唯「U&U&U&U&U…、」 (192)

深夜の住宅地だと言うのに、そんな事も勘案しない様なちょっとばかり勇ましい排気音。

このアパートの壁は以前家族と住んでいた家の様にきちんとしたものでないので、
あの車が近づいて来ると家の中にいても分かるのは少しだけ便利。

隣人や階下の住人達に取っては迷惑だろうけど。


SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1364410980

停止されるエンジン。

それが、行動開始の合図。

私は既にクローゼットから出して床に広げてあったムートンのダッフルコートに袖を通し、
トグルを上までしめてフードを被る。

こうして、冷気を遮断すれば氷点下近いこの真冬の気候も気にならない。

それに私が誰かも分かりにくい。

大家さんに色々言われるのも面倒臭いもんね。

私は、しっかり戸締りをしてアパートの階段を降りる。

アパートの前にはあの排気音の発生源である大柄で伸びやかな形をしたクーペ。

止めたばかりのエンジンはまだ冷えていないのか、
チンチンと言う音を立ててこの寒さにその身体を馴らそうとしている様だった。

?「いつ見ても綺麗な車…」

とはいえ、バンパーやドアの下回りに目をやると、
ちょっとしたへこみやタッチペンで塗っただけの到底修復したとは言えない様な擦り痕が、
ざっと見ただけでも幾つも見つかる。

?「あ、新しいの…」

そんな意地悪な発見をしながら、私がドアノブに手をかけようとすると、内側からドアが押し開けられる。

?「どうぞ、お嬢さん…、っと」

運転手は私を紳士的に?エスコートしようとしてくれたのだろうが、
その小柄な身体では運転席から助手席のドアを開けるのは中々大変だったようで、
必死で体全体を伸ばしてドアを押し開く姿の愛しさに私は胸を熱くする。

>>1に何のSSかくらい書いてくれんと何のSSかわからん

まるでわからんww
スレタイと雰囲気からするとシリアスとかなのね。

アパートの住人は唯?
運転手は、小柄って事から梓なのかな?

そして平沢じゃなさそうなんだよな…

憂「無理しないで、お姉ちゃん」

唯「えへへ、りっちゃんみたく格好よく決めようとしたけど無理だった」

私は一瞬キョトンとして、お姉ちゃんはそのキョトンとした私を見てキョトンとして、
それから私たち二人は顔を見合わせて笑う。

住宅街からバイパスに出る交差点をお姉ちゃんは乱暴にハンドルを切って、アクセルを一気に踏み込む。

私はしっかりシートベルトをしていたけども、予想外の横Gに大きく身体を振られてしまう。

唯「あ、ごめん」

私は少し厳しく注意をする。

憂「もー、こんな運転だからまた擦りキズが増えちゃうんだよ?」

唯「憂ー、厳しいー、りっちゃんは別にそんな事で怒らないよー」

憂「律さんは、お姉ちゃんに甘いから」

お姉ちゃんは口を尖らして

唯「車を乱暴に扱うのもロックスターっぽさだもん」

私がその言葉には取り合わないものだから、お姉ちゃんの抗議の声も尻すぼみになる。

唯「って、りっちゃんが言ってたしぃ・・・」

憂「はいはい」

唯「ぶー」

せっかくのデートなのに機嫌を悪くさせちゃったかな、と思ったけど、
数秒後にはお姉ちゃんは何も無かったかの様に鼻歌を歌いながらの片手ハンドル運転。

それがお姉ちゃんの良いところ。

・・・。

あ、聞いた事のないメロディー…。

憂「ね、お姉ちゃん」

唯「んー、何ー?」

憂「それ新曲?」

お姉ちゃんは視線を移動させず前を見たまま、でも新しい曲である事に私が気付いた事が嬉しかったのか、口元を緩めて

唯「まだ、内緒だよ?あずにゃんにもデモを聴かせてないんだから」

私はそのちょっとした優越が嬉しい。

憂「そっか、じゃあ聴いたのは私が第一号と言う訳だね」

唯「そうそう、憂は何時だって私の一番の評論家と言う訳さ」

私はお姉ちゃんの言い回しがおかしくてクスクスと笑う。

憂「えー、でも私の言葉なんか聞かなくても大丈夫でしょ?」

唯「そんな事ないよー。憂の言葉でいつも勇気付けられてるよー」

私は、それがお世辞でも嬉しいので、フフっとなって

憂「お姉ちゃんの曲が一部のアンチ以外に悪く言われてるのなんて聞いた事も見た事もないよ」

唯「これでも結構悩んでるんだよー?」

その言葉を発した時、お姉ちゃんは口ではおどけていたけども、目は笑っていない。

私は何となく視線をお姉ちゃんの全身に移して、それで毛先がちょっとだけ傷んでいる事に気付く。

憂「あ、枝毛。ちゃんとコンディショナー使ってる?」

お姉ちゃんはそこで答える様に鼻を一すすりする。

けれど、お姉ちゃんから明確な返事は帰ってこない。

またまたけいおん将来設定SSか…
下手するとひんしゅく買いそうだから、気を付けた方がいいよ。
出だしの車からしてぶっ飛んでいるけど。

梓みたいな憂いだな

唯「…、うーいー…、起ーきてー、ねえ、憂ってばぁー」

何時の間にか寝てしまっていたらしく、私は揺り動かされて目を覚ます。

あの運転の横で眠ってしまうなんて、どうやら自分が思うより社会人と言うのは疲れているものらしい。

憂「あ、ごめん寝ちゃってた・・・」

お姉ちゃんは、気分を害した様子もなく外を指差す。

唯「着きました」

窓の外を見ると、そこは冬の海だった。

ダッシュボードの時計を見ると6:30前。

水平線の向こうから太陽が上ろうとすると言う事もなく、薄暗い。

どうやら今日も曇り空らしい。

砂浜に寄せる波が作り出す白い泡はまるで雪の様で、ますます冬の寒さを強調する。

何時の間にか先に車外に出たお姉ちゃんは風に吹かれながら、立っていた。

着ているモッズパーカーの裾も随分大きく翻っていて、お姉ちゃんは今にも吹き飛ばされそうに見えたけど、
しっかりと地面に根をはったかの様に身体はビクともしない。

憂「寒そう…」

お姉ちゃんは水平線の向こうを見てたけど、ふとこちらの方に向き直ると口をパクパクさせる。

この大柄なスポーツカーは高級車らしい高い遮音性を発揮してくれたので、お姉ちゃんの声も聞こえない。

でも、私には何と言っているか分かるよ。

だから、ドアを開けて私も冬の海岸に出る。

風がビュワーっと吹いて来て、私は思わず「寒っ」と声を上げてしまう。

お姉ちゃんはそんな私を見ておかしそうにする。

唯「もー、憂ってば私より全然暖かそうな格好してるのに」

憂「急だったから驚いただけだもん…」

唯「じゃー…、えいっ」

お姉ちゃんはモッズパーカーのポケットから手を出して私の頬にピトっと触れる。

憂「ひゃっ」

お姉ちゃんは、私の反応が思った以上だったのか、今度は思い切り噴き出す。

唯「う、憂ってば、ひゃっだって、あははは…」

憂「うー、そんなイタズラ…、もう子供じゃないんだよっ」

唯「だ、だってぇ…」

お姉ちゃんは、笑いすぎて目尻に浮かんでいた涙を拭う。

私は仕返しに同じ事をしてやろうかと思い手を伸ばすが、お姉ちゃんが身構えたので、
私は思い直してお姉ちゃんの手を取ると自分の手と一緒にポケットに突っ込む。

憂「ね、歩こっ?」

お姉ちゃんは予想と違う私の行動に一瞬びっくりした様な顔をしてから、
笑顔になり頷き、そこでまた思い出した様に鼻を一すすりする。



期待してる

お姉ちゃんは、ジップを上まで閉めていても寒いようで何度も身体を震わせている。

憂「もっと暖かくしてくれば良かったのに」

唯「こんな寒いとは思わなかったんだよー。それに最近車での移動が多いからあんまり暖かい服持ってなくてさ。
これだって、あずにゃんのを勝手に持って来たやつなんだよ?」

