晴海「秋月マキシの本を……、読まずに死ねるかぁ!!!」 (108)


春海和人は読書バカである。
起きている時はもちろん本を読む。
寝ている時すら夢の中で本を読む。
寝ても覚めても本を読む。
それが俺の生活であり、本能であり、生きざまだ。
それはきっとこれからも一生変わることはなく。
俺が読むのを止める時、それすなわち俺の命が終わる時だろう。

詩集も、新書も、エッセーも、その他のあらゆるジャンルも読む。
だが、やはりというかなんというか、一番俺の魂を奮い立たせるのは小説だ。
中でもマイフェイバリット作家とでもいうべき存在がいる。
“シャイニングビューティー”、秋月マキシだ。
アイドルと作家という一風変わった二足のわらじを履く若手作家。
アイドルの方はとんと疎いが、作家としての実力は超一流、若者を中心に絶大な人気を誇っている。
そんな彼女の本が放つ輝きに、俺はすぐに心を奪われた。
秋月マキシの本を読めるなら死んでもいい。
むしろ秋月マキシの本を読むために生きている。
そう言った方がいいかもしれない。

俺は死ぬまで本を読み続ける。
生涯読書バカであり続ける。
八十年もすれば寿命が来るだろう。
その時まで、俺は思う存分読書を続けられるはずだ。

……そう、思っていた。

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八月十日。
秋月マキシの新刊の発売日だったその日、俺は強盗の現場に居合わせた。
行き付けの寂れた喫茶店「清陽」でまっずいコーヒーを飲みながら買ったばかりのその本を読んでいた俺の前で、獣のような目の男が猟銃を手に店長のじいさんを脅迫し始めたのだ。
だが店長が言うことを聞こうとしないのでその男は俺たちを人質にしようとした。

そう、俺たち。
その場にはもう一人いた。
俺も強盗犯が怒鳴り付けるまで気づかなかった。
だが、いざ意識すると今まで気がつかなかったのが不思議なくらい存在感のある人物だった。
上から下まで白、白、白。
いっそ純白と言うべきか。
夜を切り裂く朝日のような女が、そこにいた。

彼女はレポートでも書いているのか、ひたすら万年筆を走らせている。
強盗がいることにも気づいていないのか、それとも気づいた上で無視しているのか。
どちらにしろ異常な集中力だった。

反応を見せない純白女に痺れを切らした強盗犯は彼女に銃口を向ける。
おいおい、ふざけんな……!

体が勝手に動いていた。
何故かはわからない。
ただ、彼女の“書く”行為を邪魔させてはいけないと思った。
強盗犯を押さえ込もうと飛びかかる。
取っ組み合いになり、強盗犯が撃った弾が太ももを掠めた。
痛ぇ。めちゃくちゃ痛ぇ。
それでも、銃から手は離さない。
だって離したら誰かを撃つんだろうが!

だが、そんな拮抗状態も長くは続かなかった。
強盗犯の蹴りが俺の腹を捉え、後方に吹っ飛ばされる。
落ちた先で頭を強く打った。
早く立たないと……!
もがく俺の視界に、円形に切り取られた闇が。
地獄を覗いているかのような錯覚。

中原「……あばよ」

ズガンッ

八月十日。
秋月マキシの新刊の発売日だったその日、俺は……


殺された。


落ちる感覚。
目を覚ますと一面虹色の世界が見えた。
なんだ、ここ。
明らかに自然界のものとは思えない発色。
その虹色の中を、俺は全裸で絶賛落下中だった。
……そうだ、死んだんだっけ、俺。
ということはここは天国、いや三途の川ってところか。
俺、なんか意外と落ち着いてるな。

……………………
………………
…………

どれくらい経ったのだろうか。
いや長いよ。
どんだけ落ちるんだよ。
もう反省会も遺言も済ませちゃったよ。
死ってやつは存外気の利かないやつらしい。
仕方ない、ここは本でも読んで時間を……
バックを探る。ない。そもそもバックがない。
ポケットを探る。ない。そもそもポケットもない。
つーか全裸だよ、俺。
本がないなんて、俺にとっては死活問題だ。
もう死んでるけど。
というか、だ。

死んだら本、読めないんじゃね?

ヤバい。
本が読めないとかあり得ない。
神は俺に死ねと言うのか。
もう死んでるけど!

うわぁ、読めないと思うと余計に読みたくなる。
まだ読んだことがない本がたくさんある。
これから読めたはずの本がたくさんある。
そしてなにより。

春海「俺は、秋月マキシの本を全て読むと決めたんだ!」

秋月マキシが引退するまで。
彼女が書く本全てを読むと心に決めていた。

春海「嫌だ……!」

春海「嫌だ! 嫌だ! 嫌だ!」

それを、こんなとこで諦めてたまるか。
恋い焦がれた秋月マキシの本。

春海「読まずに――」

春海「――死ねるかぁ!!!」


そうと決まればやることは一つ。
帰るんだ……!
秋月マキシの本への未練が形を持って目の前に現れる。
表紙を見るまでもない。
『Cat and rat game』。
秋月マキシのデビュー作で、俺を根っこから作り替えた運命の本。
手を伸ばす。
絶対に手にいれる。
読みたい。読みたいんだ!

春海「うぉぉぉぉぉ!!」

もがいて、もがいて、やっとの思いで本を掴む。
だが。

ガブッ

春海「いってぇ!?」

噛まれた、なんか噛まれた。
本から犬が飛び出してくる。

春海「え?」

え、何?
新手の飛び出す絵本ですか?
呆気にとられる俺に突っ込んでくる犬。
おでことおでこをごっつんこする俺と犬。
その衝撃で虹色の世界の底へと落ちる俺。

春海「えぇー……」ヒューッ

えっと、つまるところ。
失敗しました。


「おーい、生きてるかー?」

誰かが俺の頬をつつく。
おいやめろ、こちとら疲れてるんだよ。
ゆっくり寝させろ。
抗議の意味を込めて寝返りを打つ。

「なんだ、寝てただけか。まぁ、手当てしたし大丈夫だよな」

手当て……?
俺怪我なんかしてたっけ?

……したよ!
銃で撃たれたよ!!
目が覚めた。これでもかってくらい覚めた。
え、人間って頭ぶち抜かれても手当てすれば生き返るの?
現代医学はそんな神の領域にまで到達していたの?
とりあえず瞼を開く。
目の前には鉄格子。
あれ? 被害者のつもりだったんだけど、実は加害者だったの、俺?
だがこの際もうどっちでもいい。
俺はどうやら生きてるらしい。
つまり、だ。

春海『本が読める!!!』ワォーン!

……ん?
今犬の声がしなかったか?
いやいや、まさか。
人の声が犬の鳴き声になる訳がない。

春海『マスター、この店で一番いい本を頼む』ワンッ

……あるぇ?
自分の手を見る。なんか毛むくじゃらだった。
顔を上げると、姿見が置いてあることに気づいた。
そこには間抜けな顔のミニチュアダックスが映っている。
どこかで見た顔だな、おい。
右手を上げる。鏡の中の犬も右手を上げる。
左手を上げる。そいつも左手を上げる。

春海『犬だぁぁぁぁ!!!』ワォーン!

そんな魂の慟哭も、むなしい遠吠えになるだけだった。


アフロ「お、元気になったなワンコ。お前がこの雨の中震えてるのを見た時は肝を冷やしたぞ」

そう言いながらウィンクするアフロ頭。
どうやらこいつに拾われたらしい。
なんでアフロなんだよ。

春海『助けてくれたのはありがたいんだが、俺は今猛烈に本が読みたいんだ。親切ついでに用意してくれないか?』ワンワンッ

アフロ「んー? 一応病み上がりなんだからな。大人しくしてろよ?」

ダメだ、話は通じない。
当たり前か、俺は犬なんだし。
吠えども吠えどもアフロが持ってくるのはドッグフードばかり。
せっかく生き返ったのに、本が読めないんじゃ意味がねぇ。
いや、むしろここが地獄なんじゃね?
やはり俺はもう本を読むことはできないのか。

そんな無力感の中、ペットショップ『IGGY』で暮らしはじめて一週間が過ぎた。


春海『本が読みたい。本が読みたい。本が読みたい。本が読みたい。本が読みたい。本が読みたい。本が読みたい。本が読みたい。本が読みたい。本が読みたい。本が読みたい。本が読みたい。本が読みたい。本が読みたい。本が読みたい。本が読みたい。本が読みたい。本が読みたい。本が読みたい。本が読みたい。本が読みたい。本が読みたい。本が読みたい。本が読みたい。本が読みたい。本が読みたい。本が読みたい。本が読みたい。本が読みたい。本が読みたい。本が読みたい。本が読みたい。本が読みたい。本が読みたい。本が読みたい。本が読みたい。本が読みたい。本が読みたい。本が読みたい。本が読みたい。本が読みたい。本が読みたい。本が読みたい。本が読みたい。本が読みたい。本が読みたい。本が読みたい。本が読みたい。本が読みたい。本が読みたい。本が読みたい。本が読みたい。本が読みたい。本が読みたい。本が読みたい。本が読みたい。本が読みたい。本が読みたい。本が読みたい。本が読みたい。本が読みたい。本が読みたい。本が読みたい。本が読みたい。本が読みたい。本が読みたい。本が読みたい。本が読みたい。本が読みたい。本が読みたい。本が読みたい。本が読みたい。本が読みたい。本が読みたい。本が読みたい。本が読みたい。本が読みたい。本が読みたい。本が読みたい。本が読みたい。本が読みたい。本が読みたい。本が読みたい。本が読みたい。本が読みたい。本が読みたい。本が読みたい。本が読みたい。本が読みたい。本が読みたい。本が読みたい。本が読みたい。本が読みたい。本が読みたい。本が読みたい。本が読みたい。本が読みたい。本が読みたい。本が読みたい。本が読みたい。本が読みたい。本が読みたい。本が読みたい。本が読みたい。本が読みたい。本が読みたい。本が読みたい。本が読みたい。本が読みたい。本が読みたい。本が読みたい。本が読みたい。本が読みたい。本が読みたい。本が読みたい。本が読みたい。本が読みたい。本が読みたい。本が読みたい。本が読みたい。本が読みたい。本が読みたい。本が読みたい。本が読みたい。本が読みたい。本が読みたい。本が読みたい。本が読みたい。本が読みたい。本が読みたい。本が読みたい』


本が読みたい。
読みたすぎて読みたい。
読みたいけど読みたい。
俺に本は読みたい。
日本語おかしくなってきたから読みたい。

一週間本を読んでないせいで意識が朦朧としてきた。
結局、このまままた死ぬのか……

そんな精神状態だったからだろうか。
俺は夢を見た。

迷いのない歩み。
ただ真っ直ぐに、ただ己の目的地へと進む。
後ろに大勢の黒服を引き連れて。
彼女はただただ突き進む。
通行人が怪訝な目で見ても、進むべき道を見失うことはない。
その姿はあまりに力強く。
まるで小説の主人公のようで。

そして彼女は扉を開く。
全てを照らし出すような眩い輝きを全身に纏って。
白紙になってゆく俺の世界に、希望の光が差した。

「待たせたわね!」

「主人公の、登場よ!!」


そしてそいつは入ってきた瞬間のポーズから動かなくなった。

春海『……え?』

十秒。二十秒。
それでもまだ動かない。
高そうな純白のコートに身を包み、顔を覆い隠すようなつばの広い白の帽子を被っている。
さらに白いメガネをかけているもんだから顔がよくわからない。
白いメガネってなんだよ。
サングラスとしての効果はちゃんとあるのか?

アフロ「え、えーっと……。お客様……?」

ほら見ろ、アフロも困惑してるじゃないか。

「おい、何をしている」ヌッ

そのやたら輝いている女の後ろから、今度はやたらでかい男が現れた。
禿頭にサングラスで、真っ黒なスーツを着ている。
はい、どう見てもその筋の方です。
ヤの付く自由業の方です。
本当にありがとうございました。

「あぁ、大門。いえね、鏡があったものだから、ついポーズをとってしまったわ」

大門「全く、外で目立つ行動は控えろといつも言っているだろう」

「ていうかここペットショップじゃない! 聞いてないわよ!」

大門「お前が突然飛び出したんだろう。俺も知らなかった」

「だって声のする方に来てみたら……」

そう言って怪しい二人組は俺を見る。

春海『な、なんなんだ……?』

「やっぱりあれよ、大門!」

大門「……」スッ

黙ってこちらに近づいてくる禿頭の男。
怖いよ、めっさ怖い。

春海『ひぃ……! おでぇ官様、どうかお命だけは……』

命乞いをする俺にその男は。

大門「お前か?」

ただ、そう告げた。


春海『え……?』

じっと俺を見つめる男の目。
いや、サングラスしてるからよくわかんないけど。
そして男が発したその言葉はどう考えても犬に対する態度ではなく。
まるで、人間に対してとるもののような……

春海『まさか、俺の言葉が聞こえるのか……?』

大門「……」

アフロ「あ、あのお客様……?」

大門「おい」

アフロ「は、はいぃ!」

大門「この犬を売ってくれ。いくらだ?」

春海『は……?』
アフロ「は……?」

俺とアフロの反応がハモる。

アフロ「あ、あの、その子は捨てられていたのを保護しただけで売り物ではないんです」

大門「売ってくれ、と言っている」

アフロ「ですから……」

大門「……」

メンチ切ってるよ、あいつ。
怖すぎるだろ。

アフロ「売り物……では……」

がんばれ、アフロ。
お前だけが頼りだ!

大門「売ってくれ、と、言っているんだが」

アフロ「……はい、わかりました」

ぽっきりとアフロの心が折れる音が聞こえた気がした。
……うん、仕方ないよ。
お前はよく頑張ったよアフロ。
普通こんな絶対カタギじゃない人に凄まれたら抗えないよ。


アフロ「先ほど申し上げました通り捨て犬ですので、里親になってくださるのなら代金は頂きません」

アフロ「大切にしてあげてください」

大門「……わかった」

大門「だが、タダというのは気が引ける。犬を飼うのに必要な道具を見積もってもらえるか?」

アフロ「は、はい。結構な量になりますので宅配いたしましょうか?」

大門「いや、いい。人手は用意している」

パチンッ!

そう言った禿頭の男は指を鳴らす。
するとおびただしい数の黒服たちが店内になだれ込んできた。

春海『えぇぇぇぇぇ!?』

アフロ「あわわわわ」

これもしかして構成員?
犬一匹買うために組員動かしてんじゃねぇよ!

大門「ブラックカードは使えるか?」

アフロ「は、はい……」

店内の犬やら猫やらが怯えてる。
アフロも泣きそうになってる。
もうやめて! アフロのライフはゼロよ!

