泉「それでも、私は」 (148)

認めたらダメだ。
理性ではわかっている。

「じゃー今日のミーティング始めるで!」

わかっている。のに、

「インハイ終わったから、代替わり準備やな。部長は浩子は決まりや、他決めようか」

どうにも、惹かれてしまう。

試合中の勝利に向かい全力だった姿に。
普段のあどけない笑顔に。
その、優しい瞳に。

「……ん?怜?キツいんならおいで」

その瞳は……私を写してはいないけれど。

SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1378964513

私、二条泉は、
同じ部活の部長である清水谷先輩に惹かれていた。

いつからだろう。もう覚えてもいない。

新入部員の前で挨拶した時の、キリッとした顔。
大ポカをやらかして、慌てふためく顔。
レギュラーに決まった時、自分の事のように喜んでくれた、笑顔。

どんな先輩の表情でも、
1つ1つが綺麗で、見惚れてしまう。

…でも、先輩には、恋人がいる。

この真面目なミーティングの最中でも、
ついつい膝枕してしまう程に、深く愛している人が。

園城寺先輩。

体は弱くて、儚くて…それでも、心は、強い。
私だって、支えてあげたくなるし、守ってあげたくなる。けど……

(なんで、清水谷先輩なんや…)

園城寺先輩の傍に居るのは、いつも清水谷先輩。
逆を言えば、清水谷先輩の傍にはいつだって園城寺先輩が居て。

二人の距離は本当に近くて、
もう入る隙なんて見つからなくて。

私は、今でも、遠くからこっそり先輩を想うことしか、出来ていない。

新体制についての話し合い、確認、
オータムのレギュラー会議。
会議は淡々と進んでいく。

会議の内容は理解してるのだけど、
なんとなく言葉が入ってこない。

先輩の綺麗な横顔を、
なんということもなく、見つめていた。

――

それからしばらくして、
清水谷先輩はが晴れやかな笑みを湛え、顔を上げた。

「…こんなもんかな!じゃあ今日のミーティングは終わりにします」

「「ありがとうございましたー」」

統一された美しい挨拶。
伝統校を感じさせる一瞬。

その直後。

「……さて、怜、帰ろう?」

毎度のことだ。
練習が終わるのと同時、
清水谷先輩は園城寺先輩に手を伸ばす。

「……………うん」

その手を握り、二人は帰って行く。
毎度、毎度のことだ。

「先輩達、ホント、おアツいねぇ」

「ほーんと、ラブラブだよね」

同級生達が冷やかしているけど、
全く耳に入っていないようで、
二人は仲良く、部室を出ていった。

(今日は…『お疲れ』って、言ってくへんやったな……)

隣に居たいとは思わない。
恋人になれるとも思っていない。
ほんの少しの挨拶、
今の所は、それしか望んでいないのに。

(やっぱり、一部員でしかないんやろうな…)

私は、バレないように少しだけ、唇を噛み締めた。

「泉ー」

声をかけてきたのは次期部長、
いや、正式にはもう部長の、船久保先輩。

「インハイの牌譜整理手伝ってくれん?」

ニヤついた顔。
拒否権はないのだろうけど、

「えー……」

一回くらいは抵抗してみる。

「先輩の言うことは素直に聞くもんやで?」

ほら、やっぱり。
変な盗撮写真をチラつかせて、有無を言わさない。
いつもの先輩のやり方。

「…わかりましたよ」

「なかなか、聞き分けのええ子やな」

そう言ってまたニシシと笑う。
この人の不気味な笑いに、なぜか安心する。

ドヤドヤと皆帰っていって、今は船久保先輩と二人。

黙々と学校ごとにファイリングを行い、
インデックスを付けていく。

船久保先輩は、タブレットを弄りながら、印刷機の隣に座っている。
きっと、Bブロックの牌譜を作成しているのだろう。

先輩の様子を横目で見ながら、
どんどん牌譜を片付けていく。

「次………は、と」

手に取った牌譜。
準決勝の、清水谷先輩の牌譜。
喰いタンを上がっている局だ。

今見ても、よくわからない手順。
しかも、点差もあるのに、1000点って。

なんか……これ、まるで……

「未来が見えてたみたいよなぁ」

「!」

いつの間にか後ろにいた船久保先輩が、
私の手の牌譜を仰視していた。

「な、まさか。…園城寺先輩やあるまいし」

「ありえへん訳やないと思うで?」

「人の能力をコピーするんが、ですか?」

「……まぁ、絆の力で能力が開花するってのはようある話や」

その、『絆』という言葉に、ドキリとする。
先輩達は、もうそんな領域にまで、絆を深めていたんだろうか。

しかし、それよりも。

『愛』という言葉を使わなかった船久保先輩に、ドキリとした。

船久保先輩、ひょっとして、

「………あの、」

「ん?」

「へ、変なこと聞いてもええですか?」

「えー、…ええけど?」

「…恋人が居る人を、好きになったら……どうすれば、ええんですかね?」

「………………」

先輩は、無言で下がった眼鏡を ずり上げる。
夕日が眼鏡に反射して、先輩の表情はよくわからない。

「…………そうやなぁ」

先輩の口が開いた、その時。
大きく、部室の扉が開いた。

「泉!浩子!……ここにおったか!」

夕日で真っ赤に染まった江口先輩。

「先輩?どうされたんですか?」

いつもとは少し様子の違う江口先輩。
震えているような、泣き出しそうな、そんな顔。

「お前ら……落ち着いて、聞けよ……?」

「はい……?」

先輩は静かに深呼吸した後、
ゆっくりと、言葉を喉から絞り出した。

「…怜と……竜華が…事故に………」

「………………え?」

「怜は軽症やけど…竜華が怜を庇って…今意識不明の重体らしい」

「…わかりました、病院は?」

「タクシー止めとる!こっちや!」

「泉!?何突っ立っとるんや!行くで!?」

船久保先輩に手を引かれ、走り出す。

見慣れた廊下、階段、玄関。

全てが、録画された映像のように、無機質に思えた。

清水谷先輩が、事故に、遭った。

その言葉だけが、頭の中を駆け巡っていた。

ここまで。

怜 「絶対ふとももなんかに負けたりしない!!」キッ
怜 「絶対ふとももなんかに負けたりしない!!」キッ - SSまとめ速報
(http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1378067059/)
のリクエストより書き始めた番外編です。

