魔法少女まどか☆マギカ AFTER STORY ——赤いリボンの伝説—— (480)




             —Don't forget.

            always, somewhere,

          someone is fighting for you.

         —As long as you remember her.

             you are not alone.




SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1347384364



ぽつ、

     ぽつ、
          ぽつ——


垂れ込める暗雲から、堰を切ったようにいくつかのしずくが溢れ、零れはじめる。
それらは頬を流れ落ちる涙のように、音を立てることなく地面に弾かれ、その花を開かせていく。
飛沫が乾いた土へ溶け込み、大地が湿気を帯びてわずかに黒ずんでいった。

「……ほんとう、に」

ぬるま湯のように生暖かい湿り気のある空気を震わせて、小さな音がひびき渡る。
湿った空気に同調するような、頼りの無い可憐な揺らぎ。力の無い弱弱しい声だ。
空から降り注ぐしずくを浴びる大地の上で、愕然と立ち尽くす少女の口から漏れた呟きだった。

——彼女の腕の中には、今まさに消えかけている一つの命があった。

「本当に、これしかないのね」

暗い色に彩られた少女は、雨に打たれながらももういちど、言葉を漏らした。
だんだんと勢いを増し始めた雨と同調するような、先ほどとは打って変わって芯のある響きだった。

その呟きに対し、応える者がいる。

《そうだね。君の願いを叶えるためには、これが最善の策だと思うよ》

それは短い四本足を地面に付けた、小さな白い生き物。
耳から長い毛を飛び出させる、犬とも猫とも取れない奇怪な動物だ。
その柔らかそうな白い毛皮は、しかし常識を覆し、空から降り注ぐ雨粒を弾き返している。

《だけど、それは彼女の運命を大きく歪ませることを意味している。君はそれでも良いのかい?》

湿った空気と3メートルの距離を無視して、ふたたび白い獣の声が少女の心へ伝わってゆく。
だが少女は応えない。用は済んだと首を振り、艶のある黒髪を湿った風に靡かせるだけだ。


ざあ、

     ざあ、
          ざあ——


「……だいじょうぶだから」

烈しさを増していく雨に耐えながら、少女は自分の腕の中にある命に言葉をこぼす。
そして、娘を想う母のように優しい愛を宿した熱い視線を向けた。

その生命は、あるいは彼女にとってかけがえの無い物なのかもしれない。
神か、もしくは世界の粋な計らいとでも言うべき奇跡の塊か。
唯一無二の存在。
天からの贈り物。

「たとえ、何度繰り返すことになっても」

腕の中の存在へ、彼女は語りかける。

「必ずあなたを、助けてみせる」

その表情は、濡れた髪に隠れている。
だがその言葉は、妙に馴染みの深い響きと共にあった。
まるで何度も何度もその言葉を口にしたことがあるような、そんな慣れ親しんだ響きを宿していた。

「今度こそ、あなただけは幸せにしてみせる……!」

表を上げて、彼女はキッと空を睨みつける。

彼女の双眸は覚悟によって爛々と輝いていた。
彼女の表情は決意によって粛々と強張っていた。

少女は軽く首を振った。
全てを飲み込むような深い黒の髪が揺れて、次の瞬間、その髪に新たな色が生まれる。
それは明るくて、少し可愛げのある赤。
情熱の炎というよりは、幼い乙女の心を表すような赤。

優しい質感の、赤いリボンが彼女の髪に確かに結ばれていた。



少女の腕の中に優しい光が訪れる。

光は少女の腕から溢れ出て、やがて少女を中心とした世界を満たし尽くした。



   ざあ、

         ざあ、
           ざあ——



それらはすぐに、消えてしまう。

ちりと水分を含んだ、濁ったしずくに流されて。



◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


此方より彼方へ——昔、そんな題名の物語があったそうだ。

わたしの目の前には、まさにその題名のように遥かに続く灰色の光を帯びた無限の空が広がっている。
嘘が真に、偽りが真実に。おとぎ話のアリスが迷い込んでしまった不思議の国。
この世の常識を覆すありえざる輝きが溢れる幻のような世界。

わたしはその光景の異常さに心を奪われ、つい足を止めてしまった。

「——あぶないっ!!」

危険を知らせる鋭い声。けれどもわたしは、その声の期待に応えられずに立ちすくんでしまう。
そんなわたし目掛けて、すぐ前方より幾条もの光線が放たれた。
光線は宙を切り裂きながらわたしのすぐ手前に着弾し、地面に大きな焦げ跡を残していく。

巨人のように大きく、不気味な聖職者の姿をした≪魔獣≫の攻撃だ。

……魔獣。人の妬みや恨みを食らって世界に干渉する存在。わたしのような≪魔法少女≫の敵。

半ば思考停止しながらも、わたしは続く攻撃を身体を捻ってしのぎきり、伏せたまま敵を見据える。
敵は攻撃した後で隙だらけだった。このチャンスを無駄には出来ない。

わたしは左手に携える『木の枝のように細い弓』を構えた。

右手に光の矢を灯して弓につがえ、狙いを定めて思い切り引き絞る。
きりきりと唸る弓のしなりが最高潮に達したところで、わたしはその力を解き放とうとする——けれど。

「……邪魔……」

「えものはもらっちゃうよー!」

わたしが矢を放つよりも早く、二人の女の子——わたしと同じ魔法少女たちが躍り出た。


二人はそれぞれ己の得物を構え、獲物を狙い、まっすぐに飛び掛っていく。

若草色の暗くも美しい衣装を着た同じく若草色の長髪の少女がムチを振るって魔獣を牽制。
次いで、珊瑚色の服装の小さな女の子が立ち止まる魔獣をステッキで殴りつける。

魔獣の動きが完全に止まった。狙うなら今しかない。
引き絞った弓を解放。溜め込まれた魔法の矢が結界の中を駆け抜ける。
矢はほんのわずかなタイムラグの後に、寸分違わず魔獣の頭部に命中。ばしゅっと音を立てて魔獣が消滅する。

わたしは一息ついて、先行した二人の動向を横目で窺った。
戦場と化した神秘的な結界の中を、うごめく茨ときらめく炎が駆け抜けている。

時には互いを囮にして、またある時は互いに背を預けあって。
直進したと思えば反転し、跳んだと思えば力を振るい。
敵を撃破、あるいは盾にして、並み居る魔獣たちを砕いていく。

飛び出すような緑と赤の流線形が交互に交わり、螺旋を築きあげる。
わたしは自分が戦場にいる事を忘れて、そのコンビネーションに見惚れてしまう。

「……すごい」

≪小型≫と≪中型≫の魔獣、合わせてざっと70。その大群が二人の魔法少女によって切り崩される。

「ラストはゆずっちゃうよー!」

「……ここで働かないとか信じられない……」

そんな声が耳に届いた。
直後、1メートル半分程度の魔獣——最後の生き残りだ——がムチに薙ぎ払われて撃破される。

それに合わせて結界が薄らぎ、無限にも思える有限の空間がほころびを生じさせて消えていく。
引き伸ばされた霞のような雲が引き裂かれ、異常な光をもたらす天に位置する何かが破れ——


気がついたときには、周囲の光景は普段見慣れた見滝原市を突き抜ける河川敷のそれに変貌していた。

灰色の光よりも明るい日差しと、暖かい草花の匂いを運んできた風とがわたしの頬を撫でては通り過ぎてゆく。
季節は春。寒くはないが、だからと言って暑くもない微妙な時期。
そんな春の陽気を感じながら、わたしは一度頷いた。

わたしたちは魔獣に勝った。そしてまた、見滝原市に戻ってくることが出来た。
ほっと一息吐いて、首をぐるりと回す。
それからわたしは、地面に落ちている小さな石ころ——≪グリーフシード≫を拾い集める二人の下に駆け寄った。

「さっきはごめんなさい! ついうっかりぼーっとしちゃって!」

わたしの声に二人は呆れたようなポーズを取って見せた。

「戦ってるとちゅーでぼーっと出来るって、ある意味すごいよね」

「……佐倉さんとは大違い……」

佐倉さん——≪佐倉杏子≫さんの名前を出されて、わたしは思わずたじろいだ。
『マギカ・カルテット』のまとめ役でその道30年の人と比較するのは、どうなのかなぁと思う。

だけどすぐに姿勢を正し、深々と頭を下げる。散々な言われようだけれど、わたしのミスに変わりはないのだから。
それに彼女の辛らつな態度には慣れているし——わたしはちゃんと、知っていた。
その若草色の、少し長すぎる前髪の隙間から覗かせる瞳の温かさに。

わたしは苦笑を浮かべてから、もう一度頭を下げた。

「佐倉さんとは大違い——って台詞、今ので9回目だぞー」


陽気な声が聞こえて、わたしはそちらへ目を向けた。
視線の先で、もう一方の背の低い魔法少女が小さな右の手のひらに飴玉を作り出している。
それをひょいっと口の中に放りながら、彼女は珊瑚色の髪を揺らしてにかっと笑顔を浮かべた。

「まーなんにしてもさ、きょーはもう帰って休んだら? 朝からずっと戦ってんでしょ?」

少し舌足らずな発音に頬を緩ませ、彼女の気遣いに感謝する。
だけどわたしは首を横に振った。
そこまで疲労は溜まっていないし、出来れば汚名挽回——じゃない、汚名返上したい。

「……佐倉さんに叱られかねない……」

「そーそー、ケガしてからじゃおそいの! この辺りのパトロールはあたしらがやっといたげるからさ!」

でも、と言葉を詰まらせる。
迷惑を掛けた以上、償わなければならないという義務感が沸いて来る。

「あんたは年下、あたしは年上。分かったらしたがいなさいって!」

「……その身長で年上とか信じられない……」

「あぁ? なんか言ったか人間不信やろー!」

「……お子様の言葉は相手にしない……」

——なぜか話が逸れてしまっている。

むむむ、といがみ合い始める二人に、わたしは緩めた頬を少しだけ引きつらせる。
仲が良いのか悪いのか……とお決まりの文句が頭に思い浮かんだ。
もちろん真相は考えるまでもないのだけれど。


「喧嘩はいけませんよ二人とも。仲良くしましょう」

太陽の日差しの下に繰り広げられる、くだらない喧嘩をなだめていたわたしは、
天が差し向けてくれたのであろう思わぬ味方に勢い良く振り返った。

振り返った先には、紺色の修道服を着た物静かそうな女性が立っている。
墨をこぼしたような、優しくも奥深い黒の髪。生けるもの全てを肯定するような優しい瞳。
その人——わたしと同じ魔法少女の一人は、柔和な笑みを浮かべたまま近づいて、そっとわたしの頭を撫でてくれた。

「お疲れ様です。疲れたでしょう?」

「……わたし、子供じゃありませんよ?」

嫌なわけじゃない。だけどくすぐったいし、恥ずかしいので上目遣いのまま文句を呟く。
しかし彼女は笑ったまま、わたしの文句を軽く受け止めてさらにもう二度、頭を撫でた。
それで気が済んだのか彼女は二人に振り返るとぱん、ぱんと手を叩いて注目を集める。

「二人とも、喧嘩はおよしなさい。イエズス様のお言葉にもあるでしょう。汝、隣人を愛せよ、と」

「だってこいつが!」

「……ああ騒がしい……」

ぎゃーぎゃーとわめく二人に、彼女はにっこり笑って歩み寄った。
そして先ほどわたしに行ったのと同じように、優しく二人の頭を撫でるのだ。
ああ見えて照れ屋で恥ずかしがり屋の二人は、すぐに口を震わして縮こまってしまう。

……かわいい、などと思っていると。彼女はわたしの方へ振り向き、

「話は聞きました。あなたはもう帰りなさい。幸い今日は魔獣も少ないですから」

びしっと言い放った。えー……


「でも、あの! 魔獣、少ないんですか? 朝は≪瘴気≫が濃いって……」

魔獣がもたらす嫌な空気、あるいは気配。
≪瘴気≫と呼ばれるそれが、今朝の見立てでは珍しく濃かった。つまりそれだけの魔獣がいる、ということ。
グリーフシードを回収することはもちろん、一般人の生命力を奪う魔獣には即刻対処する必要があるのだ。
それで久しぶりに大掛かりな魔獣の討伐をするというからわたしも意気込んで参加したのだけれど。

「早朝時点では確かに濃かったのですが……」

「佐倉さんも同じよーなこと言ってたよね。なんかあるのかなー」

「……どちらにしても不可解……」

「不可解……そうですね。——分かりました。それでは念のため、あなたは佐倉様に御報告をお願いします」

そう言って、彼女は軽く頭を下げた。
ずっと年上の人に頭を下げられてしまっては、さすがにもう何も言えなくなってしまう。
わたしはがっくりと肩を落として了承する。

「……分かりました。それじゃあわたし帰ります」

「ああそれから、佐倉様によろしくお伝えください。ソウルジェムに翳りがあれば、すぐにでもお分けすると」

「はい」

返事をすると、わたしは三人に向かって微笑んでからお辞儀をした。
それを見た三人は元気良く腕を振ったり、軽く手を振ったり、なぜか小さく指を振ったりと様々な返しを見せてくれた
もう一度大きく微笑んでから、わたしは後ろを振り向き、ゆっくりと歩き出す。

目に見える場所に瘴気は無く、≪ソウルジェム≫も反応無し。
今日の見滝原は珍しく平和そうだった。

そんなことが無性に嬉しくて、わたしはときおりスキップを交えながら軽やかに帰路を歩んだ。
周りの白い目線に気づいて顔を真っ赤にするのは、それから五分後の事である。


◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


見滝原市の住宅街に建てられた小さな下宿所。
複数の魔法少女が生活を共にする『マギカ・カルテット』の生活の拠点だ。
玄関の扉を開けて、わたしは自分が帰ってきたことを知らせるために声を張り上げた。

「ただいまー!」

言ってから、靴を脱いで桃色のスリッパを履く。
そしてリビングへ向かうと、携帯電話を片手に持ったままソファでくつろいでいる女性がいた。

「おや? やけに早かったじゃないか。おかえり」

そう言って、女性——杏子さんはわたしに顔を向けると、朗らかな笑みを浮かべた。
赤みを帯びたストレートの髪が、そんな彼女の仕草に合わせてふわっと宙を舞う。
四十半ばだなんて思えないくらい若々しい雰囲気だ。ひょっとするとわたしよりも活力があるかもしれない。
スタイルも良い。肌なんて二十代でも通用するくらい瑞々しい。下手したら十代でも……

……それは流石にない、かな?

そんな杏子さんに先程の出来事を報告しようとして、だけどわたしは思いとどまった。
杏子さんが険しい顔で携帯電話に耳を預けたからだ。

「……寄付金が足りなくて運営が出来ない? 甘えるのもいい加減にしな。
 最近の教会はすぐに予算がどうだ周りの視線がどうだってわめくけど、だいたいアンタらは——」

電話に向かって鋭い言葉を浴びせる杏子さん。

事情を察して、わたしは向かいのソファーに座り込んだ。
恐らく電話の相手は近くの教会の神父か、その手伝いのスタッフを兼ねている信者さんだろう。
きっとなにか悩みや問題があって杏子さんに相談しているに違いない。——結果は、あれだけど。

杏子さんに怒鳴られて戦々恐々としているであろう人の顔を想像し、静かに苦笑を浮かべる。

流石はたくさんの魔法少女を鍛え上げて、今日まで導いてきた人だ。


「ああ、それで通しといてくれ。————ったく、最近はダメだね!」

悪態をつきながら携帯電話をテーブルに置く杏子さん。

携帯電話といっても、今流行の携帯電話ではない。
30年以上も前に流行していたそれはそれは古い携帯電話だ。
杏子さんに言わせると≪スマートフォン≫らしい。

あの形のどこがスマートなのかは、現代っ子のわたしには正直よく分からないけれど。

それはさておき、そんな古い携帯電話を扱う杏子さんの姿は、わたしの目にはとても凛々しく映った。
なんとも言えない気分になってため息を吐くと、わたしは彼女に声をかけた。

「なにかあったの?」

「甘えん坊さんが多くてやってらんないって話さ。私の時代と比べりゃ遥かにマシだってのに」

「そうなの?」

「昔は宗教に対する偏見が強かったし——それに『こっち』の話だと、魔法少女も群れなかったからね。
 魔獣の発生頻度も昔よりマシになったもんだよ。≪大型≫は出ないし、数が少なすぎることもないってね」

「おかげでわたしたちは生きてられるんだよね」

「そういうことさ。——で、どうする?」

杏子さんが、にやりと笑みを作る。

「昼飯、食べるかい?」

時刻はちょうどお昼時。仕事(とうばつ)帰りでお腹も空いている。
断る理由は無いので、わたしはすぐに頷いた。

それを見た杏子さんは、よし来たと言わんばかりに膝を叩いて立ち上がった。
そして鼻歌交じりにキッチンへと向かい、手馴れた手つきでお昼ご飯の調理を始める。

何度見ても飽きない、杏子さんの姿。
わたしの保護者としての——『お義母さん』としての優しい姿を、わたしはこの目にじっと焼き付けた。


◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


「——それで、わたしだけ帰らされちゃったんだ」

「なるほどねぇ、あいつらもたまには気が利くじゃないか」

けらけら笑いながら、杏子さんはお皿に盛られた焼きそばをテーブルに置いた。
小麦色の焼きそばから漂う香ばしいソースの香りと、どこか懐かしい青海苔の匂いがとてもマッチしてる。

「でも気になるね。確かに今朝の瘴気はかなりの物だったんだが」

「杏子さんの勘が鈍ったとかかな?」

「……あんたも言うようになったねぇ。そういうところはマミに似ちまったのかね」

杏子さんが呆れ顔で言うので、わたしも負けじと言い返す。

「杏子さんにも育てられてるから、ほら」

「ったく、生意気娘は……だいたいね、私からすればあんたらなんてトーシロ同然だよ。バカ言ってないでさっさと食いな」

「はーい」

差し出された箸を受け取ると、湯気の絶えない焼きそばに差し込み口元まで寄せて一口で頬張る。
紅しょうがの辛さに自家製のソースの甘酸っぱさと麺の絡み具合が絶妙、と偉そうに評価してみる。
もちろんそんなのは最初だけだ。
あとは空腹も手伝って黙々と食べ続け、あっという間に平らげてしまう。

……うん、やっぱり杏子さんの作ってくれるご飯(今日は麺だけど)はおいしい!

素直な感想を述べようと顔を上げて、杏子さんの目線がある一点に釘付けになっていることに気付いた。
その視線の先には、ずっと昔、地上デジタル放送に移行した時に生産された薄型の液晶テレビがある。
そんな年季のあるテレビは、お昼のトーク番組をその画面に映し出していた。

『——というわけで、今日のゲストは世界で活躍しているヴァイオリニストの上条恭介さんです!』


そう言ってカメラを向けられた銀色の髪の男性を見て、わたしは思わず「あっ!」と声を上げてしまった。
杏子さんが怪訝そうな顔を向けてわたしの反応を訝しがっている。うう、恥ずかしいよぉ……

「……あんたこういう音楽に興味あったのかい?」

「え? そ、そんなことないけど。でもほら、よくテレビで見かけるし、ちょっとだけね」

口ではそう言ったけれど、実は新曲をいつもチェックしてしまうくらいにはファンだったりする。
本当は小型の音楽プレイヤーでずっと聴いていたいのだけれど、そういう物は高いので我慢だ。

『——それで、上条さんの人生を振り返る上でどうしても欠かせないエピソードと言えば?』

『そうですね……やはり中学時代でしょうか。事故に見滝原大災害。
 あの時は本当、悲しんでは喜び、喜んでは悲しんでと、希望と絶望の間を行ったり来たりしていましたよ』

『なるほど。事故と言えば、やはりあの奇跡ですね』


自分の目が無意識の内に細まったのを、わたしは少ししてから自覚した。
奇跡という言葉を聞くとどうしても魔法少女を連想してしまうのだ。
……もしかしたら彼の腕を治す、そんな願いを叶えて魔法少女になった人がいるのだろうか。

いたとして、今は何をしているのだろうか。その人は願いを叶えた後で、幸せになれたのだろうか。
わずかな疑問が頭の中に芽生えるが、しかしそれは根付くことなく思考の波に流されてゆく。

『今でも信じられませんよ。過去の現代医学では治療できないと断言された右手が、一晩で完治してしまったんですから』

『神は人を見捨てなかった、ということですね。確か奥様とはその頃からの仲とか?』

『ええ、妻は私の親友の友人でした。退院後に彼女から告白されてましてね。いや、妻には頭が上がりません』


学生の頃から結ばれた仲……
学生だった時が無い——そしてこれからも来ない——わたしには、それがとてもロマンチックな響きに聴こえた。
未練がましいと自覚はしている。だけど、仕方が無い。憧れてしまうものは憧れてしまうものだから。

同意を求めようと杏子さんの方に視線を向けたわたしは、思わず体を後ろにのけぞらせた。

杏子さんの眉間に、とても深い皺が刻まれていたから。
肩はわなわなと震えて、何か——深い怒りを堪えているのかもしれない。
だけど、何故だろう。そんな杏子さんは、同時にとても悲しんでいるようにも見えた。

『……でも、本当に辛かったのは事故でもあの大災害でもないんです』

『と、言いますと?』

『あの大災害の少し前、私の唯一無二の親友が失踪してしまいましてね』

『ええ! それは本当ですか?』

上条恭介の言葉に、杏子さんがはっとした表情を作った。
その意味を測りかねているわたしを無視して——当然と言えば当然なのだが——上条さんが話を続ける。

『ああ、そういえばこの話をテレビでするのは初めてですね。
 彼女の様子がおかしいことに気付けなかったことを、私は今でも悔やんでいます』

『警察や消防は対応してくれなかったのですか?』

『いいえ、対応してくれました。それでも見つからなかったんですよ』

『……それは、その。なんとも悲しいお話ですね』

『親友の身に何が起こったのか……それだけでも良いので、知りたいのですが』


「『さやか』」

画面の中にいる上条恭介の言葉と杏子さんの呟きがぴったり重なったのを、わたしは確かに聴いた。
何かを懐かしむような響きも、自分を責めるような口調もそっくりそのまま。

ぶつっと音を立ててテレビの画面が途切れる。

リモコンを使ってテレビの電源を消した杏子さんの表情は、先ほどよりも少しだけ柔らかい物になっていた。
だけど、何がきっかけで機嫌を直したのかが分からない。上条恭介の言葉と何か関係があるのだろうか。
わたしは自分の抱いた疑問を、おそるおそる杏子さんにぶつけてみた。

けれど、

「今のは魔法を使って先読みしただけさ。凄いだろう?」

そう言って快活に笑い、杏子さんは話を締めくくってしまう。
表情はいつもと同じ、明るく強気な杏子さんのそれなのに。
わたしは杏子さんとの間に広がる越えることの出来ない壁を感じ、ただ頷くことしか出来なかった。

そんなわたしの気持ちを知ってか知らずか、杏子さんはわたしに微笑みながら尋ねた。

「それで今日はどうするんだい。魔獣退治、しないのなら暇だろ?」

「うーん、どうしよっかなぁ」

「そうやって悩むくらいなら、中学校の話も断らなければ良かっただろうに」

「あはは……」

手痛くも鋭く正しいお言葉に、わたしはただただ苦笑いするしかない。
だけど、もう遅いのだ。わたしは決めたのだから。


「それじゃあ今日はマミさんのところに行ってみようかなぁ」

わたしがそう言うと、杏子さんは露骨に嫌そうな顔をして見せた。

「またか? あんたも飽きないもんだねぇ」

「うん、でもほら、マミさんって寂しがり屋さんだし、もうすぐ二年になるから……」

マミさん——私を『拾ってくれた』もう一人の『お義母さん』の顔を思い浮かべる。
わたしにとってマミさんは、杏子さん以上に馴染みの深い人だった。

杏子さんは呆れたような顔のまま、やれやれと言って首を振った。
それから瞳を細め、どこか懐かしがるような、寂しい笑みを作る。
その表情に、わたしは先ほど感じたのと同じ越える事の出来ない壁を垣間見た。

「もう二年になるのか」

わたしは静かに頷いたのを見て、杏子さんは肩をすくめて見せた。

「マミが寂しがり屋なのは本当だし、仕方ないね。良いよ、行ってきな」

「うん、ありがとう杏子さん!」

大仰に頭を下げて、わたしは勢い良くリビングを飛び出した。
玄関に置かれた靴をしっかりと履いて、後ろを振り返る。
そしてリビングから姿を覗かせている杏子さんに向かって大きく手を振る。

「それじゃ、行ってきます!」

「行ってらっしゃい。遅くならないうちに帰ってきな」

「はーい!」

返事をして、扉を開ける。と同時に、視界一杯に白い世界が広がってゆく。
太陽の陽射しに当てられた住宅街が白く染まっているのだ。
立ち眩みにも似た眩さから目を細めながらも、わたしは一歩前に踏み出した。


◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇



少女を見送ると、杏子は表情を険しくした。
くるりと踵を返し、肩で風を切るように足早にリビングへ戻る。
その肩はほんのわずかながらも確かに震えていた。

「……なんで、いまさら」

自然体のまま、恐らくは無意識の内に彼女は呟いた。
電話の母機が置かれた棚まで足を運び、上から二段目にある引き出しに手を伸ばす。

「なんでいまさら、あれが、あんなことを……」

眉間にしわを寄せたまま、彼女は引き出しの中にある畳まれた写真立てを取り出した。
鋭い眼差しで、そのガラスの向こうにある写真を凝視する。

写真には、四人の少女の姿とどこかのマンションの一室が写っていた。
年齢は14か15で、照れている者もいれば笑顔の者も、緊張した様子の者もいる。

「……っ」

ぐっ、と。写真立てを握る手に力がこもる。

「感傷に浸るなんて、女々しい。大人ぶるなんて、らしくない——そう言って、あんたは今の私を笑うかい?」


写真から目を離さずに呟き、左手を胸に当て、杏子は祈るように目を閉じる。

「でもね、しょうがないじゃないか。誰だって子供のままではいられないんだ」

まるで目を開けばそこに写真に写る彼女らがいるかのように、杏子は一人続けた。

「いつまでも“アタシ”じゃ居られない。“私”になる時が、来るんだよ」

自嘲気味な笑みを浮かべると、杏子は目を開いた。
当然の事ながら、そこに写真に写る少女達の姿は無い。
だからと言って気落ちする様子を見せるでもなく、杏子はもう一度写真に視線を落とした。

「美樹、さやか……」

言葉が漏れる。

「さやか」

もう一度、言葉が漏れる。
どこか悲痛で、諦観にも似た力の無い響き。

「あんたは、余計なことをするなと怒るかもしれないが」

悲しくも、怒りの色を帯びた。けれども憂いを秘めたる、つぶやき——

「それでも私は……」


◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇


◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆



——そして。

温かい陽射しを背に受けながら、わたしは辿り着いた。

「久しぶり、マミさん。元気してた?」

普段となんら変わらぬ調子で声を掛ける。
途中で購入したクッキーの箱をビニール袋から取り出し、開封して中身を二枚ほど手に取る。
甘い香りが、春の匂いに溶け込んでいく。
お花でも買えばよかったな、と少し後悔。次に来る時は綺麗なお花を必ず用意しよう。

「前に来たのが三ヶ月前だったから、本当はお詫びにケーキでも持ってきたかったんだけど——」

気持ちの良い風がさあっと流れ、辺りに生えた草花がゆらゆらと揺らされる。
あまりの心地よさにわたしは少しの間だけ沈黙した。

草花の揺れる音を堪能し終えると、わたしは改めて口を開き、それから苦笑を浮かべた。

「——ここに置いておくと、蟻さんたちが食べちゃうから。ごめんね、マミさん」

息を吐く。次に視線を逸らし、空いている方の手で地面に散らばっている枝や小石をまとめる。
あるていど周りを綺麗にすると、わたしはもう一度、しっかりと正面を向いた。
そして正面のそれを見て、

「——マミさんが円環の理に導かれてから、もうすぐ二年になるね」

わたしは、そう言った。


わたしは手に持っていたクッキーを、静かにそれへと供えた。
目の前に鎮座するそれ——少し埃がかった“墓碑”には、日本語で“巴マミ”と。
そのすぐ下には少し変わった言葉で“Candeloro”という文字が刻み込まれている。

かつて多くの人々を救い、多くの少女を鍛え、慈しんだ英雄——巴マミ。
この墓碑は彼女が存在していたという証だ。

たとえわたしたちの記憶から消えてしまっても、わたしたちがいなくなったとしても。
この墓碑が残り続ける限り、彼女の英雄的活躍と伝説じみた偉業は消えない。
そして彼女が存在していたという事実も残る。

……けれど、彼女の亡骸はここにはない。それどころか、この世界のどこにも存在しない。

そのおかしさに胸が詰まるような思いで、わたしは唾を飲み込んだ。

「ねぇマミさん。向こうでは楽しく過ごせてる? 不自由してない?」

質問する。答えは返ってこない。当然だ。

「わたしね、まだマミさんのリボンで髪を結んでるんだ。どう? 少しは似合ってきたかな?」

わたしは『桃色の髪』を手でいじりながら、墓碑に顔を寄せた。
ぱた、と音を立てて『黄色いリボン』が前に垂らされる。

「わたしにはちょっと荷が勝ちすぎてるけど、でも負けないように頑張るよ!」

精一杯の笑顔を作って、わたしは言う。

「……だって、そうでもしないと、わたし」

けれども、声は上ずって。顔が熱くなって、喉が痛くなって。
ついには視界がにじみ始めてしまい、わたしは大きく目を見開いて頭を下げた。

「ごめんね、マミさん! 今日はこれでおしまい! また今度ね!」


勢い良く吐き出すと、ようやく顔に出ていた症状が治まった。
ここに来るといつもこうだ。まだまだ挨拶しなきゃいけない人がいるのに、抑え切れない。
わたしは頭を上げると、他の墓碑に向かおうと、後ろを振り返り、

「っ!?」

音も無く背後に忍び寄っていた3メートル以上の巨人——≪中型≫の魔獣を見つけて、息を呑んだ。

いったいいつの間に。どうして気付けなかった。なぜ油断した。
いくつもの言葉が、自らを叱責する自分の声が頭の中を駆け巡る。
魔獣の体からはあの異様な光が漏れていて、おそらくはつい今しがた出現したのだろう。

光の靄が急速に広がり、わたしを飲み込んでいく。
魔獣が結界を展開しているのだ。

「ま、魔法、変身っ……」

魔獣がそっと手を突き出して、わたしの額を指差した。光が点る。
防御は無理だ。今からじゃ間に合わない。
普段なら五体同時に相手しても勝つ自信があるけれど、完全に先手を打たれてしまっている。

「……っ」

恐怖を覚えるよりも先に、わたしはぎゅっと目を瞑った。
もうすぐ魔獣の指先から直線的なレーザーが放たれるはずだ。
きっとわたしはわずかな衝撃と熱を感じたすぐ後に意識を失って——


「……?」


——しまうことは、なかった。


「え?」

代わりにとても速い何かが、何かを切り裂く音がした。
わたしは恐る恐る目を開き、そして目の前の光景に唖然とする。

「なに、が?」

つい先ほどまでわたしに指先を向けていた魔獣が、真っ二つになって光の粒へと姿を変え始めていた。

「あっ……」

その光の粒の向こう。
歪み始める空間の中で。
わたしは一人の少女を目にした。

黒い髪に、少し紫色の混じった魔法少女の格好。
きらりと輝く、左手の甲に備えられたアメジストのようなソウルジェム。
そして——

「赤い、リボン?」

黒い髪をに結ばれた、少し派手目の『赤いリボン』。



似合っていない。

それがわたしの抱いた、『彼女』の第一印象だった



——この時のわたしは、まだ何も知らなかった。


杏子さんの過去も、見滝原市で起こっている異変も。


魔獣という存在の本質も、魔法少女に纏わるいくつもの『伝説』も。


この世界が、この世界になったきっかけも。


赤いリボンの伝説のことも。


まだ、何も知らなかった。

ここまでです。

やってしまった……というわけで本編後のSSです。しかも本編後から30年後の見滝原市が舞台です。
スマホが過去の遺物扱いされて、アナログテレビを知らない子供で溢れかえっている近未来。
本編では幼女だったキャラが中年になり、子供を産んでいたり、おばさんだったキャラがおばあさんになっています。

ですがこれはまどマギSS。オリジナルキャラクターが結構出てきますが大半は名前がありません。モブと同然。
服装や性格や『元ネタ』などで分かりやすく区別化していますが、分かりにくい時は何か対策を講じます。

主人公は一見すると『わたし』ですが、どちらかというと『杏子さん』の方が主人公に近いです。

次の投下は現在全く見通しが立っておりません。近日中に、とだけ。投下前日には予告するよう心がけます。
いかん、もう夜が明ける。それではみなさま、おやすみなさいませ。

改編後書いてる方が増える。いいことだ

何も言わずに次回更新を楽しみにしております。

何故キャンデロロの名前が…

ひっそり期待

ほむらにリボンが似合ってないだと?

というよりあの結び方はセンスがn

ところで黄色いリボンと赤いリボンといえばまどかが一話で悩んでたのも黄色いリボンと赤いリボンだったよな

似合ってない=この人のリボンじゃない
を見抜く事の出来る優秀な子なんだよ

順調に進めば今日の深夜に前半部分=アバン・Aパート投下できるかと
では

来る

ももももうしばしお待ちを

修正しながらスローペースで投下します


大地に向けて、空が落ちる。
そんな言葉がすらすらと思い浮かぶような、どんよりとした曇り空。
あちこちに深い傷跡を残しながらも、復興に向けて人々が懸命に毎日を生きる見滝原の日常。

その中に、互いに顔を見合わせる四人の少女がいた。
世界を影から見守る運命を背負わされた少女達だ。


「——私達は今日から≪Magica Quartet≫よ。仲良くしましょうね」


そう切り出したのは、金色の宝石——ソウルジェムをその手に握り締めた少女だった。
彼女は橋の下の河川敷に放置されたドラム缶に背を預けながら、自信に満ち溢れた微笑を浮かべる。

「Magica Quartet……マギカ・カルテット。四人の魔法少女ってわけかい?」

返して答えるのは、ラフな服装に赤いポニーテールを結っている少女だ。
スティック状の菓子をかじり、噛み、一口飲み込む。
もたらされる甘みに表情をコロコロ変化させるような、お約束の展開はない。

それは食事というよりは悪癖に近かった。

「えっと、それってその、どういうこと……でしょうか?」

「っはん。巴、あんた変な漫画読みすぎて頭おかしくなったんじゃない?」

黄と赤の少女の言葉に返すのは、どこか影の薄い少女とメガネを掛けた少女だ。
どこか卑屈そうに笑い、眉をあからさまにひそめるメガネの少女に対し、
巴と呼ばれた少女は自信満々に胸を張って応える。

「≪プレイアデス聖団≫の子達と話してみて思ったの。
 私達は、互いに互いを理解し合える人と一緒にいないとダメだなって」


同類にしか理解できない。
同類にしか理解されない。
そんな境遇に追い込まれた少女が、
互いを理解し合っている者達と出会い、悩み、考えた末に出した結論がそれだった。

「魔法少女は複雑な事情を抱えている。だから群れたがらない。それがキュゥべえの答えよ。
 でも私は違うわ。知識を共有し、技術を共有し、美樹さん“たち”のような犠牲者を減らしたいの」

「でもさぁ、プレイアデスはよーするに仲良し集団だよ? アタシたちで同じのを作るのは無理じゃねーの?」

「あら、佐倉さんらしくないわね。同じじゃなくてもいいじゃない? 個性は大事だよ?」

その言葉に赤い少女はケッと露骨に嫌そうな顔をする。
今度は煎餅を一口かじり、飲み込みながら渋々と肩をすくめて見せた。

「私は反対よ。なっちゃんと二人で十分やっていけるわ。なっちゃんもそう思うでしょ?」

眉を立てるメガネの少女。
彼女は同意を求めようと、傍らにいる少女をキッと睨みつける。
睨まれた方はおろおろとうろたえて、小さな肩を落として俯いた。
そしてぼそぼそと何かをつぶやき、ややあってから申し訳なさそうに言う。

「あ、あの、わたしはその、どっちでもいいかな……なんて」

「なっちゃん、どっちでもいい禁止」

「そっ……そんなぁ! だってこれお兄ちゃんの口癖だもん!」

「ダメ! 禁止! NG!」

そんな二人のやりとりを眺めていた黄の少女は、口に手を当ててくすくすと笑い声を漏らした。

「笑うな巴!」

「はいはい。でもね二人とも、これはこの街の未来を守ることにも繋がるのよ?
 また≪大型≫の魔獣が出現するかもしれないし、備えておいて損はないと思うわ」


黄の少女は両手を広げた。
表情を真剣な物に一変させ、声のトーンを一段落として喋る。

「私はもう、誰かが絶望に喘ぐ姿を見たくないの」

「……それは、私らだって同じだけど。じゃあ質問と要求!
 なんでカルテットなのよ? 人が増えたりしたらおかしくなるじゃん、名前変えなさい」

「あら、そういうこと言うんだ。じゃあ≪Trasformazione Eternita Amico Magica≫にするわよ?」

「は?」

同時に発せられた三人の声を受けて、少女は満足したように目を細めた。

「イタリア語で姿形を変えて永久を生きる魔法少女の絆。その頭文字をとってTEAM。
 マギカ・カルテットが嫌ならTEAMの方の名前を採用します。それでも良いなら構わないけど?」

突然の提案に、血相を変えて首を横に振る三人。
その様子に怪訝そうな顔色を示しながらも、少女は良し、と頷いた。

「はい、じゃあ決まりです。それでは改めまして……
 私たちは今日からマギカ・カルテットよ。人が増えても減ってもね。みんなよろしく!」

深いため息を吐く二人。
そんな二人とは対称的に、赤い少女だけはどこか悲しげな視線を黄の少女に送っていた。

≪Magica Quartet≫

四人の魔法少女。
その言葉にどれだけの意味とどれだけの想いが込められているのか。
それを真に理解しているのは、黄の少女と赤い少女の二人だけなのかもしれない——


◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


まるで舞い散る桜のように——そんな題名の物語が、かつて存在したという。

彼女はまさにその言葉通り、ふわりと空を舞っていた。
赤いリボンが風に乗って靡き、彼女の黒髪に紛れるように飲まれていく。
ほんの一瞬。わずかな時間、わたしはその姿に見惚れてしまっていた。

なんてことはない光景が、まるで一流の芸術家が描いた何物にも勝るアートのように。
それはそれは幻想的に、わたしの目には映ったのだ。
けれども、そんな感情とは無関係に、
渇いた目に潤いを取り戻すべく目蓋が反射的に閉じられる。

「……あっ!?」

次に目を開いたとき、彼女の姿はどこにもなかった。
まるで初めから存在していなかったかのように、いっぺんの痕跡すら残さず。

「そんな、さっきまでそこにいたのに……」

どうして、なぜ。
そんな言葉が出そうになるのを辛うじて堪え、わたしはなんとか心を落ち着かせた。
せめてお礼が言いたかったのだけれど、もしかしたらわたしの白昼夢だった可能性だって捨てきれない。

いずれにしても、もうこんなことはないようにしなければ。

「えぇっと——それじゃあみんな、改めまして、さようなら。また来るからね!」

動揺のせいか少し妙な日本語になっていることに気付きつつも、
わたしは駆け出した。

困ったときは、人に相談するに限る。


◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


「それで……私のところに?」

素っ頓狂な声を上げたのは、わたしの第一の相談相手——わたしと同じ魔法少女の子だった。
彼女は可動式の椅子の上で、おさげの髪を静かに揺らし、口元に手を当てながら笑いを押し殺している。
ベッドに座っていたわたしは思わず頬を膨らませた。ほとんど睨みに近い眼差しを向ける。

「ごめんごめん。ちょっと待って」

そう言って、彼女は椅子の前においてあるパソコンに向かい合った。
パソコンと、ベッドと、冷蔵庫。それに小さなタンス。
これがこの部屋——彼女が借りているアパートの一室に置いてある家具の全てだ。

しかもパソコンはかなり古い年代物。以前彼女から聴いた話では、三十年以上も前のものらしい。
それにしてはやけに綺麗で、彼女曰く、大切な物だから特別手入れをしているのだとか。

——いつも思うけど、寂しい部屋だなぁ。

家賃はインターネットで手に入れたお金から出しているらしく、一応不自由ない生活を送っているようだけれど。
パソコンがあればそれで良い、なんて生活は悲しい気がする。

「どったの?」

「え? あ、ううん、なんでもないよ」

「ならいいけど……じゃあ、その謎の魔法少女の外見の特徴、もう一度お願い」

マウスをカチカチと操作しながら、その子は言った。
わたしはまず一通りの身体的特徴を述べ、次に雰囲気を身振り手振りで説明した。
それを見た彼女が、肩を震わせ、墨を垂らしたような儚さを感じさせる黒いおさげを何度か揺らす。

……雰囲気って言葉だけだと説明しにくいんだよ? 本当だよ?


「——14,5歳で、髪は黒、紫のソウルジェムに黒か紫系統の色合いの格好。凄そうな雰囲気、と」

わたしから聞き出した情報を、キーボードを叩いてテキパキと書き込んでいく彼女。
その指先はまるでピアノを弾く一流のピアニストのように軽やかに、そして忙しなく動いている。
打ち込んだ内容から大体の人物像を作り上げているそうだ。
さらに出来上がったデータをインターネットで検索している……とかなんとか。

「何か分かった?」

「≪マギカ・コミュニティ≫に登録している魔法少女で、それに該当する人はいないね。発見例も無し」

登録してる魔法少女が少ないしね、と彼女は申し訳なさそうに言った。
≪ニコ≫さんが立ち上げたコミュニティサイトで見つからないということは、
ひょっとすると単独行動の野良魔法少女の可能性が高いということだ。
マギカ・カルテットやプレイアデス聖団のようなグループがサイトを知らないと言うこともないだろうし……

それならキュゥべえに当たってみたほうが良いのかもしれない。
諦めずに何度かキーを叩いていた彼女は、ちらりとわたしに視線を向けた。

「他に特徴は? アクセサリーとか、口調とか。調べてみる」

「ほんと? ありがと! えっとね……うーん……」

あっ、と声が漏れる。わたしとしたことが、一番大事な特徴を彼女に伝えてなかった。

「その子、赤いリボンしてたんだ。似合ってないというか、少し浮いてる感じのね?」

——特に何かを意識するでもなく平然と発した言葉に、だけど彼女は予想外のリアクションを起こした。
モニターに向け直していた目を大きく見開き、指がピタリと止まっていた。
それどころか肩も、髪も、少し開いていた口も、何もかも、不思議なくらい硬直している。

赤いリボン。ただそれだけのフレーズが、彼女にとって何を意味しているのだろう?


十秒か、それとも三十秒か。
もしかしたら一分が経ったかもしれない。
長い時間固まっていた彼女は、空色の瞳を閉ざして額に手を当てた。

「そのリボンは……髪を結ぶ方のリボン?」

まるで苦虫を噛み潰すような、とても苦しげな声だった
わたしは彼女の様子に戸惑いつつも、なんとか頷き、肯定の言葉を返す。
すると、彼女は黙ってキーボードを叩いて何かを入力し始めた。

「……そっか」

「どうか、したの?」

「ううん、なんでもない。世界の狭さに……因果の深さに、驚いただけ」

その言葉の意味を尋ねようとして、けれどもわたしは、それを実行に移せなかった。
杏子さんに感じた時と同じ——決して超えられない壁を意識してしまったから。
彼女はため息を吐き、パソコンの電源を落とした。
降参と言わんばかりに両の手を挙げてみせる。

「ごめん、今は分からない。……今度、また調べてみるね」

「ううん、わたしの方こそごめんなさい。気にしなくていいから」

そもそも、わたしの見間違いの可能性だってありえるのだ。
申し訳ない気持ちになりながら俯き、気まずそうに口を閉ざす。
それからあることを思い出して、わたしはもういちど彼女の方を見た。

「ソウルジェム、大丈夫?」

「……え?」


彼女は黒髪を振って、驚いた表情のまま目を丸くしていた。

「えっとね、この前、杏子さんが言ってたんだ。
 『あの子は日常生活で魔法を使いすぎだ。すぐにジェムが濁るからよく注意しておけ』って」

ああ、と納得したように少女は頷いた。
少し躊躇いがちに、指輪上に留めていたソウルジェムを元の状態に戻してわたしに見せる。
彼女の瞳と同じ空色のソウルジェムには、一点の濁りもなかった。

「大丈夫……だよ? うん。余りのグリーフシードはないから、提供は出来ないけど……」

「ああそんなの気にしないでだいじょうぶだよ。グリーフシードはまだまだ余裕があるから」

「でも、少なくなったら……佐倉さんも……」

わたしは首を横に振って、彼女の言葉を遮った。

「だいじょうぶ。杏子さんを戦わせたりなんてしないよ。わたしがその分、たくさん戦うから」

そうだ。
わたしは、わたしたちは誓ったんだ。
マミさんが導かれたあの日。大粒の雨が降りしきる、二年前の嵐の晩に。

「……そっか。強いね、あなたは」

「そんなことないよ。——でも良かった、あなたが無事で」

「……うん。ありがとね」


わたしは玄関に向かうと、自分の靴を履いて扉に手を掛けた。
足元をまじまじと見つめる。
そこに置かれたのは、彼女の靴が二足だけ。それ以外には何もない。
床に埃が被さっているのは、それだけ来客の数が少ないことを表していた。

「ねえ」

唐突に掛かってきた声に、わたしは振り向いた。
少し遠い目をした彼女がそこにはいて、わたしは努めて明るく、笑みを作ってみせる。

「どうかしたの?」

「その、あー……」

彼女は視線を宙に泳がせていた。
何か言いにくいことでもあるのかもしれない。
はっ、もしかしてわたし、頭にゴミでも乗っけてた……!?

思わず頭をはたいて確かめるわたしを見て、彼女はくすりと笑った。

「あのね、また、来てくれるかな?」

「え?」

なんだ、そんなことか。
心の中で少し呆れながら、わたしは大きく頷いた。
少し繊細だけど、とても優しい。それが彼女。それが、わたしの友達だ。

「うん、また来るよ。すぐ来る!」

「——ありがとう。それじゃ、ばいばい」

「じゃあね、ばいばい!」


◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇


黄色のリボンで紙を結んだ少女を見送ると、彼女は空色の瞳にほの暗い色を宿した。
手のひらの中に納まっているソウルジェムを硬く握りながら、ベッドに腰を下ろす。

「キュゥべえ」

窓に向かって呼びかける。
すると、どこにいたのか、白い毛で覆われた不思議な動物——キュゥべえが窓の向こうに姿を現し、
魔法少女にしか伝わらない特殊な方法でこう言った。

《なんだい?》

「あの子が見たのは、やっぱり彼女なの?」

キュゥべえは何も言わずに首を横に振った。
けれども、少女が恨みがましい視線を送ると仕方なさそうに返事をした。

《なんとも言えないね。そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない》

少女はため息を吐いた。
期待していた通りの答えなのか、あるいは期待外れの答えなのか。
いずれにせよ、少女はそれ以上追求しようとはしなかった。
代わりにポケットの中から小さなUSBメモリを取り出して見せる。

「それじゃあこの機会にもう一つ質問。私の“これ”はどこまで正しいの?」

《……僕に分かる範囲までのことでいいなら、そうだね。ほとんど合っているよ》

「……そう」


ふたたび、深いため息。
彼女はUSBメモリを握り締めたまま、遠い目で言った。

「ねぇキュゥべえ。天国ってあるのかな」

《なんとも言えないね。少なくとも僕らは、天国や地獄、極楽浄土などを確認できていない。
 それに君たち人間の魂は、肉体がその生命活動を停止するとすぐに消滅してしまうしね。
 これは魔法少女に関してもほとんど同じことが言えるね。導かれたあとには、何も残らない》

「冷たいね、あなたは」

でもそこが好き。と、声にならない声で少女はつぶやいた。
左手の中から空色のソウルジェムが転がり落ちる。
どんよりと濁った、青空というよりは曇り空のような暗いソウルジェムが。

「あとどれくらい持つかな」

《せいぜい三日程度だね》

「あの子は来てくれるかな」

《それは僕には分からない》

「……じゃあ、今の内にやれることやっておかないとね」

彼女は立ち上がると、USBメモリを旧式のパソコンに差し込んだ。
パソコンの電源を点け、モニターに目を通す。

《まだ何かを調べるのかい?》

「三十年前の災害と、それにここ十五年の間に見滝原市で起こった事件の最後のチェックだけね。それが済んだら終わりだよ」


「——これで、何かが変わればいいけど」

《変わるかもしれないし、変わらないかもしれない
 だけど何もしないよりはマシだ、なんて。マミなら言いそうだね》

「……そうだね」

何度かキーを叩き、マウスで操作する。
表示されたサイトに目を通しながら、少女は愛おしそうにパソコンに手を触れた。
壊れ物を扱うように慎重に、優しく、そっと。

黙ってその様子を見ていたキュゥべえが、やれやれ、と首を振った。

《それじゃあ僕はもう行くよ。すぐ近くに素質のある子がいるみたいだしね。
 この子はきっと親の素質が高かったんだろうね。過去に僕が見落とした“候補”の子供なのかもしれない》

「……いたずらに魔法少女を増やしちゃ、ダメだよ」

《それが僕たちの仕事なんだけどなぁ。いちおう長生きしそうな子を優先的にスカウトするよう心がけるよ》

「なら良し。じゃあね、キュゥべえ」

姿を消すキュゥべえ。

そして部屋に訪れた、長い沈黙。

パソコンの動作音と冷却ファンが回転する音だけが支配した部屋の中で、少女は静かに目を閉じた。

なにかを待つように。
なにかを望むように。
彼女はただただ、目を閉じ続けた。

アバンとAパート投下終了。
説明しておきますと、アバンはいわゆるアニメのアバンタイトルのそれです。このスレでは主に過去編を流します。

あ、それからこの作品では『かずみマギカ』と『おりこマギカ』のキャラが登場したりしなかったりします。

次の投下は早くしたいですが、用事があるので悲鳴を上げたり。でもみなさまのレスのおかげでやる気だけはあります、頑張ります。
そんではおさらば。おやすみなさい

中沢の子孫か

妹じゃね?

来てたか

マギカカルテットって元ネタある?