大門「ほら、お前が持て」

男が俺をケージごと持ち上げ、まだ入り口にいた白い女に差し出した。
俺を見る彼女は心なしか震えている気がする。
まさか犬が苦手なのか?
ならなんで買うんだよ。

「わ、わかった……」

手を伸ばし、ケージを受けとる女。
それを見て男が手を離す。
だが。

「~~ッ! やっぱり無理!!」パッ

女も同時に手を離す。
ケージを支えるものはなくなり、さあ自由落下の始まりです。
こんにちは、地面さん。
なんだか久しぶりだね。

ガシャンッ

ケージ全体に衝撃が走る。
俺もケージの床と天井の間を二往復くらいした。
バカだろ、この女……
薄れゆく意識の中で俺は女に恨みの念を飛ばし続けた。


目を覚ます。

春海『知らない天井……どぅわぁ!?』

知らない天井どころか知らないスキンヘッドがケージを覗きこんでいた。
怖ぇよ、ただでさえおっかない顔してんのにさ。

大門「起きたか。おっかない顔で悪かったな」

春海『やっぱり……! 俺の声が聞こえてるのか!』

大門「あぁ。仏坂大門という。平安堂の編集者だ」

編集者かよあんた……。
びっくりくりくりだ。
てっきり下手うった部下に指を詰めさせる系の職業の人だと思ってたよ。

大門「それで、あそこにいるのがお前の新しい飼い主だ」

大門さんが指さす方を見る。
俺から一番遠い隅で震えている女がそこにいた。
さっきペットショップにいたやつだ。
だが、今は帽子もメガネもしていない。
ようやく拝めたその素顔に、俺は見覚えがあった。
いや、見覚えがあったなんてレベルじゃない。
見間違えるはずもない。

春海『秋月マキシ……!?』

最愛の作家のその顔を。

大門「やはり知っていたのか」

春海『そりゃそうだろ! どんだけ有名だと思ってるんだ!』

マキシ「い、犬のくせに人間界の有名人を知ってるなんて! 変な犬!」

春海『犬が知ってちゃ悪いのかよ』ワンッ

マキシ「や、やめなさいよ!」

急に耳をふさいでうずくまるマキシ。
ど、どうしたんだ突然……

マキシ「いちいち吠えないでよ! 怖い……じゃなくてうるさいでしょ!!」

春海『吠えるなって言われても出るんだよ』ワンッ

マキシ「ほらまた! 黙ってしゃべりなさいよ!」

無茶を言う。
そんな、黙ってしゃべるなんてできる訳……

マキシ「な、何よ。やればできるんじゃない」


……は?
俺声に出してないぞ!?

大門「あー……、なんというかだな。どうやら俺たちはお前の心が読めるらしい」

春海『はぁぁぁぁぁぁ!?』

心が読める!?
考えてること全部筒抜けってことかよ!
プライバシーは!?
ねぇ、俺のプライバシーは!?

マキシ「あたしだって犬の声なんて聞きたくないわよ……」

春海『じゃあ聞くなよ!』ワンッ

マキシ「聞こえるんだから仕方ないでしょ! あと吠えるな!」

春海『吠えたっていいじゃない、犬だもの!』

マキシ「あーもう! 大門! なんであたしの家に連れてきたのよ! というか飼い主って何!?」

大門「里親になると言った以上その辺に捨てる訳にもいかないだろう。それに俺の家では犬は飼えない。マンションだからな」

マキシ「ここだってマンションよ!」

大門「俺の住む安いマンションとは訳が違うじゃないか。ここはペット可だったと思うが」

マキシ「あたしがいるのよ!? 無理に決まってるじゃない!!」

大門「いい機会だから、その犬嫌いも治したらどうだ? それのせいで動物番組のオファーを断り続けてるだろう」

マキシ「うぐ……。それは、そうだけど……」

薄々気づいてはいたが、やっぱりこいつ犬苦手なのか。
アイドルと犬って結構鉄板の組み合わせだと思うけど。

マキシ「うー……。あー! もう!! そもそもあんたがいるから!!」ガシッ

いきなりキレたマキシが俺のケージを掴む。

マキシ「バルコニーから突き落としてやる!」ダッ

はぁ!?
ちょっ、マキシさん!?

大門「おい、マキシ!」

大門さんの制止も聞かず、走り出すマキシ。
え、ちょっと、マジ?


バンッ

かなり広い家の中を駆け抜け、バルコニーに立つ俺たち。
せいぜい五、六階だろうと思っていた俺の予想はあっさり裏切られ、ここは軽く百数十メートルはあるマンションのそれも最上階らしかった。
わぁ、新稲葉が一望できるー。
絶景ですね!

春海『いやいやいや! これ死ぬ! リアルに死ぬから!』

マキシ「うるさい! あんたなんかぺしゃんこになればいいのよ!」

えぇー……
殺されて、奇跡的に生き返ったかと思えば犬の体で。
しかも犬として飼われることになった矢先、飼い主が犬嫌いというふざけた理由でまた殺される。
こんなのってありかよ。
どんだけ罪深いの、俺。

死の恐怖が甦る。
「清陽」。
眼前の銃口。
血走った強盗犯の目。
世界がまるごと揺らされたかのような衝撃。
そして、リズミカルに刻まれる万年筆の音。

その時、まさに投げ捨てようと振りかぶっていたマキシの手が止まった。

マキシ「待って……。どうしてあんたがそれを知ってるの……?」

春海『どうしてって……。あっ! あの時の純白女はお前だったのか!』

マキシ「……どうやら、話をしないといけないようね」

そう言ってマキシは俺を下ろす。
どうやら命は繋がったらしい。

マキシ「全く、変な汗かいちゃったじゃない。ちょっとシャワー浴びてくるから、覗くんじゃないわよ」

春海『覗かねぇよ』

そもそもケージから出られねぇよ。

マキシ「……可愛げのない犬」

春海『可愛くてもお前犬嫌いなんだろ』

マキシ「ふんっ」スタスタ

春海『あ、おい! バルコニーに置き去りかよ!?』

外道かよ、あいつ。


しばらくバルコニーでくぅーんくぅーんと鳴いていると大門さんが現れた。

大門「大丈夫か?」

春海『大丈夫じゃねぇよ……。あわや紐なしバンジーだよ』

大門「すまん、あいつには荒療治が必要かと思ったんだ」

俺の心が今一番荒れてるし治療が必要だよ。

大門「まぁ、助かったんだからいいじゃないか」

春海『それを本気で言ってるなら喉笛噛みちぎってやる』

大門「冗談だ」

あんた笑わないから冗談に聞こえないんだよ……。

大門「今出してやる。ちょっと待ってろ」ゴソゴソ…ガチャ

春海『い、いいのか……?』

大門「いいだろうよ。それから、マキシが戻ってくるまで暇だろう。ほら、これでも読んでろ」つ本

春海『そ、それは! 秋月マキシ著、『Ten take off minds』!!』

大門「読みたかったんだろう?」

目の前の本に、俺は我を忘れて飛び付く。
本。本だ。本がある。本が読める!
まだ慣れない犬の体で必死に表紙を捲る。
次に扉、目次、そして1ページ目と捲っていく。
インクと紙の匂いが鼻をくすぐる。
涙を流さずにはいられなかった。
心を満たしていく多幸感。
初めて本を読んだとき、きっとこんな気持ちだったはずだ。
俺が本当に生き返ったのだとしたら。
それは、この瞬間だったのだろう。


……………………
………………
…………

マキシ「シャイニング!」スパァン

突然本が消えた。
もちろん、このアイドルの仕業だ。

春海『あぁ!? てめぇ、読書の邪魔したな!? 本の七罪に背く行為だ! ぶっ飛ばすぞこのやろう!!』

マキシ「や、やってみなさいよ! 今度こそバルコニーから落とすわよ!」

春海『ごめんなさい!』

この人本当に落としそうで怖いんです。
さっきまで本気で殺しにかかってましたもんね。
犬のようだと笑わば笑え、こちとら生きるのに必死なんだ。

マキシ「それより、このあたしのお風呂上がりの艶姿に何か言うことはないのかしら?」

そう言ってマキシはいつものアイドル的なものとはまた違った蠱惑的なポージングをとる。
風呂上がりといってももちろん服は着ているが、上気した頬やしっとり濡れた髪は確かに扇情的と言えるかもしれない。
しかし。

春海『はっ。俺、官能小説でしか抜けないから。文字列になって出直してこいよ』

マキシ「なっ!?」

春海『だいたい、それくらいなら写真集にも何枚かあったし。いまさらだろ』

マキシ「か、官能小説でしか……その、ゴニョゴニョできないとか言ったくせにあたしの写真集買ってるんじゃない! お買い上げありがとうございます!!」

怒られてるのか感謝されてるのか、どっちなんだこれは。

春海『写真集だって本だからな。大好きな秋月マキシのものならなおさら買うしかないじゃないか』

まぁ、あれもどちらかというとインタビューが読みたくて買ったようなもんだけど。

マキシ「だっ、大好き!?」

春海『あぁ、そうだよ。俺は作家秋月マキシの大ファンだよ。お前の本はデビュー作から最新作まで全部読んだ』

大門「全部か。それは凄いな」

春海『何言ってんだ、当たり前だろ。好きな作家の本は欠かさず読む。読書バカなめんなよ』

マキシ「ファン……。犬が、あたしのファン……」

大門「マキシ」

マキシ「わかってる……! わかってるわよ! ファンに犬も人間も関係ない! わかってる、わよ……」

……そうか。
秋月マキシはファンを大事にすることで知られている。
マキシにとって一番苦手な犬であり、一番大切なはずのファンでもある俺は矛盾の塊って訳だ。
俺が犬になってしまったばっかりに。
俺は作家と、マキシはファンと触れあう機会をなくしてしまったのだ。


大門「まぁいい。そのことはまたゆっくり考えよう。それよりも今はお前のことだ」

俺の目をじっと見据える大門さん。

春海『お、俺?』

大門「あぁ。なぜお前がマキシの巻き込まれた強盗殺人事件について知っているのか、お前は何者なのか」

マキシ「さっきの光景をもう一度見せてちょうだい。それが一番手っ取り早いわ」

春海『さっきのって……。記憶も読めるのか?』

マキシ「あんたが強く心に思い浮かべれば、あたしたちにも見えるみたいね」

強く心に、か。
できれば思い出したくはない。
なにせ自分が死んだ瞬間の記憶だ。
だが、それゆえ鮮明に覚えている。

思い浮かべる。
あの日の出来事を。
俺が死んだ日の、出来事を。

……………………
………………
…………

マキシ「……あたしがいる」

春海『そりゃそうだろ。同じ場所にいたんだ』

大門「まさか、お前がマキシを守った高校生だったとは……」

春海『守ったなんて大層なもんじゃないよ。実際死んでるし』

大門「だがな、黒服の中ではお前を永世名誉黒服長にしようという話も出てるくらいだぞ」

春海『黒服長って何!? 黒服ってあのワラワラしたやつらか!? 全く嬉しくないんだけど!!』

大門「おかげで俺が黒服長代理と呼ばれ始めている」

春海『あんたが現職の黒服長かよ!!』

マキシ「……ねぇ」

春海『なんだ?』

マキシ「あんたがあの時の被害者だったってことはわかった。でも、一つわからないことがあるの」

マキシ「あんた、格闘技か何かやってたって訳じゃないんでしょう? どう見てももやし星人だったし」

春海『図星だけどもやし星人ってなんだよ……』

ねぎ星人の親戚かなんかかよ。

マキシ「そんなもやし星人が、何で銃を持った強盗に立ち向かおうなんて思ったの?」

マキシ「……あの時、何であたしを助けたの?」

今までで一番真剣な顔で言う。

春海『なんでって、そりゃ……』

なんでだったか。
さっきも言ったがそんな御大層なことを考えていた訳じゃない。

春海『体が勝手に動いただけ……かな』

マキシ「……そう」

俺の返事を聞いても、マキシは深刻そうな表情で頷いただけだった。


大門「撃たれた後はどうなったんだ? どうしてそんな姿に?」

それは俺が一番知りたいけど……
とりあえず、あの後のことを話す。
虹色の世界のこと。
気づけば犬になっていたこと。
そして本が読めなくて死にかけたこと。

マキシ「へぇ……」

春海『自分で言ってても信じられないんだけどな』

マキシ「まぁ、確かに信じがたい話だけど……。いいわ、信じる」

この人信じちゃったよ。
そんなんじゃそのうち悪い人に騙されちゃうよ?

マキシ「何よ、嘘なの?」

春海『いや、嘘は吐いてないけど……』

マキシ「……ファンの言うことなら、信じるわよ」

春海『……そっか』

マキシ「に、ニヤニヤしないでよ気持ち悪い!」

春海『し、してねぇよ!』

大門「仲良くなったようで何よりだ」

マキシ「仲良くない!」

大門「ところで春海。それじゃあお前はあの事件がどうなったかもまだ知らないのか?」

春海『まぁ、ずっとケージの中にいたからなぁ。犯人捕まった?』

大門「いや……。事件はまだ終わっていない」

背筋が冷たくなるのがわかった。

春海『終わって……ない?』

マキシ「ちょっと待ってて。……これ、事件の日から今日までの新聞よ」バサッ

目の前に十日分の新聞が広げられる。
どの新聞も、一面に強盗殺人事件のことを載せていた。
曰く、『下町を襲った惨劇、狂った果実』。
あ、俺の写真も載ってる。
なんだか照れるな。

マキシ「何バカなこと言ってんのよ、新聞くらいで」

春海『いや、そりゃお前は新聞に載るの慣れてるだろうけどさ……』

大門「例の強盗はお前を撃った後逃亡し、未だ見つかっていないそうだ」

春海『なんだよ、それ……。警察は何やってるんだ』

俺のことはもうどうしようもないが、これ以上誰かが犠牲になったらどうするんだよ。

マキシ「……強盗の名前は中原冬至。今も凶器を持ったままどこかに潜伏中よ」

そういえば、名前すら知らなかった。
これから殺されるやつに名乗る必要なんてねぇ、ってか。
どこかの雑魚みたいな話だ。


新聞には中原の写真も載っていた。
こいつが俺を……
そう考えたら憎たらしいったらねぇな。
今度会ったらギッタンギッタンにしてやる。

マキシ「復讐。したいの?」

マキシが、冷たい声でそう囁いた。
復讐……
そんな大袈裟なことではないけど、ちょっとくらい痛い目を見せてもバチは当たらないだろうとは思う。

マキシ「あなたにできることと言えば……そうね。喉に牙を突き立てるか、爪で切り裂くか。高いところから突き落とすっていうのもありね」

春海『発想が怖ぇよ! 誰も殺すなんて言ってないだろ!?』

このアイドルなんでこんなに物騒なの?

マキシ「やられっぱなしで悔しくないの? 男ならやられてなくてもやり返すくらいの気概を見せなさいよ!」

生憎そんなギリギリイリーガルな弁護士みたいな思考は持ち合わせていないんだよ。

春海『……あれ、そういえば新聞にはお前が現場にいたこと書いてないな。芸能人が事件に巻き込まれたとか喜んで記事にしそうなもんなのに』

大門「あぁ、その辺りは事務所と出版社が総力を上げて秘匿したからな。知ってるのは警察の一部と事務所、出版社の上層部。あとはマキシと親しい人物くらいだ」

春海『まぁ、騒がれて嬉しいようなことでもないもんな』

マキシ「大袈裟なのよ。あたしは別に……」

大門「あの時のお前を見れば誰だって心配する。お前だってあんな姿ファンには見られたくないだろう」

マキシ「……」

何か、あったんだろうか。
いや、あるに決まってるか。
人が死ぬところに居合わせたんだから。
普通の人間なら動揺もするだろう。
俺のせいとは言え、あまり詳しく聞かない方がよさそうだな。


大門「それで晴海、これからどうするつもりなんだ」

春海『どうするって言われてもなぁ……。ここにはいられそうにないし、どこか行けそうな場所を探すよ』

本を読ませてもらった。
だから、もうちょっとだけ戦える。
……ほんのちょっとだけ。

マキシ「で、でもあんたみたいな人間と会話する犬なんて、世間にバレたらどうなるかわかったもんじゃないわよ」

春海『あー……。見世物になるのは嫌だなぁ』

マキシ「……だから、しばらくここにいればいいわ」

春海『え……? いいのか……?』

マキシ「な、何度も言わないわよ!」

大門「家主の許可が下りたんだ。いればいい」

春海『……ありがとう、マキシ』

マキシ「ふんっ! ここであんたを追い出すのは輝いてないな、って思っただけよ!」

だけどどういう心境の変化なんだろう。
犬が苦手なのに、一緒に暮らして大丈夫なのか?

マキシ「大門も言ってたでしょ。リハビリよ、リハビリ」

そのリハビリの過程で俺が一番被害を被りそうなのは気のせいだよね?
落とされたりしないよね?

マキシ「……しないわよ」

春海『ちょっと迷った! 迷ったよこの人!!』

俺の命がマッハでピンチ!

