さやか「もしもキュゥべえが人型でサポート役だったら?」TB「僕はトウべえだよ」 (817)



※注意

・このSSは、マミ「ある朝目が覚めると、白髪美少年がキッチンで朝ご飯を作っていた」
http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1367164593 の続きみたいなものです

・地の文があります ↑にはありませんが

・オリキャラが出ます


以上、こんなSSですが、できれば見てやってください……

SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1378560069



A―プロローグ
――――――――――




ある日の夕方。

見滝原市内にある自然公園のど真ん中に、それは呆然と立っていた。



灰色の皮膚に修行僧のような服装をした、身長3メートルほどの……何か。
顔の上半分はモザイクのようなもので覆われ、口元は厳しく引き締められている。

人型だが、もちろん人間ではない。



『――――』


灰色の巨人が、何やら奇妙な音を発した。
もしかするとそれは、彼の声だったのかもしれない。 しかし、応える者は誰もいない。


そもそも、彼の周囲には人っ子一人も見当たらなかった。

冬が終わって春が近づき、太陽はそれほど低い位置にあるわけでもない。
それなのに、公園には全くと言っていいほど人影がない。


『――――』


巨人はもう一度音を発すると、それが宣言であったかのように、その場でくるくると回り始めた。

首は動かさず、足も動かさない。ただ、滑るような滑らかさで回り続ける。
それは全く唐突な行動だったが、もしそれを誰かが見ていればきっと、それが周囲にある何かを探すための動きだと気がついただろう。



なぜなら、その回転が始まってすぐに――その『何か』が、木の影から飛び出したからだ。


それは真っ白で、小柄な人間のように見えた。
せいぜい巨人の半分ほどか、それよりも少し大きいかくらいの背しかない。


それはちょうど、巨人の顔が反対側を向いた時に飛び出し、そのまま背後から飛びかかった。


……包丁を虫に突き刺したような、不快な音が周囲に響き渡る。



『――――』


巨人がくるりと振り返り、やせこけた右腕を前に突き出す。
間髪入れずに白い人影が飛び退ると、彼がさっきまで立っていた場所に突然大きな穴が開いた。

その直後、冗談みたいな火柱が穴から噴出する。


人影がさらに後退すると、それを追うように火柱が立っていく。

人影が土煙に隠れて見えなくなった後も、巨人の攻撃は続いた。



『―――……』


だがある時、唐突にそれは止む。

理由は一目瞭然だった。



銀色の細長い刃物が、いつのまにか巨人の腹から顔をのぞかせている。



人影「これで、最後の一匹だね」


巨人の背中に突き刺さった刀を引きぬきながら、白い人影がつぶやいた。


緩やかなウェーブがかかった白い髪、血管が透けそうなほど白い肌。
それは白い毛皮付きのコートを着込んだ、小柄な少年だった。

えぐれた左肩から流れ出る血で汚れていなければ、全身真っ白だっただろう。


少年「……グリーフシードは、3つか」


地面に倒れ込んだ巨人の体が、モザイク状に変化しながら消えていく。
そこからこぼれ落ちた小さな立方体を、少年は丁寧に拾い集める。


少年「…………」


傷は見た目よりも深いらしく、脈拍に合わせて勢い良く血が噴き出していた。
白いズボンや、コートの中に着ているシャツまでもが真っ赤に染まっていく。

しかし、少年はそんなことはどうでもいいかのように…… ただ、手のひらにのせた黒い立方体を見つめている。



少年「今はまだ大丈夫だけど……このままじゃ、いつかきっと」


呟きながら、少年はグリーフシードを握りしめた。

人形のように整った顔は不自然なほどに無表情で、まともな感情は感じられない。
ただ、怯えたように震える両手だけが、彼の意思を代弁しているようだった。



少年「……みんなのところに、戻ろう」


彼はかろうじて残っているモザイクのかけらに背を向け、公園の出口の方へ向かって歩き出した。

いつのまにか、左肩の出血は止まっている。
さすがに傷口が消えたわけではないが、すでに治り始めているのだ。



灰色の巨人――『魔獣』よりは、ずっと人間に近い姿をしているものの。



彼もまた、人間ではない。



戦闘補助用人間型インキュベーター……通称トウべえ。
心の無い知性が造った、人間の紛い物。

それが彼の名だった。



――――――――――



B―1
――――――――――



この世には、どうにもならないこともある。



よほど特殊な環境に置かれた人物でなければ、ほとんどの人は子供の頃にそれを思い知るはずだ。

例えば、勉強せずにテストで百点をとることはできないだとか。 いくら駄々をこねても手に入らないものがあるだとか。
死んでしまったペットは、何をどうしても生き返ることはないだとか。


人は誰でも、子供から大人になる上で……そのようなどうしようもない事実にぶつかり、受け入れていく。
私はやや裕福な家庭に生まれたけれど、当然その例外ではない。むしろ、早い段階でそのことに気がついていたと思う。


本当にどうにもならないことは、諦めて受け入れること。その上で、最善の道を選択していくこと。

それが私の、生きる上での大切な決まりだった。



そんな時、都合よく自分を助けてくれる奇跡や魔法なんて……あるはずが無いのだから。


だけど、もしもあの時……あのどうしようもない状況を、なんとか出来る方法があったなら?

友情か、恋心か。 どうしても選ばなければならなかったあの時に……私が魔法を使えたなら?



私は使っただろうか?



……そこまで考えて、私はいつも嫌な気持ちになる。

こうしていつまでも悩んでいるのは、きっと私自身が納得していないからだ。
誰も傷つけず、何も失わない。そんなことはできないと、わかっていても納得できていないからだ。

それは、とても醜くて、恥ずかしくて……だから、嫌な気持ちになる。



私はずっと、こんな気持ちで生きていくのだろうか……




……そんな、それこそどうにもならないことを考えていた時。

私は彼女に出会った。



真っ白な髪と肌に、真っ赤な瞳を持っている……あの小さな、『魔女』に。




――――――――――



A―1
――――――――――



トウべえと魔獣が戦っていた自然公園は、見滝原市の中でも最も大きな公園だった。


しかしそれは、彼らが居た場所だけが、という意味ではない。
この自然公園は、大小様々ないくつもの公園が林道でつながって、一つの大きな公園という扱いになっている。

謎の穴がぼこぼこと開いてしまったあの公園は、その中心にあるというだけの話だ。



そして、魔法を扱う者たちが魔獣を狩る時に使う、人払いのための魔法――通称『結界』は、この自然公園全体にかけられていた。


もちろん、それは今も公園内を徘徊する数十体もの魔獣から、何も知らない人々を守るための魔法に他ならない。



少女「ふう……まいっちゃうなあ、ホント」



中心部からやや南に離れた位置の公園に、一人の少女が立っていた。

青っぽい色でまとめられた騎士のような服装に、純白のマントを羽織っている。
一見するとアニメのコスプレのような格好だが、右手に握られたサーベルが放つ光沢は、それが偽物ではないということを示していた。


少女「そりゃ、出てこなきゃ出てこないで困るんだけどさあ……どうしてこう、どばーっと来るかね」 


少女の足元には、四本の長い影が伸びていた。

結界が張られた公園内では、当然人間のものであるはずがない。



少女「もうちょっとさ、空気読んでくんないかなー? ねえ、聞いてる?」


電信柱のように規則正しく並んだ魔獣たちに、少女は軽い調子で語りかける。
サーベルを構えるでもなく、かといって逃げ出すわけでもなく……彼女はただ、愚痴っぽい言葉を投げかけ続けていた。

魔獣もまた、彼女に襲いかかりもせずに突っ立っている。

しかし彼女とは違い、彼らの間には緊迫した空気が漂っているようにも見えた。
まるで攻撃を仕掛けることを躊躇しているかのように、構えかけた右手を止めている。


少女「……あー、来ない感じ? こっちとしては、後攻の方が得意なんだけど」


少女は剣を持ったまま、ちょっと肩をすくめてみせた。

それは魔獣にとって格好のチャンスだったかもしれないが、やはり動きはない。


少女はそれを見て、軽くため息をついた。


少女「ま、仕方ないか。 じゃあ……行きますよー!」



少女の手から、サーベルが滑り落ちる。


それを見てようやく、魔獣は右手を構えたが…… その動作はあまりにも遅過ぎた。



少女の足で蹴り飛ばされたサーベルが、弾丸のような速さで魔獣の腕に突き刺さる。



同時に隣の魔獣が光線を放ったが、その着弾点には、すでに彼女の姿はなかった。


少女「……うりゃあっ!」


いつの間にか距離をつめていた少女が、突き刺さったままの剣を再び蹴り飛ばす。

衝撃で上半身がまるごと吹き飛んだ魔獣は、静かに地面へ倒れ伏した。



『―――!』


魔獣たちの放った二撃目の光線は、どういう理屈か、翻ったマントにすべて吸収されていく。

それを見た少女はにやりと笑うと、どこからともなく取り出した新しいサーベルを握りしめた。



少女「よっ……と」


少女がその場で踊るように一回転し、同時に二体の魔獣が動きを止める。

それらの上半身のみが地面に落ちるのを確認して、少女は背後に迫っていた最後の魔獣に体を向けた。


少女「よしっ! これでラス……」



少女「……ト?」


ふと、彼女の動きが止まる。

剣を構え直しながら、訝しげな顔で目の前の魔獣を観察する。


いつのまにか、魔獣の動きも止まっていた。



少女「……あれ? もう死んでる……の?」



???「うん、そうだよ」



魔獣の死体からいきなり発せられた声に、少女は思わず飛び退る。


少女「うひゃあっ!? ……って、トウべえ?」

トウべえ「それ以外に誰が居るっていうんだい? さやか」


聞き慣れた声の主が、魔獣の後ろからひょっこりと顔を出す。

それを見た少女――美樹さやかは、ほっとした表情で剣を下ろした。
同時に魔法の服が光の粒子になって消え去り、元々着ていた制服姿に戻っていく。


さやか「なんだあ……あー、びっくりした」


TB「来てみたら、もう戦闘が終わるところだったから。 この一体だけ倒させてもらったよ」

さやか「それはいいんだけどさ……脅かさなくたって良いじゃん」

TB「別に脅かしたつもりはないよ。 声でわかるだろう?」

さやか「そりゃそうだけど、いきなり話しかけ……って、あんた、どうしたのそれ」


あきれたような表情をしていたさやかの顔が、さっと青ざめる。

魔獣の後ろからふらふらと姿をあらわした少年は、その白い体の半分以上が赤黒く染まっていた。


TB「別に? ちょっと負傷しただけさ」

さやか「ちょっとって……! また無茶したわけ!?」


どうでも良さそうに答えるトウべえに対して、さやかは少し口調を荒げて詰め寄った。

それに合わせるように、トウべえは一歩後ろに下がる。



TB「……僕は無茶なんてしてないよ。 ただ、魔獣を狩っただけ」

さやか「それが無茶だって言ってんの! あんたはあくまでサポートでしょうが!」

TB「君等が負傷した時、代わりにグリーフシードを集めてくるって役割もあるよ? 三体くらいなら一人で平気だよ」

さやか「平気じゃないから怪我してるんでしょ……まあいいか。 ほら、とにかく腕出して」

TB「…………」


さやかが手を差し出しても、トウべえは傷口を見せようとはしなかった。
ただぼんやりと突っ立ったまま、さやかの手をじっと見つめている。


しびれを切らしたさやかが腕を掴もうとすると、何を思ったのか、トウべえはそれをするりと避けた。

一瞬呆然としながら再び掴みかかっても、器用に避けて距離を取っていく。



さやか「ああ、もう……! なんで逃げるの!? 治したげるから見せてってば!」

TB「いや……いいよ」

さやか「はっ? ……何が?」


TB「だから、治さなくていいよ。 ……君に治してもらう気はないから」


さやか「……っ」


しばらくの間、二人の間に気まずい沈黙が流れた。

やがて、さやかの方が恐る恐る口を開く。


さやか「……で、でも、その傷けっこう大きいでしょ? 手当てしといた方が」

TB「必要ないよ。 放っておけば自然に治るもの」


あまりにも素っ気ない態度に、さやかの顔が少し引きつる。

普通の相手なら、この時点で怒り出すか、呆れて去っていってしまっただろう。
しかしさやかは、相手がただの人間では無いことも…… そのせいで、普通のコミュニケーションが取れる相手では無いことも知っている。


さやか「……いくらあんたでも、まだ完全に治ってないんじゃないの?」

TB「そうだけど、あと数分だよ。 こんなことに魔力を使ったらもったいないよ」

さやか「その間にまた魔獣が出たら、あたし達が困るの。 無駄じゃないって」


TB「それならマミにやってもらうよ。 わざわざ君がやることじゃない」



……もちろん、それにも我慢の限界というものはあるが。



さやか「……あっそ! じゃあ勝手にすれば?」


………………
…………
……


………………



TB「また怒らせちゃったな……」


さやかが去っていった方を見つめながら、トウべえはぼんやりとつぶやく。

それは誰に向けたわけでもない独り言だったが、意外にもすぐに返答がくる。


???「いや……そりゃそうだろ。 学習しないね、あんたも」


トウべえが振り向くと、そこには見慣れた人物の半身が…… まるで、空中にある透明なカーテンから顔を出したような格好で浮いていた。

実際、そこにはカーテン状の遮蔽物があるのだろう。
幻覚に関する魔法を扱う彼女にとっては、それくらいは容易いことだった。


TB「杏子? いつからそこに居たんだい」

杏子「あんたらが喧嘩始めたころから。 あ、向こう側はもう全部片付いたからね」

TB「喧嘩をしたつもりはないけど」

杏子「喧嘩だろ。 あんたも煽ってたじゃん……っと」


杏子がカーテンの後ろから全身を出すと、その肩のあたりから奇妙な生き物が飛び出した。
猫とうさぎを足して二で割ったような、不思議な外見の動物だ。

それは素早くトウべえに駆け寄り、するすると左腕を登っていく。


TB「ああ…… 頼むよキュゥべえ。 服の汚れは放っておかない方がいいみたいだから」


トウべえが左腕にしがみついている生き物――キュゥべえに話しかけると、それは袖についた赤黒い染みに口を当てて舐めはじめた。
彼の血液が特別なのか、それともキュゥべえの舌にしかけがあるのか、舐められた箇所がみるみる綺麗になっていく。

杏子はその光景を見てあからさまに嫌そうな顔をしたが、ふたりとも気がついていないようだ。


QB「別に怪我をするのはいいけれど、彼女との関係が悪くなるのは感心しないね」


ふと、キュゥべえの体から――染みを舐めながらなので、きっと口からではないだろう――少年のような声が発せられる。
それはトウべえとそっくりな声だったが、こちらの方がずっと明るくて、かつ無機質な印象だ。


QB「さやかの不調を気にしているのだろうけど、当分の間は問題無さそうじゃないかい?」

QB「それが原因で魔獣狩りに支障が出たら、本末転倒ってものさ」

TB「それは……そうだけど」



杏子「不調、ねえ…… そっか。 やっぱり、勘違いじゃなかったんだ」

杏子「去年ほどじゃ無いけど、確かにほんのちょっと消耗が速いとは思ってたなー、あたしも」

TB「……不調自体は、去年からずっと続いてるんだ。 特に解消されたというわけじゃない」

杏子「え? ……そうなの?」


杏子は少し驚いたような顔をしてトウべえを見た。

いつも無表情な彼には珍しく、辛そうに顔を歪めている。
それに対して、杏子の方はあまり深刻には捉えていないようだった。


杏子「消耗が速いっつっても、本当にちょっぴりじゃん? 去年はもっと……」

TB「今は技術が向上したから、戦い方が効率的になっただけだよ」

QB「彼女も、もうそこそこの戦歴を持ってるからね。 統計上、魔法少女は短期間で一気に成長するものだし」



杏子「あー、そういうことか。 でもまあ、現状それで穴埋めできてれば問題無いんじゃないの?」

TB「……現状は、ね」


トウべえの表情がびくりと強張る。
あまりに未熟な感情しかもたない彼にとって、それを表情に表すというのは余計に難しいことなのだろう。


TB「消費量は、少しづつ増えてるんだ。 穴埋めがいつまで保つかわからないし、それに……」

TB「……僕には、詳しい原因はわからないけど……これはおそらく、精神的な理由によるものだよね?」

TB「それなら、ちょっとしたことで症状が急変するかもしれないし……」


杏子「あーはいはい、わかったわかった」


杏子がおおげさに手を振りながら話を遮った。

呆れたような顔をして、しかしどこか嬉しそうに口元を歪めながら――トウべえの顔にびしっと人差し指を向けてみせる。



杏子「つまりさ……あんたは惚れた相手が心配で心配で、そのせいで空回りしまくってるってわけだ」


今度は完全に、トウべえの動きが止まる。

エラーを起こした機械のように、自分が何を言われたのか理解できないといった様子だった。

キュウべえが血を舐めとるぺちゃぺちゃという音だけが、だいぶ薄暗くなってきた公園内に響き渡る。


杏子「……確かに、さやかの方もなんとかしなくちゃいけないっぽいけどね」

杏子「それより、まずはあんただよ。 知ってる? そいつが回収する血の量も、だんだん増えてるってさ」

TB「…………」

QB「体を改造すれば、こっちも穴埋めできそうなんだけどね。 見た目は少し犠牲になっちゃうけど」

杏子「お前はちょっと黙ってろ。 ……まあ、一応あたしたちってチームなわけだし? いつまでも喧嘩されてちゃ困るからさ」

杏子「とりあえず理由がはっきりしてるあんたの方から、片付けちゃった方が良いんじゃない?」

杏子「……さやかの方も、大方目星はつくけどね」



TB「……君にはわかるのかい?」

杏子「あったりまえじゃん。 わかんない方がおかしいって」


ようやく動きを取り戻したトウべえが何かを言おうとしたが、すぐに「あんたにゃまだはえーよ」、と遮られる。
彼は再び辛そうな表情を浮かべて、ぎゅっと口をつぐんだ。


杏子「……さっきも言ったけどさ、先にあんた自身の方をなんとかしろっての」

TB「そう言われても、僕にはわからないよ。 自分がどんな感情を持ってるのか……」

杏子「ふーん? あんたも人間っぽくなってきたじゃん」



TB「人間もこういうことがあるのかい?」

杏子「そりゃあるさ」

TB「そういう時、人間は……どうするのかな?」

杏子「他人に聞くんだよ。 どうすればいいの?って」

TB「……僕は、どうすればいいの?」


素直に問われて、杏子はちょっと嬉しそうに目を細めた。

それから少し得意げに、ふふん、と鼻を鳴らしてみせる。




杏子「想いを伝えりゃ良いんだよ。 ……あんたのな」



――――――――――



B―2
――――――――――




私が彼女と初めて出会ったのは、冬の終わりごろ――たしか、習い事の帰り道でのことだったと思う。


すでにあたりは真っ暗で、真夜中と言っていい時間帯だった。
その時はたしか、習い事が予想外に長引いてしまって……
迎えに来てもらうほどの距離では無かったから、夜道を歩いて帰ることにしたのだ。

まあ、その理由は大して重要では無いのだけど。


今思えば、彼女とはいつも夜中に遭遇していた。
日差しが苦手なのか、目立ちたくないだけなのか……どちらにしても、彼女は暗がりを好んでいた。

あの時会わなかったとしても、私が夜道を歩くことがあれば、いつかは出会っていただろう。



「ねえ、君。 志筑さんだよね?」


初めはたしか、そんな言葉をかけられた。

薄暗い夜道でいきなり後ろから浴びせられた馴れ馴れしい声に、私はかなり驚いたと思う。
そして警戒した。 誰だってそうだろう。


「いやあ……ボクは別に怪しい者じゃないよ。 ちょっとお話がしたくて、声をかけてみただけなの」


そんな私の心を見透かすように、彼女はにっこり笑って言った。


だけど私は、その表情を見てますます警戒を強めた。
彼女自身は、きっと優しく笑っていたつもりなのだろう。 実際そういう笑顔ではあった。
しかしどこか、その顔は不自然に歪んでいて……見る者に言いようのない嫌悪感を抱かせるものだったのだ。


それに、怪しい者ではないと自称する彼女の風体は、明らかに常軌を逸したものだった。

肩にかかるほどの柔らかそうな髪も、すべすべした肌も、何もかもが信じられないほど美しく整っていて……
そしてその全てが、色を塗り忘れた絵のように真っ白だ。

ただ、奇怪な笑みをたたえた瞳と口だけが、白い肌の中でぼんやりと赤く浮かび上がっている。


そしてなぜか、彼女はいわゆる……メイド服、のようなものを着ていた。
白と黒を基調とした、一般的なデザインのものだ。



「ねえ志筑さん……志筑さん? どうして無視するのかな? ボクってそんなに変かい?」


彼女がわざとらしく目をうるませて、ねだるように見つめてきても……私はまだ、彼女と会話するのを躊躇っていた。

彼女と関わらない方がいい。 本能がそう告げている。

美しい外見の少女を前にして、私はなぜか、ねっとりとまとわりつくような嫌悪感を体全体で感じていた。
それなのに、そこから立ち去ろうという気持ちにはどうしてもなれない。

特殊な嗜好をもつ男性向けの本を見かけてしまった時のような気持ちだった。



「……ま、良いや。 別に話してくれなくても、今は聞いてくれるだけで十分だよ」


彼女はにこにこと笑いながら近寄ってきて、軽く背伸びをしつつ、私の耳に口元を近づけた。
唐突な行動に体がびくりと震えるが、やはり足は動かない。 動かす気にならない。


「君ってさ、とっても仲のいいお友達が居たよね? いつも元気で、頼りになる、可愛らしい女の子」

「でも……その子は恋のライバルでもあったんでしょ? いろいろあったみたいだけど……」


ひそひそと、私の耳元で彼女は囁き続ける。 甘く、優しげな口調で――


「……今はどう? 仲良くやってるかな?」


――悪意たっぷりに、笑いながら。



「っ……!」


私は半ば突き飛ばすように、彼女から離れた。

彼女は子供みたいにはしゃぎながら、その場でぴょんぴょん飛び跳ねていたと思う。
そしてそれに飽きると、ふらふらと暗闇の方へ歩いて行った。


私はそれを見て、ついに我慢ができなくなった。

去っていく背中に向かって、声を張り上げる。


「……ちょっと待ちなさい! 貴女は――」


そこで、ふと言葉が途切れた。
後ろを振り返り、もはや悪意を隠そうともせずににやにや笑う彼女に対して、私には言いたいことがたくさんあったはずだ。
どうしてそんなこと知ってるんだとか。 なぜこんなことをするんだとか。

でも、その気分が悪くなるような笑顔を見ているとなぜか……そういうまっとうな疑問は吹き飛んでしまって。


「――お名前は、何ていうの……?」


やっと出てきたのは、そんな間の抜けた台詞だった。



彼女はそれを聞くと、心底嬉しそうな笑顔を浮かべてこう言った。



「大河……大河あいだよ。 あい、って呼んでね? 志筑ちゃん」



……彼女の姿が完全に見えなくなった後も、私はしばらく、深い暗闇の方をぼんやりと見つめて突っ立っていた。

彼女の第一印象は本当に最悪で、とても嫌な人物だと思ったのを覚えている。
しかしふしぎなことに、もう一度会ってみたい――そんな風に感じる人物でもあった。


これが、私と彼女の初めての出会いだった。



――――――――――

今日はこのへんで…… レスしてくれたら嬉しい


次は明日か、明後日くらいになると思います それでは



A―2
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魔法を扱う者たち――すなわち魔法少女とトウべえが生きるためには、グリーフシードが不可欠だ。


感情の浮き沈み、強い願いなどから生まれる力である魔力を使えば、当然その魂は負の感情を溜め込んで濁っていく。
穢れを浄化できるのはグリーフシードのみであり、放置すれば魂、ソウルジェムごと消滅してしまう。

それがこの世界の理であり、彼らにとっての常識だった。


だからこそ、年々その数が減っていく魔法少女たちを守るために、トウべえのような使い捨てのサポートが導入されたのだが……



さやか「……でも、正直きっついよねー。 こんなに出たり出なかったりが激しいとさ」



TB「え? ……ああ、うん。 そうだね」

さやか「この前はあんなに居たのに……今日はまだ収穫ゼロだし」

TB「うん……」


そこは見滝原市のすぐ近くにある小さな山で、普段はそこそこ人が訪れる場所でもある。

もちろん、今は彼女たち以外には誰もいない。
さやかはそこらで拾った大きめの枝を振り回しながら、よく整備された広めの山道を進んでいた。


さやか「こんなとこ、本当に居るのかなー?」

TB「……キュゥべえの嗅覚に引っかかる程度の瘴気は、あるみたいだけど」

さやか「じゃあ、あたしたちが少ない方に来ちゃったのかもね。 杏子たちはどうなってるかな?」

TB「さあ……どうだろうね」



さやか「…………」


ふと後ろを振り返ると、トウべえはうつむいて何かを考え込んでいるようだった。
妙に深刻そうな表情で、口元に握りこぶしをあてている。


さやか「……あのさ。 この前のことなら、もう気にしてないからね?」

TB「うん……えっ? あ、ああ……」

さやか「ちょっと心配になっちゃっただけでさ。 だけど……やっぱり、あたしもちょっときつかったかな?」

TB「あ……ありがとう。 でも、そうじゃなくて……」


今度は顔を微妙に強張らせて、焦ったように視線をそらす。
表情のレパートリーが非常に少ない彼の感情を読み取るのは、付き合いが長いさやかにとっても至難の業だった。

本人でさえわかっていないのだから、ある意味では当然かもしれない。


さやか「……?」


トウべえはしばらく考え込んでいたが、やがて意を決したようにさやかの方へと向き直った。


TB「……さやか。 実は、ちょっと話があるんだ」

さやか「ん、何?」

TB「えっと……僕は、まだ固有魔法を扱うことはできないし、表情も上手く作れなくて」

TB「自分の感情については、よくわかっていないんだけれど」

さやか「うん……」

TB「それでも、言葉に出して自覚したほうが良いと、言われたから……」


TB「……君に、僕の気持ちを伝えておきたいんだ」


さやか「え……あ、うん」


トウべえが立ち止まり、さやかの顔をじっと見つめる。
彼女も、一歩進んだところで立ち止まった。

二人の間に、少しの間静寂が流れる。



TB「僕は……」


トウべえが何かを言いかけたその時、彼の肩がびくっと震えた。

何かを嗅ぐように鼻を動かして、きょろきょろとあたりを見回す。


さやか「……トウべえ?」

TB「ごめん、さやか…… この話の続きは後でするよ」

さやか「えっ? どして……」



TB「……今、僕らのところに何かが近づいてきてる」



さやか「!! 魔獣が出たの!?」


さやかの全身が青い光に包まれ、一瞬で魔法少女の姿に変化する。

トウべえも手に持っていた日本刀を鞘から引き抜いたが、まだ構えずにあたりを見回していた。



TB「いや…… 瘴気の匂いはするんだけど、魔獣とは違うみたい」

さやか「え? ……じゃあ、何?」

TB「わからない。 けど、魔獣じゃない…… それにしては小さすぎるね」

さやか「小さい? それって……」

TB「……来たっ! さやか、後ろっ!!」


言い終わらないうちに、さやかの背後から『何か』が飛び出してくる。


さやか「……っ!!」


彼女は恐ろしい速さで振り向きながら、その『何か』に持っていた枝を投げつけた。

その枝は青い光を帯びながら『何か』に激突したが、当然衝撃に耐え切れずバラバラに四散する。


しかし、強力な癒しの魔法をかけられた木の破片は、その時すでに――『再生』し始めていた。


小さな破片ひとつひとつから、目にも留まらぬ速さで新たな枝と根が伸びる。
根は地面へ、枝は別の破片へ、一瞬のうちに到達して複雑に絡み合う。

そうしてできた木の檻は、『何か』の体をがっちりと地面に固定する。



さやか「よしっ! つーかまーえたっ♪」



『ギッ……ガッ、ギ!』


木に半ば埋もれるようにして捕らえられたその『何か』は、まるで美術に使うモデル人形のような姿をしていた。

緑色の硬質な素材で出来たパーツはのっぺりと丸く、かなり簡略化された人型を成している。
その頭部にあたる部分には、人間の顔写真をパーツごとに切り抜いたものが福笑いのように貼り付けられていた。


さやか「うわあ……なにこれ? キモッ」

TB「人形、のように見えるけど……」


人形はせいぜいさやかと同じくらいの身長しかなく、確かに魔獣にしては小さすぎる。

しかし捕らえられてなお動き続けるそれが、人間が作ったものであるはずもない。


TB「やっぱり、瘴気は感じる。 でも魔獣じゃない…… なんだろう、これ」

さやか「あんたも知らないの? なら、キュゥべえも知らない新種の敵……ってこと?」

TB「どうだろう、僕も全ての知識を与えられてるわけじゃないから」

さやか「うーん……ま、いっか。 一匹は生け捕りにしたわけだし……」


さやか「……残りの奴はさっさとぶっ壊して、キュゥべえに調べてもらいに行くとしますか」



純白のマントが、ふわりと翻る。


体全体を使って投げられた剣は、すぐ近くの茂みに潜んでいた人形を正確に射抜く。


ほぼ同時に襲いかかってきた残りの人形のうち、一体は素手で頭を握りつぶされ、

別の一体は蹴飛ばされた衝撃でバラバラになり、

最後の一匹は、魔力のこもっていない日本刀で無理やり叩き斬られてしまった。


TB「……得体は知れないけど、大した脅威ではないみたいだね? 君たちにとっては」


ぼろぼろに刃こぼれした刀を鞘に収めながら、トウべえがつぶやく。


さやか「まあね。 小さいし、ぶっちゃけそんなに強くもないわ」

さやか「いきなり出てきてちょっとビビったけど、肩透かしって感じ?」

TB「そうだね…… でも、一応正体を調べておいた方がいいよ」

さやか「わかってるって。 だから最初のはちゃんと……って、ああっ!?」

TB「え? ……あっ」


先ほど捕まえておいた人形の方を見て、二人は思わず絶句した。


捕らえた直後は元気にもがいていた人形が、いつの間にか…… どろどろと溶け初めていたからだ。


深い緑色だった体はすっかり黒ずみ、至る所から濁った液体を滴らせている。
手足はすでに落ち、頭部もぐらぐらと揺れていた。

よく見ると、地面に散らばった別個体の破片も同じように溶け始めている。

おそらく、もともとそういう構造をしているのだろう。


さやか「ああ……せっかく捕まえたのにい……」

TB「……そこまで落ち込まなくても良いんじゃないかな?」

さやか「だって、あたしの新技さ、あれ実はけっこう……」

TB「枝の魔法かい? ……ああ、燃費が悪いんだね」

さやか「はい……めっちゃ悪いです。 こんなことなら使うんじゃなかったわ……」

TB「……そうなんだ」



二人の間に、再び沈黙が訪れる。


しばらくして、さやかがはっと気がついたように顔を上げた。


さやか「あっ…… そういえば、トウべえ?」

TB「何だい?」

さやか「何だい、じゃないでしょ。 ……さっきの、話の続き」

TB「ああ…… そうだったね」


少し逡巡したあと、トウべえはさやかの方に向き直り、その顔をまっすぐに見つめる。
真っ白な頬にはほんの少しだけ赤みがさし、何も持っていない左手は無意識に胸の真ん中を抑えていた。

その位置には、ペンダントの先端にはめられた透明なソウルジェム――彼の魂そのものがある。


TB「僕は……」


静かに溶け続ける人形を背に、彼はゆっくりと口を開いた。



TB「僕は、君のことが――」




………………
…………
……



………………



QB「そうだね……おそらくそれは、『魔女』の『使い魔』じゃないかな?」



山を下っている途中、さやかとトウべえから報告を受けたキュゥべえは特に驚きもせずにそう答えた。
報告を終えた二人はきょとんとした顔で首を傾げ、ベテランの魔法少女である巴マミと杏子は納得したように頷いている。

その場で驚いていたのはただ一人……暁美ほむらだけだった。


ほむら「なんですって……!? あなた今、『魔女』と言ったの!?」

QB「うん。 だって、その可能性が一番高いよね?」

ほむら「そんな……それはありえないわ。 だって、魔法少女はもう……!」

QB「え? ……ああ、君が言いたいのはそういうことか」


いつになく狼狽するほむらに対し、キュゥべえはなだめるような口調で語りかける。


QB「安心してよ、ほむら…… ここで言う『魔女』とは、君がいつか話してくれたものとは全く別の存在なのさ」



ほむら「は……?」

QB「どうやら君は、僕らが知ってる『魔女』の方については存在すら知らなかったらしいね」

QB「君の話に出てくる魔女は、それを参考にしたものかと思っていたんだけど…… 偶然にしては興味深い話だよ」

ほむら「私が知る魔女とは……別の、魔女?」

マミ「え、ええと……? あなた達は何の話をしているの? 私も魔女と言ったら一つしか知らないのだけど……」


今度はマミと杏子が首を傾げる。

混乱する魔法少女たちを見回して、キュゥべえは大げさに咳払いをしてみせた。


QB「きゅっほん! ……どうやら、一度魔女について説明しておいた方が良いみたいだね? 二人も知らないようだし」



さやか「うん、思いっきり初耳。 さっきからずっと置いてけぼりなんですけど」

TB「僕も知らないや…… 本当に必要な情報なのかい?」

QB「君が担当するこの区域では必要ないと思っていたのさ。 でも実際は違った、ということだね」

杏子「まあ、あれはあすなろ市周辺だけの話だったからねえ……」

QB「でも、この見滝原に現れたと言うのなら仕方がないよ。 話しておかなくてはね」


キュゥべえはマミの肩に駆け上がり、一度全員を見回してから話し始めた。

魔獣ではない、もう一つの敵――『魔女』についての話を。



QB「……ここでいう『魔女』というのは、魔法によって作られた擬似グリーフシード――『イーブルナッツ』を人間の女性に埋め込み」

QB「彼女の負の感情の力を利用して、異形の姿へと変貌させたもののことを指すんだ」

QB「その力は人間の感情に由来するから、とても多彩で複雑だ。 手下のような役割の、『使い魔』を産み出すこともできるしね」

QB「……でもその一方で、魔獣に近いところもある。 言うなれば、魔獣と魔法少女の中間のような存在――」

QB「それは『魔獣化した女性』だということで、『魔女』と呼ばれているのさ」


グリーフシードはソウルジェムの穢れを吸収する。
それはつまり、人間の負の感情を集める力を持つということだ。

そして魔獣の体から生み出されるそれは、魔獣という化け物の力を秘めた物質でもある。

それらの性質を利用すれば、確かに人間を変化させることも可能かもしれない。



さやか「擬似グリーフシード? そんなものあるの?」

QB「うん。 魔法を使ってグリーフシードを解析し、複製すれば十分作れるよ」

さやか「あ、じゃあそれを使えば戦わなくても……」

QB「残念だけど、このイーブルナッツに浄化能力はほとんどないんだ」

QB「それに、そんなものを作れる魔法少女はかなり限られてくる。 少なくとも、ここに居る4人じゃ無理だよ」

さやか「……なーんだ」


さやかががっくりと肩を落とす。
キュゥべえはそれを無視して、話を続けた。


QB「それを創りだした魔法少女は、当然だけど、かなり特殊で強力な固有魔法を扱う娘だったのさ」

QB「……そして、彼女には魔法少女を、いや、人類そのものを憎むに足る理由があった」



ほむら「人類を、憎む……」

さやか「スケールでかいなー。 何があったのよ?」

QB「それについては割愛するよ。 プライバシーの問題さ」


質の悪い冗談を聞いてしまった時のように、一瞬その場の空気が凍りつく。
キュゥべえはそれに気がついているのかいないのか、可愛らしく首を傾げてみせた。


QB「……まあ、とにかく彼女は人間を憎んでいたんだ。 だからこそ『イーブルナッツ』を作り、『魔女』を作った」

QB「その結果、彼女が潜伏していたあすなろ市にいる、7人の魔法少女たちと激しく衝突することになったのさ」

さやか「7人? 随分多いね」

マミ「あの街には、リーダー格の魔法少女が一人居てね…… 彼女を慕って、それだけの数が集まったらしいわ」

さやか「へー、そうなんだ」



杏子「そいつにあったことは無いけど、気味が悪いくらい仲が良いんだよね、あいつら」

杏子「リーダーの言うことは、それがどんな綺麗事でも受け入れる、って感じでさあ……」

マミ「ちょっと……それは流石に失礼よ?」

杏子「だって本当のことだもん。 普通そんな悪どい魔法少女が居たら、さっさとケリつけるっしょ?」

QB「そうだね。 でも、彼女たちはそうしなかった……魔女を倒すことで元に戻しながら、その魔法少女との対話を試みたんだ」

QB「しかし当然話はまとまらず……結局魔法少女たちの戦いの末、彼女が死亡したことでこの事件は幕を閉じた」

QB「……それが、去年のクリスマスに起きた話だね」



さやか「クリスマス? ……あの時、そんなことが起きてたんだ」


トウべえの肩が、小さく震えた。 当時見滝原を騒がせていた、別の事件のことを思い出しているのだろう。
彼はその事件の中心に居たが、あまり良い思い出では無いようだ。


ほむら「……でも、その魔法少女が死んだというのなら……もう、その『魔女』が現れることは無いはずじゃないの?」

QB「僕らもそう思って、君たちにこの話をしなかったんだけどね」

杏子「大方、イーブルナッツがまだ残ってたとかだろうね。 あれさえあれば、誰だって魔女になれる」

マミ「偶然誰かが見つけて、体の中に入ってしまったのかしら……」

ほむら「そう……ね。 確かに…… そういうこと、だったの」



QB「わかってくれたかいほむら。 『まどか』、と言ったかな? 君の言う友達とは、全く関係の無い話さ」

ほむら「……ええ、わかったわ」


ほむらはバツの悪そうな顔をしながら頷く。
しかしその表情は、どこか安心しているようにも見えた。

そんな彼女をぼんやりと眺めながら、トウべえはクリスマスに起きた事件でのことを思い出していた。


TB(……まどか? どこかで聞いたような…… 確か、あの夜だったと思うけど)

TB(どうしてだろう? 上手く思い出せない…… 意識が朦朧としていた時の記憶だからかな?)


TB(……まあ、いいか。 大したことじゃないよね)



QB「……以上で、魔女に関する説明は終わりだよ。 わかってくれたかい?」

さやか「うーん……でも具体的に、これからどうすればいいわけ?」

QB「それほど複雑に考える必要はないよ。 瘴気を追っていけばいつか遭遇するだろうから、その時は倒せばいい」

QB「魔女は倒せば、元の人間に戻るようだからね。 手加減する必要もないよ」

さやか「そっか、それならまあ、平気かな? あの使い魔ってのそんなに強くなかったし」

マミ「油断は禁物よ? 本体と使い魔じゃ比べ物にならないわ」

杏子「でも、全員でかかれば負けるなんてありえないでしょ?」


杏子はお菓子を頬張りながら、軽い調子で言う。
彼女が軽口を叩いてマミが注意するのはよくある光景だったが、今回はそういったことも無いようだ。


マミ「……まあ、私もそれほど心配はしてないけどね」

さやか「あ、二人は戦ったことあるんだ、やっぱり?」

マミ「ええ、過去にちょっとだけね」

さやか「なら、なおさら安心ですな!」


なぜか得意そうなさやかに対して、マミは困ったような顔で笑うしかなかった。

その後ろで、ほむらは小さくため息をつく。



ほむら「はあ……それじゃ、もう解散で良いのかしら?」

さやか「え? あ、もうこんな時間か」

マミ「あら、そうね。 今日はこれでおしまいにしましょうか」

QB「そうだね、みんなお疲れ様」


キュゥべえがそう言うと、さやかとほむらは別れの挨拶をしてそれぞれの家路についた。

残りの三人は皆帰るところが同じなので、そのまま連れ立って歩いて行く。


しばらくして、杏子が唐突に口を開いた。


杏子「あっ、そうそう…… アレはどうなったんだよ? トウべえ」



TB「アレ? 何のことかな?」

杏子「決まってんだろ、告白だよ。 こ、く、は、く」

マミ「ああ、そうだったわ! 二人共普段通りだったから忘れてたけど……どうだったの?」

TB「……どうしてマミまで知ってるんだい?」

マミ「どうしてって…… 一緒に戦う仲間のことなんだし、知ってて当然じゃない?」

TB「そういうものかな?」

マミ「そういうものよ。 で? どうだったの?」


やたら食いついてくるマミに少し戸惑いながらも、トウべえは素直に結果を話しだした。


TB「ええと…… ちゃんと伝えてきたよ。 君が、好きだって」



杏子「おお、頑張ったじゃん」

TB「うん……理由はよくわからないけど、緊張したよ」

マミ「そうでしょうねえ…… それで? どんな感じだったの?」

TB「? ……何が?」

マミ「何がって、美樹さんよ! 返事は? 何て言ってたの?」

杏子「ちょ、ちょっと落ち着きなよ……」

マミ「そ、そうね……ごめんなさい。 でも気になって気になって」

TB「……わけがわからないよ」


ぐいぐい詰め寄っていくマミを抑えながら、しかし杏子も期待の眼差しを向けている。

当然のことながら、トウべえにとっては全く理解のできない状況だった。



TB「それで確か……彼女の返事、だったかな?」

杏子「ああ、なんて言ってた?」


TB「ええっとね……『トウべえがそう思ってくれてたのは嬉しいし、そういう理由で無茶してたのもわかったけど』」

TB「『あたしはあんたをそういう風に見ることはできないから、あんたももう無茶しないでほしい』」

TB「『でも大事な仲間であることには変わりないから、これからも一緒に頑張っていこうね』……と」

TB「要約すると、そんなようなことを言われたね」



杏子「……つまり、ダメだったんだな」

TB「ダメ? 何がダメなんだい?」

杏子「ダメというか…… 振られたというか」

TB「振られた……?」


言われたことの意味がよくわかっていないのか、トウべえは真顔のまま首を傾げている。

杏子はあきれたような、残念なような顔をしてため息をついた。


杏子「はあ…… ま、どうせそうなるだろうとは思ってたけどね。 未だに引きずってるからこその不調なんだろうし」

杏子「でもこんなにきっぱり振るとはねえ…… 一途だよなあ、あいつも」



TB「……? 何のことを言ってるのかな。 わかるかい、マミ?」

マミ「…………」

TB「……マミ?」

マミ「……あなたは、それで良いの?」

TB「え?」

マミ「あなたの好きな人に、その気持ちを否定されたのよ……? 悲しくないの?」


きょとんしているトウべえを、マミは真っ直ぐ見つめて言った。
その声には、どこか悔しそうな響きがこもっている。

仲のいい友人が無残に振られたのが腹立たしいのか、それとも彼がそんな時まで普段通りなのが情けないのか――

本人にも、きっとわからないだろう。



TB「……そう、言われても」


トウべえは小さくうつむいて、しかし無表情なまま答えた。


TB「だって……しかたがないよ。 僕が彼女に好意を寄せていたとしても――いや、そうなんだろうね。 今ではそう思うけど」

TB「でもそれは、彼女自身には関係のない話だもの…… 変に期待したって意味が無いよ」

マミ「だけど……」


その顔には、焦りも悔しさも、彼が唯一表情に出せる悲しみすらも、表れてはいない。
悩みから解放されたかのような、どこかすっきりとした無表情だった。


TB「……それに、彼女にとってはそう思われることが迷惑みたいだから。 もう、忘れることにするよ」

マミ「え……?」

TB「実際そのせいで、仕事が疎かになっていたこともあるし……」

TB「……きっとそれが、彼女のためにできる唯一のことなのさ」

マミ「…………」

杏子「あーあ…… そうなっちゃうんだな、こいつは」


マミは淡々と語るトウべえから顔をそむけて、うつむいたまま黙りこんでしまった。

杏子もあきれ顔で肩をすくめていたが、トウべえにはそんな彼女たちの心境などわかるはずもない。


少しだけ重い空気の中、三人は静かに夕暮れ時の道を歩き続けていた。


………………
…………
……



………………



さやか「ん……? あれって、もしかして……」


すっかり暗くなった道をさやかが一人で歩いていると、正面から誰かが歩いてくるのが見えた。

それがよく知っている人物だと気付いて、声をかけようとする。
だが、上げかけた手は途中で止まってしまう。

それはとてもよく知っていて、仲のいい相手だったが……今は何と声をかけていいのかわからない人物でもあった。


さやか「…………」


向こうにもこちらは見えているだろう。 しかしさやかと同じように、声をかけてはこない。
気まずい空気のまますれ違う時、さやかは思わず顔をそむけてしまった。


その瞬間、何かが引っかかる。


さやか「……?」


視線を逸らす一瞬前に、何か……小さな違和感を、彼女の首元に感じていた。

それは白い肌の中で一際目立つ、真っ黒な――


さやか(……刺青? いや、まさか……)


あの子に限ってそんなことするはずもないか、何かの見間違いだろう…… そう思い直して、さやかは再び歩き出した。




さやか(だってあの仁美が……ね)




――――――――――



B―3
――――――――――




その後も、私は彼女と会い続けた。

理由は、自分でもよくわからない。
気が付いたら夜中に家を抜けだしていて、探してもいないのに彼女に出会う……といった具合だった。

そんなことを何度もしていて、よく家の者に見咎められたり、警察に補導されたりしなかったものだと思うけれど、
彼女と出会う夜にはなぜか、彼女以外の誰とも出会わなかったのだから不思議なものだ。


「それはね、ボクが魔法を使ってるからだよ。 だってどうしても志筑ちゃんに会いたいんだもん」


以前そういう疑問を彼女にぶつけてみた時、彼女は笑いながらそんな風に返した。
魔法、という突拍子もない答えが、果たして冗談なのか本気なのか……それとも何かのたとえなのか。
今となってはどちらとも言い難いが、当然ながらその時の私は、それがただの冗談だと思っていた。

そう、自分の思い通りに現状を歪められる『魔法』だなんて……冗談か、詐欺に決まっている。
それも、かなり悪質なものだ。 どちらにしても。

そう彼女に伝えると、彼女は可笑しそうにくすくすと笑った。


「そう言うと思った! ……君はそんなこと信じない、賢い子だものね」



「でもね、言っても信じないだろうけど……ボクのは本物なんだよ」

「そう、ボクは『魔女』なんだ。 可愛い女の子を襲って食べちゃう、こわーい魔女」


彼女はそう続けながら私の方へ向き直り、半開きの手を顔の前へ突き出して、口を大きく開いて見せた。

つまり、「がおー」、とやってみせたわけだ。


「……なんてね! 志筑ちゃんは可愛いけど、食べたりなんてしないよ」

「でも、志筑ちゃん? もし君が望むなら――」


いつのまにか、彼女の笑顔は消えていた。
仕草はおどけているのに、顔は不気味なほど真剣だった。

思わず目を逸らせなくなって、彼女の顔を見つめる。



「――君を魔女にしてあげてもいいよ」


その夜の誘いは、当然断った。

彼女は特に残念がるでもなく、へらへらと笑っていた。


しかし、君を魔女にしてあげる―― そんな、それこそ冗談のような話。

まともな判断力を持っていれば、引き受けたりはしないだろう。
それどころか、大多数の人間はまともに取り合うことすらしないかもしれない。


でも……きっと、彼女に何度も会いに行っている時点で。


私がまともな判断力を持っていたかと問われれば、怪しいものだ。



だからこそ、私は……




「……こんばんは、志筑ちゃん。 待ってたよ」



その日、彼女は普段のメイド服を着ていなかった。

燕尾服にネクタイ、そして黒いマント――ほとんど吸血鬼のコスプレだが、その白髪と赤い目のせいかよく似合っている。
胸元には、黒曜石のように真っ黒な大きめの宝石が輝いていた。


「さあ、こっちに来て……」


彼女が手に持っている細長い刃物を、まるでタクトのように軽く振った。

それに合わせて、なぜか私は前へと進んでいく。 まるで催眠術にでもかかったように。


薄々、気付いてはいたのかもしれない。


彼女は普通の人ではなくて……最初から、初めて出会ったあの夜から、私を狙っていたのだと。



「ん……いい匂い」


彼女は私を柔らかく抱きしめて、肩のあたりに顔を当てた。

抵抗はできなかった。
この時はもう、意識が朦朧としていて……正直記憶も少しあやふやになっている。


「今日はいつもより、ずっといい匂いがする。 何か嫌なことでもあったの?」


その日は、彼から……彼が告白されたという話を聞いた。

クリスマスの時の話だけれど、あの子から、想いを伝えられていたと。


「……まあいいか。 そんなことはどうだって良いんだ」


鎖骨の辺りを、彼女の舌が這う感触がした。

そしてすぐに、何かで刺したような痛みが首筋に走る。



そこから先の記憶はない。



数日後、病院で目を覚ますまで……警察にも家族にも散々聞かれたけれど、一切の記憶は残っていなかった。

だから私が彼女に何をされたのか、結局今でもわからないままだ。



――――――――――

今日はこのへんで失礼します
書き溜めなくなるの速いな…… このままだとこのスレ立ててから一週間も保たずにはたむら化だ


次は、たぶん明日あたりだと思います



A―3
――――――――――




早乙女先生「……志筑さん、結局今日もお休みだったわね」



5時間目の授業中、ここ数日の間何度も聞いてきた台詞を耳にして、さやかは今更ながら後悔していた。
頭を抱えて机に突っ伏し、これまた何度目かわからない自問を繰り返す。


さやか(ああああ…… どうしてあの時声かけなかったんだろー……)


数日前、山の麓で別れた後に見かけたのを最後に、彼女の親友である志筑仁美の消息がぱったりと途絶えていた。
魔法少女の仲間にも彼女の家族にも警察にもそのことを話したが、未だに彼女は見つからない。

その全員が、彼女を探しまわっているのにだ。


さやか(あの場所に居たことといい、何かが首筋に見えたことといい……やっぱり仁美が『魔女』なのかな)


よりにもよって、とさやかは思った。

魔女になった少女を助けるためには、その魔女を倒す以外に方法は無い。
倒したところで本人に影響は無いのだが、それでも親友に刃を向けるというのは気分の良い物ではないだろう。

もちろん彼女ではないという可能性もあるが、その場合彼女は魔女の餌食になったということになる。
それよりは、彼女が魔女になっていた方がずっとましなのだが……


さやか(でも、それじゃ仁美が……心に影を抱えてた、ってことになるんだよね)


さやかは仁美とは別の、もう一人の欠席者の机にちらりと目をやった。

そこには、本来ならば仁美の恋人―― そしてさやかの幼馴染でもある少年が座っているはずだった。


さやか(……恭介も、今日は休みだった)


恋人が行方不明になったのがショックだったのか、それとも二人の間で何かトラブルでもあったのか……
上条恭介もまた、最近は学校を休みがちだった。

彼が休んだ最初の日、さやかは慌てて彼の家に様子を見に行ったが、彼と会うことはできなかった。
玄関先に出てきた彼の母親は、どうも調子が悪いようで、今は誰とも会いたくないそうだ……と、申し訳なさそうに言った。

そうしている間にも、彼の部屋があるあたりからはずっと、美しいヴァイオリンの音色がかすかに流れてきていた。


さやか(あたしが……悪いのかな)


さやかは数日前に遭遇した、あの人形のような使い魔を思い出した。

もし仁美が魔女の正体なのだとすれば、その使い魔には彼女の精神そのものが反映されているはずだ。
硬質な素材でできたモデル人形―― その顔の部分に貼られた、顔写真の切り抜きのようなもの。

あれは一体、何を表して居るのだろう? あの顔写真は、誰のものだったのだろう?

おそらく女性のものと思われる目の部分は、仁美自身のものにも、さやかのものにも見えたような気がする。



さやか「はあ……ん?」


考え疲れたさやかが大きくため息をついた時、机の脇にかけてあるカバンが小さな音を発した。
軽く触れてみると、細かく振動しているのがわかる。

教師の視線がこちらに向いていないのを確認してから、バッグのファスナーを小さく開けて手を突っ込む。
指先が携帯電話に触れた頃には、すでに振動は止まっていた。


さやか(メール……? この時間に、誰からだろ?)


机の下でこっそり携帯を操作し、受信したメールの差出人を見る。
そこには、ついさっき考えていたばかりの名があった。


さやか(……恭介!? なんで……)


慌てて画面をスクロールさせ、その内容を確認する。




さやか(放課後、一人で家に来てほしい……?)


