十頭鬼具 二本目・鈍鬼『鬘割』 (99)

 前回の十頭鬼具の続きになります。

 前回十頭鬼具 一本目・土鬼『柔姫』
 十頭鬼具 - SSまとめ速報
(http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1374121717/)

 刀語みたいなお話です。
 似たり寄ったりな部分が多いと思います。  
 キャラクターに名前があります。
 江戸時代関係にあまり詳しくないので、矛盾があるかもしれません。  

 そんな感じのお話になります。  



SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1380204758


 開国議会への重要な足がかりとして下された十頭鬼具の回収、その任を受けた渡来メリーと、かつて森流しという刑を受け幽閉林に隔離された型族、その型一族が受け継いできた武術、武鬼拳術の継承者の一人であり最年少の型満月が出会ったのは卯月の終わり頃。
 幽閉林にて黒子人柱一柱巨男(きょだん)を打倒し、土鬼『柔姫』の回収に成功した型満月は家族である型半月、型三日月の言葉に従うように、渡来メリーの十頭鬼具収集の旅に同行することになったのであった。
 そして、月は皐月に足を踏み入れた頃合い、二人の姿は東海道入り口近くの町にありました。
 家族の元を離れたことで故郷が愛おしくなったりするのではないかと、メリーは気にしていた。彼女はまだ十五歳で、今まで家族と一緒に過ごしていた環境から無理やり連れ出された形であるわけだ。
無論、その家族達から強くなるようにと目的は受け取っているものの、実際の所は寂しくてたまらないのではないかという、そういう不安材料があった。
 満月の身を任されている身でもあるし、何よりもいざ十頭鬼具の持ち主と闘うことになって、その寸前に心境的な傷に悩まされてしまうという心配があった。
 そう、ここまでそう考えていたのがメリーだったのだが。

「すごいすごい!こんなにいっぱい!建物いっぱい!」

 町の光景を見ては一喜一憂している姿を見ると、その心配は杞憂だったとメリーは思い知らされていた。強がって気持ちを高揚させているわけでもないようで、純粋に今見えている光景に感動しているということが感じてとれる。
「まったく、心配していた私が馬鹿らしいです」
 溜息を一つ漏らしながらに彼女は驚きはしゃぐ満月の肩に手を乗せると、そのまま道の隅っこまで引きずる様に引っ張る。
 満月がきょとんとしていると、メリーはその身形を爪先から頭の天辺まで舐めまわすように見ると、一つ息を吐いた。

「ですが、こちらの心配は正解でしたね」
「ん、メ姉心配事? 家族のあたしに相談してもいいよ」

 満面の笑みでそう呟く満月に、メリーは何と頼もしいことでしょう、できれば出る前からその頼もしさを発揮してくれたらさらに良かったのですが、と矢継ぎ早に口ずさむと指をビシッと突き付けた。

「満月、そなたの格好はとても危ういです」
「あ、危うい?」

 危ういと言われ、満月は自身の格好を確認する。
 身体を隠す程度の布のような服に、右肩から胸に掛けて流れる髪、そして三日月と半月に作ってもらったわらじという格好であった。涼しく動きやすそうな格好と言うのが満月の思った感想であったため、全然寒くないよ?と呟き、その的外れと言っても問題無い発言に、メリーは心の内で大きな溜息を漏らすに至った。
「熱い寒いなどの感想など聞いていません。私は周りから見た印象が危ういと言っているのです」
 その言葉に首をかしげる満月であったが、自身に対して多数の好奇な眼差しが向けられているのは確かであった。
 この町、いやここまで歩いて向かっていた間も、このような視線を何度か感じてはいた。 もう一度言おう、彼女の格好は肌を隠す程度の布くらいなのである。しかも彼女は十五歳の娘である。所謂大名などの嫁となるための作法を学んでいるわけではないが、十五歳と言えばこの時代で言うところの結婚を控えたくらいの年齢であるわけである。

 そんな年相応の娘が自身の柔肌を晒す様な格好をしていては、男達からそう言う目で見られるのも間違いないことであった。

「それに今のそなたの格好、見方によっては痴女と思われてもおかしくないですからね」
「ちじょ?」

 意味がわからず呟く満月に対して、これは分かりやすい説明をすべきだろうかと考えてみるが、それは時間の無駄だし変な問題を抱えられても困ると考え、説明を省力するとメリーはそのまま近くの店の暖簾を潜った。
 何処かに入ったということがよほど楽しいのか、意気揚々とその後に付いていく。暖簾を潜った先にあるのは煌びやかに飾り付けられた布の数々であった。
所謂仕立屋という場所であり、中にいた店主の男性は最初に入ってきた長身のメリーに驚き、次に全裸同然の布服姿の満月を見て更に驚いていた。
 一番驚いたのは最初に入ってきたメリーの存在である。どう見ても海向こうの人間だとわかる髪の色に、その大きな身長がとても威圧的に感じられたのだった。

「い、いらっしゃいませ」

 少しばかり声に不安が混じってしまった事を店主は後悔したが、それをメリーは気にすることも無く、ただただ望むように後から入ってきた満月を指差し。

「この子に似合う服はありませんか」

 と短く纏める様に呟くと、それに対して満月は不満そうに声を上げる。
 曰く、服ならこれだけあれば十分ということらしい。それに軽く見たところ動くのに適した服が見当たらないと、真っ向から服を買うことを否定しているようだった。

「家族なんですから、少しは私の言うことも聞いてください」
「服装なんて関係ないじゃん、だって、出会ったら戦うだけなんでしょ?」
「いや、そう言うわけでもありません。それにその格好のそなたと歩いていては、まるで私が幼子を売り物にしている売人のように見られてしまうかもしれません」

 気づいた頃には、自身の印象が娘に変な格好をさせて連れまわす趣味のある変態女になっていたなんてことが、無いとは言い切れないのである。
 満月としては、それに何か問題があるのかという顔をしているが、覆いに問題ありだと言わんばかりにメリーは呟く。

「もしもこの先、十頭鬼具を渡してくれるような者に出会えたとしても、すでに前印象が最悪だった場合、受け取れなくなってしまうこともあり得るのです。つまり、戦わずしてもらえる物が、闘わなければもらえなくなってしまうというのは、とても非効率な話でしょう?」
「効率的ってどういう意味さ」
「そうですね、分かりやすく言えば楽ができるという意味です」

 その言葉を聞いた瞬間に満月の顔は一瞬にして輝いた。楽できるという言葉は、満月にとっては嬉しい言葉なのは、前回の話でも明らかになっている通りである。

「そう言うことなら最初から言ってよ。あたし楽できるなら、服くらいちゃんと着るよ」

 そう言って水を得た魚のように店の中を眺め始める満月であるが、ここに来て一つ問題が生じた。たしかに店内には煌びやかな生地や、和服が飾られている。年相応の娘が見れば、このような格好をして嫁入りがしたいと望むほどに豪華なものばかりである。
 しかし、ここにいるのは今まで幽閉林という森で育ってきた型満月なのである。
 おしゃれのイロハなんてものは全く分かっていないし、何より自身がその服を着た姿と言うのを全く想像できないのだ。
 案の定、すこしばかり店内を見回してから首を傾げては首を垂れた後に、メリーの元へと歩み寄ってその袖を引っ張る。

「メ姉が選んでよ」
「好きなものを選んでよろしいんですよ。お金の心配はしなくても大丈夫ですし」

 さすがは帝都政権の重役であると言わんばかりであるが、それを聞いても満月は首を振う。なにせ、本当に服に関しては知識なんてものが無いので仕方ないことだ。

「あたしじゃ、何が良いかなんてわからないもん」
「そうですか、仕方ないですね」

 満月の要望に応える様にメリーは歩み出すと店主に声かける。店主の声は少しばかりの緊張を孕んでいたが、少し話しをしている内にその流暢で安心できる日本語や、その振る舞いに好感を覚えたようで、自然と店の中に漂っていた居心地の悪い空気が無くなった。

「動きやすい服と言うのは無いでしょうか」
「そちらのお嬢さんは武芸などを嗜むのでしょうか?」
「そんなところです」

 満月の今までの生活を思うに必要となる要素を抑えた服を求めるメリーに対して、店主は少しばかり思案し、ここで思い出したように店の奥へと姿を消す。
 そして少しばかりの時間がしてから、それを持って現れた。

「どうでしょう、演武服と呼ばれるものです。通気性もよろしく、動きやすい作りになっている一級品でございます」

 そう店主は満面の笑みでメリーにその服を推し進めたのであった。
 ちゃんとした服でありながら、動きやすさを追求したそれを見てから、満月にこれでどうだろうと聞いてみると、それを見た彼女は舐めまわす様にその服を見ると静かに頷いてから。

「袖は邪魔かな。掴まれたら終わりだし」

 と、肩口から袖までがいらないと店主の前でバッサリと言い切ったのであった。

 そしてその夜、帝都政権の使いから手紙を受け取った二人は、朝一番に東海道を歩み始めるのでした。
 目指す地は武蔵国、今は廃村となった大黒村にある旧大黒寺。
 収集対象は、そこにあることが確認された十頭鬼具。
 その一つである鈍鬼「鬘割(かつらわり)」であります。

 東海道、多くの人々が歩みを続けるその場所に二人の姿はありました。手にした鞄を揺らしながら先頭を歩く渡来メリーに、その後ろをのんびりとした足取りで歩く型満月。皐月の初めに旧大黒村を目指し歩き始めてから、かれこれ一週間と少しが経っておりました。

「それにしても関所って面倒なんだね」

 ここまで歩いてきた感想を満月は一つに纏めて呟いた。ここまでいくつもの関所を越えてきたが、この二人が関所で面倒な目に会ったというわけではない。
 渡来メリーは帝都政権直属の人間であるので、所謂公認の手形を持っているから見せるだけで何を持っていようと通してもらえる状態であるわけだから、面倒など起きようことが無い。
 なら、満月が何に対して面倒だと言っているのかとすれば、それは二人以外の者が越える際に行われる無慈悲な拳問に対してである。ここに来るまでの間、穀物や蝋燭、刀はもちろんのこと通すためには許可を得なければならない物を無許可で通そうとする者たちが、何人も検挙されている姿を見てきたが、その中でも偉く厳しいのは女性に関しての拳問であった。

「女性は色々と重宝されますからね。子を産めるのは世界広しと言え、女性だけの特権ですし」

 メリーがそう淡々と言葉を告げると、先にわかれ道が現れる。左はまだまだ終わらない東海道の先へと進める。これから先の目的地を目指すのであればここを通れと言った感じである。
 そしてもう一方の道へと向かおうという者はほとんどいない。こっちがどのような道なのかと言われれば、数年前に廃村となった大黒村へと続く道になっている。
 そこが今から向かおうとしている目的地であり、何の迷いも無くメリーは大黒村への道に足を進め、それに続くように満月も道へと入る。
 入ったからと言ってすぐに村が見えるわけではなく、しばらくは今さっきと変わらない光景が続くが、歩き始めて一刻を過ぎたあたりから目に見えて人間を見なくなったのは間違いないことであった。

「ほんと、誰も歩いて無いね」
「大黒村は廃村になってからかなり経っていますからね。用事があるという者はあまりいないのでしょう」

 そう言葉を漏らしながら大黒村という言葉を引っ張りだす様に、メリーは頭の中でその情報を思い出す。

 大黒村、創村は丁度幕府転覆直後と言われている。大黒天を祭った大きな寺、昔の大黒寺であり、今は新大黒寺にその大黒天は移し祭られ、大黒天の移動と共に信仰を慮る者が多い土地柄故、それに合わせて村民の殆どが新大黒寺の作られた村へと移動し、瞬く間に村としての機能を失っていったのである。
 元々、山の中に作られた村であり、穀物は森の中で手に入る木の実や、木などを使って作った加工品などと交換して手に入れていた村であることもあって、村民の人数減少がその産業手腕にとどめを刺したと言え、結果的に廃村という形で村は捨てられた。
 というのが大黒村の発生から終焉までの歴史である。

「でも、そんな場所に十頭鬼具が何で置いてあるのさ。だって無人なんでしょ」

 頭の後ろで手を組みながら、ぶっきらぼうに満月は呟いた。
 確かにそのとおりであり、いくらなんでも廃村となった村にそんな大事なものを置いておくわけがないし、なによりも誰かしらが取りに来る可能性だって否定できないわけだ。
 しかし、メリーにとってはその質問も予想の範囲だったようで、満を持してそれを口にする。

「打出振子(うちでふるこ)」

 その言葉を口にすると同時に、満月の首は静かに傾く事になる。

 一体何の意味がある言葉なのかと少しばかり思案していると、考えが纏まる前に答えが提示される。

「打出振子、旧大黒寺に今でも仕える変わり者の神主兼巫女兼武士です」

 それを聞いて尚更満月の首は傾く、今さっきの話を聞く限りでは、大黒村は廃村となったはずではないだろうかという意味で、である。

「そう驚くのは間違っていません。廃村となり、野生動物も多く徘徊するそんな場所に、常識的な人間なら残ろうと思うはずありません」

 常識的な人であるならば残ろうと思うはずも無い。その台詞、言ってしまえばその打出振子は狂人という意味合いになるが、それは間違ってもいないという話である。

「ですが、そんな廃村となった場所に、打出振子という人物は居座っています」

 その居座っている理由と言うのが少しばかり知りたくなるもので、その質問をメリーに投げかけた満月はこう返答を貰うことになった。

「何を思って居座っているのか、それはわかりませんが、分かっていることだけはあります」

 その言葉は文字通りの意味で。

「彼女が鈍鬼『鬘割』の所有者ということです」

 その打出振子が次の対戦相手だということを示していた。

 日が暮れた頃になって、二人の姿は大黒村へと続く山道入口の旅籠の一室にあった。
 ある意味、ここがこの案件が終わるまでに立ち寄れる最後の旅籠であるということを満月は理解できていたらしく、布団を見つけるなり服を脱ぎ捨てるとすぐに横になった。
 全裸と言うのははしたないが、別にどうってことないと言った具合に我関せずと言った表情のまま、満月は呆れたように溜息を吐くメリーを見上げていた。