向こうとは全く無関係ですけれど、一応お伝えしておきます。

なすがままにされるうちに、病院に辿り着く。

目の前に光る、『手術中』の文字。
否応なく、現実を認識させられた。

その光の下には、先輩の家族とおぼしき人、
そして、泣き腫らした顔の、園城寺先輩が居た。

「っ………あ、みんな……」

「怜……お前、怪我は……?」

「…擦り傷だけやから……だいじょうぶ。それより、竜華が………」

先輩は溢れでる涙をまた拭う。
その仕草を、幾度となく繰り返しているのだろう。
目尻が真っ赤になっている。

一方の私はというと、
どこからそんなに涙が出るんやろ、なんて、
ひどく冷めたことを考えていた。

園城寺先輩が涙を拭い、
江口先輩が慰め、船久保先輩が唇を噛む、
そんなことが10回ほど繰り返された後だったか。

ランプの光が、消えた。

先輩達や親御さんが一気に立ち上がる。

「先生!娘は………!?」


「…命に関わる状態は過ぎました」

「奇跡的に骨折もありませんし、体の傷はすぐに直るでしょう」

その言葉で、張り詰めた空気がプツリと切れるのを感じた。
ほう…と息を吐き、それによって体の力が抜けてゆくのがわかる。

「……ですが」

しかし、また、張り詰めた空気が返ってくる。

「…頭を強く打っいるようなので…意識が戻るかどうかは……保証できません」

「そん、な………」

崩れ落ちる母親らしき人、そして、園城寺先輩。

こんな時でも、私はなぜか、冷静だった。

「………今日は、帰り?親御さんが心配するやろうから」

先輩の父親らしき人が、私達に声をかける。
まだ先輩達は呆然としていて、
何も考えてはいないみたいだった。

「………はい。…ほら、帰りますよ」

今度は、私が、先輩達の手を引く。
タクシーに、4人で乗り込む。

もうすっかり暗くなった外は、
静かに私達の乗るタクシーを暗闇に引き込んで行った。

続きはまた明日。

階段を一つ登って、左にまっすぐ、一番奥の個室。
『清水谷 竜華』のプレートは、もう確認もしなくなった。
私は慣れた手つきで病室を開く。

「こんにちはー」

「あら、泉ちゃん、また来てくれたん?」

病室にはおばさんが一人、笑いかけてくれた。

「はい、まあ用もないので」

清水谷先輩が事故に遭って今日で1週間。
私は、テスト週間なのも相まって、
授業が終わるとここに直行していた。

「嬉しいわー、怜ちゃんやセーラちゃんもよう来てくれるからねー」

先輩らは、受験勉強の合間をぬってここに通ってるらしい。
船久保先輩は…部長業と模試で忙殺されており、あまり来てはいないみたいだ。
まぁ、来たって話も出来へんしな。

「ほんま…みんな来てくれるんやから、早く、起きればええのに……なぁ」

おばさんは、悲しそうな目で、先輩を見やった。

先輩は左肩の裂傷と、
左こめかみの切り傷以外に目立った外傷はなく、
髪の毛だってあの時のまま、綺麗なままだった。

おばさんは少し目を伏せると、また笑顔でこちらに向き直る。

「……あ、せっかく来てくれたんやから、何か飲み物買うてくるわね?」

「いやいいですよ、そんな」

「えーからえーから!ゆっくりしといてー?」

そう言っておばさんはパタパタと出ていった。
飲み物を買うためか、娘の顔を見ているのが辛くなったのか。
そんなこと、私にはわからないけど。

すこし持て余した病室内。
呼吸で微かに上下する布団に、なんとなく安心しながら、
先輩の目を塞ぐ綺麗な睫毛や瞼を眺めていた。

「………あ、泉」

「…園城寺先輩?」

開いた扉を見ると、見慣れた人影。
お互い、毎日病室に来てたんやろうに、
会うのは1週間ぶりやなんて、おかしいな。

「…久しぶり、やな。来てたんか」

「はい、…心配、ですから」

「……まぁ、そやな」

…会話が途切れる。
点滴のモーター音が妙に響く。

「あらー、怜ちゃんも来たの」

「あ、こんにちはー」

静かな病室内におばさんが戻ってくる。

「オレンジジュース三本買って丁度よかったわー。はい、これ」

おばさんからジュースを受け取った。
園城寺先輩は、差し出されたジュースに目もくれず、
ベッドの上の人物を見つめていた。

「………竜華…!」

振り向くと、虚ろながら目を開いた清水谷先輩。
焦点の合わない目で、私や園城寺先輩を確認している。

「先輩っ!」

「な、ナースコールや、泉」

「はい!」

それから一気に病室は騒がしくなった。
おばさんはおじさんに電話して、
担当医の人と看護師の人がいっぱい来て狭くなってきたので、
私と園城寺先輩は、廊下に出ることになった。

病院の廊下のベンチで、女子高生が二人、
オレンジジュースを飲んでいる。

なんか、ヘンな光景やな。
これ、歩くのが辛いおじいさんとかが休むベンチやのに。

こくこくとジュースを飲んでいると、
先輩がゆっくり、口を開いた。
目には、安堵のためか、涙が浮かんでいた。

「……良かった、な」

「…そうですね」

「意識戻ったら…退院できるんかな?」

「そうなったら…いいですね」

また無言。
私はジュースの缶を傾けた。
もう飲みきって中身は無いけれど、
最後の雫を喉に垂らす。

どのくらいの時間たっただろうか。
窓の外では、日がビルの奥に沈んでいくのが見えた。

おかしい。
意識が戻った、それだけでこんなにも時間が必要なのだろうか。

「怜ちゃん……泉ちゃん」

どやどやと看護師さんが出てきて、
最後におばさんが顔を出した。
その顔は、何故だか絶望のようなものを含んでいる気がして、
私と園城寺先輩は顔を見合わせた。

静かに病室に入る。
いつの間にか来ていたおじさんと、
担当医の先生だけが中に居た。

その真ん中に、呆けた顔の、清水谷先輩。

「先輩………」

「竜華…………!」

感極まり、先輩に駆け寄ろうとするも、
暗い瞳をしたおじさんに阻まれた。

「……えっと」

「ああ、大丈夫ですよ。少し休んでいて下さい」

何か言いかけた先輩の言葉を遮って、
担当医の人が私達に向き直る。

「すこし、別室でお話しましょうか」

通された部屋で聞いた話は、
おばさんの絶望した笑みも、
おじさんの暗い瞳の理由も、
何もかもをわからせてくれた。

そして、私達を、悲しみに突き落とす事実であった。


全生活史健忘。

いわゆる、記憶喪失、らしい。
色々と段階はあるのだけれど、
清水谷先輩は、かなり重度。

一般常識を除いたすべての記憶が吹っ飛んでいるそうだ。
自分の顔も自分のものだと思えないほど。
言葉のイントネーションで、辛うじて自分が関西出身だと認識したそうで。

それから、色々な説明を受けたけど、正直、よくわかっていない。

「…記憶が戻るかはわかりませんが、戻る確率はかなり低いとみていいでしょう」

唯一、頭に残ったセリフ。
しばらくは口調まで真似て話せるだろう。

「ショックを与えたら戻る、なんて、簡単なものではありませんから」

「日々の生活の中で、徐々に取り戻して行くしかないですね。その確率もかなり低いですが」

戻らない。

記憶が戻らない。

私の知っている、清水谷先輩は帰ってこない。

病室に戻った。
親御さんは出ているようで、
清水谷先輩は視線を窓からこちらに向けた。

「………えっと、先生に、話聞きました?」

頭を掻きながら、困った笑顔で、
こちらに問いかける、先輩。

園城寺先輩は、未だに言葉を失っていた。
仕方なく、私が答える。

「…はい。記憶が無くなったそうですね」

「……そうなんです。…あなた達は、誰ですか?」

「二条、泉です。部活の後輩です」

「二条さん、ね。それで…」

園城寺先輩をチラリと見たが、涙目で震えていて、
とても話せる状態ではない。

「…ああ、こちらは園城寺怜先輩です。先輩とは同級生ですよ」

「園城寺さん…はじめまして」

優しい笑顔を投げ掛ける。
初対面の人にはいつもこの笑顔だ、この人は。

「……竜華」

園城寺先輩の喉の奥から掠れ出た声。
小さな声だったけど、先輩にはちゃんと届いたようで。

「…ああ、それ、私の名前らしいですね。まだ慣れないけど」

照れたように頬を掻く清水谷先輩。
園城寺先輩はもう堪えられないようだった。

「……と、今日は遅いですし、もう帰りますね?」

「わざわざ来てくださって、ありがとうございます」

「いえいえ……では、また」

体を震わせ動かない先輩を抱えて、
私は病室を後にした。

帰り道。
というか、病院を出て、すぐ。

「泉………泉…!」

園城寺先輩は、私にすがりつき、
堪えていた涙を溢れさせた。

「先輩…………」

頭を撫でようとして、思いとどまる。

(手ー出したら、怒られるかもしれへん…)