私はその言葉にちょっとすげない返し方をしてしまう。

憂「暖かい服買えば良いのに」

唯「それはそうだけどさー」

お姉ちゃんがかまって欲しそうに拗ねた顔を見せた事に満足した私は一つの提案をする。

憂「じゃあ、今度二人で買いに行こっか」

お姉ちゃんは満面の笑顔を浮かべて私の言葉に応える。

唯「うん」

お姉ちゃんは鼻をまた一すすり。


結局、この約束は未だ果たされていない。

・・・


ムギちゃんが私の身体に手を回す。

単純な別れの挨拶で無いことに私はドキリとする。

ここは空港で大勢の人の前だよ、ムギちゃん!って。

ムギちゃんは私のそんな心配をよそに耳元に唇を寄せる。

紬「ね、私が帰って来た時にHTTが無くなってたりなんて事・・・、ないよね?」

唯「え・・・?」

その何気無い、でも予想外の一言にちょびっとの悪意を感じて、
だけどムギちゃんの表情が見えなかったので、私にはその直感が正しいかどうかは分からなかった。

だから、私はムギちゃんの言葉の真意を知りたくて、問い尋ねようとする。

ちょっと待って!

本当に悪意が込められていたらどうするの?

え!?

その一瞬の瞬巡のせいで間に合わなくて、ムギちゃんは何時ものあの穏やかな笑みを浮かべたまま、
飛行機搭乗口の方に消えていく。

唯「あ、待って・・・」

私の言葉は手を振りながら移動式通路で遠ざかって行くムギちゃんには届かない。

ムギちゃんを追いかけようとする私を、友人が引き留める。

澪「唯、行くよ」

唯「澪ちゃん・・・」

澪「ん、何?」

唯「何でもない・・・」

澪ちゃんは苦笑して、

澪「ショックなのは私も一緒さ・・・」

律「おーい、早くしないとムギの飛行機見送れないぞー?」

随分先に行っていたりっちゃんが、私たちに呼び掛ける。

澪「律もああ言ってる」

唯「う、うん・・・」

そして違和感を共有していないみんなに促される様に、私は見送りゲートを後にする。


あの時、ムギちゃんはどんな顔をしていたんだろう。

私は未だに考えている。

なんかこんな感じのSSは久しぶりな気がするな
昔はいっぱいあったけどさ

もしかしてこれあのシリーズの唯視点か?
そうなら超期待。大好きなんだ

>>33
それって律「バンドミーティング」って奴かい?
そういえば読んだ事無いなぁ。

・・・

梓「ゆ、唯せんぱぁーい・・・」

唯「あずにゃん・・・、そんなに泣かないで・・・。これからだって私たちは変わらないでいられるから・・・」

あずにゃんは私にしがみつく様にして泣きじゃくっている。

私だって泣き出したかったけど、私が泣けばあずにゃんがもっと辛くなると思って、
私は必死で涙を堪えてあずにゃんの頭を撫でてやりながら、気休めの言葉を紡ぐ。

りっちゃんはちょっとイライラした様な表情で、澪ちゃんはただひたすらに当惑している様だった。

今時、親がミュージシャン志望を許さないってのも、大学卒業でそれに従わなきゃいけないってのも無いと思うけど、
あずにゃんのお父さんとお母さんは若い頃にツアーミュージシャンみたいな事をしていたんだって言うから、
説得力もあったのかもね。

唯「・・・」

よし、大丈夫。

色々考えてたら、私の中の混乱は少し収まりをみせてくれた。

人生は様々に移り変わって行くものだけど、私たちが高校卒業で「これからもHTTを続けて行こうね」って約束した時には、まさかこんな風になるなんて思わなかった。

例えば、プロになれなくて結局就職して、それで結婚なんかしちゃったりして各々家庭を持ったとしても、
みんな何となくずっと一緒にいられるもんだと思ってた。


人生って全然上手くいかない。

>>35
うん、それ。オススメするよ、りっちゃんやあずにゃんの話はハイになれるから。

唯視点が見たいようで、いつまでも見たくなかったんだ…

>>39>>34へだった
ミスった
なんかIDもミスだし
俺もう黙るわ

唯「あ、あずにゃーん!」

私は結局我慢し切れなくなってあずにゃんを抱き締めながら泣いてしまう。

私が当の本人よりも大泣きしてしまったので、その事が逆に諦めをつけさせてしまったのか、
あずにゃんは涙を拭いながらも電車に乗って去って行く。


もし私が泣き出したりしなければ、あずにゃんはお父さんお母さんの言い付けに背いてくれたりしたかな?

・・・


唯「ねえ、りっちゃん来ないし先に少しだけ合わせない?」

いつもは言われる側だけど、時には私だって練習をしなきゃって気分になる事もある。

直前のライブが三人編成になってから一番の出来だったんだよね。

それにー、物販で持ち込んだCD-R50枚を全部売り切れた!

それで、パンツを一本とカットソーを一枚買ったのです。

えへへ。

そんな訳で私は凄くやる気になっている。

澪「あー、うん。でも、律が来るまで待ってくれないか」

私から練習しようと言い出すのも珍しければ、それに応じない澪ちゃんも珍しい。

こう言うの、何て言うんだっけ。明日は雪だね、だっけ?

要するに嵐の予感。

そこにりっちゃんが次のライブの打ち合わせに少し手間取ったとかで、少し遅れて入ってくる。

澪ちゃんは表情を堅くしたまま立ち上がる。

澪「なあ、バンドミーティングしないか?」

まさか、上手く転がり出した時に辞めるって言い出すなんて思わなかったので、
最初私は澪ちゃんの言葉の意味がまったく分からなかったんだけど、
要するにこれは「辞めようと思うんだけど」の言い換えって事らしい。

りっちゃんがジョークで、怒りや落胆を必死で誤魔化しながら引き留めようとしてたけど、無理だった。

澪ちゃんは私たちに一瞥をくれてスタジオを去る。


澪ちゃんは私たちの中で一番綺麗なアパートに住んでいる。

心配性な澪ちゃんらしく、ちゃんと入り口にオートロックの付いた物件。

部屋番号をプッシュしてインターフォンを鳴らしても澪ちゃんは出てくれないし、
ロックも空けてくれないので私は待ち伏せして、他の住人が出入りするのに合わせて闖入する。

澪ちゃんの部屋の前まで行ってドアフォンを鳴らしても出て来ない。

二度三度鳴らしても出て来ない。

だから、本当に不在なのかと思ったけど、覗き穴の向こうに瞳の気配を感じたのでやっぱり居留守なんだと分かる。


Kickin'on heaven's door.

え?マジでバンドミーティングなの?

私は覚悟を決めてドアを思い切り蹴飛ばす。

一度蹴っても出て来ない

だから、続けて二度三度。

七度目のキックをしようと構えたところで扉は開かれる。

唯「あ、澪ちゃんがエリザベスを忘れてたと思ったから・・・」

当人を前にして、頭の中でリハーサルしていたやり取りを再現出来ず、私は結局しどろもどろになってしまう。

それでも、澪ちゃんは私の意図を組んでくれた様で部屋に上げてくれて、おまけにインスタントのコーヒーも淹れてくれる。

だけど、戻って来てはくれないんだ。

澪「HTTが続いていたら、戻る事もあるかも知れないよ」

澪ちゃんらしい慎重な言い回し。

少しだけ時間を置きたいって事だよね。



良いよ、りっちゃんと二人だって、ちゃんと私たちは続けて行くよ。

期待してる

46と47の間、抜けありました。すいません

---

自らの半身とも言える親友の突然の変節にショックを受けたりっちゃんは茫然自失の体で、
追いかける事なんて到底出来る様子じゃない。

それなら、私が変わりをするよ。

今度こそ上手くやるんだって、私は澪ちゃんが置いていったエリザベスを肩に下げると澪ちゃんの下宿先に駆け出す。

・・・

ね、りっちゃんベースでメロディーラインを奏でたらクールじゃない?

