狐「違うんだよ、鈴」


鈴「何が違うの? そんな無理矢理に変えようとしなくても、今のままで、今のこの世界のままで」


涼狐「変わらない世界なんて存在しない」


鈴「え…? でも、前に計画によってこの世界は変わらないって言ってたよね…? あれ、嘘だったの?」

涼狐「嘘じゃないよ」

鈴「嘘じゃん……だって今、変わらない世界なんて存在しないって…」

涼狐「……私たちは、やがては変わっていく世界を変えさせないために、この計画を実行するの」


鈴「……また言いくるめようとしてる?」

涼狐「そんなんじゃないよ。まぁアホの鈴を言いくるめるなんて簡単だけど、今はちゃんとあんたに向き合ってあげてるつもり」

鈴「アホって言わないでっ! こっちは真剣に話してるんだからっ!」


……と、そこに。


御殺「ちょっと声大きいよ」


鈴「みころん…」

涼狐「ごめん」


御殺「こんな所でする話じゃないでしょ。そういう話なら、依咒さんと空さんも同席してもらお?」


涼狐「……そうだね、うん」


御殺「鈴ちゃん、ちょっと先に依咒さんのとこ行っててくれる?」

鈴「…うん、わかった」



……そうして、鈴が上へ向かった後。


涼狐「…御殺も一緒に行けばよかったのに。もう階段から落ちたりしないよー」

御殺「……なんで」

涼狐「なんで鈴に、この話をしてたかって?」

御殺「うん。てっきり黙ったままにするのかと思ってた。鈴ちゃんの弱さは空さんから聞いてたでしょ?」


涼狐「……最初はここまであの子に深入りするつもりじゃなかったけど……鈴は、やっぱり、私なんだよ」

涼狐「私だったら、全部知りたいって思うだろうから」


御殺「そっか」

涼狐「ごめん、余計なことした、よね? 依咒ちゃんに怒られちゃうかなぁ…」

御殺「大丈夫だよ。依咒さん、涼狐には激甘だし」


涼狐「ありがたや……あーでも、もしこれで計画に支障が出たら」

御殺「それはそういう運命だったってことで」

涼狐「……あはは、軽いねぇ」



涼狐「……うん」


──……。



……そして。

依咒の部屋に集まった鈴と、四人。



鈴「……この世界が変わろうとしてる、って」


依咒「すーちゃんにそう言われたのー?」

鈴「…うん」


涼狐「やっぱ怒ってる?」

依咒「ううん。ていうかそこまで言ったんだったら、そんなオブラートに包まずハッキリ言っちゃえばいいのに」


依咒「変わるっていえば聞こえは良いけど、実際はね……潰えようとしてるの。ここ」


鈴「は、はい……? え、ちょっと、どゆこと…?」


空「鈴が最初にここに来た時、話したこと覚えてる? 多角柱の世界創造理論」

鈴「う、うん…」


空「ここは無数に存在する世界の一つであり、その多角柱の底辺に位置する世界なんだよ。底辺……位置関係だけの意味じゃなくて、世界の有り様からしてもね」

鈴「……」


空「まぁいきなりそう言われてもわかんないよね。たしかに、鈴がいた世界よりも争いは多いらしいけど、それでも、もっと酷い世界は無限に存在する」

空「じゃあなんで底辺なのかってことは、その言葉通りに最底にあるからで。最底にあるってことは浸かってるんだよ、獄海に」


鈴「獄海……?」


空「ジェラスメンタルチックな考え方でいえば、天国と地獄ってのがわかりやすいかな。獄海の上に無数の世界が存在してカタチを為してるから、揺らぎが生じる」

空「その揺らぎによって多角柱に織り成す世界は、極僅かに刻みながら、沈んでいく。世界がいつか潰えるかもって何処の世界でも言われてるのはこれのこと」

空「一気にすべての世界が滅んでしまうなんて有り得ない。ならどういう風に滅んでいくのか。獄海に飲み込まれていく……最も早く沈んでしまうのは、底辺に位置するこの世界」


依咒「まぁ結局は、我が身可愛さなんだよねー」

御殺「うわっ、元も子もない発言…」


鈴「……でも、この計画で回避出来るんだよね。それで、どうして忍びのみんなが生きていけなくなるの……?」

依咒「私たちが築こうとしてるのは、理想郷だから」

御殺「世界の集合体を引っくり返すって言ったでしょ?」


鈴「……?」


空「さっきの説明の続きだと、ここが獄海に浸かってる地獄なら。それを逆転させた先にあるのは、天国」

空「何処よりも天に近い、虚の蓋。理想郷っていうのは名ばかりじゃない、悪は潰えてしまう運命にあるんだよ」


……そう、掲げる理想郷とは。

悪を根絶やしにしての果て、というわけで。


鈴「……なに、それっ……何も変わらないとか言って、そんなの無茶苦茶じゃんっ!」

空「世界そのものは変わらないけど、人は選定されるね」

鈴「……じゃあ、なに……自分たちが良ければそれでいいの? たくさんの人が消えていくのに、自分たちが死にたくないって理由で…」

依咒「消えていくのは悪だけ。何か問題あるの? あー、そういえば鈴ちゃんはそっち側の人間だったっけ?」

御殺「そもそも悪を善しとするその考え方が間違ってるとは思わない?」

御殺「悪が在るから、そこに争いが起こるんでしょ?」


鈴「……っ」



この四人が言っていることは、紛れもなく正論。

……たしかに。

悪が存在しない世界。

そんなものがあれば、それは正しく。

理想郷と呼ぶに相応しい──。



鈴「……でも、悪人であっても、たくさんの人を犠牲にしてまで、生きたいの…? それが正義と呼べるの……?」

鈴「そりゃあ、空たちには都合の良いことばっかだけどさ……っ、そんな非人道的な」


涼狐「生きたいよ」


涼狐「私たちは生きなきゃいけない。空に報いる為にも」

空「す、涼っ…!」

涼狐「ごめん。でも鈴にはちゃんと伝えなきゃ」


涼狐「……鈴。この計画ね、私たちにだって失うものはある。犠牲になるのは、悪人だけじゃない」


涼狐「こんな無茶苦茶な……虚の揺らぎに干渉するんだよ……そんな改変を行って、最も影響を受けるのは誰かわかる?」


空「……」


鈴「そ、そら……?」


涼狐「この計画が発動すれば、空は概念となり、何処の世界にも存在しなくなる」

涼狐「空が私たちを、この世界を生へと導いてくれる……空は自分の命を投げ打って、未来を示してくれる」

涼狐「だから、もう止まるわけにはいかないんだよ」

御殺「…これを理解したうえで、鈴ちゃんは私たちを否定できる?」


鈴「そ、そんな……い、いいの…? みんなはそれでっ、そらがいなくなっても、悲しくないの……?」


依咒「悲しいに決まってんじゃん……お別れなんかとっくに済ませてある。だから、誰にも邪魔させるわけにはいかないの」


涼狐「わかってくれるよね? 鈴」


鈴「……っ」



……こんなこと。


鈴がこのXenotopia計画に協力すれば。

鈴は元の世界に戻ることができるが。

忍びの皆は死ぬ。空が消える。


鈴が協力を拒めば。

忍びの皆も、涼狐も依咒も御殺も空も、この世界が潰える。


……そんなの、どっちが良いのかなんて一目瞭然で。



鈴「……何もしなければ、ここが滅ぶって……それはいつなの?」

空「わからない。一秒後かもしれないし、何億年後かもしれない。でも私はこの世界が好き。涼も依咒さんも御殺も好き」


空「だから、守りたいの。終焉を迎えるその前に」


──……。



鈴「……」


涼狐「…ごめんね、黙ってて。ヱ密に知られるわけにはいかなかったからさ」



依咒の部屋を後にし。

涼狐に付き添われ、鈴は自室へと戻る。


涼狐「でも、わかってくれるよね? 空の想いも、私たちの想いも」

鈴「……うん」


鈴「……この前言ってたこと」

涼狐「うん?」

鈴「この計画を終えて、そらがいなくなったら……涼狐の目は」

涼狐「そうだよ。だから最後に見る自分の顔は、やっぱり笑顔がいいかな」

鈴「あたしの…」

涼狐「自分で言うのもかなりあれだけど……鈴の笑ってる顔は可愛らしくて好きだからさ、最後くらいまた見せてよね?」


鈴「……笑えるかなぁ…」


涼狐「鈴は、空のこと好き?」

鈴「うん、それは勿論」

涼狐「私も大好き。そう想ってくれてるなら、空に応えてあげて。……信じてるから」

鈴「……」

涼狐「今日はいろんなこと聞いたから疲れたでしょ? ゆっくり休んで。ヱ密から種を貰うまでまだ時間掛かりそうだし、ゆっくり考えて」


鈴「…涼狐」

涼狐「なに?」

鈴「なんであたしに話してくれたの? ムカつくけど、都合の良いことだけ伝えてあたしをその気にさせるなんて簡単だった筈でしょ…?」


涼狐「……」


鈴「涼狐、もしかして……」



涼狐「おやすみ、鈴」


鈴「……おやすみ、涼狐」



……空。

思い返してみれば。

この世界で初めて会ったのは。

空だった──。


────…………。



ある日の城内で。

鈴は依咒の部屋を訪れていた。



依咒「なんかすーちゃん変わった」

鈴「へ…?」

依咒「鈴ちゃんが来てから、ちょっと大人っぽくなったかも」

鈴「そう、なの…?」

依咒「なんとなくねぇ。別の世界とはいっても、自分自身が傍にいるのってどんな感じなんだろ」

依咒「ねぇ、そっちの世界の私ってどんな感じ?」

鈴「うーん、今あたしの目の前にいるきっちゃんとあんま変わんないよ、そのまま」

鈴「餃子が好きで女の子が好きで、あたし……ううん、涼狐のことが大好きで」

依咒「そっか。安心した。これでまったく性格とか違ってたら怖くない? ていうか、鈴ちゃんのことも好きだよ? 私」

鈴「あはは、嬉しい。じゃあさ……あたしのお願い聞いてくれる?」


依咒「…お願いによるけど、たぶん無理!」


鈴「……」


依咒「あの忍者を見逃せっていうんでしょ? わかるから、そんくらい」


鈴「……どうせ、っていうのもなんか好きな言い方じゃないけど……あたしが何しようと、みんな死んじゃうんでしょ……?」


依咒「……私にとって、すーちゃんは特別な存在。御殺も空も同じくらい大切だけど」

依咒「そんなすーちゃんが傷付けられた……それもただ怪我したってだけじゃなくて、すーちゃんは光を奪われた」

依咒「…それがどういうことかわかる?」


鈴「……今は見えてるけど、そらがいなくなったら…」


依咒「あの子は変わらず、いつもみたいに明るく振る舞ってるよね。でも、すーちゃんは理想郷を目にすることが出来なくなったの」


依咒「空が見せてくれようとしている景色が、その目に映ることは一生無い」


依咒「……だから私はあの忍者たちを許せない……それに対して怒るのは、間違ってると思う?」


鈴「……思わない。でも、それをやっちゃったら、きっちゃんも悪になるんじゃないの?」

依咒「私は私なりの正義をもって、悪を裁くつもりだけど。もしそれで理想郷へ立つ資格がなくなったとしても、別に…」

依咒「私がどうなっても、すーちゃんや御殺が幸せになってくれればそれで」

鈴「きっちゃんがもしそうなったら、きっと涼狐やみころんも悲しむと思うよ」


依咒「……そこで二人の名前を出すのは、ずるい」


──……。



……また別の場所で。


鈴「……みころんも、忍びのみんなのこと嫌い?」

御殺「私は別に、そこまでは……依咒さんに何か言われた?」

鈴「…ん、ちょっと」

御殺「……でも、余計なことしやがって、とは思った」

御殺「あれがなかったら、ヱ密もそのままここにいて、涼狐の目もあんなにはなってなくて。鈴ちゃんだって、こんなこと知る必要も無いまま計画は実行されてたかもしれないのに」


鈴「……」


御殺「知ってよかった? 知らない方がよかった?」

鈴「……わかんない。けど、何も知らないままなのは……間接的にかもしれないにしろ、私がみんなを殺すわけだよね……?」

御殺「そこまで深く考えなくていいよ、鈴ちゃんは」


鈴「……」


御殺「……うん」

御殺「依咒さんがあの人たちを殺す前に、ヱ密から種を奪って計画を発動させる……これがせめてもの最善じゃない? 私たちにとっても、鈴ちゃんにとっても」

鈴「何をどうしたって、死の宿命を変えられないんだとしたら、そうかもしれない……みころんは優しいね」


御殺「…そんなことないよ。私もいざあの忍者を前にしたら、殺したくなっちゃうかも。それくらい、涼狐から光を奪ったことは私のなかでも許されないから」

御殺「あ、でも私くらいは冷静でいなきゃね。涼狐もあの状態だし、依咒さんもどうなるかわかんないし。まぁ、これ以上何か起こるってこともないか」


鈴「……誰も殺してほしくない、死んでほしくないから、みころん、涼狐たちを守ってあげて」


御殺「私たちの心配してくれてる…? それとも……あぁ、両方か……まぁ、鈴ちゃんだもんね」

鈴「……」

御殺「鈴ちゃん?」


鈴「……じゃりゅのさん、きっと怒ってる」

御殺「まさか向こうから仕掛けてくるって? そんなことあるわけないじゃん、もし来たとしても」

鈴「みころんたちが強いのはわかってる。でも、あの人は恐ろしい人だから……何を考えてるのか、あたしもわかんないけど」

御殺「まさか、私たちが負けるかもって思ってるの?」

鈴「どうだろう……でも、気を付けてね」

御殺「……うん、鈴ちゃんもね。あの人たちがここに来るとしたら、鈴ちゃんを奪い返しにでしょ?」


鈴「え…? あ、うん……」



……きっと、それは違う。


きっと、あの人なら。

蛇龍乃なら、鈴を殺すつもりだと。

それなら尚更、忍びの皆を想う必要もないのに。

嫌われたのなら、嫌いになる。

そんな思考をもっていたら、こんなに悩んだりはしなくて済むというのに。


──……。



鈴「…っ、そら……っ」


空「な、なんで泣いてんの…?」

鈴「そりゃ泣くよっ、だっていなくなっちゃうんでしょ…!?」

空「まぁそりゃそうだけどさぁ、私がいなくなる時には鈴は元の世界にいるわけだし。そこにはちゃんと私もいるんでしょ?」

鈴「そう、だけどっ……ここにいるそらはこのそらだけだもんっ…!」


空「……私のために泣かないでよ、鈴。私は鈴を、忍びの皆を裏切ったんだよ? 騙してたんだよ?」


鈴「そんなの、もうどうでもいいよ……ねぇ、ずっと前に、あたしが言ったこと覚えてる?」


空「……ちゃんと覚えてるよ」



『たとえそらが裏切ったとしても。信じたいって気持ちはたしかにそこにあったものだし、その時のあたしをあたしは誇ってるんじゃないかな』



鈴「……そらは正しいよ、偉いよ、すごいよ……自分を犠牲にしてまで、世界を守りたいっていうのは、あたしには止められない……っ」


鈴「あたしは今でも、そらのこと、大好きだよ」


空「…うん、私も鈴のこと大好き」

鈴「大好きだから、失いたくない……」


空「……鈴。今言ってたのと矛盾、はしてないか……鈴がいてくれてこそ初めて成されることだもんね。別に私一人が偉いわけじゃない」


空「ごめんね、鈴」


鈴「なんで謝るの…?」

空「心のどこかで鈴のこと、軽く考えてたと思うから……だから、元の世界に戻れるって知ったら簡単に力を貸してくれるって、安易に思ってて…」


空「そんなわけないよね。私がこの世界を守りたいっていう想いがあるのと同じで、鈴にも鈴の想いがちゃんとあるわけだもんね」


空「鈴が決めなよ。たぶん今はどうしたらいいかわかんないと思うけど。一人で考えて、一人で決めて、答えを出して」

空「もう鈴に隠してることは何も無いから、安心して。涼にも、何も言わせない」


鈴「……わかった」


鈴「ありがとね、そら」




鈴がこの世界に来てから、関わってきた。

……忍びと、探偵。

こうして話してみてわかったこと。

それは、この両者が対極的にあるということ。

正義と悪、という見方だけではなく。


命の使い方──。


空も、涼狐も、依咒も、御殺も。

仲間の為にその自らの命を犠牲にしても良いという。

仲間の為なら、己の命を惜しまない。


この考えは、忍びの世界ではまず受け入れられない。


……忍びがその命を燃やすことがあるとしたら。

妙州の場合、頭領である蛇龍乃へのみで。

普通なら、誰かの為に己を犠牲にするなど、あってはならぬこと。


探偵であろうと、忍びであろうと。

これが強さでもあり、弱さでもある、と。


────…………。



……それから二日が経った。


その二日間は、鈴にとって穏やかな日々だった。


……死ぬとか、殺すとか、犠牲とか、世界とか。

そんな、鈴を悩ませていることが嘘のように。

こんな日が続けばいいのに、と。

里にいる時にも、そう思ったことがあった。


……それは運命か、宿命か。

大抵そういう時に限って。

唐突に、無慈悲に壊されていくものである。



城の最上層。依咒の部屋に。

四人。

いや、鈴を含めて五人。



鈴「どう? だいぶ見えるようになった? 涼狐」

涼狐「左だけならバッチリ。右は全然だけど」

空「そっちもそのうち開くよ。焦らない焦らない。気長にね」


左目のみだが、涼狐の視界はボヤけることなく。

鮮明に景色を映し出せるくらいに回復していた。

……ただ、瞳が赤く染まったままなのは、やはり空を介しての立飛の術の影響であり。



依咒「うんうん、赤目のすーちゃんもかなりイケてる」

涼狐「ほんと?」

依咒「ほんとほんと、超イケイケ」

涼狐「なんか嘘っぽい」

依咒「えー、私すーちゃんに嘘ついたことなんてないじゃーん」

涼狐「はいはい」



御殺「トイズも復活したの?」

涼狐「あ、そっか。まだ試してなかった。よしっ」


……と、その瞳を鈴の方へ向ける涼狐。


鈴「ってなんでそこですぐあたしを見るの!? あたしで試す必要ないでしょっ、そこら辺にある適当なものとかさー!」


涼狐「あははっ、冗談冗談。鈴をここから外に放り出したら死んじゃいそうだしねー」

鈴「それあたしじゃなくても誰だって死ん……あれ?」


……そういえば、と。

自分が関わってきたこの四人、そして忍びの七人。

皆が皆、人並み外れた力の持ち主で。

例え、ここから地上に落とされたとしても、死にそうにない面々の集まりであったのを思い出す。



涼狐「……ていっ」


鈴「ふぎゃっ…!?」


ふわり、と浮き上がった座蒲団が。

鈴の顔面に見事に命中。


鈴「もうっ、結局あたしじゃんっ!」

涼狐「あはは、うん、問題無さそう。捉えるのに前よりちょっと集中力使うけど」

鈴「無理しないでよ…? 涼狐」

涼狐「鈴は心配性なんだから。でも、ありがと」


涼狐「そういえば、依咒ちゃん。ヱ密はまだ見付かってないんだよね?」

依咒「あー、なかなか包囲網に引っ掛からなくてさぁ。まぁ忍者だから当たり前かー」

御殺「そろそろ本気で捜しに行く?」

依咒「そうしよっかー。三人いれば余裕で見つけ出せそうだし」

空「私は?」

依咒「空は鈴ちゃんとお留守番」


御殺「あ、でも私たち三人ここから出るの危なくない? もし攻め入られたりしたら」

依咒「まぁ向こうから来てくれるなら、それが一番手間掛からないし良いんだけどねー」


涼狐「じゃあさ、私にやらせてよ。ヱ密捕まえてくるから」

依咒「一人で大丈夫? すーちゃん」

涼狐「えぇ……私、そんなに信用失っちゃった…?」

依咒「あ、いや、そういうわけじゃないんだけどさー」

涼狐「……このままだと私自身がなんか納得できないからさ、挽回の機会ちょーだい?」

鈴「ちょっと、涼狐っ…!」

御殺「うーん、たしかに涼狐は病み上がりだし、私に任せてくれれば」

涼狐「駄目! ヱ密は私の獲物なの!」

御殺「んー……でもぉ……」


依咒「はい! じゃあ間を取って、私が!」


御殺「えー…」

涼狐「依咒ちゃんが一番心配なんだけどー」

空「依咒さんはここにいるのが似合ってるから」

依咒「ああもう、なにがなんでも行きたくなってきたわー……」

依咒「……っ?」


ピクッと、何かを察したように。

依咒が眉を寄せ、部屋の入口の方を睨みつける。


依咒「……」


……すると。


ガラッ、と。

襖が開き、入ってきたのは一人の兵。


「い、依咒様っ!」


依咒「誰が勝手に入ってきていいって言った?」


不機嫌そうに、言葉を放る依咒に。


「も、申し訳ありませんっ…! ただ一刻も早く依咒様にお伝えせねばとっ…」

依咒「…手短にね」

「は、はいっ! あの、実は──」



……少し遡った頃。

忍びの衆が集っている山小屋で。

蛇龍乃は皆に向けて、言った。

言葉は、任務であり。

皆はそれに従うまで。



『どうせなら、奴等のお望み通り、とことん悪者に成り下がってやろうか』

『そうだな、まずは……あの城の下に位置する町を潰せ』


『皆殺しにしてしまえ──』


──……。



依咒「…………殺す」



……先程、兵から受けた報告によれば。

例の忍びの面々が、町の民を虐殺して回っているとか。


空「マジか…」

涼狐「……こりゃ、あの人ら完全に地獄決定。まぁ元から決まってたようなものだけど」

御殺「まさかここまでしてくるなんてね…」


鈴「やっぱり……来た……」


依咒「……っ」


御殺「…どこ行くの? 依咒さん」

依咒「町。まだ生きてる人いるかもしれないし、アイツらの息の根を止めに」

御殺「ちょっ、落ち着いて。罠の可能性が高いって、これ。単独で動くのは危険かも」

依咒「罠だろうがなんだろうが全員殺しちゃえばいいだけでしょ」

御殺「いくら依咒さんでも一人で全員を相手にするのはさすがに無理だよ」

涼狐「私も御殺に賛成ー」


依咒「……すーちゃんっ…」


涼狐「まさか想定してなかったわけじゃないでしょ…? あの手配書。あの忍者たちを国中の敵になるように仕向けたんだから、当然その逆も然り」

涼狐「国中の誰もがあの忍者たちの敵になったってわけ。依咒ちゃんによってもたらされたんだよ。だからこれは必然」


依咒「……っ」


御殺「人間としてはあまりに卑劣だけど、策としたらなかなか……上手いこと使われちゃったね」

御殺「多分、向こうの狙いはこう……町の民を殺していけば、依咒さんが飛んでくるだろうって。もし、ここで依咒さんが単独で突っ込めば、そこで返り討ちに遇う可能性が高い」

涼狐「…かといって、私たち全員で向かっていっても、鈴、もしくはこの城本体が狙われるんじゃない?」


依咒「…じゃあ何もせず、無視しておけってこと……?」

涼狐「……空」

空「今頃、ここの兵が向かってると思うけど……それもあんまり意味は無いかなぁ」


以前、妙州の里を襲ったように。

陣を敷き、体制を整えていれば数の力で制圧することも可能だが。

この予期せぬ事態への対処は難しく。

喩え、完璧な統率で制圧しようとすれば、忍者たちは直ぐ様、場から退散するだろうが。



依咒「わかった……無駄な犠牲を増やさない為にも、一旦兵を退かせる」


涼狐「うん、まぁとりあえずそれがいいかな。落ち着いた? 依咒ちゃん」

依咒「要はこの城も、鈴ちゃんも守りながら戦えばいいんでしょ? 相手の戦力は限られてるんだし、正面から蹴散らしちゃえばよくない?」

御殺「まぁこっちは使える兵はたくさんいるしね」

依咒「無駄に兵は使わない、城の守りにあてる。向こうはたった七人、対してこっちは四人。圧倒的に少ないけど、私たちなら余裕っしょ?」

依咒「向こうの戦力として強い部類にあるヱ密と蜘蛛の奴、二人がかりでもまったくすーちゃんに歯が立たなかったんだから負けるわけがないよね?」



捨て駒としての兵は使わず、あくまで自分たちの力で制圧する。

敵が大衆で向かってくるならともかく、戦力がわかりきっている以上、こちらも対策をとりやすい。

探偵たちが考えるに、これが最も確実で、犠牲を伴わない、と。


御殺「力と力の真っ向勝負ってわけ。それなら望むところ」

涼狐「やっと挽回の機会がきた、ヱ密は私にやらせてね」

空「涼、ヱ密は殺しちゃ駄目だからね?」

涼狐「わかってるよー、依咒ちゃんじゃないんだし」

依咒「まー、私は立飛を殺すけどー」

御殺「…まぁそれも相手が素直にここに向かってきてくれれば、だけどね」

涼狐「……来るよ。ここまでやったんだから、この混沌を利用しない手は無い」


依咒「……」


依咒が意識を集中させ、トイズを使って敵の動向を探る。

……と。



依咒「……来た。足音が、七つ……間違いない」


御殺「まさか本当に素直に来てくれるなんて、なんか怪しくない?」

依咒「向こうも同じ考えだったってわけでしょ。私たちはアイツらを殺したい、アイツらも私たちを殺したい」

御殺「そっか」

涼狐「…うん。さぁて、歓迎してあげよっか」


鈴「す、涼狐っ…」

涼狐「何も心配いらないよ、私たちは最強の探偵だから。向こうが何を仕掛けてきたとしても、私たちは絶対に負けない」

涼狐「でも、唯一付け入られる隙があるとしたら、それは鈴……あんただよ」

依咒「そうだねぇ、向こうは私たちの計画をヱ密から聞いて知ってるだろうから。それを邪魔するには鈴ちゃんを殺すのが一番手っ取り早いし」

御殺「鈴ちゃんは狙われないよう、どこかに隠れるとか。あ、でも一人にならない方がいいよね…」


空「鈴は私と一緒にいてよ」


涼狐「だね。それが一番安全」


──……。



一方、こちらは城へと向かう忍びの衆。



紅寸「…もっとドバーッと兵が来るかと思ってたのに、最初にちょっと来たくらいだったね」

立飛「うん、蛇龍乃さんの言った通りの展開」

空蜘「で、あの人何処行ったの?」

ヱ密「そういえばさっきからいないね」

鹿「まーた逃げたんじゃないのー?」

牌流「えっ、この状況で…!?」


ヱ密「まぁどうだろうと、私たちがやるべきことは一つ」


空蜘「あの探偵を、今度こそ殺すっ…!」


牌流「……ねぇ、それが終わったらどうなるの…?」

立飛「もう倒した後のこと考えてる? 牌ちゃんって意外と自信家?」

牌流「そ、そんなんじゃないけど…」

紅寸「別に今は目の前のことだけ考えてればよくない?」

鹿「てかそれに集中しないと、瞬殺されそう…」


ヱ密「…うん、先のことは蛇龍乃さんに任せて、私たちは私たちのやるべき事をやるだけ」



ヱ密「そろそろ城が見えてくる」



城の周りには誰の姿も無く。

……一見、無防備に見えるが。



ヱ密「私たちに与えられた任務。探偵四人の殲滅と、鈴の捕縛」



この命を賭けての任務。


……忍びとは、任務とは。


己に出来ることだけを、やる。

出来ないことは、しない。


蛇龍乃は、妙州の頭領は。

不可能なことを決して、任務と称して与えない。


よって、この六人なら可能だという、そういう意思の顕れ。

信頼してくれて、この任務を告げられたのだ。


だから、ヱ密たちは。

その信頼に、期待に、己の身を奮って応えるのみ。



……忍者と探偵。


背負うものは対照的で。


悪と、正義。


宿命と運命が、交錯する。


最後の戦いの幕が、今上がろうとしていた──。


──……。


城の手前で、三手に別れた忍びたち。

それを迎え討つは。

城を後ろに背負って立つ探偵が、三人。

まず、城を正面にしての、右方。

……そこに対峙するのは。



御殺「…あれ? ま、いっか」


紅寸「この間はどうも」

立飛「あんたが相手だと、まだやり易いかな」


顔を隠すように覆っていた被り笠を外し、立飛が言う。



東の局──。

【御殺 VS 紅寸、立飛】


御殺「あの森で瞬殺されたこと忘れちゃった? まぁあの時と比べて、こっちの事情も違うから」

御殺「……今回は見逃してあげないよ」


立飛「あははっ、あの不意討ちで勝った気になられてもねぇ。やっとこうしてまともに戦うことができて嬉しいよ」


御殺「不意討ちはそっちの専売特許でしょ。たしかあんたが涼狐の目を潰した張本人だったよね? まさか私にそれが通用すると思ってる?」


立飛「冗談。そう何度も何度も死の淵を往き来するのはこりごり。また蛇龍乃さんに怒られ……今度こそ殺されるかも…」

立飛「そんなの使わなくたって、あんたくらい余裕で倒してみせるよ。ね? 紅寸」

紅寸「そーだそーだ」

立飛「ほら、紅寸もなんか言ってやってよ」

紅寸「え? うーん……あっ!」


紅寸「お前の命は、あと三秒だ!」


立飛「…いーち」


御殺「にー」


紅寸「さーん……はいっ!」


御殺「……っ」



……一瞬、身構えた御殺だったが。



御殺「……え? なにかした?」


立飛「何かしたの? 紅寸。私も全然わかんなかったんだけど」

紅寸「ふふふ、それは後のお楽しみだっ!」

立飛「こりゃなんも考えてないな」


御殺「……なんかふざけてるみたいだけど、死んじゃう前に楽しそうで何よりだね」


──……。



一方こちらは、城の左方。

西側。

……対峙するのは。



依咒「……は?」


鹿「…やべぇ……帰ろうか、牌ちゃん」

牌流「鹿ちゃん、しっかり! 最初からこうなるってわかってたでしょ!」

鹿「えぇ……でもぉ、この人マジ怖いしー」



西の局──。

【依咒 VS 鹿、牌流】



依咒「はぁぁ……してやられたわぁ……」


不機嫌そうに、牌流を睨み付ける依咒。

……それもその筈。

依咒がこちらを選んだのは、立飛の姿があったからで。

しかし、対面してみればそこにいたのは牌流。

依咒が立飛を狙ってくるであろうと予測して、偽装により、こうなるよう仕向けたのであった。

遠目からとはいえ、五感強化のトイズを持っている依咒だ。

容易く見抜いてもおかしくはない。

……が、いざ目にして感情が昂ったのか。まんまと忍び側の策へ嵌まってしまったわけである。



依咒「御殺、殺したりしないよね……さっさとコイツら片付けてあっち行こーっと」


牌流「鹿ちゃん、私らめっちゃナメられてますけどー?」

鹿「ちゃんと借りは返さないとね…」


依咒「あれ? この前、泣いてたよね? もう大丈夫なの? 怖かったら立飛と交代してもいいよー」


鹿「うっせー! 負けないもんっ、絶対負けないもんっ!」

牌流「…だね。すぐに私たちが倒されたら、何もかも終わっちゃうからね」

鹿「……本気出す」

牌流「私も、本気出す」


──……。



……そして、城の正面。



涼狐「ホント懲りないよねぇ? ヱ密も、そっちの蜘蛛の人も。投降しに来たってわけじゃ、ないよね?」


ヱ密「今回で最後。もう、涼狐に負けるつもりはないよ」

空蜘「…って、目開いてんじゃん。立飛に騙されたー」

ヱ密「まぁ片方だけだし。能力の低下も、もしかしたらあったりするんじゃないかなぁー……という淡い期待をもってたりして」



中央の局──。

【涼狐 VS ヱ密、空蜘】



ヱ密にとって、涼狐とこうして拳を交えるのは、三度目。

空蜘に至っては、四度目という。


……相次ぐ敗北を味合わされてきた。



涼狐「ヱ密、どうして逃げたりしたの? それに、勝てないのわかっててまた挑んでくるなんて」


ヱ密「ふふっ、うちの頭領様は超理不尽だからね。困ったものだよ。でも、任務というからにはそれに従わないわけにはいかない」


涼狐「任務?」


ヱ密「涼狐を倒せっていうね。だからもう負けるわけにはいかないんだよ。私は忍びだから」


涼狐「…そう。私は探偵だから。私も負けるわけにはいかない」


空蜘「ねぇ、ところでさ。その目、見えてるの? あのヘンテコな能力も使える?」


涼狐「さぁーねー? 確かめてみれば? あ、それともトイズ無しで戦ってほしい?」


空蜘「うん」


涼狐「あははっ、素直だね。でも、ごめん無理。さすがに君たち二人相手にそこまで手抜いたら負けそうだから」


空蜘「ちぇっ、まぁいいけど」


涼狐「…ていうかさ、普通相手が万全の状態で勝つってのがセオリーじゃないの? それなのに、目潰れたままなの期待しちゃってさ。それで勝って嬉しいの?」


ヱ密「嬉しいよ」

空蜘「うん、超嬉しい」



……即答。

何故なら、忍びだから。

結果がすべて。

どんな手を使ってでも、勝てばよいのだ。


涼狐「あ、そう……まぁ勝てばいいんだよね。私たちもそうだし。悪いけど、のんびり遊んであげるつもりないから」


涼狐「空っ!」


そう言って涼狐は、上空へと声を投げる。


声が向けられた先。


……上空。


城の天守閣。


その上に立つは。



空「はいはい。鈴、準備いい?」

鈴「…う、うん」


鈴「…………みんな」



空と鈴の姿が、そこにはあった。

この位置なら、戦況が見渡せる。

見渡せるということは、戦況を優位に運べるというわけで。


……それを知らしめすように。



鈴「これ、でいいんだよね…?」


鈴がスマホを操作し、ある種を発動させる。


空「上出来」


画面の上に浮かび上がった、半透明な黒い鎖のようなもの。

空はそれに、白杖を向け。


……シャンシャン、と鎖を鳴らす。



空「一、二、三、四、五……六」



画面から引っこ抜かれた半透明の鎖は、六つに分かれ。


忍びの六人へ目掛けて、放たれた──。



……そう、この種は蛇龍乃のもの。

術を封じる術の種。

常人を凌ぐ強さの理由、それは術によるものが大きい。

ただでさえ、過去に敗北を喫している忍び。

この状況で術を封じられてしまえば、勝機は潰えてしまう。


画面上に浮かび上がっていた時は半透明だったものが。

スマホから離れると、透明になり。

誰の目に映ることもない。

即ち、回避不可能なのである。


……よって、これを防ぐ術は無いように思えるが。



空「えっ……?」


……封術が破られた感覚。


こんなことが出来るのは──。




蛇龍乃「久しぶりだね、空」


空「蛇龍乃、さん……」



空と鈴が立つ天守閣の反対側。

いつの間にか、そこに立っていたのは。

妙州の里。忍びの衆、頭領の。


蛇龍乃だった──。


封術破りの封術。

それをやってみせた蛇龍乃。



『じゃあもしさ、空丸ちゃんが本当に敵だったらどうするの? 殺さないの?』

『そうだね、ならその時は……私自ら殺してやるさ』



蛇龍乃「自分の言葉にはちゃんと責任を持たないとね……だから、殺しにきてあげたよ、空」


空「……蛇龍乃さんには、無理ですよ」


蛇龍乃「まぁそう言うなって。術師は術師同士、楽しもうよ。なぁ?」



天守閣──。

【空、鈴 VS 蛇龍乃】



蛇龍乃「あーそうだそうだ、忘れるとこだった。鈴も久しぶりだね、元気だった?」


鈴「……うん」


蛇龍乃「それは良かった。ねぇ……ところでさ、鈴。私の見間違いじゃなかったらさぁ……今、空を」



蛇龍乃「手伝ったよね?」



鈴「……っ」


……ゾクッと。

空気が震えるような、身体中が痺れるような。

圧迫感。

視線に掴まれているだけで、心臓が凍り付きそうで。

堪らず、目を背ける鈴。



空「…大丈夫だよ、鈴。私が傍にいるから」

鈴「……」



蛇龍乃「ふふふっ……さぁ、始めようか。殺し合いを──」




四つの局面、それぞれの戦いの幕が上がった──。


──……。



地上を見下ろし、放った声は高らかに。

まるで、これから始まる殺し合いを楽しむかのように。

妖しげに笑う姿があった。



蛇龍乃「妙州の忍び、総員に告ぐ。目の前に立ち塞がる敵を、討滅しろ!!」



蛇龍乃のその一言によって、戦いの火蓋は切って落とされた──。




天守閣──。



蛇龍乃「空、下の連中に余計なちょっかいは無しにしようよ。これ、私からの忠告ね」

蛇龍乃「余所見してると、そっちの大事な大事な鈴を殺しちゃうかもよ?」


空「聞いたんですね、ヱ密から。計画のこと」


蛇龍乃「あー、あのなんちゃら計画ねぇ……私たちを排除して自分たちだけ楽園行こうなんて、ズルいじゃんか」


空「な、なんで知って…」


蛇龍乃「お、当たった? さすが私」


空「あぅ……しまったぁ、そういうこと…」


蛇龍乃「まぁヱ密から聞いた話だけが全てじゃないのは明白だったから。そこから理想郷というワードと、有り得そうな不利益を重ねて考えれば、もたらされる可能性の候補がいくつか挙げられる」

蛇龍乃「そのなかの一つを適当に言ってみたけど、見事正解だったみたいだね」


空「…やっぱ、貴女だけは侮れないみたい」


蛇龍乃「でもいいの? 話によると、その計画に必要なものは四つ。空と鈴、スマホ、そしてヱ密の種」

蛇龍乃「私の目の前に、それらの内三つもあるようだけど?」


空「心配いらないですよー? だって私がいるし。それより自分の心配した方がいいと思いますけど?」


蛇龍乃「…ふーん、言ってくれるねぇ。里にいた時とは大違いだ。私をここまでナメてくれる奴なんか久しぶり」


空「たしかに術を封じるのは強力だけど、それでどうやって私を殺すつもりで? なんか隠してるんでしょ? 薄々そんな気がしてた」

空「極稀に複数の術を扱うデュアル・トリックの忍びがいるって。まぁ、蛇龍乃さんがそれであっても今更あんま驚かないかも」


蛇龍乃「へぇ…」


空「そこまで自信ありげなら、二つとは言わず三つくらい扱えるのかな? 例えそうだったとしても、私には敵いませんよ」


蛇龍乃「はははっ、二つとか三つとか……そんなケチ臭いこと言うなよ。空」



蛇龍乃「私は、八重術者だ」


──……。



東の局──。



御殺「…空さんが失敗するとか珍しい」


紅寸「うちの大将はああ見えて頼りになるからね」

立飛「あてが外れちゃった?」


御殺「まさか。別に小細工しなくても、力で平伏すのみっ!」



御殺は二人に目掛けて、突っ込んでいった──。


武器を持たぬ御殺は近接戦闘を主とする。

……その理由は、トイズにある。

御殺のトイズ、それは怪力のトイズ。

繰り出される攻撃は、その重量、その衝撃。

どれも尋常ではないほどの破壊力で。



紅寸「き、来たっ…!」

立飛「あれの攻撃に関しては、絶対当たっちゃ駄目だからねっ! 防御も無駄、回避のみに専念して!」

紅寸「そんなのっ、百も承知っ…!」



立飛も紅寸も、過去に御殺の攻撃を受け、戦闘不能に陥った経験がある。

それは、完璧に防御したつもりの、その上から。

骨までも破壊し、意識すら奪ってしまえるほどの。


まともに喰らったら最後。

……もう立ってはいられないだろう。



立飛「紅寸っ!」


立飛と紅寸は別方向に逃げる、と。

御殺が標的として定めたのは。

紅寸の方だった。


御殺「はぁぁっ!」

紅寸「くぅっ…、危なっ…!」


振り抜かれた拳を寸前で避ける。

掠ることすら許されないのだから、常にギリギリの緊張感が付きまとう。


立飛「紅寸っ、足を止めないでっ!」

紅寸「わかってる!」


捕まったらその時点で終わってしまう。

対策としては、距離を取ることを頭に入れて。


……だとすると、有効なのは。

飛び道具。


立飛「死ねっ!」


立飛は一度に五つもの手裏剣を同時に放った──。


涼狐のように、飛来してくる対象を制御する力も。

依咒のように、未来予知並の察知能力も。

空蜘のように、咄嗟に防御壁を作り上げる力も。


御殺には備わっていない。


ただ攻撃に特化したトイズ。

これだけで倒せるとは思ってはいないが。

避けようとすれば、必ず隙は生まれる。


立飛も紅寸も、忍びとしてこれまで生きてきた。

今まで数えきれないくらいの人間を殺してきた。

だから、命の儚さなど知り尽くしている。

喩え、どれだけの強者であっても、喉を切り裂くか心臓を貫いてしまえば。


……たったそれだけで、命というものは簡単に奪える。



立飛「力で勝らなくてもいい。たった僅かな隙を突いての一刺し……それだけで片は付く」


立飛のその意を察したように。

生まれるであろう隙を窺い、紅寸も刀を取り出す。


……が、御殺は二人が思いもよらぬ手段で対処してみせた。


御殺「はぁぁぁっ!!」


ズシャッ──!!