「メ姉? どうかした?」
「いえ、本当に満月は自由だと思いまして、折角旅籠のほうで寝間着を用意してもらえたのですから、着替えたらどうです?」

 何時もの変わった洋風の服を畳み、白い寝間着姿のメリーは全裸で横たわる満月に女性たるものと色々と言ってみたが、元々興味の無い満月は我関せずと言った具合にメリーの発言に耳を貸すことは無かった。

「良いでしょ、あたしとメ姉は家族なんだし。それに裸の一つや二つ見られても困らないよ」

 人の目を気にしないというよりは、性というものにあまりにも興味を持っていないのだろうというのがメリーの率直な感想であったが、これを説得するのは骨が折れると諦める。
 それに話をする分には全裸であろうと、なんだろうと別に構わないのである。

 腰を据えると、近くにある机の上に鞄を置いて満月からは中身が見えないようにして開き、紙を取り出してそれを手渡した。
 渡された紙を手に取った直後、満月は難しい顔をする。とても難しそうな顔であり、そんな難しく考え込むようなことなど書いてあっただろうかと、メリーは不思議そうに表情を崩した。
 少しして満月が紙を押し返す様に手渡してきたのでどうしたのかと思ったが、一言文字が読めないという言葉を聞いて、そうであったとメリーは思い出したように頷いた。

「そうでしたね、満月は文字が読めないのでした」
「だから、読んでよ」

 急かす様に満月は頼みこんでくる。
 なんだかんだ言っても、書いてある内容に少しばかりの興味を持っているということになるのだろう。まだ旅を初めて一ヶ月ほどではあるが、十頭鬼具の収集に少しばかり興味を持ってくれているということなのだろう。
 それに応える様に、メリーはその紙に書いてあることを静かに読み上げる。

「黒子人柱に関する報告書だ」
「黒子人柱って、あの巨男の仲間達って事?」

 布団から顔を出してそう呟いてくる満月に対して、その通りだと満月は首を縦に振る。黒子人柱、帝都政権発足の当初から囲っていた裏稼業、つまりは暗殺や誘拐などの汚れ仕事を請け負う者たちである。
 その中の一人、黒子人柱一柱・巨男を倒した事は、すでに黒子人柱の者たちの耳にも入っていることだろう。それを見越して、メリーなりに知っている黒子人柱の情報をこう書き連ねたわけである。

「そうです。構成員は十人と小規模ですが、誰も彼もが先鋭と呼んでも差し支えない実力を持っています」

 実力、その言葉を聞いて満月は巨男の事を思い出す。
 巨男、黒子術「戦値移動」を駆使した肉弾戦を主体にした戦闘を行う男。強敵であった事に違いないが、今現在満月は無事なままでいる。

「でも、あたし巨男に勝てたよ」

 そう、勝てたからこそここにいるのである。
 だからそう言葉を漏らした満月に、メリーは何処か厳しい目線で言葉を掛けざるを得ないのである。

「そなたが勝てたのは運が良かっただけです」
「なんでさ」
「考えても見てください。満月は一人で戦いに勝ったわけではないでしょう?」

 メリーの言葉に満月は布団から身体を出して胡坐を組んで考える。あの時、巨男を倒すためにした事を思い返してみると、自身が考えたわけではない助言のおかげでどうにか出来たのだと理解できる。
 理解してしまった故に、少しだけバツが悪そうに顔を歪めてから、諦める様に呟く。

「姉ちゃんの助言のおかげです」
「それもありますけど、巨男が思った以上に本気で無かったということも、満月が勝てた要素の一つです。いいですか、満月。そなたは幾つかの幸運を重ねたことによって、今もここに立っていられるんです」

 メリーの言葉はなんとも重々しいものであったが、それも仕方のない話だ。
 何せこの先に待っているのは黒子人柱達との戦いはもちろん、十頭鬼具を長年に渡って使ってきた使い手と闘わなければならないのである。
 そこに毎度毎度のように、運と言う不確定要素を入れて戦いに臨むなど、できれば避けたいことなのだ。
 つまり実戦経験と実力、どちらもこの先必要になるということだ。

「ですから満月、自惚れないようにお願いします。私は家族を失いたくはありません」

 そして、とってつけたようにメリーはそう言葉を添えた。家族ということば、メリーにとっては本当にどうでもいいものなのであるが、添えるだけでも効果を持つこの言葉はある意味使い勝手が良かった。
 そして、その言葉を聞いた満月のほうは仕方ないかという感じに溜息を一つ漏らした後、顔を上げてから頷く。

「わかったよ、メ姉。あたしだって死にたくないし、メ姉が悲しんだりしたら面倒だから気を付ける。それに、メ姉の命令には従わないとね」

 そう言葉を漏らして、満月は再び布団の中に潜り込んだ。
 メリーの命令には従う。それが今現在における満月の考えである。何も考える必要はない、メリーの言った通りに物事をこなしていけばいいのだと、そう考えるに至った次第だ。

「さて、それでは黒子人柱に関する報告書ですけど」
「メ姉、今日は疲れたから明日で」

 メリーの音読を前にして、満月はそう言葉を漏らして静かに眠りに落ちる。
 後に残されたのは報告書をしまった後に、同じ布団に入って眠ることに決めたメリーの姿だけであった。
 余談になるが、この黒子人柱の報告書に関して、メリーが思い出したように話をするのは少しばかり後の話になる。

 二人の姿が山道にあったのは翌日のことになる。すでに殆どの人間が通らなくなったこともあってか、修繕や改修といった人の手の加えられていない道であるために、少々歩くのに難儀していると言った感じである。

「結構足場崩れてるね」
「十年以上前に廃村になりましたし、仕方のないことです」

 足場を確認しながら進む作業を繰り返すこと数十回、小さな鳥居が見えたところで二人の足は止まった。
 来るものを出迎えるようにそこにそびえ立つ大きな赤い鳥居、その中央の額縁には『大黒寺』という文字が、見え辛いが確認できるほどには形を保っていた。
 そしてその横には朽ちた見張り台の様なものがあり、そこから先は十年経っていようとも人が生活していた痕跡を見ることができる。
 そう、住居がその顔を覗かせていたからだ。

「結構建物あるね」

 満月の感想はそれだった。
 見たところ、それなりに大きな村であったようで、家屋の数も二十棟ほどが立ち並び来るものを出迎えているように存在していた。
 さすがに月日が経ってしまった事もあり、その外見はオンボロそのものであるが、昔は人が住むのに適した立派なものだったのだろう。

「それで、ここが大黒村でいいのかな?」
「はい、まちがいありません」

 満月の質問に対し、メリーは肯定するとともにその鳥居を潜る。赤い柱の横、頭上を鳥居が過ぎていくのを眺めながら中に入れば、その誰もいなくなった村の全容が見える。
 殆どと言ってもいい、何も残っていない村であった。家屋の中は畳も何も残っていない、まさに骨組だけというような状態で、ここから人々が出る際に家財道具の一切を全て持ち運んだという感じに見えた。
 中には戸すらなく中が覗けるようになっている家屋もあり、雨風に耐えられず倒壊した家屋もあるようだった。

「なんか、何も無い場所だね」
「ええ、本当に何も残さずにこの土地から去って行ったようです」

 無情にも全てが刈り取られたあとに残った場所、それが今見ている大黒村の光景であった。
 だからこそ、満月は疑問を持ち始める。こんな場所に居座り続ける物好きが本当にいるのかということを。まだ大黒村に入って最初の場所ほどであるが、人が住むという利点を考えると、ここに住む意味はからっきし無いというのが、満月の感想であった。

 昼だというのに山の中にあることもあって、日はお昼時に差しこむくらいであろうし、ここら一帯で作物を作るにも立地条件も悪そうである。

「本当に、その打出振子って人。まだここにいるの?」

 だからこそ、満月はそう言葉を紡いだのである。まったくもって、ここに人が住んでいるという確証が得られない以上、そう言った疑問を口ずさむのも仕方のないことである。
 そして、それはメリーの方も同じであるらしく、眉間に寄った皺がなかなか治らないという具合に、険しい顔を隠すことはなかった。

「私も少し疑いたくなってきました」

 そして再び歩き始める二人、正確には歩み始めたメリーの後を満月が追うという形である。もう、大黒村自体を見て回る必要はないと言った具合に、その足はある方角を向けて一直線に進んでいく。
 それは最初に鳥居を潜った際に通っていた大通りであり、入った瞬間から見えていたある建物に向けて一直線にその通りは続いている。
 入口の鳥居よりも、もう一回り大きな鳥居に、欠けてしまっているが未だにここを訪れる人々を睨みつける狛犬が鎮座したその場所、つまりそこが二人の目的地である場所、旧大黒寺になる。

 そして鳥居を潜る前にメリーは少しばかり安心したように息を漏らした。
 それを見て、満月は首を傾げる。一体何に安心しているのか、メリーには御寺などに入ると心が休まるという属性があるのかと一瞬勘ぐってしまったが、それは次の言葉で否定された。

「境内が綺麗になっています。どうやら誰かがいるようです」

 そう言って彼女は鳥居の境目を指差した。
 見ればすぐにわかるもので、全く手入れをされていない鳥居の外、つまり大黒村の方は細かい木の葉などが落ちているのに対し、大黒寺の中はそれらのほとんどを見つけることができない。つまり、落ち葉などが全く落ちていないのである。 
 つまり手入れがされているということであり、手入れをするのは何時だって人間の仕事だった。

「なるほど、そこに気づくなんてメ姉はすごいな」
「それほどでもないです」

 そう言って一言零すと同時に視線を境内に向けて、一歩踏み出そうとしたときである。視界に影が映った。
 それは向こうに立つ寺の中から現れ、二人の姿を確認しても動じずのんびりとした足取りで向かってきているようであった。

 動じない、全くと言っていいほどに動じないその姿に、メリーはなんとも言えない威圧を感じ、そして満月の方も少しばかり形を取る姿勢に入ろうとする。
 果たして、その影の主が二人の前に姿を現す。若いとは言わないまでも、メリーと同じくらいの年齢の女性である。その凛々しい顔立ちと立ち振る舞い、そして何よりもその憮然とした印象が色濃く見て取れる。
 そして二人の前に綺麗な姿勢で立つと、少しだけ間を置いてから。

「初めまして、大黒寺神主兼巫女の打出振子と申します」

 と、一字一句に意思を込めてそう語りかけてきたのであった。

 寺の中、すでに何もかもが移動された本堂に二人は招かれていた。差しだされた座布団と、少しばかりのお茶、そして対面に正座する振子の鋭い眼差しが二人を射抜いている。
 振子の髪は肩に掛かるくらいのものであった。キッチリと切り揃えられたその姿からはある種の神聖さも感じられる。着物は完全な巫女服であり、それを不備に思わせないほど彼女の動きは全て滑らかであった。
 それがここまでの間、彼女の事を観察していた満月なりの感想であった。見るだけでわかる、打出振子は戦いを知っている人間だということ、それがわかっただけでも満月にはそれなりな情報になっていた。

「帝都政権の方々ですね。こんな辺境の廃村まで、一体何様でしょうか?」

 一字一句に意思が籠った発言は変わらずに、彼女の凛とした瞳が二人に問いかけてくる。一体何の用でここを訪れたのかということを、それに応えるようにメリーが初めに口を開く。

「打出振子殿、まずは私に付いて説明いたします。私は帝都政権外来特別調査隊特別諜報員という役職に就いています、渡来メリーと申します」
「外来特別調査隊ですか、聞いたことの無い役職ですね。それで、そちらのお方は?」

 そう言って振子は、隣に座っている満月を指差す。満月の方はと言うと、どう答えるべきか迷っているようで、仕方なしにとメリーが答えを出す。

「こちらは私の付き、型満月と言います」
「そうですか、見た目と違って色々と嗜んでいらっしゃるようですね」

 そう言葉を漏らす。すでに振子は満月が戦闘における術を持っている人間だということを見抜いているようであった。
 まだ出会って一刻も経っていないというのに、その観察力だけでもメリーは喉を鳴らすに至る。戦うことになれば間違いない強敵だということに対してだ。
 そして、振子の興味は満月の方に移り、身体を満月に向けると語りかけるように声を出す。

「満月さん、あなたが嗜んでいる物はなんでしょうか?」

 満月は目配りでメリーに話していいかを聞いてくる。武鬼拳術について知っている者は多くいないというのがメリーの考えであったが故に、メリーは肯定を示す頷きを返す。
 それに従って満月は武鬼拳術と答えると、振子は特に無表情のままにそうですかと短く纏めた。

