朋也「軽音部? うんたん?」(692)

4/5 月

春。始まりの季節。
春休みが明けた、その初日。
体に気だるさの残るまま、通いなれた道を進む。
辺りは閑散としていた。
時刻はもう、正午に差し掛かっている。
つまりは、遅刻。
三年に進級しようが、俺の生活態度が改善されることはなかった。
深夜に帰宅し、明け方に眠る。
そうすると、起きるのは昼近くになってくる。
高校に入ってからの俺は、ずっとそんな生活を続けていた。
それも、父親を避けて、なるべく接点を持たないようにするためだ。
親父とは、昔から折り合いが悪かった。
小さい頃、俺の母親が交通事故で亡くなってしまったショックからなのか知らないが…
親父は、日々を酒や賭け事に費やすようになっていった。
そんな風だから、家ではいつも言い争いが絶えなかった。
だが、今ではその関係も変わってしまった。
親父が俺に暴力を振るい、怪我を負わせたことをきっかけに、急に他人行儀を感じさせるようになったのだ。
俺の名前を呼び捨てではなく、『朋也くん』とくん付けで呼ぶようになり…
まるで旧友であるかのように、世間話まで始めるようになった。
それは、俺に怪我を負わせたことへの罪悪感から、俺と向き合うことを拒否した結果なのか…
どういうつもりかわからなかったが、もう、親子じゃなかった。ただの他人だ。
息子に向けるそれでない態度を取る親父をみると、胸が痛くなって、いたたまれなくなって…
俺は家を飛び出すのだ。
だから俺は、顔を合わせないよう、親父の寝入る深夜になるまで家に帰らないようにしていた。

朋也「ふぅ…」

一度立ち止まり、空を仰ぐ。

やたらと自然の多い町。
山を迂回しての登校。
すべての山を切り開けば、どれだけ楽に登校できるだろうか。
直線距離をとれば20分くらいは短縮できそうだった。

朋也(一日、20分…)

朋也(すると、一年でどれぐらい、俺は時間を得することになるんだ…)

計算しながら、歩く。

朋也(ああ、よくわかんねぇ…)

―――――――――――――――――――――

この時間、周囲を見回してみても、制服を着て歩くのは、俺ぐらいのものだった。
だからだろう、通りかかる人はみな、俺に一瞥をくれていく。
そんな好奇の視線を浴びながらも、学校を目指す。

―――――――――――――――――――――

校門まで続く長い坂を登り終え、昇降口へ。

―――――――――――――――――――――

始業式も終わり、生徒は教室へ戻っているはずだった。
その教室は、クラス替えが行われ、新しく割り振られたもの。
どこになったかは、ここに設置された掲示板で知ることができる。
俺は自分の名前を探した。
そして、しばらく目を通し、みつける。

朋也(D組か…)

朋也(ん…あいつも同じクラスなのか)

同じクラス。そこに、見知った名をみつけた。
春原陽平。
こいつの遅刻率は俺より高い。
ふたり合わせて不良生徒と名指しされることも多かった。
だからだろう、よく気が合う。

朋也(いくか…)

俺は掲示板を離れ、自分のクラスへ向かった。

―――――――――――――――――――――

がらり。

戸を開ける。
すでにグループがいくつか出来上がり、各々が机を囲んで昼食を摂っていた。
三年ともなれば、部活や、同じクラスだった等、すでに顔見知りになっている割合が高い。
だから、最初からある程度空気が出来上がっていたとしても、別段不思議じゃなかった。
教室内を見渡してみる。そこに春原の姿があることを期待して。
だが、目に入ってくるのは、顔だけは知っているが、話したこともないような奴ばかり。
居れば、昼に誘おうと思ったのだが…。
諦めて、座席表で自分の席を確かめ、荷を降ろした。
そして、ひとり学食に向かう。

―――――――――――――――――――――

適当なパンを買い、食事を済ませ、昼休みが終わるぎりぎりに教室に戻る。

―――――――――――――――――――――

声「こら、岡崎」

教室前の廊下までやって来たとき、声をかけられた。

さわ子「あんた、なにしょっぱなから遅刻してるのよ」

さわ子「もう3年なのよ? いい加減にしとかないと、卒業できなくなるわよ」

朋也「別に…いまさらだろ」

さわ子「別にじゃないでしょ」

さわ子「あんたと春原を3年に進級させるために、私と幸村先生がどれだけ苦労したか、ちょっとは考えなさい」

朋也「まぁ、一応感謝してるよ」

さわ子「なにが一応よ、まったく…」

さわ子「まぁいいわ。ほら、もう席に着きなさい」

そう言って戸を開け、俺を促す。

朋也「って、なんだよ、このクラスの担任なのか」

さわ子「そうよ。じゃなきゃ、あんたが今日遅刻したかどうかなんて断定できなでしょ」

それもそうか…。

―――――――――――――――――――――

さわ子「はい、それでは午前中に決まらなかった係を…」

クラス担任となったこの山中さわ子という教師は、去年の担任だった。
幸村は、一年の時の担任だ。
その縁で、ふたりにはなにかと世話を焼いてもらっている。
今まで無事進級してこれたのも、この人たちの計らいがあったからだった。

さわ子「えー、なかなかクラス委員長が決まりませんでしたね…」

委員長決めが難航しているようだった。
それもそうだろう。
なにかと面倒を押し付けられるような役を進んでやりたがる奴なんて、そういない。

さわ子「それじゃあ、立候補じゃなくて、推薦でいきましょうか」

こうなれば、もう決まったも同然だった。
大方、おとなしい奴が推され、抗うこともなく、そのまま決定するのだろう。
俺は頬杖をついて視線を下に落とした。
特に興味はなかったが、他にすることもなかったので、配布されたプリントを読んでやり過ごした。

―――――――――――――――――――――

さわ子「えー、もう時間がないので、配布係は…平沢さん」

女生徒「え!? わたし?」

一人の女生徒が身を乗り出し、声を上げた。
少し大げさな反応に思える。

さわ子「と、岡崎くんでお願いね」

朋也「はぁ? なんでだよ…」

いきなりのことで面食らう。
俺の素行を知っていて、クラスの係に抜擢するその意図がわからない。

さわ子「岡崎くんは遅刻してきたから知らないでしょうけど、午前中のうちに決まってたの」

朋也「………」

さわ子「だから、お願いね」

ぎらり、と圧倒的目力でダメ押しされる。
拒否権はないようだった。

さわ子「係もすべて決まったので、今から席替えをします」

さわ子「一人ずつクジを引きにきてください。じゃあ、一番右の列から…」

―――――――――――――――――――――

すべての生徒がクジを引き終わり、移動が始まった。
俺も自分の席、一番後ろの窓際へ向かう。

女生徒「あ…」

机を移動させてくると、俺と同じ係になった、あの女生徒とはち会った。
向こうも同じように机を引いてきている。
このあたりの席にでもなったのだろうか。

女生徒「あ…えっと、岡崎くん…だよね? もしかしてここの席?」

机を定位置に定め、自分の隣を指さして言う。
そこはまさに、俺の目指した場所。
どうやらこいつと席を隣接することになるらしい。

朋也「ああ、そうだ」

机を移動させながら答える。

女生徒「そうなんだぁ。じゃ、隣同士だねっ」

朋也「ああ」

俺はそう無愛想に返し、席に着いた。

女生徒「…あ、あはは。えっと…」

女も着席した。笑顔が少し曇っている。
俺の非友好的な態度に戸惑っているのだろう。

女生徒「私、平沢唯っていうんだ。よろしくねっ」

気を取り直したようで、再び話しかけてきた。
なかなか気丈な奴だ。

朋也「…ああ」

が、俺はまたそっけなく返す。
これ以上会話するのも面倒だった。
もう話しかけるな、と暗に示したつもりだ。

唯「岡崎くん、自己紹介の時きてなかったよね。下の名前教えてよっ」

…伝わらなかったようだ。

朋也「…岡崎朋也だ」

かといって無視するのも気が引けたので、一応答えておく。

唯「へぇ~、朋也くんかぁ…ふぅ~ん、へぇ~」

うんうん、と頷いている。
これで満足してくれただろうか。

唯「いっしょに頑張ろうねっ、配布係」

ただ配布するだけなのに、どう頑張るというのだろう。

唯「無呼吸でぜんぶ配り終えることを目標にしようっ!」

意味がわからなかった。

朋也「ひとりで達成してくれ」

唯「えぇ~、ノリ悪いなぁ…」

朋也(変なのと隣り合っちまったな…)

俺は少し、先行きに不安を覚え始めていた。

―――――――――――――――――――――

………。

―――――――――――――――――――――

SHRが終わり、放課となった。
初日ということもあり、授業もなく、いつもより早い時間だ。
結局、今日一日、春原が姿を現すことはなかった。
サボリなのだろう。

唯「部っ活ぅ~部っ活ぅ~♪」

こいつは何かの部活動に入っているんだろうか。
隣でひとり浮かれていた。
俺はそんな平沢を尻目に、席を立った。

唯「あ、岡崎くん、帰るの? それとも部活?」

朋也「帰るんだよ」

唯「部活はなにかやってないの?」

かつてはバスケ部に所属していた。
だが、親父との喧嘩で怪我をしてから、退部してしまっていた。

朋也「…やってねぇよ」

唯「そうなんだ? じゃあさっ…」

なにか言い始めていたが、俺は構わず歩き出した。

唯「あ…」

背中から小さく声が聞こえた。
が、俺は気にも留めず、そのまま教室を出た。

―――――――――――――――――――――

帰宅してすぐ服を着替え、また家を出る。

―――――――――――――――――――――

向かう場所は、学校の坂下にある学生寮。
うちの学校は部活動にも力を入れているため、地方から入学してくる生徒も多い。
俺のように学生生活に夢も持たない人間とはまったく違う人種。
関わり合いになることもなかったが、そんな場所にあいつ…春原は住んでいるのだ。
春原は元サッカー部で、この学校にも、スポーツ推薦で入学してきた人間だ。
しかし一年生の時に他校の生徒と大喧嘩をやらかし停学処分を受け、レギュラーから外された。
そして新人戦が終わる頃には、あいつの居場所は部にはなかった。
退部するしかなかったのだ。
その後も別の下宿に移り住む金銭的余裕もなく、この体育会系の学生が集まる学生寮に身を置き続けているのだ。

―――――――――――――――――――――

がちゃり。

俺はノックもなしに部屋のドアを開け放った。

春原「うぉっ、いきなりなんだよっ」

春原はなぜか上半身裸で焦っていた。

朋也「なにって、俺だよ」

ずかずかと上がりこむ。
そして、もう春だというのに未だ設置されたままのコタツに潜りこんだ。
というか、このコタツは季節に関わらず一年中設置されているのだ。

春原「そういうことを言ってるんじゃないだろっ! ノックとかしろよっ」

朋也「中学生かよ。俺の足音で察知できるようになれ」

春原「できませんっ」

朋也「なんでもいいけど、服着ろって。ほら」

俺はその辺に散乱していた洗濯物のひとつを放った。

春原「つーか、おまえ、ちょっとは僕のプライバシーを…ってこれズボンじゃん」

朋也「おまえなら違和感ないよ」

春原「上下ズボンで違和感ないってどういう意味だよっ!」

朋也「いや、なんかおまえ、全体的に下半身っぽいしな…トータルでみて、オール下半身でもいいかなって」

春原「よくねぇよっ! 意味わかんないうえに変なコーディネイトするなっ!」

春原「ったく…」

ため息混じりに自分で上着を探し始める。

朋也(ん…?)

今気づいたが、春原の前、テーブルの上に鏡が置かれていた。

朋也(ああ、なるほど…)

今、上半身裸だった謎が解けた。
こいつはおそらく、俺が来るまで自分の肉体美でも追及していたのだろう。

朋也(ナルシストな野郎だ)

そう結論づけ、雑誌を読み始めた。

―――――――――――――――――――――

春原「あーあ、明日からまた学校かぁ…ちっ、めんどくせぇな…」

朋也「明日からって…おまえ、今日からもう始まってるぞ」

春原「え? マジ?」

朋也「ああ」

春原「………」

春原「はは、でもさ、あれだよね、時差があって一日ずれたってやつ?」

この部屋だけ異空間にでも飲みこまれているのだろうか。

朋也「ちなみにクラス発表の掲示板におまえの名前はなかったぞ」

春原「えぇ? なんでよ?」

朋也「知らねぇよ。留年でもしたんじゃねぇの。ああ、除籍かも」

春原「あ…そ、そうかよ…」

春原「………」

春原「へっ、岡崎……僕、おまえと過ごしたこの二年間、楽しかったよ。達者でな…」

朋也「俺、明日カツ丼食いたいんだけど」

春原「唐突だな…こんな時だっていうのに、最後までおまえは…」

春原「まあ、いいよ、僕がおごってやるよ。ほら」

渋い顔で小銭を渡してくれる。

朋也「お、サンキュ。これからも昼代、よろしくな」

春原「はっ、なに言ってんだよ、これからはおまえ一人でやっていかなきゃならないんだぞ?」

朋也「そんな寂しいこというなよ。同じクラスになったんだしさ」

春原「はい?」

朋也「あったよ、お前の名前。俺と同じD組だ。んで、担任はさわ子さんな」

春原「おまえ…金、返せよっ!」

朋也「ちっ、しょうがねぇな…はぁ、ほらよ」

春原「なんで加害者のおまえが不満そうなんだよっ!」

春原「くそぅ…タチの悪い嘘つきやがって」

朋也「いや、でもさ、お前の名前のうしろに(故)って書き加えといたし、あながち嘘でもないぞ」

春原「勝手に殺すなっ!」

朋也「つじつま合わせなきゃだろ?」

春原「だろ? じゃねぇよっ! いらんことするなっ!」

―――――――――――――――――――――

朋也「ふぁ…」

時計の針はすでに深夜の2時を指していた。
テレビもないこの部屋で出来ることなんて、雑誌を読むか、話をするくらいの二択だったのだが…
この時間にもなれば、さすがにどちらも飽和状態を迎えてしまう。
帰るなら、ここいらが頃合だった。
俺は無言でコタツから出た。

春原「帰るの? だったら、僕ももう寝るから電気消してってくれよ」

春原「布団から出るのめんどうなんだよね」

朋也「ああ、わかった」

パチっ

がちゃり

俺は電気を消し、部屋を出た。
廊下には、『ドアもちゃんと閉めていきしょうねっ!』と春原の声が響き渡っていた。

―――――――――――――――――――――

4/6 火

今日も遅刻しての登校。ともかく、自分の席までやってくる。

唯「あ、おはよ~、岡崎くん」

朋也「………」

すると、平沢を囲むようにして3人の女生徒が集まっていた。
その内の一人は、図々しくも俺の席に座っている。
そして、全員が来訪した俺に注目していた。
なんとも居心地が悪い…。

唯「あ、ほらりっちゃん、どかないと岡崎くんが座れないよ」

女生徒「おっと、悪いね」

その女生徒と入れ替わりに着席する。
だというのに、まだ注視され続けていた。
息苦しくなって、俺は机に突っ伏した。

朋也(って、なんで俺が弱い立場なんだよ…)

朋也(くそ、なんか納得いかねぇぞ。睨み返してやろうか…)

唯「それでね…」

と、思ったが、すぐに平沢たちの声が聞こえてきた。
会話を再開したのだろう。
その気はなかったが、嫌でも耳に入ってくる。

軽音部の新入部員がどうのとか、そんな話だった。

朋也(こいつら、軽音部の奴らなのか)

朋也(まぁ、なんでもいいけど…)

―――――――――――――――――――――

………。

―――――――――――――――――――――

声「起立、礼」

生徒が号令をかける。
ありがとうございました、と一つ響いて授業が終わった。
ややあって、教師に質問をしにいく者や、談笑し始める者が現れ始めた。

朋也(ふぁ…あと一時間で昼か)

次の授業は英語。英作文だ。
担当教師の名前を見てみると、堅物で知られる奴のものだった。
授業を聞いていなかったりすると、その場で説教を始めるのだ。
その最後に、みんなの授業時間を使ったことを謝罪させられる。
俺みたいな奴にとっては、まさに天敵と言っていい存在だった。

朋也(たるいな…サボるか)

唯「ねぇねぇ、岡崎くん」

サボリの算段を立てていると、平沢に肩をつつかれた。

朋也「…なに」

唯「じゃんっ。これ、すごくない?」

平沢が俺に誇示してきたのは、シャーペンだった。
ノックする部分が、球体に目が入った謎の物体になっていた。
どこかで見たことがあるような気がするが…。

朋也「…別に」

唯「なんで!? これ、だんご大家族シャーペンだよ!? レア物だよ!?」

そうだ、思い出した。だんご大家族。
もうずいぶん前に流行ったアニメだか、歌だかのキャラクターだ。

朋也「なんか、汚ねぇよ」

唯「うぅ、ひどいっ! 昔から大切に使ってるだけだよっ」

唯「っていうか、私の愛するだんご大家族にそんな暴言吐くなんて…」

唯「もういいよっ。ふんっ」

朋也(なんなんだよ、こいつは…)

なんとなく気力がそがれ、サボる気も失せてしまった。

朋也(はぁ…聞いてるフリだけでもするか…)

結局、俺はサボリを断念することにした。
こんな奴に影響を受けて気分を左右されるのは、少しシャクだったが…。

―――――――――――――――――――――

………。

―――――――――――――――――――――

授業が終わり、昼休みに入った。

唯「ねぇ、岡崎くん」

学食へ出向くため、席を立とうとした時、呼び止められた。

朋也「なんだよ」

唯「部活入ってないんだよね?」

朋也「昨日言わなかったか」

唯「だったね。じゃあさ、軽音部なんてどうかなっ? 入ってみない?」

朋也「はぁ? 俺、もう三年なんだけど」

朋也「入ってすぐ引退するんじゃ、意味ないだろ」

唯「う…あ…そうだったね…ごめん」

朋也「別に謝らなくてもいいけどさ…」

唯「うん…」

そんなにも新入部員が欲しいのだろうか。
学年も見境なく勧誘してしまうほどに。

―――――――――――――――――――――

春原「よぅ、今から昼?」

廊下に出ると、ちょうど登校してきた春原と顔を合わせた。

朋也「まぁな」

春原「どうせ学食だろ? 一緒に食おうぜ」

春原「鞄置いてくるから、ちょっと待っててよ」

俺の返事を聞かず、そう言うなりすぐさま教室に足を踏み入れる。
が、そこで動きを止めて振り返った。

春原「あのさ、おまえ、僕の席どこか知らない?」

こいつは先日サボったせいで、自分がどこの席かわからないのだ。
俺がいなければ、クラスさえわからなかっただろう。

朋也「あそこだよ。ほら、あの、気軽に土足で踏み荒らされてる机」

朋也「みんな避けずに上を通って行ってるな」

朋也「お、座ってたむろしてるやつまでいる。あ、ツバ吐いた」

春原「そんな一昔前のコンビニ前みたいな席あるかっ! 適当なこと言うなっ」

春原「ったく…おまえに訊いた僕がアホだったよ…」

朋也「うん」

春原「いちいち肯定しなくていいです」

春原「で…担任、さわちゃんなんだよな?」

朋也「ああ、そうだよ」

春原「そっか。ま、さわちゃんなのはいいけど…今から職員室まで訊きにいくの、たるいなぁ…」

朋也「いや、座席表見ろよ。教卓の中に入ってるぞ」

春原「最初から言いましょうねっ!」

―――――――――――――――――――――

春原「でもさ…むぐ…担任がさわちゃんって、運いいよね、僕ら」

カレーを口に含ませたまま、もごもごと喋る。

朋也「かもな」

春原「僕、三年連続あの人だよ」

春原「おまえは二年からで、一年のときは幸村のジジィだったよな」

朋也「ああ」

春原「僕らに甘いって点ではジジィでもよかったけど、やっぱさわちゃんでよかったよ」

春原「女教師のが目に優しいし、その上、なんだかんだいって、可愛いしね、あの人」

朋也「そうだな」

購入したうどん定食、そのメインである麺をすする。

朋也「でも、あの人よくわかんないとこあるからな」

春原「ああ、素を隠してるとことか?」

朋也「まぁ、それもあるけど、なんか俺クラスの係にされちまってたし」

春原「マジ? おまえが? ははっ、こりゃ荒れるぞ。学級崩壊するかもな」

朋也「ちなみにおまえもされてたぞ」

春原「マジで? なんの係?」

朋也「駆除係」

春原「なにそれ」

朋也「この学校って周りに自然が多いだろ?」

朋也「だからさ、時たま教室にゴキブリとか、ハチとかが襲撃してくるじゃん」

朋也「それで、おまえはそいつらと戦うんだよ」

春原「へぇ、なるほど。そりゃ、おもしろそうだね」

真に受けてしまっていた。

春原「なら、有事に備えて、全盛期の動きを取り戻しとこうかな」

朋也「どうせたいしたことないだろ」

春原「ふん、あんまり僕を侮るなよ。壁走りとかできるんだぜ?」

ゴキブリのような男だった。

朋也「まぁ、おまえ一回スズメバチに刺されてリーチかかってるしな」

朋也「さわ子さんも、おまえを始末したくて選んだのかもな」

春原「そんな裏あるわけないだろっ! っていうか僕、スズメバチに刺された過去なんかねぇよっ」

春原「選ばれたのは、純粋に僕の戦闘力を見て、だろ?」

朋也「はいはい…」

―――――――――――――――――――――

………。

―――――――――――――――――――――

清掃が終わってからSHRまでの時間。
配布係は、この間に職員室まで配布物を取りに行くことになっていた。

唯「うぅ~、初仕事、緊張するね」

相変わらずこいつはよく話しかけてくる。
授業間休憩の時も、しょっちゅう話を振ってきた。
人と会話するのが好きなんだろうか…。
俺のような無愛想な男に好き好んで絡んでくるくらいだから、そうなのかもしれない。
ただ単に、席が隣同士だから、良好な関係を築いておきたいだけ、という線もあるが。

唯「岡崎くんは、緊張しないの?」

朋也「しようがないだろ」

唯「へぇ、すごいねっ。いい心臓持ってるよっ」

よくわからないが、褒められてしまった。
もしかすると…
こいつはただ単に思ったことを言っているだけで、他意はないのかもしれない。

―――――――――――――――――――――

各学年、クラス毎に設置されたボックスの中に配布物が入っている。
俺たちはD組のボックスを開けると、中にあったプリントを出し始めた。

唯「よいしょっと…」

なかなかに量が多い。
生徒に勉学を奨励するような新聞の記事やら、偉人の格言など、そんな類のものも混じっている。

進学校だからなのかどうか知らないが、こういう事になにかと熱心なのだ。
進学するつもりもない俺にとっては、余計なお世話でしかなかったが。

唯「っわ、ととっ」

プリントを抱え、よろめく。
見ていて少し危なっかしい。
バランス感覚に乏しいやつなんだろうか。

朋也「おまえ、大丈夫なのか。少し俺が持つか?」

唯「ううん、大丈夫だよ。いこ?」

なんでもないふうに言って、職員室の出入り口に向かう。
俺もその背を追った。
その間も足元がおぼついていなかったが、かろうじてこけることはなかった。
何事もなく教室まで辿り着ければいいのだが…。

―――――――――――――――――――――

唯「ふぃ~、あとちょっとだね…」

俺に振り向きながら言う。
その時…

唯「わっ」

男子生徒1「痛っ…」

ばさっ、と平沢の抱えていたプリントが舞い落ちて、床に散らばった。

俺の方を向いたのと、向かいから来た男が脇見したタイミングが重なってのことのようだった。

男子生徒1「…あ~、ごめん」

肩を軽く抑えている。

男子生徒2「うわ、おまえ最悪っ」

隣にいた男が意気揚々と囃し立てる。

男子生徒1「いや、おまえじゃん。俺の注意力をそらしたのが主な原因だから」

男子生徒2「はははっ、マジおまえ」

朋也「………」

なんとなく気に入らない奴らだった。

唯「私も、よく見てなかったから、ごめんなさ…」

唯「あ…」

その男たちは、平沢の言葉を聞くことなく、プリントを拾いもせずに立ち去ろうとしていた。

唯「あはは…ごめん、岡崎くん。先にいってて」

ひとり、散らばったプリントを集め始める平沢。

朋也「………」

俺はその場に自分の持っていたプリントの束を置いた。

朋也「おい、待てって」

男たちの背に怒気を含んだ声を浴びせる。

男子生徒1「………は?」

男子生徒2「………」

どちらも怪訝な顔で振り向いた。

朋也「おまえらも拾え」

言いながら、近寄っていく。

男子生徒1「いや…は?」

男子生徒2「…なにこいつ」

朋也「むかつくんだよ、おまえらはっ」

俺は平沢にぶつかった方の胸倉をつかんだ。

男子生徒1「っつ…は?」

男子生徒2「は? なにおまえ…なにしてんの? やめろって」

もう片方が引き離そうとしてくる。

唯「私のことはいいよ、岡崎くんっ、落ち着こう! ね?」

平沢も俺の袖を引いて止めに入ってきた。

朋也「…ちっ」

掴んでいた手を離す。

男子生徒1「意味わかんね、バカだろ普通に」

男子生徒2「頭おかしいわ、もうだめだろあいつ」

罵りの言葉を吐きながら立ち去っていく。
俺はその後姿を睨み続けていた。

唯「ごめんね…岡崎くんにまで嫌な思いさせちゃって…」

袖を持ったまま、俺を見上げてそう謝った。
初めて見た、こいつの悲しそうな顔。
いくら俺の応答が悪くても、まったく見せなかったその表情。
巻き込んでしまったことが、そんなに辛いのだろうか。
そんなの、俺が勝手に首を突っ込んだだけなのに。
………。

朋也「…プリント拾って帰るぞ」

せめて今だけは助けになってやりたい。
そう思えた。

唯「あ…うん」

―――――――――――――――――――――

配布物も無事配り終え、SHRが終わった。

唯「岡崎くん」

直後、平沢に声をかけられる。

朋也「なんだよ」

唯「さっきはありがとね。私…ほんとはうれしかったよ」

唯「プリントも一緒に拾ってくれたしさ」

朋也「…そっかよ」

唯「あ、でも乱暴なのはだめだよ? 愛がないとね、愛が!」

唯「それじゃあねっ」

一方的にそれだけ言うと、うれしそうにぱたぱたと教室を出て行った。

朋也「………」

俺はなにをあんなに怒っていたんだろう。
俺だって、あいつらと大して変わらないだろうに。
無神経に振舞って、冷たく接して…
………。
それでも…平沢はずっと話しかけてくるんだよな…。
そして、最後には、俺に礼まで言っていた。


朋也(なんなんだろうな、あいつは…)

春原「岡崎、帰ろうぜ」

ぼんやり考えていると、春原が俺の席までやってきた。

朋也「ああ、そうだな」

さわ子「あ、ちょっと待って、そこのふたりっ」

小走りで俺たちのもとに駆け寄ってくる。

春原「なに? さわちゃん」

さわ子「話があるの。ちょっとついてきてくれる?」

春原「え、なに? 僕、告られるの? さわちゃんに?」

さわ子「そんなわけないでしょっ」

さわ子「というか、さわちゃんって呼ぶのはやめなさいって、いつも言ってるでしょ」

春原「じゃ、なんて呼べばいいの? さわ子・オブ・ジョイトイ?」

さわ子「なんでインリンから取るのよ…」

春原「M字開脚見たいなぁ、って…」

ぽか

持っていたファイルで軽く頭を殴られる。

春原「ってぇ…」

さわ子「変なこと言わないの。私のことは、普通に山中先生と呼ぶように」

春原は頭をさすりながら、はいはい、と生返事をしていた。

さわ子「さ、とにかくついてきて」

―――――――――――――――――――――

さわ子「あんた達ねぇ…」

俺たちは人気のない空き教室に連れてこられていたのだが…

さわ子「遅刻、サボリ…それも初日から連続で…」

さわ子「ほんとにもう、大概にしなさいよっ」

その途端、素に戻って荒い言葉遣いになるさわ子さん。
変わり身の早い人だった。

春原「んなに怒んなくてもいいじゃん。なんとかなるって」

さわ子「ならないわよ、バカ」

春原「え、もしかして…ヤバいの?」

さわ子「まぁ、けっこうね」

この人が言うのだから、本当にマズイのだろう。
教師の中で味方といえるのは、さわ子さんと幸村ぐらいのものなのだから。

さわ子「助かるかもしれない方法がひとつだけあるわよ」

春原「校長でも校舎裏に呼び出すの?」

さわ子「あんたは私の話が終わるまでちょっと死んどきなさい」

春原「ちょっとひどくないっすか、それ?」

朋也「早く仮死れ」

春原「ああ、やっぱあんたが一番鬼だよ…」

朋也「で…方法って、なんだよ」

さわ子「一番いいのは生活態度をまともにすることだけど、あんた達には無理でしょうからね…」

さわ子「他の事で心証をよくするしかないわ。気休めかもしれないけど」

朋也「ボランティアしろとかいわないだろうな」

さわ子「まぁそれに近いわね」

春原「えぇぇ? やだよ、献血とかするんでしょ? 痛いじゃん」

さわ子「だから、あんたは少し黙ってなさいって」

朋也「そうだぞ。それに、おまえの血なんか輸血されたら、助かるはずの患者も即死するだろ」

朋也「仮に助かっても、脳に重大な後遺症が残るだろうし」

春原「しねぇよっ! 毒みたくいうなっ!」

さわ子「とにかく! あんた達には部活動の手伝いをしてもらうから」

朋也「はぁ?」
春原「はぁ?」

同時に素っ頓狂な声を上げる俺たち。

さわ子「今日から軽音部の新入部員集めに協力しなさい」

軽音部…というと、平沢が所属しているところか…。

さわ子「さぁ、今から行くわよ。ついてきなさい」

呆然とする俺たちを残し、教室を出ていく。

春原「おい…どうすんだよ」

朋也「どうするって…やんなきゃ、卒業がやばかったり、退学処分だったりが現実味を帯びてくるんじゃねぇの」

春原「じゃあ、やんのかよ、おまえ」

…なにも知らなければ、抵抗があっただろう。
だが、もう平沢のことを知ってしまっていた。
会ってまだ間もないが、悪い奴ではないように思う。
だから、協力してやれるなら、それでもよかった。

春原「…ふーん、部活なんかしてる連中とは関わりたくもないって、そういう奴だと思ってたんだけど」

春原「それが最初に僕たちが意気投合したところだしねぇ」

さわ子「なにやってんの? 早く来なさい」

ドアから顔を覗かせ、手招きする。

春原「…ま、いいや」

呼びかけに応え、春原が教室を出ていく。
遅れて俺もその後を追った。

―――――――――――――――――――――

さわ子「みんなやってるぅ?」

女生徒「あ、さわちゃん…って、そっちのふたりは…」

唯「あれ…」

さわ子「新入部員獲得のための新兵器よ。ま、こき使ってやって」

さわ子「そんじゃねー、がんばってー」

ばたん

朋也「………」
春原「………」

あれだけしか言わずにちゃんと伝わったのだろうか…。
軽音部の連中…見れば女生徒ばかりだった。
彼女たちも事情を飲み込めずにいるのか、ポカンとしている。

女生徒「あんたら…同じクラスの岡崎と…そっちの金髪、名前なんだっけ」

春原「ちっ…春原だよ。覚えとけっ」

女生徒「なっ…なんだこいつ、態度悪いな…」

唯「岡崎くん、新兵器って…?」

朋也「ああ、いろいろあって俺たち、軽音部の新入部員集め手伝うことになったから」

唯「え!? ほんとに?」

春原「ありがたく思えよ、てめぇら」

女生徒「なっ…あんたなぁっ」

唯「まぁまぁ、りっちゃん。せっかく手伝ってくれるんだから感謝しようよ」

女生徒「うぐぐ…」

さっそく春原は不協和音の引き金となっていた。

朋也(しかし…部員はこいつらだけなのか…?)

朋也(だとすると、1、2…5人か…少ないな)

俺の見立てが正しいなら、駆り出された理由は、この人手の足りなさからなのかもしれない。

唯「そうだ、自己紹介しよう! ね! まず私から!」

唯「ボーカルとギターの平沢唯です! よろしく! はい、つぎ澪ちゃん!」

女生徒「あわ、わ、わたし…?」

女生徒「………」

女生徒「…秋山澪です…」

唯「はい、澪ちゃんはベースやってます! 美人です! 恥ずかしがり屋です! つぎ、ムギちゃん!」

女生徒「琴吹紬です。担当はキーボードです。よろしくね」

唯「ムギちゃんはお嬢様です! 毛並みも上品です! でもふわふわしてます! そこがグッドです!」

唯「はい、つぎあずにゃん!」

女生徒「はあ…」

女生徒「えっと…二年の中野梓です」

唯「あずにゃんはみたとおり可愛いです! 担当はギターです! あずにゃんにゃん! あずにゃんにゃん!」

平沢が奇声に近い声を発し、中野という子に頬をすり寄せ始めた。

梓「ちょっと…唯先輩、やめてください…」

唯「でひゃっひゃっ」

ひとしきりじゃれついた後、ようやく離れた。

唯「…うおほん。では最後に、われらが部長、りっちゃん!」

女生徒「あー、田井中律。部長な。終わり」

唯「りっちゃんはみたとおり、おデ…」

律「その先はいうなっ」

パシっ

唯「コッ! った~い…」

妙な連中だった。
それは、平沢が中心になっているからそう見えたのかもしれないが…。

唯「それじゃ、次は岡崎くんたちね」

朋也「岡崎朋也」

春原「…春原陽平」

朋也「こいつの担当は消化音だ。ヘタレだ」

春原「変な補足入れるなっ! つーか、消化音って、どんな役割だよっ!」

朋也「胃で食い物が消化されたらさ、ピ~、キュ~って鳴るだろ。あれだよ」

春原「恥ずいわっ!」

唯「春原くん、消化音でドの音出してみてっ!」

春原「できねぇよっ!」

律「しょぼっ…」

春原「あんだとっ、てめぇデコっ」

律「はぃい? なんだってぇ?」

間を詰めて、今にも掴みかかっていけそうな距離で火花を散らし始めるふたり。

唯「ストップストップ!」
紬「りっちゃん、どうどう」

部員に両脇を固められ、その態勢のままなだめられる部長。

律「んむぅ~…むぅかぁつぅくぅ」

梓「あの…ちょっといいですか?」

場が落ち着いたところを見計らったように、控えめな声が上がる。

律「なんだよっ、梓」

梓「律先輩たちって同じクラスなんですよね?」

律「? そうだけど」

梓「その…岡崎先輩と、春原先輩もそうだって言ってましたよね?」

律「ああ、いったけど」

梓「じゃあ、なんで今自己紹介なんですか?」

唯「それはね、最初の自己紹介の時に、ふたりともきてなかったからだよ」

梓「え、そうだったんですか…」

唯「春原くんにいたっては、今日初めて見たんだよね」

律「ああ、昼休みにいきなり派手な金髪が現れたからびっくりしたよな」

春原「いや、そっちの琴吹ってのも金…」

紬「私が…なに?」

その時、なんだかよくわからないが、すさまじい闘気のようなもを感じ取った。

春原「ひぃっ」

そしてすぐにわかった。それが春原に向けられたものであるということが。

春原「なんでもないです…」

そう、こいつには黙る以外の選択肢はなかったはずだ。
それぐらい有無を言わせないほどの圧力だった。
…何者だよ、あいつは。

梓「昼…?」

律「ああ、前にこのふたりと同じクラスだった奴から聞いたんだけどさ、こいつら、不良なんだと」

律「それで、サボりとか、遅刻が多いんだってさ」

梓「ふ、不良ですか…」

俺と春原に恐る恐る目を向ける。
やがてその視線は春原の頭で止まっていた。

春原「ああ? なんだよ?」

梓「い、いえ…」

春原「ちっ、さっきからチラ見してきやがって…」

無理もない。今時金髪で、そんな奴がこんな進学校の生徒なのだから。
普通の奴からしてみれば、物珍しいはずだ。

澪「………ぅぅ」

怯えたように後ずさっていく。

唯「澪ちゃん、怖がらなくて大丈夫!」

唯「岡崎くんはいい人だよっ。私が保証するよっ!」

…保障されてしまっていた。
まさか、あの廊下での出来事を根拠に言っているんだろうか…。

規制

それ以外、この評価に繋がりそうなことなんて、思い浮かばないのだが…
でも、そうだとしたら、安易過ぎる…。

梓「え?」

紬「あら…」

澪「………」

律「唯…おまえ、岡崎となんかあったのか?」

唯「ん? なにが?」

律「いや、なにって…そりゃ…その…男女の…いろいろとか…」

唯「へ? 男女のいろいろって?」

律「だから、惚れた腫れたのあれこれだよ。つまり、おまえが岡崎に気があるってことな」

唯「え、あ…そ、そういうのじゃないけど…」

律「う~む…こいつ、顔立ちは整ってるけど…不良だぞ?」

唯「だから違うってぇ~…」

春原「………」

無言でそのやり取りを眺める春原。
こいつは今、なにを思っているんだろうか…。

春原「へぇ…そういうこと」

俺に向き直り、口を開いた。

朋也「…なにがだよ」

なにか、あらぬことを邪推されている気がする…。

春原「いや、ずいぶんなつかれてるなと思ってね」

朋也「言っておくけど、なにもないからな」

春原「ああ…そうだね」

その含み笑いが腹立たしかった。

朋也(勘違いしてんじゃねぇよ…)

―――――――――――――――――――――

唯「えー、おほん。それでは新入部員捕獲作戦ですが…こちら」

そこに並べられていたのは、犬、猫、馬、豚、ニワトリ…等、動物の着ぐるみ。
どれも微妙にリアリティがあって少し不気味だった。

唯「この着ぐるみを着てやりたいと思います」

澪「えぇ…それ着なきゃだめか?」

唯「だめだよ。普通にやったんじゃインパクトに欠けるからねっ」

律「ま、これ着てれば顔割れないし、恥ずかしくないからいいんじゃないか?」

澪「そうだけど…はぁ…あんまり気が進まないな…」

梓「私も…なんとなく嫌です…」

唯「やってればそのうち楽しくなるよ、たぶん」

澪「たぶんて…」

梓「はぁ…」

律「私ニワトリー」

唯「じゃ私豚ー」

紬「私、犬~」

部長を皮切りに、しぶっている部員も含め、皆選び始めた。

朋也「おまえ、どうする」

春原「あん? 適当でいいでしょ。余ったやつでいいよ」

朋也「そうか」

―――――――――――――――――――――

春原「………」

全員の着替えが終わる。
…約一名、春原を除いて。

唯「あれ? 一着たりなかったね」

律「どうするかなぁ、こいつは」

唯「う~ん…」

朋也「おまえ、全裸でいけ」

律「ぶっ」

澪「ぜ…ぜん…」

唯「それ、すごいインパクトだよっ」

春原「死ぬわっ! 社会的にっ!」

朋也「じゃあその上からロングコート一枚着込んでいいから」

春原「典型的な変質者だろっ! 実質大差ねぇよっ!」

律「わははは!」

梓「あの…春原先輩は染髪してますし、そのままでも十分インパクトあると思いますけど…」

唯「それもそうだねっ」

春原「なら、僕はこのままいくからなっ」

紬「待って、こんなものがあったんだけど…」

その子が持ってきたのは、カエルの頭だった。

唯「ムギちゃん、それって…」

紬「うん、唯ちゃんが部室に置いてたカエルの置物」

紬「あれ、頭部が脱着可能で、中が空洞になってたの」

律「ふ~ん、じゃあ春原、あんたこれつけてけよ」

紬「はい、どうぞ」

春原「カエルかよ……まぁ、いいけどさ」

受け取り、装着する。

春原「あれ? これ、前が見えないんだけど」

紬「あ、そっか、目の部分、穴開けなきゃ…」

紬「唯ちゃん…」

唯「う~ん、しょうがないな…あけちゃおうか」

律「うし。じゃ、あんた、動くなよ」

春原「わ、馬鹿、脱いでからあけろよ!」

律「ははは、冗談だよ。そうビビんなって」

いや…でも、もしかしてあいつなら…

―――――――――――――――――――――
―――――――――――――――――――――

紬「あ、ちょっと動かないでね。外すと後味悪いから」

春原「な、なにを…」

紬「ショラァッ!」

ゴッ ゴッ

春原「ひぃっ」

春原「あれ…前が見える…」

二つの衝撃音と、春原の悲鳴の後、カエルの目の部分に穴が開いていた。

律「ひぇ~、相変わらずすごいな、ムギの“無極”」

唯「うん。“無極”からの左上段順突き、右中段掌底で穴を開けた…」

唯「普段ならあそこから“煉獄”につなげてるけど、今回は穴を開けるだけが目的…」

唯「命拾いしたね、春原くんは…」

―――――――――――――――――――――

―――――――――――――――――――――

ということに…

春原「おい、岡崎。なにぼけっとしてんだよ。もう出るみたいだぞ」

朋也「あ、ああ」

どうやらもう穴あけが終わっていたらしい。
アホな妄想もほどほどにしなければ…。

朋也(にしても、男の部員がいないよな…一応訊いておくか)

朋也「なぁ、平沢」

唯「ん? なに?」

朋也「ここって女ばっかりだけど、男の部員は募集してないのか」

唯「ん~、それはねぇ…私は別にいいんだけど…」

ちらり、と横に立つ馬の着ぐるみに顔を向ける。

澪「な、わ、私だって別に…でも、女の子同士のほうがいろいろとやりやすいっていうかだな…」

澪「えっと…そ、そうだ、梓はどうなんだ? 来年はもう梓しか残らないんだし…」

澪「どっちがやりやすいとか、あるか?」

猫の着ぐるみに問いかける。

梓「私ですか? 私も別に…」

澪「で、でも放課後ティータイムで活動してきたわけだし…」

澪「やっぱり女の子のほうがいいかもな、うん」

律「こいつがこんな感じで恥ずかしがりだからさ、まぁ、できれば女で頼むわ」

言って、ニワトリの着ぐるみが片手を上げた。

朋也「ああ、わかった」

―――――――――――――――――――――

春原「ふぁ~、かったるぅ」

春原は地面に座り込み、ビラを数枚重ね、うちわのようにして扇いでいた。

朋也「おい、おまえもそれ配れよ」

俺と春原は、軽音部の連中とは別の場所で勧誘活動をしていた。
あいつらは正門へ続く大通り、そして俺たちは玄関で張っている。

春原「こんなもん配ったって効果ねぇよ」

朋也「じゃ、どうすんだよ」

春原「気弱そうな奴を脅せばいいんだって」

春原「お、ちょうどいいところにカモ発見」

春原「おい、おまえ」

高圧的な態度で進路を塞ぐようにして、通りかかった男子生徒のもとへにじり寄って行った。
あの時の話を聞いていなかったのか、条件を完全に無視していた。

男子生徒「は、はい…?」

春原「軽音部…入るよな?」

男子生徒「え、いや…僕ラグビー部にもう…」

春原「ああ? おまえみたいなのがラグビー?」

春原「ははっ、やめとけよ。死んじまうぜ? それに、あいつら馬鹿ばっかだから…」

男子生徒「誰が馬鹿だって?」

春原「ひぃっ」

春原の背後に現れたのは、同じ寮に住んでいるラグビー部の三年。

ラグビー部員「その声、春原だろ。なにウチの部から引き抜こうとしてんだよ」

春原「い、いや、ちがいま…」

ラグビー部員「カエルの被り物なんかしやがって…バレバレなんだよっ。こっちこい!」

春原「ひ…ひぃぃぃぃぃいい」

そのままずるずるとどこかへ引きずられていってしまう。

どこまでもお約束な男だった。

―――――――――――――――――――――

もういい時間になったので、とりあえず部室に戻ってくる。

澪「ぁ、わわ…」

唯「わぁっ! 春原くん、なんでそんなボコボコになっちゃたの?」

春原の装備していたカエルは、ところどころひびが入り、返り血さえ浴びていた。

春原「…大物を勧誘してただけだよ」

律「なにを勧誘したらそうなるんだっつーの…」

―――――――――――――――――――――

着ぐるみを脱ぎ、身軽になる。
今は全員でテーブルを囲み、ひと息入れていた。
そのテーブルなのだが、ひとつひとつ机を繋げて作られたものらしかった。
そこで急遽、俺と春原の分も継ぎ足してくれていたのだ。

律「で? そっちはどんな感じだった?」

朋也「ビラは何枚か渡せたけど、けっこう逃げられもしたな」

律「そっか、こっちとあんま変わんないな」

唯「なんで逃げられちゃうんだろ?」

春原「着てるもんが不気味なんだろ」

律「あんたがいうな。血なんかつけて軽くホラー入ってたくせに」

春原「ふん…」

澪「直接勧誘活動していいのは今日までだから、あとはもう明後日にかけるしかないな」

唯「あさって? なんで?」

澪「春休み中に予定表もらっただろ? みてないのか?」

唯「う、うん。ごめん、みてない」

澪「はぁ…まったく…」

やれやれ、とため息をひとつ。

澪「ほら、この時期はさ、放課後、文化部に講堂で発表する時間が与えられるだろ」

澪「それで、軽音部は4/4木曜日の放課後からってことになってるんだよ」

澪「まぁ、規模の小さい創立者祭みたいなものだな。去年もやっただろ?」

唯「ああ、新勧ライブだね」

澪「そうそう」

紬「梓ちゃんはあの時のライブで入部を決めてくれたのよね」

梓「そうですね。最初はジャズ研と迷ってましたけど、あのライブが決め手になりました」

澪「やっぱり、重要だよな、新勧ライブは」

律「だな。そんじゃ、気合入れてがんばりますか、明後日は」

部長が言うと、皆こくりと頷いていた。

春原「なんか結論出たみたいだし、僕たち、もう帰るぞ」

春原「いこうぜ、岡崎」

朋也「ん…ああ」

春原に言われ、席を立つ。

紬「あ、まって」

春原「あん? なに、まだなんかあんの?」

紬「ケーキと紅茶あるんだけど、食べていかない?」

春原「マジで?」

紬「うん、ぜひどうぞ」

春原「へへ、けっこう気が利くじゃん」

上機嫌で座り直す春原。

唯「わぁ、待ってましたっ」

律「って、ムギ、こいつらにもやんの?」

紬「うん、せっかく手伝ってくれたから…」

律「くぁ~、ええ子やで…感謝しろよ、てめぇら」

春原「ああ、ムギちゃんにはするよ」

律「ムギちゃんって…いきなり馴れ馴れしいな、あんた…」

紬「? 岡崎くんは、いらない?」

座ろうとしない俺を見て、その子…確か、琴吹…が問いかけてくる。

朋也「俺、甘いの苦手だからさ。帰るよ」

紬「だったら、おせんべいもあるけど」

朋也(せんべいか…)

それなら…ご相伴に預かっておいてもいいかもしれない。

春原「ただでもらえるんだぜ? 食っとけば?」

朋也「ああ…そうだな」

紬「じゃ、みんな待っててね。今持ってくるから」

―――――――――――――――――――――

春原「お、ウマイ」

一口分にしたケーキの一片を口に放ると、すぐにそう感想を漏らしていた。
よっぽどうまかったんだろう。

紬「ほんと? よかったぁ」

紬「岡崎くんはどう? おせんべい」

朋也「ああ、うまいよ」

せんべいの方も、醤油がよく染みていて、ぱりっとした歯ごたえもあり、いい味を出していた。

紬「あはっ、よかった。持ってきた甲斐があったな」

唯「ムギちゃんの持ってくるおやつって、いつもクオリティ高いよね」

律「だよな。これのために軽音部があるといっても過言じゃないな」

澪「おもいっきり過言だからな…」

春原「え、おまえらいつもこんなの食ってんの?」

唯「うん。でね、食器類も、そこの冷蔵庫も全部ムギちゃんちのなんだよ。すごいでしょ」

そう、この部室には食器棚と冷蔵庫が設置されていた。

学校の備品で、物置代わりにされているのかと思っていたが…私物だったようだ。

朋也「教師に何か言われたりしないのか」

部室での飲食を含め、ここまでやれば、普通はお咎めがあるように思うのだが…どうなんだろう。

律「ああ、それは大丈夫。顧問がさわちゃんだからな」

律「あんた、さわちゃんの素顔、知ってる?」

朋也「ああ、まぁ」

律「そか。なら想像つくだろ。あの人もここで飲み食いしてるんだよ」

朋也「そうなのか…」

朋也(つーか、あの人、軽音部の顧問だったのか…それで…)

なぜ軽音部の手伝いだったのか、ようやく合点がいった。
人手不足なだけではなかったのだ。そういうコネクションがあったからこそだった。

春原「なんかここ、住もうと思えば住めそうだよね」

朋也「おまえの部屋より人の住まい然としてるしな」

春原「どういう意味だよっ」

朋也「ほら、お前の部屋ってなんていうか、閉塞感あるじゃん。窓に格子とかついてるし」

春原「それ、まんま牢獄ですよねぇっ!」

律「わははは!」

―――――――――――――――――――――

春原の部屋、いつものように寝転がって雑誌を読む。

春原「あーあ、軽音部の手伝いって、いつまで続くんだろうね…」

朋也「さぁな。でも部員集めは今日までだったみたいだし…」

朋也「明後日なんかあるとかいってたから、それまでじゃねぇの」

春原「それもそうだね」

春原「でも、ケーキうまかったなぁ。あれが毎回出るなら、手伝うのも悪くないね」

俺はせんべいとお茶だったが、確かにうまかった。

朋也「だな」

春原「明日はなにが出てくるんだろうね。お嬢様とかいってたし、キャビアとかかな」

朋也「さすがにそれはねぇよ。金粉をまぶしたサキイカとかだろ」

春原「そっちのがありえねぇよっ」

春原「ま、なんにせよ、行けばわかるか、ふふん」

朋也(こいつは…嫌がってたんじゃないのかよ)

4/7 水

唯「おはよう、岡崎くん」

朋也「…はよ」

唯「わ、今日は返事してくれるんだねっ」

朋也「無視したことなんかあったか」

鞄を下ろし、席に着く。
ついで、思い返してみる。
一応、態度は悪くとも反応はしていたはずだ。

唯「きのうは挨拶かえしてくれなかったよ?」

朋也(ああ…)

そういえば、そうだったような気がする。
あれはただ注目の的になったせいでたじろいでしまい、そんな余裕がなかっただけなのだが…。

朋也「悪かったな」

いちいち釈明するのも煩わしかったので、謝って話を終わらせることにした。

唯「いいよ。これからずっと返事してくれればね」

これからも挨拶され続けるのか、俺は。
別に、そこまで親しくなろうとしなくてもいいのに。

朋也「できるだけな」

だから、イエスともノーともとれるよう、そう答えておいた。

唯「うむ、よろしい」

腕を組み、こくこくと頷く。

唯「あ、それと、岡崎くん。やっぱり、遅刻はだめだよ?」

朋也「いいんだよ、俺は。不良だって知ってるだろ」

唯「う~ん、でも、そうは見えないんだけどなぁ…」

唯「だって岡崎くん、優しいよね。ちょっと乱暴なところもあったけど…」

もうこれは、あの時のことを言っていると思って間違いないんだろう。
平沢が体をぶつけられ、プリントをばら撒いてしまった時のことだ。
ならやっぱり、昨日もそうだったのだ。
大勢の前で、俺がいい人であるなんてことを保障していた。
…そんなわけないのに。

朋也「その乱暴なところが不良だっていうんだよ」

唯「でも、あれはその…私のためにっていうか…」

朋也「馬鹿。勘違いするな。あいつらが気に入らなかっただけだ」

朋也「おまえのためじゃない」

唯「でも、止めたらちゃんと聞いてくれたし…そのあと一緒にプリント拾ってくれたよ?」

朋也「そのくらいで優しいなんて言ってたら、悪人なんてこの世にいないぞ」

唯「そんなぁ…私には十分いい人に思えるけどなぁ…」

朋也「思い違いだ」

唯「そんなことない」

朋也「なんでそう言い切れるんだよ…」

唯「う~ん…なんでかな」

首をかしげる。

唯「でも、そう思うんだよね」

朋也「そう思って、いつか痛い目見ても知らねぇからな」

唯「大丈夫。そんな目にはあわないよ」

また言い切っていた。
唯「私は、岡崎くんがいい人だって信じてるから」

結局、この結論に戻ってきていた。いい加減、面倒になってくる。

朋也「…好きにしろよ」

どうせ、俺がどういう奴かわかれば、すぐ離れていくだろう。
こいつが好意的に接してくるのも、それまでだ。

唯「うん、好き放題するよっ」

朋也(はぁ…)

また、妙な奴と関わってしまったものだと…
窓の外、晴れ渡った空を見ながら思った。

―――――――――――――――――――――

………。

―――――――――――――――――――――

唯「ん~、やっとお昼だ」

隣で平沢が伸びをして、解放感に浸っていた。

唯「ねぇ、岡崎くんも一緒に食べない?」

ひょい、と手前に弁当箱を掲げた。

朋也「いや、俺、学食だから」

唯「学食かぁ、私いったことないなぁ…おいしいの?」

朋也「別に。普通だよ」

唯「そっかぁ…あ、引き止めちゃってごめんね。いってらっしゃい」

朋也「ああ、それじゃ」

見送られて席を立ち、いまだ机に突っ伏している金髪を起こしに向かった。

―――――――――――――――――――――

春原「おまえね…もっと普通に起こせよ…」

朋也「なにがそんなに不満なんだよ」

春原「不満しかないわっ! 起きたら黒板けしの粉の霧に包まれてたんだぞっ!」

春原「なにが、ミノフスキー粒子散布だよっ! ちょっと気管に入っただろっ!」

朋也「それくらい許せよ。ちょっとした余興だろ」

春原「昼飯前の余興で変なもん口に含ませないでくれますかねぇっ!」

―――――――――――――――――――――

春原「そういやさ…」

春原が水を飲みほし、口を開いた。

春原「軽音部の手伝いが終わったら、次はなにさせられるんだろうね」

春原「まさか、これだけで終わりなんてことはないだろうしさ」

朋也「さぁな。草むしりでもさせられるんじゃねぇの」

言って、カレーを口に運ぶ。

春原「うげ、めんどくさ。雑用系は勘弁して欲しいよなぁ…」

春原「とくにトイレ掃除とかはね。この前なんか、見ちゃったんだよね、僕」

春原「便器にさ、すっげぇでかいウン…」

ぴっ、と春原の目にカレーの飛まつを飛ばす。

春原「ぎゃあああああああああぁぁあぁ辛口ぃぃぃいいっ!!!」

地面に倒れこみ、もんどりうつ春原。

朋也「カレー食ってるときにそんな話題は避けろ、アホ」

春原「うぐぐ…そんなの、口で言ってくれよ…」

這い上がるようにして、なんとか体勢を元に戻す。

春原「いつつ…ふぃ~…うわ、なんか福神漬け出てきた…」

おしぼりで目を冷ましつつ、拭き取り始める。

春原「ところでさ、軽音部って、よく見たらかわいいこばっかだったよね。部長は除くけど」

春原「おまえもそう思わない? 部長は除くけど」

朋也「そうか? つーかおまえ、あの部長敵視してんのな」

春原「まぁね。なんか気に食わないんだよね、生意気だし、下品だし」

明らかに同属嫌悪というやつだった。

朋也(つーか、おまえがそれを言うのか…)

部長が気の毒でならなかった。

―――――――――――――――――――――

唯「おかえり~」

学食から戻ってくると、軽音部の連中が平沢の周りに集まっていた。
相変わらず部長は俺の席に陣取っている。
各自弁当箱を机の上に置いているところを見るに、食事が終わってそのまま雑談でもしていたんだろう。

