とある魔術の禁書目録 再構成 (857)

上条さんが頭でも運動能力でも原作より強い状態での再構成です。

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七月二十日、夏休み初日。

「良い天気だし、布団でも干すか」

上条当麻が思わずそう呟いてしまうくらい、天気は快晴だった。
夕立などがなければ、三時くらいにはふかふかだろう。
そんな事を考えながら開いた網戸からベランダに向かうと、手すりには既に、白い服を着た人間が干してあった。

「は?」

意味不明だった。
上条は冷静になる為に一旦深呼吸をして、一応警戒しつつ、その人間に近付いて観察してみる。
長い銀髪に白い修道服、女の子のようだ。
修道服と言えば黒、というイメージがあった上条は、物珍しそうに観察を続ける。
修道服の要所にはティーカップのように金糸の刺繍が織り込まれている。

とそこまで観察したところで、少女の綺麗な指先が微かに動いた。

「うわ!?」

思わず、ほんの少し後ずさりする上条をよそに、少女のだらりと下がった首が、ゆっくりと上がる。
前髪が左右に分かれて、その可愛らしい顔が露になる。
雪のような白い肌に、エメラルドのような緑色の瞳。すなわち、外国人。

「……えっと」

非常にまずいことになった。
上条の英語の成績は悪くない。寧ろ優秀な方だ。リスニングも割と得意だ。だから聞くだけなら何とかなるかもしれない。
だが、会話するとなると話は違ってくる。
筆記が出来たって会話は出来ない、なんて人はザラにいる。
例に漏れず上条もその一人だった。
そもそも、話す言語が英語とも限らない。

と、そんなことを危惧している内にその時は訪れる。
少女は、緑色の瞳で上条を見つめながら薄い唇を動かして、

「おなかへった」

「……え?」

聞き間違いでなければ、日本語だった気がする。
聞こえていないとでも思ったのか、少女は繰り返した。

「おなかへった」

間違いない。彼女が話している言語は日本語だ。
まだ状況を掴みきれないが、日本語なら何か返答すべきだろう。

「えっと、とりあえず、目玉焼きぐらいならすぐ作れるけど」

すると少女は威勢よく、

「おなかいっぱいごはんを食べさせてくれるなら、何でもいいんだよ!」

まあ、目玉焼きぐらいなら良いか。
言った手前もあるので、とりあえず彼女を部屋にあげることにした。

三十秒で作った目玉焼きを五秒で完食された。
しかし上条は、その驚異的な捕食速度に驚く事もなかった。
頭に疑問が浮かんでいたからだ。

なぜ外国人である彼女がここにいるのか。
ここ学園都市は東京西部を一気に開発して作り出され、一部を神奈川や埼玉に及ばせながら東京都の中央三分の一を円形に占めていて、『記憶術』や『暗記術』という名目で超能力研究、即ち『脳の開発』を行っている。
さらに、あらゆる科学技術が最先端であり『外』より数十年ほど文明が進んでいる。この進んだ科学技術を外部に漏洩させない為に、基本的に学園都市外の人間、ましてや外国人の侵入を簡単に許すとは思えない。
もっとも、自分の知らないところで交換留学などやっているのかもしれないし、九月の下旬ごろに一週間ほど行われる大覇星祭などで一般開放される例外もあるから、一概には何とも言えないが。

とそこで、目玉焼きを平らげて満足そうな少女が口を開いたために、上条の思考は断ち切られた。

「まずは、自己紹介をしなくちゃいけないね。私の名前はね、インデックスって言うんだよ」

「インデックス?」

『目次』ということだろうか。少なくとも本名ではないだろう。
ニックネームなのかもしれない。それはそれで珍しいが。

「うん。見ての通り教会の者です。バチカンの方じゃなくて、イギリス清教の方だね。魔法名はdedicatus545『献身的な子羊は強者の知識を守る』だね」

意味が分からない。
しかし、嘘をついているようにも見えない。
ひょっとしたら、『どっきり』だったりするのだろうか。
『肉体変化』(メタモルフォーゼ)なら、外国人に化けることも容易ではある。

しかし、そうとは考えにくい。

『肉体変化』が銀髪碧眼のシスターに化けて、自分に対してどっきりを仕掛ける意味を見出せない。
そもそも友人や知り合いに『肉体変化』はいない。

武器を扱えるだけの頭があるぐらい頭がいいと見ても良かろうか

「黙りこんでいるけど、どうかした?」

少女に危険性は感じない。ここは直接問い詰めた方が早い。

「で、本名は何?」

なぜベランダに干されていたのかを聞こうと思ったのに、気になっていた事をつい口に出してしまった。

「だから、インデックスって言ってるんだよ」

「だからそれ、本名じゃないだろ。目次ってなんだよ」

「目次じゃなくて『禁書目録』のほうなんだよ。Index-Librorum-Prohibitorumのほう」

「いやだから、俺は本名が知りたいのであって」

「だーかーらー、インデックスって言ってるんだよ!」

会話にならない。
目の前のシスターさんは少々憤慨しているようだが、辟易しているのはこっちの方だ。
まあ、そこまで本名を教えてくれないなら、それでもいい。
名前が分からないのは大きな問題ではない。

「じゃあ、なんでベランダに干されていたんだ?」

「干されていたんじゃなくてね、落ちたの。本当は屋上から屋上へ跳び移るつもりだったんだけど」

「跳び移る?」

この辺りは安い学生寮が立ち並ぶ一角で、八階建ての同じようなビルがずらっと並んでいる。
ベランダから見れば分かることだが、ビルとビルの隙間は二メートルほどなので、走り幅跳びの要領で跳び移ることは可能だが、ここは八階。
修道服なんて動きにくい恰好で跳び、失敗して地上に落下すれば、ただではすまない。とてもではないが無謀とも思える。
現にこうして、ベランダに引っかかってしまっている。

「なんでそんな危ない事したんだよ」

「仕方なかったんだよ。あの時は、跳び移ろうとする他に道がなかったし」

「逃げ道?」

一体どういう事だ。
上条が思わず眉をひそめると、

「うん、追われていたからね」

少女は笑って、そう言った。

>>4
武器は使わないです

「本当はちゃんと跳び移れるはずだったんだけど、跳んでる最中に背中を撃たれてね。
 ごめんね。落っこちて途中で引っかかっちゃったみたい」

「撃たれたって……」

見た限りでは、背中に弾痕なんてない。完全に無傷にしか見えないが……。

「あ、背中に傷がないからって疑ってる?でもそれは当然なんだよ。
 私が着ているこの修道服『歩く教会』は『防御結界』の役割もあるからね」

「『歩く教会』?『防御結界』?どういうことだ?」

「言った通りだけど、『歩く教会』はこの修道服の名称。『防御結界』も言葉の通りなんだよ。
 強度は法王級(ぜったい)だから、撃たれてもこうして無傷ってわけ」

もういちいち突っ込んでいては話が進まない。
正直、虚言だと決めつけて追い出す方が楽だが、一つだけゆるぎない事実がある。

彼女が、ベランダに引っかかっていた事だ。

仮に、彼女の言う事が全部本当だったら。
一体、誰に撃たれたのだろう。

上条は、なぜだか彼女の事情を聞かなければならない気がした。

「誰から追われて撃たれたんだ」

「何だろうね。『薔薇十字(ローゼンクロイツ)』とか、その手の集団だとは思うんだけど、名前までは分からないの」

「その手の集団って、どの手の集団だよ」

「魔術結社だよ」

「……」

「あ、あれ?日本語がおかしかったかな?マジックだよ。マジックキャパル」

無反応の上条を見て不安になったのか、わざわざ英語で言い直したインデックスだったが、

「ん、いやごめん。で、その魔術とやらは一体何なんだ」

上条は軽く流して、インデックスの話を促した。

「原理から説明するとなると、結構長い時間が必要かも……」

「別に原理からじゃなくても良い。どんな事が出来る?」

「それはもういろいろだよ。たとえば、炎を操ったりして攻撃も出来れば、治癒も出来たりするんだよ。
 私は、魔力がないから使えないけど」

最後の方は消え入りそうな声だった。
魔術はあると言っておきながら、実演の一つも出来ないことで説得力がないことを分かっているからだろう。

しかし、上条は実演も出来ない眉唾ものの魔術とやらを、頭ごなしに否定する事はできなかった。

学園都市の外の人間から見れば、超能力だろうが魔術だろうが眉唾ものだろう。
しかし、ここ学園都市では正式な手順を踏めば、誰でも『開発』できてしまう。
ここでは一切合切が科学で説明できてしまう。不思議なものなんて存在しない。
超能力の存在が常識である学園都市の住民にとっては、だからこそオカルトを信じられない。

けれども、たった一つ。
学園都市の科学力でも説明できない力が、自身の右手に宿っている。
その事実があるから、魔術とやらを頭ごなしに否定は出来ない。

そもそも、世界は広い。
今まで当然の事だったから深く考えた事もなかったが、学園都市という狭い空間の常識だけで、世界を語るのはおこがましいことではないのか。

「あの、どうしたのかな?」

またしても反応のなかった上条に不安を抱いたらしいインデックスは、おそるおそる問いかけた。

「ああ、ごめん。どこまで話が進んでたっけ」

「魔術はあるけど、私には使えないってところまで」

「ああ、そっか。じゃあ、何でそんな連中に狙われているのかは分かるか?」

「多分だけど、私の持ってる一〇万三〇〇〇冊の魔道書が狙いだと思う」

「は?」

魔道書というのは、おそらく本の事だろう。
そして本らしきものは、一〇万三〇〇〇どころか一冊も携えてないように見える。

怪訝な上条の反応を、インデックスは敏感に感じ取ったのか、

「今の『は?』は、お前本なんて一冊も持ってないだろと思ったからだよね。
 でもね、違うんだよ。勝手に見られたら意味ないから、見えるようなところにはないの」

「どういうことだ?その魔道書とやらを保管している図書館の鍵を預かっているとか?」

「ううん。ちゃんと一〇万三〇〇〇冊、一冊残らず全部ここに持ってきてるよ」

この少女と会話するのは本当に疲れる。何が何だかわからない。いくら頭を捻っても分からない。
うーん、と上条は唸って、

「……結局、どこに魔道書があるって言うんだよ?」

「私の頭の中だよ」

即答だった。

「頭の中?」

「うん。私には完全記憶能力があってね。一〇万三〇〇〇冊の魔道書を読んで覚えたんだよ」

「……へぇ」

感嘆の声をあげるしかなかった。
しかしそうなると、新たな疑問が浮上してくる。

「待てよ。それじゃあお前は、魔術結社とやらに追われるリスクを負ってまで、一〇万三〇〇〇冊の魔道書を記憶したってのか?」

まさか、誰かに無理矢理記憶させられた、なんてことはないだろう。
リスクを分かっていなかった、とも思えない。

「……それは」

なぜか彼女はバツが悪そうな顔をして、口を閉じてしまった。

「……何か、話せない訳でもあるのか」

どうしても話したくないと言うのなら、これ以上関知する気はない。が、

「どうしても話したくないならいい。でも、そうじゃなかったら、話してくれないか」

ひょっとしたら、彼女が抱えている事情はとんでもないことなのかもしれない。
右手に特殊な力が宿っている事以外は、ただの高校生でしかない自分にできることなんて高が知れている。
事情が深刻なものなら、解決できないかもしれない。

だが逆に。

もしかしたら力になれる可能性だってある。
なれなかったとしても、事情を聞いてあげるだけでも違うはずだ。

「……別に話したくない訳じゃないんだよ。話せないの」

「……へ?」

「私ね、一年ぐらい前から以前の記憶がないんだよ」

上条は、驚きで目を見開いた。

記憶がない。
間違いなく、右手以外は一介の高校生にすぎない自分には解決できない問題だ。

「だからね、私自身にも今の状況が把握しきれてないんだよ。最初に路地裏で目を覚ました時は、自分の事も分からなった。
 なのに、魔術師とか禁書目録とか『必要悪の教会(ネセサリウス)』とか、そんな知識ばかりぐるぐる回って、とにかく逃げなきゃと思って、ずーっと逃げ続けて、最終的にここのベランダに引っかかった次第なんだよ」

「なん、だよ、それ」

またしても、ネセサリウスなどという訳の分からないワードが出てきた。
しかし、そんな事はもう問題じゃない。

彼女が抱えている事情は高校生どころか、大人にだって解決できそうもない。
それなのに、彼女は――。

「ごめんね。突然こんな話されても混乱するだけだよね。
 でも、もう大丈夫。私は出ていくから。目玉焼きおいしかったんだよ」

矢継ぎ早に言って、立ち上がり、玄関の方へ向かっていく。

「おい、ちょっと」

待てと言いかけて、上条は言い淀んだ。

冷静に考えて、これ以上彼女にかかわる義理はない。
学園都市の人間という立場から見れば『風紀委員(ジャッジメント)』や『警備員(アンチスキル)』に通報すべきですらある。
それに彼女の言っている事が本当だとしたら、巻き込まれる可能性だってあるかもしれない。

だけれども。

「待てよ」

上条は、もうドアノブに手をかけていたインデックスに言った。
ぴたりと、インデックスは動きを止めて首だけを上条の方へ向けて、

「私がいつまでもここにいると、連中ここまで来ちゃうかも。それでもいいの?」

「いいわけない。けど、お前はどうするんだよ。このままじゃ連中に捕まっちまうんじゃないのかよ?」

上条がそう言うと、インデックスはわずかに微笑んで、

「私の事心配してくれているのかな?でも大丈夫だよ。
 これでも一応、一年弱連中から逃げ続けてきた訳だし、君を巻きこむ訳にはいかないからね」

そう言って、ドアノブを回すインデックスに上条は、

「だから待てって!」

少々大きい声で引きとめられたインデックスは、肩をびくりと震わせた。

「ここから出て行ってどうするんだよ。行くアテでもあるのかよ?
 はっきり言ってお前が抱えている事情を把握しきれていないけど、連中が外をうろうろしているって言うのなら、ここに隠れていたほうがいいだろ」

その言葉に彼女は何を思ったのか、驚いたように目を見開いて、やっぱり薄く微笑んで、

「気持ちはありがたいけど、やっぱり私は出て行くよ。遅かれ早かれ、連中ここまで来ちゃうから」

「さっきも、ここまで来るって断言したよな。
 それはやっぱり、このベランダに引っかかったのを目撃されているかもしれないからとか、そういう理由か?」

だがもし、ベランダに引っかかっている事が分かっているなら、すぐにでも攻めてくるべきではないか。
攻めてこないという事は、まだ分かっていないのではないか。
もっとも、今は外が明るいので目立つから、などの何かしらの理由があって攻めるに攻められないだけかもしれないが。

しかし、インデックスの返答は上条が考えていたような事とは違うものだった。

「それもあるかもしれないけど、一番の理由ではないかも。
 この修道服『歩く教会』は魔力で動いているんだけど、連中はこの修道服の魔力を探知できるんだよ」

だったら何でそんな発信機に等しい服を着ているのかと問いたくなったが、ちょっと考えて答えは分かった。

まだ百パーセント信じた訳ではないが、彼女の言う事が本当だとしたら、背中を撃たれても無傷で済むような一品だからだろう。
ならば学園都市製の防弾ジャケットでも着ていた方がマシかもしれないが、撃たれた、というのが銃器とは限らない。
魔術で出したビームかもしれないのだ。
防御力のメリットと位置が探知されるデメリットを比べて、メリットの方が大きいと踏んだのだろう。

上条が閉口している間に、インデックスは言う。

「行くアテもないわけじゃないんだよ。日本にもいくつかあるはずのロンドン教会の支部に行けば、匿ってもらえるから」

「……だけど、教会に辿り着く前に捕まる可能性もあるし、連中が教会に行くことを見越しての待ち伏せの可能性もあるだろ。危険じゃないのか」

「そんなこと言い出したら何も出来ないんだよ。
 今は捕まる危険性があろうが待ち伏せの可能性があろうが、行動するしかないもん。
 それにさっきも言ったけど、今まで一年弱逃げてきたから、行く途中で捕まる心配はないかも」

彼女の言う事は至極もっともだ。でも、だったら、

「ならやっぱり、ここにいろよ」

わざわざ危険を冒してまで行動しなくてもいい。
とりあえずここに残って、その間に対策なりなんなり考えればいい。

「俺は大丈夫だから」

言い切った上条に対して、インデックスはいよいよ真面目な顔になって、

「……分かってないよ。君が大丈夫でも他の人が大丈夫じゃないんだよ。
 連中はね、その気になればこの部屋に侵入するどころか、この寮ごと爆破だってできるんだよ」

「そんなことしたら――」

お前だって死ぬじゃないか。と言いかけて気付いた。
彼女は歩く教会があるから平気ということだろう。

「だからもう、出て行くね」

要するに彼女は、もう自分と関わるな。と言外に言っている。
自分にかかわれば、自分がいるだけで、周囲に迷惑がかかってしまうから、と。

でも、だとしたら、

「お前自身は――」

「え?」

「――お前自身はどうするんだよ!」

「な、何が?」

突然の怒声に、インデックスは少々怯えた様だったが、上条の言葉は止まらなかった。

「お前が周囲を巻き込みたくない気持ちは痛いほど分かる。
 俺がお前の立場だったら、周囲を巻き込まんと他人となるべく関わらないと思う。
 でも、それでも俺は、お前を放ってはおけない!」