こんな時まで、気を使ってしまう自分がいた。

「もうっ、ウチ…どうすれば……っ」

嗚咽の合間に、あふれ出る、園城寺先輩の声。
私は、何て、言葉をかければいいのだろうか。

「…でも、記憶が戻らないって、決まった訳ではないんですし」

口から出たのは、とても無難な言葉だった。

「…………ウチの……せいでっ…………!」

それでも涙の止まらない先輩に、
また無難な言葉を重ねようとした時、

頭の中で、鳴り響いた。



『そうだよ、園城寺先輩のせいやん。
先輩が、事故に遭いさえしなければ、清水谷先輩は記憶失わんで済んだのに。』

突然現れた心の声に、驚く。
凄く汚い言葉、でも確かに、私の声。

(……ちゃう、私はそんなこと思ってない)

小さくかぶりを振る。

「園城寺先輩のせい、なんかじゃ、ないですよ」

そして改めて、かけようと思っていた無難な言葉を吐き出した。

「今は、側に居ましょう?清水谷先輩にとってみれば知らない人に囲まれてるようなモンやんですから、仲間になってあげましょ?」

「…………」

先輩は、納得したのか、していないのか、
しばらく黙り、泣き続けていた。

辛そうな顔で病院から出てきた人。
いつこちらに来たのだろう、江口先輩が立っていた。

「お前ら………」

「…先輩」

「記憶喪失…らしいな」

「………はい」

江口先輩の目が潤み、それに慌てたように首を振って、今度はこちらに笑いかけた。

「…ま、意識戻ったんやし良しとしようや!俺らが辛気臭くなってもしゃあないやん!」

…その笑顔、かなり無理ありますよ?

そう伝えようとしたが、
言葉が出てこなかった。

家について、自室のベッドに寝転ぶ。
良くわからない感情を全部出してしまおうと、一つ、ため息を吐いた。

(…園城寺先輩、ずっと泣いてはったな。)

まあ、当然か。
今まで一緒に過ごしてきた6年という月日が
自分を守ろうとしたために真っ白になってしまったのだから。


『今が、チャンスやん』

……ん?
また、心の中で言葉が芽生えた。

『清水谷先輩の思い出は、
私が会わなかった15年分まで含めて、真っ白や。
ということは、今から真っ白な先輩に色を塗ればええんや。』

……確かに。
先輩が記憶を失った今。
…園城寺先輩とも同じスタートライン。
今なら、園城寺先輩を追い越せるのかもしれない。

(って、何考えとるんや、私は!)

記憶を失った所につけこんで、先輩を出し抜くなんて…最低や。
頭をブンブン振って、最低な自分を追い出してゆく。

しかし、一度芽生えた黒い思いは、どんどん広がってゆく。

いつだか、最低な自分が、自分に取って代わっていった。

ここまで

翌日。
園城寺先輩は添削課題を出しに行った。らしい。
しばらく、こっちには来ないだろう。

私は、病室の前。
今、非常に汚い私の作戦が、始まる。

息をついて、病室を開く。
親御さんもいなくて、今日は先輩一人だった。

「…『竜華』、先輩、こんにちは」

静かに、声をかけた。
もう戻れない、一歩を踏み出す。

そんな私の決意なんて気づきもしない先輩は、
いつもの優しい笑顔を私に向けた。

「?あ、二条さん、だっけ」

「はい、今日は体調はどうですか?」

「うん、元気。ありがとう」

「いえいえ。あ、お花換えときますね」

花瓶の花を買って来た花にとりかえる。
…これ、園城寺先輩が買って来た花やな。
その花を新聞紙に包んで、紙袋に入れた。

「………あの、」

先輩が声をかけてくる。
振り返ると、見慣れない携帯を握って、困った顔をしていた。
あの携帯、先輩のやないけど…なんや

「何ですか?」

「私ね?まだ自分の交遊関係がわかってなくてさ…」

ああ、あの携帯は代機だ。事故で壊れたって言ってたっけ。
メールも、写真も、全部残っていない。
バックアップを取っていたアドレス帳だけが、先輩の唯一の記憶の手がかり。

「このアドレス帳の人達のこと、わかる範囲でいいから、教えて欲しいんだけど……」

頬を掻いて申し訳なさそうに言う先輩。

「…はい、わかりました」

それくらいは、お安い御用です。

「私が分かるのは…ここ、江口先輩からですね、
この人は竜華先輩の同級生で…」

つらつらと口からついてでる先輩の説明。
頭に浮かぶのは、普段のはにかんだ笑顔を浮かべる先輩だった。
…先輩、昨日もずっと辛そうだったけど…元気になったかな?

「………ふーん、あの学ランの子かぁ」

顎に手を当て、メモ帳に『江口セーラ、麻雀、学ラン』を記入する先輩。
大真面目にそんなことを書いている先輩に、ちょっと笑ってしまった。

「ふふっ、で、次……………は……」

「え」の次は、「お」
江口先輩の下にあったのは、見慣れた名前。
今は、見たくなかった名前。

(園城寺先輩……か)

「園城寺さん…ああ、昨日一緒に来てた子だよね?どんな人?」

先輩は、キョトンとした顔で私を見つめる。
非常に無邪気で、純粋な瞳だった。

「園城寺先輩は……」

『チャンスやで。今の所、先輩が信じられるのは、私の言葉だけ。
私が、好きなことを吹き込むことができるんや。』

最低な自分が、どんどんと暴れだす。

「……先輩のクラスメイトで、麻雀部のエースでした」

口を出たのは、無難な言葉。
すんでのところで、理性が勝利したようで。

「へぇ、強いんだね」

「体は…少し病弱ですけど、インハイのために、頑張ってくれました」

「なるほど、良い子っぽいしね」

「………………(ほんで…)」

…この人は、竜華先輩の恋人です。

そう伝えたらどうなるのか。
後輩として、伝えるのが正解なのだろうけれども、
どうにも、その言葉を口にするのが怖かった。

「二条さん?」

私は、どうやっても、できなかった。
覗きこんでくる清水谷先輩に笑みを返し、続ける。

「…あ、すみません。次ですね…えっと」

「わ」行まで見終わって、先輩を見据える。

「………これで、私が説明できるのは、全部ですね」

「…なるほど、ありがとう」

小さなノートに書いた情報を眺めながら、
清水谷先輩はつぶやいた。

「いえいえ、半分も説明できなかったですし」

「いや、助かった………それで、さ」

ノートを閉じ、こちらに向き直る先輩。
その赤い瞳に、吸い込まれる。
まるで麻雀の最中のような、妙な冷たさを含んでいた。

「はい?」

「…二条さんは……私の、何、なの?」

「…………」

言葉が出てこない。
先輩の質問の意味するところは分かる。
一番、聞かれたくなかった所。
どうやって、答えたらいいのだろう。

しばらく考えるうちにも、
先輩は静かにこちらを見据えていた。
妙に冷たく、そして鋭い瞳で。

やっとの思いで、出した、言葉

「ただの、後輩、ですよ…………でも」

無難な言葉、だけれども

「……私にとっては、大切な人です」

先輩に、含みを持たせる言い方。
やっぱり、私は、ズルいのかもしれない。

「そっか…ありがと、二条さん」

『二条さん』と呼ばれるのも、辛くて、
つい、口に出ていた。

「………『泉』です。そう呼んでもらってました」

ずるがしこい計算などない、本心の言葉。
清水谷先輩は少し驚いた表情を浮かべていた。

「わかった…泉、ね」

でもまたすぐ、営業用の優しい笑顔に戻る。
先輩の警戒心は、まだまだ解けてはいないのだろう。

「…じゃ、今日は、帰りますね」

ぼちぼち園城寺先輩が来てしまう。
余計なことがばれないように、帰るのが得策、だと思う。

「うん、またね」

ベッドから手を振る清水谷先輩。
やっぱり、綺麗。


誰にも、渡したくは、ない。

なかなか進まなくてごめんなさい
また明日。

(泉、ね………)

泉が帰った後、
私はしばし、考えていた。

私が意識を取り戻した後、
何人もの人がやってきた。

母親だと名乗る人、父親だと名乗る人、
その他、親族と名乗る人が大勢。
友達、という人も来た。
まあ、誰一人知らない人だったのだけれど。

自分が記憶を失った、ということを、
私は案外素直に受け入れている。

だからまずは、この人たちを1から覚えなおす作業に集中しようと思った。
私が前のように接すれば、向こうも前のように接してくれるだろう。
そうしたら、何か思い出せるかもしれない。

その中で、現れた人。
二条泉。
自分が恋愛をしていたのかはわからない…けれども。
明らかに、あの子は私を想っていたようで。

恋人だったのだろうか。
それとも彼女の片思いだったのだろうか。

でも、今はとりあえず。
気付いてないフリをしておこう。
自分の交友関係をもっと知る必要がある。

うん、と、一つ頷いて、
今日の夕食は何かなと献立表を探していると、
扉が叩かれた。検温かな?