新房、虚淵、うめてんてー、シャフトの四位一体の事だろ

ああそれか

近いうちに投下予定。明日か明後日くらいに

あ、これはあかん
投下は明日に延期しまする

ほっ、投下


その日の夜。

虫のジー、ジーという鳴き声を聴きながらわたしは食堂で食後のお茶をしていた。
向かいに座る珊瑚色の髪の毛の女の子は飴玉をしゃぶっている。
若草色の髪の、髪の長いあの子は食堂の隅できれいなバラを手入れしている。
お茶を一口すすりながら、私はなにげなく呟いた。

「……バラって室内でも咲くんだね」

「そりゃ咲くでしょー。あいつのは魔法使って育ててるしー」

ガリッ、と飴玉が砕ける音。
見てみると、向かいの彼女がいかにも、しまった! という顔で愕然としていた。
可哀想になって、自分用の芋ようかんをおすそ分けすると、彼女は目をきらきらさせながらそれにかぶりついた。

「あいつはバラ大好きのへんなやつなんだよー……んぐっ、うまい!」

「変かなぁ? バラって赤くてきれいだしわたしも好きだよ?」

「程度が違うってゆーの? あいつの部屋に入ってみなよ、バラの匂いで気絶するから」

「さすがに気絶はしないよ」

苦笑いしながら否定する。
けれどもわたしは内心で、確かにバラの香りが強すぎるのはどうかな……と思った。

「……薔薇の赤は……」

「え?」


声のする方へ視線を向ける。
先ほどまでバラの手入れをしていた彼女が、その手を止めて天井を仰ぎ見ていた。
髪の隙間から見える瞳は、どこか遠くへ向けられているように思えた。

「……情熱の赤……」

「あんたにゃ似合わねーよ」

「……あなたの赤はお子様の赤……」

「なにぃ!?」

怒気を交えた声を出す彼女をなだめるわたし。
そこでふと、赤繋がりで昼の話を思い出した。

「ねぇ二人とも、ちょっと聞きたいことがあるんだけどいいかな?」

「後にしてくれ、このねくらをぶっ倒さないといけないんだ!」

「……聞きたいこと?……」

こういう時、彼女の切り替えの速さに助けられる。

「えっとね、黒い魔法少女の友達っている?」

二人はおもむろに顔を見合わせて少し困ったような表情を浮かべた。
片や心当たりあり、片や思うところあり、と。こんなところだろうか。

「一人いたけど、その子はずっと前に導かれちゃったよ。明るいところが苦手な子」

「……話だけなら聞いたことはある……」


さすがに導かれてしまった魔法少女が蘇ることはないだろう。
とすると重要なのは話に聞いたことがある、という方だ。

わたしは目線で続けるように促した。
促された彼女は視線を宙に彷徨わせ、記憶の糸を手繰り寄せるようにぽろぽろと語り始める。

「……≪黒い魔法少女の伝説≫……」

「え?」

「……30年見滝原市を守っている守護少女……」

「え、えーっと?」

「……彼女の前では時の流れが大きく歪む……」

薄ら笑いを浮かべる彼女を前に、わたしは肩を落としてうめく。

どこまで真実かは分からないが別人だろう。
自分が見た魔法少女はわたしと同い年くらいの年齢だ。
それに、たぶんこれは都市伝説だ。魔法を使ったとしても時間を操るようなことはできない。
時間を操ることを願いにすればあるいは……でもそのような人物がいたという話は聞いたことがなかった。

少しばかり落胆していると、黙りこんでいたもう一人がとても真剣な目でわたしの顔を覗きこむ。

「……黒い魔法少女の伝説なら、あながち嘘ってわけでもないよー」

「え?」

驚いて目を丸くするわたし。
そんな話は聞いたことがなかった。

「あたしも見たことあるんだよねーそれ、ちらっとだけど。すぐ消えちゃったしねー」


「その人はどんな人だったの?」

「顔は見てないからわかんないけど、すっごい速いんだよ! ばばばっ! ばっ! てさー!」

彼女は両手を振って何かを振り回すようなポーズをした。
当時の事を思い出して興奮しているからか、わずかに顔が赤くなっている。

「速すぎてむしろおそく見えるっていうの? 魔獣が一回行動しているうちに三回も四回も攻撃してるの!」

それが本当だとすると、よっぽど強い人なのだろう。
しかし自分が出会ったのは少女だ。30年以上も活動している中年女性ではない。
……でもいちおう、念のためにあの『赤いリボン』についても尋ねてみようか。
そう思って、わたしが口を開こうとしたその時。

「≪赤いリボンの伝説≫とちがってこっちは信憑性高いよねー」

たったいまわたしが言おうとしたワードが、彼女の言葉にしっかりと含まれていた。

「ちょっと待って、その赤いリボンの伝説ってなにかな?」

「え? えーっと………………しまった!?」

「……バカ……」

首をかしげるわたしに、
手を口に当てて後悔している彼女と、
なにもかも諦めたような表情でため息を吐く第三者。

今この瞬間、間違いなくわたしたちの心はバラバラだった。文字通り、そのままの意味で。


「しまったってなんのこと?」

「ちがっ、ちがうよ? 今のはしまったじゃなくて、しまった、しまった、えーっと……」

「……木工用テープカッターのこと?……」

「そう、はみ出しちゃったテープを綺麗に切れるスラッター! これで魔獣だって一刀両断できちゃうよ!?」

「普通のカッターナイフの方が切れると思うよ?」

「うっ……!」

沈黙が場に下りる。
息が詰まり、胃がきりきりと痛むような沈黙だ。
あまりの居心地の悪さに、わたしは自室に戻りたい衝動に駆られそうになる。

だけど折れない。
向かいの席とその隣にいつの間にか座っていた二人をじっと見つめて、わたしは粘る。
ここは堪えるんだわたし、と自分に言い聞かせて次の言葉を待ち続ける。
一分ほどが経ち、二人はばつの悪そうな顔でしぶしぶ話を続けた。

「佐倉さんにダメって言われてるんだけどねー……」

彼女の口から出た人物に、わたしは少しだけ呆気に取られた。

「それでも……赤いリボンの伝説、知りたい?」

「できれば知りたい……かな」

「……さっきさ、あたしが黒い魔法少女の伝説の、そのちょー本人を見たって言ったでしょ?」

先ほど話に出てきた、とても素早い魔法少女のことだ。
わたしは頷き、続きを促す。

「あれは嘘じゃないけど、たぶんその伝説の人とはちがうんだよね、きっと」

「どういうこと?」


「話すと長くなるからしょー略しちゃうけど……赤いリボンの伝説が元ネタなんだよね、黒い魔法少女の伝説ってさ」

「じゃあ架空のお話なの?」

「たぶんそーかな。
 赤いリボンの伝説にあやかったローカルバージョン。
 それが黒い魔法少女の伝説で、つまり赤いリボンの伝説・見滝原バージョンって感じ?」

トイレの花子さんが県ごとに少しずつ内容変わっているようなものだろうか。

「それじゃあ赤いリボンの伝説っていうのはどんなお話なの?」

「お話ってゆーかなんてゆーか、嘘だけど嘘じゃない? いるけど、見えない?」

「……願望から生まれた架空の魔法少女とその伝説……」

願望から生まれた、嘘だけど嘘ではない伝説。
在るのか無いのかで言えば在る。
だけど実際に存在しているわけではない、架空の人物が織り成す架空の伝説。

それが赤いリボンの伝説と呼ばれるものの正体だ、と彼女たちは言った。

頭の中を赤いリボンがさっと過ぎる。
あの紫寄りの黒い魔法少女の姿を思い浮かべながら、わたしは床に目を落とした。

これに似ている物を、わたしは知っている。
円環の理。
この世界に在るけど無い、絶対のルール。
絶望した、あるいは戦いで疲弊した魔法少女をこの宇宙の裏側へと誘い導くそれに似ている気がした。

考えてみれば、円環の理だって伝説のようなものだ。
誰も認識できないのと同じ存在なのだから。


「……赤いリボンの伝説って、具体的にはどういうお話なの?」

考えているだけでは埒が開かない。
そう判断したわたしが続きを聞こうと面を上げると——

「ずいぶんと楽しそうな話をしてるじゃないか、ええ?」

この場にいる三人以外が放った冷ややかな声が食堂にひびいた。
びくっ! と身体を震わせる二人に、わたしも思わず身体を硬直させてしまう。
おそるおそる声のした方へ顔を向けると、そこには壁に背を預けている杏子さんの姿があった。

杏子さんの表情は——とても厳しく、冷たい。

「珍しくキュゥべえに呼び出されたと思ったら……まったくあんたたちは。
 あの話はここではするな——特にその子には話すなって言ってはずだよ」

「うっ……ごめん……」

「……ごめんなさい……」

どすの効いた声に、二人が頭を下げた。
わたしは突然の事に何がなんだか分からないまま、慌てて席から立ち上がり今の出来事を説明した。

「違うの杏子さん、これはわたしが聞いたからなの!
 二人が悪いんじゃなくて、わたしが悪くて、でもこのお話のどこが悪いのかは分からなくて、えっとあの!」

「ああ分かったよ、少し落ち着きな。……二人は部屋に戻っといてくれ」

「……はーい」

「……こわいこわい……」


そうして、食堂にはわたしと杏子さんの二人だけが残った。
いつの間にか虫の鳴き声はしなくなり、代わりに屋根に何かがぽつぽつと落ちる音がしている。
雨だ。天気予報では、今日の夜から明日の昼までずっと雨が振り続けるらしい。

「……杏子さん?」

先ほどの沈黙よりもずっとずっと重たい沈黙に耐え切れず、わたしは杏子さんにおそるおそる声をかけた。
対する杏子さんはわたしのことを見て、どこか観念したような表情を浮かべている。

「アレは現実逃避した魔法少女が言い始めた、ただの妄想だよ」

「え?」

「人が目を閉じている時に姿を現し、
 誰かの代わりに魔獣を狩って、人を救って、
 人が目を開いたときには姿を消している、黒い髪に赤いリボンの伝説の魔法少女。

 今はもう見えなくなってしまった親友のために。
 その親友と再会するために世界を護り続ける優しい女の子——がいたら良いなって話さ」

杏子さんの眉が、わずかに立てられる。
眉間にしわが刻まれて、その声にも確かな怒りが混ざって聞こえた。

「戦うことに疲れた魔法少女が口にした、
 くだらない笑い話だったんだ。最初の内は、だけどね。
 ところがその魔法少女は、次第にそれを本当の話だと自分で思い込んでしまったんだ。

 そいつはいまも現実から逃げながら、そんなくだらない妄想をあちこちで吹聴しているのさ」

どこのどいつかは知らないが、と杏子さんは続けた。

もしその話が本当だとしても。
わたしは、杏子さんのように怒る気持ちにはなれなかった。


願いを叶えたから、魔獣と戦わなければならない。

幸せになったから、現実で苦しまなければならない。

わたしは自分の願いを“覚えていない”けれど。
きっとそれは、誰だって考えることなのだと思う。

自分の代わりに戦ってくれる人がいたら良いな。
自分の代わりに苦しんでくれる人がいたら良いな。
そう思うことは、間違っているけれど、おかしくはないのだ。

「……黙っていたのは、なんでなの?」

「情けない話だからあんたに聞かせたくなかった。それだけだよ」

「……じゃあわたしが見た人は?」

「なんだって?」

「今日、マミさんのところに行ったときに見たの。赤いリボンの魔法少女を」

はっ、と息を呑む音がする。
鋭かった杏子さんの目が見開かれて表情が凍りつく。
見開かれた赤い瞳の奥でいくつもの感情がうごめいている。

怒り、喜び、驚き、悲しみ……
そういった感情と同時に確かに存在している、ある種の諦めにも似た色。
分かっていたのだと、自分に対して言い聞かせるような何かが杏子さんの瞳にはあった。

こんな表情をした杏子さんを見るのは、これが初めてだった。
杏子さんと10年近くも一緒に暮らしているのにだ。
わたしは杏子さんのことをこれっぽっちも知らない。
自分のことすら知らない。
わたしはなにも、まだ知らない。


「……見間違いか何かだろう。それより、今日はもう寝なさい」

杏子さんはわたしに背を向けて言った。

「キュゥべえが契約したばっかりの魔法少女がいるんだ。私はその子と会ってくる」

「え? でもいま雨降ってるし、明日でも……」

「10歳前後の子供なんだ。最低限の知識は今すぐに私が教えておきたい。
 キュゥべえを信用していないわけじゃないが、あいつだけじゃ心許ないからね」

くるりと振り返り、杏子さんは笑った。
さっきまでの動揺や複雑な感情はもうどこにも無かった。

「もしも合流できそうなら世話はあんたに任せる。頼んだよ、先輩」

「え、ええ!? そんなのってないよ! わたし戦い始めてまだ二年とちょっとだよ!?」

「私の時代だと一年でベテラン扱いだったから問題ない。
 だいたいあんた、実質10年も魔法少女やってるじゃないか?」

「それはそうだけど……」

「私だっていつまでも教えていられるわけじゃないんだ。
 プレイアデスのミチルやニコみたいに後継者を育てないとね」

「うう……」

「じゃ、行って来る」

そう言って、杏子さんは出て行った。
勢いを増した雨が屋根や窓に叩きつけられる音を聴きながら、わたしはしばらくの間その場に立ち尽くした。
天気予報通りだ、とふと思う。
雨は当分、止みそうにはなかった。

2-Bパート投下終了。

赤いリボンの伝説のお話はとあるゲームのお話を元にしております。それだけです。はい。
話を見るだけだと某少女やモブ少女ばっか話題になっているのでそろそろ六十とウン歳のお人も出してみたい

でも次回は実質、魔獣関連のお話で出てくる『中型』やら『小型』の解説回。

そいでは失礼しました。

つ乙
これからってとこで終わるな


ほむらに何があったというの・・・

レスが五臓六腑に染み渡ります……うへへ
それはさておき今日の夕方頃にアバン(過去)〜Aパート(現代前半)を投下します。魔獣解説はこの分だと次回ですね

さて寝ずにAO待機するか

完全に夕方ですね。ごめんなさい。投下します


荒れ果てた街の中を、一人の少女が歩いていた。
あまり見かけることのない黒で染められた服装を泥に濡らしながら一歩。また一歩。
牛歩の如く遅々とした速度で、彼方まで続く荒涼とした街の中を亡者のように。
けれども二本の足で大地に向かって食らい、噛み付く勢いで踏みしめて、少しずつ前に進んでいる。

そんな彼女の背に向かって、声を掛ける者がいた。
全身にすり傷を負った、吊り目と八重歯が可愛らしい赤毛の少女だ。
泥で汚れた左手には価格10円の棒状の駄菓子が。
血で塗れた右手には彼女の身の丈よりも長い槍がある。

「なーんにも言わずに行っちまうつもりかい?」

しかし、黒の少女は応えない。
長い槍を片手で保持したまま頭上で振り回し、切っ先を地面に向けた状態で構えながら少女はもういちど口を開いた。。

「おい」

けれど、黒の少女は応えない。
赤毛の少女は左手の中にあった駄菓子を口の中に放り込むと、その袋を投げ捨てた。
流れるような自然な動作で槍を振り回し、相手に向かって無言で切っ先を突きつける。
その距離およそ十メートル前後。
彼女が本気を出せば一瞬で詰められる。距離などあってないようなものだ。

彼女は喉を震わせながら、懇願するようにもういちど言った。


「……あんたが行っちまったら、またアタシとマミの二人だけになっちゃうんだ」


——やはり、黒の少女は応えない。
そんな彼女の態度に、赤毛の少女は構えた槍を力なく下ろした。
切っ先が地面に打たれて、わずかな埃を浴びる。

相手との距離はわずか十メートル。
彼女が本気を出せば一瞬で詰められる。距離などあってないようなものだ。

しかしそんなものなど話にならないほどに、相手の心は遠くへ離れてしまっていた——


「あんただって分かってるはずだ、もう戻って来ないって」

それでも、彼女は呼びかける。
槍を握り締め、歯を食いしばり、眉間に皺を寄せ、肩を震わせながら。
どうにもならない現実に対するやりようのない怒りを堪えたまま、吐き捨てるように言う。

「アタシたちは生きてるんだよ! なのにあんたはそうやって一人になって、それで後を追うつもりかい!?」

——初めて、黒の少女の足が止まった。

「アタシとマミ、あんたの三人なら良いトリオが組める、楽しくやってける。だから一緒に!」

「佐倉杏子」

——果たして、黒の少女は呼びかけに応じた。

泥と血で重たくなった右足を引きずりながら、彼女は半身を翻す。
かろうじて見える左目は、黒い髪に隠れている今でもなおはっきりと分かるほどにギラギラと輝いていた。
それは怒りではなく、悲しみでもない。
何かに立ち向かう者が、無常な現実を嘆いてそれでも明日へ向かって生きようとする時に見せる光だ。

赤毛の少女はその瞳を見て驚くよりも先に安堵した。ため息を吐いて、肩を下ろす。
張り詰めていた緊張の糸がほぐれ、連鎖するように頬がゆるんだ。
そんな様子などお構いなしに黒の少女は続けた。

「私は死ぬつもりはない」

もうそれは分かったよ、と杏子はだらしのない笑顔を浮かべた。

「私は、守る」


黒の少女は半身を赤毛の少女に向けたまま、荒れ果てた町を包み込むように両手を広げて見せた。
指先まで目一杯伸ばして、これでもかというほどに胸を反らす。

「たとえ“アレ”がどこかへ消えたとしても、それでこの街の人の呪いが消え失せるわけではない」

彼女は広げた両手を胸に寄せて、抱き締めるように両手を抱いた。

「世界の歪みはふたたび魔獣となり、“アレ”もまた闇の底からこの街を、この街に住む人々を狙っている」

両の手の中にこの景色がある。この街がある。
全部抱き締めて離さない。絶対に見捨てない。
黒の少女は表情だけでそれを語ると、呆けている赤毛の少女に対して語りかけた。

「悲しみと憎しみばかりを繰り返す、私にとっては何の価値もない救いようのない街だけど」

その言葉はあまりにも堂々としていて、
まるで詩を詠っているのかと赤毛の少女が錯覚してしまうほどに様になっていた。

「だとしてもここは、かつて彼女が守り、救おうとした場所だ」

黒の少女はギラギラ輝く左目を、どこか遠くにある何かを見つめるように細めた。
そして笑った。

「彼女は消えていない。彼女の意思は私が引き継ぐ」

背を向ける黒の少女。
赤毛の少女はもう、引き留めようとはしなかった。

「私は覚えている。私は忘れない」

「だから私は、戦い続ける」


◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

もしも明日が晴れなら——そんな題名の物語があったと、パソコン好きの友達が言っていたのをわたしは思い出した。

「雨、止まないね」

「……陽の光が欲しい……」

「晴れたってどーせバラに当てるだけであんたは当たんないんでしょー」

杏子さんと『赤いリボンの伝説』の話をしてから二日。
あの日から今日まで、雨は一向に止む気配を見せていない。
おかげさまでわたしと同居人の二人、それから杏子さんのお洋服は洗えずに溜まり続ける一方である。
それもこれも、杏子さんと例のバラ好きの友達が室内で洗濯物を干すのを嫌がるからだ。


『部屋に干すと邪魔くさいし回収めんどい』『湿気が薔薇に悪影響を及ぼす』


と主張する二人に、わたしも負けじと


『お洋服が溜まると着るものに困るし洗濯物溜め込むのは女の子としておかしいよ!』


という正論で反論するも、唯一の味方かと思ったお菓子好きの友達の、


『べつに少しくらいいーんじゃない?』

というありがたい鶴の一声で形勢逆転どころか撃沈。
第四十二次……あれ? 第五十二次だったかな?
ともかく、部屋干し論争はわたしの圧倒的敗北によって終戦した。

……乾燥機能付きの洗濯機、とっても安いのにどうして買わないんだろう?
自動で折り畳みもしてくれる洗濯機もあるのに、と内心で愚痴をこぼす。

窓ガラスに叩きつけられる大粒の雨を見ながら、わたしは心が憂鬱になるのを抑えられなかった。


そんなわけで、雨が降り続ける現状では外に遊びに行けるはずもなく。
雨音をBGM代わりにして、食堂の椅子に腰を下ろしたわたしたちはテレビで古い邦画を観ていた。
日本の映画はどうしてこうも静かなのだろうと、時々不思議に思う時がある。
もちろんそれは見る映画にもよるのだろうけれど、じめじめしているというか……などと身勝手な感想を抱いてしまう

とはいえ、黙って視聴していても気が滅入るだけだ。
気分を入れ替えようと、目の前のお皿に盛られたポテトチップスを手に取って一口かじりながら話を切り出す。

「そういえばこれ、杏子さんが買ってきてるんだよね?」

「んっ……そーだよ? 佐倉さんががさがさーって買ってくれるの」

「でも杏子さんってあんまりお菓子食べないよね?」

そういえば、と目の前に座ってポテトチップスをかじっていた彼女が固まった。
珊瑚色のきれいな髪に指を絡ませて、萌葱色の瞳をくるくると回転させている。
それからややあって、こてんと首を傾げた。

「じゃーなんでたくさん買うんだろ?」

「……あなたが食べるから……」

のそっと皿に手を伸ばして、他の子が一言。
だけど、恐らくそれだけではないはずだとわたしは考えた。

「たぶん違うよ 杏子さん、昔からよく買ってたし」

あの子がわたしたちと一緒に戦うようになったのはつい最近——と言っても三年も前——のことだ。
わたしの記憶が正しければ、杏子さんはそれ以前からお菓子をたくさん買い込んでいた。

「お茶請けよーとかじゃない?」

「……巴さんの手製菓子があったのに?……」

「あーそーいえばそーだね……」


「んまい棒の時の顔は怖かったよねぇ」

「あーあれはこわかったー!」


杏子さんはあまりお菓子を食べない。
それどころかお菓子を見るとどこか嫌そうな顔まですることがある。

もう半年以上前になるだろうか。
わたしたちがクレーンゲームで引き当てた大量の『んまい棒』を杏子さんにプレゼントしようとした時のことだ。
杏子さんは眉を立てて露骨に不機嫌になり、まるで肉親の仇でも見るような必死の形相で、

『いらない』

——とだけ言って部屋に籠もってしまった。
その時のわたしたちはみんなで必死に悩み、相談しあい、
クレーンゲームにお金を注ぎ込んだことを怒っているのだと推察して後日謝罪した。

ところが杏子さんは笑いながら首を振ってそれを否定。
そのまま有耶無耶にされてしまい、今日に至るのだけれど……

「あれってお菓子が苦手でつい不機嫌になっちゃってことなのかな?」

「でもさー、フツーお菓子が嫌いなら買わないでしょ?」

「……癖?……」

「癖って?」

「……子供時代の癖……」


「杏子さんの子供時代かぁ」

言われてわたしは、杏子さんの子供の頃の姿を想像してみた。
たぶん髪型は今と同じ赤いきれいな炎のような髪をまっすぐに下ろしている。
八重歯がキュートで、目はちょっと怖そうだけど同時に優しそうで。
顔つきは今も昔も変わらずキリッとしているに違いない。

「うんどーしんけーが抜群っぽそーだよね!」

うん、そうだね、とわたしは笑った。
きっと背は高くて運動神経も良いはずだ。
そして健全な肉体には健全な精神が宿ると言う。
性格はとっても真面目で、だけど堅苦しくなくて、優しくて明るくて元気。

「……人間関係は良好……」

うんうん、とわたしたちは頷いた。
きっとお友達がたくさんいて、みんなと仲良くやっていたのだろう。
友達が喧嘩していたらそこに飛び込んで、すぐに仲直りさせるに違いない。

杏子さん自身が喧嘩することは……ありそう。だけどきっと『正義の側』だと思う。
友達が道を外れるようなことをしていたら真っ先に頬を叩いて矯正させる、正義感溢れた魔法少女だ。

「お菓子はそんなに食べないんじゃないかなぁ?」

もしかしたら人並程度には食べるかもしれない。
でも決して食べ過ぎたりはしないだろう。
むしろ食べ過ぎている子を注意する側に回りそうかも。

今でもお菓子を食べ過ぎている子——ほとんど一名だけど——にはきちんと叱っていたりするから、
昔から変わらない性格の可能性が高い。
そう考えたら不思議と胸がじわっと熱くなってきた。

わたしは凄い人に育てられてきたのだ、と。いまさらながらに思う。


「……三大魔法少女……」

「ミチルさんとマミさんと杏子さんのお話?」

「友情の和紗さんと努力の巴さん、それからえーっと……勝利の佐倉さんだっけー?」

それじゃ少し前に廃刊になった漫画雑誌だ。
わたしは天井を見上げて少しだけ記憶の糸を辿り、それから正しい名称を口にした。

「仲間のミチルさんと、
 弟子のマミさんと、
 正義の杏子さん——だよ」

現代の魔法少女は数が増え、さらには横と横の繋がりがとても広がっている。
魔法少女間の情報交換用のネットワークをプレイアデス聖団が実用化したからだ。
インターネットが普及されていることも大きな原因の一つとされている。

そんなたくさんの魔法少女の憧れの的の三人は、セットでいつも三大とか三強とか、三聖とか色々呼ばれている。
件の三大魔法少女もそれの一つだ。

「……三十年前の見滝原の件も……」

「あれは魔獣はぜんぜん関係ないって佐倉さん言ってなかったっけー」

「うん、言ってたね。あれは天災だよって」

三十年前の大きな災害。仮にあれが魔獣によるものだとしたらとても恐ろしいことになる。
たぶん≪大型≫の魔獣が出現するとあれくらいになるはずだろう——という解を導き出して、
わたしは思わず自分で笑ってしまった。

≪大型≫の魔獣と戦って生き残ることが可能な魔法少女なんていない——それが今の魔法少女の常識だった。



◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

そんな話をしていると、外に出ていた杏子さんが帰ってきた。

「ただいま……っておいおい、なんで三人揃ってここでくつろいでるんだい?」

「ひとりでいると気分が暗くなっちゃうから」

「あたしの部屋テレビないしー」

「……薔薇の手入れ……」

三人の答えに呆れ顔をする杏子さん。

「あんたいま完全に頬杖しながらテレビ観てたろ。薔薇の手入れしてる素振りなんて欠片も見れなかったよ」

「……モーマンタイ……」

「ったく、誰に似たんだか……ああそうそう、今日は魔獣探しはしなくていいよ」

魔獣探しというのは文字通り見滝原市を見回って魔獣を探すことだ。
普段なら一人、ないし二人で行うもので、遠くまで見回るときにはちゃんと交通費も渡される。
学校通いの子なら登校中や下校中に、そうでない子は時間を作ってちゃんと見回らなければならない。

今現在、見滝原市にいるマギカ・カルテットの魔法少女は全部で七人、杏子さんを除けば六人。
その内の三人が少し離れた場所に自分の家を持っていて、
顔を合わせることが難しい場合はその住所付近の見回りを担当してもらっている。
シスターやパソコン好きのあの子もその中の一人だ。

それを行わなくて良い、ということは……


「さーくーらーさーん……? まさかとは思うけど、魔法を使っちゃったとかじゃないよねー……?」

珊瑚色の髪の毛をわずかに揺らしながら、彼女はジト目で杏子さんを見た。
一方の杏子さんは頬を引きつらせて首を横に振った。

「使ってないよ、これからシスターが来るんだ。その時に魔獣探しもやってくれるってさ」

「なーんだよかったー!」

「……焦る……」

二人の反応にくすりと笑みを漏らす。
わたしの言葉を取らないで欲しいなぁなどと思いつつ、わたしは杏子さんを見上げた。

「ん? なんだい?」

なんでもない、と手を振る。
表情の変化が見られなかったので、たぶん約束を破るようなことはしていないのだろう。

杏子さんは戦っちゃいけない。
杏子さんは魔法を使っちゃいけない。
これはマギカ・カルテットのみんなが二年前に杏子さんと交わした約束だった。

「約束、ちゃんと守ってくれてるんだね。安心しちゃった」

「おいおい、あんたは私をなんだと思ってるんだ?」

呆れ顔のままわたしの頭に手を置く杏子さんに、わたしは笑顔を向けながら言った。

「頼れるお義母さんって思ってるよ!」

「心がこもってない。真心チョップ」

あいたっ……これは手厳しい。


「そんなことより朗報だよ。新入りがこっちに越してくることが決まった」

「ホント? 日取りはいつ?」

「今日の夜だよ。荷物はほとんど無いから、二回の空き部屋片付けるだけで済みそうだね」

あっけからんと紡がれた杏子さんの言葉にわたしは絶句した。
今日の夜にいきなり訪れると言うこともそうだが、荷物がほとんど無いというのも少し妙な話だ。
これまでたくさんの入居者を見てきたわたしの経験からすると、
荷物が無いということは何か家庭に事情があるというケースが多い。

「おーすごーい」

「……どうでもいい……」

……そういえば二人もあまり荷物が無かったような。
それはともかく、わたしはその子を迎え入れるための準備に取り掛かるべく杏子さんに尋ねた。

「じゃあわたし、部屋を掃いてくるね。手前の部屋で良いんだよね?」

しかし杏子さんは右手を振ってそれを静止。
次いで右手を丸め、人差し指や親指などで何かを握りこむようなポーズを取った。
あれは……鉛筆だろうか?

いつの間にか漏れていたらしいわたしの言葉に、杏子さんはにっと笑みを浮かべて頷いた。

「あんたたちはシスターとお勉強だよ。新入りが来る前に魔法に関する知識の方の再確認しときたいからね」

「えー!? あたしこれでも頭いいよー!?」

「≪小型≫と≪中型≫の戦力差は?」

「……さ、三対一かな? 四対一かなー……?」

「素直に勉強しな。場所はいつもの部屋だからね」


しぶしぶ席を立つ二人に続きながら、わたしは杏子さんの方を振り返った。

「ねぇ杏子さん。一つ聞いてもいいかな?」

怪訝そうな表情を浮かべる杏子さんに構わず、わたしは少し早口で話を続けた。

「杏子さん、いつもたくさんお菓子買うよね?」

「ん? ああ、そういえばそうだね」

「でも杏子さんってお菓子あんまり食べないでしょ? だからどうしてそんなに買うのかなって気になっちゃって」

杏子さんは顎に手を置き、視線をそらした。
昔を懐かしむような優しい眼差しのまま、そっと口に出す。

「なんでだろうね……つい買っちゃうんだ。深い理由や意図は無いよ」

さっきの子が言っていた『癖』という言葉を思い出す。

「もしかして杏子さん……子供の頃はお菓子、好きだったの?」

驚いた顔で目を見開いている杏子さん。
何度か瞬きをした後、彼女はふっと鼻で笑うと肩をすくめておどけてみせた。
まるで何かを隠すかのような仕草だった。

「どうだったかな、昔の事なんて忘れたよ。ほら、あんたもさっさと行きな」

「う、うん——あ、もう一つだけ良い?」

またか、という顔をする杏子さんに頭を下げつつわたしは尋ねる。

「新しい子のお名前はなんていうの?」

「ああ、名前ね。名前はね……」

杏子さんは少しだけ声を低くしてそっと呟いた。



「ちとせ……千歳あんず、だよ」

3アバン〜2Aパートここまでーっす。次回は魔獣に関するお勉強会

オリキャラに名前を付けないとか言ったかもしれないが例外はあったりなかったりしなくもなかった!
もう投下予告制度はやめよう、時間を守れる気がしない

乙。めちゃめちゃ面白いので超期待してます

すんません。酉つけっぱでした


もしも明日が晴れならばとか懐かしいな



>もう投下予告制度はやめよう
そしてエタると

おいせっかく無限の後釜くるとおもってたのにこれエタったもう立ち直れないよ

なんかほむらにしては口調が堅苦しいと思ったけど
もしかしてこれはそういうことなんだろうか
なんかもやもやしてきた

小ネタに気づいてもらえるとうれしい
というわけで投下。ちょっとオリキャラパート長いので斜め読みどうぞ


◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


「前から不思議だったんだけどさー、ここってなんのための部屋なの?」

「ここは元々は古くてちょっと大きいアパートだったから……会議室かな?」

「……会議室のあるアパート?……」

「ほら、この街ってちょっと変わってるって言うから」

白い会議室の長テーブルに肘をかけ、パイプ椅子に腰を下ろして雑談を交わしていると、扉が開かれた。
部屋に入ってきたのはマギカ・カルテットの一員のシスターだ。

シスターと言っても以前会ったときのような紺の修道服姿——魔法少女の姿ではない。
上はTシャツ、下は長めのジーパンという比較的ラフな私服姿だった。
豊かなバストとお尻がくっきり浮かび上がっていてわたしは思わず心の中で拍手した。
いや、ソッチ系じゃないけどね?

「みなさん揃っているようですね。それじゃあさっそく始めましょうか」

「お菓子食べながらでもいいですかー」

「それで知識が身に付くのならかまいませんよ」

「……帰ってもいい?……」

「それで知識が身に付くのならかまいませんよ。——知識が身に付くのであれば、ですが」

露骨に嫌そうな舌打ちの音が響いた。
シスターはそれを返事と受け取ったのか、
彼女はにこにこしながら長テーブルを挟むようにわたしたちの正面に立つ。

そしてっすぐ後ろに設置されたホワイトボードに、黒のマーカーで、お勉強の内容をすらすらと書き込んでいく。
その字はシスターの倍近く生きている杏子さんよりもずっと丁寧でバランスが整っていた。


「それではまず始めに——魔法少女とはなんでしょうか?」

シスターの発言にわたしたちは揃って顔を見合わせ、これまた揃って首をかしげた。
魔法少女は魔法少女。それ以外にどう説明すればいいのだろう?

「そうですね。あなたたちにはそれが当然の意識かもしれません。
 では質問を変えましょうか。魔法少女とはどのようにして成るものですか?」

「うちゅー人のキュゥべえに願いを叶えてもらって、その代わりになるものでしょー?」

「その通りです。私たちは願いを叶える対価として魔法少女になります。
 魔法少女とは地球外生命体であるキュゥべえに願いを叶えてもらった者です。SFですね」

少女の願いを叶えて魔法少女にし、魔法少女に付き従う使い魔のような生き物。
それがキュゥべえ——正式名称はインキュベーター——である。
彼らは純粋な科学技術を用いてわたしたちの願いを叶え、魔法の力を授ける存在だ。

「私も、あなたたちも、願いを叶えたからこの場にいるはずです。ああもちろんあなたは例外ですね」

わたしに気を遣ったのか、彼女は慌てて訂正するとわたしのことを見て申し訳なさそうに頭を下げた。
その様子を見て慌てて手を振り、どうぞと先を促す。
年上の人から気を遣われるのは苦手だな、と思いながら、わたしは自分のことについて少しだけ考えた。


——わたしは、願いを叶えて魔法少女になったわけではない。
いいや、もしかしたら願いを叶えたのかも知れない。でもわたしはそのことを覚えていない。
今から十年も前のことだ。
当時、おそらく三歳か四歳だったわたしは記憶を失った状態で、
桃色のソウルジェムを両手で握り締めたまま地面に横たわっていたのをマミさんに発見された、らしい。

例外というのはその事だ。
なにせキュゥべえですら『残念だけど答えられないね』と言うのだから不思議も不思議。
いったい何があったのか。それは記憶を失う前のわたしにしか分からない事だった。

——でも、そんなことは、今は重要じゃない。

わたしは頷くと、シスターの話へ意識を向けた。
話はいつの間にか進んでいたらしく、彼女が叶えてもらった願いの話に移っていた。


◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇


私はかつて、神とイエズスの教えを正しい物だと心の底から信じていた。

そして私は、この世界は神とイエズスの教えだけでは何も変わらないという事実に気づいてしまった。

ならば今はそれらを信じていないのか?
ならばお前は進む道を違え誤ったのか?

そう問われれば私は首を横に振るだろう。そして胸を張って言うのだ。

『私は今でも神と教えを信じているし、道を誤ったつもりもない』

その通りだ。私は今も神の存在を信じている。イエスの教えも正しい物だと信じている。

今日に至るまでに流してきた汗と涙に無駄な物など一滴たりとも無い。
見えない衝動と焦燥に突き動かされ、見えない濁流に揉まれたような一生だとしても。
きっと私は自分の歩んできた道を誇らしい気持ちで振り返り、満足気に胸を張る事だろう。
そしてふたたび足を進めるはずだ。

昔と今で違う物があるとすれば、それはたったの四つ。

それは信じる対象が増えた事。
この手で救える対象が出来た事。
修道女を経てシスターになった事。

そしてなによりも魔法少女になったという事だ。


私が契約したのは今から六年以上も前になる。

当時の私はまだ二十歳。修道女になってから日も浅かった。
修道女になった理由を語るのは話がそれてしまうので省略してしまうが、
私の家は古くから続く良家であり、そんな両親に反発したかったからという、あまり褒められる理由ではない。

だけど私はそれで良かったと思っている。
良家の加護を受けて綺麗な着物を着て、置物のような一生を過ごすよりは、だ。

両親は修道女になった私を疎み、もう何年も会おうとはしてくれなかった。
それはよりいっそう私を神とイエズスの教えの信仰へ駆り立てる理由にもなったのだろう。

神を絶対の物だと信じて疑わなかった私は、教えに従ってひたすら努力していた。

修道女とは、辛い修道生活をこなしながら日々困難と闘い続ける人種だ。
華々しい活躍を見せる人間など数えるほどもおらず、
その大半が修道女としてひたすら修道生活を送り続け、やがて息を引き取る運命にある。

両親を見返したいという気持ちもあって、私はそのままでいる事を恐れていた。
もっと誰かの役に立ちたい。誰かの支えになりたい。
そうすることでこの荒んだ社会を少しずつ変えてみせるのだと、そんな甘い理想を本気で抱いていたのだ。
信じるものは救われる。それが当たり前なのだと錯覚していた。

けれども、修道女はどこまで行っても修道女だ。
一回の修道女でしかない私にとって、その理想はあまりにも高すぎた。

どれだけ考え、悩み、苦しんだとして、一介の修道女には限界がある。
元より修道女とは、誰かを救うための物ではない。
修道女になった上で誰かを救える存在になるためには膨大な時間を費やす事が必要だった。

言い訳がましくなってしまうが、結果的に言えば私には向いていなかったのかもしれない。
急ぎすぎていたというのも少なからずはあるのだろうが。


そこに家族の不幸と恐ろしい出来事が重なった。

家族の不幸。
一言で言えば、両親が交通事故で他界したのだ。

両親が亡くなったという報せを聞いた時、私はあまり実感を持つ事が出来ず、
自分でも不思議なほどにすんなりと受け止める事が出来てしまった。

交通事故の原因は、両親の不注意による運転ミスからの対向車との接触だった。
元より両親は運転する事に慣れていない。専属の運転手を雇っているからだ。
おそらくその日の運転は『趣味』や『娯楽』の一環だったのだろう。

接触した相手側の車には女の子とその父親が乗り込んでいた。
ピクニックの帰りで疲れていたらしく、両親の運転ミスに気づくのが遅れてしまったそうだ。
疲れていたゆえに反応が遅かったにせよ、相手側に非はまったく無かった。

そして——ああ、今でも信じられない。

私の両親は、まだ10歳にも満たない少女から父親という存在を奪ってしまった。
彼女はもう二度と父親と語り合う事もできず、触れ合う事もできない。
もう一生温もりを得る事が叶わなくなってしまった。

私は私の家族の死を悼むより先に家族を恨み、彼女の不幸を悼んだ。


後日、私はすでに埋葬された両親に代わって謝罪しに行こうとしたが、結局それは叶わなかった。
彼女の母親に断られてしまったからだ。当然だろう。

あの子は今、どうしているのだろうか。

まだ見ないあなたに幸せがあらんことを。

私はただそれだけを祈り続けた。

仄暗い絶望を胸の奥に秘めながら。


◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇


そうして深い絶望に嵌っていった私は、
人間の負の感情を集める魔獣にとっては格好の餌だったのだろう。

何をする気にもなれず、ただぼうっと道を歩いていた私は見た事の無い不思議な場所に出ていた。
異常な光と、異常な景色。魔獣の庭の中。

目の前に立ちはだかる5メートルはあろうかという魔獣を見上げながら、私は何も出来なかった。
一見すれば聖職者に見えない事も無い巨人は、無力な私に下された裁きの象徴なのだと、
虚ろな表情のまま、本気でそんな事を考えていたと思う。

そのとき私の耳に届いた言葉を、私は今でもはっきりと覚えている。
彷徨い、絶望し、その命を散らせる寸前だった私に向かって、
彼女は背後から音も無く近付きこう言ったのだ。


『——あんたの心は、もう死んじまってるのかい?』


その言葉に、私は意識が急速に覚醒していくのを実感した。
気付いた時には体を後ろに倒すような勢いで後じさり、悲鳴を上げていた。
彼女はそんな私を見て小さな笑い声をこぼした。
そして私の肩に手を置き、済ました顔で言った。

『良い反応だ。人助けするなら、やっぱり心が生きてるやつに限るってもんさ』

口から覗かせる八重歯。鋭い目つき。赤い瞳。暗い赤と明るい赤のツートンのドレス。
そしてゆらりと燃え上がる、炎のように綺麗な赤いストレートヘアーに——胸に輝く、赤の宝石。

彼女は身の丈よりも長い槍を手に取り、まるでスキップでも踏むかのように軽やかに前進。
片手で槍を薙ぎ、自分の背の三倍以上もある巨人を一撃で撃破した。
子供の頃に読んだ、漫画に出てくる主人公のように堂々とした佇まいに、
私は我を忘れてただただ呆然と彼女を眺めていた。


結界が解けて元の世界に戻った頃。
ようやく我に返ると、私は彼女に向かっていくつも質問を投げかけた。

あなたは何者だとか、先ほどの巨人は何だとか、私もあなたのようになりたいとか、色々。

けれども彼女は至って冷静に、ただ私の目を見て言った。

『世界の裏側には、さっきの巨人みたいなヤツがうじゃうじゃしている。
 人の負の感情を食らって人の人生を台無しにする最低の化け物だ。私はそいつらと戦っている』

私はすかさずこう尋ねた。
あなたのようになりたい、と。
彼女は悲しい瞳をして首を横に振り、だめだ、と言った。

当時の私は気づかなかったが、今思うとあの瞬間、彼女の表情は驚くほどに一変していた。
先ほどまで見せていた逞しさと漲っていた気力は鳴りを潜め、
生きることに疲れた者が見せる疲弊の色——重たい灰色の何かが確かにそこにはあった。

少なくとも、四十にも満たない女性が見せる顔ではなかったように思う。

『私のように、ね。残念だけど誰でも私みたいになれるわけじゃない。
 それに辛いことや悲しいこと、苦しいことや傷付くことが山のようにある。
 あんたは興奮しているから分からないだろうけど、実は私はね、あんたよりも無力なんだよ』

彼女の声は切実な物で、私を通して別の誰かに語りかけているようだった。
それはある種の悲痛な訴えにすら似ていた。

『私に出来るのは、裏側から世界を守る事だけだ。
 だけどあんたたち真人間は違う。表側から誰かを救える。それが世界を守る一番の近道なんだ』

彼女は槍をどこかへ消し去ると、私の背中をぽんと叩いた。
肩をすくめて微笑を浮かべ、頑張れ、と言ってくれた。
そしてすぐ近くで待機していた歳の近い女性と共に姿を消してしまった。

それが私と彼女の——佐倉杏子様との、初めての出会いだった。

それから半年後、私はキュゥべえと出会った。

晴れて私は魔法少女となり、佐倉様のお隣で、裏から表から、世界を守り救う道を選んだのだった。


◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇


◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


「——『まだ見ないあの子が幸せでありますように』。それが私の願いです」

シスターの話を、わたしはただ黙って聞いている事しか出来なかった。
こういうときに何を言えばいいのか、どんな顔をすればいいのか、わたしは知らない。

「まーいろいろあるもんだねー」

「……人の数だけ歴史あり……」

思ったよりも驚いていないのがこの二人だ。
彼女たちは大変だねぇ、と頷いたり、そうなのかぁ、と興味深そうにしている。
けれどもわたしのように戸惑う素振りは見せていない。

人の数だけ歴史あり。

二人にも同じように複雑な事情があったのだろうか。
無意識のうちに自分の黄色いリボンを触りながら、わたしはふとそんなことを思った。

「さて、お勉強に戻りましょうか」

「えー!?」

「えー、です。
 私の祈りは早い話が他者の救済です。それによって得られた魔法が治癒の魔法です。
 と言っても、これはどちらかというと精神的な治癒ですのであなたには及ばないかもしれませんね」

そう言って、シスターはわたしに微笑みかけた。
わたしの固有魔法は自分や誰かの怪我を治癒する典型的な回復魔法だ。
あなたの願い事はその魔法に似た優しい物なのでしょうね、とマミさんが言っていたのを思い出した。


「あたしの魔法はコーゲキタイプなんだよねー」

そう言って、隣で飴玉を舐めていた彼女は右手を掲げて見せた。
ぎゅっ、ぱっ、と拳を作っては開いたりを繰り返している。

「あれ、固有魔法はお菓子の生成じゃなかったの?」

「それじゃ戦えないでしょー? だから巴さんに教わってさー……っと!」

ぼんっ! と乾いた音を立てて彼女の手のひらの上に鬼火のような輝きが現れた。
ゆらゆらしてるけど、よく見ると球状になっている。
鬼火と言うよりは昔の漫画にあった必殺技に似ていた。

「お菓子は魔力でできてる——ってことは、イコールつまり形をくずしちゃえばそれサイキョー!」

ふふーん、と胸を反らす彼女。
手のひらの上を漂っていた光の玉は、もう飴玉に変わっていた。

「おーよー次第で、なぐりつける時に大ダメージ与えれたりもしちゃうんだよねー。巴さんにかんしゃかんしゃ」

「巴様は魔力の扱い方が特に秀でておられましたからね。それであなたの方は……」

シスターは小さく首を振って視線を横にずらした。
わたしたちも同じように視線を走らせる。

そうして三人に凝視される事になったのは若草色の髪のあの子だ。
彼女はぷいっと顔を逸らし、何も言おうとはしなかった。


「魔法は願いと祈りに直結していますから、
 無理に答える必要はありませんよ。
 それが私たちマギカ・カルテットですからね」

穏やかに締めくくり、シスターは話を次の段階へと移行させた。

「願いと祈りと魔法の関係性は十分ですね。それではキュゥべえの説明に入りましょうか」

「えーどーでもいいよあんなペットなんかさー」

「……胡散臭い……」

「たしかに、それはちょっとあるかも」

わたしたちの言葉に、シスターは口に手を当てて苦笑を隠した。

「キュゥべえの目的について、だれか知っている人は?」

沈黙。
ひたすら沈黙。
仕方が無いので、わたしはおずおずと手を挙げた。

「えっと、宇宙を長生きさせているんですよね」

「その通りです。この宇宙は遠い未来、エネルギーが広がって、よく分からないのですが死ぬようです」

呆気からんと放たれた言葉にわたしたちは思わず噴出してしまう。
よく分からないけど死んじゃうんだって。

「なにせ何千億年以上も後の事ですから。
 私たちからすれば他人事です。キュゥべえたちにとってはそうではないようですけれど」

「なんでさー?」

「主観時間と客観時間の問題ですね。説明は……またいずれ」


コホン、と咳払いを一つ。

「その宇宙の死を防ぐためには、グリーフシードと呼ばれる結晶が必要になります。
 これは扱い方次第でこの世界の物理法則を変化させうるとても恐ろしい代物です」

物理法則を変化させると言うけれど、わたしにはそれがいまいちよく分からない。
杏子さんは曲がった物を直すのに似ている、と説明してくれた。
マミさんは空いてしまった穴を埋めるのに似ている、とも。

「これはどこからともなく現れる魔獣しか持っていない貴重な物です。
 そして魔法少女になった私たちは魔獣と戦い、グリーフシードを集めなければなりません。
 なぜなら、負の感情を吸い上げる魔獣と対抗できるのが私たち魔法少女だからであり——」

シスターは自分のソウルジェムを手のひらに乗せ、わずかに濁っている箇所を指差した。

「ソウルジェム——
 契約の際に変化する魔法少女の魂に溜まっていく、
 穢れと呼ばれる物を唯一浄化出来るのがこのグリーフシードだからです」

ソウルジェムは、魔法を使ったり負の感情を抱く事で濁り、穢れが溜まっていってしまう。
それが限界まで溜まりきった時、ソウルジェムははそれに耐え切れなくなる。

「そうして濁りきったソウルジェムは、その魔法少女の体ごと消滅します。
 この宇宙に存在しているとされる、円環の理と呼ばれる事象、あるいは存在によって跡形も無く——です」


そう——マミさんのように。


「私たちは願いを叶えてもらいました。だから戦わなければなりません。何よりも生きるためにです」


「さて、それでは魔獣の説明に入りましょうか。魔獣はいくつに分類別けされていますか?」

「≪小型≫と≪中型≫と≪大型≫ですよね」

「はい。では≪小型≫の特徴を、飴玉を舐めるのに夢中になっている子にお願いしましょうか」

「わーだれだよー飴玉舐めてるやつはー(棒)」

じろり、とシスターが冷ややかな目で彼女を見た。
さすがに不味いと思ったのだろう、彼女はたじたじになりながらも仕方なく答えていく。

「えっとー≪小型≫は数がおーくて弱い。
 あとちーさいよね、1メートルから2メートルくらい?
 魔獣の手先とか配下とか信者とかいろいろ呼ばれてるよねー」

「マギカ・カルテット内で≪小型≫を採用しているのは、文字通り私や佐倉様がいわゆる信者だからですね」

それだけではないのよ、とマミさんが語っていたのを思い出す。

魔獣を表す言葉にもうひとつ、システムというものがある。

この宇宙の見えない何かをどうこうする、宙が作り出した意思を持たない存在だから、とかで。
≪小型≫は手先でも配下でも信者でもなく、ただ小さくて数が多いだけの魔獣でしかないのだと。
じゃあ宇宙はどうしてそんな物を作ったのと幼い頃のわたしが尋ねると、マミさんは困ったように笑っていた。

「≪小型≫の能力はせいぜい身体能力の高い人間程度です。
 主な攻撃手段であるレーザーは直撃さえしなければ、並大抵の魔法少女ならば無視できるでしょう」

「あーあとセーシン汚染? があるんだよね。瘴気をがばって被せるやつ」

「ですがそれは魂がソウルジェムに変換されている私たちには効き目がありません。
 けれど、一般人相手には十分有効ですので結界内に一般人がいる場合は注意をしてください」

マミさんや杏子さんのように、リボンや鎖で魔法の結界を張れれば問題は解決できる。
ただ……いま教わっているわたしたちはそういった技術をまだ身に付けていない。


他に注意事項をいくつか述べると、シスターは後ろのホワイトボードにそれらの情報を簡単にまとめた。
中でも一際重要なのが『浄化率』の項目だろう。

≪中型≫から回収出来るグリーフシードの浄化率を5とした場合、
≪小型≫から回収出来るグリーフシードの浄化率はその五分の一の1だ。
≪小型≫を五体狩ってようやく≪中型≫と同等の浄化が行える事になる。

ソウルジェムを一つ丸々きれいにするためには、
≪中型≫のグリーフシードが二十個、
≪小型≫のグリーフシードが百個必要になる計算だ。

これだけだと≪中型≫を狩った方が効率が良く思えてしまう。
けれどもここでさらに重要なのが≪中型≫と≪小型≫の戦力の差だ。
並の魔法少女と比べた場合の戦力差は以下の通りである。

魔法少女1に対して≪小型≫が25   1:25

魔法少女1に対して≪中型≫が5    1:5

もちろんこれはあくまで杏子さんとマミさんとキュゥべえが出した、
現代の魔法少女と魔獣の戦力差の基本となる数値でしかないのだけれど。

≪小型≫も≪中型≫もグリーフシードの浄化効率で言えば変わりは無いのだ。
消費する魔力の量もデータの上ではほとんど誤差の範囲内で収まっているため、
どちらかを無視して狩るのは非効率だと言うのが魔法少女の間での常識である。

とても『都合の良い』バランスになっている、とマミさんが語っていたのをわたしは思い出した。
誰にとって『都合の良い』バランスなのかは考えるまでもない。

でも、それで誰かが救われるのならそれで良いよね……?


◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


「——以上の三つの点から、プレイアデス聖団が推し進めている、
 グリーフシードを核にした人造魔法少女計画は未だ成功しておりません」

シスターはそこでいったん口を閉じると、どこからともなく懐中時計を取り出して見せた。
表示されている時間を見て彼女は一息吐き、わたしたちに向かって微笑みかける。

「今日はこのくらいにしておきましょうか。お夕飯はもう済ませましたか?」

「まだー」

「それでは今日は私が担当しましょうか。佐倉様も色々と忙しいでしょうし」

いよっしゃー! と小躍りしている友達を微笑みながら優しい目で見つめるシスター。
マギカ・カルテットには色々な人がいたけれど、この人はその中でも特に優しい気がする。
わたしは宗教や教えというものについてあまり詳しい事は分からないけれど、
そういうのが人格面に与える影響ってやっぱり大きいのかもしれない。

そんな失礼なことを思っていると、シスターが真剣な顔をわたしに向けてきた。

「少しお聞きしたいのですが、よろしいですか?」

「あ、はい。なんですか?」

「あの子は元気にしていますか? 最近は教会の方が忙しく、あまりお会い出来ていないので」

この場にいない魔法少女で、あの子と呼べる年齢の魔法少女は一人だけだ。
わたしのお友達の物知りなあの子。透き通った青空のような瞳を持つ彼女のことだろう。

「元気そうにしてましたよ。なにかあったんですか?」

シスターは悲しげな表情でうつむき、小さな声で言った。

「どうも私はあの子に避けられているみたいで。元気そうなら良いのです。ありがとうございました」

「あ、はい」

あの子が、避けている?
確かにあまり人と積極的に関わろうとはしていないけど……
どこか腑に落ちず、わたしは首をひねって考えた。けれども答えが出ることはなかった。


◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


そうこうしている内に夜になり。
わたしたちは新しくマギカ・カルテットの一員となる女の子と顔合わせを行っていた。
ちなみにシスターはこの場には居ない。
すでに杏子さんと一緒に顔を合わせているからなのと、色々と忙しいから、らしい。

「この子が新入りの千歳あんずだよ。よろしくしてやってくれ」

杏子さんが腰に手を当てながら言った。
……のは良いんだけど。

「ねぇ杏子さん、そのあんずちゃんはどこにいるの?」

わたしの指摘を受けた杏子さんがきょろきょろと辺りを見回す。
それからややあって、杏子さんの影からひょいっと小さな女の子が現れた。

「……あんず、私は柱でもなければ遮蔽物でもないんだよ」

びくっと大きく震える女の子——あらため、あんずちゃん。
あんずちゃんは目尻に大粒の涙を浮かべたまま、おそるおそるこちらの様子を伺っていた。

少し緑がかったツーサイドアップの髪の毛。
二つセットになっているかわいらしい大きな丸い髪留め。
藍色にも見える深い青の瞳に、彼女の髪の色をより深くした色の服装。
年齢はたぶん八歳か七歳くらいだろう。怯えているところとあどけなさが可愛らしい。

——いや、それにしても可愛い!

そこまで特筆するような特徴があるわけではないと思うのだけれど、可愛い。
視界に入った瞬間からもうわたしの視線は彼女に釘付けだ。
いますぐに駆け寄って抱き寄せたくなる、なんというのだろう、保護欲を掻き立てられる可愛さ? がある。
可愛いというよりもかわいい? みたいな、不思議な感じ。

それは他の子たちも同じらしく、
あのバラ好きの、普段から誰かをあまり信用としない彼女にしては珍しく、
目を見開いて口を半開きにし、わたしと同じようにじわじわとにじり寄ろうとしていた。


「ほら、あんず。自己紹介」

「……キョーコ、おねがい」

「だめだ。ほら、はやくしな」

がっくりとうなだれるあんずちゃん。
彼女はそろりと前足を運んで姿をさらけ出すと、おどおどしながら言った。

「えっと、わたしは……千歳あんず、だよ?」

かわいい。

「かわいい!」

「ふぇ?」

いけないいけない、つい口に出してしまった。
わたしは自分のうっかりに顔を赤らめ、隣の二人の背中に隠れた。
アホか、とじと目で見られる。うう、ひどいよ二人とも……

「あー、悪いね。あんたたちに言っておかなきゃいけないことがあるんだ」

わたしの様子に苦笑いしていた杏子さんが言った。

「この子は絶対に甘やかすな」

「え?」

異口同音に並べられた三つの疑問の声を無視して杏子さんは続ける。

「この子は絶対に甘やかすな。厳しすぎるくらい厳しく接するんだ。分かったかい?」

反論は許さない、と目で語る杏子さんに、私たちは何も言えずにただ頷くばかりだった。
わたしたちが杏子さんの言葉の意味を知ることになるのは、
これからもう少し時間が経ってからになる。

いじょーっす

淡白な述懐パートの方が文章の進み方が桁違いに早い。好きです、淡白表現

補足すると、グリーフシード二十でソウルジェム一つ浄化ってのは
劇中でほむらが行ってた例のキュゥべえとのイチャイチャシーンが元ネタ
中型二十=魔女一でさやかちゃん一人でこの時代の魔法少女四人相手に出来る設定

>>91
こなたかなたとか桜とか、色々盛り込んでます。俺得のしょうもない小ネタです

>>94
ネタバレになるので明言は避けますがたぶんそれで合ってます

遅れたが乙

┌─────┐
│   乙    |
└∩───∩┘
  ヽ(`・ω・´)ノ

乙です

つまり人妻なゆまっちが存在する時代か…

乙、あんずちゃんあんあんか

杏子で杏子か、なるほど

気づけば十日。分量も長く。投下


「マミー」

「なあに、佐倉さん。いま忙しいんだけど」

「アタシらって一緒になってからもう何年くらい経つっけ?」

マミと呼ばれた少女はシャーペンを握っていた手をぱたりと止めて天井を仰ぎ見た。
あごをペンのキャップで何度か叩き、思案するそぶりを見せてから、ああ、と声を出す。

「三年かしら。でも最初に出会ったのは四年前だから、実質四年ってところでしょうね」

「四年かあ……」

彼女の言葉を聞いて、佐倉さんと呼ばれた少女はごろりと床に身を投げ出し、
大きなあくびをひとつしてから両手を広げて大の字のポーズを取って寝転んだ。
くすくす、と笑い声が部屋の中にひびく。

「どうしたの佐倉さん。急におばさん臭い台詞吐いちゃったりして」

むっ、と眉をひそめる少女。

「べつに。ただ時間が経つのは早いなって思っただけさ」

「……美樹さんやあの子と会ったときは中学三年生だったのに、いまは高校三年生だものね。確かに嫌になるわ」

マミはシャーペンをテーブルの上に置くと、隣で寝転ぶ少女をまじまじと見つめた。
少女の背は170後半と高く、だからといってよくありがちな筋肉が付きすぎの体とは違い、
出ているところは出ていて引っ込むところは引っ込んでいる。
どちらかといえばモデルのそれに当てはまる方だろう。
マミは自分の手を頭の上に置いて大きなため息を吐いた。彼女の身長は160にも満たない。

「初めて会ったときはまだ私の方が高かったのに、再会したときには追い越してるし。
 それどころかどんどん伸びていくし。ねぇ佐倉さん、普通の女の子は中学生で成長って止まるものなのよ?」

「アタシは大器晩成型ってわけだ。そりゃあ良い」

からからと笑う少女の横で、マミはぷくうっと頬を膨らませた。


「そろそろさ、その佐倉さんってのもやめてくんない?」

さぞ予想外だったのだろう、マミは頬をしぼませてから数秒した後、ぱちくり、と何度かまばたきをした。
それから首をかしげて、不思議そうに言った。

「どうして?」

「どうしてって、べつに。深い意味はないよ。ただなんとなくさ」

「なんとなく、ね。私はいいけど、佐倉さん、私があなたのことを『杏子』って呼んでも笑わない?」

マミの言った言葉に対して、『杏子』は寝返りを打って背を見せることで応えた。
マミは肩をすくめてシャーペンを手に取り、ふたたび手元の紙に書き込んでいく。

「……杏子」

「え?」

「きょうこ、きょおこ、きょーこ、それともキョーコかしら。ねぇ佐倉さん、あなたはどれがいい?」

杏子は起き上がってから首を左右に振って眠気を払う仕草をすると、
赤いポニーテールをふりふりと揺らしながらげんなりした顔でマミを見た。
一方のマミは怪訝そうな表情のまま杏子の様子を眺め、右手でシャーペンをくるりと一回転。

「呼び方の話よ。色々と候補はあるけど、最後のはちょっと鋭くて、でもどこか幼い感じがいいわよね」

「……分かった、アタシが悪かった。佐倉でいいからやめてくれ」

「あら、私は気に入ってるわよ。ねえ、キョーコ?」

「……おうし、マミ。アタシはこれからあんたのことを巴さんって呼ぶぞ。いいな、巴さん!?」

「あはは、似合ってないわよ巴さんなんて。悪かったわ、ごめんなさい佐倉さん」


やれやれと一息。
それから杏子は背後を振り返って、窓に映る夕日を眺めた。
町並みの向こうに浮かぶ太陽が少しずつ沈んで姿を消しつつある。もうじき夜になるだろう。

杏子は遠い目をしたまま言った。

「『キョーコ』……懐かしい呼ばれ方だね」

「あら、そうなの? 美樹さんはぴしっとした『杏子』って呼び方だったわよね」

「アンタと別れてから、アタシも色々あったんだよ」

足を組み直して、杏子はテーブルの上に置いてあったクッキーを一齧りする。
齧ったことで欠けたクッキーを、昔を懐かしむような目でじろじろと観察してから、
マミが視線で話の続きを促している事に気づき、慌てて口の中にあるクッキーの欠片を飲み込んだ。

「べつに深い事情があったわけじゃないさ。ただ色々あって、一人の女の子を助けたんだよ」

「良いことじゃない。立派よ、佐倉さん」

「立派じゃないよ。少しの間つるんで、でもアタシはけっきょく何もしなかったんだ」

「何も?」

「……今のご時勢じゃ、家庭に問題があるのはそんなに珍しくない」

その言葉だけですべてを察したのだろう、マミはもういちどシャーペンをテーブルに置き、杏子の肩に手をかけた。
やさしく、壊れ物を扱うように静かに、ぽんと撫でるように叩く。
対する杏子はちらりとマミの方を覗き見て、それから喉を震わせながら言う。

「素質持ちの契約候補だったんだ。一歩手前って感じでさ。
 あれ以上アタシと行動を共にすれば、無駄に因果が増えちまう。それだけは避けたかった」

「佐倉さん、それはベストな判断よ。他の誰が責めても私は責めないわ。
 マギカ・カルテットはまだ無かったし、積極的に魔法少女を増やすような行動はいけないわ」


杏子はマミの手に己の手を伸ばしかけて、しかし留まった。
甘えられる身分じゃないと心中で毒づいたのか、どこか自嘲気味な笑みを浮かべてテーブルに手を置く。

「ベストじゃなくてベター、下手すりゃバッドさ。相談所の連絡先の紙切れ一枚渡してそれでおしまいだよ?」

「でも、その紙切れ一枚が希望になったはずよ」

「だと良いけどね……この話はやめにしよーぜ、それより電気点けよう、暗くなってきたしさ」

気を取り直して立ち上がる杏子に、マミはしれっと済まし顔で言った。

「だーめ、これから電気代は節約します。十八時までは電気は点けません」

「かえって目が悪くなるじゃんか」

「あと十分だから我慢なさい。お金を確保するの、大変なんだからね?」

お金を確保するという言葉に、今度は杏子がぱちくりとまばたきをする番だった。
マミの手元にある紙を凝視して、それからテーブルの上に散らばっているいくつかの資料に目を通していく。
それから杏子は納得が行ったように大きく頷いた。

「あんた、本気で建物一つ丸々一つ買うつもりかい?」

「ええもちろん。ちょっと古いけど安いのがあるから。両親の遺産を崩して、それに少し働けばなんとかなると思うの」

「マギカ・カルテットの人間が住み着くアパート、いや寮か? どっちでもいいけどさ。
 しかしねぇ……やっぱ魔法で金稼がないと無理じゃない? 土地代とかさ」

「もちろんそれも考えてあるわ。あくまで違法にならない程度の魔法でだけど、ね」

「名前とかは考えてないのかい? マミホームとか、マギホームとか。
 アタシのお気に入りの漫画に出てくるうたかた荘とか、ちょっと前にアニメに出てきたさくら荘とかさ」

マミはしばらく悩むそぶりを見せた後、

「名前はいらないわ。みんなが安心して帰ってこれる場所、それが重要だもの。名前なんて、ただの飾りよ」

沈みゆく太陽を一発KOできそうなほどに明るい笑顔で言って、うなずいた。
それからしばらくして、彼女たちは正式な手続きを経てその土地と建物の権利を得た。

そして26年間、名前を持たぬその家は百名以上の魔法少女を受け入れ、また見送る事となる。


◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


この横顔を見つめてしまう——なんて、上機嫌で古い物語の題名を文字ってしまうほどに、
わたしはあんずちゃんに夢中だった。

食堂でみんなと朝食を共にしているわたしは、鼻歌を歌いながらあんずちゃんの頬をハンカチで拭いている。
自分でも珍しい、自分はこんな性格じゃない、と分かっているのに、どうしても世話を見てしまう。
不思議な魅力——魔性の魅力と呼ぶべきか——をこの子は持っていた。

「あんずちゃん、なにか食べたいものはある?」

「えーっと……おいもの煮物?」

「煮っ転がしだね、じゃあわたしが取ってあげる」

そそくさと大皿から煮っ転がしを箸で掴み、彼女の持つ小皿へ置いていく。

そうやってあんずちゃんの世話をしていると杏子さんと目が合った。
鋭い眼差しでわたしの瞳を射抜くように睨み、わたしの過保護っぷりを目だけで注意している。

『この子は絶対に甘やかすな。厳しすぎるくらい厳しく接するんだ。分かったかい?』

わたしは昨日の杏子さんの言葉を思い出してはっとなり、慌てて姿勢を正した。
そんなわたしに対して、杏子さんは怒鳴らず怒らず、ため息を吐くわけでもなく、呆れもせず。
ただ肩をすくめて鼻を鳴らすだけだ。

ほっと心の中で肩を降ろし——あんずちゃんの方を見ないようにしながら——テレビに視線を向ける。

『一流パティシェ立花氏絶賛パフェの紹介』

『十年前に行方不明になった少女の行方』

そんな感じの内容を流していたニュース番組は、最後にコンサートホールの映像を映した。
ホールの造りには見覚えがあった。見滝原市にあるコンサートホールだ。
建てられたのは今から二十年くらい前だったと思う。
その中央で、ヴァイオリンを弾く男性の影をわたしは見つけた。


彼は巧みに左手を操り、美しい音色をしっかりと奏でていた。曲目はたしか……ドビュッシの、

「……亜麻色の髪の乙女……」

そうそれと一人で頷いていると、杏子さんもそれに続いてうなずいた。

「亜麻色のー長い髪をー風がやーさしくつつーむーってやつだろ? でもあれはこんな曲じゃなかったぞ」

「……?……」

「んん、どゆこと佐倉さん?」

「島谷瞳の有名なカバー曲じゃないか。まさか知らないのかい?」

「ねえ杏子さん、いま2041年だよ」

しれっと年代のことを指摘するわたし。
それを受けてしまった、という顔をする杏子さん。
テーブルに肘を掛けて頭を抱え、ぶつぶつと声にならない声を吐き出したのち、彼女はとても長いため息を吐いた。

「あのCMが放送されたのが2002年だから、私は当時まだ五歳か。そして今は2041年。嫌になるね……」

「あれ、そんじゃー佐倉さんってこの人と同い年?」

「この人って誰さ」

「テレビに出てる人だよー、かみじょーきょーすけ」

ウインナーを頬張りながらテレビを指差す彼女。
珊瑚色の髪の毛はまだ結ばれておらず、だらんと下がっている。
わたしは彼女の髪を見てから指先へと視線を移して、最後にテレビを見た。
なるほど、上条恭介の姿が映し出されていた。先ほどの影は彼の物なのだろう。

「……こんな男と一緒にしないでほしいよ、まったく」

吐き捨てるように言う杏子さんの横顔は、どこか寂しそうだった。


◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

「で、どこに行くつもりだい?」

玄関で靴を履いているところをわたしたちは呼び止められた。
慌てて後ろを振り向けば、杏子さんが腰に手を当ててこちらを睨んでいる。
わたしは思わず頬を引きつらせ、腰にしがみ付いているあんずちゃんをさっと片手で抱き寄せる。
そして頭の中であらかじめ用意していた台詞を口にした。

「えっと……お散歩」

「はぁ?」

「お、お勉強も兼ねるから! ね、良いでしょ?」

「勉強って、確かに知識面だけならあんたは優秀だけど、教えるのはまた色々と違うだろう」

上目遣いで杏子さんを必死に説得しようとするわたしを、杏子さんは呆れ顔で見ている。

「はいはいどいたどいたー!」

と、そこに第三者——正確には第四者——が割り込み、あっという間に玄関に躍り出た。
ウエハースを口にくわえ、いつものおさげ状の珊瑚色の髪を一つにまとめたあの子だ。
普段履いているスカートではなく、動きやすい青のジーンズを履いている。

「あんたはどこ行くつもりだい」

「アルバイトー」

「……またシフト増やしたのかい。働きすぎは良くないって注意したはずだよ」

「良いじゃん、そのほーがかけーも楽でしょー」

「それ以前にあんたは魔法少女だろうが!」

「魔法少女じゃお腹は膨れないよー!」


ぎゃーぎゃーと口論を始める二人をよそに、わたしたちは玄関の扉を開けた。

そして不幸なことに、道を歩いていた中年の男性サラリーマンとばったり目が合ってしまう。
近所に住んでいるおじさんだ。こうして顔を合わせる事はそれほど珍しくない——のだけれど。
彼はぎょっとした表情を浮かべて目を丸くし、後ろで騒いでいる二人とわたしたちを見ていた。
咄嗟の判断で扉を閉めるが、もう遅い。

今は平日の朝九時。
普通の子供なら学校に通っている時間帯だ。
それが三人、私服姿で騒いでいたら驚くのも無理は無いだろう。

「あ、あのえっと、これはですね、深い事情があるんです。
 でもくだらないことで揉めているようでもあって、あの。
 ……えっと、気にしないでもらえたらうれしいなって」

気まずくなって、とっさに言い訳を口にするわたし。
おじさんは苦笑を浮かべながら手を挙げ、落ち着いた声で言った。

「はは、どっちでもいいよ。お疲れ様だね、お嬢ちゃん」

そして歩き去っていく。
今の応対は不味かった……反省、反省。

「絶対変な目でおねーちゃんのこと見てたよ、あの人」

「言わないで、あんずちゃん……」

「おつかれさまだね、おねーちゃん」

年下に労いの言葉を掛けられて、わたしはよろよろと電柱にもたれかかった。
対人能力が人よりも劣っていることを自覚していたが、まさかここまでとは。
情けない自分に嫌気が差して、胸の奥がずきんと痛んでくる。

だいじょうぶ? と声を掛けてくれる彼女の頭を撫でながら、わたしは深いため息を吐いてとぼとぼと歩き始めた。


◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

それから十分後。
わたしたちはバスに揺られて、見滝原市の大通りを移動していた。

「おねーちゃんのお友達ってどこに住んでるの?」

「えっと、もうちょっと進んだところだよ」

——あんずちゃんを、ちょっと引きこもりがちなわたしの友達に紹介するために。


彼女の家はわたしたちが住んでいる家から少しばかり離れている。
見滝原市の市内であることに違いはないが、まともに歩くと二時間も掛かってしまうのだ。
『お墓参り』のような、何か用をこなすついででもないとなかなか立ち寄る機会が無い。

その結果、他の子はアルバイトや薔薇の手入れで忙しいので必然的に彼女とは疎遠になってしまい、
学校にも通わず、アルバイトもしていないわたしばかり彼女と仲良くなっていってしまう。

普段なら歩いて魔獣探しも兼ねるのだけれど、今日は瘴気がまったく感じ取ることが出来ない=平和だった。
それにあんずちゃんのような子供を往復で四時間も歩かせるわけにはいかない。
だから最寄のバスに乗って一時間半を二十分に短縮させる。それがわたしの判断だった。
もちろんバス代は自費だ。
思わぬ出費に頭を抱えたのはあんずちゃんには内緒である。

「どんなおうちなの?」

「ちょっと古いかな。アパート暮らしなんだ、その子」

彼女は見滝原市にしては少し古臭い時代を感じさせる二階建てのアパートの一室に住んでいた。
外壁はところどころひび割れているし、年代物の物件お約束の謎のツタも壁に巻きついている。
記憶が正しければ今の年号になる以前……

『平成時代』の初期に建てられた歴史ある建築物のはずだ。

三十年前の災害で街の半分以上が瓦礫の海になってしまったとはいえ、
復興も完了してよりいっそう近代化が進んだ結果、見滝原市は近未来都市になりかけている。
そのせいからか建物のデザインが先鋭的な見滝原市の住宅街の中に、
ぽつんと建っている古臭いアパートは周りから少し浮いていた。


「その人って優しい?」

「うん、もちろん。ちょっと引っ込み思案だけどとっても優しいよ」

「おねーちゃんよりも?」

「うーん……同じくらい優しいかな? だいじょうぶ、あんずちゃんは可愛いからみんな優しくしてくれるよ」

車体がガタンと大きく揺れるのに合わせて、あんずちゃんの表情にさっと影が差したのをわたしは見逃さなかった。

あれは見えない心の傷に触れられてしまった時に現れる深い影だ。
地雷を踏まれた、と例える人もいる。
わたしは今まさに、彼女の見えない傷をえぐり、地雷を踏み抜いてしまったのだろう。
自分の無神経っぷりを今日ほど恨んだ日は無い。

バスの最後列に座っていたわたしたちは、気づけば自然と黙り込んでいた。
ちらりと彼女の方を覗けば、彼女は緩慢な動作で体をゆすりながら窓に映る景色を追いかけていた。
その表情は——何の感慨も、驚きも、興奮も無い。正真正銘の無表情。
心が痛む、と言えば簡単だろう。
だけど彼女にこのような表情をさせてしまったのはわたしなんだ。

この子にも壁がある。
みんなと同じ心の壁が。
わたしにはどうにも出来ない絶対的な壁が。

腹の内に言葉に出来ない何かがずしんとのしかかるのが感じ取れる。
気まずい……何か喋ってこの重圧を吐き出してしまおう。
そう思って、わたしは咄嗟に口を開いた。

「ねえあんずちゃん、杏子さんのこと、好き?」

「……え?」


ごめんなさい杏子さん、ダシに使っちゃうね。

「ほら、杏子さんって厳しいでしょ。今朝もじろって睨んでたし」

「……」

黙り込むあんずちゃん。
何かを考え込むように首をかしげている。

「いつもはもっと優しいんだよ? あの人、世話だって焼きたがる方なんだ。
 面倒見もいいし格好良いし、強いしきれいだし。昨日今日はたまたま厳しいだけだと思うの。
 だからべつにあんずちゃんのことがどうでもいいわけじゃなくてね、その……うん」

畳み掛けるようにわたしが言うと、彼女は首を横に振った。
そしてとても落ち着いた声で——本当に幼い子供なのかと驚くほどに——静かに言った。

「厳しいのは、気にしてくれてるからだよ?」

その言葉に、わたしは開いた口を閉じる事が出来なかった。

「わたしは……あんずは、気にしてもらって嬉しいよ。おねーちゃん」

つまり、好きの反対は無関心。
まったくその通りだと、わたしはかぶりを振った。
厳しいのは杏子さんなりの理由があるだけで、別に彼女の事がどうでもいいわけじゃない
それを彼女は理解していて、わたしは理解していなかった。

だけど……こんな子供がどうして?

そんな当たり前の、だけどなかなか気づく事が出来ないことに気づけるのだろう?

もやもやした気持ちを抱えたまま、バスから降りる。
そしてあんずちゃんを連れて友人のアパートへ歩き始める。
アパートに着いても、わたしの抱いた疑問が晴れる事はなかった。


◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇

時は少し前後する。
朝から玄関で繰り広げられていた不毛な争いにもいよいよ決着が着こうとしていた。
杏子の追及に逃れる術を失くしていよいよ不利と悟った相手がわずかに後じさり、

「いってきまーす!」

「こら、待て!」

一方的に会話を断ち切って追及を逃れると、扉を開け放ってそのまま飛び出した。
追いかけようと身を屈めて、しかし杏子は舌打ちだけでこらえて踏み止まる。
魔法を使わなければ、杏子の身体能力はわずかに彼女に劣る。
それに仮に追いかけたところで彼女がバイト先で叱られるだけだと気付いたのだろう。

「帰ってきたらこっぴどく言いつけてやるか」

小声でぼやくと、杏子は後ろを振り返って肩をすくめた。
柱の影からこちらを覗いているもう一人の同居人に向けて声を掛けようか悩む素振りを見せる。
けれども諦めたのだろう、大げさにため息をついてから自室に戻る。
同居人がそそくさとすり足で二階に上がっていく足音がする。
杏子は天井を見上げて悲しそうに目を細め、それから小さな声でつぶやいた。

「あの子の問題も、どうにかしてあげたいけどね」

食堂のキッチンと違いやや手狭なキッチンに向かうと、放り出されていたグラスを手に取り、
小型の冷蔵庫からアイスティーを取り出してなみなみと注ぐ。

「いちいち取り出すのも面倒だね。ドリンクディスペンサー付きの冷蔵庫でも買うか」

確か一万以下で良いのがあったはず、などと独り言を呟きながら口をつける。
そしてぐいっと一息で飲み干すと、満足気に息を吐いた。

「やっぱ砂糖は入れない方が美味い。若い頃はどうかしてたね」

素材の味が分かる良い大人だ、と豊かな胸を張ると、彼女はソファーに腰を掛けて軽く伸びをする。


ポケットからビニール袋を取り出すと、彼女はテーブルの上に広がっている見滝原の地図を手に取った
転がっていた黄色い外装の黒ボールペンで、見滝原のいくつかの地区にチェックを付ける。
少し汚れてはいるものの、ボールペンはきれいな黒を吐き出していった。

「これももう三十年くらい使ってるね。持ち主死すとも道具は死せず——ってとこか」

作業が終わると、彼女はテーブルの下に無造作に放置されていたアタッシュケースを引きずり出した。
表面に刻まれた文字のような不思議な模様をそっと指でなぞり、最後にトン、と叩いてみせる。
それと同時に、先ほどまでは存在していなかった無数のラインが浮かび上がった。
ラインはエンジンに火が入るのと同じように小刻みに震えて何度か光を発した。

光が止まったのを確認すると、杏子は鍵を人差し指で弾いてロックを外していく。
そして慎重な手つきで蓋を開けた。

「……こればっかりは、何度見ても慣れないね」

その中にあるのは、四角い黒のキューブ状の結晶が山のように積まれていた。
ソウルジェムの穢れを吸っていない未使用のグリーフシードだ。
右手に大きな≪中型≫の、左手に小さな≪中型≫の物と分かれている。

杏子は目を瞬かせつつ、あらかじめ用意していたビニール袋をケースの上でひっくり返した。
中からこぼれ落ちるのもやはりグリーフシードだった。

「全部合わせて≪小型≫が200ちょいに≪中型≫が100と少しってところか」

魔法少女のソウルジェムが六つは浄化できる量だ。
これだけあれば当分は誰かが危機に瀕することもないだろう。
しかし杏子はそんなグリーフシードを見て、物足りなそうに肩を落とした。

「……二年前に使いすぎたね、こりゃ」

≪小型≫のグリーフシードを五つほど手に取り、指輪状のソウルジェムから穢れを取り除く。
そして役目を終えたそれらを外に向かって無造作に放り投げた。
四角いグリーフシードは宙を舞い、開け放たれている窓を飛び越え——

《やれやれ、もっと丁寧に扱ってくれないかなぁ》

外で待機していたキュゥべえの背中に、きれいに収まった。


「私には関係ない」

《僕らには関係あるんだけどなぁ》

ひょろひょろと部屋に忍び込むキュゥべえを見て、杏子はあからさまに嫌そうな顔をする。

「土足で上がりこむな、汚れるだろ」

《ちゃんと汚れは弾いてあるから安心しなよ。ところで杏子、最近ひとりごとを言う事が増えたね》

「うるさい黙れバカ」

《はいはい。それで、どうだい?》

「なにがさ。あんたそろそろ主語を付ける癖を身に着けたらどうだい」

《千歳あんずは使えそうかい?》

この地球外生命体はいつもこうだ、と杏子はぼやいて後頭部を乱暴に掻く。
そして少しばかりの殺意を込めて刺すような視線をキュゥべえに向けると、うんざりした口調で言った。

「使えるわけがないだろう。新人がろくな師事もなしに≪中型≫を軽々と屠れた昔とは違うんだよ」

《それもそうだね。彼女は候補持ちの娘でしかないから、因果もそれなりでしかないし》

「分かっているなら勝手に契約を結ぶな悪党」

《ちゃんと事情は説明したよ。君に会ってから決めた方が良いって注意もした。
 だけど彼女はそれを待てなかった。そして君が来るよりも先に契約してしまった。僕に責任はないよ》

「……あんたってやつは」

《そんなことより、グリーフシードの方はどうだい?》

とつぜん話題を切り替える地球外生命体に、杏子は意外そうな顔をする。
彼女の経験上、キュゥべえがこういった態度を取る裏にいつも何か後ろめたい事がある——
そんなことを察したのだろう。彼女は静かに目を細め、静かに舌打ちする。
煙に撒かれないよう悩む素振りを見せた後に出された言葉は、

「なんだい今のは。なんか隠してる事でもあるのかい」

慎重もクソもない単刀直入の物で、キュゥべえは呆れたように首を振った。


《隠してはいないよ。ただ君に伝えたい事があったから、それに繋げたくてね。見事な配慮だろう?》

「ふうん……。じゃあ信じるとしようじゃないか。グリーフシードはせいぜいが六人分だよ。かなり心許ないね」

《やっぱり二年前の件が大きく響いたみたいだね》

ぎりっ、と。
耳障りな歯軋りの音が響く。
しばらくしてから、杏子はそれが自分の出した物だという事実に気づいたのか驚きの表情を浮かべた。
やけに醒めた顔で杏子はこめかみを押さえる。

しばらくしてから彼女は口を開いて、

「否定はしないよ。で、伝えたい事ってのは」

言いかけ、呆けたように口を開いたまま眉をひそめた。

「こいつは驚いた。とんでもない客が来たもんだね」

口ではそう言いながらも、杏子はそっと身構えた。
姿勢を低くし、いつでもソファーから身を立たせて走る事が出来る状態へ体を動かす。
ややあってから、窓の外——少し狭いが庭がある——先から、二つの人影が姿を見せた。
無言のまま室内に上がりこみ——きちんと靴は脱いで——がっかりしたようなため息を吐く二人。

一人は“二十代”かもしくは“十代後半”の若い女性だ。
一昔前の飛行士のような緑色の服装に分厚いゴーグルを目の上に装着している。
もう一人もやはり“二十代”かもしくは“十代後半”の若い女性で、白を貴重とした修道服を着て眼鏡を掛けていた。

「モーニン」

「久しぶりの再会だっていうのに、あまり警戒しないでよ」

二人の言葉に警戒や威嚇の響きはなかった。
彼女たちはうっすらと笑みを浮かべて両手を挙げたまま器用に肩をすくめて見せる。
敵対の意思は無い、落ち着いて話をしよう。
そんなポーズを受けたにもかかわらず、杏子は姿勢を変えることなく。

「警戒するなって言う方が無理だろう。プレイアデスの二大頭脳——『神那ニコ』と『御崎海香』がお訪ねとあっちゃあね」

“三十年来の知人”に対して、杏子は敵意を隠さずに言った。

こんな感じでした。

最低でも四十以上確実なニコと海香さんが明らかに若々しいって?魔法少女だから問題無い
それはともかく、どうしても進みが遅くなってしまいますね。
先輩杏子がオリキャラを導く作品を目指していたのにオリキャラパートが増えすぎる……

あといくつか修正しておきます。
年代経過を表す、それほど重要でもないけど必要な描写だったのでショック……

>>119
×マミはシャーペンをテーブルの上に置くと、隣で寝転ぶ少女をまじまじと見つめた。
○マミはボールペンをテーブルの上に置くと、隣で寝転ぶ少女をまじまじと見つめた。

>>120
×マミは肩をすくめてシャーペンを手に取り、ふたたび手元の紙に書き込んでいく。
○マミは肩をすくめてボールペンを手に取り、ふたたび手元の紙に書き込んでいく。

>>121
×その言葉だけですべてを察したのだろう、マミはもういちどシャーペンをテーブルに置き、杏子の肩に手をかけた。
○その言葉だけですべてを察したのだろう、マミはもういちどボールペンをテーブルに置き、杏子の肩に手をかけた。

ああ、探したらもっとあった……シャーペンは全部ボールペンに脳内変換お願いします、すいません

推敲に時間を掛けるようにしてみてはいかがか
なにはともあれ乙

杏子が織莉っちよりデカくなってる…!

ってか170後半はさすがに伸びすぎじゃねwwwwポニテで盛っても前半の間違いだろww

杏子さんはまどかママン風に脳内再生するとそれなりに捗ることに気づいた

杏子が何をしてるのか気になるな

共同生活してても全員心を開いて一枚岩とは行かないか

      ☆ チン     
                        
       ☆ チン  〃  ∧_∧   / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
        ヽ ___\(\・∀・) < >>1まだ〜?
            \_/⊂ ⊂_ )   \_____________
          / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ /|
       | ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|  |
       |  愛媛みかん |/

まだ十二日だからセーフさ!アウトですか、すいません
ちょっと予定を変更して、主人公パートを字秋に回して杏子パートを持ってきました。
かずみマギカを知らない方にはちょっと厳しいかも……
と思ったけど主人公パートもオリキャラだし関係ねーか!


◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇


◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


「いらっしゃい……わあ?」

扉を開けたわたしの友人は、軽く口を丸めてわたしとあんずちゃんを見比べた。
今日の空模様と同じ、雨が降った後の青空のように澄んだ瞳を真ん丸くしている。
そして何秒か間を空けてから、ぼそりと呟いた。

「コウノトリが子供を運んでくるのは有名だけど……友達が子供を運んでくるとは思わなかった」

「いろいろとおかしいよ!」

おもわずツッコミを入れるわたし。
彼女はくすりと笑みをこぼすと、あんずちゃんと目線が合うように屈みこんだ。
その慣れた動作に思わず軽く目を見張る。
彼女はあんずちゃんの頭に手を乗せ軽く撫でながら、小さな声で尋ねる。

「あなたがうわさの新人さん……ね? いらっしゃい」

初対面なのに会話できてる!

普段はわたしと同じくらい人見知りな彼女の意外な一面に、身をのけぞらせるわたし。
もしかして子供が好きだったりするのかな?

そんなこちらの様子に気づいたのか、彼女はわたしを見上げて軽く頬を膨らませた。
そしてじろーっと、非難するようなじと目で睨みつけてくる。
あはは、と愛想笑いでごまかしておく。
その間にもじもじしているあんずちゃんの背中を軽く押してあげることを忘れない。

沈黙を保っていたあんずちゃんは、それでようやく決心が付いたのか、ぷるぷると震えながら声を発した。

「ちっ、千歳あんず……だよ!」


小さな体から搾り出された儚い声。
聴けば誰もが頬を緩ませるような懸命な応え。
それはわたしも例外ではなく、無意識の内に頬を緩ませかける。

けれども彼女は違った。

彼女はほんの数秒前まで緩めていた頬を、いびつな形に引きつらせていた。
何かを嘆くように、彼女の小さな唇が自然と動く。
だけどわたしにはそれが何を意味しているのかが分からなくて——

「——そう、そっか。“あんず”ちゃんっていうんだ。良い名前、だね」

わたしが言葉を発しようとした時にはもう、彼女は話を一歩先へと進ませていた。
あんずちゃんが、そうかな? と可愛らしく小首を傾げる。

もしかして単なるわたしの見間違い?
さいきん妙な事で悩んでるから、そのせいかなぁ……?

「あなたのお名前は、ママが考えてくれたの?」

「うん! どーして分かったの?」

「さぁ、どうしてでしょう?」

「どーしてー?」

教えてよぉとねだるあんずちゃんから目を離すと、彼女は視線をわたしに向けた。
よっこいしょ、と年齢に似合わない大きな声を出して立ち上がる彼女に、わたしは少し苦笑い。

「もう、おばあさんじゃないんだから」

「最近からだが重たくて」

そう言って、困ったように肩をすくめてみせる。

「……立ち話もなんだし、まずは部屋に入ろっか」


◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇


「立ち話もなんだし、勝手に座らせてもらうよ」

それが勝手に上がり込んだヤツが吐く台詞か。
そんな事を言いたそうな表情を浮かべながら杏子は憮然と黙り込んでいる。
杏子の返答を待たずに、さっさと私服姿に変身した御崎海香と神那ニコは対面のソファに座り込んだ。

ただでさえ警戒して深いしわが刻まれている眉間をより一層ひそめる杏子。

気まずい沈黙が部屋に訪れる中、杏子は二人の姿、正確にはその肌や体つき、仕草に視線を走らせる。
そうして隅々まで観察してから不可解そうに首をひねった。

(見間違いじゃない。明らかにこいつら……)

一人思慮に耽っていると、

「マギカ・カルテットのリーダーは客人にお茶も出さないの?」

やんわりと非難するような海香の声が浴びせられた。
しかめっ面を浮かべながら、杏子はのろのろと腰を浮かび上がらせる。
代わりに一つ、憎まれ口を叩きながら。

「相変わらず身内以外にはキツい性格みたいだね、あんたは」

「……あなたが警戒を解かないから悪いんでしょう」

「いつだって君は、私たちのことが嫌いみたいだね」

「べつに嫌ってなんかいないさ。確かにユウリとは折り合いが悪かったけどね」


あの時は私も若かった、とつぶやくのは杏子だ。
慣れた手つきで湯を沸かしながら、懐かしそうに表情を緩める。
そんな杏子に対して海香はそっと目を伏せて言う。

「そのユウリももういない。時の流れは残酷ね。必死に夢を追って小説書いてた頃が懐かしくなるわ」

「時間は夢を裏切らない。夢も時間を裏切ってはならない——とね」

ふたたび生じる沈黙に、杏子は気づかれないように息を吐いて肩を降ろした。
ポットを電子レンジで暖め、その間にテーブルにカップを用意していく。

「ポットをレンジで? ナンセンスじゃないかな」

様子を眺めていた機に子が漏らした言葉に、杏子は肩をすくめて答えた。

「イギリスでも推奨されている立派な方法だよ。知らないのかい?」

「ニコはあまり紅茶飲まないから。そもそも『うち』はバターコーヒーやココアが好きな人が多いのよ」

有名パティシェの立花氏おすすめバターコーヒー。
元ネタは漫画らしい。
杏子は興味なさそうにふうんとだけ返すと、温めたポットに葉を入れて湯を注いだ。
二分間きっちり待ってから、ポットとミルク、ストレーナーをリビングまで運んでいく。
運んで用意をしていればちょうど三分。茶葉から成分が抽出されて良い紅茶に仕上がる計算だった。

「ミルクは?」

「ニコは後入れで多め。私は先入れで少なめ。砂糖は少しでいいわ」

「注文が多いね……後からで統一した方が楽なんだが」

「先入れの方が成分的には良いって、上条仁美が雑誌のインタビューで言っていたわ」


上条仁美、という名前を聞いて杏子の表情がわずかに固くなる。

「……どうかしたの?」

「いや、なんでもない」

その返答に海香は不思議そうな表情をするが、杏子はそれを無視して注文どおりに紅茶を注いでいった。
ああ、そういえば上にいるあの子の分も用意すればよかったな——
と杏子が思ったのは、すでに紅茶を注ぎ終えてからの事だった。
部屋に紅茶とミルクが混ざった香りが充満していく。

「紅茶の香りにはリラックス成分があるそうね。巴マミがやたらと紅茶を好んでいたのはそういう理由からかしら」

「さあね」

「巴マミの紅茶はおいしかった。機会があればまた飲みたいね」

「もう飲める機会なんて一生無いよ。私をおちょくってるのか?」

やや苛立ちを含んだ杏子の声。
けれどもニコは意味有りげに笑みを浮かべ続けた。

「無いとは限らないんだな、それが」

杏子は正気を疑うかのような眼差しでニコを見つめる。
それを見ていた海香は、やれやれと溜息を吐き出してニコにチョップを食らわした。
そして冷めた目で一言。

「それはまだ“早い”」

「ソーリー」


ストレーナーで適当に注ぎ分けると、三人は各自のペースで紅茶を飲み始めた。

「——おいしいわ。良い葉を使っているわね」

「スーパーの店員に伝えておくよ。一番安い茶葉だけど客は喜んでくれましたってさ」

ぐぬぬ……とくやしそうに縮こまる海香。
そんな彼女をフォローするつもりなのか、ニコはそんなことよりも、と杏子のカップを指で指した。

「君はなーんでミルクも砂糖も入れてないのかな」

「紅茶本来の香りと味で満足出来るのが大人ってもんさ」

「出た。杏子の中二病。そろそろ卒業しなさいよ、それ」

「お子様には分からないだろうねぇ……やれやれ」

「四十半ばがみっともないぞ、二人とも」

杏子はカップをテーブルの上に置きなおし、両手を組んだ。
そして真面目な顔で、先ほどから抱いていた疑問を投げかける。

「——四十半ばにしては、ずいぶんと若く見えるんだけどね」


空気が変わる、というほどではないが、確かに二人の雰囲気には変化があった。
海香はうんざりしつつも、平然と。
ニコはやっと来たねと、確かに嬉しそうに。

(……この場合、異常なのは後者か?)

