高森藍子「茜色の夕日」 (30)

モバマスSS、地の文あり、元ネタあり


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かたかた、と指がキーボードの上を跳ねる音だけが事務所に響く。


首や手の痛みを感じて、パソコンでずっとタイプしていた先方へのメールを一旦止めてぐいと伸びをする。


気づけばもう、日も暮れて夕方だ。


オフィスチェアに座って、じっと窓の外を見つめてみる。


きれいな、茜色の夕日が眩しい。


立ち並ぶビルの隙間から差し込む夕焼けは、何故だか心に染みるものを感じる。


「お仕事、終わりましたか?」


「いや、まだ全然」


デスクを挟んで向かい側から声をかけられ、赤く染まった世界から目を離す。


ずっと雑誌に目を通していた彼女――高森藍子が、雑誌から顔を上げていた。


「ゆっくりでいいですからね。私、待ってますから」


そういう訳にもいかないので、軽く首を鳴らしてパソコンへと向かう。


けれど思い浮かぶのは、先方へのメールの内容ではなく。


ぼんやりと、それでいて鮮明に浮かぶ、ある日のことだった。


「……ふふっ、どうしたんですか?」


「いや。この時間帯は、誰もいないんだな、って」


いつもよりも、少し早く起きた日曜日。


「ええ。私のとっておきのお散歩コースです」


あと数十分は、ほとんど誰も来ないんです、と前置きをすると。


そっと、彼女は俺の腕に抱きついてきた。


「……あの、今だけ……事務所に着くまで、こうしていてもいいですか?」


構わないよ、と言わんばかりに頭を撫でてやると、彼女はにこりと笑う。


まるで、太陽がそこにあるかのような、表情。


つられて、俺も笑顔になる……




「――さん?どうしたんですか?」


ふと視界に入る、彼女の手。


危ない、つい物思いに耽ってしまっていたようだ。


大丈夫だ、と口に出し、手を進める。


こればかりは、今日中に終わらせなくてはならない。


一旦、切りのいい所まで文章を書き進めたところで保存し、手を止める。


くるりとチェアを回転させ、背にしていた窓の外をぼんやりと眺める。


沈みかけた夕日がまだ、茜色をこちらに向けていた。


「――さん。コーヒー、いかがですか?」


隣に立ち、両手にひとつずつのカップを持っている彼女。


二人で、じっと夕日を見つめてみる。


今までの色々な思いが混ざり合って、不思議な気持ちが胸に残る。


彼女からもらったコーヒーを一口啜る。


彼女の好きな、砂糖とミルクの入った甘いコーヒー。


今だけは、この甘さは好きになれないな、と思ってしまった。


どうしても思い出す。


俺の隣で微笑んでいた彼女の顔が、一瞬にして曇ったあの日。




夕焼けに心揺さぶられてか、彼女の笑顔は今にも壊れてしまいそうに見えた。


「……あの、――さん」


その声は、どこか儚くて……今にも、泣きそうな声だった。


カップを机に置き、チェアから立ち上がって彼女と向き合う。


「あ……」


思わず下を向き、噛み締めたような声を上げながら。


ようやくの思いでカップを机に置くと。


「――さん……。――さん……っ!!」


彼女は俺に抱きついて、積み重なっていた思いを溢れさせる。


俺はただ、文字通り彼女に胸を貸し、気の済むままにさせてあげるだけ。


何か言葉を紡ぐことも、行動に表すことも、できなかった。


――今日という日を忘れることは出来ないだろう。


そんなことばかり、思っていた。


大粒の涙が溢れきって、ようやく彼女も落ち着いた頃。


ようやく、頭を撫でて彼女を笑わせることができた。


事務所のソファに彼女を座らせて、隣で、二人でじっと外を見つめる。


わずかに沈みきっていない太陽が、火薬の尽きかけている線香花火のように、どうにか茜色を俺達に伝えてくれている。


「……あの、さっきは……ごめんなさい」


お恥ずかしい姿、見せちゃいましたね、と無理に笑う彼女。


いいんだ。もう、いいんだ……。


「……ありがとう、ございました。スーツ、汚れちゃいましたか?」


少しだけ涙の跡が、見えた。


そのままにしておく。


跡を消してしまっては、全てがなくなってしまうかのような気がして。




「なあ、藍子」


勇気を振り絞って、声を出す。


彼女は赤く泣き腫らした目で、きょとんとした顔をこちらに向ける。


「俺は……」


言いたい言葉は、ふわふわと宙へ消えてゆく。


「……その、うん。いつかまた、もう一度藍子のプロデューサーになる」


「その時まで……待っててくれ」


情けないものだな、と呆れてしまう。