マキシ「それで、何か必要なものはあるの?」

春海『必要なもの?』

マキシ「ここで暮らす上で、よ。何か用意してほしいものがあるなら手配するけど」

春海『な、なんだよ。嫌に優しいな……』

マキシ「うるさい! 人の好意は素直に受け入れなさいって学校で習ったでしょ!」

春海『わ、悪かったよ……。そうだなぁ、必要なものか……』

春海『本、かな』

マキシ「本?」

本さえあればなんとかなる。
むしろ本がないとどうにもならない。
それくらい、俺と本とは切っても切れない関係だ。

マキシ「……そういえば、さっきもやたら本本言ってたわね。まぁ、それなら当てはあるけど」

春海『ほんとか!?』

マキシ「えぇ。ついてきなさい」


無駄に長い廊下に出て、さっきマキシが俺を担いで駆け抜けた時とは別の方向へ歩く。
廊下も長いが部屋も多いな……
金持ちか。
さすが作家とアイドルを掛け持ちしてるだけはある。

マキシ「ほら、ここよ」

マキシの後についてその部屋に入った瞬間、俺は呼吸をするのすら忘れるほどの衝撃を受けた。

リビングらしいその部屋は、先ほどまでいた部屋の二倍はありそうだった。
女の子らしい部屋というか、ピンクを基調にした可愛らしい調度品の数々。
だがそれは別にどうでもいい。
横で「どうでもいいって何よ!!」って声が聞こえたけどぶっちゃけ興味ない。
俺の目を奪ったのはその女の子女の子した空間を浸食するかのように林立する無数の本棚だった。
部屋の半分近くを占領するその本棚は、今の俺には宝の山に見えた。
あ、いや本はいつでも宝物ですけどね。

春海『ほわぁ……! おっほぉ!』ダッ

ダメだ、辛抱たまらん!
奇声をあげながら本棚の中を駆け抜ける。
半端ねぇな!
やんごとねぇよ!
なんだこれ、アハハハハハ!!
やっべぇ超楽しい!!!

……………………
………………
…………

春海『うっぷ……。気持ち悪い』

マキシ「あんたバカじゃないの? 病み上がりってこと忘れてない?」

はい、忘れてました……
でも仕方ないじゃん、こんなの見せられたら。
読書バカにとってのユートピアですよ?

マキシ「大半が執筆の資料に買ったものだけど、好きに読んでいいわよ」

春海『あなたが神か』

マキシ「えぇ、そうよ! この天照マキシ神を崇め奉りなさい!」

春海『ははぁ! 私は神ともあろう方になんという粗相を……』

そしてツッコミがいなくなった。

大門「何をバカなことをやっているんだ」

するとツッコミが現れた。

大門「マキシ、俺はそろそろ社に帰るが、大丈夫だな?」

やっぱりいなくなるらしい。

マキシ「……え、えぇ」

春海『その迷いがすごく不安なんですが神様……』

大門「担当編集兼マネージャーとしては男と二人きりにさせるべきじゃないんだろうが、まぁ晴海なら心配ないだろう。本当に本にしか興味ないようだし、なんといっても犬だからな」

春海『わざわざ犬ってこと強調しなくていいじゃないっすか』

このままじゃ心根まで犬になってしまう。
見た目は子犬、頭脳は大人でいさせてください。


大門「では、俺は失礼する。あとは二人で上手くやってくれ」

マキシ「ま、任せなさい!」

春海『……俺には信じることしかできないよ』

マキシさんが全うな人間であるとね。
さて、それじゃあもうちょっとこの本の山を見て回ろうかな。
そう思って立ち上がろうとした時、ふいに目の前がぐらつく。

春海『うわっ!?』

わー、犬も立ちくらみとかするんだー。
何分急だったものだから上手く踏ん張ることもできず倒れそうになる。

ポフッ

春海『あ、悪い』

その倒れた先にマキシの足があり、偶然支えられる形になった。
いやー、気を付けないとダメだね。
まさかこんなに体が弱っていたとは。
もう一度礼を言おうとマキシを見上げた時、異変に気付いた。
マキシが尋常じゃない冷や汗をかいている。
嫌な予感がした。

マキシ「いっ……」

春海『い……?』

マキシ「嫌ぁぁぁぁぁぁぁ!!!」

まさに電光石火。
目にも止まらぬ速さで俺を持ち上げると、その勢いのままマキシは俺を全力で投擲した。

春海『はぁぁぁ!?』

速い、速いよマキシさん。
あんたその細身のどこにこんな豪速球、もとい豪速犬を投げる力があるんですか。
驚く大門さんの横を通りすぎ、ぐんぐん壁に近づいていく俺の体。
こんにちは、壁さん。
あなたは初めましてだね。

ゴツンッ

春海『ぎゃぁぁぁぁ!!』

痛い! 痛いよ!!
壁にめり込むかと思ったわ!
ど根性ダックスにでもするつもりかよ!

マキシ「なっ、何よ! 急に近付いたあんたが悪いんでしょう!?」

俺は倒れただけなのに……

春海『……大丈夫かなぁ、俺』

こうして、作家と読者のなぜか命の危険に満ちた生活が始まった。


今日はこの辺で

このSSではマキシがイマキュレット新稲葉に住んでる設定になってますが、夏野さんは多分より多くの愚民を呪うためにより高いマンションを探し出してると思います


俺が読書バカなら、秋月マキシは執筆バカである。
それはここ数日マキシの仕事ぶりを見ていてわかった。
朝起きて朝食を食べると執筆用の机に向かい、食事や歌のレッスンなどの時以外はほぼ一日中書き続けている。
まさに執筆の鬼。

春海『……あれ? そういえばお前アイドルの仕事とかいいの? ずっと家にいるけど』

マキシ「えぇ、ちょっとね」

春海『え、辞めたの!?』

マキシ「誰もそんなこと言ってないでしょ! 事件の後、事務所から謹慎……じゃないけどちょっと休むようにって言われてるのよ」

春海『あぁ、なるほど……』

確かにあんなことがあったのだ、すぐに仕事復帰というのも難しいかもしれない。
……その割にはごりごり書いてるけど。
そして俺の体も頻繁に宙を舞っているけど。
俺を投げる元気があるなら歌ってこいよ。
俺も部屋に一人の方が安心して本が読めるんだよ。

マキシ「ヒモのくせに偉そうに」

春海『あぁ、そうですよ! ヒモですよ! なんなら鳴きましょうか? ワンワン!』

マキシ「ひぅっ!」

そして次の瞬間には空中を疾駆して壁と激突する俺。
いい加減慣れてくれよ……
こっちの身がもたないからさ。

マキシ「あ、あたしは悪くないわよ! 急に吠えるあんたが悪いんでしょ!」

吠えなくても投げるじゃないですか。
近づく犬はすべて投げる、全自動迎撃マシーンみたいなマキシさんです。

マキシ「そこにいるのが悪いのよ!」

春海『存在全否定入りましたー』

存在するだけで悪いなんて罪な男だよ、俺も。


マキシ「……まぁいいわ。お昼にしましょ」

春海『ん、もうそんな時間か』

なんだかんだ言って俺の分の食事も用意してくれる辺り、マキシもいいやつだよな。
これで人のこと投げなければ完璧なんだがなぁ。
人っていうか俺犬だけど。
でも犬だから投げてもいいってことでもないと思うんだ。
一切衆生、皆兄弟じゃないか。

マキシ「もう! しつこいわよ!」

春海『へいへい、すみませんね』

ヒモはヒモらしく、おとなしく本でも読んでいます。

マキシ「全く……」

キッチンに入っていったマキシを見届け、俺も読書に戻る。
どれ、今日は秋山忍の本を読もうかな。
マキシのやつ、資料だって言ってた割には秋山忍の著作やたら持ってるからな。
ファンなんだろうか。

マキシ「ち、違うわよ! あたしは敵情視察のために!」

キッチンの中からマキシが叫ぶ。
敵情視察て……
確かに、現在文壇は三人の人気作家によって回っていると言われている。
“文壇を切り裂く黒い刃”、秋山忍。
“深淵の向こう側”、姫萩紅葉。
そして“シャイニングビューティー”、我らが秋月マキシ。
いずれも劣らぬ素晴らしい作家たちだ。
そういや姫萩紅葉の本もたくさんあったな。
本棚の一角に秋山忍と姫萩紅葉の本が平積みにされているスペースがある。
平積みって書店か。
なんで何十冊も同じ本が置いてあるんだよ。
保存用、観賞用、読書用、etc.か?
なら仕方ない、俺もやってたからな。
やってたのかよ。

マキシ「I love you! もっと魔法かけちゃえ~♪」

料理をしながら歌うマキシの声が聞こえてくる。
あれ、これってアイドル秋月マキシのファンからしたらめちゃくちゃ羨ましい状況なんじゃね?
マキシのライブ以外の生歌とかめったに聴けるようなもんじゃないだろうし。
もしかして俺って今すごい役得?
まぁ、毎日投げられてるんだから、これくらいの役得はあってもいいだろう。

春海『……やっぱりマキシの本を読もうかな』

マキシの歌をBGMにマキシの本を読むってのもオツなものだよね。


春海『ふぅ……』

昼食を食べ終わり、一息吐く。
マキシが新作のネタのためにとか言って、トマトの植木やら花瓶に生けられた薔薇やらを出してきた時はどうなるものかと思ったけど、ちゃんと食べて飲みました。
意外に旨かったのがむかつく。
しかし……

花瓶、か。

こうして目の前に置かれると、どうしても墓前やら教室の机やらに置かれた手向けの花を連想してしまう。
俺もこうして花を供えられたりしているのだろうか。
死んだ……、死んでしまった晴海和人への手向けとして……

パリーンッ

晴海『な、なんだ!?』

キッチンの方から聞こえた。
マキシが食器でも割ったのか?
おいおい、大丈夫か……?
心配になってキッチンまでやってくると、犬の嗅覚をツンと刺激する血の匂い。
まさか、ケガしたのか。
アイドルなんて体が資本だろうに、気をつけなきゃダメだろ。

春海『マキシ? 大丈夫か?』

声をかけて見上げると、真っ青な顔のマキシが目に入った。

春海『ど、どうした!? そんなに大怪我なのか!?』ワンッ

俺の鳴き声にも反応せず、ただ茫然自失といった様子のマキシ。
目が虚ろで、焦点も定まっていないように見える。

春海『待ってろ、今救急箱を……ってうわっ!?』

走りだそうとした俺の体をマキシが強く掴んだ。
犬が苦手なマキシが自分から俺に触るのなんて投げる時くらいだ。
反射的に体を強ばらせると、マキシが震える声で呟いた。

マキシ「こんなの、大したケガじゃない……」

マキシ「あんたの……、あんたのケガに比べたら……! あんなに血が出て!」

春海『おい、何言ってるんだ! 俺はケガなんかしてない! しっかりしろ!』

マキシ「っ!」

マキシ「ごめん……なさい」

今度はごめんなさいかよ……
な、なんか怖いんだけど。

マキシ「ごめんなさい……! あたしの、
あたしのせい……!」

いや、そりゃ食器割ったのはお前のせいだろうけど、そんなに深刻になることでもないだろ。
お前はお菊さんかよ、化けてでるなよ。
俺が言うのもなんだけど。

マキシ「……!」ハッ

マキシ「あ、あはは……、あたしってば何を……って嫌ぁっ!?」

刹那、空中に投げ飛ばされる。
あれー?
俺の記憶が正しければ、触ってきたのはマキシの方じゃなかったっけー?
勢いそのまま壁にどんっ!
意識もどんっ!
という訳でまた次回、お会いしましょう。


……………………
………………
…………

マキシ「ねぇ。あんたって犬よね」

春海『その通りだけど、もうちょっと言い方ってものがあるんじゃないかな』

真実は得てして人を傷付けるものなんだよ?

マキシ「犬のくせに一日中部屋でゴロゴロ読書ばっかりしてていいの? 体動かした方がいいんじゃない?」

春海『犬が皆が皆庭駆け回ると思うなよ』

中にはインドア派な犬だっているかもしれないだろ。
俺とか。

マキシ「引きこもりなんてあたしが見てて嫌なのよ。全然輝いてないわ。ちょうどあたしもダンスの練習があるし、ちょっと運動しましょう!」

えぇー。
やだなー。
どうせなら本を読んで頭の運動したいー。

マキシ「運動しないと家の本全部捨てるわよ」

春海『よし行こう! すぐ行こう! ほら何してんだ行くぞ!』

マキシ「あんたってほんと単純ねぇ……」

うるせぇ。


……で、マキシに言われるがまま連れてこられた訳だけど。

マキシ「……こんにちは、宗像さん」

宗像「ハハハ、こんにちは! 山田くーん! 今日もマッスルしてるかーい?」ムキッ

「キレてまーす!」「ナイスポーズ!」「おおきーい!」

春海『暑苦しいやつらだな、おい! なんかここだけ5度くらい暑い気がするんだけど!?』

春海『……って、ん? 山田?』

今こいつマキシのこと山田って呼ばなかったか?

マキシ「わ、わーっ! ぎ、偽名よ偽名! 秋月マキシで部屋を買ったら大騒ぎになるでしょ!」

春海『へぇー、なるほどな。てっきり秋月マキシがペンネームで山田が本名なのかと思ったよ』

マキシ「ギクッ」

……こいつ口で「ギクッ」って言いやがった。
そんなやつ初めて見たよ、ほんとにいるんだな。

宗像「んー? どうしたんだい、山田牧子くーん! マッスルしようよ!」ムキッ

「キレてまーす!」「ナイスポーズ!」「おおきーい!」

はいフルネーム出ました。
あっさりフルネーム出ましたよ。

春海『俺も山田さんとか牧子さんって呼んだ方がいいか?』

マキシ「そっ……! その名前で……呼ぶなぁっ!!」

春海『おわっ!?』

持ち上げられる俺。
振りかぶられる俺。
また投げられる俺。
これもう完全に私怨による攻撃ですよね。
ついに正当防衛という盾を捨て去ったな!?
そして投げ飛ばされた先には筋肉達磨が。

ベチャッ

宗像「ハハハ、犬くん! そんなに僕の大胸筋が気になるのかーい?」ムキッ

「キレてまーす!」「ナイスポーズ!」「おおきーい!」

春海『うわぁぁぁぁぁぁ!! ベチャッて! ベチャッていった!! 何!? 何の音!?』

汗か!?
汗なのか!?

マキシ「はぁ……。失敗だったわ……。連れてくるんじゃなかった」

春海『脅しておいてひどい言い種だな!』

今回ばかりは俺裁判でも勝てると思う。
正義は我が手にあり。


マキシ「宗像さん、いつものをお願いしたいんですが」

宗像「いつものだね? OK! じゃあ早速準備してくるよ!」ムキッ

「キレてまーす!」「ナイスポーズ!」「おおきーい!」

春海『いつものってのは?』

マキシ「あの暑苦しい人にダンスのレッスンつけてもらってるのよ」

春海『ふーん……』

……え?

春海『えぇぇぇぇぇぇ!? あれに!? いや初対面だけど、あれに!?』

マキシ「あの人、ああ見えて右に出る者がいないくらいスポーツ全般に精通してるのよ。元々専属の振り付け師もいたんだけど、宗像さんの方が上手いから依頼するようになったの」

春海『振り付けも!?』

嘘だろ……
秋月マキシのダンスを考えたのがあいつ……?
ダメだ、こんな残酷な事実ファンの方々には教えられない!