興味深そうに目を細め、杏子は二人の様子を見比べる。
と、そこで海香が大きく身を乗り出してきた。深い青の瞳が杏子を飲み込むように見開かれる。
カチャリとカップをテーブルの上に置くと、海香は口を開いた。

「それじゃあ、本題に移りましょうか」


◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇


「まず最初に……杏子、あなたたちが保有するグリーフシードは全部でいくつ?」

話が動いた途端にそれか、と苦い表情の杏子。

「まずはそっちが私の質問に答えな」

「それは……」

言いよどむ海香を制して、ニコが口を出す。

「新しい器(からだ)だよ。はい答えた」

「真面目に答えろ」

ふっと嘲るような笑い声。
失礼、と肩をすくませる海香と、にやにやと頬を緩ませているニコ。
言い知れぬ不気味さを覚えて杏子はわずかに姿勢を正した。

「ニコの言っている事は本当よ。魔法を使って造られた、新しい器(からだ)。それがこの若さの秘訣」

——ありえない、と杏子は憤りの表情を浮かべた。

魔力には波長と呼ばれるものがあり、肉体との相性のようなものが存在している。
ソウルジェムが本来の体以外、つまり他人の体に適合してコントロール出来る可能性は限りなく低い。
生半可に試せば肉体が魔力を受け付けず、拒絶反応で崩れ、ジェムも瞬く間に濁ってしまう。
ジェムの移し変えに成功した魔法少女は杏子が知る限り、過去に『一人』しかいない。

その場合、普段の姿はその体のものに。
魔法少女として活動するときの姿はソウルジェムが本来あった体のものに近付くのだ。

「魔法で体を作って、それで簡単に乗り換えられるわけがない」

「出来るわ。在りし日の聖団の魔法をコピーした私と、再生成の魔法を持つニコならね」

在りし日の聖団——プレイアデス聖団がまだ“七つ星”だった頃の話だ。
今はもう、欠けに欠けて三つしか残っていない。


「……なんでそんなことを?」

杏子の疑問に、海香は呆れたように答えた。

「魔法少女は年を重ねれば重ねるほどに弱くなる。
 具体的には三十を越えたあたりで能力的には限界に達し、あとは落ちる一方。知らないの?」

「二年前に痛いほど思い知らされたよ」

「なら分かるでしょう。新たな器を用意して、そこにジェムを移す。
 そうすることで私たちは半永久的に活動できる。ジェムが濁らなければだけど」

海香の言葉は正しい。そう思ったのか、杏子は眉を立てて唸り、頷いた。
魔法少女として活動を続けるのであれば、肉体の老いから来るいくつかの問題はたしかに無視出来ない。
だからこそ分からない、とでも言うように、杏子は険しい表情のままニコの方を見た。
一方のニコは気にする様子も無く自由に紅茶をすすっている。

「ニコ、あんた以前私に向かって、後継者を育てているって言ったよな」

「んー……言ったかな、そういえば」

「後継者を育てるってことは自分は引退、もしくは活動を減らすってことだろう?」

「さあ、どうだったかな?」

「……前線で活動しないのならなぜ肉体に拘るんだい? 拒絶反応のリスクを背負ってまですることじゃない!」

思わず声を荒げてから、杏子ははっとした。

新しい体にジェムを移す。
その行いに、単なる老いの回避以上の意味があるとしたら。
魔法で作られた体を動かす、そのことに意味があるとしたら。


「……まだ諦めてなかったのか? ミチルを……“かずみ”を造ることを」


◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇


プレイアデス聖団。
海香とカオル、ニコの三人が中心となって十五名以上の魔法少女を支えているチームだ。

マギカ・カルテットの誕生にも深く関わっており、魔法少女界隈で知らない者はいないだろう。
戦力ではマギカ・カルテットに及ばない——二年前の時点の話——が、
聖団にはそれを上回る知識と学がある。

『複数の魔法少女による効率的な戦術の構築』

『身体の欠損の回復を行わずに済む魔法を応用した義肢の製造』

『肉体の損傷が激しい者とジェムとの接続を強制的に切り離す方法の発見』

『一つの街全体に影響をカバーする広大な結界魔法の理論の提唱』

『魔獣追跡の手順を簡略化し、さらに効率化を図れる魔法を用いたアプリの発明』

これらはすべて彼女たちの功績による物だ。
他にも、ソウルジェムの研究から派生した『魔女文字』あるいは『魔法言語』の発明などはキュゥべえにも衝撃を与えている。
見てくれはただの模様でしかないのだが、存在を知っている魔法少女がそれを読めば文字として機能する仕組みだ。

マギカ・カルテットでも『墓』や目印などに用いられているし、
ニコが立ち上げたマギカ・コミュニティというネットのサイトでこれを使用しているため、
ネット環境を持つ魔法少女やチームとのインターネット間での情報の交換が容易になった。

模様にしか見えないので、一般人に怪しまれても解読される事は起こりえない。

この時代、自分が作ったフォントや文字をネットに利用する者は決して少なくないので目立たないし、
仮にこの文字の配列のパターンから文章の内容を読み解こうとする者がいたとしても、
魔法少女がどうのとか、魔法がどうのとかを、真に受ける者もあまりいないだろう。

『ソウルジェムの認識機能を解析して特殊な文字を作るなんて、想像以上だよ』——とはキュゥべえの言葉だった。


そんな聖団が誕生したのは、今からおよそ31年前に遡る。
プレイアデス聖団はとある一人の魔法少女と彼女に信頼を寄せる六名の魔法少女によって誕生した。

きっかけはこうだ。
当時その六人は己の心に負の感情や絶望を抱いていた。
わずかに発生した瘴気を魔獣が見つけ出し、少女たちに接触するのは避けようの無いことだった。
そして精力と魂を吸い尽くされ、六人が廃人になろうとしていたその時。

『デッド・オア・アライブ?』

とある魔法少女——巴マミと佐倉杏子に並ぶ有名な魔法少女である和紗ミチルが颯爽と現れた。
彼女は乱暴ながらも確実な方法で六人に生きる活力と勇気を与え、魔獣を撃破して見せた。

救われた六名はそのまま魔法少女となり、とある魔法少女のために協力する事を決意。
そうして完成するのが七つ星の『プレイアデス星団』から取った『プレイアデス聖団』である——と。

彼女らは当初、偉大な目的を掲げていたわけでもなければ尊大な計画を練っていたわけでもなかった。
希望の魔法少女として活動できればそれで良い、一緒に話し合える仲間が欲しい。
そんな純粋な理由で行動を共にしていたのだ。

『魔法少女が七人行動なんて、わけがわからないよ』

彼女らは知る由も無かったが、これは魔法少女の常識として考えるとかなり異常な事態でもある。

今でこそマギカ・カルテットのような魔法少女のチームは珍しくないが、
当時はそんな思想や構想をキュゥべえに打ち明ければ馬鹿にされてしまうような時代だった。
互いの方針の違いや人間関係の難しさ、縄張り問題などで争うのが目に見えていたのだ。

彼女らが争わなかったのは、和紗ミチルの人徳のなせるわざと言う他ないだろう。

だからこそ、和紗ミチルが行方不明になった時、聖団は致命的に狂ってしまったのかもしれない。


◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇

「……里美がいなくなった時点で、あんたらはもう狂ってたのかもしれないね」

声のトーンを低くして、うなだれながら杏子は言った。
宇佐木里美——七つ星の中で最初に導かれた魔法少女の名前だ。

「もう二十年以上も前になるね。最期を看取ったのはニコだったよな?」

「イエス」

「あの時から、あんたとミチルは二人でこそこそ何かを企んでたんだったね……」

里美の死——と呼べるかは分からないが——をきっかけに、ミチルはあることを思い付いたのだという。

それは魔法少女の穢れを吸ったグリーフシードをソウルジェムに見立て、
多くの魔法を重ね掛けすることで新たな肉体を造り出し、喪われた魔法少女に似た存在を“造り出す”という物だ。
人呼んで、“人造魔法少女”。あるいは“合成魔法少女”。

けれど、もちろんミチルがそれを実行に移すはずがない。

彼女は杏子が心から賞嘆を浴びせたくなるほどに立派な生と死の倫理観を持ち合わせていた。
あくまでそれ——合成魔法少女計画は、グリーフシードの応用という道楽の一環か何かだったのだろう。
つまりはくだらない暇つぶし、単なる興味本位での研究だ。

「次にサキが導かれたんだったか」

「『十年前』になるわ。あの年は、もう思い出したくもないわね」

海香の言葉に同意するように杏子とニコがうなずいた。

「あの年は魔獣の出現頻度が異常だった。ウチも二人やられたよ。立派に成長してたのにね」

「こっちは三人よ。サキも入れれば四人。私たちよりも人数が少ないのによく二人で済んだわね」

「あの時はマミもいた。中沢もまだいた。今は二人ともいないけど、代わりに希望も見つけた」


なにそれ、というニコの表情を杏子は無視して話を続ける。

「そしてミチルが消えた。もう八年前だ。計画が本格的に始動したのもその頃だったか?
 次にみらいが消えて、計画自体が立ち消えたって噂と、一向に進んでいないって噂を聞いたことがある」

「それは間違い。実際は計画は水面下で進んでいる。——だから私たちはここにいる」

魔法で作り出した身体を自分たちのソウルジェムで動かす事で、研究を推し進める。
実際に動かして浮かび上がった問題点はその都度修正し、痛みに耐え、苦しみを堪えて。
そして手に入れた。新たな器を。
少なくとも、見滝原市にやってきて杏子を挑発する余裕がある程度には安定したのだろう。

時間の問題は解決されたのだから、あとは確実に研究を推し進めれば良い——ならば、と杏子は尋ねた。

「だったら、なんで私のところに来た。グリーフシードの数を聞いたのは何故だい?」

「肉体が万全でも、ソウルジェムは話が別よ」

そこまで言って言葉を切ると、海香は紅茶に手をつけた。
さっさと飲んで話をしろ、と続きを促す杏子の視線に、今度はニコが応える。

「聖団は現在、全部で18人いる。
 十代が7人と二十代が6人。三十代が2人。私たちが3人の18人。
 みーんなミチル大好きだから研究には協力してくれるけど——ぶっちゃけ浄化が追いつかないんだよね」

今度こそ、杏子は本当に呆れたように溜息を吐いて天を仰いだ。
吐き出す言葉は短くド直球。

「あんたら、バカだろ」

「うん、褒め言葉だね。そんでいくつ持ってるのかな?」

ん? とイライラする表情を浮かべるニコに、杏子は視線を逸らして考え込む。

(ここまで訊き出しておいて、答えないのはフェアじゃないね……)


「≪小型≫が200と≪中型≫が100。合わせて七人分だよ」

目を丸くする二人と、その反応を見て意外そうに首をかしげる杏子。

「そんなに多かったかい? これくらいならべつに——」

「違う、違うわ杏子。私たちは多かったから驚いているんじゃないわ」

「予想よりも少なかったから驚いているんだな、これが」

そういうことか、と杏子はうんうんと頷いて納得する。
確かに、これは少ない。
“三十年掛けて”これでは、少なすぎる。

「……二年前に消費し過ぎたんだよ。
 マミもいないし、私も“戦わせてもらえない”から他の子の負担が増えてるんだ。悪かったかい」

「悪くはないけど……ちょうどいいわ。杏子、私たちのところに来なさい」

「はぁ!?」

突然すぎる提案だった。
てっきり『関係ない』とか『譲ってくれ』とか『殺してでも奪い取る』といった反応を覚悟していた杏子にしてみれば、
その反応は予想外という他にないだろう。

けれども今度は海香が口をぽかんと開けて、予想外ね、といった表情を浮かべた。

「どうしてそんなに驚くの?」

「どうしてって……当たり前じゃないか、何考えてんだいあんた」

「あなたこそ、何を考えているの?」

「何って……」


海香は疑わしい目で杏子を見つめてから言った。

「まさか、まだ『アレ』をどうにかできると本気で思っているの?」

杏子は反論しようとして、言葉を詰まらせた。
たくましい彼女の顔に、じわじわと憂いのそれが帯びていく。
言葉を返したくとも返せない、なぜなら彼女の指摘は正しいからだ——と杏子の様子がそれを如実に語っていた。

「≪大型≫の魔獣は倒せない、なんて教育してるわりに、本人たちはヤル気満々みたいだね」

「『一番目のマギカ・カルテット』……正確には『二番目のマギカ・カルテット』だったかしら?」

その質問に杏子が答えないでいると、海香は無視してさっさと話を続けた。

「たしか巴マミと二人で『アレ』をどうにかしようなんて考えてる時に、
 変わり者だけどやたらと強い子が二人加わってそれが出来上がったのよね。それで頑張って対処を試みた、と」

忌々しい、と杏子は無意識のうちに握り拳を作る。
海香は愉しげな表情のまま、しかし表情とは裏腹に淡々とした声で続けていく。

「結果……一人が脱落、一人が行方不明。それと同じことをまた繰り返すつもりなのかしら。
 あの時からコツコツと蓄えたグリーフシードはたったの七人分で、戦力は全盛期の半分以下なのに?」

「三十年続いたマギカ・カルテットもこれでおしまいだねぇ。感慨深くなるな」

「あなたたちの三十年分のノウハウとグリーフシードを無駄にはしたくない。
 杏子、考え直してくれない? こんな街は見捨てて、私たちの下に来ましょう?」


目を閉ざすと、杏子は考え込むような仕草を見せた。
両手を組んで、指で甲を叩き、眉をひそめ、ときおり声にならない呟きをもらす。
それを黙って観察するニコと海香。
彼女たちの視線を肌で感じ取ったのか、杏子は顔を隠すようにうつむいた。

一分ほど時間が経ってから、杏子は観念したように瞼を開いた。

「答えは、ノー、だ」

がっかりしたような海香と、やっぱりね、という表情のニコ。
そんな対照的な二人に向かって微笑を浮かべると、杏子は頭を下げた。

「マミと一緒に決めたんだよ。やるって、さ。
 見滝原からしてみれば、私はよそ者でしかないけどさ」

それでも、と杏子は笑った。
限界を分かっていながら、それでも抗おうとする者が放つ自嘲めいた笑みだった。

「あの子たちは付き合ってくれないかもしれない。
 もしかしたら私一人だけになるかもしれない。でもやれるだけのことはやっておきたいんだ」

「それで死ぬのね」

「ぶん殴っておきたいヤツが二人いる。そいつらを殴り終えるまでは絶対に死なないよ」

同情するような視線を向けてくる海香に、杏子は寂しそうに目を細めた。
交渉は決裂だ。
二人はおもむろに立ち上がると、庭へ向かって歩き出した。杏子もその後を追う。

「残念ね。もう少し利口だと思っていたわ」

「でも、ま、予想はしてたこと。合成魔法少女計画は身内でゆっくり推し進めればいいだけの話。
 でも勿体無いね。グリーフシードを使えば、合成魔法少女として“存在しない者”も呼び出せたのに」

「そんなの呼び出してどーしろってんだよ……?」


「合成魔法少女——最高の響きだと思うよ、私は」

どこか恍惚としたニコの言葉を聞いて杏子は目を細めた。
何かを探るような視線をニコに送る。
しかしニコは気にした様子も無く、さっさと庭に躍り出た。

「さようなら、佐倉杏子」

「バーイ、マギカ・カルテット」

二人はソウルジェムを取り出して輝かせると、瞬く間に変身した。
その二人に向かって、杏子は最後にもう一度、海香に声を掛ける。

「海香、私はあんたのこと、そんなに嫌いじゃなかったよ」

「私もよ」

嘘吐けと苦笑を浮かべ、次にニコを見て、

「ニコ——あんた、いつからそんなに合成魔法少女に拘るようになったんだい?」

疑問を投げかける。
ニコは複雑な表情のまま、さあね、と首を振った。
次の瞬間、目の前から二人の姿は消えていた。

魔法を使った短距離テレポートかもしれないな、と杏子は考える。
肉体を構成する物質を魔力の塊に変換すれば理論上——ミチルとニコの提唱する理論だが——は可能のはずだ。

昔は痛覚を遮断することすら頑なに拒んでいたというのに。
やっぱり人間は変わるもんだね、と杏子は寂しそうに独り言を呟いた。

同時に、かさっ、と足元で音がする。
それまで姿を消していたキュゥべえが、杏子の足元に擦り寄ってきていた。


のろのろと足元に付きまとうキュゥべえを見て、杏子は鬱陶しそうに鼻を鳴らす。

「あんたはどこに隠れてたんだい」

《隠れていたわけじゃないんだけどなぁ》

よく言えたもんだと杏子は感心して首根っこを掴んだ。
文句を言うキュゥべえを無視して外に放り投げようと構えて、杏子は動きを止める。
感情を宿さぬ赤い相貌が、何かの意思を宿したように杏子の顔を覗き込んでいた。

杏子は顔の前にキュゥべえを持ってくると、じっと真正面から彼の顔を見つめた。

《どうしたんだい杏子。やっと僕の可愛さに気づいてくれたのかい?》

「そういうくだらない冗談はどこで覚えてくるんだ?」

《僕らもきみたちとの関係を円滑に進めるように努力しているからね。今のはお決まりのジョークだよ》

「それはいいから、何か言いたい事があるんだろ? さっさと話しな」

《そうだね。“カンナ”から伝言だよ》

「なんだって?」

驚く杏子に向かって、キュゥべえは立て続けにこう言った。


《『赤いリボンの伝説。仮にそれが本当の話だとするなら、それはもうこの街に来ているよ』だってさ》


——鈍器か何かで殴りつけられたように、杏子の身体が大きくよろめいた。
もちろん実際に殴られたわけではない。
ただ、キュゥべえの放った言葉はそれほどまでに彼女を動揺させた。
忌々しげに唇を噛み締めて、やがて杏子は大きく舌打ちをした。

二階で聞き耳を立てていた一人の少女がびくっと肩を震わした事など、杏子には知る由もない事だった。

以上です。

三十年後、かずマギの連中は何をしてるのかっていう自己満足みたいな内容でした。
ミチル除けば聖団はかずマギの順番通りに脱落していってます。ニコ里美サキみらい……うん?うん!

あと杏子ちゃんの身長はポニテ盛含めて170前半ですすいません
含めないとギリ170前後でが、まぁ年齢的にそろそろ縮むんじゃないですか(適当)
そんじゃ失礼しました


なるほど、順番通りか…順番通り…?

…あれ、ニコ

ニコが二個、もとい、二人ってことなのか

カンナ・ニコさんだしね(ニッコリ

     ☆ チン

  ☆ チン  〃  ∧_∧  
    ヽ ___\(\・∀・)

 ヽ('A`)ノ 
  (  )
  ノω|

ちょーっと風邪引いてダウンしてます
ヱヴァQも仕事も(出てこいというコールを無視して)我慢してひたすら惰眠を貪ってます
投下はもう少々お待ちくだせぇ

前回の投下からもう一ヶ月、だと?

明日(24)の深夜か明後日(25)の深夜に投下予定です
これからばしばし投下していく、いきたい、いけたらいいなぁ、はい

待ってます!


春と呼ぶには暖かすぎて、
夏と呼ぶにはまだ物足りない、
季節の間のあいまいな、見滝原の夜。
二人の少女が、街灯に照らし出されながら人気の無い路地を歩いていた

「ねえ」

「ん……なんだい?」

後ろをついて歩いていた少女の言葉に、先を行く少女のが返事をした。
彼女は肩を並べようと少しだけ歩くペースを落とし、歩調を揃えて耳を傾ける。
その仕草を見て、先に言葉を発した少女がくすりと笑みをもらした。
年齢相応の幼いくもどこか優しい笑い方だった。
例えるなら、妹を見つめる姉や娘を見守る母のそれだ。
耳を傾けた少女はその笑みを受けてわずかにたじろいでいる。

「な、なんだよ。気味が悪いじゃんかよ」

「べーつにぃ? なんか犬みたいだなーって思っただけ」

「はぁ!?」

妹でもなく娘でもなく、犬。ペット。畜生。二重の意味で畜生。
少女はそのぞんざいな扱いに不満げに肩を落としてそっぽを向いた。
まるで飼い犬がご褒美をもらえなくて落ち込んでいるような仕草に、またも笑みをもらす。

「ごめん、今のは冗談。拗ねないでよ」

「べつに拗ねてないし」

「拗ねてるじゃん」

「拗ねてない!」


そんなやりとりを何度か繰り返した後、最初にからかった少女がやれやれとかぶりを振って溜息を吐いた。

「はいはい、じゃあ拗ねてないってことでいいからさ、話の続きしてもいい?」

先に話の腰を折ったのはどっちだよ……という恨めしそうな視線を笑って受け止めると、少女は真顔になって前を見た。
すぐ右手前の街灯に照らされて、彼女の表情が輝き、同時に影が差す。
元気で明るい彼女には不釣合いな、ミステリアスかつシリアスな雰囲気に、並んで歩いていた少女が気圧される。

「あんたはさ、マミさんの考えに反対なの?」

その質問に、少女は沈黙で応えた。
沈黙には沈黙をと、質問をした少女も沈黙を貫く。

しばらくの間、二人は言葉を交わすことなく歩き続けた。
音を立てずに歩いて、パイプが露出している異様な裏路地へと足を踏み入れる。
近代化と独特な美術センスが目立つ見滝原でもひときわ異様なそこは、どこか異界じみていた。

すぐ手前のパイプから、カン、と甲高い金属音が響いて、湿った空気を伝わり広がっていく。
風が唐突に吹き始め、砂埃が宙を舞い、そばにある室外機のファンが回転し始めた。
魔法少女の天敵——魔獣の気配を孕んだ瘴気に当てられて、二人の少女が身構える。

ごくり、と喉を鳴らす音がする。果たしてそれはどちらが鳴らしたものなのか。
それが合図とでもいうように、先ほどの質問に沈黙を返した少女が口を開いた。

「アタシはべつに反対してるわけじゃない」

「……そうなの?」

「アタシは分が悪い賭けが嫌いなんだ。だってそうじゃん?
 下手したらアタシもあんたも、マミも、あいつもお陀仏じゃんかよ。正気の沙汰じゃないっての」

付き合っていられない——そう告げる少女の横顔には、確かに呆れが見えた。
それは彼女の隣を歩く少女に対する物でもあり、また自分自身に対しての物でもあった。

彼女を嘲笑うように、風は勢いを増していく。


「あたしとマミさんと、あんたとあの子。四人で一つのチームでも組もっか」

「……なんでそーなんのさ?」

突然の提案に呆れるどころか若干引き気味の少女。
けれども提案した方は真面目な顔で頷き、決心する。

「あたしたちがアタッカーで、マミさんとあの子が援護!
 シングルダブルの次のトリオの次のトリオの……なんだっけ?」

「カルテットだろ」

「そうそれ! ね、良いでしょ?」

「あんたさ、そろそろ会話のキャッチボールってやつを覚えてくんない?」

なんで? と不思議そうに首を傾げる少女に、盛大な溜息を吐く相手。
どうして呆れるのか分からないなぁ、と少女は手のひらを掲げた。
その上に乗るのは、青い宝石。彼女の魂。

「この四人なら≪大型≫の魔獣だってやつだって怖くないじゃん?」

「はぁ?」

「ああもう、鈍いなぁ。あたしはあんたを口説いてるの!」

正気を疑うような視線を受けながら、彼女の体は青い輝きに包まれた。
光が収まると、少女の服装は一変している。
白いマントを身に着け、青と白の混合したラフな装備と一振りのサーベルを手に持つ姿はさながら軽装の女剣士だ。

「希望と絶望のバランスは差し引きゼロだって——いつだったか、あんた言ってたよね」

それは間違いじゃないよ——そう語る少女の横顔に、赤毛の少女の目線が釘付けになる。


「確かにあたしの心には恨みや妬みが溜まった。
 “いちばんの親友”の仁美だって——遠ざけちゃった。
 だけどその分あたしは『誰かの命を救った』し、そのことに『誇りを持ってる』んだ」

他の誰かを呪っても、他の誰かの幸せを願うことで他の誰かを救うことが出来る。
それが魔法少女という存在だ。

恨みや妬みが溜まりきって、苦しんで、絶望したとしても。
それが他の誰かを苛む事は絶対に起こりえない。
秋霜烈日の日々を潜り抜けた先で、魔法少女は必ず報われる。
それは死のようで死ではない、終わりであって終わりではない、導きという名の救済によって。

「あたしたち魔法少女ってさ、そういう仕組みなんだよ。
 絶望で終わったりなんてしない。最後の最後まで、希望を捨てずに頑張れるの」

凛然と語った青の少女は鋭く研ぎ澄まされたサーベルを構えて歩き始めた。
彼女の服とマントが起こす衣擦れの音を聞いて、片方の少女も慌てて後を追いかける。

「けっきょくさぁ、質問の答えになってないんだけど」

「あーもう! せっかく格好良く決めたんだから察してよ、あたしはあんたと一緒に頑張りたいって言ってんの!」

二人が一緒なら——否、四人が一緒ならどんな障害だろうとなぎ払って見せる。
そう宣言した彼女を見て、少女は笑うような呆れるような、複雑な笑みを浮かべた。
青の少女に倣うように彼女もソウルジェムを輝かせて変身する。

「あんたってホントバカだねぇ。——ま、バカに感化されるアタシもバカだけどさ

 仕方ないから付き合ってあげるよ。
 四人ならもしかしたら≪大型≫だって倒せるかも知れないわけだしさ」

「ほんと!? さっすが杏子、あたしの見込みどおりだわー」

「でもその前に今日の魔獣を片付けちまうよ。この分だと魔獣は駅のホームまで続いてそうだしね」

「もっちろん! さやかちゃん頑張っちゃいますからねー!」


◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


そして明日の世界より——


「え?」

かすかな声を拾って、わたしはとっさに聞き返した。
だけど彼女は無言でうなずき、墨のように黒いおさげの髪を手でいじった。
わたしが肩をすくめて隣に座っているあんずちゃんを見ると、あんずちゃんも不思議そうな顔で首を傾けた。

『意味、わかる?』 と、わたし。

『わかんない』と、あんずちゃん。

うーむ、と首をひねって、わたしはこの部屋を——友達の部屋を訪れてからの出来事を思い返す。



——あんずちゃんを連れて友達の部屋を訪れたわたしたちは、玄関で3,40秒ほど待たされることになった。
来客用の格好をしていないから……と言う理由らしい。

ふたたび姿を見せた彼女は、瞳の色と同じ空色のワンピースを着ていた。
あまり日の光を浴びていないせいか、あるいは生まれつきの体質なのか、彼女の肌はとても白い。
わたしは無意識のうちに彼女の右肩に目をやった。

白い右肩に深く刻まれた痛々しい古傷を直視してしまい、申し訳なくなってとっさに目を伏せる。

とはいえ、いつまでも伏せていてはかえって気を遣わせてしまう。
わたしはすぐに面を上げて彼女ににっこりと微笑みかけた。
彼女も同じように微笑み返してくれた。
肩に少しだけ届くおさげの黒い髪をささっと手櫛で梳き、どこか期待したような上目遣いでこちらを見る。

その意図を察して、すかさずぐっと親指を立てる。
彼女は照れくさそうに笑うと、わたしたちを部屋に案内してくれた。


「……珍しいね、衣服に気を遣うなんて」

と、小声でわたしが問いかけると、

「……さいごくらいは、ね」

と、苦笑しながら彼女は答えた。
さいご? どういう意味だろう?
そんなことを考えながら部屋に足を踏み入れて、わたしはきょとんとした。
彼女の部屋が、先日訪れた時よりも少し片付いて見えたからだ。

「あれ? お掃除でもしたの?」

「ちょっとだけね」

布団のしわはきちんと伸ばされているし、
デスクに置いてある小さな機械——おそらくはずっと昔の携帯電話——も整頓してある。
もとより部屋を散らかす方ではないし、それほど物があるわけでもないのだけれど、
だからと言ってこまめに部屋をきれいにする性格でもないので、珍しい。

心の中で妙な違和感を抱きながら、わたしとあんずちゃんは彼女に促されてベッドに座り込んだ。

「なにか飲む? オレンジジュースとウーロン茶、それと牛乳があるけど」

「あんずちゃんは何が飲みたい?」

「オレンジジュース!」

「じゃあわたしもそれで」

「はーい、ちょっと待っててね」

小さな冷蔵庫へ向かう彼女の後姿を見る。
その足取りは軽く、いまにもスキップをしそうな勢いだ。

今日はやけに親切だなぁと思ってしまうのは、ちょっと失礼かな?


——そうして、最初に戻る。

いまはベッドに座って人心地着いているところだ。
手の中にはあの子が出してくれたオレンジジュースのグラスがある。
わたしはあまり飲んでいないけど、あんずちゃんは三度もおかわりしていた。

まだ小さなあんずちゃんには、慣れない遠出はかなりの疲労になっていたようだ。
もっとよく注意して様子を見るようにしよう。心の中で人知れず決心するわたし。


それはともかく。


さっきのひとりごとは彼女の態度となにか関係があるのかな?
あまりこういったことを詮索するのはダメだけど……と、あごに手を当ててぐるぐる思考をめぐらしていると、

「それで、どんなお話をしよっか?」

彼女が話題を求めて声を掛けてきた。

「え? あー、うん、そうだね……」

視線を宙に漂わせて話題を探すも、それより早くあんずちゃんが声を上げる。

「おねえちゃんはどうして魔法少女になったの?」


……魔法少女になった経緯。


それは禁句(タブー)というほどではないが、おいそれと聞いて良いものではないとも思う。
シスターの話を聞いた後だから、なおさらだ。

わたしを除いた魔法少女のほとんどが心に闇を抱えている。
願いを叶えてしまったという後悔。魔法少女になってしまったという後悔。
願いを叶えなければならなかった当時の状況。思い出したくないトラウマ。
それは人それぞれ、十人十色だけれど……


あのマミさんも同じような物を抱えていたらしい。
らしいというのは、それなりの理由がある。
それは、あの人がわたしに語ってくれたときに『昔は』という言葉が付け加えられていたからだ。
マミさんはそういったトラウマや辛い過去を乗り越えたのかもしれない。

でも……杏子さんも、犠牲になった人も、マギカ・カルテットを離れていった魔法少女の人たちも。
進んで願いを打ち明けてくれる人はほとんどいなかった。
八年前に会ったミチルさんはそうでもなかった……かな?
昔なので、ちょっと記憶があいまいだけど。

「あんずちゃん、それは……」

だからそういう質問はダメだよと、とっさに注意をしようとしてわたしは口をつぐんだ。
あんずちゃんの質問を受けた彼女が、わたしを制するように片手を挙げたからだ。

彼女だって例に漏れないはずだ。
そんな簡単に、魔法少女になった経緯を説明できるはずが——

「いいよ、教えてあげる」

軽い返答にガクッと腰が砕けるわたし。

「いいのっ!?」

「うん」

「わたしの懸念って……」

「え?」

なんでもない、と首を振って続きを促す。


◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

新しく用意されたグラスと、それに満たされたグレープジュースの中で浮かぶ氷がカランと音を立てる。
あんずちゃんはごくごくと勢い良く四杯目のジュースを飲みながら、じっと一点を見つめた。
その先にあるのは、パソコンの前に置かれた椅子に腰かけるわたしの友達の青い瞳。

「私が魔法少女になったのは、いまから三年位前になるのかな」

なんでもないように放たれた言葉に、わたしは目を丸くした。
彼女と行動を共にするようになったのが二年前なので、その頃に契約したのだとばかり思っていたのだ。
わたしの驚きを察してか、彼女はかすかに眉尻を下げて笑った。。
続く言葉は、わたしに向けてのフォローだった。

「マギカ・カルテットと合流したのは二年前だから、もしかしたら誤解させてたかな?
 その頃に佐倉さんと巴さんと出会って、いろいろあったんだ。ごめんね、伝えるのが遅くなっちゃって」

だいじょうぶだよ、と笑みを浮かべてわたしは続きを促した。
彼女はうなずき、真剣な眼差しで自身を見つめるあんずちゃんの方を振り向く。

「……でもね? 契約したのは三年前だけど、キュゥべえと出会ったのは六年前なんだ」

「どうしておねえちゃんはすぐに契約しなかったの?」

「悩んでいたって言うと、聞こえは良いかな。
 キュゥべえとお喋りしながら、いろんなことを調べてたの」

「いろんなことってどんなこと?」

「魔法少女の事とか、かな。
 私を助けてくれた恩人さんのことが気になったんだ」

「恩人さん??」

「……ああ、時系列順にお話した方がいいよね。じゃあちょっと長くなるけど、それでもいいかな?」

「うん!」

——こういう時にすらすら質問出来るのは、この子の長所かもしれない。

一歩間違えれば無神経扱いされそうだけど、この子はまだ子供だ。それに可愛い。
素直にうなずくあんずちゃんを見て感心しながら、わたしは友達の話に耳を傾けた。


「だから、昔の私はあんまり健康的じゃなかったかな。
 そんなある日、私はお父さんと一緒にお出かけしたんだ」

「お出かけ?」

あんずちゃんの問いかけに彼女は頷いた。

「外に出ない私を気遣ってくれたんだと思う。
 平日なのに遊園地に連れて行ってくれたんだ。それも二日連続で!
 いろんな乗り物に乗ったけど、いちばん楽しかったのはメリーゴーランドかな」

ふわぁ〜!と憧れを隠さずにいるあんずちゃんを見て、わたしと彼女はくすりと笑った。
今の生活に慣れたら連れて行ってあげようと、内心で決心する。
彼女の話は続く。


「たぶんだけど、外に出ないからかな?
 それで普通の人よりもたくさん楽しめたんだと思う。
 人目なんて気にしないで私は思う存分はしゃいだよ。
 ……本当はね、そういうのは私には疎遠の世界だって妬んでたんだ。
 だけど同じくらい憧れていた世界でもあって、そこにはそれが広がってて、すっごく興奮した」


わたしはその話を聞いて、ひとり頷いた。
彼女はわたしに似ている。

杏子さんとマミさんに拾われて、魔法少女として生きる事を選択したわたしには学校なんて縁が無い。
それでも未練を捨て切れなくて、同い年の子に嫉妬と憧憬の入り混じった視線を向けてしまう。

そんなわたしに、彼女は似ているのだ。


「その帰り道にお父さんと話した事は、今でも良く覚えてるよ。
 ……今日は本当に楽しかったね。また行きたいね。今度はお弁当も持っていこうね——って。うん。覚えてる」

息吐くと、彼女は表情を消して、底冷えするような声で言った。


「それが、お父さんと交わした最後の会話だったから」


その会話の直後に起きた交通事故で、彼女の父親は他界したのだという。
つまり彼女のパソコンは彼女の父親の“形見”なのだ。
右肩の傷も、その時に出来た物らしい。

六年前の交通事故というワードが妙に引っかかったけれど、
わたしはその疑問をむりやり振り払った。

沈むような表情の彼女にかける言葉を必死に探して、
けれども、ついぞ言葉は見つけられず。

「……体が苦しくて、右肩が熱くて、自分がどうなってるかも分からなくて。
 だけど必死に手を伸ばして、煙の中でなんとか目を見開いて、私は見たの」

彼女はわたしの瞳をまっすぐに捉えて、はっきりとした声で続けた。

「何かが焦げる臭いと黒煙を押しのけて、その人は私の目の前に現れたの」

一体誰なのだろう?
わたしの疑問は、すぐに解消された。
大きな驚愕とともに。


「——その人は、魔法少女だった。黒い髪、紫がかった服装。凄そうな雰囲気で」


「……赤いリボンを、髪に結んでいたわ」


息が止まる。止まった。
その瞬間、確かにわたしは呼吸を忘れて、頭の天辺から足の爪先まで動かせずにいた。
たぶんだけれど、思考を行うことすらも忘れていたと思う。


はっきり言って、わたしには彼女の言葉が信じれられなかった。


魔法少女がささやく噂。
架空の伝説の『赤いリボンの伝説』……
あるいは『黒い魔法少女の伝説』。
それら二つの伝説と、彼女の見た魔法少女の外見は、
あの日わたしのことを助けてくれた魔法少女のそれにおおよそ一致している。

でも架空の伝説は架空の伝説でしかない。
第一、六年前に彼女が見た人物がわたしが見た人物と同じかどうかなんて保証はどこにもない。
背が伸びるか、髪が伸びるか。同一人物だとしても、私と同年齢に見えるはずがない。
何らかの要素は変わるはずだ。
それに六年も前の事だ。
記憶だって多少は曖昧になっているに違いない。だから、気のせいだと、そういうことで……

……どうしてだろう?

……わたしが必死になって考える必要はないし、否定する理由もまったくないはずなのに。

……どうしてこんなにも気になるのだろう?

硬直から復活したわたしは、胸の鼓動が高鳴るのを抑え切れなかった。
分からない。何も分からない。
胸がぐしゃぐしゃに掻き回されるような嫌悪感。座っているのすら辛くなるような倦怠感。

頭の中を、断片的なイメージが駆け巡る。
赤いリボン。黒い髪。女の子。ソウルジェム。雨。街。優しい瞳。赤いリボン——赤いリボン?


「それでおねえちゃんはどうなったの?」

あんずちゃんの言葉が耳に入って、わたしの意識は急速に現実に呼び戻された。
かぶりを振り、話の続きに聞き入るために集中する。

「その人に抱えられたところまでは覚えてるんだけど、記憶があいまいなんだ。
 気づいたら病院のベッドの上で、あとはもう……どうだろ?
 ちょっと思い出したくないかな。色々と、辛くなるから」

「無理に話さなくてもいいよ……あんずちゃんも、良いよね?」

「うん!」

元気な返事を聞いて、わたしと彼女はまた笑った。
胸の中を渦巻いていた嫌悪感や、体を支配していた倦怠感は、もう消え去っていた。

「退院してから、ずっと部屋に引きこもってたんだ。
 キュゥべえと出会ったのはその時かな。
 窓辺に彼が立ってるのが見えて、つい話しかけたの。
 彼は不思議そうな顔で『その素質で僕が見えるのは珍しいね』って……色々、教えてくれたよ」

溜息を吐くと、彼女は軽く伸びをした。
それほど長く話していたわけではないが、話題が重いためにそれだけ神経を使ったのだろう。

わたしはまだ中身の残っているジュースのグラスを彼女に差し出した。
ありがとう、と言って受け取る彼女。
少しだけ口をつけると、彼女はふたたび話し始めた。

「……それからずっとキュゥべえとお話してたかな。
 ようやく契約する気になったのが、今から三年前。
 さて、あんずちゃん。契約した時の願い事、気になる?」

「うん!」

すうっと肺に息を溜め、彼女はその言葉を口にした。


「わたしの願いはただひとつ。あの思い出を閉じ込めて」


詩的な表現に戸惑うあんずちゃんとは対照的に、わたしはそうか、と頷いた。
彼女の願いが何なのか、うっすらとだけど察することが出来た。

「あなたは、パソコンをそのままにしておくことを願ったの?」

ぱちぱちぱち、と彼女は大げさに拍手した。
パソコンの方を振り向き、その外装を労わるように優しく撫でる。

「なにせ30年以上前の年代物なんだもん。
 今のインターネットに接続するのも一苦労だよ。
 お父さんがいなくなったら私しか手入れしなくなっちゃったし……ね」

彼女はパソコンから手を離すと、かすかに首をかしげた。
話を飲み込めていないあんずちゃんを見て、よしよしと頭を撫でる。

「ようするにね、おねえちゃんは『宝物』の『保存』を願ったんだ」

「宝物の保存……」

「そう。あんずちゃん、なにか大事な物はある? 大切な人はいる?」

あんずちゃんは少しの間考え込んでから、躊躇うように小さな声で言った。

「ママ……それにパパも」

「そっか。じゃあそれがあんずちゃんの『宝物』だね!」

にっこり笑うと彼女はもう一度あんずちゃんの頭を撫でた。
そしてわたしの方を見て、意地悪そうな笑みで言う。

「あなたはどう? 大事な物はある?」

「わ、わたし?」


大事な物……どうだろう?
杏子さんは大好きだし、シスターも薔薇を好きなあの子もお菓子が好きなあの子も大好きだ。
目の前にいる彼女も、『夕方に会うおばさん』も。
みんなと住んでいるアパートも大事だ。今という時間も大事だ。
それに——赤いリボン? ちがう、ちょっと落ち着こう。それは今の話とは関係ない。

「うーん多すぎて分かんないかなぁ、ごめんね」

「いやいや、大事な物がたくさんあるのは良いことだと思うよ?」

ちがうの、と首を横に振る。
大事な物を絞れないのは、わたしの心が弱いからだ。
もっとわたしの心に折れない芯が通っていれば、違う答えも弾き出せたかもしれない。
わたしは中途半端だ。

「それがあなたの魅力だと私は思うけどなぁ」

「……そうかな? なんか格好悪くない? そういうのって卑怯というか、ずるい気がして……」

「ひきょうでも、ずるくても、良いじゃない。
 完璧な人間なんていないんだから、だいじょうぶだよ」

「おねえちゃんは良いひとだよ!」

うう……優しいなぁ二人とも。
思わず胸が熱くなる。
すぐに乗せられるわたしってもしかして凄い単純なのかな?
それでも、誰かに認めてもらったり、励ましてもらえたりするのはうれしいかな……


◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

それから一時間ほど世間話や体験話などをした。
マミさんの勇姿をあんずちゃんに語ってあげたり、杏子さんのお茶目な部分を教えてあげたり。
彼女の得意なインターネットの知識や、
マギカ・カルテットの歴史を簡単に説明してあげたり。

あんずちゃんはどの話もちゃんと聞いて、素直に受け止めてくれた。
そんなあんずちゃんが可愛くて、ついつい撫でちゃうこともあって……って、それはいいかな?

「ん……もうこんな時間か。大丈夫? 佐倉さん、怒ってるんじゃない?」

「あっ、そういえば……!」

慌ててスティック状の携帯電話を取り出すと、画面を拡大表示させて着信履歴を確かめた。
……着信三件、いずれも杏子さんからだ。
サイレントマナーにしてるせいで気付けなかったのだろう。

「キョーコ、怒ってるの?」

「角生やしてるかも……」

「キョーコ、すっごくこわい……?」

「まあまあ、佐倉さんだって鬼じゃないんだから。じゃあ今日はこの辺にしておこっか」

彼女は椅子から立ち上がると、ずいっとわたしに向かって手を差し出した。
手のひらの上には小型の機械——USBメモリが置かれている

「これは?」

「おみやげ。マインスイーパーが入ってるよ」

「それ、つまらないんじゃなかったっけ……?」

「まあまあ、何か悩み事があったらプレイしてみてよ。つまらないけどね」


つまらない物ですがと贈り物をする光景は良く見かけるけど、うーん……
苦笑いしながらも、わたしはそれを受け取る。つまらなくても、彼女の思い出の品だ。拒むのは失礼だろう。

「玄関まで見送るよ」

「わざわざありがとう、今日は突然押しかけちゃってごめんね」

「いいよ。助かったから」

「……? あ、そうだ」

あんずちゃんを連れて玄関へ向かう途中で、わたしはシスターのことを思い出した。

「シスターが心配してたよ。それと、私は避けられてるって。そんなことないよね?」

「心配って……あの人が?」

彼女は青い瞳を丸くして口に手を当てていた。
すぐに手を下ろし、嬉しそうな、寂しそうな、曖昧な表情を浮かべる。
真意は分からないけれど、邪険にしていない事だけはよく分かった。

「あの人にお礼を伝えておいてくれるかな? 願ってくれてありがとうございましたって」

「……願ってくれてありがとう?」

「たぶん意味は通じないだろうけど、伝えておいてくれればそれで良いんだ」

彼女なりの事情があるのだろう。
わたしは深くは詮索せずに了承すると、扉を開いて外に出た。

「じゃ、さようなら」

部屋の中から手を振る彼女に、わたしもあんずちゃんも同じように手を振り返す。
扉が閉まる。


わたしが彼女の言葉を本当の意味で理解するのは、ずっとずっと先のことになる。
その時にはもう、何もかも手遅れなのだけれど。

いじょうです

次回から過去パート無しの一本道+始点変更が無くなるので読みやすくなる……はず
次の投下は三日以内に必ず。それでは

おお、続きが来てた。

乙です。
次回のも、楽しみに待ちます。


PNの設定がいくつかあるな、気付かんかった

続きが来てたんだな





続き早よ



遂にさやかちゃん来たか

せーふ!
あうとですね
投下します


魔法少女の朝は早い————わけでもない。

「……ふぁ……んっ」

窓から差す朝日を瞼の裏で感じて、それまで深いまどろみの中にいたわたしは
まだ布団を被っていたい脆弱な欲求を押し殺してベッドから起き上がった。
ペンケース型の充電器からスティック状の携帯電話を取り出すと、
それを軽く握って立体映像を中空に投射させ、現在の時刻を表示させる。

「ん……まだ七時……もう七時……?」

どっちでもいいや、もう少し寝よう……
などという甘えも、わたしには許される。
正確には、わたしたちのような世間からあぶれた魔法少女には、だけれど。

とはいえ、土曜日曜でもないのにそうやってだらだらとしていれば、
杏子さんから大目玉を受けるのは目に見えている。

「着替えないと……」

緩慢とした動作でタンスへ向かい、のろのろと洋服を取り出す。
洋服と言っても、昔の中学学生の制服をベースに杏子さんが手を加えた『魔改造制服』だ。
制服特有の堅苦しさが無いのと、生地が私服用にやわらかい物になっているのが特徴。

どうして学校の制服がベースなのか?
おそらく、わたしが学校に通っていないからだろう。
せめて学生気分だけでも味わわせてあげようという杏子さんの計らいなのかもしれない。

「ふふっ……あれ?」

そんな杏子さんの優しさに表情を綻ばせて、わたしはとんでもないミスを犯した事に気が付いた。

「しまった、まだ顔洗ってないよ!?」


……仕方が無いのでそのまま一階に向かいました、はい。


「おはよー杏子さん」

「おはよう……なんでもう着替えてるんだい? 大方、寝ぼけて先に着替えたとかなんだろうけどさ」

「ううっ、分かってるなら言わないでよぉ」

「あははっいーじゃんいーじゃん、かわいーよ」

「……そういう問題じゃない……」

食堂にはいつものメンバー——あんずちゃんを除いた——がすでに集合していた。
一人はクッキーを齧りながらお茶を啜っていて、
もう一人は表紙にバラの写真が載っている分厚い本にじっと目を通し、
最後の一人の杏子さんは一昔前のスマートフォンをいじって眉にしわを寄せている。

わたしが自分の席に座ると、杏子さんは何も言わずにさっと緑茶の注がれた湯飲みを差し出してくれる。
ありがたく頂戴して口をつけようとすると、

「……寝起きの口内細菌の量は汚物以上……」

「ぶううっ!?」

とんでもない話を切り出された。
わたしはさっとお茶を遠ざけ、洗面所へまっしぐら。

「汚物がどーとか朝っぱらから汚いなー」

「清潔にしておいて損は無いってことさ」

「……そういうこと……」

耳が痛いです……


歯磨きと洗面を終えると、わたしは予め用意してあった黄色いリボンで髪をきゅっと結んだ。
リボンを優しく撫でて、鏡の前で少しだけ胸を反らす。

鏡に映るわたしの顔。
顔の造りはどちらかといえば幼くて、ベビーフェイスだと言われることもよくある。
それに背も高い方じゃない。痩せているわけでも、太っているわけでもない。
髪の毛もあまり長くない。わざわざリボンを結ばなくても無視できる程度だ。

鏡に映るわたしは、自分で言うのもなんだけれどとても頼り無さ気に見えた。
だからいつもよりもちょっと胸を張って、表情を引き締め直してみる……でもあんまり変わらないかな?

そうやって鏡の前で悶々としているところへ、すぐ背後から声が掛かった。

「様になってるじゃないか、ええ?」

鏡越しに後ろを見やると、杏子さんが扉に肩を預けているのが見て取れる。
わたしは照れ臭くなって、はにかみながら、そうかな? と首を傾げた。

「ああ、立派なもんさ」

「ほんとに? だってマミさんほど立派じゃないよ?」

「そんなことはないさ。マミと比べても遜色ない。あんたは十分立派だよ」

「それは言い過ぎじゃないかなぁ」

弱気なわたしの言葉を受けて、杏子さんは口の端をにいっと吊り上げた。
自信満々の笑みを浮かべながら、やれやれと首を横に振る。


「言い過ぎなんかじゃないさ。そのリボン、とても似合っていると思うよ。
 それになんてったってあんたは私とマミの自慢の娘なんだ。立派じゃないわけがない、だろ?」


——杏子さんとマミさんの、娘。

温かい言葉だ。
わたしは杏子さんの想いを素直に受け止めて、喜びを隠すことなく笑った。

「ありがと、杏子さん」

「どういたしまして。じゃあさっさと朝食を食べな。あんずももうそろそろ起きてくるだろうしね」

そう言って食堂へ向かおうとする杏子さん。
その大きな背中を見て、わたしは気が付いたら杏子さんの事を呼び止めていた。

「——ねえ、杏子さん」

「ん、なんだい?」

杏子さんはちらりと振り返り、首を傾げた。
呼び止めたのは良いけど、特に理由は無い。
黙っているのもなんなので、以前から気になっていた事を尋ねてみよう。

「杏子さんは、子供を産みたいと思ったことは無いの?」

私の言葉が予想外だったのか、杏子さんは呆気に取られて目を丸くしていた。

「……あんた、いきなりどうしたのさ? なんか変な物でも食べた?」

「ち、ちがうよお! ただなんとなく気になって、うん」

それでも杏子さんは納得がいかないのか、訝しそうに目を細めている。
だけどそれも最初の何秒かのことで、すぐにいつもの表情に戻ってふう、と息を吐いた。

「無いって言ったら嘘になるね」


今度はわたしが目を丸くする番だった。
ちょっと意外?
てっきり『あるわけないだろ』という返答が来ると思っていた。

わたしの反応を見て、杏子さんはくすりと小さく笑い、話を続ける。

「と言っても、気の迷いみたいなもんだよ。本当に産みたいと思ったわけじゃない。
 やることは山ほどあったし、それに魔法少女だからね。そういう道を選ぶやつもいるけど、私には無理だったよ」

「そうなんだ……」

「それに好きな男もいなかったしね」

「じゃあ、誰かを好きになった事ってないの?」

今度こそ、杏子さんは口を大きく開いて、大きな声で笑った。
楽しそうに目を細め、戸惑っているわたしを見てくる。
そんなに変なこと言ったかな……?

「いやいや、妙だとは思っていたけど……そうか、あんた男に惚れたんだね?」

いやいやいやいや!

「ちっ、違うよ、本当に違うよ!? そもそもあんまり男の人と話す機会無いし……」

「隠さなくていいって、いやーしかしあんたが恋か……」

「もう、杏子さん!」

ぷいっと顔を逸らし、ふーんだ、と抗議の意思表示。

「ああ悪い悪い、ちょっとからかいすぎたね、いや本当に悪かった」

横目でちらりと杏子さんの様子を盗み見る。
両手を合わしてはいるけどまだ半笑いだ。杏子さんを半ば睨みつけながら、わたしは顔を元の位置に戻していく。


「それで、どうなの?」

「うーん……」

杏子さんは腕を組んで首を傾げ、必死に悩むそぶりを見せた。
尋ねたわたしがこういうことを思ってはいけないのだろうけど、杏子さんが恋をしている姿はちょっと想像できない。
しばらくして、杏子さんは首を何度もひねりながらわたしの質問に答えてくれた。

「恋をした事は、たぶん無いね」

「ああ、やっぱり」

「こら。——ああでも、良いなって思える人なら何人か会ったことがあるよ。
 尊敬できたり、勇ましかったり、優しかったり。でもこういうのは、四十年も生きてれば誰だってあるだろうね」

恋かどうかはともかく、好き——異性のそれではなく——だった人はいたみたいだ。

「だけど私は魔法少女だからね。
 なにより既に大切な人がいたから、そっち方面にうつつを抜かす事はなかったよ」

杏子さんの大切な人?
……誰だろう?
興味津々なわたしの意思を察してか、杏子さんはにやりと笑って言った。

「マギカ・カルテットのみんなだよ。
 昔なら昔の魔法少女やマミ。今ならあんたや食堂にいるあいつら。みんな私の大切な人さ」

どうだい格好いいだろう、と自信満々に胸を張る杏子さん。
でもきっぱりと断言できる杏子さんの姿は本当に格好良くて、優しくて。
わたしは頬が熱くなるのを自覚した。
やっぱり杏子さんは凄い人だ。

「はい、話はもう終わりだよ。あんたもお腹空いたろ? さっさと食堂に来なよ」

「……すぐ行く! 走って行く!」

「いや、走らなくていいから」


◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


食堂へ戻ってトーストと牛乳の簡単な朝食を取ったわたしは、
遅れて降りてきたあんずちゃんの面倒を見てから暇つぶしにテレビを観ていた。

他の子はいつもどおりお菓子を食べたりバラを愛でたりしている。
ときどき世間話も交えたりしちゃったり。

そんななんとも怠惰で自由な時間を満喫していると、それまで携帯電話をいじっていた杏子さんが溜息を吐いた。

「どうかしたの?」

わたしが尋ねると、杏子さんはお手上げだと言わんばかりに両手を挙げてみせた。

「教会の手伝いをしているスタッフが事故で怪我をしたらしくてね。
 べつにそれほど親しいわけじゃないけど、ちょっと様子を見に出かける事になったんだよ」

「それ、大丈夫なの?」

「べつに騒ぐような怪我じゃないんだよ。
 ただ頭を打って記憶が曖昧みたいだから、教会の事もあるし念のためにってわけさ」

頭を打って記憶が曖昧なのは、重症だと思うのだけど。
でも杏子さんの様子からは慌しさが見て取れないので、きっと大丈夫なのだろう。


ちらり、と壁に掛けてある大きな古時計を見る。
長針がちょうど11の所を回ろうとしていた。
お昼にはまだ早いけど……
杏子さんも気付いたのだろう。諦めたような表情で肩をすくめていた。

「ま、仕方ないね。今日の昼はちょっと早めに済ませちゃおうか」

そんな杏子さんの言葉に、それまで沈黙していた三人がいっせいに反応した。

「スパゲッティーでいーよー」

「……チャーハン……」

「ハンバーガーが食べたーい!」

「……あんたら、もう少しジャンルを統一してくれないか?」

「じゃあラーメンでいーよー」

「……オムライス……」

「じゃあ、えっと……カレー!」

「おいこら、わざとやってるだろ!?」


議論の末、昼食はそうめんになりました。
なにがどうなってそうなったのやら……


◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


「どうせ見回りするんだし、あんたたちも来るかい? すぐそこの病院だけど」

杏子さんの提案に、わたしたちは揃って顔を見合わせた。
わたしはどうにも病院が好きになれない。あの医薬品の臭いがちょっと苦手なのだ。
他の子も同じような考えらしく、渋い表情をしている。

じゃあわたしが代表して断ろうと杏子さんの方へ振り向くも、それよりはやく一人の子が杏子さんに話しかけていた。

「あたしはいーや、あそこの病院はちょっと……ね。ごめんなさい」

珊瑚色の髪をわずかに揺らしながら、彼女は元気の無い声で言った。
なぜかは分からないけれど、テーブルの上に転がる飴玉を指でいじっている。
杏子さんはふっと表情を改めて、申し訳無さそうに頷いた。

「ああ……いや、謝るのはこっちだね。ちょっと配慮が足りてなかった」

それだけ言うと、杏子さんはその話題には触れずに次の話を切り出した。
病院がどうかしたのだろうか?

