「ローン!! ハネ満だじょ!」
「ツモ。6000オールです」
「嶺上開花自摸門清。倍満」
清澄高校麻雀部の部室に力強い発声が響く。
その様子を見て、麻雀部の部長である久は満足そうに頷いた。
「うん。皆、全国大会に向けてやる気十分みたいね」
「一人を除いて、じゃろう」
副部長であるまこの指摘を受け、久は困ったように頭を掻く。
「うーん……須賀君もねえ……スジは悪くないし、何かキッカケがあれば化けるとは思うんだけど」
「それを何とかするんも部長の仕事じゃろうが」
「うーん……」
悩ましげに唸りながら、久は絶好調の三人とは対照的にただ一人焼き鳥状態の一年――須賀京太郎へと視線を向ける。
ちょうどその時、放銃により京太郎の4着が決定した。
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「くっそー、どうやっても勝てねえ……」
ぐったりと卓に突っ伏しながら、京太郎が呻く。
結局この後の3荘でも、京太郎はラス目を引き続けた。
以前はこうではなかった。
以前は回数こそ少ないものの、あと少しでトップという局面も何度かあった。
でも咲が入部した辺りから稀はごく稀になり……県予選が終わってからは3着にすらなれなくなった。
それは“圧倒的な力量差”を持つ咲に清澄高校麻雀部の皆が影響された結果なのかもしれない。
ただ、その皆に京太郎は含まれていない。
「あーあ、やっぱもうちょっと真面目に練習しないと駄目かー」
「分かってるなら、須賀君ももっと本気で麻雀に取り組んでください」
「や、そうは言うけど俺も大変なんですよ? タコス買いに行かされたり、家帰ったらカピバラの世話もしないといけないし」
「敗北を人のせいにするとは、これだからお前は負け犬呼ばわりされるんだじぇ」
「実際お前のせいだろーがよ。つーかお前以外に犬呼ばわりされてねーし!」
むっとする和、いつも通り自分をからかってくる優希に、京太郎は努めて明るく振る舞ってみせる。
その本心を悟られないように。
(もっと本気で……か)
咲に影響された皆に京太郎は入っていないというのは、正確には少し違う。
影響されたのは京太郎も同じだった。正しくは咲に影響された皆に、だが。
部活以外でもネト麻をする時間が増えた。
麻雀の専門書も読み漁った。
使い道があるかどうかは分からないが、安物の麻雀牌も買った。
成績は……少し落ちた。
「あはは……京ちゃんもすぐに強くなれるよ。だって――――」
「ありがとな、咲! よっし、俺も少しは頑張ってみるか!」
咲の言葉を遮るように、声を張る。
咲がどこか不安そうにその表情を歪めるのを見て、京太郎は慌てて視線を逸らした。
確証はない。それでも、きっと中学からの付き合いであるこの少女は気付いている。
京太郎が皆に気付かれないよう、影で必死に努力を続けている事を。
それでもそれを堂々と言い出せないのは、その努力が何の結果ももたらしていないから。
全ては無駄な事だったと、それを認めたくないから。
(そう。無駄なんかじゃない……はずだ。でも、それだけじゃ足りない)
部活が終わり、皆と分かれた京太郎は、路地裏にある小さな雀荘の前で足を止める。
明らかに初心者向けではないと分かる佇まい。
しかし、それこそが今の京太郎が求めている物だった。
(考えてみれば、俺がやってる麻雀ってネト麻と部活の皆と打つだけ。大会も出たのは個人戦だし、負けられない戦い……みたいなのってした事ないよな)
それこそが、自分が強くなれない原因ではないか。
ならば、ギリギリの勝負をする事で、自分に眠っている力が目覚めるかもしれない。
あまりにくだらない、馬鹿げた考え。
それでも京太郎は自分でも気付かないうちに、そんな考えに縋るほど追い詰められていた。
単純に麻雀が好きだった。面白いと思った。
だから負ければ悔しかったし、次こそは勝とうと慣れない努力もした。
それなのに。
努力すればするほど、彼女達との絶望的な差を思い知らされるだけだった。
槓材の在処や嶺上牌を正確に察知する事の出来る咲。
ほぼノータイムでまるで機械のように最適手を導き出す和。
東場に限定されるものの、驚異的な引きを発揮する優希。
あえて悪待ちを選択する事で良い結果を導く久。
過去見た膨大な数の対局をイメージとして記憶しているまこ。
麻雀歴が長いとか、待ちが読めるとか、そんな事では到底埋まらない差。
努力だけではどうにもならない、牌に愛された者とそうでない者の差。
こんなに辛いなら、もうやめてしまえばいい。
その思いを必死で飲み込む。その理由も分からずに。
「いらっしゃい。兄さん、初顔だな」
「え、ええ。よろしくお願いします」
店主だと思われる中年の男に軽く頭を下げる。
想像はしていたものの、やはりRoof-top――彼が唯一知っている雀荘とはまるで違う。
薄暗く紫煙が充満する店内にいるのはメイド服の可愛いらしい店員ではなく、幾度となく修羅場を潜っていそうな強面の男ばかり。
(……何か、すっごい場違いな感じ。引き返すなら今のうちなんだが……)
「丁度いい。今、奥の卓空いたぜ。楽しんでいきな」
「えっ、あっ、はい……」
引き返すタイミングを逃し、促されるままに卓に着く。
既に卓に着いているキツネ目の男と、頭髪の薄い男、小太りの男の視線がまるで品定めでもするかのように京太郎へと注がれる。
「よ、よろしくお願いします」
「その格好、学生さんかい。金は持ってんだろうな?」
「ええ、まあ……」
(大丈夫だ。ちゃんと貯金は下ろして来た)
軍資金は虎の子の八万円。
決して大きな額ではないが、高校生にとっては十分すぎるほどの大金だ。
無論、この金を増やせるなどという甘い考えは京太郎も抱いていない。
しかし、ただ負けて帰るつもりもない。
(そうだ、俺はこの金で雀力を買ってやるんだ!)
心の中で意気込む京太郎を見て、キツネ目が馬鹿にするように鼻を鳴らす。
「それならいいんだが。ちなみに、ここのレートはウマオカなしの代わりにデカピン……つまり千点千円だ。大声じゃ言えねえけどな」
(せ、千点千円!? って事は、飛んだら……二万五千円!?)
先程の勢いは何処へやら。
京太郎は一瞬にして頭から血の気が引いていくのを感じた。
「――――リーチ」
キツネ目が力強い発声と共に千点棒を卓上へと放った。
まだ三巡目。手を読むには情報が少な過ぎる。
(くそっ、安牌はないし……スジなら……)
「悪いな、それだ。ロン。満貫だな」
「えっ!?」
情報のない中、何とか基本的なセオリーに頼ろうとするも、京太郎はあっさりと放銃を許してしまう。
ものの数分もしないうちに、八千円分の価値のある点棒が失われる。
(ま、まだだ……こっから勝てばいいんだ……!)
萎えそうな気持ちを必死に奮い立たせる。
しかし、この後も京太郎に逆転の手が入る事はなかった。
「ツモ。これで兄ちゃんのトビだな」
「う……」
たった一度の聴牌すら出来ず、半荘を待たずしてトビ終了。
あっという間に所持金の約三分の一が失われる。
「なぁに、博奕の負けは博奕で取り戻せばいいんだ。な」
今の自分にツキがないのは明白。このまま傷口が広がらないうちにこの場を離れるべきだ。
そんな京太郎の心を読んだかのように、デブの手が京太郎の肩へと置かれる。
「は、はは。そうですよね」
立ち上がる事も出来ず、京太郎は力ない笑みを浮かべるしかなかった。
そして――――
(嘘……だろ。これで三連続でトビ……)
気が付けば焼き鳥のまま三連敗。
京太郎の手牌が悪いという事もあるが、何より三人の聴牌速度が早すぎる。
麻雀らしい麻雀も出来ず、京太郎は有り金の大半を失っていた。
(所持金は残り五千円……どうする、やめるか?)
流れも悪く、次に飛べば金は払えない。普通に考えれば選択肢は一つしかない。
しかし、負けが込むと、人はその思考を鈍らせる事がある。
それは、京太郎も例外ではなかった。
(そうだ、これでやめたら何の為に来たんだよ……!)