彼女の目が、おそらく驚愕で見開かれた。

「いいか。お前が俺を巻き込んでるんじゃない。俺がお前の問題に勝手に首突っ込んでるんだ。
 だから、お前は何も気にする必要はない」

滅茶苦茶なことを言っているのは自覚している。
それでも、どうしても彼女を放っておけない。

「な、んで……」

呟く彼女の唇は震えている。
まるで、泣くのを堪えているかのように。

「な、んで、君は、そうやって、人の心に、土足で、踏み込んで……」

もう目尻には、涙が溜まり始めていた。

「私は、誰も巻き込みたくなくて……」

「でも、もう話も聞いちまったし、現時点で半ば巻きこんでるようなもんだろ。今更気にすることじゃないさ」

と、上条が言った直後に、インデックスは泣きながら上条の胸に飛び込んだ。

きっと彼女は、今まで誰にも頼ることが出来なくて、記憶喪失の状態から逃げ続けて、心身ともに参っていたのだろう。
それでも他人を巻き込まんと気丈に振る舞って、なのに自分がしつこく食い下がるものだから、ついに堰が切れて、今まで溜めこんで来たモノが溢れだしてきたのだろう。

「うわああああああん!」

胸のところで泣きじゃくる彼女を、しかし上条は軽く抱きしめる事も出来なかった。
何せ右手には、異能の力なら問答無用で打ち消してしまう『幻想殺し(イマジンブレイカー)』があるからだ。

『歩く教会』は魔力で動いていると言っていた。
つまり、この右手で触れてしまうと効力は確実に失われてしまう。
それどころか、最悪服が木端微塵に四散するかもしれない。
間違っても右手で修道服に触れるわけにはいかない。

上条は、インデックスが泣きやむまで、左手だけで彼女の頭を撫で続けた。

「ごめんね。みっともないところ見せちゃったかも」

数分で泣き止んだインデックスは、ぺこりと頭を下げた。

「別に良いって。それより、これからどうするかだな」

正直、放っておけないとか勢いだけで啖呵を切ってしまった。
つまり、具体的な案は何一つない。

「そんなの決まってるよ。私が出て行くしかない。結局はそうするしかないかも」

「それは駄目だ」

「気持ちだけで十分かも。ここまで迷惑かけて、これ以上は甘えられないよ」

「まだそんなこと言ってんのか。さっきも言ったけど、これは俺が勝手に首突っ込んでるだけで」

「じゃあ、私と一緒に地獄の底までついてきてくれる?」

「……っ」

とんでもないことをさらっと言うので、上条は思わず言葉を詰まらせた。

「……じゃあ、ね」

そう言って出て行こうとするインデックスの左手を上条は掴み取って、

「……駄目だ。外に行かせるわけにはいかない」

「……さっきも言ったけど、巻き込んでしまうのは君だけじゃない。この寮にいる人皆が危険なんだよ。
 そこのところ分かってる?」

「俺も一緒に出て行けばいいだけの話だろ」

「……なんで分かってくれないの?」

「それはこっちの台詞だ」

「……偽善者」

きっとこの揶揄は、自分をあえて遠ざけるための最終手段なのだろう。本音でもあるだろうが。
所詮は偽善使い(フォックスワード)にすぎないことなんて、十二分に自覚している。

だからこそ、上条に対して偽善者などという揶揄は意味をなさない。

「んなこと分かってる。とにかく、俺はお前を放っておけない」

「……はぁ」

もはや何を言っても無駄だと思ったのか、インデックスは溜息をついてから、

「危険だと分かっていることに自ら突っ込んでいくなんて、ひょっとして君はおばかさん?」

「今頃気付いたのか」

「……ふふっ。そっか」

上条の冗談に対して、インデックスは軽く微笑んだ。
今までのものとはどこか違った、柔らかい頬笑み。

「そういえば、まだ名前を聞いてなかったね」

「そういえば、まだ言ってなかったな。俺は上条当麻。今更だけど、改めてよろしく」

「うん。よろしくね、とうま」

二人は軽く握手を交わした。

学園都市に住む、右手に異能の力を打ち消す能力を宿す少年――上条当麻。
完全気記憶能力を持ち、頭の中に一〇万三〇〇〇冊の魔道書を記憶している少女――インデックス。
本来交わることのなかった少年と少女が交差するとき――学園都市を舞台に物語は始まる。

握手を交わした後、上条とインデックスはテーブルを挟んで向かい合わせに座った。

「で、とうまには結局、具体的な案はないんだよね?」

「……ま、まあ、ないな」

「……それでよく、私を放っておけないとか啖呵切れたよね」

「……仕方ないだろ。感情に理屈なんてないんだよ」

「うんうん。大体さっきまでの会話で、とうまの人となりは分かった気がするかも。
 とうまはきっと、自身の内から湧く感情に従って真っ直ぐに進んでいるだけなんだろうね」

「分かっていて『具体的な案がないくせに啖呵切れたよね』なんて煽ってくるのかお前は」

「私の名前はお前じゃなくて、インデックスなんだよ」

やはりどう考えても偽名だと思うが、記憶喪失のために頭の中に残っていた知識だけでインデックスと名乗っているだけで、本名は彼女自身知らないのだろう。
そして、どんなものであっても呼び名が一つしかないのなら、それが彼女を示す名前だ。
ともすれば、

「そりゃあ悪かったな、インデックス。今度からはちゃんと名前で呼ぶよ」

「素直でよろしいんだよ。それで話を戻すけど、どの道ここからは出て行かなきゃいけないかも」

「俺と一緒に、だよな」

「もう一度聞くけど、覚悟はあるのかな?私と一緒に地獄へ行く覚悟」

「それは出来ていない。地獄へはついて行かない。ただ、お前を地獄から引きずりあげる」

言い切った上条に対して、インデックスは両手で顔を覆って俯く。
どうした?と上条が問いかける前に、

「……お前じゃなくてインデックス」

インデックスが訂正を求める。

「あー悪い。インデックスを地獄の底から引きずりあげて、連中からも守ってみせるよ」

インデックスは俯いたまま、

「……ものすごくかっこつけで恥かしいこと言ってる自覚はある?」

的確な事を言われた気がした。

「……そういうこと言うなよ。自覚はあるよ。でも、あれだ。助けたいって気持ちを言葉で表すとこうなんだよ!」

「……そんなこと分かってるんだよ。でも、私だって、面と向かってそんなこと言われたら、その、照れるかも」

つまり、照れ隠しのために両手で顔を覆ったり、的確な突っ込みを入れてきたりしたのか。

数十秒経過してから、インデックスは両手を戻して顔をあげて、

「……ところでとうまは、妙に自信にあふれているところがあるよね。感情以外にも、何か根拠があるような気がするかも」

インデックスは意外と勘が良いというか、直感が鋭いというか、観察力があるというか。
さっきも自分の本質を見抜かれたような気もするし、とにかくよく気付くものだ。

「まあ、全く根拠がない訳じゃない。
 俺の右手には『幻想殺し』って能力が宿っていて、それが異能の力ならば、神様の奇跡(システム)でも打ち消せるって代物なんだけど」

「……ふーん」

「……なんか反応悪いな」

「うーん。だって、神様なんて信じてなさそうなとうまの口から、神様の奇跡だって打ち消せますとか言われても、いまいちピンとこないんだよ」

「神様の奇跡を打ち消せるって文句は、あくまで例えであって深い意味はないんだけど」

「そんなこと分かってるんだよ。分かっててあえて突っ込んだんだけど」

「……スルーしていいか?」

「まあ、とうまの持論について今聞く必要はないしね。でも、いまじんぶれいかーについてピンとこなかったのは本当なんだよ」

言われてみれば、神様の奇跡なんて抽象的な対象では、あまりに現実味がなさすぎる。
とはいえ、凄さを表現するのに「神様」を持ち出す事は、昨今ではよくある事だと思う。
日本語としては問題があるだろうが、神○○なんて表現は、周囲は愚か自分でもたまに使ってしまうほどだ。

それでもいまいちピンとこないとなると、実演するしかない。
しかし幻想殺しは受け身の能力。
異能の力を出せる相手がいないと能力の有用性どころか、本来なら存在すら認めてもらえなくても仕方ないものだ。
そしてその絶好のデモンストレーションになるような知り合いが一人いるが、巻き込みたくないので相手に指定する訳にはいかない。
それはきっとインデックスだって同じだ。
けれどこのままでは、自信の根拠を示せない。インデックスを少しでも安心させることが出来ない。
ならばどうするか。

上条は、その知り合いの名前だけ拝借することにした。

「簡単に言うと、俺の右手は異能の力ならば何でも無効化(キャンセル)できるんだよ。
 具体的に言うと、約一八〇万人の学生を抱えるこの学園都市でも七人しかいない超能力者(レベル5)の一人、御坂美琴の十億ボルトの雷撃とか、戦略級の『超電磁砲(レールガン)』とかでも打ち消せる」

「れべるふぁいぶ?れーるがん?」

しきりに首を傾げているが、分からなくて当然だろう。
もちろん、説明はここで終わりではない。

「ここ学園都市では、脳をいじることで誰だって開発できちまう。つまり、人工的に能力者を量産できる訳だ。
 俺を除く約一八〇万の学生全員、何らかの能力を宿している。俺が学園都市製の能力を宿していない理由は分かるよな?」

「いまじんぶれいかーがあるから?」

「そうだ。そして学生達能力者にも種類やレベルの違いがある。
 種類は把握しきれないほどたくさんあるが、レベルは六段階に分けられている。無能力者(レベル0)から超能力者までだ」

「分かってきたんだよ。それで、カーストの頂点が超能力者なんだね」

やっぱり、インデックスは察しが良い。

「そうだ。さっきも言った通り、一八〇万分の七だ。数字だけでも、その貴重さが分かると思う。
 でも、本当にすごいのはその強さの定義だ。『貴重さ』という言葉を使ったが、レベル分けは能力の珍しさやレア度ではなく、能力の強大さによる。
 無能力者なら、正直言ってほぼ無能力と言ってもいい。『発火能力(パイロキネシス)』で言うなら、ライター程度の火しか灯せない。
 だが大能力者(レベル4)なら、最大で一般的な家屋ぐらいの火炎の塊を出せるし、火炎放射みたいな応用もできる」

「レベルが高いのと低いのじゃ、天と地ほどの差があるんだね」

「ああ。それで肝心の定義についてだ。さっきも言った通り、無能力者はほぼ無能力、ぶっちゃけ普通の人間と大差はない。
 でも大能力者なら、武装している人間数十人相手だって余裕だ。そして超能力者の定義は、単独で軍隊と戦える、だ」

「それって実際に基づいた訳じゃなくて、客観的に考えて、だよね?」

「そうだけど、まあ概ね妥当だと思うぞ。
 偉い人が適当にじゃなくて、外より二、三十年は進んだ科学力を持つこの街で、実験とか試験をして計測した結果に基づいて分けているから、結構正確なはずだ」

「ふーん」

やっぱり、あんまり反応が良くない。
そんなに大げさなリアクションをする程の事ではないと思うが、いくらなんでも反応が薄すぎやしないか。
だが、まだ根拠を説明し終えた訳じゃない。

「つまり俺が言いたい事は、そんな軍隊に匹敵する超能力者、御坂美琴の能力を軽く受け流せる幻想殺しを俺は宿していて、実際に何度も受け流しているのが自信の根拠の一つだ」

「そのみことの能力って、雷を出すってこと?」

「ああ。『電撃使い(エレクトロマスター)』って言って、まあ能力自体はそこまで珍しい訳じゃないけど、御坂の場合はその威力と応用の幅がすごいんだ。
 さっきも言った通り、十億ボルトの雷撃の槍、メダルゲームのコインを音速の三倍以上のスピードで撃ち出す超電磁砲、他にも、磁力を応用して砂鉄を使役する事も出来る。
 言い方は悪いが、まさに化け物の彼女を、俺は止めることが出来るんだ」

「それはすごいかも。そこまでみことのことを知っているという事は、それだけ相手にしてきたってことだもんね」

ようやくお褒めの言葉だけは頂いたが、その表情は未だに変わらない。

上条の根拠説明は締めに入る。

「それだけの力を使いこなす彼女は、七人しかいない超能力者の中でも第三位だ。俺は学園都市で三番目に強い人間に無傷で勝てるわけだ」

もっとも、実のところ超能力者の序列は『強さ』じゃなく『能力研究の応用が生み出す利益』によって決められている。
だから御坂が本当に三番目に強いかは分からないが、それをインデックスに言っても不安にさせてしまうだけだし、結局は序列=強さだと、自分は考えている。
その根拠は超能力者第五位『心理掌握(メンタルアウト)』だ。

電撃使いはさして珍しい能力ではない。どちらかと言えば、研究はされつくされている方だ。
『能力研究の応用が生み出す利益』という観点から見れば、心理掌握が精神系能力者であり、この系統の能力者も珍しくないとはいえ超電磁砲が心理掌握より上とは、とてもではないが思えない。
それに御坂と心理掌握が一対一の真っ向勝負をした場合、どう考えても戦闘面において分があるのは御坂だ。
心理掌握が勝てるとすれば、それは御坂の親しい人や家族を操り、人質にするなどしかないだろう。
よって上条は、序列=強さだと考えている。
もっとも七人いる内の二人だけ、しかも心理掌握について詳細は知らない状態での持論なので、もはや憶測の域だが。

まあ順位なんて大した意味はない。『強さ』でも『能力研究の応用が生み出す利益』でも、御坂含む超能力者達が、学園都市の中でベストセブンであることは明白だ。
そして自分は、ベストセブンの一人に打ち勝つ事が出来る。その事実で十分だ。

とにもかくにも完全に自慢になってしまったが、これで長い根拠説明は終了だ。
これで少しは安心してくれるだろうか。

「見たところ傷を負っている様子もないし、無傷で勝てるって言うのも事実なんだろうね。
 何より、とうまが嘘をつくようには見えないし、嘘の為に今までの長ったらしい説明をしてきたとも思えないしね」

どうやら実演なしに『幻想殺し』を信じてもらえたらしい。

「でもね、それでもいまじんぶれいかーを過信することは避けた方が良いかも」

もしやインデックスは『幻想殺し』の弱点に気付いたのだろうか。

「まず一つ。いまじんぶれいかーは右手にしかないんだよね。それだと、多角的な攻撃には対処しきれないんだよ」

図星だ。が、

「けど俺は、多角的な攻撃なんていくらでも出来る御坂を何度もやり過ごしてきた」

精一杯の反論。しかしインデックスは、

「でも結局、殺し合いではないんだよね?とうまもみことも、手加減しながらなんだよね?
 残念ながら、魔術師達はそうじゃないんだよ。魔術師は戦闘のプロであって、殺すことにもためらいはないんだよ」

十四、五歳の少女の口からすらすらと流れ出る物騒な言葉。
上条が押し黙っている間に、インデックスは続ける。

「二つ目は、そのいまじんぶれいかーって異能の力にしか対応できないんだよね。
 銃器とか、体術には何の意味も持たないんだよね?」

これも図星だ。
自分の能力を知り、実際に何度か見れば気付く事ではあるが、話を聞いただけの今の時点でこれに気付き指摘してくるあたり、分析力も高い。

しかしこれにも、反論材料がない訳ではない。

「銃器に対して絶対の生身の人間なんているかよ。銃器を恐れるなら盾や防弾チョッキを用意すればいいだけだし、そもそも連中は銃器を使ってきたり、体術が得意だったりするのか?
 仮に銃器を使いこなし体術が得意だとしても、異能の力を防げるのはアドバンテージだと思うし、体術にもちょっとした自信はある」

「……もっともかもしれないけど、仮に銃器を使いこなす魔術師がいたとして、とうまが言うところの盾とか防弾チョッキは用意できるの?」

「出来ない。けどまあ、盾や防弾チョッキとかは例えだ。
 実際問題盾なんて持っていても動きにくいだけだし、防弾チョッキもガードしきれないところはあるからな。
 銃器を使いこなすなら、体じゃなく頭を狙ってくるだろうし。ま、俺は銃弾も避けるよ」

「……そこまで言うんだから、とうまはきっと強いんだと思う。確かに右手だけとはいっても、異能の力を防げるのはアドバンテージだね。少なくとも、ないよりは圧倒的に。
 多角的攻撃が出来るみことに無傷で勝てるなら、反射神経とか運動能力とかもすごいのかも。右手だけでも何とかなってしまうぐらい。それでもね」

その先は何となくわかった。だからあえて口は挟まない。

「やっぱり相手は戦闘のプロなんだよ。私を捕まえるために日本まで来るぐらいだから、きっとエリートだと思う。
 この街で言うところの超能力者とは言わずとも、最低でもそれよりワンランク下、超能力者未満大能力者以上ぐらいの猛者が来てると考えた方が良いかも」

そうだろうな、と思う。
それも日本の、というより世界の中でも最高峰の科学力を誇る学園都市に乗り込んでくるほどだ。
侵入については実力じゃないとは思うが、自分の想像をはるか越えた形で学園都市に侵入した可能性もゼロではないし、裏で学園都市と繋がっていたら、それだけのコネクションがあるという事、最悪魔術師と学園都市の二つを敵に回すかもしれない。
今はこうして話すことが出来ているが、事態は思ったよりも深刻と言ってもいいだろう。

それでも。

「でも、大丈夫さ。俺は死なない」

「……何の根拠があって?」

「インデックスが捕まっていないからだ」

「へ?」

「だってそうだろ。魔術師が実力で侵入してきたとしても、学園都市と繋がっていたとしても、本来ならインデックスは捕まっているはずだ。逃げ切れるはずがないんだよ」

「それは私を馬鹿にしてるのかな?」

「でも現に、魔術師の一撃を背中に喰らって俺の部屋のベランダに引っかかっただろ」

その一言で、インデックスは沈黙した。
上条は構わず続ける。

「ずっと疑問だったんだ。明るいうちは目立つからって、背中を撃つなんて大胆な事をする連中が襲撃に来ないのはなぜか。
 仮に俺の部屋のベランダに引っかかったことが分からなくても、魔力サーチで結局場所は分かるはずだろ。
 つまりだ、連中が本気を出せば、インデックスは捕まっているはずなんだ。学園都市と繋がっていたとしていたらなおさら」