御殺が地面を勢いよく蹴り上げると。

大量の土砂がそこに舞う。

土の壁。

それに飲み込まれ、勢いを殺された手裏剣から一つを掴み。

紅寸へと、放つ──。


シュッ──!


紅寸「なっ、やばっ……うぁっ…!」


土砂に紛れ、出所が見えなかったのか避けること叶わず。

手裏剣は、紅寸の右肩に突き刺さった。

そして紅寸が怯んだ瞬間を、御殺は見逃さず距離を詰める。


紅寸「くぅっ…!!」


そこはさすがは忍者。

即座に後ろに飛び退き、なんとか難を逃れた。



紅寸「はぁっ、はぁっ……今のは危なかった」

立飛「あんな無茶苦茶なの、反則でしょ…」



単純な力だけではなく、反応速度も対処力も申し分無い。

御殺としても、戦況を優位に進めていることには違いないが。

油断も慢心も持ってはいない。

……危険視しているのは、やはり立飛のあの術。

立飛自身は使うつもりはないと言っていたが、それもどうだかわからない。

もしも、あの緋色の瞳に一度でも捕まってしまったら。

……相殺。

それだけは用心しておかねば、と。



立飛「…どう? 紅寸」

紅寸「やっぱ強いし、速い」

立飛「術使えばいけそう?」

紅寸「どうだろう……何発かは入れられると思うけど、それで仕留められるかはわかんない。てか、いいの?」


紅寸の術も、立飛の術と同じく。

……諸刃の剣。

使用して、もし活動限界を迎えるまでに討てなかったら、と考えると。

それに、血を吸える対象が立飛しかおらず。

共倒れになる可能性が高い故に、軽々とその決断は下せない。



立飛「駄目。……まだ、駄目」

紅寸「だよね。じゃあ今まで通り、逃げながら隙を狙う感じで」


……と、そこに。


御殺が動く。

突っ込んでくるのではなく、先程手裏剣を無効化したのと同様に。


ズシャッ──!!


地面を抉り、撒き散らされた土砂は二人を目掛けて。

と、同時に砂煙に紛れ、マシンガンのように砂利が襲ってきた──。


紅寸「いでっ、痛い痛いっ…!」

立飛「紅寸っ、アイツも来るっ!」


砂煙のせいで迫ってきていた御殺への判断が遅れた。

立飛が真横に飛び退くが、紅寸は動けず。

……いや、動かず。


紅寸「……っ」


ギリギリまで相手を引き付ける。

御殺の標的が立飛ではなく、自分になるように。


御殺「もらった…!」

紅寸「くっ、こんなのっ、当たるもんかっ!」


砂煙を突き破って、現れた拳を。

これまたギリギリで回避した。



……そう、御殺に立飛を狙わせるわけにはいかないのだ。

何故なら、今の立飛は活動値が減少している状態。

能力の低下、その身では紅寸のように敵の攻撃を何度も避けられるとは言い切れない。


活動値が減少しているということは。

即ち、既に術を使用していることを意味する。



……立飛の術。

己の意識を対象へと注ぎ、その対象を制御する。


立飛「……いけっ!」


未だ視界が晴れない砂煙、これを利用しない手はない、と。

突如、瞳が赤く染まった狼が数匹現れた──。

鋭く尖った牙を剥き出しに、御殺へと迫る。


御殺「動物を虐めるのはあんま好きじゃないんだけど…」


ズドッ──!!


牙が御殺の肌に触れることも許さなく。

一掃──。


立飛「ぐうぁぁっ…!!」


……当然、そのダメージは立飛にも伝わり。

肉体的な負担は無いにしろ、精神的なものだけでも相当である。

ただ獣を払っただけ。まったく本気の力では無いのだろうが。

恐怖は確実に、立飛を蝕む。


紅寸「……っ!」


と、御殺の注意が一瞬狼に向いていた隙に。

既に背後へと回り込んでいた紅寸。

その手には、刀が握られており。


御殺の心臓目掛けて、先端を振り下ろす──。


御殺「…気付いてないと思った? 甘いっ」


振り向き様に、薙ぎ払うように水平に繰り出された手刀。


パキンッ──!


真っ二つに。

刀は無惨に折られてしまった。



……が。


御殺「え…?」


折られた刃、その柄には手が添えられておらず。

今の今まで刀を握っていた紅寸の姿は、そこには無かった。


御殺ならこれくらい容易に反応してくるだろうと予測し。

それを利用したのであった。


刀を捨てていた紅寸は極限まで体勢を屈め、御殺の足下に。

……御殺の意識は完全に上へ向いている。

ついに掴んだ、好機──。


紅寸「これで、決めるっ……はあぁぁっ!!!!」


無防備となっていた御殺の腹部に。

紅寸による、力の全てが込められた拳が。

振り抜かれた──!



ズドッ──!!





……が、しかし。



紅寸「ぁぎゅっ、うあぁぁっ…!!」


御殺「…何かした?」


立飛「なっ……そんなっ……」



間違いなく、紅寸の拳は御殺に入っていた。

だが、なにくわぬ顔をみせる御殺。

術を使用していないとはいえ、決して非力ではない紅寸。

あのような完璧なタイミングからの衝撃。

普通なら、骨や内臓の一つや二つ、壊されてもおかしくない筈。



……ならば、どうして?



立飛「ま、まさか…」


肉体を鍛えるにしても限界はある。

ましてや、仕掛けてきた拳を破壊するほどの鋼鉄の筋肉など作り上げようがない。

ならば、自ずと見えてくる。

有り得ないで片付けたくないのであらば、その答えは一つ。


……そう、トイズだ。

御殺のトイズは、単純に人間を超越した力による衝撃のみではなく。

己の肉体の、“硬化”も併せ持っている──。


……結果、紅寸の右手は砕かれた。

鋼鉄の壁を全力で殴ったのと同じなのだから、それも当然と言えよう。



立飛「ハッ…! 紅寸っ、前っ!!」


紅寸「え…?」


逆に無防備になってしまっていた紅寸に。

……御殺による反撃。

お返しと言わんばかりの拳が、すぐそこまで迫っていた。


紅寸「ぁ…くっ、うぅっ…!」


何が起こったかもまだ理解出来ておらず、激痛と恐怖が目の前で交錯する。


……これは、逃げられない、と。


諦めが、脳裏を過った。



御殺「これでおしまい」


立飛「ま、間に合えっ…!!」



御殺「はぁぁぁぁっ!!」


御殺の拳が紅寸の体を捉える。

……その刹那に。

先程、御殺によって払われ、地に伏していた狼たちが一斉に動き出し。

拳と体の間に割って入ってくる。

が、そんなもの関係ないとばかりに、そのまま拳は振り抜かれた──。


ズドッ──!!


紅寸「ぐぁぁあああああっ!!!!」


狼もろとも吹っ飛ばされる紅寸。

……そして。


立飛「…っ、ぁうぅっ…ぁぁぁあああっ…!!!!」


今度こそ、御殺の本気の一撃によるダメージが立飛に襲い掛かってくる。




紅寸「ぁう、ぐぅ……がっ、はぁっ……はぁっ……」


立飛の咄嗟の判断で、狼がクッション代わりとなって直撃は免れたとはいえ。

……ダメージは甚大である。



立飛「はぁっ、はぁっ……うぅ、ぁ……ふぅっ……」


……立飛も同じく。

狼に与えられたダメージだけではなく。

意識を失っていた狼を、無理矢理に再度制御させたのだ。

その消耗は、限り無く大きい。



御殺「もう打つ手無しかな? そろそろ終わらせてあげるね」



紅寸「はぁっ……はぁっ……ぅぐっ、ぁ……っ」


立飛「……っ、これは、マジでヤバい、かな…」




……強い。

……攻撃も、防御も、何をやったとしても通用しない。

……こんな化け物相手に、どうすれば。


残された策。

術を、御殺に直接使うという手。

成功すれば、自分も死ぬが、御殺も殺せる。

相討ちにはもっていける。

……が、それはこの状況で相手が最も警戒していることだろう。

不可能だ。


……ならば、どうする。


……何か考えろ、考えろ考えろ考えろ。


このままでは、二人とも殺される。



……落ち着け。


絶望的な状況の時こそ、冷静になれ。


頭を働かせろ。


何か弱点は無いのか。

何をやったって無駄なのか。倒せないのか。殺すことはできないのか。


……違う。

殺せない人間なんかいない。

どんなに強い人間でも死ぬ、殺せる。

殺し方を、自分たちは知ってる。


……なら、どうすれば殺せる。


……どうすれば。

……どうすれば。



立飛「……ぁ」



これしか、ない──。


──……。



西の局──。



依咒「……」


すぐに仕掛けてくるのかと思いきや、依咒はといえば。

手に持つ鞭の先端を弄りながら、逆側にいる立飛の方をチラチラと気にしている様子で。



牌流「……ホント、私らのことなんか眼中に無いって感じ」

鹿「ちょっと固執しすぎじゃない? 立飛、モテモテだねぇ」



先の依咒との交戦、紅寸から聞いた城での様子、それとヱ密からの情報。

それらを併せて考えると、この依咒は涼狐に対し多大なる情をその心に持っている、と。

涼狐の目を潰した張本人である立飛を意識しているのも、そこからだろう。


……ということから、この三方の組み合わせ。

敵方の配置までもすべては忍び側がそうなるよう運んだものであった。

勝機があるとしたら、これ以外に有り得ないと踏んでいたから。

勝敗を左右するとしたら。純粋な力比べだけではなく、それ以上に大きく関わってくるもの。


……相性である。


互いに、トイズ持ちと術使い。

能力という観点から見た相性の要素は、更に大きく。


言ってしまえば、立飛の術では依咒には勝てないが、御殺には勝てる。

反対に、鹿の術では御殺には勝てないが、依咒には勝てる、と。


勝てる、と蛇龍乃は豪語したが、あくまで可能性の話である。

……よって、通用する、と言葉を選んだ方がまだ謙虚であるし弁えてはいる。

が、蛇龍乃がそう言ったからには勝つしかないと、鹿も牌流も覚悟を決めていた。



依咒「……固執、か」

依咒「まぁそれくらいするよね。私の大切なすーちゃんを傷付けたんだから」



牌流「……っ」


……決して聴こえる距離ではないのに。

異常なまでの聴覚。

そして、前回対峙した時の、忍者の夜目を軽く凌ぐほどの視覚。

なるほど、以前に鈴が言っていた探偵たちの能力に相違は無いと。



依咒「あ、眼中に無いってのもその通りね。次からはもっと慎重になった方がいいよ? この耳、嫌でも聴こえちゃうから」


鹿「ご忠告、どうも。でもいいの? さっさと私たちを殺して、立飛と遊びたいんじゃなかったの?」


依咒「ふふっ、御殺には殺すなって言ってるし。御殺に半殺しにされて泣き叫んでるとこ見るのも、それはそれでありかもって」


鹿「うわぁ……相変わらず悪趣味な人」

牌流「立飛は殺させないし、私たちもあんたに殺されたりしない」



依咒「そう、なら……かかってきなさい」


真っ直ぐ向けられた瞳から。

ゾクッ、と。

あの時と同じ様に、言い表せない圧力の塊が悪寒となって二人を襲う。



……逃げ出したい。

が、逃げるわけにはいかない。


今度こそ、怖じけず立ち向かえ──。



牌流「……さぁ、行けー! 鹿ちゃん!」

鹿「ふっ、任せな」


鹿が刀を抜き、依咒へ向かって真っ直ぐに駆け出した。


依咒「刀…? あー、この鞭をぶった斬ろうって?」


依咒の能力が五感の強化だとするなら。

その能力自体に、直接の攻撃作用は無い。

今の時点での驚異といえば、やはり振り回される鞭である。


……まずはそれを、無力化する。



依咒「これを捉えるなんか、無理なのにねー」


ヒュッ──!


鋭く伸びてくる鞭。

鹿はその出所、軌道を見極めようと集中を注ぐ。

右斜め上から振り落ちてくる鞭に対して、刀を持つその手を振り上げた。


……が、鹿がその動作に入った瞬間。

嘲笑うように、鞭は軌道を変え、急降下。


鞭が自動的に動いたわけではなく、依咒が手の甲を返していたのである。

……それも、鹿が刀を振り抜くより先に。

トイズによって強化された視覚と聴覚で。

刃の向き、肌に顕れる筋肉の動き、柄と掌が擦り合わされる音、等から。

どのタイミングでどこから刃を出てくるのかを予測した、というわけで。


鹿「……っ」


やはりというか、当然というか。

刀は空を斬り、刃をすり抜けた鞭は鹿の体を打ち付けた──。


……かのように思えたが。


依咒「…?」


鞭は鹿に触れる寸前で止まった。


……鞭を止めたもの。

刀でもなければ、鹿が手足を使ったわけでも、牌流が何かしたわけでもなく。


それは、影だった──。


音も無く忍び寄る影、とはよく言ったもので。

影が動いても音は立たない。

それに、鹿が動いているのだから当然その影も動く。

依咒はこれまで人間相手なら、その能力で次の行動の予測を可能としていたが。

影を相手にしたことなど、あるわけがなく。

揺れる影がただの動作によるものなのか、それとも術を使って意図的に動かしているものなのか、その判断は依咒ですら困難を極める。


そう、依咒のトイズに対して、影を操る鹿の術は天敵に為りうるのだ。


鹿「捕まえた…!」


影で鞭を捕らえたまま、鹿は依咒との距離を詰め。

その刀で、斬りつける──。


キーンッ──!


首をはねるように、水平に振り抜かれた刀を何かが弾いた。

依咒が右手に持つものが鞭であり、そして左手に持っていたもの。

鹿も以前に目にしたことがあった。

それは、扇子である。

……ただの扇子ではなく、斬撃を受け止められるその正体は、鉄扇。



鹿「くっ…!」

依咒「残念、惜しかったねぇ」

鹿「まだまだぁっ!」


……この不意討ちで決めてしまいたかったが。

依咒の右手に持つ鞭は、鹿の影が押さえている。

左手に持つ鉄扇は、この刀と。


そう、まだ腕一本分だけ鹿が優位な状況。

畳み掛けるなら、今だ──。


鹿は弾かれた刀を、再度依咒の首へと斬りかかる。


キーンッ──!


が、またしても鉄扇による防御。


鹿「チッ…」


……それでも、三撃、四撃、と。


キーンッ──!


キーンッ──!


それが、どうした。

何度弾かれようとも、たった一度潜り抜けてしまえば。

……決着は付く。


依咒「単調で素直すぎる太刀筋。こんなんじゃ何万回やったところで届かないよ?」

鹿「あっ、そうっ…!」


ならば、と。

刀を一旦引き、先端を依咒へと向けての。


突き──。


キーンッ──!


しかしこれも、依咒は器用に止めてみせる。

閉じたままの扇子、その表面積は大きくないというのに、このように完璧に受け止めてしまえるのだから。

線と線だろうが、点と点だろうが、鹿の動きを見切っている依咒にとっては大差は無い。


鹿「くそっ、もう少しなのにっ、もう少しで殺せるのにっ…!」



そのもう少しが、近いようで、遠すぎる──


鹿が刀でどのような突拍子も無い攻撃を仕掛けようとも、すべてあの鉄扇に阻まれてしまう。

……それなら。

依咒が持つ二つの武器。鞭と鉄扇。

鞭は影を使って封じてやった。

あとはその鉄扇さえ封じてやれば。


鹿「ああもうっ、ちょっとそれ邪魔なんだよねぇっ…!」


刀を持つ右手とは逆の左手を鉄扇へと伸ばし、強引に押さえようとした瞬間。


依咒「…ふふっ、ばーか」


……バッ、と。

依咒が手首を振り、扇子を開くと。

その中から、鋭利な刃が姿を現す。


鹿「や、やばっ…!」


不用意に伸ばされた鹿の左手に、扇の刃が襲い掛かる──。


……ヤバい。

指……いや、手首もろとも斬り落とされる。

扇子にも仕掛けがあると、もっと執拗に考えを凝らせば予測は出来た筈なのに。

……扇子?

そうだ、鉄扇が鹿の腕を、今にも斬り落とさんとしている。

ということは、先程までのように刀を防ぐ術は無い。


……腕一本と引き替えに、その命を奪えるのなら安いもの。


鹿「…っ」


違う。駄目だ。

依咒なら、容易く避けてしまうだろう。

……その証拠に。


依咒「……」


依咒の両眼は、刀を持つその手に向けられている。


鹿「くっ…!」



キーンッ──!


刃は依咒に斬りかかることを諦め、鉄扇に対する防御にあてられた。


依咒「今のはなかなかの判断だったね、それで正解」

鹿「それは、どう、もっ…!」


キーンッ──!


刀と鉄扇が激しく衝突し、音を鳴らす。


……腕一本分の優位も、依咒を前にすれば意味を為さない。

ならば、それ以上に。

人間一人分の優位が、忍び側にはある。


牌流「……っ!」


依咒の背後に忍び寄っていた牌流。

鹿と同じく、その手には刀。

隙だらけの背中に斬りかかった──。


依咒「…気付いてないとでも思ってんのー?」

鹿「気付いててもどうにも出来ないでしょ? 数の利は絶対だ。前にお前らがやってくれたようにっ…」

依咒「数の力を使いたいなら、百は最低用意してもらわないと。たった二人? 笑っちゃうわ」


依咒が右手に持つ鞭は、影で封じている。

左手の鉄扇は、この瞬間も刀と刃を交えている。

ここでその刃を引いて、背後の防御に回せば、今度こそ捉えてみせる、と。


……さぁ、どうする。

どのようにして、この状況を凌いでみせる。

鉄扇は刀と触れ合ったまま。

それを引いた時がお前の最期だ。


鹿は虎視眈々と、その機を待つ。


……が、依咒は一向に刃を引く気配を見せない。



鹿「…っ?」



……どういうことだ。

今にも斬りつけようとしている牌流を、無視したまま。

こんなにも容易く、決するというのか。


依咒「ふふっ…」

鹿「……っ」


……何を。

何を、見ている?

依咒のその瞳に映っているのは、鹿の持つ刀。


もしかしたら、依咒は。

反対に、鹿が刀を引くのを待っているのかもしれない。

……だとしたら、依咒より先に引くわけにはいかない。


刀を鉄扇へと強く押し当てるように、ただじっと堪える。

もし、依咒が。

鉄扇を引き、牌流へと構えれば、刃を押し出し斬りつける。

鉄扇を引かぬつもりなら、牌流が背中から斬りつける。



鹿「私たちの、勝ちだっ…!」


牌流「……死ね」


牌流が振り放った刀の刃が、依咒へと届こうとしていた。


……その瞬間。


ヒュッ──!


ガツッ──!


牌流「うぁっ…!」


刀は依咒に触れる前に、牌流の手を離れ、宙を舞った──。



……何が起こったのか。


依咒の両手は塞がっている状態。

対処できるとしたら、残っているのは足。

そう、足だ。

眼前にある鹿の刀とは鉄扇を交えたまま、体勢を横に移しての。

左足による回し蹴り──。

自分を狙って振り抜かれた刀、その鍔へと、踵が正確に決まり。

結果、刀ごと弾かれた、というわけである。


鹿「なっ…!?」


依咒はずっと鹿と向かい合って対峙していた。

背後など、一度足りとも確認していなかった。

……それなのに何故、あれほど正確に攻撃の軌道を知ることができたのか。


まさか、音だけで。そんな馬鹿な。

牌流の位置は感じ取れたとしても、刀の軌道までは。



依咒「しっかりと映ってたよ。その綺麗な刃に」

鹿「ま、まさかっ…」


そう、依咒がギリギリまで見ていた鹿の刀。

その刃の表面には、背後から迫ってくる牌流の姿があった、と。


鹿「…へぇ、足技も使えたんだ…? なら、こっちも!」


背後に回し蹴りを放った直後の不安定な体勢にある依咒へ。

鹿が蹴りを繰り出す、が。


ガシッ──!


鹿「…っ」


蹴り出された鹿の右足は、戻ってきた依咒の左足によって阻まれる。

……と、そこに、再び背後から。

刀は失ったが、その身は健在。


牌流「今度こそっ…!」


短刀を抜き、仕掛けようとするも。


ガツッ──!


今度は、右足からの回し蹴り。

短刀は手から溢れ落ち。


そして更に、その足が胴体に入る──。


牌流「ぁぐっ、うぁぁっ…!!」


衝撃に、吹っ飛ばされる牌流。

……と、同時に。


依咒「ちゃーんと集中しとかないと。軽くなってんだけどー? こっち」


突如、鹿の顔面に殴打が飛んできた。


鹿「ぁぐっ、なっ…!?」


殴打。その出所は、鞭を握ったままの依咒の右手。

……依咒が言ったように。

戦闘が始まってから鞭をずっと押さえ付けていた影への集中を、僅かながら欠いてしまっていた。


依咒は鹿が怯んだ瞬間を見逃さず。

先程見せたように、鋭い蹴りを鹿の脇腹へと放つ。


ズドッ──!!


鹿「ぐぁぁっ、ぅうっ…!!」


足を踏ん張り、倒れそうになるのを懸命に堪える。


依咒「そうそう。集中を切らさないようにしないとねぇ」


依咒が持つ二つの武器。

集中を欠いては、それだけで命取りだ。

術を使って、影で鞭を押さえ付けながら。

刀で鉄扇の相手をしなくてはならない。

……よって、襲ってくる依咒の蹴りまでもは対処の仕様がない状況にある。


依咒「ふふっ、あははははっ!」


ズドッ──!!


ズドッ──!!


何も出来ない鹿に、容赦なく蹴りを浴びせ続ける。



鹿「ぁ……ぐほっ、がはっ…!」


やばい、このままでは殺られる。

危機を感じた鹿は。

今までずっと鞭を押さえていた影を解き、自分と依咒との間に割り込ませる。

それをとりあえずの防御壁とし、即座に飛び退き。


……なんとか依咒から距離をとった。



鹿「はぁっ、はぁっ……げほっ、げほっ…!」


依咒「やっと返してくれた。やっぱこれが無いとねぇ」


……自らの命を守るためとはいえ、一度は封じた依咒の鞭を与え返してしまった。


鹿「…っ、はぁ、はぁっ……くっ…!」



……正直、想像以上だ。

あの鞭さえ押さえてしまえば、どうにかなると考えていた自分の甘さを後悔する。

鞭だけでなく、鉄扇、そして五感強化のトイズ。

どれがどうというより、すべてを引っ括めての依咒という人間は。

まさしく強者である。

御殺の身体性能が涼狐を凌ぐものだとしたら。

依咒の戦闘技術も、涼狐並。もしかしたらそれ以上の可能性も充分に考えられる。


──……。



中央の局──。



涼狐「……」


ヱ密「涼狐、私は別に涼狐のことは嫌いじゃないけど。これは任務だから死んでもらうよ」

空蜘「私は大嫌いだから殺す、絶対に殺すから」

ヱ密「これまで何度負けてようとも、今回だけは譲れない」

空蜘「そうだそうだ。泣いて謝っても許してやんないよ?」


涼狐「……いや、どう思われてようがいいんだけどさ……せめて姿見せてから言ってくれない? 恥ずかしくないの、それ…」



空蜘とヱ密。二人と涼狐は、糸で編み上げられた壁によって隔てられていた。

涼狐がトイズを使えるのか使えないのかはまだ判明してはいないが、直接姿を見られるわけにはいかない、と。

物体だけでなく人間でさえも、涼狐のトイズの対象であるのだから。

……とりあえずの対策として、有効ではある。



空蜘「私に感謝した方がいいよ、ヱ密一人だったらあのヘンテコな能力に掴まって瞬殺されてたよね?」

ヱ密「はいはい、ありがとうございますー。でも涼狐は私を殺さないよ? 殺したら種は奪えないんだから」

空蜘「喩えだよ、喩え。殺すよ? 別にあれを殺す前にヱ密を殺してもいいんだけどー」

ヱ密「空蜘一人で涼狐を倒せる自信があるならそうすれば? 私はあれを一人で相手にできる気がしないから、今だけは空蜘に協力してほしいんだけど」


空蜘「……仕方無いなぁ。で、何か策はあんの?」

ヱ密「前回、じゃなかった……前々回か、涼狐を相手にした時に思ったことで」

空蜘「なに?」

ヱ密「あのトイズさえ使えなくしちゃえば、私たちなら勝てるよ」


空蜘「……それで?」

ヱ密「それだけ」

空蜘「ヱ密ってさぁ、実は馬鹿でしょ? そんなことわかりきってるからっ!」


空蜘「…たしかアイツの眼は左だけ開いてたよね? じゃあその逆側から攻めるか、開いてる左目も潰してやるか……あっ」

ヱ密「ん?」

空蜘「そもそもさぁ、アイツって本当にあの力使えると思う?」

ヱ密「そんなの私に訊かれても」

空蜘「おかしくない? さっきからまったく仕掛けてこない」

ヱ密「まぁ、たしかに…」

空蜘「時間稼ぎじゃない…? 横二つの戦闘が終わるの待ってるの。能力が使えないまま私たちを相手にして勝てるわけないから」

ヱ密「うーん……考えられなくはないけど、それも涼狐の罠かも」

空蜘「そう? そこまで考えてるかなぁ?」

ヱ密「鈴ちゃんと同じ顔してても、涼狐はかなり聡明だからねぇ」

空蜘「あー、そっかぁ……鈴みたいにアホだったらわかりやすかったのに」

ヱ密「それを言っちゃえば、戦闘能力も鈴ちゃんと同じだったら指一本で倒せるのにねー」

空蜘「指一本どころか何もしなくても勝手に死んでくれそう」


……散々な言われようである。


そんな膠着状態にある中央の局の戦況を。

上から眺めつつ、言う。


蛇龍乃「何やってんだ、アイツら……」



一方、こちらは天守閣──。



鈴「は……はっ……へくしゅっ…!」


空「風邪?」

鈴「ん、誰かがあたしの噂してる…」

空「……まぁ、あながち間違いではないかも。私たちも忍び連中も、鈴のことは考えてるだろうし」

鈴「…ん」

空「鈴はこの戦いの中心人物にあるから。私たちは鈴を守る為に戦ってる、忍びは鈴を殺す為に戦ってる」

鈴「……っ」


そう、目の前にいる蛇龍乃も。

地上で戦っている皆も。

前回のように、鈴を救出しにここまで来たわけではないだろう。

……もし、この戦いで探偵側が敗北することになれば。

それは同時に、鈴の死をも意味する。

と、忍びの衆がここに攻め込んできた事実から、鈴も薄々感じてはいた。


空「私たちが負けるかもって思ってる? 安心していいよ。絶対に、鈴には手出しさせない」

空「涼と御殺と依咒さんは、鈴を守る剣となって。私は、鈴を護る盾となって。ここで戦ってる」

空「だから相手があの忍びの皆であっても、蛇龍乃さんであっても……私たちは負けることはない」


鈴「……うん」



……と、そこに。


蛇龍乃「ねぇ、空」


蛇龍乃が言う。


空「なに?」


蛇龍乃「あの探偵、涼狐っていったっけ? あれの眼は本当に治ってるの?」


空「開いてるの見たんでしょ? 片方のみだけど」


蛇龍乃「私が訊いてるのはそういうことじゃない。立飛からその詳細は聞いたが、普通に考えればたった数日で回復するわけがないんだよ」

蛇龍乃「まぁお前が何かしたんだろうけどさ。それならどうして片方だけなんだろう……片方であってもトイズは使えるから。じゃなきゃあんな場に立たせたりしないでしょ?」

蛇龍乃「片眼だろうとヱ密や空蜘に勝てる自信があるんだろうね。お仲間さんには優しいお前らだ、残りの二人の探偵がまったく涼狐を気に掛けないのは、万に一つも涼狐が負ける可能性を頭に持ってないからだ」


空「だったらどうしたっていうの? 蛇龍乃さんが今言った通り、私たち四人は誰一人として倒されるわけがない」


蛇龍乃「……それなら尚更、どうして片方だけなんだろうね?」


空「……」


蛇龍乃「あの涼狐の状態からして……空、お前も万能じゃないってことだ。治せるなら、両方元通りにしない理由が無い」

蛇龍乃「それに何より、あの赤い瞳……私もよく知ってるんだよね」


空「ここから見えたの……?」


蛇龍乃「目は良い方だから。この目は、今までいろんなものを見てきた」

蛇龍乃「あの色は立飛のもの。そっちには立飛の種がある。前に空に作り出された蜘蛛の巣、そしてさっきの私の封術……これらのことから、お前が種を扱えるのは明確だ」

蛇龍乃「いや、まず鈴がそれを取り出してから、か……まぁその辺はどうでもいいか」



空「相変わらず、目敏いですね。でも全部推測でしょ?」


蛇龍乃「そうだよ。お前は一度も肯定も否定もしてないから、これは完全に私の推測だ。ならもう少しだけ、私の推測に付き合ってくれ」


空「……」


蛇龍乃「ありがとう。……あの瞳の色が立飛の種を使ったものだとすると。使ってる者、術の使用者は誰になるのか」

蛇龍乃「空か、鈴か。瞳が今も赤く染まったままということは、現在進行形で術を展開中」

蛇龍乃「あの術は相当恐ろしい……扱われる方は勿論、扱う方であっても。だから私は何度も立飛に、人間に使うなと釘を刺してきた。……まぁそんな私の言い付けをことごとく無視しまくってんだけど、アイツは」


蛇龍乃「あれは尋常じゃないほどの精神力を使用するからね……人間相手にこれほど長時間使い続けられるなんて、まず有り得ない」


蛇龍乃「鈴にはとても不可能。ということから、鈴がスマホで発動した種……それを術として展開した空。よって、術の使用者は空になるわけだ」


空「……まぁそれがわかったところで、何か意味あるんですー?」


蛇龍乃「涼狐は普通に戦う分には今までと然程変わらないかもしれない。強いよ、とんでもなくね……ただ、その内側は実はギリギリの状態なんじゃないの?」

蛇龍乃「空が立飛の術を使って、どこまで涼狐の意識に干渉しているかはわからない。だが、こうしてそこにお前が立っている以上、それは百じゃない」


蛇龍乃「百じゃないにしろ、お前が涼狐の意識に干渉してまで涼狐をあの状態で戦わせているんだから……もしもお前が死ねば、涼狐もただでは済まないってこと」


空「…へぇ、蛇龍乃さんは私を殺せるって思ってるんだ? 大した自信家ですね、貴女らしいっちゃらしいけど」


蛇龍乃「まぁ正直言うとさ、あの夜空に作った蜘蛛の巣見た時、もうこりゃ無理だわって思ったよ。だってあんなの無茶苦茶じゃん」



蛇龍乃「……でもいくらお前自身が圧倒的な力を誇っていても、今のお前はそこにいるお前だけじゃないでしょ?」

蛇龍乃「涼狐の意識の中にあるお前の意識も、当然お前の一部だ。空が死ねば涼狐に影響が出るように……その逆、涼狐の中のお前の意識になんらかの影響があった場合には、お前に返ってきたりして」


空「…まさか、また立飛に術を使わせるつもり…? でもそれは涼を軽視しすぎ。あの涼が二度も同じ手に」


蛇龍乃「はははっ、なわけないじゃん。私が何度も使うなっつってんのに、ここで使えとか口が裂けても言えないっしょ」

蛇龍乃「……まぁどっちにしろそっちの方は今更期待してないけどねー。ねぇ、鈴」


……と、蛇龍乃は鈴に言う。


蛇龍乃「残念だよ。役立たずのお前を、あんなに可愛がってやってた私を裏切ったんだから」


鈴「……っ」

空「鈴、あの人の言葉はあまり耳に入れない方がいいよ」

空「今この場では、私だけを信じて。私はどんなことがあっても鈴の味方だから」

鈴「…、うん」



あれ?

この感覚。既視感──。

なんだろう、以前にも同じ様なことがあった気が。


……ああ、そうだ。思い出した。

あれは、ずっと昔。私が里に来たばかりの頃に。


『だから誰も信用したりしないで? あ、私は間違いなく鈴の味方だからいいんだけど』


……空が私に言った言葉だった。

でも、空は一度私を、里の皆を裏切った。

いや、空のあの言葉が、今の私がいるこの現状を見越してのことだとしたら。

それは私への裏切りというわけではないのかもしれない。


蛇龍乃「空、さっきの続き……お前は万能でもなかったら、万全でも万端でもない。逆に訊くけど、お前に私が殺せるの?」


空「さっきと言ってること違くないですか? 私の力を見て、お手上げだったんでしょ?」


鈴「……」



鈴は。

……この戦いが始まってから。いや、それより前。

忍びたちがこの城へと姿を現してから、ずっと引っ掛かっていた。

ある違和感が、二つ。


一つが、こうして忍びの皆がここに来たこと──。

今の状況として、涼狐はヱ密と空蜘と。御殺は立飛と紅寸と。依咒は鹿と牌流と。

それぞれ対峙し、戦っている。

まず、これがおかしいのだ。

果たし合いのような、決闘のような、真っ向からの戦いを挑んでくること自体、忍びとしての目で見ると。

……異様でしかない。


そして、もう一つは。

鈴の頭上にある。


蛇龍乃「あぁ、うん。完全にお手上げだったよ……あの時ならね」

蛇龍乃「ふっ、はははっ。空が一番わかってるくせに。惚けるなよ」


空「……」


蛇龍乃「……立飛の術さぁ、けっこうキテるでしょ?」


蛇龍乃「普通ならさ、人間相手に使った瞬間に自分のなかは空っぽになる。死と隣り合わせの術なんだよ。超強力な術だからこそ、その負担は凄まじく大きい」

蛇龍乃「百全てを注ぐことなく涼狐の意識に干渉出来るのはさすがといったところ。でも、活動値の減少は免れない。こんな長時間となると更に、だ」


蛇龍乃「これも推測と笑う? 一番最初にお前が使った封術を、私が防いでみせた。我ながらよく防げたと思ったよ。ねぇ、そこんとこどうなの?」


空「別にー。涼一人に術使ったくらいでどうもなんないし。忍びじゃない私を、誰だか知ってるの?」


蛇龍乃「あー、知ってる知ってる。よーく知ってるよ。星詠みの巫女様でしょ? だから、今を選んで来てやってるんだよ」



……そう、鈴の違和感のもう一つがこれである。

皆の頭上にあるのは、雲一つない青空。

闇の中での活動を主とする忍びが、わざわざこのような陽の下を選んで行動を起こしている。

これを異様と言わずして、なんというのか。



蛇龍乃「鹿の術を最も効果的に生かす、影がより濃くなる時間帯。それはお前が得意とする星の下じゃないからね」

蛇龍乃「闇に生きる我々忍者が、陽の下で優位に立つことができる日が来るとはねぇ……嬉しすぎて泣いちゃいそうだわ」


蛇龍乃「状態、環境共に劣悪で。そのお前が相手にしているのは忍びの頭領様であり、八重術者でもあるこの私」


蛇龍乃「もう一度訊くよ、空。お前に私が殺せるの?」







空「……ペラペラとよく喋る」


空「八つの術のうちの一つは、その口三味線ですかぁ?」


……空が白杖を、蛇龍乃へと構える。


蛇龍乃「鈴が種を取り出すまで私が待ってやるとでも?」


……蛇龍乃が左腕を、空へと向ける。



空「状況把握、分析がお得意なようですけど、肝心な私の力への分析がまだまだ甘い」

空「そもそも種なんか使う必要ないし、貴女一人消すくらい余裕」


蛇龍乃「そう……なら、見せてもらおうか。あ、その前に私からの最後の忠告だ」

蛇龍乃「お前の隣には、役立たずで足手まといで、何も出来ない無能がいることをくれぐれも忘れるなよ?」

蛇龍乃「強い強いお前らの唯一にして最大の弱点なんだから、しっかり守ってあげるんだぞ?」


鈴「……っ」




空「鈴は、私たちの大切な仲間だ」



空が、杖を持つその手を揺らすと。

シャンシャン、と白杖に装飾された鎖が、鳴る。



そして──。



蛇龍乃「……っ!?」


──……。


ズバッ──!!


