凛「私は――負けない」 (782)

・独自の設定やご都合主義、地の文があるよ
・ちょびっとだけ本家クロスオーバーとか、やや複雑?なストーリーがあるよ

ゆっくり書きつつ投下していくので、ビールでも飲んでリラックスしながら読んでください
雑談歓迎。わいわいどうぞ

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PERSONAL DATA

渋谷凛 RIN SHIBUYA

AGE
 ――17 years old
BIRTHDAY
 ――10 Aug.
HEIGHT
 ――166cm
WEIGHT
 ――45kg
VITAL STATISTICS
 ――82-57-83


IDOL RANK
 ――B:super idol


――彼女は、落ち着いた美声と佇まいを持っていた。

――彼女は、類稀なる美貌とオーラを持っていた。

――彼女は、すらりと伸びた脚、絹のように輝く長い黒髪を持っていた。

――彼女は、女としての武器が特定部分に偏っていない、バランスの良いプロポーションを持っていた。

――彼女は、輝く世界に魔法をかける素質と、努力の才能を持っていた。


彼女は――まさにアイドルとなる運命を背負って生を授けられた人間のようだった。



・・・・・・・・・・・・


「お~しぶりん! さっすが、最高だったよぉ~♪」

「凛ちゃん! よかったよー! 私、もう感動しちゃった!」

控室へ戻ると、同じ事務所のアイドル仲間、本田未央と島村卯月が凛を出迎えた。
二人は興奮冷めやらぬ様子で、

「凛ちゃん、こんな大きな会場を埋め尽くすなんて本当にすごいよ!」

「ホントホント! 横アリのキャパでも、三日分を一瞬で完売にしちゃうんだもんね~。
 この三人の中では、しぶりんがずっと先に走って行っちゃって、
 同世代の置いてかれる側としては淋しいですなぁ、しまむーさんよ」

目を輝かせる卯月と、大袈裟に肩を落とす未央。
勿論、未央の仕草はあくまでも冗談なのだが、

「わ、私は未央のことも卯月のことも置いていく気はないよ、ね?」

凛は二人の手をはっしと掴み、それぞれの目を真っ直ぐと見て言った。

「あっはっは、マジメだねぇ~しぶりん。冗談だよ冗談♪ わかってるくせに~」

そう言って未央は空いている方の手で凛の肩を叩きながら笑う。卯月も柔和な笑みを浮かべている。
そもそもこの三人は同期。今更気兼ねなど必要ない間柄なのだ。

「そりゃわかってるけどさ……。でも、私だけじゃここまで到底来られなかったよ」

「おっ、しぶりんの恒例、Pさんへのオノロケが早速くるか~?」

「ちょ、ちょっと未央、そんなんじゃないってば!」

「凛ちゃん、もっと素直になってもいいんだよ?」

「ちょっと! 卯月まで~~! もう……」

凛は形のよい眉を少しだけ上げた。しかしそれはすぐに戻り、二人の手を改めて取り直す。

「……二人のおかげ、なんだよ? 切磋琢磨してゆける環境に私を置いてくれた。二人がいなければ、私もここにいない」

「しぶりん……」
「凛ちゃん……」

凛は眼を閉じて、ゆっくりと、反芻するように言葉を続けた。

「きっと私は、巡り合わせが多少良かっただけ。未央も、卯月も、すぐ、この会場を溢れさせるくらいになる。私はそう確信してる」

二人とも、凛がユニットを組んでいる相手だ。

そのユニット『ニュージェネレーション』は、名の通り“新世代”アイドルトリオとして活躍している、CGプロ事務所のパイオニア。

勿論、それぞれがソロとしても活動していることは云うまでもない。

ただし単独で横浜アリーナ3DAYS公演をこなせるのは、現時点のCGプロ所属アイドルでは凛のみであった。

凛の言葉のように、未央や卯月がこの箱を埋められるようになるのはそう遠くないのだが、それはまた別の話――――

言い終えて眼を開けた凛は、照れ隠しなのか、不自然にハキハキとした言い回しで言葉を遺す。

「じゃあ私はシャワー浴びてくる。二人の相手はプロデューサー、よろしくね」

そして彼女は、Pの返答も待たずシャワー室へと小走りで向かっていった。
おそらくその顔は、朱が差しているに違いない。


「……しぶりん、ずっと先を走ってるけど、常にニュージェネのことも考えてくれてるんだよね」

「そうだね未央ちゃん。凛ちゃんはいつもニュージェネレーション……ううん、それだけじゃない、事務所の後輩たちのことを考えてる。すごいよね」

凛の背中に目をやりながら、二人はぽつりと、そう漏らした。

卯月は、あはは、と苦笑いしながら付け足す。

「本来なら私がリーダーとして頑張らないといけないんだけど、凛ちゃんに引っ張ってもらって、ラクしちゃってるかもなぁ」

一般論として、ユニットの中で誰かが一つ頭抜ければ、大抵は嫉妬の嵐が襲うものだが、
この三人にはそういった兆候は全く見られなかった。

麗しき女同士の友情――いや、その程度の言葉では生温いかもしれない。

彼女たちは、芸能界と云う戦場で命を預け合った戦友同士なのだ。

Pは、そんな彼女たちの絆を、一種の羨望を以て眺めていた。

「凛の言う通り、あいつが成長できたのは君たちのおかげだ。三人を組ませて正解だったよ」

そう声をかけると二人は、意外、という顔をしながらPを振り返った。

「でも、凛ちゃんの原動力の一番はPプロデューサーさんでしょう?」
「だよねー、しぶりんってPさんが絡む事案だと瞬発力すごいもん」

……女の子はよく見ている。

プロデューサーという立場の人間からすれば、その言葉を首肯するわけにはいかないのだが。

「まあ百歩譲って仮にそうだとしてもだ、一人で背負うにしては重すぎるものをあいつは担ごうとしている。
 なのに何故潰れないかと云えば、それは卯月ちゃん、未央ちゃん、君たちがさりげなくサポートしてくれているからだよ」

女の子がこちらをよく見ているのと同様、プロデューサーも彼女たちのことをよく見ているつもりだ。

二人は、Pのその言葉に、僅かだがピクッと反応した。バレてたか、と眼が語っている。

アイドルたちを輝かせるために、芸能界の裏の黒い部分はPたちスタッフが受け持つ。

その点ではアイドルたちは気兼ねなく活動できるのだが、芸能界と云うのは、光り輝く白い部分だけでも、相当な重圧があるものだ。

凛のBランクの現状ですらこうなのだから、世の中のAランクアイドルたちはどんな世界を見、どんな重さに耐えているのだろう。

「これからは、凛だけでなく、卯月ちゃんと未央ちゃんにも、輝く重圧がかかってくると思う。
 そのときは、きっと、三人で助け合って歩んでくれよ」

Pの言外に、“より一層覚悟しろ”と感じるものがあったのだろう、彼女らは力強く頷いた。

「島村卯月、もっと頑張らなきゃ!」
「不肖、本田未央も頑張りますぞぉ~♪」

強い意思の込められた笑顔。
さすがアイドル、こういう顔が“様”になる。


ニュージェネレーションの二人に気合が充填されたところで、
ノックの音と共に迎えの馬車――と形容するには些かむさ苦しいが――がやってきた。

「それじゃあアタシらももっと仕事を獲ってこんとねェ、鏷プロデューサーさん」
「まったくだ、Pにばかり美味しい思いをさせてたまるかよな、銅プロデューサーさん」

それぞれ、卯月を担当する、矢鱈とムチムチでガタイのよい『銅―あかがね―プロデューサー』と
未央を担当する、黒スーツにスキンヘッドにサングラスという出で立ちの『鏷―あらがね―プロデューサー』だ。

このタイミングの良さ……扉の外で待ち構えてやがったな。Pは内心で苦笑いした。

CGプロの企画制作部には三つの部署があり、

クールを担当する第一課、
キュートを担当する第二課、
パッションを担当する第三課――

となっている。Pを含めたこの三人はそれぞれの部署のプロデューサーというわけだ。


「お姫様がた、お迎えの馬車ですよ」

肩を竦めながらPが卯月と未央に促すと、

「どっちかっていうと“ソッチ系”のシークレットサービスみたいだけどね~♪」

未央が、けたけたと笑いながら担当、鏷の許へ歩んでいった。

鏷は、未央に彼女の鞄を渡しながら言ってくる。

「見てたよ、P。凛ちゃんサイッコーだったな。あそこまで一体感を覚えるライブはなかなかない」

彼にしては珍しい、手放しの賞賛だった。

「そりゃそうだ、俺の秘密兵器だからな」

Pが腕を組んで応えると、鏷も未央の肩を抱き寄せながら

「秘密兵器っぷりで言ったらウチの未央も負けてねーけどな」

と、ニカッと笑って言った。その隣では未央が顔を赤くしてもじもじしていた。

……わかりやすい、とPは思った。

他方、銅はマイペースに手帖を捲りながら卯月の身支度を整えている。

「ほい卯月、そろそろスタジオに向かう時間だ。行くよ」

「はい! 卯月、今日の収録も頑張ります!」

「んじゃアタシらは先に出てるわ、Pはこのあと直帰か?」

銅がドアノブに手をかけながら問う。

「いや、ボックス席へ社長の様子を見に行ってから事務所に戻るよ」

今回のライブは半ば社運を賭けたものだった。この規模を開催するのは初めての経験だったのである。
来賓も多いし、当然、社長は顔を出してきている。

総指揮者としてPは挨拶へ行かねばなるまい。事務所での残務処理もある。

銅、鏷両プロデューサーは、その答えに頷きながら出て行った。

去り際、卯月と未央が手を振ってきたので右手を軽く挙げて返す。


――パタン。

ドアの静かに閉まる音と同時に、静寂が訪れた。
空調の微かな音だけが耳に届いてくる。
今回のライブ光景を反芻したいところだが、まだやることは山積だ。

Pは凛に書き置きを残してから控室を出た。



・・・・・・・・・・・・


「いやぁ~P君、今日のライブはよかったよォ~! ティンときた!」

ボックス席につながる通路へ通りかかると、社長と来賓が退場してくるところに出くわした。

そしてPの存在を認めるや否や、真っ黒いシルエットの人物が笑いながら握手をしてくる。

765プロの高木社長だ。
所属アイドルの全員がAランクと云う化け物じみた事務所。

特に、天海春香、如月千早、星井美希と云った面々は、
テレビを点ければどんな時間でもどこかしらの局に映っていると言っても過言ではないほどである。

それをたった二人のプロデューサーで廻していると云うのだから恐れ入る話だ。

Pも一人で同じくらいのアイドルを抱えてはいるが、それはFからBまでまちまちだ。
十人以上がAランクの職場の多忙さを想像すると、他人事ながら、それだけで頭が痛くなった。

「君のところの社長に是非ともP君と渋谷君を欲しいと常々言っているんだがねェ~~!」

リップサービスなのか本気なのかよくわからないテンションで、高木は言う。

その後ろでは、うちの社長が顔を引きつらせていた。

「ははは……光栄です」

こめかみに一筋の汗を垂らしながらPは高木へと頭を下げた。

「フンッ! その程度で浮かれていては近いうちに足元を掬われるぞ」

高圧的な声が、さらに後ろの方から聞こえてきた。

高木と同じく真っ黒いシルエットの人物、業界最大手の961プロ、黒井社長だ。

まさか961プロの社長が、新興事務所であるCGプロのライブの招待に応じるとは、
開催直前に知らされたときのPは腰が抜けそうになったものだ。

どうも、うちの社長はかつてプロデューサー時代、
黒井と高木――当時は共にプロデューサーであったが――と懇意にしていたらしい。

「君ィ、確かにイイ線は行っているかも知れんね。だがまだまだケツの青さが抜けとらんな」

アカガネPって・・・「逆転裁判春香」にいたあの人?

黒井は自らの額をとんとんと叩きながら続ける。

「彼女の素材としてのポテンシャルは評価しよう。
 だが961プロではあんなものは候補生クラス。貴様の魅せ方もまだまだなっとらん。
 まあ、我、が、社、で、徹底的に鍛え上げればジュピターにも比肩しうる存在になるかもしれんがね!
 ハァーハッハッハッ!」

端から見れば散々な言い草だったが――
961のジュピターは765のナムコエンジェルと並び、男性アイドルのトップに君臨しているグループだ。

これは黒井なりに、発破をかけてくれているのだろう。

黒井は765プロに対しては悪辣な部分もあるが、
本心ではアイドル業界全体の底上げを願っていると聞いたことがある。

「……ご指導ご鞭撻、宜しくお願い申し上げます」

Pは、深く頭を下げた。



・・・・・・・・・・・・


凛はひとり、シャワー室で汗を流していた。

ぬるめの湯が、艶やかな髪から、ふくよかな双丘、そして白い大腿と、火照った全身を撫でてゆく。

耳に入るのは、優しい水音のみ。
しかし彼女の頭の中には、ステージ去り際の歓声が、ずっと、こだましていた。


これまで、同じようなキャパシティの会場で演ったことは何度もある。

しかし、三日間ぶっ通しで行なうと云うのは初めての経験であった。

観客動員数のプレッシャーもさることながら、
数日に渡ってライブパフォーマンスをするのは、体力を保てるのか不安に思ってもいた。

でも、プロデューサーは、お前なら出来る、と常に支えてくれた。

あの人がそう言ってくれると、

いつの間にか自分もやれる気になってしまっている。

不思議なものだ。

「プロデューサー、私、あなたの期待に応えられたかな……」


私は、偶像。

あの人が“渋谷凛”を形作り、

私は“渋谷凛”という存在を表現し、

観客はそんな私に熱狂する。


存在を表現すると云うのは、実に――楽しい。


眼を瞑ると、たくさんのファンが応援してくれた、先ほどの光景が浮かぶ。

揺れるサイリウム、飛び交う声援、観客と共に踊る振り付け。

数万もの人が、一点に、私に、視線を送る。

ああ……いまでもゾクゾクするよ。


人間には誰しも、自己顕示欲と云うものがある。

ねえ、もっと私を見て?

ねえ、もっと私を聞いて?

ねえ、もっと私を――感じて?

この快感、クセになる。


……でも、ヒトが見る私は、渋谷凛というアイドル。

ただの、偶像。

ただの、容れ物。

さて、それは本当の私?


ただの容れ物だとはいえ、大勢が見てくれるのは嬉しいこと。

頑張れば頑張るだけ、ニュージェネレーションの露出も増えるし、未央たちの手助けにもなる。


だけど、いつも偶像を演じていると、時には疲れてしまう。

偶像を解き放ちたい、そう思う刻が、確かにある。

そんな刻、決まってあの人は支えてくれる。

そんな刻、あの人がとても頼もしく見える。


勿論、あの人はプロデューサーで、私はアイドル。

この仄かな憧れを、これ以上昇華させるわけにはいかない。

でも……そっと、心の中に持つことくらいなら、赦されてもいいでしょう?

アイドルである以上、結ばれることはない。

しかし、アイドルになったからこそ、あの人と出会えたのだ。


そう、それでいい。
今は――それでいい。

凛はこれまでに何度も繰り返してきた自問と自答を終えると、ふぅ、と軽く一息吐き、シャワーを止めた。

あまり長居をしてはいけない。撤収の準備は間もなく始まる。

彼女は手早く身なりを整え、シャワー室を後にした。



・・・・・・・・・・・・


控室でPの書き置きを読んだ凛は、Pを捜して裏廊下を歩いていた。

階段を上がると、遠くに人影、そして微かにあの人の話し声が聞こえる。

彼は、あそこにいるのだろう。そう思って少し歩を早めると、

――あんなものは候補生クラス。
 貴様の魅せ方もまだまだなっとらん――

Pとは違う声。
声自体は爽やかなタイプなのに、その声が紡ぐ爽やかではない言葉が聞こえてしまった。

この特徴的な声、どこかで……

……ああ、業界最大手の961プロ、その社長じゃない。

凛は立ち止まって、唇を噛んだ。

この世界では批判や誹謗など日常茶飯事。
それでも自分の耳ではっきり聞くと、心にぐさりと来るものがあった。

ゴシップ記事のようなただの文字情報と、実際に人から発せられる生の声では、全然違うのだ。

特に業界の大物の発言とあらば、一笑に付すことはできない。

それに、自分のことよりも、プロデューサーを悪く言われたのが、想像以上にショックだった。

プロデューサーはとても頑張ってくれているのに。

……いや、ショックを受けている暇などない。これを成長の糧としなければならないのだ。

961ほどの大手からすれば、まだまだ私はひよっこ。

凛は自分にそう言い聞かせ、彼ら来賓の前で偶像を演じるため、さらに歩を進めた。



・・・・・・


Pと共に控室へ戻った凛は、心なしか不機嫌のように見えた。

ついさっき、来賓に挨拶を済ませたときとはだいぶ違う。

――皆様、この度は私のコンサートにご足労くださいまして、ありがとうございました――

――若輩者にも拘わらず、おかげさまで公演は無事成功裡に終えることが出来ました。皆様のご支援に深く感謝申し上げます――

澄ました笑顔でこんなことを言っていたのに。
もし控室へ戻ってくるこの数分の間で機嫌を悪くしたのでなければ、猫かぶりが巧いものだ。

Pはそんなことを思いながら彼女に尋ねた。

「どうした? 機嫌が悪そうじゃないか」

「うん、ちょっとね」

凛は椅子の上で、器用に体育座りをしながら視線を動かしている。

「俺が何かヘマやらかしたか? 気を損ねたなら謝るが」

「ううん、違うよ。そうじゃない」

その言葉とは裏腹に、唇はへの字に曲がっていた。

出会った頃のようで懐かしいな……
Pはそんなことを思いながら、入口近くに立ったまま腕を組んで、次の言葉を待った。

凛は意を決したように口を開く。

「……何て言うのかな……さっきさ、黒井社長の話が聞こえちゃって」

Pは、あぁ……あれか、と小さく漏らしてから凛に訊ねた。

「……こき下ろされてムカついたか?」

「むかついた、って言うよりは……」

凛は体育座りをしたまま床に視線を落とす。

しばらくの後、Pの方に顔を向けて続けた。

「……私がどうこう云われるのは構わないよ。自分自身まだまだだって自覚しているし。
 ……でも、プロデューサーのことを悪く云われたのが……悔しくて……」

凛は拳をぐっと握ってから立ち上がって、Pの許へと近づく。

「ごめんね、私が未熟なせいで……プロデューサーの腕を悪く言われちゃって」

そう、ぽつりと、呟いた。

そんな凛の肩に、Pは優しく手を乗せて、微笑んだ。

「凛、少し誤解している節がありそうだ」

「誤解……って?」

凛は訝りながら、Pの顔を仰ぎ見た。

「俺は、あれは黒井社長なりの発破だと思ってる」

「……あんな意地悪な言い方なのに?」

「そう。黒井社長もああ見えて根は悪い人じゃないよ。
 むしろ誰よりもアイドル業界のことを考えてるからこそ、厳しい言葉を浴びせるのさ」

凛は目を閉じて、Pの言葉を消化する。

「アイドル業界に……誰よりも……本気……」

「黒井社長にああ言われるということは、逆に俺たちは期待されていると捉えることもできるのさ」

「期待……されてる……」

凛はゆっくり目を開けて、微かに笑った。
業界最大手の社長に期待されている――そう聞いて何も思わないほど感情の乏しい凛ではない。

「つまり、立ち止まっている暇はないってことだね」

「そうさ、トップアイドルになるまでな」

トップアイドル――その言葉を出した刹那、凛の瞳孔の奥に力が宿る。

「プロデューサー、私、全力で、駆け抜けてみせるから」

Pはその碧い瞳に、吸い込まれていきそうな感触を覚えた。



 ――これからも隣で私のこと、見ててね――

とりあえず今回の分はここまでです。ってもう四時じゃねえか! なんか予想より分量多くなる悪寒……
あと奈緒ちん誕生日おめでとう! 誕生日SS書けなくてごめんよ!
トライアドプリムスが後半で出てくる(たぶん……)ので勘弁してください! 何でもしますから!

>>33
んにゃ、すみませんそれは読んだことないです……
命名由来は、『銅』を元素周期表で見てみてください



で、メインヒロインのクロちゃんのデレが見れるのはいつごろになるんですかね

電車止まってPio行けなくなったのでSS書きます(絶望)

>>51
基本的には、全篇でデレさせたいですが、果たしてどうなることか……

あーかーんー 表現ドン重なりしとるやないけー やっぱ眠い中書くのはあかんー
>>46 は以下に差し替えて読んでください
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~



「俺が何かヘマやらかしたか? 気を損ねたなら謝るが」

「ううん、違うよ。そうじゃない」

その言葉とは裏腹に、唇はへの字に曲がっていた。

出会った頃のようで懐かしいな……
Pはおよそ二年前の凛に思いを馳せ、入口近くに立ったまま腕を組んで、次の言葉を待った。

彼女は意を決したように口を開く。

「……何て言うのかな……さっきさ、黒井社長の話が聞こえちゃって」

Pは、あぁ……あれか、と小さく漏らしてから凛に訊ねた。

「……こき下ろされてムカついたか?」

「むかついた、って言うよりは……」

凛は体育座りをしたまま床に視線を落とす。

ぼちぼち投下再開します
今回分は少し長いかも



・・・・・・・・・・・・


四月、新学期の季節。

横浜アリーナでのコンサートを無事終えた凛は、音楽雑誌の事後インタビューなど残務を終えて久々の休みを貰っていた。

たったの数日のみではあるが、年明けからずっとライブの準備に勤しんでいたから……およそ三箇月振りか。

高校三年生になった凛は、だからといって劇的に何かが変わるわけでもない日常を過ごしている。

普通の学生生活に於ける新年度特有のクラス替えは、
凛の通っている、芸能科のクラスがひとつしかない学校には、およそ関係のない出来事であったし、
強いて挙げるとすれば、先輩がいなくなって、自分たちが最高学年になったと云うくらいのものであった。

それでも、大きな規模の興行をこなした直後だけあって、先日昼休みに校庭のテラスで昼食をしていたときは、
ライブを見に来ていた同級生や後輩からもてはやされ、多少こそばゆい思いをした。


一般的には、高三ともなると、否が応でも進路のことを考えなければならない時期だ。

当然今は、このままアイドルでトップを目指すというのが目標。それはデビュー以来変わっていない。

でも……
ふと、二年前を思い返して、もし自分がアイドルになっていなかったら、と〈IF〉に思い巡らす。

ふつーに通学路を歩いて、
ふつーにJK生活を満喫して、
ふつーに憂鬱な考査を消化して、
ふつーに部活とかやって、
ふつーに街で遊んで、
ふつーに受験勉強して。

……たぶん、実家の手伝いに活かせるよう、一橋大の商学部あたりを目指していたんじゃないかな。

そんな他愛もない、パラレルワールドの自分を想像して、凛は惜春に少しだけ胸が締め付けられる感覚を持った。

私に、普通の青春時代は存在しない。

その代わり、私には、アイドルとしての眩い青春時代が存在する。

どちらの方がいいとか、どちらの方が優れているとか、そんなのを云うつもりはないけれど。

私が味わったことのない、普通の青春時代を過ごしている人を、ふと、羨ましく思うときがある。

勿論、そんな“普通”を過ごしている人は、アイドル生活を羨望したり夢想したりするのだろう。

本当に、人間って、ないものねだりをする生き物だ。


…………なぜこのような一種哲学的なことを考えているのか。

凛の待ち人がこないからであった。

現在、日曜日の昼前。
オフが重なった未央と渋谷へ遊びにいこうと云う話に、先日なったのだが。

――寝坊でもしたのかな。

駅に着いた時点で一度電話を入れた際は、呼び出し音が十回ほど鳴った後、留守電に切り替わってしまった。

電車に乗っていて取れないのかと判断し、メールを入れておいたものの……

ハチ公前の『アオガエル』に寄り掛かりながら左手首を見ると、既に約束の時刻から15分が過ぎている。


これ以上ここにいるのは好ましくないな――

凛は時計の長針を見ながら、心の中で呟いた。

一応、変装はしている。

髪をアップに結ったり、アイドル仲間の上条春菜からもらった伊達眼鏡をかけたり、瀬名詩織に薦められた帽子を被ったり。

ただ流石にこの場に留まったままでは、見破られるのも時間の問題だろう。

大抵の人は、街の雑踏の中で“まさに今”、“まさにすぐそこ”に、芸能人がいるとは思わないもの。

一瞬気付かれそうになっても「まさか、ね」で終わってしまう。

だから多少の街歩き程度なら、そこまで神経質になる必要はない。

しかし、待ち合わせなど、動かず一箇所に留まっていると、気付かれる可能性は飛躍的に高まる。

そしてそのとき独り、かつ何もしていない状態でいると、十中八九、声を掛けられる。

現に、ハチ公像の隣に立っている中高生らしき女の子が、ちらちらとこっちを窺っている様子だ。

……場所を移さないと。

そう判断した瞬間、凛のiPhoneに着信があった。

未央からだ。ひとまず歩きながら話そう。

「――もしもし未央? どうしたの、もう15分待ってるよ。寝坊?」

『ごめーんしぶりん! 寝坊もそうなんだけど、いま鏷プロデューサーからの電話で起こされて、緊急の仕事が入っちゃった!』

「うわ、急なヘルプか」

『うん、第三課―パッション―で他に空いてる子がいないらしくて、今からブーブーエスに行かなきゃ~~あわわ』

「まあ、それじゃ仕方ないね。けど……起き抜けでしょ? そんな状態で局行って大丈夫なの?」

『鏷プロデューサーが車を廻してくれるから、その中で何とかするよ~~うわうわメイクどうしよー』

目が蚊取線香のように渦巻いて、デフォルメされた汗が飛んでいる光景が容易に想像できそうな雰囲気だ。
声の向こうからは、バタバタと駆け回る足音が聞こえてくる。

「それじゃこっちのことは気にしないで、準備と仕事に専念して」

『ありがとーしぶりん、ごめんね、この埋め合わせは今度するからぁー!』

そう言い残して電話は切れた。

急遽仕事がブッキングされることはままあるし、自分もよくそれで友達に迷惑をかけている。

だから今回の未央のドタキャンについて怒ることはない。
寝坊も……まあ一つの可能性として頭の片隅にはあったので、これもあまり気にしない。

未央らしいといえばらしいし、ね。


……さて、どうしよう。

オフの日に出かけるときは、たいてい誰かしらと一緒だった。
独り街中へ出るのは久しぶりだから、調子が少し狂う。

アイドル一人でぶらぶら、っていうのは避けるべきだし……
今日は帰った方がいいかな。

――でもせっかく渋谷へ来たんだし、楽器屋でベースの新しい弦を買いたいな。

 デビューシングルを出した際、ベースに興味が湧いた私を見て、プロデューサーがコンコードと云うベースを譲ってくれた。

 第三課の木村夏樹にその話をしたら目を丸くしていたっけ。

 ロックに詳しい彼女曰く「かなりイイモノ」だそうなので、大切に使っている。

 今では、そこそこ上達したと思う。夏樹とセッションすることもあるよ。


――あーあとマルキューを覗いたり、アップルストアにも行きたいな……

 うーん、マルキューあたりは独りで行くと万一バレたときに少し面倒かも……


そんなことを考えながら、楽器屋のある西口の方へ向かおうと、井の頭線下の横断歩道に差し掛かったとき。

青信号を渡ってきた女性が、凛の目の前で「どんがらがっしゃーん!」と派手に転んだ。

つまづくようなものは何一つないのに見事な転倒っぷりで、身につけていたハンチング帽と黒縁眼鏡が、凛の足元へ飛んでくる。


「……大丈夫ですか?」

凛はそれらを拾うと、転けた人を覗き込んで尋ねた。

その人は、いたた……また転んじゃった……今日二回目だよ……、とつぶやきながら立ち上がり、凛の差し出したものを受け取る。

「すみません、ありがとうございます」

その人が顔を挙げた瞬間、凛の片眉がぴくっと上がった。

業界人は勿論のこと、一般の人間でも知らぬ者はいないであろう人物だったからだ。

「天海……春香さん?」

今をときめく24歳のAランクアイドルその人は、あちゃーという顔を見せた。



・・・・・・・・・・・・


「これからは転んでも解けないような変装が必要ですね……」

春香はソイラテを一口飲んでから、たはは……と苦笑した。

ここは桜丘にあるカフェ。

近傍には大学やオフィスビルがあるため、渋谷駅から玉川通りを一本隔てただけなのに、静かで落ち着ける場所となっている。

さきほど転倒した際の衝撃で彼女の眼鏡が曲がってしまったので、凛は伊達眼鏡を貸すと申し出た。

凛は髪型を変えて帽子も被っているから、眼鏡を外しても、“まだ”、なんとかなる。

そうしたら、もののついでと云うことでお茶に誘われたのだ。

凛は茉莉花茶で喉を濡らしてから問う。

「あの……天海さんほどの人が、どこの馬の骨だか知れない人間とお茶しちゃって大丈夫なんですか?」

それを聞いた春香は目尻を下げながら、

「そりゃあ、一般の方と二人きりでお茶するのは避けますけど、同業の方なら特に問題ありませんし」

「えっ?」

凛は素っ頓狂な声を上げた。
その様子を見た春香は、不思議そうな顔をしながら「あなた、渋谷凛さんでしょう?」と笑った。

まさか。

まさか八年もの間Aランクを独走している天海春香が、新興の私を知っているなんて。

「そんな驚かないでくださいよ。CGプロさんの方々はそれなりに存じてますから」

「そうだったんですか……」

「……さすがに全員は無理ですけど」

「……私でも把握し切れていませんのでそれは仕方ないと思います」

凛は瞼を閉じ、こめかみを抑えながら正直に言った。

春香は口元に手を当ててくつくつと笑っている。

「でもまさかトップアイドルたる天海さんが私なんかのことをご存知なんて、とにかくびっくりで……」

「そんなに謙遜なさらないで。渋谷さんはいま最も勢いあるアイドルとして有名なんですから」

「きょ、恐縮です……」

凛は顔を少し赤らめて、寄り目のようにして手許のカップへとフォーカスを落とした。

「あと、私のことは天海じゃなくて春香、って呼んでください」

「えっ、そ、それは」

動揺して反射的に視線を上げた凛に、春香はウインクして「その方が慣れてますから」と人差し指を立てながら言った。

「……わかりました、春香さん。私のことも凛と呼んでください」

そして、カップを口元へ近づけながら、春香の様子を窺うように言葉を付け足す。

「あと……こそばゆいので、可能でしたら普通に話して頂ければ……」

「おっけー。それじゃ凛ちゃんで! ふ~、他所往きの言葉は疲れちゃうから助かったよー」

春香は安堵の表情でそう漏らした。

それは、生っすか!?サンデーでよく見る、自然体の彼女であった。

「でもごめんね、わざわざ眼鏡を貸してもらっちゃって。
 私、眼鏡かけないとすぐバレちゃうから、転んで眼鏡が壊れたとき正直ちょっと焦ったんだ」

春香は、凛が貸した眼鏡の縁を、くいくいと動かしながら感謝した。

「早いうちに今度そちらの事務所まで返しに往くね」

凛はあわてて両手を振りながら答えた。

「あ、いえいえお構いなく。見ての通り伊達ですし、それにうちにはメガキch……」

コホン、と一度咳払いし、

「眼鏡をたくさん抱えている、妙に詳しい者がおりますので」

「あはは、面白い子がいるんだね」

「ズレにくかったり、壊れにくかったり、変装用眼鏡の選ぶコツを訊いておきますね」

「あ、それ助かるー。私さっきみたいに転んでばかりだから、眼鏡すぐ取れちゃうんだ」

私の変装には眼鏡が必須なのにねと言葉を付け足し、春香は首をやや傾げながら右手で自らの後頭部を叩いた。

「私は髪型を変えて帽子を被れば眼鏡がなくてもまだなんとかなりますけど、
 春香さんくらいの髪の長さだと中々そういうわけにはいきませんよね」

「そうなんだよー。
 うーやっぱり髪の長い子って、それだけでも判別要素になるよね。
 千早ちゃんや美希も髪をアップにすると雰囲気だいぶ変わるしー……」

ソファの背もたれに体重を預けながら春香は独り言つ。

その言葉で、凛はふと気付いた。

「逆に言えば……春香さんは今の私を見て、よく渋谷凛だとすぐにわかりましたね?」

さっき一般の人とは喫茶しないと云っていた。
つまり凛をお茶に誘った時点で春香は気付いていたはずだ。

「あーそれは、プロデューサーさん、
 ……あ、うちの赤羽根プロデューサーね――が凛ちゃんのバレンタインのSRを持ってるところを見たからだね」

「えっ、あれって市井には出ていないはずじゃ……」

予期せぬ返答に、凛は軽く狼狽えた。
あのカードは、事務一帯を取り持つ千川ちひろが、内部向けの特典として用意したものだったからだ。

「ああうん、一般には出回ってないけど、業界の人間なら、ね。
 あれには765―うち―からも何人か参加しているし」

そういえばそうだった。
当時、CGプロの企画に765プロが乗ったと話題になっていたっけ。

「特にバレンタインの凛ちゃんSRは、プロデューサー職の人はこぞって狙ってたみたい。死屍累々だったんだよ?」

赤羽根さん、一箇月もやし生活だったしねー、と、しれっと恐ろしいことを春香は言った。

自分の影響力って、予想以上に拡がっているのかも知れない……
凛は茉莉花の香りを鼻にくすぐらせながら思った。


その後、他愛のない話を色々お喋りして、短針がそろそろ真上を向こうかという頃。

二人のカップはほぼ同時に空となり、お茶会はこれにてお開き。

早朝に収録のあった春香は、これから二時間かけて帰るそうだ。

売れっ子になってもそれは変えてないと言う。

そのガッツに凛は舌を巻いた。

凛の実家は東京西部にある花屋。毎日通えない距離ではない。

しかし、――人が殺到して商売にならなくなるのを避けようとした意図があるとはいえ――
凛自身は、笹塚にある、通学・通勤に便利なCGプロの第一女子寮へ入っている。

春香のような始発列車での長時間通勤は、到底真似できないものであった。


二人、ピークを過ぎた桜の花弁が舞う坂道を、駅へと向かって下りていく。

「今日は楽しかった。他の事務所の子とお話しする機会って中々ないからさ」

「はい、私も先輩にたくさん伺えて楽しかったです」

先輩と云う言葉がくすぐったかったのか、春香は少し照れた風を見せた。

「凛ちゃんさえよければ、また、お茶しようね」

「はい、喜んで」

「あっそうだ忘れてた! 凛ちゃんアドレス交換しよう!」

両手をぱん、と拍手―たた―いてから出された春香の提案。それは凛にとって願ってもないことだった。

「ありがとうございます。是非、お願いします」

よもや天海春香とホットラインを築けるとは、連絡先を交換するのにこれほどドキドキすることが、かつてあっただろうか。

染井吉野の樹の下、二人はiPhone同士をbumpすると――

harukakka@i.hardhage.jp

「春……閣下……?」

「そうそう、ファンの人たちからそういうネタがあるって教わってね、面白いからアドレスにしちゃった」

『てへぺろ』と云う形容がよく似合う仕草で春香は語る。

なんと貪欲な取り入れ方。

こう云う姿勢が私にも必要なのだろうか……考え込みながら歩いていると、玉川通りにすぐ着いてしまった。

春香は駅へ、凛は近くにあるベース専門店へ。通りを渡る歩道橋のたもとで二人は別れる。

「いつでも気軽に連絡してね、それじゃ!」

春香は、頭を軽く下げて見送る凛にひらひらと手を振りながら、雑踏へ紛れていった。

その後ろ姿を眺める。

テレビの中とまったく変わらない天海春香。

その裏表のなさが、彼女をトップアイドルたらしめているのかも知れない。

アイドル天海春香としての味――

凛は、ヒントを垣間見た気がした。

しかし……それをただトレースすればよいのかと云われれば、答は違うだろう。

「私自身の味って……なんだろう……」

この二年間、プロデューサーに導かれるまま我武者羅に走ってきて、考えもしなかったこと。

凛の心の中に、未知の謎が芽生えようとしていた。



・・・・・・・・・・・・


「おはようございまーす」

フロストガラスの扉を開けながら挨拶をすると、ちょうど千川ちひろがコピー用紙を持って通り掛かるところだった。

「あらおはよう、凛ちゃん。今日はオフのはずじゃなかった?」

「うん、そうなんだけど足が自然とこっちに向いちゃって……」

あの後、別れた場所すぐそばの店でベースの弦を買ったものの、手持ち無沙汰になってしまって、
結局、通い慣れた事務所へとやってきたのだ。

「あらあら。ワーカホリックなプロデューサーさんが伝染ったかしら」

そう笑いながら、ちひろはコピー機へと歩いていった。

「プロデューサーさんは休憩室にいるわ」

「あ、ありがとう、ちひろさん」

凛が訊いてもいないのに、ちひろは背中越しにPの居場所を宣った。

なんだかまるで私がプロデューサーへ逢いに来たみたいじゃない。

凛はつんつんと心の中で微かな抵抗をしたが、

「……あながち外れてはいないけれど」

その抵抗はあっさり霧散した。

休憩室に入ると、果たしてPはそこにいた。

入口に背を向け、アコースティックギターを抱えてTommy EmmanuelのLuttrellを爪弾きながら。

斜向かいでは、凛と同じ第一課―クール―に所属する高峯のあが、
それを聴きつつ何故か科学雑誌――それもアンドロイド特集――のページを捲っている。

ふと凛の存在を認めたのあだったが、凛が片目を閉じて唇の前に人差し指を立てたので、そのまま雑誌に目を通し続けてくれた。

心なしか、普段感情を表に出さない、下を向いた彼女の口角が上がっているように見える。

「また新曲に詰まったの、プロデューサー?」

凛が気配を出さないようにして後ろから声をかけると、当のギター奏者は驚きのあまり座ったままの体勢で飛び上がった。

「うおっ!? ……凛か、おはよう。びっくりさせるなよ」

心臓に手を当てながらPは声の主を振り返る。

「おはよ。ギターに没頭しすぎて勝手に驚いただけでしょ」

くすっと多少意地悪く笑いながら、凛はPを回り込んで対面のカウチにすとんと腰を下ろした。

「今度のお前の新曲をどんな方向にしようか考えていたんだけどな、今日はあまり“降りて”こないから気分転換していたのさ」

Pはプロデューサーという立場上、売り出し方、音楽の方向性、予算・進行管理、つまり凛の全てを管轄する。

――いや、凛だけでなくクールアイドルの全てと云うべきか。

CGプロの他課のプロデューサー、銅や鏷と違い、Pは音のラフスケッチを描いてそれを作曲家/編曲家に渡すことが多い。

低予算の場合は、昔取った何とやら、と云いつつ自ら曲を書いてしまうこともある。

だからインスピレーションが湧かないときは、こうやって適当に楽器を鳴らしているのだ。

それはギターだったりベースだったり、はたまたウーリーであったりドラムであったり。

そうすると、不意にアイデアやフレーズが浮かんでくるのだそうだ。
結構よくあることなのだとか。

凛がベースに興味を持ったのも、そんなPを間近で見ていたからであった。

第三課の夏樹が度々「うちの鏷プロデューサーと交換してくれよ」とからかうように言ってくる。

あながち冗談に聞こえないから性質が悪い。


そこへ安部菜々がひょっこりと顔を出した。第二課―キュート―に所属しているアイドル。

……の大御所。

その昭和生まれは、私服の凛を見て、至極真っ当な疑問をぶつけてきた。

「あれー? 凛ちゃん、今日はお休みじゃありませんでしたっけ? なんで事務所へ?」

「あー、うん。プロデューサーに逢いたくなったから」

彼女の問いに凛が真顔で回答すると、当のPは「???」と心底不思議そうな目をしてきた。

ま、思った通りの反応だけどね。

菜々は口を大きく開けて「キャハっ! ダイタンですね凛ちゃん!」と笑みを浮かべているのに。

曲がりなりにもアイドルにあんなこと言われたんなら、もう少し照れたり喜んだりしてくれてもいいと思うんだけどな。

……まあ菜々ほどの反応はしなくてもいいけど。

「冗談だよ。今日は未央と渋谷を街ブラする予定だったんだけど、あの子、急に仕事入っちゃったからさ」

帽子を脱いで、アップにした髪を解きながら答えると、その黒い絹糸の上を、照明の白い反射光が流れていった。

Pは合点がいったようで、「そういえば鏷がだいぶ焦ってたな朝」と
スケジュールの書かれた電子黒板を横目に見ながら言った。

「そうね……他所の部署とはいえ……少々心配になるくらいだったわ」

のあも頷く。

「そんなに大変だったんだ? 結局あれ以降、未央から連絡ないし、大丈夫だったのかな……」

「まあ連絡がないってことは大丈夫なんだろうよ、きっと」

確かに、問題があれば何らかの報せがきているはず。
それがないなら、順調と云うことだ。

凛は話を続けた。

「それで、ベース弦を手に入れたらやることがなくなったから来ちゃった」

「ん、弦? あのコンコードの? どれにしたんだ?」

凛は楽器屋の黒い袋から、買ったばかりのブラックナイロン弦を取り出してPに渡した。

「お、LA BELLA 760Nじゃないか。凛もこれにしたのか」

「うん、こないだプロデューサーが渋くて好きって言ってたでしょ。だから試してみようと思って」

Pが以前、編曲家とオールドスクールな出音が気に入っていると云う話をしていた際、その言葉を凛は憶えていたのだ。

この弦でスラップすると、アタック音が独特の触感になって心地よいのだとか。

「まだ三連プルさえ巧くいかないひよっこだけどね」

最近までツーフィンガーしかやっておらず、スラップを始めて間もない雛鳥な私。

だけど、新しい音の世界を見るのは楽しみだ。

凛がそう言って目を輝かせるとPも笑みを浮かべた。

「凛はリズム感がいいからスラップはすぐに上達するさ」

「音感じゃなくてリズム感? 確かにテンポを保つのは重要だけどリズム感ってそんなに関係なくない?」

顎に人差し指を添えながら首を傾げると、Pはチッチッと手を振った。

「大アリさ。スラップベースは打楽器ともいえるからな」

打音の強弱リズムのつけ方ひとつ取っても、奏者によるセンスがモロに出る。

その点、ダンスのセンスとリズム感に定評ある凛なら飲み込みは早いだろう、とPは力説した。

「ふーん、まあ今度個人レッスンでもしてよ、プロデューサー」

凛は前屈みになり、Pを下から覗き込むようにして云った。

「時間が合えば、な」

Pがすっくと立ち上がり、ギターをスタンドに戻しつつ答えると、それまで寡黙であったのあが口を開いた。

「Pの……“個人授業(My Tutor)”……? 羨ましいわね……」

「おいのあ、言葉に何やら厭らしいニュアンスを感じるんだが」

「ふふ……Pは……厭らしいと感じたのね……? 一体何にかしら……」

言葉だけ聞けばPをからかっているようにしか思えないが、当ののあは科学雑誌から一時も目を離さずに話している。

「のあさんいつも通りだね」

凛が半ば呆れるように言っても、のあは動じない。

「さぁ……私の言葉に意味があるか、それとも気まぐれなのか……其処に意味を見出すのはP、貴方次第よ」

「善処するよ」

Pは観念したかのように両手を軽く挙げて、降参のポーズを取った。

そのまま凛へ向き直り、弦の入ったパッケージを顔の横でひらひらと振った。

「ま、こいつなら、ジャズ、RnB、ソウル、フュージョンによく合う……
 渋さはピカイチだが、その良さが判るには、凛はまだ少し早いかもしれんな」

少しだけ苦笑気味にそう漏らす。

「むっ、ちょっと、私を子供扱いする気?」

凛が口を尖らせると、Pは「滅相もございません」と首を振った。

絶対子供扱いだよね、それ。

「まあいづれにしろ、感触がスチールとは少し違うから最初は戸惑うかもしれん。
 わからなかったら訊きにくればいい」

言葉の後半でPは表情を緩め、凛に弦を返した。

――おちゃらけた雰囲気からの、この包容力ある笑み。
ほら、プロデューサー、そういうのが女の子キラーなんだよ?

