マッチを売らなくなった少女(105)
あるところに少女がおりました。
冬の風に身を震わせながら多くの人が行き交う道の端にたたずみ、
「マッチいりませんか?」
と消え入りそうな声で訊ね続ける少女です。
「マッチなんてこんな時代に売れるはずがないわ」
雪の積もる石畳を明るく照らす外灯を見上げながら悲しげに呟きました。
薄橙色にちらちらと舞う粉雪が少女の心を冷やします。
こんな暮らしで生きていけるはずがない。
明日食べていけるお金があるわけでもない。
左腕に下げた籠に手を伸ばして、マッチを雪から守るために掛けていた布を取ると中から折りたたまれた紙切れを取り出しました。
私に残された道はもうこれしかない。
端と端をしっかりと合わせて畳まれていたチラシを開いて見つめ、固く決心をしました。
もうマッチ売りをやめてしまおうと。
少女はマッチを擦りました。
少女の小指ほどの長さしかない短い棒の先端に薄橙色の明りが燈ります。
「私はやめる」
「何をやめるって?」
「もう貧しい暮らしはしたくない。でも、裕福になろうなんて思わない」
少女が小さく燃え上がる炎に息を吹きかけ大きく腕を振りました。
すると驚くことに、消え入りそうだった小さな火は瞬く間に膨れ上がり、たちまちに棒を柄にした爆炎の鞭へと変貌したのでした。
「私が望むのは人並みの生活。人並みの幸せ。ただそれだけ」
棒を横へ一閃。それに追従して燻ぶり黒い煙を吐きながら鞭がしなって空を斬ります。
「私はこの大会で優勝し! そして、自分だけの幸せを手に入れる!」
少女が声高に宣言すると鞭以上の熱量をもってギャラリーが湧きあがりました。
「私の悲願を達成する為、その踏み台になってもらいます!」
腰を深く落として前傾姿勢を取り、鞭を操る少女は異国の姫を見据えました。
この場を制して手に入るのは勝利者の余韻ではない。弱者を蹴落とした後悔と更なる強者を相手にする恐怖。
ですが、それを乗り越えて幸せを手に入れなければ少女に明日はありません。
相手の脚が動くコンマ秒差、少女は指で弾かれたはじきのように勢いよく飛び出しました。
初戦の相手は青と黄色のドレスがよく映える異国のお姫様。
いきなりの大物に委縮せず、どれだけ果敢に立ち向かえるでしょうか。
足元に何かが転がってきたのを感じ取り、それを目で確認するよりも早く横へ跳ねて回避します。
「すごいすごい。良い反応ね」
眼前の敵が微笑みながら賞賛を送ると同時に、お姫様に蹴り飛ばされた何かは爆音を上げて四散しました。
四方八方に飛散した果実と果汁が少女の白い頬を汚します。
「っ」
すぐさまそれを袖で拭いますが、感じたことのない違和感が残りました。
(なにこれ……、触れた部分がピリピリする)
「凄いでしょ? 今夜に備えた特別性よ」
純粋に、この時間をただただ純粋に楽しんでいるお姫様の笑顔には得体の知れない気味の悪さがあります。
「ただの果物じゃないよね」
ですが、それを乗り越えて幸せを手に入れなければ少女に明日はありません。
相手の脚が動くコンマ秒差、少女は指で弾かれたはじきのように勢いよく飛び出しました。
初戦の相手は青と黄色のドレスがよく映える異国のお姫様。
いきなりの大物に委縮せず、どれだけ果敢に立ち向かえるでしょうか。
足元に何かが転がってきたのを感じ取り、それを目で確認するよりも早く横へ跳ねて回避します。
「すごいすごい。良い反応ね」
眼前の敵が微笑みながら賞賛を送ると同時に、お姫様に蹴り飛ばされた何かは爆音を上げて四散しました。
四方八方に飛散した果実と果汁が少女の白い頬を汚します。
「っ」
すぐさまそれを袖で拭いますが、感じたことのない違和感が残りました。
(なにこれ……、触れた部分がピリピリする)
「凄いでしょ? 今夜に備えた特別性よ」