「どうぞー」

そう声をかけて出てきたのは、
…えっと、昨日会った………

「……あ、…の」

「こんにちは、園城寺さんよね?」

思い出した。園城寺さん。
クラスメイトで、麻雀部エースで、病弱。だっけ?

「う、うん」

ちょっと虚を突かれたように、その子は頷く。
良かった、当たっていた。

園城寺さん、は、
困ったように目を泳がせ、
そして決意したようにもう一度こちらを見た。

「えっと…竜華って、呼んでええ?」

「勿論。先生にも、『前のように接するのがいい』って言われてるから」

言われてないけど。
まあ、私がそう思っているし。

「そっか…なら、普通に接させてもらうで」

安心したように、初めて笑顔を見せてくれた。

…なんや、可愛いな。この子。

何気なくでた自分の心の声、その口調を聞いて、思い出した。

「そっか、私関西弁使うんよな」

「せや!生まれてこの方大阪一筋やで」

「ふふ、なるほどなー」

そこからしばらく、他愛もない話をした。
園城寺さん、とあと学ランの江口さんとは中学からの付き合いらしく、
色々な思い出話を語ってくれた。

江口さんは見た目通りとても活発で男勝りらしく。
その人の話は突っ込みどころ満載で。
二人して、ずっと笑っていた。

そして、園城寺さんが、関西弁でどんどん話すから、
自分の口から出る言葉も、ついつい関西調になっていく。
なるほど、これが私なのか。

笑い疲れて、日も傾き始めて。
そろそろ、帰らせなきゃ、と、園城寺さんに笑顔を向ける。

「あー、めっちゃ笑ったわ。ありがと」

「うん、まだまだあるからな、語ったるで」

「うん………あ、そういえば」

割と仲良くなった園城寺さん。
一つだけ疑問だったことを、ぶつけてみることにした。

「うん?」

「私ってさ、なんで、記憶喪失になったん?」

特に何も考えていない発言だった。
階段から落ちたのかなー
江口さんって人とはしゃいでてこけたりしたのかなー
そんなくだらない理由だと思っていた。

すると、急に園城寺さんの目が見開く。
あ、なんかまずいこと聞いたのかな…
そう思った直後、私は園城寺さんに抱きしめられた。

「………ごめん、竜華……」

震える声で、つぶやく園城寺さん。
左肩を触られてちょっと痛いけど、そんなこと言いだせる雰囲気じゃない。

「……………事故に遭ったのを、かばってくれて…」

ちらりと見えた太腿に、包帯が巻かれているのが分かった。
なるほど、交通事故でこの子をかばったのか。

「やのに、ウチ、こんな…そ知らんフリして……最低よな。
ごめん、ごめんな……ウチのせいで…」

どんどん、涙があふれてゆく園城寺さん。
ちょっとためらったけど、その頭を、撫でた。

「大丈夫や」

「え?」

「まぁ、私が守りたかったから守っただけやろうし」

その事実を聞いても、この子に憤りも何も感じない。
たぶん、私にとってそれだけ大切な子だったのだろう。

「とりあえず、今生きてるだけで、御の字やから」

そう言って、我ながら恥ずかしいことを言ったなと、頭を掻いた。

「りゅうか……」

「……ごめん、離してくれん?肩に傷あってさ……」

「………あっ、ご、ごめん…」

申し訳なさそうにパッと離れる怜。
ん………?今、私、なんて……

「………あのさ」

声をかけると、真っ赤になった目でこちらを見つめる怜。
なるほど、私は……

「怜、って、呼んでええ?」

「……………!」

驚いた顔。
お、正解みたい。

「………う、ん」

怜は顔を真っ赤にさせて頷いた。

「…ん、じゃ、怜。もう帰り?暗くなるから」

「……………わかった。またね?」

「はーい」

控えめに手を振って帰る怜。
それと入れ違いに、夕飯が入ってきた。

夕飯を食べながら、考える。

自然に怜のことを「怜」って呼べたのは、
記憶が戻っている感じがして、とても嬉しかった。
もうちょっとしたらやってくるであろう女の人を、
自然に「お母さん」って呼べる日も、すぐ来るかもしれない。

そして、新たに生まれた疑問。
怜は、ただの、幼馴染なのだろうか。
私には、そうは、思えなかった。

少なくとも怜は私に何か特別な感情を抱いている。と思う。
泉の時と比べてあまり確証はないけれど。

泉にも怜にも好かれるとか、私モテてたんやな…

うーん……

同じ部活の先輩後輩なら、
誘い合わせて二人でお見舞いに来てもおかしくはないはず。
なのに、わざわざ時間をずらして来ていた、ということは……
二人は仲が良くないのかもしれない。

お互いに相手の話をするのは、とりあえずやめよう。
うん、そうしよう。

そう決めたところで、女の人が来た。
「お母さん」だ。

一旦泉と怜のことは終わり。
今度は、この「お母さん」を、思い出そう。

つづく。

先輩が意識を取り戻して、2週間。

私は、園城寺先輩が自習している日は部活を休んで早めに、
園城寺先輩が病院に直行している日は部活に残って遅めに、
毎日先輩のお見舞いに行っていた。

おそらく、先輩に見つからずにお見舞いを続けることによって、
罪悪感を少しでも減らそうとしているんだと思う。

…なんや、ストーカーみたいやけど。

今日は、先輩は放課後すぐ学校から出ていった。
よし、部活に残って、病院には遅めに行こう。

「こんにちはー」

暗い部室を開け放つ。
誰にいうでもない挨拶も同時に放つ。

しかし、誰もいないと思っていた暗い部室に、一人分の人影があった。

「…………泉か」

眼鏡を光らせた、船久保先輩。
そういえば、まともに顔を合わせたのは、事故以降初めてだ。

「あ、お疲れ様……です」

「……挨拶やのうて、何か、言うこと、あるやろ?」

目の前にいる人は、
インハイ前の船久保先輩とは全く違う雰囲気を漂わせていた。

一言で言うなら、「部長らしい」。
貫禄と、思いやり。
見違えるほどの部長らしさを、部活で発揮しているようだった。

「清水谷先輩のことが、心配なんは、わかる。…やけどな、オータムも目の前に迫った今、一軍の泉が頻繁に休むのは…見逃せんで」

眼鏡の奥の、優しくて、冷たい瞳。
部員を叱る時の竜華先輩の目にそっくりだな。

「…わかって、ますけど……それでも、私は」

「……そうか」

その目を静かに伏せて、考え込む。
もう一度こちらを見た先輩の目は、潤み、揺れていた。

「なら……このオータムは、レギュラー降りてもらうで」

小さな声。
されど、毅然とした声。
私は、従うしかない。

私も、先輩も、望んでいないことであるけれど。

「…わかりました……すみません」

全ての申し訳なさを、無理矢理、『すみません』に詰め込む。

先輩にとっては最後のオータム。
先輩の考えるベストメンバーでいきたかっただろう。

その中には、光栄なことに、私も居たのに。

一時の感情で、船久保先輩の夢を無残に踏み潰した。
それも、恋人のいる人への横恋慕という、最悪の感情で。

…船久保先輩に、何も言ってはいない。
けど、どうせ、悟っているのだろう。
私が竜華先輩に恋していることも、
竜華先輩が記憶を失ったところに付け込もうとしていることも。