宗像「山田くーん! 準備できたよー!」ムキッ

「キレてまーす!」「ナイスポーズ!」「おおきーい!」

マキシ「じゃ、行ってくるから。あんたもちゃんと運動しておきなさいよ」

春海『運動っつっても、ここ人間用のジムだろ?』

マキシ「ペット用のトレーニング器機も完備してあるから、逃げられないわよ」

ちっ。
結局やらなきゃならないのか……

マキシ「この犬のトレーニングお願いしまーす」

ジムのインストラクターにも根回しする抜け目のないマキシ。
仕方ない、腹をくくろう。
一汗かいた後の読書ってのもいいものだからな。


数十分後、息も絶え絶えなミニチュアダックスの姿がそこにあった。
というか俺だった。
犬用のルームランナーをしていたのだが、これが予想以上に辛い。
全身の筋肉が悲鳴をあげている。
慣れないことはやるもんじゃねぇな……

マキシ「情けないわねぇ」

春海『だから言っただろ、インドア派だって』

ていうかいつからいたんだよ。
レッスンはどうした。

マキシ「ちょっと休憩中よ。なんだか調子が出なくて」

春海『調子が出ないねぇ……。やっぱり大勢の観衆の前じゃないとやる気が出ないとかそういう感じなのか?』

マキシ「まぁ、確かにファンの前の方がより良いパフォーマンスができるのは間違いないけど……。レッスンはまた別よ」

春海『そんなもんなのか。……しかし、あの筋肉の塊みたいなやつがアイドルのフリフリしたダンス踊ってんのかぁ。全然想像つかねぇ』

マキシ「そう? たまにダンスを完コピした映像送ってきてくれるファンがいるんだけどね、その中にもまるっとした人とかムキッとした人はいるわよ」

まるっとかムキッとか、どの方面に配慮した言い方なんだろう。

春海『へぇ。完コピってあれだろ? PVのダンスとか完璧にトレースするやつ』

マキシ「えぇ。ああいうのって結構嬉しいのよね。何度も何度も繰り返し見てくれたってことだし」

春海『お前くらいになると真似する人はたくさんいるだろ。全員が全員完璧じゃなくてもさ』

マキシ「そうね……。でも、あたしのダンスって難易度高いらしくて、一曲ならともかく何曲も覚えてくれる人って少ないのよね」

春海『その難易度の高いダンスをあいつが考えてると思うと複雑な気分だ……』

宗像「おーい、山田くーん!」ムキッ

「キレてまーす!」「ナイスポーズ!」「おおきーい!」

春海『噂をすれば暑苦しいのが来やがった』

マキシ「あ、レッスンの続きですか?」

宗像「うーん。それなんだけどねぇ。どうもいつものキレがないから、今日はもう休んだらどうだい?」ムキッ

マキシ「だ、大丈夫です!」

宗像「でもねぇ……。山田くん風に言うと輝きが足りないというのかな。気分の乗らない中で踊っても楽しくないだろう?」ムキッ

マキシ「あ……」

春海『真面目な話してるっぽいのに、いちいちボディビルのポーズとるから全然緊迫感が伝わってこない』

というかこのポーズとりたがる癖マキシに似てるな。
だからマキシ好みのダンスも考えられるのか?

宗像「とにかく、今日はここまでにしよう。次までには、普段の輝きを取り戻しておいてくれよ?」ムキッ

マキシ「……はい」

俯くマキシには、確かにいつもテレビで見ていたような元気溌剌な輝きは感じられなかった。


マキシ「はぁ……。あんたを運動に誘っておいてあたしがこれじゃ、立場ないわね」

春海『仕方ないだろ。お前も自分で調子が出ないって言ってたじゃないか』

マキシ「それはそうなんだけど……。はぁ」

春海『もう、ため息ばっかり!』

マキシ「うるさい! ……もういいわ。宗像さんが言うなら仕方ないし……」

マキシ「ちょっと待ってなさい。最後にあれ買ってくるから」

春海『あれ……?』

この後読む本を脳内でピックアップしていると、マキシが真っ黒な液体の入ったペットボトルを手に戻ってきた。

春海『うげ……。なんだよ、それ。イカスミ?』

マキシ「特製ドリンクよ。結構おいしいんだから。飲んでみる?」

目の前に突き出されるペットボトル。
犬が飲んで大丈夫なのか?
いや、飲めたとしても飲みたくはないけど。
初めて見るマークの入ったラベルが貼ってある。
ボディビルのポーズだろうか。

マキシ「製作、監修宗像さんらしいわ」

春海『じゃあそのラベルのマッチョ、あいつかよ……』

自己主張激しいな、おい。

マキシ「あの人、このマークを自分のタオルとか財布にも貼りつけてるのよ」

財布……?
あ、財布!
すっかり忘れてた!

マキシ「何よ、財布がどうかしたの?」

春海『財布落としちゃったんだよ』

マキシ「いつの話?」

春海『……事件のあった日』

そう言った時、マキシが眉を潜めた気がした。

春海『大事なものが入ってるんだよ。もう誰か拾っちゃったかな……』

マキシ「……お金は入っていたの?」

春海『いや。本買った後だったし』

マキシ「クレジットカードは?」

春海『持ってない』

マキシ「家の鍵は入っていたの?」

春海『あー、入ってたな。住谷荘の101号の鍵が』

取り調べみたいな口調で質問してくるマキシ。

マキシ「家の住所がわかるようなものは?」

春海『……学生証に書いてる、かな?』

マキシ「そう……」

そこまで聞くと、何かを考えるような仕草をして固まってしまった。
な、なんだよ……
変なこと言ったか……?

マキシ「……大丈夫でしょ、きっと。誰もそんな貧乏臭い財布なんて拾わないわよ」

貧乏臭くて悪かったな!


……………………
………………
…………

春海『……痛たたたた!!』

その日の夜。
全身に走る激痛に目が覚めた。
筋肉痛?
筋肉痛なの、これ?
痛い痛いヤバい。
全く動けない。
くそ、こんなところで死ぬくらいなら視線でマキシに呪いを……

マキシ「……えぇ。被害者の財布よ……、……そう、ありがとう……」

マキシの声が聞こえた。
どうやら電話をしているらしい。
まだ起きてたのか。
夜更かしはお肌の天敵じゃないのか?

マキシ「……住所、102号? 嘘、そんなはず……、そっか、分かったわ」

話し声が途切れ途切れ聞こえてくる。
盗み聞きするつもりはないんだけど、なにせ耳を塞ぐこともできない。
真剣な様子で何か話し合っているようだ。

マキシ「……、…………、なるほど、そういうことだったのね……」

相手は大門さんか?
新作の打ち合わせだったらどうしよう。
聞きたいけど聞きたくない!

マキシ「ちょっと! 人の電話に聞き耳立てるなんていい度胸じゃない!」

ひぃっ、気づかれた!

春海『き、聞いてないよ! 大門さんとの打ち合わせとか何も聞いてないから!』

マキシ「……? 本当に聞いてないようね……」

春海『そう、そうだよ。だから無罪放免でいいよね?』

マキシ「……まぁいいわ。早く寝なさいよ」

春海『お前は俺のかーちゃんか……。お前もあんまり遅くまで起きてるとお肌が荒れるぞ』

マキシ「なっ! 余計なお世話よ!!」

プリプリ怒りながら寝室に戻っていくマキシを見送る。
そういえば、筋肉痛も若干おさまってきた。
よし、これならもうちょっと待てば眠れそうだな。
痛みが完全に引くまで本を読むとしよう、そうしよう。
そう思って枕元に置いてあるはずの本を取ろうと寝返りをうつ。
次の瞬間、さっきより鋭い激痛が走った。

春海『ぎゃぁぁぁぁぁぁ!!』

結局、その後も俺が眠りにつくことはなかったのだった。


……………………
………………
…………

マキシ「昨夜は遅くまで騒いでいたみたいだけど、一体なんだったのよ」

春海『筋肉痛だよ。誰かさんのおかげでな!』

マキシ「あんたが運動音痴なのをあたしのせいにしないでくれる?」

春海『俺は嫌だってちゃんと言ったのに……』

マキシ「そもそもあんたが引きこもってなかったら連れて行きはしなかったわよ」

春海『じゃあ運動不足にならないように散歩にでも連れていってくれよ』

まぁ犬嫌いのお前には無理だろうけどな!
だから諦めるがいいさ!

マキシ「……そうね。行きましょうか」

春海『そうだろうそうだろう。やっぱり無理……え?』

マキシ「思い立ったが吉日ね! さぁ、今から行くわよ!」

春海『えっ? えっ?』

何を言っているの?

マキシ「散歩よ散歩! あんたが言い出したんでしょ! 来ないなら首輪付けるわよ!」

春海『やめろ! 俺は犬じゃねぇ! 犬だけど!』

マキシ「なら早く来なさい! いいところに連れていってあげるから!」

いいところってどこだよ……
なんか不安なんだけど

マキシ「別に変な場所じゃないわよ」

春海『俺だって変な場所を期待してた訳じゃねぇよ』

だが、マキシが口にした行き先は本当に変な場所などではなく。
むしろ俺にとっては馴染みの深い場所だった。

マキシ「じゃあ行きましょうか。あんたが生前暮らしてた住谷荘へ」


今日はこの辺で

レスありがとうございます


マンションから出る。
外から見ると本当にデカいな……
イマキュレット新稲葉。
新稲葉駅の北東に位置する高級マンションだ。
俺も生前幾度となく目にしたことがある。
ここの最上階から落とされそうになったんだなぁ……
やっぱマキシさんってばどっかおかしいよね。
製造途中に高いところから落ちてネジが二、三本抜けたんじゃないの?

マキシ「黒服! 集合!」

「「「YES!! マキシ様の言う通り!!」」」ザッ

マキシ「いい? ヒソヒソヒソヒソ……」

「「「YES!! マキシ様の言う通り!!」」」

……さっきから黒服とやらを集めてなんか内緒話してるし。
めちゃくちゃ怪しいんだよ、お前ら。
だいたいなんでこの真夏にそんな真っ黒な格好してんの?
宗像さんとはまた別の暑苦しさがあるんだけど。

マキシ「で、最後は中庭に追い込むから、あんたたちはそこで待機して取り押さえるのよ!」

「「「YES!! マキシ様の言う通り!!」」」

追い込むとか取り押さえるとか物騒だな、おい。
まさか俺を処刑するための作戦会議じゃないよね?

「マキシ様、ご所望のものです」スッ

一通り話が終わったところで、黒服の一人がマキシに何かを差し出す。
俺の位置からははっきり見えないが……

マキシ「ありがと。よくやってくれたわ」

「YES!! マキシ様の言う通り!!」

万能なんだな、その返事。

マキシ「ほら、行くわよ!」

黒服どもとは正反対に、白の帽子に白のメガネ、白のコート、白のミニスカート、さらには白のブーツに白い日傘と徹底的に真っ白なマキシさんが俺を呼ぶ。
漂白剤みたいな驚きの白さ。
白がゲシュタルト崩壊起こしそうだ。

マキシ「なんか失礼なこと考えなかった?」

春海『いいえ、アタックマキシさん』

マキシ「やっぱり考えてたんじゃない! 投げるわよ!」

投げるって普通脅しに使う文句じゃないよね。
まぁ、この人は本当に投げるんだけどさ。


マキシ「ともかく、早く行きましょう」

春海『行くって……』

マキシ「晴海和人の住んでいた家、住谷荘へよ」

俺の住んでた家……か。

春海『行ってみたいな……』

マキシ「決まりね! 行ってみましょう!」

春海『あ、でももう引き払われてるかもなぁ。俺死んでるし……』

マキシ「……」

俺は……晴海和人はここにいて、本も読める。
だが、実際には俺は死んだことになっている。
自分の死というものが、未だに実感できない。
俺は死んだ。
そのことは理解しているし納得もした。
なのに、実感が伴っていない。

春海『俺、死んだんだよな』

マキシ「……そうね。死んだわ。八つ裂きになって死んだ」

八つ裂きにはなってないと思うんだけど。
切り裂きジャックにでもやられたのか?
俺男なのに。

春海『そっか、俺は死んだんだな……』

他人の口から告げられることで、不思議とすっきりした。
晴海和人は死んだのだ。
もう、終わった。
だけど、そうなると今の俺は何なのだろうか。
変わらず本を読んでいる、この晴海和人のような何かは。

春海『……まぁ、考えても仕方がないか』

俺が何であろうと、本を読むのに変わりはない。
ならもう、難しいことは考えないで前に進もう。

マキシ「そんな適当でいいの?」

春海『いいんだよ。悩んだところで元に戻る訳でもなし』

本が読める。
それでいいじゃないか。
それだけで、十分幸せだ。

春海『あー、でもそうなると晴海和人って名乗るのも変かな……』

マキシ「あたしが新しい輝く名前をつけてあげようか?」

春海『……遠慮します』

輝く名前って不安しかないわ。
今流行りのキラキラネームとか死んでもゴメンだからな。

マキシ「そうねぇ……。ポチとか」

春海『普通! 何一つ輝く要素が見当たらないんだけど!?』

マキシ「墓地とか」

春海『死んだ!! そして輝きも失った!!』

マキシ「オチとか」

春海『確かにある意味一番輝く時だけど! なんか違うだろ!!』

マキシ「……」

春海『……』

この話のオチはどこだよ!?

マキシと街を練り歩く。
変装しているから秋月マキシとは気づかれていないようだが、その代わり全力で奇っ怪な存在になってしまっているのでさっきから注目されまくってる。
黒服も後からぞろぞろついてきてるし。
俺もこいつらの一員だと思われるの嫌だなぁ……

マキシ「残念でした。あんたもすでに黒服のメンバーに含まれてるわよ」

春海『マジで!? 本人の意志は!?』

俺の知らない間におかしな団体に入会させられていた。
最近俺の人権、いや犬権が著しく侵害されてる気がするぞ。

マキシ「恨むなら黒っぽい犬に生まれ変わった自分を恨みなさい」

春海『基準そこかよ! しかも俺そんなに黒くないし!!』

どちらかというと茶色だろ!

マキシ「この世の全ては白か黒か、つまり秋月マキシか秋月マキシに非ずかの二つに一つなのよ」

春海『それは暴君の発想だ!』

マキシ「マキシに非ずんば人に非ず」

春海『天下でもとったのか、お前は』

アイドル界の天下はとってるかもしれんが。

しばらく歩くと、馴染み深い看板が見えてきた。
本田書店。
人間だった頃、あしげく通っていた本屋だ。
俺の新稲葉での読書生活はこの店によって支えられていた。
……まぁ、この店の経営もかなりの部分を俺が支えていたと自負しているけれど。
オッチャン、元気にしてるかなぁ。

マキシ「行き付けの店? 犬連れだと入りづらいわね」

春海『いいよ、入らなくても』

入ったところで、本は買えない。
本が読めても、本を買うことはできないのは少し、つらい。

春海『ほら、行こうぜ。いつまでもここでこうしてる訳にも……』

その時、裏口から店の中がチラッと見えた。
胸の痛みが一層強くなる。
そこには、俺の写真が飾ってあった。
写真が趣味だったオッチャンに頼まれて、一度だけ撮ったやつだ。
オッチャンも悲しませてしまったんだろうか。
胸が、チクチクと痛む。

マキシ「……大丈夫?」

気づけば、マキシが心配そうに俺の顔を覗き込んでいた。

春海『大丈夫、だよ』

進むと決めたじゃないか。
なのにさっそく心配かけてちゃ世話ねぇよな。

春海『あー、ほら。本を買うにもポイントカードがないし!』

あれなしに本田書店に行くなんて、ポケモンも持たず草むらに入るようなものである。

マキシ「あんたの財布、ポイントカードも入ってたのね」

春海『あぁ。俺の魂だ』

拾った人にはぜひあれだけでも返して欲しいものだ。
それ以外はあげるよ。
どうせ今の俺には使えないし。

マキシ「ポイントカードも使えないじゃない」

春海『バカ野郎! 拾った人がポイント使って買い物したらどうするんだ! オッチャンとこみたいな個人営業の店でポイントを使うのは売上に直にダメージを与えるんだぞ!!』

そうなったら鉄拳制裁を食らうのはオッチャンなんだからな!