「……じゃあ何?私達は見逃されているって訳?」

「そうなる。まあその、なんだ、『歩く教会』だっけか?
 それがあるから、捕らえにくいってのはあるだろうが、すごい修道服を着ている以外はいたいけな少女にすぎないインデックスが実力で逃げ切ってきたとは、とてもじゃないが思えない」

「『歩く教会』だけじゃないもん。一〇万三〇〇〇冊覚えてるもん」

「ああ、悪い。でもそれって、逃亡に何か役に立ったのか?知識だけあっても意味ないだろ。
 逃亡に必要なのは体力とかだと思うんだけど」

「……でも、じゃあ何?私達をあえて見逃すことに何の意味があるの?」

「そこまでは分からない。でも、そう考えれば俺達のところに襲撃が来ないとか、おかしな点のいくつかは説明がつく」

「……じゃあ私は、これからどうすればいいの?」

確かに、自分達は見逃されている、という結論を出したところで何が解決したわけでもない。
それにインデックスは気付いているのか、いないのか、気付いていてあえて指摘していないのか、見逃されている、という結論には一つの不自然な点が浮上してくる。

インデックスが背中を撃たれているという点だ。

見逃す気ならば、わざわざ撃たなくてもいいはずだ。
動きを少しでも止めるとか牽制の意味もあるのかもしれないが、どうせ見逃すのなら、やはり攻撃を加える必要性は薄い。
自分と遭遇することがハプニングであって、インデックスはやっぱり捕獲対象なのであって、自分と遭遇したからこそ様子見で見逃している、という可能性もなくはないが、
インデックスから聞いた魔術師のイメージからすると、様子見などせず実力行使で強引にインデックスを奪いそうなものだ。
そもそも、約一年も一人だけで逃げ続けるのは普通に考えて無理だ。自分は関係ない。インデックスが見逃されてきたのだ。
自分と遭遇してしまったことはハプニングだとしても、見逃すことに変わりはない。というのが妥当だろう。

そこまで考えたところで、マナーモードだった携帯電話が震えた。
上条は床に置いてあった携帯を手に取り確認する。相手はクラスメイトの土御門だったが、おそらく遊びの誘いだろう。
今はそんな場合ではないので、上条は携帯をそっとテーブルの上に置き、申し訳ないと思いつつ無視を決め込んだ。

そして数十秒経って携帯の震えは止まったが、すぐに再び震えはじめた。
もちろん、着信があったからだ。
確認するまでもなく、ディスプレイに表示されている文字は『土御門』だった。

「……ねぇ、なんかそれブゥ~って鳴ってるけど、大丈夫なの?」

インデックスが元気のない声で、携帯を指差しながら上条を促す。

「……ん、いや、ちょっとな」

電話に応答しない、つまり出られる状況ではないか、気付いていないかを分かっていて、それでも気付いていないだけの可能性に懸けて、留守電にメッセージも残さず時間を空けずに再び電話をかけてきたという事は、それだけの急用があるという事。
こっちもよろしくない状況とはいえ、無視するのも気が引ける。もっとも、これでも遊びの誘いという可能性もない訳ではないが。

迷ったが、インデックスに促された事もあって、結局電話に出る事にした。

「もしもし」

『何で一度目の電話無視したのかにゃー?』

「なんで無視前提なんだよ。ちょっとトイレにな」

土御門に今の事情を話してもどうにかなるわけではないし、寧ろ巻きこんでしまう可能性も考えると話すべきではない。

『嘘はいけないぜい。どうせカミやんのことだし、女の子部屋に連れ込んでイチャイチャしてたんだろ?だから出られなかったんだろ?』

イチャイチャはしてないが、女の子絡みで電話に出られなかったことは確かだ。
何となく、このままだと万が一ボロが出ないとも限らない気がしてきた。
ここは強引に話題を変える。

「で、用件はなんなんだ?しょうもないことだったら忙しいから切るぞ」

『禁書目録』

「……何?」

どう考えたって、日常会話で『禁書目録』なんて単語は出てこない。
自分の目の前に座っている少女の事を指しているとしか思えない。

『いやー、カミやんの鋭さや分析力には恐れ入ったにゃー。インデックスがあえて見逃されているという結論に辿り着くなんてな』

結論を出した事を知っているという事は、何らかの方法で盗聴されていたのか。
隣人にして親友である土御門を部屋に招いたことは、しょっちゅうではないが何度かあった。
その隙に盗聴器を仕掛けるのは不可能ではないし、そもそも自分がいない時に勝手に侵入して仕掛けることも不可能ではない。
さらに言えば、盗聴器などなくとも隣人の土御門なら、周りを静かにして耳を澄ませば聞こえないこともないだろうし、聴診器のような、壁一枚程度なら問題なく声を拾える機械ぐらい学園都市にはある。

ただ、そんなことよりも問題なのが土御門の立場だ。
インデックスの事を知っているなんてレベルじゃない。
土御門は間違いなく核心にいる。

「……お前は一体、何者なんだ?」

『何者って言われても、カミやんと同じ高校のクラスメイト、無能力者の土御門元春ですとしか言えないにゃー』

「下らない冗談はやめろ。このタイミングでこの電話、もうお前がただのクラスメイトじゃないってことは決定したんだ。何が目的だ?」

『目的なんて決まってる。インデックスの保護だよ』

「保護だと?」

『ああ。結論から言おう。インデックスにかかわる問題、カミやんには荷が重すぎる。あとは俺達に任せるんだ』

「俺達、ね」

これまでの事を総合して考えると、

「お前達は、魔術師ってことでいいのか?」

びくっ、と言葉に反応したのはインデックス。
一体何が、と聞きたそうな顔をしているが、空気を読んでいるのか口を挟んでこなかった。

『まあ、その辺の詳しい話はあとだ。まずは彼女を置いて、俺の家に来てほしい』

「めちゃくちゃだな。俺がその命令を聞く必要がどこにある?」

百歩譲って行くとしても、インデックスに留守をさせておくわけにはいかない。

「そりゃそうなるのは分かるけどにゃー。来てくれないと話が進まないんだぜい』

「さっきから情報が小出しすぎてよく分からない。もっと簡潔に、最終的に俺達をどうしたいのかを言えよ」

『……分かったよ。このままじゃ話が一向に進まないしな。よく聞けよ。
 今俺の家には、イギリスからインデックスを捕らえに来た魔術師が二名いる。
 ただし、カミやんが出した結論通り、現時点ではあえて見逃している。その理由を俺の家で説明したい』

「……だからか」

その『理由』とやらが、インデックスに聞かれてはいけないから連れてくるなと言うことか。

「なるほどね。でもそれじゃあ、お前らの罠の可能性もある」

『言いたい事は分かる。確定しているのは、俺がこの問題について核心にいるという事だけ。
 魔術師が二人いるってとこから嘘かもしれないし、どこからか不意打ちを仕掛けてくるかもしれない、って思ってるんだろ?』

「……そうだ」

『でもよく考えてみろよ。
 俺の話を信じずに俺の部屋に来なかったとして、カミやんたちはどうするつもりなんだ?
 カミやんたちだって八方塞がりだろ』

そう言われてしまうと、返す言葉もない。
この閉塞しきった状況を打開するには、罠の可能性を考えても土御門の要求に乗るしかないところはある。

上条が沈黙を続けていると、土御門は畳み掛けるように、

『じゃあ今から、魔術師に電話を替わる。とりあえずそれで魔術師の存在を信じてもらおう』

替わると言ったって、イギリスから来ているなら英語じゃないのか。
じゃなかったとしても、電話越しの声なんて機械でいくらでもごまかせる。口調なども演技で変えることは容易だ。
そんなことは土御門だって分かっているはずだが――、

『ゴチャゴチャ文句垂れてないで、黙ってこっちに早く来い』

「な――」

男の声で、日本語だった。
そして一瞬で悟った。
機械で声を替えたとか、演技で口調を変えたとかではない。完全に土御門じゃない。
インデックスが言っていたような魔術師像にぴったりの人間。

上条が一瞬動揺した間に、電話の主が再び替わった。

『もしもし』

またしても日本語で、今度は女性の声だった。
たったの四文字で、これも土御門や先程の男とは違うことを、上条は理屈ではなく悟った。

「……もしもし」

『先程のステイルの暴言については失礼しました。
 彼も悪い人ではないのですが、インデックスの事となると少々頭に血が上りやすくなりましてね』

余計な事を言うな、という声が電話と壁の向こう側から聞こえた。
一瞬、インデックスがびくっ、と震えたが、やはり空気を読んで黙ってくれている。

しかしこれで、土御門の部屋に魔術師が少なくとも二人いる事は決定した。
ステイルは黙っていてください、という注意の後に女性の声は続いた。

『ですが、こちらに来ていただきたいというのは私も同じです。
 私達はインデックスの保護をしたいのですが、できれば話し合いで何とかしたいと思っています』

電話越しの彼女は、物腰の柔らかい雰囲気で丁寧な言葉遣い、インデックスから聞いた魔術師像とは正反対の人間だ。

「アンタらと何を話し合うって言うんだ」

『私達がインデックスを追う理由ですよ。それを聞いてもらえれば、いろいろ分かってくれると思います』

「ふざけんなよ。どんな理由があったって、女の子を追いかけまわして捕まえていいはずがないだろ」

『ですから、何度も言っている通り、その辺りの事情を説明したいのです』

駄目だ。会話にならない。

「土御門と替われ」

その要求を彼女はあっさりと受け入れたようで、電話からは再び土御門の声がし始めた。

『ああもう面倒くせーや。今からそっちに行くわ』

「何!?ちょっと待て!」

上条の制止を振り切る形で、通話は終了した。
そして直後、

「よーカミやん。おはよう……って、その女の子は誰ですかにゃー?」

金髪にサングラスとアロハシャツの土御門が、ベランダから上条家に侵入してきた。

「え?な、何、この人」

今まで沈黙を続けていたインデックスは慌てふためき、上条の後ろにちょこんと隠れた。

「おいおい。遊ぶ約束をしていた親友との約束をすっぽかして、ロリシスターさんとイチャイチャとはどういう了見?」

何も知らずにここに遊びに来た設定か。
インデックスをひとまず安心させるために、無理矢理この設定に乗っかるか。
それとも、インデックスと共にここからいち早く脱出するべきか。

「とうま……」

後ろにいるインデックスが不安そうに呟く。
その一言で、上条は決心した。

「ちげーよ馬鹿。この子はついさっき知りあった子で、ちょっと複雑な事情があんだよ。だから、この子を頼めるか土御門」

上条が下した決断は、土御門の設定に乗っかることだった。

仮に逃げようとしても、土御門が妨害するだろう。
その場合、騒ぎを察知して魔術師連中まで来たら、状況は厳しくなる。
自分が土御門を止めて、インデックスだけを逃がそうとするのも駄目だ。
『歩く教会』を探知できる魔術師には意味がない。
あえて見逃しているのだから見逃す可能性もなくはないが、自分の下にいるぐらいなら、いっそのこと捕らえてしまおうと考えるかもしれない。
ベストは土御門を静かに素早く倒す事だが、それは難しい。
彼はモテたいという理由で見た目や体つきを気にしての筋トレなどの結果、しなやかで柔軟な筋肉質の体になっている。
見た目が見た目なので不良に絡まれる事もあり、その度に不良達を退けてきた。
だからこそ、なまじ能力に頼らないからこそ地力があり、超能力者の御坂を何度も退けてきたからといって、そう簡単には倒せない。

だから、設定に乗っかるほうに上条は懸けた。

「何か知らんけど、親友の頼みとあっちゃ仕方ねーにゃー。よっしゃ。この土御門さんに任せるにゃー」

「恩に着るよ」

「え?ちょっと待ってほしいかも。え?え?」

勝手に話が進んで混乱している様子のインデックスに、上条は諭すように言った。

「インデックス。こいつは俺の親友の土御門元春。信頼できる人間だ。少しの間、ここで土御門と大人しくしていてくれ」

「な、何で?とうまは?」

「俺は今から、魔術師達と話し合ってくる」

「え?何で?どうしてそんなことになったの?」

「さっきの電話で、そう決まったんだ」

「さっきのって……とうまがなんか喋ってた時の事?」

「そうだ」

「駄目だよ、とうま!魔術師達と話し合ったって何も解決しないかも!とうまもここに残って!」

「でも、このままでも何も解決しない。前に進むためには、どの道魔術師との接触は避けられない」

「でも……!」

「大丈夫さ。俺は死なない。絶対に帰ってくる。約束だ」

上条は右手の小指だけを出して、

「インデックスも、俺と同じように小指を出して、俺の小指と絡ませてくれ」

「こ、こう?」

インデックスは上条に言われた通りに小指を出し、上条の小指と絡めた。
直後、上条は絡めあった指を上下に振った。

「わ、わ」

「指切拳万、嘘ついたら針千本呑ーます、指切った」

インデックスは少々驚いたみたいで、何度か瞬きをした。

「やっぱり知らなかったか。これは指切りって言って、約束の厳守を誓う時にするんだ。風習みたいなもんだけど」

「……風習」

インデックスはぽつりと呟いた後、

「うん。いいかもこういうの。
 こんな口約束いくらでも破棄できるけど、こういったおまじないみたいなほうが、私は好きかも」

どうやら気に入ってくれたようだ。

「ちなみに、指切拳万の『げんまん』は『握り拳で一万回殴る』って意味で『針千本呑ます』っていうのはそのままの意味なんだにゃー。
 つまり、カミやんが約束を破った場合、一万回殴って針千本呑ませてもいいんだぜい」

なんか土御門が余計な補足を入れてきた。

「そうなんだ。勉強になったんだよ。もとはる」

インデックスもインデックスで、素直にお礼を言ってしまっている。

「いえいえ、どういたしましてマドモアゼル」

「ふふっ。もとはるってば、なんか変」

インデックスと土御門は早くも馴染み始めているのか。
土御門は比較的人懐っこい方だとは思うが、こうも早いとは。
さすがに彼がインデックスに危害を加えるようには見えない。
きっとインデックスもそう思ったから、こうも早く土御門に心を開きかけているのだろう。

土御門は魔術師でもあるのか、それとも魔術師連中とつながりがあるだけなのか、どちらにせよ彼は無闇に暴力を振るうような人間ではなくて、そんな彼とつながっている人間が、真っ黒だとは思わない。
インデックスは背中を撃たれたと言ったが、それが逆に特例中の特例だったのかもしれない。何かやむを得ない事情があったのかもしれない。
無論、どんな事情があるにせよ背中を撃つなんて殺人未遂が許されるはずないし、電話の男の方は危険な感じもするが。

と、そんな上条の思考は、インデックスが口を開いたことで断ち切られた。

「でも、今更なんだけど、もとはるを巻き込む訳にはいかないんだよ。私達の問題、じゃなくて私の問題は、私で解決しなきゃ」

「まだそんなこと言ってんのかよ。ここまで来たらやるしかないだろ。というかここまで来て見て見ぬふりする方が、罪悪感で辛いっつーの」

「そうそう。いや俺はまだその事情とやらを知らねーけど?『ダチ』ってのは、迷惑かけてかけられて、助けて助けられて、持ちつ持たれつの関係だろ?
 申し訳なく思うなら、今回の問題が解決した後お礼をしてくれるとか、俺達が困った時に助けてくれれば、それで良いんだにゃー」

「とうま……もとはる……とうまは分かってたけど、もとはるも優しいんだね」

「よく言われるぜい」

「ふふ。もとはるって面白いね」

上条は確信した。
土御門なら、魔術師だろうがなんだろうがインデックスを託せる。
何と言っても、もともと彼は親友だ。
彼がどう思っているかは知らないが、少なくとも自分はそう思っている。
仮に彼が悪の魔術師で、裏切られたとしても後悔しない。

「ところで『だち』って何?」

「ダチってのは、友達の事だぜい」

「ともだち……」

「そう、友達だよ」

上条を置いてきぼりにして、二人の会話は弾んでいる。

「そっか。じゃあもとはるが、私の初めての『ともだち』だね!」

「え?俺が友達一号でいいのかにゃー?カミやんは?」

「あ……」

しまった、といった感じでインデックスが口籠ると、土御門はなぜかにやりと笑って、

「あ、そっかー。カミやんは友達じゃなくて恋人ってことかにゃー?」

「な、何言ってるんだよ!とうまはそんなんじゃなくて、その、あの」

頬を少しだけ赤く染めて、あたふたするインデックス。

「そ、そうだぞ。いきなり何言いだすんだ。ぶん殴るぞ」

上条も上条で物騒な事を言っていた。

「そうやって慌てふためくところが怪しいにゃー。あとカミやん、照れ隠しとはいえ暴力はなしですよ?」

「……俺にはいいけど、インデックスにはそういう冗談やめろよな」

「分かった分かった。でも結局、インデックスにとってカミやんは何なわけ?」

「お、恩人なんだよ。とうまは私の恩人」

「おい、もういいだろ」

上条が少し強めに言うと、土御門は渋々と言った感じで、

「へいへい分かりましたよー」

「はぁ。じゃあ、もういくわ」

これ以上こんな調子でふざけ続けるわけにもいかない。
痺れを切らして魔術師連中が来るとも限らない。
上条は切り替えて玄関へ向かう。

「……絶対に、帰ってきてね。約束したんだから」

「ああ」

「なーんか、やりとりが夫婦かその一歩手前の同棲している恋人のそれにしか見えないんだけど」

「「うるさい!」」

上条とインデックスに突っ込まれた土御門は、今度こそ口を閉じた。

インデックスとは徴兵によって戦争に行くようなテンションで別れたが、実際は隣の土御門の部屋に行くだけなので五秒もかからない。
向こうから提案してきたのだから鍵は開いているはずである。というか、開いてないと困る。