律「そうか…な…」

うん、そうだよ。

私とりっちゃん二人だって、客は踊らせられるし、世界も踊るよ。

だから、でも…、そう、やっていくんだよ。

・・・

憂「メジャーから!?」

唯「うん・・・」

お姉ちゃんは凄いって信じてたけど、さすがにそこまでとは思っていなかった。

それと何となく浮かない雰囲気が電話越しでも伝わって来るのが気になる。

でも…。

凄い凄い。

私は心の中では大はしゃぎ。

表向きにはお姉ちゃんに、合わせて慎重に。

憂「何か気になるの?」

唯「だって、私一人でって言うから・・・」

私は、お姉ちゃんからしたら納得出来ないものだろうけど、
レコード会社の判断を妥当なものだと思ったので背中を押すことを決めた。



その事がお姉ちゃんのその後に大きな影響を与えたのは、今になれば分かる。

・・・

知らない人だらけのレコーディングスタジオのつまらなさ。

お仕事お仕事、ギターをかき鳴らせシャンシャンシャン。

「唯ちゃん、良かったよおー」

えっと、アナタ誰ですか?

律「ああ、〜さん。ありがとうございます」

ちょっと、マネージャー勝手に答えないでよ。

私はこの人が誰だか知りたいの。

マネージャー?

Q�:誰が?

Q�:誰の?

Å�:りっちゃんが。

A�:私の。

え!?

え?え?


唯「つまらないなあ、こう言うの」

私はタクシーの外を流れる夜の街の景色をぼんやり見ながらなんとなく腹が立って、
隣に座るりっちゃんに聞かせるつもりで不満を吐き出す。

りっちゃんは聞こえないふり。

それなら・・・

唯「田井中律のばーか」

痛っ!?

りっちゃんはこっちを向いたと思ったら、私の頬をいきなり引っ張る。

唯「痛っ、イタタタ、痛いよっ!」

りっちゃんは最後に捻る様に大きく引っ張って手を離す。

律「唯、大人になれよ」

唯「は?ばかって言われて手を出すのが大人なの?」

律「そう言う事じゃねーし」

唯「そうじゃん」

私はこれが八つ当たりだって分かってるし、きっとりっちゃんも分かってる。

ソロでメジャーデビューしたらこうなるって分かってたんだ。

でも、憂もりっちゃんもやった方が良いって言ったから、やってやってるのに。

だから、私は無言でやり返す。

マジでアレの唯視点なの?
期待しちゃうよ?

りっちゃんもまた仕返しに私の頬に手を伸ばす。

私たちはお互いの頬を思いっきりつねり引っ張り合う。

酔っ払い同士の喧嘩に馴れている運転手さんは冷静な声で到着を告げる。

運転手「お金払ってから、外でやってよ、お姉ちゃんたち」

カーン!

脳裏に響くゴングの音。

路上での第2ラウンドの開始だよ。


りっちゃんのパンツスーツは皺だらけ。

私のTシャツの首は伸びてダルダル。

目の端の痣。

口の端の切り傷。

私の方が二発多く殴ってやったと思うけど、りっちゃんの方が一発一発が強かったから引き分けだね。


律「痛ってぇ、もっと優しくしろよぉ」

りっちゃんは私の華麗な消毒液捌きにも関わらず文句をつける。

唯「えー、十分に優しくしてるよー」

律「おい、唯、ここを良く見てみろ」

そこには、表皮が裂け、くっきり残った歯形。

律「これは誰がつけたもんだ?」

私は口笛を吹いて誤魔化す。

ミンナガダイスキ♪

律「おい、こら」

当然誤魔化せない。

でも!

私はTシャツを捲り上げる。

見て!

この乙女の柔肌につけられた一条線。

唯「この引っ掻き傷深いし、痕が残っちゃうかも知んないしー」

私たちは睨み合う。

そして、同時に噴き出す。

それから文句を言いつつお互いの傷を消毒し合って、‘痛み止め'を飲んでそれから色んな事を考える。

・・・

雨降って地固まる、だっけ?

何だかんだあったけど、やっぱ、りっちゃん以外に私たちのリーダーはいないよね。

だって、結局私たちはこの後、自分達のやりたい様にやれるようになったからね。

サンキュー、りっちゃん!

・・・

自由にやるのとお仕着せでやるのは全然違う。

そう、栄養ドリンクのアルミ缶で作ったお手製パイプとジョイント位に違う。

こう言うのって本当に違うんだ。

律「な、唯、最高だよなー」

唯「うん、そうだよねー」

私がギターをかき鳴らせば世界も歌う。

梓「もう一度、この世界で生きていきたいんです」

唯「あずにゃん、おかえり」

私はニッコリ笑ってあずにゃんを抱きしめてやる。

ハイになってるからキスもして上げる。

照れてる?

ツンデレって奴だね。

ツンツンデンデン

私が足を踏み鳴らせば世界も踊る。

Welcome to Ma World!

そう、この時は本当に世界が私と共に有ったんだ。


…うん、そうなんだよ…

有ったんだよ?

有ったんだよぅ・・・

・・・

私はドアを開き、柔らかなレザーのシートに腰を落とす。

しっかり製品化されているので、動物の皮革と言っても獣の臭いはしない。

車内に染み付いた煙の臭いだけがする。

寝ているあずにゃんから勝手に拝借して来たモッズコートを助手席に放り投げる。

キーを捻ると、車は少しだけむずがる様子を見せているのか、スターターが空回りする。

唯「最近、調子悪いなあ・・・」

それでも、アクセルを煽りながらもう一度捻ると車体を一度だけ大きく揺らす様にしてエンジンは始動する。

車内にいればエンジンが力を絞り出す音は伝わらず、微かな振動だけが伝わって来る全てなので、
オートマティックに全てが始動した様に思えさえする。

唯「機械は良いよね、なんだかんだ言ってもスイッチを入れればちゃんと始動する。ギー太だって、触れば音を出すよ」

中々、動けないのは私だけだね。

シフトノブをドライブレンジに放り込むと、私はウインカーも点けずに道路に飛び出す。


人間の脳は生命の危機を感じると、活性化するらしい。

アクセルを深く踏み込めば、周りのほとんどの車を置いてきぼりにする様な性能を持つけども、
少しばかり旧式のこの車はそう言う体験を行うにはうってつけ。

私は怪しげな脳科学者のアドバイス通りにことさら乱暴にアクセルを踏み込む。

リアタイヤはグリップを失いかけ、一瞬お尻を振り出しそうになる。

唯「あははっ」

そこでなんとかスピンせずに堪えた車体はグングンとスピードを上げる。

前を走っていた先行車は、猛烈な勢いで迫ってくるこの車に恐怖を感じたのか、こぞって路側帯に車を寄せる。

まるで無人道路。

安楽運転。

そのおかげで私は生命の危機を感じられない。

“暖かい革のシートに包まれて”

“ガード下で割れるガラスを見てみなよ”

“砕け散る鋼の音を聞きなよ”

“ハンドルの感触を感じなよ”

“暖かな革のシートが君の焼け焦げた身体の上で溶けゆく”

“ピカッと言う閃光の中に君の影が見えるよ”

“ガソリンの涙が君の目に浮かんでる”

“パーキングブレーキが君の足に突き刺さる”

