ミカサ「マフラーがない」(58)
ネタバレはおそらくない。
地の文あり。
「……………」
「……どうしよう」
やってしまった。
マフラーが、ない。
青ざめる私の後ろで、ドサッと着地音。
「疲れたぁ~! やっぱりミカサは早いね~っ」
「……クリスタ、お疲れ」
クリスタ・レンズ。 訓練兵団随一の美少女。
「ミカサもお疲れ!」
性格も申し分ない、と思う。
「……元気がないようだけど、どうかしたの?」
そしてとても気が利く。
「いや……」
と私が口ごもっていると、声がした。
「クリスター」
少し離れた場所から声を掛けたのは、今しがた到着したと思われるユミルだ。
クリスタを見つけるや否や、班員そっちのけでこちらへやってくる。
「怪我とかしてないか?」
どうやらクリスタしか見えていないよう。
「んもう、ユミル。 心配し過ぎだよ」
「でもさ、立体起動は訓練の中でも危険な部類だろ?」
確かに立体起動訓練は危険度の高い訓練だけれど、もうずいぶん長い間行っているので、それほど心配することはないだろう。
「大丈夫。 私だって結構上達したんだから!」
華やかな笑顔を見せながら、クリスタがこちらを振り向いた。
「ね、ミカサ!」
「ええ。 クリスタはとても上達している」
「ホントなら私が一緒に班組みたかったんだが……」
そこまで言ってユミルは口を止めた。
「ん?」
私を見て怪訝な顔をしている。
「どうしたの? ユミル」
「いや、なんかミカサに違和感あるなーと思ってさ」
「違和感?」
クリスタとユミルの二人からジッと見つめられて、少しだけ恥ずかしい。
「あ!」
と声を上げたのはクリスタ。
「マフラーがない!」
私の首元を見てそう言った。
「なるほど。 ミカサがいつも身に着けてるあのボロいマフラーがねえな」
「ボ、ボロいは余計だよユミル!」
───そう。 私にとっての一大事。
───マフラーが、ない。
「ミカサって意外と首細いんだぁ……」
「意外ってのは失礼だろうよ、クリスタさん」
「あっ! ち、違うのミカサ!」
アタフタしているクリスタはもう意識の外側で、私は一心不乱にマフラーのことに考えを巡らせる。
どうしたんだっけ。 訓練前は確実につけていた。
それなら……どこかで落とした? いつ?
「ミカサ?」
クリスタが、その大きな瞳で私の顔を覗き込んでいることに気付いていなかったようだ。
「大丈夫?」
「まあ、いつも大事そうにしてたもんな。 あのマフラー」
「……私の、宝物」
「ははーん。 さてはエレンからのプレゼントか何かだな?」
にやりと、茶化すようにユミルがそう言った。
「そう。 私の大事な、大事な宝物……」
「お前まさか、探しに戻るつもりか?」
来た方へ戻ろうとする私を見てユミルが驚いた顔をする。
「待て待て。 いくらお前が速いって言ってもそろそろ全員が着き始める頃だ」
「今戻ったら事故る可能性が高い。 ……それに」
ユミルはちらりと森の方を見やる。
「教官だって待機してる。 勝手な行動は減点対象だろうな」
でも……と渋る私をなだめるユミル。
「ユミルは意外とお節介」
皮肉めいた言葉。
「ユミルって実際優しいよね~」
「言ってろ」
少し不機嫌な私と、ニコニコと笑うクリスタと、照れているのかそっぽを向くユミル。
「ねえねえ、ミカサ」
マフラーのことで頭がいっぱいな私に、興味津々といった表情でクリスタが話しかけてきた。
「なに?」
「ミカサって、エレンのことが好きなの?」
「え……」
とてもストレートなその表現に、一瞬我を忘れて唖然とした。
クリスタの瞳はキラキラと純粋な輝きを放っている。
「エレンは……家族。 だから、大事にしている」
とりあえず混乱する頭で紡ぎだした言葉。
「ふぅん。 とりあえずそういうことにしておくねー」
納得していない様子のクリスタの表情は、年相応の女の子のそれだった。
私はそんなクリスタが羨ましい。 と、そう思ったのだった。
─────………
一日の訓練を終え、再びエレンやアルミンと顔を合わせたのは夕飯時だった。
半日程度だけれど、とても久しぶりに感じたのは気のせい?