膠着が続いていた中央の局が、ついに動く。

涼狐と二人の間。

直接姿を見られないよう、張っていた防御幕を。


一刀両断──。



ヱ密「空蜘っ!」

空蜘「やっぱ使えたんだぁ。ま、そりゃそうだよねっ!」


……糸の壁を破ったのは、一本の刀。

柄には誰の手も触れておらず、刀がひとりでに宙に浮いており、その刀身が振り落ろされた。

最早、驚くこともあるまい。

これまで何度も目にしてきた。

物体を操る、涼狐のトイズの力である。


糸の壁が崩壊した瞬間、空蜘とヱ密は即座に飛び出しており。

二人揃って左側、塞がったままである涼狐の右目側から攻め入る。


涼狐「容赦なく弱点を突いてくるか、嬉しいね」


迫ってくる二人に対し、後ろに跳んで距離を取ると。


……その瞳を構えた。



空蜘「あ、やば…」


このままでは掴まってしまう、と。

空蜘は僅かにスピードを緩め。

……ガシッ、と。


ヱ密「…え?」


ヱ密の袖を引っ張り、自分の前へと。

これで空蜘の姿は、ヱ密の体で隠れるカタチとなったが。


ヱ密「ちょっ、空蜘っ…!?」


なんの一声もなく、唐突に投げ出された身。

素早く動き、瞳に捉えられないように抗うも。

既に、トイズの対象となっていたヱ密は。


……吹っ飛ばされる。


ヱ密「ぁくぅっ…!」

空蜘「わわっ、危なっ…」


自分の方へ飛んでくるヱ密をなんとか避けると。

自慢の快足で、涼狐との距離を一気に詰める空蜘。



一方、トイズにより吹っ飛ばされたヱ密の先には。

先程、糸の壁を斬り裂いた刀が待ち構えていた。

……いや、勢いをつけ向かってきていた。


ヱ密「んなっ…!? めっちゃ殺すつもりじゃんっ…!」


涼狐「平気平気。ヱ密ならそれくらいで死なないでしょ」


ヱ密「そりゃそうだけ、どっ…!」


重力無視に後ろ向きのまま、その先に待つのは、刀の先端。

串刺しになるのは御免だ、と。

なんとか身体を捻り、刀の位置を確認する。


ヱ密「こん、のぉっ…!」


そして、強引に右腕を伸ばし。

素手で、刃を掴んだ──。


ヱ密「ぁうっ、痛ぁっ…!」


涼狐「おー、さすがー」

空蜘「そんな余裕かましてていいの?」


この数瞬の間に、すぐ側まで迫ってきていた空蜘。

涼狐の視界が届きづらい右目の方。

更にその下から深く潜り込んでの、一撃。

手には短刀が握られており、その刃を涼狐の腹へと。


……が、手を上から捕まれ、阻まれてしまう。


涼狐「余裕だよ。キミはヱ密ほど強くないからね。遠距離から糸をごちゃごちゃやられたら、ちょっとだけめんどくさいけど」

涼狐「接近してくれるなら、制するのは容易い」

空蜘「チッ……ナメてられるのも、今のうちっ、死ねっ…!」


空蜘は短刀を持たない右手を、軽く開き。

鋭く指を突き立て、涼狐の左目を狙うも。


パシッ──!


簡単に払い除けられてしまう。

そして、涼狐はそのまま腕を伸ばし空蜘の首を掴んだ。


空蜘「ぁ…ぎゅ、ぅうっ……かっ、ふぁ……!」


ググググッ──!


涼狐「ほら、弱い。これで誰よりも先に脱落しちゃうね、残念」

空蜘「ひゅ……っ、ぅ……ぁ……っ、うぅ……っ」



と、そこに。


ヱ密「空蜘っ!!」



少し離れた所から、ヱ密の声。

声の方へ視線を向けると。

なんと、刀が一本、真っ直ぐこちらに飛んできている。

そう、つい先程、ヱ密が掴んだ刀。

それを投げ返したというわけだ。


空蜘「……っ」


先程、ヱ密を盾にした空蜘へのお返しか。

間違って自分に突き刺さったらどうするつもりなのか。


……だが、まぁ、悪くはない。


涼狐の右目の方向から、投げられたそれの存在を。

涼狐よりも僅かに早く、察知した空蜘。


空蜘「ぅ……くぅっ、ぁっ……!!」


手離しそうになっていた意識を、なんとか押し止めて。

力を振り絞り、術を展開。


シュルルルルルッ──!!


これまで器用に編み上げていた空蜘らしからぬ、なんとも乱雑なもの。

細かい制御など、どうでもいい。

この、涼狐を殺れれば。


涼狐「……っ!」


展開された糸は、空蜘もろとも涼狐を縛り上げるように。

一括りに拘束され、身動きが取れなくなった空蜘と涼狐。


……そんな二人の元に迫りくる刀。


……刀が貫くのは、どちらの体か。



涼狐「…あー、どうやらこれは私だね」

空蜘「ぁはっ……そう、だ……脱落するの、は……お前の、方……っ」


このまま何もしなければ、刀は涼狐の体を突き刺す。

命には届かないかもしれないが、致命傷を与えるには充分だろう。

……何もしなければ。

この状態で何か出来るとは考えられないが。

あの涼狐が何も対処を打ってこないというのも、また考えられない。

が、ここまで締め付けられた空蜘の糸を生身の体でどうにかするのは不可能で。


これまで、幾度となく空蜘の術を破ってきた涼狐だったが。

それらは、すべて刃物による斬撃。

ということは、何処からかまた刀でも調達してくるつもりなのか。


空蜘「…っ、そうは、させないっ……!」


糸の拘束により、密着し合った身体を更に押し寄せ。

頬と頬が触れ合うくらいに、空蜘は自らの頭で涼狐の左目を塞ぐ。


涼狐「えっ……まさかそっち系? そういうのは依咒ちゃんだけで足りてるんだけど…」


……と。

この状況においても、まだ軽口を叩く余裕が涼狐にはあった。

しかし、力でどうこう出来るものではない。

トイズも封じられているせいで、刀を操り糸を断ち斬ることも出来ない。


……刀。

そう、刀なら。

ある。

それも、すぐ側に。



涼狐「それ、ちょっと貸してくれる?」


ズドッ──!


空蜘「ぅぎゃっ……ぁ、げほっ、ぁう……っ!」


涼しい顔で、空蜘の腹に膝蹴りを叩き込む。

体の中枢にそれを喰らい、苦悶の表情を浮かべる空蜘。

首を締め付けられようと、決して緩めようとしなかった左手の握力が一瞬弱まった。

……そこに。


涼狐「こんなのに頼らなかったら、私を殺せたかもしれないのにね」


涼狐は空蜘から短刀を奪い取り。


シュッ──!


拘束していた糸を断ち斬った。



……そして。

脱け出す間際で、その短刀を。


ザクッ──!


空蜘「ぁぎゅっ、ぁぁああっ…!!」


空蜘の太股に、突き立てる──。

更に。

……ポンッ、と。

空蜘の体を前へと押し出した。


涼狐「仲間に殺されることになるなんて、可哀想に」


軽い足取りで、糸から脱け出した涼狐。

それに対し、太股に短刀を突き立てられ、ヱ密が放った刀が向かってくる先へとその体を投げ出された空蜘。


空蜘「ぁぐっ、ぅ……はぁっ、はぁっ……ぅぅうっ……!」


止まらない。

刀は空蜘目掛け、一直線に。

術の展開も間に合わない。

場を離れようとするも、激痛のせいで言うことを聞いてくれない。


……終わった。


何も出来ないまま。


刀は、空蜘へと──。






空蜘「ぁ……っ、…………?」



涼狐「ありゃ? 忍者なのに運が良いねぇ」



血が流れることもなく。

悲鳴が上がることもなく。


……幸運にも、刀は空蜘の頬を掠めただけに終わった。



涼狐「…でも、まぁ今度こそ終わりに」


涼狐がとどめを刺そうと、空蜘に近寄った。

と、そこに。


ヱ密「はぁぁぁっ!!」


涼狐「え、なっ…、嘘っ…!?」


刀を放った瞬間から、その足で地を蹴り、二人の元へと。

完全に油断しきっていた涼狐へ。

超至近距離から、ヱ密の拳が襲う。


ズガッ──!!


涼狐「くっ…」


両腕を重ね、防御しつつも。

衝撃をまともに受け止めないよう、咄嗟に後ろに飛び退いてみせたのは。

さすがは天才的な戦闘技術をもつ涼狐といったところである。



涼狐「…ふぅ、今のはマジで驚いた……ヱ密の気配だけはホントわかんない。目離さないようにしなきゃ」




空蜘「ぅ……はぁっ……はぁっ……チッ…」


運が悪ければ、死んでいた。

……それ以前に、ヱ密が援護していなかったら空蜘は。

あのまま首を絞められるか折られるかして、殺されていたかもしれない。



ヱ密「大丈夫? 空蜘」


空蜘「……だいじょーぶ? じゃねーよっ! え、なに殺してくれようとしてんの!? 馬鹿なの!? 正気なの!? 死ぬの!?」

ヱ密「え、えぇー……元はといえば、空蜘が私を盾に使ったんじゃん」

空蜘「それは作戦だからっ…! え、なに、本気でその仕返しのつもりだったの!?」

ヱ密「い、いや……私のも作戦のつもりだったんです……空蜘があのまま涼狐を押さえてくれてたら」


空蜘「……」



……それを言われてしまったら、もう何も返せない空蜘。

確かに、あの時自分が刀を持っていなかったら涼狐を殺せていたかもしれない。

いや、涼狐なら他に別の方法で対処してみせた可能性もあるが。

それでも、あそこまで滑稽な姿を晒すことはなかっただろう、と。



空蜘「あー、もういいよ……はいはい、私が全部悪かったですよー。こっから先は、私よりお強いヱ密が仕切ってくださーい」

ヱ密「……どしたの? 涼狐に何か言われた?」

空蜘「べーつーにー…」

ヱ密「……? まぁいいけど。足の怪我はどう? 動けそう?」

空蜘「もうなんともない」


涼狐に刺された太股の負傷。

糸で縫い合わされ、傷口は隠れているものの、決して浅くはない。

が、この戦いは命の奪り合い。

喩え、膝から下が引き千切れようとも倒れるわけにはいかないのだ。



空蜘「チッ……それにしても、アイツ相変わらず化け物じみた強さ……片目だろうと能力を使おうと使うまいと、素であそこまで強いんじゃねぇ…」

ヱ密「……それでも、涼狐の強さはあのトイズにある。トイズがあるから、素の力も何倍にも生きてくる」

空蜘「そうだろうけどさぁ、片目でも全然変わんないじゃん」

ヱ密「…そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない」

空蜘「…?」


ヱ密「一つ、試してみたいことあるんだけど」


──……。



ヱ密「──ってのはどう? 面白くない?」


空蜘「……めちゃくちゃ微妙」

ヱ密「えー、じゃあ他に何か策がある?」

空蜘「……ない、けど…」

ヱ密「はい、決まりね。私が涼狐のトイズを封じるから、空蜘はその間に涼狐を倒してねー」

空蜘「試したいことがあるって……これほとんど私任せじゃん。いいの…?」

ヱ密「あれ、自信無いの? さっきのでビビっちゃった?」

空蜘「はぁ? 誰がっ! ヱ密が死にそうになっても助けてやんないからねっ!」

ヱ密「頼りにしてるよ。空蜘は私の最大の好敵手なんだから」


……と。

ズバッ──!


第二ラウンド開始のゴングと言わんばかりに。

目隠しに、再度展開していた糸の幕が同じ様に破られる。

その向こう側にあるのは、涼狐の姿。



涼狐「作戦会議は終わった?」


ヱ密「終わるまで待っててくれるなんて優しいね、涼狐は」

空蜘「…その余裕もすぐに消し去ってあげるよ」


さぁ、と。

空蜘とヱ密、二人して突っ込む──。


今度は別々の角度から。

涼狐を正面にして、その右からヱ密。左から空蜘。

大きく回り込んだ空蜘に対し、ヱ密は直線上に涼狐に迫る。



涼狐「……あれ?」


拍子抜けといった様子の涼狐。

……当然、その左目にはヱ密の姿がよく映っている。

何の捻りもなく、奇策でもない。

よって、捉えるのは至極容易、と。


宝石のように、赤い瞳が一瞬輝き。

ヱ密は、トイズに掴まれた。



ヱ密「ぅぐ……くっ……!」


また吹っ飛ばして終わり。

そして、今度こそ空蜘にとどめを刺そう、と。


……が。


涼狐「……っ!?」


シュルルルルッ──!!


吹っ飛ばされる筈だったヱ密の体は、まだそこに残っており。

ヱ密自身がトイズに抗ったのか。

……違う。

種明かし、というほどのものではないが。

ヱ密の体に絡み付いていた、糸。


涼狐「へぇ…」


トイズに抗っていたのは、空蜘の術というわけで。

ヱ密を吹っ飛ばそうとしているトイズが作用するベクトルとは真逆の方向に、糸の圧を掛けている。


……そう、これは。



トイズと術の、単純な力比べである──。



涼狐「考えることがいちいち面白い」


涼狐のトイズが上か、空蜘の術が上か。

用途や経緯など一切関係無く、ただ一つの対象へ及ぼす力。

対象となっているのは、ヱ密で。

そのヱ密を、押す力と引く力。

トイズと術という、紛うことなく異能の力のぶつかり合いだが。

その奥を突き詰めれば、それは腕相撲となんら変わりはない。


どちらの力が上か、ただそれだけ──。



空蜘「くっ……、はぁぁぁっ…!!」


涼狐「ふーん、なるほどねぇ。トイズを使わせないんじゃなくて、使われた後の対策を打ってきたってわけ」



もしも、涼狐が勝てば、その瞳は次に空蜘を捉えるだろう。

反対に空蜘が勝てば、ヱ密を涼狐の元へと一気に引き寄せられ。

優位に展開を運ぶことができる。


……ただ、それもこの策を講じる前にヱ密が言っていたことが間違っていないというのが前提となるわけだが。


今のところ、その様子はない。


空蜘「ぅぐっ……この力っ、まぁ前にあんな大木を軽々飛ばしてたくらいだから、覚悟してたけどっ…!」


涼狐「そっちもなかなか、やるじゃんっ……でもいいの? このまま続けてればヱ密の体、悲惨なことになっちゃうよ?」


……そう、涼狐と空蜘の力比べなのには間違いないのだが。

その力比べの的の中心となっているのは、ヱ密で。

涼狐のトイズはともかく、空蜘の術は糸。

ヱ密を縛り上げているのだから、その糸はきつく皮膚に食い込み、切り裂いていく。

既にヱ密の肌は、所々に血が滲んできていた。


……が、空蜘は。


空蜘「ん、ヱ密? どうなろうがそんなの知らねーよ。私はお前を殺せればそれでいいし。ていうかそもそもヱ密が自分から言ったことだしねー」


涼狐「うわ、その発言引くわぁ……仲間でしょ? もっと大事にしてあげなよ」


空蜘「仲間? さぁ、どうなんだろうねぇ。もし仲間だとしたら尚更、私の役に立ってもらわないと」


涼狐「…私、キミとだけは絶対友達になりたくないかも」


空蜘「そんなの、こっちから願い下げっ…!」



見えない力と力が衝突し、犇めき合う。


……さて、ここまではヱ密の策に添って事を運べている。

理想をいえば、空蜘が涼狐のトイズに打ち勝てばそれが最善ではあったのだが。


この策を進めるにあたって、条件が三つあった。

そのうちの一つとしては、まず空蜘が涼狐に勝てずとも負けないこと。

トイズの力と術の力が拮抗している今、一応それはクリアと言えよう。



そして、条件のもう一つとして──。


……これは、ヱ密の推測。

涼狐の片目が塞がったままであることから、多少なりともトイズの能力の低下、制限が生じてはいないか、と。

最初の攻防の際に、窺っていると。

一つの違和感を覚えた。

ヱ密が吹っ飛ばされた時、待ち構えていた刀。

……よくそれを掴むことが出来たな、と。

もし、その刀が涼狐のトイズの影響を受けていたのなら、あんなに容易く掴めるわけがないのだ。

ということから、感触としてもあの時刀には涼狐のトイズはかけられていなかった。

いや、正確にいえば。

まずトイズで刀を動かした、そしてその後にヱ密をその方へ吹っ飛ばした。

ヱ密がトイズにかかった時には、刀は既にトイズの影響を受けてはいなく、最初の加速度だけでヱ密に向いていただけ。


……という、たった一つの少なすぎる検証例ではあるが。

推測として、導き出されるのは。


今の涼狐は、複数の対象に対してトイズの効果を発揮出来ないのではないか、と。


即ち、今この瞬間にトイズはヱ密だけを対象としている。

よってこれ以上、他のものを操ることは出来ない。

普通に考えればこの状況、ヱ密は身動き一つ取れないのだから。

例えばそこら辺の刀にトイズをかけて、串刺しにすれば済む話なのだ。


……それをしない、ということは。

この推測が当たっているか、それとも。

涼狐が空蜘との勝負を、ただ楽しんでいるからなのか。


まぁそれも涼狐しかわからないことであるから、今はあれこれ考えてもあまり意味はない。


……それよりも。



最後の条件として掲げられるのは。


空蜘が、涼狐に勝つこと──。


これはトイズと術の力比べの話ではなく、その言葉通り。

涼狐も空蜘も、能力を使用しているからといって動けないわけではない。

こうして能力同士が拮抗しているのだから、自ずと接近での戦闘となるわけで。


これこそが、二人の狙っていたもの──。



涼狐「…いらっしゃい。まーたやられにきたの?」

空蜘「違うよ? ……殺りにきたんだよ」


涼狐が扱うトイズの対象が一つだけと仮定しての、この策。

ヱ密がその身でトイズを請け負い、涼狐にトイズを使い続けさせる為に、空蜘の術でヱ密をその場に留める。

そして涼狐と空蜘、互いにトイズと術をこれ以上発動できない状態での近接。

条件は、同じ。


……ここまでして、ようやく。

ようやく、涼狐との純粋な一対一という状況を作り上げた──。



涼狐「ついさっき殺されかけたの忘れちゃった?」

空蜘「えー、そんなことあったっけー? どうでもいいよ、殺すからっ…!」


先に仕掛けたのは、空蜘。

涼狐の右目の下方、視界の外から攻撃を繰り出すが。


驚異的な反応速度で、するりと避けられる。


空蜘「チッ…」

涼狐「性格は捻くれてんのに、攻撃は素直なんだから。可愛いね」

空蜘「うっせっ! さっさと死ねこのっ!」


当然、一回避けられた程度で、手を緩めることはしなく。

手刀や足技を駆使し、息を吐く間も与えることなく涼狐を狙い討つ。


が、しかし。

触れることすら、許さない涼狐。

巧みに回避を続け、空蜘の連撃も空を切るばかり。


空蜘「うぅっ、ちょこまかとっ、うざいっ!」



空蜘とて、決して遅くはない。

が、その攻撃はどうしても涼狐を捉えることが出来ないのだ。

依咒のような五感を研ぎ澄ませる力を持っているわけではないのに、ここまで避け続けられるのは。

それはやはり、トイズの有無以前に、涼狐が戦闘に関して超人の域である故だろう。


策を講じて、作り出したこの一対一の状況。

己の身体のみ。身体能力だけを使っての戦い。


……それでもまだ、空蜘の方が分が悪い。


もしも空蜘とヱ密が逆の役割をしていたら、可能性は広がっていただろうが。

それだとまず、トイズから逃れることすら出来なく。

トイズを抑えての、純粋な戦闘となるとやはりこの配置しか考えられない。


空蜘「…っ、ああもうっ、ムカつくムカつくっ!」

涼狐「あはは、やっぱりキミじゃ、私の相手じゃないよ」


ヒュッ──!


これまでずっと回避に徹していた、涼狐の反撃。

手刀を放ったばかりで、無防備になっている空蜘の胴体へと。

左足をしならせての、蹴り──。


空蜘「くっ、このっ…!」


反応速度なら、空蜘もひけを取っていない。

強引に身体を捻り。

倒れ込むようにしてなんとかそれを避ける。


……と、安堵する暇もなく、直ぐ様上空から飛び掛かってくる涼狐。


涼狐「地べたを這うのがお似合いだよ、蜘蛛さん」

空蜘「…っ、ぁ…くぅっ…!」


なんと空蜘。

体勢が悪いながら、地を転がりこれも間一髪で避け。

転がりつつも両腕で地を叩き、飛び上がってみせた。



空蜘「はぁっ、はぁっ……」


涼狐「さすがだねぇ。今のもだけど、術の方も」



そう、空蜘も涼狐もトイズと術を使用しながらこうして戦っている。

よって、戦いながらもそちらの方への集中も切らすわけにはいかないのだ。

現に空蜘、今の劣勢の間も術への集中を怠ってはいないのは。

涼狐が言ったように、称賛に値する。


空蜘「……どういたしまして。んじゃ、そろそろ本気出そうか、なっ…!!」


唐突に。

涼狐の左目を潰そうと、右手の指を伸ばす。

……が。


バシッ──!


先程と同じ様に、あっさり払い除けられ。

先程と同じ様に、その手で首を狙われる。


涼狐「馬鹿なの? こんなの」


涼狐の腕が空蜘の首を掴む、その直前に。


ガシッ──!


反対方向から伸びてきていた空蜘の左手が、その手を捕らえた。


空蜘「絶対そうくると思ったんだよねぇ……やぁっと捕まえた」

涼狐「…あ、そう。だから?」


涼狐が右腕を振り抜こうとすると。


ガシッ──!


涼狐「……っ」


その右手を捕らえたのは、つい先程払い除けられた空蜘の右手。


空蜘「あれぇ? 何手も先を読むのは得意なんじゃなかったっけ?」

涼狐「あぅ……完全にしてやられたわー……」


涼狐の両腕を封じた空蜘。

そう、ついに涼狐の動きを封じたのだ。

右手と右手、左手と左手。空蜘に押さえ込まれている涼狐。



こうなると、今度こそ本当の力比べ。

腕力の競い合いになるのかと思えば。


……そうではない。


二人が次の手として、考えていたこと。


それは、速さ──。


互いが持つ能力、トイズと術の発動速度である。


ヱ密を対象として展開していた能力を、解除。

そして次のモノへと、向ける。


……涼狐は、空蜘へとトイズをかけようと。

……空蜘は、糸で何かしらの武器を作って涼狐を刺そうと。


二人は、動く。

ヱ密への能力が解除されたのは、まったくの同時。


……ではなく。


そこはさすがの涼狐である。

空蜘に右手を捕まれた瞬間には、ヱ密に使用していたトイズを放棄。

だがそれも、一瞬の極僅かなタイミングの差で。


あとは、発動速度の勝負──。



空蜘「私の方が速いっ、終わりだっ!」



そう、空蜘の術の発動速度は極めて速い。

これまでの戦い方を見てきても、一瞬で武器や防御壁を作り上げられるほど。

この超近接間で、目の前の相手を貫ける槍を作るのは、集中すれば一瞬すら必要無い──。


シュルルルルッ──!


……が、相手はあの涼狐。

戦闘に関しては、達人。

天才的だ。


空蜘「ぁぎゅっ、ぁぁあああっ…!!」


涼狐は。

空蜘に腕を捕まれた瞬間に、ヱ密へのトイズを解除。

それと同時に。

糸で塞がれてはいるが、最初の交戦時に負った空蜘の太股。

その傷口を、足先で抉っていたのだ。


そのせいで、空蜘の集中が途切れ、術の展開が遅れる。


能力を使用していても、動くことは可能。

空蜘が術の展開に集中を注いでいたのに対し、涼狐は同時に相手の集中をも妨げた。


涼狐「勝利が目の前に現れて、焦りすぎちゃったんじゃない?」


その僅かな遅れさえあれば、トイズの発動には充分すぎる。

赤い瞳が輝きを放ち。

空蜘は、トイズに掴まれた──。


空蜘「ぅうっ…、ぐっ、ふざけんなっ、このぉっ…!」



……そして更に。

トイズの解除が空蜘よりも一瞬早かったせいで他に何が起きたか。

押し飛ばそうとしていたトイズと、引き留めようとしていた術。

そのバランスが一瞬でも崩れたことにより。


ヱ密「なっ…、空蜘っ…!!」



引き寄せられるように、こちらに向かってくるヱ密に。


トイズで掴んだ空蜘の体を、衝突させた──。



空蜘「ゃ……やばっ、ぐっ、ぅああっ…!!」

ヱ密「ぁぐっ、ううっ…!!」



……地に倒れ落ちる二人に。



涼狐「さて、次は何を見せてくれるのかな?」



片眼を失っても、尚もその強さは健在。

圧倒的な力を見せ付け、誇る。


二人の前に立ち塞がる、あまりにも大きな敵。


戦闘の天才。


最強の探偵、涼狐──。


──……。



空が振り翳した白杖。

その先に集縮された白い光が。

……不定形な槍となり。



空「──星撃」



蛇龍乃へと放たれる──。



蛇龍乃「また恐ろしいものをっ…」


流星のような、光の槍。

それは蛇龍乃へと近付くにつれ、その光面積は何倍にも膨れ上がり。

人間一人を飲み込んでしまうほどの大きさになっていた。


ただの一線だと判断し、回避に動いていたら。

その時点で決着はついていただろう。

……が。



蛇龍乃「──黒晶壁」


蛇龍乃の周りに、うっすらと黒い靄が浮き上がったかと思えば。

次の瞬間には、蛇龍乃を護るように壁が形成される。



そして、黒壁へ白光が衝突──。



……しなかった。


光が壁へと触れようとした刹那。


なんと、跳ね返される──。


蛇龍乃が展開した黒壁は、鏡のようなもので。

反射された光は、術者である空へとその軌道を変えて。


空「……っ」


少し驚いた表情をみせた空だったが。

冷静に、返ってくる光に杖を向け。


空「…弾けろ」


そう言って、杖を振ると。

光は分裂し、まったく別の方向へ軌道を変える。

その光が向けられた先、それは地上で戦っている忍びたちへだった。


蛇龍乃「おいおい、空…」


自分の前に展開していた黒き壁を、靄へと戻し。

形を変える。

六つの頭を持つ、大蛇に。


そしてその蛇は、地上へ向けられた光を追い。


喰らう──。


しかし、飲み込むことも包み込むこともならず。


……相殺。


光も靄も、弾け消えるカタチとなった。



蛇龍乃「ちょっかいかけんなっつっただろー」


空「いやぁ、ついね。そもそも蛇龍乃さんが跳ね返してくるのが悪いんじゃないですかー」


蛇龍乃「ま、そりゃそうだ。てか、そんなに心配? あの三人のことが」


空「まっさかー。探偵が忍者に負けるわけないしー」


蛇龍乃「なら、余計なことせずに私だけを殺しにこいよ」


空「…そうみたいですね。ていうか、さっきの止めたくらいで調子に乗らない方がいいですよ?」


蛇龍乃「まぁそうだろうね。力を抑えられた環境下にあるからといっても、あの程度じゃ拍子抜けだ。でも本気でやるわけにもいかないって感じかな?」

蛇龍乃「お前の大切なお仲間や、この城。制御を誤るとそこの鈴も巻き添えになっちゃうかもしれないもんね。力が強すぎるってのも考えものだ」


空「そうそう、そうなんですよねぇ。だから退いてもらえません…? 蛇龍乃さんが言えば皆だって大人しく従ってくれるでしょ?」

空「知っての通り、こっちはヱ密の種が欲しいだけなんですよ」


空「戦っても意味は無い。何をやったって貴女たちは地獄に落ちる運命なんだから。町の人たちを虐殺してまで……依咒さんは、私がなんとか説得するから」


蛇龍乃「もうそういう問題じゃないんだよ。気に入らないことだらけだ。お前も、鈴も。それにお前らの、なんたら計画とかいうのも」

蛇龍乃「……教えてやるよ。どんなに人間を超越した強大な力を持っていたとしても、お前は神じゃない」


蛇龍乃「耳障りの良い正義や正論をどれだけ並べたところで、お前らがやってることは真似事の興じにして、ただの冒涜だ」


蛇龍乃「理想を理想のままにしておかず、実行に踏み切ってしまったお前らには、天の獄がお似合いだな」



空「……そうですか。残念です」



空「じゃあ、蛇龍乃さんのお望み通り、殺すしかないですね」


蛇龍乃「殺せるもんならね」


空「半壊くらいなら許されるかな、この城…」



空は天高く、白杖を掲げる。

風も吹かず、腕を揺らすこともなく。


……シャンシャン、と。


鎖が鳴る。



空「さよなら、蛇龍乃さん。里ではお世話になりました」



空「──天撃」



先程の“星撃”とは比べ物にならないくらいの、膨大な光が杖先に集まる。



蛇龍乃「え……ちょ、空、さん……? これはいくらなんでも……」



上空から蛇龍乃目掛けて落とされる、光の固まり。

咄嗟に“黒晶壁”を作り出すも。


蛇龍乃「……っ」


反射など到底不可能な規模の光圧。

破壊すらされることなく。

ただ暴虐的な光に包み込まれ、跡形もなく消失した。



蛇龍乃「あ……これは、本気でやべぇ……」



なにが巫女だ。

こんな殺戮兵器のような禍々しいものを、平気な顔して放ってきやがって。

悪を成敗するという建前の正義さえあれば、何をやっても許されるというのか。

……が、悪として生きてきた身でありながら、そんな文句を垂れるのも甚だ可笑しいか。

と、蛇龍乃は渇いた笑みを浮かべる。


少し、空を侮ってしまっていたようだ。

力を抑えられてまでも、この破壊力は想像を優に越えているし。

それに。

空ならここまでの無茶苦茶は打ってこないだろう、と勝手な信頼を持っていた。


空にとって不利な状況をここまで揃えても、空は易々と私の上をいく。

目算だと、ここで殺せなくとも、下の戦闘が終わるまでは空の相手をしてやられる筈であったのに。


アイツらより先に私が、死ぬ……?


いや、死ぬというより消されるといった具合か。


光に飲み込まれるというのは、どういう感覚なのか──。


それも。


すぐに、


わかること、



か──。



ズドドドドドドドッ──!!!!!!!!




巨大な光の柱が、落ちた。


蛇龍乃が在った場所は、城もろとも。


光の衝撃により。


何も無くなった──。


……初めから、そこには何も存在してはいなかったかのように。





空「…………」


鈴「え……じゃりゅにょ、さん……?」


眩しさで何が起こったか、直視出来てはいなかった鈴だが。

目の前の光景。

蛇龍乃が立っていた場所含め、城の半分が消えて無くなっているのだから。

……予想はつく。


鈴「そ、そら……殺し、たの……? じゃりゅにょさん、を……」

空「そうだよ」

鈴「なん、で……なんで、殺したの……?」

空「あの人が私たちの邪魔をしようとしていたから」


鈴「……っ」


空「……鈴だってわかってるんでしょ。下にいる忍びの皆も、死ぬ」


──……。



東の局──。



御殺「…っ!?」


紅寸「な、なにっ…? まぁ、おかげで、助かったけど……はぁっ、はぁっ…」



突如、鳴り響いてきた轟音。

光が爆発したようにも見えた。

視線を向けると、城が半分消え去っているのだから、目を疑う。



御殺「空さんか……大事な城をこんなにしちゃって」


紅寸「こ、これ……空丸が……?」


御殺「あーあ、頭領さん、死んじゃったみたいだね」

紅寸「…っ、そんなことないっ、蛇龍乃さんが空丸なんかにやられるわけないもんっ!」

御殺「信じたくないかもしれないけど、これが現実。まぁすぐに地獄で会えるよ」


御殺「もう、逃げ回るのも限界でしょ?」


紅寸「……っ、はぁ……はぁっ……まだ、全然っ、余裕っ!」



……既に限界だった。

右手は破壊され、肋骨も何本か折れている。

吐血を伴っていたことから、おそらく内臓も損傷しているのだろう。

満身創痍の体で。

動かすことすら、かなりの苦痛で蝕まれる。



あれからずっと回避に徹してきていたが、捕らえられるのも時間の問題である。

寸前での死線を何度も潜り抜け、直撃だけは免れてきた。

しかし、それを延々と続けられるわけがなく。

足が縺れ、倒れ込んでしまったところに先程の轟音が聞こえてきて。


……あれが無かったら確実に捕まっていた。


が、今の状況も相当に危うい。

動き続けていれば、少しは痛みも忘れられていたが。

一度、止まってしまったら。



御殺「そろそろ楽にしてあげるよ」

紅寸「……っ、うぅ……っ」


紅寸に迫る御殺。

……と、そこに。


立飛「そうだね。これまで頑張ってくれたんだから、もう休んでいいよ。紅寸」


立飛の姿。

今までずっと、御殺の相手を紅寸に任せっきりに、己の回復に努めていた。


立飛「…私もそろそろ働かないと、ね」


御殺「この子にトドメを刺した後に相手してあげるから、もうちょっと待ってて。まぁ立飛を殺すのは依咒さんだから、私は殺しはしないけど……っ!?」


……危ない。不用意過ぎだ、と。

御殺は咄嗟に立飛から視線を外した。

紅寸の相手ばかりしていたせいか、完全に立飛の術のことを忘れてしまっていた。

あの瞳に捉えられてしまったら、それだけで終わりだ。

用心を怠ってはならない。



立飛「……」


御殺が自分から目を逸らしたのを確認して。

……立飛は静かに口元を緩めた。


次の瞬間──。


突如として現れたのは、大量の蝶。

勿論、これは立飛の術によるものだ。

その百近くもの蝶は、御殺と紅寸の元へ群がる。


御殺「…なんなの、こんなので目眩ましのつもり?」


紅寸「蝶……もしかして」


立飛の方を向く紅寸。

そこにあったのは、何かを語りかけるような、寂しげな。


……そんな瞳。


それと、“もう休んでいいよ”とさっきの言葉。



紅寸「……うん」


これまで何年も一緒にいたのだ。

それだけで、立飛が何を伝えようとしているのか、わかった。

……そして、自分が今何をするべきなのかも、自ずと。


御殺「もうっ…!」


群がる蝶。

無視してもよいのだが、それを払い除けつつ紅寸に迫る。


……が、そこで御殺はあることに気付いた。


この蝶。

ただの蝶ではない。


御殺「…っ、この匂いって…」

紅寸「そ、火薬」


そう、立飛はこの蝶全てに。

その羽に、火薬を仕込んでいた。

ただ舞っているだけで火薬は降りかかる。

腕を振り回して蝶を払おうとすれば、更にだ。


しかし、いくら火薬が充満していても。

火種が無くては意味を為さない。


御殺「くっ…!」


……御殺は直ぐ様、この場を離れようとするが。


紅寸「あははっ、道連れだ。喰らえっ!」


立飛のこの策にいち早く気付いていた紅寸。

その手には、くないが二本。


それを躊躇なく、擦り合わせた瞬間──。



バァーーーーンッ──!!!!!!!!



生じた火花と、火薬が交わり。

爆発が起こる──。



立飛「…………」



……殺ったか。

いや、あの御殺がこれくらいで死んでくれるわけがない。

紅寸はどうだろう。

今の爆発で死んでしまったのだろうか。



煙が立ち込め、まだ視認出来ないが。


……一応、まだ予備の策はある。

御殺が生きていたとしても、あれを喰らって無傷とは考えられない。

いつでも仕掛けられるように、準備をしておかなくては。


……と、そこに。


立飛「なっ…!?」


煙を突き破って、超速でこちらに接近してくる人影。

……御殺だ。


御殺「今のは効いたよっ、どうやら狙う順番を間違えてたみたい…! 一番最初にお前から潰しておくべきだったねっ…」


油断していたわけではないが。

完全に虚を突かれた──。


迫ってくる御殺から逃げようとする立飛。

しかし、今の術での消費、そして予備の策として使用している術の消費から活動値が低下している状態。


……これは、逃げられない。


ズドッ──!!


立飛「ぐぁっ、ぅぁああああっ…!!」


防御の上から、御殺の拳が立飛を貫く。


ミシミシッ──!


初めて戦った時と同じだ。

間違いなく、両腕とも壊された。

だが、意識だけは手離してはならない。

これを失ったら。


……完全に終わってしまう。



立飛「……ぅ……あ、ぐぅ……ふぅっ、ふぅっ……ぁ……」



……辛うじて、意識だけは保つことが出来たが。


御殺「殺せないのが残念だよ…っ、間違って殺しちゃうと依咒さんに怒られちゃうから…」

立飛「ふぅっ…、ふぅっ……ぅう……っ、このっ、化け物、めっ……」

御殺「そうでもないよ……っ、今のは、ちょっと辛かった」


全身を負傷していることから、まったくダメージが無いというわけではない、が。

こうして活動している時点で。

充分に、化け物じみている。



御殺「とりあえず……もう一発だけ殴らせて…? 多少は加減するけど、くれぐれも、死なないようにね」


立飛「ぅうっ……はぁっ、はぁっ……ぁ……っ」



もう手足を動かせる気力が、残っていない。

……どうする。

こればかりは、どうしようもない。

予備の策を使うにも、この状況じゃ。

そもそも間に合わない。


今度こそ、終わった──。


……ごめん、紅寸。



……蛇龍乃さん。


また、褒めてもらいたかったのになぁ。


いつもみたいに。


“よくやったぞ”って。


……その声が、聴きたくて。




御殺「正直、よくやったと思うよ。忍者がここまで……。向こうが終わるまで、眠ってて」



御殺の拳が振り上げられ。


立飛に、落とされる──。


……と。



ガブッ──!


