杏子「さやか、――あんたを殺す」(261)
「さぁ、鹿目まどか。その魂を代価にして、君は何を願う?」
「わたし……、」
「………」
「すべての魔女を、生まれる前に消し去りたい。すべての宇宙、過去と未来のすべての魔女を、――この手で」
「――! その祈りは……! そんな祈りが叶うとすれば、それは時間干渉なんてレベルじゃない!
因果律そのものに対する反逆だ! ……君は、ほんとうに神になるつもりかい……!」
「神様でもなんでもいい。今日まで魔女と戦ってきたみんなを、希望を信じた魔法少女を、わたしは泣かせたくない。最後まで笑顔でいてほしい。
それを邪魔するルールなんて、壊してみせる、変えてみせる。……これがわたしの祈り、わたしの願い」
「……!」
「さぁ、叶えてよ――インキュベーター!」
◆◆◆ ◆
冬の晴れた日、杏子は街中を歩いていた。結んだ髪とマフラーがなびく。
「ん?」
杏子の視界を横切っていく桃色の少女。
見知った顔である。
少女は足を止め、並んで歩いていた老婆に荷物を手渡し、手を振って別れを告げているようだ。
歩み寄る。
ひとりになった彼女は辺りを見回している。
「おおい――まどか」
「わ。杏子ちゃんだ。そのマフラーかわいいね」
「ばか、そんなんはどうでもいーんだよ。あんた、こんなところで何してる?」
まどかは眉尻をさげた。
話を聞くと、迷子を交番に届け、外国人に道を聞かれて案内し、老婆の荷物を持ってあげていたら知らない場所に来ていたらしい。
杏子(この子らしいというかなんというか……)
「ねえ杏子ちゃん、ここ、どこかな。わたし、どうやって帰ればいいんだろ」
「ふふん。おねーさんに任せときな。とりあえず、茶でも飲むかい?」
二人は手近な喫茶店へ入った。
ほむら(出ていくタイミングを失ったわ……)
◆◆◆ ◆
「さて。ここはアタシのシマの街だよ。見滝原の隣町ってことになる」
「わたし、そんなに歩いてたんだ……」
「帰るのは簡単だ。杏子おねーさんが送ってやってもいい」
「杏子ちゃんは同い年だよね?」
「いーんだよ細かいことは。とにかく、もちろん帰ることはできる。でもさ、せっかくだから遊んでかない?」
紅茶とケーキが運ばれてきた。
まどかは紅茶に角砂糖をひとつ落とした。
「今日は用事もないし、宿題もそんなにないから大丈夫だけど――どうして?」
もうひとつ落とす。かきまぜる。
杏子は手づかみでケーキにかぶりついた。
「むぐむぐ……まぁあれだね、あんたとはちゃんと話したことないしな。アタシもあんたの因果に興味あるのさ」
「そういえばそうだったね! わたしも、杏子ちゃんのこと知りたいな」
まどかはにこにこ笑った。
杏子もにやっとして紅茶をひとくち飲んだ。
ほむら(なによすごくいいふいんきなぜかryじゃない……)
「……なるほどな。あんたのその願いで、魔法少女は魔力を使い果たせばふつうの人間に戻るようになったってことか」
杏子はパフェをぱくつきながら感心した。
「祈りから魔女は産まれなくなった。だけど、奇跡の代償は世界の歪みとして現れたの。それが魔獣」
「ふうん。まぁ魔女に比べりゃ面白みのないくらいよわっちいけどな。それでもソウルジェムを心配しなくていいのは助かる」
パフェを空にした杏子はごくごくと紅茶も飲み干した。
「そんで、あんたはその願いだけで魔力が尽きて今は一般人やってるってワケかい」
「テレパシーと感知能力くらいは残ってるけどね」
まどかは笑った。
魔女システムを破壊したあとに残ったのは、希望を抱きつづけることで振り撒かれる祈りのシステムだった。
インキュベーターはこの祈りのエネルギーのために、願いを叶えて生み出した魔法少女をできるかぎり絶望させないことが課題となった。
ほむら(なにを話しているのかしら……まどかに盗聴器をつけておくべきだったわね)
「アタシもいつかはこの石ころとお別れして、ただの人間に戻っちまうのか。便利なんだがな魔法少女も」
杏子は指にはめたソウルジェムを眺めた。
「誰も呪ったり戦ったりしなくていい世界をつくろうとしたんだけど、キュゥべえが願いのすきまをねじって叶えたんだね。
だからみんなにはまだ戦ってもらわなくちゃならなくなった」
「いーんじゃないの。たいした負担でもねー」
杏子は藪睨みしていたが、ふっと口角を吊り上げた。
「……それに、予定どおりなんだろ? 実はさ」
にこにこしたままのまどか。
杏子はスプーンでそんなまどかを指した。
「驚いてんだろ。おねーさんをなめんなよ。伊達に長いこと魔法少女やってねーぞ」
「驚いたね」
まどかは笑い声を漏らした。
「杏子ちゃんはノーマークだった。一番するどいと思ったほむらちゃんは案外すんなり信じてくれたし、油断してたよ」
杏子(あいつはまどかのいうことならなんでも鵜呑みにしそうだがな……)
「でも、杏子ちゃんが気づいたのは、わたしが嘘をついてるっていうことだけかな? 真実に、触れてる?」
紅茶に口をつけながら微笑むまどか。
はッ。
獰猛に笑いながら杏子はスプーンをパフェグラスに投げ入れた。からん。
「言ってほしそうだな。いいよ、言ってやる」
ほむら(相変わらず居丈高ね杏子……まどかに向かってなんて態度なの)
「――魔女を飼ってんだろ、あんた」
まどかの表情が変わった。笑顔のまま、中身が。
「飼ってるってのは正確じゃねーな。封じ込めてる、ていうのか。
すべての魔女の消滅を願った末に産まれる魔女が、すべての魔女を重ね合わせた最悪の存在になるのは想像に難くねー。
それに対抗できんのは魔女の消滅という祈りだけ。けど、その祈りが魔女を生み出す。あんたは魔女システムを無限連鎖に閉じ込めて、飲み込んじまったのさ。
魔力が尽きたんじゃないね、あんたは魔女システムを封印するために魔力を使いつづけてるんだ。戦闘に割り振れないほど、ほとんど全て」