行くか、退くか。
堂々巡りに陥りかけた京太郎の思考を遮るように、ハゲの手が全自動卓のサイコロボタンへと伸びる。
「おう、次行こうぜ」
「あっ」
京太郎の口から、間抜けな声が漏れた。
(――――やばい! やばい! やばい!!)
南四局。
何とか飛ぶ事なくオーラスまで耐えた京太郎だったが、相変わらず無和了のまま残りは千点。
残金を考えると、倍満を和了っても足りない。
(今の俺が和了れるだけでも奇跡かもしれないのに、倍満? 無理に決まってる!)
しかし、今更後悔した所でどうにもならない。
せめて配牌が良ければ――――僅かな望みに賭け、せり上がってきた手牌へと視線を落とす。
しかし――――
(何だよ、これ……)
その望みはあっさりと打ち砕かれる。
配牌で五向聴。
完全に戦意を喪失した京太郎は、がっくりと項垂れるしかなかった。
「おい、兄さんの番だぜ。とっととツモれよ」
「あ、あの……すみません。実は俺、もう金、五千円しかなくて……」
「……あ?」
他に手もなく絞り出すように謝罪の言葉を口にするも、対面のキツネ目に睨まれ、京太郎は口を噤んだ。
「おいガキ、てめえ金も持たずに賭場に来るたぁどういう了見だ? え?」
「そ、それは……」
「金が払えねえって事は、代わりに何されても構わねえって事だよな? ああ!?」
「ひっ……」
恫喝され、思わず目を瞑る。
京太郎にとって、親以外の成人男性に本気で凄まれるのは初めての経験だった。
これから自分は何をされてしまうのだろう。五体満足のままでここを出る事は出来るのだろうか。
頭の中で悪いイメージばかりが膨らんでいく。
そうしていた時間はせいぜい数秒だったはずだが、京太郎にはその時間が永遠のように感じられた。
「やめとけ。そんな奴殴ったって、一円にもならねえ」
そんな京太郎の意識を現実へと引き戻したのは、低くそれでいてよく響く、聞き覚えのない男の声だった。
(え……?)
恐る恐る目を開いた京太郎の視界にまず飛び込んで来たのは、唖然とするキツネ目の姿。
そして、その視線の先にある卓上に投げ出された万札の束だった。
「そいつの負け分は俺が払ってやる」
背後から聞こえたその言葉の意図が分からず、京太郎は慌てて声の主――そして、おそらくはこの札束の持ち主を振り向く。
「その代わりラスト一局、そいつの代わりに俺が打たせてもらうぜ」
そこにいたのは、薄汚れた黒シャツに身を包んだ一人の男だった。
「さあ、続けようか」
突然現れた黒シャツの男は周りの返事も待たずに、戸惑う京太郎を押しのけ卓へと着く。
京太郎はその場を離れるわけにもいかず、黒シャツの後ろで立ち尽くしていた。
(すまん、黒シャツの人。きっとよっぽど腕に自信があるんだろうけど、俺の酷い配牌じゃ……)
申し訳なさに潰されそうになりながら、京太郎は黒シャツの――つい先程まで自分の物だった手牌へと視線を落とす。
(……あ、あれ?)
――――違和感。
(俺の手牌、こんな形だったっけ?)
否。それは京太郎の勘違いでも見間違いでもない。
黒シャツが牌をツモる度に、京太郎の物であった手牌は次々とその姿を変えて行く。
それは決して良いツモにより手が進む事の比喩ではない。
黒シャツが一牌ツモるだけで、実際にその手牌が一枚から三枚、別の物に変わっているのだ。
(いやいや、あり得ないだろ。こんなの咲や龍門渕の大将の使うオカルト以上じゃねーか。これじゃ、まるで……)
魔法。
そうとしか言い様のない力を自在に操る、その男の様はまるで――――
「ツモ。四暗刻単騎」
――――牌の魔術師。
「な、何――――っ!?」
「こ、この序盤でダブル役満だと……!? てめえ、サマ使ったな!」
「え?」
細い目をこれでもかと見開いたキツネ目、そしてキツネ目につられるようにデブとハゲが叫ぶ。
その叫びを聞いて、京太郎もようやく魔法の正体を理解した。
サマ。イカサマ。つまり、反則。
考えてみれば、手牌が変わる理由など他にあり得ない。
和ではないが、魔法なんてオカルトがあり得るはずがないのだ。
(でも……俺はこの人の真後ろで見てたんだぞ? それなのに、いつイカサマしたのかまるで分からなかった)
本当にあれはイカサマだったのだろうか。
いや、それよりも、イカサマだとすれば今の勝敗はどうなるのだろうか。
おろおろと狼狽える京太郎を尻目に、黒シャツが口を開く。
「サマ使ってんのはどっちだよ。通しにすり替えに送り込み……こっちはお前等のサマ場に乗ってやっただけだ」
「うっ……」
何も言い返せず絶句する三人を見て、再び京太郎は理解する。
何の事はない。この三人の異様な聴牌速度はイカサマによるもの。
彼等は三人組のイカサマ師で、京太郎はカモにされていただけだったのだ。
「それに、お前等も玄人なら分かんだろ。サマはバレなきゃ技ってんだ。アヤつけんなら、その瞬間に手掴んでみやがれ」
(バイ……ニン……?)
まさか売人の事ではないだろう。耳慣れない単語に京太郎は内心首を傾げる。
ただ一つ分かったのは、おそらくはそれが麻雀の強い者に与えられる称号であろう事。
「おい」
未だ呆けたような顔をしている京太郎に、三人から受け取った札を数え終えた黒シャツが声を掛ける。
「何でお前みてえのがこんな所にいるのか知らねえが、ここは弱肉強食の世界だ。これ以上痛い目見ねえうちに帰るんだな」
「あ……」
それだけ言い残し、黒シャツは席を立った。
相変わらずその様を呆然と眺めていた京太郎の耳に、キツネ目の微かな呻きが届く。
「あいつ……あいつのシャツの色……」
「シャツの色? それが何だって……ああっ!」
「嘘だろ……何であの男が長野にいるんだよ……!?」
その呻きに反応する様に、残りの二人がざわつき始める。
そんな二人の会話をこれ以上聞きたくないという風に、キツネ目は頭を抱え卓へと突っ伏した。
「俺が知るかよ……だが、あの打ち筋……間違いねえ」
「あいつが新宿最強の玄人……坊や哲だ」
「ま、待ってください!!」
何とか放心状態から脱し、そのまま雀荘を飛び出した京太郎は、目標を見つけると息も整えず叫んだ。
京太郎の目の前を歩いていた黒シャツは、その声に立ち止まると、面倒臭そうに振り返る。
「あんた、さっきの……」
「さ、先程はありがとうございました」
全力疾走のツケとしてぜえぜえと喘ぎながら、何とか感謝の言葉を口にする。
しかし、その様子を眺めていた黒シャツは、面白くもなさそうにただ一言呟くだけだった。
「あんたの為にやったわけじゃない。ただ稼げそうだから口出しただけだ」
「い、いえ、それでも……」
「それに、あんな見え見えのサマ使われちゃ、俺達がカモるはずの客の足を遠ざけちまうからな」
悪びれる風もなく当然の事のように答える黒シャツを見て、京太郎は先程の光景を思い出す。
確かに今回、結果として京太郎はこの男に助けられた。
しかし、黒シャツがやった事はイカサマで金を巻き上げただけ。あの三人組と何ら変わらないのだ。
決意が、鈍る。
「まだ何かあるのか? 用がないなら、俺は――――」
「あ、あのっ……!」
それでも、京太郎は叫んだ。
これこそが自分の求めていたチャンスではないのか。
牌に愛された者とそうでない者の差を埋める為の、永遠に届かないと思っていた彼女達に勝利する為の。
「あなた……坊や哲っていう凄腕の雀士なんですよね?」
「……だとしたらどうなんだ?」
「俺に……」
一瞬の逡巡の後、京太郎は迷いを振り払う様に叫んだ。
「俺に、イカサマを教えてください!!」
とりあえずここまで。
哲さんのSSがあまりに少ないんで仕方なく自分で書いてみた。
麻雀詳しくないんで、闘牌描写はほとんど出て来ません。
雰囲気で読んでください。
間が空きましたが、投下します。
多分今後もこのくらいのペースになるかと。
哲也好きな人多いみたいなのに、何でSS少ないんだろ。
「部長、バイニンって知ってますか?」
不意に声を掛けられ、久は理牌の手を止め、物珍しそうに対面に座る京太郎を眺めた。
「京太郎、お前負けが込んでるからって薬に手を……私はポン中とは組まないじぇ!」
