【Fate/stay night】桜「ライダーの馬、変わった名前ね」 (504)

時は二月。冬でも比較的温暖なこの冬木の街。

その中にある一件の武家屋敷から、今日も団らんの声が聞こえてくる。

居間のテーブルには沢山の夕食が並べられ、

それを囲んで三人の男女が思い思いに箸を運ぶ。

少年「桜。今日の煮物の味付け、どうかな?」

自分の作った料理の感想を尋ねている少年は、この屋敷の主である『衛宮士郎』。

五年前に他界した父、『衛宮切嗣』からこの屋敷を相続し

今ではこの広い屋敷に一人で住んでいる。

父と言っても血の繋がりがある訳ではなく、士郎は切嗣の養子である。

十年前の大火災で切嗣に救われた後、この屋敷に引き取られたのであった。


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少女「はい、とっても美味しいです。味噌も案外合いますね、先輩」

そして士郎の問いに答えた少女は『間桐桜』。

士郎の後輩であり、一年程前から毎日家事の手伝いに来ている。

女性「う~ん、このカニのお味噌汁も絶品ね。いいモノ仕入れたんじゃない?」

吸い物に舌鼓を打つこの女性は『藤村大河』。

父親が居ない士郎にとっては保護者のような存在であり、

また二人の通う学校の英語教師でもある。

しかし保護者と言っても、二人の料理目当てにこの屋敷に入り浸る毎日。

これだけ見ればどちらが保護者か分からない。

しかし二人からはきちんと慕われており、

これも彼女の人柄によるものなのかもしれない。

最早この三人で食卓を囲むのは日常となっており、

今では家族同然の付き合いとなっていた。

と、そこへ障子を開けて金髪の少女が入ってきた。

金髪の少女「シロウ、夕飯の準備が出来ていたのですね」

桜「あ……」

大河「セイバーちゃん、お先に頂いてるよ~」

士郎「すまんセイバー。ぐっすり寝ていたから起こすのも悪くって……」

セイバーと呼ばれた少女は、士郎の答えにニッコリと笑みを返した。

セイバー「お気使い感謝します。ですが食事は私のささやかな楽しみでもあります」

セイバー「今度からは起こしていただいて構いません」

士郎「分かった、今度から気を付けるよ」

そうしてセイバーは開いた席に腰を下ろす。

桜と大河が彼女に出会ったのは数日前。

いつもの三人での食事中、突然士郎が居間へ連れてきたのだ。

士郎の説明では彼女は切嗣の知り合いであり、彼を頼って日本に来たらしい。

そして暫く日本に滞在するためこの屋敷に泊める事になったのだとか。

もちろん大河は、そして桜までもがセイバーの宿泊には抗議した。

理由の一つは彼女の容姿である。

金色の髪はイギリス巻きに整えられ、絹のような滑らかさ。

翠色の瞳はエメラルドのように美しく、

見つめられれば吸い込まれそうな位に透き通っている。

凛とした佇まいにどこか感じる神秘的な雰囲気は、

月並みではあるが『美少女』という以外に適切な言葉が思い付かない。

そんな彼女と士郎が一つ屋根の下で暮らすなど許せるはずが無いのである。

抗議は次第にヒートアップしてゆき、

最終的には大河とセイバーが竹刀を交えるまでに至った。

結果は大河の惨敗。渋々と宿泊を許可する事に。

屋敷の主である士郎、そして保護者とも言える大河の承諾を得たとあっては、

もはや桜に反対できる理由が無い。

しかし桜はある一点において彼女を敬遠していた。

士郎「桜、セイバーにご飯を入れてやってくれないか?」

そう、『セイバー』と言う彼女の名前。

桜はその名前に『ある役割』を持った人物を連想してしまうのであった。

『聖杯戦争』

聖杯によって選ばれた七人の『マスター』が

それぞれ『サーヴァント』と呼ばれる英霊を召喚して戦う一種の儀式。

最後まで残ったマスターとサーヴァントは

聖杯によってあらゆる願いが叶うと言われている。

そしてその召喚されるサーヴァントの中に

『セイバー』と呼ばれるクラスが存在しているのである。

桜は祖父からその事を聞き及んでおり、

彼女が現れた事による不安は日増しに強くなるばかりであった。

士郎「桜、どうしたんだボーっとして?」

その言葉に桜は我に返る。

桜「えっ!? すいません、どうしました先輩?」

士郎「セイバーにご飯を入れてやって欲しいんだ」

桜「あ、はい。どうぞセイバーさん」

セイバー「ありがとう、サクラ」

セイバーは桜から茶碗を受け取り、中央のおかずに手を伸ばした。

三人も中断していた食事を再開したが

桜は聖杯戦争の事を思い出して、ほんの少しだけ箸が進まないのであった。

大河「じゃじゃーん! 今日はお土産があるよーっ!」

夕食が終わった後、大河が取り出したのは

ショートケーキが入っていそうな小さな白い箱であった。

中を開けるとシュークリームが十個入っている。

桜「わぁ、藤村先生これどうしたんですか?」

大河「えっへん。気前の良い酒屋のおねーさんが譲ってくれたのでしたー」

士郎「……なあ藤ねえ。それって強奪したんじゃないよな?」

台所で食器を洗いながら、士郎は首だけ向けて非難の目線を送る。

彼の脳裏にはバイト先の娘であり、かつ大河の親友でもある

一人の女性が思い浮かんだのであった。

大河「細かい事はいいの! さあ、甘いものは別腹別腹!」

桜「あれ? 待って下さい。これじゃ余っちゃいますよね?」

ハタと気が付き、桜は大河を制止した。

そう。十個のシュークリームを四人で分けると二つ余る。

セイバー「困りましたね」

大河「う~ん。何かいい方法無いかなぁ」

暫く考える事数十秒。

突然大河がある提案を持ちかけた。

大河「そうだ、ゲームで決めよっか!」

大河「勝った人が三つ食べられるって事で。それなら文句無いでしょ?」

桜「はい」

セイバー「賛成です」

大河「じゃあ……勝負はこれ!」

そう言って大河はテレビの上のトランプを持ってきた。

桜「えっと、四人で出来るものと言えば……」

大河「ババ抜きね!」

しかし桜は大河の思惑を見逃さなかった。

桜「藤村先生、それは先輩に不利です」

桜「先輩ったら、ババ引いた時にすぐ顔に出るんだから……」

大河「ちぇっ、桜ちゃんにはお見通しかぁ~」

自身のセコイ目論見がバレた所で大河は反省の色無しである。

桜「先輩でも不利にならないルールにしないと……」

桜「そうだ! 『ジジ抜き』にしませんか?」

士郎「ジジ抜き?」

洗い物を済ませた士郎が台所から居間に戻ってきた。

大河「士郎、ジジ抜き知らないの?」

桜「先輩、ジジ抜きって言うのはですね、ジョーカーを使わないババ抜きなんです」

そう言って桜はトランプの山の中から一枚を取り出し、自分のポケットに仕舞い込んだ。

桜「こうやって一枚抜くと、その数字は山の中に三枚しかありません」

桜「だからペアにならず、一枚残ってしまいますよね? それがババの代わりです」

桜「でもその数字は誰にも判らないから、先輩にもやりやすいと思うんです」

士郎「分かった、それでいこう」

こうしてシュークリームを賭けたジジ抜きが始まった。

士郎「あれ? ジョーカーが二枚揃ってるぞ?」

桜「あ、それはペアとして捨てちゃって下さい」

大河「むむ……。桜ちゃん最初からかなり捨ててるわね」

セイバー「私の手札が一番多いみたいですね……」

ゲームが進むにつれ、一組、また一組とペアが捨てられてゆく。

その中で怒涛の快進撃を見せたのはセイバーだった。

まるで相手の手札が判っているかのように、

次から次へと自分の手札を捨ててゆく。

セイバー「これで終わりです」

宣言と共に最後の手札を場に捨てる。

士郎「早い……」

桜「嘘……」

大河「ちょっとセイバーちゃん? ズルしてない?」

しかしセイバーは大河の抗議を凛と跳ね除けた。

セイバー「私の直感を甘く見ないで頂きたい」

セイバー「食べ物を掛けたのが運の尽きでしたね」キラーン

そしてゲームも終盤。

士郎(あれ? この数字前にも回ってきたような?)

桜(もしかして……あれがジジかしら?)

大河(えっと……気のせい気のせい)

桜「やった! 上がりです」

大河「えー。もうゲーム続ける意味無いじゃなーい!」キー

士郎「まあ藤ねえ、最後までやろうよ。後は一騎討ちだな」

大河「えーと……こっち! キャー、また揃わないぃぃ!」

士郎「じゃあこっちか! よし、上がりだ!」

結果は一位セイバー、二位桜、三位士郎、四位大河で幕を閉じた。

大河「まさか『キング』がジジだったなんて……」

大河は最後まで残った『ダイヤのキング』を放り投げた。

士郎「えっと『スペード』と『クラブ』はペアとして捨てられてるから……」

桜「はい。つまり抜かれたカードは『ハートのキング』という事ですね」

セイバー「では、勝負も付いた事ですし頂きましょう」

セイバーは早速シュークリームを一つ取り出した。

その時、テレビから午後八時を告げるアナウンスが聞こえてきた。

桜「あっ、もうこんな時間!」

それを聞いた桜は慌てて立ち上がり、鞄を掴んで居間を出ようとする。

まだそれ程遅い時間ではないはずだが、桜の慌て様に士郎が尋ねた。

士郎「どうしたんだ桜? そんなに急いで」

桜「あの……今日は大事な用事があるんです。早めに帰らないと」

士郎「そっか。じゃあ送って行くよ」

桜「いえ、大丈夫ですっ! その、まだ人通りも多い時間帯ですし」

士郎「そうか? まあ、桜が大丈夫って言うなら問題無いけど……」

桜「ええ。それでは先輩、藤村先生、それにセイバーさんも、失礼します」

士郎「じゃあ残りは冷蔵庫に入れておくから、また今度来た時に食べてくれ」

士郎「藤ねえ、ゲームに負けたんだから桜の分まで食うんじゃないぞ?」

大河「失礼ねぇ。私がそんな事すると思う?」

士郎「思う」

大河「がーん」

桜「では、また明日」

玄関先で別れを告げ、桜は衛宮の屋敷を後にした。

今日は早く帰らなければならない。それは分かっている。

しかしその思いとは裏腹に、桜の足は自分の家が近づく度に重くなってゆく。

いつもなら数十分で到着するはずなのだが、

桜が間桐の屋敷に帰った時には、時刻は午後九時に差し掛かろうとしていた。

深夜零時。

間桐の屋敷の地下室に、小さな二つの人影があった。

一人は桜。

そしてもう一人は桜の祖父『間桐臓硯』。

二人の間には魔法陣が描かれ、その役割を果たす瞬間を刻一刻と待ち受けている。

桜「……お爺様。マスターは全員殺さなければいけないのですか?」

桜は自分が臓硯に逆らえない事を知りつつ、

今から行う事に対するほんの些細な抵抗として質問を投げかける。

臓硯「そうさな。おぬしがどうしてもと言うなら、一人や二人は見逃してやっても良い」

桜「え……!?」

その答えは桜の予想と異なっていた。

いつもなら、桜の抵抗など蟻でも踏み潰すかのように一蹴される。

しかし、この祖父は稀に好々爺めいた優しさを見せる時があった。

臓硯「分からぬか?」

臓硯「マスターを全て殺す必要は無い。サーヴァントさえ奪えれば良いのだ」

臓硯「生かしておいて危険な輩は処分する」

臓硯「が、残したところで支障の無い輩なら見逃してやっても良い」

臓硯「可愛い孫の頼みじゃからな、多少の融通はきかせよう」

祖父が譲歩する事など滅多に無い。

その奇跡的なチャンスに桜の心が僅かに揺らぐ。

しかしそれで頷いてしまえば、

生死に関わらず他のマスターとの戦闘が避けられなくなる。

桜にはそれを望まない一番の理由があるのだ。

沈黙を続ける桜に対し、訝しげな顔で臓硯は続ける。

臓硯「なんじゃ、それでも不満か? なら最初の予定通り慎二にマスターを譲れば良い」

慎二とは桜の兄である。

桜と違って魔術師の資質は無いが、マスターを代行させる手段は存在するのだ。

しかし桜はそれでも首を縦に振る事は無く、不安に満ちた表情で臓硯を見つめ続けた。

臓硯「……ふむ。では仕方があるまい」

臓硯「無理強いをし、大事な後継者を失う訳にはいかんからな」

どうやら桜の言い分を受け入れるようだ。

その言葉に桜はホッと胸を撫で下ろす。

が、その無防備となった心に臓硯は止めとも言える言葉を投げつけた。

臓硯「しかし、そうなると少し癪だのう」

臓硯「今回の依り代の中では、遠坂の娘はなかなかに上級じゃ」

臓硯「機が味方すれば、もしやという事もありえるか」

━━ 姉さんが?


その時、桜の心に魔が入った。

それは遠坂の娘に対する小さな嫉妬の炎であったが、

桜の心を燃やすには十分な熱を持っていた。

桜「分かりました」

その答えに臓硯はさも嬉しそうな笑い声を上げる。

臓硯「桜、よく決心してくれたな。これで我らが悲願も達成されよう」

そして桜は臓硯から教わった呪文を唱え始めた。

桜「━━ 告げる」

桜「汝の身は我が下に、我が運命は汝の剣に」

桜「聖杯の寄るべに従い、この意、この理に従うならば応えよ」

魔法陣が光に包まれる。

ここは密室の地下だというのに、辺りには何処からか風が吹き始めた。

臓硯「ふむ、上出来よ」

手応えを感じたか、臓硯は嬉々として光の中心を見つめている。

魔法陣の中心に人影が現れた。

髪は後ろで三つ編みに束ねられ、鼻の下には髭を蓄えている。

服装は紫色の民族衣装。恐らくは中国の武道着であろう。

見た目は五十歳程と高齢ではあるが、2m弱はある身長と屈強そうな体。

そして威風堂々とした雰囲気は、それだけで彼が只者ではない事を感じさせる。

男「問おう。お主がワシのマスターか」

呼び出された男は小柄な臓硯を睨みつける。

臓硯「いやいや、マスターはそこの女。間桐桜よ」

臓硯「儂は間桐臓硯。桜の祖父と言ったところじゃ」

臓硯は男に少しも臆する事無く自己紹介を始めた。

男「ふむ、中々肝が据わっておるな」

男「しかしそこの女はマスターとして少々頼りなさそうに見受けられるが?」

男から桜へ鋭い視線が投げかけられる。

それに耐えきれず、桜は地面に目を落として俯いてしまう。

臓硯「カカ、心配は御無用。マスターの代行としてこやつの兄を付ける予定じゃ」

臓硯「それで良いな、桜?」

その問いかけに桜はハッと顔を上げ

桜「……は、はい。お爺様」

それだけ、やっとの思いで言葉を返した。

男「うむ。それではこちらからも自己紹介をしよう」

男「ワシはライダーのサーヴァント」

男「……と言ってもワシの『乗り物』は少々デカイのでな」

男「この部屋でおいそれと出す訳にはいかんのだ」

男「暫くはこの拳で戦うが故、その時が来たら見せる事にしよう」

臓硯「ふむ、それなら早速実力を見せて貰うとするかの」

そう言って臓硯はライダーを連れて地下室を出ようとする。

だがその後ろから桜は二人を呼び止めた。

桜「お爺様、マスターは……」

臓硯「なに、儂の用はサーヴァントのみ。マスターに手出しはせんから安心せい」

臓硯「明け方までには戻るでな。その後、慎二にマスターを継がせる事にしよう」

それを聞いて桜は安堵のため息を漏らした。

桜「分かりましたお爺様。お気を付けて」

さて、二人が到着したのは円蔵山に建つ『柳洞寺』。

臓硯の話では、ここに二人のサーヴァントが居るとの事。

臓硯「この寺は『キャスター』と『アサシン』が根城にしておる」

臓硯「特にアサシンは少々厄介なスキルを持っておってな……」

ライダー「知っておる。気配を絶つのであろう?」

サーヴァントになった時に聖杯から得た知識か、

ライダーは臓硯の言葉を遮り即答する。

臓硯「話が早くて結構じゃ」

臓硯「ただしあのアサシンは召喚の依り代として山門を利用しておるらしい」

臓硯「つまりはそこから動けぬという事」

臓硯「いくら気配を絶とうとも、何処に居るのか分かっておるアサシンなど敵ではない」

ライダー「成程、一番討ちやすい敵を叩くという訳か」

臓硯「ただしライダーよ」

臓硯「アサシンを倒す時はなるべく、ヤツの身体を残しておいてくれぬか?」

臓硯にはライダーの実力を調べる以外に目的があるらしい。

ライダー「うむ。任せよ」

ライダーもそれに答える。どうやら手段にアテがあるようだ。

臓硯「それ、そろそろじゃ」

石階段を登り詰めた二人の目の前に、大きな山門が姿を現す。

ここにアサシンが居るとされるが、辺りは静寂に包まれていた。

ライダーは暫く様子を伺っていたが、いきなり何も無い空間に向かい怒鳴り付けた。

ライダー「ワシはライダー! アサシンよ、姿を現さぬか! この臆病者めぇ!」

その気迫で空気は震え、山門はビリビリと音を立てる。

しかし辺りに反応は無い。

この程度の挑発に乗る程、甘い相手ではなかったのだろうか。

ライダーが次の手を考えようとしたその時、上の方から澄んだ声が聞こえてきた。

アサシン「……やれやれ、臆病者呼ばわりされては姿を現さない訳にはいかんな」

山門の上に姿を現したアサシンは、侍のような出で立ちをしていた。

手には身の丈ほどの長刀を持ち、静かにライダーを見下ろしている。

ライダー「……現れたか。いざ、尋常に勝負よ!」

拳を構え半歩前へ出るライダーに対し、

あろう事かアサシンはその申し出をサラリと受け流す。

アサシン「ふん、出会い頭にいきなり怒鳴り散らして何が勝負か」

アサシン「そんな不躾な輩に合わせる剣など持たぬ」

アサシン「それにこの身は剣士としての戦いを欲している」

アサシン「得物を持たぬお前に私と戦う資格は無い」

このサーヴァントは、あくまで戦いの形にこだわるのだろう。

しかしライダーが『得物を持たぬ』とは早計であった。

ライダー「ワシの得物はこれよ!」

ライダーは腰に付けていた布を外し、その一端をアサシンに向けて投げつける。

アサシン「な!?」

布はまるで生き物のように絡みつき、

アサシンの腕を刀諸共、ガッチリと拘束してしまう。

ライダー「それ、降りてこんかぁ!!」

力任せに引き寄せられ、アサシンの身体が宙を舞う。

そのままライダーは右手でアサシンの額を掴むと、指先に気を送って力を込める。

気を送られた指は光りを発し、山門はまるで昼間のような輝きに包まれた。

ライダー「シャイニング・フィンガー!!」

グチャリと生々しい音を立て、

アサシンの額がまるでトマトのように握り潰される。

崩れ落ちたアサシンの体は、糸が切れた人形のように階段をゴロゴロと転げ落ちた。

ライダー「……聖杯戦争 国際条約 第一条」

ライダー『頭部を破壊されたものは失格となる!』

眼帯の男『説明しましょう!』

眼帯の男『いや、もはや皆さんお察しの通りです』

眼帯の男『ライダーとして召喚された男は、かの有名なガンダムファイター!』

眼帯の男『「キング・オブ・ハート」の称号を持つ男!』

眼帯の男『「東方不敗・マスターアジア」なのです!』


眼帯の男『しかし、恐らく皆さんの疑問は別の所にあるのではないでしょうか?』

眼帯の男『そう、「シャイニング・フィンガー」は生身で使える技なのか?』

眼帯の男『という事です』

眼帯の男『「アニメ」ではそのような描写はありませんでしたが』

眼帯の男『「小説版」では弟子であるドモンが』

眼帯の男『東方不敗から教わった技として生身で放っています』


眼帯の男『親指、人差し指、中指の三本に気を集め、相手の額から脳髄へと放つ』

眼帯の男『それによって相手の脳は麻痺し気絶する。というのが本来の技の性質です』

眼帯の男『しかし力任せに相手の頭部を破壊する事もでき』

眼帯の男『その威力は先程の通りとなります』


眼帯の男『ああ、紹介が遅れてしまいました』

眼帯の男『私、通称「ストーカー」と申します。以後お見知りおきを』




臓硯「……何じゃアイツは?」

マスター「臓硯、目を合わせるでない。我々は何も見ておらん。良いな?」

臓硯「うむ……」ナンジャアイツハ

マスター「さて、要望通りに身体は丸々残してやったわ」

マスター「臓硯、一体何をするつもりだ?」

東方不敗は臓硯に向き直る。

アサシンの体は階段の踊り場まで転げ落ち、

今にも消え入りそうな程、存在が虚ろになってゆく。

臓硯「おお、御苦労。後はそこで見ているとよい」

臓硯は急いでアサシンの遺体に近寄ると、何やら呪文を唱え始めた。

その言葉は聞き覚えがある。

東方不敗が呼び出される時に頭に響いた、英霊召喚の呪文に間違い無い。

バリバリと音を立て、遺体となったアサシンの腹から腕が飛び出す。

アサシンの肉体は瞬く間にこの『何者か』に取って変わられ、

ここに新たな英霊が召喚された。

サーヴァント「キ━━キキ、キキキキ━━━━━━」

マスター「こやつは!?」

その姿は全身を黒い衣装に身を包み、白い髑髏の面を被った異様な姿。

身長は2mを超えるが線は細く、面と相まって嫌でも不気味なものを連想させる。

臓硯「カカッ。こいつが『真のアサシン』よ」

臓硯「どれ、早速お前に正しいアサシンの使い方を見せてやろう」

臓硯が指示を送ると、

生まれたばかりのソレは山門を抜けて境内の中へと消えて行った。

マスター「ふむ、しかし八人目というのはルール違反ではないか?」

問いただす東方不敗に対し、臓硯は悪びれる様子も無くこう答えた。

臓硯「いやいや、ルール違反を犯したのはあちらの方よ」

臓硯「呼び出されるアサシンのサーヴァントには法則があっての」

臓硯「本来はあのような侍が呼び出される事はありえんのだ」

臓硯「恐らくはキャスターの仕業。ワシはあちらのルール違反を正してやったに過ぎぬ」

マスター「ぬ……」

そう言われては返す言葉が無いのだが

この行為もまた「正規の召喚」ではない事は明らかである。

その証拠に、臓硯の手には令呪が存在していない。

そして疑問はもう一つある。

マスター「臓硯、アサシンに何を命令した? もしやキャスターを倒すつもりか?」

臓硯「ここはキャスターの根城。境内へ向かう理由はそれしか無かろう」

臓硯「しかしアサシンは真っ当にサーヴァントと戦うタイプではないのでな」

臓硯「狙うはキャスターのマスターよ」

マスター(……こやつ!)

そう。臓硯は事もあろうか、つい先ほど交わした桜との約束をいとも簡単に破ったのだ。

訝しげな顔をする東方不敗に気が付いたか、臓硯は言い訳がましくこう続けた。

臓硯「いやいや、儂とて孫をこの戦争で勝たせる為に行っておるのじゃ」

臓硯「しかしアヤツも儂が暗躍しておったと知れば」

臓硯「自分の力で勝ったのではないとガッカリするじゃろう」

臓硯「ここは可愛い孫の為、どうかこの事は秘密にしておいてくれぬか?」

臓硯の白々しさに東方不敗は眉を潜めた。一体何を企んでいるのか。

仮に断ったとしても、桜に令呪を使わせるなりして口止めするのは見えている。

臓硯が何かを企んでいる事は事実だが、それが孫の為という言葉は信用ならない。

それなら腹の内を探るまでの間、一旦話を合わせておくのが上策かもしれない。

マスター「うむ、安心せい。お前の孫には喋らんでおこう」

そうして、アサシンが境内へ侵入してから十分程経っただろうか。

石階段の下から別の気配が二つ、こちらへ向かって近づいて来る。

マスター「臓硯、どうやら別のマスターとヴァントが来ておるな」

臓硯「何!? ……ふむ、それでは今夜は撤退じゃ」

臓硯「アサシンは心配せずとも、いざとなれば気配を消して戻ってこよう」

新たな敵と鉢合わせないよう、二人は階段を大きく迂回して柳洞寺を後にした。

-- interlude --


長い長い石段を、マスターとサーヴァントが駆け上がる。

マスターの名は『衛宮士郎』。

そしてサーヴァントのクラスは『セイバー』。

二人は山門を前で足を止め、辺りの様子を伺っている。

士郎「……てっきり待ち伏せがあると思ったんだが」

士郎「サーヴァントの気配、しないよなセイバー」

士郎は自らのサーヴァントに確認を取った。

セイバー「はい……。この石段には私以外のサーヴァントは居ません」

セイバーは辺りを見渡し、一呼吸置いた後にハッキリと断言した。

セイバー「山門に守り手が居ない以上、境内に向かいましょう」

士郎「ああ」

境内に足を踏み入れる二人。

そこで彼らを出迎えたのは、不気味なほどに静まり返った柳洞寺であった。

さらには異常なほど暗い。

頭上を見上げると確かに月は出ているのだが、

その光はまるで寺の影に吸い込まれるように弱々しくなっている。

士郎「セイバー」

セイバー「ええ、様子がおかしい。ここまで踏み込んで反応が無いなどありえません」

セイバー「それに……これは静かすぎる」

士郎「……中を調べよう。柳洞寺は五十人近い大所帯なんだ」

士郎「こんなに静かなんて事があるもんか」

さらに寺の中へ。

二人が見たものは、衰弱しきって死んだように眠る僧たちであった。

セイバー「……皆、生命力を吸い取られています」

セイバー「こんな事をするのはキャスターでしょう」

士郎「……分かった。早くキャスターを倒そう」

士郎は焦る気持ちを抑え、セイバーを奥へと促した。

士郎達が境内へ踏み込む少し前の事。

本堂へと侵入したアサシンは、既にキャスターのマスターを見つけていた。

アサシンは『気配遮断』のスキルを持ち、

それに徹すれば同じサーヴァントでも感知はできない。

よもや人間であるマスターにはその存在を知る由も無かった。

後ろから忍び寄り、短刀で喉を切り付ける。

声も上げられず、そのマスターは血しぶきを上げて倒れ伏す。

即死。

あまりにも呆気無く、ここにアサシンの暗殺は完了した。

キャスター「宗一郎様、表に曲者が来ております」

キャスター「ここは危険ですのでもう少し奥へ……」

山門の外で起こった戦闘。

そして自身が召喚したアサシンが倒された事。

キャスターはそれを感知し、マスターに危険を知らせる為に本堂を訪れた。

キャスター「え……」

しかしそこにあったのは、既に屍と化した自らのマスターであった。

傍らには髑髏の面を付けた奇妙な人影が立っている。

その姿はキャスターの知識で知る限り、真のアサシンの風貌と一致する。

そしてその人影から発せされる気配もまた、真のアサシンのものと言って間違いない。

『自身が召喚したアサシンが倒され、別のアサシンが登場した』

その不穏な現象を前にキャスターは宝具の歪な短剣を取り出すと、

左手に魔力を込めながらアサシンにジリジリと詰め寄った。

キャスター「……貴方、何者!?」

アサシン「……」

睨み合う二人。

そこへ新たな気配を感じ、アサシンとキャスターは身構える。

キャスター「誰!?」

キャスターが本堂の入口へ目を向けた瞬間、

アサシンはその隙をついて床から壁へ、壁から天井へと瞬く間に姿を消した。

キャスター「っ……!」

アサシンを取り逃がした事に歯噛みするも、

ここで追えば新たな敵に対して背を向ける事になる。

キャスターが本堂の入口に向き直ると

そこには白銀の鎧に身を包んだサーヴァントと、そのマスターの姿があった。

セイバー「キャスター! 貴様、主に手を掛けたな!」

キャスターの足元に倒れる男を見据え、セイバーは怒号を放った。

相手の回答は待たず突進し、手に持つ剣で一閃を放つ。

キャスターは後方に飛んでその攻撃を躱し、

セイバーの剣はキャスターのローブを斬り裂くに留まった。

さらに追撃しようとするセイバーであったが、そこへ士郎の大声が割って入る。

士郎「セイバー、駄目だ!」

セイバーの足が止まる。

セイバー「何故止めるのですシロウ! 今をおいてキャスターを討つ機会は!」

士郎「違うんだ、セイバー。その短刀に触れるな!」

士郎「アレは魔術破りだ!」

士郎「もしかすると、マスターとサーヴァントの契約だって断つかもしれない」

士郎が何故そう思ったのかは自身でも分からなかった。

しかし魔術の腕は見習いレベルの士郎にも、

あの短刀が何か良くないモノである事だけはハッキリと感じ取れたのだった。

セイバー「……成程、これで決定的ですね。忠告感謝します、シロウ」

セイバーは再び剣を構えなおす。

キャスター「私がマスターを殺した? 宗一郎様を私が?」

キャスター「ふ……ははは、あはははははは!」

セイバー「何が可笑しい! キャスター!」

キャスター「目障りよセイバー。主もろとも消え去りなさい」

キャスターは短剣を懐に仕舞い、手の平をセイバーに向けて魔術を放つ。

しかし最高の耐魔力を持つセイバーには全く通用せず、

キャスターは一刀の元に切り捨てられて消滅した。

セイバー「……キャスターは倒しました。マスター、指示を」

士郎「え……ああ、そうだな。これ以上ここに居ても何もできない」

士郎「言峰に連絡して後を任そう。昏睡している人達はそれで助けられるはずだ」

既に事切れたキャスターのマスターだけは助けられないが、

士郎はそう言って本堂を後にした。セイバーも後に続く。

静まり返った本堂には、マスターだった男の亡骸だけが残っていた。

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二人が去った後、残された死体を『何か』が呑み込んだ。

男の身体はゆっくりと板張りの床に沈んでゆく。

そしてその『何か』は男だけではなく、

キャスターを象っていた魂とも言えるものまで呑み込み始めた。


━━

━━━━

━━━━━━ タリナイ


-- interlude out --

次の日、桜から慎二へマスターの権限が譲渡された。

譲渡と言っても、令呪の力を一つ『偽臣の書』に封じ込めて渡すというものである。

桜「……兄さん、後は宜しくお願いします」

慎二「ああ、お前が『戦いたくない』って言うから、仕方なく請け負ってやるんだ」

慎二「妹想いの兄に感謝してよね」

桜に『兄さん』と呼ばれるこの男だが、東方不敗の目にはとても兄妹には見えなかった。

その男は桜に対してあくまで優しい言葉をかけているものの、

その瞳にはマスターである桜に対し、怒りや嫉妬とも思える感情が滲み出ていた。

これでは到底『妹想いの兄』であるはずがない。

桜「……あ、兄さん」

桜は何か思い出したかのように慎二に訴えかける。

桜「もしかすると、ですけど。先輩がマスターかもしれないんです」

慎二「先輩? もしかして衛宮の事か?」

桜「はい、それで……」

桜の態度から察したのか、慎二は笑顔で桜に答える。

慎二「分った。衛宮とは戦うなって言うんだろ?」

慎二「お前、アイツの家では世話になっているからな」

慎二「……まあ、マスター同士が出会ったらどうなるかは判らないけど」

慎二「殺すような真似はしなから安心しなよ」

慎二「要はサーヴァントだけ倒せばいいんだろ?」

桜「はい。ありがとうございます、兄さん」

その答えに安心したか、桜は軽い足取りで部屋から出て行った。

慎二「衛宮がマスター……ね」

慎二「さて、今日からは僕がマスターだ」

慎二「サーヴァントであるお前は僕に忠誠を誓うんだ」

慎二「僕がやれと言った事は文句を言わずにやり」

慎二「命令があれば喜んでその命を投げ出すんだ。分かったな?」

桜との話が済んだ後、慎二は東方不敗に命令する。

勿論良い訳が無い。

サーヴァントを『道具』とみなし、

冷徹に聖杯戦争を勝ち抜くという事を宣言しているのならまだ話は分かる。

しかしこの男は、単にマスターより立場の弱いサーヴァントを見下したいだけ、

威張り散らしたいだけのように見受けられた。

あくまでその立場関係は令呪があってのものであり、

その手に持つ、たった一つの偽臣の書が消えれば

途端に立場が逆転する事をまるで分かっていない。

マスター「慎二、お前が何を勘違いしているかは知らぬが」

マスター「そのような心構えでマスターになるなら、早々にその本を返すといい」

慎二「な!?」

『令呪がある限り、サーヴァントはマスターに逆らわない』

そう臓硯に聞かされていた慎二にとって、

東方不敗の発言はいきなり出鼻を挫かれる形となった。

慎二は一瞬困惑の表情を見せたものの、

すぐに落ち着きを取り戻して偽臣の書をチラつかせる。

慎二「……いいか? この本があればお前に何だって命令ができるんだ」

慎二「勘違いしているのはお前の方じゃないのか? それとも強がってるだけか?」

マスター「なら早速使ってみよ」

マスター「そして使った後にどうなるか、身をもって知るがいい」

慎二「いいぜ、何事も最初の躾が肝心だからな……」

そう言って、慎二はどのような命令をしようか思案を巡らせる。

が、暫くしてようやく東方不敗の言わんとしている事に気が付いたようだ。

本来のマスターであれば令呪を複数持つ。

よって令呪を消費しても、最後の一つでない限りマスターの権限が失われる事は無い。

しかし偽臣の書には令呪一つ分の効果しか無いため、

使った瞬間にマスターの権限を失うのである。

いくら命令を実行させようと、その後サーヴァントに裏切られては意味が無い。

従って慎二には『令呪を使わない事』でしか身の安全を保障できないという事になる。

慎二「ふ、ふん……。いいさ、今日の所は勘弁してやるよ」

マスター「分かったなら良し」

慎二「今夜にでも他のマスターを探しに行くからな。それまで待機していろ。いいな!」

捨て台詞を残し、慎二は部屋から出て行った。

東方不敗も部屋を出る。

話が済んだのならこれ以上此処にいる理由は無い。

そして外へ出ようと玄関の扉に手を掛けたその時、

東方不敗は後ろから桜に呼び止められた。

桜「あの、ライダー。兄さんを宜しくお願いします」

そう言って桜は深々と頭を下げた。

あのような兄でも頼むと言うのか。

東方不敗は元から慎二をどうしようとは思っていないのだが、

桜の健気な態度には心を討たれた。

マスター「心配するな桜」

マスター「令呪が無くなったとしても、お前の兄をどうしようとは思わん」

それを聞いて安心したか、桜はホッとした表情で胸を撫で下ろす。

その顔を見て、東方不敗は今度こそ屋敷の外へと出て行った。

東方不敗は一人で街を探索する。

慎二には待機していろと言われたものの、既に戦いは始まっているのである。

そして戦いに一番重要なのは情報。

まずはこの冬木の街の地形を把握する事にする。

冬木の街は『未遠川』と呼ばれる川で二分されており、

それぞれ『深山町』『新都』と呼ばれている。

古い町並みの風情を残す方が深山町、

近代的な開発の進む方が新都である。

先日、東方不敗と臓硯が訪れた柳洞寺は深山町にあるため、

今回はまだ見ぬ新都の探索を中心とする。

東方不敗は、新都のある一角に何も無い広い空き地を見つけた。

草は生え放題で整備されておらず、また人も殆ど立ち入らない。

開発の進む新都で何故この空き地が放置されているかは分からないが、

何も無い場所なら周囲を巻き込む憂いは無い。

マスター「ふむ……。ここなら多少激しく戦ったところで問題無いのぅ」

東方不敗はそう呟き、今夜の予定を立て始めた。

夜。

東方不敗と慎二は、敵のマスターを探すため新都へと繰り出す。

慎二「……所でアテはあるんだろうな?」

慎二「闇雲に歩き回るのは疲れるから嫌なんだよね」

マスター「心配するな、この先に空き地があるだろう。そこへ行く」

そうして昼間見つけた広い空き地へ到着した。

到着したところで、東方不敗は昼間抱いた疑問を口にする。

マスター「ところで慎二、この空き地は何故放置されておるのだ?」

マスター「これだけ開発が進んでおるのに勿体無いではないか」

慎二「ああ、ここは十年前に大火災が起きた場所なんだ」

慎二「いわく付きってヤツさ。だから誰も近寄らない」

その答えに東方不敗は納得したように頷く。

ここで慎二は、東方不敗が空き地に来た理由に思い当たった。

慎二「ああそうか。誰も近寄らないなら絶好の隠れ場所だな」

慎二「ここにマスターがいるんだろ? ならさっさとやっちゃおうよ」

サーヴァント同士の戦いが見られる事を楽しみにしているのか、

慎二は上機嫌になっている。

しかし東方不敗から返ってきた言葉に、その態度は一変する事になる。

マスター「いや、ここには居らん」

慎二「な……。お前、僕を馬鹿にしてるのか!?」

慎二「こんな所に連れて来て、マスターが居ないだって!?」

慎二は額に青筋を立て、怒りをあらわに東方不敗に喰ってかかる。

慎二「もう我慢できない。こうなったら嫌でも僕に屈服させてやる!」

慎二「昼間のうちに、どうすればそれが出来るか考えてたんだよね」

そして慎二は偽臣の書を取り出した。令呪を使う気だ。

慎二「令呪に命じる。お前は僕に絶対服従だ!」

偽臣の書が光る。

その光は令呪が効果を発揮した事を示し、そして静かに消えていった。

恐らく慎二の思惑はこうだろう。

令呪が無くなった事でサーヴァントが命令を聞かなくなるのなら、

そうなっても命令を聞くようにしてしまえば良い。

これで自身の安全は保障される、と。

しかし東方不敗は顔色一つ変えず、慎二に向かって宣言する。

マスター「令呪を無駄に使いおったな。所詮は浅知恵よ」

慎二「な、まだ減らず口を……。令呪の効果は絶対だ!」

慎二「マスターの命令だ、跪け!」

しかし東方不敗は腕を後ろに組み、

慎二を睨みつけたまま一向に動く気配を見せない。

慎二「馬鹿な……。何故だ、跪けよ! 僕が命令してるんだぞ!」

マスター「……慎二、その辺にしておいてはどうだ?」

慎二「クソッ、何故だ、何故だ、何故だー!」

ストーカー『説明しましょう!』

ストーカー『が、その為には「DG(デビルガンダム)細胞」について』

ストーカー『触れておかなければなりません』


ストーカー『DG細胞は「自己増殖」「自己再生」「自己進化」の能力を持った』

ストーカー『特殊な「金属」なのですが』

ストーカー『感染した生物を乗っ取ってしまうという驚異的な力を持っているのです』

ストーカー『しかし強靭な精神力をもつ相手には』

ストーカー『逆に支配されてしまうという特性も持っており』

ストーカー『東方不敗は自身の力でDG細胞を完全にコントロールしていました』

ストーカー『よって、令呪による強制を跳ねのけたのにも納得がゆくでしょう』

ストーカー『また、慎二も「令呪の使い方を誤った」と言えます』

ストーカー『令呪の力は「瞬間的で具体的な命令ほど強く」』

ストーカー『「恒久的に続く曖昧な命令ほど弱い」という特性があります』

ストーカー『前者は「次の攻撃を死ぬ気で放て」「マスターの元に来い」といったもの』

ストーカー『後者は慎二の命令のように「マスターに絶対服従せよ」といったものです』


ストーカー『お分かりいただけたでしょうか?』

ストーカー『自分の保身の為に令呪を使うのなら、他のサーヴァントに狙われた時など』

ストーカー『いざという時に「マスターを守れ」「ここへ来い」といった』

ストーカー『具体的な命令に使うべきだったのです』



慎二「……何だアイツは?」

マスター「慎二、目を合わせるでない。我々は何も見ておらん。良いな?」

慎二「ぼ、僕に命令するな!」ナンダアイツハ

マスター「……さて、気を取り直して始めるとするか」

慎二に背を向け、東方不敗は目を閉じる。

両足を肩幅に開き、両脇を締めて静かに気を高め始めた。

マスター「慎二、離れておれ。ここは直に戦場となる」

マスター「今から他のサーヴァントをおびき出してくれるわ」

慎二「え?」

マスター「はああああああああああああ!!!」

東方不敗の気が膨れ上がる。

その気は慎二の目にも感じ取れるほどに、強大で膨大な量であった。

慎二「ひ、ひぃぃぃぃぃ」

慎二は半ば転がるような姿勢で必死にその場から離れていく。

気は新都全体にまで広がり、ネズミやカラスといった小動物も

まるで天災を前にしたかのように一目散に新都から姿を消したのであった。

そしてそんな中、広場の中央に向かう一つの影。

「よお。期待に応えて来てやったぜ」


そこに現れたのは青い服装に身を包み、赤い魔槍を持った英霊だった。

マスター「早速釣れたか……。ランサーだな?」

ランサー「ご名答。そういうアンタは何者だ?」

東方不敗は目の前の男に気を配りつつ、

近くに居るかもしれない敵のマスターの気配を辿る。

しかしマスターの気配は感じられず、このサーヴァントは単身戦いに赴いたらしい。

ならば慎二が狙われる心配は無いという事だ。

マスター「ワシはライダー。いざ尋常に勝負!」

ランサー「そう来なくっちゃな。話が早いヤツは嫌いじゃあない」

二つの影が激突した。

ランサー「はああああっ!」

神速の突きが東方不敗に襲いかかる。

一本しか無いはずの槍はまるで五本、いや十本以上の残像となっている。

対して東方不敗は腰布を巧みに操り、ランサーと互角の勝負を繰り広げていた。


━━ ある時は鞭となってしなやかに襲いかかり

━━ ある時は風車となって攻撃を弾き返し

━━ ある時はつむじ風となって宙を舞い

━━ ある時は槍となって鋭い突きを放ち

━━ ある時は柳となって攻撃を受け流し

━━ ある時は刀となって斬りつける


千変万化の動きは優雅さと力強さを兼ね備え、

さながら柔と剛の織り成す芸術とも言えるだろう。

ランサー「すげぇな、どうなってやがるんだ?」

ランサーは思わず感嘆の声を漏らす。

東方不敗も、ランサーの正確無比な突きにはただ感心するばかりであった。

ガンダムゼブラのパイロットなど脚元にも及ばない。

いや、そもそもあんな脇役と比較する事すら失礼にあたる。

恐らく多くの読者は『そんなガンダムいたっけ?』『パイロット誰?』状態であろう。

ストーカー『説m
マスター「そんな説明はいらぁぁぁぁん!!」ドゴーン

ランサー「……誰だ今のは?」

既に打ち合う事百以上。

東方不敗の手にする腰布からは、槍とは別の僅かな振動が伝わり始めた。

ここに来て、腰布が小さな悲鳴を上げ始めたのだ。

言ってしまうと、気で強化しているとは言え

東方不敗の腰布は『ただの布』である。

対してランサーの槍はそれ自身が宝具であり、最初から武器として造られたもの。

『武器としての性能差』で言えば、圧倒的にランサーの方が有利なのは言うまでも無い。

このままでは腰布がズタズタになるのも時間の問題。

ランサーの槍の間合いに対抗できる武器を失えば、

もはや東方不敗は宝具を出すしか打つ手が無くなってしまう。

マスター(覚悟を決めるか……)