そこで杏子はウェイターを呼んで注文した。
まどかは肩を震わせている。
笑っている。
「すごいね。杏子ちゃんはすごいよ。マミさんだってわたしの話に疑問こそ持ったけど、真相にはたどりつかなかった」
「………」
「正解だよ。わたしは祈りと呪いを内包してる。あらゆる魔女はわたしのなかにいる。もちろん、杏子ちゃんの魔女もね」
杏子は苦虫をかみつぶしたような顔になった。
「魔女の代わりに現れたかのような魔獣は、ほんとうはわたしのなかにいる魔女から洩れだした呪い。使い魔みたいなものだね」
そーゆーこったろうな、と杏子は呟いた。
「はん。あんたはテメエで抑えきれなかったカスみてーなのをアタシらに始末させてるってことだろ」
ざらついた杏子の言葉にまどかの表情の温度が下がっていく。
「……言ったろ」
杏子はその三白眼でまどかを正面から睨んだ。
そして、
「――たいした負担じゃねーって。気にしてんなよ」
相好を崩した。
「杏子ちゃん……」
まどかも心の底からの笑顔を浮かべた。
ウェイターがクリームメロンソーダを運んできたので、杏子はそれを掲げた。
「ほれ」
「なんだかおかしいよ杏子ちゃん」
くすくすと笑いながらまどかが応じる。
かちん。
◆◆◆ ◆
二人はそれからしばらく談笑して、店を出た。
なんだろう…
さやかちゃんがろくでもない扱いになりそうな予感がする
俺はこのままスレを閉じた方が幸せなんだろうか
「まどか。迎えにきたわ」
店の外に立っていたほむらが髪をかきあげる。
「ほむらちゃんずっと外で待ってたの?」
「なーにひとり我慢大会してんだヒマなやつだな」
ほむら(貴女のせいよ佐倉杏子)
「しかしたしかに冷えてきたな」
杏子はマフラーを巻きなおし、まどかははぁと両手に白い息をはきかけた。
「お店のなかはあったかかったから余計だね」
「あったけーもんが食べたくなってきたな。よし、今晩はマミんちで鍋にしようぜ!」
楽しそうに笑いながら杏子はまどかの手を掴んで走り出す。
「ちょっと、速いよ杏子ちゃんっ」
まどかも笑いながら、ぎゅっと、その手を握り返した。
ほむら(私のいる意味は!? 杏まどなんて認めないわ……ほむまどこそジャスティスッ!)
次から本編始まるよー。
>>43 さやかちゃんっていつでもろくでもない扱いな気がするかわいい
さやかが駆ける。
戦場を駆け抜けていく。
前方から雨あられと飛んでくる光弾を視認、よこっとびにそれらを回避。
一回転してから再び駆け出すさやかの右前方に杏子が猫のようにしなやかに着地、同時に、光弾を放った十を越える使い魔が爆散した。
「煉獄で目覚めなっ!」
手元で多節棍がその形を槍に戻す前に杏子は走り出す。
止まらない。
魔獣の一体に深く沈み込んだ穂先が爆裂を起こす。
肉片をぶちまけた魔獣を蹴飛ばしながら、杏子が両掌を組む。
赤銅色の鎖が張り巡らされ、周囲の使い魔ごと別の魔獣を床に縫い止めた。
「ちょっと杏子! 邪魔なんだけど!」
さやかは進路上に蹴倒された魔獣の死骸を跳び越え、そのまま空中に出現させた魔法陣を踏んで魔獣の背後に着地する。
ヒグマの首から少女の細腕が三本飛び出した姿の魔獣が腕を振るう。
さやかのサーベルが撫でるようにその腕を切り裂き、返す刀で魔獣をまっぷたつにする。
「今日も絶好調だわ!」
銃声も高らかに、マミがステップを踏み、使い魔が消し飛ばされていく。
魔獣のふところに飛び込んだマミはすでにマスケット銃を握っている。
いつのまにやらリボンで縛り上げられていた魔獣は身動きすらできずにその体に風穴をあけた。
がらがらと崩れていく魔獣を尻目にマミは紅茶をひとくち飲んで微笑んだ。
「まったく――」
閃光、そして爆発。
「――わずかの油断も命取りよ、巴マミ」
一瞬前まで存在しなかった場所でほむらが髪を払う。
手榴弾によって粉々にされた魔獣が還元して消えていく。
軽やかに杏子が着地、変身を解く。
「てめえほむら、アタシまで巻き込まれそうになったじゃねーか!」
「杏子! あんただってあたしの邪魔してんじゃないの」
紗幕に覆われていた結界が溶けるように消滅。あたりは誰もいない公園である。
「そんなところにいる貴方達が悪いのよ」
「なんなのさそれ!」
「予兆も何もねーのに対処できるわけねーだろ!」
「またやってるわ……」
ほほに手を当てて嘆息するマミにまどかが言う。
「とりあえず戻りましょう、マミさん」
「そうね。鹿目さんの言うとおりだわ」
◆◆◆ ◆
「それでは、デブリーフィングを始めるわ」
「なんでほむらが仕切ってんだよ」
「デブ……?」
「なにかしら。というか暁美さんいつのまに私の部屋に白板を持ち込んだの」
「じゃあわたしが書くから、さっきの問題点を言っていってね」
「さやかとほむらが邪魔」
杏子がストローを噛みながら即答する。
「杏子だって邪魔でしょうが」
「巴マミ。貴女は前に出すぎよ」
「私も活躍したいんだもの……」
「ほむらはさァ、なんかこう合図とかねーのかよ。合わせるもんも合わせらんねーよ」
「私の戦術の基本は奇襲。前もってわかる奇襲などないわ」
「みんなで戦ってんのに奇襲で立ちまわれるわけないじゃん! 時間停止の制約もきびしいしさ」
「そうね。どうすればみんなで活躍できるのか、それが大事よね」
「マミ。ちょっと黙っててくれるか?」
「またあんたはマミさんに向かってそんなことをっ」
「なんだか盛り上がっているようだね」
全員が口をつぐんで声の主を見た。
キュゥべえがまどかの隣に座っている。
「安心してよ。僕から言うことは何もないよ。まどかがなにかいいたそうだからさ」
「そうだね。いろいろみんなの気持ちが出てきたから、私も考える時間がほしいなって」