“君が死んでしまう前に早くセックスしないと”

“交通事故の世界に飛び込もうよ”

私はブレーキをガツンと踏み込む。

急ブレーキだったが、運悪く車体はピタッと地面に張り付いた様に減速し、そして路肩に停止する。

私はハンドルに拳を叩きつける。

唯「こんなんじゃスピードが足りないよ!」

それに、きっとアイスも足りない。

このままでは終末に追い付かれてしまう。

・・・

梓「取り合えずは、DL販売オンリーで出せば良いんですよ。下手なプロモーションにお金かけるよりは・・・」

りっちゃんはあずにゃんが言い終える前に、喚き声でかき消す様に遮る。

律「あーあー、梓お前分かってないよ」

あずにゃんは一瞬ムッとした様子を見せた後に、凄い剣幕で怒鳴り返す。

梓「何がですか。唯先輩のネームバリューなら、もうマネタイズで悩むレベルじゃないでしょ!」

私は二人の言い争いをソファに身体を埋めて聞いている。

向かいに座っている純ちゃんは、ヒートアップする二人にハラハラした様子を見せているが、
私にとってはどうでも良い話だよね。

どちらにしろ、私が良いものを作ると言う前提があっての話だし。

りっちゃんは、あずにゃんの剣幕に少し驚きながら、年長者の余裕を見せる様な振りをしつつ、

律「違うんだよ。フィジカルリリースがあるとないとじゃ、その先のムーブメントに至る道で・・・」

梓「だからその安い業界人みたいな言い方は止めて下さいって言いましたよね、前にも」

律「は?唯が安っぽいのかよ」

梓「何でそこに唯先輩出て来るんですか、話逸らしてる上に人質みたいにするの止めて下さいよ」

律「お前がちっちゃく纏まろうみたいな話をするからだろ」

あずにゃんは呆れたように言い放つ。

梓「律先輩の誇大妄想でリスクの大きい事やってる余裕がないってだけですよ」

律「は?私たちはずっとそうやって来たし」

梓「始めた頃と今とを一緒にしないで下さいってのも言いましたよね、何度も」

私は、言い争いが不毛になって来たのを感じて、割って入る。

唯「ね、そろそろティータイムにしよ?私たちらしくさ」

睨み合ってた二人は、私の言葉でクールダウンしたのか、ちょっと恥じたように視線を逸らし、
純ちゃんはあからさまに安心したような顔をする。


律「あー、ちょっと屋上でチルってくるわ」

りっちゃんは、決まり悪そうに部屋を出て行く。

あずにゃんは私の方を何か言って欲しそうに見ている。

だから、私はニッコリと笑って返してやる。

唯「大丈夫だよ」

あずにゃんは安心したように、部屋を出て行く。

きっと、りっちゃんの後を追いかけて行ったんだね。

仲直りのアフェアですぐに元通りになれるよ。

二人が出て行ったのを見計らった様に純ちゃんが口を開く。

純「大丈夫ですか?」

私は、私の求められている言葉を返してやる。

唯「大丈夫だよ。二人とももう大人だよ?」

純「そうじゃなくて…」


純ちゃんは少し迷った様子を見せる。

あんなに喋りたそうにしてたのに、変なの。

純「唯先輩が、って事です」

唯「私が?」

純ちゃんは、躊躇いをみせつつ頷く。

もしかして…

唯「新しいEPが出来てない事に関して?」

純ちゃんは慌てて否定する

純「ち、違いますよ!そ、その、何か、こう言う事がある度に唯先輩に負担が掛かり過ぎてる感じがして…、
私がもう少し間に入れればとも思うんですけど・・・」

私は、苦笑して純ちゃんの肩を叩いてやる。

唯「二人とも長い付き合いだもん、そこら辺は弁えてるだろうし、それを考えたら私のあれを負担だなんて思わないよー」

純「そ、そうですよね」

純ちゃんも安心した様な顔をしたので、私もその場を去ろうとドアに手をかける。

純ちゃんは最後に一言だけ私に声をかける。

純「新しいEPは私も期待してますから」

唯「中枢スタッフにそんな言われ方するとさすがにプレッシャーだよ」

純ちゃんはその私の言葉をジョークだと思って、ニシシと笑う。

それはジョークじゃないの、純ちゃん。

実は、本当に問題なのは新しいEPの方なんだ。



気分を変えてくれるなら何だって差し出すよ。

ちょっとばかりの慢性鼻炎とかね。

今の私はそう言う気分。

・・・

梓「ね、前にコンタクトあった海外のレーベル有りますよね」

あずにゃんがひとつの提案をして来たのはそんな時。

唯「あー、うんあったねー」

私は良く覚えていなかったけど、あずにゃんの言うことなら間違いないだろうと話を合わせる。

梓「唯先輩が素材を作る」

唯「うん」

梓「彼らの抱えるアーティストがそれを料理する」

唯「うんうん」

梓「で、彼らが作った素材を逆に」

唯「私がいじる」

梓「そうです」

唯「スプリット盤を出す」

梓「私たちのレーベルと彼らのレーベルからそれぞれ違うバージョンで」

面白そうだし、それに・・・。

私は諸手を挙げて賛成する。

梓「で、向こうで録音しようって話があって」

唯「海外?」

梓「はい!」

唯「面白そう!」

私の反応にあずにゃんは満足そうな表情を作る。

実際、面白そうだし、きっと良い気分転換にもなる。

梓「気分転換にもなるかも知れませんしね」

あずにゃんって、テレパシー使えるの!?

そんな訳はない。

疑心暗鬼に陥っているのが、わたし。

・・・


モスクワ経由のフライト。

合わせておよそ30時間。

乗り継ぎの飛行機が荒天の為、シェレメーチエヴォ空港で足止めされて半日が過ぎていた。

寒いし、そもそもビザも持っていない為、空港から出る事も出来ない。

要するに、アルコールを摂取する事ぐらいしかやる事がない。

いいね

強い火の酒で軽く酩酊したままガラスの外の北の景色を見ていると、
以前来た東欧圏の事をフラッシュバックする様に思い出す。

オーガナイザーがマフィアであったので、私たちの要求に対する応対も完璧だ。

勿論、私たちのパフォーマンスと等価交換で。

私はおもむろに手で髪をアップにしてから、ガラスに写る自分に問い掛ける。

唯「今の私はあの時みたいに上手くやれると思う?」

当然、答は返ってこない。

いくら、髪をアップにしたところでガラスに写っているのは憂じゃない。

そんなつまらない感傷に浸っていると、あずにゃんがベンチでタブレットをいじっているのに飽きたのか、
私の方にやって来る。

猫と一緒で寒がりなのだろう、この暖房の効いた空港内だと言うのにモコモコフワフワのダウンジャケットを着込んで、
ファーフードを被りジップを上げてスタンドカラーに顎を埋める様にしている。

梓「唯先輩・・・」

私は思わず噴き出す。

唯「あずにゃん、雪ダルマみたいだねえー」

梓「な!?」

唯「だって、そんな着膨れてるからぁ」

梓「唯先輩が寒さに強いだけですから」

唯「でも、島に着いたら暖かいし、厚着は不要でしょ?」

梓「そう言う問題じゃないです」

唯「荷物多くなる」

あずにゃんは不本意そうな顔をしながら何かの言い訳を始める。

梓「良いですか。NYではダウンジャケットを着る人が多いんです」

唯「はあ」

梓「何でか分かりますか?」

唯「わからないよ、あずにゃん・・・」

私はあまり面白そうな話では無かったので、気乗りがしない、と言うニュアンスを言葉に込めてみる。

梓「NYって緯度的にかなり寒いんですけど、室内では暖房を効かせるので暖かいんです。
だから、上着一枚で暖かい装備が必要だったんですよ」

あずにゃんは私の意図に全く気付かない様子で得意気だ。

梓「つまり、必要に応じた・・・、あれ、唯先輩?」

ここで、ようやくあずにゃんは気付いたらしい。

遅いよ、あずにゃん・・・。

あずにゃんの言葉を一般化すると、つまりこう言う事だね。

必要は発明の母。

退屈だけど、ためになる。






そしてこの後、私はこの言葉に沿った行動を取ることになる。

・・・

梓ちゃんは何時もお姉ちゃんと一緒で羨ましい。

今も、リゾートアイランドにレコーディングに同行しているらしい。

私も大人なので「独り占めされた」なんて思わないけども。

ここ半年は海外をツアーで回ったりしていたので落ち着いた創作環境が必要なんだろう。

東京は何しろ忙しなさ過ぎる。

ネットの根拠のない侮蔑的な噂と事実が区別がつかない位に。

だから、そんな根拠のない話から遠く離れて鳥の様に空高く飛んで!