マキシ「……呆れた。いいお客様ね、あんた」

自分でもわかってるよ。


……………………
………………
…………

マキシ「……ここね」

そして、俺たちは住谷荘の前に立つ。
何日ぶりだろうか。
ついこの前まで、俺はここに住んでいたのだ。

春海『じゃ、101号に……』

マキシ「先に102号を見てみない? ご両親にはこっちに住んでるって言ってるんでしょ?」

春海『そうだけど……。そんなこと話したっけ?』

マキシ「……えぇ。それにあたしはあんたの心が読めるんだからね?」

春海『そういやそうでしたね……』

忌まわしいことにね。

春海『入るのはいいんだけど、鍵かかってるんじゃねぇの?』

マキシ「それなら問題ないわ。あたしが鍵を持ってるから」

春海『なんで!? 普通持ってちゃいけないよね!?』

マキシ「安心しなさい、もらっただけだから」

春海『全く安心できませんけど!? お前に渡したやつ呼んでこい! 噛みついてやる!』

マキシ「黒服の中にこの事件担当の刑事がいてね。そこからだから大丈夫よ」

春海『どんどん大丈夫じゃなくなってるわ!! 何してんだよ警察!!』

まさかさっき渡してたやつか!?
アイドルに鍵渡してる暇あるなら犯人捕まえろよ!

マキシ「じゃ、入るわよ」ガチャッ

春海『本当に持ってるし!!』

俺の中での信用がストップ安ですよ、お巡りさん!


春海『……ただいま』

晴海和人の部屋。
俺の居場所。
今でも変わらず、俺を受け入れてくれてるようで。
ただ、少し埃っぽくなったか。

マキシ「本当に本ばっかりね」

春海『本以外に何がいると言うのか』

いや、何もいるまい。
反語。

マキシ「よくこんな余裕のない部屋で生活できたわね」

春海『実際に暮らしてたのは隣の部屋だけどな』

マキシ「どうせ似たようなもんなんでしょ」

返す言葉もございません。

マキシ「……あら。何よ、本以外の物もあるじゃない」

そう言って、マキシがニヤニヤと笑う。
その手には秋月マキシのシングルCDがあった。

春海『……そりゃ、好きな作家が歌ってるっていうなら買ってみたくもなるだろ』

マキシ「ふーん? へぇー?」

だからその嫌らしい顔を止めろ!

マキシ「『IDOL-BUSTER』、『チョコレート・ウォーズ』、こっちは『レモネイドスキャンダル』? あらあら、お得意様みたいね。アイドル事情には疎いとか言ってたくせに」

春海『……あぁ、そうだよ! お前の歌も大好きだよ! なんなら101号にはお前のアルバムとかライブのブルーレイも置いてあるよ! なんか文句あるか!?』

マキシ「べっつにー?」

春海『ったく……ん?』

視界の端に、この部屋にあるはずのないものが映った。
何日か分の新聞が積んであったのだ。
新聞はまとめて103号に置いてあるはず……
不審に思って確認してみると、その一面にはこの数日何度も目にした文言が踊っていた。

『喫茶店強盗、今なお逃亡中』


なんで、事件のことが載ってる新聞が俺の部屋に……?
だって、その事件の被害者は……

マキシ「ヒントは、はじめからあったのよ」

耳元でマキシが囁く。
いつかも聞いた、凍りつくような冷たく鋭い声。

マキシ「白昼堂々強盗殺人なんて犯しておいて、こんなに長く逃げ続けられるのがそもそもおかしい」

捲し立てるように語るマキシ。
何……を、言っているんだ?

マキシ「わからない? あんたを殺した、中原冬至の話よ」

春海『……っ!』

マキシ「どこかへ高跳びした? でも、動けばそれだけ人目に付く。このご時世全く目撃されずに逃げ続けるなんて不可能よ」

マキシ「どこかに隠れた? 仲間もいなかったでしょうに、誰が匿ってくれる? それとも警察も知らない廃墟や誰も住んでない家にでも隠れた? 映画じゃあるまいし、そんな場所なんてそうそうないわ」

マキシ「じゃあ、誰かが住んでいる家は? 誰かが住んでいて、なおかつその住人が帰ってこないとわかっている家は?」

春海『バカな、そんな都合のいい家が……』

マキシ「あったのよ。少なくとも一つ、この新稲葉に」

マキシ「事件で死んだ、被害者の家よ」

春海『あ……』

マキシ「被害者が現場付近で落とした財布を拾った犯人は、その中に入っていた鍵と学生証ですぐさま被害者の家に逃げ込んだ。その家の住人が永遠に帰ってこないとわかっているのだから」

マキシ「でも被害者の家といえど誰も来ないとは限らない。遺族が来るかもしれないしそれこそ警察が捜査に入るかもしれない」

マキシ「だけど、結局そのどちらも訪れることはなかった。いえ、正確には来たんでしょうね。犯人の隠れる101号ではなく、この102号に」

マキシ「犯人も怪訝に思ったでしょうけど、学生証の住所と鍵をよくよく見比べればすぐわかったはずよ。晴海和人は102号に住んでいるということになっていたのだと」

春海『ま、待てよ……! 俺が101号に移ってたことなんて大家さんに聞けばすぐわかることだろ! だったら隣も警察が調べてるんじゃないのか!?』

マキシ「そうね。警察もそのことは知ってるかもしれない。でもだからなんだというの? 警察の仕事は被害者の家を引っ掻き回すことじゃなく、犯人を捕まえること。事件現場でもない限りそう何度も来たりはしないわよ」

春海『でも犯人がいる可能性があるなら……!』

マキシ「警察はあんたが財布を落としたことを知らなかったわ。残念ながらね。だからここに犯人が隠れている可能性なんて考えてもいなかったみたいよ」

マキシ「一応警察にもこの話はしたけど、あたし一人の妄想を垂れ流したところですぐに警察が動くとも思えないしね。捜査に来るのはもう少し先じゃないかしら」


春海『……じゃあ、なんで俺をここに連れてきた。警察が来るのを……』

マキシ「復讐」

春海『っ!』

マキシ「したいでしょう?」

復……讐?
何を言って……

マキシ「憎いでしょう? 憎くないはずがないわ」

マキシ「これは中原冬至の話」

マキシ「あんたを、晴海和人を殺した男の話よ」

本来、殺されてしまえばそれで全ておしまいだ。
どれだけ相手が憎くとも、自らの手で復讐することは決して叶わない。
だが、何の因果か俺はこうしてここにいる。
自分を殺した相手に復讐するチャンスを手に入れた。
正しい行為ではないかもしれない。
それでも、その行為を誰も責めることはできないだろう。

俺はどうしたい?
喉が乾く。
上手く言葉が出てこない。
俺は……

春海『……きっ……!』

ガタンッ!

その時、誰もいないはずの隣の部屋から何かの物音がした。
それは、俺が最も聞きたくなくて。
マキシが最も聞きたかった音だろう。

マキシ「……ビンゴ、ね」

マキシ「中原を捕まえるわよ」

春海『は……?』

マキシ「あたしと黒服たちが裏に回って待ち伏せるから、あんたは玄関の方から中原を中庭に追い込みなさい。落とし前を、つけるのよ」

そう言ってマキシは窓から中庭へ出ていってしまう。
そんな、本気で言っているのか……?
だが、確かに凶悪な殺人犯をこのまま野放しにしておく訳にもいかない。

春海『……くそっ! やるしかないのか!』

言われた通りに101号の扉の前に立つ。
ここに、あいつが……
覚悟を決めろ! 晴海和人!
後ろ足に力を込める。

春海『こなくそっ!』ダンッ

そして、扉へとタックルした。
いってぇなこれ!
だが休んでいる暇はない。
もう一度、体当たりをしかけるために力を込め直す。
その時だった。

ガチャ

中原「……」

101号のドアが開き、中からあいつが現れる。
中原冬至。
俺を殺した男。

春海『あ……』

いざこうして向かい合うと、体が動かなくなってしまった。
かつての俺はこいつに殺された。
今の俺ならば、銃などなくとももっと簡単に殺されてしまうに違いない。
だが……

中原「お前は……晴海和人なのか?」

春海『え……?』

中原「……すまなかった」ダッ

中原は、ただそう言い残して走り去った。
俺の正体に気づいていた……?
まさか、そんなはず……

マキシ「和人!!」

混乱する俺をマキシの声が現実に引き戻した。

マキシ「逃げたのね!? 追うわよ!!」ダッ

中原が逃げた方向に、マキシも走り出す。
そうだ……、あいつが何故謝ったのか、それを知るためにも今は追いかけるしかない。

春海『……よし!』

二人を追いかけ始める。
黒服たちもそれぞれ後を追っているようだった。

……………………
………………
…………

だが、走りはじめて十分ほどが経ったとき異変は起こった。

「くっ……炎天下、ずっと外で待たされていたから……!」バタッ

「スーツが暑い……、だがこれは黒服の誇……り……!」バタッ

「YES……! マキシ様……の……」バタッ

黒服たちが次々とダウンしていったのだ。

春海『だから言ったじゃないですかぁ!!』

肝心なときに役に立たねぇやつらだな!!


俺が追い付いた時、マキシと中原は陸橋の中程で相対していた。

マキシ「いい加減諦めなさい、人殺し」

中原「秋月マキシ……。そうか、あの時の白女はお前だったのか」

マキシ「覚えていてもらえたようでありがたい限りだわ」

中原「忘れる訳がない……」

ちらりと、俺を見る中原。
やはり俺に気づいている……?

中原「まだ、捕まる訳にはいかない……!」

中原は何かを決意したかのように強い光をその目に湛えている。
なんだ、これは。
何かがおかしい。
新聞で見た限り、中原とはドラッグに溺れ過去にすがり続ける弱い人間だったはずだ。
だというのに、今の中原には太い芯が通っているように見える。
想像と現実の中原像がぶれる。

マキシ「ふん。知ったこっちゃないわよ。年貢の……納め時よ!」ダッ

俺の迷いを断ち切るように、マキシが先にしかけた。
並外れた瞬発力で助走をつけた掌底が中原の胸部に迫る。

中原「~~~~♪」

だが、その瞬間中原が奇妙な挙動を見せる。
何かを口ずさみながら、その場で踊り始めたのだ。

春海『これは……!』

中原「I love you! もっと魔法かけちゃえ~!」バッ

振り付けの一環で突き出された右手がマキシの攻撃を弾く。

マキシ「『マジカル☆ラブ』……!?」

中原が歌い、踊り出したのは秋月マキシのシングル、『マジカル☆ラブ』だった。

中原「乙女いーろのー、マジカル☆ラブです!」

次いで、中原の反撃が始まる。
ダンスの手振りが攻撃に繋がり、ステップが回避に繋がる。
まさに攻防一体。
だが。

マキシ「舐められたものね。あたしが、自分の曲の振り付けを把握していないとでも思っているの!?」

マキシは中原の攻撃を全て避けてみせた。
なんということはない。
マキシには、次に中原がとる動きが手にとるようにわかるのだ。
己の頭の中に、その動きがそっくりそのままインプットされているのだから。


春海『勝負あったか……?』

中原「好きすぎてマジカルー!」

マキシ「もらった!!」バッ

『マジカル☆ラブ』のサビの終わり。
そこに、一瞬動きを止める決めポーズがある。
マキシがその隙を逃すはずもなく、中原の顔面めがけてハイキックを放つ。

中原「ーーーー♪」

だが、その時中原の口ずさんでいる歌の曲調が変わっていることに気がついた。

ヒュッ!

カウンターで繰り出された拳がマキシをふき飛ばす。

マキシ「がっ!?」

春海『マキシ!!』

マキシ「黙って、見てなさい!」

駆け寄ろうとした俺を制するようにマキシが叫んだ。
咄嗟にガードしたらしく、右腕を痛そうに押さえている。

マキシ「驚いたわね……。これは『チョコレート・ウォーズ』?」

春海『まさか……。メドレー……、だと?』

そう。
今中原がやってみせたのは曲から曲へ、途切れることなく繋げるメドレー。
しかもダンスをも違和感なく繋げてみせたのだ。

中原「まだ捕まる訳にはいかない! 秋月マキシの歌を全て聴くまでは!!」

……あぁ。
わかった、わかってしまった。
きっと、中原は俺の部屋でマキシの歌を聴いたのだ。
マキシの持つ力は本だけではない。
その希代の歌声も、紛れもなく人を変えることのできる大きな力だ。
マキシの歌は輝きに満ちている。
愛を、夢を、希望を歌っている。
それは、どん底にまで堕ちた中原に愛をもたらし、夢を与え、希望を取り戻させた。
中原は、マキシの歌によって生まれ変わったのだ。

殺した者と殺された者。
その両極端にいるはずの二者が、『秋月マキシを愛している』という一点において繋がった。
きっかけは違えど、愛するものは同じ。
媒体は違えど、受け取ったものは同じ。
俺たちは、似た者同士だ。


マキシ「こんな時じゃなきゃ褒めてあげたいところなんだけど……!」バッ

中原「ーーーー♪」

マキシは再び中原に食らいつく。
曲が変わったからといって、マキシのアドバンテージは変わらない。
『チョコレート・ウォーズ』の振り付けもまた、マキシの十八番なのだから。

マキシ「メドレーというのなら、サビの前後にさえ気をつければ……!」

確かに、多くの場合メドレーとはサビとサビや、サビとイントロを繋いだりするものだ。
ならば起点となるサビ部分に注意を払えば、奇襲を回避できる。

中原「ーーーー♪」

マキシ「はぁぁぁっ!」

三度目の特攻。
Aメロの途中にあるダンスの隙を、完璧についた攻撃だった。

中原「ーーーー素敵なこーと、したーいしーたいーねー!」

だが、そこで再び中原の歌が変わる。

春海『『KIRA-KIRAしましょう?』……!』

まさか、どのタイミングからでも繋げることができるのか!?

ゴッ

マキシ「あぁっ!!」

まずい、攻撃をまともに食らった……!
いくらマキシが運動神経や体力に優れているからといって、これほどまでに体格差のある中原の拳を食らえばただではすまない。

春海『マキシ!』

マキシ「はぁっ、はぁっ……。大丈夫、よ。秋月マキシは倒れたりしない……!」

息があがっている。
少なくないダメージを受けているのだ。
このままでは……

マキシ「まだまだぁ!」ダッ

果敢に挑むも、自由自在変幻自在にメドレーを続ける中原の攻撃にマキシは苦しめられる。
中原の技量はすさまじかった。
どの曲のどの部分からでも、ありとあらゆる曲へとメドレーを繋げていく。
それは、マキシの歌が一曲にまとめあげられたようで。
マキシ自身の曲が、マキシの前に大きな壁となって立ち塞がる。

動きを読もうとするマキシと。
その読みを狂わせる中原。
両者の拮抗は、そう長くは続かなかった。

ガクッ

マキシ「しまっ……!」

マキシが突然膝から崩れ落ちた。
蓄積していたダメージが一気に吹き出したのか。
そこに、中原の追い打ちが襲いかかる。

中原「大人未満限定のー、味わいなのー!」

容赦のない降り下ろし。
あんなの食らったらひとたまりも……!
思わず目を反らす俺の横を、黒い巨人が駆け抜けた。


大門「ぬんっ!」ガキッ

春海『だ……、大門さん!』

突如駆けつけた大門さんが、その巨体でマキシを守る。

大門「すまない、遅くなった。仕事中だったものでな」

マキシ「遅くなった、じゃないわよ! 担当作家の呼び出し以上に重要な仕事なんてないでしょ!?」

大門「……あぁ、全くもってその通りだ」

中原「ちっ……!」

これは、頼もしい。
大門さんが来てくれるとは。
どこかの黒服どもとは訳が……

カッ

その時、マキシを中心にして陸橋にスポットライトが当てられた。

春海『な、何事!?』

「「「マキシ様!! お待たせしました!!」」」

見ると、陸橋を取り囲むように黒服たちが集結している。
そしてその中にこの場には不釣り合いな舞台装置のような照明が鎮座ましましていた。

春海『本当に何事だよ! なんで照明!?』

マキシ「大門、少しの間任せるわ」

大門「お安い御用だ」

中原の相手を大門さんにゆだね、マキシがこちらに戻ってくる。

春海『け、ケガはないか!?』

マキシ「心配無用よ。あたしを誰だと思っているの?」

「マキシ様、衣装をご用意しました!」

マキシ「ありがと。やっぱりこれがないと気合いが入らないわね」

「「「YES!! マキシ様の言う通り!!」」」

マキシ「それじゃ……、いくわよ!!」バッ

黒服から衣装を受け取り、何やらポーズを決めるマキシ。
何が始まるんです?