………………
…………
……



………………



さやか「……っ!」


上条恭介の家に着いた途端、さやかの背筋に冷たいものが走った。

この家には魔獣、もしくは『魔女』が関わっている。
そう直感していた。


魔獣や魔女は瘴気と呼ばれる『匂い』のようなものを残すが、それを感知できるのはインキュベーターだけだ。
彼女がそう思ったのは、もっと単純な理由だった。


玄関のドアが開け放たれていて、しかもその金属製のノブは……バラバラに切り刻まれて散らばっている。

どう見ても、人間にできる破壊の範疇を超えていた。


さやか「……恭介っ!」


さやかは靴も脱がずに家の中に飛び込んだ。


玄関からつながる廊下を進んでいくと、キッチンの前で恭介の母親が倒れているのが見えた。


さやか「お、おばさん! 大丈夫!?」


さやかが慌てて駆け寄ると、彼女の腕からは赤黒い血が流れ出ていた。
一瞬ゾッとするが、抱き上げてみると息をしているのがわかる。
どうやら気絶しているだけで、大した傷は負っていないようだ。


さやか(良かった……これなら治せる)


急いで治療をした後、彼女をそっと廊下に寝かせる。

すぐに救急車を呼びたいところだが、その前にまだやることが残っていた。


さやか「恭介……お願いだから無事でいてよ……!」


廊下を少し引き返し、二階へ通じる階段を登っていく。

小さいころからよく遊びに来ていた幼馴染の家は、あまり訪れなくなった今でも、その構造をよく覚えていた。
昔から変わらないところもあるし、全然違っているところもある。

彼の部屋へと向かう階段を一段ずつ上がっていきながら、さやかは少しだけ、その家に懐かしさを感じていた。


さやか(……音は何も聞こえない……)


静まり返った彼の部屋からは、ヴァイオリンの演奏も聞こえてはこない。
彼がそこにいるのか、無事なのか……ドアを開けてみなければわからない。


さやか「……っ!」


魔力で生成した剣を構えながら、蹴破るようにしてドアを開ける。

その向こうには―― 予想通りと言うべきか、床に倒れ伏した恭介の姿があった。



さやか「恭介っ!!」


考えるよりも先に、さやかは駆け出していた。

剣を放り出し、警戒なんて全くせずに。

なぜ彼女に、今倒れている彼からメールが来たのか……そんなこと、考えもせずに。


しかし、この世で最も大事な人の危険を前にすれば。


そうなるのも当然のことだったかもしれない。



さやか「恭介! 何があったの!? 恭……」


さやかに抱き起こされた彼は、ぱっちりと目を開いていた。

瞳はしっかりとさやかを見つめていたし、口元もちゃんと閉じられている。
倒れていたにもかかわらず、その顔は何事もなかったかのような、穏やかな表情だった。



ただ。



右目は上下逆さまになり、左目は額で瞬きをして、鼻は頬骨の上にあり、口は顎の先端で微笑んでいて。



まるで福笑いのような様相だったが。



………………
…………
……



………………



トウべえはクリスマスでの交流以来、上条恭介と個人的な付き合いが続いていた。


未だに表情を上手く作れないトウべえは、その後も感情を表す手段としての音楽を趣味にしていたし、
恭介にとっても、ヴァイオリンについて語り合える相手が身近に居るのは嬉しいことだった。

彼らは時折、主に恭介の家に集まって、楽譜やCDの貸し借りをしたり、共に練習したりしていた。

だが最近になって、トウべえは彼と会うことが少なくなっていた。
それはトウべえが、さやかに対して抱いていた感情が原因だったのかもしれない。



TB「……これは」


その日、トウべえは恭介から借りたままになっていたCDを返すため、久しぶりに上条邸を訪れていた。


そこで彼が目にしたものは、血まみれになって倒れている恭介の母親と、使い魔の瘴気に満ちた恭介の部屋だった。



TB(……魔女の襲撃を受けたんだ。 それも、まだそんなに時間が経ってない……まさかここが狙われるとはね)


恭介の母親を調べてみると、体のどこにも外傷は負っていないようだった。
しかし瘴気にあてられたのか、意識を取り戻す気配は無い。


TB(さやかの匂いがする……おばさんの体からも、この家全体からも)

TB(ということは、僕が来る直前にさやかがここに来て……)


トウべえは二階に上がって恭介の部屋に入り、鼻をくんくん動かしながら中を歩きまわった。

そこから感じられるのは、恭介の匂い、さやかの匂い、そして――


TB(……かすかに瘴気の匂いがする。 窓に続いていって……そこから外に出たようだね)


窓を開けると、すぐ外に隣家の屋根が見える。
おそらく使い魔はさやかを連れ、その上を飛び移っていったのだろう。



TB「さて……僕はこれからどうするべきなのかな」


すでに他の魔法少女たちには連絡を回してある。
しかし仁美捜索のために隣町にまで行動範囲を広げている彼女たちがここにたどり着くには、結構な時間がかかるだろう。

その時まで待っていれば……確実に使い魔を追える手がかりである、匂いが消えてしまうかもしれない。


TB(今なら追うこともできる。 でもその場合、僕は単騎で魔女の元に向かわなければならない)

TB(勝機は……ほとんど無いだろう)


自分が負けてどうなったとしても問題は無いが、おそらく魔女に捕らえられているであろう二人は別だ。
魔女は感情に従って動くものであり、下手にトウべえが攻撃を仕掛ければ、逆上して報復に出る可能性もある。

かといって、このまま魔法少女たちが到着するのを待っていれば時間がかかり過ぎる。

八方塞がりの状況だった。



TB(……そもそも、どうしてさやかは連れ去られたんだろう)


部屋の中は綺麗なもので、争った形跡は無い。
明らかに使い魔の襲撃を受けたこの家で、さやかは無抵抗のまま拉致されたことになる。


TB(どうして? 使い魔に何か特殊な能力でもあったのかな)

TB(例えば、姿を変えて恭介に化けていたとか? ……いや、でも)


こんな状態の家で、誰も殺されず、誰も拉致されていないというのは怪しすぎる。
いくらなんでも、無警戒で近寄るなんてことは無いだろう……


そこまで考えた時、ふとトウべえの頭に閃くものがあった。


TB「……もしかして」


彼は窓の外を眺めながら、静かに考え始めた。


それは、彼がずっと考えてきたことだった。

どれだけ考えても答えが見つからず、ずっと放置されてきた疑問。
彼に限らず、インキュベーターなら誰もが一度は抱いたことのある疑問。


彼の脳裏に、様々な言葉が浮かぶ。

ほむらの言葉。 マミの言葉。 杏子の言葉。 さやかの言葉。


そして、あの……連続殺人犯の言葉。



TB「そうだ……きっと、そうなんだろう」


彼は今になってようやく、その答えを知った。



TB「だとしたら、僕は――」




――――――――――
 



B―4
――――――――――




「……まあいいか。 そんなことはどうだって良いんだ」



黒いマントを羽織った白い少女――大河あいの腕の中で、仁美は大きく体を震わせた。

その首筋にある小さな刺し傷を中心に、奇妙な模様が広がっていく。
彼女は焦点の合わない目で虚空を睨み、絞りだすようなうめき声を上げて苦痛に耐える。


「そう、君がボクの役に立ちさえすれば、それ以外は関係無いの」


あいは苦しそうな仁美の頬を優しく撫で、軽くキスをした。
その直後、突き飛ばすようにして距離を取る。

途端に、彼女の体から黒い靄のようなものが立ち昇った。

それを見て、あいはニヤリと笑う。
歪んだ口元からは、長く鋭い犬歯が覗いていた。


「……心に影を抱えた少女に、牙を刺すことで『魔女』へと変える。 それがボクの魔法……」


「さあ、志筑ちゃん? 君はどんな魔女になるのかな……?」

 
 


仁美の体から、爆発するような勢いで黒い糸が伸びる。
それは完全に靄で覆われた彼女にぐるぐると巻きつき、真っ黒な繭のようなものを作り上げた。

繭は糸に引っ張られるようにして宙に浮き、2,3メートルも上がったところで静止する。

いつの間にか、糸の先端には緑色の人形のようなものがくっついていた。
いや、くっついているというより、繋げられていると言った方が正しいだろうか。
操り人形のような形で糸に繋がれた人形たちは、その力で繭を支えているようだった。


「ふうん、なるほどね……」


しばらくすると、人形のうちの一体が、そばに立っていたあいに襲いかかろうとした。
あいはそれに動じることもなく、手に持っていた細長い小さな刃物を、タクトのように振ってみせる。

その瞬間、全ての人形の動きが止まった。


襲いかかろうとした人形はタクトの動きに従い、ふらふらと元の位置に戻っていく。

あいの魔法によって生まれた魔女は、完全に彼女の手に堕ちているようだった。


彼女は異形の魔女を従え、楽しそうにくるくると回った。

そして、独り言のように言葉を投げかける。


「……運命を畏れ、仕方ないと諦め、常に正しい道を選択してきたつもりでも」

「歩んできた道のりには、なぜか後悔ばかりが残されていて……」

「誰よりも賢く、誰よりも上手に……正しく生きてきたはずの彼女こそ」

「今では、哀れな運命の操り人形……」



「人形使いの魔女。 その性質は自縛」



「……ってとこかな?」



――――――――――

 
 

今日はここで失礼します 次は長いし、ちょっと遅くなるかもしれない

たとえ一人も見てなくても、少なくともこのスレだけはちゃんと終わらせるんだ……



A―4
――――――――――



見滝原市は県内でもかなり発展した都市だが、その反面、犯罪や行方不明者の数が多い場所でもある。


賑わっている中心部から少し遠ざかれば、放置された廃工場など、人気の少ない所がたくさんある。
人もそうでない者も、隠れ潜む場所には困らない街だ。

そのせいか魔獣の発生も多く、魔法少女の数も比較的多い方だった。



あい「……とはいえ、この娘を隠すのはもう無理かな? まだ一人しか捕まえてないのに」


見滝原に数多く存在する廃墟のうちの一つ、元は団地だった場所に、彼女は居た。

彼女は荒れ果てた部屋の中で、かろうじて無事な椅子に腰掛けている。
その後ろには生気のない顔をした仁美が座っていて、目の前にはさやかが転がっていた。
仁美の隣にあるベッドには、恭介が眠っている。


あい「人選ミスったかもしれないね…… 美樹ちゃんと関係があって使えそうなのは、君くらいだったんだけど」

あい「まさか傷つけるのすら躊躇するとはね。 彼氏は仕方ないにしても…… 本当に親友だったんだ?」


あいは背後の仁美に話しかけている風だったが、特に反応は返ってこない。
彼女はぼんやりとうつむいたまま、時折ふらふらと左右に揺れているだけだ。

あいも返事を期待しているわけではないのか、気にせず話し続ける。


あい「もう、街では大騒ぎになっててさ。 みんな君のこと探してるよ」

あい「魔法少女たちも、みんな…… 美樹ちゃんを含めて、4人くらい居たっけ?」

あい「ベテラン揃いだもんねえ、君一人じゃせいぜい足止めが精一杯か……」


頭のフリルをいじりながら、あいは困ったような顔でさやかを見つめた。


あい「……魔法少女だから期待は持てるけど……この娘は仲間たちを攻撃できるかな?」

あい「戦うべきか、逃げるべきか……」



あい「……ま、どっちにしろやることは同じだけどね」


あいはカチューシャを外しながら立ち上がり、胸元を探ってペンダントをひきずり出した。
黒い宝石がはまったそれを握りしめると、溶けたプラスチックが再び固まるように、みるみる服が変化していく。

燕尾服に黒マント、赤いネクタイ。 まるで吸血鬼のような出で立ちで、彼女はにやりと笑った。
薄く開かれた唇から、白く輝く牙が現れる。

彼女はさやかのそばに跪き、優しい手付きで抱え起こした。


あい「うー……やっぱり良いなあ、君は。 この街の4人の中じゃ一番可愛いよ」

あい「それに……良い匂いがする……」


あいはさやかの胸元に顔を埋め、しばらく彼女の香りを堪能していた。

数回深呼吸を繰り返した後、ようやく満足したのか、首筋の方へ顔を近づける。


あい「君も綺麗な魔女になれたら良いね、美樹ちゃん?」
 


その瞬間。

あいは自分の前方――ガラスのはまっていない窓のある方に、何か異質な匂いを感じ取った。

それはとても微かな匂いで、一瞬何の匂いかわからず硬直する。
よく嗅いだことがあるような、あまり馴染みの無いような……どこか懐かしい匂い。



そして、それが自分と同じ匂いだとわかった時。




あい「う、わっ……!?」


目の前に迫るものが何かも確認せず、全力で飛び退く。


金属の刃が頬骨を削る、ゴリゴリという音が脳に響いた。

同時に、勢い良く後ろから引っ張られるような感触が頭部を覆う。

床の上をボールのように転がりながら、あいは自分の身に何が起こったのかにようやく気が付いた。


敵の奇襲だ。
 


ぱっくりと割れた右頬を押さえながら、なんとか体を起こそうとする。

耳をかすめた衝撃で三半規管がおかしくなっているのか、体がぐらぐら揺れて立ち上がることもできない。


???「……何をしようとしてたのか知らないけど、どうやら間に合ったようだね」


赤く滲む視界の真ん中には、真っ白な影が立っている。

その姿には、見覚えがあった。



あい「……なんだ、立花くんか。 まさか君が来るとは……思わなかったなあ」


TB「僕も、君をここで見るとは思ってなかったよ。 久部大河……」




TB「……あすなろ市担当の、人間型インキュベーター」

 
 


あい「やだな……そっちの名前で呼ばないでよ」

あい「男性型なら名前が『九兵衛』、女性型なら苗字が『久部』……」

                            キュゥべえ
あい「なんか標識みたいで嫌いなんだよね、共通の名前ってさ」


ぶつぶつと呟きながら、あいは壁に突き刺さった刀に体重を預けて立ち上がった。
左頬と耳の傷は、すでに半分程度の大きさまでふさがりかけている。


あい「個体識別用の『大河』と、大切な人がくれた『あい』だけがボクの名前なの」

あい「だから……そのどっちかで呼んでほしいな。 ね? 立花トウべえくん」

TB「…………」


トウべえは新しく転送してきた刀を構えながら、さやかを後ろにかばうようにして立った。

あいはそれを見て、嘲笑と歓喜の入り混じった笑みを浮かべる。


あい「君がこんなに早く来たのは意外だったけど、むしろ好都合だったね」

あい「さっきの刀が巴ちゃんの弾丸なら、今頃頭ぱーんだろうし」

TB「…………」

あい「志筑ちゃんを使えば、君なんて足止めにもならないんだよ?」

TB「…………」

あい「美樹ちゃんを助けに来たつもりなんだろうけど、四人全員で美樹ちゃんと志筑ちゃんを相手にした方がまだ良かったね」

TB「……そうだろうね」


あっさりと認められ、少し面食らってトウべえを見つめる。

彼の顔には怒りも焦りも無かった。 嘘をついているようにも見えない。


TB「普通に考えたら、僕がここに来るのは危険過ぎる。 結果的にも、状況は最悪だね」



TB「……でも、そんなことは考えてちゃいけないんだ」


彼は刀をおろして、胸元からソウルジェムのはまったペンダントを引きだした。
透明なそれをじっと見つめながら、トウべえは誰へともなく語り始める。


TB「魔女に勝てるかどうかとか、みんなの身の安全とか……さやか自身の意思だとか」

TB「そういうことを考えて、踏みとどまっていたら、僕はずっと今のままだ」

あい「……何?」


TB「……僕に限らず、キュゥべえなら誰だって考える。 人間と、僕らの違いは何なのか」

TB「知能や知覚で劣ってるわけじゃない。 僕らに至っては、擬似的な感情まで植え付けられている」

TB「それなのにどうして、人間と僕らの間にはこんなに力の差があるのか?」

TB「どうして、人間や……君とか、あの連続殺人犯はこんなに強い感情の力を持てるのか?」


TB「その答えが、ようやくわかった」


ペンダントにはめられた宝石の奥で、小さな光が明滅する。

透明な石の中心で揺らめく―― 青い、炎のような光。


TB「人間は、そして君たちは…… 時に他人の意思を無視してでも、自分の感情を押し通すことがある」

TB「他人よりも、何よりも、自分の気持ちを大切にすること…… わがままになること」

TB「……人間はそれを知っているから、わがままだから強いのさ」


青い光はどんどん大きくなっていき、やがて宝石全体を埋め尽くす。

ついに溢れだした光は、トウべえの体を少しずつ包み込んでいった。


TB「だから僕も、自分の気持ちだけ考えてみる」

TB「君のことも、みんなのことも、彼女のことも。 全部無視して、自分のやりたいことだけをやる」



そして、光が晴れる。




TB「……僕は、僕の好きな人を守りたくて、ここに来たんだ」

 
 
 


それは、絵本の中に登場する騎士のような格好だった。

胸や手足を守る白銀の軽鎧は青く縁取られ、その下に着ている服は彼の肌のように白い。
背中にたなびくマントと言い、さやかの服をそのまま男用にしたようにも見える。

ただひとつ明確に違うのは、彼の手に握られているものだ。


TB「これは……木刀? いや……」

TB「……鞘、か。 なるほどね」


彼が納得したように頷くのと、あいがタクトを振ったのはほぼ同時だった。

5、6体の人形が一気に押し寄せ、窓際の床板が砕け散る。


あい「あーあ…… 面倒くさいことになっちゃったかもなあ」


さやかを抱いて飛び降りたトウべえを窓から見下ろして、あいは小さくため息をついた。


トウべえは2つの棟の間にある中庭のようなスペースに降り立ち、さやかをそっと地面に寝かせた。

変身と共に現れた白い鞘は、そのすぐそばに置いておく。


TB「鞘は剣を守るためにある…… 僕の魔法も、どういうものかはわかるけど」

TB「……今は、こうするしか無いか」


唯一の武器である刀を正眼に構え、自分が出てきた窓を見上げる。

窓辺に立っているあいがタクトを振ると、その背後から黒い球体が姿をあらわした。


球体と言っても、そらまめ状の形をした何か……ちょうど、巨大な繭のようにも見える。
それは黒い糸で構成され、糸の先には緑色の人形が繋がれていた。


TB「あれが魔女の本体かな? ……っと!」


宙に浮いた人形のうち、近い位置にある一体が引っ張られるような動きで飛んでくる。

刀で胴を薙ぎ払うと、意外にも真っ二つになって地面に転がった。


TB(あれ? 案外軽い感触だな……)


続いて飛びかかってきた人形を叩き壊し、振り向きざまに三体目の胴へ刀を突き刺す。
しかしそれを抜き取る前に、腹へ何かを叩きつけるような衝撃が走った。



TB「ぐっ……あ……!」


咄嗟に柄から右手を離し、正面の人形に叩きこむ。
人形の頭部が砕ける感触と共に、何かが腹から抜き取られるような音がした。

どうやら殴られたのではなく、刺されていたようだ。


TB「……っ!」


歯を食いしばって悲鳴を抑え、今度こそ刀を引き抜いて構え直す。

そして正面から向かってきた5体目の人形に斬りかかろうと、刀を振り上げた瞬間――

――足を何かに掴まれて、そのまま前へ倒れこむ。


倒れながら足元を見ると、そこには最初に斬った人形の上半身がしがみついていた。


TB(あ……まず――)


考える間も無く、顔面に人形の膝が叩き込まれる。
 


世界が縦に半回転し、さらに半分が真っ赤に染まった。

一瞬の浮遊感の後、硬いもの同士を衝突させた時の音が頭に響き渡る。
ホワイトアウトした視界は意外と早く回復したが、左半分は律儀に真っ赤なままだった。


TB「うっ……!」


ほとんど条件反射で転がると、さっきまで頭があった場所に人形の足が突き刺さる。
立ち上がるのはおろか、もう一度転がる暇も与えられないまま、腰に何かの体重を感じた。

ちらりと周りを見回すと、すでに5、6体の人形が取り囲んでいる。

なりふり構っていられる状況ではなかった。


TB「……がああああっ!!」


肉体の保持のためにかかっている制限を超え、全力で刀を振り回す。


反動で折れた右腕を地面に叩きつけるようにして起き上がり、四散した人形の破片を踏みつけて、トウべえは走った。

転がるように建物の中へ逃げ込み、窓を閉める。

数体の人形が、窓枠と仲間の背中とに激突した。



あい「うわあ…… 志筑ちゃん、容赦無いねえ」


窓辺からトウべえの戦いを見物していたあいが、感心したような声をあげた。
すぐ外にある繭からは、もちろん何の反応もない。


あい「元がおとなしい性格だから、一人相手じゃ2、3体使うのが限界だと思ってたのに」

あい「まさかあんなに畳み掛けるなんて…… 知り合いじゃないと徹底的にやるんだね」


そう言いながら、窓から身を乗り出して一階の方を見る。

数秒後、トウべえは入ったのとは別の窓を蹴破って再び中庭に飛び出してきた。


TB「はあっ、はあ……キリが、無いな」


立ち止まって体を半回転させ、刀を前に突き出す。
追いかけてきた2、3体の人形が仲良く串刺しになったところで、トウべえは柄から左手を離した。


人形の背後にまわり、背中と手足から伸びる糸を代わりに掴む。


TB(やっぱり……このままじゃ勝ち目がない。 『二倍』は流石に捌ききれないか)


糸を絡みつかせた左手を引っ張ると、皮膚が裂けて血が吹き出した。
どうやら、ドアノブを切り刻んだのはこれらしい。


TB(……なら、狙うは本体だね)


しかしトウべえは特に気にせず、思いっきり引っ張った。


それと同時に、魔女の本体――黒い繭が勢い良く地面に落下する。

幸い、糸は骨で止まってくれたようだ。



TB「……よし」


新しく呼び出した刀で糸を切り、繭に駆け寄る。
大量の使い魔を放つということは、つまり本体には大した力が無いということだ。

刀自体は普通のものでも、変身した今は魔力を帯びている。

本体に刺されば、魔女もただでは済まないだろう。


しかし、全体重をかけて突き出したその刀は―― 飛び出してきた数体の人形に突き刺さって止まった。


TB「なっ……!?」


盾になった人形は、未だに動き続けている。

刀を握った手は、その人形にしっかりと掴まれていた。



逃げ出すこともできないまま、背中に複数の腕が突き刺さる。
  


吐息の代わりに、鮮血が口から溢れ出た。

どこに何が何本刺さっているのか、確認するのも一苦労だ。


TB「…………」


痛覚を切り、ついでに呼吸も止める。
骨折を治したばかりの右腕は人形に固定されているし、左手はまだ骨付き肉状態だ。
長期戦はありえない。 体の保存など考えても無意味だろう。


TB(届きさえ……すれば……いい)


トウべえは目の前の人形にもたれかかるようにして体を曲げた。
首をできるだけ伸ばし、人形の肩に歯を立てる。


TB(あと……少し……なんだ……)


動かない両手の代わりに、顎を使って体を引く。

ほんの少しだけ、刀が動いた。


数体の人形を貫いた状態のまま、少しずつ、本当に少しずつ、刀が動いていく。

そのすぐ先にある黒い繭――魔女の本体を目指して。


TB(もう、少し……あと……ちょっと、だけ……)


真っ赤に染まった口元の、歯の一本がひび割れる。
背中に開いた穴から、何かが引きずり出された感触がした。


TB(さやか……君に、何と言われ……ようとも)

TB(結局、僕……には……命をかけることくらいしか……できないんだ)

TB(自分の、大切な人に対して……)


やや再生してきた左腕を人形の肩に回し、力を込める。

またほんの少し、刀が動く。


TB(だから……まだ、諦めたくない……!)
 


そして、刀の切っ先が繭の表面に触れたちょうどその時。


トウべえの体が、ぐらりと揺れた。


TB(……え?)


そしてあっさりと、地面に倒れる。
彼が握っている刀ごと、刀に刺さった人形ごと。

文字通り、糸が切れたように……人形は動かなくなっていた。


TB「ぐ……がはっ! げほっ、げほっ……」

TB「……間に……合わなかったか」


背後に立っていた血まみれの人形が、ゆっくりと手を伸ばしてくる。


そして、その人形はトウべえの目の前で――


――細切れになって、地面に散らばった。



あい「……は?」


その時何が起こったのか、あいにはさっぱりわからなかった。

トウべえはすでに満身創痍であり、まともな反撃などできるはずもない。
事実、彼は地面に倒れ伏したままぴくりとも動いていなかった。


それにも関わらず――人形はバラバラにされた。


いや、されていく。


トウべえの近くにいたものから順に、一体ずつ切り刻まれていく。


あい「何? え? ……どうして!」

あい「あいつ、一体何をやってるの!?」
 


人型インキュベーターは、人間よりも優れた感覚器官を持っている。
三階の窓で発せられたその声が、トウべえにはちゃんと聞こえていたのだろう。
あいの疑問に対し、彼は律儀に答えを返した。


TB「君には……げほっ、わからないだろうけど」

TB「これが、僕の……僕固有の、魔法なんだ」


彼女はそれが聞こえたのか聞こえないのか、ただ呆然と眼前の光景を眺めていた。

今もトウべえに襲いかかってきている大量の人形が、彼に辿り着く前にバラバラにされてしまう。

そこに一体どんな魔法が使われているのか―― たとえ考える余裕があったとしても、彼女にはわからなかっただろう。


TB「……やっぱり、君たちには……見えてすら、いないのと同じなんだね」

TB「……できることなら、自分の手で倒したかったけど」

TB「それでも、この力は……僕の願いを、叶えるに足るものだった、かな……」
 



???「なるほど……これがあんたの魔法ってわけね、トウべえ」


廃団地に、声が響き渡る。


それはトウべえのものでも、あいのものでも、仁美のものですらない。

だがその声に、あいも魔女の人形も、一切反応しなかった。


???「全くあんたらしいというか…… ほんっとうに無茶ばっかするんだから」


彼女たちには、それが聞こえなかったというわけではない。
彼女たちには、その姿が見えなかったというわけでもない。

聞こえていたし、見えてもいた。

ただ、それが路傍の石であるかのように、取るに足らないものとして無視していただけだ。


制服でも、魔法少女としての服でもない―― 真っ白なドレスを身にまとった、美樹さやかの姿を。


さやか「ちょっと待っててね……こいつら片付けたら、すぐに治してあげるから」
 


戦闘補助用人間型インキュベーターが、彼らの魂を賭けるに値する願いを見つけた時。

彼らは奇跡さえ起こせないものの、変身する力と、彼ら固有の魔法を手に入れることはできる。

その魔法は、魔法少女たちのそれと同じように、彼らの願いに合わせて決まる。
奇跡を望むことができない彼らにとって、その魔法こそが自分の願いを叶える唯一の手段なのだ。



美樹さやかに振りかかるあらゆる危険を、全て自分が肩代わりする――

――『防衛魔法』。

それこそが、トウべえの魔法。 彼の願いそのものだった。


彼の持つ鞘が変化したドレスは、どんな小さな危険であってもトウべえに送ってしまう。

さやかに向けて放たれた攻撃は彼の方に向かっていくし、それは落石や流れ弾でも同様だ。
彼女に対するものであれば、『敵意』や『注意』でさえも、その対象をねじ曲げる。

あいも、魔女も、それが彼女の敵となりうる限り――彼女の存在を意識することすらままならない。

その絶対的な防衛のためならば、普通の倍の危険を背負うことなど、彼にとっては安すぎる対価だろう。



さやか(……こうなるんだったら、叩き起こしてくれれば良かったのに)

さやか(まったく、意地っ張りなんだからもう……)


彼女が自前の剣を軽く振り回すと、2、3体の人形がまとめてばらばらになる。
ほうきを振って埃を払うような、面白いくらいの手軽さで人形の数が減っていく。

避けもしなければ防御もしない、攻撃をしかけてくるでもない。 完全なる的なのだから、当然といえば当然だ。


さやか「……で? この丸いのが本体ね」


さやかはごく普通の足取りで繭の前まで歩いて行き、そのまま無造作に剣を振るった。


ぱっくり開いた切り口から、絶叫が発せられる。


それと同時に、残っていた全ての人形が一斉に突撃を始めた。

しかし当然ながら、さやかの方へ向かうものは一体もいない。


さやか「はい、一丁上がりっと!」


人形たちがトウべえの元にたどり着くよりも速く、さやかの剣が繭に突き刺さる。

二度目の絶叫の後、魔女とのその使い魔たちは完全に停止した。



さやか「……やっぱり、仁美だったんだ」


するすると解けていく糸の中から、彼女の親友の姿が現れる。
ぐったりとしているが、情報通りどこにも怪我はしていないようだ。

それを見て、さやかはほっと胸を撫で下ろす。


さやか「はあ……良かった、思いっきり刺したからどうなるかと……」

さやか「……って、あれ?」


魔力で出来た剣をしまうと、同時にドレスも元の制服と白い鞘に戻ってしまった。
その鞘も、地面にぶつかる前に光の粒子となって消滅する。


さやか「あ、そうだった……! トウべえ、生きてる!?」


慌てて駆け寄ると、彼はすでに意識を失っていたものの、なんとか呼吸を続けていた。
左目と左腕は酷い有り様だったが、体中に開いた穴は半分以上塞がっている。

魔法が解除されたためか、服はいつの間にか元の格好に戻っていた。



さやか「うわ……もう、信じらんない! こんな戦い方して……」


半ば愚痴のような独り言が、ふと途絶える。

魔法で傷を癒しながら、さやかはトウべえの寝顔をまじまじと見た。
いつのまにか彼女の表情からは怒りが消え、少しバツの悪そうな顔になっていた。


さやか「はあ……」


やがて治療が終わると、小さくため息をついて再び表情を変える。

呆れたように、でもほんの少しだけ嬉しそうに笑いながら―― さやかはつぶやいた。


さやか「やっぱり、トウべえはよくわかんないなあ……」



さやか「……こんなボロボロなのに、幸せそうな顔しちゃってさ」

 
 


さやかはソウルジェムを指輪に戻し、指にはめる。
その時、かなりの大怪我を治療したにも関わらず、さやかのソウルジェムはほとんど濁っていなかった。

だが、そのことにはまだ彼女さえも気付いていない。


さやか「さてと、今度は恭介探しに行かなきゃ……」

さやか「……仁美のやったことなら、大怪我とかはしてないと思うけど」

さやか「一応救急車呼んで…… ん?」


立ち上がろうとして、ふと引っ張られるような感覚を覚える。

振り返って見ると、白い指先が制服の端をつまんでいた。


さやか「トウべえ? 起きて……ない、か」
 


流石に血を失い過ぎたのか、彼はまだ寝息を立てている。
おそらく、無意識のうちに掴んだのだろう。

さやかはその手を優しく握って、服から引き離そうとした。


さやか「……あれ?」



だが、離れない。



さやか「え? ちょっ……えっ?」


軽く力を込めても、遠慮無くぐいぐい引っ張っても離れない。
さやかのものよりも細い2本の指が、万力のように制服を掴まえている。



さやか「や、マジ? ……お、起きてんの? っていうか起きてよ!」


激しく体を揺さぶっても、トウべえは目覚めなかった。
ぴくりとも動かないまま、弱々しく呼吸を続けている。

どうやら、完全に気を失ってしまっているようだ。


さやか「えーっ……ちょっと、勘弁してよ……」


呆然と彼を見つめながら、さやかは再び、ため息をついた。




さやか「はあ…… わけわかんないよ、もう……」




――――――――――

今日はここまでです!



B―5
――――――――――



「……なるほどね。 話してくれてありがとう、参考になったよ」



私が事の顛末を語り終えると、立花トウべえと名乗る彼は立ち上がって丁寧にお辞儀をした。

そのまま去ろうとしているようだったので、失礼を承知で呼び止める。
直感だけれど、彼は今回の件について何かを知っていると思ったからだ。


ここまで来たのだから、せめて彼女……大河あいのことだけでも、知っておきたい。

そう告げると、彼は小首を傾げて口元に手を当て、しばらく何かを考えこんでいる様子だった。
やがて、彼女と同じ真紅の瞳でこちらを真っ直ぐに見つめながら、彼はこう言った。


「話してもいいけれど……後悔するよ」



………………
…………
……



………………


彼が私の病室を訪ねてきたのは、警察や家族からの、連日の質問攻めが終わった直後のことだった。


一応自分で撒いた種とは言え、流石に私は疲れていた。
廃団地で発見された時にあった疲労感がまだ抜け切らないうちに、何日も喋り続けていたのだからしょうがない……と思いたい。

しかもその話の内容は全て同じ、つまり彼女についての話だったのだ。

ここ数日の失踪についてはまるで記憶が無いけれど、あの怪しいメイド服の少女以外に原因など考えられない。
……とは言っても、彼女について思い出すのは、正直気が滅入る。



そんなわけで、やっと一人になれたその日、私はベッドに横になってひたすらぼんやりとしていた。

事件のことはなるべく考えないようにして、ただ体を休ませる。
そういう状態だったものだから、控えめにノックをされた時も、最初は気が付かなかった。


「大変な時にすまないね……僕は、立花トウべえ。 上条恭介の友人なんだけど」

 


そう名乗った彼を、私は確かに見たことがあった。
上条くんと話している姿はよく見かけていたし、たまに彼の話題に登ることもあったような気がする。

直接会って話すのはこれが初めてだけど、全身真っ白という変わった風貌のためか、記憶には残っていた。


「この前、君が発見された時に彼も一緒だったと聞いてね」

「一人の友人として、話を聞いておきたいと思ったんだけど……」


そこまで言われて、私は恥ずかしながら、少しうんざりしていた。
また彼女について話すのかと思うと、どっと疲れが押し寄せてくる。

しかし、彼には他の人たちと違う点があった。



「……失踪する前、君は妙な少女と関わりをもたなかったかい?」


彼には、明確な『聞きたいこと』があったのだ。

 


私は少し驚いて、彼を見つめなおした。
よく見れば――というか、なぜ今まで気が付かなかったのか疑問だけれど――彼は彼女とよく似た姿をしている。

白い髪に白い肌、そして赤い目。
綺麗に整った顔つきにも、どこか彼女の面影がある。

ただはっきりと違うのは、彼には表情がない。
人を嘲るような笑みを常に浮かべていた彼女とは、まるで印象が違っていた。


「別に、辛いなら話さなくてもいいよ?」


気遣うように言う彼に対して、私は首を横に振った。

彼ならば、大河あいについて何か知っているかもしれない――悪い人には見えないし、それなら協力を惜しむつもりもない。
それに、彼女のことを逆に聞き出すこともできるのではないか、という下心も、あったことは否定できなかった。


もう一度会いたいというような相手では無いけれど、このまま忘れてしまうには惜しいような……

……そんな彼女のことを、私は知っておきたかったのだ。


………………
…………
……



………………



立花さんが去っていった後、私は再び体を休めていた。

病室はしんと静まり返り、彼の来訪など最初から無かったかのようだ。
私は布団を引き上げ、目を閉じてさっきのことを考える。



「……彼女は、君の知らない世界にいる人物なんだ」


彼女について教えても良いが、知れば後悔する―― そう宣言した後、彼は静かに語り始めた。
あまり予想していなかった忠告に少し面食らったが、彼の言葉は真剣で、冗談を言っているようには聞こえない。


「その領域に踏み込めば、君は選択を迫られることになると思う」

「そしてそれは、どうしようもない運命を変えるチャンスでもある」


ふと、私の頭に彼女の言葉が思い出される。

ボクは『魔女』なんだ―― あの時は冗談としか思っていなかった。

でも、本当にそうなのだろうか?
何の根拠もない考えが、なぜか頭から離れない。


そんな私をよそに、彼は淡々と続ける。


「当然、それには代償がある。 そっちを選ぶ人は皆、その条件に納得して選択するんだろう」

「……けれど、本当に納得できることなんて、無いんじゃないかと僕は思うんだ」

「だって、大切なものを得るにはきっと、それと同じくらい大切なものが必要になる……そうだろう?」


そう言われて、私は少しどきっとした。

自分自身、まだ納得しきれていないことを、自分でもわかっている。
彼がそれを知っているはずは無いが、偶然にも、彼の言葉は私の心にぴたりと合った。


「それでも人が選択しようとするのは…… やっぱり、それも大切だからだよね」

「そして、それがあるから人は幸せになれるんだと、僕は最近知ったんだ」

「選ぶことに納得がいかないほど、大切なものがあるということ」

「そしてそれを選びとったということ……それ自体が、幸せなことなんだ」


「……どうだい? 君は今、幸せなんじゃないのかい?」

 
 


彼は私の顔をじっと見つめる。

その目は全てを知っているようにも見えたし、当てずっぽうを言っているようにも見えた。


「もしそうなんだとしたら、君は自分の選択を否定するべきじゃない」

「けど、無遠慮な彼らは新しい選択を君に迫るかもしれない」

「だから……知れば、きっと後悔する」


彼は再びそう言うと、私の方へ向き直った。
そして、逆に私へ問いかける。


「それでも、知りたいかい?」



私は、何も答えることができなかった。
彼は微かに――本当に小さく笑みを浮かべると、振り返って病室のドアへと歩いて行った。

その白い背中が見えなくなった後も、私はぼんやりとドアを見つめていた。


私は彼の言ったことを思い返して、いつものように考え込んだ。

私は、本当に幸せなのだろうか?
今までの選択に、本当に間違いは無かったのだろうか?


……その答えは、どれだけ考えこんでも出てはこない。

それはきっと、私ではない誰かが示してくれるものなのだから。



例えば―― 再びノックされたドアの向こうに居る、あの人のように。




久々に彼の顔を見て、笑顔を見て……


私はようやく、答えを知ることができた。




――――――――――

 



A―エピローグ
――――――――――




QB「……なるほど、彼女の目的は復讐か」



薄暗い部屋の中で、キュゥべえはぽつりとつぶやいた。

部屋には彼以外に誰もいないが、まるで誰かと話しているかのように独り言を続ける。


QB「聖カンナ……彼女が、識別名『大河』に新たな名前を与えた」

QB「そして彼女の死をきっかけに、大河は力を得たというところかな」

QB「固有の名を与えてくれた人物に強い執着を示すのは、どの個体も一緒だね……」

 


キュゥべえの目の前には壁があるだけだが、彼は何かを追うような動きでゆっくりと首を動かしている。
そこに何を見ているのかは、インキュベーターにしかわからないのだろう。


QB「それにしても、人間を魔女に変える魔法か」

QB「少々厄介だけど、面白い魔法でもあるね……」



QB「……うん、やはりこの実験は、かなりの成果をあげたと言えるだろう」


 


それがテレパシーによる会話なのか、本当に独り言なのかもわからない。
ただ、キュゥべえは淡々と状況報告のようなものを話し続けている。


QB「あの事件のあと、彼女はうまく逃げおおせたようだけど」

QB「このまま放置すればおそらく、彼女は再び魔法少女に対して攻撃を仕掛けるね」

QB「そうすれば、実験は次の段階に移行できる」

QB「今はまだ、それがどのような結果をもたらすのかは未知数だけど……」




QB「……いつか、魔法少女と僕達の希望となることを、祈っているよ」




――――――――――

 

ここまでで一旦終わりですが まだちょっと続くと思います
またスレ立てるのももったいないんで、その時はまたここに投下しますね
ここまで読んでくれてありがとうございました

書き溜め終わったので投下




プロローグ
――――――――――




杏子「……くそっ、またかよ……」



鋭い痛みに全身を貫かれ、佐倉杏子は短い眠りから目を覚ました。

目を閉じたまま体を探ると、どこもかしこも怪我だらけで、どれが目覚ましになったのかもわからない。
だが一番重症そうなのは、たぶん腹に開いた穴だろう。

触ってみるとろくに皮膚の感触すらしなかった。


杏子「うっ……あ」


軋む腕を立ててなんとか体を起こし、首を振って頭にかかったもやを払う。

次第にクリアになっていく視界の真ん中には、彼女を傷つけた『魔女』がいた。


それはぞっとするほど美しい、ガラスで出来た像のような姿をしていた。

人型をしてはいるが全体的に流線形で、手足が異様に細長い。

硬質で透明な素材から成っているため、向こうの景色と中身が透けて見えていた。
綺麗な外見に似合わず、中空にはなにやら緑色の、汚泥のようなものが溜まっている。


だが、杏子の視線は『魔女』自体ではなく、その手に握られた槍に向けられていた。


杏子「!  ……トウ、べえ」


同じく透明な槍の先端には、白髪の少年が串刺しになっている。
腹部を貫通した穂先は彼の背中を覆うマントをも突き破り、元は白かったであろうそれを真っ赤に染めていた。

トウべえと呼ばれたその少年は、ぴくりとも動いていなかった。


『魔女』が無造作に槍を振るうと、トウべえは吹き飛んで近くの壁にぶつかった。
そして、そのまま何の動きもなく地面に落下する。

壁には、彼の血で真っ赤な線が描かれていた。


杏子「トウべえ! くっそ……!」


杏子は跳ねるように立ち上がり、彼の方へと駆けていった。


TB「……ごぼっ……がはっ、げほっ」


急いで抱き起こすと、彼は大量の血を吐き出しながらも呼吸を再開する。
魔力が集中しているためか、淡く光る傷口はじわじわと狭まりつつあった。

しかし、それでも大きすぎる風穴からは、今も血が流れだし続けている。
 



杏子「おい、しっかりしろ! ったく、あたしに気を遣う暇があるなら逃げろっての……」


杏子は頭のリボンを解くと、一度胸に、正確に言えば胸の位置にあるソウルジェムに当てた。
赤い魔力の光を帯びたそれを、トウべえの腹部に巻きつける。


TB「うっ!? あ……う」


リボンが生き物のように傷を締め付け、一時的に出血が止まる。

あくまで止血用で癒やしの効果はないのか、トウべえは激痛で飛び上がった。


杏子「こら、おとなしくしてな。 血さえ止めときゃ、あんたなら多分死なないでしょ」

TB「う……そう、じゃなくてっ……げほっ! ……魔女、は」

杏子「……わかってるよ」
 


杏子は立ち上がり、トウべえを背にして『魔女』を睨みつけた。

魔女は奇妙な姿勢をとって槍を構え、その先端を杏子に向けている。
だが、その状態のままなぜか動こうとはしない。


杏子「……ふん、舐められたもんだね」


目線を下げると、そこには杏子の槍が転がっている。
どうやら、拾えということらしい。

杏子は再び魔女を睨みつけると、数歩進んで槍のところまで近づいた。


そしてそのまま、その槍を――


――軽く蹴飛ばして、遠ざける。

 
 


彼女は不敵に笑いながら、何も持っていない両手を広げて言い放つ。


杏子「要らねーよ、武器なんか」


魔女は槍を構え直し、杏子をじっと見つめる。
ガラスの球体のような頭には顔らしき意匠は無いものの、彼女を睨みつけているのだということはなんとなくわかる。

杏子はそれを見て、再びにやりと笑う。



杏子「どうした木偶の坊? ……さっさとかかってきな!」



その瞬間、魔女は杏子めがけて弾丸のように飛び出していった――



――――――――――

 
 



――――――――――



数日前。



杏子は見滝原市内にある、大きめの鉄橋の上でスナック菓子を頬張っていた。

欄干に身を委ね、眼下を流れる川の流れをじっと見つめている。
その内、ある一点に視線を留めてぽつりとつぶやいた。


杏子「……あー。 なるほどね」


この鉄橋は普段ならばそこそこ交通量が多い場所だったが、今は彼女の他に、巴マミの姿があるだけだ。
マミは杏子の背後、鉄橋の真ん中のあたりで、携帯電話を片手に佇んでいる。

彼女はしばらく携帯電話を耳に当てていたが、やがて通話を切って制服のポケットにしまいこむ。



マミ「……やっぱりダメね」

杏子「ん、あいつらなんだって?」

マミ「いえ、電話がつながらないのよ。 電源切ってるのかしら?」

杏子「地下にでも入ってんじゃない? それか、『魔女』に襲われてたりして」

マミ「やだ、やめてよ縁起でもない……」


杏子はいたずらっぽく笑い、お菓子の空き袋をしまいながら言った。


杏子「ま、そうだったとしてもあいつらなら平気っしょ。 ほむらも居るし」

杏子「……少なくとも、さやかだけは生きて帰ってくるね」

マミ「むしろ彼のほうが心配だわ……」
 


マミは溜息をついて、杏子の隣に寄りかかる。


マミ「……それで、この鉄橋を覆う瘴気の方はどうなのかしら?」

杏子「んー、大当たりってとこ。 魔女じゃない、って意味なら大外れだけど」


杏子はにやにや笑いながら、川の方を2、3度指し示してみせた。
不思議そうに欄干から顔を出したマミが、げんなりした表情で再び溜息をつく。


マミ「ああ…… これは大変そうね」

杏子「そう? あたしなら1分もかかんないって」

マミ「またそんなこと言って…… 足場作ってからの方が良いわよ?」

杏子「まどろっこしいんだよ、そんなの!」


彼女は軽やかな動きで欄干の上に駆け上がった。

そしてそのまま、マミが止める間もなく後ろに倒れていく。



橋の上から落下した杏子は、一瞬赤い光に包まれた。


その光が晴れると同時に、橋の側面へ大きめの槍が突き刺さる。
水平に伸びた柄に片手でぶら下がった彼女の体は、すでに赤い魔法服に包まれていた。


杏子「おお……壮観だねー」


ちょうど橋の裏側を覗ける位置にある彼女の目には、大量の『魔獣』たちの姿が映っている。


それは全員逆さまで―― 橋の裏に”立っていた”。

先ほど欄干から覗いた時、眼下の水面に映っていたのと同じ光景だ。



魔獣たちの頭が、一斉に杏子の方へと向けられる。



十数本の軌跡を残しながら進むレーザーは、しかし虚しく空を斬った。


さっきまで彼女の体があった場所には、一本の鎖が垂らされている。

いくつかの棒のようなものを中継する鎖は、橋の側面に突き刺さった槍の先端部分と、
杏子の手に握られた柄の部分を繋いでいた。


杏子「……うらあっ!!」


槍――正確には多節棍にぶら下がったまま、杏子は自分の体を振り子のようにして橋の裏に突撃する。


いくつかの頭が、彼女のブーツによって無残に蹴り砕かれていった。



杏子「お、そこのお前! ……ちょっと失礼♪」


杏子は勢いが失われた所で、すぐ近くに居た魔獣の首に片手でしがみついた。
もう片方の手で柄を引っ張ると、鎖によって連結されたパーツが飛んできて再び合体する。

彼女は槍の形を取り戻した武器を橋の裏側に突き刺して、今度はそちらに体重を預けた。


杏子「はいお疲れ様……っと!!」


突き立てた槍を軸にぐるりと回転しながら、踏みつけるようにして周りの魔獣を蹴り飛ばしていく。
蹴られた衝撃そのままに吹き飛んでいく魔獣の体は、隣に立つ仲間をなぎ倒しながら飛んでいった。


橋の裏を覆い尽くしていた魔獣の群れの、ほとんどがモザイクの塊になって川に落ちてゆく。
 



杏子「へへ、ちょろいちょろい……って、あれ?」


槍にぶら下がったまま落下する魔獣を眺めていた杏子は、ふとあることに気がついた。
その視線は、モザイクの塊にまぎれて川に落ちようとしている小さな立方体に向けられる。


杏子(やば、グリーフシードの回収…… 忘れてたかも)


魔獣をいくら狩っても、そこから得られるグリーフシードが無いのであれば意味が無い。
まだ水が冷たいであろうこんな時期に、川に入って探しまわる光景が頭をかすめた。


だがその直後、何十ものリボンが橋の上から伸びてきて、落下するグリーフシードを残らず捕まえていく。


マミ「……だから言ったでしょう?」


真上から響いてくる声に、杏子は少し顔を赤らめながら答えた。


杏子「わ…… 悪かったよ……」

 
 


マミの小さな笑い声を聞きながら、杏子は再び槍を伸ばした。

何度か揺れて勢いをつけた後、思いきり橋を蹴って加速する。
空中で回転しながら欄干を飛び越えて、彼女は鉄橋の上に舞い戻った。


杏子「よっと! ……で? 収穫はいくつくらい……」

杏子「……ん?」


歩きながらマミに話しかけようとして、ふと言葉が途切れる。

彼女は携帯電話に耳をあて、誰かと会話しているようだった。
その横顔は真剣で、不安そうに眉をひそめている。

電話を切ったところで、杏子はもう一度声をかけた。



杏子「……マジで何かあったの? 誰から?」

マミ「美樹さんよ。 携帯電話を落としちゃったとかで、公衆電話からだったんだけど」

マミ「暁美さんが少し怪我をしていて、トウべえは…… ちょっと言葉にし難い状態だとか」

杏子「まさか、本当に襲われたの……?」



マミ「ええ……ついに新手の『魔女』が、現れたみたい」



………………
…………
……



………………



杏子「……不死身の、魔女?」



マミの部屋に集まった魔法少女たちは、テーブルを囲んでそれぞれの情報を交換しあっていた。
テーブルの上にはお菓子とグリーフシード、そして見滝原市の地図が置かれている。


さやか「そ。 ガラスの人形みたいなかっこの奴でさ、何度割っても復活しちゃうの」

杏子「本当かあ? 倒し損ねただけじゃねーだろうな」

マミ「ガラスの、人形ねえ……」


マミはテーブルの前に正座して地図に何かを書き込み、杏子はその隣でお菓子を頬張る。

そして二人の向かいには、制服の上を脱ぎ、憮然とした顔で座っているほむらと、
青く光るソウルジェムを片手に彼女の背中をまさぐるさやかが居た。



さやか「本当だって、この目で見たもん! 地面から無傷のがニュッ、てさ…… そうだよね?」

ほむら「え、ええ…… 確かに、再生したようにも見えたわね」

杏子「む……」

さやか「ほーら、転校生だってこう言ってるでしょ!」

ほむら「……それは良いから、早く傷を治してもらえないかしら?」

さやか「え? ああ、ごめんごめん」


さやかは再びほむらの背中に向き直り、そこに刻まれた大きめの切り傷を癒やし始めた。
杏子はそれでも納得できない様子で、口にくわえたお菓子を揺らしながら難しい顔をしている。



マミ「……でも確かに、不死身でも無ければ、トウべえに守られた美樹さんを負かすなんて簡単にできないわよね」


マミが地図から顔を上げて、寝室のドアを見つめながら言った。


マミ「しかも、二人と戦いながら彼にあんな傷を負わせるなんて……」

ほむら「……恥ずかしい話だけれど、トウべえを気にしている余裕は無かったわ。 力も速さも、桁違いだった」

さやか「飛んでくる矢を掴みとったりしてたよね」

杏子「化物かよ……」


魔女なのだから化物で当然だが、誰もそれを指摘しようとはしなかった。
一方的な攻撃を受けながらも敵に重症を与える規格外の強さを持ち、さらに何度倒しても復活する――

――化物、と形容されるのも無理はない。


マミ「……彼女もやってくれるわね。 まだしっぽを掴んでも居ないのに」
 



ほむら「大河あい、ね」


シャツのボタンを閉じながら、ほむらが呟く。
『魔女』を作り出す力を持つ、女性型のインキュベーター……彼女は志筑仁美の事件で逃げた後消息を断ち、
今に至るまでその痕跡すら見つかってはいなかった。

さやかの顔に、悔しそうな色が滲む。


さやか「魔女が出てきたってことは、また誰かが仁美の言ってた変態の犠牲になったってことだよね……」

さやか「はあ……あの時捕まえられてればなあ……」

杏子「悩んだってしょうがないだろ? 今度こそとっ捕まえればいい」

マミ「そうね。 それに……これはチャンスかもしれないわよ」

さやか「チャンス?」

マミ「ええ。 どこかに潜んでいるうちは発見し難いけれど、魔女を作ったのなら必ず外に出てきているはず」

マミ「今なら、彼女の足取りを掴めるかもしれない……」
 



杏子「そうだな、大元を叩けば魔女も元に戻るかもしれないし……」

さやか「あれと戦わなくてすむなら、そりゃ良いけどね」

ほむら「魔女と戦っている最中、近くにそれらしき姿は見えなかったわ」

ほむら「今回は直接操っているというわけではないのかも……それなら、安全に奴だけを倒せる可能性もあるわね」


全員の意見が一致し、次に行うべき行動が定まってくる。
マミは一度部屋を見回して、リーダーらしく号令をかけた。


マミ「そうと決まったら、早速彼女の情報を探しに行きましょう! 異論はないわね?」


三人が無言で頷き、立ち上がってめいめいに準備を始める。


ちょうどその時、寝室の扉が開いて白い服を着た少年が顔を出した。
足元からは、背中に白い饅頭のようなものを載せたキュゥべえが歩いてくる。


TB「……それなら、僕らも行かせて欲しいんだけど」
 



マミ「あら、トウべえ? もう傷は大丈夫なの?」

TB「とりあえず、穴は全部塞がったよ」

さやか「うわ……あたしが言うのもなんだけど、あのレンコン状態をよく魔法無しで治せるね……」

TB「まあね。 まだ戦うのは無理かもしれないけど、聞き込みくらいならできると思う」

マミ「そう? ……なら頼もうかしら。 数は多ければ多いほど良いわ」

TB「うん、ありがとう」


頷くトウべえの傍らで、キュゥべえがよろよろと饅頭を運んでいく。
それが大事なものなのか、それとも彼なりのプライドなのか、魔法少女に手伝わせるつもりはないようだ。

しかし玄関へと向かう途中、急に何かを思い出したように立ち止まって、そばに居たほむらに声をかける。



QB「……あ、そうだ。 ほむら、ちょっと話があるから、あとで時間をとらせてもらって良いかい?」

ほむら「何? 今ここですませてもらえないかしら」

QB「いや、今はこれを運んでいて忙しいからね」

ほむら「お饅頭……? まあ、別にいいけれど」


話している最中も、背中には饅頭を載せたままだ。

やがて目ざとくそれを見つけた杏子が、手にとってしげしげと眺める。


杏子「……なにこれ? 餅みたいな、マシュマロみたいな……」

QB「あ、何するんだい杏子。 君はそれを食べちゃだめだよ」

杏子「相変わらずケチだな、良いじゃん一個くらい」
 



TB「いや、本当にやめといたほうがいいよ」


トウべえが横から手を伸ばし、さっと饅頭を奪い取る。
恨めしそうに睨む杏子の前で、彼はそれを一口かじった。

見た目からは想像できない、何かの肉を引きちぎるような音がする。


杏子「……え?」

QB「これはさっき使ったものの余りだからね。 人間の食べ物じゃないんだよ」

杏子「は? 使ったって何だよ…… お前らどうやって傷治した?」
 



TB「ふぃふぃはひあふぁふぁふふぇいいふぉとふぁ」

マミ「トウべえ! 口の中に物入れたまま喋らないの」

TB「……ごめん」

杏子「いや待って、今何つったの?」

マミ「ほらあなたも、遊んでないではやく行くわよ?」


納得出来ない、という顔をしながらも、杏子はしぶしぶマミについて家を出た。


………………
…………
……



………………



杏子「……で、二人ずつに分かれて情報を集めるってのはわかるんだけどさ」



さっきの代わりに、とトウべえから渡された餡まんにかぶりつきながら、杏子は不機嫌そうに言った。
その隣には、まだ少し顔色の悪いトウべえがよたよたと付いてきている。


杏子「なんであたしがこいつとなんだよ? 魔女が襲ってくるかもしれないのにさあ」

杏子「あたしは怪我人のお守りなんてやれないっての……」

マミ『そうなってもあなたなら何とかなるわよ。 別に良いじゃない、たまには彼と一緒でも』
 


既に別の方向へ向かっているマミが、テレパシーを通じて答える。

杏子は横目でちらりとトウべえを見た。


杏子「……でも、あんただってさやかと組んだほうが良いだろ?」

TB「うん……本当はさやかに付いて行きたかった」

杏子「そうはっきり言われるとなんかムカつくな……」

マミ『そう言われても、さっきの戦闘で、トウべえと美樹さんの組み合わせじゃ倒せないってわかっちゃったもの』

マミ『無駄な怪我をしないように、離しておいた方が良いわ』


そう言われて、杏子は言い返せずに押し黙る。
部屋に担ぎ込まれてきた時のトウべえは、全身穴だらけの酷い有り様だった。

便利な力ではあるものの、それを使うのに大きなリスクを伴うのも否定できない。



マミ『それに、佐倉さんは他人と一緒に戦うのに向いてるじゃないの』

杏子「はあ? それどういう……」

マミ『あ、そろそろ届かなくなっちゃうわね…… じゃ、後はよろしくね』

杏子「ちょ、ちょっと…… 切れたか」


杏子は小さく舌打ちをして、饅頭の欠片を口の中に放り込んだ。
トウべえはその横で地図を広げ、行き先の確認をしている。

その時、ふと杏子の動きが止まった。


TB「それじゃあ杏子、まずはこの先にある公園の方に……」


言いかけて、トウべえは彼女が立ち止まって辺りを見回していることに気がつく。


TB「……どうしたんだい?」

杏子「いや……なんか、誰かに見られてるような」
 


きょろきょろと動いていた視線が、やがてある一点に止まる。
道路の向こう側、ちょうど曲がり角のあたりに、それは居た。

髪を2つに結んだ、かなり幼い容姿の少女がこちらをじっと見ている。


杏子「……? なんだ、あのガキ……」


杏子が見返していることに気がつくと、その子は曲がり角の向こうへ駆けていった。
杏子は少しの間考え込んでいたが、すぐにはっとした表情になる。


杏子「あいつ、まさか……!」

TB「え? 何が……って、杏子!?」


トウべえが止める間もなく、杏子は走りだしていた。
魔法少女の力を使っているのか、あっという間に曲がり角の向こうへ消えてしまう。


トウべえは彼女を追いかけようとしたが、すぐに腹をおさえて立ち止まった。

コートの前を開けると、シャツにうっすら血が滲んでいる。


TB「う…… 参ったな」


一度周りを見回して誰も居ないことを確認し、胸元からペンダントを取り出す。
青い光が明滅するそれを握りしめると、一瞬で服装が変化した。


TB(これなら傷は大丈夫だろうけど、誰かに見られたらやだな……)


コスプレめいた服装をマントでなるべく隠しながら、彼が駆け出そうとしたその時――


――まるで工事現場のような轟音が、突然周囲に響き渡った。

 
 



TB「!? ……杏子!」


慌てて走って行くと、杏子は意外と近い場所に居た。
角を曲がって行った先にある、小さな公園の入り口で突っ立っている。

その目の前には、ぐにゃぐにゃに曲がった鉄棒のようなものが突き刺さっていた。

杏子は、目を見開いて呆然とそれを見つめている。


杏子「…………」

TB「杏子? 何があったんだい、魔女に襲われたの?」

杏子「魔……女……?」

TB「……違うのかい? これだけの破壊ができるのは、魔女か魔獣くらいだし」


よく見ると、突き刺さった鉄棒の下部には鎖が繋がれていた。
その先には、砕けた木片のようなものが付いている。

もはや見る影もないが、それは公園に備え付けられたブランコだったようだ。


杏子「……そうだよな。 魔女…… あいつが、魔女なのか」
 



TB「さっきの女の子のこと? 知り合いなのかい?」

杏子「……まあね」


杏子はブランコの残骸に手を触れて、トウべえから顔を隠すようにうつむいた。
口元から、小さな歯ぎしりの音が漏れる。


杏子「さやかの友達が選ばれたのは偶然じゃない。 あいつがさやかを狙ってたからだ」

杏子「それで今度はあたしってわけか? ……くそっ」

TB「杏子……?」



トウべえが心配そうに顔をのぞき込んでも、彼女は何も答えようとはしなかった。




――――――――――

 
 




――――――――――



――『薬瓶の魔女』。


見滝原市に現れた二体目の魔女は、魔法少女たちによってそう名付けられた。
内部に緑色のどろどろした液体が溜まっている、ガラス製の人形――まさしく魔女の薬瓶のような風貌が、その理由だ。