「……うん、ありがと」

凛は弦の入った袋で口元を軽く覆い、心の中の言葉は噯にも出さず、感謝のみ述べた。

そこへ菜々が、ぬっと顔を突き出して問う。

「凛ちゃんがベース弾くのは知ってましたけど、フュージョンやるんですか?」

「え、ううん、別にフュージョンって決まってるわけじゃない……けれど……」

「フュージョン演りませんか!?」

菜々の目はどこか憧れに光っているようにみえる。

「え、ま、まあ……シンデレラガールズのみんなでバンドみたいなことをやってみたい……とは思うけど……」

それを聞いたPは「シンデレラガールズバンドか……アリだな……」と考え込み始めた。

いつでもどこでもそのモードに入るんだから……と凛が思っていると、菜々が鼻息粗く迫ってきた。

「やりましょう、カシオペアやりましょう! ナナ頑張ってキーボード覚えますから――
 ギターは夏樹ちゃんや李衣菜ちゃん呼んで、ドラムは……伊吹ちゃんあたり出来そうだから引っ張ってきて、カシオペアイドル演りましょう!
 ナナ、ずーっと司会屋実ポジションやってみたかったんです!」

菜々のあまりの勢いに凛は思わずたじろぐ。

「な、菜々……カシオペアって……なに? 星座のこと……じゃないんだよね?」

「凛ちゃん! 知らないんですか! カシオペアを! 知らないんですか!!」

菜々はその甲高い声で詰め寄った。

菜々の目は憧れに光っているのではなかった。猛禽類のそれなのだということに凛は気づいてしまった。

「80年代に一世を風靡したフュージョンバンドですよ! 野呂一生のチョッパーギター! 櫻井哲夫のグルーブ満ち溢れるベース!
 司会屋もとい向谷実のKX88から紡がれるコードの魔術! 神保彰のド安定なリズム隊と華麗なタムさばき……!
 当時ナナがどハマリするくらい凄かったんですから!」

「と、当時ハマッた……?」

凛は半歩ほど後退って冷や汗を垂らしながら思わず言葉を漏らした。

すると血気で紅かった菜々の顔は瞬時に青くなり、「と、ととと当時のビデオを見たんです!」と弁明したが、

「だからってなんでそんな詳しいメンバー構成や向谷実の通り名まで知ってるんですかねぇ菜々さん」

Pがやれやれといった様相で菜々に問い掛ける。

「な、なんで他の子は呼び捨てやちゃん付けなのにナナにはさん付けのうえ敬語で話すんですかPプロデューサー!!
 85年伝説の国技館ライブをベータにダビングしてテープが擦り切れるほど見たからですよ!」

「あ、その映像俺も欲しいですね」

その言葉に菜々は笑みを輝かせたが、そこへPは間髪入れずに突っ込んだ。

「でも菜々さん、今や一般家庭でテープデッキがあるかどうかすら怪しいというのにベータってのは――ちょっと」

「ハッ! ウ、ウ、ウサミン星ではベータがVHSに勝ったので現役なんです! キャハっ!」

「うわぁ……」

Pはさすがに目尻の痙攣を抑えきれなかった。
銅はどうやってこれを捌いているのか心底不思議になる。

その様子を見ていた凛は、Pが引くなんてよっぽどなんだろうなと諦観した。

相変わらず科学雑誌へ目を落としているのあに、声を小さく抑えて訊ねる。

「ねぇ、のあさん、ベータ……ってなに?」

「たしか……昔の……ビデオテープの規格ね……」

「ビデオテープって、一種類だけじゃなかったんだ……」

ぽつりと呟くと、のあはその独言を拾って話を続ける。

「そうね、今で云うSDカードとメモリースティックの違い……
 みたいなものかしら……私も詳しくは……知らないのだけど」

凛は少し考え込んだのち、眉をひそめて再度問う。

「……のあさんですら、知らないものなの?」

ついにのあは雑誌から目を離して凛の方を向いた。

「流石に……私もバブルは未経験よ?」

そういえばそうだった。

妙に落ち着いた趣を持っているとはいえ、のあは丁度バブル経済が崩壊し始めた時期に産まれたはずだった。

――しかしどうしてか凛がそのことを信じられないのは、どこか心の奥底で、のあが実は人間じゃないのでは、と思っているからなのかもしれない。


なにやらベースの話題から始まったドタバタに小さな溜め息を吐くことしばし。

奇妙なやり取りをする間に弦をバッグの中へしまっていた凛は、立ち上がってPの横までいくと、彼の左肘を引き寄せた。

「まあガールズバンドのことはひとまず置いとこうよ。これ以上菜々……さんに突っ込みを入れても仕方ないし」

「凛ちゃんもしれっと非道いこと言いますね!?」

凛は菜々のささやかな異議申し立てを華麗にやり過ごして、Pの肘をさらに引っ張る。

「ねえプロデューサー、お昼まだでしょ? 私おなか空いちゃった。ご飯どこか連れてって」

「ん? なんだ凛お前まだ食ってないの? ……じゃあそこらへんのイタ飯にでも往くか。
 のあや菜々……さんはどうする?」

「ちょっと、P……こう云う刻にそんな野暮なことを訊くものかしら? ねぇ……菜々“さん”?」

のあは意味深な視線を菜々へ向けた。そんなのあに、菜々は脂汗を流しながら同調する。

「あ、あはは……そうですね、ナナはお腹空いてませんから、凛ちゃんと二人で食べてくればいいと思いますよ~……」

「? そうか。じゃあ出るか、凛」

「うん、いこ、プロデューサー」

帽子を頭に載せ、心なしか凛の声は弾んでいる。その片手はPの腕を掴んだままだ。

そして、パタンと扉が閉まる音と共に訪れる静寂。

休憩室には、必要以上に疲れた様子の菜々と、無表情で雑誌を読み進めるのあが残されたのだった。

ふう、ちょっと小休憩します
息抜きに作中で挙げた曲貼っておきますね

Tommy Emmanuel "Luttrell"
http://www.youtube.com/watch?v=IUXwn-ob9mk


菜々さんがベータのテープを擦り切るほど見た、カシオペア85年国技館ライブの様子
Casiopea - Looking Up
http://www.youtube.com/watch?v=S0Xm1PWb07o

Casiopea - Galactic Funk
http://www.youtube.com/watch?v=AKgjOCuW_MU



・・・・・・・・・・・・


首都高一ノ橋ジャンクション周辺の喧噪から少し離れた半商半住なエリア。

CGプロ事務所のある麻布十番は、六本木や東京タワーが近いのに、一本路地を入れば意外と庶民的な街だ。

しかしここは美食の都東京。親しみやすい住宅地の中にも、グルメなお店は多い。

Pと凛は、元麻布との境にある、お洒落なイタ飯屋に来ていた。
――いや、然るべくイタリアンレストランと云うべきだろう。

「ちょ……ちょっとプロデューサー……ここ、だいぶ高そうなお店だよ?」

エレベーターを降りた直後からとても落ち着いた雰囲気を纏わせるエントランスに、凛は少し後込む。

絢爛な自己主張はしないが格調高い調度品。
決して広くはないが席と空間にゆとりある店内。

一目見ただけで「高級だ」とわかるレストラン――

凛はもう売れっ子と表現して差し支えないレベルのアイドルだが、
それでもディナータイムにドレスコードが設定されそうな店へ入る経験はそう多くない。

それもそうだ。
ほんの少し前まで、彼女はただ普通の女子高生だったのだから、当たり前と云える。

「別に問題ないさ。今日のお前は洒落た服装をしてるし、充分に綺麗すぎるくらいだ」

Pは軽くそんなことを言ってのけるが、いきなりこのような場所に連れてこられては、凛の心の準備ができていないのも仕方あるまい。

しかも、いつもの制服ではなく私服姿を綺麗と褒められたものだから、期せずして頬も染まってしまう。

凛は、それを悟られないように少しだけ下を向いた。

意識しないでこう云う言葉がぽんぽん出てくるんだから、この人は本当に天然ジゴロ。

私の心をこんなに掻き乱してどうするのだ。

軽い気持ちで昼食をねだったつもりだったのに。

そんな愛憎の念が複雑に入り交じった視線を、横目で隣の人物に流した。

それに気付いたのか気付いていないのか、凛を向いてPが説く。

「まあそれに、こういう場所なら変装しなくても入れるし、レンズに狙われることもない」

確かにそれは頷ける。
もはや今となっては、帽子を被るだけの変装と呼べない変装でファミレスやファストフード店へ行っては、混乱が起きてしまう。

以前、卯月が本郷にある第二女子寮近くのCMOSバーガーまで、変装せずひょっこりと行ったら、大変な騒ぎになったそうだ。

 ――案の定、銅プロデューサーにこってり絞られたらしい。


それでも最近は、十番周辺の人々はCGに所属するアイドルたちを見ても、日常の一部のように捉えてくれることが多くなった。

ありがたいことだ。

地域の人の理解と支えがあって初めて、アイドルは支障なく活動できるのかも知れない。

凛がそんなことを走馬灯のように思っていると、一番奥の席へ通された。

メニューの上には、到底ランチとは思えない値段のコースがずらりと並んでいて、一瞥しただけで軽く目眩を覚える。

「ねえ、プロデューサー……桁が違うよ?」

「いいんだよ気にするな。
 こないだのコンサートの成功祝いを個人的にやってあげられてなかったからな。
 好きなのを頼め」

「ん……
 なら、いいんだけど……」

そう言いながら唇に人差し指の腹を当てて、少し考え込んだ。

Pは続ける。

「それに、お前みたいな売れっ子は変に遠慮なんかしなくていい、もっと堂々としていろ」

勿論、無遠慮はだめだが、遠慮しすぎるのも駄目だ、と付け加えて、泰然自若な笑みを向けた。

凛はそれにつられて微笑み、ありがと、と述べてから、じゃあ、と二番目に高いコースに決めた。

「ん? 一番高い、メインディッシュありのやつじゃなくていいのか?」

「昼時からそんなに食べられないって。このコースのアマトリチャーナがいいな」

「そうか、じゃあ俺はアンチョビにしようかな」

そう云ってPはオーダーを済ませた。


「横浜アリーナ公演成功を祝して――」

食前に供されたサンベネデット・フリザンテのグラスを、二人は乾杯、と言いながら掲げた。

乾杯とはいえ、これはスパークリングウォーター。

Pはこんな昼間からアルコールを呑むわけにいかないし、凛はそもそも未成年だ。

だから、ノンアルコールで控えめに。

それでも凛にとっては充分な杯だった。

「あ、この発泡水おいしい……」

「これはベネチアのものらしいな。イタリア料理にはイタリアの水、ってことかね」

グラスもベネチアンガラスのようである。凛は水の都に思いを馳せた。

「ベネチアか……北イタリアだっけ」

生まれてこの方、海外へはあまり行ったことがない。

経験があるのは、せいぜい中学の頃に家族と旅行したサンフランシスコやバンクーバー、上海、長安くらいなもの。

欧州は未知の場所であった。

「……いつか行けるといいな」

「凛ならそう遠くないうちに行けるんじゃないか? 世界ツアーも夢想話ではないと、俺は半ば本気で思ってる」

グラス側面の装飾を眺めていたPは、凛に視線を向けた。

「ふふっ、プロデューサーにそう言われると、出来るような気がしてくるのが不思議だね」

「お前なら出来るさ」

あまりにも自信たっぷりに言うので、まるでこの人は未来からやって来たんじゃないかと思うときがある。

「でもまずそのためには、この日本でトップアイドルにならないとね?」

挑発的な笑みを浮かべると、Pは一瞬、虚を衝かれたような顔をして、すぐに破顔した。

「そうだな、まずはそこからだ」

改めての船出を確認し合う二人、それを見計らったかのように、前菜が運ばれてきた。


「トップアイドルといえばさ――今日、渋谷で天海春香さんと一緒になったんだけど」

前菜のカルパッチョを軽くつまみながら、凛はPに昼前のことを報告した。

「へぇ、天海さんと、か。お前、オフで彼女と絡みなんてあったっけ?」

Pはサラダを口の前にまで持ってきていた手を止めて、目を少し大きく丸くした。

「ううん、会ったのは偶然だったんだ。で、そのとき色々あって、アドレスを交換したの」

「そりゃまた、たまげたなあ。あんな先輩とお近づきになれるとは中々できないぞ」

「やっぱそうだよね……だいぶ強運だと自分でも思うよ。……っていう、一応報告まで」

「ほいよ、了解」

この業界に限らず、仕事に関係しそうなことはどんな些細なものでも報連相が最低限の務め。

特に相手が大物である以上、凛は自分だけで内々にしておくのは好ましくないと考えたのだ。

「それで、メールとか……してもいいかな?」

「ん? ああ、まあこちらで特に制限するつもりはないが」

「そっか。一応、他の事務所の人だし……訊いておかないとと思って」

「あーそりゃ、勿論、仕事の守秘義務に関連する話は駄目だけどな、凛はそんなこと云うまでもなく判ってるだろ?」

それはPが、基本的に凛を信用しているというのが伝わってくる言葉だった。

「うん、それはさすがに、ね」

「女の子同士だし、弁えて交友するなら特に問題ないさ。向こうの赤羽根さんにも話を通しておくよ」

末端のアイドル同士だけではなく、事務所や担当プロデューサー間で意識を共有する。

こうすれば、トラブルは起き難い。

「うん、ありがと、プロデューサー」

凛は、心置きなく春香と親交を深められそうだと、内心ホッとした。

実際のところ、事務所をまたいだ交流は規制されるかもしれないと思っていたからだ。

「お前の眼が生き生きしてて、俺も嬉しいよ」

「え、どういうこと?」

「この業界で初めて背中を見せてくれる人が現れた、そのことを喜んでるように見えるのさ」

Pはフォークを一度置いて、人差し指を上へ向けた。

「ほら、お前はうちの事務所じゃ一番の古株で、『頼れる先輩』って身近にいなかっただろ?」

「そう……だね」

確かに、アイドルデビューしてからこれまでずっと、凛がそのポジションだった。

現在、CGプロにいる者は、同期の卯月と未央を除いて全て後輩。

この世界は、歳上だろうが歳下だろうが関係なく、芸能歴が全て。
28歳の三船美優や、27歳の高垣楓すら、凛にとっては後輩なのだ。

凛自身はあまり上下関係を気にしない性格ではあったが、全員が後進である以上、CGプロの中で、凛が誰かを頼ることなどなかった。

むしろ、CGプロ全てを代表するリーダー格として、誰かに縋ることが出来ない空気すらあったと云えるだろう。

強いて挙げれば、卯月と未央とでサポートし合うことはあった。

しかしそれはあくまでも戦友同士の助け合いであって、誰かの腕に身体を預けるわけではない。

勿論プロデューサーを頼ることはあったが、それは指導をする者と受ける者としての関係であった。

「俺もそのことは認識していてな……。年端もいかない高校生の両肩にかかる重責を、
 満足に消化させられないままでいる今の状況は……どうにかしないとと思っていたんだ」

Pは少し肩の力を抜くようにして訥々と語る。

「だから、天海さんと交流を持つことで、何らかのヒントを吸収できたり安らいだりできるなら、
 これは凛の成長のためにもいいきっかけだと思う」

勿論お前の力を信用していないわけじゃないぞ、とPは付け加えた。

「先頭を走る人間には、それ特有の悩みってのが出てくるものだ。
 なのに、その弱さを誰にも見せられないのは、酷なこと」

「酷な、こと……」

「そうだ。
 お前にはその酷を押し付けたまま、二年も放置してきてしまった」

Pは両手をテーブルに置いて、少しだけ頭を下げた。

「凛のその強さに、俺が寄り掛かってしまっていたんだろうな。それは否めないし、済まなかったと思う」

何の気なしに、今日起きたことを報告しただけだったのが、いつの間にか話のスケールが大きく、
プロデューサーが詫び言を述べる状況になっていて、凛は少しだけ気後れした。

「そ、そんな……謝らないでよ。私はプロデューサーがいたから、ここまでやってこられたんだよ」



「プロデューサーがいなければ、私は世界の輝きを知らなかった」


「プロデューサーのおかげで、今の私があるの」


「プロデューサーとなら、どこまでも行ける」


そう、貴方となら。

初めてアイドルの世界に足を踏み入れてから今まで昇ってきた階段を思い出す。

「私、確かに全て自分で背負い込むことが多かったかもしれない。
 もしそれで心配をかけていたなら、辛いときは辛いって言うようにするよ」

テーブルに置かれたPの左手に、凛はそっと右手を重ねた。

同時に、少し頬を染める。

「いつも、ありがとう。
 私、愛想ないから……あんまり伝わらないかもしれないけど……プロデューサーには、感謝してるよ」

どうしたんだろう。

今日の私、随分と饒舌だ。

凛は、自らの“らしくなさ”に戸惑いながらも、Pへのお礼を口にした。

これまでの、上っ面だけの「ありがとう」ではなく、

本心からの“謝辞”として。


――

Pは内心、鼓動の高鳴りに焦っていた。

凛はこんなにも色香のある微笑みをかつて見せただろうか。

出会った当初はあまり信用のなさそうな視線を不躾にぶつけてくる女の子だったのに。

年頃の娘は化けると良く云うが、凛の進歩は全く理解の範疇を超えていた。

事実、Pの予想以上のスピードでBランクまで登り詰め、もはやAランクも秒読みという段階だ。

ダンスやビジュアルに比べ出遅れていたボーカル力も、最近はめきめきと上達している。

勿論、天性の才能もあるのだろうし、真面目にレッスンに取り組んでいた成果もあるだろう。

しかし、それにしてもこの成長速度は。

――凛ちゃんの原動力の一番はPプロデューサーさんでしょう?
――しぶりんってPさんが絡む事案だと瞬発力すごいもん

……いや、気のせいだ。

……気のせいでなければならない。

真実はどうあれ、少なくとも、気のせいと云うことにしておかねば。


ことり。
一瞬の思考へ耽っている間に、二人の前には、メインとなるパスタが用意された。

このタイミングで料理が出て来たのは僥倖であった。

これ以上考えていたら、後戻りが許されない領域に足を踏み入れそうだったからだ。

切り替えるように、努めて明るく声を出す。

「お、うまそうだな。頂こうか」

「……うん、そうだね」

そうしてしばし、二人は特別な昼食を楽しんだ。


――

店を出ると雨が降っていた。

事務所を発った時はそんな兆候はなかったのに。まさか春に村雨とは。

強くもないが弱くもない。雨宿りするか強行突破するか。

Pはビルの出入口で少し空を眺めてから、凛の方を向いた。

「……事務所まで近いし、さっと走っちまうか」

凛も空を軽く見上げる。

「そうだね、なんだかすぐには止みそうにないし……」

その返答を聞くや否や、Pは矢庭に背広の上着を脱いで、凛の頭の上に被せた。

「ちょっ、プロデューサー?」

「濡れるから合羽の代わりにしろ。俺の上着ですまんがな」

「いや、それは別に構わないんだけど、プロデューサーこそびしょびしょになっちゃうよ?」

「俺はいいんだよ」

アイドルを濡らす方が大問題だ、と言いながらPは走り出した。

「ちょ、ちょっと待ってよ」

慌てて追いかけようとする。

刹那、凛を撫でる風の流れが、彼女に届けてくれたもの。

「……」

半歩ほど出した足を止める。

「……ふふっ、プロデューサーの匂いがする」

頭から肩を経て身体を包んでくれているあの人のスーツ。

ほのかに馨るあの人の証跡を、少しだけ吸い込むと、左の内胸ポケットに刺繍されたあの人の苗字が目に入った。

その橙の糸の盛り上がりをそっと撫でてから、凛も雨の街を駆ける。

意図せず感じるPの温もりを、走りながら噛み締めて。

――このまま事務所に着かなければいいのに――

不思議な感覚が、心に染みていく――



・・・・・・・・・・・・


あっという間に雨とはおさらばだった。

たかだか200mほどなのだから、ゆっくり走っても数分程度で着いてしまうのは当然と云えば当然なのだが。


先に到着していたPは、髪やワイシャツに染みた雨を手で払っている。

その軒先へ、凛が、とん、と舞うように辿り着き、頭から被っていたスーツを自らの肩に掛け直した。

そしてニットデニムのポケットからハンカチを取り出してPの頭や肩を拭う。

「おお、悪いな」

「ううん、……結構濡れちゃったね」

「そうだな、思ったよりも降りが強かった。……サンキュ、あとは給湯室のタオルで拭くさ」

「うん、風邪引いちゃうよ、早く事務所入ろ?」

乾いたタオルを持ってこようと、凛は小走りで事務所へ向かい、その後ろをPがのんびり歩いて着いていく。

給湯室でタオルを数枚手に取った凛は、事務所の上がり端へ戻ってPを拭いた。

美少女が大人のスーツを羽織り、ぴょこぴょことタオルを持って走り回り、
さらには濡れた男性に甲斐甲斐しく世話をする光景は、そこはかとなく退廃的に見える。


勿論、それを目撃した他の所属アイドルからは意味在り気な視線を送られるし、
菜々は空気を読まずに無邪気なのか弄っているのかよくわからない言葉を投げる。

「あー! 凛ちゃんって、尽くすタイプだったんですね~キャハっ!」

ぴくっ。

言われて意識してしまった凛は顔を紅潮させて、悟られまいとPの顔にタオルを押し付けた。

「むぐっ! ん! んん!?」

そして、慌てるPを無視するようにして声の主へ向いた。

「菜々ァ……さぁん……?」

「!?」

そんな微妙な空気を察知した銅に、菜々ははたかれ、首根っこを掴まれて第二課の業務エリアへと引き摺られていった。


「ぷはっ! い、一体なんだ?」

「ん、ちょっとね。何でもない」

目鼻口を塞いでいたタオルから解放され混乱するPへ、凛は無愛想にそう云うと、
第一課の事務スペースへ大股で歩いて行った。

Pの上着を衣紋掛けに吊るして、風通りのよい場所へ備えてから、ソファへすとんと腰を下ろし
棚に置かれたファッション雑誌を持ち出して読み始める。

Pがそんな凛を不思議そうに眺めていると、興行部の遠藤プロデューサーが話し掛けてきた。
機会を窺っていたのかどうかはわからないが、ドンピシャなタイミングである。

「あ、Pさん、今後の公演でご相談が――」



・・・・・・


遠藤の相談は、年末、CGプロの目玉企画として、クリスマスライブを開催したいとのことであった。
正式な会議ではないので第一課のエリアで軽い立ち話という体裁である。

「まあ、まだ上層部―うえ―の了解は取り付けていないんですがね」

そう笑いながら云っていたが、渡された企画書にはだいぶ細かい計画が書かれていて、仮のゴーサインが出ていることは推し量れた。

「そこで、メインの顔としてはやっぱり凛ちゃんにトップを張ってもらいたいんです」

「ん? それはニュージェネレーションではなく凛をソロで、と云うことですか?」

企画書から目線だけを上げて、遠藤に問い掛けた。

「あーいえ、勿論ニュージェネも推しでいきます。ただそれとは別枠で、ライブの顔として凛ちゃんを、と」

遠藤は掌を前に出すジェスチュアをする。

「なるほど……承知しました。あいつはそういう立場に立つのは慣れていますし、それ自体は問題ないと思います」

Pは計画書のタイムテーブルとマイルストーンに目を落としながら、付け加えた。

「ただ、この規模この編成だと、12月頭までに凛の曲を三つほどリリースしておかないと少し心許ないですね」

「はい、そこなんです。
 凛ちゃんで現在進行している企画は、どちらかと云うとユニット型の曲ばかりなので、
 年末にライブを開催するにはもう一歩のテコ入れが必要です」

「……およそ二箇月半ごとに一曲……ですか。さすがにこのペースだと、凛への負担が気になります」

そう、現在計画されている作業量は明らかに、
渋谷凛と云う一つしかない身体に対してオーバーワークであった。

「最近はあいつを直接指名した仕事やレギュラーもかなり増えていますし、
 フジツボテレビ夏の改編の月9にオファーが来ていまして……」

何気なくこぼした凛の予定タスクに、遠藤は目を大きくした。

「おっ、フジツボさんの月9ですか! それは素晴らしい」

「はい、局の方でもほとんどトップアイドルと云っても差し支えない扱いになってきています」

そんな遠藤の反応が嬉しく、凛を誇りに思うPは少しだけ顔を緩めた。

遠藤は済まなそうに頭を下げながら、

「そんな売れっ子に申し訳ないとは思うんですが……何とか時間を作れませんか」

「ううむ……あいつは芸能科の高校とはいえ学生です。
 そうである以上、全休させるわけにもいきませんし……」

「そこを何とか。これでも幸子ちゃんや輝子ちゃんのタスクを増やして、
 凛ちゃんの負担を減らす努力はしましたので……」

第二課や第三課の子、しかも凛と同年代を引き合いに出された上、
目の前で合掌されては無下に断るわけにもいかない。

そもそも、プロダクションの企画するライブに、
所属するアイドルが全力を傾けないなどという道理は通るはずもなく。

額に手を当てて思案に暮れるが、中々落としどころが見つからない。

まったく、興行部と云うのはいつだって無理難題を吹っ掛けてくる。


そこへ、きりりとした声が響いた。

「私は構わないよ、プロデューサー」

プロデューサー二人は一斉に声の主、凛を見る。
彼女はいつの間にか、ソファの座面ではなく背もたれ部分に腰をかけてこちらを見詰めていた。

「プロダクションの気合いを入れたライブに私が傾注しないのもおかしいでしょ?」

盗み聞きするような真似してごめんねと前置きをした上で、凛は力強く言った。

「スケ的に相当キツくなるぞ?」

「覚悟の上だよ」

さも当たり前という風で頷く。

「わかってると思うが、三曲増やすということは、お前にとっては歌とダンスで六倍の練習量になるんだからな」

「もう、プロデューサー。あなたが秘蔵するアイドルを信じられない?」

凛は片目を閉じ、自らの心臓を指差して少しだけ膨れっ面をした。

「大丈夫、何とかなるよ」

「……何とかするのは俺の仕事なんだがな」

「だから、それだけプロデューサーを信用してるってこと」

ふふっ、と控えめな微笑みでそう云われては、Pも腹を決めるしかない。

若干やれやれ、という表情を見せながら凛に向けていた顔を戻した。

「わかりました遠藤プロデューサー、凛や第一課内の調整は何とかします」

遠藤は心底ホッとしたような顔で頭を下げた。

「ありがとうございますPプロデューサー。必ずや珠玉のイベントに仕立て上げてみせます」

「凛をここまで馬車馬にするんですからね、期待していますよ?」

最後の最後に一口くらい軽い嫌味を言っても罰は当たらないだろう。

遠藤は苦笑いしながら興行部のデスクへ戻っていった。

見届けてから、Pは凛へ向き直る。

「凛、明日から忙しくなるぞ」

「望むところだよ。ふふっ」

Pの宣告に、凛は不敵な表情を浮かべて、すぐに破顔した。


とりあえず今回分はここまで。
しぶりん可愛く書けてますかね?

プロット的に、まだ現段階で五分の一ほどしか消化できていないんですがこれは……(白目


えー帰宅しました
メシ食って風呂入って、九時くらいから再開できると思います

今回あたりから漸くお話の掘り下げが進んでいきます たぶん



・・・・・・・・・・・・


三日後。

今日は事務所の選抜メンバーで収録したシングル、『お願い!シンデレラ』の発売日。

これに合わせ、先日話の上がったCGクリスマスライブに関する
プレスリリースを昨夜のうちに出したこともあって、マスコミの注目度は高い。

やれ『新興プロダクション攻めの姿勢』だの、やれ『潤沢なアイドル、続々露出拡大』だの、
やれ『頭角・渋谷凛、畳み掛ける新曲リリース』だの。

Pは以前、最も怖いのは誹謗ではなく無関心だ、と話していた。

誰も興味を持たない、誰の耳にも入らない……これが一番の恐怖だと。

その意味では、この情報の滑り出しは順調だと云えるだろう。

しかし僅か数日の短期間にリリースを出せるとは、遠藤プロデューサーは
どれだけ東奔西走したのだろう、とCGプロの全員が不思議がっている。


兎も角として、凛は未央、一学年下の神崎蘭子と共に三限で早退して事務所へ出社していた。

トワレコ渋谷店にて午後から『おねシン』発売イベントが行なわれるためだ。

収録参加メンバーのうち、義務教育課程に在る城ヶ崎莉嘉を除いた全員が集まっている。

イベントではトークショーがあるので、出発まではまだ時間があるものの、準備に余念がない。

特に、ニュージェネレーション以外のアイドルたちはあまりこのような経験がないため、だいぶ緊張を隠せないでいる。

いま集まっている者の中で最年少の蘭子が顕著だ。

「わ、わ、我が真の、ち、ち、力を、み、見せる刻がきききたようね……(やる気ばばばばばっちりです)」

近頃人気が上がってきている彼女が、気丈に振る舞おうとしている。

しかし経験が未だ豊富ではないその身体は、かたかたと震えていた。

「おい蘭子、やる気はあっても硬くなり過ぎだぞ。麦茶でも飲んでリラックスしな」

常人には理解しづらい言語で話す彼女に、Pは飲み物を渡しながら語り掛けた。

「プロデューサー、よく蘭子の言葉がわかるよね」

「そりゃ俺はプロデューサーだからな」

凛の問いに、Pはふんぞり返る。
事実、蘭子の言葉を正確に汲み取れるのは、CGプロ人数多しと云えどPだけであった。

そんな反応に凛は「は、はぁ……」と答えることしか出来ない。

隣のソファからは、ニートアイドルが

「ねぇねぇPプロデューサー、杏疲れたから帰っていい?」

と、だるそうに訴えている。

「あー、杏ちゃん、そういうのは銅プロデューサーにだけ云ってくれ。クール担当の俺に訊かれてもどう捌けばいいのかわからん」

クールからパッションまで、部署がクロスオーバーで動く企画は、第一課のPが担当することが多かった。

今回もご多分に洩れず、Pがプロジェクトを統率している。

「まぁホントのことを云えば、緊張して思考が廻らないせいなんだけどさぁー」

杏の本音が出た。
いつも率先してサボろうとする杏だったが、その実、プロデューサー陣の興味を惹こうとしてやっている面が大きい。

卯月が笑う。

「杏ちゃんは、仕事には真面目に取り組む、プロ意識の高い子だもんね」

「さてねー」

当の杏は、とぼけた振りをしてソファに寝転がった。


第一課のミーティングルームには、このように花が咲いていた。

ただし――姦しい。

女の子が総勢10人も集まっているのだから当然と云えば当然だ。

しかし寡黙なキャラクターの多い第一課を率いるPは、この賑やかさには手を焼いた。

そんなPを手助けしようと凛が口を開こうとすると、

「あのー、凛ちゃんにお客様がいらしてるのだけど……」

ちひろが、ミーティングルームに、顔だけを覗かせてそう告げてきた。

私にお客さん? と不思議がりながら凛が席を立とうとしたところで、来客がちひろの後ろから姿を現す。

誰あろう天海春香であった。


「やっほー凛ちゃん。ごめんね、打ち合わせ中に」

「春香さん!」

ウインクをしながら手を振る春香に、凛は腰を浮かせた。

「アイエエエ!? ハルカ!? ハルカナンデ!?」

杏はHRS(ハルカ・リアリティ・ショック)を発症するし、他の子も口をあんぐりと開けて固まっている。


「どうしたんです、春香さん?」

部屋の入口に立つ来客へ走り寄って、凛は尋ねた。

「ほら、こないだ眼鏡を貸してもらったでしょう? それを返しに来たの」

本当は受付の人に渡して帰るつもりだったんだけど、タイミングよく凛ちゃんがいるって聞いたものだから、
と春香は右手で眼鏡を差し出しながら答えた。

「春香ちゃん、いつもお世話になってます。申し訳ないね、わざわざ返しに来て貰っちゃって……」

Pも春香に歩み寄って会釈する。

「あ、いえいえ、こちらこそお世話になっております。お借りしたのは私なんですし、お気になさらないでください」

それに六本木からの帰り道ですから、と春香は少し困ったように眉の尻を下げて微笑んだ。

「春香さん、今日はテレビ旭で収録だったんですか?」

「そうなの。近いから歩いてきちゃった」

六本木ヒルズはCGプロの事務所から600mほどだ。

「CGプロさんって便利な場所にあるねー。六本木は勿論、赤坂も汐留も浜松町もすぐ行けちゃう」

それぞれ主要放送局――旭、ブーブーエス、ニッポンテレビ、文科放送の在る場所だ。

二人のやり取りの後ろで、PはHRSを起こした杏を介抱しながら、凛に告げた。

「いまちひろさんに応接室開けてもらうから、凛はそっちでゆっくりして構わんぞ。
 出発まで一時間くらいあるし、凛はイベント慣れしてるから特にやることもないしな」

「ん、ありがと、プロデューサー」

「あ、いえいえ、お構いなく。私はもう、すぐにお暇しますので。すみません、お邪魔しちゃいまして」

打ち合わせをこれ以上妨げることに気が引けるのだろう。春香はPに軽く頭を下げた。

「今日はニューシングルの発売日だったね。お願いシンデレラ……だったっけ。イベント頑張ってね」

去り際、春香が凛にそう言うと、それを耳にしたPは少しだけ驚いた様子を見せた。

「まさか春香ちゃんがうちのニューシングルを知ってるとは、光栄だねえ」

「えっへっへ、ライバル会社の情報収集には抜かりないんですよ?」

“ライバル”の部分を冗談めかすイントネーションで云う。

「クリスマスライブや凛ちゃんの新作情報も出てたし、いちリスナーとして期待してますよ!」

「あはは……怒濤のレコーディングやダンスレッスンが既に重なってますけど、
 でも期待してくれている人たちのためにやり抜きます」

「そうだね、凛ちゃん、数箇月毎の新曲リリースは大変だろうけど、頑張ってね!」

凛の肩をぽん、と叩いてから、春香は手を振り、帰っていく。

凛はなぜだか、その背中にとても大きな頼もしさを感じた。


「なんでだろう……春香さんは確かに憧れだけど」

己の心に問い掛けて帰ってくる答えは、憧れとも違う感情のようだ。
凛は戸惑う。

まるで姉のような――

不思議な感覚。

トワレコのイベント中もずっと、それが頭の中を巡っていた。

GYAAAAAAAA初歩的すぎる誤字

>>142
×帰 → ○返

GYAAAAAAAAそしてレス番違うし!!

>>144
×142 → ○143


落ち着けよ



・・・・・・・・・・・・


しばらくの時が過ぎて、もうまもなく世間は大型連休へ突入しようかと云う四月の下旬。

ボリウッドに大きな影響を受けたとかなんだとか云って、Pは凛に強烈な新曲と振り付けを書き下ろしてきた。


「――プロデューサー、本気なの?」

春の陽が射し込む第一課の事務スペース。

そんな麗らかな光と対照的に、凛は額へ皺を深く寄せて問うた。

手許には、コードとリズム、そしてメロディラインが載った簡素な譜面と、
それとは逆に細かく小節ごとの振り付けが決められた詳細なダンス指示書とコンテ。

流し読みしただけで目眩がしそうなほどの動作指定が、そこには書かれていた。
たった一小節分だけでA4用紙の半分以上を埋めている箇所さえある。

テンポは135と、先日リリースした『おねシン』や765プロの代表曲『READY!!』の174BPMよりだいぶ遅い。

数字だけ見れば楽に思えるが――

最大の相違は、16ビートの曲であること、そして八分取りと一六分取りを混ぜた振り付けであることであった。

事実、135BPMの16ビートは相当な速さに感じられる。そんな疾走感がある曲である上にダンスも速いとは。

アイドルが唱う速いテンポの曲は、大抵、ダンスは四分や二分取りをすることが多い。
つまり曲は速いが踊りは遅いのだ。

この曲とおねシン、両者を比較すると、およそ三倍のキレを必要とする計算であった。

……一曲踊っただけで足腰が立たなくなりそうだ。

「本気も本気さ。伊達や酔狂でそこまで手の込んだ書類は作らんよ」

事務机の向こう側から、キーボードを叩く音と共に抑揚を抑えた声が飛んできた。

「これ、明らかに私を殺しにかかってるよね?」

「だって如何にもアイドルアイドルした普通の曲を演ったって面白くないだろ?」

Pはシネマディスプレイの陰から顔だけを見せて、飄々とした態度で答えた。

「ちょっと、面白くない……って……」

凛はそれを少し非難するような口調になった。

しばらく無言の状態が続いたが、一向に場の雰囲気が和まないので、
Pはキィと椅子を廻して立ち上がり、彼女の座るソファの前まで歩いてきた。

その顔は至極真面目だ。

ガラステーブルを挿んた対面に「よいせ」と座って息を吐く。

「あのな、これはアイドルという固定観念に対しての、ある種の皮肉なんだよ」

「皮肉?」

凛は鸚鵡返しで訊いた。

Pは大きく頷く。


「いいか、所謂、相の手を打てるような曲構成は、勿論アイドル歌謡としては必要だ――」


 ――なんてったって、キャンディーズ時代からの因習だからな。

 最たる例がハーフテンポ、つまりPPPHだ。

 だがな、そんな曲ばっかりじゃ胸焼けしてゲップが出ちまうよ。

 そういう“わかりやすい”役割はおねシンとかに任せればいい。

 お前だってメシに毎回々々ビフテキ食うなんて出来ないだろ。魚や野菜が欲しくなるだろ。

 それと同じだよ。

 我々に必要なのは、こういうメニューも出せます、と様々な選択肢を呈示すること。

 一芸を披露するのではなく、総合的なエンターテインメントを提供すること。

 その中の一つが今回の曲だ。



 哀しいことに、アイドルなんてチャラチャラしているだけで
 大したことなど何もやってないという印象を持つ人は大勢いる。

 それが現実だ。



 歌唱が下手でも、AutoTuneやMelodyneと云ったプラグインを使って
 ピッチ補正を行ない、本番はそれを流して口パクをするだけ。

 確かに、業界にそういう面があるのは事実だ。否定できない。

 以前、フジツボテレビで口パク禁止令が出たとき、そこに出ていた人たちは惨憺たる醜態を晒したもんな。


 だが、うちは違う。あらゆる要素に全力投球してる。歌にもダンスにも、演技にも舞台演出にもだ。

 CGプロは基本的にピッチ補正も口パクも許可しない。だから鬼のようなトレーニングを積むだろ?

 かのマイケル・ジャクソンですら、踊りながら歌えばピッチもタイミングもズレたもんさ。
 それほど、身体を動かしながら声を出すのは大変なことだ。

 なのにそれが世間へ伝わり切れていないとしたら?
 折角頑張っているのに理解されていないとしたら?

 哀しくならないか?

 悔しくならないか?

 お前は見返したいと思わんか?

 少なくとも俺は、アイドルが今回作った曲のような演目をこなしたら、
 まず腰を抜かして、そしてそのまま熱狂的なファンになるね。

 渋谷凛はそこらのアイドルと一線も二線も画しているのだということを見せつけてやれよ――


「――アイドル・渋谷凛ではなく、“渋谷凛という存在”になれ」

凛は武者震いした。

この人は日高舞以来のアイドルという概念を、進化させようとしている。

長い間培われてきたアイドル像は否定しないが、可能性の探求をやめることは糾弾する。

――私は、アイドルとはこういうものだ、と無意識のうちに思考が硬直化していなかっただろうか。


凛は、気付いた。
そもそも、自分のいるCGプロ、そこに所属するアイドルを俯瞰すれば、どれもこれも、
旧来のアイドル像とは懸け離れた、クセのある人選ばかりじゃないか。

そして、そんな“アイドルらしからぬアイドル”が人気を博している。

足元にヒントが転がっていたのだ。

凛の中のアイドルという価値観、アイデンティティに大きな変革が訪れようとしていた。

しかし同時に、その答えは五里の霧の中へ見えなくなっていく。

実にわからないことだらけだ。


「大丈夫だ、ダンスに注力できるよう、メロディラインは単純にしておいた」

Pは最後に、そんなフォローになっているのかいないのか判断しかねる言葉で締める。

「気休めにもならないよ、それ……」

凛は呆れたように返すが、

「まあまあ、もう少しすればニュージェネレーション用に従来のアイドルらしいプロダクトも用意する。
 今はその曲をマスターすることに専念してくれ」

こう云われては素直に従うしかあるまい。

「はぁ……まったく強引なんだから。ひとまずいい時間だし、レッスンに行ってくるよ」

「おう頑張ってくれ。ちなみに、発売日は再来月の26日、PV撮影があるから習得期限は逆算して来月中旬だ」

「ええっ!? そんなにタイトなの!? ちょっと勘弁してよ……」

根は真面目な凛。頭を抱えながらもスタジオフロアへと歩み出て行った。


ま、おそらく一番頭を抱えているのはトレーナーさんたちだろうけどね。

Pは、凛に手を振りつつ、実に鬼畜なことを、まるで他人事のように独り言ちた。



・・・・・・・・・・・・


およそ一週間が経ち。

マスタートレーナー青木麗とルーキートレーナー青木慶による付きっきりの指導で、
二人からの報告によると、何とか通しの動きができるまでにはなったようだ。

凛は朝の五時から夜の十時まで、仕事時以外はスタジオへ籠りきって習得に専念している。

寮へ帰らず事務所の仮眠室にずっと泊まりっぱなしだ。

GWで学校はほぼ休みというのが幸運であった。

この一週間、スタジオフロアのうち第一ダンスレッスンルームはほぼ凛専用と化している。

クールアイドルがダンスを習う時は、第二や第三課のルームを間借りしているほどだ。

そんな大型連休の中盤、早朝。

Pは四時頃出社し、麗に指定された献立に基づいて凛の食事を用意している。

凛だけに負担はさせない、とサポートを進んで引き受けたのだ。

 ――プロデューサーが支えてくれるなら、私も頑張らないとね。

それを伝えた時の凛は、そう云って眩しい笑顔をPに向けた。
その時の笑顔は脳裏にはっきり焼き付いている。


まだ陽は出ていない。薄明にもなっていない時刻。
蛍光灯で照らされた給湯室に、男の不器用な包丁の音が響く。

そこへ凛が、寝ぼけ眼を擦りながら起きてきた。

「ふゎ……ぁ……、んー……おはよ……」

「おう、おはよう」

――大きめのTシャツとショートパンツというラフな寝間着のままで。

まるで杏を大きくしたような出で立ちだ。

こんな凛を独り占めにしているとファンに知られたら、殺されても文句は云えまい。

「毎朝云ってるが、いい加減事務所をそんな格好で歩き回るなって」

「いいでしょ別に、この時間はどうせプロデューサーしかいないんだし。
 杏はこんな格好でいつも事務所にいるじゃない」

「幼児体型の杏ちゃんと同列に語るなよ。お前の場合は目の遣り場に困る」

凛はそんな抗議の声を上げるPを無視し、調理している横の流し台の蛇口を勢いよく開けた。

 ――むしろ見せてるんだけどな。

その呟きは流れる水音に掻き消され、Pの耳には届かない。

バシャバシャと顔を洗う。
給湯室じゃなく化粧室で顔を洗わないのかと、泊まり込み初日に訊いたら、
「夜も明けきっていない時間の、誰もいないだだっ広いお手洗いは落ち着かないよ」とのことらしい。

凛はタオルで顔をとんとんと軽く叩くように拭って、コンロ前にいるPの方へ寄った。

起き抜けの女の子の、甘い匂いが漂う。これは、男を惑わす第一級の危険物だ。

そんなPの内心を知ってか知らずか、隣まで来て鍋の中を覗き込む。

そこでは形不揃いの野菜がぐつぐつと踊っていた。

「プロデューサーって料理センスはいまいちだよね」

「すまんな、一応麗さんに云われた通りの献立で作ってるんだが」

「ふふっ、冗談。謝らないでよ。わざわざ作ってもらって、ホントは感謝してるんだ」

凛は鍋からPに目を移して笑った。その眼の下には、わずかに青い隈が出来ている。

青魚やビタミンを増やした方がいいか麗さんに相談しておこう、と隈を見つつPが考えていると、
凛は照れるように「わ、私の顔になにか付いてる?」と訊ねた。

「あぁすまん無遠慮に覗き込んじまったな。眼の下にうっすら隈が出てたからな、
 献立の栄養バランスを変更すべきか麗さんに相談しようと考えていたんだ」

「……
 ふーん」

Pが馬鹿正直に答えたら、凛は急に素っ気なくなった。

あからさまにがっかりしているくせに、それを見せないように振る舞おうとしているのだろう。

バレバレなのだが。

「あとお前の、綺麗なすっぴん顔に見蕩れていたんだよ」

「もう……ばか」

冗談めかしてPは云ったが、それもまた本心であった。

実際、凛の端正な地の面立ちや、きめの細かい肌は、薄いメイクでも
ハイビジョンのテレビ映りに充分耐えられるレベルだった。

今度メイク落としのCMでも取ってこようか、と内心で計画しながらPは鍋をかき混ぜた。


――

休憩室のテーブルにP謹製の朝食が並ぶ。

二人向かい合って座り、いただきます、と唱えてから箸をつけた。

「プロデューサー、今日のスケジュールは?」

凛がポトフのじゃがいもを口へ運びながら訊く。

「午前中は九時からニッポンテレビで収録、午後は四時から日本放送のNG番組パーソナリティと、ついでにオリコソのインタビューだな」

「となると、今日は朝昼夜三回に細切れの練習だね。本当は通しでやりたいけど」

「まあ仕事最優先だしな、そこは仕方ない」

「うん、わかってる」

Pの方はと云うと、このあと凛を送り出してから昼間は普段通り業務をこなし、
夜になったら朝と同様、食事を用意、凛の学校の課題を手伝ってから寝かしつける。

そしてテッペンを越えるまで残務を処理して、終電で帰る。

通勤や諸々の時間を考えると、おおよそ二時間程度の睡眠であった。

しかし、凛と合宿のようなことをしていると考えれば、不思議とあまり苦にはならなかった。


「でも仕事優先とは云ってもさ、プロデューサー。朝五時から夜十時じゃちょっと間に合うか不安だよ。もっと延ばせない?」

うずらの卵を落とした納豆を掻き混ぜながら、凛は少し危機感のある声音で云った。

「慶ちゃんからのレポートを見ている限りでは大丈夫そうだと思うがね。
 それに我が国には労働基準法と云うものがあってな……これでもその枠の中で最大限の時間を取っているんだよ」

Pがこめかみを掻いて答えると、凛は納豆を混ぜ続けながら目線を上げ、肩を竦める。

「……法律ってめんどくさいね」

「さらに面倒くさいことを言うとな――
 凛の場合はCGプロに“雇用されている労働者”ではなく、CGプロと“契約している個人事業主”の扱いだから、
 労基法の適用は受けないんだよ、実は。云うなれば24時間ぶっ続けの不眠で労働しても構わないわけさ、法律的には」

全くお笑いだ、とPは両肩を上げて自嘲気味に云った。

「なにそれ。複雑すぎてわけわかんない」

納豆を白飯に掛けてから、しかめた顔をPへ向ける。

「ほんと、社会や法律ってのは面倒に出来てるよな。
 ……まあ法律上は問題ないとはいえ、モラル的には問題大アリだ。業界のイメージにも関わる。
 だからうちは労基法に准じたルールを設けて、18歳未満のアイドルには深夜帯の活動をさせないようにしているんだ」

「契約とかは親任せだったけど、そろそろ私も法律をちゃんと勉強しておかないとだめだね」

「俺が高校の頃なんて法律のホの字も知らなかったから、凛はまだしっかりしてる方さ――」

凛は納豆とご飯をゆっくり咀嚼しながらPの話に耳を傾けている。

「――それに育ち盛りだ、夜は充分に休まなきゃいかん」

「……もう成長期は過ぎたと思うんだけど」

「それでもまだ成熟しきっていない人体には適切な量の規則正しい睡眠が必要だ。
 女の子は男と違って月の物もあるし、ストレスに体調を左右されやすいだろ。
 肌の状態にも直結するから、睡眠時間だけはきちんと確保しないと」

ここ一週間、毎日二時間程度しか寝ていないPが言ってもあまり説得力のない言葉。

案の定、「ストレスで云えばプロデューサーの方が大変そうじゃない。
こないだ胃潰瘍になりかけてたでしょ」と厳しい突っ込みが入った。

Pは悪びれず、大仰に腕を広げて言い放つ。

「お前たちを輝かせるための胃潰瘍なら、それはプロデューサーと云う人種にとって勲章だよ」

呆れた顔をした凛は、やれやれ、と飲んでいたポトフの器を置いた。

「まったくワーカホリックなんだから。……それと、女の子に面と向かって生理のこと云うなんてデリカシーないよ」

「すまんな、そういうのはよくわからないんだよ」

への字口の険しい顔でPを見ていたが、すぐに表情を緩め、付け加えた。

「ま、それだけきちんと私の身体のこと考えてくれてるってことだもんね、だからいいよ。ふふっ」

「そりゃどうも」

よく判らん、と云った体裁でPが両手を挙げる。

その言葉に何やら満足したのか、凛は微笑みを湛えながら「ごちそうさまでした」と湯飲み茶碗をことり、置いて云った。

「はいよお粗末様」

テーブル上のPの料理は全て平らげられていた。

作った食事を残さず食べられると気分がいいとよく云うが、Pはまさにその歓びを味わっている最中だ。

凛はくすっと笑い、じゃあシャワー浴びて着替えてくるね、と身支度を始めた。


並行して、Pは洗濯を済ませる。

激しい練習・トレーニングをすると、必然的に替えの衣類やタオルが大量に消費される。

それは、たった一日分、しかも凛一人分だけでも籠が満杯になるほどであった。

当初、アイドルたる凛の衣類をP自らが洗うのは気後れがあった。
タオルやシャツならまだしも、下着までまとめて籠に突っ込んでいるのだから当然ではある。

スポーツブラとスポーツショーツ、たとえ色気など微塵も感じられないとはいえども、
年頃の女の子のものに触れるのは如何なものか。

のあや蘭子からも「アイドルが身に着けたものを家族でもない男の人が洗濯するなんて」と制止されたが、
「逆にプロデューサーだから安心して任せられるんだよ」と云う凛本人の言葉で決着がついてしまった。