「あれ? ミカサ、マフラーは?」
訓練に支障はなかったけれど、あれからずっとマフラーのことで頭がいっぱいだった。
今でもぐるぐるとあのマフラーが頭の中を回っている。
驚いた様子のアルミンの隣には、きょとんとした顔のエレンが立っている。
「エレン、ごめんなさい」
エレンの顔を見てすぐに、そんな言葉が口をついて出てきた。
「なんだよ。 謝られるようなことはしてないし、されてもないぞ」
「エレンからもらったマフラー……どこかに落としたみたい」
エレンがそんなことを気にするわけがないのは分かっていた。
分かってはいたけれど、ごめんなさいの後に出てきたのは、涙だった。
「お、おいミカサ? どうしたんだよ」
エレンが慌てている。
涙が止まらない。
「っ……!」
私は何も言えず、その場から立ち去った。
「お、おい! ミカサ!」
エレンの呼び声を背中に受けながら。
─────………
「……どこだろう」
気が付けば立体起動訓練を行った森まで足を運んでいた。
いったいどのくらい歩いてきたのだろう。
周囲には木が生い茂っており、宿舎の明かりなど見えるはずもない。
目立った光源と言えば、夜空に輝く月明かりだけだ。
けれど、どれだけ歩いてもマフラーのマの字も見つからない。
木の枝なんかに引っかかっているのかもしれない。 けれど立体起動装置の個人的な利用は制限されているし……。
私は早くあのマフラーを見つけたかった。
あれを首に巻いていなければ落ち着かないのだ。
「どこなの……」
とはいっても、この広大な森の薄暗闇の中からマフラーを見つけ出すのは至難の業に思えた。
もう一時間ほどさまよっている。
体力には自信があるが、日中の過酷な訓練に加え、精神的にも参っていた私は木の根元に座り込んでしまった。
「エレン……」
マフラーがないだけで、こんなにも心細く感じるなんて。
─────────
─────
───
「ミカサ」
気が付けば私は眠っていたようで。
「お前なあ……」
その声の主は少し呆れているようで。
「……エレン」
けれども、やっぱり私を見つけてくれるのはエレンだった。
「どんだけ探したと思ってんだバカ」
こつん、と。
怖い顔をしながら、優しく頭を小突かれた。
「いくらお前でもこんなところで寝てたら風邪ひくぞ」
押し殺してはいるけれど、エレンの息は上がっているようだった。
「ごめんなさい」
「見つからないかと思っただろうが……」
長年連れ添った相手だからわかる、安堵の表情。
「いてもたってもいられなくなって……」
エレンに迷惑をかけてしまうとは思わなかった。
「マフラーか?」
「うん」
「マフラーなんてどこにでもあるだろ」
よいしょ、と隣に座りながらエレンが言った。
「だめ」
「ん?」
「あのマフラーじゃないと、だめ」
そう。
あのマフラーにはたくさんの思い出と、想いが詰まっているから。
「んー、そうか」
「そう」
「でもあれ、相当ボロボロだろ?」
「たまに修繕してるから、あと20年は使える」
「20年ってお前……」
少し引いているエレンだったが、私は至ってまじめだった。
「また、やるよ」
「やるって?」
言葉の意味を量りかねて、聞き返す。
「新しいマフラー、やるから」
私は、少し驚き過ぎて、言葉が出なかった。
「そしたらミカサ、使ってくれるか?」
こくこくと、言葉の代わりに頭を動かす。
少し照れくさそうにはにかんだエレンの顔が、いつも以上に愛しく感じた。
「よかった」
普段から無愛想などと言われる私でも、自分の顔が火照っているのが分かる。
今が夜で良かった。
こんな顔、エレンに見せるのは恥ずかしすぎるもの。
「よし、そうと決まれば帰るぞミカサ」
そう意気込んで立ち上がるエレンに、一つだけ聞きたいことがあった。
「ねえ、エレン?」
「ん?」
「エレンはここまで一人で来たの?」
「ええっと……まあ、そうだな」
頬をぽりぽりと掻きながら、バツが悪そうにそう言った。
「っていうか、お前が急に飛び出してどっか行くからだろ」
少しだけ可愛いと思ってしまったのは口に出さないでおく。
エレンはきっと不機嫌になるから。
「ふふっ」
自然とこぼれる笑み。
「なんだよ……」
「ううん、なんでもない」
「変な奴だな」
「かえろう」
エレンは来た道を覚えているらしく、どんどん歩いていく。
「しかし参ったな……」
「どうしたの? まさか……」
一抹の不安。 まさかここにきて迷ったなんてことは……。
「道は大丈夫だ。 それより帰った後のことだよ」
「ああ、教官が……」
「じゃなくて」
「?」
教官じゃないというならなんだろう。
「こういう時一番怖いのはアルミンだろ」
「そういえば……」
帰ったらきっとお説教だ。
アルミンの言うことは全て正論なので何も言い返すことはできない。
「二人で怒られれば大丈夫」
「いやそういうことじゃなくてな……」
冷や汗をかくエレン。
ふと、ある考えが浮かんだ。
「エレン」
「なんだ? 良い言い訳でも思いついたか」
「違うけれど」