彼女は槍状の武器を構え、かなりの豪腕と俊敏さを持ち合わせている。
そして何より、いくら倒しても瞬時に復活するという規格外の力を持った魔女……



ほむら「……だけど、おかげで彼女の手がかりだけは掴むことができたわ」


魔女と初めて遭遇してから二日後、魔法少女たちは再びマミの部屋に集合していた。

ほむらはテーブルの上の地図を指し示しながら、順を追って説明していく。


ほむら「まず、この中学校の近くでメイド服姿の少女が最近目撃されている……」

ほむら「その付近の公園や小学校、保育園の辺りもうろついていたみたいね」

マミ「獲物を探していたのかしら…… 若い女の子が多い所ばかりね」

さやか「うわあ……」
 


ほむら「そして、魔女が現れた日の前日に……ここの公園で」

ほむら「小さな女の子とメイドが仲良く話をしていた、という情報が最後ね」


そう言って指し示した場所は、二日前にブランコが引き抜かれたあの公園だった。

不機嫌そうにお菓子を齧っていた杏子が、小さく溜息をつく。


ほむら「……状況的に見て、その子が魔女だというのは間違いないわね」

ほむら「しかも、彼女はその後もいろいろな場所で破壊を行っている……」
 


地図上に打たれたいくつかの点に、ほむらがひとつずつ丸をつけていく。
その全ての場所で、この二日の間に大小様々な被害が出ていた。

公園の遊具が破壊されたり、道路に大穴が開けられたり……
はっきり共通しているのは、それがあの魔女の手によって行われたということだけだ。


QB「あいのような存在に操られでもしない限り、魔女は人間時の精神をある程度は保っているものなんだけど」

QB「あまり肉体的に幼い子だと、それも難しい。 魔女の力に飲まれてしまっているのだろうね」

TB「最初から暴走させるつもりで、幼い子を選んだのかな……」

さやか「勝手に暴れるなら、自分は出る必要ないもんね…… ほんっと最低」
 


ほむら「でも、これだけ姿を見られていれば無意味な話ね」


ほむらは地図にのせた指を滑らせて、見滝原市の外れ辺りの一点を指した。
そこは人通りの少ない場所にある倉庫で、普段はほとんど無人の場所だ。

その後も、付近にある似たような場所をいくつか示していく。


ほむら「行動範囲から推定すれば、一番可能性が高い隠れ家はこの辺りでしょう」

さやか「ならそこに攻め込んで変態をぶっ飛ばしちゃえば、魔女の子も助けられて一件落着ってわけ?」
 


ほむら「そうね……ただ、相手も場所が割れることは予想しているはずよ」

ほむら「早くしなければ、今夜にでも場所を移すかもしれない」

マミ「それに、魔女の出現場所もすぐ近くだわ…… 呼び戻されたら厄介ね」

さやか「うう……面倒くさいな」

TB「あの魔女とは、なるべく戦いたくないからね」



杏子「……なら、あたしが引き受けるよ」



いきなり会話に加わってきた杏子に、全員の視線が集中する。

彼女は腕を組んで地図を眺めながら、軽い調子で続けた。


杏子「あたしがこの魔女を抑えこんどくから、その間に皆が変態メイドを叩けばいい」

杏子「それで全部解決だろ?」
 


マミ「なっ……無茶よ! 三人がかりでも倒せなかったのに……」

杏子「誰も倒すとは言ってないでしょ? 足止めできれば良いんだもん」

杏子「あたしには、そこの火力馬鹿共と違って幻惑があるし。 それくらいなら余裕だって」

さやか「か、火力馬鹿……!?」

ほむら「…………」


むっとした顔をする二人をよそに、杏子はにやにやと笑っている。
トウべえはいつもの無表情のまま、その様子をじっと眺めていた。


マミ「またあなたはそういうことを言って……」

杏子「本当のことでしょ?」

マミ「……なら、私も同行するわ。 あなた一人よりは良いでしょう?」

杏子「そっちの人員減らしたら足止めの意味ないじゃん? 隠れ家候補は1つじゃないんだからさ」

マミ「それは……そうだけれど」


言葉に詰まるマミを睨み、杏子は少しきつい調子で続けた。
その表情からは、既に笑顔は消えている。


杏子「……心配してくれんのは良いけどさ。 ぶっちゃけもう、そんな時間はないんじゃない?」

杏子「変態野郎は夜になるまで動かないだろうけど、魔女の方は違う」

杏子「今こうしてくっちゃべってる間にも、あいつはまた暴れだすかもしれないんだぞ」

マミ「…………」

杏子「……あんたはあいつに人を殺させても良いってのか? え?」

杏子「どうなんだよ? ……マミ」
 


マミは深く溜息をついて、杏子から目をそらした。


マミ「……わかったわ。 あなたがそこまで言うなら、その作戦で行きましょう」

マミ「ただし、無茶だけはしないでね? あなたが殺されたって、同じことなんだから」

杏子「ふん……了解」


杏子はテーブルの上に置いてある器からお菓子を掴んでポケットに突っ込み、
一人玄関に向かって歩いて行った。

頭の横で手をひらひらさせつつ、さっきの軽い調子で声をかけていく。



杏子「……じゃ、あたしは魔女探しに行くからさ。 後はよろしく」



その小さな背中を、トウべえはじっと見つめていた。




………………
…………
……



………………



TB「……待ってよ杏子!」


いきなり背後から呼び止められて、杏子は面倒くさそうに振り返った。

見ると、トウべえが手を伸ばしながら駆け寄ってきている。
マミのマンションからは既にかなり距離が開いていたが、彼は軽く息切れを起こしているだけだ。


杏子「……何だよ、ついてくんなよな」

TB「はあ、はあ…… ごめん、少し気になって」


トウべえは息を整えて汗を拭い、杏子に向き直って言った。


TB「君は、魔女にされた子の知り合いだそうだけど……」

杏子「ああ、黙っててもらって悪かったな」

TB「君が彼女の足止めを引き受けるのは、それが理由なのかい?」

杏子「……まあね」
 


TB「何があったのか、聞かせてもらっていいかな」

杏子「なんで話さなきゃなんないんだよ、そんなこと」

TB「気になるからね。 それに、僕には君たちを守る義務がある」

TB「君が危険を犯そうとしているなら、その理由が知りたい」

杏子「…………」


杏子はしばらくトウべえを見つめていたが、やがて大きな溜息をひとつつくと、
小さく肩をすくめながら話し始めた。


杏子「……わかったよ。 大して面白い話でもないけどね」
 



杏子「あいつとは、マミと再会する前……まだ、あたしが一人で戦ってた頃に会ったんだ」


杏子「ある時、いつもみたいに魔獣を見つけて、狩りに行って……」

杏子「……そしたら、ちょうど食事中だったみたいでね。 奴らは一人の女の子を追っかけてた」

TB「それが彼女、というわけかい?」

杏子「そう……この前見た、あのガキだよ」

TB「それで……魔獣に襲われていた彼女を、君が助けたんだね」

杏子「助けた、か。 まあ、その時はそうだったかもな、確かに」

杏子「……あたしは魔獣を狩って、あいつには特に怪我もなかった」
 


杏子「だけど……その近くには、家族が見当たらなかったんだよね」


トウべえは少し不安そうな顔をして、まさか、とつぶやいた。
杏子はその反応が可笑しかったのか、くすくすと笑いながら首を横に振る。


杏子「ちげーよ。 あんたも随分人間っぽくなったもんだね」

TB「で、でも……」

杏子「魔獣に人間が食われれば、それなりの痕跡は残る。 そんなもんは無かったよ……」

杏子「……あいつはね、家出少女だったんだ」

TB「家出少女?」

杏子「ああ、家からこっそり抜け出してきて、その先で運悪く襲われたのさ」
 


杏子「あたしは帰れって言ったよ。 その時は夜中だったし、魔獣が居なくたって危ないからな」

杏子「でもあいつ…… いやだっつって聞かなくてさ」

TB「どうして……? 魔獣に襲われたんだろう?」

杏子「……ママに怒られるから。 あいつはそう言ってた」


杏子「で、あたしはその時、どうしたと思う?」


杏子はさっきの嬉しそうな笑顔とは全く違う、自嘲的な笑みを浮かべた。
右手に握られたお菓子の空き袋が、くしゃりと音を立てて潰れる。


杏子「あたしは……あいつの頭を引っぱたいて、偉そうに説教垂れたんだ」

杏子「親が怒るのは、子供のことが心配だからだ……」

杏子「……そうやって怒ってくれる家族が、生きてるだけで幸せなんだ、ってさ」
 


杏子「あいつは…… それで納得したのか、一人で家に帰っていった」

TB「その行動は、間違ってないように思えるけど」

杏子「……いや、間違ってたんだなこれが」

TB「え?」

杏子「その後数日して、ニュース見て…… 心底後悔したよ」



杏子「……そこには、あいつが映ってた」

杏子「両親に酷い虐待を受けて、死にかけの状態で保護された女の子として……な」



トウべえは、思わず言葉を失った。
彼女になんと声をかければいいのか、彼にはまだ、わからなかった。


杏子「発見された時、あいつは酷く痩せてて餓死寸前だったらしい」

杏子「もともとよく悲鳴が聞こえる家だったのが、それすら聞こえなくなってて……」

杏子「隣人が無理やり押し入ったら、あいつは食事すら与えられずに放置されてたんだとさ」

杏子「あたしが家に帰した直後から、ずっと……」


杏子「……全部、あたしのせいなんだ」


TB「杏子……」

杏子「魔女になる奴は、皆心の中に影を抱えてる。 イーブルナッツや変態はそれを引きずりだしてんだ」

杏子「あいつがあんな魔女になったのは…… あたしが、あいつを助けてやれなかったから……」

杏子「……笑っちゃうよね。 自分に家族が居ないからって、ムキになって……あいつの事情をわかってやろうともしなかった」

TB「…………」
 


杏子はトウべえに向き直り、彼を睨みつけながら言った。


杏子「だから、トウべえ。 これはあたしの問題なんだ」

杏子「わかったら、あんたもさっさと行きな」

TB「でも、君は」

杏子「いいから行け!」



杏子「……あたしのせいで仲間が死ぬなんて、それだけは絶対に嫌なんだよ」



TB「!……」

杏子「……じゃあな」
 


前へ踏み出しかけた脚が、何故かぴたりと止まる。

その隙に、杏子は振り返って走りだしてしまった。



TB「……そうか。 仲間、か……」



トウべえは硬直したまま、走り去っていく杏子の背中をぼんやりと見送った。



その胸で明滅する、小さな赤い光に――


まだ彼自身も、気が付かないまま。




――――――――――
 




――――――――――




杏子「……遅かったじゃん」



公園のベンチに腰掛けていた杏子は、手に持っていたお菓子のかけらを口に放り込むと、
身の丈ほどの槍を地面に突いて立ち上がった。

視線の先、公園の中程には、髪を2つに結んだ小さな女の子が立っている。


杏子「あんたが襲った場所に規則性は無さそうだったけど、共通点はあった」

杏子「その辺の建物の大きさとか配置が、みんなよく似てる……」

杏子「ある特定の場所を探してるんだって、すぐにわかったよ」
 


杏子が語りかける言葉に、少女は何の反応も示さない。
その表情は虚ろで、ただ何もない空間をぼんやりと眺めているだけだった。

しかし構わず、杏子は続ける。


杏子「いつか、ここにたどり着くと思ってた……」

杏子「……あたしとあんたが、初めて会った場所だね」


少女の体から、ぽたぽたと水滴が垂れる。
地面に黒い染みを作りながら、彼女の体は少しずつ溶け始めていた。

そしてその半分程度が、緑色のどろどろした液体に変わった時――


――地面の染みから、ガラスの両手が現れる。

 
 



杏子「言い訳するつもりなんかない。 許してもらおうなんて思っちゃいない」

杏子「それでも、あたしがあんたを止めてみせる」


地面から現れたガラスの人形は、少女の体を包み込むようにして、その胸についた蓋を閉めた。
内部が空洞になっている胸部に彼女を収納し、魔女はその長身をゆっくりと立ち上げる。

かろうじて少女の姿を保っていた緑色の液体は、そこで完全に形を失って波打った。



杏子「さあ……かかってこい!!」



槍を構えて吼える杏子に、『薬瓶の魔女』が襲いかかる。

魔女の方もガラスの槍を携えて、杏子を串刺しにするべく突進しながら突き出した。



杏子「……っ!」


杏子は自身の槍を縦に構え、相手のそれに思いきりぶつけた。

魔女の槍は行き先をずらされ、そのまま地面へと突き刺さる。
彼女が体の自由を失うその一瞬を、杏子は逃さなかった。


杏子「……うらあっ!」

魔女『――ッ!』



間髪入れず、杏子の蹴りが魔女を襲う。


しかしそれよりもほんの少しだけ速く―― 魔女は動き出していた。

 
 


彼女は地面に刺さった槍に全体重をかけ、腕の力だけを使ってふわりと体を持ち上げる。
槍の上に逆立ちしたような体勢の魔女の下で、杏子の脚が空を切った。


杏子「なっ……!」

魔女『…………』


魔女はそれを一瞥すると、槍のしなりを利用して空中へ飛び上がった。
そのまま一回転し、杏子の背後に音もなく着地する。


杏子「……嘘だろ……!」


杏子は勢い良く振り返りながら、槍を自分の前に構え直そうとした。

しかし体勢を立て直す前に、ガラスの靴底が飛んでくる。



杏子「がっ……!」


杏子は悲鳴をあげる間もなく、地面を転がりながら吹き飛んでいった。

強烈な蹴りを食らった背中は服がやぶれ、血がしたたっている。


杏子「あ……うう……」


杏子は痛みに耐えながら体を起こして、魔女の方へ視線を合わせた。
ぼやける視界の中で、魔女が再び槍を構えているのが見える。


そして彼女は、もう一度杏子に向かって突進しはじめた。

杏子はそれに気付いていながら、一瞬動けずに固まってしまう。



杏子「……っ!」



彼女が呆けていたのはほんの短い時間だったが、魔女が距離を詰めるには十分な間だ。


直後、座り込んだ杏子の胸に、ガラスの槍が勢いよく突き刺さる。
 


杏子の体を突き抜けた槍は、そのまま地面にまで到達していた。
透明な柄は正確に心臓を貫き、彼女はすでにぴくりとも動いてない。



しかし、その傷口からは…… 一滴の血も流れてはいなかった。



魔女『―――!』



幻惑の魔法―― それが杏子の最大の力だ。
それを上手く利用すれば、自分の分身を作ることなど造作も無い。



杏子「気づくのが遅いんだよ……!」


背後から聞こえた足音に、魔女はすぐさま振り返った。

しかし、地面から槍を抜いてガードするまでは――


――流石に間に合わない。



杏子「おらあああっ!!!」



全力で振り下ろされた槍が、魔女の頭部を粉々に打ち砕く。
 


首から上を完全に失った魔女は、ふらふらと2、3歩後退した。
それと同時に、体中に亀裂が走って行く。

そして亀裂が足の先まで達した瞬間、魔女は無数の破片となって散った。

内部に溜まっていた緑色の液体が、容器を失って落下する。



杏子「これで終わっ……てはいないよな、流石に」


杏子は油断なく槍を構えながら、じっと目の前の光景を観察した。


液体は地面にぶつかるすれすれで、ふわりと宙へ浮いている。
そしてその下にある影から、再びガラスの腕が現れた。



杏子(ん? これって……)


変身した時のように現れるガラスの騎士を眺めながら、ふと杏子の頭にある考えが浮かんでくる。



杏子(……まさか、『あれ』が本体なのか?)



彼女の目の前でガラスの鎧は砕け散り、欠片も残さず消えてしまった。
だが、中身の液体だけは未だに残されている――

――まるでその液体こそが、重要なものであるかのように。


杏子(それに確か、あいつが変身したのはガラス人形じゃなくて、あのヘドロの方だったよな……)
 


地面から上半身を現したガラスの人形は、その胸に着いた丸い蓋を開いていた。
そしてその穴から、胸にある中空の部分へ液体を収めようと動き始める。


杏子「……そうか!」


杏子ははっとした表情になると、次の瞬間には魔女に向かって走り出していた。


杏子(もしガラスの方がただの使い魔なら、いくらでも替えが効く)

杏子(そうだ、あいつは不死身の能力を持った魔女なんかじゃなくて――)



杏子(――使い魔に守られた、あの『中身』の方が魔女なんだ!)


完全に無力な魔女を、強力な使い魔が体内にかくまって行動する――

わかってしまえば簡単な仕掛けだが、さやかたちは彼女の変身の瞬間を見ていないから気が付かなかったのだろう。


杏子(それなら、チャンスは今しかない)


杏子は走りながら槍を振りかざし、その連結を解放する。
鎖で繋がれた多節棍の先端が、今は使い魔の外に出ている魔女の本体――緑色の液体へ向かって飛んで行く。


彼女が収納される前に倒すことができれば、もう復活されることは無い……


杏子「よし、行ける……!」
 


果たして彼女の武器は、ガラスの人形が蓋を閉める前に、魔女本体へと到達した。

鋭い切っ先が、緑の液体を勢い良く貫いていき……



……しかしそのまま、地面へと落下する。



杏子「え? 何で……うわっ!」


ガラスの腕が多節棍の先端を掴み、勢い良く振り回す。
杏子は武器ごと引っ張られ、空高く放り上げられた。



杏子(……あー、 そりゃそうか)

杏子(液体を斬れるわけないもんな……)


長い浮遊感を味わいながら、杏子は先ほどの敗因をぼんやりと考えていた。

いくらあの液体が本体だと言っても、不定形なそれを攻撃したところで意味は無い。
それですむのであれば、ほむらの矢が貫いた時点で勝っているだろう。


杏子(くそ…… いよいよもって無敵じゃん)


杏子は軽く舌打ちをして、下方の魔女をちらりと見た。
ガラスの人形は既に槍を構え、落下してくる杏子を待ち構えている。



杏子「一筋縄じゃいかない、か……」
 



杏子「……でもな!」


彼女は多節棍を槍に戻し、魔女に向かって思い切り振り下ろした。
その穂先は、同時に突き上げられたガラスの槍を弾き飛ばす。

反動を利用して魔女から離れ、杏子は再び槍を構えた。


杏子「このくらいで…… あたしが諦めると思うなよ」


杏子は魔女との距離を測りながら、胸についているソウルジェムに手を当てた。
そこから赤いぼんやりとした光が流れだし、煙のような動きで周囲に拡がっていく。


杏子(外側の使い魔はいくらでも呼び出せる、中身の魔女は斬っても突いても倒せない)

杏子(一見無敵だけど…… こいつにはおかしいところもある)



杏子(いくらでも使い魔を出せるなら、どうして一人で戦う? なぜ集団を作って攻めこまない?)


光の煙を纏いながら、杏子はその場で大きくジャンプした。
すると奇妙なことに、彼女がジャンプする前、さっきまで立っていた場所に――

――おかしな言い方だが、もう一人『彼女』が立っていた。


飛び上がってそばの電柱の上に着地する杏子と、そのまま地面に立ち尽くす杏子。

合わせて二人の杏子が、なぜか同時に存在している。



杏子(……その答えはひとつしかない。 あいつは使い魔を一体ずつしか出せないんだ)


杏子(あいつの弱点は、そこにある……)


二人の杏子は、それぞれが光の煙を纏ったままだった。

やがて二人の内、電柱の上に居るほうは隣の建物の屋根へ、もう片方は近くの舗装道路の上に飛び移る。
そしてやはり彼女たちが飛んでいった後、その立っていた場所にはもう一人の杏子が立っていた。


杏子(斬っても突いても倒せないなら、手足をもぎ取って動きを止めりゃあ良い)

杏子(ガラスの使い魔を”割らずに”無力化できれば、あいつは次が出せずに詰むんだからな……!)


杏子は次々と増えながら、次第に魔女を取り囲んでいく。

魔女は動揺したようにきょろきょろと首を振りながら、ただそれを見ていることしかできない。


杏子は最終的に6人の分身を作り上げ、その全員が魔女に向かって槍を構えた。


――ロッソ・ファンタズマ。


杏子の誇る究極の分身魔法は、彼女の師によってそう名付けられている。



杏子「……いわゆる奥の手、って奴?」

杏子「おかげで魔力はすっからかんだけど…… 次の一撃で決めてやる」

魔女『…………』


槍の穂先を魔女に向け、杏子は鋭く言い放つ。
その冷静な口調と表情が、彼女の覚悟を物語っていた。

魔女の方も既に落ち着きを取り戻し、最後の攻撃を静かに待ち構えている。



杏子「……行くぞ」



張り詰められた空気が、一瞬だけ緩む。

次の瞬間、杏子たちは魔女に向かって一斉に飛び出していった。



上下左右、正面に背後。
あらゆる方向から浴びせられる同時攻撃に、魔女には反応することすら許されない。

彼女は一瞬で手足を奪われ、自由を失った上で『中身』を引きずり出される――



――はずだった。




杏子「……え?」



飛びかかった直後、杏子は思わず目を疑った。

ガラスの人形は彼女を攻撃するでもなく、『中身』を守ろうとも、逃げ出そうともせず。



魔女『――――!』



自分の手で、自分の頭を叩き割ったのだ。
 


タイミングをはかっていたかのような素早い行動に、杏子たちは止まることもできずそのまま魔女へと突っ込む。
空中でぶつかり合う彼女たちの間を、緑色の液体がすり抜けて行く。


そして、魔女はそのまま落下を続け……


すでに下で待ち構えていた、新しい使い魔の中にぼちゃんと入った。



杏子「しまっ……!」




その瞬間、杏子の体全体に凄まじい衝撃が走る。


急速に遠ざかってゆく景色の端で、何体かの分身がばらばらになりながら舞っていた。
咄嗟に集めた分身たちは、ちゃんとクッションの役割を果たしていったようだ。


杏子(あー……でもやばいな、おい)

杏子(このまま、吹っ飛んでったら……)



しかしほとんど減速せずに飛んでいきながら、杏子はぼんやりと考える。

自分の背後には、確か倉庫の壁があったはず――




――そこまで思い至ったところで、彼女の意識は二度目の衝撃と共にぶつりと途絶えた。




――――――――――
 




――――――――――




杏子が眠っていた時間は、それほど長くはなかった。


元々戦うために魂を肉体から切り離したのが魔法少女なのだから、肉体的には多少無茶が効く。
脳に強い衝撃を受ければ意識が途切れることもあるが、長くてもせいぜい1分か2分ほどだろう。

しかし、たとえ数秒の空白でさえ許されない敵も、確かに存在する。


例えば、薬瓶の魔女――

彼女の前で1分も寝ていれば、二度と目が覚めることはないだろう。


杏子はそれを十分理解していたし、その上で戦った。

だから、再び意識を取り戻した時…… 杏子は自分の身に何が起こっているのか、一瞬理解できなかった。



杏子「う、ん……?」


目を覚ました杏子の体は、何か温かいものの上に乗っていた。
体全体が規則的に揺れていて……すぐに、自分が誰かに背負われているのに気が付く。


その背中に押し付けた鼻には、どこか病室を想起させる匂いが広がっていた。

彼女にとっては、既によく知っている匂いだ。


杏子「……トウべえ、か?」

TB「ん? やっと目が覚めたのかい?」

杏子「お前……なあ……」


普段通りの調子で返すトウべえの背中で、杏子は小さく溜息をついた。
 



杏子「何で来たんだよ…… いや、その前に」

杏子「あいつ…… 魔女は、どうなった?」

TB「どうもなってないよ。 さっきからずっと追いかけてきてる」


杏子を背負って走っているトウべえは、なんでもないことのようにそう言った。

だが敵が追っていて、彼らは走っている…… それはつまり、逃げている最中ということなのだろう。


杏子「…………」

TB「いくら君でも苦戦するだろうと思ったから、隠れ家を調査した後に走ってここまで来たんだけど」

TB「……そしたら君が吹き飛んで来てね。 しかも魔女がこっちに向かってきてたから、慌てて君を抱えて逃げ出したんだ」
 



TB「僕一人じゃ万が一にも勝ち目がないし……」

杏子「……それで、撒くこともできずに追いかけっこってわけか?」


本当に何をしに来たんだお前は、という言葉を飲み込んで、杏子は腕に力を込めた。
頭を上げて、トウべえの耳に口を近づける。

かなり傷めつけられてはいるが、それでも体を支えるのには十分のようだ。


杏子「ま、でも…… ここまで運んでもらって悪かったね」

杏子「だけどもういい。 ……そろそろ、この辺で降ろしてもらおうか」
 



TB「いや、それは無理だよ…… 今降ろしたら、君はすぐにまた彼女と戦うことになる」

杏子「だから言ってんだろ。 あいつはあんたにゃ荷が重すぎる」

TB「今の君だって、体力も魔力も底をついてるんじゃないのかい?」

杏子「自分の立場わかってんのか……? 万全のあんたより瀕死のあたしの方が、まだマシだっつってんの」

TB「……そう言われると、確かに言い返せないんだが」


トウべえは気まずそうに黙りこみ、しばらく考えこむ素振りを見せた。

しかしやがて顔を上げると、何かを決心したかのようにきっぱりと言う。



TB「それでも……やっぱりダメだ。 ここで君を一人にするわけにはいかない」



杏子「……あんたってさあ、こんなに聞き分け悪かったっけ?」

TB「この前の事件で考えが変わったんだ。 多少のわがままは許して欲しい」


事も無げに返すトウべえに、杏子は少し面食らう。

トウべえは流石に乱れ始めた息を整えてから、先ほどと変わらぬ調子で話し始めた。


TB「……そもそも、君が言い出したことじゃないか? 僕はそのおかげで気付いたっていうのに」

杏子「あたしが? 何のこと?」

TB「僕と別れた時、言っただろう…… 自分のせいで仲間を死なせたくない、と」

杏子「……それがどうかした?」

TB「君はなんでもないことみたいに言うけど…… 僕は結構ショックだったんだよ」



TB「君にとって……僕は仲間と呼べる存在なのか、ってね」
 


予想外の言葉に、杏子は再び言葉を失った。
しばしの沈黙の後、杏子は呆れたように問いかける。


杏子「お前……今までは何だと思ってたの?」

TB「さあ? 僕らと魔法少女が一緒に戦うなんて当たり前のことだったからね」

TB「その関係に意味があるなんて思ってもみなかった」

杏子「…………」

TB「それでちょっと考えたんだ。 君が僕の相談に乗ってくれたのも、そういうことなんじゃないかって」

杏子「相談って、もしかしてさやかのことか?」

TB「そうだよ。 君のおかげで随分助かったんだから」

杏子「……お前まさか、そんなどうでもいいことのために――」


TB「――どうでもよくないよ」


何気ない一言だったが、そこにはトウべえが今まで一度も見せたことのない感情がこもっていた。
杏子は遮られた言葉の先を言うことが出来ず、代わりに溜息をつく。



TB「……こうやって感情を表せるのも、君のおかげだ」

TB「人間にとっては普通のことでも、僕らにとっては一大事なんだよ」

杏子「…………」

TB「……杏子。 僕はあの時、嬉しかったよ」

TB「そして君に、教えられたんだ」

TB「仲間っていうのは、そうやって困っている時に助けてくれるものなんだって」

杏子「……トウべえ」



TB「だから…… 君が僕を仲間だと言ってくれるなら、僕も君の助けになりたい」



杏子の腕の中で、トウべえの体が変化し始める。

服装が少しづつ形を変えて…… しかし白いマントではなく、臙脂色の、裾の長い服になっていく。
それはどこか、聖職者が着ているような服装にも見えた。



杏子『……お前、まさか……っ!?』


彼に話しかけようとして、杏子は強い違和感に襲われた。

さっきまでの会話とは何かが違う。
どこか別の場所――例えば劇場か何かで話しているような、奇妙な感覚。


杏子『声が…… 二重になってる?』


トウべえは少しづつ歩をゆるめて立ち止まり、やがて杏子を背中から降ろした。


……彼女の体についた無数の外傷は、いつのまにかその半分ほどが治りかけている。

そしてなぜか、それと全く同じ程度の傷がトウべえの体にも付いていた。



TB『これはたぶん、五感、そして体の状態の共有ってことなんだろうね……』

TB『……僕の傷が治れば、君の傷も治る。 これで、君はもう一度戦えるはずだ』


体のあちこちから血を滴らせながら、トウべえは小さく微笑んだ。

その視界の端には、彼自身の姿が映った四角い枠が見えている。
杏子の目にも、呆然としている彼女自身の顔が見えていることだろう。


TB『……さっき、どうして僕がここまで来たのかって、君は聞いたね』

杏子『え? あ……』



TB『そんなの決まってるじゃないか。 ……仲間を死なせたくないからさ』



感覚と傷を共有し、一緒に治していく―― 守るのではなく、共に戦うための魔法。


――『共有魔法』。 


それが、新しい感情と共に生まれた、もう一つの魔法だった。
 


杏子はしばらく呆然と彼を見ていたが、やがて根負けしたように笑い出す。


杏子『ぷっ……あっははは! ここまでするか普通…… 固有魔法2つとか、そんなの有りかよ?』

TB『奇跡を起こすのは無理なんだから、それくらい許されたって良いだろう?』

杏子『はー……そんなもん? まあいっか』

TB『……それより、僕はまだ君の意思を聞いてないんだけど』

杏子『はいはい、わかったわかった…… 言えば良いんだろ言えば』



期待するように見つめるトウべえに呆れながら、杏子は少し照れくさそうに言った。


その力で、人を傷つけた時から……いつのまにか言わなくなっていた、その言葉を。




杏子『……あたしと一緒に戦ってくれ、トウべえ』




――――――――――

ごめん、書き溜めしてたわ(´・ω・`)




――――――――――




魔女『―――!』



点々と続く血痕を追いかけてきた魔女は、少し開けた場所に出たところで足を止めた。
そこはまばらな林と廃墟に囲まれていて、ちょうど袋小路のようになっている。

逃げ場の無い空き地の真ん中には、槍を担いだ杏子が立っていた。


杏子「……来たな」


魔女は武器を構えて少しづつ距離を詰めながら、辺りをきょろきょろ見回した。
ざっと見た限りでは杏子以外に誰もいないが、廃墟や林の中には何が潜んでいるとも限らない。


杏子「そっちからも見えてるな? ……うん、わりといい感じ」

杏子「……よし。 それじゃ、予定通りに行くよ」


杏子は魔女をじっと見つめたまま、姿の見えない何者かと会話をしていた。

繋がっている聴覚を通してトウべえと話しているだけだが、魔女にはそんなことがわかるはずもない。
彼女はますます警戒を強め、杏子から一定の距離を保ったまま立ち止まる。

それを見た杏子は、薄く笑って魔女を挑発する。


杏子「どうした? ここまで追ってきておいて、今更諦めて帰るつもり?」

魔女『…………』


魔女は槍を真っ直ぐに構え、杏子を見据えた。

ここから先は動かない、ということらしい。



杏子「…………」


杏子は視線を落として、自分のソウルジェムを確認する。
分身を出し過ぎたせいかかなり濁っていて、ほとんど魔力は残っていないようだ。

トウべえと共有できるのは体の状態までであり、魔力までは回復することができない。

大規模な幻覚を使ってこない時点で、魔女にもそのことを悟られているのだろう。


杏子「だから、こんな罠には飛び込んできませんよってか?」



杏子「……ならこれでどうだっ!!」



杏子は槍を大きく振り回すと同時に、その連結部分を解放した。


魔女の槍よりもずっと射程の広い多節棍が、生きているかのように正確な動きで魔女に襲いかかる。



魔女『………!』
 


魔女は槍で多節棍の先端を弾き返し、直後に地面を蹴った。
猛烈な勢いで突進し、一気に杏子との距離を詰める。

この一撃で杏子を仕留められれば、もう一人の襲撃にも対応できる可能性が高い。
多節棍をかわし続けるよりも、その方が良いと判断したのだろう。


……つまり、最後の勝負を仕掛けてきたのだ。



杏子「! ……そうだ、来いっ!」


もちろん、杏子もそれを狙っていた。


多節棍を元の槍に戻しながら、後ろ向きにステップを踏む。

数歩下がったところで、彼女は魔女を迎え撃つべく槍を構えた。



杏子「……うらああああっ!!」


魔女『――ッ!!』



先に仕掛けたのは、杏子の方だった。


魔女は全力で突き出される槍をかわしながら、カウンターで自らの槍を打ち込む――


――と、杏子は思っていたのだろう。



実際、魔女はそうするつもりだった。
しかし、杏子と魔女の距離がぎりぎりまで縮まったその瞬間。


魔女は杏子の瞳の中に、自分の姿と…… その背後に迫る、白い人影を捉えていた。



魔女『……!』


それは彼女が透明だからこそ、気付くことができた奇襲だった。


前方の林でも、側面の廃墟でもなく―― 背後の道に、彼は潜んでいたのだ。
おそらく、道の途中から追跡してきていたのだろう。

前にばかり目を向けていた魔女にとって、それは避けようのない攻撃となったかもしれない。


だが、魔女は偶然にもそれに気付いてしまった。


そして彼女は立ち止まるのをやめ、そのまま杏子に向かって突っ込んでいった。



杏子「……なっ!?」


杏子は相手の予想外な動きに驚愕しながらも、魔女の腰目掛けて槍を突き出した。
魔女は軽く腰をひねってそれを避け、さらに加速する。


本来ならば、魔女が突っ込んでくることはありえないはずだった。
槍という武器の問題で、そこまで距離を詰めれば自分の攻撃も不可能になるからだ。

しかし、魔女は立ち止まらない。


それはもちろん…… 背後に迫る、トウべえの攻撃を避けるために。



TB「……っ!」


魔女に後ろから飛びかかったトウべえは、白い大きめの十字架を振り上げていた。
それが、新しい姿となった彼の武器なのだろう。


しかし、魔女目掛けてまるで鈍器のように振り下ろされたそれは―― 予想に反して減速しなかった魔女に、かすりもしなかった。



杏子「こいつ気付いて……うあっ!」


魔女は加速したまま杏子に体当たりして、彼女を林の方へと吹き飛ばした。
そして今度こそ急停止しながら、トウべえの方を振り返る。



もちろん、彼に逃げる余裕などあるはずもない。



TB「これで……終わりかな」



次の瞬間。



トウべえの腹を、ガラスの槍が貫通していた。

 
 



TB「ぐっ……がはっ」


口から吐き出された鮮血が、魔女の腕にぼたぼたと垂れる。
彼は青い手袋のはめられた手で槍を掴んだが、血で滑って引き抜くこともできない。


……いつのまにか、トウべえは赤い聖職者の姿から、前の青い騎士のような服装に戻っていた。

腹に開いた風穴まで杏子と共有しないよう、刺される直前に切り替えたのだろう。


TB「う……」

魔女『…………』


やがて気を失ったのか動かなくなったトウべえを、魔女はじっと見つめた。
目鼻のないガラスの球体で出来たその顔には、当然何の表情も浮かんではいない。

しかし、その仕草と雰囲気からは…… 何か、悲しみのようなものが表れていた。



杏子「……くそっ、またかよ」


しばらくして聞こえてきた声に、魔女はゆっくりと振り返った。

その先では、二度目の気絶から目覚めた杏子がなんとか立ち上がろうとしている。
やがて彼女は串刺しになった仲間を発見し、目を見開いて硬直した。


杏子「!  ……トウ、べえ」


魔女が無造作に槍を振り回すと、先端に刺さっていたトウべえは軽々と吹き飛んでいく。

そしてそのまま廃墟の壁に激突し、赤い線を描きながら落下した。


杏子「トウべえ! くっそ……!」



杏子「おい、しっかりしろ! ったく、あたしに気を遣う暇があるなら逃げろっての……」


杏子が駆け寄って抱き起こすと、彼は大量の血を吐き出しながらも、なんとか意識を取り戻した。
彼女は解いたリボンに魔法をかけて、応急処置をし始める。

その間も、魔女は槍を構えたまま動こうとしない。


TB「うっ!? あ……う」

杏子「こら、おとなしくしてな。 血さえ止めときゃ、あんたなら多分死なないでしょ」


TB「う……そう、じゃなくてっ……げほっ! ……魔女、は」

杏子「……わかってるよ」



やがて杏子は立ち上がり、魔女が攻撃をしかけてこない理由に気がついた。

魔女は、杏子が槍を拾うのを待っていた。



杏子「……ふん、舐められたもんだね」


その行動にどういう意味があったのかは、魔女にしかわからない。
単にフェアな勝負をしたかったのかもしれないし、仲間に駆け寄る杏子に何らかの感情を抱いたのかもしれない。

だが何にせよ、それは杏子にとって非常に有利な気遣いであったはずだ。


それでも―― 杏子は槍を拾わず、軽く足で蹴って遠ざけた。



杏子「要らねーよ、武器なんか」



魔女は槍を構え直して、不敵に笑う杏子を睨みつける。


彼女たちはお互いに、自らが不利益を被るかもしれない行動をとった。
しかし杏子はそれを笑い飛ばし、魔女は烈火のごとく怒っていた。

あるいは、その理由こそが…… 魔女が魔女となった、原因なのかもしれない。


だが、今の彼女にそんなことはわからない。

わからないまま、彼女は激しい感情を杏子に向けていた。



そんな彼女に対して、杏子は最後の一押しをする。



杏子「どうした木偶の坊? ……さっさとかかってきな!」



その瞬間、魔女は杏子めがけて弾丸のように飛び出していった。

低く構えた槍の穂先は彼女の心臓にぴたりと向けられ、その突進には一切の迷いがない。
このまま行けば、杏子は確実にトウべえの二の舞いになる――


――それなのに、彼女は逃げなかった。


避けようともしない。


その殺意さえも受け止めようと言わんばかりに、両手を広げて立っている。



魔女『―――ッ!!!』



魔女が何かを叫びながら、全力をもって槍を出す。
それは杏子の胸に向かって一直線に突き進む。


そして――




――彼女を貫く直前で、それは止まった。 




杏子の右手が、しっかりと掴んで止めていた。

 
 



魔女『……――!?』


杏子は足で地面を削りながら後退し、地面に寝転がっているトウべえの目の前でようやく止まる。
それでも、槍の先端は空中でぴたりと静止していた。

彼女は右腕一本の力で、魔女の突進を止めたのだ。


杏子「……やっぱ中身が無いとダメだな。 全然力が入ってない」

杏子「これなら、武器なんか使うまでも無いね……!」


魔女は慌てて槍を引っ張るが、杏子に掴まれたそれはびくともしない。
押しても引いても、何度試しても意味がなかった。

何かの仕掛けが使われているわけではない。 ただ単純に、彼女は力負けしていた。


杏子はそんな彼女を見て、ふんっ、と鼻を鳴らしてみせる。


杏子「おいおい…… まだ気が付かないのか?」



杏子「……大事なものが無くなってるってことにさ」



魔女『? ……!? ――?』


魔女はきょろきょろと周りを見回したが、特に何も見当たらない。
そこには戦闘不能のトウべえと、ぼろぼろの杏子と…… 無力な彼女が居るだけだった。


杏子「すっからかんのとこを無理して使ったもんだから、どうなることかと思ってたけど」

杏子「けっこう上手く行ってたね。 ……ほらよ」


杏子が左手で指を鳴らすと、それまで魔女にかかっていた幻覚の魔法が晴れていく。
それは彼女の言うとおり、不安定で弱々しい魔法だったが……

魔女の目から、あるものを隠すのには十分だった。



魔女『……ッ!』


魔女―― もといガラスの使い魔の視界に、魔法で隠されていたものが現れる。



それは、地面に横たわる小さな少女だった。



その体のあちこちには、緑色の液体が付着している。
しかしそれも少しずつ、彼女の体の中へ消えていく。


誰がどう見ても…… その子は『魔女』の『本体』だ。



杏子「地面にこぼれ落ちた時は液体状だったけど、だんだん戻っていって安心したよ……」

杏子「……また助けられなかったなんて、冗談にもならないし」

使い魔『!? ――!?』

杏子「狼狽えんなって。 あんたが自分でこぼしたんでしょ……その『穴』からさ」


そう言われて、使い魔は自分の体に、杏子の魔法によって隠されていたものがもう一つあるのに気がついた。


それは、背中の下の方に開いた大きな穴だった。

魔女はいつのまにか開けられていたその穴から、さっきの突進の勢いでこぼれ落ちてしまったのだろう。


使い魔『………!』


杏子が使い魔の槍から手をはなすと、彼女は無様に尻もちをついた。
それを無視して、杏子は近くに落ちていた自分の槍を拾い上げる。


杏子が槍をかざすと、その先端部分だけが折れ曲がってぶら下がった。
鎖で残りの部分と繋がっていて、まるで穂先だけを多節棍に変形させた……という感じだ。

壊れたようになってしまった槍を放り投げ、杏子は不敵ににやりと笑う。


杏子「あいつが殴ったのはこっちの方さ。 あんたじゃないんだよ、最初から」


たとえ背後からの攻撃であっても、この魔女ならば避けられるかもしれない。
だから杏子が槍の先端だけを開放し、トウべえが殴り飛ばして気付かれない内に穴を開ける。

そしてそれを幻覚で隠し、自滅を誘う……


杏子だからこそ、二人だからこそできる、あまりにも強引な戦法だった。



杏子「あたしの魔法は幻惑……」

杏子「……仲間と一緒に戦うのには、誰よりも向いてる力なんだよ」
 



使い魔『――――!』


主を失った使い魔が、奇妙な咆哮を発しながら杏子に飛びかかる。

守るべき存在がこぼれ落ちていくのにも気が付かず、思い込みだけで戦い続け、
結果全てを失った……空虚なガラスの人形。

杏子はその姿を鼻で笑うと、彼女の突進をするりと避けた。


杏子「……バカだな、あんたは。 大バカだよ」


そしてそのまま踊るように回転し、大きく足を振り上げる。



彼女の靴の踵が、こつんという音を立てて使い魔の体に触れる。


使い魔『………!』



杏子「一人ぼっちのあんたが……あたしたちに勝てるわけねーだろ」



全力で振り下ろされた足に踏み潰され、ガラスの使い魔はあっけなく砕け散ってしまった。




………………
…………
……



………………



杏子「悪かったね…… 遅く、なって」


杏子は地面に倒れたままの少女に歩み寄り、その小さな体を抱き起こしながらつぶやいた。
まだ意識は無いようだが、優しく抱きしめると心臓の鼓動がかすかに伝わってくる。

彼女の無事を確認して、杏子はほっと息をついた。


杏子「……辛かったな。 こんなチビなのに……」

杏子「……ずっと1人で、戦ってきたんだもんな」


少女を再び地面に寝かせ、そのかすかに濡れている柔らかな髪に指先を近づける。
途中で手が震えていることに気が付きながらも、杏子はそのまま、優しく彼女を撫でた。


杏子「……寂しい、よなあ…… 誰も……居ないってさ」

杏子「ごめん…… わかって、た……のに……」


一瞬、視界が白いもやに覆われる。


そして目も耳も、肌の感覚さえ…… 痺れたように静かになっていく。



杏子「……?」


次に目が見えるようになった時、彼女の視界は90度回転していた。
頬にあたる冷たいアスファルトの感覚から、杏子は自分が横になって倒れていることに気がつく。

おそらくは、ほんの数秒…… 意識が飛んでいたのだろう。


杏子(あ…… そうか)


起き上がろうとしても、体にほとんど力が入らない。

まるでソウルジェムと肉体が繋がっていないかのように、一切動くことができなかった。



杏子(……もう限界ってか?)

杏子(体力も、魔力も…… 流石に、無茶し過ぎたかな……)


戦闘のために魂を切り離した彼女たちは、本当に限界まで動き続けることができる。
だがそれは、真の限界が来るまで止まることができないということでもあった。

動けなくなるほど消耗する時が来るとすれば……それは唐突なものだろう。


杏子(予想はしてたけど、本当に…… いきなり、だな)

杏子(でも、こうなったってことは……)


杏子(……もう、終わりなんだ。 あっけないな……)



そして薄れゆく意識の中、杏子はゆっくりと瞼を閉じた。



だが、程なくして――



――地面にあてた方の耳に、足音が響き始める。



杏子(……? 誰だ……こんな、辺鄙な場所に)


足音は少しずつ、本当に少しずつ大きくなっていく。
そしてそれと同時に…… もう片方の耳へ、聞き慣れた声が届いていた。
 



杏子(ああ……そっか、そりゃそうだ……)


その時になって、彼女はようやく思い出す。

このたった数ヶ月の間に起こった、一つの変化のこと。
すべてを失ったと思っていた自分に、唯一残されていたもの――



杏子(……もう、ひとりじゃないんだもんな)



彼女は満足そうに微笑みながら、今日で三度目の―― ただし今度は短くない、眠りについた。



――――――――――
 




――――――――――




杏子『……しかしまあ、いい加減うんざりしてきたね。 あいつとの小競り合いも』



薬瓶の魔女との戦いから三日後。

魔法少女たちは、三日前の調査でもついに見つからなかった事件の元凶――
大河あいを探して、再び町外れの廃墟へと足を運んでいた。

前回とはまた別の場所で、目撃者が現れたためだ。
 



杏子『こそこそ隠れまわりやがって、探しまわるこっちの身にもなれっての』

TB「案外人手と時間が要るものだしね。 今はほむらも居ないし」


荒れた建物の中を見回しながら、トウべえは離れた場所にいる杏子に返事をする。
赤い服装と十字架から、テレパシーではなく聴覚の共有を通して話しているようだ。


杏子『……そういえばそうだな。 あいつどこに行ってんの?』

TB「知らなかったのかい? マミが伝えたものかと思ってたけど」

杏子『あー、最近マミから逃げまわってたからなあ……』



TB「……どうしてまた」

杏子『だって説教がうるさいんだもん。 この前の事件からずーっと』

TB「それだけ心配だったのさ。 マミは仲間思いだからね」

TB「クリスマスの時だって、僕も随分叱られたものだよ……」


言いながら、トウべえは自分の頬が緩んでいることに気がついた。
彼自身もそれを意外に感じながら、それでも自然に受け入れる。

クリスマスからの経験が、自分に何を与えているのか…… それをだんだんに理解してきているのだろう。


共有した視覚からは相手の顔を見ることができないので、杏子はそのことに気が付かない。
お互い特に何かを言うでもなく、そのまま会話が続いた。


杏子『ふん、まあね。 ……で? この忙しい時に、あいつはどこ行ってんの?』

TB「あすなろ市だよ。 キュゥべえに頼まれてね」

杏子『へえ……何で?』

TB「何でも、向こうの魔法少女チーム……プレイアデス聖団、と言ったかな?」

TB「彼女たちと連絡がとれなくなっていたらしくてね」

杏子『連絡がとれない? 向こうのキュゥべえも居ないってこと?』

TB「うん。 ……あいは元々あそこを担当していた人型インキュベーターだし、関係している可能性が高い」

杏子『そっか…… そりゃきな臭い話だな』


ふと、杏子の視界が動かなくなる。
下の方に指先が見えることから、立ち止まって何かを考えこんでいるようだった。


TB「……? どうかしたかい?」

杏子『いや……なんか気になってさ』

TB「何が?」

杏子『……今日の調査ってさ、メイドをこの辺で見かけたって情報が入ったから来たんだよね』

TB「そうだけど……」

杏子『その情報持ってきたのって、誰だっけ?』

TB「確か、キュゥべえだね」

杏子『そう、か……』


杏子は黙りこみ、何かを考えこむ。


しばらくして、彼女の視界が小さく左右に揺れた。
溜息の音と共に、再び景色が動き始める。


杏子『……いや、考え過ぎだな』

TB「どうしたんだい?」

杏子『なんでもねーよ。 ……ん?』

杏子『そういえば……あんた、今どの辺に居るの?』


トウべえが詳しい場所を教えると、杏子は感心したような声をあげた。


杏子『へえ……そんな遠くに居るのに、まだ切れないんだこれ』

TB「この魔法かい? それは、このアンテナがあるからね。 普通のテレパシーより長い距離で使えるよ」

杏子『……その十字架、アンテナだったんだ』



杏子『あんたってまともな武器ないの? ……って、そんなことより』

杏子『その辺まで来てるってことは、周りに誰かが入ってくることなんてめったに無いはずだな?』

TB「ん、そうだね……」

杏子『……じゃあ、それ何よ?』


トウべえが辺りを見回すと、近くにお菓子の袋が落ちているのを見つけた。
拾って確認すると、どうやら最近発売されたもののようだ。



杏子『ふーん……案外間抜けだな、あいつも』

TB「……僕一人で、なんとかなるかな?」

杏子『足止めだけすれば十分。 さやかとマミに連絡したら、あたしもすぐそっちに向かうから』

TB「わかった、頼むよ杏子」


トウべえは十字架を肩に担ぎ、建物の奥に向かって駈け出した。

右耳でコール音が響き始め、すぐに途切れてマミの返事が聞こえる。
杏子とマミの会話を聞きながら、トウべえ自身はなるべく音を立てずに建物内を走り回っていく。



杏子『さっさと出ろよさやかの野郎…… あっ!』

TB「……!」


彼らの目的は、意外と早く見つかった。

それはマミへの連絡を終え、二度目のコール音が鳴っている最中に、視界の中に現れた。
荒れ果てた廃墟の中には不釣り合いな、メイド服姿の少女が通路の途中に立っている。

トウべえが立ち止まると、彼女はゆっくり振り返った。



あい「あら、立花くんか。 久しぶり、思ったより早かったね……」

あい「……あの子は結構いい線いったと思ったのにな」
 


右耳にコール音を聞きながら、トウべえは十字架に手をかけて身構えた。


TB「あの子っていうのは、この前の魔女のことかい?」

あい「そうだよ。 ちっちゃい子の割に苦労しててね、久々にいい感じの子だったな……」

TB「……彼女ならもう元に戻したよ」

あい「だろうね。 戦ってみてどうだった? 可愛く仕上がってたでしょ?」


杏子が小さく舌を打つのが聞こえる。
あいの態度に対してなのか、なかなか電話に出ないさやかに対してなのか、かなり苛立っているようだ。

やがて、杏子の視界が大きく揺れ始める。


杏子『……悪い、あの馬鹿はあたしが直接迎えに行く。 コール音は邪魔か?』

TB「いや、良いよ。 かけたままにしといてくれ」


あい「……あ。 それって佐倉ちゃんと話してるんでしょ? 知ってるよー」

TB「……見てたのかい?」

あい「まあね。 キュゥべえの個体のジャックだよ、君も使ってたよね」

TB「なるほど。 それじゃあ、このままおとなしく待っていてはくれないか……」


トウべえが十字架を構えると、あいは楽しそうに笑いながら言った。


あい「あははっ、そんな心配しなくて良いよ? お話したいならいくらでも付き合ったげる」



TB「……余裕だね? 僕ならすぐに叩き潰せると?」

あい「巴ちゃんや佐倉ちゃんが他の所からこっちに来るまで、たぶん数分はかかるでしょ? それならすぐに用は済むよ」

TB「用?」

あい「うん、立花くんとお喋りできる機会があったら話しとこうって思ってたんだけどね」



あい「ねえ? ……君は魔法少女たちが憎くないの?」

 
 


右耳から聞こえ続けるコール音は、未だに鳴り止まない。
杏子の視界は揺れ続け、口元から荒い息遣いが聞こえてくる。


TB「……僕が? どうしてそんなことを聞くんだい」

あい「不思議だからだよ。 君はそうやって変身できる、魔法も使える…… 強い感情を獲得した個体だよね?」

あい「それなのに、なぜ魔法少女たちの味方なんてするの? キュゥべえの手下なんかやってるの?」

TB「何だか、前にもそんなことを聞かれた気がするけど……」

TB「……正直わからないね。 そもそも、僕には彼女たちを憎む理由なんて無いんだから」

あい「そっか……」


あいはつまらなそうに髪を弄りながら、しばらく黙っていた。

やがてトウべえから視線をそらすと、昔のことを思い出しているように、何もない空中をじっと見つめて話し始めた。


あい「……ボクにはあるよ。 皆を憎む理由が」



TB「それは…… あすなろ市の魔法少女のことかい? 魔女を作ったという……」


あい「よく知ってるね? ……彼女はボクの大切な人で……それをあいつらが奪った」


あい「確かに、彼女は魔法少女の敵だったよ。 殺されても仕方ないかもしれない」

あい「でもそんなことは関係無いんだ。 ……それくらいは、君にだってわかるでしょ?」

TB「…………」

あい「……君は悲しくないの? ボクらは人間の偽物、魔法少女の代用品だ」

あい「勝手に作られ、勝手に与えられ、そして勝手に奪われていく……」

あい「魔法少女たちは良いよね。 自分で選んで、その代償を払うことができるんだから」

あい「でもボクたちにそんな権利は無い。 だから魔法少女たちも、インキュベーターも、みんなみんな憎いんだ」


あい「……いっそ、こんな感情なんて無い方が幸せだったのかもしれないね」


トウべえはあいの話を黙って聞いていたが、彼女がそう言ったところで口を開いた。


TB「僕も……そう思ったことはあるよ」

TB「感情なんて、僕らが持とうと思うほうが間違いなんだと」

あい「へえ? そうなんだ」

TB「でも、今は思わない。 ……そのおかげで、価値あるものを得ることが出来た」

TB「好きな人も、友人も…… 無かったほうが良いなんて、今は思えない」


あいはそれを聞くと、彼に視線を戻してにやにやと笑った。

見ているだけで気分が悪くなりそうなほど、歪んだ笑みだった。



あい「……それはね? 君が、奪われたことがないから言えるんだよ」
 


トウべえの背筋に、冷たいものが走る。
わけもなく体が震え、根拠のない不安が彼を襲った。

いや、本当はその理由をわかっているのかもしれない。

先ほどよりずっと感じている不安から、あまりの恐怖に目をそらしていただけかもしれない。


あい「ああ、そうだ。 佐倉ちゃんの様子はどう?」

TB「……何がだい?」

あい「いや、さっき話してたじゃない。 もう、美樹ちゃんの所に着く頃かな?」

TB「っ!!」


彼の体が、びくっと跳ねる。
杏子も驚いているのか、何度か瞬きしているのが見えた。



TB「……なぜ、そう思うのかな」


努めて冷静を装いながら、トウべえは彼女の言葉の意味を探る。

しかし、あいは事も無げに言った。


あい「え? だって……美樹ちゃんと連絡がとれないんでしょ?」


TB「なっ……」

あい「あは、はははっ! 立花くん、まさかわかってないわけじゃないよね?」

あい「小さい子を魔女にするとさあ、暴走しちゃうんだけど…… そうしたら、ボクはその間好きなことできるんだよね」


あい「……あの子は陽動なんだよ? ボクが目当ての魔女を作るための」



杏子『こいつ、まさか……!』

TB「…………」


あいの言葉も、杏子の声も、既にトウべえには聞こえていなかった。
目の前の敵にすら、彼の意識は向けられていない。

トウべえはただひたすら、端の方に映っている杏子の視界に集中していた。


杏子『……あそこか。 間に合えよ……』


その中に、やがてさやかが向かっていた建物が見えてくる。

杏子は躊躇いなく窓を蹴り壊して中に飛び込んだ。
すぐ近くの部屋に入ると、その奥の窓際に制服姿の少女が立っている。


TB「あ……」

杏子『さやかっ!?』


さやかはぼんやりと立ち尽くしているが、遠目に見ても大きな怪我はしていないようだ。
杏子の鼻を通じて嗅いだ空気の中にも、血の匂いは一切混じっていない。

トウべえはそのことに安堵したのか、その場に膝をついて座り込んでしまった。

元々白い顔はさらに青くなり、頭から水を浴びたかのようにびっしょりと冷や汗をかいている。


杏子『……無事か。 おい、何で電話出ないんだよ!?』


杏子の方も安心したように溜息をつき、怒りを含んだ口調で詰め寄っていく。
だが、さやかはこちらを見向きもせず、ただ窓の外を見つめているだけだ。



杏子『聞いてんのか? おいさや……か……』

杏子『……あ? これって……』


そこでふと、杏子とトウべえはある違和感に気がついた。

さやかを見つけた時点で耳から下ろした携帯電話からは、未だにコール音が鳴り続けている。
しかしその無機質な電子音声は、二重になって聞こえていた。


片方は当然、杏子が右手に持った携帯電話から。


もう片方は、さやかの…… ポケットから。



杏子『……さやか!? お前……っ!』


急いで彼女の前にまわった杏子は、思わず言葉を失った。
そして恐る恐る、その頬に手を伸ばしてみる。


こつん、と。


何か、硬いもの同士がぶつかる音がした。

それは、杏子の爪が、さやかの頬に触れた音だった。




杏子『さや……か……?』



彼女は、止まっていた。


窓の外に何かを見て、驚いたような表情のまま。

その髪も、肌も、目も、何もかもが―― ぴたりと、固まっていた。
 



杏子『なんだよ、これ……』


杏子が伸ばした指先が、さやかの前髪に触れた。

髪はそのまま皮を突き破り―― 小さな赤い滴が、杏子とトウべえの指先を伝って落ちる。


あい「……それはね、時間系の魔法ってやつだよ」

あい「魔法少女でも魔女でも、それが使える子は珍しくってね。 その素質がある子を探すのに苦労したんだ」

あい「相手に流れる時間を停止させて、コチコチの石像みたいにしちゃう魔法……」

あい「……すごいでしょ? 生きたまま標本にできるんだ。 魔法少女たちをね」



そこまで話したところで、トウべえはようやく顔を上げ、あいに視線を向けた。

彼女の顔を見た。


笑っていた。



トウべえの中で、何かが切れる音がした。

 
 



杏子『っ! おいトウべえ、ちょっと落ち着――』


杏子の声が途中で途切れる。

トウべえの服装は青い騎士のようなものに変化し、十字架は白い鞘へと置き換わっていた。
杏子を気遣ったからだとか、そういう理由があるわけではない。

ただ、単純な戦闘能力ならば青い姿の方が強い。 だから、相手を叩き潰すのに向いている。


それだけだ。


TB「…………」

あい「……ぷっ、はは、あはっ」


二人共、何も喋らなかった。

彼女はおかしそうに笑い、彼は無表情のまま鞘を構える。



あい「あはは……ははっ。 はっはっはっ……あー」


トウべえの頭には、あいがまだ魔女を所有しているかもとか、マミの到着を待つべきだとか、そういった考えは一切なかった。
冷徹なインキュベーターには本来ありえないことだが…… ほとんど思考能力を失っていたと言ってもいい。

彼はただ、目の前のあいを排除することだけを考えていた。



つまりトウべえは、生まれて初めて――激昂していたのだ。



あい「ぎゃはははははははははっ!!!」



トウべえの足が、地面を砕かんばかりの勢いで蹴る。



命よりも大事なものを奪われた、その復讐のために。




――――――――――
 



エピローグ
――――――――――




ほむら「はあっ……はあっ……」



どうして、こうなるのだろう。

全ては終わったはずなのに。


ほむら「はあっ…… ぐっ、うう……」


痛む脇腹を押さえながら、私は何度も考える。
まどかのこと。 魔女のこと。


背後に迫る、敵のこと。



ほむら「いい加減……しつこい……わね……!」


追ってきているのは、二体の異形。
人の口を持つ巨大な球体と、悪趣味なデザインのテディベア……

どこか荘厳な雰囲気すらある魔獣とは、真逆の見た目を持つ化物だ。

だが私にとっては、ある意味懐かしい存在でもある。


――魔女。


この前も遭遇したばかりだが、やはり結界を張らないこと以外は私の知っているものと何も変わらない。
とびっきりの悪夢から引きずりだしてきたようなデタラメな風貌も、その飽くなき凶暴性も。

今立ち止まれば、脇にかかえている少女共々、私は死ぬだろう。



少女「君……名前……は……?」


突然、彼女が口を開いた。

ぐったりとして顔を上げることすら出来ないようだが、意識は取り戻したようだ。


ほむら「……暁美、ほむらよ」


簡潔に答えると、彼女はほんの少しだけ首を傾け、私に虚ろな視線を向けてくる。
そして納得したように相槌を打つと、再び目を閉じてうなだれた。

私は彼女の顔に一切見覚えはないが、向こうはどうやら違うらしい。


少女「アケミホムラ…… そっか……あの見滝原、最強の……」



ほむら「……誰がそんなことを言ったのか知らないけれど、妙な期待はしないで欲しいわね」

少女「いや……魔女にされた私を、助けてくれたんでしょ君は? ……それなら、結構期待」

ほむら「…………」


その言い方からすると、彼女は自分の置かれている状況を理解しているらしい。

彼女もまた後ろの二人と同様、魔女となって私に襲いかかってきたのだが……
そうなった状況を覚えているというのなら、なかなか嬉しい話だ。


ほむら「魔法少女が魔女になる……状況は同じでも、倒せば元に戻るぶんまだマシね」
 



少女「……何?」

ほむら「こっちの話よ。 それより、あなたもこの街の魔法少女なんでしょう?」

ニコ「そ……神那ニコって言うんだけど……でも、ごめん。 今はちょっと、魔力スッカラカン……」


だから魔法は使えない、援護はできない……ということだろうか。
この世界での魔女化がどういう理屈なのかはよくわからないが、元に戻った直後はこうなってしまうらしい。

……というか、初めからそんなことは期待していない。


ほむら「あなたには戦って欲しいわけじゃないの。 ただ、少しヒントが欲しいだけよ」



ニコ「うん……?」

ほむら「私はこの街に来て、三体の魔女に襲われた。 その内の一人は倒せた……それがあなた」

ほむら「……そして今、私達を残りの二体の魔女が追っている。 ひとつは球体、もうひとつはクマのぬいぐるみ」

ニコ「おお……なるほどね。 もうちょっと詳しく……」


外見やそれ以外の要素についていくつか説明すると、ニコは何故か溜息をついた。


ニコ「……十中八九、サキとみらいだな」



ほむら「それが彼女たちの名前? それなら、どういう力を持っているかも予想できないかしら」

ニコ「だいたいは…… でも、それ知ってどうするつもり?」

ほむら「決まっているでしょう。 倒すのよ、あなたと同じようにね」


彼女は再び首を傾げて、まじまじと私の顔を見つめた。
意外そうに目を見開いてはいるが、口元はにやりと笑っている。


ニコ「……さすが、最強のやることは一味違うね」

ほむら「だから、そんなんじゃないわ…… ただ少し、急いでいるだけよ」

ニコ「急いでる、って…… 何かやり残した事でも?」



そうだ。 別に今、ここでまどかに会いにいけるというのならそれでも良いが、私にはその前にやることがある。


なんという名前だったか……そう、大河あい。

魔法少女を魔女にしたくない―― そんなまどかの思いを、こんな形で踏みにじった、あの魔法少女モドキ。




ほむら「ええ…… この事件の犯人に、ちょっと用があるの」




……奴を叩きのめしてやらなければ、気が済まないじゃないか。




――――――――――




プロローグ
――――――――――




結果から言えば、トウべえはあいに指一本触れることすらできなかった。



TB「……っ!」


トウべえがあいに襲いかかった時、彼らの間隔はほんの十数メートルだった。
人間型インキュベーターなら、1秒もあれば詰められる距離だ。

彼は白い鞘を握りしめ、あいの胸元――ソウルジェムのペンダントがある位置に狙いを定めた。

上手く行けば、一瞬で相手を即死させることができる状況。



あい「あはははっ! やっぱり来るんだ?」


だが、彼女は楽しそうに笑いながら…… 余裕たっぷりに彼を迎え入れた。


そして彼女がタクトを振った直後、彼の鞘は空中でぴたりと静止する。


考えるまでもなく、それは当然のことだったのかもしれない。
たとえ彼女がただの人間であったとしても、タクトを振るだけなら1秒もかからないのだから。

はじめから、トウべえに勝ち目など無かったのだ。



TB「……!? ぐあっ!」


外はすでに日が傾き、廃墟の中へ夕日の赤い光が差し込んでいる。
長く伸びたあいの影は、彼女のタクトが指し示す方向へとまっすぐ伸びていた。

そして、その黒い影がまるで地面の裂け目であるかのように。


何かが、そこから顔をのぞかせていた。
 



それは影と同色の、いびつな巨人だった。


地面に投げ出された影がそのまま立ち上がったような、のっぺらぼうで奇妙な形。
手足に見える関節の位置も、そのスケールも、何もかもがめちゃくちゃだ。

同じ巨人の化け物である『魔獣』には、どこか整った印象さえあった。
しかし今、あいの影から上半身を表しているそれは、まるで真逆なイメージの怪物――

――それが魔女であることに、疑いは無い。


TB「うう……!」


黒い魔女は片手でトウべえの腕と鞘をしっかりと掴まえ、もう片方の手をついて体を支えていた。
彼が何度腕を引っ張っても、押し込んでも、魔女の体はびくともしない。

そうしている間にも、魔女は自分の体をずるずると影から引き出していた。



あい「君ってさ、本当に期待を裏切らないよね。 こんなストレートに捕まってくれるなんて」

あい「こうやって変身できるようになったのはいいけど、やっぱりいい事ばかりじゃないね、感情っていうのは?」

TB「ぐっ……!」


完全に姿を現した魔女は、くの字に曲げた腰をゆっくりと伸ばしながらその巨体を立ち上げていく。
右腕を掴まれたトウべえもそれと同時に持ち上げられ、宙ぶらりんの状態になった。