「いや、そっちじゃないし、そもそもお前と組むつもりもない」
後ろで見学していた優希と京太郎の掛け合いに苦笑しつつ、久は説明を始める。
「売人じゃなくて、玄人ね。そうねえ、言ってみれば裏のプロ雀士ってところかしら」
「裏……ですか」
「そう。大会の賞金なんかで稼ぐのがプロ雀士なら、賭け麻雀を生業としてるのが玄人よ」
「他に違いがあるとすりゃぁ、玄人は勝つためならイカサマでもコンビ打ちでも何でも使うっちゅーところかのー」
優希と同じく見学組のまこが補足する。
その時、これまで黙々と場を進めていた和が、バンと牌を叩き付け叫んだ。
「そんなもの、麻雀に対する侮辱です!!」
突然の事に目を丸くする皆を尻目に、和は続ける。
「イカサマに頼るのは、イカサマがなければ勝てないと認めているような――――」
そんな感情を露わにする和を、久は手を前に出して制すと、片手で器用に手牌を端から倒してみせる。
「まあまあ、熱くならないの。それ、ロンよ」
「あっ……」
「原村さんが振り込むなんて、珍しいね」
何となく和の顔を見る事が出来ず、京太郎は俯きがちに手牌を崩した。
「玄人といえば、今長野に坊や哲が遠征に来とるらしいぞ」
南四局。
思い出したようなまこの言葉に、京太郎の体がピクリと動く。
いくら高校の部活動とはいえ、彼女達は真剣そのもので、基本的に雑談をしながら打つ事は少ない。
しかし先の京太郎の質問から、この半荘はどうやらそのような流れとなったようだ。
「えっ、阿佐田哲也が? 本当!?」
「直接見たわけじゃないがの。Roof-topの客が話しとった」
「えっと……誰ですか?」
身を乗り出さんばかりの勢いで食いついた久に、咲がきょとんとした顔で訪ねる。
久はわざとらしくコホンと咳払いをすると、咲の方を向き、人差し指を立ててみせた。
「阿佐田哲也、通称『坊や哲』。新宿……ううん、おそらく東京で最強の玄人よ」
久のその言葉に、京太郎は昨日の出来事を思い返す。
「――――断る」
深々と頭を下げる京太郎に、哲也はただ一言そう言うと、再び背を向けて歩き出した。
「お、お願いです! そこを何とか! せめて話だけでも――――」
「しつけえな。玄人がてめえの飯のタネを簡単に教えるわけねえだろ」
キャッチセールスさながらに食い下がるも、哲也はそれ以上こちらを振り返ろうともしない。
それでもなお哲也を追いかける京太郎だったが、あるものが視界に入り、思わず足を止めてしまう。
「おーい、哲さーん!!」
大声で手を振りながらこちらに駆けてくる男。
リーゼントに白スーツ。どう見ても堅気には見えない。
普通の高校生である京太郎にとって、極力関わり合いになりたくないタイプだ。
しかも、おそらくは哲也の知り合いなのだろう。
これ以上哲也の機嫌を損ねると、あのリーゼントに何をされるか分からない。
京太郎は反射的に反対方向へと駆け出していた。
「坊やって、子供なんですか?」
不思議そうに首を傾げる咲の言葉に、京太郎は我に返った。
「ああ、違う違う。年齢は多分30から40くらいじゃないかしら」
今一つイメージが掴めていないのだろう。
頭に「?」マークの浮かんでいる咲を見て、久は笑いを堪えるように口元に手を当てる。
「玄人になったのがまだ若い頃だったみたいだから、その時の呼び名がそのまま通り名になっちゃったのね」
「随分詳しいんですね」
先程の振り込みからずっとむすっとしたままの和が、冷ややかな視線を向ける。
それでも久は動じる様子もなく、卓下から一冊の文庫本を取り出すと、和の前に掲げてみせる。
「ええ。だって私、ファンだもの」
本のタイトルは「麻雀放浪記」。そして、著者名は――――
「え? え? 作者・阿佐田哲也って……」
「阿佐田哲也は小説家でもあるの。といっても、小説を出すようになったのはここ1、2年だけどね」
困惑する咲に、久はまるで自分の事のように得意気に答える。
「で、でも、イカサマを使うんですよね?」
「まあね。小説の内容も玄人の話だし。でも素人をカモるのはともかく、玄人同士の対局の様子はなかなか手に汗握るわよ」
どうにも納得いかない様子の和を軽くあしらい、その様子を面白そうに眺めていたまこに向けて、ひらひらと手にした本を振る。
「ねえまこ、阿佐田哲也が店に来たらサイン貰っといてくれない?」
「や、流石にノーレートのメイド雀荘には来んじゃろ……」
和はそんな二人のくだらない会話を、苛立たしそうに牌で卓をトントンと叩きながら聞いていた。
しかし、ついにその怒りもピークに達したのか、卓上に身を乗り出し、声を荒げる。
「で、でも、やっぱりイカサマで勝とうとするなんて卑怯です! 宮永さんはどう思いますか!?」
「ふえ!? わ、私!?」
これまで見た事のない剣幕の和に突然水を向けられ、咲は涙目で固まってしまう。
それでも、何とか和の問いに答えようと頭を働かせる。
例えばこの前の長野県予選。
皆が真剣に競い合うあの場に、イカサマを使う者がいたらどうか。
あの楽しかった場を、イカサマで穢そうとする者がいたらどうか。
「わ、私も……イカサマはよくないと思う」
戸惑いながらも、それでいてはっきりとした拒絶の言葉。
その声を聞きながら、京太郎はなるべく二人と目を合わせないよう牌をツモった。
(来た……)
こんな時に限って手が入る。
【京太郎手牌】
122m344556s3456p ツモ2m ドラ3p
(これで聴牌……でも……)
この時点での四人の点差は以下の通り。
和 19,700(親)
久 35,400
咲 24,200
京太郎 20,700
皆があまり集中出来ていないからだろうか。
珍しく京太郎は3着で耐えており、今なお苛ついた様子の和がラス。
とは言え――――
(これじゃ、部長から直撃してもトップには届かない……)
小考の後、京太郎は立直をかけずに一萬を切った。
直後、和の捨てた六萬に咲が手を伸ばす。
「ポン」
その発声に皆がざわめく。
咲は基本的にカンを多用する割に副露率は低い。
その咲がポンを宣言した。
清澄高校麻雀部の部員の頭には、否応なく一つの可能性が思い浮かぶ。
――――加槓からの嶺上開花。
可能性的にはそれはまず起こり得ない。それでも皆は確信していた。
ほぼ間違いなく、嶺上牌は咲の和了牌だと。
だからこそ、咲の捨てた二萬を見て、京太郎は動いた。
「か、カンッ!!」
咲よりも早く、嶺上牌を奪う。
嶺上牌は三索。そして、新ドラの表示牌は――――
一萬。
京太郎は心の中で歓声を上げた。
【京太郎手牌】
344556s3456p カン2222m ツモ3s ドラ2m3p
断公九ドラ5でハネ満確定。
結局運だけの麻雀になってしまったが、たまにはこんな事があってもいいだろう。
これでツモ和了っても久をまくれるのだ。
京太郎は勢いよく六筒を卓に叩き付けた。
瞬間。
京太郎の背筋に冷たいものが走った。
「――――カン」
京太郎には一瞬それが誰の声か分からなかった。
中学の頃から幾度となく聞いてきたはずのその声が、まるで知らない者の声に聞こえた。
手牌から三枚の六筒を倒すと、咲はゆるりと嶺上牌へと手を伸ばす。
そして――――
「ツモ」
静かな声でそう告げると、ゆっくりと手牌を倒す。
【咲手牌】
45m666s33p ポン666m カン6666p ツモ3m ドラ2m3p
「断公九三色同刻ドラ2嶺上開花。12000で逆転です」
(何、だよ……これ……)
しばらくの間、京太郎は卓上から目を離す事が出来なかった。
終わってみれば、責任払いによって結局京太郎がラス。
だが、そんな事がショックだったのではない。
(嶺上牌の三索なんて、まったく関係なかったんじゃねえか……)
三索を引いて、さらにカンが出来るわけじゃない。
さらに六索も六筒も京太郎の手の中にあったのだ。
つまり、本来ならば咲には嶺上牌で和了る事は不可能だったという事になる。
(でも……もし嶺上開花がなければ、咲の手は満貫止まり。逆転はなかった……)
急激に襲ってきた吐き気に口を押さえながら、京太郎は何とか思考を巡らせる。
これらは全て、咲の計算通りだったのか?
