雪歩「スプリング・スノウ」 (36)


 ドラマの主演が決まった。
 テレビ局の楽屋で、そうプロデューサーに言われた時には、何が起きたのかすら分からなくて。
 私は、軽くパニックになっていたと思う。

 プロデューサーと事務所に戻ると、続く小さな爆発音のようなもの。
 そして、私の目の前で季節外れの雪が舞った。

「雪歩、ドラマ主演おめでとう!」

 髪についた紙吹雪の一枚をぎゅっ、と握る。

雪歩「あ、ありがとうございますっ!」

 ようやく、実感が湧いてきた。

真「雪歩っ、すごいよ! 本当におめでとう!」

 真ちゃんが私の手を掴んで、ブンブンと縦にふる。



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雪歩「ありがとう、真ちゃん!」

P「いやあ、本当に……雪歩、頑張ったもんなぁ」

小鳥「何てドラマなの、雪歩ちゃん?」

雪歩「『フォークソングガール』っていう……」

響「って、あれか!?」

真「えっ、有名なお話なの?」

響「ベストセラーだぞ、真! ドラマ化するって噂だったんだけど……すごいじゃないか!」

雪歩「ありがとう、響ちゃんっ」


 さあさあ、と美希ちゃんに通され、事務所の奥に進むと、
 大きなお菓子が見えた。

春香「特製、ビッグパウンドケーキだよ! おめでと、雪歩!」

雪歩「ありがとう、春香ちゃん!」

千早「萩原さんはすごいわね。……私には演技力がないから、憧れるわ」

雪歩「そ、そんなことないよ! 私なんて、ひんそーで」

律子「はい、ネガティブにならない」

 頭をチョップされて、振り向く。律子さんだ。
 眼鏡の奥には笑みがある。

律子「今日は楽しみましょう?」

雪歩「は、はい!」

千早「ふふっ」


 亜美ちゃんが抱きついてきたり、それを見たやよいちゃんが伊織ちゃんに抱きついたり。
 私のためにみんなが開いてくれたパーティーは、とっても楽しかった。

 でも————いつまでも、楽しい時間は続かなかった。

亜美「うおう、外寒いっ」

 ずっと、あのまま時が止まっていれば。離れず、ずっと手を握っていられたら。

律子「まだ、冬って感じよね」

 真ちゃんは。

真「ボク、ちょっと忘れ物しちゃったみたいだな……事務所に戻るよ。律子、鍵貸して」

 私のせいで。

律子「もう……はい、これ」

雪歩「気をつけてね」


 私が、あの時「一緒に行くよ」と一言、言えたのなら。

千早「我那覇さん、この間の……」

 ……あの腕を掴んで、「ダメ」と言えたのなら。

美希「…………」

P「…………真はまだなのか?」

 1分経った時点で、気づけたのなら。

春香「遅い、ですね」

 パーティーを、開かなければ。

P「ちょっと、見てくるよ」

美希「ミキも行くのっ」


 ああ、神様。
 私はどうなってもいいのに。

 どうして私から、大切な人を奪おうとするんですか。

千早「真! 真っ!」

あずさ「私、包帯持ってます!」

伊織「バカ、目ぇ開けなさいよ!」

 運動神経のいい真ちゃんが、転ぶなんて。

貴音「伊織、揺らしてはいけません! わたくし達は、救急隊を待つことしか……」

小鳥「どうして……どうしてこんなことに」

 私のせいだ。


雪歩「私の……せいだ」

響「えっ?」

やよい「そ、そんなことないですよっ!」

雪歩「私が……私の…………ううっ……」

響「雪歩、しっかりしろっ!」

真美「ゆきぴょんはなんにも悪くない、事故だよっ」

雪歩「ああ…………ああっ……」

春香「雪歩、雪歩っ、大丈夫、真は無事だよ!」

 救急隊の人に運ばれていく、真ちゃん。
 …………私が、代わりに取りに行っていればよかったのに。


 私は結局、その日からまともに活動が出来なくなった。
 ドラマは、再び役決めのオーディションが開かれることになった。

 駅売りのスポーツ新聞や芸能雑誌は、真ちゃんや私の写真と名前を頻繁に出している。