純粋に、この時間をただただ純粋に楽しんでいるお姫様の笑顔には得体の知れない気味の悪さがあります。
「ただの果物じゃないよね」
「ええ、何の果物か当てたら全部教えてあ・げ・る。ヒントは――」
友人に仕立てたばかりのドレスを披露するかのようにお姫様はスカート裾を持ち上げてその場をクルリと回ります。
するとどうでしょうか。スカートの内側から真っ赤な果実がごろごろと溢れ出てきました。
「――リンゴよ」
言うや否やお姫様はすらりと伸びた細く華奢な脚で果実を蹴り飛ばすと、幾つもの林檎が少女をめがけて飛来してきました。
「なっ?!」
不意の攻撃に慌てて鞭を振るいますが、虚を突かれた攻撃を完璧に防ぎきることはできません。
反応が遅れてしまい、幾つかの林檎が焼かれる前に少女の身体にぶつかりました。
幸いなことに先程のような爆発は起こりませんでしたが、もし、この林檎が目と鼻の先で実を散らしていたら……、そう考えると少女は自身の緊張感の無さを噛み締めました。
「安心して。まだまだあるから」
お姫様は続けざまにひらりと回転し追加の林檎を生み出すと、それを確認した少女は足元に散らばる林檎から離れようと駆け出した、まさにその時でした。
「あっ?!」
突如、激痛に襲われた足をもつれさせ、掌からこぼれた鞭が遥か前方に投げ出されて固い床の上を跳ねて遠ざかります。
「あぐっ! があああぁぁぁっああぁっ!!」
何が起きたのか状況の理解が出来ないまま少女の体は地面を転がりました。
薄っすらと開けた視界の先には、さっきまで何も無かった場所に無数の林檎の皮と黄色い果実、それに異様に泡立った果汁が散らばっていました。
(時差式っ!?)
今度こそ完全に油断をしていました。そして、それに気付くのが遅すぎました。
地面に横たわる少女にお姫様が蹴り飛ばした林檎の雨が降り注ぎました。
「私の林檎は収穫時期が早かったせいか、ちょっと酸味が強めなの」
くるりとスカートを宙に躍らせます。
「未熟なあなたに大人味のアップルは楽しめないわよね」
足元に積み重なる林檎の1つを掴み取り、
「次はとびっきりに甘い甘い夢を観させてあげる」
口に運んで齧りました。
そして、
「good night,little pretty princess.」
お姫様が口ずさんだ眠りの挨拶をトリガーに少女を埋もれさせた林檎が破裂しました。
「あー! あー! あー! あー! もうっ! スカートがぼろぼろじゃないの!」
試合を終えた少女はとても不機嫌そうに頬を膨らませました。
見るままに大層ご立腹。真っ赤にさせて怒っている顔は、前戦のお姫様が散々闘技場内に撒き散らせた林檎のようでした。
お世辞にも綺麗とは言えない身なりですが、穴の開いてしまった赤色のスカートは少女の大のお気に入りだったのです。
1つ1つの大きさは虫に食われたような程度の些細なものでしたが、数が集まればその規模変わってきます。
「あんな綺麗なお洋服を日常から着れちゃう富裕層には衣類1着の大切さなんて理解できるわけがないのよだからあんなに派手な戦い方が躊躇なく――」
愛用着のいたるところを汚され痛められた少女には堪えたらしく、誰に聞かせるでもなく延々と文句を垂れ流しまていました。
2回戦が始まるまでに時間的な余裕はまだまだあります。
痛んだスカートの一部を隠すように握り締めて、ロビーの一画に備え付けられた洋服直し専用のスペースに入りました。
「あ、こんばんは」
「こ、こんばんは」
どうやら中には先客がいたようです。
少女に気が付いた先客の女の子が柔らかく微笑んで会釈をしてきたので、少女もおずおずと頭を下げました。
もちろん少女は女の子に面識はありません。完全に初対面です。
見た目は少女よりも幼いのようですが、年上相手にも人見知りしない様子に少しだけ感心しました。