律「おかえりって…夫婦のやり取りかよ。それも、こんな昼下がりに…」

律「意味深だなぁ、おい」

紬「まぁ、りっちゃんたら、深読みして…ふふ」

唯「う~、違うよぉ。っていうか、昼下がりなことがなにか関係あるの?」

律「ふ…そう、それはずばり、昼下がりの情事…」

澪「昼下がりの…情…うぅ…」

唯「りっちゃんなに言ってんの」

朋也「なんでもいいけど、部長、どいてくれ」

律「こりゃ失敬」

俺は席に着き、部長は平沢の後ろに回った。

唯「はっ、まずい、りっちゃんに背後取られたっ!」

唯「ま、間に合わない…アレを…くらうっ…あのハンマーフックをっ…」

律「もうお前ができることは病院のベッドの上で砕けたあごを治療することだけだっ」

スローモーションで平沢の顔面にこぶしをくりだす。

唯「お…おおっ…!!!?」

ぐにゃり、と緩やかにめり込んでいった。

紬「唯ちゃんは殴られる直前に後ろに跳んでる…まだ戦えるよっ」

澪「ムギ…おまえまでこんな茶番に合わせなくていいからな…」

男子生徒「あの…すんません。いいですか」

澪「え? あ…」

いつの間にか一人の男子生徒が所在無さげに立ちつくしていた。
その席本来の主だった。

澪「こ、こっちこそ、すみません…」

慌しく立ち上がり、席を譲る。

律「あ~あ、いつまでも人の席でだべってるからそういうことになるんだよ」

律「和を見習えよな~。ちょっと話した後すぐ席に戻って次の授業の準備してんだぜ?」

澪「う、うるさいな、おまえが言うな」

澪「でも、そろそろ戻ったほうがよさそうなのは確かだな。私はもう戻るよ」

紬「じゃ、私も」

律「待てっ! 部長である私が一番戻るんだよぅっ」

澪「一番戻るって…意味がわからん…」

紬「あはは」

かしましくそれぞれの席へと散って行った。

―――――――――――――――――――――

………。

―――――――――――――――――――――

配布係の仕事のため、平沢と共に職員室までやってくる。
俺はここで、さわ子さんにひとつ訊いておきたいことがあった。

朋也「平沢、先いっててくれ」

唯「え? なんで? 一緒にいこうよ」

朋也「野暮用があるんだよ。すぐ追いつくから、行け」

唯「ちぇ、わかったよ…」

平沢を先に帰し、さわ子さんのもとへ向かう。

さわ子「あら? なにか用? 岡崎くん」

朋也「あのさ、軽音部の手伝いのことなんだけど、明日まででいいんだよな?」

さわ子「う~ん、そうね、明日だものね、軽音部の新勧ライブ」

さわ子「うん、いいわよ」

朋也「それで俺たちの遅刻、欠席のペナルティはチャラ、ってことには…」

さわ子「そこまで甘くないわよ」

予想はしていたが、やっぱりまだなにかしら続くようだった。

―――――――――――――――――――――

………。

―――――――――――――――――――――

放課後。

唯「岡崎くんたち、今日も来てくれるの?」

朋也「手伝いを命じられてるからな」

唯「そんなこと関係なく来てくれていいのに」

朋也「迷惑だろ」

唯「そんなことないよ。なんか男の子いるのって、新鮮でいいもん」

朋也「じゃ、男の部員が入ってくること祈っとけ」

唯「でも、どこの馬の骨かわからない人より、岡崎くんたちのほうがいいよっ」

それはせっかくの新入部員に対して失礼なんじゃないのか…。

律「おぅ、唯、いこうぜ~」

軽音部の連中が固まってやってくる。

唯「うん、待って~」

平沢もそこに加わり、廊下へ出ていった。

春原「いこうぜ、岡崎」

入れ替わるようにして春原が現れる。

朋也「ああ」

―――――――――――――――――――――

律「うん?」

廊下、軽音部員たちの後ろを歩いていると、部長が振り返った。

律「あんたら、なんでついてきてんの?」

春原「今日もいやいや手伝ってやるっつーんだよ。それ以外の理由があるかっての」

律「いや、今日はいらねぇよ。練習するだけだし。明日の設備搬入の時にこいよな」

春原「あん? せっかくここまでついて来てやったんだから、茶ぐらい出せよ」

律「頼んでねぇし、ありがたくもねぇ! 帰れ帰れ、しっしっ!」

紬「まぁまぁ、お茶なら私が出すから」

律「ムぅギぃ~…」

春原「お、さすがムギちゃん、話がわかるねぇ」

律「なにがムギちゃんだよ、ほんっと馴れ馴れしいな…」

春原「ふん、僕とムギちゃんの仲だから、愛称で呼び合っても不思議じゃないんだよ」

律「きのう会ったばっかだろ…」

春原「時間は関係ないさ。ね、ムギちゃん」

紬「えっと…ごめんなさい、春原」

春原「呼び捨てっすか!?」

律「わははは! ナイス、ムギ!」

春原「うう…くそぅ…」

朋也「その辺にしとけ。帰るぞ」

春原「なんでだよ、お茶出してくれるって言ってんだぜ」

朋也「わざわざ練習の邪魔することもないだろ」

律「お、岡崎。あんた、いいこというねぇ。目つき悪いくせに」

朋也「そりゃ、どうも。ほら、帰るぞ」

春原「ちっ、なんだよ、もったいねぇなぁ…」

唯「まって!」

きびすを返しかけた時、平沢に手を引かれ、立ち止まる。

唯「せっかくだから、お茶していきなよっ」

朋也「いや…」

唯「いいからいいから。澪ちゃんも、それでいいよね?」

澪「私? 私は…」

と、俺と目が合う。

澪「うぅ…文句ないです…」

顔を伏せ、そうつぶやいた。

律「おまえ、ビビってYESしか言えなかっただけだろ」

澪「う、うるさい…」

唯「ほら、裏の部長である澪ちゃんもいいって言ってるんだし」

律「唯~、そんな裏とか表とか使い分けてないからなぁ~」

唯「ムギちゃん、手伝ってっ」

紬「任せて~」

朋也「あ、おい…」

ふたりに両脇をとられ、連行される犯罪者のようになってしまった。
力ずくで振り払うこともできたが、それはあまりに感じが悪すぎる。
こうなってしまうと、そのまま従うより他なかった。

春原「ちっ、うらやましい連れてかれ方しやがって…」

律「あんたは私がつれていってやるよっ」

がしっと、春原のネクタイをつかみ、そのまま歩き出した。

春原「ぅうっ…おま…やめっ…呼吸っ…」

どんどん首に食い込んでいくネクタイ。

律「さっさと歩けぃ、この囚人がっ」

だっと走り出す。

春原「うっ…だ…れがっ…つかっ…止まっ……」

半ば引きずられるようにして、視界から消えていった。
…部室に着いた時、まだあいつの息があればいいのだが。

―――――――――――――――――――――

紬「はい、どうぞ」

律「…サンキュ」

部長を最後に、全員に紅茶とケーキ(俺にはお茶とせんべい)がいき渡った。

唯「もう、りっちゃんが春原くんのネクタイ引っ張るのがいけないんだよ」

澪「律、謝っときなよ。大人気ないぞ」

律「…悪かったな」

俺たちが部室の扉を開けた時、いきなり春原が血を吹いて倒れこんでいた。
死んでいるように見えたが、ただの鼻血だった。
なんでも、部長と言い争いになり、ドラムスティックで殴られたらしい。
今は琴吹の介抱により、血は止まっていたが。

春原「…おまえはアレだけど、ムギちゃんのふとももに免じて許してやるよ」

春原は膝枕してもらっていたのだ。

律「…なにがふとももだよ、変態め」

春原から目を逸らし、小さくつぶやく。

春原「聞こえてるんですけどねぇ」

唯「あーっ、やめやめ、喧嘩はやめ! ね? ケーキ、食べよ?」

春原「ちっ…」

律「ふん…」

いらだちを残したままの様子で、ふたりともケーキと紅茶を口にした。
それを機に、俺たちも手をつけ始める。
その空気は、ふたりの発する負のオーラでひどく歪んでいた。
こんなことなら、やっぱりあそこで帰っていた方がよかったのかもしれない。

がちゃり

梓「こんにちは…」

そんな中、新たな来訪者が現れる。二年の子だった。

梓「あ…」

入ってきて、俺と春原に気づく。

梓「どうも」

軽く会釈し、ソファに荷を降ろし始めた。

朋也「ああ、よお」

春原「よぅ、二年」

梓「………」

無言で春原をじっと見つめる。

春原「あん? なに?」

梓「あの…春原先輩、血が…」

春原「ん?」

手で鼻の辺りに触れる。

春原「おあっ、やべ…」

紬「はい、ティッシュ」

春原「お、ありがと」

朋也「お前を見て興奮したんだろうな。気をつけたほうがいいぞ」

梓「え…」

朋也「こいつ、告る前には血が出るからさ」

春原「力みすぎだろっ!」

律「ぶっ…けほけほ」

澪「律…なんか私にかかったんだけど」

律「わり」

梓「………」

春原にじと~っとした視線を向け、警戒しながら一番遠い席に座った。

春原「信じるなよっ! こいつの脈絡のない嘘だからなっ!」

紬「梓ちゃんの分、今持ってくるね」

梓「ありがとうございます」

春原「聞いてんのか、こらっ」

唯「って、春原くん、もう片方からも血が…」

春原「おわ、やべ…」

朋也「おまえ…まだ告白もしてないのに、そんなことやめろよ」

春原「血の出具合によってやること変わるって設定で話すなっ!」

律「わははは!」

春原「笑うなっ!」

唯「春原くん、今ので血の勢いが増したよっ」

春原「うぉっ…」

律「いやん、私、こいつになにされるのぉ、こわぁい」

春原「うぐぐ…」

さっきまでの重い空気は立ち消え、もう普通に軽口を叩けるまでになっていた。
ひとまずは場の修復ができたようで、安心した。

―――――――――――――――――――――

澪「よし、じゃ、そろそろ練習しよう」

梓「ですね」

律「え~、もうか? まだ紅茶のこってるぞ。飲んでからに…」

澪「だめだ。明日は新勧ライブなんだぞ」

梓「そうですよ。出来次第で部員の獲得数が変わってくると思います」

唯「そうだよ、がんばらなきゃ」

律「へぇ~ええ、そんじゃ、やるかぁ…」

律「あ、残りの紅茶、あんたらで処理しといて」

軽音部の面々が立ち上がり、準備を始めた。
俺たちはぼーっとその様子を眺めながら、紅茶をすする。
そして、飲み干してしまうと、もうここにいる意味もなかった。

春原「そんじゃ、帰ろうか」

朋也「ああ」

俺たちも席を立った。

春原「じゃあね、ムギちゃん。ケーキも紅茶もおいしかったよ」

紬「あれ? 聴いていかないの?」

春原「ん? うん、まぁ…」

同意を求めるような目で俺と向き合った。
練習を見てもしかたない、とは俺も思う。
さして演奏に興味があるわけでもない。
そこはこいつも俺も同じところだろう。

唯「私も聴いててほしいな。リハーサルみたいにするからさ、観客ってことで」

唯「そのほうがいいよね、澪ちゃんも」

澪「そうだな。見られてるのを意識できていいかもな」

唯「あずにゃんも」

梓「そうですね。いいかもしれません」

唯「りっちゃん」

律「ん? まぁ、なんでもいいよ」

唯「ね? どうかな」

特にこのあとなにがあるわけでもなかった。
時間を潰せて、なおかつ役に立てるのなら、断る理由もない。
俺は部室のドアではなく、軽音部の連中がいる方に歩いていった。
そして、まるで観客席であるかのように備えつけられたソファーに腰掛けた。

春原「じゃあ、僕も」

春原も俺に続き、隣に座った。

唯「ようし、がんばるぞぉ」

律「じゃ、いくぞ。ワンツースリー…」

演奏が始まる。
そこにいる全員の表情が真剣だった。
あの、茶を飲んでいる間にみせる顔とはまったく違う。

何かに情熱を傾ける人間のそれだった。
そう…それは、俺や春原のような奴らからは、最も遠いところにあるものだ。

春原「………」

こいつも今、俺と同じことを思っているんだろうか。
こいつらといて、そんなに居心地は悪くなかった。
だがやはり、根本の部分で俺たちとは相容れることがない、と。

春原「ボンバヘッ! ボンバヘッ!」

ただのアホだった!

唯「ぶっ」
律「ぶっ」
澪「ぶっ」
梓「ぶっ」
紬「……」

春原のヘッドバンキングを使った野次によって演奏が中断された。

唯「もう、なにぃ、春原くん…」

春原「いや、盛り上がるかなと思って…」

律「全然曲調にあってないわっ、あんたの動きはっ!」

梓「デスメタルじゃないんですから…」

春原「はは、悪いね」

澪「も、もう一回な。律」

律「はいはい。ワンツースリー…」

―――――――――――――――――――――

春原「ま、なんだかんだいって、僕らとは違うよね」

ベッドの上、仰向けになり、ひとり言のように漏らす。
それは、今日の軽音部でのことを言っているのだろう。

朋也「………」

やはり、こいつも俺と同じようなことを感じていたのだ。
こいつにしてはめずらしく気を許し始めていたのかもしれない。
だから、その分、見せられた違いを心苦しく思っているんだろうか。

春原「いいけどね、別に」

また、誰に言うでもなくつぶやいた。
………。
かける言葉が見つからなかった。
だが、考えてみれば、あいつらと関わるのも明日で最後だ。
埋まらない溝があったところで、なにも問題はない。
所詮、短い間のつき合いだったのだ。
俺は一度寝返りを打った。
いや…
平沢とはまだしばらく関わることになるのか…。
といっても、席が隣で、クラス係が同じというだけの、薄いつながりだったが。

4/8 木

唯「おはよう」

朋也「おはよ」

今日はちゃんと返事をして、席に着く。

唯「岡崎くん、ちゃんと寝てる?」

朋也「ああ、さっきまで寝てたけど」

唯「そうじゃなくて、夜更かししてるんじゃないかってことだよ」

唯「もうずっと遅刻してるし…」

朋也「だから、言っただろ。不良だって」

唯「でも…」

朋也「もういいだろ。おまえには関係ない」

反射的にきつく言ってしまう。
そのことであまり探られたくはなかった。
俺の身の上話なんて、他人にしてもしょうがないから。

唯「…そうだね。ごめん…」

朋也「いや…俺もなんかきつく言っちまって、悪かったよ」

唯「そんな…私がしつこかったから、しょうがないよ」

朋也「いや…」

唯「いやいや…」

どちらも譲歩しあってらちがあかなかった。

唯「…あはは」

朋也「…は」

軽く笑いあう。
そこでこの譲り合い合戦は終わった。
理屈じゃない。けど、すぐにわかった。
これで決着がついたこと。
勝ち負けがはっきりしたわけじゃない。
それでも、お互いに納得していたことが伝わっていた。

―――――――――――――――――――――

………。

―――――――――――――――――――――

唯「岡崎くん」

朋也「なんだ」

唯「今日のお昼のこと、きのうみんなで話したんだけどね…」

唯「学食で食べてみようってことになったんだ」

唯「でも、私たち、誰も学食使ったことなかったからさ、ちょっと不安なんだよね」

唯「だから、岡崎くんがガイドしてくれたらうれしいんだけど…だめかな?」

朋也「ガイドって…食券買ってそれ渡すだけだぞ」

グルメ番組じゃあるまいし、必要ないと思うのだが…。

唯「でも、経験者がいたほうが心強いっていうか…」

唯「ほら、なんか常連だけの暗黙のルールとかあったら、絶対やぶっちゃうだろうし」

一見さんお断りの隠れ家的名店か。
ただの学食にそんなものはない。

唯「ね? だから、いっしょに食べて?」

朋也「…まぁ、いいけど」

春原とふたりだけで食べるのもマンネリ化してきて、ずいぶんと経っていたところだし…。
たまにはそういうのもいいかもしれない。

唯「やったぁ! じゃ、みんな呼んでくるねっ」

―――――――――――――――――――――

平沢が連れてきたメンツ、プラス二人で学食を目指す。

春原「なるほどね、いい目してるじゃん。僕、自称学食の帝王って呼ばれてるくらいだからね」

自称では意味がない。

唯「わぁ、すごいんだねっ」

今だけは平沢の賞賛も皮肉に聞こえた。

春原「まぁね。僕がいつもの、っていえば、カツ丼と水が出てくるんだぜ?」

律「?つけっ。つーか、岡崎に頼むって聞いてたのに、なんであんたがついてきてんの?」

春原「岡崎はいつも僕と食ってるんだぞ。こいつと食うってことは、僕と食うってことと同じなんだよ」

律「気持ち悪いくらい仲いいな…」

春原「ふふん、まぁね」

朋也「キモっ」

春原「なんでだよっ!」

律「わははは!」

朋也(ん…?)

視界の隅、グループの中に見慣れない顔をとらえた。

朋也「平沢、そっちのは…」

春原「なるほどね、いい目してるじゃん。僕、自称学食の帝王って呼ばれてるくらいだからね」

自称では意味がない。

唯「わぁ、すごいんだねっ」

今だけは平沢の賞賛も皮肉に聞こえた。

春原「まぁね。僕がいつもの、っていえば、カツ丼と水が出てくるんだぜ?」

律「うそつけっ。つーか、岡崎に頼むって聞いてたのに、なんであんたがついてきてんの?」

春原「岡崎はいつも僕と食ってるんだぞ。こいつと食うってことは、僕と食うってことと同じなんだよ」

律「気持ち悪いくらい仲いいな…」

春原「ふふん、まぁね」

朋也「キモっ」

春原「なんでだよっ!」

律「わははは!」

朋也(ん…?)

視界の隅、グループの中に見慣れない顔をとらえた。

朋也「平沢、そっちのは…」

唯「ん? 和ちゃんだよぉ。同じクラスだし、みたことあるでしょ」

そういえば、あるような気もする。

唯「いつも私たちとお昼してるんだよ」

女生徒「どうも。同じクラスの人に今更なんだけど…」

女生徒「真鍋和です」

唯「和ちゃんは、岡崎くんと春原くんのこと知ってるよね」

和「ええ。一応クラスの人全員の名前と顔は一致してるわ」

唯「さすが和ちゃんっ」

和「ま、そのふたりに関しては、前から知ってたけどね」

唯「へ? なんで?」

和「生徒会の間ではちょっとした有名人だったからね。問題児として」

唯「あわ、問題児って…の、和ちゃん…」

春原「生徒会?」

春原が反応する。

和「ええ。私、一年の時から生徒会に所属してるの」

和「だから、あなたたちの素行については、いくらか知ってるつもりよ」

春原「…ふぅん、そう」

怪訝な顔で返した。
生徒会なんていったら、風紀にも敏感な連中じゃないのか。
春原同様、俺もあまりいい気はしない。

和「ま、安心して。あなたたちにどうこう言うつもりはないから」

まるで心のうちを見透かされたかのようなセリフだった。

律「和ってさぁ、今度の生徒会長の選挙、立候補すんの?」

和「一応、しようと思ってるわ」

唯「和ちゃんならなれるよっ」

澪「そうだな。私もそう思う」

和「ありがと」

春原「生徒会長ねぇ…」

釈然としないようで、不満気にそうこぼしていた。

―――――――――――――――――――――

律「うっへ、混んでんなぁ」

春原「いつもこんな感じだからな」

春原「おまえら、人の波に飲み込まれないようについてこいよ」

春原「おら、どけっ」

乱暴にかきわけ、進んでいく。

和「…あまり感心しないわね」

唯「ま、まぁまぁ。私たちのためにやってくれてるんだし…」

―――――――――――――――――――――

春原の先導により、券売機の前に辿り着いた。

春原「ここで食券を買うんだ。まず僕がお手本を見せてやる」

律「んなもんさすがにわかるわ」

春原は財布から千円札を取り出し、券売機に投入した。

ぺっ

吐き出される千円札。

春原「あれ? っかしいな…」

律「帝王とか言ってたくせに、こんな機械にナメられてるな、あんた」

春原「うるせぇ、こんどこそっ」

ぺっ

またも戻ってくる。

律「あんた…それ、偽札じゃないだろうなぁ?」

春原「ちがわいっ! 次こそ成功するってのっ!」

春原「カァアアアアアアアアアッ!」

気合十分で投入する。
今度は飲み込まれたまま戻ってこなかった。
やっとのことで認識されたのだ。

春原「ふぅ。ま、僕が本気になれば、こんなもんさ」

朋也「つーか、早くしろ」

ピッ ピッ ピッ

俺は後ろからボタンを押した。
選んだのは、ライス(大)、ライス(中)、ライス(小)。

春原「ああっ! なんで全種類のライスコンプリートなんだよっ!」

朋也「しるか。ライスの上にライスかけて食っとけ」

春原「意味ないだろっ!」

朋也「おまえが遅いのが悪い」

春原「ぐ、くそぅ、覚えてろよ、てめぇ」

春原「…おまえら、見たか? このように、学食はそんなに甘い場所じゃないんだぞ」

律「号泣しながら言われてもな…」

―――――――――――――――――――――

券を買うのも、残すところ二人だけとなった。

紬「うわぁ、いいなぁ、こういうの」

目を輝かせ、券売機を見つめる。

春原「お、さすがムギちゃん。期待通りのういういしい反応してくれるねぇ」

紬「うん。私、一度こういう券を買ってみたかったの」

お嬢様だと聞いていたが、やっぱりこういう庶民的なところには普段来ないんだろうか。

紬「なににしようかな」

言いながら、財布から取り出したのは、一万円札。
なんともセレブリティなことだ。

春原「ははっ、すげ…ちゃんとお釣り返ってくるかな…」

さすがにそこまでの額じゃない。

紬「う~んと…これにしよ」

ピッ

少しかがんで、出てきたお釣りと食券を回収した。

紬「はい、澪ちゃん、お待たせ」

澪「うん」

最後の一人に位置を譲る。

澪「う~ん…なんか、重たいものばっかりだな…」

朋也「なら、パンにするか?」

澪「え? あ、パ、パン…?」

朋也「ああ。ほら、あそこで売ってるだろ」

人だかりができているスペースを指さした。
今は激しい人気パン争奪戦が行われている最中だった。

澪「じゃあ…パンにしようかな…」

朋也「まぁ、これから行ったんじゃ、ロクなの残ってないだろうけどさ」

澪「そ、そうですか…」

律「なんで敬語なんだよ」

澪「いや…だって…」

律「まぁだ恥ずかしがってんのか…」

澪「恥ずかしいっていうか…遠慮は必要だろ…」

律「そっかぁ?」

澪「そうだよ…」

言って、視線をパン売り場に戻す。

澪「…それにしても、混んでるなぁ」

律「澪、行って全員蹴散らしてこいっ!」

澪「無理だって…」

蹴散らすのはもとより無理だとしても、買ってくるだけでも女の子では苦労するだろう。
………。

朋也「…おまえら、先に食券替えて、席確保しといてくれ」

朋也「春原、俺の分頼んだ」

強引に食券を握らせる。

春原「あん? おまえどっかいくの?」

朋也「そんなところだ。ほら、もういけ」

春原「? ま、いいけど」

春原「じゃ、いくぞ、おまえら」

律「いいかげん仕切るのやめろよなぁ、ったく」

唯「じゃ、あとでね、澪ちゃん、岡崎くん」

春原の後に続き、平沢たちもカウンターへ向かっていった。

朋也「で、なにがいい」

澪「え?」

朋也「パンだよ。買ってきてやるから」

勧めたのは俺だったので、最後まで面倒をみてやらないと後味が悪い。
だから、そう申し出ていた。

澪「え、あ、悪いですよ、そんな…」

朋也「いいから、言えよ」

澪「うっ…は、はい…じゃあ…」

メニュー表をしばしみつめる。

澪「クリームパンとあんぱん、それとやきそばパンで…」

朋也「わかった。金はあとで合流した時にな」

澪「あ、はい…」

朋也(いくか…)

俺は覚悟を決め、人ごみの中に突っ込んでいった。

―――――――――――――――――――――

パンを購入し、春原たちがついているテーブルを探す。
とくに苦労することなく、その場所はすぐにみつかった。
目立つ金髪はこういう時には便利なものだ。
俺はその集団に歩み寄って行った。

朋也「わり、遅くなった」

澪「あ…いえ…そんな」

朋也「ほら、パン」

澪「ありがとうございます」

朋也「540円な」

澪「はい…どうぞ」

朋也「ん、ちょうど」

代金を受け取り、俺も席に着いた。

唯「ね、だから言ったでしょ。岡崎くん、いい人なんだって」

律「いやぁ、悪人の善行ってやつじゃねぇの。ギャップでよくみえたりな」

唯「もう、りっちゃん! そんなことないよ、普通にいい人だよっ」

唯「ね、澪ちゃん」

澪「う、うん…」

紬「やさしいのね、岡崎くん」

春原「ムギちゃん、だまされちゃだめだっ」

春原「こいつのは計算なんだよっ。好感度上げようとしただけだってっ」

律「人の足引っ張るそのおまえの好感度が最悪だわ」

春原「なにぃっ!? ムギちゃん、今僕の好感度、どれぐらいある!?」

紬「えっと…ごめんなさい、不快指数のほうで表していいかな?」

春原「マイナスのメーターっすか!?」

律「わははは!」

騒がしい奴らだった。

―――――――――――――――――――――

律「にしても澪、部活でも甘いもの食べるのに、昼も菓子パン食べちゃって…」

律「そろそろ腹まわりヤバいんじゃないの?」

腹の辺りに手を伸ばす。

澪「わ、馬鹿っ、つかむなっ」

その手を払いのけた。

律「ぷにってしたぞ」

澪「うそつけっ、まだ大丈夫…なはず」

最後は消え入りそうな声になっていた。

唯「心配しなくても、澪ちゃんスタイルいいよ」

律「ま、服の上からじゃわかんないよなぁ」

澪「う、うるさいっ! いいんだよ、今日は新勧ライブでカロリー消費するんだから」

和「あら、軽音部は今日なの?」

唯「うん、そうだよ」

和「そう。がんばってね」

唯「うん、全力でやるよっ。今日はみんなを沸かせて、総スタンディングさせるんだ」

唯「それで、客席にダイブするよっ」

和「危ないから、それはやめときなさい…」

律「あんたら、今日はきっちり働いてもらうからな」

春原「わぁってるよ。あ、ムギちゃん、今日もお茶よろしくね」

紬「うん、用意するね」

律「だぁから、ムギ、しなくていいって。こいつを調子づかせるだけなんだからさ」

紬「おいしそうに食べてくれるから、なんだか私も嬉しくて…」

律「でもこいつ、ケーキつつんでたラップまでなめまわすから、きちゃないじゃん」

春原「それだけうまいってことなんだから、いいだろっ。ね、ムギちゃん」

紬「えっと…ごめんなさい、あれは正直ドン引きしてたの」

春原「笑顔で内心そんなこと思ってたんすかっ!?」

律「みんなそう思ってたわい。あと、お前が座った席は消毒してるんだからな」

春原「マジかよ…」

澪「そんなことしてないだろ」

律「あーも、澪、ネタバレすんなよ」

春原「てめぇ、話盛ってんじゃねぇよ、デコっ」

律「あぁん? 春原のくせに反抗的だな、おい」

春原「“さん”をつけろよ、デコ助野郎っ」

どこかで聞いたことがあるような気がする…。

律「はぁ? なんであんたにさんづけなんだよっ」

春原「お約束だろっ。察せよ、ったく。空気読めないやつだなぁ」

律「存在自体が場違いなあんたに言われたくないわっ」

春原「あんだよ、やんのかデコ」

春原がファイティングポーズを取る。

律「上等だっつーの」

部長もそれに応じて構えた。

唯「はいはい、ストップ、ストーップ!」

平沢が審判のように割って入り、ふたりを制した。

澪「律、なんでそんなに喧嘩腰なんだ」

律「だってさぁ…」

唯「ふたりとも、仲直りの握手しよ、ね?」

  律「やだ」
春原「やだ」

唯「うわ、いきぴったり」

  律「あわせんなっ」
春原「あわせんなっ」

唯「まただ」

澪「あはは、ほんとは相性いいのかも」

  律「よくないっ」
春原「よくないっ」

紬「ふふ、またね。すごい」

唯「あははっ」

澪「ははっ」

俺たちの中に、ひとつ小さな笑いが起こる。

春原「ちっ…」

律「ふん…」

それに当てられてか、喧嘩は収まったようだった。

―――――――――――――――――――――

俺と春原は食べ終わると、すぐに教室へ戻ってきた。
平沢たちはまだだべっていくつもりのようで、その場で別れていた。

唯「やっほ、岡崎くん」

と、戻ってきたようだ。

唯「今日は付き合ってくれてありがとね」

朋也「ああ、まぁ、俺はなにもしてないけど」

ほとんど春原が牽引していたように思う。

唯「そんなことないよ。澪ちゃんにパン買ってあげてたし」

朋也「ああ…それか」

唯「うん、それだよ」

言って、席に着く。

唯「いやぁ、でも、学食おいしかったよ。満足満足~」

朋也「そっか」

唯「それに、いつもよりにぎやかで楽しかったし」

唯「岡崎くんはどうだった? 私たちと食べて」

朋也「騒がしかったよ」

唯「それだけ?」

朋也「ああ」

唯「ぶぅ、もっとなんかあるでしょ~」

朋也「まぁ、退屈はしなかったかな」

唯「ほんとに? なら、また一緒に食べようね」

朋也「気が向いたらな」

唯「うん、約束ね」

―――――――――――――――――――――

………。

―――――――――――――――――――――

そして、迎えた放課後。

律「ほんじゃ、これみんな運んどいて」

俺にはよくわからないが、スピーカーやらなにやらがずらっと並べられていた。

春原「あのドラムはおまえが持ってけよ。自分のだろ」

律「私は両手がふさがってるから。ほら」

スティックを両手でもち、春原に示した。

春原「そんなもんどうとでもなるだろっ」

律「うるせぇなぁ。なんのためにあんたらがいるんだよ」

律「こういう汚れ仕事をするためだろ?」

澪「汚れって…ただの力仕事だろ」

律「とにかく、私たちは先にいってコードの配線とかやっとくから」

律「じゃ、がんばってねん」

部室から、いの一番に出ていった。

澪「ああ、もう、あいつは…」

澪「あの、私たちも運ぶんで、安心してください」

朋也「いいよ。おまえらも行っててくれ」

澪「え? でも…」

春原「おい、岡崎…」

朋也「部長の言った通りだ。こういうことをするために俺たちがいるんだからな」

唯「いいの? 岡崎くん」

朋也「ああ」

唯「そっか。それじゃ、おねがいね」

朋也「任せろ」

唯「いこう、澪ちゃん、あずにゃん、ムギちゃん」

澪「う、うん…。それじゃ、お願いします」

梓「お願いします」

紬「よろしくね」

平沢たちも出ていった。

春原「はぁ…これ全部だぜ。おまえ、カッコつけすぎな」

朋也「いいから、運ぶぞ」

春原「へいへい…」

―――――――――――――――――――――

春原「あ~、疲れた」

言われていた物は全て運び込み、設営も整った。
軽音部の連中は、実際に音を出してなにか確認しているようだった。
時計を見てみる。
ライブが始まると聞いた時間までまだ30分はあった。

だが、ちらほらと生徒が講堂に入ってきていた。

春原「おい、二年とか三年までいるぞ。暇なやつらだなぁ」

おまえが言うな。

―――――――――――――――――――――

開演時間5分前となった。
すでに席は埋め尽くされている。
それだけにとどまらず、立って見ているやつらもいた。

春原「おい、出ようぜ、岡崎」

俺たちも席に座らず、一番後ろで壁に寄りかかっていたのだが…
もう、ここまで人が詰まってきていた。春原の言い分もわかる。
正直、うっとうしい。

朋也「そうだな」

俺も出ることにした。
最後にと、一度ステージに目をやる。
すると、偶然平沢と目が合った…気がした。

唯「………っ!」

平沢は、ステージから大きく手を振っていた。

朋也「………」

振り返したほうがいいのだろうか…今から出ていくというのに。
少しの間考える。

朋也(あんな愛想振ったあと、出てかれるの見ると、士気が下がるかもしれないよな…)

なら、やっぱりここで見ていたほうが…

男子生徒1「唯ちゃんこっちに手振ってね?」

男子生徒2「俺にむいてね? 俺じゃね?」

男子生徒1「ははっ違いすぎる。あ、でも振り返してみれば?」

男子生徒2「っおまえ。むり、はずすぎる」

近くにいた奴らの会話が聞こえてきた。
こいつらは平沢の知り合いかなにかなんだろうか。
だとしたら、あれは俺ではなくこいつらにむけられたものだったのか。

朋也(はっ…なに勘違いしてんだ、俺…)

一瞬でも自分に向けられたものだと思ってしまったのが恥ずかしい。
止まりかけた体を再び動かし、外に出た。

―――――――――――――――――――――

唯『新入生のみなさん、御入学おめでとうございます』

講堂の中から平沢の声が漏れ聞こえてきた。
自分が軽音部に入ったいきさつなどを喋っているようだ。

………。

唯『…こんな私でも一生懸命になれることをみつけることができました』

唯『すごく練習をがんばってきた、なんて胸を張っていえませんが…』

唯『でも、今まですごく楽しくてやってこれて…とても充実してました』

唯『みなさんも、私たちと一緒にバンド、やってみませんか?』

春原「なぁ、岡崎。場所移らない? 別に、こんなとこで待ってなくてもいいと思うんだけど」

俺たちは講堂の入り口付近の壁に背中を預けるようにして座り込んでいた。

朋也「…ああ、だな」

立ち上がり、歩き出す。
去っていったその場所からは、軽音部の演奏が僅かに届いてきていた。

―――――――――――――――――――――

学食まで訪れて、ジュースを購入する。
そして、適当なテーブルについた。

春原「あ~あ、ムギちゃんのケーキも今日までかぁ」

春原「なんか、惜しいなぁ」

朋也「だったら、入部でもしろよ」

春原「はっ、馬鹿いうなよ。楽器なんか興味ないね」

春原「それに、音楽はボンバヘッで全て事足りるしね」

朋也「あ、そ…」

何も言うまい。

春原「でも、ムギちゃんなら頼めばくれそうだよね。軽音部となんの関係もなくなってもさ」

朋也「表立って断られはしないだろうけど、裏ではおまえを始末する計画練り始めるだろうな」

春原「んなことする子じゃねぇよ。それに、けっこうフラグたってたと思うし」

朋也「はぁ?」

春原「わからない? あの、ムギちゃんが僕を見る目の熱っぽさが」

朋也「わかるかよ…」

春原「おまえはまだまだ青いねぇ。あとちょっとで落とせるとこまできてんだよ」

どう考えてもこいつの思い込みだった。

春原「そろそろ、呼び捨てしてもいい時期かもね」

春原「あ、それから、住所と電話番号もつきとめてさ、毎日一緒に登下校したり…」

春原「軽い恋人同士のいたずらで、無言電話してみたりとかね、ぐっへへ」

もはやストーカーになっていた。

朋也(ふぅ…)

妄想に浸る春原を視界からフェードアウトさせる。
椅子に体重をかけ、体を少しのけ反らせてから天井を見つめた。

―――…こんな私でも一生懸命になれることをみつることができました

平沢の言葉を思い出す。

朋也(一生懸命、ね…)

体勢を戻し、一気にジュースを飲み干す。
かつては、俺も…そして、春原もそんな風だったのかもしれない。
今では、そんな奴と関わることさえ嫌になってしまうほどだったが。
だが、なぜか今、平沢には…軽音部の連中には普通に接してしまっている。

朋也(なんでだろうな…)

俺は空になった空き缶を持ち直し、ゴミ箱に狙いを定め…

しゅっ

左腕で放った。
それは放物線を描き、ゴミ箱に吸い込まれていった。

春原「お、ナイッシュ」

春原「おし、僕も」

空にするためか、ごくごくと残りのジュースを飲み始める。

朋也「実はさ……う○こっ!!!!!」

春原「ぶっ!!!」

ドバっ、と鼻からも液体が噴出される。

春原「いきなりなんだよっ!?」

朋也「こうなるかな、と思って」

春原「じゃあ、やるなよっ!」

朋也「いや、でもまさかうん○で笑うとは思わなかったんだよ」

春原「笑ったんじゃねぇよ。おまえの声のでかさにおどろいたのっ」

朋也「あ、そ」

春原「ったく…くだらないことすんなよな…」

―――――――――――――――――――――

朋也(そろそろか…)

終了時間も間近にせまっていた。
今から行けば、ちょうど終わった頃につけるだろう。

朋也「春原、いくぞ」

春原「ちょっとまって、あと少しで読み終わるから」

春原は途中学校を出て、コンビニで漫画雑誌を買ってきていた。

朋也「先にいってるぞ」

春原「あー、うん。わかった」

雑誌を読みながら、気の無い返事。
俺は春原をその場に残し、ひとり講堂へ向かった。

―――――――――――――――――――――

「アンコールっ! アンコールっ!」

つくなり、聞えてくる観客の声。

唯『えへへ…みんな、ありがとう! じゃあもう一曲…』

続いて、平沢の声がして、演奏が始まった。
扉を開けてみる。

―――――――――――――――――――――

場内は熱気に包まれ、蒸し暑かった。
その中で軽音部の連中が演奏している。
ボーカルは、平沢と、秋山だった。
扉を閉め、中に入り、しばしそのまま聴き入る。

女生徒1「お姉ちゃん、すごい…」

女生徒2「憂のお姉さん、演奏してる時はかっこいいよね」

女生徒1「うんっ」

朋也(お姉ちゃん…?)

近くにいた女生徒の話が、大音量の中かすかにきこえてきた。

朋也(あいつらの中の、誰かの妹か…)

暗くて顔はあまりみえなかったので、誰の妹かは見当がつけられなかった。

きぃ

春原「ありゃ、まだやってんの」

扉を開け、春原が入ってきた。

朋也「アンコールだと」

春原「ふぅん…」

春原もその場にとどまり、演奏を聴き始めた。
すぐに引き返して雑誌の続きでも読み始めるかと思ったのだが…。

春原「………」

ステージの上、あいつらは本当に楽しそうに演奏していた。
練習の時にも見たが、本番ではよりいっそういきいきとしている。

春原「……絶対、ボンバヘッのほうがいいっての」

そうこぼしたのは、強がりだったのか。
俺たちと、あいつらのいる場所、その距離に対しての。

―――――――――――――――――――――

ライブも終わり、観客も捌けはじめた。
一度外に出て、そのまま待つ。

―――――――――――――――――――――

場内が空いてくると、中に入ってステージに向かった。

唯「岡崎くんっ!」

機材を片していた平沢が俺に気づき、あげた第一声。

唯「私、手振ったよね? 気づいたでしょ? なんで出てっちゃったの?」

ああ…あれはやっぱり、俺に振っていたのか。
勘違いではなかったようだ。

朋也「悪い。気づかなかった」

唯「嘘だよっ。目もあったじゃん」

朋也「おまえ、目いいな。俺、わからなかったよ」

唯「えぇ~、でも、ちょっと止まったじゃん…」

朋也「暗かったからな。慎重に動いてたら、そうなったんだ」

唯「そうなの…?」

朋也「ああ」

唯「そっか…」

なんとかごまかせたようだ。

朋也(って、別に嘘つくようなことでもなかったか…)

正直に、勘違いしてたら恥ずかしいから、と言えばよかったのに。
俺はなにを見栄張ってるんだか…。

唯「はぁ、春原くんもすぐ出てっちゃうし…ふたりにも聴いててほしかったのに」

朋也「最後のは聴いてたよ。な」

春原「ああ、まぁね」

唯「あ、じゃあやっぱりあの時入ってきたの、岡崎くんと春原くんだったんだ」

唯「背格好で、なんとなくそうなんじゃないかと思ってたんだ」

朋也「そっか」

唯「うん。どうだったかな? 私、メインで歌ってたんだけど…」

それは、会場の沸き具合がそのまま答えになっていた。

だめだったら、あそこまで盛り上がるはずがない。

朋也「よかったんじゃないか」

唯「ほんとに?」

春原「そこそこね」

唯「そこそこかぁ…じゃ、まだまだだね、私も」

言って、微笑む。
前向きな奴だった。

律「おーい、岡崎に春原。こっちの、もう運んどいてっ」

舞台の端で部長が呼んでいた。

春原「ふぁー、めんどくさ…」

―――――――――――――――――――――

機材の往復も終わり、部室では軽い打ち上げが行われていた。

紬「みんな、おつかれさま」

琴吹がティーカップに紅茶を淹れ始める。

律「ムギもおつかれだろ~。だから、今日はお茶はセルフサービスな」

紬「あら、そう?」

律「うん。今淹れた分はムギのってことで」

春原「僕はムギちゃんが淹れたのが飲みたかったけどね」

紬「そう? なら、やっぱり私が…」

律「いいよ、ムギ。座ってなって」

座っていろ、と身振りで示す。

律「春原…あんた、部員でもないのにちゃっかり打ち上げに参加しやがって…」

律「あまつさえ自分のために働かせるって、どういう脳みそしてんだよっ」

澪「い、いいじゃないか。ふたりのおかげで、今日はほんとに助かったし…」

春原「だそうだ」

律「くむむ…だとしても、あんまり調子に乗るなよなっ」

澪「とりあえず、淹れてから乾杯しようか」

唯「さんせーい」

全員がカップに紅茶を淹れ、中央に寄せ合った。

唯「春原くんと岡崎くんも」

朋也「俺たちもか」

唯「うん」

誘いを受け、俺と春原もそこに混じる。

ちんっ

軽く触れて乾杯し、一斉に飲み始めた。

律「くぅ~、うんめぇ~。一仕事終えた後の一杯は格別だな」

澪「オヤジ臭いな…お酒じゃないんだぞ…」

唯「今日は大成功だったよね。アンコールももらったし」

唯「入ろうと思ってくれた人がたくさんいてくれればいいなぁ」

梓「大丈夫ですよ。今日の出来はすっごく良かったですから」

唯「あずにゃん…うん、そうだよね」

唯「これで、あずにゃんに後輩ができるといいね」

梓「後輩ですか」

律「今回、それで唯が一番張り切ってたんだぞ」

律「今年部員が入らないと来年梓がひとりになってかわいそうだから~ってな」

澪「それがあの着ぐるみにつながったわけだけどな…」

澪「でも、梓も思わなかったか。いつもより音に気合が入ってるって」

梓「そういえば…」

唯「えへへ。私、がんばったんだよ? ほめて、あずにゃんっ」

梓「わっ…」

抱きつき、頬を寄せる。

梓「もう…唯先輩は…」

抵抗せず、されるままになっていた。

律「お? 今日は嫌がらないな?」

梓「う…そ、それは…そんな話聞いたあとですし…」

唯「やった! ついにあずにゃんが私の支配下に!」

梓「し、支配ってなんですか…や、やっぱり離れてください」

ぐいぐいと懸命に平沢を引きはがしている。

唯「あっ、ちぇ…」

密着状態が終わる。

紬「くす…唯ちゃん、支配下に置くにはまだ調教が足りなかったようね」

ばっ、と全員が琴吹に振り返る。

紬「? どうかした?」

律「いや…うん…」

澪「ムギって…時々…いや、なんでもない…」

梓「ムギ先輩…」

春原「…僕はそういうのもアリかな…ははっ…」

紬「?」

琴吹だけがわかっていなかった。

―――――――――――――――――――――

春原「おまえ、さわちゃんからなんか聞いてる?」

コタツから上体だけ起こし、訊いてくる。

朋也「いや、なにも。でも昨日、これで終わりじゃないみたいなこと言ってたけど」

寝転がったまま答える。
明日以降なにをするかは聞いていない。
多分、明日の放課後にでも通達がくるのではないかと踏んでいるのだが。

春原「そっか。じゃあさ、このままバックレても大丈夫かな」

朋也「さぁな。でも、担任だからな。逃げられんだろ」

春原「近づいてきたらダッシュで逃げればいいじゃん」

朋也「あの人なら絶対追ってくるぞ」

春原「僕の俊足なら振り切れるさ」

朋也「おまえにそんなイメージないからな」

というか、そもそもそういう物理的な問題でもない気がする。

春原「おまえ、知らねぇの? ちまたで噂のエスケープ春原の異名を」

情けなすぎる異名だった。

朋也「知らねぇよ…そんなもん初耳だ」

春原「どんな手段を使っても逃げ切る男として恐れられてるんだぜ?」

逃げているのに恐れられるなんてことがあるのか。

春原「へっ、これでまた僕の実績が増えるね」

朋也「そうか、よかったな」

逃げの歴史に新たな一行が加えられることがそんなにうれしいのだろうか。
なぜそんなことを誇っているのかよくわからない…。

朋也(やっぱ、アホなんだろうな…)

4/9 金

唯「おはよ~」

朋也「ああ、おはよ」

からっぽの鞄を机の横に提げ、椅子に腰掛ける。

唯「岡崎くん、私、考えたんだけどね…」

朋也「ああ、なんだ」

唯「えっとね、朝、私が迎えにいくっていうのはどうかなぁ」

朋也「はぁ? いや、つーか、いろいろ言いたいことはあるけどさ、まずうちの住所知らないだろ…」

唯「うん、だからね、よかったら教えてくれないかなぁ、なんて」

朋也「いいよ、いらない」

唯「そっか…残念」

朋也「つーか、おまえの家から遠かったらどうしてたんだよ…」

唯「あ、そこまで考えてなかったよ…」

無計画にもほどがあった。
本当にただの思いつきで言ったようだ。

朋也「なぁ、なんでそうまで世話焼きたがるんだ?」

朋也「俺が遅刻しようが、欠席しようが、関係ないだろ」

これは純粋な疑問だった。
わりと話すようになったとはいえ、まだお互いのこともよく知らない。
それなのに、やたら俺を気遣って、遅刻のことを言ってくる。

唯「なんでかな…私もよくわかんない」

唯「でも…ここ何日か一緒にいて、岡崎くんのこと見てたらさ…」

唯「うん…おもしろい人だなって。それに、不良なんていってるけど、ほんとは優しくて…」

唯「だから、もっと普通に学校生活を楽しめたらいいのにって…」

唯「それで、まずは遅刻から直していけばいいんじゃないかと思ったんだけどね」

朋也「そういうことなら、春原の奴にでもやってやれよ」

唯「まずは岡崎くんからだよっ。その次が春原くんね」

ふたり共を更生させる気でいたのか…。

朋也「…そうか、がんばれよ」

もう、放っておくことにした。
そうすれば、こいつも、自然とそのうち飽きるだろう。

唯「うんっ、がんばるよっ…って、実際がんばるのは岡崎くんのほうだよっ」

―――――――――――――――――――――

………。

―――――――――――――――――――――

昼。春原と共に学食へ。

春原「やっぱふたりだと身軽でいいよね」

朋也「そうだな」

春原「ついてくる素人もいないことだし、やっと玄人らしく食べられるよ」

朋也「ただの学食に玄人もクソもあるかよ」

春原「おまえ、何年学食で食ってるつもりだよ。あるだろ、決定的な違いが」

朋也「知らねぇよ…」

春原「マジで言ってんの? わかんないかねぇ…」

朋也「なんだよ、言ってみろ」

春原「ほら、あれだよ。あの…アレ…だよ」

げしっ

春原「ってぇなっ! あにすんだよっ!」

朋也「もったいぶっておいて、リアルタイムで考えるな」

―――――――――――――――――――――

ずるずるずる

春原「学食のラーメンってさ、けっこううまいよね」

ずるずるずる

朋也「ああ、意外としっかりしてるな」

春原「カップラーメン以上、うなぎパイ未満って感じ?」

朋也「なんで比較対象の上限が非ラーメンなんだよ」

春原「僕、あれ好きなんだよね、うなぎパイ」

春原「おまえも、前にうまいって言ってたじゃん」

朋也「言ったけどさ…」

春原「だろ?」

だからなんだというのか。
本当に意味のない会話だった。

―――――――――――――――――――――

昼飯の帰り、廊下を歩いていると、その先でラグビー部の三年を発見した。
俺は立ち止まる。

春原「どうしたの」

朋也「おまえ、きのう異名がどうとか言ってたよな」

春原「ああ、エスケープ春原ね」

にやり、と得意げな顔をしてみせる。

朋也「おまえの実力みせてくれよ、あいつで」

ラグビー部員を指さす。

春原「え!? う、ま、まぁいいけど…」

明らかに動揺していた。

朋也「じゃ、ちょっとここでまってろ」

春原を待機させ、俺はラグビー部員のもとへ寄っていく。

朋也「なぁ、ちょっといいか」

ラグビー部員「あ?」

談笑を止め、俺のほうに振り返る。

朋也「春原がさ、おまえの部屋のドアに五発蹴りいれたって自慢してくるんだけどさ…」

ラグビー部員「はぁ? んなことしてやがったのか、あいつはっ」

朋也「ほら、今もあそこで挑発してるし」

俺の指さす先、春原はカクカクと生まれたての小鹿のように足が震えていた。

ラグビー部員「春原ぁっ!」

春原「ひぃっ!」

両者ほぼ同時に駆け出す。

朋也(お、意外に早いな)

俺も小走りで追ってみる。

―――――――――――――――――――――

春原「うわぁ、どけっ、どけっ!」

春原は通行人を弾くようにして逃げていた。

春原「とぅっ」

階段を下から数えて2段目から飛び降りる。

朋也(2段じゃあんま意味ないだろ…)

俺はその様子を上から見下ろしていた。

ラグビー部員「まて、おい、こらっ」

春原「ひぃぃぃっ」

だんだんと差を縮められているが、かろうじて捕まっていなかった。
だが、それも時間の問題だろう。

朋也(アホくさ…)

俺は追うのをやめ、教室に戻ることにした。

―――――――――――――――――――――

朋也(ん…?)