 やはり史実に殆どその名前が載らない拳術であるが故か、知っている者もまばらなのだろうとメリーが予定調和な感想を心で漏らしたところ。

「先代の新月さんはお元気ですか?」

 そう言葉を繋げたので、メリーも満月も心底驚いた。メリーは純粋に武鬼拳術を知っているということに対して、満月はここに来て母親の名前を聞くとは思ってもいなかったことに対してである。

「母さんのこと知ってるの?」

 絞り出すような満月の質問に対して、振子は変わらない表情でただ一言だけ、昔お会いしたことがある程度ですとだけ答えるだけであり、それ以上を話してくれそうには無かった。
 やがて満月への質問は終わったと言わんばかりに身体の向きを変える。無論、その対面に居るのはメリーであり、ついに本題に入ると言ったところなのだろう。

「話が逸れてしまいましたね。それで、どう言ったご用件でこちらに参られたのでしょう。っとはいっても、少々予想は付いているのですが」

 そう振子は口元を手で隠しながら笑う。一つ一つが憮然としていて、その笑うという行為そのものにもなんだか不思議なものを感じさせる彼女、その彼女はすでに予想が付いていると口ずさみ、メリーからの言葉を待っていると言った感じであった。

 誤魔化すという選択肢は無いと踏んで、メリーはその口を開くに至った。

「私は十頭鬼具の回収を帝都政権から任されています。打出振子殿、そなたが所有している十頭鬼具の一つ、鈍鬼『鬘割』を帝都政権、いやこの日本という国の為に献上してはくれませんか」

 かなり切り込んだ話であることは十分に理解している。挨拶もそうそう、こうして本題を叩きつけるのはなんとも交渉術としては頼りないが、振子のような性格はこの決定を心地よく思ったらしく、その言葉に対して少しばかりの笑顔を持って。

「それは無理な相談ですね」

 拒絶の一言を打ち返す様に放った。
 間髪いれずにメリーが口を開く。さすがにこれだけ聞いて、はい、わかりましたと言う十頭鬼具の所有者などいるわけ無いと分かっていた。
 だからこその条件提示である。

「その通りでしょう。十頭鬼具の価値がどれほどのものか、そしてどれほど大事なものか私は理解しているつもりです。タダとは言いません、振子殿の望む物を帝都政権は用意する力があります」

「ふふっ、帝都政権というのは物で人を釣ろうとするのですね。そう言う噂は話に聞いていた幕府という態勢とあまり変わらないのですね」

 振子はそう煽る様に言葉を紡いだ後に、綺麗な姿勢のまま淡々と言葉を繋げていく。

「私が鈍鬼『鬘割』を物に目が眩んで渡すこともありませんし、ましてや善意でお渡しすることもありえません」

 そうきっぱりと言い切った後、視線を満月の方へと向ける。その視線に気づいた満月は、一瞬だけ身構えたが、すぐにそれをやんわりと拭い、その視線を真正面から受け止める。
 その視線の意味、その意味をメリーも理解していた。理解したからだろうか、振子は淡々と言葉を紡ぐ。

「武鬼拳術の継承者を連れているくらいなのです。交渉が決裂すれば、力を持って奪い取るつもりだったのでしょう?」

 メリーに語りかけた様な言葉であり、その言葉は見事に目論みという的の中心を射抜いていた。そう、つまりその通りなのである。帝都政権が後ろ盾にある以上、人を殺してもお咎めは無い、そしてメリーにはどんな事をしても十頭鬼具を集める義務がある。
 つまりは、拒否されればやることはただ一つ。

「振子殿、それは殺して奪い取れば良いという意味で問題無いのですね」

 殺してでも奪い取るという、単純明快な結論だけであった。


 今日はここまでで、残りは明日貼ります。

確かに刀語っぽい
ほんのり期待

 見てくれてる人がいるってわかると嬉しいです。
 ありがとうございます。

 それでは続きを貼っていきます。

 勝負事には決まりと順序があると言うのは打出振子の発言である。満月としてはすぐに戦えれば良かった話なのであるが、そうは問屋が降ろさないと言う感じに対決は翌々日の正午と言うことになった。
 廃村となった大黒村で二夜を明かすことになると思っていたが、そこは振子の計らいにより大黒寺の一室を借りることができた。本当に大黒村と大黒寺とでは、その環境は劇的に違うもので、ここには人が住めるという確証があった。

「布団もちゃんとありますね」
「すごいね、村と大違い」

 宛がわれた部屋に入っての開口一番はそれであり、それからしばらくして自由に行動しようと言った感じに、メリーは部屋を後にした。
 メリーの向かった先は本堂であった。座布団などは片づけられており、静まり返ったその姿は何処か不気味ささえも感じられる。
 本来、本堂と言うのは仏を祭る場所だと言うのに、なぜにこんなにも薄気味悪く感じるのか、それが少しばかり不思議でならないメリーであったが、それが仏などを何も祭っていない本堂ということから起因しているのは間違いなかった。
 これほど大きな本堂に、何も置かれていないという状況が、ある種の異常であるということは、大抵の人間から見ればわかることだったのだ。
 そんな雰囲気に首を傾げていたからだろう。

「ここに来ても、仏様から解釈はもらえませんよ」
「振子殿、脅かさないでください」

 突然現れた振子にメリーは驚きの声を上げた。

「ふふっ、これは失礼しました。部屋の方は快適でしたでしょうか?」
「十分すぎるほどです」
「そうですか、それはよかったです」

 そう安堵の息を漏らす彼女、先にこの本堂で殺し合う話をしたとは思えないほどに、彼女は初めて会った印象のままにそこにいた。だからこそ、もしかして私を殺しに来たのではないだろうかと、メリーは考える。
 つまり、二日後に闘おうと言った事や、部屋を用意すると言うのはそう言った警戒心を薄めて、一人になったところを殺すためなのではと考えた。
 考えて、この状況は極めて危ないのではないかと言う結論に至った所で。

「そんな怖い顔をしないでください、別に殺してしまおうなんて考えていませんから」

 心の内を見透かす様に、彼女は言葉を連ねたのであった。すでに考えていることを見抜いていると言わんばかりに、見透かしたような瞳がメリーを射抜く。
 それは薄気味悪さを通り越して、警戒心を呼び起こしかねないほどのものであり、自然とメリーの身体に力が入った。

「いえいえ、本当に殺す気なんてありません。それに殺すのでしたら、このお寺に足を踏み入れた時にでも殺しています」

 そうやんわり変化しない表情のままに彼女は言葉を紡ぐと、そのままメリーの前に腰を下ろす。
 良く見れば、その手には座布団が二つ持たれており、一つを自身に、もう一つを対面に置く。どうやらメリーに話でもあるようで、その表情から全てを読み調べはできない物の、命を取られると言った事態になることはなさそうだと安堵して腰を下ろした。
 お尻に感じる座布団の感触に少しだけ好感を持ちつつ、こうして話すに至った経緯を訪ねる。今さっきの話の通り、満月と振子の戦いは避けられないだろう。今さら一体何を話し合うのかと、少し思案していると、先に口を開いたのは振子の方であった。

「どうです?」
「どうですといいますと?」
「この大黒寺の事です」

 そう言って振子は細い目で天井を見上げて、感慨にふける様に呟いている。

「すでに大黒村が廃村になって十数年、未だにここに存在している大黒寺は、今日初めて来たメリーさんにどう映っているんでしょうか?」
「質問の意図があまり理解できませんが、立派な建物と言う感想くらいしか抱けません。私は神様など信じていませんので」

 そうきっぱりメリーは答えると、同じように天井を見上げる。さすがに天井にはその放棄された名残であろう蜘蛛の巣が所々にあり、表面上の印象と比べれば、やはり忘れ去られた寺であるという印象を強くしてくる。
 そんな中で振子は一度だけ息を吸い、それを吐きだしたところで口を開く。

「私がここに残っている理由、メリーさんはどう考えます?」

 零す様に二つ目の質問がメリーに浴びせられる。すでにこの寺に祭るべき神はいないのに、この地に残る神主兼巫女の打出振子、その理由を知りあって間もないメリーに聞いたところで応えなど出るはずもないことは、彼女自身承知しているのに、あえてそのような質問を投げかける。
 メリーとしてはその質問の答えとなりそうなものを考えてみたりするものの、結局は答えになるはずもないと理解して、諦めたように呟く。

「振子殿、私は振子殿ではありません。だから、そなたがどうしてここに残ったかということを考えられるわけも無いのです」
「憶測で物を言うのは嫌いですか?」
「いや、私は場所に残ると言うことに関して、何かを言える人間ではないということです。私にとって場所というのは、ただの場所なのですから」

 その言葉に振子は一瞬だけ眉を動かして、やがて先と同じような表情に戻るとその考えに賛同するように小さく頷いた。

「場所でしかないですか、その考え私も賛成です。そう、ここはただの場所でしかないんです、だからこの大黒寺を守ることが私のここにいる理由ではないんです」

 そう言葉を零す様に呟くと振子は少しだけ思い返す様に目を閉じる。
 その瞑想が終わるまでの間、メリーはしばらく寺の本堂を見回す様に眺めたのだった。

「すでに廃村となった大黒村か」

 森の中から確認するようにその男は呟いた。
細くありながら引き締まった筋肉、短く切りそろえられた頭髪と、その顔に刻みこまれた雷を模した刺青が印象的なその人物は、ただ真っ暗になった大黒村の入り口を、その鋭い目で見据えていた。
 すでに夜になったこの時間、襲撃を仕掛けるには持って来いと言ったところであるが、それを行うにはこの辺りの情報を知らなすぎることが、その襲撃を行うことをためらわせている。
 襲撃、正確には暗殺と言っても過言ではないのは、彼が黒子人柱一柱『遠雷』と呼ばれているからである。

「いくら朽ち果てた寺の神主兼巫女であろうとも、その正体は武士。確実に仕留められる保証がない以上、すぐには動けん」

 暗がりの中、彼はそう呟くと共に大黒村を囲う森を回る様にして調べるが、ここからでも感じる人気の無さから、ここに誰もいないものだと理解する。人以外の気配は数多くあったことから、すでに野生動物の寝床と化していることは間違いなかった。人がいなくなった廃村、そこの管理に関して、標的である打出振子は全く気にしていないのだ。だからこそ、昼間メリーと満月が来た際に手がつけられた痕跡を見つけることが出来なかったのである

「となると、やはり明るいあの建物こそが本命か」

 そうして遠雷は視線を移すと、そこには仄かに灯る明りの姿が見える。どうやら移動している所を見ると、蝋燭か何かの類であろう。
 自身の目の良さに関して、遠雷は自信を持っている。もう少し近づけばわかるだろうと寺へと身体を近づけて、その蝋燭を持っている人物を確認する。

「む、あれは外来人か?」

 視線の先に見えたのは白い寝間着と思われる物に身を包んだ、金色の髪とやたらと高い背が特徴的な女性、つまり渡来メリーであった。
 しかし遠雷はそれをさほど気にしている様子はなかった。理由としては黒子人柱一柱と言え、渡来メリーに直接接触したことのある人物は鈕、そして巨男以外いないという点故であった。
 そして、打出振子は生粋の日本人であるというのは、この大黒村の文献を漁ればすぐにわかることであったが故に、その視線は渡来メリーの後ろを歩く小さな影に向けられる。
 渡来メリーに比べて頭二つ分ほど小さい、少女と呼んで問題の無い姿は、まさしく型満月のものであった。

「ふむ、あれが打出振子であろうか?」

 遠雷は考えるように呟くと、その少女を観察する。見たところの感想は無邪気な少女と言ったところだ。見た目ではそろそろ何処かへと嫁ぐかもしれない年齢だろうことを考える。

 するとどうだろうか。遠雷の持っている打出振子の情報と全く噛み合わないことが分かる。話によると打出振子は二十代後半だという、そう考えると今見えている娘の見た目と雰囲気はあまりにも合致しない。
 目標ではない事に気づくと遠雷はすぐさま場所を移動し、同時にその寺の中をよく観察する。
 特に変わったところは無いその境内の中、広々としていて遮蔽物など殆ど無いそれは、まさに遠雷にとって得意とする環境と思われる。
 そんな境内を眺めながら、本堂の裏に位置する小さな小屋の辺りになって、もう一つの人影を見る。
 月を眺めるようにして、一人座っているその姿を見かけて目を凝らすのに時間は掛からなかった。
 巫女服にどこか表情の変わらない凛々しい顔立ち。全く関係の無い話であるが、耐性の無い若い忍者では、すぐに魅了されていたのではないかと言うほどの美人であった。
 その美人を目にして遠雷は目を細める。

「あれが打出振子か、知っている情報と一致することから間違いはないだろう」

 標的となる女性を見つけ、遠雷は一つ事が進んだことを確信する。見たところ、何か武装をしているようには見えないものの、まだ準備が全て終わっているわけではない。

「しかし、ここの立地条件は使えるな」

 そしてそう呟く、この場所は殆ど森から丸見えであったのだ。今、振子が座っている広間は大きく開け戸が一つも無い構造で、その近くにある小屋も角度さえ変えてしまえば、中が見えると言う優れ物であった。確かに、この距離からその内部を把握はできない、しかしそこに隠れてしまっては最後、遠雷の勝利はもはや確信的に揺るがないものになる。