「それで、編成はどうするつもりだい?」

「へんせいって、何?」

不思議そうに体をゆするあんずちゃんをホールドして、わたしは簡単に説明してあげる。

「ようするにパーティーメンバーの事だよ。
 見回りは原則複数人で行う事になってるんだ。遠い場所に住んでる人とかは例外だけどね」

「へー。じゃあお菓子のおねえちゃんとバラのおねえちゃんと、おねえちゃんとあんずの四人?」

「んー、それでも良いんだけど……」


どうしようか、と悩みながら杏子さんの様子を伺う。
杏子さんは頷いて、わたしの言葉を継いでくれた。

「四人で一緒に魔獣を探すのは効率が悪いのさ。
 だからこういう時は戦力が均等になるように半々にするんだが……」

杏子さんはどうしたものかとあんずちゃんを見た。
そんな杏子さんの態度に、あんずちゃんは不満そうに——そしてどこか怯えながら——声を上げた。

「あ、あんずも戦えるよ? 役に立つよ!?」

必死にアピールするあんずちゃんが可愛くて、おーよしよしと頭を撫でてあげる。

「だいじょうぶだいじょうぶ、わたしたちが守ってあげるからねー」

「ダメだ、甘やかすな」

「あいたっ!」

びしっ! と脳天にチョップを受けて、わたしは思わず頭を抑える。

「うわ、いったそー……」

「……クリティカルヒット……」

ううーというわたしの抗議の呻りを無視して杏子さんはあんずちゃんに向かい合った。

「ちゃんと言われたとおりに動けるね? 守られてばっかじゃないね?」

「う、うんっ!」

「……良し」

杏子さん、やっぱりあんずちゃんには厳しいような気がする……


「じゃあ編成は……お菓子のおねえちゃん、あんたがあんずを見守ってやりな」

「おっけー、仲良くしよーねーあんずちゃん。あたしのことは菓子ねーちゃんって呼んでくれ」

「うん! よろしくね、菓子ねえちゃん」

菓子姉ちゃんって……と内心で思ったけれど、まあいいのだろう。
わたしはもう一人の子——向こうが菓子ねえだからバラねえ?——を見た。

「……私のことはばらしーと呼んで……」

「ばらしーってなんか色々と違うような……」

「……無問題……」


◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


編成が決まったわたしたちは、五人一緒に家を出た。
留守番が誰もいないけれど、警備システムはちゃんと機能しているし、
この辺りは球状のロボットが定期的に巡回しているので治安は良い方だから問題は無いだろう。

十字路に差し掛かると、杏子さんはわたしたち四人を見て、

「魔獣を見つけても深追いはするんじゃないよ。何かあったらテレパシーで知らせな、良いね?」

「はい」

「……はい……」

「おっけー」

「うん!」

「良し、じゃあ頑張ってきな」

グッと親指を立てる杏子さん。
その姿と言動は、もしかしたら娘を送り出す母のそれに似ているのかもしれない。
本物の母親を知らないわたしはそんなことを考えながら杏子さんに背を向けて、歩き始めた。

今日は、良い日になりそうな気がする——

いじょーっす

次回はばらしー……じゃなくて薔薇の子と、外伝のあのキャラがメインです
誰だこれ!な風味になってるかもしれないかもしれないですが、はい

次回の投下は近いうちに。二日以内で!


深夜投下だとあまり人の目につかないぞ

レスがついてれば気付くよ
専ブラならね


まぁ毎日チェックしている人ばかりではないだろうしね

読解力おいつかなくてとんちんかんなレスするのが恐かったんだけど、レスしてみます
黄色いリボンの子はまどか似なんだろうか

ほむほむが放っておくとは思えない子だなあww

アドバイスありがとうございます。次からは十時前に投下できるように頑張ります

>>211
そんな感じですね、ちょっと具体的な描写するの忘れてました
乙でも助言でも展開予想でもなんでもウェルカム、レスが付くと私は幸せになります

ということで投下


◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

あんずちゃんたちとも別れ、見滝原市を見回ること一時間半。

わたしたちはついに瘴気を嗅ぎ付け、またそれに群がる魔獣の群れを捕捉していた。

そこは細い路地裏の奥。
人気のない、嫌な雰囲気のする寂しい場所だ。
何十年も整備されていないのか、錆びてボロボロになったパイプが剥き出しの状態でいくつも放置されている。
時代に取り残された、という言葉がよく似合う。

「瘴気、けっこう濃いね」

「……大漁?……」

「そうかも。いちおうあんずちゃんたちにテレパシー送っておこっか」

とはいえ、下手に長く魔法を使って魔獣を刺激するわけにもいかない。

『十五分経っても連絡が無かったら杏子さんを呼んで』

と、一方的かつ手短に伝えておく。
そんなわたしを見て、隣にいる彼女が小声で、

「……まるで特殊部隊の兵士……」

なんて呟いていた。

喜ぶべきなのか、悲しむべきなのか……
三人以上で行動したらもっとゆるいんだけどね、と言い訳しておきたい。
二人行動はいろいろと危ないから、うん。

二年前の事を思い出したわたしはかぶりを振った。

いつまでも引きずってはいられないんだ。頑張ろう。


「……援護……」

「分かった、気をつけてね」

気持ちを切り替え、軽く深呼吸。
わたしたちは二人同時にソウルジェムを手のひらに乗せ、魔法を使って変身した。
そうして魔力が十二分に発揮できる状態に移行すると、
タイミングを見計らって魔獣が隠れる結界の向こう側へと飛び込んだ。


「……っ」


地面に足を下ろす。そして目の前に広がるわずかな光をわたしは目を細めて受け止めた。
さっと首を振って視界を確かめる。今回の結界は全体的に仄暗い。
それに直線的かつ荘厳なオブジェがわたしたちを挟み込むようにして両サイドに立ち並んでいる。
横幅は5メートルもない。援護が難しい地形だ。

開けた場所だともっと明るいし、地形にもあまり制限は無いのだけれど……
どうやら今回は外界の影響を強く受けているみたい。

ざっと結界を見渡して構造を把握すると、わたしは正面を見据えた。
敵がいる。

「……手前に小型が十二と……」

「奥に中型が三だね。でもおかしい……」


——視界に広がる巨人のような体躯の魔獣を見つめながら、首をひねる。
事前に察知した瘴気と比べると魔獣の数が少なすぎる。
本来ならこの二倍、もしかすると三倍はいてもおかしくない濃さだったのに。

この程度なら……一人でも十分かも?


そう考えていた矢先、わたしたちの存在に気付いた魔獣の群れがいっせいに顔を向けてきた。
モザイクの欠片が集合したような不自然な頭部が、まるで目のようにぎょろりとうごめく。
隣の子に目配せし、弓を構える。

「……吶喊……」

つぶやき、彼女は棘の付いた鞭を握り締めて魔獣の群れに突っ込んだ。
わたしも魔法で作り出した矢をつがえ、そのすぐそばにいる小型の魔獣を攻撃。
弓という戒めから放たれた矢は魔獣の頭部に寸分違わず命中し、見事に役割を果たした。
撃たれた魔獣がくずおれ、霧散する。

(良し——!)

心の中でガッツポーズを取る。

直後、突っ込んだ彼女が鞭を振るって小型の魔獣を牽制し始めた。
それによって敵が怯んだところへふたたび射撃。今度は小型の肩をかすめるに留まる。

だがその隙を狙って彼女が片方の鞭を魔獣の胴に向かって叩きつけた。
叩きつけられた魔獣は体をくの字に折れ曲がり、瞬く間に霧散していく。

「やった!」

「……まだまだ……」

そのまま勢いに乗って小型を蹴散らしていく。もちろん中型へ牽制を行う事も忘れない。
わたしは両の足を開いてひたすら矢を作り、弓を引き絞って射撃する事に専念する。

状況は極めて有利。当初予想していた援護面での障害——狭いために同士討ちをする恐れがある——も、
スピードタイプの彼女がきちっと避けてくれるので問題になってはいない。
一人だともしかするとキツいかもしれないけど、二人なら楽勝だろう。

(やっぱり誰かと一緒だと心強いなぁ……)

そんなことを思えるくらいには余裕があった。


そうこうしている内に小型が片付き、先行する彼女が余裕を持って行動し始めた。
わたしはまず彼女にいちばん近い中型の魔獣へ射撃を行い、注意を引き付ける。
巨人のように大きな魔獣が右手をわたしに向けた。レーザーが来る。

わたしは思い切り地面を蹴って、倒れるような勢いで左前方——右足が後ろにあったため——へ向かって回避。
レーザーは先ほどまでわたしがいた地点に着弾し、地面を大きく抉り取った。

「いまだよ!」

「……っ!……」

わたしに向かって攻撃した魔獣が、ぎゅっと硬直した。
こちらに注意を引き付けている間に後ろに回りこんだ彼女が鞭で縛り上げたのだ。
わたしはすぐに姿勢を正すと魔獣の頭に狙いをつけた。弓を絞り、いつもよりも魔力を込めて作った矢を放つ。

(当たって!)

願いは届いた。放たれた矢は見事に魔獣の頭を砕き、
さらにその向こうにいた魔獣の首筋を大きく切り裂いた。

「やった!」

思わず声に出し、心の中でちょっとだけ反省。
頭を砕かれて霧散する魔獣の体に隠れて、先行する彼女が位置を変えていく。
それに合わせてわたしも狙いやすいポジションへ移動。

「……各個撃破……」

「うん、分かったよ!」

彼女の言葉に答えながら、わたしは首をひねった。
やっぱり敵が弱いような……?
たまたま弱い固体だったのかもしれないけど、それにしたって妙だ。

あとで佐倉さんに報告しよう——そんな事を考えながら、わたしはほとんど自動的に弓を引いた。
同時に、彼女も鞭を薙いだ。
二体の中型魔獣が撃破される。
傷を負うことも無ければ苦戦する事もなく、呆気なく戦闘は終了した。


◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

《じゃーケガはなかったわけ?》

《うん、ぜんぜん平気だったよ。心配させちゃってごめんね》

《あー良いって良いって。じゃお互いガンバローねー》

《じゃあまたねー》

テレパシーによる報告を終えると、わたしは一息吐いて肩を降ろした。
魔獣が消えた事で結界は消失し、辺りの景色は暗い路地裏のそれに戻り、
先ほどまで溜まっていた瘴気も浄化されている。

そんな時、小さな声と共に、視界を突き出された手のひらとグリーフシードが横切った。。

「……ん……」

「わっ、えーっと、集めてくれてありがとう」

慌ててそれを受け取ると、グリーフシードを集めてくれた彼女に頭を下げる。
彼女は頷き、若草色の髪でバラの花のように赤い瞳を覆い隠した。
バラの模様が描かれたハンカチで手を拭き、無言で歩き始める。

その後を追いながら、手元にあるグリーフシードの数を数える。
数はぴったし、小型から回収できたのが十二と中型から回収できたのが三。浄化率はざっと27%。

「ソウルジェム、どれくらい濁っちゃった?」

「……八分くらい?……」

「わたしが一割くらいだから、中型二つ残せばちょうどいいかな。はい、これ」

ととと、と歩いて先に回り込むと、わたしは小粒のグリーフシードを八つ彼女に手渡した。
彼女は面倒臭そうにソウルジェムを取り出し、乱雑に押し当てて穢れを吸い取る。
それを見ながら、わたしもソウルジェムの濁りを浄化させた。

計算では一分ほど浄化が追いついていないけれど、
中型から回収できるグリーフシードは浄化率が高いため、
小型のそれよりも貴重なので今回は我慢しておく。


浄化が終わると、わたしたちは人通りの多い道路に出た。

「それにしても変だったね」

「……魔獣の話?……」

「うん。あれだけの瘴気だと、ちょっとね。
 もしかしたら一人くらいは巻き込まれてるかもって……でも良かった、誰もいなくて」

「……どちらにしても報告した方が良い……」

「うん。それにあの辺りは要チェックだね。建物の老朽化は瘴気の発生に繋がりやすいし」

正確には老朽化から来る過疎化が原因だけど。
なんて話をしていると、

「……ストップ……」

突然、それまで気だるそうに隣を歩いていた彼女が足を止めた。
若草色の髪の隙間から見える瞳が、訝しげに細められている。

「どうしたの?」

「……あれ……」

そう言って、彼女は白い指をさっと上げて見せた。
釣られてわたしも指が指し示す方角へと視線をやる。

「……あっ!」

指の先。
見滝原市ではさほど珍しくない街灯のてっぺんに——


中型から回収できるグリーフシードが飾られていた。


◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

太陽が傾き始め、街が黄昏色に染まる頃。
わたしと彼女は街灯に飾られてあったグリーフシードについて意見を交わしていた。

「……魔獣発生の原因?……」

「魔獣はグリーフシードを作るけど、グリーフシードは魔獣を作らないよ。
 だからそれは違うんじゃないかな。それにこれ、穢れを吸い取った後だし」

「……魔法少女のいたずら?……」

「いたずらはありそうだけど、でも誰がそんなことするのかな……」

「……物好きな人間はどこにでもいる……」

「そうだよねぇ」

ひとまず現物は回収して、杏子さんに報告、相談するという結論に至る。

それからわたしたちは見回りの一環で街をぶらつき、公園に辿り着いた。
そして何をするでもなく、ただ学校帰りの学生と仕事帰りの会社員を眺める。

彼らの顔には疲れから来るどことなく苦しそうな色が浮かんで見えた。
同時に学校や仕事という束縛から解放された開放感から来る喜びの色も見て取れた。
何かに束縛される経験があまりないわたしの目には、その姿がどこか新鮮に映った。

大変だな、と同情するし、羨ましいな、と憧れもする。
わたしにもあんな風に過ごせしていれば、ああやって人並に苦労していれば。
あんずちゃんも、杏子さんも、隣にいるこの子も、越えられない壁を取り払ってくれたのだろうか。
わたしには、分からない。

そんなふうに悩んでいると、隣で黙っていた彼女がすくっと立ち上がり、ぼそりと呟いた。

「……薔薇……」

「バラ?」


そろそろと音を立てずに歩く彼女に連れられて、
わたしは黄昏色に染まるお花屋さんの前に辿り着いた。

「わあ、バラがいっぱいだね!」

言葉の通り、赤いバラや黄色がかったバラ、青っぽく見えなくもないバラなど、
名前も分からないようなたくさんのバラが出されていた。

「落ち着く」

ぼそりと呟く彼女。
その声はいつもよりもはきはきしているように感じた。
髪の隙間から見える目も、心の底から楽しそうに細められていて、わたしはちょっとだけほっとする。

「バラ、大好きなんだね」

「薔薇は良い」

「きれいだもんね。えーっと……これはなんていうの? ラビアンローズ?」

「……そんな物騒な名前じゃない。それはドロレス」

「ドロレスっていうんだ、なんだかかわいい名前だね」

「かわいい?」

「うん。なんだか耳が生えてそうな気がする」

「……あなたの感性は変……」

「ねえねえ、こっちはなんていう名前なのかな?」

「それはストロベリーカップ。その隣が銀世界。それに——」


嬉々とバラの名称を紹介していく彼女の声をさえぎるように、後ろから新たな声が上がった。

「——プリンセスダイアナだね」

とても落ち着いた、低い声。
それはわたしにとって聞き覚えのある声だった。
隣でバラを紹介していた彼女といっしょに後ろを振り向く。

「やあ……久しぶりだね、恩人」

そこにいたのは、背の高い顔見知りのおばあさんだった。
顔や手にはしわが多く刻まれているけど、腰はちっとも曲がっていない。

「こんにちは、おばあさん」

「こんにちは。……しかし恩人、こんな時間にどうしたんだい?
  暇なのかい? 時間の無駄遣いかい? 時間は有限なのに勿体無くないかい?」

「ちっ、ちがいますよ。 ただその、えーっと……友達と遊んでる途中というか、なんというか」

言葉に詰まるわたしに、おばあさんはにぃっと頬を歪めた。

おばあさんは右手を上げてわたしの言葉を制し、すぐそばにあるベンチに腰をかける。
しわくちゃの左手を右手で撫でながら、先ほどとは違う人懐っこい笑みを浮かべた。

その笑顔に、わたしも思わず頬を緩める。


「さっきのは冗談さ。恩人は相も変わらず反応が初々しいね。
 ……それから、はじめまして。恩人の友人。きみはバラが好きなのかい?」

それまで沈黙を保っていた彼女は、おばあさんに声を掛けられてびくっと震えた。
あれ、と思う。確かに人間不信のきらいはあるけど、人見知りではなかったはずなのに。
わたしの疑問をよそに、彼女はこくりと頷いた。

「そうかい、バラが好きかい。恩人の友人は良い趣味をしているね」

「……あの、おばあさん。その恩人って、こそばゆくて苦手なんですけど」

「うん? いいじゃないか、私にとって君は恩人なのだから。——それにね」

おばあさんの瞳がキラリと光る。

「私だって、まだおばあさんと呼ばれる歳じゃないぞ」

そう言われて、わたしは彼女の姿をまじまじと眺める。
しわくちゃの両手の甲。しわだらけの顔。少し渇いた肌。
痩せているせいで浮きだって見える血管。それにちょっとしゃがれた声。
どこをどう見ても、お年寄りに分類される人の姿に見える。

——けど、考えてみると女性に対してそれはちょっと失礼かもしれない。
わたしは彼女の気分を害してしまったことに頭を下げて謝罪した。

「ごめんなさい、えっと……おばさん?」

「お嬢さん、はどうかな?」

「それはちょっとないんじゃ……」

「失礼な、私は今でも少女だよ——年齢マイナス30をすればの話だけどね」

……四十半ば?

「そんなにお若いんですか?」


わたしの質問——どう考えてもデリカシーのない——に、彼女は苦笑を浮かべて応えた。

「さて、どうかな。真実は私にも分からないさ」

「……それって、どういう」

「人を追い抜こうと必死になればなるだけ体は老いるのさ。
 無理をして生きれば生きるだけ心は腐る。生き急ぐのはほどほどに」

「つまり?」

「人を蹴落とすのではなく自分が先に進んだ方が良いってことさ」

ああもう、煙に撒かれた。
こうなるとこの人はもう二度と同じ話題を振ろうとしないし、質問に答えようともしなくなる。

「で、恩人とその友人は、何か悩みでもあるのかい?」

彼女の言葉に、わたしはごくりと生唾を飲み込んだ。
予想はしていた。こうなることは過去の経験からも分かっていた。
この人は、わたしが何かに悩んでいる時に決まって声を掛けてくれるのだ。

思えば初めて会ったときもそうだった。
今日と同じような黄昏時。
マミさんを喪ったわたしは、何をするでもなくただぼうっと景色を眺めていた。

「……ううん、なにもないよ」

嘘ではない。
確かに悩んではいる。それは間違いのないことだ。
でもわたしは、わたしが何に悩んでいるのかを言葉にしなかった。
だってわたしは、悩んでいる以上に、たくさんの人に支えられているから。

空色の瞳でわたしを温かく見つめてくれるあの子や、
わたしをおねえちゃんと慕ってくれるあんずちゃん。
本当の娘のように扱ってくれる杏子さん、それにいま隣にいる彼女のような、友達のみんなに。


おばさんはにっこり微笑んだ。

「それはなによりだ。恩人の友人はどうだい?」

「……何も……」

短い返答。
おばさんはもう一度笑うと、しかし不満そうに首を曲げた。

「それもなによりだ。——しかしなんだ、つまらない。愛の話題でもあるかと思ったのに」

「愛の話題って、具体的にどんな感じなんですか……?」

ふむ、とおばさんは顎に手を当てた。

「愛はすべてさ。
 単位では言い表せず、また恋などという薄っぺらい物でもない。
 だから、愛はすべてだ。
 その本質は愛に触れてみなければ分からない。恩人、そしてその友人」

「なんですか?」

おばさんは神妙そうな顔で、わたしたちに問いかけた。

「愛、してるかい?」

してないです。
というか、そういう物なのかな……?

頬を引きつらせながら首を振ると、おばさんはもう一度問いかけた。


「じゃあ——愛、覚えてるかい?」


「それは……」

今度は、さすがに即答できなかった。
杏子さんから感じる温かいなにか。あれの正体が愛なのだろうか。

もしそうでないのなら、わたしは記憶を失う前に、愛を受けていたのだろうか。

考えても答えは出なかった。

だからわたしが首を横に振ると、おばさんはそうか、と頷いた。
隣の彼女もそのすぐあとに首を横に振った。

「今はまだ分からずとも、いずれ思い出すときや、触れるときが来るだろうさ。なにせ——」

おばさんは腰を上げると、静かな声で言った。


「愛は、無限に有限だからね」


そして手を振り、黄昏色を通り越して赤く染まりつつある街に姿を消した。


なんとも不思議な人だ。
だけど、凄い迫力のある人だ。
会う度にそれを実感しているわたしがいる。

こっちの考えている事は全部お見通しみたいで、
面白い事にすぐに飛びつく、少年のように好奇心旺盛なところもあるけど。
ちゃんとフォローもしてくれるし、アドバイスもくれる、優しいおばさんだ。

四十半ば——つまり杏子さんと同年代だと言っていたけれど、
ああいうタイプの人と話す機会はあまりないからいつも新鮮な気分になる。

ところで……
『無限に有限』って、つまりどういうことなんだろう?

いやいや、それ以前に——

「また名前聞きそびれちゃった……」

「……み、くに……」

「え?」

呟かれた声に反応して、わたしは隣を振り向いた。
バラが好きな彼女は赤い日差しを受けながら、彼女はバラのように赤い瞳を細めている。

彼女は赤い瞳を揺らしながら、言葉を発した。



「美国織莉子。それが、あの人の名前」

いじょーでーす。

いやあ我ながら完璧に織莉子さんでしたね……あれ? うん……あれ?

次回の投下はちょっと遅れそうです。
というのも、ちょっとお引越しをしなければならないからでして……
おそらく県名表示は変わらないと思うのでトリップは付けません。もし変わってたらごめん

>>227
乙、その書き方見るにキリカではなく織莉子なことに特別な意味がありそうな

乙で
こっちも縦に急成長したのかとか、低下の使い過ぎかとか思ったけれど…どういうことだ、おい…

俺もプロバイダ変えて神奈川県になりたい……

織莉子…?
ニコといい色々複雑なんだな


なにがどうなってやがる…


>>1が県名表示は変わらないとレスした次の日に板全体で強制県名非表示とかワロタ

まだー?(AA略

投下しやーす


◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇


「センパイ!? わざわざお見舞いに来てくれたんですか!? か、感激です〜!」

見滝原総合病院の個室を訪れた杏子は、
まるで子供のように大げさにはしゃぐ女性——旧友の娘の自称後輩(24)を見てしかめっ面を浮かべた。

「見舞いだなんて冗談じゃない、単なる冷やかしだよ」

「それでも嬉しいです〜!」

話にならんとばかりに杏子は溜息を吐く。
そして道中で購入して紙袋に押し込んだリンゴをそばの引き出しの上に放り出した。
それを見て、先ほどの女性は——喜びのあまりかは分からないが——半べそになりながら頭を下げた。

「あ、ありがとうございます! やっぱり優しいですね、センパイ!」

「……常識的なことをしただけなんだけどね」

杏子は立て掛けてあるパイプ椅子を乱暴に広げて腰を下ろすと、それで? と女性に声を掛ける。

「いったいどんな事故を起こしたんだい?」

「え〜っとぉ、いやあ、それが実は……」

頭にぐるりと包帯を巻いた彼女は、ばつの悪そうな顔をして肩をすくめた。
彼女曰く、『よく覚えてないんですよぉ』とのことだ。
杏子は目を瞑って考える素振りを見せた後に、彼女に対して本気で心配するような視線を送りながら言った。

「あんた……まさか本当に頭が……?」

「ちっ、違いますよ!? 正常ですよ!? 簡単な検査でも問題ありませんでしたもん!」

彼女はぶんぶんと首を振ってその疑いを否定した。
相変わらず子供みたいなやつだ、と杏子は小さく呟き、笑ってうなずいた。


「まっ、なんにしても怪我が大したこと無くて幸いだったね。石頭に産んでくれたユウカに感謝しときなよ」

「そりゃあ母には感謝してますけど……センパイ、すぐに母を話に出すのやめてくださいよぉ」

「コンプレックスか? すぐに半べそかくのは母親譲りじゃないか」

「違います! ジェラシーです! センパイはもっと私個人を尊重すべきです!」

あんたも私の意思を尊重してくれと、杏子は頬を引くつかせる。
このままでは埒が明かないと、彼女は気を取り直して肩を鳴らし、
まっすぐに下ろされた赤い髪をさっと手で梳いた。

その様子を見ていた自称後輩の彼女は、きゃー! と声を上げ、
両手を頬に当てることで喜びを隠すことなく、素直過ぎるほど素直に表現した。

「あんたやっぱ頭おかしいんじゃないか……?」

「あ、それはさておきセンパイって母とはいつの頃に出会ったんですか?」

話題を突然切り替えられたことに戸惑い、しかしいつものことだな、と納得しながら杏子は質問に答える。

「三十年くらい前かな。その時のユウカと私はまだ十四、五歳だよ」

「わぁ〜けっこう昔ですね。三十年前っていうとちょうどスーパーセルによる災害が起きた頃ですか?」

「そうだよ。……ああそうか、あんたはまだ産まれてなかったか。それなのによく知ってるね」

「電子教科書に見滝原の名前が載ってましたし、母からよく話を聞かされてますから。
 ……それで話は戻るんですけど、母とはいったい、どういうきっかけで知り合ったんですか?」


聞かれて、杏子はわずかにたじろぎ顔を逸らした。

動揺か、あるいは後悔か。
彼女が抱いたごちゃまぜの感情を乗せて、戸惑いと共に瞳が震える。
口をつぐんで眉間にしわを寄せてから改めて後輩の方を向き直り、今度は目を丸くした

悩む杏子の顔を、二つのつぶらな瞳がじっと見つめていた事に気付いたからだ。
杏子は慌てて話を続ける。

「さあ、そんな昔の事は忘れたよ。そんなことよりも——」

杏子は彼女の頭をつん、と人差し指で押した。

「けっきょく記憶は曖昧なままなのか? 精密検査でも受けてみたらどうなのさ?」

「あ〜それなんですけど……信じてもらえないと思って……」

後ろめたそうな表情で口ごもる彼女を見て不自然さを嗅ぎ取ったのか、杏子は腕を組んだ。
顎をしゃくり、続けろ、と促す。
包帯の部分を手で押さえながら、彼女は話を続けた。

「私、大通りで倒れてるところを発見されたんです」

「それは聞いてるよ。で?」

「でも違うんです! 私は大通りで気を失ったんじゃないんです!
 教会のボランティア活動の打ち合わせに行く途中の路地裏で倒れたんですよ!」

「その前にまず若い女が路地裏を一人で歩くな」

「だって近道なんですもん!」

「だってじゃない!」

「だってだって!」


不毛なやり取りに眩暈を覚えたのか、杏子は眉間を押さえて何度もうなずいた。
片方の手を振って、続きを頼む、とポーズを取る。
両頬を膨らまして文句を言っていた彼女もはしぶしぶといった様子でそれに応えた。

「……なんか、暗かったんですよね。嫌な感じもして。
 でも近道だからって進んでたら、貧血かな? 急にくらくらってきたんです。
 平衡感覚がぐちゃぐちゃになって立っていられず、ぼろぼろのパイプに捕まりました。
 ふわって体が軽くなって、意識を失うんだなぁってぼんやり思ってたら……私、見ちゃったんです!」

どうです? 彼女は杏子を上目遣いで見つめる。
見つめられた方の杏子はというと、神妙そうな表情で黙って話を聞き入っていた。

茶化すこともなく、煽ることもなく、真剣に事情を理解しようと努力してくれている。
そんな真摯な態度に感激した様子の彼女は、たっぷり五秒ほど間を空けて続きを言った。


「……見ちゃったんです、いかにも怪しげな白装飾集団とばばばっと戦う黒い女の子を!」


どうです!? 彼女はさらに上目遣いで杏子を見つめる。
その瞳に期待の光が込められていないと言えばそれは嘘になる。
彼女はこの突拍子もない嘘のような本当の話——看護士らに夢かなにかだと笑われた——を、
自分の尊敬するセンパイ、つまり杏子にだけは信じて欲しくて話したのだろう。

杏子はその意図を見透かしたかのように小さく息を吐き、口を開いた。

「その黒い女の子ってのは、リボンか何かしてたかい?」

「え? してなかったと思いますけど——それで、信じてくれますか!?」

「ああ、信じるよ。当たり前じゃないか。あんたは私の大事な“コウハイ”だよ?」

「じゃあ!」

「でも、私に出来る事はないよ」

「あうっ!」


がくっとベッドの上に身を投げ出す彼女を見て、杏子がくすりと笑った。

「いちおう調べといてやるよ。怪しい集団がうろついてるなんて怖いし。
 ああそれから、ボランティアの方は私が他のスタッフに掛け合うから気にせずゆっくり治療に励みな」

「ありがとうございます! だけど……うう〜自分の“お勤め先”で面倒見てもらうなんて恥ずかしいです……」

「嫌なら早く治すことだよ、“看護師”さん」

にんまりと意地の悪い笑みを浮かべてから杏子は席を立った。
童顔の自称後輩——仕事ではなく教会のボランティアとして——の髪を優しく撫で付け、彼女は背を向ける。
撫でられた自称後輩は、杏子の背、正確には彼女のストレートの赤い髪を見詰めながら、
ふにゃふにゃという擬音がとても良く似合う柔らかいニヤケ顔とも取れる表情になる。

「センパイの髪って良いですよね、炎みたいで。私の憧れる色です」

「アホか」

杏子は一蹴すると背を向けたまま扉に手を掛ける。

「アホなんかじゃありませんよ! だって私、赤いナイチンゲールに憧れてますから!」

わずかに熱を帯びた言葉を受け止めて、杏子の耳がぴくりと跳ねる。
彼女の言葉にどれだけの想いが込められているのか。
それを察したように杏子は肩をすくめ、自嘲気味に笑って後ろ手に手を振る。

「……いい加減、くだらない都市伝説のことなんか忘れちまいなよ」

ぴしゃりと言い放つ。
そして返答も待たずに、杏子は病室を後にした。


◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇

「……ふう」

息を吐き、杏子は病院の外に出る。

すでに太陽は遠景のビルの谷間に姿を隠し、見滝原の街並みを朱に染めつつあった。
それでも肌に触れる外気は暖かく、春だな、と改めて感じさせられる。
少しばかり歩いて、杏子は整然と並べられた自転車の一つに腰を預ける。
ぼんやりと遠くを眺めながら、胸中に抱く思いは先ほどの後輩が発した気になる言葉。

(白い集団と、黒い少女……常識的に考えれば、前者は魔獣だとして……)

杏子は自分の頭に手を当てた。
ゆっくりと、見えないラインをなぞるように髪を撫でる。

(黒い魔法少女。でもリボンはしてない——だって?)

リボンの有無が彼女の心を大いに揺さぶった。
見る見るうちに表情が険しくなる。
二十代と言っても通りそうな整った顔に浮かび上がるのは、戸惑いの色だった。

しばらくの間、彼女は我を忘れてひたすら思案に明け暮れた。

「——ッチ」

それでも考えはまとまらなかったのか、杏子は疑念を振り払うように舌打ちをしてかぶりを振った。
腰まで届くストレートの髪が風に乗って乱れる。
それを見て杏子はいっそう眉間に皺を寄せた。

「……髪、切ろうかねぇ」

“長い髪”に良い思い出が無いのか、杏子はぼそりと苦い声を漏らす。

「いまさら髪留め代わりに“あれ”を付けるのもね……リボンは遠慮したいし」

年齢的にもキツイからなぁ、と上を向いて歩き出す。
すると——


「うわあっ!?」

「きゃあっ!?」


どすん、と胸に鈍い衝撃を覚える。
身体機能の維持に回す魔力を最低限に落とした杏子にとってその一撃は強烈だった。
たとえ見てくれが若々しくても基本の魔力を減らせばそれだけ身体能力は落ちる。
身体年齢は二十代でも通用するほどだが、機能的な面での耐性は杏子の実年齢の平均的なそれにも劣る。

つまり、今の杏子にとっては少し転んだだけでも大怪我に繋がりかねないのだ。
痛みに顔を顰め、次いで上がった誰かの叫び声を聴き、そして自分の上げた悲鳴を聴く。
杏子は頬を引きつらせた。

(『きゃあ』って……乙女じゃないんだからさあ……)

渋い表情で自省しつつ、彼女は胸の辺りに目を向ける。
そして呆気に取られたように口を開いて硬直した。

「……」

「……」

頭があった。胸元に。それも少年の。

「……おい」

衝撃と痛みの原因は、この少年の前方不注意による衝突事故だった。

杏子が半身を引いて手を伸ばすと、少年はびくっと体を震わして一歩、二歩と後じさった。
ぶつかったことへの後悔と反省からか、情けない表情を浮かべている。
杏子は伸ばしかけた手を止めて、面倒くさそうに後頭部を掻く。

——まるで私が悪いみたいじゃないか!

そんなことを心の中で叫んだかどうかはともかく、彼女は改めて少年を見た。
幼い顔つきと体つきから判断するに年齢は14,5歳だろう。髪色は淡い白と緑を混ぜた翡翠色に見えた。
見ようによっては青く見えないこともない。いずれにしろこの時間帯では正確な色合いは判然としない。

口元はわなわなと震えていて、なんと言って謝るべきかを真剣に考えているようだった。


(確かに全力疾走でぶつかったら怒られるとは思うけどさ……まっ、逃げ出さないよりはマシかな)

杏子はうなずき、肩をすくめた。

「大丈夫、怪我なんてしてないよ」

「ほっ、ほんと!?」

ほっとしたように肩を下ろし、少年はそれからすぐに頭を下げた。

「ごめんなさい! まさか人とぶつかるとは思ってなくて……」

「ぶつかることを承知で全力で走るやつは普通いないって」

「あ……それもそっか。お姉さん頭良いね!」

「ただし、次からは気をつけなよ。みんながみんな私のように親切とは限らないんだからさ」

「もちろん! ありがとね、お姉ちゃん!」

そう言って少年は手を振り、ふたたび走り始めた。
今度はぶつからないようにちゃんと前を見て、スピードも早歩きより速い程度に落としてある。
この時代には珍しい元気のある子供だ。
その点ときちんと学習するところとおばさんと言わなかったところは評価してやる、と杏子は満足気に笑みを浮かべ、


「……ん?」

走っていた少年が、病院の入り口付近で誰かと話しているのを見て目を細める。
少年が言葉を交わしているのは二人組の男女だ。遠目からではシルエットと髪色くらいしか見えない。
杏子はまず女性の姿を見た。

「……っ」

息を詰まらせ、その隣にいる男性の姿を見た。

「……」

そして、なにかをこらえるように目を閉じた。



「あら? 貴女、もしかして……」


目を閉じた矢先、杏子は後ろから声を掛けられた。
煩わしそうに舌打ちし、半目で後ろを振り向く。

声を掛けた主——お年寄りの女性を認めると、杏子は先ほどまでとは打って変わって目を丸くした。

そんな彼女の反応に、女性も何度か頷き、ふたたび声を掛ける。

「あなた、杏子ちゃんよね?」

問われて、頷き、杏子はおそるおそる尋ねた。



「……早乙女さん、ですか?」

ここまでーっす。いつも感想ありがとうございます

Q.ユウカって……誰だよ?
A.ユウカって……ほんとモブ(詳しくは本編四話をご視聴するか「まどか ユウカ」で検索ください)

どうでもいいけど赤くないナイチンゲールってなんですかね。白いシナンジュならともかくね
ないナイチンってなんかやらしいな、おい
次回の投下は早ければ明日にでも。投下時間は……はい

まさか早乙女先生が出て来るなんて
結婚は…いや、なんでもない



明日もか

>>245
早乙女先生には中沢君がいるから(震え声)

こ、これは早乙女先生の乙なんだからね!

改めて読み返すと、ギャグが少ないなぁとか思ったり思わなかったり
……サボテンが花をつけている

投下します


◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇



◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

夕方のおばあさん改め織莉子さんと別れたわたしたちは、あんずちゃんグループと合流を果たした。
それから簡単に各自の成果を発表し合い、グリーフシードを一つにまとめた。
そして杏子さんがいるであろう見滝原病院の敷地のすぐ手前まで来ていた。

「ホントに行くのー? 先に家で待つってんじゃだめー?」

病院の手前から先に進もうとするわたしたちと、キャンディを舐めながら渋る彼女。
現状を簡単にまとめるとそのような形になる。

「あたしって病院嫌いなんだよねー。カンベンしたいってゆーかー」

「……ここまで来て言う?……」

信じられない、と付け加えて若草色の髪を手で弄る彼女の隣でわたしは首をかしげた。
あの子が病院が苦手なのは家を出る前のやりとりで分かっていたけれど、どうしてそこまで躊躇うのだろう?
わたしも苦手だけど、いわゆる拒絶反応を示すほどではない。
もしかすると思い出したくないことでもあるのかな?

「ねねっあんずちゃん、飴玉あげるから味方になってよ」

「あんずはキョーコのとこに行きたい!」

「ぐぬぬ……裏切りものめー! でもかわいいから許しちゃうぞー!」

本当に悔しそうにあんずちゃんを睨む彼女を見て、わたしはちょっぴり笑った。
でも、無理強いさせるのはいけないことだ。
わたしと彼女がここで待って、他の二人に杏子さんを迎えに行ってもらおう。

その旨を告げようとすると、彼女は開き直ったように大股開きで病院へ歩き始めた。
彼女は呆気に取られるわたしたちを見て、素知らぬ顔で手を叩く。

「ほらほら、なにやってんのー! ちゃちゃっと用事済ませちゃおー!」

決めたら即行動出来るのって、けっこう凄い事かも……


門をくぐる途中で、わたしたちは親子連れの隣を通り過ぎた。
会話が聴こえてくる。

「あらあら、それでぶつかつたお姉さんにはきちんと謝りましたか?」

「もっちろん! 俺はママに似て素直だからさ!」

「まるで仁美だけが素直で私は素直じゃないみたいな言い方だな、ん?」

「パパも素直だよ! 音楽に関してだけだけどね!」

「酷い言われようだなあ。そんなことないだろう、なあ仁美?」

「うーん……でも、恭介さんってそういうところ確かにありますわよ?」

「ええ? まいったなぁ、ははは」

顔はよく見えなかったけど、とても仲の良い親子だと言う事はよく分かった。

良いなあなんて思いながら、わたしはふと隣にいる子たちの顔を覗き込んでみる。
あんずちゃんはわたしと同じ考えらしく、どこか羨ましそうに親子連れを目で追っていた。
その隣の子は知らんぷりして明後日の方向を眺めてる。
特に何の感感慨も抱かなかったのだろう。

前を行く彼女の表情だが、残念ながらわたしの位置からでは窺い知ることは叶わなかった。
でも普段どおりの様子なので、なんとも思わなかったのかも?
あの子の性格からすると花より団子だろうしね。

そんな当人に聞かれたら嫌な顔をされそうなほどにまこと失礼なことを考えながら先へ進む。


しばらく歩くと、わたしたちは二人組の女性の姿を見つけた。
一人は杏子さんだ。真っ赤なストレートの髪が夕陽を受けて燃えるように輝いて見える。
格好を付けて表現するなら、生命の炎? みたいな。

もう一人はまったく面識の無い女性だった。
その人の髪は——夕陽のせいで分かり辛いが——栗色で、ところどころに白が混ざっている。
外見だけだと織莉子さんと同じくらいに見える。
六十代だろうか。しかし織莉子さんが四十代だったので、見た目で判断してはいけない。

それにしても、とわたしは改めてその人を見つめた。
童顔で人懐っこい笑みを浮かべてる。人好きのする笑顔だ。
杏子さんと話してる姿は優しげで、おっとりした温和な雰囲気の持ち主なのだろう。

わたしたちが足を止めると、それまでポッキーを齧っていた彼女も足を止めてつぶやいた。

「あっちのおばちゃん誰かねー」

「キョーコのお知り合いさんかな?」

「……知らない。あなたは?……」

三人から期待の視線を浴びるも、わたしは否定の意味を込めて首を横に振る。

「わたしも知らないかな。とっても親しそうだけど……」

「やさしー人っぽそーだよね。まあ佐倉さん顔広いし、そりゃーいろいろあるかもねー」

「あ、キョーコこっちに気付いたよ!」

振り返ると、キョーコさんが肩をすくめて手招きしていた。
考えるのは後にして、キョーコさんのところに向かおう。


女性はにっこりと微笑んで自己紹介を始める。

「みんなは初めましてよね? 私は早乙女和子。
 ちょっと前までは見滝原中学の教師をやってたけど、晴れて定年を迎えて、今は老後を送っています」

「あれ、教頭や校長にはならなかったんですか?」

意外そうに尋ねる杏子さん。
そういえば口調が敬語だ。珍しい。
早乙女さんはその質問にうーんと難しい表情をして答えた。

「憧れはしたけど、やっぱり子供達に教えるのがいちばん私に向いていたのよねぇ……」

しみじみとつぶやく早乙女さん。
表情から察するに、これまでに経験した苦労と喜びを同時に思い出しているのかもしれない。
その顔や首に浮かぶしわは、わたしの何倍もの時間を生きてきた事をわたしに悟らせるには十分だった。
たぶん、杏子さんや織莉子さんよりもずっと長生きしてるに違いない。

早乙女さんはもうほとんど姿を消しつつある夕陽を遠い目で眺めたあと、
青白い光を放ち始めた街灯を見上げて声を漏らした。

「それにしても驚いたわ」

「はい?」

「まさかあの杏子ちゃんがこんなに立派になるなんてねぇ……」

むう、と苦虫を潰したような表情を浮かべる杏子さん。
そんな彼女とは対照的に、好奇の色を隠すことなく顔に出すわたしたち。

これはつまりそう。
好奇を満たす好機である(上手いことを言いました)。
わたしたちはちらっとアイコンタクトを交わした。

ファック!
今の無しで


◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


「——で? なにやってんのさ?」

半目の杏子さんに問い質されて、思わず後じさり。
それまでポッキーの端っこを齧っていたあの子が代わりに一歩前に歩み出た。

「佐倉さんのこと迎えに行こーと思ってさー。でもお話ちゅーだったから様子見」

「待たずに帰れば良いのに……ったく、子供が余計な気を利かせるもんじゃないよ」

わたしたちは揃って顔を見合わせた。
全員が苦い表情を浮かべている。でも余計なお世話だった事は否めないので何も言えない。
ほんのわずかな時間、気まずい空気が場を包もうとする。
けれどもそれよりも早く、杏子さんの隣に居た女性が空気を壊すように喋り始めた。

「この子たちは? 杏子ちゃんの娘さん? 四人も産むなんて凄いわねぇ」

「そんなわけないでしょう。預かっているだけですよ。ああでも——」

杏子さんは訂正するように、その言葉に付け加える。

「本当の娘のように想って育てていますけどね」

優しい言葉だ。
だけどそれは、同時にわたしの胸をちくりと刺す言葉でもあった。
その痛みを誰にも悟られまいと気丈に振舞い、女性に尋ねる。

「あの、あなたは……?」


女性はにっこりと微笑んで自己紹介を始める。

「みんなは初めましてよね? 私は早乙女和子。
 ちょっと前までは見滝原中学の教師をやってたけど、晴れて定年を迎えて、今は老後を送っています」

「あれ、教頭や校長にはならなかったんですか?」

意外そうに尋ねる杏子さん。
そういえば口調が敬語だ。珍しい。
早乙女さんはその質問にうーんと難しい表情をして答えた。

「憧れはしたけど、やっぱり子供達に教えるのがいちばん私に向いていたのよねぇ……」

しみじみとつぶやく早乙女さん。
表情から察するに、これまでに経験した苦労と喜びを同時に思い出しているのかもしれない。
その顔や首に浮かぶしわは、わたしの何倍もの時間を生きてきた事をわたしに悟らせるには十分だった。
たぶん、杏子さんや織莉子さんよりもずっと長生きしてるに違いない。

早乙女さんはもうほとんど姿を消しつつある夕陽を遠い目で眺めたあと、
青白い光を放ち始めた街灯を見上げて声を漏らした。

「それにしても驚いたわ」

「はい?」

「まさかあの杏子ちゃんがこんなに立派になるなんてねぇ……」

むう、と苦虫を潰したような表情を浮かべる杏子さん。
そんな彼女とは対照的に、好奇の色を隠すことなく顔に出すわたしたち。

これはつまりそう。
好奇を満たす好機である(上手いことを言いました)。
わたしたちはちらっとアイコンタクトを交わした。


「早乙女さん、その話はもういいでしょう」

自分を褒める話には弱いのか、杏子さんは深い溜息を吐いて早乙女さんの肩に手を置いた。
手を置かれた早乙女さんは怒られちゃったぁと、ちろっと舌を出した。
かわいらしい仕草に毒気を抜かれて杏子さんがまたも溜息。

「でも本当に良かったわ。あなたが元気そうで」

そう告げる早乙女先生の表情は、心の底から安堵したように穏やかな物だ。

「あなたの隣で泣きじゃくっていた子、マミちゃんだったかしら?
 二人を崩れた避難所で見つけたときはどうなるものかと……
 そういえばマミちゃんは元気? いまも昔みたいに一緒にいるのかしら?」

幾つか気になるワードを拾って、わたしはこっそりと心に留めておく。
そして杏子さんの表情をちらりと覗き見た。
杏子さんはわたし以外は誰も気付かないほどほんのかすかに、寂しそうに笑っていた。

「元気ですよ。もう泣き虫“少女”は引退して、立派な“女”になってます」

「そう? なら良かったぁ」

本当に嬉しそうな早乙女さんの顔を、あんずちゃんと杏子さんを除いたわたしたち三人は直視できなかった。
直視すれば、ボロを出してしまう。
せっかく杏子さんが気を利かせたのだから、そこに水を差してはならない。

そうだ。
杏子さんは説明を省きはしたけれど、嘘を吐いてはいない。

魔法少女『巴マミ』から、
円環の理に導かれて、
魔女『Candeloro』になったのは。

紛れも無い事実——つまり、本当の事なのだから。


「……ああ、そうだ」

思い出したように、杏子さんはスマートフォンを取り出した。
時間を確認して、ゲッ……と乙女にあるまじき台詞。乙女と呼んで良い年齢かどうかはさておくとして。

「あんたたち、悪いけど先に帰ってお米を研いどいてくれるかい?
 今晩はナスのしょうが焼きと味噌汁だからそっちの方の準備もしといてくれ」

「え? あ、はい」

「あんずがお米研ぐ!」

「じゃああたしがお菓子食べよっかなー」

「……薔薇の手入れは任せて……」

こらこら。
突っ込みを入れながら、わたしたちは当初の目的である杏子さんのお迎えを断念して帰ることに。

「それじゃあわたしたちはお先に失礼しますね。さようなら、早乙女さん」

「ええさようなら。いやぁ良い子たちだねぇ」

「いやぁとんでもないです」

もうほとんど夜だというのに、いまだに話し合っている二人に背を向けて歩き出す。
途中で、いつものようにポッキーをくわえたあの子がなんだかなーと言葉を漏らした。
どうしたの? とわたしが尋ねると、

「いやさー佐倉さん迎えに来たのに目的果たせてないじゃん? 無理して病院に入って損したってゆーかさ」

「あはは……」

この子はよっぽど病院が嫌いのようだ。今度から気をつけよう——などと決心していると。


「————疲れてるのにわざわざ迎えに来てくれてありがとう! 感謝してるよ、あんたたちには!」


後ろにいる杏子さんから、わたしたちに向けて感謝の言葉が投げかけられた。
隣でポッキーをくわえたあの子は赤く染まった頬を街灯で照らされながら、
まんざらでもなさそうにはにかんでいる。

「……まあ、うん。ありがとうって言ってもらえたし、いっか!」

……ちょろいね、この子。


◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇

「……本当、立派になっちゃったわね」

二人だけになると、早乙女はそれまで浮かべていた柔和な表情を消した。
代わりに浮かべるのは、どこか儚げで、頼りの無い、いまにも泣き出しそうな笑み。

「いまから、ちょうど三十年前になるのかしら。
 教え子の事であれだけ悩んだのは、後にも先にもあれが最後かしら」

「……そうなんですか?」

「ええ。……そっか、あなたは知らないわよね。
 教え子が交通事故に遭って、一時期ムードが重かったのよ。
 それが解決したと思ったら今度はクラスから二人も行方不明者が出て……
 そのショックでクラスメイトの他の子達も不安を抱えて辛かったでしょうに、そこにあの天災でしょう?」

「それはまた……大変、ですね」

言葉を選んで慰めの言葉をかける杏子に、早乙女は力無く笑った。

「でも、あなたがいたから挫けなかったわ。
 瓦礫の街を、大人顔負けの力と速さで人助けを行うあなたがいたから、ね」

「……あれは、火事場の馬鹿力ですよ。それに昔の話です」

「それでもよ。あの時のあなたの立ち振る舞い、結構有名なのよ? ほら、赤い……なんだったかしら?」

やれやれ、と杏子はかぶりを振った。

「そうやってからかうのはやめてください、もう」

「はーい、気をつけまーす」

元気に言う早乙女に、杏子は少しだけ頬を引きつらせた。


「でも、さっきのは本心だからね。
 ユウカちゃんを助けてくれたの、今でも感謝しているんだから」

「それはどーも……ところで早乙女さん、あれから結婚できたんですか?」

杏子は反撃だと言わんばかりにニヤニヤしながら言い返す。
ところが早乙女は胸を張ってその言葉を受け止めた。柄にも無く焦り顔になって続けて杏子は問う。

「まさか相手が見つかったんですか!?
 シュークリームの受け皿問題や目玉焼きの焼き方問題をクリアして……!?」

「なんですかそれは、まったくもう……」

「で、どうなんですか?」

「……」

早乙女は顔に浮かぶしわを心なしかより多く刻むように頬を引きつらせた。
暗い表情でぼそぼそ喋る。

「……ラーメンの粉末スープを鍋に入れるか器に開けておくかで駄々をこねるような男なんて……」

「すいません、聞かなかったことにしておきます」

「というのは冗談です、秘密にしておきましょう」

「えぇ……」

「秘密にしておきましょう、ね!」

じと目の杏子を無視して早乙女はグッと拳を握って話題を強制的に終了させた。
相当なお歳だろうに、元気だなぁと呆れるやら嬉しいやらで複雑な杏子。


「もう真っ暗ね。病院で検査するだけで終わる予定だったのについ話し込んじゃったわ、やあねぇ」

「ああすいません、送りましょうか?」

「だいじょうぶだいじょうぶ、見滝原は私の庭だから。——ああそれから」

それまでの温和な雰囲気を一変させ、真面目な顔で早乙女は杏子を見た。
年老いて一線を退いたとしても、その瞳の真剣さや熱心さは変わらないのかもしれない。
杏子も彼女の意思に応えるべく姿勢を正して早乙女に向き合い、彼女の言葉を待った。

彼女はそんな杏子の様子を観察するように見つめ、それから口を開いた。


「……三十年前。あなたが私達のような大人を信用してくれなかったことは分かっているわ」

「っ、それは……」

「いいのよ、本当のことだもの。実際、私達は頼りなかったでしょ?」

その問いに、沈黙で応える杏子。

「だから、あなたには私達みたいにならないでってお願いしたくて。
 さっきの子たちはあなたのことを信用、ううん、信頼してる。だから、その気持ちに応えてあげてね?」

しばらくの間、何かを考えるように杏子は自分の爪先を見つめていた。
やがて諦めたように街灯に肩を預け、しぶしぶ、といった様子で頷いてみせる。

「善処、します」

「ありがとう。それじゃあまたね、杏子ちゃん。あの子たちやマミちゃんにもよろしく伝えておいてね」

手を振り、早乙女は夜の見滝原へ姿を消した。
彼女を追うべきか否か悩むような素振りを見せてから、
しかし杏子はその場から動かなかった。
動けなかった。


「べつに、大人が信用できなかったわけじゃないんだよ」

声に出すのは、先ほど口に出来なかった言い訳。
あるいは口に出す事を憚られた本音の言葉。


「たださ、私が……当時の“アタシ”やマミが抱えてた問題はさ。
 大人だからってだけでどうこう出来るほど軽くなかったんだ。
 さやかが消えて、あいつがいなくなって、人が大勢死んで……」


杏子は目を固く閉じたまま、うなされるようにつぶやく。


「さやかが生きてたらこうするだろうって。
 大人はただの人間だけど、魔法少女は人間じゃないから……
 だってしょうがないじゃないか。頼れる奴なんていなかったんだよ」


ぶつぶつと言葉を吐き出していた杏子は、足下に温もりを感じて下を向いた。
そこにはキュゥべえがいた。
彼は白い体を杏子の足にすり寄せるように近づけながら、念話で話しかける。

《でも、君は今、その大人だよ》

「……何が言いたいんだい」

《君が子供のとき、頼れる大人はいなかった。
 それは間違いないよ。だけど、君を慕っているあの子達は別だよね》

キュゥべえはいつもとなんら変わらぬトーンで話を続ける。
気を利かせて声色を変えるような感情が無いだけなのだが、
杏子にはそれがありがたいらしく、少しだけ表情を柔らかくして頷き、続きを促した。


《君は大人で、指導者で、魔法少女だ。
 君は彼女達からすれば十分に頼れる存在だよ。
 君に出来なかった事でも、彼女達なら出来るってことさ》

「……早乙女さんと同じことを言うんだね、あんた」

《僕らからしてみれば、早乙女和子の言い分は正しいよ。
 君が彼女達との結束を深めれば深めるほど、より多くのグリーフシードが回収できるんだからね》

「ようするに、その方が都合が良いってことだろ」

《もちろんそうだよ。でなければこんなこと言わないさ》

「……そういうところが嫌われるんだよ、あんたは」

もっとも——と杏子は間を空けてから、足下にいるキュゥべえを手で掴み上げた。
乱暴に肩に乗せ、先ほどまでの弱気な表情を消し去ってから、小さく笑う。

「今の“私”には、そういうデリカシーの無さが嬉しいよ」

《君はそういうところを嫌っていたと思うんだけどなぁ》

「時と事情によるんだよ。さ、帰るろうか。今日はあんたも飯食ってきな」

《やれやれ、さっきまではあんなに落ち込んでいたのにもう元気になってるなんて》


《ほんとう、きみたちはわけがわからないよ》

大変寒い中での投下でした——以上。

次回の投下は少し遅くなります。
ここらでいわゆる日常お話を挟むか、そろそろ風呂敷を畳みに参るかで悩んでるので。
きっと後者を選びます。それでも先は長い……それでは

おつおつ

曲がりなりにもオリキャラものだからねぇ
中だるみさせずに一気呵成にエンディングまで突っ走れ!!