女の子は無料で貸し出されたローブを纏い、せっせと針を動かして純白のエプロンを縫っているところでした。
少女も女の子に倣ってクローゼットから何回りも大き目のローブを借りると内側で衣服を脱ぎます。
手近な椅子に腰を降ろすと、テーブルの端に置かれた裁縫セットを手元に引き寄せました。
「さっきの試合見たよ。お姉ちゃんすごかったね」
「そ、そう?!」
「すごかったよ」
さりげなくごく自然に少女が一番遠くの席を陣取ったにも係わらず、女の子は陽気な声で話しかけてきました。
意表を突かれた少女は声を上ずらせただけでなく素っ頓狂な返事までしてしまったことに、羞恥に顔を染めて顔を伏せます。
私は人見知りではなく優しい人に慣れていないだけ。あの子はあの子は可愛い年下の女の子。
思わぬ失態に熱くなった頬に手でぱたぱたと風を送りながら少女は心の中で何回も呪文のように繰り返し唱えました。
「お姉ちゃんはあのときなんで無事だったの?」
「あのとき?」
あのときはどのときですか、と記憶を探ります。
マッチを擦って生んだ大炎を間近で操るときのことか、はたまた林檎を林檎と判別できずに弾けさせたときのことか、それとも時差で破裂した毒々しい果実に足を掬われたことか……どれ?
思い当たる節が多くすぎて首を傾げると、エプロンの修復が一段落した女の子が少女に視線を移しました。
「沢山の林檎の下敷きになったときだよ」
「ああ、あれね。あれはマッチを擦ったのよ」
「……」
「表現が足りなかったわね。マッチを擦って新しい武器を作ったの」
女の子から向けられた学の無さを憐れむような寂しそうな視線に慌てて少女が言葉を付け足しました。
「マッチから武器を作れるの?」
「そうよ。人に見せたのはここが初めてなんだけどね」
「へー」
「ここからはちょっとお話が難しくなるわよ」
年上らしさを強調する為に少女は前置きを入れて説明を始めました。
林檎の山の中で数本のマッチに新しく火を付けると身体に近い果実から順番に焼いていった。
焦って最初から最大火力にしたせいで山の林檎が盛大に弾けてしまって非常に驚いた。
たぶん林檎が暴発したのはいきなり暖めすぎて内部の水分が一気に蒸発し、外側の薄い表皮だけでは急増した体積を持ちこたえられなかった。
少女が無事だったのは爆発した林檎にほとんど水分が残っていなかったから。
どれもこれも少女の推論でしたが、女の子は大好物のお菓子を見つけたかのように目をキラキラと輝かせて話を聞いていました。
それから結末までは早いものでした。
お姫様が林檎を蹴り飛ばすよりも早く少女は懐に入り込んで攻撃の態勢を取るだけで勝負は決まりました。
林檎を爆破させてしまえばお姫様は自身を巻き込みます。方や少女は腕をほんの少し動かすだけでお姫様の身を黒く焦がすことが出来ます。
決着はお姫様のギブアップという形で少女に軍配があがりました。
「お姉ちゃんかっこいい!」
「女の子にかっこいいなんて言わないでよ」
女の子の褒め言葉に照れ隠しで嫌がってみますが、褒められて嬉しくないわけではありません。
苦笑いで頬を掻く少女に女の子はパンくずを差し出しました。
「……これは?」
「お姉ちゃんの健闘に頑張ったで賞です! 頑張りました」
「あ、ありがとう」
小さな女の子に手渡された勝利のご褒美は小さなパンくず。
嬉しくもちょっと侘しいささやかな賞品に困ったような笑顔を浮かべ、お返しに女の子の頭を優しく撫でました。
『紅蓮の蛇が撓り大気を燃やした』とか書ければいいんだけど張ってから気付く悲しみ
地の文の練習してるだけだから! 語彙の確認してるだけだから!
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