東方不敗は右手の指に気を集中させ、自身の目の前に突き出した。

ただし、この攻撃はランサーの頭を潰す為のものではない。

マスター「シャイニング・フィンガー!!」

眩い光がランサーの視界を奪う。

ランサー「目くらましか!?」

ランサーは自分の眼を守るため、咄嗟に片腕で顔を覆う。

その瞬間、槍の切っ先が僅かに東方不敗から外れたのだった。

マスター「貰ったぁぁぁ!!」

東方不敗は腰布を伸ばし、ランサーの槍を絡め取る。

ランサー「……っ!」

槍を奪い取ろうとする東方不敗とそれに対抗するランサー。

両者が渾身の力で引っ張り合おうとしたその瞬間、

腰布が音を立て真っ二つに引き裂かれた。

ランサー「うおっ!?」

ランサーの槍は、勢い余ってその手からすっぽ抜けてしまった。

これは東方不敗が任意に引き起こしたものであり

腰布に通した気を解いた結果、ただの布に戻ったのである。

東方不敗にとってはランサーが大きく体制を崩してくれるだけでも御の字であったが、

槍が手から離れたのは願っても無い。

今こそ勝負の時。

半分になった腰布には目もくれず、一気にランサーの元へと間合いを詰める。

マスター「うおおおおおおおおおおりゃぁぁぁ!!!」

今や立場は逆転し、神速の突きを繰り出すは東方不敗の拳なり。

対してランサーは脚を頼りにその拳を躱し続ける。

が、いつまでも躱し続けられるものではない。

徒手空拳の戦いにおいては、東方不敗はランサーより何倍も上手である。

ランサー「ぐっ!」

腹に一撃を受け、ランサーの身体が『く』の字に折れ曲がる。

そしてガラ空きになった顔面に対し、瞬時に五発の拳が叩きつけられた。

膝から崩れ落ちそうになるランサーの横腹は、回し蹴りで天高く押し上げられる。

その身体はまるでボールのように宙を舞い、土煙を上げて地面へと叩きつけられた。

東方不敗の拳をまともに食らえば、

通常の人間なら骨は砕け、内臓は破裂してもおかしくは無い。

しかし相手は槍の英霊。この程度で死ぬはずはないだろう。

東方不敗は確実に止めを刺そうと、指を光らせ土煙の中へと足を踏み入れる。

だが、ここで東方不敗は不穏な空気を感じて足を止めた。

次第に土煙は収まり、倒れたランサーが視界に映る。

その手には、何処かへ行ったはずの槍がしっかりと握られているではないか。

マスター「……ぬかったわ」

東方不敗は歯噛みした。

全くの偶然ではあるのだが、

ランサーを槍の落ちている方向へ蹴り飛ばしてしまったのだ。

槍を杖が代わりにランサーが立ち上がる。

ランサー「……『幸運E』も捨てたもんじゃねぇな」

口から流れ出す血を袖で拭いながら、ランサーは槍に魔力を込める。

ランサー「流石にこのままじゃな。そろそろ決めさせて貰うぜ!」

魔術や魔力に疎い東方不敗であったが、槍から放たれる凄まじい力は

全身の肌に針を押しつけるかの如く、強力な圧力を与えてくる。

宝具には宝具を。

東方不敗は手を掲げ、天に向かってその名を轟かせた。

マスター「出でよ、我が宝具『マスターガンダム』!」

東方不敗の背後から漆黒の巨人が現れた。

頭には二本の大きな角が伸び、背からは赤い二対の羽根が伸びている。

指先は鋭く爪のようであり、脚の甲にも鋭いスパイクが一本ずつ付いている。

高さは約17m。

ランサーの身長を約180cmとすると、その差はおよそ10倍である。

もし読者の手元に1/100のガンプラがあるなら手に取ってみて欲しい。

立場は逆になるが、それがマスターガンダムとランサーの身長差である。

ランサー「デケェな……。対軍、いや対城宝具か!?」

マスター「何を言う! 聖杯戦争 国際条約 第五条」

マスター『1対1の闘いが原則である!』

マスター「よってこれは対人宝具よ!」

ランサー「へっ……ムチャクチャ言いやがる」

ランサー「だがな、デカけりゃいいってモンじゃねぇぜ! その心臓、貰い受ける!」

槍に込められた魔力が最高潮に達した。

ランサー「刺し穿つ死棘の槍(ゲイ・ボルク)!!!」

ランサーの手から魔槍が解き放たれる。

槍はマスターガンダムの胸目掛け、神速の勢いで飛翔する。

マスター「そんな攻撃、一撃で砕いてくれるわ!」

一直線に向かって来る槍に対し、マスターガンダムは手刀を突き付けた。


が、


マスター「何と!」

槍はマスターガンダムの手刀を躱し、その胸目掛けて襲いかかる。

いや、『躱した』というのは適切ではないかもしれない。

その槍の動きはまるで、『最初からそのような動きだった』かのように自然であり、

かつ奇怪で理不尽な動きでもあったのだ。

激しい音を立て、槍はマスターガンダムの胸へと突き刺さった。

マスター「……成程、確かに『心臓』を貫いておるわ」

マスター「このマスターガンダムの『コックピット』をなぁ!!」

マスターガンダムのコックピットは胸にある。

槍はその装甲を貫き、東方不敗の二メートル前で停止した。

だがそれまで。

中に乗り込んでいる東方不敗の心臓には到達せず、

槍はその役目を終えたようだった。

ランサー「ちぃ! どういう事だ!?」

MF(モビルファイター)と呼ばれるこの巨人の原理を知らないランサーは、

胸を貫かれて未だに動ける東方不敗に驚きを隠せない。

マスター「次はこちらの番よ。奥義には奥義で応えよう」

マスター「流派・東方不敗の名の元にぃぃ!!」

マスターガンダムの気が膨れ上がる。

そして構えに入ろうとした瞬間、東方不敗の眼に映ったのは意外な人物であった。

マスター「あいつは!?」

そこに居たのは、ランサーの背後から忍び寄る髑髏の面。

既に槍は戻らないのを好機と見たか、ランサーの背中に長い右手を伸ばしていた。

マスター「邪魔をするなぁぁ!!」

指先から『ダークネスショット』と呼ばれる気弾を放出する。

ランサー「何!?」

アサシン「ギギ!?」

ランサーの頭上を飛び越え、背後のアサシン目掛けて着弾する。

自分を狙ったものではないと気が付き、ランサーも背後のアサシンを感知した。

アサシン「ギギギー!」

土煙からアサシンが飛び出す。

東方不敗から狙われた事が余程意外だったのだろう、

アサシンは速やかにランサーを諦め、脱兎のごとく深夜の街へと消えて行った。

マスター「……すまなかったな」

東方不敗は宝具を解き、コックピットに到達した槍をランサーに投げ返す。

既に得物を持たぬランサーに止めを刺すのは容易いが、

こうなっては戦いを続けられる状態ではなかった。

ランサー「ん、何でアンタが謝るんだ? さてはさっきのヤツは知り合いか?」

マスター「……」

安易に謝罪したのは早計であった。

しかしここまで知れた以上、東方不敗にそれを隠す理由は無い。

マスター「うむ。しかしお互いに顔を知っているという程度でな」

ランサー「そうか、なら助けてもらった礼だ」

ランサー「オレがあいつに何をされそうになったか教えてやるよ」

そう言ってランサーは、頼んでもいない事をペラペラと喋り出した。

ランサー「アイツが伸ばした手。あれは呪いの一種だったな」

ランサー「未遂だったから確証はねぇが」

ランサー「もしかするとオレの心臓を潰す気だったのかもしれねぇ」

ランサー「アンタも気を付けな」

ランサー「いつの間にか後ろから……ってのはオレだけじゃないぜ?」

アサシンの手の内を知らない東方不敗にとって、これは願っても無い情報である。

これで貸し借りは無しと言いたいのだろう。

マスター「成程、これで次に相まみえる時は手を抜かんという事か」

ランサー「ああ、さっきはあのデカブツの胸を貫いた所で気ぃ抜いちまったが」

ランサー「よく考えればテメェは『ライダー』だったな」

ランサー「次は背中まできっちり打ち抜いてやるよ」

そう言ってランサーは口元を緩ませる。

マスター「ぬかしおって」

マスター「貴様の槍の性質が分かった以上、打たせる前に潰してくれるわ」

東方不敗もそれに答える。

そして同時に踵を返す。

再戦の誓いを胸に、お互いの根城へと帰路についた。








慎二「」

次の日の夜。

東方不敗は街に繰り出す事はせず、

先日の戦いを思い起こして静かに瞑想にふけっていた。

あの戦いは東方不敗にとって運が良かったとしか言いようが無い。

下手をすれば、あの必中の槍に倒れても何ら不思議はなかったのだ。


『聖杯戦争はただ力と技をぶつけ合うに非ず』


東方不敗は英霊の持つ『神秘』の強大さをしっかりと心に刻み込む。

かと言って、東方不敗にはその神秘に対抗する手段は存在しない。

東方不敗の最大の武器は鍛え上げた力と技、そして宝具の強大さである。

魔術や魔力といったものとは無縁の武闘家にとって、

神秘に対抗するにはそれを出させない事しか取る手が無いのだ。

東方不敗には、他のサーヴァントとは大きく違う点が存在する。

それは『令呪以外の聖杯の影響を受けていない』という事だ。

東方不敗の居た世界に魔術は存在しない。

よって『ライダー』のクラスとして備わっているはずの『対魔力』はおろか、

『騎乗』スキルさえも東方不敗にとっては意味の無いモノと化している。

よって東方不敗にとっては魔術を主体とするキャスターは元より、

一撃必殺の宝具を持ち、多様はしないがルーンも使えるランサーは苦手な相手となる。

ただし東方不敗にも、純粋な白兵戦なら勝機がある。

例え相手が何度死んでも蘇る怪物であれ、

それだけなら自身の宝具で粉砕すれば良いのだから。

東方不敗が今後の方針を練り直している所へ、

扉を開けて慎二が部屋に入ってきた。

慎二「ライダー、出かけるぞ。ついて来いよ」

東方不敗が目を開けると、慎二は偽臣の書を持っている。

どうやら二つ目を桜から譲り受けたらしい。

マスター「今夜は動かん。機を待つ事もまた兵法よ」

そう言って慎二の提案を受け流す。

昨夜あれだけ派手に事を起こしたとあっては、

既にあの辺りは他のマスターに警戒されていると言っても良い。

今夜またあの場所にのこのこと足を踏み入れれば、

待ち構えていた敵に奇襲を受けるだろう。

さらには罠を張っている可能性もある。

東方不敗と同じように真っ向勝負を望む相手ばかりとは限らない以上、

ここで迂闊に動くのは得策ではないと判断しての事だ。

慎二「な、これが見えないのか!? 僕はお前のマスターなんだぞ?」

慎二は偽臣の書を振りかざすも、

既に瞑想に戻った東方不敗には見えていない。

慎二「聞いてるのか!? またあの広場で戦うんだよ!」

慎二「今度は仕損じるんじゃないぞ!?」

慎二「……おい、無視するな! 全く、何でこんなサーヴァントが召喚されたんだ!」

慎二「これも桜が……」

その言葉が聞こえた瞬間、東方不敗は閉じていた目を見開き

隣でわめく慎二を刮目する。

マスター「慎二、お前にはやはり言っておかなければなるまい」

その声は静かさの中に厳しさを兼ね備え、

生徒を叱る先生のように論するような言葉であった。

マスター「お前はそうやって自分の事を棚に上げ、何でも人のせいにしておるのか?」

マスター「それでは何時まで経っても変わらんではないか」

マスター「お前が魔力を持ち合わせていないのは、魔術に疎いワシでも分かる」

マスター「しかしそれなら何故、自分を高めようとせん」

マスター「魔術で劣るなら、白兵戦や戦略で他の魔術師を出し抜くしかあるまい」

マスター「お前は聖杯戦争に勝ち抜く事よりも」

マスター「マスターである自分に酔いたいだけではないのか?」

慎二「それは……」

慎二は言葉に詰まり、何も言い返せないまま黙って下を見つめ続けている。

マスター「ワシで良ければ武術の指南をしてやるぞ?」

東方不敗が提案するも、慎二はそれを頑として否定する。

慎二「お断りだね。戦うのはサーヴァントの役目だろ?」

慎二「お前はマスターを守って、敵を倒せばそれでいいんだ!」

慎二「僕の手を煩わせるな」

その答えに流石の東方不敗も腹に据えかねた。

マスター「……丁度良い。お前のその曲がった根性を叩きなおしてくれるわ!」

慎二「え!?」

マスター「ついでに姿勢も曲がっておる!」ピシャリ

マスター「髪の毛も曲がっておる!」グシャリ

慎二「く……クセ毛は関係ないだろ!」

マスター「うるさい! ワカメみたいな頭をしおって!」

マスター「いいからこっちへ来んかぁぁ!!」

むんずと慎二の襟首を掴み、ずるずると庭まで引きずってゆく。

地面に正座させられ、慎二は東方不敗の小言を朝まで聞かされ続けたという。





サーヴァント「……遅い!」

広場の中心に金色のサーヴァントが一人。

昨夜現れた相手を待ち続けている。

ストーカー『今の心境を一言』

サーヴァント「……」ナンダコイツハ

待ち人が来ないまま夜明けまで呆けた後、

すごすごと帰って行った哀れな男が居た事は(一部を除いて)誰も知らない。

-- interlude --


━━ 柳洞寺。


キャスター無き後、既にこの寺に人は居ない。。

倒れていた僧たちは山を降り、本堂はもぬけの空となっている。


「あーあ、嫌んなるぜ」


その中を、槍を手にしたサーヴァントがブラブラと歩き回っている。

ランサー「……ったく、キャスターがくたばったってのに結界は健在か」

ランサー「いや、醜悪さは前よりひでぇ。これに比べりゃキャスターは上品だったな」

ランサーの悪態は止まらない。

まるでこの場にいない誰かに話しかけているようだ。

ランサー「キイキイうるせぇ事。クモだのヒルだの、陰湿な輩だ」

ランサー「……にしても、一匹でかいのがいるな。何だこりゃ、砂の臭いか?」

ランサー「おうおう、小汚い砂虫とはな! ああヤダヤダ」

ランサー「何だってこんなシケたヤロウの偵察なんかしなきゃ━━」

言葉を終えない内に、ランサーの眉間めがけて細い物が放たれた。

ランサーは槍でそれらを弾き返すと、飛んできた方向を睨んでその相手と対峙する。

目の前には闇の中からうっすらと髑髏の面が笑っていた。

さらに細い物が放たれた。数にして十はある。

どうやら投擲用の短剣のようだ。

全ての投擲剣を、ランサーは事も無げに薙ぎ払った。

アサシンはさらに至近距離から、闇に飛び交い三十発。

しかしそれらの短剣は、一発たりともランサーには届かない。

アサシン「キ━━?」

アサシンが驚くのも無理は無い。

ランサーには『矢除けの加護』が備わっており、

見えている相手が放つ武器など、全く通じないのである。

ランサー「おい、まさかお前の芸はそれだけか?」

ランサー「……成程な。そんなんじゃぁ、後ろからじゃねぇと殺れねぇわ」

鼻で笑ったのも束の間。すぐにランサーの気配が変わる。

様子見はこれで終わりと、剥き出しの殺気がアサシンへと向けられた。

ランサー「これで終いだ」

踏み込もうとするランサーの気配を察知し、

アサシンはカウンターをかけるように飛びかかる。

さらに無数の短刀を投げつけるも、その結果は先程の焼き直しであった。

ランサーは投擲を防いだ勢いで槍を回転させ、襲いかかるアサシンの面を打ち付ける。

アサシン「ギギ━━━!!」

アサシンの上体は大きく仰け反り、髑髏の面が地面に落ちた。

後ろに吹っ飛んだ勢いのまま、アサシンは顔を隠して寺の裏側へ逃げて行く。

寺の裏手には池があった。

水蜘蛛のように水面を逃げるアサシンと、激しい水飛沫を上げながら追うランサー。

その逃げ足は、高い俊敏性を誇るランサーと互角な程であった。

だが、少しずつではあるが二人の間合いは詰まってゆく。

ついにランサーの槍がアサシンの足を捉えたのだが。

ランサー「!」

咄嗟にランサーは跳び退いた。

辺りを見回すと、跳ね上がる水面から黒く薄い何かが無数に飛び出している。

ランサー「……これは!?」

既にその何かはランサーを取り囲んでいた。逃げ場は無い。

その状態を安全な水辺から見降ろし、アサシンは高らかに嘲笑う。

アサシン「ドウシタ、らんさー。うごかねばノマレルぞ?」

アサシン「ダガ、おまえをシトメルのはワタシだ」

アサシン「おまえをタオシ、たりないチノウをオギナワネバ」

そう言って右手に巻いていた包帯を解き放つ。

広場でランサーを背後から襲おうとした、あの長い右手である。

アサシンの右手は二つに折り畳まれており、

通常の人間なら手に見える部分が右肘であった。

それを解き放てば、身長の二倍はあろうかという規格外の長さとなる。

ランサー「くっ!」

槍を高跳びの棒のように見立て、一気に跳躍しようとするランサーであったが、

その身体が水面から浮き上がる事はなかった。

足に力が入らない。

下を見ると、黒い物がランサーの膝まで浸食していた。

ランサー「ちぃ!」

力が入らないどころか感覚が無い。

アサシンに気を取られたのも確かだが、

水に浸かっていた事で脚の感覚が鈍っていたのが

浸食に気が付くのが遅れた一番の原因であった。

槍の射程外からアサシンの腕が放たれる。

向かい来る腕を槍で斬り払おうにも、段々と体に力が入らなくなってゆく。

アサシンの腕がランサーの胸に到達すると、

その胸の中から、偽りの心臓が掴み出された。

ランサー「な……に?」

アサシンの宝具、『妄想心音(サバーニーヤ)』。

相手の本物の心臓と共鳴する偽りの心臓を作り、

それを握り潰すことで相手を殺す呪いの右腕。

ランサーは為す術も無く崩れ落ち、

水面に浮かんだ体はそのまま黒い影に呑み込まれる。

アサシンもまた、手にした赤いソレを満足げに呑み込んだ。


-- interlude out --

朝、慎二の説教が終わった後

屋敷に戻ると桜の姿が見当たらない。

マスター「……はて、何処に行ったのやら」

今は聖杯戦争中である。

勝手に出歩かれてはマスターを守りきれない。

東方不敗は桜との微弱な繋がりを頼りに深山町を歩き回った。

そこで辿り着いたのは和風な屋敷。表札には『衛宮』と書かれている。

マスター「ここか」

東方不敗は玄関の引き戸に手を掛けると、中から話声が聞こえてくる。

どうやら先客が居るようだ。


「…………輩。どうしてここへ!?」

「ああ桜、衛宮君いるでしょ?」

「私はどうしてって聞いてるんです!」

「はぁ……。この前バ、ちょっとあって様子を見に来たのよ」


先客に対応しているのは桜らしい。ならば話は早い。

とっとと用事を済ませようと、引き戸に掛けたままの手に力を入れた。

マスター「邪魔をするぞ」


「「えっ!?」」


すぐ目の前には赤い服を着た黒髪の少女が。

そして少女の少し奥、玄関を上がった所に桜の姿があった。

マスター「ああ、さく……」

赤服の少女「不審者!? 桜、逃げて!」

少女は振り出した足を力強く震脚させ、

逆足を踏み込んで東方不敗の腹に冲捶(ちゅうすい)を打ち付ける。

しかしその体は大樹の如く、少女の拳を跳ね返す。

赤服の少女「っ!」

続いて繰り出されるは肘と肩の連続技。

頂肘(ちょうちゅう)、貼山靠(てんざんこう)と打ち付けるも、

その肘と肩は逆に自分が技を食らったように鈍い痛みを訴える。

貼山靠(てんざんこう)は別名『鉄山靠(てつざんこう)』として有名な体当たり技だが、

その攻撃を受けてなお、東方不敗の足は

まるで大地に根を張ったかのように微動だにしなかった。

赤服の少女「……何てデタラメな体してんのよ!」

拳、肘、肩と流れるように打ち付ける、少女が繰り出したこの動きは八極拳。

なかなかの腕前であるが、今回は相手が悪かったと言えよう。

マスター「そこまで」

少女の肩を掴んで制止を促す。

少女は東方不敗を自分より格上の相手と瞬時に判断し、

その腕を振り払い桜の元へと後ずさる。

マスター「ふむ、お主は桜の姉であったか。これは失礼した」

その言葉に少女はポカンと呆気にとられている。

赤服の少女「はぁ!? アンタ誰? 何でその事を……」

マスター「なに、武人とは自ら気持ちを拳を交える事でしか語れぬ不器用な生き物」

マスター「お主の拳から、妹の安否を憂う気持ちがひしひしと伝わって来よったわ」

赤服の少女「な……」

少女は顔を赤らめ狼狽している。

ちらちらと桜の方を見るその姿は、

どうやら本人には知られたくなかったと見える。

桜「あの……。ラ……えっと……」

恐らく『ライダー』と声を掛けたいのであろうが、

目の前の少女に正体を知られたくない為か、桜は言葉に詰まっている様子。

それを察した東方不敗は、赤服の少女に自己紹介を始めた。

マスター「ワシの名前は『クロス・シュウジ』」

マスター「桜の遠い親戚にあたるのだが、海外に行っておってな」

マスター「この度、桜の祖父に用事があって、ネ……香港からやってきた所なのだ」

因みに『シュウジ・クロス』は東方不敗の本名である。

つまりは真名にあたるのだが

『東方不敗・マスターアジア』よりも『黒須修二(漢字不明)』としておいた方が

桜の親戚であるという話に筋が通りやすい。

そもそも『東方不敗・マスターアジア』と名乗れば怪しまれるだろうし、

『東西南北中央不敗・スーパーアジア』と名乗れば警察を呼ばれる事は間違いない。

赤服の少女「ふ~ん、黒須さんねぇ……」

赤服の少女「ところで貴方、武道か何かをやってるのかしら?」

まだ少女の警戒は解けないのか、不審な目つきで東方不敗を眺め回す。

体格といい、少女の攻撃が全く効かなかった事といい、

この男が只者では無い事は誰の目にも明らかであった。

マスター「うむ、道場の師範をしておる」

マスター「先程の八極拳はなかなかであった。筋が良い。これからも精進するように」

これで先程の東方不敗の挙動にも納得がゆく理由が付いたと言えよう。

凛「ふん……アンタに褒められても嬉しくないわよ!」

悪態をつき顔を背けてはいるが、その表情はまんざらでも無さそうだ。

自分の技が一切通用しなかったとは言え、

その相手に褒められるというのは、決して気分が悪いものではない。

相手を喜ばせて隙を付く。これぞ『喜車の術』なり。

さて、赤服の少女が大人しくなったところで、こちらかも話を切り出す。

マスター「桜、実は慎二からの伝言があってな」

マスター「ここでは何だろうから、門の外まで来てくれんか」

赤服の少女「慎二……!?」

何故だろうか。突然少女の目付きが鋭くなった。

これなら『臓硯』と言った方が良かったのだろうか?

しかし覆水盆に返らず。

さっさと桜を連れ出して用件を済ます事にする。

桜「あの、ライダー? それで兄さんからの伝言って……」

マスター「ああ、アレは凛の目を欺く為の方便よ。本当の用件はワシからあるのだ」

その言葉に桜は目を丸くした。

桜「あれ? 遠坂先輩の名前……。まだ紹介もしてないのに、どうして?」

そう。用件は東方不敗からという事に驚いたのではなく、

東方不敗が凛の名前を知っていた事に対して驚いたのだ。

マスター「なに、流派東方不敗では挨拶もまた拳で交わすものよ」

マスター「あの女が『遠坂凛』であり、『桜の姉』であり」

マスター「『朝に弱く』『普段は猫を被っており』『ここ一番では失敗する体質』で」

マスター「『あかいあくま』と呼ばれて恐れられている事までは分かっておる」

マスター「尤もワシからは手を出しておらぬ故、一方的な自己紹介ではあったが……」

桜(武闘家の拳って……便利)

マスター「さて、ワシからの用事というのは他でもない」

マスター「桜、聖杯戦争中だというのに勝手に出歩いて。一体何をしておったのだ?」

桜「それは……」

桜は伏し目がちに俯き、押し黙ってしまった。

そして暫く思案を巡らせた後、思い出したかのように東方不敗に聞き返す。

桜「そ、そう! ライダーはお爺様からは何も聞いていないの?」

マスター「はて?」

そう言われても心当たりは全く無い。

桜「私はこの家に『偵察』を兼ねてお手伝いに来ているの」

桜「大きな声じゃ言えないんだけど……」

桜「……どうやらこの家に住んでる男の子は『セイバー』のマスターみたいで……」

マスター「何!?」

これには流石の東方不敗も驚きを隠せない。

それは表札にある『衛宮』という人間がマスターであるという事よりも、

そんな所に自ら進んでやって来ている桜の心境が判りかねたのだ。

マスター「桜、そんな危険な所にマスター自らが出向かなくとも」

マスター「ワシに言ってくれれば、いくらでも偵察に向かったものを」

しかし桜は、そんな東方不敗の申し出をキッパリと断った。

桜「だ、大丈夫ですっ! 先輩は悪い人じゃないですから!」

桜「それにお手伝いに来てるのだって、ずっと前からやってるんです」

桜「何も危ない事なんてありません!」

それは普段の桜からは考えられない位の剣幕であり、

これには東方不敗も承諾するより他は無かった。

桜が信頼しているマスターなら、こちらも信頼して良いのであろう。

そう言えば最初、桜と出会った時の事。

桜は他のマスターに手を掛ける事に否定的だった。

それがこの衛宮の屋敷にいるマスターなのかもしれない。

しかし、万が一という事もある。


『聖杯戦争 国際条約 第四条』

『サーヴァントは己のマスターを守り抜かなくてはならない!』


そこで東方不敗は、桜に監視役を付ける事で譲歩する。

マスター「それなら桜、我が愛馬『風雲再起』を傍に付けよう」

桜「『ふううんさいき』? ライダーの馬、変わった名前ね」

マスター「出でよ! 風雲再起ぃ!」

一筋の風を纏い、純白の駿馬が颯爽と姿を現した。

桜「これが……」

マスター「良いか風雲再起。お前に桜の守りを任せる」

マスター「危険が迫ったら桜を連れて逃げよ」

マスター「いざとなったら大気圏を突破しても構わん」

東方不敗の言葉を聞き終えると、風雲再起は再び霊体となって消えてしまった。

マスター「では桜、ワシからの用件はこれで終わりよ」

マスター「くれぐれも無理をするでないぞ?」

桜「はい」

そうして東方不敗は衛宮の屋敷を後にした。

間桐の屋敷に戻る途中、東方不敗は先程の凛とのやり取りを思い出す。

マスター「しかし……出会っていきなり殴りかかられるとは思わなんだわ」

マスター「ワシはそんなに悪人面かのぅ?」

ストーカー『はい』

マスター「……」

再び玄関に戻った所で、桜はハタと足を止める。

桜「あれ? そう言えば姉さん、ライダーの正体に全然気が付いてなかったような……」

桜「サーヴァントだと分かれば魔術で攻撃していたはずだし」

桜「ライダーをただの暴漢だと思ったのかしら……?」

ストーカー『説明しましょう!』

ストーカー『凛が東方不敗をサーヴァントだと思わなかった理由』

ストーカー『それは彼から「魔力や神秘を全く感じなかったから」なのです!』

ストーカー『当たり前ですね。東方不敗は魔術など使えませんから』


ストーカー『しかし、ここで一つの疑問が生まれます』

ストーカー『魔力も神秘性も無い東方不敗が』

ストーカー『どうやってサーヴァントにダメージを与えたか、という事です』

ストーカー『これは、流派東方不敗の拳法の特性によるものなのです』


ストーカー『流派東方不敗では天然自然の力を取りこみ、それを気に転換します』

ストーカー『気は「丹田」と呼ばれる腹のあたりで練られるのですが』

ストーカー『その過程は魔術を使用する時と非常に似通っているのです』


ストーカー『魔術の世界では、自然界に満ちている魔力を「大源(マナ)」』

ストーカー『生物の体内に存在する魔力を「小源(オド)」と呼びます』

ストーカー『そして大源を魔術師の体内に取り込む時』

ストーカー『魔術回路を通して小源に転換します』


ストーカー『お分かりでしょうか? つまり』

●大源 ≒ 天然自然の力

●魔術回路 ≒ 丹田

●小源 ≒ 気

ストーカー『という関係が成り立つのです』

ストーカー『ただし、魔術回路と丹田には大きく異なる点が一つあります』

ストーカー『魔術回路は生まれ付き数が決まっており』

ストーカー『さらに一度失えば再生する事は出来ません』

ストーカー『しかし丹田は人間なら誰でも持っているものであり』

ストーカー『さらに鍛える事でより多くの気を、より短時間で練る事が可能になります』

ストーカー『東方不敗は長年の修行の果てに、通常の魔術師では考えられないような』

ストーカー『膨大な力を瞬時に練る事が可能となりました』

ストーカー『気の存在を知らない西洋の英霊にとって、この驚くべき力は』

ストーカー『さながら「東洋の神秘」と言えるかもしれません』




桜「……何、あの人?」

マスター「桜、お前にだから言っておくが……」

マスター「あの男は『アサシン』の如く気配遮断能力を持ち神出鬼没」

マスター「そして『バーサーカー』の如く好き勝手に喋り倒し」

マスター「終われば『ランサー』の如くスピードで逃走する」

マスター「ただし戦闘能力は低いため害は無い。気にしないのが一番よ」

桜「はあ……」ナニアノヒト

凛「桜、黒須さんの話って何だったの?」

桜が居間に戻るなり、凛は先程の用件を尋ねてみる。

慎二からの用事とあってはまた桜が何かされるのではと、

居間で待ち続ける凛にとっては、気が気で無かったのだった。

桜「いえ、大した事じゃないんです」

凛「……そう。まあ、何かあったら遠慮なく言って頂戴」

桜「そ、それより朝ご飯食べちゃいましょう。冷めると勿体無いですよ」

そう言って話を切り、皆で食卓を囲んで朝食を開始する。

凛「申し訳ありません藤村先生。食事時にお邪魔しちゃいまして」

大河「いいのいいの。食事は賑やかな方がいいんだから」

普段は朝食を摂らない主義の凛も、

食卓に並べられた料理の前に御馳走になる気は満々のようだ。

大河「わぁ、今朝は洋風ね」

大河「『パン』に『コンソメスープ』に『スクランブルエッグ』に」

大河「『ジャーマンポテト』に『ニンジンのソテー』かぁ」

と、目の前のニンジンに対し、風雲再起が鼻を鳴らす。

桜(だ、ダメっ風雲再起! 後で余り物あげるからっ!)

士郎「あれ? 今、動物の声がしなかったか?」

凛「動物?」

大河「私は何も聞こえなかったわよ?」モグモグ

セイバー「気のせいではないでしょうか?」パクパク

桜「そうですよ先輩! 家の中にお馬さんなんて居るワケ無いじゃないですか!」

士郎「そうだよなぁ。きっと寝ぼけてたんだな」

桜(ふう……)

マスター「さて……」

間桐の屋敷に戻った東方不敗は、

庭に巨大な鋼鉄の白馬を呼び出しコックピットへと乗り込んだ。

この巨大な白馬は『MH(モビルホース)風雲再起』。

東方不敗の愛馬と同じ名前のその機体は、

マスターガンダムに東方不敗が乗り込むのと同じように

風雲再起に風雲再起が乗り込んで操るのである。

正直、機体と搭乗者の名前が同じなのは非常に紛らわしいのだが、

そう命名されてしまった以上、今となってはどうしようも無い。

さて、東方不敗がこの鋼鉄の白馬を呼び出したのは勿論、操縦する為ではない。

薄暗いコックピットの中、東方不敗が中にあるボタンをいくつか操作すると、

周囲は明るい光に包まれ、中央のモニタに桜の姿が表示された。

桜の傍にいる風雲再起が見ている光景を映し出しているのである。

桜『先輩、洗い物は私がやりますね』

どうやら朝食が終わった所らしい。

士郎『悪い。じゃあ俺はテーブルを拭くから、後は任せた』

桜『はい、任されちゃいますっ』

桜は重ねた食器を両手で抱えながら、楽しそうに台所へと向かって行く。

大河『桜ちゃん、私は先に学校行くけど』

大河『体調悪いなら無理して来なくてもいいわよ?』

大河『最近休む人が多くって、半ば休校状態みたいなモノだから……』

桜『はい。藤村先生もお気を付けて』

桜『先輩は学校、どうするんですか?』

士郎『ああ、今日は休む。セイバーとやる事があるんだ』

桜『……そう、ですか』

凛『私は行くわ。様子が気になるもの』

凛『誰か一人くらい、学校の状況を知っておいた方が良いでしょ?』

士郎『ああ。頼んだ、遠坂』

セイバー『シロウ、一時間後に始めましょう』

士郎『分かった』


マスター「なるほど、この女が『セイバー』か」

場所を居間から道場に移し、士郎とセイバーが対峙する。

両者は竹刀を構え、切っ先の触れる一足一刀の間合いから

ジリジリと間合いを詰めてゆく。

士郎『はああっ!』

堪え切れなくなった士郎がセイバーの面に竹刀を振り降ろすも、

その攻撃は無残にも空を斬る。

士郎『……っ!』

その隙にセイバーの竹刀が士郎の腕を捉え、

打ち付ける甲高い音が道場一杯にこだました。

桜『セイバーさん! そんなに強く打ち込まなくてもいいじゃないですか!』

セイバー『いえ、これでも温い方です。シロウには一日でも早く戦いに慣れて貰います』

士郎『……いいんだ、桜。俺が言い始めた事なんだから』

桜『そ、そうだ! 私、救急箱を用意しておきますねっ!』

再び稽古が開始される。

相変わらず士郎の攻撃はセイバーに軽くいなされ、

その隙に士郎は何本も打ち込まれてしまう。

とは言え、一体どうしてあの華奢な体でこのような動きができるのか。

彼女がサーヴァントであるなら、いづれは東方不敗と戦う事になる。

今は本気を出していないとは言え、

東方不敗はセイバーの足裁き、体裁き、間合いの取り方、クセ等を

注意深く目に焼き付けておく。

と、ここで映像が道場から離れて行った。

どうやら士郎がやられる様子を見ていられなくなったのか、

桜が道場から移動したらしい。風雲再起もそれに付いて行ったようだ。

東方不敗は映像の表示を『通常』から『録画』に切り替え、

先程のセイバーの動きを繰り返しチェックし続けた。

暫くセイバーの動きを観察した後、再び『通常』に切り替える。

そこには居間で士郎の手当てをする桜の姿があった。

どうやら稽古は終わってしまったらしい。

士郎『痛ててっ!』

桜『もう! セイバーさんったら、先輩の体をこんなにアザだらけにして!』

士郎『だ、大丈夫だって! だからそんなにきつく包帯巻かなくても!』

桜『ダメですっ! 跡が残ったらどうするんですか!』

士郎『だから大丈夫だって。最近何だか体の調子が良いんだ』

士郎『このぐらいの傷ならすぐに治るさ』

桜『そんな訳ないじゃないですか! いいから次は右腕を出して下さい!』

流石に士郎も観念し、その後暫く無言で手当てが続く。

東方不敗は懸命に手当てするその様子をじっと見つめ続けていた。

桜の表情は真剣そのもの。

包帯を巻く、一つ一つの挙動に力が入る。

桜はこの士郎という男に特別な感情を抱いているらしい。

今までの桜の言動からそれは推測できたものの、

この光景を見てそれは確信へと変わっていった。

東方不敗は口元を緩め、モニタの電源に手を伸ばす。

コックピットの中は再び暗くなり、鋼鉄の白馬は霧のように消えてゆく。

桜はあの男を全面的に信用している。

ならば東方不敗もあの男を信用しようと思ったのだ。

ただし、もしあのセイバーと相まみえる事があるならば、

その時は全力で相手をしなくてはなるまい。

慎二「ライダー、今夜はやる事があるんだ。付き合えよ」

夜になると、慎二から話を持ちかけられた。

どうやら何か策があるらしい。

それならばと、東方不敗は慎二と一緒に公園まで足を運ぶ。

慎二「ここは深山町から新都へ渡る橋への近道なんだ」

慎二「でもあまり知られていないから、この時間帯は人通りがかなり少ない」

慎二「暫く待って誰か通りかかったらその人を襲え! いいな?」

マスター「……何を言っておるのだ? 慎二」

東方不敗には慎二のやろうとしている事が理解できない。

訝しげな顔をする東方不敗に対し、慎二は苛立ちを隠せない。

慎二「ああ、もう何で分からないかなぁ?」

慎二「お爺様から聞いたけど、お前からは全然魔力を感じないって言うじゃないか」

慎二「それなら人を襲って、少しでも魔力を蓄えるんだよ!」

成程。通常のサーヴァントなら、そうやって魔力を蓄えるものなのか。

そう言えば連日、謎の昏睡事件が起こっているらしいが、

何処かのサーヴァントが引き起こしている事なのかもしれない。

『聖杯戦争 国際条約 第七条』

『冬木がリングだ!』


聖杯戦争の名に元に、建物を壊しても、人を襲っても、

恐らく何をしても許されるのであろう。

しかし東方不敗は、無関係の人間を犠牲にする事は気が進まなかった。


『聖杯戦争 国際条約 第六条』

『英霊の代表であるサーヴァントは、その威信と名誉を汚してはならない!』


そして最期に、自らの過ちを弟子に教えられた時の事を思い出す。


『人類もまた自然の一部』

『それを犠牲にしての理想郷は間違いである』

マスター「慎二。ワシに魔力は必要ない」

慎二「え……?」

マスター「お前がマスターであろうと、桜がマスターであろうと」

マスター「既にこの体は十分な力を発揮できる状態なのだ」

東方不敗が最初から魔力に頼らないのは元より、

流派東方不敗は、天然自然が宿す膨大な力を借りて戦う拳法。

よって自身の体に力を蓄えておく事は、さして重要ではないのである。

マスターによって力が左右されないのは、

逆に言うとマスターのバックアップを一切受けられないという事である。

これをメリットと取るかデメリットと取るかは人それぞれだが、

良くも悪くも『素の状態』と言えるだろう。

少なくとも今の東方不敗にとっては、

慎二がマスターでも十分に力を発揮できるのは大きなメリットと言えた。

しかし慎二は東方不敗の言葉を信じようとはしなかった。

慎二「はぁ? それでも無いよりは有った方がいいんだろ?」

慎二「聞けばサーヴァントってのは『魂喰らい』らしいじゃないか」

慎二「……ははぁん。さては怖気づいてるな?」

慎二「そんな事だから……」

マスター「待て、誰か来る!」

二人は物陰に隠れて様子を伺う。

そこに現れたのは一人の女性であった。

人気のない公園を早く通り過ぎようと、小走りにこちらへ向かって来る。

慎二「ホラ、何やってるんだよ! さっさと襲えよ!」

マスター「だから魔力はいらんと言っておろう……」

慎二「ああもう! それなら令呪を使ってでも!」


女性「誰か居るの!?」


どうやら気が付かれてしまったようだ。

慎二の大声が原因なのは言うまでも無いのだが、

それを棚上げして本人は命令を下す。

慎二「お前のせいだぞ! 早くあの女の口を封じるんだよ!」

慎二「聖杯戦争は目撃者を出しちゃいけないらしいからな!」

そういう事ならやむを得ない。

東方不敗は瞬時に女性の近くまで間合いを詰め、

額に三本の指を当てて気を送り込む。

マスター「シャイニング・フィンガー!」

相手の脳髄に気を送り気絶させる。

シャイニングフィンガー本来の使い方である。

気を失った女性は、東方不敗にもたれかかる様にグッタリとうな垂れる。

東方不敗は地面にそっと女性を寝かせると、慎二の方へと向き直った。

慎二「やった!」

女性が動かなくなった事を確認し、慎二が物陰から姿を現す。

マスター「……ところで慎二」

マスター「仮にこの女から魔力を奪うとして、それは一体どうやるのだ?」

慎二「それは……」

マスター「……」

慎二「えっと……」

マスター「……」

慎二「ははは……」

マスター「……」




『そこで何をしている!』

声がした方へ振り向くと、

そこへ居たのは白銀の鎧に身を包んだサーヴァントであった。

そして遅れて到着したのは、慎二と同じ位の歳の少年。

彼らは衛宮の屋敷で見た二人に間違い無い。

東方不敗とセイバーが睨み合う。

士郎は地面に横たわる女性と東方不敗を交互に見つめ続けている。

しばしの沈黙。

それを破ったのは慎二の声だった。

慎二「……へぇ。誰かと思えば衛宮じゃないか」

慎二「凄いな、おまえの間の悪さもここまで来ると長所だね」

士郎「慎二、お前……」

その存在に気が付き、士郎は最悪の可能性を慎二に向かって投げかける。

士郎「殺したのか? その人を……」

慎二「さてね? そんな事はどうでもいいだろ?」

慎二「それよりもさ。二人のマスターとサーヴァントが出会ったんだ」

慎二「後はこれからどうなるか。分かるよな? 衛宮」

士郎「う……」

慎二は偽臣の書をチラつかせながら東方不敗に命令する。

慎二「やれ、ライダー」

その声に反応し、セイバーは一歩前に進み出て『何か』を構えた。

セイバー「出ます! シロウは後ろに!」

見えない『何か』は、セイバーの名の通りなら『剣』なのであろう。

しかしその正体が判らない以上、迂闊に攻める事はできない。

東方不敗は腰布を構え、不可視の武器を迎撃する用意を整える。

セイバーの武器を隠しているものの正体は、

彼女の持つ宝具の一つ、『風王結界(インビジブル・エア)』である。

剣の周りに大量の空気を纏い、光の屈折率を変えて不可視にする。

派手さは無いものの、こと近接戦闘において絶大な効果を発揮する。

セイバー「はああっ!」

マスター「とおりゃあ!」

二つの武器がが交錯する。

不可視の剣を弾こうとした腰布はその威力を殺しきれず、

空気が破裂したような衝撃音と共に、たった一撃でその先端が吹き飛ばされた。

マスター「ぬぅ!」

あまりの破壊力に東方不敗は舌を巻く。

ランサーの突きがライフルの精密射撃なら、

セイバーの斬撃は力に物を言わせた散弾銃である。

その正体はセイバー持つスキル『魔力放出』によるものであり、

武器や肉体に魔力を帯びさせ、瞬間的に放出する事で能力を向上させる技能である。

言ってしまえば魔力によるジェット噴射。

このスキルのお陰で、セイバーはその細い体からは想像もできない程

高速な移動、強力な斬撃を可能としているのである。

セイバー「はあああああ!」

東方不敗「ぐっ!」

東方不敗は腰布での迎撃を諦め、専ら足を使っての回避に専念する。

いくらモニタ越しにセイバーの動きを見たとは言え、稽古と戦いでは全くの別物である。

それに相手の得物は不可視の剣。

如何なる達人と言えど、このハンデを覆すのは容易いものではない。

東方不敗はセイバーの持つ武器を竹刀に置き換え、

挙動の差異から長さの目算を試みる。

一般的な高校生が持つ竹刀は、

三八(さんぱち)と呼ばれる三尺八寸(約115cm)の長さである。

その内、柄頭から鍔までの長さは約八寸(24cm)。

鍔から切っ先までの長さは約三尺(91cm)である。

セイバーの踏み込み、そして切り付ける間合いはどうやら竹刀とほとんど同じようだ。

ただし、これ以上の目算は出来そうに無い。

東方不敗は二十数太刀躱したところでそこまでの結論に辿り着き、

それまで大きめに躱していた動作を、少しずつ最小限のものに修正してゆく。

それは驚異的とも言えるスピードであり、流石のセイバーもこれには驚きを隠せない。

セイバー(……ヤツは高レベルの心眼スキルでも持っているのか?)

