暦「妹の日記勝手に読むのはやっぱりまずいよな~」(380)

『呼び方案』
お兄ちゃん。
兄ちゃん。
兄さん。
兄。
兄貴。
にぃに。
暦。暦さん。暦くん。
暦っち。子読(二代目ザ・ペーパー的な)。ヨミー。


おっぱい触らせてやったのにヤツの屁でもないみたいな素振りについて。

由々しき事態!


近い将来蝋燭沢くんとエッチしたときお兄ちゃんに見立てるのはアリなんだろうか……。


あー、彼女と別れねえかなー。

×月××日

今日から新学期。新学年。
中学3年生。
感慨はないけれど、高校生になった火憐ちゃんと別校舎になったのでそれは残念だ。
それに、前は一番最初におはようを言う相手は同室の火憐ちゃんだったのに、
最近朝夕とジョギングに出かけるようになったから目が覚めると私一人になってしまった。
これも残念。

仕度をして、お兄ちゃんを起こしにいく。
しかし、部屋におらず。
どうやらこっちも『早朝練習』らしい。

パパとママは先に出かけた。
火憐ちゃんはジョギングからまだ帰ってこない。
壮大な寄り道をしているのかもしれない。
このままでは登校初日から遅刻になってしまうのだが……。

学校で『悪魔様』の噂を聞く。

×月××日

結局、昨日火憐ちゃんは遅刻したらしい。
学校で注意を受けたを笑いながら言っていた。
お兄ちゃんの二の舞にならないといいんだけど。

今朝もお兄ちゃんは『早朝練習』に出かけていた。
こないだまで毎日私達姉妹が起こしてあげていたのだから、
自分で起きるようになったのはいいことなのかもしれない。
朝シャンをして脱衣所で髪を乾かしていると、そこに当人が帰宅。
手洗い・うがいをした(イイ子)。

「おかえりー」

「ただいまった」

「昼間すればいいのに。朝なんて人通り少ないんだからさ、練習にならないじゃん」

「お前には分かんねえだろうな、交差点の怖さとか」

「いや、だから早く慣れるために練習してちょうだいよ」

「いいんだよー、僕一人で乗るんだから。悪いな月火ちゃん、このクルマ一人乗りなんだ」

「寂しいやつだな……」

「子供は早く学校へ行け」

「子供じゃねえし」

「19歳の僕からすればお前なんかまるでガキだし」

「ガキじゃねえし。新しいヘアスタイルが『月火ちゃん、大人っぽーい』と評判だし」

ワンレンです。肩までの長さの。

「見た目の話じゃない。僕は内面の話をしているんだ。ルックスとかはどうでもいいんだよ」

「外面より内面重視してる人って逆に説得力ないよね。見た目なんて関係ないですよー、とか」

「まあ、な」

「お兄ちゃんだって、羽川さんのおっぱいに目がいって友達になったんでしょ?」

「そんなわけあるか!」

何回か家に来てくれたことあるけど、お兄ちゃんの目線が羽川さんの顔から20度ほど下向いてるんだよね。
どこに話しかけてるんだよ、まったく。

「僕は羽川のパンツに引き寄せられたんだ!」

「…………」

「ちなみに、お前が讃えるところの白ではなかったと言っておこう」

「兄の口からそんな情報聞きたくないよ」

まあ羽川さんとは一緒にお風呂にも入ったころあるけど、あの時の下着は持ち物じゃあなかったみたいだし。
WXYがどうなっているかは把握してる。
確認しましたから。

「なんで朝からこんな話してるんだろう。お兄ちゃんが変なこと言うからだよ」

「何の話をしていたんだろうな」

「ロン毛もうざいし」

「うざいとか言うな」

今、すっごく長いんですよ、この人。

「ジョニー・デップみたいでかっこいいだろう」

「ジョニー・デップだと思っていたんだ……」

「美容院行きなよ」

「美容院? 友達でもないくせにへらへらと個人情報を根掘り葉掘り訊こうとする美容師がいるあの美容院か」

「訊かれたんだ?」

「『学生さんですかー』『あ、はい』『今日お休みですかー』『あ、違います』『へえ』」

当時を一人芝居で再現するお兄ちゃん。学校サボって行ったのだろうか。

「あの空気は殺人的気まずさだよな」

「別にそれくらいいいじゃない」

「『もうすぐ夏休みじゃないですかー、海今年行きますー?』、どんな無茶振りだよ!」

いきなりキレるお兄ちゃん。すごく迷惑だ。

「なんなんだろうなあ、あの『当然友達と行くんです』みたいなニュアンス!」

「それはもう美容師さんがどうとかっていうより、お兄ちゃんの卑屈さが問題になっている」

「卑屈だと。いいや、いいや! この僕にそんなこと訊く美容師のほうに非があって然り!」

「それが卑屈だっつーの。じゃあさ、もう火憐ちゃんに切ってもらえば?」

「あ?」

一度髪切ってもらったんだけど、すっごくうまかったりする。

「火憐ちゃんの隠れた才能っていうかさ。案外、その道に進んじゃうかもよ」

「うーん、僕には相変わらず熱血バカにしか見えないけど」

「こうして、知らず知らず、少女は大人になっていくんですよ」

はた、と。
思考が止まる。
大人。
大人ねえ。

「まあ、そうだな。こないだピンセットで爪楊枝を歯ぐきに当てさせたら、なかなかうまかったもんな」

「は?」

「よーし、火憐ちゃんにやってもらおうっと」

不気味な台詞を残し、脱衣所を去ろうとするお兄ちゃん。
鳥みたいな頭のくせに、あとを濁していくやつだ。
あ、そうだ、『悪魔様』について何か知らないかな。

「お兄ちゃん」

「なに?」

「あ」

……ここで訊くのは正解なんだろうか。
情報が欲しいのは確かだけど、すぐお兄ちゃんに頼るっていうのは……。

「あー……」

「ックマン?」

「惜しい! けど違う!」

「ただいまー」

と、火憐ちゃんがジョギングから帰ってきた。

「ああ、火憐ちゃんおかえ――」

「いやあ、ちょっと今日は走り過ぎちゃったかなー」

即身仏、ミイラが脱衣所に入ってきた。

「なんかさ、今日あたし調子よくってさー。いつもよりたっくさん走っちゃったぜ」

「…………」

「けど、さっきから水飲んでも飲んでも足りなくてさー。飲んでるそばから抜けていくような……」

そう言う火憐ちゃんは文字通り骨と皮だけの容貌になっており、無人島でサバイバル生活でもしてきたみたいだった。
そして、水、水……と呟いている。
ちらと見ると、お兄ちゃんも青ざめていた

「お前……」

「ああ、兄ちゃん、帰ってたかー。なあんか今日は喉が渇いてしょうがねえ」

「火憐ちゃん、今日はどこまでお散歩してきたんだい?」

「お散歩じゃねえ、ジョギングだジョギングー。えーと、海まで行ったからせっかくだし、泳ごうと思ってな」

全力で泳いでたら陸地にたどり着いて、昔のオリンピック会場に似たところに寄ってきた、みんな外国人だったぜ。
と、レポートする火憐ちゃん。
たぶんオーストラリアだ。

「でも、さすがに遅刻しちゃうからさー、また全速力で泳いで帰ってきたさ。でもさすがに疲れたわー」

「わかった。もういい、もういいんだ火憐ちゃん。お前の化物っぷりはもうわかった。だから休め」

「休めってあたし今日ガッコだよう。昨日遅刻しちまったし。ああそうそう、帰りにきりたんぽ買ってきたぜ」

「もうよせ!」

火憐ちゃんはお兄ちゃんにお風呂に突っ込まれ、今日は学校を休むよう命令された。
命令されては仕方ないと素直に火憐ちゃんは従った。

「昔さ、隕石落ちてこないかなーとか想像してたけどさ、あいつがいれば地球は安泰だわ」

正義の味方の触れ込みもシャレにならないぞ、とお兄ちゃん。

「あのバカは僕が見てやるから、月火ちゃんは学校行けー」

「私も休もうかな」

「アホ」

頭を叩かれた。
お兄ちゃんに叩かれると気持ちいい!
いやいや、どんな変態だよ。

「学校はな、行っておいたほうがいいんだよ」

「何その元ヤン教師みたいな台詞。まあ、元ヤンみたいなお兄ちゃんだけどさ」

「元ヤン? なんだそのかわいい名前は。誰のあだ名だよ。いやとにかく」

お前が学校に行くのが命令、とお兄ちゃん。
命令なら仕方ない、と私

というわけで。
私は一人寂しく栂の木二中へ向かう。火憐ちゃん抜きで。

「…………」

ついこないだまで私達姉妹はファイヤーシスターズと呼ばれるコンビだった。
そのコンビは先月、火憐ちゃんの高校進学を期に解散。
正式名称が『栂の木二中のファイヤーシスターズ』である以上、已む無しである。
まあ、けっこう前から火憐ちゃんとは別行動が増えてたし、いいタイミングだったんだね。
正義の味方として活動してたけど、やっぱりそれは火憐ちゃんのお仕事だし。
火憐ちゃんが正義の味方なら。
私は正義そのものなのだから。
だからこれからは火憐ちゃんが「ファイヤーシスター」と呼ばれるようになるのかもしれない。
私は……どうなるんだろう。
何にしてもソロ活動か。

「……ムーンファイヤー、ってところかな」

と、一人笑う。

ムーンファイヤーか。
うん、なかなかいい名前じゃない。セーラームーンみたいだし。
おっと、セーラー戦士も中学生だったっけ。これはもはや神の意志としか言いようがない。
これから私は美少女戦士ムーンファイヤーだ。
月に代わっておしおきよ!
幾原監督がアニメ化してくれないかなー、なんて考えていたら。

「そこなホトトギスの妹ちゃん――ちぃと訊きたいことがあるんやけど」

声をかけられた。

「かめへんかな?」

人に道をよく訊かれる人種がいるという話がある。
お兄ちゃんもそういうタイプだし、私や火憐ちゃんもそう(火憐ちゃんは訊かれても教えてあげることができないんだけれど)。
そういう人は何かしら引き寄せる力みたいなものがあるそうだ。
ただ、今の私は掃除機でゴキブリを吸い取っちゃったときみたいな、嫌な感じがしていた。

その人はアウトドア用の折りたたみ椅子に座っていた。
どういうわけなのか足を地面に着けず、椅子のアルミフレームに足を掛けている。
地に足を着けたくないという意志表示みたいだ。

「何ですか?」

声が強張ってしまった。

「そない恐い声出さなくてもええやん。な、うち、怪しい者とちゃうから」

路上でキャンピングチェアに座って京都弁で話しかけて来る女の人なんて、怪しすぎだっつーの。

「道、訊きたいんや」

「旅行ですか」

たぶん違うだろうけど。
この人椅子は持ってるけどバックパックとかは持っていない。

「ちゃうねん、ちゃうねん。まあ、普通はここまでの距離考えたら小旅行みたいなもんかな?」

うちには旅路ってほどのものやないんやけど、女の人が言う。

「お仕事で来たの。ホトトギスちゃん、お化けとか見たことある?」

「お化け?」

「見たとかじゃなくても、音聞いたーとかないん? 夜中の2時変な音聞いたーとか」

「ごめんなさい、話がまったく見えないんですけど」

いきなり何を訊いてくるのだろう。
すごくむかむかしてきて、もう行ってしまおうと思った。

「すいません、他をあたって――」

「まあまあ、待ちいや」

腕を掴まれた。それだけで体まで動かなくなった。息もできない。
拘束される。
梗塞される。

「逃げなくてもええやろ。知ってる、知らないの二択でええから」

「は……離してよ!」

「怒鳴らんでて。ああ、こういうときに言うんかな? 『元気いいね、何かええことでもあったのかい?』」

いいこと?
いいこともなにも最悪だ。
いきなり知らないババアに話しかけれて体触られてるんだ。
最悪も災厄だ。

「お、何か今うち失礼なこと思われた気配が」

「離せよ……」

「あ? せやからお化け見たことないって」

もう一方の――掴まれていない方の――の腕を振るった。
そっちの手には通学鞄が握られている。
私は中身は軽くしておくタイプだけど、学校が始まったばかりなので教科書がたくさん入っている。
そのまま、相手の頭を狙って。

――がん!