「いよいよか……」

上条はインターホンも押さずにドアノブに手をかけ、ゆっくりと開けた。瞬間、

「遅いぞ」

男の声が飛んできたが、上条は無視して、小さめの四角いテーブルのところで正座している日本人の女の前に座る。
男の方はと言えば、赤く染めた少し長めの髪に漆黒の修道服を身に纏い、両手の指にはめられている銀の指輪はメリケンサックを想起させ、極めつけに右目の下にはバーコードの刺青という異質な出で立ちだった。
おそらくイギリス人だろう。土御門のベッドにふてぶてしく座っている。

「よくぞ来てくれました上条当麻。私は『必要悪の協会』所属の神裂火織と申します」

神裂と名乗る女性は、長い髪をポニーテールに括り、Tシャツに片方の裾を根元までぶった切ったジーンズという格好こそ奇抜であるが、インデックスが言う魔術師像とはとことん違う。
傍らに置いてある二メートルほどの日本刀が気になるところではあるが。

「『必要悪の教会』?インデックスもそんなこと言っていたような……」

「『必要悪の教会』はイギリス清教第零聖堂区にあります。私達はそこからインデックスを保護する為に駆り出され――」

「ちょっと待て」

神裂の言葉を遮って、男の方が口を挟んだ。

「僕は話し合いなんてまだ認めていない。そんなことせずとも、今ここでこいつを殺してインデックスを取り返した方が早いだろ」

「ステイル」

彼女は男――ステイルを宥めようとするが、彼は無視して、

「土御門はコイツが僕より強いとかほざいていたが、にわかに信じられない。
 本当に土御門の言う通りなら、これぐらいの一撃はやり過ごせるんだろうね」

ステイルの右手に携帯電話ほどの炎が灯る。

「ステイル!」

「死ね」

神裂の制止を振り切り、ステイルの炎が上条の顔面へ放たれ――上条は右手を振るうことで、ステイルの炎を消し飛ばした。

「へぇ。幻想殺しとかいう能力、本当だったんだね。ま、今の小さい炎を消した位で調子に乗ってもらっては困るけどね」

言いながらステイルは、再び炎を右手に灯す。が、

「ステイル」

その声は先程までとは違い、静謐さの中に威圧感を伴っていた。

「調子に乗っているのはステイル、あなたの方です。少し黙っていてもらえますか」

「……分かったよ」

軽く舌打ちをしつつ、ステイルは炎を消した。

「電話の時と言い、今の威嚇行為と言い、ステイルが度々すみません」

そう言って神裂は上条に頭を下げた。

「……分かったから、話し合いとやらを始めようぜ」

正直、神裂にいくら丁寧に謝られたところで、顔を焼かれそうになった事をそう易々とは許せない。
だが、今は喧嘩をしに来た訳ではない。話し合いに来たのだ。

「では、本題に入ります。私達がインデックスを追いかけ、にもかかわらずあえて見逃していることについて。
 これについて話すには、インデックスの完全記憶能力について補足する必要があります」

補足と言ったって、何を補足することがあるのだろうか。

「インデックスの頭の中には一〇万三〇〇〇冊の魔道書があります。すると頭の中はどうなると思いますか?」

どうなると思うと言われても、

「凄い事だとは思うけど」

としか言いようがない。

「それだけですか?」

「それだけだよ。というか、俺に考えさせるような質問はいいから、要点だけを淡々と話してくれよ」

「いい事言うじゃないか。君」

ステイルが茶々を入れてきたが、神裂は無視して、

「分かりました。一〇万三〇〇〇冊の魔道書を覚えるということは、それだけ脳の容量を圧迫するという事です。
 数字で言うと、脳の八五パーセントを魔道書が占めています。そして完全記憶能力は、見たものを瞬時に記憶するだけでなく、忘れる事も出来なくなります。
 つまり、常に脳の八五パーセントが埋まっているわけですから、残りは十五パーセントということになります。
 その十五パーセントは一年間、生命活動をしていれば埋まってしまいます。その十五パーセントを消すために私達が――」

「もういい、分かった」

上条は神裂の説明を遮った。

「今の説明で一体何が分かったと言うのですか?」

「アンタらの言いたいことに決まってんだろ。もう大体の説明は終わったはずだ。
 それとインデックスから聞いた情報を照らし合わせれば、分からないなんてことはない」

神裂とステイルが怪訝な顔をするが、上条はそんな事を気にせずに、

「おかしいとは思っていた。完全記憶能力を持つインデックスが、どうして記憶を失っているのかが。
 一年ごとにアンタらが消してきたんだ。違うか?」

「そこまで察してくれたのなら話は早いです。私達はインデックスを傷つけるつもりはありません。
 寧ろ助けに来たのです。ですから、インデックスを返していただけませんか」

「その前に二つ聞かせろ。
 まず一つ目。思い出の記憶を消すくらいなら、一〇万三〇〇〇冊の記憶を消すことはできないのか」

「二つの意味で出来ません。一つは私達の実力的に、もう一つは教会の利益を考えて、です」

ということは、仮に実力的に消せたとしても、教会の利益を考えた場合、結局消せないのか。
この時点で答えは決まっていたが、一応尋ねる。

「もう一つ。インデックスを捕縛したままにせず見逃しているメリットは?
 どこかに留まらせておいて、時期が来れば記憶を消す、でいいはずだ」

「見逃していると言ってきましたが、実際のところインデックスは天才です。扱い方を間違えれば、天災となるレベルの。
 誰もがインデックスの反乱を恐れています。ですから、教会に留まらせておくわけにはいかないわけです」

「筋が通ってないな。天災レベルの人間を野放しにしておく方がいろいろ危険だろ」

その疑問に答えたのは、ステイルの方だった。

「分かってないな。君みたいな一般人(パンピー)と遭遇することで、インデックスの行動は制限される。つまり、足枷になるのさ」

「理解しかねるし答えにもなっていない。
 足枷になるとかどうとか以前に、一か所に留まらせて時期が来れば記憶を消す方が、安全で確実だろ」

そこで魔術師達が言い淀み、数秒の沈黙の後、

「……仕方がないですね。私達とインデックスの関係を教えましょうか」

「……それは駄目だ」

「しかし、そうした方が分かってもらえると思うのですが」

「……僕達はもともと敵同士だ。馴れあう必要なんてない。
 大体さっきから、ただの一般人のくせに生意気にも言い返してくるが面倒だ。もう焼き尽くした方が早い」

「何を血迷った事を言っているのですか。ここで争っては近隣住民を巻き込みますし、目立ちすぎます」

「そんなこと関係あるか。最後通牒だ、上条当麻。大人しくインデックスを引き渡すか、今ここで灰になるか、選べ」

右手に炎を灯しながら、ステイルは立ち上がる。
対して上条も立ち上がりつつ、

「インデックスは渡さないし、灰にもならない。実力行使に訴えると言うのなら、受けて立つ」

二人の間に一触即発の空気が流れるが、

「いい加減にしてくれませんか。ステイル、私に魔法名を名乗らせるつもりですか」

その声の威圧感は先程の比ではなかった。
いよいよ神裂も、傍らに置いてあった二メートルほどの日本刀を持って立ち上がる。
威圧感にたじろいだのか、少し落ち着きを取り戻したのかは分からないが、ステイルは舌打ちして、

「……じゃあ神裂はどうしたいんだ」

「ですから、私達とインデックスの関係を教えた方が早いと言っているのですが」

「……勝手にしろ」

「ということになりましたので、座っていただけませんか」

神裂はあくまで話し合いで済ませたいらしい。
上条は血が上っていた頭を冷やすために、深呼吸してから座った。

「それでは、私達とインデックスの関係についてですが、私達と彼女は、同僚であり親友でした」

「……は?」

「ですから、私達と彼女は、同僚であり親友だったんですよ」

同僚だと言うのはそうだったのかという話で済むが、親友だったとは聞き捨てならない。

「正直に言いましょう。彼女を必要悪の教会に留まらせても、彼女の為にも私達の為にもならないんですよ。
 なぜなら、彼女は記憶を失っているからです。記憶を失った彼女の目には、私達はどう映るでしょう。
 十中八九、一〇万三〇〇〇冊を狙う敵です。必死に私達から逃げようとする彼女を、無理矢理拘束したままになんかできません。
 一年間も、誰も知らない敵だらけの教会に留まらせておくことなんて、できませんよ。私達にとっても、見るに堪えません」

「聞きたい事がもう一つできた。同僚――いや、親友だったと言うのなら、なんで敵として追いまわす?」

「ですから、彼女の目には私達は敵として」

「だから、それなら全部説明して誤解を解きゃいいだけの話だろうが。私達は敵じゃありませんって。
 大体、何で敵として拘束を前提としてんだよ」

上条の中で、わだかまっていたものが溢れる。

「だって言うのに、何で敵として追い回してんだよ!何で誤解のままにしてんだよ!何勝手に見限ってんだよ!インデックスの気持ちを何だと――」

「――うっせぇんだよ、ド素人が!」

「な……」

ヒートアップした上条の叫びを、神裂の咆哮が塗り潰した。
先程までの丁寧な言葉遣いがまるっきり取り払われた別人としか思えないような咆哮に、さすがの上条も一瞬たじろぐ。
その間に神裂の怒声が紡がれる。

「知ったような口を利くな!私達が今までどんな気持ちであの子の記憶を奪っていったと思っているんですか!?
 あなたなんかに一体何が分かるんですか!私達がどれほど苦しんで、どれほどの決意の下に敵を名乗っているのか!
 大切な親友の為に、泥をかぶり続ける私達の気持ちが、あなたなんかに分かるんですか!」

「落ち着け神裂!」

先程までとは立場が逆だった。ステイルが神裂を宥めようとしている。
しかし彼女はステイルなど意に介さず、

「私達だって頑張った、頑張りましたよ!教会の利益なんて知った事かと魔道書の記憶を削り取ろうとか、どうにか脳の容量を増やせたり出来ないだろうかとか、記憶を肩代わり出来たりしないだろうかとか、記憶を失わずに済む方法を試行錯誤しましたよ!それでも駄目だった!
 だからせめて、春を過ごし、夏を過ごし、秋を過ごし、冬を過ごし、思い出を作って忘れないように!たった一つの約束をして、日記やアルバムを胸に抱かせて!」

「神裂!」

ステイルが叫んだ。
それで我に返ったのか、少し落ち着いた様子で神裂は続けた。

「結局全部、駄目でした。日記やアルバムの写真を見ても、あの子はね、ごめんなさいって言うんですよ。
 一から思い出を作り直しても、何度繰り返しても、家族も親友も恋人も、全てゼロに還る」

そして最後に、燃え尽きたように神裂は告げた。

「私達は、もう耐えられません。これ以上、彼女の笑顔を見続けるなんて不可能です」

「チッ」

ステイルが舌打ちした。本当は知られたくなかった事を知られたからだろう。

そして沈黙が訪れた。
誰もが口を開けない中、上条は思う。

あの性格のインデックスにとって『別れ』は相当な苦痛だろう。
それを何度も繰り返していく、地獄のような在り方。
死ぬほどの別れと、直後にそれを忘れて再び決められた別れへ向かっていく無残な姿。
だから魔術師達は、残酷な出会いより出来る限り別れの辛さを軽減する方法を選んだ。
最初から失うべき『思い出』を持たなければ、いざ失う時のショックも減る。
だから、親友を捨てて『敵』なる事を選んだ。
インデックスの思い出を真っ黒に塗り潰すことで、彼女の地獄を少しでも軽くしようとした。

「ふざけんな……」

「……は?」

「そんなの、テメェらの勝手な理屈だろうが!インデックスの事なんざ一瞬も考えてねえじゃねぇか!
 テメェらの臆病のツケを、インデックスに押し付けてんじゃねぇぞ!」

元々丁寧な言葉遣いではなかったとはいえ、荒々しく粗暴になった上条の口調に、今度は神裂達がたじろいだ。

「テメェら言ったよな!?インデックスにとっては敵だらけに見える教会に留まらせておくことは出来ないって!
 百歩譲ってそうだとしても、記憶を失った状態で外の世界に放り出して誰にも頼ることが出来ない状況で逃げ続けさせてきたことが正しいって言うのかよ!
 それが一番正しかった選択だって、胸を張って言えるのかよ!」

うっ、と魔術師達は一瞬言葉に詰まったようだが、神裂が振り絞ったような声で呟く。

「じゃあ……他にどんな方法があったと言うんですか……」

「だから言ってんだろ!誤解を解きゃ良いだけの話だって!それを何だ!泥をかぶり続ける私達の気持ち!?
 笑わせんな!一番辛かったのはインデックスだろうが!」

今度こそ完全に言葉を詰まらせた魔術師達に、上条はさらなる言葉を叩きつける。

「テメェらがもう少し強ければ!テメェらが嘘を貫き通せるほどの偽善使いだったら!一年の記憶を失うのが怖かったら、次の一年にもっと幸せな記憶を与えてやれば!
 記憶を失うのが怖くないくらいの幸せが待っているって分かっていれば!誰も悲しまずに済んだんじゃねぇのか!」

これだけ言われて、魔術師達は顔を伏せていた。
表情が見えない為、彼らがどんな思いでいるかは推し量れなかった。

そして上条は、告げる。

「……アンタらにインデックスは任せられない」

「……ふざけるなよ」

上条の言葉に反応したのは、ステイル。

「君の言っている事が分からなくはない。でもね、世の中綺麗事だけじゃない。
 こっちにだっていろいろ事情がある。単純な感情論だけでは、どうにもならないことがね」

「だから言ってんだろ」

上条は一瞬の間も空けずに言う。

「綺麗事や偽善を貫き通せないようなアンタらには任せられないって。安心しろよ。インデックスは俺が助ける」

「どこまでも生意気な……」

もう三度目だろうか。
ステイルが右手に炎を灯すが、神裂が手で制して、

「インデックスを救う?どうやって?あなたの言い分は間違ってはいないと思います。
 ですが私達が記憶を消さなければ、あの子は死んでしまいます。任せられないと言われても困ります」

冷静だった、というよりは元気がないという感じだった。

「まずそこが間違いなんだよ。記憶が増えすぎて脳がパンクする事なんてあり得ない」

は?という視線を向けられる。
とそこで、ポケットの中の上条の携帯が震えた。
しかし上条としては、電話に出ている場合じゃない。
それはステイルも同じらしく、

「今は電話なんていい。話の続きを」

促すが、そこへ神裂が、

「いえ、待って下さい。もしかしたら土御門かもしれません。
 私達が騒ぎすぎたことで、隣にいるインデックスを怯えさせてしまったのだとしたら、それを気付かせるために電話をかけたのかもしれません。
 土御門だったら、とりあえず出て話を聞いてみてください」

言われて、はっとした。
騒ぎすぎたとかいうレベルじゃない。
ほとんど叫ぶように紡いだ言葉の数々は、詳細に聞こえていてもおかしくない。
やばいかもしれない。
ディスプレイを確認すると、土御門の文字が表示されていた。神裂の推測は当たっていた。
上条はおそるおそる電話に出る。

『ようやく話がまとまったみたいだな』

思ったより快活な声だった。
だが土御門の言い分だと、やはり先程までのやりとりは聞こえていたのか。

「その、インデックスは大丈夫か?」

『大丈夫だぜい。今インデックスは夢の中だからな』

「疲れて眠っちまってるってことか?」

『いいや、俺が睡眠薬を飲ませて眠らせたんだにゃー』

「何だと!?」

『そんな怒るなって。ちょっと運びやすいように眠らせただけだから』

「運ぶだと!?どういうことだ、説明しろ!」

『まあまあ落ち着けって。今俺はインデックスと共に三沢塾ってところに居るんだけど、今からステイルとねーちんと一緒に来てくれ。そこで説明してやるよ。じゃあな』

「おい、ちょっと待て!」

しかし通話は無情にも終了した。
すぐにかけ直そうとしたら、再び土御門から電話が来た。

「何なんだよ、お前!」

『言い忘れていた事があってさ。
 今カミやんの頭の中には一つの仮説があると思うんだけど、おそらくそれは正しいから、ステイルやねーちんに説明してやってほしい。もちろん、脳の構造について説明してからな』

確かに、脳がパンクして死んでしまうという有り得ない現象について、それが起こりうるかもしれない仮説はある。
あるが、それは妄想に近い。

「ちょっと待てよ。お前の言い方だと、脳がパンクして死ぬなんてあり得ない事、知っているみたいじゃねぇか」

その言葉に反応したのは魔術師。が、通話の邪魔をするようなことはしなかった。

『まあその辺の話は後々説明する。つーわけだから、よろしく』

そして通話は切れる。
よっぽどかけ直そうかと思ったが、どうせ無視されるか、電源を切るだろう。
嘘とも思えない。こんな嘘をつくメリットはない。

「何か知らんけど、アンタらと一緒に三沢塾まで来いってさ。インデックスもそこにいるらしい」

個人的には一人で行きたいところだが、彼らをここに残しても仕方ない。

「運ぶ、とか言っていたね。どういうことかな」

青筋を浮かべながら、ステイルは尋ねた。

「さあな。俺にもよく分かんねぇ。三沢塾に来たら説明するってよ」

「ならば、早く行きましょう」

そうして神裂は玄関へ向かう。しかしステイルが、

「ちょっと待て」

神裂の肩を掴んで止めた。

「何ですか。急いだ方が良いと思うのですが」

「おかしいとは思わないか。土御門は何で僕達にまで黙ってインデックスを連れ出したと思う?
 学園都市の出入り口とかならともかく、三沢塾とかいう訳の分からない場所に連れて行く理由は何だ?」