彼は魔女の腕に左手をかけて体を引き上げ、その黒く、つるりとした肌に歯を立てて抵抗する。
だがトウべえがどれだけ表面を噛みちぎっても、腕を締め付ける力が緩むどころか、魔女は反応さえしなかった。


あい「無駄無駄、君じゃその子の相手は無理……頭に血が登ってる人って怖いね」


あいが軽くタクトを動かすと、魔女はトウべえを掴んでいる右手をぱっと開いた。
落下していく彼を、今度は左手でキャッチする。
体全体をしっかり掴まれて、トウべえはほとんど身動きがとれない状態になった。


そしてそのまま、魔女は左手を振り回し…… 廃墟の壁に、勢い良く押し当てた。


TB「っ……!!」


肋骨が一度に数本折れ、内臓のどこかに突き刺さる。
肺から押し出される空気が血と一緒に吐出されて、声を出すこともできなかった。

人間なら即死の重傷。

だが人間でない者なら、当分活動ができなくなる程度の損壊。


あい「君は殺さないでおいてあげる。 大事な仲間だしね」

あい「でも、邪魔はできないようにしとくよ? これからが本番なんだもの」


魔女の右手が、左手の指の間からはみ出ているトウべえの腕を無造作に掴む。
それだけで、彼は魔女が次に何をするつもりなのかを完全に悟った。

痛覚なんて、とっくの昔に切れている。
消耗品の体故に、内部では止血の用意さえできている。

必要なのは、覚悟だけだった。


あい「……はい、やっちゃって♪」


ごきん、という音と共に、痺れるような感覚がトウべえの全身を駆け抜ける。


TB「う………」


肩の中で何かがちぎれる感触がしたが、魔女はまだ腕を掴んだままだった。

……どうやら、完全にもぎ取ってしまいたいらしい。


魔女はしばらくの間、彼の腕を外側に向かって引っ張っていた。
しかし上腕をつなぎとめる腱や皮膚は、そう簡単に引き裂けるものでもない。

やがて彼女は引っ張るのをやめ、腕を壁に対して垂直に持ち直した。
そして杭を打ち込むように、腕の骨で壁を叩き始める。
骨の先端とコンクリートに挟まれた皮膚や筋肉が、ごりごりという音と共にすり潰されていった。


あい「うわあ……ねえ立花くん、ちょっと刀貸してくれない? 見てるこっちが痛いよ……」

TB「…………」

あい「……もう聞こえてないかな? 意識はあると思うけど」

TB「…………」


腕を弄ばれている間、トウべえはうなだれたまま押し黙っていた。
血と髪で隠れて顔は見えないが、首に下げられたソウルジェムはあいの目にも見える。

透明だったそれは黒く濁りきっていて、もはや見る影もない。

あいはそれを見て、満足気に笑った。


あい「あはは、このままじゃ自然に『なっちゃう』かもね? それはちょっとさみしいな」

TB「…………」

あい「美樹ちゃんだってまだ死んでるわけじゃないんだもの、もうちょっと頑張ってよ……」


あい「……あっ、とれた」



TB「…………」


ちぎれた腕をぶらぶらさせながら、黒い魔女があいの方を振り返る。

次の指示を待つかのような行動をとる魔女に、彼女は軽い調子で言い放った。



あい「巴ちゃんが来るまで、まだ時間ありそうだね。 ついでに足もやっちゃって」




――――――――――
 




――――――――――





マミ「はあ……もうやだ……」



薄暗い部屋の中で、マミは小さなテーブルに突っ伏した。
片手に握られた携帯電話からは、相手が通話に出られない状況であることを示す音声が流れている。

彼女はそのまま天板に額を当てていたが、すぐに顔を上げて振り返り、背後の扉を見やった。
そしてそこから誰も覗いていないことを確認すると、再びテーブルに顔を伏せる。
仲間の前でため息をついて弱音を吐くなど、彼女にとってはあってはならないことなのだ。

今のような事態ならば、なおさらに。


マミ(美樹さんとトウべえはダウン……暁美さんとも連絡がつかない)

マミ(……おまけに敵の能力も居場所も不明)

マミ「最悪ね……」



マミ(そもそも、あすなろ市は大河あいのホームだったのに……)

マミ(ここに来る前に作った魔女を仕掛けておいたとしてもおかしくない。 むしろそれが自然よね)

マミ(どうして止めなかったんだろ…… もう、ばか……)


冷たい机に額をおしつけながら、くしゃくしゃと頭を掻きむしる。

そうしている内にだんだん落ち着いてきたのか、マミは再びぐったりとして動かなくなった。
激しい後悔の後で、彼女はやや冷静に、自分自身のことを思い返し始める。


マミ(……頼りすぎていたのかもしれないわね。 彼女の強さに)


暁美ほむらがマミの前に姿を表した時、彼女はすでに魔法少女だった。

魔法少女は総じて個性の強い者が多いが、ほむら以上に特殊な存在をマミは知らない。
正確に魔獣を射抜く光の弓矢、計算に基づく洗練された戦い方……そして空間を裂くような、異形の翼。
頭抜けた強さも彼女独特のものだったが、何より他と違ったのはその性格だった。

大人びているというのか、自分よりもずっと長い時間を戦ってきたような……
色々なことを体験して、そして何か一つのことを終えてしまったような雰囲気。

とても年下とは、いや同じ中学生だとも思えない。


マミ(こうして力を得て、集まって、戦って……)

マミ(……それでも、私達は所詮子どもに過ぎない)


だが彼女には、彼女の背後には、それまで積まれてきた多くの経験と時間が見える。
それが良いか悪いかを抜きにして、マミたちはその存在に少し安心を感じていたのかもしれない。



マミ(だけど……今、彼女はここに居ない)


マミはがばっと起き上がり、一度深呼吸をした。
さすがに両手で頬を叩くような真似はしないが、息をついて気持ちを切り替えようと努力する。


マミ(佐倉さんとトウべえは、まだ美樹さんのために頑張ってくれているけれど……)

マミ(……たぶん、ダメでしょうね)


再び振り返って寝室の扉を見つめ、マミはその向こうに居る彼らのことを思った。
さやかを回復させるため、きっと今も色々と手をつくしているのだろう。

だが、それに楽観的な期待などできるはずもない。


マミ(大河のことは、私と佐倉さんだけでなんとかするしかない)



ちょうどその時、タイミング良く寝室の扉が開いた。

ゆっくりと開く隙間から覗かせた杏子の顔を見て、マミは自分の予想が的中したことを知った。
杏子は申し訳なさそうにうつむきながら、後ろ手でドアを静かに閉める。


杏子「……ごめん、無理だった。 少なくともトウべえの魔法じゃ無理」


マミ「……治癒魔法もだめ?」

杏子「当然…… あいつが言った通り、さやかの時間が止まっちゃってる状態でさ」

杏子「魔法自体はかけられても、その効果が表れる一瞬先は永遠に来ないってわけ」

杏子「ある意味究極に安全な状態だから、守るための魔法も意味が無い……」

マミ「そう……やっぱり、魔女を倒すしかないのね」

杏子「そういうこと。 ……そっちの方は?」



マミ「こっちも駄目。 全然出ないわ」


首を横に振りながら、未だに機械音声が鳴り続ける携帯電話を閉じてポケットにしまう。
テーブルを挟んだ真向かいに杏子が座るのを待って、マミは続きを話し始めた。


マミ「向こうのチームはおそらく全滅でしょう。 ……暁美さんはまだ戦ってると信じたいけれど」

マミ「どちらにしても、援軍は期待できない…… 想像以上にやっかいな敵ね」

杏子「……味方をいくらでも増やせるってのは羨ましいね」

マミ「そうね。 今の私達には最も足りないものだわ……」

杏子「でもやるしかないわけだ?」


マミ「ええ……私達だけで、彼女を倒す必要がある」



マミは少し不安を抱えたまま、だがきっぱりとした口調で言い切った。


だが、それはきっと不可能なレベルの仕事ではないのだろう。
大河あいはあくまで人型インキュベーターであり、その力は所詮作り物の延長だ。
オリジナルの魔法少女には敵うべくもない。


杏子「……問題は、さやかを『止めた』魔女だな」

マミ「そうでしょうね。 それと、私達には彼女らの居場所がわからないこと……」

杏子「わからないと言えば、方法もか……」

マミ「方法?」

杏子「さやかを止めた方法だよ。 どんな手順を踏む必要があるんだろうな?」


杏子は包装されたままのお菓子を取り出し、寝室の方を指して言った。



杏子「止められたさやかには特に傷もないし、棒立ちのままやられてる」

杏子「表情からして不意打ちだろうけど、たぶん触れる必要なんかない攻撃方法だと思う」

マミ「光線のようなものを発射するとか?」

杏子「あいつは窓の外を見て、驚いたまま固まってた」

杏子「ビームとかにしても、窓くらいなら貫通できるものだろうな……」

マミ「……でも壁を通せるのなら、私達はもうやられているわよね……」


そこで言葉を切り、マミは自分の言ったことについて少し考える。
敵の能力を予想するのにあたって、被害にあったのがさやかだけという点には大きな意味があるだろう。

一見強力な攻撃だが、全員を一度に相手取ることはできない……



マミ「……彼女が今、私達を襲わないのは何故かしら?」

杏子「2人一緒だから……か?」

マミ「1人でさえなければ対処できる…… 一度正体を知られると意味が無いだとか?」


マミ「……いえ、もっと単純に…… 一度に1人ずつしか倒せない、というのはどう?」


杏子「1人止めてる間に、もう一人にやられるってことか」


もしその予想が正しいのであれば、彼女たちがずっと2人で居れば敵が襲ってくることはない。
味方が必要なのであれば、2人仲良くあすなろ市へ向かって、ほむらを連れてくれば良い。

だが、事はそれほど簡単にすむ話でもないのだろう。


マミ「それでも、彼女には別の手駒がある。 きっとそれを使って私達を引き離そうとするでしょう」

杏子「トウべえの手足をちぎったやつか」



杏子「聞いた感じじゃ、あっちは単純に力が強いタイプの魔女かな」

杏子「影の中から出てきた、とかなんとか……」

マミ「『薬瓶の魔女』ほどじゃ無さそうかしら? ……それでも厄介ね」


二人の間に、しばし沈黙が流れる。

杏子は封を切ったお菓子を噛みながら何かを考え込んでいたが、
やがてそれを飲み込み、テーブルへ向き直って言った。


杏子「……なら、こっちから仕掛けた方がマシだね」

マミ「えっ?」

杏子「このまま待ってたら、あいつのペースに乗せられちまう」

杏子「それくらいなら、こっちの方から飛び込んでった方が良いんじゃないの? ……ってこと」


マミは一瞬その意味がわからなかったが、杏子の表情を見てすぐに理解した。
強気な眼差しの中に、希望とある種の諦念が入り混じったような顔。

それは彼女が、自ら進んで危険を侵そうとしている時の表情だった。


マミ「……まさか、自分から1人になるつもり!?」

杏子「そうだよ? そうすりゃ、あいつは下手な小細工はうてなくなる」

杏子「1人になったあたしたちを、順番に仕留めてくだろうね」

杏子「……そしたら、先に襲われた方は確実に敵の正体を掴めるだろ?」

杏子「さやかと違って覚悟してるわけだし、なんならキュゥべえにでも監視させてりゃいい」



マミ「そんな…… 自分からやられにいくようなものじゃない!」

杏子「でも、残った1人は相手の手の内を見られる……対等になれる。 今よりはマシさ」


杏子「……まさか怖いのかい? マミ」


嘲るような態度は、きっと彼女を誘導するための挑発だ。
長い付き合いでそのことをよく知っているマミの頭には、怒りよりも、むしろ困惑が湧いてきていた。


マミ「そうじゃなくて…… そんな、仲間を危険に晒すようなこと」

杏子「やらなきゃジリ貧でしょ? ……それにな」


言いながら、杏子は立ち上がって後ろを向いた。
それ以上の問答を打ち切るためか、もしくは…… 顔を見ながら言うのが照れくさかったのだろう。


杏子「あたしはあんたを信じてるよ」


杏子「あたしが先にやられようと、マミなら1人で奴をやれる……ってね?」

マミ「……っ」


そこまで言われると、マミも強くは言い返せない。
言葉に詰まる彼女を振り返った杏子は、いつものようにいたずらっぽく笑っていた。


杏子「もちろん、自信もある。 正体さえわかりゃ大したことないね、あんな変態ごとき」



マミ「で、でも……」

杏子「じゃ、あたしは寝るから。 ソファ借りるよ?」

マミ「ちょっと待っ…… えっ?」


マミ「それじゃ、わ、私はどこで寝ればいいの!?」

杏子「寝床は早いもん勝ち。 敗者は床か、怪我人の隣ね♪」

マミ「そんな……」


ドアを開けて去っていく杏子を見送りながら、マミはしばし中腰のまま固まっていた。

やがて上手く丸め込まれたことに気が付き、へたり込んで再びため息をつく。


マミ「はあ……もうやだ」



………………
…………
……



………………



寝室の扉を開けて静かに入って行くと、トウべえはすでに寝入っているようだった。

手足が無い左側を上にして横になり、口元まで布団をかぶっている。
扉とは反対側を向いているので、その表情まではわからなかった。


マミ「…………」


マミはそのベッドの横に転がっているものに目を向ける。
トウべえと同じくらいの大きさで、毛布をかけられているが全く動いていない。

彼女はその毛布をめくろうとしたが、思い直してやめた。



TB「……ごめん、マミ」


いきなり背後から聞こえた声に、マミは立ち上がりながら振り返る。

トウべえはむこうを向いたままだったが、目を開けているのは彼女にもわかった。
その声はいつもより沈んだ調子で、泣き喚いた後のように少しかすれていた。


マミ「……起きてたの?」

TB「いや、この部屋に誰かが入ったら起きるようになってる」

マミ「じゃあ、起こしちゃったのね…… ごめんなさい」

TB「良いよ。 それより、僕は君に謝らなくちゃならない」



マミ「どうして?」


彼が何を言いたいのかは、マミにも大方予想がつく。
それでも、彼女は疑問形で答えた。


TB「……キュゥべえが言うには、新しい手足を作ってつなぐのに3日程度かかるみたいなんだ」

TB「傷口が汚すぎるらしくて…… その間、僕は君たちの補助を一切できない」

TB「手足の怪我まで共有してしまうから、杏子と通信することも……」

マミ「それは仕方がないことよ。 怪我をしているんだもの、戦うのは……」

TB「その怪我をしたのは、僕の過失だ」


マミの言葉を遮るように、少し強い口調でトウべえは言った。



TB「本当に……何も考えずに突っ込んで行ってしまって」

TB「そのせいで、君たちを危険に晒すことになったんだ」

TB「謝ってすむこととは思わないけど……ごめん」


マミはベッドに腰掛けて、布団の上に手を添えながら彼の顔を覗きこんだ。
横顔を一目見て、その変化に驚嘆する。

悔しそうに歪んだ顔は、初めて会ったころの能面とは程遠い。


マミ「……それも、仕方ないわ」

マミ「感情にまかせて失敗するなんて、誰にでもあることよ。 人間ならね」

TB「僕は人間じゃない。 ただの代替品さ」

マミ「もしそうなら、3日もかけて治るのを待ったりしないわ」

TB「それは……」

マミ「あなたはもう、唯一無二なのよ。 ……感情を持っているのだから」



TB「……そうだとしたら」


トウべえは右手で布団を引っ張り、顔を隠して言った。


TB「僕らの感情は、魔法少女たちにとってマイナスにしかなっていないね……」

TB「殺人犯も、あいも……僕も。 みんな君たちを傷つけるばかりだ」


マミはそれを否定しようとして、ふと言葉に詰まる。

彼女は、かつてトウべえの言う連続殺人犯に会ったことがあった。
それどころか、直接話したことさえある。

その時、彼は普通の人間と遜色ないほどに表情豊かで……
逆に彼女たちの味方だったトウべえは、いつも無表情だった。


マミ「…………」


そんな経験が邪魔をして、喉につかえた一言がどうしてもでてこない。



TB「……それと、もう一つ謝らなきゃ」

マミ「……えっ?」

TB「ベッド、占領してごめんね? いつもは僕がソファなのに」

マミ「いえ…… 良いのよ。 たまには……」

TB「そっか…… でも、杏子との会話は聞いたよ。 明日は大変なんだろう?」

マミ「ええ……」

TB「なるべく、ゆっくり休んでね。 ……じゃあ、おやすみ」



マミ「……おやすみなさい」


結局そのことに関しては何も言えないまま、トウべえは眠りについてしまった。
マミは音を立てないよう注意しながら立ち上がり、再び彼の顔を覗きこむ。

そして完全に眠っている彼の頬の、涙が乾いた跡を撫でながら……

さっき言えなかったことを、ぽつりとつぶやいた。



マミ「それでも、私は――」




――――――――――




――――――――――




翌日の昼ごろ。


マミは見滝原市内の公園で、1人ベンチに座っていた。

普段は子どもやその母親など、様々な人に溢れているが、今は彼女以外誰の姿も見えない。
魔獣と戦う時のように、魔法で人払いをしているのだろう。

彼女はいつでも変身できるようにソウルジェムを握りしめ、緊張した面持ちで、ただ敵の襲撃を待っている。


杏子『……そっちの様子はどう?』

マミ『っ! ……あ、佐倉さん?』

杏子『おいおい、マジでビビってんの?』



マミ『い、いえ…… だって、いきなり話しかけてくるものだから』

杏子『本番もいきなりだよ、きっとね。 襲われたら即通信だ』

杏子『……もっとも? そんな暇もなくやられてるかもしれないけどな』


いつもの軽口を、咄嗟にたしなめることすらできない。
仲間か自分か、どちらかは倒れるかもしれないという前提が、マミの心に重くのしかかっていた。

杏子もそれを察したのか、少しバツが悪そうに続ける。


杏子『まあ、そうなってもキュゥべえたちがバッチリ監視してるから、安心っていうか……なあ?』

QB『うん。 こちらの準備は完璧だよ、四方八方から君たちを観察している』



杏子『バレて全部潰されるとか、無いだろうな?』

QB『本来なら、僕のほうがあいよりも上位個体なんだよ? 対策はすべてうってある』

杏子『ならいいけど』

マミ『……私と佐倉さんの位置も、ちゃんと把握してるわよね?』

QB『当然さ。 よほどのことがなければ見失ったりしない』


マミ『なら、敵が現れてからでも…… すぐに向かえるわね』


QB『まあ、そうだね。 距離的にも大したことはない』

杏子『ちょっ、あんた今、ここで魔女をぶっ飛ばす気?』


至って真剣なマミの口調に、杏子は少し驚いたようだった。

時を止める魔女が襲ってくるのは、彼女たちのうちのどちらかだろう。
だがもう片方にも、何かしらの敵が来るのは間違いない。



マミ『ええ……その、佐倉さん?』

杏子『え?』

マミ『……やっぱり、私には無理なんだと思うの』

マミ『その方が勝率が高いとはいえ、あなたを犠牲にしていくなんて……』

杏子『…………』


マミ『だから、出来ればその前に、私が助けに行きたい』


テレパシーによる通信のむこうで、杏子はぽりぽりと頬を掻いた。


マミの言い分はもっともだが、おそらくそんなことは無理だろう。
彼女の方にも邪魔が入るのだし、その中で杏子の所へ来るというのは現実的ではない。


だが、杏子にその気持ちを否定することはできなかった。


杏子『……ああ、そうなったら期待して待ってるよ』


むこう側で、マミがほっと息をつくのがわかる。
助けられる可能性が低いとは思っていても、希望を持っていたいのだろう。



杏子はマミとの通信を切った後、小さく微笑んでため息をついた。


杏子「まあ……無理だろうけどな……」


それでも、あえて指摘しないのは――


杏子もまた、希望を持っていたいからなのかもしれない。


………………
…………
……



………………



状況が動き出したのは、それから一時間ほど経ったころだった。


その時、マミは暖かい紅茶を飲みながらぼうっとしていた。
敵が来るとはわかっていても、人間の緊張はいつまでも続くわけではない。
頭の中はすでに魔女以外のこと……例えば昨夜の会話のことなどを、ぼんやり考えている状態だった。


それでも、鋭敏に研ぎ澄まされた魔法少女の感覚は、その兆候を決して逃さない。


マミ「……っ!!」


その耳に、何か声のようなものが聞こえた時。

彼女はすでに変身を終え、銃を構えて立ち上がっていた。



マミ(……あの、木のところから……よね)


マミは銃口をその方向に向けつつ、じりじりと距離を詰めていく。
既に声はしなくなっていたが、何かが動いているような気配は感じられる。

公園の中に生える木の後ろに、何者かが潜んでいるようだった。


マミ(キュゥべえたちが、瘴気に反応しない……? ここまで接近されているのに)

マミ(魔女じゃないのかしら…… でも、人払いの魔法はまだ有効なはず)


木から数メートルの距離を保ちつつ、ゆっくりと回りこんでいく。
その間も、木の背後でうごめく気配は消えていなかった。



マミ(やっぱり、何かが居る……っ!?)


木の後ろにあるもの―― その姿を視界にとらえた時、マミは素早く銃を向けながらも、一瞬固まってしまった。
銃を構えはしたが引き金は引けず、目を見開いてそれを見る。



マミ「これは、一体……!?」



それは、奇妙な光景だった。

木の背後には、午後の柔らかな光の中で、不自然にくっきりとした影が伸びている。
その影の色は通常よりもはるかに濃い漆黒で、まるで地面の裂け目が木の形に広がっているようだった。

それだけでも異様だが、マミの目を引いたのはそんなものではない。



問題なのは、その影の中から伸ばされた腕だった。

腕と言っても、巨大な魔女の腕が伸びているわけではない。



それは明らかに、人間の腕だった。



マミ『……佐倉さんっ! 魔女が来たわ!』

杏子『うわっ!? ……マジで? どっちだ!』

マミ『これは多分、影の方…… 時間の方はあなたのところに来ているはず』



杏子『う……そっか。 こっちも警戒するよ』

マミ『ええ……でも、これは……』


杏子との会話を続けながら、マミはその腕を少し観察した。
腕は細くて小さく、まだ子どもの物のように見える。
何かを掴もうとするかのようにせわしなく動いていて、どうやらこれがさっきの気配のようだ。


杏子『何? どうかした?』

マミ『影の中から、腕が…… だけど、魔女のものじゃない……?』

杏子『はあ? どういうことだよ?』


彼女たちが会話している間にも腕は動き続け、やがて木の幹にその指が触れる。
腕はその存在を確かめるように幹をぽんぽん叩くと、そこにある凹凸に指先を引っ掛けた。

そしてそのまま、ぐいっと力を込める。


マミ「……!?」


腕に支えられて、何者かが影の中から顔を出してくる。
マミは咄嗟に銃を向けたが、この時もやはり撃つことはなかった。



影から出てきたそれは……どこからどう見ても、人間の子どもだったからだ。



子ども「た……す、け……」


おそらくは小学生くらいだろうか。 どうやら女の子のようだ。
必死に絞り出した、助けを求める声。 涙に濡れた恐怖の表情。


やはり人間だ。


無関係な人間の少女が、魔女にとらわれて影の中に引きずり込まれようとしている。


そして今、木の幹に引っ掛けた指先が、滑って外れた。


マミ「! 待って!!」


マミが伸ばした手は、あと一歩のところで空を切る。
少女はものすごい勢いで影の中に引っ張られ、今度は完全に姿が見えなくなってしまった。



マミ「……っ!!」



マミは素早く銃を影に向けると、引き金を引かずにそのまま突き刺した。


だが銃口が地面にめり込んだ時には、それは既にただの影だった。


マミ「な……なんて、ことを……」


銃を引き抜いて辺りを見回しながら、マミは自分の中に激情が湧いてくるのを感じていた。
噛み締めた唇からは血が滲み、握りしめた銃把には、音を立ててヒビが入る。



マミ「何も……知らない、子どもを……?」


おそらくは、ただの人間……無関係な少女を。

魔法少女が守るべき人たちを。


マミ「……自分の、都合で……っ!」



――大河あい。


マミは今まで、彼女のことを少し勘違いしていたのかもしれない。
人型インキュベーターであること。 感情を持っているということ。

その素性はほとんどトウべえと同じで、しかもその行動の裏に理由があることを知っている。
だからほんの少し、甘く見ていたのかもしれない。



だが、人間にも善と悪があるように。

彼女たちもまた、同じ存在として語ることはできない。
感情とは、そういうものなのだと……そんな当たり前なことを、忘れていたのかもしれない。



マミ「……許さない」



かつて誰かを愛していたのだとしても。

今の彼女は、悪意の塊に過ぎないのだろう。


マミの視線が、公園から少し離れた場所にある電柱に止まる。

正確には、その影……地面の亀裂のような、漆黒に変化した影に。


マミ「あそこね……!」


電柱の上部にリボンを巻きつけ、その収縮を利用して一気に駆け抜ける。

あの奇妙な影が何であろうと、その中に魔女が潜んでいるのは間違いない。
ならば影の中に、直接足を突っ込んで叩けば、なんとかなるかもしれない。



マミ「はあっ!!」


だが彼女の踵が砕いたのは、ごく普通の影に覆われたアスファルトだった。
素早く周囲を見回すと、今度はすぐそばにあるポストの根本に、漆黒の影が広がっている。

どうやら、すぐ近くの影へどんどん移動していけるようだ。


マミ「ちょこまかと……!」


渾身の力を込めて、地面を踏みしめる。
足元に散らばる道路の破片が、衝撃で宙を舞った。



だが限界まで速度を上げても、ギリギリのところで届かない。


影の移動を行う前にはほんの少しインターバルがあるのだが、移動そのものは一瞬だ。
それに対して、マミは攻撃にかける時間を省略することができない。

勝率の薄いもぐら叩きを続けながら、マミと魔女の影はものすごい速度で道路を駆け抜けていった。


マミ「もうっ……らちがあかないわねっ!」


走りながら光とともに呼び出された銃を構え、影に狙いをつける。

銃弾の速さならば、余裕を持って影を撃ちぬくことが出来るだろう。
だが一歩間違えば、影の中に居る少女まで傷つけてしまうかもしれない。



マミ「くっ……!」


指先が震え、どうしても引き金まで届かない。
人質を撃ってしまうことを考えると、やはりマミにはできなかった。

彼女は歯ぎしりをして銃を消し、再び全力で加速を開始する。


マミ(暁美さんや、トウべえなら……きっと撃てるんだろうな)

マミ(でも、私には……!)


リボンで体を引っ張りながら、マミは何度も加速を重ねていく。
そして指先に影の表面がかするようになったころ、突然頭の中に声が響き渡った。



QB『ちょっとマミ!? 何やってるんだい!』

マミ『わっ!? ……き、キュゥべえ?』


指先に影の感触を捉えながら、それでも紙一重のところですり抜ける。
マミは一度舌打ちすると、いらいらしているのを隠しもせずに言った。


マミ『ごめんなさい、ちょっと後にしてくれる? 今は一刻を争うの』

QB『そんなことを言われても……こちらとしても見過ごすことはできないよ!』

マミ『……ああもう! 一体なんだって言うの!?』



QB『マミ……君は、自分が杏子の通信範囲から外れたことに気付いてないのかい?』

 
 



マミ『っ!?』


それまで片時も止まることの無かったマミの足が、一瞬だけ動きを止める。

つまずくようにして突き出された腕は、影に触れることすらなかった。


QB『既に、杏子の周辺には瘴気が漂いだしている。 まもなく彼女は襲われるだろう』

QB『だけど、瘴気を感知されたのは向こうの落ち度さ……』

QB『きっと今までは、あの影の中に潜むことで瘴気を断ち、追撃をかわしていたんだろうね』


トウべえが不意打ちを受けたのも、今までの捜索をすべて振り切ってきたのも、
あの影に潜む魔女の力を利用していたからだと考えれば説明がつく。

だとするならば、この魔女こそ大河あいの最も強力な手駒だと言えるだろう。



QB『……だがそれもない今、時間停止の魔女を止められる可能性は大いにある』

QB『言っていることがわかるかい? マミ』

マミ『え……あっ』


キュゥべえの冷徹な声が、マミの脳内に直接響き渡る。
わざわざ言われなくても、彼女はそれが何を意味するのかは十分わかっていた。

それでも、キュゥべえは具体的な言葉として…… 一種の命令として、彼女に語りかけた。



QB『君が今やるべきことは、さっきの約束通り、杏子を助けに行くことだ』



マミ『で、でも……女の子があの中に!』

QB『影の追跡はもういいじゃないか。 早く引き返そうよ……今ならまだ間に合う』

マミ『……っ!!』



想像を絶するほどの、冷酷な言葉。

感情がないというのはどういうことなのか。
インキュベーターとはどういう存在なのか。

真正面から叩きつけられた現実に、マミは全身が総毛立つのを感じた。


マミ『みす……見捨てろ、って、言うの……?』

QB『今戻らなければ、杏子を見捨てることになるだけさ。 同じことだよ』

QB『……いや、同じではないね。 見ず知らずの少女より、杏子の方が大事な存在だろう?』

マミ『そんなっ! ……そんな、私は!!』

QB『優先順位というものを考えるんだ、マミ…… 両方救うのは無理なんだからね』

マミ『………!!』


頭の中で、必死に考える。

どちらを助けに行くべきなのだろうか? どちらを優先するべきなのか?
杏子は1人でも切り抜けられるかもしれない。
でもあの子はきっと一般人だ。 このままじゃ死ぬかもしれない。
ならあの子を助けに行くべきなんじゃないのか……


QB『……どうしたんだいマミ。 早く引き返すんだ』


でも、杏子は大切な仲間だ。
一番付き合いの長い、ほとんど家族のような存在だ。

彼女をこんな、こんな簡単に失っていいのだろうか?
それに耐えられるのか?


QB『早くしないと、間に合わなくなるかもしれないよ?』


今彼女を失えば……また、ひとりぼっちになるかもしれないのに。


それに……そもそも自分で言い出したことなのだ。

彼女を助けに行きたいと。 助けに行くと。
それなのに、見ず知らずの少女を優先していいのか?


QB『まさか君は、あのトウべえのように……愚かな行動を繰り返すつもりかい?』


いや、見ず知らずの少女だから……他人だから、何だというのだろう。

他人ならば助けなくてもいいのか? 見殺しにしてもいいのか?
そんなはずはない。 助けを求めている人を、見捨てるなんてあっていいはずがない。


QB『一時の感情に身を任せ、守るべき仲間に多大な迷惑をかけるのかい?』


自分もかつて、助けを求めた側じゃないか。
そんな自分が、彼女の希望を摘めるのか?

そんなことに、耐えられるのか……?



マミ「――あれ?」


……耐えられるかって、自分はどういうつもりなんだろう?


杏子を失えばひとりぼっちになるだとか。
少女を助けなければ自責の念に押しつぶされるだとか。


結局……自分のことばかり考えているんじゃないのか?




QB『ねえ……君は一体何を守りたいんだい?』




彼女の中で、何かが首をもたげていた。

今まで触れないようにしてきた、黒いものが…… 心の底から這い出てこようとしている。



マミ『……うるさい!! 少し黙っててっ!!』


無理やりキュゥべえとの接続を切り、彼の言葉を遮る。
静かになった頭の中をさらに真っ白にして、今まで考えていたこともすべてそこから追い出してしまう。


マミ「ぐずぐず考えてたって……意味なんかない……!」


走りながらリボンを出し、二門の大砲へと変化させる。
マミは前腕のほとんどを覆うように出現したそれを下に向けながら、影が移動するタイミングを測り始めた。


マミ(次の影に移動した瞬間……今だ!)


地面を思い切り蹴ってジャンプし、歯を食いしばって体を丸める。

そしてその状態のまま、マミは大砲の引き金を引いた。



轟音とともに、足元のアスファルトが砕け散る。


衝撃で破裂した水道管の水流を背に、マミは弾丸のような勢いで吹き飛んでいった。
影が移動の間にとるインターバルはほんの1、2秒だが、彼女はその半分も終わらない内に影の元へとたどり着く。


マミ「……居たっ!!」


そしてマミは影の上を通り過ぎる一瞬、漆黒の液体のようなその影の中に、
うっすらと少女の輪郭が浮かび上がっているのを見た。

それと同時に、既に背中から伸ばされていた幾本ものリボンが影の中へ没していく。



マミ自身はそのまま影の上を通り過ぎ、道路を跳ねるようにして転がっていった。
服のところどころがやぶれ、そこから出た血の飛沫が宙に舞う。


マミ「うっ! あっ……くっ」


街路樹に背中から激突したところで、彼女はようやく動きを止めた。

衝撃で肺から押し出された空気を取り戻そうとむせ込みながら、街路樹に手をかけてよろよろと起き上がる。
体中に血が滲んでいて、満身創痍もいいところだった。


だが、その腕の中には…… リボンで全身ぐるぐる巻きにされた少女が、確かに抱えられていた。


マミ「げほっ、げほっ…… だ、だいじょう……ぶ?」


リボンを解き、少女の体を路面に横たえる。
流石に気を失ってはいたが、どうやらどこにも怪我はしていないようだ。



マミ「はあ…… 良かっ、た……」


ほっとため息をついた後、マミは生成した銃を杖にしてなんとか立ち上がった。
そのまま銃を構えようとする彼女の前に、どこからか現れたキュゥべえが、とことこと歩み寄ってくる。


QB「……それには及ばないよ。 魔女はこことは別の場所に去っていってしまった」

QB「今、僕らが追っているけれど……撒かれてしまいそうだよ」

マミ「え……どう、して……」

QB「最初から、君を相手にするつもりはなかったというわけだろうね」

マミ「…………」


それを聞くと、マミは再び銃を杖にして今来た道を歩きだした。
その間にも、ソウルジェムを使って少しずつ体の傷を治していく。


QB「どこへ行くつもりだい? そこまで深刻な傷じゃないけど、少し休んだ方が良いよ」

マミ「……佐倉さんの、ところに……行かなきゃ」

マミ「休んでる暇なんて……ない、わ」

QB「…………」


キュゥべえはなぜか何も言わず、マミの隣に付き添って歩き始める。



しばらく歩いたところで、携帯電話の着信音が辺りに響き渡った。


マミ「! ……佐倉さん!?」


画面の表示を見て、慌てて電話に出る。
通話口の向こうから聞こえてきたのは、意外なほど元気そうな杏子の声だった。


杏子『よう。 ……そっちは大丈夫か?』

マミ「あっ、あなたの方こそ……! 無事なの!?」



杏子『ああ…… まあね。 ……でも、時間がない』

マミ「え? ……どういうこと? 魔女はどうなったの?」

杏子『……悪いけど……ちょっと黙って聞いてて』

マミ「……っ」

杏子『時間がないんだ……要点だけ話す』


いつになく、真剣な口調だった。

彼女がまだ無事だということへの喜びは一気に消え、背すじに冷たいものが走る。



杏子『時間停止の魔女……あれの攻撃方法がわかった……』




マミ「えっ……?」

杏子『いいか、よく聞いとけよ……あいつは、ちっこい蛇みたいな姿をしていて……多分本体に、大した力はない』

杏子『でも、相手を止める魔法の使い方は……結構厄介なもんだった』

マミ「……それは、何だったの?」



杏子『視線だよ……目と目が合った相手を止めるんだ』



杏子『さやかは窓越しに……あいつと目が合ったんだろうな…… 不意打ちなら、最強の魔法さ』

マミ「…………」


話しながら、マミは杏子の声に小さな違和感を感じ始めていた。

特に疲れているとか、息が切れているようには聞こえない。
しかしなぜか、彼女は頻繁に言葉を切っていた。
まるで子どもに言い聞かせる時のようにゆっくりと、そして一言話すごとに、少し間を置いてしゃべっている。


そのことを杏子も察したのか、彼女はやはり少しずつ間を開けながら続けた。


杏子『ああ……これな……ちゃんと聞こえてる?……あたしの話』

マミ「え、ええ…… 大丈夫、だけれど」

杏子『……なら良かった……ここまでやられて無駄になるのは……嫌だからな』

マミ「え……?」



杏子『……悪い。 ……どうも、食らっちゃったみたいなんだよね』



マミの体がびくっと震えて、前に出しかけていた足が止まる。

それに合わせて立ち止まったキュゥべえは、じっと彼女の顔を見上げていた。


マミ「……どう、いう」

杏子『ズルいよな……水たまりのさ……水面越しだよ……?』

杏子『上の方から近寄ってたんだ……水面に反射したあいつと……目が合った』

杏子『……その時から時計の針が……どんどん速くなってきてる……』


杏子『あんたにどう聞こえてるかは知らないけど……これでもかなり早口で喋ってるんだよ』



杖になっていた銃を捨て、マミは前のめりになりながらも走りだす。
携帯電話を耳に当てたまま、水道管の水でびしょ濡れになるのも厭わずに。


杏子『あいつの動きも……もう目で追えない……』

杏子『直接目を合わせたんじゃないなら……一瞬で止まるわけじゃ……無いみたいなんだけどさ』

杏子『……このまま、目をこじ開けられたら……きっとそれで終わりだよな』



あの公園から影を追って、一体どれだけの距離を走ってきたのだろう?



杏子『ああでも……昨日も言ったけど……信じてるから』



間に合うはずがないよ、と背後から聞こえた気がした。



杏子『……後は頼んだよ、マミ』



無駄なことはもうやめるんだ、と。

今度ははっきりとした声が聞こえる。



それでも、彼女は走り続けた。


電話が切れた後も、大規模な銃やリボンを作り出すほどの魔力が無くなった後も。
マミはただひたすらに、杏子が待機していた地点へ向かって走った。

時間にして、おそらく一分も経っていないだろう。


だが一分の遅れでも、相手によっては致命的となる。


マミ「……あ」


マミがその場所に着いた時。

そこには、バツが悪そうに笑っている杏子も、石のように固まっている杏子も居なかった。
あいも、時を止める魔女さえ姿が見えない。


彼女とキュゥべえ以外には、誰一人として居なかった。



ただ、杏子が立っているべき場所には、彼女の携帯電話だけが落ちていて。

震える指でそれを開くと、未送信のメールが表示されていた。


マミ「あ……あ……」


その文面に書かれているのは、明日の昼ごろを示す日付と、どこかの住所。


そしてその下には、あまり長くないメッセージが書かれていた。





『さらわれた女の子を助けだす巴ちゃん、ヒーローみたいで格好良かったよ!




――次も頑張ってね!』

 
 





誰もいない街中に、絶叫が響き渡った。






――――――――――

 
 




――――――――――




その日の夕方、トウべえは寝室のドアが開く音とともに目を覚ました。


すぐに頭の中を整理して、自分の置かれている状況を把握する。

枕元においてある目覚まし時計の時間、魔法少女たちの今日の予定、
そしてかすかに漂ってくる匂いから、部屋に入ったのは巴マミであると結論づけた。


TB「……おかえり、マミ」


だが、すぐに聞こえてくるはずの返事はない。


トウべえは体を起こして彼女の方を見る前に、もう一度匂いの分析を行った。
億劫なのではなくて、手足の再生をなるべく早く済ませたいという彼なりの気遣いだ。


そしてより正確な匂いを嗅ぎとった結果、彼はマミの状況をこう推定した。


TB「もしかして……泣いてるのかい?」


それでも返事が帰ってこないので、ようやく振り返ろうとした瞬間。

ベッドのバネが大きくたわんで、彼の体も上下に揺れた。



TB「わっ……」


マミがトウべえの寝ているベッドに倒れ込んだのだとわかり、彼は少し動揺する。
その詳しい理由を知っているというわけではないが、普段のマミならば絶対にやらないことであるのはわかったからだ。

トウべえは彼女から離れるように寝返りをうち、そちらを向いた。

そしてもう一度、今度は明確な不安を伴って、その姿に動揺する。


TB「ど、どうしたんだい? ……その格好は」


ベッドにうつ伏せになっているマミは、普段の瀟洒な姿とはかけ離れた状態だった。


まず、着ている制服があちこち破れている。
そこから露出した肌にはほぼ例外なく血が滲み、傷口には泥がついたままのものもあった。
魔法を使ってセットしていた髪からは魔力が消え失せ、ぼさぼさに乱れて彼女の顔を覆っている。

普段はしゃんと伸ばされている背筋を猫のように丸め、シーツに顔を押し付ける姿は、
いつも見ている彼女よりもずっと小さく見えた。


TB「…………」


予想していたよりも酷いマミの姿に、トウべえはしばらく声も出なかった。

しかし、やがて無事な右腕を差し出すと、彼女の顔の下にしかれている左手首を引っ張りだして自分の方へ引き寄せた。



TB「何が……起こったのかは、君の口から聞くのはやめておくよ」

TB「キュゥべえから聞けばいい話だからね……」


そう言いながら、彼はシャツの胸ポケットを探って中から小さな立方体を取り出した。
黒く硬質なそれは、彼らにグリーフシードと呼ばれているものだ。

トウべえはそれをいくつかベッドの上に置き、再びマミの左手に手を添える。


TB「……だけど、これだけはやらせておいてくれ。 そろそろ危険域に達するよ」


マミの中指にはめられた指輪をトウべえがそっと撫でると、
卵型のソウルジェムに変化して彼の手のひらの上にのった。

金色に輝いていたそれはほとんど光を失い、黒く濁ってしまっている。


トウべえが手のひらをグリーフシードに近づけると、その濁りは分散されてグリーフシードへと吸収されていった。
いつの間にか顔をこちらに向けていたマミが、乱れた髪のすき間からその光景をじっと見ている。


TB「よし、これで一安心だね」


暖かい光を取り戻したソウルジェムをベッドに置き、彼は真っ黒に染まったグリーフシードを代わりに手のひらに載せた。
一度仰向けになって、まるで薬を飲む時のように口に放り込み、咀嚼し、飲み込む。


そして再び横になると、マミの方を一瞥して目を閉じた。


TB「それじゃ、おやすみ」


そう言った途端、本当に一瞬で眠りに落ちる。


だが次に目覚めた時、彼はまだ数分しか眠っていなかった。
わざわざ時計を見なくても、それくらいなら流石に体感で理解できる。


そしてそんなに早く起きてしまった原因もまた、明白だった。



TB「……? マミ?」


彼の、ちょうど胸のあたりに…… さっきまで隣に寝ていた彼女が、いつの間にかしがみついている。


きっと、そのせいで目を覚ましたのだろう。


TB「いきなり、どうしたんだい……?」

マミ「……ごめん、なさい」

TB「えっ?」

マミ「普段は、絶対に……しないの、だけれど。 こんなこと……」

マミ「今、は……あなたしか居なくて、その……」

TB「…………」

マミ「ほんの少しでいいから……今は、こうさせていて」

マミ「……お願い」



TB「……別にいいけど」


その後しばらくの間、マミは彼の胸に顔を埋めたまま、じっと黙っていた。
トウべえの方も、腕の中の彼女に何かを言うでもなく、だがもう一度目を閉じることもなく、
ただぼんやりと、乱れた彼女の髪に手櫛をかけていた。


その内、マミは今日起こったことについて、ぽつりぽつりと話し始めた。


時間停止の魔女に襲われたのは、杏子の方だったこと。
自分のところに来た影の魔女は、無関係な子どもを人質にとっていたこと。
それを追いかけていたせいで、杏子はさやかと同じ状態に陥ってしまったこと。

……そして、そのままあいに奪われてしまったこと。


マミ「……トウべえ」

TB「何だい」

マミ「私……どうすれば良いの?」



TB「杏子のこと、かい?」

マミ「……明日、指定された場所に行けば……きっと彼女は待っているわ」

マミ「佐倉さんを、連れて……」

TB「……それはそうだろうけど、でも」


それは罠だ、と言いかけて、トウべえは口をつぐむ。
そんなことはマミもわかっているだろう。 それがどれだけ危険なのかということも。

だから相談しているのだ。


マミ「私は……佐倉さんを助けに行かなきゃいけないって、思うの」



マミ「だって彼女は、私の……私のせいで……」

TB「…………」

マミ「……だけど、私がやられたら…… この街は、奴のものになってしまう」

マミ「そうしたら、暁美さんも……街のみんなも、きっとトウべえだって」

マミ「彼女の憎しみにさらされて、何をされるかもわからないわ……!」

TB「……マミ」


くぐもった声は次第に震えて、それに合わせるように、シャツの胸にあたる部分が暖かく湿っていく。
トウべえはそんな彼女になんと言えばいいのかわからず、ただ話を聞いていた。



マミ「トウべえ……私、何のために戦ってるのかな」


マミ「みんなを守るため? それとも友達を守るため……?」

マミ「契約してからずっと戦ってきて……その理由なんて、わかってて当然だと思っていたのに」

マミ「どうして、今更こんなに迷ってるんだろう……」


マミ「ねえ……トウべえ……」



TB「それは……僕にもわからないよ」

TB「僕は戦うために作られたんだから、選択の余地はない」

TB「戦う理由なんて、そんなことは…… 君の相談に乗れる立場じゃない」


そう言いながら、トウべえは自分にかかっている布団を引っ張って、マミの方にかけ直した。
少し自嘲的な口調だが、その表情はむしろ穏やかだ。
彼の言うとおり、そんなことはそもそも気にしたことすらないのかもしれない。


TB「……でも、君が迷っているなら助言はできる」

TB「君は……明日、あいの所へ行かない方が良いと思う」



マミ「……っ」

TB「彼女が僕らの中で、君を最後に相手取ることにしたのには、きっと意味がある」

TB「君はほむらのような特異な存在を除けば、魔法少女の中でもかなり強い方だ」

TB「……だからこそ彼女は、杏子を人質にとって君を誘い受ける形にしたんだろう」

TB「それがどんなことかはわからないけれど、それなりの準備はしているはずさ」


TB「だから、マミ……明日行けば、君は確実に倒される」



トウべえの腕の中で、マミがびくっと震える。


マミ「でも……それでも、私が行かなきゃ、佐倉さんは」

TB「杏子は君に対する切り札だ。 簡単に捨てることなんてできないよ」



マミ「そう……かもしれないけど、逆上して佐倉さんを傷つける可能性だって」

TB「杏子だって魔法少女さ。 ……死ななければ、治すこともできる」

マミ「そんな……!」

TB「君まで戦えなくなったら、杏子も魔女にされる。 もし彼女が人を殺せば、取り返しはつかないんだよ」

マミ「…………」

TB「……それに」


布団越しに、トウべえの右手がマミの肩をそっと掴む。
そこから伝わってくる小刻みな震えを感じながら、トウべえは続けた。



TB「僕個人としても、君には行ってほしくない」



TB「……これ以上仲間を失いたくないのは、僕だって同じなんだからね」



それは彼の、素直な感情だったのだろう。


だがそれに対する、マミの返事はなかった。

しばらくして、トウべえはゆっくりと寝返りをうって彼女から少し離れ、反対側を向くようにして目を閉じた。


TB「僕が言えるのはそれだけさ……おやすみ、マミ」


そう言った後、彼はマミが寝付くまで起きていようか少し迷ったが、結局すぐに眠ることにした。
再び意識が途切れ、失った手足や体内の傷の治療に機能が集中する。


翌日の昼、キュゥべえに起こされるまで――途切れることなく、彼は眠り続けていた。


………………
…………
……



………………



見滝原市に点在する、広めの廃工場の一つ。

悪人が獲物を連れ込んで狼藉を働くには、ぴったりの場所。


その中の中心付近にある高い建物の屋上に、燕尾服に黒マントという出で立ちの少女が座っていた。



あい「ふーんふんふーん……♪」


周囲には大小様々な建物が立ち並び、昼間にもかかわらずありとあらゆる場所に影が伸びている。
それは平らな屋上ですら同じことで、彼女の足元の白いコンクリートも、真っ黒に染め上げられていた。

だがその影の色は……普通のものに比べて、あまりにも濃すぎる。


あい「……ふんふんふんふーん♪」


真っ黒な影の上に置かれた、真っ黒な椅子の上で、大河あいは楽しそうに鼻歌を歌っていた。
組んだ足の上で頬杖をつき、もう片方の手に握られたオペラグラスで眼下を見回す。

そのすらっとした長い足の、足首から下は……漆黒の影の中に沈んで見えなくなっていた。

よく見ると、椅子の脚もわずかに見えない部分がある。


あい「いや……相変わらずベッタベタだよねえ」

あい「今どき無いでしょう、こんなにあからさまな罠なんてさ……」


彼女の視線の先には、こちらに向かって歩いてくる1人の少女が居た。

黄色っぽい服装を身に纏い、茶色い帽子を被った金髪の少女。



あい「それでも、健気な正義の味方の巴ちゃんは……」

あい「……大事な仲間を助けるため、単身飛び込んでくるのでした」


マミの肩の上には一匹のキュゥべえが乗っていて、辺りをきょろきょろと見回している。
それに対して、彼女はうつむき気味に視線を落とし、慎重に歩を進めているようだった。


あい「ふふ……まあ、キュゥべえに目の代わりをさせるってのは悪かないけどね」


あいはにこにこ笑いながら立ち上がり、漆黒の影の中に沈んでいる何かの上に、足を揃えて降り立った。
放り投げたオペラグラスは、沼に石を投げ入れたような重苦しい水音と共に影へ没していく。



あい「……さて、そろそろ始めるかな」



………………
…………
……



………………




TB「…………」



ふわふわのベッドの上で上体を起こし、トウべえはしばし呆然としていた。

昼の光が差し込む広めの寝室には、彼の姿しか見えない。
その隣に寝ていたはずの少女は、影も形もなかった。


QB「ようやくお目覚めかい? ……いや、僕がこの部屋に入ったから起きたのかな」


ベッドの足元、トウべえの死角となっている場所から少年のような声が響く。
それに続いて、白く綺麗な毛並みを持ったしっぽがゆらりと現れた。


TB「キュゥべえ……」

QB「君は上手く出来た方だと思っていたけど、まあ所詮は模造品だね」

QB「どんな局面においても、基本的には魔法少女の方が一枚上手ということかな……」

TB「……マミは、僕が寝ている間に?」

QB「ああ。 君を起こさないよう、軽い感覚遮断の魔法をかけていってね」



TB「どうして……」

QB「どうしてと言われても、僕にはさっぱりさ。 人間の思考は本当にわからないね」

TB「君は、止めなかったのかい?」

QB「止めたけど、無駄だったよ…… まあ彼女の意思ならもう、仕方がない」

TB「仕方がないって……!」

QB「もちろん、できる限りの補助はするけれどね」


キュゥべえは軽やかな動きでベッドに駆け上がり、昨晩マミが寝ていた場所にちょこんと座った。
長いしっぽをゆっくりと左右に振りつつ、いつもと変わらない調子でトウべえに語りかける。


QB「正直に言って、ここまで来てしまったらもう勝ち目は薄いと、僕らは思っているんだ」



TB「……え?」

QB「マミが捕らえられれば、この街の魔法少女はほぼ全滅さ」

QB「大河あいというイレギュラーな模造品に対する、純正な魔法少女たちの敗北……」

QB「……だけど、それは僕らの敗北じゃないだろう?」

TB「君は……何が言いたいんだい」


QB「わからないのかい? ……彼女の敗北は、僕らにとって大きな痛手では無いということさ」



その時。

トウべえは初めて、自分と目の前の存在とが、既に全く別のものとなっていることに気がついた。



QB「確かに、僕らのエネルギー回収はなかなか難航している。 タイムリミットも迫っていると考えていいだろう」

QB「その中で、暁美ほむらや巴マミを失うのはなるべく避けたい事態だけどね……」


きっとキュゥべえは、彼のすぐ後ろの床に寝かせられている少女に対して、大した関心は持っていないのだろう。
彼にとって重要なのは、手駒として優秀な少女だけ…… だから、名前すら出さないのだろう。

それが、トウべえにとっては大きなショックだった。

元は同じような存在だったはずが、いつの間にかその根本を成す価値観すらも、がらりと変わってしまっている。


QB「だけど、彼女たちはまだ死ぬと決まったわけじゃない」

QB「時間を停止させる魔女――『蛇の魔女』とでも名付けようか? 彼女に攻撃されるだけなら、後で戻せるさ」

QB「あいの力で魔女化しても同じことだよ、倒せば元に戻る。 何も問題はない」



TB「……あいは、彼女たちを殺すかもしれない」

QB「その時は……まあその時さ。 仕方のない犠牲だ」

QB「ポジティブに考えるのであれば……あいという興味深い観察対象への刺激になってくれたとも言える」



QB「……だから、瑣末な敗北さ」



そこまで聞いたところで、トウべえは深くうなだれ、眼を閉じてため息をついた。

残った右手で前髪をかきあげ、しばらく何かを考えこむ。


TB「……そうか。 そうだね……僕が間違っていたのかも」



QB「うん? どういうことだい?」

TB「キュゥべえ。 ……君に聞いておきたいことがある」


キュゥべえの質問には答えず、その無表情な眼をまっすぐに見つめて、トウべえは言った。


TB「……君は何故、僕にそんなことを話すんだい?」

TB「いや、そもそもどうして……このタイミングで僕を起こしに来たのかな」


TB「僕に何をさせたくない? 何をさせたい? ……一体何を期待しているんだい」


TB「君にとって、僕はただの兵隊じゃないのか……?」


キュゥべえの方も、彼の問いには何も返さない。
ただ目をぱちぱちさせて、小首を傾げてみせるだけだった。


TB「……何も言わないんだね。 君は、僕よりもずっと素直だよ」


ほんの少し口角を吊り上げながら、トウべえは独り言のようにつぶやいた。

そしてベッドの枠を無造作に掴むと、右腕の力で体を支えながら片足だけで立ち上がった。
しかし流石にその状態では上手くバランスがとれないのか、すぐに顔面から倒れこんでしまう。