と、弾かれた。

「……は?」

弾かれた? いや、今私は何を叩いたんだ?
人間の頭部を狙ったはずなのに『壁を殴ったみたい』だったぞ。

「ホトトギスちゃん、知らないおっちゃんとかに話しかけられたらいつもそうするん?」

女は痛くもかゆくもなさそうで、

「『本当に元気いいね』」

と、誰かの口調を真似する素振りで言った。

『悪魔様』。
最近、この町の学生間で流行っている噂話。
手紙、電話、もしくは直接面と向かって『悩み』を話すと、『悪魔様』が解決してくれるというもの。
まだ数人にしか話を聞いていないが、実際に悪魔様に『相談』をした生徒もいるらしい。
ただ、やはり『悪魔様』というべきか相手は気まぐれで、話に応じてくれないこともあるそうだ。
登校日には私のクラスでは既に噂になっていた。
「月火ちゃん、『悪魔様』に何頼むー? うーんと、わたしねー」
こう言う友達もいたが、これはもはや原典から離れている。
「何頼む」って出前じゃないんだから。

「――私が知っているお化けの話なんてこれくらいですけど」

「『悪魔様』ねえ」

うちの専門とはちゃうかもな、と影縫さんは言った。

「でもまあ不死身の奴もおるからなー。それに悩みを解決してくれるって、要は願いを叶えてくれるっちゅーことやろ」

確かにその通り。
願いとは往々にしてコンプレックスの解消だ。
「背を大きくしてください!」とか、「女の子のおっぱい触りたい!」とか。

「でも、見返りがないんやな」

「見返り」

「タダでお願い聞いてくらはるほど悪魔さんも親切やないやろ?」

「そういうことはわからないですね」

「代償がのうなってるのは気になるなー。悪魔さんにお願いするゆうはつまり契約やからな。取引や」

願いを叶える代わりに、何か必ず持って行かれる、と影縫さん。

「ほれ、最近の漫画であったやろ、等価交換って」

「じゃあ、『悪魔様』に相談した子達は何かを失ってるってこと?」

「さあ。だいたいせこいっちゅーねん。人以外に頼って何かを得るゆうんは」

「ホトトギスちゃんもな、頼る相手は間違えんようにな。頼る相手は信頼できる奴がええで」

「信頼……、ところでそのホトトギスちゃんって何ですか?」

「あー? アララギにはホトトギスやろ。国語の授業で夏目漱石と習ってへんの?」

「そういえば『三四郎』が……、いや、ていうかアララギって何で私の名前知ってる」

もしかして私のこと知ってて話しかけたの?
めちゃくちゃ恐いんですけど。

「うちに知らないことはないんや。うちは何でも知ってるんやー、ってこれ先輩の真似やな」

ああ、しくじった、と影縫さんは頭を掻いた。

この小学校の先生みたいな謎のオバンは影縫余弦と名乗った。
髪はショートカット。インナーストライプのシャツに、ダークカラーのパンツとなんだか整い過ぎている格好だった。
つまり見た目からして怪しい。
こんな格好の人がこの田舎町にいるわけないし、そういう格好の人が来る理由もない。
つまり考えてみても怪しい。
私が通学鞄で殴ると、影縫さんはこう言った。

「うちはちょっと訊きたいことあるだけやねん。別に殺すとか始末するとかじゃあないんや」

「答えればもう一回見逃すさかい。な、ホトトギスちゃん、うちの質問に答えてえな」

「最近、お化けとか見た?」

はっきりとわかった。私が感じていたのは恐怖だったと。
天敵に遭遇したようなものだったのだ。
鳥がハンターのスコープで捕えられたようなものだった。

「こ、答えたら、いいんですか」

「せや」

知らない人にからまれたいうプレッシャーの中、鞄で殴ってもびくともしない非人間性に慄き。
お兄ちゃんが助けにこないかなとか。
緊張で喉も乾いて、朝シャワーを浴びたのにもう汗だくになっていて。

「最近、『悪魔様』っていう話があって」

私はこうして影縫さんから解放された。

「ほなな、ホトトギスちゃん。ガッコやったっけ? はよ行きぃや」

影縫さんは手のひらを「しっ、しっ」とやった(本人は普通に手を振るニュアンスのつもりのようだ)。

「はあ」

「なんや? 遅刻してまうんやないの? まあ、引きとめたのうちやけど」

「あれだけすごんで引きとめたくせに、今さら気遣ってんじゃねえ」

「口悪いなあ。なんぞええことでもあったんけ?」

「皮肉で言ってるなら素敵なセンスですね……」

ていうか、なんなそそれ? 口癖? キャラなの?

「それじゃ、さようなら」

もう二度と会うこともないだろう。

「ああ、ほなな。またなんかあったら訊きにいくわー」

「……っ!」

くるなよ!

京女と別れたあと、登校。
絶対にぎりぎり、最悪1限目が始まっているだろうと思っていた。
しかし、いざ学校に着くと始業まで余裕であった。
まるであの京女と話していた時間をくり抜いたみたいに。

クラスでは相変わらず『悪魔様』の噂でもちきり。
ほぼ女生徒が話しているところを見ると、まるでブギーポップだ。
そんなことを言えば、昔のお兄ちゃんこそ女子の間ではブギーポップみたいな扱いだったんだけど。
もしくは昔の少女漫画に出てくる硬派な男の子。
ほとんど周りと口をきかなかったし、ケンカもするしで割とそういうキャラと勘違いされていた。
そして密かに憧れの的だった。
実際は家で私や火憐ちゃんとだけぺらぺら喋っていた。
友達がたまに「月火ちゃんのお兄ちゃん、どんな人?」と頬を赤らめて訊いてくるのには返答に困ったものだ
妹のパンツを見て大喜びしているという残酷な真実を教えるわけにもいかない。
そういう場合、私はこう答えていた。

「かっこいいよ!」

まあ。
妹目線というか、身内びいきというか。
私から見てお兄ちゃんはかっこいい。
顔はまあまあだし(私と火憐ちゃんと同じ顔だけど)。
頭もいいし(中学生までは)。
優しいし(イヤらしいけど)。
お兄ちゃんだし(そう、お兄ちゃんだけど)。
とまあ、いくつか悪い点も見受けられるが、素敵な兄である。
むしろ清濁併せて依然素敵!
人差し指しゃぶりたい!

「…………」

いやいや、どんな変態だよ。
これはちょっとオーバーだったね。
みなさんに色々想像していただくためにあえて言っているんですよー。

家に帰ると居間で火憐ちゃんがゲームをやっていた。

「お、おかえりー」

今朝の湯殿山麓呪い村は嘘だったかのように。
色艶は元通り、唇はぷりっ、髪もさらっさらだった。

「ただいまー。火憐ちゃん、もういいんだ?」

「兄ちゃんが大げさなんだよなー。隔離するとか言って。昼飯たっくさん食ったら元気になったぜ」

ラーメン、チャーハン、ビビンバ、オムライス、カレーその他たんぱく質をたくさん摂取したそうです。
人間じゃないな。
怪異かもしれない。

「ずいぶん古いゲームやってるね。ポリゴンって言葉を久しぶりに思い出すなあ」

「うん、格ゲー」

「首飛んだりしてるけど、ブシドーブレードとかそういうの?」

「ウータン・クランの格ゲー」

「なんでそんなのがあるのよ!」

そして誰に伝わるのよ!

「オール・ダーティ・バスタードにこんな俊敏な動きしてほしくねえな」

「これがRZAって言われても難しいものがあるね」

「もういーや」

そう言うと火憐ちゃんはゲーム機の電源を落とした。

「けど、なんでウータン?」

「暇だからカンフー映画見てたらさ、なんかふと思い出して。そういやあたしウータン・クランに入りたかったんだよなーって」

「この世界じゃニッチにもほどがあるよ……」

ちなみにウータン・クランはカンフーネタを取り入れた人気ラップ・グループのことです。

「ウータン・キラー・ビーズ! あたしはこれから『かれんビー』と名乗るぜ」

「いつのまにかメンバーが増えてるしねえ」

「ゴーストフェイス・キラーが好きだ。月火ちゃんは?」

「うーん、RZAとマスター・キラーかな」

「へえ、意外なチョイスだなあ」

まあ、本人がっていうより、総帥がマスターにラップを教えていたっていうエピソードが好きで。
デビュー当時マスターはほとんどラップ未経験で、RZAがアドバイスすることも多かったとか。
ほら、もしかしたらさ、

「YOマスター! 今からお前をサランラップみたいにラッピングしたやるからなLIKEメス!」
「OH! OH! You MOTHERFUCKER!!」

みたいなことがあったかもしれないし。
RZAって股間触られても「デュクシwwwww」で済ませちゃう人だからさあ。
なんかこう男子校的なことがあってもおかしくないんじゃないかなあ。

「もうあたしも未だに身長伸びるしさ。この際だからメスくらいでかくなりてーな」

言いながら火憐ちゃんはキッチンから砂糖を取ってきて、机の上に一文字にラインを引いて、

「ずうううっ、ずううううううっ」

と、鼻から吸った。

「…………」

「うーん、全然気持ちよくならねえなー」

「一応訊くけど、それ何してるの?」

「映画でやってたんだよ。白い粉をこうやって鼻から吸ってさあ。なんかキクらしいよ」

……まあ、砂糖だからいいけど、本当はやっちゃいけません。ダメ、ゼッタイ。

「あ、あとねー」

再びキッチンに行き、今度は雑草とカスタネットを持ってきた。

「ずうううううっ! ずううううううっ!」

と、やっぱり右手で持った雑草を鼻から一生懸命吸い、左手でカスタネットを「かちかちかちかち」と鳴らした。

「訊かずにはいられないけれど、それ何やってるの?」

「葉っぱ吸うと気持ちよくなるんだってさ。ほら、よくラップでカチカチ言ってるのは葉っぱ吸ってる音らしいぜ」

火憐ちゃんがボングとか知らない子でよかった。
やっぱりこれも、ダメ、ゼッタイ。
それにしても正義の味方であるところの火憐ちゃんがこんなこと覚えてくるとは。
彼女の人間関係を一度洗わなくては……。

「そういえばお兄ちゃんは?」

「れんしゅー」

ふむ。私に言われたのを気にしてるのかな。

「さあさあ、月火ちゃんもあたしと一緒にハイになろうぜ」

「い、いいよ、私は」

「一回だけ! 一回だけなら大丈夫だから! ダイエットにもなるんだよー」

「怪しすぎるっ!」

「いい子だからよー」

「ちょっ……いやああああ!」

鼻を砂糖まみれにされた。甘くもないし、ハイにもなれない。
鼻が痛い。

ファイヤーシスターズでゆるゆりとじゃれていたら、ハートキャッチプリキュアの再放送が始まった。
去年も見ていたけど、今年も見れるとは眼福。

「火憐ちゃんさー」

「んー? なんか今年はシプレとコフレが悪い奴なんじゃないかと疑っちゃうぜ」

「まあ、白いしね」

「ちくしょう、こんなかわいい奴らを疑っちまうなんて、あたしって、ほんとバカ……」

「それは置いといて」

「んにゃ?」

「火憐ちゃん、『悪魔様』って知ってる?」

一通り中学での噂を説明した。

「ふーん。そんなことになってるんだ。あたしまだ一日しか学校行ってないからなー」

「栂の木二中で噂になってるってことは、高校にも伝わってると思う」

「なんで?」

「私達の学校は中高一貫校でしょ。当然兄弟もいるし、そこから話が流れてきてもおかしくないよ。今私話しちゃってるしね」

「ああ、そっか」

「去年のおまじないのこともあるし、変なことにならないといいんだけど。でも、誰かが困ってるようにではないんだよね」

「だって悩み聞いて、それに解決してくれるんだろ。まるで親友だな」

親友?