実際問題、人手も足りないし、業務時間中は誰かが洗濯をする時間を確保することもできないので、
朝、こうやってPが洗っているのだ。

これもファンに知られたら、殺されても文句は云えなそうだ。


洗濯機を回し、食器を濯いでいると、間もなく五時。

凛が身支度を終えて給湯室に顔を出した。

「それじゃ行ってくるね」

「おう。気をつけてな」

Pが差し出した麗の特製ドリンクを「ありがと」と掴んで、彼女はスタジオフロアへと消えていった。



・・・・・・・・・・・・


同日、昼過ぎ。

三時に卯月と未央が出社してきた。
二人は第一課へ直行する。

「おっはよ~Pさん! 本田未央、ただいま出社でありまーっす!」
「おはようございますPプロデューサーさん! 島村卯月、今日も頑張ります!」

第一課に、クールとは異なる大きく元気な声が溢れた。

通常、アイドルは他課へ顔を出すことはない。

しかしニュージェネレーションと云う事務所唯一のユニットを組んでいる卯月と未央は例外であった。

その元気さに、第一課の所属者もだいぶ慣れてきた昨今だ。

「お、もう三時か。おはよう、二人とも」

Pは二人を認めると、事務机から立ち上がって迎えに出た。

「それじゃそろそろ凛を呼んでくるか。二人ともついておいで。
 今日は番組終了後に、日本放送の中で雑誌のインタビューを済ませちゃうから俺も一緒に行くよ」

「うわー、Pプロデューサーが付き添いで来てくださるのって久しぶりですね!」

「すまんね卯月ちゃん、いつも見てやれなくて」

眩しい笑顔に、Pは苦笑いで返す。

アイドルの数はどんどん増えていくのに、それを管理する者は増えていない。

事務なんか、膨大な量のタスクをちひろが一人でこなしている状態。
あの書類捌きはまるで人外の動きだ。

社長のスカウト術は目を見張るものがあるが、流石にそろそろキャパオーバーを免れないだろう。

「まあニュージェネレーションとして動くときはしまむーもしぶりんもいるから特に問題はないけどね~♪」

「ははは、心強い限りだ」

今後ニュージェネレーション以外にもユニットを増やすことを真剣に考えないとな、と、
銅や鏷と最近よく議論をしている。

三人でユニットを組ませれば、単純計算で管理コストが三分の一になるし、
アイドルの自主性にある程度委ねることもできるようになるからだ。

ニュージェネレーションが一定の成果を上げつつあるいま、遅くとも来年度までに、
CGプロは戦略転換が必要となるだろう。


思考に耽りながらスタジオフロアへの階段を上がり、金属扉を開ける。

蝶番がキィと鳴いた。

「私、今回のしぶりんの特訓しているところまだ見たことないんだよねー! ちょっとワクワクするっ!」

「私も私も。凛ちゃんどんな練習してるんだろうね?」

「ん? 二人ともまだ見てなかったのか」

意外だった。てっきり凛は二人には見せているものだとばかり思っていたのだ。

「うん。Pさんが世話してるって聞いたしさ! お邪魔虫かな、っということで♪」

「そうだね。それに凛ちゃんが合宿までするような特訓だったら、私たちはあまり深入りしない方がいいかと思って」

「そーそー。何かあれば、しぶりんから云ってくるだろうしね」

無関心ではなく、固い絆があるからこその非干渉だ。

すごいなこの子達は。

二人を通してから扉を閉めつつ、Pは舌を巻いた。


フロアの廊下はL字型になっている。
入口に最も近い手前部分は衣装保管庫、角を曲がってボーカルブース三つ、
MA室とアクティングルームを挿んで、その向こうにダンスルームが三つ。
ちなみにシャワールームと更衣室は地下一階だ。

歩いて行くと、管理職種の姿を視認したアイドル達が、口々に「おはようございます!」と元気な挨拶を向けてくる。

Pは軽く手を挙げてそれらに応えつつ進む。

第一ダンスルームは廊下の一番奥だ。
その位置柄、今は『凛関係者以外立入禁止』のような雰囲気が漂う。

事実、廊下で休憩・待機しているアイドルとその卵たちは、Pらの様子を遠目で窺うのみに留まっている。

あまりそういう壁は作りたくないんだがな、と思いながらPは歩くが、多少は致し方ないことであった。

スリッパを響かせて近づいて行くと、防音扉から微かに漏れる音楽が耳に届いてくる。

「なんかインドっぽい音楽だね?」
「だね~、なんかカレーってカンジ?」

Pの後ろで二人が好き勝手な感想を述べている。

ガチャリ、と重い防音扉を開けた瞬間。

熱い衝動を誘発するビートが一陣の風となって駆け抜けた。



熱きビート

Ashok - Telugu Songs - Gola Gola
http://www.youtube.com/watch?v=Rdj5cIbGftU&hd=1


タブラやムリダンガムをフィーチャーした、どこかトライバルな、それでいてモダンなうねり。


「ステップに意識が行って指先が疎かだぞ! 表でリズム取るな!」

「はい!」

「アイソレーションの動きが小さい! 身体を拡げろ! 疲れを出すな!」

「はいッ!!」

「慶、117小節の頭を出してくれ」

「わかりました」

そこでは、凛がこれまでに見たことないような激しいダンスを舞っていた。

下腹の底から激情が溢れてくるような。

それは、心の深淵に刻まれた、遺伝子の記憶を呼び覚ますかの如く疾風だった。

力強く舞い飛ぶ凛は汗だくで、Pたちが姿を現したことに気づいていない。

卯月と未央は絶句している。


曲が終わり、壁面鏡の前で決めのポーズを、澄ました笑みで維持する凛。

 ――つんと澄ます余裕なんてないほど疲れているはずなのに。

たっぷり十秒ほどその姿勢を保たせ、麗が「よし!」と声をかけた瞬間、
がくりと膝に手をつき、顔を伏せ、激しく息を切らした。

「ぜえっ……ぜぇッ! ……はぁっ……はァッ……!」

思わず目を背けたくなるほど、見ているこちらの方が苦しくなってしまいそうな、凄惨な呼吸。

「けほっ、ぇほっ……!」

酸素を求めるあまり、咳き込んでしまう。

滝のように流れ落ちる汗が目に入るのか、瞼をぎゅっと閉じて喘いでいた。


パチ、パチ、パチ――

そこに単発の拍手が響く。Pである。

「いや、まさかたった一週間でここまで出来るようになるとは予想以上だ」

その声に凛は左目だけを開けて顔を挙げた。

「プロ……デューサー……き……て……たの……?」

凛が喋ろうとするのを掌のジェスチュアで制止して、彼女の方へと歩いていく。

手摺に掛かったタオルを取って、「ご苦労様」と手渡した。

「慶ちゃんからのレポートでだいたいの状況は把握してたが、これほどとは思ってなかったよ」

「そうだな、P殿。渋谷の吸収力は素晴らしい。全体の通しはほぼ憶えたようだから問題ない。
 あとはひたすら反復させ、細かい部分の調整、表現力を磨くことに注力できるだろう」

麗は指示書に目を通し、何かを書き込みながらPに簡単な報告をした。

「承知しました。流石マスタートレーナーの指導は折り紙付きですね。
 慶ちゃんにも無理を云って申し訳ない」

「なあに、これだけ難しい演目だと実に教え甲斐がある。なぁ、慶」

「はい! 凛ちゃん、日に日に凄くなっていって、教える方も楽しいですよ」

青木姉妹はそう云って笑みを浮かべる。

卯月と未央は、とうとう床にへたり込んでしまった凛を世話しながら、Pへ興奮気味に問うた。

「な、何なんですかこのダンスは!」
「ぴ、Pさん! こんなキレッキレの、見たことないよ!」

Pは麗に向けていた体を二人の方へ開き、さも当然という顔をする。

「そりゃそうだよ、誰も見たことのないものを作ってるんだから」

そんなつれないPに、二人は血相を変えた。

「だ、だからってこんなことさせてたら凛ちゃん死んじゃいますよ!」
「そうだよ~っ! こんなに苦しそうにしてるじゃんっ!」

「ふ、二人とも……私は大丈夫……苦しいけど、辛くない」

卯月と未央は、凛の云っている意味がわからず混乱の顔をした。

「疲れるし……苦しいんだけど、……それよりもずっと、ずっと、楽しいの」

二人は、何かに気付いたように目を見開いた。

Pは満足げに頷いた。

「凛、この曲を、この踊りを、楽しめるようになったか」

「うん。最初、指示書を見た時は混乱したけど……いざレッスンを受けながら、こうやって形にしていくと
 まだ見知らない世界が開けてきて、ワクワクして、とても楽しいんだ」

凛の言葉を引き継いでPが言う。

「凛の踊りを見て、二人とも胸が高鳴っただろう?」

卯月と未央は大きく頷いた。

「アイドルってのは、“楽しさ”を具現化して発信する像だ。それはデビュー時から耳にタコができるほど云い聞かせられてることだろう。
 アイドル自身が楽しいと感じられれば、その偶像の魅せる世界も楽しさに染まる。
 さあそして今、身内である君たちでさえ、凛の、この踊りを見て心弾んだ。――では一般のお客さんたちになら?」

半身に構えて、未央をビシッと指差すと。

「……もっと、もっと……ドキドキワクワクさせられる……」

「Exactly(そのとおりでございます)」

そのまま肘を腹の前に曲げ、まるで執事のように大仰なお辞儀をした。

そして、顔を挙げると、不敵な笑みを浮かべ、衝撃の通告をする。

「今は凛だけにやらせてるし凛の新曲と云う位置づけだけど、
 将来的には、凛だけじゃなくCGプロの全員でやってもらうからね」

凛は床に座ったままPと同じように笑んだ。意図を察したのだろう。

「えええええっ!? そんな無茶ですよっ!」
「そうだよPさん! しぶりんでさえここまでグロッキーになる振り付け、私に出来るわけないって!」

泡を食って後ずさる卯月と未央に、凛は笑顔を向けながら言葉を投げ掛ける。

「できるよ、卯月も未央もみんなも。こんなに楽しいダンス、一度足を踏み入れたら虜になるよ」

「そう、出来るさ。君たち――いや、うちのアイドルは全員、素質がある。
 反復練習を重ねれば、そしてトレーナーさんたちの確かなレッスンがあれば、
 多少時間がかかっても必ず出来るようになる。ね、麗さん、慶ちゃん?」

「ん、あぁそうだな。我らトレーナー陣に任せておけば無理なことなどない」

急に振られた麗は、それでも慌てることなく自信満々に言い切った。

「うんうん! みんなきっと出来ますよ!」

慶も追って頷く。

「ま、まぁ……Pさんや麗ねえにそう云われたら……出来るのかも、って思っちゃうけど……」

ぽつりとそう漏らす未央の言葉をPは逃さない。

「よし! じゃあ今日から凛と一緒にやろうか? 鏷に伝えておこう」

「無理無理無理無理無理ぃ!! こんなハードなのは無理っ! 徐々に! 徐々にでお願い~!」

Pは冗談だよと笑いながら、ようやく呼吸が落ち着いてきた凛に手を差し伸べた。

「凛、とてもよく頑張ってるな。これなら予定を一週間前倒しできるかも知れん」

「ま、合宿の……成果かな?」

凛はその手をぐいっ、と引き寄せ、やや緩慢に立ち上がった。
普段ならすっくと立つのに、やはり疲労は隠せない。

「……この合宿で無理をさせてるから、日程はそのまま保持して、
 レッスンの密度を下げた方がいいな。お前の身体が一番大事だ」

左手で凛の肩を優しく叩きながら、労った。

凛は汗で顔に張り付いた髪をかき上げ、「そう云うなら、こんなタイトなスケジュール組まないでよ」と少し責める。

「返す言葉もない」

バツが悪そうな顔するPに、凛は顔を引き締めた。

「でも、遠藤プロデューサーの無茶振りを受けるって言ったのは私だしね、これくらいは覚悟の上だよ」

厳しいトレーニングにもへこたれない彼女。
華奢な身体のどこからこんな闘志が出てくるのだろう。Pは頼もしさを胸一杯に感じていた。

「さ、そろそろ仕事の支度をしよう」

そう云って凛にシャワーを促した。



・・・・・・・・・・・・


大型連休があっという間に過ぎ去り、歌の収録とインドでのPV撮影が済んで
あとはポスプロの作業だけとなった五月も末の頃。

会社にニュージェネレーション三人が呼び出された。

学校帰りの凛と未央に、卯月が合流して第一課ミーティングルームへ行くと、
そこには、P、銅、鏷が揃っていた。

「お、来たな」

プロデューサー陣で話し合っていた中、凛たちの到着に鏷が気づいて声を上げた。

「おはようございます!」

三人はそのまま、Pたちに促されて会議の席についた。

「今日はどうしたの? 久しぶりのオフのはずだったのに」

凛は先日、インドから帰国したばかりだ。
本来はおよそ一箇月振りの休日を取らせるスケジュールだったのだが。

「すまんな、ちょうどさっき企画がまとまったんだ」

Pはすまなそうに手を面前に掲げて云った。

卯月がきょとんとした顔で問う。

「企画、ですか?」

「そう、ひとまず話を聞きながらこれを見て頂戴」

銅はそう云いながらA4用紙数枚の書類を全員に配った。

タイトルには
“ニュージェネレーション ニューシングル概要書”
とある。

「あ、これ」

一目見るや否や、凛が合点のいった顔をした。

「そう、こないだニュージェネレーション用のを用意するって云っただろ? それだよ」

三人の新曲だ、とPが云う。
書類の三枚目には、既に歌詞が出来上がっていた。

「うわぁ! ニュージェネレーションのプロジェクトは久しぶりだね、凛ちゃん未央ちゃん!」

「だねだね~! しまむー私ゃ嬉しいよーウルウル」

「私たち三人にぴったりの詞だね、楽しみだよ」

ここ最近はソロが多かった三人にとって、一緒の企画をやるのはおねシン以来。

おねシンのレコーディングは二月末だったから、およそ三箇月ぶりだ。

それに、おねシンは純粋なニュージェネレーションだけのものではなかった。

そう考えると、ニュージェネレーションが前面に出る企画は相当久しぶりのことである。

凛も、卯月も、未央も、小さく飛び上がって喜び合った。

「既にデモは組んである。明日には編曲した譜面の第一稿が上がるはずだ」

早速レッスンだな、とPはスケジュール帳を確認する。

「曲調としては765のREADY!!に近いものになると思うから、ひとまずはそれをイメージしておくといいわ」

銅が書類をペシペシと叩きながらアドバイスした。

「本当はせっかく三人いるんだから三声でやりたいと俺は言ったんだけどな、わかりやすさを優先しろって銅に怒られた」

「当たり前でしょうが。これはライブとかでお客さんと合わせて歌ってもらう類いのものなのよ」

今度はその書類で銅がPの頭を叩く。

Pはやれやれと云う顔で「俺は好きなんだけどなぁ、複雑なコーラス」と愚痴をこぼした。

「だったらアタシや鏷を巻き込まず他の企画でやりなさいよね」

「うーん、そうだな、考えてみるか。アイドルがゴスペルやア・カペラを演る……、うん、燃えるな」

「プロデューサーってゴスペルとかア・カペラが好きなの?」

凛が訊ねると、Pは心なしか目を輝かせた。

「おう、大好きだぞ。音楽の祖ってのは突き詰めれば人間の声だからな。
 声だけで複雑なハーモニーを作るのはたまらん」

そんな自分の世界に入るPを無視して、鏷が我関せずと云うかの如く、椅子の背もたれに「うーん」と伸びをする。

そして足を組み直しながら言った。

「今日のところは帰ってから歌詞を頭に入れて、どんな風に歌おうか予習しとけや」

再び銅が告げる。

「今回は進行管理をPが、実務やニュージェネの世話はアタシが担当するからね」

「あれ? プロデューサーじゃないんだ? 珍しいね」

凛が、意外だ、という顔をする。

「ああ。俺は他の子たちの世話を見なきゃいけなくなってな」

最近はCGプロ内からたくさんの新進気鋭アイドル、特に第一課の所属者が急伸して芸能界を賑わせている。

それを一人で捌くのだから、Pは残務が山積しているのだろう。

簡単な打ち合わせは、これにて散会となった。


――

翌日から一週間、凛は学校や仕事の合間を縫って新曲のレッスンを進めている。

曲構成自体は奇を衒わずオーソドックスな構造になっているので、ボーカルのライン取りはさほど苦ではなかった。

それは未央や卯月にとっても同じだったようだ。

そんなボーカルブースの様子を、Pは陰ながら窺っている。

いま見た限りでは、早いうちにレコーディングへ進められると考えてよいだろう。


一安心してスタジオフロアから降りてくると、ちょうど制作部の入口に興行部の遠藤が来ていた。

「おおよかった、デスクにいらっしゃらないから探そうと思ってたところです」

階段を下りてきたところを見付けると、そう云ってこちらへやってきた。どうやらPに用事があるらしい。

「ちょっと会議室へ行きましょう」

遠藤は目配せをして廊下の反対側にある小会議室へ入り、使用中の札を掲げた。

Pも中へ進み、椅子にかける。遠藤は空調の設定温度をいじってから、対面へ座った。

「いやはやPプロデューサーは机の書類が凄いことになってますな。
 庶務が大量に詰まっているのはわかりますが、抱え込んで潰れないようにしてください。
 ――良い知らせと悪い知らせがあります。どちらを先にしましょう?」

遠藤の話はあまり穏やかではなさそうだ。それでもPは律儀に両方とも答える。

「アイドルを輝かせるためなら何のこれしきですよ。――悪い話から」

「年末の公演、先日の凛ちゃんのライブと同じように、横浜アリーナで23、24、25日の3DAYSにしようと云う計画でした」

Pもその話は承知している。プレスリリースにもそう出ていた。

「そうですね、既に横アリで連日開催する経験は積みましたので、準備がだいぶ楽に済ませられそうというお話でしたが」

遠藤が、会議室にいるのにも拘わらず憚り、声を小さくして云ってくる。

「その計画なんですが……全国ツアーに変更の上、五大ドーム+横アリでの開催になりそうです」

Pは敢えて感情を隠すことなく、眉をひそめた。
確かに予定より規模が大きくなることは喜ぶべきかも知れないが、そうも云っていられない課題が多過ぎる。

「……遠藤プロデューサー、うちのポリシーをよもや忘れたわけではないでしょう?」

「勿論です、興行するに足る最低限の音響環境を確保できる箱でしか開催しないと云うのは大原則です」

「ならなぜ。東京ドームで演るくらいでしたら横浜アリーナで一週間公演にしましょうよ。
 そもそもライブ日程は23日~25日の前提で全員のスケジュールを切ってます。
 他の子ならともかく、五大ドームツアーでは凛をはじめニュージェネ三人の根本的なリスケが必要です」

そう。五大ドーム、つまり全国ツアーとなると、それだけ準備や移動で拘束される日数も多くなる。

おそらく12月頭から行程が始まることとなろう。

Dランク以下のアイドルや、駆け出しの新人などは充分にスケジュール調整できるが、
Cランク以上の卯月や未央をはじめ、おねシン組はだいぶ先まで固まっているし、
なによりCGプロでトップを走る凛に至っては年末まで埋まっている状態だ。

その中で動かせないものと動かせるものを選り分け、動かせるものは関係各所に頭を下げひたすら調整する。

当然、リスケ先がコンフリクトしないよう細心の注意を払わなければならない。


凛の三曲目も、遅くとも11月下旬までに出さなければならなくなるだろう。

軽く想像しただけでも気が遠くなりそうな作業量である。

天を仰ぎ、手で目を覆い、思わず「正気か」と言葉が洩れた。

「Pプロデューサー、私もお気持ちは判ります。
 ですが五大ドーム全国ツアーの看板を前面に出したいと云うスポンサーの強い意向があって、社長もそれには抗えず……」

つまり、スポンサーのせいであって興行部がごり押ししているわけではないと遠藤は云いたいのだろう。

「出家鵺さんも磐梯南無粉さんもうちの方針に理解あると思ってたんですけどねえ……」

「はい。だからこそこれまで我々の方針を最大限尊重してくださいました。
 しかし最近は愚裏意さんや癌砲さん、出井絵夢得無・酸雷図さんが地味に伸びているので、
 叩きつぶ……もとい、牽制しておきたい目的があるそうです。群雄割拠の時代ですから」

崩れた姿勢を戻し、覆っていた手を外すと、目の前では遠藤も頭を抱えていた。

「まあ事情はわからんでもないですが……参りましたね」

「特に磐梯さんは961さんとも仲がいいですし、なんとか社長の顔を立てると思って、お願いします」

磐梯南無粉の機嫌を損ねれば、資金が引き揚げられる上に961プロの力を利用して我々が潰される可能性もある。

磐梯南無粉の意に背くことは極めて得策ではない。

そう、これこそが我がCGプロの資本を巡る構造的な欠陥なのだ。

スポンサーの後ろにライバルプロダクションの影が見え隠れする状況は早く改善させる必要がある。

961とタメを張れるくらいまで、そして磐梯南無粉と出家鵺に有無を言わせない規模にまで
この会社を大きく、所属アイドルを強くしないといけないということだ。

腹を決めなければならない。

「……仕方ありません、先方――特に磐梯さんに、音響の準備期間と整備費用を上乗せ交渉してくださいますか」

それで手を打とうというPの意思を、遠藤は汲み取った。

「わかりました。お客様に最高の公演を届けたい、その熱意で勝ち取ってきます。
 そして良い知らせというのは、その最高の公演を届けられるのに関係しそうなことです」

「……と仰りますと?」

それまでの困った顔から一転、遠藤はニヤリと笑みを浮かべた。

「765プロの天海さんから、是非カメオしたいとのお申し出を頂きました」

「えええっ!?」

なぜトップアイドル天海春香がわざわざCGプロの公演にカメオしたいなどと云い出したのか。

これで驚くなと云われても無理な話であった。

「765の赤羽根プロデューサー曰く、凛ちゃんと同じ公演に出てみたいとのことでして」

もしかしたら、凛ちゃんは誰からも愛される才能があるのかも知れませんね、と遠藤は笑う。

「おそらく日程的には、最終日25日の横アリのフィナーレ辺りで出演をお願いすることになりそうですが、如何しましょう?」

「765さんさえ良いのなら、凛や我々制作部に断る理由はありませんよ」

その答えに遠藤は頷いた。

「わかりました。では765さんとその方向で折衝します」

「固まり次第、私に連絡願います」

「勿論ですとも」


その後、数日で765との協議はまとまり、凛がその話を知らされたのは、ニュージェネレーションのボーカル収録が済んだ直後のことだった。



・・・・・・・・・・・・


凛は極めて不機嫌であった。

内心のイライラを隠そうともしないほどに、まさに苦虫を噛み潰したようであった。

女の子――ましてやアイドルとしてあるまじき、足を組んだ格好でソファに座り、
膝の辺りで絡ませた手の指は、とんとん、と落ち着きなく動いている。

その隣では、卯月と未央が、こちらは明らかに落胆した顔で意気消沈していた。

ニュージェネレーションが喧嘩をしたわけではない。


春香のカメオが決定してから約一週間、六月がまもなく下旬へ差し掛かろうと云う頃。
重苦しい第一課ミーティングルームの空気と同様、空は梅雨時特有の鉛色をしていて、
それがさらに部屋の空気をどんよりさせる悪循環。

 ――あぁ、吐きそう。

Pは脂汗を流しながら、目の前の状況を如何にして突破しようか考えあぐねていた。


ひとまず今回はこの辺りで。
しぶりんに一体なにが……?

たぶんまた明日の今頃には続きを書けるかと思います。それでは。

「……社長室へは俺が征く」

その言葉にニュージェネレーション三人は息を呑む。

「それにはちょっと準備が必要だ。軽く書類を用意するまでちょっと待ってくれ」

そう云いつつ、Pは少し離れたテーブルで、さらさらと紙に簡潔な文と印鑑を押した。

立ち上がったPが手に持つ紙に、チラリと『辞表』の文字が見え、凛が血相を変えて立ち上がる。

Pの腕を捕まえて叫んだ。

「ちょっと、プロデューサー、それは待って! 辞めないで!」

しばらくののち、凛が不服を申し立てる。

「……ちょっと。私はともかく、卯月と未央は他課のプロデューサーに抱きつくの止めた方がいいと思うな」

「えーしぶりんが独占するのはずるいなぁ~?」

「別に独占なんて意図はないし」

「凛ちゃん、そう云うのをクーデレって呼ぶらしいよ?」

「知らないよもう!」

喧々囂々なやり取りにPは苦笑するが、ほんの少し前までとてつもなく険悪な空気だったことを思えば、
これくらいは何ともない、微笑ましいものであった。



――パゼラ六本木にて――


――はい、凛ちゃん! コレいって! みんな元気になれるよ!

――だからって……なんで菜々の曲なの?

――もちろんコールはあれでね~っ! ほら始まるよっ!

――あーもう! わかったよ、やればいいんでしょやれば……こうなったら自棄だよ

――リリリン! リリリン! シーッブリーン!

――リリリン! リリリン! シーッブリーン!!

――リリリン! リリリン! シーッブリーン!!!

――シブシブシーブー シーッブリーン!!

――キャハッ! ラブリー―ほんとに―17歳! リンッ!

――(きらりのモノマネしたときよりつらい……)


――――
――


えーひとまずここで一服しますリンッ!

小休憩になるか、明日まで持ち越しになるかはわかりませんが、
次回分から漸くトライアドプリムスが出てくる……はずです たぶん

『輝く世界の魔法』があのような構成になった謎を絡めて作品に織り込んでみました、如何だったでしょう?

ああああーーー今回誤字多いなァァァ

>>218
×捕まえて → ○捉まえて

実際はNGが上位の枠に無理矢理ねじ込んだ感じだったから、6位以下のファンが不満いうのも無理なかったよな


執筆が追い付かなかったので、続きはやっぱり明日へ持ち越しです
今日のところはおやすみなさい

>>256
当時の本スレ含め色々な場所のふいんきはNG好きな俺にとってちょっと辛かった
TPも好きだから、不満に思う人の気持ちもわかって余計に辛かった
なので、せめて自分の書く作品の中くらいでは、こうやって救いのある理由付けをして
双方の立場にとって丁度いい着地点へ持っていってあげたかったんです

追い付いた乙乙。
構成うまいな・・・。



むむ、この綿密さは関係者でないかと思うくらい
ひたすら好物です
がんばって完走してください

遅くなりました。しばらくしたら再開します。

>>258
>>261
ありがとうございます。
既にプロットは組んであるので、時間は掛かっても完走できると思います。



・・・・・・・・・・・・


七月上旬。

この日、例年より半月以上も早く梅雨が明け、うだるような蒸し暑さが急に本気を出してきた。

麻布十番の街を、強烈な日射しが容赦なく照り付けている。

コンクリートジャングルと厳しい陽光のタッグは、まさしく人々を殺しに掛かってきていると云っても過言ではなかった。


「うー! あつい!!」

授業を午前だけ受けて出社してきた凛が、開口一番に言い放った言霊は、こだまのように伝播した。

「俺だってあっちいよ」

Pが椅子にだらりともたれかかりながら至極だるそうに答えた。

「だったら空調の設定下げてよ、プロデューサー」

「28℃って決められてんだから仕方ないだろ」

凛は制服の胸元をぱたぱたと仰ぎ、恨めしそうな顔をPへ向ける。

「大江戸線のクーラーの効きが悪過ぎて、学校から事務所来るまでずーっと暑かったんだよ?
 アイドルに汗だくのままで居ろって云うの?」

「ソファ横に扇風機があるからそれに当たれ。それに女の子の身体は冷えやすいんだから、
 設定は下げずに暑い時だけ扇風機で調整する方がいい」

Pはボールペンでデスクの横を指した。

その先に顔を向けた凛の目が、扇風機を視認するや、すたすたと早足で近寄り、首振りを切って自分の方のみへ向けた。

「あっ! こら凛! 首を固定するなよ、俺が死ぬだろ」

「ふー、生き返るね。じゃあプロデューサーもこっちおいでよ」

ソファに身を預けた凛は、扇風機の風を一身に受け、今にも解脱しそうな雰囲気を出しながら手招きで誘う。

しかしPは中々に忙しいのか、いい返事を寄越さない。

「バカ云え、俺は業務が山積みなんだよ」

「あっそ。どうでもいいけど、やっぱり扇風機は『あーーーー』ってやりたくなるよね」

「ガキかお前は。……まあ気持ちは判る」

暑い時期になって扇風機を初めて動かすとき感じる思いは、みな共通であった。

「プロデューサーだってガキじゃないそれ」

「俺はいつでも心を若々しく! ってのがモットーなんでな」

そんな他愛もない会話をしている間にも、レーザープリンターがやかましく紙を吐き出し続けている。

扇風機の風の音と共に、フロアには様々な音が混じり合い、実に賑やかであった。


「ああそうだ、早速新曲に関するファンレターが来てるから読んでおいたらどうだ?」

Pが思い出したように、事務スペースに置かれた段ボールを指差しながら知らせた。

そこには1m立方ほどの大きな段ボールが鎮座している。

どれどれ、と凛が事務机の許まで来ると、その箱にはこれでもかと詰め込まれた大量のお手紙。

「毎度のことだけど、読み切るのに相当時間がかかりそうだね……」

「そりゃあな。特に今回は新曲の発表直後だし」

見た目よりだいぶ重い段ボールをソファの横へ持っていき、くつろぎながらゆっくり読むことにした。

色とりどりの可愛い紙に書かれているのは、新曲への感想、憧れ、そして新境地のダンスへの驚き。

こうやって、ファンの人々から直接伝えられる感想は、凛――いやアイドルたちにとって大きな励みとなる。

「……概ね、好評みたいだね」

「おいおい、世間のあの反応をお前は『概ね好評』で済ませるのか?」


――およそ一月前、六月上旬にPVが初披露されて以来、アイドルらしからぬ雰囲気の歌と

強烈なダンスは極めて大きな驚きを以て迎えられ、発売のかなり前から各種音楽番組や渋谷のスクランブル、

新宿アルタ等にてヘビーローテイションであったし、有線ではリクエストの首位を独走、

発売後二週間弱が経過しようとする現在もオリコソランキングでデイリートップを維持したままだ。


先日、口パク禁止として有名なフジツボテレビの音楽番組に出演した際も、激しい踊りを交えながら見事歌い切り、

凛だけでなく、CGプロそのものの実力を広く認めさせる橋頭堡となったことは間違いない。

事実、それ以来、CGプロ所属アイドルへのオファーの数が明確に増えたのである。


それら世間の熱は、ファンレターにも顕われていた。

先ほどから諸々の手紙を読んだ限りでは、普段よりも熱心な感想を送ってきてくれているように思える。

大きな反響に、凛自身手応えを感じていたが、何よりもPの、“面白さを求めた”計画がここまで
世間を賑わしていることが誇らしかった。Pの計画が自分を輝かせてくれていることが嬉しかった。

もっとプロデューサーの考えている世界を体現して、世の中をあっと云わせたい。

それは、凛のモチベーションにも少なからず影響を与えていた。


十数通ほどを読み終わり、すっかり汗が引いた頃、Pが書類の束を持ってソファへとやってきた。

「ん、プロデューサー、暑さに陥落した? あっ、ちょっと動かさないでよ」

凛の対面に座りながら、Pは扇風機のツマミを押し込んで、首振りを再開させた。

「さすがにそろそろ首振らせてもいいだろ。……はい、これ。九月半ばに出す新曲な」

ぽん、と凛に楽譜を渡す。

「あ、出来上がったんだ? 今回はどんな感じになったの」

「奇抜なメロディラインはない分、表現力が必要だな。
 詞はおそらく夕方までには上がってくるはずだ。デモテープは作ってある」

取り出したMacBook Airのスピーカから、デモが流れてきた。

ボーカルラインには、Pのラララと唱う仮歌が入っている。

「あれ? 珍しく仮歌自分で入れたの?」

そう、普段、仮歌にはシンセサイザーでリードが入っているのだが、
先日凛たちを引率してカラオケへ行った際、Pに少し火がついてしまったようだ。

「ふふっ、プロデューサー、“意外と”歌うまかったもんね」

凛はそう云ってにこにこ笑った。

「そりゃどーも」

Pが眼を瞑りながら肩を竦ませると、「褒めてるんだよ」と更に笑う。


その間にも、簡素なスピーカからは、デモが再生され続けている。

アイドル歌謡によくある、『如何にも打ち込みです!』と云った風体ではなく、
まるで70-80年代のブリティッシュロック/ロカビリーの如く、とてもグルービーなドラムスと暴れ回るギター。

バンド編成だが、縦ノリがはっきりしていてテクノのように踊りやすい。

不思議な構成だった。


でもあまりアイドルらしくないような――

この曲だけじゃなく、前回も、一般的な感覚からすれば“アイドルらしくない”プロダクトだったよね――

プロデューサーは、私を千早さんのような、歌手に近い方向へ進めたいのかな。

そんなことを凛がつらつらと考えて目を瞑った刹那。

――!?

凛の頭の中に、見たことのない映像が広がった。

そこでは自らが、未知のダンスを舞い、一つの世界を紡いでいる。

腕から指先へしなやかに跳ねる動きの繊細さ。

腰から体幹を激しく揺さぶる動きの大胆さ。

――なに、これ。


目を開けた凛は、きょろきょろと周りを見回して不思議そうな顔をした後、
「もっとよく聴きたい」と云ってヘッドホンを挿し込み、その音楽の世界へ入り込んだ。

楽譜を読みながら規則正しく踵でリズムを取っている。

その口からは、微かにメロディラインをなぞる声が漏れていた。


・・・・・・

この景色はなに?

なぜ見もしたことのない世界が勝手に脳内で溢れるの?

新曲を聴き込み、頭の中に拡がる光景に凛は戸惑った。

脳内―そこ―には、アイドルたる自分の未知の姿が存在していたからだ。


そもそもアイドルとは何だ。

可愛い顔、または綺麗な顔、そして艶かしい身体と云った外見的特徴を披露するだけで、歌や踊りはそのおまけ。
そんな、単に言葉通りの“偶像”という意味であれば、着飾りでもして笑顔で大人しく座っていればよい。

勿論そう云った偶像としての役目も、充分な存在意義だろう。

しかし、この二年強、Pと歩んできた凛は、
なにか、それだけではない要素が強くありそうな気がしてならない。


――ふと、デビューしてからの軌跡を思い浮かべて気付いた。

『無愛想を直せと云われたことが一度もない』


常識的に考えて、偶像として致命的であろうその弱点は、本来なら、イの一番に修正させるはずでは。

しかしプロデューサーはそうしなかった。

無愛想――肯定的に表現すればクールさ――が、私を構成する要素のひとつだから?


では『自分を構成する』とは何か。

自分だけが持つ世界を体現すること。

これこそがアイドルのアイドルたる所以ではないか?

その者だけが持つ世界、例えば素朴さ、普通さ、自然派と云う世界を体現するのがアイドル天海春香であるとしたら、
アイドル渋谷凛の造る世界とは――


落ち着いた美声と佇まい、そして類稀なる美貌とオーラをフルに動員し、

きらびやかな衣装を纏って、歌を表現しつつ、常人にはこなし難いダンスを舞う。

そんな『人工的に造られたものの美しさ』なのではないか。


赤や橙と云う暖色の春香に対して、
蒼や黒と云う寒色の凛。

アイドルがその『自身の世界』を『体現する瞬間』に、人々が熱狂し、楽しむのではないか。

……なんということだ。


=====

――プロデューサーが“渋谷凛”を形作り、

――私は“渋谷凛”という存在を表現し、

――観客はそんな私に熱狂する。

=====


横浜アリーナでシャワーを浴びながら無意識的に考えていたことじゃないか。

答えは自分の深層に眠っていた。

春香のトレースは自分のためにならないと直感した渋谷での出来事は、間違っていなかった。

凛の頭の中で化学反応が起きる。

次々と答えが導き出されていく。


そして。

その中には、明確に気付いてはならない答えがあったことも、わかってしまった。

――プロデューサーこそが、アイドルだけでなく『人間としての自分』の存在意義の核を成していることに。

――『仄かな憧れ』と云う言葉の範疇を、遥かに、軽々と飛び越えてしまう事実に。


そう。

もう、私は、あの人なしでは生きていけない。


――あの人が魅せてくれたこの世界。

――あの人が誘ってくれたこの世界。

――あの人が作ってくれたこの自分。

もう、私は――プロデューサーなしでは生きていけない。


・・・・・・

Pは、ヘッドホンを挿し込み新曲の世界へ入り込んだ凛を邪魔しないように、そっとソファを離れた。

彼女は楽譜を読みながら規則正しく踵でリズムを取っている。

その口からは、微かにメロディラインをなぞる声が漏れていた。


事務机へ戻りスクリーンセーバーを解除したところで、丁度Pの内線が鳴った。

珍しい。社長からだ。

それは、社長室まで来るようにとの指示であった。


――

ノックを四回叩き、社長室へ入ると、そこには見慣れぬ人々が座っていた。

「おお来たか、早かったね」

そう云って社長はPをソファまで来るよう促した。

「突然で済まんが、先日話した、副プロデューサーの件で進展があったものでね」

なるほど。斜向かいに座っている男性が件の人物であろう。

歳はPとはさほど違わないように感じられた。

「鈷―こんごう―君だ。ひとまず第一課に配属する予定でいる。第二課と第三課の副プロデューサー候補も
 探しているところだが、P君がチーフ代わりになって手薄となるだろうから、一足先に第一課へ入れることとした」

「お気遣いありがとうございます」

Pは社長へ頭を下げ、男性に向き直った。

「鈷と申します。どうぞ宜しくお願い申し上げます」

「制作部第一課プロデューサーのPです。こちらこそ宜しくお願い致します」

お互いに会釈をし合う中、社長が補足する。

「鈷君はプロデューサーは初めてのようだが、マネージャーおよびディレクター経験があるとのことだ」

新しく配属される人物にPは多少不安もあったが、それを聞いて幾分か解消した。

「現場を知っている人が入ってくれるのは嬉しいですね。助かります。
 これなら第一課―うち―にいる者のうち、駆け出しの数人はすぐに任せられそうだ」

駆け出しという言葉に社長は反応した。

「うむ、駆け出しと云えばね、P君。目の前にいるのが駆け出しも駆け出し、いや駆け出す前の原石だよ」

部屋へ入ったときから気にはなっていたが、社長が言及するまで触れずにいたこと。

そう、鈷の横に、人ひとり分空けて座っている女の子が二人いた。


「神谷奈緒、17歳。なんであたしがこの真っ黒なオッサンにスカウトされたのかわからねえんだけど……。
 てゆーかアイドルなんて無理に決まってんだろ! このオッサンの口八丁手八丁に乗って仕方なく来たんだ。
 べ、べつに可愛いカッコとか……興味ねぇし。ホントだからなっ!!」

「アタシ北条加蓮、16歳。アンタがアタシをアイドルにしてくれるの?
 でもアタシ特訓とか練習とか下積みとか努力とか気合いとか根性とか、なんかそーゆーキャラじゃないんだよね。
 体力ないし。それでもいい? ダメぇ?」

Pはたっぷり10秒ほど目を見開いてから、たまらず顔を伏せた。

そして、くっくっ、と肩を震わせる。

「……社長、この子たち、最初からずっとこんな調子なんですか?」

「そうだな、スカウトするのに喫茶店へ入った時から反応は変わっとらんな」

目の前の女の子二人は、何笑ってんだこいつ、と云いたげな顔をしている。

Pは仰け反って大笑いした。

「あっはっは、こりゃ凛に続く逸材になりそうだ。こんな第一声は、凛に負けずとも劣らないインパクトですよ」

――ふーん、アンタが私のプロデューサー? ……まあ、悪くないかな……。私は渋谷凛。今日からよろしくね――

凛が開口一番に投げた言葉は、今でも鮮明に思い出せる。

聞いた当初はむかっ腹が立った。

しかし二人三脚でやってくること二年余。
あのときの凛の言葉は、礼儀がなってないのではなく、不安に押し潰されそうな自分を
必死に奮い立たせるためのものだったのだと、今ならわかる。

きっと目の前の少女たちも、期待や不安を裏返しにしたのだろう。

「それで、社長。この子たちの配属はどこです? おそらく自分が呼ばれたのですから第一課だと思いますが」

「そうだね、この子たちはクール属性だとティンときた。このまま制作部へ連れて行ってあげたまえ」

承知しました、と告げて、Pは鈷を含め全員についてくるように云った。


・・・・・・

第一課のスペースへ戻ると、凛が気付いてこちらを向いた。

Pは、自分の後ろで奈緒と加蓮が緊張に身が固くさせたのを感じた。

普段テレビや雑誌等でよく見るスーパーアイドル、その実物が目の前に存在しているのだから無理もないだろう。

社長よりも凛を前にした時の方が硬くなると云うのは、年頃の女の子らしい反応だ。


テーブルに楽譜やヘッドホンが置かれているところを見ると、大方頭に叩き込み終わってしまったのだろう。

「お、もう新曲をものにしたか。早いな」

「まぁ、ね。比較的、音を取りやすい曲調だったし」

凛は何故か少しだけ顔を赤らめながら、テーブルに置かれた楽譜を、とんとん、と指で叩く。

「で、そちらの人たちは?」

Pの後ろに目線を向けて訊ねた。

「今日から第一課に配属される、副プロデューサーの鈷君と、アイドルの卵、神谷奈緒ちゃん北条加蓮ちゃんだ」

紹介された三人はそれぞれ頭を下げる。

「副プロデューサーの鈷です。ひとまずPさんの補佐として動くことになると思います。どうぞ宜しく」

「鈷、さんか、珍しい名前ですね。副プロって呼びますね」

凛が返礼すると、Pが鈷に告げた。

「では会社全般のことは、事務の千川ちひろさんに確認しておいて」

「わかりました、行ってきます」

鈷は一礼して、鬼、悪魔、もとい、ちひろの許へと走っていった。

鈷の背中を見送ったPが凛に向き直って声を掛ける。

「おい凛、俺と違って随分とお淑やかな他人行儀じゃないか」

「まあ……初対面だし?」

Pはにやりと笑った。

「へえ、そうかい。てっきり、ふーん、アンタが副プロデューサー? とか言い出すのかと思っ――ぃ痛ってっ!」

脇腹に肘鉄を喰らって悶絶する。

そんなPを無視して凛は続けた。

「で、神谷さんと北条さん……ですね」

「お、おう。あーいやいやいや違う。 ……はい、神谷奈緒です。これから宜しくお願いします、渋谷凛さん」

「北条加蓮です。右も左も判りませんが、宜しくお願いします。渋谷、先輩」

「はい、こちらこそ宜しくお願いします。同じCGプロのアイドルとしてトップを目指しましょう」

すっと手を差し出すと、奈緒と加蓮が握り返してきた。

「……こほん。で、早速なんだけど、歳、近いでしょ?」

凛が話を切り出すものの、早くも耐え切れず口調が崩れつつある。

「あたしは17です」
「アタシは16」

「じゃあほぼ同い年だね。そういう子に敬語とか渋谷さんとか云われるのこそばゆくてさ。
 タメ口と名前呼びにしてくれない? 私も奈緒と加蓮って呼ぶから」

奈緒と加蓮は、ほっ、と表情を緩めた。

「お、おう。……けどあたしかなり口悪ぃぞ? いいのか? ……ってもう云っちゃってるけど」

「アタシも丁寧な方じゃないよ?」

顔つきは柔らかくなったが、それでも少し緊張して窺う二人。

「むしろそう云う自然体の方がいいよ、奈緒、加蓮。私も助かる」

口元にわずかに笑みを浮かべて凛は頷いた。

「そりゃ、アタシも助かるけどね。
 初対面かつ有名アイドルの凛……に対してこんな口調で喋っちゃっていいの?」

加蓮は右手で自らの髪の先をいじりながら、まだ完全には顔を解さない状態で問うた。

「うーん、なんて云えばいいのかな。……波長? なんか、そんなものが合うような気がしてさ。
 ま、気にしないでよ。学校で友達と話してるように、私にも接してもらえないかな」

「……おう、わかった、そこまで云われたら逆に遠慮するのが無礼ってモンだよな。
 まさかあたしが人気アイドルの凛ちゃん……じゃねえ、凛とタメ口で話してるなんて
 ……なんだか不思議な感覚だけどな」

奈緒が自らの頭の後ろへ右手を廻して、破顔した。

「すぐに慣れるよ。それにもう、二人は私を“アイドルの凛”と呼ぶ立場じゃないから。
 じきに奈緒も加蓮も、私と同じ“テレビの向こう側の存在”になるんだからね」

凛のその言葉に、改めてアイドルとして一歩を踏み出す実感を得たのか、二人は気を引き締めたようだ。

いい頃合かと判断し、横で様子を見ていたPが口を開く。

「三人とも、いい表情―かお―をしてるな。善哉善哉。
 凛、そろそろ二時から二時間だけレッスンだ。
 五時から台場の湾岸スタジオでドラマ撮影だから軽く流す程度でいい」

「わかった。今日はダンス?」

「そうだな、『輝く世界の魔法』のステップを確認しておいてくれ。
 タイミングが合えば蘭子たちを合流させ……」

そこまでで言い淀み、

「……待てよ? 丁度いいや、奈緒と加蓮を連れてけ」

その台詞に凛は少しだけ驚く素振りを見せた。

「大丈夫なの? 二人は今日初出社でしょ? 顔見せのためだけに来たんじゃないの?」

「まあそれはそうなんだけどな。アイドルは実際にどんなことをやってるのか、ってのを
 一度見せちまった方が早いだろ? 可能なら一緒に身体を動かしてもらうのもいい。
 今日の担当は慶ちゃんだったな。話を通しておく」