駄目な自分に笑い出しそうになるが、ぐっと堪えておく。


俺が言いたかった言葉は、伝えたかった情熱は、こんなものではなかったはずなのに。


「……えへへ、ありがとうございます。ずっと……待ってますね」


それでも、彼女は笑ってくれている。


少しだけ、虚しくなった。


メールの文面に行き詰まり、気晴らしに二人で事務所を出る。


日は完全に沈み、月が上がっているのが見えた。




交わす言葉はなくただ二人。


付きも離れもせずに歩いていた。


「……星、見えるんだな」


街明かりの中でも、燦然と輝く一番星。


「本当ですね。……綺麗です」


「東京の空の星は、見えないって聞いてたんだけどな」


見えないこともないんですよ、と彼女は教えてくれた。


そうだ。見えないこともないんだ。


ああやって、ネオンサインや照明に照らされ続けても尚、自分の光を見失わないように。


そんな風に、藍子をどこまでも連れて行ってあげようと思っていた。


けれども……それは、もう、叶わないかもしれない。


せめて、あんなふうに輝いてほしいな。


彼女のことばかりを考えている自分に気付いて、なんとも言えない気持ちになる。


これから先、俺達は離れ離れになってしまうというのに。


事務所近くの公園に着く。


ここは、いくつもの思い出が生まれた場所だ。


公園に誰も居ないことを確認してから、彼女は俺の手を引いて、近くのベンチへと座る。


「――さん。どうして、どうしてなんでしょうね……」


ああ、どうしてなんだろうな。


事務所移籍と、プロデューサー業の研修目的の派遣。


これだけなら聞こえは良い。


実態は、ただの身売りのようなものだ。


そこそこ売れている稼ぎ頭だけを残し、あまり芽の出ていないアイドルは移籍。


プロデューサーも研修目的で他社に派遣されるそうだが、体の良いコストカットだ。


移籍先や派遣先で仕事がまともに出来るかどうかなど、わからない。


使うだけ酷使してから捨てられることなど目に見えている。


おまけに派遣から帰ってきたところで、俺のデスクなどどこにもないのだろう。




藍子と出会い、プロデュースを始めてからおおよそ半年。


二人三脚のアイドル計画は、こんなところで、こんなことで、呆気なくも頓挫してしまったのだ。



隣に座っている彼女が、そっと俺の左手に、その右手を重ねる。


「……藍子」


その名前を、呼ぶ。


彼女の目は今にも、泣きだしてしまいそうだった。


「――、さん……?」


その瞳に吸い込まれる俺の言葉。


やめてくれ。そんな目で俺を見ないでくれ。


そうだ。俺なんかでは、きっと出来ないんだ。


本音を言うことなど、到底出来ないんだ。


踏み入ってはいけない、禁断の領域。


この言葉を告げてしまえば、もうプロデューサーとアイドルになど、戻ることは出来ない。


言葉を心の奥底にしまいこむ。


二度と出てくるな、と厳重に、何重にも何重にも封をする。


こんな気持ちを抱いておきながら……最後まで、何も言えないのは無責任だろうか。


けれども、それでいいと、思ってしまっていた。


自分のためではない。彼女のためなんだ。


「……あの」


彼女が、重々しく口を開く。


「――さん、笑わないで、怒らないで、悲しまないで……聞いて、くれますか」


思わず、どきりとした。


素手で心臓を握られたかのように、バクバクと気持ち悪い感覚が全身を貫く。


この感覚がなんなのか、きっと俺は知っている。


一番聞きたくない言葉であり、一番聞きたかった言葉。


でも、でも、でも。


やめてくれ、と願った。


しかし……彼女を止めることが、出来なかった。


「私……、――さんと……離れたく、ないですっ……!!」


また、彼女のその小さな目から大粒の涙が溢れていた。


「もっと、一緒にお仕事をして、ライブも、イベントも……」


俺の胸に飛びつき、ぎゅっとスーツを握りしめて離さない。


「ずっと、ずっと一緒にいたかったんです……!!」


ぼろぼろと涙を浮かべ、ぐしゃぐしゃの顔をこちらに向ける。


「だって、私は……――さんの、ことが……」




――ああ。


一番聞きたくなかったその言葉を、止めなくては。


――駄目だ。


お前が、それを思ってしまっては、感じてしまっていてはいけないんだ。


――抑えきれない。


その先は、アイドル失格なんだ。駄目だ、駄目だ、やめてくれ。


――藍子、俺は……。


俺達は、ただのアイドルとプロデューサーなんだ。


それ以上であってはいけないんだ。


――俺は、お前のことが。