『菊地真は脳震盪だった! 戻らない意識に関係者号泣』

『萩原雪歩、ドラマは白紙……突然の活動休止にファンは』

『相次ぐ応援・765プロ、雪歩ちゃん活動は!?』

 事務所には通っている。だけれど、歌おうとすれば声が出ない。
 踊ろうとすれば身体が動かず、笑おうとすれば表情が引きつる。

 事務所に通うのは、せめて心だけでもアイドルで居なさいという、
 律子さんの提案だ。
 ソファに座って、音無さんのお手伝いをするだけ、だけど。


 病院には、まだ行けていない。
 真ちゃんの眠る姿をみたら、今度こそおかしくなってしまいそうだった。

 ……私のせいなんだ。
 真ちゃんの意識が戻らないのも、みんな。

P「ただいまー」

小鳥「おかえりなさい。……あれ、貴音ちゃんは?」

P「貴音なら、病院で降ろしてきました。……見舞いに行く、って」

小鳥「……分かりました。私達も、また行きましょう」

 プロデューサーが帰ってきた。


P「ただいま、雪歩」

雪歩「おかえりなさい」

P「なあ、そろそろ……真に会いに行かないか」

雪歩「…………ごめんなさい」

 まだ、会えないと思います。
 ごめんなさい。

P「そっか。……会いたくなったら、いつでも言うんだぞ。一緒に行くから」

雪歩「……ありがとうございます、プロデューサー」


 テレビは、もう何日も見ていない。
 真ちゃんが映るだけで、泣いてしまうから。

やよい「おつかれさまです」

亜美「たっだいま→」

伊織「ただいま」

P「おう、おかえり」

小鳥「おかえりなさい」

 やよいちゃん達が、帰ってきたみたいだ。


雪歩「おかえりなさい」

亜美「ただいま、ゆきぴょん」

伊織「雪歩。明日なんだけど……みんなで病院に行かない?」

やよい「みんなで行けば、雪歩さんも大丈夫かなーって!」

亜美「だいじょーぶそう?」

雪歩「………………ごめん、なさい……」

 私は弱虫で、ちんちくりん。
 真ちゃんに会う資格なんてない。

伊織「雪歩…………」


 携帯が鳴った。

亜美「電話?」

 鞄の中で震える携帯を取り出して、通話ボタンを押す。

雪歩「……もしもし」

『雪歩。話したいことがあるので、事務所でわたくしを待っていてくださいませんか?』

雪歩「…………四条さん?」

『はい』

 四条さんだった。確か、病院に行っていたはず。

雪歩「……分かりました」


亜美「お姫ちんが電話なんて、めずらしいね」

やよい「私もだけど、あんまり機械に強そうじゃないよね。貴音さん」

伊織「貴音……ええ、滅多にないわね」

 四条さんから電話をもらうのは、初めてだ。

『雪歩、わたくしは思うのです』

雪歩「……え?」

『いつの世も、王子の目覚めには姫君の口付けが必要だ……と』

雪歩「……逆、じゃないですか?」

『…………そう、だったかもしれませんね』


 電話も切れて、みんなは再び仕事に出かけていった。

小鳥「雪歩ちゃん、悪いんだけど、おつかいを頼まれてくれない?」

雪歩「分かりました、何を買うんですか?」

小鳥「このメーカーの電球を、4つ。スーパーに売っているから、お願いね」

雪歩「分かりました」

 メーカーと型式の書かれているメモとお金をもらって、外に出る。
 階段を見るたびに、足がすくんだ。

雪歩「…………」

 あれから3日も経った。いや、3日しか経っていない。
 私以外のみんなは、全員お見舞いに行ったようだ。

 詳しい病状だって、分からない。
 でも——意識が戻っていない、ということは聞いている。


 階段をゆっくりとおりて、大通りに出る。
 空気はあの時と同じように、冷たかった。

 もう、春だというのに。雪が降ってもおかしくない寒さだ。

雪歩「……」

 歩き出す。下を向いて、あの時の情景を思い出さないようにしながら。

 ——『救急隊さん、こっちなの! 早くしてっ』——

 駄目だ。

