ジャン「青い春」(27)

うららかな日は正午近くなった。街道に沿って植えられた桜は蕾が開き始めて、賑やかな季節の足音を伝えていた。
オレを乗せた馬車はゆっくりと丘を下って行った。カーブを曲がるたびに、郷里がだんだん近づいてくるのが見えた。窓からハンカチを振っているのは父だろうか。そして懐かしい家並が目に入ると、みんなに自慢話をしてやろうなどと言う気は消え、生きていることへの感謝と、愛郷の念が湧き上がってきた。
歩きなれた家路、見慣れた街灯。かつて、若干自惚れた青二才として後にした我が家に、今度はいっぱしの男として帰ってきた。

「おかえり!あんたが好きなシチューがあるよ!」
「うむ、よく帰ってきた」
「そんなに長く居るわけじゃねえけどな」
久々に合う両親は、少し老けたようだったが、変わらぬ温かさでオレを迎えてくれた。親父が威厳のため表情を硬くしようとしていたが、口の端に浮かぶ微笑を隠しきれていないのを見て、オレは吹き出しそうになった。

飯を食って酒を飲んでいると、ミカサが結婚した知らせを聞いた後にまとっていた青年らしい憂鬱が馬鹿らしくなって、親父と一緒に歌う、踊るはバカみてえに騒いだ。
「職務はどうだ」
「オレはアルミン団長から直々にローゼの知事に任命されたんだ。だから親父はオレの臣民ってことになるな」
「本当か。人選ミスもいいところだ」
「うるせえ。オレは優秀なんだよ」
他愛もない会話に幸福を感じた。ずっと居たくなったが、それは出来ない。巨人がいなくなったと言っても、人口調査や検地、インフラ整備など仕事は山積していた。
その二日後、オレはまず部下数人とローゼ南区の視察に行くことになった。

行間に空白1行入れておくれ

ダウパー村、次の逗留地で、そこを拠点にして周囲の踏査を行う予定だった。到着してみると、木づくりの家が散在したこじんまりとした村で、迎えてくれた人々の物腰も柔らかかった。
「あれ、ジャンじゃないですか!」

>>4
了解いたしました。

懐かしい声が聞こえた。振り向くと、鍬を持ったサシャが立っていた。記憶の中にある彼女とは大分違っていて、少し驚いた。少女のあどけなさは姿をひそめ、農婦の恰好の中にも大人の女性らしい清麗さが感じられた。

「ん、芋女か。久しぶりだな。最後に会ってからもう……三年か。早いもんだな」

「もう、いつまでそのあだ名で呼ぶ気ですか」

「顔に泥ついてるぞ。これで拭けよ」

サシャとはかつて命を預け合って戦った仲だ。自然と話が弾んだが、仕事をほったらかしにはできないので、また夜会うことに決めその場を後にした。

職務を終えて待ち合わせ場所に行くと、彼女はもう来ていた。先ほど見た時とは違って、白いシャツに濃紺のフレアスカートという可愛らしい装いをしていた。

「すまん、待たせちまったな」

「いえ、大丈夫ですよ。すぐそこのお店に行きましょう。この村にはそこしかないんですけど、飛び切りおいしいんです」

笑うと少しだけ幼く見え、昔を思い出した。夜風が頬をかすめた。街灯はまれにしかなく上弦の月に照らされた道を、せせらぎの音が心地よく響く中、並んで歩いて行った。

料理はこの村のように質素だったが、だからこそ旨かった。その日、他に客は来ておらず、心ゆくまで様々な話をした。

何だか不思議な感覚がした。調査兵団時代には、オレたちは信頼こそしていたものの、こんな風に二人きりで話すという機会は一回もなかった。オレはミカサ以外の女は眼中になかったし、こいつの恋人は食い物だと思ってた。

「ジャンはミカサとエレンの結婚式にはいったんですか」

含んだ笑いをしながら彼女は尋ねてきた。

「うるせえ、そんな暇じゃねえよ。馬鹿にすんな」

「む、ジャンは言葉遣いが悪いですね。一応私の方が年上なんですよ」

…………

……

楽しい時間はすぐに過ぎ行くものだ。また会うと約束してから、オレはサシャを家まで送り、宿に帰った。部下たちに冷やかされたが余り頭に入らず、シャワーを浴びるとすぐに横になったが、眠れなかった。奇妙な心持だった。自分の無節操さを恥ずかしく感じるような気もしたし、別に構わないような気もした。