ついに伏線回収パートくるか・・・
謎が多くて面白いね 
マミさんが円環の理に導かれたのに魔女になってるところとか、それを主人公?がしっているとことか、30年前の天災ってワルプルにかわった巨大魔獣が発生したのかそもそもほむほむは何をしたいのか(ry
いろいろ気になってます

伏線かなり多いから先は本当に長そうだな

ミスリード多そうだねぇ
黒い魔法少女とか魔女辺りがそれっぽい・・・・?

ファック!
今の乙で

ファック!
畳むと言ったがそれはオリキャラの話であって本筋も伏線回収ももっと先……なんでもないです
投下します


◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇

ある晩、あたしは夢を見た。

破天荒でハチャメチャで荒唐無稽極まりない夢とはちがう、過去の夢。

昔のあたしを見ているあたしの夢。


それは綿菓子のように白く、紅茶のように温かく、飴玉のように初心で、まるで母のように優しい。


醜くて惨い、愚かで最低な夢。


『……おかあさん』


霞がかってぼやけている病院の廊下に、あたしはぽつんとひとりぼっち。
きれいだねって褒められる、珊瑚の髪はまだ結んでない。
体は今よりもっと小さくて、心はいまよりもっと弱い。

覚えてる。

これは魔法少女になる前のあたしだ。
現実なんて屁でもない、孤独なんて耐えられる、甘えなくても大丈夫って、懸命に抗っていた頃のあたし。
あたしは小さいけど大人だもんって強がってた幼いあたし。

でも、本当は違う。
現実が嫌で、孤独が怖くて、誰かに甘えたがってた。


白い影がぼんやりと廊下に浮かび上がる。
キュゥべえだ。
子供のあたしはその可愛らしさにメロメロだった。

《僕は君の願いごとをなんでもひとつ叶えてあげる》

『えー?』

《だけどその代わり、君の魂はソウルジェムへと姿を変える。
 そして君のその身が滅びる最後の瞬間まで魔獣と戦う宿命を課されるんだ》

『しゅくめー……』

《他に何か聞きたいことはあるかい?》

『まって、おねがいごとって、なんでもいーの?』

《もちろんさ。だけどよく考えてから決めるんだよ。後悔のないようにね》

『きまったー!』

(違う、そーじゃない!)

叫ぶけど、決して声は届かない。
どうにもならない。
明晰夢とは違って、無力でいることを強制させられる正真正銘の悪夢。
歯がゆい。手を伸ばしたい。届かなくてもいいから。

《……即決だね》

『うん、ぜんはいそげ、こういんやのごとし、だよ!』

《うーんちょっと違うと思うけど》


『ねえねえ、どーすればいーの?』


《……分かった。それじゃあ改めて》


(ダメ、ゆーなバカ、そんなんじゃ何も解決しない!)


もちろん声は届かない。
それにしても、やっぱりキュゥべえは優しい。
ちゃんと事前に忠告してくれていた。
それなのに子供のあたしってば、バカだからすぐに行動して。

《僕と契約して、魔法少女になってよ!》

彼のお決まりのセリフと共に、二つの意味で覚醒を促す光が視界いっぱいに広がる。
一つはあたしが魔法少女になる、という意味で。
もう一つはあたしの夢が覚める、という意味で。


『うん! あのね、あたしのおねがいごとはねー——』


あとはもう、よく覚えてない。
それは二つの意味で。

一つは夢から覚めれば忘れてしまう、という意味で。
もう一つは今すぐ忘れてしまいたい、という意味で。

あたしってば、ほんとバカ。

ごめんなさい、おかあさん。


◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇

昼下がりの我が家。

《暇そうにしているね》

少年のような声に釣られるようにして、わたしは無意識の内に視線をテーブルの上に送った。
そこには白くて柔らかそうな体のキュゥべえが行儀良く丁寧にお座りしていた。

《あんずはシスターと会議室でお勉強中みたいだね。
 他の二人は……食堂の隅っこで薔薇の手入れと、それからバイトかな。杏子はどうしたんだい?》

「お部屋でお仕事中。教会のボランティアじゃなくて、ちゃんとお金が貰える方のね。キュゥべえも暇なの?」

《いやいや、僕はいつだって忙しいよ。やることは山ほどあるからね》

言いながらも、キュゥべえは器用に尻尾を振ってお盆の上に置かれたクッキーを掴み上げた。
そして小さな口元にそれを運び、少しずつかじり始める。

「……すごい暇そうだけど?」

《これも君たちとのコミュニケーションを円滑に進めるための学習という仕事だよ》

「それほんと?」

《お菓子を頬張りながら他愛もない会話を交えるのが君たちのコミュニケーションなんだろう?》

「違うような違わないような……ねえ、キュゥべえはいつもなにしてるの?」


一枚目のクッキーを平らげたキュゥべえはごろりと寝転び、愛くるしい瞳を右へ左へやった。
その仕草はまるで猫みたいで、とてもかわいらしい。
喉元を撫でたくなってしまう衝動を堪えながら、彼の反応をうかがう。

そんな私の気など知らずに、彼は暢気に瞳を別々の方角へ向けたまま言った。


《基本は魔法少女候補の探索だよ。それから不可解な事件や事例の調査かな》


不可解な事件の調査。
そのフレーズを聞いて、わたしは数日前に遭遇した『天然(偽)グリーフシード』のことを思い出した。
正確には『植えつけられた使用済みのグリーフシード』だけど。

杏子さんに報告したものの、その謎の魔法少女がそんなことをした理由はまだ判明していない。
気になってそのことを彼に尋ねてみると、


《残念だけど、僕の口からはなんとも言えないね》


そんな、なんとも含みのある回答をもらった。
キュゥべえはこんな風に煙に巻くことがよくある。
そういうのは、まだ原因が判っていないか、他の魔法少女の秘密に関わっている場合がほとんどだ。

「でも、わざわざグリーフシードを街に設置して何か意味があるのかな?」

《グリーフシードはまだまだ未知の部分が多いからね。そのことは君も知っているだろう?》

「少しだけなら……でもキュゥべえたちはわたしたちよりもずっと詳しいんでしょ?」


キュゥべえは赤い瞳をわたしに向けると、すうっと細めた。尻尾が右に、左に、揺れる。

《僕らはグリーフシードをエネルギーに練成し直すけど、その実態はまるで掴めていないよ》

「そうなの?」

《グリーフシードは感情を持った生き物でなければその効力を発揮できないからね。
 ソウルジェムの濁りはグリーフシードを用いて浄化出来るけど、実はあれの原理もよく解ってはいないんだ》

……初耳だった。

《僕らは感情エネルギーがエントロピーを凌駕し得る代物だと突き止めた。
 そしてそれを研究している途中で魔獣とグリーフシードの存在を知った。
 負の感情が集まって出来たグリーフシードは宇宙の寿命を延ばすのに最も効率が良いんだ》


難しい話だなぁ。


彼は恐ろしいほどに無表情のまま、底冷えのするような落ち着いた声で続ける。

《僕らは魔獣の生成するグリーフシードを回収したかった》

《そのために、グリーフシードと同じ性質の物を扱った対魔獣用の兵器を作ったのさ》

「兵器……?」


彼の口元に笑みが浮かぶ。嫌らしい、醜い笑みが。


《希望の祈りと願いで魂を練成し直し、正の感情エネルギーを魔力に還元することで戦える兵器……》

《それが君たち魔法少女さ》

「そんな……」


きゅっぷい、と憎らしい声を出して、挑発するように首を傾ぐキュゥべえ。
目線の高さはわたしの方が上なのに、なぜかわたしが見下ろされているような錯覚すら覚えてしまう。


《僕らからすれば君たちは家畜以下のただの道具でしかないのさ》

《それなのに君たちは対等な立場に立とうとしたがる。わけがわからないたい痛いよごめん悪かったほんとうにごめん》


……気付けばわたしは、キュゥべえの耳毛をぐいっと引っ張り上げていた。
足場を求めてキュゥべえの短い両足がわたわたと宙を泳いでいるが、無視。
痛みを訴える言葉が聞こえるけどそれも無視。

そしてわたしはキュゥべえに説教する。

「言ってる事は事実だけど、今のは意地が悪いと思う。そんなんじゃ嫌われちゃうよ」

《……愛くるしいマスコット路線だけじゃ飽きられてしまうからね。新たな勧誘話法を鋭意模索中なのさ》

「でもこれじゃ逆効果だよ。体中を穴ぼこにされても文句言えないよ」

《反省しているよ。だから離してくれないかな。32年物のボディが傷んでしまう、というか耳がもげちゃうよ》

「はいはい」

説教終了。
そっとキュゥべえを地面に降ろしてあげる。
彼は両方の耳毛をうねうねさせて付け根の辺りをさすっている。

……要するに、今のは単なるおふざけ。

彼は腹黒い宇宙人の役で、わたしはそれに怒る少女Aといったところかな。
でも、もちろん彼らがさっき言った言葉に嘘偽りなどは一切含まれてはいない。
兵器という見方だって出来なくはないのだ。
にもかかわらずわたしが平然としていられるのは、それ以上に彼らのお世話になっているから。

魔法少女は——わたしを除いて——契約する際に大まかなメリットやデメリットを説明してもらっている。
魔法少女はすべてを承知の上で彼らと契約を交わすのだ。
魔法のレクチャーも簡単だけどしてくれるし、友達代わりにもなる。
だから彼らを恨む魔法少女は滅多に見かけない。

杏子さんもキュゥべえとは親しい。
きっと昔から仲が良かったに違いない。
希望に満ち溢れた願いを叶えてもらったのだろう。

そんなわけで、わたしたち魔法少女と彼ら『インキュベーター』の関係は極めて良好。


《これでも僕らは君たちに感謝しているんだよ。もちろん僕らに感情はないけどね》

「そういう言葉を加えるからダメなんだよキュゥべえ……」

《事実を補足しただけなのに……おっと、そろそろ話を戻そうか》


《ここ十数年でグリーフシードの研究が大幅に進んだのは君たち魔法少女のおかげでもあるんだ》

「そうなの?」

《そうだよ。だからグリーフシードを街に設置した魔法少女はグリーフシードに詳しいんだろうね》

「でも実際どんなことに利用できるのかなぁ」

《メジャーどころだと……人造魔法少女計画かな。君も知っているはずだよね?》

つい先日シスターに教わったばかりなので、その言葉には聞き覚えがあった。


「グリーフシードを使ってプレイアデス聖団が進めてる……んだっけ」

《そのとおり。そういえば君はカンナとは特別仲が良かったんだよね?》

「カンナ……ニコさんのこと?」

言われてわたしは、そうだっけと首をかしげた。
最後に会ったのはミチルさんが亡くなってから二年が経っていたので……今から六年前になる。
今思えば確かにあの時のニコさんは熱っぽい表情でしきりに何かを語っていたような気がする。

『君は私の同類かもしれない』とか、『興味に値するよ、気になるってことさ』とか……


《……ふうん。どうやら彼女も必死みたいだね。……おっと、杏子がこっちに向かってくるようだ》


キュゥべえは四本の足で立ち上がると、ぴょんっと跳ねて床に降り立った。
その光景に、なぜかわたしは胸の辺りにぽっかり穴が開いたような寂しさと虚しさを覚えてしまう。
原因は判っている。

「マミさんの言いつけ、杏子さんの前では守ってるんだ」

《僕としても、いちいち杏子に気を遣わせて、彼女のソウルジェムを濁らしてしまうのは不本意だからね》


キュゥべえがテーブルの上に乗ると、マミさんはいつも決まって彼のことを叱っていた。
マミさんがいなくなってから、杏子さんはマミさんの代わりに彼を叱るようになった。
それだけじゃない。
マミさんがしていた仕事や抱えていた負担を、杏子さんは進んで背負うようになった。
魔法少女のしつけだったり、生活のことだったり、マナーのことだったりと色々ある。

杏子さんは泣き言一つ言うことなくそれらをこなしている。
今という時間を、もう戻っては来ないあの懐かしい日々のそれに少しでも近づけるために。

杏子さんはマミさんと同じ行動を取るとき、少しだけ悲しい素振りを見せる。
キュゥべえは杏子さんを悲しませたくなくて——感情の無い彼にそんな気は無いのかもしれないが——床に降りたんだ。


もやもやした気持ちでいると、食堂の扉が豪快に開け放たれた。

「たーだーいまーあー! お腹空いちゃったよー」

でも、現れたのは杏子さんではなくお菓子が大好きなあの子の方だ。
いつものように琥珀色の短い髪をおさげにしている彼女は、へろへろとテーブルに突っ伏した。


「今日もおつかれさま。ケーキあるけど食べる? それともお昼ご飯の残り食べる?」

「ケーキでおねがーい、やーしんどかったよもー。一生分働いたー」

大げさな彼女の言葉に苦笑を浮かべつつ、わたしは冷蔵庫から皿に乗せられたケーキを取り出した。
そして形を崩さないように三角の立体型になっている形状記憶する『かしこいラップ』を外す。

昔のラップフィルムはケーキに被せたら形が崩れたり、
ラップにクリームがくっ付いたりしてしまってあまりケーキの保存には向いていなかったそうだ。
技術の発展は凄いわね、とはマミさんの言葉である。


どうでもいいことを思い出しながら、ラップを丸めてごみ箱に入れ、わたしはケーキをテーブルまで運んだ。

「はい、ケーキ持ってきたよ。紅茶も飲む?」

「紅茶はいーや……って、これまさか……」


のっそりと体を起こした彼女はケーキを見て頬を引きつらせた。
嫌っているというよりも、怖がっている。
そんな風に、わたしには見えた。

彼女がこんな反応をするのは初めてのことなので、わたしは少し戸惑いながら彼女に話しかける。

「どうかしたの? ケーキ、食べたくない?」

「いや、そーゆーわけじゃ……ないけど」

苦虫を潰したような表情でケーキを睨む彼女。
わたしもそれに倣ってケーキを見る。
けれども至って普通のケーキにしか見えない。


事実、それは何の変哲もないただの“チーズケーキ”でしかなかった。


呻るような声を漏らす彼女に、
わたしがおろおろしていると、バン! と乱暴に扉が開け放たれた。

今度こそ、杏子さんが現れた。
今日の杏子さんは赤い髪を髪ゴムで結んで一本結びにしている。
いわゆるポニーテールとはちょっと違う。
おばさん結びなんて称されることもあるあの髪型だ。
でも杏子さんがすると知的なオーラが漂ってきて、これはこれで良い、と内心で思ったりする。

気まずくなりかけた空気をぶち壊してくれた杏子さんに感謝しながら声を掛けようとして、

「薔薇ムスメはどこにいる?」

静かな怒気を孕んだ声で杏子さんは言った。
杏子さんはわたしが答えるよりも早くバラムスメ——バラが好きなあの子を目で捉える。
捉えられた方は怒り心頭といった様子の杏子さんに気付いてわずかに狼狽の色を見せるものの、
あからさまに動揺するようなことはなく、静かに杏子さんの出方を伺っている。

見るからに怒っているので、わたしとチーズケーキと睨めっこしていた彼女は少しだけ身構えた。
足下で座っているキュゥべえは沈黙を維持。肝心な時に役に立たない。
結果として、その場は静寂に包まれた。

「……はあ」

息が詰まるような静寂を破ったのは、杏子さんが大きな溜息をする音だった。

「連絡があったよ。もう三ヶ月連続で約束を破ったそうじゃないか」

「……」

「会いたくない気持ちは分かる。でも会いに行きな」

「……い、や……」


なんて弱弱しい声なのだろう。
頼りなくて、心細くて、微風よりも静かな抵抗の声。
その声を聴いて、わたしはようやくただならぬ状況だと悟った。

杏子さんはそんな彼女の抵抗を、一息で崩さんとばかりに畳み掛ける。

「嫌じゃない。わがまま言うな。こうして怒るのはたしかこれで四度目だね。
 何度も言ったように、約束を守れないならあんたをここに置いておくことは出来ない。
 それでも良いのかい? ……違うだろ、嫌なんだろう? ならどうして約束を破るのさ?」

何もそこまで一方的に捲くし立てなくても……と思うけれど。
同時に、仕方が無いのかもしれないとも思ってしまう。

「……イヤ……」

「楽園じゃないんだよ、ここは。世間の目やあんたたちの家族との関係とか、しがらみは山ほどあるんだ」


マギカ・カルテットは決して魔法少女たちが楽しく暮らせるだけの楽園ではない。

『理由は話せないけど一緒に暮らす! わいわい楽しく過ごす! 何にも縛られません!』

……そんな夢のようなことはありえない。
だからマギカ・カルテットとその拠点であるこの家は、
表向きには民間の『更生施設』ということになっている。

魔法少女になる子には家庭や生活に問題を抱えた子が多いためだ。

もちろん本格的な更生施設ではないのだけれど……
多少強引な手段を使って創設したので問題は無い。

その代わりに貰うお金は本当に最小限のみだし、
相手側の家族といくつもの約束を取り交わす事になる。
それを破るのであればもちろん子供は預かれない。
帳消しにした問題が浮上して厄介沙汰に巻き込まれる可能性も無視できない。

いま問題になっているのは、その約束の事だ。


バラが大好きなあの子の母親が杏子さんと交わした約束は、たった一つ。

『月に一度、かならず母親と会う』

これは何度か問題になっていたので嫌でも覚えてしまっている。
だけど、彼女の家庭の事情はわたしもよく知らない。

そういう複雑な事情は気軽に知ってしまって良いものではないし、
彼女は家族のことをあまり話したがらないからだ。

「……母とは会いたくない……」

「たった一日、ほんの数時間だけ顔を合わせるだけじゃないか。いざとなったらトイレにでも隠れてればいい」

「嫌だ」

彼女は語気を強めて杏子さんの提案を拒んだ。
さらに彼女は体をかすかに震わせて続ける。

「母とは会わない。ダメなら出て行く……!」

「あんたねえ……」

杏子さんが呆れて肩をすくめる。
それを見て彼女はさらに体を震わせ、家全体に響くような大きな声ではっきりと言い放った。



「っ……母なんていらない、死んじゃえばいい!」


贅沢な悩みだな、と静かに受け止めるわたしと。
そこまで追い詰められるなんて、と同情するわたしがいる。
そんな自分の醜さに嫌気が差してしまい、目を閉じて——


——パァンッ!

そんな、乾いた音が響いた。
頬を平手で叩いた音だ。
わたしはあわてて目を見開き、目の前の光景を食い入るように見つめる。

「い、今のは……あれ?」

わたしは杏子さんが彼女の頬を平手打ちしたのだとばかり思っていた。
だから、先ほどまで椅子に座っていた『お菓子』の子が『バラ』の子の頬を叩いたのだと気付くのに、少々の時間を要した。
そして事態はわたしが動くよりも速く流転する。
琥珀色の髪を逆立て、肩を怒りで震わせながらあの子は言った。


「死んじゃえばいいとか軽々しく言わないで!」

「……っ……」

「世の中には、会いたくても会えないって、そーゆーフコーな子がいるんだから……!」


あの子はその目に大粒の涙を浮かべていた。
過去になにかあったのだろうか? ……ううん、きっとなにかあったに違いない。
辛い事や、悲しい事がたくさんあったんだ。

涙を流すあの子と、頬を赤く腫らした彼女。
杏子さんも突然の事態に驚いているらしく、固まったままでいる。
どうにも声を掛けにくくて、わたしはだんまりを決め込んでしまった。


その結果、

「……っ……」

「あ、ちょっ、待ちな!」

若草色の髪で顔を隠すようにうつむきながら、彼女は駆け足で廊下に出た。
そしてそのまま勢いで外へと出て行ってしまった。
杏子さんもその後を追いかけようと何歩か前に進んだ。
けれどもかぶりを振ってそれを諦め、あの子に向き直る。

「……どうする?」

「知らない、あんな子!」

どんっ、と古い床板を足で踏み鳴らして、同じように廊下に出る。
ただし外に出るのではなく、二階へと上がっていく。
追いかける気はないみたい。

「どうしようかねぇ、これ」

呆然と立ち尽くすわたしを見て、杏子さんは肩をすくめた。

「あんたはどうするんだい? どっちを追いかけるべきか、悩んでたりするんだろ?」

「……うん」

「だったらその前にお茶にしようか。こういう時は、まずは落ち着かないとね」

杏子さんはキッチンへ向かう途中で、わたしの方を振り向き、にやりと笑った。


「ついでに何か、食べるかい?」

今回はここまでです。いつもレスありがとうございます
次回はできるだけ早めにします。したいです。

乙乙

レス感謝感謝

で、今回は投下ではなく訂正を
シャワー浴びてて思い出したんですが、お菓子ちゃんの髪の色が琥珀色になってました
珊瑚色に脳内補完していただければ幸いであります


薔薇の子はなぜ…

来てたか
ファック

乙なファックありがとう……ん?ファックな乙か?
ともかく投下


◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇

二人の喧嘩を見た直後にもかかわらず、杏子さんはとても落ち着いていた。
いつものように慣れた手つきでカップに紅茶を注ぎ、テーブルに並べ終えると、
手付かずのチーズケーキを冷蔵庫に戻し、代わりにショートケーキを並べていく。
それが終わると、杏子さんはわたしに小さなフォークを差し出した。礼を言って受け取るわたし。


「——たまには砂糖とジャムを使ってみるのも悪くないかな」

そう言うと、杏子さんはにこっと笑って自分の紅茶に砂糖とジャムを足し始める。
それもたくさん。具体的には砂糖三個とジャム三杯。

「それじゃあシロップだよ……」

「昔の友達がよくやってたんだ。一緒にいた時間は本当にわずかだったけどさ。一週間くらいだったかな」

「それなのに覚えてるの?」

「四十年以上生きてると、むしろ短い時間のが記憶に残るもんなのさ」

人生の先輩からのありがたい助言を心に留めつつ、わたしは紅茶を飲む。

「それで? あんたはどっちを応援したいんだい?」

「っぶ、げほっ、げほっ!」

そんな突拍子もない言葉にむせるわたし。
ティッシュで口元を拭きつつ、恨みのこもった視線を杏子さんに送るも、
杏子さんは目尻を下げた穏やかな表情であっさりとそれを受け流す。

「……どっちを応援したいとか、そんなんじゃないよ」

「そりゃそうだろうね。でもどちらが正しいか、なんてことくらいは考えてるだろ?」

わたしの心を見透かしたような言葉に、思わず目を逸らしてしまう。
杏子さんは意地悪だ。
そんな恨み言を漏らしたい気分を抑えながら、わたしは素直に頷いた。


それを見た杏子さんは我が意を得たりと自信満々に胸を反らした。

「……でも、そういうのは抜きにしてみんなと仲良くしたいの」

杏子さんはやれやれと大げさに肩をすくめる。

「魔法少女間での対立を見るのはこれが初めてじゃないだろう」


言われてわたしは、記憶を探るべく視線を宙に泳がした。
そうだ。これが初めてというわけではない。
もうすでに記憶が曖昧だけれども、わたしが五歳だった頃に一度起きている。

原因はわたしの処遇にあった、と思う。
幼いわたしを戦いに参加させるべきか。
それとも参加させずに保護するべきか。

記憶が正しければ、『第二次性長期を迎えるまで戦闘には参加させない』と決めたことで解決したはずだ。

その次は七歳。そして十歳。
魔法少女の方針——能力的に劣る子のサポートや、魔獣狩りを放棄した子に関する問題だったと思う。


わたしがそのことを思い出し終わると、杏子さんはそれを察したかのように首を縦に振った。

「小さなケンカだけならもっとある。経験を踏まえた上で言うなら、今回のははっきり言って些細な事でしかない」

はっきりと断言する杏子さんに少しばかりの苛立ちを感じてしまう。
二人ともすっごく怒ってたし、悲しんでいたのに、どうして割り切ってしまえるのだろう。
わたしは眉をひそめて反論した。

「でも飛び出しちゃったし……このままだときっと良くないことになるよ」

「家を飛び出すことなんて珍しくないさ。
 あんたが不安に思うのは、あんたがあいつらと過ごした時間が濃かったからだよ」


わたしがマギカ・カルテットの一員になったのが十年前。
マミさんと杏子さんにわたしが戦うことを認めてもらえたのが今から二年と少し前。

その少し前に、彼女達は仲間になった。
お菓子が大好きな子とバラが大好きな子。
ちょっと変わっていたけれど、とっても優しくて、わたしたちはすぐに打ち解けた。
そこにパソコンを大事にするあの子が加わって、
わたしたちは『新生マギカ・カルテット』なんてふざけあいながら、共に楽しい時を過ごした。

ああ——そうかもしれない。
マギカ・カルテットで過ごした十年の中でも、この二年間の時間の流れは特に濃密だったんだ。

杏子さんはどろどろの紅茶に手をつけ、一息吐いて、ふたたび話し始めた。


「私にもそういう時期があった。
 反発した時間は長いくせに共感した時間は短くて、それでも楽しかった時期が」


カップをテーブルに置き、遠い目をする。
杏子さんの瞳に映るのは、果たしてどの時代の光景なのだろうか。
十年前か、二十年前か、それとも三十年前なのか。
わたしにそれを窺い知ることはできなかった。

「これまでに起こった小さな対立なんかは、当事者である魔法少女たちが解決してきた。
 もちろん私やマミもそれに口を挟むことはあったが、直接関わった事はほとんどないよ」

二つの瞳がまっすぐにわたしを捉える。
つまり、杏子さんはわたしにこう言いたいのだろう。

今度はお前の番だよ、と。


「……杏子さんの時はどんな感じだったの?」

「私の時は、まあ、それなりに大変だったさ。
 一言で言ってしまえば、魔法少女としての在り方が問題になったからね」

杏子さんはケーキを口元へ運びながら、その時のことを話してくれた。

それは、いまから三十年も前の事になるらしい。
三十年前の見滝原にはマミさんを中心とした三人の魔法少女がいた。
そこへ現れた四人目の魔法少女が、その三人のことを快く思わなかったようで、
わざわざちょっかいを出してきたそうだ。
縄張り争いや主義主張の問題で荒れに荒れ、とても大変だったという。

「杏子さんはどうしたの?」

「……どうしたと思う?」

杏子さんの顔がいたずらっぽく歪んだ。
かわいいなあこの四十代。
そんなことを思いながら、わたしは杏子さんの過去の行動を推察してみる。

普通に考えればその“四人目の魔法少女”は平穏を脅かす外様の存在だ。
街の外に追い返すなりなんなりしてもおかしくはない。

でも。
優しくて、厳しくて、強くて、凛々しい杏子さんなら。
杏子さんならきっと、そんなことはしないって、わたしは思った。

「……その“四人目の魔法少女”を説得した、のかな?」


杏子さんの顔から笑みが消えた。
それは恐ろしいとか、憤っているとかではなく、
純粋に虚を衝かれたからだろう。
つまり、わたしの言った言葉を杏子さんは予想していなかったらしい。


「最初はその子とぶつかっちゃうかもしれないけど……
 杏子さんなら、きっとその子と打ち解けられたと思うの。
 その子も杏子さんのことを好きになって、最後は杏子さんたちが正しいって分かったじゃないかな」

杏子さんは上を見て、横を見て、それから困ったように笑った。

「ああいや、そのさ。四人目の魔法少女だけど……」

「……仲良くなれなかったの?」

「いや違う、そうじゃない、ああ……」

深い溜息。
なぜだろう、杏子さんが妙に動揺している。
戸惑っている、と見るべきかもしれない。

「……まあ、私の場合はそうだったよ。まっすぐにぶつかって、それで相手を惹きつけたんだ」

「惹きつけた?」

「現実だのなんだのを受け止めたところで、
 人間誰しも希望や理想に憧れるものなのさ。
 だから“四人目の魔法少女”は、まっすぐな“三人の魔法少女”を見ていて思ったんだ。
 だったらいっそのこと間違えてしまえばいい、彼女らといっしょに理想を追い求めてしまえ——ってね」

杏子さんは過去を懐かしむように、寂しげな眼差しで言った。
四人目の魔法少女のことを思い出そうとしているのかもしれない。

「今では良い思い出だよ」

静かな声が、食堂に響き渡る。。
そこでわたしはふと、ある疑問を抱いた。
杏子さんの意識が現実に戻ってくるのを見計らって、それをぶつけてみる。


「ねえ杏子さん、その人って最初のマギカ・カルテットの人?」

「ん、まあ、そうだよ」

「最初のマギカ・カルテットって、確か……」

初代マギカ・カルテットで二大魔法少女、巴マミと佐倉杏子。
でもカルテット——すなわち四重奏のうちの、残る二人の存在は、あまり魔法少女の間では知られていない

一人は、仲間内からは『いいんちょ』なんて親しまれていたらしい。
キツめの性格だったそうだけど、規律や規則を重んじる真面目な子。
契約した理由は、残念だけど聞かされていない。
墓碑には魔法文字で“パトリシア”と刻まれている。

もう一人は、実はわたしも何度かお話をしたことがあった。
と言っても、もう九年以上も前だからほとんど記憶には残っていないのだけれど。

『どっちでもいい』が口癖で押しに弱い性格だったその人は、
パトリシアと仲が良い——というよりも半ば保護されていた、と杏子さんは言っていた。
契約した理由は、とても複雑だ。
趣味の創作活動が原因でいじめに遭っていて、それに耐えるために……らしい。
この人の墓碑には“イザベル”と刻まれている。

当然だけど、導かれてしまった者——この世界から消えた、あるいは魔女になった人たちだ。

わたしはかぶりを振って意識を現実へと引き戻す。


「その四人目の人って、残る二人のうちのどっちの人だったの?」

「あー……まあ、そこは良いじゃないか。昔の話だしさ」

ところが杏子さんは、歯切れの悪い返事を返してくる。
そして両手を胸の前で叩き、この話はこれでおしまいだ、と意思表示。


「……悩むあんたに、人生の、そして魔法少女の先輩からアドバイスをあげるよ」

杏子さんはケーキをきれいに平らげると、済まし顔で語り始めた。

「自分のやりたいようにしな。以上、アドバイス終わり」

「うんうん……って、ええ!?」

「今回の問題は魔法少女の主義主張じゃなくて、
 もっとデリケートな問題だ。それは分かってるだろ?」

言われて、わたしは首を縦に振った。
今回は魔法少女というよりも人間の、正確には子供の価値観の問題だ。

「親を想う子の気持ちも、親を憎む子の気持ちも、私には分かるよ」

「……そうなの?」

「そうだよ。それから親を欲しがる子の気持ちもね」

杏子さんは肩をすくめてわたしを見た。
杏子さんの言葉はまさに図星だった。
なんとなくむずむずするので、話を進める。

「でも……」


わたしのやりたいようにする。
二人のわだかまりを失くすとか、二人に分かり合ってもらうとかじゃなくて。
そんな複雑なことじゃなくて。

もっと簡単なことを考えてみよう。
難しく考えないで、自分に正直になってみよう。
わたしの望むこと。
それはやっぱり。


「杏子さん、わたし決めたよ」

「ほほう、聞かせてもらおうじゃないか。娘の考え付いた解決策をね」

杏子さんの口元に笑みが浮かぶ。
わたしは微笑み、杏子さんの瞳をまっすぐに見つめた。

「わたし、間違えてみる!」

「は?」

呆気に取られて目を丸くしている杏子さん。
わたしはくすりと笑うと、杏子さんにも分かるように説明した。

「わたしには、二人が正しいのか、間違っているのかなんて分からない。
 だから難しいことは忘れて、とにかく仲直りしてもらおうと思うんだ。
 もちろんそれが失敗したら余計に話がこじれちゃうかもしれないけど……」

それでも、きっと。

「杏子さんみたいに、いつかは『良い思い出だ』って思える日が来ると思うから」

「……」

「だめ、かな?」


杏子さんは唖然としていた。
ぽかんと口を開いて、まるで未確認生命を観察するような目でわたしを見ている。
何度か繰り返されるまばたき。

そして感心したように背もたれに体を預け、杏子さんは一息吐いた。
次に杏子さんは、驚きと喜びと楽しさが混ざり合ったような表情を浮かべた。

「間違っている、けれども合っている……ってところだね。
 若いうちは怪我の治りも早い。ばんばん間違って、たくさん転んで、学習しときな」

「転びすぎると傷跡が残っちゃいそうだけどね」

「それもまた人生ってやつだよ」

くすりと笑う杏子さん、に釣られてわたしも笑ってしまう。
ひとしきり笑い合って、わたしは椅子から腰を浮かした。

「行くのかい。目星は?」

「いちおう、なんとか。ダメなら携帯で探してみる。それで杏子さん、あのね」

杏子さんは頷くと、片手を挙げた。

「心配は要らないさ。あんずとお目付け役が担当してくれるからね。——ほら、後ろ」

言われて振り向けば、シスターとあんずちゃんが並んでわたしを見ていた。
興奮した様子のあんずちゃんが首を何度も縦に振っていて、
そんなあんずちゃんの肩に手を乗せながら、シスターが苦笑を浮かべている。

わたしはそんな二人に礼を言うと、友達を追いかけるために外に出た。

バラが大好きなあの子がいそうな場所へと、向かうために。


◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇


◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


「……まったく、出来の良い娘を持つと嬉しくなるね」

少女を見送ると、杏子は嬉しそうに破顔した。
そして二階へと上がっていくあんずとシスターの後姿を眺め、

「これなら、私は何もしないでも良さそうだね」

独り言をもらして食堂へ戻る。
そしてテーブルの足のそばで座っているキュゥべえに気付いた。
訝しげな顔のまま、杏子は彼をじろじろと眺める。

「なんだい、その顔は」

《そんなに変な顔をしていたのかい?》

「少しね。妙な顔っていうか……で、何か言いたい事でもあるんだろ?」

《まあ、そうなるね》

キュゥべえは杏子を見上げた。
赤い瞳が彼女の心を見透かすかのように細められる。
そんな仕草を見て、杏子がわずかにたじろいだ。

しかし、彼女の動揺など気に留めることなくキュゥべえは言った。

《——どうして本当のことを言わなかったんだい?》

杏子の目が見開かれる。
そして時が止まったように動かなくなる。


「なんの……ことだよ」

《言わなくても分かっているはずだよ、杏子》

「……」

杏子は忌々しげに眉を立ててキュゥべえを見下ろす。
キュゥべえは彼女の視線を気にせず続けた。
感情など微塵も感じられない、冷たい声が彼女の脳内に直接響く。

《君は嘘を吐いた。
 “三人の魔法少女”の中に君はいない。
 イザベルもパトリシアも“四人目の魔法少女”じゃないし、
 それどころか最初のマギカ・カルテットの一員ですらない》

「嘘じゃない、私はただ嘘は吐いていない!」

《認識の相違から生まれる判断ミスを利用して彼女を騙したじゃないか》

「あんたたちが言えた義理じゃないだろう……!」

《僕達は君たちの事を騙した覚えはないよ。ちゃんと事前に、すべて説明しているじゃないか》

ギリッ——
杏子の歯軋りが、一人と一匹だけの空間に鳴り響いた。
彼女の目は怒りと後悔によって燃えるように揺れている。

《杏子。僕は君のことが心配だから言っているんだよ。
 嘘を重ねて自分を偽れば、良心の呵責から精神の安定を乱し、
 不必要にソウルジェムを濁らしてしまう。
 君という優秀な指導役の魔法少女が欠けるのは僕達としても惜しいからね》


あくまでも、自分達の目的のために。
それがインキュベーターという種族だ。
杏子は深呼吸すると、無理やり苛立ちを押し隠して椅子に座った。

「……期待されちまってるんだ。しょうがないじゃないか」

《まあ、君は彼女達からすれば理想の魔法少女だからね。
 でも嘘を吐けば苦しむのは君だよ。……そのことだけは忘れないようにね》

「……気をつける」

返事を聞くと、キュゥべえはぴょんと飛び跳ねた。
杏子の膝の上に乗って、愛くるしい瞳で彼女を見る。

《ところで杏子。良いニュースと悪いニュースがあるんだけど、どちらから聞きたい?》

「良いニュースから頼むよ。あんたのせいで必要以上に参ってるんでね」

《放浪娘が帰ってくるよ》

放浪娘? と杏子は首を傾げた。
それから何かを思い出したように口を開き、キュゥべえの首根っこを掴む。

「錆びた自転車で日本を一周するとか言って出て行ったあいつか?」

《そう、その子だよ》

「そうか……」

杏子は頬を緩めると、キュゥべえの頭を乱暴に撫でる。

「今のニュースで私の気分を台無しにしてくれた事はチャラにしてやるよ」


杏子は目を閉じた。
両の指を絡め、黙り込む。
沈黙の裏で、彼女はある計算をしていた。

「……あいつが“なんとかなる”かもしれない。
 フォロー有りならあんずも戦いに参加させられる。
 それに家族持ちのあいつも乗ってくれるはずだ。全員で九人、これなら……」

《八人だよ》

キュゥべえの言葉を聞いて目を丸くする杏子。

《そうするとあんずが戦えなくなるから七人。
 それにあの子も家庭を守りたいだろうからこれで六人だ》

「ちょっと待て、何の話だ?」

訳も分からずに混乱する杏子を尻目に、キュゥべえはいつものように軽く言った。


「————が、導かれたよ。正確に言えば、導かれたのは少し前なんだけどね」

息を止める杏子。
キュゥべえはそんな彼女に構わず先を続ける。

「“向こうでの名前”は僕が決めたよ。彼女が望んだからね」

「彼女の名前は『KIRSTEN』……ヘンネームは『ELLY』だよ」

ここまでーっす。

>>297修正

>墓碑には魔法文字で“PATRICIA”と刻まれている。
>この人の墓碑には“IZABEL”と刻まれている。

で。
次回の投下は30日の夜までには。

あと現段階でのマギカ・カルテットのメンバー表

佐倉杏子・『わたし』・お菓子の娘・薔薇の娘・シスター・千歳あんず・『家庭持ちの女性』

当分先の話ではありますが、
過去編(ほぼ本編キャラオンリー)をやる際もしかしたら別のスレを立てることになるかもしれません。
まだ考え中なんですけどもね。
そいでは。



魔法戒名……

ああキャンデロロとかも戒名なのか

おつおつ

>>309
ロロちゃんはむしろ源氏名


ヘンネームはペンネームでおk?

ハンドルネームのHNをペンネーム=ヘンネームだと勘違いしたに10ファック賭けるぜ!

レスありがとうございます

>>311-312
ハンドルネームのHNをペンネーム=ヘンネームなんてそんなややこしいウルトラ勘違いするわけが……
してました。ご指摘感謝感謝

>>304修正
>「彼女の名前は『KIRSTEN』……ハンドルネームは『ELLY』だよ」

ワロタw

年末年始忙しすぎワロリンヌww
すいませんでした
あけましておめでとうございます
二日遅れ……三日遅れ?ともかく紅白見ながら投下です


◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇


◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


わたしは家を出ると、携帯電話を取り出して親指で簡単な操作を行った。

わたしが持っている細いスティック型の携帯電話のメインターゲットは主に学生層だ。
主流である板状の携帯電話——杏子さんのスマートフォン系列——や、
機能重視のタブレット型のコンピューターを小さくしたような携帯電話と比べれば機能は多少劣ってしまう。

それでも携帯電話としての機能だけで言えば100点満点に近い性能を持っている。

「お友達を探したいの、調べて!」

わたしの声に反応して、携帯電話が自動でアプリを立ち上げる。
中空に地図の映像が投射された。

そして黄緑色の光点——あの子の現在位置が目に留まる。
距離は若干遠い。杏子さんと話していた時間が長かったのだから仕方がないのだけれど。
方角から彼女の行き先を推測すると、わたしは携帯電話に向かって目的地の位置を告げた。
すぐに最短距離のルートを表示される。

「これなら……!」

走ればたぶん、うまく鉢合わせできるかもしれない。
持つべき物は文明の利器だよね、と感謝しながら携帯電話をポケットに戻す。

あの子に会ったら何を話そう。
難しい事は考えない。とにかく仲直りさせる事だけを考えよう。
そう意気込むと、わたしはすぐに駆け出した。

あの子がいるであろう場所——店先にバラが並べてあるお花屋さんへ。


◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


しかし、わたしの思惑はまるっきり外れてしまった。

「……いな、い?」

お花屋にはバラが並べてある。バラも、あの時と変わらずきれいに咲き誇っている。
あの時と同様、すでに陽は傾き、夕方へ差しかかろうとしている。
なのに、そこに彼女の姿は無い。

「……もう一度アプリで」

携帯電話を取り出してアプリを立ち上げる。
間を空けずに中空に地図が投射される——けれども、先ほどとは違って赤い光点はどこにも存在していない。

そして表示される≪拒否≫の二文字。

どうやってかは分からないけれど、わたしの追跡に気付いた彼女がアプリの同期を断ったんだ。
個人情報保護法が強化されたせいでアプリの機能も制限されてしまっているため、
本人の許可無しではこれ以上の特定は不可能になる。

——通常の手段では。

杏子さんから教わったアクティブな探知魔法を使ってみよう。

わたしは右手の中指に嵌められた指輪に目を落とした。
桃色の宝石を軽く撫でて、意識を集中させる。
やがて、指輪から生成された不可視の魔力がゆっくりと波紋のように広がり始めた。

簡単に言ってしまえば、これは現実にあるレーダーやソナーと同じだ。
アクティブ方式は精度が高く、力量や位置が把握できるけれど、反面、相手に見つかってしまう可能性が高い。
パッシブ方式の場合はその逆で、相手に見つかるリスクは少ないけれど、
あくまで感じた魔力から相手の位置や力量を測るために精度が低いので、誤認してしまうことがある。

だけど今はあくまで人探し。問題は無い。

そうして魔力の波紋を広げ続けると——


「なにをしているんだい、恩人」

「——え?」

背中に投げられた声に驚き、わたしは思わず目を開いた。
結果、広がった波紋は目的を果たす前に消えてしまう。

残念に思いつつ後ろを振り返ってみれば、そこにはあのおばあさんの姿があった。
いつものように愉しげな雰囲気を身に纏い、子供のように純粋な笑みを浮かべている。
わたしは咄嗟に指輪を隠し、愛想笑いを浮かべてみる。
そしてあの子から聞いたおばあさんの名前を思い出し、

「こんにちはおばあさん。……あの、美国さんって呼んだ方がいいですか?」

訝しげな表情のおばあさん——もとい美国織莉子、さん。
美国さんは左手を顎に当てて首をひねっている。
中指に嵌められた黒に見えなくもない青紫の指輪が、黄昏色の陽光を反射してきらきらしている。

首をひねったまま、美国さんはわたしに尋ねた。

「……どうせなら織莉子と呼んでくれ。ところで、どうして私が美国織莉子だと知っているんだい?」

「教えてもらいました。あの、この前いっしょにいたお友達に。……お知り合いだったんですか?」

「いや」

今度はわたしが首をひねる番だった。

「違うんですか?」

「ふむ……」


織莉子さんは虚空に目をやった後で、ふたたび笑みを浮かべた。

「あいや失敬、今のは知らないフリだ。恩人の友人とはここで何度か会った事があったね」

「ほんとうですか?」

「私はウソは吐かない。というのがウソかもしれない。深いパラドックスだ、恩人」

「……じゃあ素直に信じます。今日はなんだか機嫌良さそうですね」

言ってから、この人が機嫌悪そうにしている姿を見たことがない事に気づいた。
けれど織莉子さんはさして気にした様子もなくうんうんと頷いている。

「恩人は目敏いね。そのとおり、私は機嫌が良いよ。それで恩人はここでなにをしているんだい?」

わたしは申し訳無さそうに頭を下げた。
先ほどの質問に答えていなかったことを今になって思い出した。
そして同時に、織莉子さんがあの子を見かけているかもしれないことに気付く。

「その、お友達が別の子と喧嘩して家を飛び出しちゃって……捜してるんです。見ませんでしたか?」

「残念ながら、君の期待には応えられそうにもない」

肩をすくめる織莉子さん。

「恩人の友人を捜していると言ったけど……それは愛」

「ちがいますよ!?」

言葉を遮られた織莉子さんは先ほどよりも心底残念そうに肩を落とした。


「……でも、それは見方を変えれば『友愛』だろう?」

しわだらけの頬を歪めて、織莉子織莉子さんは笑いながら言った。
この人は愛という言葉が大好きなんだろうなぁ……

早くあの子を追いかけたいという気持ちもあいまって、
わたしはちょっと悪戯めいたことを言ってしまう

「そんなに愛って安くないですよ?」

ところが織莉子さんはよりいっそう頬を歪ませて笑った。

「恩人、ついにその概念の領域に達したようだね。
 その通り、愛は安くない。だが恩人、忘れてはならない。愛は単位では言い表せない物だ」


織莉子さんは両手を広げてさらに続ける。

「私は恩人に、愛はすべてと言った。
 だが同時に愛はすべてでないとも言える。
 愛を修飾するのは愚かだが、丸裸の愛を晒すのも愚かだ」

矛盾だらけの言葉にわたしが頭を悩ましていると、織莉子さんはチッ、チッと指を振って見せた。


「……愛は人の数だけ存在するんだ。正も、非も、賢いも愚かもない。
 子供は『愛は特別だ!』と思いたがるものだが……愛なんてものは、道端に転がっている物でもある」


そして花屋に並べられたバラを指差してみせる。

「愛情を込めて育てられた薔薇だ。あれは愛の塊だ。
 愛はすべてのために存在し、すべては愛のために存在している。
 だから友を想う友人の気持ちもまた『愛である』と考えても不思議ではないよ」


わたしには、難しい事はよく分からない。
織莉子さんがどうして愛の何たるかを伝えようとするのかも、よく分からないままだ。
だけど——もしかするとこれは織莉子さんなりにわたしのことを応援してくれているのかもしれない。

「織莉子さんは、どんな愛を見つけたんですか?」

「私の愛は、ある人へ尽くす事だ。そのために今もこうして生きているよ」


その時の織莉子さんは、わたしが見たこともないような素敵な表情をしていた。


しわだらけの顔がまるで同い年の少女かと誤認してしまうほどに破顔し、
言葉の後に訪れた静寂がその表情をより際立たせ、黄昏色に染まる瞳が爛々と光り、
それこそ天真爛漫で純粋な、曇りの無い子供のようにさえ見えてしまいかねない。

織莉子さんの表情の前では、負の側面など欠片すらも存在を維持出来ない。
今にも胸が弾みそうな、ときめきにも似た至上の喜びを彼女は抱いている。
織莉子さんの愛は、ある人へ尽くす事だと言った。
ただそれだけのことで、こうも幸せそうな表情をするなんて。


「……愛って、すごいですね」

「恩人も愛されているじゃないか。そして愛しているじゃないか」

気付けば、織莉子さんの表情は普段の愉しげなそれへと戻っていた。
本当に子供のように見えたのだけれど……錯覚だったのかもしれない。
どちらにしても、凄い元気な人だなぁ。

一人感心していると、織莉子さんは何かを思い出したかのように上を向いて、

「ああそうそう、恩人の友人だけどね。
 この道をまっすぐ行って左に三度曲がってから右に曲がったところに向かって行ったよ」

明日の天気でも言うようにさらりと言ってのけた。


「ええ!? ど、どうしてもっと早く言ってくれないんですか!?」

「それじゃあ私が暇してしまうじゃないか」

「そういう問題じゃないですよ!」

「恩人はこの老婆から少ない楽しみすら奪うというのか!?」

「だからそうじゃなくて……」

「ああ恩人、キミはなんて酷いことを! キミはそれでも人間か!?」

「分かりました、分かりましたから……」

大げさに悲しむ織莉子さんに苦笑いしながら、わたしは道の先にある物を見た。
この先には古い大きなお屋敷があるくらいで、特に物珍しい物はなかったはずだ。
あの子はどうしてそんな場所の近くへ向かったのだろう?