「まどかはもう魔法少女じゃないんだから戦えないじゃん。どうすんの?」
「それも含めて、ちょっと考えるよ。さやかちゃん」
「あーじゃあアタシはもう寝るわ」
「ちょっと佐倉さんソファで寝ないで。ふとんをだすから」
「とりあえず、魔獣退治には、マミさんとさやかちゃん、ほむらちゃんと杏子ちゃんでふたつに分かれて対処してほしいの」
「まどかがそういうなら私はそれで構わないわ」
「えーこいつかよー」
「マミさんがんばりましょう」
「気をつけてね、美樹さん」
◆◆◆ ◆
「行くぞ!」
「ええ」
武家屋敷のような薄暗い結界のなかで、杏子が畳を蹴って走り出す。
鎧を着込んだ首の無いマネキンがぎくしゃくとした動きで杏子を取り囲もうとするが、振り回された槍で一気に裁断されていく。
見通せない闇の向こうから少女の笑い声が聞こえた。
ふすまを開いてどんどん数を増やすマネキンを、なおも切り捨て続ける杏子。
「杏子!」
「あいよっ」
杏子が使い魔の肩を蹴って舞い上がる。
天井に着地した杏子に向かって手を伸ばすマネキンたちを、ほむらの銃撃が掃討していく。
一方杏子は濃い闇を見透かすように睨んだ。
「本体はそっちだろ!」
天井を蹴って跳ぶ。
使い魔を置き去りにして暗闇に突っ込んでいくと、ぼぼぼぼぼと蝋燭に火が灯り、座敷を照らしだす。
最奥で笑っていたのは、声にたがわず少女の姿をしていた。
鬼のような鎧に閉じ込められて哂っている。
「てめえが親玉か。さっさと終わらせてやるよ!」
鎧が立ち上がり、すらりと剣を抜いた。濡れたようにつややかな刀身が蝋燭の火を映す。
少女が一際けたたましく笑い声をあげた。
「うぜえ」
踏み込んだ杏子が突きを繰り出す。
それを刀の腹で捌いた鎧も一歩踏み込み、杏子を横薙ぎに切り裂こうとする。
迫る刀を槍の柄で叩き落して、その勢いのまま鎧の横っつらへと回し蹴りを決める。
着地しながら手を組んだ杏子の足もとから鎖が飛び出し、鎧を縛り付けた。
杏子の突き立てた穂先が灼熱を放ち、爆発を起こす。
距離を取った杏子は、煙のむこうに鎧がまだ立っているのを見て舌打ちした。
「かてえなクソ」
がしゃ、という音がして、杏子の目の前にまで鎧が迫っていた。
疾い、という思考が追いつく前に鎧のこぶしが杏子を吹き飛ばす。
ふすまを何枚もぶち破り、畳を滑ってようやく止まった杏子は呻き声をあげた。とっさに防御した右腕が骨折しているらしい。
腹の底が冷えるような本能の感覚に掴まれて杏子が顔を上げると同時に横に転がる。
軽い音を立てて数本の日本刀が一瞬前まで杏子がいた畳に突き立つ。
すぐに立ちあがった杏子は笑い声を聞いた。
――後ろから。
振り返ると同時に衝撃。防御の魔法陣をぶち抜いたこぶしが再び杏子を軽々と吹き飛ばし、さらに上から叩きつけるような追撃。
畳みの下もまた同じような座敷。
なんとか着地した杏子はぺっと血が混じった唾を吐き棄てた。
「いってーちくしょう」
薄闇から鎧が歩いて近づいてくる。
鎧のなかの少女はこらえきれないといった様子で笑い続けている。
「はッ! 調子のってんなよ!」
獰猛に笑いながら杏子が突貫する。
だが。
鞘におさめた日本刀を構える鎧――居合の構え。
膨張した殺意に弾かれるように杏子が防御のために構えた槍ごと――、
「く……そが……っ!」
――袈裟掛けに切り裂かれる杏子。
槍を取り落とし、血を零しながら、両手を組む。噴き出た鎖がぎゅるぎゅると鎧を縛り付けた。
「やれ……、ほむら!」
大量の銃弾とともにほむらが鎧の頭上から天井を突き破って現れる。
硝煙と空薬莢を撒き散らして、ほむらが杏子の前に降り立つ。
「杏子……!」
「アタシはいいから、……来るぞ!」
全身に銃弾をめり込ませたまま鎧がほむらへと迫る、
が、次の瞬間にはほむらは杏子ごとその背後へと回りこんでいる。
鎧は勢いのまま踏み込んだ。
「そこ、気をつけて。遅いかもしれないけれど」
踏み込まれた足に地雷が反応、畳をぶち破って炸裂する。
半身を炎に包まれながら鎧が振り返り、なおも刀を振るおうとする。
少女が鎧のなかで絶叫している。
鎧の動きにあわせてするりと移動したほむらが発砲。
「さっきから煩いのよ、貴女」
数発、全弾命中。
ガラスが割れるようにひびが蜘蛛の巣状に鎧に広がり、そして砕け散った。
結界が溶けて消える。
「ぐうっ!」
「杏子! いま美樹さやかを呼ぶわ!」
「待て……。いらねえ……」
「そんな傷を負って何を言っているの!?」
「あー、ここらが、潮時、かねえ……」
荒い息を吐きながら杏子は笑った。
魔法で応急処置をしながら立ち去ろうとする。
「待って! とにかく、いったん私の家に帰りましょう」
「うぜえな……」
「え?」
「もういらねーんだよ仲間とか!」
ぎらぎらした瞳で杏子はほむらを睨んだ。
「ほっとけよ……それがいやなら、アタシを殺していけ!」
杏子が槍を構える。
「どうして……! これからでしょう、私たちが協力していくのは!」
「……あんたらといると弱くなっちまう。アタシひとりで戦えねー」
槍を構えたまま血を吐くように杏子は言った。
「だからもう見滝原から出ていく。あんたらとはこれっきりだ」
ほむらは黙っている。
黙っているしか、できなかった。
杏子が踵を返す。
「……じゃあな。――楽しかった」
「杏子!」
ほむらは、声が震えている気がして、拳銃を握りしめた手に力をこめた。
「行かせないわ。貴女は――」
「いいねェ、このままじゃ味気なさすぎると思ってたとこだ」
ほむらの言葉を遮って、ゆらりと杏子が振り返る。
「じゃあいっちょ、派手に終わらせようじゃねーか!」
向けられた拳銃など無いかのように杏子が駆け出す。
「くっ……!」
銃弾三発をかわして杏子が槍を振りかざす。