「運が悪かったと諦めてもらうしかあるまい。これも我らが黒子人柱のため」

 一言言葉を残して、遠雷はすぐにその場から姿を消した。
 やがて森の中に静寂さが漂い始めると、座る振子はただ一人月を見上げながらに今日の終わりを感じるのであった。

 キレのいい音が境内に響いたのは丁度朝が始まってすぐのことであった。白い砂利の中、腕の筋肉が引き締まるのを感じつつ、朝一番の鍛錬を行う型満月はその類まれない戦闘技術に、さらなる箔を付けるように身体を動かし続ける。
 欠月、円月、繊月、朧、そして一夜落月、他様々な技。それぞれの技を何もない空間に向けて繰り出しては、その速度と強さがどれほどのものかを感じ取る。
 各種技に足りない物は永遠に足りない物であるから、それを補うために色々と考え抜くのもまた修行の醍醐味だと満月は思っている。

「う~ん。やっぱり一夜落月は、使い勝手悪いのかなぁ」

 自身で編みだした一夜落月ではあるものの、満月はその超が付くほどに使用が限定されていることに、少しばかりの不満を持っていた。

「ある意味、あのおっさん用の技だもんなぁ」

 一言愚痴ると、満月は近くに置いてある木の板を壁に二十六枚立て掛ける。すでに朝一番に振子に了承を得ているので問題無く、その練習を開始する。
 手の腰に下げた袋の中から取り出したのは石ころであり、その数は二十六個。つまり、連続投擲技の二十六夜の練習である。

 始まる二十六夜の鍛錬。
 投げられた石は綺麗に板を二十六枚打ち抜き、その結果に対して満月は満足と言った感じに頷いた。

「やっぱり、今回もこれで勝負決めようかな?」

 打出振子の事を考えて満月はそう言葉を漏らした。あの華奢な体ではこの投石が一つでも急所に当たればそれで終わりだろうと、巨男は戦値移動を持っていたからこそ、耐えられただけであり、いくら鍛えていようとも普通の人間である打出振子がこれを喰らってただで済むわけはないのである。

「うん、やっぱりこれで」
「朝から精が出ますね」

 そう決定しようとしたところで、後ろから掛けられた声に満月は振り返る。そこには今起きた所と言った感じに、少しばかり着崩した寝間着姿のメリーがいた。胸元が少しばかり見えるその格好ではあるものの、周りに人の目が殆ど無いと思っているらしく、どこか警戒心が無いようであった。
 無論、その姿にたいしてだらし無いとか、そういう注意をする満月ではないので、そのまま朝の挨拶を返すと、対戦相手である振子について質問を投げかける。

「メ姉、打出の事何かわかった?」
「その質問に関しては、不思議な女性としか言葉を返せません。昨日少し話をしましたが、それと言った情報はなにも」
「そっか。でも、武士なんだよね?」

 満月の質問に対してメリーは頷きを返して、その振子の武士に関する意味の説明を開始する。

 打出振子は、その昔から存在している打出一族の末裔であり、その史実は幕府滅亡の頃にまで遡るらしく、それなりの長い歴史を持った一族だということ、そして打出術と呼ばれる独自の戦闘技術を持っているという事、そして打出一族の者が打出振子以外、もう存命していないということを説明すると、満月はその中で気になったことに関して口を開く。

「打出術って、どんな武術なんだろ?」

 満月が使う拳術が武鬼であるように、振子はその打出術というのを使って戦いを挑んでくるのだろう事は間違いなかった。
 しかし、その打出術に関して何の情報も無いのが今の状態である。メリーの方も、打出術に関しての情報は名前くらいしか手に入れていないほどで、その内容に関しては靄が掛かったように不透明なままなのである。

「どちらにせよ、満月の武鬼拳術に関して向こうもそれほどの情報を持っていないでしょうから、ある意味互角と言えるのではないでしょうか?」

「う~ん、なんか知ることができれば色々と対策もできるんだけどなぁ」

 常日頃から楽にできたらと考えているだけあって、何の情報も無いことに満月は溜息を漏らすことしかしなかった。
 そんな満月の様子を見ながらに、メリーは一度大きな欠伸をした後に部屋の中へと戻っていく。今日は特にやることも無い彼女にとっては、今は休息の時間とも言えるのである。
 そんなメリーの事を気にすることも無く、満月は再び形を取って稽古を再開した所でふと思い出すことがあった。

「そう言えば、打出は母さんの事知ってるんだった」

 それと同時に胸に感じる痛みがあった。実はここに至るまでの間に、満月はある懸念事項を抱えていた。

「やっぱり胸の先が服に当たって痛い」

 それは布が胸に擦れて時々痛いという、年相応の男が聞けば少しだけ顔を赤らめそうな懸案であった。

 その部屋は思った以上に質素な部屋であった。特に置物もなく、化粧台も無く、畳まれた布団と最低限あれば良いという配慮から置かれた机だけがあるそんな部屋であった。

「それで私を探していたというわけですね。ふふっ、女性で武術を嗜んでいる割に、そう言った事を知らないのですね」

 本堂に上がってキョロキョロと回りを見回している満月を見つけ、自室に招いた振子の開口一番はそれであった。
 目の前には上半身をさらけ出した満月がいて、その胸は確かに少し赤らんでいるようにも見えると、これは痛そうですと呟きながら、すでに用意していた布を手にその胸を隠す様に身体に巻きつけていく。
 所謂さらしと言う奴であり、満月は幽閉林に住んでいた頃身体を隠すくらいの服を着こんでいたため、胸が擦り切れるということがなかったので、気にしていなかったのである。

「なんか、変な感じ」
「初めてさらしを巻くのですから当然ですよ。誰しも初めての事にはそんな感想を抱くものです」

 そう振子は言葉を漏らすと、さらしを巻き終えて一息漏らす。
 目の前には巻かれたさらしを興味深く眺めている満月がおり、その効能を試す様に少しばかり体を動かし始める。部屋の中を細かな振動が伝わると同時に、自身の胸が服に当たって痛くなるということも無くなり、これはとてもいいものだとその顔が訴えていた。

「ありがと!」
「いえいえ、それでどうして私を探してらしたのですか? まさか胸が痛いからという理由ではないでしょう?」

 そして矢継ぎ早に振子はそう言葉を漏らした。図星だったという様に満月は間髪いれずに質問を投げかけた。それは今さっき思い出した事に関する質問でもあった。

「えっと、打出振子」
「打出でよろしいですよ。私がいないところでは打出と言っていたではないですか」

 そう言われて、どこかで見られていたのと思うと少しだけ罰が悪そうな顔をして、満月は言い直す。

「じゃあ打出。母さんの事を知ってるのはどうしてさ」
「ああ、型新月さんの事ですね」

 誤魔化すことも無く振子は知っていることを肯定すると、近くにある桶から水を取り出してそれを小さな入れ物に入れると飲み干し、同じように汲んだ物を満月に手渡した。
 朝から動いてばかりであったから、体に染み渡る水の感触に安堵の息を漏らした姿を確認したところで、振子は口をのんびりと開いた。

「満月さんは本当に新月さんの娘さんなのですか?」
「ん、そうだけど?」

 特に想うことも無く、満月は答える。

「そうですか、私と新月さん…、いえ、正確には先代の打出と新月さんの間に交流があった様で、まだ大黒村に人がいた頃、私は新月さんに良く遊んで頂きました」

 振子は昔を懐かしむようにそう言葉を綴る。
 どうやら型新月と打出一族には交流の歴史があった様であり、振子の思い出した顔を見る限り、悪い交流ではなかったように思える。

「新月さんは私にも優しくしてくださいましたので、武鬼拳術に関してその多くを知っていると言っていいでしょう」

 そこでいきなり、私は武鬼拳術について多くを知っていると答え、それに満月は頬を膨らませると言う子供染みた反応をした。

「それずるい」

 すでに敵の情報と言う意味では振子のほうが上であるということに、若干納得できない節を感じて、満月はそう言葉を漏らしたが、振子としてはそれがなんとも言えない感じなのだろう、言葉を紡ぐ。

「だから少し困っているのです。先の朝稽古を見る限り、満月さんは武鬼拳術ではありますが、武鬼拳術ではない形を取っているので」
「どういうこと?」

 そう質問したところで、振子も自身が語った言葉の意味を美味く呑み込めていないようで、良くわかりませんが何か違和感があるのですとだけ答えた。
 そして話を要約すると、振子は新月から武鬼拳術を教わっていたという結果が分かり、満月は悩み始める。

「これ勝てるのか、わかんない」
「どうしてです、戦いはやってみなければわかりませんよ?」

 そう正論を振子は言ってくるが、色々と話は別なのである。

「だって、打出は自身の術と武鬼拳術が使えるわけじゃん」

 そう、それが満月の勝てないと思った理由である。向こうは武鬼拳術を新月から直々に教わっているのである。それはつまり、武鬼拳術の基本を殆ど知り尽くしているということであり、そんな相手にこちらの手が全て知られている状態では勝てる見込みも無いのだ。
 だから、正直この勝負勝てる気がしないと意気消沈していたわけだけれど、それを聞いてか、振子は思わず噴き出していた。
 いきなりの笑い声に満月は驚いたが、やがて馬鹿にされてる気がして口を尖らせた。

「すみません、まさかそんなことを気にされるとは思いませんでした故、安心してください。わたしは武鬼拳術を使えません」

 そうきっぱりと彼女は宣言して、満月は新月の名前を出して聞いてみる。満月の中で新月は武鬼拳術の長だったわけであるから、その新月から直々に教わっているのにそれは無いだろうと言いたいのであるが、振子はそれも受け流す様にして答える。

「たしかに私は武鬼拳術の技の形を多く知っていますが、武鬼拳術を使えません。正確には使いこなせなかったのです。残念ですけど、私のこの手刀には人を叩く力はあっても、人を殺す力はありませんから」

 彼女は残念そうにそう答えると、顔を上げて満月を見つめる。
 その視線に対して満月は睨み返す様にして強い視線を向けると、振子はただただ何も言うことは無く、一言だけまとめるようにして呟いた。

「どうであれ、満月さんは鈍鬼『鬘割』を諦める気はないのでしょう?」
「メ姉が望んでからね。あたしはメ姉の家族で相棒なんだから」

 そう軽く言葉にして満月は戦闘をすることになればすると答え、それに対して振子はそうですかと短く口ずさみ、明日の戦い楽しみに待っていますねと言葉を漏らしたのだった。
 それは本当にその戦いを心待ちにしているようで、まるで明日どこかに出かける予定がある子供のように、何処か無邪気な微笑みであった。

「満月、それはどうしたのですか?」

 夕刻を過ぎ、周りが暗闇に静まり返った頃、メリーは上の演武服を脱ぎ部屋で寛いでいる満月を目にして言葉を漏らした。
 その瞳の先にあるのは、昼間に振子が満月に巻いてあげたさらしがあり、その見た目的な変化に彼女は驚いているということである。
 その言葉に満月は昼間あった事を事細かに説明し、同時にこっちの手のほとんどが知られているかもしれないということを話した。
 ここに来て、思った以上にメリーは手痛い顔をしていた。その情報は少々予想外であったのだ。

「こっちの手が殆ど分かっているというのは、あまり面白くない話です」
「打出は母さんに会った事があるし、直々に稽古だって教わったって言ってた」

 昼間の会話で振子は武鬼拳術を使わないと言っていたが、それが実際の戦いになって使われないという保証にはならない、懐に潜り込むのにだって躊躇するだろう。
 だからこうしてメリーに判断を仰ぐように語ったわけだが、メリーの方としては振子の言葉が真実であるかそうでないかを見極める術など無いので、実戦の最中に見極めるしかないという考えに至る。

 しかし、もう一つ大きな問題がある。

「ということは、満月は振子の自室に入れてもらえたということですか?」

 その質問に満月は頷きを返すと、何か変わったものは置いて無かったか聞かれて、殆ど何も置かれていない質素な部屋だった事を聞いてメリーは首を垂れた。
今日一日中、特にやることのないはずないのに、実を言えばメリーはこの寺の中を大いに徘徊していたのである。本堂、裏にある振子の自室前の大きな広間、そしてその近くにある小屋、石の裏から反対側の物置に至るまで、その全てを細かく探っていたのである。
何故かと言われれば、それは鈍鬼『鬘割』を探していたからである。

「ここに来た理由は鈍鬼『鬘割』収集の為ですが、私たちはまだその姿を確認していません。ですから、今日一日、それを探しまわっていたんです」

 その声からは疲労と徒労だけが伝わっており、思った以上に成果が無かったのだと満月は察する。まさに骨折り損と言ったところであろうが、満月はふと脱法刃と言う言葉を思い出す。
 武器とは思われない形をした刃が脱法刃であるから、メリーが見落としたと考えたわけで、多分それが正しいと感じた。

「まぁ、私に物を見る才能と言うのがあるかどうかは分かりませんが、物が置いてあったのは小さな小屋と物置だけですね」

 今日の成果といわんばかりに、メリーは見て回った場所の説明をしていく。まずは物置であるが、まさに物置と言った感じで使われなくなった農具や、家財道具などがまばらに置かれているだけで特にこれと言った物は置いていなかった。