御殺「ぁうっ……えっ?」



御殺の首筋にぶら下がっているのは。

……紅寸だった。


引き千切るくらいの勢いで、歯を立て。


血を、吸う──。



御殺「うぁっ…くっ、このっ、離れろっ…!」


御殺に捕まれる寸前で、吸血を諦め。

飛び退く紅寸。


紅寸「はぁっ、はぁっ……もう結構吸えたから、これで……あははっ…」


御殺「ぅ……あっ、あれ……っ」


……クラっと。

御殺の視界が揺れる。

血を吸われたことによるものだ。


紅寸「……立飛から、離れろっ…!」


ズドッ──!


御殺を蹴り飛ばす──。

硬化が働いているので、ダメージは無いに等しいにしろ。

バランスを失って、倒れ込む御殺。



紅寸「立飛っ、大丈夫…!?」


立飛「ぁ……くすん、生きて、たんだ……?」

紅寸「死にかけたけどね……今のでちょっとだけ、元気になった。術の効果が切れたら、どうなるかわかんない、けど……はぁっ、はぁっ…」


立飛「……怒って、ないの…? わたし、紅寸を……っ」

紅寸「なに言ってんの…、あれで怒る忍びなんて、いるわけないでしょ…?」

立飛「はは……安心した……じゃあ、さ……いいよ、私のも」


立飛「…血、吸って……アイツ、を……」



立飛は、予備の策として注いでいた意識の“ほぼ”全てを自分へと戻した。

これで多少なりとも、紅寸へ与えられる血の限度を増やすことができるというものだ。


紅寸「い、いいの……?」


立飛「いいよ、もうどうせ、私動けないし……持ってってよ」

立飛「あ、でも……私の意識が無くならないギリギリまでに、しといてね……」


紅寸「……わかった」


……立飛の首に、歯を落とす紅寸。



立飛「ぁ……ン、くぁ……はっ……ぁ……っ」



……血を与え終え、薄く意識は残っているが。

これ以上の戦闘は不可能だろう。

全身の力が抜け、眠るように崩れ落ちる立飛。



立飛「……くすん、……がん、ばって…」

紅寸「うん……無駄にはしないからね、立飛」



立飛もだが、紅寸とて戦える時間は多くは残されていない。

この術の効果があるうちに。

なんとしてでも、御殺を倒さなくてはならない。



紅寸「これが最後……さぁ、やろうか」


御殺「本気で終わらせてあげる」


紅寸と、御殺。

二人とも爆発で負傷したその身を動かし、相対する。

御殺の血を吸って、一時的に能力を高めた紅寸。

その反対に、血を吸われた御殺。

たが、元々の能力差からして今の紅寸が御殺を凌いでいるかといえば、そうではないだろう。


……それでも、負けるわけにはいかない。


血と一緒に、立飛の想いも受け取った。


だから、必ず倒してみせる──。



紅寸「はぁぁあああっ!!」


御殺「死にぞこないに何が出来るっ…!」



逃げも隠れもせず。

その身を御殺へと向かわせ。

勝負を決めにいく紅寸。


紅寸「…あんたを、倒すことかな」


振り抜かれた御殺の拳を、身を屈め。

避ける──。


御殺「なっ…!?」



御殺の目には、一瞬紅寸が消えたように映った。

……速すぎる。

あんな、いつ活動が停止してもおかしくないほどの、ボロボロの身体で。


紅寸「…限界はとっくの昔に越えてる。だから私は、一番速く動けるのだっ…!」


懐に入り込んだ紅寸。

がら空きになってる御殺の胴体へと。

掌底を、叩き込む──。


……が。


メキッ──!


紅寸「あぁぐっ…! 痛ぁーっ!」


いくら爆破により傷を負っているからといっても。

硬化は健在。

……よって、自滅。

紅寸の左の手首は、破壊された。




立飛「…………アホだ」


あまりに考えなしの紅寸の行動に。

……目眩が襲ってくる。

残った僅かな意識さえ、うっかり手離してしまいそうになる立飛だった。


紅寸「っつぅーっ…、忘れてた、この人めちゃくちゃ固いんだったっ……なら」


御殺の体は、鋼鉄のように固い。

どんな衝撃を与えても、それは通ることはなく。

逆効果。自らに跳ね返ってくる。

……だが。

鋼鉄のように固いからといっても。


鋼鉄ではない──。


現に、紅寸がこうして戦えているのは。

御殺の血を吸えたからで。

そう、間違いなく、歯は通った。


と、いうことは。



紅寸は、くないを手に。

それを御殺へと、突き立てた──。


ザクッ──!


御殺「ぅぐっ…!」


しかし、浅過ぎる。

両手が壊されていなかったら、もっと深く抉れたというのに。


御殺「このっ、うざいっ!」

紅寸「くっ、ぁ……しまっ…」


払おうとした御殺の腕を、直撃は回避したものの。

……完全には避け切れず。



紅寸「あぅっ……はぁっ、うぁ……がっ……」


掠らせることすら、命取り。

皮一枚触れた程度でも、この衝撃だ。

ダメージは確実に蓄積され、動きも鈍くなるのは避けられない。


……それでも、足は止めてはならない。

捕まったりしたら、それこそ命奪り。



紅寸「はぁっ、はぁっ、はぁっ……」



距離を取り、御殺がすぐに追ってこないのを見て。

静かに呼吸を整える。


刃が有効なことは確認出来た。

先程のように、懐に入り込んでまた同じことを。

……今度は、首元を切り裂く。


地面に転がっていた折られた刀の刃を拾い上げ。

握り締める。


紅寸「…っ、っう……っ」


柄は失われているから、当然持ち手となった刃が右手の肉を斬った。

……ぽたぽた、と。

血が滴り落ちる。



紅寸「はぁっ、はぁっ……ぅ…げほっ、げほっ……!」



……思ってたより、ずっと。


術を使って活動できる時間は、短かったみたい。


痛みを捨てたら、きっと倒れてしまう。



次の攻撃で、最後。


それを終えたら、私は力尽きて動けなくなるだろう。


……だから。



紅寸「あんたを、確実に殺す」



……相討ち覚悟で。


もし自分が失敗すれば、立飛も間違いなく殺される。


確実に、仕留めなくてはならない──。


この体がどうなったとしても、守らなくては。


立飛を守れるのは、自分だけだ。


……大丈夫。

自分なら、出来る。

御殺だって少なからず疲弊しているし。

なにより、スピードなら今の自分が上だ。





紅寸「──探偵、覚悟っ!」



刀を手に、御殺へと超速で突っ込んだ──。


跳ぶように、瞬く間に距離を詰める。


術のリミットも間近、満身創痍の体を奮い立たせ。


先程を越える、速度で。


ぐんぐんと、御殺に迫る──。


紅寸「だぁぁぁああああっ…!!!!」


御殺「…身体能力だけじゃなくて、頭の方の性能も上がればよかったのにね」


紅寸「…っ!?」



ズシャァァッ──!!


御殺が、足元の地面を蹴り梳る。


と、大量の土砂が紅寸へと降り注ぎ。

紛れていた大小様々な石も、勢いをつけて打ち付けてくる。


紅寸「ぅぐっ、ぁあっ……ぐぅぅっ…!!」


が、紅寸。

これに怯むことなく、前へ前へと。


土砂の雨を、突き抜け──。


意地になって、御殺へと迫る。



……しかし、迫っていたのは紅寸だけではなく。

御殺も同じく。

紅寸へと向かってきていた。



最初の計算より、数瞬早く。

至近距離に持ち込まれた。


……が、やることは変わらない。


この手に持つ、刃で。


奴の首を切り裂くだけだ──。




紅寸「死、ねぇぇぇぇっ──!!!!」


御殺「はぁぁぁぁっ──!!!!」



……御殺からしてみれば。

紅寸の狙いは手に取るようにわかっていた。


このように、相討ち狙いで仕掛けてくるのなら。

確実に急所を突いてくる。

……首か、心臓か。

おそらく首だろうが、それはどちらでも構わない。


何故なら。

刀が振り抜かれる前に、その刀を持つ腕もろとも破壊してしまえばよい話だからだ。

いくら紅寸のスピードが自分を上回っているからといっても。

腕の出所を捉えるのは、そう難しくない。



握り込んだ左手を。

紅寸の、刀を持っている右手に標準を定め。


そして、右手は、紅寸にとどめを刺す為に──。




御殺「…惜しかったね。忍者ならもっと頭を使わないと、勝てないよっ!」


御殺の左手が、紅寸の右腕を捉え。

破壊した──。


ガツッ──!!


紅寸「ぅうぁっ、ぁぁああっ…!!!!」



……が。



御殺「え……なっ……!?」



なんと、紅寸の右手には、刀は在らず──。



紅寸「…ふふっ、珍しく頭を使ってみた」


そう、紅寸は直前の土砂の中で。

刀を左手に持ち替えていたのだ。


御殺「し、しまっ…」



刀は、御殺の首へと真っ直ぐに伸びる。


……これは、間に合わない。


避けることが、間に合わないのなら。


首を刺される前に、紅寸を吹っ飛ばす──。




……刀が首を切り裂くのが先か。


……それとも、拳が届くのが先か。




紅寸、御殺「「死ねぇぇえええええええっっ──!!!!」」





──


────


──────




……ドサッ、と。


倒れ落ちる、音。


地に伏すこととなったのは。





紅寸「……ぁ……っ、ごめ、ん……りっ、ぴ……ぅあ……ぁ……っ、ぁ…………────」



……紅寸だった。




【紅寸、戦闘不能】



御殺「ぁ……うぅっ、はぁっ……はぁっ……くっ…」



……ぼたぼた、と。

ぱっくり開いた首の傷口からは、夥しいほどの出血量。

手で押さえ、呻く御殺。



紅寸の刀は、届いていた。

御殺の拳が紅寸を捉えるのと、まったくの同時だった。


……少しでも、刀の入る角度が違っていれば。


御殺も、死んでいただろう。


ただ運が良かった。

偶然に、命を拾った。


……違う。


これは、必然。

自分たち探偵は、正義の名の元に。

天に愛されている──。


こんな博打勝負で、神が忍びなんかに味方するわけがないのだ。



……そして。

最後の仕事、と。



御殺「はぁっ……はぁっ……」


御殺は、動けずいる立飛のもとへゆっくりと足を運ぶ。



御殺「お待たせ…」


立飛「……っ、くすん、は……」


御殺「死んだよ。見てなかったの…?」


立飛「……私も……殺す、の……?」


御殺「殺さないよ……私は。でも、依咒さんに殺される。死ぬよりも恐ろしいかもね」


立飛「……そう、安心、した……」


御殺「ここで殺された方がマシだったって、後になって絶対に後悔するよ」


立飛「…………くく、っ……あはっ…は……っ」


御殺「……? なに……術は、使わせないけど」



ググッ──!


この期に及んで、笑みを溢す立飛に。

そのこめかみを掌で掴んで、瞳を塞ぐ。


立飛「ぁ…ぐっ、ぁあ……ぁっ」


御殺「殺しはしないけど、ちょっと眠っててもらうよ」



……と、手に力を込めようとする御殺に。



立飛「……っ、涼狐……」


立飛「……そんな、にっ、恨まれてたんだ……私……あははっ…」


御殺「……そうだよ、あんたの罪は大きすぎる」


立飛「…あの時、殺しておけば、よかった……っ、知ってるでしょ…? 私の術なら、確実に、涼狐を……殺れた」


御殺「……」


立飛「どうして、私が、そうしなかったか……わかる……?」


御殺「…あんたも死ぬから」


立飛「…っ、せいかい……目を潰す、毒じゃなくて……命を奪う毒、だったら……死んでたよ? 涼狐は…」


御殺「……依咒さんの前でそんなこと言ったら、ヤバいじゃ済まされないよ…?」



立飛「ははっ……そんな、極悪人のわたしを、あんたは殺さないんでしょ……殺せ、ない……っ」




立飛「私を殺せないのが、あんたの敗因だ……っ」





掌で隠れている立飛の瞳が、淡く緋色に染まっていることを。


……御殺は知らない。



立飛は、紅寸に血を与える前に。

散らばしていた意識のほぼ全てを自分へと戻した。

より多くの血を与える為には、少しでも精神を保てなくてはいけないから。


……その時戻した意識。


……“ほぼ”全て。


“ほぼ”、ということは。



1%──。



それだけを残したまま。


立飛は、術の使用状態にあった。


今もだ。



立飛「……敵を前にして、殺さないとか……甘いんだよ、あんたは」



……プスッ。



御殺「ぇ……な、ぁ……っ……こ、これ……」



一匹の蜂。

その尾には、毒針を仕込ませて。

紅寸によって、開かれていた首の傷口へ。


その毒針を、突き刺した──。



立飛「私、が……もう、何もできないって、油断してたでしょ……? ばぁか……っ」



御殺「ぁぐぁ……ぎゅ、ぅう……ぁぁ、かっ……ぁ……、……────」




……呆気なく。

終わってみれば、あまりにあっけなく。


御殺は、倒れ落ちた──。



立飛「ぁ……うぅっ、はぁ……やっ、た……たおした……」



立飛「わた、し……、がんばった、よ……っ……はぁ……はぁっ……」





……蛇龍乃さん。



……私たち、あの探偵を倒したよ。



……見てて、くれた?



……ねぇ、褒めてくれる?



……蛇龍乃さんに、言われた通り。



……わたし。





『よくやったぞ。立飛、紅寸』




どこからか、そんな声が聴こえた気がして。




立飛「…………うん」



……立飛は、静かに瞳を閉じた。





【御殺、戦闘不能】


【立飛、戦闘不能】


──……。



西の局──。



鹿「ヤバい」

牌流「…うん」

鹿「とりあえずヤバい」

牌流「うん」


……仕切り直してから、二人は幾度となく遠距離からの攻撃を仕掛けていた。

が、しかし。

くないや手裏剣を放っても、あの変幻自在の鞭技でどれも呆気なく弾き落とされてしまう。

炮烙玉や煙幕を使おうにも、共に視界を奪われた状況に立てばどう考えても鹿たちが圧倒的不利に。

中距離ではあの鞭が襲ってくる。

近距離では、鉄扇が。


鹿「あの女のトイズっていうの? あれ、反則でしょ! あんなの持ってたら何したってこっちが後手に回っちゃうじゃん!」

牌流「……うん」

鹿「唯一太刀打ちできるとしたら、この影だけど……それも」


そう、いくら依咒とて、音も無く動きも朧気な影を見極めるのは容易ではない。

だが、影というものはその本人の足元から伸びているものであって。

それが及ぶ範囲は、自ずと鹿の立ち位置によって決まる。

よって、影を使って依咒をどうこうしようとすればどうしても接近しなくてはならないのだ。

が、先のように鞭を封じたとしても近接で依咒を上回れるとはとても思えない。



鹿「なにか、考えないと……っ」


と、そこに。


牌流「私に任せて。鹿ちゃん」

鹿「え…?」

牌流「一つ、考えがある」


……忍びの七人の中でも、牌流の身体能力は最も低い。

単純な身体能力だけで強さが決まるわけでもないのだが、しかしその術もこうして向かい合っての戦闘ではあまり効果の薄いもの。

自分ですらまるで歯が立たない相手に牌流が何か出来るとは到底思えない、と鹿は不安に思っていたが。


牌流「この牌ちゃんにお任せあれっ!」

鹿「お、おう…」



自信満々にそう言って牌流は、何を構えるでもなく。

ただ無防備に依咒へと近付いていく──。


依咒「……?」


ただ自ら殺られにいっているようとしか思えない牌流。


実は今まで実力を隠していて、本当はヱ密を凌ぐほどの手練れで。

鞭が飛んでこようが、鉄扇で斬りつけられようが、トイズで動きを読まれようが。

そんなもの問題ではないくらいの戦闘能力を持っている。


……わけもなく。


牌流は一つ、術を使用していた。

牌流の術は、他人の姿に化け、自らを偽装するというもの。

しかし、こんな戦闘の真っ只中。

それに、依咒ほどの強者であるならばそんな偽装など瞬時に見破ってしまうだろう。


……それでも、牌流には考えがあった。



今、牌流が偽装しているもの。


それは。


鈴、いや、涼狐の姿で──。



牌流「依咒ちゃん……私、痛いのやだなぁ」



そう、あれほど涼狐に対して情を携えている依咒だ。

牌流の偽装とわかっていても、簡単には攻撃できない筈。

そうこうして依咒が戸惑っている隙に、一突きで殺すという算段だ。



牌流「ねぇ、依咒ちゃん。私ね、依咒ちゃんのこと大好き……だから、私と」


牌流がその足を一歩一歩、依咒へと向かわせる。


……と、そこに。


ヒュッ──!


バチンッ──!!


牌流「きゃっ、ふぎゃっ…!!」


……一切の躊躇もなく、飛んでくる鞭。



依咒「気持ち悪いっ!」



牌流「うぅ……痛い、痛いよぉっ……ぐすっ……」


鹿「……ヤバい。アホすぎてどうしたらいいの、この子」


牌流「……っ、…私、だって……」


ヒュッ──!


鹿「…っ、危ないっ…!」


鹿は咄嗟に牌流の前に立ち。

襲ってくる鞭を、影で迎撃。

が、掴むことは難しく弾くだけで精一杯。


鹿「ぼーっとしないでっ!」

牌流「ご、ごめん…」


依咒「あんたたちと戯れるのもそろそろ飽きたし、終わらせるわ」


依咒は鞭を振り回しつつ、二人に迫る。


鹿「……っ」


いよいよ依咒が、自ら仕掛けてきた。

……これは、少々というかかなりマズイ。

先程のように、あの鞭を影で捕まえていたらまだ鉄扇に対してなんとか応戦できたが。

さすがに影でその都度鞭の相手をしつつ、近接間での戦闘ともなると。


牌流「私がっ!」


そこに飛び出したのは、牌流だった。


短刀を抜き、依咒へと接近戦を挑む。


鹿「ちょっ、牌ちゃんっ…」


依咒「自分からわざわざ殺されにきたの? 役立たずなら役立たずらしく、震えてればいいのに」


牌流「…っ、私だって、戦えるっ! はぁぁぁっ…!!」


逆手に持った刀で、依咒を討とうとするが。


バシッ──!!


牌流「あぐっ…!」


鉄扇を動かす必要すらなく。

鋭い蹴りが、一閃──。

その手に振り抜かれ、牌流は刀を溢した。


依咒「可愛い子を殺すのは惜しいけど、邪魔をするなら」


牌流「あ……っ」


牌流の目の前で、光る銀色の刃。

開かれた鉄扇が、首を斬り落とそうと。

水平に、振られた──。


シュッ──!


牌流「…っ」


あまりの速さに、何も出来ず。

ただ処刑されるのを待っているといった、呆然と立ち尽くす牌流に。


鉄扇の刃が。



グシュッ──!!



鹿「ぅああぁぁぁっ…!!!!」


牌流「……え?」


牌流を庇い、その身を挺して。

刃は、鹿の背中を深く抉った。



鹿「ぁあっ、ぐぅっ……ぁ……はぁっ、はぁっ……!」


牌流「し、鹿ちゃ……ぁ……っ」


鹿の辺りには、水溜まりを作るほどの大量の血が流れ出ていて。

……自分のせいで、こんな。

その光景に、青ざめる牌流。



依咒「そんな役立たずと組まされるなんて、お気の毒。ま、殺す順番が変わっただけか」


……今度こそ、鉄扇は。

倒れたままの鹿の首へと。


シュッ──!


確実に、殺される。

そう思い、目を閉じた牌流だった。

……が。


ガシッ──!


依咒「え?」



鉄扇は、鹿の首に届かず。

鉄扇を持つ依咒の腕には、影が巻き付いていた。


依咒「…ふーん、まだそんな力残ってたんだ」

鹿「はぁ……はぁっ、まぁ、ね……っ、しぶといだけが、取り柄ですからっ…」


……しかし、どうやって。

と、依咒は少し疑問に思っていた。

自分のような五感強化を持っていない鹿が。

後ろも振り向かず、鉄扇の位置を把握。

首を狙ってくるだろうという予想がたまたま当たっただけか。


依咒「…ふふっ、しぶとい人は好き。だって痛ぶりがいがあるから」


依咒は、鹿の頭を蹴り飛ばそうと。

右足を動かした、その瞬間に。


ガシッ──!


依咒「……!?」


左腕に巻き付いていた影が、鹿を支点に二つに分かれ。

依咒の右足を押さえるように、巻き付く。


……偶然じゃない?



鹿「…ははっ……やっと、追い付いた……術の特性上、他人の影を見るのも、得意でね…」



依咒が繰り出す技の速度は、恐ろしく速く。

それを目で捉えての対処を、身体に伝えていては間に合わない。

だから、鹿はその技を目で捉えるのは止めた。

代わりに、地に這う影を追う。

相手がどんなに巧みな技を使おうが、影だけは誤魔化せない。

影とは、極僅かな些細な揺らぎですらも。

鏡よりも有りのままに、そのカタチを映す。


……とは言っても、それは容易なことではない。

その影の揺れが、意図的なものかそうではないものか。

更にいえば、陽の射す角度、雲の動き、空気中の分子量の変化、等。

それら全てを考慮したうえで、演算して導きだすことは、とても不可能。

しかし、今の今まで依咒の影を観察し続けてきた鹿なら。

その九割方は可能にあった。



依咒「影を追って、私の動きを読んだってこと? へぇ……面白いね」

鹿「やっと、少しは楽しませてあげられるかな…っ」

依咒「それでも、その芸当がいつまでもつか」


依咒が左足を動かそうとすると。

影がまた分かれ、その足を封じる。


依咒「まぁそうくるよね。自分の影を自在に操れる……でもそれってさぁ、一を三つに分けてるだけでしょ?」


……そう、依咒の言う通り。

いくら影を無限に分散させたとしても、一つの力を割っているにすぎない。

即ち、その分散量が増えれば増えるほど。

一つに掛けられる力は、減っていく。



依咒「こんな風にっ!」


ググッ──!!


依咒が力を込め、右足を振り抜くと。

それまで縛っていた影が、解かれ。


鹿「そんな弱点くらいっ、わかってるからっ…!」


ガシッ──!!


左腕への影を解除し、その力で右足を再び縛り付ける。

と、なると。

次に鉄扇を持つ左腕が自由になるわけだが。

それが自分に向けられると、目標を左腕に変えて影を動かす。

向けられる攻撃の方向が変われば、それに合わせ影を動かすという。


……ひたすらその繰り返しだ。



依咒「あー、イライラするー……すぐ近くに殺せる相手がいるっていうのに、殺せないとか」


鹿「はぁ……はぁっ……ぅ……ぁっ」



今のところ、通じてはいるが。

どれもギリギリの状況の連続だ。

……集中を途切らせてしまえば、終わる。

……一度でも読み違えれば、殺される。


依咒の攻撃をなんとか凌いではいても。

鹿自ら、攻撃に打って出ることはない。

何故なら、影を追うだけで精一杯で。

余計なことを考えれば、依咒を凌ぎ続けられないからだ。


……と、いうことは。

依咒を討てるとしたら。



牌流「…私が……っ、殺す……殺してやるっ! はぁぁぁっ!!」


刀を手に、依咒に迫る牌流。


依咒「……ふふっ、ホント役立たずがいると困るよね」


笑みを浮かべる依咒。

鹿の術、影が向けられる位置を腕に移させると。

自由になった足を運び、体の位置を変えた。



鹿「し、しまっ……牌ちゃんっ…!!」


鹿への攻撃ではなく、僅かに移動しただけ。

腕は隙あらばと、鹿を狙っているのだからその影を解くわけにはいかない。


依咒が何を狙っているのか。

鹿も気付いていた。

当然だ、自分の術なのだから。


気付いていないのは、一人だけ──。


元いた位置より、僅かに動いた所に。

牌流が襲い掛かる──。


鹿「だ、駄目っ、来るなっ…!」

依咒「もう遅い」


牌流「死ねぇっ…!!」


牌流が刀で依咒を討とうとした時──。

接近してきた牌流の影によって。


……鹿の影が、消える。


その瞬間、依咒への影を使っての制御が全て解かれてしまった。


依咒「ばーか」


牌流「え?」


ズドッ──!!


牌流「ぐぁっ…!!」


自由になった依咒が、その足で牌流を蹴り飛ばす──。

術を消された瞬間に、もう制御を諦めていた鹿は。


鹿「くっ、このっ…!!」


刀で依咒を狙おうとするが。


キーンッ──!


これまた鉄扇によって阻まれる。

……そして。


ドカッ──!!


鹿「うぁぁっ…!!」


牌流同様、腹のど真ん中に強烈な蹴りを喰らい。


吹っ飛ぶ──。




鹿「げほっ、げほっ……ぁぐ、ぁ……っ、はぁっ、はぁっ…!」



依咒「いやー、残念だったね。千載一遇のチャンスだったのにねー」

依咒「馬鹿なお仲間のせいで、痛い目に遇い続けて。ちょっと可哀想に思えてきたわー」


依咒「…ねぇ? 助けてくれてありがと。もしかして、私らの仲間になりたかったり?」


牌流「……っ」



……何をやってる、私は。


鹿を助太刀するどころか。


なんの役にも立てなくて、足を引っ張って。


挙げ句の果てには、邪魔をして。



牌流は、忍びである。

忍びとして、今まで生きてきた。

しかし、戦闘の経験は皆無に等しい。

そういった任務を与えられることも、これまで殆んど無かった。

それに、自分の術は戦闘向きではない。

こんな生死を賭けた戦いなんて、今にも仲間が殺されてしまいそうな状況をこの目で間近で見るのは。

初めてで。


……わかってた。

自分が一番弱いことなんて。

役に立たないことなんて。

ここにいるのが、自分じゃなくて他の誰かだったら。

誰でもいい、自分以外だったら。

依咒を討てていたかもしれないのに。


……どうして。


……どうして、私はここにいるんだろう。


……なんのために、ここにいるんだろう。



牌流「…っ、うぅっ……なんで……なん、で……っ」



依咒「……そんな泣いちゃうくらい殺されるのが怖いなら、見逃してあげてもいいよ?」


依咒「ただし、その手でアレを殺せたらね」



そう言って、依咒が指差したのは。

地に倒れたまま、痛みに悶える。

鹿の姿だった──。


──……。



一方、その頃。

中央の局では。



シュルルルルルッ──!



空蜘が糸で作った小槍を乱射。


ズダダダダダッ──!!


涼狐「はっ!」


トイズを使うまでもなく、飛び退いて回避してみせる涼狐。

そこに。


ヱ密「次は私とやろうよ、涼狐」


涼狐「いいよ、でもここまで来られたらね」


涼狐の赤い瞳が輝き。

トイズにより、掴まるヱ密。


ヱ密「ぅくっ…!」


毎度のことながら、物体操作の力で吹っ飛ばされる。

……が、今回はというと。


涼狐「っ、……」


ヱ密のすぐ後ろには、網が張られており。

そう、空蜘は槍を放った直後にこうなることを予想して。

ヱ密を受け止める為の網を展開していた。


涼狐「へぇ、まぁたまには相手してあげよっかな」


先のように、空蜘の術に対抗して、そのままヱ密を捕らえておくことも出来たが。

涼狐はトイズを解除。

ヱ密との接近戦を受け入れる構えをみせた。



ヱ密「…ん、随分とお優しいことで」

涼狐「どうせトイズがなかったら私に勝てるとか勘違いしてるんでしょ? その間違った認識を改めさせてあげるよ」

ヱ密「それはどうも、こうしてまともに戦うのは、二回目かなっ!」


涼狐に接近しつつ、地を蹴り上げ。

跳ねるように体を回転させながらの、回し蹴り。


ヒュッ──!


だがそんな大技、涼狐が触れることを許す筈がなく。

楽々と避け、着地間際のヱ密を狙い腕を出そうとするが。


涼狐「……っ」


出しかけたその腕を引っ込め、距離を取るように後ろに飛んだ。



ヱ密「仕掛けてきてくれなかったんだ? 残念」


涼狐「捕まったら力では敵いそうにないからね」



腕力、衝撃、単純な力の強さではヱ密は涼狐を凌いでいるだろう。

くわえて、その戦闘技術も申し分無く。

紛れも無く、ヱ密は強者である、と涼狐も認めていた。


涼狐「…まぁヱ密がここにいる忍者のなかで一番強いよね」



……だからこそ、涼狐は対抗意識を燃やしていた。



最初に交戦した時。

ヱ密と空蜘、二人を相手に圧倒的勝利をおさめた涼狐だったが。

一度だけ。

防御の上からではあったが、ヱ密に一撃与えられていた。

……そのことを、少し不満に思っているようで。


涼狐「言っとくけどあれは私、トイズ使いながらだったからね」

ヱ密「あれ…? ああ、里でのこと」

涼狐「純粋な一対一で私と張り合えるとか思われてるのはなんだかなぁ……どういうわけかヱ密は術を使ってこないみたいだけどさ、なんなの?」

ヱ密「……」

涼狐「戦闘では役に立たない術ってこと、だよね? ここまで何度も私にやられてるのに、まったく使う素振りすら見せないのは」

ヱ密「さぁ? 私は忍び、正々堂々と戦ったりしないから……奥の手は隠しておかないと、ね」


涼狐「……なんか変なの」


ヱ密「へ?」


涼狐「ヱ密はこの人らのなかで一番正々堂々としてると思うし、そんな奥の手があるなら勿体ぶりすぎでしょ」


涼狐「うん、今ので確信した。ヱ密は奥の手なんか隠してない。私を警戒させるためのただのブラフ……残念でした、見抜かれちゃったね」


ヱ密「……まぁブラフであろうとなかろうと、ここで肯定しても否定しても私にはまったく得は無いからノーコメントで」


涼狐「うん。いいよ、それで。私は探偵。曝けないものは無いから、お見通し」

涼狐「術を使えないのは持ってないからじゃないんだろうけど。それは戦闘の役には立たない術……だからヱ密は術に頼ることなく、己の力だけで強くなる必要があった」


涼狐「それがヱ密の強さの理由、かな」


ヱ密「ははは、どうだろうねー?」


涼狐「ん、なんでもいっか。そんなこと。どうせ何をやったって私が勝つんだから」

涼狐「さっき蜘蛛の人の術とはトイズで戦ってあげたから、ヱ密とはそんなの無しで相手してあげるよ」



強さの証明──。

術もトイズも使用しない、条件を揃えての。

力と技の真剣勝負。



ヱ密「いいの? そんな余裕見せちゃって。ま、私としては有り難いんだけどさ」


涼狐「余裕だよ。ヱ密がいくら忍者のなかで強くたって、私には勝てっこないんだよ。それを教えてあげる」


ヱ密「……」


涼狐「どうしたの? まだハンディが足りないとか言っちゃう? 片方の目を塞がれて、トイズも使わない。あとは両手両足でも縛ってほしい?」


ヱ密「…ふふっ、あははっ、なんていうか……涼狐は、忍びにとことん向いてないよね」


涼狐「そりゃそうだよ。私は、探偵だから」



ヱ密「うん……私は、忍びだから」



向かい合う二人──。

と、思い出したように涼狐が言う。


涼狐「…あ、ねぇー!」


涼狐が呼び掛けた相手は。

二人とは少し離れた位置にいる空蜘。


空蜘「…なに?」


涼狐「くれぐれも邪魔しないでよねー?」


空蜘「……しないよ、勝手にやってればー? 私は休憩中ー」



涼狐にわざわざ言われなくとも、そんなつもりはなかった。

蚊帳の外に追いやられていた立場としては、少々腹立たしいが。

……単純に、空蜘もそれを見てみたかったから。

公言したように、本当に涼狐がトイズを使うつもりがないのなら。

あのヱ密が負けるわけがない、と。

ヱ密の強さは誰よりも自分がよく知っている。



……が、何故。

涼狐は対等な条件に自らを晒し、ヱ密を前にしてあんな余裕を保ってられるのか。

そこまでトイズ無くしても己の力に絶対の自信があるのか。

ヱ密と涼狐が戦うのは、これで三度目。

一度も勝てはしていないが、ヱ密の実力は理解している筈。

……それでも、まだみくびっている。

それは油断か慢心か。

いずれにせよ、そこが忍びとそうではない者の違い。

付け入る隙があるとしたら、ここだ。



ヱ密「…いくよ、涼狐」


涼狐「いつでもどーぞ」



……ガッ、と。

眼前の相手との一対一だ。

気配に気を配ることもなく、荒々しくその地を蹴り。

一瞬で距離を詰めるヱ密。

トイズも術も使わないという取り決めでの戦闘。

互いに相手を倒すとしたら、自らの体を使うしかない。

よって、涼狐はその場から離れることなく、ただヱ密を待ち構える。



涼狐「……一つ」


ヱ密「はぁぁぁぁっ!!」


拳を固く握り、ヱ密が涼狐へと右腕を伸ばす──。


涼狐「右手はなんか嘘っぽいね、本命は左足でしょ」


涼狐の読み通りに、直ぐ様ヱ密の左足が振り抜かれ。

それを軽く跳んで回避すると同時に。


涼狐「はぁっ!」


ヒュッ──!


右足をしならせての、横一閃の蹴り。


ヱ密「くっ…!」


ヱ密は、咄嗟に左腕を前に出して受け止める。

そしてそのまま、受け止めた足を捕らえようとした瞬間。


涼狐「……二つ」


ドガッ──!!


ヱ密「え……ぁぐっ…!?」


今度は、縦に一閃──。

真下から振り上がってきた涼狐の左足が、ヱ密の顎を綺麗に蹴り上げた。


涼狐「……三つ」


不意に襲ってきた衝撃によろめくヱ密に。

涼狐は更に、その頭に手を被せ。


ガツッ──!!


ヱ密「うぁぁっ…!!」


自分の体重、腕力、衝撃そのままに、地面に叩き付けた──。


ヱ密「ぁ……ぐっ、す、涼狐ぉっ…!!」

涼狐「…っ!」


叩き付けられても尚、腕を捕まえようとするヱ密に。

後ろに飛び退き、一旦離れる涼狐。



ヱ密「はぁっ、痛ぁ……っ、ぐっ……ぅあ……」


涼狐「……四つ……やっぱ、これしかないか」


ヱ密「はぁ……っ、はぁ……はぁっ……」


涼狐「もう諦めちゃった? ヱ密が私を倒せなかったら、他の誰もどうすることもできないよ?」

涼狐「御殺も依咒ちゃんもそっちの人たちより相当強いからねぇ。頼みの綱の立飛も倒されるのは時間の問題じゃない?」

涼狐「それに、ヱ密のとこのリーダーも空に殺されちゃったしね」

涼狐「どんどん仲間が消えていく。ほーら、さっさと私を殺して皆を助けにいかなきゃ」


ヱ密「…そうだね。でも、蛇龍乃さんがあれで死んだなんて思ってる子なんか一人もいないよ」


涼狐「ふーん、それは祈り? それとも願い?」


ヱ密「ううん、ただなんとなくそう思ってるだけ。信じてるから……あの人が私たちより先に死ぬわけないって」

ヱ密「私たちは……神に祈るよりも、天に願うよりも、ただ仲間を信じてる……それだけ」


ヱ密「多分、皆も私が涼狐を倒せるって信じてくれてると思うから……だから、なんとしてでもそれに応えないとねっ…!」


涼狐「……イイ眼だね。私さ、ヱ密のこと結構気に入ってるって言ったことあったっけ?」

涼狐「忍者にしておくのが勿体無い。ねぇ、戻ってきなよ? こっちに。鈴だって待ってるよ」


ヱ密「今は任務の真っ只中。私に与えられた任務は、涼狐を倒すこと……私は、どんな手を使ってでも涼狐を倒してみせる」


涼狐「そう。じゃあ、殺すつもりで掛かってきてよ。私も本気でそれに応えてあげるから」



ヱ密「わかった……殺しにいくよ、涼狐」



地面に打ち付けられた頭も、ある程度回復し。


再び、涼狐に迫る──。


……殺すために。



命を奪うなんて、今までと同じ。

今まで殺してきた命と、なんら変わりはない。

もう二十年近く、そうして生きてきた。

数え切れないくらいたくさん、殺してきた。


生きるために、殺してきた。

殺すために、生かされてきた。


まだまだ足りない。

もっと殺せ、と。

死神がそう語りかけてきているようで。


だから、強くならざるを得なかった。

自分自身、自らがそうでありたいと思ったことなんか一度も無かった。


……あの時までは。


蛇龍乃に出逢った。

殺す理由を、自分に与えてくれた。


仲間ができた。

守りたいって思えた。

強さの置き場所が見つかった。



だから──。


……任務を遂げる為に。


……皆を守る為に。


私は、涼狐を倒さなきゃ。


倒さなきゃ、


……いけないのに。



ヱ密「ぁ……うぁ……っ、はぁっ……はぁっ……!」



視界に広がるのは、青空。

こんな綺麗な空なんか、自分には似合わないのに。

強制的に、見せ付けられているようで。

酷く目障りだ。


どうして、呑気に空なんか見ているのだろうか。


……今は、涼狐を。


……身体中が、痛い。


……寝てる場合じゃない。


……早く起き上がって、涼狐を。


と、そこに。

一つの影が被さる。



涼狐「……」


ヱ密「……っ、す、すず……こ……っ」



涼狐はゆっくりと、腕を伸ばし。

ヱ密の首を掴む。


……そして。


グググッ──。


ヱ密「か、かはっ……ぁ……きゅ…っ、ぁあ……ぁああっ……!」


涼狐「……私の勝ち」



……そうだ。

私は涼狐に、打ちのめされたんだ。

まさか、トイズを使わずに目の前の戦闘だけに集中した涼狐が。

これほどまでとは。

一発入れるどころか、掠り傷すら。

いや、触れることすら出来なかった。


圧倒的な、力の差──。



術というものは、その力が大きければ大きいほど、それに比例して相応の演算量が必要になってくる。

よって、並の忍びならば持てる術は一つで限界。

ヱ密や空蜘であっても例外ではなく。

蛇龍乃が八つの術を使えるのだとしたら、それは尋常ではない程の才気の持ち主ということで。



忍びが扱う術──。

それは大きく三つに分けられる。


まず一つ、これが最も多く。

蛇龍乃や空蜘、鹿、牌流が使うもの。

術を発動してから展開中、絶えず演算が必要となる。

それだけ術者の演算能力が試されるものである。


そして、次に。

紅寸や立飛が使う術。

これは発動時こそ演算が求められるが、展開中はほぼ必要なく。

代わりに精神力が試されるもの。

よって、自身にかかる負荷も相当大きい。



……最後の一つ、これは。

演算も集中も精神力も、意識や思考でさえも。

まったく必要では無いという、稀有な術。

つまり、術者の意思による発動ではない。

巧妙に策を練って行動する忍びにとっては、あまりに相応しくないものである。



この例に当て嵌めるなら、涼狐のトイズは一つ目になるだろう。

涼狐のトイズは強力なもので、それにかかる演算量も膨大な筈。

集中を削ぐ必要もなくなった涼狐。


……結果。

ヱ密であっても、まったく手が付けられないほどの強さ。


突き付けられたのは、完全なる敗北──。



グググッ──!