「まあプロデューサーがそう云うなら、私は別に構わないけど」

と云って奈緒と加蓮に向き直り、目を白黒させている二人に告げた。

「じゃあついてきて。もし参加したかったらウェアは事務所の備品使っちゃっていいから」

「ちょっ、いいのかあたしたちが行っちゃって。邪魔じゃねえの?」

急展開に慌てる奈緒。当然と云えば当然だ。しかしPは慣れた風。

「大丈夫だよ。習うより慣れろ、百聞は一見に如かずだ。行っといで」


――

二時間後。
スタジオへ様子を見に往ったPが見たものは。


「ア、アタシもうだめー……」

「あたしももう動けねぇ……なんで凛はそんなにケロッとしてられるんだよ……」

「慣れだよ慣れ。私だって最初の頃はそんな状態だったよ」

消耗しきって床にへたり込み、ぐったりしているトレーニングウェア姿の加蓮と奈緒。
反対に、多少汗をかいた程度で息は全然上がっていない凛。

結局、話を通してあった慶が、見学だけでいいと云い張る二人をレッスンへ引き摺り込んだらしい。

アイドル業界全体……かどうかはわからないが、CGプロに入った者が最初に必ず受ける洗礼であった。

「ま、予想通りの光景だな」

レッスンルームの扉を開けてPが入ると、四人全員の視線が集まった。

しかし新人二人は姿勢を正す余力もないらしい。

加蓮がOS-1を呷りながら息を漏らす。

「いやーこれアタシ、アイドル舐めてたかも……こんな凄い動きを平然とこなすなんて信じらんない」

「だな……テレビとかで見てる限りじゃ何てぇことなさそうなのに、見るのとやるのじゃ全然違うぞ」

「でも二人とも初めてでこれだけいければ上出来ですよ。センスさえ備わっていれば、あとは体力をつけるだけですから」

慶がにこにこ笑いながら二人の地力を褒めた。

「加蓮ちゃんは今後はスタミナをつけるレッスンに重点を置きましょうね。奈緒ちゃんは身体を柔らかくしましょう」

すぐに指導の方向性を示してくれる。

「慶ちゃんありがとう、助かるよ。それを参考に、育成方針を立てよう」

「いえいえ、姉たちに比べればまだまだです――


――

三人にシャワーを浴びるよう促し、事務スペースで書類を捌いていると、まず凛が戻ってきた。

「お、戻ったか。ちょうどよかった、今さっき詞が上がってきたよ」

そう告げると、凛は目を少し輝かせながら傍へ寄った。

「どれどれ? 見せて」

そして事務机のパーティションのところで軽く覗き込んでくると、シャンプーの甘い香りが漂う。

凛は、Pの作業場所までは入ってこない。その辺りはきちんと弁えている子だ。

「印刷するからちょっと待ってな」

レーザープリンターのウォームアップを待っている間、Pは新作の感想を尋ねる。

「曲はどうだ?
 ダンスも入れられるし、李衣菜辺りと組んでバンドで披露する展開なんかもできると思うが」

多田李衣菜はロック好きな第一課のアイドルだ。以前は“にわか”と云われていたが、最近はギターの腕を上げている。

凛は天井の方を見つつ、顎に人差し指を当てて云った。

「今回のも、どちらかというとあまり“所謂アイドル”らしくはないよね。ロックバンドみたいで。
 でもね、ラインは取りやすい上に、聴いてると、すごくノリがよくて、自然に身体が動くんだ」

言葉を進めるうちにどんどん笑みがこぼれて、最後にはPに微笑み掛けた。

「そうか。今回はボーカル表現を第一にしたいから、前回よりは歌へ注力できるよう
 ダンスを少し抑えめにしようと思う。それでも四分と八分取りがメインになるだろうが、この分なら安心だろう」

「うーん、そうだね、大丈夫だと思う。ただ、聴いてたら、不意に自分の踊っている姿が頭に浮かんだんだ。
 これ、取り入れていいかな? 勿論、基本はコンテに従うつもりだけど」

この、凛からPへの逆提案は、かなり稀な事象であった。Pは驚きを隠さない。

「おお、凛がそんなことを云うなんて珍しいな。いいぞ、じゃあ二人で練り上げていこう」

凛が「やった」と愉しそうに笑うと同時に、歌詞がプリントアウトされた。

そのまま彼女に渡すと、一瞬不思議そうな表情をして、すぐに強張らせた。

「ねえちょっと、これ書いたのプロデューサー?」

「いや? 俺じゃないよ。まあテーマや大筋を作詞家に伝えたりはしたが」

凛は紙をPの前に掲げ、険しい顔で云った。

「全部英語じゃん、これ」

「そうだよ、ロックだろ?」

「ちょっと、李衣菜みたいなこと云わないでよ」

凛は印刷された詞をパンパンと叩いた。

「まあ冗談でそうしたわけじゃない。こないだカラオケ行ったとき、凛はMJとかブリトニーとか歌ったろ?
 その時の英語の綺麗さが印象に残ってたもんでな。使ってみたいと思ったんだよ」

「そんな、RPGのドロップアイテムみたいな云い方して……」

口を軽くへの字に曲げて呆れている。

「帰国子女と云うわけでもないのにあそこまで上手いなんて、どんな勉強をしたんだ?」

「それは小さい頃から横田基地のネイティブの人たちと交流してきたからだと思うけど――」

確かに凛の実家は本土最大の米軍基地の近くにあったな、とPは思い出した。

意外と凛は、芸能界へ入る前から、平凡そうに見えていても常人にはない経験を持っている。

「――それでも、私は本場の人に比べたらやっぱり日本訛りだよ?」

「インパクトを与えるには充分すぎるさ。thの発音や、RとLの区別すら普通の日本人には厳しいからな」

そうPは不敵な笑みを浮かべた。

前回はダンスだったが、今回はボーカルで世間を沸かせるつもりらしい。

流通や製造のラインが夏休みやお盆で止まるので、今作は八月の上旬までには
完パケを作りたいと云う話をしていると、奈緒と加蓮が第一課へ戻ってきた。


「おし、みんな戻ったな。どうだ、うまくやれそうか」

鈷を呼び、場所を作業スペースからソファへ移すのに歩きながら、Pが第一印象を訊ねてみる。

「うん、そうだね。まだ会って数時間しか経ってないけど、だいぶ仲が深まったと思うし、
 なんか馬が合う感じがする。卯月や未央とはまた違うタイプで、仲良くなれそうだよ」

凛は嬉しそうに笑った。

「無愛想で人見知りなお前が、初対面なのに結構笑ってたもんな」

つられて笑うPの言葉に、加蓮は合点がいった顔をした。

「あ、それかあ。アタシ、さっきから凛と喋ってると、こう、テレビとかで見る寡黙でクールな感じがあまりなくて、
 なんとなく今まで見たことのある凛とはどこか違うって思ってたんだ。容姿レベルの高い普通の女子高生、みたいな」

「あーそれは確かにあるな。あたしも一緒にレッスン受けたりして、凛って普段こんなに可愛く笑うんだ、と思った」

パン、と手を叩いて同調する奈緒。そんな二人の言葉に凛は苦笑いを禁じ得ない。

「地味に非道い謂われようだよねそれ」

「あああーごめん、そういう意味で云ったんじゃなくてなあたし……」

奈緒が慌ててフォローしようと口をぱくぱくさせるが、

「ふふっ、冗談だよ。私、無愛想なのは自覚してるし」

凛はそう云ってひらひらと手を振った。

「プロデューサーとか、深い仲の人たちとかになら普通に笑えるんだけどね、
 あまり絡んだことがない人だと、途端に口数が少なくなっちゃう。
 クール……って云えば聞こえはいいけど、実際には“無愛想”だよ」

「ま、その無愛想なところも凛を特徴づける要素の一つではあるがね」

先頭を歩いていたPが振り返って云った。

「その無愛想な凛が、出会って僅かな時間にここまで笑うようになった。
 きっと、お前たち三人は相性が良いんだろうな」

凛と奈緒、加蓮はお互いの顔を見合わせた。そして、ふっと表情を緩める。

Pはソファに座りつつ、今後の方針を説明し始めた。

「奈緒も加蓮も、どちらかといえばクールな方向で行くことになると思う。
 見た目で例えれば黒いゴシックとかな」

「まあ第一課―ここ―に配属されたんだもん、そうなるよね」

凛がPの正面に座ってそう云う。

「つまり、凛がニュージェネレーションで着ているようなカンジってこと?」

加蓮と奈緒が、間に凛を挟んでPの斜向かいに座った。Pは心持ち顎を引いて頷く。

「二人とも“可愛い”と“綺麗”が混ぜ合わさった雰囲気だから似合うはずだ」

ナチュラルにぽんぽん出てくる、可愛い、とか、綺麗、などの単語に二人は顔を赤くした。

奈緒に至っては、「か、可愛いとか……ありえねえし……」などと目をそらしてぼやいている。

「いやいや奈緒ちゃんは充分可愛いですよ」

Pの隣に座った鈷が付け加えて云うと、奈緒は首まで真っ赤にして縮こまった。

「しばらく地力をつけるまでは、奈緒と加蓮は鈷を担当者とする。凛に追い付け追い越せで頑張ってくれ。
 方針の大枠は俺が定めるから、鈷はその枠内で己が感じるまま、二人と相談してやってみてくれ」

「わかりました。しかし僕がいきなり担当を持っちゃっていいんでしょうか」

鈷は頷いたが、少しだけ顔色を窺うように訊いてくる。Pは鈷へ顔を向け、

「無論だ。二人はまだアイドルにもなっていない卵、そして鈷はプロデューサーの卵だ。
 その状態から二人三脚でやっていけばお互いが成長し合えるし、絆も深まる。かつて俺と凛もそうだった」

そして、「な?」と凛を見る。

「そうだね。一緒にステップアップしていけると思う。お互い手探り状態なら気軽に喧嘩できるし」

「おいおい喧嘩って物騒だなぁ」

凛の言葉に奈緒が穏やかならぬ顔をするが、

「私だって最初の頃はプロデューサーと衝突ばかりしてたよ?」

と、凛は何ともなさげに云った。

「そうだな、あの頃の凛はほんと跳ねっ返りでなあ」

Pがやれやれ、と云いた気なジェスチュアで腕を広げると、

「それはプロデューサーが分からず屋だったからじゃん」

凛は身を乗り出して口を尖らせた。そんな応酬を重ねる二人を見ながら、

「……仲良いね」
「……まったくだな」

加蓮と奈緒は、呆れたように目配せした。


えーひとまずここで一旦切ります。ようやく奈緒と加蓮が出て来たよ……
気付いたら300を突破していてビビった。もうそんなに書いたのね

次回は可愛い凛ちゃん無双になるはずですが、俺の筆力ではどうなることやら
おそらく、そろそろ前半のヤマ場を迎えるはずです。それでは

乙です
まだ前半が終わってないのか(驚愕)

テッペン越えちまったよ! 間もなく再開します

>>311
今回書き貯めた部分でもまだ前半終わりません(震え声)
後半へ移行していくのはおそらく次回になるかと……
どうしてこんなに長くなった



・・・・・・・・・・・・


今年の夏は暑い。実に暑い。

連日真夏日どころか、猛暑日が数日も続く始末。

毎日々々、熱中症で搬送された報道が途絶えない。


本日、八月十日。

東京都心の気温は今年初めて37℃を越え、人体よりも高い温度に気が滅入る。
テレビを点ければ、山梨や群馬で40℃を突破したと、大騒ぎだ。

あまりの猛暑に、空調の設定温度を26℃まで下げてよい社内通達が出るほどであった。


「うー……複素数ワケわかんない……微積の方がまだマシだよ……」

そんな酷暑の中、CGプロの休憩室では、凛が夏休みの課題と格闘している。

――いや、戦いに負けて、テーブル上のノートへ突っ伏していた。

状況はあまり芳しくないようだ。

多忙なアイドルが、学業を高いレベルで両立させるのはとても難しい。

真面目に積み重ねる凛だからまだ何とかなっているのであって、同学年の未央は目も当てられない状態だ。

現在、凛に限らず奈緒や加蓮、その他多くの学生アイドルが宿題を消化している最中。

のあや菜々は年少組のそれを看ており、難波笑美は何故かレブ・ビーチのBlack Magicを
勝利への応援歌やで、と宣いながら流すなど、休憩室は賑わいを見せていた。


今日の凛はオフだ。

ちょうど昨日、新曲がマスターアップしたところ。

タイアップも決まり、早くも既にメディア等で取り上げられ始めている。

そんな凛が、何故わざわざ事務所へ来ているのか。宿題をこなすだけなら寮でも出来るはずなのに。

それは、週頭にレコーディングとPVの収録を済ませた際、今日と云う日を空けておくようPに念を押しておいたためだ。

 ――週末、時間作っておいてよね

 何かあるのか?

 大事なイベントがあるでしょ、ほら

 ああ、九日に新曲をマスターアップさせるから、その祝賀会か

 もう、ばか!

 冗談だよ。お前の誕生日だってことくらいわかってるさ

 まったく、意地が悪いんだから

 コミュニケーションの一種だよ。十日は昼前まで仕事をしなきゃいけないが、それからは空けられる

 じゃあその昼以降は私とのデートでFixしておいてよね

 承知致しました、お姫様――

つまり、Pが上がれるようになるまで、こうやって休憩室で宿題を消化していると云うこと。

……しかし真の目的はただの時間潰しだ。

Pとプライベートで出かけるのは、相当久しぶり。

特に、明確に意識するようになってからは初めてのことである。

そんな状況では、端から宿題に手が付くとは思っていなかった。


元からあまり集中できていなかった凛は、誕生日祝いに貰った手作りのお菓子を口へ運んだ。

千枝や雪美、薫と云った年少組の面々が、一所懸命に焼いてくれたクッキーだ。

サクサクと解け、贅沢なバターの風味が拡がる。形は不揃いだが、とても美味しい。

それ以外にも、アイドルたちから贈られた誕生日プレゼントの数々で、凛のバッグは膨れていた。

仲間に誕生日を祝ってもらえるのは幸せなことだ。

口内を癒す香ばしい甘さを、テーブルに身を投げ出しながら味わっていると、
そのあまりの白旗ぶりに、居合わせた美優が、凛を手伝おうと隣に座ってきた。

「凛ちゃん、複素数は実部が云々、虚部が云々、と代数学で考えるより、
 複素平面で幾何学的に捉えた方が理解しやすいですよ?」

「……美優さん、複素平面ってなに?」

美優のアドバイスに、頭上へ疑問符を浮かべて訊ねる凛。

そんな凛の様子を見て、更に菜々が不思議そうな顔をする。

「あれっ、凛ちゃん複素平面は習ってないんですか?」

「そんなの初耳だよ?」

「あれー? 最近の高校じゃやらなくなったんですかねー? ナナが現役の頃は複素平面までやったんですけど」

もはや誰も突っ込もうとしないのは優しさ故か、いい加減面倒くさくなったのか。

たぶん後者だろう。
現に、新参者ゆえ疑問を投げ掛けようとする奈緒や加蓮を、のあが目線で制止している。

どたばたを他所に、美優がにこやかな笑みを湛えながら、紙に十字を書いた。

――凛ちゃん、大雑把に云ってしまえばね……平面上の横軸を実数、縦軸を虚数として――

――……あっ、すごい。ベクトルで考えられるようになった――


美優に手伝ってもらい、望外の進捗に喜んでいると、いつの間にかお昼時であった。

そろそろ昼食にしようかという空気が休憩室に充ち始めたとき、
誰かが点けたテレビの音楽番組から、ちょうど凛の新曲のPVが流れた。

「あっ! 凛ちゃんの新曲ですよ!」

菜々がそう言葉を発した瞬間、全員の注目がテレビへ向かう。

テレビのスピーカが、軽快でノリのよいロックを奏でる。



プロデューサーさん! 凛ちゃんの新曲ですよ、新曲!

Carrie Underwood - Good Girl
http://www.youtube.com/watch?v=7-uothzTaaQ&hd=1


音楽番組では、コメンテーターたちが、アイドルが全篇英語のロックをリリースしたことに大騒ぎ。

しかもただのロックバンドではなく、『アイドルによる踊れるカントリーロック』としたことで、更なる衝撃を以て迎えられた。

発売までまだまだ日があると云うのに、注目度は抜群だ。

初めてPVを見た面々は、テレビに釘付けとなっている。

「おいおいすげえな……」
「まるで次元が違うじゃん……」

奈緒と加蓮は驚きのあまり口が開いている。


凛のPVが終わってしばらくしたのち、だるそうに扇子を揺らしながらPが現れた。

「暑っちぃ……ほい、凛、お待たせ」

出入り端でPが手招きをする。
凛は美優に手伝ってくれた礼を述べ、ノートはじめ荷物を鞄にまとめて立ち上がった。

アイドルたちが口々に、「Pさんとお誕生日デートですかぁ?」と訊いてくるのを、
否定も肯定もせずウインクでやり過ごし、Pの許へ向かう。

歩み寄ると、「いやー……今日はヤベェな」と胸元を扇ぎ、Pはどうにもならないぼやきを零した。

「確かに今日は異常な暑さだけどさ、何よりも長袖のスーツなんか着込んでるからでしょ?」

ワイシャツこそ半袖であれ、見るだけで暑くなる黒い上着に身を包む目の前の男へ、呆れたように目を遣って凛は云った。

凛自身も、日焼け防止のために、長袖のブラウスとロングパンツを着ているとはいえ。

しかしそれは明るい白色系だし、生地もとても薄いものだ。

Pは溜め息をつきつつ、

「残念なことに企業戦士はこの格好でいなきゃならないんだよ」

そう愚痴をこぼし、「ほら、持つよ」と凛の鞄に手を伸ばした。

「ん、ありがと」

「今日は随分と重いな」

普段は持ってこない大きなサイズの鞄が、ぱつぱつに膨らんでいて、それを上下にゆっくり動かしながら云う。

「みんなからプレゼントをたくさん貰ったからね」

凛が部屋の中へ腕を広げてにこっと笑った。

「それを見越して、今日は大きめの鞄を持ってきたわけか」

「ふふっ、そういうこと」

星井美希のように、人差し指を立ててウインクした。

「祝ってくれる仲間がいるってのは、いいもんだよな」

休憩室で賑やかにしているアイドルたちを眺めて云うPの言葉に、
凛も同じように室内を振り返って「うん、恵まれてると思うよ私も」と感慨深気に、優しい口調で同意した。

Pが出口の方へ親指を動かして、凛を促す。

「さて、予定を空けたはいいが、何をしたいのかまでは訊いてなかったな。ひとまず車を出そう」

「え、社用車使えるの?」

「ンなわけないだろ。どうせ車を出すことになるだろうと思ったから自前の持ってきたんだよ」

二人、廊下を並んで歩きつつ、若干やれやれ、と云う雰囲気で答えると、凛は不思議そうにしていた顔から一転、笑みを綻ばせた。

「準備いいね。私、プロデューサーのマイカーに乗るの初めて」

「お前だけじゃなく、アイドル含め事務所の人間は、これまで乗せたことないよ」

一瞬ちらりと凛を見て、すぐに視線を前に戻してからPは告げた。

凛は心底驚いた様子で、上半身を回り込ませるようにして、Pの顔を見ながら訊く。

「えっ、銅さんや鏷さんとかも?」

「ないよ」

「ちひろさんさえ?」

「ないよ。って云うかそれ人選おかしい」

「……そんな車に、私を乗せちゃっていいの?」

と、自らを指差して問うた。

「別に構わんよ。タイミングがなかっただけだしな。で、どこか行きたいところあるのか?」

そう訊ねると、凛は首を斜めにして考えつつも、特段の目的地を決めているわけではないようであった。

「んー、特にここ行きたい、って場所はないよ。プロデューサーとゆっくり一緒にいられればいい」

「随分とまあ男冥利に尽きることを云ってくれるが……それはアイドルが発していい言葉じゃないぞ」

最近の凛は、こんなことを云う頻度が明らかに増えた。その度に、嬉しくも複雑な感想をPは得るのだが。

「まあまあ、そんな気にしてたら鏷さんみたいに禿げ上がっちゃうよ?」

歩いていながらにして器用な手付きで髪をアップに結い、普段通りの笑みを浮かべた。

しかしその笑顔とは逆に、非道い云い様だ。

「あいつ、深刻な風評被害に苦しんでるんだぞ……」

「そうなの? あの人いっつも飄々としてるように見えるけどね」

「陰ながら哭いてるんだよ」

鏷のために一応のフォローは入れたものの、P自身が笑いを噛み殺しているので説得力はない。

事務所の受付を通り過ぎ、ビルの自動扉を抜けると、殺人的な熱気と日射しが二人を襲った。

「うわ、あっつ……。ひとまず、暑過ぎてどうにもならないから、避暑できる場所がいいな」

あまりの陽の強さに、凛は額の前に掌を掲げて、片目を瞑る。

「避暑か。かといってどこかクーラーの効いた建物に入るのも本末転倒だよなぁ」

それじゃこの事務所に居ても変わらないもんね、と凛も同意した。

「じゃあ……ちょっと遠出するか」

「遠出? どこどこ?」

「着いてのお楽しみだ。行きしなに軽くメシでも食おう」

Pはニッと笑いながら、 アルシオーネの鍵を開けた。


・・・・・・

「ところでさ――」

事務所を出発し、首都高速芝公園ランプへ向かって走り出すと、不意に凛が話し掛けてきた。

「――これ、バック・トゥ・ザ・フューチャーに出てくる車みたいだね」

ポンポン、とダッシュボードに触れる。

「まあ、時代……ってやつだろうな。俺より歳上だし、コイツ」

凛の言葉に、Pがシフトを二速から三速へ入れつつ答えると、彼女は少々驚いたようだ。

「えっ、そんなに古いんだ? 確かに普通のと雰囲気が全然違ってカッコイイね」

今の十代の子たちにとって、バブル時代の製品は、古臭いのではなく、逆に格好よく映ると聞いたことがある。

「ふふっ、美世が見たら喜びそう」

凛は、第二課の原田美世の名前を出して微笑んだ。クルマ・バイクいじりが趣味のアイドルだ。

「見慣れない機器ばかり……この変な差し込み口なに?」

オーディオのパネル部分を指差して訊いた。

首都高速へ合流するのに若干の時間差を置いてから「それはカセットテープのデッキだ」とPが答えると、
凛は口を小さく開けて顎に指を当てる。

「カセットテープ? 名前だけは聞いたことあるけど、初めて見た」

「……お前の世代だと、初っ端からiPodだもんな。MDもギリギリ範囲内か」

「うん、初めて買ってもらったのはiPod miniだったよ」

Pと凛とは八歳離れている。

丁度、時代や技術の転換期だったせいも多分にあるだろうが――

しかし、たったそれだけの歳の差であっても、大きなジェネレーションギャップを感じることにPは戦慄した。

「俺ももう若くねえな……」

苦い顔をして呻くように云うと、凛は大きく笑った。

「ふふっ、なあにプロデューサー、まだまだそんなこと云うトシじゃないでしょ?」

「だって俺は、カセットテープに文科放送の深夜番組を録音して楽しんでたような世代だぜ……」

「そうは云ったって、私と八歳しか離れてないんだから」

凛は手を縦にひらひらと振った。

「でも、これだとiPodはおろかCDさえ聴けないね。新しい車にしないの?」

「一応、iPodやCDをこのデッキで聴ける機器を積んであるから大丈夫さ。
 コイツは、免許取ったときに親父からお下がりで貰ってな、乗ってるうちに愛着が湧いちまったんだ」

凛を横目で見ながら「それに、これで実家戻るとお袋が喜ぶんだわ」と付け足した。

「うん? プロデューサーのお母さんが? なんで?」

凛はきょとんとした顔で、視線を前景からPへ移した。

「若い頃の思い出が甦るんだと」

Pも視線を少しの間だけ凛へ向けて答えると、凛は、さらに、不思議そうに小首を傾げた。

続けてヒントを出す。

「まあつまり、親父たちは、結婚する前からこのクルマに乗ってたわけで――」

「――あっ……」

そうか。


――私が今いる、この場所に、プロデューサーのお母さんが座っていたんだ……

Pの両親がデートにも使っていたであろうこの車。

男と女から夫と妻、そして父と母へ移りゆき――そして、その同じ位置に今、Pと凛がいる。

それに気付いた凛は少し頬を染めて、それを悟られまいと、左窓から見える景色に目を移した。


そのまま中央道を飛ばすことしばし。

途中の談合坂SAでB級グルメを楽しんだりして、富士山麓は鳴沢村の氷穴が見えてきた。

「ほい、着いたぞ。ここだ」

駐車場に停め、そう云って助手席を見ると、凛もこちらをにこにこと見ていた。

「おつかれさま」

甘い労いの言葉だった。

「男の人の運転する姿って、どきどきするよね。バックしてスッと駐車する時の振る舞いとかさ、キュンとくるよ」

口の前で両手の平を合わせて、少し照れながら云う。凛らしからぬ言葉だ。

「社用車じゃこんなことは感じないんだけどね、なんでだろ」

確かに、アイドルたちの送迎等で社用車を頻繁に運転しているが、こんなことはまず云われない。

味気のないライトバンなのだ、然もありなむ。

「初めて乗ったプロデューサーのマイカーだから、かな? ふふっ」

サイドブレーキのレバーを、すっ、と中指で艶かしく撫でた。妙に色っぽい仕草だ。

「ほらほら、馬鹿なこと云ってないで、行くぞ」

「あっ、待ってよ」

車を降りると、相変わらずの暑気が二人を包んだ。

「うわ……ここまで来てもまだ暑いね……」

凛は後部座席から、持ってきておいた、つば広の丸い麦藁帽子を取り出して冠る。

「そうだな、まあ今は一日で最も暑い時間帯だしな」

Pが、車のドアをロックしながら答えた。相変わらずスーツを着たままだ。

「ねえプロデューサー、仕事はもう上がったのに、まだその格好してるの?」

「……残念なことに企業戦士はこの格好でいなきゃならないんだよ」

「さっきも云ったでしょそれ」

凛はくすくすと笑った。

そして、看板の文字を、尋ねるように読む。

「……なるさわ……ひょうけつ? 氷の穴?」

「溶岩の穴であって、氷で出来ていると云うわけではないが、昔は氷の貯蔵に利用されてたって話だ」

「へえ、天然の冷蔵庫みたいなものだね」

そのまま入口に立つと、まるで黄泉比良坂みたい、とPを振り返って云った。

鬱蒼と森が連なる樹海に、ぽつんと、それでいて大きく口を開けている孔。

凛の表現通り、この場所が見せる光景は、まさに、異質なコントラストだ。

夏休みなので混雑を覚悟していたが、逆に盆でみんな帰省しているのか、思ったほど人は多くなかった。

車中で変装はばっちり済ませてあったので心配はない。しかし、やはり避暑ならあまり人は多くない方がいい。
あくまでも気分的な問題だ。

二人、穴への階段を降りていく。

歩を進めることしばし。明確に気温の変わるラインがあった。

「うわ、いきなり涼しくなったよ」

凛がはしゃいで、軽快に階段をステップして行く。

「プロデューサー、早くおいでってば」

少し降りた先で手を招いている。

下が滑るから気をつけるようにな、と忠告してPはゆっくりそれについて行くと、

「じゃあ、転ばないようにしないとね?」

云うや否や、すっと腕を組んできた。

その動きは実に素早く自然で、Pが驚き抵抗する隙も与えないほどであった。

「おい、お前――」

「別にいいでしょ、こう云う刻くらい」

諌めようとする言葉を遮り、

「それにアイドルに転んで怪我される方が避けるべきことだと思うけど?」

そう云ってつんと澄ました笑顔を向けてくる。

「それにしたってお前、そんなに密着すると胸が――」

「当、て、て、るんだよ、ふふふっ」

再び言葉を遮って、意地の悪い笑顔に変わる。

はぁ、と軽く溜め息をつき、「あまり大胆なことはするなよ」と釘を刺すも、振りほどくことはせず、並んで降りて行った。


「うわぁ……」

洞窟の最奥まで到達すると、そこには氷塊がずらりと鎮座していて、寒色のライトの効果もあり
非常に幻想的な雰囲気を醸し出している。

その光景に、凛はただただ感歎の息を吐いた。

しかし一番奥ということは気温も一番低い。
凛の組んだ腕から、感嘆したと云う理由だけではない震えが伝わってきたので、
一度腕を解いて、Pは着ていたスーツの上着を凛に羽織らせた。

「あ、ごめん……」

「どういたしまして、お姫様」

スーツに腕を通しながら、凛は上目遣いで訊いてきた。

「ねえ、もしかして、あんな気温の中、車を降りてからも暑苦しい上着を着てたのって――」

「はて、何のことやら?」

この為だったのでは、と云う凛の言葉を、今度はPが遮る番だった。

「……ありがと」

急にしおらしくなる凛。

しかし再び組み直したその腕は、力強く引き寄せるものだった。


ゆっくりと30分ほどで廻り終え、階段を上がると、やはり明確に気温の変わるポイントがあった。

25℃以上もの上昇に、凛は多少名残惜しそうに離れ、スーツを脱いでPに返した。

つい今しがたまで寒いくらいだったのに、外へ出ると一気に汗が出てくる暑さ。

身体がびっくりしてしまいそうだ。


――

堪らず、氷穴売店へと駆け込むと、そこで、あ、と凛が声を上げた。

視線の先には、信玄パフェなる甘味がある。

Pを見る凛。無言の――それでいて有無を云わさぬ――おねだりに、苦笑しながらその氷穴限定なパフェを一つ、オーダーした。


売店前のテーブルで待っている凛の許へ持っていくと、「あれ? 一つでいいの?」と訊ねてきた。

「ああ、俺はいいよ。気にせず食いな」

そう云って、ソフトクリームと信玄餅がコラボしたパフェのカップを渡した。

「じゃあ半分コ、しない? 思ったより大きいからさ、これ」

「そうか? それなら凛がまず気の済むまで食べるといい。俺は残った分で構わんよ」

「そんなわけにもいかないでしょ。ほら、一緒に食べよ? あーん」

そう云ってスプーンをPへ向ける。

「おいおい流石にそれはいかんでしょ」

「いいってば。ほら、融けて垂れちゃうよ。早く早く」

そう急かされてはまともに考えられない。結局ぱくりと食べてしまった。

「あ、なかなかいけるなこれ」

「ホント? どれどれ……」

と凛はそのまま自分の分を掬って口へ運ぶ。

「うん、きなこと黒蜜とソフトクリーム、合うね。おいしい」

頬に手を当てて、にこにこと笑みを浮かべた。

「信玄餅の触感もアクセントになってるな」

「そうだね、私は信玄餅も好きだから、この組み合わせ気に入っちゃった。はい、もう一口あーん」

Pは済し崩し的に何回か食べさせられることとなった。

「……そういえば沖縄の波照間島に、きなこと黒蜜たっぷりのスペシャルかき氷があるとかなんとか聞いたことがあるな」

「えっなにそれ! 食べてみたい!」

ふと思い出して口から出た言葉に、凛は食いついた。

「まあ波照間なんて往くのは相当めんどくさいから、何かの機会がないと難しいだろうけどな」

「沖縄とか石垣とかの方のお仕事獲ってきてよ」

そんな無茶な要求をしてくる。余程きなこ氷が気になったのだろうか。

沖縄の方の仕事、何かあるかなと思案していると、パフェのカップが残り少なくなっていた。

それを見て、ふと、

「凛、あーん、してやろうか?」

そう何気なく、実に何気なく云った一言。

凛の顔面がまるでボンッと音を立てるかの如く一気に紅くなり、「え、い、いいよ」と、もじもじした。

どうやらPへは平気で「あーん」と云う癖に、いざ自分がやられると大分恥ずかしいらしい。

その反応が面白くて、ついついからかってしまう。

「ほら貸してみろって。はい、最後の一口、あーん」

にやりと笑いながらスプーンを凛の方へ差し出すと、つんとした顔で、素早く、ぱくっと食いついた。

「ああッ! あーんって口を開けたところへゆっくり入れてやろうと思ったのに!」

Pが大袈裟にショックを受けた振りをすると、凛はベーっと舌を少しだけ出した。

しかしすぐに笑みに換えて云う。

――なんだか、本当にデートみたいだね、ふふっ


・・・・・・

ささやかな避暑を終え、事務所へのお土産などをゆっくり見つつ都内へ戻って、少々奮発したディナーを済ませたのち。

Pと凛は、臨海副都心へ。

喧噪のウエストプロムナードや『海の向かう広場』を避け、
10号埋立地との境にある、センタープロムナードの『夢の大橋』へ来ていた。

「綺麗……」

橋上のベンチに座った凛は、その美しさに嘆息し、しばらくの間、何の声も出さない。

眩い橙に輝く灯と、遠くビジネス街から洩れるビルの照明、高層建築屋上の点いては消える赤灯。

奥にはパレットタウンの、色彩豊かな観覧車が光を撒いている。

何よりも――これだけの好ロケーションでありながら、人通りが皆無で誰にも邪魔されない。

東京で随一のロマンティックスポットであった。


「綺麗だな」

そう呟くPの言葉に、パレットタウンの方を向いていた凛が振り返った。

素敵な景色に、眼を輝かせて云う。

「ちょくちょく仕事で来る湾岸スタジオの傍に、こんな素敵な場所があったなんて――知らなかった……」

台場側のウエストプロムナードならまだしも、こんな時間にこの周辺を歩く用事なんて
ほとんどないのだから、或る意味当然か。

その瞳には、大橋の明るい照明が映り込んで、更に輝いているように思えた。

周りには、誰もいない。通る人は、誰もいない。

まさに独占状態。

「この分なら、髪は下ろしちゃっても大丈夫そうだね」

そう云って凛はアップにしていた髪を解いた。

さらり、と滑り落ちる長い絹が、麦藁帽子と組み合わされ、これもまた可愛い。

「凛はどんなヘアスタイルでも、どんな帽子でも、どんなファッションでも可愛く綺麗にこなすよなあ」

Pが率直な感想を述べると、凛は「そ、そんなことないよ」と少し照れた。


寸刻ののち。

「……プロデューサー、今日はありがとね」

凛はPの顔を見上げ、ゆっくりと言葉を紡いだ。

「こんなに楽しい誕生日、初めてだったよ」

「これくらいでよければ御安い御用ざんすよ」

軽い調子で述べるPの仕草に、凛は微笑む。

「じゃあ私、プロデューサーのバイクにも乗ってみたいな」

Pがバイク乗りであることを知っているとは、夏樹辺りにでも聞いたのだろうか。

「今度機会があったらな。万が一転倒でもしたら天下のアイドルに傷がついちまうから、少し気が引けるんだが」

「そしたらそしたで、責任とって私のこと貰ってくれるでしょ?」

「ボケ。……おっ、観覧車の色が変わった」

Pが少し顔を挙げて独り言ち、凛は再びパレットタウンの方向を向く。

「あれって色々なパターンがあるんだね」

「だな、飽きさせない光だ」

それらが水面に映され、ゆらゆらと揺れている。

観覧車の向こうには、羽田空港から飛び発つ飛行機の光が、ゆっくりと動くのが見える。

「これだけ夜景に溢れてるのに、私たちだけしかいないなんて、何だか不思議な気分」

「人工の光に溢れる世界、しかしそこには、お前と俺しか存在していない……」

「そう、そんな感覚」

凛が、観覧車の光を眺めたまま、プロデューサーは中々ポエティックだね、と笑う。

「……かもな」

そう云いながら、Pは、凛の瞳の前に、ネックレスをぶら下げた。

オーバルブリリアントにカットされた、一粒の宝石。

それは親指の爪ほどもある、大きな大きな菫青石だ。

驚いて、凛が振り向く。

「これ……私に?」

「アイオライトの首飾りだ。気に入ってくれると良いんだが」

Pはゆっくりと頷いて云った。

凛は不意の贈り物に声を出せず、細く綺麗な指で、白く輝く、蒼い宝石をそっと撫でる。

「アイオ……ライト……私の、誕生石……」

「ああ、素敵な石だ」

「綺麗……」

夜景を見た時よりも、さらに心の深い場所から紡がれた短い言葉。

しばらく、愛しむ眼をしながら撫でたのち、麦藁帽子を脱いで肩口からゆっくりと髪をかき上げた。

「ね、つけてくれる?」

そう云って半身になり、うなじを露出させる。

「お姫様の仰せの儘に」

Pの腕が凛の首を回り込み、小器用に留め具をつなげると、アイオライトが鎖骨の間に坐りよく落ち着いた。

「ふふっ、ありがと。どう?」

かき上げた髪を解放した左手を、胸の辺りに添え、小首を傾げて問う。

「とても似合ってるよ。お前のための石が見せる、お前のための蒼だ」

満面の笑みを浮かべる凛に、Pは更に花束を背の影から取り出す。

蒼い岩桔梗をメインに、季節の花をあしらった花束。

「お前に合いそうな花を見繕ってみた。
 あまり花には詳しくないから、花屋の娘にとっては、頓珍漢なセレクトかも知れんが」

差し出された花束に、驚いた顔をして、笑う。

「ううん、嬉しいよ。とっても」

「そうか、よかった」

そう云って、岩桔梗を一輪だけ抜き、凛の髪へ挿した。

「18歳の誕生日、おめでとう」

即席の髪飾りに、凛は、はにかんだ。

「ありがと、……プロデューサー」

花弁に触れて、微笑む。

「……ねえ、プロデューサー、岩桔梗の花言葉、知ってる?」

花屋らしい質問に、Pは記憶をフル回転させる。

「んーとだな、……美点の持ち主……だったっけ?」

「うん、正解」

その答えに、凛はゆっくりと頷いた。

「他には感謝とか。でもね、何より……」




――誠実な恋、と云う意味があるんだよ。


そう云って、花束から、もう一輪の岩桔梗を抜いて、

Pの胸ポケットへ挿し込んだ。

真剣な顔で、じっと、目を見詰めたまま。


・・・・・・

観覧車の光が変化するのを見ていると、私の目は、不意に塞がれた。

遠くの景色から近くの物へフォーカスを合わせるのに時間がかかったけれど、

そこには。

綺麗な宝石がゆらゆらと微かに揺れていた。

……え?

驚いて振り返ると、笑みを浮かべたプロデューサーが、ネックレスを垂らしていた。

これ……私に?

プロデューサーは頷きながら、アイオライトだと云った。

私の――誕生石。

まさか、私の誕生石を贈ってくれるなんて。


目の前の男性―ひと―への愛しさが、込み上げてきた。

驚きのあまりほとんど何も云えずに、目の前の大きな粒を撫でることしかできなかった。

そしてそれによって角度が少し変わるたび、綺麗な反射光がまるで生きているかのように動いた。

私の我が儘を聞いて、プロデューサーが、ネックレスをつけてくれた。

首の周りにプロデューサーの体温を感じた。

――似合ってるよ。

私のための石が見せる、私のための蒼だと云ってくれた。

まさか、そんな言葉を掛けてくれるなんて。


目の前の男性―ひと―への愛しさが、もっと込み上げてきた。

さらには、蒼い花束までプレゼントしてくれた。

即席の髪飾りをこしらえてくれた。

――18歳の誕生日、おめでとう。

まさか、こんなに綺麗な、ロマンチックな方法で祝ってくれるなんて。


目の前の男性―ひと―への愛しさが、どんどん込み上げてきた。

そして、私の胸は、ついに一杯になってしまった。

もう、止まらない。

ボールが、坂道を転がり出してしまったのだ。


「――誠実な恋、と云う意味があるんだよ」


そう云って、私はプロデューサーの胸ポケットへ岩桔梗を挿し込んだ。

もう――止められない。


・・・・・・

凛は、Pの目を見詰めて逸らすことはなかった。

無言で、二人の視線は絡み合い、刻が過ぎてゆく。

「凛……お前……」

「いま、プロデューサーが、アイオライトをくれたよね」

ふと、凛が表情を緩め、ネックレスの宝石を撫でて云った。

「アイオライトは、“人生の羅針盤”、アイデンティティを呼び覚ます石なんだって」

瞼を閉じて続ける。

「――ぴったりだと思わない? プロデューサーは、まさに私を導いてくれる羅針盤」

再び、眼を開けて、まっすぐPを見詰めた。

「そして、私自身の『アイデンティティに不可欠な』男性―ひと―……」

「凛、待――

Pが止めようとする前に、凛は想いの丈を告白した。



ねえ、プロデューサー。

本当はこんなこと云っちゃいけないんだろうけれど。


「凛! それを明確に口に出しては駄――





私は、あなたが――好き。

あなたなしでは、もう、生きていけない。




ひとまず今回分はここまで
いやはや、クールにデレるしぶりんって書くの難しいです


Pが乗ってるアルシオーネ
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/8/89/Subaru_XT6.jpg
この名を聞いて魔法騎士レイアースが思い浮かぶ人は果たしてどれくらいいるのやら

勝利への応援歌はコチラ
Black Magic
http://www.youtube.com/watch?v=uaAUmQ1TJCA

>>378
締切の方が最優先ですぜ
こっちの方は特に急がず、でも落ちない程度に書き込んでいただければそれで

P裏山死刑


うひー何とか終電で帰ってこられました
メシ食ったりするので、しばらくしたら再開します
今回はちょっとシリアスになっていきます

>>379-381
いやはやありがとうございます
そう云って頂けるとモチベーションぐんと上がります
ゆっくりですが何とかコンスタントに書き起こせていければいいなと思います

>>382
Pはあなたなのですよ(ニッコリ



・・・・・・


――間に合わなかった。

Pは心の中でそう呟いて、途方に暮れた。

まさか、恋慕の情を、想いとして留めておくのではなく、明確な言葉で発するとは。

迂闊であった。

凛が少なからず自分に想いを抱いていることは判っていた。

凛は、弁えている子だ。

凛は、彼女自身の立場をしっかり認識している子だ。

アイドルが、プロデューサーに恋をしても、叶うことはないと判っている子だ。

だから、ロマンチックな誕生日を演出することで、少しでも報いてやれればと思っていた。

よもや、はっきりと告白してくるとは。

全く予想だにしなかった事態になってしまった。

――俺は、プロデューサー失格だ。


「いいか、凛」

凛の両肩にそっと手を置く。

「お前が好きなのは、“プロデューサー”なんだよ。“俺”じゃない」

Pは首を振って、そう告げた。しかし凛は諦めない。

「確かに、最初に『いいな』と思ったのは“プロデューサーとしての”あなただったかもしれないよ。
 でもそんなのは、ただのきっかけでしかない。
 プロデューサーとしての存在の向こう側にある、『Pさん』に惚れるきっかけでしかなかったの」

Pは苦しそうに眼を閉じた。

「お前は、わかってたんだろ? あの歌の意味を」

「うん、あの歌詞に込められた裏の意味は、読んだ瞬間にわかったよ」

プリントアウトした紙を見せた瞬間の、凛の顔の強張り。
歌詞の意味に気付いたこと、それをきちんとPは看破していた。

「それでも、私は、プロデューサーの核を成すPさんが好き。
 私を変えてくれた、私を輝かせてくれたPさんが好き。
 アイドルの立場を取るかPさんへの想いを取るか迷ったよ。でもやっぱり、あなたが欲しいの」

すっ、と立ち上がり、姿勢を正す。

右手を心臓に重ね、芯のはっきりした声で云った。


――あなたの前では、渋谷凛という“女”でありたい――


Pも立ち上がったが、こちらは片手で頭を抱えている。

何も答えられず、まさに苦悶の表情だった。

凛が畳み掛ける。

「あなたに抱き締めてほしいの。
 あなたに抱いてほしいの。
 あなたになら滅茶苦茶にされてもいいの。
 あなたが好きなの……」

Pは、自分の認識誤りに漸く気付いた。

あどけない、初心な子だと思っていた少女は、いつの間にか、男を相手に、抱いてほしいと云えるまでになっていた。

よもや、凛の口からそのような台詞が出てこようとは。

少女は、いつしか、オンナに変わっていたのだ。

凛は、一息置いてから、真っ直ぐに射抜く視線で続けた。

「あなたが望むなら、アイドルを捨ててもいい!」


その言葉に、Pは即座に反応し、これまでとは全く違う、強い勢いと力で両肩を掴んだ。

凛は思わず、びくっ、と身体を縮こめる。

「凛、それだけは絶対に云うな。
 今の言葉はつまり、これまでのお前の存在や、お前が歯を食いしばって昇ってきた軌跡を、全否定することだ。
 それは渋谷凛のプロデューサーとして、許可できない」

「ぁ……ご、ごめん……なさい。考えなしに、云い過ぎた……」

Pは深く息をつき、

「少し時間をおこう」

お互い頭を冷やして、じっくり考える必要がある、と続けた。

その“頭を冷やせ”という台詞に、凛が泣きそうな顔をして問い掛ける。

「プロデューサーは、私のこと嫌いなの!? 私が本気で云ってるわけじゃないと思ってるの!?」

Pはあまりの苦しさに呻いた。

「そうじゃない。そうじゃなくて、俺は首を縦にも横にも振れないんだよ」

凛はひるまず、プロデューサーとしてではなくPさんとしての言葉を聞きたいの、と云う。

しかしPはその問い掛けには答えず、

「……しばらく、お前のことは鈷に任せよう。
 結論を急いじゃいけない」

凛の瞳は絶望に揺れた。

身体が小刻みに震えている。

「そん……な……」

その眼に耐え切れず、Pは付け加える。

「誤解のないように云っておくが、少なくとも、俺はお前を嫌ってなどいない。
 むしろ――いや、これは云っては駄目だな。ひとまず、そのことはわかってくれ」

凛は、その言葉に、少しだけ、安堵の色を見せた。

その言葉さえあれば、という表情であった。

「これは極めてセンシティブな問題なんだ。
 俺とお前の想いだけで『はいそうですか、じゃあどうぞ』となる世界じゃない。
 そのことはわかるだろう」

「うん……」

「軟着陸させなければいけない。
 そのためには時を置かなければならないんだ。
 いいな?」

その視線には大きな力が込められていて、凛もこれには頷かざるを得なかった。

「……わかっ、た……」


二人の周りには、夜景が、時が止まったかのように、変わらぬ光を輝かせていた。



・・・・・・・・・・・・


会議室にて、Pに第一課全員の面倒を看ろと告げられた鈷は、いきなりのことに相当混乱した。

「卵同士で、二人三脚ゆっくり上がっていくのが良かったのでは……?」

不思議そうに訊いてくる。

「確かにそう云ったな、あれは嘘だ」

「僕、崖から落とされるんです?」

どうやら鈷も、某ボディビル知事のドンパチ映画を知っているらしい。

「冗談だよ。……ちょっとした転換が必要になってな」

近々、第一課を専属して看ることが出来なくなるであろうこと、
鈷には早めにこの部署を背負えるようになってほしいこと、
そして、第一課全員、特に凛の仕事ぶりを見ることで、大きく吸収できるものがあるはずだ、と云うことを説明した。

「それに一箇月半ほどプロデューサーやって、そろそろコツも掴んできた頃だろう?」

と訊くと、鈷はなるほど、と頷く。

「少々急な転換だから、まだ引き継ぎ書類をあまり作れていないんだが、とりあえず今日のところは、
 取引先の名刺や簡単な情報をそのバインダーにまとめてある。活用してくれ」

「ありがとうございます。しかし、果たして僕に継げるのでしょうか……」

考え込む鈷に、Pは努めて明るく

「なに、そこまでシリアスに考えなくても良い。訊いてくれれば何でも答える。
 いざと云うときには銅や鏷も手を差し伸べてくれるだろう。頑張ってくれ」

「……はい!」

「手始めに、11月下旬発売、つまりマスターアップは10月末となる、凛の三曲目をどうするか構想を練ってくれ」

鈷にとって初めての、プロデューサーらしい作業だ。しかも事務所で一番のアイドルが出す新曲に関する大役。
鈷は身を引き締める。

「わかりました。数日のうちには、方針を決めたいと思います」

「宜しく頼む。あと、俺のことは事務所の戦略に関わるので、必要なこと以外は話さないようにしてくれ。
 アイドルたちに、鈷が担当になるのは何故かと訊かれたら、『Pが多忙になるから』とだけ伝えればいい――」


――それが十日前、凛の誕生日の翌日の出来事であった。

ここしばらく、凛には鈷が副プロデューサーとして付き、お盆期間中の特番ラッシュで現場へ直行直帰の日々が続いている。

今日の仕事は、久しぶりに午前中で収録が終わった。

ちょうどよく、新曲の打ち合わせがあるから、と電話で鈷に告げられたので、事務所へやってきたのだが。

「おつかれさまで…… あれ?」

第一課エリアへ足を踏み入れると、Pの姿はなかった。

なにゆえか、凛は微かな違和感を憶えた。

しかしその正体を考える前に、ミーティングルームから出てきた鈷が、凛を視認して迎える。

「おー、おつかれさま、凛ちゃん」

「副プロ、おつかれさま。……プロデューサーは他の子の引率中?」

入口から事務スペースを窺っていた凛が、ミーティングルームの方へ身体を開いて訊ねた。

その言葉に、鈷は少々面食らう。

「え? 何を云っているんだ? Pプロデューサーは昨夜発ったじゃないか」

「……へ?」

凛の手から、鞄がぽとりと床へ落ちる。

ファンには見せられないほど間抜けな、ぽかんとした顔で、凛は鈷を見た。

次第に「何云ってんだこいつ?」と眉根を寄せる顔となっていく。

鈷も、同じような顔になっている。

「副プロ、ちょっと話が見えないんだけど。プロデューサーが昨日、何をしたって?」

「いや、だから、昨日の夜、羽田を発ったんだよ。数時間ほど前にロサンゼルスへ着いてるはず――」

言葉を云い終わるか終わらないかの早さで、凛が鈷の襟元を掴む。

「私、聞いてないよ。これっぽっちも知らない」

「ちょ、ちょ、ちょっと。昨日凛ちゃんは撮影で出突っ張りだったし、出発は深夜の便だったし、
 見送りをしたのは社長とプロデューサー陣だけだったから――」

「それにしたって何の話も聞いてないのはおかしいでしょ」

「てっきり、凛ちゃんにはPさんから直接話が行ってるものだと――」

「だから知らないんだって! ロスまで何しに行ったの! そもそもなんでプロデューサーの作業場が、あんな綺麗さっぱりになってるの!?」

鈷の言葉が終わるのを待たずして次々と問い詰め寄る。

そう、凛が感じた違和の正体。

“Pに関する、あらゆる気配がなくなっている”

そしてそれを証明する、鈷の言葉。

「Pさんはハリウッドへ移籍していったんだよ。向こうの――」

凛はついに耐え切れなくなり、掴んだ襟を激しく揺する。

鈷は話している途中だったので、危うく舌を噛みそうになるところだった。

「どういうことなの!? 一体、なんで!?」

「そ、そんなに揺すらないでくれえええ!」

鈷の頭部は、放っておけば鞭打ちになりそうな動きをしていた。

丁度通り掛かったちひろが、後ろから止めに入る。

「り、凛ちゃん、どうしたの!? 落ち着いて!」

「これで落ち着いてなんかいられないよ!」

襟を掴んだまま、ちひろへ振り返って叫ぶ。

いよいよ穏やかならぬ空気を察知して、事務スペースのソファに座っていた奈緒と加蓮が何事かと、焦った顔で姿を現した。

「なんで!? どうして!? 厭ッ!!」

プロデューサーが忽然と消えた――

その事実に凛は異常なほど狼狽し、鈷の襟から離した両手で頭を抱え、一種の錯乱状態に陥っていた。

「おい凛、どうしたんだ凛!」
「ちょっと、凛、凛ってば!」

「厭! 私、プロデューサーがいないと何も出来ないの!!」

凛は、奈緒たちの呼びかけにも応えることなく、取り乱して叫び続けた。

「厭っ! 厭ぁっ! 厭ぁぁっ!!」



――パシン!