TB「きゅっ……あいたたた」

QB「君は……何をしているんだい?」


床の上で必死にもがくトウべえを見下ろして、キュゥべえは不思議そうに問いかける。



TB「決まってるじゃないか……彼女を、追いかけるんだよ」

QB「……その体で、かい?」

TB「手足が一本でも残っていれば、這って進める。 人間型の利点だね」


話しながらも、トウべえは右腕で体を引きずるようにして床を這う。
その目指す先には、少し大きめな寝室の窓があった。


QB「手足以外は、まあ概ね治っているけれど……」

QB「……それでも、無意味に体を傷つけるような真似はよしてくれないかな」

TB「無意味じゃ……よいしょっと……ないさ」


そしてついに、彼の腕が窓枠にかけられる。

足で体を持ち上げて、空いた片手で窓のロックを外す。
そのまま窓を開け放つと、眼下にはアスファルトの道が広がっていた。



TB「うん。 この高さなら、大丈夫だろう……たぶん」

TB「よっ……」


窓枠に腰掛けた彼の体が、ぐらりと傾く。



QB「……わけがわからないよ」



一般的に予想されるよりもやや硬質な音を響かせながら、トウべえの体がアスファルトに叩きつけられる。
その衝撃で内蔵を傷つけたのか、彼はそのまま2、3度吐血をした。

だがそれが治まるとすぐに、未だに無事な右腕を地面に突き立てる。



QB「どうして、こんなことをするんだい? この行動にどれだけの意味が……?」

QB「……いや、意味なんてあると思えない。 全く不可解だよ」


いつの間にかそばに寄ってきたキュゥべえには目もくれず、トウべえは体を引きずり続けた。
そのたびに左肩や頬の皮膚が削れ、白い体に鮮血が滲む。


TB「だから……無意味じゃ、ない……」

QB「じゃあ、君やマミにとってどのような利益を生み出すっていうんだい?」

TB「……彼女には、無いかもね」

TB「僕らが得た感情は……いつも、彼女たちにとって、マイナスだった」



TB「だけど……逆に、彼女たちは……僕にとって、ずっとプラスだったんだ」


TB「……だから、僕にとっては無意味じゃない。 その行動が、何も生み出さなくっても」

TB「誰かの元に向かおうとする、その意思には……意味があるものさ」

QB「……ふうん」


のろのろと進むトウべえの脇をゆっくり歩きながら、キュゥべえはふと上を見上げた。
そして何かに納得したように頷くと、トウべえの方へ向き直る。


QB「君やマミの行動は、やはり僕には理解できないけれど」

QB「しかしそこに、ある程度の可能性はあると認めよう……」

QB「そんな不可解な存在だからこそ、人間は大きなエネルギーを持つのかもしれないし」



QB「……ただ、君たちはいつも無自覚なんだよね」

QB「トウべえ? 君は目の前のそれに、いい加減気がついてもいいんじゃないかい?」

TB「……えっ?」


呆れたように言われて、トウべえは体を引きずるのを止め、顔を上げた。

そして……その時初めて、彼の目の前に何かがぶら下がっていることに気がついた。


TB「これは……一体?」


QB「ロープ、のように見えるけどね。 ……それは君のものだろう?」


TB「僕の……」


それはキュゥべえの言うとおり、細めのロープのように見えた。

綺麗な白色をしていて、明らかに普通のものではない。
どこか上のほうから垂れてきていて、トウべえのすぐ目の前でその端を揺らしている。

キュゥべえの口ぶりからすれば、さっきからずっとそこにあった物なのだろう。


TB「……?」


トウべえは特に警戒するということもなく、何の気なしに右手を伸ばした。


それはただ単に、手を伸ばせば掴める距離にある――だからとりあえず掴んでみた、ただそれだけの行動だった。



TB「……うわっ!?」



しかしその直後、彼はそれがどういうものなのか……身に染みて知ることになった。




――――――――――
 





――――――――――




昼間でも薄暗い廃墟の隙間を、巴マミはゆっくりと歩き続けていた。


肩にのせたキュゥべえを監視カメラ代わりにしながら、足元だけをじっと見つめて足を動かす。
地面に広がる影の中から、いつ敵の双眸が現れるかもわからない。

そんな中で、爪先に向けた視線さえ、いつしか途切れがちになっていた。


マミ(……怖がってるのかしら、私)



マミ(佐倉さんは……もっと怖かったでしょうに)

マミ(私はまだ、自分の身が大事なのかしら……)


QB『……今のところ異常はないよ』


無機質で唐突な報告に、マミは特に返事をすることもなく歩き続ける。
キュゥべえが一瞬で固められても敵の存在を察知できるよう、数十秒ごとに彼のテレパシーがマミの頭に響く手筈になっていた。

そのせいで一旦途切れたネガティブな思考は、しかし消えること無く彼女を苛む。


マミ(私は、何のために……)


考えたって仕方がないことだと、何度振り払ってもそれは戻ってきた。

否定したい心の内は、あいのせいで彼女の中に芽生えたものではない。
おそらくは契約した時からずっと、取り繕われた表面の奥に隠されていたのだろう。


QB『……今のところ異常はないよ』


薄暗い、じめじめとした廃墟の隙間を重い足取りですり抜けていく。
今の状況を構成するすべての物が、彼女を暗闇の中に引きずり込もうとしているようだった。


そして、狭い建物の隙間からやや開けた場所に出た時。



QB『……来たね』



マミ「っ!!」


マミの体が跳ねるように震え、ライフルと共に自分の視線までも正面へと向けてしまう。
その視界に黒いマントの端が見えた瞬間、彼女ははっと我に返り、すぐに顔を背けた。

くすくすという笑い声が、まさにその場所から聞こえてくる。



QB『彼女のすぐそばに、黒い巨人型の魔女が居る。 そして彼女の肩には蛇の――』


状況を伝える早口のテレパシーはそこで唐突に途切れ、何か硬いものが肩から滑り落ちる。


マミ「……キュゥべえ!? くっ……!」


足元に向けた視線の先に、ごろんと転がるキュゥべえを捉えながら、マミは大まかな方向へ銃を向けた。
ひどく焦っていたためか、そのまま引き金を引いてしまう。

ホールのように広場を囲む廃墟群に、甲高い銃声がこだまする。

しかしその後には、弾丸が着弾したような音は聞こえなかった。


あい「……はい、残念でした」



あい「でも結構ギリギリの所を突いてくるよねえ……びっくりしちゃった」

マミ「大河……あい……!!」

あい「え? ……あ、ちょっと待って! わかってないのっ……?」


やや慌てた調子の制止も虚しく、二発目、三発目の銃声が響き渡った。

呆れたようなあいのため息も、すぐ轟音にかき消される。
彼女は一度大きく息を吸うと、マミが銃を取り替える瞬間を狙って声を張り上げた。


あい「……キュゥべえ! どうせそこらに居るんでしょ!」

あい「ぼんやり見てないで、状況教えてあげたらどうなのさ」


あい「このままだと……佐倉ちゃんまで死んじゃうよ?」




撃ち終わった銃を捨てる手が、びくっと震えて止まる。


マミ「……何? どういう、ことなの……キュゥべえ?」


一瞬の静寂が広場を包んだが、その間に二匹目のキュゥべえが姿を現すことはなかった。
あいは腹立たしそうに頭を掻くと、一度小さく舌打ちをして言った。


あい「逃げた? むう……あんちくしょう、わざと教えなかったんだな」

マミ「何を言っているの? 一体あなたは……」

あい「相変わらず狡い奴だね…… 堂々と出てきたボクが馬鹿みたいじゃないか」



マミ「……ぶつぶつ言ってないで答えなさい! 佐倉さんに何をしたの!?」

あい「うーん……ちょっと説明しづらいな。 見てみたら良いじゃない?」


嘲笑うような口調で言うあいに、マミは歯ぎしりをしながら再度銃口を向ける。
しかしその引き金を引く勇気はなかったのか、結局は閉じていた瞼をそろそろと開いた。

地面に向けた視線をゆっくりと、慎重に上げていく。


すると、それは意外に速く視界へ入った。


マミ「……っ!」

あい「美樹ちゃんを調べてみたならわかるでしょ? ……これがどういうことなのか」


マミの真正面、広場の中心あたりに伸びた廃墟の影。
そこから上半身を出した黒い巨人の、腰くらいまでしかマミには見えていなかった。

だが、だらりと下げられた巨人の腕、その先にある拳までは辛うじて視界に入っている。



当然、握りしめられた指の隙間から伸びている―― 杏子の腕も。



あい「時間が止まっている間は、外から干渉することは一切できない……」

あい「……この子が全力で握りしめ続けたって、髪の毛一本折れやしないんだよ。 こんなふうにね」

あい「このままの状態なら、佐倉ちゃんは絶対に安全なのさ」



あい「だけど……もし時間停止の魔法が解けちゃったら、どうなるかな?」


マミ「……っ!」


マミにあいの顔は見えないが、いやらしく笑っているのだけは想像がついた。

銃口がゆっくりと下ろされ、引き金からも指が離れる。
その手が小さく震えているのは、きっとあいに対する怒りのせいだけではないだろう。


あい「まあ、目をつぶってたって数撃ちゃ当たるよね…… この子の魔法は完璧というわけじゃない」

あい「目を合わせなきゃいけないから、影の中に隠れることもできないし」

あい「正体がバレちゃったら、こうやって人質でもとらなきゃ意味ないんだよね」



マミ「……相変わらず卑怯ね」

あい「そう? 撃ちたければ撃ってもいいんだよ」

あい「さっき以上に連射を重ねれば、いつかはこの子――『蛇の魔女』に当たる」


あい「そうすれば君の勝利でしょ? ……佐倉ちゃんはぐちゃぐちゃだろうけど」


マミ「くっ……!」


マミは目をつぶったまま、今度はあいの声が聞こえる方ではなく、黒い巨人が居た方に向けて銃を撃った。
素早く銃を取り替えながら、機関銃のように弾丸をばらまく。

的が大きいためか、今度は半分以上の銃声が着弾音となって返ってきた。


だが、巨人が倒れる音は一向に聞こえてこない。


マミ「それなら……!」


数本のリボンが螺旋を描きながら空中を舞い、マミの手のひらで収束する。
それらは一度光に包まれ、やがて巨大な銃身へと変化を遂げた。

普段は止めの際に使う最大の砲弾は、もはや目で狙いを付ける必要すらない。

マミはそれを巨人へ向け、迷わず引き金を引いた。



マミ「……ティロ・フィナーレっ!!」




ハンマーが落ちるのと同時に、広場に轟音が響き渡る。

絶大な威力を誇る一撃は巨人の体を半分以上も吹き飛ばし、その背後にある廃墟に風穴を開けた。
そばに立っていたあいは小さな悲鳴をあげながら、突風に押されて地面に広がる影に落下してしまう。


マミ「やった……!」


弾丸が確実に巨人を貫いたことはわかっていたが、マミは一応結果を確認するために顔を上げた。



マミ「……え?」



しかしそこには、確かに半身を吹き飛ばしたはずの巨人が、何食わぬ顔で立っていた。



マミ「そん、な……」


少しの間、マミは目を閉じることさえ忘れて呆然としていた。

体半分を再生するのに、おそらく数秒もかかっていない。
力や素早さは大したものではないのだろうが、再生能力だけならば『薬瓶の魔女』にも勝る性能だった。



マミ(そうだ……きっと、どこかに本体が居るんだわ)

マミ(それを、叩けば……)


そこまで考えて、マミは自分が置かれている状況をようやく思い出した。
慌てて目をつぶり、記憶と勘を頼りにライフルを構える。


……確かに、影の巨人のようなこの魔女には、決定的な弱点が存在するのかもしれない。

たった数秒で半身を形成するなど、さすがの魔女でもあり得ないだろう。
だから影の巨人は文字通り影武者で、どこかにそれを操る本体が居る、という発想はきっと間違ってはいない。


マミ(……でも……)


―― 一体どのようにして、その本体を見つければいいのだろう?


ろくに目を開けることすらできないような、この状況で。



あい「……君たちは本物、ボクたちは偽物」

あい「その事実はどうやったって変わらない。 ボクの力じゃ、魔法少女に勝つのは無理かもしれない」


巨人の足元に広がる影の隅から、白い頭がひょっこりと現れる。
影の縁に両手をかけて体を引き上げながら、あいは語り続けた。


あい「あの人が残してくれたこの『魔女』も……ある意味では偽物に過ぎない。 力不足さ」

あい「でもね……だからこそ、ボクは君をここに呼んだんだ。 言ってる意味わかるよね?」


影の中から引っ張りだしたクラシカルな椅子に腰掛けて、あいはにやにや笑いながらマミを見つめた。
マミはその問いかけに答えることもなく、深くうなだれたままじっと突っ立っている。

あいが組んだ膝の上に頬杖をつくと、その歪んだ片頬がさらに醜く歪んだ。


あい「君なら…… こんなボクでも、なんとかなるかもしれないってことだよ」




あい「君はすっごく強いけど、でも本当のところは誰よりも弱い」

あい「何でかって? ……それは君が嘘つきだからさ」

あい「綺麗に取り繕った外面で、内面の醜さを隠し続けてる。 それが君だよ」


マミの肩が小さく震え、銃把を握る指に力が入る。
あいはそれに気付いているのかいないのか、楽しそうに体を揺らしながら挑発を続けた。


あい「君は一体何のために戦ってるの? ……正義? そんなの嘘だね」

あい「有りもしないもののために命をかけられるわけがない……それは人間じゃなくたってそうさ」



あい「それなら……仲間のため?」

あい「君の大好きな、佐倉ちゃんや美樹ちゃん……それとも暁美ちゃんのため?」

あい「……いや、それも違う」


小さな震えはだんだんに大きくなり、それに合わせて呼吸の間隔も長くなる。

噛み締めた唇から、一筋の血が流れて落ちた。



あい「君は、自分のために戦ってるだけだ」




あい「知ってるよ? 君が契約した時のこと。 キュゥべえから聞いたもん」

あい「交通事故だったそうだね……御両親は助からなかったんだって?」

マミ「っ!!」


その瞬間、マミは跳ねるような勢いで顔を上げた。
一瞬見開いてしまった目をすぐに手で覆って、しかし激しい動揺は隠し切れない。


あい「君は今でも、そのことを気にしてるんじゃないの?」

マミ「……ち、が」

あい「自分が助かることだけを祈って、結果家族を死なせてしまった」

あい「そのことに対する贖罪……埋め合わせが、君の原点なんじゃないかな?」



マミ「…………」


ねばつく悪意を隠そうともせずに、あいは触れてはいけない場所へ土足で踏み込んでいく。
それが自分の動揺を誘っているのだと頭ではわかっていても、マミは手の震えを止めることができなかった。


あい「誰かのためにがんばって、命をはって、戦って……」

あい「そういう『正しいこと』をしている間は、自分を責めなくてすむ」

あい「一人ぼっちの寂しさも忘れていられる……他人を巻き込んだヒーローごっこさ」


ずっと目を逸らしてきた、光を当ててこなかった領域。
まさしく彼女の影の中に、それは潜んでいたのだろう。

彼女の戦いの、その根本にあるもの。


あいの言うことの真偽は、彼女自身にさえもわからない。

ただ誰かに指摘されれば、それは明確な形を持って心の中をかき乱す。


マミ「……れ……」

あい「わかってるのかい? 君が隠してきたその弱さのせいで、佐倉ちゃんはこうなったんだ」

マミ「……ま……れ」

あい「そうだよ、全部全部――」




あい「――君が弱いからいけないんだ」
 





マミ「……黙れっ!!」



薄暗い広場に、一発の銃声が響き渡る。


そしてそれと共に、何か小さなガラスが割れるような、そんな音が聞こえた。




マミ「はあっ……はあっ……」


荒い息をつきながら、マミはその場にへたりこんだ。
手放された空のライフルが、乾いた音を立てて広場に転がる。

そこから放たれた一発の弾丸が撃ちぬいたのは、大河あいの胸元。

トウべえと同じ位置にある、彼女のソウルジェムだった。


マミ「はあ……し、かたが……なかった……のよ」


再び静かになった広場で、マミは誰へともなくつぶやいた。



あいを一撃で殺せば、両方の魔女が同時に消え、杏子を救うことができる――


他に大きな音を出すものの無い廃墟の中で、彼女がいる方向を知るのはそう難しいことでもない。
マミの聴覚と射撃の腕をもってすれば、ソウルジェムを一撃で撃ちぬくことも可能だった。

ただ、その手段に出る踏ん切りが付かなかったというだけで。


マミ(大河あいは……トウべえと同じ、感情を持った……)

マミ(それを、私は……)


だんだん落ち着いてきたマミの心に、彼女を殺したという事実が重くのしかかる。
倒せば元に戻る魔女や、完全な怪物の魔獣とは違う……意思を持った存在の命を、奪ったということ。

マミのような少女が背負うには重すぎる事実を前にして、思わず否定的な言葉が口に出る。


マミ「……で、でも……」




あい「でも、何だい?」




しかしそんなささやかな逃げ道さえ、爛れた悪意は許さない。



マミ「……え?」


あい「流石だね、一発で正確に粉々だったよ……」

あい「……目隠しで、よくこんなことができるもんだね」


依然として姿を保っている黒色の巨人、その足元に広がる影の中から上半身を出して、
彼女は楽しそうににこにこ笑っていた。

手のひらには、いくつかのガラスの破片のようなものが載せられている。



あい「でも残念……これはデコイラン」

あい「君から狙撃できる位置に、ボクの本体は無いよ。 当然でしょ?」



マミ「そん、な……」

あい「もう逃げ道なんて無いんだよ。 ここに来た時点でね」


あい「佐倉ちゃんか、自分か……君に選べるのは、どちらを捨てるか、ただそれだけさ」



マミは座り込んだまま、振り向くことさえ出来ずに呆然と地面を見つめていた。

その髪飾りにはめられた金色のソウルジェムが、少しずつ輝きを失っていく。
あいはそれを見て子供のようにはしゃぎながら、再び声を張り上げる。


あい「あははっ、そのままじゃ消えちゃうかもね? 巴ちゃん」

あい「せっかく助かった命なんだし、それじゃあもったいないと思わないかい?」



あい「……ねえ、もし君がこのまま、黙って魔女になるのなら」

あい「君も佐倉ちゃんも、死なないですむんだよ?」

マミ「……!」


その言葉に反応するマミを見て、あいはにやりと笑った。


あい「そうすれば、もう苦しまないですむ」

あい「君の仲間も……君自身も」

マミ「わ、私は……」



あい「わからないな、一体君は何を気にしてるんだい?」


マミが何かを言い出す前に、あいは自分の言葉を重ねていく。
まるで、上から押さえつけるように。


あい「魔女になっても死ぬわけじゃない、ただ他人を傷付けるかもしれないだけなのに」

マミ「そんなことが、許されると……」

あい「許されるさ! ……だって、それが彼女たちの素直な気持ちなんだから」



マミ「は……?」

あい「確かに魔女は人を襲うよ。 でもそれは、彼女たちがそうしたいと思っているからだ」

あい「ただ自分の感情に素直になるだけ…… 仕返ししているのさ、この世界に」

マミ「……仕返し?」

あい「そう、彼女たちを苦しめるこの世界に対して、ね」

マミ「それは、ただの逆恨みよ」

あい「別に良いじゃない、それでも」


あいはくるりと宙返りして椅子の上に立ち上がった。

両手を広げてバランスを取り、マミを見下ろして嬉しそうに笑う。



あい「正義や秩序なんて、くだらない幻想でしかない」


あい「ボクらにとって大切なのは、自分と自分の愛する人が満たされてるかどうか――それだけさ」

あい「それを邪魔する世界やルールなんて、要らないんだよ」



あい「だから……壊したっていいのさ」


マミ「でも……そんなことをしたら、傷つく人だって……」

あい「どうでもいいんだよそんなの! どうせ誰も否定できないさ、だってみんなそう思ってるんだからね」

あい「君だって、殺してやりたいと思ったらボクを殺すだろう?」

マミ「っ!」


とっさに言い返せず、マミは黙って俯いた。




あい「でも、ボクは君を責めたりしない。 当然のことだからね」

マミ「…………」

あい「だから……もう良いんだよ、巴ちゃん」

あい「君も誰かのために戦うフリなんかやめて、好き勝手に暴れればいい」


それは、まるで子供のような言い分だった。
だが、子供を動かすのはいつだって子供の理屈に違いない。

動揺するマミの背中に、あいは優しく声をかけた。


あい「ほら、目を開けて……ボクを見て?」

あい「……そうするだけで、全部終わるよ」



マミ「あ……」


そして、ほんの少しだけ、彼女のまぶたが動いた時。


……彼女たちの耳に、まるで地響きのような、重く乾いた音が届き始めた。

はじめはよく聞こえないほどに小さかったそれは、だんだんと大きくなっていく。



あい「ん? ……何だ?」

マミ「え……?」



やがて、ふたりが注意せざるを得ないほどに音が大きくなると……



それは唐突に、彼女たちを襲った。




――――――――――
 




――――――――――




マミ「――ひゃあっ!?」


世界が、自分を残したまま一回転する。


目を閉じていたので本当のところはわからないが、彼女にはそう感じられた。

つい先程まで下向きにかかっていた重力が、全身の細胞をあらゆる方向へ引っ張り回す。
三半規管が付いていけずに悲鳴を上げ、マミは一瞬軽い吐き気さえ覚えた。


あい「わわっ!! ……な、何!?」


上下左右の感覚すら曖昧になる中で、おそらくはさっきと同じ方向からあいの声が聞こえてくる。
突然の事態に驚き動揺する彼女の叫びは、なぜだか妙に子供っぽく聞こえた。



マミ「あう…… くっ!」

マミ(彼女がやっているのではないの……? それなら、これは……)


たまらず地面に片手をついて、マミは少しばかり考える余裕を取り戻した。
一瞬の内に、様々な可能性が浮かんでは消えていく。


マミ(暁美さん……? いえ、彼女にこんな魔法は使えないはず)

マミ(佐倉さんの幻惑ならできるけれど、彼女は今……)


マミ「……まさか」


彼女がある予想に辿り着いた頃には、既に重力の異常は収まっていた。

しかしあいの慌てふためいた声は、未だに落ち着く気配がない。


あい「な……何だいこれは? 巴ちゃん、君がやったのか!?」

あい「いや、違う……調べた中に、こんなことができる魔法少女なんて……」


マミはその様子を聞いて、周囲がどうなっているのか確認することに決めた。
地面に這いつくばった姿勢のまま、ゆっくり慎重に目を開ける。


マミ「……え? 何なの、これ……?」



まず彼女の目に飛び込んできたのは、一面の黄色だった。


灰色の地面を見つめているはずの視界に、なぜか真っ黄色で、つるつるとした床が広がっている。

慌てて目線を上げても、そこにあるのは黄色い瓦礫、黄色い建物、黄色い地面。
空だけは真っ白に見えるが、その下にあるものはすべて黄色く、つるりとした何かだった。

細かな凹凸や模様を失った、奇妙な構造物たち……まるで元々そこにあったものを代替するかのように、それらは整然と並んでいた。


マミ「世界が……変わった?」

マミ(いえ……むしろ私達が、別の世界に来たような……)


『蛇の魔女』の存在をすっかり忘れて、マミはこの異常な世界をきょろきょろと見回した。

真っ白な背景に黄色い立体が並ぶだけの、低予算で作ったCGのような世界。
その無機質な雰囲気に、彼女はどこか懐かしさすら感じていた。


マミ(……私も、こんな魔法は見たことがない。 それなら、やっぱり……)


その内、二色で構成された視界の中に走る、一筋の違和感にマミは気がついた。
立体物は全て黄色一色に染まったこの世界における、たった一つの例外。

彼女の数メートル先にぶら下がっている、細く真っ白なロープ――



マミ「……これって」


彼女は立ち上がってよろよろと近づき、それを間近で観察した。
白く、繊細な糸で織り込まれたそれに、マミは見覚えがあった。


そしてそれに指先で触れた途端、彼女の頭に、聞き慣れた声が直接響く。



『マミ、それを掴んでくれ』
 




マミ「っ! トウべえ!?」


ほとんど反射的に、マミはロープを右手で握った。



その瞬間、彼女の体が勢いよく上に引っ張られる。
まるで釣り上げられた魚のように、マミは猛烈な速さで宙に放り投げられた。



マミ「……えっ? えっ、えっ……きゃああああ!!」


絶叫と共に、マミは真っ白な空を飛んでゆく。




そして眼下に広がる黄色い立体のうち、ひときわ高いものの屋上をめがけて突っ込んでいった。


マミ「お……落ち、てるの!?」


突然の事態に目を丸くしながらも、マミは空中で体をくるりと回して着地の備えを始めた。

一瞬迷ったがリボンは使わず、体を回転させながら黄色い床に激突する。
どうにかこうにか受け身をとりながら、彼女は立体の上に降り立った。


マミ「……っと……もう、何なのよこれ……?」




TB「あはは……ごめんね。 乱暴な移動手段しかなくて」



屋上の隅の方から聞こえた声に、マミははっとして振り返る。

急いで駆け寄ると、そこには彼女が想像していたよりも、やや傷ついた彼の姿があった。


マミ「……トウべえ! やっぱり、あなたの仕業だったのね」

TB「ん……まあね。 これは僕の、新しい魔法になるのかな」



TB「視界の中にあるものを、この異空間の中に引きずり込む魔法……」

TB「……僕自身の戦闘能力は皆無になるから、あくまで隔離するだけだけどね」


固有武装にあたるものは移動用のロープだけで、自分は戦うことすらできない。
強い魔法少女が居なければ成立しない、純粋なサポート用の力――


――『結界魔法』。


それが彼の3つ目の色、ソウルジェムの中で明滅する黄色い光が与えた魔法だった。



TB「今この空間に居るのは、大河あいと彼女の魔女、そして君だけだ」

TB「杏子は向こうへ残してきた…… ここなら、好きなだけ暴れられるよ」


黄色いのっぺりとした柵に背中を預けて座り込む彼の姿は、いつの間にか新しいものへと変わっていた。

白いシャツに黄色いベストを行儀よく着こみ、首元には黄土色のネクタイまできちんと締めている。
濃い茶色のズボンといい、羽飾りのついた同色の帽子といい、全体的に落ち着いた雰囲気の服装だった。


しかしそのせいで、だらりと垂れ下がった左側の袖や裾、シャツについた赤黒い染みが逆に目立ってしまっている。


マミ「あなたは……そんな、状態で……」

TB「え? ……このくらいなら、大したことないよ」

マミ「……ごめんなさい」


きょとんしているトウべえから、マミは申し訳無さそうに視線を逸らした。

一時的に忘れていた疲れを思い出したように、膝をついて座り込む。
ぼさぼさに乱れたままの髪が、伏せられた顔を覆い隠した。


TB「……どうかしたのかい? 調子が戻らないみたいだね」

マミ「違うの……」

TB「グリーフシードなら、まだ少しだけ残ってるけど」

マミ「違う……そうじゃないのよ」


弱々しく、マミは首を横に振る。
髪に隔てられた表情が、一瞬だけトウべえにも見えていた。



マミ「私は、あなたがそこまでするような……」

マミ「……あなたが期待しているような人間じゃ……無い」

TB「……マミ?」


マミ「私は……」


髮飾りについたソウルジェムが、徐々に輝きを失っていく。

それだけで、彼女が言わなかった言葉の先が、トウべえにはわかる気がした。



TB「…………」


しかし彼は、それを見ても特に表情を変えることなく、ただ残された右腕を高く上に挙げた。
するすると空から降りてきたロープに腕を絡ませ、それを支えにしてふらりと立ち上がる。


TB「……彼女の、大河あいの言ったことかい?」

マミ「…………」

TB「残念だけど……それについては、僕は何も言えない」

TB「君でさえわからないことに口を出せるほど、僕は高性能じゃないから」


トウべえはロープにぶら下がったまま、一本足でぴょこぴょこ歩いて行った。
そのまま器用に数歩進んだところで、再び体を地面に下ろす。
マミの前にちょうど膝をつくような格好になって、彼はその顔を覗きこんだ。


TB「……だけど、僕は君に何かを期待して、ここまで来たわけじゃないよ」



マミ「え……?」


ほんの少し顔を上げると、髪の隙間からお互いの顔が見える。

意外なことに……トウべえはやわらかく微笑んでいた。


TB「僕には、正義というものはよくわからないけど」

TB「……確かに彼女の言うとおり、そんなもの無いのかもしれない」

TB「何が正しいのかなんて、人によって変わるだろうからね」


TB「……でも、君は正しくあろうとしてる。 それは僕にもわかるよ」



TB「本当は正しさなんて諦めて……切り捨てたり、開き直ったりした方が楽なのかもしれない」

TB「それでも君は、正しくあろうとして、今も悩んでるんだろう?」


TB「僕は……いや、僕だけじゃないかもしれないね」

TB「さやかも、杏子も、もしかしたらほむらも…… 君の、そういうところが好きなんだと思う」


マミ「………!」

TB「だからみんな、君の下に集まってくる。 正しいからとか、強いからじゃない」

TB「正しくあろうとしているから…… まだ、諦めていないから」



TB「……そんなまっすぐな君の背中を、追いかけて行きたくなるんだよ」



TB「僕がここまで来たのは、それだけの理由さ」


トウべえは腕にロープを巻き付けながら体を持ち上げ、もう一度立ち上がった。
一本足で飛びながらマミに近づき、ロープを巻いた腕をぎこちなく差し出す。


TB「本当は君がどのような人間で、何のために戦っていたのかなんて……僕にはわからない」

TB「その答えは君にしかわからないんだろう。 けど、僕にも自分のことならわかる」

     

TB「……君がどういう答えを出しても、きっと僕は、君の味方であり続ける」

TB「君が、僕の大切な人であり続けるようにね」



マミ「っ! ……トウ、べえ」

TB「……だから、昨晩言ったことは忘れてくれ。 僕から君に口出しすることなんて無かったんだ」

TB「君は君の心に従って進むと良い……僕は、それについていくよ。 どこまでもね」




TB「もしそれに時間が必要なら、僕が……わっ!」

マミ「え? ……あ」


そこまで話したところで、トウべえが腕で抑えていたロープが、解けてするりと抜け落ちた。
彼はとっさに体を支えることができず、そのまま前へ倒れこむ。

しかし、彼が床に顔をぶつけることは無かった。


TB「……えっと……僕が、なんとかできるように……努力するよ」


立ち上がったマミに体を支えられながら、トウべえは少し恥ずかしそうに言った。



TB「……頼りない味方で、申し訳ないけど」



マミ「ふふ……十分よ。 ありがとう……」


優しく微笑みながら、彼女はトウべえの体を黄色い床に下ろした。
すぐに後ろを向いて、清々しいほどに真っ白な空を仰ぎ見る。


マミ「……そう、ね」

マミ「私は、私の心に従って進めば良い……」


そして一度、大きく深呼吸をしてから……彼女は簡潔に言った。





マミ「……行ってくるわ、トウべえ」




それに対して、彼もまた、簡潔に答えた。



TB「行ってらっしゃい…… 僕らのリーダー」



………………
…………
……



………………




あい「……うー」


マミがロープに引っ張られて姿を消してから、数分が経過したころ。

一人残された大河あいは、予想していなかった事態にどうにか対応しようと必死に頭を働かせていた。
眉間にしわをよせてあれこれ考えながら、早足で構造物の隙間を進んでいく。


あい(マズったなあ……佐倉ちゃんを見失っちゃうなんて)

あい(……おまけに、こんな空間に閉じ込められるとはね)


奥歯同士がこすれあう、耳障りな音が口の端から漏れる。



あい「……やっぱり、立花くんの仕業かな」


暁美ほむらが見滝原に帰ってこられる状況でないことを、あいはよく知っていた。
そうなれば、援軍の可能性があるのはトウべえしかいない。


あい(まったく、小細工ばっかりいくつも覚えやがって……うっとうしいなあ)

あい(……でもまあ、それならそれで話は簡単だけどもね)


あいは、ちょうどマミが飛んでいった方向へ向かって歩を進めていた。

この真っ黄色な世界がトウべえの作ったものだという彼女の予想が正しければ、
マミが引き寄せられたその行き先には、きっと彼自身が居るはずだ。

おそらくは、手足の傷が癒えていないままの状態で。


そしてどんな魔法であっても、それをかけた本人が死ねば、ほとんどの場合効果は消える。

ろくに動くこともできないような少年が、この世界の要なのだ。
きっと、ここを抜け出すこと自体は簡単なことなのだろう。


あい(だけど、そんなことは立花くんだってわかってる)

あい(あいつはあくまでサポートメンバーなんだから、きっと本命は……)



そこまで考えを巡らせたところで、唐突に響き渡った轟音が、彼女の思考を中断させる。



あい「っ!! ……やっぱり来たか」


あいが走っていたのは、左右に黄色い構造物が立ち並ぶ狭い道だった。
おそらく、構造物に置き換わる前は路地のような場所だったのだろう。

その奥のほう、つまりあいの前方に、黄色っぽい土煙がもうもうと立ち込めている。

そしてスクリーン代わりになった土煙の表面には、こちらに向かって歩いてくる人影が、確かに映っていた。


あい「壁を、無理やりぶち破ってきたのかい…… ワイルドだねえ」


マミ「…………」


晴れていく煙の中から姿を表した少女に、あいは若干後ずさりをしながらも平静を装って軽口を叩いた。
その間に、素早く相手の姿を観察する。


あいの前に再び現れた巴マミは、意外にも手ぶらの状態だった。
武器である銃を持つわけでもなく、トウべえのロープや、自分のリボンを握っているわけでもない。

それ以外はおおむね元のままだが、ただひとつ、乱れた髪で覆い隠された顔にはある変化があった。


あい(……なるほど。 壁を破らなきゃ進めないわけだ)


彼女は自分の魔法であるリボンを、顔――目元のあたりにぐるぐると巻きつけ、視覚を完全に遮断していた。
まるで、目の手術を終えたあとの患者のような風貌だ。



あい(確かに、そうすれば動揺して目を開けることも無いだろうけどね)

あい(視覚を捨てるなんて、思い切ったことをしたもんだ……)


あいはにやりと笑うと、音を立てないようになるべくゆっくり、注意深くタクトを振った。
それに合わせ、足元に広がっていた漆黒の影が素早く移動する。


あい「……やあ、巴ちゃん。 こりゃまた随分とおかしなことになったもんだね?」

あい「気がついたらこんなところに飛ばされちゃってさ……なんだいこれ? 立花くんの新しい一発芸?」

マミ「あら……流石に、察しがいいのね」


タクトに操られた魔女は、やがてマミのすぐ後ろにある構造物の、側面にできた影を漆黒に染めた。

そしてあいがマミと会話している間に、魔女はその窓口からゆっくりと手を伸ばしていく。


少しづつマミに近づいていく黒い指先を見て、あいは満足気に笑いながら時間稼ぎを再開した。


あい「へえ? だとするなら、この魔法は……色んなものを、選択的にこの異空間に引きずり込む力、かな?」

マミ「……それを知って、何になるというの?」

あい「別に。 ただ、ちょっと気になっただけだよ」


あい「彼がこういう選択をしたのは……君の影響なのかな、ってさ」


マミ「え……?」



あい「だっておかしいじゃないか。 彼はどうやら、この世界に入れるものを選べるらしいけど」

あい「それなら、君と佐倉ちゃん……そして『蛇の魔女』だけを隔離するべきだろう?」


トウべえ自身に戦う力が無いのであれば、この魔法は本来彼女たちをあいから引き離して守るためにしか使えない。
そして魔法少女を守りたいのであれば、ふたりと非力な『蛇の魔女』を隔離するのが最も合理的な選択だ。

しかし、彼はそうしなかった。 あいはその矛盾を目ざとく見つけ、マミを揺さぶるために暴き立てる。


あい「立花くんがそうしなかった理由は、ひとつしか考えられない」

あい「……君たちを匿うということは、ボクを再び見滝原に放つのと同義だからさ」

あい「そう、彼はボクが、君たちとは何の縁もない一般人を傷付けないように配慮したんだ」

マミ「……!」


あい「ねえ、巴ちゃん? あのお人形に、ヒーローごっこなんて教えこんだのは…… やっぱり君なのかい?」


ゆっくりと魔女を這わせながら、あいはこれ以上ないほどに悪意を込めて、遠回しにマミを非難した。

常に魔法少女たちへの悪意を抱えている彼女にとって、挑発はひとつの武器でもある。
だからなるべく相手の神経に障るような、刺々しい言葉を選ぶことに、あいはある種の自信さえ持っていた。

しかしその時のマミの反応は、彼女の予想とはまるで違うものだった。



マミ「ふふっ……ええ、そうかもしれないわね」


あい「は……?」

マミ「確かに、昔の彼じゃ考えられないわ」

マミ「そして、彼をそんな風に変えたのは……私なのかもしれない」


マミ「……人は、そうやって変わっていくものよね」


マミは目元が隠れた状態でもわかるほど、爽やかな笑みを浮かべて言った。



マミ「確かにあなたの言うとおり、私は弱い人間だわ」

マミ「今まで戦っていたのも、ただ寂しさを紛らわしたかっただけなのかもしれない」


マミ「……けど、そんなことはもうどうだって良いのよ」


よく通る声を異空間に響き渡らせながら、マミはゆっくりと前へ進み始めた。
目が見えない状況でもしゃんと背筋を伸ばし、一歩一歩確実に踏み出していく。


マミ「過去から目をそらさずに前へ進んでいれば、人は変わっていける……強くなっていける」


数歩踏み出したところで、マミは帽子を脱いで胸元に当てた。
やがてそれはぼんやりと光りながら、金色のリボンの束に姿を変える。
数本のリボンは生き物のようにうねり、歩き続ける彼女の体に沿うようにして広がっていった。



マミ「私だって…… 今は弱くても、きっと強くなれるわ」

マミ「……だから、私は諦めない」



あい(あれ? 何やってるんだ……?)


リボンを生成したのを見て、あいは一歩後ずさりしながら身構えた。
しかし、そのリボンは彼女の元へ伸びてくるわけでも、収束して大砲へと変化するわけでもない。
まるでマミ自身を縛るような動きに、あいの頭は疑問符で満たされていく。


マミ「そうよ…… 私が正義を求めて戦うことの、一体何が悪いっていうの?」

マミ「誰かを助けたいと思うのが…… そんなに、変かしら……っ!」


そんな彼女をよそに、リボンはマミの体を本当に縛り上げていった。
歳相応に細い手足や胴にぐるぐると巻きついて、時々きつく締め上げる。

そのたびに苦悶の表情を浮かべながらも、マミは話すのを止めなかった。



マミ「私、はっ……! 助けを求めてる人を……この手で救うために戦いたい!」

マミ「大切な人も……知らない人も……自分、自身だって……!」


マミ「私は誰もっ……見捨てたくない! 私は誰も諦めたくない!!」



体の所々をリボンでぐるぐる巻きにして、それでもしっかりと歩いて行く。

その姿は、まるで大怪我を負った患者のようで。
今までリボンとして扱われていたものは、まさしく包帯のように機能していた。



マミ「それが、無理だって言うのなら……! 無理じゃなくなるまで強くなってみせる!」

マミ「自分の弱さも、醜さも、全部受け入れて! 前へ進んでやるっ!」

マミ「いつか……本当の正義にたどり着くまで……!」


もしかしたら…… それこそが、本当の使い道だったのかもしれない。
自分を飾り立てるための『リボン』ではなく、命を繋ぎ留めるための『包帯』――

――たとえ醜くても、偽りのない真の力。



マミ「私はもう立ち止まらない! ……あなたなんかに、負けはしない!!」




あい「……っ!」


その時、あいは自分でも気づかぬままにタクトを振り上げていた。

相手の気迫に恐怖したからなのか、それとも本能で危険を察知したからなのかはわからない。
ただどちらにしても、マミの背後まで迫っていた影の巨人は、ほぼ完璧なタイミングで彼女に襲いかかった。


実際、マミはその奇襲を予測することはできなかった。

魔女は音も立てず、気配も殺し、1メートルほどの距離まで近づいてもその存在を悟られることは無かった。
視界を閉ざされたマミが至近距離からの奇襲に気がついたのは、魔女の指先が間近に迫り、
わずかな風を巻き起こしたその瞬間だったと言っても間違いはない。


つまりどう考えても、避けようのない一撃だった。




しかし、タクトを振ってから数秒後―― 大河あいが見たものは。


腰から上にある全ての部分が、粉みじんになって消し飛んだ黒い巨人と。



その前で平然と立っている、黄色い包帯を全身に巻いた少女の姿だった。



あい「……え?」




相手が何をしたのかもわからず、ただ呆然と立ちすくむ彼女に向かって、
巴マミは意外なほど冷徹な声で言い放った。


その口元に、獰猛な笑みさえ浮かべながら。




マミ「さあ……ヒーローごっこを、始めましょうか……!」




――――――――――



――――――――――




あい(……やばい)



タクトを構えたままの状態で固まりつつ、あいは目の前の状況を必死に整理していた。
額からは冷や汗が滝のように流れ、のどばからからに乾いている。


あい(やばい、やばいやばいやばい)


しかしいくら頭を働かせても、何がやばいのかすらはっきりとしない。

それほど異常な状況だった。



あい(お、落ち着け…… 巴ちゃんは普通の魔法少女だ)

あい(新しい魔法なんて、使ってるわけじゃない……)


彼女が普通の魔法少女ならば、固有の魔法は1つのみのはずだ。
つまり、たった今マミが魔女に対して放った攻撃は、既存の魔法の応用に過ぎない。

実際、大砲を創りだしての射撃、彼女がティロ・フィナーレと呼んでいたそれならば、
魔女の半身を吹き飛ばすのも不可能ではない。



あい(……でも)


その時、マミは手ぶらだったはずだ。

銃すら持たずに、本当にそんなことが可能なのか……?


マミ「……あら? もう終わりなの?」

あい「っ!」


いきなり声をかけられ、喉まででかかった悲鳴をなんとか抑えこむ。
逃げ出したいという思いも無視し、後退りしそうな足を奮い立たせた。

黒い巨人の再生も既に終わっていたが、タクトを振るのもあきらめる。



ここで動いてはいけない、そうしたら相手の思う壺だ――


その一瞬の判断はほとんど勘によるものだったが、結果的には正しい選択だった。

どんな方法かはわからないものの、マミは背後から迫ってきた魔女を平然と吹き飛ばしている。
なんとか対策を講じなければ、何回襲わせても同じ結果になるだろう。

そしてもし、動いた時に音を立てて、あい自身の位置を完全に悟られたら……


あい「…………」


肉体の半分以上を失えば、さすがの人型インキュベーターもただではすまない。

だから、正しい選択だった。



マミ「そうね……それは賢明な判断だわ」


しかし、どんなに正しい道を選んでも…… 状況が劇的に好転するというわけではない。



マミ「だけど、私は根比べなんてするつもりは無い」



マミは肉食獣のように歯をみせて笑うと、あいに向かって一歩踏み出した。

続いて二歩め、三歩めと、ゆっくり歩を進めてくる。
相変わらず視界は塞がっているようだが、そのつま先は間違いなくあいへと向かっていた。


あい「……!」


その時、あいはようやく理解した。

マミがロープに引っ張られていってから、何があったのかは彼女の知るところではない。
しかし、その間にマミとあいの関係は、決定的に変化してしまったのだろう。

――狩る側と、狩られる側。

これが今の、二人の関係なのだ。
獲物がどれほど正しい選択を重ねても、ただ狩られる時間が先延ばしになるにすぎない。

あいの目の前にいる巴マミという存在は、既に口先で動揺させられるような少女ではなく。


冷徹で、強靭な……一人の狩人だった。



あい(……冗談じゃない!)


額から流れこむ汗にも構わずに、あいは目を見開いて敵を凝視した。
そのすみずみにまで目を配り、じっくりと観察する。


あい(ボクがこんなところで……やられてたまるか!)

あい(観察しろ、考えろ、この状況をどうやって打開すればいい……!?)


あい(……そうだ、彼女はどうやってボクの方へ向かっているんだ?)


焦りのあまり放置していた当然の疑問に、あいはふと思い至る。

『蛇の魔女』は彼女の肩の上で未だにマミを見つめているが、その動きが止まる気配はない。
つまり、視覚に頼っているわけではないのだろう。 そしてあいが音を立てずにいる以上、聴覚も使っていない。



あい(彼女が使っているのは、視覚でも、聴覚でもない……)


キュゥべえがどこかに潜んでいて情報を送っているという可能性もあるが、
そんなに正確な位置を掴める手段があるならすでに襲いかかってきているだろう。
しかし彼女は一歩ずつ、ゆっくりと歩いて向かってきていた。

それならば、答えはひとつに絞ることができる。


あい(……嗅覚か!)


そう、彼女はまさしく猟犬のように――研ぎ澄まされた嗅覚を使って、獲物のおおよその位置を掴んでいる。

たとえあいの匂いを知らなくても、人型インキュベーターの体臭はほとんど個体差がない。
トウべえの匂いをじっくり嗅ぐ機会があれば、彼女の方を追うことも難しくはないだろう。



あい(もしそうなら、影に入ればとりあえず追跡を断てる……)

あい(……けど、この状況で逃げ込めるか?)


影ならばあいの足元にも伸びているが、現在黒い淵に変化している影はマミの背後にあるものだ。
タクトを振り、影を足元に移動させ、そのまま飛び込む。
一連の動作を終えるのに、どうしても2、3秒はかかるだろう。

マミがどのような方法で魔女を粉微塵にしたのかわからない以上、危険な賭けだった。


あい(それでも、他に方法はない。 イチかバチか……!)


あいは一度静かに深呼吸をすると、覚悟を決めてタクトを振り下ろした。



マミ「っ!」


あいの持つタクトが風を切る音と、背後の巨人が風を巻き起こす音。

マミはそれらが聞こえたとき、一秒間だけ思考し、その結果魔女を先に処理することに決めた。



彼女はその場でくるりと振り返り、黒い巨人の方へ向き直って――



――次の瞬間には、既に狩りを終えていた。



あい「なっ……!」


今度はしっかりと観察していたにも関わらず、あいは何も見ることができなかった。
彼女の体が一瞬ブレたと思うと、いつのまにか魔女の体が消し飛んでいる。

そうとしか見えなかった。



マミ「さてと……」


魔女の処理を終えたマミはもう一度振り返って、さっきまで正面だった方向、
つまりタクトの風切り音が聞こえた方向へ顔を向けた。

黄色い包帯を挟んで、狩人の視線が獲物を捉える。


あい(……いや、行ける!)


しかし既に影は移動を終え、あいのすぐ背後に広がっていた。

あいは重力に身を任せ、後ろ向きに倒れこむようにして黒い淵へと身を沈めていく。



だが、彼女の体が影へと入るその瞬間。



あい「――っ!?」



肩を思いっきり上に引っ張られるような、妙な感覚があいを襲った。

そしてそれと同時に、何かが折れる音が耳元で響く。



マミ「……あら?」



黄色い包帯だらけの少女が、いつのまにか視界に入っていて……



なぜかその姿は、真っ赤に染まっていた。



………………
…………
……


………………



マミ「…………」



足元の影が移動していった後も、マミはその場でぼんやりと立ち尽くしていた。

ときどき左右に顔を振りながら、しきりに鼻をくんくんと動かしている。
獲物がまだ近くに居ないか、一応用心しているようだ。


マミ「ふんふん……逃げられたみたいね」


しばらくすると納得が行ったのか、彼女はあっさりと取り逃がしたことを認めた。



マミ「よいしょっ……と」


空いている左手を顔にあてて、右目の部分を覆っている包帯をぐいっと上に引き上げる。
ななめに巻いた包帯が左目だけを隠すように整えながら、マミは右手に握っていたものをまじまじと見つめた。


返り血で真っ赤に染め上げられた手のひらの中には、肉片に埋もれた白いもの――


――おそらく鎖骨の一部が、載せられていた。



マミ「…………」


やがて彼女は興味無さそうにそれを放り投げ、スカートの端で右手を軽く払った。
その際に赤い手形がついてしまったが、既に先ほどの返り血がべっとりとついていたので気にしない。

マミは露出させた右目を前髪で隠し直しながら、少し残念そうに溜息をついた。


マミ「たぶん動けなくなるほどの傷じゃ、ないわよね……」



マミ「……でも、次は逃さないわよ」


しかしすぐに気を取り直して、あいが逃げていったであろう方向に顔を向ける。
相手の行動を予測しつつ、腰を深く落として跳躍の体勢を取り、顔を上げてにやりと笑う。


たとえ何度取り逃がそうとも……彼女は二度と、立ち止まることはないのだ。



マミ「さて、ゲーム再開と行きましょうか……」



………………
…………
……



………………



あい「うああああ……っ!!」



魔女によって作られた漆黒の空間の中で、あいは苦痛に耐え切れずに叫び声をあげた。
吸血鬼然とした魔法服は黒を基調としているのであまり目立たないが、右半身は鮮血でずぶ濡れになっている。

人間の手のひら大にくりぬかれた肩は既にその機能を失い、右腕はだらりと垂れ下がるのみだった。


あい「ちっくしょー…… いっ、たいなあああ……もう!」

あい「あんのヤロー、ただでさえ薄い胸まで削れたら、どうしてくれんだっての……っ!」


気を落ち着けるために軽口を叩きながら、残った左手で懐を探る。
やがてもちもちとした饅頭のようなものを取り出すと、それを肩に開いた穴へ詰め込んだ。

饅頭はいきもののように形を変えながら傷口を満たし、それとともに出血が止まる。



あい「あうっ……応急処置、完了っと。 これでとりあえず動けるか……」


出血が止まっても組織や骨まではすぐに作れないのか、右腕は未だにぶらぶらしている。
あいは影の中に浮いているタクトを左手で掴むと、頭上に向けて軽く振った。

その動きに合わせ、漆黒の影はその入口の場所を素早く移していく。


あい(肉体が欠損した時用の補填材はこれで最後)

あい(払った犠牲は大きいね。 ……でも、影に飛び込んだのはやっぱり正解だった)


あい(直接攻撃を受けたおかげで、巴ちゃんが何をしているのかだいたいわかった気がするし)



あい(そもそも、仕掛けがあの包帯みたいなリボンだってことは明らかなんだよね……)


あいが知っている巴マミは、リボンを銃や大砲などの兵器に変えたり、敵を縛ったりする魔法少女だったはずだ。
しかし魔女を一瞬で倒した彼女は、自分自身を縛るように、リボンを体に巻きつけていた。

それが何らかの働きをしていることは間違いないだろう。


あい(……で、今のでわかった。 彼女はきっと、体に巻きつけたリボンを人工筋肉みたいに使ってるんだろう)


あい(体の要所をリボンで繋いで、その伸縮力を手足の屈曲や伸展、回旋に利用する……)

あい(外付けの筋肉に運動を補助させて、身体能力を大幅に向上させる。 ただそれだけのシンプルな魔法)


だがマミが使う魔法のリボンは、一本一本が人の体を支えたり、
魔女を縛り付けたりするほどの並外れた丈夫さと収縮力を持っている。
それを上手く体の動きに合わせることができれば、魔法少女の枠すら超えた怪力を発揮することも可能なのだろ

う。


肩の傷をさすりながら、あいはマミの魔法に対する考察を重ねていく。
彼女によって穿たれた穴がどのような形をしていたのか、また、黒い魔女はどうやって半身を失ったのか……

ヒントは十分に得られていた。 あとはそれを合わせるだけで敵の正体が明らかになる。


あい(……たぶん、彼女はそのばかげた怪力と瞬発力を利用して、ボクらを『削りとって』いったんだ)

あい(人型インキュベーターの目でも認識できないほどの、異常な速度で……)


瞬きをするほどの間に数十発もの蹴りや拳を叩き込めば、巨大な魔女でも粉々に吹き飛ぶだろう。

しかも、手のひらや爪先に巻いたリボンを銃を作る時のように硬化させれば、それがそのまま武器になる。
いちいち砲台を出すよりも魔力を使わず、弱点だった大きな隙も生まれない――



あい「……これが、巴マミか」



――それは人型インキュベーターなどとは格が違う、本物の魔法少女の力だった。



あい(完全に見誤ってた……確かに強い魔法少女だとは思ってたけど)

あい(まさかこんな本性を隠し持っていたなんて……)


あいのような人型インキュベーターは魔法少女の戦いを補助するため、
彼女たちに関するある程度の知識や前例を、あらかじめ脳に記録された状態で産み出される。

その記録の中には、自分の願いを否定するなどの精神的な要因で、
本来持っているはずの魔法が封印されてしまったという事例もいくつかあったことを、あいは思い出していた。
巴マミもまた、家族を死なせてしまった罪悪感から、自分の願いを無意識の内に否定していたのかもしれない。


あい(だから、今まではあの包帯の本当の使い方を知らなかったんだ)

あい(それが使えるようになったのは、彼女が否定していた自分を受け入れたから……)


「死にたくない」という、生物の本能から来る強い願い。

彼女が後ろめたいと思っていたものが、彼女の力へと変わっていた。



あい(否定したい部分を突きつければ、むしろ折れると思ってたんだけど)

あい(それすら噛み砕いて糧にするとはね。 これは失敗だったな……)


あい(……ともあれ、ここまで来たらもうボクの勝利は絶対に無いね。 どれほど被害を出さないかってレベルだ)


彼女自身も意外に思うほど、敗北を認めることに抵抗は無かった。
持てるものに差がありすぎて、悔しさすら湧いてこない。


あい「とりあえず、殺されるか捕まるか……試合終了は勘弁だよね」


あいは水面のように揺らめく頭上の風景を見て影の位置を確認しながら、
マミがロープに引っ張られていった方向に、なるべく直線的な動きで進んでいった。


目的地はその先にある、この付近で最も高い建物があった場所だ。
周囲を見渡せるその場所にこそ、この結界の主が居る……というのが、あいの予想だった。


あい(巴ちゃんから生きて逃げ切るには、この『狩場』から出ることが前提だ)

あい(それには……やっぱり立花くんを殺す必要があるね)


結界を作る魔法がトウべえのものなら、彼を殺せばこの異空間は崩れ去る。
そうすればマミから逃れられるかもしれないし、外で人質を確保することもできるだろう。



あい(一応、『あいつ』を使うって手もあるけど……それはリスクが高すぎる)

あい(彼は生かしておいてやりたかったけど、ここまで来たら仕方がない……)


ふと、あいは傍らに浮いている自分のソウルジェムに目をやった。
濁ってはいないものの、黒曜石のように真っ黒な宝石。
産まれた時は透明だった彼女の魂が、『憎悪』という感情を獲得した証――


――しかしそれは、かつて別の色の光を宿していたものだ。



あい「……っ」


フラッシュバックのように、かつての記憶がよみがえる。

初めてもらった名前、大切な人の笑顔、ふたりで祝った誕生日、最後の言葉。


そして、黒く染まったソウルジェム。



あい「……もういい」


誰へともなく、彼女はつぶやいた。

苛立っているわけでも、怒っているわけでもない。
何の感情も込められていない、抜け殻のような口調だった。



あい「もう、いいんだ」


あいはやっと動くようになった右手でぎこちなくソウルジェムを掴むと、頭上に浮かぶ風景を確認した。
既に目的の建物のすぐ近くまで来ているようだ。 幸い、ロープで移動していくマミの姿も見当たらない。
どうやら、彼のロープはそれほど自由に使える移動手段というわけでもないらしい。


あい「よし…… 行こう」


あいは左手で握ったタクトを素早く振り下ろした。
それに合わせて『蛇の魔女』が彼女の肩にのぼり、影を操る魔女は最後の移動を行う。


黄色い建物の屋上にあたる部分、その中心を横切るように伸びる影が、漆黒に染まる。


それと同時に影から飛び出したあいは、その目の前に、黄色っぽい服を着た少年が座っているのを見つけた。

彼女と同じく白髪の彼には左側の手足が無く、どう考えても逃げ出せる状態ではない。



TB「……っ!!」


あい「ビンゴ……やっぱりここに居たんだね」


『狩場』の主であるトウべえを見て、あいはにやりと笑った。
あわてて目をそらした彼に向けてタクトを振り、足元の影からいびつな巨人を出現させる。

手足の無い彼を倒すのに、『蛇の魔女』を使う必要などない。



TB「あのときの、巨人……!」


右腕で目を覆い隠しつつ、トウべえは視界の外側で魔女をとらえた。
しかし振り上げられた漆黒の巨腕を見たところで、武器も力も手足もない状況ではどうしようもない。

あいは最後の一振りをする前に軽く周囲を見回したが、巴マミの姿はどこにも見当たらなかった。


あい「いくら足が速くても、盲目じゃ障害物競争はむずかしい……よね」

TB「…………」



あい「悪いね立花くん。 ボクのために、死んでくれ」




――――――――――




――――――――――




あい「さあ……叩き潰せっ!!」



何もできずに座り込んでいるトウべえに向けて、あいは魔女のタクトを勢い良く振った。

止まっていたフィルムを再び回しはじめたような唐突さで、黒い巨人はその腕を振り下ろす。



そして、いびつな拳がトウべえの白髪に触れる、その一瞬前。




……まるで、透明な獣が噛み潰していったかのように。




漆黒の腕は……影も形も残さず消し飛んだ。



あい「……は?」


文字通り一瞬の出来事に、あいは状況を飲み込めず固まってしまった。

どうして目の前の少年は生きているのか? どうして魔女の腕が消えたのか?
……どうして、確かに居なかったはずのマミが突然現れたのか?