だとすれば、咲は相手の手牌が全て分かるのだろうか?
いや、それはあり得ない。
もしそうならば県予選ももっと楽に勝っていただろうし、普段の麻雀からもそのような素振りは見えない。
では、これは何だ?
ただの偶然で片付けられるものなのか?
(牌に愛されてるって、こういう事なのか……? それとも、俺が……)
確かに、ただの偶然と言えばただの偶然かもしれない。
しかし京太郎は、ここまでとは言わなくても、これに近い局面を何度も経験している。
少なくとも、彼の心が折れるには十分なだけの回数を。
「き、京ちゃん? 大丈夫?」
咲に声を掛けられ、京太郎ははっと我に返る。
不安そうにこちらを覗き込む咲の姿。
いつもの咲だ、と京太郎は思う。
「あ、ああ。悪い。っていうか、こんなの見せられたら誰だってビビるって!」
「あはは、たまたまだよ」
本当に、いつもの咲だ。
これだけの軌跡を起こしておきながら、その様子に何の変化も見られない。
まるでさも当然だと言わんばかりに。
――――イカサマで勝とうとするなんて卑怯です!
――――わ、私も……イカサマはよくないと思う。
皆に気付かれぬよう、卓下で拳を固く握り締める京太郎の頭に、先程の咲と和の言葉が響く。
(咲、和、お前等の言う事は正しいよ。けど、さ……)
牌に愛された者。
そうとしか言い様のない打ち手が、現実に存在する。
そして、その逆も。
それならば。
(牌に愛されてない俺がそんな奴等に勝つには、イカサマにでも頼るしかないじゃねえか……)
とりあえずここまで。
哲さんが出て来ねえ……
放課後。
打ちのめされた京太郎は、その足で昨日と同じ雀荘を訪れていた。
無論、大金を賭けて麻雀を打つ為ではない。
そんな事に何の意味もないと、嫌というほど思い知らされた。
「おう、昨日の兄ちゃんか。最近の学生さんは金持ってるんだねえ」
きょろきょろと店内を眺めていると突然声を掛けられ、京太郎の体が跳ね上がる。
昨日の惨敗を見られていたのだろう。
ニヤニヤとこちらを見ている店主に内心で腹を立てながらも、何とか笑みを作る。
「いや、今日は打ちに来たんじゃなくて昨日の……坊や哲さん、来てますか?」
「兄ちゃん、運がいいな。ちょうど奥の卓にいるよ」
店主に指された卓へと視線をやる。
坊や哲――阿佐田哲也が有名人というのは本当なのだろう。
その卓には小さな人だかりが出来ていた。
「でも、見ても勉強にならないと思うぜ。俺も本物は昨日初めて見たが、やっぱりあの人は別格だ」
「どうも」
適当に頭を下げ、京太郎は人だかりの方へと向かった。
「――――そいつは、通らねえよ」
何とか人込みを掻き分け、声のする方を目指す。
京太郎が最前列に辿り着いた時、タイミングを見計らったように手前に座っている男が手牌を倒した。
(……あ、あれ?)
「ドーン!! タテチン一通! 親倍だぁ!!」
そこには景気のいい声を上げる白服の男の姿があった。
白スーツにリーゼント。
見間違え様もない。昨日京太郎が逃げ出す原因となったあの男だ。
「うおっ、スゲェなリーゼントの兄ちゃん」
「へへっ、なんたって俺、一晩で九蓮宝燈二回和了った事あるんスよ!」
(哲也さん……じゃない)
あの店主が嘘を吐く理由もない。
哲也はおそらくこのリーゼントと一緒に来ており、今は抜け番なのだろう。
そう理解した京太郎は、周囲を見渡す。
店内はそう広くはない。すぐに哲也は見つかった。
壁際に並べられた椅子に腰掛け、リーゼントの方を見るでもなく、ボロボロの文庫本に何かを書き込んでいる。
「あっ……」
視線を感じ、顔を上げた哲也と目が合う。
同時に声が重なった。
「あの――――……」
京太郎の言葉を遮るように、哲也は目線を逸らし立ち上がった。
そして、呆気に取られる京太郎をよそに、そのままそそくさと雀荘を後にする。
「ちょっ、哲さん!? 俺まだ打ってんスよ!?」
「九蓮の兄ちゃん、早くツモれよ」
「え? いや、ちょっ……哲さーん!?」
京太郎と、哀れみを誘う声をあげるリーゼントを残して。
面倒事は御免だ。
一瞬走って逃げようかと考えた哲也だったが、すぐに考えを改める。
何故何も後ろめたい事のない自分がこそこそとしなければならないのか。
開き直った哲也は堂々と――とはあまり言えない駆け足で、なるべく見つかり難いように路地裏へと入っていった。
「哲也さん! 待ってください!!」
が、それも徒労に終わる。
だいたい全力で走ったとしても、決して健康的とは言えない生活を送っている哲也が男子高校生に勝てるはずもないのだ。
観念し、溜息を吐きつつ哲也は振り返った。
「おい、お前――――」
しかし、声を掛けてきたはずの京太郎の姿が見えず、哲也の言葉は尻切れに終わってしまう。
まさか、幻聴だろうか?
新たな病気の可能性に顔を顰め、何気なく視線を落とす。
「お、おい馬鹿! てめえ何やってんだ!?」
思わず叫んでしまった哲也の視線の先には、地面に額を擦りつける京太郎の姿があった。
ここはいくら路地裏といえど、人通りがまるでないわけではないのだ。
お世辞にも真面目な勤め人には見えない自分が学生服姿の少年を土下座させているのを人に見られるのは、どう考えてもよろしくない。
頭上から降って来る戸惑い気味の声を聞き、ここぞとばかりに京太郎は声を張った。
「お願いします! 俺、どうしても勝ちたい奴がいるんです!!」
「~~~!!」
ヒソヒソと何かを話す声。
いつの間にいたのか、数人の中年女性がチラチラとこちらの様子を窺っている。
危惧した通りの状況に、哲也は諦めたように肩を落とした。
「ほら、とりあえず茶でも飲めよ」
六畳ほどの部屋に、畳まれた布団と机、その上には麻雀牌。
京太郎は哲也がヤサにしている簡易宿泊所へと連れて来られていた。
遅れて戻って来たリーゼントに茶を差し出され、京太郎は頭を下げる。
見た目と違い、悪い人物ではないらしい。
「あ、ありがとうございます。えーと……」
「ああ、俺ぁダンチってんだ。何でダンチって呼ばれてるかというと――――」
「お前、どういうつもりだ?」
ダンチの言葉を遮るように、哲也が口を開く。
「どうしてそこまでサマを覚えたい? 勝ちたい奴がいるとか言ってたが……」
「ははーん、分かったぜ」
ここに来てからずっと俯き気味の京太郎の様子を見て、今度はダンチが口を挟む。
「お前、玄人にかっぱがれでもしたんだろ? んで、サマ覚えて復讐してやろうってんだな」
「いえ……そうじゃないんです」
一瞬、京太郎はその理由を話す事を躊躇した。
後ろめたい思いがあるのは事実だ。
正直に話したところで、一笑に付されるかもしれない。
しかし、ここで引き返せば、自分は今後敗北する度に後悔し続ける事になる。
京太郎は覚悟を決め、顔を上げた。
「俺が勝ちたいのは……学校の麻雀部の奴等なんです」
「えーと……ちょっと待ってくれよ」
京太郎の話を聞いたダンチは、額に手を当て怪訝そうに眉をひそめる。
部活動とイカサマ。
しばらく考えてみたものの、この二つがどうしてもうまく結び付かない。
「つまり、あんたは学校の部活でカモにされてるってわけかい?」
「いえ、そういうわけじゃ……」
「じゃあその中にサマ使って皆から金巻き上げてる奴が……」
「……いませんね」
「話にならねえな」
しばらく黙って二人のやり取りを聞いていた哲也だったが、吐き捨てるようにそう言うと、煙草に火をつける。
「つまりお前はヒラで打ってる奴等負かしたくてサマ覚えようってのか」
それは拒絶のサインだったのだろう。
そう言ったきり、哲也は京太郎の方を見ようともしない。
それでも、京太郎も今回は引き下がるつもりはなかった。
「確かにあいつらはイカサマなんて使ってません。でも、あいつらは……普通じゃないんです」
哲也の反応はもっともだと思う。
褒められた事ではないのも分かっている。
それでも、彼女達に追いつくにはもうそうするしかない。