しかし、いくら何でも適応が早すぎる。

セイバーの剣は、例え見えていたとしても

振り抜くスピードは肉眼では捉えられないレベルなのである。

いくら達人でも、あと倍は打ち込まなければ取っ掛かりすら掴めないはずなのだ。

さらに相手は得物を持って『弾く』という、物理的な方法での目算は行っていない。

最初セイバーの剣と相手の布が交錯したが、布はその役目を果たせず弾け飛んだ。

後は足を使っての回避だけで不可視の剣を測っているのである。

セイバー(まさか、これまでの戦闘を観察されていたという事は……)

もし心眼で無いのならこちらしか有り得ない。

予め見たセイバーの動作と今の戦闘での動作を『比べて』

自身の動きを少しずつ修正しているのだとしたら?

━━ そんな事は関係ない。


それなら『判っていても躱せない攻撃』を繰り出すまで。

セイバーは自身の魔力放出の出力をさらに上げ、

これまでの倍の速さで東方不敗の懐に潜り込んだ。

セイバー「もらった!」

近距離から横薙ぎの一閃が放たれる。

これ以上動きを修正する暇は与えない。

セイバーはこの一撃で勝負を決めるつもりである。

この距離なら後ろに飛んで躱す事も出来ず、かと言って横に躱しても

その回避動作ごと薙ぎ払うまでである。

しかしセイバーの予想と反し、東方不敗は前に動いた。

マスター「甘いわぁ!」

鋭い金属音がしたと思ったその瞬間には、

セイバーの剣は上体ごと宙へ吹き飛ばされていた。

東方不敗の拳が剣の腹を下から叩き上げたのだ。

セイバーの予想は半分当たっていた。

しかしもう半分は外れていた。

第六感とも呼べる『直感』のスキルで『相手が自分の動きを予め知っていた』という

結論を導き出した所は良かった。

しかしその結論を導き出す為に、相手の『心眼』を否定してしまった事は間違いだった。

そう。東方不敗は『セイバーの動きを予め知っており』かつ『心眼』を持っていたのだ。

長年の修行、鍛錬、数々の強敵との戦いによって培われた洞察力は、

その窮地においても自身のの状況と敵の能力を冷静に把握し、

その場で残された活路を見出す、ある種の境地とも言える域にまで昇華されていた。

どんな武器同士の戦いでも言える事だが、

『間合いの長さ』というのは最も強いアドバンテージとなる。

それは剣と拳との戦いにおいても同様なのだが、

セイバーは勝負を急ぐあまり不必要に相手との距離を詰めてしまった。

それを見逃す東方不敗ではない。

瞬時に拳の優位な間合いに詰め、

半ば見切りかけている心眼でセイバーの剣を捉えたのである。

マスター「はぁ!」

セイバー「っ!」

東方不敗が追撃をかける。

空中に放り出されたセイバーには、最早攻撃を躱す術は無い。

が、

耳をつんざく風切り音と共に、セイバーの背後から突風が吹き荒れた。

浮いた体を『魔力放出』で強引に立て直し、

そのまま下にいる東方不敗に向かって剣を打ち付ける。

東方不敗は攻撃に転じようとした体をすんでの所で踏み止め、

一気にその攻撃範囲から身を翻す。

間一髪。

爆発にも近い轟音と共に、コンクリートが空高くへと舞い上がる。

地面に着地したセイバーはさらに魔力を放出し、

距離を取った東方不敗に追撃を迫る。

流石は『最優』と呼ばれるセイバーのサーヴァント。

一筋縄ではいかない。

防戦寄りの東方不敗は、この状況を打開する策を練る時間が欲しかった。

公園の砂場まで後退し、地面に向かって震脚を放つ。

砂はまるで水柱のように跳ね上がり、辺りは一瞬にして土色の霧に覆われた。

セイバー(目くらましに乗じて不意打ちするつもりか?)

セイバーは脚を止め、辺りの様子を慎重に伺う。

しかし東方不敗にはそのつもりは毛頭ない。

砂場から離れた位置まで移動し、セイバーの打開策に思案を巡らせる。

マスター(さて……。ヤツの剣に関しては大体分かった)

マスター(しかし正確な長さを確かめなければ、いざと言う時に踏み込みが鈍る)

マスター(次に剣の長さが分かったとして、どうやってヤツに打ち勝つかだが……)

と、ここで東方不敗は逆転の発想を閃いた。

そう。

『この戦いは勝たなくても良いのではないか?』

ランサーとの戦いと同じく、臓硯かアサシンがこの戦いを見ているかもしれない。

ここで東方不敗が負ければ、

臓硯らは聖杯戦争勝利の為に積極的に動かざるを得なくなる。

そこに彼らの企みを暴くチャンスが生まれるのではなかろうか。

セイバー「姿を見せろ、ライダー!」

土色の霧の向こうから、セイバーの声が響いてくる。

程なくして霧は落ち着き、東方不敗はセイバーの前に姿を現した。

その右手には、最初一度しか使われなかった腰布がくるくると巻きつけられていた。

セイバー「……意外ですね。てっきり目くらましに乗じて攻めてくると思いましたが」

セイバー「それとも観念したのですか?」

マスター「そんな訳が無かろう」

マスター「なに、少々良い方法を思いついたのでな」

そう言って、東方不敗は腰布が巻き付けられた右手を見せた。

セイバー「まさかとは思いますが、私の剣に素手で挑むつもりですか?」

マスター「話が早いな、そのまさかよ。しかし、決してヤケになった訳では無いぞ?」

マスター「十分な勝算があっての事よ」

セイバー「……面白い」

東方不敗の言葉に、セイバーは不可視の剣を構えなおした。

その全身の魔力が高まってゆく。

恐らくは東方不敗の拳もろとも、一刀の元に伏すつもりでいるのだろう。

東方不敗の目論見は見事に当たった。

こうやって焚きつければ、あのサーヴァントは素直に誘いに乗ると思ったのだ。

恐らく、自身の剣に絶対の自信を持っているに違いない。

マスター「でりゃああああああ!」

東方不敗は一直線にセイバー目掛けて突き進む。

セイバー「はああああああああ!」

セイバーも全身から魔力を放出して爆速する。

先に攻撃に転じたのはセイバーだった。

東方不敗が拳を放つには、剣の間合いより後一歩距離が足らない。

マスター「かぁぁぁっ!」

しかし、この間合いで東方不敗も手刀を放つ。

セイバー「無駄だ!」

勢いの付いた不可視の剣は、

そのまま東方不敗の右腕を両断しようと振り下ろされる。

ピタリ。そんな擬音が聞こえたような気がした。

セイバー「なっ!?」

セイバーの剣が東方不敗の手に触れた瞬間、

その動きは宙に縫い付けられたかのように止まってしまったではないか。

東方不敗の動きは剣の力に真っ向から対抗しようとしたものではなく、

まるでそっと寄り添うかのように、ただその場に『置いた』ようにも見受けられた。

セイバー(━━ 白刃取り!?)

その場に起こっている事に、まだ信じられないと言う顔をするセイバーであったが、

東方不敗の白刃取りもまた、ただの白刃取りではない。

その拳には二重の保険が掛けられていたのであった。

一つ目は手に巻かれた腰布。

最初の一撃で先端を吹き飛ばされたとは言え、

何重にも巻けば素手を守るグローブになる。

そして二つ目はシャイニングフィンガー。

気で強化された指は、相手の頭蓋をも握り潰す力を持つ。

ただし光る指を悟られぬよう、腰布で手を覆ったのは目隠しの意味もあったのだ。

その二重の保険があったとは言え、

最後にモノを言ったのは東方不敗の武闘家としての技量だという事は言うまでも無い。

マスター「取ったぁ!!」

手に巻いた腰布がセイバーへ伸びる。

腰布は受け止めた刀身から柄へ、柄からセイバーの腕へ。

まるで生き物のように絡みつく。

そして腰布に覆われた不可視の剣は、ここにその姿をくっきりと現したのだった。

刀身はやはり三尺。幅は四寸。典型的な両刃の西洋剣である。

マスター「シャイニング・フィンガー!」

空いた左手に気を込めると、セイバーの額目掛けて光る指を突き付ける。

セイバーの腕は腰布でガッチリと絡め取られ、もはや押す事も引く事も出来はしない。

勝てなくとも問題は無いと思っていたが、

ここまで好条件が揃えば決めてしまうのも悪くは無い。

セイバー「まだだ!」

セイバーの剣から、とてつもない衝撃波が放たれた。

剣を覆っていた腰布は四散し、

それを至近距離で受けた東方不敗は、十メートルは吹き飛ばされ膝を付く。

顔を上げると、そこには黄金に輝く剣がセイバーの手に握られていた。

先程のはただの衝撃波ではなく、不可視の剣を解放した事によるものだと

東方不敗は理解した。

マスター「ふん。折角見切ったと思えば、もう出してしまうのか」

セイバー「……初めてです。よもや私の剣を『直接触って』確かめるなど」

マスター「しかし、最も単純で確実な方法であろう?」

素知らぬ顔で受け答えする東方不敗だったが、その状況は絶望的であった。

腰布は失い、さらに至近距離で衝撃を受けた右半身は相当なダメージを負っている。

対してセイバーはまだ一切のダメージを負っておらず、

単に剣が見えるようになったというだけである。

マスター(そろそろ潮時か……)

東方不敗は左手に気を込め、一直線にセイバーへ躍り掛かった。

もはや万事休す。その姿は玉砕覚悟の突貫にも見受けられた。

セイバー「はあっ!」

その攻撃を、セイバーは真正面から袈裟斬りに伏す。

マスター「ぬおぉぉっ!!」

その剣を胸に受け、東方不敗の姿は霧となって消えてしまった。

士郎「やった!」

慎二「嘘……だろ?」

セイバー「!?」

マスターの二人には、東方不敗の体は存在を保てなくなる程のダメージを受け

霊体に戻ったように見えただろう。

しかし東方不敗を斬り付けたセイバーだけは、

その手応えの不確かさに首をかしげたのであった。

実際、東方不敗の体は肉は斬らせど骨までは断たれていない。

セイバーの剣の長さを完全に見切った為、このような芸当をやってのけたのである。

マスター(さて、これは一種の賭けよ)

マスター(臓硯かアサシンが来ていなければ慎二は死ぬかも知れん)

マスター(しかし来ている! さあ、姿を現せぃ!)

慎二「な、何だよ。誰がやられていいなんて言ったんだ!」

慎二「こんな……衛宮のサーヴァントなんかにやられやがって!」

慎二「出てこいよ! 出てきて戦えよ!」

慎二は東方不敗が消えた空間に向かってわめき立てる。

幸いにもセイバーは、既にマスター一人となった慎二は無力と判断したか

剣を納めてその様子を眺めている。

慎二「ああもう、何やってるんだよこのクズ!」

慎二「恥かかせやがって、これじゃ僕の方が弱いみたいじゃないか!」

東方不敗を罵倒する慎二を見かね、ついにセイバーが口を開いた。

セイバー「サーヴァントを責める前に自身を責めるがいい」

セイバー「いかに優れた英霊であろうと」

セイバー「主に恵まれなければ真価を発揮できないのだからな」

慎二「っ……!」

セイバー「ここまでだ、降伏の意志を訪ねる。令呪を破棄し、敗北を認めるか」

セイバーの手が慎二に伸びる。

マスター(━━ これまでか?)

いざとなれば再び姿を現し、宝具を使って慎二とこの場を離脱するより他は無い。

東方不敗の緊張が高まる中、ついにその男が姿を現した。

「そこまで。どうやらお前では宝の持ち腐れだったようじゃな、慎二」


公園の隅に小柄な老人が現れた。臓硯である。

臓硯「……やれやれ。見込みは無いと思っていたが、よもやこれ程とはな」

臓硯「孫可愛さで目をかけてやったが、これでは見切らざるを得ぬわ」

慎二「お、お爺様?」

臓硯「慎二、儂はお前に最初から勝利など求めてはおらぬ」

臓硯「その身に求めたものはな、無力でありながらも挑む我らの誇りじゃ」

臓硯「にも拘わらずこの体たらく。間桐の名に泥を塗りおって」

怒りのこもる言葉を吐きながら、臓硯はセイバーに向かって歩き出す。

臓硯に不吉さを感じたか、セイバーは微かに後ずさった。

臓硯「……ふむ。なるほど、これではライダーが敗れるのも道理」

臓硯「さぞ名のある英霊とお見受けした」

臓硯「これ程のサーヴァント、過去の戦いにおいても一人現れたかどうか」

セイバー「……」

臓硯「さて、となるとワシは死ななくてはなるまい」

臓硯「あのような者でも血縁でな。カカ、まっこと肉親の情とは命取りよ」

どこまで本気なのかは東方不敗の目には読み取れない。

引き続き行われるやり取りを注意深く観察する。

臓硯「そら、早々に立ち去れい」

慎二「っ……」

臓硯に言われるがまま、慎二は無我夢中で公園の入り口へと駆け出した。

セイバーは慎二を追わなかった。

どうやら慎二よりも臓硯の方を注意すべきだと考えたのだろう。

臓硯「ほ、みすみす見逃したか。……成程」

臓硯「あのような小者、手に掛けたところで剣が汚れるだけの話であったな」

セイバー「……」

セイバーは臓硯と対峙したまま動かない。

そんな中、士郎がセイバーに話しかける。

士郎「セイバー、下がってくれ。その爺さんとは顔見知りだ。少し話がしたい」

セイバー「いけません。この男は人間ではない。話す事も聞く事も無い筈です」

士郎「……判ってる。それでも頼む、すぐに済ませる」

士郎「戦うかどうかはその後でセイバーが決めていい」

セイバー「……判りました」

そう言って僅かに体を引く。

士郎「それで……なんだって慎二がマスターになったんだ?」

士郎「さっきの様子じゃアンタが担ぎ上げたように見えたが、どういう事だ?」

臓硯「ほ、そんな事か。儂は見ての通り現役から退いて久しいのでな」

臓硯「戦えぬ儂は孫に桧舞台を譲ったという訳だ」

士郎「マスターを譲った……」

どうやら士郎は、間桐が魔道の家系である事を知らなかったらしい。

しかしこの様子では、士郎が桜に辿り着くのも時間の問題ではなかろうか。

士郎「じゃあ桜は……。桜も慎二と同じマスターなのか?」

案の定、士郎から次の問いが投げかけられる。

臓硯「どうやらお主はまともな教育を受けておらぬようじゃな」

臓硯「魔術師の家系は一子相伝。後継者でない者は己の家が魔道である事も知らぬ」

臓硯「……まあ、兄が使い物にならなければ妹を、とも思っておったが」

臓硯「既に勝敗は決した。今更何も知らぬ孫を聖杯戦争に駆り出す事もなかろうよ」

その言葉に士郎は胸を撫で下ろす。

東方不敗も士郎に桜がマスターだとバレ無かった事には安堵したのだが、

それを伏せた臓硯の心中はまだ測りきれない。

そして念を押すように、士郎は最後の問いを投げかける。

士郎「勝敗は決したと言ったな? それじゃあもう慎二は戦わないんだな?」

士郎「桜も聖杯戦争とは関係ないんだな?」

臓硯「うむ。だが慎二がこれからどう出るかは儂にも保証はできんぞ?」

臓硯「サーヴァントが深手を負った今、『戦わない』のではなく『戦えぬ』」

臓硯「サーヴァントが復帰するまでの間にあの本を取り上げれば」

臓硯「慎二はマスターの資格を失おう」

臓硯「今のお主達なら造作も無い事であろうな」

つまりあの二人の目を慎二釘付けにしておいて、

自身とアサシンは暗躍するという腹なのだろうか。

二人の話が済んだ途端、

臓硯の体は音も無く士郎とセイバーから離れて行った。

小さな影は公園の木々の闇に溶け、たちまちの内に見えなくなった。

士郎「あっ……」

セイバー「……」

セイバーは臓硯も追わなかった。

士郎「セイバー、結局あの爺さんとも戦わないんだな」

士郎は少し安心したような表情でセイバーに話しかけた。

セイバー「いえ、ここで私が追うと士郎を一人にする事になります」

セイバー「何故かは判りませんが、その事にひどく不安を覚えるのです」

臓硯が居たという事はアサシンも居る可能性がある。

セイバーはアサシンを知らないとは言え、

何か良くない事が起こると心の何処かで直感しているのかもしれない。

それに、倒れている女性も気になるといったところか。

マスター(……さて、これ以上の長居は無用)

マスター(下手をすればこちらもセイバーに感づかれるかも知れん)

東方不敗も霊体のまま、静かに公園を後にした。

慎二「どういう事だ!? 説明しろ、ライダー!」

東方不敗は一足先に間桐の屋敷に帰っていた。

それを見るなり慎二は食ってかかる。

マスター「何を怒っておる。セイバーに斬られたのだ」

マスター「あの場でそれ以上の戦闘が出来なんだのは分かるであろう?」

慎二「マスターを一人にしておいて良くそんな事が言えるな!」

慎二「僕は危うく殺されそうになったんだぞ!?」

桜「あの……。兄、さん?」

慎二のヒステリックな声は屋敷中に響いていたのか、

桜が不安そうに二人の前に顔を出した。

慎二「桜、お前が呼び出したサーヴァントは使い物にならないじゃないか!」

ここで怒りの矛先が桜に向けられる。

慎二「よりによってあんなヤツのサーヴァントに負けたんだ!」

慎二「僕に恥を晒させる気なのか!?」

慎二は怒りのあまり、桜の頬に平手を振り抜く。

桜は赤く腫れあがる頬に手を添える事もせず、

ただ黙って下を向いたまま、懸命にその痛みを堪えている。

マスター「慎二!!」

慎二「っ……」

もう一度振り上げられた慎二の腕は、東方不敗の怒号に動きを止めた。

慎二「いいか、お前は一刻も早く傷を治すんだ!」

慎二「治ったら知らせろ、いいな!?」

そう言って慎二は部屋を出て行った。

後に残った桜は不安そうに東方不敗に話しかける。

桜「兄さん、あんなに荒れて……」

桜「ねぇライダー、一体何があったの?」

マスター「実はな、他のサーヴァントと交戦したのだ」

マスター「ワシは傷を負ってこの通りよ」

そう言って胸の傷を桜に見せる。

桜「た、大変! すぐに手当てしないと!」

桜は急いで部屋を出ると、救急箱を片手に戻ってきた。

桜「でも、ただ負けただけならあんなに荒れる事は無いと思うんだけど……」

東方不敗の胸に包帯を当てながら、桜はぼそりと呟いた。

どうやら心当たりがあるらしい。それなら隠しても無駄であろう。

マスター「うむ。どうやらマスターは慎二の知り合いのようでな」

マスター「……そうそう、確か慎二は『衛宮』と呼んでおったぞ?」

桜「!」

その名前を聞いた途端、桜は包帯を巻く手を止めて俯いてしまった。

東方不敗からはその表情は見えないが、

包帯を持った手は固く握り締められ、肩が少し震えているのだけは見て取れた。

桜「……先輩は無事なの? ライダー」

やっとの思いでそれだけを口にする。

やはりあの男の安否を心配していたのか。

マスター「慎二と衛宮というマスターは戦闘には参加してはおらん。よって無事よ」

その答えに桜は顔を上げる。

桜「良かった……」

何か良くない想像をしていたのか目は少しだけ潤んでいるが、

桜はホッとした表情を見せ落ち着きを取り戻す。

そんな桜の頭に手を当て、東方不敗は笑顔で答える。

マスター「なに、心配するな桜。お前が慕う男に手を掛ける筈が無かろう」

桜「えっ!?」

マスター「何だ、気が付いておらんと思ったか? 桜の顔に書いてあるではないか」

桜「えええっ!!?」

桜は顔を真っ赤にして俯き、人差し指で東方不敗の傷をグリグリしだす。

マスター「や、止めんか桜。傷口が開くわ!」

桜「ご、ごめんなさい! じゃあライダー、くれぐれも無理はしないでね」

そう言って桜はいそいそと部屋を出て行った。

その日の夜、桜は間桐の屋敷に帰ってこなかった。

恐らくは士郎の所であろう。

意図しなかった事とは言え、正直なところ東方不敗もその方が良いと考える。

今の慎二は手負いの獣のようなもの。何をしでかすか判らない。

また桜に八つ当たりされたとあっては黙っていられない。


マスター「桜、うまくやるのだぞ」b グッ


そんな訳で、東方不敗は安心して間桐の屋敷で治療に専念した。

-- interlude --


士郎は今夜も街へと繰り出す。

目的は今だ続いている昏睡事件の元凶、キャスターの調査だ。

キャスターは確かにセイバーが倒したはず。

しかし学校で、凛からキャスターが生きているかもしれないと聞かされたのだ。

さらには放課後、凛に指定された謎の中華料理屋に出向くと

そこには激辛麻婆を食べる言峰の姿が。

言峰によれば、柳洞寺にはキャスターの他にアサシンがいたようだ。

それと今回の昏睡事件が関係しているかどうかは分からないが、

関係があるのならそれも一緒に調査したい。

最後に、言峰はランサーのマスターであった事を士郎に明かした。

アサシンに敗れたため既に聖杯戦争からは降りたと言っていたが、

今回の聖杯戦争は何かがおかしいと、監督役として独自に調査するつもりのようだ。

セイバー「シロウ、サーヴァントの気配です」

巡回を始めて間もなく、セイバーが何かを感知したようだ。

士郎「近いのか!? セイバー」

セイバー「距離的には問題ありません」

セイバー「シロウの足を考慮しても五分ほどの距離でしょう」

士郎「分かった、行くぞセイバー。先導してくれ」

その声にセイバーは東へ走り出す。

どうやら深山町と新都を繋ぐ大橋へ向かっているらしい。

士郎「な……」

公園に踏み入った瞬間、異様な気配に吐き気がした。

セイバー「シロウ、アレを!」

セイバーが見据える方向には凛とアーチャーの姿が。

そして二人が対峙しているのは臓硯であった。

臓硯「ほう、誰かと思えばセイバーのマスターか」

臓硯「いやはや、これはしたり。助っ人を用意しておくとは遠坂の娘にしては頭が回る」

凛「そんな訳無いでしょう。アレはただの観客」

凛「アンタを押さえつけて白状させるなんて、私とアーチャーで十分よ」

臓硯「ふむ。隠しておきたかったが仕方があるまい」

臓硯「儂とて、サーヴァント二人を敵に回しては生き残れんからのう」

そう言って臓硯は手にした杖を地面に打ち付ける。

その瞬間、見た事のある影がその足元から姿を現した。

士郎「あれは……!?」

セイバー「キャスター!」

そう、あのローブはキャスターのもの。見間違えるはずが無い。

士郎「くそ、本当にまだ残っていやがったのか……!」

セイバー「シロウ、下がって。あれはキャスターですが意志である魂を感じない」

セイバー「アレは……キャスターの死骸を別の物で補っただけの模造品です」

そう言って剣を握り締めて前に出る。

臓硯「ほう? 流石はセイバー。一目で儂のカラクリを見抜きおったか」

臓硯「いやはや、これではライダーが敵わぬも道理」

セイバー「貴様……我らを謀っただけではなく、英霊の亡骸を弄ぶとは」

セイバー「相応の覚悟があるのだろうな!」

セイバーは奥歯を噛みしめる。

アーチャーもまた、臓硯の行いに対し憤怒の表情を浮かべている。

臓硯「カカカ、何を憤る! 所詮サーヴァントなど道具に過ぎん」

臓硯「それに儂は使われなくなったものを拾っただけよ」

臓硯の言葉がまだ終わらないうちに、セイバーとアーチャーが突進した。

キャスターの影は魔術を放つも、高い対魔力を持つセイバーには通じない。

その戦いは完全に柳洞寺の焼き直しであった。

一刀の元に斬り捨てられ、キャスターの外装が崩れていく。

セイバーは今度こそ完全に消えるようにと、その姿を最後まで見届けた。

凛「アーチャー!」

臓硯「ぬ!?」

アーチャーは最初からキャスターには目もくれず、

操り手である臓硯を狙っていた。

手に持つ双剣で臓硯の胴を薙ぎ払う。

臓硯「ぬ、う……」

上半身がずるりと落ちる。

アーチャー「終わりだ魔術師」

アーチャーは這いずる臓硯に剣を振り上げた。

だがその時、闇に染まった公園は辺りの空気が一瞬にして凍り付いた。

士郎「……え?」

異様な状況に、その場にいた全員が動きを止める。


『何か良くないモノが居る』


それを感じる方向に首を向けると、公園の入口にその『黒い影』が立っていた。

誰も動けない。

士郎と凛は戦慄から。

セイバーとアーチャーは魅入られたかのようにじっとその影を見つめている。

そんな中、臓硯だけが死にゆく体に鞭を打ち、いち早く公園から離脱していた。

音も無く、黒い影から平たい影が無数に飛び出す。

その全ての切っ先は、凛に対して向けられていた。

しかし凛は動けない。

マネキンのように固まったまま、ただその影を凝視するばかりであった。

士郎「危ない!」

夢中で凛を弾き飛ばした士郎は、無数の影を一身に受ける。


━━ 熱い。


それは煮えたぎったコールタールのように肌にまとわりつく。

吐き気がする。

士郎は何かおぞましいものの中に投げ込まれた感覚を覚えると共に、

何故かひどく懐かしい、紅い何かを見たような気がした。

「……aくん……!」

「……e宮くん……!」

「……衛宮くん!」

聞き覚えのある声で士郎は目を覚ます。

どうやら凛に抱きかかえられているようだった。

士郎「……遠坂。あの変なのはどうした?」

凛「消えたわ。衛宮くんが影の上に立って、倒れたと思ったらもういなかった」

アーチャー「助かったか。まあ本体に触れた訳でもなし」

アーチャー「実体のあるモノなら瘧(おこり)を移された程度だろう」

そう言ってアーチャーがやってくる。

セイバー「シロウ、無事でしたか!」

凛の腕から士郎を奪い返すと、セイバーも心配そうに声を掛ける。

それからどうやって家に帰ったか、士郎は全く記憶が無かった。

本能で帰る犬のように、無意識の内に足を動かしていたのかもしれない。

ぼうっとして、夢と現実の区別が付いていない。

士郎は見覚えのある部屋に入ると、そこに電気が付けられた。

士郎(居間……かな?)

桜「せ、先輩……!?」

電気を付けたのは桜であった。

セイバー「サクラ……? 睡眠中ではなかったのですか?」

桜「……退いて下さい。そんな支え方じゃ先輩が辛くなる」

セイバーは士郎に肩を貸している。

しかしその姿は、力任せに士郎を立たせているのと同じ事。

桜はそんな士郎の姿が見るに耐えられなかった。

セイバー「いえ、これは私が任された事です」

セイバー「それに何かの病だったらサクラにまで移ってしまう」

桜「……そんな事を言ってるんじゃありません」

桜「セイバーさん、貴方と先輩が何をしているのかは知りません」

桜「でも、貴方が来てから先輩は毎日辛そうでした」

桜「それだけなら良かったのに、今夜は怪我をして帰って来たんです」

セイバー「サクラ、それは……」

桜「セイバーさんの事情は知りません」

桜「けど、もう少しうまいやり方があるんじゃないですか?」

桜「それが出来ないなら、せめて先輩を巻き込むのは止めて下さい」

士郎の前で二人の女性が言い争っている。

『こらこら、喧嘩は止めなさい』と止めようにも、体が思うように動かない。

士郎(……そうか、これは夢なんだ)

士郎(夢の中だと、思うように体が進まない事ってあったよな)

それから士郎は、体が勝手に動いているかのような錯覚にとらわれた。

今度は自分の部屋に戻ってきたのか。

横になると、そこには誰かが傍にいて寝かしつけてくれているような

温かで懐かしい安心感があった。

士郎(夢の中でまた寝るのも変な感じだな……)


士郎の記憶はそこで途切れた━━━━。


-- interlude out --

東方不敗が傷を癒すのには二日を要した。

日が沈みそろそろ戦線に復帰しようと思った矢先、

屋敷の庭から外へ向かう臓硯の姿が目に映る。

マスター「臓硯、何処へ行こうと言うのだ?」

屋敷の窓から飛び出すと、その後ろ姿に声を掛ける。

臓硯「ふむ、ライダーか。傷は良いのか?」

マスター「見てのとおりよ。それより……」

話を続けようとしたところ、その間に髑髏の面が割って入る。

アサシン「魔術師殿、お下がりください。この男は危険です」

どうやらアサシンには警戒されている様子。

無理も無い。ランサーとの戦いでは味方だと思っていた相手に狙われたのだから。

マスター「ふん。アレはお前がワシの戦いの邪魔をしたからであろう」

マスター「それよりも……。暫く見ぬうちに饒舌になったではないか」

以前のアサシンからはそこまでの知性を感じなかった。

それに、アサシンの声には何処か聞き覚えがある。

アサシン「そんな事はお前には関係無い。それより魔術師殿に何の用だ」

アサシン「返答次第ではここで葬ってやっても良いのだぞ?」

ここで東方不敗はその声がランサーと似ている事に気が付いた。

マスター「貴様、ランサーをどうした?」

アサシン「……ほう、気が付いたか。ランサーは私が倒した」

髑髏の面がカラカラと笑う。

アサシン「その心臓は貰い受け、私の知識とさせてもらった」

マスター「何と!?」

その返答に東方不敗は驚きを隠せない。

何しろ再戦を約束した相手が目の前のサーヴァントに倒されたと言うのだ。

落胆する東方不敗の表情を見るや、髑髏の面はさらにカラカラと音を立てる。

アサシン「ふっ……。なんならお前も同じ所へ送ってやろう」

そう言ってアサシンは投擲剣を構えた。

臓硯「まあ待て、アサシン。間桐のサーヴァント同士が殺し合う事も無かろう」

臓硯が止めに入る。

少なくとも臓硯にとっては、無駄に手駒を減らすのは避けたいのであろう。

アサシン「しかし魔術師殿……」

臓硯「どうやらお主とライダーは何処かで仲違いしたようじゃな」

臓硯「そこで、よ。これからは儂らはお主の邪魔はせぬ故」

臓硯「お主も儂らの邪魔をせんではくれぬか?」

臓硯「慎二がああでは、お主らに最早期待はできん」

臓硯「せめて聖杯戦争が終わるまで」

臓硯「慎二が馬鹿な真似をせぬよう見張っておいてはくれぬか?」

臓硯は東方不敗がアサシンを狙ったあの場に居なかった様子。

それなら東方不敗の宝具も見てはいない。

だからこそ、東方不敗の実力を侮った態度が取れるのだ。

アサシンでさえ何時でも始末できる相手だ、と。

もしかすると東方不敗から魔力を感じないのは

慎二のせいだと思っているのかもしれない。

マスター「……うむ。慎二の事は任せておくがいい」

臓硯がもはや東方不敗を目に掛けていないのは好都合。

勿論、東方不敗はこのまますごすごと引き下がるつもりは無い。

臓硯「結構結構。では行くぞ、アサシン」

そう言って臓硯は間桐の屋敷を後にする。

アサシンも手にした投擲剣を仕舞い、姿を消して臓硯の後へと続いて行った。


マスター(ランサー、死してなお使われるのは屈辱であろう。無念であろう)

マスター(アサシンに取りこまれたお主の魂、ワシが必ず解放してくれよう)

マスター(だたしばし待て。その時が来るまでは━━━━)

臓硯が見えなくなった後、東方不敗は庭で暫く月を眺めていた。

今夜からまたマスターとサーヴァント探しに戻るわけだが、

果たして今の不安定な慎二を連れて行っても良いものか。

『怪我が治ったら知らせろ』と言っていた以上、心は折れていないのであろう。

しかしそれが裏目に、今にとんでもない事をしでかしそうでならないのだ。

東方不敗が思案にふけている所へ、聞き覚えのある声がした。

その方向に目を向けると、月明かりに照らされた純白の愛馬の姿を現す。

マスター「どうした風雲再起。桜に何かあったのか?」

その問いかけに風雲再起は背を向ける。

どうやら『乗れ』と言っているらしい。

風雲再起にまたがると、その体は疾風の如く勢いでグンと加速する。

手綱をしっかりと握りしめないと振り落とされそうな程だ。

風雲再起は全力で深山町を駆け抜けているが、向かう先は衛宮の屋敷ではない。

マスター(この方向は……柳洞寺?)

案の定、風雲再起が向かった先は東方不敗が臓硯と訪れたあの場所であった。

道路から山道へ勢いを緩める事無く侵入し、

まるで平地を行くかの如く急な石階段を駆け上がる。

疲れなど微塵も感じさせない。

山門まで辿り着くと、東方不敗は鞍から降りた。

マスター「もう良いぞ風雲再起。後はワシ一人で行くとしよう」

マスター「お前は桜の元へ戻っておれ」

そして山門を開けると、寺の境内へと進んで行った。

━━ 暗い。

月は出ていののに、まるでその光が届いていないかの様。

寺の境内は深い闇に包まれている。

奥に進むと、本堂の方角から鼻を付く腐臭が流れてきた。

それにキィキィと無く蟲の声。

マスター「あれは!?」

東方不敗の目に映ったのは、本堂を覆っている黒い塊だった。

近づくにつれ、あれはおぞましい程の蟲の群れである事が分かってきた。

━━ あの中に臓硯が居る。

風雲再起は桜の頼みでここへ来たのかもしれない。

ならばあの中には士郎も居る可能性がある。

マスター「ええい、ままよ!」

東方不敗は腰布を振り回し、意を決して黒い塊の中へ飛び込んで行った。

腰布で人一人分通れるだけの空間を弾き飛ばす。

中に士郎が居るかもしれない以上、無闇な攻撃はするものではない。

蟲の群れを通り抜けた東方不敗が見たものは、

壁にめり込むようにして張り付く士郎の姿と、

それに止めを刺そうと投擲剣を構えるアサシンの姿だった。

東方不敗は反射的に士郎とアサシンの間に腰布を滑り込ませる。

同時にアサシンの投擲剣が放たれた。

投擲剣は腰布に阻まれ板張りの床に突き刺さる。

アサシン「貴様! 何故此処に!?」

士郎「ライ、ダー……?」

士郎は信じられないものでも見たような顔付きである。

アサシンもまた、面の下から焦りの声を漏らす。

アサシン「ライダー、貴様は先程魔術師殿と交わした約束を忘れたか!」

その問いに東方不敗は悪びれる様子も無く、

いつか聞いたやり取りをそのまま返した。

マスター「いやいや、先に約束を破ったのはあちらの方よ」

マスター「ワシはそれを正してやったに過ぎぬ」

その答えに本堂の隅から恨めしそうな声が響いて来る。

臓硯「おのれ、儂に逆らうか!」

臓硯「ええい構わぬわアサシン! 邪魔をするならそやつも始末せい!」

上等である。

ならば見せよう。

マスター「流派・東方不敗が最終奥義ぃ━━━━」

東方不敗は腰を落として半身になると、

脇腹のあたりで両手の間に気を凝縮させる。

気は瞬く間に膨れ上がり、あれ程暗かった本堂は

東方不敗の体から発する光に包まれてゆく。

アサシン「ッキ━━━━!」

アサシンは目の前の光を恐れた

技を出させまいと投擲剣を雨のように投げつける。

━━ だが遅い!


マスター「 石 破ぁ !  天 驚 けぇぇぇぇぇぇぇぇぇん !!! 」


東方不敗の拳から巨大な平手の闘気が放たれた。

その闘気は無数の投擲剣ごとをアサシンを呑み込み、

本堂をぶち抜いて遥か天へと突き抜けていった。

周りを覆っていた蟲の群れは、

それこそ蜘蛛の子を散らすようにその場から消え失せてしまった。

マスター「臓硯は……逃がしたか」

後に残ったのは、東方不敗と床にへたり込んだ士郎の二人だけ。

マスター「大丈夫か?」

そう言って東方不敗は士郎に近づく。

士郎「……ああ、でもどうして。お前は慎二のサーヴァントだろう?」

マスター「なに、ワシはマスターに頼まれたに過ぎぬ」

マスター「それよりもセイバーはどうした?」

マスター「マスター一人を放っておいて何をやっておるのか」

その言葉に士郎はハッとなって自分の左手に目を向けた。

そこには既に令呪は無い。

即ち、セイバーは既にこの世に居ない事を意味していた。

士郎「セイバー……」

士郎の表情から東方不敗もその事を理解した。

しかしその理由は納得できない。

ランサーがアサシンに敗れたと聞いた時はてっきり

『先にマスターを倒し、後で魔力供給の切れたサーヴァントに止めを刺した』

と思っていた。

アサシンの戦闘能力、戦闘スタイルから言ってこれが最も適切である。

しかし今回、セイバーのマスターである士郎はここに健在。

それならアサシンは真正面からセイバーと戦い、勝利したと言う事になる。

だがセイバーとアサシンの実力を知る東方不敗には、この点が納得出来ないのだ。

士郎「……行かないと」

考え込む東方不敗の横をフラフラと通り過ぎ、士郎は本堂の外へと出て行った。

後に続くと、そこで目にしたのは半壊した廊下であった。

そこに残った小さな赤い染みを見た途端、士郎の膝は力なく崩れ落ちる。

どうやら此処で戦闘があったらしい。

しかし、手掛かりになるような物は一切見つける事が出来なかった。

士郎「セイバー……」

士郎は赤い染みを指でなぞりながら小さく彼女の名前を呟く。

士郎は暫く膝を付いていたが、やがて意を決したように立ち上がると

半壊した廊下を後にした。

二人は山門まで戻ってきた。

そこで東方不敗は声を掛ける。

マスター「送ろう。夜道の一人歩きは危険だからな」

士郎「え?」

その言葉に士郎は足を止め、驚きの表情で東方不敗を見つめている。

士郎「……分からないな。それもお前のマスターの命令か?」

マスター「いや、単にワシがそう思っただけよ。他意は無い」

士郎「……そっか。だけど見送りはいい」

士郎「俺達は敵同士だろ。ならそこまで世話にはなれない」

しかし東方不敗は食い下がる。

マスター「別に減るものでも無かろう?」

士郎「減る。家に帰るまでの間に俺の精神が擦り減りそうだ」

マスター「まあまあ、良いではないか」

士郎「良くない!」

マスター「このオロカモノめぇ! 人の行為を無下にするとは何事ぞぉ!!」カーッ

士郎「は、はいっ! すいません!!」ビクッ

こうして東方不敗は半ば強引に士郎の後について行った。

柳洞寺から衛宮の屋敷までは歩いて一時間ほど。

最初の三十分はただ無言で歩き続けるだけであったが、

折角なので桜の事を聞いておく。

マスター「士郎、桜は元気にやっておるか?」

突然の質問に士郎は目を丸くする。

士郎「な、何だよ急に」

マスター「マスターの妹を心配するのはおかしな事ではなかろう?」

士郎「……まさか、俺が桜に何かすると思ってるのか?」

マスター「いや、全く思っておらん」

即答。直球。

その回答に士郎はすっかり毒気を抜かれてしまったようだ。

士郎「な、何だよそれ!?」

士郎「……まあ信用して貰っているのは素直に嬉しいけど」

まあ一つ屋根の下で生活している以上

少しくらい何かあった方が良いような気はするのだが。

マスター(ええい! この甲斐性無しめ!)

そのやり取り以降、いくらか士郎の口は軽くなったようだ。

衛宮の屋敷での桜の様子を色々と話してくれる。

士郎「そう言えば桜、ここ最近体調が悪いみたいだな」

士郎「たまにボーっとしてるし、熱もあった」

マスター「ほう」

士郎「だけど心配しなくてもいいぞ?」

士郎「一晩寝たら持ち直したみたいだし」

その程度ならまあ問題は無いだろう。

士郎「でも、風呂場で倒れた時は流石に焦ったな」

マスター「ほう。風呂場とな」ニヤリ

士郎「バ、バカな想像するなよ!? 本当に何も無かったからな!」

士郎「シャツは着てたし、急いで部屋まで運んで寝かしつけただけだぞ!?」

士郎は顔を真っ赤にして弁明する。

成程分かりやすい。

これなら誰かが背中を押してやれば、後はうまく行くのではなかろうか。

しかし、そんな状況でも何も無かったのか。

マスター(ええい! この甲斐性無しめ!)