首を掴むその手に、更なる力が加えられる。



ヱ密「ゃ…っ、ぁ……あっ、ゅ……ぁあ……っ、く、かっ……!」


涼狐「……術に恵まれてたら、もしかしたら結果は違ってたかもね」




涼狐「……っ、ごめんね……ヱ密」



憂うように、そう溢す涼狐だった──。



グググッ──!!


爪が肌を抉り、首を折らんとばかりに締め上げ。

呼吸を奪う。


ヱ密「ぁか……っ、きゅ……ふ、ぁ……っ……!」


涼狐「……」



圧倒的な力量差を前にし。

任務を遂げるという忍びとしての信念さえも、へし折られてしまいそうだ。

……というか。

薄れ行く意識のなかで、ヱ密はふと思う。

どうして、涼狐は自分を殺そうとしているのか。

機としては、いろいろとおかしい。

探偵たちの計画は、ヱ密の種を必要としている。

しかし、側に鈴はいない。


涼狐はどこまで知っているのか。


何も知らないのだとしたら。


どうして──。



涼狐「……っ」


と、ふと首を締め上げていた力が緩まった。


シュルルルルッ──!


唐突に、槍状の糸が涼狐を突き刺そうとする。

トイズを使っての対処は間に合わないと判断した涼狐は。

ヱ密から手を離し、それを回避した。


涼狐「……」


そして空蜘は。

槍をして展開していた糸を一旦バラして、それをヱ密に絡め、強引に自分の元に引き寄せた。



空蜘「……何やってんの、ヱ密を殺すのは私なんだから、あんなヤツに簡単に殺されるなっ!」


ヱ密「げほっ、げほっ…! はぁっ、はぁっ、はぁっ……空蜘、ごめん……っ、助かった……」

空蜘「……チッ……まぁ、ヱ密には一つ借りがあったから……それを返しただけ」


借り、とは。

以前に妙州の里でヱ密は自らの身を挺して、空蜘を戦場から逃がした件で。

ヱ密のおかげで命を取り留めたのだから、代わりに一つ命を救ってやった。

それだけ。

それに、あの条件においてヱ密がまったく敵わない相手なのだから、ここでヱ密を失ってしまっては完全に勝機が潰えてしまう。


……が。


空蜘「……」


この違和感。

先程、涼狐にしては簡単に手を引いてくれたような。

空蜘が手を出したからといっても、涼狐ならあのままヱ密を殺すことも可能だった筈だろうに。



涼狐「……邪魔しないでって言っておいたよね?」


空蜘に言葉を投げ掛ける涼狐の表情は。

怒っているわけでもなく、悔しがっているわけでもなく。

平常通り、あっけらかんとしたもので。

そのなかに、少し安堵も窺えるような。



空蜘「あははっ、なんで私がお前の言うことに従わなきゃいけないの?」


涼狐「そっか、そりゃそうだよね。まぁでも、助かったよ……うっかりヱ密を殺しちゃいそうだったから」


ヱ密「……」



そして涼狐は、ゆっくりと二人へと近付く。

涼狐が行くその先には、トイズによって浮遊した刀があり。



空蜘「……っ、散々雑魚扱いしてくれてるけど、お前は私が絶対に殺してやるから」


ヱ密でも肉弾戦で敵わない相手なら。

やはり、自分にはこれしかない。


シュルルルルッ──!


術で殺す──。

距離をとっての戦いなら、術とトイズの打ち合い。

片目のみの制限があるといっても、それでも涼狐のトイズは強力なもの。

しかしそれならば、自分の術が上回ればよいだけの話だ。


空蜘は自らの前に、視界避けの糸の幕を張ると。

同時に、数百もの糸を涼狐へと伸ばす。


シュルルルルッ──!


そのなかの一本でも涼狐に届けば。

残った左目を潰せさえすれば。

この戦況も、必ず変わる。

いくら涼狐でも、トイズが使えなく視力を完全に失ってしまえば。

二人に太刀打ちなんて、不可能だろう。



涼狐「そうだね、まずはキミから倒してあげる」


涼狐はそれまでゆっくりと進めていたその足を一転。

急激に加速し、空蜘に狙いを定め、迫る。


伸びてくる無数の糸をすべて避けることなどしなく。


スパッ──!


ただ自分の進路を阻むものを、宙に浮かぶ刀で斬り捨てて進みいく。



まるで刀自身が生きているような、自ら意思を持っているかのような。

巧みな剣技。

涼狐自身も超速で移動しているため、その剣技も合わさって捕らえることなど出来ない。


……そして。

見る見るうちに、空蜘の眼前へと。


ズバッ──!


涼狐「やっぱ手応えないね」


糸の幕を斬り落とし、その刀を自らの手に持ち。

空蜘へと、刃を振り下ろす。


空蜘「くっ…!」


刀相手では、糸を展開しての防御など無意味。

咄嗟に横に飛び退き、寸前で回避すると。

忍ばせていた短刀を抜き。

涼狐を狙うが。


パキッ──!


空蜘「なっ…!?」


なんと涼狐、手刀でその刃を真っ二つに。

そして間髪入れず、真横から蹴りが飛んでくる──。


ズドッ──!!


空蜘「うあぁぁっ…!!」


腹に強烈な衝撃。

しかし空蜘はただやられるわけでなく、即座にその足に糸を絡め捕らえる。

……が。


スパッ──!


刀により、断ち斬られる。

涼狐はそのまま手首を返し。

先端を、空蜘の方へ向け。


グサッ──!!


空蜘「ぅああぁっ…!!」


右肩を貫いた。


ヱ密「空蜘っ…!!」


二人の間に割って入ろうとするヱ密だったが。


涼狐「ヱ密はちょっと大人しくしててねー」


……涼狐のトイズに掴まり、吹っ飛ばされる。


空蜘「ぁぎゅ、ぐぅっ…! 殺、すっ…!」

涼狐「おぉ、さすがにしぶといね。まだそんな力残ってるとか」


空蜘は、涼狐がヱ密にトイズを使うため視線を外した隙に。

肩に突き刺さっていた刀を涼狐の手から絡め取っていた。



涼狐「……でも、そんなことしちゃっていいの?」



グジュッ──!


涼狐はトイズの対象を、空蜘の肩に刺さっている刀へと再び移すと。

刀は肉を抉り、更に深くを貫いていく。


空蜘「ぐぎゃぁぁあああああっ…!!!!」


鍔が触れたところで、一旦は止まるが。

次に。

突き刺さったままの刃は、外側へ向き。


ググッ──!


ブチブチッ──!


グジュッ──!!



空蜘「ぅぅああぎゅぁぁああああっ…!!!!」



……空蜘の肩を半分斬り裂いた。


内側の筋肉で辛うじて繋がってはいるものの。

右腕がぶらんと吊り下がっているという。

……見るも無惨な状態で。



空蜘「あぁっ、ゅ……ぅう、ぐぎゅっ……はぁっ、はぁっ……!」


あまりの激痛に、悶える空蜘。


涼狐「……さっさと寝てよ。こういうのあんま好きじゃないんだから」


空蜘「ぅぅううっ、ぁぁぐ……っ、はぁっ、はぁっ……」



ヱ密「……っ」



……こんなの。

何をやったって通用しない。

傷の一つすら、与えられない。


……涼狐は、あまりに強すぎる。

涼狐相手だけじゃない、他の戦局を見渡しても。

勝機は、限り無く薄く。

じりり、と考えないようにしていた絶望が歩み寄ってくる。

空蜘も、皆も。

このままでは、全滅してしまう。

自分が、なんとかしなくてはいけないのに。


……このままでは。




ヱ密「……っ、……?」


……と、そこでヱ密はあるものを目にする。


…………。


落ち着け。

思い出せ。

今の状況を理解しろ。

自分たちは忍者。

相手は、探偵。


……そうだ。

あの探偵たちが自分たちより強いことは、最初から分かりきっていたこと。

ならば、何が出来る。

力に力で上回る必要なんかいらない。

自分たちは、忍び。

それを忘れるな。

忍びなら、まだ出来ることがある筈だ。



今、最も優先すべきことは任務。

探偵たちを殲滅させること。


……倒さなくてはいけない。


それが、自分たちに与えられた任務であるなら。


何かを、それこそ自分たちの命を犠牲にしたとしても。


遂げるためには──。



ヱ密「……」


空蜘──。



空蜘「ぅ……ぎゅ、ぁ……はぁっ、はぁっ……、……」


ヱ密──。




……視線が交わる。


何かを決断したような、ヱ密の瞳。

ヱ密が何をするつもりなのかは、わからないが。

自分がするべきことは、なんとなくわかる気がする。



ヱ密「……空蜘」




……信じてる。


──……。



空蜘「はぁ……はぁっ……、ぐ、ぁ……っ」


……深傷を負わされた空蜘は。

それでも尚、戦う意思を消そうとしない。

先程、自分を斬り裂いた刀。

自分の血で、真っ赤に染まった刀に手を伸ばす。


涼狐「もういいじゃん……なんで諦めないの? 何をしたって無駄なこと、わかんない?」


……涼狐は空蜘が掴もうとしていた刀を、拾い上げて言う。


空蜘「…っ、はは……私も、そう思ってたよ……お前みたいな、化け物を倒そうだなんてっ、何をやったって……無駄、って…」


涼狐「じゃあなんで?」


空蜘「それがさぁ……サボらせて、くれないんだよねぇ……っ、ほんと酷い奴等……諦めることくらい、許してくれない、とか……」


空蜘「……まぁ……私だって、お前を殺したいって、思ってるけどさ、なんなんだろね……ははっ」


涼狐「……」


空蜘「だから、私はお前を殺すまで、止まれない……っ、私を止めたかったら、殺すことだねっ……!」


涼狐「……そう」



涼狐「なら、殺してあげる」




涼狐は静かに刀を動かす。


刀の先端は、空蜘の心臓へと向き。



グジュッ──!!


空蜘「ぁぎゅっ…! かひゅっ、ぁあああっ…!!」


空蜘は刺される瞬間に体を捻り。

心臓への刺突は避けたものの。

その刃は肺を突き破った。


涼狐「…っ、大人しく心臓を刺されてたら、余計に苦しむこともなかったのに……」


涼狐は刀を抜こうとする。

……が。


涼狐「……っ、馬鹿なの……?」


目を疑った。

先程と同じ様に。

空蜘は糸を絡め、涼狐から刀を奪う。



空蜘「ぁ……ぎゅ、ひゅっ……ふっ、ぁあ……っ、うぅっ……!」


涼狐「そんな痛々しい姿見続けるなんか嫌だから、殺すね。よく頑張ったよ、さよなら…」


涼狐は。

肺に突き刺さった刃を。

トイズで操り、心臓を切断しようとした。


……その瞬間。


涼狐「……っ!?」


視界の端で。

ついに、ヱ密が動く──。


当然、涼狐はヱ密にトイズを使おうとするが。


……ビチャッ。


涼狐「ぁくっ…!?」


何かが左目に入り込もうしたのを防ぎ、目を瞑る。

一瞬、毒かと思ったが。


……それは、血であった。


ヱ密を狙ったトイズの発動を遅らせるべく。

……吐かれた、空蜘の血。



涼狐「死に損ないのくせにっ…!」


無駄な抵抗を、と。

瞼に付いた血を拭い。

再度、ヱ密を捉えようとした。


……が。








涼狐「え……?」


──……。



一方で、西の局では。



依咒「ほーらー、早くしてよ。死ぬのが怖いんでしょ?」

依咒「このままじゃ二人とも殺しちゃうよ?」


牌流「……っ」



牌流に、鹿を殺せと命じる依咒。

嘘か真かわからないが、それをすれば見逃してやると。


……だが。

仲間を殺すなんて、間違っても出来るわけがなく。

己の命可愛さに鹿を討つくらいなら、いっそ自分を。

……違う。

そんなことしたってなんの意味も無い。

自分なんかいてもいなくても、然程変わらないのかもしれない。

依咒が言ったように、役立たずだ。


しかし、逃げることはしたくない。

諦めるわけにはいかない。

考えろ。

今の自分に出来ることを。

依咒を倒すために、自分に何が出来る。



……弱い私に、出来ること。



……それは。



牌流「…………」



牌流は刀を片手に。


鹿へと、ゆっくり歩み寄る。



鹿「ぅ……ぁ、はぁっ……はぁっ……うぅっ、ぁ……」



……依咒のトイズ。

……五感強化。

そのなかでも戦闘を優位に運んでいるのは、視覚と聴覚。

依咒は己の能力に絶対の自信を持っている。

……だったら、それを逆手に取ることができれば。

視られない、聴かれない、というのはまず不可能。

ならせめて、少しでも不意を突ければ。

それは依咒を出し抜いた先の完全なる隙、ということで。

そこを狙えば、案外あっさり倒せるのかもしれない。


……勿論、それができれば苦労しないのだが。


自分たちは、忍び。

相手が考え付かないであろう策を用いらなくては、勝利は訪れない。



牌流「……鹿ちゃん」


鹿「はぁっ……はぁっ……、絶対、殺す……っ」

牌流「……ごめんね、私が弱いから」

鹿「ぱ、牌ちゃん…?」



牌流「……私たちじゃ、無理だよ……勝てっこない」



鹿「な、何言って……そんなことっ……」


牌流「だから……」



鹿の目に映ったのは。

銀色の輝きを放つ、刃先。



牌流「……」


鹿「……っ」



依咒「ほら、さっさとやっちゃえ」



牌流「……ごめんね、鹿ちゃん」


……わかってくれるよね?

……私も、貴女も、同じ忍びなのだから。

……死んでください。

……皆の為に。

……蛇龍乃さんの為に。


牌流は、鹿の瞳を覗き込み。

言う。



牌流「本当に、ごめんなさい」


鹿「……うん」


牌流「ばいばい、鹿ちゃん」



……そう言って、牌流は刀を。



ヒュッ──!


依咒へと投げ放った。



依咒「…は?」


あくまで二人揃って死ぬつもりか。

依咒は、飛んでくる刀を鉄扇で防ぐ。


……と、そこに。


鹿「はぁぁっ…!!」


向かってくる鹿。

自ら殺されにいっているとしか思えない、無謀な特攻。


依咒は、鞭を振り。

鹿を迎撃する。


ヒュッ──!


その瞬間。

またも刀が飛んでくる。

そう、これも牌流が放ったもの。


依咒「もっとマシな攻撃無かったの?」


キーンッ──!


軽々と鉄扇で弾き落とす。

……と、鞭に妙な感触。

鹿の術、影によって鞭を押さえたのである。


牌流が放った二本目の刀。

それはこうして確実に鞭を封じる為。



依咒「…だから何?」


鞭を押さえたからといって、依咒にはこの鉄扇がある。

近距離での戦闘でも、依咒に敵うとは思えないが。


それでも鹿は、依咒へと迫り行く──。


と、そこにまたしても何かが投げ込まれた。


パーンッ──!



依咒「……?」



それは、刀ではなく。


煙幕──。


瞬く間に、辺りは煙に包まれた。

もしや身体に作用する毒でも混ぜられたかと、一瞬警戒したが。

高められた嗅覚で、危険が無いことを察する。


依咒「……ナメてんの?」


濃い煙が立ち込める中。

互いに視界が無い状況下でなら、偶然にでも自分を殺せるとでも思っているのか。

……随分と甘く見られたもの。

たとえ、視界が無くとも。

依咒には、極限まで高められた聴力がある。

闇の中であろうと、煙の中であろうと。

音さえあれば、見えているも同然──。


耳を澄まさなくとも、感じとれる。


近付いてくる者が一人。


離れていく者が一人。


……離れていく?


それは即ち、この場から逃げていくということで。

牌流には間違いは無いだろうが。

やはり、自分の命が惜しくなったか。



鹿「…死ねっ!」


接近してきた鹿。


ヒュッ──!


依咒「……」



刀を振り下ろしてきたのだろう。

煙を斬り裂き、唐突に刃が現れる。

出所は見えなくとも、その音から軌道は手に取るようにわかっていた。


キーンッ──!


鉄扇で弾き、その動作のまま。

刀を持つ右の手首を斬りつける。


ザクッ──!


鹿「ぅああぁっ! うぅぅっ…!」



堪らず、刀を落とす鹿。


切断とはいかずとも。

皮、肉、骨の半分以上が壊され、ぱっくりと割られた。

……ボタボタ、と大量の血が流れ出ていて。



鹿「ぁぁああっ、うぐぅっ、ぅああっ…!!」


……それでも、鹿は身を奮って依咒へと手を伸ばす。


武器も何も無い、煙のせいで影も満足に使えない。

牌流にも見捨てられ、孤立無援。

懸命に無駄な足掻きをみせる鹿に。

情けをかけるつもりなど、更々無い依咒は。


ズバッ──!!


今度は胸から腹にかけて、鉄扇が振り下ろされた。


鹿「ぁあぎゅぁっ…! うぁぁあああっ…!!」


依咒「…ふふ、あははははっ!」



涼狐の眼を奪った立飛は勿論。

その仲間である忍びは、全員殺す。

たっぷり苦しめて、殺す──。



ガジュッ──!!


鹿「ぁぎゃぁぁあああああっ…!!!!」



ザクッ──!!


鹿「ぅううっ、ぁあっ…!! ゅぎぁぁあああっ…!!」



ズバッ──!!


鹿「ぎゃぁぁぁあああああぁっ…!!!!」




依咒「あはははっ、あははははははっ! 糞忍者がっ! 死ねっ!」



何度も何度も、身体中を斬り付けられ。

もう肌の色が見えなくなるくらいの、出血量。

このまま放っておいても、間違いなく死ぬだろう。


……それでも、まだ息があるうちは。

痛みを、苦しみを、存分に与え続けてやる。



依咒「もっとその汚ない悲鳴聴かせてよ、ほらぁっ…」


……と。


依咒が鉄扇を振り上げたその瞬間。


……ゾクッ、と。


全身に悪寒が走った──。



依咒「なっ……!?」




嘘だ。


信じられない。


そんなこと、あるわけがない。


だって、この自分が。


それに気が付かないなんて。


絶対に、有り得ない。


間近で鹿が悲鳴を上げていたからといって。


外側の気配にも、注意していた。


それなのに。



どうして。



どうして。



どうして──。



……どうして。


こんなすぐ側に。


コイツがいるのか──。




ヱ密「…うちの仲間を散々痛ぶってくれたお礼、しなきゃね」


唐突に姿を現したヱ密は。

依咒が驚愕している隙に。

首を片手で掴み、締め上げる。



ググググッ──!



依咒「ぁ……ぐっ、ぁぁあっ……ゅぁ……っ!」



こうなってしまっては、依咒は何も出来ない。

完全に捕らえられた体勢では、五感強化もまったく意味を為さず。

鉄扇を使おうにも、既にもう片方の腕により押さえられており。


ググググッ──!



依咒「ぐ、ぎゅっ……ぁ……はっ、ゅあ……ぃぎゅ……っ!」



……依咒にとっては、未だに信じ難い。

こんなすぐ側に近付かれるまで、気配が見えないなんて。

忍者の特性である、気配を潜めるなんてものじゃない。


気配を遮断しているそれは。


……まるで、死人とも等しく。


といっても、完璧に集中していたら見抜かれていただろう。

よって、この奇襲の成功は、鹿の働きによるものが大きい。



ヱ密「……死ね」



ヱ密はその手に、更なる力を込め。


ググググッ──!



……そして。



ボキッ──!!



依咒「ぁっ……ぅあっ……ぃ……ぐぎっ……ぁ……ゅっ……────」



……その首を、へし折った。





【依咒、戦闘不能】






鹿「…っ……はぁっ……はぁっ……お、遅い、よ……、ヱ密……っ」


ヱ密「ごめんね、鹿ちゃん」


鹿「……はぁ……はぁ……っ、……うん……やっぱ、ヱ密は、すごいね……っ」


ヱ密「……うん」


ヱ密「……頑張ったね。ありがとう、鹿ちゃん」



鹿「……っ、はぁ……はぁ……っ、ぁ……うん……、……────」




ヱ密「あとは、私たちに任せて」



ヱ密「…………おやすみ」




鹿は。

ヱ密の腕に抱かれ、穏やかな表情のまま。

静かに、その目を閉じた。




【鹿、戦闘不能】


──……。



少し遡って、中央の局。


ヱ密を捉えようとした涼狐。

その眼に映ったのは。



涼狐「え……?」


こちらに向かってくるわけでもなく。

むしろ、離れていくヱ密の姿。


……一体、何処へ。

……まさか、あのヱ密が戦場から逃げる?


いや、違う。


あの方向は──。



涼狐「し、しまっ……ヤバいっ…!!」



初めて見せる、涼狐の本気で焦った表情。

ヱ密の策にすぐに気付けなかったせいで。

トイズで捉えるのを、一瞬躊躇してしまった。


即座に捉えようとも。


刹那の差で、ヱ密はあの煙の中へ。



……しまった。


……してやられた。


これは、完全に自分の失態だ。


まさか、ヱ密が自分を無視して、依咒を狙うなんて。




涼狐「い、依咒ちゃ──」



依咒に報せようとした瞬間。


ヒュッ──!


手裏剣が飛んできた。



涼狐「…っ」


それをなんなく避ける涼狐だったが。

手裏剣が放たれた先。

ヱ密が逃げた位置とは、別の角度から現れたのは。


牌流だった──。


ヱ密と依咒のことで集中を欠いていたせいか。

こんな至近距離まで、接近を許してしまう。


牌流「はぁぁぁっ!!」


刀を手に、涼狐へと迫る牌流──。


涼狐「…っ、今はお前の相手している暇は無いんだよっ!」


赤い瞳を向け。

牌流をトイズを使って捉え。

そのまま吹っ飛ばそうとした。


その瞬間──。


シュルルルルッ──!!



涼狐「なっ…!?」


無数に糸が束ねられ形成された、槍。

螺旋を描き、涼狐を狙う──。


……ヤバい。


まだ空蜘が動けたのにも驚きだが。


敵ながら、これ以上無いくらいの絶好のタイミング。


これは、避けきれない。



……だが。


……まだ足りない。


そう、涼狐はトイズの発動中である。

今、掴まえているのは、牌流。


……回避が間に合わないのなら。



涼狐「惜しかったね、残念」


牌流「あぅっ…!」



涼狐は、牌流をトイズの力で操り。

襲ってくる槍に対する盾として、自分の目の前に牌流を移動させた。


これがもし、トイズの最中ではなかったら、殺られていたかもしれない。

と、一瞬安堵する涼狐。

だが、今は一刻も早く依咒と元へ──。



トイズの力により、自分の意思とはまったく関係無く。

槍の前に差し出されてしまった牌流。


満身創痍の体で、懸命に力を振り絞った術も。

絶好の機を潰されてしまった空蜘。



……と、思っていたのは涼狐ただ一人で。



空蜘も、牌流も。



妖しげに、笑みを浮かべていた──。




空蜘「そんなので私が止めるとでも思った? ばーかっ!」


涼狐「え……」



シュルルルルッ──!



槍は勢いを弱めるどころか。


更に速度を増して。



グサッ──!!!!



牌流「ぁぎゅっ…! ぁぁあああっ…!!」


涼狐「なっ…!? ぁぐぁぁっ…!!」




槍は、牌流もろとも涼狐を突き刺した──。



涼狐の脇腹を抉ったものの、致命傷には至らず。


……しかし、ついにあの涼狐に傷を負わせた。



この空蜘の非情なる攻撃に、涼狐は信じられないでいた。


……こんなの、人間じゃない。


……コイツは、仲間をなんだと思っているのか。


……普通の思考を持っていたら、こんなこと考えていても出来るわけが。



が、空蜘の本当に恐ろしいところは。

まだまだこんなものでは終わらない。



シュルルルルッ──!


グチャッ──!!!!



牌流「かっ…! はっ、ぁぁっ……!!」


涼狐「ぅああぁぁぁっ…!!」



間髪入れず、二本目の槍が二人の躯を貫いた──。


……なんと空蜘。

この絶好機を逃すまいと。

牌流が盾にされた瞬間から、既に二本目を展開していた。



空蜘「くくくっ、あははははっ…!!」



シュルルルルッ──!


……更には、三本目、四本目、と。



グチャッ──!!



グチャッ──!!




牌流「ぁぎゅっ、ぅううっ…! ひゅっ、ふぁ……はぁっ、はぁっ……!」


涼狐「くぅっ、ぁあっ…! ふぅっ、ふぅっ…!」



しかし、途中。

涼狐は堪らず、牌流を捨て、後ろに距離を取り。

その場を離れていた。

よって、最後の二本は涼狐を捉えることは出来ず。



涼狐「ぁぐ、ぅうっ……はぁっ……はぁっ……!」


……ただ、二本目の槍。

これは、涼狐の体の真ん中を貫通しており。

致命傷と呼ぶには、充分な負傷を与えた。





空蜘「チッ……もう少しで、殺せた、のにっ……はぁっ……はぁっ……ぅあ……っ!」


空蜘とて、いつ息絶えてもおかしくない状態で。

ここまで術を連発できること自体、まず異常であるのだ。



……そして、空蜘より幾分、死に近い者。


牌流「…ぁ……っ、ひゅ……ぁふ……がっ、ぁあ……っ」


……実に四度も。

超至近距離から串刺しに遇わされた、牌流。


それでも、空蜘を恨んだりはしない。


空蜘の方へ、顔を上げ。

振り絞るような、か細い声。



牌流「ぁ……う、空蜘……っ、はぁっ……はぁっ……、わたし、役に、立ったかなぁ……?」


空蜘「……うん。最高の仕事してくれたよ」



牌流「…ふふっ……よか、っ、た……こんな、わたしでも……みんなの、ため、に……っ、……────」





空蜘「……お疲れ様、牌ちゃん」





【牌流、戦闘不能】


──……。



涼狐「…………」



涼狐「…………」



涼狐「…………っ!」





……なんだ、これは。


……躰の真ん中が、燃えるように痛い。


行き場を求めた鼓動が、熱と絡み合い。

じくじくと全身を蝕み、掻き流れる。

足下には、既に血の池が作られており。

視界も霞み、今にも倒れてしまいたい。


……いや。


……自分のことなど、どうでもいい。


霞んだ瞳の先には。

倒れたまま動かない、依咒と御殺の姿。

嘘だ、こんなの。

自分たちは、探偵。

忍者なんかに、殺されるわけがない。

現に、つい数瞬前までは。

忍者たちは、このままここで朽ちるだけの運命に晒されていた筈。



……それなのに。


……どうして。


……圧倒的に優勢であった自分たちが、こんな。




涼狐「……っ、ふざ、けるなっ……!」



悲痛に歪む表情で、睨む涼狐に。



空蜘「…っは、ははははははははははっ…!! イイねぇっ、最高だよっ……その顔をずっと見たかった……ずっとずっと、ずっとずっとずっとずっとずっとずっとっ……!!」



……狂人のような様で、笑い転げる空蜘。


胸に刀は突き刺さったまま。

何度も血を吐きつつ。

壊される寸前であろうことは、確か。


それでも、嘲う──。



空蜘「はぁっ、はぁっ……ひゅ、ぁ……ぁは、っあはははははははははははははっ…!!」


涼狐「……煩い」



これまで、幾度と無く苦汁を味わってきた空蜘。

プライドをズタズタに潰され。

この涼狐には絶対に敵わないと、自分自身で幕を引いたこともあった。

この戦いの最中でも、何度も心が折れてしまいそうになった。


しかし。


……やっと。


やっと、こうして涼狐から余裕を奪った。

あの涼狐の苦しむ姿を、こうして拝めている。


それが嬉しくて堪らない──。


空蜘「ぁはっ……はぁっ、はぁっ……仲間も、死んじゃったんだからさぁ、お前も、すぐに殺してあげるよっ……!!」


涼狐「……黙れっ」



そう小さく溢した涼狐は。

赤い瞳を、空蜘へと向け。



涼狐「…お前はもう、死ね」



グシュッ──!!



空蜘「ゃっ、がはっ……ぁ……ああっ……、ぁ……ぅあ、……っ、…………────」



空蜘の胸に刺さっていた刀。

それをトイズで操り。


心臓を、斬り裂いた──。


耳障りだった笑い声も、プツリと止み。

糸が切れたように、倒れ落ちる。




涼狐「……っ、はぁっ、はぁっ……!」


涼狐「絶対に、許さない……っ」



だが、こうして空蜘にとどめを刺して殺したとしても。

御殺と依咒が生き返るわけもなく。



こんな筈じゃなかった。


……御殺を失って。


……依咒を失って。


こうなってしまったのも。

すべて、自分のせいだ。

情けなんか一切持たずに、さっさと殺しておくべきだったのだ。


……ヱ密も、コイツも。


胸を締め付けるこの後悔は。

空蜘をただ殺しただけでは、とてもおさまることはない。



涼狐「……ねぇ、返してよ……御殺を……依咒ちゃんを……っ」


グシャッ──!


地面に伏している空蜘の死体を、踏みつけ。

涼狐は、言う。



涼狐「お前なんかの命とは、価値が違うんだよ……っ、あの二人の命は」



涼狐「なんで、邪魔するの……殺しておけばよかった……、お前もヱ密も、全員っ……最初に殺しておけばよかったっ…!!」



涼狐「…っ、私が、甘かったせいで……ごめんね……ごめん、なさい……っ」



涼狐「……うぅっ……ぁ……ひぐっ……、お前らさえ、いなければっ……!!」



涼狐は、死体の側に転がっていた刀を手に取り。


グチャッ──!!


空蜘の体に、突き立てる。



涼狐「なんでっ、なんでっ、なんでなんでっ…!!」



グチャッ──!!



グチャッ──!!



涼狐「うぅっ、ぅぅぅうううううっ…!!!!」



グチャッ──!!



グチャッ──!!



……何度も何度も。


……何度も何度も、何度も何度も何度も。


刃を、その手で空蜘に突き立てる。



涼狐「はぁっ、はぁっ……ぅ、あっ……ぎゅ……っ」



……殺す、殺してやる。


コイツら忍者、皆殺しにしてやる。


生き残っているのは、ヱ密だけ。

他の忍者は、倒れたまま動かないが。

ヱ密を殺した後に確認しなければ。



誰一人、生きていることがないように──。



涼狐「ぁぐ……はぁ……っ、はぁっ……はぁっ……ぅう……っ」



大丈夫、まだ動ける。

トイズだって使える。

ヱ密一人殺すなんて、造作もない。



涼狐「ヱ密っ……!」


依咒の仇を討つべく、ヱ密へと視線をゆっくりと向けた。


その瞬間──。



……ドクンッ。



涼狐のすぐ側で。

跳ねる鼓動が、一つ。

それと同時に。


シュルルルルッ──!



涼狐「……え? ぁ……ぐぅっ…!?」


死んでいる筈の空蜘の体から。

伸びてきた糸は、涼狐の首に絡み付き。


グググッ──!


……締め上げる。



涼狐「ゅ……ぁ……がっ、はぁっ……ぅあ……ぁ……っ!」



そんな、まさか。

生きて──?

有り得ない。

確実に心臓を、斬り裂いたというのに。

本当に人間なのか、コイツは。

散々化け物呼ばわりしてくれておいて、自分の方がよっぽど化け物ではないか。



空蜘「……ひゅ……っ、は……ぁ、く……ぁは、くふふっ……!」



……空蜘は。

心臓を切断されてから、体の機能が停止するまでの僅かな間に。

自らの体の内側に、細工を施していた。

心臓の膜、血管、神経を、斬られた箇所から縫合。

かといっても、それで一度壊された心臓が元通り動くわけもなく。

それに、空蜘自身が意識を奪われればその術も糸の制御を失うことになる。

だからこそ、空蜘はそれを見越して。


……心臓の中に爆弾を作った。


爆弾とはいえど、なにも火薬が詰め込まれ爆発するというものではない。

空蜘の制御を離れたことで、次第に絡み合った糸が解れ、心臓の中で弾けるという時限的なもの。

その弾けた衝撃によって、鼓動を再起させるという。

……とんでもなく無茶苦茶な奇策であった。


時間差で発動するそれは、勿論上手くいく確率など限り無く低く。

目論見通りに発動したからといって、一度切断された心臓が動いてくれるとは限らない。



……しかし。


空蜘は、こうして死の底から蘇ってきてみせた──。



グググッ──!



涼狐「…っ、ぁきゅ……ぅあ……っ、は、かっ……!」


空蜘「ひゅ……ふ、はぁ……ぁ……っ、死、ねっ……!」



致命傷を与えただけで、満足などせず。

なんとしてでも己の手で、涼狐を殺す、と。

今の空蜘は、その執念だけで動いているといっても過言ではないだろう。



グググッ──!!



涼狐「ゃぎ……っ……ぐ、ぁあ……っ、ひゅ……ぁ」


キツく、首を締め上げる糸。

……ヤバい。

早く、なんとかしなくては。


……が、どうする。

この糸を斬るか、術者である空蜘を殺すか。

……が、刀は。

首に糸が巻かれた瞬間に、その手から溢れてしまっている。

ならば、トイズで。

地に転がった刀を見るが。



涼狐「うぁ……ゅ……く、かふっ……ぁ……っ」


目が霞んで、上手く視点が定まらない。

そうこうしている間にも、糸は涼狐の首を締め上げ。

呼吸を奪う。



……と。


クラっと。

酷い目眩、吐き気に襲われ。


涼狐「ぁ……あっ……、っ……ゅ……ぐ…ゅ……ッ……」


倒れ落ちる──。



……私。


……このまま、死ぬの。


……殺されるの。



次第に、霞んでいた視界が段々と狭まっていき。

黒が昇ってきたかと思えば、白が沈んでいき。

チカチカ、と。

綴じられた瞼の裏側では、光が弱々しく弾け消え行く。


段々と全身から力が奪われていく。


手足を動かすことも、瞼を開くことも。


……もう。


私の、負け。


私たちの、負け。


探偵は、忍者に、負けた。



この戦い。

探偵は、忍者を倒そうと戦った。

忍者は、探偵を殺そうと戦った。


力では圧倒的に上回っていた、本気で殺すつもりで最初から戦っていたら。

この結果にはなっていなかっただろう。


油断や慢心じゃない。

勝負を別けたのは、その覚悟の差。


殺しは、忍びにとっての十八番。


そのことを、もっと理解していれば。


まだまだ全然、その認識が甘かった。


そのせいで。

御殺が討たれ。

依咒が討たれ。

そして、涼狐も。



ごめんね、御殺。


ごめんね、依咒ちゃん。


仇、討てなくて。



私も。



……私、は。



…………、



……仇。


……二人の、仇。


……そうだ、私は。


奴等を、殺さなくてはいけない。


探偵が、忍者に屈するなど、あってはならない。


だから、私は。


まだ死ぬわけには、いかない──。



涼狐「…………ゅ……ぁあ、ぐ……うぅ……ッ」



呼吸を奪われたままの状態で。

残っている力を、振り絞り。

もがくように、腕を動かす。


……と、何かが指に触れた。

それは、刀。

涼狐は。

もう感覚の薄いその手で、刀を取り。


振り上げ。


空蜘へと、下ろす。



グチャッ──!


グチャッ──!


空蜘「ぁ、ぎゅ…っ、ぁ……ぐぅ、っ……ぁ…!」



グチャッ──!


空蜘「ひゅ、ぁぐ……っ、ふぁ……ぅ……!」




涼狐「…っ、ぁ……ひゅ……死、ね……っ、死ね……ぇ……っ!!」



……刀を振り下ろし続ける涼狐。


私は、お前に殺されるわけにはいかない。


だから。


さっさと、死ね。


頼むから。


死んでくれ──。



涼狐の命が尽きるのが先か。

空蜘の命が尽きるのが先か。



グググッ──!


尚も締め上げ続ける、糸。


グチャッ──!


振り下ろし続ける、刀。



……そして。


それまで涼狐の首を締め上げ続けた糸が。

緩まり。

ハラリと、落ちた。



今度こそ、心臓を潰され。

指の一本も動くことなく。

呼吸も止まり。


ついに。



……空蜘は、息絶えた。




【空蜘、戦闘不能】


────…………。



御殺が立飛の術によって、討たれたのも。

依咒がヱ密の強襲によって、討たれたのも。

涼狐が空蜘の槍に、その体を貫かれたのも。


ほぼ同時に起こったものだった。


それまで圧倒的に不利な戦況に立たされていた、忍びたち。

……が、まさかの逆転劇。

いや、そんな綺麗な道筋など辿ったものではないし。

捨て身覚悟の、ギリギリの連続。

命で命を奪った、そんな殺り方。

まともな手段など、皆無で。

不意討ちに、騙し討ち、にとどまらず。

更には、仲間を道具のように扱ってまで。


……その様子は、よく窺えていた。

地獄のような戦況であった地上を、すべて見渡せるここは城の頂上。


天守閣──。



空「……っ、卑怯なっ、こんなやり方で……っ」


空なら、どうにか出来た筈だ。

空ほどの力があれば。

御殺も、依咒も、涼狐も。

皆を救うことくらい容易だった。

……二人が討たれていく様をただ黙って眺めていたわけではなく。

空だって動いていた。

この場所から、光撃を放とうとした。


実際に、放った。


しかし、阻まれた。


そうさせてはもらえなかった。


誰に?