・・・

相変わらず、頭の中からは何も出て来ない。

以前だったら、鎮める為に必要だったのに、今では絞り出す為に必要になっている。

でも、そもそも絞ったからと言って出て来るものなのかな。

経験がないからそんな事分からない。

そもそも、私の中にあとどれぐらいの'閃き'が残っているかも検討がつかない。

私たちの財布の中身は検討がつく。

あずにゃんは私よりそれが明確に分かってるみたい。



私の焦りと同期する様に、あずにゃんの眉間の皺も深くなる。

夜中に時々、何処かと電話しては、何かに毒づきながら壁を蹴っている音が聞こえる。

きっと、先行きの見えない私との作業が原因なんだろう。

間に入ってくれるりっちゃんがここにはいないので、感情的なささくれは眉間の皺に直結しちゃうに違いない。

梓「〜で、唯先輩?」

唯「あ、うん」

梓「聞いてます?」

あずにゃんは自分でも分かっている様で、ほぐす様に眉間に指を強く押しあてる。

深い眉間の皺はそこに切り込みを入れたら、第三の目が出て来そう。そうしたら私の中の‘閃き'の残量も分かるかな?

でも、私の中にそれがもう残っていなかったとしたらどうなるだろう。

私を見捨てちゃう?

・・・

昼も夜も関係ない。

スタジオでなければ作れない音楽なんて存在しないから私はホテルの部屋でも創作に励まなきゃいけない。

それが私に課せられた絶対的な運命。

なのにノートPCに向かい合っても何も出て来ない。

気分転換に検索エンジンに平沢唯と打ち込めばネガティブな言葉の洪水。

唯「あはは、エゴサーチはするものじゃないね」

私はぬる目のシャワーに安息を求める。



ぬる目のシャワーは冬以外なら最高。

熱湯や冷水みたいに厳しくない。

創作意欲も・・・。

シャワールームから出ると、肌を撫でる様な温風。

私は相変わらず冷房が苦手で、ホテルであってもつけていない。

その全身を包む様なモワっとした空気に気を取られ、油断していた私は大きめの姿見に写る自分の姿を見てしまう。

目の下にこびりついた隅。

削げた頬。

こんなの!

思わず私は拳を握り締め、力一杯姿見に叩きつける。

鏡は割れて、欠片を四方八方に飛び散らせる。

唯「あ・・・」

私は自分の発作的な行動に茫然となる。

こんなの私じゃないって?

何、いつまでも高校生みたいな事言ってるの?

床に散った欠片に写るのは、先程と何も変わらない私の姿。

そして、あずにゃんと同じ様な眉間の皺。

ふと記憶の奥底から浮かんで来る一つの言葉。

第三の目。

全てを見透す第三の目。

私は震えながら、一際鋭い切っ先を持つ欠片に手を伸ばす。

そして、拾い上げた欠片で・・・。



赤く染まる視界の隅に、私は部屋に飛び込んで来るあずにゃんの姿を捉える。

梓「唯先輩!?」

私は本当の事なんか到底言えず、

唯「えへへ、けつまずいて鏡割っちゃった・・・」

その言葉にあずにゃんはハッと息を飲み、私は怒られるかと思い身をすくませる。

だけど、そんな事はなくて、あずにゃんは崩れ落ちそうになりながら私に抱き付いてくる。

梓「大丈夫・・・、なんですね・・・」

私はあずにゃんを安心させるために頭を撫でてやりながらおどけてみせる。

唯「でへへ、すいやせんねえ・・・」

あずにゃんは身体を震わせながら少しだけ私に抱き付いていたけど、落ち着いたのか私をシャワールームに促して、

梓「ガラスは片付けておきますんで、取り合えず傷口洗って流して来て下さい」

唯「今シャワー浴びたばかりなのにね」

あずにゃんは、私を落ち着けようとして無理に微笑を作りながら

梓「身体を綺麗にするのは良いものですよ、何度したって」

唯「それはそうだね」

身体を綺麗にすることがシャワーを浴びるのと同じ位に簡単だったらどんなに良いだろう。

・・・

最初はあんなに安くしてくれていたのに、今じゃ最初の三倍だ。

こう言う時にりっちゃんの連れて来た‘友達'の有り難さが身に染みる。

それに、あずにゃんに四六時中監視されてたんじゃ、新しい‘インスパイア錠'を買いに行く事も出来やしない。

唯「でも、今日はお節介なあずにゃんもいない事だし」

私はウキウキ気分で夜のリゾートタウンに繰り出す。

そして、光の届かない裏路地へ。

そこに私に力を与えてくれる物があるんだ。

こう言う路地こそがつまらないゲーテッドリゾートタウンに力を与えてくれるのと同様に。

でも、私のワクワクサークルは中々上手く回らなくなっている。

唯「あれ・・・?おかしいな・・・、昨日見た時には・・・」

私はプッシャーのプレッシャーの前で必死で財布の中を漁る。

どんなに見てもお金は足りない。

何で?

何で!?

何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で・・・

唯「何で!?」

プッシャーはお金のないジャンキーに有りがちな事を口走る私に見切りをつけたのか、新たな客を探しに去ってゆく。

ポケットを必死で漁るが手持ちのものもない。

キャンディーもチョコレートもない。

ムギちゃんがいなければ、私達にお菓子を用意してくれる人はいない。



必要は発明の母。

切迫詰まれば良いアイデアは湧いてくる。

私の頭の中に浮かぶ高校時代からの相棒の姿。

唯「ね、ギー太、私の為に死んでくれるよね」

私はスタジオに向かって駆け出す。

久し振りの運動で心臓は激しく打ち鳴らされる。

そして酸欠状態に陥った私の頭にはアイデアがドンドン降りてくる。

唯「道連れも用意したげるね」



私は思うに任せない身体に鞭打ってスタジオ所有のドラムキットやPCをワゴン車に積み込む。

本当に必死に作業した。

この島に来てからこんなに集中出来た記憶がない。

うん、後ろから近付く警備員の気配にも気付かない位に集中してた。



警備員の持つ懐中電灯はまるでSF映画のパラライザー。

ヒューンと伸びるその光に照らされたものは誰しもが動けなくなるんだ。

それは私だって例外じゃない。

私は、フロアタムを抱えたまま、言い訳を捻り出す為に、必死で頭を働かせようとする。

唯「こ、これはね、りっちゃんがフロアタムを欲しがってたから、ずっと・・・、だからぁ・・・」

憂の声が頭の中に響く。


憂「だからって、人のもの盗って良いと思ってるの?お姉ちゃん」

駄目かな?