再びさっきの場所まで戻ってくると、窓の外、金髪が疾走する姿が見えた。

朋也(あいつ、外まで逃げてんのか…)

よくよく見ると、追っ手が5人に増えていた。

朋也(敵増やしてどうすんだよ…)

しかし、あんな人を踏み台にするような逃げ方をしていれば、恨みを買うのも無理はない。
俺はこの後訪れるであろう春原への制裁を案じて、合掌を送った。

朋也(成仏しろよ…)

キーンコーンカーンコーン…

朋也(やべ、ちょっと急ぐか…)

―――――――――――――――――――――

………。

―――――――――――――――――――――

5時間目が終わると、教室の入り口、春原が戻ってくるのが見えた。

朋也(あれ…? 無傷か…)

てっきりリンチされたものだとばかり思っていたが…。
不思議に思っていると、春原がこちらにやってきた。

春原「逃げおおせてやったぜ…」

朋也「すげぇじゃん」

春原「まぁね。あいつら、チャイムが鳴ったら、引き返してったからね」

春原「僕の逃げ切り勝ちさ。今後はおまえも、僕をリスペクトしろよ、メーン?」

言って、背を向けて帰っていく。

唯「春原くん、なにかしてたの? 背中にクツ跡ついてたけど」

朋也「さぁな。鬼が複数、獲物ひとりの鬼ごっこでもしてたんじゃねぇの」

唯「それ、楽しいの?」

朋也「知らん」

一撃もらっていたようだ。
あいつをリスペクトする日は永遠にこないだろう。

―――――――――――――――――――――

………。

―――――――――――――――――――――

SHRも終わり、放課となる。

春原「岡崎……」

朋也「うわ、なんだよ、いきなり」

数瞬もしないうち、いきなり春原が現れた。

さわ子「逃げようとしても、無駄だからね」

そのとなりで、さわ子さんが春原の首根っこを掴んでいた。
その温和な表情と、やっていることのギャップが怖い。

春原「この人、速すぎるよ…」

春原も大概素早いほうだったが、それを上回るほどなのか。
やはりこの人は底知れない。

唯「ねぇ、さわちゃんさぁ、最近こないよね」

隣から平沢が語りかける。

さわ子「吹奏楽部の方がちょっと立て込んでたからね」

さわ子「新勧ライブもみてあげられなくて、ごめんなさいね」

唯「私達だけでもなんとかなったよぉ、えっへん」

さわ子「みたいね。頼もしいわ。今日はいけるから、琴吹さんによろしく言っておいてね」

さわ子「じゃ、岡崎くん、春原くん、ついてきて」

春原「自分で歩くんで、そろそろ離してくれませんか…」

さわ子「あら、ごめんなさい」

ぱっと手を離し、解放する。

さわ子「いくわよ」

言って、背を向ける。

さわ子「ああ、それと、平沢さん、さわちゃんって呼ぶのはやめなさいね」

振り返り、それだけ告げると再び歩き出した。
俺と春原もそれに従った。

―――――――――――――――――――――

今日さわ子さんに命じられたのは、中庭の整備だった。
ぼうぼうに生い茂った雑草や、生徒が不法投棄したゴミなどの処理が主な仕事だった。

春原「こんなもん、業者にやらせればいいのによ…」

スコップでざくざく地面を削りながら、愚痴をこぼす春原。

春原「岡崎、落とし穴でも作って遊ぼうぜっ」

朋也「ガキかよ…」

春原「じゃ、アリの巣みつけて、攻撃は?」

朋也「同レベルだっての…」

春原「じゃ、なんならいいんだよっ。砂の城か? 秘密基地か?」

朋也「おまえ、ほんとに高三かよ…」

春原「少年の心を忘れてないだけさっ」

朋也「ああ、そう…」

―――――――――――――――――――――

朋也「ふぅ…」

空を見上げる。
陽も落ち始め、オレンジ色に染まりだしていた。

朋也「春原、そっちはどうだ」

春原「ああ、完璧さ…みてみろよ」

そこには、立派な城が出来上がっていた。

朋也「………」

こいつ、黙々と作業してると思ったら…。

げしっ げしっ

春原「ああ、なにすんだよっ! 春原王国がぁああっ!」

朋也「なにが春原王国だ、さっさと滅べ」

げしっ

春原「寝室がぁああっ! 謁見の間がぁああっ!」

朋也「細かく作りすぎだろ…」

もはや職人芸の域だ。

声「お~い、ふたりとも~」

春原「あん?」

こっちに近づいてくる人影。

唯「おつかれさまぁ~」

平沢だった。

唯「ジュースの差し入っ…うわっ」

突如、足が地面にめり込み、つまづいて倒れた。

春原「やべっ…」

こいつの落とし穴だった。

ぼかっ

春原「あでっ!」

とりあえず一発殴っておいた。

―――――――――――――――――――――

朋也「足とか手、大丈夫か?」

唯「うん、平気だよ」

春原「いや、悪いね、ははっ」

唯「こんなところに落とし穴なんて作っちゃだめだよっ、春原くん」

春原「つい出来心でさ」

朋也「恩をあだで返しやがって。最低だな」

春原「そんなの、作ってる最中にわかるわけないだろ」

平沢は、さわ子さんから話を聞いて俺たちがここにいることを知ったらしかった。
そして、部活が終わって、渡り廊下から中庭を覗いてみると、まだ俺達がいた。
そこで、差し入れを持ってくることを思いついたのだという。
他の部員たちには先に帰ってもらったらしい。

春原「ま、せっかくもらったことだし、一杯やりますか」

プルタブを開ける。

ブシュッ

春原「うわっ!」

噴き出した液体が春原を襲う。

春原「平沢…おまえ、振ったなっ! 炭酸じゃねぇかよっ!」

唯「ご、ごめんね、走ってきたから、無意識に…」

朋也「お、すげ、今のでおまえから虹がかかってるぞ」

春原「かかってませんっ」

唯「あははっ」

―――――――――――――――――――――

三人で坂を下る。

唯「ここの桜って綺麗だよね」

坂の脇にずっと並んでいる桜の木。
今はもう、その花も少し散りはじめていた。

春原「毛虫がうざいだけだよ」

唯「だとしても、いいものだよ」

朋也「こいつにそんなこと言っても無駄だぞ」

朋也「花より団子を地でいくような奴だからな」

朋也「この前なんか、変な虫に混じって花の蜜にむしゃぶりついてたし」

春原「んなことしてねぇだろっ!」

唯「春原くん…桜は荒らさないでね?」

春原「信じるなっ!」

―――――――――――――――――――――

春原「じゃあな」

唯「ばいばい」

朋也「また後で寄るぞ、俺は」

春原「ああ、だったね」

俺たちに背を向け、歩いていく春原。

平沢とふたりきりになる。

唯「いこっ、岡崎くん」

朋也「ん、ああ…」

一緒に帰るつもりのようだ。
どうせ、途中どこかで分かれることになるのだろう。
それまでなら、いいかもしれない。

―――――――――――――――――――――

予想に反して、いっこうに平沢と道を違えることはなかった。
もう通学路の道のりを半分以上来てしまっている。
今までと同じだけ歩けば、家に帰りついてしまう。

唯「岡崎くんも、家こっちのほうなんだ?」

朋也「ああ、まぁな」

唯「私と同じ通学路なのかもね」

朋也「かもな」

唯「でも、今まで一度も遭ったことないよね」

朋也「俺とおまえの通学時間が違うからじゃないか」

唯「あ、そっか。岡崎くん、二、三時間目くらいにくるもんね」

唯「一、二年生の時もそうだったの?」

朋也「ああ、もうずっとそうしてる」

唯「そっか…でも、帰りは…」

唯「あ、帰りも、私、部活やってて遅いからなぁ…そりゃあ、時間、合わないよね」

朋也「大変なんだな、部活」

唯「そんなことないよ。いつもお菓子食べたり、お話したりが大半だから」

朋也「でも、ライブではすごかったじゃないか。素人の俺にはよくわかんないけどさ」

朋也「上手くやってるように見えたぞ」

唯「そこが私達のすごいところなんだよっ。なんていうのかな…」

唯「そう、仲のよさがそのまま演奏のよさにつながってるんだよっ」

唯「だから、お菓子食べてだらだらするのも練習のうちなの」

謙遜で言っているのではなく、本当にそんな風に過ごしているのだろうか。
確かに、茶を飲んでいるところは見たが、練習と本番も同じく見ているので、あまり想像できない。
普段は、こいつの言うように、緩いところなんだろうか。

―――――――――――――――――――――

唯「びっくりだよ…」

もう、目の前には俺の自宅があった。

唯「私のうち、この先をずっといって、信号二つ渡ったところだよ」

唯「同じ地区だったんだね」

朋也「みたいだな」

唯「中学校はどこだったの?」

朋也「隣町のほうだ」

そこは、公立であるにもかかわらず、バスケが強いことで有名な中学だった。
俺がこの町にある近場の中学ではなく、隣町を選んだのは、それが理由だった。
毎年そこからは何人もスポーツ推薦でうちの高校に進学している。
俺もそのうちの一人だ。

唯「じゃ、小学校は?」

朋也「あっちの、大通りを通って、坂下ってったとこのだよ」

唯「うわぁ、そっちかぁ」

唯「私は、和ちゃんが桜高のある方面にしたから、私もそっちにしたんだよね」

唯「あ、私と和ちゃんって、幼馴染なんだよ」

朋也「そっか」

唯「うん。でも、どおりで今まで知りあってないはずだよね。家、そんなに遠くないのに」

朋也「なにか力が働いたのかもな。風水的な。俺とおまえが遭わないようにさ」

唯「風水?」

朋也「ああ。なんかこう、立地が魔よけ的になってたりな…」

唯「それ、私が魔だっていいたいの?」

朋也「まぁ、そんなところだ」

唯「ひどいよっ! こんな愛くるしい魔なんていないよっ!」

自分で言うか。

朋也「でもおまえ、頻繁にピンポンダッシュとかしそうじゃん」

唯「しないっ!」

とん、と軽く俺の胸を叩いてきた。

唯「もう…変な人だよ、岡崎くんは」

朋也「そりゃ、どうも」

唯「…えへへ」

朋也「は…」

笑いかけ、止まる。

親父「おや…お友達かい。女の子だね」

親父だった。

唯「あ…」

親父は、平沢の後方からやってきて、俺たちの横についた。
今、帰りだったのだろう。
なんてタイミングの悪い…。

唯「あ、は、はじめまして。岡崎くんのクラスメイトで、平沢唯といいますっ」

やめてくれ、平沢…
会話なんてしなくていいんだ…

親父「これは、どうも。はじめまして」

唯「えっと…岡崎くんの、お父さん…?」

親父「………」

なんと答えるのだろう。
はっきりと、父親だと言うのだろうか。
こんな子供だましのような、薄っぺらい、ごっこ遊びを続けたまま。

親父「そうだね…でも、朋也くんは、朋也くんだから」

親父「私が父親であることなんて、あまり意味がない」

唯「え…?」

熱を帯びた嫌悪感が、頭の奥から湧いてきて、全身を巡り、体が熱くなる。
俺は家に入ることはせず、そのままそこから立ち去った。
もう、これ以上あの場にいられなかった。
あの人の中では、全部終わっているのだ。
これからのことなんて、なにもありはしない。
ずっと、衝突することもなければ、何も解決することもない場所に居続けるんだ。
たった、ひとりで。
そこに俺はいない。

唯「岡崎くんっ」

声…平沢の。
すぐ後ろから聞えてくる。
けど、俺は無視して進み続けた。

―――――――――――――――――――――

朋也「…おまえはもう帰れよ」

唯「でも…」

朋也「もう、だいぶ暗くなってるぞ」

陽は完全に落ちきって、外灯が灯っていた。

唯「岡崎くんは、どうするの」

朋也「いくとこあるからさ」

唯「どこに」

朋也「どこだっていいだろ」

言って、歩き出す。
それでも、まだ平沢は黙ってついてきた。

朋也(勝手にしろ…)

―――――――――――――――――――――

朋也(はぁ…)

どこまで行こうが、帰る気配はなかった。
俺の後方にぴったりとくっついてきている。

朋也「…腹、減らないか」

立ち止まり、そう訊いてみた。

唯「…うん、すごく減ったよ」

朋也「じゃあ、どっかで食ってくか」

唯「私…憂が…妹がご飯作ってくれてると思うから…」

朋也「そうか。なら、早く帰ってやれ」

唯「岡崎くんは、外食でいいの? 帰って、ご飯食べなくて…」

朋也「帰ってもなにもないからな」

唯「え?」

朋也「いつも弁当で済ませてるんだよ」

唯「えっと…お母さん、ご飯作ってくれないの…かな?」

ためらいがちに訊いてくる。

朋也「母親は、死んじまってて、いないんだ」

唯「え…」

朋也「うち、父子家庭でさ、どっちも料理できなくてな。だからだよ」

唯「…ごめんね…嫌なこと言わせちゃって…」

朋也「別に。小さい頃だったから、顔も覚えてないからな」

朋也「いないのが当たり前みたいになってるからさ」

唯「そう…」

唯「………」

何か思案するように、押し黙る。

唯「もし、よかったら…」

ぽつりとつぶやいて、その沈黙を破った。

唯「岡崎くんも、うちで食べていかない?」

それは、俺を気遣っての誘いだったのか。
世話焼きたがりのこいつらしかった。
でも…

朋也「遠慮しとく」

家族団らんの中、いきなり俺のような男が上がりこんだら、こいつの両親も困惑するはずだ。
なにより、俺がそんな訝しげな目を向けられることが嫌だった。
それに、どう対応していいかもわからない。

唯「そう…」

泣きそうな顔。
それは、外灯の光に照らされ、瞳が潤んで見えたからかもしれなかったが。

朋也「じゃあな。気をつけて帰れよ」

ポケットに手を突っ込み、きびすを返す。
一歩前に踏み出すと、くい、と制服の裾を引かれた。

朋也「…なんだよ」

振り返ると、平沢は顔を伏せていた。

唯「やっぱり、気になるよ…だって、いきなりなんだよ…」

唯「楽しくお話できてたと思ったのに、すごく悲しい顔になって…」

唯「それで、どこかに行っちゃおうとするんだもん…」

唯「だから、もしかして私、なにかしちゃったのかなって…」

こいつは…そんなふうに思っていたのか。
俺についてくる間も、ずっと不安を抱えていたのかもしれない。
俺は無粋な自分を呪った。

朋也「違うよ…おまえじゃない。おまえはなにも悪くない」

唯「じゃあ…どうして?」

今度は顔を上げて言った。
俺の顔を、じっと見据えていた。

朋也「…親父と喧嘩してるんだ。もう、ずっと昔から」

少し違ったが、わかりやすく伝えるため、そういうことにしておく。
きっと今のひどさなんて誰にも伝わらない。
俺にしかわからない

唯「お父さんと…」

朋也「ああ」

唯「なにかあったの…?」

朋也「ああ。色々あった」

もう取り返しのつかないほど色々と。

唯「えっと…」

その先は、続かなかった。

朋也「ま、父子家庭ってのはそんなもんだ」

朋也「男ふたりが顔を突き合わせて仲良くやってたら、逆に気持ち悪いだろ」

フォローのつもりでそう付け加える。

唯「そう…」

唯「でもどこかで…喧嘩してても、どこかで通じ合ってればいいよね」

そうまとめた。

朋也「そうだな」

息をつく。
俺は不思議に思った。どうしてここまで自分の家の事情など話してしまったのか。
慰めて欲しかったんだろうか、こいつに。
虫のいい話だ。ここまで何も言わずに付き合わせておいて。

朋也「…もう、いいな? 俺、行くから」

だから、俺からそう切り出した。
黙っていれば、きっとこいつは優しい言葉を探して、俺になげかけてくれるだろうから。

唯「あ、うん…」

背を向け、歩き出す。
しばらく進んだところで…

唯「岡崎くんっ! 辛いことがあったら、私に愚痴ってくれていいからねっ!」

唯「だれかに話せば、それだけで楽になれると思うからっ!」

後ろから、声を張って俺に呼びかけていた。
俺は立ち止まらず、左腕を上げ、それを振って返事とした。
そして、気づく。もう、俺は落ち着きを取り戻し始めていることに。
それは、あいつの懸命さがそうさせてくれたのかもしれなかった。

―――――――――――――――――――――

4/10 土

朝。用を足し、自分の部屋に戻ってくる。
モヤがかかった意識で、時計を見た。
これも、もう目覚ましとして機能しなくなって久しい。
今朝はその唯一の役割を立派に果たしてくれた。
今から準備して学校に向かえば、四時間目には間に合うだろう時間であることがわかったのだから。

朋也(今日、土曜だよな…)

朋也(行っても、一時間だけか…)

朋也(たるい…サボるか…)

布団にもぐりなおし、目を閉じる。
………。

朋也(ああっ、くそっ…)

頭はぼんやりとしているが、体が落ちつかず、眠れない。

朋也(運動不足かな…)

………。

朋也(学校…いくか)

そう決めて、布団から這い出た。

―――――――――――――――――――――

支度を終え、居間に下りてくる。
親父の姿はなかった。
もう、出かけた後なのだろう。

―――――――――――――――――――――

戸締りをし、家を出る。

―――――――――――――――――――――

ちょうど角を曲がったところ。
見覚えのある顔をみつけた。
壁に背を預け、空を見上げているその少女。
手には、その形から察するに、大きなギターケースなんかを持っている。

「あっ」

こっちに気づく。

唯「おはよう、岡崎くん」

平沢だった。

朋也「おまえ…なにしてんだよ」

唯「ん? 岡崎くんを待ってたんだよ?」

朋也「そういうことじゃなくてさ…」

なにから言っていいのやら…。

朋也「もう、とっくに学校始まってんだぞ。むしろ、もう終わるだろ、今日は」

唯「そうだね」

朋也「そうだねって…」

ここまで軽く返されるとは思わなかった。

朋也「つーか、きのう迎えはいらないって言っただろ」

唯「だから、迎えてはないよ。待ってただけだからね」

朋也「同じことだろ…」

唯「いいでしょ、待つだけなら、私の自由だし」

それならいっそ、呼び鈴でも鳴らしてしまえばいいのに。
俺に拒否された上でやるならば、ただ待つよりは手っ取り早いはずだ。
言おうとして…やめる。
もしかしたら、とひとつの考えが頭をよぎった。
こいつは、昨夜俺から聞いた話を考慮して、こんな行動に出たのかもしれない。
俺が親父と接触することにならないよう、下手に干渉することを避けて。
………。

朋也「…朝からずっと待ってたのか」

唯「うん。いつ来てもいいようにね」

そんなの、俺の気分次第で変わってしまうのに。
最悪、サボることだってありうる。現に直前まで迷っていた。

それなのに、こいつは…

朋也「…なんで、そこまで…俺、なんかおまえに気に入られるようなこと、したか」

思い当たる節がない。
むしろ、その逆に当てはまる事例の方が多いような気がする。

唯「う~ん…そう言われると、特別、なにもないような…」

腕を組み、小首をかしげる。

唯「でもさ、人が人を気になるのって、理屈じゃないところもあると思うけどな」

胸を張ってそう言った。

朋也「…おまえ、俺のこと好きなの?」

唯「え?」

朋也「恋愛的な意味で」

唯「へ!? いや…それは…違う…かな?」

流石にそれは自分でも都合がよすぎるとは思ったが。
きっと、こいつはただ、俺のように腐っている奴を放っておけないたちなんだろう。
ストレートにいい人間なんだ。

唯「でも、岡崎くん、かっこいいし、その…いい人が現れると思うよっ」

フォローされてしまった。

朋也「そっか。ありがとな」

ぽむ、と彼女のあたまに手を乗せる。

唯「わ…」

朋也「いくか」

唯「うんっ」

―――――――――――――――――――――

朋也「これっきりにしとけよ」

唯「なにが?」

朋也「だから、俺の出待ちだよ」

唯「私と一緒に登校するの、嫌?」

朋也「そうじゃなくて、俺を待ってたら遅刻するって話だよ」

いいや奴だと思うからこそ、巻き込みたくはなかった。
こいつはまともでいるべきだ。

唯「じゃあ、岡崎くんが朝ちゃんと起きればいいんだよ」

朋也「おまえがやめればいいんだ」

唯「やだよ。私、待ってるって決めたんだもん」

唯「だから、私がかわいそうだと思うなら、はやく来てね」

朋也「まったく思わないし、今まで通り起きる」

突き放すつもりで、そう言った。

唯「ひどいよっ、開店前のパチンコ店に並ぶ人くらい早くきてよっ」

また、わかりづらい例えを…。
というか、まったく堪えていない様子だ。
初めて会った時の再現のようだった。

唯「あ、今の通じた?」

朋也「まぁ、一応…」

唯「よかったぁ、少し自信なかったんだ」

唯「だけど、あえて冒険してみました」

朋也「あ、そ…」

平沢のペースに巻き込まれてしまい、それ以上なにか言う気になれなくなってしまっていた。
こいつのボケをまともに受けてしまうと、こっちの調子が乱される…。
なるべく捌くように心がけよう…。

―――――――――――――――――――――

ふたり、坂を上る。
あたりまえだが、周りには誰もいない。俺たちだけだった。
そんな状況にあるため、なんとなく隣を意識してしまう。

俺は平沢をそっと盗み見た。
前を向いて、ひたすらに歩いている。
時々風で髪がそよぐ。
桜を背景にして、景色によく映えていた。
こいつのふわふわとした感じが、春という季節にマッチしているのだ。
俺は、いつかの春原の言葉を思い出す。
確か、軽音部はかわいいこばかりだとか言っていた気がする。

朋也(こいつも、かわいい部類には入るよな…)

大きい目、小さい口、通った鼻筋、弾力のありそうな頬、ふんわりとした髪質…

朋也(つーか、余裕で入るな…)

春原の言ったこと…少なくとも、こいつにはあてはまると思う。

唯「? なに?」

朋也「いや、別に」

俺はすぐに視線を前に戻す。
長く見すぎていたようだ。気づかれてしまった。

唯「?」

―――――――――――――――――――――

教室、四時間目までの休み時間に到着する。

律「唯~、どうしたんだよ」

ふたりとも席に着くと、部長がやってきた。

律「とうとう、憂ちゃんに見捨てられたか?」

唯「そんなんじゃないよ~。今日はちょっと先にいってもらっただけだよ」

律「ふーん、先にねぇ…」

ちらり、と俺に目をやる。

律「こいつと登校するために?」

朋也(げ…)

やっぱり、一緒に教室に入ってきたのはまずかったか…。
そういえば、ちらちらとこっちを見ていた奴らもいたような気がする…。

唯「そうだよ」

朋也(おまえ…んなはっきりと…)

律「お? マジだったか」

嫌な汗が出てくる。
話がそういう方向へ向かっているように見えたた。
実際は、平沢の親切心から出発したことなのに。
昨日あったこと、俺が話したこと…
全部含めて、そう決めたというのも、少なからずあるだろう。
そういういきさつを知らずに結果だけ見れば、おおいに誤解される可能性があった。

律「岡崎…あんた、やるねぇ。短期間で、あの唯を落とすなんてな」

唯「落とす…?」

思った通り、ばっちりされていた。

律「いやぁ、唯はそういうこと、興味あるようにみえなかったんだけどなぁ」

朋也「違う。勘違いするな」

律「なにいってんだよ。遅刻してまであんたと登校したかったんだろ」

律「思いっきり惚れられてんじゃん」

朋也「だから、それは…」

どう説明したものだろうか…。

唯「ねぇ、りっちゃん。落とすって、なに? 業界用語?」

律「うん? そんなことも知らないのか、おまえは…」

律「落とすっていうのは、口説き落とすってことだよ」

唯「口説く…って、岡崎くんが、私を?」

律「うん。それで、今ラブラブなんだろ」

唯「そ、そんなんじゃないよっ! 第一、岡崎くんには、私じゃ釣り合わないし…」

律「見た目のこといってんなら、釣り合い取れてると思うぞ」

律「唯は当然かわいいとして、岡崎もなんだかんだいって男前だからな」

唯「そ、そうかな…って、ちがうちがうっ!」

唯「今日一緒にきたのは、なんていうか…私のわがままっていうか…」

唯「とにかく、そういうのじゃないからっ!」

律「ふぅ~ん、でも、なぁんかあやしいなぁ」

唯「もう許してよ、りっちゃん…」

律「いやいや、こういうことは、はっきりさせなきゃだな…」

キーンコーンカーンコーン…

律「っと、タイムアップか。ま、昼にまた詳しく聞くからな。ばいびー」

そそくさと自分の席へ戻っていった。

唯「もう…ごめんね、岡崎くん。りっちゃん、いつもあんなだから…」

朋也「いや、いいけど…」

なんとなく挙動が誰かに似ている気がして、逆に親近感が湧くような…。
そう思うのは気のせいだろうか。

ガラリっ

乱暴にドアが開かれる。
教師かと思ったが、目に入ってきた金髪で、その予想が裏切られたことを知る。
普通に春原だった。
肩で息をしながら着席し、そのまま机に突っ伏すと、微動だにしなくなった。

朋也(あ、死んだ…)

かのように見えたが、呼吸のためか、上体が上下しはじめた。

朋也(寝たのか…なにしにきたんだ、あいつは…)

―――――――――――――――――――――

生徒「気をつけ、礼」

声「ありがとうございました」

授業が終わり、弛緩した空気になる。
そこかしこから、昼は何にするだとか、そんな声が聞えてきた。

唯「いこ、岡崎くん」

朋也「ああ」

いつものように平沢と職員室に向かう。
土曜日は、4時間目が終わると、清掃なしで即SHRが行われ、放課となる。
昼を摂れるのはそれからだった。

―――――――――――――――――――――

声「平沢さん」

唯「はい?」

職員室でボックスの中を漁っていると、後ろから声をかけられた。

さわ子「今日、なんで遅刻したの? 欠席かと思って、お家に電話したのよ」

俺が主な原因だっただけに、どうもばつが悪い。

さわ子「でも、誰も出ないし…携帯もつながらなかったし…」

さわ子「だから、なにかあったんじゃないかって心配してたんだから」

俺や春原なんかは常習犯だったし、この人は大体の事情も知っているから、いつものことで済まされる。
だが、これが普通の生徒に対する、一般的な反応だった。

唯「ごめん、さわちゃん。ただの寝坊だよ。携帯は電源切ってたんだ」

部長の時とは違い、ごまかして伝えていた。
仲がいいとはいえ、教師なので、俺の名前を出すことをしなかったのかもしれない。
それを思うと、罪悪感を感じてしまう。

さわ子「寝坊って…岡崎くんや春原くんじゃあるまいし…」

さわ子「まぁ、いいわ。それで、いつきたの」

唯「三時間目の終わりだよ」

さわ子「それ、寝すぎじゃない? 夜更かしでもしてたの?」

唯「えへへ、まぁね。ギー太がなかなか寝かせてくれなくて…」

さわ子「よくわからないけど、夜中にギターを弾くのは近所迷惑でもあるから、やめなさい」

唯「は~い」

さわ子「夜はしっかり寝て、ちゃんと学校に来なさいね」

唯「はぁ~いぃ」

さわ子「過剰に間延びした返事はやめなさい」

唯「へいっ」

さわ子「ほんとにもう…。あ、それと、岡崎くん」

朋也「…なんすか」

少し落ちた気分を引きずったままこたえる。

さわ子「中庭、がんばってくれたみたいね。用務員のおじさんも喜んでたわ」

朋也「はぁ…」

さわ子「今日は特にやること決めてないから、帰ってもいいわよ」

朋也「そっすか」

さわ子「春原くん…は今日来てる?」

朋也「ああ。来てるよ」

さわ子「じゃ、あの子にも言っておいてね」

そう言い残し、職員室の奥へ去っていった。

唯「私達も、いこっか」

朋也「ああ」

―――――――――――――――――――――

唯「ねぇ、今日なにもないんだったらさ、部室に遊びにこない?」

配布物を運ぶ途中、平沢が口を開いた。
前にもこんな調子で誘われた覚えがある。

朋也「遊びって…いいのかよ」

唯「うん、もちろん。一緒にお茶飲んだり、お話したりしようよ」

普段はそうしていると聞いていたが、真剣な平沢たちも見てしまっている。
それもあって、やはり、俺がその中に割って入るのは野暮ったく感じる。

唯「ね? 春原くんも誘ってさ」

黙っていると、そうつけ加えてきた。

朋也「俺は遠慮しとく。あいつはどうか知らないけどさ」

仮に春原がその気になったとして、俺は止めることはしない。
あの連中の中に入っていくことをどう思うかなんて、あいつの勝手だ。

唯「ぶぅ、つまんないなぁ。くればいいのに」

朋也「おまえがよくても、他の奴らがよく思わないかもしれないだろ」

唯「そんなことないよ。みんな、ふたりがいた時はいつもより賑やかでよかったって言ってたし」

朋也「部長もか」

唯「うん。いないと、なんとなく寂しいって言ってたよ」

朋也「そっか」

少し意外だった。あんなにも春原と仲が悪かったのに。

唯「だから、ね? 遠慮しないでいいんだよ?」

朋也「いや…それでもやっぱ、いいよ」

むこうが歓迎ムード寄りだったとしても、どうしてもおれ自身が気兼ねしてしまう。

唯「ちぇ~…」

―――――――――――――――――――――

SHRも終わり、やっと昼食の時間を迎えた。

唯「岡崎くん、お昼どうするの? 学食?」

朋也「ん、ああ…決めてないな」

唯「じゃあさ、また私たちと一緒に…」

春原「おい、岡崎。さわちゃんなにも言わずに出てっちゃったんだけど、なんか聞いてる?」

平沢がなにごとか言いかけた時、春原が現れた。

朋也「今日はもう帰っていいってよ」

春原「マジ? ラッキー」

唯「ていうか春原くんって、さわちゃんって呼んでるんだね」

春原「ああ、もう長い付き合いだからね」

唯「私とりっちゃんもそう呼んでるんだよ。まる被りだね」

春原「ま、最初にそう呼び始めたのは僕だろうけどね」

なぜか対抗心を燃やし始めていた。

唯「む、そんなことないよっ。私たちなんて、会った瞬間からそう呼んでたんだから」

春原「甘いな。僕なんて、物心ついた頃から雰囲気でそう呼んでたんだぞ」

朋也「時系列的にもありえないからな…」

唯「だよね」

春原「岡崎、余計なこというなよっ。あとちょっとで勝てたのによっ」

なににだ。

春原「ま、いいや。んなことより昼、食いにいこうぜ」

朋也「ああ、そうだな」

言って、立ち上がる。

唯「どこいくの?」

春原「ラーメン屋…でいいよな?」

確認を取るように、俺を見る。

朋也「いいけど」

唯「あ~、外かぁ。じゃ、しょうがないか…」

春原「あんだよ、なんかあんのか」

唯「いや、学食だったら、一緒にどうかなと思ったんだけどね」

春原「そんなにどうしても僕たちと一緒がいいなら、ラーメン屋ついてくりゃいいじゃん」

そこまで熱望していない。

唯「お弁当持ってきてるからね。学食なら一緒のテーブルにつけたでしょ」

春原「あそ。じゃだめだな」

春原「もういこうぜ、岡崎」

言うが早いか、ぶっきらぼうに歩き出した。
俺もそれに続く。

唯「あ、春原くんっ、ご飯食べ終わったら、部室に遊びにこない?」

春原「あん? 遊び?」

振り返り、そう聞き返した。

唯「うん。みんなでお菓子食べたり、お話したりするんだよ」

春原「………」

しばし逡巡する。
こいつのことだ、食べ物に釣られて快諾するかもしれない。

春原「それ、僕だけ? こいつは?」

唯「岡崎くんは、こないんだって」

春原「ま、そうだよねぇ、こいつは」

俺を見て、納得したような顔をする。

春原「僕も行かねぇよ」

唯「春原くんもかぁ…残念…」

春原「ま、僕たち、部活なんか大嫌いだからね。わざわざそんなとこ、寄りつかないよ」

どうしてそこまで話してしまうのか。
ただ、行かないとだけ言っていればいいのに。
俺は春原を恨めしく思った。
それほど触れられたくないことだった。

唯「え? どうして…」

春原「別にいいだろ、なんでも。とにかく嫌いなんだよ」

曖昧に答える。
こいつも、詳しく話す気はないようだ。

唯「…もしかして、楽しくなかったかな、私たちといて…」

どうやら平沢は、断る口実として言ったものだと受け取っているようだった。
…よかった。内心かなりほっとする。

春原「ばぁか。んなもん、僕とこいつの友情にくらべれば屁みたいなもんだよ」

春原「だよな? 岡崎っ」

朋也「ああ、その通り。屁の化身みたいな奴だよ、おまえは」

春原「なにを肯定してるんだよっ!? 一言もそんなこといってないだろっ!」

唯「あははっ、確かに、仲いいよね、ふたりとも」

春原「ふふん、まぁね」

ぴと ぴと

春原「あん? なに背中つついてんの、おまえ」

朋也「いや、俺の服、ちょっとほつれてたからさ、その糸くずだよ」

ぴと ぴと

春原「いや、もうやめろよっ! 地味に嫌だよっ!」

背に手を伸ばし、はたきだす。

朋也「動くなよ、もう少しでバカって文字が完成するんだから」

春原「あんた、めちゃくちゃほつれ多いっすね!」

唯「あははっ」

―――――――――――――――――――――

朋也「おまえは行くと思ってたんだけどな」

春原「なにが」

朋也「軽音部」

春原「はっ…行かねぇよ。おまえと同じ理由でな」

朋也「そうか…」

秤にかけるまでもなかったということか。

朋也「でも、昼飯は一緒でもいいんだな。ラーメン屋ついてきてもよかったんだろ」

春原「ああ、それくらいならね」

こいつの中では譲れるラインらしい。
普通ならもう関わることさえしなくなっているだろうに。
やっぱり、こいつもどこか軽音部の連中のことを気に入っていたのかもしれない。

春原「ま、ムギちゃんがいるってのがデカイんだけどね」

朋也「ふぅん。つーか、おまえマジなの」

春原「ムギちゃん?」

朋也「ああ」

春原「彼女にできれば、将来明るそうじゃん? お嬢様だぜ?」

朋也「そんな理由かよ」

春原「まぁ、それだけじゃないよ。かわいいし、いいこだしね」

春原「僕の彼女になれる条件を満たしてるってことだよ」

こいつは琴吹の『いつか殺りたい人間』リストの最上段に載れる条件を全て満たしているはずだ。

―――――――――――――――――――――

春原「はぁ、うまかった」

ラーメン屋で昼を済ませ、外に出てくる。

春原「学食のもいいけどさ、たまにはがっつり、ニンニク入ったラーメンも食いたくなるよね」

朋也「そうだな」

これはかなり共感できた。
チーズバーガーが無性に食べたくなる衝動と同じ原理だ。多分。

春原「あ、コンビニ寄ってかない?」

朋也「いいけど」

―――――――――――――――――――――

近くのコンビニに入る。
同じ学校の制服もちらほら見かけた。

春原「今週は載ってるかな…」

小さくつぶやき、雑誌コーナーへ向かう。
俺もそれに倣った。

―――――――――――――――――――――

春原「うぉ…ははっ」

手に取った雑誌を読みふけり、興奮を織り交ぜながら笑いをこぼしていた。

朋也(口に出すなよ…うるせぇな…)

朋也「春原、もうちょい奥にいってくれ。立ち読み客がつかえてる」

春原「ん、おお」

雑誌から目を離さずに移動する。

朋也「まだ足りないって」

春原「ん…」

端までたどりつく。
そう、そこはまさに、警告標識で仕切られた、いかがわしい雑誌コーナーの目の前。

春原「うっお…へへっ」

そんな場所で不気味なうめき声を上げるこの男。
ただの変態だった。

女生徒1「あれって…」

女生徒2「えぇ…やばいよ…」

女生徒1「大丈夫だって…」

うちの学校の生徒にも目撃されていた。
その女生徒たちは、なにやら携帯を取り出すと、カメラのレンズを春原に合わせているように見えた。

そして、ちゃらりん、と音がすると、ダッシュで店を出ていった。

朋也「………」

あの春原の姿が全校生徒のデータフォルダに保存される日は近いかもしれない…。

―――――――――――――――――――――

春原「岡崎、なんか思いついた?」

朋也「いや、なにも」

俺たちはなんの目的もなく、ただ駅前に出てきていたのだが…
そんなことだから、当然のように間が持たなくなっていた。
今は適当なベンチに腰掛けて、遊びのアイデアをひねり出していたのだ。
だが、どれも不毛なものばかりで、一向に納得できる案が浮かんでこない状態が続いていた。
つまりは…いつもの通り、暇だった。
これが俺たちの日常だったから、もういい加減慣れてしまっていたが。

春原「じゃあさ、白線踏み外さずに、どこまでいけるかやろうぜ」

朋也「おまえ、ほんとガキな」

春原「いいじゃん、この際ガキでもさ。あそこのからな出発なっ」

指をさし、その地点へ駆けていく。

朋也(しょうがねぇな…)

俺も仕方なくついていった。

―――――――――――――――――――――

春原「おい、おまえもやれよ」

俺は春原の横につき、白線の外にいた。

朋也「俺は監視だよ。おまえがちゃんとルールに則ってプレイしてるかチェックしてやる」

朋也「確か、踏み外すと、その足が粉砕骨折するってことでよかったよな」

春原「んな過酷なルールに設定するわけないだろっ! どんなシチュエーションだよっ!」

朋也「じゃあ、落ちてる犬の糞を踏んだら残機がひとつ増えるってのは守れよ」

春原「なんでそんなもんで1UPすんだよっ!? むしろダメージ受けるだろっ!」

朋也「いや、そういう世界観のゲームなのかなと思って。おまえが主人公だし」

春原「めちゃくちゃ汚いファンタジーワールドっすね!」

朋也「いいから、早くいけよ、主人公」

春原「おまえがいろいろ言うから開幕が遅れたんだろ…」

ぶつぶつと愚痴りながらも白線に沿って進み始めた。

―――――――――――――――――――――

春原「あー、もういいや、つまんね…」

商店街を出て、しばらく来たところで春原が白線から出た。

朋也「なに言ってんだよ、十分楽しんでたじゃん」

朋也「その辺に生えてるキノコ食って巨大化とか言ってみたりさ」

春原「どうみてもそのキノコのせいで幻覚みてますよねぇっ!」

朋也「で、これからどうすんだよ」

春原「帰るよ、普通に…ん?」

春原の視線の先。
電柱のそばに、作業員風の男がヘルメットを腰に提げて立っていた。
時々電柱を見上げ、手にもつボードになにかを書き込んでいる。
点検でもしていたんだろうか。

春原「んん!? うわっ…マジかよ…やべぇよ…」

その男を見つめたまま、春原がうわごとのようにつぶやく。

朋也「どうした。禁断症状でもあらわれたか」

春原「もうキノコネタはいいんだよっ。それより、おまえ、気づかないのかよっ」

朋也「なにが」

春原「ほら、あの人だよっ」

男を指さす。

朋也「作業員だな」

春原「そうじゃなくて、あの人、芳野祐介だよっ! おまえも名前ぐらい聞いたことあるだろ」

朋也「芳野祐介…?」

確かに、どこかで聞いたことがあるような…。

春原「ほら、昔いたミュージシャンの」

朋也「ふぅん、ミュージシャンなのか。名前はなんとなく聞いたことあるような気はするけど」

春原「メディア露出がほとんどなかったからな…顔は知らなくても無理ないか…」

春原「でも、それでもかなり売れてたんだぜ? おまえもラジオとかで聞いてるって、絶対」

朋也「そうかもな、名前知ってるってことは」

春原「はぁ…でも、この町にいたなんてな…しかも電気工なんかやってるし…それも驚きだよ…」

朋也「ただのそっくりさんかもしれないじゃん」

春原「いや、絶対本人だって」

朋也「なんでそう言い切れるんだよ」

春原「あの人が出てる数少ない雑誌も全部読んでるからね」

朋也「おまえ、んなコアなファンだったの」

春原「いや、妹がファンでさ、そういうの集めてたんだよ」

春原「それで、僕も影響されて好きになったんだけどね」

朋也「おまえ、妹なんかいたのか!?」

春原「ああ。言ってなかったっけ?」

朋也「初耳だぞ。紹介しろよ、こらぁ」

春原「実家にいるから無理だっての」

…それもそうか。確か、こいつの実家は東北の方だったはずだ。
というか…春原の妹なんていったら、きっとゲテモノに違いない。
それを思うと、すぐに萎えた。

春原「それよか、サインもらいにいこうぜ」

朋也「俺はいいよ。ひとりでいけ」

春原「もったいねぇの。あとで後悔しても遅いんだからな」

朋也「しねぇよ」

春原「じゃ、いいよ。僕だけもらってくるから」

言って、芳野祐介(春原談)に振り返る。

春原「あ…」

その先へ向かおうとしたところで、ぴたっと動きを止めた。

春原「………」

朋也「どうしたんだよ」

春原「いや…ちょっと思い出したんだよ」

朋也「なにを」

春原「いや、芳野祐介ってさ、もう引退してるんだけど、その最後がすげぇ荒んでたって聞いたんだよね…」

春原「当時のファンだったら絶対声かけないってくらいにさ…」

朋也「もう時効なんじゃねぇの。いけよ」

春原「おまえ、ほんと誰にでも鬼っすね…」

朋也「あ、おい、もう行こうとしてないか」

芳野祐介(春原談)は、軽トラの荷台に仕事道具を積み始めていた。

春原「やべっ…」

春原「岡崎、おまえも協力してくれっ」

朋也「なにをだよ」

春原「それとなくサインもらえるようにだよっ」

朋也「ああ? どうやって」

春原「そうだな…」

あごに手を当て、考える。

春原「僕が合図したら、おまえは、うんたん♪うんたん♪ いいながらエアカスタネットしてくれ」

朋也「はぁ? 意味がわからん」

春原「いいから、頼むよっ」

朋也「いやだ」

春原「今度カツ丼おごるからっ」

朋也「よし、乗った」

―――――――――――――――――――――

春原「あのぉ、すみません…」

積み作業を続ける芳野祐介(春原談)の手前までやってくる。

作業員「あん?」

一時中断し、俺達に振り向いた。

春原「僕たち、大道芸のようなものをたしなんでるんですけど…」

春原「もしよかったら、今、みていただけませんかね?」

作業員「大道芸なら、繁華街のほうでやればいいんじゃないか」

春原「いや、まだそれはハードルが高いっていうか…」

春原「まずは少人数でならしていこうと思いまして…」

作業員「ふぅん…そうなのか」

腕時計を見て、なにか考えるような顔つきで押し黙る。

作業員「…まぁ、少しなら付き合ってやれる」

春原「ほんとですか!? あざすっ!」

春原「それじゃ…」

春原が俺に目配せする。
合図だった。

朋也「うんたん♪ うんたん♪」

春原「ボンバヘッ! ボンバヘッ!」

いつかみたヘッドバンギング。
その隣で謎のリズムを刻む俺。
………。
俺たちは一体なにをしているんだろう…。
というより、なにがしたいんだ…。

やっている自分でさえわからない。

作業員「………」

芳野祐介(春原談)も明らかに怪訝な顔で見ていた。

春原「…ふぅ」

作業員「…もう終わりか?」

春原「え? えっと…まだありますっ」

多分、今ので終わる予定だったんだろう。

朋也(まさか、いいリアクションがくるまでやるつもりじゃないだろうな…)

と、また目配せされた。

朋也「うんたん♪ うんたん♪」

春原「ヴォンヴァヘッ! ヴォンヴァヘッ!」

今度は横に揺れていた。
くだらなさ過ぎるマイナーチェンジだった。

―――――――――――――――――――――

春原「ぜぇぜぇ…こ、これで終わりっす…」

結局一度もいい反応を得ることなく、春原の体力が底を尽いていた。

作業員「…ひとつ訊いていいか」

春原「はい? なんですか…」

作業員「一体、なにがしたかったんだ?」

それは俺も知りたい。

春原「え? やだなぁ、エアバンドじゃないっすか」

そうだったのか。
というか、おまえがやったのはどっちかというとエア観客じゃないのか。

作業員「そうか…よくわからんが、まぁ、がんばれよ」

励ましの言葉をくれると、車のドアを開け、そこに乗り込もうとする。

春原「あ、ちょっといいっすか?」

作業員「なんだ、まだなにかあるのか」

春原「あの…このシャツにサインしてくれませんか」

強引過ぎる…。
話がまったくつながっていなかった。
エアバンドの前フリは一体なんだったのか…。

作業員「俺がか?」

春原「はい。最初のお客さんってことで、記念にお願いします」

作業員「…まぁ、あんたがいいなら、やるが」

春原「あ、本名でお願いしますよ。あと、春原くんへってのもお願いします」

ますます話が破綻していた。
普通は役者がファンにするものだろうに。

春原「春原は、季節の春に、はらっぱの原です」

作業員「ああ、わかった」

書き始める。
これで名前が芳野祐介じゃなかったら爆笑してやる。

作業員「これでいいか」

春原「っ…ばっちりっす! あざした!」

朋也(おお…)

そこに書かれていたのは、芳野祐介という名前。
同姓同名の他人…なんてことはやっぱりなくて、本物なのか…。

芳野「…はぁ」

また腕時計で時間を確認する。

芳野「あんたら、時間あるか」

春原「え? はい、有り余ってますっ」

芳野「なら、バイトしないか」

春原「バイトっすか」

芳野「ああ。作業を手伝って欲しいんだ」

春原「もちろんやりますよっ」

芳野「助かる。なら、車に乗ってくれ」

春原「はいっ」

元気よく答えて、助手席に向かう。

春原「岡崎、なにつっ立ってんだよ。早くこいって」

朋也「俺もかよ…」

春原「ったりまえじゃん」

朋也(なにが当たり前だ…)

しかし、バイトだと言っていたのだから、当然バイト代も出るのだろう。
どうせ、暇だったのだ。
金がもらえるなら、それも悪くないかもしれない。

―――――――――――――――――――――

春原「うぇ…しんど…」

朋也「俺も、脚パンパンだ…」

梯子や街灯を支えていたのだが、これが大層な力作業だった。
不安定なものを固定するというのが、ここまで神経を使い、なおかつ筋力も酷使するものだったとは…。

芳野「助かったよ。ご苦労だったな」

ちっとも疲労感を感じさせない、余裕のある佇まい。
俺達よりよっぽど過酷な作業をこなしていたというのに…。

春原「きついっすね…いつもこんなことしてんすか…」

芳野「ああ、まぁな。今日はこれでも軽い方だ」

春原「はは…これでっすか…」

これが社会人と、俺たちのような怠惰な学生の違いなのだろうか。
こんなにも疲弊しきっている俺たちを尻目に、この人は涼しい顔で軽い方だと言ってのける。
午前中にも、ずっと同じような作業をしてきたかもしれないのに…。
小さな悩みとか、そういうことをうじうじ考えているのが馬鹿馬鹿しくなるほどに、しんどい。
社会に出るというのは、そんな日々に身を投じるということなのだ。
想像はしていたけど…想像以上だった。
今までどれだけ働くということを甘く考えていたか、いやというほど思い知らされた気分だ。
でも、芳野祐介だって、俺たちとさほど変わらない歳の若い男だ。
その男からいとも簡単に『軽い方だ』などと言われれば、ショックもでかかった。
俺は歴然とした差を感じ、いいようのない焦燥感に襲われていた。

芳野「あんたら、予想以上によく動いてくれたよ。体力あるほうだ」

春原「はは…」

朋也「そっすか…」

なんの救いにもならない。

芳野「今から事務所の方に行ってくるから、少し待っててくれ」

春原「はい…つーか、動きたくないっす…」

ふ、と笑い、俺と春原の肩を軽く叩き、労いの意を示してくれた。

―――――――――――――――――――――

芳野「待たせたな。ほら、バイト代」

灰色の封筒を差し出した。
下の方に何やら会社名が書いてあった。

春原「あざす」

朋也「ども」

芳野「悪いな、半分しか出なかった」

芳野「一日働いてないのに、丸々出せるかって言われてな」

俺は痛みの残る腕で封筒を開けた。ひのふのみの…

朋也「これ、間違いじゃないんすか?」

春原「はは…」

春原もその額になにか思うところがあるようだ。

芳野「ん? そんなことないと思うが」

俺は芳野祐介に封筒を渡し、見てもらった。

芳野「違わない。そんなに少なかったか?」

いや、逆だ。どうみても、多いと思った。
話では、これでも半分の額だという。
もし満額もらっていたのなら。
この額ならば、自分の力だけで食っていける…。
けど、それはやっぱり甘い考えなんだろう。
俺のように冷めやすい性格の人間に勤まるような仕事じゃなかった。
きっとすぐに嫌気が差して、投げ出してしまうに違いなかった。
じゃあ、俺はどんな場所に収まれるというんだろう…。
俺はかぶりを振る。
そんなことを今から考えていたくなかった。

春原「いや、めちゃ満足っす。こわいくらいに…」

芳野「そうか。なら、よかった」

芳野「また暇な時にでもバイトしにきてくれ。ウチはいつだって人手不足だからな」

芳野「ほら、名刺」

春原「いいんすか? もらっちゃって」

芳野「名刺くらい、別にいい」

春原「っしゃ! ざぁすっ!」

俺も名刺を受け取る。そこには電設会社の名前と、芳野祐介という文字が記されていた。

芳野「じゃあ、急ぐんでな」

芳野祐介は荷物を持つと、向かいに止めてあった軽トラへと歩いていく。
中に乗り込み、最後にこちらを見て片手を上げると、低いエンジン音と共に去っていった。

―――――――――――――――――――――

春原「いやぁ、今日は大収穫があったね」

ベッドに寝転び、もらった名刺を眺めながらごろごろと二転、三転している。

春原「臨時収入はあったし、あの芳野祐介の名刺まで手に入るなんてさ」

春原「やっぱ、日ごろの行いがいいと、こういう幸運に恵まれるんだね」

朋也「確かに、この雑誌の後ろの方にある占いによると、おまえの星座、今日運気いいってあるぞ」

春原「マジで?」

朋也「ああ。でも、今日までらしいぞ。明日以降は確実に死ぬでしょう、だってよ」

春原「どんな雑誌だよっ! 死期まで占わなくていいよっ!」

朋也「ラッキーアイテムは位牌です、ってかわいいキャラクターが満面の笑みで言ってるぞ」

春原「諦めて死ねっていいたいんすかねぇっ!?」

―――――――――――――――――――――

朋也「そういやさ…」

春原「あん?」

朋也「おまえ、芳野祐介のCD持ってんの」

春原「テープならあるけど。聞く?」

朋也「ああ、頼む」

春原「じゃ、ちょっと待ってて」

立ち上がり、ダンボールを漁りだす。

朋也「つーか、今時テープって、古すぎだろ。音質とかやばいだろ」

春原「文句言うなよ。ほらっ」

テープの入ったラジカセをよこしてくる。
電源をいれ、再生してみる。
ハードなロック調のメロディが流れてきた。
歌詞もよく聴いてみると、音は激しいのに、心にじぃんとくるものがあった。

春原「どうよ?」

朋也「…いいわ、かなり」

春原「だろ?」

今日入った金もあることだし…。
今度、中古ショップでも回ってCDを探してみよう。そう決めた。

―――――――――――――――――――――

4/11 日

目が覚める。寝起きは悪く、けだるい。
時計を確認すると、まだ午前中だった。

朋也(寝直すか…)

どうせ、この時間に起きて寮に行っても、春原の奴もまだ夢の中に違いなかった。
寝ているあいつにいたずらするもの一興だが、それ以上に睡眠欲求が強い。
俺は二度寝するため、目をつぶって枕に頭を預けた。

―――――――――――――――――――――

………。

―――――――――――――――――――――

朋也(ふぁ…だる…)

結局、起きたのは午後一時半。
深夜に寝ついたとはいえ、眠りすぎだった。
加え、二度寝もしているから、いつも以上に体も頭も重い。
そして、そんな時は食欲も湧いてこないので、まだなにも食べていなかった。
なにか食べたくなるのは決まって時間が経ってからだ。
それも一気にくるから、こってりしたものが欲しくなる。
なので、時間を潰し、かつそんな食事もできるよう、俺は繁華街へ出てきていた。
当面はCDショップを巡るつもりだ。
お目当ては、芳野祐介のCD。
昨日、いつか探しに出ようと決めたが、そのいつかがこんなに早く来るとは…。
我ながら、本当にいきあたりばったりだと思う。

―――――――――――――――――――――

朋也(ないな…)

大手CDショップの中古コーナーを回ったり、中古専門の店に入ってもまったく見つからなかった。
すでに数件巡っているのにだ。

朋也(もう、出るか…)

朋也(ん? あれは…)

懐かしいものを発見した。それは、ひっそりと棚の隅にあった。
だんご大家族のCDだった。
誰かが出しかけたまま放置していったのだろう。
他のCDにくらべて少し飛び出していた。
だからこそ俺の目に入ったのだが。
手に取ってみる。

朋也(平沢の奴、これのシャーペン持ってたよな、確か…)

あいつから聞いていなければ、見つけても素通りしていただろう。

朋也(買って、500円くらい上乗せして売りつけてやろうか)

朋也(いや…好きなら、CDくらい持ってるか…)

よこしまな考えをすぐに改め、CDを棚に戻し、店を後にした。

―――――――――――――――――――――

朋也(あれ…この辺だったよな…)

俺は無性にハンバーガーが食べたくなり、店を探していた。
以前何度か利用したことがあったのだが…見つからない。
最近、来ていないうちに潰れてしまったんだろうか。
だとすると、駅前の方にするしかない。
だが、ここからは少し距離があった。

朋也(まぁいいか…行こう)

そう決めて、踵を返す。

朋也(ん…?)

すると、小さい女の子が、さっと柱に身を隠した。
挙動がおかしかったので、なんとなく気になった。
歩き、近づいていく。
そして、横についたとき、ちらっと横目でその子を見てみた。
柱に顔を押しつけ、手で覆い隠すようにしている。

朋也(なんだ、こいつ…)

ちょっとおかしい奴なのか…。
あまり見すぎていて、突然振り返られでもしたら怖い。
俺はスルーして先へ進んだ。

―――――――――――――――――――――

朋也(さっきの奴どうなったかな…)

ちょっと歩いたところで、好奇心から振り返ってみた。

女の子「!」

先程と同じく、柱に隠れる。

朋也(…俺、尾けられてないよな)

俺が振り返ると隠れるし、同じタイミングで方向変えたし…。
しかしそれにしては下手な尾行だった。

朋也(まさかな…)

またしばらく歩く。そして突然…

ばっ

勢いよく振り返った。

女の子「!!」

また、隠れた…。

朋也(なんなんだよ…くそ)

俺は歩を進めて近づいていく。
付近までやってくると、柱の両端から髪がはみ出ていた。
さっき見て確認した時、ツインテールだったので、その部分だ。
俺はその子の後ろに回った。

朋也「おい」

びく、と体が跳ねる。

朋也「おまえさ…」

いいながら、肩に手を置く。

女の子「す、すみません、私…」

俺がこちらを向かせる前に、自ら振り返った。

朋也「あれ…おまえ」

確か軽音部の…中野という子だったはずだ。

梓「あの、私…CDショップのところから先輩を尾行してました」

そんなとこから…気づかなかった…。

梓「失礼ですよね…やっぱり…」

朋也「いや、なんでまた…」

梓「それは…」

言いよどみ、顔を伏せる。
きゅっとこぶしを作ると、俺を見上げた。

梓「唯先輩の件で、気になることがあったからです」

朋也「平沢の? それで、なんで俺なんだよ」

平沢のことで尾行されるような心当たりがない。

梓「きのう、聞いたんです。唯先輩が遅刻してきたって」

梓「それで、その原因が岡崎先輩と一緒に登校するためだったっていうのも…」

朋也(うげ…)

あの部長、話題にあげたのか…。

梓「だから、岡崎先輩が普段どういう人なのか気になって…」

梓「ていうか、唯先輩にふさわしい人かどうか…」

ふさわしい、とは…やっぱり、そういう意味なんだろうか。
あの部長、いったいどういうふうに話したんだろう。
おもしろおかしく盛り上げて、あることないこと喋ったんじゃないだろうな…。
曲解されてしまっているじゃないか。

梓「あ、す、すみません、私…また失礼なことを…」

朋也「いや、つーか、まず俺と平沢はそんな関係じゃないからな」

梓「え? だって、手をつないで登校したりしてるんですよね?」

朋也「してない」

やはり話が盛られていた。

梓「じゃあ、休み時間にラブトークしてるっていうのは…」

朋也「するわけない…」

梓「そうですか…」

安堵した表情で、胸をなでおろすような仕草。

梓「じゃあ、律先輩のいつもの冗談だったんだ…」

朋也「なに言ったか知らないけど、九割嘘だ」

梓「え? じゃあ、残りの一割…あれは本当だったんですか…」

朋也「なんだよ、それ」

少し気になった。
だが、残り一割なら、そうたいしたことはなさそうだ。
もしかしたら、事実かもしれない。
よく話しているとか、そんな程度のこと。

梓「焼きそばパンを両端から食べあって真ん中でキスするっていう…」

めちゃヤバイのが残っていた!

朋也「それより軽いの否定してんのに、ありえないだろ…」

梓「ですよね…ちょっとテンパッちゃってました」

だろうな…。

朋也「あー…まぁ、誤解も解けたし、もういいよな。それじゃ」

言って、もと来た道を引き返し始める俺。

梓「あ、まってください!」

後ろから声。
振り返る。

朋也「なんだよ」

梓「あの…失礼なことしたお詫びに、なにかしたいんですけど…」

梓「私にできることならします。なんでもいってください」

朋也「なんでも?」

梓「はい。できる範囲でですけど…」

朋也(そうだな…)

朋也「じゃ、昼おごってくれ。飯まだなんだ」

梓「それくらいなら、まかせてください」

もともとハンバーガーを食べるつもりだったのだ。
それくらいなら、そう負担にもならないだろう。

―――――――――――――――――――――

店に入る。昼時は少し過ぎたとはいえ、人が多い。
とりあえず並んで順番を待つ。

―――――――――――――――――――――

店員「いらっしゃいませ~」

朋也「あ」
 梓「あ」

店員「あら…」

その店員も、一瞬接客を忘れて素の反応が出てしまっていた。
俺たちも、向こうも、相手のことを知っていたからだ。
つまりは知り合いだ。

紬「店内でお召し上がりになりますか?」

琴吹だった。
もう店員としての顔を取り戻している。

朋也「ええと、そうだな…」

梓「私も頼むんで、店内でお願いします」

横から、そう俺に伝えてくる。

朋也「ああ、じゃ、店内で」

紬「かしこまりました。ご注文をどうぞ」

朋也「チーズバーガー3つと、水」

紬「はい」

ピッピッ、とレジに打ち込んでいく。

紬「お会計は、おふたりご一緒でよろしいでしょうか」

梓「あ、はい」

紬「かしこまりました。では、ご注文をどうぞ」

梓「えっと…このネコマタタビセットをひとつ」

紬「はい」

同じように、またレジに入力する。
会計が出ると、中野が支払いを済ませた。

紬「では、この番号札でお待ちください」

札を受け取り、空席を探しに出た。

―――――――――――――――――――――

朋也「琴吹ってお嬢様なんだろ」

梓「そう聞いてます」

朋也「なんでバイトなんてしてるんだろうな」

梓「それは…多分あこがれがあったんだと思います」

朋也「あこがれ?」

梓「はい。なんていうか、庶民的なことに」

朋也「ふぅん…」

梓「インスタントコーヒーとか、カップラーメンにも感動してました」

朋也「へぇ…」

反動というやつだろうか。俺にはよくわからなかった。
いや…まてよ…庶民的なことに心動かされるということは…
春原とは相性がいいかもしれない。
あいつは典型的な庶民だからな…。
俺も人のことはいえないが。

梓「あの…チーズバーガー3つで本当によかったんですか?」

梓「飲み物も水ですし…」

朋也「ああ、俺小食だから」

いくらおごりといっても、腹いっぱいになる量を頼めるほど図太くなれない。
あとで適当な定食屋にでも寄ればいい。

梓「そうですか。うらやましいです」

朋也「おまえが頼んでたネコマタタビセットって、なに」

なんとなく気になっていたので、訊いてみる。

梓「あれはですね、マタタビ味のするハンバーガーとジュース、ポテトがついてきます」

朋也(マタタビ味…)

どんな味がするんだろう…。

梓「そして、なんと、電動ねこじゃらしもついてくるんです」

つまり、よくある玩具がついてくるセットのようなものなのか。

朋也「ふぅん。それで、バーガーの肉は猫なのか」

梓「そんなわけないじゃないですか。怖すぎますよ」

きわめて冷静に返されてしまった。
冗談で言ったのに、俺がバカに見えて、ちょっと恥ずかしくなってしまう。

紬「お待たせしました」

そこへ、注文の品を持った琴吹が現れた。

朋也「あれ、おまえレジじゃなかったのか」

紬「ちょっとわがまま言ってかわってもらったの」

朋也「なんで」

紬「私が持ってきたかったから」

その理由を訊いたつもりなのだが…。

紬「どうぞ、梓ちゃん」

梓「ありがとうございます」

紬「岡崎くんも」

朋也「ああ、サンキュ」

盆を受け取る。

紬「ところで…」

俺の耳にそっと顔を寄せる。

紬「唯ちゃんはいいの?」

ばっと勢いよく振り返り、顔を見合わせる。

朋也「おまえまで、俺と平沢がそんなだと思ってんのか」

紬「あれ、ちがった?」

朋也「違うに決まってるだろ」

紬「そうなの? なぁんだ…」

にこやかに微笑む。
悪びれた様子はまったくない。

無垢な子供のようだった。
これでは強く言うこともできなくなる。

朋也(はぁ…なんつーか、人徳ってやつなのかな)

冷静になったところで、思い出したように気づく。
琴吹と顔を間近に突き合わせてしまっていることに。
そういえば、さっきから、ふわりといい匂いが鼻腔をかすめていた。
俺は思わず視線を外してしまう。
琴吹は、ふふと笑い、俺から離れた。
そして、ごゆっくり、と店員然としたセリフを言い残し、カウンターへ戻っていった。

朋也(なんだかなぁ…)

俺より余裕があって、負けた気分になる。
お嬢様なのに、もう大人の風格を身につけているというか…。

梓「なに話してたんですか」

朋也「いや、ささくれの処理の仕方についてだよ」

梓「はぁ…そんなのひそひそやらなくてもいいと思いますけど」

朋也「ちょっとエグイ部分もあったから、店員のモラル的にまずかったんだよ」

梓「そうですか…よくわかりませんけど」

―――――――――――――――――――――

食事を終え、店を出る。

朋也「昼飯、ありがとな」

梓「いえ、そんな」

朋也「そんじゃ」

梓「はい」

―――――――――――――――――――――

朋也(ここでいいか)

中野と別れてからしばらく飯屋を探し回っていたのだが…
ショーウインドウのモデルメニューに惹かれ、ようやっと店を決めた。
中に入る。

―――――――――――――――――――――

ガー

腹を満たし、自動ドアをくぐって店を後にする。

朋也(けっこううまかったな…)

朋也(…ん?)