「鈍鬼って言うくらいだから、農具の槌とかなのかな」
「そう思って色々と見てみましたけど、ただの農具でしたから物置は早々に切り上げて、振子の部屋前にある小屋に行ってみました」

 振子の部屋の前に小屋は入口が無い良くわからない構造になっていた。馬小屋とかそういう感じの場所で、雨や風などにも無防備な構造と言っても過言ではなかったのだ。
 そして肝心の中はと言うと、多くの物が乱雑に置かれているだけであった。本当に無造作に置かれており、大事にされていると言った雰囲気は全くなかった。

「だから調べるのは意味が無いだろうと切り上げました」
「絶対そこにあると思う」

 だからこそ、満月はそう指摘するように即座に呟いたのであった。

 時を同じくして、振子は広間で昨日と同じように月を眺めていた。
 特にお酒を飲むと言った趣味も無く、ただただ時間が過ぎるのを待つように月を眺めるのが彼女の日課である。
 何時もここで彼女が思うことは、ここにいるための理由であった。
 理由、理由と言うのは大事だと振子は思う。理由の無い行動には何も存在しないからだと言うよりも、理由が無いならなぜ行動しようと思うのかという根本的な問題に直面してしまうからだ。
 彼女、打出振子はこの大黒寺を離れようとはしない。その理由がどうであれ、彼女は変人と言う印象を向けられることになるが、問題はそこではなかった。

「何か理由を作れれば、ここにいることも楽になると思っていましたけど」

 久々に表れた二人の客人、渡来メリーと型満月。二人は明確な理由を持って旅をして、明確な理由を持って鈍鬼『鬘割』を欲している。その理由、行動理念が振子にはとても眩しい物に映った。

「私にも、それ相応の理由があれば楽になれると思いましたが」

 昨日メリーに聞いた私がここに残っている理由、彼女は振子ではないからわからないと答えた。誠に正しいことだった。

「私がここに留まる理由なんて、無いに等しいものなのかもしれませんね」

 そう自身の決めたことに笑う様に表情を崩すと、その目線を月から森の方へと移動させる。森は今でも静かなままだ、彼女が月を眺め始めた時と何も変わっていない。その森を見据えながらに、振子は両足に力を込めると立ち上がり、縁側まで足を進めると静かに言葉を落とした。

「いい加減、姿を見せてもいいのではないですか?」

 その言葉に、森に隠れていたその男。黒子人柱一柱遠雷は息を呑み、その手に構えていた弓に掛けた矢を即座に発射した。
 森の中、黒く塗られた矢は飛び出すと同時に木の葉に当たること無く森を飛び出し、振子の心臓めがけて飛翔する。この暗闇の中、そうそう避けることができないそれを、振子は体を逸らすことで避ける。
 いや、避けられないと言うのは普通の人間での話である。今ここにいる彼女は鈍鬼『鬘割』の所有者であると同時に打出一族の最後の一人、その打出術を継承している人物なのだから。
 足元に刺さった矢を見据えながら、その矢が飛んできたとみられる森へと目を向ける。木々は静かなままである。

「なるほど、弓ですか。見えないところから攻撃なんて、卑怯だとは思いませんか?」
「生憎、それが我の専売特許なのでな」

 姿は現さずとも、声だけは聞こえると言う感じに遠雷は語りかけていた。まずは一発目の矢を避けた事を褒めてやると言った感じで、これはその褒美と言う感じに自身を名乗り始める。それはまさに姿の見えない相手からの殺害予告に他ならなかった。

「我は黒子人柱一柱遠雷。貴様が打出振子で間違いないか」

「私は確かに打出振子です。こんな夜分に一体どういったご用件でしょうか?」

 しかし振子はとても落ち着いている。今、自身に向けて矢が引かれているというのに、その顔は凛々しい姿そのものであり、そこに恐怖や強がりなどの色は無かった。そう、そこにはただの打出振子がいるだけである。

「用件というのは単純なこと。貴様の所有する十頭鬼具、鈍鬼『鬘割』を貰い受けにきた」
「ふふふ、今さらになって十頭鬼具を欲しがる方が二人もいらっしゃるなんて、世の中わからないものですね」

 そう口元を袖で隠しながら振子は笑うと、その足に少しばかりの力を込める。どちらにでも飛べるように体重の移動に気を配る様にして、だけど目線は森に向けたままに行う。傍から見れば動けないのは振子のように見えるが、それは遠雷も同じであった。
 振子が遠雷の居る位置を完全に見抜いているわけではないはずなのに、彼女の眼はその居る場所を一点にだけ絞って見据えているのである。
 打出振子がどんな手を持っているのか、遠雷はその情報が無い。元々暗殺にだけ特化した自身の技術であるが故、今さっきの一矢で終わらせられると自負していただけに、こうして相手に見破られた挙句見据えられるなど、修行時代に戻ったかのような心持だった。

 だから遠雷は考える、交渉と言う奴である。それに、もう一つ気になった事があったからでもある。
 それは二人という言葉であった。つまり最近、ここに十頭鬼具を求めて立ち寄った、もしくは今もここにいる誰かがいたということだろう。
 まず頭を過ったのは、ほかの黒子人柱達であるが、ここに来る事を他の誰かに言った事はないし、さすがに見かけることはあるだろうがそれが無いということは、ここに自分以外の黒子人柱は来ていないのだろうと考える。
 だから必然的に考えられるのは、昨日の夜分に確認した外来人と娘の二人組の事であった。

「ならば、戦わずして事を収めると言うのはどうだ?」

 遠雷の言葉はそれから始まった。無血による物事の解決という綺麗事であるが、まずは綺麗な提案から始めると言うのも、中々に魅力的なことである。

「戦わずして、ですか?」

 その言葉に内心ほくそ笑んでいる振子が答える。

「そうだ、貴様が所有する鈍鬼『鬘割』、それを我に譲るのだ。無論無償とは言わん」
「ふふふ、あはははは」

 どこかで聞いた会話だと振子は笑う。その突拍子もない笑いに、遠雷はすでに察したのだった。

 この会話、いや交渉による鈍鬼『鬘割』の入手はすでに先人が行っていたという事、そして、この打出振子は素直に譲渡するような人間ではないということを。
 それを証明するように、彼女の口は昨日を思い出す様に言葉を紡ぐ。

「帝都政権から来た人と同じことを言うんですね。同じことを言われました、本当に人と言うのは物で釣るのが大好きなんですね」
「ほほぅ、まさか帝都政権の使いが来ていたとはな」
「ええ、御名前は渡来メリーさんと言っておりましたでしょうか」

 その名前に遠雷は二回目の吃驚を体験することになる。一度目の吃驚は攻撃を避けられたことであったが、二回目の渡来メリーという名前を聞くのは、さらに大きな驚きであった。

「ほう、あの外来人が渡来メリーであったか、これはもう一つ良い土産を持って帰れそうだ」

 その顔はまさに一つの石で二羽の鳥を落とす、一石二鳥を目の当たりにしたような顔であった。黒子人柱の物なら名を知らない者はいない渡来メリーの首と、鈍鬼『鬘割』を持って帰れるというのは、とても素晴らしく出来過ぎた事であるからだ。

「なんですか、お知合いなのですか?」
「直接の面識は無い。無いが、あの女には少々手を焼いていてな。それに、我らが一柱の一人について奴は知っているはずだ」

 それは一月前から姿を見ない黒子人柱一柱・巨男の事を差している。彼は知らないのである、巨男は既に渡来メリーの協力者、型満月に敗れこの世に居ないことを。

「そうですか、ならメリーさんの首を取って来てはどうですか?」

 私は特に邪魔はしませんよと、興味無さそうに呟く振子に対して、遠雷はその弓を引いた力を抜こうとはしない。勘違いしないでもらいたいのは、彼の本来の目的は鈍鬼の回収であるのだ。それに渡来メリー自体に戦闘力は無いに等しいので、殺そうと思えば何時でも殺せる、そう考えていたからだ。

「それは後回しだ。まずは貴様から鈍鬼『鬘割』を回収することにする」
「あらあら、物で私は釣られませんよ?」

 澄んだ顔で振子はそう答え――

 遠雷の問いかけが静寂を破り、それは突然起こった。
 問いかけとほぼ同時に放たれた矢、それが達するよりも先に振子は地を蹴る。地を隠す様に敷かれた白砂と白石が舞うと、遠雷を翻弄するように庭の中を縦横無尽に駆け巡る。
 遠雷の方もそれを捉えんとするように、弓に高速とも言っていい速度で矢を掛けては放つ作業を繰り返す。
 放たれた矢はどれも的確に、振子の移動先を予想し放たれる。
 まるで誘導装置でもつけられているかのような正確な動きで振子に迫るも、足を狙えば足が上がり、体を狙えば体を捻り、首を狙えば背を下げ、まるで矢に対してどうぞお通りくださいというように、その全てが振子の背景である地面へと突き刺さっていく。
 しかし、これは小手調べであるというのが遠雷の感想である。ここからが本番と言う様に、彼は背負った小さな箱から再び新しい矢を取り出す。それもとても速いもので、同時にその箱から出てきた矢は今まで放っていた矢とは違う何かがあった。
 弓に掛けられたその矢の数、合計で三本。それが瞬時に三方向に向かって放たれる。それらは違う速度で射出される。左右に飛んだ二本の速度は見えるかもわからないほどに早い。それらは振子よりも後ろ側、左右にある木にそれぞれ刺さる。そして遅れてやってきたもう一本はそのまま、振子の胴体目がけて飛んでいく。

 だが、それは振子の移動先を予想して放ったにしては、あまりにも的外れであった。すでに矢の向かう先にあるのは振子の背中、しかもぎりぎりの地点であり、このまま背中を掠め飛んでいくだけの矢であることは間違いなかった。
 当たるはずの無い矢、それが振子の真横を通過しようとしたところで、彼女はその場で高く跳躍をする。高さにして彼女の胸上ほどの位置、高い跳躍力を見せつけながら、彼女が跳躍した意味をその矢が証明した。
 一瞬の出来事であった、矢が通り抜けるのと同時に光る一瞬の光、まるで雷の閃光のようにさえ感じる光である。
 後ろに飛んで行った矢は、ある一定まで進んだ後に何故か後ろへと引っ張られるようにして戻り、そのまま空中に浮かんで止まる。その一部始終を見終えた振子は興味深いと言った感じに遠雷に語りかける。

「面白い攻撃ですね」
「『雷閃』を避けるとはな」

 そこにあった三つの矢には、一瞬見ただけでは分からない細く美しい糸が存在していた。
 それは左右の木に刺さった矢の尻にある小さな輪で結ばれ、中心の浮かんでいる矢はそれに通されていた。左右に刺さった矢を軸とし、その場所を高速で矢が駆け抜ける。その際にこの糸が通過することによって、相手の胴体を切断する技、それが『雷閃』である。

 そして、すでに遠雷は第二の雷閃を準備に入っている。前もっての調査で地形をほとんど把握している彼にとっては、どこに矢を打ち込めば雷閃の条件が整うか調査済みであることも、その手際の良い作業実現させていた。

「何時まで避けられるか、試してみるのだな」

 その言葉と共に、仕掛けのされていない矢が放たれる。まさに退路を閉ざす様に放たれたそれを、振子は再び避け始めると同時に雷閃用の仕掛け矢の姿を確認するように矢の一つ一つに気を配る。
 二つ目の雷閃が仕掛けられたことを確認する。まるで雷の如く飛んでくる矢の中に混じって、飛んでくるその特殊な矢を見抜くと、その軌道に合わせて背面跳びでそれを避け切ると同時に、再び駆け出す。
 それこそ、遠雷の狙いであることは間違いなかった。
 彼女の目指す場所、それは近くに立っている小さな小屋。朝方、遠雷はその中を少しばかり遠目から確認していたが、中にあるのはガラクタばかりであり、自身の放つ矢をどうにか出来る物があるようには思えなかった。そして、もしそこに鈍鬼『鬘割』があろうとも、近距離武器では自身を討つことなどできない。

「まさに袋のネズミだな」

 安定した動きで避け続ける振子が小屋の前を通ろうとしたところで。小屋を越えた辺りの空間に矢をまんべんなく打ち込むと、彼女はそのまま小屋の中へと転がり込むように入り込むと、その暗がりへと姿を消した。
 それを見計らったように三発目の雷閃が放たれる。と言っても、放たれたのは軸となる二本の矢であり、それは小屋の入口の左右の柱に一本ずつ刺さる形で止まり、最後に残った一本は、弓に掛けられたまま残っていた。
 ギリギリまで絞られた糸の殺傷能力は、他の黒子人柱達からも折り紙つきの威力である。

「最後通告だ。おとなしく鬘割を渡せ。すれば命だけは助けてやろう」

 遠雷の冷たい言葉が小屋の中に逃げ込んだ振子の耳に入るが、彼女は特に気にすることなく、むしろそうですかという感じに言葉を返した。

「そうですか」

 遠雷に命を狙われていると言っても過言ではない状況だというのに、姿の見えない振子の態度は何も変わることはなかった。
 だかこそ、遠雷は躊躇することなくその弓に掛けた手を動かすことを自然と行った。死にたがりに掛ける言葉はないという意味を体現するように。