なんせ、千里山の頭脳やからな。先輩は。
でも、そんなことはおくびにも出さず、淡々と言葉を重ねる。
そういう冷静さは、昔ながらだ。

「……まあ、今日は、帰り」

「…………はい」

色んな言葉が溢れているのに、
表現出来ない。
向こうも、そうなのだろう。

変に話すのも言い訳じみてて嫌だ。
黙って、振り返って、扉に手をかけた。

「…………泉」

先輩が後ろから声をかけてくる。
私は動きを止め、次の言葉を待った。

「…居づらいなんて、思わんといてな」

罵倒が来るかと思っていたが、
先輩の声はとても優しかった。

「いつ戻ってきてもええ……私は、待っとるから」

振り返らなくてもわかる。
先輩の目には涙が伝っている。

本当に、最低だ。
先輩の期待だって、何だって、すべて踏み潰して歩いている。

それでも、私は…愛する人を優先する。

先輩の言葉に返すことはせず、
部室の扉を開いた。

「待て、怜!」

所変わって、学校から病院への道のり。
フラフラと歩く少女を、
全速力で追いかける学ランの少女が一人。

「……なんや、セーラ」

「お前、また、病院行くんか?」

不機嫌そうに振り返ったその目には深いクマ。
そして、普段から白い肌は、病的ともいえる青白さを含んでいた。

「………そやけど、なんで?」

「…もう、やめ。お前が倒れてまう……」

学ランの少女、江口セーラは知っていた。
この少女が、毎日見舞いに通い、
夜もまともに寝ておらず、
精神的に疲弊しきっていることを。

「………イヤや」

しかし、その少女、園城寺怜は、
表情を崩すことなく、そう告げてまた病院に向かおうとする。

セーラはその腕を掴み、強引に引き戻した。

「…俺、心配なんや……お前のこと」

やつれた目が、少しだけ見開く。
その目に宿るのは、驚きと、戸惑い。

「そんな、ウチは…」

「……お前まで、倒れてしもうたら…俺、俺、どうすりゃええねん……!」

言葉は尻つぼみで、ガラガラ声。
泣いているのが声だけでもわかる。

「……セーラ」

怜は、その親友に、そっと抱きついた。

「…だい、じょうぶ、やで……」

全く大丈夫でない声。

「いや、大丈夫って、お前……」

その細い腕の中で、再度病院に行くのを咎めようとした時、

彼女は、脱力した。

「………おい、怜?………怜!!」

目を瞑った怜。
セーラの必死の問いかけも、一向に届かなかった。

ここまで。
明日はこっち投下できないかもですごめんなさい。

静かに眠る怜。

ピッ…ピッ…という音に、
怜が生きているという実感を感じ、
ほう、と息をついた。

「センセ、怜は……?」

「んー、過労、ですかね」

あっけらかんとした、先生の声。

俺は思わず、傍の椅子に座りこんだ。

竜華と同じ病院の、別の棟。
そこに、俺と怜と、怜の担当医が居た。

「……命に別状は?」

「あはは、全然ないですよ……」

怜が毎回お世話になってる先生。

先生はのんびりと笑ったあと、
急にキリッとした深刻な顔になる。

…この人、いっつも表情の移り変わり激しいねん。

「……ただ、しばらくは絶対安静ですね。また無理したら、次は危ないですから」

それを聞いて、俺も引き締まった。

抜け出して、竜華の所に、なんて、
絶対行かせられへん。

静かに眠る怜を、絶対に守ると、
外の夕陽に、誓った。


――

――

来おへんな………

外の夕陽を眺めながら、ぼーっと考える。

意識が戻ってから、今日まで毎日、毎日。
「お母さん」と、怜と、泉は、病室に来てくれていた。

だけど、今日は。
起きてから今まで、誰も来ていない。

「お母さん」は、仕事に行っているらしいので、
来るのはもっと遅くだけれど。

怜も泉も来ないのは、珍しい。

やっぱ、毎日来るんは面倒やもんなぁ
仕方ないことやけど…寂しいな。

そう思った時。
ノックもなく、扉が開く。

「せんぱーい」

………あ、

「竜華先輩?調子はどないですー?」

にこやかな笑みを湛えた、泉。
思わず、私の顔もほころんだ。

「泉。会いたかったで……っ」

あれ。
何か熱いものが頬を伝う。

「せ、せんぱい?」

記憶を失ってから一度も流さなかったもの。

「っ……………ご、ごめん」

なぜ、涙が出ているのか。
溢れ出る感情がコントロールできない。

「…………先輩」

ゆっくりと抱きとめられる。
泉の胸の中で、切れ切れに、言葉を紡いだ。

「………今日、誰も、来なくて……不安、でな………」

なくなった記憶。
手がかりは、少ない。

泉、怜、「お母さん」、「お父さん」。

この人たちは、
過去の「私」を取り戻す上で、必要な人である、というのもあるけれど、
現在の「私」にとって、大切な人なんだと思う。

「…大丈夫です。私が、ついてます」

力強い言葉。
やはり、現在の「私」まで包括して愛してくれる人に、依存しているのだ。

「…………ありがと、泉」

静かに泉の背中に手を回し、そうつぶやいた。

――

――

「じゃあ、竜華先輩、私はこれで」

「……ん。ごめんな?今日はありがと」

竜華先輩の言葉がチクリと刺さる。

「お礼を言われることは何もしてないです。じゃ、また」

「……うん。バイバイ」

悲しい笑顔で手を振る先輩。
愛しいのに、見るのが辛くて、振り返った。


「はぁ…………」

病室の扉を閉め、思わずため息。

『よっしゃ、出し抜いたで。園城寺先輩を』

黒い自分の呟きに、もう一度ため息を返す。

(いや、最低やで……コレは)

船久保先輩に部室を追い出されてから、
喫茶店で適当に時間を潰し、病院へ。
そこで江口先輩から、園城寺先輩が入院したと聞いた。

『やった、これで先輩は竜華先輩に会えへんで』

その事実を聞いた自分の心の第一声は、これ。
完全に性根が腐っとる。

江口先輩と別れてから、園城寺先輩の病室には見向きもせず、竜華先輩の病室へ。

私を見て泣き出した先輩を優しく抱きしめても、嫌がられず。
それどころか、手を回され。

ずっと夢見ていたシチュエーションだったけれど、
私は何も嬉しくなかった。

これが今の竜華先輩の幸せかもしれない。
でも、かつての清水谷先輩にとって、……良いのだろうか。

答えが、見えない。

ここまでです。

(静かやなぁ…)

他に誰もいない病室。
昼下がり、目の前に広がるのは参考書。
一応受験生なんだから勉強もしないと、と、お母さんが持ってきた。

「ホンマ、余計なことだけ気が効くんやから…」

ため息交じりに出た言葉。お母さんを少し思い出したのを実感する。
それは嬉しいけれど、それでも、勉強は面倒くさい。
まぁ、「私」は割と賢かったらしく、
苦労なく問題が解けるのが救いやけどな。

とりあえず章終わったし、また明日でええわ。
参考書を閉じて横に追いやり、外を眺め、物思いにふける。

――泉に泣きついてしまってから、2週間が経過した。
あれから、怜はパッタリ来なくなったなぁ。
忙しいんだろうか。ただ面倒になったのだろうか。
なんとなく、心に穴が開いた気分。

それでも、少しずつお母さんのことを思い出したり、
泉と楽しく話したりするうちに、
その穴も徐々に埋まっていった。

残っているのはただ一つ、くすぶる疑問。

(結局、泉と怜は、私の何なんやろう。)