拳銃を放り捨てて左腕の盾を掴むほむらを見て、杏子は哂った。
ほむらの姿が消失し、拳銃を構え直して杏子の背後に出現。
直後、床を蹴って杏子が跳び上がり、照準から逃れる。
「今回はタネもシカケもわかってんだぞ!」
精確に放たれた銃弾を穂先で弾きながら杏子が上空からほむらに肉薄。
気炎の声をあげて突き出した槍は、しかし煉瓦畳を砕くだけ。
ほむらは大きく跳びすさって距離を取っている。
「杏子! 貴女は――、貴女を失うわけにはいかないのよ!」
「あんたもアタシと同じだ、ほむら」
土煙のなかから杏子が歩み出る。
「大切にしたいって、守りたいって、そう思うものが増えすぎたんだ。たったひとつだけのものを守り抜こうとして戦い続けてきたのに、な」
杏子は力無く笑った。
「ほかのことをすべて犠牲にしてきて、それでも構わないって、そうやってきたのに今になって別のものも守りたいなんて、都合よすぎるよな」
杏子はほむらの過去を知らない。
だが、自分に向けたその言葉は、数多の命と祈りを犠牲にしてきたほむらの奥のほうをも鋭く貫いた。
「アタシはけじめをつけて、ひとりに戻る。あんたらは、」
杏子は言葉を切って目許をぬぐった。
「あんたらは大切で、一緒にいたいとアタシは思ってる」
「だったら――!」
「だから! ……だから、一緒にいることはできねー」
「………」
「さよならだ、ほむら」
杏子が振り抜いた槍の穂先が煉瓦畳を砕いて爆破、土煙をまきあげる。
そして、土煙が晴れたときには、杏子の姿はなかった。
「杏子……」
◆◆◆ ◆
「そんな……」
「佐倉さん……そんなに思い詰めていたのね」
次の日、ほむらは部屋に三人を集め、経緯を説明した。
「相当な葛藤があったようよ」
自身も同じ二律背反のなかにいることなどおくびにも出さずにほむらは言う。
「あいつ……そんな様子ぜんぜん見せなかったじゃんか……!」
「悩んでいるって、悟られたくなかったんでしょうね」
とくに貴女には。
胸のなかで付け加える。そして、自分もそうなのだと思った。
まどかのもとを、離れなければならないと考えているなんて、まどか本人に気付かれるわけにはいかない。
気付いてほしい、という気持ちとのせめぎあいのなか、ほむらはまどかを盗み見た。
俯いていたまどかが顔をあげ、目が合う。泣いてはいない。
「ほむらちゃんはどう思うの?」
困惑した。だが表情は変えずに、淡々と返す。
「戦力としては大きな損失ね。ベテランの魔法少女が抜けた穴をどう補うか、戦略を立て直さないと」
「暁美さん」
「ほむらあんた! 杏子がいないままでいいっての?」
さやかが噛み付いてくるのは想定通り。
しかし、
「そうだね。ほむらちゃんは杏子ちゃんがいなくてもいいと思うの?」
まどかまで問い詰めてくるとは考えていなかった。
「……佐倉杏子が、考えた末にそうしたのなら、私が、とやかくいうことじゃない。そう、思うわ」
「あたしはそんなふうに思えない」
吐き捨てるようにそういうと、さやかは玄関へと向かった。
「美樹さん! 落ち着いて」
「マミさん。落ち着くのは、あのバカを見つけてからでも遅くないはずです」
言い残して、さやかは出ていった。
「暁美さん。佐倉さんの居場所に当てはないの?」
気持ちを鎮めるように紅茶に口をつけたマミが問う。
「ゲームセンター、廃教会、ホテル、公園、展望台、どこにもいなかったわ」
集まってもらう前にほむらは杏子を捜していた。
しかし見つからなかったのだ。ホテルは引き払われていた。
「魔獣が出れば佐倉さんも駆け付けてくれたりしないかしら……」
その可能性は薄いだろうとほむらは思った。
彼女はもはや決心してしまったのだ。迷っている自分と違って。
マミはうなだれた。
「佐倉さん、昔からそうなのよ。ひとりで悩んで、ひとりで決めて、ひとりでどこかへ行ってしまうの」
「だいじょうぶですよマミさん。杏子ちゃんはきっとわかってくれます」
涙を流すマミをまどかはそういって慰める。
それを見ながらほむらは思案していた。
◆◆◆ ◆
夕暮れの街中を、さやかは捜し続けていた。
息が荒い。
「あんのバカ……どこにいんのよ……」
自動販売機でスポーツ飲料を購入したさやかは、壁にもたれて脱力した。
「――困っているようだね」
ぬらりと、キュウべえが自販機の上から覗いている。
「佐倉杏子を捜しているんだろう? 僕が力になれるかもしれないよ」
「だったらさっさとあいつの居場所を教えなさいよ」
「残念だけど居場所は口止めされててね。確認と提案だけで一個体を損壊されてしまったよ。この個体まで失うのはコスト面からみても避けたいし。
だいたい感情はないといっても痛覚はあるんだよね。動物として当然の機能だけどね。もちろん遮断することもできるし、意識を一時的に――」
「あんたもっとすぱっと喋れないの?」
「おっと、そんな物騒なものを向けないでよ。協力しないつもりならわざわざ姿を現したりしないさ」
さやかがキュウべえに向けていたサーベルを消す。
「きゅっぷい。さて、それじゃあヒントをふたつあげよう。まず、佐倉杏子は君をもっとも警戒している。だから、君が捜さないであろう場所に隠れている。そして、」
ずっ、と白の獣は身を乗り出した。
囁くように、秘密を明かす。
「――佐倉杏子は何者かに手引きされている」
さやかは目を見開いた。
◆◆◆ ◆
まどかがはっと顔をあげた。
「こんなときに……魔獣だよ!」
戦う力を失ってなおまどかの感知能力は随一である。
ほむらが音もなく立ち上がる。
「今日は私ひとりで出るわ」
「いいえ……だいじょうぶよ。いくら哀しくても、街の平和を疎かにはできないわ」
マミも決然と立ち上がった。
「いきましょう」
◆◆◆ ◆
時間は一週間ほど前に遡る。
杏子は廃教会で祈りを捧げていた。