道に沿うようにして広がる花壇の淵、そのコンクリート部分。
そこに腰掛け、一匹の猫と戯れる女の子がいた。
手には、うぃんうぃん動くねこじゃらし。

梓「…あれ」

こっちを見て、そう口が動いた気がした。
次に、俺の後ろにある飯屋に目をやった。
そして、立ち上がると、こちらに近づいてくる。
猫はちょこんとその場に座り続けていた。

梓「あの…岡崎先輩、今ここから出てきませんでしたか?」

俺がさっきまでいた店を指さす。

朋也「ん、まぁ…」

梓「やっぱり、あれだけじゃ足りなかったんですね」

梓「私に遠慮してくれてたんですか」

朋也「いや、急に小腹がすいたんだよ」

梓「そんなレベルのお店じゃないと思うんですけど」

ショーウィンドウを見ながらいう。
デザート類はあったが、それ以外はしっかりしたものばかりだった。

梓「お詫びできたことになってないです…」

朋也「いや、十分だって」

梓「でも…」

食い下がってくる。

朋也(どうするかな…)

朋也「…じゃあさ、あれでいいよ」

俺は猫を指さした。

梓「え?」

猫のいる方に歩き出し、その隣に座る。
顎下をなでると、にゃ~、と鳴き、体をすり寄せてきた。
遅れて中野もついてくる。

梓「あの…」

朋也「こいつとじゃれるのでチャラな」

梓「でも、私の猫ってわけじゃないですし」

言ながら、俺とその間に猫を挟むような位置に座る。

朋也「じゃ、その猫じゃらし貸してくれ」

梓「あ、はい、どうぞ」

受け取る。
みてみると、弱、中、強と強さ調節があった。
強にしてみる。

うぃんっうぃんっ!

激しく左右に振れだした。
………。
駆動音といい、挙動といい…ひわいなアレを連想してしまう…。

朋也(いかんいかん…)

気を取り直し、猫の前に持っていく。
猫もその早い動きに対して、高速で対応していた。
バシバシバシ、と猫パンチが繰り出される。
その様子がおもしろかわいかった。
一通り遊ぶと、俺は満足してスイッチをオフにした。

朋也「ほら」

梓「あ、はい」

猫じゃらしを返す。
その折、猫の頭をなでた。
しっぽをぴんと立て、体をよせてくる。

梓「なつかれてますね」

朋也「こいつが人に慣れてるんだろ」

野生という感じはあまりしない。
人から食べ物でもよくもらっているんだろうか。
媚びれば、餌にありつけるという計算があるのかもしれない。

朋也「そういえば、俺たち、反対方向に別れたよな」

朋也「なんでここにいるんだ」

梓「それは…」

恥ずかしそうに目をそらせた。

梓「…この子をみつけて、追いかけてたからです」

朋也「逃げられたのか」

梓「はい…」

朋也「おまえ、マタタビなんとかっての食ってたし、寄ってきそうなもんだけどな」

梓「逆に避けられました…それで、ここでやっと止まってくれたんです」

朋也「気まぐれだよな、猫って」

梓「ほんと、そうですよ」

優しい笑みを浮かべ、猫をなでた。
すると、甘えたように中野のひざの上で寝転び始めた。

梓「かわいいなぁ…」

中野がなでるたび、ごろごろと鳴いて、心地よさそうだった。

朋也(いくか…)

立ち上がる。

朋也「それじゃな」

今日二回目の別れ。

梓「あ、あの、お詫びの件は…」

朋也「だから、猫じゃらしでチャラだって」

そう告げて、反論される前に歩き出す。
ひざの上には猫がいる。それをどけてまで追ってはこないだろう。
これから俺が向かう先は、当然坂下にある学生寮。
もういい加減春原の奴も起きている頃だろう。
まだ寝ているようなら、俺のいたずらの餌食になるだけだが。
その時はなにをしてやろうか…などと、そんなことを考えながら足を運んだ。

―――――――――――――――――――――

4/12 月

朋也(……朝か)

カーテンの向こう側から朝日が透過して届いてくる。
その光が目に痛い。頭も擦り切れたように思考の巡りが悪い。
先日は起きる時間が遅れていたので、うまく寝つくことができなかったのだ。
俺は今の今まで、小刻みに浅い眠りと覚醒を繰り返していた。

朋也(今日はもうだめだ…サボろう…)

混濁する意識の中、そう思った。
まぶたを下ろす。
………。
そういえば…

朋也(今日も待ってんのかな、あいつ…)

あの日、待つことにした、とそう言っていた。
俺が今日サボれば、あいつも欠席になってしまうんだろうか。
まさか、そこまでしないだろうとは思うが…。
きっと、適当なところで切り上げるだろう。

朋也(関係ないか、俺には…)

頭の中から振り払うように、寝返りをうつ。

朋也(だいたい、俺が風邪引いて休むことになった時はどうするつもりだったんだよ…)

朋也(………)

朋也(……ああ、くそっ)

考え出してしまうと、気になってしょうがなかった。
俺は布団から出た。
学校へいく準備をするために。

―――――――――――――――――――――

唯「おはようっ」

やっぱり、いた。

朋也「…おはよ」

唯「今日は早いんだねっ。これならまだ間に合うよっ」

朋也「ああ、そう…」

唯「なんか、すごく眠そうだね。やっぱり、体が慣れてない?」

朋也「ああ…」

唯「これから徐々になれていこう。ね?」

朋也「ああ…」

唯「じゃ、いこっ」

朋也「ああ…」

―――――――――――――――――――――

唯「岡崎くんさ、今日早かったのって、もしかして…私のため?」

朋也「ああ…」

唯「そ、そうなんだ…うれしいよ。やっぱり、岡崎くんはいい人だったよっ」

朋也「ああ…」

唯「岡崎くん?」

朋也「ああ…」

唯「さっきからリアクションが全部 ああ… なのはなんで?」

朋也「ああ…?」

唯「微妙な変化つけないでよ…もう、真剣に聞いてなかったんだね…」

ざわ…
     ざわ…

朋也「ああっ…!」

ざわ…
    ざわ…

唯「某賭博黙示録みたいになってるよっ…!」

―――――――――――――――――――――

学校の近くまでやってくる。
うちの生徒もまだ多く登校していた。
こんな風景を見るのはいつぶりだろうか。
もう、長く見ていなかった。

朋也(にしても…)

こんな中をふたり、こいつと一緒に歩くのか…。
周りからはどう見られてしまうんだろう。
みんな、そんなの気にも留めないのかもしれないけど…
万が一、軽音部の連中のように、勘違いする奴らが出てきたらたまらない。

朋也「おまえ先にいけ」

立ち止まり、そう告げた。

唯「え? なんで? ここまで来たんだから最後まで一緒にいこうよ」

朋也「いいから」

唯「ぶぅ、なんなの、もう…」

不服そうだったが、しぶしぶ先を行ってくれた。
俺も少し時間を置いて歩き出した。

―――――――――――――――――――――

教室に着き、自分の席に座る。

唯「なんであそこから別行動だったの?」

座るやいなや、すぐに訊いてきた。

朋也「おまえ、恥ずかしくないのか。俺と一緒に登校なんかして」

唯「恥ずかしい? なんで? おとといだって一緒だったじゃん」

朋也「いや、だから、それが原因で俺たちが、その…」

唯「うん?」

きょとん、としている。
そういうことに無頓着なんだろうか、こいつは。

朋也「…付き合ってるみたいに言われるのがだよ」

唯「あ、そ、それは…えっと…」

唯「私は別に……あ、いや…岡崎くんに迷惑だよ…ね…?」

朋也「まぁ、な…」

というか、おまえはいいのか…。

唯「あはは……だよね…気づかなかったよ、ごめんね…」

朋也「ああ、まぁ…」

唯「………」

少し驚く。あの平沢が目に見えて落ち込んでいた。
今までなら、そっけなくしても、ややあってからすぐ持ち直していたのに。
少し打ち解けてきたと思ったところで拒絶されたものだから、傷も深いんだろうか。
…でも、これでよかったのかもしれない。
これで朝、俺を待つなんて、そんな不毛なことをしなくなってくれれば。
それがお互いのためにもいいはずだ。

―――――――――――――――――――――

………。

―――――――――――――――――――――

4時間目の授業が終わり、昼休みになった。

朋也(はぁ…きっつ…)

朝から授業を受けて蓄積した疲労が堪える。
休憩時間も、全て机に突っ伏し、回復に当てて過ごしていたにも関わらずだ。
そもそも、俺が朝からいたことなんて、ほんとうに数えるくらいしかないのだ。
出欠を取ったとき、さわ子さんも俺がいることにたいそう驚いていた。
替え玉じゃないかと疑っていたくらいだ。
そんな、代返ならまだしも、替え玉出席なんて聞いたこともないのに。
それくらいイレギュラーな事態だったのだ。

朋也(飯、いくか…)

ふと、隣が気になった。
思えば、ずっと静かだったような気がする。
いつもなら、軽音部の誰かがやってきてふざけあっていたのに。
少し心に余裕ができた今、ようやくそのことに違和感を覚えた。
窺うようにして、隣を横目で見てみる。

唯「…ん? なに」

朋也「いや…別に」

唯「…そ」

朋也「………」

まだ、引きずっているのだろうか。
あの、たった一回の拒絶で、ここまで落ちてしまうものなのか。
…いや
回数の問題でもないか…

春原「岡崎、昼いこうぜ」

そこへ、春原がやってくる。

朋也「ああ…」

席を立ち、教室を出た。

―――――――――――――――――――――

春原「なんか、おまえ、元気ないね」

朋也「いつものことだろ。俺が元気振り撒いてる時なんかあったか」

春原「まぁ、そうだけどさ…今日は一段とね」

朋也「眠いんだよ」

春原「ふぅん…」

結局、いつかはこうなっていたはずだ。
いくら平沢が歩み寄ってきてくれても、俺自身がこんな奴なのだ。
無神経に振舞って、人の好意を無下にして…
そういうことを簡単にやってしまう人間だ。
だから、再三警告していたのに。
ロクでもない不良生徒だって。

―――――――――――――――――――――

ああ…それでも…

ずっと関わり続けようとしてきたのが、あいつだったんだ。
そんなやつ、あいつしかいなかったんだ。
………。

―――――――――――――――――――――

春原より先に食べ終わり、一人で学食を出た。
昼休みは中盤にさしかかったころだった。
教室へ戻っても、まだ軽音部の連中が固まって食後の談笑でもしているはずだ。
そんな中へひとり入っていく気にはなれない。
どこかで時間を潰して、予鈴が鳴る頃を見計らって帰った方がいいだろう。
俺は窓によっていき、外を見た。
食堂から続く一階の廊下。俺のいるこの場所からは中庭が見渡せた。
そこに、見覚えのある後姿を見つける。

朋也(なにやってんだ、あいつ…)

横顔が見えたとき、同時に一筋の涙がこぼれて見えた気がした。
ここからじゃ、正確にはわからなかったが、確かにそう見えた。
顔を袖で拭う動作。
こっちの、校舎の方に振り向く。
向こうも俺に気がついた。
目が合う。
一瞬、躊躇した後…
笑顔を作っていた。
また、涙が頬を伝い、それがしずくとなって地面に落ちた。
今度は間違いなく、それが見て取れた。
………。
俺は駆け出していた。
中庭に直接出ることができる、渡り廊下へ向けて。

―――――――――――――――――――――

上履きのまま、夢中で外へ出てきた。
そして、辿り着く。今はもう、石段のふちに腰掛けているその女の子。
俺も隣に座り、少し息を整える。

朋也「…こんなとこでなにやってんだよ」

もっと言いたいことはあったのに、こんなセリフしか出てこない。

唯「…岡崎くんこそ、くつに履き替えもしないで、どうしたの」

朋也「急いでたんだよ」

唯「どうして」

朋也「おまえが泣いてたから」

唯「…私が泣いてたら、急いでくれるの?」

朋也「ああ」

唯「どうして」

朋也「そりゃ…」

どうしてだろう…。
自分でもよくわからない。

朋也「…泣いてるからだよ」

唯「…ぷっ…あはは。見たまんますぎるよ」

朋也「ああ…だな」

作ったものじゃない、素の笑顔。
ここまで出てきたその行為が報われたような気分になる。

唯「私、泣いてないよ」

朋也「あん?」

唯「あくびだよ、あ・く・び」

朋也「…マジ?」

唯「マジ」

なんてくだならいオチなんだろう…。
じゃあ、なんだ、俺が単に空回りしていただけなのか…。

唯「でも、うれしかったよ。そんなふうに思って、駆けつけてくれて」

朋也「そっかよ…」

唯「また泣いたら、今みたいに来てくれる?」

朋也「ああ、すぐ行く。借りてた1泊2日のレンタルDVD返したら、駆けつける」

唯「それ、私がついでみたいになってるんだけど?」

朋也「しょうがないだろ。もう三日も延滞してるんだから」

唯「そんな事情知らないっ。最初からその日数で借りなよっ」

朋也「ちょっと見栄張ったんだよ。二日あれば俺には十分だ、ってさ」

唯「意味わかんないよ、もう…」

困ったように笑う。
けど、その表情にはもうかげりがなかった。

朋也「それで、ひとりでなにしてたんだよ。こんなとこでさ」

唯「ひなたぼっこだよ。いい天気だし、気持ちいいかなって」

朋也「ほかの奴らは」

唯「誘ったんだけどね~。断れちゃった」

朋也「そっか」

唯「みんなわかってないよ、光合成のよさを」

朋也「植物か、おまえは」

唯「む、哺乳類でもできるんだよ。みてて」

はぁ~…と気合のようなものをためていく。

唯「ソーラー…ビーーームッ!」

ズビシッ、と俺に人差し指を突き刺した。

朋也「ビームって…ただの打撃だろ…肉弾攻撃だ」

唯「えへへ」

笑ってうやむやにしようとしていた。

朋也「がんばって光合成でもしといてくれ」

立ち上がり、校舎に引き返す。

唯「あ、私もいくっ」

声がして、後ろから元気な足音が近づいてきていた。

―――――――――――――――――――――

律「よ」

帰ってきた俺を見て、部長が声をかけてくる。
今日は俺の席ではなく、空いた平沢の席に腰掛けている。

朋也「…ああ、よぉ」

平沢が抜けたことにより散会になったとばかり思っていたのだが…
まだ三人とも残っていた。
とりあえず自分の席につく。

律「なぁ…」

と、また部長。

朋也「なんだ」

律「あんた、唯のことでなんか知らない?」

それは、今朝からの平沢の様子を気にして訊いてきているんだろう。
容易に想像がついた。

律「あいつ、朝ちょっかい出しにいった時から元気なかったしさ…」

俺が机に突っ伏している間、やっぱり今日も平沢のもとに訪れていたのだ、部長は。
その時異変に気づいたと、そういうことだろう。

律「どうしたのか訊いても、曖昧にこたえるし…」

律「そんで、唯から聞いたんだけど、あんたたち、今朝も一緒に途中まで登校してきたんだろ」

律「だから、あんたならなんか知ってるんじゃないかと思ってさ」

他のふたりも、俺をじっとみてくる。
なんと言っていいのだろうか。
俺が原因だなんていったら、自惚れにもほどがある気もするし…。
今までの流れを言葉で説明すると、途端に安っぽくなるし…。

唯「やっほ、帰ったよ」

そこへ、ちょうど平沢が戻ってきた。

下駄箱で上履きに履き替えるため、途中で別れていたのだ。
だから、この時間差が生まれたのだ。

律「あ、おう…」

紬「おかえり、唯ちゃん」

澪「おかえり」

唯「ただいまぁ」

言いながら、自然に部長の上から座った。

律「ちょ、唯、重いっ」

唯「あれ、悦んでクッションになってくれるんじゃないの」

律「んな性癖ないわっ。どかんかいっ」

唯「ちぇ、思わせぶりなんだから…」

部長から身をどける。

律「なに見てそう思ったんだよ…ったく」

立ちあがり、平沢に席を譲った。

澪「唯…その、もういいのか?」

唯「ん? なにが?」

澪「いや…ちょっとテンション低かったじゃないか」

唯「ああ、もう大丈夫! 陽の光浴びて満タンに充電してきたからっ」

澪「そっか…」

部長、琴吹と顔を見合わせる。
そして、みな一様に顔をほころばせた。

律「ま、元気になったんなら、それでいいけど」

紬「そうね」

澪「ああ」

唯「えへへ」

―――――――――――――――――――――

………。

―――――――――――――――――――――

放課後。
さわ子さんによると、今日普通に登校してきた俺は、奉仕活動を免除されるということだった。
なので、春原だけが捕まっていってしまった。
唐突に暇になる。
あんな奴でさえ、いれば暇つぶしにはなっていた。
やることもない俺は、すぐに学校を出た。

―――――――――――――――――――――

着替えを済ませ、折り返し家を出る。

―――――――――――――――――――――

いつものように、春原の部屋でくつろぐ。
今はこの部屋本来の主人も戻っておらず、俺が暫定主人だった。
無意味に高いところに立ってみる。

朋也(………)

朋也(アホくさ…)

むなしくなって速攻やめた。

―――――――――――――――――――――

がちゃり

春原「…あれ、来てたの」

朋也「ああ、おかえり」

春原「つーか、人の部屋に勝手にあがりこ…うわっ」

上着を脱ぎ、コタツまで来たところで驚きの声を上げる。

春原「なにしてくれてんだよっ」

朋也「なにが」

漫画を読みながら、おざなりに返す。

春原「これだよっ! このフィギュアっ!」

朋也「おまえの大事な萌え萌え二次元美少女がどうしたって?」

春原「ちがうわっ! 僕のでもないし、そんな感じのでもないっ!」

朋也「じゃ、なんだよ」

春原「よくわかんないけど、電灯の紐で首くくられてるだろっ!」

朋也「いいインテリアじゃん」

春原「縁起悪いよっ!」

必死に紐を解く春原。

春原「なんなんだよ、これ。どうせおまえが持って来たんだろ」

朋也「ああ、なんか飲み物買ったらついてきた」

春原「やっぱりかよ…いらないなら、捨てるぞ」

朋也「いいよ」

ゴミ箱までとことこ歩いていき、捨てていた。
戻ってきて、コタツに入る。

時を同じくして、俺は飲みほしたペットボトルをゴミ箱に向かって投げた。

ぽろっ

朋也「春原、リバウンドっ」

春原「自分で行けよっ! つーか、今ゴミ箱までいったんだから、そん時言えよっ!」

朋也「ちっ、注文多いな…めんどくせぇやつ」

春原「まんまおまえのことですよねぇっ!」

俺はコタツから出て、こぼれ球を拾ってゴールに押し込んだ。
また戻ってきて、コタツの中に入る。
そして、スナック菓子を食べながら漫画を再開した。

春原「ったく、しおらしかったと思ったら、もう調子戻しやがって…」

春原「…ん? おまえ、そのコミック…」

朋也「これがどうかしたか」

表紙を見せる。

春原「やっぱ、最新刊じゃないかよっ! べとべとした手でさわんなっ」

朋也「ああ、悪い」

ちゅぱちゅぱと指をなめとった。

春原「そんな方法できれいにしても納得できねぇよっ!」

春原「台所で手洗ってこいっ!」

朋也「遠いからいやだ」

春原「すっげぇむかつくよ、こいつっ!」

朋也「ま、いいじゃん。また新しいの買えばさ」

春原「おまえが自腹で自分の買えよっ!」

春原「くっそぉ、やりたい放題やりやがって…」

朋也「これにこりたら、早く帰ってこいよ」

春原「あんたが大人しくしてればすむでしょっ!」

―――――――――――――――――――――

4/13 火

朋也「…おはよ」

唯「おはよう」

昨日と同じ場所で落ち合い、学校へ向かう。

唯「今日も眠い?」

朋也「…ああ、かなりな」

だが、昨日よりかは幾分マシだった。
普通に受け答えする気にはなる。

唯「そっかぁ、じゃあ、まだ無理かな…」

朋也「なにが」

唯「もうちょっと早く来れば、私の妹とも一緒にいけるよ」

朋也「そっか…」

そういえば、妹がどうとか、いつか言っていた気がする。

唯「私の妹、気にならない?」

朋也「いや、取り立てては」

唯「ぶぅ、もっと興味持ってよぉ…じゃなきゃ、つまんないよぉ」

朋也「ああ、気になるよ、むしろ、すげぇ眠いよ…」

唯「すごい適当に言ってるよね、いろいろと…」

―――――――――――――――――――――

あの時別れた場所までやってくる。

唯「…えっと、ここからは、別々なんだよね」

立ち止まり、前を向いたままそう言った。

唯「じゃ…先に行くね」

一歩を踏み出す。
少しさびしそうな横顔。
………。
そもそも…
俺にはそんなことを気にする見栄や立場なんてなかったんじゃないのか。
ただの不良生徒だ。周りの評判なんて、今更何の意味もない。

唯「…あ」

俺は黙って平沢の横に追いついた。

朋也「なに止まってんだよ。いくぞ」

唯「…うんっ」

―――――――――――――――――――――

唯「桜、もうほとんど散っちゃったね」

朋也「ああ」

もう、二割くらいしか残っていなかった。
2、3日もすれば完全に散ってしまうだろう。

―――――――――――――――――――――

教室のドア、そこに手をかけ、止まる。
ここで一緒に入ってしまえば、また揶揄されてしまうんだろうか。

唯「ん? どうしたの」

だが、今俺が躊躇すれば、またこいつは落ち込んでしまうんじゃないのか。
俺の考えすぎか…。

朋也「…いや、なんでもない」

俺は戸を開け中に入った。
もう、ほとんど開き直りに近かった。

―――――――――――――――――――――

律「はよ~、唯」

紬「おはよう、唯ちゃん」

澪「おはよう」

唯「おはよ~」

俺たちが席につき、間もなくすると軽音部の連中がやってきた。
俺は眠さもあり、昨日同様、机に突っ伏していた。

律「今日もラブラブしやがって、むかつくんだよぅ~」

唯「だから、違うってぇ…家が近いから、それでだって言ったじゃん」

律「ああん? そんなことくらいで一緒に登校してたら人類みな兄弟だっつーの」

澪「意味がわからん…」

会話が聞えてくる。
案じていた通り、部長がその話題に触れてきた。
俺も反論してやりたいが、いかんせん気力が湧かない。
だから、じっと休むことに集中した。

律「こいつも寝たフリして、全部聞えてんだろ~?」

律「黙秘のつもりか~? デコピンで起こしてやろう」

澪「やめときなよ」

唯「そうだよ。かなり眠いって言ってたし、そっとしといてあげよ?」

律「それだよ。こいつが早起きしてんだよなぁ。それって唯と登校するためだろ?」

律「だったらさ、やっぱ、こいつも唯に気があるんじゃね?」

唯「そ、それは…いや、ちがくて、えっと…」

唯「そうだよ、親切だよっ! 親切心っ!」

律「親切?」

唯「うん。私が待ってるって言ったから、遅刻しないように来てくれてるんだよ」

澪「へぇ…」

紬「いい人よね、岡崎くんって」

唯「だよね~」

律「なぁんか、腑に落ちねぇなぁ…」

キーンコーンカーンコーン…

律「あ、鐘鳴った」

澪「戻ろうか」

紬「うん」

そこで会話は聞こえなくなった。
3人とも言葉通り戻っていったようだ。
直にさわ子さんがやってくるだろう。俺も起きなくては…。
話が気になって、あまり回復できなかったが…。

―――――――――――――――――――――

………。

―――――――――――――――――――――

つん つん

頬に感触。

声「起きて~、岡崎くん」

続いて、すぐそばで声がした。
目を開ける。

唯「おはよ~」

…近い。すごく。
ちょっと前に顔を出せば唇が触れそうな距離。
俺は多少動揺しつつも、身を起こして顔を離した。

唯「もう授業終わったよ」

朋也「あ、ああ…」

4時間目…そう、俺は途中で眠ってしまったんだ。
担当の教師が、寝ようが内職しようが、なにも言わない奴だったから、気が緩んで。
教師としてはグレーゾーンな奴なんだろうけど、生徒にとってはありがたい存在だった。

唯「よく寝てたね」

朋也「ああ、まぁな」

朋也「ん…」

伸びをして体をほぐす。

唯「寝顔かわいいんだね」

突っ伏していたはずだが…無意識に頭の位置を心地いいほうに変えていってしまったのだろう。
それで、こいつに寝顔をさらしてしまっていたのだ。

朋也「勝手にみるな」

唯「え~、無理だよ。どうしてもみちゃう」

朋也「授業に集中しろ」

唯「それ、岡崎くんが言っても全く説得力ないよ…」

春原「岡崎~。飯」

そこへ、春原がだるそうにやってくる。

朋也「動詞を言え、動詞を」

春原「あん? んなもん、僕たちの仲なら、なくても通じるだろ?」

朋也「わかんねぇよ。飯みたいになりたい、かと思ったぞ」

春原「なんでそんなもんになりたがってんだよっ、食われてるだろっ!」

朋也「いや、残飯だから大丈夫だろ」

春原「廃棄っすか!? 余計嫌だよっ」

朋也「じゃあ、ちゃんと伝わるように今度から英雄風にいえ」

春原「ひでお? 誰だよ」

朋也「えいゆう、だ」

春原「英雄ねぇ…そんなんでほんとに伝わんのかよ」

朋也「ああ、ばっちりだ」

春原「わかったよ、なら、やってやるよ…」

春原「じゃ、もういこうぜ」

朋也「ああ」

立ち上がる。

唯「あ、待ってっ。今日は学食だよね? だったらさ、一緒に食べない?」

春原「またあの時のメンバー?」

唯「うん」

春原「まぁ、別にいいけど…」

唯「岡崎くんは?」

朋也「俺も、別に」

唯「よかったぁ」

うれしがるほどのことでもないような気もするが…。
賑やかなのが好きなんだろう、こいつは。

唯「じゃ、みんなに言ってくるね」

朋也「俺たちは先いって席取っとくぞ」

唯「うん、よろしくね。それじゃ、またあとで!」

―――――――――――――――――――――

無事席の確保ができ、平沢たちも合流した。

唯「やっほ」

律「おう、ご苦労さん」

春原「あん? おまえ、なに普通に座ってんだよ」

春原「おまえの席はあっちに確保してるから、移れよ」

春原が指さすゾーン。ダストボックスの目の前だった。
なんとなく不衛生な気がして、みんな避けている場所だ。
実際、そんなことはないのだろうけど、気分の問題だった。

律「あんたが行けよ。背景にしっくりくるだろ」

春原「ははっ、おまえの自然に溶け込みそうな感じには負けるさ」

律「おほほ、そんなことないですわよ。あなたなんて背景と判別がつきませんもの」

春原「………」
 律「………」

無言でにらみ合う。

唯「あわ…ふ、ふたりとも、やめようよ…」

澪「律…なんでそう、すぐいがみ合おうとするんだ?」

律「えぇっ? 今のはあっちが先だったじゃんっ!」

春原「けっ…」

紬「春原くん…仲良くしましょ?」

春原「ムギちゃんとなら、喜んでするけどね」

律「ムギはいやだってよ」

春原「んなことねぇよっ! ね、ムギちゃん?」

紬「えっと…ごめんなさい、距離感ブレてると思うの」

春原「ただの他人でいたいんすか!?」

律「わははは!」

久しぶりだが、この流れも変わらないようだった。

―――――――――――――――――――――

唯「そういえばさぁ、選挙っていつだったっけ?」

和「今週の金曜日ね」

唯「じゃ、もうすぐだねっ」

和「そうね」

律「絶対和に投票するからな」

紬「私も」

澪「私だって」

唯「私も~」

和「ありがとう、みんな」

春原「なに? CDでも出してるの?」

和「…どういうこと?」

春原「ほら、CD買ったらさ、その中に投票券が入ってるっていうあれだよ」

和「某アイドルグループの総選挙じゃないんだけど…」

律「んなお約束ネタいらねぇって」

春原「ふん、言ってみただけだよ」

和「あ、そうだ。話は変わるんだけど、あなたたち、最近奉仕活動してるんですってね」

朋也「やらされてるんだよ。今までの遅刻を少し大目にみてくれるって話だからな」

和「そういう裏があるってことも、一応聞いてるわ」

唯「和ちゃん、なんか情報いっぱい持ってるよね」

和「そうでもないわよ」

律「この学校の重要機密とか、校長の弱みとかも握ってるんじゃないのか?」

和「何者よ、私は…っていうか、機密なんてそんなドス黒いものあるわけないでしょ」

律「てへっ」

春原「かわいくねぇよ」

律「るせっ」

和「まぁ、それで、昨日もあなたが書類整理してくれたって聞いたの」

春原「ああ、あれね」

和「けっこう大変だったでしょ」

春原「まぁね」

和「あれ、私が選挙管理委員会に提出するものだったのよ」

和「それで、期限が昨日までだったんだけど、整理が終わってなくてね」

和「すぐにやらなきゃいけなかったんだけど、どうしても外せない用事ができちゃって…」

和「でも、先生から、代打であなたにやってもらうから大丈夫だって、そう背を押してもらったの」

和「本当に助かったわ。遅れたけど、この場を借りてお礼を言うわね」

和「ありがとう」

春原「う~ん…言葉だけじゃ足りないねぇ」

朋也「気をつけろ、こいつ、体を要求してくるつもりだぞ」

春原「んなことしねぇよっ!」

唯「………」
紬「………」
澪「………」
和「………」
律「…引くわ」

春原「は…」

春原「岡崎、てめぇ!」

―――――――――――――――――――――

………。

―――――――――――――――――――――

放課後。
俺と春原はまたさわ子さんに呼び出され、空き教室にいた。

さわ子「今日からは、真鍋さんの手伝いをしてもらうわ」

春原「誰?」

さわ子「あんたたち、親しいんじゃないの?」

春原「いや、だから、そいつ自体知らないんだけど…」

さわ子「真鍋和さんよ。同じクラスでしょうに」

春原「真鍋和…?」

朋也「昼に一緒に飯食ったあのメガネの奴だろ」

春原「ああ…でも、そんな名前だったっけ?」

朋也「前にフルネーム聞いただろ」

春原「そうだっけ。忘れちゃったよ」

さわ子「向こうからのオファーだったから、てっきり親しいんだと思ってたのに」

朋也「そんな親しいってほどでもねぇよ…つーか、オファー?」

それは、俺たちをわざわざ指名してきたということだ。
どういう意図なのか全く読めない。

さわ子「ええ。まぁ、詳しいことは本人から聞いてちょうだい」

―――――――――――――――――――――

さわ子さんに言われ、生徒会室に向かった。
聞けば、通常、役員が決まるまで使われることはないそうだ。
新生徒会が始動して、初めて活用されるらしい。

春原「なんでこんなとこにいるんだろうね」

朋也「さぁな」

がらり

戸を開け、中に入った。

―――――――――――――――――――――

声「遅かったわね」

教室の奥、一番大きい背もたれつきのイスがこちらに背を向けていた。
そこから声がする。
くるり、と回転し、こちらを向いた。

和「さ、掛けて」

朋也「あ、ああ…」

春原「………」

異様な気配を感じながらも、近くにあった椅子に腰掛ける。

和「先生から話は聞いてると思うけど、私の手伝いをしてもらうわ」

しん、とした部屋に声が響き、次第に消えていった。
…なんだ、この緊張感。

朋也「…ひとつ訊いていいか」

和「なに?」

朋也「なんで俺たちなんだ」

和「それはね…二つ理由があるわ」

立ち上がり、ゆっくりと歩き出す。

和「ひとつは、私の、一年から地道に作り上げてきた政党から人が離れたこと」

こちらに近づいてくる。

和「ふたつめは…」

ぽん、と俺と春原の肩に手を置く。

和「…あななたちが悪(あく)だからよ」

顔を見合わせる。
大丈夫か、こいつ…と目で訴えあっていた。

和「いい? 政治は綺麗事だけじゃ動かないの」

言いながら、離れて歩き出した。

和「時には汚いことだってしなきゃいけない…理想を貫くとはそういうことよ」

春原「あー…あのさ、そういう遊びがしたいんだったら、友達とやってくんない?」

和「遊び? 私がやっていることが遊びだって言いたいの?」

春原「ああ、なんか、キャラ作って遊びたいんだろ? 僕たち、そんなの…」

和「トイレットペーパー泥棒事件」

びくり、と春原が反応する。

和「二年生のとき、あったわよね」

春原「………」

確かにあった。
男子トイレのストック分が丸々なくなっていたとか、そんなセコい事件だった。

和「あれね、現場を見ていた人間がいたの」

和「いや…正確には押さえていた、かしら」

窓に寄って行き、外を見る。

和「写真部の子がね、外で撮影していたんですって」

和「それで、校舎が写った写真も何枚かあったの」

和「その中にね…あったのよ」

ごくり、とツバを飲み込む春原。

和「金髪が、トイレットペーパーのようなものを抱えている姿が」

…おまえが犯人だったのか。

和「私はそのネガを買い取って、その子の口封じもしたわ」

春原「な…なんで…」

和「いつかなにかあった時、取引の材料になるんじゃないかと思ってね」

どんぴしゃでなっていた。

春原「う…嘘だろ…」

和「遊びじゃないって、わかってくれたかしら?」

春原「うぐ…は、はい…」

和「でもね、だからこそリスクが高いのよ」

和「こんなことをしていると、こっちだって、ひとつミスれば即失脚してしまう」

和「ぎりぎりのところでやっているの」

和「だから、今になって保守派に鞍替えした人間も出てきてしまったのだけどね」

和「そこで、あなたたちの出番というわけよ」

朋也「善人を懐柔するより、最初から悪人を使ったほうが早いってことか」

和「そういうことね。なかなか物分りが早いわね」

和「知ってる? あなたは今日、本来なら奉仕活動は免除されていたの」

朋也「遅刻しなかったから…だろ?」

なんとなく、俺もそれっぽく言っていしまう。

和「ええ。でも、無理いって呼んでおいて正解だったわ」

和「春原くんだけじゃ、少し不安を感じるから」

春原は、その独特の小物臭を嗅ぎ取られていた。

朋也「それで、俺たちはなにをすればいいんだ」

暗殺か、ゆすりか、ライバルのスキャンダルリークか…
内心、ちょっとドキドキし始めていた。

和「まずはこの選挙ポスターを校内の目立つ場所に貼ってきてくれる?」

そう言うと、どこからかポスターの束を取り出し、机の上に置いた。
案外普通のことをするようだ。

和「それが終わったら一旦戻ってきてね」

朋也「ああ、了解」

―――――――――――――――――――――

春原「なぁ、岡崎。僕たち、ヤバイのと絡んじゃってるんじゃない?」

朋也「かもな…でも、なんかおもしろそうじゃん」

春原「おまえ、ほんとこわいもの知らずだよね…」

朋也「おまえほどじゃねぇよ、コソ泥」

春原「コソ泥いうなっ!」

朋也「大丈夫だって、事件はもう風化してるんだしさ」

朋也「そのワードからおまえにつながることなんてねぇよ」

春原「そういうの関係なしに嫌なんですけどっ!」

―――――――――――――――――――――

掲示板、壁、下駄箱…はてはトイレにまで貼った。
今は外に出て、校門に貼りつけている。

朋也「もういいよな。戻るか」

春原「ちょっとまって。ついでに貼っておきたいとこあるから」

朋也「あん? どこだよ」

春原「おまえもくる?」

朋也「まぁ、一応…」

春原「じゃ、いこうぜ」

―――――――――――――――――――――

やってきたのは、ラグビー部の部室。
今は練習で出払っていて無人だ。
春原は得意満面でその扉に貼り付けていた。
どうやらいやがらせがしたかっただけらしい。

春原「よし、帰ろうぜ」

朋也「いいのか、んなことして」

春原「大丈夫だって」

声「なにが、大丈夫だって?」

春原「ひぃっ」

ラグビー部員「てめぇ…」

振り向くと、ラグビー部員がご立腹な様子で立っていた。

ラグビー部員「春原、おまえ、今部室になに…」

ポスターを見て、止まる。

ラグビー部員「真鍋…和…」

少し腰が引けていた。

ラグビー部員「おまえら、あの人の使いか…?」

朋也「ああ、そうだけど…」

ラグビー部員「そ、そうか、がんばれよ…」

それだけを言い残し、運動場の方に引き返していった。

春原「…ほんと、なに者だよ、あの子」

朋也「…さぁな」

―――――――――――――――――――――

春原「ただいま帰りましたぁ…」

中に入ると、真鍋は携帯を片手に、誰かと話し込んでいた。

和「…ええ、そうね。いや、あの件はもう処理したわ。ええ、じゃ、あとはよろしく」

ぴっ、と電源を切り、こちらを向く。

和「ご苦労様」

春原「いえいえ…和さんもお疲れさまっす」

完全に媚びまくっていた。

和「今日のところはこれだけでいいわ」

春原「そっすか。じゃ、お疲れさまっした」

足早に去っていこうとする。

和「まって、まだ伝えておきたいことがあるから」

春原「…なんでしょう?」

和「ここでのことは絶対に口外しないこと」

和「指示はここで出すから、この場以外でその内容を口に出さないこと。質問、意見も一切禁止」

和「私たちは普段どおりに接すること」

和「以上のことを守ってほしいの」

春原「わかりましたっ! 死守するっす!」

必死すぎだった。

和「それから、岡崎くん。あなた、配布係だったわよね」

朋也「ああ」

和「じゃ、明日、これをそれとなく配ってほしいんだけど」

俺に三枚の封筒を渡してきた。
それぞれに名前が書いてある。

朋也「これは…?」

和「それは、うちのクラスの各派閥の中心人物に宛てたものよ」

和「そこにある内容を飲ませれば、今度の選挙で結構な規模の組織票が得られるわ」

和「直接交渉は危険だからね…そういう形にしたの。頼んだわよ、岡崎くん」

朋也「でも、形として残ったほうが危険なんじゃないのか」

和「大丈夫。私が書いたものだってわからないから」

朋也「それなのに、おまえに入るのか」

和「ええ。いろんな利権が複雑に絡んでいるからね。結果的に私に入るわ」

そんな勢力図がうちのクラスにうずまいていたとは…。
…というか、ドロドロとしすぎてないか?

和「これが可能になったのは、岡崎くんが配布係であったことと、私との接点が薄いことが決め手ね」

和「感謝してるわ」

いい手駒が手に入って…と続くんだろうな、きっと。

―――――――――

4/14 水

朋也「…おはよ」

唯「おはよ~」

落ち合って、並んで歩き出す。

朋也「…ふぁ」

大きくあくび。

唯「今日も眠そうだね」

朋也「ああ、まぁな」

唯「やっぱり、授業中寝ちゃうの?」

朋也「そうなるだろうな」

唯「じゃ、またこっちむいて寝てね」

朋也「いやだ」

唯「いいじゃん、けち」

朋也「じゃあ、呼吸が苦しくなって、息継ぎするときに一瞬だけな」

唯「そんな極限状態の苦しそうな顔むけないでよ…」

―――――――――――――――――――――

坂を上る。周りには俺たちと同じように、喋りながら登校する生徒の姿がまばらにあった。
その中に混じって歩くのは、まだ少し慣れない。
いつか、この違和感がなくなる日が来るんだろうか…こいつと一緒にいるうちに。

唯「ねぇ、今日も一緒にお昼食べない?」

朋也「いいけど」

唯「っていうかさ、もう、ずっとそうしようよっ」

朋也「ずっとはな…気が向いた時だけだよ」

唯「ぶぅ、ずっとだよっ」

朋也「ああ、じゃ、がんばれよ」

唯「流さないでよっ、もう…」

唯「あ…」

坂を上りきり、校門までやってくる。

唯「和ちゃんのポスターだ」

昨日俺たちが貼った物だった。

唯「もう、明後日だもんね。和ちゃん、当選するといいなぁ」

あいつの政治力なら容易そうだった。
にしても…

朋也(清く正しく、ねぇ…)

ポスターに書かれた文字を見て、なにかもやもやとしたものを感じた。
学校は社会の縮図、とはよくいったものだが…なにもここまでリアルじゃなくてもいいのでは…。

―――――――――――――――――――――

………。

―――――――――――――――――――――

昼。

春原「がははは! 岡崎、昼飯にするぞ」

いきなり春原が腰に手を当て、ふんぞり返りながら現れた。

朋也「…はぁ?」

春原「春原アターーーーーーーーーーーーック!」

びし

朋也「ってぇな、こらっ!」

春原「はぁ? ではない! 飯だと言っているだろ! バカなのか?」

バカにバカっていわれた…。

春原「がはははは! 世界中の美女は俺様のもの!」

完全に自分を見失っていた。

朋也「…春原、もうわかった。もういいんだ。休め」

春原「あん?」

朋也「なにがあったかは知らないけど、もういいんだ」

朋也「がんばらなくていい…休め…」

春原「なんで哀れんでんだよっ!」

朋也「春だからか。季節柄、そんな奴になっちまったのか…」

春原「お、おい、ちょっと待て、おまえが昨日、英雄風に言えって言ったんだろ!?」

朋也「え?」

春原「え? じゃねぇよっ! 思い出せっ!」

そういえば、そんなことを言った気もする。

朋也「じゃ、なにか、今のが英雄?」

春原「そうだよっ。ラ○スだよっ」

朋也「ああ、ラン○ね。まぁ、確かに英雄だけど」

春原「だろ?」

朋也「でも、おまえの器じゃないからな、あの人は」

朋也「再現できずに、ただのかわいそうな人になってたぞ」

春原「再現度は関係ないだろっ!」

春原「くそぅ、おまえの言った通りにしてやったのに…」

朋也「悪かったな。じゃ、次は中学二年生のように誘ってくれ」

春原「ほんっとうにそれで伝わるんだろうなっ」

朋也「ああ、ばっちりだ」

春原「わかったよ、やってやるよ…」

朋也「それと、今日も平沢たち、学食来るんだってさ」

春原「そっすか…別になんでもいいよ…」

―――――――――――――――――――――

7人でテーブルの一角を占め、食事を始める。

春原「ムギちゃんの弁当ってさ、気品あるよね」

紬「そうかな?」

春原「うん。やっぱ、召使いの料理人が作ってたりするの?」

紬「そんなんじゃないよ。自分で作ってるの」

春原「マジ? すげぇなぁ、ムギちゃんは」

紬「ふふ、ありがとう」

唯「澪ちゃんのお弁当は、可愛い系だよね」

澪「そ、そうか?」

唯「うん。ご飯に海苔でクマ描いてあるし」

律「りんごは絶対うさぎにしてあるしな」

紬「澪ちゃんらしくて可愛いわぁ」

澪「あ、ありがとう…そ、そうだ、唯のは、憂ちゃん作なんだよな」

唯「うん、そうだよ」

澪「なんか、愛情こもってる感じだよな、いつも」

唯「たっぷりこもってるよ~。それで、すっごくおいしいんだぁ」

澪「でも、姉なんだから、たまには妹に作ってあげるくらいしてあげればいいのに」

唯「えへっ、無理っ」

澪「唯はこれだからな…憂ちゃんの苦労が目に浮かぶよ…」

律「和のは、なんか、全て計算ずくって感じだよなぁ」

和「そう?」

律「ああ。カロリー計算とかしてそうな。ここの区画はこれ、こっちはあれ、って感じでさぁ」

唯「仕切りがすごく多いよね」

春原「さすが、和さん」

唯「和さん?」
律「和さん?」

春原「あ、いや…」

春原に注目が集まる。

和「………」

真鍋の強烈な視線が春原に突き刺さっている。
普段通りに接すること…その鉄則を破っているからだ。

春原「ひぃっ」

春原「…真鍋も、やるじゃん」

冷や汗をかきながら、必死に取り繕っていた。

春原「あそ、そうだ、部長、おまえのはどんなんだよ」

律「私? 私のは…」

春原「ああ、ノリ弁ね」

律「まだなにも言ってないだろっ」

春原「言わなくてもわかるよ。おまえ、歯に海苔つけたまま、がははって笑いそうだし」

律「なんだと、こらっ! そんなことしねぇっつの!」

律「おまえなんか、弁当で例えると、あの緑色の食べられない草のくせにっ!」

朋也「それは言いすぎだ」

春原「岡崎、おまえ…」

律「な、なんだよ、男同士かばいあっちゃって…」

朋也「フタの裏についてて、開けたらこぼれてくる水滴ぐらいはあるだろ」

春原「追い討ちかけやがったよ、こいつっ!」

律「わははは!」

―――――――――――――――――――――

………。

―――――――――――――――――――――

放課後。無人の生徒会室へ。
周囲を警戒して、真鍋とは別ルートで向かった。
そして、席につき、会議が始まる。

和「岡崎くん、ちゃんと渡してくれた?」

朋也「ああ」

和「そう。ご苦労様」

渡した時、なにも不審がられなかったのが逆に不気味だった。
みな、手馴れた様子でさっと机の中に隠していた。
こういうことが日常的に起きているんだろうか…。

和「今日は届けものをして欲しいんだけど」

机の上には、封筒から小包まで、大小様々な包みが並べられていた。

和「それぞれにクラス、氏名…この時間いるであろう場所、等が書いてあるから」

朋也「わかった。どれからいってもいいのか」

和「ええ、どうぞ」

とりあえず、軽めのものからかき集めていく。
なぜか春原は小包を見て、そわそわし始めていた。

和「それから、中は絶対に見ないでね」

下手な好奇心は身を滅ぼす、と今の一言に集約されていた。

春原「う、は、はいっ」

歯切れの悪い返事。
こいつは中身を覗いてみるつもりだったに違いない。

―――――――――――――――――――――

春原「なぁ、岡崎…これって、俗に言う運び屋なんじゃ…」

朋也「だろうな」

男子生徒1「ファッキューメーン!」

男子生徒2「イェーマザファカッ!」

いきなりニット帽をかぶった二人組が俺たちの前に立ちはだかった。

春原「なに、こいつら」

男子生徒1「おまえら、真鍋和の兵隊だろ、オーケー?」

男子生徒2「そのブツ、ヒアにおいてけ、ヨーメーン?」

中途半端すぎる英語だった。

春原「ああ? うっぜぇよっ、やんのか、らぁっ!」

男子生徒1「…怖いメーン。帰りたいYO」

男子生徒2「俺もだYO」

男子生徒1「じゃ、帰ろっか」

男子生徒2「うん」

最後は素に戻り、立ち去っていった。

春原「マジでなんなの」

朋也「さぁ…」

―――――――――――――――――――――

朋也「えーと…二年B組か」

封筒を確認し、教室を覗く。
適当な奴を捕まえて、記載された名前の人物を呼んでもらった。

男子生徒「なんすか」

いかにもな、チャラい男だった。

朋也「これ」

封筒を渡す。

男子生徒「あい?」

受け取ると、少し開けて中を確認した。

男子生徒「ああ…そういうこと」

次に俺たちを見て、何かを納得したようだった。

男子生徒「30…いや、50はかたいって伝えてといてください」

朋也「わかった」

男子生徒「それじゃ」

一度片手を上げ、たむろしていた連中の輪の中に戻っていった。

春原「なにが入ってたんだろうね…」

朋也「俺たちの知らなくていいことなんだろうな」

きっと、高度な政治的駆け引きが行われたのだ…。

―――――――――――――――――――――

女子生徒「あの…なんでしょう」

やってきたのは図書室。
カウンターの女の子へ届けることになっていた。

春原「ほら、これ。配達にきたんだよ」

小包を渡す。

女子生徒「はぁ…」

よくわかっていない様子だ。
開封していく。

女子生徒「………」

みるみる顔が青ざめていく。
そして、俺たちに謝罪の言葉を伝えて欲しいと、そう言って、そのまま意気消沈してしまった。

―――――――――――――――――――――

春原「…中身、みなくてよかったのかな、やっぱ」

やはりなにが入っているか気になっていたようだ。

朋也「だろうな」

もし見ていれば、次はこいつのもとに小包が届くことになっていたのだろう。

―――――――――――――――――――――

手持ちも全てなくなり、一度生徒会室に戻ってくる。

春原「和さん、なんか、途中変な奴らに絡まれたんすけど。僕たちが和さんの兵隊だとかいって」

和「それで、どうしたの」

春原「蹴散らしてやりましたよっ」

和「それでいいわ。よくやってくれたわね」

春原「へへ、楽勝っす」

和「その人たちは私の政敵が雇った刺客ね」

朋也「刺客?」

和「ええ。私と似たようなことをしている輩もいるのよ」

和「でも、ま、雇えたとしても、その働きには期待できないでしょうけどね」

和「正規運動部を雇うのは、あとあと面倒だろうし…」

和「一般生徒や、途中で部を辞めてしまった生徒じゃ力不足になるわ」

和「なぜなら…」

すっ、とメガネを上げる。

和「スポーツ推薦でこの学校に入ってこられるほどの身体ポテンシャルを持ち…」

和「なおかつ、喧嘩慣れしたあなたたちには、到底適わないでしょうから」

こいつ…俺たちのプロフィールも事前にしっかり調べていたのか…。

春原「ふ…そうっすよ。僕たち、この学校最強のコンビっすからっ」

いつもラグビー部に好き放題ボコられている男の言っていいセリフじゃなかった。

和「頼もしいわ。その調子で残りもお願いね」

春原「まかせてくださいよっ」

朋也(すぐ調子に乗りやがる…)

―――――――――――――――――――――

その後も俺たちは似たようなやり取りを繰り返した。
そして、最後の配達を追え、また戻ってくる。

―――――――――――――――――――――

春原「全部終わりましたっ」

和「ええ、そうね。ご苦労様」

春原「いえいえ」

春原「あ、そうだ。メガネの奴が、今までの3割増しなら60、って言ってました」

和「そう…わかったわ。ありがとう」

伝言もことあるごとに頼まれていた。
その都度、こうして真鍋に報告を入れていた。

和「ふぅ…」

ひとつ深く息をつき、生徒会長の椅子に座る。

和「本当に…あと少しなのね」

声色に覇気がなかい。

朋也「まだなにか不安があるのか」

和「まぁね」

朋也「これだけやれば、もうおまえが勝ったも同然な気がするけどな」

春原「そっすよ」

和「…あなたたち、二年生の坂上智代って子、知ってる?」

聞いたことがなかった。

春原「いや、知らないっす」

朋也「有名な奴なのか」

和「ええ。それも、この春編入してきたばかりだというのによ」

なら、まだこの学校に来て二週間も経っていないことになる。
それで有名なら、よっぽどな奴なんだろう。

和「純粋な子なんでしょうね…それを、周囲の人間が感じ取ってる」

朋也「そいつとおまえと、どう関係あるんだ」

和「立候補してるのよ。生徒会長に」

朋也「そら、すげぇな」

そんな型破りな奴なら、有名になるのも頷ける。

和「ええ。求心力も抜群でね…私の党から離れて、坂上さんサイドに移った人間もいるわ」

和「いえ…それが大多数かしら」

ぎっと音を立て、椅子から立ち上がった。

和「汚いことをしているとね…綺麗なもの、純粋なものが一層美しく映るの」

和「みんな心の底ではそんなものに憧憬の念を抱いていたわ」

和「そこへ、一点の曇りもない、指導者と成り得るだけの器を持った人物が現れた」

和「それは私にとって由々しき事態だったわ」

和「私は一年の頃からこちら側に芯までつかっていた」

和「そう…全ては生徒会長の椅子を手に入れるために」

和「それなのに…会長を務めていた先輩も卒業して、ようやく私がそのポストにつけると思っていたのに…」

和「なんのしがらみも持たず、何にも囚われない最強の敵が現れた!」

和「私は焦った。どんどん人が離れていく。中核を成していた実働部隊もいなくなった」

和「残ったのは少数の部下だけ…」

和「悩んだわ…たったこれだけの戦力じゃ、どうあっても勝てっこない…」

和「途方にくれていた時…あなたたちが奉仕活動をしていることを知ったの」

和「そして思いついた…なにも知らない、一不良を使った『封神計画』を!」

朋也「なんか、ずれてないか」

和「冗談よ」

朋也「あ、そ」

和「まぁ、それであなたたちに働いてもらったってわけね」

そっと椅子に手を触れる。

和「ようやく、互角…まだ戦えるわ」

和「そして、この椅子を手に入れるのは…」

じっと、俺たちを見据えて…

和「私よ」

そう言い放った。

―――――――――――――――――――――

4/15 木

唯「おはよぉ」

朋也「ああ、おはよ」

今日も角を曲がったところで、変わらず待っていた。
そのほがらかな姿を見ると、僅かに心が躍った。
そんな想いを胸中に秘めながら、隣に立ち、並んで歩き始めた。

唯「…はぁ」

隣でため息。

朋也「………」

唯「…はぁっ」

今度はさっきより大きかった。

朋也「………」

唯「…もうっ! どうしたの? って訊いてよっ」

朋也「どうしたの」

唯「…まぁ、いいよ」

唯「えっとね、先週新勧ライブあったでしょ」

朋也「ああ」

唯「あれから今日で一週間経つんだけど、まだ新入部員ちゃんが来てくれないんだよ…」

朋也「ふぅん…」

唯「やっぱり、私の歌がヘタだったから、失望されちゃったのかな…」

朋也「そうかもなっ」

唯「って、こんな時だけはきはき答えないでよっ」

朋也「悪い。眠さの波があるんだ」

唯「意地悪だよ、岡崎くん…」

―――――――――――――――――――――

………。

―――――――――――――――――――――

4時間目が終わる。

唯「今日も、一緒でいい?」

朋也「ああ、別に」

唯「やたっ!」

唯「じゃ、またあとでねっ」

高らかにそう告げると、席を立ち、ぱたぱたと駆けていった。
いつものメンツを集め、その旨を伝えているようだった。

春原「とーもーやーくん」

そこへ、いやに馴れ馴れしさのこもった呼び声を発しながら、春原がやって来た。

朋也「…あ?」

春原「がくしょくいーこーお」

春原「いや、でもさ、その前に…河原いかね?」

朋也「…なんでだよ」

その前に覚えた違和感はとりあえず置いておき、訊いてみる。

春原「なんでって…おまえ、言わせんなよ…」

耳打ちするように手を口に添えた。
結局言うつもりらしい。

春原「…エロ本…だよ…」

げしっ!

春原「てぇなっ! あにすんだよ!」

朋也「おまえが真っ昼間からサカってるからだろうがっ!」

朋也「なにがエロ本だっ! 性欲が食欲に勝ってんじゃねぇよっ!」

生徒1「春原やっべ、エロ本とか…」

生徒2「あいつ絶対グラビアのページ開きグセついてるよな」

生徒1「ははっ、だろーな」

春原「うっせぇよ!」

生徒1「やべ、気づかれた」

生徒2「エロい目で気づかれた」

春原「ぶっ飛ばすぞ、こらっ!」

生徒1「逃げれっ」

生徒2「待てって」

二人のクラスメイトたちは、わいわいと騒ぎながら教室を出て行った。

春原「岡崎、てめぇ、声でかいんだよっ」

朋也「おまえがエロ本とかほざくからだろ」

春原「おまえが中学二年生みたいにって要求したんだろっ!」

朋也「だったか?」

春原「もう忘れたのかよっ!? なら、最初からいうなっ!」

朋也「いや、最初のほうは小学二年生だったからわかんなかったんだよ」

春原「ちゃんと第二次性徴むかえてただろっ」

朋也「いきなりすぎて気づかなかったんだ」

春原「なんだよ、おまえの言う通りにしてやったのによ…」

朋也「悪いな。じゃ、次はさ、一発屋芸人のようにやってくれよ」

春原「おまえさ、僕で遊んでない?」

朋也「え? そうだけど?」

春原「さも当たり前のようにいうなっ!」

春原「くそぅ、やっぱ、確信犯かよ…」

朋也「まぁ、結構おもしろかったんだし、いいじゃん」

春原「それ、あんただけだよっ!」

―――――――――――――――――――――

唯「とうとう明日だね、和ちゃん」

和「そうね」

律「確か、演説とかするんだよな」

和「ええ」

律「公約とか、理想みたいなのを延々語るんだろ?」

和「ごめんなさいね、退屈で」

律「いや、和が謝ることないけど」

澪「和が生徒会長になってくれたら、学校も今よりよくなるよ」

和「ありがとう」

唯「和ちゃんの公約って、なに?」

和「無難なものよ。女の子受けするように、スカート丈が短くてもよくするとか…」

和「ソックスの種類を学校の純正品以外も可にするとかね」

和「男の子向けだと、夏はシャツをズボンから出してもよくする、とか…」

和「まぁ、先生受けは悪いし、ほとんど守れないんだけどね」

こいつが本気になればどれも軽く実現しそうだった。

律「じゃあさ、春原をこの学校から根絶します、とかだったらいいんじゃね?」

律「それなら、先生受けもいいだろうし」

春原「いや、デコの出し過ぎを取り締まったほうがいいよ」

春原「昔、ルーズソックスとかあったじゃん。もう絶滅してるけど」

春原「それと同じで、ルーズデコも、もう世の中が必要としてないと思うんだよね」

 律「………」
春原「………」

引きつった笑顔で睨み合う。

澪「また始まった…」

朋也「なら、折衷案しかないな」

春原「折衷案?」
 律「折衷案?」

朋也「ああ。間を取って、春原の上半身だけ消滅すればいいんだよ」

春原「僕が一方的に消えてるだろっ!」

律「わははは!」

―――――――――――――――――――――

………。

―――――――――――――――――――――

放課後。生徒会室に集まった。

和「じゃあ、今日は…」

こんこん

扉がノックされる。

和「…どうぞ」

真鍋の表情が険しくなる。
警戒しているようだった。

女生徒「失礼する」

ひとりの女生徒が入室してくる。
真鍋が俺に目配せし、廊下の方に小さく顎を振った。
他に誰かいないか、確認するよう指示してきたのだろう。
俺はそのサインを汲み取り、廊下を見渡しに出た。
人影はみあたらない。
女生徒がこちらに背を向けていたので、その場から手でOKサインを送った。
真鍋も目だけをこちらに向けて気取られない程度に頷く。

和「私に用があるのよね?」

女生徒「ああ」

和「でも、どうしてここが?」

女生徒「去年あなたと生徒会役員をやっていた生徒が、私の友達になってくれたんだ」

女生徒「それで、挨拶しに行きたいと言ったら、ここにいるはずだと教えてくれた」

和「…なるほどね」

女生徒「ああ、申し遅れたが、私は二年の坂上智代という」

こいつが、例の…。

和「ええ、知ってるわ」

智代「そうか。それは光栄だ」

智代「あなたは、かなりのやり手だと聞く。けど、私も退くわけにはいかない理由がある」

智代「明日は誰が勝っても恨みっこなしだ。お互いがんばろう。それだけ言いにきた」

和「…そう」

智代「他の立候補者にも挨拶に行きたいので、これで失礼する」

出入口のあるこちら側に振り返る。
そこへ、春原がチンピラ歩きで寄っていった。

春原「おい、てめぇ。上級生にたいして口の利き方がなってねぇなぁ、おい」

智代「…なんだ、この黄色い奴は」

春原「金色だっ」

智代「うそをつけ。ブレザーと同じ色だぞ」

春原「なにぃっ!?」

智代「真鍋さん、こいつは部外者じゃないのか」

和「いえ…私の手伝いをしてもらっていたの」

智代「そうか…」

残念そうな顔。

朋也「始末したいなら、別にいいぞ」

春原「おい、岡崎っ!?」

智代「…真鍋さん、そっちは」

和「同じく、私のお手伝いよ」

智代「そうか。なら、正式な許可がおりたということだな」

春原「ああ? なに言って…」

ばしぃっ!