それがはっきりと分かってしまったから。
京太郎は自分と麻雀部の事を一つ一つ話始めた。
どれだけ努力しても、たった一度の勝利さえ収められずにいる自分。
そして、努力だけでは埋められない“力”を持った少女達の事を。
哲也は相変わらず無言で煙草を吸っており、話を聞いているのかどうか分からない。
それでも京太郎は必死に話し続けた。
「そして、咲……俺の中学からの友人なんですけど、そいつ、毎回のように嶺上開花を和了るんです」
「毎回!?」
一通りの事を話し終え、最後に麻雀において自分と対極にある少女の名をあげる。
その時、それまで心配そうに二人を交互に見渡していたダンチが素っ頓狂な声を上げた。
「他の奴の強運やらはともかく、嶺上開花なんて偶然役だろ。それを毎回っつったらお前、積み込み……は自動卓だから出来ねえにしても、そりゃガン牌か何かだよ」
「ガン牌?」
「だからサマの一種だよ。牌の背中に何の牌か分かるように傷や印を付けとくんだ」
そう言ってダンチは呆れたように溜息を吐く。
結局は京太郎がサマに気付いてなかっただけだったのだと、そう納得したのだろう。
京太郎は静かに首を横に振った。
「いえ……あいつ、インターハイ県予選の決勝でも半荘二回で嶺上開花五回和了ってるんです」
「……向こうが用意した牌でカメラも入ってる。ガン付けは出来ねえってわけか」
手にした煙草から立ち昇る煙へと視線をやりながら、哲也がようやく口を開く。
「そもそも積み込みが出来ねえ以上、嶺上牌が何か知る為には全ての牌を識別する必要がある。んな事が出来る奴なんか、玄人にだってほとんどいねえ」
まるでその紫煙の先に、かつての宿敵の姿を見ているかのように。
「た、確かに……じゃあ本当にヒラで嶺上開花五回和了ったってんスか!? そんなのもう超能力っスよ!」
「超能力かどうかは知らねえが、今までだって危険牌が感覚で分かる素人や、緑の牌が自然と集まってくるなんて奴もいたぜ」
「嶺上牌が分かる女がいても不思議じゃないって事っスか……」
未だに半信半疑といった様子のダンチを尻目に、哲也はしばらくの間そのまま煙を眺めていた。
そんな哲也にダンチは声を掛ける事が出来ず、京太郎もどうしていいか分からず、誰一人として口を開かない。
重苦しい沈黙が漂う。
「――――おい」
しばらくの後、沈黙を破ったのは他ならぬ哲也だった。
短くなった煙草をそのまま灰皿に押しつけ、京太郎へと視線を向ける。
「そいつとは何処に行けば打てる?」
とりあえずここまで。
改めて咲ってすげえ作品なんだなあと痛感中。
「何とも申し訳ないのぉ。これじゃただ雑用してもろうただけじゃ」
店内を見渡したまこは、最後にメイド服に身を包んだ後輩二人へと視線を移し、頭を掻いた。
先程からもう何度同じ行動をとっているか分からない。
ここはまこの実家である雀荘Roof-top。
彼女自身も人手が足りない時は店に出ており、咲と和もまた定期的にバイトとして駆り出される。
もっとも、二人の感覚ではバイトというよりも出稽古に近い。
面子が足りない卓に入り、客と打つのも店員の仕事だ。
彼女達の目的はインターハイに向けて、普段とは違う相手と打ち、経験を積む事にあった。
しかし……
「物の見事に開店休業。そら流行っとる店とは言わんが、ここまで人が来んのも珍しいわ」
「はは、まあでも、どの道今日は部活休みですし」
「京ちゃんはいいよね。恥ずかしい格好しなくていいし、原村さんのメイド姿も見れるし」
咲に横目で睨まれ、京太郎は反射的に和へと視線を向ける。
体を隠すように咄嗟に腕を胸の前で交差させた和と目が合った。
その瞳にははっきりと嫌悪感が浮かんでおり、京太郎はやるせなく天井を眺めた。
(咲め、なんつー言いがかりを……いや、そりゃ嬉しいよ。嬉しいけどさ)
これから起こる事を考えると、とてもそんな気持ちにはなれない。
本日、久は学生議会長としての活動があり、優希も外せない用事があるという。
部活を休みにし、その代わりに二人はRoof-topでバイトをするという事は事前に決まっていた。
だからこそ彼は何処に行けば咲と打てるかを知っていたのだが、今にして思えば体のいい厄介払いだったのではないかとも思う。
京太郎は一人溜息を吐いた。
(あの人……本当に来るのかな)
“それ”に最初に気付いたのは、咲だった。
「ぅ……あっ……!?」
「み、宮永さん? 大丈夫ですか?」
隣にいる少女の異変に気付き、和は咲の体を支える。
そうしなければ倒れてしまうのではないか。
和が本気でそう心配するほど、咲の様子は明らかにおかしかった。
血の気の引いた顔に玉のような汗を浮かべ、ガタガタと震えている。
(来た……のか……!?)
皆が心配そうに咲を見つめる中、京太郎は一人入口を振り返った。
以前咲に聞いた事がある。
藤田プロや天江衣クラスの打ち手と対峙した時に、言葉では説明出来ない“何か”を感じる事があると。
その時は中二病の類かとからかい、「京ちゃんに話した私が馬鹿だったよ」と拗ねられた。
しかし今にして思えば、確かに地区予選決勝の咲は所々様子がおかしかった。
彼女の言葉が真実で、この場にそのクラスの打ち手がいるとすれば、それは――――
チリンという鈴の音とともに、扉が開いた。
明るい店内、普段から比較的素人の客の多いこの店において、その男は明らかに異質であった。
(なるほどのう……こいつが咲の異変の原因か)
苦しそうに肩で息をする咲の背をさすりながら、まこもまた店内へ入って来た二人組へと視線を向ける。
纏う空気が明らかに普段この店で卓を囲んでいる客のそれとは違う。
その男が入って来ただけで、室内の温度が下がったようにさえ感じる。
(わしは咲のような力はないが……それでもこりゃー嫌でも分かるわ。面倒な事にならにゃーええが……)
まこの願いも虚しく、男は店内の様子などには目もくれず、真っ直ぐ彼女達に向け歩を進める。
「ひぅっ……!?」
刃物を喉元に突き付けられたような不快な感覚に、咲は思わず顔をあげた。
目尻に涙を浮かべる咲の瞳と、男の鋭い視線とが交差する。
「面子が足りねえんだ。空いてるなら打たせてもらうぜ」
「ま、待ってください!」
和は咲を庇うように二人の間へと割って入った。
男を睨み付けるその瞳には、僅かな恐怖と共に、強い怒りが浮かんでいる。
昨日、久から聞いた身体的特徴。
そして、咲がこれほどまでに怯える相手。
間違いない。
この男は、自分の愛する麻雀を愚弄する者。
玄人と呼ばれる忌むべき存在。その頂点――――
「あなた……坊や哲、ですね」
「だったら、ここでは打たせてもらえねえのかい?」
昨日の部室での会話を思い出し、京太郎は慌ててまこに視線でヘルプを求める。
まこは返事の代わりに困ったように頭を掻いた。
「やー、そんな事はないんじゃが……」
ちらと和の背後に立つ咲を見る。
俯き表情は分からないが、その小さな体を震わせている。
「申し訳ないんじゃが、この子は体調がよぉないみたいでのぉ。代わりに私が――――」
出来る事ならば自分が代わってやりたい。
しかし、その申し出が断られるであろう事はまこも分かっていた。
坊や哲がこんな場違いなメイド雀荘に足を運ぶ理由なんて一つしかない。
何処かで知ってしまったのだ。咲という異能の存在を。
「あの」
しかし、まこの言葉を遮ったのは眼前の男ではなかった。
驚いたように声のした方に目を向ける。
そこにいたのは、先程までの俯き震えていた少女ではなかった。
「私でよければ……打ちましょう」
その声はまだ微かに震えていたが、再び交差した瞳は真っ直ぐに哲也を捉えていた。
「……体調はいいのかい?」
「はい。卓に着けば、大丈夫だと思います」
突然の発言に、皆が心配そうな、あるいは怪訝そうな表情で咲を見つめる。
その中で、哲也だけが何かを納得したように僅かに口角を歪めた。
(なるほど。この女、小せえくせに一端の玄人みたいな口ききやがる)