マスター「そう言えば士郎、お前は臓硯とも対峙したのであろう?」

マスター「ヤツの言動に何か不審な点は無かったか?」

士郎をからかうのも止めにして、別の話題を持ちかける。

士郎「不審って言っても……」

士郎「あの爺さんに不審じゃない所なんて、探す方が難しいぞ?」

そう言って暫く考え込む。

士郎「……あ、そう言えば『お前はもう用済み』とか言ってたっけ」

マスター「用済み?」

士郎「ああ。でも『遠坂の娘にはまだ利用価値がある』とか何とか……」

マスター「ふむ……」

桜の姉もマスターだった事には驚きだが、その事は一旦置いておく事にする。

ここで東方不敗は、柳洞寺で感じた疑問

『マスターとサーヴァントを倒す順序』について再び思い起こす。

もし仮に臓硯の目的がセイバーだったとしたら、

その目的を達した後で『士郎は用済み』という事で筋が通る。

そうで無ければ、わざわざマスターを残しておく理由が無い。

だとすればアサシンが必ずセイバーに勝てるという勝算があった事になるのだが、

何か強力な後ろ盾があったのだろうか。


『もしあの場に別のサーヴァントが居たとしたら━━━━』


マスター「士郎、あの寺にキャスターは居なかったか?」

最初に柳洞寺に向かった時、臓硯からあの寺には

キャスターとアサシンが居ると聞いたのを思い出した。

士郎「いや、キャスターは俺達が倒したんだ。居るはずは無い……と思う」

士郎「そもそもアンタは臓硯の仲間だろう?」

士郎「臓硯がキャスターの亡骸を使っていたのを知らないって言うのか?」

マスター「知らん。そもそもワシは臓硯の仲間になったつもりはない」

そう言って士郎の言葉を斬って捨てた。

マスター「では、アーチャーかバーサーカーについて知っている事は無いか?」

士郎「……」

その問いに士郎は無言で眼を逸らす。

その反応は実に分かりやすい。恐らく二人とも知り合いなのであろう。

勿論片方は凛である。

先程『遠坂の娘にはまだ利用価値がある』と言ったのを忘れた訳ではあるまい。

単純に嘘を付くのが下手なのだ。

しかしそれなら臓硯のように『新たなサーヴァントを召喚した者が居る』か

『全く別の何かが柳洞寺に居た』かという事になるのだが。

そうこうしている間に、二人は衛宮の屋敷に着いてしまった。

マスター「ではな、士郎」

東方不敗は別れを告げる。

もう少し聞きたい事はあったのだが止むを得ない。

こんな時間とは言え、ここで長居しては桜と鉢合わせる可能性がある。

そうなれば士郎にマスターの事を感づかれるかもしれない。

士郎に背を向け、間桐の屋敷へ向かって歩き出す。

その後ろから


「さんきゅ」


そんな声が聞こえた気がした。

-- interlude --


屋敷の玄関を開けるなり、桜がそこに立っていた。

桜「先輩」

士郎「……あれ、どうしたんだ。もしかして起しちゃったか?」

桜「いえ、寝付けなくて夜更かししてたんです」

桜「そしたら先輩の靴が無かったからどうしたのかなって……」

士郎「ああ、ちょっと出歩いてた」

よく思い起こせば、帰る前から玄関の明りが付いていた。

そうなると、桜はずっとここで待っていたのだろうか。

士郎「桜、ずっと玄関で待っていたのか?」

桜「い、いえっ!」

桜「ちょっとおトイレに寄っただけで、たまたま玄関に居ただけですよっ!?」

この様子だと、士郎が家を開けた数時間の間

ずっとここで待っていたのであろう。

桜「そ、それより先輩、お茶にしませんか?」

桜「あったかいお茶を飲んでゆっくりすれば元気が出ますから」

士郎「ああ、頼む。それとただいま。桜に声を掛けずに出歩いてすまなかった」

桜「はい。おかえりなさい、先輩」

士郎「いっ!」

背中に塗られた消毒液に、士郎の体が跳ね上がる。

最初は怪我を隠すつもりでいたのだが、

お茶を飲んだ途端に腹と背中に染みてきて、勢い良く吐き出してしまったのだ。

問い詰められて傷を見せると、桜の剣幕が嵐の様に士郎を襲った。

半ば強引に手当てをしてもらう事になったのだが、

弓道部仕込みなのか顧問の仕込みなのか、

怪我人に容赦ない治療がテキパキと続けられてゆく。

桜「……はい、終わりました」

桜「新しいシャツを用意しましたから、こっちを着て下さい」

地獄のような二十分を耐え抜き、士郎はようやく胸を撫で下ろした。

士郎「さて、それじゃあ寝るか。こんな夜更けに起こして済まなかったな」

桜「いえ、そんな事は無いんですけど……」

桜は一呼吸置いた後、先程から気になっていた事を口にした。

桜「……先輩。セイバーさんは帰られたんですか?」

その言葉に士郎は一瞬目眩がした。

柳洞寺からこの屋敷まで、振り切ろうしていた彼女の名前。

傷の痛みにかき消されるように、やっと忘れようとしていた彼女の名前。

士郎「……ああ、急な話だけどアイツは帰った」

平静を装い桜の問いに答える。

士郎「セイバー、最後に桜の事言ってたよ」

士郎「桜は思い詰めるタイプだから、もっと気楽にいけってさ」

桜「そうですか……。お別れを言えなかったのは残念です」

桜「でも良かった。あの人が来てから、先輩怪我してばかりだったから」

桜「これで今まで通りですね、先輩」

士郎「え?」

桜「そうですよね? 何をしていたかは聞きませんけど」

桜「先輩が出歩いていたのはセイバーさんの為なんですよね?」

桜「けどセイバーさんも帰ってしまったんですから」

桜「もう先輩が危ない目に合う事も無いじゃないですか」

しかし士郎は聖杯戦争を降りるつもりは無かった。

『あの影を追う事』。

それが士郎を戦いから降りさせない理由だった。

臓硯が操るキャスターを倒した後も、謎の昏睡事件は続いていた。

となれば犯人はあの場に現れた黒い影に違いない。

あの影がいる限り、また犠牲になる人が出るかもしれない。

士郎にはそれを黙って見ている事など出来るはずが無いのであった。

士郎「いや、夜に出歩くのは続ける」

士郎「俺がセイバーに付き合ってたんじゃなくて」

士郎「俺がセイバーを付き合わせてたんだから」

そう言って腰を上げる。

桜「……え?」

士郎「おやすみ桜」

士郎「明日からもっと家を留守にするだろうけど、気にしないでくれ」

士郎「桜は病み上がりなんだからきちんと寝る事」

士郎「さっきみたいにずっと玄関で待ってるってのは無しだぞ」

士郎は桜を居間に残し、自分の部屋へと戻って行った。

桜も自分の部屋に戻る。

桜「先輩、あんな怪我をしたのにまだ……」

桜の日頃の不安は的中した。

夜に出歩く士郎が心配になり、桜はその間だけ風雲再起に同行をお願いしたのだ。

そして今夜、ついにあのような大怪我をして帰ってきた。

セイバーが居なくなった事からも、今夜ただならぬ事があったのは十分に推測ができた。

桜「一体、誰があんな……」

桜「分かる? 風雲再起」

何も無い空間に話しかけるも返事は無い。

東方不敗に先に帰るよう命じられ、風雲再起は何も見ていないのである。

桜「……そう」

桜「どうすればいいんだろう。先輩、このままだともっと大きな怪我をしちゃう……」


桜「あ……なんだ。外に出さなければいいんだ」

桜「うん。歩けなくなるぐらいの怪我をしちゃえば」

桜「もう危ない目に遭う事は無いですよね、先輩……」


-- interlude out --

慎二「ライダー、衛宮と決着を付けたいんだ。アイツの家に行こう」

次の日。昼過ぎに慎二から提案があった。

手にはキーホルダーのような小さな瓶が握られている。

マスター「うむ。構わんがその瓶は何なのだ?」

慎二「……何でも無い。それより行くんだろ?」

そう言って慎二は小瓶をポケットに隠す。

士郎は既にセイバーを失っている。

と言う事は、マスター同士の決着という事で良いのだろうか。

慎二はセイバーの事を知らないはず。

東方不敗は念のため、慎二に確認を取る事にした。

マスター「慎二、確認しておくがそれは『男同士の戦い』という事で良いのだな?」

慎二「ああ、勿論そのつもりだ」

マスター「ならば行くか」

そう言って二人は衛宮の屋敷へ向かう。

玄関に手を掛けると鍵は掛かっていなかった。

靴は桜の物だけが揃えて置いてある。

どうやら士郎は留守にしているようだ。

慎二「……何だ、衛宮は居ないのか。そりゃ都合がいい」

慎二は土足のまま屋敷の中に上がり込む。

マスター(……『都合がいい』?)

慎二の行動は何処かおかしい。

不審に思いながらも、東方不敗は慎二に続いて屋敷に入る。

居間に入ると、そこには畳に伏してグッタリとする桜の姿があった。

マスター「桜!」

東方不敗はその元へと駆け寄ると、

力無くうな垂れる体をゆっくりと抱き起こす。

━━ 熱い。

倒れるほどの熱がある。

士郎から聞いていたより遥かに重い症状ではないか。

桜「あ、れ……。ライダー? ……それに兄、さんも……」

抱きかかえられた事に気が付いて、桜は静かに目を開ける。

しかしその瞳は力無く、虚ろである。

慎二「おいおい、どうした桜」

慎二「こりゃ爺さんの言ってた通り、ライダーを使いすぎた反動かな」

そんは筈は無い。

東方不敗は魔力を必要としない。

よってマスターにかかる負荷は最小限のはずなのである。

ならば桜の魔力を消費する『別の何か』があるのか、

それとも魔力とは違う別の要因があるのかもしれない。

慎二「迎えに来たよ桜。おままごとの時間は終わりだ」

動けない桜に対し、慎二はこのまま連れ帰ると言っている。

マスター「無理を言うでない。桜はこの熱では動けん」

マスター「今すぐ布団で寝かせてやるできであろう」

しかし、東方不敗の言葉を慎二は全く聞いていない。

慎二「ほら行こうか、衛宮とカタを付けるんだ。特等席で見せてやるよ」

そう言って桜の腕を引いて立ち上がらせる。

桜「……いや。嫌です、私……」

桜「先輩には手出ししないって言ったのに……!」

桜は涙目になって訴える。

マスター「慎二、確かに桜と約束したはずだが?」

またもや慎二は無視をする。

腕を引き、桜を居間から連れ出そうとしている。

慎二「安心しろよ桜。これも男同士の付き合いってやつさ」

慎二「約束は守るし、用さえ済めば此処に戻っても構わない」

慎二「ただ、こんな状態の妹を放っておく悪いヤツにはお灸を据えないと、ね」

最後の言葉には概ね同感だが、そうは言っても

それが体調の悪い桜をここから連れ出して良い理由にはならない。

マスター「慎二、いい加減にせんか!」

東方不敗は苛立ちを押さえられずにいた。

その怒鳴り声に慎二は目を細め、鬱陶しそうに東方不敗を侮蔑する。

慎二「うるさいなぁ。こうでもしないと衛宮は来ないかもしれないだろ?」

慎二「それにさっきも言ったけど、用が済めば桜はまだ此処に帰ってきてもいいんだ」

マスター「……むぅ」

確かに、既にマスターで無くなった士郎には慎二と戦う理由が無い。

あちらからしてみれば拒否する事も出来るのだ。

桜も観念したのか、力無くも抵抗していた腕をだらんと垂らす。

慎二「そうそう、桜は良い子だな。それじゃあ一足先に行っていようか」

慎二「ライダー、桜を連れて来るんだ」

そう言って慎二は衛宮の屋敷から出て行った。

マスター「……すまんな、桜」

桜「ううん。ライダーが、謝る事なんてない……」

桜「兄さんは昔から、一度決めたら人の話を、聞かなくなるんだから……」

桜の声は苦しそうだ。

このまま連れて行くにしても、少しでも楽になるようにすべきである。

マスター「そうよ、熱がある時は水分補給。ポカリは無いのか?」

そう言って東方不敗は台所の冷蔵庫を開け、中の飲み物を確認する。

しかしそこには牛乳パックと水の入ったペットボトルしか存在しない。

マスター「ええい! 男児たる者、ポカリを常備していないとは何事ぞ!」

桜の体調の悪さに、東方不敗も少々冷静さを欠いているようだ。

仕方なく水の入ったペットボトルを拝借し、桜を背負って屋敷を後にした。

慎二が向かった先は学校であった。

学校へ着くと、慎二は道路脇にある公衆電話にお金を入れる。

長いコールの後、受話器が取られる音がした。

慎二「……もしもし? 帰ってきたのか、衛宮?」

士郎『桜をどうした』

士郎の声が聞こえてくる。

どうやら桜が居なくなった事は、向こうも既に気が付いているようだ。

慎二「は? どうしたって、迎えに行ったんだよ」

慎二「あいつは僕の妹なんだから、いつまでも他人の家に置いておけないよ」

士郎『慎二!』

受話器の向こうから聞こえる怒声に、慎二の口元がつり上がる。

慎二「はは、いいねぇ! カッカきてるじゃんか衛宮」

慎二「桜を連れ戻されて悔しいってワケだ!」

士郎『回りくどいのはいい。手っ取り早く用件を言え』

慎二「……分かってるだろ? いい加減カタを付けようぜ」

慎二「一人で学校へ来るんだ。いいな?」

士郎『つまり、セイバー抜きで戦えって事か?』

慎二「いいね。物分かりが良くて助かるよ」

マスター(……)

士郎『すぐに行くから待ってろ』

その言葉を最後に電話が切れる。

慎二も受話器を置くと、東方不敗に背負われた桜に嬉しそうに話しかける。

慎二「良かったな桜。衛宮のヤツ、お前を迎えに来てくれるってさ」

桜「……」

だがその言葉に桜の返事は無い。

これから起こる事への不安からかか、

顔を前髪で隠すようにじっと俯いたままである。

慎二「じゃあ行こうか、場所は僕の教室の前だ」

三人は校舎の三階まで上がってきた。

校舎には人気が無い。どやら昏睡事件の多発で、下校時間を早めたようである。

東方不敗は桜を廊下に座らせると、拝借したペットボトルを差し出した。

マスター「苦しくはないか? 桜」

桜「……ありがとう、ライダー」

桜はペットボトルを受け取ると、中に入った水を少しだけ口に含む。

慎二「……そうそう、これを付けておかないとね」

慎二はポケットから小瓶を取り出し、床にへたりこむ桜の耳に取り付けた。

マスター「慎二、気になっていたのだがそれは何なのだ?」

慎二「ああ、ちょっとした『保険』だよ」

マスター「?」

詳しく聞きたいものの、少し前にもはぐらかされたばかり。

恐らくこれ以上追及しても納得のゆく答えは得られないだろう。

慎二「なあ桜。僕たちはこれから衛宮と決着を付けるけど」

慎二「その『決着』が何の事かは分かるよな?」

慎二は桜の耳に小瓶を付けた体制のまま、その耳元で静かに囁いた。

桜「……知りま、せん」

慎二「はぁ? 嘘はいけないなぁ、桜」

慎二は俯く桜の顎に手を掛け、無理矢理顔を上げさせた。

慎二「お前もマスターなら気が付いて当然だろ?」

慎二「それにずっと衛宮の家にいたんだ」

慎二「アイツに妙な行動があったら不審に思うだろ?」

その問いかけに桜は目線をそらし

桜「知りません……本当です」

桜「先輩が夜出歩いてる事は知っていました」

桜「でも、それで何をしていたかなんて、本当に知らないんです……」

消え入る声で呟いた。

慎二「へぇ、全く駄目なヤツだな衛宮も」

慎二「一緒に住んでいる桜に何の説明もしないなんて」

慎二「じゃあ僕が教えてあげるよ」

慎二「アイツはな、夜な夜な出歩いては無関係の人間を襲ってたんだぜ?」

桜「嘘です!」

今度は真っ直ぐに慎二を見据え、桜ははっきりと否定した。

慎二「でなければ説明が付かないんだよ。だってアイツ大した魔術師じゃないだろ?」

慎二「そんな衛宮がセイバーを維持するなんて、人を襲う以外に考えられない」

桜「先輩はそんな事する人じゃありません!」

慎二「……分からないかなぁ桜。それじゃあライダーは」

慎二「そんな魔力供給もできないサーヴァントにやられたってのか?」

桜「それは……」

桜も東方不敗が負った胸の傷は見ている。

しかし慎二がマスターになった事で魔力供給が無いのはライダーも同じ事。

条件が同じな以上、単純にセイバーの方がライダーを上回っていたのだと信じたい。

桜「……それでも。それでも先輩は人を襲えなんて命令しません!」

桜「それはセイバーさんだって……」

自分の言う事を信じない桜に、慎二はだんだんと苛立ちを募らせ始める。

慎二「ああそうかい。分かったよ桜」

慎二「それなら直接衛宮に聞いてみるといい。そろそろ来るんじゃないか?」



士郎「慎二!」



慎二「ほら、ね」

廊下の向こうに士郎の姿が現れた。

それを見ると慎二は桜を脇に抱えて立ち上がらせ、

ポケットからナイフを取り出すと、その切っ先を桜の喉に突き付ける。

マスター(これは演技……なのか?)

士郎が来た以上、後はマスター同士で決着を付ければ良い。

今更こんな真似をする必要は無いはずである。

ただ、慎二が本当に桜を手に掛けるとは考え難い。

演技にしろ何にしろ、

人質は『無事である』からこそ意味の有るものなのだから。

東方不敗は取り合えず事の成り行きを見守る事にした。

士郎「桜!」

士郎が廊下を全力で駆けてくる。

マスター「待てぃ!」

東方不敗は慎二と桜の前に立ち、突進してくる士郎を牽制する。

あのままの勢いで慎二にぶつかられては、

はずみで桜にナイフが刺さりかねない。

士郎「お前……!」

士郎は勢いの付いた体を押し止め、東方不敗の後ろにいる二人に目を向ける。

慎二「よう、思った通り飛んできたな衛宮」

士郎「……何だよ、それ」

士郎「お前、本気でそんな事やってんのか!」

士郎も慎二の持つナイフに気が付いたのか、

信じられないといった表情で二人を見据えている。

慎二「当然だろ。本気だからここで待っていたんじゃないか」

士郎「っ!」

士郎と慎二は暫く睨み合っていた。

先に口を開いたのは士郎であった。

士郎「……慎二、桜に俺たちの事を話したのか?」

慎二「はぁ?」

慎二「……ああ、お前は隠しておきたかったのか?」

慎二「安心しろよ衛宮。ちゃんと話してやったさ」

慎二「僕たちがマスターで、今まで殺し合いをしてきたってなぁ!」

慎二「ホラ桜。聞きたい事があったんだろ? 今の衛宮なら何でも答えてくれるぜ」

桜「……」

だが桜は答えない。

慎二の脇で抱えられたまま、目線をそらして俯いている。

段々と雲行きが怪しくなってきた。

そろそろ本題に移った方が良いのではなかろうか。

それに桜は本来、立っている事も辛い程の体調なのである。

マスター「慎二、そろそろ良いのではないか?」

士郎「そうだ。約束通り来たんだ、桜を放せ」

慎二「はあ? 約束なんてしてないよ。したのは命令さ」

士郎「!」

慎二「そう睨むなよ衛宮。用件が済めば桜は帰してやるよ」

士郎「分かった。で、その用件は何だ? カタを付けるって言ってたよな?」

慎二「ああ、けどただやり会うのもつまらないだろ?」

慎二「僕は魔術師じゃないから不公平だし」

慎二「ただの喧嘩じゃ僕が勝つのは分かり切っている」

慎二「だからここは公平を期して、ライダー相手をしてもらう事にしたんだ」

マスター「何ぃ!?」

東方不敗は我が耳を疑った。

マスター「慎二! 『男同士の戦い』では無かったのか!?」

慎二「何だよその顔は。僕は嘘は付いてない。ほら、ライダーだって男だろ?」

慎二「これも立派な『男同士の戦い』じゃないか」

マスター「貴様ぁ……!」

これで何度目だろうか。東方不敗が慎二に腹を据えかねたのは。

ふつふつと湧き上がる怒りを抑えながら、東方不敗は静かに機を待ち続けた。

慎二「なに、命までは取らなくていい。でも骨の二、三本は折っておいてよ」

慎二「これからうろちょろされると目障りだからさ」

慎二は東方不敗に命令すると、士郎に向き直ってさらに続ける。

慎二「簡単だろ衛宮? ただ馬鹿みたいに殴られてればいいんだ」

慎二「けど簡単に倒れるなよ?」

慎二「僕が満足する前に気絶なんかしたら、桜は僕が連れて帰る事になるからね」

士郎「……ふん。抵抗はするな、けど簡単には倒れるな、か」

士郎「矛盾してるぞ慎二。お前、何がしたいんだ」

慎二「は、そんなの……」

桜の喉に向けられたナイフが、すっと士郎に向けられる。

慎二「僕はお前をぶちのめしたいだけなんだよっ!」


マスター「風雲再起ぃ!!」


その呼び掛けと共に、慎二の腕に風雲再起が噛みついた。

桜の喉から離れたナイフは、その腕ごと風雲再起に引きずられてゆく。

突如現れた白馬に驚き戸惑い、慎二は桜を支える腕から力が抜けてしまう。

マスター「でかした!」

慎二「くそっ! 離せ!」

慎二は必死に風雲再起のから逃れようとするものの、

ただの人間と馬では力の差は歴然である。

東方不敗は慎二からナイフを取り上げると、

二本の指でポキリとへし折ってしまった。

士郎「桜っ!」

士郎は崩れ落ちる桜に駆け寄った。

桜は顔を上げず、力無く床に座り込んでいる。

「そこまでよ、慎二!」


マスター「何奴!」

東方不敗が声のした方へ目を向けると、

廊下の角から飛び出す二つの影があった。

一人は凛。そしてもう一人は赤い外装に身を包んだサーヴァントである。

凛「え……!? 黒須、さん?」

凛は依然会った桜の親戚だと言う男に少しだけ躊躇した。

マスター「いかにも。ワシがライダーのサーヴァントよ」

しかし東方不敗がサーヴァントだと名乗ると、すぐに平静を取り戻す。

凛「……そう。全く気が付かなかったのは私の落ち度だわ」

慎二「と、遠坂……!?」

しかし慎二の方は、凛の登場に何時までも驚き戸惑っている。

慎二「卑怯者! 約束を破りやがったな衛宮。一人で来いって言ったのに!」

凛「あら、アレは約束じゃなくて命令だったんでしょ?」

凛「なら士郎を卑怯者呼ばわりするのは筋違いだわ」

凛「それに私はアンタが電話した時にたまたま傍に居たの」

凛「慎二、声大きいんだもの。士郎が隠してても聴こえちゃった」

慎二「ぐっ……」

アーチャー「……」

アーチャーは東方不敗を睨みつけたまま、双剣を手にして前へ出る。

無言の圧力は、後ろにいる慎二にもひしひしと向けられていた。

慎二「うっ……。あ、アイツを倒せ、ライダー!」

しかしその命令に東方不敗は動かない。

マスター「慎二、ワシはお前が士郎と決着をつけると言うから力を貸したのだ」

マスター「それをお前は卑怯な行為の数々。もう許してはおけん」

マスター「契約を破棄させてもらおう!」

ついに東方不敗は三行半を突き付けた。

慎二「ば、馬鹿な事を言うな。令呪はまだここにあるんだぞ!?」

慌てふためく慎二が偽臣の書を取り出したその時である。

慎二の手から本が消えた。

慎二「なぁ!?」

風雲再起が口で取り上げ、そのまま腹の中へと呑み込んでしまったのだ。

マスター「風雲再起、そんな物を食べると腹を壊すぞ?」

慎二「や、ヤギかお前はぁ!?」

慎二の力無いツッコミが、空しく廊下に響き渡る。

凛「ここまでね」

慎二「まだだ! 桜、もう一度僕に支配権を譲るんだ!」

慎二はまだ諦めていないらしい。

しかし次に偽臣の書を作れば、元のマスターから純粋な令呪が無くなってしまう。

頭に血が上っているのか、その重大さに気が付いてないと見える。

しかし桜はそれとは別の感情をもって慎二を否定した。

桜「兄さん……。もう止めましょう」

桜「兄さんは約束を破りました」

桜「先輩は殺さないって言ったのに、先輩とライダーを戦わせようとして!」

桜「だから、もう……」

慎二「どうしても、僕の言う事を聞けないんだな? 桜」

桜「はい……」

慎二「……なら、お前の好きなようにしてやるよ」

その瞬間、桜の耳に着いていた小瓶が破裂した。

中には液体が入っており、それが桜の顔に降りかかる。

桜「ぁ、っ……!」

小さな悲鳴。

それと同時に桜の体が大きく仰け反る。

マスター「どうした!? 桜」

桜の苦しみ方は尋常ではない。

桜「ぁ……はぁっ。あああっ……」

半ば痙攣にも似た震える体を、桜は必死に押さえ付ける。

苦しむ桜をその場に残し、慎二は逃げるように走り去った。

慎二「じゃあな桜。恨むなら僕じゃ無く、爺を恨んでくれ」

慎二「なに、どうせいつかはそうなるんなら、今楽になった方が幸せかもよ!」

士郎「桜!」

士郎は桜を抱き寄せた。

しかしその後ろから、アーチャーに肩を掴まれ引き離されてしまう。

アーチャー「たわけ! アレが見えんのか!」

アーチャーが指差したのは桜の足元。

何か赤黒いモノが波紋のように広がりつつあった。

その中から、槍のように尖ったものがいくつも顔を出している。

凛「……まずいわね。桜、見境が無くなってるわ」

士郎「どういう事だ? 遠坂」

凛「アレは他人の魔力を吸収する為の触角よ。間桐の魔術かしら?」

凛「今は小規模だけど、この状態が続けば多くの人を巻き込みかねない……」

士郎「何だって!?」

アーチャー「止むを得ん」

アーチャーは倒れる桜に近づこうと歩み寄る。

しかしその前に東方不敗が立ち塞がった。

アーチャー「……そこを退け、ライダー」

マスター「アーチャー、その手に持つ剣で一体何をするつもりだ?」

アーチャーから桜へ向けられた殺気を東方不敗は見逃さなかった。

アーチャー「知れた事。一度他人の味を覚えると癖になるからな」

アーチャー「桜が外道に堕ちる前に引導を渡してやるのがせめてもの情けだろう」

マスター「そんな事、ワシの目の前でさせると思っているのか?」

アーチャー「させてもらう!」

アーチャーの双剣から十字斬りが放たれる。

だがその剣を、東方不敗は両手の二本指で意図も簡単に受け止めた。

そして指圧のみでアーチャーの双剣を砕き折る。

セイバーの剣を正面から受け止めた東方不敗にとって、

アーチャーの剣など御し易い相手であろう。

マスター「ぬおおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉお!!!」

『点』の動きである拳の突きが、

今や『面』となる程の物量でアーチャーへと襲いかかった。

聖杯戦争が始まって以来、初めて訪れるマスターの危機。

東方不敗の拳は今まで以上に怒気を含んでいた。

アーチャー「━━━━━━━━」

無数の拳がアーチャーに突き刺さる。

その体は廊下の窓ガラスを突き破り、

グラウンドの向こう側へと落下して行った。

凛「そんな! アーチャー!」

マスター「さて……」

サーヴァントの居ないマスターだけなら問題無いと踏んだか、

東方不敗は士郎と凛に背を向ける。

桜の元へと歩み寄ると、まずはその様子をしっかりと観察する。

不思議な事に、赤黒い波紋は東方不敗が近づいても何の反応も示さなかった。

マスター「……一先ず応急処置をせねばな」

桜が苦しんでいるのは小瓶から溢れた薬品が原因なのは間違い無い。

持ってきていた水で桜の顔に付いた薬品を洗い流し、

濡れた体を腰布で丁寧に拭き取ってゆく。

マスター「ところで今、桜の体には何が起こっておる?」

マスター「先程『魔力を吸収』とか言っておったが?」

そんな東方不敗の問いかけに、凛は呆れと怒りを入り混じらせる。

凛「サーヴァントなのに何も分からないの? いいわ、教えてあげる」

凛「桜はね、魔力不足に陥って暴走してるの」

凛「このままじゃ、近付く人を無差別に襲いかねないわ」

成程、アーチャーが桜を手に掛けようとしたのはその為か。

マスター「事情は分かった」

マスター「それならここは一先ず、どちらかの魔力を桜に分けてくれんか?」

士郎「それなら俺が!」

士郎はその呼び掛けにすぐさま名乗りを上げた。

しかし桜に近づこうとする士郎の体を、凛はその間に入って制止する。

凛「馬鹿な事言わないで!」

凛「あんな暴走状態じゃ『ちょっと分けて』なんて生易しい吸収じゃ済まないわよ!?」

とその時、この場で一番魔力を持つ人間が近づいた事により

桜の周りの赤黒い波に反応があった。

凛に向かって、桜の足元から槍のような触角が襲いかかる。

凛は士郎の方を向いており、その事に全く気が付いていない。

士郎「危ない、遠坂!」

士郎は半ば体当たりする形で凛の体を付き飛ばした。

凛の代わりに触角を受けた士郎は

左腕から血を流して魔力を根こそぎ奪われてしまった。

その場に倒れた士郎に気が付き、桜は悲痛な叫び声を上げる。

桜「先、輩……?」


桜「いや……」

桜「いやぁ━━━━━━━━━━━━━━━━っ!!」


それと同時に桜の触角は自身の腕を貫いた。

マスター「どうした!?」

凛「自滅!?」

桜はそのまま気を失い、足元に広がる波は跡形も無く消えてしまった。

辺りが静まり返ったのを確認し、東方不敗は凛に尋ねる。

マスター「この二人を治療できる方法を知らんか?」

その問いに凛は少し迷っていたようだったが、

やがて意を決して重い口を開く。

凛「……言峰教会ね。そこに聖杯戦争の監督役がいるわ」

マスター「よし、ならば付いて来い」

東方不敗は桜と士郎を両脇に抱え、

さらに凛の手を引いたまま壊れた窓から身を乗り出した。

凛「ちょっと! 一体何を……」

マスター「さあ行くぞ! 風雲再起ぃぃぃ!!」

東方不敗はときの声を上げながら、全員を連れて窓から飛び降りた。

四人の体が光に包まれたと思うと、

そこは既に鋼鉄の白馬のコックピットの中であった。

風雲再起は黒いゴムのようなスーツに身を纏い、東方不敗の命令を待っている。

マスター「目指すは教会! 天を駆けよ、風雲再起ぃ!」

鋼鉄の白馬から翼が生える。

今や白馬は天馬と化し、音速の勢いで空を駆ける。

凛「すごい……。これがライダーの宝具」

凛「でも、桜がこんなだってのに宝具なんて使っていいの!?」

愚問である。

マスター「問題無い。ワシと風雲再起は魔力を使わんのでな」

マスター「よって桜に負担は掛からんのだ」

乗り降りを合わせても、学校から教会までは一分とかからなかった。

教会前の広場に桜と士郎を降ろし、東方不敗は凛に告げる。

マスター「凛、申し訳無いが後は一人で行ってくれんか?」

凛「ちょっと! 私一人でこの二人を運べって言うの!?」

マスター「うむ。ここは何やら嫌な空気が漂っておる」

マスター「身勝手なのは重々承知よ」

そう言って踵を返して教会から離れてゆく。

少し離れた所で足を止め、思い出したかのように凛に告げた。

マスター「そうそう、士郎に『ポカリが無くて助かった』と伝えておいてくれ」

危なかった。

士郎の家から持ってきたのがポカリだったら、

今頃桜の顔はベタベタになっていたに違いない。

そしてもし牛乳を持ってきていたなら、

今頃桜の顔は【※禁則事項です】であろう。

凛「ハァ?」

凛は何が何だか分からないという顔をしていたが、

すぐに考えるのを止め、桜と士郎を教会の中へと運んで行った。

中に入りたく無いとは言ったものの、やはり様子は気になるもの。

東方不敗は教会の扉に背を付けると、静かに耳をそばだてる。

日が沈みかけた頃、ようやく士郎が目を覚ましたようだ。

桜はまだ治療中である。

教会の中から士郎と凛の話が聞こえてきた。

士郎『……遠坂、聞きたい事がある』

凛『……でしょうね。桜の事?』

士郎『ああ』

凛『いいわ。もう、隠していても仕方が無いし』

凛は桜について淡々と語ってゆく。

士郎はその話に黙って耳を傾けていた。


●間桐の血が薄れだし、代々魔術回路が少なくなっていった事

●慎二の代で完全に魔術回路が無くなってしまった事

●弟子を取ろうとしたものの、落ちぶれた家系に弟子に来る者は居なかった事

●十一年前、間桐は古くから盟約を結んでいた遠坂から養子を貰った事

●それが凛の妹である桜であった事


東方不敗は複雑な心境であった。

桜と凛の名字が違う事は気が付いていた。

勿論、そこに複雑な家庭の事情があったのは容易に想像ができる。

しかし聖杯戦争限りの付き合いであるサーヴァントが出しゃばるなど、

要らぬ節介というもの。

部外者が出る幕ではないと、それに触れずにいたのであった。

しかし、まさかそのような理由があったとは。

士郎『……良かった。遠坂、桜の味方なんだ』

話が終わった後、士郎はポツリと言葉を漏らした。

学校で凛は、士郎にいつも桜の事を聞いてきた。

それに先程の戦いでアーチャーは宝具を使わなかった。

結果的に白兵戦では東方不敗の圧勝であったが、

凛が桜を気にしての命令だと分かったのだ。

しかし、士郎の言葉に対する凛の反応は冷たいものであった。

凛『いいえ。私、あの子の味方でも何でもないわ』

凛『このまま桜が治らないのなら、敵として処理するだけよ』

凛『無差別に人を襲う魔術師なんて、放っておける訳が無いでしょう』

士郎『な、何いってんだお前! 桜はお前の妹だろ?』

士郎『それを「殺す」なんて……』

『何をしている。騒ぐなら外でするがいい』


士郎『言峰、桜は……!?』
凛『綺礼、桜は……!?』

二人同時に口を開く。

どうやら神父が現れたようだ。

言峰は桜の容態を説明し始めた。


●桜の体に『刻印虫』というモノが植えつけられている事

●刻印虫を植えつけたのは臓硯であるという事

●瓶に入っていた薬品で刻印虫が活性化し、桜の魔力を貪り始めた事

●このまま魔力が底を尽きれば、刻印虫が桜の体を乗っ取り始めるという事

●これから刻印虫を取り除く手術をする事


凛『……任せたわ。手術が済んだ頃に来るから』

話が終わった後、凛は教会から出て行った。

東方不敗は素早く身を隠し、士郎の様子を観察する。

士郎は教会に残ろうとしたが、言峰に促され渋々その場を後にする。

教会の扉を押し開け、外に出ようとする士郎であったが

その背後から言峰が声を掛ける。

言峰『衛宮士郎。お前がマスターになった理由を覚えているか?』

言峰『お前は正義の味方になると言った。ならば決断を下しておけ』

言峰『自身の理想、その信念を守る為、衛宮切嗣のように自分を殺すかどうかをな』

話は終わったようだ。

これ以上居ても仕方が無い。東方不敗は士郎の後を追って行く。

士郎は夜の公園へ足を運ぶと、力無くベンチに腰を下ろした。

苦しげにうな垂れる士郎の姿は、単純に桜が心配だという話では無さそうだ。

何か重大な決断を迫られている。

そんな覚悟の表情が、苦渋の表情からチラチラと見え隠れしていた。

マスター「士郎、何を呆けておる」

士郎「ライダー……か?」

士郎は顔を上げずに呟いた。

マスター「悩み事があるなら相談にのるぞ?」

と言っても、桜の事に決まっているのだが。

士郎「放っておいてくれ。これは俺の問題だ」

マスター「まあそう言うな。頭の中だけで考えていても混乱するだけよ」

マスター「口に出してみると案外まとまるかもしれんぞ?」

東方不敗の言葉に士郎は少し考え込んでいたが、

その内ポツリポツリと胸の中を語り始めた。

士郎「俺は……正義の味方になりたかったんだ」

士郎「十年前の大火災で俺は一人、親父に助けられた」

士郎「俺にとって親父は正義の味方だったんだ」

士郎「でも、親父は正義の味方にはなれなかったって言ってた」

士郎「だから……俺が代わりになるって誓ったんだ」

士郎「大火災で助からなかった人の代わりに、俺が皆を幸せにするって誓ったんだ」

士郎「だけどどうだ?」

士郎「遠坂の判断は正しい」

士郎「今夜決断しなければ、明日にはもっと多くの人の命が失われるかもしれない」

士郎「でも……俺は。俺はっ!」

そんな士郎の頭に手を置き、東方不敗は優しく静かに語りかける。

マスター「なあ士郎。誰かの味方をするのに、そんな大層な理由が要ると思うのか?」

士郎「え・・?」

マスター「誰かの味方をする理由など」

マスター「『その人を守りたい』『その人が好きだから』という理由ではいかんのか?」

東方不敗はさらに続ける。

マスター「ワシはな、生前は『自然を守る為』に闘っておった」

マスター「だがこの度の戦い、ワシは寺を破壊し学校をも破壊した」

マスター「何故だか分かるか?」

士郎「それは……マスターを守る為じゃないのか?」

マスター「学校だけならその結論も出よう。だが寺でお前を守った理由にはなるまい」

マスター「ワシはな、お前が死ぬと桜が悲しむと思い助けたのだ」

マスター「厳密にはあの夜」

マスター「桜から直接、お前を助けるように言われた訳では無かったからな」

マスター「自然を守る事も大切だが」

マスター「だからと言ってお前達を失っては何もならん」

何かの味方をするという事の純粋な理由。

『その人を守りたい』。

その言葉に、士郎の頭は綺麗さっぱりと洗い流された。

士郎「……俺は桜を守りたい。桜の味方になりたんだ!」

その言葉に東方不敗間満足そうに頷き、士郎の頭から手を放す。

マスター「よし。ならば後は自分のやる事は分かっていよう?」

士郎「ああ、そろそろ行くよ」

そう言って士郎は立ち上がり、教会へ向かって走って行った。

東方不敗はその後ろ姿が見えなくなるまで眺めていたが、

やがてポツリと言葉を漏らした。

マスター「士郎はあれで良い。士郎は、な……」

桜には士郎が必要である。

そして士郎にもまた、桜が必要である事は言うまでも無い。

しかし、もし桜が無関係の人間を襲うような事になれば、

そうなる前にどうにか手を打たなくてはならない。

空を仰いで考えるものの、その方法は一向に見えてはこない。

空に光るはずの星も今ではすっかり暗雲に隠されてしまい、

その様子は東方不敗の心の中を現しているかのようであった。

マスター「今夜は……降るな」

そろそろ自身も戻ろうと、東方不敗はその場を後にする。

公園の入口まで差し掛かった所で、隅に隠れる人の気配に声を掛けた。

その気配は士郎より先に公園にあったのだが、

東方不敗とのやり取りの間もずっとそこに立っていたのだ。

見逃そうとは思っていたが、その行動はやはり気になる。

マスター「盗み聞きとは感心せんな。そろそろ出てきたらどうだ?」

その問い掛けに銀髪の少女が顔を出した。

マスター「……バーサーカーのマスターか?」

残る選択肢からの判断である。

銀髪の少女「そうよライダー。私はイリヤ」

銀髪の少女「『イリヤスフィール・フォン・アインツベルン』って言えば分かるでしょ」

マスター「分からん」

イリヤ「」

イリヤ「何よーっ! 私の知らないサーヴァントなんて居ないんだからーっ!」

マスター「しかし、ワシの知らないマスターなら沢山おるぞ?」

イリヤ「馬鹿にしてー! 大体、本当ならアレは私の台詞だったんだからねっ!」

東方不敗にあしらわれ、イリヤはプンスカと癇癪を起こす。

マスター「まあそう怒るな」

マスター「誰の言葉であれ、士郎がああやって決断したのはお互い良かったであろう?」

イリヤ「うん……。悩んでたシロウが元気になったのは素直に嬉しいな」

マスター「では良いではないか」

マスター「どれ、今夜はもう遅い。それに雨も降るから送って行こう」

どうやらイリヤの周りにバーサーカーは居ない様子。

どのような狂戦士かは知らないが、

そんなサーヴァントが近くにいるなら嫌でも分かると言うものだ。

よって、イリヤは純粋に士郎に会いに来ただけという事になる。

バーサーカーのマスターとは言え、小さな子が夜一人で歩くのは感心しない。

士郎の知り合いなら放っておく訳にもいかないだろう。

イリヤ「嫌。まだ私帰らないわ」

東方不敗の申し出に、イリヤは頭を振って否定する。

イリヤ「……そうね、私の台詞を取ったバツよ」

イリヤ「私を連れてシロウの後をつけなさい。そうすれば素直に帰ってあげる」

マスター「むう……」

どうやら素直に言う事を聞いてくれそうもない。

それならばと東方不敗はイリヤを抱き上げ、自らの肩に乗せて歩き出す。

イリヤ「わぁ! …………ふふっ」

自分の目線が高くなった事に気分を良くしたのか、

イリヤは東方不敗の額にしがみ付き嬉しそうな声を上げる。

マスター「これ! あまり暴れるでない!」

東方不敗は上体をあまり揺らさないように注意しつつ、

ゆっくりと教会へ歩いて行った。

後そこを曲がれば教会という所で、ポツポツと雨足が強まってきた。

急ぎ足になる東方不敗の耳に、ガラスの割れる音が飛び込んできた。

教会の方からである。

続いて走り去る人影。その姿は紛れも無く桜であった。

マスター「どうしたのだ!?」

続いて別の人影が現れる。どうやら凛のようだ。

凛は桜が走って行った方とは別の方向へと走ってゆく。

少し遅れてまた別の人影が。今度は士郎である。

士郎は桜とも凛とも別の方向へと走っていってしまった。

マスター「仕方が無い、桜を追うぞ」

イリヤ「ちょっと、シロウを追うんじゃないの?」

マスター「心配するな、士郎の目的は桜であろう」

マスター「ならば桜の元で待っていれば、その内士郎もやって来よう」

そう言ってイリヤを肩に乗せたまま、桜との繋がりを頼りに後を追った。

桜は公園の真ん中で足を止めた。

追いついた東方不敗は只ならぬ雰囲気を感じ、物陰に隠れて息を潜める。

あの教会で何かあった事だけは間違い無い。

声をかけようにも憚られた。

イリヤもその空気を感じたのか、じっと口を閉ざしてその姿を見守っている。

どれ程そうしていただろうか。

雨足は一掃強くなり、一人佇む桜の体は

それに消え入りそうなほど小さくなってゆくようだ。

そこへ、ついに士郎が現れた。

-- interlude --


士郎「━━ 桜」

その呼びかけを桜は震える声で拒絶する。

桜「だめ、来ないで下さい……!」

近付こうと前へ出した足を止め、士郎はもう一度桜に声を掛ける。

士郎「桜」

しかし桜の反応は変わらない。

桜「……帰って、下さい。今近付かれると私、何をするか……分からない」

雨の音だけが辺りに響く。

士郎は桜を見つめているが、桜は地面を見つめて前髪で顔を隠している。

泣いているのか、それとも術後で弱った体を蝕む雨に震えているのか。

小刻みに動く桜の肩と、それに追従する乱れた呼吸。

士郎は言葉をかけられず、ただひたすらに時を待ち続けた。

その内、小刻みだった肩の揺れが

ゆっくり、大きく、上下の運動を繰り返す。

少し落ち着いてきたのだろう。

意を決し、士郎は桜に語りかけた。

士郎「桜、聞いてくれ」

士郎「返事はしなくていい。ただ聞いてくれればいいんだ」

士郎「桜の事は遠坂や言峰から聞いたよ」

士郎「ライダーのマスターだった事。遠坂と本当の姉妹だった事。刻印虫の事」

士郎「でも、そんな事はもういいんだ……。いいんだよ」

士郎「それとも、そんな事で俺が桜を責めるって思ってるのか?」


士郎「桜が手伝いに来るようになって、大体一年くらい経つんだよな」

士郎「あの頃の桜はちょっと内気で、俺と話せるようになるのも結構かかったけ」

士郎「今ではすごく明るくなって、料理の腕も俺を超えるくらいに上手くなってる」

士郎「桜は変わったよ。俺は全然変わって無いかもしれないけど」

士郎「でも、たった一年じゃないか」

士郎「俺達の関係は、まだ何も答えなんか出てないじゃないか!」


士郎「……桜には、俺に知られたくない事が沢山あったんだよな」

士郎「でもそれを知ったからって」

士郎「それで俺達の関係が終わってしまって良い訳が無いだろ!」

士郎「覚えてるか? 俺が桜に『今日から泊れ』って言った日の事を」

士郎「俺は何も分からないまま聖杯戦争に巻き込まれた」

士郎「けど、無我夢中で戦ったよ」

士郎「それは、最初は『戦いを止める為に戦う』って理由だった」

士郎「多くの人が聖杯戦争の犠牲になるのが耐えられなかったんだ」

士郎「でも、途中からそれは違うって気が付いた」

士郎「俺は誰より、桜を守りたかったんだ」


士郎「セイバーが居なくなった後も、夜の巡回を続けたよな」

士郎「桜は止めてたけど、あれは内心」

士郎「いつか桜が犠牲になるかもって、居ても立っても居られなかったんだと思う」

士郎「俺が聖杯戦争を戦う理由は、常に桜の為だったんだ」


士郎「俺はこれからも聖杯戦争を戦う」

士郎「桜を守る為に。桜を勝たせる為に聖杯戦争を戦う」

士郎「だから、これからも一緒でなくちゃ、意味が無くなるんだ」

士郎「桜は言ってたっけ」

士郎「『自分は臆病だから、強引に手を引っ張ってくれる人がいい』って」

士郎「俺はそんな事を、今になって思い出すくらいに不器用な男だ」

士郎「だから……こんな風にしか言えない」

士郎「俺は……。お前が……。お前が……」



士郎「お前が好きだ!」

士郎「お前が欲しい━━━━!」

士郎「桜━━━━━━━━━━━━━━!!」



桜の体をしっかりと抱き締める。

桜「━━ あ」

その体は雨で冷え切り、今にも消え入りそうな程か弱くもあった。

しかし合わせた胸からはトクトクと確かな鼓動が伝わってくる。

桜はここに居る。ここに生きている。絶対死なせるもんか。

士郎の胸の中で桜が囁く。

桜「先輩……。私なんかでいいんですか?」

桜「ズルくって、卑怯で、臆病者で。ずっと先輩を騙してた」

桜「お爺様の操り人形で、いつさっきみたいに取り乱すか分からなくて」

桜「こんな私で……」

士郎「ああ、勿論だ」

士郎「離しはしない。ずっと、ずーっと一緒だ」

腕に力を込める。

士郎「約束する。俺は、桜だけの正義の味方になる」

士郎「━━━━ だから泣くな」

その答えに、桜は士郎の胸に顔を埋めて肩を震わせた。


━━ 帰ろう、桜。俺達の家へ。


ここに、かつて衛宮士郎の目指した正義の味方は終わりを告げた。


-- interlude out --

マスター「良く言った士郎。しかしその決断、これからが正念場ぞ」

東方不敗はそう告げると、静かに公園を後にする。

あの様子なら、後は放っておいても衛宮の屋敷に帰って来るだろう。

それよりも今は。

マスター「イリヤ、そろそろお前も帰らんと風邪を引くぞ?」

イリヤ「……」ブー

先程の桜と士郎のやり取りを見ている間、イリヤは終始むくれっ面であった。

雨に濡れる事よりも、あの二人の関係が余程気に入らないらしい。

イリヤ「……まあいいわ。レディーが嫉妬なんてはしたないんだから」

そう言って桜と士郎に背を向けると、イリヤも東方不敗の後に続く。

イリヤの見送りは森の入口でまでで良いそうだ。

何でも森の中はアインツベルンの結界のようなものらしい。

よって不用意に入って欲しく無いのだとか。

東方不敗が衛宮の屋敷に戻ると、

玄関には二人の靴が綺麗に揃って置かれていた。

しかし屋敷の電気は全て消えている。既に就寝したようだ。

桜の部屋を探して縁側を通りかかると、近くの部屋から物音が聞こえてきた。

マスター(起きているのか?)