春原「ぎゃぁぁあああああああああああああっ!!」

内股に強烈なインローが入り、悶絶し始めた。
うずくまり、ぷるぷると震えている。

智代「すっきりしたし、これで本当に失礼する」

転がっている春原を跨ぎ、俺がいる方のドアに近づいてくる。

和「…待って」

智代「なんだ」

立ち止まり、真鍋に向き直った。

和「考え直さない?」

智代「というと?」

和「生徒会長よ。あなた、まだ二年だし、副会長からでもいいんじゃない?」

智代「それは…だめだ。言ったはずだ。退けない理由があると」

智代「あなたにもあるだろう。それと同じことだ」

和「…そうね。引き止めて悪かったわ」

智代「いや、これくらいなんでもない。それでは」

会釈し、歩き出す。
そして、俺の脇を抜けて出て行こうとした。

朋也「待てよ」

智代「なんだ? 今度はおまえか?」

朋也「ああ。差し支えなかったら、おまえのその、退けない理由ってのを教えてくれないか」

智代「…まぁ、いいだろう」

智代「坂のところに桜並木があるだろ」

朋也「ああ」

智代「私は、あれを守りたいんだ」

朋也「守るって…なにから」

智代「この学校…と言っていいのかな…」

朋也「あん? どういうことだ」

智代「この学校の意向でな、あそこの桜が撤去されることになるらしいんだ」

智代「だから、私は生徒会長になって、直接訴えたいんだ」

智代「あの桜は残して欲しい、とな」

朋也「なんでまた、そんなもんのために…」

智代「それは…」

さっきまでの、固い意志を感じさせる凛とした表情が急に崩れた。
どこか悲しそうにして、目を泳がせている。

朋也「ああ、いいよ、言いたくないなら」

智代「うん…助かる」

朋也「でもさ、それっておまえが生徒会長にならなくてもできるんじゃねぇ?」

智代「どうやってだ」

朋也「今の願いを真鍋に聞いてもらえばいいだろ」

智代「でも、これは私が直接したいんだ。誰かが代わりにやったんじゃ、意味がないことなんだ」

朋也「じゃあ、おまえがこのまま選挙で戦ったとして、絶対に勝つことができるのか?」

朋也「真鍋も、そうとう手強いぞ」

智代「それは…」

朋也「もし、負けでもしたら、おまえはただの一般生徒」

朋也「おまえ一人の声なんて、上には届かないよな?」

朋也「だったらさ、副会長として真鍋の下についたほうがよくないか」

智代「でも…」

朋也「ああ、おまえ自身の手でやりたかったんだよな」

朋也「でも、結局おまえが生徒会長の座についても、誰かの手は借りることになるんだぜ」

朋也「桜並木を撤去するなんて、相当大きな力が働いてそう決まったんだろ」

朋也「だったら、いくら生徒会長でも、ひとりだけじゃ太刀打ちできないよな」

智代「………」

朋也「な? そうしろよ」

朋也「おまえ、この学校に来てまだ間もないんだろ? 聞いたよ」

朋也「だからさ、真鍋の下について、いろいろ教えてもらえ」

朋也「この学校にはこの学校のルールがあるんだからさ」

本当に、いろいろと。
俺もここで真鍋に使われる前は知らなかった裏がたくさんある。

智代「…今から副会長に変更しても間に合うだろうか」

朋也「どうなんだ、真鍋」

和「ええ…可能よ。前日になって変更なんて、前代未聞だけど」

智代「そうか。どこで手続きを踏めばいい?」

和「選挙管理委員会が使ってる教室が旧校舎の三階にあるから、そこへいけば」

智代「わかった。ありがとう、新生徒会長」

朋也「っと、今まで真鍋が当選するって前提で話しちまってたけど、その限りじゃないからな」

智代「いや…私と真鍋さんの二強だって、なんとなくわかっていたからな」

智代「これで、もう真鍋さんがなったも同然だ」

にこっと笑う。その相貌には邪気がない。
自虐的なそれでもなく、純粋な、祝福する時の笑顔だった。

智代「それじゃ、失礼する」

廊下へ出て、戸を閉めた。
足音が遠ざかっていく。
旧校舎へ向かったんだろう。

和「………」

朋也「だとよ、新生徒会長」

和「…岡崎くん、あなたやるわね。あの坂上さんを、ああもスマートに言いくるめるなんて」

朋也「そりゃ、どうも」

和「これからも私の元で働く気はない? 磨けば光るものを持っている気がするんだけど…」

朋也「いや、もうこの遊びもそろそろ飽きたからな。遠慮しとく」

和「おいしい目をみれるわよ? 大学の推薦だって、欲しければ力になってあげられるわ」

朋也「俺、進学する気ないんだけど」

朋也「それに、いくらドロドロしてて面白いってことがわかっても、生徒会だからな」

朋也「俺の肌に合わねぇよ」

和「そう…残念」

和「でも…これで今夜はゆっくり眠れるわ」

和「不確定要素は、なにも知らない一般のミーハーな無党派層だけだし…」

和「明日はただのデキレースになるでしょうね」

朋也「そっか」

和「今まで本当にありがとう。晴れてあなたたちは自由の身よ」

つまりもう帰っていいということか。
普通にそう言えばいいのに。

朋也「ああ、そうだ、ひとつ教えてくれ」

和「なに?」

朋也「おまえの退けない理由ってなんだ?」

和「え?」

朋也「坂上が退けない理由があるから戦うっていった時、おまえ、折れたじゃん」

朋也「だから、おまえにもあるんだろ。理由がさ」

和「そうね…あるわ。それは…」

がっ、と下にあったものを踏みつけ、片足の位置を上げた。

そして、腕を組む。

和「プライドよ」

あきれるほど自分に正直だった。
坂上の、安易に立ち入れなそうな理由を聞いた後では、ちょっと可笑しくて笑ってしまいそうになる。

朋也「そっか。まぁ、そういう奴も、嫌いじゃないよ」

和「それは、どうも」

春原「…あの、和さん…足、頭からどけてくれませんか…」

―――――――――――――――――――――

4/16 金

この日、全校朝会に続き、一時間目を使って選挙が行われた。
春原も珍しく朝から姿を現していた。
なんだかんだ、自分が暗躍したことなので、気になったらしい。
演説が終わると、教室に戻り投票が行われた。
当然、俺は真鍋に一票を投じた。
発表は明日行われるらしい。

―――――――――――――――――――――

昼は、おなじみのメンバーで食べた。

唯「当選してるといいね」

和「ほんと、そうだといいけど…」

律「楽勝だって」

和「そこまで甘くないわよ」

よく言う。
デキレースだと言い切ったのと同じ口から出た言葉だとは思えない。

―――――――――――――――――――――

そして、放課後。
俺はなぜかまた生徒会室に呼び出されていた。

朋也「どうした。もう終わりなんじゃなかったのか」

和「忘れてたの。これで本当に最後よ」

朋也「春原は?」

和「呼んでないわ。あなたにやってもらいたいの」

朋也「はぁ…」

―――――――――――――――――――――

依頼内容は、こうだった。
ある生徒を呼び出して、真鍋から渡されたメモ用紙に書いてある内容を読み上げる。
かなり単純だった。
だが、呼び出す、というところに乱暴なニュアンスを感じる。
最後の最後でキナ臭い指令が下ったものだ。
まさか…秘密を知った俺を始末するためにやらせるんじゃないだろうな…。
警察沙汰になって、退学になれば、なにを証言しても、すべて妄言だと取られるだろう。
もしかしたら、春原はもう…。

朋也(まさかな…)

少しビクつきながらもターゲットを探した。

―――――――――――――――――――――

そして、俺はその男を指定された場所につれてくることに成功した。

男子生徒「…なんですか」

朋也「えーっとな…」

ポケットから紙を取り出し、読み上げる。

朋也「ゆいは俺の女だ。手出したら殺すぞ…」

朋也(ゆい? 俺の知ってる奴は…平沢くらいだぞ)

男子生徒「あ…うぅ…」

朋也(抵抗した場合、三枚目へ。ひるんだ場合二枚目へ、か)

朋也(ひるんでるよな…二枚目…)

朋也「おら、もういけ」

そう書いてあった。

男子生徒「…はい」

うなだれて、とぼとぼと立ち去っていった。

和「…うん、上出来よ」

木陰から真鍋がひょこっと出てくる。
…いたのかよ。

朋也「これ、なんだったんだ」

和「ん? わからない?」

朋也「ああ、まったく」

和「そういうことには鈍感なのね」

朋也「あん?」

和「だから、さっきのあの人、唯に気があったのよ」

朋也「ふぅん…って、それ、なんか生徒会と関係あんのか」

和「いいえ。これはただの私事よ」

朋也「おまえ、あいつになんの恨みがあったんだよ…」

和「恨みはないわ。ただ、唯に悪い虫がつかないようにしただけよ」

朋也「なんでおまえがんなことするんだよ」

和「幼馴染だしね。大事にしてるのよ」

朋也「へぇ、おまえ、幼馴染なんていたの…」

…幼馴染?

朋也「もしかして、この紙にある ゆい って、平沢か?」

和「ええ、そうよ。気づかなかった?」

朋也「気づかなかった? じゃねぇよっ! なんてことさせてくれるんだよっ!」

和「あら? なんで怒るの?」

朋也「そりゃそうだろっ。俺、別にあいつの彼氏でもなんでもねぇし」

和「でも、かなり仲良くしてるじゃない。一緒に登校もしてるみたいだし」

朋也「それは、いろいろあって、しょうがなくだよ」

和「ふぅん。両思いなのに、お互い踏み出せないでいるのかと思ってたわ」

朋也「それはないっての。つか、いいのかよ」

和「なにが?」

朋也「俺、思いっきり悪い虫じゃん」

和「まぁ、見かけはね。でも、なかなか見所もあるってわかったし…」

和「あなたならいいかなって思ったのよ。そうじゃなきゃ、こんな役させないわ」

和「まぁ、唯がなついた人だから、悪い人ではないのかなとは思ってたけどね」

朋也「いや、おまえに買われるのも、悪い気はしねぇけどさ…」

和「それで納得しときなさいよ」

朋也「はぁ…」

和「ま、最初は潰しておこうかと思ったんだけどね」

さらりと怖いことをいう。

和「でも、ほら、今までのゴタゴタがあって、手が回らなかったのよ」

…俺は坂上に感謝しなければいけないのかもしれない。

和「あの子に近づく変な男って今までたくさんいたのよ」

和「ほら、あの子可愛いじゃない? だから、大変だったわ」

和「それが高校に入って、軽音部に入部してからはもう、それまでの倍は手間取ったわ」

和「生徒会の権力を使ってようやく追いつくくらいだったもの」

そこまでモテていたのか…。

和「あなたも、あんな可愛いのに、彼氏の気配がないのはおかしいと思わなかった?」

朋也「まぁ、普通に彼氏がいても不思議じゃないとは思うけど」

和「私が全て弾いていたからね」

強力すぎるフィルターだった。

和「だから、あの子、今まで男の子と交際したことがないの。大切にしてあげてね」

朋也「いや、だから、そもそも付き合ってないんだけど」

和「あら、そうだったわね。でも、時間の問題な気がするの」

和「女のカンだから、根拠はないけどね」

朋也「ああ、そう…」

和「それじゃあね」

言って、背を向ける。

朋也「あ、なぁ」

和「なに?」

振り返る。

朋也「おまえに彼氏がいたことってないのか」

なんとなく気になったので訊いてみた。

和「私? 私は、ないけど」

朋也「そっか。なんか、もったいないな」

朋也「おまえも平沢の保護ばっかしてないで、彼氏くらい作ればいいのに」

和「私はいいのよ、別に」

朋也「なんでだよ」

和「特に容姿がいいわけでもないし…作るの大変そうじゃない」

朋也「いや、おまえも普通に可愛いじゃん。男はべらせてうっはうはだろ」

和「っ…馬鹿ね…」

そう小さく言って、踵を返した。
そのまま校舎の方に戻っていく。
………。
初々しい反応も見れたことだし…よしとしておこう。

―――――――――――――――――――――

4/17 土

唯「あ、おはよ~」

女の子「おはようございます」

朋也「ん…」

平沢と、その隣にもうひとり。
髪を後ろで束ねた女の子がいた。校章の色は、二年のものだ。

唯「岡崎くん、やったねっ。合格だよっ」

朋也「なにが」

事情が飲み込めない。

唯「前に言ったでしょ? もう少し早く来れば私の妹と一緒にいけるって」

そういえば、言っていたような…。

唯「これが、私の妹でぇす」

女の子「初めまして。平沢憂です」

平沢に大げさな手振りで賑やかされながら、そう名乗った。

朋也「はぁ、どうも…」

見た感じ、妹というだけあって、顔はよく似ていた。

雰囲気的には平沢に比べ少し堅い感じがある。
まぁ、それも、見知らぬ上級生に対する、作った像なのかもしれないが。

憂「岡崎さんのことは、お姉ちゃんからよく聞いてます」

朋也「はぁ…」

なにを言われているんだろう。

憂「聞いてた通りの人ですね」

朋也「あん? なにが」

憂「お姉ちゃん、よく岡崎さんのこと…」

唯「あ、憂っ、あそこっ、アイスが壁にめり込んでるっ」

憂「え? どこ?」

唯「あ~、残念、もう蒸発してなくなっちゃった」

憂「えぇ? ほんとにあったの?」

唯「絶対間違いないよっ、多分っ」

憂「どっちなの…」

朋也(にしても…うい、ねぇ…う~む…)

俺は、その響きに引っかかりを覚えていた。

どこかでその名を聞いた気がする。

朋也(どこだったかな…)

記憶をたどる。
そう…あれは確か、軽音部の新勧ライブの日だったはずだ。
薄暗い講堂の中、会話が聞えてきた。
そこで、お姉ちゃん、と言っていたのが、その うい という子だった。
とすると…あの時、あの場に居たのはこの子だったのだ。

憂「あの…どうかしましたか?」

はっとする。
俺は考え込んでいる間、ずっとこの子を凝視してしまっていた。
さすがにそんなことをしていれば、不審に思われても仕方ない。
ただでさえ、俺は生来の不機嫌そうな顔を持っているのだ。
よく人に、怒っているのかと聞かれるくらいに。

朋也「いや、なんでも」

精一杯の作り笑顔でそう答えた。
不自然さを気取られて、さらに引かれていないだろうか…。
それだけが心配だった。

唯「私たち、ちょうどさっき来たばっかりなんだよ」

朋也「そうなのか」

唯「うん。でね、なんか、予感してたんだ」

朋也「予感?」

唯「うん。そろそろ岡崎くんが来るんじゃないかってね」

朋也「そら、すげぇ第六感だな。大当たりだ」

唯「違うよぉ。そんなのじゃないって」

唯「岡崎くん、日に日に来るの早くなってたでしょ。それでだよ」

今週はずっと朝から登校してたからな…。
そろそろ体が慣れてきたのかもしれない。
といっても、相変わらず眠りにつくのは深夜だったから、今も眠気はたっぷりあるが。
どうせまた、授業中は寝て過ごすことになるだろう。

唯「ずっとがんばり続けてたから、今日はこんなボーナスがつきました」

妹を景品のようにして、俺の前面にすっと差し出した。

朋也「じゃあ、さらに早くきたらどうなるんだ」

唯「え? えーっとね…」

しばし考える。

唯「どんどん憂の数が増えていきますっ」

憂「お、お姉ちゃん…」

朋也「そっか。なら、あと三人くらい増やそうかな」

憂「ええ!? お姉ちゃんの話に乗っちゃった!?」

憂「っていうか、私は一人しかいませんよぅ」

唯「そうなの?」

憂「常識的に考えてそうだよぉ、もう…」

唯「憂なら細胞分裂で増えるくらいできるかなぁと思って」

憂「それ、もはや人じゃないよね…」

妹のほうは姉と違って普通の感性をしているんだろうか。
突拍子も無いボケに、冷静な突っ込みを入れていた。

唯「じゃ、そろそろいこっか」

憂「うん」

ふたりが歩き出し、俺もそれに続いた。

―――――――――――――――――――――

唯「あーあ、とうとう全部散っちゃったね、桜」

憂「そうだね」

平沢姉妹と共に坂を上っていく。
これを、両手に花、というんだろうか…。
意識した途端、なんとも気恥ずかしくなる。

朋也(ホストじゃあるまいし…)

俺はワンテンポ遅れて、後ろを歩いた。

憂「岡崎さん、どうしたんですか?」

その変化に気づいたのか、後ろにいる俺に振り返った。

朋也「いや、別に」

唯「ああっ、わかった! 憂、気をつけないとっ」

憂「え? なに?」

唯「岡崎くん、坂で角度つけて私たちのスカートの中覗こうとしてるんだよっ」

憂「え? えぇ?」

その、覗く、という単語に反応してか、周りの目が一瞬俺に集まった。

朋也(あのバカ…)

朋也「んなわけねぇだろっ」

俺は一気にペースを上げ、ふたりを抜き去っていった。

唯「あ、冗談だよぉ。待ってぇ~」

憂「岡崎さん、早いですっ」

ぱたぱたと追ってくる元気な足音が後ろからふたつ聞こえていた。

―――――――――――――――――――――

唯「もう許してよぉ…ね?」

下駄箱までずっと無視してやってくる。
平沢はさっきから俺の周囲をうろちょろとして回っていた。

朋也「………」

憂「あれは、お姉ちゃんが悪いよ、やっぱり」

唯「うぅ、憂まで…」

朋也「よくわかってるな」

俺は妹の頭に手を乗せ、ぽんぽんと軽くなでた。

憂「あ…」

唯「………」

それを見ていた平沢は、片手で髪を後ろでまとめ…

唯「私が憂だよっ。憂はこっちだよっ」

微妙な裏声でそういった。

朋也(アホか…)

だが、同時に毒気も抜かれてしまった。

朋也「似てるけど、あんま似てない」

平沢の頭にぽん、と触れる。

唯「あ、やっと喋ってくれたっ」

憂「よかったね、お姉ちゃん」

唯「うん。えへへ」

ふたりして、喜びを分かち合う。
仲のいい姉妹だった。

梓「…おはようございます」

いつの間にか、軽音部二年の中野が近くに立っていた。
こいつも、今登校してきたんだろう。

唯「あっ、あずにゃん。おはよう」

憂「おはよう、梓ちゃん」

梓「うん、おはよう憂」

梓「………」

じろっと俺を睨む。
そして、平沢の手を引いて俺から離した。

唯「あ、あずにゃん?」

そして、俺の方に寄ってくる。

梓「…やっぱり、仲いいんですね。頭なでたりなんかして…」

ぼそっ、と不機嫌そうにささやいた。

梓「しかも、憂にまで…」

朋也「いや、ふざけてただけだって…」

梓「へぇ、そうですか。先輩はふざけて女の子の頭なでるんですか」

梓「やっぱり違いますね、女の子慣れしてる人は」

朋也「そういうわけじゃ…」

言い終わる前、平沢のところに戻っていった。

梓「先輩、今日も練習がんばりましょうねっ」

言って、腕に絡みつく。

唯「うんっ…って、あずにゃんから私にきてくれたっ!?」

梓「なに言ってるんですか、いつものことじゃないですか」

梓「私たち、すごく仲がいいですからね。もう知り合って一年も経ちますし」

梓「その間にかなり絆は深まってますよ。部外者がそうやすやすと立ち入れないほどに」

ちらり、と俺を見る。

唯「う…うれしいよ、あずにゃんっ」

がばっと勢いよく正面から抱きしめた。

梓「もう、唯先輩は…」

中野もそれに応え、腕を回していた。
しばしそのままの状態が続く。

梓「ほら、もう離してください」

回していた手で、とんとん、と背中を軽く叩く。

梓「続きは部活のときにでも」

唯「続いていいんだねっ!?」

梓「ええ、どうぞ」

唯「やったぁ!」

ぱっ、と離れる。

梓「憂、いこ」

憂「うん」

二年の下駄箱がある方に連れてだって歩いていく。

朋也(俺、あいつに嫌われてんのかな…)

―――――――――――――――――――――

教室に到着し、ふたりとも自分の席についた。
まだ人もそんなに多くない。
かなり余裕のある時間。俺にとっては未知の世界。
そんなに耳障りな声もなく、眠るには都合がよかった。

唯「岡崎くん」

今まさに机に突っ伏そうとしたその時、声をかけられた。

朋也「なんだ」

唯「岡崎くんたちがやってるお仕事のことなんだけどね…」

朋也「ああ」

唯「あれって、遅刻とか、サボったりしなかったら、やらなくていいんだよね?」

多分こいつはまた、さわ子さんにでも話を聞いたのだろう。
あの人は軽音部の顧問を務めているらしいし…
会話の中で、その事について触れる機会は十分すぎるほどある。

朋也「みたいだな」

唯「じゃあ、最近ずっと遅刻してない岡崎くんは、放課後自由なんだよね?」

朋也「ああ、まぁな」

唯「だったらさ…何度もしつこいようだけど…遊びにおいでよ。軽音部に」

朋也「前にも言っただろ。遠慮しとくって」

唯「でも、お昼だって私たちと一緒に食べて、盛り上がってたでしょ?」

唯「あんな感じでいいんだよ?」

朋也「それでもだよ」

唯「…そっか」

しゅんとする。

唯「やっぱりさ…」

でも、すぐに口を開いた。

唯「部活動が嫌いって言ってたこと…関係あるのかな」

朋也「………」

あの時春原が放った不用意な発言が、今になって負債となり、重くのしかかってきた。
きっかけさえ作らなければ、話題にのぼることさえなかったはずなのに。
そもそも、自ら進んで人にするような話でもない。
だが、もし、仮に…
こいつとこれからも親しくなっていくようであれば…
そうなれば、いつかは訊かれることになっていたかもしれないが。

こいつは、そういうことを気にしてしまうだろうから。
………。
俺は頬杖をついて、一度視線を窓の外に移した。
そして、気を落ち着けると、また平沢に戻す。

朋也「…中学のころは、バスケ部だったんだ」

朋也「レギュラーだったんだけど、三年最後の試合の直前に親父と大喧嘩してさ…」

朋也「怪我して、試合には出れなくなってさ…」

朋也「それっきりやめちまった」

………。
こんな身の上話、こいつにして、俺はどうしたかったのだろう。
どれだけ、自分が不幸な奴か平沢に教えたかったのだろうか。
また、慰めて欲しかったのだろうか。

唯「そうだったんだ…」

今だけは自分の行為が自虐的に思えた。
その古傷には触れて欲しくなかったはずなのに。

唯「………」

平沢は、じっと顔を伏せた。

唯「私…もう一度、岡崎くんにバスケ始めて欲しい」

そのままの状態で言った。

そして、今度は俺に向き直る。

唯「それで、みんなから不良だなんて呼ばれなくなって…」

唯「本当の岡崎くんでいられるようになってほしい」

本当の俺とはなんだろう。
こいつには、俺が自分を偽っているように見えるのだろうか。
そんなこと、意識したことさえないのに。

唯「みんなにも、岡崎くんが優しい人だって、わかってほしいよ」

ああ、そういえば…
こいつの中では、俺はいい人ということになっていたんだったか…。
だが、それも無理な相談だった。

朋也「…無理だよ」

唯「え? あ、三年生だからってこと…」

朋也「違う。そうじゃない」

もっと、根本的な、どうしようもないところで。

朋也「俺さ…右腕が肩より上に上がらないんだよ」

朋也「怪我して以来、ずっと…」

…三年前。
俺はバスケ部のキャプテンとして順風満帆な学生生活を送っていた。

スポーツ推薦により、希望通りの高校に進み、そしてバスケを続けるはずだった。
しかし、その道は唐突に閉ざされた。
親父との喧嘩が原因だった。
発端は、身だしなみがどうとか、くつの並べ方がどうとか…そんなくだらないこと。
取っ組み合うような喧嘩になって…
壁に右肩をぶつけて…
どれだけ痛みが激しくなっても、意地を張って、そのままにして部屋に閉じこもって…
そして医者に行った時はもう手遅れで…
肩より上に上がらない腕になってしまったのだ。

唯「あ…ご、ごめん…軽はずみで言っちゃって…」

朋也「いや…」

………。
静寂が訪れる…痛いくらいに。

朋也「…春原もさ、俺と同じだよ」

先にその沈黙を破ったのは俺だった。

朋也「一年の頃は、あいつも部活でサッカーやってたんだ」

朋也「でも、他校の生徒と喧嘩やらかして、停学食らってさ…」

朋也「レギュラーから落ちて、居場所も無くなって、退部しちまったんだ」

唯「そう…だったんだ…」

唯「でも…春原くんは、もう一度、サッカーできるんじゃないかな」

朋也「再入部するってことか」

唯「うん」

朋也「それは…無理だろうな。あいつ、連中からめちゃくちゃ嫌われてるんだよ」

朋也「あいつの喧嘩のせいで、今の三年は新人戦に出られなかったらしいからな」

朋也「第一、あいつ自身、絶対納得しないだろうし」

唯「でも…やっぱり、夢中になれることができないって、つらいよ」

唯「なんとかできないかな…」

朋也「なんでおまえがそんなに必死なんだよ…」

唯「だって、私も今、もうギター弾いちゃだめだって…バンドしちゃだめだって言われたら、すごく悲しいもん」

唯「きっと、それと同じことだと思うんだ」

唯「私は、岡崎くんや春原くんみたいに、運動部でレギュラーになれるほどすごくないけど…」

唯「でも、高校に入る前は、ただぼーっとしてただけの私が、軽音部に入って、みんなに出会って…」

唯「それからは、すごく楽しかったんだ。ライブしたり、お茶したり、合宿にいったり…」

唯「それが途中で終わっちゃうなんて絶対いやだもん」

唯「もっとみんなで演奏したいし、お話もしたいし、お菓子も食べたいし…ずっと一緒に居たいよ」

唯「だから、なんとかできるなら、してあげたいんだ」

唯「それじゃ、だめかな」

こいつは、自分に置き換えて考えていたらしい。
よほど軽音部が気に入っているんだろう。
その熱意が、言葉や口ぶりの節々から窺えた。
つたなくても、伝えようとしてくれるその意思も。

朋也(いや…それだけじゃないよな、きっと)

いつだってそうだった。
俺が親父を拒否して彷徨い歩いていた時も、ずっと後ろからついてきた。
朝だって、ずっと待っていた。自分の遅刻も顧みずに。

朋也「…おまえ、すげぇおせっかいな奴な」

唯「う…そ、そうかな…迷惑かな、やっぱり…」

朋也「いや…いいよ、それで」

唯「え?」

肯定されるとは思っていなかったんだろう。
それが、表情にわかりやすく現れていた。

朋也「ずっとそういう奴でいてくれ」

そんな真っ直ぐさに救われる奴もいるのだから。

…少なくとも、ここにひとり。

唯「あ…」

一瞬、固まったあと…

唯「うん、がんばるよっ」

そう、はっきりと答えた。

朋也「俺、寝るからさ。さわ子さん来たら起こしてくれ」

唯「え、ずるい! 私も寝る!」

朋也「目覚ましが贅沢言うなよ」

唯「もう、目覚まし扱いしないでよっ」

朋也「じゃ、どうやって起きればいいんだよ」

唯「自力で起きるしかないよね」

朋也「無理だな」

唯「それじゃ、私に腕枕してくれたら、起こしてあげるよ」

朋也「おやすみ」

唯「あ、ひどいっ!」

視界が暗くなる。目を閉じたからだ。
それでも、窓の方に顔を向けると、まぶたの上からでも光が眩しく感じられた。
頭を動かし、心地いい位置を模索する。
腕の隙間から半分顔を出すと、しっくりきた。
そのまま、じっとする。
次第に意識が薄れていく。
室内の静けさ、春の陽気も手伝って、すぐに眠りに落ちていった。

―――――――――――――――――――――

………。

―――――――――――――――――――――

SHRが終わり、放課となる。

朋也(ふぁ…)

昼になり、ようやく体も目覚めてくる。
一度伸びをして、血の巡りを促す。
頭にもわっとした圧迫がかかった後、脱力し、心地よく弛緩した。

唯「岡崎くん、聞いて聞いてっ」

朋也「…ん。なんだ」

唯「あのね、あした、みんなでサッカーしない?」

朋也「はぁ?」

唯「ほら、あしたって日曜日でしょ。だから、学校に集まって、やろうよ」

朋也「それは、やっぱ…」

春原のことで、なにか意図するところがあるんだろうか。

唯「…うん。なんの助けにもならないかもしれないけど…」

唯「春原くんが、少しでも夢中になれた時のこと思い出してくれたらいいなって」

やっぱり、そうだった。

朋也「俺も行かなきゃだめなのか」

唯「もちろんだよ。岡崎くんは、春原くんとすっごく仲いいからね」

朋也「いや、別によくはないけど」

唯「照れちゃってぇ~。いつも楽しそうにしてるじゃん」

朋也「それは偽装だ。フェイクだ。欺くための演技なんだ」

朋也「実際は、おたがい寝首を掻かれまいと、常に牽制し合ってるんだ」

唯「もう、変な設定捏造しないでいいよ。岡崎くんは来てくれるよね」

朋也「暇だったらな」

唯「うん、待ってるね」

まぁ、どうせ、あいつが断れば、その計画も流れてしまうのだ。
伸るか反るかで言えば、反る方の可能性が高いだろう。

春原「おーい、岡崎。飯いこうぜ」

考えていると、ちょうど春原が前方からチンタラやってきた。

唯「あ、春原くん。あのさ、あしたみんなでサッカーしない?」

春原「あん? サッカー?」

唯「うん。学校に集まってさ、やろうよ」

春原「やだよ。なんで休みの日に、わざわざんなことしなくちゃなんないだよ」

唯「練習じゃないんだよ? 遊びだよ?」

春原「わかってるよ、そのくらい。試合に出るわけでもないのに練習なんかするわけないしね」

唯「岡崎くんも来るんだよ?」

春原「え? マジ?」

驚きの表情を俺に向ける。

朋也「…まぁ、暇だったら行くってことだよ」

春原「ふぅん、珍しいこともあるもんだ」

唯「どう? 春原くんも。いつも一緒に遊んでるでしょ?」

春原「そうだけど、こいつが行くとこに、必ず僕もついていくってわけじゃないからね」

唯「ムギちゃんなら、きっとお菓子も紅茶も用意してくれると思うよ?」

春原「え、ムギちゃんもくんの?」

唯「まだ誘ってないけど、言えばきてくれると思うな」

春原「ふぅん、そっか…」

顔つきが変わる。

春原「ま、そういうことなら…行くよ」

なにかしらの下心があるんだろう。
じゃなきゃ、こいつがわざわざ休日を使ってまで動くはずがない。

唯「ほんとに? よかったぁ」

唯「それじゃあ、時間は何時ごろがいいかな」

春原「昼からなら、起きられるけど」

唯「う~ん、なら、1時くらいからでどう?」

春原「いいけど」

唯「決まりだね。集合場所は校門前でいいよね」

春原「ああ、いいよ」

唯「岡崎くんも、いい?」

朋也「ああ」

唯「じゃ、私みんなにも頼んでくるよ」

言って、席を立つ。

唯「あ、そうだ。今日も一緒にお昼どう?」

春原「どうする? おまえ、学食でいいの?」

朋也「俺は、別に」

春原「あそ。じゃ、僕も、学食でいいや」

朋也「つーことだ」

唯「じゃ、またあとで、学食で会おうねっ」

朋也「ああ」

平沢は仲間を呼び集めるため、俺たちは席を取るために動き出した。

―――――――――――――――――――――

朋也「おまえ、明日ほんとにくんのか」

春原「ああ、いくね。それで、ムギちゃんに僕のスーパープレイをみせるんだ」

春原「それでもう、あの子は僕にメロメロさ」

朋也「やっぱ、そういう魂胆か」

春原「まぁね。それよか、おまえこそ、よく行く気になったね」

春原「そういうの、好きな方じゃないだろ。なんで?」

朋也「別に…なんとなくだよ」

春原「ふぅん。僕はてっきり、平沢と居たいからだと思ったんだけど」

朋也「はぁ? なんでそうなるんだよ」

春原「だって、おまえら一緒に登校したりしてるんだろ」

どこで知ったんだろう。
こいつには言っていなかったはずなのに。

春原「それに、いつも仲よさそうにしてるじゃん」

春原「でも、付き合ってるってわけじゃなさそうだし…」

春原「両思いなのに、どっちも好きだって伝えてない感じにみえるね」

昨日同じようなことを言われたばかりだ。
傍目には、そういうふうに見えてしまうんだろうか…。

春原「ま、おまえ、そういうとこ、奥手そうだからなぁ」

朋也「勝手にひとりで盛り上がるな。まったくそんなんじゃねぇんだよ」

春原「そう怒るなって。明日は頑張ってかっこいいとこみせとけよ」

春原「おまえ、運動神経いいんだしさ」

春原「まぁ、でも、本職である僕の前では、引き立て役みたいになっちゃうだろうけどね」

朋也「そうだな。おまえの音色にはかなわないな」

春原「音色? うん、まぁ、僕のプレイはそういう比喩表現がよく似合うけどさ…」

朋也「うるさすぎて、指示が聞えないもんな」

春原「って、それ、絶対ブブゼラのこと言ってるだろっ!」

朋也「え? おまえ、本職はブブゼラ職人だろ?」

春原「フォワードだよっ!」

朋也「おいおい、素人がピッチに立つなよ」

春原「だから、ブブゼラ職人じゃねぇってのっ!」

―――――――――――――――――――――

律「いやぁ、ほんと、めでたいな」

澪「改めておめでとう、和」

紬「おめでとう」

唯「おめでと~」

和「ありがとう」

今朝のSHRで、先日の選挙結果が発表されていたのだが…
真鍋は見事、というか、順当に当選していた。
副会長はあの坂上だった。
他の役員は、興味がないのですぐに忘れてしまったが。

和「これから忙しくなるわ」

澪「大変な時は言ってくれ。力になるから」

和「ありがとね、澪」

澪「うん」

律「おい、春原。あんたのおごりで、特上スシの食券買って来いよ」

春原「ワリカンだろっ!」

そもそもそんなメニューは無い。

紬「そんなのもあるの?」

朋也「いや、あるわけない」

紬「なぁんだ。あるなら、私が出してもよかったのに」

軽く言ってのけるところがすごい。

律「セコいな、春原」

春原「るせぇよ、かっぱ巻きみたいな顔しやがって」

律「なっ、あんたなんか頭に玉子のせてんじゃねぇかよっ」

春原「あんだと!?」

律「なんだよ!?」

唯「はい、そこまで!」
紬「お昼時にね、判定? だめよ、KOじゃなきゃっ」

割って入ろうとした平沢を、横から琴吹が腕を取って制止させた。

唯「む、ムギちゃん?」

紬「嘘、ごめんなさい。冗談よ」

ぱっと手を離す。

紬「五味を止められるのはレフリーだけぇ~♪」

朋也(PRIDE…)

琴吹は謎のマイクパフォーマンスを挟みはしたが、仲裁する側に回っていた。
平沢も困惑状態から復帰すると、一緒に止めに入っていた。

―――――――――――――――――――――

妙な間はあったが、平沢と琴吹に制され、争いは一応の収まりを見せた。
両者ともそっぽを向いている。
まるで子供の喧嘩のようだった。

澪「毎回毎回…よく飽きないな…」

律「ふん…」

和「明日を機に仲良くなればいいんじゃない」

唯「そうだね。りっちゃんと春原くんは同じチームがいいかも」

律「えぇ、やだよっ」

春原「つーか、こいつもくんの?」

唯「うん。みんな来てくれるって」

律「わりぃか、こら」

春原「ふん、まぁ、明日は僕のすごさをその身をもって思い知るがいいさ」

律「あん? おまえなんか、りっちゃんシュートの餌食にしてくれるわっ」

春原「なんだそりゃ。陽平オフサイドトラップにかかって、泣きわめけ」

律「なにぃ? りっちゃんサポーターたちが暴動起こしてもいいのか?」

春原「んなもんは陽平ボールボーイで鎮圧できるね」

律「むりむり。りっちゃんラインズマンがすでに動きを抑えてるから」

春原「卑怯だぞ! 陽平訴訟を起こしてやるからな!」

律「あほか。こっちにはりっちゃん弁護士がついてるんだぞ」

律「あきらめて、『敗訴』って字を和紙に達筆な字で書いとけ」

律「それで、その紙を掲げて泣きながらこっちに走ってこいよ、はっははぁ!」

澪「もはや、サッカー全然関係ないな…」

―――――――――――――――――――――

食事を済ませ、連中と別れる。
春原は今日もまた奉仕活動に駆り出されていってしまった。
月曜日の時同様、俺はひとりになってしまい、暇な時間が訪れる。
差し当たっては、学校を出ることにした。

―――――――――――――――――――――

家に帰りつき、着替えを済ませて寮に向かう。

―――――――――――――――――――――

道すがら、スーパーに菓子類を買いに寄った。
資金源は、芳野祐介を手伝った時のバイト代だ。
もう先週のことだったが、無駄遣いもしなかったので、まだ全然余裕があるのだ。

―――――――――――――――――――――

買い物を終え、店から出る。
レジ袋の中には、スナック菓子、アメ、ソフトキャンディーなどが入っている。
その中でも一番の目玉は、「コアラのデスマーチ」という、新発売のチョコレートだ。
パッケージには、重労働に従事させられるコアラのキャラクター達が描かれている。
当たりつきで、ひとつだけ過労死したコアラが居るらしい。
製造会社の取締役も、よくこんなものにゴーサインを出したものだ。
なにかの悪い冗談にしか見えない。

声「あれ…岡崎さんじゃないですか」

突っ立っていると、横から声をかけられた。

憂「こんにちは」

朋也「ああ…妹の…」

見れば、向こうも俺と同じで私服だった。
プライベート同士だ。

憂「憂です。もう忘れられちゃってましたか?」

朋也「いや…覚えてるよ」

朋也「憂…ちゃん」

呼び捨てするのもどうかと思い、ちゃんをつけてみたが…
どうも、呼びづらい。
かといって、平沢だと、姉と同じで区別がつかず、座りが悪いような…。

憂「岡崎さんもお買い物ですよね」

朋也「ああ、そうだよ」

憂「なにを買ったんです?」

俺が手に持つレジ袋に興味を示してきた。

朋也「菓子だよ」

憂「あ、いいですね、お菓子。私も、余裕があれば買いたかったなぁ」

その、余裕とは、金の問題じゃなく、持てる量のことを言っているんだろう。
この子は、買い物バッグを両手で持っていたのだ。
そしてそのバッグの口からは、野菜やらビンやらが顔を覗かせている。
もう容量に空きがない、といった感じで膨らんでいた。

憂「これですか? 夕飯の材料と、お醤油ですよ」

憂「お醤油がもう切れそうだったから、買いに来てたんです」

憂「そのついでに、夕飯の材料も買っておこうかと思いまして」

朋也「ふぅん、そっか…」

しかし、重そうだ。

朋也「自転車で来てたりするのか」

憂「いえ、カゴに入りきらないだろうと思って、歩きですよ」

ということは、これを持ったまま、家まで歩いていくことになるのか。
それは、少しキツそうだ。

朋也「それ、俺が持とうか?」

憂「え?」

朋也「いや、家までな」

憂「いいんですか? 岡崎さん、これからなにか予定ありませんか?」

朋也「ないよ。暇だから、手伝ってもいいかなって思ったんだよ」

憂「でも、悪いですよ、さすがに…」

朋也「いいから、貸してみ」

憂「あ…」

少し強引に奪い取った。
ずしり、と重みが伝わってくる。

朋也「憂ちゃんは、こっちを持ってくれ」

俺の菓子が入ったレジ袋を渡す。

憂「あ、はい…」

できてしまった流れに戸惑いながらも、受け取った。

朋也「じゃ、いこうか」

憂「は、はい」

―――――――――――――――――――――

ふたり、肩を並べて歩く。
俺はほとんど自宅へ引き返しているようなものだった。
平沢の家とはだいたい同じ方角にあるからだ。

憂「重くないですか?」

朋也「ああ、このくらい、平気だよ」

憂「すごいですね。私、休みながら行こうと思ってたのに」

朋也「まぁ、女の子は、それくらいが可愛くて、丁度いいんじゃないか」

憂「そうですか?」

朋也「ああ」

憂「私は、軽々と片手で持ってる岡崎さんは、男らしくていいと思いますよ」

朋也「そりゃ、どうも」

憂「どういたしまして」

にこっと笑顔になる。やっぱり、その笑顔も平沢によく似ていた。
さすが姉妹だ。髪を下ろせば、見分けがつかなくなるんじゃないだろうか。

朋也「そういえば、平沢の弁当とか、憂ちゃんが作ってるんだってな」

憂「そうですね、私です」

朋也「これだって、おつかいとかじゃなくて、自分で作るために買ったんだろ」

バッグを手前に掲げてみせる。

憂「はい、そうです」

朋也「えらいよな」

憂「そんなことないですよ」

朋也「いや、親も、めちゃくちゃ助かってると思うぞ。なかなかいないよ、そんな奴」

憂「いえ、うちのお父さんとお母さんは、昔から家を空けてることが多いんですよ」

憂「今だって、どっちもお仕事で海外に行ってて、いないんです」

憂「だから、家事は自然とできるようになったんです」

憂「っていうか、しなきゃいけなかったから、って感じなんですけどね」

朋也「ふぅん…」

そうだったのか…。
なら、平沢も家事が器用にこなせたりするんだろうか。
でも、前に、弁当を妹に作ってやれ、と言われ、無理だと即答していたことがあるし…。
あいつは、掃除や洗濯を主にやっているのかも。

朋也「ま、それでもえらいことには変わりないよ」

朋也「だからさ、ご褒美っていうと、ちょっとアレかもだけど…」

朋也「俺の菓子、好きなのひとつ食っていいぞ」

憂「いいんですか?」

朋也「ああ」

憂「ありがとうございますっ」

憂「どれにしようかな…」

袋の中を覗く。
そして、おもむろに一つ取り出した。

憂「…コアラのデスマーチ?」

よりにもよって、それか。

朋也「なんか、新発売らしいぞ」

憂「絵が怖いです。名前もだけど…」

朋也「コアラがムチでしばかれてるだろ。そこは、コアラがコアラに管理される施設なんだ」

朋也「上級コアラと下級コアラがいて、その支配構造がうまく機能しているらしい」

憂「やってることが全然かわいくないです…」

朋也「ま、食ってみろよ。味とストーリ-は関係ないだろうからさ」

憂「はい…」

開封し、中から一個取り出した。

憂「わぁっ、岡崎さん、この子、し、死んでますっ」

朋也「それ、当たりだ」

なんて強運な子なんだろう。
一発目から引き当てていた。

憂「当たりって…」

朋也「その死体食って、供養してやってくれ」

憂「うぅ…死体なんて言わないでくださぁい…」

目を潤ませながら半分かじる。

憂「あ…イチゴ味だ…おいしい」

朋也「臓器と血みたいなのが出てきてないか、その死体」

憂「イチゴですよぉ…生々しく言わないでくださいよぉ…」

―――――――――――――――――――――

憂「ありがとうございました」

朋也「ああ」

平沢家の手前まで無事荷物を運び終え、そこで手渡した。
ここで俺の役目も終わりだった。

憂「それから…すみませんでした」

朋也「いや、いいって」

憂「でも…結局、私が全部食べちゃって…」

ここまで来る間、憂ちゃんは俺の菓子を完食してしまっていた。
それも、俺が譲ったからなのだが。
喜んでくれるのがうれしくて、次々にあげていってしまったのだ。

憂「あの、よければ、ホットケーキ作りますけど…食べていきませんか?」

朋也(ホットケーキか…)

普段甘いものが苦手な俺だが、時に、体が糖分を欲することがある。
それが、まさに今日だった。
だからこそ、スーパーで駄菓子なんかを買っていたのだ。
どうせなら、そんな既製品を買い直すよりも、手作りの方が味があっていいかもしれない。
加え、両親は現時点で不在だとの言質が取れていたため、俺の気も楽だった。
家に上がらせてもうらうにしても、とくに抵抗はない。
ただ、女の子とふたりきり、という状況が少し気になりはしたが。

朋也「いいのか?」

憂「はいっ、もちろん」

朋也「じゃあ…頼むよ」

憂「任せてくださいっ、がんばって作りますからっ」

意気込みを感じられる姿勢でそう言ってくれた。

憂「さ、どうぞ、あがってください」

憂ちゃんに通され、平沢家の敷居をまたぐ。

―――――――――――――――――――――

憂「じゃ、出来上がるまで、ここでくつろいでてくださいね」

俺をリビングに残し、荷物を持って台所に向かっていった。
とりあえずソファーに腰掛ける。
…尻に違和感。
なにか下敷きにしたらしい。
体を浮かせ、取り出してみると、クッションだった。
ぼむ、と隣に置く。

朋也(ん…?)

再びクッションを手に取る。

朋也(やっぱり…)

平沢の匂いがした。
いつもこれを使っているんだろうか。

朋也(………)

顔を埋めてみる。

朋也(ああ…いい…)

朋也(あいつ、いい匂いするもんな…)

朋也(………)

朋也(って、変態か、俺はっ!)

我に返り、すぐさま顔を離した。
背後が気になり、振り返る。
憂ちゃんは、俺に背を向け、なにやら冷蔵庫から取り出していた。
見られてはいなかったようで、ほっとする。

朋也(しかし、妙な安心感がある空間だよな、ここ…)

ごみごみとした春原の部屋とは大違いだ。
まぁ、そのせいで、無用心にもこんな暴挙に出てしまったのだが。

朋也(にしても…なにしてようかな…)

携帯があれば、こういう時、楽しく暇も潰せるんだろうな…。
生憎と俺はそんなものは持ち合わせていなかったが。
今時の高校生にしては、かなり珍しい部類だろう。
うちの経済状況では持つこと自体厳しいから、それも仕方ないのだが。
持ってさえいれば、春原にオレオレ詐欺でも仕掛けて遊べるのに…。
例えば…

―――――――――――――――――――――
―――――――――――――――――――――

プルルル

がちゃ

春原「はい。誰」

声『俺だよ、オ・レ』

春原「あん? 誰? 岡崎?」

声『だから、オレだって言ってんだろっ! 何度も言わせんなっ! 殺すぞっ!』

声『あ、後さ…う○こ』

ブツっ

ツー ツー ツー

春原「なにがしたかったんだよっ!?」

―――――――――――――――――――――
―――――――――――――――――――――

朋也(なんてな…)

いや…それはただのいたずら電話か…。
難しいものだ、詐欺は。

朋也(妄想はもういいや…)

朋也「憂ちゃーん、テレビつけていいかー」

リビングの向こう、台所にいる憂ちゃんに聞えるよう、少し声を張った。

憂「あ、どうぞ~」

許可が下りた。
テーブルの上にあったリモコンを拾い、チャンネルを回す。
土曜の午後なんて、ロクな番組がやっていない。
救いがあるとすれば、あの長寿昼バラエティ番組だけだったが、すでに終わっている時間だ。
しかたなく、釣り番組にする。
俺は、呆けたようにぼーっと眺めていた。

―――――――――――――――――――――

憂「できましたよ~」

おいしそうな香りを伴って、憂ちゃんがホットケーキを持ってきてくれた。

憂「はい、どうぞ」

皿に盛ってくれる。

憂「シロップはお好みでどうぞ」

ホットケーキの横に、使い捨ての簡易容器が添えられてあった。

朋也「サンキュ」

フォークで生地を刺し、口に運ぶ。
もぐもぐ…

朋也「うめぇ…」

憂「ほんとですか? お口に合ってよかったです」

嬉しそうな顔。
俺はさらに食を進めた。
が、憂ちゃんは一向に手をつけない。

朋也「食べないのか」

憂「私はお菓子をたくさん食べましたから…」

憂「これ以上甘いもの食べると太っちゃいますよ」

やっぱり、女の子だとそういうところを気にするものなのか。
男の俺にはよくわからなかった。

憂「だから、岡崎さんが食べてくれるとうれしいです」

朋也「じゃあ、遠慮なく」

再び手をつけ始める。
本当においしくて、いくらでも食べられそうだった。

―――――――――――――――――――――

朋也「…ふぅ。ごちそうさま」

憂「おそまつさまでした」

すべてて食べきり、皿の上にはなにも残っていなかった。
片づけを始める憂ちゃん。

朋也「俺も食器洗うの手伝おうか」

帰る前にそれくらいしていってもいいだろう。

憂「いえ、いいんです。岡崎さんはお客さんですから」

憂「それより、岡崎さん…」

ハンカチを取り出す。

憂「口の周り、ちょっとついてますよ。じっとしててくださいね」

朋也「ん…」

ふき取られていく。

憂「はい、綺麗になりました」

朋也「言ってくれれば、自分の手で拭ったのに」

憂「あ、ごめんなさい…お姉ちゃんにもいつもしてあげてるんで、つい」

朋也「いつも?」

憂「はい」

あいつは…そんなことまでしてもらっているのか。
もしかして、妹に全局面で世話してもらってるんじゃないかと、そんな気さえしてきた。

朋也「…仲いいんだな」

憂「とってもいいですっ」

強く言う。主張したかったんだろう。
憂ちゃんは満足した顔で食器をひとつにまとめると、台所へ持っていった。

朋也(にしても…よくできた子だよな)

台所に立ち、洗い物をする憂ちゃんを見て思う。

朋也(ああ…憂ちゃんが俺の妹だったらな…)

―――――――――――――――――――――
―――――――――――――――――――――

声「お兄ちゃん、起きて。朝だよ」

朋也「…うぅん…あと半年…夏頃には起きる…」

声「セミの冬眠じゃないんだから。起きなさい」

勢いよく布団が剥がされる。

憂「おはよう、お兄ちゃん」

朋也「………」

憂「もう、うつ伏せになってベッドにしがみつかないでよ…」

朋也「眠いんだ」

憂「顔洗ってきたら?」

朋也「めんどくさい」

憂「じゃあ、どうやったら目が覚めてくれるの…」

朋也「いつものやつ、してくれ」

憂「え? いつものって?」

朋也「目覚めのちゅー」

憂「だ、だめだよ、そんなの…私たち兄妹なんだよ…?」

憂「それに、いつもって…そんなこと一度も…」

朋也「いいじゃないか。おまえが可愛いから、したいんだよ」

朋也「だめか…?」

憂「う…じゃ、じゃあ、絶対それで起きてね…?」

憂「ん…」

ほっぺたにくる。
俺は顔を動かして、唇に照準を合わせた。

やわらかい感触が重なり合う。

憂「んんっ!?」

ばっと身を離す。

憂「な、なんで口に…」

朋也「とうっ」

ベッドから跳ね起きる俺。

朋也「憂っ! 憂っ!」

憂「あ、いやぁ、やめて、お兄ちゃん、だめだよぉ…」

憂「あっ…」

―――――――――――――――――――――
―――――――――――――――――――――

朋也(………)

朋也(いい…すごく…いい!)