軽い破裂音と、その後に拡がる静寂。

凛の横顔を、奈緒が平手打ちしていた。

「ぁ……な、お……?」

床に崩れ落ちた凛が、頬を抑えながら、奈緒を見上げ、眼を見開いたまま荒い呼吸をした。

奈緒が床に膝をつけて云う。

「すまん、大事な商売道具の顔を叩いちまって。でも、ひとまず落ち着かねえと。何があったのかは知らないけどさ。……な?」

「………………ご……めん……」

ちひろが凛の傍にしゃがみ、肩をそっと抱いた。

「凛ちゃん、ひとまず、ソファに行きましょう?」

加蓮も、ちひろの反対側に屈んだ。

「ねえ凛、大丈夫?」

凛は何も声に出さず、青白い顔で、こくりと小さく頷いた。

ちひろたちに支えられてゆっくり立ち上がり、ふらふらとソファへ向かう。


凛を座らせてから、ちひろは戻っていった。両隣に座る奈緒と加蓮は心配そうに凛を窺っている。


「それで……プロデューサーは、なんでアメリカなんかに……」

凛が、自らの身体を抱き締め、微かに震えながら訊ねた。

対面のソファに座った鈷は、こめかみに指を当てる。

「社長から聞いた話では、知り合いの大物プロデューサーに師事させるため、らしいが、細かい部分まではわからない。
 空港では、たっぷり腕を磨け! って云って送り出してたけど」

CGプロ内部にレコード会社と同等の機能を持たせようと云う計画は、極めて秘密裡であった。

社長とPの他には銅と鏷、そしてちひろしか知らない。

鈷には、奈緒と加蓮を除く、Pと関係が深かった第一課のアイドルたちを率いていくのに
邪魔となる情報を与えない方が良いとの判断で、計画の細かい部分までは公開されなかった。

銅たちは、それでは流石に第一課のアイドルたちが可哀想なんじゃないか、と社長に掛け合ったが、
「P君がアメリカに行くとなれば、それ以降の彼女たちは、P君が手掛けるアイドルではなく
鈷君が手掛けるそれになるのだ」と云われては、頷くしかなかった。


「――で、プロデューサーがアメリカへ行ってしまった以上、これからは、私を含めて
 第一課のアイドル全員を、副プロが担当していく、ってことだね……?」

「うん、そうなるね」

凛の弱々しい疑問に、鈷は全く否定することなく答えた。

そして、その言葉は、凛の中の疑念をはっきりとさせる効果もあった。



――私は……プロデューサーに……捨てられたんだ……



少し離れた休憩室から、テレビの音が洩れている。

どのような運命の悪戯か、芸能番組で凛の新曲が流されているようだ。


――

 Hey, good girl
 With your head in the clouds
 I bet you I can tell you
 What you’re thinkin' about
 You'll see a good boy
 Gonna give you the world
 But he’s gonna leave you cryin'
 With your heart in the dirt
  ねえ 優等生ちゃん
  夢みたいなことを考えているのね
  断言するわ
  あんたは何でもしてもらえる
  良い男に出会ったと思ってるみたいだけど
  きっとそいつに突き落とされて
  泣かされるわよ


 His lips are drippin' honey
 But he’ll sting you like a bee
 So lock up all your love
 And go and throw away the key
  あいつの唇は甘い蜜を滴らせてる
  だけど蜂のようにあんたを刺すわ
  だから自分の恋心に戸締まりしなさい
  そして開けられないように鍵を捨てることね

 Hey, good girl
 Get out while you can
 I know you think you got a good man
  ねえ 優等生ちゃん
  手遅れになる前に逃げなさい
  あんたは良い男を捕まえたと思ってるんでしょうけど


 Why, why you gotta be so blind?
 Won’t you open up your eyes?
 It’s just a matter of time 'til you find
 He’s no good, girl
 No good for you
 You better get to gettin' on your goodbye shoes and go, go, go...
 Better listen to me
 He’s low, low, low...
  ねえ、なんで気付かないのよ
  なんで目を閉じてるのよ
  じきに認めざるを得ないときがくるわ
  あいつは良い人なんかじゃない
  あんたのためにならない
  別れなさいって
  私の話を聞いた方が身のためよ
  あいつは悪い男なんだから――


洩れる音を聴きながら、凛の顔は、青白いを通り越して土気色にまでなっていた。

流石にこの様子には鈷も見かねて、

「うーん、今日は、その状態じゃ打ち合わせは無理だね。
 凛ちゃんは明日も朝から仕事だから、今日は早めに上がって休んだ方がよさそうだ。
 奈緒と加蓮もさっきレッスンをこなしたところだ、寮へ一緒に帰るといい」

凛は、何も口に出せず、ただ首をゆっくりと縦に一往復させるのが精一杯だった。

鈷は、その魂を抜かれたかのような反応に、苦慮した。

聞かされてはいたけれど、これはどうしたもんか――


――

前夜、東京国際空港。

「海外へ飛ぶのに羽田から発てるなんて、便利になったな」

Pは誰に同意を求めるでもない独り言を、感歎と共に漏らした。

「まったくだ。私も昔はよく海外出張をしたもんだが、毎度々々あんな辺鄙でアクセスの悪い成田へ行くのが億劫でねえ」

はっはっは、と社長が笑った。


Pは既に国際線Eカウンターで搭乗手続きを済ませ、ターミナル四階の江戸小路にある庭園カフェにいる。

見送りにきた社長らと共に、出国までの時間を調整している最中だ。

「折角の門出なのに年寄りや男どもばかりの見送りですまんねえ! せめてちひろ君でも呼んでくるべきだったかねはっはっは!」

社長は、そうは思ってなさそうな口調で謝った。

「いえ、こうして社長にお見送り頂けるだけで充分ですよ」

Pがコーヒーを啜ると、鏷もコーヒーを片手に足を組んでPへ問う。

「おい、第一課の全員とは云わんが、せめて凛ちゃんには伝えてこなくてよかったのかよ?」

今回の件は、Pは第一課の誰にも話していなかった。

「この任務の性格上、あまり表立って云えないしな。隠密行動する忍者の気分だよ」

銅が頬に手を置いて息を吐く。

「それにしたってねェ、凛ちゃんがこのことを知った時の反応を想像すると、ちょっと胸が痛むわ」

鏷もそれに頷く。

「そうだな、せめて一年で戻ってくる、とかくらいは云ってあげてもよさそうなもんだが」

「そりゃ社長曰く一年が目安だが、先のことはわからないからな。数箇月で帰ってくるかもしれないし、数年かかるかもしれない」

目を閉じて云うPに、鏷は身を乗り出した。

「俺もフォローはするけどよ、凛ちゃんは明らかにお前に懐いてたから、果たして云うことを聞いてくれるかどうか」

「……凛は真面目で強い子だ。きっと、わかってくれるさ」

そこへ、カウンターで軽食を頼んでいた鈷が戻ってきた。

「どうぞ。皆さんでつまみましょう」

「お、サンクス」

早速、鏷がひょいとつまんで口へ運んだ。

その横で、Pは鈷へ向き直る。

「いよいよお前が第一課のプロデューサーだ。急な話だったがよくついてきてくれたな」

「いえ、……身が引き締まります」

「俺がこうやって急に発つことで、鈷がPを追い出した、などとあらぬ噂を立てられるかも知れない。
 そんな雑音は気にせずに、アイドルたちが惑わされないようにだけ気をつけて、思うままやってくれ」

「はい」

鈷は真剣な顔で頷いた。社長たちは、Pと鈷を黙って見ている。

「最初のうちは第一課のアイドルたち、特に凛が動揺するかも知れない」

“鈷はあくまでPの補佐だ”と認識してきた者たち、特に凛にとって、翌日から急に鈷がプロデューサーとなれば、当惑するであろう。

それは、容易に予想がつく。

「この十日、あいつに付いていて判ったと思うが、一見無愛想でも根は真剣だし、皆のことを考えてくれてる。
 まずは、凛の思う通りに行動させてみて欲しい。その上で適切なタイミングにサポートしてやってくれ」

「わかりました」

「あいつは俺の大切なアイドルだ。プロデュース生活の半身とも云っていい。本来なら俺がきちんと面倒を看なければいけないんだが――」

階下の出発フロアを行き交う人の流れに目線を移し、しばらく眺めたのち、眼を瞑って続ける。

――俺は、あいつのためにも行かなければならない


その後、しばらく歓談して、いよいよ時刻。

「よし、そろそろだな。P君、向こうでたっぷり腕を磨きたまえ!」

「はい、社長。ありがとうございます」

そして出国ゲートへ向かう際、Pは最後に鈷へ告げた。

「もし……もし凛が壊れそうになったら、奈緒や加蓮と組ませてみるといいかも知れん」

「奈緒と加蓮、ですか」

「ああ。あの三人は馬が合う。凛は責任感がとてもあるし、強いリーダーシップを発揮するはずだ」

そう云って鈷の肩を叩き、保安検査場へと消えていった。


――

「それにしたって急に渡米なんてねー。鈷さんだけで第一課大丈夫なの?」

大江戸線の車内で、加蓮がワクドナルドのシェイクを吸いながらぼやいた。

「鈷さんは、Pさんが遺してくれた引き継ぎデータがあるから、
 しばらくは今までと変わらず問題なく進められる、と云ってたけどな?
 だから、当面は大丈夫なんじゃないかとは思う」

「ふーん、ま、それでも鈷さん大変そうだし、アタシらも少し自立意識を持つべきかもね」

凛はほぼ上の空で、隣の二人の会話を聞き流していた。

奈緒の云う通り、クールアイドル全員のプロデュース方針表や固定済みスケジュールが引き継ぎ書類として用意されているので、
それに沿ってアイドルを動かしたり、各方面との折衝を進めておけば、しばらく、おおよそ晩秋までは何もせずとも進められるようにはなっていた。

その間に鈷が各アイドルに付き、プロデュース技術を吸収することに力を割けば、冬以降は鈷でもほぼ問題なく第一課の運用が可能となる目算だ。

イレギュラーな大トラブルが出ない限り、CGプロの業務としては、問題はあまりない。

――只一つ、凛の状態を除いては。

その日、凛は、どのようにして部屋へ戻ったのか、記憶がなかった。



・・・・・・・・・・・・


それからおよそ三週間が経ち、凛の新曲が発売となった。

前評判や注目度の高さから、予想通りの好調なスタートで、
並み居るアイドルや歌手たちを押しのけ、オリコソで初登場一位を軽々と達成した。
音楽番組やバラエティ等でも引っ張りだこだ。

しかし、ここ数週間の凛の仕事は、決して褒められたものではなかった。

勿論、真面目な凛だ、ファンに応える全力投球で仕事と向き合っているのだが、
空回りしたり、ほつれたり、小さなミスが重なっていった。
演技力に定評ある凛が、ドラマの撮影で珍しく二度もリテイクを受けたりした。

鈷のディレクター時代のつてや、銅や鏷の助力ででフォローはされていたので、大きな問題にはなっていなかったが、
テレビ局の監督や、スタジオのレコーディングエンジニア、撮影所のカメラマン、共演する役者等に
『渋谷凛に一体何があったのだ』と首を傾げさせるには充分すぎる、調子の狂いであった。

そしてそれは、パパラッチにとって格好の的となる。

ワイドショーは、視聴者の気を引くために、あることないことを垂れ流した。

それが凛の耳に入り、表向きは気丈に振舞っても、見えない疲労が内心に蓄積されていく。

強烈なフラストレーションに曝されるわずか18歳の少女の身体は、様々な不調を来した。
事務所に所属した初期の頃以来、久しぶりにレッスン中に吐いてしまったし、生理も止まってしまった。

主にマスコミが先陣を切る、凛への、肯定的な視線と否定的な視線、そして好奇の目。
それらが複雑に絡み合い、世間はさらに凛に注目するようになった。
休みたがっている凛の身体にとって、実に皮肉なことだ。

不眠と過眠が反復し、持久力も低下した。しかしその状態でも、身体に鞭を打って歌声を届け、激しい踊りを舞った。
それが更に身体を傷めていく。好ましくないスパイラルだった。


先日の会議では、11月に出す凛の新曲は、バラードでいくことに決まった。

これまで元気な曲しか演ってこなかった凛にとって、それは一種の新境地であったが、
その実、あまりの憔悴ぶりに、激しい歌や踊りは避けた方がよいという判断であった。

積極的な戦略に基づく、ギャップで攻める姿勢ではなく、消極的な採用理由。
しかも、当初は今まで通りの路線で行くことがほぼ決まっていた中でのどんでん返しだった。

凛自身、それには忸怩たる思いがあったが、これが今の自分を映している鏡なのだ。

逆に考えなければならない。逆境を活かさねばならない。

凛はせめて、作詞は自分で行ないたいと申し出た。


――

ふと、身じろいで意識が覚醒すると、凛は事務スペースのソファにもたれ掛かっていた。
どうやら、歌詞を考えているうちに、うつらうつらとしてしまったらしい。

「あぁ、ごめん、起こしちゃったか?」

霞む目を擦ると、正面には奈緒と加蓮が座っていた。

「ん、二人とも……来てたんだ」

意識にもやが掛かった状態でゆっくり言を紡いだ。その凛の声に、加蓮がすぐさま反応する。

「ねー凛、相当疲れてんじゃないの? 折角の綺麗な髪がダメージ受けてるし、肌も荒れてるよ?」

「疲れてないと云えば嘘になるけど……休んでるヒマはないから……」

その言葉とは裏腹に、相当な疲労・消耗している様子が言葉から在り在りと視えた。

あかん、日本語がおかしい……

>>424
× その言葉とは裏腹に、相当な疲労・消耗している様子が言葉から在り在りと視えた。

○ その言葉とは裏腹に、相当な疲労・消耗している様子が在り在りと視えた。

「そうは云ってもなあ、きちんと休まないと、むしろ効率はどんどん低下していくんだぞ?」

「うん、気をつけては……いるんだけどね」

軽く“伸び”をして凛は云った。
ふぅ、と息をついた後、テーブル上のノートとにらめっこを再開する。

「そーいえばそれ、何やってんの?」

加蓮が覗き込むようにして見ると、凛は少し顔を挙げて、

「新曲の歌詞をね、考えてるんだ」

「お? 凛が作詞してんのか?」
「へー、見ても大丈夫なら見せて!」

凛はノートを180度廻して、二人の方へ寄せた。


 誰かが わたしを呼ぶ 声が 聞こえて
 甘い 夢の途中 ぼんやり 目覚めた

 恋は どこから やってくるの?
 窓を 開けたら 不思議な夜明け――


そこには、途中まで書き上げた詞が、試行錯誤の筆跡と共に記されていた。

「へー、綺麗で甘い、いい詞じゃん」
「うおお、なんかすげえ切なそうな歌詞だな」

二人は口々に感想を述べる。

「そうだね、甘く切なく、したいから」

少し遠くを見て凛がそう云うと、奈緒がぎょっとしたように声を出した。

「お、おい凛、なんで泣いてるんだよ?」

奈緒の言葉に、加蓮も気付き、同様に驚いた顔をする。

「……え? 泣いてる? 私が?」

凛は不思議そうに訊いてから頬を触ると、両目から、泪がこぼれていた。

そんな意識など微塵もなかったのに。

「おかしいな。自分では泣いてるつもりは全くないんだけど」

「ねえ凛、こないだの件といい、ちょっと診てもらった方がいいんじゃない?」

加蓮がそう云って、自らと凛の額に手を当て、「熱はなさそうだけどさ」と付け加えた。

凛は少し困惑した顔で、大丈夫だよ、と告げるが、説得力は皆無であった。


そこへ鈷がやってきて、ソファに腰掛ける。

「流石にここ数週間といい、最近の凛ちゃんは、ちょっとあぶなっかしい感じがするね。
 この分だと、道路を上の空で歩いてたら車に轢かれた、なんてことも現実に起こり得そうだから怖いな」

不穏なことを云うが、それを否定できないのが辛い。

「そこで、だ。三人の相性が良さそうだから、新たにユニットを組んで動いてもらいたいんだ」

「ユニット? 私すでにニュージェネレーションを組んでるのに?」

それは云うまでもないことだった。
現在のところCGプロ唯一であり、パイオニアであるユニット、ニュージェネレーション。鈷がそれを知らないわけはない。

「そう。ニュージェネレーションとはもう一つ別の、第一課の中で完結できるユニットを、お前たち、りんなおかれん三人で組んでほしい。
 ユニット化させれば一度に多人数を扱いやすく出来るし、何よりも、最近の凛ちゃんの痛ましさを見ていると、
 無理矢理にでも看る奴が必要そうだと思ったからね」

「なんだよそれ、あたしのこと云ってんのか?」

“無理矢理”との言葉に、心外だと云うような顔をした奈緒へ、鈷は苦笑する。

「奈緒も加蓮もだよ。二人はひよっこなのに、もう凛ちゃんと気の置けない仲になってる」

「でも、その論理だと別にニュージェネレーションでもいいんじゃないの?」

凛が訊ねると、鈷は、近頃卯月ちゃんや未央ちゃんのソロが増えてきたからね、と答えた。

確かに、最近は凛も卯月も未央も、一人で動くことが多い。
それは、それぞれがクール、キュート、パッションと云う別分野にいるため、普段の仕事があまり被らないことに起因する。

その上、卯月と未央のソロ活動そのものも軌道に乗ってきたため、ニュージェネレーションとして絡むことが少なくなっていた。

現在、ニュージェネレーションが集まるのは週に一回、ラジオのレギュラー番組だけである。

三人とも売れっ子である以上、致し方のないことであった。

「だから、凛ちゃんのお守りと云う意味では、奈緒と加蓮はドンピシャの位置に居るわけさ」

同じ第一課で、歳も近くて、既に仲が良くて。
同じ課なので寮も同じ。だから仕事へ直行直帰するときも一緒に行動できる。

ユニットを組むには最適だろう? そう云って鈷は緩く笑った。

しかし加蓮は不安そうだ。

「てゆーかさ、アタシたちが凛と組むなんて、大丈夫なの? 云うなればウチのトップと最新参を組ませるってことでしょ?」

「バーターと云ってな、業界ではよくあることだよ。それに、僕はさっき『ひよっこ』と云ったけど、それは凛ちゃんと比べればの話。
 二人とも地力の良さがある。たった二箇月強で早くもランクD一歩手前まで上がって来てるんだからね。自信を持っていい」

その言葉に、加蓮と奈緒は、おそるおそるながらも安堵の息をついた。

「丁度いま三人揃っていることだし、ユニット名をここで決めちゃおうか。
 仮称として使ってる『りんなおかれん』ってのは名前を呼んでるのかユニット名を示しているのか、声だけじゃ判別しづらいからね」

鈷の提案で、早速命名会議が開かれた。――しかし会議と云うよりは、ただの雑談に近い。

「sCOOL GIRLってのはどうだい?」
「それあたしたちが学校卒業したらどうすんだよ」
「しかもユニットなのに単数形でいいの?」
「ぐっ……じゃあ何か案を出してくれよー」
「フレッシュネスガールズとかラッキーネイルとか」
「どっちもハンバーガー絡みかよ」
「アタシは一応考えてるのに奈緒は突っ込むことしか出来ないワケ?」
「うるせーな!」

鈷、奈緒、加蓮がああでもないこうでもないと侃々諤々たる意見をひたすら述べ合う中、凛がぽつりと漏らす。

「トライアドプリムス……とか」

三人の議論がぴたりと止んだ。

「なにそれ? 聞き慣れない言葉だけど」

「トライアルプリズム?」

「奈緒ー、それは流石に難聴の域じゃない?」

「うっせーな!」

加蓮と奈緒がコントのようなやり取りをする中、凛が続ける。

「Triad Primsだよ。直訳すれば“取り澄ました三和音”だけど、実際には『おすまし三人組』ってところ」

「おすまし三人組、か」

鈷が顎に手を掛けて思案し始めた。

「奈緒も加蓮も、印象はクールビューティ。実際喋ると、明るいながらも結構冷静で頭が切れるなと思うし。
 私は、この通り――無愛想だし。このイメージは、すぐさまブレることはないだろうな、って」

「え、あたしってそんなイメージか?」

凛の解説に、奈緒が少し照れたような表情で問うた。

「勿論、奈緒にも加蓮にも快活な面はあるよ。ただ、パッと見た時の第一印象は、やっぱりクールだからね。
 既にCGにはCo・Cu・Paを束ねたニュージェネレーションがあるから、“第一課―クール―の”三人、
 ――っていうイメージを名前でも出した方がいいと思って」

「なるほど。三人の印象を上手くまとめあげて、かつ長期的にも使えるってわけだな。……うん、僕はこれでいいと思う」

鈷が目配せで奈緒と加蓮に問う。

「そうだな、深く考えられてるみたいだ。あたしもこれでいい」

「アタシもいいよ。なんかかっこいーし」

鈷は両手で膝を叩いた。

「よし、満場一致で決定だ。意外とすんなり決まったな。もっと苦労するかと思った」

「つーか鈷さんは話を振ってくるのが唐突すぎんだよ」

鈷は面目ないといいながら頭を掻いた。そして懲りずに唐突な話を切り出す。

「新ユニット、トライアドプリムス。これ来月半ばのライブバトルで初お披露目といくから、そのつもりでレッスンに励んでくれ」

「ちょ、おいマジかよ!」

「ちょっと、あと一箇月しかないじゃん! アタシまだまだ体力追い付かないよ!?」

奈緒と加蓮がテーブルに身を乗り出して大きな声で抗弁した。

無理もない。

ソロと違い、複数人ではダンスの注意の払い方など根幹的な部分にも手入れが必要となる。

特に加蓮は、所属当初よりはスタミナがついて輝けるようになったものの、まだ激しい動きはできない。

それなのに、たった一月後にユニットデビュー、しかもその現場がライブバトルとは。

「大丈夫、凛ちゃんも一緒だし、三人でやっていけば一箇月でもかなり成長できるさ」

と、鈷は根拠のない自信を見せて胸を張る。

凛は、そんなやりとりをする三人を見て、云い様のない焦燥感に見舞われた。

――これは……私が先輩としても上位ランクとしても、ユニットをしゃんと引っ張って行かなきゃ……

弱音を吐いている暇などない。

弱みを見せている暇などない。

嘘で塗り固めてでも、精神を強く持たなければならない。

身体に鞭打ってでも、先へと走り抜けなければならない。

私は――負けてはならない。


ソファに浅く座り直して、疑問をぶつけた。

「ねえ、来月のライブバトルで演るとしても、曲はどうするの? まさかカバーというわけにもいかないでしょ?」

「そうだね、書き下ろしをPプロデューサー……いや、今はPさんと云った方がいいか――にお願いしてる」

凛はPの名前が出ると、一瞬、胸に苦しさを憶えた。

「プロデューサー……に?」

「うん、正直制作にそこまで時間は取れないので、作編曲家や作詞家とやり取りする時間も惜しい。
 Pさんなら一人で完パケまで持って行けちゃうから」

凛は心の苦さを無理矢理に封印し、目を閉じた。

「副プロが曲書けば?」

「僕は無理だよ。……あと一応今は僕が第一課のプロデューサーなんだけどなぁ……」

頭をぽりぽりと掻きながら鈷がぼやく。それでも凛はきっぱりと、

「別に『鈷さんなんかプロデューサーじゃない』なんて云うつもりは全くないんだ。
 でも、私がプロデューサーと呼ぶのはPさんだけ。ごめんね、『副プロ』って云うのはただの呼称だと思ってよ」

「……りょーかい。ま、そう云ってくれるだけでも助かるよ」

鈷は肩を上下に振ってから、曲はたぶん一週間弱ほどで送られてくるはずだ、と説明した。

「初めて組むユニットとしては、その一週間が惜しいね」

「そこは仕方ないさ。その間、奈緒と加蓮はメディアへの露出を増やしていこう。
 凛ちゃんは、今月は撮影やキャンペーンガールの仕事がびっしり入ってるからそっちに注力して貰うとして……」

鈷は腕を組んで、今後の予定を告げていった。


ちょっくら小休止、お茶淹れてきます
ようやく三人をTPとして出せるようになった……

制服コレクション最高や!
http://i.imgur.com/JBHGAya.jpg




・・・・・・・・・・・・


仕事と単独レッスンの合間にトライアドプリムスのトレーニングを挟みつつ、三週間が過ぎた。

凛は、トライアドプリムスでレッスンする時なら、比較的スムーズにこなせていた。

Pが凛たちのために書き下ろしてくれた曲だという事実がモチベーションを支えていたこと、

内容が奈緒・加蓮に合わせたレベルであること、そして何よりも彼女の強い責任感によるものであろう。

しかし、こと単独レッスンに於いては、その反動からか、壊滅的と云える惨状であった。

以前踏めたステップが辿れない、以前出せた音域が届かない、以前取れた音階が大きくずれる。

必死に取り返そうとして、更に力んで上手くいかなくなる。

厳しい指導が特徴の麗すら、あまりの酷さに心配するほど。

「スランプと云うものは誰にでもある。今は焦らず我慢の刻だ」――いっそ、怒られた方がまだマシだと、自らの惨めさに、陰で独り泣いた。

仕事の内容も、音楽番組ではなくトークやバラエティ主体、
またNTTドコデモの新型iPhoneプロモーションなどと云った、身体を酷使しない方向へシフトされていた。

鈷の顔に、焦りの色が見え始めている。


そんな十月上旬、ラジオ局以外で久しぶりにニュージェネレーションの仕事があった。

ファッション誌Eighteenの特集に、モデルとして載るそうだ。

「局以外でニュージェネレーションが集まるのって久しぶりだよね~!」

銅に送られやってきた、勝手知ったる提携フォトスタジオ。

控室にて、未央がわくわくとした様子で云った。

スタジオ内では、銅とEighteen担当者が最終の詰めを行なっている。

「うん! しかもファッション誌に載るのは初めてだから頑張らないとね!」

卯月も未央同様に、興奮を抑え切れない勢いで答える。

雑誌にグラビアで載ることはこれまでにもあったが、ファッション誌にモデルとして出るのは初めてであった。

対照的に、物静かな凛。未央が覗き込んで問うた。

「しぶりん、どした? 元気ないぞー?」

目線だけ未央に向け、しゅんとしながら答える。

「ん……身体の状態があまり芳しくない時に限って、ファッション誌の撮影なんて、しかもみんな読んでるEighteenなんて……タイミング悪いな」

「逆に考えればいいよ~、グラビアみたいに水着じゃなくてよかったーって!」

未央の云うことも尤もだが……

凛は、未央の考え方を羨ましく思いながら、そうだね、と弱々しく微笑んだ。


 ――渋谷凛さんヘアメイク入りまーす!

スタジオアシスタントに促され、化粧鏡の前に腰を下ろした途端、担当が苦い声を出した。

「渋谷さん、ちょっとお肌の状態が荒れちゃってるわね。以前は下地クリームだけでも充分なくらいだったのに」

「はい、最近身体の酷使が続いてしまって……」

「駄目よ、身体は労らないと。一番の資本なんだから。
 ――今日のメイクプランは変更ね。カバーファンデとコンシーラーをつけておきましょう」

髪を留め、目を閉じて、メイクさんの為すが儘。

縦横無尽に動き回る指が、凛の顔に魔法をかけていく。

よしOK、との声で目を開けると、そこには別人のように輝いた凛がいた。

「すごい……あれだけ酷い状態だったのに……」

「ま、メイクの腕の見せ所ね。一応カバーはこれで大丈夫だけど、やっぱり大事なのは元のお肌の状態を良くすることよ。
 化粧で補うことに慣れると、どんどん肌は荒れていっちゃうからね。あまり無理はしないように」

「……はい」

凛は哀しい顔で答えた。


ストロボが、リズムよく凛の身体を何度も照らす。

秋コーデに身を包んだ彼女は、カメラマンやEighteen担当者の指示で様々な動きをとっていた。

「凛ちゃん、今日はちょっと顔硬いよー? もっと力を抜こうー」

案の定……と云うべきか、凛の調子は悪い。

そのこと自体は凛も重々承知しているのだが、どこがどのように悪く、どうすれば改善させられるのかがわからない。

上手くいかない時は、往々にして全てが悪く見えてしまい、どこから手を付ければよいのか判断できなくなるものだ。

カメラマンに云われれば云われるほど意識してしまう泥沼。

頭の中は既に真っ白で、必死に何とかしようと藻掻くが、上手くいかない。

ついにシャッターの音が止まってしまった。

カメラマンが困惑した顔で、ファインダーから顔を離す。

凛はぎゅっと眼を瞑って、頭を小刻みに横へ振った。

「すみません」

短く嘆息しながら謝罪を述べる。

レフ板の向こうでは、銅がEighteen担当者に何やら耳打ちをしており、

さらにその奥では卯月と未央が不安そうな顔で凛の方を見ている。

「凛ちゃん、こっちおいで。ちょっと休憩しましょ。卯月、先に撮って頂きな」

耳打ちを終えた銅が、手招きして凛を呼び戻した。入れ替わりに、卯月が「はいっ!」と答えながらレンズの前に立つ。

「……申し訳ありません」

銅の許へ歩むや否や、凛は苦々しい表情で詫びた。

「うーん、鈷から状態を聞いてはいたのだけれど……。今日の凛ちゃんを見てる限りじゃ、無理矢理笑わせるのはよくないね。
 コーデを変更してビューティにしよう。アンニュイな雰囲気的にもそちらの方が合いそうだ。……如何でしょう?」

凛の様子を心配そうに見てから、最後にEighteen担当者を振り返って銅は提案した。

「そうですね、今回の渋谷さんソロは寒色押しで行きましょう。秋コーデのセオリーには反しますが、それもまた一興です。
 今の衣装は、ニュージェネ三人集合の際に使います。デュオやトリオでは統一感を出したいので」

「すみません、わざわざ、ありがとうございます」

凛は言葉少なに頭を下げる。他に何を云ったところで、ただの言い訳にしかならないからだ。

「ま、トラブルをチャンスに変えるのが、アタシたちの仕事さ」

そう云って笑う銅の許へ、順調に撮影を終えた卯月が「凛ちゃん、大丈夫?」と駆け寄ってくる。

凛は卯月へ、ゆっくりと、力なく頷いた。

 ――渋谷凛さん島村卯月さん衣装チェンジ入りまーす! 渋谷さんI12 O8 B4、島村さんI7 O15 B11で――


・・・・・・

撮影を何とか時間内に終わらせ、ニュージェネレーションの三人は事務所へと戻ってきた。

本日、これ以降はお仕事なし。

その代わり、これまた久しぶりに、ニュージェネレーション統一レッスンが組まれた。

年末ライブのための、おねシンと輝く世界の魔法、それぞれのニュージェネレーションバージョンの通し稽古だ。

特段難しい動きはないので、さほど問題はない。

はずだった。


「ねえ凛ちゃん、マニュアルをトレースしただけになっちゃってますよ?」

ひとまず二曲を通して動いてみた後の、慶の言葉である。

「……はい、何よりもまず、ミスの無い正確な動きを目指そうと」

「うーん……云わんとすることは判るんですけど……もう一回通してみましょうか」

再び流れるおねシン、そして輝く世界の魔法。

特段難しい動きはないので、さほど問題はない。

――はずだった。


通しが終わって曲を停止させたのち、慶はしばらく逡巡して、重い口を開いた。

「……凛ちゃん、何て云うべきか……楽しさが伝わってこないんですよ。
 正確さを気にする時期はもう過ぎていると云うか、今はもう楽しさを届けなければいけない段階のはずなんです。
 例えば未央ちゃんは、何回かステップをミスしてて――」

未央はしまったバレてた、と肩を竦める。

「――でも楽しそうに踊ってて、そのミスを感じさせなかったんです。
 卯月ちゃん、隣で一緒に踊っていて凛ちゃんの動きはどう思いました?」

慶はセンターで踊っていた卯月に話を振った。

「え? えっと……凛ちゃんは、ミス自体はありませんでした。なので、一緒に踊る立場としては、やりやすかったんですけど……
 正確に動こうとするあまり、硬くなっちゃっていたように思います。そこが逆にミスしているように外部からは見えてしまう……のでは」

卯月の言葉に軽く頷いて、次は未央の番。

「未央ちゃん、凛ちゃんのボーカルの方はどう聴こえました?」

「んー……、歌の方は、正確な音程を出そうとして、気をつけすぎて、逆に歌声が心へ染み込まなくなっちゃうって感じ……なのかな?
 確かに正確なライン取りだったんだけど、何となく機械に歌わせているような……」

卯月も未央も、自らのパフォーマンスを披露しながら、自分以外のメンバーの状態を、冷静に観測できるほど成長していた。

逆に、凛が一番、自分についてわかっていなかったのだと、曝け出されてしまった。

「そうですね。笑顔も出ていなかったですし、全体的な内容で云えば、未央ちゃんの方がよかったです」

慶の宣告。

ニュージェネレーションの中で飛び抜けて先を行っていた凛が、
今や、三人の中で最も歌とダンスを苦手としていた未央よりも、霞んで見えてしまうという事実。

凛は、目を固く閉じて、天を仰いだ。

「ねえ、凛ちゃん。今……楽しくないの? さっきの撮影の時も、あまり元気なかったし……」

卯月が心配そうに凛の肩を触る。

「そんなことは、ない……はずなんだけど……」

「以前あんなに楽しそうに踊ってた、しぶりんらしくないよ?」

未央も、凛の斜向かいから歩み寄って云う。

「……ねえ、未央。私らしい、って……何なんだろう?」

「……えっ?」

存在の根本を問う、凛の哲学的な疑問に、未央と卯月は動きを止めた。

「――ねえ、渋谷凛って……何?」

凛は虚空を見詰めて、誰かに投げ掛けるわけではなく言葉を漏らす。

「どうすれば楽しさを与えられるのかな? 笑顔になればいい? 凄いダンス踊ればいい?」

「さっきの撮影のときみたいな引きつった笑顔で、勢い良く踊れば、解決するの?」

「さっきの撮影のときみたいに、クールな仕草じゃだめなの? クールに正確な動きじゃだめなの?」

「私は今まで通りやってるつもりだけど……どうやったら……楽しさを届けられるの……?」

ただならぬ凛の雰囲気に、二人だけでなく、慶までもが慄いている。


「わからなくなっちゃった……」


焦点の合わない虚ろな眼差しで、

「あれ……そもそも、なんで私、踊ってるんだっけ……」

 ――なんで私、アイドルやってるんだっけ……――

「わからなくなっちゃったよ……」

ぽつりと漏らした凛の言葉に、卯月や未央、そして慶も慌てる。

「ちょ、ちょっと凛ちゃん! そんなこと云っちゃ駄目だよ!」

はっ、と意識を戻した凛は、半ば無意識的に漏らした自分の言葉に、衝撃を隠せなかった。

しかし、それよりも、目的が見えなくなった凛を諌める卯月の言葉に、血が上ってしまった。

「なんで……なんで云っちゃ駄目なの? ねえ、疑問を持つことすら赦されないの!?」

次第に語気が強くなる。

冷静になれ、と、頭の中でもう一人の自分が指令を出しても、止められない。

「考えることが赦されないなら、それこそ機械と同じじゃない!」

「り、凛ちゃん……」

あまりの剣幕に卯月が青ざめる。

未央が泡を食って凛の肩を掴んだ。

「ねえ! さっきの言葉は、これまでしぶりんを支えてきた数多くの人への背信になっちゃうんだよ!?」

「そんなのわかってるよ! そんな正論は痛いほどわかってるの!!」

凛はその腕を振り払って叫んだ。

驚愕に目を見開く未央へ、捲し立てる。

「でも! 自分自身の存在意義も目標も、何を為すべきかも視えなくなっちゃったの!」

「しぶりん! みんなでトップアイドルになろうって、云ったでしょ! それが目標じゃなかったの!?」

「云ったよ! 云ったけど! あの男性―ひと―のいない世界で、トップになったって仕方ないじゃないっ!」

決壊した感情のダムは、胸の内を全て絞り出すまで止まらなかった。

「未央だって、もし鏷さんがいなくなったら、その世界でトップを目指せるのっ!?」

未央はその叫びに言葉を詰まらせた。

彼女もまた、担当プロデューサーに密かな想いを寄せていたからである。

そして、その鏷が傍に居てくれている自分が、凛に何を云おうとも届かないことに気付き、黙り込んだ。

卯月と慶はこのような事態に慣れていないのか、おろおろとしている。

しばらく凛は肩で息をしていたが、それが落ち着くにつれ、自分の放った言霊が既に回収できない位置にあると悟り、苦悶した。

「……ごめん。私、今はここに居ない方がいいと思う。……卯月と未央の、足手まといになっちゃうから」

そう云い残し、引き留める卯月、未央、慶を振り返らず、弱々しい足取りでダンスルームを出て行った。


――

街は黄昏れの刻。

しかし空は雲に覆われ暗く、綺麗な夕焼けは姿を見せていない。

まるで凛の心を映したかのように。

凛は、着替えもせず、レッスンウェアのまま、気付くと麻布十番は網代公園にいた。

まもなく夜の帳が下りる上に、不穏な空模様だからか、公園には誰もいない。

そっとブランコに腰を下ろすと、キィ、と金属の擦れが音を立てた。

――私、どうしちゃったんだろう。

アイドルとしての自分の存在意義に、疑問を持ってしまった。

あのひとが連れてきてくれた世界に、疑問を持ってしまった。


掃いて捨てるほどアイドルのいる昨今、渋谷凛が持つ意味とは?

あのひとがいない世界で、渋谷凛がトップアイドルを目指す意味とは?


低く垂れ込めた雲から、雫がぽつりぽつりと落ちてきた。

やがてそれは、シャワーのように、勢いを増し、凛の身体を濡らしていく。



凛の頭の中で、Pがトライアドプリムスに書き下ろした曲がリフレインした。



恋の花ひらひらと
http://www.youtube.com/watch?v=zdAY1FkNhtw&hd=1



 幾千の星屑 名も知れず輝いて
 この心照らす 静かな夜

 あの人に思いが いつの日か届くよに
 夜空に願うよ 乙女心

 鮮やかな満月の光が
 この恋を叶えると し・ん・じ・て

 恋の花 開くよに 今あなたへ伝えよう
 恋の雨 降らぬよに 私は祈ってる…

 夢の花 ひらひらと 今あなたへ落ちてゆく
 恋の花 ゆらゆらと あなたに届くまで……


この曲は、凛の調子が悪くなってから書かれたもの。

――副プロは当然、私の体たらくをプロデューサーへ伝えてるよね……

そんなPが、凛へ寄越したこの曲の意味――“Now is not the time.”

君を想っている。でも、今はまだその時ではない。

なぜあのひとは、私の心の中をこんなにも見透かしているの?

なぜあなたは、遠く離れていても私の心をこんなにも恋焦がせるの?