物音のする部屋の襖を少しだけ開け、中の様子を覗き見る。

そこには指から血を流す士郎と、

その血を愛おしそうに舐める桜の姿があった。

マスター(あれは……?)

東方不敗に思い当たる事と言えば、桜が魔力不足に陥っている事。

そして慎二が以前、人を襲って魔力を蓄えろと言っていた事。

その二つから察するに、あれは桜が士郎から魔力を吸収しているのではなかろうか。

この様子では手術で完全に刻印虫は取り切れていないらしい。

しかしあんなチマチマと吸っていては非効率。

これならいっそ、士郎を殴って吐血させた方が色々と手間が省けるのではなかろうか。

マスター(……いやいや、それでは桜に怒られてしまうではないか)

それなら一体どうするか。

マスター「……と、言う訳だ」

マスター「凛、効率良く魔力を得る方法を教えてくれんか?」

マスター「ただし士郎が出来る範囲で、だ」

凛「……いきなり家に上がり込んで来て何なのよアンタ」

ここは遠坂の屋敷。

深夜の来客に凛はご機嫌ナナメの様子。

さらに、それが昼間戦った相手とあれば尚更である。

凛は教会から出た後、

衛宮の屋敷で桜と士郎を待ち伏せしていたらしい。

結局桜を士郎に任せたものの、

何かあれば敵となる方針は変えていないようだ。

アーチャー「我々は敵同士。それに助言を求めるとは理解し難い」

アーチャーの言う事は尤もである。

しかし魔術の知識に乏しい東方不敗にとって、

敵に頭を下げてでも、その情報は得ておかねばならなかった。

ただ、アーチャーの態度は気に入らない。

マスター「貴様、あの時は手加減してやったというのに何だその言い草は!」

マスター「その気になれば頭を潰してやっても良かったのだぞ?」

アーチャー「面白い。ここなら思う存分宝具を使えるからな」

アーチャー「表へ出ろ、ライダー!」

凛「待って! 二人とも落ち着いて!」

険悪な空気に流石の凛も制止を促す。

何より、ここで暴れられたら家が持たない。

凛「……まあ、話くらいは聞いてあげるわ」

凛「でも知ってる? 魔術師は基本、等価交換なの」

凛「情報の提供にはそれなりの見返りを貰わないとね?」

マスター「分かっておる」

マスター「ここに『機動武闘伝 Gガンダム DVD-BOX (初回限定版)』がある」スッ

マスター「今回はこれで手を打ってくれんか?」

凛「……何コレ? こんなの魔術の足しにもならないじゃない」DVD?

凛「そうね、貴方が魔力を使わずに行動できる原理を教えなさい」

しかし東方不敗は食い下がる。

マスター「別に減るものでも無かろう?」

凛「減るわよ。私の知識を貴方にあげるんだから、減るに決まってるでしょ?」

マスター「まあまあ、良いではないか」

凛「良くない!」

マスター「このオロカモノめぇ! 人の行為を無下にするとは何事ぞぉ!!」カーッ

凛「は、はいっ! すいません!!」ビクッ

マスター「さて……百聞は一見に如かずよ」

マスター「どうせなら士郎相手にやって見せてもらえると助かる」

凛「な……」

凛「ば、ばばばババば馬ばばバカーーーーっ!!」

凛「そんな事出来るワケないでしょ!?」///

アーチャー「当然だ。そんな事、私が許す筈が無いだろう」

凛「アンタは黙ってて!」

凛「そ、それに遠坂の魔術は『流動』と『転移』なの」

凛「間桐の魔術のように『吸収』できる訳じゃないわ!」

マスター「ふむ。そう言うものなのか?」

マスター「桜は士郎の血を吸っていたようだが……それで問題は無いのだな?」

凛「血、ねぇ……」

凛「魔力は人間の体液に良く溶けるから、それで問題無いと思うわよ?」

マスター「そうか、邪魔をしたな」

そう言って東方不敗は席を立ち、遠坂の屋敷を後にした。

-- interlude --


遠坂の敷地を出て行く東方不敗を、凛は窓から見つめていた。

そんな凛の姿にアーチャーは後ろから声を掛ける。

アーチャー「何だ凛。あの男が気になるのか?」

凛「……まあね。アイツって結構いいサーヴァントだな、って」

アーチャー「あの男が『いいサーヴァント』!? 冗談は止してくれ」

凛「あら、『魔力を使わない』なんて刻印虫に悩まされる桜にとって願ったりでしょ?」

凛「それに何だかんだでああやって世話を焼いてくれる」

凛「ちょっと過保護な気もするけど、桜との相性は抜群じゃない?」

凛「あ~あ。私もあんなサーヴァントが良かったな~」チラッ

アーチャー「……意外だな。さては凛、お前はあんな男が好みなのか?」

凛「あれぇ~? 私は『サーヴァントの特性』の話をしてるんだけどな~?」

凛「アーチャーは何を気にしてるのかな~?」ニヤニヤ

アーチャー「……ばっ、馬鹿を言うな!」

アーチャー「凛には十分な魔力があるのだから、『魔力を使わない』事は」

アーチャー「大したアドバンテージにはならないと言っているんだっ!」

凛「はいはい。そう言う事にしといてあげる」

アーチャー「だがな、凛」

凛「判ってる……」

凛「もし桜がこれ以上暴走する時は、冬木の管理者として責務を果たすわ」

凛「……そう、冬木の管理者として」

凛「アーチャー、食器はいつもの所に片付けておいてね」

ドアに手を掛け、凛は居間から出ようとする。

アーチャー「全く、私は執事では無いのだがな……」

そう言いつつ、アーチャーはテキパキとティーカップを片づけ始める。

テーブルを拭こうとしたその時、東方不敗の残したDVD-BOXが目に止まった。

アーチャー「凛、これはどうするんだ?」

凛「どうするって言われても……」

アーチャー「……」

凛「……」

アーチャー「……観るのか?」

凛「……観ない」

次の日、遠坂の屋敷には重苦しい空気が充満していた。

凛「まさかあんな事になるなんて……」ハァ

アーチャー「ああ……。あの男を甘く見ていたな……」ハァ

遠坂の屋敷にはDVDを再生できる道具が無い。

よって観る気は無かったのだが、何処からかアーチャーが調達してくれたのだ。

折角なのでと観る事になったのだが……。

凛「何よ、流派東方不敗って……」

凛「あんなの秘密が判った所で真似できるものじゃないわよ?」

アーチャー「私が白兵戦で手も足も出なかったのが頷けるな」

アーチャー「どうやら手加減していたと言うのは本当らしい」

凛「仮にアンタの宝具を使っても、無傷で生きてそうじゃない? アイツ」

マスター『流石ワシよ、何とも無いわっ!』

凛「って感じで」

アーチャー「冗談ではない!」

アーチャー「……いや、それも有り得ると思えてしまうのが恐ろしい所だ」

アーチャー「もしあの時奥義を出されていたら、私も無事では済まなかっただろうな」

凛「アイツの無茶苦茶な所と言えば……」

凛「あ、そう言えばギアナ高地から香港まで一瞬で移動してたわよね?」

アーチャー「それに素手でビルを持ち上げてたぞ」

凛「上半身を微動だにしない走り方で車に追いついてたし……」

アーチャー「銃弾の上をピョンピョンと渡っていたのはどう言う理屈だ?」

凛「その銃弾、素手で受け止めてたわよね?」

アーチャー「超級覇王電影弾とやらの中身はどうなっているんだ?」

凛「竜巻から顔が沢山出てたのは何だったのかしら?」

考えれば考えるほどドツボにハマる二人。

仕方が無いので話題を変える事にする。

アーチャー「しかし、最後の数話は余計だったな」

アーチャー「あのままの勢いで終われば良かったものを……」

凛「あら、私は必要だったと思うわ」

凛「最後はドモンとレインが結ばれて、めでたくハッピーエンドじゃない」

アーチャー「あの作品に『熱さ』以外を求めてどうするのだ!」

凛「確かに兄と師匠が倒れる所が一番盛り上がるのは認めるわ」

凛「でもね、あのまま終わっちゃったらレインがあまりに救われないじゃない!」

アーチャー「……君は案外ファンシーなのが好きなのか?」

アーチャー「もう少し現実主義者だと思っていたがな」

凛「アンタみたいな熱血バカには判らないわよっ!」

ストーカー『まあまあ、二人とも落ち着いて下さい』

ストーカー『作品には人それぞれの楽しみ方があって良いではないですか』

ストーカー『ひたすら熱さを追い求める者』

ストーカー『レインのひた向きさに涙する者』

ストーカー『石破天驚拳を真似しようとして諦めた者』

ストーカー『私としては純粋に作品を楽しんで頂けたなら何よりなのです』

凛「……そうね。悪かったわアーチャー」

アーチャー「ああ、私も少しあの熱さが移ってしまったようだ」


凛「……ところでアーチャー。さっきの人、何処かで見た気がするんだけど?」

アーチャー「私もだ。一体何処で……」

凛「……」

アーチャー「……」


凛・アーチャー「「あーっ! 毎回出てくる眼帯男ーっ!!」」


-- interlude out --

さて、ここらで一旦更新を止めます。
今日中にまた再開する予定ですが、
最後までアップ出来るかは未定となります。

一応最後まで書ききってはいますので、エタりはしません。
その点はご安心下さい。

更新を再開します。
ボチボチと、休み休みになってしまうかもしれませんが
御容赦下さい。

マスター「起きんかぁぁぁぁぁぁぁぁ! 士郎ぉぉぉぉ!!」


東方不敗は士郎の部屋に勢い良く乗り込むと、一喝と共に布団を外へ放り出す。

マスター「桜はもう起きておるのだ! いい加減にせんかぁぁぁぁ!!」

畳に放り出された士郎はもぞもぞと上体を起こし、

その顔は朝から良くない物でも見たかのように顔面蒼白となっている。

目が覚めた瞬間にあの顔があったとなれば、

男の生理現象など一瞬で静まる破壊力となろう。

桜「ら、ライダー……。 先輩は疲れているんだから」

桜「もう少し寝かせてあげてもいいんじゃない?」

襖の向こうで桜が心配そうに声を掛ける。

マスター「今朝はワシが腕によりをかけて食事を作ったのだ!」

マスター「さあ食え、今すぐ食えぇぇ!」

マスター「桜を任せたからには、一刻たりとも休んでいる暇は無いのだぁっ!」

有無を言わさず士郎の襟首を掴み、

東方不敗はずるずると居間まで引きずって行く。

三人が居間に入ると、テーブルには数々の四川料理が並べられていた。

『回鍋肉(ホイコーロー)』

『棒棒鶏(バンバンジー)』

『青椒肉絲(チンジャオロース)』

桜や士郎にも馴染みの料理が多いのは、東方不敗なりの配慮であろう。

しかしそのやり過ぎとも言える目の前の光景に、二人は揃って意義を唱えた。

桜「ライダー、朝からちょっと多過ぎない?」

士郎「それにやたらと肉が多いような……」

二人の言う事は尤もである。

しかし東方不敗も考え無しに作りまくった訳ではない。

マスター「桜、お前は術後で体力が低下しているであろう?」

マスター「それに士郎、お前には沢山食って精力を付けて貰わんとな」

精力。

その言葉に桜と士郎は顔を合わせ、二人して赤面して下を向いてしまう。

全く初々しい朝である。

食事を開始しても、士郎の箸は思うように進まなかった。

何しろ隣で東方不敗が睨みを利かせているのである。

こんな状態では落ち着いて食事など出来るはずがない。

しかし少しでも箸の動きが鈍れば途端にその眼光が鋭くなる。

下手をすれば無理にでも口にねじ込まれかねない恐怖に耐えながら、

士郎はようやく全ての料理を平らげたのであった。

士郎「ごちそうさまでした……」

マスター「まだだぁ! まだ終わらんぞぉぉぉ!」

『麻婆豆腐』ゴトッ

士郎「」

今度こそ食事が終わり、今後の予定を話し合う。

士郎「他のマスターと協力しよう」

マスター「成程、悪い話ではないな」

しかし声を掛ける相手が問題である。

現在残っているマスターは『桜』『凛』『臓硯』。

そして昨夜東方不敗の前に現れた『イリヤ』の四人となる。

臓硯は論外。そして凛も桜の処遇について一悶着あった。

マスター「バーサーカーのマスターに声を掛けるつもりか?」

士郎「ああ。俺、マスターのイリヤって娘とは知り合いなんだ」

確かに昨夜、イリヤは士郎に会うためサーヴァントも連れずにやってきた。

士郎の説得なら味方に引き込める可能性は高い。

桜「けど先輩、そのイリヤって人の居場所は分かるんですか?」

士郎「実は前に見せられたんだ。深い森だけど、半日もあれば辿り着けると思う」

士郎はすぐにでも出発するつもりらしい。

そんな士郎を心配してか、桜が護衛を申し出る。

桜「それならせめて、ライダーを連れて行って下さい」

桜「何かあっても必ずライダーが守ってくれますから」

しかし士郎も桜を心配しているのは同じ事。

士郎「いや、ライダーは桜を守ってやってくれ。もし臓硯が来たら桜を連れて逃げる事」

マスター「うむ」

東方不敗も士郎と同じ考えであった。

今の不安定な桜を一人にはしておけない。

士郎「じゃあ行ってくる」

士郎は竹刀袋とザックを背負い、手を振って玄関から走り出した。

桜は士郎の姿が消えるまで玄関先で見送っていたが、

やがて諦めたかのように家の中へと入って行った。

マスター「……どうした桜。顔色が優れんが?」

桜「うん、先輩にはもう戦って欲しくないから……」

桜「でもね、先輩が私の為に何かしてくれるのは嬉しいの」

桜の顔は苦渋に満ちている。

嬉しいと語る口と辛そうな顔は、桜の複雑な心境を表していた。

桜「……嘘。拮抗なんてしないくせに」

マスター「桜、何か言ったか?」

その小さな呟きは東方不敗には聞こえなかった。

そしてその時、桜の胸の中で蟲がうずいたのも東方不敗には知る由も無かった。

士郎が屋敷を出てからどれくらい経っただろうか。

時計を見るとまだ数時間程しか経っていなかったが、

桜にとっては既に一週間もの長い時間に感じられた。

強まってゆく不安についに耐えきれなくなり、桜は再び士郎の護衛を申し出る。

桜「お願いライダー。どうか先輩に付いて行ってあげて」

マスター「……やはり士郎が心配か?」

無意味な質問と知りつつも、東方不敗は二つ返事で答える訳にはいかなかった。

桜「……うん。それにね、どうせ私長くないもの」

桜「今はちゃんとしてるけど、気を抜くとね、自分が何をしてるか分からなくなるの」

桜「手足の感覚も無くなって、時間の感覚もバラバラになって……」

桜は既に死を覚悟している。

そんな状態で尚、自身より士郎を守って欲しいと願っている。

その想いに打たれ、ついに東方不敗は頷いた。

マスター「良かろう。風雲再起、桜を頼むぞ」

その呼びかけに姿の見えない愛馬は声だけで返事をする。

桜「ありがとう。ごめんね、ライダー」

桜「私がダメになったら、すぐに新しい人と契約して」

桜「先輩……はちょっとヤだけど、ライダーならいいかな」


『聖杯戦争 国際条約 第三条』

『マスターかサーヴァントが健在であれば』

『他のマスターやサーヴァントと再度契約し、何度でも聖杯戦争に復帰できる!』


確かにその言う事は尤もではあるが、最後まで桜を見捨てるつもりは無い。

元より、桜がダメにならない状態を作り出す事がサーヴァントとしての役目である。

無理に笑顔をつくる桜の頭に手を乗せ、東方不敗も笑顔を返した。

マスター「心配するな桜。契約が切れてもワシは後十年は戦える」

それだけ言うと、東方不敗はすぐさま衛宮の屋敷を飛び出した。

東方不敗が森の入口に到着すると、遠くで爆発音が鳴り響いた。

マスター「戦闘か!」

どうやら事態は急を要する。

東方不敗は木の上をまるで獣の如く、その方角目指して一直線に疾走する。

現場に近づくにつれて次第に爆発音が大きくなってゆく。

どうやらその正体は地鳴りのようだ。

地に向かって衝撃が打ちつけられ、それが激しく大地を揺るがしているらしい。

続いて大きくなる風の音。

現場に集まる空気は追い風となり、東方不敗の足を嫌でも速めている。

現場まで数百メートルという位置に差し掛かった頃、

東方不敗の視界には木々の間から舞い上がる無数の木の葉がハッキリと見えてきた。

だが次の瞬間、突如発生した暴風に東方不敗は木から地面に叩きつけられる。

余波に巻き込まれた程度で直撃はしなかったものの、

今のは誰かを狙った攻撃なのは間違いない。

マスター「何だ!?」

すぐにそれが魔力の塊であった事に気が付いた。

二発目を受けないよう、東方不敗は木々の隙間を慎重に進んで行く。

開けた場所へ出た。

結局二度目の攻撃は無く、東方不敗は無駄に時間を費やしてしまった事になる。

マスター「これは……」

広場には生々しい戦闘の跡が残っていた。

地面はクレーターのような穴が無数に開き、

周囲の木々は一方に向かって軒並み薙ぎ倒されている。

恐らく東方不敗の受けた攻撃はこれであろう。

そして一番目を引いたのは、ある一角の草木が黒く変色している事であった。

ただ弱って『枯れた』のではない。

命を根こそぎ奪われ、『死んだ』と言う方が正しいのかもしれない。

東方不敗が黒く変色した草を手に取ると、

それは砂のようにボロボロと跡形も無く崩れ落ちてしまった。

マスター「さて、士郎は何処へ……」

何時までもここに居る訳にはいかない。

東方不敗が周囲を見渡すと、広場の端に光る物が突き刺さっている。

マスター「これは……アサシンの短剣か!」

アサシンは柳洞寺で奥義に呑まれたはず。

しかしどうやら生きていたらしい。

あの時は士郎の保護を優先した為、止めを刺せなかったのは止むを得ない。

短剣が刺さっていた方角には森の入口へと戻る獣道が通っている。

東方不敗は急いでその方向へ引き返した。

獣道を進む途中、短剣が何本も四散しているのが目に付いた。

進む方向は間違っていないようだ。

パァン。

耳をつんざく弾けた音に、東方不敗は思わず足を止めた。

風に乗り、前方から黒い空気が流れてくる。

生温かく、コールタールのようにねっとりと体に纏わりつくような。

それでいて、風を受けた体は急激に体温を奪われていくような不快な空気。

マスター(士郎の身に何かが……!?)

嫌な想像が脳裏をかすめる。

それを振り払うように現場へ急行すると、

そこには気を失った凛と死に体のアーチャー、

さらにイリヤとそれに覆い被さるように倒れる士郎の姿があった。

マスター「士郎!」

東方不敗は倒れた士郎へ駆け寄ると、すぐさまその体の異常に気が付いた。

左腕が無い。

士郎の腕は肩口からスッパリと綺麗に切断されていたのだ。

マスター「何と……」

愕然として目元が引きつる。

既に取り返しのつかない所まで来てしまったという事だ。

そんな東方不敗の後から、弱々しいアーチャーの声が聞こえてきた。

アーチャー「……ライダー、その男は助かる」

マスター「本当か!?」

東方不敗は振り返り、アーチャーの元へと駆け寄った。

アーチャー「私の左腕をアレに移植しろ」

アーチャー「何もしなければ二人とも消えるが、そうすれば確実に一人助かる」

マスター「そんな事ができるのか?」

アーチャー「通常ならば無理だ。だが私とその男は特例だ」

アーチャー「凛が目を覚ませば、うまく処置をしてくれるだろう」

ならば迷っている暇は無い。

東方不敗は宝具を呼び出し、全員をコックピットに乗せて教会へと飛び立った。

天馬ほどの速度は出ないものの、抱えて走るよりは遥かに速い。

凛は途中で目を覚まし、

東方不敗はアーチャーから聞いた言葉を全て伝えておいた。

凛「……分かったわ。コイツの言う事だもの、何か根拠があるのよね」

凛は目を閉じて横たわるアーチャーの手を握る。

アーチャーの左腕を切断する事は、死にゆく体に止めを刺す事と同義である。

凛は覚悟を決めたようだった。

-- interlude --


「━━━━!」


桜は無くなった士郎の腕を見て現実に引き戻された。

様子が分かるようにと、魔術で東方不敗の視界を借りていたのである。

吐き気が込み上げ桜は洗面所に駆け込んだ。

食欲が無く昼を抜いた桜の胃は既に空っぽになっており、

そこから流れ出るのは喉を傷める程の胃液だけであった。

桜「…………う、そ」

桜は先程の光景を思い出す。

スッパリと切断された士郎の肩。あれは夢ではない。

桜「……私、何て事を」

言ってしまったのか。


『あ……何だ。外に出さなければいいんだ』

『うん。歩けなくなるぐらいの怪我をしちゃえば』

『もう危ない目に遭う事は無いですよね、先輩……』


桜は自分が嫌になった。

どうして士郎の不幸を願ってしまったのか。


「でもこれで……もう先輩は戦えない」

洗面所の鏡には口元を歪めて笑う桜の顔が映っていた。



-- interlude out --

太陽は殆ど沈みかけていた。

教会の前にマスターガンダムを着地させ、

東方不敗は四人をコックピットから地面に降ろす。

イリヤも途中で目を覚ましたため、

凛と二人で士郎、アーチャーを運ぶように指示を送った。

以前と同じく、東方不敗はどうしてもこの教会に入る気がしなかったのだ。

数時間後、手術は無事に成功したらしい。

東方不敗は教会の壁に背を付け、中で話す言峰の言葉に耳を傾ける。


●士郎の腕は数日で動かせる位には回復するという事

●ただしアーチャーの力を使えば、士郎の肉体は崩壊を始めるという事

●士郎の腕には、アーチャーの力を抑えるための聖骸布が巻かれているという事


話はそれで終わり。

士郎は凛とイリヤを連れて教会を後にした。

どうやら三人は衛宮の屋敷に行くようだ。

桜が気になるため、東方不敗は一足先に戻る事にした。

桜「お帰りなさい、せn……

東方不敗が玄関を開けると、そこには帰りを待つ桜の姿があった。

マスター「何だ桜、ずっとここで待っていたのか?」

桜「……え、えっと」

その態度を察し、

マスター「桜、士郎ならもう少しで帰って来よう」

マスター「だがお前も身体をいとわんといかんぞ?」

東方不敗はそう伝え、玄関を抜けて居間へと入って行った。

士郎「ただいまー」

程なくして士郎が帰って来る。

凛とイリヤは別行動のようだ。

桜「……あ、お帰りなさい、先輩」

東方不敗は居間で茶をすすりながら、二人のやりとりに耳を傾ける。

士郎はなるべく左腕の事に触れないようにしていたのだが、

桜の無言の圧力に屈したか、とうとう話を切り出した。

それでも大丈夫だと言い張る士郎に対し、ついに桜の堪忍袋の緒が切れる。

桜「いくら私だって、そんな見え透いた嘘に騙されません!」

桜「それとも先輩は、私に話しても無駄だって思ってるんですかっ!?」

その反発に士郎はすんなりと非を認めた。

士郎「……すまない。桜に格好悪いところを見せたく無くて強がってた」

士郎「桜が怒るのも当たり前だ」

そんな士郎の態度に、今度は桜があたふたし始めた。

桜「い、いえ。先輩は格好悪くなんか無いですっ!」

桜「立派でした! わ、私は見てませんけど!」

ちぐはぐな会話はそれ以上続かず、二人は暫く押し黙ってしまう。

そんな中、桜の方から話が切り出された。

既に先程の剣幕は無く、士郎の無事を喜ぶ優しい声で。

桜「先輩はちゃんと帰ってきてくれました。すごく嬉しいです」

桜「私、惚れ直しちゃいました」

桜のストレートな物言いに、士郎は言葉を詰まらせた。

返す言葉が見つからず、とっさに第三者に助けを求める。

士郎「あ……う。えっと、こういう時はどう返せばいいんだろう、遠坂?」

凛「さあ? 私としては、あんまり玄関先でイチャつかないで欲しいんだけど」


マスター「ええいっ! この甲斐性無しめぇぇぇ!!」


桜「」ビクッ
凛「」ビクッ
士郎「」ビクッ

その後、桜は凛の口から思っても無い事を聞かされる。

凛とイリヤは今日からこの屋敷に寝泊まりするらしい。

臓硯を倒す準備を整えるとの事だ。

当然桜は反対したが、士郎に説き伏せられて渋々それを認めたのだった。

東方不敗は折角なのでと、凛とイリヤから森で起こった事を聞いておく。

なんでも臓硯と一緒に『影』が現れたらしい。

その影はバーサーカーを飲み込み、アーチャーを瀕死に追いやった。

また士郎が負傷したのもその影が原因らしい。

そして東方不敗が一番驚いたのは、

その影からセイバーが現れたという事だった。

マスター「そのサーヴァント、確かにセイバーなのだな?」

凛「ええ」

影にセイバーが使役されているという事は、

柳洞寺でセイバーを破ったのはその影なのは間違い無い。

これで過去の疑問が一つ解決した。

アサシンではどう足掻いてもセイバーには勝てないのだから。

凛「……だけど、私が知ってるセイバーとはちょっと違うと思う」

イリヤ「そうね。既に汚染されたアレは、もう別人だと思った方がいいわ」

マスター「汚染?」

イリヤの意味有りげな言葉に東方不敗は聞き返す。

しかしイリヤは目を閉じると、その問いをサラッと受け流してしまう。

イリヤ「あなたが気にする事ではないわ、ライダー」

イリヤ「はっきりと言える事は、あのサーヴァントは敵だという事ね」

イリヤ「臓硯を倒すのなら必ず前に立ち塞がるわ」

イリヤ「あなたはアレに対抗する手段でも考えておきなさい」

翌朝、台所には桜と士郎が立っていた。

東方不敗は今日も朝食を作る気でいたのだが、

『女の子が沢山いる時にお肉ばかりはダメ』とか

『そもそも量が多過ぎる』とか、桜に色々と釘を刺されてしまったのだ。

朝食が出来るまでの間、イリヤは行儀良く居間でお茶をすすり、

凛はこの世の終わりかという顔でフラフラとしている。

アレはどう見ても『朝に弱い』というレベルではない。

準備が整い、朝食は静かに進んでゆく。

東方不敗もちゃっかりと席に陣取り、卵焼きをいくつか突っついている。

そんな中、テレビのニュースから気になる話題が飛び込んできた。


『本日未明、新都の中央公園で四人の遺体が発見されました』

『四人はバラバラの状態で発見されましたが、多くの体は行方不明となっており』

『現在も警察による捜索が続いています』

『専門家の分析では、犯人は猟奇的な殺人者であるという見解が強まっており』

『警察では付近の住民に注意を促すと共に、情報の提供を呼び掛けています』

凛「これ、あの影がやったと見て間違いないわね」

凛「ほら、画面の端っこを見て。雑草が黒く変色してるでしょ?」

凛がテレビを指差す。

東方不敗はそれを見て、アインツベルンの森で見た草木を思い出した。

生命力を根こそぎ奪われ、黒く変色した無残な姿であった。

だが、士郎には納得できない点が一つ。

士郎「なあ遠坂。あの影、今までは街の人から魔力を吸うだけだったろ?」

士郎「だけど何でこんな事を……」

凛「理由があるとしたら、もう敵が居なくなったからじゃないかしら?」

凛「きっと臓硯にとって桜は敵じゃないんでしょうね」

凛「でもこの事件は臓硯にも予期せぬ事故なんだと思う」

凛「いくら何でも、死体を残すなんてミスをするヤツじゃないわ」

つまり臓硯は、影をきちんと制御していないという事になる。

ならば、臓硯と影を分断すれば勝機があるのではなかろうか。

朝食後、士郎と凛は『臓硯対策』と言って道場に入って行った。

何故かは知らないが、桜とイリヤもぞろぞろと付いて行く。

東方不敗は魔術に疎いため顔を出さなかったが、後から聞いた話では

アーチャーの腕を抑える為に士郎の体に刻印を入れたという事だった。

道場での作業が一段落し、今度は昼食を作る事になった。

台所には朝と違い、桜と凛が立っている。

凛を意識してか、桜は普段しないようなミスを連発。

対して凛は、そんな桜にきつい態度で当たってしまう。

凛「ちょっと桜! よりによって塩と砂糖を間違える? 普通」

桜「ご、ごめんなさい……。塩はこっちの瓶です、遠坂先輩……」

凛「桜、そのまま放っておいたら焦げちゃうでしょ!」

桜「すいません遠坂先輩! すぐに止めますからっ!」

そんな二人を見かね、士郎は桜を縁側へと呼び出した。

士郎「桜、遠坂の事『姉さん』って呼んだらどうだ?」

士郎「いつまでも『遠坂先輩』なんて呼び方じゃあ、二人の距離は縮まらないよ」

桜「で、でも……」

士郎「本当はそう呼びたいクセに無理してるだろ?」

士郎「それに遠坂も桜を終始気にかけてるんだ」

士郎「あんな態度なのは、それを桜に知られたくないからだと思う」

士郎「取っ掛かりさえ掴めれば絶対上手くいく。俺が保障するよ」

桜「……そう、でしょうか?」


マスター「ならばその気持ち、後は拳でぶつけるのみ!」

桜「えっ!?」
士郎「はぁ!?」


突然湧いて出た東方不敗に二人はポカンと呆気に取られる。

マスター「武闘家とは」

マスター「己の気持ちを拳を交える事でしか伝えられない不器用な生き物」

マスター「言葉に出来ないのなら、その想いを拳に乗せて放つのだ!」

士郎「何でそんな喧嘩腰なんだよ!」

士郎「そんなんじゃ余計にこじれちゃうだろ!?」

マスター「たわけぇ! やってみんと分からんわぁ!」

士郎「分かるわ!」

凛「ちょっと、何時まで話してるのよ?」

凛「いい加減に戻ってもらわないと困るんだけど」

縁側から響く大声を不審に思い、凛がひょっこり顔を出した。

手には菜箸を握ったままであり、次の料理の段取りを付けていたようだ。

マスター「これぞ飛んで火に入る夏の虫!」

東方不敗は流れる足捌きで凛の後ろに回り込むと、

両腕を脇の下に通してガッチリと羽交い絞める。

凛「えっ!? ちょっと、何すんのよ!」

マスター「問答無用! さあやれぃ! ワシ諸共で構わん! やるのだぁぁぁ!!」

凛は何が起きているのか分からずバタバタするばかり。

士郎は何をやるんだとオロオロするばかり。

どうしてこうなった。

誰かが動けば死闘の合図。

一触即発の空気が流れる中、ついに桜が声を上げた。

桜「止めてライダー! 姉さんを放してっ!!」

凛「!」

桜の口から出た意外な言葉に、凛は抵抗していた力が抜ける。

桜「ライダー、いい加減にしないと私、怒ります!」

桜「姉さんに何かあったら許さないんだからっ!」

桜の剣幕に、流石の東方不敗も腕の力を緩めた。

解放された凛はヨタヨタと一歩前に出ると、

桜はその手を取るように静かに傍へと歩み寄る。

桜「大丈夫ですか? 姉さん」

凛「大丈夫。でも桜、私あなたにそう呼んで貰えるとは思わなかった」

照れ顔で見つめる凛に、桜もようやく自分の言葉に気が付いたようだ。

桜「えっ……ああっ!」

そして桜も赤くなる。

本当にたった一言。

士郎の予想通り、その一言で二人の距離はぐっと縮まったと言えるだろう。

マスター「うむ。作戦は成功のようだな」

士郎「……本当に作戦だったのか?」

マスター「疑うのか士郎? ワシの目を見よ」

だが、どう見ても眼力で封殺する気満々である。

士郎「い、いや分かった。信じるよ……」

マスター「なら良し!」

そうこうしている間に桜と凛は台所へ戻ったようだ。

縁側へ来る前とは打って変わって、

どこかギクシャクしつつも弾んだ会話が居間の奥から聞こえている。

士郎も居間に戻り、東方不敗もそれに続こうと敷居をまたぐ。

だが、それは桜によって制止された。

桜「ライダーはそこで反省してて」

桜「サーヴァントには本来食事は要らないんだから、問題無いはずよね?」

ニッコリと微笑むその笑顔が怖い。

マスター「黒いぞ……桜」

昼食が終わると、凛とイリヤは自分の部屋に戻っていった。

恐らくは例の『臓硯対策』であろう。

桜は少し体調を崩したようだ。凛に言われて大人しく部屋で休む事になった。

士郎は午前中に入れた刻印が馴染むまで、特にやる事が無いらしい。

そこで東方不敗は声を掛けた。

マスター「士郎、少し付き合わんか?」

士郎「いいけど、その荷物は?」

士郎は東方不敗の持つ大きめの手提げ袋に目を移した。

見れば中には苗木がいくも入っている。

マスター「森へ行こうと思ってな」

士郎「森って、アインツベルンの?」

マスター「左様。学校や寺ならすぐに直るが」

マスター「自然が治るにはそれこそ百年単位の時間が必要になる」

マスター「既に破壊されてしまったものは戻らんが」

マスター「少しでも早く森を回復させてやりたいのだ」

士郎「分かった。付き合うよ」

それを聞いて士郎は快く答えを返した。

何より暇を持て余しているのだし、じっとしているのも性に合わない。

かくして二人はアインツベルンの森へ直行した。

男手が居なくなる心配はあるのだが、屋敷には魔術師が二人居る。

結界も有れば臓硯もうかうかと攻めては来ないだろう。

東方不敗は風雲再起を呼び出すと、鋼鉄の天馬に乗って目的地へと移動する。

上空から森を見降ろすと、戦いがあった場所だけがポッカリと穴を開けて

茶色い地面を覗かせていた。

マスター「改めて見れば酷い有様よ……」

地面に降り立ち、東方不敗は辺りを見回した。

地面に開く無数の穴。

黒く変色した草木に薙ぎ倒された大木の数々。

痛々しい破壊の跡は、何もかもがあの時のまま変わっていない。

士郎「……ああ、すごいな」

折れた木から漂うむせ返る匂いに、士郎は思わず鼻を覆った。

士郎「それでライダー、俺は何をすればいい?」

士郎「って言っても、今は右手しか使えないし出来る事は……」

地面に下ろされた苗木に目を移し、

士郎は今更ながらスコップを持って来なかった事に気が付いた。

まさか素手で土を掘る訳にもいかず、少々途方にくれてしまう。

マスター「実はな、お前に一つ技を授けようと思っておる」

士郎「技ぁ?」

予想外の回答に士郎はポカンと立ちつくす。

木を植える事と技を教える事に一体何の繋がりがあると言うのか。

東方不敗は士郎の呆けた顔など気にせず言葉を続けた。

マスター「聞けばその左腕、使えば寿命を縮めるらしいな?」

士郎「縮めるなんて生易しいモノじゃないさ」

士郎「言峰の話じゃ、時限爆弾のスイッチが入るようなモノだって……」

士郎は今朝方、眠っている時に襲われた嵐のような感覚を思い出す。

アーチャーの腕から士郎の体へ、膨大な力や経験が押し寄せてきたのである。

士郎は苦しさから無意識に聖骸布に手を掛け、危うくそれを剥ぎ取ろうとした程だ。

幸いにもイリヤが止めてくれたのだが、

それが無かったら今頃士郎の体は崩壊していたに違いない。

マスター「そこで、だ。士郎には『魔力に依存しない手段』を覚えて貰う」

士郎「魔力に……依存しない?」

マスター「日本人なら『気』の存在は知っておろう?」

その問いに士郎は黙って首を縦に振る。

マスター「流派東方不敗は天然自然の力を取りこみ、それを『気』として練り上げる」

ここで士郎は森に連れて来られた意味を理解した。

道場で教えるよりも、自然豊かな森で教えた方が捗るというものだ。

マスター「これはワシの勘だが、気と魔力は性質が似ておる」

マスター「本来気を練るにも長い修行を必要とするのだが」

マスター「魔術師である士郎なら少しコツを掴めばいけるかもしれん」

マスター「それにお前は魔術師としては半人前」

マスター「染み付いた魔術の『癖』に足を引っ張られる事も無いであろう」

マスター「ますはワシが手本を見せる」

東方不敗は士郎に真っ直ぐ対峙すると、

大きく息を吐きながらゆっくりと目を閉じた。

両足を肩幅に開き、両脇を締めて静かに気を集中させる。

その様子を見るうちに、士郎は東方不敗の体から

何か温かな波動が出るのを感じていた。

今は昼なのでよく見えないが、

もしかすると夜なら太陽のように光り輝いているのかもしれない。

マスター「……こんなものか」

暫く気を練った後、東方不敗はふっと静かに目を開けた。

マスター「士郎、何か感じた事はあったか?」

士郎「ああ、ライダーの体から暖っかいモノが出てた」

士郎は素直な感想を述べる。

マスター「ふむ、あまり強い気ではなかったのだがな」

マスター「それが感じられるなら上出来よ」

士郎の答えに東方不敗間満足そうだ。

そして次の段階へ。

マスター「今から押さえる所が力を取りこむ為の『門』となる。覚えておくがいい」

説明しながら東方不敗は

士郎の『頭頂』『喉』『胸』『へそ』『下丹田』に順番に手を触れてゆく。

マスター「最初は下丹田を意識してみよ」

マスター「慣れれば徐々に門を増やしていけば良い」

マスター「では始め」

その言葉に士郎は目を閉じた。

両足を肩幅に開き、両脇を締めて静かに意識を集中させる。

目を閉じて真っ暗な士郎の中に、東方不敗の言葉が響いてきた。


『目を閉じても意識は外に向けよ』

『自然を感じるのだ。自然と一体になるのだ』

『全身から呼吸し、丹田に空気を溜める感覚を持て』


しかし良く分からない。

グッと下腹に力を入れながらモヤモヤした感覚を拾い集めようとするが、

士郎の体は依然として何も変化が起こっていない。

四苦八苦する士郎に対し、東方不敗は魔術師寄りの助言を送ってみる。


『魔術の回路が体の外に伸びている感覚を持て』

『それが腹に繋がっているのだ』

『ただし、魔術を行使してはいかん』


するとどうだろう。

真っ暗だった士郎の視界は、今や明るく緑豊かな森に包まれていた。

風が見える。

それは踊る様に、軽い足取りで木々の隙間を駆け抜けていた。

声が聞こえる。

草花のせせらぐ小さな声は、歌にも似た心地良いリズムを奏でていた。

熱を感じる。

太陽と大地から伝わる熱は力強く、今にも血液が沸騰しそうだ。

士郎「あ……」

その錯覚に思わず目を開く。

士郎の前には、目を閉じていた時と全く同じ光景が広がっていた。

マスター「ほう、掴んだか。お前は見込みがある」

マスター「ならば暫く一人で続けておれ。ワシはワシでやる事があるのでな」

東方不敗は士郎に背を向け、地面に置いた苗を手に取った。

士郎はその言いつけ通り、再び目を閉じ気を練り直す。

目を閉じた士郎の前には、相変わらずアインツベルンの森が広がっている。

気を練り続ける士郎であったが、そのうち森が少しずつ変化しているのに気が付いた。

黒く変色した草木は切り取られ、穴の空いた大地には苗木が植えられた。

変色した部分が少ない場合は、部位を切り取り接ぎ木の処置が行われている。

しかしその間、作業をしているはずの東方不敗の姿は

一度たりとも士郎の目には映らなかった。

そもそも目を閉じてるのだから映るはずは無いのだが、

不思議に思った士郎はそっと目を開け、辺りの様子を確認した。

士郎「…………?」

やはり姿は見えない。

しかし森には確かに手が入れられており、東方不敗がここに居る事を示している。

と、そこに何かが落ちる音が。木の枝が枯れ草の上に落ちたような軽い音である。

音がした方へ良く良く目を凝らすと、薄っすらと東方不敗の姿が見て取れた。

丁度折れた大木に手を掛け、切断面を整えようとしている所だ。

しかし何故だろうか。その存在は何処かおぼろげであり、

ふっと風が吹けばたちまち消えてしまいそうな。

それを眺めていると、作業を続けたままの東方不敗から鋭い叱責が飛んできた。

マスター「士郎、サボるでない! ワシには全て見えておるぞ!」

士郎「す、すまない! ……けどライダー、俺ちょっと気になる事があるんだ」

マスター「ん?」

そこで東方不敗は作業を止めると、士郎の方へ向き直った。

士郎「さっきから目を閉じると森が見えるんだけど」

士郎「ライダーの姿だけは映らないんだ。何でだろう?」

その問いに東方不敗はああと呟く。

マスター「お前の邪魔にならんよう、気配を断っておったのだ」

マスター「それが却って気になったのなら、すまんかったな」

ストーカー『説明しましょう!』

ストーカー『東方不敗が使っていたのは「透過」スキルです』

ストーカー『明鏡止水の心得であり、精神面への干渉を無効化する精神防御となります』

ストーカー『そして二次的な特性として』

ストーカー『武芸者の無想の域としての「気配遮断」能力と成り得るのです』


ストーカー『因みにこのスキルは、キャスターの召喚したアサシンも取得していました』

ストーカー『彼は暗殺者ではないので「気配遮断」スキルを使えませんが』

ストーカー『その代用としてこの「透過」スキルを使っていたのです』

ストーカー『蛇足ですが、かのゲルマン忍者もこのスキルを取得しています』



士郎「まあ、理由が分かれば気にならないよ。そのまま続けてくれ」

マスター「では、そうさせて貰おう」

東方不敗は再び作業に戻った。

士郎も目を閉じ、気を練る修行を続行する。



ストーカー『いやはや、士郎のスルースキルも大したものです』

士郎(関わっちゃダメだ……。アレは関わっちゃダメな人だ……)