マキシ「メイクアップ!! ブリリアント☆マキシ!!」

春海『なんか魔法少女みたいなこと言いだした!!』

よくわからない光がマキシを包み込む。
いや、違う。
黒服たちが巧みに照明を操作してマキシの姿を隠しているのだ。
なにその涙ぐましい努力。

そして、光が消える。

マキシ「シャイニーグ!!!」

アイドル衣装に身を包んだ秋月マキシがそこに降臨した。


春海『いやいやいや! 待て! お前ここで着替えたのか!? 露出狂かよ!!』

マキシ「だっ、誰が露出狂よ!!」

春海『だいたいなんで今着替える必要があるんだよ!?』

マキシ「まぁ、見てなさい。舞台に立ったあたしに敵はないわ!」

マキシ「反撃――開始よ!!」

マキシの宣言に呼応するように、再びスポットライトが灯る。

マキシ「あたしの歌を聴けぇぇぇぇ!!!」

マキシの雄叫び。
それに気づいた大門さんと中原が動きを止める。
俺も、黒服も、誰も動かない。
そこにいる全員が、マキシに目を奪われていた。

そして、どこからともなく音楽が流れ始める。
……いやどこからだよ。

マキシ「shining……shining……shining……」

祈るように囁くマキシ。
聞いたことがないイントロだ。
まさかこれは……

中原「新曲……!」

一気に曲調が変わる。
静かなピアノから駆け抜けるような勇ましいメロディへ。
それに合わせてマキシのパフォーマンスが始まる。
中原がしたことと同じ、振り付けを攻撃に結びつけたダンス。

マキシ「儚い願いー、何度繰り返したとしてもー!」

中原は攻撃を受けても反撃することはない。
マキシの姿に、完全に見蕩れていた。
本物のマキシの歌、ダンスに加え、新曲という衝撃でマキシから目を背けることができなくなってしまったのだ。
ファンの性か宿命か。
何曲ものダンスを模倣してきた中原はなおのこと、その一挙手一投足を見逃すまいと注視してしまう。

そこからは、まさに一方的だった。
決めポーズでマキシの動きが止まっても、もはや中原は動けない。
マキシの全てを見届けようとしてしまうから。
そして、大サビも終盤に差し掛かる。

マキシ「そうよ! あたしは、輝いてるー!」

最後のフレーズ。
それと同時に放たれた回し蹴りが中原の延髄を捉える。
勢いよく吹き飛んだ中原の体は陸橋の欄干にぶつかり、もたれかかるようにして止まった。

マキシ「本邦初公開よ。感謝しなさい、中原冬至!」

中原は起きてこない。
完全に意識を失ったようだ。
アイドルVSファン、その異形の対決は秋月マキシの勝利で幕を閉じた。


マキシ「ま、あたしにかかればこんなものよ!」

春海『無茶しやがって! ケガでもしたらどうするんだ!』

マキシ「言ったでしょ、あたしにそんな心配は無用よ」

春海『お前はアイドルなんだぞ! 傷が残るようなことがあったらいけないだろうが!』

マキシ「うぐっ……」

大門「そうだぞ、マキシ。せめて俺が来るまで待てなかったのか」

マキシ「遅れておいてどの口が言うのよ! どの口が!」

その時、強い風が吹いた。
欄干にかろうじて引っ掛かっている中原の体が大きく揺れる。

春海『お、おい! 落ちそうだぞ!』

マキシ「落とせば?」

春海『なっ……!?』

大門「おい、マキシ」

マキシ「大門は黙ってて! 落とせばいいじゃない。犬が落としたからって誰も咎めはしないわよ」

マキシ「こいつはあんたを殺したんだから。あんたはこいつに復讐する権利がある。憎いんでしょう? やればいいじゃない!」

春海『復讐……』

そりゃ確かにこいつは憎い。
なんせ自分自身の仇だ、憎くないはずがない。
だが、多分俺は中原のことを嫌ってはいないのかもしれない。
同じ人を愛したもの同士、同じ光に憧れたもの同士。
きっと俺たちは相反する存在ではない。

中原の裾を噛み、陸橋の上に引き戻す。
こいつはマキシという光を見た。
その光に憧れた。
きっともう道を違えることはないだろう。
二度とマキシの歌を聴けなくなるかもしれないと思えば、そんな気を起こすこともなくなるさ。

住谷荘でこいつが口にした謝罪の言葉も、今ならなんとなく想像がつく。
こいつは自分の罪を悔いていたのだろう。
マキシのまっすぐで無垢な歌声を聞いていると、薄汚れた自分にひどく苦しめられたにちがいない。
だから、犬の俺を晴海和人だと思い込むことで罪を贖おうとした。
あの時マキシは何度か俺の名を口にしていた。
あの家の壁はそう厚くない。
中原はマキシの声を聞いていたんじゃないだろうか。
マキシの言う晴海和人はすでに死んでいる。
だが、本当にマキシが晴海和人と会話をしているのだとしたら……
そんなことを考えていた時、扉を叩く奇妙な犬が目の前に現れたものだから、それを晴海和人の生まれ変わりだと思い込んでしまった。
そして、思わず謝罪の言葉が口をついた。
そんなところじゃないだろうか。
まぁ俺は実際に晴海和人の生まれ変わりで、だからこそ「すまなかった」の一言で済ませようというのはさすがに業腹だけれど。

だが、俺だっていつまでもこいつのことに捕らわれていたくはない。
自分を殺した男のことを考えながらする読書なんて楽しいはずがない。
だから、ここで復讐して変な罪悪感に苛まれるのなんてまっぴらごめんだ。
明日にはお前の存在すら忘れてやる。
俺にとってその程度の存在でしかない、そういうことにしておくのがちょうどいい復讐じゃなかろうか。

春海『……これでいい』

帰ろう。
帰って、本を読もう。
愛する作家の執筆する音を聞きながら、本を読もう。


マキシ「なんで……?」

春海『なぁ、警察には連絡入れたのか?』

マキシ「なんでよ!!」

急にマキシがキレた。

マキシ「あんた、あいつに殺されたのよ!? 復讐しなさいよ!」

春海『な、なんだよ……?』

マキシ「落とすのが嫌なら噛み殺しなさいよ! 噛み殺すのが嫌なら八つ裂きにしなさいよ!!」

マキシ「なんで殺さないの!? あんたの仇なのよ!!」

春海『もう決着はつけたよ。終わったんだ』

マキシ「終わってない!! 何も終わってなんかないじゃない!!」

マキシ「あんたを殺したやつがこれから先ものうのうと生きていくのよ!? そんなの許せないとは思わないの!?」

マキシ「あたしが……! あたしがどんな思いで……!」

春海『俺がこいつを殺したって何にもならないだろ』

マキシ「憎いんでしょ!! 殺せば憎しみが晴れるじゃない!!」

春海『憎いから殺す、なんてそれは人間じゃないだろ。そんなことしたら本なんて読めない』

マキシ「読めばいい! あたしが本でもなんでも用意してあげる! 与えてあげる! だから……!」

春海『読めねぇよ』

マキシ「読みなさいよ!!」

春海『読書ってのは人間の営みだろ!! 人の道を外れてまで本を読みたくはないんだよ!!』

マキシ「あんた犬じゃない!!!」

春海『たとえ犬でも! 魂まで売っぱらった覚えはねぇ!!』

春海『俺は殺さないし復讐もしない! したくもない!!』

マキシ「したくない訳ない!! 嘘つくんじゃないわよ!!」

春海『嘘じゃねぇよ! 俺の心が読めるんならわかるだろうが!!』

マキシ「……っ!!」


マキシ「……わかった。じゃああたしが殺す! あんたを殺したこいつを、あんたが助けたあたしが殺す!!」

春海『待て! マキシ!!』

マキシ「復讐したくない? そうよね、中原に復讐する訳ないわよね!」

マキシ「だって、復讐すべきはあたしなんだから! あたしが殺したようなもんなんだから!!」

マキシ「あたしのせいであんたは死んだ……! だから、あたしに復讐すればいい! あいつを殺したあと、あんたがあたしを殺せばいい!」

……そうか 。
マキシも、悔いていたのか。
マキシを守って俺が死んでしまったことを。
そのことが、今までずっとマキシを苦しめていたのか。

マキシ「……ねぇ。なんでよ……」

マキシ「なんであたしを助けたの……? そのせいであんたは……!」

春海『違う!! お前は何も悪くない!!』

マキシ「悪いわよ!! あの時あたしが執筆なんてしてなかったらあんたは死ななかった……! 本を書いてたあたしが悪いのよ!!」

その言葉に、俺の中で何かがぷつんと切れた。
後ろ足に力を込める。

春海『“書く”ことを……!』

地面を蹴り、マキシに体当たりをぶちかます。

春海『悪いことみたいに言うな!!!』ダンッ

マキシ「っ!!」

春海『お前は作家だろうが! 好きな時に好きなだけ書けよ!』

春海『たった一度! たまたまタイミングが悪かったせいで俺が死んだからってなんだよ!! 俺はその何倍も、何十倍も! お前の本に救われてきたんだ!!』

春海『今俺がここにいるのだってお前が本を書いたからだ!! 感謝することはあっても、恨むことなんてある訳ないだろ!!』

春海『それでもまだつらいなら! 気持ちが収まらないっていうんなら! 書けよ!!』

春海『言葉なんて簡単な手段で済ませるな!! 本に書いてみせろよ!! お前の思いを、後悔を、全部!!』

春海『そんで俺に読ませろ!! お前が俺に負い目を感じてるっていうんならな! それが一番の贖罪になるんだよ!!!』

マキシ「……っ」

春海『それからなぁ! お前は誰だ!! 秋月マキシだろうが!!』

春海『ファンを何よりも愛する秋月マキシだろうが!! そのお前が、ファンを殺すなんて言ってんじゃねぇよ!!』

春海『確かにこいつは人間としてはクズだろうよ! それでもな! お前の歌に心を動されるほどの理性を取り戻したんだ!!』

春海『ならもう立派なファンだろ!! お前が本当に秋月マキシだというなら、ファンが凶悪犯だろうとその更正を祈ってやれよ!!』

春海『秋月マキシの信念は……! ファンへの想いは!! その程度のもんだったのかよ!? そんな訳ないだろ!!』

春海『俺は知ってる!! 秋月マキシがそんな弱いやつじゃないことを知ってる!! お前の本が、歌が教えてくれた!!』

春海『だから……! だからもう泣くのをやめろ!!!』

マキシ「え……? あ……」ポロッ

マキシ「うぅ……っ、うぅうあああああああああああああああ!!」

堰を切ったように慟哭するマキシ。
事件からずっと内に抱え込んだきたものを吐き出すかのごとく泣き叫ぶ。
少しは俺の思いを届けることができたのだろうか。
ファンの願いを、届けることができたのだろうか。
この涙がその証だっだらいいなと、そう思った。


今日はこの辺で

BGMにoutshineのリンク貼ろうと思ってYouTubeで検索したら一曲もヒットしなかった…
まさかここまでとは…


マキシ「ぐすっ……」

春海『落ち着いたか……?』

泣き止んだマキシの顔を覗き込む。
真っ赤に泣き腫らしたマキシの目と俺の目が合った。

マキシ「い、いやっ!」クルッ

するとすぐにそっぽを向かれてしまった。
あぁ、そういえば犬苦手なんでしたね。
すっかり忘れてましたよ。
言い争っている時ずいぶん吠えてしまったからな……
怖がられても仕方ないか。

マキシ「ちっ、違うの!!」クルッ

再びこちらを向くマキシ。

マキシ「これは、その……。そういうんじゃ、なくて……!」

春海『な、なんだよ……。いつになく歯切れが悪いな』

マキシ「~~っ! だから!」ガシッ

マキシに体を掴まれる。
あ、投げられちゃう。

春海『や、やめて! ここで投げたら落ちるかもしれないから! 勘弁……』

マキシ「ちょっと、我慢してて!」ギュッ

命乞いする俺をよそに、マキシは俺を強く抱き締めた。

春海『お、おい! お前犬が苦手なんだろ!?』

マキシ「うるさい! あたしはもう犬嫌いやめる!!」ブルブル

春海『やめるって、そんな簡単にやめられるもんなのかよ! 震えてるじゃねぇか! 無理はよせって!』

マキシ「大丈夫、大丈夫よ……! あんたの信じる秋月マキシが、ファンを怖がるなんてことあっちゃいけないんだから!」ブルブル

春海『マキシ、お前……』


……………………
………………
…………

マキシ「……」

どれくらい経っただろうか。
いつのまにか、マキシの震えは止まっていた。
まさか、本当に克服してしまうとは。

春海『……大したもんだよ、お前は』

マキシ「……」ポーッ

だが、見上げたマキシの顔は赤い。
あれ、もしかして我慢しすぎてアレルギー的なもの出ちゃいました?

マキシ「……胸がドキドキする。この想い、あんたの内臓をぶちまければわかるのかしら」

春海『なんか怖いこと言い出した!』

内臓ぶちまけるとかアイドルが口にしていい言葉じゃないだろ。

マキシ「……あ」

春海『あ?』

マキシ「そ、そういえばあんたの部屋、今鍵開きっぱなしじゃない?」

春海『あぁ!? すぐ戻るぞ!!』

こうしていられるか!
俺の本が、大事な本が!!

マキシ「だ、大門! そういうことだから! あたしは和人と 二 人 で 住谷荘に戻るから! あとのことは任せたわよ!」

大門「わかったわかった。行ってこい」

春海『何してんだ行くぞほら!!』

大門「晴海」

春海『あーもう! なんだよ!』

大門「礼を言わせてくれ、ありがとう」

春海『はぁ?』

何のことだよ。
そんなことより今は住谷荘だ!

マキシ「さぁ、行きましょう! あたしと和人の二人で! どこまでも!」

春海『住谷荘に行くんだよ! んなもん付き合ってられるか!!』

急げ、急げ、急げるげ!!