空の攻撃を防ぐことが可能な者など。

一人しかいない。


邪魔者の正体。

それは。

光に飲み込まれ、消えた筈の──。




蛇龍乃「ん、卑怯? ははは、アイツらをなんだと思ってんの? 卑怯とか、忍びにとっては最高の誉め言葉だな」


──……。



遡ること、僅か数分前──。


涼狐の元から離れ、まったく別の方向に走っていくヱ密を見て。

その企みもすぐに察せた。

それを阻止するべく、空はヱ密に狙いを定め。



鈴「そ、そらっ…!?」

空「…大丈夫。殺しはしないから」



そして。

光を溜め込んだ白杖から、星撃を放った──。




……が、その光は地上に届くことなく。


途中、黒い靄と衝突し。


相殺された。



空「え……?」


……と、その瞬間、空の視界が黒に塞がる。

意識がどうとかではなく。

それは物理的に。

空だけを囲うように、前後左右に黒い壁が四枚。

それと、頭上にも蓋として一枚。


そう、箱だ──。


突如として出現した箱に閉じ込められた空。


鈴「そ、そらっ……これって、まさか……」


鈴の目の前にあるのは、黒い壁。

……いや、鏡。

自分の姿があった。



「そこに映ってるお前は、忍びの鈴? それとも、探偵の一味の鈴?」


背筋を刺されたかのように、その声に恐怖を覚えた。

この壁、鏡、箱は。

術によって展開され、出現したもの。

だとしたら、術者がいるのは当然で。


鈴が振り向いた先にいたのは。

やはり蛇龍乃だった。



鈴「…じゃ、じゃりゅにょさん……生きてて…」


蛇龍乃「酷いなぁ、鈴は。まるで私に死んでてほしかったみたいな」


鈴「そ、そんなこと……」



蛇龍乃は目を細めて笑う。



蛇龍乃「……で、どっちなの? 忍び? 探偵?」


鈴「……なんて答えても、殺すつもりなんでしょ……?」


蛇龍乃「お、正解。ははは、ちっとは賢くなったじゃん」


鈴「……」


蛇龍乃「弱いお前を今まで守ってくれてた空もこの状態。どう? 怖い? 私に命乞いでもしてみる?」



鈴「…っ、……」


……少し黙った後、鈴は。



鈴「……怖く、ないよ」



と、答えた瞬間。

鈴の背後にある黒い鏡の箱が。

内側からの眩光によって、溶け消えていった。




蛇龍乃「…意外と早かったなー。さすが、空」


空の力は。

星から届く光、天から射す光によってのものだと。

ならば光の射さない闇に閉じ込めてしまえばどうかと、蛇龍乃は試行してみたが。

それで封じられるほど、甘くはなかったようで。


空「り、鈴っ…! あ、よかったぁ……無事で……」


四方、そして頭上にも展開された黒晶壁を消し去れたのは。

空が持つ白杖に、常に光が溜め込まれていた状態であったからで。

といっても、破るのに少々手間取ってしまった。

そうこうしている間に鈴は討たれてしまったのではないかと、気が気ではなかったが。

無事な姿がそこにはあり、ホッと胸を撫で下ろす。



……しかし、腑に落ちない。

蛇龍乃が本気で鈴を殺すつもりなら、その時間は充分にあった筈なのに。

それをしなかったのは。



蛇龍乃「鈴に死んでもらうには、まだちょっと早いからね」



空には、この蛇龍乃の言葉の意味がまるでわからなかった。

鈴を何かに利用しようとしているのか。


……何を、考えている。


もしかしたら。

今のこの戦況ですら、蛇龍乃の筋書き通りに進められているのかもしれない。


……まぁなんにせよ。

鈴が無事でよかった。

ここで鈴を失っては、すべてが泡と消えてしまう。


しかし、御殺と依咒。

この二人を救うことは、間に合わなかった。

空が黒晶の箱を破って脱け出し、地上に目をやると。


……まさに、討たれる瞬間で。



空「……っ、卑怯なっ、こんなやり方で……っ」


蛇龍乃「ん、卑怯? ははは、アイツらをなんだと思ってんの? 卑怯とか、忍びにとっては最高の誉め言葉だな」


蛇龍乃「空だって一応忍びしてたんだからさぁ……あ、さては私の教えを真面目に聞いてなかったなー」


空「……うるさい……っ、よくもっ…」


蛇龍乃「よくもあの二人を殺してくれた、って? こっちはそっちの倍以上殺られてんだけど。忍者でも探偵でも、そこにあるのは同じ命でしょ?」



屋根の縁に立ち。

地上を覗き込みながら、蛇龍乃が言う。



蛇龍乃「あーらら、空蜘も死んじゃったか。まぁよくやってくれたよアイツも」

蛇龍乃「…つーか空さぁ、あんまつまんないことでぎゃーぎゃー喚くなよ」



空「…っ、仲間の命を、簡単に使い捨てにできるあんたには一生わかんないでしょうねっ…!」


蛇龍乃「そう熱くなるなって。私やお前みたいなタイプは常に頭を冷やしておかないと」


空「……っ」



……悔しいが、蛇龍乃の言う通りだ。

御殺や依咒が討たれたように。

取り乱しては、命取りになってしまう。

目の前にいるのは、あの忍びたちの頭領である者なのだから。


……というか、そもそも。



空「……なんで生きてるんですか? さっき確実に消した筈なのに」

蛇龍乃「ん? あー、それはだな……この私が忍びだから、かな」


飄々と。

真面目に答えるつもりなどない、といった様子で。



空「……じゃあもう一つ質問。どうして鈴を殺さなかったんですか? 鈴をどうするつもり……?」


忍びなら、殺せる時に殺しておくのは当然のことで。

わざわざその機を見送るのは、何か理由があってのこと。

それか、仲間だった鈴をいざ殺すとなって躊躇したか。

……いや、この蛇龍乃が躊躇ったりするとはとても考えられない。



蛇龍乃「あれ? わかんないの?」


空「え…?」


蛇龍乃「そっかそっかぁ、空でもわかんないことあるんだねぇ。ふーん、空が知らないってことはあの涼狐も知らないってわけか」


そして、蛇龍乃は。

鈴に目をやった。



蛇龍乃「仲良くやってたみたいだし、てっきり鈴から聞いてるものとばかり思ってたよ」


鈴「……?」


蛇龍乃「お前を今ここで殺さない理由なんか一つしかないだろ」


空「……鈴、何か知ってるの?」

鈴「え…? わ、わかんない……じゃりゅにょさんがなんのことを言ってるのか、あたし…」

鈴「ほ、ほんとだよっ!? あたし、なにも…」


空「うん、それだったら別に気にしなくていいよ。敵の言うことまともに受けなくてもね。しかもこの人のお得意の口撃なら尚更」




鈴「…………敵、なの……?」


空「鈴…?」


鈴「……みころんもきっちゃんも、うっちーやぱいちゃん、シカちゃん、りっぴーも、くっすんも……みんな……なんで、こんな……」

鈴「どうして、殺し合わなきゃいけないの……っ」


空「……」

蛇龍乃「生き残ってるヱ密と涼狐も、もうすぐどっちか死んじゃうだろうね」


鈴「……やだ……誰も殺さないって、言ってたじゃん……空」

空「……鈴」




鈴「……嘘つき」




蛇龍乃「ははっ、そりゃ死ぬよ。だって私たちはコイツらを殺すためにここにいるんだから。鈴、空、お前らのこともね」


蛇龍乃「鈴、お前はなんなの? 私たちから離れておいて、皆が死んじゃうのは嫌ですって……変わんないね、鈴はいつまでたっても」


蛇龍乃「甘々で弱くて情けない。裏切るなら裏切るなりの覚悟を持て。鈴にとって一番大切なのはなに? 空たち? 私たち? それとも自分?」



鈴「……」



……こんな状況になっても、まだ決めきれないでいた。


空や涼狐たちのことを一番に考えれば、そういう決断を自分自身ハッキリと言い切れていれば。

ヱ密は種を渡してくれると言っていたし、今ここで御殺や依咒が死ぬこともなかった。


蛇龍乃やヱ密たちのことを一番に考えれば、早い段階でスマホを破壊したり自害でもしていれば。

忍びの皆が死ぬこともなかった。


そして、自分のことを一番に考えていれば、これも同じく。

忍びの皆のことなど無視して空たちに全面的に協力して、元の世界に戻ることができていたのだ。


……でも。



鈴「……そんな一番って、決めなきゃいけないものなの……?」


……皆のことを大切に思うのは、悪いことなの?

……大好きな人たちと大好きな人たちを天秤にかけて、どちらかを選ぶなんて。

……自分には、とても。


しかし、蛇龍乃は。



蛇龍乃「当たり前だろ。望みというものは何かの犠牲無しには絶対に手に入れられない。必要なもの以外は切り捨てろ」

蛇龍乃「お前が中途半端でいるせいで、こうしてたくさんの命が消えていった」


蛇龍乃「さっき空を責めてたようだけど。わかってる? これは鈴、お前が皆を殺したようなものだ」


蛇龍乃「紅寸も立飛も、鹿も牌流も、空蜘も、そっちの探偵二人も……お前が殺したんだよ」



鈴「…っ、あたしが……みんな、を……」



この争いは、自分が招いた。

暴論ではなく、事実として胸に深く突き刺さる。

先程だけで、七つもの命が一瞬で消えた。

この世界に来てから、身近にいた者の死というものを経験したのは今が初めてで。

遅すぎるくらいの実感が、体を、頭を廻ってきて。



鈴「……あたし、が……っ、そんな……」


自分のせいで、皆が死んだ。

いざその言葉を突き付けられて、途端に恐怖が襲ってくる。

……朽ちていった皆が。

……死して尚、自分を恨んでいるような。



空「鈴、その人の言葉なんて聞かなくていいから。鈴は悪くない。それに、もう誰も死なないよ……涼が負けるわけないし、涼だってヱ密を殺したりしない」


ヱ密を殺してしまえば、種は手に入らなくなる。

そうなってしまえば、それこそ。

なんの為にこんなことをしているのかわからなくなる。

御殺と依咒の死も、意味をもたなくなる。


……だが。


空「貴女には死んでもらうけど」


空は蛇龍乃を睨み、言った。

この人は危険だ。

何かを企んでいる以上、不安要素は排除しておかなくては。


空「……」


先程、どのようにして死を回避したのかは知らないが。

今度こそ確実に、消してやる──。


空が白杖を蛇龍乃へ向けようとした瞬間。


蛇龍乃「よっ、と…」


……タンッ、と。

瓦を蹴り跳ね、移動する蛇龍乃。

空の元へではなく。

蛇龍乃が立っている場所、それは。


空「……っ、またそんな卑怯なこと」


空が立つ城の頂上、天守閣から見て城の正面を見下ろせる間の傾斜。

やや高みに位置する空に向かって、蛇龍乃は言う。


蛇龍乃「ほら、私を殺すつもりならさっきの馬鹿デカイの撃ってこいよ。まぁそんなことしたらアイツらも一緒に消えちゃうけどね」


……そう、蛇龍乃の背後にはヱ密と涼狐が戦っている。

もし仮に、空が蛇龍乃へと天撃を放てば、一直線に伸びたその光は地上にいる二人を飲み込んでしまうだろう。



空「……鈴」

鈴「……うん」

空「この戦いが終わるまでちょっと城の中にいて。そっちの方が安全だから」


今この時点で行動が可能なのは、鈴を含めて五人のみ。

ヱ密には涼狐がついているし、蛇龍乃は空が相手している。

戦闘開始とは大きく状況変わっており、鈴を暗殺できる者など今ここには存在しない。

蛇龍乃の企みがわからないのなら、少しでもこの場所から鈴を遠ざけておきたい。

……そう空は考えた。



鈴「……ん、わかった…」


罪がのし掛かってくる、重苦しい表情のまま。

この惨状を改めて理解し、相当にショックだったのか。

言葉数少なく、鈴は城内へと。



蛇龍乃「あれ? いいの? 鈴を一人にしちゃっても」


空「いいですよ。これ以上、蛇龍乃さんの言葉を鈴の耳に入れさせたくないし。それに…」

空「鈴がここにいたら、貴女を殺しにくいじゃないですかぁ?」


蛇龍乃「ははは、巫女様がそんな物騒なこと言ったらダメでしょー。神様に嫌われちゃうよ?」


空「そんなわけないじゃん。なんで悪を裁くことが咎められるんですかねぇ」


……空が白杖を構える。


蛇龍乃「…ん、そりゃそうだ。でもさっきのヤツ、私に効かないのはわかってくれた? 下手すりゃあの二人だけ消えることになるけど?」


空の構えに合わせ、蛇龍乃も。

黒い靄がゆらゆらと纏った腕を、空へと差し向ける。


空「……」


……確かに、蛇龍乃の言う通り。

この位置関係で天撃を放ってしまえば、ヱ密と涼狐も巻き添えにしてしまう恐れがある。

空からしてみれば、ヱ密と涼狐、そのどちらが死んでも困る。


だから、蛇龍乃だけを葬るべく──。



空「なんでさっき私が、“消す”じゃなくて“殺す”って言ったかわかります…?」


蛇龍乃「……?」


空「教えてあげますよ。忍者だろうと探偵だろうと、どれだけ強力な術やトイズでも決して不可能なこと。何かわかるかなぁ」


そして、空は。

白杖の先から光を飛ばす。

それは蛇龍乃に向かっていくものではなく。

その手前。

地上に被害が及ばないよう、蛇龍乃が立つ屋根を狙った。



ガシャーンッ──!!



光の衝撃により、音を立てて瓦が巻き上がり。

蛇龍乃が立っている辺りの屋根が全て崩壊。


……待っているのは、奈落。


一瞬にして足場を失ってしまった蛇龍乃は、地へと叩き付けられるしかない。

そう、どんな強者であっても人間である以上、空を飛ぶことなど出来ないのだ。

この高さから落ちれば、受け身をとるとらない関係無しに、まず助からない。




……が。


屋根は消え、足場だったものはもうそこには無い。

それなのに蛇龍乃の姿は、変わらずそこに在った。



蛇龍乃「あっぶねー、私じゃなかったら死んでたな…」


空「ふーん、そういうこともできたんですねぇ」


……蛇龍乃の足元を見ると。

菱形を横に真っ二つに切断したような、人間一人分ほどの小さな黒の水晶が浮かんでおり。

その上に立つ、蛇龍乃。

これは黒晶壁を応用したものであり、空を閉じ込めた時に箱として機能していたことから。

物理要素も併せ持っている。



空「……でもまぁ、そんなプカプカ浮かんでくれてるならこっちとしても好都合かな」


空は白杖に装飾されている鎖、その繋がりの一つを千切り。

蛇龍乃へと投げる。


蛇龍乃「……っ!?」


一瞬身構えた蛇龍乃だったが。

その破片は近付くにつれて、形を失っていき。

届く頃には、粉々に消滅してしまっていた。


蛇龍乃「……?」


蛇龍乃が何かしたわけではなく。

自然に消えていったもので。

周囲を警戒するが、これといって変わった様子もなく。


……不発?


いや相手はあの空だ、そんな筈は無い。

ならば、一体。


と、そこに。


突如目の前が光ったかと思えば、空が持つ白杖の先から。

光の矢、星撃が放たれる──。


蛇龍乃「やばっ…!」


先程のは蛇龍乃の注意を逸らす為だけのものだったのか。

そのせいで僅かに反応が遅れるも、即座に術を展開して。

自分の前に、黒晶壁を作り出す。


……が、しかし。


衝突する感触が無い。


それもその筈。


この星撃、蛇龍乃に向けて放たれたものではなく。



蛇龍乃「……っ、まさかっ!?」


……上。


まるで雷のように、頭上から光の矢が降ってきた。




一瞬でも空の狙いに気付くのが遅かったら、確実にやられていた。

蛇龍乃は足場である黒晶から飛び退き、寸前で回避。

降ってきた星撃は黒晶に反射し、天へと消えていく。


蛇龍乃「……っ、これは……」



……まったく別の角度からの光撃の正体。

それは先程、空が投げた鎖の欠片で。

あれは消滅したのではなく、ただ視認できなくなっただけであり。

透明になるにつれて、光の粒子を凝縮し、見えない鏡として蛇龍乃の周りに配置されたのである。


よって、今の星撃は蛇龍乃の遥か上に向かって放たれたものであったが。

そこに展開されていた光鏡に反射され、頭上から落とされたというわけだ。



蛇龍乃「……鏡、か」


足元に呼び戻した黒晶の上に立ち、小さく溜め息を吐く。

……間一髪だった。

あんなもの脳天に喰らった時には、一瞬でお陀仏だ。

凍えるような冷たい汗が一筋、背中を伝う。



空「正直、驚きましたよ。今のを避けちゃうとか」


蛇龍乃「まぁね。でも、これはさすがにズルくないか……? さっき私らのこと卑怯とか罵ってたくせに」


空「認めてるんですよ。蛇龍乃さんが相手なら、こうでもしなきゃね」


蛇龍乃「……それはそれは、光栄だねぇ」



余裕を取り繕ってみせているが、内心かなりの危機を感じている蛇龍乃。

星撃なら、黒晶壁を展開すれば防ぐことは可能だが。

それは間に合えば、の話で。

今のように回避したのでは追撃に遇ってもおかしくはない。

光鏡が何処に展開されているのか、蛇龍乃には判断がつかないのが何より厄介で。

頭上に一枚あるようだが、とっくに別の位置に移されていたとしても不思議ではないし。

そもそも、一枚だけの筈がないのだ。

……恐らく、視認できないだけで周囲には既に何枚も。



空「さて、と……いつまで避けられるかなぁ?」


白杖を振り、光の矢が再び放たれる。

蛇龍乃の右斜め上辺りに。

そして、当然のようにそれは反射され、蛇龍乃へと襲い掛かる──。


蛇龍乃「くっ…! ナメるなよ、どうせ私を狙うんだから飛び込んでくる角度さえわかれば」


光が反射された瞬間には、黒晶壁が作り出されており。

それをまた跳ね返してみせる。


空「じゃあ次ね。ほいっ」


息つく間も与えず、放たれる星撃。

今度はさっきとは真逆の左上へ。

蛇龍乃もそれに合わせて、その角度へと壁を作る。


空「…残念でした」


しかし、反射した光はそのまま蛇龍乃へと向かわず。

蛇龍乃の背後へと。

そして、そこに展開されていた光鏡によって、真後ろから蛇龍乃を狙い射つ。


蛇龍乃「……っ」


……やられた。

術の展開は間に合わない。

なら。


仕方無しに、と。

真横へと飛び退き、回避するも。


……光。


御待ちしてましたと言わんばかりに、次の星撃が放たれる──。


宙に投げ出された蛇龍乃。

不利な体勢下にある、今この瞬間最も優先すべきことは何か。

星撃への防御か、それとも足場の確保か。

勿論、この星撃に射たれれば死が待っているのは確実で。

かといってその場かぎりで防いだところで、落下中に次撃で狙われて詰みだ。


どちらを選んだとしても、死へと終着する。



蛇龍乃「…っ、なら両方を選ぶだけだ」



……星撃を防ぎ、足場も確保する。


先程まで足を付けていた黒晶を操作し、瞬間的に自身の前に持ってきて。


星撃を跳ね返す──。


そして、そのまま黒晶を掴み、なんとか落下を免れた。




蛇龍乃「はぁっ……はぁっ……空ぁ……!」


またしても間一髪。

蛇龍乃にしては珍しくギリギリの状態が続き。

徐々に余裕が奪われていく。



……そんな様子を逆撫でするように。

パチパチパチ、と。

対面から拍手を贈る空。



空「いやぁ、お見事お見事。粘りますねぇ」


蛇龍乃「……この私をコケにして只で済むと思うなよ、空」


空「私を殺すんでしょ? だったら途中で死んじゃわないように頑張ってくださいよ、先輩」


……と、光。

またしても白杖から、星撃が放たれる。


蛇龍乃「…そう何度も何度も同じ手が通じると思ったか」


蛇龍乃は、黒靄を大量に放出して。

放たれた星撃へと向かわす。


そう、黒蛇に形作られたそれは光を喰らうべく。

禍々しく伸びていった──。


……光鏡によって、不規則に角度を変えられ後手に回るくらいなら。



蛇龍乃「鏡に触れる前に消してやるよ」


……が、そんな蛇龍乃を嘲笑うように。


空「……うん、頭の良い貴女ならそう対処してくると思った」


蛇龍乃「なっ…!?」


空の星撃は、蛇龍乃の黒蛇に捕まるより先に。

その軌道を変えた。

空は蛇龍乃が仕掛けてくると践んで、遥か手前に光鏡を配置していたのだ。


角度が変わった光は上空へと向き。

そして、そこから更に角度を変えて。

蛇龍乃を目掛け、落ちてくる──。


蛇龍乃「くっ……」


これまた間一髪で黒晶壁を展開し、防ぐ。

が、もう既に次の星撃が射たれており。

右方から、光の矢が襲う。


更には、左方、真後ろ、頭上。


……と、あらゆる方向から蛇龍乃を狙い射つ。



星撃の連射により。

防戦一方の蛇龍乃。

だが、神がかり的な反応速度で次々と黒晶壁を展開。

前後左右、頭上へと。

そう、空を閉じ込めたものと同じような箱を作り、全ての星撃を防ぎ続けた。


光の射す隙間も与えない、絶対防御の箱。

よって、これを展開しているうちは討たれることはない。

星撃では、黒晶壁を打ち破ることができないのだから。



……放たれるものが“星撃”のみならば。



空「そうするしかないですよねぇ。うん、そうしてくれるのを待ってましたよ」


そう笑って、空は。

杖先に溜め込んでいた膨大な光を。



空「──“天撃”」



……放った。


蛇龍乃が立っている黒晶の真下。

その位置に、光鏡を敷き詰め。

天撃を反射させ、下から蛇龍乃を飲み込む。

これなら光は天へと消えるだけ、誰に被害が及ぶこともなく蛇龍乃だけを葬れる。



蛇龍乃「…っ、最初に足場を奪ったのはこの為かっ……」


……まずい。

真下からは、莫大な光の柱が昇ってきている。

とてもじゃないが、逃れられる規模ではない。

黒晶壁を何重にも重ねたところで、天撃相手では。



……ならば。



空「……ならば、どうするつもり? どんな手品を使って天撃から逃れたのか見せてもらいましょうか」




光の噴火の如く。


真下からの天撃によって。


展開していた黒晶の箱ごと、蛇龍乃は飲み込まれた──。


────…………。



蛇龍乃と空。

城の天にて、人外域の攻防が行われている一方で。



涼狐「…っ、ぁ……かはっ……げほっ、げほっ…! はぁっ、はぁっ……!」


幾つもの骸が転がる、城の地では。

空蜘の息の根を止めて、首に絡んでいた糸の拘束から解放された涼狐。

……刹那の差。

数秒遅かったら、自分がああなっていたかもしれない、と。

動かぬ死体となった空蜘に目をやった。



涼狐「はぁ……はぁっ、ぁ……ぐっ、ぅ……っ」


ズキン、と腹部が痛む。

空蜘に貫かれた、傷。

体を起こそうとすると、更に激痛が襲ってきた。


……痛い。


……苦しい。


しかし、まだ倒れるわけにはいかない。

あと一人。

殺すまでは。

依咒の命を奪ったあの女を、この手で殺すまでは。


私は、死ねない──。


……と、そこに。


涼狐「ぅ、くっ…!?」


殺気──。

それを感じた瞬間には、ヱ密の姿が視界に飛び込んできていて。

倒れたままの涼狐に掴み掛かろうとするヱ密。


ヱ密「はぁぁっ…!!」


涼狐「…っ、ぅあっ…くぅっ…!!」



……が、そこはさすが涼狐。

バネのように腕で地面を弾き、瞬時に真横に身体を飛ばし回避する。



ヱ密「さすがに捕まってくれないか」


涼狐「…はぁ、はぁ……っ、はぁ……」


ヱ密「……空蜘にやられたの? 相当辛そうだね」


涼狐「……っ、……」


ヱ密「…涼狐」


涼狐「……黙れ……喋りかけるな」



……赤い瞳を更に燃やし、突き刺すような視線。

ヱ密と涼狐、二人の間を流れる空気が色を変えたように。

静かに、それでいて刺々しく。


涼狐「……殺す……お前だけは殺すっ……絶対に、殺してやる……っ」


ヱ密「……っ」


これまでにないほどの涼狐の迫力に圧倒されかけるが。

ヱ密も、力強い眼で涼狐を見据える。


……そして。


示し合わせたかのように。

二人は、ほぼ同時に。

地を蹴り飛ばし。


一直線に、互いへと迫る──。



鼻先が触れるほどに、距離が詰まるのは一瞬で。

先手を取ったのはヱ密。

超速のまま、殴撃を涼狐へと放つ。


ヱ密「はぁぁぁぁっ!!」

涼狐「……殺す、殺す殺す殺すっ…!」


隠すこと無く、強烈な殺意を纏う涼狐だったが。

その動きは、あくまで冷静そのもので。

身を捻り、飛んでくる拳をなんなく避けると。

その勢いのまま、くるりと横に回転しつつ上空へと跳ね上がる。



涼狐「……死ねっ」



そして、空中から。

綺麗な弧を描く回し蹴りを、ヱ密の顔面へと放った──。


ヱ密「ぁくっ…!」


咄嗟に腕を出し、防御。

涼狐はヱ密のその腕に更に力を込め、自身の身体を押し出すように。

ヱ密の背後へと着地、した瞬間。


ガシッ──!


ヱ密「ぐぁっ…!?」


足を払い、体勢が崩れたヱ密を。

側面から容赦なく蹴り飛ばし。


メキッ──!


肋骨を砕いた。



ヱ密「うぁぁああっ…!!」


……涼狐の猛撃は終わらない。

トイズを使い、ヱ密を捉えると。

その身体を高々と上空へと投げ放つ──。


ヱ密「ぁぐっ、ぅうっ……!」



そして、宙から落下してくるヱ密に。



涼狐「……死ね」



ヒュッ──!


……刀が飛び迫る。


ヱ密「……っ!」


こんな空中では、避けるのはとても不可能。

だとしたら、これを対処する手段は一つ。


……そう、なんとしてでも掴むしかない。


ヱ密は必死に、向かってくる刀に集中を注ぐ。


が、そんなヱ密をするりと避けるように。

刀は軌道を変え、ヱ密よりも遥か上空へと。


ヱ密「…なっ、やば、い……っ」



ヱ密なら着地と同時に、対処を打つことも可能だったかもしれない。

しかし、涼狐がそれを許す筈もなく。

地面に落とされる、その刹那を縫って。


グサッ──!!


降ってきた刀は、ヱ密の背中を突き刺した。



ヱ密「ぁあっ、ぐぎゅっ……がっ、ぁぁああっ……!!」


これは避けられない、と。

頭、首、心臓は守ったものの。

突き刺さったままの刀が、まだトイズの制御下にあることをその身で感じた。



……グジュッ。


ヱ密「ぁぐぅぁぁっ…!!!!」


刃は肌を裂き、肉を抉りながら。

心臓へと向かっていく。


それだけはさせてなるものか、と。

想像を絶する激痛に悶えながらも、刀の柄を握り。


グヂャッ──!!