春の陽射しが杏子を照らす。
しばらくして彼女は立ち上がり、振り返った。
「なんか用か――まどか」
教会の入口に、控えめにまどかが立っていた。
「杏子ちゃんに、お話があって」
まどかがひとりで来た意味を汲んで、杏子は頷いた。
「少し出るか。電車に乗ろう」
二人はそうした。
車両のすみのほうに二人は並んで座る。空いている。
「で、どーしたの。悩み事かい? 杏子おねーちゃんに話してみな」
「杏子ちゃんは優しいね」
まどかはほんのりと笑った。
「だっ、そんなんじゃねーよバカ!」
まどかはくすくす笑っていたが、ぽつりと話しはじめた。
「わたしの願いの話はしたよね? 契約をしたときにね、わたしの因果の大部分が概念となって世界に固定されたの」
「どういうことだオイ」
「んーっとつまり、過去から未来にかけてすべての魔法少女を救済するシステムに、わたしの一部がなったって感じかな。
それでね、断片的にだけど、わたしはそのフィードバックを受けられるんだ」
話の見えない杏子。
「なにがいいたい?」
ほんとに何が言いたいんだ
読めなくて気になるな
「簡単にいうと、わたしには未来が見えるの」
「……!」
「わたし、見たんだ。杏子ちゃんがいなくなっちゃうとこを」
「………」
「杏子ちゃん、杏子ちゃんこそ、なにか悩んでるんじゃないの?」
向き直るまどかから顔を逸らして、沈黙する杏子。
「ダメだって思ってるわけじゃないよ。でも、杏子ちゃんの気持ちを知らないままお別れなんて、ぜったいにいやなの」
杏子は沈黙を守っている。
「杏子ちゃんはこの前、わたしの話を聞いてくれたよね。今度はわたしが杏子ちゃんの話を聞く番なんだよ」
「……誰にもいうなよ」
低い声で杏子がいった。
まどかはにこりとして「もちろん」と応える。
駅に着いたのでふたりは下車し、カフェにはいった。
「うん……、なるほど。よくわかったよ。ありがとう、杏子ちゃん」
まどかは紅茶をかきまぜる手を止めた。
ことさら乱暴に、ばりばりと音を立ててクッキーを食べる杏子。
「アタシは悩んでるんじゃねー。もう決めたこと、つーか、当然のことだよ。ただきっかけがあればここを出ていくだけさ」
「それじゃあ、そのときはわたしも手伝うよ」
平然とそういったまどかに、杏子はクッキーを取り落とす。
「あんた、なにいってんだ……」
「わたしはすべての魔法少女の呪いを受け止めるの。それに、杏子ちゃんは友達でしょ?」
冗談めかして笑うまどか。
だが杏子は語気を荒げた。
「わかってんのか? アタシに手を貸すってことは、あんたもあいつらを裏切るってことなんだぞっ」
「わたしは裏切るつもりなんてないよ」
落ち着き払って紅茶を飲むまどかに、杏子も勢いを削がれる。
「まどか。あんた、なに考えてる?」
カップを置いて、まどかはほがらかに笑った。
「みんなの幸せだよ。杏子ちゃん」
◆◆◆ ◆
サーカスのような結界内部。
四肢のかわりに何本も人の手が生えた象の魔獣が5体。
さやかは巨大な魔獣らにひとりで立ち向かっていた。
「杏子を見つけなきゃいけないのに、邪魔してんじゃないわよ!」
振り回される長大な鼻をかい潜りながら、さやかが剣を振るう。
しかし巨体に細かな傷をつけても倒すことはできない。
「邪魔だっつってんのよおぉっ!」
さやかが魔獣の横っ腹に剣を突き立てる。
「うあああああああああっ!」
咆哮とともに魔獣を吹き飛ばし、もう一体にぶち当てる。
ともに倒れる魔獣を見ることなくさやかは向き直る。
肩が大きく上下している。疲労している。
さやか(ちょっと……まずいかもね……でも、ピンチになったら杏子が助けに来てくれたりして……はは、ないか)
剣を掴み直したさやかに巨体が迫る。
そのとき。
象のからだがまっぷたつに切り裂かれた。
「……まさか、杏子!?」
消えていく魔獣の向こうに見えた人影に向かって、さやかは弾んだ声で呼びかけた。
◆◆◆ ◆
ほむらはマミとともに走りながら考えている。
ほむら(杏子は、自らの行いに向き合った。なのに私はみんなに甘えて過去から逃げている)
唇を噛む。
ほむら(私に杏子を追う資格なんてない……私もおなじように罪を背負っているのだから)
「暁美さん?」
「!」
「だいじょうぶよ。佐倉さんは必ず見つけましょう。二度も彼女と別れるなんて、悲しすぎるもの」
「巴マミ……」
「もちろん貴女もよ、暁美さん」
ふんわり微笑んだマミからほむらは目を逸らせた。
(マミさん……私はいままで何度も貴女を切り捨ててきました。願いのために。まどかのために。
私にはそんな資格ないんです。貴女に大切にされるような資格は)
「……今は魔獣に集中すべきよ」
「ふふっ。そのとおりね」
二人はそれからしばらく走って、見つけた結界に飛び込んだ。
ライトのせいか妖しい雰囲気の結界に入り様、二人の銃撃が象の魔獣に命中。
地響きとともに倒れる巨体のうえを跳ねるさやかが見えた。
いびつな象の死骸が切り裂かれ、人影が飛び出す。
人影はそのままさやかに躍りかかり、その手に持った刀を振るう。
「あれは……あれも魔獣!?」
愕然としたマミの声に、ようやくさやかが気付いた。
「マミさん! ほむらも! っと」
甲高い音をあげてさやかと魔獣の剣が噛み合う。
「あれは……、美樹さやか……!?」
仮面こそしているものの、黒衣をまとったそれは髪型も武器もさやかに酷似していた。
「うあッ!」
腹を蹴飛ばされて体勢の崩れたさやかを魔獣の剣が襲う。
「美樹さん!」
銃声。
マミが魔獣の腕を撃ち抜いた。
両腕を吹っ飛ばされた魔獣は跳びすさって距離をとる。
さやかが即座に戦闘体勢に復帰。
ほむらも銃を構える。
魔獣の両腕がぞりぞりと再構成されていく。
ほむら(なんなのこの魔獣は……。さやかに似過ぎている!)