「さあ、それは分かりません。今はそんな事を論じている場合じゃないでしょう。急ぐべきです」

「違うな。僕らがやるべきは三沢塾に行く事ではない。ここで上条当麻を、後に土御門元春を燃やし尽くす事だ」

「はい?」

神裂はステイルが何を言いたいのか分からないようだった。

「上条当麻、土御門元春、こいつらはグルだ」

「……どういうことでしょうか」

「そう考えた方が自然じゃないか。だって土御門は、上条当麻の親友なんだろ?
 僕達を裏切る事はあり得ると思わないかい?」

「それは……」

神裂は戸惑っているようだった。
ここで迷う辺り、魔術師達が異様に疑い深い性格なだけなのか、土御門に信頼がないだけかは分からない。

「迷うってことは、神裂にも普段のアイツの様子から心当たりがあるんだろ。アイツは胡散臭い奴だからな」

そしてステイルは上条を睨みつけて、

「君もやけに冷静じゃないか。下手に言い訳すると怪しまれると考えて、あえてそうしているんだろうが、無駄だよ。僕の目は誤魔化せない」

ステイルはまたも右手に炎を灯す。
どれだけ喧嘩っ早いんだと、上条はもう呆れ始めていた。

「遺言を聞いてやるよ」

笑って告げる彼からは、もはや神父の要素を欠片も感じなかった。
上条は溜息をついて、

「それ、本気で言ってんのかよ?」

「本気だけど?」

「だったら、土御門が俺の部屋に来た時点で、俺と土御門でインデックスを連れて逃げるだろ」

「だから君が、囮になって来たんだろ」

「だから囮になる必要がないだろ。仮に土御門と俺がグルでインデックスをうまく逃がしたとしても、俺がお前らに捕まれば、インデックスと俺を交換で終了。
 そのリスクを考えれば、インデックスと俺と土御門の三人で逃げた方がいいだろ」

「でも君は、戦闘に置いてある程度自信があるようじゃないか」

「だとしても、逃げた方が安全で確実だろ」

「君が来ないと分かれば、僕達は君の部屋に行き、逃げた事に気付くことになると思うが?」

「それは何分後だ?五分もありゃあ、それなりの距離逃げられるぞ。それにここは俺達にとってホームであり、アンタらにとってはアウェイだ。
 アンタらは学園都市とある程度グルなのかもしれないが、俺達が本気で逃げて、学園都市にある治安維持の機関を使えば、普通に逃げ切れるだろうよ」

「本当に君は口が減らないね。大体、グルじゃないというのなら今の君は冷静すぎる。
 今すぐにでも、三沢塾に行こうと言いだすのが普通だろうに」

「呆れているだけだ。それに、行こうって言ったってどうせアンタが止めるだろ。
 それと理由はもう一つある。アンタらがムカつくってことだ」

上条は右手を固く握り締めて拳を作り、

「はっきり言って、俺はアンタらの事が嫌いだ。
 土御門から電話がかかって来なかったら、実力行使で俺を葬って強引にインデックスを取り戻すつもりだったろ。
 だからさ、受けて立つよ」

作った右拳をステイルの顔面の前に突き出す。

「ははは。それいいね。僕もね、君の事が大嫌いなんだ」

「ちょっと待って下さい」

止めたのは神裂。
もう何度目だろうか。ステイルが先走り、神裂が止める光景。

「ステイルの言い分も、上条当麻の言い分も分かります。ですから、三沢塾に行って確かめる。
 それで良いじゃないですか。今はインデックスの安全を確かめる事が最優先です」

「神裂、インデックスの安全を確かめるのは、上条当麻を殺してからでもいいはずだ。
 別に良いのさ。土御門と上条当麻がグルじゃなくてもね」

「いよいよ本性見せやがったな。殺人狂が」

神裂はその時、上条の獰猛な笑顔を見て思った。
上条当麻は少しも怯んでない。それどころか、本気でステイルをぶちのめそうとしている。
しかし神裂としては、ここで争ってもらっても困る。
こうなったら仕方ない。

「私に魔法名を名乗らせるつもりですか。いい加減に落ち着いてください二人とも」

「名乗りたいのなら名乗ればいい。僕としてはもう、その程度の脅しで止まる理由はない」

「俺としては二対一でも構わない」

脅しではもう止まらない。とはいえ実際に実力行使で止めるのは論外だ。
神裂に二人を止める術はもうなかった。

が。

「……一体何だよ、こんな時に」

ポケットの中にある上条の携帯が震える音が周囲に響き、上条は呟いた。
だが一触即発のこの状況、上条は電話に出なかった。もちろん、ステイルも促さない。

しかし、神裂としてはチャンスだった。
この着信で気をそらせるかもしれない。

「……誰からですか?」

神裂は尋ねるが、上条は電話に出るつもりはないようだった。
確認すらしなかった。

くっ、と神裂は内心で歯噛みする。
このままでは無意味な戦闘が始まってしまう。

「さて、始めようか。安心してくれ。一瞬の苦痛も与えずに消し炭にしてあげるからさ」

「やれるもんならやってみろ」

そして二人は、いよいよ表へ出ようとする。
携帯の着信も途切れ、

二秒も待たずに、再着信により上条の携帯の震える音が響き始めた。

「……しつけーな!」

もういっそのこと電源を切ろうとでも思ったのか、上条は携帯をポケットから取り出して、彼の動きが止まった。

「土御門……」

「何だと?」

「出るべきです!そこでインデックスのことを詳しく聞いてください!」

チャンスとばかりに電話に出る事を強めに促す神裂。
相手が相手なので、上条もさすがに無視する事はためらわれたのか、渋々電話に出て、

『何モタモタやってんだにゃー!早く来ないとインデックスぶち殺すぞ』

その声は大きく、ステイルや神裂にも聞こえるほどだった。

「土御門、テメェ自分が何言ってんのか分かってんのか?」

『だから早く来いって。そしたら危害は加えないさ』

その声はそんなに大きなものではなかったが聞こえていたのか、ステイルはドアを蹴破り走って行った。

『ステイルが飛び出して行ったな。アイツ三沢塾の場所分かってねーだろ。追いかけて案内してやってくれ』

「私が連れ戻してきます」

どうやら土御門の声が聞こえたらしく、神裂は飛び出して行った。

「土御門、お前ひょっとして、この部屋に監視カメラの類を仕掛けてんのか?」

一度目と今の電話のあまりに良すぎるタイミング、ステイルが出て行った事が分かったのは、土御門の能力が千里眼ではない以上、それしかないだろう。

『自分の部屋に監視カメラつけちゃいけないなんて法律はないんだぜい』

「そうかよ。ところで一つ気になってたんだけどよ、インデックスを連れて行こうとしても、『歩く教会』がある以上、魔術師が探知できるよな?
 なのに俺の目の前にいた魔術師は気付かなかった。とてもじゃないけど、単に気付かなかったってことはないだろう。ということは、つまり」

『ああ。カミやんが考えている事で間違いないぜい。着替えさせたのさ。眠らせてからな』

「……義妹に欲情するようなシスコンだけならまだしも、ロリコンまで患ってるとはな」

『その言い草は心外だにゃー。俺は高一でインデックスは一四、五歳だから、年齢的には分相応でロリコン呼ばわりされる筋合いはないぜい。
 シスコンは悪い事じゃないし、義妹とは結婚だってオーケーなんだぜい。それにインデックスを着替えさせたのはステイルやねーちんを欺くため。
 他意はないし、そもそも俺が着替えさせたわけじゃない』

「『空間移動能力者(テレポーター)』か」

『そうだ。やっぱりカミやんは冴えてるにゃー』

土御門はきっと今の状況を三沢塾でモニタリングしている。
三沢塾の詳しい位置は分からないが、少なくともここ第八学区ではないことは分かる。
どんな公共機関を利用したって、一番近い違う学区に行くにしたって、今までの話し合いの時間だけでは、移動してモニタリングをするなんて通常できっこない。
しかし、それを可能にする方法がある。
それが空間移動能力者。
レベルが高ければ、インデックスと土御門、それと本人合わせて三人同時に数百メートルを数回移動する事など造作もない事だ。

「そいつは女子か?」

『おう。だから安心していいぜい。俺は何も見ちゃいない』

「服はそいつに持って来させたのか?」

『いんや、カミやんのワイシャツを拝借した』

「何で持って来させなかった」

『そんな時間なかったし面倒くさかったから』

「……後でぶん殴ってやるから、首を洗って待ってろよ」

それだけ言って、上条は電話を切った。
と同時に、丁度良く神裂がステイルを連れて戻ってきた。

「早くしろ上条当麻!あの子の身に何かあったら、土御門の後で焼き尽くしてやるからな!」

「勝手に飛び出しといて何言ってんだか!」

ようやく三人は、三沢塾へ向かって動き出す。

三沢塾の位置を調べてから念の為上条の部屋をのぞくと、綺麗に折り畳まれた『歩く教会』があった。
それを見てステイルは発狂しかけ、神裂は顔を紅くして俯いたが、上条が「お前らがインデックスの移動に気付かなかった時点で分かり切っていた事だろ」
と冷静に突っ込むと、ステイルは「うるさい!尚更早く行くぞ!」と言って、神裂は「あの男、絶対に斬ります」とか物騒な事を言った。

しかしながら、公共機関は利用できなかった。理由は単純で、目立つからだ。
ステイルはギリギリセーフだとしても、神裂の日本刀が銃刀法違反で完全にアウトだった。
だから走るしかなかった。
走るにしたって目立つ訳だが、それはしょうがない。
あまり人通りがないところを通って行けば、大分緩和されることだ。

「土御門にも言われたし今のうちに説明しておく。記憶の増えすぎで脳がパンクして死ぬなんてばかげた話についてな」

走りながら、上条は切り出した。

「そうだよ、それだよ。その根拠は一体何だ?」

「つくづく思うんだけどよ。アンタらインデックスの事を本気で救いたかったのか?
 記憶に関して、普通脳について調べるだろ」

「下らない煽りは良いから、見解だけ淡々と聞かせろ」

「……やっぱり俺は、アンタらの事嫌いだぜ」

「……私も、ですか?」

「当たり前だろ。アンタだって脳について調べなかったんだから」

そう言うと、神裂はほんの少しだけ落ち込んでいるようだった。
もともと敵なのに、嫌いと言われて落ち込むものだろうか。
そりゃあまあ、人に嫌われるメリットなんてないとは思うが。

「い・い・か・ら!早く話せ!」

ステイルがキレながら叫ぶ。
短気だ。

「……神裂だっけか。アンタ言ったよな。一年間生命活動をしていれば脳の一五パーセントが埋まるって。
 それだと魔道書とやらを覚えなくても、六、七年で脳がパンクするってことになるが、そこに疑問は抱かなかったのか」

上条は神裂に問いかけたが、何故かステイルが答えた。

「だから、完全記憶能力とはそういうものなんだろ。これだけの特殊能力だ。リスクがあっておかしくない」

「だったら、もう少し有名になっていると思わないか。ある意味不治の病として」

「……」

「だが実際のところ、そんな事例は聞いたことがないだろ?生憎、俺もないさ。
 そもそも人間の脳は元々、一四〇年分の記憶が可能だしな」

さらに、と上条は続けて、

「人の記憶は一種類じゃない。
 言葉や知識を司る意味記憶、運動の慣れを司る手続記憶、思い出を司るエピソード記憶、それぞれ独立したものだ」

何かのショックで記憶喪失になった人でも、歩き方とか話していた言語までは忘れないだろ?と上条は付け加えて、

「つまり、知識である魔道書とやらを覚えて意味記憶をどれだけ増やしたところで、思い出を司るエピソード記憶を削らなきゃいけないなんて事は、絶対にない」

「……でも実際、一年ごとに彼女は苦しむ。起き上がれないほどの頭痛で!」

苦々しい顔で、ステイルは言った。

「まあそうだろうな。それだけのギミックがないと、一年ごとに記憶を消さないと死ぬなんて、アンタら信じないだろ」

たとえば、風邪をひいていると自己申告している人間がいたとする。
その人が鼻水を垂らして咳でもしていれば、風邪をひいている事を誰も疑わないだろう。
しかし逆に、鼻水も咳も一切見せず普段と変わらず元気でいれば、嘘をついているようにしか思えないだろう。
もちろん、それだけでその人が風邪をひいていないと断言することはできない。
鼻水や咳を我慢しているだけかもしれないし、心配をかけまいと普段通りに振る舞っているだけかもしれないからだ。
だがやはり、それは本人にしか分からない。
第三者視点から見れば、風邪をひいているというのは嘘だと思うのが普通だ。

インデックスについても同じだ。
いくら具体的な数字を出され脳がパンクして死ぬと言われたところで、実際にインデックスが苦しまなければ、
脳がパンクして死ぬなんて話、誰が信じるだろう。信じたくないという思いがあれば尚更だ。
無論、心配性な人ならば話だけでも信じるかもしれない。しかしながら、信じない人の方が大半だろう。
その心配性の人間だって元気な姿を見続ければ、やっぱり大丈夫じゃん、と思い始めるかもしれない。
だからこその、ギミック。
脳がパンクして死ぬのは、冗談ではないという証として。

「では、彼女が苦しんでいても記憶消去を我慢して放っておけば、もう思い出を失う事はない、という事ですか」

「いや、そうとも限らないと思う。
 アンタらの魔術ってのがどこまで便利なのかによるが、たとえば、望んだ相手を苦しめるだけという『呪い』のようなものをかける事は出来るのか」

「僕達には出来ないけど、出来る奴もいるかな」

「その『呪い』は、一年ごとに記憶を失わなければ死ぬ、みたいな事も可能か」

「可能か不可能かで言えば、可能でしょう。ただそうなると、よほど高度な魔術なので出来る人は限られるでしょうが」

「……つーことは、おそらくは魔術的ギミックは『脅し』だけの可能性も、本当に死ぬようにできている『呪い』のような可能性もある訳だ」

「待って下さい。本当に死ぬようにできているなんて、そんな馬鹿げたこと……インデックスが万が一死ねば私達は当然悲しみますが、教会だって大損失なのに……」

「逆だろ。『脅し』だとしても『呪い』だとしても、インデックスが苦しむようなギミックを仕掛けた奴らだぞ。
 いっそのこと死んだら死んだで構わないと考えていても不思議じゃないと思うけどな、俺は」

「トチ狂っている、と言いたいところだが、あの女狐の事だ。あり得ない話じゃないな」

何か良く分からないが、珍しくステイルから同意を得られた。
これっぽっちも嬉しくはないが。

「しかし、だとすると疑問が残る。
 そんな魔術的ギミックがあれば僕はともかく、体の隅々まで調べたであろう神裂が気付くはずだが」

言いながら神裂を一瞥するステイル。
対して神裂は、一秒の間も開けず迷いなく返答した。

「彼女の体に変わったところはありませんでしたよ」

「いや、普通に考えてギミックは気付かれちゃいけないんだから、気付かせないようになっていたと考えるのが妥当だろ。
 ギミックは見えないところに仕掛けられる事はないのか?たとえば臓器だったり、骨だったり、要するに体の内側って可能性だ」

「そう、ですね。可能か不可能かでいえば可能……だと思います。
 ですがギミックが魔術的なものなら、魔術が使われたという痕跡が残り、それに気付くはずなのですが」

「だから、その痕跡すら辿らせないようになっているんだろうよ」

「っ……」

そこまで言われて、神裂は言葉を詰まらせた。

「……正直、ギミックがもし臓器や骨なんかの体の内側に仕掛けられているなら、どうしようもない。
 だが、そうじゃなければ助けられる。俺の『幻想殺し』で、ふざけた幻想はぶち殺せる」

「……体の内側でもないところに仕掛けられたギミックを、私が見逃すとでも?」

「臓器や骨じゃなく、内側と呼べる部分でその気になれば触れることができるにもかかわらず、アンタが気付かなくてもおかしくない箇所がある。それは――」

「よう。待ちくたびれたぜい」

第七学区にある、十字路を中心に一二階建てのビル四棟からなる三沢塾到着の三分前ぐらいに土御門から電話がかかってきて、
北棟の最上階にある校長室に来いと言われ、言われた通り校長室に入っての土御門の第一声がそれだった。

「インデックス!」

ステイルは、窓際にある大きな机の上で、ワイシャツ一枚で横たわっているインデックスのところへ駆け寄る。

「どうですか?」

「ああ。特に異状はない。本当に寝かされているだけのようだ」

尋ねた神裂にステイルはそう返答しつつ、さらに口の中を覗く。

「どうですか?」

「ああ。あったよ。上条当麻の言う通りだったようだ」

言いながらも、インデックスの顔を机から少し離れている神裂の方へ向けて、口をわずかに開けた。

「……確かに、ありますね」

「え?俺には何も見えないけど」

「それはまあ、一般人では見えないと思います。私は視力が八・〇ありますから、鮮明に見えます。
 数字の二と四を合わせたような、禍々しい刻印が。一見シンプルではありますが、相当レベルの高い魔術です」

