怒ってばかりの人がいた (64)
怒ってばかりの人がいた。
彼はいつでも怒ってた。
年がら年中朝から晩まで怒っていたし、多分夢でも怒ってた。
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別に大袈裟なんかじゃない。
朝は鶏の朝鳴きに怒鳴り返して飛び起きる。
鶏よりよっぽどうるさくて、村のみんなはこっちの方で目を覚ます。
彼は目に映る全てが気に入らない。
最近取っ手のとれた鍋も不味いスープも軋むドアも気にいらない。
畑への道は相変わらずでこぼこ歩きにくいし、野菜の葉につく害虫もちっとも減ってくれやしない。
ああ気に入らない気に入らない。
沈む夕日も気に入らない。
眩しくて帰り道が見えなくなるからだ。
一日を終えて毛布にもぐり、彼は天井を睨みつける。
まるでそこに親の仇がいるかのように。
じわりと夢に落ちるまで、彼はじっと睨んでる。
彼は寝ている間も怒ってる。
なぜ分かるのかというと、彼が寝言を言うからだ。
むにゃむにゃとつぶやき怒鳴るその内容は、どれも尖ったものばかり。
やれ「くたばっちまえ」だの「死んじまえ」だの、あまり感心できるものじゃない。
でもたまに、彼はとてもか細い声でこうあえぐ。
「お願いぼくも連れてって」
ほんとにたまにそう願う。
彼は目に映る全てが気に入らない。
いつも青筋立ててしかめ面のいかり肩。
歩くときは地面をかかとでえぐるよう。
彼は全てが大嫌い。
でも嫌いにも順位がある。
嫌いだけど関わらなければどうでもいいから始まって、殺したいほど大嫌いまで。
そして今、堂々の一位の座に収まっているのはある少女。
彼とは正反対の小娘だ。
「ごきげんいかが怒りんぼさん」
横からの声に、彼はじろりと目を向ける。
そこには栗色の髪の少女が立っていて、こちらをにこにこ見上げてた。
彼が何も答えずに足を進めると、ますます笑みを深くする。
「返事はないの、怒りんぼさん」
今は畑仕事に行く途中。
最近の雑草は元気が良くて、少し目を離すだけでぐんぐん伸びる。
手早く取ってやらなきゃうまくない。
「怒りんぼさん、待ってよ怒りんぼさん」
少女は後ろをついてくる。
「ねえねえ怒りんぼさん怒りんぼさん」
「うるさいついてくるんじゃない!」
彼はとうとう怒鳴ってしまったけれど、少女はきゃーと喜ぶだけ。
農具を振り上げてみても笑いながら見上げてくるだけで動じない。
彼女はちゃあんと理解している。
相手と自分の力関係を。
自分が村長の一人娘であることを。
「怒りんぼさんは畑に行くの?」
彼は歯ぎしりしながら前を向く。
無視して歩いていくけれど、どうやら彼女は畑までついてくるようだ。
にこにこしたまま後ろを歩いてた。
彼はこの娘が大嫌い。
なれなれしいのが気に入らない。
生意気に大人をからかってくるのが気に入らない。
でも何よりも気に入らないのは、
「怒りんぼさんは面白いね」
彼女がいつでも笑っているからだ。
笑ってばかりの少女がいた。
彼女はいつでも笑ってた。
年がら年中朝から晩まで笑っていたし、多分夢でも笑ってた。
彼は笑っていない彼女を見たことがない。
村長の家からはいつも彼女の明るい声が聞こえてきて、喧嘩する声なんて聞こえてこない。
泣き声なんて言わずもがなだ。
彼女は愛らしい見た目に無敵の笑顔を兼ね備え、村のみんなに好かれてた。
好かれているって大きな武器だ。
いつもは彼を遠巻きにしている村の人たちも、少女が危険となれば黙ってないだろう。
それは望むところじゃない。
だから彼は我慢してる。
「帰れ」
「やーだ」
すごくすごく我慢してる。
彼女は毎日彼の後をついてきて、仕事の様子を眺めてる。
昼にはお弁当を広げながら眺めてる。
ニンジンを引き抜く彼の様子を面白そうに眺めてる。
彼女は結構前から彼につきまとってた。
面白そうにつきまとってた。
何がそんなに面白いのか。