そこまで言って、パッとエレンに近寄る。
「なんだよ」
ぎゅっ。
エレンの手と私の手。
「なんで急に手なんか繋いでんだ」
「やっぱり」
やっぱりそうだ。
「何がやっぱりなんだよ」
「ひみつ」
「秘密って……」
秘密は秘密なので。
「今日のミカサはさっぱり分からん」
呆れたように笑うエレン。
「今のはやっぱりとさっぱりをかけてるの?」
「かけてねえよ!」
この森に迷い込んだ時とは打って変わって、
意気揚々と歩く私たち二人。
森に響くエレンの元気な声が、
この薄暗い森の怖さを吹き飛ばしているようで。
私はやっぱりエレンといれば何も怖くないのだと、そう思えた。
無事兵舎についた時、食堂の扉の外にはアルミンがどっしりと座っていて。
いつもの可愛らしいアルミンであるわけがなく、
こっぴどくお説教を受けたのだった。
それでも私たち三人は幼馴染で、最後は笑って『おやすみなさい』。
二時間とちょっとの出来事だったけれど、エレンのおかげでマフラーはなくても平気。
──なんてことはなく、次の朝。
「どうしたのミカサ。 そわそわしてるけど」
「落ち着かない」
こればっかりはしょうがないことなのだ。
「マフラーがないから」
「あはは」
笑い事じゃないのよアルミン。
そんな落ち着かない朝食だったけれど、
その日、訓練の最初に教官からあのマフラーを手渡された。
なんでも、ハリボテの巨人のうなじを削ぎ落としたときに外れたらしく、
拾っておいてくれたらしい。
「良かったねミカサ!」
クリスタは自分のことのように喜んでくれている。
「宝物が見つかってよかったじゃねーか」
ユミルも茶化しつつではあるが、気にかけてくれているようだ。
「そう、宝物で、お守り」
「お守り?」
クリスタは、相変わらず大きくて澄んだ瞳をしている。
「そう、お守り」
──やっぱり。
「このマフラーは、エレンと同じ」
「は? 何言ってんだお前」
ユミルは完全に引いている。 けれどそれは別にどうでもいい。
「一緒にいると、安心する」
エレンがマフラーと同レベルという意味ではなく。
「自信をくれる。 なんでもできる気がする」
そういう意味なのだ。
「なんでもできる、かぁ。 いいなあ、それ」
クリスタはやっぱり優しい。
「はあ、ばかばかしい」
ユミルはやっぱり相変わらず。
でも。
誰が何と言おうとこのマフラーは私の宝物。
あの日、エレンが私に教えてくれた生き方そのもの。
「行こう、クリスタ、ユミル」
だから私は、今日もこのマフラーを巻いている。
「がんばろう」
そう一言だけ言って、アンカーを射出した。
今日も新しい一日が始まる──
「ミカサ速すぎ! マフラー落ちてった!」
「あっ」
おわり。
お ま け
(>>15のあとのおはなし)
バタンッ
「おい、ミカサ!」
咄嗟のエレンの呼びかけにも答えず、ミカサは飛び出して行ってしまった。
「エレン……」
呆然と立ち尽くすエレンの姿がやりきれない。
きっとエレンのことだから理解できずに憤りが最高潮に達していることだろう。
「アルミン……」
ふと、エレンが口を開いた。
「なに?」
「オレ、行ってくる」
エレンがそう言った。
確固たる信念を持った眼をして。
あの鈍感エレンが、自分からミカサを追いかけると言ったのだ。
僕は思わず、涙がこぼれそうになる。
エレン、君も成長したね──
と、その時だった。
「てめえ、何ミカサを泣かせてんだ──」
タイミング悪くジャンが突っかかってきたのだ。
しかし、
「あとは頼んだ!」
勢いよく立ち上がり、エレンの襟元を狙って伸ばした腕は空を切り。
ガタン、と。
後にはジャンの椅子が倒れる音と扉が閉まる音のシンクロが食堂にこだました。
───……
ジャンは、動かない。
誰一人として、動かない。
いや、動けないのか。
僕だって、そうだ。
僕は、どうして……どうしてこんなに無力なんだ──。
「……………ッ」
あの体勢、きっと苦しいだろうに。
あのマルコですら状況判断が追い付かない様子。
もう僕にできることはないのか。
そんな風に僕が諦めを覚えた瞬間。
ぽん。
誰かが、ジャンの肩に手を置いた。
「!!!」
いや、そうだ。
こんな時には彼がいるじゃないか。
「ライナー……!!」
ライナーはそっと、気を使っている様子で優しく声をかける。
「なあ、もう充分だろ。 座ろうぜ」
倒れた椅子をもとに戻し、ジャンは静かに椅子に座った。
そしてだんだんと蘇る喧騒の中、もう一度ライナーはジャンの肩に手を置いた。
それを見ていた僕は、おもむろに立ち上がり──。
コニー、マルコ、ベルトルト、サシャ、そしてすごく楽しそうなユミル。
それからおろおろとした天使……もといクリスタ、ミーナ、無表情枠のアニ。
皆が皆、終始無言のまま、ライナーに続く。
「お前ら……!」
ジャンは絞り出すように声を発した。
皆からジャンへの生暖かい視線。
「もうやめてくれよぉ……っ!!」
今度はジャンの悲痛な叫びが食堂にこだましたのだった。
(おわろ)
このSSまとめへのコメント
みかさかわいい