「来るわよ!」
走り出した魔獣に向かってマミが攻撃。
跳ね、躱し、弾いて距離をつめる魔獣。そこにさやかが突っ込んだ。
「さやか!」
さやかが防ぎそこなった魔獣の左刀を瞬時に移動したほむらが盾で受け止め吹き飛ぶ。
「――チェックメイト」
呟きと同時に魔獣に着弾。
一発に聞こえた二発が魔獣の頭と胸を貫通し、続いてさやかが振るった刀が両断する。
「魔獣……世界の歪みが顕現したものじゃなかったの……?」
崩れ落ちた魔獣を見ながらほむらが零す。
「美樹さん、けがはない?」
「もうだいじょうぶです、マミさん。ほむら、ゴメン助かった」
結界が溶け消えていく。
魔獣も同様に風化して消えた。
「もう少し考えて動きなさい美樹さやか」
変身を解いて髪を払うほむら。二人も変身を解く。
「たはは……おっしゃる通り」
「それで、佐倉さんの行方についてなにかわかったかしら?」
「あぁ、さっきキュゥべえに会って――」
「さやかちゃん!」
まどかが追いついたので、三人にさやかは説明した。
「佐倉杏子が手引きされている……?」
ほむらは眉間にしわを寄せた。
「佐倉さん、私たち以外にも仲間がいたのかしら」
「ともかく、片っ端から捜しちゃうしかないよね」
「美樹さん、すこしヒントのことを考えてみましょう」
「とりあえず、杏子ちゃんはどこかに行ってしまったんじゃなくて、まだ近くにいるみたいだね」
「読み取れる事実はあとふたつかしら」
「美樹さん、いままでどこを捜したのかしら?」
さやかはかいつまんで列挙した。
「そこにはいないし、そもそも美樹さやかが捜しそうな場所にはいないのよね」
「もしかしてあたしってば無駄足……? 濁るわー」
濁るわーwwwwwwwwwww
「いいえ。かなりの範囲で絞り込めるはずよ。インキュベーターもたまには役立つわね」
「暁美さん。キュゥべえはいい子よ?」
「今そのことについて議論する気はないわ。とにかく、今夜でもう二晩。そろそろ隠れ続けるのも厳しいはずよ。明日が勝負になる」
「そうだね。明日は朝から集まろう?」
「魔獣戦の疲れもあるし、今日は解散にしましょう。美樹さん?」
さやかは考えこんでいたが、はっと顔をあげた。
「あ、はいマミさん。それでおっけーです!」
「しっかり休んでね。貴女がいちばん動いたのだから」
「はいっ! お風呂はいってケーキ食べてゲームして寝ます!」
「早く寝ましょうね」
「美樹さやかは本当にどうしようもないわね」
「じゃあ帰ろう!」
まどかが踵を返し、マミもそれに続く。
まどかに追いすがろうとしたほむらの腕をさやかが掴んだ。
振り返る。
「なにかしら」
眉ひとつ動かさないほむらの首筋にさやかのサーベルが突き付けられている。
そのさやかの腹に、ほむらは拳銃の銃口を押し当てていた。
「正直に答えなさいよ。あんた、杏子を匿ってないでしょうね」
「え? ……まったくなにを言い出すかと思えば」
「杏子がいなくなったって言ったのはあんただよね。それが嘘だったらどうなのよ」
ほむらはため息をついた。拳銃をしまう。
「貴女、私の部屋に来たでしょう」
「………。あ、そっか」
さやかはサーベルを消した。
「ひと一人くらい隠そうと思えば隠せるけれど……、見に来る?」
「あーやめとく。なにも感じなかったし」
「賢明ね。それこそ無駄足だわ」
「でも……、じゃあ誰が杏子を隠してるんだろ」
二人は並んで歩きだした。
「私たちの知らない奴ならわかりようがないわね」
「そうかなぁ。それならさっさとそいつのところに行けばいいじゃん。そうしないってことは、」
「まさか、巴マミ……」
「あたしはあんただと思ってたんだけど。あとはまどかだね」
「まどか? 貴女、まどかを疑っているの?」
心底呆れたというふうなほむら。
さやかちゃんバカだけど可愛くない
「可能性の話じゃん……。つかなにさ、まどかが杏子を隠してたらおかしいの?」
「まどかはそんなことしないわ」
「そんだけ? まどかを一日中見てるわけでもないんでしょ?」
「一日中は、見ていないわ」
「なんかひっかかる言い方だね。癖なの? それとも、まだなんか隠してる?」
「……癖なの。気にしないで」
「まぁいいや。あたしだって二人が隠してるなんて本気で思ってるわけじゃないよ。明日がんばって杏子さがそっ」
そういってさやかはへへへと笑った。
「明日こそ、見つかるといいわね」
心中を押し隠して、ほむらは小さく微笑んだ。
>>139
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◆◆◆ ◆
夜更け。
静かに、まどかの部屋の窓から杏子は外に出た。
「………」
そっと辺りをうかがう。
そして音もなく地面へ降りた。
ブーツを履いて、無造作に歩きだす。
杏子(さやかが捜そうとしないところ、か。たしかにあそこなら捜しづれぇ)
からころと口のなかで飴を転がしながら杏子は先週のことを思い出す。
◆◆◆ ◆
「たぶん、風見野に行くだけじゃ甘いって思うの」
「甘い?」
「さやかちゃんはぜったいに杏子ちゃんを捜すよ。見滝原だけじゃなく、風見野だって」
「そう、かな……」
「そうだね。マミさんもそれに協力する。ほむらちゃんはどうかな、もしかしたら諦めろっていうかも」
「あいつクールだもんな」
「そうでもないけどね。とにかく、ただここを立ち去るだけじゃ杏子ちゃんの目的は果たせない」
「じゃあどうすんだよ」
パンケーキにかぶりつく杏子。
「隠れるんだよ」
「あー?」
「さやかちゃんに見つからないとこに、隠れておくの」
「いや、それ、いつまでも隠れてらんねーだろ」
「かくれんぼだよ杏子ちゃん。たぶん、三日か、四日でほむらちゃんは諦めるよ。杏子ちゃんの意志を尊重しようとして。
マミさんは不本意でもそうするかな。もしかしたら粘るかも」
まどかはふと息をついた。
「さやかちゃんは、諦めないかもしれない」
「……じゃあどーすんだよ」
「そのときは、わたしが説得するよ」
「あんたにそれができんのか」
ゆるりと微笑むまどか。