「早く追いかけてあげたらどうだい?」

織莉子さんに急かされて、わたしは一歩前に踏み出す。
ところが急かした当の本人がわたしをもういちど呼び止めた。

「ああ恩人、一つだけアドバイスをしよう。愛を捜したくば、チート(ずる)はしない方が良い」

わたしは言葉を詰まらせた。もしかして、わたしの探知魔法に気付いて……?
焦るわたしに、織莉子さんは苦笑を浮かべて見せる。

「ケータイだよ。愛は己の足と目で捜しに行くべき物だ」

「……はい、そうしてみます。ありがとうございました、それじゃまたいつか!」

簡潔に礼を述べると、わたしは織莉子さんに背を向けて走り始める。
愛は己の足で捜しに行くべき物……なんだか深い言葉だ。
もうちょっとだけ、魔法に頼らないで自分の力で頑張って捜してみよう。

……えーっと、まっすぐ行って、左に三度曲がって……


◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇


ほとんど姿を消した太陽の、黄昏色の陽光を受けて燃えるような色彩へと変化する様々な薔薇。
薔薇だけではない。他にも並べられた色とりどりの花々が、一斉に燃えていく。
それは勇ましくも儚い、ほんのわずかな時間だけ訪れる神秘的な光景である。
影の消失する刹那。あるいは影と一体化する永遠。

「魔法の時間、マジックアワーの始まりだ。逢魔時ともいう」

極限まで削られた光と極限まで薄められた影の中で、織莉子は薄く笑う。
その姿は花々と同じく燃えるように輝いていた。

「さて、匿ってあげたんだ。話を聞かせてくれるかな?」

尋ね、織莉子が目を向けるのは、薔薇。
ではなく、その向こう側にある花屋の中。
灯りの点いていない花屋の中で、影がのそりとうごめいた。
見ようによっては不気味なバケモノに見えなくもないそれを見ても、織莉子はまるで動じない。
動じる必要が無いからだ。

ほどなくして影が店から出てきた。
それはバケモノでもなんでもない、ただの人間だ。

正確には、薔薇を愛する『恩人の友人』だった。

身長は165cm前後と高く、痩せていて、
大人しめの若草色の髪の毛は残念ながら陽光のせいで判別出来ない。

「恩人はキミから名前を教わったと言っていた。しかし私はキミを知らない。
 一方通行だよ。不可解だ。不思議だ。キミは、どうして私の名前を知っている?」

若草色の髪の少女は答えない。
だから織莉子は畳み掛けるように続けた。

「わけあって、私は見た目が非常に老いてしまっている。
 今の私を見て、私が美国織莉子であると一目で分かる者はそう多くない」


それでも少女が答えないので、老婆はやれやれと首を振った。

「……キミは薔薇が好きかい?」

こくりと頷いたのを見て、織莉子は満足そうに頬を緩める。

「キミはどうして薔薇が好きなのかな?」

たっぷり十秒待ってから少女は答えた。

「……母の、教え……」

「キミは母親が好きなのかな?」

「嫌い」

少女は即座に断言した。
若草色の髪の隙間から覗かせる瞳がしっかりと見開かれている。
はっきりと意思を示した少女の反応に、織莉子は気を良くしたように微笑んだ。

「好きと嫌いは両立する。キミは、そう、あれだ。私に——“美国織莉子”に似ている」

少女が驚いたような顔をする。
織莉子は笑みを浮かべてその反応を楽しんでいる。
好奇心以上の何かが彼女の心に生まれたようだった。

「“かつて”尊敬していた人物が薔薇を好んでいた。だから薔薇を植え、愛でた。
 それが美国織莉子だ。キミと違う点は、本当に薔薇を愛していたか否か、それくらいだよ」

「……」

「薔薇を愛するキミは何者だ?」

話を逸らしたかと思えば、一気に核心を突こうとする。
掴み所の無い自由奔放な織莉子の言動に、少女は呆気に取られてたじろいだ。
彼女の動揺を無視して織莉子はじっと少女の瞳を見つめる。
五秒、十秒、十五秒。
そばに建てられた街灯に灯りが点くと同時に、少女も口を開いた。。


「……あなたのお父上の、美国久臣の話をしても?……」


◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇

——美国久臣。

それは今から三十年以上も前に亡くなった見滝原市の国会議員の名だ。

政治腐敗に一石を投じる清く正しい政治家として。
そして当時の与党である某党の未来ある党員として。
彼はまさに粉骨砕身の精神で活動していた。

彼の立ち振る舞いと演説は見る者聴く者すべての心を震わせ、
老若男女問わず幅広い層から支持されることとなる。

早くに妻を亡くしてしまったというのも、悲劇的な意味合いで支持層に受けたのだろう。
一人娘を育てながら国の政治に物申す、政治家の鑑のような彼の名は瞬く間に見滝原中に知れ渡っていった。
あと十年も齢を重ねれば首相になっていてもおかしくない。
そう噂されるほどに、彼は順調な人生を送っていた。

しかし、彼は噂が現実のものとなるよりも先に命を断ってしまう。
収賄容疑と経費改竄による不正の疑いを警察から掛けられ、追及を逃れて首を吊ったのだ。

それまで彼を支持していた人々は一斉に手のひらを返して彼を叩いた。
それまで彼と仲の良かった人々は一斉に関係を否定して彼から遠ざかった。

嘘吐き、詐欺師、裏切り者……

死人に鞭打つようで、あまり気持ちの良くない批判だ。
しかし騙された者には騙した者を糾弾する権利がある。それは仕方の無い事だった。
仕方の無い事——
たとえば家に心無い落書きをするのも、窓に石を投げるのも、仕方の無い事なのだろうか。

何の責任も無い彼の娘を攻撃の対象に加えるのも、果たして仕方の無い事なのだろうか。

今の“美国織莉子”には、分からない。


◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇

「……美国久臣議員には、もう一つ罪が……」

「ふむ」

話を聞きながら、織莉子はすぐそばのベンチに腰掛けた。
その足下を、定期巡回中の球状警備ロボットがごろごろと転がっていく。

「……早くに妻を亡くした男性が、それで満足できると?……」

「さあ。あいにく肉体的にも精神的にも男性に興味が無いから分からないな」

「……美国議員は、人々に隠れて別の方を愛した……」

美国議員の妻は、娘がまだ幼い頃に他界してしまっている。
再婚しようと思えば出来なくもない年齢なのだから、本来であれば隠れるて愛を育む必要は無い。
だがしかし、彼は妻の死と一人娘の存在を自身の好感度を上げるために利用してしまっていた。
いまさら若い女性と再婚など、出来るはずもなかったのだ。

ましてや、女性関連のスキャンダルは政治家には付き物であるとはいえ、
清廉潔白で正義感に溢れる政治家を装っている者であればあるほど、
政治生命の存亡に直結する重大な問題でもあった。

その話を受けて、織莉子は顔色一つ変えずに言った。

「ふうん」

少女の表情に曇りが差す。

「……驚かれていない?……」

「いや、驚いているよ。続きをお願いしよう」

その言葉とは裏腹に、織莉子は驚く素振りを微塵たりとも見せることはなかった。
織莉子に続きを促されて、少女はしぶしぶ話を再開させる。


「……愛人は美国議員の子を孕んだ。議員は認知しなかった。当然、だけど……
 ……愛人は議員と別れ娘を産んだ。娘が5歳のときに、愛人は姿を消した……」

少女はちいさく息を吐いた。
うつむき、ちらりと織莉子の様子を目で伺う。
織莉子は微笑んだまま、何も語ろうとはしなかった。

自分に腹違いの妹が存在していたという事実を受けても。
自分の父が愛人とその娘を切り捨てる悪人だと知っても。

自分には関係ないと、そう言わんばかりに。


少女は深呼吸をして話を続ける。

「……娘にはたった二枚の写真が残された。父親と、五歳ほど年上の腹違いの姉の写真。
 ……娘は父と姉の存在だけを心の支えにした。いつの日か、家族三人で暮らせるようにと」

少しずつではあるが、少女が紡ぐ言葉と言葉の間隔が短くなっていく。
しかし、何かに苛まれるような少女とは対照的に、織莉子は落ち着いている。
彼女は顔面に張り付く微笑をまったく歪めることなく維持し続けていた。


「……だけど美国議員は亡くなってしまった。施設の中で娘は悲しみに打ち震えた。
 姉に会いたいと思った。いっしょに泣きたいと思った。触れ合いたいと思った。
 遠目から眺めるだけじゃなく、その優しくて尊い心を感じたいと。だけど願いは叶わなかった。何故か?」


責め立てるような言葉の連続を受けて、織莉子は表情一つ変えずに言葉を返す。

「姉が失踪したから……だろう?」

少女はこくりと頷いた。


「……美国織莉子。あなたは議員の遺産を売却し、三十年前の大災害の後、行方をくらました……」


わずか15歳の少女に、議員の膨大な遺産——土地も含めた財産の管理を任せられるわけがない。
しかし、記録上では遺産のすべてが彼女の管理下にあった。

それこそ“魔法”でも使わない限り不可能なはずなのに、である。

「……なぜ?……」

「詳しい事情は伏せるが……財産は友人に渡した。
 そして私はあの大災害の後、避難所に隠れてひっそりと暮らしていたよ。
 家も家族も、何もかも失った人は大勢いたんだ。が気付けなくとも無理はない」

織莉子を見つめる少女のまなざしに疑いの光が宿る。
けれども織莉子は涼しい顔でそれを受け流した。

「……大災害から十五年後。娘は結婚して、子を産み、母親になった」

「なるほど。それがキミか。つまりキミは私、美国織莉子の姪に当たるわけか」

「……そう……」

「だが辻褄が合わないな。それとキミの母への憎悪、そして私に気付いた事とかが」

「……私は、薔薇と同じ」


はて、と首を傾げる織莉子。
黙ったままでいると、少女はか細い声で続けた。


「……母は私に、美国織莉子の模倣を望んだ。
 清く、正しい心の持ち主である事を。
 薔薇を愛でて、優雅で、気品のある優しい、完璧な人間をっ」

もはや悲鳴に近いその声に、初めて織莉子は動揺し、目を伏せた。
哀れむような感情の揺れが瞳に宿る。

父に捨てられた母に捨てられ、
腹違いの姉にろくに近寄る事も出来ず、
けれどもその存在を希望に生きることを選んだ少女の母親。

彼女は姉である美国織莉子を喪った——と勘違いした——そのときから狂ってしまっていたのかもしれない。

姉の美国織莉子が薔薇を育てていた。

だから自分も薔薇を愛した。

だから娘にも薔薇を愛する事を強要した。

美国織莉子のような人間になれと、娘にはそう命じられたように思えてしまったのかもしれない。

娘は想いに応えようと母の愛する薔薇を愛したが、しかし母の他の想いには応えられなかった。

圧し掛かる身勝手な期待は少女の心を押し潰し、母への憎悪を生んだ。

憎悪は心の内で暴れまわり、歪んだ愛となって薔薇へと吐き出された——と。


「キミは“織莉子”より……に似ているね」

消え入りそうな声で言ったのは、織莉子だった。

「でも、あれだ。そう……たかがそれだけのことじゃないか」

織莉子の表情には、はっきりとした意思が宿っていた。
老いてたるんだはずのほうれい線が、無数に刻まれたしわが、
四十年という時間の流れでは生まれないような苦労の証の数々が、ほんのわずかな瞬間、消えてなくなる。

「たとえどれだけ狂い歪んでいようと、
 キミの母親がキミへ向けた想いは“愛”だよ。キミが薔薇へ向ける愛よりも、より純粋に歪んでいるけどね」

その言葉に、少女の目が見開かれた。

「愛されているくせにそれ以上を望むというのか? 恩人の友人は欲張りだな」

「愛されてなんかいない、私はっただの人形、それで誰も信じられなくてっ……」

「キミの母がキミに望んだ事は、立派な人物になって欲しい、ただそれだけのことじゃないか」

「っ……」

「愛に不満を覚えたのなら真っ向から立ち向かえばいい。
 愛を受け入れるか拒絶するか、その二択しかキミの頭には無いのか?」

少女は押し黙った。
実際、そんな簡単に済むような問題ではないのだろう。
だが織莉子の言葉からは、有無を言わせない迫力が滲み出ていた。

織莉子はまるで“愛されるだけマシじゃないか”と言いたげな表情をする。
そしてふてくされるように肩をすくめてベンチから立ち上がった。

「それにキミには、キミのことを心配してくれる愛すべき友人がいるじゃないか」

そして半身を逸らし、自分の背後を人差し指で指し示してみせる。

そこには、目に涙を溜め込んだまま、黄色いリボンをふるふると揺らす少女がいた。


◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇


◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

話の一部始終を盗み聞きしていたわたしは、あわてて袖で目元を拭った。
でもなかなか涙が拭いきれなくて、そうこうしている間に二人が話を続けてしまう。

「……」

「親を許せとは言わない、が、キミは、あれだ。少し周囲に目を向けるべきだ」

織莉子はやれやれと首を振って見せる。

「親子喧嘩なんてものは十年も経てば笑い話になる。友達との喧嘩もだ。
 しかしキミはそう、このままだと絆もろとも断ってしまいそうだ。必ず後悔するよ。分かったかい?」

「……でも……」

「キミは愛されているんだ。少しは胸を張りなさい」

「……は、い……」

ようやく正常になった頃には、二人とも一段楽した顔をしていた。
うつむいていたあの子の上体が元に戻り、背筋が伸びている。
それを見た織莉子さんはにっこりと微笑んだ。

「うん、それで良し。じゃあもう一つ質問だ。どうして私が美国織莉子だと気付いたのかな」

「……アプリ……」

あの子が取り出したのは、わたしの持っているのと同じスティック状の携帯電話だった。
いくつかのキーを叩きながら二回、携帯電話を振るう。
中空にが、二人の少女が仲良さそうに並んで歩いている写真が投射された。
それ自体は、わたしには何の変哲も無いただの写真でしかなくて。
だからわたしは、何気なく覗き見た織莉子さんの瞳が見開かれていることにとても驚いた。

「これは……!」

「……母が最後に撮った、あなたの写真を、処理……」

さらに画面が切り替わる。今度はしわがれたおばあさん——織莉子さんの顔のイメージ。


「凄いものだね、最近の技術は。子供の頃にも似たようなのはあったが、いやはや……」

嘆息する織莉子さん。その瞳はまだ開かれたままだ。

「……以前、この店のそばであなたを見つけたとき、なんとなく……」

「直感的に写真を加工して照らし合わせたと、なるほど。ところで……」

皮肉っぽい笑みを浮かべ、織莉子さんは笑い声をもらした。

「キミの模倣元——本物の美国織莉子と会話した感想を聞いてみたいな。幻滅したかい?」

あの子は首を横に振った。
幻滅してない。それはたぶん、あの子の本音だと、わたしは思う。
あの子はそれ以上何も語ろうとはしなかったけれど、織莉子さんは何かを悟ったような顔で、そうか、と頷いた。

「……母に、教えても?……」

「できればやめて欲しい、が、それではあんまりか。じゃあ、あれだ。キミの母君に伝えておいてくれるかな」

織莉子さんは今にも闇に消えそうな、ふらついた足取りで言った。

「『美国織莉子は、キミの事を愛していた』とね」

そう言って、織莉子さんは自嘲めいた笑みを浮かべる。だけど、あの子は素直に頷いた。

「ありがとう。さあ、はやく家に帰るといい。ほらほら恩人、恩人の友人を家までエスコートしてあげなさい」

わたしは慌てて駆け寄ると、その子に右手を差し伸べた。

「盗み聞きしちゃって、ごめんね」

「……いい……」

「あのね、わたし、難しい事はよく分からないから……だから、お家に帰って、みんなと晩御飯食べて、仲直りしよ?」

「……うん……」

頷くと、彼女はわたしの右手に左手を重ねてくれた。


「よかったぁ……」

ほっと肩をなで下ろす。
これで全部解決、というわけにはいかないけど、ひとまず安心。
家に残ってる子が機嫌を直してくれればいいけど……今は、あんずちゃんとシスターを信じるしかないよね。

……だけどこれ、ほとんど織莉子さんのおかげかも。
杏子さんになんて報告したらいいんだろ?

わたしが気まずい思いをしながら振り返ると、織莉子さんの姿はもうどこにもなかった。

「あ、あれ? 織莉子さん?」

「……神出鬼没。油断ならない……」

あはは、と苦笑い。
心の中で織莉子さんにお礼を言いながら、わたしたちは手を握り合う。

「……わざわざ、ありがとう……」

「……ううん、こっちこそ、ありがとう」


終わり良ければすべて良し——そういうことに、しておこう。

わたしは投げやりな気分のまま、家路へと就いた。




「……織莉子」




「キミが愛したのは、彼女の母君だったのか?」




「もしもそうなら、私は」




「私が三十年間、この街と共にあった意味は」




「……愛は、無限に……」




「……無限に……」

そんな感じでした。
久臣先生が悪者になってしまいましたが、本来はきっと良い人ですよ

次回はお菓子の話とあんずちゃんの過去を少しやります。ゆまさんのお話もちょろっと描くかも。

なおまっすぐ行って左に三度曲がってから右に曲がってぶっとばす。右ストレートでぶっとばす。
は図で表すとこうなります。我ながら少し分かりにくかったかもしれません
済まぬ

↓↑
↓↑    
↓└←┐
↓    ↑
└→→┘

乙ファック
解説されるまで左に三度曲がって〜が元に戻ると分かってなかったのは俺だけでいい

ファック乙
今から過去編が楽しみなのは俺だけじゃないはず!

ふぁっこつ

ファック乙で定着しててわろた

ファック乙

>>1おファツク
矢印の図が一瞬わいせつ物に見えてそれ以降わいせつ物にしか見えなくて泣いた

乙ファック

ファック乙

ファック付ければなんでも良いだろみたいな風潮、実にファック。でもレスありがとうございます

書く時間が取れなかったのでとりあえず前半部分だけ投下します


◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇

黄色いリボンの少女が三度左に曲がってから右に曲がっている頃。
皆からシスターと呼ばれて親しまれている女性は、ある部屋の前で立ち往生していた。
すぐ隣では、まだ幼い千歳あんずがちらちらと彼女を見上げ、様子を伺っている。
シスターは苦笑を浮かべた。

「どうしましょうか。彼女は強い子ですから、喧嘩くらいでは落ち込まないと思うのですが」

「あんず、がんばるよっ!」

両手を挙げて熱意を示すあんずを見て、シスターは苦笑を微笑へと変化させた。
あんずの頭を撫でながら、彼女は扉に目をやる。
ノックをして、入って、愚痴を聞いてあげて、それで済む話なのだろうかと考えているようだ。

すでに亡くなったとはいえ、彼女はいまだに両親に対してわだかまりを抱いたままでいる。
おそらくは、死ぬまで消えないであろうわだかまりを。

扉の向こうにいる少女とは正反対の立場の人間だ。
いかに修道女経験と教会運営の手伝いの経験があるとはいえ、シスターは今回の問題には向いていなかった。
それに、なにより彼女の立ち位置は杏子に近い。
積極的な干渉はどちらかといえば避けた方が無難なのだ。

しばらく考え込んでいたシスターは、やがて大きな溜息を吐いた。
そしてあんずの背に手を当てる。

「ほぇ?」

「私には、彼女の聞き手役は荷が勝ちすぎています。あなたにお任せしてもよろしいですか?」

「う……うん、はい!」

「ありがとうございます。何かあったら魔法で呼びかけてください。では、グッドラック」

彼女は後ろに下がると、少女の後ろ姿を見守りながら、祈る。


……いつの日かこの子が胸を張って母親に会えますように、と。


◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇

『彼女は強い子ですから、喧嘩くらいでは落ち込まないと思うのですが』

シスターの言葉は的中していた。
件のお菓子が好きな少女はベッドの上に寝転び、携帯電話から投射される写真を眺めていた。
彼女の表情に浮かび上がった怒りの色などはすっかりと鳴りを潜め、
落ち込むどころか、時折、笑みすら浮かべることさえある。

「……あのぉ」

相手の機嫌を伺うようなおどおどした声が部屋に響いた。
声に気付いた少女は、携帯電話の機能をストップさせて上体を起こす。
そしてどこか不安そうな表情を浮かべているあんずを認めると、にっこり笑った。

「あんずちゃんいらっしゃーい。なんもないけどゆっくりしてきなよー」

「う、うん!」

明るく振舞う少女に対して、あんずの顔色はいまだ晴れないままだ。
少女は考え込むように珊瑚色の髪に手を当てた。
そして何かを閃いたのか、口の端を吊り上げる。
どっこいしょと声に出して起き上がり、あんずに向かって左手を差し伸べた。

「……菓子ねえちゃん?」

彼女の左手中指に嵌められた指輪がきらりと輝いた。
かと思えば、その手のひらの中にきれいなキャンディが二粒、ころりと現れる。

「ままっ、これでも舐め……あーうん、佐倉さん風に言うと、こうかな?」

少女はくすくすといたずらっぽく笑った。


「食べるかい?」


◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇


——少女のペースに乗せられたあんずは、あれよあれよという間に四粒目となるキャンディを口の中に放り込んだ。
ぱあっと表情を輝かせる。

「おいしい!」

「んふふっ、でしょー? あたしのお菓子は評判いーからさー」

けらけら笑う少女に釣られていつしかあんずも次第に表情を柔らかくしていった。
あんずが調子を取り戻したのを見て、少女がほっとしたように肩を下ろす。
一方のあんずは不思議そうに首を傾げた。

励ます側が励まされていることに、あんずはまだ気付いていない。
もっとも、少女が気付かせないように注意を払ったのだ。
気付かれてしまっては意味が無いとも言える。

少女は頃合を見計らってから話を切り出した。

「さってと、それじゃーあんずちゃんに愚痴でも聞いてもらおっかなー」

「ふぇ? ぐち?」

「そーそー愚痴。だってほら、あんずちゃんはカウンセリングやってくれるんでしょ?」

あんずは頭の上にいくつも疑問符を並べた。

「えっとね、お話をききにきたんだよ、あんず。それがカウン……リング? なの?」

「そーそー、あんずちゃんにしか出来ない重要なお仕事」

ミルクキャンディを手のひらに浮かべて少女は笑った。
キャンディを指でつまみ、視界にいるあんずの顔と並ぶように位置を定める。
そして彼女は語り始めた。彼女からすればそれほど長くもなく、かといって面白くもない過去の話を。


「あたしが魔法少女になったのはねー、いまから十年くらい前なんだー」

驚いた? と、少女は肩をすくめてあんずの顔色を伺う。
一方のあんずはわけが分からないよと言わんばかりに首を揺すっていた。

「菓子ねえちゃん、いまいくつなの?」

「いくつに見える?」

「……十歳くらい?」

まだ幼いあんずよりもほんの少しだけ背が高い少女はやれやれと首を振った。
両手をクロスさせ、子供のように舌をべーっと出す。

「ぶぶー! 残念! あたしってば十七歳なんだよねーこれが!」

「じゅうなな……うそだ!」

「いやホントホント」

少女は苦笑を浮かべて後頭部を掻いた。
テディベアのぬいぐるみ——ネームプレートにはKYOKOと黒字で書かれている——を手繰り寄せる。
そしてふかふかのお腹に両手を当てるようにして抱きしめながら言った。

「あたしってなんか伸びない子らしくてさー。あとストレスの影響も多いのかも」

「すとれす?」

「そっ。で、あたしが魔法少女になったのが六歳なんだよね。じゃー問題! あたしは魔法少女歴何年でしょう?」

あんずは指折りして数字を数え始めた。
健気で微笑ましい光景を見て少女はふっと頬を緩める。
嫌なことぜんぶ忘れられちゃうかもねー、と誰にも聞かれない声で呟く。
と、そこであんずが大声を出した。

「菓子ねえちゃんって十一年も魔法少女やってるの!? ベテランさんなの!?」


目をまん丸と見開いて叫ぶあんずに、しばしの間呆気に取られる少女。
そしてあんずの反応に気を良くした少女は大きな声で笑って胸を反らした。

「あっはっはっは! 最高だよそのリアクション、いやー参っちゃうなーあんずちゃん!」

機嫌を良くした彼女は腕の中のぬいぐるみをぐちゃぐちゃにいじくりはじめ、そこでふと我に返る。

「まあ中身はすっからかんなんだけどね……」

「すっからかん? からっぽなの?」

「そーそー。んっとさ、あんずちゃんは小型の魔獣、どれくらい倒せる?」

ふたたび指折り開始。その様子を見ていた少女はあごに手を当てて長考をはじめた。


幼いこともあって——家庭の事情かもしれないが——あんずはあまり頭が良くない。
年齢相応とも言える。
だから魔法少女としての指導の他に教育も同時に行うことになっている。
そしてマギカ・カルテットの中で誰かに物事を教えられるほど学があるのは三人。

その内の一人はあまり行動を共にしないので除外すると必然的に残るのは二人になる。
残った二人の内の一人であるシスターも実生活があるのでいつも一緒というわけにはいかない。
それにシスターには倫理面での教育を任せることになっていた。
倫理教育と言っても実際は名ばかりで、近いのは道徳の教育なのだが。

そのため、基本的な教育は杏子が担当するのだが、杏子は杏子で忙しい。
空いた隙間を埋めるためにも"若いマギカ・カルテット"である少女らが奮闘しなければならないのである。

……とりあえず算数から教えようかな?


そのようなことを少女が考えているうちに、あんずが両手を突き出した。
立てられた指の数は全部で十本。おそらく十体だと主張したいのだろう。

……もしも十一体だったらどうやって表現してたんだろ?

そんな考えを振り払うかのようにかぶりを振り、少女はまた笑った。

「あたしも同じだったよ。……あんずちゃんは魔法少女になってからまだほんの何週間かだっけ?」

「うん、まだちょっとだけだよ?」

「あたしはね、一年掛けてやっと十体倒せるようになったんだ」


少女は自嘲的な笑みを浮かべた。

「あんずちゃん、武器はどんなやつが出せる? 固有魔法は?」

「ちょっとかわいいハンマーが出せるよ! 魔法は……えっと、まぼろしを見せれる……のかな?」


ハンマー。
対象を叩き潰す攻撃的な武器。
幻惑魔法。
対象を虜にして惑わし、隙を作り出す嫌味な魔法。

あんずのイメージには合っていないな、などと考えたのか、少女はこっそりと首を傾げた。
それから自分に向けられる好奇の視線に気付いて、またも自嘲的な笑みを浮かべる。

「あたしの固有魔法はお菓子を出すこと。それで武器なんだけど、持ってないんだよねー」

「……持ってないの?」

「そっ。あたしね、武器無し少女なんだー」


◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇

武器、あるいは防具や道具。
それは魔法少女にとって、自分の分身でもある代物だ。
それを作り上げるのに、高度な技術や莫大な魔力は必要ない。
ただ力を込めるイメージを働かせるだけで生成可能である。

知識と経験に依らずとも生成できるため、
魔法少女になって最初に行う事が武器の生成となる魔法少女も少なくはない。

武器の種類は十人十色だ。
具体的には剣や槍、銃のような武器から、盾や装甲、鎧のような防具にまで広がり、
日常生活で用いる道具から用途不明の摩訶不思議な道具までそのパターンは多岐に渡る。

多くの魔法少女はそんな武器を活用して初戦を生き延び、武器を主体とした戦闘スタイルを確立する事になる。


——が、しかし全員が全員、そのように振舞えるわけではない。
なぜならば、使用者の期待に応える武器が出てくるとは限らないのだ。
中には使用者の性格と不一致な性質の武器が生成される事だってある。

攻撃的な性格なのに盾が生成される事もあれば。
小心者に大振りの剣が生成される事だってあるのだ。

魔法少女の武器と素質や性格の因果関係は、まだ今のところ解明されていない。
自分の戦法に合わない武器に当たってしまった魔法少女は、
武器を生成する段階でそれをカスタマイズするしかない。

直感的に生成するのと違って、こちらは複雑なイメージや知識、経験が必要になる。
そしてそれが出来ない者は、武器を使用しない戦闘スタイルを確立させるしかない。

その戦闘スタイルとは——すなわち、固有魔法を戦闘の主体にするものである。


固有魔法。
それは魔法少女が契約した直後から使用出来る魔法だ。
それは誰かと被る事もあれば誰とも被らない珍しい事もあり、先述の武器のそれよりもずっと幅が広い。
対象一人に影響を及ぼすものもあれば、空間そのものに影響を与えるものもある。

使用方法は、実のところ武器の生成とあまり変わらない。
契約の際の祈り意識して力を込めることで発動出来るのだ。

武器と違って、固有魔法契約する際の祈りと願いが関係している事が判明している。

誰かの怪我を癒す願いであれば治癒の魔法になり、
誰かの言葉を信じさせる願いなら幻惑の魔法となるのだ。

性格と不一致なケースが生まれる武器よりもよっぽど魔法少女の分身らしいと言えるだろう。

ただし、武器と違って劣っている点ももちろんある。

たとえば固有魔法は武器と違って大胆なカスタマイズは行えない。
癒しの祈りで契約した魔法少女は、治癒の魔法を破壊の魔法にする事は出来ないのである。

破壊の魔法を発動したければ、固有魔法を用いない場合。
つまり一から魔法を作る必要がある。
これはあまり簡単な作業ではない。そして労力に見合うだけの結果も得られない。
豊富な知識と多彩な技術と多くの経験が必要になるからだ。
そして、やっと完成させた魔法ですら、固有魔法の威力と比べれば見劣りしてしまう。

固有魔法は大胆なカスタマイズが行えない——けれど、その質を向上させることはいくらでもできる。

治癒魔法であれば治癒の効率や効力を向上させられるだろう。
破壊魔法であれば単純な範囲や出力を向上させられるだろう。

相応の努力は必要になるが、それに見合うだけの結果は得られるのだ。


契約したばかりの魔法少女の多くは、
無我夢中で生成した武器と拙い固有魔法を用いて魔獣と戦い、経験を積んで行く事になる。

武器が気に入らなければ魔法を使って戦い抜き。
魔法が気に入らなければ武器を使って生き抜く。
あるいはその両方を自分好みに改良する者だっている。
その両方を用いず、与えられた素質と才能で文字通り自分の道を突き進む者だっているはずだ。

ただし——何事にも例外は存在する。


魔法少女の素質とは、因果の総量と"才能"によって決まる。
つまり、才能を除けばどれだけの人間に影響を及ぼしたのかによって変動するのだ。
人からの関心が薄ければ薄いほど、それだけ素質は低いという事になる。

そんな現代で生まれる魔法少女の素質は、30年前と比べると格段に下がってしまっている。
30年前の魔法少女と比べると、その差はおよそ4:1である。


21世紀ももう少しで半世紀を過ぎようという現代。
救世主や英雄などが存在していた時代に比べると、若い人間が多大な注目を浴びることはほとんどない。
いわゆる一部の天才等を除けば、むしろ人からの関心は薄まる一方だ。

そして当然ながら、契約した年齢が幼ければ幼いほど因果の総量は少なくなってしまう。

少女が契約した時点での年齢は、六歳。
そして少女は"才能"と呼べるものを持ち合わせてなどいなかった。


少女は、数少ない例外の一人だった。


◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇


「あたしは『素質も才能も無いダメな子』なんだってさー」

自嘲気味に言って、少女は肩を落とした。

素質も才能も無い。

それゆえ少女は武器を生成出来なかった。
新たな武器を編み出す才能すらなかった。

戦いに役立てるような固有魔法も持ち合わせておらず、
基本的な身体強化魔法すらろくに掛けられない。それが彼女だ。


「最初はさー、お菓子をぶつけたりとか、操って魔獣を邪魔したりとかいろいろ頑張ったんだけどねー」

人差し指の上にキャンディを乗せながら、少女は溜息を吐いた。

「でもやっぱダメなんだよね。どー頑張ってもお菓子はお菓子。上手くいかないもんなんだよ」

「それで、菓子ねえちゃんはどうやって戦ったの?」

「体当たり。あとお菓子の目くらまし。
 捨て身のタックル。あとお菓子の煙幕。
 死ぬ気の肉弾攻撃。そんでお菓子の目潰し——よーするに、二つしか戦法なかったんだよね」

自嘲気味に言うと、彼女はテディベアを蹴っ飛ばした。
ごろりと仰向けになる。

「戦いの消費が浄化を上回ったら、それってもーダメなんだよね。
 だから、あたしは何回も死んでるよーなもんなんだ。生きてるのは、ホント奇跡みたいなもんなの」


日常生活を送るだけでソウルジェムは濁る。
戦いを行えばもっと濁る。
戦闘で得られたグリーフシードでソウルジェムを浄化しても、戦闘で消費した魔力の方が多ければ意味はない。

「でも、菓子ねえちゃんは生きてるよ?」

「キュゥべえがさ、グリーフシードを渡してくれたんだよね」

「どうして?」

「それが話すと長くなる……とゆーわけで保留! 話、進めちゃってもいーかな?」

あんずが頷いたのを見ると、少女は話を続けた。

「魔法少女やってるとさー? 生活ももー大変なんだよね。
 団体行動とかムリムリなわけで、おじさんおばさんに叱られちゃうんだ。そんでまた親戚の家をたらい回し」

少女は話を止めてあんずの様子を伺った。
あんずは真剣な眼差しで少女の横顔をじっと見ている。
満足したように笑みを浮かべると、少女は上体を起こして話を再開した。

「まーようするにさ、厄介者なのよ。で、決定打が三年前の遠足」

「えんそく? どこに行ったの?」

「ここ……つまり見滝原市なんだよね。実はあたし、ここからちょっと離れた場所の出身なんだ」

災害によって壊滅的な被害を負ったとはいえ、見滝原市は日本有数の地方都市だ。
物珍しい建物や荘厳な雰囲気の学校。無駄に大きい橋やコンサートホール……
それに三十年前の傷跡を保管した施設も存在している。
遠足先としてはメジャーな部類に当たる。

そのことを掻い摘んで説明すると、少女は遠い目をした。


「そんでね、あたし見ちゃったんだ。
 佐倉さんはそんなやついないって言い張ってるけど……
 でも確かに見ちゃったんだ。……≪黒い魔法少女≫を、ね」

ここまでです

次回でこのパートは終わるはずです
今回の内容は一言で表すなら、さやかちゃん一人で無双できるくらい現代っ子は弱体化してますってこと

次の投下は14日の深夜か夜に必ず

ファッコツ

ファック乙

Fuck Yeah!

すm

ファック!すいません上のはミスです
休日が仕事で潰れたので明日の深夜に先送りします。それもこれも社会と気候が悪い。雪が悪いです

ファッキュー

おツでした
なりたて魔法少女の設定描写お借りしたいと思うくらい読んでて楽しい

来る

来た
三時間差で。ごめんなさい

>>362
お世辞でもちびるくらい嬉しいです、ありがとうございます


◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇


——それは、あたしが中学二年生だった頃。
四度目の転校を経験してから三ヶ月くらい経ってからのことだった。

あたしは持ち前の明るさで、なんとかクラスのみんなと打ち解けてうまく馴染めた。
正直な話をすると、けっこー辛かったんだけどね。

だって、どんなにたくさん友達を作ってもあたしは魔法少女。
必ずボロが出て、預かってくれてる親戚のおじさんたちに迷惑を掛けちゃう。
迷惑を掛けたらまた他の家にたらい回し。
人間関係もそーだけど、魔獣と戦う上で重要な地理情報までリセットされちゃうのはかなり痛い。

魔獣との戦いって、結界の中で行われるじゃん?
結界ってその周辺の地形の影響とかモロに受けちゃうじゃん?
もしも地形を把握してないで魔獣を見つけちゃうと、かなりマズイんだよねー。

見た目はただの道路でも、死角があったら?
結界の向こうは御伽の国と同じ。しっちゃかめっちゃかだったり荘厳だったりする不思議な世界。
死角に隠れた魔獣に気付かないまま戦って、魔獣が隠れたまま攻撃してきたらそれでアウト。

今でこそヨユーだけど、昔のあたしならレーザー一発で動けなくなっちゃってたね。
痛覚神経をカットしろって話だけど、あー、言い忘れてたけど魔法少女ってその気になれば痛みを無視できるんだ。

でもそれって誰でも出来るわけじゃないんだ。痛みの緩和だけならソウルジェムがオートでやってくれるんだけどさ。
うかつに神経弄ったら危ないよ。ホント。
昔のあたしなんかそれやろーとして聴覚失いかけちゃったもん。いやー怖かったねあれ。
キュゥべえがいなかったらあのままソウルジェムが濁って導かれてたんじゃないかな。

ん? あーうん、話がそれちゃったね。
見敵必殺(サーチアンドデストロイ)なんて才能とか素質に恵まれた子の特権なんだよねーってこと。
敵の規模と地形と自分の体調チェックは欠かしちゃダメだよねー。ちなみにこれを教えてくれたのもキュゥべえね。

人間関係はねー……無理してでもみんなと一緒にいないと、心が折れてたんじゃないかな。
心の拠り所ってゆーの? そーゆー対象って大事っぽいねー。


とにかくさ、生きるのに必死で、もがけばもがくほど苦しんでたんだよね。

ペット兼お友達のキュゥべえにはすごいお世話になったよ。
グリーフシードを持ってきてくれるし、すごく具体的なアドバイスもくれるんだもん。
まるで誰かに言わされてるみたいな言葉に、ときどき違和感を覚えることはあったけど……ね。

あたしが真相を知るのは、もーちょっと先の話になる。
だから先に“黒い魔法少女”の話をしちゃおっかなー。

……うーん、元を辿ると赤いリボンの伝説っていうお話に繋がるんだけどね。


   目を閉じている時に姿を現し
   誰かの代わりに魔獣を狩って人間を救って
   目を開いた時には姿を消す
   黒い髪に赤いリボンの伝説の魔法少女

   今はもう見えなくなってしまった親友のために
   その親友と再会するために
   世界を護り続ける優しい女の子


って感じのお話なんだけどさー。
お話? むしろ噂話、都市伝説かな。童謡みたいなバージョンとか詩のバージョンもあって、まー色々。
よーするにあたしたち魔法少女の代わりに戦ってくれるすごーいやつってことかな。

さらに元を辿ると≪救済の魔法少女≫にまで遡るらしーね。
でもあっちは円環の理を美化したお話だし、やっぱ違うのかな。

≪赤いリボンの伝説≫の何がすごいってね、日本のどこに行っても聞けること。
マギカ・コミュニティに上がったネタによると……んっとねー。
うさんくさい発見談をデータに加えていくと、まるで日本中を駆け回って守ってるみたい、なんだってさ。
コミュニティで話題になる魔獣発生シーズンとか、魔獣危険地域とかだとしょっちゅう噂になるね。


……佐倉さんは戯言だって嫌ってるけど、あたしは嫌いじゃないよ、このお話。
夢があるし、ロマンがあるしさ。


黒い魔法少女の伝説ってゆーのはそれの見滝原バージョン。
地方によって怪談話の内容が違うのと同じやつね。

この黒い魔法少女の伝説っていうのは、あんまり派生とか他のバージョンが無いんだよ。
まーこのお話自体が派生したお話だししょうがないのかな。
これはすっごいシンプルなんだよね。

黒い魔法少女が見滝原市をずっと守ってる。

そんだけ。

色気も茶目っ気もありゃしないよね。
つまんないでしょー?
だからあたしもさ、中学二年の遠足前までは信じてなかったんだよねー。
マギカ・コミュニティで話題になってるの見て、わーくだらない話してるなーってさ。

でも、事実は小説より奇なりってゆーじゃん。
あれ、ホントだね。

中学二年の遠足で、あたしはそれを身を以って実感したよ。


——あたしは遠足先で、大変なミスをしでかしてしまったんだ。

あたしは自由時間を使って見滝原市を探索してたんだ。
この街にある≪マギカ・カルテット≫が気になってたからね。
その途中で開けた公園に出たんだけど、ちょうど魔獣が5体くらいうろついてる気配を感じ取っちゃってね。

あたし、バカだから伝説級に名高いあの佐倉さんと巴さんに会えるってはしゃいでてさー。
地形は開けてるし瘴気も薄いし戦っちゃおうって、結界の中に飛び込んだんだ。

飛び込んですぐに失敗したって分かったよ。

結界の中にはね、魔獣が発生する“特異点”が生じてたんだ。
いわゆる一般的な魔獣は瘴気のある場所から生まれるんだけど、これは例外。
特異点は瘴気の有無に関わらず、加速度的に魔獣を排出するんだ。
排出し終わったら閉じておしまい。さようなら。跡形も無く消え去っちゃう。
後に残るのは、膨大な数の小型・中型の魔獣の群れのみ。

特異点はどこにでもあるわけじゃない。
見滝原みたいな特別な場所でもない限り、普段はお目にかかることすら出来ない。

で、あたしが飛び込んだその結界の特異点は、ちょうど魔獣を排出してる真っ最中。
飛び込んだときにはもう魔獣の数は二十を超えてたよ。
ちなみに当時のあたしは小型十五体倒すのがやっと。中型は頑張って二体。理論上は三体なんだけどねー。

すぐに逃げようって思ったんだけど、あたしは魔翌力のコントロール出来ないからさー。
恐怖とかそういう感情が魔翌力に変換されて漏れちゃったんだ。
そんで、魔獣が一斉にこっちに気付いちゃってさ。

細かい話は伏せるけど……あの時ほど、死を間近に感じたことは無いんじゃないかなー、うん。
ありゃーやばかったよーホント。
腕、取れたしね。


生きてるのが不思議な状態でさ。
朦朧として意識の中で、あたしは見たんだよ。

黒い魔法少女を。

その人はあたしの前に現れて、あたしのことなんか無視して、あたしの代わりに戦い始めたんだ。

速かった。
あたしを数と速度を活かして追い詰めた魔獣が。
あの人の前だと子供のお遊戯会かってくらい遅く見えた。

強かった。
あたしに体当たりされても倒れなかった魔獣が。
紙細工みたいにばっさりと切り捨てられて散っていった。

ああいうのを一騎当千ってゆーのかな。
凄いなぁって思いながら、そこであたしの意識は途絶えちゃってさ。

最後にその人が『……みのおか……愛はまも……』とか言ってたような気がするけど、よくは覚えてない。

気付いたらあたしは病院のベッドの上。

なんでも、一人遊びをして大怪我をしたってことになってたらしーんだよね。

それでやっぱり大目玉。

生きてるだけ良かったけど、とうとう引き取ってくれる親戚がいなくなっちゃってさー。
元々虚言癖とか素行不良みたいなレッテル貼られてたし。で、退院したあたしはそのまま更生施設送り。
詳しい事は良く憶えてない。憶えていたくない。お世話になった人から悪態を吐かれるのって心にクル。

でも困るよねー、若いのに施設って。いや若いから施設なのかな。

そーしてやってきたのが——


◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇


「ここなの?」

良く出来ました、と少女はにっこり笑って頷いた。

「後から聞いた話なんだけどさ、傷ついてたあたしを拾ってくれたのってあの子なんだよね」

「おねえちゃん?」

「そっ。リボンのおねーちゃん」

そこで彼女はふわぁ、と欠伸をした。
すでに太陽は沈んでいて、もうすぐ本格的な夜になる。
暗い部屋の中で、少女は携帯電話を操作した。部屋の照明が輝いて、室内を照らし出す。
室内にいる人間の数とその姿勢や位置を感知した照明器具が自動で明度を調節するのを見届けると、少女は話を再開した。

「さらに後から聞いた話なんだけどさー。
 キュゥべえがグリーフシードプレゼントしてくれたりアドバイスしてくれたあれね。
 実は巴さんの差し金だったんだよ。キュゥべえがプライバシーに差し障りない程度の話を漏らしたみたいでさー」

懐かしむように目を細める。

「あたしはね、巴さんのおかげで生きてこれたんだ」

「巴さん……おねえちゃんも好きだって言ってた。そんなにいい人なの?」

「そりゃそーだよ。最高の人。あたしの第二のおかあさんみたいに思ってた。
 優しくて、立派で、可愛げがあって、胸も大きくて、若くて、料理も上手で、お菓子も美味しくて……」

声を震わせながら、少女は唇を噛み締めた。
目を閉じ、深呼吸して、心を落ち着かせる。

「……巴さんは、リボンを編んで銃にして戦ってたんだ。
 あたしはそれを見習って、お菓子をエネルギーの塊に“解いて”戦ってる。
 それに巴さんのリボンの拘束魔法に似せた武器も作ったんだ。今度見せてあげる。
 格闘も見習ったんだ。。巴さんは銃で叩きつけたり蹴ったりで、あたしはパンチとかキックだけどさ」


「巴さんと比べるとみすぼらしいけど、これがあたしの戦い方。巴さんから受け継いだ戦い方。
 ぜーんぜん巴さんみたいには戦えてないんだけどねー。
 ほとんど近接戦闘だしさ。やっぱ才能無いんだ。
 “不完全な状態”で戦ってるあの子に比べたら、あたしは落ちこぼれってやつ? だからけっこうしんどいよーホント」

「……だいじょうぶ?」

「もちろん! へーきだよへーき。
 経験はあたしの方がダンチだし。年齢も上だし。バイトしてるしーふふふっ」

その時、玄関の扉が開く音がした。
一人、二人だろうか。慌しい足取りで下の階を移動している。

「帰ってきちゃったねー、んじゃー仲直りしないとなー」

「え?」

不思議そうなあんず。
彼女は一番重要な点である、今回の衝突の原因を聞きそびれている事に気付いたのかもしれない。
少女はあんずの態度に苦笑を浮かべ、

「あたし、母親を死なせてるんだよね。
 あたしのミス——みたいなやつでさ。父親はそれよりも前に亡くなっててだから親戚の家で育ったんだ。
 ……本当ならチーズケーキなんかより病気を治せば……でもそれはそーゆーことじゃないのかなー……」

「んー、菓子ねえちゃん、よく聞こえないよー」

「なんでもない。母親なんていらないって言ったあの子についカッとなっちゃっただけ。でももうだいじょーぶだよ」

少女は言って、太陽のように陽気な笑みを浮かべた。
あんずの頭に手を置く。

「あんずちゃんと話してたらストレス解消できたしさー。
 なにより、巴さんならきっと、こんなことで喧嘩しないと思うんだよね。だから喧嘩はおしまい!」


少女は笑い、次にあんずの瞳をまじまじと見つめた。

「あんずちゃんは、どう? 悩みとかさ」

短い、疑問系の言葉。
言葉の裏に秘められた意味に気付いたのか、あんずは顔を逸らした。
肩を落とし、俯く。

「……ママに会いたい」

「そっか。じゃー会いにいきなよ」

「でも、あんずは会えないの。会っちゃいけないんだよ」

難しい問題らしく、あんずはそれ以上その話を続ける気はないようだった。
しょーがないなーと肩をすくめ、少女はあんずを一人にさせようとしてベッドから降り立つ。
部屋の扉へ手を掛け、下で騒いでいる二人に会いに行こうとして、

「菓子ねえちゃん」

あんずに呼び止められる。

「巴さんって、いまはどこにいるの?」

ほんの一瞬、少女は表情を強張らせた。


「……導かれちゃったよ。よーするに、亡くなっちゃったんだ」


そう言って、少女は部屋を出て行った。


◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇

これでおあいこだ、と。
階下では仕返しのビンタが繰り出されていた。
すっぱーん、と気持ちのいい爽快な音が鳴り響く。

それを聞きながら、シスターは一人、二階へと上がった。

あんずが降りてこないことを不思議に思ったのだ。

そして部屋を覗き見て、目を細めた。

「……これは」

部屋の中では、あんずが立ち尽くしていた。

焦点の定まらない瞳で虚空を見つめ、ぶつぶつと言葉を吐き出している。

シスターは彼女に声を掛けようとして、しかし思い留まる。
うかつに触れれば、事態は悪化する。
シスターはその事に気付いて、扉をそっと閉めた。

そして聴こえてくる声に耳を傾ける。




「……導かれたら、死んじゃうんだ」



「魔法少女は、導かれちゃう……」



「……ママもパパも、いつかは死んじゃう」



「いつかはみんな、死んじゃう……」



「いつか……いつかって……いつなの」




「いつか死んじゃうなら……どうして生きてるの?」

ここまでーっす

姉ちゃん、いつかって今さ!
すいません、明日に備えて寝ます。
明日って……今日さ……


あんずまさか…

乙乙


菓子ねーちゃんを助けた黒魔法少女はHでなくK!という解釈で構いませんねッ!

新世界よりのED素晴らしいわこれ……

それはともかく時間が取れたので今日の深夜か明日の深夜に投下します。したいです?

きたか…!!