「案外、誰かの友達がそいつの悩みを解決したのが広まっちゃったのかもな。『あの子デビルかっけーんすよ』みたいな感じに」

なるほど。事実が歪曲して広まったのか。
まあ、噂話の正体は得てしてそういうものだ。
これは当たってるかも。
それにしても、火憐ちゃん、急に冴えたこと言うよねえ。

そういえば。
昼間のあの人――影縫さんは『悪魔様』を調べているんだろうか。
確かあの時自分とは専門が違うとかどうとか……。

「火憐ちゃん、お化け見たことある?」

「はあ?」

「おーばーけ」

「兄ちゃんという名の怪物なら毎日のように目撃しているぜ」

「そうじゃなくてさ、ほら、ひゅーどろどろーの奴だよ」

「ん……」

困ったような表情をする火憐ちゃん。
もしかして何か心当たりがあるんだろうか。

「月火ちゃんよ、お化けなんてこの世にはいねーんだぜ。歌にもあるだろ、寝ぼけた人が見間違えたって」

「…………」

まさかそんな答えが返ってくるとは……。
キャラ的に「お化けが恐い」とかだったら萌えるのに(お姉ちゃんだけど)。

「とにかく調べてみないことにはね。私はもう少し友達に訊いてみるよ」

「うん」

たぶん……前ならここで「おう、そっちは任せたぜ!」って返ってきたんだろうな。
とか考えて、火憐ちゃんのリアクションに物足りなくなってしまったのか、

「ムーンファイヤー出動するであります!」

とか言ってしまった。ネオ・ジオン式敬礼しながら。

「勝利の栄光を君に!」

お、返ってきた。
なんか嬉しい……、でもちょっと自分が情けない……。

「ところでムーンファイヤーってなに?」

「いや、これからはソロ活動だからさ。名前を改めた方がいいと思って」

「へえー、かっけー」

「でしょー?」

ここで電話が鳴った。

火憐ちゃんの携帯だった。着メロはUZI(PINKY RING)。なんか蜂が飛んでるビデオの奴。

「もしもし。駿河さーん?」

どうやら神原さんから電話らしい。
火憐ちゃんはお兄ちゃんと同じくらい神原先輩リスペクトだから長くなるかも。
退散しよう。
さっきの砂糖だとかカスタネットだとかを片づけ、ハートキャッチプリキュアも終わっていたのでテレビを消した。
おしゃべりで見れなかったのは残念だけど、HDDに録画してあるしね。
考えたらまだ制服を着ていたので部屋で着替えることにした。
ま、浴衣でいっか。
帯も適当に、何か暇潰しになるものはないかとお兄ちゃんの部屋をガサ入れした。
ここ半年くらいの間にお兄ちゃんはほとんどの物を片づけてしまった。
小説は最後まで残してあったけど、今はもうない。
その棚で生き残った栄えある本はブラム・ストーカーだった気がする。
一時は『眼球譚』とか『瓶詰地獄』とか並んでいたけれど、とてもわかりやすい趣味だった。
まあ、それはともかく。
小説はなくともエロ本はまだ捨てられないのが私の兄である。

「うーん、隠し場所を変えないのは、むしろ『見ろ』ということ?」

相変わらず机の一番下の引き出しにはエロ本コーナーが。
最近は高校を卒業していい気になっているのか、コンビニ本もある。

「……ここ数ヶ月でLOが増えているのはなぜ?」

確かに邦洋問わずロリものは前からあった。
しかし、今さらたかみち絵に目覚めたのもあざとすぎる。
なんだろう、戦場ヶ原さんとかには答えられない欲望の矛先がここにあるんだろうか。

「どれ」

最新号を開いた。
しかし表紙スク水かー。もうそんな季節なんだなー。
アレ? 私は確か春を迎えたばかりのような気がするけど??

「うわ」

クジラックス、ロリレイプものかー。これはちょっと怖いなー。
なんかここのページにくせがついてるのも怖いなー。
もしかしてここにお兄ちゃんの真の願いが?

「お、ろーるちゃんじゃん」

へー、兄妹ものかー。
あー、やるやる、こうやってキスおねだりしたりするんだよねー。
これは普通に面白いじゃん。女子的に見ても(?)。
所々女性漫画誌っぽいし。

「お前何してんの?」

ドアから声がした。

「おかえりー」

兄、帰宅す。
おやおや、どうしたの青ざめちゃって。
もしかして今さら妹にエロ本見つかってことがショックなわけではないでしょう。

「いい趣味してますねえ」

「黙れよ馬鹿! はやくしまえって!」

掴みかかるお兄ちゃん。
怒っている、というよりは焦っているようだ。
こうなると逆らいたくなるのが人の、いや生き物自体の性である。

「お前マジふざけんなって」

「ほら、この千秋ちゃんがやられてるページなんか折れ目までついちゃって――」

「楽しそうね」

またドアから声。
けど、今度はグリーンランドみたいに冷たい声だった。
お兄ちゃんの彼女――戦場ヶ原さんだった。

所変わって舞台は居間に。
お客さん用のソファーに戦場ヶ原さんが座り、その向かいにお兄ちゃん、左右それぞれに私と火憐ちゃんが座っていた。

「あの、粗茶です」

お兄ちゃんが差し出す手は震えていた。

「もう帰りたい」

「あ、じゃあ僕のクルマで送って――」

「けっこう」

「…………」

沈黙。
沈黙。
咳。
沈黙。

「ね、ねえ、ガハラさん」

「阿良々木くんの運転するクルマに乗るくらいだったら、四つん這いの阿良々木くんに乗ったほうがマシよ」

「わ、わあ、ガハラさんってば妹の前で四つん這いなんて」

「は?」

「…………」

沈黙が続く。
息もできないほど苦しい。
宇宙にいるときってこんな感じなのかな。
空気も重いし。ブラックホールが発生しているのかもしれない。

「阿良々木くん、こういう雑誌を喜んで読んでいる彼氏ってどうなのかしらね」

「ざ、斬新だと思います」

「そう。確かにあまりいないかもね。でも、こんなことをしてあなたは一体何と戦っているの?」

編集部? アニメ関係者? 既成概念?

「あ、あえて言うなら世間の大人でしょうか」

「そう。ならあなたは子供なのね。あ、子供が大好きなんだっけ」

「か、かわいいですから!」

「ふーん」

ごはん

それからどれくらい時間が経ったんだろう。
この気まずい雰囲気にもそろそろ限界だ。
誰か喋れよ。
ガリガリ君の梨味食べたい。
だいたいお兄ちゃんがエロ本持ってるのがいけないんだ。
ハートキャッチのラーメン屋の会が泣ける。
火憐ちゃん寝てるじゃねえか。
そろそろパパとママが帰ってくるんじゃないだろうか。

電話が鳴った。

「…………」

電源切っとけよ!
いや、待て待て。考えようによってはこの場を切り抜ける光明になるかもしれない。

「あの、僕なんだけど、出てもいい?」

お前か。
しかも着メロ初代プリキュアかよ。
ぶっちゃけありえない。

「……どうぞ」

戦場ヶ原さんが言う。この場を仕切るのは彼女らしい。

「も、もしもし? 羽川?」

電話を片手に、安堵の表情のお兄ちゃん。
それを見て戦場ヶ原さんは舌打ちした。

「う、うん。僕? 元気元気ー。え、戦場ヶ原とケンカっていやいやまさかそんな」

電話の相手に筒抜けだった。

「いやいやいや、エロ本見つかって怒られるなんて、あいつは僕の親じゃなくて恋人なんだぜ」

電話の相手にはお見通しだった。

「ん? 火憐ちゃん、月火ちゃんと一緒にお説教されてる気がする? ははは、するなら説教じゃなくて折檻だな」

……どこかで見ているんじゃないだろうか。

「今? 家だよ。え、火憐ちゃん? わ、わかったー」

お兄ちゃんは寝ている火憐ちゃんを起こした。涎まで垂らしているなんて……。

「は、羽川が火憐ちゃんとお話したいってさ」

「翼さん? ひっさしぶりー! あはははははは! なんか2年くれー声聴いてなかった気がするぜ! あたし? もちろん元気さー!」

戦場ヶ原さんはこれ見よがしに溜息をついた。
肩をびくっとさせるお兄ちゃん。
お姉ちゃんの名誉を守るために言うけど、火憐ちゃんはKYではない。
火憐ちゃんはAKYなのだ。
あえて・空気・読みませ~ん。©RUMI。

「月火ちゃん、月火ちゃん」

「な、なに?」

「翼さんが代わってって」

私もか。いや、嬉しいけれども。
戦場ヶ原さんは腕を組んで、指をトントンとやっていた。
バビディの力を手に入れる前のべジータみたいな。
露骨に苛立ちを示していた。

「も、もしもし? 羽川さん?」

「あっはー、月火ちゃんだ、月火ちゃんだ」

「ど、どうも」

「元気してたー? 月火ちゃんもう3年生でしょう?」

「そ、そっすね。羽川さんも元気そうっすね」

「あははー、何それ? 元気そうっすかー? うふふー」

テンション合わせづらい……。
その後ちょっと羽川さんの近況聞いたり(クルマの運転ばっかりしてるとか)。
そして、口調はそのままにこう訊いてきた。

「今そこに戦場ヶ原さんいるでしょう? 代わってもらえないかな」

「え、な、なんでわかって……?」

「阿良々木くんの狼狽っぷりが受話器越にもわかったからね。あのお兄ちゃんが慌てるのってそんなにパターンないから」

全部わかってたわけだ……。

「大丈夫、大丈夫。月火ちゃん達が怒られるようにはしないから」

「羽川さんが、戦場ヶ原さんにって」

恐る恐る携帯を渡す私。
別にこの人が恐いと常々思ってるわけではないけれど、お兄ちゃんにつられてビビってしまう。
ていうか、誰だって兄の彼女が怒ってる場面なんか絶対出くわしたくないものだ。
思いのほか彼女は優しく携帯を受け取り(無表情が恐いけど)、電話に出た。