……………………
………………
…………

そして住谷荘に戻ってきた。
幸い誰かに侵入された様子はなく、中原に荒らされてもいなかった。
俺の本たちも無事だ。
中原め、本の七罪をきちんと理解しているとは敵ながらあっぱれと言ったところか。

春海『いやぁ、ほんとこいつらが無事でよかった。もしものことがあったら俺を殺したとか関係なしに中原を三分の二殺しにしてるところだったぜ』

マキシ「たかが本で大袈裟ねぇ」

春海『たかが! たかがと言ったか今!? ここにある約十万冊の本は俺の子供みたいなもんなんだぞ!!』

マキシ「子供!? じゅ、十万人……?」

マキシ「そ、それは……、さすがに多いわね……。仕込んで産んで十万セット……。あ、今話題のiPS細胞を使えば卵子の量産も可能……?」

春海『おーい、マキシさーん?』

なんか突然トリップしてしまった。

マキシ「でも初めてが犬ってそもそもどうなんだろう……」

春海『返事しろよこの露出狂』

マキシ「誰が露出狂よ!!」

春海『そこは反応するのかよ……』

マキシ「……ほら、ポイントカードあったわよ」スッ

春海『はぁぁぁ! よかったぁ! 会いたかったぞー!』スリスリ

マキシ「ふふっ。ほんと、大袈裟なんだから……」

そう呟いて笑うマキシの顔にはいつかのような翳りはなく、太陽のように輝いていた。


……………………
………………
…………

そして住谷荘に戻ってきた。
幸い誰かに侵入された様子はなく、中原に荒らされてもいなかった。
俺の本たちも無事だ。
中原め、本の七罪をきちんと理解しているとは敵ながらあっぱれと言ったところか。

春海『いやぁ、ほんとこいつらが無事でよかった。もしものことがあったら俺を殺したとか関係なしに中原を三分の二殺しにしてるところだったぜ』

マキシ「たかが本で大袈裟ねぇ」

春海『たかが! たかがと言ったか今!? ここにある約十万冊の本は俺の子供みたいなもんなんだぞ!!』

マキシ「子供!? じゅ、十万人……?」

マキシ「そ、それは……、さすがに多いわね……。仕込んで産んで十万セット……。あ、今話題のiPS細胞を使えば卵子の量産も可能……?」

春海『おーい、マキシさーん?』

なんか突然トリップしてしまった。

マキシ「でも初めてが犬ってそもそもどうなんだろう……」

春海『返事しろよこの露出狂』

マキシ「誰が露出狂よ!!」

春海『そこは反応するのかよ……』

マキシ「……ほら、ポイントカードあったわよ」スッ

春海『はぁぁぁ! よかったぁ! 会いたかったぞー!』スリスリ

マキシ「ふふっ。ほんと、大袈裟なんだから……」

そう呟いて笑うマキシの顔にはいつかのような翳りはなく、太陽のように輝いていた。


……………………
………………
…………

そして、「清陽」に来ました。
え、なんで?

マキシ「なんか、ここのコーヒーが無性に飲みたくなることがあるのよね」

春海『あー、わかるわかる。まっずいのにな』

マキシ「この寂れた感じ、全くあたしにはふさわしくないんだけど」

春海『……じいさんに聞こえるぞ』

ただでさえ犬連れで迷惑そうな顔されてるのに、悪口言うなよ。
かわいそうだから早く帰ろうぜ。

マキシ「あら、そんなこと言っていいのかしら」

ばさっ、とマキシがどこからともなく原稿用紙の束を取り出す。
なんなの?
お前の服には四次元ポケットでも付いてるの?

マキシ「さっきあんたがあたしに“書け”っていったこと、想いが新鮮なうちに文章にしようと思ってたのに。あ、あんたのためだけの小説よ」

春海『よし、今すぐ書こう』

じいさんの迷惑?
んなもん知ったことじゃねぇよ。
どうせ人が死んでるんだから今さら犬が一匹いたところで客足に影響なんてねぇよ。

マキシ「書き終わるまで時間がかかるから、これでも読んでなさい」

そう言ってマキシが差し出したのは『Bark and Guy』。
だからどこから出してるんだよ。
いや、読むけどさ。

春海『あ、そういえばずっと聞きたかったんだけど』

マキシ「何?」

春海『この『Bark and Guy』、暴露本じゃないかって言われてるだろ? 実際のとこどうなの?』

マキシ「ノーコメントとさせてもらうわ」

春海『えー』

……まぁ、確かに数多といる読者の中で俺だけが知るってのも不公平か。
謎のままというのも面白いじゃないか。

マキシ「結構。それじゃ、書くわ。邪魔しないでよ」

春海『読むぞ。邪魔すんなよ』

そうして、俺たちは各々の世界へと没頭していった。


パタン

春海『ふぅ……。やっぱり何度読んでも面白いな』

もうフィクションとかノンフィクションとかどうでもよくなってきた。
うん、ありのまま、書いてあるまま受けとればいいじゃないかな。

マキシはまだ原稿用紙とにらめっこをしている。
万年筆が尋常じゃない速さで動いてるけどペン先壊れたりしないのかな。
どうしよう、読み終わってしまうと暇だ。
もう一度読むという手もあるが、久々の「清陽」だし、店長の顔をよく見ておこう。
人間のときに何度もお世話になった店だしな。

カウンターのところにじいさんはいない。
店の奥だろうか。
犬が厨房に入るのはさすがに悪いかな……
ちょっと覗くだけにしておこう。
そう思って厨房の入り口から中を覗き込む。
果たしてじいさんはそこにいた。
どうやらコーヒーを淹れているようだ。

店長「……」サラサラ

だが、じいさんがコーヒーに入れていたのは砂糖ではなく……

春海『極彩色!? その色はねぇよ!!』ワンッ

あ、驚きのあまり思わず吠えてしまった。
じいさんがひきつった表情で俺を見る。
次の瞬間には店のさらに奥へと引っ込んでしまった。

なんだか胸騒ぎがする。
マキシに知らせて早く帰ろう。
もう厄介事に巻き込まれるのはごめんだ。

春海『おい、マキシ! なんかヤバそうだぞ! 早くこの店を出よう!』

マキシ「……」カリカリカリ

返事がない、執筆中のようだ。
そういえばこいつ、本を書いている時は強盗が来ようと気づかないんだった。
どうにかして意識を執筆から現実に戻さないと。
でもなぁ、今邪魔したら後で書けなくなったりしないかなぁ。
調子いいみたいだしこのまま書いててもらいたいんだけどなぁ。
でも何か起こりそうなんだよなぁ……

椅子に登って吠えてみる。
だが返事はない。
机の上に登って、俺も頑張って覚えた『IDOL-BUSTER』を踊ってみる。
やはり返事はない。
俺が奮闘していると、ゆらり。
狂気を宿した笑みを浮かべるじいさんが猟銃を手にしてマキシの背後に現れた。

書き終わるまで待ってくれないかな……
くれないよね……


……………………
………………
…………

店長「――そう! 店に来た客たちがコーヒーを飲まされていたのではない! コーヒーを飲むために客たちがこの店に来ていたのです!」

なんか唐突に語りだして語り終わった。
うわぁ……
犯人の自白初めてきいちゃった。

店長「何か、言い残すことはありますか?」

マキシ「……」カリカリカリ

で、ガン無視と。
さすがマキシ、俺たちにできないことを平然とやってのける。

店長「原稿用紙? はっはっは、こんなものを後生大事に抱えているとは!」

ガシャンッ

そんなマキシの様子に何を思ったか、じいさんは机の上のカップをひっくり返し、中のコーヒーを原稿用紙にぶちまけた。
あーあ。
やっちゃった。

マキシ「……んのよ」

店長「ん? 何ですか?」

マキシ「何してくれてんのよ!!!」

マキシの怒声に店中の空気が震えた。
まさに激おこぷんぷん丸といった様子です。
じいさんも面食らってる。

マキシ「あたしと和人の子供に手を出すなんていい度胸してるじゃない!!」

春海『……あれ?』

何言ってんだ、この人。

マキシ「だ、だって! あんたの本があんたの子供なら、あたしがあんたのために書いた本はあたしとあんたの子供でしょ!?」

春海『い、いやぁー……、どーなんだろう……』

確かにそうかもしれないけど、その言い方だと別のニュアンスが出てくるような……

マキシ「あたしと和人の愛の結晶を!! よくも!!」

ほら!
もう完全にニュアンス変わっちゃってるよ!?

マキシ「何よ! あたしのこと愛してないっていうの!?」

じいさんにキレてるのか俺にキレてるのかはっきりしてくれませんかね……


マキシ「この! 秋月マキシを! 愛してないの!?」

春海『そ、そんなことはねぇよ!』

マキシ「じゃ、じゃあ愛してるって言いなさいよ!!」

無茶苦茶だなこいつ!
……まぁいい、言って終わるなら言ってやろうじゃないか。
俺が秋月マキシを愛してるのは事実なんだ。

春海『愛してる!』

マキシ「も、もっとよ!」

春海『愛してる!』

マキシ「もっと大きな声で!」

春海『愛してる!!』

マキシ「二階声小さいわよ!」

なんかライブみたいになってない?

春海『あーもう! 俺は秋月マキシが世界で一番好きだ!!!』

マキシ「なっ、何言ってんのよこのバカ犬!!」

春海『えぇぇぇぇぇ!?』

いくらなんでも理不尽すぎる!!

マキシ「そ、そんな、急に世界で一番好きとか……」モジモジ

自分で要求しておいて、いざ言われるとモジモジし始めた。
なんだよ、別にこれくらい言われ慣れてるだろ。

マキシ「好きとか、愛してるとか……! そんな、こと……」

マキシ「ふ……ふふふ、あはは、アハハハハハハ!!」

マキシ「アハハハハハハハハハ!! 和人が愛してるって! あたし輝いてる! 今超輝いてるわ!!」

春海『ひぃっ!? ついにぶっ壊れた!?』

マキシ「超超輝いてる!!! アハハハハハハハハハハハハハハハ!!!」

……ヤバい。
完全にイッちゃってる人だ。
どうしよう、もう帰っちゃおうかな。

店長「な……、なめるなぁ!」

笑い続けるマキシに痺れを切らしたじいさんが引き金に手をかける。
まずい、じいさんもキレてる!

春海『おい、マキシ! しっかりしろ!』

マキシ「あたし、輝いてるっ!!」

店長「うわぁぁぁぁ!!」

ズガンッ

撃った、撃ちやがった。
あれの威力は俺が一番よく知っている。
命を簡単に奪い去る、悪魔の弾丸。

春海『マキシィィィィィ!!』

マキシ「アハハハハハハ! ――見えたッ!!!」バッ

だが。
俺の予想したような惨劇が起こることはなく。
マキシはその銃弾をギリギリで回避してみせたのだった。


春海『……は? はぁぁぁぁぁ!? え!? 何をしたの!? 避け、え、はぁ!?』

ダメだ、全くもって訳がわからない。
脳が現実に追い付かない。

マキシ「今のは秋月マキシ様の超☆必殺技! 『マキシマム・グロリアス・レボリューション』!! 限界まで輝くことによってあらゆる能力値を平常時の約三倍に引き上げることができるのよ!!」

春海『何言ってんの!?』

必殺技だったの!?
とうとうおかしくなったのかと思ったわ!!
というか限界まで輝くって何だよ!?
必殺技の発動条件がそんなふわっとした感じでいいのか!?
そもそも必殺技って何!?
作家が必殺技を持つ必要性がどこにあるの!?
アイドルはなおさら持ってちゃいけないと思うんだけど!?
必殺技持ちのアイドルなんて嫌だろ!
あーもう!
ツッコミが止まらねぇ!
つっこみきれないから、言いたいこと文書にして後日提出するからな!!
覚えとけよ!!

マキシ「完 全 復 活!!! この技を発動させることができたんだもの! もう誰にも輝きが足りないなんて言わせないわ!!」

マキシ「スーパー☆シャイニング!!!」

春海『聞いちゃいねぇ!』

まぁ、無事だったんだからもういいか……
つっこむだけ無駄に思えてきたよ。
もうつっこむのはやめとこう。

マキシ「で? これはどういう状況なの? 説明しなさい、和人」

春海『わからないで騒いでたの!?』

あ、つっこんじゃった。

春海『……このじいさんが諸々の黒幕なんだと』

マキシ「はぁ? なんでそんなこと知ってんのよ?」

春海『さっき自分でしゃべってたぞ』

聞いてもいないのにペラペラと。

マキシ「ふーん……。じゃあ要するに、こいつをぶっ飛ばせばいい訳ね」

春海『その通りだけど……』

なんでそんな少年マンガの主人公みたいな思考回路してるの?

マキシ「あたし達の子供に手を出した挙げ句このあたしにまで無礼を働くとは不届き千万! 今ここで成敗してあげるわ!」

店長「……」

マキシ「『マキシマム・グロリアス・レボリューション』!!」ダッ

なんとも言いにくそうな技名を叫びながらじいさんへと疾走する。
じいさんは銃弾を避けられてすでに茫然自失といった様子だ。

ガシッ

じいさんの猟銃をひっ掴むマキシ。
そして……

マキシ「ふんぬらばっ!」メキメキッ

そのまま銃身を知恵の輪のようにひん曲げてしまった。
……もう何が起こっても驚かないよ。
かけ声がどっかのおにぎり頭みたいだったことにもつっこまないよ。

店長「な、何ぃ!?」

マキシ「あたしを倒そうなんて、十年早いのよ!!」バキッ

炸裂するマキシの顔面ハイキック。
うん、かっこいいこと言ってるんだけど、じいさんの方が圧倒的に年上だからね?


そこからが凄かった。
じいさんが隠してあったボタンを押すと、天井が開いてさらに二丁の猟銃が出てきたり。
マキシの危機を察知した黒服たちが乱入してきたり。
黒服たちが合体した『超従神・グレート黒服』がその大砲をも防ぐボディでマキシを守り、岩をも砕く拳で店を半壊させたり。
俺が飛び道具として使われたり。
最後の完全にとばっちりですよね。
そして、気づけばじいさんは黒服十人ほどに組伏されていた。
……そこまでせんでも。

じいさんは合言葉を知る一部の客に中毒性のある薬物の入ったコーヒーを提供していたらしい。
普通の人に大きな効き目はなかったようだが、薬物中毒で逮捕されたことがあった中原には効果抜群だったようだ。
人騒がせな店だよほんと。

マキシ「ようやく一件落着ってところかしら」

春海『そうだな』

マキシ「輝きも取り戻したし、これからはアイドル業もバンバンやっていくわよ!!」

春海『そうかそうか。それはよかった。頑張ってくれよ』

マキシ「何言ってんのよ。あんたにも色々付き合ってもらうんだから」

春海『えー』

マキシ「えー、じゃない! アイドルと犬の組み合わせは鉄板、なんでしょ。ねっ?」ニッ

……そんな顔されたら逆らえないじゃないか。
やっぱり、秋月マキシには太陽のような笑顔が一番似合う。


ある日の本田書店にて。
時刻は午前10時になろうとしていた。
本田文夫は今日も店を開ける。
今日はあの秋月マキシの新刊発売日だ。
この本田書店でもそれなりの量を仕入れている。
秋月マキシという名前は、文夫の心に鋭い痛みを走らせる。
かつて、この店を毎日のように訪れていた少年。
彼が最も愛していた作家だからだ。
その少年は、もういない。

オッチャン「……おや?」

シャッターを開けようとすると、一匹のミニチュアダックスが店の前に座っていることに気づいた。
バッグを背負い、口には何やら封筒をくわえている。
その封筒を受けとると中には紙が一枚入っており、幼稚園児が書いたような字で、

「あきつきマキシ、しんかんいっさつ」

と書かれていた。
バッグの中も見させてもらうと、新刊一冊分のお金と年季の入ったポイントカードが入っている。
文夫はそのポイントカードを見て思わず絶句してしまった。
見間違うはずもない。
これはあの少年の、晴海和人のポイントカードだ。

オッチャン「まさか君は……」

頭では馬鹿げたことだとわかっている。
だがそう思わずにはいられない。

オッチャン「……いや、よそう」

今はそんなことを考えている暇はない。
仮にこの子が彼なら、一刻も早く本を欲しがっているだろうから。
店の中から新刊を一冊持ち出し、ポイントも押してバッグに戻してやる。
それを今や遅しと待っていたその犬は、文夫がバッグを締めるのを確認すると。

『……ワンッ!!』

礼を言うかのように一声鳴いて、走り去っていった。


顔をあげる。
ドヤ顔のマキシがこちらを見ていた。
目の前には原稿用紙の束。

マキシ「どう? それが今度出す新作のあらすじなんだけど」

春海『あらすじ!? 今までの全部あらすじかよ!? 長いよ!!』

春海『……あれ、待って!? 俺このオチ知ってる気がする! どっかで見た気がする!』

体じゃなく魂が覚えてる気がする!

マキシ「な、何よ! パクりだとでも言うの!?」

春海『違う、違うんだよ! なんだこれデジャビュ!?』

なぜだろう、思い出してはいけないと大いなる意思に告げられているような。
というか俺自身もあんまり思い出したくない気がする。

マキシ「あら? こんなところにほころびが」

マキシ「ハサミ、ハサミっと」ジャキン

春海『嫌ぁぁぁぁ!? ハサミ嫌ぁぁぁぁ!!』

マキシ「きゅ、急にどうしたのよ!?」

トラウマが!
魂に刻まれしトラウマが!