マスター「士郎、調子はどうだ?」

作業が終わり、東方不敗が声を掛ける。

その声に士郎はゆっくりと目を開き、大きく息を吐き出した。

士郎「……ああ、最初より大分スムーズになった」

士郎「でもライダーほどの量は練れないし、魔力に比べると心許ないかな」

マスター「ならば、気と魔力を混ぜてみてはどうだ?」

マスター「前にも言ったが、その二つは特性が似ておるのでな」

その提案に士郎は頷き、体内の魔術回路を開きながら下丹田に力を込める。

次の瞬間、士郎の腹が熱く燃え上がった。

士郎「うわっ!?」

突然の出来事に思わず声を上げる。

マスター「どうした!?」

士郎「いや、突然体が熱くなったんだ」

その答えに東方不敗は暫く考え込んだ後、一つの仮定を打ち出した。

マスター「……もしかすると、ガソリンと空気の空燃比のようなものかもしれんな」

マスター「士郎、気と魔力が一番反応する比率を探してみよ」

『空燃比』。その言葉は士郎にも聞き覚えがあった。

自動車がエンジンを動かすにはガソリンを燃やす必要がある。

しかし物が燃えるには酸素が必要。

そこで空気を混ぜる訳だが、それには最適な比率があるらしい。

ただしこれは機械の修理を頼まれるうちに聞きかじったものであり、

正確な事は士郎にも良く分かっていない。

士郎「ライダー、そんな事良く知ってるな」

マスター「なに、ワシの生きた時代は今とさほど変わらんのだ」

マスター「違いがあるとすればそれは……」

東方不敗は何かを思い出すように天を仰ぐと、

やがて溜息のように言葉を吐き出した。

マスター「これ程自然豊かな場所は殆ど無くなってしまった……という事か」

マスター「海は汚れ、空気は淀み、枯れた大地は荒野と化した」

マスター「瓦礫の山は住みかさえも覆い尽くし」

マスター「人はそれに耐えきれず宇宙へと移って行ったのだ」

士郎「宇宙ぅ!?」

あまりのスケールの大きさに、士郎は素っ頓狂な声を上げた。

士郎の知り得る限りでは、宇宙にはせいぜい人工衛星を飛ばしたり

近くの星にロケットを飛ばす程度の事しか出来ないはずである。

それを宇宙に移民とあっては、壮大過ぎてイメージが掴めなかった。

士郎「ソレ、今と全然違うぞ!? ライダーって遠い未来の英霊なんじゃ!?」

マスター「いや、案外すぐにそういう時代が来るかもしれん」

マスター「例えば『十八メートルの巨人が動く』というのはどうだ?」

士郎「……やけに具体的だな。ソレが宇宙で動く? 無理だろそんなの」

マスター「諦めるのは早いぞ士郎。未来とは未知の可能性なのだ」

東方不敗の話しの途中、赤い太陽が森を照らしはじめた。

そろそろ日が落ちようとしている。

マスター「……さて、無駄話が過ぎたな。もう少ししたら切り上げるとしよう」

その後一時間ほど、士郎は気と魔力の練り合わせに注力する。

その間、東方不敗は見守るように士郎の傍に立っていた。

帰りも鋼鉄の天馬に乗り込むと、その中で東方不敗は士郎に終始助言を送った。

マスター「乱暴な事を言うとだな」

マスター「単に気や魔力の塊をぶつけるだけでも相当な威力を持つであろう」

マスター「それを技として昇華させれば威力はさらに上がる」

マスター「寺で見せたが、流派東方不敗には『石破天驚拳』と呼ばれる奥義がある」

マスター「お前にそれを伝授する暇が無いのが無念でならんわ」

東方不敗は心底残念そうに肩を落とす。

自身には無い特性、すなわち気と魔力の両方を併せ持つ士郎には、

東方不敗以上の高みに登れる未知の可能性がある。

それを見たいと言う願いが叶わないのは、

聖杯戦争の期間を考えると仕方が無いのかもしれない。

時刻は夜十時。

士郎と凛は巡回のため玄関へと集合した。

士郎が街へ出ると聞き、桜は慌てて二人の元へと駆け付けた。

桜「先輩……その体でまだ戦うって言うんですか」

桜「そんな目にあったのに。これ以上は先輩の手に余るっていうのに」

桜「どうしてそんな馬鹿な事を言うんですか」

桜は震える声で訴える。

体も震えているのか、それ静めるように胸に強く手を押し当てている。

しかし、士郎の決心は変わらない。

士郎「俺は桜を勝たせる為に戦う」

士郎「臓硯やあの影を放っておけないってのもあるけど」

士郎「それ以上に俺は聖杯が欲しいんだ」

士郎「聖杯の力なら、桜の刻印虫を取り除けるかもしれない」

桜「……それは私のため、なんですか?」

士郎「ああ、そして約束する。必ず帰ってくる。だから安心してくれ、桜」

凛「はいはい、そこまで。今更どうこう言っても仕方が無いでしょ?」

ここで凛が割って入る。

凛「桜とイリヤは留守番。私と士郎は街を巡回」

凛「臓硯を見つけても安易には仕掛けないで、確実な時だけ戦うの」

凛「……それにね、桜は臓硯以外の最後のマスターなんだから」

凛「遅かれ早かれ向こうから仕掛けてくるに決まってるわ」

凛「戦わないなんて選択肢は無いんだから、貴方も覚悟を決めなさい」

姉の一喝を受け、桜も了承せざるを得なかった。

東方不敗は玄関に残された桜を部屋に送ると、屋根に登って辺りを見回す。

深山町はいつものように静まり返っているが、

今夜は新都の空まで暗く不気味に静まり返っていた。

近代的な発展を続ける新都には、およそ似つかわしく無い光景である。

今夜もあそこに影が出たのだろうか。

士郎と凛は午前零時過ぎに戻って来た。

その後二人は早々に自室に戻ってしまったようだ。

そして午前一時頃、桜は目を覚ますと士郎の部屋に向かって行った。

今夜も士郎に魔力を分けて貰うのだろう。

ならば東方不敗の取るべき道は一つ。




翌朝。


マスター「起きんかぁぁぁぁぁぁぁぁ! 士郎ぉぉぉぉ!!」


東方不敗は士郎の部屋に勢い良く乗り込むと、一喝と共に布団を外へ放り出す。

(以下同文)

士郎「……ごちそうさま」

士郎はパンパンの腹を擦りながら、麻婆のレンゲを皿に置いた。

凛とイリヤも半ば呆れながら、どうにか料理を平らげる。

桜は食欲があまり無いようだったが、

「少しは食べないと体力が落ちる」と士郎に促され、ある程度の料理は口にした。

ただ少し気になったのは、桜は一口食べると首をかしげ、

また一口食べると首をかしげていた事だった。

まるで料理の味に納得がゆかないといったように。

マスター「どうした桜、塩が足らんのか?」

桜「えっ!? えっと……」

凛「味より量よ。作り過ぎにも程があるわ。……まあ、美味しいのは認めてあげる」

イリヤ「アナタは加減というモノを知らないの?」

士郎「不味くは無いぞ。むしろ美味い。だから安心してくれ、ライダー」

桜「そ、そうですねっ! 美味しいですよね、先輩」

食事が終わり落ち着いた頃、

テレビのニュースから更なる昏睡事件が報じられた。


『昨夜未明、新都の住宅街一帯で住人が意識不明となる事件が発生しました』

『重体者八十六名、軽度の目眩、吐き気を訴える者は二十八名に上り』

『また行方不明者十四名の捜索は、現在も警察の手によって行われています』

『被害者の住宅は直径五十メートル程の範囲に密集しており、専門家によると』

『最近多発する一連の中毒事件との関連性があるとの見方が強まっています』


凛「今までと段違いの被害者が出たわね」

凛「この分でいけば、数日後には一区画丸ごと呑み込まれないわ」

凛は険しい顔で士郎に現実を突き付ける。

凛「臓硯かあの影かは判らないけど」

凛「私達に手が無いと思ってやりたい放題始めたみたい」

凛「なら、私達が何をするべきか……判ってるでしょ?」

凛は席を立つと道場へと移動した。

士郎とイリヤも黙って後に付いてゆく。

桜は、士郎と凛に言われて部屋で休む事になった。

桜を部屋まで送った後、東方不敗は道場へと訪れた。

昨日の修行で知った気と魔力の相性の良さから、

少しばかり魔術に興味を持ったようだ。

凛の説明では、『宝石剣』とやらを投影するために

アーチャーの腕から知識や経験を引き出すとの事。

イリヤに士郎の精神を保護して貰い、聖骸布をほんの少しだけ緩める。

そうする事で士郎の投影技術を上げようという計画だ。

士郎は「アーチャーの腕を使うと時限爆弾のスイッチが入る」と言っていたが、

布を少し緩めるだけならそこまでの影響は無いらしい。

ただ、その度に浮かぶ苦悶の表情は、決して楽観視できるものではない。

少なからず士郎の体に影響が出ると思われるのだが、

魔術師でない東方不敗には口を挟む事ができなかった。

知識の引き出しは昼過ぎに一旦打ち切られた。

居間に戻ると、部屋で休んでいるはずの桜が皆の帰りを待っている。

士郎「桜、休んで無くて平気なのか!?」

桜はその問いには答えず、代わりに自分の用件を切り出した。

桜「先輩、実は冷蔵庫に食材が殆ど無いんです」

士郎はハッとして凛とイリヤに目を向けた。

凛「……何よ。私が食べ過ぎだっていうの?」

凛「元はと言えばライダーが悪いんでしょ!」

二人分の食い扶持が増えた事で食材の減りは早くなっていた。

決して今朝の食事だけが原因ではない。

士郎「分かった、すぐに買って来るよ」

イリヤ「あーっ、じゃあ私も行くー!」

士郎「ありがとうイリヤ」

士郎「買い溜めしようと思ってたから、人が増えるのは素直に助かる」

そうして二人は財布を持って、商店街へと繰り出した。

凛「ちょっと桜。私は休んでろって言ったわよね?」

居間で士郎とイリヤの帰りを待つばかりの二人であったが、

その沈黙は長くは続かなかった。

桜「……大丈夫、とは言えないけど、お昼ご飯くらいは作れます」

凛「はぁ!? 起きただけじゃなくて料理までする気!?」

凛「呆れた。アンタ自分の体がどうなってるのか分かってるの!?」

凛の剣幕を見かねた東方不敗は、桜に助け船を出す事にした。

マスター「ならば凛。お前が桜の料理を手伝ってやれば良かろう」

マスター「桜は料理ができ、凛も桜を監視できる。適度な着地点だと思うが?」

しかしその提案は、あろう事か桜の方から否定された。

桜「いえ、姉さんの手は借りません」

そのハッキリとした物言いに、凛が逆に驚いている。

凛「え……ちょっと、桜?」

バツが悪いと思ったのか、桜は言葉の後に付け加えた。

桜「だ、だって姉さんは先輩を鍛えてくれてるでしょ?」

桜「私だって役立たずじゃいられません」

桜「……それに。これは今まで私が受け持ってきた役割だから」

桜「これだけはずっと私が受け持っていたいんです」

今まで当たり前に出来ていた事が出来なくなるのは、不安以外の何物でもないだろう。

無理にでも料理を作りたがる理由は分かる。

しかし東方不敗には、凛の手を借りないという桜の拒絶は

それだけの理由からくるものだとは思えなかった。

やはり二人の溝は完全には埋まっていないのだろうか。

東方不敗は顎に手を当て首をかしげた。

士郎「ただいま。早速準備するよ」

士郎とイリヤが帰ってきた。

士郎の手には、木になる果実のように沢山の買い物袋が下がっている。

対してイリヤは一つだけ。

不公平な気もするが、それが士郎らしいと言えば士郎らしい。

桜「先輩、昼食は私が作ります」

士郎「ええ!? 桜、熱あるんだろ? 顔ちょっと赤いぞ?」

桜「大丈夫です、平気ですからっ!」

士郎「ダメだ! ……遠坂も何とか言ってくれ!」

凛「……言ったわよ。でもこの子、全然譲る気無いみたい」

暫くの押し問答の末、

士郎は「熱が下がれば料理を任せる」という条件で桜をどうにか納得させた。

朝の食事が多過ぎた事と夜は桜に期待するという事で、

昼はささやかな軽食で済まされた。

食事が終わると、桜は誰に言われるでもなく部屋に戻る。

この分では夕食は絶対にやる気らしい。

士郎たちは午後も午前と同じ事を続けている。

夕食時に差し掛かり居間に戻ると、台所には既に準備を始める桜の姿があった。

しかしその姿は、いつもに増して様子がおかしい。

皿を落とす事七回。箸を落とす事五回。

流石に包丁だけは落とさなかったようだが、

士郎は桜が包丁を握る度にハラハラと様子を注視していた。

そして挙句の果てにはコンロに鍋を置いたまま、

火をつけ忘れて放置していたという始末。

結局、一通りの料理が完成するまでに普段の倍は時間を要した。

桜「はい、長らくお待たせしましたー!」

桜の明るい声が食卓に響く。

凛「おおー!」
士郎「おおー!」
イリヤ「おおー!」

テーブルには色取り取りの料理が並べられ、

さらにはイリヤ用にとハンバーグまで作られた。

正に桜の会心作だと言っていいだろう。

凛「いただきます」
士郎「いただきまーす」
イリヤ「いっただっきまーっす!」

三人は盛りつけられた料理に箸を伸ばす。

士郎はエビの包み蒸し。イリヤはハンバーグ。凛はアサリの炊き込みご飯。

一斉に口に放り込んだ途端、同時に三人の動きが止まってしまった。

東方不敗は食事に参加していないが、三人の顔から察するに

見た目と味が一致していないのは容易に推測が出来る。

よほど作りなれた料理なら別だが、普通は味見をしながら作るものである。

果たして桜は何も思わなかったのだろうか?

ともあれ、完成品が目の前にあるのだから

それを食せば嫌でも結果が分かるはず。

東方不敗は桜の方に目をやると、

なんと未だに一口も料理に手が付けられていない。

いや、食べる食べない以前の問題である。

桜は箸を落としては拾い上げ、また落としては拾い上げを繰り返している。

一度おかずを口に運ぶ事が出来ても、

もう一度口に運ぶ時には同じ失敗を繰り返す。

まるで箸の持ち方を忘れてしまったかのように。

桜は箸を使うのに必死で周りが見えてない。

かく言う周りの三人も、固い表情のまま気が付かないフリをしている。

東方不敗もあまりの痛々しさに掛ける言葉を失ってしまった。

夕食を済ませ、桜は自室に戻って行った。

後片付けもやろうとしたのだが、流石の士郎も認める訳にはいかなかった。

食い下がる桜に対し、ついに士郎は夕食の事を打ち明けた。

それが決め手となったようだ。

夜十時。またも巡回の時間がやってきた。

士郎と凛はいつものように夜の街へ。

イリヤは居間で二人の帰りを待つつもりらしい。

丁度良い機会なので、東方不敗はイリヤに話を聞く事にした。

マスター「イリヤ、桜の容態なのだが……。単なる魔力不足とは違うのか?」

マスター「さっきの食事は見ておれんかった」

その問いにイリヤは横目で東方不敗を眺めていたが、

やがて目を閉じ淡々と語り出す。

イリヤ「いいわ。貴方は桜のサーヴァントなんだから話してあげる」

イリヤ「桜はね、聖杯戦争が進むほど壊れていくように作られているの」

マスター「……どういう事だ?」

イリヤ「分からなければいいわ。でも一つだけ言えるのは」

イリヤ「このまま聖杯戦争が進めばサクラは死ぬ。絶対に、助からない」

その宣告に、東方不敗はそれ以上追求する気も失われた。

士郎と凛はいつもより早めに帰ってきた。

その表情は暗く沈み、自分たちの無力さを噛みしめているように見受けられた。

恐らくは今夜も例の事件が起こったのだ。

そしてその表情から察するに、

もはや手の着けようがない程被害が拡大しているという事だ。

今夜、桜は再び士郎の部屋へ。

しかし魔力は安定しているはず。東方不敗は不思議に思った。

その後桜は自分の部屋に戻って来なかったため、

恐らく今頃は二人一緒に眠っているのだろう。

野暮な詮索は止めにして、今夜は東方不敗も身体を休める事にした。

凛「士郎! 桜が外で倒れているから運んで来て! 私は手当の準備をするから!」

早朝、切羽詰まった凛の声が響き渡る。

士郎はその声に跳ね起きると、隣に居るはずの桜が居ない事に気が付いた。

東方不敗も、てっきり桜は士郎の部屋に居るものと思っていた。

何故一人で外に出歩いたのか?

考えるのは後にして、二人は急いで現場へ駆け付けた。

士郎「桜!」

士郎は桜を抱き起こし、首筋に指を当てて脈を取る。

トクトクと波打つ感覚に、士郎はホウと息を吐いた。

桜が死んでは流石にサーヴァントにも分かると言うもの。

東方不敗は落ち付いている。

しかしその目は、桜に体に起こった重大な異変を見逃さなかった。

殆ど目立たないが、全身にあるのは間違い無く刺し傷。

しかもこの数では普通助からない。

これは士郎に知らせるべきや否や。

士郎は桜を抱えて部屋に運んだのだが、

凛は着替えさせると言って男二人を閉め出した。

これ以上は出来る事も無く、

士郎は自室へ、東方不敗は手持ち無沙汰に庭に佇んでいた。

と、何処からとなく愛馬の小さな声する。

その方向に歩み寄ると、霊体となっていた風雲再起が姿を現した。

だがそこに現れたのは普段の白く雄々しい姿ではなく、

血で赤く汚れ、ひどく弱りきった痛々しい姿であった。

東方不敗は変わり果てたその様子に目を見張った。

注目すべきは、風雲再起の体にも桜と同じ刺し傷が点在している事である。

護衛を命じていた事もあり、風雲再起も桜が傷ついた現場に居たという事だ。

マスター「何があった、風雲再起?」

その問いに、風雲再起は自らの操る鋼鉄の天馬を召喚する。

だがその天馬の姿も風雲再起と同じく酷い有様となっていた。

装甲には無数の穴が開き、

剥き出しになった電子部品から配線がブラブラと垂れ下がっている。

後ろ脚に至っては両方が吹き飛び、

付け根のフレームも大きくひしゃげてしまっている。

巨大な宝具をここまで破壊できる相手とは一体何者か。

風雲再起はそこに全てが映っていると言いたいのだ。

マスター「分かった。後はワシに任せておけ」

マスター「お前は霊体に戻って回復に努めるのだ」

東方不敗の命令に、風雲再起は煙のように姿を消した。

消滅まではしていないものの、当分の間は実体に戻る事は不可能であろう。

鋼鉄の天馬はコックピットの中もボロボロであった。

幸いにもモニタは映っており、動かす事は出来ないまでも

完全に死んでいるという訳では無いらしい。

東方不敗は鋼鉄の天馬に記録された映像を高速で送っていった。

暫く進めると、新都をフラフラと歩く桜の後ろ姿が映り始めた。

何故、という理由は置いておき、そこから通常の再生速度に戻す事にする。

男『暇そうだね、彼女。どう、一緒に遊ぶ?』

いかにも「夜遊びしてます」という風の男が桜に声を掛けている。

しかし桜は何も言わない。いや、反応すらしていないというの正しいか。

男『気分が悪いのかいお嬢さん? それなら……そうだ。そこで少し休んで行こうか』

相変わらず桜に反応は無い。

その態度に業を煮やし、男の口調が荒んでゆく。

男『何だよ、何黙ってんだよアンタ!』

男は桜の肩に手を掛け、ぐいと自分の方へ寄せようとした。

だが次の瞬間ソレは起こった。

桜の足元から「黒い何か」が飛び出したのだ。

「黒い何か」は男に覆い被さるように広がると、

グチャリという音と共にその全てを呑み込んでしまった。

そして最後はゆっくりと桜の足元へ戻ってゆく。

マスター「何が起こった!?」

思わず動画を停止させ、東方不敗もまた暫く固まったまま動けなかった。

少し巻き戻して良く目を凝らすと、「黒い何か」は人影のような形をしている。

もしやあの影は士郎や凛が言っていた影と同じものではないだろうか?

いや、結論を出すのはまだ早い。

再び録画を再生させ、画面の隅々に注意を向ける。

そこへ金色の男が現れた。

黄金の鎧に身を包み、得物を見定める赤い目がじっと桜に向けられている。

金色の男『今夜も精が出るな』

サーヴァントか。

しかし現界しているサーヴァントは東方不敗とアサシンの二人のはず。

マスター(あれは誰だ?)

桜は逃げた。

怯えた様子で。一心不乱に。

しかしとうとう路地裏に追い詰められてしまう。

金色の男『聖杯の出来そこないを期待していたが、まさかアレに届く程完成するとはな』

金色の男『惜しいと言えば惜しいのだが』

男は路地の曲がり角からゆっくりと桜に近づいて来る。

男が手を振り上げると、その背後から無数の武器が姿を現した。

そして手を振り降ろす。

まるで大砲を連射したような轟音と共に、桜目掛けて大量の武器が放たれた。

だが次の瞬間、桜の体は鋼鉄の天馬に包まれた。

天馬は空高く舞い上がり、金色の男はぐんぐんと小さくなってゆく。

風雲再起が桜を連れて逃げたのだ。

目標を失った無数の武器は、桜の背後にあった建物を次々と破壊してゆく。

金色の男『王から逃れられると思ったか?』

男は再び手を振り降ろす。

空目掛けて放たれた武器は、先程の倍はあろうかという数で鋼鉄の天馬に迫っていた。

爆音と共に天馬の後ろ脚は破壊され、バランスを失い地面に落下する。

そこに追い討ちをかけるように無数の武器が放たれたかと思うと、

録画の映像はここで途切れてしまった。

砂嵐の画面に男の声だけが響き渡る。

金色の男『選別は我の手で行う』

金色の男『死にゆく前に、適合し過ぎた己が身を呪うがいい』

東方不敗は長い間、砂嵐の画面を眺め続けていた。

考える事が多過ぎる。

━━ 桜の足元から出た影は何だ?

━━ あの金色のサーヴァントは誰だ?

━━ 桜を『聖杯の出来そこない』と呼んでいたのは何故だ?

いくら考えたところで、東方不敗の知識からでは答えを導き出す事は不可能であった。

-- interlude --


東方不敗が鋼鉄の天馬に乗り込んだ頃、

衛宮の屋敷に不可視の侵入者が現れた。

侵入者は屋敷の結界をすり抜け、士郎の自室へと潜り込む。


「━━ エミヤシロウ、だな」


その声に横になっていた士郎は跳ね起きた。

しかし辺りを見回せど、声の出所は全く分からない。

背筋に悪寒が走る。

こんな芸当ができるのは『気配遮断』能力を持つアサシン以外に有り得ないはずだ。

アサシン「警戒は無用だ。オマエを殺しに来たワケではない」

士郎「……殺しに来たんじゃない? なら世間話でもあるって言うのか?」

士郎は話しに乗るフリをしながら外までの距離を測る。

三秒もあれば中庭まで出られそうだが、

それだけの時間があればアサシンは士郎を四回は殺せる。

やはりこのまま話に乗るしか助かる方法は無いらしい。

アサシン「私ではない。オマエと会合を望んでいるのは魔術師殿だ」

士郎「魔術師……。臓硯の事か?」

アサシン「そうだ。間桐の屋敷でオマエを待っている」

アサシン「一人で赴くならば魔術師殿も歓迎するだろう」

その会合は罠に決まっている。

しかし士郎には臓硯と話をするチャンスはもう二度と無いだろう。

士郎「……分かった」

それだけ答えると、アサシンは一切の気配を立てずに消え去った。

士郎は衛宮の屋敷をこっそり抜け出し、臓硯の待つ間桐の屋敷へ足を速めた。

そこで士郎は桜の秘密を知る事となる。


●桜には聖杯の欠片が埋め込まれ、今は聖杯として機能している事

●アインツベルンの聖杯もまた人間である事

●あの影は聖杯の中身であり、桜自信でもあるという事

●よって臓硯を倒しても影は消えない事

●影を消滅させる方法は二通り

 ○聖杯戦争の期限切れを待つ。ただしその間多くの人間が犠牲になる

 ○桜を消す。多くの犠牲者を出さない為にはこの方法しかない


士郎はフラフラと間桐の屋敷を後にした。

脚はガクガクと震えを上げ、今にも崩れ落ちそうだ。

臓硯は言った。「万人の為に悪を討て」と。

━━ 十年前の再来を見過ごすのか?

━━ 今まで自分を支えてきた信念を否定するのか?