あずにゃんの声が脳裏に響く。

梓「ダメですよ、唯先輩」

駄目に決まってるよね。



何時だって最初に出て来るのは高校時代の事ばかり。

私が、何時だってもう一回あの黄金時代が来る事を祈ってるからなんだと思う。



あずにゃんがどうやって地元の顔役と話をつけてくれたかは分からない。
で、私はこの海外のリゾート地で逮捕される事もなく、病院にいる。

要するに、これ以上放っておいたら危険だと判断された訳だ。

ちなみに財布からお金を抜いておいたのはあずにゃんの仕業らしい。

薬の量の増加を食い止める為の苦肉の策で、今私がいる場所を考えれば、最初の想定とはちょっと違ったかも知れないけど、あずにゃんの危惧は全くもって正しかった。

梓「唯先輩?」

唯「あ、うん大丈夫だよ、禁断症状も出てないもん」

それは元々だけどねー?

あずにゃんは、私の言葉にホッとした様な顔をする。

唯「あずにゃん、分かりやす〜い」

梓「な!?」

私はちょっと言い過ぎてしまったかと思い、内心ドキドキする。

でも、あずにゃんは怒った様子もなく、クールだ。

梓「余裕のある証拠だと受け取っておきます。その調子で許可されてる量を使い切らない様にして行きましょうね」

前言撤回。目が笑ってない。

唯「あずにゃん、怖いよ・・・」

あずにゃんは一頻り私を脅かした事に満足したのか、クスリと笑うと時計を見てから立ち上がる。

梓「また、明日も来ますね」

唯「あ、もうこんな時間なんだ…」

梓「ええ、私ももうちょっと一緒にいたいですけど」

大切な人達と一緒にいる為のコストは年を経て、またトラブルがある毎に増加する。

こんなとこに一秒だっていたくない。

・・・

モチベーションがあれば何でも出来る。

普通の人には難しい治療施設からの退院だって簡単だ。

院内で良く顔を合わせていたティーンの娘の妬ましそうな顔が忘れられない。

両手一杯に抱えたメタドンの助けを借りての事だけどね。

イエー!カムバックトゥージャパーン!

ロックスターの帰還だよ。

肩には長い相棒のギー太。

唯「久し振りの日本だね、ギー太」

あの時お別れしないで本当に良かった。

ほら、ギー太、りっちゃんがカウンターの向こうで手を降っているのが見える。

私はその日常が懐かしくって、思わず駆け出す・・・、



事は出来なかった。

まさか、スニーカーでさえ滑る程に床が磨き上げられてるなんて思わないじゃん!

瓶の割れる音。

それは私の両手から色々な物がこぼれ落ちる音。

唯「あ、え・・・」

私の気持ちとは関係なく、私の手は必死で瓶の中身を掬おうとしている。

唯「あずにゃん?あずにゃーん、なくなっちゃう、なくなっちゃうよぉ!」

あずにゃんが駆け寄って来るのが見える。

私は一瞬安心して、でもその後ろに何人もの空港職員がいるのを見てどうしたら良いのか分からなくなる。

りっちゃんは・・・。

青ざめて、ひきつった様な笑顔を浮かべている。

私は、床にこぼれたメタドンが手ですくえないので、口をつけて吸おうとしていた。

私の気持ちとは関係なく身体が勝手に動いてしまってる。



私の日常への帰還はこうして一瞬の内に終わった。

そう、台無しになるのは一瞬の事だった。

・・・

律「あ、憂ちゃん・・・」

警察署のソファーで、暗い顔をしていた律さんが私の姿を確認して立ち上がり、歩み寄って来る。

私は思い切り手を振りかぶる。

その手はまったく警戒していなかった律さんの頬を直撃して、意外と鈍い音を立てる。

律「痛って・・・」

殴り返してくるかと思ったけど、律さんは頬を押さえて黙り込んでいる。

ふん。

お姉ちゃんを汚しておきながら、被害者面なんだ。

憂「最低・・・」

私が睨み付けると、律さんもこちらを睨み返して来た。

梓「う、憂、ちょっと落ち着いて・・・よ・・・」

ああ、いたんだ、梓ちゃん?

憂「梓ちゃんも知ってたんでしょ?」

梓ちゃんは視線を反らす。

その瞬間、後頭部の辺りをチリチリいっていた種火が一気に大きく燃え上がった。




気付くと私は警官に取り押さえられていた。



自分が何をしたのかは良く覚えていない。

だけど、身内の事で動転していたと大事にせずに済ませて貰えたらしい。

不幸中の幸い。

姉妹揃って逮捕なんて言ったら、喜劇が過ぎるしね。

・・・

ガラス越しの憂の顔。

両親が願いを込めて意味を書き換えた'それ'じゃなくて、本来の字義通りの憂いの表情。

唯「憂・・・、ごめんね、恥かかせちゃって・・・」

憂「う、ううん。そんな事全然無いよ。お姉ちゃんの事だもん。ちゃんと理由があるって分かってるから」

うふふ、ありがとうね、憂。

凄く嬉しい。

でも、そんな大層な理由なんか無いの。

唯「あ、そう言えば」

憂「何?」

唯「あずにゃんが」

あずにゃんの名前を聞いただけで、憂の顔が強張るのが分かる。

仲良くして欲しいんだけどな、昔みたく、さ。

駄目かな?

私が壊しちゃった?

それでも!

今はそんな甘ったれた瞬巡で限られた面会時間を無駄にする事は出来ないから、私は鈍感な振りをして言葉を続ける。

唯「憂に『ごめんなさい』って言ってたよ」

憂「へ、へぇー、そうなんだ。何でだろうね、梓ちゃんが私に謝る事なんて無いと思うけど」

憂も意外と隠し事が出来ないなあ。

唯「私も良く分からないけど、あずにゃんがそう言うんだから受け取っておきなよ」

憂「う、うん、そうしておく」

面会時間の終了が告げられる。

ごめんね、憂。

結局、あずにゃんの話だけで面会が終わっちゃったね。

憂が立ち上がる。

憂「また、時間作って来るから」

唯「うん、待ってるね」

ああ、そうだ!

私は踵を返す憂に声を掛ける。

唯「りっちゃんが一回会って話をしたいって!」

憂はそれには答えず、部屋を出ていく。

>>133-135
こういうヴィシャスな雰囲気好きだ。
憂が感情を露わにして、律を殴るとか最高。

・・・

立会人に促され、お姉ちゃんが部屋に入ってくる。

私はガリガリに痩せこけて、落ち窪んだ眼球ばかりがギラギラしている病み切った姿を想像していたが、
そんな事もなく昔みたいに薔薇色の頬とはいかなかったけど、まあまあ元気そうに見えた。

私はそれだけで、足から崩れそうな位安心をする。

でも、私がそんな姿を見せたら、お姉ちゃんに心労をかけてしまうので、私は平静を装う。

憂「不便とかない?」

お姉ちゃんは、自嘲気味に笑いながら

唯「ここ、刑務所だよ?それは仕方ないよー」

それはそうだけど・・・、さ・・・。

唯「憂・・・、ごめんね、恥かかせちゃって・・・」

自分の事より、まずは他の人の事。

実はお姉ちゃんはずっとこうなんだ。

憂「う、ううん。そんな事全然無いよ。お姉ちゃんの事だもん。ちゃんと理由があるって分かってるから」

どんな理由?