スポットライトを浴びなくてもいい。あのひとの傍に居たい。

ファンへの申し訳なさと、Pへの想いの狭間で、凛は身動きが取れなくなっていた。

「私……どうしたらいいの……」


うつむく凛に、雨が打ち付ける。

この雨は、憐れな人間にせめてもと神様が恵んでくれたものだろうか。


凛の眼から止め処なく溢れる熱い雫を、誤摩化してくれるから――


――

どれほど経っただろうか。

空がすっかり暗くなっても、雨はしとしとと降り続いていた。

雨宿りをするでもなく、ただただ天の気紛れに身を任せていると、その凛の身体を打つ雨が不意に、止んだ。

いや、水音は止んでいないので、まだ降っているはずだが。

ふと上を見ると、凛を白い傘が覆っている。

そのまま視線を後ろへ持っていくと。

「ち……ひろ……さん……? なん……で……?」

緑の制服に身を包んだちひろが、哀しそうに微笑みながら佇んでいた。

「みんな大騒ぎで凛ちゃんを探しているのよ?」

手掛かりが無いから虱潰しにね、と苦笑しながら。

「まさか事務所のこんな近くにいるなんて、まさに灯台下暗し、ね」

何も云えないでいる凛を、ちひろは優しく立たせ、促した。

「さぁ、戻りましょう。もう十月なのにそんな薄着で雨に打たれ続けて。これは風邪を覚悟しないといけないわね」

ちひろは困ったように笑みを浮かべた。

「……ごめんなさい」

「いいのよ。多感な時期は色々なことがあるわ」

CGプロ事務所は、上を下への大騒ぎだったが、ずぶ濡れの凛をちひろが連れ戻ってきた瞬間、水を打ったように静まり返った。

全身から雫を滴らせ、生気のない眼で歩く彼女に、誰も声を掛けることができなかったのは、当たり前と云える。

「シャワーを浴びたら、今日はもうこのまま仮眠室で寝てしまいなさいな」

ちひろが、事務所に残っていた社員を全て帰途に就かせながら凛に告げる。凛は黙って頷いた。


つい先ほどまでと同じように、凛を包む水音。

違うのは、冷たい雨ではなく暖かいシャワーであると云うこと。

凛は何故だか、三月の横浜アリーナ単独ライブを思い出していた。

頭の中には、ステージの歓声が、ずっと、こだましている。

武者震いする自分を、常に傍で支えてきた人。

プロデューサーは、お前なら出来る、と常に隣へ立っていてくれた。

あの人にそう云われると、

いつの間にか自分もやれる気になってしまっている。

でも今は――傍にいない。


私は、偶像。

あの人は“渋谷凛”を形作った。

私は“渋谷凛”という存在を表現した。

観客はそんな私に熱狂した。


眼を瞑ると、たくさんのファンが応援してくれた、ライブの光景が浮かぶ。

揺れるサイリウム、飛び交う声援、観客と共に踊る振り付け。

数万もの人が、一点に、私に、視線を送る。


……ヒトが見る私は、渋谷凛というアイドル。

ただの、偶像。

ただの、容れ物。

それは本当の私ではない。

いつも偶像を演じていると、時には疲れてしまう。

偶像を解き放ちたい、そう思う刻が、確かにある。

そんなとき、決まってあの人は支えてくれた。

あの人がとても頼もしく見えた。

でも今は――傍にいない。


勿論、あの人はプロデューサーで、私はアイドル。

そうである以上、結ばれることはない。

しかし、アイドルになったからこそ、あの人と出会えたのだ。

そっと、想いを心の中に持つことくらいなら、赦されたはず。

しかし私は、その禁を破ってしまった。

この苦しみは、自らが招いたこと。

それでも――傍にいてほしい。

叶わぬ恋でも、いいから、傍に居たい。

どうすればいいのか、わからない。

凛は、これまでに何度も繰り返してきたもの“とは異質な”自問自答を終えると、ふぅ、と軽く一息吐き、シャワーを止めた。


まずは、週末に迫ったトライアドプリムスのライブバトルをこなさなければ。

私だけが堕ちていく分にはいい。

だけど、それに奈緒や加蓮を、巻き込むわけにはいかない。

既に足場を築いてあるニュージェネレーションの卯月や未央とは違い、
トライアドプリムスの失敗は、即ち、奈緒と加蓮の前途に暗雲が立ち込めることを意味する。

あの二人には才能がある。

私の凋落に、巻き込むわけにはいかない。


――

シャワーを終え地階から戻ると、給湯室でちひろが凛のために食事を用意していた。

まさかのことに凛は驚く。

「暖かくて消化の良いものを作っといたから、食べてゆっくり寝なさいね」

「ちひろさん……どうして……?」

「事務所で一番の古株の子が苦しんでるのよ、放っておけるわけないでしょう。……Pさんの代わりにはならないけれどね」

ちひろは気付いていた。

凛の思慕の念にも、凛の不調の原因にも。

当然だ。事務所の設立からずっと一緒にやってきたのだから。

ちひろは、ニュージェネレーションに勝るとも劣らない、『戦友』であった。

給湯室の彼女に、在りし日の合宿でコンロの前に立っていたPがオーバーラップした。

涸れたと思った泪が、再び溢れる。

どんどん視界がぼやけていく中、ちひろが傍に寄ってくることだけはわかった。

「ちひろさん……ごめんなさい……ごめんなさい……」

ちひろが、優しく凛を抱き寄せる。

「何も云わないから、今は泣くだけ泣きなさい……」

ちひろの手が、慈しむように、穏やかに、凛の背中を叩いた。


ひとまず今回分はここまで
漸く後半へ突入し、起承“転”の位置に差し掛かりました

物語上の谷間の時期とはいえ、泣くしぶりんを書くのは心にクる
でもきっと彼女は、泪を流す姿も美しいのでしょう

仔細の引き出しがすごいし、ストーリーも見事だとは思う

ちひろは天使


まもなく再開します

>>480-481
ありがとうございます
まだまだ表現が稚拙だったり語彙が貧弱、精進します

>>482-483
ちひろさんは普段は天使なんです
きっと悪魔な面はPにだけ……うっ……財布が……



・・・・・・・・・・・・


翌々日。

ちひろの胸を借りて以降、吹っ切れたかのように、凛はトライアドプリムスのレッスンでは調子を上げつつあった。

ニュージェネレーションの時と全く違う動きに、慶が「果たして同じ人物なのか」と混乱するほどであった。

しかし実際は、それは凛の強迫観念から来る精神力だったのだが、外野の人間にそこまで判ろうはずなどない。

鈷はほっと安堵していたし、奈緒と加蓮も、凛との距離を詰めようと頑張りを見せ、この一箇月の成果でめきめきと上達した。

表向きは上手くいっているのだから、トライアドプリムスがデビューするまではこれでいい。

凛は自分の身体に鞭を打って必死に唱い、舞い、動き回った。

案の定、昨日から悪寒や頭痛が出ていたのだが、気のせいだと断定して、神経をシャットアウトした。

――病は、気から。体調を崩すのは、根性なしの証。

声帯はまだ無事だ。

なに、数日後の本番までには、こんなもの吹き飛ばせるよ。


「はい、OK。今日はここまでにしましょう。お疲れ様でした」

慶が手を打つと、トライアドプリムスの三人は「ありがとうございました!」と勢い良くお辞儀をした。

「ふーつかれたー。でもだいぶいい動きが出来るようになってきたよね」

加蓮がタオルで顔の汗を拭いながら笑い、奈緒も同意しながら充実した表情を見せる。

「ああ、ボーカルの方も全パートこなせるようになったしな!」

凛は、レッスンの最後に通しで行なった動きを、ビデオで確認している。

モニターを見ながら、四肢の位置や動作タイミングが奈緒や加蓮に合うよう、慶と相談して微調整を重ねる。

「凛ってさ、――努力の天才だよな」

その様子を見ていた奈緒がつぶやいた。

「そうだね、アタシ、テレビで凛を見てた頃は、才能があって羨ましいと思ってた。
 でも、実際一緒にやってみて――勿論、才能もあるんだけど、それ以上に努力で昇って行ったんだな、ってわかったよ」

加蓮の言葉に、慶との相談を終えた凛が云う。

「私はそれしか能のない人間だからね――」

首に掛けたタオルを顔に当てて、モニター前から二人の方へ歩み寄った。

「――他の人なら、才能やスキルで軽々と越えて行く壁を、私は必死に這いつくばって、努力でよじ登るしかできないから」

「その“必死に這いつくばれること”が、才能だと思うけどな、あたしは」

「才能……なんかじゃないよ。ただ、酬いを渇望して動いてただけの、醜い動機だから」

凛は複雑な笑みで、奈緒の言葉に答えた。

「そりゃ、何かをしたいから動く、なんて誰でも当たり前じゃない? 醜くも何ともないと思うけど」

加蓮がOS-1を飲みながら不思議そうな顔をした。

「そう、――かな」

「そうだよ。アタシだってアイドルとして輝きたいからレッスンしてるんだし。○○したい、だから□□する、というのは普通でしょ」

そう云って、掌を上に向け、首を傾けた。

「生きてる限り欲望から逃れられない、か。食欲、性欲、睡眠欲は云わずもがな、顕示欲とか、金欲とか。……人間って因果なものだね」

凛が眼を瞑って、微かに頭を振ると、

「せ、性欲っておま――」

奈緒が、特定の言葉に反応して顔を赤くする。

「言葉の綾だよ、奈緒。何を初心な反応してるの」

「う、うっさいな!」

凛の突っ込みに奈緒が更に顔を赤くする中、反対に加蓮は済ました顔で、

「ねえ凛、随分と哲学的と云うか諦観的と云うかニヒリズムと云うか、喋ることが妙に背伸びしてない? 何か悩みでもあるの?」

「え? ……あ、いや、別にそう云うわけじゃないんだけど」

凛は内心慌てたが、極力それを表に出さないよう気を張った。加蓮は、ならいいけど、と云ったが、新たなことに気付いた。

「ねえ、凛、顔紅くない? レッスン終わってから結構経つのに」

「そ、そう? 今日はいつもより大きく動いたからかな」

加蓮は、いまいち納得し切れないような顔で、更に首を傾げた。


・・・・・・

……不味い。

翌朝、目を覚ました凛は、イの一番に、身体の極端な重さをはっきり実感した。

枕元の基礎体温計に手を伸ばして、途中でやめる。

体温は……怖いから計らない。

基礎体温の計測は毎日の習慣ではあったが、どうせ最近は生理が止まってしまっているのだから、計る意味など無い。

無理矢理にでも自分にそう云い聞かせて、起き上がった。

その瞬間襲いかかる、激しい頭痛。

「――~~ッ!」

思わず、言葉にならない呻きを漏らした。

プロとしてあるまじき、体調管理の不行届。

最近の私は、とことん駄目だ。

病は気から。この根性なしめ。

「あ、あー。あ・え・い・う・え・お・あ・お――」

掠れてはいないが、ピッチがいつもより若干低い。いや、これは耳のせいか?

鼻通りもだいぶ悪くなっている。

兎にも角にも、この状態を何とかしなくては。

アイドルが頭痛に顔をしかめ、声を枯らし、鼻水を垂らすなどあってはならない。

奈緒や加蓮に感染さないよう、鎮咳剤も飲む必要がある。

――確か以前処方してもらった鼻炎薬と消炎鎮痛剤があったよね……

救急箱を漁ると、昔、使い切らなかった様々な錠剤が顔を覘かせている。

シャワーを浴び、湧かない食欲に無理を云わせ、エネルギーゼリー飲料と共に、薬を胃へ流し込んだ。


市販薬と違い、処方薬と云うものは実によく効く。

一気に体温は平熱まで戻り、鎮痛作用は劇的で、その副次的な効果として、激しい動きによる筋肉の悲鳴に耳を貸す必要がなくなった。

作用も早く、薬が切れ悪寒を再び感じ始めた段階で再度服用すれば、速やかに抑えてくれる。

喉と耳のピッチ感覚のずれは、レッスン前にカフェインを摂取し、感覚を研ぎ澄ますことで対処できた。

あとは、精神力にものを云わせれば良い。

大丈夫、これなら、明後日のバトルは問題なくこなせる。

この日のレッスンも、トライアドプリムスの三人は、最後の詰めに余念がない。

それとは別に、凛は、夜まで自主練習に励んだ。


・・・・・・

さらに翌朝。

目を覚ました段階で眉に皺が寄るほど、激しい頭痛。今日は咽頭痛と胸痛もあった。

全然寝た気がしない。事実、夜中うなされて何度も覚醒したのだから。

あー、と声をチェックすると、昨日より更にピッチが低くなっている。

しかし枯れていないので、まだ大丈夫。明日まで保てばいい。

常用の消炎鎮痛剤に、更に別の消炎薬を頓服として飲んだ。

食欲がまったく湧かないので、栄養ドリンクで薬を流し込む。

寮を出る頃には、身体の重さ以外は気にならないくらいまで抑えられた。


「凛……ちょっとどうしたの? 肌の荒れ方とか尋常じゃないよ?」

下校後に出社し、レッスンルームに入ると、加蓮が明らかに不審がる顔を向けた。奈緒も同様だ。

「うーん、ここ何日か、最後の詰めで酷使してるから、そのせいじゃない?」

凛は、極力平静を装ってとぼけた。

加蓮や奈緒に心配をかけるわけにはいかない。

「なあなあ、いくら直前だからって、あまり根を詰めると倒れちまいそうだぞ?」

「大丈夫。ライブバトルはついに明日だよ、気合入れないと」

精神力で気丈に答える。しかしその裏では、朝方は頓服で飲んでいた薬すら、午後からは常用する状態になっていた。

身体が薬に慣れてきてしまったのか、症状が悪化しているのか。

「明日。……そう、明日、だよ」

凛は、半ば自分に云い聞かせるように呟いた。


「あれ、凛ちゃん、今日はいつもより動きが控えめですね。どうしました?」

最後のレッスンをこなすうち、慶が凛の動きの差を見て云った。

「明日が本番ですから、抑えめにしておこうかと」

はったりも良いところだ。実際はこれが精一杯の動きだと云うのに。

「なるほど、でもあまり抑えすぎても動きが狂う原因になりますから、適度にね」

慶はそのまま深く突っ込んでくることはなかった。

無愛想やポーカーフェイスは、こう云う時には威力を発揮するものだね――

凛は、自分の特徴に他人事のような感想を抱いた。


明日に備え、この日のレッスンは早めに打ち止め。

シャワーを浴び終え、湯を止めると、リバーブのかかった加蓮の声が響いた。

「いよいよだね――」

ブースを出ると、加蓮はバスタオルで全身を撫でていた。

凛の生身を見た加蓮が「相変わらず脚が細くて長いよね凛は」と羨望の嘆息をしてから、

「――いよいよアタシ、凛と同じ舞台に立てるんだね。夢にまで見た、凛とのステージに」

凛は、長い髪へタオルを巻き、鏡越しに加蓮を見て頷く。

「アタシさ、小さい頃からアイドルに憧れてて、でも自分はその世界には行けない人間だって決めつけてて。
 そんな、アイドルに輝きを届けてもらってたアタシが、今度は誰かに輝きを届けられる立場になって。
 テレビで見ていた、大きく輝く凛と一緒に、スポットライトを浴びられる資格を得られて――生きててよかった、って思う」

おもむろに語った加蓮に、身体を拭った凛は、白いショーツを穿きながら苦笑した。

「そんな、生きててよかった、なんて大袈裟だよ」

しかし加蓮は首を振った。

「大袈裟じゃないよ、アタシの本心。ホントに、生きててよかったって思ってるの」

「あたしも凛とステージに立つなんて夢みたいだな。あたしは、最初はアイドルを良く判ってなかったけど
 それでも凛のことは知ってたし、いざアイドルやってみたら面白くてさ」

奈緒も言葉を重ねる。既に着替え終え、パーカーに腕を通しているところだ。

「……なんか、二人にそう云われると気恥ずかしいな。私だって二年半前にデビューしたばかりの青二才だよ――」

凛は、ブラをつけるのに、背中へ一瞬意識を持って行ってから続けた。

「――加蓮も奈緒も、私の時より早いスピードで、階段を昇ってる。きっと、アイドルとしての才能は私よりあると思う。
 そのうち、私が二人の背中を追う側になっちゃうかもよ? ふふっ」

二人は、ないない、と云ったジェスチュアを返す。凛は、ふっ、と息を吐き、

「明日、どんな相手が来ても、私たちは勝つよ」

「おう!」
「とーぜん!」

三人、不敵な笑みを浮かべ、軽く頷き合った。

――あと一日、あと一日さえ保てばいい。

凛は悪寒と身体の痛みを、無理矢理抑え込みながら笑った。



・・・・・・・・・・・・


ここは台場13号地、Zeqq Tokyo。

鈷に連れられやってきた、本日のライブバトルの会場だ。

数多くのアイドルたちが参戦し、夕方からの開演に備え、午前は当日リハが行なわれていた。


「お、おい……あたし、こんなキャパで演ったことねえぞ……」
「ア、アタシだって……」

2700人収容のフロア規模に、奈緒も加蓮も緊張を隠せない。

「大丈夫だよ。キャパの大小なんて関係なく、これまで通り演ればいいだけなんだから」

反対に、凛は全く動じず澄まし顔。

事実、凛が出場すると云う情報が大々的に出ていたら、この箱の大きさでは到底間に合わないのだ。

トライアドプリムスは、良い意味でも、悪い意味でも、まだ無名なのである。

むしろ、その結成初日のグループに凛が居る、と云うギャップを利用する戦略なのだから当然か。

「そう、楽しんだもの勝ちよね」

突然掛けられた声にトライアドプリムスの三人は振り向く。

「あ、泉、さくら、亜子。久しぶり。そっちもバトル出るの?」

凛が軽く手を挙げて挨拶する。

そこには高校生アイドルの大石泉、村松さくら、土屋亜子がいた。

事務所は違うが、凛とはほぼ同期で、たまに番組収録などで絡むことがある。

「久しぶり、凛。……なぜ凛ほどの高ランクがこんなとこにいるの?」

泉が、その冷涼な見た目とはやや乖離した気さくさで話しつつ、頭の上に疑問符を掲げた。

「新しくトライアドプリムスってユニットを組むことになってさ。そのデビュー戦が今日なんだ」

「あれぇ? トライアドプリムスって、わたしたちと対戦―や―るチームだよねぇ☆」

凛の返答に、素早くさくらが反応した。これには凛も驚く。

「えっ、そうなの?」

そこへ鈷が割り込む。

「あ、そういえば云ってなかったな。今日はニューウェーブと対戦するんだよ」

衝撃的な言葉を放ち、ここで初めて相手が知らされることとなった。

『ニューウェーブ』

ニュージェネレーションの対抗馬となりつつある、泉、さくら、亜子たちによる親友ユニット。

アイドルランクはそれぞれC、D、Dだ。

凛がBだとは云え、こちらはまだEの奈緒と加蓮を率いての戦いであるから、決してラクな相手ではない。

その上、同郷・同級生同士ならではのコンビネーションのよさは、特筆に値する。

「はー、今日は、りんが相手かいな……。トライアドプリムスなんて聞いたことないし、ラクショーやと思っとったのにー!」

「ねぇ、これ無理ゲーじゃないのぉ? イズミーン」

亜子とさくらは、あからさまに落胆した声を上げた。

「私だって、ユニット結成後初めての戦の相手が、結束固いニューウェーブだと知って絶望中だよ」

凛も、参ったな、と云った体で首を縮める。

「ま、今更云ったって仕方ないわね。お互い頑張りましょ」

「そうだね、勝っても負けてもお互い様」

凛と泉、二人が拳をこつんとぶつけ合ってから、それぞれのユニットは控室へと消えて行った。


――まさかこの体調でニューウェーブとバトルだなんて……。

凛は控室の椅子でじっと思案していた。

相手の力量もさることながら、朝飲んだ薬が間もなく切れるであろうことも懸念点だった。

奈緒、加蓮、そして鈷までが集まっている部屋で、錠剤をばらばらと出すわけにはいかない。

化粧室で飲もうにも、間もなく凛たちのリハの番のはずだった。

「タイミング悪いな……」

「ん? どうした凛ちゃん?」

凛は、小さなつぶやきを鈷が拾うとは思っていなかったので、驚く。

「あ、ううん、まさか相手が泉たちだとは思わなかったからさ」

「すまんね、相手の実力的に、あまり事前情報は入れない方がいいかと思ってさ。
 凛ちゃんはともかく、奈緒と加蓮は怯むかも知れなかったから」

鈷はぽりぽりと頭を掻いた。凛はすかさずフォローする。

「それは奈緒たちを見くびり過ぎだよ。むしろ相手に不足はない、ってワクワク・ノリノリだと思うけど。ねえ、奈緒?」

「あ、ああ。そうだな。ニューウェーブを相手にして好成績を残せれば、あたしらの株は爆上げだろうさ」

そこへ、ノックと共にアシスタントが入ってくる。

――すいませーん、トライアドプリムス、袖で待機してくださーい。

結局不安を払拭できないまま、リハに突入してしまった。


舞台へスタンバイすると、途端に曲のオケが始まった。

奈緒と加蓮の二人はいきなりのことに若干焦ったようだが、すぐに持ち直した。

当日リハはノンストップが基本だ。

照明の山谷、モニターの返しなどをチェックしつつ歌う。

奈緒が、ステップを一つ抜かし、歌詞を間違えた。

加蓮は、コーラスラインがフラット気味になっている。

しかし二人ともミスを気にせず、レッスン通り続行しているのでまだ問題ない。

ここまでは凛の予想の範疇だ。一番での傾向を見て、二番ではそれに合わせた動きに組み替える。

熱いステージライトがトライアドプリムスを照らす。

薬が切れ、体温が上がりつつある凛を、電球から降り注ぐ光が更に熱した。

回転の鈍くなった脳味噌を、必死に振り絞ってパフォーマンスを二人に適応させていく。

そして間奏が終わり、二番へ。


雨にも流されぬ 一輪の花のよに
密やかに咲いてる 乙女心――


加蓮が担当箇所を唱い終わり、次は凛の番。

声を出そうと息を大きく吸った瞬間――

「――ッ!?」

突然の激痛。

あまりの胸の痛みに、息が止まった。

あばらに手を当て、がくりと膝をつく。酸素を求めて、金魚のように口を開閉させる。

両隣では突然の異変に奈緒も加蓮も驚き、動きを止めていた。バックの音楽だけが空しく流れていく。

構わず続けて、と目で訴えても、二人は動揺して凛を介抱しようとする。

そして、ついに音楽が止まってしまった。

不測の事態が起きてもパフォーマンスを途切れさせないのが最低限でも要求されること。

トライアドプリムスは、それを満たすことが出来なかった。

凛は、頭を振り、痛みをこらえて立ち上がった。

「すみません大丈夫です! 一瞬、少しだけ胸に痛みが走っただけですので!
 申し訳ありません、107秒から再度プレイバックお願いします!」

そう云って深く頭を下げた。


リハ後、楽屋裏。

「困るよー当日リハでああ云うことやられちゃー」

ライブバトルのディレクターが、鈷を呼んで苦言を呈していた。凛も自分の意思で同席していた。

奈緒と加蓮は、ここから見えず邪魔にならない場所で待機させている。

「申し訳ございません、全てわたくしの責任です」

ひたすら詫びの弁を述べる鈷に、ライブディレクターは容赦ない。

「凛ちゃんが出るから、って新ユニットの参戦を許可したのにさあ、その凛ちゃんがこけてどうすんのよー」

凛も一歩前へ出て謝罪する。

「ユニットのリーダーとして、事態を引き起こした張本人として、私からもお詫び申し上げます。
 本番中はこのようなことが起こらないよう万全を尽くします。最低でも、不測の事態が起きようと続行し、完走させます」

「そうは云ってもねえ凛ちゃん。そんなのわざわざ言葉にするほどの内容じゃないでしょ。常識じゃないの」

「はい、私のリーダーシップ不足です」

ディレクターの尤もな指摘に、凛は目を伏せた。

「……まああのとき相当苦しそうな顔してたけど。今は大丈夫なの?」

「おかげさまで、今は回復しました。ご心配をおかけしまして、申し訳ありません」

今日何度目か判らない、深いお辞儀をした。

「うん、まあそれならそれでいいよ。本番は気をつけて頂戴よ」

「はい、ありがとうございます」

鈷と凛は再度会釈し、その場を離れた。


「――副プロ、ごめんね。私のせいで」

二人並んで、ゆっくり歩きながら凛は謝った。

「いや、こうやって頭を下げることこそが僕の役目さ。むしろ凛ちゃんに来てもらっちゃって、僕の方がすまないね。調子はもう大丈夫なの?」

「大丈夫、平気だよ。――大丈夫」

凛は胸に手を当て、静かにゆっくりと、自分自身へ聞かせるように云った。

「……そうか。じゃあ僕はスタッフさんへのフォローがあるから」

鈷は、凛に先に控室へ戻るよう指示して駆け出して行った。


扉を静かに開けて控室へ入ると、先に戻っていた二人が苦し気な表情で立ち、待っていた。

「凛、ごめんな。あまりにも気が動転して途中で止まっちまった……。レッスンでは絶対最後まで止まるなって云われてたのに。
 その所為でディレクターに怒られちまって……ごめん」

「凛もあの刻、止めるなって目でアタシたちに云ってたんだよね。今頃になってそれが判るなんて。
 ディレクターに怒られてるのを陰で聞いてる時、自分の不甲斐なさが悔しくて悔しくて堪らなかった」

「ううん、二人ともあれは仕方ないよ。全て私のトラブルのせい、気にしないで。本番まで二時間ある、気持ちを切り替えよう」

凛は二人を、椅子に座って休むよう促した。

そして「はい、水」と二本のペットボトルを差し出すと、礼を述べて一口飲んだ奈緒が問うた。

「さっきのは……一体どうしたんだ? まさかあんなことが起こるなんて予想もしてなかったから……」

「あー、あれは……うん、大丈夫だよ。もうあんなことは起きないし、起こさないから」

そう云って凛は、二人から少し離れたところで、ポーチから薬をばらばらと出した。


アレグラ、クラリチン、ザイザル。

リンコデ、そしてロキソニンにボルタレン。

それぞれアレルギーや鼻炎を抑えるもの、咳、炎症と痛みを強力に鎮めるもの。

クラリチンとザイザルは今は要らないし、さっきの激痛を鑑みると、ボルタレンの頓服は二倍量にしておくべきか……

錠剤をシートからプチッ、プチッと取り出していると、その音に気付いた加蓮が凛へ振り向く。

「あれ、凛。なんで錠剤なんか取り出してるの?」

水で流し込んだ凛が、「え、加蓮どうして判るの」と問うと、カツカツと音を響かせて凛の傍へやってきた。

そこに散らばる、錠剤のシート。仕舞う間も捨てる間もなく、加蓮の目に入る。

途端に彼女の顔色が変わった。

「ちょっと! 凛! なんてもの飲んでるの! 身体、どこかおかしくしてるの!?」

「か、加蓮……なんで見ただけで判ったの……?」

「アタシは昔、身体が弱くて入院ばかりしてたから、自然と薬には詳しくなったの。
 メジャーなものなら色と形を見ただけで判るよ」

凛の戸惑いに構わず、加蓮は畳み掛ける。

「どこを悪くしてるの!」

「た、たぶんただの風邪だと思うけど……ひどい頭痛とかがあって踊りや歌に影響出るから
 せめて今日のライブが終わるまでは薬で抑えよう……って」

「だからってそんな滅茶苦茶な組み合わせ、自分で自分の身体を壊してるようなものじゃない!
 ロキソニンにボルタレンを重ねるなんて、なんでこんな無茶な飲み方してんの!
 バファリンやパブロンなんかとは訳が違うんだよ!? 胃潰瘍や喘息を起こすよ!」

加蓮が凛の肩を勢いよく掴む。その剣幕に、凛はかなり怯んだ。

奈緒が更に加蓮の肩に手を置く。

「お、おいおいおい、加蓮、落ち着きなって。ひとまず今ンとこはライブこなすしかないだろ」

「そうは云ったって、処方薬を勝手に飲むとホント命に関わるんだからね?
 アタシ、身に染みて判ってるんだから。病院で診てもらわないと」

「そ、そりゃあたしだって凛は今すぐ病院へ行った方がいいと思うけど、どうせライブが終わるまで梃子でも動かないだろ……」

奈緒が困惑しつつも加蓮を宥めて、凛を心配そうに覗き込む。

「なあ、いつから調子悪いんだ?」

「確か……五日前から……」

「五日!? 五日もあたしたち気付かなかったのかよ……」

髪を掻き上げて天を仰いだ奈緒に、凛が申し訳なさそうに云う。

「心配かけたくなかったんだよ。ライブ終わるまで隠し通せなかったのは大誤算だけど……」

そのまま、苦痛に息を漏らす。

「あー痛……暑いけど寒い……身体が重い……」

机に突っ伏して、薬が効き始めるのをひたすら待つ。

満身創痍な凛の様子を見て、奈緒は嘆息した。

「そんな状態で五日間ずっとあんな動きして歌ってたのかよ。最近あたし、凛に近づけたと思ってたけど
 とんでもない思い違いだった。凛が本調子じゃなかっただけなんだな……」

「私がたとえ本調子じゃないとしても、奈緒と加蓮は、ここ一箇月で確実にぐんと伸びてるよ。それは間違いない」

顔だけ二人の方へ向けて訥々と話す凛に、加蓮が気付いたように訊いた。

「昨日もしかして慶さんから指摘されてたことって……」

「あー、あれか……。うん、あの時はあれが精一杯の動きだったんだ。ポーカーフェイスと、尤もらしい理由付けでやり過ごしたけど」

それを聞いた加蓮は、額に手をやって、溜め息をついた。

「とんでもない女優だねまったく……」

奈緒も同じく、やれやれ、と腕を組んでいる。

「演じるのは……得意だからね」

そう述べる凛の、色の無い表情からは、冗談なのか本気なのか読み取ることはできない。

そのまま目を閉じて、軽く規則的な吐息を出す。

幸い、ロキソニンもボルタレンも効きが早い。

二人と話していて気が紛れたのか、思ったよりも早く痛みや悪寒は消えた。

「……ん、もう大丈夫そう」

机から上半身を起こし、二人を向いて、弱々しく苦い顔で、親指を上げた。

そして、ふう、と溜め息をつくのに吸おうとしたところ、あまり吸い込めないことに気付いた。

大丈夫、と云ったばかりで全身を強張らせる凛。それに気付いた加蓮が問う。

「凛、どうしたの」

「……息を、大きく吸えない。息が、続かない……」

「なんだって!?」

奈緒と加蓮が慌てて立ち上がり、勢い余った椅子が倒れた。

凛が大きく呼吸しようとすると、ある程度までしか息を吸い込めない。

それ以上吸い込もうとしても、肺が拒否するように、空気が入っていかないのだ。

これでは、ロングトーンを出せないし、既定のブレスタイミングに合わせられないだろう。

凛は、ここにきてこんな状態になるなんて、と苦虫を噛み潰したよう。

「このままじゃ……歌えない……」

頭を抱え込む凛の肩を加蓮は抱き、しばらく思案したのち奈緒を向いた。

「……アタシたちがカバーしなきゃ。
 サビはアタシと凛のパートラインを交換すれば大丈夫だよね。
 アタシがトップへ行って、入れ替えにセカンドが凛、サードはそのまま奈緒、こうすれば凛の声量は控えめでもいける。
 問題になりそうな凛の独唱とメイン重唱部分は、一番は奈緒、二番はアタシ。それぞれデュオで支える。どう、奈緒?」

「おう、わかった。それならあたしでも大丈夫だ」

両手で頭を抱えたまま、凛は言葉を絞り出す。

「手間掛けさせてごめん、二人とも……。私がしっかりしないといけないのに……」

奈緒は、凛の肩を、加蓮が支えている手の更に上から抱き、諭した。

「何水臭いこと云ってんだよ。あたしたちは仲間だろ?」

その言葉に、凛ははっと顔を挙げ、目を大きく開いた。

しばしの後、ぎゅっと瞼を閉じて、

「仲間……そう、仲間、なんだよね……」

そう云って静かに息を吐く。

「ごめん……私、背中を見せることしか意識がなかった……
 ホント、色々な意味でアイドル失格だね、私……」

「凛がアイドル失格だったら、大半のアイドルが失職さ」

そう云ってポンポンと肩を叩いた奈緒は、

「一番にある、あたしメインの重唱部分はどうする? あそこは凛がコーラスラインだよな」

加蓮に相談すると、

「アタシあそこの凛コーラスは音取ってないんだよね。もともと最後の二文節はアタシが入って三パートになるし」

と少し困った顔をした。

凛は待って、のジェスチュアで左手を挙げた。

「声が出せないわけじゃないから、コーラスパートなら……たぶん大丈夫」

「よし、まだ時間は余ってる。今のうちに音合わせしておこう」

奈緒がパン、と手を叩いて、即席の編成変更を練習した。


――

歌い切ったトライアドプリムスの三人に、観客席から惜しみない拍手が注がれる。

僅差ではあったものの、トライアドプリムスはニューウェーブに見事勝利した。

その堂々たる風格は、とてもEランクが二人もいるユニットとは思えないものであった。

それは所謂“ハッタリ”だったのだが、幸いにも観客には、見抜かれていないようだ。

『私たちが凛を支えなければ』と云う想いが、奈緒と加蓮の、現在の実力以上のものを出した側面もあろう。

しかしそれでも、唐突な変更内容を消化できる、この地力は大したもの。

凛が「二人は自分以上に才能がある」と云ったことは強ち間違いではなかった。

凛の体調不良、直前での編成組み替えがあっても、ハッタリでここまでの成績が出せるのだから、
全員が本調子で臨める機会にはどうなるのか、今後が非常に楽しみだ。


トライアドプリムスが控室へ下がろうと楽屋裏を歩いていると。

「待て、渋谷凛」

そう呼び止める黒い影。

振り返った瞬間、凛は驚きを禁じ得なかった。

そこに立っていたのは、誰あろう黒井崇男だったのだ。

「く、黒井社長……?」

洩れた呟きが奈緒と加蓮の耳に届いて、二人は驚愕のあまり仰け反った。

なぜ961プロの社長ともあろう人物がこんなライブバトルに来ているのか。

その驚きは表に出さないようにして、「いつもお世話になっております」と頭を下げた。

それから奈緒に顔を向け、廊下の奥を指差す。

「奈緒と加蓮は、先に控室へ戻っててくれない?」

「お、おう、わかった」と云いながら、二人はちらちらと、こちらを気にして歩き去って行った。


「なんでこいつがこんなところに、という顔をしていたな、渋谷凛。私は仮にも最大手の社長だぞ。
 ライブバトルを観察して、原石や趨勢をチェックするのは当たり前のことだ」

黒井は先回りして凛の疑問に答えた。

実に恐ろしい人間だ。

そんな黒井は大袈裟に溜め息をつき、失望の色を隠さない。

「リハから見ていたがな、まるで別人かと勘違いしたぞ。勿論、悪い意味でな」

大きく両手を広げて、そう云い放った。

「貴様は本当にあの渋谷凛か? よもやただのソックリさんではあるまいな?」

次々と放たれる鋭い矢。凛は顔を少しだけしかめる。

「お言葉、誠に痛み入ります。宜しければ、どこでそうお感じになったか、お教え願えますか」

「フンッ、本気でそれを云っているのか? だとしたらもうアイドルなど辞めてしまえ」

凛なりの身を削る厭味に、ストレートな罵倒が返ってきた。

「あいつの影が“この国の”業界から消えて以降、貴様の体たらくは一体どうしたのかと思っていたが、
 今日実際にパフォーマンスしているところを見て確信に至ったわ」

Pがハリウッドへ飛んだことを、既に掴んでいる表現であった。

「『あいつ』とは、Pのことでしょうか」

「わかりきったことを訊ねるな。貴様の脳味噌は飾りか」

歯に衣着せぬ物云いに、凛は粛として耐えた。

「あいつがいないだけでここまで落ちぶれるのか。観客を表面上でしか楽しませることの出来ない三流以下に成り下がるとはな」

そのこと自体は凛も充分認識しているので、何も反論しない。――いや、出来ない。

少しだけ、顔を伏せる。

「どうやらあいつの目は腐っていたようだな。
 まったく、二流三流しか育てられない無能なプロデューサーが蔓延るから業界は劣化していくのだ。
 お前はそこそこの逸材だと思っていた私自身も恥ずかしい。961なら候補生養成段階でふるい落とすところだ」

褒めているのか貶しているのかよくわからない云い方だが、凛には一つだけわかる点があった。

――Pが無能だと断言されたこと。

「私のことは何と仰っても構いません。現に、黒井社長の仰る通りの醜い有様を、先ほど晒してきたところです。
 ……でも、あの人を悪辣にこき下ろしたことだけはお取り下げください。全ては私自身が至らなかったからです」

凛は、静かに沸々とわく感情を、必死に抑えて云った。

自分のことはいい。

しかし、これまで凛や数多くのクールアイドルを支え、CGプロを大きくし、先般の選挙では四人もの上位を
第一課から送り出したPを悪く云われるのは、凛にとって、第一課全員、即ち家族への中傷と同義であった。

しかし黒井は歯牙にもかけない。

「ノン。貴様に対する非難とPに対するそれは同質のものだ。
 アイドルが頂への道を登れないのは、そもそもプロデューサーの、アイドルを見極める眼が足りないと同義」

プロデューサーたるもの、輝くに足る原石を見極め、磨かなければならない。

状態の良い原石を探り当てること、そして、その原石を、眩く輝くように磨くのが責務。

それが出来なければプロデューサー職者は失格なのだ。

「つまり、あれもこれもと大したことのない原石を拾い集め、
 二流以下のアイドルしか育てられないのは、プロデューサーの怠慢であり無能の証明なのだよ」

「違うッ! 全部私が悪いの!」

ついに凛は我慢できなくなって叫んだ。悲痛の叫びであった。

そんな声にはまるで構わず、黒井は鋭利な刃を突き立てる。

「渋谷凛、さきほど貴様は自らが至らないせいだと云ったな。
 自惚れも大概にしろ。
 お前の奥底に眠る弱さを看破できなかったあいつが無能なのだ」

凛はついに、目前の人物が高位であることも忘れ、眼を固く閉じ、こめかみを抱えて、かぶりを弱々しく振った。

「もう……やめて……あの人を否定しないで……」

黒井はそんな凛の様子を鼻で嗤う。

「フンッ! ならばあいつがいなくてもトップを張れるのだとその身体で証明してみせろ。
 Pの選球眼は間違っていなかったと貴様自身が証明してみせろ」

その言葉に、凛は顔を挙げた。

「私が……自分自身で証明……?」

「ウィ。証明だ。まあ、今の貴様では無理だと思うがな――、
 Pさえいなくても渋谷凛はトップに立てるのだ、と世に見せつけてみるがいい」

人差し指を立てて挑発的に云う。

「貴様のアイドルとしての価値、そしてそのアイドルを見出したプロデューサーの価値は、貴様がそれを出来るかによって変わる」

「私の価値と……あの人の価値……」

「まあせいぜい証明のために足掻くのだな。ただし醜態を晒すことだけはするなよ」

そう云って黒井は踵を返し、すたすたと去って行った。


凛はよろめいて、壁にもたれるように寄り掛かり

「私と、あの人の価値は、連動している……?」

独り、呟く。

そこには強烈なヂレンマが存在した。

“トップに”立たなければ、“Pは有能だった”と証明できない。

しかし。

“今からP不在で頂点へと登り詰めたら”、“Pはいなくてもよかった”と云うことになるのでは――

その相容れない命題に気付いてしまった凛は、後頭部を強く殴られたような衝撃に襲われた。

目の前の景色が霞んでいく。

腹部、鳩尾の辺りで、強烈な異物感が湧き、膨張していく。

咄嗟に、傍の化粧室へ駆け込んだ。

「ぅ……ぅぇ……かはっ……」

食欲あらず何も口に入れていないのだから、吐き出すものなどない。

しかし不快感を排出したい身体は、それでも胃を締め上げ続けた。

黄色い胃液ばかりを吐く。

防衛反応は、凛に呼吸を許さない。

しばしの拷問を終えると、ぜえ、はあ、と肩で息をしながら、凛の双眸から泪がこぼれ、頬を伝った。

「私……どうすればいいの……」

自分がどう動いても、理想とする答えに辿り着けない。

自分がどう動いても、あの人に応えることが出来ない。

そもそもアイドルになったことが過ちだったのだろうか?

自分がアイドルになっていなければ、あの人は別のもっといい原石を発掘できたのだろうか?

認めたくない答えから身体を護ろうと、再び吐き気が込み上げる。

「――うッ……ぁ……」

嘔吐と云うのは、身体を著しく疲弊させる。

凛は責苦と闘いながら、視界が白い光の粒に包まれ、何も見えなくなった。

――あ……いけない、貧血だ、これ……

長い間体調不良を起こしていた凛にとって、度重なる嘔吐は限界を超える酷な消耗であった。

吐きすぎて腸液も混じったのだろう、意識を手放す直前の記憶は――次元の違う苦味がした。



・・・・・・・・・・・・


――お前が好きなのは、“プロデューサー”なんだよ。“俺”じゃない

でもそんなのは、ただのきっかけでしかない。

――お前は、わかってたんだろ? あの歌の意味を

うん、あの歌詞に込められた裏の意味は、読んだ瞬間にわかったよ。

――少し時間をおこう

プロデューサーは、私のこと嫌いなの!? 私が本気で云ってるわけじゃないと思ってるの!?

――そうじゃない。そうじゃなくて、俺は首を縦にも横にも振れないんだよ

待って、プロデューサー! 置いてかないで! 私を一人にしないで!


「――プロデューサあぁぁぁぁ!!」


私は、飛び跳ねるように起き上がった。激しい呼吸に、全身が汗まみれだ。

見慣れない、白い部屋。左手の甲に違和感を持ったので見てみると、点滴の針が刺さっている。

「病……院……?」

そうだ、Zeqqで黒井社長に会って、化粧室で戻して、それから……。それから――

そこからの記憶がない。

……きっとその時に倒れ、誰かが見付けて搬送してくれたのだろう。

今は何時だろう?

そう思って時計を探すと、部屋の隅にカレンダー機能付きの電波時計が置かれていた。

ライブ翌日の――朝八時。

なんと、一晩まるまる気を失っていたのか。

……また、やらかしてしまった。

アイドルが倒れて病院へ担ぎ込まれるなんて、ゴシップの格好の餌じゃないの。

私は、右手で頭を抱えた。髪がくしゃりと音を立てる。

そこへ控えめのノックが三回響いて、引き戸がするすると開いた。

「お、目が覚めたか!」

喜びの声と共に、男性が部屋へ入ってきた。

――え?

まさか。そんな。

まさか。そんな。

「プ、プロ……デューサー……?」

その人は、ベッドの右側に椅子を引いて、枕元の隣に座った。

「ん?」

「プロデューサー!!」

点滴のチューブなどお構いなく、私は、目の前の愛しい人の胸に飛び込んだ。

逢いたかった。

たった二箇月ぶりなのに、とても懐かしい馨りがした。

うわっ 余計な行が入った

>>544
× まさか。そんな。 → ○ (削除)

「お前が倒れたと聞いて、取る物も取り敢えず帰ってきたよ。何も云わずに発って、すまなかった」

私は、プロデューサーの胸に顔を埋めて、首を振った。

帰ってきてくれた。それだけで、私はいい。

「お前にはだいぶ辛い思いをさせてしまったな。お詫びに何でもしてやるよ」

プロデューサーは、私の背中に腕を回し、ゆっくり語り掛けた。

「……何でも?」

「ああ、何でも」

「なら……」

私は、たっぷりと考えて、口を開いた。

「プロデューサー、私と一緒にトップアイドルへの道を登って。
 プロデューサー、ずっと私の隣にいて。
 プロデューサー、結ばれなくてもいいから……せめてキスを……頂戴」

顔を挙げると、プロデューサーはまいったな、と云う表情をしていたが、すぐに私の肩を抱き寄せた。

そして、あの人の吐息が、すぐそこに――

私は、そっと目を閉じた。


えーひとまず今回分はここまでです
しぶりんとキスできるならこの命投げ打ってもいいのにどうして画面の中へ入れないんだろう

余った処方薬を勝手に自己判断で飲んじゃダメ、ゼッタイ(迫真)
せめてロキソニンとかのNSAIDs飲む時はオメプラールやタケプロンと一緒に

乙です。黒井社長がカッコいい。
……というか、本当にP帰ってきてるのか、これ……?

こーラックガブのみとかもアカンベェ


今日は早めに書けそうだぞ! ジョジョーーーーッ!!

>>549
クロちゃんは、一見悪辣だけど根はデレ優しい、自分の中ではそんな像があります

>>550-551
何事も用法容量を守る、これ大事
しぶりんは、責任感が強い余り、今回のように自らで抱え込んでしまう、
そんな不器用なところがあるのではないかと、個人的に思っています


・・・・・・

凛が目を開けると、天井が見えた。

……あれ? ……プロデューサーは?

そう云おうとしたところで、彼女は声がくぐもってうまく話せないことに気付いた。

口と鼻を覆うように酸素マスクが装着されている。


――なんで私がこんな状態でいるんだろう


「病……院……?」

そうだ、Zeqqで黒井社長に会って、化粧室で戻して、それから……。それから――

凛には、そこからの記憶がなかった。

少しだけ首を動かすと、身体は碧の入院着に包まれている。

左前腕には点滴が刺さり、右手の指には血中酸素濃度計のクリップと血圧計、胸には心電図の電極が数箇所取り付けられ、

鎖骨近辺には高カロリー輸液のチューブが埋め込まれ、股の違和感は……尿道カテーテルか。

一体この大仰な姿はなんなのか。ただの風邪のはずではなかったか。

もぞもぞ、と身体を少しだけ動かすと、傍らに置かれたナースコールに気付く。

ひとまず現在の状況を確認しなくては。

ボタンを押し込むと、すぐさま、ナースと同時に、血相を変えノートパソコンを脇に抱えた男性が、勢い良く入ってきた。

「凛ちゃん、目が覚めたか!」

その人物は、鬼気迫る表情でベッドへ駆け寄る。

「副プロ? ……私、どうしたの?」

鈷は寝ていないのだろうか、だいぶやつれた顔をしている。

「肺炎と極度の疲労で担ぎ込まれたんだよ」

「肺炎?」

「ああ、あと胃潰瘍にもなりかけてるらしい。
 Zeqqの化粧室で倒れているのを奈緒たちが見つけて、119番したんだ。
 救急搬送されたと聞いた時は心臓が止まるかと思ったよ。今ナースコールが押されるまで生きた心地がしなかった」

鈷はほっとしたように胸に手を当てて云った。

その鈷の肩越しに時計が見え、十時を指している。

窓から光が差し込んでいるから、午前だ。

「……ねえ、私どれくらい気を失ってたの?」

「今日で三日目だよ。ライブがあったのは一昨日だ」

凛は驚きに目を大きくした。そんなに時間が経っているとは思いもしなかったのだ。

「そんなに経ってたの……その、ごめん。ずっと風邪だと思ってて、まさか肺炎なんて」

「ほんと無茶は勘弁してくれよ。まあ症状が重篤になる前だったからまだよかったさ。
 それに、そのことに気付けなかった僕の責任でもある。
 ま、あと一週間は入院して安静にしてることだ。特に明日明後日くらいまでは絶対安静な」

「あと一週間も!? そんなに入院してたら仕事が――」

「大丈夫だ。ちひろさんが処理したからほとんど問題ない。せいぜい日本放送のニュージェネのレギュラー一回分が凛抜きで進行するくらいだ」

凛が出演していた月9はライブ前に撮影が終わり、ついこないだ最終回を迎えたばかり。

ブッキングが決まっていた番組ゲスト等は他の第一課アイドルが代役で出る。

凛専用の、どうしても動かせない仕事がなかったのは、不幸中の幸いであった。

ちひろの謎の力によって、問題なくリスケが完了していたのである。

「何をするにも、身体を治さないことには始まらないしな。
 だから、ひとまず何も考えず休みな。今の凛ちゃんの最大の仕事は、一日も早く回復することだ」

鈷は親指を立てて笑った。

「……わかった。色々とごめんなさい」

凛が謝ると、小さく頷いて「じゃあ俺は仕事に戻るよ」と言い残して去っていった。


ひとまず、治そう。

凛は、そう自分に云い聞かせて目を瞑る。無理矢理にでも寝なければ。

視界が黒に包まれると、先ほどの夢の光景が浮かんだ。

――プロデューサー、逢いたいよ……

その瞬間、Pの向こうに、黒井社長の姿も浮かぶ。

自分の脳味噌が、自分に安寧を許してくれない。

考えるのを放棄したいのに、思考は、とぐろを巻くようにどんどん濁っていく。

最適な着地点とはどこなのか、まるでわからない。

――アイドル辞めて普通の女の子に戻っちゃおうか……

脳裏に不穏な考えが浮かぶが、すぐに打ち消す。

――そんなことをしたらプロデューサーへの裏切りになるから駄目……

凛の思考は、あちらを立てればこちらが立たずの問題に直面し、どこへも進めなくなっていた。

昔の、何も考えず漠然と“トップアイドルを目指す”と云っていた自分が、ひどく幼いように思えた。

確かに、トップアイドルを目指すのは、Pと約束したこと。

しかし、果たしてそれはPの存在を否定する結果を示してまで、目指すべき場所なのだろうか。

しかし、トップアイドルにならなければPの正しさを世に見せつけられないのだ。

しかし、自分なんかにその場へ立つ資格があるのだろうか。

『しかし』の連続。或る事柄を考えると、すぐにそれを否定する思考が浮かんでくる。そしてさらにそれを打ち消す――

終わりのない否認の反復。

凛はゆっくり目を開けた。濁った精神状態では何もいい考えが浮かばない。

袋小路に迷い込んでしまう“弱さ”も、自己嫌悪を加速させる。

「駄目々々だ、私……」

溜め息と共に、一粒の泪がこぼれた。

枕で拭いてしまおうと首を回すと、枕元に、鈷が置いていった凛のiPhoneが目に入った。

画面を点けると、通知センターに、アイドルたちからのSMSやLINEがたくさん表示されている。

その中に、春香から心配するメールがあった。

トップアイドルの彼女は、これまで何を見、何を為し、何を得、何を棄ててきたのだろうか。

「春香さん……助けて……」

短く、シンプルな文章を、春香に送った。


――

ふと、凛は目を覚ました。

いつの間にか眠ってしまっていたらしい。

背中や腰がだいぶ痛い。身体がチューブまみれで満足に寝返りも打てないのだから当然だ。

その痛みで目が覚めたと云っても過言ではない。

顔をしかめながら目を開ける。空の色を見るに、今はどうやら夕方のようだ。

「あ、目を覚ましたね。おはよ、凛ちゃん」

明るい声が凛に届いた。その声の主を認めて息を呑む。

「ッ? は、春香さん!? い、いつからいらしてたんですか?」

そこには春香がいた。

「はい、天海春香ですよー。お昼過ぎくらいに来て、まったりしてた。寝入ってたから、起こすの憚れたんだ」

つまり凛がメールを送ったその数時間後には来てくれたと云うことだ。

凛は春香のあまりのフットワークの軽さに驚き、また恐縮した。

「ご、ごめんなさい、お忙しいのにメールした張本人が寝てしまっていて……。しかもお一人でなんて、手持ち無沙汰だったでしょう」

「あーううん、外に赤羽根プロデューサーがいるし、今日は午後はオフだったから問題ないよ。
 待ってる間はゆっくり仕事の資料読んでたしね。それに凛ちゃんのSOSならすぐに飛んでくるって」

「……すみません……色々とありがとうございます。
 あと、こんな姿でごめんなさい。私の声、聞こえにくくないですか?」

凛は安静状態で風呂に入れていない、汗とチューブまみれの身体や、酸素マスクを気にしながら訊いた。

「大丈夫。幸い周りは騒がしくないから、ゆっくり話してくれれば聞き取れるよ」

そして春香は凛の右上腕に手を添えて、訊いた。

「それで、凛ちゃん、どうしたの? メールには助けてとしか書かれていなかったけど……」

凛は数瞬、目を伏せて、逡巡する。

しかしすぐに顔を挙げ、春香の目を見た。

「……春香さん……私、わからなくなっちゃったんです」

「わからなく?」

「はい、アイドルとしての自分がわからなくなっちゃったんです」

凛は目を閉じて息を長く吸い、

「私の夢であったトップアイドル、そこを目指す意味が見えなくなってしまって」

春香は柔和な笑みから、真面目な顔つきになって凛の言葉を聞いている。

「勿論トップアイドルになるのは目標なんです。
 でもトップアイドルになって私をここまで磨いてくれたPプロデューサーに報いようとすると、
 逆に、Pさんは必要なかったと云う相反する結果になってしまうんです。
 そのことを、先日、黒井社長に、突きつけられました」

そして凛は春香の目をすがるように見て問う。

「前にも後ろにも進めなくて、どうすればいいのか……」

春香は目を閉じて、しばらく考えてから、衝撃的な言葉を告げた。

「……こんなこと云うと怒られちゃいそうだけど、トップだとかそうじゃないとか、私はあまり興味ないんだ」

凛は驚愕のあまり目を見開いた。口をぱくぱくと開閉させ、声にならない声を出している。

春香は構わずに続ける。

「アイドルって、手法はどうあれ人を笑顔にするのが究極の存在意義なわけでしょ?
 ランクがどこにあっても、そのことさえ考えてればいいんじゃないかな。
 応援してくれる人、笑顔になってくれる人から見れば、そのアイドルこそが、その人にとってのトップアイドルなんだと思うよ」

凛は自分の足元が、崩壊して底なし沼に変化していく感覚を憶えた。

目指していたトップアイドルが、その地位にいる人物から直々に、意味のないものと突きつけられたのだ。

しかし春香は「ただね――」と付け加える。

「でも、そんな自分とファンとの間だけで完結する意識の話でなくて、
 所謂第三者の視点で、指標としてアイドルの地位をわかりやすくランク付けすることに異論はないよ。
 世界は自分とファンの第二者だけで形作られているわけじゃない、むしろ無関係な第三者の方が圧倒的に多いわけだからね。
 その第三者に対して、番付で説得力を持たせるのはとても重要なことだと思う」

腕を組んで、少しだけ考える振りをし、人差し指を立てて、軽く振った。

「たぶん凛ちゃんが目指しているトップアイドルって云うのは、その『如何に説得力を持たせるか』の部分を云い換えた言葉なんだよね」

ファンとの間にある概念としてのトップアイドルと、世間との間にある指標としてのトップアイドルの違い。

そこを履き違えると、会話に大きな齟齬が出る。春香の言葉は、その確認の意味合いもあったのかも知れない。

凛は、足元が崩壊したわけではないのだと、安堵した。

早とちりもまた、凛の悪癖であった。

「で、凛ちゃんが云うには、その指標としてのトップアイドルを目指すと、相反する結果が一気に顕在する、てことだよね?」

凛はゆっくりと頷いた。

春香は顔を伏せ、左手を顎に持っていって考え込んでいる。

「――うーん、そもそもさ。それって、本当に相反する結果が出るものなの?
 今後活動を続けたところで、これまでの凛ちゃんが否定されることってないんじゃない?」

春香は不思議そうな顔をして、言葉を紡いだ。

――今からトップアイドルになったとして、確かにそれはPさんの力を借りずに登り詰められた、と云う意味を持つだろうけど、

だからといってPさんの存在を否定することになるのかな?