決断を下したところを想像し、胃の中のモノが喉元までせり上がる。

━━ それとも


-- interlude out --

イリヤ「あれ? シロウ、今玄関側の廊下から来なかった?」

士郎が屋敷に戻ると、居間にはお茶を飲んで一休みするイリヤの姿があった。

士郎「ああ、ちょっと外に出てた。留守の間、何かあったのか?」

イリヤ「何も…………。シロウ、外で何かあったの!?」

イリヤは士郎の変わり様に息を呑んだ。

顔の筋肉は蝋人形のように強張り、その瞳からは生気が全く感じられない。

足元はフラフラとおぼつかず、その姿はまるで病人のようであった。

士郎「……いや。別に、何も」

イリヤ「何も無くないわ! 何をしてきたか知らないけど」

イリヤ「そんな虚ろな目で私と話なんかしないで!」

その叱責に士郎は自分を取り戻す。

士郎「すまん。悩んでも仕方が無いってのに、つい考え込んじまった」

そう言ってぶるぶると頭を振り、沈んだ心に渇を入れ直した。

イリヤ「うん、合格。少しは元気出たみたいね」

イリヤ「さて、それじゃ聞きたい事は何? 私でいいなら力になってあげるよ、シロウ」

士郎「ああ。じゃあ訊いていいかな、イリヤ」

イリヤ「いいよ、何でも教えてあげる。シロウが教えて欲しいのはどんな事?」

士郎「……聖杯。アインツベルンの聖杯について教えてくれ」

その問いに一瞬、イリヤは士郎から目を逸らした。

イリヤ「……そっか、知られちゃったか」

イリヤ「うん。私は聖杯だよ」

イリヤ「初めから人間じゃない、そういう風に作られたホムンクルス」


マスター「その話、ワシも聞かせて貰おうか」


襖を開けて東方不敗が現れる。

つい先ほど、昨夜起こった事に目を通し終えたばかりだった。

聖杯について、イリヤの話は臓硯の話とそう大きくは違わなかった。

桜の容態については、英霊の魂を回収する度に人の機能を切り捨てた結果だという。

聖杯の話が終わった後、東方不敗は次なる疑問を口にした。

マスター「桜が聖杯だという事は分かった」

マスター「しかしイリヤ、聖杯は人々の願いを叶える『願望機』であろう?」

マスター「あの影は夜な夜な人を殺しておるが、それが人々の願望な訳があるまい」

マスター「ワシが想像する聖杯とは違う気がするのだが?」

影の話が始まった瞬間、士郎は顔を強張らせた。

それを二人に悟らせないよう顔を伏せたものの、

東方不敗はその僅かな変化を見逃さなかった。

しかしそれには構わず、イリヤが口を開くのをじっと静かに待ち続ける。

イリヤ「あれは……」

イリヤ「そう、アインツベルンがもたらした『呼んではいけない反英雄』……」

イリヤは遠くを見つめ、記憶を辿るようにポツリポツリと語り出す。

その口調は、イリヤでない誰かがイリヤの体を使って話しているような。

そしてまるで、それを実際に見てきたような。

不思議な現実味と威厳を兼ね備えたイリヤの声は、

東方不敗と士郎を話しの中へと引き込んで行く。

話の大筋はこうだ。

『呼んではいけない反英雄』とは、『この世全ての悪(アンリマユ)』であった。

時は三回目の聖杯戦争。

過去二度に渡って失敗したアインツベルンは、

勝利に固執するあまり例外的なクラスを召喚した。

勿論ルール違反である。

そして召喚されたクラスは『アヴェンジャー』と言った。

しかしアヴェンジャーは戦いには全く役に立たず、

すぐさまアインツベルンは敗退となった。

そしてアヴェンジャーは聖杯に取り込まれたのだが、ここで予期せぬ異変が起こる。

本来『無色』であった聖杯が、

この世全ての悪によって『黒』く汚染されてしまったのだという。

マスター「……話は分かった」

マスター「つまりそのアヴェンジャーと桜は契約状態にあるようなもの」

マスター「アヴェンジャーを倒してしまえば、桜との繋がりは消えるであろうな」

だが東方不敗は知らなかった、あの影は桜自身でもあるという事に。

士郎「待ってくれライダー! それは……少しでいい、待ってくれないか!」

士郎「あの影は……。俺が……」

士郎は自分が何を言っているのか分からなかった。

東方不敗を止めなければという気持ちだけがが、二転三転、空回りしている。

その様子を東方不敗は「準備が整うまで待て」と解釈したようだ。

マスター「ああ、お前達は切り札を準備しているのであったな」

マスター「ワシはまだあの影と対峙しておらぬ故、一人で勝てるか判断はできん」

マスター「それにあの影がいつ何処に出るかも分からんのでは戦い様が無い」

マスター「方針は士郎や凛に任せよう」

その答えに士郎はホウと息をつく。

しかし、いよいよもって時間が無い。

今夜あの影が現れるまでに決断をしなければならないのだから。

-- interlude --


時刻は夜十時。

凛とイリヤは宝石剣の準備に明け暮れて、今はぐっすりと眠っている。

影が出るとすれば巡回の時間あたりのはずだ。

士郎はナイフを握り締めると、足音を殺して桜の部屋へと向かって行った。

鍵は掛かっていない。

桜は眠っているようだ。

士郎はベッドまで歩み寄ると、手にしたナイフを顔の高さまで持ち上げた。

目眩がする。足元がふらつく。

そのまま倒れて桜の胸にナイフを突き立てれば全てが終わる。

だと言うのに、士郎の足は懸命に踏みとどまり

今の自分を必死に否定している。


━━ どうすればいい。


百を助ける為に一を切り捨てる。

いや、出来る事なら全員助ける。

かつて目指した正義の味方になるか。

それとも一を助ける為に百を切り捨てる。

一の為ならその全てを肯定する。

桜一人の為の正義の味方となるか。

士郎「そんなの……。あの時、決めたじゃないか……」


振り上げたナイフを静かに降ろす。

士郎「決めたんだ、桜だけの正義の味方になるって」

あの雨の日、桜を抱き締めながら自らに誓った言葉を思い出す。

腕の中で震える少女を守りたい。

ずっと一緒だと誓った。


深く息を吐き、眠る桜に背を向ける。

迷うのはこれで終わり。

桜が目を覚まさないうちに部屋を出ようとしたのだが━━。



桜「先輩。どうして、殺さないんですか」

桜は起きていた。

桜「いいんですよ、思う通りにして」

桜「私、自分じゃ怖くてできないから。先輩なら、いいです」

その言葉とは裏腹に桜の体は小さく震えていた。

目線は士郎の手に握られたナイフに釘付けとなっている。

その瞳はただ辛そうに曇り、

士郎にそんな決断をさせてしまった事を謝罪するような、涙する寸前の顔となっていた。

士郎「…………桜、俺は」

桜「分かってます。先輩は正しいです。だって悪いのは私ですから」

桜「……最後だから言っちゃいますけど」

桜「私、もういつまで自分でいられるか分からないんです」

桜「それに、おかしな夢を見るんです」

桜「いつも血塗れで、その夢の中だと私は悪者なんです」

桜「でもそれが楽しいって思える自分がいて……」

桜「私、本当はそんな夢を望んでいたのかもしれません」

桜「みんな嫌いで、恨む事しか出来なくて」

桜「でも、あんな夢を見る私自身が初めから居ちゃいけなかった」

桜「先輩。私、少しずつおかしくなっているんです」

桜「このままいけばあんな夢しか見なくなって」

桜「夢の中だけじゃなくて、本当にみんなを殺して回る悪者になるんです」


桜「だから……ここで、お願いできますか」

桜「わ、私が悪い自分になる前に、先輩に終わらせてもらえるなら、それで……」

桜「あ━━━━」

言葉の続きは抱擁で遮った。

士郎の腕はこれまでに無い程強く、ありったけの力で桜の体を受け止める。

桜「……駄目、です。きっと、後悔します」

涙する桜を抱きしめたまま、士郎は桜に声を掛ける。

士郎「そんなのもうしてる」

士郎「これからの事じゃない。桜を守れなかった今までの事を、ずっと後悔する」

士郎「俺が守る。桜を、ちゃんと俺が守る」


どれ程そうしていただろうか。

桜の震えが治まったのを確認した士郎は、腕を放して寝付くまで傍に付き添った。

桜の息が規則正しく整ったのを見届けると、

士郎は名残惜しそうに桜の髪をすっと撫でた。

そして静かに部屋を後にする。


-- interlude out --

桜「━━━━ なさい、先輩 ━━」

桜は眠っていなかった。

桜「っ ━━━━ うっ」

誰も居なくなった部屋。嗚咽だけが空間を満たしている。

かつて自分が憧れていた少年。

弱虫な自分とは違う、真っ直ぐで綺麗な少年の心。

すっとそのままでいて欲しいと願ったもの。

桜「━━ なのに、私が」

━━ 壊してしまった。

かつて正義の味方を目指していた少年が

自身を裏切る結果になったのは自分のせいだ。

桜はその罪悪感に押し潰されそうになりながら、ずっと涙を流し続けた。

壁一枚挟んだ隣の部屋。

東方不敗は先程のやりとりを一部始終監視していた。

いざとなれば士郎をその手に掛ける事になったであろうが、

その心配は無くなり激しい脱力に見舞われる。

先程から隣の部屋で啜り泣く桜には掛ける言葉が見つからず、

ただ立ちつくして桜が落ち着くのを待ち続けた。

桜「いるんでしょう、ライダー」


東方不敗を呼ぶ桜の声。

扉を開け、静かにベッドの傍らまで歩み寄る。

桜「……やっぱり、私の護衛をしていたんですね」

マスター「うむ。昼間、士郎の様子がおかしかったのでな」

マスター「しかし士郎をあれ程追い詰めるとは、一体何があったと言うのだ……」

桜「恐らくお爺様が……。私の事を話したんだと思うの」

マスター「それならワシも知っておる」

マスター「桜が聖杯であり、その中から溢れた影が街の人を襲っている事も、な」

マスター「しかしそれでも、桜がワシのマスターであるのは同じ事よ」

その言葉の意図を確かめるように、桜は東方不敗に問いかける。

桜「ねぇライダー。ライダーは私の味方よね?」

マスター「無論だ。サーヴァントとして、マスターの命は最優先」

マスター「いざとなれば顔見知りとて、心を鬼にして対処しよう」

桜「それは私が私でなくなっても?」

マスター「言うまでもあるまい」

しかしここで、東方不敗と桜の気持ちはすれ違っていた。

『桜が桜でなくなる』。

この意味を東方不敗は『人間としての機能を切り捨てた桜』として捉えたのだが、

桜はその先の事、『体を影にとって代わられた桜』として捉えていた。

桜「そう……」

桜でなくなった桜にとって、士郎はただの外敵となる。

もしそうなれば、影の命令に東方不敗は従ってしまうだろう。

桜はその仮定が現実になる事を恐れていた。

マスター「む!? 何をするのだ桜。まさか令呪を!」

桜は左手を宙に掲げて魔力を込める。

一瞬の発光の後、最後の令呪が桜の左手から消滅した。

桜「お願いライダー。この先何があっても、先輩を、最後まで守ってあげて」

-- interlude --


翌朝、士郎はいつも通りの時間に起きると

朝食の準備を済ませてニュースを眺める。

ニュースが終わったら持って行こうと、

桜の寝巻と水差しはテーブルの脇に置いておいた。

凛「おはよ」

暫くすると凛も居間へ入ってきた。

昨夜はたっぷりと睡眠を取ったのだろうか、

朝に弱いはずの凛なのだが、いつもより少しだけ元気そうに見える。

二人してニュースを眺めるも、特に目立った事件は無い。

昨夜はあの影が出て来なかったという事だ。

凛「じゃあ、これ以上の犠牲者が出る前に終わらせましょうか」

凛「何とか今日中に骨組を完成させるから、今夜投影を実行するわ」

凛「士郎はそれまで休んでおいて」

その計画に反論は無い。

しかし士郎は、ふと思った事を口にしてみる。

士郎「遠坂。切り札を投影して、臓硯を倒したとして」

士郎「それで聖杯戦争が終われば、あの影は消えると思うか?」

凛「消えるわ。あいつの正体が何であれ、アレが聖杯目的で現れているのは間違いない」

凛「聖杯が消えれば……」

凛「つまり聖杯戦争の期限切れか、マスターが最後の一人になるか」

凛は少し目を伏せたが、すぐにいつもの調子で話を続ける。

凛「それとも、聖杯の器になるモノが死んでしまえば……ね」

とっくにあの影の正体に気が付いたいたのだ。

凛「今のはただの推測よ」

凛「臓硯を倒しても、あの影は消えないかもしれない」

凛「聖杯戦争が終わっても、あの影は消えないかもしれない」

凛「だから今は一番確実な方法を取る」

凛「私達は私達だけの力で、臓硯とあの影を倒さないといけない」

そう言って凛は席を立った。

手には士郎が用意した寝巻と水差しを持っている。

士郎「遠坂、桜の看病は俺がするよ」

しかし凛はその申し出を一蹴する。

凛「馬鹿言わないで。貴方、昨日一睡もしてないでしょ?」

凛「そんな体でいられちゃ、私達が困るって分からない?」

凛「それに顔面蒼白で目にクマ作ってたら、看病される桜だって気を使うわ」

士郎「な……。それ、本当か?」

どうやら士郎は自分の気が付かないところで相当参っていたらしい。

それもそのはず。何しろ昨夜は、桜を手に掛けようとしていたのだから。

凛「嘘言ってどうするのよ。いいから士郎は休みなさい。夕方には呼びに行くから」

桜の傍にいたいのは山々だったが、そんな酷い顔をしているなら桜に会えない。

きっと桜は自分を責める。士郎はこれ以上、桜に余計な心配をかけたくはなかった。

士郎「じゃあ、遠坂の好意に甘えるよ」

士郎「食事くらいはやらせてもらうけど、それ以外は部屋に引っ込んでる」

凛「ええ、桜の看病は任せておいて」


-- interlude out --

凛「桜、入るわよ」

ノックをしてドアノブに手を掛ける。

返事は無い。気配からして眠っているのだろうか。

部屋に入ると桜のベッドが不自然に盛り上がっていた。

凛「まさか……」

明らかに毛布でも丸めて突っ込んである雑さ。

これでは鈍い士郎であっても一発で分かると言うものだ。

寝巻を投げ捨てて部屋を出ようとすると、ドアの陰から東方不敗が顔を出した。

マスター「やはり遠目でも分かってしまうか」

凛「ライダー、桜はどうしたの?」

マスター「桜は出て行った。臓硯と決着をつけに、な」

予想通りの返答に、凛は声を荒立て東方不敗を睨みつける。

凛「ちょっとアンタ! 桜のサーヴァントなら止めるのが務めでしょうが!」

マスター「止めたいのは山々だったのだがな。令呪を使われてはどうしようもあるまい」


『先輩を、最後まで守ってあげて』


士郎を守るなら、桜を追ってこの屋敷から出る訳にはいかない。

しかし東方不敗は恒久的に続く曖昧な命令なら十分に抵抗ができる。

ただ、桜の瞳に映る決意の灯の前に、その行動を止める事ができなかったのだ。

マスター「あと、お前は追わせないように言われておる」

凛「ふん。どうせ間桐の問題だとか何とかいって、一人で抱え込んでるんでしょ」

マスター「良く分かったな。流石は姉妹といったところか」

東方不敗はそう言いながら、

まるで呼吸をするかのような自然さで凛の額に指を当てる。

その仕草に凛は自分の視界を覆うものが何であるか最後まで分からず、

その光る指をあるがままに受け入れた。

堕ちてゆく快感に抗えず、

凛は何処か宙を見つめた虚ろな目のまま、闇の中へと誘われていった。

-- interlude --


満足に動かない体を懸命に引きずり、

桜は数日ぶりに間桐の屋敷へ帰ってきた。

しかし、何処を探しても臓硯の姿は見当たらない。

桜「うそ……。どうして……」

体は限界を迎えている。

ここで臓硯に会えなければ、もはや次は無いのである。

目眩に襲われ桜は自室で崩れ落ちた。

荒い呼吸をどうにか整え、壁に手を当て体を懸命に支え起こす。

そこへ良く知る声が聞こえてきた。

顔を上げると、変わり果てた形相の兄の姿があった。

慎二「ずいぶん遅いお帰りじゃないか、ええ!?」

慎二「この裏切り者! 間桐の面汚しが!」

慎二は重圧感を伴った足取りで、一歩、また一歩と桜に近づく。

もはやそこに『妹想いの兄』は無く、

はげ落ちた仮面の下には、憎悪と殺意が滲み出ていた。

桜「や……だっ……」

桜は後ずさる。

壁から離れた途端に倒れてしまい、

後ろ向きに、這うように、慎二から少しずつ距離を取る。

桜「だめ……。止めて、近寄らないで、兄さん……!」

かつてはどんなに虐げられても、どんなに暴力を振るわれても、

決して反抗しない従順な妹であった。

しかし、今の桜は兄を全力で拒絶した。

慎二「……は?」

慎二の動きが止まる。

まるで奇怪なモノでも見たように、

桜の頭からつま先まで、ジロジロと何度も眺め回した。

慎二「何て言った? 今、お前何って言った?」

桜「ち、近寄らないで。と、言ったんです」

桜「私はこれ以上、兄さんの言いなりにはならない」

桜「先輩は……こんな私でも受け入れてくれた。私を守るって言ってくれた」

桜「私は兄さんの玩具じゃない!」

慎二「……ふざけんな」

慎二「ふざけるな。ふざけるな! ふざけるなこの━━━━━━!」

ついに激情が爆発する。

感情を抑えきれなくなった慎二は、

何度も、

何度も、

何度も、

何度も、

その拳で桜を殴り続けた。

慎二「衛宮だと!? 僕の言いなりにはならない!?」

慎二「何様のつもりだお前! 決めるのはいつでも僕だ!」

慎二「お前は今まで通り、ただ黙って従えばいいんだよ!!」

慎二「はっはっはっはっは……!」

笑いながら慎二は殴る。

慎二「はははははははは━━!!」

無抵抗の桜を笑いながら殴る。

殴られる痛みの中で桜は考えた。

どうしていつもこうなるんだろう。

どうしてこの人はいつも私を台無しにするんだろう。

どうしてこの世界は私を嫌っているんだろう━━━━。

そして間桐の家に引き取られてから十一年間、

一度も思わなかった事を口にしてしまった。



桜「━━━━ こんな人、いなければいいのに」

パキン、と。桜の中で何かが壊れた。

気が付いた時には、慎二は頭から血を流して倒れていた。

その傷跡は、まるでピアノ線でも勢い良く押し付けたように

頭蓋を貫通して脳にまで達している。

桜「…………あ」

慎二を殺したのは自分だ。

それはすぐに理解できた。

桜の影から、別の細い影がゆらゆらと宙に浮かんでいる。

しかし何も感じない。

ただ簡単だったという事だけ。

桜「…………あ、は」

何も感じない。

そう、何も感じない。

よく分からない。

そう、よく分からない。

でもこんな事ならもっと早くやればよかった。

何も感じないなら、もっと早くやればよかったのだ。

桜「━━ ふ ━━━━ ふふふ」

楽しくなってきた。

桜「ふふっ ━━ ふふふふふふふふふっ」

だんだん楽しくなってきた。

桜「あはっ。あはははははははははは!」

そうだ、殺した。

笑いながら一杯殺した。

冬木の街で、言い寄る男を一杯殺した。

桜「あはは! はははは! あーっははははははっ!」

桜「ははっ! あははっあーはははははーはははは!」



桜「……なんだ。少しずつおかしくなってたんじゃないんだ」

桜「……先輩、私、最初から壊れてたんです」

桜の意識はそこで代わった。

いつから見ていたのか、ずっと見ていたのか。

少女の背後で語りかける気配がある。

臓硯「多くの人間を殺したな、桜」

臓硯「お前はもはや、人として生きられぬ」

臓硯「アインツベルンの娘を奪い、聖杯を手に入れよ」

臓硯「もはや、お前にそれ以外の生きる術は無い」

桜「はい。仰せのままに、お爺様」


-- interlude out --

士郎「桜、飯にしよう」

鮭のお粥を盆に乗せ、士郎はドアをノックした。

返事が無いのは眠っているのか。

それなら起きた時に食べられるよう、ラップを掛けて置いておけば良い。

士郎「桜、入るぞ」

士郎は一声掛けると、静かに部屋へと踏み入った。

一歩入ったその瞬間、足に伝わる冷たい感触に思わず小さく跳び上がる。

士郎「うわっ! カーペットが濡れてるぞ!? 水差しでも落っことしたか?」

部屋の入口には、出来たばかりの大きな染みが一つ。

拭き取った跡はあるものの、未だ乾かないカーペットの感触は

二月ともあり中々心臓に悪いものだ。

士郎「遠坂もドジ、やるんだな」

士郎は脇のテーブルに盆を置くと、ベッドで眠る桜の寝顔を覗きこむ。

が、そこに居たのは桜ではない。

桜の代わりに、凛が静かに寝息を立てている。

士郎「遠坂! ……どうして」

マスター「士郎、飯の時間には少し早いぞ?」

後ろからの呼びかけに振り向くと、

開けたままの扉の向こうに東方不敗が立っていた。

士郎「ライダー! 桜はどうしたんだ! 何で遠坂がここに寝ているんだ!」

隣で叫ぶ士郎に反応してか、凛が少し寝がえりを打った。

士郎はすかさず凛を抱き起こすと、肩を揺すって耳元で呼びかけ続ける。

士郎「遠坂、起きろ! ここで何があったんだ!? 桜はどうしたんだ! 遠坂!」

凛「んっ……」

凛は薄っすらと目を開けるも、未だ定まらぬ焦点は宙をフラフラと漂っている。

何か言おうとしているものの、心ここに有らずという様子で

その言葉はハッキリと聞き取れない。

マスター「士郎、桜は臓硯と決着をつけに行った」

マスター「凛には邪魔をされんよう、少し眠って貰ったがな」

士郎「何だって!?」

すぐさま部屋を飛び出そうとする士郎であったが、

東方不敗は一歩部屋に入るとその進路に立ち塞がった。

士郎「退け、ライダー! 桜を連れ戻しに行くんだ!」

マスター「まあ待て。桜が一人で出て行った意味を考えてみよ」

マスター「お前が桜を守りたいと思っているように」

マスター「桜もまた、お前を守りたいと思っておる」

士郎「え……」

マスター「桜は昨夜泣いておった。『自分が士郎を壊してしまった』、とな」

士郎「そんな……」

士郎は言葉を失った。

自分が傷つくのはいい。例え傷ついても、桜が守れればそれでいい。

そう思って今までひたすら前へ進んできた。

しかし、自分が傷つく事でそれが桜の心を傷める結果となっている。

昨夜の事だってそうだ。

桜を手に掛けようとするほど士郎を追い詰めたのは自分のせいだ、と。

マスター「分かったか士郎? それならここで大人しく……」

士郎「嫌だ! 俺は桜を守る! 桜を守ると誓ったんだ!」

士郎は吠えた。

例え自分が無事でも、桜が居ない自分など考えられない。

影を倒し、二人一緒に聖杯戦争を終えるのだ。

士郎「退けっ! ライダー!!」

立ち塞がる東方不敗を渾身の体当たりで吹き飛ばすと、

俊足の勢いで玄関へと駆け抜ける。

マスター「……仕方が無いのぅ」

諦めにも似た呟きを吐くと、

東方不敗は後を追うため桜の部屋を後にする。

とその時、丁度目が覚めたのか

東方不敗の後ろで凛がもぞもぞとベッドから這い出した。

マスター「起きたか凛。先程はすまんかったな」

凛「うぅ……。どうせアンタには勝てないんだから、抵抗なんかしないってのに……」

凛は暫く頭を擦りながら唸っていたが、

やがて思い出したかのように部屋の時計に目をやった。

凛「……あれから三時間。じゃあ、もう手遅れね」

凛「ライダー、覚悟なさい」

凛「次に桜に会う時は、桜はもう私達の知っている桜じゃないわ」

東方不敗は走った。

不吉な予言を振り払うように。

士郎は疲れた顔をしていた為すぐに追い付くと踏んでいたのだが、

走れど走れど、一向にその姿を捉える事はできなかった。

衛宮と間桐の丁度中間に差し掛かった頃、東方不敗は何とも言えぬ悪寒に囚われた。

足を止めて辺りを見回す。

何か良くないものとすれ違っているような。

このまま士郎を追う事よりも、己の直感は『戻れ』と警告を発していた。

すぐさま踵を返し、衛宮の屋敷へ疾走する。

衛宮の屋敷からは異様な空気が流れ出ていた。

暗く、重い、不吉な空気。

もはや悠長に玄関から入る余裕など無く、

東方不敗は塀を乗り越えて中庭へと着地した。

そこで目にしたのは、黒い泥のようなものが覆う地面とそれに呑まれる凛の姿。

そして泥の中心には、あろう事か桜の姿があったのだ。

体中に黒い入れ墨のような模様が浮かび上がり、

禍々しく発せられる魔力は桜のモノとは思えない。

背後には人影が陽炎のように揺れており、

触手のような平たい影が、桜を守るように何本も展開されている。

マスター「桜はアヴェンジャーと契約しているという話だったが」

マスター「これではまるで……」

━━ 桜がアヴェンジャーではないか。

後頭部にハンマーを打ち付けられたような衝撃に見舞われ、

東方不敗はグラグラと目眩に襲われる。

二、三歩後ずさったところで塀に当たってしまい、

その音で桜に気が付かれてしまった。

桜「あら、お帰りなさいライダー。私はもう平気だから安心して」

その呼び掛けに東方不敗は答えない。

いつでも踏み出せるよう静かに腰を落とし、

足に力を入れたまま桜の目をじっと睨み続ける。

桜「……そんな怖い顔をしないで、ライダー」

桜「今日はイリヤちゃんを迎えに来たんだけど」

桜「ライダーも一緒に来てくれるわよね?」

マスター「断る。お前は桜ではない!」

キッパリと言い捨てると、東方不敗は泥に沈む凛に向かって走り出した。

地面から生える平らな触手を腰布で打ち払うと、

凛を覆う泥に向かって光る指を突き立てる。

マスター「シャイニング・フィンガー!」

弾力性のあるゴムのような塊に、東方不敗の指がズブズブと沈み込んで行く。

手首まで泥に沈んだ所で、さらにその手に力を込めた。

マスター「爆発!」

その掛け声と共に凛を覆う泥は一瞬にして四散した。

既に魔力を根こそぎ吸われてしまったのか、

凛は蒼白い顔のまま力無くその場に横たわっている。

桜「あらライダー。その泥に素手で触れて平気なんて、一体どういう理屈かしらね?」

桜は口に手を当て笑いをこぼす。

泥が破壊されたところで慌てる様子は全く無い。

ストーカー『説明しましょう!』

ストーカー『少々長くなりますがご容赦ください』


ストーカー『「小説版」機動武闘伝Gガンダムには、「気炮暗黒通」という』

ストーカー『怒りや憎悪といった「負のエネルギー」を糧とする拳法があるのです』

ストーカー『アニメ版で言うなら……』

ストーカー『そうですね、「怒りのスーパーモード」といったところでしょうか』


ストーカー『そしてその気炮暗黒通には、相手の撃ち出したエネルギーを吸収し』

ストーカー『カウンターとして返す技が存在します』

ストーカー『戦いの中、ある男が石破天驚拳のエネルギーを取り込もうとするのですが』

ストーカー『そのエネルギーは気炮暗黒通と融合する事無く反発を起こしてしまいます』

ストーカー『結果その男は自滅し、東方不敗に敗れてしまいました』


ストーカー『流派東方不敗は天然自然から力を取り込む「正法」の拳法』

ストーカー『即ち気炮暗黒通とは真逆の存在であり』

ストーカー『それを取り込むなど不可能だったのです』

ストーカー『自滅は必然と言えるでしょう』


ストーカー『お分かりでしょうか』

ストーカー『桜の操る「影」もまた、正法の拳法とは真逆の存在』

ストーカー『流派東方不敗はサーヴァントの身でありながら』

ストーカー『あの影にダメージを与えられる有効打と成り得るのです』


ストーカー『……しかしそれまで』

ストーカー『ダメージを与えられるからと言って』

ストーカー『その絶対的な量とサーヴァントとしての相性問題を覆す事はできません』

ストーカー『東方不敗の運命は一体どうなってしまうのでしょうか』

桜「でも……。私に逆らうなら、ちょっとお仕置きしないとね」

桜「予定外のモノを摂ったから、本当は要らないのだけど……」

桜「貴方は特別にセイバーと同じにしてあげる」

その言葉を合図に、桜の足元にある泥が膨れ上がる。

蛇のように首をもたげ、東方不敗を呑み込もうとジリジリとその距離を詰めだした。


士郎「桜ぁ━━━━っ!!!」


息を切らせ、激しく肩を上下させながら、士郎が屋敷へ戻ってきた。

その声を聞きつけ、桜の意識は東方不敗から士郎へと切り替えられる。

目の前の光景に士郎は絶句した。

黒い泥の中に佇む桜と、それに対峙する東方不敗。

そして東方不敗の足元には、顔面蒼白とした凛が死んだように横たわっている。

士郎「遠坂!」

桜の様子も只事ではないが、今は凛の様子が気になった。

衰弱し切った凛の体は、早く手当てをしないと助からない。

凛に駆け寄る士郎に対し、

桜は目を細めて冷たいナイフのような言葉を投げかける。

桜「━━ 先輩。なんで、姉さんを庇うんですか」

士郎はその言葉に背中を刺されたような悪寒を覚えると、

みるみる内に全身の血液が凍り付くのを感じた。

桜は士郎に本気で殺意を向けていたのだ。

桜「そう、いつもそうでした。私を守ってくれるって言ったのに」

桜「先輩は私だけを見てくれなかった」

桜「……でもいいんです。そういう人だから、私、先輩が欲しかった」

桜「先輩、私といると苦しいでしょう?」

桜「だから私、先輩の前から消えないといけなかった」

桜「けど出来ないんです。私にとって、嬉しい事は先輩だけだから」

桜「それに先輩だって、私から離れられない」

桜「先輩はこれ以上、自分を裏切る事ができないから」

影が躍る。

東方不敗に向けられていた泥はその大きさを更に増し、

全員を呑み込まんと空高くから覆い被さった。

桜「だから、殺してあげます。そうすればずっと傍にいてくれるし」

桜「なにより……、先輩はもう、苦しまなくていいでしょう?」

マスター「飛べぇぃ!」

東方不敗は凛を抱きかかえると、士郎の背中を強く蹴り飛ばした。

辛くも泥から逃れたものの、その横目で波に呑まれる士郎が視界に映る。

その体は固く硬直し、まるで最初から避ける気が無かったかのようだった。

マスター「ええい! シャイニング・フィンガー!!」

光る指で泥を弾き飛ばす。

一瞬でも泥に呑まれた士郎は、両膝を付いて嗚咽を吐いている。

桜「ライダー!」

桜が睨む。

その瞳には『これ以上邪魔をすれば消す』という意志が込められていた。

マスター「令呪を使い、士郎を守れと言ったのを忘れたか?」

東方不敗は指を光らせたまま桜の方へ向き直る。

次に泥が来れば、二人を抱きかかえて逃げる事は不可能である。

ならば真正面から泥を破壊するより道は無い。

再び集まる泥を凝視しながら、東方不敗は奥義の構えで迎え撃つ。

だがそこに飛び込んできたのは泥では無く、戦いを止める少女の声であった。


イリヤ「そこまでよ。余計な事はしない方がいいわ、サクラ」

イリヤ「貴方、これ以上取り込むと戻れなくなるから」

その言葉に頭上を覆う泥の動きが停止する。

桜「……それはどういう意味ですか、イリヤスフィール」

イリヤ「言葉通りの意味よ。それより桜は私が目的なんでしょ?」

イリヤ「なら大人しく一緒に行ってあげるから、あんなの放っておきなさい」

静かに話しかけながら、イリヤは桜の元へと歩み寄る。

桜「正気ですか? 私が欲しいのは貴方の心臓だけ」

桜「私と来るという事は、殺されても構わないという事です」

イリヤ「そんなの分かってるわ。それに、元々それが私の役目だもの」

イリヤ「けど、正装はここには無いの。私の城まで取りに行かないと」

桜「……いいでしょう。自分で探す手間が省けますから」

桜「どんな思惑かは知らないけど、貴方の口車に乗ってあげます」

桜は自分の足元へ影を引かせると、

それまで庭を覆っていた泥も何も無かったかのように消えてしまった。

桜はイリヤを連れて衛宮の屋敷を去ってゆく。

士郎は膝を付いた姿勢のまま、その背中に向かって呼び止める。

士郎「…………桜……!」

桜はその声に足を止めると、

前髪で顔を隠すように俯いて最後の忠告を士郎に告げた。

桜「……もう、私の前に来ないでください」

桜「先輩を前にしたら、私……。先輩を、殺すしかない」

桜は再び足を進める。

士郎はそれ以上呼び止める事もできず、

泥によって衰弱した体はそこでプツリと機能を落とした。

『━━ったりまえだ!』

『勝敗が決したがどうした! そんなんで後に引けるか━━━━っ!!』


教会の中から士郎の声が響いてくる。

恐らくは戦いの夢でも見ていたのだろう。

東方不敗は倒れた士郎と凛を連れ、教会前に寝かせておいた。

程なくして言峰に発見された二人は教会内で治療を受ける。

凛は軽い手当ての後、遠坂の屋敷へと運ばれていった。

士郎はそのまま中で眠っていたが、たった今目を覚ましたという訳だ。

治療をしたのが午後三時。今は十二時間後の午前三時。

丸々半日眠っていたという事になる。

士郎は重い教会の扉を勢い良く開けると、外の空気を胸一杯に吸い込んだ。

先程まで眠っていた頭は冷たい夜風に刺激され、

今こそハッキリと自分のやるべき事を思い出せる。

桜を連れ戻す。好きな相手を守り切る

半日の休息で持ち直したか、

瞳はしっかりと前を見据え、確かな足取りでその一歩を踏み出した。

が、そんな士郎の後ろを意外な人物が付いて来る。

言峰である。

教会の影に身を隠し、東方不敗は二人のやり取りを注視する。

綺礼「何処に向かうつもりだ。私には事情が掴めないのだが」

士郎「何処に向かうも無い。イリヤは俺達を庇って桜に同行したんだ」

士郎「正装が城に有るとか言っていたから……。行先はあの森だ」

その答えに、言峰は僅かに眉をつり上げた。

綺礼「正装……だと? いや、それ以前に間桐桜は敵に回ったのか」

綺礼「ではこの度の聖杯戦争、既に勝敗は決したと言う事か」

言峰の言う事は正しい。今のままでは手も足も出ない事は明白である。

士郎はそんな現実を振り払うように、言峰に向かって言葉をぶつけた。

士郎「って、そんな事より! 何でお前が付いて来るんだよ!」

綺礼「お前一人では荷が重かろう」

綺礼「イリヤスフィールをさらわれたというなら、私も静観してはおれん」

士郎「な……」

綺礼「加えて、私のサーヴァントは全てヤツに敗れた」

綺礼「単純な利害の一致だよ。理由としてはそれで十分ではないか?」

確かに言峰の申し出は有り難い。

魔術教会の監督役と言うからには、言峰自身もまた魔術師なのだろう。

凛が居ない戦力の穴埋め。いや、もしかすると凛以上の魔術師なのかもしれない。

ただ東方不敗の胸には、言峰の言ったある単語が引っ掛かっていた。

マスター(『全て』? ヤツは今『全て』と言ったか……?」

ここで東方不敗は、

今一度サーヴァントとマスターの関係を整理する事にした。

以前、士郎から聞いた話も思い出す。


●セイバー:衛宮士郎

●アーチャー:遠坂凛

●ランサー:言峰綺礼

●ライダー:間桐桜

●キャスター:?????(死亡)

●バーサーカー:イリヤ

●アサシン:間桐臓硯


以上だ。

言峰のサーヴァントはランサーだった。

それはいい。

しかし、『全て』という言葉は

単一のモノを指す時には使われないはずである。

では他にサーヴァントが居たという事になる。

マスター(アヴェンジャーは置いておくとして、心当たりが有ると言えば……)

マスター(……金色の男か!)

そう。

無数の武器を持ち、桜と風雲再起を襲ったあの男である。

マスター(ヤツめ、何を企んでおる……)

サーヴァントを隠し持ち、あまつさえ桜を襲ったマスターがここに居る。

よって言峰の申し出には何か裏が有ると見て間違いない。

東方不敗は言峰を純粋な戦力としてはアテにしつつも、

その行動には注意するよう固く心に留めたのだった。

東方不敗が思案にふけている間に、士郎と言峰は車に乗り込んだ。

運転手付きの黒塗りの外車をこんな時間に手配するとは、

魔術教会の監督役というのは相当な権力を持っているらしい。

見失わないように後を追う。もちろん十傑集走りである。

ここで一旦更新を止めます。
少し私用を片付けた後再開します。

再開します

アインツベルンの森に着く頃には、東の空が明るみ始めていた。

士郎を先導役とし、言峰はその後をついてゆく。

東方不敗は気配を消して更にその後を追跡する。

道中、言峰が士郎に忠告した。

綺礼「今の我々ではあの黒い影に勝てん。今回は諦めろ」

綺礼「ただし、イリヤスフィールを保護すれば少しは猶予ができる」

綺礼「間桐桜と話がしたいのなら、彼女に対抗できる力を用意してからだ」

その言葉に、士郎は黙って首を縦に振るしかなかった。

影に対抗できる力。

宝石剣さえ出来ればチャンスはある。

とうとう城に辿り着いた。

すぐにでも突入したい所ではあるが、

素直に正面から入るのは自殺行為である。

士郎と言峰は進入ルートを模索していたが、

やがて言峰は城の脇の窓に目をやると、ニヤリと口元を緩ませる。

高さは四階程である。

綺礼「時に一つ尋ねるが、登山の経験はあるかね、衛宮士郎?」

どうやら壁を登って侵入する気のようだ。

言峰は凹凸の荒い壁を見つくろうと、

ゆっくりと、だがしっかりと、確かな安定感で城の壁を登ってゆく。

士郎も覚悟を決めると、見よう見まねで後に続いた。

二人は窓を蹴破り、城の中へと入ってゆく。

後を追おうと窓辺へ近付く東方不敗であったが、

肌に感じた負の波動に思わず体が硬直した。

それは城の入口から漏れている。

桜が居るのだ。

東方不敗は気配を消すと、慎重に入口へと忍び寄った。

そこで東方不敗が見たものは、無残に破壊されている広間であった。

中央階段は三分の一が吹き飛び、

その上にあったはずのシャンデリアは見るも無残に地で砕けている。

壁という壁には至る所に大穴があき、

そこから崩れた瓦礫は広間の半分は埋め尽くしている。

要所に置かれた胸像や絵画の類は、

既に原形を留めない無価値なガラクタと化していた。

そしてその中央には、大波の様に荒れ狂う影と桜の姿が。

桜は喉を掻き毟り、酸素を求めるように口を開けて宙を仰いでいる。

東方不敗は桜を止めてやりたい衝動をぐっと堪えると、

音を立てずにそっとその場を後にした。

先程の窓辺に目を向けると、二人は既に脱出していた。

イリヤも連れている。

だがその瞬間、東方不敗の背後から異様な轟音が放たれた。

バーサーカーだ。

その音を聞きつけるや、言峰はイリヤを抱いて走り出す。

士郎も続く。

マスター(……速い!)

東方不敗はそのスピードに目を見張った。

森には木々が生い茂り、真っ直ぐ進むは無理の一言。

それにくぼみや木の根で足場が悪い。

そんな中、二人は百メートルを七秒という

驚異的な速度で森を突っ切る。

言峰の場合は、

何かしらの魔術行使をしているという事でカタが付く。

仮にしていなくとも、あのガタイならそれも可能であろう。

しかし士郎は別だ。

考えられるとすればアーチャーの腕だ。

アーチャーの腕は魔術だけでなく、

士郎の身体能力さえも向上させているという事だ。

これならば、どうにかバーサーカーに追いつかれずに済むかもしれない。

しかし、東方不敗の安堵は白い髑髏の面に打ち消された。

マスター(追って来たか、アサシン!)

髑髏の面は、木々の隙間を縫って士郎と言峰に併走する。

刹那、アサシンの手から投擲剣が放たれた。

言峰はイリヤを片手で抱えたまま、もう一方の手で投擲剣を弾き返す。

その手にはいつの間に取り出されたのか、細い長剣が握られていた。

綺礼「……目障りなヤツだ。手が空いている時は現れぬクセに」

綺礼「忙しい時は呼ばずともやって来る」

言峰は速度を緩めてイリヤを降ろした。

綺礼「イリヤは任せた。代わりにアレを任されよう」

綺礼「なに、これでも神職だ。悪霊払いは慣れている」

躊躇する士郎であったが、

足を止めている間に暴風のような気配が近づいて来る。

士郎はイリヤを抱きかかえると、言峰に背を向け全力で走りだした。

言峰とアサシンが対峙する。

士郎の背中は、その間に小指程の大きさにまで小さくなっていた。

イリヤを抱えても、今の士郎なら十分バーサーカーから逃げられるだろう。

東方不敗は消していた気配を現すと、今こそ胸に秘めていた誓いを行動に移す。

マスター「言峰、アサシンはワシに譲ってくれんか」

マスター「代わりにお前には臓硯を頼みたい」

その計画とは、アサシンと臓硯の同時抹殺である。

片方仕損じれば、もう片方が桜に手を掛ける可能性があった。

ランサーの無念を晴らそうと誓ったその時、

すぐに行動を起こせなかったのはそれが原因である。

アサシンの投擲剣を弾き返す程の技量を持ったこの男であれば、

臓硯相手でも十分な勝機があるはずだ。

アサシン「……貴様!」

綺礼「……ライダーか」

綺礼「だがアサシンはつい先ほど、私の方から『任される』と言ってしまったのだがな」

マスター「それは承知で言っておる」

マスター「そもそもアサシンの相手は、お前にはちと荷が重いのではないか?」

マスター「それにな、ヤツとは因縁があるのだ」

綺礼「因縁……」

その言葉に言峰は目を細めた。

勿論、その意味は理解している。

ランサーの目を借り、東方不敗との戦いを見ていたのだから。

そしてランサーがアサシンに敗れた事も。

━━ 再戦を誓った相手が目の前のサーヴァントに倒された。

その無念はどれ程か。

それを脳裏に浮かべると、言峰は心の中で笑みをこぼした。

綺礼「……いいだろう。アサシンは任せる」

もしランサーの仇を討つ事で東方不敗の気が晴れるのなら、

それは立派な『救い』と言える。

神職に就く身としては、救いを求める者を無下に扱う事など出来はしない。

元より、サーヴァント相手の戦闘が重荷であることは十分承知の上だった。

綺礼「だが、臓硯がこの場に居るとは限らんぞ?」

その問いに東方不敗はキッパリと断言した。

マスター「いや、おる。必ずおる!」

マスター「アサシン現れるところ臓硯あり」

マスター「それにイリヤが逃げた事は臓硯にとって想定外のはず」

マスター「ぬくぬくと城で胡坐をかいている程、危機感の無い男ではあるまい」

納得がいったのか、言峰は城の方へと歩いてゆく。

イリヤと別行動になったのが幸いしたか、

バーサーカーは木々を薙ぎ倒しながら

この場とは別のコースを取っているようだ。

綺礼「では、臓硯は任されよう」

その答えに東方不敗は首だけで頷くと、腰布を手にアサシン目掛けて跳躍した。

マスター「てあああぁぁぁぁあ!」

東方不敗の腰布が髑髏の面へと躍りかかる。

アサシンはその攻撃を後ろに飛んで躱すと、

頂点に達したと同時に十の投擲剣を投げつけた。

マスター「ふん、ふん。たぁぁっ!l

三、三、四で投げられたその投擲剣は、

それと全く同じ呼吸で東方不敗に弾かれた。

着地と同時に一発、東方不敗の左に回りながらさらに数発。

その攻撃を東方不敗は真上に飛んでやり過ごす。

だが、それはアサシンの誘いであった。

宙へ飛んだ東方不敗の影に潜り込むと、

アサシンはその真下から七発の投擲剣を投げつけた。

空中、そして真下という死角。

不利な条件の揃うこの状況でも、東方不敗は冷静に腰布を操り続ける。

近場の木の枝に腰布を伸ばすと、

一気にベクトルを変えて木の枝に体を引き寄せる。

その姿はさながらワイヤーアクションでも見ているかのような、

豪快で精密な曲芸であった。

すぐさま地面に着地したものの、

アサシンは既に次の行動に移っていた。

以前対峙した本堂とは違い、

ここには隠れ場所が無数に存在し、そして広い。

アサシンは木の隙間を猿のように飛び交うと、

得物を取り囲むようにじわじわとその円の半径を縮めてゆく。

東方不敗は目を閉じた。

腰布を手に、膝を軽く曲げて腰を落とす。

まるで居合抜きでもするかのように、

力を抜いた全身は、ただ静かに爆発の瞬間を待ち続ける。

十重二十重。

投擲剣が放たれた。

四方八方を囲まれた東方不敗に逃げ場は無い。

しかしその風切り音と同時に開眼一閃。

腰布は東方不敗を取り囲む竜巻のように姿を変え、

迫り来る投擲剣を一本残らず叩き落とした。

アサシン「キ━━━━!」

アサシンの猛攻はさらに続く。

東方不敗はその攻撃を

枝の揺れ、

舞い散る葉、

投擲剣の風切り音、

木々の隙間から覗く黒い影。

ありとあらゆる情報を総動員し、

縦横無尽に飛び交うアサシンの投擲剣を、幾度も、幾度も、凌ぎ続ける。

ある時は布で弾き、

ある時は跳んで躱し、

ある時は拳で掴み取る。

やはり暗殺者の習性か、背後や頭上といった視覚外からの攻撃が比較的多い。

東方不敗の武闘家としての勘もまた、アサシンの攻撃を凌ぐ大きな手助けとなっていた。

地面には既に無数の投擲剣が散らばっている。

傍から見れば、黒い針の山が顔を出しているようにも感じられるだろう。

しかしその中心だけは、一本たりとも投擲剣は落ちていない。

ついに投擲剣が底を尽きたか、

アサシンは動きを止めて東方不敗と対峙した。

アサシン「……驚いたな。ランサーのように流れ矢の加護を持つ訳でもあるまい?」

アサシン「よもや己の肉体だけで、これだけの投擲剣を捌き続けたのか」

アサシンの言葉には半ば感心にも似た響きが込められていた。

マスター「成程、ランサーもこの程度は朝飯前という事か」

マスター「それを聞いて安心したわ」

アサシンがその名を発する事に不快感を覚えつつも、

東方不敗はかつての宿敵が持つ確かな技量に思いをはせる。

マスター「……さて、お前の攻撃はそれで終わりか?」

その問いに髑髏の面はカラカラと音を立てる。

アサシン「いやいや、切り札は最後まで取っておくもの」

そう言ってアサシンの影は木々の隙間へと消えていった。

マスター(気配を消したか……。恐らくは宝具を使うはず)



マスター「ならば!」

森が吠えた。

大地が震えた。

風が叫んだ。

今やアインツベルンの森全体が

ごうごうとその命の炎を燃やし始めた。


━━━━ 明鏡止水。


心静かに。

わだかまりや、やましさの無い澄んだ心。

曇りの無い鏡の如く、静かに湛えた水の如き心。

その境地が頂点に達した今、

森全体が東方不敗に呼応し、命の息吹となってその体に流れ込む。

命の炎はやがて光となり、森全体を黄金の秋へと染め上げた。

東方不敗が拳を掲げる。

その心は明鏡止水。

されどその掌(てのひら)は太陽の如く熱く燃え上がる。

それを見るやアサシンは逃げた。

一刻も早くこの場を離れたかった。

あれは柳洞寺で見た光の比では無い。

触れれば死ぬ。

あの影と比較的近いこの体は

あの拳に触れれば間違い無く死ぬ。

逃げるアサシンの背後でガサガサと茂みが音を立てた。

アサシンの頭上でパチリと木の枝が音を立てた。

背後を見る。

頭上を見る。

しかし相手の姿はそこには無い。

まるで森全体が東方不敗の味方をしているように、

ここだここだとアサシンをはやし立てている。


『どうしたアサシン。ワシは此処だ。此処におる』


何処からと無く東方不敗の声が響く。

その呼び掛けにアサシンはギクリと足を止めた。

逃げ場は無い。

そう悟ったアサシンは、

右腕の包帯を解き放つと宝具での迎撃態勢を整える。

東方不敗の姿は見えないが、アサシンとて『気配遮断』スキルは持っている。

勿論、そのスキルの弱点も十分に心得ていた。

即ち『気配遮断』は攻撃の瞬間には効果が薄れるという事である。

アサシンはその瞬間を逃すまいと、

右を、

左を、

上を、

背後を。

針のように五感を澄ませ、その攻撃を待ち受ける。

「シャイニング・フィンガ━━━━ッ!!」


突如、正面に巨大な光が現れた。

いや、大きさは掌ほどである。

しかしアサシンの目の前に迫ったその光は、

既に視界を覆う程までにその距離を詰めていたのだ。

アサシン「ギ━━」

咄嗟に左腕で顔を防ぐ。

だがその光は軌跡を変えると、

アサシンの胸へ深々とめり込んだ。

マスター「聖杯戦争 国際条約 第二条」

胸の中の掌が握り締められる。

マスター「相手のコクピットを…………潰す!」

グチャリという音を立て、それで勝負は幕を閉じた。

東方不敗に胸を貫かれたまま、

アサシンの両膝は力無く地面に崩れ落ちた。

だが、そのまま消えるアサシンではなかった。

死なば諸共と、東方不敗の背中に長い右腕を回り込ませる。

だがそこに出てきたのは偽りの赤い心臓では無く、細くて白い布切れであった。

白い布切れはまるで蛇のようにアサシンの腕に絡みつき、

ギリギリとがんじがらめに締め上げてゆく。

アサシン「ウデ、が……っ」

アサシンからは東方不敗の背中は見えない。

右腕の締め上げられる感触に、ただ戦慄を覚えるばかりであった。

その布の正体は、かつてセイバーに負った傷を手当てしてくれた

桜が巻いたあの包帯である。

宝具の発動が不発に終わり、アサシンは今度こそ力尽きた。

アサシンの黒い体は風となってアインツベルンの森に消えてゆく。

マスター「ランサー。これでお前も解放されよう……」

まだ少しだけ影の残る、目の前の小さな黒い染み。

墓標の無い墓に言葉を添えると、

東方不敗は言峰の元へと走り出した。

-- interlude --


ストーカー『いきなりですが説明しましょう!』

ストーカー『いえ、決して筆者が書くのが面倒になったとかそういう事なのですが』

ストーカー『どうぞ最後までお付き合い下さい』


綺礼が臓硯を倒す

桜登場

綺礼の心臓が潰される

同時刻、士郎がアーチャーの腕を使ってバーサーカーを倒す

バーサーカーが桜(聖杯)に還ってくる

桜が苦しむ隙に綺礼は何処かへ


ストーカー『以上です』

ストーカー『少しだけ補足しておきますと』

ストーカー『言峰の心臓は前回の聖杯戦争から機能していないのです』

ストーカー『その代わり、聖杯の泥を被ったギルガメッシュからその力が流れ込み』

ストーカー『それが言峰の心臓の代わりを務めていました』

ストーカー『しかし今回、黒聖杯となった桜にとって』

ストーカー『言峰の心臓は自分の力で機能させているようなもの』

ストーカー『つまりその命は既に桜の手の上だったのです』


ストーカー『その詳しい経緯につきましては【Fate/stay night】をプレイするか』

ストーカー『過去の物語である【Fate/zero】をご覧ください』




綺礼「……」ナンダアイツハ

マスター「うむ。説明キャラというのは便利なものよ」

綺礼「しかし、あまりやりすぎると読者に怒られるのではないか?」

綺礼「上記の地の文はいい加減にも程がある。文体にもやる気が全く感じられん」

マスター「仕方が無かろう。筆者が持たん時が来ているのだ!」

綺礼「エゴだな、それは」

マスター「ならばアクシズの代わりに原稿が落ちるぞ?」

綺麗「……」


-- interlude out --

結局、東方不敗は言峰を見つける事ができなかった。

見つけたとモノ言えば、森の中に佇む廃屋の壁に

人を押し付けて磨り下ろしたような異様な跡があった事。

そして周囲を赤く染めるおびただしい血痕と、

粉々になった肉塊が散らばっていた事くらいであった。

この肉片が臓硯のものである事は明白である。

何故なら、そこから立ち込める腐臭は普通の人間では有り得ない。

飛び散った肉片も、掻き集めれば丁度

小柄な老人くらいの大きさにはなるかもしれない。

さて、衛宮の屋敷に戻ったのは士郎とイリヤが最初である。

危機を乗り越え森から出た二人は、道路に飛び出して無理矢理車を捕まえた。

そしてイリヤが催眠術をかけて乗せて貰うという、

犯罪者紛いのヒッチハイクをやってのけたのだった。

次に屋敷に戻ったのは凛である。

自分の肌に合った土地で眠っていたのが幸いしたか、

夕方には持ち直して衛宮の屋敷へ訪れる。

最後に戻ったのは東方不敗。

言峰を探していた時間が長かったため、

戻った頃にはすっかり日が暮れてしまった。

東方不敗が戻ったのと、

三人が土蔵で宝石剣の投影を済ませたのは殆ど同時であった。

凛とイリヤは試し打ちをすると言って出て行き、

士郎は一人、土蔵の中に取り残されていた。

マスター「士郎、よく逃げ切った。切り札も無事に作成できたようだな」

東方不敗は蒼白い顔の士郎に労いの言葉をかける。

その疲れ切った様子から、

宝石剣の投影がかなりの負担であった事は容易に推測できる。

そして何よりアーチャーの腕を使った事は明白である。

腕を使えば『時限爆弾のスイッチが入る』という話だったが、

東方不敗はその意味をすぐに理解する事になる。

士郎「あ……。えっと、そう。ライダーか」

マスター「うむ、今戻ったところよ」

士郎「こんな所で何やってるんだ?」

マスター「切り札を投影すると言っていたお前の様子を見に来たのだ」

士郎「切り札……?」

士郎はまるでその言葉に心当たりが無いかのように、

東方不敗を見つめてポカンとしていた。

マスター「凛とイリヤと三人で、宝石剣とやらを作るという話だったではないか」

士郎「宝石剣……?」

またもや士郎はポカンとしている。

マスター「大丈夫か士郎。疲れておるなら肩を貸すぞ?」

そう言って士郎の手を取ろうとしたその時、

そこからポタポタと血が滴り落ちている事に気が付いた。

手の平には赤い宝石でできた三角形のペンダントが納まっており、

その角が肉に食い込むほどの力で、強く握り締められていたのだった。

マスター「何をしておる! さっさと手当てをするのだ。居間へ行くぞ」

しかし、その呼び掛けに士郎は反応しなかった。

手の中にあるペンダントを見つめたまま、

何か思い出そうと必死に思案を巡らせている。

マスター「……そのペンダントがどうかしたのか?」

士郎「……これは大切なモノ。……そう、大切なモノなんだ」

まるで自分に言い聞かせるような物言いに、

だんだんと東方不敗は不安になってくる。

先程からの士郎は、単に疲れているだけでは説明のできない程の

『記憶の欠如』が見られている。

一先ず士郎を居間へ連れて行くと、

手の傷に包帯を巻きながら今日一日の出来事を一つずつ確認してゆく。

東方不敗は頭を抱えた。

士郎は今日一日の事を殆ど忘れていたのである。

いや、今日だけの事ではない。

遡ればボロボロと記憶の穴が見え隠れしている。

時限爆弾による肉体の崩壊はこれ程のものなのか。

英霊の力を使った代償はこれ程のものなのか。

何とか出来ないものかと、東方不敗はイリヤに相談を持ちかける。

イリヤ「無理ね……」

イリヤの答えは非情なものであった。

視線を逸らしながらも、変え様の無い事実を東方不敗に一つ一つ打ち明ける。

何でも投影は宝石剣の作成だけでなく、

既に森でバーサーカー相手に使っていたと言うではないか。

マスター「士郎の体は後どれくらいの猶予があるのだ?」

イリヤ「シロウの体の事はシロウが一番良く知っていると思うけど」

イリヤ「……そうね。この調子だと、投影は出来て後二回」

イリヤ「三回も使えば、士郎の体が耐えられない」

イリヤ「どちらにしたって、一度でも使えばいづれ来る運命は変えられないの……」

再び東方不敗は士郎の元へ。

マスター「士郎。アーチャーの力について教えてくれんか」

士郎「何だよいきなり?」

アーチャーの力がどんなモノか分かれば、

それと上手く付き合って行く方法があると思ったのだ。

例え桜を助け出しても士郎が死んでしまっては意味が無い。

東方不敗は最後までその運命に抗うつもりだ。

アーチャーは『錬鉄の英雄』らしい。

剣であれば見たモノを複製でき、

またアーチャーがこれまでに記録した武器も引き出す事が可能。

固有結界『無限の剣製(アンリミテッドブレードワークス)』は使用不可。

腕から武器を引き出す場合は、使用目的に最も適したモノを

無限の剣製から検索して複製する仕組みである。

イリヤ「シロウ、リンが呼んでるわ」

イリヤ「外で待ってるから、準備が出来たら来なさいって」

話を聞き終えた頃、イリヤが士郎を呼びに来た。

日付が変わると同時に桜の居る柳洞寺に乗り込む算段だったらしい。

そしてイリヤは留守番である。

臓硯がイリヤを狙っているという事もあるが、

士郎の希望でここに残る事になったのだとか。

士郎「分かった、それじゃあ行ってくる。イリヤも気を付けてな」

士郎「ライダーは先に外で待っててくれ」

士郎は腰を上げると、短剣が包まれた布を脇に抱えた。

宝石剣の投影で不要になった儀式用の短剣だが、

今の士郎にとっては武器は多いに越した事は無い。

東方不敗は真っ直ぐ玄関には向かわず、

庭の片隅の、何も無い空間に向かって声を掛けた。

マスター「風雲再起、今宵は最後の戦いになろう」

マスター「辛いとは思うが、霊体のままついて来てはくれんか?」

マスター「万一の場合はお前の力を借りる事になるやもしれん」

その呼び掛けに愛馬は声を返すと、

気配だけが東方不敗にピッタリと寄り添った。

凛「ライダー、士郎は?」

東方不敗が外に出ると、玄関の脇から凛の声が聞こえてきた。

表札の付いた壁に寄りかかり、片腕を腰に回してこっちを見ている。

士郎は自分が死ぬ事を悟っている。

恐らく今頃は、二度と戻らぬ我が家に別れを告げている事であろう。

それを急かすは無粋というもの。

何とか時間を稼がねば。

マスター「凛、お前は確か宝石に魔力を込めているのだったな」

凛「そうよ。この戦いで全部使っちゃったけどね」

マスター「今まで何個くらいの宝石を買ったのだ?」

凛「十七年で十個よ。毎日欠かさず魔力を込めたわ」

マスター「なるほど。お前が今持っているのは宝石剣だな」

凛「宝石剣ね」

マスター「もしお前がそのお金を使わなければ」

ストーカー『ちくわ大明神』

マスター「今頃それ位の宝石が買えたのではないか?」

凛「誰だ今の」



士郎「待たせた遠坂」

マスター「さて行くか」

凛「ちょっと! アイツは結局何者なのよ!」

マスター「知らん」

士郎「?」

-- Interlude --


柳洞寺の地下空洞。

祭壇の上には巨大な黒い炎が燃え盛り、

その炎に熱せられた空気は、濁った風となって洞窟内を駆け巡る。

濁った風に当てられた水は、毒々しい色となってさらに地下へと染みわたる。

ここは死地と化していた。

そんな地獄の祭壇に、影が一つだけ立ちつくしている。

桜だ。

桜は力無く腕を垂らし、心無い表情で虚空を見つめ続けていた。

桜『……ふむ、頃合いか』

しかし、その口から出たのは桜の声では無い。

桜『もう暫く保つかとは思うたが、幕引きはあっけなかったのう』

臓硯である。

森で言峰に倒されたアレは、

臓硯にとっては只の触角に等しい存在であった。

本体は一番安全な場所。

即ち桜の心臓に取り付く、小さな一匹の虫であった。

桜『いやはや、実に残念だぞ桜』

桜『ここまでアレを育てたお主じゃ』

桜『せめて聖杯を手に入れる栄光は譲りたかったのだが、仕方あるまい』

桜『消えたお前の理性に代わって儂が引き継いでやろう』

そして虫は動き出す。

今まで居た心臓から、脳を食わんと這いずり出した。

桜の体を乗っ取るつもりである。

桜「その必要はありません。お爺様、私は大丈夫です」


突然、桜の指は自身の鎖骨あたりへと埋め込まれた。

心霊手術のごとく奥深くへと埋め込まれた指は、

先程まで心臓にいた小さな虫を掴み上げる。

ずるりという音と共に、奇怪な寄生虫が取り出された。

臓硯「な……何を、何をする桜!」

桜「なんだ、やってみたら簡単なんですね」

桜「私、お爺様はもっと大きいかと思っていました」

血に濡れた自身の指と、ピチピチと動く奇怪な虫を見ながら

桜は祖父と名乗るモノをまじまじと観察している。

桜「あの神父さんには感謝しないといけませんね」

桜「あの方がお爺様を消してくださらなかったら」

桜「本当に私が食べられていた所だった」

臓硯「待て。待て待て待つのだ……!」

臓硯「違う、違うぞ桜……! お前に取り憑くというのは最後の手段だ」

臓硯「お前の意識があるのなら、門は全てお前に与える」

桜「もうお爺様の手は要りません。後は私だけでも門を開ける事はできますから」



桜「さようなら、お爺様」



-- Interlude out --

東方不敗ら三人は、

柳洞寺の地下へ続く洞穴を下へ下へと降りて行った。

闇の中を百メートルは降りただろうか。

長い長い縦の洞穴を抜けた先は、一転して薄明るい光に包まれた。

ヒカリゴケの一種か、ぼんやりとした緑色は

壁から天井までびっしりと洞穴を覆っている。

さらに進むと天井は高くなり、生温かい風がこちら側へと流れてくる。

大空洞は近い。

マスター「待て」

東方不敗のその声に、士郎と凛は足を止める

視線の先にはあの黒い騎士が待ち受けていた。

あちらもこちらに気が付いたのか、

セイバーから発せられる殺気が肌を突く程に強まってゆく。

東方不敗は息を飲んだ。

凛とイリヤから『別人』とは聞いていたものの、

目の前にいる騎士はただ属性や性格が反転しただけの存在ではない。

金色に輝いていた髪は色素が抜けたように白みがかり、

瞳の色も翠から金へと変色している。

神々しい光を発していた白銀の鎧は、

今や漆黒へと染め上げられて洞窟の闇に溶けている。

だが、外見の違いなど些細な問題。

一番の違いは、その体から溢れ出る力が桁違いに上がっているという事だった。

抑えていても溢れ出る魔力は全身を覆い、

既に隠す必要も無いのか、セイバーの持つ剣からは

剥き出しの黒い刀身と剥き出しの鋭い殺気が三人目掛けて突き付けられる。

凛「……ふん。話し合いで通してくれる、って雰囲気じゃなさそうね」

凛は腰の後ろに隠してあった宝石剣に手を伸ばした。

だが、セイバーは静かな声で凛をいさめる。

セイバー「リン、私には貴方と争う理由は無い」

セイバー「くれぐれも間違いで私に剣を向けないように」

セイバー「貴方をここで殺してしまっては、桜の命令に背いてしまう」

つまり、桜は凛と一対一でで決着を付けたがっているという事だ。

凛「……そう。本気なんだ、桜」

凛は大きく息を吸った後、セイバーへ向かって歩き出す。

堂々とその横を通り過ぎ、赤い服は闇の中へと消えていった。

マスター「さて、ワシらもとっとと通して貰おうかの」

凛の気配が薄れた後、東方不敗は上を見上げた。

天井には十分な高さがある。

今のセイバー相手では生身で戦う余裕は無い。

最初から全力。

宝具の名が洞窟内に響き渡った。


マスター「マスターガンダァァァァム!!」


赤い翼が風を斬り、巨人が騎士へと襲いかかる。

大小二つの漆黒の影は、暗い洞窟で火花を散らした。

マスター「でぁぁぁぁっ!」

巨大な手刀が放たれる。

巨人にとっては只の突きでも、騎士にとっては致命となる。

だがその質量の塊を、騎士は真っ向から剣で迎え撃つ。

セイバー「ふっ!」

セイバーの一振りの前に巨人の腕が大きく弾けた。

膨大な魔力放出にモノを言わせ、巨人の腕を触れる事無く押し返したのだ。

マスター「ならばぁ!!」

続いて光の布が放たれる。

『マスタークロス』と呼ばれるビームの布は、

東方不敗の腰布と連動して動く、マスターガンダム唯一の武器らしい武器である。

マスタークロスはセイバーの周りを取り囲むと、

握り潰すように一気にその円を締め上げる。

だが瞬時に巻き起こる空気の爆発に、

ビームの粒子は跡形も無く四散してしまう。

やはりこれも魔力放出。

セイバーは桜から流れる無限とも言える魔力を武器に、

マスターガンダムの攻撃を力任せに迎撃するのであった。

セイバー「はああっ!」

爆散させた魔力を推進力に、騎士は巨人の懐へと潜り込む。

小さな剣から放たれた斬撃は、巨人の装甲に大きく深い傷を付けた。

マスター「ぬうぅぅっ!」

脇腹に一閃を受け、巨人の体が大きく後ずさる。

騎士はすぐさま返す刀で追撃を入れるが、

巨人は光る掌でその攻撃を受け止めた。

マスター「ダークネス・フィンガー!」

シャイニングフィンガーに酷似したその技の衝撃に、

騎士の体は数十メートルは吹き飛ばされた。

受け身を取って着地するも、漆黒の鎧は所々に亀裂が走っている。

強大な力を得たとは言え、黒化した騎士は影と同等。

流派東方不敗の技の前に鎧が悲鳴を上げたのだ。

騎士は剣を構え直すと、目を閉じ大きく息を吸った。

その一呼吸で鎧に魔力が行き渡り、無数の傷はあっと言う間に塞がってゆく。

騎士はその守りに加え、治癒の力も一級品である。

しかし巨人も負けてはいない。

その体に植えつけられたDG細胞は、自己再生を用いて脇腹の傷を塞ぎ始める。

セイバー「……大した生命力だ。その宝具は自身の傷を治すのか」

セイバー「いくら斬っても意味が無さそうだな」

セイバー「それなら……一撃で決める!」

黒い刀身に禍々しい魔力が集まり始める。

━━ 来る。

騎士の最強の一撃を前に、巨人も最大の奥義で迎え撃つ。


マスター「流派・東方不敗が最終奥義!」

セイバー「約束された(エクス)━━━━」

マスター「石破天驚けぇぇぇぇぇぇぇん!!」

セイバー「勝利の剣(カリバー)━━━━!!」

二つの力がぶつかり合う。

漆黒の光を砕かんと走る黄金の拳。

黄金の拳を呑まんと広がる漆黒の光。

相反する力の衝突は、さながら時空の歪みでも引き起こしているようである。

暴風が吹き荒れ、稲妻が激しく飛び交い、大地が勢い良く唸りを上げる。

例え天変地異が起こっても、これより激しくなろうものか。

マスター「ぬおおおおおおおおおおおおおっ!」

セイバー「はあああああああああああああっ!