怜は来なくなったし、やっぱり親友だったのだろうか。
泉が毎日話しているうちに見せる寂しげな表情は何なんだろうか。

考え込んでも答えは出ない。
やっぱり、本人たちに直接聞くしかないかな…

扉の開く音。
まだ15時。泉が来るには早いし、検査も今日はない。
いったい、誰だろう。

「……………竜華」

怜。懐かしい顔。
私は驚きが隠せなかった。

「怜…………なんで、病衣……」

怜が身を包んでいるのは、
見慣れた病衣。
私も今着ているものだ。

「……えへへ、ちょっと、倒れてしもうて…」

恥ずかしそうに笑みを浮かべた。
その気を使っている顔を見て、何で倒れたのかすぐにわかった。

(無理して、見舞い来てたんか、この子……)

申し訳なさ、やるせなさ、いろんなものに支配される。
何か言おうとしても、喉が言うことを聞かない。

そんな私をよそに、怜は独り言のように話を続ける。

「……しょうがないんよ。ウチ、ちょっと病弱やから」

「…………」

「何黙ってるんや。『病弱アピールやめっ!』って突っ込むところやでー?」

儚い弱い雰囲気を漂わせながらも、軽口を叩き、不敵に笑う怜。
その顔に、強い既視感を覚えた。

この顔をされた時に私がしていたことは…

「………怜」

掛け布団を押しのけ、ベッドに腰掛けて、膝を軽く、二回叩く。
全く違和感なくできた。体に馴染んだ、自然な動作だった。

「え…………」

「膝枕…………したげる」

怜の目が開いて、青い瞳が揺れるのが見える。
驚き、戸惑い、喜び。いろんな感情が見て取れた。

なるほど、膝枕は、かなり大きな意味を持つモンみたいやな。

「えっと………じゃ、お願い」

おずおずとベッドに近づいてきて、
おそるおそる私の太ももに頭を乗せる。
その姿が小動物のようで、かわいくて思わず笑ってしまった。

「あー………相変わらず気持ちええな」

「やっぱり、いっつもコレやりよったん?」

「うん……ウチが疲れたら、すぐにしてくれてた」

「なにそれ、過保護やなー」

「そや、竜華はお節介焼きやってんで」

怜の頭を撫でて、のんびりと会話を交わす。
心が落ち着いて、ふわふわと暖かい気持ちがこみ上げてくる。

「………幸せやな」

「ん?」

「ずっと……してもらいたかった、膝枕」

「………そっかぁ」

この時間は、怜にとっても、「私」にとっても、大事な時間だった。
そう実感すると同時に、静かにこみ上げる、胸の高鳴り。

「…………なぁ、怜」

それを確かめるためには、一つ、はっきりさせなきゃならないことがある。

「…………何?」

意を決して、聞こうとした、その時だった。

――――
――――

「じゃーホームルーム終わるぞー」

「「ありがとうございましたー」」

挨拶もそこそこに、速攻で荷物をまとめ教室を飛び出していく。
呼び止めようとする同級生の部員の顔もろくに見ずに。

船久保部長に、叱られて、レギュラー落とされて、以後。
あれからもう一度も部活に顔を出していない。
江口先輩が近づいてきたこともあったが、全力で逃げ出した。

とても心苦しいようで、でも本能の私は竜華先輩と長く居れることを喜んでいるようで。
「逃げてるだけ」「苦しいだけ」なんて、わかっているけれど、
それでも病室でかりそめの恋を楽しむことを、私は優先していた。

近くの花屋でちょっとした花を買って、病院へ。

階段を上がって、左に曲がって、一番奥。
はやる気持ちを抑え、私はゆっくり、扉を開く。
愛しい先輩に、会うために。

「竜華先輩!今日も来まし…………た………」

ドサリと落ちた袋から、黄色い花びらが飛び散る。
でも、そんなこと、気にしていることはできなかった。

「…………泉……」

「え………泉?」

病衣に身を包んだ、清水谷先輩と……園城寺先輩。
懐かしい雰囲気を感じるのは、合宿所で膝枕をしていた時と服装が似ているからやろうか。

って、そんなこと考えている暇はない。
一刻も早く、逃げないと。
慌てて袋を拾って、振り返る。

「す、すいません、私帰りますねっ」

「…泉、ちょお待て」

扉に手をかけて、後は出るだけだったのに、
園城寺先輩の一言で金縛りにあったように動けなくなった。
先輩は膝を降り、とたとたと私の後ろに近づいた。

「……ごめん竜華。ちょっと泉と話してくる」

「う、うん………………」

「……ほら、泉、いくで」

私は流されるままに、連れて行かれた。
清水谷先輩の不安そうな視線が、私達の背中に突き刺さっていた。

病院の、待合室。
入院患者の憩いの場のような所みたいやけど、今は誰も居なかった。

「……………泉」

か弱い声なのに、ピリッとした冷たさを感じる声。
怒ってはるな……そりゃ、そうか。

「……すいません」

「…………いつから、や?」

「…………はい?」

「…『竜華先輩』って、呼ぶようになったん」

訝しい顔。暗い瞳は、どうも私に向けてだけではないように感じられる。
……ああ、清水谷先輩の浮気を疑っているのか。
そんなこと、先輩がするはずないって。

やめとけばいいのに、
清水谷先輩に浮気しようと誘われたことにしておけばいいのに。
私は正直に話を続けた。

「………先輩が…記憶失ってから、です。私が勝手に、呼んでました」

「へぇ……記憶失くしてる竜華に、ええように自分の事刷り込もうとしたっちゅーことか」

「いや、そんな……」

口では否定しようとしたけれど、図星だった。
そんな様子が伝わったのか、先輩は一層表情をきつくする。

「…泉、………最低、やで」

「…………」

返す言葉もない。
ただ、インハイで半年近くお世話になった先輩に『最低』と言われるのは、
覚悟していた何倍も辛かった。

「ええか、竜華はな、前の竜華も、今の竜華も、これからの竜華も、全部、ウチのもんやっ…………!」

顔を怒りからか赤く染め、先輩は静かで大きな声を出す。
辛い、辛い。もう話を聞きたくない。

「泉なんかに、絶対、ぜったい…………!」

耳が、限界値を迎えた。

つらい、言葉の先を耳に入れるのが嫌だ。
この先どんな言葉を紡ぐか。
清水谷先輩が誰を選ぶか、まで、わかってしまっているから。

『逃げるで!あとから色々考えようや!』

黒い自分の言葉。普段なら聞き流すだろうが、私は言うことを聞いてしまった。
先輩の言葉の続きを聞かず、椅子から立ち上がって、駆け足で逃げ出す。

「…泉っ!まだ話がっ……!」

先輩が大声をあげようとして咳込んでいた。
戻って介抱する優しさすら、今は持ち合わせていない。

今先輩には走りまわれる体力がないことも知っている。
ホンマに、最低な、選択だった。

――――

――――

午後、4時30分。
そろそろかな。

そう思った直後に扉が開いて、ほらやっぱり、と笑みがこぼれた。

「竜華ー、今日も来たでー」

のんびりと手を振って登場する怜。
あの後、一応の検査ということで入院していた間も、
体調が無事戻り退院してからも、
この時間に怜は遊びに来るようになっていた。

「怜。アンタ、勉強しいや……」

「ウチは優等生やから、大丈夫やでー」

私の注意をおくびにもかけず、
怜はそう言って得意げに笑っている。

注意しながらも、私は怜が来てくれるのを毎日待っていた。
他愛のない話を楽しむ。
今日学校であったこととか、そんな話。

はじめは「私」を知るため色々聞いてた…けれど。
過去の「私」は、確かに私そっくりだけれど、でも、私ではなくて。
いくら聞いても「私」が怜と過ごした日々が戻ってくるわけではないことに気づいて、
辛くなって、聞くのをやめてしまった。
怜も、似たような気持ちらしく、いつしか完全に話さなくなっていた。