「もしもし、戦場ヶ原ひたぎです」

しばらくね、と続き、彼女はええ、とか、そう、とか相槌をした。
お兄ちゃん下向いてないでよ……。

「わかったわ。あなたに免じてこの場はそういうことにしてあげる」

また相槌を打って、

「あなたも元気にやってちょうだい。体には気をつけてね。え? 阿良々木くんの声は聴きたくないから代わらなくていい? わかったわ」

下を向いていたお兄ちゃんはがばっと顔を上げ、見たこともないくらい悲しそうだった。
電話を切って戦場ヶ原さんは携帯をお兄ちゃんに返した。

「はい、阿良々木くん」

「ああ……」

「よかったわね。羽川さんのおかげでこの場は切り抜けられたわよ」

「切り抜けたって……」

「もうどうしてやろうか考えたらきりがなくって、阿良々木くんをポロっと殺しちゃおうかと思ったくらいよ」

「そんな気さくさで僕の命が危なくなるなんて!」

「私も正直そんな展開安直過ぎて嫌だから、なんかこう寛大なヒロインっぽく物語を運べないかと悩んでイライラしていたわ」

「さっきまでの態度はそういうこと!?」

「まあとにかく」

仕切り直し。

「おほん。妹にエロ本を見つかってしまうといううかつさも、彼女にその場を見られてしまうというヘタレさも、受け入れ難いし」

次からは気をつけてね、と戦場ヶ原さん。

「それから月火さんも」

「え、私?」

「兄の部屋で勝手にエロ本を漁るというのはいかがなものかしら。あなたにもちゃんといい人がいるんでしょう?」

「…………」

「私は一人っ子だから、妹さんのあなたが阿良々木くんにどういう感情を抱いているのか把握しかねる」

けれど、と続ける。

「私はあなた達と仲良くやっていきたいのよ。将来のことを考えるとね」

その言い方はなんだか引っかかる……。

「姑は今のうちに丸めこ……、おっと。まあ、私も妹が欲しいということよ」

「お前、こいつらのことそこまで好意的に見てたのか」

とお兄ちゃん。

「何よ。文句があるならモンクに言いなさい」

「坊さんに言っても僕が説教されるだけの気がするが」

「いい時間ね。そろそろお暇するわ」

「もうすぐ両親も帰ってくるけど」

「阿良々木だって心の整理がついてから、自分で誘いたいでしょ。また今度にね」

「……ああ」

と嬉しそうに答えるお兄ちゃん。

「あ、クルマで送って――」

「それはいい」

即答されていた。

「火憐さん、月火さん、それじゃあね」

「じゃあ、自転車で送るよ」

「まるで高校生ね」

「ついこないだまで高校生だったろ」

「そうだったかしら。時系列もごっちゃになってるし、もうわけがわからないわね」

「はー、戦場ヶ原さんやっと帰ったか。あたしあの人苦手なんだよなー」

「まあ、積極的に得意だと言う人も少ないだろうけど」

それがたまたまお兄ちゃんだったんだろうけど。
その逆は……。

「んー? 兄ちゃん携帯忘れてるぞ」

「本当だ。まだ近くにいるだろうし、持って行ってやるか」

「わざとだったりして」

「わざと?」

「電話とかメールを受信したくない、とかよー」

邪魔されたくないとかな、と火憐ちゃん。

「むう……、それが真実ならなんともプラチナむかつく!」

「おお、久しぶりに聞いた」

「というわけでお兄ちゃんの邪魔、もとい携帯を届けてきちゃうんだよ!」

「いってらー」

ふとまどまぎ10話見たくなった
見たくなった

×月××日

目覚めるとやっぱり火憐ちゃんはジョギングに出かけていた。
二段ベッドの上段から降り、浴室に向かう。
私は代謝がいいので朝は毎日シャワーを浴びる。
いわゆる朝シャンである。
ところで日常生活の中でルーチン化しているもの――歯磨きとか――は習慣化しているので無意識に行動できるという。
そして、こういった行動をしているときが一番考え事ができるときらしい。
私の場合はそれがシャワーを浴びているときである。

「…………」

さて、『悪魔様』か。
やっぱり最初はクラスのみんな、それから他のクラス、学年の子達に訊いてみるのが最初かな。
この町全体に既に広がっているとしたら、別の学校の子達にも訊いてみなきゃ。
去年、おまじないの件では結局お兄ちゃんに頼っちゃったからなあ。
火憐ちゃんとも別行動だし、できたら私一人で解決したい。

「あの京都弁の人も何か探っているようだし、使えるかも」

頭からぬるま湯を浴びながら、私は鏡に写る自分を見て呟いた。
言って聞かせるように。
刷り込むをするように。

脱衣所に出てタオルで体を拭く。
それから髪をドライヤーで乾かす。
本当なら頭をタオルで包んでダラダラしたいけど、遅刻しちゃうので自重だ。
水気を飛ばしたら部屋に戻る。
制服に着替えて、部屋にルームミラーの前でセットする。
ワンレンなので特に細かいことはしない。楽チンです。
火憐ちゃんはまだ帰ってこない。なので一人でお兄ちゃんを起こしに行く。

「お兄ちゃん、朝だよ」

いない。
ああ、昨日出かけてそのままだったっけ。
いないんじゃしょうがない、居間に行って朝ごはんだ。
パパとママはもう揃っていて私を待っていたようだ。
いただきますを言って一緒に朝食を摂る。
一応、これが家族の最低限のルールだったりする。
それも最近は守れていないんだけど。

テレビを横目に他愛もない会話をする。
昨日の深夜うるさかった、お隣さん家かな、とか。
なんか今日は体がだるい、とか。
そういう些細なことを話す。
両親が先に出かけると言って席を立ったのと同時に、火憐ちゃんが帰ってきた。

「おっ、やべえ、もう8時じゃん」

ママが火憐ちゃんにちょっと注意。

「えへへー、ごめんなさい」

火憐ちゃんの高校の校舎は私よりは近いのでまだ時間に余裕はあるんだけどね。
パパとママはそのまま玄関へ。
いってらっしゃい。

「火憐ちゃんおそーい」

「わりーわりー。けどよ、急げば回るって諺もあるように、焦っても目が回っちまうだけだぜ」

「それはまあ、その通りだけど」

諺も何も、言葉通りだ。
本当は急がば回れ。

「情報化社会つってさー、むきゅむきゅ、色々スピードアップするのもいいけど、今あたし達に必要なのは、むきゅむきゅ」

トーストを食べながら喋る火憐ちゃん。

「千年、万年生きる仙人のようなゆとりを持つことじゃねえのかなあ。むぐむぐ」

「……長生きできるからって、それが『良い』とは限らないけどね」

「へ?」

「人間は寿命分だけで十分だと思うなー」

それがたとえ100年に満たない年月でも。

「それじゃ、私先に出るよー」

「ふおーい。気をつけてなー、いってらっしゃれー」

「いってきまーす」

ゆとりとは言うが、火憐ちゃんちょっとのんびりしすぎじゃない?
このまま遅刻癖がついてしまうのかも。
玄関でローファーを履いていると、

「あれ? お前まだ出てなかったの?」

扉を開けたお兄ちゃんがこちらに気づいた。

「午前様に言われてもなあ」

「僕の朝帰りなんて今に始まったことじゃねーだろ」

中学生じゃあるまいし、と言って、

「お前はちゃんと朝起きて、夜寝る子だからそのままでいろよー。あ、火憐ちゃんお前まだジャージじゃねえか」

向こうからお兄ちゃんと火憐ちゃんのやり取りが聴こえる。
さっきああ言われたことだし、私は遅刻しないよう出かけようか。

「月火ちゃん、待て待て」

首だけひょいっと出してお兄ちゃんが呼びとめた。

「送っていってやるよ」

「ひゃははっ、このクルマくせー! 新品くせー!」

「くさいって言うな」

「わあ、窓開閉してるよー」

「ああもう、ガチャガチャうるさい! 月火ちゃん、そのでかいの黙らせろ」

「むりー」

あの後、お兄ちゃんのクルマに初めて乗せてもらえると聞いて火憐ちゃんは素早くシャワー、身支度を済ませた。
どうやら遅刻する気満々でお兄ちゃんも見るに見かねたらしい。
そして、このはしゃぎっぷりである。

「おい、兄ちゃん、遅刻しちゃうだろ。もっと飛ばせよ」

「大丈夫だよ、ちゃんと間に合うから」

「間に合ってもいいから、空飛べよ!」

「これは未来ののりものじゃねえんだよ!」

見た目はかっこいいけどな! とお兄ちゃん。

「お兄ちゃんさ、音楽止めてくれない?」

「え、なんで?」

「アイアムアドリーマーって気分じゃないの」

潜むパワーとかさ。

「しょうがないな。じゃあ、ホリックの」

「どうして頑なにCLAMPアニメの音楽なのよ」

「お前にはCLAMP先生の偉大さがわからないのか。昔な、Xっていう漫画があってな」

「それ何回も聞いたよ。漫画も家の棚にあるよ」

ちなみに私達の部屋の棚にCLAMP特別コーナーがあるのだ。
まあ、それはおいといて。

「音楽自体止めてほしいの」

「はいはい、わかりましたー。チッ、ったく」

「私の方がキレそうだよ……」

パパとママには言ったけど、昨夜は本当にうるさくて寝付けなかったのだ。
もしかしてお隣さん家じゃなくて、深夜工事だったのかな。
クレームはそこにつけたらいいのだろうか。
いやむしろ公害みたいなお兄ちゃんのクレームはどこにつけるべきか。
それが問題だ。

「ほら、もうすぐ高校着くぞー」

「ライクザッチョー!」

……火憐ちゃんもかな。

「校門の前でいいよな」

「イエスイエッショー!」

「いいみたいだ」

お兄ちゃんはクルマを校門前の路肩に寄せ、一時停止した。
火憐ちゃんがクルマから降りる前に、

「あ、後ろから人来てないか確認しろよ」

とお兄ちゃんが言った。

ドライバーとしては正しい姿なんだろうけど、ペーパーっぽい。
言われた通りにしてから、火憐ちゃんは降りた。

「そんじゃな! 兄ちゃん、さんきゅ!」

「おう、早く行けー」

「いってきまーす」

火憐ちゃんは走っていってしまし、すぐに見えなくなった。
ここが栂の木高校。火憐ちゃんの――そしてたぶん来年私も通う学校。
なんとなくのレベルだけど、中学の校舎より大人っぽい雰囲気がある気がする。
そこで「火憐ちゃんは大人なのかしらん」と考えるとちょっと困るが。

「…………」

いや、もしかしたら私よりは大人なのかも。
お姉ちゃんなんだし。
お兄ちゃんはクルマを発進させた。

身長の高い火憐ちゃんが降りたせいか、後部座席が急に広くなった気がする。
空いてるスペースを見つめ、体がうずうずとしてきて。
座席いっぱいに横になった。

「うにゃああぁぁぁああぁああ」

「なんだよその猫撫で声。気持ち悪いな」

「だあって眠いんだよー」

「いつも眠そうな顔してるくせに」

「前から思ってたけど、そんなに私ってたれ目なの?」

顔のパーツはお兄ちゃん、火憐ちゃんとほぼ変わらないとはずだけど。

「顔が同じつったって、表情はそれぞれのキャラが出るものだし、ヘアスタイルも違うし、だいぶ印象は違う気がするけどな」

まあ同じ顔してるのは同意だな、と加えた。
信号が赤になった。一時停止。

「お兄ちゃん、やっぱ髪切りなよ」

「乗りだしてくるなよ。フロントガラスを突き破って死ぬぞ」

「なんかジョニー・デップとかほざいてたけどさ、やっぱ変だよ。不自然極まりないよ」

「ああ?」

「相変わらずジーンズにパーカーだしさ」

「そこにも言及されるのか」

「するよ。クレームをつけるよ。不満をぶちまけるよ。やめなよ、そのだっさい格好」

「いいじゃないか。僕が自分で選んだんだ、僕の判断にケチをつけるなよ」

「本当に自分で選んだの? 惰性で買っちゃったりしてない?」

「してない」

「美容院での件を聞くに、勇気を出してセレクトショップに行くも、やっぱり恐れをなして逃げ帰る場面を想像するんだけれど」

本当にしてない? と私。
してないよ、とお兄ちゃん。
目が泳いでいる。

「たぶん、店員さんに『こちらどうですかー』って言われて、『あ、大丈夫っす』とか答えてそそくさとお店を出て行ったんだと思うんだけど」

「そんなこと言ってねえよ。むしろ黙って立ち去ってやったわ。あ」

やっぱり。
ていうか無言で退却とかむしろダメだわ。
昔だったら女の子達が『クール』とか勘違いしちゃったんだろうけど。
なんか情けない面を見せられて(今さらだけど)、嘆息。