あい「どう、して……」


混乱する彼女に、背後からぞっとするほど冷たい調子の声がかかる。



マミ「……残念だったわね?」



あい「っ!?」


いきなりかけられた声に驚きながら、あいは素早く振り返った。
そしてその後ろにあったものを見た瞬間、彼女は再び固まってしまう。


マミ「私の前に、障害物なんてものは存在しないのよ」


もちろんそこに居たのは、例の包帯を巻いた巴マミで……

……その手の中にあったのは、『蛇の魔女』だった。



マミ「……ヒーローが遅刻するわけにはいかないもの」


にやりと笑ってそう言うと、マミは右手に握っていた魔女の頭をあっさり握りつぶした。

腕に絡みついて抵抗していた細長い体から力が抜け、ぼとりと床に落ちる。
魔女の死骸はしだいに形を変えて、元の人間へと戻っていった。


あい「な……っ!」


思わず一歩後ずさって、あいは足元の床が不自然にゆがんでいることにようやく気付く。

ふたたび振り返って背後の床を見やると、そこには――


――大きめの穴が、ぽっかりと開いていた。


あい(なんだこれ……)


慌てて周囲の黄色い立体群を見やると、いくつか同じような穴が確認できる。
そしてそれは一直線に、あいが今立っている場所へとつながっていた。



あい「障害物が無いって、まさか……」


あまりにも馬鹿げた事態に、あいは呆然とつぶやいた。

聞こえているのかいないのか、それに対する答えはない。
しかしわざわざ言葉にしなくても、そこら中に開いた大穴が全てを物語っていた。


マミは、あいを見失った位置から――地べたを走ってきたのだ。


あいがトウべえを狙うことを予想して、彼が居る場所まで一直線に。
回り道など一切考慮せず、目の前にある壁を全て『削りとって』、穴を開けて。

ただひたすらに、まっすぐ走り続けたとしか考えられない。


あいの移動手段は、影の中という性質上、基本的に自分たちが居る位置よりも上しか見ることができない。
だから地面を移動していけば、あいに気付かれる可能性もほとんど無い。

そうして目的地の建物まで辿り着いたら、その内部を『掘り進んで』屋上に向かったのだろう。
屋上の真下に身を潜め、周囲の状況と飛び出すタイミングはテレパシーでトウべえに伝えさせる。


そうすれば後はただ、あいが来るのを待っていればいい。



あい「……無茶苦茶だ」

マミ「あら、褒めてくれたのは初めてね」


目元の包帯をほどいていたマミが、今度はしっかりと返事を返す。

初めて目を合わせたふたりは、そのまま少しの間無言で睨み合っていた。



あい「…………」


あいは何も言わないまま、素早く手元のタクトを動かした。


それとほぼ同時に、マミの足元が爆発でも起こしたような勢いで砕け散る。
文字通り一瞬で距離を詰めたマミは、目の前に飛び出してきた黒い巨人を一秒もかけずに粉砕した。


マミ「あら……?」


しかし粉々になった魔女が消え去った後には、何も残ってはいなかった。
一瞬、勢い余ってあいごと吹き飛ばしたのかとも考えるが、それにしては手応えがない。



TB「マミ? 今、彼女が穴の中へ落ちていくのが見えたけど……」

マミ「なんですって……!?」


屋上の床に開いた穴を挟んで向かい側、つまりあいの背中側に居たトウべえが声をかける。

マミはそれを聞くと、すぐに穴の縁から中を覗きこんだ。
彼女が飛び出してきた穴はかなりの長さの縦トンネルになっていて、その分高低差もある。
いくら人型インキュベーターでも、飛び込んでそのまま落下すれば大怪我を負うだろう。


マミ「そんな痕跡、どこにも……」

マミ「……いえ、違う。 逃げたんだわ……そうよ、穴の内壁は全て『影』なんだもの」


マミは立ち上がって膝のホコリをはらうと、むしろ感心したようにため息をついた。


マミ「さすがに機転が利くわね……彼女を取り逃がしたの、これで何度めかしら?」

TB「いいのかい? 追わなくて」

マミ「ん、そうね。 でもその前にやることがあるわ」

TB「やること?」


マミはすっかり人間の姿を取り戻した元魔女――眼鏡をかけた小柄な成人女性に歩み寄ると、
気絶したままの彼女を抱え上げて運び、トウべえのすぐそばに寝かせた。


マミ「彼女を頼んだわよ。 たぶん大丈夫だと思うけど、いざとなったら守ってね」

TB「ちょっとマミ……何をするつもりだい?」


トウべえの疑問に、マミは爽やかな笑みを浮かべながら、ごく軽い調子で答えた。


マミ「何って、残りの魔女を倒すのよ。 当然でしょう?」

TB「影を作る方かい? ……どうやって?」

マミ「本体を叩くわ……彼女が作る影ではなくて、魔女本体の方をね」


そう言うと、マミは真っ白な空を指さしてみせた。
指が指し示す方向には何も見えないが、彼女自身も特定の方向を指しているつもりではないらしい。


マミ「これは私の予想なんだけど……たぶん、魔女の本体はあの辺りに居るんだと思うの」



TB「僕らの上空に?」

マミ「そう。 トウべえの視界に入るくらいだから、それほど高い場所じゃないけど」

TB「根拠は……?」

マミ「無いわ」


黄色い柵に手をかけて周辺の立体群を眺めながら、マミはあっさりと言い放った。
やがて目的のものを見つけたのか、満足気に笑って振り返る。


マミ「もし間違ってても、試せばわかるわよ。 そしたらまた別の手を試せば良い」

マミ「そうすればいつか辿り着く……でしょ?」



TB「まあ、そうだけど……」


それは流石に面倒じゃないかい……と言おうとした時には、
既にトウべえの視界からマミの姿は消えていた。

彼女が立っていた場所には小さなクレーター状の穴と、黄色い砂煙だけが残されている。


TB「……いや、そうでもないか」


トウべえは少し咳き込みながら、万が一の事態に備えて、元魔女の女性を近くに引き寄せた。



………………


………………



マミ(……うーん)



ちょうどその頃、屋上を飛び出していったマミは黄色い立体の隙間を駆け抜けていた。

その恐ろしい速度に対応するため、彼女の脳と視覚器は魔力で集中的に強化されている。
ぼんやりと金色に光る瞳には、まるで時間が止まったようにスローモーションな世界が映っていた。


マミ(それでもやっぱり、この速さについていけないわね。 目的地を通り過ぎちゃった)

マミ(まあこれくらいなら許容範囲だけれど……)


地面を数メートルほどにわたって蹴り砕きながらUターンして、先ほど目をつけた場所まで走って行く。
そこには高さのわりに幅が狭い、どこかほっそりとした印象の黄色い立体が建っている。
現実世界では、小さめの塔のような建物だったのだろう。



マミ(……影ができるということは、どこかに光源があるということ)

マミ(あの『影』のような巨人が本体じゃないなら、それを作る『光源』の方が魔女かもしれない……)


マミ「……えいっ!」


マミは手足に巻いたリボンを硬化させ、塔とすれ違うようにしてその側面を削りとった。
角度や位置を変えながら、それを何度も何度も繰り返す。

時計の上では一秒の半分も見たない間に、黄色の塔はその根本をまるごと失った。


マミ(それなら、魔女はきっと空に居る。 どこにでも影を落とせるように……この予想が正しければの話だけど)


ゆっくりと倒れていく塔の横で、マミは別の立体の壁を垂直に駆け上がっていく。

靴底状のへこみを壁面に刻みながら、塔の方にはリボンを巻きつけていった。
やがて塔全体をリボンで縛り上げると、その端を握って近くの立体の屋上に降り立つ。


マミ「『光の魔女』、とでも呼びましょうか。 その本質は、きっと影ではなくて光を操ることにある……」


彼女は塔から伸びたリボンを肩に担ぐようにして持つと、一度大きく息を吸い込んだ。


そして掛け声と共に、全力でそれを引く。



マミ「……そーれっ!!」



腕力とリボンの収縮力で引っ張られた塔は、マミを中心に円を描くようにして飛んでいった。
もちろん、その途中で多くの立体に激突し、砕け散り――

――黄色い粉塵を巻き上げながら。



マミ「あら、でもこのくらいじゃ足りないわね。 もっと派手に行きましょうか……」


マミは鼻と口を覆うようにリボンを巻きつけてマスク代わりにすると、
立体の上から飛び降りてそのまま走りだした。


数秒の後、付近にあったいくつかの黄色い立体が倒壊する。


並べた積み木をなぎ倒すように、雑草を鎌で刈り取るように。
奇妙な真っ黄色の世界は、たった一人の少女によってめちゃくちゃに破壊されていった。


やがて淡黄色の粉塵が地上を覆い尽くし、空にさえ届くほど高く舞い上がっていく。

そして濁りきった空と地面の間には、まるで海底に差し込む日光のように、一筋の光線がぼんやりと映しだされていた。


マミ「よし、見えた……!」


マミはその光の軌跡が始まる場所、つまり光源に向かって走っていった。
粉塵で視界が塞がる中、かすかに浮かび上がる光をめがけて突き進む。

最後は斜めに倒れた立体をジャンプ台代わりにして、彼女はついに、空中に浮かぶそれの間近へと迫った。


引き伸ばされた時間の中で、マミは魔女の姿をじっくりと観察する。



マミ「これが……『光の魔女』」


すぐ近くで見てみると、それはどうやら球体状の姿をしているようだった。
一見何もないように見えるが、よく見るとわずかに空間がゆがんでいる。

つまり光の魔女は、その表面に背後の景色を映し出す――いわゆる光学迷彩を持った魔女なのだ。


マミ(トウべえが引きこめたということは、視界の外に隠れていたわけじゃない)

マミ(それなら、見られても認識されない方法を持っていると…… なるほどね)



マミがその表面に手を触れると、一瞬ノイズが走った後に迷彩は解除された。


まるで電球のような、透明で球状の殻。 そしてその内部に閉じ込められた、少女の姿をしている何か。
光の塊としか表現できない見た目を持つ彼女は、重力を無視して殻の天井の方に座り込んでいた。

そしてその小さな両手には、炭のように真っ黒な赤ん坊の形をしたオブジェが、大事そうに抱え込まれている。
少女が全身から放つ光は赤ん坊に遮られ、ガラスの殻に黒い影を落としていた。

球面に映しだされた影絵は醜くゆがみ……まるで、いびつな巨人のような形だった。


マミ「……あ」


マミは『光の魔女』の異様な姿を見て、影の巨人を作っていたものを見て……
その一瞬の間に、その正体についての何かを悟っていた。
彼女自身もそれがなんなのかわからないまま、少しだけ考えこむ。

そして明確にそれを理解した時、マミは自分の中で何かがざわめくのを感じた。


マミ(ああ……そうだったんだ)


知らず知らずのうちに握りしめていた拳から、一筋の血が流れて落ちる。



マミ(この人は、きっと……)


魔法少女の契約に年齢の制限があるかはわからないが、
イーブルナッツやあいの牙を使って人間を魔女に変える場合は、相手が何歳であってもかまわないらしい。
蛇の魔女にされていた眼鏡の女性のように、光の魔女もまた、大人の女性だったのだろう。


そして、きっと彼女は――



マミ(……母親、だった)


ガラス球の表面にあてられた指先が、握力だけを使って食い込んでいく。
マミと魔女を隔てる壁に、小さな音を立てながらどんどん亀裂が広がっていった。

それでも光の魔女は一切反応せず、ただ黒い赤ん坊をじっと見つめている。



マミ「……っ」



マミは左手で魔女をしっかりと捕まえたまま、硬く握った右の拳を大きく振り上げた。




――――――――――




――――――――――



巴マミの無差別破壊によって舞い上がった大量の粉塵は、その後次第に薄れていった。

まだ多少は見通しが悪いものの、おおよそ元の明るさを取り戻している。
地表を覆い隠すものがなくなった黄色い異空間は、その瓦礫まみれの惨状を無残に晒していた。



マミ「……出てきなさい、大河あい」


うず高く積み上がった瓦礫の隙間、人が数人立つのがやっとかという場所に、彼女は立っていた。

別段声を張り上げているというわけではないが、よく通る澄んだ声は周囲の隅々にまで響き渡っていく。
しかし、その声に返事をするものは居なかった。



マミ「…………」


彼女は一度ため息をつくと、足元に転がっていた黄色い破片を拾い上げる。
手のひら大のそれを2、3度投げ上げながら、マミは周囲の瓦礫をじっと見回した。


マミ「ふっ……!」



そして唐突に、その小さな破片を瓦礫に向かって投げ飛ばす。


野球選手のように綺麗な投球フォームで投げられた破片は、不安定に積まれた瓦礫をなぎ倒しながら、
恐ろしい速度で真っ直ぐに突き進んでいく。


マミ「隠れたって同じことよ。 もう、あなたに逃げこむ場所はない」


自分の投球によって切り開かれた空間に向かって、マミはきっぱりと言い放った。
実際破片など投げずとも、その気になれば瓦礫の山に大穴を開けることも可能なのだろう。

誇張でも脅しでもなんでもない、ただの事実だった。


マミ「だから出てきなさい…… 間違って、あなたに穴を開けてしまう前に」



あい「……やれやれ」


マミの正面を走る道のような空間に、あいがふらりと現れる。
今までは瓦礫の隙間に隠れていたのが、観念して出てきたというところだろう。


あい「どうやら、ボクの完敗だね」

マミ「あら、案外素直に認めるのね…… それとも、まだ何かあるのかしら?」

あい「…………」

マミ「……まあ良いわ。 それよりも、あなたに聞きたいことがあるの」



あい「聞きたいこと……?」


あいは少し意外そうに眉をひそめ、首を傾げてみせる。
それに対して一度うなずいた後、マミは静かな口調で話し始めた。


マミ「……あなたは今まで、魔女を従えて私たちを襲ってきていた」

マミ「そしてその魔女はいつも、私たちに近しい人間を元にしていた……」

あい「……そうだね。 それが何か?」

マミ「私たちは、それがあなたの復讐なんだと思ってたわ」

マミ「大切な人を利用して、魔法少女を魔女にすることが……」


マミ「……でも、今回は違う」



マミ「あなたは無関係な人を巻き込んで、私を追い詰めるための道具にした」

あい「それが気に入らないの?」

マミ「当然よ。 私はあなたを許すつもりはないわ」


マミは拳を握りしめ、鋭くあいを睨みつけた。

だがその怒りをぶつけようとはせず、努めて冷静に話を進める。


マミ「だけど…… どうしても腑に落ちないのよ」

マミ「だって、私たちに復讐したいのならもっと良い方法があるでしょう?」



マミ「それこそ、魔女の卵はいくらでもあるんだから……」


……こそこそ攻めるのではなく、魔女の軍勢を作れば良い。

元となる人間や魔女の質にこだわらなければ、それも可能だろう。
しかも優秀な魔女が二体も居れば、十分に魔法少女を追い詰めることができるのだ。


マミ「だけどあなたは、もっと計画的に魔女を作っている」

マミ「私たちを精神的に追い詰めるため…… 魔女に変えやすくするために」


マミ「そう、あなたは魔法少女を、魔女化することにこだわっている」



マミ「ただの復讐なら、確実に殺せばすむ話なのに……」

マミ「……それなら、あなたの目的はいったい何なの?」

マミ「なぜ、魔法少女を魔女に変えようとするの……?」

あい「…………」


あいは、ちょうどトウべえが考え事をする時とそっくりな仕草で、片手を口元に添えていた。
そのまましばらく黙っていたが、やがて不思議そうな表情で逆に問いかける。



あい「別に隠したいわけじゃないけどさ……」

あい「君は、そんなことを聞いてどうするつもりなの?」

マミ「……真実を知らなければ、あなたを正しく裁くことはできないわ」

あい「わからないな、どうせボクを殺すんだから同じことだろう?」


マミ「言ったはずよ。 私は、誰も諦めるつもりはない」


一瞬、あいは全ての打算や悪意を失って――まるで初めて手品を見た純粋な子供のように、
ただ目を丸くして、マミの顔に見入っていた。

すぐに元の表情を取り戻しながら、それでもおかしそうに笑い出す。
呆れ果てたと言わんばかりの笑顔には、一種の悲しみさえ漂っているようだった。



あい「あははっ…… あー、そうかい。 恐れいったよ」

あい「君はボクが想像していたより……ずっとバカなんだね」

マミ「なっ……!? あ、あなたね……」

あい「ふんっ、まあいいさ。 聞きたいというのなら教えてあげよう」


文句を言いかけたマミを遮って、あいは自分のことを話し始める。
それは彼女たちにとって、嫌味や悪態ではない、初めてのちゃんとした会話だった。


あい「……君の言うとおり、別にボクは復讐が目的なわけじゃないよ」

あい「人の気持ちってものを理解できないキュゥべえたちなら、そう思っても不思議じゃないけどね」



あい「確かに、ボクは君たち魔法少女が憎いけれど……」

あい「いくら憎い相手を殺しても、あの人に再会することは……絶対にできないもの」

あい「それに、仇であるプレイアデス聖団に対する復讐はもう終わったし」

マミ「……それなら、いったい何のために?」


あい「そうだねえ……」



あい「……神に対する、反逆かな」




マミ「反逆……?」

あい「格好良く言えばそうなるのかなって」

あい「実際は、そんな大仰なものじゃない…… ただの嫉妬さ」

マミ「……どういう意味?」


あいはそこで一度口をつぐみ、意地の悪い笑みを浮かべてマミを見つめた。
普段の彼女に比べれば柔らかい表情だが、先ほどよりは悪意がある。

どうしても縮まることのない距離感を、マミはぼんやりと感じていた。


あい「君は…… 鹿目まどかという人物を知っているかい?」



マミ「まどか……? いえ、知らないわ」

あい「それなら、『サブプラン』については?」

マミ「……いえ」

あい「そっか。 やっぱり、君は何も知らされていないんだね」

マミ「知らされる? ……何のこと?」



あい「……そんなに知りたいのなら、立花くんから聞けばいいよ」




マミ「……!」

あい「彼なら、知っててもおかしくないからね……」


一瞬動揺したマミを見て、あいはにやりと笑った。

それと同時に、彼女の指が乾いた音を辺りに響かせる。



マミ「っ!?」



トウべえの名前を出したことであいが稼げた時間は、おそらく一秒ほどだっただろう。
その間、彼女自身は指を鳴らしただけだったが、それを合図に最後の魔女が動き始める。


あいが羽織っているマントの裏、腰の部分に隠されていた……小さな容器の中で。



マミ「……遅い!」


だが異変に気づいたマミが地面を蹴り、あいの目の前に迫るまでは一秒の半分もかからない。

マントの裏からずるりと伸びてきた大きな腕に、神速の拳が叩き込まれる。
魔女の片腕はその全容を現すことなく、粉々に吹き飛んで霧散した。


しかし――


できることなら、彼女は気がつくべきだったかもしれない。

燕尾服に黒マントというあいの姿が、少しだけ、揺らいでいることに。
魔女の腕が触れているマントの端が、虫食いのように削れていることに。



マミ「えっ……?」


魔女の腕を消し飛ばした後、マミは全身から力が抜けていくのを感じた。

立っていられなくなるだとか、そこまでの症状はない。
ただ、今の今まで体にみなぎっていた力、彼女を突き動かしていた強烈な力が消えていく。

それはつまり、魔力という名の力が、無くなっていく感覚だった。


彼女の体を縛るリボンも、魔法の服も……全てが力を失って、ただの制服に戻っていく。


あい「悪いね、巴ちゃん。 君は……思ったよりも良い奴だったけど」

マミ「……っ!」

あい「ボクは死ぬまで、戦うのをやめるつもりはない」


顔を上げると、あい自身にもマミと同じ現象が起きていた。
燕尾服とマントは黒い粒子となって消え失せ、元のメイド服姿に戻っている。
魔女を操るためのタクトすら、ぼろぼろに崩れて消えかけていた。

敵も味方も関係ない、触れた魔法を無差別に無効化していく特殊な力。


そして魔法の力を失えば……彼女たちの勝敗を決めるのは、持って生まれた素の体力のみになる。



あい「これがボクの、いわゆる奥の手……って奴さっ!」



変身せずに戦うことを想定されて作られた人型インキュベーターに、ただの人間が敵うはずもない。


並外れた身体能力をもって放たれた強烈な蹴りが、マミの腹部を容赦なく襲った。



マミ「あぐっ……!?」


少女の脚力では体を支えることすらかなわず、彼女の体は後方にまっすぐ吹き飛んでいった。
その時点で一旦意識を失い、地面を跳ねる衝撃で再び目を覚ます。


マミ「げほっ! げほっ! うう……」


激痛に悶えながらかろうじて身を起こし、あいの様子を確認する。

彼女はメイド服に丸腰のままだったが、マントの裏に隠されていた魔女は既にその全身を現していた。


……それはいかにも魔女というような黒いとんがり帽子に、同じ色の長いドレスを着た人型の異形だった。

黒い服に包まれた細長い体や長い黒髪は、魔女にありがちな、どこか女性的な美しさを持っている。
しかし一方で、片側だけ残った大きな手のひらには猫に似た肉球がついていて、幼い少女が好むような可愛らしさも備えて

いた。

アンバランスで魅力的な少女風の怪物は、気ままな調子でその隻腕をふるう。


マミ「! 空間が……!?」

あい「へえ……こいつは操れないのが欠点なんだけど、運がいいね」


猫のような爪が通り過ぎていった空間には、いつのまにか大きな裂け目ができていた。
魔法でできたものならば、それが空間であっても消滅させられるのだろう。



魔女『――♪』


魔女は軽快な動きで飛び跳ねながら、『狩場』にできた裂け目を通って外に出て行った。
あいも再び変身をして、タクトを構えながらその後を追いかける。



あい「えへへ……それじゃあまたね、巴マミ」




マミ「う……待ちなさいっ!」


マミもすぐに銃を生成し、裂け目の向こうに駆けていくあいに狙いをつける。

しかしその弾丸が届く一瞬前に、空間の裂け目は閉じてしまっていた。


マミ「くっ……」


マミは銃を放り捨ててもう一度変身し、体にリボンを巻き付け始めた。
いますぐトウべえに魔法を解かせれば、そのままあいを追いかけることができるだろう。




マミ(……だけど)



それではもう間に合わないだろうということは……彼女自身が、一番よくわかっていた。



――――――――――




エピローグ
――――――――――





さやか「それで…… 変態メイドは結局逃げてっちゃったんだ」



あいとの戦闘が終わってから数十分後、魔法少女たちは巴マミの部屋で、久方ぶりの集会を開いていた。
それぞれ元の時間を取り戻したさやかと杏子は、テーブルを囲んで状況の確認をしている。

一人ソファに座った巴マミは、すでに普段の小奇麗な風貌をすっかり取り戻していた。
紅茶を片手に、ぴんと背筋を伸ばして話を進めていく。


マミ「ええ…… 本当にごめんなさい。 あと一歩のところだったのに」

杏子「それはもういいって。 目が覚めた後、とりあえずここに戻って来ちゃったあたしも悪いんだからさ」



さやか「ほんとにねー。 そんなにあたしが心配だったのかな、杏子ちゃんは?」

杏子「……目が覚めたら連絡つくのがあんただけだった時の不安を、ちょっとは考えてほしいね」

さやか「いやあ、これ以上頼れる味方はいませんな」

杏子「マミさんが消えた―、っておろおろしてたのはどこの誰だよ……」

マミ「まあ、普通わからないわよね……異空間に隔離されてるなんて」

さやか「あいつが魔法使えるようになるの、いつも突然だしね……」


そう言いながら、さやかは寝室のドアの方に視線を移した。
その向こうでは、キュゥべえが用意した新しい手足の接続作業が行われている。



マミ「……あと十分もすれば、彼は復帰できるそうよ」

杏子「そしたら、すぐに出るのか?」

マミ「ええ。 なるべく早く、彼女を追いかける必要があるわ」

杏子「メイドがどこに向かったかはわかってるわけ?」

マミ「そうね…… だいたい見当はつくわね」


マミ「……たぶん、彼女はあすなろ市へ行くつもりなんだわ」


さやか「あすなろ市って…… 魔女発祥の地っていう、あそこ?」

さやか「確か、向こうの魔法少女チームは全滅してるかも、って……」



杏子「それなら…… 奴の標的はほむらだな」

マミ「そうよ。 魔法少女を魔女化することが彼女の目的だから」

さやか「そういえばあたしもやられかけたんだっけ……」

マミ「……でも私たち全員で失敗した以上、この街にもうターゲットは探せないわ」


三度に渡る魔女の襲撃を、それでも彼女たちは乗り越えている。
あいによる攻撃が精神的な弱みを突くものである以上、同じ手が二度通用することは無いだろう。


マミ「だからきっと、彼女が狙うのは暁美さんでしょうね」

杏子「他に作りおきの魔女があるなら、あすなろ市に隠してるだろうし…… やっぱそれしかないか」



さやか「でも、あいつがそんな簡単にやられるかな? 返り討ちにしちゃうかもよ」

マミ「確かに暁美さんは強いけれど…… 最後に出てきた魔女の力は、魔法の無効化だった」

マミ「彼女のような飛び道具使いは相性が悪いわ」

杏子「他にも魔女がうじゃうじゃ居るだろうし、それ全部使われたら流石にキツいだろうね」


それに……と言ったところで、マミは続きを話すのを少しためらった。
明確な形を持たない不安を、どう伝えればいいのか迷いながら言葉を選ぶ。


マミ「……何か、根拠があって言うわけじゃないんだけどね」

マミ「彼女、大河あいには…… まだ、何かがあるような気がするの」

マミ「ひょっとしたら暁美さんにも対処できないような、何かが……」



さやか「…………」

杏子「何か、ね……」


しかしマミにとっては少し意外なことに、ふたりは彼女の不安を笑い飛ばすことも、追及することもしなかった。
同じ不安を抱いていたとでもいうように、黙って考えこんでしまう。

マミはそんな彼女たちの反応を見ると、困ったような笑顔を浮かべて言った。


マミ「あー…… ごめんなさい。 なんだか変なこと言っちゃったわね」

マミ「これから彼女の居るところへ向かうっていうのに……」



マミ「……でも、きっと大丈夫よ」

マミ「どんな脅威が襲ってきたとしても、私たちが皆で力を合わせればなんとかなるわ」

さやか「……そう、だよね。 これまでだって、そうしてきたもんね」

杏子「ああ…… そうだな」


仲間を、あるいは自分を励ますように話し合いながら、彼女たちの心にはやはり小さな曇りが残っていた。

それが一体何に起因するものなのか、彼女たち自身にもわからない。
魔女との戦いで少なからず成長してきた三人に負ける要素は見当たらなかったし、ほむらを救える自信も確かにあった。

それでも、ほとんど自覚すら無いままに、その場に居た誰もが正体不明の不安を感じていた。



さやか「大丈夫……だよね」



……もしかしたら、それはこれから訪れる一つの別れへの、予感だったのかもしれない。



………………
…………
……



………………




マミ「……ふう」


魔法少女たちの会議が終わった後、マミは自分が住んでいるマンションの屋上へと足を運んでいた。

外はすっかり暗くなり、彼女が見上げる空にはいくつもの星が瞬いている。
まだ幾分冷たい4月の風が、彼女の白いため息を吹き飛ばしていった。


TB「こんなところでどうしたんだい? マミ」

マミ「! ……トウべえ」


急に背後からかけられた声に、マミは少しだけ肩を震わせながら振り返った。

そこに立っていた五体満足の彼を見て、今度は安堵の溜息をつく。


マミ「ああ…… 良かった。 ちゃんと治ったのね」



TB「うん。 これでもう足を引っ張ることはないと思う」

マミ「黄色い魔法の方も、問題はない?」

TB「問題ないよ。 想定以上の危機がほむらに迫っている場合は、彼女を隔離して守れば良いんだよね?」

マミ「あら、作戦についても聞いてるのね」

TB「さっき説明を受けてきたんだ。 それで報告がてら、君を呼びに行くように言われた」

マミ「……そう」


風に煽られた前髪を直しながら、マミはトウべえから視線を逸らした。

そのまま黙りこんでしまった彼女をじっと見つめて、トウべえは納得したように一度だけ頷くと、
その後は何も言わずにマミが話しだすのを待っていた。


マミ「えっと…… 実は、少し話があるの」



TB「もしかして、ちょっと話しづらいことかい?」

マミ「……やっぱりわかるかしら?」

TB「僕は今、なんとなくね。 さやかと杏子は、きっとわかってたんだと思う」

マミ「そうね。 気を使わせちゃったかな……」


マミは照れたような、困ったような笑みを浮かべながら髪をかきあげた。

顔を上げてトウべえの目をまっすぐ見つめ、静かに話し始める。


マミ「……大河あいを取り逃がした時、彼女の目的について聞いていたの」

TB「目的?」

マミ「ええ。 彼女は、これは復讐じゃないと言ってたわ」



TB「……確かに、僕らは彼女の直接的な仇ではないし、その仇である聖団は全滅の可能性が高い」

TB「復讐というには、どうにもおかしいと思ってはいたけどね。 彼女は何て言ってたんだい?」

マミ「具体的には、何も。 神への反逆、だとかなんとか……」

TB「神……」


その話を聞いた時、トウべえは何かが一瞬だけちらついたように感じた。
失われたはずの記憶がほんの少し顔を見せているが、相変わらずそれがなんだったのかは思い出せない。

まるで記憶されていることが許されない存在であるかのように、それが彼の頭から姿を消していた。


TB「……?」



そんなトウべえの様子に気付いたのか、マミは少し身構えながら言った。


マミ「でもね、トウべえ。 あいは、あなたなら知っているかもしれないって、言っていたの」

TB「僕が? ……何をだい?」

マミ「『サブプラン』という言葉と、『鹿目まどか』という名前……」

マミ「……それがきっと、彼女の目的に関係してる」

TB「…………」


トウべえはその言葉を二、三度繰り返して反芻しながら記憶を探った。
そうしてしばらく考え込んだ後、彼は口元に手を当てたまま、マミの方へ向き直って答えを返した。


TB「……サブプランという言葉は、たぶん聞いたことがない」



マミ「鹿目まどかの方は?」

TB「まどかという名前は…… どこかで、聞いたことがあるような気がする」

TB「けど、それが何だったのかは思い出せない」

マミ「そう……」

TB「……ごめん。 力になれなくて」

マミ「え? あ…… ううん、良いのよ」


答えを聞いてむしろほっとしたように笑うマミを見て、トウべえは小さく俯いた。

三色の光を灯すソウルジェムのペンダントを手にとると、それをじっと見つめる。
彼はどこか悲しげな表情で自分の魂に触れながら、申し訳無さそうに言った。


TB「いや、本当に…… ごめんね。 マミ」



マミ「え?」

TB「僕は今、知らないと言ったけれど…… それを証明することは、できない」

TB「僕にはもう、この心があるから。 憎しみに駆られて、人を殺そうとすることさえある」

TB「君に嘘をついていないという保証は、どこにもない」

マミ「トウべえ……」

TB「だから、いらない不安を抱かせてしまったかもしれない。 ……ごめん」


普段より少し小さな声で謝る彼の手に、その上のソウルジェムを覆うようにしてマミの手が重ねられる。

トウべえが驚いて顔を上げると、彼女は今まで見たことが無いほどに、暖かく微笑んでいた。


マミ「……そうじゃないの。 私はただ、あなたを疑うようなことを聞くのが恥ずかしかっただけよ」



TB「でも……」

マミ「確かに、あなたには感情があるから…… 嘘をつくかもしれないわ」

マミ「心を持っているからこそ、誰かを傷付けるかもしれない。 あいのようにね」


マミ「だけどそれは、私たちだって同じことだもの」


重ねられた小さな手のひらに、ソウルジェムを優しく握らされる。
そしてトウべえの魂を包んだその拳を、マミは彼の胸へ返すようにして押し出した。


マミ「みんな、いつも正しいというわけじゃないけれど…… それでも信じるの」

マミ「それが、人間ってものでしょう?」



TB「僕も…… それでいいのかな?」

マミ「ええ、もちろん。 あなたはもう、感情を持っているんだから…… 人間と変わらない」

マミ「だからたとえあなたが、そのせいで私たちを傷つけたとしても……」



そこでようやく、マミはあの時言えなかったことを――今度は直接、言うことができた。




マミ「……それでも、私はあなたを信じてるわ」





――――――――――






――――――――――




それは、見滝原市にあるマミの自宅に、トウべえが送り込まれる数週間前のことだった。



あすなろ市内のある場所に、一人の人間型インキュベーターが放たれた。

真っ白なシャツにスカート、ファー付きのコートを着込んだ小柄な姿。
首から下げたペンダントには、透明な球状のソウルジェムがはめられている。
肌も髪も不自然なほど白く、両目の虹彩だけが鮮やかな紅色…… あらゆる部分がトウべえそっくりだ。

ただ、その個体は彼と違って女性型だった。 そのため、下の名前が個体ごとに割り振られた名称となっている。

彼女の場合は、大河―― 女性にしては珍しい名だが、当然理由や由来など有りはしない。
キュゥべえが既存のデータからランダムに選んだだけの名だった。


彼女を含めた人型インキュベーターの任務は、魔法少女の戦闘を補助し、その生存率を高め、
魔法少女から得られるエネルギーの量を増やすことだった。

大河の場合は、あすなろ市にて活動をしている魔法少女のチーム、プレイアデス聖団のサポートが主な仕事になる。
そのため、あすなろ市に放たれた彼女はすぐに聖団のメンバーを探す作業に入った。

この一見回りくどい手順は、人型インキュベーターの嗅覚や、人工ソウルジェムに組み込まれたAIのテストでもある。
大河は特に不具合を見せることもなく、その鼻を使って順調に探索を続けていた。


そして一時間ほど探した後、彼女はある路地裏で一人の魔法少女と出会った。
あらかじめ記憶していた聖団メンバーのリストと顔を照らしあわせ、声をかける。


大河「やあ。 君が、プレイアデス聖団の神那ニコかい?」



その出会いは、全くの偶然だったと言っていい。
大河はただ魔法少女を探していただけなのだから、聖団のメンバーに出会う可能性も十分にあった。

しかし大河は偶然にも、聖カンナに出会ってしまった。


カンナははじめ、やや不機嫌な調子で大河に応対していた。
彼女にニコと間違われたことが、少々気に触ったのかもしれない。

カンナは大河の問いに否定で返し、逆に相手の素性を尋ねた。

そして彼女が人型インキュベーターであることを知ると…… それまでの態度が嘘のように、彼女を歓迎した。


カンナ「へえ……それじゃあ君は、私の『仲間』ってわけだ?」


自分が他者によって造られた命、いわば人工の人間であることを知った時から、カンナは常に孤独な存在だった。

そんな彼女にとって、同じくヒトモドキである大河は初めて出会う同類だったのだろう。
喜ぶのも無理はなかったかもしれない。 しかしもちろん、当時の大河には到底理解できない感情だった。

いわば魔法少女の偽物とも言うべき自分が、彼女と近い立場にあるということは理解できても、
それがなぜ嬉しいのか…… その歓迎の理由が、大河にはわからなかった。
未だに無機質で不明瞭な感情しか持たない大河にとっては、自分の立場に不満を抱くことすら難しかったのだ。


カンナ「……なるほど。 君は本当に産まれたばかり、なんだな」

大河「どういう意味だい?」

カンナ「キュゥべえには、人間と同等の奇跡は起こせないってこと」

大河「……確かに、ボクは君に比べれば不完全なレプリカだけど」



無表情で淡々と事実を述べる大河に、カンナは少し意外なほど優しい笑顔を向けてみせた。
まるで大河自身もわからない心の奥底を、全て見透かしているような態度だった。


カンナ「心配することないさ。 いずれ君にもわかる時が来る」

カンナ「今は不完全でも、君の魂はやがて成長していくだろう……」

カンナ「……そうじゃなきゃ、意味が無い」


おそらくその時すでに、彼女は看破していたのだろう。
キュゥべえが大河たちを造り、魔法少女の元へ送り込んだその理由……

……サポートという名目の裏にある、本当の狙いを。


普通の魔法少女ならそこまで思い至らないし、そもそも興味がわかない。
だがカンナにとっては、それこそ自分の夢であり、希望だった。

彼女は大河がどのような存在なのかを直感的に悟り、そこに希望を見出した。
そして自分がその導き手となることを、決意した。


カンナ「ね…… 君は、ちゃんとした感情が欲しいと思う?」

大河「……そうだね。 できるなら、あったほうが良いけど」

カンナ「OK。 それなら、君には『名前』が必要だ」


彼女には、全てわかっていた。

大河に必要なものが、一体なんなのか。
キュゥべえにもわからないことが、彼女にはわかっていた。



大河「名前? ……人間として暮らすための名前は、久部大河という名が」

カンナ「それじゃダメなんだな。 いや、大河って部分はまだ良いんだけど」

カンナ「久部…… キュゥべえって名前は、君自身の名前じゃない。 それはヤツらの名前だろ?」

大河「それだと、だめなのかい?」

カンナ「うん。 名前っていうのは、自分だけのものじゃなきゃ」

大河「ボクだけの、もの……」


そうしてカンナは大河に、これからは『大河』を苗字として名乗り、下の名前は新しくつけるように言った。
インキュベーターの一員としてではなく、一個人として生きるために…… 自分自身に、名前をつけろと。
それが、心を得るためにまず必要なことだと、彼女は言った。



大河「……どうしても、ボクが考えるのかい?」

カンナ「どうせなら、自分で決めたほうが愛着わくからね」

大河「そうかな? なら、『あ……」

カンナ「一応言っとくけど、『ああああ』とかは当然ダメね? どっかの勇者じゃないんだから」

大河「…………」


冗談まじりな注意に、大河が口を開いたままの状態で固まる。
予想外な反応に、カンナの方も思わず引きつった笑みを浮かべた。


カンナ「え? ……まさか、マジで?」

大河「いや…… 大丈夫だよ。 『あ』を連続で使っちゃだめなんだろう? 理解したよ」

カンナ「いやそういう問題では……」



大河「ええと、それなら……」


呆れるカンナをよそに、大河は『ああああ』以外の名前を考えはじめた。
口元に手を当てて考えこみ、やがて真剣な表情で次の案を出す。


大河「……『あい』、はどうだろう?」


『あ』の連続が駄目なら、次の『い』と組み合わせる。
それはあまりにも単純で、どうしようもない名前だった。




カンナ「あ行から離れられないのか君は……」

大河「だめかい?」

カンナ「うーん…… あ、でも……『あい』、か。 それとタイガ」

カンナ「あい、トラ……ね。 案外いい名前かも」

大河「それじゃあ……」



カンナ「うん、そうだな。 今日から君の名前は、『大河あい』だ」



そうして、大河あいは生まれた。
それはただ、一体の人型インキュベーターが名前を得たというだけの話だったのだが……


……それこそが、この先に起こる全ての始まりだった。



………………
…………
……



………………



あいはその後、結局プレイアデス聖団と合流することはなかった。


彼女はカンナに付き従い、カンナの補助のみを自分の仕事とするようになった。
あいにとって、カンナはすでに特別な存在となっていた。

しかしもちろん、その時の彼女は、そんな自分の気持ちを自覚していたわけではなかった。

ソウルジェムは相変わらず透明なままだったし、変身することもできない。
カンナも出来る限りの協力はしていたが、なかなかその壁を超えることは出来なかった。




そんなあいが目覚めるきっかけは、ある時偶然に訪れた。

それは彼女が買い物から帰ってきて、ふたりが住む部屋の扉を開けた時から始まっていた。


あい「ただいま。 ……カンナ?」


普段は奥から帰ってくる返事が、今日は帰ってこない。
部屋に入って寝室の方を覗いてみると、そこでカンナはぼんやりとしていた。

すぐに声をかけようとして、一瞬言葉を失う。



カンナ「ん…… ああ、おかえり。 買い物ご苦労さん」


慌てて振り返ったカンナは、普段と同じ笑顔で彼女に接した。
しかし、さっき袖で拭われたばかりの目元は、少し赤くなっていた。


たったそれだけのことが、なぜかあいを激しく動揺させていた。
彼女はカンナの涙の理由が気になってしょうがなくなり、日課の読書も忘れてそのことを考え始めた。

人が涙を流す理由など、それまでは考えたこともなかった。
それどころか、他人の気持ちを考えたことすら無かった。
だからはじめは見当も付かなかったけれど、それでもあいは考え続けた。


カンナが泣いていた時、彼女の周りには本も雑誌も新聞もなかったし、テレビもついていなかった。
だからきっと、コネクト―― 気づかれないうちに接続する彼女の魔法を使って、何かを見ていたのだろう。

あいはカンナが見ていたものを知るために、プレイアデス聖団の居場所を探した。
カンナが魔法を使って監視しているものならば、それが一番可能性が高かったからだ。

そして彼女たちを見つけ、その様子を盗み見て……全てを悟った。


聖団はその時、ある少女の誕生日を祝っていた。


その日は紛れも無く、『聖カンナ』の誕生日で…… しかしカンナが生まれた日では無いのだろう。

カンナはその日を知らない。 そして、祝ってくれる人も居ない。


あい「……そうか」


少し前まで暮らしていた実家に帰れば、カンナの家族はきっと彼女を祝ってくれる。
だがそれは、ニコの誕生日を祝っているに過ぎない。

彼女が…… 聖カンナがこの世に生まれたことを祝ってくれる人物は、ただの一人だって居ないのだ。


あい「だから、カンナは……」



だからカンナは、あいと共に居るのだろう。


あいは息を切らして部屋に戻ると、カンナに伝えようとした。

自分も、自身が造られた日を知らないのだということ。
自分が生まれたことを祝う人は、どこにも居ないのだということ。

カンナと、同じなのだということ。


だが、いざ彼女を目の前にすると、あいは何と言えばいいのかわからなかった。

伝えたいことは山ほどあるのに、そのための言葉が出てこなかった。
あいにとってはその日の何もかもが初めてで、あまりにも経験が足りなかった。


しかし言葉にせずとも、彼女の思いはカンナへと伝わっていた。
表情の変化があったわけではないし、カンナに深く洞察する余裕があったわけでもない。

ただ、あいのソウルジェムから放たれた薄紅色の光の糸に包まれた瞬間―― カンナはあいの感情を全て理解した。


自分の思いを相手の心へ直接伝える、たったそれだけしかできない魔法――

――『伝達魔法』。


それが、大河あいが使える唯一の魔法だった。

それだけが、その時の彼女に必要な全てだった。



カンナ「あい、それって、もしかして……」

あい「ボクの…… 魔法……?」


あまりにも唐突で、あまりにも小さな力に、ふたりは思わず顔を見合わせた。

いつの間にか、どちらの顔も涙に濡れていた。
そしてどちらからともなく、腹を抱えて笑い始めた。

耐え難いほどの悲しみに、共鳴してくれる相手が居ることが……嬉しくてしょうがなかった。


その日、ふたりは初めて誕生日を祝った。
お互いに無くてはならない相手が生まれたことを、お互いのために祝った。

世界にたったひとりだが、今は自分だけのために笑ってくれる人がいる。
それだけで、彼女たちはもう孤独ではなかった。



いつかは、本当に一人ぼっちになることを…… わかっていたとしても。


………………
…………
……



………………



キュゥべえたちによって、魔法少女もどきが作られはじめたこと。

その内の一人が、聖カンナと出会ったこと。

彼女との交流を通じ、透明なソウルジェムに新たな魔法が宿ったこと。


その始まりは、全て偶然なものだった。
しかし終わりの方は、始まった瞬間から訪れることが決まっているものだ。

……それはあいやキュゥべえでも予想ができるほど、決まりきった結末だった。



ふたりが出会ってから、しばらく経ったある日の深夜。

寝静まったあすなろ市の上空で、ふたつの光が激突していた。



ミチル「……こんなこともうやめてっ! カンナ!!」

カンナ「その台詞も聞き飽きたね……! カズミ!!」



プレイアデス聖団のリーダーと、ヒュアデスの導き手。
お互い仲間に支えられる身だが、今はふたりの周囲に誰の姿も見えない。

彼女らの争いに決着をつける、最後の一騎討ち。


この結末に至るまでの道筋は…… わざわざ語るような物ではない。
決まりきった対立の末の、決まりきった戦いがあるだけだ。

そしてもちろん、ふたりの決着もその延長でしかなかった。


その夜、カンナは敗北した。 今とは別の可能性の先で、そうであったように。

とは言っても、殺されたわけではない。
ミチルはもはや一片の魔法も使えないほどにカンナの魔力を削りきり、彼女を完全に無力化していた。
そのための一騎討ちであり、そうまでしてでもミチルは彼女を積極的に殺したくはなかったのだろう。


ミチル「はあ、はあ…… これで、一緒に……来てくれるよね」



カンナ「…………」


カンナは黙って地面に倒れ伏しながら、心のなかでは素直に感心していた。
ニコのためでもあるとはいえ、彼女のためにそこまでする人間など、他には知らなかった。

そのことは少なからず、カンナの心を打っていた。


カンナ「……でも、悪いね」

ミチル「え……?」

カンナ「私には、この方法しか無かったんだ。 もう後戻りなんか出来やしない」

ミチル「何を言って…… っ!!」



カンナのソウルジェムが淡く輝くのを見る一瞬前に、ミチルは彼女が何をするつもりなのか理解した。
だがミチルの方もぎりぎりまで消耗していたため、その時には既に手遅れだった。

それでも駆け寄ろうとする彼女を見て、カンナは穏やかに笑った。



カンナ「チャオ。 ……和紗ミチル」



最後の魔法の発動と共に、限界まで濁りきっていたソウルジェムに亀裂が走る。

                コネクト
消滅と引き換えに放った魔法の糸は、離れた場所で彼女の帰りを待っていた……唯一の仲間へと繋がった。




………………
…………
……



………………




QB「……まったく、わからないね。 君は一体何をしているんだい?」



カンナがプレイアデス聖団との戦いで消滅してから、まる二日ほど経った夜中のこと。

あすなろ市の外れにある一軒の廃屋に、あいの姿があった。

廃屋と言ってもほとんど小屋のような大きさで、その上目も当てられないほどに朽ち果ていている。
壁は無数の蔦に蝕まれて半分崩れかけ、屋根の無い部分からは月の光が差し込んでいた。

誰にとってもあまり気持ちのいい場所では無いが、おそらくほとんど人目につかないという唯一のメリットのために、
あいはその日、その場所を選んだのだろう。



QB「非合理的で不可解な行動をとるのは、上手く出来上がったということなのかもしれないけど……」

QB「せめて理由くらいは教えてくれても良いんじゃないのかい?」


QB「……そのソウルジェムが濁りきってしまう前にね」


あい「…………」


あいは壁の穴から顔を覗かせているキュゥべえにも、目の前に積まれたグリーフシードの小山にも視線を向けず、
ただぼんやりと手の中のソウルジェムを見つめて座り込んでいた。
つい最近まで淡いピンク色に輝いていたそれは、キュゥべえの言うとおり真っ黒に濁ってしまっている。


QB「うーん。 僕が今まで見た人間の中には、親しい人物が死んだことによるショックで自死する者も居たけどね」

QB「これはつまり、そういうことなのかい?」


無視されたことを特に気にするわけでもなく、キュゥべえは淡々と詮索を続ける。
あいの方もそれを不愉快に思っているわけではないのか、今度はゆっくりと首を横に振って彼の質問に答えた。


QB「ふむ…… それじゃあ、カンナが死ぬ前に君と連絡をとっていたようだけど。 そのことが関係してるのかい?」

QB「最後の通信で、彼女に自分の後を追うように言われたのかな?」

あい「……違うよ」


あいはキュゥべえに視線を移すと、小さな声で続けた。


あい「カンナは……ボクに、生きろって……言ってくれた」

あい「自分のことは、気にするなって……」



QB「ふーん。 どうしてだい?」

あい「……キュゥべえは、サポートなんかのためにボクらを作ったわけじゃないって」

あい「きっと……本当はボクみたいな個体の、ソウルジェムを……」


あい「……『心』を、作るのが目的だって……」


QB「……彼女が、そう言ったのかい?」


キュゥべえはその話を肯定も否定もせず、ただわざとらしく目をぱちぱちさせて問いかけた。
あいはわずかに首を動かしてうなずき、カンナから最後に伝えられたことを話し続ける。


あい「だから…… ヒュアデスは、キュゥべえが継いでくれるから。 ボクは一人じゃないから……」

あい「……辛くても、頑張って生きろって、言われたんだ」



QB「それなら、尚更わからないね。 どうして君はそんな真似をしているんだい?」

QB「君はカンナの言うことなら、何でも喜んで聞いていたのに」

あい「それは……」



あい「……女神を、見たから」



今度は本当に予想外の返答だったのか、キュゥべえは一瞬完全に固まっていた。
すぐにその意味を理解して、話の続きを促す。


それはまったく偶然にも、その時彼が最も知りたいことだったからだ。




QB「女神って、どういうことだい?」

あい「……コネクトで繋がったカンナを通して、そういうイメージが見えたんだ」

あい「本当にそうなのかは、知らないけど…… でも、そう呼ぶのにふさわしい姿をしてた」

あい「……カンナは、彼女に連れて行かれたんだ」

あい「どこか、安らかな場所…… きっと、人間が天国と呼ぶような所へ」


死んだように濁っていたあいの目が、ふいに輝きを取り戻す。
作り物めいた白い頬にほんの少し赤みがさして、その上を一筋の涙が伝っていった。


あい「魔法少女は、ただ消滅するんじゃない。 きっとあの女神に導かれて行くんだよ」

あい「だからボクも…… ボクもそこへ行けば……っ」


あい「……また、会える。 ……愛する人に」


あいは薄汚れた床に投げ出していた足を体に引き寄せ、膝を抱えて丸くなった。
禍々しく濁ったソウルジェムを見つめる彼女の目は、涙に濡れながらも、穏やかに細められていた。

キュゥべえはそんな彼女のすぐそばまで駆け寄ると、その表情を可愛らしく見上げながら言った。


QB「なるほどね! 君からは随分と有益な情報を得ることができたよ」

QB「これはメインプランに大きな進捗をもたらすだろう」

QB「しかも君は、サブの方にもかなりの貢献をしているし……」



QB「……やはり、このまま無駄に失くすのは惜しいね。 特別に計画に関する情報を開示するとしよう」








あい「……え?」




………………
…………
……



………………




屋根に開いた穴から差し込む月の光の中で、ひとりの少女がうずくまっていた。


彼女は取り憑かれたように、床に散らばった何かを拾っては口に運んでいる。
黒い立方体の形をしたそれをがりがりと咀嚼して飲み込みながら、しきりに首を傾げていた。

やがて拾うものも無くなると、彼女は立ち上がって、片手に持っていた小さな宝石を月明かりにかざしてみた。

宝石からは既に一切の濁りが消え去って、月光に照らされてきらきらと輝いていた。




しかし、その色は…… いつの間にか、真っ黒に染まっていた。




――――――――――




プロローグ
――――――――――



あすなろ市に店を構える、とある小さな喫茶店の戸口で、暁美ほむらはひとり立ち尽くしていた。


店内はあまり広くはないものの客の入りは良く、席はほぼ埋まっている。
人の良さそうな若い店主も忙しそうに立ち働き、ほむらには気がついていないようだった。


ほむら「…………」


ほむらはそのまましばらく、ドアの前に立って店内を見回していた。

その間、店主は彼女には一言も声をかけず、ドアの方を見ることすらなかった。
店内で食事や談笑を続ける客達も、誰一人として彼女のことを話そうとしない。


店内の全員が、まるで彼女が視界に入っていないような態度をとりつづけている。


それを見たほむらはひとつ溜息をつくと、一番近くの席に座っていた客のそばまで歩いて行き、
その肩を軽く叩いてみた。


ほむら「……やっぱり駄目ね」


客が一切の反応を見せず食事を続けているのを見て、ほむらはもう一度溜息をついた。
そして今度は店内に備え付けの固定電話の方へすたすたと歩み寄り、何も言わずにその受話器を取る。


――オカケニナッタデンワバンゴウハ、ゲンザイツカワレテオリマセン……


すかさず受話器から流れだした音声に、ほむらは思わず顔をしかめた。


ほむら「……まだかけてすら無いんだけど?」


その瞬間、受話器のスピーカーから小さな子供のような笑い声が大音量で響き渡る。


ほむらはうんざりとした表情で受話器を置くと、相変わらず彼女を無視し続ける店内の客たちを背に、店を出て行った。

それとほぼ同時に、紫色の光が彼女の体を包み、魔法少女としての姿へ変えていく。
案の定、外を歩く通行人はその様子に驚くどころか、目を向けようとさえしなかった。



ほむら「こんな風に世界から爪弾きにされるのも、随分久々ね……」



ほむらは皮肉っぽく笑うと、地面を力強く蹴って跳躍し、そろそろ暗くなり始めた夕方の空へ消えていった。



………………
…………
……


………………



ほむら「……無理だったわ」



部屋に帰ってきたほむらが開口一番にそう告げると、中で待機していた魔法少女たち――
――神那ニコ、浅海サキ、若葉みらいの三人は、全く同じタイミングでため息をついた。


ほむら「どれだけ走っても街からは出られなかったし、連絡手段も封じられているみたい」

ほむら「おまけに、普通の人達には私を認識することすらできないようね。 ……道理で騒ぎにならないわけだわ」



サキ「思った通りか…… 苦しい状況だな」

ニコ「流石天下の海香サマ、敵に回すと怖いねぇ」

みらい「うう……笑い事じゃないよニコ……」


魔女化から復帰した直後で憔悴しきった魔法少女たちは、しかしそこまで落胆しているようにも見えない。
ほむらから受け取ったグリーフシードで濁り気味のソウルジェムを浄化しつつ、冗談交じりに仲間を評する。

ほむらはそんな彼女たちを何とも言えない表情で見つめながら、話を続けた。


ほむら「確か……御崎海香と言ったかしら? この状態を作っている魔女の正体」

サキ「そう。 この家の持ち主だよ…… ああいう力だから、私達の戦術の中心だった」

ニコ「幻覚を見せるような能力は、敵に同種が居なければワンサイドゲームになるからね」

ニコ「いくら君でも、相手にするのは流石に厳しいかも?」



ほむら「そうね。 似たような力を使える仲間もいるけれど、助けに来るという保証はないし」

ほむら「それなら、魔女を作っているメイドを倒す方がずっと速い……」

ほむら「……真正面から相手するには、この力は強すぎるわ。 常軌を逸してる」


そう言って肩をすくめるほむらの前で、三人は困ったように顔を見合わせた。


みらい「……どちらかと言えば、キミの方が常軌を逸してない?」



みらい「変態を倒すのに、『こんなもの』を使うなんて……」




ほむらは一瞬きょとんとした表情で首を傾げ、彼女たちの背後に積み上げられている『それ』を見る。
それは広い部屋のほぼ半分を占領していて、まさに常識はずれの量だった。


ほむら「……あなた達の話を聞く限りでは、それが一番効果的でしょう?」

サキ「まあ……確かに、ミチルの魔女を止めるにはこれしか無いかもしれないけど……」

サキ「……しかし、これ全部を扱えるのか?」

ほむら「扱えなければ、作り方なんて知るわけないわ」


あっさりと言い放つほむらを見て、三人は再び顔を見合わせる。



サキ「……一体何者なんだ、君は?」

ほむら「別に。 普通の魔法少女よ、特別強いわけでもない」

ほむら「何かを成してきたというわけでもない……」




ほむら「……ただ、少しそういう経験があるというだけ」




――――――――――




――――――――――



見滝原とあすなろ市、2つの街の間には一本の大きな川が流れている。


船が行き来するほどではないが、泳いで渡ろうとすれば危険だと咎められる程度の水量と川幅。
ちょうど街をつなぐ直線上のあたりには、人よりも主に車が通るような大きめの橋がかかっていた。

河川敷は広めの草地になっていて、休日の昼間くらいにはまばらな人影が見えるものの、
今のような平日の夜中にはほぼ無人の区域だ。


見通しも良いし、誰に邪魔される心配もない。 隠れる場所も逃げる場所もない。

そして急いでいるならこの橋を通る以外にない――待ち伏せるには絶好の場所。


マミ「ここが彼女の最終防衛ライン……ってことね」


橋の上から橋の裏、川の中まで埋め尽くすほどの魔女の大群を見て、マミは小さくつぶやいた。




杏子「あーあ……これ、どうする?」

さやか「どうするって言われても……行くしかないでしょ」

杏子「正面から? 日が昇っちまうよ」


地面に突き立てた槍にもたれかかりながら、杏子はうんざりとした顔で双眼鏡を放り投げる。
それを受け取って覗いたさやかも、すぐに同じ表情になった。

彼女たちが居るのは、問題の橋から少し離れた位置にある建物の屋上だ。
そこから見てもわかるほどの巨大な魔女から、双眼鏡で見なければわからない小さな魔女まで、
おそらくあいが作り出した魔女のほとんど全てが橋に結集し、マミたちの行方を阻んでいた。


さやか「でも他の橋まで回り道するのは時間がもったいないし……」

さやか「……そうだ。 あんたはどう思う?」


川の方をぼんやりと眺めていたトウべえが、ゆっくりとさやかの方を向く。
彼は急に話を振られながらも特に慌てることなく、無表情のまま淡々と答えた。


TB「川の中を通るしか無いと思うよ。 僕達の存在に、気付かれていないうちにね」

さやか「えー、他になんか無い……?」

マミ「残念だけど、私も安全に突破する方法はそれしかないと思うわ」


少し期待はずれだという表情で不満の声を挙げるさやかとは裏腹に、マミは軽く微笑んで賛成の意を示す。



TB「……そうと決まれば、早く出発した方がいいんじゃないかい?」

マミ「うん、できればそうしたいところだったんだけど……」



喋りながら、マミの手のひらには一筋のリボンが収束していく。

リボンは発光しながら形を変え、やがて白いライフルとなって彼女の手に収まった。




マミ「……もう無理ね。 気付かれちゃったみたい」



そう言った瞬間、彼女たちの頭上に無数の小さな影が躍り出る。


マミはライフルを空中でくるりと半回転させ、銃身の方を握りしめた。
慌てて身を屈めたトウべえの頭頂部すれすれを、ライフルのストックが銃弾のような速度で通過していく。

彼に飛びかかってきていた影――猫のような姿の小動物が、綺麗なUの字型にひしゃげて飛んでいった。



さやか「わわっ、何これ!? 使い魔!?」

杏子「本体は下か? 野郎……!」


剣と槍で使い魔の群れを切り刻みながら、二人は橋の方へ目をやった。

いつのまにか河川敷の方にまで進んできていた一匹の魔女の周りに、大量の小さな粒が蠢いている。
その粒がアリのように列を成して、彼女たちの居る建物まで向かってきているようだ。


杏子「いつのまに……この辺一帯、全部あいつの監視下かよ」



マミ「こうなったら仕方ないわね。 正面突破と行きましょう!」

さやか「あーもう、結局それ!?」


彼女たちは飛びかかってくる使い魔を続けざまに叩き落とし、できた隙間をくぐり抜けて建物から次々に飛び降りていった。


一番先に降りたマミは、落下しながら再び銃を半回転させ、魔女に狙いを定めて引き金を引く。

そんな状況で放たれたにも関わらず、文字通りの魔法の弾丸は魔女を目がけて正確に飛んでいった。



しかし弾丸が魔女に当たる直前、小さな使い魔の群れが壁のようなかたまりとなってその前に立ちはだかる。


使い魔は弾を受け止めると同時に、みずから四方へ吹き飛んで行った。
自分から動くことで衝撃を分散させ、弾丸を完全に無力化しているのだろう。

多数の使い魔を操るタイプの魔女にとって、彼らは目であり、剣であり、そして盾でもある。




マミ「なるほど、飛び道具は効かないというわけね……」

マミ「……それならこっちも、本気で行かせてもらうわよ!」


マミは銃を握っていない方の手で帽子を掴み、挨拶をする時のように胸のあたりへ当てた。
帽子は一瞬でリボンの束へと変化し、彼女の体を覆うように伸びていく。

そして落下を続けながら、密かに考えておいた「技名」を口にする。



マミ「……『トリヴェッラ』!」



その瞬間、空気を引き裂く轟音が静かな夜の町に響き渡った。



最初にマミが地面に降り立ってから後の三人が着地するまでの、一秒あるかないかという程度のわずかな時間。

たったそれだけの間に、彼女は魔女のすぐ目の前にまで駆け寄っていた。


全身を覆うリボンの力で強化された彼女の体は、まるで穿孔機のように、
立ちはだかる障害物を『削り取り』、穴を開け、突き進む。
不運にも一列に並んでいた使い魔たちはそのほとんどが跡形も無く消し飛ばされていった。