俺は台所にいる憂ちゃんの背を目指して歩み寄っていった。

朋也「憂ちゃん…」

背後から声をかける。

憂「はい…?」

手を止めて振り返ってくれる。

朋也「俺の妹になってくれ」

憂「えぇ!? そ、それは…」

朋也「だめか?」

憂「いろいろと無理がありますよぉ」

自分でもそう思う。
だが、情熱を抑え切れなかった。

憂「それに、私にはお姉ちゃんがいますし」

朋也「…そうか」

憂「そ、そんなに落ち込まないでくださいよぉ」

憂「私、岡崎さんにそう言ってもらえて、うれしかったですから」

朋也「じゃあ、せめて、俺のことを兄だと思って、お兄ちゃんって呼んでみてくれ…」

憂「それで、元気になってくれますか?」

朋也「ああ」

憂「わかりました、それじゃあ…」

すっと深呼吸する。

憂「お兄ちゃんっ」

まぶしい笑顔。首をかしげるというオプションつきだった。

朋也「…はは、憂はかわいいな。よしお小遣いをやろう」

財布から万札を抜き取る。

憂「わわっ、いいですよ、そんなっ。しまってくださいっ」

朋也「なに言ってるんだよ。俺たち、仲良し兄妹じゃないか」

憂「それは台本の上でのことですよっ、目を覚ましてくださぁいっ」

朋也「ハッ!…ああ、いや、悪い…本当の俺と、役の境目がわからなくなってたよ」

憂「もう…変な人ですね、岡崎さんって」

言って、笑う。俺も気分がいい。
素直に笑ってくれる年下の女の子というのは、新鮮だった。

朋也「なぁ、憂ちゃん。この後、予定あるか」

憂「え? そうですね…」

小首をかしげて考え込む。

憂「う~ん…夕飯の材料はもう買っちゃったし…とくにないですね」

朋也「じゃあ、お兄ちゃ…いや、俺とどこか出かけないか」

今から寮に向かっても、春原が戻っている保証はない。
あの部屋でひとり過ごすくらいなら、そっちの方がよかった。

憂「いいんですか? 私となんかで」

朋也「憂ちゃんだから誘ってるんだよ」

憂「ありがとうございますっ。私も、岡崎さんに誘ってもらえてうれしいです」

朋也「それは、一緒に遊びに出てくれるって、そう取っていいのか」

憂「はい、もちろんです」

朋也「そっか。じゃあ、その洗い物が終わったら、出るか」

憂「はいっ」

―――――――――――――――――――――

食器の洗浄も済ませ、家を出た。
目的地はまだ決めていない。

朋也「どこにいく? 憂ちゃんの好きなところでいいぞ」

憂「いいんですか?」

朋也「ああ」

憂「それじゃあ、私、前から行ってみたい所があったんですけど…」

朋也「どこだ」

憂「商店街に新しくできた、ぬいぐるみとか、可愛い小物とかを売っているお店です」

憂「今、うちの学校の女の子の間で人気なんですよ」

朋也「ふぅん、そんなとこがあるのか」

憂「はい。だから、そこに付き合って欲しいです」

朋也「ああ、いいよ」

憂「ありがとうございますっ」

―――――――――――――――――――――

商店街までやってくる。
件の店はまだ真新しく、外観や内装が小綺麗だった。
ファンシーな看板を掲げ、手前には手書きの宣伝ボードが立てかけられてある。
店内には、所狭しと商品群が並べられていた。
客層は、この有りようからしてやはりというべきか、女性客ばかりだった。

憂「わぁ、ここですここですっ」

つくやいなや、目を輝かせてはしゃぎ出す憂ちゃん。

憂「いきましょ、岡崎さんっ」

朋也「あ、ああ…」

この中に男の俺が入っていくことに多少気後れしつつも、憂ちゃんに従った。

―――――――――――――――――――――

憂「うわぁ、かわいいっ」

憂ちゃんが立ち止まったのは、小さめのぬいぐるみが並べられたブロックだった。
デフォルメされ、丸みを帯びた動物キャラの頭部が手のひらサイズで商品化されている。
俺もひとつ適当なものを手に取ってみた。
ぐにゃり、と柔らかい感触がした。低反発素材でも使っているんだろうか。

憂「う~ん、でも、やっぱりないなぁ…」

朋也「なんか探してるのか」

憂「はい…」

持っていたぬいぐるみを棚に戻し、俺に向き直る。

憂「岡崎さん、だんご大家族って覚えてます?」

朋也「ああ、けっこう鮮明に」

それは、最近思い出す機会があったからなのだが。

憂「ほんとですか? よかったです、覚えててくれて」

憂「あれ、かわいいですよねっ」

朋也「ん、まぁ、多分な」

一応同意の姿勢だけは見せておく。

憂「でも、もうかなり前にブームが終わっちゃったじゃないですか」

憂「それで、世間からも忘れられちゃってて…」

憂「それでも、私もお姉ちゃんも、いまだに好きなんですよ、だんご大家族」

憂「だから、この小さな手のひらシリーズにないかなぁって、思ったんですけどね」

需要が無くなったことを知っていてなお探すんだから、想いもそれだけ深いんだろう。

朋也「じゃあ、こういうのはどうだ」

俺はうさぎの頭を棚から拾い上げた。

朋也「ほら、これの耳ちぎって、凹凸無くしてさ」

朋也「シルエットだけなら、だんごに見えなくもないだろ」

憂「そ、そんな残酷なことしてまで欲しくないですよぉ」

朋也「そうか? じゃあ、これを三つくらい買って、串で刺して繋げるのはどうだ」

憂「さっきのと接戦になるくらい残酷ですっ」

朋也「なら、これを…」

憂「も、もういいですっ、気持ちだけ受け取っておきます…」

朋也「これを、憂ちゃんの鼻の穴に詰めてみよう、って言おうとしたんだけど…」

朋也「その気持ち、受け取ってくれるのか?」

憂「…岡崎さん、もしかして、からかってます?」

朋也「バレたか」

憂「…意地悪ですっ」

ぷい、とそっぽを向かれてしまった。
やりすぎてしまったようだ。

―――――――――――――――――――――

その後、なんとか機嫌を取ることに成功し、また一緒に見て回った。
憂ちゃんが興味を示したコーナーに留まり、しばらく見たのち、移る。
そんなことを繰り返していた。

―――――――――――――――――――――

朋也(やべ…)

巡って回る内、俺の目に見かけたことのある顔が留まった。
同じクラスの女たちだった。何人かで固まって、楽しげに店内を闊歩している。
そういえば、憂ちゃんが言っていた。
この店は今、うちの学校の女に人気があると。
なら、こういうブッキングをすることだって、十分ありえたのに…うかつだった。

俺がこんな店に出入りしているなんて思われたら、たまったもんじゃない。
その情報が春原の耳に入った日には…想像もしたくない。
俺は壁にぴったりと張りついてやりすごすことにした。

憂「岡崎さん、なにをやってるんですか?」

背中から憂ちゃんの声。

朋也「いや…知ってる顔がいたから、ちょっとな…」

憂「ああ…恥ずかしいんですね」

朋也「まぁ…そういうことだ」

憂「じゃあ…これを被って変装してください」

俺になにか手渡してくる。

朋也「お、サンキュ」

後ろ手に受け取って、それを目深に被った。

朋也(これでなんとかなるかな…)

声さえ聞かれなければ、制服を着ているわけでもなし、他人の空似で受け流してくれるかもしれない。
そうなってくれることを願いながら、俺は向き合っていた壁から離れた。

憂「よく似合ってますよ」

振り向きざまに第一声。

朋也「そうか?」

しかし、俺はなにを被ったんだろう。
なにも考えず、機械的に被ってしまったからな…。

憂「ご自分でも、鏡で確認してみたらどうですか?」

俺の目線より少し下、そこに小さな鏡が置かれていた。
覗いてみる。

朋也「…これ」

ネコミミ付きフードだった。

憂「あはは、かわいいです、岡崎さん」

朋也「…おまえな」

憂「さっきのお仕返しです。罰として、ここにいる間ずっと被っててくださぁい」

朋也「…はぁ」

これじゃ、顔は隠せても余計目立つことになってしまう…。

朋也「ほかにマシなの、なんかないのか」

憂「ありますよぉ。イヌミミがいいですか? それとも、ウサミミがいいですか?」

朋也「そんなのしかないのかよ…」

憂「ふふ、ここはそういうお店ですよ?」

そうだったな…。
仕方なく、俺は憂ちゃんの罰ゲームに従った。

―――――――――――――――――――――

憂「あ、これ、かわいいなぁ…買っちゃおうかなぁ…」

やってきたのは、携帯ストラップの陳列棚。
俺とは縁のない場所だ。

憂「う~ん、でも、こっちも捨てがたいし…」

憂「岡崎さん、これとこれ、どっちがいいと思いますか?」

両手にそれぞれ別の商品を持って、俺に意見を求めてくる。

朋也「う~ん…俺はこれがいいかな」

そのどちらも選ばずに、俺は新たに棚から取り出した。

朋也「この、『ごはんつぶ型ストラップ』って、なんかよくないか」

憂「えぇ? なんですか、それ?」

朋也「なんか、携帯にご飯粒がついているように演出できるらしいぞ」

憂「いやですよぉ、そんなの…常に、さっきご飯食べてきたよって感じじゃないですか…」

朋也「いやか?」

憂「はい」

なかなかおもしろいと思ったのだが…。
しぶしぶ元の場所に納める。

憂「これかこれ、どっちかで言ってください」

再び俺の前に掲げてくる。

朋也「う~ん…じゃあ、そっちの、クマの方で」

憂「クマさんですか? じゃあ、こっち買っちゃおうかな…」

朋也「待て。買うなら、払いは俺がする」

憂「え? 悪いですよ、そんな…」

朋也「いや、ここで好感度を挽回しておきたいんだ。序盤で失敗しちまったからな」

憂「そんなこと気にしてたんですか…」

朋也「ああ。だから、俺にまかせろ」

憂「ふふ、じゃあ…お言葉に甘えて」

朋也「よし」

―――――――――――――――――――――

ストラップをレジに通し、店を出た。
ついでに、ネコミミフードも買っていった。
長いこと被っていて、買わずに出るのもためらわれたからだ。

憂「いいんですか? こっちも、もらっちゃって…」

朋也「ああ、いいよ。俺が持ってても仕方ないしな」

俺はストラップと一緒に、フードも譲っていたのだ。

憂「でも、これ、けっこう高かったですよね…?」

朋也「ああ、大丈夫。まだ余裕あるから」

憂「岡崎さん、アルバイトでもしてるんですか?」

朋也「まぁ、前はしてたけど、今はやってないな」

朋也「でも、この前単発で、でかいの一個やったっていうか…あぶく銭みたいなもんだから、気にすんなよ」

ぽむ、と頭に手を置く。

憂「あ…はいっ」

にっこりと微笑んでくれる。

憂「ありがとう、お兄ちゃんっ」

朋也(う…)

胸が高鳴る。破壊力抜群だった。

朋也「…うん」

憂「あはは、…うん、って。岡崎さん顔真っ赤です」

朋也「…憂ちゃんがいきなり妹になるからだ」

憂「ごめんなさぁい」

いたずらっぽく言う。

朋也(さて…)

店の中に居る時はわからなかったが、外はもう陽が落ち始め、ほんのりと暗くなっていた。
それだけ時間を忘れて見回っていたのだ。
おそるべし、ファンシーショップ…。
まぁ、入店したのが三時半あたりだったので、実際それほどでもないのかもしれないが。

朋也「もう、帰らなきゃだよな、憂ちゃんは」

憂「はい、そうですね。帰ってお夕飯作らないと…」

朋也「なら、送ってくよ。もういい時間だしな」

憂「ほんとですか? ありがとうございますっ」

―――――――――――――――――――――

平沢家。その門前まで帰り着く。

朋也「じゃあな」

憂「はいっ。今日はありがとうございました」

別れの挨拶も済ませ、立ち去ろうと踵を返す。

唯「あれ? 岡崎くんだ」

朋也「よお」

そこへ、ちょうど平沢が帰宅してきた。

唯「どうしたの? うちになにか用?」

憂「私を送ってきてくれたんだよ、お姉ちゃん」

唯「送ったって? 憂を? 代引きで?」

憂「Amaz○n.comじゃないんだから…」

憂「あのね、岡崎さんと一緒に出かけてて、それで、もう暗いからって送ってきてくれたの」

唯「えぇ!? 岡崎くんと遊んでたの?」

憂「ちょっと付き合ってもらってたんだ。ほら、あの商店街に新しくできたお店あるでしょ?」

憂「あそこに、ついてきてもらってたの」

唯「えぇっ!? っていうか、なんでもうそこまで仲良くなってるの?」

唯「そうだよぉ。『ああ』とか、『好きにしろよ…』とかしか言わないし…」

俺を真似た部分だけ声色を変えて言った。

唯「最近になって、ようやくちょっと心開いてくれたかなぁって感じだよ」

唯「なのに、憂とは初日から遊びに行くまでになってるし…これは差別だよっ」

唯「悪意を感じるよっ」

憂「お姉ちゃん…あんまりお兄ちゃんを責めないであげて」

朋也(ぐぁ…)

唯「…お兄ちゃん?」

平沢が訝しげな顔になる。

朋也「今はやめてくれっ」

憂「ふたりっきりの時だけしかそう呼んじゃだめなの? お兄ちゃん?」

朋也「だぁーっ! だから、やめてくれぇ、憂ちゃんっ!」

唯「…ふたりっきりの時? 憂…ちゃん?」

唯「私と初めて会ったときは、すっごく冷たかったのにぃ…」

朋也「そうだっけ」

唯「そうだよぉ。『ああ』とか、『好きにしろよ…』とかしか言わないし…」

俺を真似た部分だけ声色を変えて言った。

唯「最近になって、ようやくちょっと心開いてくれたかなぁって感じだよ」

唯「なのに、憂とは初日から遊びに行くまでになってるし…これは差別だよっ」

唯「悪意を感じるよっ」

憂「お姉ちゃん…あんまりお兄ちゃんを責めないであげて」

朋也(ぐぁ…)

唯「…お兄ちゃん?」

平沢が訝しげな顔になる。

朋也「今はやめてくれっ」

憂「ふたりっきりの時だけしかそう呼んじゃだめなの? お兄ちゃん?」

朋也「だぁーっ! だから、やめてくれぇ、憂ちゃんっ!」

唯「…ふたりっきりの時? 憂…ちゃん?」

唯「………」

じと~っとした目を向けられる。

唯「…中で詳しく聞こうか」

こぶしを作り、親指で自宅を指さす。
その顔は、あくまで笑顔だったが…それが逆に怖い。

―――――――――――――――――――――

唯「ふぅん、岡崎くんってそんな趣味だったんだ?」

テーブルにつき、説教される子供のように俺は正座していた。

唯「そんなこと、言ってくれれば私がしてあげたのに…」

朋也「いや、おまえ、タメじゃん。リアルじゃないっていうか…」

唯「失礼なっ! 私、妹系ってよく言われるのにっ」

朋也「じゃ、一回やってみてくれよ」

唯「いいよ? じゃ、いきます…」

こほん、と咳払い。

唯「お兄ちゃんっ」

満面の笑顔。

両手を開き、俺の前に突き出している。

朋也「なんか、違うんだよな…」

唯「むぅ、なにが違うのっ」

朋也「いや、そのポーズとかさ…なんだよ」

唯「庇護欲を煽るポーズだよ」

朋也「そういう計算が目に付くんだよなぁ…それに、全体の総量として妹力が足りない感じだ」

朋也「まぁ、おまえは、どこまでいっても姉だな」

唯「それはその通りだけど…なんか悔しい…」

朋也「まぁ、そういうわけだからさ。俺、帰るな」

赤裸々に語ってしまった恥ずかしさもあり、早くこの場を去りたかった。

唯「まぁ、待ちなよ。せっかくだから、一緒に夕飯してこうよ」

朋也「いや…」

唯「う~い~、岡崎くんのぶんも夕飯作ってくれるよね~?」

被せるようにして、台所で作業する憂ちゃんへ声をかけた。

憂「岡崎さんがそれでいいなら、作るよ~」

向こうからは好意的な返答が届く。

唯「だってさ。どうする? おにいちゃん」

朋也「だから、それはもうやめろっての…」

朋也(でも、どうするかな…)

いや…もう答えは出ている。
コンビニ弁当なんかより、憂ちゃんの手料理の方がいいに決まってる。

朋也「俺の分も頼んでいいか、憂ちゃん」

あまりまごつくことなく、俺は注文を入れていた。

憂「は~い、まかせてくださぁい」

二つ返事で引き受けてくれる。

唯「うん、素直でよろしい」

朋也「そりゃ、どうも」

唯「ところでさ、なんで憂にはちゃんづけなの?」

朋也「年下だし、苗字だと、おまえと被るからな」

唯「えぇ、そんな理由? なら、私も唯ちゃんって呼んでよっ」

朋也「アホか」

唯「私も朋ちゃんって呼ぶからさっ。そうしよ?」

朋也「ありえないからな…」

唯「ちぇ、けち~…いいもん、別に。私にはギー太がいるから」

言って、横に置いてあったケースからギターを取り出した。

唯「だんごっ、だんごっ」

ギターを弾きながら歌いだす。
それは、俺も聞いたことのある、だんご大家族のテーマソング。
だが、オリジナルとは違い、曲調が激しかった。

唯「だんごっ、大家族ぅ、あういぇいっ!」

ロック風にアレンジしていた。

唯「岡崎くんも、サビはハモってよぅ、あういぇいっ!」

サビなんて知らない。
とりあえず、適当にだんごだんご言って合わせておいた。

―――――――――――――――――――――

憂「お待ちどうさま~」

憂ちゃんがお盆に料理を乗せて運んできてくれる。
まずは前菜のようだった。

唯「わぁ、肉じゃがだぁ」

憂「はいお姉ちゃん」

平沢に手渡す。

唯「ありがと~」

憂「岡崎さんも」

朋也「ああ、サンキュ」

俺も受け取った。
最後に自分の座る位置に置くと、また台所へ戻っていった。

朋也「おまえは料理したりしないのか」

唯「ん? しないけど」

朋也「じゃあ、おまえ、家事は掃除とかやってるのか」

唯「それも、憂だよ?」

朋也「なら、おまえはなにをやってるんだよ」

唯「私はね、生きてるんだよ」

朋也「あん?」

そりゃ、死んでるようにはみえないが。

投下ミスとかしてない俺?つなぎ目が不自然だったり話が飛んでるとこあったらおせーてね

今のとこOK? 大丈夫かな…? 

唯「だからね、私は生きてるから…いいんだよ…」

つまり、なにもしてないということか…。

朋也「神秘的に言うな。憂ちゃんに全部やらせてるだけだろ」

唯「ぶぅ、だって憂がやったほうが全部上手くいくんだもん」

唯「私が掃除しても、逆に、変な取れないシミとかついちゃうし…」

唯「料理だって、やってたら、電子レンジの中でアルミホイルが放電したりするんだよ?」

それは料理の腕とはあまり関係ない。常識の問題だった。

朋也「ほんと、おまえ、憂ちゃんいてよかったな」

朋也「親御さん、家空けてること多いって聞いたけど、おまえ一人じゃ即死してたよ」

唯「そんな早く死なないよっ! 丸二日は持つもんっ!」

延命するにしても、そう長くは持たないようだった。

憂「はい、これで最後だよ~」

今度は焼き魚と、人数分のコップ、そして麦茶を持ってきてくれた。
先程と同様、俺たちに配膳してくれる。最後に自らのぶんを揃え、食卓が整った。

唯「じゃ、食べようか」

ぱんっ、と手を合わせる。

憂ちゃんもそれに倣った。

唯「いただきます」
憂「いただきます」

綺麗に声が重なる。

朋也「…いただきます」

俺も若干遅れて同じセリフを言った。
こんなこと、かしこまってやるのはいつぶりだろう。
少なくとも、うちではやったことがない。
小学校の給食の時間以来かもしれない。

唯「ん~、おいしい~」

憂「ほんと? ありがと、お姉ちゃん」

唯「憂の料理はいつもおいしいよぉ。お弁当もね」

憂「えへへ」

仲良く会話する姉妹。
本来ならここに両親が居て、一緒に食事をして…
それで、その日学校であったことなんかを話すんだろうか。
そういった光景があるのが、普通の家族なんだろうか。
俺にはわからなかった。
ただ…
無粋な俺なんかが、土足で踏み込んでいい場所じゃないことは漠然とわかる。

唯「どうしたの? 岡崎くん。ぼーっとしちゃって」

朋也「いや…なんでもないよ」

言って、肉じゃがを口に放り込む。

朋也「うん…うまいな」

憂「ありがとうございますっ」

唯「私も料理勉強しようかなぁ…」

憂「お姉ちゃんならすぐできるようになるよ」

唯「ほんと? じゃあ、今度教えてよ」

憂「うん、いいよ。お姉ちゃんの今度は、今まで一度も来たことないけどね」

唯「あはは~、そうだっけ」

憂「ふふっ、うん、そうだよ」

ふたりとも同じように、えへへ、と笑いあう。
俺は箸を動かしながら、その様子をぼんやりと傍観していた。

―――――――――――――――――――――

唯「だいぶ遅くなっちゃったね」

平沢が玄関の先まで見送りに来てくれる。

憂ちゃんは中で後片付け中だ。

朋也「そうだな。長居しちまった」

あの場は本当に居心地がよく、離れることがひどくためらわれた。
それは、なんでだろう。
あの感覚はなんだったんだろう。

唯「どうせなら、泊まってく?」

朋也「馬鹿。んなことできるかよ」

唯「なんで? 明日は休みだし、みんなでサッカーする日だよ?」

唯「ちょうどいいじゃん」

朋也「そういうことじゃなくて…」

男を泊める、というその意味に、なにか感じるところはないのだろうか。
それとも、俺がそんな風に見られていないだけなのか。

朋也「とにかく、もう、帰るよ」

唯「ちぇ、つまんないなぁ…」

朋也「じゃあな」

唯「うん、また明日ねっ」

―――――――――――――――――――――

平沢家で過ごしていた今さっきまでの時間。
それが別世界の出来事に思われるような、あまりに違いすぎる空気。
気分が重くなる。
ただ、静かに眠りたい。

朋也(それだけなのにな…)

―――――――――――――――――――――

居間。
その片隅で、親父は背を丸めて、座り込んでいた。
同時に激しい憤りに苛まされる。

朋也「なぁ、親父。寝るなら、横になったほうがいい」

やり場の無い怒りを抑えて、そう静かに言った。

親父「………」

返事は無い。
眠っているのか、ただ聞く耳を持たないだけか…。
その違いは俺にもよくわからなくなっていた。

朋也「なぁ、父さん」

呼び方を変えてみた。

親父「………」

ゆっくりと頭を上げて、薄く目を開けた。

そして、俺のほうを見る。
その目に俺の顔はどう映っているのだろうか…。
ちゃんと息子としての顔で…

親父「これは…これは…」

親父「また朋也くんに迷惑をかけてしまったかな…」

目の前の景色が一瞬真っ赤になった。

朋也「………」

そして俺はいつものように、その場を後にする。

―――――――――――――――――――――

背中からは、すがるような声が自分の名を呼び続けていた。
…くん付けで。

―――――――――――――――――――――

こんなところにきて、俺はどうしようというのだろう…
どうしたくて、ここまで歩いてきたのだろう…
懐かしい感じがした。
ずっと昔、知った優しさ。
そんなもの…俺は知らないはずなのに。
それでも、懐かしいと感じていた。
今さっきまで、すぐそばでそれをみていた。
温かさに触れて…俺は子供に戻って…
それをもどかしいばかりに、感じていたんだ。

………。

「だんごっ…だんごっ…」

近くの公園から声がした。
それは、今となってはもう耳に馴染んでいた声音。
平沢だった。
あんなところでなにをしているんだろう。
俺はその場に呆然と立ちつくし、動くことができなかった。
そうしている内、平沢が俺のいる歩道に目を向けた。
こっちに気づいたようで、小走りで寄ってくる。

唯「あ、やっぱり岡崎くんだ。どうしたの? うちに忘れ物?」

朋也「いや、別に…」

唯「じゃあ…深夜徘徊?」

内緒話でもするように、ひそっと俺にささやいてくる。

朋也「馬鹿…そんなわけあるか」

もう俺は冷静だった。

朋也「ただ、帰るには時間が早すぎたからさ…」

唯「えー? もうお風呂あがって、バラエティ番組みててもおかしくない頃だよ?」

朋也「俺にとっては早いんだよ。いつも夜遊びしてるような、不良だからな」

唯「またそんなこと言ってぇ…」

朋也「おまえのほうこそ、こんなとこでなにやってたんだよ」

唯「ん? 私はね、歌の練習だよ」

朋也「こんな時間に、しかも外でか」

唯「うん」

朋也「それ、近所迷惑じゃないのか」

校則さえまともに守れない俺が言うのも違う気がしたが。

唯「大丈夫だよ。ご近所さんはみんな甘んじて受け入れてくれてるから」

朋也「そら、懐の深い人たちだな」

唯「私が小さかった頃から知ってるからかなぁ…みんな優しいんだよ」

唯「とくに、渚ちゃんとか、早苗さんとか、アッキーとか…古河の家の人たちはね」

そんな名前を出されても、俺にはピンと来ない。

朋也「そっか…」

朋也「なら、がんばって練習してくれ」

言って、歩き出す。

唯「あ、岡崎くんっ」

朋也「なんだよ」

立ち止まる。

唯「これからまだどこかにいくの?」

朋也「ああ、そうだよ」

唯「あした、体大丈夫?」

朋也「まぁ、多分な」

唯「っていうか、平日とかも、それで辛くないの?」

唯「いつも、すごく眠そうだし…」

唯「やっぱり、夜遊びはやめといたほうがいいんじゃないかな」

朋也「いいだろ、別に。不良なんだから」

唯「それ、本当にそうなのかな。今でも信じられないよ」

唯「岡崎くん、全然不良の人っぽくないし…」

朋也「中にはそういう不良もいるんだ」

唯「前に、お父さんと喧嘩してるって言ってたよね?」

唯「それで、喧嘩が原因で、肩も怪我しちゃったって…」

唯「それと関係ないかな?」

唯「お父さんと顔を合わせないように、深夜になるまで外を出歩いて…」

唯「それで、遅刻が多くなって、みんなから不良って噂されるようになって…」

唯「違う?」

なんて鋭いのだろう。
あるいは、安易に想像がつくほど、俺は身の上を話してしまっていたのか。

朋也「違うよ」

俺は肯定しなかった。こいつの前では、悩みの無い不良でいたかった。

唯「本当に、違う?」

朋也「まだお互いのことよく知らないってのに…よくそんな想像ができるもんだな」

唯「できるよ。そうさせるのは…岡崎くん自身だから」

唯「きっと、なにか理由があるんだって、そう…」

唯「そう思ったんだよ」

朋也「もし、そうだとしたら…」

朋也「おまえはどうするつもりなんだ」

訊いてみた。

唯「岡崎くんは、私が遅刻しないように、いつも頑張って早くきてくれるから…」

唯「私も、それに応えてあげたい」

唯「できるなら、力になってあげたいよ」

朋也「親父に立ち向かえるように、か…?」

唯「それはダメだよ。立ち向かったりしたら…分かり合わないと」

朋也「どうやって」

唯「それは…」

唯「すごく時間のかかることだよ」

朋也「だろうな。長い時間がいるんだろうな」

朋也「俺たちは、子供だから」

俺は遠くを見た。屋根の上に月明かりを受けて鈍く光る夜の雲があった。

唯「もしよければ…うちにくる?」

平沢がそう切り出していた。
それは、短い時間で一生懸命考えた末の提案なんだろう。

唯「少し距離を置いて、お互いのこと、考えるといいよ」

唯「ふたりは家族なんだから…だから、距離を置けば、絶対にさびしくなるはずだよ」

唯「そうすれば、相手を好きだったこと思い出して…」

唯「次会った時には、ゆっくり話し合うことができると思う」

唯「それに、ちゃんと夜になったら寝られて、朝も辛くなくなるよ」

唯「一石二鳥だね」

唯「どうかな、岡崎くん」

唯「岡崎くんは、そうしたい?」

朋也「ああ、そうだな…」

朋也「そうできたら、いいな」

唯「じゃ、そうしよう」

事も無げに言う。

朋也「馬鹿…」

朋也「おまえは人を簡単に信用しすぎだ」

近づいていって、頭に手を乗せる。

唯「ん…」

くしゃくしゃと少し乱暴に撫でた。

朋也「じゃあな。また明日」

唯「あ…うん」

背中を向けて歩き出す。
俺は支えられた。あいつによって。
いや、支えられた、というのは違うような気がする。
あいつはただ、そばにいただけだったから。
でも、それだけで、俺は自分を取り戻すことができた。
同じようなことが前にもあった気がする。
不思議な奴だと…そう、胸の内で感じていた。

―――――――――――――――――――――

4/18 日

目が覚めたのは、昼に程近いが、一応午前中だった。
久しぶりにゆっくり寝られたので、気分がいい。
布団からも未練なく抜け出せた。
その勢いに乗り、スムーズに洗顔と着替えも済ませた。
そして、その他諸々の用意が出来ると、すぐに家を出た。

―――――――――――――――――――――

適当なファミレスで食事を済ませ、退店する。
腕時計を見ると、待ち合わせの時間まであと30分だった。
ここからなら、歩いても十分間に合うだけの猶予がある。
それがわかると、俺は学校へと足を向け、悠長に歩き出した。
少し進んだところで、前方よりバスが走り去っていった。
今降りてきたであろう乗客の集団も、ばらけ始めている。
その中に、周囲とは異質な雰囲気が漂う女の子の姿を見つけた。

朋也(お…琴吹だ)

動きやすそうな服装で、バスケットと水筒を手に持っていた。
歩きながら見ていると、どうやら俺と同じ方向に進んでいるようだった。
あいつも、これから集合場所に向かうところなのだろう。
………。

朋也(まぁ、後ろつけてくのもなんだしな…)

俺は小走りで琴吹のもとへ駆け寄っていった。

朋也「よ、琴吹」

追いつき、横から声をかける。

紬「あら、岡崎くん。こんにちは」

朋也「ああ、こんちは」

紬「岡崎くんも、これから学校?」

朋也「ああ、そうだよ。おまえもだよな?」

紬「うん、そうよ」

朋也「じゃ、そんな遠くないし、一緒にいかないか」

紬「あ、いいねっ、それ。手をつないだりして、仲良くいきましょ?」

朋也「いや、手って…」

少しドモり気味になってしまう。

紬「ふふ、冗談、冗談」

くすくすと笑う。

朋也(はぁ…なに焦ってんだ俺…)

こいつを前にすると、どうも調子が狂ってしまう。

―――――――――――――――――――――

朋也「そういえばさ、おまえ、先週日曜バイトしてたよな」

朋也「それも、このくらいの時間帯にさ。今日もあったんじゃないのか」

紬「うん、そうなんだけどね。シフト代わってもらったの」

朋也「昨日の今日でよく都合がついたな」

紬「うん、まぁ、ちょっと無理いってお願いしたんだけどね」

朋也「無理にか。なんでまた」

紬「私も、みんなと遊びたかったから」

シンプルな理由。
動機としてはいびつな部類なんだろうけど、こいつが言うとまっすぐに見えた。

紬「もう三年生だし、こういう機会もどんどん減っていくと思うの」

紬「だから、思いっきり遊べる時間を大切にしたくて」

朋也「そっか…」

そう、今年はもう受験の年だ。
気合の入った奴なんかは、今の時期から休み時間にも単語カードをめくっている。
部活をしている奴だって、引退すれば即受験モードに入るだろう。
こいつら軽音部も、どこかで区切りがつけばそうなるはずだ。
大会のようなものがあるのかは知らないが、どんなに長くても秋ぐらいまでだろう。

それを考えると、本当に、今だけなのだ。
まぁ、それも、俺や春原にとってはなんの関係もない話だが。
きっと俺たちは最後までだらしなく過ごしていくことになるんだろうから。

朋也「でも、それならバイトなんかやめて時間作ればいいんじゃないのか」

紬「う~ん、でも、せっかく慣れてきたから、もう少し続けたくて…」

紬「それに、少しでもお金は自分で稼いだものを使いたいから」

朋也「おまえ、小遣いとかもらってないのか」

紬「アルバイトを始めてからはもらってないかなぁ」

朋也「へぇ…なんか、生活力あるな、おまえ」

紬「そう? ありがとう」

本当に、見上げたお嬢様だった。
そのバイタリティはどこからくるんだろう。

朋也(庶民の俺も見習うべきなんだろうな、きっと)

―――――――――――――――――――――

唯「あ、岡崎くん、ムギちゃんっ」

律「お、来たか」

紬「お待たせ~」

校門の前、雑談でもしていたんだろうか、輪になって固まっていた。
メンバーは、軽音部の連中に加え、憂ちゃんと、真鍋がいた。
春原はまだ来ていないようだ。

憂「こんにちは、紬さん、岡崎さん」

紬「こんにちは、憂ちゃん」

朋也「よう」

律「岡崎、あんた憂ちゃんともよろしくやってるんだってな」

朋也「よろしくって…なにがだよ」

律「とぼけんなって。一緒に買い物出かけたんだろ、きのう」

また、知られたくない奴の耳に入ってしまったものだ…。
きっと、談笑中にでも先日のことが話の種となってしまったんだろう。
さっきから中野に冷たい視線を向けられているのも、それが理由に違いない。

律「やるねぇ、姉妹同時攻略か?」

朋也「おまえ、ほんとそういう話にするの好きな」

律「んん? 実際そうなんじゃないんですかぁ?」

朋也「違うっての…つーか、もういいだろ、このやり取り」

律「あんたがイベント起こすから悪いんだろぉ、このフラグ系男子め」

そんなジャンルはない。

唯「ねぇ、りっちゃん。攻略って、なに? 弱点でも突いて一気にたたみかけるの?」

律「そんな、敵のHPを削る有効な攻撃のことじゃないって」

律「いいか? ここでいう攻略というのはだな、ずばり…」

ぐっと腕に力を入れる。

律「ヒロインをいかに自分のものにするか、ということだ!」

唯「ヒロイン?」

律「ああ。この場合ヒロインはおまえと憂ちゃんってことになるな」

唯「ふむふむ。それで?」

律「おまえの好感度は十分だと踏んだ岡崎は、次のヒロイン、憂ちゃんに移行したんだ」

律「それで、一緒に買い物に行き、フラグを立てた」

律「ゆくゆくは憂ちゃんの好感度もMAXにして、自分に惚れさせる」

律「そして、おまえと憂ちゃんを同時に手に入れて、ハーレムエンド、ってとこかな」

言いたい放題言われていた。

唯「おお、すごいねっ!…って、えぇ!?」

唯「岡崎くん、今のマジなの!?」

朋也「だから、違うっつの…」

唯「だよね、岡崎くんはそんな人じゃないよね」

律「ずいぶん信頼されてんなぁ。じゃ、憂ちゃんはどうなの」

憂「私ですか?」

律「うん。岡崎が彼氏って、どう?」

憂「そうですね…そうだったら、楽しいと思います」

律「おお!? 脈アリだ?」

梓「………」

中野の視線が鋭さを増す。
憂ちゃんにそう言ってもらえるのは素直に嬉しいが、この局面では複雑だ…。

憂「でも、岡崎さんは、お兄ちゃんですから」

朋也(ぐぁ…ここにきて…)

律「…お兄ちゃん?」

憂「はいっ。ね、お兄ちゃん?」

朋也「あ…いや…」

憂「…お兄ちゃん、私のこと嫌い?」

朋也「いや…好きだよ…」

ああ…俺はなにを言ってるんだ…

憂「ありがとう、お兄ちゃんっ」

場が凍りついているのがはっきりとわかる…
終わりだ…俺はもう…

DEAD END

朋也(んなアホな…)

律「…まぁ、なんだ…そういう趣味か」

朋也「い、いや、待て、説明させてくれっ」

律「言い訳があるんなら、聞いてやるよ。最後にな」

朋也(最後ってなんだよ、くそっ…)

朋也「あー、えっと、そうだな…」

必死に頭の中で言葉を紡ぎだす。

朋也「俺、ひとりっこでさ、だから、そういう兄妹とかに憧れがあったっていうか…」

俺はしどろもどろになりながらもなんとか弁明した。


律「ふーん、それで憂ちゃんに頼んだってことね」

朋也「ああ、そうだよ」

憂「ごめんなさい、少し悪乗りしちゃいました」

朋也「もうお兄ちゃんは今後禁止だ」

憂「はぁい」

律「ま、それでもかなり引くけどな」

朋也「ぐ…」

唯「でも、岡崎くんがお兄ちゃんってよくない?」

律「いや、全然」

唯「えー、そうかなぁ。私はいいと思うんだけどなぁ…」

唯「ね、お兄ちゃんっ」

腕に絡んでくる。

朋也「あ、おい…」

憂「あ、お姉ちゃんずるいっ」

もう片方も取られてしまう。

朋也「おい、憂ちゃ…」

梓「に゛ゃ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛っ!」

突然奇声を発し、肩を怒らせずんずんとこちらに近づいてくる。

梓「えいっ!」

唯「うわぁっ」

憂「きゃっ」

無理やり平沢姉妹を俺から引き離し、距離をとった。

梓「唯先輩、あんな人に近づいちゃだめですっ!」

唯「え、でも…」

梓「だめったらだめなんです! あの人は…変態です!」

唯「そ、そんなこと…」

梓「あります! だから、だめです!」

唯「あ、あう…」

梓「憂も!」

憂「梓ちゃん、こわいよぉ…」

梓「いいから、返事は!?」

憂「う、は、はい…」

俺は呆然と、その力強く説き伏せられている様子を遠くから眺めていた。

律「はっは、変態だってよっ」

朋也「………」

律「ま、元気出せって、ははっ」

笑いながら、ぱんっと肩を叩き、中野たちがいるところまで歩いていった。

朋也「……はぁ」

思いのほかヘコむ。

澪「あの…」

朋也「…なんだよ」

澪「梓が失礼なこと言って、すいません」

朋也「ああ…まぁ、しょうがねぇよ、言われても」

澪「そんな…梓はただ嫉妬してるだけっていうか…そんな感じなんだと思います」

朋也「嫉妬?」

澪「はい。梓は、唯にかなり可愛がられてましたから…」

澪「それで、岡崎くんに唯を取られちゃうんじゃないかって、多分そう思ったんだと…」

紬「確かに、それはあるかもしれないわね」

朋也「はぁ…」

澪「だから、あの…元気出してくださいね」

よほど落ち込んでいるように見えたのか、そう励ましてくれた。

朋也「ああ、サンキュな。ちょっと救われた」

少し大げさに立ち直った風を装う。
一応、俺なりに礼儀をわきまえたつもりだ。

澪「あ、そ、それはよかったです…」

恥ずかしそうに顔を伏せてしまった。
割と顔を合わせているのに、まだ慣れないんだろうか。
それとも、俺が苦手なのか…。

紬「それにしても、あんなに取り乱す梓ちゃん、初めて見たわぁ…あんな梓ちゃんも、可愛くていいかも」

紬「それに、岡崎くんにじゃれついてる時の唯ちゃんも、憂ちゃんも可愛いし…」

紬「岡崎くんにはもっと頑張ってもらわなきゃねっ」

くすくす笑いながら、おどけたように言う。

朋也(なにをだよ…)

つんつん、と背中をつつかれる。

朋也「あん?」

和「で、どっちが本命なの? 唯? 憂?」

真鍋がひそひそと語りかけてきた。

和「あなたに唯を推した身としては、まず二股なんて許さないから」

朋也「どっちでもねぇっての。つか、もうそういうのは勘弁してくれ」

和「そうしてほしいなら、さっさと結論を出しなさい」

朋也「結論って、おまえ…」

一度、深く息を吐く。

朋也「そもそも、そんなんじゃねぇからこそ、やめてほしいんだけどな」

和「あなたがそうでも、唯のほうは違うわよ」

朋也「いや、あいつもそんな気はないって言ってたぞ」

和「あの子自身、まだはっきりとは気づいてないだけよ」

朋也「なんでおまえがそんなことわかるんだよ」

和「幼馴染ですもの。唯のことはそれなりに観察してきたつもりよ」

朋也「だとしても、おまえ自身恋愛したことないんだろ?」

朋也「だったら、実体験に基づいてないぶん、説得力に欠けるよな」

朋也「そんなの、おまえらしくないんじゃないのか」

和「それは…そうだけど…」

朋也「仮に…仮にだぞ? 平沢がもしそうだったとしてもだ」

朋也「俺が誰かに促されて、あいつの気持ちが未整理のまま結論出されたりするのは嫌なんじゃないのか」

和「………」

しばし、沈黙する。

和「…そうね。私が間違ってたわ」

すっと身を離した。

和「煙に巻かれたようで、少しシャクだけどね」

朋也「そう言うなよ」

和「でも、やっぱりあなたはなかなか見所があるわ。どう? 例の話、考え直してみない?」

朋也「いや、ありがたいけど、その気はない」

和「そう。ま、一度断られてるしね。いいんだけど」

そう言うと、俺から離れていった。
向こうからは、部長たちが何事か騒ぎながら戻ってきている。
また、騒がしくなりそうだった。

―――――――――――――――――――――

春原「あれ、もうみんな来てんのか」

春原が腹をぽりぽり掻きながら、ちんたら坂を上ってきた。

律「あれ、じゃねぇっつーの! もう20分遅刻だぞっ!」

春原「わり、出掛けにちょっと10秒ストップに手出したら、長引いちゃった」

律「そんなもん暇なときにでもやれよなっ!」

春原「ま、いいじゃん。さっさといこうぜ」

律「ったく、こいつは…」

春原「って、その子、誰よ?」

憂「あ、初めまして。私、平沢憂と言います。二年生です」

春原「平沢? もしかして、妹?」

憂「はい、そうです」

唯「いぇい、姉妹でぇす」

春原「ふーん、あっそ。似てるね、顔とか」

憂「ありがとうございますっ」

似ている、はこの子にとって褒め言葉だったようだ。

春原「ま、いいや。行くぞ、おまえら」

律「遅れてきた奴がえばんなってーの…」

―――――――――――――――――――――

グラウンドまでやってくる。
今日は運動部の姿もなく、広い場内は閑散としていた。
おそらくは、他校で練習試合でもあって、出払っているのだろう。
俺もまだバスケをやっていた時分、休みの日は大抵そうだった。
なければ、普通に練習があったのだが。
なんにせよ、サッカー部がいなくてよかった。
…というか、いたらどうするつもりだったんだろうか。
平沢がサッカー部の動向を知っていたとは思えない。
となると…やっぱり、そこまで考えていなかったんだろうな…。

朋也(それよりも…)

朋也「今更だけど、勝手に使っていいのか、このコート」

唯「え? だめかな?」

律「別にいいんじゃね? うちらだってこの学校の生徒だし」

朋也「いや、サッカー部の連中が気を悪くするんじゃないのかって話だよ」

春原「まぁ、大丈夫でしょ」

春原が答えた。

春原「今いないってことは、今日は朝練だけだったか、よそで試合があったんだろうからね」

春原「これから鉢合わせすることもないだろうし…あとでトンボだけ掛けとけばいいよ」

ソースがこいつというのは普段なら心許ないが、一応元サッカー部だ。
今回に限ってはそれなりに信憑性があった。

律「やけに自信たっぷりだな…なんか根拠でもあんの?」

朋也「こいつ、元サッカー部だからな」

律「え、マジで?」

春原「ああ、まぁね」

律「それできのう、実力がどうのとか言ってやがったのか…」

春原「ま、んなこといいからさ、とっとと始めようぜ」

朋也「そうだな。じゃあ、おまえ、番号入ったビブス着て、枠の中に立ってくれ」

朋也「俺たち、かわるがわるシュートで狙うから」

春原「ってそれ、的が僕のみのストラックアウトですよねぇっ!?」

律「わははは! そっちのがおもしろそうだな!」

春原「僕はまったくおもしろくねぇよ!」

春原「最初はチーム分けだろ、チーム分けっ」

朋也「じゃ、春原対アンチ春原チームでいいか」

春原「僕を集団で攻撃するっていう構図から離れてくれませんかねぇっ!」

朋也「でも、俺たち奇数だしな。綺麗に分けられないし」

春原「だからって、僕一人っていうのは理不尽すぎるだろっ」

朋也「じゃあ、おまえ、右半身と左半身で真っ二つに別れてくれよ。それで丸く収まる」

春原「僕単体を無理やり偶数にするなっ!」

春原「って、もうボケはいいんだよっ」

春原「平沢、どうすんだ」

唯「う~ん、そうだねぇ…まず、春原くんと岡崎くんは別チームにしなきゃね」

春原「あん? なんで」

唯「男の子だからね。分けておきたいから」

春原「ああ、なるほどね。いいよ」

唯「後は私たちで別れるよ」

春原「わかった」

唯「じゃ、みんな、ウラかオモテしよう!」

律「久しぶりだなぁ、そんなことすんの」

澪「律、なんでチョキを出そうとしてるんだ。じゃんけんじゃないんだぞ」

律「お約束お約束」

皆平沢のもとに集合し、円を作っていた。

春原「へっ、チーム春原対チーム岡崎の頂上決戦だな、おい」

朋也「今までトーナメント勝ちあがってきたみたく言うな」

春原「ドーハの悲劇が起こらなきゃいいけどねぇ、ふふん」

こいつは、絶対ドーハの悲劇が言いたかっただけだ。

―――――――――――――――――――――

チーム分けが終わり、メンバーが決まった。
Aチームは、俺、憂ちゃん、真鍋、秋山、部長。
Bチームは、春原、琴吹、中野、平沢。
こっちの方が人数は多いが、春原は元サッカー部だ。

人材の差で、そこまでのハンデにはならないだろう。
両陣営に別れ、ボールを中央にセットする。
ちなみに、持ってきたボールは部長の弟のものだそうだ。
それはともかくとして、先攻は春原チーム。

春原「よし、キックオフだっ」

横にいた中野からパスを受け、春原がドリブルで切り込んでくる。

律「おっと、通すかよっ」

それに部長が対応した。

春原「はっ、デコのくせにスタメン起用か。世も末だなっ」

律「なにぃっ! 本田意識して金髪にしたようなバカのくせにっ」

律「実力が違いすぎて違和感あるんだよ、アホっ!」

春原「隙アリっ! とうぅっ」

律「わ、やべっ」

股の間にボールを通され、突破される。
屈辱的な抜かれ方だ。

春原「ははは、甘いんだよっ」

朋也「おまえがな」

春原「ゲッ、岡崎っ」

通された先、俺が待ち構えていた。
ボールを奪い、カウンターを仕掛ける。
しかし初心者の俺では春原のようにボールコントロールが上手くいかない。
走ってはいるが、スピードが出せないのだ。
後ろからは春原が追ってくる。
前からは中野。
俺は周囲を見てパスを出せるか確認した。
秋山が右サイドに上がっている。しかもフリーだ。
好機と見て、パスを送ろうとした時…

梓「ていっ!」

ずさぁあっ!

朋也「うぉっ」

ボールではなく、直接俺の脚めがけてスライディングが飛んできた。
間一髪かわす。

梓「チッ」

朋也(舌打ちって、おまえ…)

春原「よくやった、二年!」

春原がボールを拾う。

律「今度は絶対通さねぇーっ」

春原「平沢、押し込めっ」

前線にいる平沢にパスを送った。

律「あ、ずりぃぞっ! 勝負しろよ!」

春原「ははは、また今度な」

律「くそぅ、勝ち逃げしやがって…」

朋也「真鍋、頼んだぞっ」

真鍋は攻め込んできていた平沢をマークしていた。
ボールを受けた平沢と一対一の状況になっている。

唯「和ちゃん、幼馴染だからって手加減しないよっ」

和「その必要はないわ。あんた、運動神経ゼロじゃない」

唯「ムカっ! メガネっ娘に言われたくないよっ」

和「なら、私を抜いてゴールを決めてみなさい」

唯「言われなくてもっ」

平沢が走り出す。
…ボールをその場に置いたまま。

和「せめて、ボールを蹴るくらいはしなさいよ…」

ぼん、と蹴ってクリアする。

唯「ああ!? 和ちゃんの鉄壁メガネディフェンスにやられた!」

和「なにもしてないけどね…」

春原「なぁにやってんだよ、平沢っ」

唯「ごめぇん、和ちゃんの動きが速すぎて見えなかったよぉっ」

その珍回答に、ずるぅ、とこける春原。

春原「…わけわかんねぇ奴だな…」

朋也「秋山、いけっ、ドフリーだぞっ」

さっきクリアされたボールは、秋山の手に渡っていた。
ゴールを遮るものは、キーパー以外なにもない。
ドリブルで進んでいく。

澪「ムギ、私は本気でいくからな」

紬「くす…どうぞ」

澪「はぁっ」

どかっ

紬「みえたっ」

ばしぃっ!

飛び込みキャッチでボールを抱え込む。

澪「うわ、すごいな、ムギ…」

澪「って、ムギ…?」

琴吹はボールを抱え込み、そのまま足で締め上げていた。

紬「あ、つい癖で…」

ボールを持ち、立ち上がる。

紬「掴んだら逆十字で折って、そのまま三角締めに移行するよう言われてるから…」

つまり、ボールに関節技を掛けていたのか…。
つーか、そんな球体に間接なんかない。

澪「なんかわかんないけど、とりあえずすごいな…」

紬「ありがと。そぉれっ」

蹴りではなく、投げでボールをフィールドに戻した。
それなのに、なかなかの飛距離があった。
女にしては、かなりの強肩だ。

澪「すご…」

放物線を描き、やがて地面に着地する。

2,3バウンドした後、ころころと転がった。
それを拾ったのは春原だ。
またドリブルで切り込んでくる。

律「させるかっ」

春原「またおまえか。おまえじゃ僕を止められねぇよ」

律「ふん、ほざけよ…」

じりじりと膠着状態が続く。

春原「ほっ」

律「あ、ちくしょっ」

春原は一度パスを出すフェイントを入れ、スピードで抜き去った。
俺がフォローに回る。
すると、フリーになった中野にパスが回った。
今度はこちらに失点の危機が訪れた。

梓「憂、岡崎先輩側に回るなんて、許さないからっ」

憂「そんなぁ、運だから仕方ないのにぃ…」

梓「御託はいいのっ! やってやるですっ」

憂「――――√v―^―v―っ!!」

憂ちゃんが機敏に動き出す。

どかっ!

憂「ここだよっ」

バシィ!

その移動した先、どんぴしゃでボールが飛んでいった。

梓「な、なんで…私が打つ前に…」

憂「うーん、先読みって奴かな?」

ニュータ○プか。

梓「く…憂…やっぱりあなどれない…」

律「憂ちゃーん、パスパース!」

憂「はぁーい。いきますよぉ、律さん」

ボールが高く蹴られた。
グラウンドには、俺たちの声がこだましている。
まるで、はしゃぎまわる子供のようだった。
空を見上げる。
天気もよく、すみずみまで晴れ渡っている。
そんな中、たまにはこうやって健康的に汗を流すのも、悪くないものだ。

―――――――――――――――――――――

律「ふぃ~、ちかれたぁ~…」

紬「お疲れ様。はい、アイスティー」

紙コップを渡す。

律「お、テンキュー」

ひとしきり遊んだ後、ピクニックシートを敷いて休憩を入れていた。
琴吹が用意してくれたケーキや紅茶、各自持ち寄った菓子類を囲んで座っている。

律「ぷはぁ、うめぇーっ」

澪「確かに、運動の後の一杯は格別だよな」

律「運動か…じゃ、今日はカロリーとか気にせず食べられるな、澪」

澪「別に、いつもそんな神経質になってるわけじゃ…」

律「嘘つけ、いつも写メで自慢のセルライト送ってくるじゃん」

澪「そんなことしたことないだろっ」

ぽかっ

律「あてっ」

春原「ははっ、殴られてるよ、こいつ」

律「ツッコミだっつーのっ」

朋也「おまえはいつもラグビー部に死ぬ寸前までガチで殴られてるけどな」

春原「言うなよっ!」

律「わはは、だっせーっ!」

春原「黙れっ、負けチームっ」

律「ああ? まだ試合は終わってないだろ。つーか、たった一点リードしてるだけじゃん」

律「このハーフタイムが終わったら一気に逆転してやるよ」

春原「ふん、せいぜい無駄な足掻きをすればいいさ」

律「けっ、威張ってられるのも今のうちだぜ」

春原「はーっはっはっは!」
 律「はーっはっはっは!」

悪者のように高笑いする二人。

唯「なんか、生き生きしてるよね、春原くん」

隣にいた平沢が俺にそっと話しかけてくる。

朋也「かもな。あいつがあんなノリノリになってる時なんて、あんまないからな」

悪ふざけしている時ぐらいにしか見せない顔だった。

唯「じゃあ、やってよかったのかなぁ、サッカー」

朋也「ああ、多分な」

言って、頭に手を乗せようとすると…

梓「ていっ」

ばしっ

朋也「って…」

中野に払われてしまった。

梓「唯先輩、このクッキーおいしいですよ。あ~んしてください。私が食べさせてあげます」

唯「わぁ、ありがとうあずにゃんっ」

唯「あ~ん」

寄り添って、口にクッキーを運ぶ中野。

唯「むぐむぐ…おいひぃ~」

梓「ですよね」

にやり、と俺を見てほくそ笑んでいた。

朋也(なんなんだよ、こいつは…)

―――――――――――――――――――――

律「うし、そんじゃ、そろそろ再開するか」

菓子類も一通り食べつくし、しばらくだらけていると、部長がそう声を上げた。

春原「後半戦の開始だね」

律「開始五分で逆転してやるよ」

春原「はっ、軽く追加点取ってやるよ」

律「自分のゴールにハットトリックしてろ、オウンゴーラー春原め」

春原「おまえこそ、レフリーに後ろからスライディングかまして一発退場してろ」

ぎゃあぎゃあ言い合いながら立ち上がり、グラウンドへ向かって行った。
残された俺たちも、やや遅れてそれに続く。
すると…

男1「あれ? なにこいつら」

男2「あ、軽音部の子じゃね?」

男3「うぉ、マジだ」

男4「つか、春原もいるんだけど」

男5「岡崎もいるぞ」

男6「なに、あの組み合わせ」

向こうから私服の男たちが6人、ぞろぞろとやってきた。

春原「ちっ…」

俺は春原のそばまで小走りで寄っていった。

朋也「おい、春原、あいつら…」

春原「…ああ、サッカー部の連中だよ」

朋也「練習しにきた…ってわけじゃないよな」

春原「だろうね。向こうも僕らと同じで遊びに来たんだろ」

なら、試合があったわけじゃなく、朝練が終わって解散していただけだったのか…。

サッカー部員「おい、春原。ここでなにしてんだよ」

話していると、ひとりの男が若干敵意を含んだ言い方でそう訊いてきた。

春原「別に、遊んでるだけだっつの」

サッカー部員「そっちの軽音部の子たちはなんなんだよ」

春原「こいつらも、同じだよ」

サッカー部員「は? おまえ、軽音部の子たちと遊んでんの?」

サッカー部員「うわ、ありえねー」

サッカー部員「こんな奴がよく取り合ってもらえたな」

サッカー部員「土下座して頼んだんじゃねぇの、僕で遊んでくださ~いってさ」

部員たちに、どっと笑いがおこる。

春原「ぶっ殺すぞ、てめぇらっ!」

春原がキレて、殴りかかっていく勢いで一歩を踏み出す。

サッカー部員「は? また暴力かよ」

サッカー部員「変わんねぇな、このクズは」

サッカー部員「おまえのせいで俺たち、どんだけ迷惑したかわかってんのか」

サッカー部員「関係ない俺たちまで、いろんなとこで頭下げさせられたんだぞ」

サッカー部員「新人戦だって出られなかったしな。実績あげないと、推薦だって危ういのによ」

サッカー部員「まだそのことで謝ってもねぇのに、あまつさえ俺たちに暴力振るうのかよ」

サッカー部員「今度は退学んなるぞ、てめぇ」

春原「……くそっ」

踏みとどまる。
そうさせたのは、退学だなんて脅しじゃない。
きっと、胸の奥底では感じていたであろう罪悪感の方だったはずだ。

サッカー部員「君ら、軽音部の子たちだよね?」

春原に取っていた態度とは打って変わって、陽気に声をかけてくる。

サッカー部員「こんな奴らとじゃなくてさ、俺らと遊ばね?」

自分たちから一番近い位置にいた部長に訊いてから、後方にいた連中を眺め渡した。

律「………」

だが、部長を筆頭に、誰もなにも言わない。

サッカー部員「うわぁ、やっぱ、りっちゃん可愛いって」

サッカー部員「ばっか、澪ちゃんだろ」

サッカー部員「俺唯ちゃん派」

サッカー部員「あずにゃんだろ、流石に」

サッカー部員「おまえら、ムギちゃんのよさわかれよ」

答えないでいると、その内、内輪で盛り上がり始めた。

サッカー部員「つか、見たことない子もいるけど、あの二人もかわいくね?」

サッカー部員「うぉ、マジだ。後ろで髪上げてる子と、メガネのな」

サッカー部員「つか、メガネのほうは、生徒会長じゃん」

サッカー部員「そうなの?」

サッカー部員「昨日発表あったじゃん」

サッカー部員「知らねぇ。寝てたわ、多分」

一斉に笑い出す。

律「…わりぃけど、あんたらと遊ぶ気にはなんないわ」

サッカー部員「えー、なんでだよ」

サッカー部員「カラオケいこうよ。おごりでもいいよ」

律「あたしら、サッカーしに来てんだよね。カラオケなら、あんたらでいきなよ」

サッカー部員「サッカー? 俺らも、そうなんだけど」

サッカー部員「サッカーがしたいなら、俺らのほうがいいよ」

サッカー部員「春原みたいな半端な奴とか、岡崎みたいなただのヤンキーとやるより楽しいよ」

サッカー部員「そうそう、いろいろヤって、楽しもうよ」

サッカー部員「ははは、腰振んなよ、おまえ」

サッカー部員「ははははっ」

サッカー部員「ははっ、てかさぁ、春原が今更サッカーってどうなの」

サッカー部員「マジ、ウケるよな」

サッカー部員「どうせ素人相手にカッコつけたかったんだろ」

サッカー部員「それしかねぇな。マジでカスみてぇ」

唯「…どうしてそこまでいうの?」

平沢が口を挟む。

サッカー部員「ん?」

唯「春原くんが喧嘩して、大会出られなかったのは、残念だったけど…」

唯「もう、終わったことなんだし…そんなに言わなくてもいいでしょっ!」

サッカー部員「あー、あのさぁ…」

一番体格のいい男が、ぽりぽりと頭を掻きながら前に出てくる。

サッカー部員「まぁ、お遊びクラブで仲良しこよしやってる子には、わかんないかもだけどさ…」

サッカー部員「俺ら、マジで部活やってんだ? そんで、将来とか懸かってんの。わかる?」

澪「そんな、私たちだって真剣に…」

サッカー部員「軽音部って、茶飲んでだらだらしてるだけなんでしょ? けっこう有名だよ」

澪「それは…」

梓「そんなことないですっ! 馬鹿にしないでくださいっ!」

サッカー部員「ああ、ごめんね。馬鹿にしてないよ」

サッカー部員「あずにゃんのプレイ、最高~」

サッカー部員「萌え萌え~」

他の部員が横から茶化しを入れると、皆へらへらと笑いあった。

梓「………」

中野の顔が紅潮していく。
奴らの態度は、どうみても馬鹿にしているそれだった。

サッカー部員「ま、だからさ、公式戦って、超大事なんだ。それを台無しにされたら、普通怒るよね」

唯「でも…でも…言ってることがひどすぎるよ…」

サッカー部員「クズにはなに言ってもいいんだよ」

唯「クズなんかじゃないよっ! 春原くんは、ちゃんとした、いい人だよっ!」

サッカー部員「ぶっははは! それ、マジで言ってんの?」

サッカー部員「いい人とかっ、ははっ、春原がかよっ」

サッカー部員「ああ、やっぱ、唯ちゃん頭弱ぇなぁ」

また下品に笑いあった。

唯「うぅ…」


朋也(こいつら…)

もう、限界だった。
そもそも、最初からどこか癇に障る奴らだったんだ。
春原が踏みとどまっていなければ、俺も喧嘩に加わるつもりだった。
一度は耐えたが、それももう終わりだ。
手を出したほうが負け? そんなもん知ったことか。
喧嘩を売ってきたこと、死ぬほど後悔させてやる。

春原「おい、岡崎…」

朋也「…ああ」

春原も俺と同意見のようだった。
ぶっ飛ばしてやろうと、そう意気込んだ時…

律「あーあ、もういいや。みんな帰ろうぜ」

部長がそう言った。

律「なんかこいつらもここ使うみたいだし…それに、しらけちゃったしな。変なのが来たせいで」

律「はい、撤収~」

言って、敷かれたままのピクニックシートの方に足を向けた。

サッカー部員「や、ちょっと待とうよ」

部長の腕を掴んで引き止める。

サッカー部員「ぜってぇ俺らと遊んだほうがおもしれぇって」

律「触んなっ。離せ、バカっ」

その手を乱暴に振り払う。

サッカー部員「っ、んだよ、こいつ…調子乗りすぎ」

サッカー部員「ちっと可愛くて人気あるからって、これはねぇわ」

サッカー部員「ライブとか言って、下手糞な演奏しても、チヤホヤされるもんな」

サッカー部員「ああ…それはあるかも」

サッカー部員「よな? 聴きに来てる奴らなんか、ほとんどこいつらの体目当てだし」

サッカー部員「体って、おまえさっきからエっロいな」

サッカー部員「はは、うっせぇ」

律「なんだと…? 大人しく聞いてりゃ、つけあがりやがって…」

サッカー部員「え? 怒っちゃう? もしかして、自覚なかったの?」

サッカー部員「うわぁ、勘違い系?」

サッカー部員「痛ぇ奴」

サッカー部員「つーか、部員が可愛い子ばっかなのはそういうことだろ、どうせ」

サッカー部員「ああ、全員が客寄せパンダってことな。じゃ、図星突かれて怒ったのか」

サッカー部員「ははは、マジでそれっぽ…」

いい終わる前、その部員は殴り倒されていた。

サッカー部員「っつ…てめぇ、春原ぁっ!」

倒れこんだまま、怒声をあげる。

春原「馬鹿にしてんじゃねぇっ!」

春原が吠えた。

律「春原…」

春原「こいつらはなぁっ、そんなんじゃねぇんだよっ!」

サッカー部員「はぁ? なんだこいつ…」

春原「うぉおおおおおおおおおおおっ!!」

突っ込んでいく。
たちまち乱闘になった。

澪「ど…どうしよう、誰か呼んでこないとっ…」

朋也「やめてくれ。んなことされたら、俺らが捕まっちまうよ」

澪「え…」

朋也「真鍋、事後処理頼めるか」

和「ま、なんとかしてみるわ」

朋也「頼んだぞ」

前を見る。
春原が囲まれて、四方から蹴りをもらっていた。
ぐっ、と拳にに力を込める。
2対6。不利だが、不思議と負ける気はしなかった。

朋也「てめぇら、俺に背中向けてんじゃねぇっ!」

唯「あっ、岡崎くんっ…」

後ろから平沢の声がした。
だが、振り返ることはしなかった。
まっすぐ敵に向かって拳を振り下ろす。
相手の嗚咽する声と、拳に鈍い痛みが走ったのは同時だった。

―――――――――――――――――――――

呼吸が苦しい。
ずっと全力で殴り続けていたから、まったく余力が残っていない。
体重を支えるその脚にも、まともに力が入らない。
立っているのがやっとだった。
それに加え、身体中が痛む。
打撲に、擦り傷、切り傷…鼻血も出ている。
口の中には血の味が広がっていて、なんとも気持ち悪かった。
もう、ボロボロだ。

春原「楽勝だったな……げほっ」

散々殴られたその顔で、苦しそうに咳き込んだ。
ひどい表情だ。きっと今、俺も同じ状態なんだろう。

朋也「その顔で言うなよ…」

春原「へっ…」

ぐい、と血を拭う。

春原「ま、やっぱ、僕ら最強ってことだね…」

朋也「特に俺はな…」

春原「あんた、結構ナルシストっすね…」

喧嘩は、一応の決着がついた。
KOというわけじゃない。連中の方が撤退していったのだ。
それほど喧嘩慣れしていなかったのだろう。
痛みと、本気で殴りかかってくる相手への恐怖からか、終始引き気味だった。
そのおかげで、あまり長引かずに済んだ。
部活も辞めて長いこと経ち、持久力の落ちている俺たちにはありがたかった。

和「お疲れ様」

真鍋がタオルを渡してくれる。
俺たちはそれを受け取り、汗と血を拭き取った。
そして、顔を上げて一番最初に目に入ってきたのは、泣いている平沢の姿だった。
見れば、部長と真鍋以外、全員すすり泣いていた。

律「あんたら…大丈夫か」

春原「無傷だけど」

律「そんなわけないだろ、見た目的にも…」

和「なんにせよ、治療は必要ね」

朋也「そうだな。おまえの部屋、なんかあったっけ」

春原「絆創膏ならあるよ」

朋也「ないよりマシか…まぁ、いいや」

朋也「そういうことだからさ、悪いけど俺たち、帰るわ。もう、フラフラだからな…」

和「待って。絆創膏だけじゃ駄目よ」

和「私たちが薬局で必要なもの買ってくるから、待ってて」

春原「できれば、もう帰りたいんすけど…」

和「じゃあ、寮で待ってて。確かあなた、地方からの入学で、寮生活してたわよね」

春原「はぁ、まぁ…」

和「唯と律はこの二人を支えながら送ってあげて」

和「坂の下をちょっと行ったところに寮があるから、そこまで」

唯「ぐす…うん…わかったよ…」

律「お、おう」

和「憂と琴吹さんは、グラウンドをトンボでならしておいて欲しいんだけど…」

それは、血が飛び散って、いたるところに黒いシミを作っていたからだろう。

憂「は、はい、任せてください」

紬「うん、任せて」

和「私と梓ちゃんと澪は、薬局に買出しね」

澪「わ、わかった」

梓「は、はい」

和「じゃ、みんな、さっと動きましょ」

その一言で、各自行動を開始した。
仕切るのが上手いやつだった。
人の上に立つ器とはこういうものなんだろうか…。
ぼんやりと思った。

―――――――――――――――――――――

唯「う…ひっく…ぐすん…」

朋也「おい…もう泣きやめ」

唯「だっでぇ…うぅ…」

俺は平沢に、春原は部長に支えられながら、坂を下っていく。

唯「わだしがサッカーやるなんていっだがら…ぐすん…」

朋也「おまえのせいじゃないだろ」

春原「そうそう。あのバカどもが分をわきまえず喧嘩売ってきたのが悪いんだよ」

唯「うう゛…ぐすん」

律「…その件だけどさ、あんた、ちょっと見直したよ」

春原「あん? なんだよ、気色悪ぃな…」

律「いや…ほら、私たちが馬鹿にされたとき、あんた、すげぇ怒ってくれたじゃん?」

律「それがなんていうか…な? 意外だったんだよ」

それは、俺も同じだった。
まさか、こいつの口からあんなセリフが飛び出してくるとは思わなかった。

春原「は…その場のノリって奴だよ。勘違いす…」

春原「おわっ」

つまずく。

律「おい、しっかりし…」

春原「ん? なんか今、右手が一瞬柔らかかったけど…」

どごぉっ!