「みんなが幸せになれるよう、がんばるよ」
「……ま、賭けとしては悪くねー。逃げるのも隠れるのも性にあわないけど」
「もし、杏子ちゃんが見つかったら――」
「そんときゃぶっ潰してでも逃げるさ。そのほうがラクかもしんねー」
「わたしは賛成しないけどね。どっちみちさやかちゃんには逆効果だよ」
「はん。見つからなかったらいいんだろうが。で、どこに隠れろってんだ?」
「とりあえずはわたしの家だね。二日目の晩には移動しよう」
「どこに?」
「さやかちゃんが捜そうとしないところだよ」
「だからそれが、ってちょっと待て」
いつのまにか、まどかの隣にキュゥべえが座っていた。
「ふたりでなにを企んでるのかな?」
「てめえにゃ関係ねー」
「杏子。君に絶望されると困るんだよね。祈りのエネルギーが回収できなくなっちゃうじゃないか」
「うるせーよ」
「どうしてもここを離れるっていうのかい? なら、美樹さやかと一緒にというのはど――」
どうかな、と言い終わる前に、杏子の槍が周りに見えないようにキュゥべえを貫いた。
「うるせーっつってんだろ」
「わかったよ。やれやれ、まったく君は本当に僕のいうことをきいてくれないよね」
ぬるりと滲みでるように現れた二匹目が自身の死骸を食う。
「うぜえ。もっかいイッとくか、あ?」
「急用を思い出したよ。それじゃあね、杏子、まどか」
「キュゥべえ。わたしのことは内緒だよ」
沈黙したまま頷いたキュゥべえは、するすると物陰に消えた。
「……で、なんの話だっけか」
「杏子ちゃんが隠れるのはね、――上條くんの家だよ」
◆◆◆ ◆
周囲に気を配り、魔法少女がいないことを確かめながら歩いて、杏子は上條家にたどり着いた。
すこし身体が冷えた。
それでも軽々と塀に飛び乗り、闇にまぎれて屋根へと移る。
「部屋は、っとぉ……」
方角を確かめて、2階のある窓の前に降り立つ。
明かりが点いている。
ここが上條恭介の部屋であった。
からりと、躊躇なく杏子は窓をひらいた。
「よう――」
顔を合わせたこともほとんどないような相手の部屋に、夜更け、しかも窓から入るというシチュエーションで、
杏子はなんと挨拶すればいいのかわからなかった。
だからただ一言だけそう言って、傲然と相手を見つめた。
「やあ、君が鹿目さんの言っていた――」
「佐倉杏子だ」
ひょひょいとブーツを脱いで杏子は部屋に入った。
「あんたがキョースケか」
名前はさやかから何度も聞いていた。
線の細い、なんとも貧弱そうな少年だった。
しかしその容姿に反して、瞳は揺るがず恐れず、しっかりと見返してきた。
「ずいぶん度胸があるな。もうちょっとビビるか、虚勢をはるかするかと思ったよ」
「これでも緊張しているんだけどね。それに佐倉さんこそ、堂々としているじゃないか」
恭介は椅子をすすめたが、杏子は断って壁際に腰をおろした。
「杏子でいい。……ま、アタシは遠慮とか、そーゆーのとは無縁の生き方をしてるからな」
薄ら笑った。
「なんにせよちょいと世話になる。よろしくね」
屈託なく笑って恭介は頷いた。
机に向かっていた恭介はそうっと杏子を横目で見た。
ルービックキューブに奮闘している。
まどかに頼まれて彼女を匿うことは了承したが、詳しい事情は恭介も知らない。
詮索するのは無粋、とわかっていても気になるのであった。
「なあ」
立方体から顔をあげずに、杏子が口を開いた。
恭介はびくりと反応した。
「さやかはあんたのことが好きなんだろ」
まだ顔を上げない。
恭介は彼女に向き直った。
「鹿目さんの友達ということは、さやかとも友達ってことか……。そうだね、そう言われたよ」
「………」
手の動きが止まる。
「あんたはあいつを幸せにできるんだろ……?」
か細い声。
恭介は椅子から床へと腰を下ろした。
ベッドに背を預け、天井に顔を向ける。
「僕がさやかを幸せにできる保証はない。失恋するより辛いことになるかもしれない」
ふ、と恭介は息をはいた。
「なんて、言ってみたって、なんてことはない。僕には度胸がなかったのさ。
さやかの気持ちも、志筑さんの気持ちも、受け止める度胸が」
杏子が顔を上げた。
「逃げただけさ。情けないよね。どちらかを選ぶこともできなかった。大人ぶって別れを選んで、僕は逃げた。卑怯者だよ」
「逃げた……? 別れを選んだことが……? 卑怯だって?」
「杏子さん?」
「てめえふざけんじゃねェっ!」
杏子は恭介の胸倉を掴んだ。
「ふざけんな……っ! アタシは、望んでなくても、決別しなくちゃなんねーと思って……!」
「ぐ……ぅ……」
「……ぁ。す、すまねぇ」
我に帰った杏子はぱっと手を離して、くたりと座り込んだ。
恭介が咳込む。
「杏子さん……もしかしてさやかとケンカでもしたのかい」
「……ちげーよ。アタシはあいつと一緒にいられない。胸張ってあいつの隣に立てない。正しいあいつの仲間になれない。ただ、そんだけだよ」
杏子は膝を抱えた。
「わりぃ、へんなこと言っちまった。忘れてくれ」
「相談も助言も、僕が出る幕じゃなさそうだ。でも、話を聞くだけならできるだろう」
恭介はほのかに笑った。
「なんであんたそこまでしてくれる……?」
「そんな泣きそうな顔してる子をほっとけないさ。それに、女の子には優しくしろとさやかに言われてるからね」
膝に顔を伏せる杏子。
「ばかだなあいつ……ホントばかだよ……」
「………」
「……ちょっと、トイレ借りるわ。それと、」
ありがとう。
勢いよく立ち上がって部屋を出ていった杏子の言葉に、恭介は微笑んだ。
「どういたしまして」
◆◆◆ ◆
同刻。
まどかはさやかを迎えていた。
「やーゴメンね突然! ちょっとお泊りでもしようかな! という衝動? 気持ちに素直になっちゃうさやかちゃんなのでした」
部屋に入る。
「さやかちゃんも眠れないんだね」
髪をひとつにまとめたまどかはふわふわと笑った。
「まどかも、だったの?」
「うん……ちょっとね」
「ってイヤイヤ、あたしってばもー眠くて眠くて、歩きながら寝ちゃうところだったのよ?