30分くらい経って会話が一段落すると、
私はベッドの窓際側のフチに足を下ろして、おもむろに膝を叩く。

「…………おいで」

「……うん」

怜の頭が私の太ももにゆっくりと倒れてくる。

「病人に膝枕させるなんて、ホンマはアカンのにな…」

「そんなことないって、私、幸せやし」

これも、怜が見舞いに来た時のルーティンになっていた。
怜は渋っていたけれど、何か私が戻ってくる感じがするし、
なにより膝枕されてる怜が幸せそうだから、私からやりたいとお願いしている。

横になってから、少し話を重ねるけど、
怜はすぐに眠りに落ちていく。

そうして、午後5時15分。
ぼちぼち、もう一人。

そう思った直後に背中に感じる、扉の音。
今日は予感の当たる日やな。

「…………寝とるで、大丈夫や」

振り返って、セーラー服の女の子に笑いかける。

「………すみません、失礼しました」

その子は目を一瞬合わせて、辛そうに顔をゆがめ、
すぐに病室を出て行った。

泉。
あの日、怜はそのまま病室に運ばれたらしく、
どうなったのかわかってはいない。

泉は変わらず毎日病室に来ていた。
怜が眠る時間、ジュースを買いに行った時間、絶妙なタイミングで。
けれど、私の顔を見るとすぐに帰ってしまう。

この様子を見る限り、「私」に横恋慕しているのは泉みたいだ。
泉の顔は日に日に暗くなる。

過去の「私」にとってどんな存在だったのかはわからないけれど、
私にとっては怜も泉も大切な人だから、
できれば辛そうな顔を見たくないのだけれど。

(どうしたもんかなぁ……)

怜の顔を眺め、
てもちぶさたな右手で怜の頭を撫でながら、
思案にふける。

(記憶が戻って、過去の「私」になれれば、それが一番いいんやけどなぁ…)

記憶が戻れば。
そう思わないことはない。
ぼちぼち体の傷も治ってきているし、
リハビリのこともあって問題なく走ることだってできる。
なのに、問題ないというのに、先生が退院を許してくれない。
ある種の脳の病だから、目の届かないところに行くのが不安なようで。

記憶が戻れば…怜とも一緒に……

そう考えていくうちに、私も眠たくなっていって、
座ったまま、一眠りしようと思った。


「ん…――――


―――――

――――

―――

『ウチと一緒に全国行かへんか?』

あれ、なんや、これ。

自分の口が意思に関係なく動いて、言葉を発している。
場所は公園だろうか。
目の前には怜。驚いた顔をしている。

夢かなと思ったけど、妙に感覚がリアルで、暑い。

『えっ?』

『やから、全国。ウチ怜と行きたいんや』

『いや………なんで?3軍やし、ウチ。セーラと行ってきてよ』

静かに笑みを自分が浮かべている。
…怜はエースやなかったっけ?

『……セーラとも行くけど…やっぱり、怜と』

『…………やから、なんでよ』

その怜の言葉に何か返そうとしたけれど、
口も思うままに動かない。

それでもなんとか話し出そうとした時、
スッと意識が遠くなって、
次々に映像が流れ込んでくる。

怜と江口さんと麻雀している映像。
高校に受かって、喜んでいる映像。
江口さんとリレーで走り回る姿。



部長になって押しつぶされそうになってるのを怜に励まされる姿。

泉が入部してきて挨拶する姿。

セーラが阿知賀の中堅と叩き合いをしている二回戦。

準決勝後怜が倒れて。

そして……………

ああ、そうか。

戻ってきた、心。
過去の「私」と呼んできた、清水谷竜華。
それが私を同化していく。

――

『竜華…………?』

夢の中の公園に戻ってきた。
もう体も思うままに動くようになる。

…ああ、なるほど、このシーンやったんやな。
このシーンで、ウチが言ったこと。

『………ふふ、だって』

『え………?』

『怜のことが、好きやから』

『…………!』

顔がみるみる染まっていく怜。
ああ、ホンマこの時の怜可愛かったぁ………

その怜が、遠くなっていく。
視界が、白に染まってゆく。

――

―――

―――――


「竜華……?」

白い視界がくっきりして、出てきたのは、やっぱり怜。
そっか、病室で膝枕してたんやったっけ。

「………怜、起きて」

「?う、うん………」

毎日来てくれていた、と思うと、怜が可愛くて仕方がない。
愛しさが止められないけれど、冷静にこのことを伝えたい。

起き上った怜を、無言のまま抱きしめた。

「りゅう、か…………?」

不安げに質問する怜の頬に手を添えて、そのままゆっくり唇を重ねる。

「…………!」

怜の目が見開き、驚いている。
あー、可愛い。

「怜…………ごめんな、今まで」

「りゅ、うか、まさか………」

「うん…………ただいま、怜」

「竜華っ……!」

震え出る声で名前を呼んでいる怜の腕が、ウチの背中に回る。
私も、肩から怜を抱きしめた。

あふれ出る、幸せ。
無機質な病室に、にわかに色がともった気がした。



――ひとつ、大事なことを忘れて。

ここまで。
明日に完結します。

辛いな。

教室の窓際の机。
そこについて、ため息をつく。

園城寺先輩のもとを逃げ出してから、
学校でも先輩を避けるようになった。

江口先輩、園城寺先輩、
いろんな人が声をかけてくるけど、
耳を塞いで、聞かないふり。

部活に行っても、一人ぽっち。
船久保先輩が声をかけようとしても、
さりげなく卓を移動したり牌譜を探しに行くふりをしたりして逃げている。

同級生の部員は気にかけてはくれてるけど、
もう声をかけてくれることはない。
若干軽蔑もされているのだろう。

……どんどん、味方失くしとるなぁ。
ま、ええわ。

私には記憶を失くした「竜華」先輩がいる。
最近は話すことはなくなったけど、
私を大切にしてくれているのは伝わってくる。
それだけでいい。竜華先輩だけいてくれれば、私はそれでいい。

そう思って、今日はどうやって時間つぶそうかなーと考えながら外を見る。
2階の窓から、3年の玄関が見える。
私は目を疑った。

なんで、なんで。

清水谷先輩が、園城寺先輩と一緒に登校している。
あれ、昨日はまだ入院していたはずやのに。

そうして、思い出した担当医の言葉。
「記憶が戻らない限りは、しばらく入院ですね」


記憶が戻らない限り、入院。
つまり、先輩は記憶を取り戻した。

私の、「竜華」先輩は、消滅した。
私の、居場所が、消滅した。

――

気が付いたら、もう放課後だった。

あれ、朝から今まで私、何やってたんやろ。
全く思い出せない。

頭の中が真っ白になって、世界が空虚に見えて。


――ああ。先輩が居なくなったんだ。


どないしよ。これから。


部活にも合わせる顔はないし、
園城寺先輩との仲は壊滅的だし、
唯一の拠り所の「竜華」先輩も記憶の彼方に消えた。

とりあえず、部活辞めよかな。もう居場所ないし。
清水谷先輩を寝取ろうとした最低女や。麻雀部なんかに居らん方がええわ。
んでバイトでも始めよ。誰も来ないような所で。
退部届って誰に聞いたらもらえるんかなぁ。