「宮永さん……」
不安そうな和の視線に気付き、咲は安心させるように何処かぎこちない笑顔を浮かべる。
それを見て、和は何かを決意したかのように頷いた。
「分かりました。打ちましょう。その代わり、イカサマはなしです」
「ば、馬鹿にすんない! トーシロ相手なら俺達がサマ使うまでも――――」
哲也の背後にいたダンチが大声を上げる。
しかし、哲也は片手を上げて自分のオヒキを制した。
「俺は打てればそれで構わねえ。それでも気になるってんなら、そいつを俺の後ろに座らせればいい」
指を差されたまこは、腕を組みうーむと唸る。
まこにとっては哲也も大事な客の一人に変わりない。
それを初めからイカサマをする前提で扱うのは、どうにも気が引けるのだ。
それでも、そうする事で後輩達の気が少しでも楽になるなら。
そう考え直し、溜息とともに頷いた。
「じゃ、お言葉に甘えて新宿一の玄人の打ち筋を勉強させてもらおうかね」
「おいおい、そっちこそ眼鏡の嬢ちゃんをカベ役にするつもりじゃねーだろうな」
「んにゃ、心配せんでもこいつらはサイン出したところでよー分からんわ。これで麻雀以外は不器用じゃからの」
ここぞとばかりに口を出すダンチに、まこは場を取りなすように笑って見せる。
咲はカベ役の意味が分からずきょとんとしていたが、和は少しだけむっとした表情を浮かべた。
「も、もう一つ条件があります。最後の一人はこちらで指名させてもらいます」
「何だぁ!? 俺は打たせてもらえねえのかよ!」
「二人でサインでも出されてはイカサマと変わりませんから」
ピシャリとはねつけられ、ダンチは悔しそうに歯を食いしばる。
しかし、玄人なら相手がコンビかどうか疑うのは当たり前。
分かっているからこそ、ダンチは反論も出来ず、ただ地団太を踏むしかなかった。
そんなダンチを気にも留めず、和は“最後の一人”へと視線を向けた。
「後一人は……須賀君」
「えっ、俺?」
「お願い出来ますか?」
予想外の展開に、京太郎は言葉を失った。
ただの数合わせでしかないと分かっていても、麻雀で頼られるというのは、正直嬉しい。
しかし、今回は状況が状況だ。
哲也は何らかの意図があって咲達と打ちに来たのだろう。
また、一方の和は本気で哲也に勝とうとしている。
そこにレベルの低い自分が入る事で、場を不必要に荒らしてしまったら……
自分にはとても責任が取れない。
「え、えーと……」
和から視線を逸らし、縋るように哲也を見る。
哲也が一言嫌だと言ってくれれば、それですむ話だ。
しかし、哲也は京太郎に視線を合わせず、ただ一言呟いた。
「俺は誰だろうと構わねえよ」
「じゃ、じゃあ……よろしくお願いします」
そう言われては断る事も出来ず、京太郎は不承不承頭を下げた。
「宮永さん、本当に大丈夫ですか? 体調が悪いなら無理しなくても……」
「ううん、もう平気だよ。ごめんね、心配かけて」
「いえ、謝るのはこちらです。私の我儘に付き合わせてしまって……」
自分の玄人に対する思いを知っているからこそ、咲は無理してこの勝負を受けてくれた。
和がそう考えるのも無理はない。
事実、先程までの咲はとても麻雀など出来そうな状態ではなかったのだ。
「違うの、原村さん」
空いている卓へと向かう哲也達を目で追いながら、呟く。
咲自身も不思議だった。
哲也から感じたもの。
それは、以前の自分には恐怖でしかなかったはずだ。
それでも、地区予選決勝の対局を経験した事で、咲の中で何かが変わった。
自分の中に恐怖と同時に相反する別の感情が生まれるのが、今の咲にははっきりと感じられた。
(ちょっと怖いけど……それでも、あの人が本当にお姉ちゃんや衣ちゃんのような打ち手なら……)
ブルッと体を震わせる。
この震えは恐怖からか、それとも――――
「私――――あの人と、打ってみたい」
とりあえずここまで。
話がまるで進まないぜ。遅筆でごめんよ。
(うっわ、相変わらず微妙な配牌……)
手牌を見て京太郎は苦笑する。
パッと見ただけでも酷い配牌と分かる。おそらく五向聴か六向聴。
しかし、さほど落胆した様子はない。
(これなら素直にオリだな。余計な事考えなくていいだけ気が楽かも)
京太郎は理牌もそこそこに卓を囲む面子を一瞥する。
起家は哲也。そして、南家 咲、西家 和、北家 京太郎と続く。
京太郎を除き、皆その表情は真剣そのもの。
ノーレートのメイド雀荘でここまで殺伐としている卓も珍しいだろう。
ふと哲也の背後に座るまこがニヤニヤとこちらを見ているのに気付く。
京太郎はそれを無視するように再び視線を手牌へと落とし、溜息を吐いた。
(染谷先輩め、他人事だと思って……哲也さんに振り込みでもしたら和に殺されかねんぞ)
そう、この対局に限っては京太郎は勝利を望んではいない。
ただただ場を荒らさない事に徹するつもりである。
哲也の打牌により対局が始まった。
東一局 親・哲也
殺伐とした空気とは裏腹に、場は静かに進行していく。
そして、14巡目。
流局も見えてきた中、場の静寂を破ったのは――――
「――――カン」
咲の発声だった。
否が応にも皆の視線が咲へと集中する。
――そいつ、毎回のように嶺上開花を和了るんです。
京太郎の台詞を思い出したダンチは、思わず呟いていた。
「ま、まさか……」
「そのまさかじゃろう」
ダンチの表情を見て、まこはニヤリと笑みを浮かべる。
全ては杞憂だったようだ。
そうだ、あの一見頼りない少女こそが清澄高校を全国へと導いた大将なのだ。
まこの考えを肯定するかのように、咲の手牌が倒された。
「嶺上開花ツモ。700・1300です」
東二局 親・咲
(張った……が)
9巡目に哲也聴牌。しかし役なしのゴミ手だ。
和了っても仕方がないとは言わないが、それよりも気になる事がある。
(あの女……確かに前局、聞いていた通りに嶺上開花を和了ったが……)
下家へと視線を向けると、目が合った咲は「ひっ」と小さな悲鳴を上げ目を逸らしてしまう。
咲の反応に、哲也は困惑気味に眉を寄せた。
自分はサマを使い、人の弱みに付け込み、大金を巻き上げる玄人だ。
素人に恐れられるのは当然だと思う。
しかし、対局前は一端の玄人のような口を叩いたかと思えば、この態度。
そのくせ、前局では一瞬だけだが一流の玄人が放つ殺気に近いものを感じた気もする。
どうにもチグハグだ。
(……試してみるか)
咲の手牌、そして河へと視線をやる。相手もおそらく既に聴牌している。
哲也は聴牌を崩し、一萬を切った。
「そ、それカンです!」
そう発声した咲は、ビクビクした手つきで一萬を拾い、嶺上牌へと手を伸ばす。
「ツモ」
(……二度続く偶然はねえ)
「嶺上開花ドラ1。3900です」
(この女……すり替えでもガン牌でもないのに、本当に嶺上牌が“見えて”やがる)
それがどういう仕組みかは分からない。
当人である咲自身にも分かっていないのかもしれない。
哲也はかつて自分の師である房州が言っていた言葉を思い出していた。
――こいつは言わば天からもらったみてえなもんだからな。
(なるほど。印南の魔眼や小龍の緑一色と同じ様に、これはこの女が天から貰ったもんって事か)
理解しようとして出来る物ではない。
理外の存在、一種の化物を相手にしていると思い打たなければ負ける。
この二局でそう痛感した哲也は、改めて自分の敵を認識する為に顔を上げた。
「うっ……」
思わず困惑気味の声が漏れる。
哲也の敵――理外の化物もまた、じっとこちらを見つめていた。
その大きな瞳を潤ませながら。
「な、何だ?」
「阿佐田さんの責任払い……なんです、けど……」
「あ、ああ。悪い」
今にも消え入りそうな声。
小さく震えている手に点棒を差し出す。
(や、やりづれえ……)
頬に冷たい汗が流れる。
百戦練磨の玄人達としのぎを削ってきた哲也ですら……
いや、そんな哲也だからこそ味わった事のない恐るべき卓外戦術。
(落ち着け……ペースを乱されたら負けだ……!)