「そうか」

 その言葉と同時に矢が放たれる。
 まだ雷閃を放ってはいない。

 まずはハチの巣にするほどの量の矢をまんべんなく打ち込む、それは振子に回避運動を行わせないための布石であり、案の定、振子が跳躍すれば当たる場所、小屋から出ようと一歩出たところへと矢は押し寄せる。
 そして最後に残った空間、そこに終わりと言わんばかりに雷閃の最後の一矢を打ち込む。
 すでに振子の退路は完全に断たれた状態での雷閃の一撃、もうどうにか出来る術など遠雷が知りうる術は存在しなかった。
 そう、存在しないのである。
 彼の中では。
 こうして任務を終えて、鬘割を回収するという後の作業が待っているだけのはずであった。
 そうはずだったのだ。




「やっと見つけました」

 その声は遠雷の耳にすかさず入ってきた。
 雷閃を放った瞬間とほぼ同時にその聞こえてきた声に、遠雷は目を凝らして小屋を見る。
 小屋に大挙して押し寄せる矢と、一つの雷閃。
 矢は元々退路を塞ぐための物であり、そのほとんどが振子を捉えない。だから本命の雷閃が振子を狙っているのである。
 その雷閃として放たれた矢は鉄製である。そう簡単に折れることも無いそれを受け流しても、取り付けた糸が確実に相手の命を奪う。掴むことなど到底の人間ではできるわけも無い。
 暗がりに向かって直進する雷閃の矢。それはそのまま暗がりの中へと入り込んだところで。
 重々しい何かが、何かを殴ったような音が聞こえたと同時に遠雷の胸に違和感が走る。
 何が起きたのか、それも分からないままに視線を下に向けると、そこには黒々と光る何かがあった。

「な、なぜ」

 混乱している遠雷は自身の腹に刺さっているそれに対して、目を見開き答えていた。そんなことありえないあるわけがないと訴えかけたが、それは消えることなく腹に刺さったままである。

「これもお返ししますね」

 その言葉からわずかな時間、次に首、そして額に衝撃が走り、遠雷は一体何が起きたのかを理解する間もなく息を引き取り、その死体は木の上から真っ逆さまに地上へと落ち、生々しい音を響かせた後に周辺は静かになった。
 遠雷だったそれには三本の矢が刺さり、それが雷閃の矢であること彼が認めることはなかった。

「これは一体何があったのでしょう?」

 遠雷が天に召されてからわずかな時間を経て、メリーと満月は振子の部屋がある庭先を訪れ、その光景に思わず唖然としていた。
 まるで合戦跡地のように矢が雨のように刺さった謎の光景があり、その中心で立ち尽くしている振子の姿があった。

「振子殿、これは一体?」
「ああ、メリーさんですか。色々ありまして」

 色々ありましてと言うには、色々ありすぎたんじゃないかと言うその光景に更なる追求をしようと言うところで、メリーはその手に握られた物体に目を向け、満月もまたそれに目を向けた。
 それは七福神の一人、大黒天が持っている打出の小槌に似た大きな槌であった。別にそれだけなら問題はないが、問題はそれを振子が持っているということであった。
 そして、メリーはその小槌に見覚えがあった。それは昼間調べた小屋の中、その中に無造作に置かれたガラクタに紛れ込んでいた物であったからだ。

「まさかそれが」
「ふふ、無造作に置いておくと中々人というのは気づかないものですね」

 そう振子は笑う。メリーも遠雷も、実際にはその姿をすでに確認していたのだから何とも言えないものである。

「それじゃ、それが鈍鬼?」

 満月の質問に対して振子は小さく頷いて、それを月に照らす様に見せた。大きさは樽一つ分に匹敵するほどである。

「これが十頭鬼具の一本、鈍鬼『鬘割』です」

 打出の小槌を彷彿とさせる形のそれは、左右に鉄をあしらったており、打撃に強化されている節がある。唯一違うところがあるとすれば本来の打出の小槌には取り付けられている装飾が無いということくらいであった。
 そして、その鬘割の姿を見てメリーは悔しそうに顔を歪めた。それはそうである、まさかあんなに無造作に置いてあるものだとは全く予想できなかったことに対してである。

「で、それを渡してくれるということは」
「メリーさん、それはありません。明日の戦いまでお待ちください」

 そう微笑みかけるように呟くと、振子は鬘割を隠す様に持ち直すと自室へと向けて足を運んで行く、庭の片づけをすることはないようで静かにその姿を部屋の中へと消した。
 質問相手がいなくなり静かになった庭の中、縁側に先に腰をおろしたのはメリーであり、その顔は失敗したと言った感じに沈んでいた。

「まさか、本当にあんな場所に置いてあるなんて思いませんでした」
「だから言ったのに」

 遅れて腰を下ろした満月はそう言葉を漏らしながらも、少しばかり安心した顔をしていた。それがなぜなのかわからずのメリーは顔を顰めつつ、どこか嬉しそうな顔をしている理由を尋ねる。

 問い掛けに対して、彼女は当たり前と言う様に答えを出す。それは今の彼女らしい答えと言えば答えであった。

「だって、あの打出が鬘割の持ち出しに気づかないはずがないもん。最悪、メ姉があそこに鬘割があるってわかって持ちだしてたら、打出に殺されてたかも」

 あの小屋の中は暗いし、逃げ場など無いに等しい構造である。一度中に入ろうものなら出口は一つしかない構造だ。袋のねずみと言う表現が正しいそんな構造をしているのである。
 そんな小屋の中で鬘割を発見し、それを持ち出そうなどと思った日には振子から引導を渡されることになることが、想像に難しくなかったのだ。

「あたしはメ姉の事、守らないといけないからさ。そういう約束だったし、だからメ姉の勘があまり鋭くなくて、ちょっと助かったかなって」
「それは貶しているんですよね」
「うーん、そうかな。よくわかんないや」

 そう分かっているのを誤魔化す様に満月は笑い、それに釣られるようにしてメリーも微笑んだ。

 しかし、現実問題で明日には打出振子との戦いが待っているのは間違いなかった。
 巨男の時とは違い、明日まで時間があることを考えながら、メリーは一度息を吐き出すと共に現実的な問い掛けをする。

「満月、振子には勝てそうですか」
「手の内が全く分からないから全然さっぱり」

 素直に満月はそう答える。情報戦と言うものでは、すでに振子の方が一歩抜きんでているということは間違いないことである。
 しかし、ここに来てメリーたちには鬘割がどのような形をしている十頭鬼具なのかが分かったことは、大きな情報になり得たと言える。

「私の考え、少し聞いてくれますか、満月」

 メリーの発言に満月は頷きを返し、二人は立ち上がると宛がわれた部屋へと戻っていく。
 明日の戦いは刻一刻と迫りつつあり、それは避けることもできないことだった。

 打出振子の人生と言うのは、この土地で生を受けた時からこの地を離れた事はなかった。それはここで骨を埋める覚悟であったとも言えたが、同時に長い間受け継いできた打出一族の仕来り故の事でもあった

「打出の仕来りを守るためにここに残ります」

 大黒寺の移転が決まり、それを了承した当時の振子は一緒にこの地を出る事にした村人たちに、そう言葉を残したそうである。
 彼女は大黒寺の神主兼巫女であったが、それ以前に武士であったのだ。でもあったではなく、であったと言うのは彼女にとって宗教というものがどういうものであったかを表す言葉でもあるからだ。
 打出の仕来りを守る場所に寺があっただけに過ぎない。打出の仕来りを守る場所に仏教があっただけに過ぎないのである。
 なら、打出の仕来りとは一体何なのかという話になる。
 それを考える度に振子は悩み苦しむことになる。
 そのこと、打出の仕来りを守ることだけの人生が素晴らしいものかどうかを調べる術はない。もう三十路が近づいた精神は、新しい考えに賛同できるほどの柔和さを持ち合わせてはいないこともあって、考えることはただの苦痛でしかなかった。
 仕来りだけを信念に生きてきた振子にとって、新しい生活が待っている新天地に移動することなどあり得ない話であったのだ。

「私が守りたいのは打出の仕来りなのでしょうか」

 だけど、彼女は時々自身にそう問いかける。
 問い掛けに応える自分自身は、そうだと答える。これは自問自答と言う名の確認作業、忘れないようにするための防衛行為と言ってもよいものであることは間違いなかった。

「守りたいもの」

 守りたいもの、それは一体何なのだろうか。
 そんなことを久々に考えたのは、多分、久々の来客があったからこそであろう。十頭鬼具を求めて現れた渡来メリーと型満月。
 しかも型満月は、新月の娘だというから彼女は驚いたものだ。
 だからこそ、振子は新月の事を思い出していた。幼い自身に武鬼拳術を少し教えてくれた彼女の事を思い出して、同時にある日に言われた事を思い出す。
 私達は本当に不幸な星の元に生まれてしまった。
 諦めたように、呟いていた彼女の姿は今でも思い出せる。長い間というわけではないが、振子にとって新月は頼りになる人物であったからこそ、その弱弱しい姿は目に色濃く残ったと言える。

「不幸な星の元ですか」

 考えてみて、自身が不幸の星の元にいるのかと考えたが、自身は風水などの妖術の類に精通していない故にそれはわからないままであった。
 だけどわかることはある。
 それは打出の仕来りを守ってきたことが、ここで試されることを振子は理解している。
 だからこそ、自身の戦う理由をもう一度求めるように彼女は瞑想するのであった。
 しかし、その答えが出ることはなく、ただただ時間は過ぎ去り、やがて朝はやってきた。

 お天道様が頭の真上にある時間だと言うのに、空にその姿はなかった。曇り曇った空の下に二つの姿がある。
 一つはこの決闘場所として選ばれた大黒寺の神主兼巫女、そして打出術を駆使する武士打出振子である。その姿は昨日と変わらずの袴姿であるが、その手には打出の小槌を模した十頭鬼具・鈍鬼『鬘割』が握られている。
 もう一つは鈍鬼『鬘割』を求めて現れた渡来メリーの付き人であり彼女の為に戦う少女、型満月。その手には何もないように見えるが、それは間違いであり、彼女の体そのものが武器になる、それが彼女の持つ武鬼拳術なのである。

「どういった取り決めにしましょうか?」

 提案したのはメリーであり、その返答を求める相手は対戦相手の振子に対してであるが、彼女はその質問に対して何を今さらという様に表情を崩した。

「降参なんていう取り決めは認めません」

 そして次に飛び出した言葉はそれであり、その言葉の意味はこの戦い、決闘の終わりは相手の命を奪うこと以外に決着の道はないという意味であった。
 そこにいる振子から感じる印象は今も変わらず憮然としたままであり、その変わらない意思を見せつけるように満月を見据えた。

「満月さんもそれで構いませんよね?」
「あたしは何も問題ないよ。それに母さんの事知ってる打出が、どれくらい強いのかちょっと楽しみ」

 満月はそう笑みを浮かべながらに応える。頭に血が上っていた巨男との戦いに比べれば、今回の戦いは最初から冷静に戦えることもあり、その顔には幾分かの余裕が含まれている。
 一方の打出の方は満月の返答に対して嬉しそうにほほ笑むと、その手に持った鬘割を肩に乗せる形で持ち上げる。

「ふふ、やっぱりそうでなくては面白くありません」

 そして彼女は姿勢を取る。少しばかり足を開き、腰を少しばかり落とした姿勢、掛け声次第ではそのまま飛び出しかねない構えであり、満月も合わせるように構えを取る。
 両者の間にはこれ以上語るべきものが無いと言うほどに、場の空気は戦場へと姿を変えた。

「満月、期待してます」

 メリーの言葉に満月は言葉ではなく頷きで返すと、そのまま構えた手を握る。

「武鬼拳術継承者・型満月」

 打出はその目線を強く絞り、狙いを定めるかのように満月を見据えた。

「大黒寺神主兼巫女、並びに打出当主・打出振子」

 そして一人、その場から離れたメリーがその二人の返答を持って手を上にかざしていく、これは戦いの始まりとも言える行為であり、この二人の殺し合いを許可する最後の決定を下す役割でもある。
 この殺し合いを回避することもまた、一つの方法でもあったが戦わずして得られない現状、それしか道が無いのなら。

「では…」

 その道を無残に踏みしめていくのみである。

「勝負!」

 手が降ろされると同時に地を蹴って突撃してきたのは振子の方であった。あのような大きな武器を携えて移動する様には圧倒される物があり、満月もまたその見た目的な印象故か、その接近速度に驚かされる。
 力いっぱいと言うわけではない軽い牽制を込めた薙ぎ払い、当てるつもりではないとわかると同時に満月はそれを擦れ擦れで避けると共に、反撃の正拳突きを繰り出す。こちらは当てるつまりの攻撃であり、それを数発連続で放つ。
 肩、胸、腰に掛けての三点を狙った攻撃であるものの、それらすべてを振子は華麗に受け流すと連撃に移る。
 薙ぎ払い、振り降ろし、振り上げ、その見た目から使い辛そうなそれを、振子は器用に使いまわし攻撃の手を緩めはしない。完全な押しの戦闘に満月はその攻撃を避け続けるだけになる。

「防戦一方では楽しくないですよ?」

 語りかけるように言葉を繰り出してから、薙ぎ払いを行った遠心力をそのままに振子が回し蹴りを繰り出す。所謂実戦経験の無さが祟る場所であった。
 何回も同じような動きを取られていて、一定の動作だけを続けられると判断基準をあまり持たない人間では突然の変化に対応できなくなる。
 それは巨男との戦いを勝利した形で終わらせたとしても、実戦経験に大きな成果となるものではなかったことを満月に思い知らせることとなった。