「戦場ヶ原さんに選んでもらうとかさー。そういうところ一緒に行かないの?」

「ああ、あいつ自分の格好には気を遣うけど、僕には特に言及しないんだよな」

ありのままにこの人を受け入れているということだろうか?
そういうタイプには見えなかったけど。

「むしろ、僕のファッションセンスを嘲笑っている気配がある」

「…………」

「女子はいいよなー。制服着てれば格好つくんだから」

「かっちーん!」

ぐーで殴ってやった。
ぺちっという音が我ながら情けないが、場面的には体裁が保てるのでまあいい。

「バカか! 制服着たら格好着くとか! 女子なめんな!」

「はあ? だって世の制服への歪んだ需要を見るに、制服着れば正義みたいなもんじゃねえか」

「正義とか言うな! アホだろ!」

「お前こそな、本来ちんちくりんであるところだが、その制服を身に纏っているからこそ蝋燭沢くんもお前と付き合っているんだぜ」

「その話で言うと蝋燭沢くんが学生でない可能性が出てくるから、不穏当な発言は控えて」

まだ本編に出てないんだよ、と私。
おっとこれは失礼、お兄ちゃん。

「けどよ、実際その蝋燭沢某がハゲチャビンのおっさんだったらさすがの僕も動くぞ」

「やめて。彼はそんな人じゃありません」

なんかこの台詞回しは説得力ないな。
使い回されているからだろうか。

「まあいいや。話を戻すと制服だよ、制服」

「制服と連呼しないで」

「男子の僕から言わせてもらえばだよ。やっぱり制服着ただけで変わるみたいのあるわけよ」

「それ勘違いだよ。漢字二文字で言うと幻想」

「羽川なんか日がな制服を着ている奴だったけど――まあ、当時は私服姿をぜひとも見たいと思っていたさ」

でもなー、とお兄ちゃん。

「最近ようやく他の格好も見て公平な判断の結果、やっぱりあいつはあれが一番似合ってる気がするんだよな」

「それは羽川さん聞いたら複雑だろうね」

「あの直江津高の制服こそがあいつのリーサルウェポンを引き立て、同時に巧妙に隠していたというべきか」

「ん?」

ちょっとよくわからなくなってきた。

「月火ちゃんは……」

いつぞやの羽川さんを見るときのやや下目線で私を見るお兄ちゃん。

「ああ、すまん、スペックに開きがありすぎたな」

「スポックに開きがありすぎた……?」

「そりゃスタートレックだ。てか日本語おかしくなってるし。女子のスペックといえば胸部についてに決まっているだろう」

まあ、と一息置いてお兄ちゃんは言う。

「おっぱいだな」

「キメ声で言わないで。ていうか私のおっぱいに言及しないでよ」

「いいや、もう追求するね。これはもはや人類の半数を担う女性そのものの問題だ」

いつのまにか話が大きくなっていた。
中身はおっぱいについてなんだけど。
羽川さんの大きなおっぱいについて。うーん、これはでかい話だね。

「話をそらすな。今問題になっているのはお前のおっぱいだ」

「独白を読まないでよ」

「だから中身は割と小さい話なんだぜ?」

「小さいってなんだよ!」

「お前がマクロな話じゃ『わかりませ~ん』って言うから、レベルを合わせてやったんだぞ。僕だって羽川のおっぱいについて語りたいのを堪えてだ」

「あんまり羽川さんのおっぱいとか口に出さないでちょうだい」

それに、LOとか読んでるお兄ちゃんが大きいおっぱいについて語るのは矛盾が生じるような。
まあ、小さいおっぱいについて熱く語られても怖いんだけどさ。

「まあ、月火ちゃん小さいよな」

「だから小さいってなんだよ!」

「火憐ちゃんを例に出すと、これから成長する余地もあるんだし、気にすることないんじゃない?」

「なんで私が慰められてるみたいな話し方をする!?」

まよチキの今週のサブタイってそういう
なにこの裏切られた感

「あーっ! もういいんだよ、おっぱいは! おっぱいをさっきからおっぴおって何回も家間違えそだし!」

「家間違えるのか」

「打ち間違える!」

うーん、そろそろ場面切り替わってもいい気がするのに。
信号もなぜか1時間くらいは赤の気がするし。
どうやって落ちれば……。

「あれ、でもちょっと大きくなった? 触ると微妙に違いがあるな」

「あ、わかった? 私実はブラのサイズがひとつ……、って何でナチュラルに触ってる!?」

「おっぱいがいっぱいだー」

「投げやりになるな! 今私セクハラを受けてるんだよ!?」

「なんだよもー。じゃあ」

この先までいけば落ちるのかな。
お兄ちゃんはそう言った。
落ちるってどこに?
落ちる。落ちる。堕ちる……。

「……何気障なキャラを気取ってんのよ! 信号赤!」

「おお、本当だ。出発するぞ」

クルマのアクセルを踏んで前に進みだす。

「もう、もうっ、もうっ!」

「牛かよ。絞れるほども乳ねえくせして。羽川を見習え羽川を」

「あんなことしておいて一体全体何様なのよ!?」

中学が見えてきた。ようやくこの場面も――私の払った犠牲は大きかったが、終わりが見えてきた。
そして、たぶん私の終わりもここから始まったんだろう。

やっと次に進んだ。
やれやれだよ。まったく。
教室に入り、友達におはようと挨拶をすると少し不思議な顔をされた。
ん? どこかおかしいかな。

「月火ちゃん、おはよー」

教室の様子を見ると、やはり『悪魔様』の噂で持ちきりらしい。
さりげなく話に参加して情報を集めてみた。
昨日よりも噂は具体的になっていた。
いや――具体化したというより、少し話が変わってきていた。
伝え広まるうちに尾ひれがついて真偽が入り混じったのだろうか。
そうだとすると誤解されるほどに噂を知っている人が増えたということか。
いよいよ、町中に広まってきたのかもしれない。

「なんかね、願いを叶えてもらった子がいるらしいんだけど、人が変わっちゃったんだって。
「消極的だった子がクラスの中心に立つようになったり。
「前より勉強ができるようになったらしいよ。
「えー、わたしが聞いたのは清楚系の子がビッチキャラになったって。
「宝くじ当たったんだってー!
「なんか死んじゃった子もいるみたいよー。
「ええー。こわーい!

アニメ見たい


新・保守時間目安表 (休日用)
00:00-02:00 10分以内
02:00-04:00 20分以内
04:00-09:00 40分以内
09:00-16:00 15分以内
16:00-19:00 10分以内
19:00-00:00 5分以内

新・保守時間の目安 (平日用)
00:00-02:00 15分以内
02:00-04:00 25分以内
04:00-09:00 45分以内
09:00-16:00 25分以内
16:00-19:00 15分以内
19:00-00:00 5分以内

これぜったい落ちるだろ……

>>177
お前が保守してくれ

>>176
これプラス5分のほうがいいかも
地震の時のやつだから古い

昨日までの内容と変わったことといえば『悩みの解決』がより明確になったことか。
影縫さんが言っていたような代償についての証言はないけれど、死んだ子がいるというのは気になる。
代償の結果の死? いや、そう断定するのはうかつだ。
あと、この宝くじ当たったってうのはちょっと……、まあ、お金が欲しいという願いだったのか。
なんだか思っていたよりこれは複雑だ。
せんちゃん――撫子ちゃんなら「めんどくさい」と言うだろう。
あーあ、私も神通理気とか発動しないかなー。
舞城王太郎先生にトリビュート書いてもらったりして。

「ハァァレルゥヤ!」

え、なにー? と隣にいた友達に引かれる。若干。

「ううん、ひとりごとー」

まあ、実際メタ推理なんて都合のいい代物はないってことか。
事件(まだ事象かな)を解決するのは、人間である。
それは神の仕事ではない。

神といえば。
『悪魔様』。
正直、噂だけ聞く限りでは『悪魔様』の力も、相談者である本人自身の力という説明もできてしまうんだよね。
人が変わる――消極的な子から積極的な子へ。
勉強ができない子から勉強ができる子へ。
清純な子から不純な子へ。
宝くじ……、たまたま当てたのかもしれない。
春という季節を考えれば、気持ちの切り替えということも十分に考えられる。
高校デビューとか。
火憐ちゃんの言うとおり、誰かが誰かの悩みを聞いてあげただけだったのかもしれない。
お化けなんてないさ。
お化けなんて嘘さ。
寝ぼけた人が見間違えたのさ。
だけどちょっとだけどちょっと……。

のっとり?

うん、でもこれが一番可能性高いんじゃないかな。
誰だって努力して、可愛くなったり、勉強をしたり、恋人をつくったりするんだから。
自分の力で悩みが解決できたというほうが当人的にも救いがあるじゃないか。
『悪魔様』だの、神様だの――人以外のものに頼るよりよっぽどいい。
現実的だし、実際的だ。

「………………」

確かに。
現実に沿った生き方もできない人はいるだろう。
けど他にどうしようもない。
世界は有限であり、人にできることも有限だ。
その限界がどこまでのものなのか見極めるのもやはり本人次第だ。
だから、夢ばかり追ってもしょうがない。
叶わない。
敵わない
報われない。
救われない。
だから、私はあの時間違ったりしていない。

体育の時間。ちょっとした事件が起こる。

「あれ、ジャージがない」

運動用のジャージがロッカーにないのだ。
私は昨日のうちに持ってきて、ここにしまっておいてはず。
それは間違いない。
ふむ。では、私以外の誰かがここから持ち出したということになる。

「ねえ、変なこと訊くけど、私のジャージ知らない?」

まず近くにいたクラスメイト(女子)に訊ねる。
知らない、と答えが返ってきた。
その子は私のジャージが消えていることを把握し、周りの子達にも訊いてくれた。
しかし、誰もわからないという。
……男子か。私の持ち物を盗むとはいい度胸をしているじゃあないか。
いや、待て待て。早計だ。

「ちょっと男子! 私のジャージ盗んだでしょ!」

とりあえず今は体育でどうするか考えなきゃ。
火憐ちゃんに借りることもできないしなあ。

「はあ!? しらっばくれてんじゃないわよ! 誰がやったのか知らないけどやったのはわかってるんだからね!」

先生に言うしかないか。ジャージがないので(忘れたと言うのは癪だ)見学させてくださいって。
……プールの授業じゃあるまいし。

「殴らないでって!? 鉛筆耳に刺されて面白い顔になりたくなかったらさっさと出しなさいよ!」

キレてしまった。
先生にも「どうかこの場は抑えて」と説得されてしまった(?)。
そんなことするつもりなかったのにな。
おのれ盗人。
さては私がキレて男子16名に暴行をくわえると計算した上での犯行か。
ミステリのあやつり問題か。
AがBを殺したのはCが唆したからか。
よし、犯人はクラスの男子に怨みがあるやつだ!
金田一くん、君はもう返ってよろしい!

「あれ?」

体育(てんやわんやで10分しか時間が残っていなかったが)のあとロッカーを覗くと。
ジャージがあった。

「…………」

おのれ盗人!
馬鹿にしやがって!
拳を握りしめ報復を誓う傍ら、私は誰かの目に入らないよう素早くロッカーを閉じた。

×月××日

昨夜はまたうるさかった。
なんかお兄ちゃんと火憐ちゃんが夜遅くまで遊んでいたみたいだけど。
なんだったんだろ。
お兄ちゃん半裸で爪切り持ってたし。
よく覚えていない。
今日はお兄ちゃんに送ってもらわず、一人で登校。
火憐ちゃんは遅刻。
学校の玄関に着くとクラスの友達がいたので声をかけた。

「おはよー。今日は暑いくらいだね」

怪訝そうな顔をされた。
恐いものを見た、みたいな。
なんだろう?
このお兄ちゃんの妹であるところのプリティー月火ちゃんが恐ろしいなんて。
変な子だなあ。

「う、うん。おはよー、月火ちゃん」

まだぎこちなさが取れないが、友達は応えたのでそのまま教室まで歩きながらお喋りした。
教室に入ると私のことを「つっきー」と呼ぶ子が、

「あれー? 今日は忘れ物ですかー?」

と、からかうように訊いてきた。
忘れ物?
なんのことかな?
ジャージはちゃんとロッカーに入っているし、鞄の中身もばっちりなんだよ。

さて、『悪魔様』の噂だが。
今日になってまた話が変わっているようだ。

「『悪魔様』にお願いすると新しい自分にしてくれるんだってー。
「めんどくさいこと全部やってくれるらしいよ。
「一番くじ並ぶのが嫌だなー、って思ってるともう一人自分を用意して代わりに並んでくれるらしいよ。
「あ、私、『悪魔様』に手紙出したよ。スルーされたみたいだけどねー。

とうとうクラスに接触した人間が現れた。
2日前に相談ごとを書いた手紙を駅の電話ボックスに置いてきたらしい。
置いた手紙がなくなっていれば相談が受理されたということである。
なので彼女は昨日、そして今朝と確認したが手紙はそのままだったという。