その先に居たのは、笛のような頭部にムチを持った腕、檻の形をした下半身を持つ魔女……


マミ「……いえ、違う。 本体は……」



魔女の笛がけたたましく鳴り響く。


その音色に駆り立てられて集まった残りの使い魔たちは素早く檻の周りへ集結し、魔女を守る防壁となる。
しかしその時には既に、マミは檻から少し離れた場所へと移動していて……

そしてその手の中には、目にも留まらぬ速さで檻から引きずり出された魔女の本体――

――可愛らしい一匹の子うさぎが、しっかりと握られていた。


マミ「……こっちの『中身』のほう、ね」


ひとりごとのようにつぶやいて、マミは魔女の頭を180度回転させた。
想像通りの音と共に動かなくなった魔女の体は、次第に歪んで元の少女の姿へと戻っていく。



さやか「……うわすごっ! いつの間にこんな魔法使えるようになったんですか?」

杏子「あたしが寝てる間に何があったんだか……」


ようやく追い付いてきたさやか達を振り返り、マミはにっこりと笑った。
もっとも、マスクのように口元を覆うリボンのせいで表情はほとんどわからないが。


マミ「その話はとりあえず後にしましょうか。 ……今は、こっちを片付けなきゃね」


腕の中でぐったりと眠る少女を優しく地面に下ろしながら、橋のほうを振り返る。
そこにひしめく魔女の大群は、おそらくその全てが、既に彼女たちの存在を察知しているだろう。

もう、戦いを避けることはできない。



マミ「……良い? 佐倉さん、美樹さん、トウべえ……今から言うことをよく聞いてね」


マミは三人の顔を順に見回し、最後に魔女の群れを振り返ってそう言った。
あえて表情を見せないまま、淡々と作戦を伝えていく。


マミ「私は今から、橋の上に居る魔女を倒して道を切り開く」

マミ「そうしたらあなた達は、その隙にここを通り抜けてあすなろ市に向かいなさい」

さやか「え? でもそしたらマミさんは……」



マミ「……私はここに残って、魔女を片付けてから追いかけるわ」


つまり、ここは任せて先に行け。

フィクションではありふれた、しかし現実ではあまり聞くことのないその言葉に、二人の後輩は思わず一瞬固まった。


杏子「……ちょっと、それ本気!? いくらなんでも無理だって!」

マミ「大丈夫よ、きっとすぐに追いつくわ」

さやか「いやそれフラグですって……」

TB「…………」


当然反対する二人の後ろで一人黙っていたトウべえに、金色に輝く瞳がちらりと向けられる。
それだけで、彼は彼女に何を求められているのかを悟った。

ほんの少しだけ困ったように笑って、納得がいかない様子の二人に声をかける。


TB「……マミなら、大丈夫だよ。 僕らは先にあすなろ市へ向かおう」


でも……、と抗議する二人を遮るように、彼ははっきりとした口調で続けた。


TB「どちらにしても、ここには少なくとも誰か一人は置いていかなきゃいけないんだ」

TB「あいを倒した後に魔女化が解けた人たちが、川で溺れたりしないよう保護する役が居ないとね」

さやか「あ、そっか……」

杏子「……む」


にこにこ笑いながらこちらを見つめるマミに向かって、トウべえは少し呆れたような、
それでいてどこか嬉しそうな顔で問いかける。


TB「僕らの戦いで、一般人に被害を出してしまったら意味が無い。 ……君は、そう言いたいんだろう?」


マミ「……よくできました♪」


彼の答えに満足した様子のマミは、今度こそ魔女の軍勢に向き直り、体を低く屈めて跳躍の体勢をとった。

踏みしめた地面に、一筋の亀裂が走る。




マミ「さあ、そろそろ行きましょうか……みんな遅れないようにね!」



返事も聞かずにアスファルトの地面を蹴り、粉塵を巻き上げながら走りだす。


橋の裏側から伸びてきた影のような槍を叩き折り、群がってくる小さな使い魔たちを蹴り飛ばしていく。
そうして無理矢理突き進んでいった先には、一体の小ぶりな魔女が座り込んでいた。


ぬいぐるみのような見た目の、どこか可愛らしい魔女。
無視しているのか反応できないのか、マミに対して何をするでもなく、ただぼんやりと道の真ん中に陣取っている。


マミはその姿を一瞥し、一瞬思考してから、魔女が座っている椅子ごと容赦なく蹴り上げて行った。


空中に力なく放り出された魔女の腹に、蹴りの余波で吹き飛んでいった道路の破片が風穴を開ける。


ずたずたになって飛んで行く小さな魔女の残骸を、マミは目で追おうとはしなかった。
その先に待ち構えるもっと強大な魔女を目がけて、彼女はひたすらに地面を蹴り続ける。


その背中に向かって、巨大な顎が迫っていることにも気付かずに。


マミ「……っ!!」


空気の流れを読んだのか、それとも第六感が働いたのか。

とっさに体勢を低くしたマミの頭上で、鋭い三角形の歯が打ち鳴らされる。
振り返った先にあったのは、カートゥーン映画のキャラクターのような、とぼけた笑顔の魔女だった。
その体は太い筒状になっていて、顔の反対側は先ほどの小さな魔女に通じている。

どうやらぬいぐるみのような体はダミーで、『中身』の方が本体だったようだ。



マミ(……速い)


取り逃がした獲物を噛み千切ろうと、何度も何度も顎が閉められていく。

マミはそれを紙一重でかわしながら、目の前の魔女について考える。


確かに、彼女は後ろの仲間たちを引き離しすぎないよう、多少走る速度を抑えてはいた。
しかしそれでも、その魔女の瞬発力には目を見張るものがある。

もし何の準備もなく真正面から不意討ちを食らっていれば、今頃彼女の首は奴の腹の中だっただろう。


背筋に少し冷たいものを感じながら、マミはかかとを地面に叩きつけてブレーキをかけた。

そして何を思ったのか、彼女はそのままアスファルトを蹴り砕き、進行方向とは真逆に跳躍する。



魔女「!?」


いきなり自分に向かって飛んできた魔法少女を、魔女は歯で捕らえることはできなかった。

膝を折って体を丸めたマミは、宙に放り投げたポップコーンよろしく口の奥へ吸い込まれていく。
魔女はおそらく反射的に口を閉じて、ごくりと音を立てながら嚥下する。


さやか「ああっ、マミさんが食べられた!!」


後方から走ってきたさやかの叫び声を聞きながら、魔女はきょとんとした顔で舌なめずりをした。

思っていたのとは少し違うが、食べることはできたしまあいいか……とでも言うように、口を歪めてにんまり笑う。



その直後、魔女の頭に生えていた翼のような突起物が、三本に増えた。



満足そうな笑顔は崩さないまま、魔女の眼球がぐるりと回る。



二色の翼の間に生えた、三本目の突起がもぞもぞと動く。

それに合わせるように、左右の眼球がせわしなく回転する。

痙攣のような不自然な動きは、やがて魔女の体全体に広がっていった。


三つめの翼の正体が、頭を内側から突き破って出てきた少女の腕なのだと気付いたとき。

さやかたちの額には、さっきとは別の理由で冷や汗が流れた。



魔女「sdfqふ39q28wえqwwwwwwwwwwwww!!!」


その手のひらが頭の表面を突き立てられた途端、魔女は狂ったような勢いでのたうち回り始める。
蛇のように長い体は橋の上に居た魔女たちを次々になぎ倒し、叩き潰し、吹き飛ばしていった。



杏子「……! おい、今のうちに走り抜けるぞ!!」


少しの間呆然と暴れる魔女を見ていた三人は、我に帰って走りだした。
さっきの攻撃を逃れた使い魔たちを蹴散らし、橋の出口に向かって素早く駆けていく。

彼女たちを追おうとした魔女の背中には、後ろから飛んできた何やら鋭いもの――
――根本から叩き折られた三角形の歯が突き刺さる。


それが飛んできた方向を振り返った魔女たちの視線の先で、さっきまで暴れていた魔女が内側から破裂した。



マミ「行ったみたいね。 ……後は頼んだわよ」


ぼとぼとと降り注ぐ肉片の下、橋に降り立ったマミの腕の中には、まだ幼い少女が抱かれていた。
色素の薄い長髪にくっついた肉片を軽く払いのけつつ、マミは優しく声をかける。


マミ「さっきは乱暴なことしてごめんね……怖かったでしょう」

少女「……あ……う」


一時的に意識が戻ったらしき少女の瞳には、月の逆光を受けてぼんやりと歪む影しか映ってはいなかった。


しかし、不思議と怖いという気持ちはわいてこない。
その力強い腕は、自分のようなものを守るためにあるのだと――彼女は本能的に悟っていた。



マミ「でも、もう大丈夫よ。 私があなたを守ってみせる」



少女は弱々しく微笑み、再び目を閉じた。



マミ「……あなた達も、覚悟してね?」



マミは眠りについた少女を抱えたまま、周囲をぐるりと見回した。

いつの間にかにじり寄っていた魔女たちが、怯えたように動きを止める。


少しの魔力と過剰なほどの情熱を秘めた金の両目は、闇の中で凶暴に輝いていた。




マミ「私が、一人残らず……救ってみせるわ」




――――――――――




――――――――――



ちょうど、さやか達が橋で足止めを食らっている時のこと。


あすなろ市の外れにある小さな小屋の前で、大河あいは立ち止まっていた。

ここまで辿ってきた暁美ほむらの匂いは、その先の雑木林にまで続いている。
そのあたりはあすなろ市を閉鎖空間にしている魔女――『虚構の魔女』の魔法が届くギリギリのラインだ。
ここを経由して外へと出ることはできないが、魔法少女でもない一般人なら近づこうともしないだろう。


あい(……だから、ここでボクを待ち伏せしようってのはわかる)

あい(町の人を巻き込む心配も無いし、隠れる場所もたくさんあるからね。 だけど……)



あい(……なんだよ、この臭い)


あいは渋い顔で林の奥の暗闇を睨みながら、メイド服のエプロンを持ち上げて鼻を覆った。

普通の人間ならほとんど何も感じられないだろうが、優れた嗅覚をもつあいにははっきりとわかるほどの異臭がする。
ほむらを追うために鼻をきかせている今の状態なら尚更だ。


あい(ボクの追跡を振り切ろうとしてるのか?)

あい(……いや、それならこんなところまで来ないか。 それに、この臭いは覚えがある)

あい(確か、サポートのためにプリインストールされてあったリストに載っていたような……)


彼女はしばらく記憶と照合していたが、やがて臭いの正体を突き止めたのか、納得したように手をぽんと叩いた。


あい「……なるほど。 そういうことか」

あい「それならこっちも……」


素早くタクト状の武器を作り出し、スカートを捲ってガラス瓶を取り出す。
そしてタクトを構えたまま、彼女は瓶を林の入り口に向かって放り投げた。


魔女『~~~~……』


瓶が割れると共に再び解放された少女風の魔女は、出てくるなり大きなあくびを一つした。

マミに破壊された片腕は既に再生している。
魔女は肉球つきの手のひらを組んで気持ちよさそうに伸びをすると、きょとんとした顔であいの方を向く。


あいは少し不安そうな表情でタクトを握っていたが、マミと戦った時のように勝手な行動をとる様子はない。
まだタクトが消されていないからなのか、ちゃんとあいの制御下にあるらしい。


あい「よし……よし、良いぞ。 場所はだいたい……あのへんかな?」


細やかな手つきでタクトを振ると、魔女はそれに応じてゆっくりと動く。
猫のような愛らしいデザインの手が指定された場所の土に差し込まれ、中で何かを掴んで持ち上げる。


振り返った魔女が指先で摘んでいたのは、金属で出来た円盤状の物体――

――だったのは一瞬で、それはすぐに大きな石ころへと姿を変えた。


あい「やっぱり『再生成』の魔法か。 嫌なのを復活させられたもんだ……」


その魔法には何か思うところがあるのか、あいは忌々しそうに舌打ちをして林の奥を睨んだ。
タクトを構えたまま、少し離れた場所に魔女を従えて雑木林の中に踏み入っていく。


あい(しかし、まさか地雷原とはね……どこでそんなものの構造を学んだんだか)


おそらくほむらによって林の中に設置された地雷を、
漏れ出てくる火薬の臭いをたよりに、ひとつひとつ処理しながらあいは木々の間を進む。
ニコの魔法によって石やレンガなどから造られたそれらは、少女風の魔女が触れるだけで元へ戻っていった。


しかし処理は簡単でも、その数は並大抵ではない。


避けて歩いたりすることが簡単にできないよう、執念深くかつ緻密に敷き詰められた地雷の位置取りには、
思わず敵であることも忘れて感心してしまうような箇所さえいくつか見受けられた。


あい(なんだか知らないけど、随分恨まれてるみたいだね……)

あい(っていうか、こんなに殺意を向けられるのは初めてかも)


あい「……もしかして」


退屈そうに地雷処理をする魔女を眺めながら、あいは手を口元に添えて物思いに耽る。


あい(火薬や兵器の知識、そして魔女を作り出すボクに対する憎しみ)

あい(……暁美ほむらが、彼女なのか?)



あい(だとしたら……)


その時、ふと感じた違和感にあいの思考は中断された。

さっきまでずっと嗅いでいたせいで慣れてしまった火薬の臭いが、いつのまにか無くなっている。
魔女の方を見やると、片手に持った大きな石を眺めてぼんやりとしていた。



「……案外遅かったわね」


前方にある一本の木の後ろから、長い黒髪の少女が姿を現す。

二人はお互い初対面だったが、すぐに相手が誰なのか理解していた。



あい「君が、暁美ほむらか」

ほむら「そうよ、大河あい。 ……あなたをここで待っていた」


魔法少女のイレギュラーと、その模造品のイレギュラー。

二人はしばらく黙ったまま相手を観察していたが、やがてほむらの方から口を開いた。


ほむら「ひとつ、質問してもいいかしら?」

あい「……何でもどうぞ」

ほむら「あなたはどうやら無傷のようだけど、ここに来るまでにいくつの罠を解除してきたの?」


あいはその問いに軽く苦笑しながら、片手だけで肩をすくめてみせた。
もう片方の手に握ったタクトは、いつでも振れるように構えたまま静止している。


あい「地雷かい? 途中から数えるのはやめちゃったけど……」

あい「一応、全部。 この辺りのはね」


それを聞くと、ほむらは嘲るように口元を釣り上げて笑った。
木の幹にもたれかかりながら腕と足を組み、少し首を傾げてあいを見る。


ほむら「それはご苦労なことね。 さぞや面倒だったでしょう」

あい「まったくだよ……そんなにボクを殺したいの?」

ほむら「このあたりに仕掛けた罠は、そこの魔女のためのものよ」

ほむら「その娘さえ居なければ、あなたを殺すなんて……造作も無いことだわ」

あい「……ああ、そう……」


目の前の相手を何の遠慮もなく馬鹿にし続けるほむらを見て、あいは怒りよりも先に不安を覚えた。
地雷を取り払ってもまだ余裕があるということは、それが罠の全てでは無いことに他ならないからだ。

きっと、彼女はまだ何かを隠し持っているのだろう。


あい「……じゃあ、こっちもひとつ聞いていい?」

ほむら「良いわよ、どんなことでも聞いてちょうだい」


あい「君は……この辺りのどこに罠を仕掛けてるのかな?」


だから、あいはとりあえず本人に聞いてみることにした。

それで教えてもらえるとは思わないが、反応を見れば何かしらのヒントは得られるかもしれない。
少なくとも今来た道の地雷原は撤去したのだから、まずそうな状況だと判断すれば振り返って逃げればいい。

そう考えてのことだった。



ほむら「…………」

あい「今のところ火薬の臭いはしないけど、何かできっちり密閉すれば漏らさないこともできるでしょ?」

あい「ボクと君の間? それとも君の後ろ? ……さっきから怖くて動けないんだよね」


爆発があってもすぐに打ち消せるように、魔女の位置を微調整しながら問いかける。
次の返答次第で、その後の行動を決めるつもりだった。


ほむら「……その必要は無いわ」

あい「……は?」

ほむら「動かなくて良いの、私もあなたも……決着をつけるのに、もう動く必要はない」



次の瞬間、あいは魔女と共に、ほむらから一旦離れるようにして走りだした。


お前たちのすぐそばに爆弾が仕掛けられているから、あとはそれを起爆すればいいだけ……
動く必要は無いという彼女の言葉を、そう解釈したからだ。
それならすぐにその場から動いてしまえば、致命傷にはならないだろうという判断だった。

しかしほむらの方は特に慌てることもなく、さっきの言葉通りに一歩も動かず、
ただ皮肉っぽい笑顔を浮かべながら、あいに冷たい視線を投げかけていた。



ほむら「ああ……そうそう、さっきの質問の答えだけれど」


あいの行動には反応せず、ほむらはひとりごとのようにつぶやく。


ほむら「一応、全部よ。 この辺りのはね」


同時に、彼女は顔の前で指を鳴らしてみせた。

鋭く乾いた音が、雑木林の中に響き渡る。



そしてそれを合図に――彼女たちが居た林は、一瞬で焼け野原へと姿を変えた。



複数の轟音と爆炎。
その力に吹き飛ばされて来た、無数の礫。


それらは全て、木の内部から発せられたものだった。


あい(幹の、中に……)


それも、ほむらが居る場所の周囲全ての木の内部に――

逃げることなど、出来るはずもない。

林の中に入ってしまった時点で、彼女には選択肢など無かったのだろう。



火柱とともに巻き起こった爆風や衝撃波自体は、魔女の体に触れた瞬間全て消えてしまっていた。

しかし爆発の時に飛散した木の破片や、ほむらによって意図的に爆弾の周囲に埋められていた金属片は、
その勢いを失うことなくそこら中に突き刺さっていく。


数秒後、ほむらが自分を覆うように展開していた禍々しい翼を広げると、
目の前には一人の人間と一体の人もどきが転がっていた。

魔女から元の姿に戻りつつある少女のほうは無傷だが、もう一つは凄惨な状況だ。


体のあちこちに木片が突き刺さっていて、特に腹部と腿に刺さった大きめのかけらは完全に貫通している。
片腕は奇妙に捻くれ、片足は千切れかけ、焼けただれた片目はおそらく潰れていた。


それでも、まだ生きている。



ほむら「相変わらずしぶといのね……」

ほむら「……あなた達のそういう所が、一番嫌いよ」


ほむらは少女の方へは行かず、まっすぐにあいの所へ歩いて行った。

その代わり、少女の周りにはどこからか現れた数体のテディベアが駆け寄って行く。
テディベアは協力して眠っている少女の体を持ち上げ、焼け跡の外の、まだ無事な林の方へと運び出す。

その様子を横目で見ながら、ほむらはぽつりと呟いた。


ほむら「仲間が居るというのはいいものね。 私もあの子たちがいなければ、こんな大掛かりな罠は作れなかった」

ほむら「……それで、あなたの仲間はさっきの魔女が最後かしら?」

あい「…………」


あいは火傷になっていない方の口元を、引きつったようにつり上げた。
本人としては、皮肉っぽく笑ってみせたつもりだったのかもしれない。


あい「……もし、他にあったとしても……こっちの体が、限界」

ほむら「そう? 私達のところに来た方は、きっとその程度の怪我じゃへこたれないと思うけれど」


ほむらはあいの近くに転がっていたタクトを踏みつけ、そのまま小枝のように折ってしまった。

それを無事な方の目で見ながら、あいは弱々しく口を開く。


あい「あれは……全部、偽物だったの? 最初から、こうするつもりで……?」

ほむら「地雷のこと? あれは見た目と臭いだけよ、ひとつ残らず」

ほむら「……あいにく、私の敵はいつも空を飛んでいたから。 地雷の作り方なんて知らないわ」


無表情のままさらりと答えるほむらを見て、あいは軽く咳き込みながら声を上げて笑った。


あい「は、はは……確かに、何もなければ、こんな所に入ってこなかったのになあ」

あい「あーあ……どうして気付かなかったんだろ……畜生」


念の為に数歩離れてから、ほむらは黒い弓に光の矢をつがえた。
胸元にあるソウルジェムを正確に狙いをつけて、ぴたりと静止する。

そこまでしてから、ほむらはごく簡潔に答えた。



ほむら「……経験の差よ」




――――――――――



――――――――――



さやか「……で、なんとかここまで来たのは良いんだけどさあ」


あすなろ市へと通じる道を一直線に走りながら、さやかは憮然とした表情で呟いた。
その少し後ろを走る杏子とトウべえも、似たような顔で周囲を見回している。


さやか「あたし達、いつになったらあすなろ市に辿り着けるわけ……?」


ここまで何分走ってきたかなど確認してはいないが、彼女たちは明らかに走り過ぎていた。
ふたつの街はそれほど遠い距離にあるわけでもないし、魔法少女とインキュベーターの脚力を考えれば、
もうとっくに着いていてもおかしくない。



TB「おかしいな……迷っているはずはないんだけど」

さやか「本当? よく考えたらあたし、この辺来たこと無いんだよね……」

TB「それは大丈夫だよ。 この辺りの地図は全て頭に入ってる」

さやか「じゃあ道は絶対合ってるってこと?」

TB「……そのはずだ。 同じ景色が続いてるようにも見えないし」



杏子「…………」


不思議そうに話し合う二人をよそに、杏子は眉間にしわを寄せて黙りこくっている。
その足取りはしわが深くなるにつれて次第に遅くなり、ついには一人で立ち止まってしまった。

それに気が付いた前の二人は、彼女の数メートル先でブレーキをかける。


さやか「あれ、どうしたの? 急に立ち止まって……」

杏子「ん……ちょっとね」


杏子は生返事を返しながら、胸の位置にあるソウルジェムに手を当てて軽く目を閉じた。
するとすぐに指の間から赤い光が漏れだして、彼女の両手を包み込む。


そうして魔法の光を纏った両手を顔の前に差し出し、両方の親指と人差し指で長方形を形作る。

できあがった光の窓を覗きこむように、杏子はゆっくりと目を開いた。


杏子「どうも……こりゃただの迷子じゃない気がするんだ」

TB「魔法で惑わされている、ということかい?」

杏子「ああ。 さっきから、あたしの魔法と同じ匂いがするんだよね」


杏子の意図を察したトウべえは、ソウルジェムがはまったペンダントを指先で軽く弾いた。
透明な宝石の内部で星のように瞬く3つの光が、衝撃に合わせてゆらゆらと動いていく。

宝石の中心で強く光っていた青い光が脇に移動し、赤い光がその位置へ収まると同時に、
彼の衣服も赤を基調としたものへと変化する。



TB「これは……なんだろう?」


白い十字架を担ぎ、神父のような衣服に身を包んだトウべえの目には、
杏子が今見ているものがそのまま映っていた。

指でつくられた光の窓の向こうに、彼らの目的地――あすなろ市への道が広がっている。


そしてその上の空間には、青白い小さな光の粒が、大量に浮かんでいた。


粒はよく見ると薄い板のようになっていて、ひとつひとつが異なる形をしている。


杏子「文字、かな。 ときどき魔女の近くに現れる記号と、同じに見えるけど」

TB「それならこれは、宙に書かれた文章だね……これも幻惑の魔法かい」



杏子「たぶんね。 でも魔法少女のものじゃない、魔女のだ」

杏子「……野郎、橋の大群はマミ一人でも足止めできるって知ってやがったな」

さやか「ちょ、ちょっと……二人して何見てんの? 置いてかないでよ……」

TB「ああ、ごめん。 どうやらこの近くに魔女が――」



――さやかの方へと、振り返った瞬間。


彼の体は、考えるよりも先に動いていた。


人間とは比べ物にならないほどの動体視力、反射速度、そして筋力。
その全てを限界まで働かせて、さやかの前に駆け寄り、肩を押して突き飛ばす。


直後、数瞬前までさやかが立っていた場所を、一本の鋭い剣が薙ぎ払っていった。



杏子「っ! こいつは……」


自分の視界の隅に表示された小窓から、杏子はトウべえの目に映ったものを共有していた。

それは棒のように細く、黒い体を持った、何か奇妙なものだった。
例えるなら、古びた万年筆を並べていびつな人の形を作ったような……魔女の姿。

その腕らしき場所に付いている銀色の爪から、青白い文字が紡がれている。


そうして作られた文字列が長い剣へと変化して、さやかの方へ一直線に飛んできていたのだ。



TB「ぐっ……!」

さやか「わ……っと! だ、大丈夫!?」


突き飛ばされたさやかは空中で一回転して綺麗に着地したが、
無理な動きをしたトウべえは地面をごろごろと転がっていく。

無様に伏して隙だらけになった彼の視界には、ブーメランのようにUターンしてくる剣が見えていた。


TB(追尾までしてくるのか……!)

杏子「……こりゃまずいな」



視覚を共有していた杏子が、剣を叩き落とすために槍を生成する。
振り向きざまに連結を開放し、伸ばした槍をムチのように思い切り振り回す。

体が回転する力を加えられたその穂先は、魔女の剣よりもはるかに速いスピードで迫り――


杏子「っ!?」



――そのまま剣をすり抜けて、素通りして行った。


TB「そんな……まさか」


しかし杏子とトウべえが注目していたのは、槍が剣をすり抜けたこと自体では無かった。
むしろ、それは当然のことのようにすら思えた。



今振り返った杏子の視界と、その隅にある小窓のような視界。
2つの目線は同じものを捉えているはずで、しかし実際に映っているものは全く違う。


杏子「そういうことか。 ……さやかが気付かないわけだ」


トウべえが剣を見ている位置に、杏子が見ているもの――それは、文字だった。


青白く光る魔女の文字が、らせんを描くように列を成し、空中に浮かんでいる。
そしてそれは、杏子の視界に入ってから数秒の間もおかずに一本の剣へと変化した。

魔女の文字列は、視界に入った時点で剣に変化するものであり、
そしてそれは、文字列のままでは触れられないのだ。



TB(だけど、それを背後から飛ばしたら視界に入らないはずだ……それじゃさやかには当たらない)

TB(……もしかして、狙いは最初から、僕の方だったのか?)



その思惑に気が付いた時には、もう遅かった。


咄嗟に投げつけた十字架を豆腐のように切り裂きながら、魔女の剣は少年の胸に深々と突き刺さる。

地面に縫い止められた彼の体は力なく崩れ落ち、粉々に砕けたペンダントが血溜まりへと沈む。


そして、その光景を少し離れた場所から見つめていた杏子は――




杏子「ふう……なんとか、間に合ったか」


――片手で抱えていたトウべえを、無造作に地面へ放り出した。


TB「ぎゅっ! も、もう少しゆっくり降ろしてくれ……」


アスファルトに打ちつけた鼻先をさすりながら、彼はむくりと起き上がった。
しかしすぐに、その矛盾に満ちた状況へ思い至る。


TB「……あれ? 僕は、刺されたはずじゃ……」

杏子「よく見ろ、刺されたのは分身だ。 あんたには何も当たってない」



杏子が指し示した先を見ると、魔女の剣で胸を刺されたトウべえの分身が
ちょうど赤い煙になって消えていくところだった。
同時に、剣の方も青白く光る文字の列へと戻っていく。

慌てて駆け寄ってきたさやかが、それを見て感心したようにため息をついた。


さやか「あー、びっくりした……いきなり突き飛ばしていきなり倒れて、かと思ったら分身だし」

さやか「あんた、いつの間に入れ替わってたの?」

TB「いや、そんな覚えは無いんだけど……」


杏子は混乱するトウべえたちと、沈黙を続けている魔女の間に立ちながら言った。


杏子「あたしと同じ匂いがするって言ったろ? ……幻覚なんだよ、全部」

TB「さっきの剣が……?」

杏子「そう。 現実じゃないからどんなもんでも切り裂いて進むし、どこまででも追いかけてくる……何でもありさ」

杏子「だけど幻覚って言っても、当たれば傷つくし、死ぬ」


魔法で作られた幻であったとしても、思い込むだけで人は傷つくことがある。
脳と外界とをつなぐ知覚そのものを操り、歪める幻惑の魔法は、決して現実に作用できないわけではない。

しかしあくまで現実ではないから、その挙動には常識が通用しない――まさに万能の能力。


杏子「あの文字で書かれた文を読むと、そういう風に頭のなかを弄くられる。 たぶんそういうカラクリだ」



さやか「それって、見ちゃったらもうどうしようもないってこと?」

杏子「いや、破る方法ならあるよ。 ……目には目を、さ」


杏子はそう言うと、八重歯を見せてにやりと笑った。


そしてきょとんとしているさやか達の前に両手を差し出し、そのまま力強く打合わせる。

ぱんっ、という綺麗な音と共に、周囲の風景がひび割れ、剥がれ落ちていく。
幻の道は細かく崩れて魔女の文字へと戻り、あすなろ市へ繋がる本当の道が姿を現していった。


杏子「あたしが新しい幻覚を作ればいい。 さっきやったみたいにね」


剣で刺される幻覚を見せられたのなら、分身が刺される幻覚を新たに見せる。
正しい道を幻で隠されているのなら、幻で新しい道を作り出す。

幻で幻を上書きする――それは同じ幻惑の魔法を使う彼女だからこそ開くことができる、豪快な突破口だった。


杏子「……だからこいつは、あたしじゃなきゃ相手にならない」

杏子「あんた達は先に行ってな。 あたしは後から追いかける」


槍を肩に預けながら、杏子はどこかで聞いたような台詞を言ってみせた。




杏子「……へへ、一度言ってみたかったんだよね、これ。 マミに先越されたけど」


少し照れくさそうな笑顔に、さやかも自然と笑顔を返す。

こんな状況でも、不思議と彼女の心に不安は無かった。
日常の中で軽く会話を交わすときのように、相手が何を思っているのかが、さやかにはなんとなくわかっていた。

だから、これ以上話すことなど何もない。


さやか「……わかった。 あんまり遅れないでよね?」


それだけ言うと、さやかは街の方へ向かって走って行った。



TB「あ……」


先に行ってしまったさやかの背中を追おうとして、トウべえは一瞬ためらった。
どうしたらいいのかわからないと訴えるような、助けを求めるような顔を杏子へ向ける。

彼女はそれを見て、軽くため息をつきながら言った。


杏子「心配すんな。 大丈夫だよ……あたしも、あいつも」

TB「…………」


彼はまだ不安そうな表情をしていたが、無言のまま一度頷くと、さやかを追って走りだした。


振り返らずに走って行く親友たちの背中を眺めながら、杏子は満足そうに口角を釣り上げる。


杏子「ったく……世話が焼ける」


そして、そう呟いた瞬間。


彼女と彼らを隔てるように、真紅の網――杏子特有の障壁が、目の前に張り巡らされていった。



あすなろ市に向かった二人を追おうとしていた魔女が、障壁の前で静かに動きを止める。
杏子はその無機質な銀色の顔を横目で睨み、軽く冷笑した。


杏子「……行かせるわけねえだろ」

魔女『…………』


一瞬、張り詰めた空気が彼女たちの間を流れる。



しかしそれはすぐに、槍と剣によって引き裂かれていった。



高速で迫る槍の穂先を前にして、魔女の周囲を漂う文字は一箇所に集結し、文章を構成する。

それは魔女にしか読めない文字であり、文であった。
しかしそれが人の視界に入ると、それは現実になる。

『あらゆる槍を弾く盾』――という意味の文は、丸い盾へと変化し、杏子の攻撃を全て弾き返した。
『必ず敵を切り裂く剣』――という意味の文は、剣となって杏子の体を真っ二つに両断した。


言葉の上で嘘と現実を操る『虚構の魔女』は、相手をする魔法少女によっては最強の敵だっただろう。


だが――



杏子「……そんな簡単にやられてたまるか、よっ!!」


切り裂かれた彼女の体は赤い煙となって霧散し、魔女の背後からはもう一人の杏子が襲いかかる。



魔女『……!』


背後の死角から突き出された槍を、あり得ない速度で回りこんできた盾が受け止める。

あくまで幻の剣や盾に不可能は無く、その盾はどんな方向から突き出された槍だろうと受け止めただろう。
魔女が絶対に防げると書いたのなら、いくら死角を突こうが決して破ることはできないのだ。


杏子「ああ、やっぱりこれじゃダメか?」


それでも、杏子は笑っていた。
不意討ちを完全に防がれながら、余裕の表情を浮かべていた。



杏子「それじゃ……アレ、試してみるかね」


その意味を魔女が察するよりも前に――


――槍を防いでいた盾が、破裂音と共に砕け散る。


魔女『……!?』


慌てて周囲を見渡す魔女の視線の先には、黄色い仮面を付けた少女が立っていた。

地味な色合いながらおしゃれな服装に、くるりと巻かれた金色の髪。
その手に持ったライフルは、まだ銃口から煙を吐き出している。


黄色い仮面の少女「あらあら……槍は防げても、銃弾は防げないのね?」


彼女の姿をとらえた時、さすがに混乱したのか、魔女は一瞬動きを止めた。
その隙を狙って、杏子の槍が魔女の顔面に叩き込まれる。

致命傷にはならなかったものの、魔女は細かい破片を撒き散らしながら大きくよろめいた。


杏子「……同じ幻惑の力でも、あたしが得意なのは分身でね」

杏子「だけどいくら数を揃えても、皆が同じことしかできないのなら……全員同じ方法で対応されちまう」


体勢を崩した魔女に、黄色い仮面の少女が追い打ちをかける。
『決して銃弾では壊せない盾』を作り出すまでに、二発の銃弾がその身をえぐった。


黄色「最近戦った魔女のおかげで、その弱点を思い知らされたのよ」



紫色の仮面の少女「だから、少し工夫を加えてみたわ」


三人目の声が聞こえると共に、新しい盾が再び無残に砕かれる。

声の主は紫色の仮面と服を纏った、長い黒髪の少女だった。
彼女が放った光の矢は盾を砕いてもなお勢いを失わず、魔女の右手に深々と突き刺さる。


紫色「幻覚を使って自分の分身に催眠をかけ、別の魔法少女の幻影へと作り変えた……」

紫色「これでもう、全ての分身に同じ対応は通用しない」

黄色「私達は武器も違うし、持っている魔法も違うのよ? ……幻覚だけれど、ね!」


新たに文字を書こうとした魔女の手を、黄色いリボンが縛り付ける。

その時、すぐに空いている方の手を使ってリボンを斬ればよかったのかもしれない。
だが魔女の目の前には、新たな矢と、弾丸と、槍の穂先が迫って来ていた。


青い仮面の少女「でもキツいでしょ、あたし達みんなの相手するのは……さ!」

魔女『――!!』


拘束からの解放よりも盾を優先した魔女は、突然振るわれた剣を避けることができなかった。

彼女の片腕を斬り落とした青い仮面の少女は、純白のマントを翻して着地する。
そしてさらに大きくよろめいた魔女の体に、白い十字架がダメ押しとばかりにぶつけられた。



白い仮面の少年「……分身の数は少なくなるけどね。 個性があればそれだけ有利に立ち回れる」


殴られた勢いのまま吹き飛んだ魔女の体が、網状の障壁に叩きつけられる。

壁際に追い立てられた魔女の前に、四人の幻影と一人の魔法少女が並び立った。
どこからか取り出した赤い仮面を被り、杏子は改めて槍を構える。


杏子「この魔法を使ってる間は、あたしは一人じゃない」

紫色「例え魔法で作った幻であっても、お互いを補う仲間が居るなら……」

白色「魔女風情に負けることはないさ。 どんな力を持っていようとね」



黄色「これこそが、分身魔法の完成形……ロッソ・ファンタズマに代わる新しい必殺技よ!」


魔女をびしっと指差して、黄色い少女が声高らかに宣言する。
その横に立っていた青い少女は、小さく拍手をしながらそれに同調した。


青色「おー、新必殺技ですかあ……名前はどんな感じで?」

黄色「そうね……『アルコバレーノ・ファンタズマ』、ってところかしら」

青色「おお! なんかそれっぽい!」

紫色「技名なんて要るのかしら……」

白色「……そういえば、どうしてイタリア語なんだい?」


杏子「おい……ちょっと黙ってろお前ら」



魔女『――――』


本人さながらに好き勝手喋る分身たちを制し、杏子は隻腕の魔女を真っ直ぐ睨んだ。
魔女は静かに佇んでいたさっきまでと違い、明確な敵意を纏って立ち上がろうとしている。

もはや言葉が届いているかはわからないが、それでも杏子は啖呵を切った。


まるで自分に……もしくは後ろに居る分身たちに、その意思を、確認するかのように。


杏子「お前は、ここで、あたしが倒す。 ……あいつらの邪魔はさせねえ」





――――――――――




――――――――――



あい「は、はっはっ……は」



ため息にも似た弱々しい笑い声が、木々を失った森に虚しく響く。
肺も痛めているのか、体を揺らすたびに苦痛で顔を歪めながらも、あいは辛うじて笑顔を取り繕っていた。


あい「契約して、から……一年も経ってないような娘が……経験、とはね」

あい「そうか……やっぱり、君だったんだね。 暁美ほむら」

ほむら「…………」


対照的に、ほむらは無表情のまま冷たい視線を投げかけている。


ほむら「……一応確認しておくけれど、あなたとはこれが初対面よね」

あい「当然。 ボクだって、まだ一年も生きていないんだからね」

ほむら「それなら……何をそんなに、納得しているのかしら」


ほむらはあいを問い詰めながら、その実、答えにはあまり興味がなさそうにも見える。

本人が言うとおり、あいは最近作られたばかりの雑兵に過ぎない。
重要な何かを知っているとは思えないし、どうせ自分の注意を引くための姑息なブラフだろう……

……ほむらはそう考えていた。


しかしその質問に対する返答は、意外にも、彼女が興味を持つに値するものだった。



あい「だって、君なんでしょ? ……『鹿目まどか』の友達、っていうのは」

ほむら「……!」


その名前が出た時、ほむらの目がわずかに見開かれるのを、あいは見逃さなかった。
爛れた頬を歪めてにやりと笑う彼女を見て、ほむらは辛うじて冷静さを失わずに問いかける。


ほむら「……キュゥべえから、聞いたのね」




あい「そうだよ。 君が自分で話したんでしょ? この世界の秘密ってやつを」

ほむら「…………」

あい「ほとんどの兄弟は知らないだろうけど、ボクは機会があってね。 聞かせてもらったんだ」


得意気に語るあいを見て、ほむらは不快感を隠しもせずに眉をひそめた。
知られたからどうということはないが、軽々しく語られるのもあまり愉快ではない。

矢をつかむ指に意識して力を込めつつ、ほむらは努めて冷静に言った。


ほむら「……で? そんな昔の話を持ちだして、あなたの寿命が伸びるとでも?」

あい「心外だなあ。 ボクはただ、君に忠告してあげようと思っただけだよ」



ほむら「忠告?」

あい「そうそう……君は、キュゥべえがあの話を信じていないと思っているんだろう」

ほむら「……本人がそう言っていたわ」

あい「もちろん最初から信じていたわけじゃないさ。 でも、今は事情が違う」

あい「……彼らには、ある計画があるんだ。 そのことを、君に教えてあげようと思ったのに」

ほむら「計画、って……」


それはどういう意味だ――と聞こうとして、ほむらは自分が、普通に会話してしまっていることに気が付いた。

口が達者で、かつ信用できない相手と話し込むのは望ましくない。 正しく相手の思うつぼだからだ。
キュゥべえとの長い付き合いから学んだこの鉄則を、ほむらはつい忘れかけていた。


心のなかで自分を責めながら、改めて弓を引き絞る。


ほむら「……もうそれ以上は良いわ。 続きは、あの男にでも聞くことにしましょう」

あい「立花くんは何も知らないよ。 キュゥべえだって、素直に教えてはくれないだろうね」

ほむら「…………」

あい「問答無用、ってかい? 奴が何を企んでるのかくらい、聞いといて損はないと思うけど」


ほむらは彼女の言葉を全て無視して、その耳障りな声を発する喉元に狙いをつけた。
さすがにこのまま止めを刺すのは少々気が引けるものの、
彼女もキュゥべえの一種なら、きっと黙らせたくらいじゃ死にはしないだろう。

そんなことをぼんやりと考えながら、耳の後ろまで腕を引く。



あい「……キュゥべえは、君の友達を手中に収めようとしてるんだからね」



……そしてほむらの指が弦を離れると同時に、光の矢が一直線に放たれた。



あい「……そう、君ならわかってくれるよね? こんな話を、奴が君に聞かせるはずが無いんだよ」

ほむら「………っ」


にやにやと笑いながら話し続けるあいを、ほむらは呆然と見つめる。
彼女が放った矢は発射の直前でその狙いを外し、あいの顔のすぐ横に刺さっていた。

矢に触れている耳が焼け焦げるのも気にせずに、あいはほむらを見返して語り続ける。


あい「今聞かなければ、計画の全貌を知る機会はもう訪れないかもしれない。 そうでしょ?」

ほむら「……そんなことが、奴に出来るはずがない」

ほむら「そうよ、魔法少女しか、彼女に接触することは……」

あい「だから、ある魔法少女を餌に使うんだってさ。 それなら可能じゃない?」


聞けば聞くほど、その話は真実味を帯びてくるような気がしていた。

弓はあいの方に向けたまま、新しい矢を生成して、だがそれをつがえることは出来ず。
疑念を振り払うことができないまま、ほむらは考える。


あい「君もキュゥべえと付き合いが長いなら、まともに話を聞き出せる相手じゃないとは思うでしょ?」

あい「尋問なんて意味が無い。 目的のためなら彼は決して屈しないし、そもそも人間の手には負えない」


自分は何度……何度、奴らに騙され、出し抜かれ、大事なものを奪われてきたのだろう?

一人の少女が根本から変革したこの世界にあっても、奴らは変わらず存在し続けている。
今再びあの時と同じ思いをする可能性を、否定することなどできるのだろうか。



あい「だけど、ボクは違う。 ……君の言うとおりさ、ボクだって自分の命が惜しいんだよ」

あい「魔女を作るという行いをしておいて、君に許されるとは思ってない」

あい「でも、君の仲間には…… ふふ、随分と甘い『正義の味方』もいるみたいじゃないか」


もし、キュゥべえがまどかに手を出そうとしているのだとして。
このまま何も知らない状態で、彼女をその手から守ることはできるのか?


あい「だから、その可能性に賭けるのも悪くないと思ってね。 彼女が来るまでは、なんとか生きていたい」

あい「……どうだい? ここはひとつ、ボクの話に付き合ってくれないかな?」



ほむら「…………」


右手に持っていた矢が、光の粒子に分解されていく。

左手の弓をゆっくりと下ろし、ほむらはあいの顔に視線を落とした。


あい「……よし、交渉成立だね。 それじゃあまずは――」



――意気揚々と話し始めたあいの目前に、紫の光と黒いヒールが一瞬で迫る。


彼女の顔の脇に刺さっていた矢が、ほむらの靴底に押されて倒れてきていた。
矢に片足をかけたまま、ほむらは底知れない洞穴のような瞳であいを睨む。



ほむら「怪しい真似をしたら、踏み潰す。 ……良いわね?」



矢の側面にぎりぎりで触れている頬から、肉を焦がした時の不快な匂いが立ちのぼる。
空気に触れた血のように濁った眼をほむらに向け返し、あいは薄く笑った。


あい「……もちろん。 もう勝てるとも、逃げられるとも思ってないよ」

あい「君と戦えば、ボクは死ぬ。 それは事実だ」


あい「もう……受け入れたよ」




………………
…………
……


………………




あい「さて……君は今の世界に、何か違和感を覚えたことは無いかい?」



地面に転がったままようやく話を始めたあいは、そんな質問をほむらに投げかけた。
場違いに明るい語り口に眉をひそめながら、ほむらはうんざりした様子で口を開く。


ほむら「……随分と抽象的ね」

あい「具体的なことを言うとしたら、そうだねえ……例えば、環境問題とかかな」



ほむら「環境?」

あい「うん。 気になったことはない? 最近、テレビでよく騒ぐようになったとかさ」

ほむら「テレビはあまり見ないわ」

あい「それじゃあ、やたら荒廃した土地が以前に比べて多いとか……」

ほむら「…………」


時間稼ぎのために、わざと無駄な話をしているのか。
ほむらの頭には一瞬そういう考えが浮かんだが、同時に何か、腑に落ちたような感覚もあった。


あい「文明レベルも、多少は影響を受けているかもね。 ボクは前の世界のことを知らないけど……」




ほむら「……さっきから、何が言いたいのかしら?」

あい「あ、やっぱり図星だった?」


不愉快そうな視線を向けるほむらに、あいは小さく舌を出して話を続ける。


あい「ふふ……考えてみたことは無い? 君の話が本当なら、キュゥべえは大きな損害を受けたはずだよ」

あい「魔法少女が『魔女』になることによって得られるエネルギー……それが全て失われたわけだからね」


仮に、「前の世界」でのエネルギー回収効率が、「今の世界」では半分になっているとするなら、
「今の世界」において現時点で回収されたエネルギーの総量は、そのまま「前の世界」の半分になっているはずだ。

もちろん、キュゥべえたち自身からすれば「減った」という見方はない。
「今の世界」におけるキュゥべえたちの仕事の結果は、過不足無くその半分のエネルギーに他ならないからだ。

しかし、ふたつの世界を跨いで見るのなら……それは明らかに、減っている。


あい「この『差』を実感できるのは、前の世界の記憶を持つ君だけだ。 だから聞いたんだよ」

ほむら「……答えになってないわね」

あい「わかってるくせに……キュゥべえは曲がりなりにも、この宇宙のために動いている」

あい「だから、キュゥべえがそんな途方も無い損害を受けたということは……」

あい「……この世界にも、損害が出てるってことだ。 前の世界と比べてね」



ほむら「…………」


返答に窮したのか、単に興味が無いのか。
押し黙るほむらに、あいは嬉々として言った。



あい「知ってるかい? この星はね、もう永くないんだ」



この星――それはつまり、地球のことだろう。
彼女たちが今立っている、この大地が……人間にとっての世界が、寿命に達しつつある。

それほどのことを、あいは何でもないように話していた。


あい「まだ宇宙全体の危機というわけではないけど、地球に関してはもうすぐらしいよ」

あい「キュゥべえに隠されているのか、知ってて隠しているのか……人間たちはあんまり自覚ないけどね」



あい「……もちろん、明日や明後日の話じゃない。 君くらいの年齢なら、変化を感じる機会は無いよ」

あい「ただ、孫やひ孫の世代にもなれば……たぶん、わかりやすい影響が出てくるだろうね」

あい「きっと前の世界では、多くの人間が『関係ないね』って言えるくらい先の話だったはずだけど」

あい「まあ……牧場を守るのは、あくまで酪農家の仕事だってことさ」


家畜が生きていけるのは、牧場を管理する人間が居るからだ。
そして管理を行うには、人間が牧場から得る利益が必要になる。

片方が倒れれば、もう片方も共倒れになる――それと同じだと、彼女は言う。


あい「戦闘補助用人間型インキュベーター……こんな過保護なもの、『前』は無かったでしょ?」

あい「必死なのさ、キュゥべえも。 この素晴らしい牧場を手放さないためにね」



あい「まあでも、君にとってはやっぱり『関係ないね』って感じかな?」

あい「君は長生きとか、興味なさそうだし。 ね?」


それは彼女の皮肉にしては、あまり悪意を感じられない言い方だった。
もしかしたらそれは皮肉ですら無く、単純に暁美ほむらという人間が、
誰にとってもそう見えているだけなのかもしれない。

だからほむらの方も、淡々とそれに答える。


ほむら「魔法少女は、みんなそうよ。 孫の顔を見られる魔法少女なんて、存在しないのだから」

あい「……それもそうか」



あい「まっ、ここで重要なのは、キュゥべえの尻に火がついてるってことさ」


あい「エネルギー回収効率の改善、謎のソウルジェム消失現象の解明……」

あい「この世界のキュゥべえには、多くの課題があった。 そしてそれをずっと研究し続けていた」

あい「……そんな中で、君の話はひとつの仮説としては受け入れられただろうね」

あい「でも、そこ止まりだ。 それを証明する手段が無いんだから……」


それは確かに、キュゥべえがほむらに言ったことだった。
一字一句同じというわけでは無いにしろ、言いたいことはほとんど同じだろう。

仮説には証明が必要であり、それが無ければ机上の空論に過ぎない。
そしてひとつの概念である鹿目まどかの存在は、その証明が非常に困難なものだ。

だからこそ、キュゥべえが彼女に手を出すことはない……はずだった。



あい「だけど、つい最近見つかったんだよ。 その存在を証明する方法がね」


ほむら「……っ!」


驚きを隠せないほむらを見て、あいはわずかに口角を吊り上げる。

この世界での鹿目まどかは、ほむらが言った通り魔法少女にしか干渉しない。
しかもキュゥべえが魔法少女のシステムを作ったその瞬間から、彼女はずっとそこにある。

いくらキュゥべえが優れた技術を持っていたとしても、干渉の有無を比較する対象がない以上、
ソウルジェムに何かが干渉しているということすら、知るのは難しいはずだ。


ほむら「そんなことを……どうやって」

あい「きっかけは偶然さ。 と言っても、彼らの努力の賜物であることは確かでね」

あい「……そのことは、キュゥべえが同時に進めていた別の研究から発覚したのさ」



ほむら「別の研究?」

あい「そう、回収エネルギーの量を増やすための研究だよ」

あい「目的は同じでも、消失現象の研究とは方法が違う。 それは、もっと根本的なものだったんだ」

あい「回収効率が上がらないのなら、回収できる資源自体を増やしてしまおうという発想の研究」

あい「だけどあくまで、メインである消失現象研究と並行して行う、補助的な計画――」



あい「――彼らはそれを、『サブプラン』と呼んでいた」





――――――――――




――――――――――



あすなろ市。


普段は見滝原とそう変わらない、ごく普通の街だ。
そして今日も、街の住民たちは普段通りに、思い思いの夜を過ごしている。

早めに布団に入る者、外出して過ごす者、まだまだ仕事が終わらない者。


――その全員が、すぐ近くで起こった爆発音にも気付かずに。


TB「……もう、それほど遠くはない。 この先にある森に、彼女たちは居る」

さやか「ようやくだね……随分邪魔してくれちゃって、あのド変態め」


建物の屋根を飛び移っていく魔法少女たちの姿は、住民の視界には滅多に入らないだろう。
しかしたとえ見えたとしても、虚構の魔女が仕掛けた幻覚に侵されている彼らはそれに気付くことはない。


ほむらの匂いがする方に向かってまっすぐに進み続けながら、トウべえはさやかの方をちらりと見やった。
そして、自分の腰に下げられた白い鞘に目を落とす。


TB「…………」


その顔には、杏子と別れた時に見せた不安の表情が、まだ消えることなく残っていた。

確かに、もうすぐでほむらの居る森に着くだろう。 それは彼の嗅覚が告げている。
しかし本当に、このまますんなりと彼女の元に辿り着けるのだろうか?