彼はあるとき訊いてみた。
「お前は一体何がしたいんだ」
「べっつにー」
夕日に目を細めがら彼女はやっぱり愉快そうにそう答えた。
「怒りんぼさん、今日うちのウィギーちゃんいじめたでしょ」
ウィギーというのは村長さんちの鶏だ。
その鳴き声は、毎朝怒りんぼさんを怒らせる。
「知らん」
今朝方外に出たついでに鶏を蹴飛ばした彼はそう答えた。
でも忘れたのでギリギリセーフ。
もう知らないので仕方がない。
少女も追及はしなかった。
「大変そうだね手伝おうか?」
野菜の入った箱を運ぶ彼を見て少女が言った。
だっと近寄ってくるけれど、彼はしっしと追い払う。
「俺の仕事だ邪魔するな」
うーん、と困ったように彼女は笑って、それから離れたところで腕まくりした。
「がーんばれ! がーんばれ! 怒りんぼさーん!」
「やめろ」
「いいと思ったのになー」
帰り道を歩きながら彼女はぼやいた。
彼は黙って歩き続ける。
「応援がだめなら旗を振るくらいならいいよね」
「……」
「お祈りくらいなら大丈夫?」
「……」
「踊りは? わたし踊るの得意だよ」
彼は黙って歩き続ける。
「隣の隣の村が大変らしいね」
ある日の木陰の下から少女が言った。
彼は返事をしないので、彼女は一人でしゃべり続ける。
「流行り病だってさ。みんなすごく困ってるって」
彼はちらりと少女を見た。
彼女はやっぱり笑ってた。
「今のところは死んじゃった人はいないらしいから、このまま収まるといいよね」
「……村長はなんて言ってる?」
「すごく怖い顔してるよ。怒りんぼさんそっくりな顔」
眉間にしわを寄せる顔真似をする。
それからにこっと笑って言った。
「でも大丈夫だよ。ほんとにきっと大丈夫」
彼はその笑顔を見ながらふと訊ねた。
「お前はなんでいつも笑ってるんだ」
「え?」
少女が顔をきょとんとさせた。
「お前がいつも笑っていられるのかが俺には全くわからない。お前はどうして笑ってるんだ」
「どうしてって言われても……」
首をかしげて彼女は言う。
「じゃあ怒りんぼさんはどうしていつも怒ってるの? そっちを先に聞かせてよ」
「俺がなぜ怒ってるかって?」
彼は途端に声を荒げた。
「逆に訊くがお前はイライラしないのか」
「全然」
「なんでイライラしないんだ。世の中理不尽だらけなのに」
彼は手に持った草刈鎌を振り上げる。
「俺がどんなに頑張ってもサーガルの野郎に収穫量では勝てやしない。俺がどんなに頑張ってもウィマスの野郎に作物の質では勝てやしない。これが理不尽でなくて何なんだ」
「へえー」
少女はこくこくとうなずく。
「そして俺はこんなにいい奴なのに、神は俺に報いない。最悪な世界じゃないか。だから俺は怒ってるんだ!」
「なるほどー」
拍手をしている彼女を睨む。突き付ける。
「さあ今度はお前の番だ。お前はなんで笑ってる?」
彼女はやっぱり愉快そうな顔してた。
「ひみつ!」
「おい!」
「また今度ね!」
村への道をかけていく彼女の背中を見送った。
夕日がまぶしく目を刺した。
ある朝外に出たところ、誰かが彼を呼んでいた。
「怒りんぼさーん! こっちこっちー!」
見上げると村長さんちの屋根の上に、少女がうずくまっていた。
「何やってるんだ?」
「えへへ……」
彼女の指さす先には倒れた梯子。
どうやら下りられなくなったらしい。
「助けて」
「やなこった」
彼は回れ右して家に戻った。
朝の支度をしている最中、窓から覗くとまだ彼女は屋根にいた。
またしばらくしてから見てもそこにいた。
三度目の確認後、彼はようやく外に出た。
「怒りんぼさん、ありがとう!」
先にお礼を言われて彼は迷った。
やっぱりやめておこうかなって。
梯子を戻してやっても彼女はなぜか下りてこなかった。
「腰が抜けちゃって……」
笑ってはいるけれど、顔の血の気は引いていた。
彼はしばらくじっくり苦虫かみつぶし、それから梯子に手をかけた。