さらに込められた力の前に、ついに空間が弾け飛んだ。

しん、と静まり返った空間で、士郎は倒れた体を起こした。

この静けさは嵐が過ぎ去ったからなのか、

それとも轟音で耳がやられたからかは分からない。

先程まで光り輝いていた空間は、前に比べて深い闇に包まれていた。

ふと足元に目を降ろすと、

ヒカリゴケの光が今にも消え入りそうなくらい弱々しくなっている。

ふと、視界の隅で何かが動いた。

士郎「……セイバー!」

騎士は剣で体を支えながら、崩れ落ちた岩の上を一歩一歩進んでいる。

その視線の先には、落盤に埋もれて動かない巨人の姿が見据えられていた。

セイバー「最期だ……」

騎士は鎧の修復など後回しに、黒い剣に魔力を込める。

士郎「まずい!」

そう思った途端、士郎は左腕の拘束に手を掛け、巨人目掛けて駆け出していた。

聖骸布を解き放つ。

アーチャーの経験を目一杯引き出し、この状況を打開できる力を絞り出す。

騎士が剣を振り上げた瞬間、巨人の瞳に光が灯った。

東方不敗は生きている。

しかし騎士の一撃は、巨人に止めを刺さんと振り下ろされた。

セイバー「約束された(エクス)━━━━」

刹那、巨体が宙へと跳ね上がる。

体を激しく回転させ、巨人を埋める落盤を玩具のように撥ね飛ばす。

マスター「超級覇王━━」

セイバー「勝利の剣(カリバー)━━━━!!」

マスター「電影だぁぁん!!」

士郎「駄目だ!」

士郎は瞬時に理解した。

あの奥義ではセイバーの宝具に対抗できない。

何より、絶対的な気力が足りない。

流派東方不敗は天然自然から力を借りて戦うが、

既に石破天驚拳の使用で周りの生命力を使い果たしてしまったのだ。


士郎「━━ I am the bone of my sword」


一度も使った事の無い起動呪文が、舌を滑るように口から飛び出す。

使うべきものは決まっている。アーチャーの知る中で最大の守り。

その一つ一つが城壁に匹敵すると言われる結界宝具。


士郎「熾天覆う七つの円環(ロー・アイアス)━━━━!」


繰り出されるは四つの守り。

花弁を模した四つの盾が、巨人の前に展開された。

守りは巨人の回転と共に黄金の闘気を纏うと、

一丸となって漆黒の光へ飛び込んで行く。

士郎「ギ━━━━ア━━!」

前に突き出した腕が暴れる。

外からは漆黒の光の衝撃が。

内からは抑え切れない魔力の流れが。

士郎「━━━━━━━━━━━━!!」

声にならない声で吼える。

腕の痛み。自身の消失。

全てをかき消さんと叫び続ける。

士郎「━━、━━━━ア━━━━━━━━━━━━!!!」

二枚の花弁が同時に壊れた。

反動で腕が逆に曲がりそうだ。

右手で左腕を握り締め、荒れ狂う力を体全体で押さえつける。

士郎「アアア━━アアアアア━━アアアアアアアアア━━━━ッ!!!!」

残り二枚を撒き散らしながら、洞窟は黄金の光に包まれた。

巨大な闘気が騎士を砕く。

跳ね上げられた騎士の体は一直線に地面に落下。

受け身も取れず、背中から無残に叩きつけられる。

巨人は勢いのまま地面を滑る。

左半身を摩り下ろし、煙を上げて停止した。

士郎は走った。騎士の元へ。

儀式用の短剣を握り締め、倒れた体に圧しかかる。

セイバー「ぁ……シ、ロウ…………?」

頭を強く打ったのか、

騎士は細く目を開けると、かつての主の名を呼んだ。

士郎「━━━━ッ」

騎士の胸に短剣を振り下ろす。

誰かの味方をするという事。

この道を選んだ自分に、失ったものに見合う幸せがあるのだろうか。

それでも、見っともなく、滑稽で、無価値なまま、

奪い続けた責任を果たしてみせる。

ツケの終わりが見えなくても、決して諦める事だけはしないと心に誓う。

たった一人の愛する者の為、最期まで自分を守った騎士を殺めた。

騎士の体が消えると同時に、刺さった短剣も音を立てて弾け飛んだ。

サーヴァント程の力を消した代償だろう。

士郎は左腕の拘束を締め直すと、倒れる巨人に向かってゆっくりと歩き出した。

足の関節は鉄でも入っているかのように固く、

半ば引きずる形でどうにかそこまで辿り着いた。

巨人を見上げると、損傷は左半身が特に激しい。

左腕は胸にかけて跡形も無く消し飛び、

大きな角も片方が根元から折れている。

左足は太ももから足首にかけて骨格が露出し、

背中の羽根は無数の深い亀裂が入っている。

中に居るライダーは無事だろうか。

辺りはしんと静まり返り、

電子回路のスパークだけが不規則な音を繰り返していた。

士郎「ライダー、無事か」

その言葉に反応してか、大穴の空いたコックピットから

東方不敗が這い出してきた。

巨人の胸からずるりと落ちると、地面に仰向けになったまま事の結果を確かめる。

マスター「セイバーは……やったのだな?」

その問いに士郎は黙って首を縦に振る。

マスター「そうか……」

士郎もそうだが、東方不敗も満身創痍である。

胸の大穴から黒い光が入り込んだに違いない。

士郎「先に行ってる。動けるようになったら来てくれ」

倒れたままの東方不敗に呟いて、士郎は奥へと足を進めた。

━━━━ どれ位目を閉じていたのだろう。

一分か、十分か。果ては一時間なのか。

背中から伝わる地鳴りに東方不敗は重い上体をゆっくりと起こす。

全身は鉛でも入っているかのように感覚が鈍く、

関節は油の切れたブリキ人形のようにギシギシと軋みを立てている。

マスター「……ふん、病が無くともコレとはな」

だが行かねばならない。奥で何かが起こっている。

東方不敗は見えない愛馬に声をかけた。

マスター「……風雲再起、そこに居るか?」

その呼び掛けに愛馬は姿を現した。

未だ癒えない純白の体には、至る所に真紅の傷跡が残っている。

例え満身創痍の体でも、宝具の激しい衝突の前にも、

愛馬は臆することなく、じっと近くで主の命令を待っていたのだ。

マスター「お前も疲れておる所をすまんが、ワシを士郎の元へと運んでくれんか」

風雲再起は脚を折ると、傍らでそっと姿勢を低くする。

東方不敗は這うように背中によじ登ると、

しっかりと手綱を握り締めながら風雲再起の腹を叩いた。

その合図に愛馬は立ち上がると、静かに奥へと歩みを進める。

黒い炎が燃える祭壇へ辿り着く。

既に聖杯の九割は成り、黒く巨大な杯は大空洞の天蓋に届くほど成長していた。

最初は聖杯に奇妙な模様があると思っていたが、

見慣れてくる内に、それが何かの生き物である事が分かってきた。

目があり、手があり、足がある。

丁度聖杯が胎盤の役割を果たすように、

巨大な生物が体を畳み、その中に小さく納まっている。

動く気配は見せないものの、今にも鼓動が聞こえる位に

赤い模様が規則正しく波打っていた。

マスター「あれが━━━━」

受肉しかかっている『この世全ての悪』である。

桜が用いている力など、

アレから漏れたほんの僅かな力に過ぎなかったという事だ。

焦る気持ちを押さえながら、東方不敗は士郎を探した。

見ると、聖杯から百メートルは離れた場所に、三つの影が集まっている。

その内二つは地面に倒れ伏し、残る一つは聖杯に向かって歩き出していた。

マスター「士郎━━!」

風雲再起を駆りながら、歩く影を大声で呼び止める。

それに気付いた士郎は足を止め、近付く白馬を眺めている。

士郎「えっと……。ら、ラ…………。アンタ、良い所に」

士郎「桜と遠坂を連れて今すぐ外へ出てくれないか」

マスター「士郎、まさか……!」

既に士郎は東方不敗を覚えていなかった。

ただ何となく味方である事は分かっていて、

倒れた二人を託そうと言うのだろう。

東方不敗が二人に目をやると、

桜は傷一つ無く、憑きものが落ちたように静かに眠っているようだった。

その脇には歪な短剣が落ちているが、恐らく士郎が投影したものであろう。

対して凛は、腹から血を流して倒れている。

出血は既に止まっているようだが、一刻を争う事には変わりが無い。

マスター「……で、二人を預けてお前はどうする?」

士郎の向かっていた先を考えると、

聖杯を破壊しようとしているのは明らかだ。

士郎「アレを閉じてから行く」

士郎「すぐ終わるだろうけど、遠坂の傷は一刻を争う」

士郎「桜だってここにいたらアイツの影の影響を受けるかもしれない」

案の定の答えが返ってきた。

しかし士郎の体は限界。

後一度の投影にその体は耐えられないだろう。

と、ここで東方不敗は士郎の体を覆う光る物体に気が付いた。

暗い洞窟に居た時は分からなかったのだが、

士郎の体は全体から尖った金属が飛び出していた。

まるで無数の剣が体の内から生えているようだ。

マスター「これは……!」

━━ DG細胞の感染症状と同じではないか。

DG細胞に感染した時も、今の士郎と同じように体表面を金属が覆い始めるのだ。

マスター「士郎、賭けに乗らんか?」

唐突に東方不敗は話を持ち出す。

士郎「賭け……? そんなのに付き合っている暇は無い。早く聖杯を壊さないと」

マスター「いや、これはお前の体を治す為でもあるのだ」

そう言って、東方不敗は小さな黒い塊を取り出した。

士郎「これは?」

マスター「ワシの宝具の装甲よ。これには特殊な金属が使われておる」

マスター「お前がそれを取り込めば、その体を治す事が出来るやもしれん」

DG細胞を取り込む事は、普通の人間なら自殺行為である。

何故なら取り込んだが最後、DG細胞に体を乗っ取られてしまうからである。

しかし東方不敗には勝算があった。

アーチャーは『錬鉄の英雄』である。『金属』との相性は抜群のはず。

そして何より、士郎の真っ直ぐで強靭な精神は、DG細胞に打ち勝つと信じている。

マスター「この金属を取り込めば、DG細胞はまずお前の体を自己修復し始めるだろう」

マスター「それが済めば体を乗っ取りにかかる」

マスター「それまでの間にDG細胞を制御して見せよ」

真っ直ぐに目を見据え、東方不敗は士郎の胸に金属片を突き付ける。

士郎「分かった。アンタを信じるよ」

士郎も真っ直ぐ東方不敗の目を見つめ、手にした金属を受け取った。

マスター「よし。医学的な方法は取れぬ故、荒良治よ」

マスター「まずは何処でも良い。その金属を体に埋め込むのだ」

マスター「後はワシが気でDG細胞を活性化してやろう」

言われた通り、士郎は腹の傷に黒い金属片を押し当てる。

本来なら傷口をえぐる痛みに悲鳴を上げるのであろうが、

今の士郎は感覚すら無くなっているのが幸いだった。

マスター「行くぞぉ! 集中せい!」

士郎「━━━━ 同調、開始(トレース・オン)」

東方不敗が士郎の腹に手をやると、

腹から全身へ、その体に熱い力が流れ込む。


━━━━ 基本骨子、解明。

━━━━ 構成材質、解明。

━━━━ 基本骨子、変更。

━━━━ 構成材質、変更。


物質の解析、変更なら、士郎にとっても馴染みの作業。

「自己増殖」「自己再生」「自己進化」を持つDG細胞を

純粋な「自己再生」だけを持つ細胞へと作り変えてゆく。

士郎「━━━━ 全工程、完了(トレース・オフ)」

全てが終わった時、士郎の体を突き破っていた無数の剣は

すっと体内へと消えていった。

マスター「うまくいったか……。だが、ボヤボヤしている暇は無いぞ、士郎」

士郎「ああ、聖杯を破壊する」

マスター「先に聖杯の元へ行っておれ。だが、決して左腕は使うでないぞ」

マスター「ワシは二人の処置をしてから向かうでな」

士郎は駆け出した。

まだ少し体は重いものの、先程と比べればまるで羽根のような軽さであった。

東方不敗は凛の元へと駆け寄ると、その腹に手を当て意識を集中させる。

僅かに残った気力を全て絞り出すと、凛の体に一滴残らず注ぎ込む。

気とは即ち、天然自然が産み出す大いなる生命力。

東方不敗は凛の寝顔が和らぐのを確認すると、

大きく息を吐き出すと額にたまった汗を拭った。

本格的な治療とはいかないが、応急処置にはなるだろう。

腰布で傷を塞ぐと、風雲再起に預けて桜の元へと駆け寄った。

マスター「桜、しっかりせい!」

体を揺すると、桜は小さなうめき声と共に薄っすらと目を開けた。

桜「……ラ、イダー?」

マスター「うむ、ワシだ。ワシが分かるな? 桜」

桜はゆっくりと体を起こすと、

何かを探すようにキョロキョロと辺りを見回している。

その目はやがて、風雲再起の上で眠る凛の姿に向けられる。

桜「姉さん!」

その傍らまで駆け寄ると、桜は凛の首筋に手を当てた。

凛が生きている事に安心したか、

桜の瞳からは、その反動でボロボロと大粒の涙が流れ出した。

桜「姉さん、ごめんなさい……」

桜「私……姉さんの気持ちに気付けなかった」

桜「悪いのは周りじゃなくて……」

桜「臆病で、自分に閉じ籠ってた私の方で……」

桜は凛の顔に手を添えながら、

ごめんなさい、ごめんなさいと、何度も、何度も涙を流した。

具体的に何があったかは知る由も無いが、

桜は最後に凛の気持ちに気が付いたのだ。

いささか行き過ぎた姉妹喧嘩はここに幕を閉じたのだった。

桜「そうだ、先輩……。先輩は何処!?」

暫くした後、桜は落ち着きを取り戻した。

先程から見えない士郎の姿を、ここでようやく思い出したのだ。

マスター「ああ、士郎ならあそこに……」

と、東方不敗が指差した先に居たのは士郎ではない。

マスター「言峰……!」

何故ヤツがここに居るのかは分からない。

しかしヤツが敵である事は、その足元で倒れる士郎が全てを物語っていた。

マスター「貴様、何のつもりだ!」

言峰と対峙し、東方不敗は構えをとる。

しかし言峰はその問いに反応せず、ただ拳をもってそれに答えた。

長身を折り畳むように屈むと、横腹目掛けて拳が放たれる。

半歩下がって受け止めた東方不敗であったが、

次の瞬間、顔面目掛けて蹴りが飛び込んできた。

さらに半歩下がってその攻撃をやりすごしたのだが、

言峰の体は蹴りの勢いで一回転し、

火を噴くような回し蹴りが東方不敗の胸に突き刺さる。

マスター「━━━━!」

体が飛んだ。

二メートル弱はある東方不敗の体は、実に数メートルは吹き飛ばされた。

マスター(これは……!)

言峰から繰り出されたのは中国拳法に間違い無い。

突きからの括面脚(かつめんきゃく)から、流れるように擺脚(はいきゃく)へと繋ぐ。

括面脚とは内側へ回す蹴りの事で、擺脚とは外側に回す蹴りの事である。

まさか魔術師が肉弾戦を挑んでくるとは。

いや、思い返せば凛も八極拳を使っていた。

普段の東方不敗なら不意を突かれても対処は可能であったが、

満身創痍の今となっては思うように体が動かなかった。

だが、それに怯む東方不敗ではない。

すぐに立ち上がると、言峰の懐目掛けて一直線に突き進む。

二匹の獣が牙をむく。

両者は手負い。

東方不敗はセイバーとの戦いで全身を。

言峰は桜との戦いで心臓を。

いずれ倒れるは必然ならば、

この勝負はどちらが最後まで立っているかという、

気力の勝負にもつれ込む。

拳法の体をなしたのは最初だけ。

度重なるダメージは両者の脚の自由を奪い、

今では大地に根を張って、引いたら最期と拳を交える。

拳、

肘、

掌底、

手刀。

血に染まった四つの拳は、

二人の間を何度も、何度も、何度も、何度も、互い違いに往復する。

行った拳は更なる血を吸い、

戻った拳はその血を周囲に撒き散らす。

二メートル弱の大男が二人。

ただ無言で殴り合う様は、誰の目にも恐怖しか映らないであろう。

言峰は初め、拳から伝わる確かな手応えに疑問を抱いていた。

サーヴァントには魔力や神秘の通った攻撃しか効かないはず。

しかし目の前の男は、魔力も通わぬ自身の拳で血を流し、骨を軋ませ、

確実に死へと追い込まれてゆく。

だがそんな疑問も途中から吹き飛んだ。

男の繰り出す拳もまた、自身の命を一撃一撃と削り取ってゆく。

今の言峰は、ただ無心で拳を前に突き出し続けた。

一方、東方不敗はだんだんと語られる拳の声にしっかりと耳を傾けていた。

━━ 何故ここで立ち塞がるか。

━━ 何故『この世全ての悪』を誕生させようとするのか。

それは望みを持たない故の苦悩。

多くの人間が感じる幸福を、自身は幸福と受け取れぬ歪んだ感情。

自身が出せない答えを、アレが代わりに出してくれると願うもの。

拳に乗せられた言葉は一片の曇りも無い純粋な魂の叫びであった。

しかしその声を全て理解しようとは思わない。

元よりお互い相容れぬ。

ただ、突き出された剥き出しの感情は、しっかりと心の中に刻み込む。

マスター「━━ッ!」

綺礼「……っ!」

両者の拳が交錯する。

東方不敗の拳は言峰の顎へ。

言峰の拳は東方不敗のこめかみへ。

二つの拳は両者の脳を揺るがした。

そしてこめかみに突き刺さった方の拳は

二度と腕に引き戻される事は無かった。

先に命の炎が燃え尽きたのは言峰であった。

東方不敗は拳を突き出したまま絶命する言峰を見据えると、

すぐさま倒れた士郎の元へ駆け寄った。

言うべき事は何もない。

それは全て拳によって語られたのだから。

既に士郎は目を覚ましていた。

桜に抱き起こされ、ぐるぐる回る世界を頭を振って立て直す。

桜「大丈夫ですか、先輩?」

士郎「ああ、大丈夫だ桜」

どんなに記憶が壊れても、桜の事だけは忘れていない。

ならばと東方不敗は聖杯の破壊を士郎に促す。

マスター「士郎よ、森での修行は覚えておるか?」

士郎「森…………?」

やはり士郎は覚えていない。

しかしもう一度教え直す時間も無い。

マスター「こう言うモノは脳では無く、体が覚えているモノぞ!」

士郎を立たせ、腰を叩く。

マスター「足を踏ん張り、腰を入れんか!」

マスター「目を閉じ、下腹に意識を集中せい!」

言われるがまま、士郎は目を閉じて両足を肩幅に開く。


『目を閉じても意識は外に向けよ!』

『自然を感じるのだ。自然と一体になるのだ!』

『全身から呼吸し、丹田に空気を溜める感覚を持て!』


何処かで聞いた言葉が士郎の頭に響き渡る。

だんだんと、士郎は腹のあたりが熱くなるのを感じていた。

マスター「よぉし! ならば桜、お前には士郎の補助を頼みたい」

桜「補助……ですか?」

マスター「士郎の体に魔力を流すのだ」

マスター「ありったけの魔力を流し、士郎の体から撃ち出すのだ!」

桜「そんな……。私、出来ない……」

間桐の魔術は『吸収』である。

他人から奪う事に特化したその特性は、

士郎に魔力を与えるという役割からは真逆の存在だと言える。

そんな中、うろたえ戸惑う桜の後ろから彼の少女の声が聞こえてきた。


『━━ 私が閉じるわ』

そこに現れたのは冬の聖女。

純白のドレスに純白の王冠。そして純白とも言える銀の髪。

瞳だけが赤く灯った、アインツベルンの少女であった。

だが、

マスター「待てぇぇぇぇい!!」

東方不敗はイリヤの首根っこをヒョイと掴むと、

風雲再起の背中にポイと投げ捨てる。

イリヤ「ちょっと! 何でいつも私の役割を取っちゃうのよーっ!」

マスター「たわけぇ! お前が桜ルートで出しゃばるでないわぁ!」

そして東方不敗は桜に向き直ると、

言い聞かせるよう、一つ、一つ、丁寧に言葉をかけてゆく。

マスター「良いか桜。お前は凛の妹ではないか」

マスター「遠坂の魔術は『流動』と『転移』」

マスター「お前はその素質を十分に受け継いでおる」

マスター「出来ないはずは無いのだ」

マスター「それともまだやってみぬ内から諦めるつもりか?」

マスター「お前は先程悔いたであろう」

マスター「臆病だった自分を凛に謝ったばかりではないか」

桜「姉さん……」

風雲再起の背中では、凛はその首に体を預けて小さく呼吸を乱している。

出血による体力の低下は元より、聖杯から発せられる黒い魔力は

殆ど眠っている状態の無防備な凛を刻々と蝕み続けていた。

時間は無い。

桜は胸に手を当て大きく息を吸うと、心を決めて士郎の傍へと歩み寄る。

士郎「桜……」

桜「先輩、やりましょう」

真っ直ぐに士郎を見つめ、桜は士郎の手を取って聖杯の方へと向き直る。

先程までの不安や戸惑いは微塵に消え去り、

決意の灯だけがその瞳にゆらゆらと光を放っていた。

桜「先輩、どこに魔力を通しましょう?」

士郎「それなら腹に頼む」

その答えに桜は士郎と正面から向き合うと、

胸を突き合わせる位にピッタリと自分の体を寄り添わせた。

背中から腰に手を回し、士郎の横腹に手の平をそっと寄り添わせる。

士郎もそれに答え、桜の腰に手を回した。

桜「先輩、いきます」

桜は目を閉じ、自分の手の平に意識を集中させる。

自分の魔力を相手に送る。

即ち、普段やっている事と逆をやれば良いのだ。

後は頭で分かっている事が、果たしてぶっつけ本番で出来るかどうか。

桜「……」

士郎「……」

桜「…………」

士郎「…………」

桜「………………ダメっ」

やはり上手くはいかなかった。

血流に乗って指先に集まった魔力はそこから出ずに、

毛細血管を通り過ぎて体の方へと戻ってしまう。

この場に遠坂の魔術と相性の良い宝石でもあれば話は違ったのかもしれない。

しかし無い物はいくらねだっても無い物は無い。

マスター「いかんのか? ……ならば逆の手は無いものか」

つまり『桜から士郎に魔力を送ってもらう』のではなく、

『士郎に桜から魔力を吸収してもらう』という事だ。

と、ここで東方不敗は凛から聞いた魔力の吸収方法を思い出す。

マスター「そうよ! 士郎が桜の血を吸えば良いではないか!」

『魔力は人間の体液に良く溶ける』。

夜な夜な桜と士郎が行っていた事なら、何ら難しい事は無いはずである。

しかし東方不敗の言葉に異を唱えたのは士郎であった。

士郎「駄目だ。それは桜を傷つけるって事だろ? そんな事は出来ない」

マスター「背に腹は代えられんのだぞ。指先を切る程度なら……」

士郎「駄目だ」

こうなってしまっては士郎は簡単には折れないだろう。

問答をやっている暇は無いのだが、聖杯の完成は刻一刻と近づいている。

例え強引に桜の指から血を流させたとしても、それでは士郎が吸収を拒むだろう。

最早この手しか残されていないのだが、士郎があれでは万事休すか。

桜「……先輩、私に考えがあるんです」

そう言って、桜は士郎の目を真っ直ぐに見つめた。

何か手を思いついたらしい。

士郎「本当か、桜」

桜「ええ。でも先輩、ほんの少しの間でいいんです。目を瞑ってもらえますか?」

士郎「いいけど……?」

士郎は素直に桜の言葉に従った。

それを見届けると、桜は士郎の腰に回していた手を解いた。

代わりに首へと腕を回す。

士郎「━━ !」

唇の柔らかな感触に士郎は思わず目を見開いた。

ねっとりとした唾液が士郎の口に送り込まれてゆく。

桜「━━━━━━ ぁ」

舌を伝い、士郎の喉へと唾液が溜まる。

ごくりと音を鳴らすと同時に、その魔力は体の隅々にまで浸透していった。

士郎「桜……」

桜「先輩、恥ずかしいです。その……目を瞑っていて貰えますか?」

桜は回した腕を少しだけ緩めると、士郎の目を見つめたまま小さな声で訴えた。

赤く染まった頬と艶めかしい瞳に士郎は思わずドギマキしてしまう。

再び士郎が目を瞑ると、桜はその両腕に一層強く力を込めた。




マスター(……ふむ、その手があったか)

イリヤ「」ガーン

士郎「……桜、もう十分だ」

桜「あ……」

士郎は桜の肩を取り、そっと顔だけを引き離す。

唇の間に垂れる一本の糸だけは、名残惜しそうに二人を繋いだままであった。

士郎「さあ、一緒に撃とう」

桜「はい、先輩」

二人は片腕で抱き合ったまま、

重ね合わせたもう片方の手を聖杯に向けて真っ直ぐに突き出した。

既に士郎の体の中には、

混ざり合った気と魔力が爆発の瞬間を今か今かと待ちわびていた。

出口を求めて暴れ回る力が、徐々に掌に向けて集まり出す。

そして今、二人の闘志が激しく燃え上がる。

聖杯という忌まわしき宿命を越えるために。



士郎「俺のこの手が真っ赤に燃える!」

桜「幸せ掴めと轟き叫ぶ!」

士郎「石破っ!」

桜「ら~ぶらぶっ!」

士郎・桜「「 天! 驚! けぇぇぇぇぇぇぇぇん !!! 」」



黄金の闘気が唸りを上げる。

巨大な拳は東方不敗が宝具を使った時のソレと変わらない。

一直線に突き進み、中に受胎しているモノ諸共、黒き聖杯を黄金の光で染め上げた。

崩壊は速やかに始まった。

大穴の空いた聖杯は、そこから黒い泥を撒き散らしながら

轟音と共にガラガラと崩れ落ちてゆく。

中に居たモノは胎盤の崩壊と同時にみるみると生命力を失っていった。

士郎「……終わったな」

桜「……はい」

桜と士郎は掌を重ね合わせたまま、その奥で崩れる聖杯をただ静かに見つめ続けた。

桜は聖杯から解放され、黒い影はこの世から居なくなった。

これで第五次聖杯戦争は終結したのだ。

マスター「何を呆けておる! 洞窟が崩れるぞ!」

東方不敗の一喝に、聖杯を見つめていた二人は我に帰った。

マスター「さあ、早く着いて来い!」

風雲再起と共に駆け出すと、そこへ一際大きな地震が洞窟全体を揺るがした。

士郎「ああっ!」

桜「入口が……」

その衝撃で入って来た時の横穴がすっかり落盤で埋まってしまった。

しかしこの横穴以外に出口は無いのだ。

士郎「こうなったらもう一度石破天驚拳で……。桜、魔力を」

マスター「馬鹿者! そんな事を悠長にやっている暇は無いわ!」

イリヤ「無いの!」

士郎「……何でイリヤが怒るのさ」

マスター「ぬぅ……」

マスター「こんな時に令呪の一つでもあれば、ワシの力を後押し出来るものを……」

セイバー、そして言峰との連戦により満身創痍の東方不敗には、

もはや奥義を出す力は一滴たりとも残されてはいない。

この状況を打開するには、令呪の持つ奇跡にすがるより他は無い。

マスター「……ん?」

東方不敗はふと気が付き、風雲再起に目を向ける。

マスター「有るではないか! 未使用の令呪がここに有る!」

そう言って指差したのは風雲再起の腹の下。

桜が覗きこむと、自分が持っていた令呪の一画が

クッキリとそこに浮かびあがっているではないか。

学校で風雲再起が偽臣の書を食べてしまったのだが、

それは結局未使用のまま、その体に取り込まれていたのだった。

マスター「ならば! マスターガンダームッ!」

東方不敗の叫びと共に、漆黒の巨人が呼び出される。

その姿はセイバーとの戦いから変わっておらず、

左半身が大きく損傷したままであった。

だがそんな状態に目もくれず、東方不敗は桜に指示を送る。

マスター「桜!」

桜「はいっ!」

桜が風雲再起の腹に手を当てると、一瞬の光と共に令呪が効果を発揮した。

令呪の魔力が東方不敗に流れ込む。

その瞬間、東方不敗の体は熱く激しく燃え上がった。

士郎の体に起こった事が東方不敗の体にも起こっているのである。

マスター「フハハハハハ! これが気と魔力の融合か!」

マスター「ならば皆の者、刮目せい! 流派・東方不敗が最終奥義ぃ!」



マスター「 石 破ぁ !  天 驚 けぇぇぇぇぇぇぇぇぇん !!! 」



巨人が拳を突き上げると、天に向かって巨大な正拳が放たれた。

その正拳は百メートルものぶ厚い岩盤を瞬く間に突き破り、

威力衰える事無く天高くへと舞い上がった。

マスター「良し、脱出するぞ。マスターガンダムの手に乗るのだ」

巨人が手の平を地面に下ろすと、桜と士郎はその上に登って腰を下ろした。

そして落ちないよう、巨人の指先に両腕でしっかりとしがみ付く。

風雲再起は巨人の体を軽い足取りで駆け上がると、

コックピットに空いた大穴に颯爽とその体を滑り込ませた。

全員の準備が整った事を確認すると、

巨人は赤い翼をはためかせ、天井の大穴目掛けて一直線に飛翔した。

長い長い縦のトンネル。

それを上るにつれ、真っ暗だった視界にだんだんと弱い光が映ってきた。

最初は指先ほどしか無かった光も、今では手を広げた位に大きくなっている。

トンネルを抜けると、視界に映ったのは白ずんだ空であった。

風が桜の頬を撫でる。桜はその風を胸一杯に吸い込んだ。

ずっと地下に閉じ籠っていた自分が、

地上の空気に洗われて生まれ変わったような。

そんな清々しい気持ちに桜は頬を緩ませた。

マスター「見よ。太陽がお前達を祝福しておるわ」

東方不敗が指差す方に目を向けると、

水平線の向こうから赤く燃える太陽がゆっくり顔を出し始めていた。

その眩しさに桜は思わず目を細める。

朝焼けが冬木の街を紅く包み込んでゆく。

桜「綺麗……」

桜は思わず言葉を漏らした。

士郎「ああ、本当に綺麗だ」

士郎も桜と同じ言葉を呟いた。

士郎にとって『紅』とは、十年前に冬木の街を襲った大火災の色であった。

しかし今目の前にある『紅』からは、あの時のような死や恐怖は微塵も感じない。

むしろ生命力に満ち溢れた力強い『紅』である。

この世界にこんなにも美しい『紅』があったとは、

士郎はこの瞬間まで夢にも思っていなかった。

桜「先……輩?」

士郎の頬には一筋の涙が伝っていた。

それに気が付いた桜は、不安そうに士郎に声を掛けた。

士郎「ああ、何でも無いんだ。そう、朝日が綺麗だなって……」

涙を拭いながら士郎はさらにこう続ける。

士郎「変わらなきゃ。俺も、そして桜も」

その言葉に桜は笑顔で頷いた。

桜「はい、先輩」

二人は肩を寄せ合い、紅く染まった冬木の街を暫くじっと見つめていた。

イリヤ「ちょっと! いい加減にしなさーい!」

さっきからイリヤは頬を膨らませ、二人のやり取りをじっと眺めていた。

しかしとうとう我慢の限界が来たらしい。

桜と士郎を引き離そうと、コックピットの拡声器に向かってわーわーと喚き立てる。

イリヤ「シロウはわたs
風雲再起「ヒヒーン」パクッ

そんなイリヤの頭に風雲再起がかぶりつく。

イリヤ「キャー! 何なのこの馬っ! 離しなさーいっ!!」

マスター「イリヤ。人の恋路を邪魔するヤツは、馬に蹴られて地獄へ落ちるのだぞ?」

イリヤ「そんな事言っていないで助けなさ……キャー!」
風雲再起「ヒヒーン」モッシャモッシャ

マスター「はっはっは! では帰るか!」

巨人は背中の巨大な羽を翻すと、

衛宮の屋敷に向かって一直線に降下し始めた。

そんな中、紅く染まった冬木の街に東方不敗の叫びがこだまする。



流派
東方不敗は
王者の風よ
全新系裂
天破侠乱
見よ!
東方は赤く燃えている



━━ 完 ━━

マスター「まだだ、まだ終わらんぞぉ!」

━━ epilogue ━━


大河「しーろおーっ。ご飯食べに来たよーっ!」

時刻は既に夕飯時。

腹を減らした元気な虎が、衛宮の屋敷にやって来た。

テーブルには既に四川料理が並べられ、

香辛料の良い香りが嫌でも食欲を掻き立てる。

だがその中に、一つだけ中華に似つかわしくない料理がある。

大河「……あれ? お赤飯?」

大河「東方先生、何か良い事でもあったんですか?」

大河は台所に向かって不思議そうに声を掛ける。

そこには、料理が足らんわと一心不乱に中華鍋を操る東方不敗の姿があった。

マスター「ああ藤村先生、いらっしゃいましたか」

鍋を操る手はそのままに、東方不敗は首だけ傾けて会釈する。

マスター「その赤飯は士郎の快気祝いにでも、と思いまして」

大河「あー……。士郎、本当に良く回復しましたからねぇ」

大河は遠い目をして天井を見つめると、半年前の出来事に想いを馳せる。

一言で言ってしまうと、士郎は大河の事を忘れていたのだ。

『えーっと…………。どちら様ですか?』

その一言で、大河の中でガラガラと何かが崩れ落ちた。

大河は泣きながら士郎を引きずると、

冬木の街の医者という医者をその日の内に駆けずり回ったのだ。

結局、診断結果はショックによる一時的な記憶の欠如として片づけられた。

聖杯戦争を知る者の中では、

その原因は『鍛錬中に誤って後頭部を打ち付けた』という事で口裏を合わせている。

最終的に士郎が元通りの記憶を取り戻すまでには半年を要したのであった。

DG細胞の優れた自己再生能力でも、記憶まではすぐに回復とはいかなかったらしい。

「ただいま帰りました」
「たっだいまーっ」
「お邪魔します」

玄関から明るい声が聞こえてくる。

襖を開けて居間に入って来たのは、桜、イリヤ、凛の三人であった。

桜「あ、藤村先生。いらしてたんですね」

イリヤ「シロウは居ないの?」

凛「うわ……。黒須さん、随分気合い入れて作ったわね」

桜とイリヤは半年前からこの屋敷に住んでいる。

桜は兄と祖父が他界してしまった為、見かねた大河が提案してくれたのだ。

元々家族同然の付き合いであった為、桜もすんなり受け入れる事が出来た。

そしてイリヤだが、これは桜がアインツベルンの城を破壊したのが原因である。

ただしこちらは士郎が提案したものだ。

桜としては反対だったのだが、自分が壊した手前、強く出る事は出来ずに今に至る。

凛は桜から快気祝いを聞きつけ、この屋敷にやって来たと言う訳だ。

大河「あれ、遠坂さんまでどうしたの?」

凛「衛宮君の快気祝いを聞いて来たんです。藤村先生もそうでは無いんですか?」

大河「え? そんなの全然聞いてないよ?」

桜「ああ、姉さんそれはですね。藤村先生はどうせ毎日来るんですから」

桜「黙っていればビックリするかな、って思ったんです」

イリヤ「シュウジー。あんまり辛いのはヤだからねーっ」グイグイ

マスター「分かっておる」

イリヤ「ニンジンいらないよー」グイグイ

マスター「分かったから袖を引っ張るでない!」

大河「あーあ、士郎何処行っちゃってるんだろ……。料理冷めちゃうよ?」

桜「先輩、まだ戻らないんですか? 食材の買い出しって言ってましたけど……」

大河が痺れを切らした正にその時、

襖を足で開けながら士郎が居間に入って来た。

両手には二つずつ、パンパンの買い物袋を下げている。

士郎「ただいま」

マスター「待ちわびたぞ士郎!」

マスター「早速ですまんがエビの殻を剥いてくれんか」

マスター「乾焼蝦仁(カンサオシャーレン)を作ってくれよう」

乾焼蝦仁(カンサオシャーレン)とはエビチリの事である。

エビチリはスープや卵黄で辛味が押さえられる為、

正にイリヤに打ってつけという訳だ。

勿論ニンジンは入っていない。

桜「ダメですっ! 先輩は今日の主役なんですから、それは私に任せて下さい」

士郎「大丈夫だよ桜。エビの殻剥きくらいすぐに済ませるって」

凛「なら間を取って私がやるわ。中華なら自信があるの」

士郎「『間を取って』って何さ……。全然間じゃないぞ、ソレ」

桜「ね、姉さんはお客様なんですから、それこそダメですっ!」

大河「じゃあ私がやろっかな~」


桜「えっ!?」
凛「えっ!?」
士郎「えっ!?」
イリヤ「えっ!?」


大河「えっ!?」

そんなこんなで士郎の快気祝いは盛大に行われた。

やはり話題の中心となったのは士郎の過去話であり、

酒に酔った大河が有る事無い事触れ回ったのは言うまでも無い。

例え無い事を言ったとしても、

『そこは士郎が覚えてないのよ』

で片づけられるのは性質が悪い事この上ない。

結局宴は日付が変わるまで行われ、

凛と大河は各自帰宅、桜とイリヤは床に就いた。

そんな中、士郎は東方不敗に道場まで呼び出されていた。

士郎「何か渡したい物が有るって言ってたけど?」

マスター「うむ。それはコレよ」

東方不敗は少し周りに注意を払いつつ、懐から一枚のディスクを取り出した。

ラベルは何も貼られておらず真っ白である。

士郎「これは?」

マスター「半年前の記録よ」

マスター「例え忘れてしまっても、こうして記録に残っておれば何時でも見られよう」

士郎「ふ~ん……。でも、聖杯戦争の時の記憶はあらかた思い出してるぞ?」

士郎「一体何が映ってるんだ?」

マスター「お前が桜に告白した時の映像が映っておる」



士郎「え━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━っ!!!」



士郎の声が屋敷中に響き渡る。

マスター「馬鹿者! 声がでかいわっ!」

士郎「で、でも何でそんなモノ有るんだよ!?」

マスター「聖杯戦争中、桜に監視を付けていた時の副産物よ」

マスター「後は特典映像として、お前達が口づ…………」

と、そこまで言いかかった所で東方不敗は道場の入口に目を向ける。

そこにはジットリとこちらを見つめる桜の姿があった。

目が据わっているのは眠いからではない。アレは━━━━。

桜「ねぇ黒須さん。その記録したモノって、もっと色々映ってるんじゃないかしら?」

桜は口元こそ笑みを浮かべているものの、目は氷のように冷たい視線を放っている。

その様子は、いつかの黒く染まった桜を連想させた。

マスター「……さて士郎、逃げる準備は出来ておるか?」

士郎「……ああ、いつでもいい」



その後、彼らの結末を知る者は誰もいなかった。

ストーカー『』彡サッ



━━ fin ? ━━

最後までご覧いただき、ありがとうございました。

一日中リアルで見て下さった方も居るようですが、正に感謝の一言です。

桜と士郎に石破ラブラブ天驚拳を撃たせたい為『だけ』に書き始めたSSですが、

正直、それまでの前置きが長すぎました。

聖杯戦争に東方不敗なんて何番煎じなネタですが、

楽しんでいただけたなら幸いです。

HTML化の申請を出しました。

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