人の身なれば剣鬼たること叶わずとかそんな話やってみる(66)


 秋も深まり、日の落ちた林間は肌寒い。
 木々の間を伸びる石段を上がっていくとさらに冷えてくる気がする。
 身体にひんやりとまとわりつく空気が、意識を細く鋭く削り取っていった。

 木の枝の間に見え隠れする空には尖った月。
 ふと振り返ると、赤く焼けた西の地平。

 じっと見た。視線がその果てに届くのを待つようにじっと目を凝らした。
 遠くひらいた距離を越えて、時の壁を越えて、見えるものがある。そんな気がする。
 川の水を踏み散らし駆けていく自分と、並んで走る背の高い――

 日の残滓に目が痛くなった頃、彼は目を行く手に戻した。
 胸の奥、そして左手に下げた刀が妙に重い。


 石段を上りきると古びた社が目に入る。
 周りを密に生えた木々に囲まれ、黒く沈殿した闇に呑まれかけていた。
 見回したが誰もいない。

 あるのは一帯を包む静寂だけ。
 いない。思わず安堵の息が漏れる。
 俯いて目を閉じる。いないのならばそれでいい。

「蚊が出ない季節になったよ」
 するりと滑りこむように聞こえてきた声にはっと顔を上げる。
 社の前に男が立っていた。
「涼しいのはいいことだ」


 ひょろりと細長い。そんな印象だけが頭を素通りしていった。
 巨人のような体躯やら隆々たる筋骨やら。そんな噂とははるかに遠い。
 ただ、どこか中空に浮いたような、そんな人離れした雰囲気だけは聞いていた通りだ。
(剣鬼……)
 背筋を寒気が走った。

 男は切れ長の目でゆったりとこちらを眺めていた。
 いや、素通りして、彼の背後を見つめている。
 肩越しに振り向く。先ほども見た赤い地平。

「懐かしい」
 ぽつりと男が呟いた。
「そうだな」
 乾いてはり付いた唇を剥がして答えた。声がかさついた。


 刀を静かに腰に差す。そして言う。
「元気にしてたか清吉」
「うん。まあ」
 男は曖昧に微笑んで鼻をこすった。

「勘ちゃんは? 元気だった?」
 ちっ、その呼び方はやめろっての。勘助は胸中で毒づく。
「見ての通りだ」
 別れがつらくなるじゃねえか。

「そうか、よかったよ」
 勘助の思いを知ってか知らずか清吉は嬉しそうに答える。
 いや、知らないはずはない。その右手には抜き身の白刃があるのだから。

 笑い方は変わってないな。優しく柔らかい、あの頃のまんまだ。
 なら変わったのはなんなのか。それを確かめるまでは死ねそうにない。
 鯉口を切った。


……

 時をさかのぼること五年ほど前。


……

 川の水で顔を洗うと擦った傷にしみた。
 勘助は舌打ちして、そのこぶになった箇所を乱暴にぬぐった。
 ぱっと閃くように強まる痛みに悲鳴が漏れそうになる。
 おおいてえ。
 無理に呑みこんだそれは、喉の奥に引っかかってうめき声に化けた。

「大丈夫?」
 背後からの声に顔を上げる。空は鮮やかな夕焼けに染まっていた。
 稽古を始めたのが昼前だから、もう半日が過ぎたのか。
「たいしたことねえよ」
 言いながら振り返ると、勘助と同じくらいの歳の少年が視界に入った。


 背は高い。勘助が少し見上げる形になる。
 それでも全く威圧感を感じないのは、身の丈に合わない細い体躯とどことなく自信なさげな表情のせいだろうか。
 右手には木刀をぶら下げ、こちらを心配そうに見ている。
「本当に? 痛くない?」

 痛くないわきゃねえだろが。
 思いながらも、ひらひらと手を振る。
「お前は力がないから打たれても痛くない」
「そうか、よかったあ」
 清吉は心底安心したように笑った。馬鹿かこいつ。


 痛いに決まってる。
 最適な剣線で最速の一撃を叩きこまれたのだから痛くない訳がない。
 それでも認めるのは癪だった。

「だけどごめんね勘ちゃん」
「俺は自分で手加減してるんだ。気にすんな」
「そうだね、ありがとう」
 この素直さがなおさら忌々しい。

 最近は清吉に一本を持っていかれることが多くなった。
 彼曰く、なんだか分かってきた、らしい。
 なぁにが分かってきただ。ついこの間まで俺からただの一本も取れなかったくせに。


「剣の先まで意識を通すんだよ」
 と、清吉は言う。
「隅々までいきわたらせて、こう、ぼんやりと見えてくるものがあるんだ。それを掴む」
 そうすると自然と剣が相手に届いているらしい。

 俺とおんなじたかが十四のくせして悟り澄ましたようなことを言うない。
 不機嫌顔で小突くと、清吉は困ったように笑った。
 うん、ごめん。ちょっと嘘ついた、と。

 何が嘘だったのかは今もまだ分からない。
 こちらから訊くのもなんだか悔しい気がしてできなかった。

 ちっ、と舌打ちして顔に残った水を払う。
 脇に置いていた木刀をとりあげた。
「そろそろ帰るか」
「そうだね」

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