 放たれた蹴りをギリギリのところで受け止めると、軽快に満月が宙に浮く。正確には当たった瞬間にどうにか後ろに飛んで衝撃を緩和したと言ったところである。
 受け止めた腕は痺れに痺れたが、モロに受けていたら骨を折って戦闘不能になりかねない威力である。どうか考えても腕っ節だけで人は殺せそうであると、満月は内心愚痴を漏らしていた。
 しかし、ここで満月は少しばかりの好機を見出す。防戦一方だった彼女であるが、こうして打出が回し蹴りを繰り出してくれたことは、彼女の中で幸運ともいえた。
 幸運と言えた事、それは現在の互いの距離である。
 今二人の距離はそれなりに離れていて、動作を行ってそれを放ったとしても完全に間合いを狭められることはないほどには開いていた。
 そう考えると同時に満月の行動は早かった。腰に付けた袋からそれを取り出し、構えを取るまではほんの一瞬であり、振子の追撃も無い。
 むしろ様子を探る様に、その場から一歩も動かずに満月の様子を確認しているようで、それもまさにその攻撃術の準備を完全なものとした。

「今度はこっちからだよ」

 準備が整うと満月の一撃が繰り出される。握りしめられているのは石であり、それが指し示す情報は単純なことであった。

 投石攻撃、致死に至る威力と速度を持った小さな石による攻撃である。
 そして投げられた石は、そのまま恐ろしい速度で振子へと向かって迫っていく。それを目視で確認したのか、はたまたその行動で見定めたのか一気に横に動くと同時に振子は更に距離を開けるように後方へと移動する。
 それはまるで逃げているかのような行為であり、満月はそれを狙うかのように投石を繰り返す。傍から見ると、なんとも酷い決闘模様であることは間違いなかった。
 打出は至近距離戦に特化した武器を使用しているのに対して、満月は投石という遠距離手段。しかもこうして打出が距離を開いてしまった以上、満月は一定の有利を獲得した形になる。
 このままいけば、いずれ満月の投石が振子を捉える可能性が高くなっていることもあり、始まってすぐに振子の敗色が濃厚になる。
 だが、ここで一つの疑問が浮かび上がる。それはどうして打出は最初の投石攻撃を避けた後に、接近を選ばなかったのかと言うことである。
 避けられないのであれば、最初の投石で当たっているし、反撃を選択すれば武器の特性上、接近を優先するはずである。
 それをしなかった理由、それがあるからこそ振子はこう動いているのであろう。

 そして、ある一定の距離まで後退した振子はそこで一気に体勢を逃げの構えから一転し、向き合う様にして立つ。
 それは満月から見れば動きを止めたように見えるものであり、一気に決め上げる方針に切り替えて手に残りの石を全て握りこむ、その数二十六。

「連投二十六夜!」

 続けざまに打ち出される二十六個の石、それらがすべて順々に振子にめがけて殺到していく。これを避けることはまずできないと、そう確信が持てるのは振子が避けようとしていないからでもあった。
 決まったと思われた刹那の中であるはずなのに、振子のその顔は何処か愉快に笑みを浮かべていた。
 そしてその姿はまさしく反撃を開始する姿そのものであり、それは唐突に始まる。
 甲高い音が聞こえた。まずはその印象である、それが何処から鳴っているのかを二人が探すことはなかった。
 なにせ、目線の先でその音の正体が行われているからであり、同時に満月は一気に横へと飛び抜くとそのまま一直線に走り始める。

 そしてそれは一気に目に見える形で満月の影を追っていく。いくつもの飛翔する物体、それらは先まで満月のいた空間を飛び去って背後の壁に当たって落ちていく。
 その飛翔する謎の物体の数、総じて二十六個。
 それらは一時あった満月の影を掠め通過し、最後の一つが落ちたところで満月は足を止めた。
止めたと言っても、動ける状態は維持しつつ、すぐにでも動き始められる姿勢のままに振子を視界に留める。
 振子はただ憮然とそこに立ち、手に持った鬘割を一度握り返す。先の時と違い鬘割の打ち鉄には少しばかりの泥が付いていて、それを見て満月はなるほどと感心するように顔を崩した。

「驚かれないのですね」

 満月の様子に振子はそう言葉を漏らしたが、満月に至っては予想通りだったと言わんばかりに余裕を踏まえた顔を返す。

「昨日の夜、メ姉に聞かされた話があってさ」
「ふふ、そういうことですか」

 振子は目線をメリーに少しだけ向けて、なるほどと納得したように視線を戻した。
 昨日あの庭の光景だけを見て、打出術の特質すべき点をおおよそ見抜いたということだろう。打出術がどういった攻撃術であるか、どうやらメリーにはそのおおよその形が掴めたということだろう。

「何がおかしいと思ったんですか、メリーさん」

「おかしいも何も、あの場にはそなたを狙ったと思われる刺客の亡骸がありませんでした。加えて、その刺客の使用していた武器は場を見る限りは弓などの遠距離攻撃武器。それなのに振子殿は、すでにその刺客を撃退し終えたようにも見えました。だから考えたのです、振子殿が駆使する打出術の正体と言うものを、そこから考えられる結果を満月に伝えただけです」

 メリーは自身の考えをサラッと述べ、すぐさま静かになる。もう特に言うことは無いということらしく、振子はその答えに愉快な笑みを浮かべてから満月を見据えた。
 今の返しを避けられたということは、メリーさんの助言は見事に的を射たものだったということでしょう、と内心諦めたように口を開いた。

「打出術と言うのは、飛翔物攻撃に対する反射防衛術です」
「反射防衛術?」

 満月が首を傾げるように言葉を漏らした。
 それに合わせて足元に落ちている石を拾い始めた振子は、その一つを手の中で転がしながら、その凛とした顔のままにただ言葉を続ける。

「そうです、相手の放った攻撃飛翔物を撃ち落とすのではなく、打ち返すことに主眼を置いた防衛術、それが打出術。同時に打ち放つ攻撃術でもあるんです」

 その言葉と共に石が空中に浮く、高さ的に言えば振子の頭の上ほどであり、それが腰辺りに達するあたりで、満月は一気に横へと走り始める。

 ほぼ同時に甲高い音が響き渡ると、少しして満月の元いた位置を先の石が通り抜けて行った。それは文字通り打ちだされた攻撃であり、振子は一歩も動かずに矢継ぎ早に石をどんどん打ち出していく。
 満月の二十六夜を撃ち落とした時よりは振り抜きの速度は遅いものの、相手に逃走以外の行動を与えないその連射は、見ているだけでも驚異的なものである。

「打出、すごいよその術」

 だが、満月の方は何処か興奮するように感想を述べるくらいの余裕は持っているようだった。はたと見て、今まさに劣勢へと追い込まれているのは満月であるはずなのに、その余裕は一体何なのだろうかとメリーは内心疑問を浮かべていた。
 距離は一向に詰まる気配を見せず、満月は未だに逃げを繰り返し、やがて終着点の内壁へと導かれていく。
 振子の打出す石はとても正確である。だからこそ、こうして内壁へと誘導することは彼女の予想していたことでもあった。逃げ切れるものなら逃げて見せろと言わんばかりに、握りしめた石を再び投げて、それを打ち出し満月を内壁へと誘導、そこを一気に叩くのが彼女の一つの計画であった。

「そろそろ、終わりですよ?」

 自然と振子の顔には笑みの様な物が零れていた。しかし、それは満月を殺せるという意味での笑みではなかった。

 振子は何処かで期待しているのである。
 満月が何かを仕掛けてくる事、ここで終わるわけがないという期待。そう、期待して彼女は笑みを浮かべているのだ。

「満月さん、これで終わりなんてことないですよね?」

 そう呟いて石が放たれる。内壁に動きつつある人の影を易々と捉えたその石は、確かに満月を捉えている。
 このままいけば、側頭部に直撃することは目に見えたそれは……

「もちろんだよ」

 その言葉と共に突然空中で弾け、すぐに角度を変えて下に落ちて行った。
 何が起きたのか、それは見ていたメリーも、打出した振子も理解していなかった。
 ただ、満月はここからと言わんばかりに、一気に距離を詰めようと前進を開始する。
 力強く蹴りあげた地面、そこにある石が空中に浮くのと同時に振子は打出しを再開する。
 頭を狙い放つ、しかし弾け下へと落ちる。
 肩を狙い放つ、弾け下へと落ちる。
 腹部、胸部、左足、右足、どの部位に向かって打出しても、それらは達することなく弾けて下へと落ちていく、何が起きているのかを知ったのは最後の打出しを終えた瞬間であった。
 そして、押し切られるように満月と振子の距離が近づき、それに合わせて振子は距離を多く取り、そのまま転がり込むように二人は本堂の中へと雪崩れ込む。

 再び相対する形になったところで、振子は素直な感想を述べることになる。それは打出した石達がどうして満月を射抜けなかったかの答えそのものであった。

「まさか石を撃ち落とすなんて、すごいわ満月さん」

 満月は放たれた直後、先の逃走の合間に拾った石を飛んで来る石に向かって投げていたのである。満月の投擲技術はずば抜けており、投げられた石は向かってくる石とぶつかりあい、そのまま下へと落下していったというわけである。
 ここまで生きてきて、打出術を破ったものがいないこともその率直な感想を出すのに一役買っていたと言える。

「打出もすごいよ。あんなの普通の人間じゃできるわけない」
「ありがとう。でも、防衛術を披露できる距離でも場所でもなくなっちゃったわ」

 残念そうに語りながら、彼女は今自身が居る場所を改めて確認する。
 そこは何も置かれていない本堂、最初に二人と話をしたあの本堂であり、何時も清掃していたおかげで埃一つ落ちていないそこには投げる物も無いし、撃ち返すことが必要になるものも無い。
 つまり純粋な近距離戦以外何も残っていないのである。

「打出術を封じられてしまいました」
「仕方ないよ。あたしの二十六夜を全部打ち返されたのなら、こうやって戦うしかない」
「素直で嬉しいわ」

 やがて振子は鬘割を構え直す。横に持つ形の構え、薙ぎ払いなどに適したその姿勢であるが、自身から飛び込むのではなく満月の動きを静かに待っているようであった。

「打出、行くよ」
「何時でもいらっしゃい」

 その言葉と共に満月の足が床を蹴った。一気に加速する体、足の筋肉によって生まれた瞬発力は、そのまま満月の小さな体を振子の胸元へと誘う。
 後ろに回した手、それを抜き出す様に繰り出すと同時に前に出た左足を軸にして、右足で回し蹴りを繰り出すが、それらは空を切る。
 振子の攻撃は鬘割を用いた薙ぎ払いであり、それらの振り抜きは一定の距離が攻撃範囲であり、満月はそれを数回で見抜き、当たらない擦れ擦れの距離で攻撃をかわし続ける。
 振子の攻撃は速度を増しては行くが、それらが満月に届く事は無い。
 物が振られた瞬間の風を切る音が、往復する鬘割に合わせて響き渡る。
 攻撃を加える瞬間を見つけるようにして避けに転じていた満月が動く。
 鬘割の右振り抜きに合わせて一気に距離を詰めると、振子の腹めがけて突きを繰り出し、それはわずかながらに振子の腹部に達し、一気に振子が距離を取る。
 達した証拠に、腹部の服には亀裂が入りじんわりと赤い染みが広がり始める。

 しかし、浅い傷で攻撃を終える振子ではなく、すぐさま接近しながらの振り降ろしで再び距離を詰めると、同じように薙ぎ払いを再開する。驚くべきことはその振りまわす速度は更に上がっていることである。

「それじゃ、あたしには当たらないと思うよ」

 だが、満月にしてはそれを避け続けることは容易いことなのであろう。そんな言葉を零して避けることを続ける。それは挑発と取れる発言であるが、振子はただそれに肯定するように頷きながら、ただ攻撃を続けている。
 それに何か意味があるということに、満月が気づいたのはそれが突然起きた瞬間であった。
 一瞬であった。
 一度薙ぎ払われた鬘割に変化があったのである。
 ほぼ同時に満月は姿勢を低くして、鬘割の振り抜きを避け切ると、一気に振子の背後に向けて床を蹴る。その行動を逃がさんと振り抜いた遠心力をそのままに、振子の操る鬘割が振り降ろされ床を大きく壊した。
 数歩ほど距離をとった満月はその視線に鬘割を捉える。ここに来て一気に距離を置いたのにはわけがある。そのわけはあのまま避けていたら、死んでいたからに他ならない。
 目の前には床から持ち上げられた鬘割があった。

 しかしその姿は、どこか先と違っていた。頭は見事に割れ開かれており、そこから顔を覗かせる鋭い円月のような刃が、新たに加わっている。

「それが、鈍鬼『鬘割』のホントの姿なのですね」

 二人の戦いを遠巻きに見ているメリーがそう言葉を漏らした。
 その見た目はただの打出の小槌であるが、その実態は違うものである。攻撃手段を見た目から叩くことや薙ぎ払う事に固執させ、且つ安易に避けられるということを戦いの中で相手に覚えさせたところで、真の姿を現す。鈍鬼『鬘割』の脱法刃の刃と呼ばれる部分は、頭の中に隠されたこの刃なのである