普通の女子高生だった原石を磨いて、ここまで連れて来られたのは間違いなくPさんと凛ちゃんの二人三脚の結果でしょう?

その歴史までは誰も否定できないはずだよ。

むしろ厳然たる事実として輝いていると思う。

『渋谷凛の根幹を作り上げたのはPの腕だ』ってね。

今からトップアイドルになっても、それは“今までの積み重ねの延長線上”であって、

これまでの凛ちゃんが存在しなければ、即ちこれからの凛ちゃんも存在しないわけ――


難しく考えることはないと思うよ、と凛の額に手を置いてゆっくり語り掛けた。

凛は、驚嘆に言葉を失っていた。

自分は、現在を分岐点に、これまでの渋谷凛とこれからのそれは、別物だと思っていたが……

しかし、過去の積み重ねこそが未来を作る、春香はそう指摘したのだ。

その言葉によって、思考の暗闇へ一筋の光が差した感覚を受けた。


一呼吸置いて、春香はゆっくりと続ける。

「凛ちゃん、Pプロデューサーさんのことが好きなんだね?」

彼女は見抜いていた。

「……はい。アイドルとプロデューサーが結ばれることなんかない、わかっていても、止められませんでした。
 そして、私は……禁を破ってしまったんです。赦されないのに、はっきりと言葉に出してしまった」

凛の額に手を置いたまま、目を閉じ、しばらく黙っていたが、

「……私もわかるよ。その気持ち」

「えっ? ……春香さんも誰かを?」

春香は言葉では答えず、こくりと頷いた。

「私、春香さんの周囲からはそう云う浮ついた話を全く聞かなかったので……ただただ、驚きです……」

凛の嘆息の混じった言葉に、春香は手を横に振った。

「そんなことないよー。私は嘘をつくのがうまいだけ。それに……昔の話だしね」

そして、春香は、凛が初めて見る、哀しい顔を浮かべた。

「……凛ちゃんは真面目だね。だから、自分の気持ちに嘘をつけないんだと思う。
 この業界って、ハッタリ噛ましてナンボ、って部分があるじゃない。だから余計に凛ちゃんは苦しいのかも」

そう云って、春香は12階の病室の窓から見える空を、遠い目で眺めた。

凛もつられて視線を窓の方へ向ける。

黄昏れに染まる雲が、ゆっくりと、流れている。

しばし、無言の刻が過ぎ――


「――そしたら、有無を言わさないトップアイドルになって、スパッと辞めちゃうとか?」

凛は慌てて春香の顔へ向き直った。

「ちょ、春香さん、そんな……」

「別にそれって、凛ちゃんが初めてじゃないよ?
 山口百恵とか、トップアイドルになって、好きな人と一緒になるため潔く辞めた人がこれまでにもいるんだ。
 日高舞だってそうでしょ?」

「トップへ立って、辞める……」

「そう。凛ちゃんがさっき云ったように、今後誰かの許でトップになる、そのことでPさんが否定されるのであれば、
 そうならないように、自分の意思で、自分で考えて、自分の行動でトップになればいい。
 誰かに引っ張られてトップになるのではなく、自分の歩みだけでトップへ登れば、ね」

「“Pが育てたアイドル”が、自らの脚のみでトップへ登れば、“それを育てたP”は、否定されることはない……」

凛が、一節一節、ゆっくりと間を置いて呟いた。

「そういうこと」

春香の言葉によって、凛の頭の中に、明確な目的地が見えた。

――プロデューサー、あなたへ逢いに行くため、私はトップアイドルになる――

しかし凛は春香の目を覗いて、独白のように云う。

「でも私、欲張りなんです。好きな人と一緒になって、その上で、皆に輝きを届けられる存在になりたい」

春香は、おっ? と不思議そうな顔をした。

「今はその手法は見えないけれど、でも、まず自力でトップアイドルになること。
 そして愛しい人へ報告しに行くこと。
 ――それを第一の目標としようと思います」

「うんうん、その意気だよ。
 勿論、私もそう易々とトップアイドルの座を明け渡したりはしないけどね」

春香は不敵な笑みを浮かべる。

「本気で、獲りに行かせて貰います。 ――負けませんよ」

凛も、口元に微かな笑みを浮かべて、宣言した。

どちらからともなく、腕を出して、拳をこつり、と触れ合わせた。


――

それと前後して、病室の外では。

赤羽根と鈷が、長椅子に腰を掛けて、缶コーヒーを傾けていた。

「まさかP君が移籍した直後にこう、問題が表へ出てきてしまうとは、大変だね」

「……いえ、ある程度は予測済みでしたから」

ふぅ、と大きな呼吸をすると、芳ばしい薫りが鼻をくすぐる。

「そうか。……まあプロデューサーたるもの、様々な可能性は考えておかないといけないからね。
 765―うち―も昔はそれで大分ゴタゴタしてしまった」

「赤羽根さんほどの人でもですか?」

「はは、当時は新米もいいところだったし、独りだったからね」

赤羽根は、過去を思い出して苦笑した。

事務所に所属する十人全員を一手に引き受けていた初期の頃は、頼れる人もおらず試行錯誤の連続だったと云う。

「そのせいで、春香や美希をはじめ事務所のみんなに、辛い思いをさせることになってしまった。
 そんな意味で云えば、P君は僕のときよりまだマシな状態かもしれないね」

「どう云うことです?」

「人間には、どうしても平等に分配できない要素があると云うことだよ。P君なら、凛ちゃんだけに専念できる」

赤羽根は、ふっ、と目を細めて長い吐息を漏らした。

不思議そうな顔をしている鈷に顔を向けて、そのうち君にも判るようになる、と語り、

「凛ちゃんの例で云えば、P君が戻って来さえすれば、ある程度は解消できる問題だ。
 勿論、問題の根幹部分はそうはいかないだろうし、根本的に解決しようとすると、CGプロの範疇には収まらないだろうけどね」

赤羽根は後ろの壁にもたれて、難儀な問題だよ、と呟いた。

鈷は膝に肘を乗せ、口の前で手を組んで考え込む。

「今の凛ちゃんに一番必要なのはPさんだと云うのは何となく判るのですが、
 事務所の全体にも関わることなので、僕の一存でPさんを呼び戻すことは出来ないですし……」

「そうだね。結局は、彼女が、自分で見つけるしかないよ。僕たちは、ヒントやアイデアは与えられるけど、答えそのものは、あの子の中にしかないんだ」

鈷は姿勢を変えず、黙ってゆっくりと頷いた。


そこへ歩み寄ってくる影が二人。

鈷がそれに気付き、親指で病室の中を示した。


――

凛と春香が微笑み合っているところへ、扉をノックする音が響いた。

どうぞ、と云おうとするが、酸素マスクのせいで大きな声が出せない。

代わりに春香が「どうぞ」と返答した。

扉がそろりと少しだけ開いて、その隙間から中を窺うのは、奈緒と加蓮。

凛が手招きをすると、二人はようやく引き戸を大きく開けた。

奈緒が何かを告げようと口を開いた瞬間、凛の隣へ座る女性を、加蓮と共に視認し、目が点になる。

「アイエエエ!? ハルカ!? ハルカナンデ!?」

奈緒も加蓮もHRSを発症し、立ったまま硬直している。

その後ろから赤羽根プロデューサーが、「春香、そろそろ行こうか」と呼んだ。

「あ、はーい。じゃあ凛ちゃん、お大事にね」

そう云ってウインクを投げる。

「今日は本当にありがとうございました。何とお礼を云えばいいのか……」

凛が顎を引きながら述べると、春香は「いーのいーの」と笑い、手を振って赤羽根と共に去っていった。


「なななななんで天海春香がいるの?」

春香たちが扉を閉めると、加蓮が慌てた様子で訊いてきた。

「お見舞いに来てもらっちゃった。……いや呼び付けちゃったって云う方が正確かな……」

奈緒は半ば呆然と口を半開きにしている。

「一体どんなパイプだよ……って、もう大丈夫なのか? いや大丈夫じゃないから入院してんだから適した言葉じゃねえな……」

「まあ、峠は越えたみたいだから大丈夫だと思うけど……」

凛が答えている間に、奈緒たちはベッドの傍へ椅子を寄せて座った。

「はい、凛。ひとまず入院で必要になるものを見繕って持ってきたよ。足りないのがあったら持ってきたげるから云ってね」

そう加蓮から渡されたバッグの中には、およそ入院生活に必要そうな、あらゆるものが入っていた。

「ありがとう。すごい、よくわかったね。欲しかったものばっかりだよ」

「私は昔病弱だった、って云ったでしょ。入院なんか数え切れないほどしたから、慣れたモンなんだ」

ま、最近はご無沙汰だけどね、と軽く笑って、すぐに少しだけ眉根を寄せる。

「それにしても肺炎なんて、どれだけ我慢重ねてたのよ、凛」

その口調は咎めるようだったが、「手遅れになる前に済んでよかったけどさ」とホッとする様子も見せた。

「ごめんね。二人が私を見つけてくれたんだって?」

「ああ、凛の戻りが遅いから見にいったら廊下に居なかったからさ。スタッフに訊いたら外へ出た形跡は
 なさそうだから、って中を探し廻ってたらぶっ倒れてるのを見つけたんだ」

奈緒の言葉に加蓮も頷く。

「アタシ、血の気が引くってのを実感したのは初めてだったよ」

凛は溜め息をついた。仲間にこれほどの心配をかけるなんて。

「ありがとう。二人がいなかったら、私もっと大変なことになってたと思う。命の恩人だよ」

「いいさ、大事に至らなかっただけでもな」

奈緒は掛け布団をぽんぽんと叩きながら笑う。

「あーそうだ、凛、早速色々おかしく云われてるよ」

加蓮が思い出したように前日のスポーツ紙を取り出して云った。

『渋谷凛 公演後倒れる』
『凛ちゃん 意識不明か――』

センセーショナルで無責任な文字が踊っていた。

「あー……まぁ、そうなるよね……」

凛が観念したように嘆息すると、

「午前中、鈷さんから目覚めたと知らされるまで、アタシたち――いや、事務所の皆こんな感じだったけどね」

と加蓮が苦笑する。

「で、こんな不穏なトップ記事見せたいんじゃないんだ。ほら、こっち」

そう云ってばさばさと芸能面を開くと、そこには

『新ユニット:トライアドプリムス、鮮烈なデビュー! 渋谷凛と組んだ新人、貫禄あり』

と、決して扱いは大きくないながらも、ユニットの初ライブ初勝利を報じるスペースが設けられていた。

凛が倒れたことで、善かれ悪しかれ、トライアドプリムスも注目の的となったようだ。

「怪我の功名……なのかな、これって」

凛は目を瞑って、心なしか口角を上げて呟いた。

「いづれにしても、注目株になったからにはもっとレッスンに励まねえとな」

奈緒が手を叩いて気合を入れると、加蓮も「そうだね、凛が退院してくるまでに腕をもっと磨いて、驚かせてあげないと」と同調した。

「ふふっ、それじゃ、退院後追い付かれないように、私も気合いを入れないとね。早く治さなきゃ」

三人はお互いを見詰め合って、どちらからともなく笑みを浮かべた。


――

三日後。

凛は順調に快方へ向かい、酸素マスクは鼻チューブへと、一段軽くなった。

しっかり話せることがこんなにも気持ちのいいことだとは、一度身体を壊すと、些細なことが幸せに感じる。

さらには、ようやく病院食が許可され、高カロリー輸液のチューブが外された。点滴経由での投薬も、経口へと切り替えられた。

心電図は前日に外されており、これで凛を束縛するものは右手の酸素濃度計と血圧計のみだ。

ようやくシャワーが許可され、久しぶりに人心地が付いた。

普段全く意識しない日常を、改めて噛み締める。

あーまた日本語がおかしい……

>>586
× しっかり話せることがこんなにも気持ちのいいことだとは、一度身体を壊すと、些細なことが幸せに感じる。

○ しっかり話せることがこんなにも気持ちのいいものだとは、一度身体を壊すと、些細な事柄が幸せに感じる。


今日は、ニュージェネレーションレギュラー番組の日。

今頃卯月と未央は、ブースで待機しているはずだ。

本来であれば、凛も日本放送へ仕事に出るはずだが、当然、そんなことは許可されない。

先ほどシャワーを浴びたとき、調子が上がってダンスのステップを少し踏んだだけでもナースから怒られたほど。

今回はおとなしく、ベッドの上で、いちリスナーとして楽しませてもらおう。

まもなく四時。凛はiPhoneのサイマル放送を起動した。

時報と共にオープニングテーマが流れ、番組が始まる。

≪こんにちは、今週も始まりました、日本放送、ザ・ボイス・オブ・シンデレラ。パーソナリティは、ニュージェネレーション島村卯月です!≫

≪みんな、おっ待たせ~! 同じくパーソナリティの、ニュージェネレーション本田未央でーっす!≫

≪まず最初に、残念なお知らせです。いつも一緒にお話をしている渋谷凛ちゃんが、本日はお休みさせて頂くことになりました。ごめんなさい!≫

≪みんなもう知ってるかもしれないけど、しぶりん、急病で入院しちゃったんだ。今週はしまむーと私の二人でお送りします!≫

≪えーと、早速メールを頂いてます。ラジオネーム、おぉっ!サンさんから≫

≪いつもありがと~!≫

≪凛ちゃんが倒れたと云うニュースがありましたが大丈夫ですか?
 凛ちゃんのことは勿論、NGの皆さんの心持ちは如何ほどのものかとお察しします。
 それと比例するようにCSでのタイガースの調子も下がり心配です、凛ちゃんの一刻も早い回復を祈っています。――とのお便りです≫

≪うぅ……皆が気遣ってくれて嬉しいねえ……泪が出ちゃうよ。しぶりんは、だいぶ快方へ向かっているから心配しないでね!≫

≪他にも沢山の、凛ちゃんを心配してくれるメールやお葉書を頂いてます≫

≪すごいよ、リスナーが送ってきてくださったお見舞いの品がこんなに。ほら! ――≫

マイクの向こうからガサゴソと音がする。目には見えないが、沢山の便りや見舞いが来ているようだった。

ファンのみんなに、心配をかけてしまったことは理解しているが、こうやって実際の反応として感じると、更にその思いは強くなる。

凛は心の中で手を合わせた。


その後番組は、エンディングまで問題らしい問題はなく、つつがなく進行した。

凛が居ない分、卯月と未央の喋る量が増えて若干大変そうではあったが、手慣れたもので二人カバーし合っていた。

番組開始当時は、放送事故にも等しいような間があったりして、それが逆に話題となったことを思い出す。

そこから考えれば、大した進歩だと思う。

ザ・ボイス・オブ・シンデレラの次番組を聴きながら昔の軌跡を思い出していると、ノックと共に来客があった。

卯月と未央である。

凛は驚いた。番組が終わってからまだ一時間と経っていないのだ。

「凛ちゃん、調子はどう?」

卯月が覗き込むようにして訊ねるが、凛は起き上がってベッド上に座しながら、まず驚きを口にした。

「さっき終わったばかりなのに、もう着くなんてびっくりしたよ」

「有楽町から三十分で来られるしね、ここは」

あはは、と卯月は笑った。

例の件以来、仕事での最低限の用事以外はあまり喋らなかった凛と二人。

このようにゆっくり何かを話す機会は、久しぶりであった。

特に、未央はどことなく余所余所しい。

あんなことを云ってしまったのだから仕方ないし、未央のことだ、根を詰めすぎて倒れたのは、自分に原因の一端があると思っているのかも知れない。

「ねえ、未央」

そんな未央に、凛は穏やかな顔で語り掛けた。

未央は、一体何を云われるのかと怪訝な様子だ。

「……ごめんね。私、どうしようもない馬鹿だった」

「しぶりん……」

未央は、驚きと哀しみを併せた、複雑な表情をする。

「ううん……私が考えなしだったんだよ。
 Pさんが突然居なくなって、しぶりんが一番辛かっただろうに、それを判らず、支えられなかったんだもん。
 ニュージェネレーションの仲間失格だよ……」

目を伏せて、ゆっくりと語った。

凛は顔を横に振って、未央の掌を持つ。

「私が弱かったの。それが一番の原因。未央は悪くなんかないよ。
 それに、こうやってぶつかり合って、大事なことに気付けた。私はもう、大丈夫」

力強く宣言すると、卯月が凛の目を見て問う。

「凛ちゃん、答えを見つけたの?」

「答えはまだ見つかってない。でも、何をすべきかは判ったと思う」

凛は頷きながら答えた。

「まずは、年末のライブを成功させること。そして、IUでトップに立つこと。これが私の為すべき行動――」

卯月と未央はその言葉に度肝を抜かれた顔をした。

「ええっ? 凛ちゃん、IUって、あの?」

「そう。アイドルアルティメイト。そこで私はトップに立つ」

IU、アイドルアルティメイトは、年に一度、年明けの頃に開催される、真のトップアイドルを決めるためのオーディション番組だ。

古今東西、腕に覚えのあるアイドルたちが、こぞって目指す頂。

ここで優勝すれば、名実共にトップアイドルであることが証明されるのだ。

ここ数年は、女性部門は春香をメインに、765のメンバーの誰かが優勝の常連。

男性部門は961のジュピターの独擅場だ。



Prologue
http://www.youtube.com/watch?v=9RpGF2sy2l4


豊かなリバーブが横に拡がり、観客の歓声がより一層大きくなる。

バンドパスフィルターが縦横無尽に音を彩り、ダイナミックに躍動した。

場を支配する音は、電子の波、テクノ。

よもやアイドルのコンサートで流れることなど予測できない、まさかのサウンドの轟流に、観客は度肝を抜かれ、黄色い声が大きな潮流となる。

そして、トップライトによって、暗闇に浮かび上がる二つの『人形』。

『のあ』と『誰か』

観客は、凛に気付いていない。



STAGE2
http://www.youtube.com/watch?v=WLTNz53DpRs&t=5m52s&hd=1


ボコーダー経由でロボット化されたボーカルが、パッドサウンドと規則的なリズムに乗って流れていく。

そこへ照明が一気に点され、ステージを輝かせた。


 Radio Tour information

 Transmission télévision

 Reportage sur moto

 Caméra, vidéo et foto

 Les équipes présentées

 Le départ est donné

 Les étapes sont brûlées

 Et la course est lancée ――


のあの風貌でこの演出は最高のインパクトであった。

舞台上でアンドロイドが唱い、踊っている。

これまでのツアーとは明らかに異なる演出に、会場のボルテージはあっという間に針が振り切れた。

客席のサイリウムは、のあのイメージカラー、銀白に染まった。

そこへ、凛がボコーダーを外して地声になる。


 Les coureurs chronométrés

 Pour l'épreuve de vérité

 La montagne les vallées

 Les grands cols les défilés

 La flamme rouge dépassée

 Maillot Jaune à l'arrivée

 Radio Tour information

 Transmission télévision ――


のあともロボットボイスとも違う、澄み、落ち着いた声。

誰だあれは、と客席に驚きと戸惑いが混じる。

やがて、その声に気付いた一部の人々が、蒼いサイリウムに切り替えると、それが伝播していく。

会場は、蒼と白の協奏曲となった。


アウトロが、たっぷりの余韻を引き連れて響いていく。

「みんな! 今日はCGプロライブツアー千秋楽へようこそ!」

凛がウィッグを取り、客席へ投げ込んで叫んだ。

銀髪が描く放物線の、着弾予測地点では、歓喜に沸く客が手を伸ばしている。

「最初、私が誰かわからなかったんじゃないかな? でも、途中から、正体に気付いてくれた人がいたみたいだね!」

会場は、歓声でそれに応えた。

照明が絞られ、のあがMCを引き継いで喋る。

「――どうやら掴みはOKのようね。さあ、これから約二時間、魔法の掛けられた世界へ浸りなさい。
 続いては、CGプロと云えばこの三人、ニュージェネレーションがお相手よ」

客席からは「のあ様ァ!」と崇拝者の叫びが止まらない。

のあがMCをしている間に、凛は床下へ降り、カラコンの脱去と髪型の変更、早着替えを済ませ、所定の位置へスタンバイ。

卯月と未央も既に舞台下で準備完了していた。

三人、息を合わせて宣言する。

「ニュージェネレーション、行くよっ! 輝く世界の魔法!」

PAからキューが入り、新たなイントロが流れ始めた。

ベルの音に合わせて、ニュージェネレーションを乗せたセリが上がる。

白い三つのピンライトが、各々を下からアオリで照らしている。

ゆっくりと、三人が浮かび上がってくると共に、そのライトがステージ上へ洩れていく。


 輝く世界の魔法 私を好きになれ

 ほら笑顔になりたい人 一斉の


 唱えてみよう――


ニュージェネレーションが励起する様は、CGプロを象徴しているかのように見えた。

卯月、凛、未央が連携して一番をサビまで歌い上げると、すぐに二番。

 おやすみ 優しく瞬く星達――

ステージ中央に設けられた階段の上から蘭子、アナスタシア、楓、幸子が歌いながら降りてくる。

ライブ開始初っ端からCGプロトップクラスのメンバーが現れて、観客席は大興奮に沸いた。


そのまま、プログラムはCDデビュー組がそれぞれローテイションで進んで行き、トライアドプリムスへ。

歌った曲は先日のライブバトルと同じものだが、パフォーマンスは明らかに別次元へと昇華されていた。

ゆっくり、しっとりした曲を、情緒豊かに演じ上げる三人は、照明効果もあって非常に艶かしく見えた。

ライブバトルでのデビューから僅か二箇月。

トライアドプリムスは、ニュージェネレーションに比肩し得る、立派な二大巨頭ユニットへと成長していた。

凛、奈緒、加蓮、それぞれ強烈なカリスマを持った三人が、力を合わせて一つの舞台を組み上げるその姿は、まさに第一課の集大成であった。

曲が終わり、切り替わる僅かな間、一旦、照明が落ち、客席に踊る蒼、赤、橙のサイリウムが、より映える。

数瞬後、照明が戻ると、そこには、コンコードベース、テナーサックス、ショルダーキーを身につけた三人が、立っていた。


――

「――ちょっとアイドルらしくないことをやってみたいんだよね」

11月のとある日、凛は第一課のソファで、ヨーグルトドリンクを飲みながら独言のように呟いた。

「アイドルらしくないこと?」

正面で楽譜を読んでいた奈緒が鸚鵡返しで訊く。

「そう。今度の年末ライブなんだけどさ、最終日に、ちょっとお客さんを驚かせたいなーって」

「驚かせるって云ったって、何をやるの?」

隣でネイルを塗りつつ加蓮が問うと、凛は間髪入れずに答えた。

「ジャジーなインストバンドとかどう?」

「……は? 幾ら何でもそれは明らかにアイドルの範疇じゃないだろ」

奈緒が、凛の言葉の意味するところを考えていたのか、少々の間を置いて突っ込みを入れてきた。

「だからだよ。前に『如何にもアイドルアイドルした普通の曲を演ったって面白くない』ってプロデューサーが云ってたの。
 それを受けて出した新曲は大ヒットしたんだ」

キレッキレのダンスが巷に強烈な印象を与えたことは、記憶に新しい。

「それは憶えてるけどさ、バンドって何をやるの? 楽器?」

あのPV凄かったね、と付け加えながら、加蓮は塗り終わった場所に、息を吹きかけて、凛を向いた。

「そう。加蓮って、鍵盤楽器は弾けるよね?」

「まあ……簡単なものなら」

「じゃあ加蓮はショルダーキーボードで決まり。奈緒は……サックスとか吹けない? ビジュアル的に合いそう」

「ハァ!? サックス? 吹けるわけねーだろ、あたしリコーダーしかやったことないんだぞ」

「リコーダー吹けるんだ? じゃあサックスも大丈夫だよね、はい決まり」

「ちょっと待てェ!」

「大丈夫、奈緒なら出来るよ。まだ時間あるし」

にこりと凛は笑った。柔和だが、有無を云わさぬ、見えない圧力がそこには在った。

「ぐ……し、仕方ねえな……。トライアドプリムスの注目度を上げるためなら一肌脱ぐか……」

と云って、奈緒はあっさりと受諾した。彼女は、意外と押しに弱い。

「ギターは李衣菜辺りに声を掛けておくよ。ドラムやその他のパートはサポートバックバンドの人にお願いするつもり」

凛はパン、と手を叩いて、構想を述べた。

そのまま鈷を経由してPに簡単なスコアを書かせ、一週間後には初回のセッションレッスンを行なう迅速ぶりに、他の人間は目を白黒させている。

トップを目指す、と意思を明確に固めた凛は、以前にも増してイケイケドンドンになっていた。

奈緒は、麗の付きっきりの特訓の成果か、譜面を渡して二週間後にはそれなりに吹けるようになった。

サックスは音を出すことすら難しいのだが、やはりセンスがあるらしい。


――

楽器を肩から提げたトライアドプリムスの面々に、ざわつく客席。

「ちょっと息抜きしない? たまには箸休めも必要だよね」

凛が会場へ向かってウインクしながら語り掛けた。

その顔をレンズが追いかけて、バックスクリーンに様子が大きく映し出される。

ステージへ李衣菜が駆け寄り、カウントを開始すると、バックバンドのドラムの合図ののち、サックスのイントロが流れる。

その奈緒を見て、観客は歓声を上げた。



Megalith
http://www.youtube.com/watch?v=Wl8cg2257oM&t=34s



凛のスラップベースと、李衣菜のカッティングがオーバーダブされ、加蓮のシンセリードが煌めくラインを彩る。

バックバンドのキーボードには、しれっと菜々が混ざっている。

李衣菜はともかく、凛が人前でベースを披露するのは初めてのことだ。加蓮の演奏も然り。

トライアドプリムスが、これまで一度も現していない、別の一面を見せたことに、客席は興奮の渦を巻く。

全楽器がワイヤレスシステムになっていて、行動に制約のない面々が、楽器を奏でながら縦横無尽にステージを舞い回る。

これまでと全く違うアイドル像。

きらびやかに着飾った可愛い女の子たちが、笑顔を振りまき、渋さ満点の楽曲をノリノリで自ら演奏している。

ベースのソロ、サックスのソロ、シンセのソロ、そしてギターのソロ。

それぞれのパートがこなされる毎に、会場全体から拍手喝采が浴びせられる。

アイドルらしからぬ動きと、各自の見せ場を最大限に活かすその姿を見て、度肝を抜かれ熱狂しない者はいまい。

凛がPから受け継いだ、新世代の偶像の定義付けに、観客は酔いしれた。


五分間の演奏が、まるで一瞬のように過ぎ去り、そのままの流れで凛メインのプログラムへと移行する。

Never say neverで徐々にボルテージを上げ、

CGプロの研究生を後ろに従えたキレッキレのダンスで、すっかり暖まっていた会場は熱狂し、

ブリティッシュロカビリーでは、はっきりとしたリズムに揺れるサイリウムが、蒼一色に染まった。

全篇英語詞にも拘わらず、客席と一緒に歌い上げる一体感。

トライアドプリムスの出番から通算して、五曲連続。

当初、凛のプログラムはもっとばらけていたのだが、意図的に後半へ集積させたい、と、鈷に変更を願い出た。

そんなプログラムを、20分以上ぶっ通しで、歌唱を張り上げ怒濤のダンスを舞っても、鈍くならない動作。

CGプロが誇るアイドル――

否、アイドルの枠を越えた“渋谷凛と云う存在”の威力が、横浜アリーナに炸裂している。

その力は、三月の単独ライブを遥かに凌駕する勢いであった。


 He’s no good, girl

 No good for you

 You better get to gettin' on your goodbye shoes……


バックの演奏が消え、凛の独唱で曲が終了する。

同時に消える照明。

「この、みんなと一緒に作り上げるムード、最高だね」

漆黒に眼を塞がれ、耳だけで感じる凛の語り掛けに、聴衆は歓声で応える。

そして一瞬の間を置いて照明が戻り、早着替えを済ませた凛がステージの中央へ立った。

落ち着いた、黒基調のゴシック服だ。

「激しい曲ばかりだとみんなも疲れちゃうだろうから、この辺りで、しっとりバラードでもいこっか。
 実は、私が静かな曲を持ち歌にするのって、これが初めてなんだよね。
 そして奇しくも、今日がそのCDの発売日。皆、もう買ってくれたかな?」

さらに大きな歓声が上がる。

「皆、ありがとね! この曲は、私が初めて作詞に挑戦した曲です。


 聴いてください――」



この空の永遠のように
http://www.youtube.com/watch?v=1ayWnXwvVpg


余韻の長いシンセベルのイントロが響き、そして、甘いギターが、副旋律を奏でる。


 誰かが わたしを呼ぶ 声が 聞こえて
 甘い 夢の途中 ぼんやり 目覚めた

 恋は どこから やってくるの?
 窓を 開けたら 不思議な夜明け

 小さな 詩―うた―の中に 秘めた 思いは
 長い 時代―とき―を越えて 涙を 伝える

 果てしない この道で いつの日か 出会うひと
 伝えたい 優しさを いつまでも その胸に

 誰よりも 信じあい 求めあう 気持ちだけ
 抱き締めて いられたら 何もかも こわくない

 果てしない この道で いつの日か 出会うひと
 穏やかな 優しさで あなただけ 見つめたい

 この空が 永遠に どこまでも 続くように
 変わらない 願いだけ いつまでも 抱き締める…


アウトロがフェードアウトしていくと、静かに聴き入っていた会場が歓声に包まれた。

ツアー初日にこの曲の存在が公となったとき、渋谷凛の新境地としてマスコミを賑わせたが、

そのままの手応えが、この横浜アリーナでも感じられる、そんな喝采であった。

「みんな、ありがとう。……たまには、こういう落ち着く曲も、いいよね?」

凛の言葉に呼応するように、拍手が大きくなる。

その拍手に対して、申し訳なさそうな声で、魔法の解ける刻を告げる。

「さて、名残惜しいけど……次が最後の曲です」

客席から響く、「えーっ」「もっと続けてー!」と云う声。

会場全てが、もっと魔法にかかっていたい、そんな願いが籠った声に包まれると、何故か照明が全て落ちた。

ステージ上は真っ暗闇で何も見えない。

そこに、どこからともなく割り込むMC。

「……あくまで、プログラム上は、ですけどね!」

観客席が、一気にざわついた。

「こっ、この声は……一体誰ッ!?」

凛が、実にわざとらしい大仰な演技をする。

瞬間、舞台の中心をスポットライトが照らすと。

そこには、凛の隣に、パンキッシュゴシックの衣装を纏った天海春香が立っていた。

「箱根……じゃなかった、横アリのみなさ~ん! 天海春香ですよ~!!
 今日は、CGプロさんのライブツアーが楽しそうなので、お邪魔しちゃいましたー!」

「はい、と云うわけで、千秋楽限定シークレットゲスト、春香さんが来てくださいました!」

凛が春香の言葉を引き継いで続ける。

まさかの大物ゲスト登場に、会場は大歓声に包まれた。

「今、私がしっとりした曲を歌ったので、ラストへ向けて、徐々に、ゆっくりと、もう一度熱を上げていこうか」

「いえす! それじゃあまずは、凛ちゃんと私で、オ・ト・ナなデュオを披露しようかな!」

「では、もう一度柔らかなナンバーを。Je t'aime... moi non plus ――ジュ・テーム・モワ・ノン・プリュ――」

ステージを、柔らかい光が包み、歓声の波が静かに引いて行く。



Je t'aime... moi non plus
http://www.youtube.com/watch?v=9krvMqLnc5U&hd=1


しっとりしていながらも、ファンクなドラムとギター、オルガンが、ゆっくりと空間を満たしていく。


 Je t'aime je t'aime, oh oui je t'aime

 Moi non plus

 Oh mon amour, tu es la vague, moi l'île nue
 Tu vas, tu vas et tu viens entre mes reins
 Tu vas et tu viens entre mes reins et je te rejoins

 Je t'aime je t'aime, oh oui je t'aime...


超人気アイドル二人が魅せる、新たなステージ。

妖しく、色艶やかな歌唱は、大人を思わせる色香を放っていた。

凛は、もう18歳だ。

デビュー時から続く、“少女”と云うイメージを、変遷させる力を以て唱い上げる。

“少女”が“オンナ”に変わる刻――

――それは、観客の心を、どくんと鼓動させ、掴み上げた。


「しぶりーん、そんな色気たっぷりなの演られちゃ、私たちが出て行き難いよー」

未央がそう云いながら、卯月と共に下手から、

そして奈緒がコンコードベースを持って、加蓮と共に上手から舞台へ現れた。

凛が奈緒からベースとヘッドセットマイクを受け取り装着している間に、卯月が

「せっかく春香さんが来てくれたんだもの、CGを代表するユニットでお迎えしないとね」

と云い、客席へマイクを向けた。拍手と指笛が沸き起こる。

春香が、卯月のMCに応え、

「おおっと、沢山のお出迎えが来てくれましたね! この人数を活かして、渋いチョイスを行きましょう!」

そのまま、凛のベースに合わせて、独り、歌い出した。



Spread Love
http://www.youtube.com/watch?v=zRfcMn1TVAM



 I know somebody who declares he has it made
 He won't admit it, but it's just a masquerade ――

そこから春香のリードに併せ、フィンガースナップと共に、横ノリな五声のハーモニーが響き渡る。

ベース以外には全く伴奏がない。

そう。 ア・カペラ。

瞬間、その場は、黄色のような、はたまた、橙のような色に包まれた。

その色の照明が焚かれたわけではない。

音だから色なんて判るはずが無いのに、確かに、横浜アリーナの中を、色の付いた複雑なハーモニーが奔流したのだ。


――

11月末、まもなくツアーが始まろうかと云う頃の、ある日の夜。凛は春香にメールを送った。

【今度カメオして頂ける最終日なんですが、一緒に歌う曲をリクエストしてもいいですか?】

希望リスト、そして楽譜と歌詞を添付すると、すぐに返信ではなく電話が来る。

『やっほ、こんばんは。……なるほどね。これ、凛ちゃんなりのメッセージ……だよね?』

「こんばんは、お電話をくださってありがとうございます。その通りです。流石、春香さんにはすぐに見破られちゃいました」

『一番目はいいとして、二番目の曲、これを演るの? 音取りや和声が相当難しいよ?』

「はい、お客さんの度肝を抜きたくて。春香さんがカメオして頂けると云うサプライズの上に、さらにこのギミックを出したいんです。
 春香さんはリードに専念して頂いて、ハーモニーはCGメンバー側でこなしますので、あまりお手間は掛けさせません――』


春香は、電話から一度添付ファイルのPDFへiPhoneの画面を切り替え、ざっと見てから云う。

「わかった。私はハーモニーに関わらないとは云っても、一回か二回くらいは合わせた方がいいよね。
 赤羽根プロデューサーに予定を固めてもらって、一度CGプロへ伺うよ」

『すみません、ありがとうございます。こちらも鈷プロデューサーに伝えておきます』

「うん、それじゃあね、おやすみ」

春香は電話を切り、iPhoneをスクロールさせ、凛から送られた歌詞を、再び読んだ。

 Je t'aime je t'aime, oh oui je t'aime

 Moi non plus

 Oh mon amour, tu es la vague, moi l'île nue
 Tu vas, tu vas et tu viens entre mes reins
 Tu vas et tu viens entre mes reins et je te rejoins

 Je t'aime je t'aime, oh oui je t'aime...

  愛してる、愛してるわ……

  ――さぁてね?

  私は一糸纏わぬ島、あなたは波。
  寄せては返す波……

  愛してる、あぁ、愛してるの……


凛ちゃんめ。

大胆な作戦に出たね。

次の曲のメッセージもだいぶ強いし。

ここまで想われる人が羨ましいな……


――

六人で唱う、ア・カペラの和声が着々と盛り上がって行き、サビへと突入する。


 Spread love, instead of spreading lies

 Spread love, the truth needs no disguise

 I've often said love could open any door

 Oh, but I wish we had much more

 More love is what we need


Spread love ―― C7(9)からB♭6へ落ちる極めて印象的なフレーズ。

――愛を蒔こう。嘘を塗るのではなく。

――温もりを拡げよう。本当の気持ちに仮面は要らない。

――愛はどんな障碍でも越えられるとよく言ったけれど

――その欠かせないモノがもっと溢れていればよかったのに。


最後のハーモニーですぱっと曲を終了させると、ホールに六種類の残響が漂う。

高度な和声をこなしたアイドルたちに、聴衆は呆然としていた。

一瞬の間を置いて、はっと気付いた観客が、一斉に拍手と喝采を轟かせる。

「こう云う、複雑なハーモニーの歌も、またいいもんでしょ?」

加蓮が指をピストルの形にしながら訊ねると、更に歓声の音量が上がった。

「さあ、後ろ髪を引かれる思いだけど、ラストの曲になっちまった!
 最後はパァーッと、春香さんと一緒に、CGプロ全員と一緒に、そして皆も一緒にいこうぜ!」

奈緒の掛け声に併せ、凛や春香が叫ぶ。

『お願い!シンデレラ!』


 お願いシンデレラ 夢は夢で終われない
 動き始めてる 輝く日のために――

六人のイントロ重唱が終わると、

『イェーイ!』

上手下手の両手袖からCGプロのアイドルが全員、大挙してステージへ走り寄った。


凛は、ア・カペラの時のまま、踊りながらベースをスラップさせ、

李衣菜と夏樹はギターを肩に掛け、それぞれカッティングとリードを弾き、

加蓮はアナスタシアからショルダーキーを受け取って、シンセアルペジオを鳴らしている。


 Everyday どんな時も CUTE Heart 持ってたい――

春香と第二課全員が可愛く唱い、

 Pinchもサバイバルも COOLに越えたい――

第一課全員が澄ましてこなし、

 Update 無敵なPASSION くじけ心 更新――

第三課全員が熱く飛び跳ねる。

そして杏ときらりは相の手を入れ、観客がそれに同調する。

わかりやすい曲構成、会場全体が一体となる。

熱情の四分間は、あっという間だった。


 涙のあとには また笑って スマートにね
 でも可愛く 進もう!――


照明の輝度が落ちて行く中、加蓮のアルペジオで曲が終わりを迎えると、今日一番の熱狂が沸いた。

しかし、暗くなっても、客席のライトはまだ点かない。

それの意図するところ。

そして、方々から止まない、アンコールを求める手拍子。

薄暗い会場の中に、凛の声が響く。

「ふふっ、拍手が途切れないね。……じゃあ、みんなのアンコールに応えよっか」

待ってましたとばかりに盛り上がる歓声の予定調和。

「さあ! 折角春香さんが来てくれたんだし、敬意と謝意を表して、『READY!!』を行くよ!」

凛の声を合図とし、PAがキューを送る。


 Are you ready!? I'm LADY!!
 始めよう やれば出来るきっと 絶対私NO.1


横浜アリーナを熱く滾らせる興奮が、冬の夜空に溶けてゆく――


えー少し短いですが、ひとまず今回分はここまでです

ライブ光景の描写は実に難しいですね
ラインナップは、アイドルが演ったら度肝を抜きそうなものをメインにチョイスしました
TAKE6なんて演られた日にゃ俺速攻で心を撃ち抜かれますわ

あとやっぱりTPにはオーラがありますよね
http://i.imgur.com/0GMVe4m.jpg

本当はJe t'aime... moi non plusの訳って、原意に忠実に翻訳するならもっと過激なんですが、
さすがに刺激的すぎてアレなのでマイルドにしました
しぶりんは、若かりし頃のJane Birkinに通ずる雰囲気があると思います

それではまた


新しいベースが欲しくなったじゃないかどうしてくれるんだ

サックス吹いてる女の子ってエロイヨネ

追いついた、乙
主は博識だなあ。しかも文章も面白い。くっそ、また楽器がやりたくなった


メシ食ったらまもなく再開します
今回は大きく展開していき、次回にかけてクライマックス(予定)です
今月中には完結させられるかと思います

>>655
コンコードもそうですが、同じアトランシアのソリテアー、冗談抜きにオススメですよ

>>656
サックスはCoアイドル全員似合う気がしますね

>>657
出戻りで楽器を弾いたときにこそ、本当の良さがわかるみたいですよ、さぁさぁ(ゲス顔



・・・・・・・・・・・・


「なんであれだけ大規模なツアーの翌日に、フツーに仕事入ってんの~?」

ニュージェネレーションのラジオ番組を済ませ、太陽が没して航海薄明が終わる頃。

麻布十番の駅から事務所までの道を歩きながら、やれやれと云う顔をして未央がぼやいた。

「レギュラー番組なんだから仕方ないよ、未央ちゃん」

「そうだよ。むしろ今日は、朝事務所へ出社しないで、夕方日本放送に直行していいって云われたんだから、休みを呉れたようなもんだよ」

卯月と凛が未央を窘める。

ツアー終了翌日の放送というだけあって、ライブの出来を賞賛する感想メールが非常に多かった。

放送前に目を通すのが大変な量だったほどだ。

世間では、CGプロの躍進と、春香のサプライズカメオ及びその理由に関するニュースがお茶の間を賑わせ、

番付番組は、凛が、“春香に認められた者”として、Aランクへ登り詰めたことを示した。

卯月や未央もBへ上昇し、奈緒と加蓮に至っては、Eから一気にCへ跳ね上がった。

蘭子や楓など、その他のアイドルたちも、今回のツアー成功に伴って軒並み評価を上げている。


事務所のビルに入ると、普段よりも静かなフロアが三人を包んだ。

本日、ニュージェネレーション以外のアイドルたちは休日を貰っている。

勿論、後処理の残っているプロデューサー陣含め事務方は休むわけにいかないので、人気が皆無と云うわけではない。

「なんかこう、いつもと違う雰囲気だと、落ち着かないね~。じゃあまたあとでー!」

未央が苦笑しつつ洩らし、第三課へと入って行った。

その後凛は卯月と第二課前で別れ、独り、第一課をくぐる。


デスクで作業している鈷に終業の報告へ向かおうとすると、

「おう、お疲れ」

ソファから声が掛けられた。


――この声は。


凛が、勢いよくその方向を向くと。


Pが、座っていた。


その姿を認めた瞬間、凛はまるで蝋人形のように動きが固まる。

長く美しい髪だけが、慣性の法則に従って揺れた。

何秒ほど硬直していただろうか、不意に、泪が、ぽろっとこぼれた。

「お、おい」

あまりにも急激に変わる凛の表情を見て、Pは慌てた。

そんな彼に構わず、事務所の中であることにも構わず、一粒こぼれた雫が呼び水となって、双眸から泪が止め処なく溢れ出た。

顎から滴り落ちたそれが、カーペット地の床に、点々と染みを作っていく。

Pが立ち上がると、凛は持っていたバッグを放り出して、コートも脱がず、帽子もマフラーも取らず、懐へ飛び込んだ。

「プロ……デューサー、なんで? なんで……?」

震える涙声で問う凛の背中に、Pは腕を廻し、とんとんと優しく叩いた。

「それは、なぜ俺がここに居るか、って云う意味でいいのか?」

凛は声を出せず、Pの胸に押し付けた顔を上下に動かした。

「昨夜のライブをストリーミングで観ててな、居ても立ってもいられなくて夜明けと同時に飛んできたんだ」

CGプロは、遠方で会場へ来られない人のため、ファンクラブ上級会員向けにコンサート映像のストリーミング配信サービスを行なっている。

Pは、向こうでそれを観ていたらしい。

ライブが終わったのは夜の八時過ぎだから、ロサンゼルスは当日未明の三時だ。

そのまま夜明けを待って、朝の便で飛び発ち、サンフランシスコ経由で入国、ついさっき着いたと云う。

「ひとまず、どこかゆっくりできる処へ行くか。鈷がこのままじゃ仕事できない」

鈷は、先ほどから、意識してこちらを見ないようにしていた。

勿論、その状態では仕事に力は入るまい。

「今日は他のアイドルいないから、ダンスルームでも開けるか? 休憩室でもいいし」

「私……屋上が……いい……」

凛が、嗚咽に声を詰まらせながら、希望を述べる。

屋上は、普段は開放されない場所だ。確実に邪魔が来ないことを、彼女は知っていた。

「寒いだろうけど大丈夫か?」

身体を心配するPに、凛はゆっくり頷いた。

「そうか。ちひろさんに鍵を貰ってくる。階段で待っててくれ」

Pは凛へハンカチを差し出し、衣紋掛けに吊るされたロングコートを持って第一課を出て行った。


屋上へ出ると、夜の帳が下りて、明るい星が、次々と瞬き始めている。

気温は、日没からしばらく経ったせいか、だいぶ下がっていた。

その上、設置されたエアコンの熱交換器から排出される冷気が相俟って、相当寒く感じる。

「こりゃ、かなり冷えてるけどいいのか?」

念のため再度訊ねると、凛は、ぐす、と鼻を鳴らしながら、Pが着ている外套の中へ正面から潜り込んで、

「大丈夫。むしろ、その方が堂々とくっつけるからいい」

真正直な返答を寄越した。

屋上のスペースと、置かれた室外機の間へ設けられた金網に、Pは背中を預ける。

カシャン、と響く乾いた音は、すぐに機械の動作音と混じり、消えて行った。

「お前、最終日のライブのプログラムに大分口を挟んだらしいな?」

「……うん、表現したいことが、あったから」

Pは軽く、それでいて少し長めに息をついた。

「……やっぱり、あれは意図的だったか」

凛は何も云わずに頷く。

「俺がこないだトライアドプリムスに書いた曲、その真意に気付かないお前じゃないだろう?
 そんな凛が、今度は作詞を手掛けた曲であんな、“いつまでも想う”なんてことをこっちに伝えてきて。
 ……更には春香ちゃんとのセッションではあの露骨なラインナップだ」