つまりそれは、並の魔術師では解除できないという事だろうか。
しかしまあ『幻想殺し』の前では関係ないだろうし、それより気になる事があった。

「八・〇?アンタ、野生の中で生きているどっかの民族じゃなくて、日本人だよな?」

「ええ。ですが私は『聖人』でもあるのです」

「は?アンタ、俺をおちょくってんのか?」

「おちょくってなどいませんが、何か癇に障りましたか?」

「いやだって、成人って、そんなこと最初に見た時から分かっていたけど、二十歳越えたら視力が八・〇になるなんて聞いたことないし……もしかして魔術ってのは、視力を良くする事も出来るのか?」

「あなたは一体、何を言っているのですか」

「ああー、ちょっと良いかにゃー」

会話が噛み合っていない上条と神裂に、土御門が割って入った。

「会話聞く限り、カミやんが盛大な勘違いをしているみたいだにゃー」

「勘違い?俺が?何を?」

「勘違いは二つ。一つは『聖人』について。ねーちんがいう『聖人』は、二十歳以上の成人じゃなくて、聖域の聖に人と書く『聖人』なんだにゃー」

「何じゃそりゃ」

「世界に二十人といない、生まれた時から神の子に似た身体的特徴・魔術的記号を持つ人間のことなんだけど、そう言われても良く分からないっしょ?
 だから簡単に言うと、物凄く強い人間ってことですたい」

「はあ。それで、俺の二つ目の勘違いってのは何だ?」

「ねーちんはピッチピチの十八歳だにゃー」

「え……」

上条は愕然としたニュアンスで思わずそう漏らしてしまった直後、横にいる女性から殺気を察知して後方へ飛び退いた。

「……えーっと」

フォローの言葉が見つからなかった。
十八歳の女性に対して二十歳を超えていると思っていた超本人が、どんな言葉をかけたところで火に油を注ぐだけだろう。

「……まあ、いいです。今はそれより、インデックスです」

神裂さんはステイルと違って寛大な心を持ち合わせているようだ。
殺気には少々焦ったが、魔術的ギミックは喉の奥にあるのではないか、という仮説は当たったのはほっとした。

「上条当麻、あなたの右手の力で、あの子を救えるのですか」

「おそらくは。ステイルの炎が消せたということは、魔術も消せるってことだ。
 つまり、その刻印とやらが魔術的なものなら、消せるはずだ」

「刻印はもちろん魔術によるものだ。そうだね。僕の炎を消せたんだから、これぐらいの刻印は消してもらわないとね。
 それと、馴れ馴れしく呼び捨てにしないでくれるかな」

「じゃあなんて呼べばいいんだよ」

「僕の名前さえ呼ばなければ、なんでもいい」

「あっそ。分かったよ。ところで土御門、お前の一連の行動は結局何だったのか。
 インデックスを救う前に、そろそろ説明してもらおうか」

上条の一言に、ステイルと神裂も土御門に視線を向ける。

「詳しく説明すると果てしなく長くなるから簡潔に説明するが、それでも長くなるから覚悟してくれ」

そんな前置きをしてから、土御門は続ける。

「ここ三沢塾は乗っ取られた場所なんだ。乗っ取った人物はアウレオルス=イザード。
 ステイルやねーちんと同じ、魔術サイドの人間だ」

学園都市のセキリュティは、侵入を簡単に許し、あまつさえ施設の一つを乗っ取られる程甘いものだと言うのか。
でなければ、そのアウレオルスとかいうのが単純にとんでもないチカラを使って侵入し乗っ取ったか。

「魔術サイドの人間が、どうしてわざわざ学園都市に侵入して施設の一つを乗っ取ったか。
 それは全て、インデックスを救済する為だ」

言っている意味が分からなかった。
インデックスを救うというのもそうだし、学園都市に侵入して施設の一つを乗っ取ることが、インデックスの救済にどう繋がるのか。

「なるほど。そういうことか」

どうやらステイルには合点がいったらしい。
こっちとしては、何が何やらさっぱりだが。

「ステイルは分かったみたいだな。ねーちんはまだ分からないか。実のところアウレオルスは、かつてインデックスのパートナーだった。
 一年ごとに記憶を消去せざるを得ないインデックスは、一年ごとに人間関係をバッサリ更新しなきゃいけなかった。
 そのためパートナーが一年ごとに代わってきたが、末路は皆同じ。インデックスの記憶消去を食い止めようと必死に足掻き、失敗してきた」

土御門はそこで区切って、ニヤつきながら上条の方を見て、

「だが、結局イギリス清教の犬である事を選んだステイルやねーちんと違って、アウレオルスはそこで諦めはしなかった。
 不屈のスピリットを持つアウレオルスは、たった一人の少女を救うために、所属していたローマ正教を離反して魔術世界を敵に回した」

土御門の言葉は、ステイルと神裂を挑発するようだった。
一体そこにどれだけの意味が込められているのか。それともただからかっているだけなのか。
後者だとしたら、この状況でからかう必要があるのか。

余計な事ばかり考える上条の思考を断ち切るように、土御門の言葉は続く。

「とはいえ覚悟をいくら決めたところで、魔術世界を敵に回してただで済むわけがない。
 だからアウレオルスは、科学に逃げ込むことにしたのさ」

逃げ込むと言ったって、それはそれで大変じゃないのか。
それとも学園都市が中心である科学世界など、魔術世界に比べれば甘いのか。
現にステイルや神裂が侵入しているし、土御門がのうのうと学園都市に暮らしているが。

「そして幾多の困難を乗り越え錬金術の究極『黄金錬成(アルス=マグナ)』を完成させ、
 学園都市の超能力でもなければ魔術でもない異能の力の持ち主『吸血殺し(ディープブラッド)』を宿す姫神秋沙を篭絡し、
 半端に能力開発を知ったせいで『これを知る自分達は選ばれた』と思い込みカルト宗教もどきと化した三沢塾を乗っ取り、
 インデックスを救う準備を整えたのさ」

「……何だって!?」

過剰な反応を示したのはステイルだった。

「そんな馬鹿な話があるか。
 『黄金錬成』は理論上存在しうるが、呪文が長すぎるゆえに一〇〇や二〇〇の年月で完成させられるはずもないし、だからって呪文を短くする事も出来ないし、
 親から子へ、子から孫へと作業を分担しても、伝言ゲームのように儀式が歪んでしまい、どうやっても完成に辿り着かないはずだ……」

「そうだな。じゃあカミやん、どうやって完成させたと思う?」

「え?俺?」

突然話を振られても困る。振った意味も分からない。
それも魔術の話なのだから、何とも言えないというのが本音だが、一つの仮説はあった。

「そう、だな。よく分かんないけど、その呪文を唱えるのは一人じゃなきゃ出来ないのか?
 たとえば、十人で並行して唱える事が出来れば、単純に十倍速じゃないのか?」

「正解だよ、カミやん。アウレオルスはな、二〇〇〇人もの人間を操り呪文を唱えさせ、呪文と呪文をぶつけることによる相乗効果によって一二〇倍もの速度を追加し、
 二〇〇年を費やしても完成できない『黄金錬成』を、わずか半日で完成させたんだ」

「マジかよ……」

考えが当たっていたのもそうだが、話のスケールの大きさにも驚くしかなかった。

「ちょっと待て」

ステイルは険しい表情で、

「君の話はやはり信じられない。
 『黄金錬成』が本当に完成しているのなら、君はもちろん、僕や神裂だってアウレオルスには勝てないはずだ」

プライドの塊にしか思えないステイルが自ら『勝てない』とまで申告するとは、アウレオルスのそれはよほど強力なものなのだろうか。
まあ今の話を鑑みるに、相当強くてもおかしくないとは思うが。

「馬鹿みたいに真正面からやりあえばな。だが、不意打ちならそう難しくない。
 インデックスを渡して後ろを向いた直後、延髄に一発ぶち込んだだけさ」

「そんな簡単にいくものか」

「だが現時点で、ステイル含むお前らがこうやって俺と会話できているだろ。
 現状が、俺がアウレオルスを出し抜いたことを示している」

「……確かに、そうだが……」

「まあ信じられないのも無理はないか。だったら、俺の目の前にあるノートパソコンを見ればいい」

ステイルは言われた通りに土御門の前のノートパソコンの画面を覗く。

「……確かに、いるな」

上条も気になって勝手に画面を覗く。

「椅子に縛り付けてあるのがアウレオルスか?」

「そうだ」

ノートパソコンの画面は左右に二分割されていて、左には土御門の部屋、右には椅子に縛り付けてあるアウレオルスと、その隣に巫女服の少女が映っていた。

「この巫女服の女の子が、さっき言っていたディープなんとかの姫神ってやつか?」

「そうだ」

「じゃあ疑問なんだけどさ。
 さっきの言い草だと、姫神って奴はアウレオルスに捕まった感じなのに、何でそのアウレオルスに連れ添っているんだ?」

「アウレオルスと姫神の利害は一致していた。姫神の能力『吸血殺し』は、自らの血を吸わせて吸血鬼を殺せるのさ」

「吸血鬼?そんなの本当にいるのかよ?」

「俺も実際には見たことないが、『吸血殺し』という能力が存在している以上、どこかにいるとしか言えない。
 それに姫神は、過去に大量の灰に覆われた村から発見された経歴を持つ。その灰を調べた結果、まったく未知の灰であることが判明した。
 その事実と彼女の証言から、灰は『死んだ吸血鬼の灰』という結論に至った。このことからも、吸血鬼はやはりいるとしか言えないだろうな」

にわかには信じ難い話だが、実際既に魔術師や自身の幻想殺しという、世間の常識の例外をいくつか知っている。
それと土御門の話を鑑みれば、絶対あり得ないとまでは言い切れない。

「話を戻すぞ。姫神の『吸血殺し』には、吸血鬼を殺す以外に、吸血鬼を呼び寄せるという性質もある」

「吸血鬼を呼び寄せるようなフェロモンが出ているってことか?」

「そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。
 ぶっちゃけた話、学園都市の科学力を持ってしても姫神の『吸血殺し』の詳細は分かっていない。
 カミやんも聞いたことぐらいはあるだろ?姫神はいわゆる『原石』って奴だ」

「ここで開発したとかじゃなく、天然で超能力を発現させた異能者だろ。でもこれって噂じゃなかったのか?」

確か他にも、偶発的に周囲の環境が超能力開発と同じ効果をもたらした場合に発生するとか、
総数は現在判明している限りで世界に五十人ほどだとかいう噂も聞いたことがある。

「学園都市では一般的に噂の域を出ていないが『原石』は実際にいる。一般人と俺達で違うのは、実際に存在していることを知っているかどうかだけ。
 さっきも言った通り、能力の詳細は俺達でも分かっていない。だからどういう原理で姫神が吸血鬼を呼び寄せているかは分からない。
 ただ『「吸血殺し」とはそういうものだ』という事実があるだけだ」

「ふうん。なら上条当麻も『原石』なのかい?」

「いや、おそらくカミやんの『幻想殺し』は『原石』ではない。
 今分かっている『原石』の定義では、能力は基本的に後天的に得ることになるだろう。
 しかし、カミやんの場合は先天的、生まれた時から右手に『幻想殺し』を宿していた。
 もっとも、母親の胎内で『原石』になる条件がそろえば、生まれながらの能力者が誕生する可能性もあるかもしれんが」

「ふーん」

自分から聞いたくせに、ステイルの態度は素っ気なかった。

「ま、『幻想殺し』や『吸血殺し』のルーツを探っても、推測と憶測の域を出ないから意味はない。
 そもそも『原石』の定義だって一応そうなっているってだけで、それが正しいかどうかまでは分かっていない。
 今この場で分かっているのは、姫神は吸血鬼を呼び寄せ殺してしまうという事だけだ」

「ちょっと待ってくれ。吸血鬼を呼び寄せてから、殺すっていう事に直結する意味が分からない。
 呼び寄せられたところで、血を吸わなきゃいいんだろ?」

「言葉が足りなかったな。『吸血殺し』は、吸血鬼を呼び寄せ、血を吸わせたいと思わせ、
 吸血鬼はその欲求に耐えられず姫神の血を吸い、死んでいくのさ」

「……マジかよ」

「ああ。でも姫神は自身の意思に関係なく吸血鬼を殺してしまう『吸血殺し』がたまらなく嫌だった。
 吸血鬼は人じゃない。化け物だ。それでも殺したくはなかった。
 だからこそ、三沢塾に幽閉されてまで、吸血鬼と出会わないようにしたのさ」

「……出会わないようにって、こんなところに閉じ込めたぐらいで何とかなるもんなのか?
 そもそも、呼び寄せるっていったいどこまで?」

「だから詳細は分からんと言ったろ。呼び寄せられる範囲は知らない。
 吸血鬼が本気を出せば、この程度の施設の侵略ぐらい容易いかもしれない。
 でも実際問題、吸血鬼は来ていないし、この施設も学園都市も無事だ」

「ちょっと待ってくれないかな」

ステイルがいきなり話の腰を折ってきた。

「訳が分からない。土御門、さっき君は『吸血殺し』とアウレオルスの利害が一致していると言ったね?
 でも今の話だと、利害が一致しているどころか正反対も良いところじゃないか」

「アウレオルスが出した条件は、普段は吸血鬼から遠ざけるが必要な時には呼び寄せてもらう、というものだった。
 姫神としては手放しでは飲み込めないものだったが、呼び寄せた吸血鬼を彼女には殺させないし、自分も何もしないし、
 周囲にも一切の被害を及ばせないということで、交渉は成立した」

「……なるほど」

「何がなるほどなんだよ。アウレオルスには吸血鬼が必要だったって、どうしてだよ?」

「吸血鬼ってのは、血を吸うだけの生き物じゃない。
 永遠の命があり、無限に記憶を蓄え続ける事ができ、そして、噛んだ者を同類にする事が出来る。
 これで言いたい事は分かっただろ?」

「……それじゃあアウレオルスは、姫神との約束も守らず、インデックスを吸血鬼にするつもりだったってのか?」

「そうなるな」

「アウレオルスも、記憶で脳がパンクするなんてアホな話を信じたのか」

「まあ、それだけイギリス清教の嘘が上手かったってことだろ」

「でも土御門、お前は分かっていたんだろ。脳が記憶でパンクするなんてあり得ない事を」

上条の一言に、ステイルと神裂も土御門を睨みつける。

「その話はインデックスを救ってからでいいだろ。もう喋り疲れたっつーの」

「意味の分からないことで話を濁さないでください。事と次第によっては、一閃しますよ」

神裂がものすごく冷静に物騒な事を言ったが、土御門は普段と変わらない調子で、

「だーから終わってからつってんだろ。まずはインデックスを救うのが最優先だろ」

「……もういい。上条当麻、インデックスの喉の奥に刻みつけられている印を君の右手で消し去ってくれ」

「……始めからそのつもりだ。けどよ」

「何だ」

「インデックスって、かなり重要な存在なんだよな」

「それが?」

「だったら、保険を二重三重に張っていると思うんだけど」

「何が言いたいのですか?」

「魔術的ギミックは、全身を目で見て調べる程度では見つからないようになっていた。
 それは、記憶を消去しなきゃいけないという嘘を見破って、魔術的ギミックを探そうと思った奴に対して機能する。
 次に、神裂の発言から、見つかったとしても簡単には解除できないようになっていたと思われる。
 今俺達は、その二重の保険を打ち破れる状況にある。けどさ、見つかって解除できるような状況を想定していないなんてことあると思うか?」

「刻印を消した時に、何かしらの罠が発動するとでも言いたいのですか?」

「あり得そうだ、ってくらいの考えだ。
 俺は魔術に詳しくないから、アンタら魔術師達からの見地を聞きたいだけだ」

「そうですね。
 人に仕掛けられた『呪い』の類を解除した場合の罠は、その『呪い』の類をかけられた人間が暴走するとか、それぐらいでしょうか」

「だがインデックスには魔力がない。暴れようがないはずだ」

「いやでも、魔術とか関係なしに、じたばたするという意味で暴れたりはしないのか」

「だとしても、所詮は女の子の力さ。
 君は右手で『歩く教会』を壊すだろうから羽交い締めにしてはいけないが、その場合は僕が止める」

そんなものなのか。
魔術的ギミックが見つけられ解除する術がそろえば、それで救う事が出来るのか。

「……そもそも、何でインデックスには魔力がないんだ?というより、魔力って何だよ?」

神裂の『聖人』とやらは体質らしいが、魔術自体は練習して習得した後天的なもののはずだ。
つまりその元であろう魔力とやらも、誰でもあるはずだ。

「魔力は、基本的にはまず生命力を魔力に変換することで生まれる」

「つまり、インデックスは生命力を魔力に変換できないってことか」

「そうだ」

「土御門、お前は何か分からないか?」

「仮に罠があったとしたら、救わないのか?」

「そんなわけないだろ」

「だったら何も迷う必要はないだろ。早く刻印を右手で消して、インデックスを救ってやれよ。
 不安なら準備を整えれば良い。ステイル、ねーちん、準備しとけ」

「土御門、お前なあ」

「もういいでしょう。土御門はこういういい加減な人間です。それはあなたも十分わかっているでしょう」

「そうだね。僕も神裂に同意だ。土御門なんかほっとけ。そんなことよりインデックスを一刻も早く救うべきだ」

二人が言う事は一理ある。
土御門からはあとでゆっくりと話を聞かせてもらうとするとしよう。

「分かった。それじゃあインデックスの刻印を消すぞ。準備は良いか」

「無論だ」

「ええ」

返事はするものの、二人は特に構えなどをしなかった。
まあ、それで準備完了というのなら何も言うまい。
罠などない可能性だってある。
上条は横たわっているインデックスの前に立ち、左手で唇を少し開ける。

「これか……」

神裂の言う通りの形をした刻印が、喉の奥に確かにあった。
上条はいよいよ右手の中指をインデックスの口の中に入れて、その刻印に触れた。
直後、

「おわっ!」

上条は、衝撃によって右手はおろか体ごと大きく弾き飛ばされた。
それでも無様に尻餅などつかなかっただけ、上条の運動能力は称賛に値するだろう。

「大丈夫ですか」

「ああ」

衝撃は右手中指が刻印に触れた瞬間、つまり『幻想殺し』が発動し刻印が破壊された瞬間に走った。
やはり、罠が仕掛けられていたのだ。

だがこれはチャンスだ。
おそらくインデックスは、この後暴走する。
しかしその前に止めてしまえば。
『幻想殺し』で触れてしまえば――!