まだ経験が浅い彼には、魔法少女達の言う「悪い予感」のようなものはわからない。
だが経験上、大河あいがこのままで終わるような敵にも思えない。
それが、彼には無性に恐ろしかった。

正確には、その先に待っていることが、恐ろしかった。



さやか「あっ……」


しかし結局のところ、そのような不安を持って思い悩むことに、大した意味はなかったのだろう。
それは、その不安の根源は、あまりにも素直に、実直に待っていたのだから。
彼を急激に恐怖させるような不意打ちも、頭を悩ませるような小賢しい策も無く。

ただ純粋に、彼女は彼らを待ち構えていた。



さやか「……トウべえ、あれ」



さやか達が、人気のない広場のような場所を通り抜けようとした時だった。


その広場の中心に、何かが立っているのが見えた。

うす暗闇の中ではっきりとした姿はわからないが、だだっ広い広場の中でそれはあまりにも異質であり、
その巨体も相まって、遠目にもはっきり存在を感知できるほどに彼女は目立っていた。


ゆるやかな曲線で構成された、女性らしさを感じるシルエット。
重厚な光沢を持つ金属のような質感の、雄々しく頑強な鎧。
特に脚部の装甲は、夜中であっても光り輝くような威厳を放つ大きさと美しさを持っていた。

ただ、『鎧』としか表現できない純粋な姿――『鎧の魔女』が、そこに居た。



さやか「魔女……だよね? どう見ても」

TB「……うん。 でも、ここまで近づいても襲ってこないのはどうしてだろう?」

さやか「わかんないけど、たぶん気付いてないわけじゃないよ」


たとえ普通の人間でも、目を凝らせばお互いが見えるくらいの位置に彼らはいる。
魔女の視力がどれほどのものかはまちまちだろうが、この距離で見逃すような魔女はあまりいないだろう。

おそらく、彼女には彼女の領域があるのだ。
ほむらの居る森までの道を守る最後の番人として、彼女はその領域に入ろうとする者を敵とする。
そういう魔女なのだろう。 そうでなければ、ここに居る意味が無い。


つまり、迂回は無駄だ。

さやか達はその事を半ば直感的に悟り、慎重に魔女へ近づいていった。



近づきながら、トウべえはこの魔女がどのような能力を持っているのかを考える。

大量の使い魔を操るもの、不死の体を持つもの、時間を止める力を持つもの、幻覚を操るもの。
シンプルな力を持ち、物量頼みなことが多い魔獣と違って、魔女は実に多種多様な力を持っている。
それは核となった人間の感情が、そのような多様さを持っているからだろう。

今目の前に居る鎧の魔女も、あいの力で変えられる前は人間か、あるいは魔法少女だったはずだ。
彼女の感情がどのような特質を持っていたのかはわからないが、それに由来する強い力を備えていることは間違いない。

特殊な力が発動する兆候を見逃さないように、彼は注意深く魔女を観察していた。


そのせいで、魔女が深々と腰を落とした時……どう対応するかの判断が、一瞬遅れたのかもしれない。



TB「……っ!!」


彼女がとった攻撃方法は、全体重を載せた全力のタックルだった。

着地するたびに広場の敷石を踏み砕きながら、瞬く間に距離を詰める。
巨体と分厚い鎧の重量故か動きはさほど俊敏ではないが、歩幅が広いので恐ろしく速い。


さやか「うわ、やばっ!」


さやかが垂直に飛び上がって、突進の軌道から外れる。
一拍おいて、トウべえもその場から飛び退いた。



魔女『…………』


トウべえが上ではなく横に飛んだのを、兜に覆われた闇の中に浮かぶ瞳が、横目でちらりと確認する。

魔女はさやかたちが立っていた場所の手前で大きく飛ぶと、その右腕を振りかぶった。
そして走ってきた勢いそのままに、拳を地面に振り下ろす。


TB「うっ……!」


空気が一瞬歪み、そして破裂する。


轟音と、衝撃波と、敷石の破片が円環状に広がっていく。
その時地に足を付けていたトウべえは、その強すぎる衝撃で体が大きく揺らぐのを感じた。


自分の選択が誤っていたことに気がつくと同時に、金属で隙間なく覆われた拳が飛んでくる。


TB「ぐっ……あああ!!」


トウべえは鞘を両手で構え、辛うじて魔女のパンチを受け止めた。
両腕の骨が軋む音をたて、鞘には亀裂が入っていく。
もしさっきの衝撃で彼の軽い体が浮いていなければ、骨か鞘、片方は確実に折れていただろう。

彼はそのまま吹き飛ばされ、広場の床をサッカーボールのように転がっていった。




さやか「……隙ありっ!!!」


しかしこのわずかな間に、空中を舞っていたさやかが剣を構えて襲いかかる。

頭上に出現させた青い魔法陣を上向きに蹴って、自然落下よりも速く魔女に向かう。
振り返る間もなく、魔女の背中に銀の刃が叩きつけられた。


金属と金属がぶつかる、甲高い音が広場に響く。

魔法で作られたもののためか、通常は有り得ないほどの火花が花火のように辺りを照らす。



そして着地したさやかが見たものは……刀身の中程から真っ二つに折れた、自らの愛剣だった。



さやか「え、うそっ、マジで!?」


あわてて顔を上げると、目の前の鎧には傷ひとつ付いていない。
折れた剣先が広場に突き刺さり、音叉のように震えて出した音が背後で虚しく響いていた。


さやか「お、思ったより硬いなこりゃ……」


引きつった半笑いを浮かべるさやかを、ゆっくりと振り返った魔女の目がじっと見つめた。



……そう、彼女に、『鎧の魔女』に特殊な能力などないのだ。

力、そして硬さ。

それだけだが、それだけで良い。 それこそが、強さそのものなのだから。


次の標的を見つけた魔女は、再び拳を振り上げて跳んだ。


さやか「っ!!」


体重を乗せて叩きつけた拳は地面を砕いたが、そこにさやかの姿はない。
その代わり、舞い上がった土煙の隙間に白いマントがひらめくのが見えた。

そしてそこから放たれる銀色の光が魔女の目を打つ。


魔女『――!』


飛び上がって魔女の拳を避けたさやかは、そのまま空中で体を回転させていた。
手に持っていた折れた剣を、その勢いに乗せて投げつける。
剣は煙を切り裂いて一直線に進み、魔女の体で唯一鎧に覆われていない部分――

――顔の覗き穴に向かって飛んでいった。


鎧の魔女の顔には、西洋の騎士が被る兜のように、縦長のスリットが並んでいる。
咄嗟の判断で投げたにも関わらず、さやかの剣は正確にその隙間へ向かっていった。

スリットの奥で光る魔女の目はそれを捉えていたが、腕を振り回した直後なので叩き落とすのは間に合わない。
故に、それは避けることのできない一撃だった。
さやかは本能に近い直感で、その場における最善の手を自然に打っていたと言えるだろう。


さやか「よし、もらった――!」

魔女『…………』


しかし剣がスリットを通り抜けようとしたその瞬間、兜の耳に当たる部分から、仮面状の装甲が一瞬で展開される。
スリットを覆う反則的な追加装甲に阻まれて、さやかの剣はあっけなく弾かれた。


さやか「――って、それはズルいでしょ!?」


剣を弾き返した後、再び開放されたスリットから、魔女の双眼がさやかを睨む。

投擲後のために姿勢が崩れ、重力に任せて落下するより他ない彼女に、
魔女の全体重を込めた回し蹴りが迫る。


さやか「っ!!」



TB「……さやかぁっ!!」


分厚い装甲に覆われたつま先がさやかにぶつかる寸前で、しかし魔女の体は大きくよろめく。

見ると背後から走ってきたトウべえが、軸足の膝裏に鞘を突き立てている。
ダメージが通っているようには見えないものの、急な不意打ちでバランスを崩したようだ。

魔女は肘をつきながら転倒し、足元のトウべえは俊敏な動きで仰向けになった魔女の足に絡みつく。


魔女の鎧は関節部分でも装甲の無い場所が見えなかったが、それでも大きく曲げれば必ず展開する場所がある。
倒れた魔女は仰向けで片膝を立てたような格好になっていたため、その膝はちょうど限界まで曲げられていた。

トウべえは魔女の足に駆け登ると、曲げた膝を覆っている装甲の、わずかな隙間に鞘を差し込んだ。


転がりながらさやかの元へ離れたトウべえを追うため、魔女は腕を突いて体を支え、立ち上がろうとする。
しかし腰を上げようとしたところで、彼女は再びバランスを崩して尻もちをつく。


魔女『――……!?』


彼女の鎧は、ほとんど隙間なく体中を覆っている。
さっき膝に刺した鞘も二重になった鎧に阻まれ、その下にある本体には届いてすらいないだろう。

しかしほとんど隙間が無いということは、装甲と装甲の間に遊びがないということでもある。
そしてそれは、そのわずかな隙間に異物が挟まった時、動きが大きく障害されることを示している。


膝当ての隙間に差し込まれた鞘は、彼女が膝を伸ばそうとする動きを邪魔していた。
片膝が曲がったままでは当然立ち上がることはできないし、体勢を立て直すこともできない。

魔女もそれに気が付いたのか、鞘を掴んで引っ張りだそうとしていた。
しかし膝を伸ばそうとする力でがっちりと挟まれた鞘は、なかなか抜ける気配がない。


魔女が膝に刺さった鞘と格闘している間に、トウべえはさやかの下に駆け寄っていった。


TB「はあっ、はあっ……怪我は、無いかい?」

さやか「……うん、大丈夫。 サンキュー、今のは助かったわ」

TB「だけど、あれも多分長くは保たない。 今のうちになんとかする必要がある」


トウべえは膝を抱えている魔女の方を一瞥した。
鎧に挟まっている白鞘には、最初の攻撃で受けたひびがまだ残っている。
そしてそれは、魔女が暴れるたびにみしみしと音を立てて広がっていた。


TB「ここでもたもたしていたら皆を置いてきた意味が無いし、出し惜しみは無しにしたい」

TB「……さやか、これを使ってくれ」


そう言うと、トウべえは新たに創りだした自分の武器――白い鞘を、さやかに差し出した。


さやか「えっ……もしかして、あのドレスの魔法使う気!?」

TB「ああ。 それで短期決戦を挑もう」

さやか「バカ! 仁美とかガラス女とか相手にした時、あんたどうなったか覚えてないの?」

TB「僕の体なら後で直せるじゃないか」

さやか「……今はあんたが必要なんでしょうが! 怪我してる場合じゃないでしょ!?」


トウべえの背後で、鞘が折れる音が響いた。
魔女が立ち上がる様子が無いので、隙間の外に伸びている部分が折れただけだろう。

だが残った鞘が砕けるのも、時間の問題だ。




さやか「トウべえ、あんただってわかってるんでしょ?」

さやか「転校生みたいな強い魔法少女が、あんなメイドに負けるはずがないって」

さやか「でもここに魔女が居るってことは、あいつはまだやられてないってことで……」

さやか「……そんなの、何かヤバいことしてるに決まってる! あたしじゃ止められなかったらどうすんのよ!?」

TB「……っ」


筋の通った正論に、トウべえは思わず返答に詰まった。


さやか「あんたがマミさんと一緒に戦った時の魔法なら、どんなことからでも守れるんでしょ?」

さやか「それなら、あんたがあいつの所に行ってやってよ」


さやか「……あたしがこいつを、なんとかしとくから」


TB「それは……!」


恐れていたことを言われて、トウべえは一瞬泣きそうな顔になった。
それを必死でこらえながら、咳き込むようにかすれた声を出す。


TB「君を……置いていきたくは、ない」

さやか「……マミさんと杏子の時は何も言わないくせに。 あたしそんなに信用ない?」

TB「そうじゃなくて……」


うろたえるトウべえを見て、さやかは少し照れくさそうに笑いながら言った。


さやか「……冗談だって。 わかってるよ、あんたが大事に思ってくれてるのは」

さやか「何でなのかは、全然わかんないけどさ」



さやか「だけど、あたしも友達を……ほむらを、守ってやりたいの」

さやか「あいつ時々、あたしよりもバカだから。 ほっとけないんだよ」

さやか「……放っておいたら、一生後悔するかもしれないって思う」

TB「…………」


何も言えずにうつむくトウべえの横を通り、さやかは魔女の前に立った。
魔女の膝からは鞘の破片が砕ける音が聞こえ始め、この足止めがもう長くないことを示している。

その様子を眺めながら、背後に向かって彼女は言った。



さやか「そんなの、あたしは絶対に……嫌だから」



一際大きな音と共に、魔女の膝がぴんと伸びる。
勢いを付けて立ち上がった魔女の足が、再び地面を踏みしめた。



さやか「だから――」



最初の攻撃と同じように、突進で勢いを付けてから拳を叩きつける。
シンプルかつ強力なその動作を、さやかに対して再び行おうとしているのだろう。

加速しながら迫る鎧の魔女に対し、さやかは避けようともせずに立っていた。


トウべえが危険を知らせるためにさやかの名を呼んだ。

彼女は構わずに、腰を落として右手を握る。 武器も持たず、ただの拳を後ろに引く。



魔女が同じように右手を振り上げた。





――青い光が、さやかの腕を包み込む。





空気を震わす衝撃と共に、拳と鎧が激突した。



TB「――――っ!!」


間近で見ていながら、トウべえにはその瞬間を確認することはできなかった。
一瞬で拡散した青い光の奔流と、空気が歪んで見えるほどの衝撃がその視界を阻む。


彼が見ることができたのは、数十メートルも吹き飛んで行った鎧の魔女と。

それを行った細い腕を覆う、青い炎のようにゆらめく光と。


……初めて会った時に彼が心を奪われた、あの太陽のような笑顔だけだった。



さやか「だから……あいつとあんたは、あたしが守ってみせる」

さやか「この無敵の魔法少女、さやかちゃんがね!」


呆然とするトウべえに、さやかは手首をぷらぷらと振りながら笑いかける。
手首を振る動きに合わせ、青い光が本物の炎のように消えていく。


TB「その、魔法は……」

さやか「……これね。 凄いでしょ? ほら、そろそろ必殺技のひとつも無くちゃと思ってさ」

さやか「いろいろ考えてたんだ。 ……ぶっつけ本番はちょっと怖かったけどね」

TB「ひ、必殺技って……それは一体どういう」

さやか「まあそういうことだから……さ!」


彼女はすたすたと歩み寄ると、彼の両肩を掴んで強引に半回転させ、背中を強く押した。



TB「うわっ……と」

さやか「あんたは安心して、先行ってなさい!」


よろけながら2、3歩踏み出して振り返ると、彼女は手を軽く振ってみせている。

数秒の間その顔を見つめた後、トウべえは大きなため息をひとつついた。
そして困ったような、嬉しいような……少しだけ寂しそうないつもの笑顔を浮かべて、彼はその手を振り返す。


TB「……わかった。 心配する必要なんて、なかったみたいだね」

TB「僕は先に行くよ。 ほむらのことは任せてくれ」


さやか「うん。……頼んだよ」


暗闇に向かって駆けていく彼の背中から目を離し、さやかは魔女が吹き飛んでいった方に顔を向けた。


さやか「よしよし……さーてと」


重い足音を響かせながら、鎧の魔女がゆっくりと歩いてくる。
胸のあたりには大きなへこみが出来て、そこを中心に蜘蛛の巣のようなヒビが入っていた。
ぱらぱらと落ちる破片の向こうには、二枚目の装甲が見えている。

さやかはそれを見てうんざりしながらも、再び腰を落とした。


さやか「ったく、タマネギかっての……」

さやか「……ま、全部剥いてやりますかね」


青い炎のような光が、彼女の右脚から滲み出る。


『コン・フォーコ』――いちいち叫んだりはしないが、その魔法は彼女なりにそう名付けられていた。

身体の自壊を防ぐため無意識にかけられたリミッターを解除し、真の全力で敵を殴りつける。
その過程で崩壊する手足を、限界まで集中させた治癒魔法で「直しながら」殴りぬく。

単純な理屈だが、漏れだした魔力が炎のように見えるほど強力な治癒の魔法は、
腕が粉々に吹き飛ぶような衝撃でさえも耐えぬく力を彼女に与えていた。


さやか「体が壊れるほど強く蹴るって、あいつの真似なんだけどね」

さやか「あの時から随分、変わったなあ……あいつも、あたし達も」


右脚に魔力を集中させながら、彼がこの街に来たばかりの時のことを思い出す。
すぐに意識を魔女に戻しつつ、さやかはほんの少しだけ思い出に浸った。



少しずつ歩く速さを上げていた魔女が、やがて再び突進を始める。
それに合わせて、さやかも魔女に向かって走りだした。

おそらく、二人が考えていることは同じだろう。


シンプルで強大な力を振るう者同士、小細工なしのぶつかり合い。



魔女『……――――ッ!!!!』

さやか「……でやああああっ!!!」



――鎧と炎に包まれた、2つの脚が今、激突した。





――――――――――





――――――――――




ほむらの匂いを辿りながら街を駆けるトウべえの横に、小さな白い影が並走し始めたのは、
彼がさやかの元を離れてから数分も経っていない頃だった。

猫よりもやや短い足を効率的に動かしながら、キュゥべえは彼に難なく付いて来ている。
それどころか、キュゥべえは並走し始めてからすぐにトウべえを追い越し、前を走るようになっていた。


QB『ここからは、僕が先導しよう』

QB『匂いを追っていると、正確な位置を掴むのには時間がかかるからね』

TB「…………」


テレパシーで淡々と告げるキュゥべえを、トウべえは訝しげな顔で見下ろした。



TB『……それは構わないけど、キュゥべえ。 どうして今更君が出てくるんだい?』

QB『予想より状況が切迫しているからさ。 少しでも時間を短縮したいんだ』

TB『まるで、向こうで何が起こっているのか知っているような口ぶりだね』

QB「…………」


返事をせずに黙るという反応を見て、トウべえはむしろ納得した。
この地球外生物は、人間と違って無意味に黙ることはない。
彼にとって沈黙は答えなのだ。 それも、トウべえが予測していた答えだ。

だからトウべえは、一方的に自分の考えを話すことにした。


TB『僕は……この街に入った時、ちょっと意外に思ったんだ』

TB『もっと物理的に封鎖されていると思ってたからね。 実際は、幻覚で閉じられていただけだったけど』


TB『……なぜそう考えていたのかと言うと、キュゥべえからの連絡も途絶えていたからだ』


人間や魔法少女を閉じ込め、連絡を絶たせるには『虚構の魔女』の力があれば足りる。
しかし、幾つもの体を操るほど大きく底知れない思考能力を持つキュゥべえに、幻覚が効くとは思えない。
よって彼らからの連絡が途絶えるなら、直接移動を阻むような物理的障害があるはずだ。


TB『でも、君をこの街に入れないような壁は無かった。 現に、君がここに居るし』

TB『つまり……君は自分から、この街を撤退していたことになる』

QB『……留まることが不可能だった、とは言ってないよ』

TB『街を出たことは認めるのかい? これは、君が僕らを敢えて危険に晒していたことを意味するけど』

QB『…………』


彼は沈黙しているが、動揺はしていない。 それはトウべえも同じだ。

思えば、今までにも不審な点はあった。
ほむらにあすなろ市の調査を頼んだのはキュゥべえだし、あいの捜索も彼の情報によるものだ。
そしてどちらも、その後あいの罠に嵌り込むような結果を招いている。


そのことになかなか思い至らなかったのは、彼が常に真実を話しているからだろう。
実際にあすなろ市の魔法少女は全滅して連絡は取れなかったし、あいの居場所も正確だった。

それらの情報が、結果的にあいとの衝突を引き起こしたとしてもだ。


キュゥべえはいつも正しい情報を伝えながら、その裏にどのような意思が在るのかを「黙っている」のだ。

だからこそ、もっとも質が悪いと言える。

彼の真意は、こちらから問いかけなければ知ることはできない。
だが目の前に確かな事実がある以上、そこまで目を向けるのは難しい。
そして都合よく踊らされていることに、いつまでたっても気がつけないのだ。


TB『君がなぜ、そんな状況を望んでいたのかはわからない』

TB『でもこの事態を誘発したことが事実なら、それを今更収拾しようと焦るのは不自然だ』

QB『…………』

TB『僕は責めたいわけじゃなくて、ただ教えて欲しいんだよ……キュゥべえ。 君は何をしようとしてる?』


TB『……サブプランとは、一体どんな計画なんだい?』



その質問に、キュゥべえは沈黙を返さなかった。


QB『……確かに君には、話す必要があるかもしれないね』

QB『あいが何をしようとしているのか、君らと彼女が接触することの意味』

QB『それらは全て、この計画に発端があるんだから』


つまり、全ては自分が仕組んでいたことだ……そのような意味のことを、彼はあっけなく白状する。

もしここに他の魔法少女が居たのなら、憤慨して彼に食って掛かっただろう。
だがトウべえは自分の言葉通り、特に責めるわけでもなく落ち着いていた。
あるいはそれを見越して、キュゥべえはこのことを話したのかもしれない、とトウべえは思った。


TB『ああ、頼むよ。 彼女が何をするのかくらいは、知っておきたい』

TB『……ほむらを手助けするには、必要なことだしね』


あくまで魔法少女の補助のために、彼は計画について知りたいと言った。
キュゥべえはそれを肯定も否定もせず、ただ淡々と話し始める。

そんなことなど、もはやどうでもいい――とでも言うように。


QB『何にせよ、ここまで話したからには、君には全てを伝えておこう』

QB『僕らが推進してきた、2つの計画のことを……』



そして、トウべえは知ることになった。

『戦闘補助用人間型インキュベーター』――その欺瞞に満ちた存在の、本当の意味について。





………………
…………
……


………………



あい「……サブプランというのはね。 簡単にいえば、『人間製造計画』とでもいうべきものだった」



焼けただれた森の一画で、焼けただれた少女は話を続ける。
キュゥべえの描く壮大かつおぞましい計画の暴露に、ほむらも集中して聞いていた。


ほむら「人間を一から作るということ? そんなことが可能なの?」

あい「可能じゃないよ。 体はともかく、感情を持つ魂を工場で作ることができるならそもそもこんな星に来ないさ」

あい「だけど、その無理を通せば……無限とも言えるエネルギーが、手に入ることになる」


人間一人から得られるエネルギーは、その人間が生まれて成長するまでのエネルギーを上回る。
その魂をキュゥべえ自身が生産し、消費するサイクルを作れば、確かに理論上は最高の供給源になるだろう。
まさにエントロピーを凌駕する、無限に近いエネルギー機関が出来上がる。

そうなればもはや、人間と契約する必要すら無くなるだろう。




あい「ただ、やっぱり現実はそううまく行かなくてね。 計画は頓挫したようなものだった」

あい「魔法少女から集めた膨大な感情のデータを、打ち込んで打ち込んで打ち込んで……」

あい「それでも、人間の魂とは程遠い何かしか作れない。 そんな状態がずっと続いてたんだよ」


キュゥべえは、人間や魔法少女たちから感情の変化に関するデータを常に集めている。
それを元に魂を作り出し、結晶化させる――それが彼らの主な実験方法だった。

しかしそうして出来たソウルジェムは、なぜか全て『失敗作』であった。

キュゥべえに比べれば確かに多少の感情エネルギーが観察されるものの、人間には遠く及ばない。
得られる利益が生産コストを上回らず、そのままではエネルギー収支がマイナスにしかならない、ただのゴミ。


なぜそのような失敗作しか作れないのか、どうすれば人間のような感情を得ることができるのか――
データが足りないのか? それとも、何か別の要素が必要なのか?
答えは出ないまま、来る日も来る日もゴミを生産し続ける。

それが、サブプランの実態だ。



あい「まあ、だからサブだったわけだけどね……」


まさに、そんなことができるのなら地球になど来ない……と言ったところだろうか。
基本的に感情を持たず、それがどういうものなのかも理解が及ばないキュゥべえに、
その感情を持った魂を作れというのは酷な話だ。


あい「彼らにとってのメインプランは、ソウルジェムの消失をなんとかすることの方だった」

あい「なにせ、理論的には消失することのほうが不自然だと考えられていたんだからね」

あい「その原因不明の現象を正す方が、可能性としては高いだろうと言うわけさ」



あい「だけどさっき言った通り、このサブプランの産物が、消失現象の解明に一役買ったんだよ」

あい「……きっかけは、いつものように生産された『失敗作』の山だった」


キュゥべえは、作りだした失敗作をただ処分していたというわけではない。
捨ててしまえばただの無駄だが、失敗作には失敗作の利用価値がある。

すなわち、次の実験へ向けてのデータ採集だ。


あい「彼らは失敗作を生むたびに、様々な負荷をかけて結果を観察していたんだ」

あい「どのような刺激を与えれば正の感情エネルギーが増大するのか? ……その逆についてもね」

あい「そうして得られたデータを、また次の実験に活かす。 その繰り返しさ」


しかしある時、そのデータ採集の段階で思わぬ結果が観察された。

それは失敗作に与える負荷と、負の感情エネルギーについての相関を調べていた際のことだった。
感情がマイナス方向に働くような負荷をかけ続け、限界まで達した失敗作にある変化が起きたのだ。


あい「どうなったか、わかるかい? 負の感情を溜め込んだ失敗作が、どう変化したのか」


ほむらはそこまで聞いて、思わず顔をしかめた。その話の続きが、なんとなく予想できたからだ。

そしてその予想は、だいたい当たっていた。



あい「……『いきもの』になったんだよ。 ただの結晶化した人工の魂でしかない、『失敗作』がね」




ほむら「……っ!」

あい「面白いでしょ? ……それらは皆、歪んだ胎児のような姿をしていたそうだよ。 話によるとね」


いきもの、とあいは表現したが、それはキュゥべえの知る生命体とは少し異なるものだった。
どうやら物質的な肉体はあるものの、その構造は既存のどの生物にも当てはまらない。

また存在自体が不安定で、しばらくすると勝手に死んでしまうほど虚弱な上、
生命活動を停止すると共になぜか消滅してしまう。

そのあまりにも奇妙な胎児は、同じ実験で生産された、全ての失敗作から生まれていた。


あい「その時生まれた胎児たちは、しばらくすると勝手に死んじゃったらしいけど……」

あい「それ以降に生産された失敗作からは、高確率でこの胎児が生まれるようになったんだってさ」

あい「だからそれまで行ってきたデータの蓄積は、必ずしも無駄では無かったわけだね」

あい「データを集めるというこの方法で、確かに何かしらを作ることができるとわかった……」


あい「……だけど、この発見の意義はそんな程度のことじゃない」



ここからが本番だと言うように、あいは口角を無理に釣り上げてにっと笑った。
ほむらの方は真剣な表情をしているが、ふらふらと彷徨う視線はどこか上の空のようにも見える。
それに気付いているのかいないのか、あいは構わず話を続けた。


あい「なんとこの胎児が生まれた時に、感情の相転移によるエネルギーの放出が確認されたんだよ!」

あい「そのエネルギーはごくわずかで、もちろん実用的では無かったけれどね」

あい「でもその結果はまさしく……魔法少女のシステムに対して予測されていたものだった」


つまり、ソウルジェムの消失現象が起こらなかった時の結果こそが、その胎児だったのだ。

負の感情を溜め込んだソウルジェムの急激な変異、それに伴う感情の相転移によるエネルギーの放出。
キュゥべえが魔法少女のシステムを作った時に予想したその結末は、決して間違ってはいなかった。
事実、人工ソウルジェムである失敗作はその通りになったのだから。


この発見が表す事実はただひとつ。

ソウルジェムの消失現象とは、『何か』が、『胎児』の誕生を邪魔している結果だということだ。




あい「……なぜ、失敗作に消失現象が起こらなかったのか? それはわからない」

あい「失敗作が紛い物だったからか、それともその消失を起こす『何か』の好き嫌いの問題か……」

あい「何にしても、失敗作がソウルジェムの比較対象として使えるようになったのは間違いなかった」


『何か』に干渉を受け、消失現象を起こす人間由来のソウルジェム。
『何か』から干渉を受けることなく、胎児とエネルギーを生み出す失敗作。

この2つに起こる変化を全て記録し比較すれば、『何か』の干渉による変化だけが浮き彫りとなる。
そしてそれを解析することで、『何か』による干渉の正体を知ることができるだろう。

そこまで行けば、いつかは干渉を遮断するような技術を開発することさえ可能になる。


あい「まさに革新さ。 長らく進展の無かったメインプランは、この失敗作のおかげで最終段階に入ったと言える」

あい「……あとはじっくりと、『何か』を制御するための研究を行えば良いんだからね」


例えば、干渉を一方向のみ遮断するフィールドを作り上げる。

その中に、穢れを溜め込んで今にも消失しそうな魔法少女を放り込む。
『何か』はフィールドを通り抜け、ソウルジェムに干渉するだろう。 そして、そのまま中に閉じ込められる。


観測さえ行うことができれば、それはいずれ制御に繋がる。

こうして『何か』を制御したその時こそが、ソウルジェム消失現象が排除される時なのだ。



あい「そしてその時、証明されるのさ。 ……その『何か』が、『鹿目まどか』だということがね」




………………
…………
……


………………



QB『だけど、この方法には問題点もあったんだよ』


トウべえの前を走りながら、キュゥべえは計画に関する話を続けた。
その内容に対する感想こそないものの、トウべえは時折先回りするように口を挟む。


TB『……時間、かい?』

QB『その通り。 実験に必要な遮断フィールドを作るには、更なるデータ収集と技術開発が必要だ』

QB『だからその実験を開始するまでには、まだ多少の時間がかかると予測できる』

QB『実験を行う頃には、地上のほとんどが荒野になっている可能性さえあった……』

TB『君達のことだ。 その間、何もせずにいるはずは無いだろうね?』



QB『そうだね、ただでさえ切迫した状況であるわけだし』

QB『実験の準備を進めながらも、他のエネルギー対策を並行して行うことが望ましかった』

QB『そこで考案されたのが、サブプランの継続……失敗作の更なる再利用さ』


胎児を生み出す失敗作の発見は、消費用の人間を創りだすという本来の目的にとっても大きな進歩だと言えた。
このまま更にデータの蓄積を続ければ、それらは少しずつ、本物らしくなっていくだろう。
キュウべえはそう考え、実験の継続を決定した。

ソウルジェムの消失――つまり『円環の理』を何とかする目処が立ったのなら、もう一つの計画は必要ない……

……などという考えは、彼らには存在しない。


実験の成果は、多ければ多いほど良いのだ。 宇宙を救うほどの膨大なエネルギーに、十分ということはない。




TB『……だけど、それにはもっと時間がかかるんじゃ? その発見だって、長い実験の結果だろう?』

QB『従来の方法を続けるのなら、ね。 実験方法においても、大きな進歩があったのさ』


その鍵となったのは、環境による胎児の変化だ……とキュウべえは語った。

失敗作の置かれる環境を微妙に調整することで、胎児化したあとの姿や生存時間に変化が出る。
胎児の発見と同時に判明したその法則に、彼らは可能性を見出したのだ。


QB『人工ソウルジェムに宿った感情が環境によって変化するのなら、もっと手っ取り早く人間に近づけることができる』

QB『……つまり、人間と同じ環境に放り込んでしまえばいいのさ』


人間と同じ環境で人間と同じ刺激を受ければ、失敗作は人間の魂と同じように変化するかもしれない。
その過程におけるデータが採れれば、実験室で簡単に再現することもできるだろう。

そしてそうなれば、無限のエネルギーを生み出す燃料――人間の魂を創りだすメソッドが手に入る。



TB「……なるほどね」


そこまで聞いて、トウべえはこれまでの全てに納得がいった。

自嘲するように頬を歪め、肺を痙攣させて、何度か短く息を吐く。
何の動きも見せないキュウべえの顔に向かって、彼は乾いた声を絞り出した。


TB「上手い方法を、考えるね。 ……君の実験には無駄が無い」

QB「…………」

TB「まさか、人間の環境に放り込んだ実験体に……」



TB「……魔法少女のサポートをさせるなんて」



………………
…………
……



………………



あい「ボクらはみんな、働いてる。 一人の例外もなくね」


あい「戦わない時はバイトをして、稼いだお金で食事もする。 読書や、テレビを見ることもある」

あい「掃除や洗濯もするし、おしゃべりだってする。 ……そうするように言われてるんだ、キュウべえから」


夜空を見上げて淡々と話すあいの顔からは、これまで見せていた表情が一切消え失せていた。

計画について話していた時の悪意さえも見当たらない、まるで感情が無いかのような声で、
彼女は自分について話していた。


あい「何でそんなバカらしいことを、わざわざボクらにさせるのか、わかる?」

ほむら「……それが、人間の環境だから?」

あい「そうだよ。 人間に近づくために、人間を真似している……真似させられているんだ」



そうして彼女たちが人間と同じ感情を持つようになれば、そのデータを元にして、
キュゥべえと契約するためだけに存在する、人造人間を生み出すことができるようになる。

そうなれば、人間との契約をする手間もなく、安定してエネルギーを生産する手段を得られるだろう。


もしそのように上手く行かなくても、彼女たちに魔法少女の補助をさせ、
その生存率を上げるよう働かせれば、少しだけでも地球の寿命を延ばすことができる。

その猶予を用いて干渉を遮断する技術を開発すれば、『鹿目まどか』を制御する実験を行えるのだ。


どちらに転んでも、キュゥべえは宇宙を救うためのエネルギーを手に入れる。

それが、メインとサブ、お互いを補いあう二本の計画。



あい「戦闘補助用人間型インキュベーター……ボクらはそのための礎だ」



魔法少女のサポート役、という名目も嘘ではない。
そのもう一つの目的を、それが人間型である理由を、話さなかっただけだ。


ほむら「本当に、あなた達のソウルジェムは……その、失敗作なの?」

あい「残念だけど、真実だ。 人間のように見えても、結局は偽物」

あい「……魔法少女の女神に見捨てられた、魔法少女モドキさ」

ほむら「………っ」


その時、彼女を見下ろすほむらの目に、今まではなかった感情がよぎった。
それはあいに対する憐れみか、それとも何か、言いようのない別の思いか……

何にせよ、そのせいで、ほむらは気が付かなかったのかもしれない。


黒曜石のように輝いていたあいのペンダントが、いつのまにか醜く、汚く、濁っていたことに。




あい「このことを知った時には、恨んだよ」

あい「ボクを生み出したキュゥべえも、救済を拒んだ女神様も」

あい「そして……嫉妬した。 君たちに」

ほむら「……あなたにも、居るのね」

あい「ああ、居るよ。 本当に、愛してた」

ほむら「それが、全ての理由……」


あいは、小さく微笑んだ。
やっとわかってくれたか、というように、少しだけ嬉しそうに。

おそらく唯一彼女を理解してくれる相手に、そっと手をのばす。


あい「……そうだよ」



――そしてその手を、全力で地面に叩きつけた。




ほむら「……っ!?」


突然の出来事に、一瞬反応が遅れる。


治りかけていた腕が滅茶苦茶になるほどの衝撃が、あいの体を浮あがらせた。
咄嗟に放った矢は、ソウルジェムへ付けた狙いを大きく外れて、叩きつけたばかりの腕に突き刺さる。

捻くれていた腕は一瞬の膨張の末、わずかな骨を肩口に残して破裂した。

四方に飛び散る肉片と血しぶきの中、ほむらは一秒もかけずに次の矢をつがえ、宙を舞うあいの体へ放つ。


二本目の矢は、空中で確かにあいの体をとらえた。

矢を受けた衝撃で後方に弾かれたあいは、そのまま地面を転がっていく。
彼女は苦悶の声をあげながら、無事な片足を使い辛うじて踏みとどまろうとしていた。


あい「ぐっ……!!」


その姿を見て、ほむらは思わず目を見開く。

今の矢がソウルジェムに当たっていれば、声をあげる間もなく即死するはずだ。


つまり、まだ彼女は死んでいない。



ほむら「……どう、して」


立膝をつくような姿勢で起き上がったあいの胸――ペンダントの位置には、確かに矢が刺さっていた。
その根本からは肉を焼く音と共に煙が上がり、数秒前まで心臓だったものがどろどろになって流れていく。

しかし彼女の魂、ソウルジェムは、いつの間にかペンダントから外されていた。

魔法少女と同じく、彼女もそれさえあれば活動を続けることができる。


あい『最後の、仕上げだ』


凄惨な笑みを浮かべる口の中、牙のように長く伸びた二本の犬歯が、ソウルジェムに突き立てられる。

人間でさえも魔女に変える穢れの毒が、濁りきった宝石の中へたっぷりと流し込まれていった。



ほむら「くっ……!」


ほむらが放った三本目の矢は、あいを中心に突如巻き起こった暴風に弾かれて地面へ刺さる。
ついさっきまであいが寝転んでいたその場所は、そこだけが青々と茂った草花に覆われていた。

簡易的な治療の魔法――魔法少女や人間型インキュベーターなら誰でも使うことができるその魔法で、
あいは爆風に焼かれた背中の下の草花を治し続けていたのだろう。

その無意味な魔力の放出によって、わざとソウルジェムに穢れを溜めこんだのだろう。


そしてそのために、彼女は時間を稼いでいたのだ。


あい『……あの人のいる場所に導かれないなら、死ぬ意味も無いと思って生きていた』

あい『だけど、あの人が居ないなら……生きる意味も、ないね』


表面に亀裂を走らせているソウルジェムをくわえたまま、あいはテレパシーでほむらに語りかける。
その周囲に吹き荒れる風は、その場所がまるで別の空間であるかのように新たな矢の侵入を拒み続けていた。



あい『どうせなら、君たちも同じようにしてあげようと思ったんだ』

あい『だって不公平でしょ? 魔法少女だって、本当は魔女になるのが自然なのにさあ』

あい『自分の願いを叶えておいて、最後は美しく消えるなんて……我慢ならなかったんだよ!!』


ソウルジェムの表面が卵の殻のように剥がれ落ち、内部からはより禍々しい球体が現れる。

この世界にあってはならないはずのそれを見て、ほむらは左手の甲がざわつくような感覚がした。


あい『だからこの力を使って、お前らの醜い本性を暴いてやってたけど……』

あい『……もうそれができないのなら、仕方がない』



あい「ゴボッ……ひとりでも、多く……ぶっ殺してやる……!!」




無理に声を出したために、矢で溶けた肺から血と粘液が溢れだす。

鮮血の赤と、液状のプラスチックのような白。
気味の悪いまだら模様を描く大量の汚物と共に吐き出された小さな黒い球体。

地面に落ちること無く浮かび上がり、瘴気を放つその物体の名を、ほむらはうめくように呼ぶ。


ほむら「グリーフ……シード……!」


紛い物ではない、真の魔女を生む悲しみの種が……今、その場に新たな空間を創りあげようとしていた。


あい「がはっ……暁美……ほむら……!」



あい「まずは……お前からだああああああっ!!!」





――――――――――






――――――――――




QB『もう、言うまでもないことだけど』



夜の街を走りながら、キュゥべえはさらに話を続ける。
その後ろを走る少年は、黙ったまま彼に付いて来ていた。


QB『この実験は、大成功だった。 当初の予想をはるかに上回るほどの成果を得られたよ』

QB『世界中に送り込んだ実験体のうち、魔法と変身能力を得た個体は全部で13』

QB『その中で、君はもっとも多くの感情と魔法を手に入れ、多大な貢献を果たしてくれたね』

TB「…………」



一方的な賞賛の言葉に、トウべえはなんとも言えない表情で沈黙を返した。
まったく嬉しそうではないが、かといって不快な感情も見られない。


QB『君を含めた成功例の分析を元に、人間の魂を作る手順の構築も進んでいるんだ』

QB『このまま上手く行けば、メインだった干渉遮断の技術は日の目を見ないかもしれない』

QB『消費用の人間が製造できるなら、地球の人間と契約するのはもはや非効率なだけだし』

QB『円環の理は、僕らが作る人造人間に対しては干渉しないとわかっているからね』


そうなれば、新しい魔法少女が生まれることも無くなる。
『円環の理』には、忘れ去られるだけの未来が待っていることだろう。

そのことが示す事実に考えを巡らせながら、トウべえは口を開いた。


TB「……それなら、今ほむらを助けようとしている理由は?」

TB「君はもう、魔法少女にはあまり興味が無いように聞こえるけど」



QB『それは、君に4つ目を期待しているからさ』


キュゥべえは前を向いたまま、耳から垂れる翼のようなものを使って、トウべえの胸あたりを指し示した。

そこには青、赤、黄――三色の光が明滅する、元『失敗作』が下がっている。


QB『実験の結果、人間の感情を作るために必要なのは、『交流』だという説が有力になってきてね』

QB『どうやら強い感情の衝突や共鳴が他者との間に起こることで、感情がより成長するらしいんだ』

QB『……未発達な社会を持つがゆえの、人間独自の進化だと言えるね』


例えば凶悪な敵と対峙し、仲間と協力して、共に乗り越える。

そんな強烈な交流の果てにこそ、奇跡を生むほどの感情があるのかもしれない。
さやかや杏子との決死の共闘が実験体にもたらしたものを見て、キュゥべえは試してみることにしたのだろう。

そしてその結果は、彼を満足させるに足るものだった。



QB『これまでのことを考えれば、君に最後の魔法を与えるのはほむらだと考えるのが妥当だよ』

QB『だから僕は、君とほむらが力を合わせてあいと戦うことを望んでいた』

QB『だけど……君たちの敵にあいを使うのは、少し不適切だったみたいだ』

TB「……不適切? どういうことだい?」


QB『彼女は――あいは、魔女化するつもりなのさ』


模造品ではない、真の魔女。
その意味を知らないトウべえに、キュゥべえは説明を始める。


QB『ここで言う魔女は、君たちがさっきまで戦ってきたような魔女とは別のものだよ』

QB『魔法少女が力を使い果たした時、消滅しなかった場合に生まれるとされていたものなんだ』

TB「……それが、『胎児』の正体?」

QB『そうだよ。 『理』の干渉を受けないあいなら、死後は当然魔女になる』




TB「魔女……」


一歩間違えれば、彼自身もなっていたかもしれない怪物の名だ。
複雑そうな顔でつぶやくトウべえをよそに、キュゥべえは続けた。


QB『そこで、もし今のあいが魔女になった場合、どんな状態になるか予測してみたんだ』

TB「そんなことができるのかい?」

QB『これも実験の副産物だよ。 ……それで、ついさっき結果が出たんだけどね』


QB『もし、この予測が正しければ……』




QB『……ほむらは魔女との戦いで、確実に命を落とすことになるみたいなんだ』




………………
…………
……





………………




当然だけど、そこは異様な空間だった。



そこら中にうず高く積み上げられた、透明なプラスチックの箱。
その中で蠢く、小さな丸い影。

そっと覗いてみると、保育器に入るには未熟過ぎる胎児が、手のひらほどの体を震わせていた。


「…………」


思わず周囲を見渡してしまう。

見渡すかぎり、箱、箱、箱。
この全部に同じものが入っているのだと想像すると、かすかな酸味が喉の奥を刺激する。


……気にする必要はない。 どのような役割があるのか知らないが、あれはきっと使い魔の一種なのだ。
この空間に、普通の生物などいるわけがない。

頭でわかってはいても、この奇妙に歪んだ世界の悪趣味には慣れることが無い。
いや、あまりに久々だったから、感覚を忘れているだけかもしれないけれど。


「ここが、あなたの結界なのね」


虚空に向かって問いかける。 誰も聞いてはいないだろう。 
たとえ彼女が聞いていたとしても、言葉を理解する理性があるだろうか?

私はきっと、今にも現実逃避しそうな自分に向かって言ったのだ。



月に一度は嗅いでいる悪臭と、体に悪そうな霧が辺りに立ち込めている。
その少なくとも片方の原因である箱の山の間を縫って、私はとりあえず前へと進む。

この世に再び、この醜悪な巣が張られるのを許してしまった……という後悔は、きっと何の役にも立たない。
できるだけ早く主を探し出し、消し去ることだけが償いだ。

これが終わったら、『奴』の処遇も決めなければならない。 なるべく急がなくては――



『―――――――!!』



――そう思っていた矢先、保育器でできた谷底に轟音が響き渡った。


「う……っ!」


あまりに耳障りな音階に、思わず両耳を塞いで歯を食いしばる。
胎児と箱の雪崩が起きるんじゃないかと思うほどの壮絶な音量だが、やけに甲高くて重厚さは無い。
全身の神経を片っ端から逆撫でしていくような、意識を強制的に引きつける音だ。


このどこかで聞いたことのある音がいったい何なのか……それに気が付いた時、私は妙に納得してしまった。


とりあえず音の発生源――おそらく魔女の居る方へ向かって、結界の中を駆けていく。

上の方へ目をやると、長く巨大な人間の腕のようなものが、保育器を一つ掴んで持っていくのが見える。
その腕の根本、保育器の山に囲まれた広場のような場所に、彼女は横たわっていた。


可愛らしい装飾が彫られた、木製のベビーベッド。
私の身長の倍近くもあるそれの中から、ひょろ長い腕が二本伸びている。

うち一本が、手に持っていた保育器をベッドの上で乱暴に振った。
胎児のような姿の使い魔が布団の上へ落下すると同時に、咀嚼音がベッドの中から漏れてくる。

どうやら、使い魔の役割は『糧』だったようだ。


「……お似合いの、姿だわ」


弓をベッドに向け、光の矢を掴んでいた指を開く。
実体の無い矢は大した反動もなく、意思があるかのようにまっすぐ標的へ向かって飛んでいった。

本物の木材とあまり変わらない強度のベビーベッドが、焼け焦げながらばらばらになって散っていく。

その直前にベッドから飛び出していった黒い影は、保育器の山をひとつ崩壊させながら着地した。


『――――――!!』


さっき聞こえて来た騒音――赤ん坊の泣き声にそっくりな咆哮を響かせて、
血肉とプラスチックの破片にまみれた怪物が這い出してくる。



それは獣だった。

漆塗りのような黒い毛並み、荒々しく暴力的な四本の足。
少し離れたこの距離からだと猫のようなシルエットに見えるが、実際は虎といったところだろう。

耳の付け根からは人間の腕が生え、大きな尾は膨らんでいてゆらゆらと揺れ……

……ああ、私は虎なんかよりも、もっと似た形の『獣』を知っている。


このおぞましい『獣の魔女』が、元は何だったのかを思い出しながら、私は二本目の矢を放った。



『――!』


短い咆哮と共に、魔女の姿が視界の外へ移動する。
一瞬遅れて着弾した矢から目を逸らして、三本目、四本目の矢を黒い影の方へ撃ち込んでいく。

……自分としてはなるべく敵の動きを読んで撃っているつもりだが、距離もあってなかなか当たらない。

さすがに獣の姿をしているだけあって、身体能力はかなり優れているらしい。


「でも、動きは単純ね」


人間の腕を使って背後から投げられた保育器を、体を半回転させて受け流す。
同時に放った矢は投擲後の一瞬の隙を突いて、細長い指を一本吹き飛ばしていった。


痛みに絶叫する魔女の口から、大量のよだれと共に赤い目玉がこぼれ落ちてくる。
よく見ると、眼窩には何もはまっていない。 ぽっかりと穴が空いているだけだ。

私はそれを確認すると、魔女の方へ全力で走りだした。


近づく私に対してヒステリックに投げられる保育器は、避けるまでもなく背後で砕けていく。
とはいえ、減速して弓を構えればさすがにぶつかるだろう。


だが、それでいい。


「矢で捕らえられないのなら……」


魔女との距離が数メートルまで縮まったところで、後ろに倒れこむようにしながらジャンプする。
魔力の補助を背中側に集中させ、スライディングのように仰向けに滑って一息に接近していく。

投げられた保育器が、顔の真上を通り過ぎて行った。
あと少し頭を上げていたら、今頃首と胴体は離れ離れだろう。

しかし、今更恐れるまでもない。

……同じ投擲なら、『美樹さやか』の車輪の方がはるかに速かった。


「……こうするだけよ!」


左手の弓を地面に突き立て、ブレーキをかけながら足を跳ね上げる。



『―――!!』


狙い通り、右の靴底が獣の下顎を捉えた。

大きく後方に仰け反った魔女は、尻尾をクッションにしてそのまま地面を転がっていく。
その無防備な状態に追撃を食らわせたいところだが、深追いはせずに自分の体勢を整える。

今は接近できただけでも十分だ。


「さて、と……」


地面に刺した弓を引き抜きつつ、次の一手を考える。

離れると飛び道具が当たらない、素早いタイプの魔女は特に珍しくもなかった。
中途半端な距離まで近づけば向こうの投擲で弓を構えられないし、
経験上、接近した上での格闘戦が最も有効な相手だ。

もちろん、時を止めるのが一番楽だったが……それに頼らず戦えないわけでもない。


とりあえずさらに距離を詰めようとした時、魔女が体を丸め、背中をこちらに向けていることに気が付いた。

よく見ると、黒々とした毛並みが広がる魔女の背には、赤い線のようなものが刻まれている。
その部分だけ細長く毛皮を剥がしたように、血潮の色でたまご型の楕円が描かれているようだ。


『………!!』


魔女が何か声を発した瞬間、楕円の内側にある皮膚が綺麗にスライドして開き、ぽっかりと開いた穴が現れた……

……時にはすでに、私の体は動いていた。


さっきまで自分の胸があった場所を、光線のようなものが通過していく。
あまりにも予想通り過ぎる攻撃から最低限の動きで身をかわしつつ、当初の予定通りに距離を詰めていった。


『巴マミ』の意外性に富んだ射撃に比べれば、こんな単調な直線を避けるのは簡単なことだ。


私の手足が届く距離まで近づくと、魔女はさすがに顔を上げて立ち上がった。
その勢いで空中に飛び上がり、宙返りするようにして再び背を向ける。

……手が届かず、避けることもできない距離から撃とうという考えだろう。

後退して避けてもいいが、私はあえて前へ進んだ。
走りながら弓を地面に突き刺し、飛び上がってその端を思い切り踏みつける。


「はっ……!」


魔法により異常な強度を持つ弓をバネにして、私は魔女よりも高く跳んでいく。

そして無様に上を向いている無防備な腹部へ、渾身の力を込めて靴底を叩きつけた。



『!!?』


魔女は壊れた保育器が散らばる地上へ、背面から落ちていった。

そして完全に地面と接するその瞬間、攻撃態勢に入っているはずの背中から閃光が漏れだす。


地面を砕く衝撃と共に、魔女の体が海老のように跳ね上がる。


すれ違うようにしてヒビの入った地面に降り立ち、魔女が落下してくるのを待つ。
彼女の背中は焼け焦げて、発射口から煙が立っている。
これでもう、あの光線を使うことはできないだろう。


遠距離攻撃が失われたことを魔女も察したのか、地面に転がった彼女は頭に生えた腕の筋肉を使い、
揃えた指先を私に突き立てようとしてきた。

やはり素早い動きだが、格闘なら『佐倉杏子』と比べるまでもない。


次々と繰り出される槍のような腕をぎりぎりのところで避け、添えるように左手をのせる。
そのまま掴んで思い切り引っ張ると、魔女は容易に体勢を崩して前のめりになった。

その顎を蹴りあげ、すぐさま頭頂部に拳を叩き込む。


「目玉は確か……こっちだったわね」


頭部に連続で衝撃を加えられた魔女は、一瞬気を失ったようにふらりと仰け反った。
その時開いた口の中には、さっき見た通り、赤い眼球がびっしりと詰まっている。


私は一度魔女の額の上に飛び乗って、次に片足を振り上げ、すぐに口の中へ突っ込んだ。




思ったよりもずっと軽い、いくらを噛み潰した時のようなぷちぷちという感触が足に伝わる。


『―――――――!』


噛み千切られる前に足を引き抜き、少し離れた場所に降り立つ。
眼球を潰された魔女の絶叫は、しばらく鳴り止みそうもない。


「……ふう」


ここから先は、どう料理するも自由といったところだろう。
視覚を奪った以上、もう保育器を投擲することはできない。 腕を使った攻撃も当たらない。


私は弓を地面から引き抜いて、改めて魔女の方へ狙いを定めた。

未だに咆哮を続ける魔女の喉元に矢を撃ちこめば、この耳が痛くなるほどの騒音も止むだろう。


……そう思ったところで、私は周囲の異常に気が付いた。



「………?」


咆哮が、『獣の魔女』の泣き声が、あまりにも大きすぎる。

空気も周囲の保育器も、私の指先でさえびりびりと震えて、さっきから狙いが定まらない。
そもそも、目を潰された時点で撃たれるのはわかっているのに、なぜ彼女は逃げずに留まっている?
喉を震わせ、赤ん坊のような例の声を響かせ続けて……

……いや、違う。


「この、音は……っ!」


この泣き声は、魔女の喉から発せられているものではない。
積み上がった保育器の内部、胎児のような姿の使い魔が、その頭よりも大きく、張り裂けそうなほど口を開けて――


――魔女から使い魔へ、『伝達』する能力。 泣き声の『共鳴』だ。

数百を超えるスピーカーから発せられる悲鳴は、重なりあって空気を揺らし、共振するものを破壊する。


「くっ……!」


ついに周囲一帯、全ての保育器が粉々に砕け散り、光る破片が私の頭上に降り注ぐ。


咄嗟に矢を真上に放つと、宙に舞う破片が円柱状に消し飛んでいった。

おかげでプラスチック片に傷つけられることは無かったが、
頬に触れた手には、真新しい鮮血が少しだけ付着している。


「……やってくれるわね」


どうやら、絶叫によって破壊されたのは保育器だけではないらしい。
鼓膜が破れた両耳には、砂時計に耳を当てているかのように、小さく継続的なノイズが響き続けている。
いくら魔法少女の体とはいえ、再生するのには少し時間がかかりそうだ。

顔を上げて見ると、すでに魔女の姿はさっきの場所にはなかった。

首を左右に振ってみても、降り注ぐ破片に乱反射する光のせいでどこに居るのかわからない。
耳が聞こえれば破片を踏みつける音がするだろうが、それはしばらく無理だろう。


……しかし、さっきの音で魔女自身の耳も失われているはずだ。
目も見えず、耳も聞こえず、使い魔も全て失い、彼女はどうやって私を襲うつもりだろう?

そこまで考えて、私はあの白い服の少年のことを思い出した。


「嗅覚……なるほど。 流石は『獣』だわ」


その優れた鼻を使い、じりじりと近づいてくる彼女の気配を感じながら……私は素直に感心した。

彼女は決して強い魔法少女では無かったし、魔女としても正直大したことはない。
しかし、惜しむことなく自分を犠牲にし、使えるものは何でも利用することで、この私に追いすがってくる。

まさか、二度も反撃を許すとは思っていなかった。



「………!」


視界が、わずかに暗くなる。


それが魔女の作る影であることに気付いた時には、もう振り返るだけの余裕も無い。

影が私に被るということは、彼女は私の頭上から、すでに跳びかかっているということだからだ。



私はそんなことを考えながら、それでもゆっくりと、魔女の方へと振り返った。



………………
…………
……



………………




TB「命を落とす? ……ほむらが?」


キュゥべえの言葉を繰り返す少年の表情は、
仲間に危険が迫っているというショックよりも、むしろ驚きの方が勝っていた。

ほむらが魔法少女の中でも強い方だということは、トウべえもよく知っていたのだろう。


TB「本物の魔女は……あのほむらが、勝てないほどに強いものだって?」

QB『いや、そんなことはないよ。 場合によっては、あいが作った偽物よりも弱いだろう』




TB「…………」


困惑する彼に向かって、キュゥべえは淡々と説明を続ける。


QB『しかし弱いとは言っても、結界という異空間を作る能力は備わっているはずだよ』

QB『それに、元となっているのはあの大河あいだからね。 捨て身の特攻で、意外な脅威と成りうるかもしれない』

QB『だから、もし他の魔法少女なら、きっと一旦退いて僕らの到着を待つだろう』


QB『……だけどほむらなら、一人で難なく倒してしまうだろう』


TB「……それは」


そのどこか矛盾した表現から、トウべえは彼が何を言いたいのかを察し始めた。



QB『暁美ほむらはね、最強ともいうべき異質な固有魔法を持っているんだ』

QB『彼女自身はその力が気に入らないのか、普段はなるべく使わないようにしているけどね』

QB『もしほむらが、あいの魔女相手にあの魔法を解放してしまえば――』


TB「――間違いなく、魔女を殺してしまう?」


区切られた言葉の続きを、先にトウべえが口にする。

殺されてしまう、ではなく、殺してしまう。
キュゥべえはその答えに、振り向かないまま頷いてみせた。



QB「そう……だからこそ、ほむらは死を避けられないんだ」



………………
…………
……


………………



空中を舞う細かなプラスチックの破片が、まるでダイヤモンドダストのように輝いている。

魔女の結界という異空間であるためか、それらは未だに落下することなく、
どこか上の方から差し込む光を辺り一面へ反射し続けていた。


その美しい目眩ましの中、一本の腕が、くるくると回転している。


肘より少し上あたりで切断された、人間のものにそっくりなひょろ長い腕。
やはり落ちることなく回り続けるそれを挟んで、私と魔女は向かい合っていた。


「……もう、落ちることはないわ」



「あの腕が落下することはないし、再生することもない。 そういう『概念』が無いから」


片腕を斬り飛ばされた魔女は、何やら大口を開けてのたうち回っている。
そんな彼女に向かって話しかけながら、私はようやく、お互いの聴覚が失われていることに気がつく。

叫びも言葉も、今は意味を成さないわけだ。


「聞こえたところで、やっぱり意味なんて無いでしょうけど……」


そんなことを呟いている間に、彼女は走って光の迷彩の中へ消えていく。
もう一度反撃の機会を待つつもりなのかもしれないが、もう遅い。


私は目の前の空間に浮いている……いや、在ると言ったほうが正しいだろうか。
何にせよ、そこに見える『亀裂』のようなものに、右手の指を差し込んだ。

そのまま指を動かしていくと、空間の亀裂はやわらかな動きで拡がっていく。

まるでカーテンの隙間を開いていくように、ゆっくりと、生物的な動きで大きくなっていく。
自分が開いたものだとは思えない、むしろ異質な自然さがそこにはあった。


裂け目に差し込んだ手はそのままに、体を左に向けてもう片方の手を伸ばす。
鳥のように、十字架のように両手を広げたまま、私は前へ向かって静かに歩き出した。
その動きに合わせて、左手の先にも亀裂が入り、右と同じように拡がっていく。


……空間を、引き裂いていく。


両手の指先で、この魔女に作られた空間に、私は2つの裂け目を入れていった。



この世のありとあらゆるものを、引き裂く力。

物質も、空間も、概念でさえ――切り裂き、引き剥がし、奪い取る。
世界の法則を破壊し歪めてしまう。 私自身が固有に持っている魔法がこれだ。

時を止める魔法と砂時計の盾は、あの時に失ってしまって久しい。

代わりにいつの間にか手の中にあったのが、この引き裂く魔法と光の弓だった。

新しい理と共に作り替えられた新しい世界で、私自身の存在もまた、
新しいものへと置き換わったのだろう。


歩きながら手を下ろすと、裂け目はその両端を私の背中へと移した。
今の私を真正面から見れば、きっと巨大な翼を開いているように見えることだろう。

まるで世界を壊す、悪魔のように。


「だから、この魔法はあまり使いたく無かったのに」


使うたび、まどかが守ったこの世界を、少しずつ蝕んでしまうような――

――そんな感覚が、どこか怖いから。

私はあまり、この力が好きではない……なんて、私らしくもないだろうか?


魔女の姿はどこにも見えないが、私は弓を正面に構えた。

紫の光でできた矢をつがえ、ゆっくりと指を引く。
その指の動きに合わせて、矢の後端に三本の『裂け目』が開いていった。

背中の裂け目を翼とするなら、一枚の羽根のように小さなその裂け目は、
矢羽となって光の矢と融合する。


特に狙いを付けることも無く指を離すと、矢は目にも留まらぬ速さで真正面へと飛んでいく。

そして数メートルも飛んだ時、矢は物理的にありえない軌道を描いて180度向きを変え、
その矢じりの先端を私の方へと向けた。


振り返ると、そこには音もなく忍び寄っていた魔女の姿があった。

いきなり自分へ向けてUターンしてきた光の矢を、彼女は咄嗟に首を振って避けようとする。
どうにか額への直撃はまぬがれたものの、残っていた方の腕が根本から吹き飛んでしまった。


『        』


魔女は再び大口を開け、聞こえることのない絶叫をあげる。


『外れる』という概念を引き裂かれ、奪われた矢は、地球の裏側に居ようと確実に標的を捕らえるのだ。

視界に捉えられなくても、障害物に隠れていても、まったく関係がない。
適当に放てば絶対に当たる、『裂け目』の矢羽を持った光の矢。

これが、私の魔法だ。


ほむら「途中で何を貫いていくかわかったものじゃないから、外じゃなかなか使えないのだけれど」

ほむら「……ここなら、安心ね」



『           』


人間の腕を失った彼女には、もう獣の牙と爪しか残されていない。
外れない矢がある以上、再び身を隠すということもできないだろう。

だから彼女は案の定、そのまま全力を以って私に飛びかかってきた。


……しかし、私を覆うように広がった『翼』に阻まれて、その巨体はあっけなく停止する。

届くわけがない。 私と彼女の間には、あるべき空間が無いのだから。
連続していない空間を通過できるものなど、この世に存在するはずもない。

広がり続ける裂け目の翼に捕らわれた魔女は、檻の中の猛獣のように、翼の間から伸ばした前足で宙を掻いている。

私は決して届くことのないその爪の前で、ゆっくりと右手を横切らせた。



指の動きに合わせ、細長い線が、まっすぐに伸びていく。

まるで透明なキャンバスに描かれた一本の線は、そのまま彼女の前足の切り取り線になる。


『              』


相変わらず、壊れた両耳には何も聞こえてこない。
穏やかなほどに静かな世界の中で、私は淡々と二本目の線を引いた。


『                』


三本目。


『                   』


四本目。


『                ………』




……今、かすかに何かが聞こえたような気がした。

動く手段を完全に失い、地面に転がってもぞもぞと動く魔女を見つめながら、自分の耳に手をやってみる。
耳の周りに付いた血は、完全に乾いてぱらぱらと剥がれ落ちていく。
そしてそれと同時に、耳を虫が這っているような、小さなノイズが無音の中に混じり始めていた。

どうやら、破壊された耳の中が再生し始めているようだ。


『   ……………   …………………………』


目の前の魔女が大口を開けて発している叫び声か、周囲の環境によって作られた雑音か。
まだ小さすぎてそれすらも判断できないけれど、耳の再生とともに、少しずつ大きくなっていくのがわかる。


「……また、うるさくなりそうね」


そうなる前に、さっさと終わらせてしまおう。 何もかも。


私は弓を構え、魔女の頭部に向けて、矢をつがえた。



『………  ……ギ……… ……ッ』


……このまま翼を使って切り刻んでも良いのだが、相手は本物の魔女だ。

どれほどでたらめな構造の体を持っていようと、何もおかしなことはない。
頭を落としたところで死ぬとは限らないし、それでは不確実だ。


『  ………ッ! ギ………! ………』


ならば多めの魔力をこめた高出力の矢を放って、胴体と頭部をまるごと蒸発させてしまうのがいい。
私は動かない的に狙いを定めたまま、意識を集中させて矢に魔力を注ぎ始めた。


『ギ…………ッ! ………ギャ……………ァッ!』


矢の光が強くなっていくのと同時に、耳に聞こえるノイズも鮮明さを増していく。

四肢を落としてから、ずっと叫び続けているようだ。 ところどころ、あのおぞましい声が見え隠れしている。



正直に言って、私は彼女の断末魔の叫びなど聞きたくもない。
その行いを許すことはできないが、こうなってしまえば恨みもないし、
あったとしても、彼女が苦しむ姿を見て喜ぶほど歪んではいない。

だから私は、十分に魔力が溜まった最後の矢を、耳が治りきる前に撃ってしまうことにした。


「……さようなら」


簡素な別れの言葉を一方的に告げて、弓を引き絞る。

そして私は、きっとこの世界では最初で最後の魔女に向けて。


きっとこれが最後になるであろう、矢を放った。







『――撃つなっ!!』




その時一瞬、私は自分の耳が治ったのだと思った。

だけどすぐに、そうではないことに気がついた。

そんなに早く治る傷ではないはずだし、そもそも声を発する相手が近くに居ない。
そして何より、その声は……耳ではなく、頭に直接響いていたからだ。


私は思わず振り返って、テレパシーを送った相手を確かめた。


少し遠くの方に、ふたつの白い影が見える。

ひとつは見慣れた小動物サイズ。
もうひとつは、最近見慣れてきた人間サイズ。

こうして目を離している間にも、背後で矢のエネルギーに焼かれているであろう彼女の、同類たち。


「……あなた達は――」


どうして彼らがこんなところまで来ているのか? ……助けに来たつもりだろうか?

そしてなぜ、彼は私に「撃つな」と伝えてきたのか?


それらの答えは、考えるより先に理解できていた。



彼らに向かって、何気なく挙げた左手の甲。


その中心にある、ソウルジェム。


その周りに刻まれた、刺青のようなもの。


子供が描いたように刺々しく、乱雑なそれは。


紫の宝石の真ん中に、いつのまにか根を伸ばしていて。



私の魂に――容赦なく、ひびを入れていた。





目の前で宝石が砕け散り、完全に意識を失うまでの、わずかな時間。

私の両耳は、今度こそ本当に再生を終えて、さっきからずっと聞こえていた魔女の叫びを受け取っていた。






『ギャハハハハハハハハハハハッ!!! ギャッハハハハハハハハハハハハハハァッ!!!!』






――――――――――

このSSまとめへのコメント

1 :  SS好きの774さん   2014年09月20日 (土) 14:27:54   ID: he1T7jaa

まどマギssはほんの数カ月前までは総合高評価ランキングの300位以内に1作も入ってなかったのに、今ではその上位に10作以上も入ってるんだな…

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