そんなことを考えながら、溢れそうになる涙をこらえた。

インターミドルの時は、こんな事になるなんて思っとらんやったなぁ…

全てをあきらめて学校を出ようかと立ち上がると、
耳に入ってきた声に、意識を引き戻される。

「泉ー」

耳慣れた、愛しい人の声。

「泉、ちょっとおいで?」

顔を恐る恐る向ける。
優しい笑顔をたたえて、扉にもたれる、「清水谷」先輩がそこにいた。

「………いえ、帰ります」

「今日は部活やろ?ちょっとだけやから、ね?」

優しい声に顔で手招きする先輩。その瞳の奥の感情は読み取れない。
それなのに、どうしようもなく胸が高鳴る。
最悪な結末が待っているはずなのに、

「……はい、」

私はついて行ってしまった。

たどり着いたのは、屋上。
園城寺先輩が居て、先輩ら二人から責められるモンと思っていたけれど、
なぜだか誰も居なかった。

夢に見た、「清水谷」先輩と、二人きり。
でも、私が今すべきことは、告白でも、ロマンチックなセリフを吐くことでもない。

「……………すいません、でした……」

連日の晴天でカラリと乾いた屋上の床に膝をつき、
深々と頭を下げた。

「い、いや、そんなんやないって」

「……最低なことをしてしまって……ホンマに、すみません」

「ちょ、ちょい、とりあえず立ってって」

先輩に手を引かれ立たされる。
その少し触れた手にドキドキする自分に、嫌気がさす。

「えっと…………」

困ったように頭を掻く先輩。
記憶を失った時の「竜華」先輩も、この仕草、よくしてたな。

「気付かなくて、ごめんな?ウチ、こういうの疎くて……」

「いえ……私が悪いんです……」

「……あのな?記憶が失っている間の記憶も、あんねん」

「…………?」

私の頭に手を置いて、静かに話し出す先輩。
腕に隠れて、その表情は読み取れない。

「記憶がない間、すごい不安やった。
親だって知らん人、誰も知らん人、自分の顔も、知らん人…
そんな中でな?知ってる人が出来て。
うん、怜と泉や。
知らん人ばっかりで怖かったけど、
二人がおると、安心してなぁ……
ホンマ、うれしかった。ありがとうな」

一気に吐き出して、一度、息をつく。
そうして、ゆっくり頭を撫でてくれた。

私の頬に涙が、一筋伝って、
それが、だんだん大きい流れになっていった。

「先輩っ…………!」

気が付くと号泣し、先輩に縋り付いていた。

「…………ごめん」

先輩はちょっと驚き、私の頭を軽く撫でた後、
肩を掴んで私を引き離した。

「泉は大切やし……好きやけど………
やっぱり、ウチには、怜がいるから」

そう言って目を逸らされる。

「あ、そうです、ね。……すみません」

「いや………うん、ごめん」

優しい先輩。
優しすぎる先輩。

…どうせなら、手酷くフラれたかったなぁ。
こんなん、なかなか諦められへんやん。

最後に触れられた肩を、軽く撫でた。


「竜華!」

そんな刹那、飛び込んできた、
清水谷先輩とは、別の声。
聞き慣れた、静かな大声。

「怜…………」

「どこに、行ってたんやっ…………」

「………はいはい、病院行くから、ごめんって」

縋り付いた園城寺先輩を抱き留め、
優しく背中をさする清水谷先輩。
その横顔を見て、結局私は園城寺先輩に勝てないんだと、改めて悟った。

少し時間があき、園城寺先輩が落ち着いた頃。
先輩は目くばせした。そろそろ病院の時間なんやろうか。
私は頷いた。

「………じゃ、部活頑張って、な?」

「は、い」

「…………ほら、いくで?怜」

屋上を出てゆく先輩たち。
突如として胸から熱いものがこみ上げ、声に出ていた。

「………っ先輩!」

動きを止める清水谷先輩。
園城寺先輩に何かささやき、先に行かせる。
先輩は不満げだったけど、おとなしく屋上の扉の奥に消えて行った。

「私が言うのもなんですけど……」

ゆっくり振り返る清水谷先輩。
どうしようもなく綺麗で、ためらわれたけど、
言わないといけない気がした。

『「…………これからも仲良う、お幸せに」』

黒い自分と一緒に出た、言葉。
本心か、世間体を取り繕うためか。
でも、それを先輩に、ちゃんと届けた。

「………おおきに」

ふわりと笑い、それだけ残して、先輩は屋上を出て行った。

がちゃん。

扉が完全に閉まった後、私は再び、膝を屋上につけていた。

わかってる。わかってた………けど。

鼻の奥に熱いもの。
目の奥に熱いもの。

もう、抑えることができない。

誰も居ないから、と、
私は幼子のように声をあげて泣いた。

まともな恋愛はこれが初めてで、
初恋がこんな最低なことになるなんて思ってもみなかった。

なによりも密着して、仲良くしてもらってた先輩二人の仲を、
失った記憶をきっかけに、崩そうとした。
黒い自分に流された自分に、嫌気がさす。

でも、現実は甘くはない。
やっぱり、失った記憶よりも、愛の力は大きかったようで。

…先輩らはやっぱり運命みたいなモンで繋がっとるんやろうなぁ。
心の奥で冷静にそうつぶやいた。

「…………おい、アホ」

いつまで泣いていたかわからない、
そんな時、頭から降りかかってきた声。

「もう部活も終わったで。何してんねん」

いつもと変わらない、冷徹な声。
牌譜から得た傾向を語る時のような、得意げな声。

「船久保、先輩?」

「………うわ、ひっどい顔しとるなぁ」

眼鏡を光らせニシシと笑う先輩の姿。
インハイ前と同じ、なんも変わらん先輩の姿。
安心したような。違和感で包まれてるような。

「フられたんか?清水谷先輩に」

「…………はい、……」

「そりゃーそうやな、横恋慕やもん」

「っ…………」

いつもの調子でずばずば言ってくる先輩。
でもこの言葉は、今の私には少しこたえた。
また泣きそうになって地面に視線を落とす。

「…………最低や、泉は」

いつもの調子で毒づきながら、私の体に手を回す。
言葉とは裏腹に、表情やその仕草はとても優しかった。

「恋の不文律はわかっとるのに、愛してまう、最低や、自分汚いわ。……そんなふうに、おもっとるんやろ?」

「………はい」

「ふふっ、正直なんはええことや」

ゆるく抱きしめながら、頭を撫でる先輩。

「………でもまぁ、気にせんでええよ。
恋は、燃え上がるほどそうなってしまうもんやからなぁ……
とりあえず、受け入れ?泉には麻雀部がある。ゆっくりまたもとの自分に戻ればええねん」

優しい言葉が胸に刺さる。
頭の上にある先輩の手を払って、言った。

「………いや、私…もう部活いけないですよ…あんなことしたのに」

「はぁ?何いうとるんや。」

どんな言葉も、先輩らしさに溢れていて、
それでいて、部長らしさも有していた。

「人の噂も75日や、そんなん気にせんでええって。」

クイッと眼鏡をあげて、ドヤ顔でそう語る船久保先輩。

「……それに、今の千里山麻雀部には、泉が必要や」

最後の言葉、妙に聞き覚えがある。

……ああ、そうや。
私がインハイ前に他高の1年の強さに凹んでいた時、
清水谷先輩がかけてくれた言葉。

あの時、船久保先輩はいなかったはずなのに、
あの時とまったく同じように心に響く。

「先輩っ……!」

思い出やらなんやらが一度に飛び出してきて、
思わず船久保先輩の背中に手を回し、胸に顔を埋めた。


―――

清水谷先輩と園城寺先輩。
きっとずっと一緒にいて、二人で幸せになってゆく。
清水谷先輩の隣にいるのは、私ではありえない。

今はそのことが受け入れられないくらいつらい、けれど。

船久保先輩や、麻雀部の仲間、家族。
いろんな人が気をかけてくれて、私はまだ立っていられる。

受け入れられない、最低な自分。
それがいることはどうしようもない。それが、恋だから。

――それでも、私は。

先輩たちの恋を心から祝う日が来ることを、信じている。



屋上の向こうで、お日様がゆるやかに沈んでいった。


おわり

長くなってしまってごめんなさい。

読んでいただきありがとうございました。

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