春原「うぐぇっ」

春原のレバーに部長の鉤突きが突き刺さる。

律「どさくさにまぎれて、どこ揉んでんだ、こらぁっ!」

春原「い、いや…違う、そんなつもりじゃ…」

律「くそぉ、こんな変態、見直したあたしが馬鹿だった…」

春原「って、なに髪つかんでんだよっ、っつつ…」

律「あんなたなんかこれで十分だっつの! さっさと歩けっ、ボケっ」

春原「うわ、やめろっ、スピード落とせっ!」

どんどん坂を下っていく…いや、引きずられて、か。

唯「ぷ…あははっ」

あのふたりに感化されたのか、平沢がぷっと吹き出し、笑みを浮かべていた。

唯「もう…ほんと楽しそうだなぁ…」

朋也「じゃあ、おまえが今日サッカーに誘ったこと、無駄じゃなかったな」

唯「そうかな…」

朋也「ああ。結果よければ、全てよしってやつだ」

唯「あは…うん、ありがと」

―――――――――――――――――――――

春原の部屋。
ここに、全員が集まっていた。
トンボ班と、医療班には、メールで部屋の番号を伝えていた。
寮の場所は、坂下から一直線なので、それだけでよかったのだ。

春原「いつつ…」

紬「あ、ごめんなさい。しみた?」

残りの連中が部屋に駆けつけてくれた時。
先に帰りついていた俺たちは、何事もなかったかのようにくつろいでいた。
その様子に、最初はポカンとしていたが、それも少しの間のこと。
何も言わず、顔をほころばせ、すぐに馴染んでくれていた。

春原「いや、大丈夫。ムギちゃんの愛で癒してくれれば」

紬「え? それは、どういう…」

春原「傷口を舐めて消毒して欲しいなっ」

紬「えっと…ごめんなさい、手刀でいい?」

春原「患部ごと切り落とすつもりっすか!?」

律「わははは!」

これも、いつも通りだった。
少し前、凄惨な暴力を目の当たりにして、泣いていたのに。
今では、穏やかな空気さえ漂っていた。

朋也「と、つつ…」

澪「あ、ごめんなさい」

朋也「ああ、大丈夫。気にすんな」

俺も春原同様、治療を受けていた。

律「澪、おまえ、血苦手なのに、よくやんなぁ」

澪「消去法で、私しか残らなかったんだから、しょうがないだろ」

そうなのだ。
最初、平沢と憂ちゃんがやりたがってくれていたのだが、中野によって却下された。
その中野自身はやってもいいと言っていたが、悪意を感じたので遠慮しておいた。
部長と真鍋は不器用だと自己申告していたし…
それで、最後に残ったのが秋山だったのだ。

朋也「苦手なら、自分でやるけど」

澪「で、でも、背中とか、わからないでしょうし…私がやりますよ」

朋也「そっか…じゃあ、よろしく」

言って、上着を脱ぐ。

澪「って、ええ!?」

朋也「ん? なんだよ」

澪「なな、なんで脱いで…」

朋也「だから、背中やってくれるんだろ」

澪「そそ、そうですけど…」

朋也「じゃ、よろしく。おわったら、自分でやるから」

背を向ける。

澪「うう…」

律「きゃぁ、澪がたくましい男の背中に見ほれてるぅ」

澪「ううう、うるさいっ!」

朋也「ぐぁ…」

部長の煽りで力が入ったのか、傷口に痛みが走った。

澪「あ、ご、ごめんなさい…」

律「澪~、ダーリンを傷つけちゃダメだぞぉ」

澪「だだだ、ダーリンって…」

朋也「うぐぁ…」

澪「あ、また…ご、ごめんなさい」

朋也「部長…マジでしばらく黙っててくれ…」

律「きゃはっ! ごめんねっ、てへっ!」

こつん、と頭にセルフツッコミを入れた。

朋也(ったく…)

―――――――――――――――――――――

紬「はい、これでよし」

春原に最後の絆創膏を貼り終える。

春原「ありがと、ムギちゃん」

律「おまえ、それくらいは自分でやれよな…」

春原「せっかくムギちゃんが全部やってくれるっていうんだからね」

春原「のっかっておかなきゃ、未練なく成仏できねぇよ」

律「地縛霊みたいな奴だな…」

春原「それくらい僕の愛は深いってことさ。ね、ムギちゃん?」

紬「あら? この異様に盛り上がってる部分の床はなにかしら」

春原「って、余計な詮索しちゃだめだよっ!」

律「ああ…エロ本か」

澪「……うぅ」

春原「ちがわいっ!」

朋也「そのエリアはかなりディープなのが隠されてるぞ」

春原「エリアとか、妙にリアリティのある嘘つくなっ!」

春原「ムギちゃんも、剥がそうとしないでね…」

紬「あ、ごめんなさい。好奇心が抑えられなくて…」

春原「はは…まぁ、ただの欠陥住宅だったんだよ、ここ」

朋也「住んでる奴の気が知れねぇよな」

春原「住人の目の前で言うなっ!」

律「わははは!」

部長が笑う。
平沢も、憂ちゃんも、琴吹も、真鍋も、秋山も、中野も…みんな笑っていた。
俺も、つられてちょっとだけ笑ってしまう。
ツッコミを入れた春原自身も、苦笑していた。

春原「ああ…そうだ」

春原「ところでさ、平沢」

唯「ん? なに?」

春原「僕がサッカー辞めた理由、知ってたみたいだけどさ…」

春原「こいつから聞いたの?」

唯「えっと…うん…」

唯「私が、しつこく軽音部にきてくれるように言ってたら…教えてくれたんだ」

唯「ごめんね…知ってて、サッカーしようって、誘ったんだ、私…」

春原「いや…いいよ。それなりに楽しかったしね」

春原「………」

春原「まぁ、これから言うことは、適当に聞き流してくれていいんだけどさ…」

みんなが春原に注目する。

春原「あのさ…」

窓の外、暗くなった外を見上げながら、春原はぽつりと語りだす。

春原「僕、とんでもねぇ学校に入っちまったと思ってた」

春原「ガリ勉強野郎ばっかりでよ…」

春原「部活でも、みんな先のことしか考えてねぇんだ」

春原「絶対、友達なんか作らねぇって思ってた」

春原「意地張ってたのかな、やっぱり」

春原「でもさ…そうすると…」

春原「僕の心が保たなくなってたような気がする…」

朋也「………」

それは、俺も同じだった。
同じように考えて…同じように苦しんでいた。

春原「中学の頃の連れは、みんな中卒で働いてたしさ…」

春原「そいつらの元にいきたいって思うようになったんだ」

春原「サッカー部の連中に苛立ってたのが、半分で…そんな思いが半分で…」

春原「それで、やらかしちゃったんだ」

春原「他校の生徒相手に大暴れしてさ…」

春原「退部になれば、自主退学に追い込まれて、実家に帰れるって思ってた」

春原「おまえ、覚えてるか?」

春原「初めてあったときのこと」

朋也「…ああ」

脳裏にふと思い浮かぶ。
鮮明で、鮮烈に記憶されている光景だった。

春原「おまえに会ったのは、その時だよ」

春原「あん時、おまえは幸村のジジィと一緒だった」

春原「生活指導を受けて、ジジィが担任だったから、引き取りに来てたんだよな」

朋也「だったな…」

春原「それでさ…」

春原「おまえさ、ボコボコに顔を腫らした僕を見てさ…どうしたか、憶えてるか?」

朋也「…ああ」

―――――――――――――――――――――
―――――――――――――――――――――

春原「…大笑いしたんだよな、おまえ」

春原「涙流しながら、笑ってたよ」

春原「すげぇ不思議だった」

春原「なんでこいつ、こんなにおかしそうな顔して笑ってるんだろうってな…」

春原「そう考えてたら、僕までおかしくなってきた」

春原「我慢しようとしたけど、ダメだった」

春原「僕も、笑っちゃったよ」

春原「この学校に来てから、あんなに笑ったのは、初めてだった」

春原「すげー気持ちよかった」

朋也「そう…だったな」

あの時の情景。
思い出してみると、自然と笑みがこぼれた。

春原「あの後、ジジィに連れられて、宿直室いったら、さわちゃんいてさ…」

春原「そこで用意してくれてた茶飲んで…おまえと話したんだよな」

春原「今なら、なんとなくわかるよ」

春原「全部、あのジジィとさわちゃんが仕組んでたんだぜ」

春原「僕とおまえを引き合わせてさ…」

春原「ふたりを卒業させるって」

春原「きっと、一人じゃ辞めてしまうって、気づいてたんだよ」

春原「いつか、訊いてみないとな」

春原「どうして、僕たちをこの学校に残したのかって」

朋也「だな…」

―――――――――――――――――――――
―――――――――――――――――――――

春原「ま、後はもう一年だけどさ」

春原「またよろしくってことで」

朋也「ああ」

平沢たちは、しんみりとした表情で、じっと春原の話に聞き入っていた。
こんなに人がいるにも関わらず、静かな室内。
俺たちだけの言葉だけが響いていて、それがどこか心地よかった。

春原「つーか、腹減ったなぁ…どっか食い行くか、岡崎」

朋也「そうだな、いくか」

春原「おまえら、どうする。ついてくる?」

律「ん…なんか、今日は外食って気分だし…私はいいけど」

唯「私もいく! 憂も、くるよね?」

憂「うん、もちろんっ」

澪「私も、行きたいな…」

紬「私も。みんなで晩御飯なんて、楽しそう」

梓「じゃあ…私も」

和「ここまで付き合ったんだし、私も最後までいくわ」

春原「よぅし、全員か。じゃ、僕について来い」

律「どこいくんだよ」

春原「全皿100円の回転寿司だよ。知らねぇのか、スシロゥ」

律「知ってるけどさぁ…貧乏臭ぇなぁ…回転しない高級店でも連れてけよなぁ」

春原「なにいってんだ、ボケ。その場で自転するシャリでも食ってろ」

律「なんだと、こらっ!」

軽口を叩きあいながら、部屋を出ていく。
俺たちも、その様子を目にしながら、あとに続いた。

―――――――――――――――――――――

…二年前。

俺は、廊下である奴とすれ違った。
金髪のヘンな奴だった。
その顔はもっとヘンで、見ただけで大笑いした。
この学校に来て、初めてだった。
ああ、まだまだ笑えたんだって思った。
それが無性にうれしかった。
小さな楽しみを見つけた。
こいつと一緒に馬鹿をやってみよう。
やってみたら、やっぱりすごく楽しかった。
また、大笑いできた。
それが楽しくて、嬉しくて…
なんども、俺たちは笑ったんだ。
そして今も俺たちは…

―――――――――――――――――――――

春原「おーい、いい加減ネタ回してくれよ」

律「しょうがねぇだろぉ、九人も横に並んでんだぜ」

春原「だから、ちょっとは気を遣えって言ってんだけど」

朋也「わかったよ、ほら、今リリースしてやる」

回転棚に皿を載せる。

朋也「みんな、手つけないでくれ」

春原「おおっ、さすが岡崎、いい親友っぷりだねっ」

春原の元に無事到着する、俺の放った皿。

春原「って、これ、ワサビしか乗ってないんですけどっ!」

朋也「頼んだぞ、リアクション芸人。いまいちな感じだと、業界干されちゃうぞ」

春原「素人だよっ!」

律「わははは!」

大将「お客さん、食べ物で遊ばれたら、困るんですけどねぇ…」

春原「ひぃっ」

強面の寿司職人に凄まれる春原。

朋也「完食して詫びろっ」

律「いーっき、いーっき!」

春原「無理だよっ」

大将「お客さぁん…」

春原「う…食べます、食べます…」

ぱく

ぎゃああああああああああぁぁぁぁ…

―――――――――――――――――――――

     春原と初めて出会った日。

 あの日から、小さな楽しみを積み重ねて…

     そして、今も俺たちは…



       笑っている。

―――――――――――――――――――――

4/19 月

唯「おはよ~」

憂「おはようございます」

朋也「ああ、おはよ」

憂「怪我、どうですか? まだ痛みます?」

朋也「まぁ、まだちょっとな」

顔には青アザ、切り傷、腫れがはっきりと残っていた。
身体には、ところどころ湿布やガーゼが貼ってある。

憂「そうですか…じゃあ、直るまで安静にしてなきゃですね」

朋也「ああ、だな」

憂「それと、もうあんな無茶はしないでくださいね?」

憂「私、岡崎さんにも、春原さんにも、傷ついてほしくありません…」

朋也「わかったよ。ありがとな。心配してくれてるんだよな」

そっと頭を撫でる。

憂「あ…」

唯「私だって、めちゃくちゃ心配してたよっ」

朋也「そっか」

唯「そうだよっ。だから…はい、どうぞ」

ちょっと身をかがめ、頭部を俺に差し出した。

朋也「なんだよ」

唯「好きなだけ撫でていいよっ」

朋也「じゃ、行こうか、憂ちゃん」

憂「はいっ」

唯「って、なんでぇ~!?」

―――――――――――――――――――――

唯「でもさ、岡崎くんと春原くんの友情って、なんかいいよね。親友ってやつだよね」

朋也「別に、そんな間柄でもないけどな…」

唯「まぁたまた~。きのう、春原くん言ってたじゃん。一人だったら、学校辞めてたって」

唯「それに、サッカーは辞めちゃったけど、新しい楽しみが今はあるんだよ」

唯「それが、岡崎くんと一緒にいることで、それは、岡崎くんも同じでしょ?」

唯「それくらいお互い必要としてるんだから、親友だよ」

朋也「そんなことはない。あいつと俺の間にあるのは、主従関係くらいのもんだからな」

憂「え? それって…どちらかが飼われてるってことですか…?」

憂ちゃんが食いついてきた。
こういう馬鹿話は、平沢の方が好みそうだと思ったのだが…。

朋也「そうだな、まぁ、俺が飼ってやってるといっても、間違いじゃないかな」

せっかくだから、さらにかぶせておく。

憂「ということは…岡崎さん×春原さん…」

憂「春原さんが受け…岡崎さんが攻め…ハァハァ」

ぶつぶつ言いながら、徐々に鼻息が荒くなっていく。

朋也「…憂ちゃん?」
 唯「…憂?」

憂「ハッ!…い、いえなんでもないです、あははっ」

朋也(受け…? 攻め…?)

よくわからないが、なぜか憂ちゃんは微妙に発汗しながら焦っていた。

―――――――――――――――――――――

正面玄関までやってくる。
下駄箱は各学年で区切られているので、憂ちゃんとは一旦お別れになった。

ここを抜けさえすれば、合流して二階までは一緒に行けるのだが。

朋也「っと…」

脱いだ靴を拾おうとしゃがんだ時、脚が痛んでよろめいた。

唯「あ、おっと…」

すぐ横にいた平沢に支えられる。

朋也「わり…」

唯「いやいや、このくらい守備範囲内ですよ。むしろストライクゾーンかな?」

こいつの例えはよくわからない。

梓「…おはようございます」

朋也(げ…またこいつか…)

音もなく背後に立っていた。
…とういうか、ここは三年の下駄箱なのだが…

唯「おはよう、あずにゃんっ」

俺を支え、体をくっつけたたまま挨拶する平沢。

梓「………」

じっと、俺の顔を見る。

また引き離しにくるんだろうか…。

梓「…今だけは特別です」

そう、俺にだけ聞えるようにささやいた。
そして、『また放課後に』と会釈し、二年の下駄箱区画に歩いていった。

朋也(…はぁ…特別ね…)

それは、多分怪我のことを考慮して言っているんだろうな…。
頬に貼った絆創膏をさすりながら、そう思った。

―――――――――――――――――――――

………。

―――――――――――――――――――――

朝のSHRが終わる。
一限が始まるまでは机に突っ伏していようと、腕を回した時…

さわ子「岡崎くん、その顔、どうしたの?」

さわ子さんが教室から出ずに、まっすぐ俺の席までやって来た。

さわ子「まさか、またどこかで喧嘩してきたんじゃないでしょうね…?」

朋也「違うよ。事故だよ、事故」

さわ子「事故って…なにがあったの? その怪我、ただ事じゃないわよ」

朋也「猛スピードの自転車避けて、壁で打ったんだよ」

さわ子「それだけで、そんな風にはならないでしょ」

朋也「二次災害とか、いろいろ起きたんだ。それでだよ」

さわ子「ほんとに? どうも、嘘臭いわね…」

唯「ほんとだよ、さわちゃん! 私、みてたもん!」

さわ子「平沢さん…」

唯「ていうか、その自転車に乗ってたのが私だもん!!」

さわ子「………」

腕組みをしたまま、俺と平沢を交互に見る。
そして、ひとつ呆れたようにため息をついた。

さわ子「…わかったわ。そういうことにしておきましょ」

さわ子「ま、他の先生に聞かれたら、うまく言っておいてあげる」

この人は、やはりなにかあったとわかっているんだろう。
だてに問題児春原の担任を2年間こなしているわけじゃなかった。

唯「さわちゃん、かっこいい~っ」

さわ子「先生、をつけて呼びなさいね、平沢さん」

言って、身を翻し、颯爽と教室を出ていった。

朋也「おまえ、嘘ヘタな」

唯「ぶぅ、岡崎くんに乗っかっただけじゃんっ」

唯「土台は岡崎くんなんだから、ヘタなのは岡崎くんのほうだよ」

朋也「唯、好きだ」

唯「……へ? あのあのあのあのあのっそそそそれれびゃ」

朋也「ほらみろ、俺の嘘の精度は高いだろ」

唯「……ふんっ。そうですね、すごいですねっ」

ぷい、とそっぽを向いてしまった。
からかいがいのある奴だ。

―――――――――――――――――――――

………。

―――――――――――――――――――――

和「ま、なんとかなりそうよ」

朋也「そうか、ありがとな」

和「いえ…あなたには借りがあるからね」

真鍋はサッカー部員の告げ口を防ぐため、朝から動いてくれていたのだ。
こいつの人脈を使って、各方面から圧力をかけていったそうだ。
それも、あの六人を個別にだという。
頼りになる奴だ。こんな力技、こいつにしかできない。
事後処理を頼める奴がいて、本当によかった。

和「まぁ、でも、彼らも大会を控えている身だし…」

和「自分たちから大事にしようとはしなかったかもしれないけどね」

和「彼ら自身も、暴力を振るっていたわけだから」

朋也「でも、おまえの後押しがあったからこそ、安心できるんだぜ」

和「そう。なら、動いた甲斐があったというものだわ」

和「ああ、それと、あなたたち、奉仕活動してたじゃない?」

朋也「ああ」

和「あれも、もうしなくてもいいように働きかけておいたから」

和「まぁ、あなたは最近まともに登校してるから、直接は関係ないでしょうけど」

朋也「って、んなことまでできんのか」

和「一応ね。先生たちの心証が悪かったことが事の発端だったみたいだから」

和「ちょっと手心を加えてくれるよう、かけあってみたの」

朋也「生徒会長って、思ったよりすげぇんだな」

和「生徒会長うんぬんじゃないわ」

和「長いこと生徒会に入っていた中で作り上げてきた私のパイプがあったればこそよ」

和「立場的には、私個人としてしたことね」

朋也「そら、すげぇな」

和「生徒会なんてところに入ってると、先生方とも付き合う機会は多いから…」

和「深い繋がりができるのも、当然と言えば、当然なんだけどね」

それでも、口利きができるほどになるには、こいつのような優秀さが必要なんだろう。

朋也「でも、よかったのか」

和「なにが?」

朋也「おまえの好意は嬉しいけどさ…」

朋也「でも、それは、遅刻とかサボリを容認したってことになるんじゃないのか」

朋也「生徒会長として、まずくないか」

和「そうね。まずいわね。でも…」

くい、とメガネの位置を正した。

和「私だって、人の子だから。打算じゃなく、感情で動くこともあるわ」

朋也「感情か…なんか思うところでもあったのか」

和「ええ。あなたたちは…そうね、自由でいたほうがいいと思って」

朋也「自由ね…」

和「うまく言えないけど…ふたりには、ちゃんと卒業して欲しいから」

和「規則で固めたら、きっと、息苦しくなって、楽しくなくなって…」

和「らしくいられなくなるんじゃないかしら。違う?」

朋也「そうだろうな、多分」

和「だから、最後まで笑っていられるよう、私にできることをしたのよ」

朋也「なんか、悪いな、いろいろと…」

朋也「でも、なんで俺たちを卒業させたいなんて思ったんだ」

なんとなく、さわ子さんや幸村に通ずるものを感じた。

和「あら、生徒会っていうのは、本来生徒のためにあるものよ」

和「だから、ある種、私の行動は理にかなってるわ」

和「特定の生徒をひいきする、っていうところが、エゴなんだけどね」

多少納得する。
でも、本心を聞けなかった気もする。

和「まぁ、こんなに人のことを考えられるのも、私に余裕があるからなんだけどね」

和「生徒会長の椅子も手に入って、真鍋政権も順調に機能してるし…」

和「総合偏差値も69以上をキープしてるから」

こいつは、やっぱり真鍋和という人間だった。
これからも、ブレることはないんだろう。

朋也「おまえのそういう人間臭いところ、けっこう好きだぞ」

和「それは、どうも」

―――――――――――――――――――――

………。

―――――――――――――――――――――

昼。いつものメンツで学食に集まった。

春原「てめぇ、あれは事故だったって言ってんだろっ」

律「事故ですむか、アホっ! 損害賠償を求めるっ!」

春原「こっちが被害者だってのっ! あんな貧乳、揉みたくなかったわっ!」

朋也「え、でもおまえ、思い出し揉みしてたじゃん」

朋也「まくらとかふとん掴んで、『なんか違うな…』とか言ってさ」

朋也「あれ、記憶の中の実物と、揉み比べてたんだろ」

春原「よくそんな嘘一瞬で思いつけますねぇっ!」

律「最低だな、おまえ…つーか、むしろ哀れ…」

春原「だから、違うってのっ!」

紬「春原くん…その…女の子の胸が恋しいの?」

春原「む、ムギちゃんまで…」

紬「えっと…もし、私でよかったら…」

顔を赤らめ、もじもじとする。

春原「へ!? も、もしかして…」

ごくり、と生唾を飲み込む。
その目は、邪な期待に満ちていた。

紬「紹介しようか…?」

春原「紹介…?」

紬「うん。その…うちの会社が経営母体の…夜のお店」

春原「ビジネスっすか!?」

律「わははは! つーか、ムギすげぇ!」

一体なにを生業としているんだろう、琴吹の家は…。

―――――――――――――――――――――

………。

―――――――――――――――――――――

放課後。

唯「じゃね、岡崎くん」

朋也「ああ」

平沢が席を立ち、軽音部の連中と落ち合って、部活に向かった。
帰ろうとして、俺も鞄を引っつかむ。
ふと前を見ると、さわ子さんと春原が話し込んでいた。
きっと、今朝の俺と同じように、怪我のことでも訊かれているんだろう。
しばらくみていると、いきなり春原がガッツポーズをした。
さわ子さんはやれやれ、といった様相で教室を出ていく。
話は終わったようだった。
春原が意気揚々とこちらにやってくる。

春原「おいっ、僕たち、もう居残りで仕事しなくていいってよっ」

即日で解放されるとは…。

本当に仕事の速い奴だ、真鍋は。

春原「やったなっ。これで、放課後は僕らの理想郷…」

春原「ゴートゥヘヴンさっ」

あの世に直行していた。

朋也「俺を巻き込むな」

春原「なんでだよっ、一緒にナンパしにいったりしようぜっ」

朋也「初対面の相手と心中なんかできねぇよ」

春原「いや、僕だってそんなことするつもりねぇよっ!?」

朋也「今言ったばっかじゃん、ゴートゥヘヴンって。天国行くんだろ。直訳したらそうなるぞ」

春原「じゃあ…ウィーアーインザヘヴンでどうだよ?」

みんなで死んでいた。

―――――――――――――――――――――

唯「あ、岡崎くん、春原くん」

廊下に出ると、向かいから平沢が小走りで駆けてきた。

朋也「どうした、忘れ物か」

唯「うん、机の中にお弁当箱忘れちゃって…」

唯「明日まで放っておいたら、異臭事件起きちゃうから、すぐ戻ってきたんだ」

朋也「そっか」

唯「ふたりは、今帰り?」

朋也「ああ」

唯「春原くんは、今日はお仕事ないの?」

春原「あれ、もうやんなくていいんだってさ。だから、これからは直帰できるんだよね」

唯「え、そうなんだ? だったらさ…」

唯「って、そっか…部活、嫌なんだよね…」

こいつは、また部室に来るよう誘ってくれるつもりだったのか…。
めげないやつだ。

唯「でも、気が変わったらでいいからさ、顔出してよ。軽音部にね」

そう告げると、すぐ教室に入っていった。

春原「…なぁ、岡崎」

朋也「なんだよ」

春原「ただで茶飲めて、菓子も食えるって、いいと思わない?」

朋也「………」

こいつの言わんとすることはわかる。
つまりは…

春原「行ってみない? 軽音部」

どういう心境の変化だろう。こいつも丸くなったものだ。
でも…

朋也「…行くか。どうせ、暇だしな」

俺も、同じだった。

春原「ああ、暇だからね」

弁当箱を小脇に抱えた平沢が戻ってくるのが見える。
あいつに言ったら、どんな顔をするだろうか。
喜んでくれるだろうか…こんな俺たちでも。
だとするなら、それは少しだけ贅沢なことだと思った。

―――――――――――――――――――――

がちゃり

部室のドアを開け放つ。

唯「ヘイ、ただいまっ」

律「おー、弁当箱回収でき…」

春原「よぅ、邪魔するぞ」

朋也「ちっす」

ずかずと入室する俺たち。

律「って、唯、この二匹も連れて来たんかいっ」

春原「単位が匹とはなんだ、こらぁ」

唯「遊びにきてくれたんだよん」

律「うげぇ、めんどくさぁ…」

春原「あんだと、丁重にもてなせ、こらぁ」

紬「いらっしゃい。今、お茶とケーキ用意するね」

春原「お、ムギちゃんはやっぱいい子だね。どっかの部分ハゲと違ってさ」

律「どの部分のこと言ってんだ、コラっ! 返答次第では殺すっ!」

唯「まぁま、りっちゃん、落ち着いて…」

唯「ほら、岡崎くんも、春原くんも座った座った」

平沢に促され、席に着く。

律「ぐぬぬ…」

春原「けっ…」

唯「険悪だねぇ~…それじゃ、仲直りに、アレをしよう」

唯「はい、春原くん、これくわえて」

春原「ん、ああ…」

春原に棒状の駄菓子をくわえさせる。

唯「で、りっちゃんは、反対側くわえて、食べていく」

唯「そうすると、真ん中までいったとき、仲直りできますっ」

律「やっほう、た~のしそぅ~」

春原「ヒューっ、最高にクールだねっ」

 律「って、アホかっ!」
春原「って、アホかっ!」

唯「うわぁ、ふたり同時にノリツッコミされちゃった…」

唯「こういう時って、どう反応すればいいのかわかんないよ…」

唯「澪ちゃん、正しい解答をプリーズっ」

澪「いや、別に何もしなくていいと思うぞ…」

唯「何もしない、か…なるほど、深いね…」

澪「そのまんまの意味だからな…」

唯「どうやら、私には高度すぎたみたいで、さばき切れなかったよ…」

唯「ごめんね、りっちゃん、春原くん…」

春原「僕、こいつの土俵に入っていけそうにないんだけど…」

律「ああ、心配するな。付き合いの長いあたしたちでも、たまにそうなるから」

唯「えへへ」

まるで褒められたかのように照れていた。

紬「はい、ふたりとも。どうぞ」

琴吹が俺と春原にそれぞれせんべいとケーキをくれた。

春原「ありがと、ムギちゃん」

朋也「サンキュ」

紬「お茶も用意するから、待っててね」

言って、食器棚の方へ歩いていく。

唯「岡崎くん、おせんべいひとつもらっていい?」

朋也「ああ、別に。つーか、俺も、譲ってもらった身だしな」

唯「えへへ、ありがと」

俺の隣に腰掛ける。

梓「唯先輩っ」

それと同時、中野が金切り声を上げた。

唯「な、なに? あずにゃん…」

梓「そこに座っちゃダメです! 私の席と代わってください!」

唯「へ? な、なんで…」

梓「その人の隣は、危険だからですっ」

唯「そんなことないよ、安全地帯だよ。地元だよ、ホームだよ」

梓「違いますっ、敵地です、アウェイですっ! いいから、とにかく離れてくださいっ」

席を立ち、平沢のところまでやってくる。

梓「ふんっ!」

唯「わぁっ」

ぐいぐいと引っ張り、椅子から立たせた。
席が空いた瞬間、さっと自分が座る。

唯「うう…強引過ぎるよぉ、あずにゃん…」

肩を落とし、とぼとぼと旧中野の席へ。

梓「………」

中野は俺に嫌な視線を送り続けていた。

澪「梓…なにも睨むことないだろ。やめなさい」

梓「……はい」

少ししおれたようになり、俺から目を切った。

律「ははは、相変わらず嫌われてんなぁ」

朋也「………」

春原「なに、おまえ、出会い頭にチューでもしようとしたの?」

春原「ズキュゥゥゥウンって擬音鳴らしながらさ」

朋也「無駄無駄無駄無駄ぁっ」

ドドドドドッ!

春原のケーキをフォークで崩していく。

春原「うわ、あにすんだよっ」

紬「おまたせ、お茶が入っ…」

そこへ、琴吹がティーカップを持って現れた。

紬「…ごめんなさい。ケーキ、気に入らなかったのね…」

ぼろぼろになったケーキを見て、琴吹が悲しそうな顔でそうこぼした。

春原「い、いや、これはこいつが…」

朋也「死ね、死ね、ってつぶやきながらフォーク突き刺してたぞ」

春原「僕、どんだけ病んでんだよっ!?」

紬「…う、うぅ…」

その綺麗な瞳に涙を溜め始めていた。

律「あーあ、春原が泣ぁかしたぁ」

春原「僕じゃないだろっ!」

春原「岡崎、てめぇっ!」

朋也「そのケーキ、一気食いすれば、なかったことにしてもらえるかもな」

春原「つーか、もとはといえばおまえが…」

紬「…ぐすん…」

朋也「ああ、ほら、早くしないと、本泣きに入っちまうぞ」

春原「う…くそぅ…」

皿を掴み、顔を近づけて犬のように食べ始めた。

律「きちゃないなぁ…」

春原「ああ~、超うまかったっ」

たん、と皿をテーブルに置く。

紬「あはは、なんだか滑稽♪」

春原「切り替え早すぎませんかっ!?」

律「わははは! さすがムギ!」

がちゃり

さわ子「お菓子の用意できてるぅ~?」

扉を開け、さわ子さんがだるそうに現れた。

律「入ってきて、第一声がそれかい」

さわ子「いいじゃない、別に。って、あら…」

俺と春原に気づく。

春原「よぅ、さわちゃん」

朋也「ちっす」

さわ子「あれ、あんたたち…なに? 新入部員?」

春原「んなわけないじゃん。ただ間借りしてるだけだよ」

春原「まぁ、今風に言うと、借り暮らしのアリエナイッティって感じかな」

某ジブリ映画を思いっきり冒涜していた。

さわ子「確かに、そんなタイトルありえないけど…」

さわ子「なに? つまるところ、たまり場にしてるってだけ?」

春原「噛み砕いて言うと、そうなるかな」

さわ子「…ダメよ。そんなの許されないわ」

やはり、顧問として、部外者が居座ってしまうのを認めるわけにはいかないんだろうか…。

唯「さわちゃん、どうして? 私たちは、別に気にしてないんだよ?」

律「私たちって…あたし、まだなにも言ってないんだけど」

唯「じゃあ、りっちゃんは反対派なの?」

律「う…まぁ、いっても、そんな嫌って程じゃないけどさ…」

唯「ほら、お偉いさんもこう言ってらっしゃるわけだし…」

さわ子「そういうことじゃないわ」

唯「なら、どうして?」

さわ子「お菓子の供給が減ったら困るじゃないっ」

ずるぅっ!

紬「先生、それなら気にしないでください。ちゃんと用意しますから」

さわ子「いつものクオリティを維持したまま?」

紬「はい、もちろん」

さわ子「じゃ、いいわ」

あっさり許可が下りてしまった。
なんともいい加減な顧問だった。

―――――――――――――――――――――

さわ子「それにしても…なんだか懐かしい光景ね」

律「なにが?」

さわ子「いや、岡崎と春原のことよ」

春原「あん? 僕たち?」

さわ子「ええ。覚えてない? あんたたちが初めて会った時のこと」

さわ子「宿直室で、お茶飲みながら話してたじゃない?」

さわ子「あの時と、なんとなく重なって見えちゃってね」

この人も、俺たちと同様、あの日のことを覚えてくれていたのだ。

さわ子「まぁ、今は、ふたりともが顔腫らしてるわけだけど…」

さわ子「あの時は、春原が大喧嘩してきて、顔がひどいことになってたのよね」

思い出したのか、可笑しそうにやさしく微笑んだ。

さわ子「あなたたち、知ってる? このふたりの、馴・れ・初・め」

唯「うん。春原くんから、聞いたよ」

さわ子「あら? そうなの? 意外ね…」

驚いたように春原を見る。

さわ子「まぁ、でも、このふたりがわざわざ遊びに来るくらいだしね」

さわ子「それくらい仲はいいんでしょう」

春原「まぁ、それも、僕とムギちゃんの仲がめちゃいいってだけの話なんだけどね」

紬「えっと…白昼夢って、ちょっと怖いな」

春原「寝言は寝て言えってことっすかっ!?」

律「わははは!」

さわ子「拒絶されてるじゃない」

春原「く…これからさ」

さわ子「ま、がんばんなさいよ、男の子」

ばしっと気合を入れるように、背を叩いていた。

朋也「…あのさ、さわ子さん」

さわ子「ん?」

朋也「あの時のことだけど、やっぱ、幸村のジィさんと打ち合わせしてたのか」

さわ子「ああ…やっぱり、わかっちゃう?」

朋也「まぁな。なんか、でき過ぎてたっていうかさ」

さわ子「そうね。あの話は幸村先生が私に持ちかけてきたんだけどね」

さわ子「私、春原の担任だったから。以前からあんたたちのことで、よく話をされてたのよ」

さわ子「どうにかしてやらないといけない連中がいる、ってね」

やっぱり、そうだった。全て、見透かされていたんだ。

春原「あのジィさん、なにかと世話焼きたがるよね」

さわ子「それは、あんたたちが、幸村先生にとって…最後の教え子だからよ」

朋也「最後…?」

さわ子「幸村先生ね、今年で退職されるのよ」

朋也「そうだったのか…知らなかったよ」

春原「僕も」

朋也「でも、俺の担任だったのは一年の時だし…」

朋也「今は担任持ってないんじゃなかったっけか」

さわ子「最後の教え子っていうのは、担任を持ってるとか、そういう意味じゃないわよ」

さわ子「最後に、手間暇かけて指導した、って意味よ」

朋也「ああ…」

さわ子「幸村先生はね、5年前まで、工業高校で教鞭を執っていたの」

さわ子「一時期、生徒の素行が問題になって、有名になった学校ね」

どこの学校を指しているかはわかった。
町の不良が集まる悪名高い高校だ。

さわ子「そこで、ずっと生活指導をしていたのよ」

朋也「あの細い体で?」

さわ子「もちろん、今よりは若かったし…それにそういうのは力じゃないでしょ?」

朋也「だな…」

さわ子「とにかく厳しかったの」

春原「マジで…?」

さわ子「ええ、本当よ。親も生活指導室に放り込んで説教したり…武勇伝はたくさんあるわ」

信じられない…。

さわ子「そんな型破りな指導者だったけど…」

さわ子「でも、たったひとつ、貫いたことがあったの」

朋也「なにを」

さわ子「絶対に、学校を辞めさせない」

さわ子「自主退学もさせなかったの」

さわ子「幸村先生は、学校を社会の縮図と考えていたのね」

さわ子「学校で過ごす三年間は、勉強のためだけじゃない」

さわ子「人と接して、友達を作って、協力して…」

さわ子「成功もあったり、失敗もあったり…」

さわ子「楽しいこともあったり、辛いこともあったり…」

さわ子「そして、誰もが入学した当初に描いていた卒業という目標に向かって、歩んでいく」

さわ子「それを途中で諦めたり、挫折しちゃったりしたら…」

さわ子「人生に挫折したも同じ」

さわ子「その後に待つ、もっと大きな人生に立ち向かっていけるはずがない」

さわ子「だから、生徒たちを叱るだけでなく、励ましながら、共に歩んでいったのね」

さわ子「でも、この学校に来てからは…」

さわ子「その必要がなくなったの。わかるわよね?」

さわ子「みんなが優秀なの」

さわ子「きっと、幸村先生にとっての教育、自分の教員生活の中で為すべきこと…」

さわ子「それを必要とされず、そして、否定されてしまった5年間だったと思うの」

さわ子「ほとんどの生徒が…中には違う子たちもいるけど…」

平沢たち、軽音部のメンバーをぐるっと見渡した。

さわ子「この学校で過ごす三年間は、人生のひとつのステップとしか考えていないでしょうから」

さわ子「自分の役目だと思っていたことは、ここではなにひとつ必要とされていない」

さわ子「それを感じ続けた5年間」

さわ子「そして、その教員生活も、この春終わってしまうの」

朋也「………」

俺も春原も、何も言えなかった。
結局、俺たちは、ガキだったのだ。
あの人がいなければ、俺たちは進級さえできずにいた。

さわ子「…そういうことよ」

朋也「今度、菓子折りでも持っていかなきゃな」

さわ子「それは、いい心がけね。きっと、喜ぶわよ」

春原「水アメでいいよね」

さわ子「馬鹿、お歳召されてるんだから、食べづらいでしょ…」

さわ子「っていうか、そのチョイスも最悪だし」

律「ほんっと、アホだな、おまえは」

春原「るせぇ」

…最後の生徒。
やけにリアルに、その言葉だけが残っていた。
本当に、俺たちでよかったのだろうか。
さわ子さんは、最後に言った。

光栄なことね。
いつまでも、ふたりは幸村先生の記憶に残るんでしょうから…と。
これから過ごしていく穏やかな時間…
その中であの人はふと思い出すのだ。
自分が教員だった頃を…。
そして…
最後に卒業させた、出来の悪い生徒ふたりのことを。

―――――――――――――――――――――
―――――――――――――――――――――

笑ってくれるだろうか。

ただでさえ細いその目を、それ以上に細めて。

何も見えなくなるくらいに。

笑ってくれるだろうか。

その思い出を胸に。

笑ってくれるだろうか…


長い、旅の終わりに。


―――――――――――――――――――――
―――――――――――――――――――――

4/20 火

朋也「毎朝そんなもん持って、大変じゃないのか」

平沢が抱えるギターケース。
見た目、割と体積があり、女の子が抱えるには重そうだった。

唯「全然平気だよ? 愛があるからね、ギー太へのっ」

朋也「ぎーた?」

唯「このギターの名前だよ」

こんこん、と手の甲でケースを叩く。

朋也「名前なんてつけてんのか」

唯「そうだよ。愛着湧きまくりなんだぁ」

朋也「ふぅん、そっか」

唯「岡崎くんは、なにか持ち物に名前つけたりしないの?」

朋也「いや、しないけど」

唯「もったいないよ。なにかつけてみようよっ」

朋也「なにかったってなぁ…」

唯「憂だって、校門前の坂に、サカタって名前つけてるんだよ?」

坂が擬人化されていた。

憂「そんなことしてないよぉ…っていうか、もう普通に人の名前だよ、それ」

憂ちゃんも俺と同じ感想を持ったようだった。

朋也(つーか、なんかつけるもんあったかな…)

朋也(まぁいいや、適当に…)

朋也「あそこの、あれ、あの飛び出し注意の看板な」

朋也「あれを春原陽平と名づけよう」

唯「って、縁起悪いよ、それ…」

朋也「そうか?」

唯「うん。だって、あれ、車に衝突されて首から上がなくなってるし」

朋也「身をもって危険だってことを教えてくれてるんだな」

朋也「人身御供みたいで、かっこいいじゃん」

唯「それが縁起悪いって言ってるんですけどっ」

唯「ていうか、愛着のあるものにつけようよ」

朋也「じゃあ…おまえだ」

ぽん、と平沢の頭に手を乗せる。

唯「わ、私…? そ、それって…」

朋也「おまえに、『憂ちゃんの二番煎じ』って名前をつけよう」

唯「って、私が姉なのにぃっ!?」

唯「ひどいよっ、ばかっ!」

ひとりでとことこ先へ歩いていった。

憂「あ、お姉ちゃん待ってぇ~」

憂ちゃんもその後を追う。

朋也(朝から元気だな…)

俺はそのままのペースで歩き続けた。

―――――――――――――――――――――

………。

―――――――――――――――――――――

昼。もう、何も言わずとも、自然とみんなで食堂へ集まるようになっていた。
ほんの二週間前までは、春原とふたり、むさ苦しく食べていたのに。
あの頃からは考えられない。

唯「それ、おいしそうだね。ごはんに旗も刺さってて、おもしろいしっ」

春原「だろ? O定食っていって、僕が贔屓にしてるメニューなんだぜ?」

朋也「お子様ランチをカッコつけていうな」

律「お子様ランチなんてあったっけ?」

朋也「月に一度、突如現れるレアメニューなんだよ」

律「そんな遊び心があんのか…やるな、うちの学食も」

唯「春原くん、その旗、私にくれない?」

春原「ああ、いいけど」

唯「やったぁ、ありがとう」

春原から旗を受け取る。

唯「よし、これを…」

ぶす、と自分の弁当に刺した。

唯「憂ランチの完成~」

律「はは、ガキだなぁ」

唯「む、そんなことないもん、えいっ」

旗を取り、それを部長の弁当に突き刺した。

律「あ、なにすんだよっ。こんなのいらねぇっての、おりゃっ」

隣に回す。

和「ごめん、澪」

それだけ言って、流れ作業のように受け流した。

澪「え…私も、ちょっと…ごめん、ムギ」

最後に、琴吹の弁当に行き着く。

紬「あら…」

唯「これがたらい回しって現象だね」

春原「…なんか、ちょっと傷つくんですけど…」

紬「さよなら♪」

バァキァッ!

琴吹の握力で粉々にされ、粉塵がさらさらと空に還っていた。

春原「すげぇいい顔でトドメさしてきたよ、この子っ!」

律「わははは!」

―――――――――――――――――――――

………。

―――――――――――――――――――――

放課後。軽音部の部室へ赴き、茶をすする。

春原「そういやさぁ、あの水槽なんなの」

部室の隅、台座の上に大きめの水槽が設置されていた。
初めてここに来た時には、あんなものはなかったような気がする。

唯「あれはね、トンちゃんの水槽だよ」

春原「とんちゃん? とんちゃんって生き物がいんの?」

唯「違うんだなぁ。トンちゃんは名前で、種族はスッポンモドキだよ」

唯「まぁ、正確には、あずにゃんの後輩なんだけどね」

澪「いや、スッポンモドキの方が正解だからな…」

春原「スッポンが部員ってこと?」

唯「そうだよ」

それでいいのか、軽音部は…。

春原「もう、なんでもありだね。いっそ、部長もなんかの動物にしちゃえば?」

春原「デコからポジション奪い取ったってことで、獰猛なヌーとかさっ」

ヌーにそんなイメージはない。

律「デコだとぉ!? おまえなんか最初から珍獣のクセにっ!」

律「トンちゃんより格下なんだよっ!」

春原「あんだと、コラっ」

律「なんだよっ」

春原「………」
 律「………」

朋也「人間の部員はいいのか」

いがみ合うふたりをよそに、そう訊いてみた。

唯「人間の方は、全然きてくれないんだよね…」

唯「だから、せめて雰囲気だけでも、あずにゃんに先輩気分を味わってもらいたくて」

澪「それ、後付じゃないのか?」

澪「おまえが単純に、ホームセンター行った時、欲しがってたように見えたんだけど」

唯「てへっ」

舌を出し、愛嬌でごまかしていた。

梓「それでもいいんです。今ではもう、私の大切な後輩ですから」

唯「あずにゃん…」

中野は、俺に向ける厳しい眼差しとは違う、優しい目をしていた。
本来のこいつは、こんなふうなのかもしれない。
それが少しでも俺に向いてくれればいいのだが。

唯「あずにゃんっ、いいこすぎるよっ」

中野の後ろに回り、背後から抱きしめて、頬をすりよせる。

梓「あ…もう、唯先輩…」

春原「うおりゃああああ!」
  律「うおりゃああああ!」

突然雄たけびを上げるふたり。

澪「なにやってるんだ、律…」

律「みてわかんないのか!? ポテチ早食い対決だよっ」

律「これで白黒つけてやろうってなっ」

春原「ん? 勝負の最中に余所見とは、余裕だねぇ…」

春原「おまえ、ヘタすりゃ死ぬぜ?」

指についたカスを舐めな取りがら言う。

セリフとまったく噛み合っていないその姿。

律「死ぬって言ったほうが死ぬんだよ、ばーかっ」

春原「そんな理屈、僕には通用しないね」

律「どうかな…」

春原「へっ…」

一瞬の間があり…

  律「どりゃあああああ!」
春原「どりゃあああああ!」

勝負が再開された。

唯「なんか、楽しそう。私も参加するっ」

澪「やめとけって…」

唯「いいや、やるよっ。私もこの世紀の一戦に参加して、歴史に名を刻みたいからっ」

澪「そんな、おおげさな…」

唯「って、あれ? お菓子がもうないよ…」

机の上に広げられた駄菓子類は、全て空き箱になっていた。

紬「唯ちゃん、タクアンならあるけど、いる?」

どこからかタッパーを取り出す。

唯「ほんとに? じゃあ、ちょうだいっ」

紬「はい、どうぞ」

唯「ありがとーっ。よし、いくぞぉ」

ガツガツと勢いよく素手で食べ始めた。

澪「はぁ、まったく…」

―――――――――――――――――――――

律「おし、そんじゃ、もう帰るか」

西日も差し込み始め、会話も途切れてきた頃、部長が言った。

澪「って、まだ練習してないだろ!」

梓「そうですよっ、帰るのは早すぎだと思います」

律「でぇもさぁ、今から準備すんのめんどくさいしぃ」

律「お菓子食べて幸せ気分なとこ邪魔されたくないしぃ」

澪「それが部長の言うことかっ」

ぽかっ

律「あでっ」

唯「いいじゃん、澪ちゃん。ここはいったん退いて、様子見したほうがいいよ」

梓「なにと戦ってるんですか、軽音部は…」

澪「ダメだ。今日こそ、ちゃんと練習をだな…」

律「ムギ、食器片付けて帰ろうぜ」

紬「うん」

席を立ち、食器を持って流しに向かった。

澪「って、ああ、もう…」

動き出した部長たちを前にして、呆然と立ち尽くす秋山。

澪「明日は絶対練習するからなっ」

律「へいへい」

以前、平沢は、こんな光景が日常だと言っていたが、まさに聞いていた通りの展開だった。
先日は先に帰ったので、どうだったかは知らないが…
実際目の当たりにしてみて、俺は妙な親近感を覚えていた。
無為で、くだらないけど…でも、笑っていられるような時間。
そんな時間を過ごしているのなら、きっと、俺や春原からそう遠くない位置にいるんだろうから。
もしかしたら、最初から遠慮することはなかったのかもしれない。
だから、平沢は言っていたのだ。俺たちのような奴らでも、受け入れてくれると。
ささいなことを気にするような連中ではないと。

一緒にいれば、きっと楽しいだろうから、と。
全部、本当だった。

―――――――――――――――――――――

唯「えい、影踏~んだっ」

律「あ、やったなっ」

坂を下る途中、影踏みを始めた部長と平沢。

澪「小学生じゃないんだから…」

紬「やんちゃでいいじゃない」

澪「母親みたいなこと言うな、ムギは…」

春原「はは、ほんと、ガキレベルだな。普通、頭狙って踏むだろ」

こいつもガキだった。

律「ガキとはなんだっ」

唯「そうだそうだっ」

律「うりゃうりゃっ」
唯「えいえいっ」

げしげしげしっ!