哲也の頭に普段卓を囲む濃い顔の面子が恋しく思い出されていた。
東二局・一本場 親・咲
「カン!」
5巡目。動いたのは咲ではなく、哲也だった。
京太郎の捨て牌を大明槓。
手を崩す事になるが、咲よりも早く嶺上牌を奪う事を優先しての事だ。
そんな哲也を見て、京太郎は悔しそうに目を閉じた。
(駄目だ、哲也さん。それじゃ咲は止められない……)
「カン」
二巡後、京太郎の読み通りに咲が暗カン。
そのまま二枚目の嶺上牌を卓上へと叩き付ける。
「嶺上開花ツモドラ2。4000オールの一本場は4100オールです」
(そう……咲が“見る”事の出来る嶺上牌は一枚じゃない)
哲也もその事を察したのだろう。
しばらく卓上を眺めていたが、やがて無言のまま手牌を崩した。
東二局・二本場 親・咲
「何なんだよ、あの嬢ちゃん……マジで王牌の中身が見えるってのか?」
「わしもよぉは分からんが、そうとしか考えれん事はしょっちゅうあるの」
「ケッ、そんなの俺らのサマよりよっぽどタチが悪ぃや」
「ま、確かにの」
隣に座るダンチのぼやきに、まこは苦笑する。
確かに、たまに自分にもあのような力があればと思わないでもない。しかし……
「それでも、わしはカンすりゃあ和了れると分かっとるのに和了り放棄される方が腹が立つ。馬鹿にされとるようで」
「そりゃまあ……そうかもしんねえけど」
哲也の後姿をぼんやりと眺めながら、ダンチは呟く。
これまで哲也と一緒に多くの玄人と闘ってきた。
中には反則だと叫びたくなるような力を持つ者もいた。
しかし今思えば、彼等もこちらの力を認めているからこそ、持てる力の全てを使って挑んできたのではないか。
それこそが対戦相手に対する礼儀とも言えるのではないか。
「ん……?」
ふと目の前の哲也の手牌へと目が行き、ダンチの思考は停止する。
哲也が切ろうと手をかけた牌、それは……
(な、何やってんスか、哲さん!?)
思わず叫びそうになり、ダンチは慌てて自分の口を押さえた。
その少し前。
(これで二向聴……ですが、宮永さんはおそらく既に聴牌。それに……)
あっさりとオリを選択した和は、対面へと視線を移す。
哲也は2副露。六萬と八索をポンしている。
(坊や哲は喰いタンの早和了り狙いですか)
確かに、咲を止めるには咲がカンするよりも早く和了ればいい。
(ですが、それでは手が安くなるし、偶然今回宮永さんより早く和了った所でそれが毎回続くとは限らない)
視線の先、哲也は長考の末、手出しで七筒を切った。
(やはりイカサマが使えなければ玄人なんて――――?)
哲也の後ろのダンチが口を押さえながら椅子から腰を浮かせたのを見て、和は慌てて目を逸らした。
オーバーリアクションを取る向こうにも問題があるが、その反応で相手の手を推察するのはイカサマに近いものがある。
少なくとも和はそう考えている。
しかし、見えてしまったものは、それはそれで仕方がない。
(聴牌……でしょうか? それにしては反応がおかしい気もしますけど……)
和は雑念を振り払うように小さく首を振った。
今は哲也の手は関係ない。自分は確実にオリるだけだ。
一方、咲は哲也達の異変には目もくれず、次に自分がツモるさらに先の山へと視線を送っていた。
(……うん、2巡後に八萬をカン出来るはず)
咲は和の読み通り既に聴牌。
ツモってきた牌をそのまま河に捨てる。
【咲手牌】
333888m44477s23p ドラ7s
2巡後に八萬をカン。嶺上牌の四筒で親っパネ。
二着以下に4万点以上の圧倒的な差をつける事が出来る。
(それにしても……)
ふと思い出し、咲は哲也を見た。
後ろの二人――ダンチとまこがおかしな顔で哲也の手を覗いている。
しかし、当の哲也自身は何を考えているのか、その表情からは何も読み取れない。
(阿佐田……さん、雰囲気は恐いけど、対局が始まってからは特にあの嫌な感じはしない)
記憶の中の姉や天江衣から感じ取ったのと同じかそれ以上の違和感。
それを放っていたのは哲也に違いない。そう思ったのだが。
(気のせいだったのかなぁ……)
「カン」
ぼんやりとそんな事を考えていた咲は、不意に聞こえた発声にビクリと体を震わせる。
哲也がツモってきた八索を加槓したのだ。
(嶺上牌が……でも、まだ……!)
「ツモ」
「え……?」
きっと自分の聞き間違えだ。
必死にそう思おうとする咲を嘲笑うかのように、哲也の手牌が倒された。
「断公九ドラ2嶺上開花。満貫だ」
「うわ、嶺上開花って咲以外の人でも出る時は出る――――」
「っ……ありえません!」
京太郎の平凡な感想は、椅子を倒し立ち上がった和によって遮られた。
わなわなと震えながら哲也の手牌を睨みつけている。
【哲也手牌】
2345688p ポン666m カン8888s ツモ4p ドラ7s8p
「ど、どうしたんだよ和? 嶺上開花なんて確かに珍しい役だけど……」
「気付かないんですか……!?」
声を荒げ、哲也の河を指差す。
一巡前に哲也が捨てたのは七筒。ようやく京太郎も哲也の異様な打ち回しに気付く。
「この人は一巡前に和了れていたはずなんです! なのに、それをしなかったのは……」
「嶺上牌が四筒だと分かってた……!?」
咲も気付いていたのだろう。
ただ呆然と哲也の手牌を眺めている。
(どうしてこの人が……嶺上開花を……)
こみ上げてくる嫌な感覚に、咲は思わず口元を押さえた。
「いやいや……そら並の打ち手じゃないたぁ知っとったが、まさかこんな事まで出来るとは……」
考えたくはない。しかし、まこも含め皆が同じ結論に辿り着いていた。
坊や哲は宮永咲と同じ力を持っている。
(……違う)
そんな中、オヒキであるダンチだけが哲也の行動を理解していた。
(哲さんは嶺上開花の嬢ちゃんが聴牌してる事、そして待ちが一四筒だと読んだんだ)
もし咲がこの局も嶺上開花を狙うのであれば、嶺上牌は一四筒のはず。
そう読んだ上で、哲也はあえて和了りを放棄したのだった。
(カンが出来るかどうかは哲さんにも賭けだったはず。それでも嶺上開花を狙ったのは……)
「偶然の早和了りだけじゃ、そいつの親は止まっても場の流れは止まらねえ」
怯えたような表情の咲に、今度は真っ直ぐに視線をぶつける。
相手を一流の勝負師と認めたからこその宣戦布告。
「――――だから、力で止めたんだ」
勝負はまだ、これからだ。
とりあえずここまで。
まだ東二局…だと…
哲「哲也……嶺上でツモれる気がします!」
乙乙
「嶺上牌が分かる」のは何時の時点の話なんだろう?
相手の手牌は相手が配牌を確認した時点じゃなきゃ分からないみたいだけど
王牌同士ですり替えられたら咲はどうするのかな?