少女の近くまで行くと、彼女はひどく震えてた。
「ウィギーちゃんが降りられなくなってたから助けようと思ったら……」
つまりそういうことらしい。
「さっさと下りるぞ」
「ごめん、ちょっと待って」
仕方なく彼女の手を握ってやると、次第に震えが収まっていった。
その時彼はふと気づいた。
やっぱり彼女は笑ってる。
「なんで嬉しそうなんだ」
「怒りんぼさんが助けに来てくれた。わたしのために」
「仕方なくだよ馬鹿野郎」
「でも来てくれたもん」
上機嫌な彼女のそばで彼は機嫌を悪くした。
朝日がとってもきれいに輝く。
下でウィギーが一声鳴いた。
ウィギーが死んだ。
突然のことだった。
その日彼は起きるのが遅れた。
少女に無理やり手伝わされて、二人で一緒にお墓を作った。
「ウィギーちゃん、天国でも元気でね」
お墓の前で祈った後、彼女は笑ってそういった。
彼は不機嫌に何か言おうとして、やっぱりそれはやめといた。
彼女の笑顔に涙の筋が見えたから。
それからしばらく彼女は静かになった。
相変わらず笑っていたけれど、それでもどこか元気がなかった。
村の住人が死んだ。
これは突然の事ではなかった。
その人は前から少し風邪っぽくて、治んないねえと笑っていたら突然悪化、数日も経たないうちに死んでしまったのだった。
流行り病だと分かったのはそのすぐあと。
ウィギーが死んだのもこれのせいらしい。
村全体が病に冒されお医者はてんてこ舞い。
元気な人なんてほんのわずか。
その中で彼はなぜだか無事だった。
でも、少女は駄目だった。
村長の家から明るい声が消えて数日が経った。
彼はイライラと家の椅子に座ってた。
あまりにイライラしていたので、その揺れで椅子がカタカタ鳴った。
窓から見える村長宅はひっそり沈んでた。
光を失ったかのようだった。
ある日彼は村長に呼ばれた。
娘に会ってほしいという。
彼は無言で部屋に入った。
ベッドの少女がかすかに身じろぎした。
「怒りんぼさん、久しぶり」
彼は何も答えなかった。
しかめ面で椅子に座った。
「友だちに会うのは久しぶり。お医者さん以外は誰も入っちゃダメだから」
「……」
「怒りんぼさん、元気だった?」
彼は無言でうなずいた。
「よかった」
ほっとしたように言って、それから乾いた咳をした。
「お医者さんがね、もう長くないって言うの」
「……」
「嘘だぁって言っても笑ってくれないの。ひどいよね」
「……」
彼は何も言わなかった。ひたすらむっつり黙っていた。
げっそり痩せこけた彼女の顔を見下ろして、それでも微笑む彼女を見下ろして。
ただひたすら口を引き結んでた。
「ねえ怒りんぼさん、あの日みたいに手を握って」
差し出された震える手を彼は両手で握りしめた。
彼女は目をつむって「あったかい」とため息ついた。
「怒りんぼさん。教えてあげる。わたしがいつも笑っている理由」
カサカサになった唇が、ゆっくりゆっくり言葉を押し出す。
「この世の中が理不尽だらけだからだよ。それでもわたしは意地っ張りだから、笑っていることで抗いたい。わたしたちってちょっと似てるよね」
それから小さく笑みを浮かべる。
「最期に怒りんぼさんの笑った顔が見たいな……」
「最期とか言うな」
彼は、やっぱり笑えなかった。
その夜、いつも笑っていた少女が息を引き取った。
彼は自分の部屋の暗がりで、いつまでも闇を睨んでいた。
朝、少女のお墓の前に立った後、彼は村を後にした。
村は病が過ぎ去った後の悲しみで、彼が出ていったことに気づきもしなかった。
村から出た彼はひたすら北を目指した。
叩きつけるような雨の中を、全てを吹き飛ばすような風の中を、ただひたすら北を目指した。
北には世界の果てがあり、とてもとても高い山がそびえているという。
神の住まうところがあるという。
彼の目的地はそこだった。
切り裂かれるような寒風の中、彼は一心不乱に道を登った。