「遠心力を一定以上加えることによって姿を現す刃ですか」
「メリーさんは理解が早い方ですね。そして満月さん、良く避けられましたね」
「鬘割の頭が一瞬だけ開いたのが見えたから、何かあると思って思い切って避けただけだよ。もしも、その仕掛けが無かったら背中丸出しの馬鹿みたいな行為になってたけど」

 自身の予想が当たっていたことに安堵しながら、満月は再び構えを取る。

 もう振子の手の内はさらけ出された事だろう。
 打出術、そして鬘割の本当の攻撃方法、これ以上に隠し手は無いと思える状況に、この決闘の終わりが近いことが感じ取れる。
 それを二人ともわかっているのだろう、牽制のない向かい合った姿勢で動きが止まる。まさに、一騎討ちの場面そのものである。

「では満月さん。行きますよ」

 握り手を一度回して振子は姿勢を低くして、攻撃の構えを取る。鬘割の隠し刃はすでに自由自在に出せることもあって、その点では振子の有利は高いものである。
 しかし、満月も負けるわけにはいかないのである。
 メリーが十頭鬼具を求めている以上、それはあってはならない事である。
 それがメリーとの約束である。

「打出、いいよ」

 その言葉と共に打出の加速は始まる。
 完全な攻め側の打出の動きは、大きな気迫を持って満月に迫りくる。牽圧と言えばいいだろう、その重みを満月は初めて体感することになる。
 引いたら終わりだと言わんばかりに気を引き締め、そして手の形を変更する。左手を顔の前、右手を腰まで引き動かない構え、狙うは反撃の一撃。

 振子もまた、これが最後の攻撃になると理解しいた。
 手に持つ鬘割を思いっきり振りかぶる。限界まで振りかぶったそれは大きな遠心力が掛かる故に、それは鬘割の最大射程を引きだすことができる。
 なによりも、振子は満月のその構えから繰り出される技を予想できていたのだ。その技に対して有効な攻撃手段、薙ぎ払うことを最善手とし、それを今ここに開放する。
 出し惜しみはない、最大にして最大の遠心力を駆使した攻撃、それは打出術を駆使する彼女の最大の奥義である。
「鬘割奥義『大遠周斬』!」
 繰り出されるその攻撃は振り始めたその瞬間発動する。満月との距離は二、三歩ほど離れた位置であった。それは今さっきの鬘割の隠し刃でも届かない距離であるが、何の問題も無い。
 なぜなら鬘割の本来の射程はそれすらも越えるほどに長く、そしてそれは強靭な刃なのである。
 鬘割の頭が大きく割れると、その中から出てくる刃は遠心力に従ってそれを長くしていく、遠心力に従って伸びる刃の横腹も見事な刃であり満月の体を二つにすることなど容易であった。

 それに合わせるようにして、満月は一気に反撃の一手を繰り出すために前へと飛び出す。
 大きく振り抜かれようとしている鬘割の中へと飛び込み、引いている右腕に力を込める。
 鬘割の刃が迫る中、気圧され体が止まりそうになるのを抑え込み、満月は意を決して右腕を振子に向けて繰り出す。
 左手による距離測りから導き出された一番良い飛び込みのタイミング、相手の懐に至る前に引いた右手を一気に解き放ち、体重ごと相手を貫く手刺殺技。

「弓張右月!」

 右手から繰り出される強烈な抜き手、そしてそれは足を留める技ではなく、前進して行う突きである。
 その行動に振子は衝撃を受けることになる。それは、彼女が知っている形から繰り出される攻撃と、満月が行った攻撃は全く違うものであるからだ。
 この攻撃に対して自身の奥義たる大遠周斬は遅すぎると気づいたがもう止めることはできない。
 そして二人の距離はすでに近づく。どちらが先か、そのわずかな差を埋めるように時間は動き続け。
 やがて、満月の体は確かに隠し刃の射程を抜け、その手が振子の体に吸い込まれるように刺さり大きな深手を与えた所で、振り抜かれた鬘割の鉄討ち部分の攻撃を受けて彼女は吹き飛ばされた。
 そのまま、転げ回るように大広間を転がっていく彼女と時を同じくして鬘割は床に落ち、やがて傷口から血を流して振子はその場に静かに倒れたのだった。

 戦いの終わった本堂の中を漂う物は何もなかった。
 あるのは倒れ伏した誰かとその横で座る二つの影だけである。

「打出、ごめん」

 その言葉を発したのは満月であった。
 横腹は鬘割の殴打を受けたことで傷を負っているが、動けないほどではないと言った感じであり、致命傷は避けられたと言うところである。
 一方の振子は満月の放った攻撃が深い部分にまで入り込んだことが祟り、こうして横になりその一生を終えることを感じていた。
 勝負は満月の勝利で終わった。完全と言うわけではないにしろ、結果的に満月は振子に勝利し、こうして死にゆく振子を看取っている。

「何を謝るのですか?」

 ぼんやりする意識の中、振子が満月に問うと彼女は牽圧に引いてしまって攻撃の瞬間を見誤り、即死させてあげられなかったことを詫びているようで、それを聞いた彼女は面白おかしく笑った。

「そんなことを気にする必要はありません。むしろ、少しばかりの時間を残してくれた事をありがたく思います」

 そう言って振子は満月の手を取る。その手はもうすでに何処か冷たくなっていて、その感触に満月は少しだけ驚いた。

「やっぱり、満月さんの武鬼拳術は新月さんの物とは少し違うようです」

 その言葉に満月は何でと聞くと、彼女はそれについて明確な答えを出す。

「そうですね、私に繰り出した夕張右月ですが、本来の夕張月は左で行う夕張左月が武鬼拳術の技で、本来引いた右手ではなく顔の前に添えた左手で行う技だと、新月さんから教わりました。だからこそ、満月さんの構えを見た時、勝てるだろう攻撃手法を取ったんです。でも、貴女の使う技は違っていた。なんでなんですか?」

 その言葉に対して満月は、顔の前に出した左手から出しても攻撃力が低いから、自分なりに考えて右手にした。とだけ答え、その答えに振子はおかしく笑う。
 そんな単純なことも予想できない自身に対しての笑いであった。

「そうなのですか。ふふ、ますますおかしいものです。仕来りからは逃れられないと新月さんは言っていたのに、おかしなものですね」

 振子はそう言葉を残すと、天井を見上げるようにして反対側に座るメリーに声を掛ける。

「メリーさん、何時か聞きましたね。私がここに残っている理由というのを」

 それにメリーは静かに頷く、その理由をメリーは答えることができなかった。憶測であろうと、彼女にとって場所に残ると言う意味はあまりにも考えることが無意味なことだからである。

「私は、仕来りに縛られてここにずっといました。それは大黒寺の仕来りでは無くて、打出一族の仕来りで、その仕来りが何時か現れる鬘割を欲する人と戦い、死ぬ事だったのです」

 それを聞いてメリーは呆れたように顔を崩した。本当に呆れていた、そんな馬鹿げた仕来りに従う必要なんてどこにもないと、すぐに理解したからである。
 だからこそ、振子はそれに同意するように言葉を漏らした。

「その通りです。そんな仕来りに従うことなんてなかった。大黒寺の移転と同時に私もここから去ってしまえばよかったと、今は思えます」

 そう言いながら振子の手は未だに血を流し続ける傷口をそっと抑える。それでも血は止まるところを知らない。
 もう彼女が助かることは無い、それは彼女が一番よくわかっていることなのだから。
 だからこそ、こうしている二人には少しばかりの感謝をしているのである。実際死ぬときに看取ってもらえるなど、思ってもいなかったことなのだから。

「満月さん、私がお渡ししたさらし、大事に使ってくださいね」
「うん、これ動きやすくってすごくいいから大事にする」

 無邪気にそう言う満月に振子は満足そうにほほ笑むと、最後にメリーへと目を向ける。

「メリーさん、鬘割は御好きに持ち帰ってください。ここにあってももう何の意味もありませんし、私は仕来りに従うまでなのですから」
「感謝します。他に何かあれば、できうる限りのことを致しますけど、何かありますか」

 その言葉に振子は少しだけ思案すると、少しだけ考えてから思い当たったことを口にした。

「私の亡骸を火葬して埋めていただけませんか。お手数を掛けますが」
「わかりました、振子殿」

 それを最後に振子は天井を見上げるだけになる。
 見えている視界がだんだんとぼやけ、血にも体にも熱が感じられなくなった頃、彼女は守るべき物が無い自分に気づいていた。
 仕来りにしがみついていたのは、ただ守るものが無い自分に理由を付けるただの口実だったということ、それを今理解して彼女の目尻から光が零れた。
 ここまで生きてきたことが、戦いによって死ぬ事ではなく、ただ鬘割を誰かに渡すための人生だった事を、今初めて彼女は悔やんだ。

「本当に…不幸な星の元に…生まれてしまったものです」

 気づくのがどうやら遅かったみたいだとため息交じりに息を漏らすと、振子は静かに目を瞑る。
 どこか心地よい気分になりながら、不幸な星の元に生まれてしまった事も忘れ、仕来りからも解放され、やがて彼女の生命活動は静かに停止した。







 大黒寺神主兼巫女、打出当主・打出振子は守るべき仕来りを全うし、この世を去った。

 打出の火葬と埋葬が終わったのは、戦いが終わって三日後のことであった。
 二人は身支度を整えて借りていた部屋を出ると、そのまま振子を埋めた場所へと歩み寄る。それは彼女の部屋があった前の庭であり、分かりやすいように石を積み上げておいた。
 黙祷を捧げ終えた二人はのんびりとした足取りで境内を後にして、廃村の中を通りながら大黒村の出口へと足を延ばす。

「まだ、あたし強くなれてないみたいだ」

 脇腹をさすりながら満月は言葉を落とした。未だに鬘割の攻撃の痛みは完全に引いていないため、少しばかりの苦痛が混じった表情である。
 強くなれというのは三日月と半月の願いであり、その願いと言うのにまだまだ近づいていないことを、満月は気にしているようであった。

「たしかにそうですね。今回の戦いで、満月は振子殿の牽圧に怯えてしまって即死させることができなかった。その点では今回も運に助けられたようなものでしょう」

 痛いところを突かれたと分かっているようで、満月は振子からもらったさらしを撫でる。
 あの最後の瞬間を満月は思い出して理解できる。自身はまだ強くなれてなどいないのだと、打出の覇気に気圧されたあげくに、攻撃に関しては振子が持っていた武鬼拳術の知識故に決まった様な物であった。

 これから先、打出に匹敵するかそれ以上の者たちと闘っていかねばならないのは間違いなかった。

「メ姉」
「どうかしましたか?」
「あたし、もっと強くなる」

 そんな満月の言葉に対して、彼女は微笑みかけて答えると背負った鬘割を見る。
 打出振子はこれを渡すためだけの人生を歩んでいた。そんな人生に意味があったのかどうかなどメリーにはわからない。
 だけど、最後の最後に彼女が流した光は、この仕来りに従った自身を悔やんで流れた物である。それをメリーはわかっている。
 十頭鬼具を集めること、それを自身の役目としたメリーにとって、それはもう昔から分かっていることである。
 十頭鬼具に関わると碌な事が無いと、彼女はすでに分かっているのである。

「本当に、振子殿は悲しい人生を歩まれてしまいましたね」
「あたしにはわからないけど、メ姉がそう言うならそうなんだろうね」
 
 満月の言葉にメリーは少しばかりの頷きを返してから、その鬘割を再び見やる。
 鬘割、十頭鬼具の中で鈍鬼の枠に入るそれは、持ってみるとあまり重いものではなかった。同時に背負っている土鬼『柔姫』と大差ないほどである。
 これにて二本の十頭鬼具が手に入り、メリーは久方ぶりに帝都政権の使いを寄こすことにしていた。
 今までの失態を取り戻したくらいの報告はできるだろうと思い、どこか内心は喜び溢れていたともいえる。
 

 次の十頭鬼具の場所はまだ分からず仕舞いではあるが、この調子で進めば開国議会にも間に合うことだろう。
 そして彼女の願いもまた叶う、そんな自身の野望を心の中で燻らせながらメリーは声を掛ける。

「残り八本ですから、共にがんばりましょう満月」

 その言葉に元気の良い頷きを返し、二人は最初に入った鳥居を抜けて大黒村を後にした。
 振子の墓の前に焚かれた線香が風に揺れ、やがて空へと舞っていき、大黒寺には誰もいなくなった。
 

 


 こうして十頭鬼具の二本目・鈍鬼『鬘割』の収集に成功した外来特別調査隊特別諜報員渡来メリーと、武鬼拳術継承者型満月はのんびりとした足取りで、この先も旅を続けることになります。
 次に現れるのは一体誰になるのか、それは二人にはまだ分からないことです。
 十頭鬼具、今回のお話はここまでになります。
 

 十頭鬼具・鈍鬼『鬘割』収集完了
 
  残り十頭鬼具八本

 二鬼・鈍鬼   ―終―

 ここまでになります。
 少し経ったら削除申請を出します。
 次のお話は二ヶ月くらい先になると思いますので、覚えていてくれた方がいましたら読んでいただきたいです。

 次は利鬼『抜刃』をお送りします。
 
 感想とかありましたらうれしいです。

 ここまで読んでいただきありがとうございました。

乙乙
ゆるりと待ってる

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