「だから持ち帰っちゃった」

「今、持ってる?」

「うん。ほら、これ」

了承を得て中を読む。
「大学合格!」
ああ、よその学校を受験するのか。
エスカレーターのうちでは珍しい方だ。
自分でなんとかしろってことかな、と彼女は言った。
『悪魔様』に聞いてもらえないんじゃあ、そう考えるしかないのも然り。

結局、直に『悪魔様』を見た子はまだいない。
さっきの子も接触を試みてスルーされてるし。
そろそろ余所の学校の子に聞いてみたほうがいいかな。
一番近いのはお兄ちゃんや撫子ちゃんが通っていた中学校だろう。
確か他にも同級生がいたはずだから、その子達に当たってみるか。
正直、あんまりあの学校に行くのは気が進まないけれど。
去年のことを思い出すと、たぶん居心地のいい場所じゃないだろうし。
下校のとき、廊下で担任の先生とすれ違い、

「忘れ物か?」

と訊かれた。

「いいえ?」

さようならと挨拶し、先生も返すのを訊いて玄関を抜けた。
今日は妙に忘れ物について訊かれるな。

帰路を歩きながら今日のことを思い返してみる。
なんだか違和感があるのだ。
別にお兄ちゃんや火憐ちゃんと楽しい会話をしていないからとかじゃあない(この日記に書いてないだけで)。
まあ、毎日『悪魔様』なんて超常的な単語を聞いていればそんな気分になるものかな。
こうして自分の精神が不安定になってしまうのは考えものだなあ。
今夜あたり、火憐ちゃんとお兄ちゃんに話してみようか。
ああ、そういえばこの帰り道をちょっと逸れるとミスタードーナツがあるんだ。
近年、ミスドヘビーカスタマーになっているお兄ちゃんにおみやげでも買っていってやるか。
私もお腹すいたし。
こうして、私は寄り道をすることにした。

アニメ版ではルート66のような場所にある我が町のミスタードーナツである。
もちろん、あれは演出。スタッフの粋な計らいであった。
実際のこの店舗は駅から歩いて行ける距離の場所にあり、商店街の近くという立地である。
ファーストフード、コンビニエンスストアは割と道路沿いにたくさんあるが、
ミスタードーナツは駅の近くにあるという場合が多いのは気のせいだろうか。
ここは田舎だから若年層はもっぱらここが溜まり場としている。
ちなみに、近辺にジャスコはない。

「焼きドーナツでもいいけど、ゴクシャリでもいいなー」

新メニューが盛んな近頃。
ほら、今日なんか猛暑だしドーナツよりかき氷みたいなものが食べたいんだよね。
別に今夏じゃあないんだけど。
別に今夏じゃあないんだけど。
別に今夏じゃあないんだけど。
……3回も繰り返してしまった。
今は春です! 春ちゃんがテレビに出てるんだから間違いない!

さすがにミスタードーナツに寄ってドーナツを買ってこないとなると反感を買いそうなので、

「適当に6個くらい買っていこう」

「あれ、月火ちゃん?」

お兄ちゃんの声だ。
振りかえれば奴がいる。
お兄ちゃんだ! お兄ちゃんがやってきた!
YAH! YAH! YAH!

「さっき下校姿を見たと思ったけど。なんだ、寄り道か?」

「なによ、お兄ちゃん、私がミスドに通っちゃいけないの? 殺すぞ」

「今どこにキレたんだよ」

「ん?」

あれ、誰その子?
仲良く手ェ繋いじゃってるけど。

その子はナチュラルブロンドの長い髪をしていて。
私と同じくらいの身長だった。
制服を着ていて。
顔が凛としている。
まるでげんしけんのスーみたい。
まるでげんしけんのスーみたい。
まるでげんしけんのスーみたい。
まるでげんしけんのスーみたい。
おっと、4回も繰り返してしまった。
えーと、外国の子?

「この子はな、忍野忍ちゃんというんだ」

「忍ちゃん?」

「ああ。友達なんだ」

「…………」

ええー。
ええー……。

「ええー……」

「なんだよ。僕の友達を馬鹿にする奴は許さないぜ」

「お兄ちゃん、今年いくつよ。こんな子と友達なんて言われても説得力ないよ」

だいたいこの子、隣町の中学の制服着てるけど、まだ1年生か2年生じゃないの?

「いくら払ったのよ」

「金なんか出してねえよ。僕らは金に換算できる関係じゃあないんだ」

「お兄ちゃんが胸張って友達紹介するなんて生まれて初めてだけどさ」

女の子――忍野忍ちゃんを見る。
ああ、なんかいかにも何にも知らない純粋無垢な子って感じだ……。

「今月のクジラックスに感化されちゃったのか……、有害な味方とはこのことだよ」

ますます都条例のつけいる隙を作ってしまうのか、この男が。

「こいつ……、忍、ちょっと自己紹介して」

「…………」

忍ちゃんが一歩歩み寄る。両手を揃えて、

「はじめましてっ、忍野忍ですっ! よろしくねっ!」

「…………」

「暦くんの妹さんでしょっ? お名前はっ?」

うわあ……、声超かわいい。笑顔めちゃまぶしい。
これはお金出しても傍に置いておきたくなる。
これが美少女か、本当の……。
オーラに当てられて何も言えない私。
なんかお兄ちゃんも変な顔になってるけど。
まるで『普段は高慢ちきな知り合いが猫被っている現場を目撃した』みたいな。
そんな顔をしている。

「へえ、月火さんっていうんだ。つきちゃんって呼ぶねっ!」

と言って、忍ちゃんは握手を求めてきた。

「1年くらい前から付き合いがあるんだけど、紹介するタイミングがなかなかわからなくてさ」

ミスタードーナツの二階席で、あんドーナツを食べながらお兄ちゃんは言った。

「忍はこういう奴だから突然会わせても戸惑わせると思って。いずれはお前達にも言わなきゃいけないし。
徐々に慣らしていこうと思っていたんだけど……、しょうがない、いい機会だと思おう」

こういう奴って、どういう意味だろう。
ピーキーでキレやすい子なのかな?
だったらちょっとお近づきになりたくないなあ。

「えーと、忍ちゃんはあそこの中学校に通ってるの? ほら」

私は学校名を言った。

「うんっ、そうだよっ! でもね、『この格好は今日限り』なのっ!」

今日限り? なんだろ、コスプレなんだろうか?

「あー、あー、えーと、忍は学校、今通っていないんだ」

「そうなんだ」

「ああ、色々事情があって」

事情……、確かに何かあるとしか思えないほどこの子の容貌は常軌を逸してるけど。

「何か特殊なことみたいだから事情っていうのは訊かないけどさ、どこで知り合ったの?」

「うーん、なんて言ったらいいのかな」

「暦くんがね、私のこと助けてくれたんだよ」

忍ちゃんは言った。

「私が変な人に襲われてるところを、通りがかった暦くんが助けてくれて」

変な人達をやっつけてくれたの。

「暦くん、かっこよかったんだよ」

「かゆくなるような言い方するな」

「えへへー」

忍ちゃんの話ぶりにお兄ちゃんは本当に嫌がっているみたいだった。
けど、まあよくわかった。
これまで通り、そしてこれからもそうなるだろう。
いつものパターンだったわけだ。
誰にでも優しいお兄ちゃんが女の子を助けるなんて初めてじゃあない。
博愛主義者にして偽善者。
お兄ちゃんはこの子にとってもヒーローだったんだね。

「今日はね、暦くんのクルマでドライブしてきたのっ!」

「お兄ちゃん、運転まだ下手でしょう」

「さっきしょーとつしそうになっちゃったっ! すっごくビックリしたなー」

「忍ちゃん、普段お兄ちゃんと何してるの?」

「うんと、ミスタードーナツ来たりー、運動したりー、旅行に行ったりー」

旅行? 中学生と旅行までしてるのか。
聞いてない。
それはけっこうまずいんじゃないか。

「思い出すなー、初めはね、暦くんすっごくひどいことするものだから、私口もきいてあげなかったの」

ひどいこと?
この子を助けたあとにどんなひどいことをしたんだろう。

「もうなにもかもイヤになっちゃって、私、家出しちゃったの」

深刻だ……。

「でも、一日中私のこと探してくれて……、あのときのことはずっと忘れられないよ」

おかげで私もやけっぱちにならずに済んだよー、と忍ちゃん。
やけっぱちっていうのは、身売りするつもりだったのかな……。
ハードな人生を送ってるな、この子。

「お兄ちゃんさ、この子のこと戦場ヶ原さん知ってるの?」

「ん……、まあ知ってはいるんだけど、黙認している感じというか。どうでもいいと思っているみたいだな」

ちょうど僕にとっての蝋燭沢くんみたいなもんだよ、とお兄ちゃん。
いやあ、けっこうアナタは彼に言及してますよ。
決して黙認はしていない。
それにその言い方ではお兄ちゃんが私の彼氏ポジションということになる。
けど。
忍ちゃん――忍野忍ちゃんか。
ゴールデンチョコレートをおいしそうに頬張る彼女。
一応、中学生らしい。
ならば。

「ねえ、忍ちゃん」

「うんっ?」

「『悪魔様』――って知ってる?」

忍ちゃんは手を止め、目をぱちくりさせた。

「そういう話、聞いたことないかな?」

彼女は微笑み――耳まで口が裂けんばかりに歪ませた。
まるで三日月のようだ。

「悪魔サマは知らない」

だけど、と続ける。

「悪魔なら知ってるよ」

――だって私が悪魔みたいなものなのだから。
ぞっと。
背筋が凍る。
動揺して物音を立ててしまった。
焦る。焦る。
汗が滴る。
忍ちゃんはゆらりと動き、

「だって、私は暦くんの小悪魔なんだもんっ!」

と。
さっきまでの天真爛漫な口調で言った。

「お前、小悪魔ってなんだよ」

「えー、知らないのお暦くん? 女の子はねー、ちょっと小悪魔っぽいほうが男の子を魅了できるんだよー」

「また変な知恵をつけてる……」

忍ちゃんは元の調子になり、八重歯を見せてお兄ちゃんに微笑んでいた。
小悪魔?
さっきのはそんなかわいいものじゃなかった。
あれは――お化けだ。
『寝ぼけた人が見間違えたのさ』
しかし、私は見てしまったのだ。
忍ちゃんの凄惨な笑みを。

「つきちゃん、悪魔っていうのはとっても怖いんだよ。命をとられちゃうんだよっ!」

ほら、閻魔大王様みたいにー。
舌を出し、息苦しそうな振りをする忍ちゃん。

「だから――そういうの、近づかないほうがいいよ、きっと」

ごはん

ドーナツを食べ終えたあと、忍ちゃんはさらにゴクシャリのピーチ&マンゴーと塩キャラメル&オレを注文した。
ミスタードーナツの新製品・季節物は必ず食べるそう。
かき氷とジュースを合わせたものなので、しかもそれを二つ食べるとなるとお腹にきそう。
けれど、忍ちゃんはどちらもほとんど一息で呑み込んだ。
口の中に流し込むように飲み干した。

「…………」

「あっついよねー、今日は。脱水症になっちゃうよねっ」

と言い、再びオーダーし、席の戻ってくると今度は抹茶オレwithゼリーのミルクと黒蜜を抱えていた。
ミスタードーナツのために生まれてきたのだろうか、この子は。
開いた口が塞がらない。
やはり抹茶オレも、どちらも一息で飲み干した。

「忍、そろそろ帰ろう」

「えー、まだアイスティー頼んでないのにー」

「お前は僕の懐も飲み干してしまいそうなんだ」

全部お兄ちゃんがごちそうしていたのか。
私からお金を借りるお兄ちゃんなのに……。
忍ちゃんはしぶしぶと了解し、私達は3人ミスタードーナツを出て、クルマに乗り込んだ。

他になにか書いてた?