……強引に自分の体から、引き抜いた。



ヱ密「ぁああっ…! ぐぁ……っ、はぁっ……ぅうっ、はぁっ、はぁっ……!!」


その刀を杖代わりに、体を起こし。

顔を上げると。



涼狐「…………」


無表情のまま、こちらにゆっくりと向かってくる涼狐。



ヱ密「…っ、ぁ……はぁ、はぁっ……ぁ、ぐ……っ」



……何度目だろう、こう思うのは。


涼狐は、強すぎる──。


片目を奪われても。

トイズに制限が課せられても。

普通なら立っていられない程の深傷を負わされても。


まるで太刀打ち出来ない。

圧倒的過ぎるまでの、力の差。



ヱ密「……っ、涼狐っ……」


涼狐「……」


ヱ密「…はぁ、はぁっ……私、を……殺すの……?」



ヱ密を殺してしまったら、種は手に入らない。

そのことを理解していない涼狐ではないだろう。

……だが。

依咒を殺され、御殺を殺され。

すべての憎しみは今この瞬間、ヱ密に向けられている。

そのことで、感情的になっているのか。


誰がどう見ても、今の涼狐は。

殺意に染められている状態で。



涼狐「命乞いなら聞かない……その命をもって償え」


涼狐「……っ、汚ない手を使わなきゃ、私に傷一つ付けられない癖に……卑怯者っ……なんでっ、お前なんかに……お前らなんかにっ……」

涼狐「……許さない……私はお前を許さない……っ、ほら、お得意の汚ない手、使ってみたら…?」


ヱ密「……無いよ」

ヱ密「……もう……何も、無い……」


涼狐「そう。まぁそれが嘘だろうと、お前が何をしてこようと……殺すけど」



……本気だ。

涼狐は、本気で私を殺そうとしている。

こんなにも、殺意を全面的に押し出している涼狐が相手だ。

付け入る隙なんか、とても見付からない。

勝機なんか、ほぼ零だろう。


……でも。



ヱ密「……それでも……っ、このまま、涼狐に殺されるわけにはいかないんだよ……っ」



私は、涼狐を倒さなくてはならない。

何故か。

そんなの決まってる。

それが、与えられた任務であるから。



涼狐「……お前の仲間は全員死んだ、誰も助けてくれない、起死回生の策も無い……これで本当に最後」


涼狐「終わりだよ、ヱ密……地獄に落ちろ、忍者」



涼狐「死ね──」


──……。



莫大な規模による、光の搦流。


地と天を結ぶような、巨大な筒となって。


圧し昇ってきた天撃──。


それは黒晶を瞬く間に消失させ、蛇龍乃を呑み込み。


やがて天へと。


消えていった──。




空「…………」


その様を、ただじっと見つめていた空。

逃れられようもない。

間違いなく、蛇龍乃はあの中に。

天撃により、塵一つ残らない無へと還っていった筈。


……だが。

光が蛇龍乃を呑み込む際のある違和感が、その目には映っていた。


怪訝そうな面持ちのまま、天撃が昇っていった先の空を見上げる。



……と。


空「……っ!?」



その天から降って落ちてくる何か。


人の形をしたもの。


……そう、蛇龍乃だった。



そして、その体を受け止めるように。

展開された黒晶。

それにしがみつき、蛇龍乃は三度、空の前に現れたのだった。



蛇龍乃「はぁ……はぁっ……、この演算、めちゃくちゃ神経使うわぁ……」


空「……っ、マジで驚いた……今の、歪み……?」



……歪み。

空が言ったことは概ね正しく。


人間が活動する為に必要不可欠な熱量。

そう、以前に鈴も経験した忍びの基礎である熱量の制御が大きく関わる。

通常ならば、体内を流れるものであり。

筋肉や神経に作用させる効果で、忍びたちは身体能力を高めている。


が、しかし。

蛇龍乃はというと、まず根本から大きく異なっていた。


その熱量を、体外へと押し寄せ。

自身を纏う黒靄と調律させたことによって。

身体の表面に、膜としての“歪み”を作り出した。


大気の密度を強引に捻曲させ、揺らめくは陽炎。

いや、規模こそ人間一人分という僅かなものだが、その周囲の密度の濃さ。

反対に、蛇龍乃自身を纏う大気の密度は歪膜の影響から、限り無く零に近く。

その極端過ぎる大気バランスを支配し、そこに出現するのは。


蜃気楼──。


そもそも光というのは、空気の密度の高い方。そして温度の低い方へと向かう性質をもっている。

所謂、屈折である。


よって、蛇龍乃は。

天撃ほどの光量をほぼ屈折させ、自身に圧し掛かる襲ってくる衝撃を数億分の一まで抑えたのだった。

が、それであっても衝撃は零ではないのだから。

遥か上空まで体は打ち上げられてしまったわけだが。


それでも、命は消えることなく。


こうして此処に在る。



蛇龍乃「…ふぅ……はぁ、はぁっ……残念だったな、殺せなくて」


空「……正直、信じられない……蛇龍乃さん、貴女……同時に別々の術を展開できるとか」



蛇龍乃が蜃気楼を作り出し、天撃を避けたこともそうだが。

それよりも空が驚いたのは。

術を使用しながら、まったく別の術を発動させた事実。


これまでの戦闘のなかでも、黒晶壁を使いながら、黒蛇を放っていたが。

それは、黒晶壁と黒蛇が同系統の性質を持ってたからで。


……しかし、今回のはまるで訳が違う。


単純に脳が二つ三つあれば、という話ではなく。

喩え、蛇龍乃の他にデュアル・トリックの術者が存在しても驚かないが。

同時に複数の術を展開するとなったら、話は別。


空からしてみても、理解の範疇外。


並外れた演算能力を持つ蛇龍乃だからこそ、成し得た所業なのである。



空「……すごい」


蛇龍乃「…でしょ? もっと崇めていいよー、なんて」


空「忍びの頭領にしておくのが勿体無いくらい……でも、残念です」



空「蛇龍乃さんがどんなに強くても……相手が悪すぎましたね」



蛇龍乃「……だな」



蛇龍乃「…………っ」



……相手が悪すぎた。

その言葉は、言葉通りの意味であり。

もし仮に、蛇龍乃の相手が御殺や依咒、涼狐であったとしたなら。

蛇龍乃にも充分に勝機があったかもしれない。

だが、蛇龍乃以外の誰が空に対してここまで健闘出来ただろうか。


この短時間に二度も蜃気楼を展開したのだ。

澄ましてみせていても、その疲弊は甚大で。

そのことを空も見抜いている。



蛇龍乃「……空、ちょっと休憩しない?」


空「忍びなら、討てる好機をみすみす逃したりしないんでしょ?」


蛇龍乃「えー……お前、忍びじゃないじゃん……」


空「あんな大技発動させたり、複数の術を展開したり、さすがですけど。それでも私相手だと状況は変わりっこない」



……そう言いながら、白杖の鎖から欠片を二つ千切り。

空は星撃を放った──。

先程までとまったく同じ様に、光鏡に反射させ、死角から蛇龍乃を狙い撃つ。


蛇龍乃「くっ…! 待てっつってんのにっ、またかよっ…!」



……光、光、光。


相次ぐ星撃の乱射。


こうなれば、蛇龍乃も同じ対処を打つしかなく。

防御に徹しなければ。

一撃でも喰らえば、死が待っているのだから。

身を囲うように、黒晶壁を展開して、箱を作る。


しかし、先程とまったく同じ攻防ということは。



……当然。



空「──“天撃”」



……こうなる。


真下に設置されていた光鏡に反射しての、天撃。

だが、空もこれで蛇龍乃を殺せるとは考えてはいない。

また蜃気楼を展開し、逃れるだろう。

それでもいい。

どうせ使える回数も残数は限られているのだから、尽きるのも時間の問題。

超一流の術者を称える意味合いも兼ね、その術力をすべて奪ってカラカラの状態で葬ってやろう、と。



蛇龍乃「…っ、ただでやられると思うなよっ…!」


天撃に呑まれる直前に蛇龍乃は。

展開していた箱、空側にある一枚を巨大な黒蛇に変え。

空へ、放った──。


空「…相討ち狙い? いや、この状態でも蜃気楼を発動させる自信満々ってことですよね。……ん、ああ、なるほど」



天撃を放った直後を狙われた空だったが。

慌てることなど一切無く。

たしかに、“天撃”は“星撃”にように連発は不可能。

あのような大蛇、星撃ではあっさり呑まれてしまうだろう。


……そこで、空は。



空「こんな勢いだけの手段に出るなんて、らしくないですねぇ。余裕が無くなってきてる証拠かな」


予め握っていた鎖の欠片を投げつけた。

その一つは目の前で弾け消え、肉眼でも視認可能なほどの魔方陣が宙に現れ。


魔方陣、大光鏡は。


飛び込んでくる大蛇を阻む──。



……弾かれ崩れた大蛇はその形を失い、大量の黒靄となって煙のように舞い上がっていった。



空「蜃気楼の演算、うっかりミスらないでくださいよ?」



決死の攻撃も、空には届かず。


蛇龍乃は三度目となる天撃に、呑み込まれていった。



空「…………」



蛇龍乃が打ち上げられた上空を見つめる。

演算に失敗してあのまま消されていなければ、そろそろ落ちてくる筈だが。


……一向にその気配は無い。


と、そこに。


……気配。



「あんな安直な手段をこの私が選ぶわけないだろ」



先程まで対峙していた空と蛇龍乃の位置関係。

そのまったく反対側、空の背後に突如出現した黒晶の箱。

中にいるのは当然の如く、蛇龍乃本人で。


……まるで手品のような、瞬間脱出からの移動。


天撃に呑まれる瞬間に、蛇龍乃は。

蜃気楼を展開する為に必要不可欠な熱量を体外だけに留めず。

更には既に展開していた黒晶の箱まで効果範囲を広げ。


蜃気楼は、箱を含んだ状態で発動された。


そして、その前に放っていた大蛇。

光鏡と衝突し、靄となったそれは空の視界を遮るだけでなく。

打ち上げられた黒晶の箱を引き寄せるべく、集束の役割も兼ねていたものであった。


蛇龍乃「油断したな、空……私の勝ちだ」


隙だらけの背後から、空を討とうとする蛇龍乃に。

……空は、というと。

振り向きもせず、ただ口元を緩ませ。


空「そっくりそのままお返しすると……そんな安直な策にこの私が気付かないとでも?」


蛇龍乃「え…?」



間の抜けた声を漏らす。

その瞬間に、蛇龍乃の視界に映ったものは。

光。

それもあまりに強大な光。

そう。

間違いなく、あれは。


天撃──。



蛇龍乃「…っ!?」



……有り得ない。

空はここにいるのに、天から降ってくるあの天撃は。


と、そこでようやく気付く。


そう、この天撃は数瞬前に放った天撃とまったく同じもので。

なら何故、その天撃がこうして蛇龍乃を追い掛けるように戻ってきているのか。

……答えは一つしかない。

空が握っていた二つの鎖の欠片。

一つは、大蛇を防ぐべく自分の前に展開。


……そして、もう一つは。


遥か天高く、天撃が昇っていく位置。

そこに光鏡として展開していたのだ。


蛇龍乃なら、この策を仕掛けてくるであろうと。


全てを見越したうえで、反射角度も一寸の狂いもなく。


頭上から降ってくる天撃は。



蛇龍乃「…っ、くっ……空ぁっ……!!!!」



蛇龍乃を呑み込んだ──。


──……。



空「……しぶといですね」


城の屋根の端にしがみつき、その身をよじ登らせる蛇龍乃に。

空が言う。



蛇龍乃「っ、はぁっ、はぁっ……ぁ……っ」

空「その様子だと、もう術も使えないんでしょ? だったら素直に落とされて隠れてればよかったのに」


完全なる不意討ちであった今の天撃を、辛うじて蜃気楼を展開し。

命を守ったのは見事だったが。

もう、そのせいで蛇龍乃の術力は枯れ果ててしまい。

腕に纏っていた黒靄も、今はもう無い。



蛇龍乃「はぁ……はぁっ……、だってそうしたら、お前、ヱ密を狙うだろ……」

空「まぁ別に私が手を出さなくても涼がいるし」


蛇龍乃「…………そう、だったな……」



地上に目をやると。

次の瞬間には、涼狐に殺されてしまうであろうヱ密の姿。



蛇龍乃「……っ」



……ああ。

……駄目だったか。


あのヱ密が、任務を遂行できないとは。

自分が言えたことではない。

蛇龍乃だって、こうして空を前に完璧に破れてしまったのだから。

時期に、ヱ密が破れ、蛇龍乃も。


蛇龍乃の瞳に、ついに諦めが灯ろうとしていた。


……その時。



空「え……? な、何やってんの……」


蛇龍乃「え……?」



地上を見下ろす、二人の視線の先──。



涼狐「──死ね、ヱ密」


ヱ密「…っ、ぅう……ぁ、はぁっ、はぁっ……」



ヱ密にとどめを刺すべく、その足を近付ける涼狐。


……と、そこに。



涼狐「…………何のつもり……?」



涼狐「……どうして、そこにいるの? ……答えて」



涼狐「鈴」



鈴「…………」



二人の間に。

ヱ密を庇うように、涼狐の前に立ち塞がる鈴の姿が。

そこにはあった。



鈴「……涼狐、もうやめて」


涼狐「……は?」


鈴「もう勝負はついてるでしょ……? これ以上、戦う意味なんて、ないよ……っ」


涼狐「……鈴」


鈴「涼狐……」



涼狐「邪魔」



涼狐「そこを退いて。そいつは殺さなきゃいけないの……私が、この手でっ……!」


鈴「……そう……涼狐は、やっぱりそうなんだね……だったら、あたしは退くわけにはいかない」



鈴「もう誰も、殺させない……っ、……えみつんは、あたしが守る」



ヱ密「……鈴、ちゃん」


ずっと前に、鈴が口にした台詞が。

ヱ密の脳裏に、ふと思い起こされた。


『じゃあ誰がえみつんを守ってあげるの?』


……たしかに、皆が死んで、蛇龍乃も空に苦戦を強いられている現状。

自分を守ってくれる者など、誰もいない。

だからといって、守ってもらうつもりなんて無かったし。

あの時だって、きっぱり否定してやった。

ましてやこの状況で、鈴が涼狐をどうこう出来るわけがないのは明白。


今の涼狐は普通の状態ではないのだから、探偵側の協力者である鈴だとしても感情的に殺されてしまってもおかしくはなく。


わざわざ殺されに来たとしか、思えないのだ。


……余計な、お世話。



ヱ密「……っ、……鈴ちゃん、守ってくれなんて、誰が頼んだ……?」


鈴「あたしがそうしたいから……えみつんがこのまま殺されるのは嫌だから、こうしてるだけ」


ヱ密「…っ、いいから、そんなのっ……! 私は、殺されたとしても」


鈴「よくないっ…!! あたしが、守るんだっ……、あたしのせいで、みんなが……っ」


鈴「だから…」


涼狐「邪魔するつもりなら、あんたも殺すよ? 鈴」


鈴「……っ」



……ゾクリ、と。

初めて体験する。

戦いの最中での、涼狐の威圧感。

手足が、全身が、震える。


……それでも。


守ると決めた。

自分のせいで死なせてしまった皆の分まで。

ヱ密を守ると、そう自分に誓った。

誓ったから、今こうして涼狐の前に立っている。



鈴「…っ、涼狐っ……!」



鈴は震えるその手で、短刀を握り締める。

この刀で、これまで二人の命を奪ってきた。

皆と比べたら、経験などそれこそ皆無に近いが。


勿論、涼狐だって鈴の大切な仲間である。

だから、殺しはしたくない。

重傷を負っている今の涼狐なら、行動を奪うくらいは。


こんな刀一本でも、誰かを守ることくらいはできる。


……やってやる。


強い視線を、涼狐に向け。

臆する心を奮い立たせる。



涼狐「……本気なの? 鈴」


鈴「ちょっとだけ、大人しくしてて……お願いだから。ごめんね、涼狐」


涼狐「……」


鈴「はぁぁぁぁっ…!!!!」



鈴は、短刀を固く強く握り、迫る──。



そして、刀を、その刃先を涼狐へと。



涼狐「…さっき訊いたのは、本気で私に敵うと思ってるの、ってこと」


……そう、いくら涼狐が重傷を負っていたとしても。

……鈴が万全な状態であったとしても。

ヱ密や空蜘がまるで歯が立たなかった相手に、鈴が敵うわけがないのだ。


涼狐「場違いなんだよ、あんたは」


それを理解させるように、涼狐は。

迫ってくる短刀を、避けることもせず。

ただ、腕を振って払った。


……手刀が刃に触れ。



パキンッ──!



……鈴が持つ短刀の刃は、なんとも容易く。


……真っ二つに折られた。



空「……鈴」



その様子をじっと見ていた空と蛇龍乃。


予想通りの結果。

鈴では、涼狐に到底敵わない。

そんなこと、ここにいる誰もが分かりきっていた。


……長きに渡った戦いも、これで終幕。


空たち探偵側としても、御殺と依咒を失ってしまったのは痛すぎる。

蛇龍乃とヱ密を、とりあえず拘束して。

それからのことは、涼狐とどうするか相談して。


……と、そこに。



蛇龍乃「…くくっ……あはははははっ…!!」



突如、笑い出す蛇龍乃。

全滅が確定して、気でも狂ったか。



空「……蛇龍乃さん」


蛇龍乃「くくくくっ……正直、あてにしてなかったけど、こうも上手くいくとはねぇ……」


空「……?」


蛇龍乃「やっぱお前ら、神様に嫌われちゃってるな」


空「……何言ってるんですか…?」


蛇龍乃「ほーら、わかんないならよーく見てみろ」


蛇龍乃が指差すのは、鈴たちのいる地上。


……涼狐が短刀を叩き折り、鈴にもう為す術はない筈だが。



涼狐「鈴、最後の忠告。そこを退いて……っ、え? なっ…!?」


鈴「…っ、え……なに、これ……?」



涼狐と鈴、二人の目の前には。


禍々しい真っ黒の靄。


折られた刃の間から、それは噴き出してきて。


まるで生きているかのような、蛇の形となって涼狐の体を縛り付けた──。



涼狐「ぁぐっ、っ…ぅ……うぅぁぁああああっ──!!!!」


悲痛な叫びを上げ。

倒れ、苦しみに悶える。

明らかに、只事ではない涼狐の様子。




空「ど、どういうこと……? まさか、蛇龍乃さんが……何をしたの!?」


蛇龍乃「はははっ、私はね……こう見えて、鈴のことはかなり可愛がってやってたんだよ」



なんとも愉快そうに、笑う蛇龍乃。



蛇龍乃「お前も知っての通り、鈴は頭も弱く、力も弱く、それでいて情けなく頼りない……まだまだ到底一人前の忍びにはなれそうにもなかったからね」


蛇龍乃「だから、親心ってやつかな? 鈴にもしものことがあった時、私が側にいなくても、救ってやれるように」


蛇龍乃「鈴が大事に大事に持っていたあの短刀は、私が授けたものだ」


空「……あれに、何か仕掛けを…?」


蛇龍乃「正解。まぁ仕掛けというか、術ともまた違ってて……そうだな、簡単にいえば」







蛇龍乃「──呪いだ」



涼狐「──ぁあぅうう……っ、がっ、ぁあああっ……!!!!」



蛇の形をした濃い黒靄は。

涼狐に巻き付き、身体中を強く締め上げたまま。

徐々に色が薄くなっていった。


消えていったのではなく、身体の内側に溶け込んでいっただけ。


地面の上を、のたうち回り。


更に、苦しみ悶える涼狐。




蛇龍乃「さぁて、いつまで堪えられるかな」


空「す、涼っ……あれを解く、方法は」

蛇龍乃「呪いの解き方なんか古代から決まってたった一つだけだろ」


そう、それは。

呪いを掛けた本人、術者を殺すこと。

しかし。


蛇龍乃「遅すぎたな、空。涼狐の意識にはお前も干渉してるんだろ? ……ならわかるよね? どれだけアレがヤバい状態か」


空「……っ」



涼狐の内側に異常が生じれば、当然空にも伝わってくる。

涼狐の意識全てに干渉しているわけではなく、ほんの少量、僅かばかりに。

僅かばかりだからこそ、逆に考えれば。

今、自分に伝わる不快感、その何百何千倍も涼狐が感じているというわけで。


……このままでは。


……間違いなく、涼狐は死ぬ。


そのことを、空も理解させられた。



蛇龍乃「……だったら空、お前がこれからしなきゃいけないことは一つだけだ」



蛇龍乃に言われるまでもなく、もう既に。

空はそれをしていた。


呪いに侵された涼狐を死から救うべく、手段とは。


……それは。


涼狐の内側に注いでいた自分の意識を自分へと戻すこと。

その時に、涼狐のなかを侵食してしまっていた“呪い”全てを意識に絡め取り、回収する。


つまり、涼狐へ掛けられた呪いを空がすべて請け負ったというわけだ。



……そうした結果、どうなるかというと。




空「ぁ……ぅあっ、ぐっ、はぁっ……ぅぅあ、ぁぁああああああっ──!!!!」



当然、空は呪いによって苦しむことになる。

あと数秒遅ければ涼狐は死んでいたであろう凶悪な呪いだ、いくら空といえど。


……まともに活動できる状態ではなく。



……そして、もう一つ。


空の意識が涼狐の中から消えてしまった、ということは。


そもそも、どうして空は自分の意識の一部を涼狐へ注いでいたのか。

そう、立飛の種を応用して、涼狐の失ってしまった視界を映すためである。

だが、呪いから救うべく、空の意識が涼狐から引き抜かれた。



……ということは。




涼狐「…っ、ぁ……っ、はぁっ……はぁっ……、…………え?」




……黒。


……何処までも、無限に続いていく黒。


……涼狐の瞳から。


……光は消えた。




ただの一手。


鈴の行動一つで戦況は一変した。


呪縛を己の身で引き受けた空と、光を失った涼狐。


二人は一瞬にして、ほぼ戦闘不能に陥る。


即ち、形勢逆転。


もしも、蛇龍乃が既に死んでいたら。

もしも、鈴の短刀が奪われていたら。

もしも、立飛が涼狐の眼を潰していなかったら。

もしも、涼狐が短刀を折ったりしなかったら。


もしも……



そんな、何重にも偶然が重なり、もたらされた。



……運命の悪戯。



……プツリ、と。


配線を断ち切られたかのように。


視覚からの情報が遮断された。


そこは、光の無い世界。



涼狐「……ぅ……っ、ぁ……な、なんで……」


と、そこまで発したところで。

……涼狐は気付く。

つい先程まで自分を襲っていた苦しみが忽然と消え。

同時に、光、視力が消えた。

それが意味することは、一つ。


涼狐「…っ、そ、空っ…!? そらぁぁっ……!!」



突如、城の天守閣の方へ向かって叫ぶ涼狐に。



鈴「す、涼狐……?」

ヱ密「……?」


何が起こったか、まるでわからないといった様子の二人。


鈴「ど、どうしたの……? ねぇ…」


……涼狐に近付こうとする鈴、その足音に。



涼狐「…っ!! ぁぐゃっ……ぅうっ……!!」



過剰に反応し、体を起こして逃げるように飛び退く。

しかし、腹部の傷の痛みが襲い掛かり、足が縺れ倒れてしまった。



鈴「……涼狐?」



涼狐「…っ、はぁ……はぁっ、はぁっ……!」



戦場のど真ん中で、途端に視力を奪われてしまえば。

足音も、声も。

空気の流れですら。

それは、恐怖となって、涼狐を殺しにかかる。

常時、断崖絶壁にその身を晒されているかのように。



涼狐「…ぅ、ううっ……来るな……来るなぁぁっ……!!」


鈴「だ、大丈夫……? 涼狐…」



涼狐「…っ、うぅああぁぁっ!!」



耳を突いてくる足音。

涼狐は、ただ音が聴こえた位置に。

獣のように飛び掛かり、攻撃を放った──。


鈴「…っ!?」

ヱ密「鈴ちゃんっ…!」

鈴「きゃっ…!」


間一髪のところを、ヱ密に抱えられて回避する。


さっきとは逆。

今度は鈴を庇うように、その前に立ち。

涼狐の追撃に備え、構えをとるヱ密だった。



……が。



ヱ密「……?」


涼狐「……っ、ぅう……どこ……? どこに、いる……っ!?」


殺さなくては、殺されてしまう。

しかし、一度敵の姿、鈴とヱ密を見失うと。

自分の立ってる位置さえ、わからなくなる。

ぐるぐると、世界が回り、飲み込まれてしまうようで。


……闇という、最大の敵。

その恐怖と不安は、確実に涼狐の精神を蝕む。



涼狐「……はぁ……、はぁ……はぁっ……」


ヱ密「……涼狐……もしかして、目を」


涼狐「…っ、そこかぁっ…!!」



ヱ密の声が聴こえた方向へと、蹴りを繰り出した。

こんな状態に陥っても、さすがは涼狐。

声が届いた距離、ヱ密がいるであろう位置を完璧に予測したものであった。


……しかし。


ヱ密「……」


仕方の無いこととはいえ。

涼狐らしからぬ、大振りのそれを。

避けるなど、極めて容易く。



涼狐「くっ……はぁっ、はぁっ……!」



……またもやヱ密の位置を見失ってしまう。


そして、少し離れた場所から。


ヒュッ──!


くないが投げ放たれた。


涼狐「ぁぐっ…!!」


遠距離からの飛び道具。

今の涼狐に、避けられる筈もなく。

くないは、涼狐の右の太股に深く突き刺さった。



涼狐「…ぅうっ……ぁ……っ、ぐぅっ……!!」


倒れまいと、必死に体勢を保とうとする涼狐に。

……非情にもヱ密は。


ヒュッ──!


グチャッ──!!


涼狐「ぅぐぁっ…!! はぁぅ、ぁ……がっ、ぎゅ……ぅううっ……!!」


左の太股に、放たれたくないが突き刺さり。

涼狐はその場に倒れ落ちた。



ヱ密「……涼狐」



涼狐「…っ、……はぁ……はぁっ……ぅぐっ…ぁ……ぅぅっ……ゅ、ぁ……っ……!!」



痛みなんか、苦しみなんか、どうでもよくなるくらいに。


……悔しくて。


……情けなくて。


涙が、溢れてくる。


たかが視力を失ったくらいで。

こんなにも、弱くなって。

どんなに微かでも、どんなに朧でもいい。

光さえあれば。


……絶対に、負けないのに。


どうして、自分がこんな目に遇わなければいけないのか。


光を奪われ、仲間を奪われ。


たしかに、相手にも、忍者にも同じことをしてきた自分たち。


それでも、正義の名の元に。


正しい行いとして、善を貫いてきたのに。


神が、天が、自分たちを見放して。


こんな、忍者共に味方するなんて、あるわけがない。


……それなのに、どうして。



『……本当に?』



……声。

どこからか聴こえてきた声、それは。

自分の声だった。



『本当に自分が正義だと、正しいと信じるなら……どうして貴女は皆に嘘をつき続けているの?』



……それは。


……だって。


……そうしなきゃ。



『貴女はずるい。臆病で、中途半端で、……まるで誰かさんと同じ』



……うん。


……その通り。


……わかってた。


私は、皆を裏切ろうとしていた。

だから、天にも裏切られたんだ。

私のせいで、御殺も依咒ちゃんも死んでしまったんだ。


……全部、私のせいで。



「あたしの罪を半分背負ってもらう代わりに、涼狐の罪も半分あたしに背負わせてよ」



真っ暗な闇のなか、一瞬だけ僅かな光が見えた気がした。


……ああ、そうか。


……語りかけてくるこの声は。


……あんただったのか。


……鈴。


……そりゃ、見抜かれちゃうわけだ。


……だって、あんたは私なんだから。



涼狐「……っ、ぁ……ああ……そこに、いるの……? ……鈴」



倒れたまま、顔を上げた涼狐の側には。

鈴とヱ密の姿があった。



……そして。



鈴「……涼狐、あんた……そらの計画を壊すつもりだったんでしょ……?」



涼狐「…………」


鈴「……そらと、離れたくなかったから」



……唇を噛み締めながら、涼狐は。

……ポツリ、ポツリ、と。

……言葉を落とす。



涼狐「…………ずっと、どうしたらいいのか、わからなかった……それは、今でも」



このXenotopia計画が発動したら。

どの世界からも、空は消えてしまう。


……一度は理解した。


大好きな空の気持ちを汲んであげないと、と思って。


……でも。


大好きな空と離れたくないという自分も、確かに存在していて。

計画が現実味を帯びていけばいくほど、不安も増していって。



……それでも、迷っていながらも、この戦いが始まった段階では。

計画の為に、という気持ちでいたのだと思う。

しかし、こうしてヱ密や空蜘と拳を交えているうちに。


……悪魔が寄り添ってきた。

楽になりたいと考えていた自分に。

悪魔による、甘い囁き。


この計画に不可欠なものは、四つ──。

空自身と、種を宿すスマホ、種を発動させる鈴。


……そして、未回収である種を持つヱ密。


……だったら。


そのヱ密を、殺してしまえば──。



ヱ密「……だから、私を殺そうと…」



勿論、躊躇った。

空も御殺も依咒も、計画のために戦っている。

自分一人、それをぶち壊すわけにはいかない、と。


……だが。


ヱ密によって、依咒が討たれたことにより。

殺す理由に、正当性を与えられてしまった。

自分の願望のために、依咒の死を利用してしまったのだ。


……天に見放されても、仕方の無いことか。


……うん、罰が下ったとしても、おかしくない。



……でも。



涼狐「……っ、だからといって、お前を許すわけにはいかないんだよ……ヱ密……っ」


懸命に、起き上がろうとする涼狐──。


鈴「涼狐…っ!? そんな状態で、なにをっ…」

ヱ密「…鈴ちゃん、下がってて」


涼狐に駆け寄ろうとする鈴を制するヱ密。

そして、言う。



ヱ密「決着をつけようか、涼狐」


涼狐「…っ、ヱ密っ……!」


ヱ密「悪いけど、同情はしないよ。涼狐の戦う理由がなんであろうと、両目が機能しなくなってトイズも使えなくても」

ヱ密「私たちが汚ない手を使ったからとか、運が悪かったとか、そんなので一切の容赦はしない」

ヱ密「私に与えられた任務は、涼狐を倒すこと。涼狐が向かってくる以上……全力で叩き潰す」


涼狐「……っ、そんなので、私に勝ったとして、喜べるの……?」


ヱ密「喜べるよ。私は忍び。求められるのは結果だけだから」


涼狐「……私は、探偵としての前に、一人の人間として……失った仲間のために、失いたくない仲間のために……負けるわけには、いかないっ……!」



これが、本当の、最後──。



開戦の合図も無いままに。

不意打ちの如く、先手を打ったのは涼狐の方だった。

今こうして言葉を交わし、おおよその位置は掴めている。

それを逃すわけにはいかないのだ。


涼狐「はぁぁぁっ…!!」


体の真ん中に、そして両足に、深い傷を負っている身。

本当なら、動ける筈のない状態。

しかし、涼狐は。

その意地で、その信念で。

肉体を奮い立たせ、鋭い蹴りを放った──。


ヱ密「くっ…!」


あまりの瞬発力、速度で放たれた蹴り。

恐らく、今までで一番の鋭さ、重さ。

回避が間に合わなく、咄嗟に腕で受け止める。


涼狐としても、避けられるわけにはいかないのだ。

位置を失っては、勝機は殆んど消えてしまう。


……だから、逃しはしない。



涼狐「死ねっ…、死、ねぇぇっ……!!!!」


まるで、鬼神。

畳み掛けるような、乱撃。

反撃はおろか、回避すらも許されない。

ヱ密はそれら全てを受けきるしかなく、受けたら受けたで更なる攻撃が飛んでくる。


……この期に及んで、この強さ。



ヒュッ──!



ヱ密「……っ」


と、そこに。

横一閃に放たれた蹴り──。

ヱ密は防御の腕を下ろし。

喰らう瞬間に、僅かに両足を浮かせる。


ズドッ──!!


ヱ密「ぅああぁっ…!!」


涼狐「…っ、しまった……!」


回避が出来ないのなら、と。

わざとその攻撃を喰らい、吹っ飛ばされたヱ密。


涼狐「……っ」


今ので仕留めたとは思っていない涼狐は。

周囲を警戒するが、ただでさえ読みづらいヱ密の気配だ。

視界が零の状態では、どうしようも。


……と。


ヒュッ──!


気配というより、風圧。

背後からのそれは、避けられない。

……なら、せめて、と。

体を振り向かせ、正面で。


ズドッ──!!


涼狐「ぁああっ、ぐぁぁぁああっ…!!」


意識を奪われるほどの、激痛。

ヱ密の殴撃は、空蜘に貫かれた腹部を捉えたものであった。

が、涼狐の狙いとしては。

もうこれしか残っていない。


ガシッ──!


ヱ密「……っ!?」

涼狐「ぅうっ、ぁぐ……はぁっ、はぁっ……!!」


攻撃を喰らいながらも、ヱ密の腕を掴む涼狐。

そう、離れられたら位置を見失う。

ならば、こうして捕らえた状態なら。



ヱ密「……涼狐」


涼狐「…っ、うぅっ、ぅぅうっ……!!」



……無情にも。


ヱ密と涼狐、互いが万全の状態だったとしても。

戦闘における項目の殆んどで、ヱ密を圧倒している涼狐。

しかし、そんな涼狐がヱ密に敵わない唯一のこと。

それは。

単純な腕力だ──。


ヱ密を捕らえたからといって、力と力で敵うわけがない。

そのことを涼狐も、重々理解していたが。

こうする他無かったのだから、こうするしかなく。



ヱ密「これで、終わりだよ……涼狐っ!」



抗っても、抗いきれない力に。

押し潰される。

体が宙に浮いたかと思えば。

次の瞬間には、地に叩き付けられ──。


涼狐「ぅあっ…、ぐぁあっ……!!」


そして、ヱ密は。

涼狐の首を掴み、力を込める。



グググッ──!



涼狐「…ゅあ……っ、か……ふっ……ぁ、ぁあっ……!」



意識が、遠退いていく。


もう、指一本動かせる気がしない。


……負けた。


……私が、負けた。


……そうか。


この闇の先は、死に繋がっているのか。


そこで御殺と、依咒に、また会えるのなら。


それも、いいかもしれない。


……ごめんね、みんな。


……ごめんね、そら。



涼狐「……ゅ……ぁ……あ……っ、……ぅ……ぁ……──」



……と。

涼狐が堕ちようとした寸前で。

首を締め上げていた手が、ふと緩まり。



涼狐「──ぁ…っ、ゅあ……はぁっ、はぁっ…! げほっ、げほっ…!」



涼狐「……ぅ……あっ……はぁ、はぁっ……なんの、つもり……っ、どうして、殺さないっ……?」


ヱ密「戦意剥き出しのままじゃ困るから、牙を抜いてあげただけ」


涼狐「……っ、情けなんか、掛けるなっ……はぁっ、はぁっ……!」


ヱ密「そんなんじゃないよ……言ったでしょ? 求められるのは、結果だけだって」


……そしてヱ密は。

数歩後ろに下がり、転がっていた短刀を拾う。



ヱ密「……」


鈴「……えみつん」


ヱ密「あとはよろしくね、鈴ちゃん」



……そう言って、ヱ密は。


……短刀を自らの左胸に。


……突き刺した。




ヱ密「…ぁ……、ぅ……ぁ……っ、……────」




【ヱ密、戦闘不能】




涼狐「…………え?」


目が見えない涼狐には、何が起こったのか理解できない。

そんな涼狐に、鈴は言う。

……ヱ密は、自分を殺したのだ、と。



涼狐「……なんで、そんな、こと……?」


鈴「……えみつんは」



鈴がそれを聞いたのは。

この手で初めて人を殺した日の、夜だった。

空蜘が寝入った後、ヱ密に何気無く訊いてみた。


『あたし、どうやったら強くなれる? えみつんはどうやって、そんなに強くなったの…?』

『どうせ参考にならないよ?』

『それでも聞きたい』


『…………私の場合は』


『たくさんの人を殺してきた』



……そして、ヱ密は続けて言った。



『──たくさん、自分を殺してきた』



……それが意味することとは。



鈴「……涼狐、えみつんの術知ってる……?」


涼狐「え……知らない……鈴は、知ってたの……?」


鈴「……うん」



多分、それを知っていたのは。

鈴と蛇龍乃だけ。

……ああ、そうか。

さっき蛇龍乃が言っていたのは、このことだったのか。



心臓が止まったままの、ヱ密の体が。


白い光に包まれる──。




鈴「──ヱ密の術は、“甦生”」



自分の意志など関係無く。

生かされ続ける、死を拒む。

不死の忍び。



涼狐「なっ……嘘でしょ……? ……じゃあ、私は……私のやろうとしてたことって……全部、無駄」


鈴「無駄になんかしないよ」


涼狐「……鈴」


鈴「涼狐の想いも、えみつんの想いも、無駄になんかしない」



忍びは、自分に出来ることをする。

里で、そう教わった。

だから。



鈴「……あたしは、あたしに出来ることをする」



鈴は。

光に包まれたままのヱ密の元へと。

今まさに“甦生”の途中であるヱ密に。

あるものを向ける。


……そう、スマホだ。



鈴「…っ、ごめんね、えみつん……」



そして。



カシャッ──。



鈴の手により。

スマホの写真の機能が発動した。

甦生途中。

無意識ではあるが展開中の術を破られたヱ密は。

纏っていた光が消失し、他の皆と同じただの骸となった。



鈴「……っ」


涼狐「…………鈴、あんた……」


鈴「……うん……あたしが、殺した……」


涼狐「そういう、ことか……」


鈴「あたしは、あたしのしたいようにするから……涼狐はどうする……?」


涼狐「……私は」


鈴「まぁいいや……来て、一緒に」


──……。



二人が向かった先。

そこは、城の天守閣。

蛇龍乃と空がいる場所であった。



涼狐「ぁ……っ、はぁ……はぁっ……ぅう……っ」

鈴「もうちょっとだから、涼狐」


……と、そこに聞こえてきたのは。


空「……ぅぅっ、あぐっ……はぁっ、はぁっ、はぁっ……!! うぅぅ、ぁぁああっ……!!」


悲痛なまでの、呻き声。


涼狐「そ、空っ…!?」

鈴「そら……? これって……」



蛇龍乃「……そいつ、もうまともに会話できないよ。まだ死んでないのが不思議なくらい」


涼狐「…っ、お前っ…!!」

鈴「ちょ、落ち着いて、涼狐」


いきり立つ涼狐を、なんとか抑える鈴。

そして、蛇龍乃に問う。


鈴「そらに、何をしたの……?」


蛇龍乃「そこにいる奴ならよーくわかるだろ」


涼狐「あの刀の……っ、お前の、仕業かっ……!!」


蛇龍乃「お前がマヌケなせいで空ちゃんがこんなに苦しんでるぞ? 可哀想になぁ」



妖しげに笑みを浮かべつつ。

蛇龍乃は話し聞かせる。


……呪いについて。



蛇龍乃「私に感謝しろよ、鈴。まぁ感謝するのは私の方か」

蛇龍乃「お前のおかげで、涼狐も空も潰せた。私たち忍びの大勝利だ。ほら、もっと喜べよ」


鈴「……じゃりゅにょさん」



蛇龍乃「どうした? 鈴」


鈴「……っ」


蛇龍乃「ああ、お前はそっち側だったか。……なら、私の一人勝ちというわけだ」

蛇龍乃「ははははははっ!!」


涼狐「…っ、殺すっ……殺してやるっ…!!」

鈴「す、涼狐っ…!」


鈴は必死に涼狐を、押さえつける。

こんな足場の悪い場所だ。

視力を失った涼狐に待つのは、自滅のみ。


涼狐「…くっ……ふざけるな……っ、空っ……空ぁっ……うぅっ……!」


鈴「……じゃりゅにょさんなら、あたしがどうしてここに来たかわかるでしょ……?」


蛇龍乃「くくくっ……ああ、勿論。ヱ密の種を回収して、空を訪ねてきた。うん、実にお前らしい考えだ」


蛇龍乃「でも困ったなぁ? 鈴。私が邪魔で邪魔でしょうがないんだろ?」



……そう。

空が行動不能に陥っている現状。

それが呪いによるものなら。

解く手段は、一つだけ。


それは、目の前にいる術者。


蛇龍乃を殺すことだ。



蛇龍乃「さぁ、どうする? 鈴。空も涼狐も戦えない……お前が私とやるか?」


鈴「……そうするしかないなら、あたしは……じゃりゅにょさんを殺すよ」


蛇龍乃「おもしろい。どれだけ成長したか、試してやる……かかってきな、鈴」



【鈴 VS 蛇龍乃】

死ぬほど疲れた……

とりあえず、1スレ内で全部終わらせるのは諦めました
三章はこのスレで余裕で終わらせられるとして、四章からは別スレ立てます
といっても四章自体はエピローグ的な内容なのでそこまで長くはならないと思うけど
長々やってきたから思い入れできちゃって過去編もちょいちょい書きたくなってる
どうなるかわかんないけどねー
まぁ、よろしくです



鈴「……」



……まさか、自分がこうして蛇龍乃と戦うことになるとは。


ヱ密が慕い、空蜘が認め。

皆の憧れだった、忍びの頭領。

対して、鈴は最弱の忍び。

いや、現時点ではもう忍びと名乗れる立場ではない。


鈴も目にしていた、先程までの空との攻防。

あの後、どうなったのかはわからないが。

それでも、人外の力を要する空と張り合っていたのは事実。


……この人と、自分が。



涼狐「……鈴、あんたにはあれの相手は無理だよ。私がいく」

鈴「涼狐……ううん、あたしが……やるよ」


涼狐「……勝算は、あるの…?」


鈴「わかんない」


涼狐「この、馬鹿っ……こんな時にまで、アホを持ってこないでよ……。わかってる? あんたが死ねば、全部終わる……鈴の望みも、私の望みだって…」



現状だけでいえば、死ぬことが許されているのは。

……涼狐だけだ。

鈴が死んでしまえば、種を発動できないし。

空が死んでしまえば、種を展開できない。


よって、蛇龍乃を討とうとするならば、涼狐に向かわせるべきだろう。

……しかし、それであっても。

視力を失い、トイズも使えない、先の戦闘により重傷を負っている身。

それに地上ならまだしも、足場の悪い、城の天守閣。

今の涼狐にとって、最悪の環境、条件下である。


鈴にもそれは理解出来ていた。

涼狐では、蛇龍乃には勝てない、と。



……だから。


鈴「……うん。あたしは、死ねない……まだ、ここで死ぬわけにはいかない」


涼狐「だったら…」


鈴「涼狐のこと、えみつんのこと、みんなのこと……それらを抜きにしても、死ぬのは怖いもん……強がってみせても、やっぱり恐ろしくてたまらない」


鈴「……でも、それは間違いじゃないって、えみつんは教えてくれた。臆病を受け入れることを、里で教わった」


鈴「死ぬのが怖いから、死なないように強くなろうとした ……自分を守るために、強くなりたかった」


鈴「だってそうしなきゃ、誰かを守れないから……みんなを救えないから。みんなを救うために、あたしはこんなところで殺されるわけにはいかないんだよ」



喩え、相手があの蛇龍乃であっても──。



鈴「……涼狐は、そらに付いててあげて」



涼狐「鈴……弱いくせに、偉そうに……っ、あんたに、何ができる……あんたなんかにっ……、こういうことは、私の役目なんだよ……」


涼狐「バカ……本当に、馬鹿……っ、……そこまで言うからには……ちゃんとやってみせてよ……空を助けて……お願い、鈴」


涼狐「もし、死んだりしたら、一生恨むから……世界の裏側からでも、あんたを許さない……」



見えなくても、鈴が自分の側から離れていくのがわかった。

蛇龍乃の元へと赴くその表情も、きっと涼狐が見たことのない表情をしているのだろう。

それをこの目で見ることが出来ないのが、少しばかり後悔が残るが。



涼狐「……空」



涼狐は、空の手を握り締めた。

呼吸が荒く、辛そうに呻く空に。

伝える。



……空、私はここにいるよ。


……空は一人じゃない、今も、今までも。


そして。


これから先も──。






蛇龍乃「……死ぬ覚悟は、決まった?」


鈴「あたしは、死なない……じゃりゅにょさんに殺されるつもりはないよ」



……蛇龍乃と対峙する鈴。



鈴「あたしは、あなたを殺す……絶対に、殺してみせるっ……!」


蛇龍乃「……ははっ、その言葉……まるで自分自身に言い聞かせてるみたいだな」


蛇龍乃「最初から最後まで己の意思のみで、誰かを殺そうとするのは初めてだろ? 無理しちゃって。お前に私は殺せないよ」



これまでに二人の人間の命を奪ってきた鈴だったが。

それは任務という、理由を与えられたものであって。

蛇龍乃に暗殺を命じられたこと。

しかし、これは任務ではなく。


鈴が自分で決めた、決断したうえでの。


殺し──。


それがどういうことか。



蛇龍乃「お前は忍びじゃない、悪に染まりきれない。優しすぎるから。生きてきた世界がまるで違うから」


蛇龍乃「だからそうやって暗示の様に、私を殺さなきゃと思い込ませてる……そうしないと、自分のなかの善の心に握り潰されてしまうからね」


鈴「そ、そんなことはっ…」


蛇龍乃「じゃあどうして私を殺さなきゃいけないのか、自分の口から言ってごらん?」


鈴「……それは……空を、みんなを救うために、そうしなきゃ…」


蛇龍乃「そう、第一の理由がそれだ。私のことが憎いからといった理由なんかじゃない。うん、それはそれで全然良いと思うよ? 殺す理由なんか人それぞれだ」



蛇龍乃「……でも、その理由で本当にお前が私を殺せるか?」



鈴「……」



……駄目だ。

完全に蛇龍乃のペースに呑み込まれている。

蛇龍乃は、鈴の今の心境も完全に見通していて。

だから、鈴が己に対して隠し考えないようにしていた部分を痛く突いてくる。



蛇龍乃「くくく……本当に駄目だなぁ、お前は。自分のなかで成し遂げたいものが明確にあるのなら、私のこんなお喋りに付き合うことなく、さっさと殺しにくればいいものを」


蛇龍乃「それをしないのは、待ってるんでしょ? 私がお前に理由を与えてやるのを」


鈴「……っ」


蛇龍乃「そんなこと私がしてやると思ってるなら、その考えは甘過ぎるな」


鈴「……なんで……みんな、救われる……じゃりゅにょさんだって、わかってるでしょ……?」


蛇龍乃「ああ、わかってるよ。ヱ密の術は、“甦生”……死者に再び命を吹き込むもの。その種を手に入れたお前は、それを発動させて空に展開してもらう」

蛇龍乃「まぁ空なら余裕で広範囲に展開出来るだろうし。死んだ奴等も甦生して、皆万々歳だ。ハッピーエンド、それはそれは美しいものだろうねぇ」



鈴「そうだよ……その通りだよ……。この策なら、確実にみんなを救える。またやり直せる……過ちを犯してしまったあたしも、涼狐も」


蛇龍乃「そう、その為には私がこうして生きてちゃいけない。私が生きていたら、空はあのまま。やがて息絶えるだろう」

蛇龍乃「だがそれは……お前もわかってる通り。皆を救う為に私に死ねって言ってんだよ。酷いなぁ……鈴は」

蛇龍乃「いくら私を殺そうと思いたくても、お前の優しさが邪魔をしてくる。もっと私を恨めたら、もっと憎めたらよかったのに、って」


蛇龍乃「お前は中途半端に忍びであったせいで、忍びとしての在り方を知ってしまっている。……わかってんでしょ? 私はこうしてここに来てから、忍びとして何も間違ったことはしていないし、言っていない」


蛇龍乃「私のことを絶対悪として考えられないから、だから殺せない。尤も、殺す対象が悪でなくてはならない道理なんて忍びにはない、ここは殺したいなら殺すべきだ」

蛇龍乃「犠牲を伴わなければ、望むものは得られない。つまるところ、それが出来ないのがお前の弱さだ」



鈴「……っ」


蛇龍乃「……さて、何か言うことはある?」



……全て、何もかもが蛇龍乃の言う通りだ。

読心術かと思うくらいに、鈴の心の際まで見透かされている。

こうして言葉で説き伏せるなんか、鈴には無理だろう。

いや、蛇龍乃相手なら誰であったとしても。



鈴「……忍びとして、なにより大切なのは結果でしょ…?」


蛇龍乃「そうだね。だから私は手段を選ばなかった。喩え、アイツらが死んだとしても……いや実際、死んだ。そのおかげで私はこうして勝利を得られたんだ」


鈴「…っ、勝利とか、そんなの……」


蛇龍乃「言いたいことあるなら、どうぞ続けて」


鈴「……じゃりゅにょさんは、どう思ってるの? こうして勝利を掴めたかもしれない……何もかも犠牲にした、孤高のうえでの勝利であっても、それに意味が無いとは言わない、けど」