「――さ……んっ」






今までの私は。


無責任でいいな、と思っていた。


自分に酔っていたんだ。




もう、戻れない。


責任を背負う。


俺がすべき覚悟は、たったそれだけのことだったのだ。




一番聞きたかったその言葉を、無理やり遮る。


思わず、彼女の小さな身体をぎゅっと、抱きしめていた。


「……ねえ、――さん」


事務所の近くの小さな公園に、二人きり。


星もさらに輝きだし、少々肌寒くも感じてきた。


風邪を引いてはいけないと貸した背広に腕を通した彼女が、ゆっくりと、俺の名前を呼ぶ。


「……さっきの約束、絶対ですよ」


「約束……?」


あなたが言ったのに、と彼女は頬を膨らませる。


「いつか、私のところに帰ってきてください。それで、もう一度……」




――私のプロデューサーとして、そばに、隣にいてください。




重ねあわせた手と手を、やさしく、強く握って。


「ねえ、――さん……もう一回、いいですか?」


そっと、二人だけで秘密の誓いを立てる。




「えへへ……やっぱり、恥ずかしいですね」


顔を赤らめながら、優しい笑顔をこちらに向ける。


今すぐにでも欲しい、という気持ちをこらえて、そっと肩を寄せ合った。


「――さん、見てください」


彼女が指したその先は。


「……ああ、綺麗だな」


きらきらと輝く、どこまでも続く星空。


「この公園……今の事務所に入って、見つけてから……ずっと好きだったんです」


こうしてきれいな夜空が見えるから、と彼女は微笑む。


「東京の空の星は、見えないと聞いていたんでしたっけ」


「ああ、でも……」


見えないこともないんだな、と笑う。


見えないこともないんです、と笑い返す。


ひとしきりに二人で笑って、どちらからともなく向き合って。


「……その、――さん。もしも私が、アイドルをやめる時は」


無理矢理に言葉を遮る。


「んぅ……なんですか、――さん」


「俺の台詞を取るんじゃない」


だって、と拗ねる彼女の頭を撫で、しっかりと思いを紡ぐ。










「なあ、藍子。お前がアイドルを引退する時は――」








二人で手を繋いで事務所に戻り、残していた仕事に取り掛かる。


「……よし、これでいいだろう。送信……っと」


彼女の移籍先への挨拶と、今までの方針等をまとめたメールを送信する。


これで、俺がすべき仕事はもう、この事務所のどこにもない。


「――さん、お仕事は」


「ああ、全部終わった」


ようやくですね、と彼女が笑う。




「私の家まで、送ってください」


それだけでいいのか、と何度も聞いたが、彼女はそれ以上のことは頑なに拒んだ。


「それで、十分ですから」


だったら、と二人並んで帰路に着く。


しっかりと手を繋ぎ、お互いの温かさを感じながら。


彼女の家までの道のりを、ゆっくりと歩く。


「ありがとうございました、――さん」


「いや、当然のことだ」


家のドアの手前で、彼女はそっと俺に触れる。


「……えへ」


俺の左手を引くと、その薬指にぐるぐると細いチェーンを巻きつける。


「……藍子、これ、お前のお気に入りの……」


ずっと、彼女が大切な時に肌身離さず持っていた、カメラのアクセサリのついたネックレスだ。


「予約です。なくさないでくださいね?」


言葉で肯定するのも、もどかしい。


彼女を抱きしめ、そっと――




「えへへ……ありがとう、――さん」


「ああ……それじゃあ、またいつか」


はい、またいつか会いましょう、と告げた彼女の小さな目から。


「全く……。泣くなよ、藍子」


大粒の涙を溢れさせる彼女を、そっと抱きしめる。



――ああ、俺はきっとこの日のことを、忘れることは出来ないな。



そんなことを、思っていた。

フジファブリック - 茜色の夕日
http://youtu.be/vYo-hpzuS2c



――それから。


俺は、あるアイドル事務所に派遣された。


だが、アイドルのプロデュースなど一度もさせてもらえずに半年が経つ。


こうして毎日パソコンに向かい、アイドルのプロデュースとはほとんど無関係な仕事ばかりをこなしてきた。


彼女は……とりあえずは、ちゃんとした事務所でプロデュースしてもらっているらしい。


どうにも、互いに連絡を取ることが出来なかったようだ。


どう切り出せばいいか分からず、ほとんど連絡は取れていない。


だから、それ以上の彼女のことは、俺には分からない。




かたかた、と指がキーボードの上を跳ねる音が、突如として止まる。


眼の前に現れた社長の表情は、夕日を背にしていて黒く塗りつぶされていて、読めなかった。