あまりに寒さが厳しくて、彼は体の感覚を失った。
ぼうっとしたまま歩いているとやがて絶壁に突き当たる。
どんなにあたりを探ってみても、道の続きはどこにも見つからない。
しばらく呆然と見上げた後に、彼は激怒の叫びを上げた。
感覚の消えた右腕を、岩石の壁に叩きつける。
「神よ! なぜあの娘を殺した!」
叩きつける。
「答えろ! なぜ殺した!」
叩きつける。
声は吹雪にかき消された。
自分にさえも聞こえていなかった。
彼は壁に指を食い込ませた。
岩にはわずかに隙間があって、そこになら引っかけることができたのだ。
彼は体を持ち上げた。
手の指を食い込ませ足のつま先を叩き込んで上へと体を運び始めた。
しばらくもしないうちに着けていた手袋が裂け、ブーツが破けた。
それでも登ることはやめなかった。
血がにじんでも爪が剥がれても上を目指し続けた。
彼は怒り狂っていたからだ。
「神よ! なぜ俺の家族を奪った! なぜ俺を一緒に連れて行かなかった!」
彼がまだ幼かったころ、やはり村では病が流行った。
両親と妹は死に、彼だけが生き残った。
彼はずっと待っていた。
病が彼も連れて行ってくれることを。
彼は声を張り上げる。
「なぜ彼らを殺した! 彼らは生きるべき人たちだった! 俺なんかとは全く違った! 殺すべきは俺だっただろう!」
本当に世の中は理不尽ばかりだ。
喉が熱い。
目が熱い。
視界は白く濁っている。
それでも怨嗟を吐くことだけはやめない。
「神よなぜ……!」
ふっ、と。体が軽くなる。
血で手を滑らせた彼は、宙へと放り出されて上も下も分からなくなった。
「怒りんぼさん、久しぶり」
声がする。どこか遠くから。
「元気……じゃなさそうだね。ごめんね、そんな思いさせちゃって」
彼は静かに否定した。
俺は俺のために怒ってるだけだ。謝られるいわれなんかありはしない。
「そっか。でも、ごめん」
そっちは元気か、と彼は訊いた。
「うん、元気だよ。ウィギーちゃんも元気。聞こえる?」
遠くから鶏の鳴き声がした。
顔を見られれば何よりだけれど、と彼は言う。
そこまで高望みはできないよな。
「うん……ごめん」
そんなに謝るな。俺の方が謝んないと。
あの時笑ってやれなくて悪かったな。
そう言うと、くすくす笑う声が聞こえた。
なんだよ、と彼は訪ねる。
「確かに笑顔は見れなかったけど、もっと面白いものが見られたから別にいいよ」
もっと面白いもの?
なんだろうかと訝しむ。
「怒りんぼさんの泣きそうな顔」
彼は今度こそ大声を上げて泣き出した。
そんなに泣かないで、と何か優しいものが頬を撫でる。
わたしまで悲しくなっちゃうから。
「俺もそっちに行きたいよ……! 頼む、連れて行ってくれ……!」
うーん、と悪戯っぽい声がした。
わたしも怒りんぼさんに会いたいけど。
でもまだちょっと早いかな。
「早い……?」
うん。
笑うことを覚えてからこっちにいらっしゃい。
それまでは残念だけどお預けね。
視界が光に包まれて、彼はまぶしくって目をつむった。
彼はあの時ずっとしかめ面だった。
笑ってもないし泣いてもいない。
でもしかめ面ってよく見ると、泣くのをこらえる顔に似てるんだ。
目を開けると夕日が赤かった。
周りを見回してもそこは吹雪の山ではないし落下の最中でもなかった。
見下ろすとお墓がある。
笑ってばかりだった少女のお墓だ。
いつの間にか村のそばのようだった。
彼はぼうっと立ち尽くした。
いつまでもいつまでもぼうっと立っていた。
怒ってばかりの人がいた。
彼はいつでも怒ってた。
年がら年中朝から晩まで怒っていたし、多分夢でも怒ってた。
でもある人が見たという。
彼が笑うところを見たという。
ほんの一瞬でぎこちなくはあったけど。
それはそれは素敵な笑顔だったらしい。
おわりサンクス
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