マキシ「あ、万年筆の黒のインクがない」

春海『黒!! 黒嫌ぁ!!』

マキシ「夏の季節もそろそろ終わりねぇ……」

春海『夏野!! 夏野嫌ぁ!!』

夏野って誰!?
誰かわかんないけど怖い!
誰かわかんないのに怖いのが一番怖い!!

マキシ「ど、どうしたのよあんた……」

春海『俺にもわからん! わからんけど、これはもはや異次元同位体の俺がこの次元の俺に影響を与えているとしか……』

「見 ぃ つ け た」

春海『……えっ?』

ジャキン!


今日はこの辺で

一応円香編も考えてはいるんですが、まだほとんど書いてないので少しだけお待ちくださいね
円香編は鈴菜がいないんでだいぶ改変することになると思います

訂正
>>81
× あきつきマキシ
○ あきづきマキシ


十一月五日

「和兄! 起きて和兄! 遅刻しちゃうよ!」

晴海「今夢で本読んでるから……」

「もう! 起きないと本棚にある本、あ行から順番に燃やしていくよ!」

晴海「どぉぉぉい! 何言ってんだこの妹!!」

「はーい、じゃああ行で「秋月マキシ」からねー」シュボッ

晴海「起きたのに!? うわぁぁぁぁぁぁぁ!!』

春海『はっ!!』

……嫌な夢を見た。
いや、かわいい妹の夢だから嫌な夢な訳ないんだけど内容は間違いなく悪夢だった。
妹が出てなかったらショック死してた。
ありがとう我が妹。
本燃やしてたのお前だけど。

それにしても懐かしい夢だった。
元気にしているだろうか、俺の妹、円香は……

マキシ「急に騒ぎだしたと思ったら今度はアンニュイになって……。情緒不安定なの?」

春海『お前ほどではないと思うよ』

少なくとも突然大笑いしたりはしないもんね。

マキシ「あ、あれは必殺技発動のためには仕方ないのよ!」

春海『そもそも必殺技を発動させる必要があるのかと小一時間問いただしたい』

普通ないよね。
この前のあれはレア中のレアだよね。
もう二度とそんな機会がないことを祈るよ。
……前フリとかじゃないからな?


春海『……あれ? ここどこ?』

そういえばマキシの部屋じゃない。
確かいつもの寝床で本に囲まれて寝てたはずなのに。

マキシ「何寝ぼけてるのよ。今日はライブだって言ったでしょ」

春海『あー……。じゃあここライブ会場?』

マキシ「えぇ、控え室よ。今日は早いからって言っておいたのに、あんたがいつまでもぐーすか寝てるからそのまま連れてきたの」

春海『だって俺いてもいなくてもあんまり関係ないじゃん』

俺がいれば観客二割増、とかじゃないんだからさ。
どんな招き犬だよ、それ。

マキシ「か、関係あるわよ! おおいにあるわ!」

春海『何にだよ』

マキシ「あたしの輝きに、よ!」

……またアバウトな。
そんな理由で毎回あちこち連れ回される身にもなってほしい。
本が読めないじゃないか。

マキシ「出かける度に黒服に何冊も本を運ばせてるのはどこの誰だったかしら」

春海『私だ』

マキシ「ライブが始まる時間になってもがんばれの一言もなしに持ってきた本を読みふけっていたのは誰だったかしら」

春海『それも私だ』

マキシ「挙げ句その本を読み尽くして『血中読素が足りない!』とか訳のわからないことをわめきながらライブに乱入してきたのは誰だったかしら」

春海『……私か?』

記憶が定かではない。
読素が欠乏すると記憶が飛ぶんだよ。

マキシ「情緒不安定どころじゃないじゃない! あんたよくそんなんで日常生活送ってたわね」

春海『自分でも不思議に思えてきたよ』

もしかして俺って社会不適合者だったのだろうか。

マキシ「まぁでも大門の同業者にはことあるごとに罵倒を要求するドMの変態もいるらしいし、案外なんとかなったのかもしれないわね」

春海『そんな奴が社会人やってんのか』

すごいな社会。
そいつの周りの世界はそいつが思ってるよりちょっとだけ優しいんだな。
……いや、ドMにとっては優しい世界の方が鞭か。


コンコン

大門「マキシ、そろそろリハの時間だ」

マキシ「わかったわ。すぐ行く」

春海『じゃ、がんばれよ』

よし言った。
さぁ、本を読もう。

マキシ「待ちなさいよバカ犬」ガシッ

春海『やーめーろーよー。俺は本を読むんだよ』

マキシ「あんたも来なさいよ」

春海『えー。リハーサルなんて見ても仕方ないじゃん』

マキシ「……あんた本当にあたしのファンなの?」

そりゃ確かにリハーサル風景ってファンからしたら垂涎ものかもしれないけど。
俺が好きなのはあくまでお前の本と歌だし。

春海『どうせなら本番が見たい』

マキシ「じゃ、じゃあ本番は見に来るのね!?」

春海『……まぁ、行っていいなら行きたいな』

マキシ「よしっ! 絶対本番見に来なさいよ! 絶対だからね!?」

お前はお父さんと遊ぶ約束した子供か。

春海『わかったわかった。絶対な』

マキシ「嘘ついたら針千本なんだから!」

バン!

……やっと行ったか。
さーて、じゃあ俺は本を読むかな。
うむ、じゃあ『ムー民ママ』からにしよう。


……………………
………………
…………

マキシ「シャイニング!!」スパーン!

春海『本が消えた!?』

この野郎、毎度毎度俺の読書を邪魔しやがって。
しまいには俺もキレますよ?
新稲葉のデッドボーイとは俺のことよ。

マキシ「死んでるだけじゃない、それ」

春海『で、なんだよ。わざわざ神聖な読書タイムを邪魔したんだから、よっぽどの用なんだろうな?』

マキシ「もうじきライブが始まるわ」

春海『……あれ? リハーサルは?』

マキシ「とっっっっくに終わったわよ! あんたがのんきに本を読んでる間にね!!」

あちゃー。
どうやら読素欠乏中には記憶が飛ぶけど、補充中には時間が飛ぶようですな。
なーんつって。
なんつってつっちゃった。

マキシ「見に来てくれるって言ったくせにいつまでもペラペラペラペラ……」

春海『わ、悪かったよ……』

マキシ「ふん、まぁいいわ。ところで、何かあたしに言うことはないかしら?」

春海『言うこと? ……本返せ?』

マキシ「違うわよ! あたしの格好を見て何か言うことはないの、って言ってるの!!」

マキシの格好?
言われてみると、マキシはいつもの白い服からアイドル衣装の白い服に着替えていた。
結局白いのかよ。

春海『あー……、うん。似合ってる似合ってる』

マキシ「似合ってるのは当たり前でしょ! あたしは輝いてるかって聞いてんのよ!!」

春海『えー……』

何が違うんすか。

マキシ「全然違うじゃない!」

春海『……。まぁ、輝いてるんじゃないか?』

マキシ眩しいよマキシ。

マキシ「ほ、ほんと? あたし、超輝いてる?」

春海『あぁ、超輝いてるよ多分』

マキシ「善のイデアくらい輝いてる?」

わかんねぇよ。
俺ごときには認識すらできないじゃん、それ。

春海『……そうなんじゃないの』

マキシ「えへへ、そう?」

俺の返事を聞いてマキシはにへらと笑う。
……機嫌が直ったようで何よりだ。

マキシ「あたしの輝きはイデア界をも照らし出すことが再確認できたことだし、そろそろ行きましょうか」

プラトン先生が泣いてる気がするよ。


ドタバタ

「秋月さんスタンバイお願いしまーす!」

マキシ「はい!」

春海『相変わらず修羅場ってるなぁ』

開幕直前ということで、スタッフたちも殺気だっている。
犬の俺がチョロチョロしてたらあっという間に踏み潰されそうだ。

マキシ「大門。和人のこと頼んだわよ」

大門「あぁ」

マキシ「じゃ、一発輝いてくるわ!」

春海『おう、かましてこい』

颯爽とステージへと歩いていくマキシ。
その背中は本当に、掛け値なしに、この世界で最も輝かしいものに見えた。

大門「どうする? ここからだとマキシのライブを横からしか見れないが、モニタリングできるところへ行くか?」

春海『……いや、ここでいい』

マキシの歌を生で聞いていたい。
できるだけ近くで。
生きている間はついぞライブに行くことはなかった。
本を買うので手一杯だったからな。
他のファンには悪いがこの役得を存分に楽しませてもらおう。
一回死んだんだし、これくらいいいよな?

大門「そうか。野暮なことを聞いたな」

春海『……ところで、俺と喋ってて大丈夫なの? 変な目で見られない?』

大門「カモフラージュはしてある。ほら」

そう言って大門さんは自分の耳を指差す。
そこには明らかにサイズの合ってないインカムがはめられていた。

春海『いや、それで連絡取ってるって言い張るのは無理があるんじゃ……』

大門「大丈夫だ、問題ない」

どこからくるんだその自信は。


会場からほぼ全ての明かりが消え緊張感が高まる中、一曲目のイントロが流れ始める。
そして、それを合図にするかのように。

マキシ「シャイニーング!!!!」

「「「「YEAHHHHHHHHHHHHHHH!!!」」」」

ちょっとした花火と共にマキシが奈落からステージ上に現れた。
会場に輝きが満ち、観客のボルテージも一瞬で最高潮に達する。
……訓練されてるなぁ。

マキシ「輝いてるわねあんたたち!! でもまだまだよ!! もっと輝きなさい!!」

「「「「YEAHHHHHHHHHHHHHHHHHH!!!」」」」

マキシ「今日のあたしの輝きは一味違うんだから!! うかうかしてると命の保証はないわ!!」

「「「「HOOOOOOOOOOOOOOO!!!」」」」

死ぬのかよ。
怖いなライブ!

マキシ「それじゃあ行くわよ!! 一曲目はもちろん!! 『チョコレート・ウォーズ』!!」

「「「「YEAHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHH!!!」」」」

……………………
………………
…………

二曲目、三曲目と歌ったところでMCが始まった。
そういえばブルーレイのMCは面白かったなー、とか思い出しながら聞いていると。

マキシ「それで、うちの犬ってばケバブのピタだけ食べ出したのよ! ふふっ、馬鹿よねぇ」

だの。

マキシ「でね、和人が迷子の幼女をたらしこんで……。ほんと油断も隙もないのよ!」

だの。

春海『……俺の話しかしてないじゃん』

ファンは楽しいのか……?

大門「まぁ、和人ってのがマキシの飼い犬の名前ということはもはや周知の事実だし、ファンからすればただの愛犬家の飼い主バカだろうからな。騙しているようで忍びないが男の話だと思う人はいないだろう」

春海『男っつってもやっぱり犬ですけどね』

大門「あぁ、お前が犬で本当によかった」

春海『……あれ、ケンカ売られてる?』

買いますよ?
見た目は愛玩犬でも心はローンウルフですよ?

大門「いや、悪口を言おうとした訳じゃない。お前が人間のままだったら色々スキャンダルにもなっていたからな」

大門「アイドルなんてやってはいるが、あれも年頃の女の子だ。恋愛禁止だなんだと俺もあまり言いたくはなかったが、お前なら大丈夫だろう」

春海『マキシは俺なんか興味ないだろ』

大門「……本気で言ってるのか?」

そっちこそ冗談で言ってるんだろ。

大門「本当にいるのか、こんなやつ……」

春海『いきなり失礼だな!?』

こんなやつってなんだよこんなやつって。

大門「マキシは苦労しそうだな……」


マキシ「だから結局、あの犬はあたしのところにいるしかないって訳よ!!」

春海『なんか色々言われてんなぁ……』

あいつ、俺が聞いてるってこと忘れてんじゃねぇの。

「マッキー!!」

マキシの話が一段落したところでファンの一人が声をあげる。
ちなみにマッキーとはファンが秋月マキシを呼ぶ時に使うニックネームだ。

マキシ「何ー!?」

「今日は和人来てないのー!?」

マキシ「来てるわよー!」

「呼んでー!!」
「見たーい!!」

春海『なっ!?』

なんだこの展開。

マキシ「えー? どうしよっかなー」

マキシのやつもなんかまんざらじゃなさそうだし!

「「「「かーずひと!! かーずひと!! かーずひと!!」」」」

そして始まった謎の和人コール。
お前らは学園祭ではしゃぐ高校生か。
まさか俺の名前がこんな風に連呼される日が来るとは思ってもみなかった。

大門「……だそうだが、いいか?」

春海『いや、俺は……』

「まぁ、多少のプログラムの変更はいつものことですから大丈夫ですよ」

あ、俺に聞いたんじゃないんですね。
やっぱり俺の意思って無視されがちな気がする。
しかしこれ、いつものことなのかよ。
マキシさんどんだけ自由奔放なライブしてるんだ。

マキシ「し、仕方ないわね! それじゃ……、カモン! 和人!!」

春海『……』ジッ

マキシ「ちょっ、和人!! こっち来なさいよ!!」

大門「ほら、呼ばれてるぞ」

行きませんよ。
えぇ、行きませんとも。
ライブ見に行くとは言ったけどライブに出るなんて言ってないもんね。

マキシ「もう! 大門!!」

大門「はぁ……。悪く思うなよ」ガシッ

急に大門さんが俺を抱き上げる。

春海『や、やめろ! 行くなんて言ってないだろ!』

大門「どうせもう一回出てるじゃないか」

春海『あれは事故みたいなもんだろ! だいたい俺覚えてないし!』

大門「いい加減諦めろ。マキシの命令は絶対だ」

しまった!
この人、普段は割りと常識人に見えるけどあの黒服たちのリーダーなんだった。


そのままステージ上に連れていかれる俺。

「「「「大門さんHOOOOOOOOO!!!」」」」

またファンたちがよくわからない盛り上がりを見せる。
もしかして大門さんの登場もいつものことなのか……?

マキシ「全く、手間かけさせるんじゃないわよ」

春海『俺は来たくなかったっての』

大門さんから俺を受け取り、ファンたちに向き直るマキシ。

マキシ「初めての人もいるだろうから改めて紹介するわ! あたしの飼い犬の、和人よ!!」

そう言って、マキシはライオンキングよろしく俺を高く掲げた。
ファンの視線が一点に集まる。

「「「「おぉー……」」」」

なんだこれ。


なんだこれ。

その後もステージを右へ左へ連れ回された。
これもある意味見世物だよな。
もういいけどさ……

調子に乗ったマキシが俺を掲げたまま観客席の間を縫って駆け巡っていた時だった。
犬の敏感な鼻が奇妙な匂いを嗅ぎとった。
ラベンダーと、カレー。
……カレー?
ライブ会場でカレーって。
だがその香りの組み合わせに俺は覚えがあった。
いつも俺にカレーを作ってくれたかわいい妹。
それは普通のカレーではなかったけれど。
そのせいか、俺の妹は常に微かにカレーの匂いを漂わせていた。
あいつも一応気にしてはいたのか、ラベンダーの香水でそれを紛らわしていた。
ラベンダーとカレー。
まさか、円香がここに……?


今日はこの辺で

遅くなってすみません
もっと書き溜めできればよかったんですが…
次もこれくらい間を開けてしまうかもしれません…


今週はまどマギの色紙集める作業があったのでほとんど書けてません!!
申し訳ありませんでした!!!!


すみません、やっぱりじっくり練って書き溜めてから投下しようと思うのでこのスレは一度落とします

円香編のスレタイは
円香「お前が、私から和兄を奪った秋月マキシか!」
になるかと思います
期待してくれた方には申し訳ないですが、ちゃんと書きますので…

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