鈴「みんなが生きて帰れる手段だって、ここにある。じゃりゅにょさんたち忍びのみんなが涼狐たちに勝ったっていう結果は残ったまま……何が不満なの……?」

鈴「あの手配書だって無かったことにするからっ、あたしが空やみんなに頼み込んで……きっとわかってくれる……!」


蛇龍乃「……不満? そんなの、誰かのために自分が死ななきゃいけないこと以上に何があるというの?」

蛇龍乃「はははっ、お前の言ってることは無茶苦茶だな。そんなので私の心を動かせると思ったか」


鈴「……っ」



……そうなのだ。

忍びというもの、少なくとも鈴が知っている忍びは。

頭領である蛇龍乃を慕い、守るために、生かすために。

己の命すらも賭けてしまえるほどの。

だから、こうして蛇龍乃以外の忍びが皆息絶えたこの凄惨な現状であったとしても。

蛇龍乃のなかでは、いや死んでいった皆のなかでも。

これは想定の範疇なのだ。


……しかし、鈴は託された。

自らの命を一旦投げ出して、その種を与えてくれたヱ密に。

その時のヱ密は、まさかこうして蛇龍乃の死が条件になるとは思ってもみなかっただろうが。



蛇龍乃「……でもまぁ、仮に私がこの命を差し出して皆を助けてやろうと献身的な考えをもっていたとしよう」


鈴「……」


蛇龍乃「それでも、まだ全然足りない」


鈴「足りない……?」


蛇龍乃「お前みたいなおめでたい頭では考えに到らなかったか。なら教えてやる」

蛇龍乃「……それは、信用だよ」


鈴「……信用?」


蛇龍乃「私が死んで皆が助かる。即ち、お前にこの命を預けるということだ。それがどういうことかわかる? この私を、皆を裏切ってきたお前をどう信用しろと?」

蛇龍乃「やりようによれば、どうにだって出来る。私や忍びのアイツらを無視して、探偵の二人だけを甦生させるとか、ね」

蛇龍乃「ほーら、たったこれだけで奇跡の大逆転だな。私がそっちの立場なら間違いなくそうするよ」


鈴「そ、そんなことっ、あたしがするわけないじゃんっ…!! あたしはっ、忍びのみんなのことも大好きで、だから生きてほしいって……そう思ってるから」


蛇龍乃「だからまだ全然足りないと言っている」


鈴「え……?」


蛇龍乃「百万歩譲って、まぁ同じ時を同じ場所で過ごしてきた鈴だ。お前が皆のことを大切に思っていることを知らないわけじゃない」

蛇龍乃「……だが、お前がどんなにそう思っていてもアイツはどうだ? そもそもお前は種を発動させるだけで、実際に展開するのは……空だ」

蛇龍乃「これだけ私に死ぬほど苦しめられ、仲間を殺され、涼狐の目を潰された……そんな私たち忍びをどうして救おうと考えられるだろうか」


鈴「……ち、違う……そらだって、きっとわかってくれる…」


蛇龍乃「この私を裏切ってくれた空と鈴……私はね、お前らを殺しにきたんだよ。そんなお前ら二人を信用してこの命を預ける? ははっ、笑わせる」


鈴「……っ」


蛇龍乃「……さぁ、鈴。まだ何か言うことはある?」



鈴「……っ、……」



またしても、言葉に詰まる。

何を言ったとしても、尤もらしい言葉が返ってきて。

行く先々の道が、一つ、また一つと断たれ。

じわじわと、選択肢を潰されていくような。



蛇龍乃「この期に及んでも、自分が悪者になるのが怖いか? 鈴がどれほど素晴らしい理想を思い描いていて、それが理想なんかじゃなく実現可能なものだったとして」

蛇龍乃「綺麗なままで手に入れようとすること……忍びの世界では、卑怯だと、愚かだと言われてしまうのも仕方無いだろ?」


鈴「……」



……そう、鈴は。

自分が卑怯であると、狡いということもわかってはいる。

と、いうのも。

蛇龍乃の言葉にもあった通り、成し遂げようとしていたのも事実。

殺す、とは口にしたものの、本当のところは。

蛇龍乃自ら、命を絶ってほしいと。

切に願い、あわよくば自分のこの手を汚すことを、血で染まることを嫌がって。


忍びの頭領と、最弱の忍び。

能力面以上に、歴とした覚悟の差。

鈴はこの点において、蛇龍乃の足元にも及んでいない。

そう、蛇龍乃だったらこうした問答など軽くあしらって、虎視眈々と殺す隙だけを窺うのだろう。


……と、ここで鈴は疑問に思う。



鈴「……なんで、殺さないの?」


蛇龍乃「…ん? それはこっちの台詞なんだが」



鈴が蛇龍乃を殺さなくてはならないように。

蛇龍乃とてここまでのことをした行動の果てに辿り着く部分は、鈴と空の死。



鈴「あたしを殺すのが目的なら、すぐ殺せばいいのに……なんで、しないの?」


蛇龍乃「なんだ、お喋りは飽きたか? それとも……ははっ」

蛇龍乃「その問い、本当に今のお前を表しているようだね。答えとしては、お前が思っているような……私がなんだかんだ言って鈴の言葉次第では自害も考えてる、といったものじゃ決して無い」

蛇龍乃「強いて言えば、私の興味かな。お前が何を選び、どう行動するのか。最初に言っておいたでしょ? どれだけ成長したか試してやるって」


蛇龍乃「それも今のところは、残念ながら期待外れだ」


鈴「……」


蛇龍乃「ほーら、また一つ潰してやった。さぁ、どうする? 迷ってる場合じゃない、自分を可愛がってる場合じゃないぞ?」



そう、本当ならすぐにでも蛇龍乃を殺さなくてはならない。

蛇龍乃がこうも悠長に事を構えていられるのも、鈴には制限時間があるからで。

普通の人間なら一分として耐えられない呪い。

いくら空であっても、次の瞬間に死なないという保証など無いのだ。



鈴「…………殺さなきゃ」



……ヱ密に託された。


……涼狐に誓った。


……空を守る。


……皆を救う。



蛇龍乃「いい加減、他人任せにするのはやめたらどうだ?」

蛇龍乃「お前が選ぼうとしている道はどれも行き止まり。だが……ほら、目の前に一本、分かりやすい道が見えてるじゃないか」



それは己の力で、切り開ける道。

その道は、鈴が目指す場所まで続いていて。

望んでいる光の元へ、真っ直ぐに。


遮るものは、ただ一つだけ。


蛇龍乃。


それが象徴するのは。


光を翳らす、闇。

正義を阻む、悪。


先の戦いで。

光は闇によって消された。

正義は悪の前に倒れた。


ならば、何をもってそれに立ち向かうのか。

より強い輝きか、より強い信念か。


……否。


悪には、悪。


自分自身が悪に染まらなくては、蛇龍乃を討つことは到底叶わない。




鈴「…………そう、だね」


噛み締めるように。

もう一度、口にしてみる。



鈴「あたしは、みんながこれから先も生きていける未来を望む」



自分がハッキリとしなく、中途半端であり続けたせいで。

このようなことになってしまった。

やり直したい、やり直せる手段がすぐそこにあるのなら。


光が見えているのなら。


私は、それを掴む。


手を伸ばす。


自分の力で、手繰り寄せてみせる。


その為なら、どんなに苦しくても傷付いたとしても、い問わない。


選ばなくてはいけない。


決めなくてはいけない。



……今度こそ。



私は──。











鈴「──蛇龍乃、あんたが邪魔だ。だから、ここで死んでもらう。ううん、あたしが殺す」



蛇龍乃「……覚悟を決めた良い眼だ。今までで一番の」


鈴「殺すよ、なにがなんでも殺す……あたしは、忍びだから」


蛇龍乃「…ほう、裏切っておいて尚まだ忍びを名乗るか……思い入れを持ってくれているようで嬉しいよ。でも、私がそれを許すわけにはいかないなぁ」


蛇龍乃「だからこうしようか、鈴」


蛇龍乃「卒業試験だ」


鈴「……」


蛇龍乃「まぁ試験といっても名ばかりだが。要は、お前が勝てば生きて忍者を卒業。お前が負ければ忍者であるまま死ぬってわけ」


鈴「……どっちにしろ、あたしはもうみんなと一緒にはいられないんだね」



……わかっていた。

すべてが上手くいって、やり直せるとしても。

自分の罪が消えることはない。

自分が救おうとしている忍びの皆の未来に、自分がいてはいけないのだ。



蛇龍乃「それでも、お前は皆を救いたいと言える?」


鈴「言えるよ。あたしはそうしたい」


蛇龍乃「それがただの綺麗事じゃないことを祈ってるよ。……ほらっ」



蛇龍乃は短刀を二本取り出し、そのうちの一本を鈴へと投げ渡した。



鈴「……」


蛇龍乃「ははは、そう警戒するなよ。それはただの刀。なにも仕掛けなんかしてないから安心して使え」

蛇龍乃「試験というからには、ある程度公平性を与えてやらないとな。他にも使いたいものあったら言えば出てくるかもよ?」



鈴「……じゃりゅにょさんが公平性とか、うさんくさー」


……顔をしかめ、遠い目で蛇龍乃を睨む鈴。



蛇龍乃「あっ、ひでぇー!」


鈴「だっていつも嘘ついてあたしをからかってたしー」


蛇龍乃「そ、それはっ……そうだけど」


鈴「じゃあ手裏剣とくないと、なんかすごい爆弾と縄と鎖と、あと毒と薬と……あと、えーとえーと……とりあえずなんでもいいからいっぱいちょうだい?」


蛇龍乃「お、お前なぁ……」


蛇龍乃「んー、まぁ手裏剣くらいなら。ほいっ」



ヒュッ──!


鈴「えっ、ちょっ…!」


キーンッ──!


放たれた手裏剣を、なんとか刀で弾き落とす鈴。


鈴「あ、危な……」


対処を見誤れば、確実に顔面に突き刺さっていた。

……ああ、そうか。

軽口を叩き合っていた最中でも、油断するな、と。

もう試験とやらは始まっているということか。




蛇龍乃「──遊びの時間は、終わりだ」


蛇龍乃は目付きを変え、空との戦いの時と同じく。

その腕に、黒い靄を纏う。



鈴「……っ」


忘れていたわけではないが、蛇龍乃にはこれがある。

術をまったく使えない鈴に合わせて、使わないでいてくれるといった淡い期待も少なからず持ち合わせていたが。


……どうやら、そんな気は無いらしく。


まずは、あれをどうにかしないと。



蛇龍乃「……ふふっ」



と、蛇龍乃は。

黒靄を形作り、展開したと思えば。


その術を、なんと。


鈴にではなく。


涼狐と空の方へ向け。


放った──。



空は、とても今それどころではない。

涼狐も殺気こそ感じ取れたとしても、それに対処するなど無理な話で。


大きく口を開いた黒蛇が、二人を飲み込まんと迫る。


……と、そこに。



カシャッ──。



機械音。

この世界でそんな音を発する物は、ただ一つ。

そう、スマホだ。


スマホの“写真”が蛇龍乃の姿を捉えた瞬間。

空と涼狐に迫り入る黒蛇、そして蛇龍乃の腕に纏われていた靄が。

消失した。



蛇龍乃「まぁまぁの判断だ」


鈴「…うん」



不意を突かれ、一瞬慌てたとはいえ。

蛇龍乃なら、これくらいのことはしてくる。

勿論、卑怯とは言わないし、思わない。

忍びなら、至極当然だから。

自分と相手だけではなく、周囲にも注意を払えと。

この状況でいうなれば、空と涼狐は鈴の弱点以外の何物でもない。



鈴「……あたしには、これがある」


右手に短刀、左手にスマホを。

蛇龍乃が術を使うのなら、展開前に破るのみだ。

術をもたない鈴にとって、唯一の対抗策である。



蛇龍乃「安心しろ、鈴。もう使わないよ……いや、使えない。今ので弾切れだ。空にカラカラに搾られちゃったからね」


鈴「ふーん、あっそ。敵の言うことは信じないもん。じゃりゅにょさんなら尚更無理」

鈴「まぁそれが本当ならありがたいけどね。術が使えないじゃりゅにょさんとかただの一般人じゃん」


蛇龍乃「……お前、敵にするとすげームカつくのな」


鈴「え? 違うの?」


蛇龍乃「違うわっ! いくらなんでもナメすぎだろっ! 私が本気出せば素手でヱ密倒せるし!」


鈴「へー、すごーい」


蛇龍乃「……ごちゃごちゃ言ってないでさっさと掛かってこいよ」



……と、煽ってはみたものの。

この程度で冷静さを欠く蛇龍乃ではないし。

術を使えないのならば勝てるとか、そんなこと本気で思ってはおらず。


……何か、考えなくては。

いや、策を練ったところで蛇龍乃を出し抜けるわけがない。

だったら、何も考えず無心で突っ込んでいった方がまだ勝機はあるのではないだろうか。


……駄目だ。


この命は、皆の命が懸かっている。

無闇に、無謀に、捨ててよいものではない。

慎重になれ、臆病であれ。

命を紡ぎ、そして討つ。


……と。


ヒュッ──!


鈴「…っ、くっ…!」


正面から、唐突に放たれたくない。

鈴は間一髪でそれを避けた。



蛇龍乃「おー、今のを避けたか。結構本気で投げたのに」


瞬間的動作。

ずっと前、里から少し離れた滝での鍛練をふと思い出し。

懐かしい気持ちになった。

辛く苦しい鍛練。

最初はまったく見えなかったのが、次第に見極めることも可能になっていて。

今のを避けられたことも、その鍛練の成果といえるだろう。


……立飛のは、もっと速かった。



鈴「……今度はこっちからっ!」


蛇龍乃へと向かい迫る鈴。

足場の悪い屋根の上、滑り落ちでもしたら目も当てられない。

慎重に、且つ迅速に。


ヒュッ──!


そこにまたしても放たれた、くない。


鈴「……っ!」


鈴はこれにも反応し、握った短刀で払い落とす。


鈴「はぁぁぁっ…!!」


そして、蛇龍乃の眼前まで迫ると。

動作少なく、刀を振り抜いた──。


キーンッ──!


が、その刃を弾いたのは別の刃。


蛇龍乃「躊躇わず首を狙ってきたか。いいぞ、それでこそ、忍びだ」

鈴「…っ、さすがに簡単には殺されてくれないよねっ…!」

蛇龍乃「私だって死ぬのは怖いからねぇ、そりゃ必死で抗うさ」



キーンッ──!



キーンッ──!



キーンッ──!



再度首を狙い、心臓を狙い、腕、足、と。

その都度。

何度も、激しくぶつかり合う刃──。


蛇龍乃も、刃を受けるだけでなく。

鈴と同じ様に、急所を狙って刃を振るう。

それに対して鈴も必死になり、防ぎ。



鈴「はぁっ、はぁっ……!」

蛇龍乃「…楽しいなぁ、鈴。お前がここまで強くなってくれて嬉しいよ」

鈴「じゃりゅにょさんが、弱いんでしょっ! さっさと、殺されてよっ…!」

蛇龍乃「ははっ、口の減らないヤツ」




一進一退の攻防が続く。





……そして。







グチャッ──!



音を立て、ぶつかり合う刃と刃。

互いに互いを殺そうと、殺されまいと。


……しかし、ついにその均衡は崩れる。



グチャッ──!


ただの一度、対応が遅れてしまったその一瞬を突き。

……すり抜けた刃は、鈴の左肩を突き刺した。


鈴「ぅああぁっ…!!」


味わったことのない激痛が走る。

呑気に痛みを味わってる暇も無いまま、抜かれた刀が直ぐ様襲い掛かってきた。


鈴は咄嗟に後ろに飛び退き、蛇龍乃と距離をとった。



鈴「…っ、ぅくっ……ぁ……はぁっ、はぁっ……」


蛇龍乃「スマホを落とさなかったのは誉めてあげるよ」



左手に握っていたスマホ。

これを落としてしまっていたら、間違いなく壊れてしまっていただろう。

そうなれば、皆を救うなど叶わぬ夢に。



鈴「ぁ……うぅ、はぁ……はぁっ……」


鋭く、それでいて鈍い痛み。

じんじんと、傷口から発した熱が身体中を廻って。

まるで左肩にも心臓があるかのように、鼓動が警鐘を鳴らす。


……それは、すぐに恐怖へと変わる。

やはり殺し合いの最中ということもあり。

以前、立飛に覚えさせられた恐怖とまた違ったもので、目の前に死が鮮明にちらついて離れない。



……恐い。


……死にたくない。


……誰でもいい、助けて。


……私を、守って。



鈴「……っ」



……違う。


自分が皆を守るんだ、助けるんだ。

その為に、戦っている。


鈴は滲み上がってくる涙を、懸命に押し止めた。


そして、力強い眼差しを蛇龍乃に向ける。



蛇龍乃「……折れなかったか。怖くて恐くてたまらないだろうに、頑張るねぇ」


鈴「……」



……どうする。

……考えろ。

今の攻防で、術を使ってこなかった様子から、既に術力が底をついているというのもあながち嘘ではないのかも。

しかし、それであっても。

近接での戦闘において、やはり蛇龍乃に劣る。

覚悟をもった鈴であったが、次に立ちはだかるのは経験の差。

これは一朝一夕で埋められるものではなく。

絶対的な経験を前にして、奇跡はあってもマグレはないのだ。

自らを忍びと名乗り、蛇龍乃に挑んでいる鈴。

よってその忍びが奇跡に頼るなんか、愚考であると心得てはいる。


……そうなると。

自分に出来ることをやるしかない。

自分に何が出来るのだろうか。

蛇龍乃を凌ぐほどの力を持たない鈴が持つただ一つのもの。



鈴「……これで、なんとかするしかない、けど…」


握りしめたスマホに目を下ろし。

指で液晶をタップする。

と、画面が白く光を放つ。



蛇龍乃「……」


そう、鈴が試みていることは。

種の展開だ。

空蜘の術、鹿の術、紅寸の術、なんでもいい。

もしも何か一つでも扱えたなら、これ以上無い起死回生の策と為りうる。




……が、しかし。



蛇龍乃「お前には無理だ」


鈴「……っ」



何度も種を発動させようとも、カタチになることは一度も無く。

自分のなかで明確なイメージをもってすれば、もしかしたら、と淡い期待をもっていたが。

そんな都合が良い展開など訪れず。



……だったら、と。


次に、鈴は。



カシャッ──。



蛇龍乃「……?」


……“写真”。

その対象は、蛇龍乃ではなく。

涼狐と、空だった。


涼狐の眼は立飛によって潰された。

しかし、それは術による直接的なものではなく、毒を使っての破壊であることから。

術を破る“写真”では、涼狐の眼が治るわけもなく。


……ただ、空はどうかというと。



蛇龍乃「残念だが、その呪いは写真じゃ打ち消せないよ」


鈴「わかってたの…? 効果が無いなんてそんな確証、じゃりゅにょさんだって」


蛇龍乃「あるよ。この私がそんな得体の知れないものを得体の知れないまま、お前に持たせておくわけないだろ」



蛇龍乃はこのスマホについて、様々な検証を密かに試みていた。

操作する者が誰であろうと問わない、それ以外にも。

術を消せる始動のタイミングや、術そのものにも効果はあるのか、術者はどの程度フレームにおさまってなくてはいけないのか、等。

事細かに調べあげた。

そして今回の呪いに関しても。

種類は違うが、別の呪いに試してみたところ効果は得られず。

更に濃度の濃いこの呪いだ。

打ち破られるわけがないと、蛇龍乃は確信していた。





鈴「……っ、……?」


蛇龍乃「まぁ、目の付け所は悪くなかったな。そう、私を殺せばいいんだ。お前の力じゃなくとも、使えるものは何でも使わないとね」



鈴「…………そう、だね……使えるものは、使わないと」



種の展開に失敗、空の呪いを消すことも失敗。

左肩に負傷を抱え、近接での戦闘も更に不利に。

もう鈴に打つ手は無いように思えるが。


蛇龍乃から見れば、種の操作や空への写真など無駄な足掻きのように映っていた。


しかし、鈴にとってはそれは決して無駄なことではなかった。


……そのおかげで。


恐らく、これに蛇龍乃は気付いていない。

鈴だけが手にしている情報。

これを生かすも殺すも、鈴次第。

先程、鈴が味わったように、決するのは一瞬だ。

蛇龍乃とて、生身の人間であることに違いはない。

この刀で首を切るか心臓を突き刺せば、死ぬ。



……イメージは固まった。

行程としては三つ。

そのどれもが難しく、どれを間違っても今度こそ何も手は残らない。



蛇龍乃「……どうした? 恐くて動けないの? さっさとしないと空が力尽きちゃうよ?」


鈴「…ん、それはどうだろうね」


蛇龍乃「…?」


鈴「じゃりゅにょさんも言ってたじゃん。そらは夜の方が、空に星が広がっている方が本来の力を発揮できるって」

鈴「そうなったらあんな呪いなんか自力で打ち破っちゃうんじゃないの?」



蛇龍乃「……」



……確かに、そうなのかもしれない。

蛇龍乃をもってしても、空の能力は計り知れないもので。

自分が長い時間をかけて作り上げた呪いを、簡単に払えるとは思えないが。

写真と違って検証も不可能なことで、可能性としては有り得ない話ではない。



鈴「もう夕方だけど、大丈夫? 本当に時間が無いのは、じゃりゅにょさんの方だったりして」


蛇龍乃「……なら早いとこお前を殺して、空も殺さないとな」








蛇龍乃「なんて言うと思ったか? はははっ、なーんか怪しいんだよなぁ? 何を企んでるのかな、鈴は」


鈴「……」



……黙ったまま、肯定も否定も見せない鈴。



蛇龍乃「……なるほどなるほど」


蛇龍乃はなにやら妖しげな笑みを浮かべ、足下にあった瓦の残骸を一つ手に取り。

それを涼狐の近くへと放り投げた。



……カーンッ。


涼狐「…っ!?」


自分のすぐ近くから発せられた物音に、体が強張る。

それが命を狙ったものではないにしろ、視界が失われている状態である涼狐はとてつもない恐怖に苛まれた。


鈴「……っ」


蛇龍乃「私はね、あんな涼狐でも侮ってはいないよ。戦意剥き出しのまま、ずっと聞き耳立ててたからねぇ……あれに掴まったら間違いなく私じゃどうしようもない」

蛇龍乃「お前が動こうとしないのは私の方から動いてもらうため。涼狐は音だけで私とお前の位置を計ってたんだ」

蛇龍乃「足を踏み外せば地上へ真っ逆さま。死ぬ可能性の方が高くとも……このまま何も出来ないお前に死なれるよりはマシだという考えだろう」


鈴「……」


蛇龍乃「…まぁしかし、夜になって面倒なことになるのは困るからね。お前の誘いに乗ってやるとしよう」


鈴「……ねぇ、じゃりゅにょさん」


蛇龍乃「ん、なに?」


鈴「あたしがここで生き残っても、死んだとしても……これだけは聞いておきたくて」



鈴「みんなのこと、好き?」



蛇龍乃「当たり前だろ。鹿も立飛も紅寸も牌ちゃんもヱ密も空蜘も……あと、お前も」

蛇龍乃「こんな最高なヤツら、他に私は知らない」



鈴「…うん、ありがと」




……これで、安心して殺せる。




蛇龍乃「──じゃあね、鈴」


蛇龍乃は再び瓦の残骸を涼狐の方へと放ち、動きを止めたと同時に。

鈴へと、迫る──。



鈴「……」


鈴は集中し、蛇龍乃の動きを逃さないよう目を凝らす。



……まだ、早い。


……もっと、近くに。


……あと、もう少し。


蛇龍乃が、ある地点まで来るまで。


僅かな狂いも許されない。

確信は無いが、間違ってはない筈だ。

タイミングさえ、合わせれば。



蛇龍乃が迫り来るなか、鈴は数える。



……あと三歩。



……あと、二歩。



……あと。



今だ──。





カシャッ──!





先程、蛇龍乃が言い当ててみせた鈴の策。

涼狐による不意討ち。


……あれはまったくの外れであった。



鈴が涼狐たちの方へとスマホを向け、それを戻す際に偶然目にしたもの。

画面越しに見えた、違和感。

それは、宙に浮かぶ鏡のようなもの。


……そう、空によって展開され、今も残ったままの。



……光鏡。



実際にそれを使っているところを見たわけではないが。

なんらかの力によってのものなのは明らかで。

仕掛けたとすれば、蛇龍乃か空のどちらか。


現時点で考えれば、それが蛇龍乃の術のわけがないのだ。

何故ならば、この戦闘が始まった最初に、鈴は蛇龍乃に対して一度“写真”を使っていた。

蛇龍乃の術ならば、とっくに消えてしまっている筈。


空についてはどうなのかというと。

先の蛇龍乃と空の戦闘を見ていた分には、“種”により展開された術に関しては“写真”や封術は有効。

だが、空自身の能力に関してはそういったものは及ばない。

それが効くようならば、とっくに蛇龍乃が封術で対処していた筈だ。


……よって、あの光鏡は鈴が知っている忍びの術ではないことがわかる。


次に、あれはどのような役割があるのか考えた。

これは鈴でもすぐにわかるほどに、単純なもので。

空が使っている力は、主に光によるもの。

それを補助するであろう鏡。

答えは一つしかない。

あの光鏡は、光を反射させる。


蛇龍乃「…っ!?」


シャッター音と共に、フラッシュによる光が。

光鏡に反射し、蛇龍乃の視界に飛び込む。

光鏡の角度、フラッシュのタイミングが少しでもずれていれば無意味に終わっていた。


……まずは一つ。


しかし、いくら不意に入り込んできた光とはいえ。

ただのフラッシュの光。

一瞬の目眩ましにすぎない。


その一瞬が、鈴にとっては必要だった。


蛇龍乃の視界を奪った一瞬で、鈴は攻撃を放った──。


が、蛇龍乃との距離はまだ遠く。

とても短刀で斬り付けられる手元にはいない。


……ならば、どうやって。




鈴「──はぁぁぁぁぁっ…!!」





『…じゃあ次は鈴、やってみて』

『よーしっ! ていっ!』
ヒュッ


ヘロヘロ…


ポトッ…


『ありゃ…? もっかい! てゃっ!』


ヘニャン…


ポトッ…


『おかしいな……』


『鈴……』

『ナメてんの?』

『これはさすがに……ねぇ』

『あははっ! 鈴ちゃん下手くそー!』


『はぁぁぁぁー……こればっかはいつまで経っても全然上達しないよねぇ…』

『だね……なんでだろ?』

『こっちが訊きたいよっ! ホントに……もー』



……そう、それは。

今まで鈴がまったく扱えなかった手裏剣。

里で、立飛や他の皆に教わったことを今一度思い出し。

集中、熱量、イメージ、覚悟、宿命。

自分のなかにあるもの全てを、注ぎ、投げ放った手裏剣は。


真っ直ぐに、蛇龍乃へと向かっていった──。



……これで、二つ。




蛇龍乃「っ、なっ…!?」


鈴が手裏剣を最も不得手としていることを、当然蛇龍乃も知っており。

よもやそれが目を開けた瞬間には、すぐ眼前にまで迫ってきているのだから、先程までの余裕ではいられない。

しかし、それでもただの、それも鈴が放った手裏剣を喰らうほど蛇龍乃も甘くはなく。


蛇龍乃「ナメんなっ…!」


キーンッ──!


短刀で弾き落とす。


……と、そこに。



鈴「じゃりゅにょさん、悪いけど……死んで?」



手裏剣を弾いたその奥から、短刀の刃先が喉を狙って飛んでくる。


蛇龍乃「生意気言いやがってっ…!」


キーンッ──!


なんと蛇龍乃。

手裏剣を払ったばかりだというのに、直ぐ様第二の矢である短刀の刃先を、防いでみせた。




蛇龍乃「……え?」



鈴の策として、それを成功させるため必要な行程は三つ。


一つ目が、光鏡の存在を利用しての角度とタイミングを完璧に計ること。

二つ目が、今までまともに扱えたことのなかった手裏剣を外さず、蛇龍乃を捉えること。


……そして三つ目が、蛇龍乃の注意を自分から逸らすこと。

それはまず光鏡によるフラッシュの光、次に手裏剣、最後に刃先だ。


……そう、この時点で蛇龍乃の注意は主に防御として、刃に注がれていた。


その刃、飛んできたという文字通りに、飛んできたもの。

即ち、握られてはいないのだ。


……ならば、鈴は何処へ。


当然、蛇龍乃のすぐ側。

しかし、それは正面ではなく、やや側面ぎみに。



鈴「あたしの勝ち」

蛇龍乃「や、やばっ…」



蛇龍乃は、紛れもなく超一流の術者である。

聡明であるに加え、頭領としての威厳、発言力も申し分無く。

近接での戦闘であっても他の忍びより劣るにしても、鈴相手なら圧倒できるほどの腕は持っている。


……が、そんな蛇龍乃の唯一の弱点。


それは小柄な体、華奢な肉体故の、軽さである。



ズドッ──!



大した衝撃でもない鈴の蹴り。

横から狙われたそれを、咄嗟に防御したとしても。

押し負けてしまって。


ここは、城の屋根上。


一度、足場を失えば。


地上へと、落とされる──。



高所からの転落。


……そう、この場所に限っていえば。

相手を殺すのに、喉を斬ったり心臓を刺したりなど必要なく。


ただ単純に、突き落としてしまえばよいのだ。




蛇龍乃「……っ、マジか……この私が、鈴なんかに」



地上へと落とされる最中。

愚痴るようにそう溢す。


だが、この程度で死んでやるわけにはいかない、と。


微かに残っていた術力を絞り出し、腕に黒靄を纏う。


あとは黒晶に展開して、受け皿代わりに。


……と、展開しようとした矢先、その視線の先。

遥か上空、城の屋根の縁に立ってこちらを見下ろす鈴。



その手には、スマホが握り締められており。



蛇龍乃「……詰めが甘いとは……言わせてくれないか……ははっ」



……カシャッ、と。


遠くの方から、“写真”と発動音が聞こえた。


そして、黒靄が消失して。


蛇龍乃自身も、地上へと消えていった──。





……それと同時に。



空「ぁ……うぅ……っ、はぁ……はぁっ……あれ……?」


空を蝕んでいた呪いは。

綺麗サッパリ、消え去った。

それは、術者である蛇龍乃の死を意味する。




【蛇龍乃、戦闘不能】



涼狐「…空、大丈夫……? もう、なんともない……?」


空「……すず……うん……涼こそ、平気?」


涼狐「空が守ってくれたから……ごめんね、私のせいで……ありがとう」

空「あの呪い……無くなったってことは、蛇龍乃さんは」

涼狐「…うん、死んだよ」

空「……そっか。涼が?」

涼狐「ううん、私じゃない」


空「え? じゃあ、誰が……?」



二人の元へ、近付いてくる人影。

……そう、鈴である。

つい先程、蛇龍乃をこの場所から落とし、その命を奪った本人。



空「…鈴。ホントに鈴が、あの人を…?」


鈴「……」



……その表情は、重苦しく。


陽が沈み行くなか、戦いは終わりを告げ。

生き残っているのは、鈴、涼狐、空のたった三名のみ。

地上を見下ろせば、幾つもの死体が転がっている。


結果として、忍びの七名は、死んだ。

探偵の手によって、全滅した。


この惨状を改めて目にして、涼狐も空もそれぞれ思うところはあるのだろう。


……そして、鈴も。



鈴「…………」


空「鈴、どうしたの? あ、その怪我……大丈夫?」



鈴「…………」


空「……鈴?」



空のすぐ側に立つ、鈴。

何も言わないまま、じっと空を見つめる。


鈴「……」


まだ、終わっていない。

私は、やり遂げなきゃいけない。


……と、鈴は唐突に。



グイッ──!!



涼狐「ぁぐゃっ…!!」


左手で涼狐の髪を掴み、強引に立ち上がらせる。

そして、右手には。



空「な、なにしてる、の……? 鈴……?」



……短刀。

その刃は、涼狐の首にピタリと触れており。



空「鈴……なんのつもり」


鈴「動かないで、そら。あたしに従って……もし逆らったら、涼狐を殺す」



……そう、それは涼狐を人質にとっての、脅迫。


自棄になったか、それとも血迷ったか、と。

空は鈴の瞳を見据えると。

そこにあったのは、静かに落ち着き放った、青い冷静。

揺れることのない、それは覚悟を決め込んだ。


……忍びの眼。



鈴「……ヱ密の種を手に入れた。スマホの中に回収してある」


空「……そう」


鈴「そらは知らないだろうけど、ヱ密の術は……“甦生”。これによってヱ密は無限に命を宿された、不死の忍び。この種、そらが使えば広範囲に展開できるよね?」


空「まさか、忍びの皆も生き返らせ」


鈴「あたしの質問に答えて。……出来るよね?」


空「…うん、出来るよ。でも、どうなるかわかってるの? それ…」

空「またこんな戦いが繰り返されるかもしれない……計画を潰そうとしてくる……それになにより、鈴が」


鈴「そんなのあたしが考えるところじゃない。あたしは約束したの……皆を救うって。じゃりゅにょさんと、えみつんに」


空「……鈴」


鈴「あたしの言う通りにして、そら。断ったら、涼狐を、殺す……っ」



空「……」





鈴「……お願い、そら……っ、……お願いします」






……そして。


鈴はスマホを操作し、ヱ密の種を発動させる。

白く発光した液晶の上に。

今にも崩れてしまいそうな、儚く散ってしまいそうな、不定形な光が現れた。


空は、白杖をスマホに向ける。


……シャンシャン、と。

鎖が鳴り。

次の瞬間に。


その光は、上空へと昇っていき。



ゆっくり、ゆっくりと。


輝きを溜め込みながら、大きさ、眩しさを増していき。


目を奪われるほどの、幻想的な美しさ、それでいてどこか儚く──。


ヱ密の種、甦生の術は。

鈴によって発動され、空によって展開された。


遥か上空、夜空へと昇っていった光。

星の願い、月の祈りまでもその輝きに変えて。



夜空の真ん中で、弾けた──。





……やがて、光の粒が降り注ぐ。


……まるで雪のように。


命を宿した光の雪は、はらはらと地上へと舞い落ちていく。




思わず感嘆の声が漏れるほど。

それはそれは、美しい光景であった。



命を戻す、再生の光。

生をやり直す。

それ以上に、鈴の目には。

一度失った命を、再び与えられた皆が、今度は血を流さないように。

憎み合い、争い合うことのないように、と。


……きっと、幸せな未来に向かって、やり直せる希望の光のように映っていた。





鈴「……ありがと、そら」


空「涼が殺されるのは困るからね……てかまぁそれ以前に、どういうわけか涼は鈴に対してまったく無抵抗だったから」

空「涼も納得したうえで乗ってあげたんでしょ? ……許してあげたんだ?」


涼狐「……そう、かもね」



依然として目は塞がっているまま、複雑そうな表情を浮かべる涼狐に。

鈴は。



鈴「涼狐、あたしは自分のやりたいように……望んだままに、やったよ」

鈴「……涼狐は、どうする?」


涼狐「……いいの? 鈴は……だって、私がそうしたら、鈴は」


鈴「涼狐はあたしでしょ? 自分が自分に、どんだけ迷惑掛けられたとしても」

鈴「それを笑って許しちゃうくらい自分にまだまだ甘い子供だし、逆にどうしようもなくキレて我を失っちゃわないくらいには大人だと思うよ」


鈴「まぁ、やりたいようにやればいいんじゃない? 少なくともあたしは、前の世界ではそうやって生きてきたつもりだけど?」



涼狐「……ふふっ、そうかもね……うん」



空「……?」


笑い合う鈴と涼狐を前に。

その会話の内容もいまいち理解できないといった具合に、首を傾げる空。


……そして。



涼狐「…鈴、貸して」

鈴「うん」



……鈴の手から、スマホを受け取る涼狐。


涼狐「ごめんね、空……やっぱり私、空がいないと駄目だわ」


空「……え?」



空、涼狐、鈴。

三人ともに、それぞれの何かを永遠に失うことになる、この涼狐の行為。


空にとっての、計画。

涼狐にとっての、光。

鈴にとっての、世界。


……それでも構わない、と。

もう自分の心を偽るのは、やめた。


ごめんね、ありがとう。


でも、やっぱり。



涼狐「空、鈴、ありがとう」



……そう言って、涼狐は二人の目の前で。



スマホを、破壊した──。





……ああ、ついにやってしまった。


これで空の、私たちの計画も白紙どころか透明だ。

種も失ってしまったから、この眼で景色を見ることも二度と無い。

鈴だって、元の世界に戻る手段を完全に失った。


……これで、良かったのだろうか。

きっとそんなの、いくら考えても、誰に聞いても、答えなんか無い。


……それでも。


ホッとしてしまった。


込み上げてくる涙。

その感情の色は、よくわからないけど。


それは、とても温かく、傷口に滲みた。





第三章『Xenotopia』





━━Fin━━

めちゃくちゃ長い、それも大半が戦闘シーンという三章終わりです
四章はそのうち別スレ立てて本編終わらせる予定なのでここまで読んでくれた人は最後まで是非よろしく

新スレでござる

みも「なんかμ'sのみんなが忍者になってた件……」(最終章)
みも「なんかμ'sのみんなが忍者になってた件……」(最終章) - SSまとめ速報
(http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1469549889/)

このSSまとめへのコメント

このSSまとめにはまだコメントがありません

名前:
コメント:


未完結のSSにコメントをする時は、まだSSの更新がある可能性を考慮してコメントしてください

ScrollBottom