春原の影が踏まれる。

春原「あにすんだ、こらっ」

律「うわ、怒ったぞ、こいつ。逃げろぉい」

唯「うひゃぁい」

春原「うっらぁっ! まてやっ」

どたどたと走り出す三人組。
坂の上り下りを繰り返し、めまぐるしく攻守が入れ替わる。

唯「ひぃ、疲れたぁ…っと、わぁっ」

足がもつれ、体勢が崩れる。

朋也「おいっ…」

たまたま近くにいた俺が咄嗟に支えた。

唯「あ、ありがとう、岡崎くん…」

朋也「気をつけろよ。なんか、おまえ、ふわふわしてて危なっかしいからさ」

唯「えへへ、ごめんね」

だんだんだんだんっ!

地団駄を踏む音。

振り返る。

梓「ふんふんふんふんっ!」

中野が俺の影、股間部分を激しく踏み砕こうとしていた。

朋也(わざわざ急所かよ…)

―――――――――――――――――――――

唯「岡崎くーん、どうしたのぉ」

平沢が俺の前方から声をかけくる。

唯「なんでそんなに離れてるのぉ」

朋也「………」

春原と坂の下で別れてからというもの、俺はあの集団の中で男一人になってしまっていた。
あいつがいる間は考えもしなかったが、こうなってみると、異様なことのように思えた。
俺のわずかに残った体裁を気にする心が、輪に入っていくことを拒むのだ。
だから、一定の距離を取るべく、歩幅を調節して歩いていた。

梓「唯先輩、察してあげましょう。岡崎先輩は、きっとアレです」

唯「アレ?」

梓「はい。お腹が痛くて、手ごろな草むらを探しているんです」

梓「それで、私たちの視界から消えて、自然にフェードアウトして…その…」

梓「ひっそりと…催す計画だったんでしょう」

唯「ええ? そうなの?」

中野に誘導され、俺がとんでもなく汚い男になろうとしていた。

律「おーい、岡崎、この先に川原あるから、やるなら、そこがいいぞぉ」

朋也「んなアドバイスいらねぇよっ」

急いで平沢たちに追いつく。

唯「岡崎くん、そんなに急いだら、お腹が…」

朋也「もういいっ、そこから離れろっ。俺は腹痛なんかじゃないっ」

唯「でも、あずにゃんが岡崎くんはもう限界だって…」

朋也「信じるなっ。ほら、俺は健康体だ」

その場でぴょんぴょん跳ねてみせる。

唯「あはは、なんか、可愛い」

朋也「これでわかったか?」

唯「うん、まぁね」

なんとか身の潔白を証明できたようだ。
にしても…

朋也「おい、おまえ、あんまり変なこと言うなうよ」

梓「あれ? 違いましたか? それは、すみません」

反省した様子もなく、突っぱねたように言う。

朋也(こいつは…)

今後は、もっと警戒しておくべきなのかもしれない。
平気で毒でも盛ってきそうだ。

―――――――――――――――――――――

部長たちとも別れ、平沢とふたりきりになる。
今朝一緒に来た道を、今は引き返すような形で逆行していた。

唯「あ、みて、岡崎くん、バイア○ラ販売します、だってさ」

古ぼけて、いつ貼られたかわからないような、朽ちた張り紙を見て言った。
連絡先なのか、下に電話番号が書いてある。

唯「懐かしいね。バイアグ○って、昔話題になってたけど、結局なんだったんだろう」

唯「岡崎くん、知ってる?」

朋也「さぁな。でも、おまえは多分知らなくていいと思うぞ」

下半身の事情を解決してくれるらしい、ということだけはぼんやりと知っていた。

唯「そう? まぁ、あんまり興味なかったんだけどね」

朋也「じゃ、訊くなよ」

唯「素通りしたら、張り紙張った人がかわいそうじゃん」

朋也「悪徳業者だろ、貼ったの」

唯「そうなの? くそぉ、よくもだましたなっ」

唯「電話して、お説教してやるっ」

朋也「おまえそれ、注文してるぞ」

唯「え? 電話しただけで?」

朋也「ああ」

というか、そもそももう繋がらないだろうと思う。
だが、万が一を考えて、そういうことにしておいた。

唯「ちぇ~、私のお説教で改心させようと思ったのになぁ…」

朋也「残念だったな」

頭に手を乗せる。

唯「岡崎くん、手乗せるの好きだよね」

朋也「嫌だったか?」

唯「ううん、逆だよ。もっとしていいよ?」

朋也「おまえは、乗せられるの好きなのか?」

唯「う~ん、そういうわけじゃないけど…なんか、落ち着くんだよね」

朋也「そっか」

唯「うん。えへへ」

夕日を浴びて、微笑むこいつ。
それを見ているだけで、俺も何故か心が落ち着いた。

―――――――――――――――――――――

唯「じゃあね、また明日」

朋也「ああ、じゃあな」

家の前で別れる。
俺はその背を、見えなくなるまで見送っていた。
少しだけ、別れが名残惜しかった。
いや…かなり、か。

―――――――――――――――――――――

4/21 水

唯「へいっ、憂、パァスッ!」

憂「わ、軌道がめちゃくちゃだよぉ」

唯「あ~、ごめんごめ~ん」

このふたりは登校中、小石を蹴って、ずっとキープしたまま進んでいた。

憂「岡崎さん、いきますよっ」

俺にパスが回ってきた。
とりあえず受ける。

朋也「これ、ゴールはどこなんだ」

唯「教室だよっ」

朋也「無理だろ…」

唯「大丈夫、階段とかはリフティングして登るからっ」

そういう問題でもない。

朋也(まぁいいか…)

小石を蹴って、前方に転がす。

唯「お、いいとこ放るねぇ。フリースペースにどんぴしゃだよ」

唯「キラーパスってやつだね、見事に裏をかいてるよっ」

そもそも敵なんかない。

朋也(ふぁ…ねむ…)

眠気を感じながらも、はしゃぐ平沢姉妹をぼうっと眺めていた。
結局、この後小石は溝に吸い込まれ、そこでゲームセットになってしまったのだが。

―――――――――――――――――――――

………。

―――――――――――――――――――――

昼。

澪「ひっ! り、律っ…」

律「あん? なんだよ」

澪「い、今あそこの影からこっちをじっと見てる人が…」

律「どこだよ…そんな奴いねぇぞ」

澪「あ…そ、そうか…」

唯「澪ちゃん、こんな昼間から幽霊なんか出ないよ」

律「あー、そうじゃなくてな、こいつさ…」

部長が話し出す。
秋山が、朝から誰かの視線を感じて仕方がなく、気味悪がっている…とのことだった。

律「そんで、マジで一人、澪を舐め回すように見てた奴がいたんだけどさ…」

制服の胸ポケットに手を突っ込み、なにやら取り出した。

律「詰め寄ったら、逃げてったんだけど…これ、落としてったんだよな」

プラスチックのカード。
表面には、秋山澪ファンクラブ、と印字され、秋山本人の写真が貼ってあった。

和「ぶっ!…げほげほっ」

真鍋が突然むせていた。
注目が集まる。

唯「和ちゃん、大丈夫?」

和「え、ええ…」

どこか動揺した様子でハンカチを取り出し、口周りを拭き取る真鍋。

和「そ、それで、なにか直接被害はあったの?」

澪「いや…なにもないけど…」

律「でもさぁ、じっと見られてるってのも、なんか目障りじゃん?」

律「だから、どうにかしてやりたいんだけどなぁ…」

春原「そんなの簡単だよ。そのファンクラブの会員どもが犯人なんだろ?」

春原「だったらさ、そいつらをちっとシメてやればいいんだよ」

血の気の多いこいつらしい意見だった。

律「やっぱ、それしかないのか…」

澪「そ、そんな…暴力はダメだ」

律「でもいいのか? このまま監視されるようなマネされ続けて」

澪「それは…」

春原「まぁ、いいから、僕にまかせとけって」

春原「ちょうど食べ終わったとこだしさ、今から軽く行ってきてやるよ」

春原「おい部長、そのカードって、持ってた奴のことなんか書いてるか」

律「いや…書いてないな」

春原「ちっ、じゃあ、一から調べるしかないか…」

律「待て、私も行くぞ。こいつの持ち主は顔割れてるからな」

春原「お、そっか。でも、足手まといにはなるなよ」

律「へっ、そっちこそ」

好戦的なふたりが、息巻いてテーブルから離れていった。

澪「あ、ちょっと待って…」

止める声にも振り向かず、どんどん先へ進んでいく。

澪「はぁ…どうしよう…」

紬「私も、行ってくるね」

琴吹が席を立った。

澪「え…そんな、ムギまで…」

紬「心配しないで。私はあのふたりが無茶しないか、見ておくから」

澪「なら、私も…」

紬「澪ちゃんたちはまだ食べ終わってないでしょ? ゆっくりしていって」

紬「それじゃ」

言って、ふたりの後を追っていった。

澪「ああ…なんでこんなことに…」

和「琴吹さんがいれば、とりあえずは心配することないんじゃないかしら」

唯「そうだよ、ムギちゃんなら、圧倒的な力で制圧できるから、大丈夫だよっ」

容量落ちか1000まで行ったときは

朋也「軽音部? うんたん?」2

で建て直すね。
だから面白いと思ってくれる人たち、ついてきてくれ

澪「って、全然大丈夫じゃないだろ、それはっ」

唯「うそうそ、話し合いになると思うよ、きっと」

澪「まぁ、それなら…」

唯「でも、澪ちゃんてやっぱりすごいよね。ファンクラブなんてさ」

唯「澪ちゃん、美人だから、人気あるもんね。男の子にも、女の子にも」

澪「そ、そんなことないぞ、別に…」

唯「そんなことあるよ。女の私から見ても可愛いって思うもん」

唯「岡崎くんも、そう思わない?」

朋也「俺か? そうだな…」

さらさらの長い黒髪、白い肌、ちょっと釣り目がちな大きい目、ボリュームのある胸…
特徴もさることながら、顔も綺麗に整っている。
これなら、男ウケも相当いいだろう。

朋也「俺も、美人だと思うけど。秋山は」

唯「だよね~」

澪「あ…あ…あぅ…」

唯「あ、顔真っ赤だぁ、かわいい~」

澪「う、うるさいうるさいっ」

照れ隠しでなのか、ばくばくと弁当を口にし始めた。
その様子を、なんとなく眺めていると…

和「あとでちょっと話があるんだけど」

真鍋が小声で俺に耳打ちしてきた。
なんだろう…またなにかやらされるんだろうか。

―――――――――――――――――――――

朋也「話って、なんだ」

和「澪のファンクラブのことよ」

朋也「あん?」

予想外の単語が出てくる。
てっきり、また生徒会関連での仕事の依頼だと思っていたのだが…。

和「これ、なんだかわかる?」

朋也「ん…?」

真鍋が俺に見せてくれたのは、秋山のファンクラブ会員証。
それも、会員番号0番だった。クラブ会長とまで書いてある。

朋也「おまえが創ったものだったのか、あいつのファンクラブ」

和「違うわ。これは、譲り受けたの。ファンクラブの創設者からね」

朋也「どういうことだ?」

和「このファンクラブを作ったのはね、前生徒会長なの」

和「私の先輩…直属の上司だった人ね」

朋也「はぁ…」

いや、待てよ、それなら…

朋也「まぁ、なんでもいいけどさ、おまえが現会長なんだろ?」

朋也「だったら、その権限で、末端のファンにマナーを守るよう勧告してやれないのか」

和「それは…無理ね、多分」

朋也「どうして」

和「おそらく、すでに新しく会長の座についた人間がいるんでしょうから」

和「私がなにもしていないのに、活動が活性化してるのがいい証拠よ」

朋也「おまえに断りもなくそんなことになるのか」

和「ええ、十分なりえるわ。それも、私自身に責任の一端があるからね」

朋也「なんかしたのか」

和「したというか…何もしなかった、ってことね」

朋也「……?」

どういうことだろう…。

和「私、進級と同時にクラブ会長の任をまかされてたんだけど…ほったらかしにしてたのよ」

俺が把握できないでいると、真鍋がそう続けてくれた。

和「きっと、なんの音沙汰もないことに不満の声が上がったんでしょうね」

和「それで、業を煮やした会員たちが、会長を決め直したってところでしょう」

朋也「ああ…そういうことか」

和「今となってはもう、この会員証には何の価値もないわ…」

和「だから、あなたと春原くんには、できるだけ澪を守ってあげて欲しいの」

和「いくらお遊びとはいえ、あの人が組織した部隊だから…女の子だけじゃ、キツイと思うし」

朋也「部隊って、おまえ…たかがファンクラブだろ」

前から思っていたが、こいつは芝居がかって言うのが好きなんだろうか。

和「そうとも言い切れないわ…だって、あの人だもの…」

震えたように、自分の身を抱きしめた。
あの真鍋が怯えている…

ファンクラブの名が出た時もむせて、動揺していたが…
前生徒会長…かなりの人物だったに違いない。

和「今回ばかりは、生徒会の力も使えないわ」

和「もし、万が一、私があの人に、形としてでも、歯向かってしまった事が耳に入れば…」

ぶるっとひとつ身震いした。

和「…考えたくもないわ」

朋也「いや、でも、もう卒業してるんだろ? だったら…」

和「甘いっ!」

朋也「うぉっ…」

珍しく真鍋が声を張り上げたので、思わず後ずさりしてしまう。

和「確かに、首都圏に進学していったけど、子飼いの精鋭部隊がまだ現2、3年の中にいるの」

和「私も詳しくは知らされてないけど、存在するってことだけは確かなのよ…」

和「それも、役員会内はもちろん、会計監査委員会や生徒総会にまで構成員を潜り込ませているとか…」

和「確か、人狼、とかいう…」

和「とにかく、その子らに粛清の命が入れば、私とてただじゃすまないわ」

和「だから、滅多なことはできないの。ごめんなさいね」

朋也「いや…いいよ。なんか、おまえも大変そうだし…」

和「そう…わかってくれて、うれしいわ」

一息つくと、かいた冷や汗をハンカチで拭っていた。

朋也(思ったより厄介な連中なのかな、秋山澪ファンクラブ…)

―――――――――――――――――――――

………。

―――――――――――――――――――――

放課後。軽音部部室。

律「おい、ヘタレ。ジュース買ってこいや」

春原「………」

律「聞いてんのか、こら、ヘタレ」

春原「ヘタレヘタレ言うなっ!」

律「だって、ヘタレじゃん。ラグビー部来た瞬間逃げるし」

昼休みのことだ。
こいつらが会員を脅しに行った先で、なぜかラグビー部に立ち塞がれ、逆に追い返されたらしい。
まるで用心棒のような振る舞いで助けに来たそうな。
…これが、真鍋が侮れないと言っていた由縁なのかもしれない。

バックに強力な味方をつけるだけの組織力があると、この一件から読めなくもない。

春原「2対1になったからだろっ」

律「絡みに行った方はひ弱そうだったし、頭数に入んないだろ」

律「結局、ラグビー部一人にびびってただけじゃん」

春原「ちがわいっ」

律「いいいわけは女々しいぞ、ヘタレ」

春原「ぐ…くそぉ…」

がちゃ ばたん!

扉が開かれたと思ったら、またすぐに閉められた。

梓「はぁ…はぁ…」

中野が息を切らし、座り込んでいた。

唯「どしたの、あずにゃん」

梓「なんか…外に変な人たちが…」

律「変な人たち?」
唯「変な人たち?」

梓「はい…なんか、澪命ってハチマキしてて…」

澪「ひ…」

間違いない。ファンクラブの連中だ。

春原「おし、僕が全員ぶっ飛ばしてきてやるっ! 汚名挽回だっ!」

立ち上がり、肩を怒らせながら扉へと歩いていく。

律「そんなもん挽回してどうすんだよ、アホ…」

がちゃり

春原「うっらぁっ! うざってぇんだよ、ボケどもっ!」

男子生徒1「うわ…DQNだ」

男子生徒2「…死ね」

男子生徒3「軽音部に男は要らないし、普通」

男子生徒4「澪ちゃん見えたっ!」

男子生徒5「澪ちゃんっ」

春原「邪魔なんだよ、てめぇら全員っ!」

集まっていた男たちを払いのけていく。

春原「おら、帰れ帰れっ! ここは僕の食料庫だっ!」

趣旨が変わってきていた。おまえは三橋か。

男子生徒「つか、なに、おまえ?」

階段を上がってきた男が春原の前に立ちふさがる。

春原「ああん? 見てわかんねぇのか、用心棒だよ、ヒョロ男くんよぉ」

男子生徒「俺たち、なんか危害加えるようなことした?」

春原「いるだけで迷惑なんだよぉ、ああん?」

男子生徒「いや、いちいちすごまなくていいけどさ…」

男子生徒「君と、そっちの…春原と岡崎だよね? 素行が悪くて有名な」

男子生徒「用心棒とかさ、不良がするわけないし、嘘だよね」

春原「マジだよ、ああん? ぶっとばされてぇか、おい?」

男子生徒「そんなことしたら、明日、ラグビー部に殺してもらうけど、おまえ」

春原「は、はぁん? じ、自分でこいよな…」

明らかに勢いが失速していた。

男子生徒「そんなことするわけないでしょ。バカか、やっぱ」

春原「ああ!? てめぇ…」

男子生徒「いいの? ラグビー部、頼むよ?」

春原「……やっぱ、暴力はいけないよね」

速攻で心が折れていた。

男子生徒「だいたいさぁ、なんで君ら軽音部の部室にいんの? だめでしょ、男がいたら」

男子生徒7「うん、普通そうだよな」

男子生徒8「男マジいらねぇ」

男子生徒9「女の子同士だからいいのに」

口々に賛同し始めた。

男子生徒「澪ちゃんは、りっちゃんと付き合うべきなんだからさ」

春原「………は?」

その言葉に、春原だけでなく、俺たち全員が唖然とする。

男子生徒1「いや、澪唯いいって」

男子生徒2「王道で澪梓とか俺はいいな」

男子生徒3「王道は澪紬だって」

男子生徒4「それは邪道」

にやつきながら、ぼそぼそと話し始めた。

春原「………」

春原「おい、岡崎っ」

ダッシュで俺の元に駆け寄ってくる。

春原「なんか、あいつら気持ち悪ぃんだけど…」

朋也「ああ…」

男子生徒「ねぇ、そのふたり、要らないから出入り禁止にしてよ」

廊下側から声をかけてくる。

唯「そ、そんなことしたくないよ…」

男子生徒「なんで? 唯ちゃんは男とか興味ないでしょ? 女の子の方がいいんだよね?」

唯「え、ええ? そんな…」

男子生徒3「あ、あれじゃね、男に気がある振りして、澪ちゃんの気を引くという」

男子生徒4「ああ、それだ」

男子生徒5「やべぇ、早くしないと澪ちゃん取られちゃうよ、りっちゃんっ」

唯「う、うぅ…」

律「…あんたら、さっきからなに言ってんだよ」

律「私たちが女同士で付き合うとか…そんなのあるわけないだろっ」

男子生徒2「ツンデレ? 今の、ツンデレ?」

男子生徒6「厳密には違うよ」

男子生徒7「本心言うの恥ずかしいんじゃね?」

男子生徒8「ああ、それだ」

律「いい加減にしろってっ! あんたらがそういうのが好きなのはわかったよっ!」

律「でも、それを私たちに押しつけんなっつーのっ! そんな性癖ねぇんだよっ」

気圧されたのか、皆押し黙り、沈黙が流れる。

春原「ほら、わかったか。おまえらの方がいらねぇってよ。帰れ帰れ」

そんな中、春原が一番最初に声をあげた。

男子生徒「おまえら男ふたりが帰れ」

春原「ああ? 物分りの悪ぃ奴だな…」

男子生徒「バカに言われたくねぇよ」

春原「…てめぇ、大概にしとけよ、こら」

本気で怒ったときの顔だ。
今にも殴りかかっていきそうな気迫で近づいていく。

男子生徒「…わかった。とりあえず、暴力はやめろ」

春原「………」

立ち止まる。

男子生徒「こうしよう。俺たちと勝負するんだ」

春原「勝負だぁ?」

男子生徒「ああ。そっちが勝ったら、今後軽音部と澪ちゃんには近づかない」

春原「んだよ、喧嘩なら今すぐやってもいいぜ」

男子生徒「だから、暴力はやめとけって言っただろ」

春原「じゃあ、なんなんだよ? 囲碁とか言わねぇだろうなぁ」

男子生徒「頭使うのは君らに不利だろうからな。そうだな…スポーツでどうだ」

春原「それじゃ、おまえらに不利じゃん、ヒョロいのしかいねぇしよ」

男子生徒「実際にやるのは俺らじゃないよ。用意した人間とやってもらう」

春原「はっ、プロでもつれてこなきゃ、勝てねぇぞ」

男子生徒「じゃ、勝負を飲むってことでいいか?」

春原「おお、あたりまえだ」

朋也「まて、そっちが勝ったらどうするつもりだ」

男子生徒「まず、君らに軽音部から消えてもらう。部員と関わるのも自重しろ」

男子生徒「それから、澪ちゃん」

澪「え…」

男子生徒「澪ちゃんには、プライベートなことから、なにからなにまで…」

男子生徒「俺らが知りたいことは、全て教えてもらうよ」

男子生徒「それと、俺ら以外の男と喋るの禁止ね」

澪「そ、そんな…」

律「むちゃくちゃだ、そんなのっ」

春原「言わせとけよ、どうせ僕らが勝つしね」

律「んな無責任なこと言って…負けたらどうすんだよっ」

春原「それはねぇっての。で、競技はなんだよ」

男子生徒「そっちに決めさせてやる」

春原「ふん…じゃあ、バスケだ。3on3な」

朋也「おい、春原…」

男子生徒「あと一人は?」

春原「アテがあるんだよ。だから、いい」

男子生徒「そうか。わかった。じゃあ、試合は3日後の土曜。詳細はまた後で伝える」

春原「ああ、わかった」

勝負の約束を交わすと、男は周りの連中をぞろぞろと引き連れて去っていった。

朋也「おまえ、3on3って、まさか俺にもやらせるつもりじゃないだろうな」

春原に近寄っていき、声をかける。

春原「もちろん、そのつもりだけど」

朋也「俺が肩悪いの知ってるだろ。俺はできねぇぞ」

春原「おまえは司令塔でいいよ。シュートは任せろ」

朋也「3on3で一人パス回ししかできない奴がいるなんて、相当のハンデだぞ」

朋也「おまえ、わかってんのかよ。一人はアテがあるとか言ってたけどさ、もう一人他に探せよ」

春原「ははっ、僕に頼み事できる知り合いが、そんなにいるわけないじゃん」

朋也「………」

ぽかっ

春原「ってぇな、あにすんだよっ!」

朋也「土下座して運動神経いい奴に頼んで来いっ」

春原「おまえでいいっての。ほら、バスケってさ、チームワークが重要じゃん?」

春原「知らない奴より、おまえとの方が連携も上手くいくって」

朋也「だとしても、それだけじゃ無理なの」

春原「大丈夫だって。どうせ、あっちも大した奴用意できねぇよ」

春原「バスケ部のレギュラーとかだったら、ちょっとキツイかもだけどね」

朋也「………」

そこが気にかかっていた。
あの男は、妙に自信があるように見えた。
それは、つまり、レギュラークラスも用意できるということなんじゃないのか。

春原「な? 楽勝だって」

朋也「はぁ…簡単に言うな」

春原「ま、さっさと三人揃えて、練習しようぜ」

しかし、勝負は三日後。
相手も、俺たちも時間がない。

そんな短期間で交渉が上手くいくかといえば、そうは思えないし…
俺たちが付け焼刃の練習で戦えるようになるとも、断言できない…
条件は、五分のような気もする。

梓「…あの、なにがどうなってるんですか」

律「ん、ああ…」

―――――――――――――――――――――

梓「ファンクラブ…ですか」

騒動が収まり、一度気を落ち着けるため、コーヒーブレイクを取っていた。

律「ああ、気持ち悪い奴らだよ。勝手に私たちがレズだと思ってんだもんな」

紬「あら…でも、いいじゃない、女の子同士、なかなか素敵だと思うな」

律「…いや、まぁ、ムギが言うとそんなでもないけどさ…ソフトだし」

律「でも、あいつらは自分の価値観押しつけてくるとこが気に入らないんだよ」

律「ああいう手合って、女に対してもそういう傾向があったりするんだよな」

律「理想からちょっとでもズレてると、異様に毛嫌いしたりするんだぜ」

律「ほんと、自分勝手なお子様だよ」

春原「ま、僕らがコテンパンにノしてやるから、大船に乗ったつもりでいろよ」

はぁ~、っと拳に息をかけた。
時代錯誤な表現が多すぎて、頼りなく映る。

律「おまえ、絶対勝てよ? そんだけ豪語するんだからな」

春原「ああ、楽勝さ。すでに勝ってるようなもんだよ」

そううまくいけばいいのだが…。

―――――――――――――――――――――

春原「おー、ここだここだ」

やってきたのは、文芸部室。
文化系クラブの部室が宛がわれている旧校舎の一階に位置している。
軽音部の部室である第二音楽室からは、階段を二度下るだけでたどり着けた。

朋也「おまえ、こんなとこに奴に知り合いなんていたのか」

春原「なに言ってんだよ、おまえもよく知ってる奴だって」

朋也「あん?」

俺と春原の共通の知人で、文芸部員?
誰だろう…心当たりがない。

がちゃり

その時、部室のドアが開かれた。

男子生徒「…ん? おまえら…」

春原「よぅ、ひさしぶりだなっ、キョン」

朋也(ああ…こいつか)

キョン「ああ…久しいな、ふたりとも」

このキョンという男は去年、俺たちふたりと同じクラスだった奴だ。
素行が悪いわけでもなく、ごく普通の一般生徒だったのだが、なぜか気が合った。
理屈っぽい奴で、なにかと俺たちの悪ふざけを止めてきたのだが、よくつるんでいたことを思い出す。
ちなみに、キョンというのはあだ名で、本名は知らない。
周りからそう呼ばれていたので、俺たちもそれに倣ったのだ。

朋也「おまえ、文芸部なんて入ってたのか」

春原「あれ? おまえ、知らねぇの? ここ、文芸部じゃないんだぜ」

朋也「いや、はっきりそう書いてあるだろ」

教室のプレートを指差す。

キョン「あれは、裏側だ」

朋也「裏?」

キョン「表側に現在の部室名が書かれてある」

朋也「ふぅん…」

春原「ま、とにかく、変な団体になっちまってるんだよ」

春原「そんで、おまえもその一味なんだよな」

キョン「まぁ、そうだな。でも、よく俺がここの人間だって知ってたな」

キョン「話したこと、なかっただろ、部活のこと」

春原「わりと有名だぜ、おまえらの部活。その部員もな」

キョン「相変わらず、くだらない事には詳しいんだな」

春原「いい情報網を持ってるって言ってくれよ」

キョン「はいはい…。で、今日はなんの用だ」

キョン「なにか用事があるんだろ。でなきゃ、おまえらがこんなとこ来るわけないもんな」

春原「お、察しがいいねぇ、さすがキョン」

キョン「ああ、それと、ひとつ訊いていいか」

春原「なに?」

キョン「そっちの女の子たちは、なんなんだ」

俺たちの後ろ、じっと黙って並んでいた軽音部の連中を指さした。

春原「ああ、こいつらはさ…」

春原は、どういった経緯でここまで一緒にやってきたのか、おおまかに説明していた。

キョン「へぇ…そんなことがあったのか」

春原「だからさ、3on3のメンバー、頼めない?」

キョン「まぁ、俺自身はやぶさかじゃないが…団長様がなんて言うかな」

春原「許可とってきてくれよ」

キョン「はぁ…わかったよ、善処してみる」

春原「お、センキュー。頑張れよっ」

背を向けて、ひらひらと手を振り、部室へと戻っていくキョン。

律「…あんたら、妙なのと付き合いあるんだな」

朋也「あいつのこと、知ってるのか」

律「知ってるもなにも、あたしらの学年で知らない奴がいたことの方が驚きだよ」

律「SOS団だかなんだかで、1、2年の頃、すげぇ暴れまわってたんだぜ?」

朋也「へぇ、そうだったのか」

律「っとにおまえは、やる気がないっていうか…そういうことに疎いんだな」

朋也「まぁな」

唯「涼宮さんって人が、すごくギター上手かったよね」

律「ああ、一年の時の文化祭な…あれは、確かにすごかったな」

律「聞いた話だと、素人だったらしいぞ」

澪「そうだったのか? 信じられないな…」

梓「そんなにすごかったんですか?」

律「興味あるなら、映像あるから、今度見せてやるよ」

梓「ほんとですか?」

律「ああ。それと同時に蘇る、澪のしまパンの悲劇…」

ぽかっ

律「あでっ」

澪「思い出させるなっ」

秋山は顔を赤くして、涙目になっていた。

唯「あちゃ~、りっちゃん、地雷踏んじゃったね」

律「あれはお蔵入り映像だからな…マニアの間では高値で取引されているらしい」

澪「ええ!? う、嘘だろ…」

へなへなと倒れこむ。

律「あー、うそうそ、立ち直れ、澪っ」

澪「………」

しゅばっと立ち上がる。

ぽかっ ぽかっ

律「いでっ! 二発かよっ」

澪「おまえが変な嘘つくからだっ」

―――――――――――――――――――――

がちゃり

キョン「………」

しかめっ面で出てくる。

春原「お、どうだった?」

キョン「…なんとか許可が下りたよ」

春原「やったな、さすがキョンっ」

キョン「今度カツ丼おごってもらわにゃ、割に合わん…」

頭をさすりながら言う。
多分、なにかぶつけられたんだろう。
ドアの向こうからは、女と言い合いをする声と、物が飛び交っているような音が聞えていたのだ。
なにかしらないが、ひと悶着あったんだろう。

春原「消費税なら、おごるよ」

キョン「セコいところは、相変わらずなんだな…」

―――――――――――――――――――――

律「おらおら、どしたーっ、全然入ってないぞぉ」

春原「おまえのパスが悪いんだよっ」

律「なにぃ、人のせいにするなっ」

グラウンド。
隅の方に設置された外用ゴールの前に集まった。
春原は、シュート練習。
俺とキョンは、1対1で、交互にディフェンスとオフェンスの練習をしていた。
軽音部の連中は、こぼれ球を拾ってくれたりしている。

朋也「キョン、ディフェンスはもっと腰落としたほうがいいぞ」

キョン「こんな感じか」

朋也「ああ、それでいい」

キョン「けっこうしんどいな、これは…」

朋也「でも、文化部にしてはよく動けるほうだぜ」

キョン「そうか?」

朋也「ああ。あとはスタミナがあればいいんだけどな」

キョン「悪いな。何ぶん、体育会系なノリとは縁のない生活をしてきたもんでな」

朋也「もう一本いけるか?」

キョン「ああ、こい」

朋也「よし」

―――――――――――――――――――――

朋也「っはぁ…」

からからになった喉を水道水で潤す。
顔も、思いっきりすすいだ。
気持ちがいい。
こんな感覚、いつぶりだろうか。
はるか昔に味わったっきり、ずっと忘れていた。

澪「あの…これ、使ってください」

そこへ、秋山が恭しくタオルを持ってきてくれた。

朋也「ああ、サンキュ」

受け取って、顔についた水気を拭き取る。

朋也「これ、洗って返したほうがいいよな」

澪「いえ、大丈夫です」

朋也「そうか? じゃあ…はい」

タオルを差し出して、返す。

澪「あ…はい」

澪「………」

澪「あの…すみませんでした」

朋也「なにが?」

澪「勝負なんて、させちゃって…」

朋也「いや…春原の奴が勝手に受けたのが悪いんだから、気にすんなよ」

澪「でも…」

朋也「いいから。な?」

澪「はい…」

朋也「それとさ、敬語も使わなくていいよ。俺にも、春原にも、キョンにもな」

朋也「ちょっと不自然だろ? タメなんだからな」

澪「え…あ…はい」

朋也「はい?」

澪「う…うん…」

朋也「それでいい」

澪「あぅ…」

ぽんぽん、と肩を軽く叩き、グラウンドへ戻った。

―――――――――――――――――――――

春原「だぁー、疲れたぁ…」

キョン「同じく…」

朋也「俺も…」

三人とも、地面に寝転がる。
暗くなり、もうボールがよく見えなくなっていた。
練習も、ここで終わりだった。

春原「あしたは朝錬するからな」

寝転がったまま言う。

朋也「部活かよ…」

春原「それくらい徹底してやって、大差で勝ってやるんだよ」

朋也「なんでそんなにやる気なんだ、おまえは」

春原「僕をバカ呼ばわりしたあの野郎が悔しさで顔を歪めるとこ見たいからね」

朋也「あんがい根に持ってたんだな、おまえ…」

春原「まぁね」

キョン「…それにしても、おまえら、なんか変わったよな」

キョンがぽつりとそう漏らした。

春原「なにが?」

キョン「こういうことに、真剣になるような奴らでもなかったろ」

朋也「………」

それは、確かにそうだ。
いつだって、部外者でいて、傍観して…
必死に頑張るやつらを、斜めから見おろしていた。

キョン「いつもおちゃらけてて、楽しそうだったけどさ…」

キョン「どこか、懸命になることを避けてるっていうか…」

キョン「わざと冷めたようにしてた気がするんだよ」

キョン「でも、今は他人のために、こうまで頑張ってるしな」

キョン「なにか、あったのか」

朋也「………」

春原「………」

俺と春原は黙ったまま顔を見合わせた。
お互い、気づかないうちに、そんな熱血漢になってしまったのだろうか。
いや…そんなわけない。
こんなにも汗をかけるのは、あいつらのためだからだろう。
それは、春原も同じ想いのはずだ。

朋也「…別に、何もねぇよ」

春原「ああ。前と、全然変わってないけど?」

キョン「…そうか。まぁ、いいさ」

唯「お疲れさまぁ~」

平沢の声がして、体を起こす。
軽音部の連中が、こっちにやってきていた。
ボールの片づけが終わったんだろう。

唯「スポーツドリンクの差し入れだよぉ、どうぞ」

朋也「お、サンキュ」

唯「はい、春原くん」

春原「なかなか気が利くじゃん」

唯「はい、どうぞ」

キョン「ああ、どうも」

三人とも受け取った。

春原「もう喉からからなんだよね、僕」

言って、プルタブを開け、一気に飲み始める。

春原「ぶぅほっ!」

いきなり噴き出した。

春原「って、なんでおしるこなんだよっ!」

律「わはははは! ひっかかりやがった!」

春原「てめぇか、デコっ!」

律「うわぁ、おしるこが逆流して鼻から出てるよ、きったねぇーっ!」

春原「てめぇっ」

律「うひゃひゃひゃ」

いつものように子供の喧嘩が始まる。
緊張感のない奴らだった。

―――――――――――――――――――――

4/22 木

憂「岡崎さん、土曜日にバスケットの試合するんですよね?」

憂「お姉ちゃんから聞きましたよ」

朋也「あ、ああ…」

憂「私、応援に行きますねっ」

朋也「ああ…ありがとな」

憂「はいっ」

まぶしい笑顔で返事をくれる。

朋也「おい、平沢、おまえどんなふうに話したんだよ」

唯「え? バスケの試合で大盛り上がりするよ~って感じかな?」

朋也「おまえな…けっこう重要なことがかかってんだぞ」

朋也「負けりゃ、これから先ずっと変なのにつきまとわれちまうんだ」

朋也「そうなったら、おまえだって変な事されるかもしれなんだぞ」

朋也「そんなの、俺は絶対…」

許すことができない…。
言いかけて、やめる。

こいつになにかされるのは確かに嫌だが…
それは知人だからであって、なにも俺がそこまで強く拒むことはないだろうに…。

朋也(彼氏じゃあるまいし…)

唯「なに?」

朋也「いや…とにかく、そんな軽くないんだ」

唯「でも、楽しまなきゃ損だよ?」

朋也「いや、だから…」

唯「大丈夫。岡崎くんたちは勝つよっ。そんな予感がしてるんだ」

唯「私のカンって、よく当たるんだよ?」

屈託なく言う。
本当に事の重大さがわかっているんだろうか、こいつは…。

―――――――――――――――――――――

たんっ たんっ たんっ…

ボールが跳ねる音。
朝錬をする運動部のかけ声に混じって、グラウンドの方から聞えてくる。
音源に目を向けると、春原がドリブルをしているところだった。

朋也(あいつ、もう来てんのか…)

信じられない…あの春原が。
そこまで本気で勝ちたいということか。

唯「あ、春原くんだ。おーいっ」

平沢が声を上げ、手を振る。
春原がこちらに気づき、駆け足でやってきた。

春原「やぁ、おはようっ」

唯「おはよ~」

憂「おはようございます」

朋也「おまえ、マジで朝錬やってんのな」

春原「おまえも今からやるんだよ」

朋也「マジかよ…」

春原「きのう言っただろ? おまえだって、僕の部屋から早く帰ってったじゃん」

そうなのだ。
昨夜は、こいつが早めに眠りたいと言い出して、日付が変わる前に帰宅していた。
俺も、体が疲れていたので、すんなりと眠ることが出来たのだが。

朋也「おまえが眠たいとか言ってたからだろ」

春原「ま、そうだけどさ…」

春原「とにかく、やろうぜ」

朋也「はぁ…わかったよ。平沢、鞄頼む」

唯「あ、うん」

鞄を手渡す。

唯「あとで私も来るね」

憂「じゃあ、私も来ます」

朋也「ああ、わかった」

別れ、平沢姉妹は正面玄関の方へ歩いていった。

キョン「うお…おまえらがほんとに朝から来てるなんてな…」

そこへ、入れ替わるようにしてキョンが現れた。

キョン「明日はカタストロフィの日になるのか」

春原「いいとこにきたな、キョン。早速練習するぞ」

キョン「鞄くらい置きに行かせてくれよ」

春原「そんな時間はないっての。いくぞ」

キョン「やれやれ…」

―――――――――――――――――――――

………。

―――――――――――――――――――――

昼休み。

唯「岡崎くん、春原くん、これ食べていいよ」

平沢がタッパーに入ったハチミツレモンを差し出してきた。

唯「ほんとは放課後の練習の後に出すつもりだったんだけど…」

唯「朝錬で疲れただろうからさ」

朋也「お、サンキュ」

春原「センキュー」

唯「あ、キョンくんの分も残しておいてあげてね」

朋也「ああ、わかった」

春原「皮だけ残しとけばいいよね」

唯「ダメだよ、実の部分も残さないと」

春原「それは保証できないなぁ」

唯「じゃあ、春原くんは食べちゃダメっ!」

春原「冗談だよ、冗談」

言って、一切れつまんで口に放った。

春原「うまいね、これ」

唯「ほんとに?」

春原「ああ」

唯「よかったぁ」

俺もひとつ食べてみる。

朋也「お、マジだ。うまい」

唯「えへへ、作った甲斐があったよ」

律「おまえが作ったのか? 憂ちゃんじゃなくて?」

唯「うん、そうだよ」

律「へぇ、珍しいこともあるもんだ」

唯「私だってやる時はやるんだよっ、ふんすっ」

誇ったように息巻いていた。

紬「私からも、よかったらこれ、どうかな」

弁当箱の蓋に黒い固形物を載せ、打診してくる。

春原「ムギちゃんからのものなら、もちろんもらうよっ」

春原「な、岡崎」

朋也「ん、ああ、まぁ」

紬「じゃあ、どうぞ」

俺たちの前に蓋が置かれる。

春原「でも、これって、なに?」

紬「トリュフよ」

朋也「トリュフって…あの、三大珍味の?」

紬「うん」

なんともスケールのでかい弁当だった。
俺も驚いたが、軽音部の連中も、真鍋さえも驚愕していた。

春原「ふぅん、なんか、おいしそうだねっ」

唯「とりゅふ?」

いや…約二名、知らない奴らがいた。

春原「むぐむぐ…なんか、不思議な味わいだね、これ…」

紬「そう? よく食卓に出てくるだろうから、馴染み深いと思ったんだけど…」

それはおまえだけだ。

春原「でも、おいしいよ、ムギちゃん補正で」

紬「ふふ、ありがとう」

朋也(俺も食べてみよう)

もぐもぐ…
確かに、不思議な味わいだった、
まずくもないし、かといって、うまくもない…
正直、微妙だった。
庶民の舌には合わないんだろう。
おとなしく身の丈にあったシイタケあたりでも食べていた方がいいんだ、きっと。

澪「あの…よかったら、これもどうぞ」

秋山も琴吹に倣い、弁当箱の蓋に乗せ、俺たちに差し出してきた。

律「って、それ、おまえのメインディッシュ、クマちゃんハンバーグじゃん」

律「いいのか、主力出しちゃって」

澪「いいんだよ、頑張ってもらってるんだし」

朋也「いや、別に、そんなに気を遣ってもらわなくてもいいけど」

澪「私がしたいだけだから…気にしないで」

朋也「そうか?」

澪「うん」

朋也「じゃあ、ありがたく」

箸でハンバーグを掴み、口に運ぶ。
もぐもぐ…

朋也「うん…うまい」

澪「あ、ありがとう…」

春原「じゃ、僕も」

春原もひとつ食べる。

春原「お、うめぇ」

澪「よかった…」

律「つか、澪、おまえ、敬語じゃなくなってるな」

澪「岡崎くんが、敬語じゃなくていいって言ってくれたんだよ」

ちらり、と伏目がちに俺を見てくる。

律「ふぅん、岡崎がね…」

にやっと含み笑い。
なにかまた、変な機微の嗅ぎ取り方をしてるんだろうな、こいつは…。

唯「さすが岡崎くん、心が広くていらっしゃる」

朋也「普通だろ…」

律「ふ…岡崎、あんたもつくづく、アレだよなぁ」

アレ、なんて代名詞でボカしているのは、きっといい意味じゃないからに違いない。

律「ま、いいや。それは置いといて、私からも、なにかあげようではないか」

律「そうだな…これでどうだ、キンピラゴボウ」

春原「うわ、一気にレベル下げやがったよ、こいつ」

律「なんだとっ! あたしのキンピラゴボウなんだぞっ!」

春原「だからなんだよ」

律「つまり、間接キスの妄想が楽しめるだろうがっ!」

律「それだけで値千金なんだよっ!」

春原「うげぇ、胃がもたれてきたよ、そんな話聞いたらさ…」

律「なんだと、ヘタレのくせにっ」

春原「キンピラゴボウ女は黙ってろよ」

律「ぐぬぅ…」

春原「けっ…」

和「このふたり、仲悪いの?」

朋也「いや…似たもの同士なんだろ、多分…」

―――――――――――――――――――――

飯を食べ終わると、残りの時間は練習に費やした。

春原「かぁ、やっぱ岡崎、おまえ、うめぇよ」

キョン「だな。さすが、元バスケ部」

俺は今しがた、2対1の状況をドリブルで突破したところだった。

朋也「でも、このあと俺が得点に繋げられるのは、左からのレイアップだけだからな」

朋也「シュートするより、おまえらにパス回す機会の方が多くなるはずだ」

朋也「だから、頼んだぞ、ふたりとも」

春原「任せとけって。僕の華麗なダンクをお見舞いしてやるよ」

朋也「ああ、おまえのプレイで、ちゃんとベンチを温めといてくれよ」

春原「それ、ただの空回りしてる控え選手ですよねぇっ!?」

キョン「ははは、そういうノリは、変わらないんだな」

―――――――――――――――――――――

………。

―――――――――――――――――――――

放課後。

キョン「なんか…よかったのか、俺まで…」

紬「今は軽音部チームの仲間なんだから、遠慮しないで」

紬「はい、ケーキ。どうぞ」

キョン「はぁ、どうも」

練習前、部室に集まり、お茶をすることになった。
その流れで、こいつもここに連れてこられていたのだ。

キョン「おお…うまい。紅茶も、最高だ」

紬「ふふ、ありがとう」

キョン「ああ…朝比奈さん…」

小声でつぶやく。

朋也(朝比奈…?)

春原「キョン、てめぇ、ムギちゃんに色目使ってんじゃねぇよ」

春原「おまえには、涼宮って女がいるんだろ」

キョン「いや、あいつは別に…」

律「マジ? 涼宮さんとデキてんの?」

キョン「いや、だから、そんなんじゃないぞ」

春原「でも、聞いた話だと、確定だって言ってたぜ」

キョン「誰に聞いたんだよ…」

春原「谷口って奴」

キョン「あの野郎…」

律「で、どこまで進んだの?」

キョン「進んだもなにも、最初から…」

がちゃり

さわ子「チョリース」

さわ子さんがふざけた挨拶と共に入室してくる。

さわ子「今日もお菓子用意…って、キョンくん?」

キョン「ああ、どうも、先生」

律「なに? 親しい感じ?」

キョン「去年の担任だ」

律「あ、そなの」

さわ子「どうしたの? なんであなたがここに?」

キョン「いやぁ、いろいろありまして…」

律「あ、そうだ、聞いてくれよぉ、さわちゃ~ん…」

―――――――――――――――――――――

さわ子「ふぅん、そんなことになってたのね…」

言って、紅茶を一杯すする。

律「ふざけた奴らだろ?」

さわ子「そうね」

朋也(あ…そうだよ…この人なら…)

朋也「さわ子さん、教師だろ? なんとか言って聞かせてやれないか?」

俺はなんでこんな基本的なことを忘れていたんだろう。
あの時は、特異な雰囲気に飲まれてしまい、この発想自体が湧かなかったのかもしれない。

それは、他の奴らも同じだったのかわからないが…
とにかく、こういう時こそ、大人の力を借りるべきだ。
バスケの試合なんてせずとも、一発で解決できるはず。

さわ子「できるけど…あえて、しないわ」

朋也「あん? なんでだよ」

さわ子「女の子を守るため、ガチンコで勝負するなんて…青春じゃない」

さわ子「止める事なんて、できないわ」

朋也「そんな理由かよ…」

さわ子「めいっぱい戦いなさい。そんなの、若い内にしかできないんだから」

律「若さに対する哀愁がすげぇ漂ってんなぁ…」

さわ子「おだまりっ」

だん、と激しく机を叩いた。

律「しーましぇん…」

部長も、その迫力の前に縮こまる。

さわ子「ま、でも、いざとなったら、助けてあげるわよ」

唯「さわちゃん、頼もしい~」

さわ子「おほほほ、任せておきなさい」

キョン「この人も、相変わらずだな…」

朋也「ああ…」

でもこれで、試合に負けたときの保険ができた。
それは精神的にも大きい。ただの消化試合になったんだから。
さわ子さんに話を聞いてもらえてよかった。

―――――――――――――――――――――

朋也「ふぅ…」

休憩を取るため、ひとり日陰に移り、石段に腰掛ける。
グラウンドでは、春原とキョンの1on1が始まっていた。
少し離れたこの位置で、その様子を眺める。

澪「おつかれさま」

秋山が寄ってきて、昨日のようにタオルを渡してくれる。

朋也「ああ、サンキュ」

受け取り、汗を拭き取る。

澪「あの…」

朋也「ん?」

澪「岡崎くんって、バスケ上手いね」

澪「春原くんと、キョンくんも、よく動いてるけど…」

澪「でも、岡崎くんは、二人とはなんか動きが違うっていうか…」

澪「次にどうすればいいのをわかってるように見えるんだ」

澪「それに、ドリブルも上手だし」

朋也「まぁ…昔、ちょっとやってたからな」

澪「そうだったんだ…」

朋也「ああ」

澪「………」

会話が終わり、沈黙が訪れる。
秋山は、なにかもじもじとしていて、必死に話題を探しているように見えた。

朋也「でも、よかったな。さわ子さんがバックについてくれてさ」

放っておくのもなんだったので、俺から話を振ってみた。

朋也「これで勝敗に関係なく、おまえは助かったわけだ」

澪「そう…なのかな…」

朋也「ああ。まぁ、楽に構えてるといいよ」

澪「うん…」

朋也「タオル、サンキュな。ほら」

座ったまま手を伸ばす。

澪「あ、これ…水で濡らしてこようか?」 

澪「体に当てたら、ひんやりして気持ちいいと思うんだけど…」

受け取ったタオルを手に、そう訊いてきた。

朋也「ん、ああ…それも、いいかもな」

澪「じゃあ、ちょっと待っててね。行ってくるから」

いい顔になり、水道のある校舎側に駆けていった。

朋也(にしても…)

よく動いてくれる。
球拾いにも積極的だし、水分補給のサポートだって、率先してやってくれていた。
自分のファンクラブが起こした問題だったから、責任を感じているんだろうか。

朋也(そんな必要ないのにな…)

空を見上げ、ぼんやりと思った。

声「きゃあ…ちょっと…」

朋也(ん…?)

秋山の声。
さっき向かっていった方に顔を向ける。
すると、秋山が男二人に詰め寄られているのが見えた。
あの時、部室に押しかけてきた連中の中に見た顔だった。

朋也(あいつら…)

立ち上がり、走って駆けつける。
その間、男たちが秋山からタオルを取り上げ、下に叩きつけているのが見えた。
あげく、踏みつけだしていた。

朋也「なにやってんだ、こらぁっ!」

男子生徒1「ちっ…くっそ…」

男子生徒2「…ざけんな…」

俺が怒声を浴びせると、すぐに退散していった。

澪「うぅ…ぐす…ぅぅ」

秋山は、怯えたように身を小さくして泣いている。

朋也「どうした? 大丈夫か?」

澪「うぅ…大丈ぬ…」

朋也「だいじょうぬって、おまえ…」

気が動転しているのか、舌が回っていなかった。

朋也「とりあえず、向こうまでいって、休もう。な?」

近くに小憩所として使われているスペースがあった。
そこで一旦落ち着いたほうがいいだろう。

澪「ぐす…うん…」

俺は、泣き止む様子のない秋山を連れてゆっくりと歩き出した。

―――――――――――――――――――――

朋也「ほら、これ飲め。コーヒーだけど」

澪「…ありがとう」

プルタブをあけ、ずず、と一口飲む。

朋也「落ち着いたか?」

澪「…うん」

朋也「で、なにされたんだよ。場合によっちゃ、すぐにでも殴りにいってやる」

澪「だ、だめだよ、そんなことしちゃ…」

朋也「でもさ、そこまで泣かせてんだぜ。よっぽどだったんじゃないのか」

澪「それは、私が…その、弱くて…すぐ泣くのが悪いんだよ」

朋也「でもな…」

澪「ほんとに、いいの。たいしたこと、されたわけじゃないから」

朋也「…そっかよ。でも、タオル踏まれてたよな」

澪「う、うん…」

朋也「幼稚なことするやつらだよな。人のものに当たるなんてさ」

朋也「おまえ、なんかしたわけじゃないんだろ?」

朋也「理由もなくいきなりなんて、意味わかんねぇな」

澪「私が、男の子の世話してるのが、嫌だったみたい」

朋也「あん?」

澪「岡崎くんに、私のタオル渡したりとか…そういうのが」

朋也「ああ…」

ファンからしてみれば、それは許されない行為だったんだろう。
自分たちだけにしか笑顔を向けてはいけないとでも思っているんだろうか。

朋也「迷惑な奴らだな。別に、アイドルってわけでもないのに」

澪「うん…私なんかじゃ、全然そんなのできないよ」

朋也「いや、俺は別におまえが可愛くないと思って、言ってるわけじゃないぞ」

朋也「どっちかといえば…つーか、普通に可愛い方だと思ってるからな」

朋也「落ち込んだりするなよ」

朋也(って、なに言ってんだ、俺は…)

この頃、俺のキャラが崩れてきている気がしてならない…。
こんなに気軽に、女の子に向かって可愛いなんて言う奴でもなかったのに…。
いかん…もっと気を引き締めなければ…。

澪「あ…ありがとう…」

澪「………」

朋也「………」

お互い、押し黙る。若干重い沈黙。

朋也「まぁ、なんだ。試合、絶対勝つよ」

振り払うように、努めて明るくそう言った。

朋也「それで、あいつらに直接言ってやれ。もう私につきまとうな、ってさ」

澪「言えないよ、そんなこと…」

朋也「遠慮するなよ。報復なんかさせないから」

朋也「もし、やばそうなら、俺たちを頼ればいいんだ」

朋也「そんなことくらいしか、俺と春原の存在意義なんてないんだからさ」

澪「そんなことないよ。ふたりがいたら、いつもより賑やかで楽しいもん」

平沢のようなことを言う。
それがなんだか可笑しくて、思わず笑ってしまった。

澪「え…なに?」

朋也「いや…なんでもない」

澪「………?」

疑問の表情を浮かべたが、すぐに秋山も可笑しそうに笑った。
俺も、つられてまた笑顔になる。

梓「あのぉ…盛り上がってるところ、悪いんですけど…」

どこから湧いたのか、中野がイラついた声をぶつけてきた。

澪「あ、梓…いつから…っていうか、なんでここに…」

梓「先輩たちがいないんで、探してくるように言われたんです」

澪「そ、そっか…」

梓「はぁ、でも…」

落胆したように、大げさに息を吐いた。

梓「岡崎先輩はまだしも…澪先輩がこんなところでサボってるなんて…」

梓「私、見たくありませんでした」

澪「い、いや、これはサボってたわけじゃないぞ、うん」

澪「今戻ろうと思ってたところなんだ、ははは」

コーヒーのカンを持って、立ち上がる。

澪「じ、じゃあ、戻ろうかな、はは」

言って、そそくさと立ち去っていった。
先輩の威厳を保ちたかったんだろうか。
ずいぶんと取り繕っていたが…。
ともあれ、残された俺と中野。

梓「…はぁ、唯先輩と憂の次は、澪先輩ですか…」

梓「節操なしですね…死ねばいいのに」

冷たく言い放ち、戻っていく。

朋也(ついに死ねときたか…)

あいつと和解する日は、きっとこないんだろうな…。

―――――――――――――――――――――

4/23 金

唯「いよいよ明日だねっ。楽しみだなぁ」

朋也「気楽でいいな、試合に出ない奴は」

唯「む、気楽ってわけじゃないよ。私も気合十分だよ」

唯「ほら、こんなのも用意したんだから」

なにかと思えば、鞄からクラッカーを取り出していた。

唯「ゴールしたら、これで、パンッ!ってやるからね」

朋也「パーティーじゃないんだぞ…」

憂「お姉ちゃん、こっちのほうがいいよ」

対して憂ちゃんは、小さめのメガホンを取り出した。
やはり常識があるのは妹である憂ちゃんの方だ。

唯「なるほど、それで、パンッ!の音を拡大するんだねっ」

ずるぅ!

俺と憂ちゃんは漫画のように転けていた。

―――――――――――――――――――――

………。

―――――――――――――――――――――

昼。

唯「ねぇ、私さ、応援の舞考えたんだけど、みんなでやらない?」

律「応援の舞? なんだそりゃ」

唯「こんなのだよ。みてて」

立ち上がり、目をつぶった。
そして、かっ、と見開く。

唯「ここから先が戦えるようにやってきた…」

唯「顔の形が変わるほどボコボコに殴られて…死を感じて、小便を漏らしても、心が折れないように…」

唯「あの時のように…2度と心が折れないように、やってきた!!!」

唯「ハッ!」

両手をばっと上げて止まる。

唯「はぁ…はぁ…ど、どうかな…」

律「いや、息切れしてるし、なんか漏らしたことになってるし…絶対やだ」

唯「そんなぁ、私の2時間が水の泡だよぉ」

律「2分考えたあたりでダメなことに気づけよ…」

唯「ちぇ…」

律「そんなもんより、澪の萌え萌えキュン☆161連発でどうだ」

澪「や、やだよ、体力的にも、その中途半端な数字的にも…」

律「まぁ、最後に一発鉤突きが当たったって事だな」

律「単純計算で1分15秒…反撃を許さない萌え萌えキュン☆の連打を打ち込むんだ」

澪「なんの話だ?」

律「いや、なんでもない。気にするな」

澪「?」

唯「そうだ、和ちゃん、全校放送で試合実況とかしちゃだめかな?」

和「ダメに決まってるでしょ…」

唯「ぶぅ、けちぃ…」

春原「まぁ、応援なら、ムギちゃんがしてくれるだけで三日は戦えるけどね」

紬「そう? コストがかからなくて、うれしいな♪」

春原「消耗品扱いっすかっ!?」

律「わははは!」

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