>>161
適当に作ってみた
哲さん、そいつの怖いところは実はリンシャンじゃないんだぜ…
「ツモ。1300・2600だ」
東三局。
当面からの発声に、和は内心歯噛みする。
自分の親を流されたのは大した事ではない。
哲也は先の和了りで場の流れを引き寄せたと言っていたが、そんなものは一時的なランダムの偏りにすぎない。
それよりも、問題は……
和はチラリと上家の咲を見た。
(宮永さん、しっかりしてください。嶺上開花を和了られてショックなのは分かりますが……)
この局、咲は終始心ここに在らずという感じで、ベタオリに近い打ち回し。
和了ろうとする意思がまるで感じられなかった。
もちろん和は気合を入れて打てばいい手が入るなどと考えているわけではない。
しかし、集中出来ていなければ、それだけミスをする確率も高くなる。
(もしかして、これが坊や哲の本当の狙い? こんな形で宮永さんの嶺上開花を封じて来るなんて)
この時点での点数は――
哲也 29,500
咲 38,400
和 15,400
京太郎 16,700
未だ咲がリードを維持しているものの、このままでは時間の問題だろう。
キッと対面の哲也を睨む。
(私だってこのまま終わるつもりはありません。宮永さんが駄目なら、私が……!)
東四局 親・京太郎
(手は悪くない……はずなのに)
和はツモ切りしながら、手配へと視線を落とした。
【和手牌】
345m34【5】67s22345p
高目ならメンタンピン三色赤1の三面待ち。こんな手が四巡で入ってきた。
二索が一枚京太郎の河に捨てられているが、五八索は見えていない。
しかし、既にリーチから八巡、和はツモ切りを続けている。
(確かに、対面の坊や哲は索子の染め気配ですが……)
「ツモ」
和が哲也の河へと視線を移すと同時に、その先にある手配が倒される。
その和了手は和を愕然とさせた。
【哲也手牌】
1122255588889s ツモ7s
「メンチンツモ三暗刻。倍満だ」
(私の和了牌が全て止められている……!?)
まさかイカサマ? そう思い、哲也の後ろに座っているまこを見る。
しかし、まこは静かに首を横に振った。
確かに和から見ても怪しい動きはなかった。
だとすれば、目の前の男は和の手を完全に読み切っている。
その上で、その牌を引き当てるだけの“何か”を持っている。
(そんなの、まるで……)
――――私は麻雀、それほど好きじゃないんです。
かつて上家の少女に言われた台詞が頭をよぎる。
和は天運や場の流れなど信じてはいない。
しかし、もし仮に、あくまで仮定の話として、そのような運を持つ者がいるとして――
(何で、こんな……麻雀を金儲けの道具にしているような人に……)
じわりと視界がにじんだ。
パンッ、と乾いた音が響き、和は慌てて目尻を拭う。
明瞭になった視界で音のした方を見ると、それが咲が自分の両頬を叩いた音だとすぐに分かった。
「――――うんっ」
「み、宮永さん?」
「坊や哲さん……やっぱりすごい打ち手だった。せっかくこんな人と打てるんだもん。楽しまないと……!」
和に話しかけているのか、それとも自分に言い聞かせているのか。
戸惑う和の視線に気付いたのか、咲は和を見て、照れたような笑みを浮かべた。
「だから、原村さんも楽しもうよっ」
咲の言葉にはっとする。
(私は……卓外の事に捕われすぎていたのかもしれませんね)
玄人だろうとそうでなかろうと、坊や哲は凄腕の雀士だ。
それは認めなければならない。
その上で、相手が誰であろうと自分は自分の麻雀を打つだけだ。
咲に釣られるように、和は僅かに微笑んだ。
(楽しもう……か)
京太郎は全自動卓の点数表示へと視線をやる。
哲也 46,500
咲 34,400
和 10,400
京太郎 .8,700
南場がまだまるまる残っているのだ。
咲だけでなく、和にも京太郎にも勝ちの目は十分にある。
そういう意味では、咲の台詞はおかしな事ではない。
しかし、京太郎はその台詞に違和感を感じる。
(最近はただ負けまいと必死で、そんな事考えた事もなかったな。俺は……麻雀を楽しめてるのか?)
目の前に牌がせり上がり、京太郎は思考を中断した。
南一局 親・哲也
「へへっ、楽しむのはいいけど、この流れだと哲さんこの局で終わらせちまうぞ」
「いや……」
ダンチの独り言が耳に入ったのか、哲也は振り向きもせず呟いた。
意外そうにダンチは首を伸ばし、哲也の手牌を覗く。
【哲也手牌】
11345678999m56p ツモ9m
(こいつぁ……流れが来てるどころか五巡目で九蓮の一向聴! 何悩んでんだ?)
ダンチも玄人としてはそれなりの腕を持っている。
或いは彼も卓に着いていれば“それ”を感じていたかもしれない。
(この女……)
ツモってきた九萬を握ったまま、上家へと視線を向ける。
牌が滑りそうになり、哲也はいつの間にか自分の手が汗で湿っているのを知った。
原因は明らかだった。
咲の纏う空気が、先程までとは変わっている。
(さっきは嶺上開花で強引に流れを引き寄せたが……あの咲って奴が何かミスをしたわけじゃねえ)
いずれ再び咲へと流れが来る。
哲也はそれをはっきりと感じていた。
(どうする……九萬をカンして嶺上牌を奪うか?)
しかし、その手は一度試して失敗している。
何より相手を恐れているような打ち筋は、ツキを逃がす結果に繋がる。
咲にいずれ流れが来るのであれば、ここで手を落とし勝負を長引かせるのは危険だ。
長考の後、哲也は五筒を強打した。
(いいだろう。てめえの嶺上開花と俺のツキ、どっちが強いか……勝負だ!)
かつて房州は哲也の運を天に魅入られていると表現した。
オカルトじみた能力こそないものの、哲也の天運は「牌に愛されている」と言っても過言ではないのかもしれない。
事実、二巡後に哲也はあっさりと二萬を引き入れる。
【哲也手牌】
113456789999m6p ツモ2m
(聴牌、一四七萬待ち……一萬なら九蓮宝燈だが……)
牌を掴んだその腕に、何かが纏わりつくような感覚を覚え、哲也は手を止める。
哲也の視線が円を描くように三人の河へと注がれた。
(……いや、三人ともまだ聴牌気配はねえ!)
その感覚を振り払うように、六筒を叩き付ける。
「カン」
間髪入れず、上家から発声がかかった。
すまん、何か勘違いしてた。哲也から見て咲は下家だ。
まさか、見誤ったか?
反射的に咲の手牌へと視線を送る。
(やはり聴牌気配は感じられねえ。嶺上開花はない……!)
哲也の読みは正確だった。この時点で咲はまだ一向聴。
【咲手牌】
44445【5】p北北中中 カン6666p
しかし、咲の引き入れた嶺上牌は五筒。
そして――――
「もいっこ、カン!」
二枚目の嶺上牌をツモるため、咲の手が哲也の眼前の山へと伸びる。
全てを察した哲也が牌を伏せると同時に、咲の手牌が倒された。
「――――ツモ」
【咲手牌】
5【5】5p北北中中 カン4444p カン6666p ツモ中
「混一、対々、三暗刻、三連刻、中、赤1……嶺上開花。24000です!」
先程までのおどおどした様子からは想像出来ない、自信に満ちた瞳。
その瞳の中に、哲也は真紅に揺らめく炎を見た。
――――麻雀って……楽しいよね。いっしょに楽しもうよ!!
(ああ……)
京太郎は先程感じた違和感の正体に気付いた。
気付かされた。
咲は決して意識してそうしたわけではないだろう。
和の涙に気付いてそう声をかけたのかもしれないし、ただの偶然かもしれない。
しかし、咲は京太郎に一緒に楽しもうとは言わなかった。
(はは、は……)
乾いた笑いが漏れそうになるのを、必死で抑え込む。
咲を非難するつもりはない。
むしろ、楽しもうと言われた方が辛かったかもしれない。
楽しもうと言われても、どう楽しめというのか。
部内の対局ですら勝利出来ない自分が。
咲の言葉は、絶望的な状況からでも逆転する事が出来る者の言う台詞だ。
牌に愛された者のみが吐ける台詞だ。
自分に近しい存在にのみかける事の出来る台詞だ。
(勝てないと……麻雀を楽しむ事すら出来ないのか……)
吐き出す先もないドロドロとした感情。
それが自分の心を蝕んでいくのを、京太郎は感じていた。
とりあえずここまで。凡ミスが地味に凹む…
三連刻は哲也の原作で使ってたはずなので採用しました。
三暗刻三連刻って響きがかっこいいよね。
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