しばらく戻ってくるつもりはなかったんだが、と嘆息し、

「あそこまでやられちゃ、飛んで来ざるを得ない」

降参、と云った様子で両手を挙げると、凛は、先ほどと同様、懐に顔を押しつけ、埋めた。

そして、右手の拳で、Pの鎖骨の辺りを強めに何度も叩く。

Pは何も云わず、彼女の身体が冷えないよう、自らのコートで深く包み込み、静かに、叩かれ続けた。

やがて、叩く力は段々と弱くなり、再び嗚咽が聞こえてくる。

細かく震える身体は、むせび泣きのせいか、はたまた寒さのせいか。

Pは、外套の中で、凛の背中を、楕円を描くようにゆっくりさすった。

シャツの胸に拡がる、濡れた感覚。

これは、女の子を泣かせてしまった、不名誉な痕と云えるだろう。

凛は、不規則にしゃっくりを上げる。


「なあ凛、顔を上げてくれないか。このままじゃ、話をし難い」

しばしの後、Pはゆっくりと、凛の頭上から語り掛けた。

「やだ」

「どうして」

「……メイクがぐしゃぐしゃだもん」

この辺はやはり乙女の感覚だろうか。

男としてはあまり気にしないのだが、女の子にとっては一大事なのかも知れない。

「今更そんなことを気にする間柄でもないだろ。既に俺はお前のすっぴんさえ見慣れてる」

凛は、ゆっくりと、泪の跡が残ったままの顔を挙げて、誹る。

「……すっぴんとメイク崩れは違うんだよ。……ばか」

「……すまんな」

「それは何に対しての言葉? 今デリカシーのない発言をしたこと?」

少し険しい顔をして、凛は問うた。

「諸々全て、……だな」

「そんな、今謝るくらいなら、どうして何も云わずに居なくなったの? 当初私がどんな状態になったか、知ってるんでしょ」

「……順を追って、話そうか」

Pは瞼を閉じ、ゆっくりと、深く呼吸してから続けた。

「……お前が俺のことを悪く思っていないというのは、比較的早い段階から気づいていたよ」

凛は、驚きに目を見開いた。

これまで何度も、誘惑する仕草をしても全く気に留める様子なんてなかったのに。

「鈍感なフリをするのは、それはそれで結構大変なんだぞ――」

凛の表情から、その心の中を読み取ったPは、少しだけ、責めるような口調と顔つきで、凛の目を覗き込んだ。


 ――判り切っているだろうが、お前はアイドルで俺はプロデューサー。そんな二人が恋に落ちるなどあってはならないことなんだ。

 それでもはっきり断らず、鈍いフリをしたり有耶無耶な反応に留めたりしていたのは、

 お前の、俺の期待に応えたい、または俺に褒められたいと云う感情をモチベーションとして利用する、そんな下衆い計算があったからだ――


凛は、まだ、何も云わずに、じっと、Pの言葉を聞いている。


 ――だが、その作戦は、あの日、お前が直接俺に伝えてきたことで破綻した。

 間接的な表現ならまだしも、はっきりと直接云われては、もうとぼけた振りは出来なくなった。

 だが、きっぱりと拒絶すればお前のモチベーションに少なからず影響が出るだろう。

 もうトップアイドルは目の前、掴めそうな場所にあるというのに。

 だから断れなかった。

 なによりも、俺だって本心では、お前を離したくなかった。

 ……プロデューサー失格だな――


ここで一度、Pが深く息を吸って吐き、続けた。


 ――だがそんなことは赦されない。

 俺個人の勝手な欲望で、国民の宝を台無しにするなど赦されない。

 お前の想いに、イエスともノーとも云えなかった。

 ……運命の選択ができなかった。

 お前の想いを受けても間違いだし、拒んでも正解には遠い。

 理想の解が存在しない問題――


凛は、Pも、自分と同種のヂレンマを抱えていたのだと知った。

苦しんでいたのは、自分だけではなかったのだ。


 ――俺は結局、その問題から逃げたんだよ。

 俺は、意志も情も薄弱な人間だった。

 逃避して、ほとぼりが冷めるまで待つことしかできなかった――


Pは、ここで一度言葉を止めた。

そして逡巡してから、眼を瞑り、意を決したように続ける。

「――男として答えれば、お前を離したくない。お前が欲しい。
 ……だがプロデューサーとして答えれば、お前に手を出すわけにはいかない」

Pの真意を知った凛は、あの誕生日のときと同じように、感情を吐露した。

「今、私を欲しいと云ってくれて、どれだけ天へ昇る気持ちになったか! 私は、Pさんが欲しいの! プロデューサーでもない、貴方が欲しいの!」

「まだだ。まだ駄目だ」

Pは、凛の唇に指を置いて制止した。

「凛には云ってしまうが、俺は今、事務所の戦略上、外せないことをやっている。
 向こうで修行して、技術をつけたらまたCGプロへ戻ってくる。今度はチーフプロデューサーとしてな。
 研修ではなく移籍と云う体裁を採っているのは、ライバルや利害関係者にぎりぎりまで勘付かれないようにするためだ」

本来であれば、修行を終えて戻ってくるまで云うはずのなかった言葉。

しかし、二人三脚で歩んできた戦友――いや、愛しい女性―ひと―を前にして、隠し通せるほど冷酷には成り切れなかったのだ。

「一つだけ確かに云えることは、俺だってお前を好いている。好いているからこそ、今直ぐにはどうこうできない。それはわかって欲しい」

「じゃあ、私がアメリカへ行く。日本に居るのが都合悪いなら、行き先はどこでもいい、この国から出る」

凛が、眼力鋭くとんでもないことを宣言した。

その強い言葉に、Pは肝を冷やす。

「何を云っている! 折角ここまで重ねてきた軌跡を自ら棄てる気か!?」

「誤解のないように云っておくね。私、決めたの。トップアイドルには勿論なるよ」

Pの胸に両手を置いて、真面目な表情で、顔をあおり見る。

「年明けか、再来年か、それとも更にその次の年か。
 いつになるかは判らないけど、必ずトップアイドルになって、あなたの選球眼が正しかったんだと証明した後、胸を張って、あなたへ逢いに行く。
 私がトップアイドルになる前にあなたが日本へ戻ってくるなら、一緒に頂へ登り詰めて、そしてスパッと辞める」

凛の真っ直ぐな瞳に、その意思の強さを感じ取ったPは、ついに折れた。

「……俺は明日、社長へこのことを報告しにいく。
 もはやこの問題は、俺たち二人の間だけで済む性質の物じゃない」

Pは、凛の頬を両手で包んで、硬い声音で告げた。

「お前には火の粉が飛んで行かないように頼んでくるから、もし俺が腹を切ることになったら、介錯してくれ」

凛は首を振った。

「介錯なんてしないよ。
 ……私も、一緒に……征く」


――

「突然帰国してきたと思えば、穏やかじゃない雰囲気だねえ」

翌日、社長室。

Pは、凛を連れて、報告に訪れていた。

ライブの成功を受けて二人とも喜んでいるものと思いきや、現れた顔が硬く締まっているのを見て発した社長の言葉である。

執務机から立ち上がり、応接スペースへ歩いて来ながら問う。

「こんな急に飛んできて、向こうの仕事は大丈夫なのかね」

「キリスト圏は今、クリスマス休暇中ですので」

答えるPに、そう云えばそうだったね、と社長は自らの後頭部を叩いた。

ソファへ促され座ったPは、身を乗り出して、緊張した面持ちで、上半身を社長へ向けた。

そして、言葉を選びながら声を発する。

「単刀直入に申し上げます。昨夜、私と凛は、互いに、想いを伝え合ってしまいました」

深く、ソファに腰を沈めた社長は、眉をぴくりと僅かに上げた。

「私の、プロデューサーとして自覚欠如の結果であり、弁解の余地はありません。
 私への処分はどんなものでも甘んじてお受けします。ですが、凛は、凛だけは咎めないよう、お願いします」

社長の言葉が出る前に全てを云い切ろうと、Pは、ゆっくりながらも、声を途切れさせずに述べた。

そして、頭を下げる。

「ちょっと、プロデューサー、自覚欠如の誹りを受けるのは私だよ。プロデューサーは私のせいで苦しんだんだから」

凛はPの二の腕部分を持って、軽く揺すった。

社長は腕を組んでPに問う。

「それは、P君も渋谷君も、お互いに好き合っていて、その思いの丈を、どちらも吐露した……と云うことでよいかね?」

「はい」

「P君は渋谷君を想っており、そして渋谷君もP君を恋い慕っていて、その気持ちを、二人とも明確に認識し合った、と?」

「はい」

Pは頭を下げたまま。

社長は、眼を瞑って動かない。

凛が不安になって、戸惑った表情でPと社長の顔を交互に見ていると、社長はゆっくりと目を開けた。

「……予想していたよりも、大分時間をかけたねと云うのが正直な感想かな」

「なっ!?」

Pが驚いて顔を挙げる。凛も同様に、口を開けて固まっている。

「君たちが惹かれ合っているのは、薄々勘付いてはいたのだよ。勿論、確信ではなかったがね。
 渋谷君が不調になったのはP君が発った直後だものな、一種判りやすい反応ではあった」

凛は申し訳なさに縮こまった。

「まさか、既にお気づきとは……」

Pが嘆息すると、社長もまたソファの背もたれに体重を預け、

「曲がりなりにも芸能事務所の社長兼スカウトマンなのだよ? 女の子を捉える眼はそれなりに鍛えられていると自負しているのだが」

恐れ入りました、とPは顔を伏せる。

「で、想いを確認し合って、既に昨夜、肌は重ねたのかね?」

その言葉の中にある社長の意図を汲み取って、凛は赤面した。

――そ、それって、つまり……アレ、だよね……?

初心な反応を見せる凛とは反対に、Pはきっぱりとした態度で云う。

「いえ、想いは伝えましたが、まだ男女の仲ではありません。凛の生身に触れることは何もしておりません。口づけさえも、です」

社長は眉を上げて、ほう、と呟き、

「ふむ、その辺りはきちんとしているようだね」

「曲がりなりにもアイドルのプロデューサーですので……その最終ラインのけじめはきっちり守っているつもりです」

Pは少し困った顔をして答えた。

「はっはっは、すまんすまん、これはこちらが一本取られた」

下腹部の前で手を組んで、社長が笑った。

「正直に云ってしまえばね、この業界、こんなことはザラにある。
 君たちが既に性交渉を済ませていたとしても何ら驚きのない世界なのだよ。――ああすまん、これは言葉の綾だ。
 決して君たちを見くびっているわけではない」

社長は、右手を軽く挙げ、衝撃的な言葉を続ける。

「破天荒で有名な日高舞は、動機はどうあれ普通の結婚をして引退したが……
 更にその昔、ファンクラブ結成直後と云うタイミングで、担当プロデューサーと電撃結婚、引退したアイドルがいたくらいだからね」

前例があることに凛は驚いた。

アイドルとプロデューサーが結ばれることはない、と、盲目的に刷り込まれていたからだ。

「そ、そんなことをして無事で済んだんですか……?」

口に両手を当てて、凛が訊ねた。

「あー、まぁ当時は色々あったね。脅迫やら何やら。
 しかし、その者はまだ業界に残って、アイドルのプロデュースをしているよ。
 ……まあ彼の場合は例外中の例外と云えるかも知れんが」

さらに凛は驚いた。例外とは云え、そんなことが実際に赦されているとは。

「……プロデューサー、知ってた?」

横目で問い掛けてきた凛に、Pは軽く肩を竦める。

「話は聞いたことがある、と云う程度だな」

「無理もなかろう。今からおよそ25年以上も前の話だ」

社長は遠い目をした。

「勿論、アイドルとは夢を振りまく存在であるから、建前として潔癖さを求められるのは当然だ。
 だが、渋谷君、君を含め、アイドルたちは機械ではない。人間なのだ。だから誰かを好きになることがあるのもまた当然だ」

社長は前に屈み、声のトーンを少し下げる。

「こんなことを云っては怒られるだろうが、表に漏れさえしなければ、アイドルが誰かと付き合うのを禁じることなど無用だと思っている。
 無論、情報の封じ込めが難しいからこそ、一律に禁止と云うのが通例になっているわけだがね」

社長は姿勢を戻し、「で、君たちはどうするつもりなのかね?」と問うた。

Pが佇まいを正して答える。

「私は現在、社の戦略上、重要なことを任されている認識を強く持っています。
 凛と結ばれるために業界を去る、と云う選択肢は有り得ません。
 現段階は、二人が結ばれる時期ではないと思いますし、凛もそれをきちんと認識しています」

凛は黙って、Pの言葉に首肯を添えた。

「君たちはストイックだね」

社長は感歎の溜め息をつく。

「だが、それでは渋谷君がアイドルである以上、結ばれることはないのではないかね? P君のその意気には社長として感謝しているが」

凛が、社長へ向けて口を開く。

「……私が、去ります」

強い意思を宿して、そう答えた。

「私の活動を応援してくれる方々に、今後も応えていきたいと云う想いはあります。
 でも天秤に掛けると、どうしてもPさんを選んでしまう……ですので、トップアイドルの地位まで登り詰め、
 ファンの期待への回答を果たしたら引退し、Pさんの許へ向かおうと考えています」

「まだ世に出て三年も経っていないのに、勿体無い話だね」

落胆の声に、凛は目を伏せた。

「申し訳ありません」

「正直、君の才能は、『トップアイドルになったから』と引退させるには惜しいと思っている」

社長の意見に、顔を挙げて、泣きそうな表情で問う。

「そっ、それは、私がPさんに添い遂げることを許可しない……と云う意味でしょうか」

凛の問い掛けに答えず、社長は話を変えた。

「渋谷君、いま君は『P君の許へ向かう』と云ったが、アメリカへ飛ぶと云うことかね?」

「……いえ、必ずしもそうではありません。
 IUにてトップアイドルを獲ると云う目標達成が早ければアメリカへ逢いに飛びますし、
 時間が掛かってPさんが日本へ戻ってきていれば、一緒に頂へ登ってから、引退、と」

社長は、その言葉を受けて何やら考え込んでいる。

「渋谷君、私としては、先ほども云ったように、君の才能は引退させるには惜しいと思っている。
 だがトップアイドルになるという目標を達成したなら、その後どんな道を選ぼうが、勿論それは君の自由だ。
 こちらに不利益が発生するのでない限り、君に、身の振り方まで指示する資格は、我々にはないからね」

「で、では」と口をつく凛を制し、しかしだ、と社長は続ける。

「君自身、今後もファンに応えていきたいと思っているのだろう?」

「そ、それは……赦されるのであればそうしたいですが……」

言質を取った、とばかりに笑む社長。

「芸能活動を維持しつつ、P君と結ばれる。その両方を目指すのでは駄目なのかね?」

「……え?」

Pが思わず聞き返した。凛は、自分の理想に近い言葉を社長から得られたことに、息を呑んでいる。

社長はそれらを意に介さず、言い放つ。

「渋谷君。IUでトップを獲りたまえ。――そして、アメリカに飛ぶのだ。さっきの君の言葉でティンと来た」

Pも凛も、社長の真意を理解できず、ぽかんとしている。

「そ、それはつまり、どう云うことでしょう?」

Pがおずおずと訊ねた。

「君らが海の向こうで何をしようが、日本にいる者たちはどうにも手出しできない、と云うことだよ。
 アメリカで、結ばれると良い」

Pと凛は驚きの顔のまま、二人、見詰め合った。

社長が、仲を認めてくれたのだと理解するのに、少々の時間を要した。

徐々に喜びの表情へと変える二人に、社長は「その上で、これから云うことは命令ではない。あくまで提案だ」と付け加える。

そして肘を腿の上に置き、顔を少し近づけた。

「渋谷君、将来日本で芸能活動を続けられるように、アメリカのショービズ市場で、結果を出したまえ。
 そうすれば、君が既に男性と結ばれていようとも、逆輸入と云う形で堂々と迎えることが出来る。
 P君も、それまで一緒に向こうで技術を磨き続けたまえ」

社会には、理由付け・大義名分と云うものが必要とはいえ――なんと大胆な、二兎を追い、その両方を得る作戦。

仮に、アメリカで結果を残せなくとも、Pと結ばれることで一兎は得られる。

社長なりに、凛の希望を叶えたいと慮った結果だろう。

彼にとって、凛は事務所躍進の立役者であり、更には設立当時からの“愛娘”なのである。

「勿論、日本に復帰する気がないのなら、P君のハリウッド研修が終わった時点で人知れず戻ってくればよい」

私としてはその選択はあまりして欲しくないがね、と笑いながら。

どうかな? との問いに、凛は力強く答える。

「やります。私、……実は欲張りなんです」

そう云って大きく笑顔を拡げた。


――

「えっ? アメリカ!?」

社長室を出た後、そのままニュージェネレーションとトライアドプリムスの面々が集められ、報告された。

「まだ、“もしかしたら”の話だけどね。振り回す結果になるかも知れない。申し訳ないと思う」

凛は頭を下げ、ことの経緯をかいつまんで説明した。

「……つまり、IUで優勝できたら、アメリカに挑戦して、何年か後に、また戻ってくるってこと?」

卯月が代表して凛に問うた。

「の、予定。失敗したら、たぶん私はそのまま表舞台から消えるだろうけど……」

「ちょっと凛、不吉なこと云わないでよ!」

加蓮が血相を変えて詰め寄った。

「それにしてもアメリカかぁ。折角ユニットを組んで、滑り出しも順調なのにな」

少しだけ不満そうに口を尖らせた奈緒に、

「ごめん、それは……」

顔を伏せる凛。

「ちょ、ちょっと奈緒ちゃん」

卯月が奈緒を制止しようとするが、

「ううん、卯月、我が儘な私が悪いんだ。
 それに、入院しているとき、漠然と身の振り方を考え始めた時点で、皆には伝えておくべきだった。
 どの面下げて云えばいいのか、って先延ばしにしてた私が悪い」

凛はそう呟いて、微かに首を横へ振った。

奈緒は、目を瞑ってこめかみを掻いている。

「まぁ、あたしだって本気で云っちゃいないし、困らせるのは本意じゃないんだよ。感情に任せて喋っちまって済まなかった。
 そりゃ、いつまでも凛に、おんぶに抱っこの状態じゃ駄目だってことは、判ってるよ」

奈緒の言葉に、加蓮は大きく頷き、

「そ。アタシたちはもうCランクなんだから、独り立ちしても大丈夫なようにしておかないと。
 凛に引っ張られたとは云え、EからCに飛び級したアイドルは稀らしいよ?」

と、胸を張った。

未央が気丈に振舞い、

「私は、しぶりんがPさんとそうやって決めたなら、文句は云わないよ。
 アメリカへ行っている間、留守中のニュージェネレーションは、私にまっかせなさい!」

「凛ちゃんがPさんと決めたこと、私、応援してるからね」

卯月も微笑ましそうに笑って云った。

二人とも『Pさん』の部分をやけに強調したように聞こえたけど、気にしない。

「そうだね、トライアドプリムスだって、アタシたちがきちんと守っていくからさ。ね、奈緒?」

「おう、勿論だ」

加蓮と奈緒が拳を握って、小さなガッツポーズ。

――私は、本当に、いい仲間と巡り会えた。


昨日に引き続き短めですが、ひとまず今回分はここまでです

気付けばもう700と云う数字に戦慄です
次回、クライマックスへ向かいます(……の予定)、それでは


毎度毎度しぶりんの泣く場面でぞくぞくさせられる

>>643
>『一番目はいいとして、二番目の曲、これを演るの? 音取りや和声が相当難しいよ?』
春香さんの「難しい」はわからんからなぁ…(マーメイ感)

しぶりんを俺のコートのなかに取り込みたい


メシ食ったらまもなく再開します
今回はエピローグまで行っちゃいます

>>703
しぶりんはどんな表情でも“画”になりますね

>>704
そ、それはまぁ24歳にまで成長して腕を上げたと云うことで……(震え声)

>>705
読者の数だけしぶりんは心の中に存在しているのですよ……



・・・・・・・・・・・・


2014年 三月某日



≪本日、気象状況に恵まれ、左側には、数百キロも離れているサンフランシスコの街並を、微かにご覧頂けます――≫


成田を飛び立っておよそ九時間、機内のモニタを見ると、現在時刻、朝の十時を少し過ぎた頃。

出発したのは“今日の夕方五時”。

まるで過去へタイムスリップしたかのような、この日付変更線の感覚は面白い。

JAL62便、ボーイング・トリプルセブンの小窓から、北米大陸西海岸の、長く連なる海岸線が見える。

黒い海と、乾燥した大地、肥沃な森林、白い高山が、メリハリのあるコントラストを描いている。

上空から俯瞰する大地のあらゆる場所で、ここからは見えないながらも、人の営みと云うものがある。

この大陸で――あの人が待っている。


――

年明け早々の22日に開催されたIU。

男性部門は、予想通りと云うべきか、ジュピターが並み居る挑戦者を悉く蹴散らして、波乱なく終わった。

しかし女性部門は事務所の代理戦争と化し、史上稀に見る激戦となった。

序盤戦で876プロや東豪寺プロなどに所属するアイドルが散っていく中、

三浦あずさや双海姉妹、おにぎりを事前に食えなかった美希を次々と打ち破る新星が、快進撃を見せていた。

しかし倒しても倒しても立ちはだかる鉄壁の765布陣。

そこに単騎挑むCGプロ、渋谷凛の姿は、もはや、悲壮とも感じられるオーラがあった。

強者へ果敢に立ち向かう様が共感を得、その人気は、ネットそして双方向テレビ放送の投票で、本命視の天海春香と競るほど。


決勝で相見えた両者は、先輩後輩であり、良き友人であり、そしてライバルであった。

「凛ちゃん、ごめんね、私は負けないよ」 春香が笑顔で云い、

「春香さん、申し訳ないですが、勝たせて貰います」 凛も笑む。


力の拮抗する者がぶつかり合ったとき、勝敗を左右するもの――

それは、ベクトルの方向である。

片や、これまでの実績を強調し、守りに入ってしまう者。

片や、新しい偶像の姿を提示し、攻めの姿勢を見せる者。

時代が求めたのは、後者。

蓋を開ければ、審査員の批評と一般投票を併せた結果は、雪崩を打ったかの如く、凛の圧勝だった。

王者がその座を後進に譲った瞬間、それは、凛が正真正銘のシンデレラガールとなった“瞬間”。

……そして、一般市民の与り知らぬところで、凛のアメリカ行きが本決定した“瞬間”であった。


IUの翌日、Pが一時帰国し、社長と共に凛の実家を訪ね、報告した。

預かった大切な子を無事頂点へ立たせられたこと。

高校卒業を機にアメリカへ挑戦させること、――将来は、凛と一緒になりたいと考えていること。

勿論、凛の両親は、大層驚いた。

アメリカ挑戦のビジョンと、何よりも、添い遂げむとするPと娘の意思に。

しかし、何の変哲もない普通の高校生だった我が子を日本のトップアイドルにまで押し上げた者たちを、信頼してくれた。

お前は、社会を三年経験した、もう充分な大人だ。自分の信じる道を、信じる人たちと共に歩め――

Pの隣に座る娘へ、父親はこう、言葉を掛け、

その凛は、頬を濡らしながら、ゆっくりと、万感胸に、深く頭を下げた。


――

高校の卒業式から一箇月が経ち、出国を約半月後に控えた日、情報が一部解禁された。

『渋谷凛、俄の無期限活動休止』

『シンデレラ、激務で療養の噂』

『裏に男の影、引退への布石?』

『アナリスト、米国進出を予測』――

トップの座を掴んだばかりのアイドルが、突然、活動を休止すると云う異例の電撃発表。

そのニュースは瞬く間に拡がり、お茶の間の話題はそれで持ち切りだ。

芸能誌、スポーツ紙はおろか、一般紙にまで特集が組まれるほどであった。

明確な理由までは公開しなかったので、憶測が憶測を呼び、様々な飛ばし記事が行き交った。

正解に近いものもあれば、てんで的外れなものもある。

まさに、情報の錯綜と云えた。


「うーん、凛ちゃんの件、大騒ぎになってるよねー。予想通りだけど」

事務所の休憩室で新聞や雑誌を読んでいるトライアドプリムスの正面に、局での収録から帰ってきた卯月が座った。

凛が紙面から顔を挙げると、卯月の顔には、やれやれ、と少しだけ苦笑いの色が浮かんでいる。

「……やっぱり、マスコミにしつこく訊かれた?」

「芸能記者はシャットアウトするよう手配されてたからそれほどでもなかったんだけど、局の制作関係者たちからは、大分ね。
 簡単に見越せることだったから、模範解答を準備してそれで押し通したよ」

卯月はそう云って、あはは、と軽く笑んだ。

凛と同じユニットを構成するメンバーに、強引な取材が入るのは充分に予期できた。

勿論、関係の深いアイドルは全て車で送迎したりと、充分な対策を練ってある。

しかし現場と関わる以上、根掘り葉掘り訊かれるのは避けられないことだった。

そこへ、同じく仕事から戻って来た未央が到着し、つと嘆息した。

「はー、参った参った」

「未央ちゃん、お疲れだね」

労う卯月に、くたびれた顔をした未央が片目を瞑って答える。

「今日はグラビアだったんだけどさ~、撮影スタッフが野次馬根性で
『ねェねェ、ユニットメンバーなんだもん、知ってるんでしょ? こっそり教えてよ』
 とか色々尋ねてきて。知ってても云わないっての~! もー振り切るの大変だったよー」

スタッフの台詞を妙なダミ声で真似て、そのまま、どかっ、とカウチに飛び込んだ。

「ごめんね、煩わしい思いをさせて」

凛は眉をハの字に下げて顔の前で合掌した。

「まあまあ、いいのいいの~! うざったいとは云っても、むしろ注目される私たちの露出が増えて美味しいよね♪」

そう云って未央は高く笑う。実に逞しい考え方だ。

隣の加蓮も、「そーそー、そう考えれば苦じゃないよね。むしろチャンス?」と同意している。

「そうだな、IUに前後して、あたしらもソロの出番を増やして手応えを掴んできたし、今は攻めの時期さ」

奈緒が、顔を綻ばせ、そして凛の目を覗いた。

「何年掛かってもいい。絶対に成功して、戻ってこいよ。そして……もう一度トライアドプリムスをやろうな」

未央が挙手してつなげる。

「勿論ニュージェネレーションもね~!」

皆の嬉しい激励に、凛は滲み掛けた泪を我慢して、力強く首を縦に振る。

「元より、そのつもりだよ」

「まあ、凛が還ってくる頃には皆がトップアイドルになっちまってて、入る隙間がないかも知れないけどな!」

奈緒が、ニッと、白い歯を見せたので、凛は口元に軽い拳を添えて笑った。

「ふふっ、そうだね、その頃には、きっと皆もアイドルの頂点に立ってるはずだよ」

卯月が、にっこり微笑みながら、大きく、何度も頷く。

「そうそう。未央ちゃんも奈緒ちゃんも加蓮ちゃんも、私だって躍進してるもんね、今!」

戦友同士が、朗らかに笑い合った。

今生の別ではない。泣くのではなく、笑顔で羽ばたこう。


――


≪間もなく着陸態勢に入ります。座席、テーブルは元の位置にお戻しください。以後お手洗いのご利用はご遠慮ください――≫


到着を予告するアナウンスで我に返った。

腕時計を見ようと左手を挙げると、赤いモルガナイトの指輪、そして橙のインペリアルトパーズのブレスレットが目に飛び込んでくる。

耳につけた蒼いアイオライトのピアスと共に、成田で卯月たちから贈られたものだ。

『蒼、赤、橙。これは、ニュージェネレーションとトライアドプリムス、両方に共通するイメージカラーだよ』

卯月と奈緒は赤、未央と加蓮は橙、凛は蒼。

奇しくも、凛の関わったユニットは、それぞれ同じ色で構成されていた。

『一応、意味も吟味して選んだんだよ』

そう云って、皆は笑っていたっけ。飛行機から降りたら調べてみよう。

眼下にチャネル諸島が見えてくれば、間もなく接地。

微かな衝撃と、スラストリバーサによる制動は、地に降り立ったことを明確に伝えてくれた。



・・・・・・・・・・・・


ガラス張りのターミナルに、昼の日射しが降り注ぐ。

ロスの三月末は、日本で云えばもう初夏のような陽気だ。

スーツの上着が要らないと思えるほど。

ここはロサンゼルス国際空港、トム・ブラッドレー国際線ターミナル。

――そろそろかな

Pは到着便情報を確認して、独り言つ。

凛の搭乗したJAL62便は、先ほど着陸した。今は、入国審査に並んでいる頃だろうか。

IUで勝利後、社長はすぐに関連書類の作成へと取り掛かり、凛のO-1ビザは、Pの時よりも圧倒的にスムーズに取得できた。

トップアイドルと云う巨大な実績があるのだから当然か。

今日から、元トップアイドル渋谷凛の、新たなフェイズがスタートする。

まずは早速、どのような戦略で凛を売り出すのか、練り上げていこう。

Pの研修先のスタッフは精鋭揃い。どんなアイデアが出てくるか楽しみだ。

そして凛が、どのような驚きを全米へ届けてくれるのか、今から既にワクワクしている。


ふと、数十メートルほど離れた到着ゲートから、多数の人に紛れて、長く美しい黒髪の少女――否、女性が姿を現すのを視認した。

遠くから一目見て判るのは、きっとオーラを纏っているからと云う理由だけではあるまい。

それだけ惚れているのだ、彼女に。

大きな大きなスーツケースを傍らに転がす愛しい人の許へ、ゆっくりと歩き出す。

すぐに、向こうもPを認識した。

自意識過剰かも知れないが、Pだからこそ、凛はこの距離でも気付いたのだと思う。

それぞれ、小走りで駆け寄る。

お互い、少しだけ息が弾んでいる。

しっかり、十秒ほど見詰め合ったのち、

凛が、目の前の懐へ勢い良く飛び込んだ。

Pは、しっかりと受け止める。


ようこそ、アメリカへ。


そう声を掛けるPに、凛は微笑みを返す。

そして、


何も云わず、Pの首へ腕を廻し、


熱い抱擁と、深いキスを交わした。



西海岸の太陽が、唇を強く重ねて抱き合う二人に降り注ぎ、優しく、暖かく、包み込んでいる――


――――
――










・・・・・・・・・・・・
EPILOGUE


「うー……ねっむーぃ……」

春麗らかな朝八時。

未央が、だるそうな目を擦ってCGプロ事務所へ出社した。

「あー未央ちゃん、おはよー……」

玄関ホールで卯月と一緒になる。彼女もまた瞼が半分閉じ、相当に眠そうだ。

それも仕方ない話。最近、二人の睡眠時間は充分確保できても四時間程度なのだから。

今をときめくAランクアイドルの代償と云うべきか。

かつての天海春香は、長距離通勤の上、全く睡眠不足な素振りを見せていなかったのだから、どれだけ強靭な身体をしていたのか、甚だ恐ろしい。


凛がいなくなって、もう何度目の桜が咲いただろう。

CGプロは、各アイドルの活躍で、961、765に並ぶ、最大手へと躍進していた。

かつてトップアイドルとして一時代を築いた765の面々、春香や美希たちは引退し、

現在は、卯月、未央、奈緒、加蓮、蘭子などの他、765の後進がAランクを彩っている。


そんな超売れっ子の未央が第三課のソファへ身を投げると、鏷に丸めた雑誌で頭を叩かれた。

「行儀悪い振る舞いするんじゃねーって」

「やるのは事務所の中でだけだよー眠いんだから勘弁~」

間延びした声で抗弁する未央に、鏷は廊下の向こうを指差して云う。

「じゃあまだ仕事へ出るまで少し時間あるから、休憩室行ってこいよ。たぶん目が覚めるはずだ」

「ん~? なにそれ?」

「まあ行きゃ判る」

つれない鏷に未央は首を傾げながら、ゆっくりと立ち上がって休憩室を目指した。


廊下では、銅に同じことを云われたのか、第二課から卯月が出てくるところであった。

「ねぇしまむー、休憩室に何があるんだろ?」

「私も詳しくは聞かされなかったんだよね。でもなんかアイドルは、皆ほとんど休憩室へ行ってるらしいよ」

卯月が顎に指を当てながら答えた。

二人、疑問符を頭上へ浮かべながら廊下を歩く。

休憩室を覗くと、果たして、そこにはアイドルが大挙して押し寄せ、方々で何かを読んでいた。

その中に、奈緒と加蓮の姿もある。

二人とも、卯月や未央と同じく、睡眠時間があまり取れていないはずだが、食い入るように本を見ている。

「奈緒ちゃん加蓮ちゃんおはよー。それ、なに?」

「ブルボードだよ。あっちのテーブルにある」

卯月の問いに、奈緒は紙面から目を離さず、右手奥のテーブルを指差した。

「え、ブルボードって、あの?」

未央が驚きの声を上げると、加蓮が、声を出さず頷く。

アメリカで最も権威ある音楽業界チャート、ブルボード。

そのブルボード誌が、テーブルに沢山置かれていた。

訊けば、Pが大量に送ってきたのだと、第一課のアイドルが云う。

一目見ただけで判る、明らかに日本のものではないそれ。

アメリカの雑誌特有の匂い。

日本の書籍とは異なるデザインセンスや、開く方向。


――その表紙に、凛が載っていた。

Special Features : RIN - the entertaining giant from the Far East. の見出しと共に。


2014年に西海岸へ上陸し、ロサンゼルスを拠点にアメリカのショービズ界に風穴を開けた新人、渋谷凛。

無謀とも云える渡米を行ない、充分な後ろ盾もない状態にも拘わらず、地道に芽を伸ばし、
ついにはAmerican Top 40の上位を賑わせるまでになった、かつての日本のトップアイドルにフォーカスを当てた記事だ。

当然全て英語なので、未央は細かい部分まで正確には理解できないが、貪るように読んでいく。


――ただの普通の高校生だったこと。

――大きく迷い、惑ったこと。

――日本でトップアイドルに駆け上がったこと。

これまでの軌跡などが、インタビューを交えて記録されている。


日本でアイドルをしていた――それだけでは、アメリカじゃ、やっていけない。

アメリカで成功できた理由は、一に努力二に努力、三四に努力、五に才能。そして、人々の支え。

日本とアメリカの習慣の違いに戸惑ったことなどにも触れられ、

それら中身は一見重いが、インタビュアーとの軽妙なやり取りが印象的だ。


ハリウッドやシリコンバレーと云った、最先端へ常に触れられる環境だからこそ湧くインスピレーションや、

西海岸特有の制作環境の心地よさ、そして何より、愛する人が傍で導いていること。

それらが自らのモチベーションを高めてくれる、と語っている。


聞き手は、今後の展望は? と訊ねるが、

凛は、未来のことはわからないし、わかってても秘密、と、はぐらかしたようだ。


未央たちにとって、それは今最も知りたい情報の一つであった。

事実、CGプロの人間は誰も、凛とPが今後どうなるのか、聞かされていないのだから。

唯一それを知っている社長は、未だ誰にも話さない。


お預けを喰らった犬のように残念がりながら、未央はページを捲った。



そして、記事の最後には。

――『貴女の信念とは何か?』







「I'll never say ... NEVER」  私は――負けない。






ちょっと短いですが、今回分はここまでです

フィナーレと見せかけて、まだ終わりではありません
次回完結、ご期待ください
エピローグは、もうちょっとだけ続くんじゃよ

>>730
そんな中、日本のアイドル界に日高舞が帰ってきた
とかトンデモ展開じゃなくてよかったわ(棒)

ああ^~
主の文章力としぶりんたまらないんじゃあ~


メシ食ったらまもなく再開します
今回で完結、見届けてやってください

>>742
日高舞が帰ってくるとバトルものに変貌する予感

>>743-745
ありがとうありがとう。最後まで頑張ります






====================







PERSONAL DATA

□□ 凛 RIN (UNDEFINED)

AGE
 ――24 years old
BIRTHDAY
 ――10 Aug.
HEIGHT
 ――166cm
WEIGHT
 ――46kg
VITAL STATISTICS
 ――85-58-84


IDOL RANK
 ――S:extreme idol


――彼女は、落ち着いた美声と佇まいを持っていた。

――彼女は、類稀なる美貌とオーラを持っていた。

――彼女は、すらりと伸びた脚、絹のように輝く長い黒髪を持っていた。

――彼女は、女としての武器が特定部分に偏っていない、バランスの良いプロポーションを持っていた。

――彼女は、輝く世界に魔法をかける素質と、努力の才能を持っていた。


彼女は――まさにトップアイドル、否、アイドルを超えた存在となる運命を背負って生を授けられた人間だった。




・・・・・・・・・・・・


2019年 初秋


ここは神宮外苑、新国立競技場 ――オリンピック・スタジアム。


つい先日竣工したばかりの、我が国が誇る最新最大のスタジアムだ。

開演前にも拘わらず、会場全体に歓声が響き、

八万人のキャパシティを、観客と、蒼いサイリウムが埋め尽くしている。


およそ五年前、日本アイドル界頂点の座を掻っ攫い、
そしてそのまま突如アメリカへと羽ばたいて行ったトップアイドルが、再びこの地を踏んだ。


スタジアムのゲートに華々しく踊る文字。


 ――渋谷凛 2019 凱旋公演――



「もう姓は変わってるのに、渋谷凛って呼ばれるの、なんかヘンな感じだね……」

「ここ数年、向こうでは 『RIN』だけで通してたもんな。
 でも、ファンにとっては、苗字が変わっても、アイドルからアーティストに変わっても、
 お前は永遠に渋谷凛であり、『しぶりん』なんだよ」

「そうだね。本当はあなたの苗字で呼んで貰いたいけど……まぁ、旧姓を一種の芸名だと思うしかなさそう。ふふっ」

24歳になった元トップアイドルは、舞台袖で開演時間を待っている。

社長との約束通り、海の向こう、世界最大の芸能市場で結果を残して、堂々と胸を張って帰って来られた。

再び日本で、今度は、アイドルから更に一歩進んだエンターテインメントアーティストとして活動を復帰させる。

その足掛かりが今回の凱旋公演だ。


八万席もの余裕があるにも拘わらず、入場券は即時完売、超プレミアがつくプラチナチケットとなった。

その話を聞かされたときの凛は、ほっと胸を撫で下ろしていたが、プロジェクトに関わる者たち、
特に執行部のPやCGプロ社長は、当然の結果だねと驚くことはなかった。

「みんな、まだ、私のこと憶えててくれたんだね」

「そりゃそうだろう。アメリカでの活躍ぶりは海を越えて伝えられていたし、
 それに、これほどセンセーショナルな娘を忘れることはないって」

トップになったと思ったらいきなり姿を消しちまうなんて日高舞以来だからな、と笑いをこらえて話すPを、凛はぽかぽかと叩いた。

「もう! それはあなたのせいでしょ!」

「ははは、すまんすまん勘弁してくれ」

Pは苦笑しながら軽く降参の姿勢を取った。

「そんなお前が日高舞と違うのは、引退したのではなく、活動の場を変えたと云うこと。
 そして、再び舞い戻って、もう一度、更に進化した姿を披露できると云うことだな」

ゆっくりと腕を組んで告げる。

――お前はもう、日高舞を超えたと云っていい――


凛は目を閉じて胸に右手の拳を当てた。

「私が……日高舞を……」

「そう、そしてこれからは、この古巣のCGプロを拠点として、世界中へ同時に発信していく。
 日本の芸能界だとか、アメリカのショービズ市場だとか、そんな観点はもはや要らん。全世界がお前の舞台だ」

頷き、瞼を開けた凛は不敵に笑った。


「でもバックダンサーにCGプロ全員を動員してくれるなんて、社長随分と太っ腹だね。
 今回はCGプロ公演じゃなくて、名目的にはあくまで私――凛の単独でしかないのに。ノーギャラだよ?」

「まったくだ。ま、社長ならではの祝賀会ってところだろ。
 俺もチーフプロデューサーとしてCGプロに復帰するし、ようやく社長の構想が実現できそうなんだ、そりゃ祝儀も弾むさ」

凛とPは翌日付けでCGプロへ復帰する。

CGプロが芸能界の足場を更に固めるための、社長のかつてのプランが、今、具体化に向け走り出していた。

「お前が俺を追って日本を飛び出てきたのよりも後に所属した奴らは、緊張のあまり心臓吐きそうな勢いだったぞ。
 一番肝っ玉が据わってそうな結城晴でさえな」

Pが先ほど控室の様子を覗きに行った際のことだろう。

状況を想像して、凛は若干気の毒になった。

「なんかちょっと可哀想なことしちゃったかも」

「なーに、後進にとって、今回はいい経験になるさ」

Pは回れ右をして、首から上だけ凛の方へ向けた。

「お前は、事務所で常に背中を見せる立ち位置にいる運命なんだよ、きっと」

とんとん、と自らの背中を人差し指で叩いて、笑う。


――

開演の時刻、舞台上では、それぞれ日本アイドル界のトップを張っている、卯月、未央、加蓮、奈緒が一堂に会している。

これも通常では考えられない、豪華なメンバーの共演であった。

「私たちの!」

「仲間が!」

「この日本に!」

「帰ってきたぜ!」


観客のボルテージが、地鳴りのように、どんどん上がっていく。


「準備運動は、懐かしいナンバーから始めましょう!」

「うんうん、『お願い!シンデレラ』行っちゃうよ!」

「私たちも手伝うからねー!」

「それじゃあ皆で呼ぼうぜ! せーの!」


 ――しーぶりーん!!


さあ、世界に、輝く魔法をかける時間だ。

「よし行ってこい。ブルボード上位常連の威力を、故郷の島国にぶつけてやれ」

力強く、大きく頷く凛の背中を、ぽん、と叩いて、眩い輝きを放つステージに送り出す。


が、やおら凛はPを向き、出しなに彼の耳元へそっと手を添え、

「そうだプロデューサー、……三箇月だって。ふふっ……」

そう囁いた。

一瞬のタイムラグを経て、Pが驚愕する。

わざわざ今それを云うか。凛め、タイミングを狙ってたな。

「おまっ、土壇場でプログラムから激しいナンバーを減らした理由はそれか!」

凛は、答える代わりに、笑ってウインクを返し、コンコードを担いで舞台へ走っていく。

Pはやれやれ、と降参し、両手を挙げる。


「観客の熱狂に気圧されるなよ!」



「もちろん。


 never say ... NEVER!」



そして、歓声が、更に大きな喝采となり、唸りを上げる――――



~了~



平安時代、人々は歌(和歌)で恋のやり取りをしていました。
そんな人間模様を渋谷凛の世界で描いたら――と云う作品は、ひとまず、これにて終わりです。
長い間お付き合いくださってありがとう。

おわっったああああああああぁぁあ
『くぅ~疲』って書く人の気持ちが判ったよ……
そして東京五輪開催万歳

いやはや、まさか半月かかるとは予想だにしませんでした
読み返すと表記揺れが激しかったり、云い回し表現等が拙い処も多々あったりしましたが何卒ご容赦を

構想初期の主テーマは単純にクールで熱くて可愛いくてちょっぴり泣き虫なしぶりんを書きたいだけだったのにどうしてこんなに長くなった
まさか1万行超え、16万文字に迫るとは……


こぼれ話:
『自然派の春香&人工的な凛』と云うのは、
かつてそう呼ばれ対比されていたキャンディーズとピンクレディーにヒントを得ています


三時間でこしらえた即席ですが、エンディング代わりに置いときます
https://soundcloud.com/shiburin/iolite


リアルタイムで追いたかった
もしかして初作?
酉でググってもここしか出てこないんだ
他に書いたのがあったら知りたい

完結して数日経つのに未だコメント頂けるとは冥利に尽きます
ありがとうありがとう

>>780
モバP「凛が目覚めた?」
モバP「凛が目覚めた?」 - SSまとめ速報
(http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1376081939/)
モバP「そうだ、北海道いこう」
モバP「そうだ、北海道いこう」 - SSまとめ速報
(http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1376733077/)
今まで書いたのはこの二つですが、後者はSSの名を借りた雑談スレです(小声)

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