上条は駆けだした。インデックスまではたったの四メートル。
上条にとっては二歩半で行けるような、わずかな距離であった。
時間にすれば二秒にも満たない。
そんな刹那の時間の中で、上条は確かに見た。

横たわっていたインデックスの両眼が勢いよく開き。
フラットな状態の操り人形のように、両手や頭をだらりと下げて動き出したのを。

「う、おおおおおおおおおおお!」

思い切り右手を伸ばすが、動き出したインデックスが後退したために、距離にしてあと十センチほど届かなかった。

「くっそ!」

勢い余って机に激突した上条の前には、やはり操り人形のように、上から糸で吊られているかのように宙に浮かび上がっているインデックスがいた。

「――警告、第三章第二節。Index-Librorum-Prohibitorum――禁書目録の『首輪』、第一から第三までの全結界の貫通を確認。
 再生準備……失敗。『首輪』の自己再生は不可能、現状、一〇万三〇〇〇冊の『書庫』の保護のため、侵入者の迎撃を優先します」

まるで機械のように抑揚のない冷たい声で放たれる言葉。
大きく開かれている眼は、血のように真っ赤に染まっていた。
眼球の色ではなく、眼球に浮かぶ魔法陣の輝きによるものだった。

「『――書庫』内の一〇万三〇〇〇冊により、防壁に傷をつけた魔術の術式を逆算……失敗。該当する魔術は発見できず。
 術式の構成を暴き、対侵入者用の特定魔術を組みあげます」

インデックスの両目にある魔法陣が拡大していく。
このままだとまずい。
上条は机を踏み台にしてインデックスに跳びかかる。
が、インデックスはさらに後退して上条の追撃を軽くあしらう。

「くそっ!」

上条は着地直後に再度インデックスへ跳びかかるが、インデックスはすいすいと宙を舞って上条から距離を取る。

「――侵入者個人に対して最も有効な魔術の組み込みに成功しました」

何らかの攻撃がくるまで、もう時間がないだろう。
上条は焦るが、インデックスを捉える事はできなかった。

「何ぼけっとしてんだ、ステイル!ねーちん!」

叫ぶ土御門は上条とは違う方向から、インデックスの後ろから彼女に跳びかかった。
上条に集中していたインデックスは、土御門に反応出来ずあっさりと彼に捉えられた。
が、

「うおっ!」

インデックスは体にしがみつかれている土御門ごと勢いよく後退した。
狙いは分かった。土御門も分かっただろう。

「ごはっ!」

壁まで後退したインデックスにより、土御門は背中を強打した。
インデックスの背中からずり落ちてしまうには十分な威力だった。
せめて自分が間に入る事が出来れば、土御門がインデックスから離れる事が出来れば良かったのだが、
両方とも間に合わなかった。分かっていて間に合わなかった。
それだけインデックスの後退は速かった。

地上を走っているのならともかく、あれだけの速度で宙を自在に飛びまわられたら捉えようがない。
無策でがむしゃらに向かったところで、簡単に避けられて、いたずらに体力を消費するだけ。
だからと言って放っておけば攻撃が来る。
無論、それが魔術的なものなら『幻想殺し』で無効化はできるし、きっと魔術的なもののはずだ。
だからそこまで焦る必要はない。
攻撃が来る前に止められればそれがベストだけれども、攻撃が来たって無効化すればいい。
最終的にインデックスを救えればいい。そう思っているところもある。
しかし、そんな問題じゃないと上条は何となく感じていた。

何かヤバいのが来る。
科学の産物で例えるなら、核兵器級の何かが。

だからどうしても、攻撃が始まる前に止めたかった。
だから上条は、無駄だと知りつつもインデックスに再び跳びかかった。
そして当然のように避けられ背後に回り込まれ、

「これより、特定魔術『聖ジョージの聖域』を発動、侵入者を破壊します」

とてつもない悪寒が背筋に走った上条が空中で身を捻り反射的に右手を突き出したのと、
インデックスの眼前から光線が噴射されたのは同時だった。

「――っ!」

優劣は明らかだった。
光線の勢いに上条は突き出した右手ごと押され、

「――がっ!」

壁に激突して背中を強打した上条の意識が一瞬だけとんだ。
それでも右手は光線を受け止めていた。
しかしそれは、なおも光線と壁に挟まれて万力で圧し潰されるようなものだった。

「ご、おお……!」

右手で受け止める事が出来たという事は、光線はやはり魔術的なもの。
だが、消えない。打ち消していない訳じゃない。
単発ではなく継続的に光線が出続けているからだ。
しかも光線自体の威力も相当だ。
異能の力なら問答無用で打ち消せる『幻想殺し』ならば右手は無傷で済むはずなのに、掌が痛む。
光線が喰い込んできているのだ。
このままでは一分も保たない。

「おい魔術師!俺も長くは保たない!どうにかして光線を止めてくれ!」

「『竜王の殺息(ドラゴン(ブレス)』……!む、無理です!
 伝説にある聖ジョージのドラゴンの一撃と同義であるアレを止めるなど……」

「そもそもなぜ、生命力を魔力に変換できないあの子が魔術を……!」

激しく動揺している魔術師達に、切羽詰まってイラついている上条は叫ぶように、

「……んなもん決まってんだろ!アンタらの教会がアンタらを騙してたんだろうよ!少し考えれば分かるだろ!
 インデックスにこんな仕掛けをするような連中だぞ!いいから無理とかほざいてないで光線を止めろ!
 じゃなきゃ皆ここで死ぬぞ!」

それでも動かない魔術師達を見て、ついに上条の感情が爆発した。

「――いい加減にしろよ、テメェら!テメェらのインデックスを助けたい気持ちは、そんなもんだったのかよ!」

目の前のインデックスを見て動揺していた魔術師達の注意が、上条に向いた。

「テメェらずっと望んでいたんだろ!インデックスの敵に回らずに、記憶を奪わずに済む、誰もが幸せになる最高のハッピーエンドって奴を!
 ずっと思い描いていたんだろ!インデックスを救って、ヒーローになって、インデックスと共に過ごす幸せな未来を!
 そんな未来が、夢がすぐそこにあるんだぞ!それなのに、こんなところで諦めちまっていいのかよ!」

もう声を出すのも辛いぐらい限界が近いにもかかわらず、上条は一際大きな声で、

「インデックスの笑顔を取り戻したいんだろ!?だったらまずは光線を止めなきゃ話になんねぇ!
 だけど俺だけじゃどうにもなんねぇ!だからテメェらの力が必要なんだよ!全員の力を合わせなきゃ駄目なんだよ!」

「カミやんの言う通りだ……!」

上条に呼応したのは土御門だった。
気絶などはしなかったようだが、まだダメージは残っているはずだ。
しかし上条にも他人を心配している余裕はない。

「何かあるのか、土御門!」

上条の問いに対して、土御門は少々大きな声で、

「いいか皆、よく聞け!今から俺がインデックスの背後に回り飛びかかってしがみつく!
 そしたらねーちんはワイヤーで俺を引っ張って俺ごとインデックスを地上に落とせ!
 するとおそらく俺から逃れるために光線は一旦止まる!
 それでもねーちんと俺でインデックスを固定し続けることができれば、仕方なく光線を再び出すだろう!
 その時だ、ステイル!光線を『魔女狩りの王(イノケンティウス)』で止めろ!おそらく数十秒保つ!
 そしたらカミやん、あとは分かるな!」

「おうよ!」

「じゃあ……行くぞ!」

その言葉には誰も反応しなかった。
上条の場合は単純に、声すら出せなかったからだ。
一方、魔術師は、

「Fortis931(我が名が最強である理由をここに証明する)!」

ステイルが叫ぶのと同時に、彼が使いこなすラミネート加工されたルーンのカードが校長室内中にばらまかれる。

「今だ、ねーちん!」

インデックスの背後に飛び付いた土御門の言葉が響き渡り、

「Salvere000!(救われぬ者に救いの手を)!」

土御門と共にインデックスの背後に回り込んでいた神裂が叫ぶと、七本のワイヤーが瞬く間に土御門の腕や足や身体に巻き付き、
その内の一本は咥えられるように口の前に放たれ、彼はそれを躊躇わずに咥えた。

「ふぇーひん(ねーちん)!」

声を合図に、神裂が思い切りワイヤーを引く。
『聖人』の腕力を前に、さすがのインデックスも地上に落とされる。
直後、このままではいけないと判断したのか、インデックスの光線が止まった。

「ふふぇひふ(ステイル)!」

「世界を構築する五大元素の一つ、偉大なる始まりの炎よ。
 それは生命を育む恵みの光にして、邪悪を罰する裁きの光なり。
 それは穏やかな幸福を満たすと同時、冷たき闇を滅する凍える不幸なり」

ステイルが呪文を紡いでいる間、上条はすぐには動けなかった。
背中を強打し、光線と壁の挟み撃ちのダメージが残っていたからだ。

「――警告、第六章第十三節。敵兵に捕獲。戦闘思考を変更、戦場の検索を開始……完了。
 現状、最も難度の高い敵兵、上条当麻の破壊を最優先します」

土御門の予想通り、インデックスの両目の魔法陣の亀裂から光線が再び噴射される。
狙いはもちろん、上条当麻。

「――っ!」

一直線に向かってくる光線に対して、上条は右手を前に出し受け止める姿勢を取り、

「その名は炎、その役は剣。顕現せよ、我が身を喰らいて力と為せ!『魔女狩りの王』!」

上条の一メートル手前に膨大な炎が渦巻く。
それはすぐに人の形になり、上条を守るように立ち塞がった。

「行け、上条当麻!」

重油のような黒くドロドロしたモノを芯とした人型の巨大な炎は、確かに光線と拮抗していた。
しかしながら、リミットはおそらく数十秒。悠長にしている暇はない。
痛む体をおして、上条は『魔女狩りの王』と光線がぶつかり合っているところを迂回してインデックスに向かって行く。
対してインデックスは首を動かし、眼球の動きと連動している光線を上条に向けようとするが、

「させやしない!」

ステイルに呼応して炎の巨人は光線を包み込むようにして、上条の方に逸れるのを妨害した。

「ここまでお膳立てしてやったんだ!さっさと決めろ」

「言われるまでもねぇ!」

全ては土御門のシナリオ通りだった。
この時点では、誰もがインデックスの救済を確信していた。
しかし、そうは問屋が卸さなかった。
誰もがインデックスの発言を甘く見ていた。
捕獲されているにもかかわらず、上条当麻の破壊を最優先するという事を。
すなわち、

「な――」

「駄目です上条当麻!一旦退いてください!」

神裂の忠告など初めから無意味だった。
なぜなら、インデックスが一旦光線を止めてから上条に照準を合わせて再び噴射するまでが約二秒という、退くには短すぎる時間だったからだ。

「おおおおおおおおおおお!」

だが上条には元より退くつもりはなかった。
光線に少しも臆することなく、真っ向勝負の如く右拳を繰り出し――激突した。

「ここまでとは……」

光線と右拳は拮抗していた。
先程の光線を受け止めていたのとはわけが違う。
光線を受け止めるという事は、すなわち防御態勢であり受け身。
矛を盾で止めるようなもの。
しかし、今は違う。
光線を防ぐのではなく、右拳で貫こうとしている。
矛に対して矛で向かっている。

「ステイル!『魔女狩りの王』で何とかならないんですか!」

「無理だ!ぶつかり合っているところにどうやって挟みこめと言うんだ!」

「くっ……退きなさい、上条当麻!このままではジリ貧です!」

しかし上条は神裂の忠告を聞かなかった。
力を少しでも緩めたら光線に飲み込まれ消し飛んでしまうので、単純に退こうにも退けないというのもあるが、
一番はやはり、そもそも退く気がないからだ。

「上条当麻!このままでは死んでしまいます!
 どうにかして一瞬でも光線をやり過ごせば『魔女狩りの王』が防いでくれます!」

そうかもしれない、とは思う。
だが既に、炎の巨人は光線を十秒ほど受けている。たった十秒とはいえ消耗しているはずだ。
土御門の話では数十秒は大丈夫らしいが、それはあくまで希望的観測だろう。
土御門を信じていない訳ではないが、鵜呑みにして退くには危険すぎる。

「う、おお……!」

それに、もう十分だ。
皆、もう十分やってくれた。
ステイルは炎の巨人で光線を一時的に受け止めてくれたし、神裂はワイヤーで土御門と共にインデックスを地上に引き留めてくれている。
おかげで踏ん張りがきいて光線と拮抗する事が出来ている。それもこれも、土御門の作戦がなければ出来なかった事だ。
三人とも、ここまでやってくれた。
インデックスを救うには、全員の力を合わせなければならない。
ならば残るは自分の役目であり、次は自分の番だ。

「おおおおお……!」

もう策も体力もない。これが最後の攻防。
負ければ自分だけでなく、土御門達も皆殺しにされるだろう。
限界の今の自分にあるもの。
それは右手に宿る『幻想殺し』と、皆を殺される訳にはいかないという使命感と、

「おおおおおおお……!」

――インデックスを救いたい!

「おおおおおおおおお!」

上条が一歩踏み込んだ。
それは拮抗の崩れを意味するもので、

「おおおおおおおおおおお!」

拮抗が崩れてからは早かった。
上条は一歩一歩前進し、右拳はどんどん光線を押し返していく。

「これで終わりだ!」

インデックスの眼前に迫った上条の右拳は光線を押しのけ、魔法陣が生み出した亀裂と魔法陣自体をあっさりとぶち抜いた。
そして魔法陣があったところとインデックスの頭までのわずか数センチメートルの間に上条は右手を開き、彼女の頭に触れた。

「――警、告。最終……章。第、零……。『首輪』、の……致命的な、破壊を確……再生、不可……消」

そこでインデックスの声は途切れた。
同時にがっくりと項垂れた。
操り人形の糸は断ち切られた。

「よくやったな、カミやん」

ワイヤーを咥えていたために切ったのだろう、唇の両端から血を流しながら、土御門は笑って上条を労った。

「……へっ」

微かな笑みだけを返して、上条は倒れて気絶した。
正真正銘全身全霊の力を振り絞ったためだった。

「ようカミやん、おはよう」

何で土御門が寝起きの自分の前にいるのか。
一瞬疑問に思ったが、周りを見渡してそれはすぐに解決した。
真っ白な壁と床と天井とカーテン、病室だ。

「……あれからどうなったんだ?インデックスは?魔術師は?三沢塾は?」

「まあ落ち着けって。その説明をするために、カミやんが起きるのを待っていたのさ」

「……そうか。じゃあまずは、インデックスはどうなったのか聞かせてくれ」

「インデックスは、カミやんのおかげで『首輪』は破壊され命を失う事はなくなった。
 つまり、記憶消去を施す必要もなくなった。今はステイルやねーちんと共に俺の部屋にいる。一応誤解も解いたぜい」

「……そっか」

なぜかは分からなかった。
なぜかは分からなかったが、これでインデックスとの関わりがなくなってしまうかと思うと、一抹の寂しさがあった。

「それでだ。誤解は解いたんだけども、イギリス清教に置いとくのも何だから、出来ればカミやんにインデックスを保護してもらいたいんだ」

「……へ?」

「だから、インデックスの保護をしてほしいんだにゃー。平たく言うと、インデックスと同棲してほしいって訳ですたい」

「いや……は?」

「いやだから、イギリス清教に置いとくのも何だから、保護してほしいつってんの」

「で、でも、保護って何するんだよ。経済的に、高校生である俺に出来る事なのか?」

「その言い方だと、インデックスを保護するのが嫌とかではないってことだな」

「そりゃあ、別に嫌な理由はねぇよ。何だよ。何が言いたいんだ」

土御門はにやにやしながら、

「いやあ、別に。経済面については心配しなくていい。イギリス清教からカミやんの口座に必要な費用は振り込ませる。
 口座番号を教えるのが不安だったら、俺がイギリス清教から費用を貰って、それを俺から直接キャッシュで渡してやる」

「そ、そうか。それじゃあ経済面は良いとして、でも保護なんて本当に出来るのか?
 そっちにもなんかいろいろ事情があるんじゃないのか?そもそも、学園都市で保護なんて出来るのか?」

「それも大丈夫。イギリス清教にも学園都市にも話は通してある。インデックスのIDもある」

言いながら、ポケットからIDを出して上条の前に出す。

「な、なんで、どうして……」

「俺さー、多角スパイなんだよね。だからいろいろな組織のいろいろな事を知っているって訳。
 でもこのIDは一応正式というか、統括理事長公認のものだから安心していいぜい」