お兄ちゃんがエンジンをかけるとオーディオが作動した。
エスパー魔美の主題歌……。

「家もやっぱり揃えようか、藤子全集。場所取るけどさ」

とお兄ちゃんが言う。
自分の部屋の物は片づけてしまったのに、藤子全集ですか。
それにしても、あれだな、友達とか絶対にこのクルマに乗せたくないな。
アニメの音楽しか流れないニュービートルには。
このままお兄ちゃんには我が家のアッシーくんとして働いてもらおう。
後部座席に私は乗り、忍ちゃんは助手席だった。
これ、普通は逆じゃないだろうか。

「月火ちゃんを先に家に下ろして、それから僕は忍を送ってくるから」

ああ、そういうこと。

「お兄ちゃん、今日は帰ってくるの?」

「たぶん」

たぶん、なんだ。
忍ちゃんを送ってそれからどうするのだろう?

>>250
マスかいてた

私達はしばらく何も話さなかった。
とはいってもオーディオが相変わらずパーマンとかキテレツ大百科の歌が流れていたから静かではなかった。
忍ちゃんも歌ってたし。
マジになって。

「はじめてえええのちゅうう、きみとちゅううう、あいるぎびゅおおぉるまいはぁああっ」

「…………」

ぶっちゃけうまかった。
英語の発音もよかった。
歌手なのかもしれない。
アーティストとかマルチタレントなのかも。
忍ちゃんリサイタルがドラえもんの歌になった頃、クルマは我が家に到着した。
ドアを開けると車内ランプが点いて、もう辺りがすっかり暗くなっていることに気付いた。

「んじゃ、僕はこのまま行ってくるから」

「はいはい」

「つきちゃん、さようならっ!」

私もさようならを言い、発進したクルマが見えなくなるまで手を振った。

なんだろうな。
戦場ヶ原さんと並んでいるお兄ちゃんを見ると、「ああ、カップルだな」と思う。
羽川さんと並んでいるお兄ちゃんを見ると、「何かあったんだな」と感じる。
(どうでもいいけどああいう関係は最終的に結婚しちゃうタイプだと思う)
忍ちゃんと並んでいるお兄ちゃんは……。
友達だと言ったが、あれはそういう関係じゃないだろう。
かといって友達以下の付き合いでもない。
何か特別な結びつきがあるんだ。
決して解けない、結び目のような。

「ただいま……」

あれ、なんで元気ない声になっちゃってるんだろ。
嫌だなあ。

「月火ちゃん?」

火憐ちゃんが駆け寄ってきた。
ああ、なんか今日は疲れちゃったよ。
妹の靴をお姉ちゃん脱がしてくれないかなー、なんて――

「――さっき、帰ってこなかったっけ?」

「……は?」

「夕方のジョギングから帰ってシャワー浴びてたら、洗面所の方から月火ちゃんが『ただいまー』っつってさ」

あたしもおかえりーって言ったんだよ。

「で、風呂から出て居間にずっといたんだけどさ。また出かけてたん?」

「……私、今帰ってきたところなんだけど」

「うっそだぁー! あたし、間違いなく聴いたんだぜ」

「…………」

「この火憐ちゃんをはめようとしたみたいだが、まだ詰めが甘いな月火ちゃんよ。ふっふっふ」

精進せいよー、と言い残して火憐ちゃんは部屋に引っ込んだ。
なんだって?
私が帰ってきた?
私より先に私が?

「…………」

家は元々節電しているが、玄関から続く廊下は真っ暗だった。
火憐ちゃんがさっきまでいた浴室。その隣の洗面所。
ここからは何がどうなっているのかまるで見えなかった。

夕食の時間になってもお兄ちゃんは帰ってこなかった。
1名を除いた家族でコロッケを食べた。
ああ、そういえばキテレツの歌にもあったっけ。
忍ちゃんが最後の「キャベツはどうした」の部分を人間離れした声でやっていた。
アーティストとかマルチタレントなのかもしれない。
もしかしたら人間じゃないのかもしれない。
自称小悪魔だし。

「人間……」

「月火ちゃん、インゲンも食べなきゃあダメだぜ」

隣でのほほんと火憐ちゃんが言った。
私はそのインゲンもコロッケも残して、居間を後にした。
お腹がいっぱいなのは、ミスタードーナツのせいではない。
それに頭もいっぱいな感じだった。

シャワーを浴びながら思考に努める。
今日は『悪魔様』について何を聞いたんだっけ。

「願いを叶えてくれるんだって」

これは昨日聞いた話。
大体、本当は悩みや困っていることを解決してくれる、だ。

「人が変わっちゃうんだって」

人は変わるだろう。
いくらでも。いついつでも。

「『悪魔様』にお願いすると新しい自分にしてくれるんだってー。
「めんどくさいこと全部やってくれるらしいよ。
「一番くじ並ぶのが嫌だなー、って思ってるともう一人自分を用意して代わりに並んでくれるらしいよ」

これが今日聞いた話だ。
でもどこかおかしい。
元々の『悪魔様』の噂からは解離していっているような……。

「…………」

ハートキャッチはじまる

ここにある共通点は。

「『悪魔様』にお願いすると<新しい自分>にしてくれるんだってー。
「めんどくさいこと全部<やってくれる>らしいよ。
「一番くじ並ぶのが嫌だなー、って思ってると<もう一人自分を用意して代わりに>並んでくれるらしいよ」

新しい自分。
やってくれる。
もう一人自分を用意して代わりに。

この抜き出したフレーズを並び替える。

「もう一人自分を用意して代わりに、新しい自分、やってくれる」

つまり。
『悪魔様』にお願いしてコンプレックスが解消されて――その展開として人が変わるとかではなく。
もう一人の自分を作り、面倒の代役をやらせる、ということか。
ばかばかしい。
ドラえもんでのび太くんが自分のコピーを作ったら、自分と同じぐうたらだったという話があるけど。
それと同じくらい荒唐無稽だし、笑い話だ。

仮にさっきの火憐ちゃんの件がそのもう一人の私だったとして。
一体何が目的で火憐ちゃんに話しかけたのだ?
私が今一連の事象への疑惑を募らせるという以外、何の被害も出ていない。

「…………」

そういえば。
昨日、今日クラスメイト、先生が私を訝しそうにしていた。
例えば盗まれたジャージ。
結局誰が盗んだのかもわからず、いつのまにかそれは元の場所にあった。
その後の「忘れ物した?」という質問。
あれはてっきり私がジャージが盗まれたと勘違いしたことへの皮肉だと思っていた。
そのまま気にしていなかったけど、よく考えれば不自然だろう。
ああいう質問をするということは、『直前に同一人物を目撃していた』と考えられる。
「あれ、君、さっきも見たね。何か忘れ物を取りに来たの?」
こんな物語が見えてくる。
『悪魔様』にお願い?
むしろこれでは私が困っていることになる。

浴室には鏡がある。
姿形はこの私とは正反対だけれど、これももう一人の自分か。
湯気で曇っていたので、手のひらでごしごしと拭いた。
そして、もう一人の私の顔を見つめる。
観る。
視る。

「…………」

笑った。

「きゃあああああああああああああ!」

「どうした月火ちゃん!? 賊か!?」

私の悲鳴を聴きつけて、火憐ちゃんが浴室に駆け込んできた。

「どうした!? 何があった!?」

「な、なんでもないの……、たただちょっと見間違い、見間違い」

「見間違いって、震えてるじゃんか」

あれ? おかしいな?
立ちあがることもできないぞ。
腰が抜けたってやつ?
漫画でしか見たことなかったのに、まさか今日体験しちゃうとは。

「とりあえず、上がれって」

火憐ちゃんは自分のジャージがずぶ濡れになるのも構わず、私を抱き上げ脱衣所に引っぱり上げた。

「なあおい、どうしたんだよー」

バスタオルで私の頭を拭く火憐ちゃん。
ちょっと乱暴だけど。
でもおかげでちょっと体の感覚が戻ってきた。

火憐ちゃんに肩を抱かれながら、浴室を後にした。
私の悲鳴は当然両親にも聴こえていた。

「なんでもない、本当になんでもないから……」

ママは何か言いたげだったけれど、そのまま私は火憐ちゃんに付き添われて部屋に戻った。
言ってもどうなるものでもないだろう。
鏡の中の自分が笑いかけた、なんて。

「浴衣でいいよな?」

火憐ちゃんは私を二段ベッドの下――彼女のベッドに腰掛けるように促した。

「うん」

タンスから私の寝巻として使っている浴衣を取り出す火憐ちゃん。
さっきから私に何も訊かない。
気を遣われている。

「はい。あ、自分で着替えられるか?」

「あ、大丈夫……」

「……まだ無理みてえだなあ」

体は動く。
でもまだ震えが止まらなかった。
火憐ちゃんは私に浴衣を着せ、帯を腰にぐるぐる巻いて縦結びで留めた。

「ありがと……」

「ほらー、こういう変わり目の季節って疲れるっていうじゃん? 月火ちゃんきっとそれだぜ」

「かもね。うん」

「こないだも言ったけど、人間ゆとりが必要さ。あたし達せっかくのゆとり世代だし」

「私達ってそういう世代なのかな? 今って西暦何年なんだろう」

「はっはっは。そんなの何年だっていーんだよ。もっとゆとろうぜえ」

火憐ちゃんっていい子だなあ。
お姉ちゃんだけど。

「今日は一緒に寝てやろう」

「い、いいよう」

「遠慮しなさんな。よし、もう寝ちまおうぜ。明日に備えて」

「まだ9時だよ!?」

「いいの、いいの。やなことあったんだろ? はやく寝てリセットしちまえ」

そう言う火憐ちゃんによって、今夜は強制的に同衾することになったのだった。

×月××日

今日は体調不良のため、昼から登校することにした。
建前は。
火憐ちゃんはすっかりサボり・遅刻魔になっているようで、お昼前になっても一緒に家でのんびりしていた。
いや、もちろん私を心配してくれているんだと思う。
お兄ちゃんはまだ帰っていない。
このままでは午後様になる。
笑っていいともが始まる前には家を出て、二人で歩いて登校した。
火憐ちゃんと途中で別れて、彼女は高校。
私は中学の校舎へ向かった。
到着するとちょうどお昼休み。
校庭で遊んでいる男子や廊下でお喋りしている女子ばかり。

「おはよう」

教室に入り、お弁当を囲んでいる友達に挨拶をした。


「…………」

その目が語るところ。
怪訝。
懐疑。
不審。

――不信?

「お、おはよう」

と、友達が返す。
恐る恐る。

「……ねえ、私、今日何限目から来たっけ」

「……月火ちゃんが来たのは2限目からだよ」

「ありがとう」

私は教室を飛び出した。

PCちぇんじはーときゃっち

気づけば校門の前だった。
途中クラスメイトや担任の先生とすれ違った。
みんな私を見て訝しそうに……。

「…………」

私だ。
もう一人の私がいたんだ。あの教室に。
そして私の代わりに平然とあの場に紛れ込んでいた。
擬態していたのだ。

「何よ、これ……、どうなってるの」

どうなるの?
どうなるの?
どうなってしまうの?
私の代わりにもう一人の私が出てきてしまったら。
私はどうすればいい?