自分で言ってみたけど、思い付かない。

私だって、梓ちゃんや律さんがやらせた、なんて思ってる訳じゃない。

話は弾まないままに、面会時間の終了が告げられる。

私はお姉ちゃんを勇気づけられなかった事に絶望しながら立ち上がる。

唯「りっちゃんが一回会って話をしたいって!」

そう言えばあれ以降、律さんからの電話、メールをその大量の着信履歴と受信にも関わらず、
通話することも読む事もしていない。



律さんの事はまだ許していないけど、お姉ちゃんの裁判の事なら協力せざるを得ない。

期待

・・・

言い渡される判決。

最初、法廷の被告人席から、憂の姿を見た時は泣いてしまったが、今では慣れたものだ。
泣いてしまった事も裁判官の心証を良くしている筈で(これは後から弁護士さんから聞いた)、
チューバッカっぽい話をしなくても実刑は無いだろう、と弁護士さんは胸を撫で下ろしていた。

「懲役10ヶ月、執行猶予2年」

傍聴席でりっちゃんがガッツポーズしているのが見える。

憂は目を押さえて、それをあずにゃんが支える。

実刑がつかなかった事より、その図の方が私には大切なものだった。



でも、全てが遅すぎた。

・・・

その判決が耳を通って、脳に届いて、脳がその内容を認識した瞬間に涙が目からこぼれ、足から力が抜ける。

非社会的な行動にはペナルティが課せられるべき。

それはきっと正しい。

でも、それでもやっぱり私はお姉ちゃんに執行猶予が付かなかった事に安心してる。

「…、じょうぶ…、だいじょうぶ…」

え?

梓「憂!大丈夫!?」

憂「梓ちゃん?」

梓ちゃんは、私が倒れこまない様に支えてくれていた。

私は梓ちゃんの肩に身を預ける。

梓「憂?」

憂「うん、大丈夫、安心しただけ」

梓「うん、取りあえずは良かった…よね…」

梓ちゃんがいてくれてよかった。

そうしなければ、私は倒れた時に頭を打って病院に運ばれていたかもしれない。

やっぱり、そこに支えてくれる人がいるって言うのはとても大事な事。

梓ちゃんはお姉ちゃんを支える重要な柱だったし、だからお姉ちゃんも梓ちゃんを支えてあげようとしたんだね。

私はそっと呟く。

誰にも聞えない様に。

でも、この広い世界の長い歴史に自分の気付いたこの言葉がちゃんとあったと言う事実を残すために。

憂「ソロデビューなんてけしかけるんじゃなかったな」

梓「憂?」

憂「なんでもない。もう大丈夫」

梓「そ、そう…」

私はしっかりと立って被告人席のお姉ちゃんを見つめる。

そして胸を張ってこう言うの。

お帰りなさい、お姉ちゃん。



でも、私の気付きもちょっと遅過ぎたみたい。

・・・

私の知らない間に会社の金庫はすっからかん。

嘘、何となく分かってたんだ。

ポンコツアトラスは私達の世界を支えられずに落として壊してしまうし、掲げられた看板も錆びついて今にも地に落ちそう。

あはは、お終いの時間だよぅ。

あれ?>>149では執行猶予が付いた事になっているのに、>>151では実刑判決になっている。
どちらが正しいの?

>157
すいません…
>151の下りは執行猶予→実刑です。

・・・

りっちゃんは二曲やったら、もう息が上がってる。

律「たんま、ちょい休憩しようぜ・・・」

梓「ぷっ、律先輩もう老化が始まってるんじゃないですか?」

律「中野ぉ!」

えへへ、こう言うの懐かしい。

あの部室を思い出す。

私達が輝けガールズな頃。

ふと、りっちゃんが呟く。

律「唯がベースかー・・・」

あずにゃんが「あっ」と言う表情になる。

バンドにはベースが必要でしょ?

りっちゃんは、私がベースじゃ不満だろうけどさ、私も一生懸命やったよ。

でも、それだけじゃメロディーも足りなくなっちゃうもんね。

結局、終末からは逃れられない。



朝日が眩しい。

りっちゃんが懐からジョイントを取り出し、私に差し出す。

唯「良いね。やっぱりっちゃんってば分かってるぅ」

梓「この期に及んでですか?」

あずにゃんの話の腰を折るような態度に私とりっちゃんは親指を下に向ける。

唯「ぶー」

律「ぶーぶー」

あずにゃんは溜め息をつく。

でも、柔らかく苦笑して

梓「まあ、先にティータイムって言うのが私達ですもんね、最後までこう言うのがらしいかも知れませんね」

唯「じゃあ、あずにゃん先に吸って良いよ」

梓「そうですか?じゃあ…」

あずにゃんは肺の奥で味わおうというのか深く吸い込む。

唯「そう言えば、りっちゃん」

律「んー?」

唯「こんな事になっちゃってごめんね?」

りっちゃんは予想しなかった言葉を聞いた様な表情になる。

あれ?

律「あー、良いよ、気にしてない。ここにいない奴のせいだってことにしようぜ」

そう言うとりっちゃんはニシシと笑う。

あずにゃんが吐き出した煙が空に溶ける。

律「んじゃ、法律的な手続きってのに行って来るよ」

りっちゃんは手を振って屋上を出て行く。

あずにゃんは悲しい気持ちが拡大されちゃったのか、しゃがみ込んでしまっている。

唯「ほら、あずにゃん立って」

梓「あ、唯先輩ぃ・・・。これから、どうしたら・・・」

唯「大丈夫だよ、きっと」

私とりっちゃんは、一年位は憂に養って貰うとして・・・。

勿論、バイトするし・・・。

あずにゃんは純ちゃんにお願いするとしてー・・・、って後ろ向き過ぎる?

私はあずにゃんの体温を感じながら、これからの生活に想いを馳せる。

今までみたいに予算潤沢って訳にはいかないかも知れないけど、時々集まってみんなで、さっきみたいにジャムるの。

ジャムるの楽しい。

そんで、時々は小さな箱でライブも。

…んー?

あれ、もしかして何も変わらないんじゃ・・・。

梓「・・・ぱい、・・・先輩、・・・唯先輩!」

もー、何さー!こんなにみんなの事考えてるのに!

私はあずにゃんが震える指で指し示す屋上の入り口を見る。

そこにはりっちゃんと・・・。

そこで、私は駆け出す。

放り投げられる形になったあずにゃんが何か文句を言う言葉が後ろで聞こえたけど、後で抱きしめて上げるから許してね。

唯「澪ちゃーん!」

澪「ああ、唯、HTTが続いてたから戻ってこれたよ」

りっちゃんは、何の事か分からないのか目を白黒させている。

良いよ、安心して。

後でちゃんと説明して上げる。

これから幾らでも話すチャンスはあるもんね。

ttp://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/6/66/Child_with_Smallpox_Bangladesh.jpg

・・・

ムギちゃんは瞳に涙を一杯に浮かべて、飛びついてくる。

ムギ「ただいま、唯ちゃん」

唯「おかえり、ムギちゃん」

私もムギちゃんを抱き締める。

お別れの挨拶をした時、ムギちゃんがどんな表情をしてたかって?

きっと、泣きそうになるのを堪えてたんだと思う。

感情を出すのが恥ずかしい時ってあるもんね。

・・・

こうやって久しぶりに五人が揃ってみて分かるのは、やっぱり楽しいって事もそうだけど、
私たちを襲ったトラブルがほぼ解決したって言う事。

裏を返すと離れ離れになって以来、随分長い間トラブルに襲われ続けたって事なのかも?

えっと、大人としての嫌らしい話なんだけど、ムギちゃんと澪ちゃんがいたら、
そしてまあ、私に(勿論りっちゃんやあずにゃんにもね!)少しの節制だって必要かも知れないけど、
私達がそんな頑張る必要なんてなくなってしまうのだ。

現実問題として。

りっちゃんは、ベッドと食堂の往復しかしないこの一月で3kg太ったって悩んでる。

ここの料理美味しいもんね。

あずにゃんはりっちゃんを反面教師にして一日に三度一回5kgずつホテルのプールで泳いでたら、
只でさえ遠慮がちな・・・、おっと、これ以上は武士の情だね。




さて、これから何をどうしていく?