 ——『あ、あのっ……病院は、大丈夫なんですよね? たらい回しとか、ありませんよね?』——

 どうしても、頭の中に蘇る。

 ——『真を、助けてください』——

 みんなの、声が。真ちゃんの、ぐったりとした姿が。


雪歩「……っ!」

 振り切って、走り出す。

「ん……? おい」

 誰かに呼び止められて、振り返った。

雪歩「あっ……ジュピターの」

 ジュピターの人だ。少し離れて、「どうしたんですか」と聞く。
 プロデューサー以外の男の人には、未だにこの距離だ。

冬馬「そりゃあ、こっちの台詞だ。お前、どうしたんだよ」

雪歩「えっ……?」

冬馬「活動。休止、してるんだろ?」


雪歩「…………いま、なんにも出来ないんです。
   それで、プロデューサーがお休みしろ、って」

冬馬「菊地のことと関係あるのか?」

雪歩「…………」

冬馬「そうか……。忙しくて、まだ見舞いには行けてないんだが……」

雪歩「行くつもり、なんですか」

冬馬「そりゃあ、俺は良きライバルだ、って思ってるからな」

雪歩「…………なら、私の分も、お願いします」

冬馬「はぁ? ……お前、見舞い行ってないのか」


 静かに首を縦にふる。

冬馬「マジかよ……765プロなら、全員が行ったのかと思ったが」

雪歩「……私だけ、行ってません」

冬馬「どうして」

雪歩「…………私の、せいだから」

冬馬「え?」

雪歩「真ちゃんがああなったのは、私のせいだから……なんです」

冬馬「…………」

 トラックが横を猛スピードで走る音がする。


冬馬「…………俺は、新聞の情報ぐらいしか持ってないけど」

雪歩「……」

冬馬「……あんた、いろいろ背負いすぎなんじゃねーの?」

雪歩「えっ……?」

冬馬「こう、傍から見ても……あんた、気にしなくてもいいことを気にして失敗とか、してるだろ」

雪歩「…………真ちゃんのこともそうだ、って言いたいんですか」

冬馬「……菊地は菊地、あんたはあんただ。菊地のことまで背負い込む必要なんてねーだろ」

雪歩「…………」


冬馬「やべっ、北斗から電話だ……。じゃーな、萩原」

雪歩「あっ…………はい……」

 走って去っていった。
 …………少し、良い人だな、とは思った。

 しまった、急いでスーパーに行かないと。
 私はゆっくりと、走り出した。


小鳥「ありがとう、助かったわ」

雪歩「いえ……遅くなって、ごめんなさい」

小鳥「そういえば、ちょっと遅かったかも。どうかしたの?」

雪歩「ジュピターの人と会って……」

小鳥「ジュピター……」

雪歩「励まされました」

小鳥「励まされたの? そう……」

 変な話だと思う。
 ジュピターの人に励まされるなんて。


 ソファに座って、ぼーっとする。
 ポケットが震えた。

雪歩「……もしもし」

『もしもし、わたくしです』

雪歩「……四条さん」

 どうして自分から名乗らないのだろう。
 少し不思議だ。

『雪歩、わたくしは今、事務所の下に居ます』

雪歩「え……?」

 立ち上がって、窓の前に移動する。
 窓を開けて下を覗きこむと、四条さんが笑顔で手を振っていた。


『どうぞ、おりてきてください』

雪歩「は、はいっ」

 電話を切る。音無さんに一言残して、コートとバッグを掴んで事務所を出た。
 ゆっくり、ゆっくり階段をおりて——たるき亭の前、1階に。

貴音「雪歩、こちらです」

雪歩「あ、あの……四条さん、一体何をするんですか?」

貴音「ええ、これから……一緒に真に会いに行こうと思いまして」

雪歩「えっ…………」

 あの時の情景がフラッシュバックする。


貴音「雪歩」

雪歩「……っ」

貴音「逃げるばかりでは、強くなれません」

雪歩「え……?」

 私は、逃げているのか。真ちゃんから。
 ……そう、なのかもしれない。真ちゃんを事故に遭わせてしまった責任感を背負って。
 真ちゃんと向きあおうとしていないのかもしれない。