「こういうとき、誰に頼れば……」

頼る相手は信頼できる奴がええで。
ふと、影縫さんが言っていたことを思い出した。

「……お兄ちゃん」

そうだ。お兄ちゃんだ。
何で気づかなかったんだろう。
こんな時頼りになるのはお兄ちゃんじゃないか。
お兄ちゃんならきっとなんとかしてくれる。
お兄ちゃんならきっと助けてくれる。

「……よし」

私は新規メールを作り、送信した。

「今すぐ聞いてほしいことがある」

場所は家を指定した。
元々携帯電話をあまり得意としない人だから返信しないこともある。
けれど、緊急の用だとわかるように書けば必ず応えてくれるだろう。
たぶん今もクルマに乗っているだろうから、遠出していてもそんなに時間はかからないはず。
私は走って家まで向かった。
そういえば去年もおまじないの事件のときお兄ちゃんにこうして助けを求めたりしたっけ。
あの時は久しぶりに怒鳴られたなあ。ん、そうでもないか?
不謹慎な言い方だけど、お兄ちゃんが私達のためにあくせくしてくれるのを見て。
怒られたけれど。
ちょっとわくわくしていた。
正義の味方。
ファイヤーシスターズのお兄ちゃん。
彼はみんなのスターで。
私のヒーローなのだから。

家の駐車場からニュービートルがちらと見えた。
よかった、もう帰ってきてる。
はやく、家に入って私の話を――

「…………」

門扉の前で誰かが立っている。
『彼女』は玄関の方を見つめていた。
そして、私に気づいて振り向いた。

「…………」

栂の木二中の制服。
肩までの長さのワンレン。
お兄ちゃんがよく指摘するたれ目。
彼女は眠いのか、こちらに関心がないのかぼおとした表情だった。
それは。

――私だ。

「あ……、あ、あ……」

鏡に写る自分を見ているときに不安になる人もいるだろう。
けれど、それでも日常生活で使用するのは、おそらくそれが鏡以上の役割を果たさないだろうと思っているからだ。
自分を正反対に写し、動きを確認させ、光を反射する。
今目の前の『私』は。
まるで初めて見るかのように、両手に目を遣り、何か考え込むように頭を揺らしている。
この私は腰を抜かしてしまい、言葉にならない音だけを発している。
そして。

「あなた、つきひ」

と、『私』が言葉を――名前を口にした。

「わたしも、つきひ」

気持ち悪い。
気持ち悪い。気持ち悪い。
気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。
気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。



『私』が笑う。

「お兄ちゃんに会いにきたんでしょう?」

どうしてわかる。

「だって私のことだもの。当たり前よ」

何だお前は。誰なんだお前。

「私は阿良々木月火。正真正銘、偽物でも擬物でもない。本物の――」

――お兄ちゃんの妹。

私がそう言う。
私が……。

「あなたはそこでがたがたと震えていてね。情けなくおしっこも漏らしたら、もっといいかも」

私が踵を返し、玄関のほうに向かう。

「これからお兄ちゃんに大切な相談があるの」

私は体を起こし――腰を抜かしていたのも忘れ――『私』に飛びついた。

「わあっ!」

『私』はちょっとどつかれたみたいな叫び声を上げた。
そのまま押し倒し、馬乗りになろうと『私』に纏わりついた。
首でも絞めてやろうと思って――

「…………っ!」

頭に衝撃。
鈍い痛みが走る。
『私』が私の通学鞄を振り、私の頭を殴ったのだ。
よりによって角をぶつけられたらしい。

「あ……、あ……」

私はよろめき倒れこむ。
『私』はもぞもぞと抜け出し、立ち上がる。

ごはんがきこえてた
いいBLだ

「! げほっ!」

ローファーのつま先で鳩尾のあたりを蹴られた。
続けざまに学生鞄で再び頭を殴られる。
息ができない。
横で『私』は鞄を漁り、中から何かを取り出した。
足で私を仰向けにさせ、傍にしゃがみ込み。

逆手に持ったそれを私の胸に突き刺した。

「あああっ! ああ、ああ……っ!」

異物が私の皮膚を突き破った感覚がわかる。
目を遣ると、胸に細長いハサミが突き刺さっていた。
文房具として持っていたものだ。
私の胸の真ん中、正中線が走っているあたりにそれは刺さっている。
刺し口からは血が吹き出し、制服がどす黒くなっていた。

「大丈夫、死なないから。だから」

ピンセットが。
私の左目に突き刺さった。

「ぎゃああああっ! ああああっ! あああぁぁあああっ!」

「こんな怖いことしてもね、大丈夫、死なないから」

視界が薄まる。
ぼやけた輪郭の『私』はもう玄関を過ぎていた。
最後に。

「これからお兄ちゃんに大切な相談があるの」

そう言い残した。

今まで死ぬ思いをしたことは何回かある。
一番初めに思い出せるのは小学生の頃、校舎から転落した火憐ちゃんを助けようと飛び降りたとき。
地面に落下しないように、自分をぶつけてトラックの幌に突っ込んだ。
助けようとした火憐ちゃんは怪我はあったが命に別状はなかった。
一方の私は胸に幌のフレームが突き刺さり、肺に達していた。
幸い峠は越えたものの、意識を回復するまでに危ない場面があった。
そして、私は死ななかった。

「…………」

目が覚めた。
一時的に意識を失っていたらしい。
胸に刺さったハサミを見る。
刃の部分は全部肉に沈んでいた。
両手で持ち手を掴み、力をこめる。

「あぁ……、はっ、あ、ああ」

少しずつ刃が抜けていき、肉の絡みが弱くなるのを感じたので、そこから一気に引き抜いた。

「はあ……、はあ……」

血に塗れたハサミを放った。
次は左目に刺さったピンセットを抜かなければならない。
そっと掴み、徐々に力を入れていき、引き抜いていく。
痛い。
死んだほうがマシなんじゃないかと思うほど。
でもやらなきゃ。
少しずつ、少しずつ。
やっとの思いで抜くと、それも放り投げた。

制服も血塗れだが、左目の周りも血が付いている。
もう乾いているが、手のひらでなぞると付いた。
私は――どうなった?
確か、お兄ちゃんに相談があるとかって。

「お兄ちゃん……」

私がされたことを考えれば、あいつは危険だ。
まさかお兄ちゃんのことも同じように?
体を起こし、家に向かう。
頭の中では最悪の場面――居間で倒れているお兄ちゃんの姿が浮かんでいた。
私はどれくらい意識を失っていたんだろう。
その間、何か起こっていたらどうしよう。
ああ、お兄ちゃん、お兄ちゃん。

「お兄ちゃん、お兄ちゃん、お兄ちゃん」

ドアを開ける。

靴はある。
いるようだ。
居間の方から話し声が聞こえる。

中を窺うとお兄ちゃんの後ろ姿が見えた。

ソファーに座っていたから見えているのは後頭部ともいえる。
そして、その横に私がいる。こちらを向いている。
その私はお兄ちゃんに抱かれながら話をしていた。
どんな内容なのかはよく聞き取れない。
こちらに気づき、私はお兄ちゃんの肩に腕を回した。

私はお兄ちゃんの長い髪をたくし上げ、首筋を露出させた。
首筋には赤い斑点のようなものが見える。
私はその斑点を人差し指でなぞり、愛撫した。

「お兄ちゃんの妹で、よかった」

そう言って私は赤い斑点に口づけをした。

××××××××××××××××××××××××××××××××××
××××××××××××××××××××××××××××××××××
××××××××××××××××××××××××××××××××××
××××××××××××××××××××××××××××××××××

殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す
殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す
殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す
殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す
ぶっ殺してやるぶっ殺してやるぶっ殺してやるぶっ殺してやるぶっ殺してやる
ぶっ殺してやるぶっ殺してやるぶっ殺してやるぶっ殺してやるぶっ殺してやる
ぶっ殺してやるぶっ殺してやるぶっ殺してやるぶっ殺してやるぶっ殺してやる
ぶっ殺してやるぶっ殺してやるぶっ殺してやるぶっ殺してやるぶっ殺してやる

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「達者にしとった? ホトトギスちゃん、そろそろお話しに行こ思うとったんや」

通学路の途中、こないだと全く同じ場所。
影縫余弦さんはやはりそこにいた。
キャンピングチェアに座って、決して地に足を付けず。

「あんな、ホトトギスちゃんの言うた『悪魔様』、あれうちの専門じゃなかったんよ」

「ああ、あれはもういいんですよ」

たぶん、どこかの誰かが勝手に解決してる。
そして、誰かが勝手に助かってる。

「まーた貝木くんにはめられてしもうたみたいや。情報流してくれるのは助かるが、ノイズ挟むのは堪忍してほしいわ」

誰かに文句を言う影縫さん。

「おどれの言う通り、あれはもう放っておいていいみたいやけど。ちゅーか、うちのすることやないし」

「影縫さん」

「なんや? もうホトトギスちゃんでもええかなー、なんつって」

「お化けの話、聞きたくないですか」

影縫さんは人のよさそうな顔を少し崩し、

「……ほおおん」

腕を組んで話を聞く姿勢に入った。

「ドッペルゲンガー」

新しい噂としてこれまでのあらましを説明すると、影縫さんはそう言った。
私自身のことは伏せておいた。

「うちはな、忍野くんみたいな怪談集めは趣味やないの。せやから端折って説明するさかい」

と、どうでもいい前置きをして、

「簡単に言えば、もう一人の自分が現れるっちゅうこと」

例としては。
自分が自分の分身を目撃するパターン。
他人が自分の分身を目撃するパターン。
これらがある。

「昔の人は離魂病と呼んで、文字通り自分の影、魂が抜けていく病として怖い怖いもんやったそうやけど」

一説には夢遊病の一形態として捉える向きもあり、精神疾患がこれの正体だという。
現実の医療の現場では、確かに脳の中にある部分で腫瘍ができれば、自分の分身を認識することもあるそうだ。

「せやけど、他人に分身を見られるケースが説明できひんのよ。
海外だとガッコのセンセが教室で多数の生徒に分身を目撃されたって事件もある」

授業中、教師が黒板に向かっている傍らに、その分身が現れたのを何人もの生徒が証言したのだ。

「ホトトギスちゃんの話じゃあ、他の子も見てるんやろ?」

「そうです。本人は周りの人達が分身と遭遇する場面に居合わせていないんですけど」

まるで、いたずらを仕掛けるように。
影に隠れて。

「せやなあ、小説でもドッペルゲンガーが出てくるものが多い。芥川龍之介はドッペルを見てはったっちゅう話やな」

けどまあ、と影縫さんは続ける。

「一番有名なのは、自分のドッペルゲンガーを見たら死ぬってやつやな」

自分の分身を見た者。
彼は数日以内に死ぬ。
そんな怪談はかなりの人が知るところだろう。

「脳の腫瘍が関係あること、分身を見たら死ぬこと。
これらを結びつけると、ドッペルゲンガーは死期が近い病気が顕現してるちゅうふうにも言えるんや」

一通り説明が終わると、影縫さんは「やっぱとうちの専門とちゃうなあ」と言った。

「こないな怪談、それこそ忍野くんの領域や」

「忍野……」

そういえば、その苗字は聞き覚えがある。
確か忍ちゃんのは忍野性だったはず。
何か関係があるのか。

「ところで、このドッペルゲンガー、っていうの? なんとかする方法はないんですか?」

「へ? 知らん。ないんとちゃう?」

「…………」

「あー、うちは霊能力教師みたいに怪異退治してへんの。ぬーべーってあだ名の時代もあったことはあったが」

すごくどうでもいい情報だった。
せやけどな、と影縫さん。

「例えばな、そのドッペルゲンガー見ても死なんっちゅうヤツがおるなら、うちは見てみたいなあ」

つまり。

「不死身のドッペルゲンガー、おもろいやろ」

「不死身?」

「なあ、ホトトギスちゃん。うちのお仕事はな、不死身の怪異をメタメタのギタギタにいてまうことなんよ」

影縫さんは右手を開き、小指から順に折って、拳を握った。

「うちが仮にお手伝いできるとしたら、そういうヤツがいればええのやけど」

その話に出てくる子、そういう話聞いたことなあい?

「そういうことって……」

「せやから、その子が異常に傷の治りが早いとか」

不死身やから。
いつのまにか、影縫さんは私の目を見据え、今にも振りかぶってきそうだった。
彼女は一見すると普通の人間だ。
でも、なぜかさっきから私の頭を粉砕されるイメージが頭を離れない。

「だいたい、ホトトギスちゃんはそのドッペルちゃんをどうしたいん?」

「それは」

決まってる。

「うちもな、世間にそないな化物が紛れとったら嫌やで」

うちが一番嫌いなのは偽物やから、と影縫さんは言った。

「話を戻すとな、仮にそのドッペルゲンガーの元ネタちゃんが不死身なのやったら、うちはそいつを始末せなあかん」

「…………」

「不死身――化物を退治するんや。正義の味方やから、うち」

「…………」

「その子が不死身なんやったら、その子人間の振りしてるっちゅうこたやろ。怖ないの?」

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