それは、勿論・・・・。

続くのか?待ってるよ

俺も待ってる

・・・

   ・・・

エントランスの脇に掲げられたスチールのプレート。

あまりきちんと手入れをされていなかったのか、錆で文字は見えにくくなっている。

一人の男がやって来て立ち止まる。

男はそのプレートに気付いて一瞬逡巡して、それからカメラを取り出し撮影する。

プレートには何とか判別出来る“HTT is never end.”の文字。

男は自分の仕事に満足した様に頷くと、エントランスをくぐりインターフォンのボタンを押す。

少しの間。

?「はい、どうぞ」

男はアポイントメントを取っていたらしく、即座に開錠され、ドアは開かれる。


どうやら、地階は後から施工されたものの様で、下るためには階段しかない。

男は回りを一頻りまわりを見回してから、苦笑して階段を下る。

分厚い防音扉。

インターフォンは存在しない。

男は一瞬、迷ってからドアノブに手をかける。

が、部屋の主は来客の事を失念して鍵を掛けっ放しにしていたのか、男がいくらノブを回してもドアを開く事が出来ない。

男は諦めてノックに切り替える。

部屋の主はそのノックによってようやく気付いたのか、バタバタと言う駆け寄る音と共にガチャリとドアは開かれる。

?「あー、鍵閉めてたの忘れてたよー、ごめんね?」

襟が伸びてヨレヨレになった「ディスコ」とプリントされたTシャツ、毛玉のついた着古されたスウェットパンツ、
顔に掛からない様に一箇所ピンで留められただけの髪。

男「初めまして。平沢唯さん?」

唯「こちらこそ。初めましてー」

男は彼女の風体を見て「まるで隠遁者だな」と感じる。

最後のリリースの後、不法薬物所持などで逮捕されたり、所属レーベルのゴタゴタなどで、
そのキャリアは途絶えた様に見えていた伝説的なミュージシャン。

メジャーデビューして、シングル、アルバムのスマッシュヒット。

期待されていた新人アーティストが急にメジャーとの契約を破棄し、
自ら立ち上げたインディーズレーベルから数年に渡りメジャーに負けないヒットを出したと言うのは、
まさにレジェンドと言って良いだろう。

だが、飽きられるのが速い時代においてリリースが途切れれば、
作品はともかくアーティストは時々思い出されるだけのものになる。

彼女もそんなアーティストの中の一人だった。

それは、コアな音楽ファンの為のメディアを自称する雑誌のライターを長年勤める男にとってもそうで、
今回のこのインタビューも編集長の思いつきが無ければ、行われる事はなかったものである事は否定出来なかった。

唯「あ、タバコ吸っても良いですか」

彼女は遠慮がちにライターに尋ねる。

ライター「あ、構いませんよ」

彼女はニッコリと笑うと、スウェットパンツのポケットからタバコとライターを取り出す。

咥えて、二度三度と火を着けようとするが、オイル切れらしく上手く火は着かない。

ライターは、それに気付くと自分のそれを彼女に差し出す。

彼女は少しびっくりしてから、遠慮がちに受け取って今度は何とか火をつける。

唯「ありがとうございます」

違法薬物所持や彼女のレーベルにまつわる話とは、相容れない様な態度。

それはシャイネスとナイーブさ、世馴れない古典的な女学生の様な印象をその年齢にも関わらず記者に与えるものだった。

だが、タバコを持つ手は震えていたし、受け答えの声も若干の上擦っており、何となくのぎこちなさが彼女を支配していた。

唯「あ、ごめんなさい。こう言う形で取材されるのとかって久しぶりだから…。緊張してますね、あははは…、うふふふ…」

平沢唯の不可解な笑い声がスタジオに煙の様に広がり、まずその空気、
それから風景がガラリと変わった様にライターには思えた。

・・・

(私は平沢唯がタバコを吸い終え、落ち着くのを待って質問をする事にした)
ライター「正直な話、音楽ビジネスの表に出なくなってから時間が経っていますが、いつからここを拠点に」

唯「りっちゃんがここを作ってくれた頃からだよ、それは。○○年前からずっと」

ライター「レーベル名からHTTスタジオと言う名を取ったのですか」

唯「それはそう。あ、でも微妙に違うかも。私達がいるとこには必ずそう言う風に付けてるの」

(最初の質問もそうだが、平沢唯は事細かに説明するタイプではないらしく、
私は記憶して来た彼女のキャリアを思い出しながら話を続ける。つまり、彼女のいる場所=HTTと言う事だろうか。
私にはそれはわからないが、きっと彼女にとっては大切な何かの符牒なのだろう)

ライター「最近はどの様な活動をされていますか」

(ここで平沢唯は突然笑いだし、それは暫く続く)

唯「あははは…、そうだよね。最近ちゃんと出来てなかったからね。
でも、来年からは色々なことやる予定。ムギちゃんの会社のCM音楽やったり、詳しくはまだ内緒だけど、
アイドルに曲を提供したりもするかも。
これは澪ちゃん絡みかな。あと、DJも少しだけやらせて貰ってるよ、えへへ」

また、ここで平沢唯は笑いだす)

唯「うふふ…、うん、びっくりした。こう言うのって、なんて言うんでしたっけ。シンクロ…、うふふ…」

ライター「シンクロニシティ、ですか」

唯「そう、きっとそれ。りっちゃんからこの話を聞いた時、驚いちゃったよー」

ライター「ところで、新作を出すのであれば、それに合わせて旧作のリマスター版などは考えられていますか?
過去の作品が若いアーティストに影響を与えている訳ですが」

唯「それはとても嬉しいです。この前もリミックス依頼が来たんだよ。本当に驚いた。
最近はあんまり…、そう!ちゃんと活動してなかったかも知れないし」

(私の不勉強への謝罪と、それに恐縮する平沢唯と言うやりとりは中略)

ライター「そう言えば、その・・・、逮捕される直前には海外のレーベルとの仕事をされていた訳ですよね」

(私は逮捕と言う言葉を持ち出す事に躊躇いを覚えたが思い切って口に出してみた。
だが、その事は平沢唯に取って既にクリアされた問題らしく余り気にしていない様だった)

唯「うん、あの時は海外でのライブが成功したからか、結構向こうからの引きがあったのかなあ、って。
ただ、丁度あの時は私は曲が作れなくなっちゃってて。
スランプだったのか、ただ単に遊びが過ぎてたのか分からないけど、
とにかく凄くロウになってて、色んな事が上手くいかなかったの。
だから、仕事してたって言うほどじゃないよ。色々ダメにしちゃったものも多いし…、うん」

ライター「海外との事で契約が上手くいかなかったとか?」

唯「あー、そう言うのはない…、と思う。
りっちゃんもあずにゃんも凄く頑張ってくれてたし、曲が完成までいかなかったのも事実で。
最後は演奏も上手く出来てなかった気がするし、ねー…?うふふ…」

(また、平沢唯は何かを誤魔化す様にクスクスと笑う。
この時に限らず、彼女の照れ笑いが印象に残るインタビューだった。
そう言うところがまた「隠遁者」めいた印象を強めているのかも知れない)

ライター「ライブパフォーマンスに関しては、色々な逸話を聞きます」
唯「あれはー、海外のプロモーターさんがクレイジーだったからぁ…、舞い上がっちゃったんだよね、私たちみんなが。
まるでお祭りみたいな日々で…」

ライター「いえ、ネガティブな意味ではなくて、ステージがと言う事です」

(平沢唯は、あっ、と言う顔をしてペロっと舌をだす。
年齢に似つかわしくない少女めいた仕草だが、それが不自然に思えないのは彼女の醸し出す雰囲気ゆえだろうか)

唯「そっかー、それは嬉しいです、えへへ…」

ライター「音楽的なキャリアは世に知られている様に高校生からですか?」

唯「うん、それまで全然音楽なんて知らなかった。
軽音楽って、カスタネット叩いて“うんたんうんたん”言うものだと思ってたし…。
うふふ、あはは…。
高校大学ってバンドやってて…、卒業してからもやろうと思ってて・・・。この辺は良いでしょ?みんなが知ってる通りです」

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