貴音「真も、雪歩に会いたいと思っているはずです」

雪歩「…………」


貴音「……歩いて行きましょう」

雪歩「…………あの病院って、歩いて行けるんですか」

貴音「ええ」

 四条さんが手を繋ぐ。

貴音「雪歩」

雪歩「…………はい」

貴音「あなたは、1人ではないのです」

雪歩「…………」

貴音「困ったときに、相談の出来る仲間が居ます」


 ゆっくりと、歩き出した。

貴音「真は、皆に愛されていますね。実感します」

雪歩「えっ?」

貴音「病室には、皆の置いていく果物や花が溢れるくらいにあります」

雪歩「……」

貴音「ただ、真が一番欲している貴女の見舞い品だけがありません」

雪歩「…………」

貴音「真も、目を覚ますかもしれませんね」


雪歩「目を……」

貴音「普段は、真が王子様の役を買って出ることが多いですが……」

雪歩「……」

 さっき、四条さんが電話の向こうで言ったことだ。

貴音「今は、眠り姫です」

雪歩「眠り姫……」

 お姫さまは、眠ってしまいました。

貴音「そして必要なのは」

 眠りから解放する方法は、

雪歩「王子様の、口づけ」


貴音「……さすがに、口づけは出来ませんが」

雪歩「…………」

貴音「会って手を握れば、奇跡が起きるかもしれませんね」

雪歩「……」

貴音「雪歩」

雪歩「……はい」

貴音「あの日……パーティーのことを、覚えていますか」

雪歩「も、もちろんです」

 とっても楽しかった。だからこそ、自責の念が強いのかもしれない。


貴音「あの時、誰よりも雪歩のドラマ主演を喜んでいたのは、真ではありませんか?」

雪歩「えっ?」

貴音「もちろん、皆が雪歩のことを祝っていましたが……付き合いの長い真が、
   一番喜んでいたのでは?」

雪歩「…………」

 そう、なのかな。
 真ちゃんが、一番喜んでくれたのかな。

貴音「そんな真のことです。雪歩に恨み節は言いません」

雪歩「えっ?」

貴音「真の目が覚めた時、『あの時雪歩がついてきてくれたら』とは言わない、ということです」

雪歩「……」


 私、四条さんに言ったっけ。
 悩んでいる内容。

貴音「ふふっ」

雪歩「……」

貴音「そろそろ、病院につきます」

雪歩「…………」

 前を見ると、少し遠くに病院のマークがある、茶色の建物が見えた。
 事務所の近くの病院だったんだ。

貴音「雪歩の手は、温かいですね」

雪歩「……そう、ですか?」


貴音「ええ。……手が温かい人は、思いやりのある人だと言います」

雪歩「……私は、違います」

貴音「いいえ、雪歩こそ、思いやりのある女性だと思いますよ」

 私は思いやりがないと思う。
 自分のことで精一杯で、周りを見て判断することが出来ない。
 千早ちゃんみたいに、困っている人をサポートすることも。
 四条さんみたいに、困っている人の話を聞いて解決に導くことも出来ない。

貴音「あなたは、人のことを自分よりも大切に考えられる」

雪歩「…………」

 ジュピターの人には、真ちゃんのことまで背負い込む必要はない、って怒られたけれど。
 彼の言う事も、四条さんの言う事も正解で、間違っては居ないんじゃないかと思った。

貴音「とても優しい人ではないですか」


 病院に入る。さすがに四条さんは、手を離した。
 エレベーターに乗り込んで、7階のボタンを押す。

雪歩「7階なんですね」

貴音「ええ。眺めのいい部屋ですよ」

 7階でございます、と電子音声が案内する。
 ナースステーションが目の前にあって、そこで受付をするのだという。

貴音「雪歩の名前も、書いておきますね」

雪歩「は、はいっ」

貴音「こちらの入館証を胸につけて下さい」

 手渡された入館証のクリップを、胸の近く……着ていた服のポケットにつけた。

貴音「それでは、進みましょう」


 広い病院だ。
 廊下をしばらく歩いて行くと、行き止まりの壁が見えてきた。

雪歩「……あの」

貴音「角部屋です」

 まだ、何も言っていないのに。
 四条さんは不思議な人だ。普段から、こういうことがよくある。

貴音「そして、個室です」

 菊地真————。その名前だけの部屋。
 四条さんが2回ノックをして、ドアを横にスライドさせた。

雪歩「……っ」

 人工呼吸器をつけた真ちゃん。ベッドの奥には、心電図が映っている機械が置いてある。
 真ちゃんと、繋がっている。

貴音「真、雪歩を連れて来ましたよ」


真「——」

雪歩「……真ちゃん」

 四条さんが、ベッドの横に置いてあった椅子に座る。

雪歩「真、ちゃん」

 手を握った。ほのかに、温かい。

雪歩「真ちゃん…………」

 顔を見る。頭に包帯を巻いていた。

貴音「……わたくしは、ラウンジへと行ってまいります」

 四条さんが、部屋から出て行った。
 静かな空気。


雪歩「真ちゃん、私ね」

 手に力はない。

雪歩「いま、お休みしてるんだ」

 規則的に、心臓は動いている。

雪歩「だから、ドラマのお話も無くなっちゃった」

 点滴のチューブを見て、胸が痛い。

雪歩「プロデューサーに、申し訳なくて」

 ギュッ、と手を握る力を強くする。

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