眠眠打破飲んじゃおっかなーってくらいですかね!?」
「さやかちゃんったら」
眉尻を下げて笑うまどか。
さやかは笑いながら気配を探った。
……いない。
杏子の気配は感じられない。まどかではない。
「そういやー今日の魔獣はへんなやつだったなぁ。まともな人型してて、剣持ってて」
「そうなの?」
「うん。なんかさ、あたしにちょっと似てるかなーって感じ。魔獣にもリスペクトされちゃってますかねコレ!
待望のさやかちゃんの時代きちゃうのかな!」
「似てた……? うんと……」
まどかは思考に沈む。
「どしたの? さあて明日も張り切って杏子のばかちんを捜すために、さっさか寝ますかー」
いいながらさやかはベッドに潜り込んだ。
まどかも慌てて続く。
「わ、ちょ、さやかちゃん早いよう、ってもう寝てる!?」
杏子がいるなんて思っていなかったけれど、すこし残念だった。
でもまどかが匿っていたんじゃないということがわかって安堵もしたさやかであった。
さやか(もう……杏子のやつ。ホントにどこにいんのよ……このままさよならなんて、絶対にいやだからね……)
たった数時間前まで杏子がここに居たと知らないまま、さやかは眠りに落ちた。
まどか(ごめんね、さやかちゃん……本当にごめん)
◆◆◆ ◆
翌朝。
週末である。
空は濃灰色の雲で満たされている。
「さーて今日こそ杏子を見つけちゃいますからねーっ」
「その根拠はなんなの美樹さやか」
「あたしの右手が疼くからさ! くッ……鎮まれ……!」
「美樹さやかの新必殺技エターナルブリザード。あいてはしぬ」
「暁美さん、いいセンスしているわね」
集合したのは駅前。
「どこから捜していきましょうか?」
「実はここに佐倉杏子が潜伏していそうな場所をまとめたリストがあるわ」
「なにそれ!?」
「隠れられそうな場所に美樹さやかが探しそうにないという条件を付けて可能性の高い順にソートしてあるわ」
「すごいねほむらちゃん」
「褒めるには及ばないわ」
「それじゃあ、可能性の高い順に探していけば……」
「はいはいはい! 手分けして探せば効率的だと思います!」
「あら。美樹さやかにしてはいいことを言うわね。では、まどか。行きましょうか」
「えっ、ほむらちゃん、ちょっと待って、ああっ」
「じゃあ行きましょうか、美樹さん」
「ええマミさん!」
◆◆◆ ◆
「杏子さん、お昼ごはんだよ」
「待ってました!」
がつがつと昼食を食べる杏子と、静かに食べる恭介。
「杏子さんはこの部屋から出られなくて退屈じゃない?」
「まぐまぐ……ごくり。いや? キョースケの部屋は目新しいもんばっかでおもしろい」
「そうなんだ?」
「ああ。テレビもゲームもねーけど、退屈しねーな」
「よかったよ。杏子さんは休みのときとかなにしているんだい」
杏子(アタシは毎日が休みなわけだが……、それは黙っとくか)
「ゲーセンいってることが多いかな。体動かすのも好きだよ。ガキどもと遊んだりとか……」
「兄弟がいるんだ」
◆◆◆ ◆
夕方。
ぽつぽつと雨が降り出す。
「ひゃあ降ってきたー」
「いったん傘を取りに行っておいて正解だったわね」
「さてさて次の場所は、………」
「美樹さん?」
「あ、いえ……」
「どうしたの? 次の場所はどこかしら」
「そ、その。ちょ、ちょっと休憩しませんか!」
「? ちょっと見せてもらえる? ……あぁ。なるほど」
間違えた…
>>183の次これだった…
「んぁ? あぁちげー。近所のガキだよ。野球とか、サッカーとか」
「へえー、すごいね。子供が好きなんだね」
「ばりばり。んーべつに好きとかじゃないんだけどな。なんか懐かれるんだ」
「杏子さんが優しくていい人だってことが子供にはわかるんだろうね」
「はッ!? そんなことねー……げほげほ!」
「はいお茶」
「すまねえ……」
「ここにいる間は体を動かせないけど、そうだなぁダーツでもやるかい」
「ダーツかぁやったことないな。じゃあ喰ったらやってみるか」
「わりと楽しいよ」
恭介は箸を置いた。
杏子はまだ食べていた。
「いやその、別に嫌とかじゃなくてですね、ただ、ここにはいないんじゃないかなーと……え?」
「上条君の家なら、美樹さんは捜そうとしない。否、捜したくない。そういうことね」
「まさか……いやでも、恭介が、杏子を?」
「美樹さんがそう考えるってことは、けっこう有り得そうね」
「ちょ、ちょっと待ってください。ちょっとだけ」
「あらあら」
◆◆◆ ◆
「~♪」
恭介の演奏にあわせて、読書していた杏子は鼻唄を歌った。
しばらく弾いて恭介は手を止めた。
「杏子さん、なんか歌った?」
「あ? ん? あぁ無意識だった。や、なんか子供の時に聞いた讃美歌を思い出してた」
「讃美歌? こんなのとか?」
「おお! すげえな!」
「杏子さん、カトリックだったの?」
「親父が神父だったんだ。死んじまったけど」
「そうなんだ、ごめん。でも讃美歌もいいよね。信仰というのはやはりどこか美しいものだよ」
「久々に聴いたな。……もうちょっと、聴かせてくれるか?」
「ああ。お安い御用さ」
恭介は無造作に讃美歌を連ねて弾いてみせる。
杏子は目を閉じて、演奏に聞き入った。
窓を叩く雨音が強くなっていく。
最後に長く余韻を残して、恭介が演奏を終えた。
「いやーすげーもんだな!」
ぱちぱちと拍手していた杏子は、だがぱっと顔色を変えた。
ブーツを掴んで窓を開ける。
戸惑う恭介。
「杏子さん!?」
「世話になったな!」
そう言い残して杏子が外に飛び出すのと同時に、部屋の扉が開いた。
「恭介!」
「さやか!?」
「あんた今杏子っていった? ――外か!」
開いている窓を見たさやかがためらいなく窓枠を越える。
「美樹さん! 屋根よ!」
玄関口からマミが叫んだ。
さやかが屋根にのぼると、雨のなか屋根の上を走り去っていく杏子の後ろ姿が見えた。
「逃がすかっての!」
屋根に飛び上がり、変身して駆けだすさやか。
屋根から屋根へと跳び移って逃げていく杏子との距離を徐々に詰めていく。
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