  ( ゚д゚) ガタッ
  /   ヾ
__L| / ̄ ̄ ̄/_

  \/    /


Hさんは出番なさそうだな
残念だ

いや、出番が無いわけでは……投下


◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇


◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

その日の空は、雲一つ浮かばない、気持ちが良いくらいの真っ青で。
だけど、わたしの心は空と相反するように暗く沈んでいた。

わたしは陽光を身体で浴びたまましゃがんで、目の前の墓碑に手を伸ばした。
墓碑には、一人の少女の、三つの名前が刻まれている。
名前を指でなぞって、わたしはため息を吐いた。

「大丈夫か?」

杏子さんの声を受け、墓碑を見つめたままわたしはうなずいた。
膝に手を着き、立ち上がる。
すると、肩に手が置かれた。

「だいじょうぶだよ、杏子さん」

振り向けば、そこには悲しそうな杏子さんの顔がある。

「……でも」

「だいじょうぶ、昨日たくさん泣いたから。それにほら、いつまでも心配かけていられないから」

わたしは杏子さんの後ろへ目を向ける。
昨日喧嘩をしていた二人の女の子と、私服姿のシスターを見て、軽く手を振ってみせる。
三人は気まずそうに会釈したり、同じように手を振ったりして返してくれた。

視線を右にずらせば、一人の女性の姿が目に入る。
彼女はしきりに腕時計へ目を落とし、妙に周囲の様子を伺っていた。
その人はわたしの視線に気付くと、わたしに向けて軽く頭を下げた。
そしてそのまま背を向けて歩き去る。

家庭を持つ稀な魔法少女だから、忙しいのかもしれない。


「……落ち込みたければ落ち込みな」

杏子さんがぽつりと呟いた。

「だけど自分を責めるのはやめときなよ」

それはたぶん、慰めの言葉なのだろう。
その言葉に甘えたくなるのを必死にこらえて言葉を返す。

「でも、わたしが気付けなかったのがいけないから」


友達が、円環の理に導かれた。

この世界から消えて、新しい名前と共に見えないところへ行ってしまった。


それはわたしが気付けなかったのがいけないからだ。
あの子のソウルジェムが濁っていることに、わたしが気付けていれば。
きっとこんなことにはならなかったのだ。

自分を責め立てるわたしに対して、杏子さんは違う、と首を振った。

「あの子の願いは思い出を閉じ込める物だ。
 固有魔法は、性質的には幻惑系の魔法に近い。
 魔法で気付かれないようにカモフラージュしていたなら、あんたが気付けなくても無理はないんだ」

「でも……」

「でもじゃない。あの子にはあの子なりの覚悟があったんだ。
 でなきゃキュゥべえに自分の名前を考えてくれ、なんて頼むわけないじゃないか」

「……」

「落ち込むなら落ち込むで、自分を責めないように。……とはいえ私も、色々と反省しなきゃいけないしね」


杏子さんは墓碑の前でしゃがみこみ、目を閉じた。

それは杏子さんと死者との対話——正確には死者ではないけれど——の始まりを意味していた。

わたしは杏子さんに背を向け、皆の下に戻る。
そして何を話そうか悩んでいる様子なので、まずはわたしから、シスターに声を掛けた。

「ごめんなさい、シスター」

「……あなたが気に病むことではありませんよ。私も愚かでした。どうか、気を落とさずに」

「うん」

「……平気?……」

「大丈夫。これが初めてってわけじゃないから」

「……慣れてる?……」

愛想良く笑って、頷く。
考えてみれば、わたしは杏子さんの次にマギカ・カルテットに一番長く所属しているんだ。
もちろん魔法少女として戦わせてはもらえなかったけれど……

代わりにいっぱいお手伝いしたし、お話もしたし、たくさんの人も見送ってきた。
だから、慣れているという言葉に嘘は無い。

「でもさー、同年代の友達が導かれるのは初めてでしっっ——!?」

「……空気読んで……」

「〜〜〜!!」

……わたしの位置からだと見えないけど、どうもお尻か太ももを抓ったらしい。
すっかり仲直りしている二人に苦笑を浮かべながら、わたしたちは杏子さんが対話を終わらせるのを待った。


◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


それからしばらくすると、杏子さんが立ち上がった。
寂しそうなその背に小さな声を投げかける。

「どんなこと、言ってた?」

「気にするなだってさ。あんたのことをお願いとも言っていたよ。
 それから他の皆に謝っていたね。もっと皆と遊べば良かったって。
 あとキュゥべえに文句垂れていたかな。どうしてここに来てないんだ——ってさ。
 ……だけど、あの子の考えていたことは分からないままだ。私もまだまだ未熟者だね」

彼女が気にしないで、と言っている姿が容易に想像出来て、わたしは上を向いた。
自然と目頭が熱くなっていた。
何度かまばたきを繰り返して涙が零れないようにする。
そしてそのままの姿勢で言った。

「わたしたちじゃ杏子さんみたいに上手くはいかないから」

「経験さえ積めば誰だって出来るさ。……これは、自己との対話の延長線上でしかない」

杏子さんは顔を空へと向け、眩しそうに目を細める。
そして神妙な面持ちでわたしを見た。

「いない者との完全な対話なんて出来やしない。延長線上はどこまで行っても平行線上だ」

「でも、ここには墓碑があるから。だからここは、うん、境界線上だね」

「上手いこと言うようになったじゃないか。……さて」


赤い髪を浮かび上がらせるように勢い強く、杏子さんはわたしたちの方を振り向いた。
さらさらと舞う髪が静かに定位置に収まると同時に告げる言葉は、


「誰があんずを呼び戻しに行く?」


この場にいない魔法少女——あんずちゃんに関するものだった。


◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


一難去ってまた一難と、人は言うけれど。
今日ほどその言葉が相応しいと思える日は、きっと当分の間は来ないと思う。

二人の魔法少女の喧嘩は双方を強引に会わせること決着がついた。
根本的な問題の解決には至っていないけれども、仲直りしたので今はこれで大丈夫。

そこに、仲間の一人が導かれたという情報がもたらされた。
皆悲しんだ。わたしもたくさん泣いた。
だけど立ち直った。立ち直らなきゃ、ソウルジェムが濁ってしまうから。
それがわたしたちの宿命なのだから、仕方が無い。

でも、同じように振舞えない子もいた。

それがあんずちゃんだった。

「あんずの居場所はGPSで確認してる。……この子の部屋だよ」

言いながら、杏子さんは墓碑を指差した。
導かれた彼女が、生前暮らしていた部屋ということだ。

彼女はマギカ・カルテットを離れて自立していたので、わたしたちにしてあげられることはほとんどない。
このまま時間が経てば、いずれ誰かが彼女の失踪に気付くだろう。
そして警察が捜査して、けれども見つからなくて、ゆくゆくは捜査は打ち切りにされる。そして死亡扱い。

もしもマギカ・カルテットに籍を置いている場合は、架空の事故や病気をでっち上げてしまう。

でもそれらはかなり危険性が高い。いなくなってしまった子が家族と仲が良かったりする場合は特に。
そうでなければ——多少荒っぽいけど——魔法で無理やり捻じ曲げてしまう。
詳細な方法はわたしもよく分からない。
しいて言えば、マミさんと杏子さんが一ヶ月ほど徹夜を続けなければならないほどには大変らしいということくらいだ。

他にも単純な失踪扱いにすることもある。
だけどこれも危険性が高い。あまりにも失踪する率が多いと怪しまれてしまうからだ。

だから、ここで魔法少女としてのノウハウを身に着けた魔法少女の半分くらいは自立していく。
杏子さんたちは留まって欲しそうにしていたけど……迷惑は掛けられないもんね。


「あんずが一人で行動している理由、誰か心当たりはあるかい?」

まずわたしが首を横に振り、次に若草色の髪の友達がそれに続いた。
次に反応を示したのは、珊瑚色の髪の子。
その子は首をひねりながらおずおずと手を上げた。

「んーとね、ちょーっとあるかも。心当たりってゆーのか」

「言ってみな」

「うん。実は昨日なんだけどさー———」


◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


手短に説明を終えると、その子はふう、と一息吐いた。
黒い魔法少女の話になると杏子さんが眉間に皺を刻んでいたのが気になったけど……
でも知らなかった。
彼女がそんな過去を持っていたなんて。

「……黒い魔法少女に救われたなんて話、私は聞いてないぞ」

「だってさー佐倉さんその手の話嫌いみたいだし、そのー……ね?」

「今度詳しく聞かせてもらうよ。しかしそれだけだと判断出来ないね。……シスター?」

それまで黙っていたシスターが、杏子さんに呼ばれてはっとした表情を浮かべた。
シスターは墓碑を横目で見やり、ややあってから口を開いて言う。

「……誰もが経験する通過儀礼、ではないでしょうか?」

「つーかぎれー?」

「……大人の階段……」

「シンデレラ、って連想ゲームじゃないんだから……」


わたしたち三人が不思議そうに首をかしげる中、杏子さんだけが違う反応を示した。
杏子さんの赤い瞳が、遠くを見るように細められる。

「通過儀礼か。確かに、年齢的にもおかしくないね」

「それに彼女の母親のこともあります。仲間の死と母親の話が重なった結果かもしれません」

「少しばかり難しい問題か。普通の子供ならまだしも、魔法少女だと……」

どうやら困っているらしい。
通過儀礼といえば、普通は結婚式やお葬式のような物のことを指す。
でもこの場合の通過儀礼は、たぶん別の意味があるはずだ。
誰もが経験すること。それは、なんだろう?

なんにしても、このままあんずちゃんを放置することなんて出来ない。

「杏子さん、あんずちゃんを迎えに行ってもいい?」

正直なところ、断られると思っていた。

だから杏子さんがわたしのことを見て、何かを言いたそうにしているのが分かったとき、少しだけ驚いた。
わたしの予想が正しければ、杏子さんの言葉はちょっと信じがたい物だ。
そしてわたしの予想通り、杏子さんは私に向けて、

「任せてもいいかい?」

やれるのか?

でもなく、

出来るのか?

でもなく、

任せられるか? と杏子さんは言ったのだ。何かがおかしい、けど言葉に出来ない。
妙な違和感がある。


「じゃーあたしたちも一緒にさ」

「ダメだ」

「えー!?」

「あんたたちには聞きたいことがある」

「では佐倉様、私が彼女と共に千歳あんずを迎えに行ってもよろしいですか?」

「いや、あんたにも頼みたいことがあるんだ」

「そうすると彼女一人に任せることになりますが?」

荷が勝ちすぎでは、という疑問だ。
当然の反応だとわたしは思った。
どうやら今回の問題は、杏子さんでも難しいみたいだし……

杏子さんは頷くと、わたしを見た。

「あんずのことだから、自分の家で暮らすなんて事は言い出さないはずだ。
 日が暮れたら私たちの住まいに戻るしかない。だけど、それで終わりじゃないのは分かるね?」

見かけだけならまだしも、本当の問題を、時間は解決してくれない。
杏子さんはそのことを言いたいのかもしれない。

「それでもやってみる。わたし、あんずちゃんのお世話係だから」

「ならいい、任せたよ。……ったく、こう忙しい時にキュゥべえはどこに行ってるんだか」

そういえば、とわたしは周囲を見回した。
墓碑が立ち並ぶこの場所に、キュゥべえの影はどこにもない。

今朝、『古い友人に会いに行く』なんて言っていたような気がするけど……

……不思議なことばかり続くと思い、そして真新しい墓碑を見つめる。
また来るね、と微笑みかけながら、わたしはその場を後にした。


◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


バスに乗り、少しの道を歩き。
わたしは何度も訪れたことのある古いアパートに辿り着いた。
そして彼女が生活していた部屋の前で立ち止まり、少しだけ考える。

携帯電話の画面は、部屋の中にあんずちゃんが居ることを示している。
それに、わたしの友達の携帯電話の反応もここにある。
遺品の回収は極力避けなければならないため、持ち出すことは厳禁とされているからだ。

「本当は入っちゃいけないんだけど……ごめんね」

もうこの世には居ないあの子に謝りながら、ドアノブに手を掛ける。
あんずちゃんが中に入っていることからすでに予想していたけれど、やはり鍵は掛かっていなかった。

「あんずちゃん、いる——わっ!?」

扉を開けた先には、膝に手を回して座り込むあんずちゃんの姿があった。
電気は点いていない。カーテンの隙間から差し込む光と玄関先の光だけが部屋を満たしている。
わたしは電気を点けてから扉を閉めた。
そしてあんずちゃんの肩に手を置く。

「あんずちゃん?」

もう一度名前を呼ぶと、初めてわたしに気付いたというように、彼女はわたしの方へ顔を向けた。
そこにあるのは、いつも通りの可愛らしい顔だ。
それだけで心の疲れが取れた気分になる。


「あんずちゃん、どうしてここにいるのかな?」

彼女は無言で首を振り、わたしに尋ねた。

「もういないの?」

何が、とは言えない。

あんずちゃんから目を離し、部屋を眺める。

以前まで、わずかながらとはいえ確かに感じられていた温もりは、もうそこにはない。

新品同様に綺麗だったあの子の大事なパソコンを見る。
パソコンは、まるで過ぎ去った時間を今になって思い出したかのように痛んでいた。
埃を被り、液晶はひび割れ、外装もひどく歪んでしまっているのだ。

あの子が願いを叶えてから導かれるまでに積み重なったダメージや疲労が一気に訪れた結果なのだろうか。
わたしにはよく分からない。

分かることといえば、ただ一つ。

……あの子は消えてしまったんだと、そういう悲しい現実だけだ。


「もういないの?」

「……そうだね」

「そうなんだ」

「うん。あんずちゃんは悲しい?」

「……」

あんずちゃんは答えなかった。
少し静かだけど、その様子は普段と何も変わらない。
そんなあんずちゃんの姿を見て、安心して頬を緩める。

緩めてから、何かが妙なことに気付いた。
妙? 違う。妙というよりも、変? 普通じゃない?
なんだろう、この感覚。

「ねえ、おねえちゃん」

「なに?」

「お墓、行きたい」


◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


結局、あの部屋には五分も留まることなくとんぼ返りすることになった。
織莉子さんの時もそうだけど、行ったり来たりばかりしているなぁと、心の中で思う。
そんなわたしの隣を、あんずちゃんは静かに並んで歩いている。

何を考えているのだろう。
悲しいとか、苦しいとかなのだろうか。

確かにあの子はあんずちゃんと知り合いだ。
それでも一緒に居た時間はほんの数時間でしかない。

つまり、それ以上の何かがあると思うのだけど……
思案に明け暮れていると、すぐ後ろから声がした。

「———少女、そこの少女!」

誰のことだろう?
不思議に思って後ろを振り向けば、そこには女性の姿があった、

その人は錆色のコート(この季節にコート!)を着ていた。
髪は錆色に似た茶髪のセミロングで、瞳の虹彩も茶色。顔は凛々しそうにも、気だるそうにも見える。
見てくれは美人だけど、雰囲気で損をしているような人だ。年齢はたぶん二十前後。

その女性はわたしとあんずちゃんを見たまま、低い声で言った。

「君たち、魔法少女だろう?」

女性は左手を挙げて見せた。あんずちゃんが、あっ! と声を上げる。
左の中指に嵌められた銀色の指輪がきらりと輝いている。指輪状態だけど、あれはソウルジェムだ。
驚くわたしたちを前に、女性はさらに続けた。

「巴マミが逝ったと聞いてね。墓場を探してるんだが、忘れてしまったんだ。案内してもらえるかな?」


錆色の女性は、そう言ってやる気の無い笑みを浮かべた。


◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇


何十年も前から存在し続ける、由緒ある見滝原中学の校舎。
その屋上に、キュゥべえはいた。

《やっと見つけた》

彼はそろそろと足を運びながら、屋上の外周部に腰を下ろす者に向かって喋り掛ける。

《こうして君と会うのは、もう十年振りになるのかな》


《……君はいつもそうだね。こんなに可愛らしい僕の言葉を無視し続ける》


《そこまで邪険に扱わなくてもいいじゃないか》


《……ああ、特異点が頻繁に発生しているね。三十年前と同じだよ》


《いいのかい? このままだと、佐倉杏子は今度こそ死ぬことになるけど》


《……それにしても驚いたよ。まさか君の願望が実現可能になるだなんてね》


《君のやろうとしていることは、この世界の理の否定に等しい。この世界のシステムに抗うも同然だ》









《……そんなにも≪まどか≫を救いたいのかい?》






返事は、無かった。






以上でげーす

最近川上氏の作品を読みながら山田田中の衰退作品を読みつつ速報のSSを読み漁っているので文体が安定してません
ぶっちゃけ一人称がですます調になるかも
次回は……二月かなぁ


遂に赤いリボンちゃん来るか!

最初のはじまりからしてそれっぽい印象あったけどやっぱまどか救う系の話だ



キュゥべえのお友達
一体何者なんだ……

黒い魔法少女K?

何故そうなるw

>>402
いやあ、黒い魔法少女が実は二人いる? とか妄想した。
ここで会話してるのはKじゃないけどさ。

赤いリボンと黒いKは同じに見せかけたミスリードでしかないんじゃないかね

でもほむ・・赤いリボンちゃんがまどかを救うのってありえなさそうなんだけどどうなんだろ

えーと

赤いリボン…Hちゃん
全国各地に出没する。現在位置は見滝原中学校屋上

黒い魔法少女…Kちゃん
見滝原固定出現。多分Oさんの遺体?を乗っ取っていて普段はO、戦闘はKの姿になるらしい

で、いいんだよね

>>403-404
エリーちゃんもシャルちゃん(予定)もゲルトちゃん(予定)も「リボンと黒は別」って説明してくれてたのに(´;ω;`)

まどかは人間に戻れたけど魔獣は魔女に戻り
人類は再び乳牛の立場から牛肉へと転落、ほむらは絶望して魔女化って話読んだけど
この話ってリメイクじゃないよね?

それもしyesってなったらとんでれないネタバレじゃねーか!

改変後まどかを救う系って結構書かれてるし数パターンあるから
仮にリメイクなりリスペクトしているとしても特定できないと思うんだぜ

まどかは世界観上、バッドエンドが楽に書けるから
それ系統の話は飽和するくらい見かけるぞ

ダメダカラネー……失敬。展開予想があると捗ります。うきうきします。レス感謝感謝
しかしご期待に沿えるような展開はまだ先でなんだか詐欺をした気分です

>>407
残念ながら違いますね
でも発想が素晴らしいスレで読みたいなあと思いました。思っただけです


◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇


◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


墓碑が集まって出来た墓所は、見滝原の外周部に位置していて、緑で囲まれている。
ちょっとした公園ほどの広さの土地は、ずっと昔に杏子さんとマミさんが正式な手段で購入したものだ。

辺りが木々が生い茂っているのであまり人目にはつかない。
それに警備用の監視カメラと巡回ロボットもあるので荒らされる心配もない。
欠点を挙げるとすれば、それは途中で道に迷いやすいことで。

わたしは錆色の女性とあんずちゃんを導くと、両手を広げて示した。

「ここがマギカ・カルテットの集合墓所です。魔女の墓所なんて呼ぶ人もいます」

「ふむ。少し数が増えたか。……それで、どれが巴マミの墓碑かな? そちらも案内してもらえるだろうか」

「マミさんのはこちらです」

言われたとおりに案内すると、その女性は墓碑の前でいきなりしゃがみ込んだ。
そして刻まれた文字を指でなぞり、表面を叩き、訝しそうに首を傾いだりしている。
どうかしたのだろうか?
わたしが疑問を抱いていると、同じように女性の態度を不思議そうにしていたあんずちゃんが尋ねた。

「どうしたの?」

「触れたら封印が解けるとか遺品が沸いて出てくるとかを期待したのだけれど、そう上手くはいかないようだ」

「導かれたら魔法は解けちゃいますから……」

「ありがとう」

「え?」

錆色の女性はわたしに振り向き、そのままの姿勢で頭を下げた。

「案内してくれて、ありがとう」


不思議なテンポの人だなぁと思いつつ、わたしは断ってからその場を離れた。
そしてあんずちゃんをあの子の墓碑の前へと連れて行った。

「はい。あの子のお墓だよ」

「これが?」

あんずちゃんはわたしを見上げて尋ねた。
わたしは微笑み、頷いて、そうだよと言葉を返してあげる。

この小さな墓碑が、あの子の全てだ。

「なんだかさびしいね」

「そうだね……本当はたくさんの花束も用意したかったんだけど、急なことだったから」

残念ながら、墓碑の前には申し訳程度のビスケットと花瓶しか供えられていない。
杏子さんの抱える“面倒事”が済むまで本格的なお供えは厳しいだろう。
マミさんがいればもっと気の利いたことが出来たかもしれない。

わたしが感慨に耽っていると、あんずちゃんは首を左右に振って否定の意を示した。

「ううん、そうじゃないよ」

「え?」


「……この石の下に、パソコンのおねえちゃんはいないんだよね?」


「いないのに、どうしてお墓をつくるの?」

難しい質問だった。
習慣的なものだと断じてしまうのは簡単だけど、そんなに簡単に済ませていい問題じゃない。
じゃあわたしがこの質問に答えるだけの資格があるのかというと——

これも難しいところだ。
迷った末に、わたしは一つだけ理由を挙げてみた。

「えっとねあんずちゃん。お墓はね、それを見た人が、心の整理をする場所なんだとわたしは思うんだ」

「どうやって?」

どうやってだろう?
実のところ、わたしにもよく分かっていない。
杏子さんの真似をして墓碑に語り掛けることはあっても、それは一方的な独り言に過ぎないのだから。
だからわたしは、分かる限りのことを説明してみた。

「お墓に向かって、自分の今の状況を話すの。それで楽になる。……愚痴吐き、みたいなものかな?」

「でも、だれもいないんだよ?」

「うん。だからお墓の向こうにその人がいるつもりで話しかけるの。この世界と向こうの世界の境界線だと思って」

「……」


わたしの答えに、どうやらあんずちゃんは納得が行かなかったらしい。
不満そうにそっぽを向いて、がっかりした様子を見せるあんずちゃんに、わたしは何も言えなかった。

その時、すぐ後ろで砂利を踏みしめる音がした。
振り向くと、それまでマミさんの墓碑の前にいた錆色の女性がそこに立っていた。
彼女は重そうなコートを揺らして口を開いた。

「この立ち並ぶ石を境界線だと思って愚痴を吐く——か。その喩えは悪くない。だがもっと適切な表現がある」

「それは?」

「内省だよ。そこの幼女。これは生きる者が生きるために、自身の記憶を洗い直すためのものなのさ」

幼女って……苦笑いするわたしと、黙ったまま聞き入るあんずちゃん。
二人の様子に満足したように、女性は頷きながら続けた。

「そこに骨が在るのか、魂が在るのか。
 そんなことは関係無い。これは生者の都合によって存在している。
 死者を利用しているという捉え方も出来なくもない。
 しかしまあ、溺れる者は藁をも掴む、なぜなら生きているからだ。
 墓碑を見て生者は思うだろう。こうはなりたくない、と。いわば反面教師なのさ」

そう言って、女性は肩を下ろして息を吐いた。

一方のわたしはというと、生者の都合で墓碑がある……その表現に戸惑いながらも納得していた。
少し辛辣な気がするけど、でも間違いではないかもしれない。


女性はとろんとした瞳でわたしたちを眺め、ふたたび口を開いた。

「他にもまだ理由がある。分かるかな?」

「わかんない」

「わたしも分かりません」

女性は頷き、たっぷり息を吸って肺に溜めてから語り始めた。


「この墓碑はね——証なのだよ。分かるかい?
 自分が消えた後に、その存在を証明してくれる証だ。

 これは魔法少女だけじゃない。人類全体の話だ。
 自分が死んだ後に何も残らないのは悲しいだろう。
 人に限らず、生命は何かを遺すために存在しているのだからね」


しかし、


「子を遺したとて、行き着く先が死、すなわち無では恐ろしい。
 だから人は墓を築き、そこに骨を埋めたがるのだよ。あくまで推測だがね。
 さて……死後の世界が存在するかどうかは重要ではない。ただ安寧と共に在りたいがためにだ」


女性はいちど、深いため息を吐いた。
嘆くような声音に、思わず息を呑んでしまう。

「……魔法少女にはそれが出来ない。人には出来てもね。
 子を遺すことが出来る魔法少女は全体の一分にも満たない。何故か?
 短命である以上に、誰かと添い遂げようなどと考える魔法少女が少ないからさ。

 ……話が逸れてしまったかな? 少し戻そうか。
 魔法少女は肉体もろとも円環の理に導かれる運命にある。
 そして肉体が見つからなければ遺族はそう易々と墓を建てることは出来ない。
 行方不明者の墓を建てるケースが無いわけでもないが……それはずっと先の、曖昧な未来の話だ。

 自分が死んで、墓が建てられるかどうか分からないというのは不安だろう。
 マギカ・カルテットの墓所は、そんな魔法少女に安寧をもたらすためにある」

つまり、

「この集合墓所がある限り、マギカ・カルテットの魔法少女は信じることが出来る。
 自分が円環の理に導かれたとき、自分が存在したという証を、仲間の誰かが必ず残してくれることをね」


そこで言葉を区切り、女性はわたしたちに向かって問いかけた。


「……人は二度死ぬ、という言葉を知っているかな?」


わたしは頷いた。

人は二度死ぬ。
一度目は肉体としての死。二度目は忘却としての死だ。
自分を知る誰かの記憶から、自分が消えてしまうとき、人は本当の意味で死ぬのだと。


「魔法少女も同じだよ。
 一度目は円環の理に導かれたとき。
 二度目は知人友人親類、すなわち仲間の記憶から忘れ去られたときだ。

 だが、例外がある。それが墓だ。
 消え行く魔法少女の名前と向こうの世界での名前を授け“魔女”として刻み込まれる証なのだよ。
 それゆえに魔法少女は魔女になる、と表現することも出来る。救いだよ。

 ……この墓所はまだ生まれて何十年も経ってはいない。
 しかし確かに存在している。世界から消えた魔法少女の名を墓碑に刻み、存在し続ける。

 円環の理は魔法少女の命を奪うことで救うが……魔法少女の“本当の死と救い”だけは奪えなかったのさ。ロマンチックだ」


語り終えると、女性は疲れたようにうなだれた。

この墓碑が、証。
深くて、すごい、言葉に出来ない感じだ。
それくらいしか感想が思い浮かばない自分が嫌になるくらい、すごい。

だからわたしは、そんな自己嫌悪を薙ぐように女性に言葉を返した。

「墓所を作った杏子さんは、すごいんですね」


「ほう? まるで佐倉杏子の発想によるものだと言いたげだが、なぜそう思うのかな?」

問われて、わたしは言った。

「だって杏子さん、カトリックだから。
 きっと教会のお手伝いしてて、そういうこと考え付いたたんじゃないかって」

「なるほど、それなら分からなくもない。……私はそれよりも、青い魔法少女の噂話が気になるが」

「青い魔法少女……それ、なんですか?」

「どうだった?」

突然だった。
今までの話を断ち切るように唐突に尋ねられて、わたしは目を丸くしていたと思う。
わたしが答えられないでいると、隣にいたあんずちゃんが代わりに返事をしてくれた。

「……わかんない」

「ふむ。具体的には?」

「だって、いつかは消えちゃうんだよ? あんねーとか、そういうの……わかんない。消えたらおわりだよ」

ふむふむと呟き、錆色の女性はわたしを見た。
続ける言葉は、

「見滝原市にいた“かも”しれない魔法少女のことだよ」

……あれ?


「墓所に最初に建てられた魔法少女、ああいや、魔女と呼ぶべきか。
 最初の魔女である『Oktavia Von Seckendorff』は青い魔法少女だったと……眉唾物の噂話だが」

「初めて聞きましたけど」

「なるほど、通過儀礼か」

女性はあんずちゃんの方を見てしみじみと呟いた。

……あれ?

会話のテンポが妙だ。
全体的に速い……のだろうか?
わたしが彼女のテンポに翻弄されていると、女性はおもむろに背を向けて歩き出した。

「あの?」

「私はホームに向かうとするよ。世話になった」

「えっちょ、ホームってなんですか?」

「マギカ・カルテットの魔法少女が集うボロ屋だよ」

錆色の女性がゆったりとした仕草で振り向く。
半目のまま、錆色の瞳を真っ直ぐにわたしへと向けている。

「ところでその黄色いリボンなんだが———」

そのとき、それまで眠そうに瞳を覆っていた瞼がぴくりと跳ねた。
自然と眉間に寄せられていたしわが消え、はっきりと見開かれる。
その瞳には、確かに驚愕の色が宿っていた。


唇がぱくぱくと動き、何かを示している。
だけどわたしに読唇術なんてあるわけもなくて。
女性はすぐに目を閉ざし、眠そうな動作で背を向け、歩き始めてしまった。

場所、分かるのかなあ……

不安に思うけれど、声は掛けないでおいた。
とても気だるそうな女性にもういちど声を掛けるのは、どうしても躊躇われてしまう。
たぶん疲れているのだろうし……尋ねなかったということは、憶えているということだろう。

でも……墓所のことを忘れていて、家のことも知っているということは、だ。
あの人はこの街を訪れたことがあるということになるのだけれど。
わたしはあの人を見たことがない。
ここで生活していたのなら必ず顔を合わせているはずなのだけど……

不思議に思いながら、わたしは隣にいるあんずちゃんの様子を伺った。
そして思わずぎょっとする。

あんずちゃんは、とろんというよりどろんとした目で、わたしのことをじっと見つめていた。

「どうしたの?」

「……ママに会いたい」

「ママ、って……あんずちゃんのお母さん? ええっと」

「ダメ?」


……そんな風に上目遣いで頼まれたら断れないよねぇ……

押しに弱いことを反省しつつ、わたしはそのお願いを快く了承した。

いじょーっす

墓とかそういうのは本格的な意味合いではそれはそれはたぶん違うので
突っ込まれるとかなり痛いです
ようするに過去に青い魔法少女がいたんだってよ!なにそれ!?ってことです

次の投下は明日か明後日です

乙!

乙で

この戒名の慣習も謎だが、改変前の魔女名自体も十分謎だよね

K…黒い魔法少女の伝説
H…赤いリボンの伝説
S…青い魔法少女の噂話

せんせー!一人だけスケールがしょぼい子がいまーす!

活動期間一週間程度だし仕方ない

まあSだし・・・・・・

魔女になることが魔法少女の救いとは皮肉だな…

導かれないに越したことはないかどなww
レイブンみたいに妊婦の消滅は恐ろしそうだし

いい人だった止まりのMさん

Mさんはこないだまで生きてただろ!いい加減にしろ!

あ、乙です

難産でした、投下します


◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇


「何度見ても、何時見ても、ここは古臭いな」

マギカ・カルテットの拠点を前に、錆色の女性は低い声で呟いた。
その傍らには彼女の錆色のコートに見合う、古く錆臭いバイクがある。
荷物をぶら下げているのと錆だらけのために車種は判別し辛い。

「いやしかし、考えてみると私は中に入ったことがなかったな。これはいわゆるそう、初体験か」

何が面白いのか、女性は頬を吊り上げて笑っている。
が、ぱたりと笑うのを止め、女性はバイクを重たそうに押しながら敷地内に足を踏み入れた。
そして同時に門に設置された警備システムがその存在を感知。反応を示す。

錆色の女性はそれに気付くと、気だるそうに門に手を触れた。

「すまないが、少し黙っていてくれ」

それだけの動作でシステムは沈黙した。

「はっ、いかんいかん。私は争いに来たわけじゃないんだ。警備システムの沈黙は、やりすぎか」

悔やんでもしょうがない、女性はそう呟いた。
懐から一冊のノートを取り出しつつ、彼女は玄関に付いているインターフォンを押し込んだ。
すぐに応答があった。中の人間も彼女の来訪に気付いていたのだ。

《……人の家の警備システム沈黙させたのはあんたかい?》

呆れたような杏子の声に、女性は肩をすくめて見せる。

「こっちのことはとっくにお見通しと、さすがは佐倉杏子だ。
 いやなに、実はあすなろ市で興味深い物を見付けてね。話がしたい」

《興味深い物? なんだいそりゃ》

「かつて七星を束ねていた、偉大な魔法少女。和紗ミチルの日記帳でね。
 その中身を読んで私も驚いたよ。……まさか、三十年前の災害に関する記述があるとはね」

インターフォンの向こうで、杏子が静かに息を呑んだ。


◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇


◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


「ここがあんずちゃんのお家?」

「うん。どうかしたの?」

「……ううん、なんでもない」

わたしたちが行き着いた先は、見滝原市でも有数の高層タワーマンションだった。

建てられたのは今から十年ほど前だったと思う。
見滝原の建造物によく見られる奇抜な意匠ではなく、質実剛健、実直かつ堅実な作りになっているのが特徴だ。
そしてなによりも、このマンションは耐震性もさることながら、耐風圧性を重要視していることが売りになっている。

三十年前——建造時期からすれば二十年前——に見滝原を襲った災害がふたたび起こっても耐えられるように……
そういう想いが込められているのだと、マミさんが語っていたのを思い出す。
杏子さんが羨ましそうに見上げていたのも記憶に新しい。

ただまぁ、入居費用はとても高いはずでして。
そこに住んでいたあんずちゃんは、もしかするとお金持ちの娘なのかもしれない。

「おねえちゃん、こっちこっち」

「はいはい」

センサーらしき機械が挟み込むように鎮座するゲートを潜ると、エントランスに出た。
外観と変わらず、内装も真面目な作りになっている。
真面目すぎてむしろ少し寂しく、心なしか寒い気がしないでもない。

インターホンの制御盤のすぐそばには警備用の球状ロボットがどしんと構えていた。
たぶんだけど、一台だけじゃない。各階層に数台が用意されている。
街中で見かける機会は増えたけれど、やはり慣れない。というか、こうも存在感があるとかえって落ち着かないような……


そんなことを思っていると、あんずちゃんははしゃぎながら陽気な声で言った。

「ロボット見るとかえってきたぁ〜って感じるね!」

「え、ええ? そうかな?」

「おねえちゃんはちがうの?」

ははは……と笑って誤魔化す。
でも内心はカルチャーショックでずたずた。
むしろジェネレーションギャップだろうか。

どしんと構えるロボットは、わたしには珍しくても、この子にはそうでもないらしい。
そのうちこのロボットが人間の友達になるような日が来るのかもしれない。楽しみだ。

「おねえちゃん、はやくはやく!」

いつの間にかロックを解除していたあんずちゃんが、わたしを大声で急かした。
お家に帰れると分かってから少し元気になった気がする。
考えてみればあんずちゃんもまだ子供なのだ。
住み慣れた部屋で、両親に甘えたい年頃。


……じゃあ、どうして一緒に暮らしていないのだろう?


杏子さんなら気を利かせて自宅通いにすることだって出来たはずだ。
なのにどうして、親子の仲を引き裂くような真似を———

「おねえちゃん!」

「あっ、うん! いま行く!」

違和感を拭い切れないまま、わたしはあんずちゃんの後を追いかけた。


あんずちゃんに導かれてエレベーターに乗り込むこと数十秒。
エレベーターは二六階の位置で停止し、音を立てることなく扉が開かれた。

「こっちこっち!」

「はいはい」

飛び出すように走り出すあんずちゃんの後を、静かに追いかける。
外の景色を眺めてみたいと思ったけれど、残念ながらここは内廊下式のようだ。
もっとも、仮に眺められたとしても十六階の高さでは腰を抜かすのが容易に想像できてしまうのだけれど。

さすがにあんずちゃんの前でそれは恥ずかしい……と思っていると、あんずちゃんがとある扉の前で立ち止まった。

「そこがあんずちゃんのお家?」

「うん、ここだよ」

プレート状の表札を見ると、確かにそこには≪千歳≫と刻まれてあった。
すぐ下にはアルファベット表記もされている。

「なんか格好良い……」

「?」

わたしが感心している様子を不思議そうに眺めるあんずちゃん。
彼女は首を傾げながら扉の中央部にある長方形の出っ張りに手を伸ばした。

すると、ほんの一瞬の間だけ、その長方形の出っ張りのラインが脈打つように光った。

今のは……?


わたしが疑問を口にすると、あんずちゃんは当然のようにさらりと言葉を返してくれた。

「せいたいにんしょーロックだよ?」

……たぶんだけど、指紋とか手のひらからデータを取るタイプだ。

指紋認証式のロックは普及している。
けれども、まさか生体認証式も普及していたとは思わなかった。
驚くわたしとは対照的に、あんずちゃんは至って冷静のままでいた。

ふたたびジェネレーションギャップを感じてしまうわたし。
そうこうしているうちに、プシュ、と聞きなれない音と共に扉が自動的に開いた。

「こ、これってわたしが入っても大丈夫なのかな?」

「おねえちゃんは危険物持ってないからへーきだよ、たぶん」

「……どこからが危険物でどこからが危険物じゃないんだろ」

「うーん、よくわかんない」

即答されても困るので、喜んでおく。

そしてわたしは、傷一つない綺麗な玄関へと足を踏み入れた。


◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


部屋の中は——と言っても玄関だけれど——驚くほどきれいだった。
見える範囲に埃が被さっている箇所はないし、小物が雑多に積み重なっているということもない。
ちょこんと置かれた招き猫の置物もしっかり手入れされている。

我が家と比べるとその差は一目瞭然。
もちろん我が家が汚いというわけではない。本当に。もちろん。
ただマミさんがいなくなってから、手入れが届かない箇所が色々と増えた。

靴は並べて放置が当たり前になったし、
便利だからと言う理由で予備の印鑑も玄関に置きっぱなし。
たまにお菓子の包み紙やちり紙や枯れたバラの花びらなんかも散らかっている。

それと比べると、やはりきれいと言わざるを得ない。

「あんずちゃんのお母さんってどんな人?」

「……良いひと、だよ?」

疑問系なのが気にはなったけれど、気のせいだろうか。

それにしても、とわたしは思う。

誰かの母親とこうしてきちんと会うのはこれが初めてかもしれない。
若干の緊張と期待を胸に抱きつつ、わたしは部屋に上がりこんだ。


『おじゃまします』の言葉を忘れていたことに気が付いたのは、
それから何歩か前進してからのことだった。


「おじゃましてまーす……」

今さら言っても遅いとは思いつつ、わたしは小声で呟き、あんずちゃんに促されて戸を開けた。
まばゆい光と共に、広々とした空間が目に飛び込んでくる。

どうやら最初に案内されたのはリビングだったらしい。
見るからにふわふわなソファーと、シンプルだけど手入れが行き届いている家具が見える。
テーブルや椅子、床には傷一つ無い。物を大事にしているのがよく分かる。

わたしはほへぇ、と間の抜けた声と共に部屋を見渡し、

「……あれ?」

マグカップを手に持った女性と目が合った。

たぶん二十代後半くらいの年齢だ。
背は低いし顔は童顔だ。でも目はちょっと鋭いくらいに細い。
長めの前髪で隠れた表情にはどことなく陰影があって、ミステリアスな雰囲気が漂っている。

腰まで届く後ろ髪はポニーテール状に一つに束ねられていた。格好良い。
いわゆるグラマラスな体型ではないけれど、全体的にきゅっと締まっている。
背が高くて出るとこは出ている杏子さんとはまた違う魅力を持った女性だ。

第一印象は、小さいけど逞しい。もしくはクールビューティー。
そんなところかな?


女性はたっぷり五秒間わたしを凝視して、想像していたよりもずっと格好の良い声で言った。


「キミ、どっから入ってきたの?」


——え?

思わず驚き戸惑い、硬直してしまった。
どこから入ったのかと、そう尋ねられたのだ。
ここは高層マンションの上層なのだから、入る箇所はもちろん玄関しかない。

何を言っているのだろうと不思議に思っていると、女性はさらに続けて尋ねてきた。

「ロック、してあったよね?」

……ああ、そういう意味だったんですね。

確かに最新鋭のロックがあるにもかかわらずわたしが部屋の中に居るのはおかしい。

わたしはてっきり、あんずちゃんのお友達だと、そういう風に見られているのだと思っていた。
それが当然だと錯覚していたのだ。

あんずちゃんはわたしの背に隠れるように廊下に立っているので、
この女性からするとわたしは不法侵入した子供にしか見えない。

「あ、あの、わたしあんずちゃんのお友達です」

「……あんずの?」

露骨に信用されていないみたいだ。
だけどまぁ、不思議なことではない。
苦笑を浮かべつつ、わたしは内心冷や汗を滝のように流しながら後ろを振り向いた。

わたしの背に隠れ潜んでいるあんずちゃんに目線で助けを乞う。
先ほどまでのはしゃぎようを何処に置いてきたのか、打って変わって静かになった彼女はうなずき、


「——ただいま、ママ」

前に出た。


その時の女性の、あんずちゃんの母親変化を、わたしは目撃してしまった。

目の色が変わる、という比喩表現がある。

そしてわたしが見た彼女の変化は、まさにそれを体現していた。
目付きが変わり、瞳孔が開かれ、視線が一点に釘付けにされていく。
彼女の意思など無いかのごとく否応無しに目が見開かれたのだ。

変化というよりも、塗り潰しに似ている。

たったいま、彼女の意思は確かに何かに塗り潰された。
わたしの短い人生経験と勘とが、それを執拗に訴えていた。

不気味な光景に竦んだわたしがみっともない声を上げるよりも早く、彼女が口を開いた。


「あんず?」


確かめるような、か細い声だった。
彼女はうろたえ、何かに打ち震えるように胸をそらし、前髪が揺れて、

……今のって……?

疑念が浮かび、そしてそれはすぐに確信へと至る。
静かに息を呑むわたしを尻目に女性は笑顔を作った。
紡ぐ言葉は、


「おかえり、あんず!」


◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


話せる範囲で事情を説明すると、あんずちゃんの母親は笑ってわたしたちを受け入れてくれた。
今はリビングのソファーに座って、小さめのテーブルを囲んでいる。

「ごめんなさいね、キミのこと疑っちゃったりして。ああそうだ、何か飲む?」

「いえそんな、どうぞお構いなく!」

「じゃあオレンジジュースね。子供は遠慮しちゃいけないよ。あんずはどうする?」

「なんでもいいよ」

「それなら同じオレンジジュースで。……あんずは今日も可愛いね!」

彼女は椅子に座ったあんずちゃんの頭を撫で、ぎゅうっと抱きつく。
そして名残惜しそうに離れると、冷蔵庫へ向かって歩いていった。
その背を見ながら、あんずちゃんに尋ねる。

「優しい人だね、あんずちゃんのお母さん。お名前はなんていうのかな?」

「ママの名前は、ゆまっていうんだよ」

「そっかあ。かわいい名前だね」

千歳ゆまさん。記憶にない名前だ。
わたしはそんなことを思いながら部屋を見渡した。
特に目に付くようなものはない。妙な物も見当たらない。

妙な物——たとえば、“タバコ”とか“お酒”とか、だ。
それらが見つからなかったので、わたしは肩を下ろして一息吐いた。


だから、それは偶然だった。
肩を下ろして下を見たとき、たまたま視界に入ってしまった物がある。
テーブルの下の隙間に隠れていた一冊の本だ。

わたしは手を伸ばしかけ、しかし引っ込めた。
わずかに姿勢を傾けて目を凝らしてみると、本の表紙が辛うじて見えた。
テーブルの影に隠れた表紙は暗闇に半ば隠れているが、それでも文字は判別できる。

シンプルなフォントで書かれたタイトルをなんとか読み取る。
そして姿勢を直すと、わたしは深いため息を吐いた。

あんずちゃんのお母さん……ゆまさんの“額”を見たときからなんとなく予想はしていた。
だから本のタイトルを読み取ったとき、わたしは驚くよりも先に胸を痛めた。
そして同時に頭を抱えたくなってきた。

あんずちゃんの問題を解決するよりも先に、悩ましい問題が浮上してしまった。

「いやあ、ちょうどケーキを買ってきてたのを忘れててさ。ねえ、二人とも」

わたしたちの下に戻ってきたゆまさんは、ケーキの入った箱を掲げて見せた。

「チョコレートケーキなんだけどさ」

ニッと笑い、箱を差し出してくる。
その姿を見て、わたしはふと、既視感を抱いた。
正確には重なって見えるのだ。誰と重なっているのかはすぐに分かった。

「——食うかい?」


この人は、どことなくだけれど……杏子さんに似ていた。

いじょーでげす

ちょっとデリケートな問題を扱っています。フィクションですのでご容赦ください
そろそろあんずの元ネタと契約理由が割れそうなのでその前に明記しておきました

次回の投下の目処は…あい。なるべく早くで

乙!

乙です


やっぱりゆまちゃんですよね

マダカナー

生存報告
花粉症とサービス業とものもらいの三重苦で遅れました……近いうちに必ず投下いたします

生存報告乙

マダー

マダー?

あと一週間

うそん。エタらないで欲しいが・・・

もどってきてくれ

くそう、もう駄目かもしれんな。
楽しみにしていたのに残念です。

あt

あtじゃない
すいません、想像以上に忙しくて限界まで現実の方に時間割いてました。今日の深夜に投下します

舞ってた

来ないな。まぁ分かっていたさ

とりあえず出来ているのだけ……


◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇


◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

「へえ、こんな内装になってたのか。きったないなぁ汚い」

部屋に上がり込むなり悪態を吐く錆色の女性に対し、杏子は眉根を寄せた。
唇を尖らせて文句を言おうか言うまいか悩む素振りを見せる。
けれどもややあってから深いため息を吐き、頭を振って食堂へと案内した。

「それで、今さら何の用だい?」

「ん? ああ、用と言うほど用があるわけじゃないんだよね。いや、用はあるか」

「はぁ?」

「まあまずは世間話でもしようじゃないか」

杏子はこめかみを指で押さえて眉間に深い皺を刻み込む。
苛立ちを抑え込むかのように目を見開くと、続く言葉を待った。

「佐倉杏子、あんたに聞きたいことがある」

「世間話はどうしたんだよ!」

「双樹のことは知ってるか?」

自分のペースで話を進める女性に対し杏子はふたたび深いため息を吐いた。
やってられないと、小声でぼやく。

——双樹だって?


「双樹ってのはあの変態魔法少女のことかい?」

「そう。知っているみたいだね。昔の仲間かなにか?」

杏子は鼻で笑って手を振った。
さらに首を振って否定に否定を重ねる。

「……昔に一悶着あっただけだよ。たしか双樹ルカと、えっと……イル?」

「あやせだよ。誰さイルって」

「細かいことはさておき、それで双樹がどうしたんだい?」

「死んだよ」

短い言葉だった。
双樹という人物の死を聞かされて、けれども杏子は、悲みや驚きの感情を露にはしなかった。
それよりもむしろ、どこか不思議そうな表情を浮かべて首を傾げてみせる。

「死んだってことは、最近まで生きてたってことか? ……長生きしたもんだね、二人とも」

「ちなみに聞くけど佐倉杏子、あんたは二人よりも強い?」

「マミと一緒に懲らしめたことはあるけど、単身だとどうだろうね。状況次第なら勝てたかな」

杏子が言うと、女性は意外そうに口を丸めた。

「意外に謙虚だな。二人はあんたに勝てなかったって言ってたけど」

「……負けてもいないけどね」


杏子は昔を懐かしむように目を細め、食堂の椅子に腰を下ろした。
それに倣って女性も椅子に座り込む。

「昔のことはいいよ。それで、なんであんたが双樹のことを知ってるのさ?」

「海沿いを自転車で旅してたら色々あってね。ここ二年ほど二人と一緒に行動してたんだ」

ふうむ、と杏子は感心したような態度を取る。

「あの二人が誰かと行動を共にするとはねぇ、成長したんだね」

「私のソウルジェムが気に入ったらしい。もっと眺めていたいから同行させてくれとせがまれたんだ」

「前言撤回だ、あの二人らしい」

……双樹ルカと、双樹あやせ。
ソウルジェムの輝きを好む『二人で一人』の魔法少女を思い出して、杏子は笑った。

「それで?」

「三ヶ月前に魔獣の群れと相対してね。運が悪かった。
 さらに魔力不全で変身が解けて、足を射抜かれて、最期は互いのソウルジェムを砕いて自害したよ」

年老いた魔法少女は魔力不全に陥りやすい。
それは才能の有無や技量に関係なく発生する。

杏子が長年連れ添った相棒であり師匠であり友達であり、
『最初のマギカ・カルテット』の生き残りである巴マミですら例外ではなかったように。


その事実を改めて噛み締めながら、杏子は疑問を口にした。

「互いのソウルジェムを砕いたって言ったけど、なんでだい?」

「それね、昔からよく口にしていたんだよ。約束らしい。
 円環の理に導かれるのも綺麗で良いけど、最期は愛しの相手のソウルジェムが砕ける瞬間を見てみたいって」

難しい話だと、そう言いたげに杏子は瞠目した。
女性はそれを見ると構わず話を続けた。

「自分達の死は自分達の物だとも言ってたかなぁ。
 穢れと一緒にソウルジェムを奪っていく円環の理そのものを蔑んでいた節さえ見られたよ」

「システムを蔑んだってしょうがないだろうに……」

女性が目を細め、はっと息を呑む。
それに気付いた杏子が目を開くと、女性は面白そうににやりと笑った。
好奇心の塊のような笑みだ。

「システムじゃないとしたら? ほら、赤いリボンの伝説と同じさ。実は魔法少女が」

「くだらない話はやめな、叩き出すよ」

怒気を孕んだ声で杏子が言うと、女性は方をすくめて見せた。

「……まあとにかく、そういうわけだよ。二人は死んだ。よく分からない心情に基づいてね」

「そうかい。それで? 」

そう言われて、んん、と女性は悩ましい声を漏らす。
やや間を置いてから、彼女は素直に言った。

「巴マミの墓参りも兼ねてたんだ」

「……ああ、そうかい」


「あと、あんたの手伝い」

「……は?」

あっけに取られる杏子を無視すると、女性は食堂の扉に隠れている二人の少女へ目を向けた。
目を向けながら、錆色のコートの中から小さなノートをテーブルの上に放り出す。
それは正確にはノートではなく日記帳だった。

「世間話も墓参りもおまけだよ。いや、正確にはおまけになったんだ。私の用はこっちだよ」

杏子は注意深く日記帳を観察すると、言葉を漏らした。

「……ミチルのか」

「ここに来る途中、見滝原市の外縁付近で特異点を一つ潰してさ。
 魔獣が出る異常スポット、特異点って普通はそうそう出るものじゃないだろう。
 だからここに書かれてることと現状を比較して私はとある一つの推論を立てた」

続きを言っても良い?

目でそう問いかける彼女に、杏子は首を左右に振って応えた。

「ふうん。ならまた今度にするけど、話すなら早いに越したことはないよ、佐倉杏子」

「あとこの街は少し妙だね。あちこちにグリーフシードが飾ってある。あれはなんなんだい?」

話題が切り替わったことを確認すると、杏子は安心したように一息吐いた。
とろんとした目で投げやりに言葉を掛ける。


「本当、わけが分からないよな」

追加執筆してもこれだけという、すいません
残念ながら土曜も仕事なので日曜丸々使って書いて早めに更新します。できると良いなぁ……

うーんこの


まあ円環は最後の魔女化に割りこんで苦痛を軽減するだけだからな
根本的解決ではないし個々の魔法少女の信条や心情としては思うところはあるだろうな

休日丸々つかうこともなかろうに
趣味のSSは息抜きにしときー

でも更新楽しみにしてました、乙

イルってマルタか

乙です

あぁなんか散り方が双樹らしいなぁと思いました

まだかなー

忙しいならいちどhtml依頼出すのも有りだぜ?

続きまだかな……

このSSまとめへのコメント

このSSまとめにはまだコメントがありません

名前:
コメント:


未完結のSSにコメントをする時は、まだSSの更新がある可能性を考慮してコメントしてください

ScrollBottom