窓の外に見える桜が月光に美しく映える――

約束は無事履行されることとなった。そしてオレは知らなかったサシャの側面をたくさん知ることができた。例えば、オレはサシャを馬鹿だと思っていたが、それが間違いであることに気付かされた。彼女は素晴らしい文学の知識と洞察力があり、ゲーテやシラーだけでなく、ゴットフリート・ケラーの作品も読破していた。

こうした発見はとても嬉しく、また自分の気持ちが日増しに昂じてゆくのを感じたが、オレには、どうやって垣がめぐらされた友情の園から、自由な恋の世界へ彼女を誘い出せばいいのかわからなかった。だがこんな浮遊状態も何だか快く、二人で道を歩いたり、彼女の畑仕事を手伝ったりしていた。

いかに美しく、素晴らしいものも長い目で見れば儚い一時のことに過ぎず、この楽しい日々の終わりもまた近づいていた。部下たちは報告書をまとめ始め、オレはその整理などを始めた。

そして恐れていた最後の日は、まるで不意打ちのようにやってきた。

オレは恥ずかしさから一旦は拒んだが、部下たちに仕事を全部とられて半ば強制的に宿から追い出され、彼女と夕の出立まで一緒にいられることとなった。

青空には小さなレース状の雲が点綴しており、かすかな光にあやどられた川面には魚が遊んでいた。そして桜は満開だった――

オレたちは明るいブナの森を歩いていたが、どうしてもうまく言葉がつなげなかった。大人になったつもりでも、少年から抜け出せないでいる自分がもどかしかった。森の外れに小さなみずうみがあった。小さな手漕ぎボートがあるのを見つけ、乗ろうと提案したら、彼女は快く応じてくれた。

ボートはすべるように、滑らかな水を切っていった。

「ジャンは力が強いですね」

「ああ、鍛えてるからな」

それ以上言葉がつなげなかった。少しの沈黙。

とうとう口を切った。

「サシャ、聞いてくれ。オレは――

「待ってください!」

彼女はオレを見つめた。その顔は殆ど悲しそうに見えた

「私は、ジャンの言いたいことが多分わかるように思います。でも、言わないでください……」

「言うな、だって?」

「ええ、いまは。私もジャンと同じなんです。だから、この時間だけは楽しくすごしたいから……」

「……わかんねえよ」

「私もジャンと同じように、好きな人がいても、その人を自分のものにできないんです。でも、そうだからこそ私たちは友情とか、ほかの大事なものは手放しちゃいけないと思うんです。だから私たちは良い友達でいましょう、ね?」

オレがその時何と答えたかは、まだ言いたくない。みずうみから流れ出る川のふちにボートをとめると、オレは水を飲むようなふりをして、冷たく流れる水に目をひたした。

それから村への帰路は、自分でも驚くほど陽気にいられた。本当に何事もなかったように会話をし、楽しく帰り着くことができた。

オレは未来永劫、サシャがいかに優しく、拒絶される求愛者の役を演じることから救ってくれたかを忘れまいと思う。

そしてその時オレは苦悩も失望も憂鬱も、オレたちを腐らせ、価値なきものへ貶とす為ではなく、成熟させ、昇華させる為に存することを悟り始めた――

既に村は暮色に包まれていた。部下たちは馬車の準備をとっくに終えて、笑いながらオレを待っていた。彼らからの「どうでした」という問いには笑いながらウインクをして「秘密だ」とだけ言ってやった。

最後の握手はオレの人生で最も美しい瞬間だったと記憶している。夕陽を背にした彼女の表情はオレの曇った目では見えなかったが、確かに笑っていた。そして一言も交わさずオレは馬車に乗り込んだ。

走り出した。窓を開けて振り返ると、サシャはいつか渡したハンカチをふっていた。いつまでも、点のように小さくなっても振っていたように思う――

見えなくなった。オレは座りなおすと、膝の上に何かが乗っているのに気付いた。
桜の、はなびら――

もう一度窓を開けると、どこからか花火が上がった。

それは宙に止まり、美しい火花の雨となって、消えた。

おわり

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