「……はい?社長、本当ですか」


「そうだ。同じことを二度も言わせるな」


――明日から、ここに来るな。


社長の一言で突然俺は仕事を失った。


「君は今日限りでここをやめてもらう。早く出て行きたまえ」


「ですが、しかし」


いいから早く、と荷物をまとめさせられ、元からすっからかんだったデスクを整理させられ。


事務所を追い出されてしまった。


やはり、首を切られてしまうのか。


見切られるのが遅かったな、と思うと、まだこの事務所はましに思えた。


途方に暮れたまま、事務所の入ったビルを出る。


はあ、どうしたものか。


前事務所には戻れないだろう。困ったものだ。




「君が、――か……?」


突然声をかけられ、驚きのあまり飛び上がりそうになる。


渋い低音ボイスで俺の名前を呼んだ男は、よく見れば自分と同年代くらいだろうか。


「あの、すみません。プロデューサーさん、少し口下手なものですから」


彼のであろう乗用車から出てきた少女が、彼の行動に対する謝罪を述べる。


「いえ、大丈夫です。私が――ですが、何の御用でしょうか」


「……そちらの社長から、話は聞いている。乗ってくれ」


社長から?話は聞いている?


どういうことだ。


「えっと……そちらの社長さんから、何か聞いていませんか?」


「いや、何も。今日付けでクビだってことくらい」


そうか、と男が納得する。


少女はそれを感じ取って、俺を車の中へと押し込んだ。


「いきなりで申し訳ありません」


と年端もいかぬ少女に、深々と頭を下げられる。


ああ、彼女と同じくらいの年だろうか、などと失礼なことを考えてしまった。


「……今日から、うちの事務所で働いてもらう。……要するに、移籍だな」


「そちらの社長さんが、私達の社長に頼み込んでいらっしゃたそうです」


いわく、社長がパイプのある他の事務所に片っ端から連絡をとって移籍先を探していたらしい。


やる気はあるが前事務所のせいで腐りそうなプロデューサーを拾ってやってくれ、ということだったそうだ。


そういえば、以前社長に、なぜアイドルのプロデュースをさせてもらえないのか聞いたことがある。


社長はただ、


『今はアイドルのプロデュースなど無理だと言っているんだ。何故だか分かるかね、君ィ?』


としか言わなかったな、と思い出す。


「それで、私達の社長が、あなたを引き抜いたんです。……えっと、これで合ってますよね、プロデューサーさん」


「……間違いない。それと、俺達はただ仕事の帰りに拾ってこいと社長に頼まれただけだ」


そうですか、と腑に落ちないまま、とりあえず二人を疑うことをやめた。


そして、車内ということも考えずに、社長に電話をかける。


当たり前のように留守番サービスへと繋がった。



「そういえば、二人はいったい……アイドルと、プロデューサーだよな?」


と聞くと、少女は笑って、


「ただの太公望と、文王です」


とだけ、答えた。


何十階建てだろうか、と見上げるビル。


これが、彼らの事務所だそうだ。


「社長に会ってくれ。受付で名乗れば、通してくれるだろう」


男と少女に促され、俺はビルの自動ドアへと差し掛かる。


背広の内ポケットに常に入れている、カメラのアクセサリのついたネックレスに触れる。


何かを始める時、大事な時は必ず、これに触れて心を落ち着けている。


よし、と意気込んだその時。


車が止まり、事務所の前で誰かが降りる音が聞こえた。


「――あれっ、プロデューサーさん、肇ちゃん。どうしたんですか、事務所の前で」


「あら、藍子ちゃん。レッスンお疲れ様です」


なんだって?


「……っ!」


咄嗟に、振り向いていた。




「あ――」


互いに顔を見合わせる。


間違いない。


気付いた時には、二人の目の前であることも、お互いに忘れていた。


「――さん……。――さん、ですよね……?」


「藍子……?」




「なんだか、微笑ましいですね」


「……よせ。くっつくな、張り合うな……そういうのは、人がいない時にしてくれ」


と、外野で話しているのもお構いなしに。


二人、ただ抱き合っていた。




「ただいま、藍子」


「おかえりなさい、――さん」


茜色の夕日が、俺達を赤く染め上げる。


彼女の小さな目から溢れた大粒の涙を、やさしく包み隠すように。


ぽっかりと空いた半年の空白を、しっとりと埋め合わせるように。




以上で終わりです

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