「ちょ、ちょっと待て。衝撃的事実が次々に飛び出してきて、何が何やら……」

「混乱するのは分からんでもないけどにゃー。とにかくまずは、インデックスを保護するかどうか答えてもらおうか。
 保護するなら、俺も全力でサポートするし」

「だ、だけどそれなら、お前がインデックスを保護すりゃいいんじゃないのか?」

「俺は無理。いろいろ忙しいし、部屋に女の子連れ込んでると舞夏がキレる」

土御門が義妹である舞夏を溺愛しているのと、舞夏の方も土御門に異様に懐いているのは知っているため、
発言の後半は本気なのかふざけているのかは分からない。

「そういうわけだから、カミやんに頼んでいるわけ。さあ、答えを出してもらおうか。
 保護するなら、IDを受け取ってくれ」

ここまで言われて、お膳立てされて、答えなんて強制されているようなものだった。

「もしも俺が保護を引き受けなかったら、どうするつもりだったんだよ」

上条はIDを受け取った。
だが上条としては選択させられているつもりはなかった。
あくまで自分の意思でインデックスを保護する事を選んだ。

「別に。泣く泣くイギリス清教で保護するだけだったさ」

「……本当に何なんだよ、お前。考えてんのか、適当なのか分かんねぇな」

「多角スパイは、簡単に本心を悟られたり考えを読まれちゃ勤まらないからな」

多角スパイというのも本当かどうか怪しいものだ。
本当なら、自分にバラしていいはずがない。
だが、インデックスの事を始め、核心的な情報を持ち、行動が自分達より先んじていた事も確かだ。

「ステイルとねーちんについては、さっき言った通りインデックスと一緒にいる。
 カミやんも決心してくれた事だし、じきイギリスに帰るけどにゃー」

「……そっか」

「三沢塾はアウレオルスの死により学園都市の管理下に戻ったが、一度魔術の手に堕ちたからという理由で取り壊すことに決定した。
 もっとも、公式で発表されたのはそんな理由じゃないがな」

「ちょっと待て。アウレオルスが死んだってどういうことだよ?」

「それを説明するには『黄金錬成』について説明しなきゃならないにゃー」

『黄金錬成』。
真正面から立ち向かえば、プライドの塊であり炎の巨人を出せるステイルでも、
インデックスを傷つけないように土御門にだけワイヤーを巻きつけるという神業をする神裂でも勝てないらしい魔術。
言われてみれば、詳細は一切聞いていない。

「『黄金錬成』ってのは、頭の中で考えた通りに世界を歪めてしまうという魔術だ。
 たとえば、死ねと念じればそれだけで人を殺せるし、逆に死んでいる人間を蘇らせる事も出来る」

確かにそれでは、真正面からではまず勝てないだろう。

「あれ?でもそれならおかしくないか?それだけの事が出来て、お前に出し抜かれたのは不意打ちっぽいからまだしも、
 椅子に縛りつけられた程度で脱出できないなんて……いや、そもそも、それだけの事が出来てなんで吸血鬼にインデックスを噛ませて、
 永遠に記憶できるようにしようなんて回りくどい事をしようとしたんだ?」

「強力な異能ってのは、得てして発動条件とか反動とか副作用とか、もろもろ厳しいものだ。
 アウレオルスの場合は発動条件だな。考えた通りに世界を歪めるには、歪めたい事以外の雑念の一切を排除しなければならなかったのさ」

「なるほどな。インデックスを救えずに回りくどい事をしようとしたのは、インデックスを救えると思いきれなかったからって訳か。
 にしても、不意打ちで一回ぐらい出し抜かれたからって、椅子から脱出できないってのはどうなんだ?」

「落差ってのは大きいもんだぜい。勝てると思った奴に負けた時、普通に負けた時より精神的なショック度が違う。
 不意打ちとはいえ『黄金錬成』という絶対的な魔術を有しているのに負けて捕獲されたという事実に揺らいだ。
 さらに言えばアウレオルスは、『黄金錬成』を行使する時は雑念を消すために首に医療用の鍼を刺していた。
 それが出来なかったって言うのもある」

「椅子から脱出できない理屈は分かった。けどそれがアウレオルスの死にどう繋がるんだ?まさか、魔術師が殺したのか?」

ステイル辺りなら、何かと難癖つけて殺しそうなものだが。

「いや、今回は違う」

今回は、ということは、やはり殺す事もあるということか。

「じゃあ、何で?」

「事故が起こった。アウレオルスにもインデックスを救うところを見てもらおうと思って、俺達が校長室で戦っているところをモニタリングしてもらっていた。
 それが仇になった。どうやらあのインデックスを見て強烈に『死』をイメージしてしまって、『黄金錬成』が発動してそのままお陀仏したみたいなんだ」

確かにあのインデックスには恐怖も感じたし死ぬかもしれないとも思ったが、思考が『死』のみに塗りつぶされる程ではなかったと思うが。

「まあ、あり得ない話じゃない。人間溺れている時は、ただひたすらに助かりたいと思うだろ?
 一瞬でも、頭の中が百パーセント『死』で塗りつぶされてしまえば、アウレオルスの死は十分あり得る」

そう言われればそんな気もする。

「とまあこれで、カミやんが知りたい事は全部教えられたかな」

「姫神って奴はどうなったんだ?」

「ああ、忘れてた。姫神は小萌先生に預かってもらってるぜい。詳しい事情は説明してないけど」

「そっか」

確かにあのお人好しの先生なら、詳しい事情をきかなくとも、困っている人間の為なら手を差し伸べるだろう。
居候ぐらい許可するのも頷ける。

「これで今度こそ、カミやんに教えられる事は何もないかな」

土御門はそうやって話を切り上げようとしたが、

「いや、まだだ」

上条がそれを引きとめた。

「まだ何か?」

「まだ何か、じゃねぇよ」

上条は今までより少々真剣な表情を作り、

「お前が核心的な情報を知っていたりしたのが、多角スパイだからというのは分かった。問題はその先の話だ。
 たとえば今回の場合、インデックスに魔術的ギミック、インデックスとお前が『首輪』って言うから、
 これからはそう呼称するが、それを仕掛けられている事を知っていて、なぜお前はインデックスを救わなかった?
 なぜ魔術師達に事情を説明しなかった?」

「簡単な事さ」

土御門は上条に対してあくまで笑顔を浮かべながら、

「無意味だったから、出来なかったから、だよ。ねーちんも言っていた通り『首輪』は超高等魔術。
 俺ごときが解除できるはずもないし、ステイル達に『首輪』を説明したところで、やっぱりどうすることもできなかった。
 だから俺はチャンスを待った。それが今回だっただけの話だ」

「でも、説明だけでもしていたら、魔術師達がインデックスを敵として追う事はなかったんじゃないのか?
 お前らだけで出来ないなら、もっとたくさんの人を募ってインデックスの『首輪』を解除すれば良かったんじゃないのか?」

「無意味だって。仮に人を募ったところで、協力してくれる奴なんてほぼゼロさ。
 教会に進んで逆らいたいやつがいるわけがない」

「やる前からそうやって決めつけやがって。実際にやってみないと分からねぇだろ」

「カミやん」

喰い気味に言って、真剣な表情になって土御門は続ける。

「いい加減気付け。無理なんだよ。俺達じゃ。はっきり言おう。俺は人より情報に強い位置にいるが、だからと言って全てを知っている訳じゃない。
 むしろ分からないことだらけだ。今回インデックスを救えた事に俺は満足しているが、それだって掌の上で踊らされていただけにすぎない可能性だってある。
 なぜなら今回インデックスを救えたのには、それだけ舞台が整えさせられたってことだからだ」

「……何が言いたいんだよ?」

「カミやんも頭の片隅にはあるだろ。都合よく事が進み過ぎだって」

「それは……」

「今回なぜインデックスを救えたか、それは彼女が『幻想殺し』を持つカミやんと出会えたからということに集約される。
 じゃあ何で出会えたかって話だ。ねーちんはインデックスを教会内に置くことについてゴチャゴチャ言ってたけど、
 カミやんの言う通り、どう考えたって教会内に置いとく方がリスクは少ない。そしてその気になればねーちん達の意見なんて無視して置いておける。
 なのにインデックスを野放しにする理由は何だ?それもわざわざ学園都市がある日本に、だ。答えは俺にも分からない。
 ただ言えるのは、まるでインデックスを学園都市に逃げ込ませるようだとは思わないか?」

「……」

「そして学園都市側も、あっさりとインデックスの侵入を許した。言っとくが俺が手引きした訳じゃない。
 IDはインデックス侵入後に急いで作らせた」

「……いや、それはおかしいだろ。
 イギリス清教がおかしいのは分かる気がするが、インデックスが日本にいると分かれば、俺に救わせるためにお前は手引きするのが普通だろ」

「もちろん、俺だってそうしたかったさ。でも学園都市にインデックスを招いたってトラブルが起こるだけだと思ったから何もしなかった。
 正確には出来なかった。そしたらこれだ。インデックスが侵入し、それを敢えて見逃す学園都市。
 意味が分からなかったよ。統括理事長に問い質しても黙秘するだけ。仕方ないからID作成の許可だけもらって、
 あらかじめやってくれと言われていたアウレオルスを学園都市から退散させる事を絡めて、今回のインデックス救出作戦を実行したんだ」

「……でも、その割には準備が良すぎやしないか?」

「カミやんの部屋を盗聴出来たのは、盗聴できる機械を持っていただけだし、
 俺の部屋には元々いろいろ仕掛けてあるし、三沢塾にはアウレオルスを拘束した後に、他の奴に仕掛けさせただけだ」

上条はここまで言われて、もう何も言えなかった。

「要するにだ。今回の一連の出来事には、俺達が知らない様々な事情と思惑があったってことだ。
 だからインデックスを救えたのも、そうさせられただけかもしれない」

だが、と土御門は一旦区切って、

「さっきも言った通り、インデックスを救えた事自体には満足している。
 たとえそれが思惑通りでも、計算通りでも。カミやんはどうだ?」

「……俺も、インデックスを救えた事は誇りに思っている」

「今回はとりあえずその結果だけで良いだろ」

「……俺は」

「言っとくが統括理事長に会おうとしても無駄だぞ。
 カミやんには窓のないビルに入る手段がないから、まず会うことすら出来ない。
 イギリス清教に乗り込むのもやめろよ。殺されるのがオチだからな」

「俺はまだ何も」

「顔で分かるっつーの。いいかカミやん。時には耐える事も必要だ。
 俺だってこのまま踊らされて使い潰されて終わるつもりはない。
 ただ今は、いつか訪れるであろうその時まで、準備だけして待機しておく。それで我慢できないか?」

「……分かったよ」

正直、土御門も結局権力には逆らえないのかと思った。
だが違った。
土御門は自分よりずっと大人だった。
方法が回りくどかったりして手放しで褒められるようなものではなかったが、結果も出した。

「分かってくれたらいい。じゃあ、俺はそろそろ帰る」

そう言って土御門は上条の病室を後にした。

幻想殺し以外の能力は使いますか?

一人きりの病室で、上条は静かに決意する。
イギリス清教や学園都市に何らかの思惑があり、それにインデックスを巻き込むというのなら、
そんなふざけた幻想はぶち殺さなければならない。
そして、インデックスを絶対に守ってみせる――と。

とりあえずこれで一巻二巻の再構成は終了です。
ぶっちゃけ書き溜めはここまでですが、これからモチベーションが続く限り、順次再構成して行くつもりです。

>>56
すみません。質問の意味が分かりません。

アウレ君ェ……
しかしこの上条さんどこか危なっかしく感じる。
あとミコっちゃんとの面識は原作通りでおk?

>>59
そうですね。不良に絡まれている御坂を助けて、そこで御坂に目を付けられた上条が喧嘩をふっかけられるって言うのは、三巻再構成で、少しだけ描くつもりです。

それと書き忘れましたが、基本的にわがままなキャラは少しだけ謙虚にしていくつもりです。
このSSのインデックスも、多少は謙虚にしたつもりです。

>>1です。
少しだけ投下します。

七月二十五日。
午前中はインデックスに携帯の操作をレクチャーするも、覚えてくれなかった。
そのくせ「おなかへった。外で何か食べたいかも」と喚きだした。
だがまあ退院してから二十三日までは安静にするために碌に外出しなかったし、
昨日の二十四日も買い物で終わったようなものなので、娯楽という意味では外出していない。
そう考えると、インデックスの気持ちも分からなくはなかった。

「分かった。ただし、あまり食べすぎるなよ」

「うん!」

インデックスは元気良く返事すると、その場で着替えはじめる。

「……はあ」

男子の前で堂々と着替えるのは今でもどうだろうと思う。
一度インデックスに注意してみたが、「とうまは私に変な事しないから何の問題もないんだよ?」
と屈託のない瞳で言われてしまって何も言えなかった。
ここまで言われたものだから、こちらが退散するというのも逆に意識しているみたいで出来なくなってしまった。
その代わり、一応後ろを向くという抵抗をしている。

「とうま、溜息ばかりついていると、幸せが逃げちゃうかも」

誰のせいだ、というのは心の中に留めておく。
インデックスについての悩みはもう一つある。大食いという点だ。
小さい体のわりには、というレベルではなく、成長期の食べ盛りの男子より食べるから困る。
これも何かの仕掛けかと思い土御門に問いかけたら、それはおそらく仕掛じゃない。
多分、魔道書の維持に高カロリーが必要なんだと思う、という回答が返ってきた。
人間運動すればお腹が減るが、頭を使ってもお腹が減る。それと同じ要領だ。と言われた。
納得できない理屈ではないが、その仮説が正しければ、結局は魔道書を覚えさせた教会が悪いと思う。

「俺は元々不幸体質だから、逃げるような幸せなんてないっつーの」

「む。それはどういう意味なのかな、とうま。私みたいな可愛い女の子と一緒にいるのに」

「あーあー、そうですねー。あなたみたいな可愛い女の子と一つ屋根の下で一緒に暮らせて、俺は幸せ者ですよー」

「むー。とうまぁ!」

床を蹴った音が聞こえたため、上条は振り返らずに横に数歩ずれる。

「うにゅ!」

上条が横にずれたことにより、噛みつきを空ぶったインデックスは顔面から敷いてある布団に落ちた。

「とうまぁ!」

懲りずに振り返ってこちらを見据えて、飛びかからんとしゃがむ姿勢を見て、上条は右手でインデックスの頭頂部を抑えた。

「みゅっ!?」

どうとでもあしらえるので悩みではないのだが、インデックスには怒ると噛みつこうとする悪癖があった。
まあ頭を何回か撫でてやれば、大抵宥めることに成功するが。

「ほらほら、早く着替えて早く行かないと混むぞ」

そう言って軽く頭を何回か撫でると、

「……うん。分かった」

やっぱり大人しくなった。

「ちょっと待っててね、とうま。今すぐ着替えるから」

自分から言っといて何だが、ぶっちゃけ今すぐ出ようが少し遅れて出ようが、
夏休みのランチタイム真っ盛りでどの道混んでいるから、ゆっくりでも構わない。

「うん。準備完了かも。早く行こう、とうま!」

「はいはい」

こんな平和な日常が、いつまでも続いてほしいと切に願い、上条は玄関の鍵を閉めた。

ファミレスで適当にランチを済ませた後、
学園都市を見て回りたいというインデックスの要望に応え二時間ほど見て回ったら、疲れた。もう帰ろう。
となって帰路について部屋に戻ってきたのが十五時。

「晩御飯が出来たら起こして」

上条が鍵を開けてドアを開けたあとのインデックスの開口一番がそれだった。

「分かったから、せめて手洗いうがいをしてからにしろ」

「ふぁーい」

インデックスは指示通り手洗いうがいを済ませた後、布団を敷いてその上にダイブして、二分後には寝息を立て始めていた。
そんなに疲れているなら、もっと早く帰ろうと言ってくれれば良かったのだが。
きっと昨日の疲れもまだ残っているのだろう。もっとも、それは自分もだが。

「さーて、行きますか」

肋骨のヒビが完治するまでの安静期間の数日で、冷蔵庫と冷凍庫にある食料はインデックスにより八割方なくなっていた。
よって今から、買いものに行かなければならない。
その気になれば今日の晩御飯くらいは何とかなるが、食糧でも貯金でも何でも、蓄えには余裕がないと落ち着かない性分なのだ。
それにインデックスは眠っているから、勝手に外出することはまずない。
仮に起きて自分を探そうとしても、メモさえ置いておけば済む事だ。
こういう時のために、携帯の操作を早く覚えてほしいものだ。

「よし」

メモを書き終わった上条は、エコバッグを持って買い物に出かけた。

買い物を終えて帰路につく上条は、今後どうするかを考えていた。
インデックスと外出したとき、知り合いに会った場合どうするか。
一応IDもあるので不法滞在者にはならないが、同棲しているというのがバレたらヤバい。
なぜなら自分が住んでいる学生寮男子寮であり、女子は禁制だからだ。
もっとも、土御門はその制約を破り堂々と舞夏を招いている辺り、その辺は結構緩いのかもしれないが。
しかし寮の方が緩いからと言って、世間体の方は甘くない。
クラスメイトの青髪ピアスにバレたら、同棲しているという情報が学校中に速攻で拡散され、茶化されるだろう。
同じくクラスメイトの吹寄制理にバレたら、規則を重んじる彼女にボコボコにされ、ゴミを見るような目つきで見られ、
というかなんやかんやで退学に追い込まれるかもしれない。

「うーん……」

知り合いとあって何か突っ込まれても、どうとでも誤魔化せる。
そもそも、そう簡単に知り合いとは出会わない。
と思っていたのだが、今日学園都市を見て回っただけで知り合いをちらほら見かけたし、
実際に何か突っ込まれた場面に直面したら、誤魔化しようがない気もする。
一番良いのはインデックスに外出してもらわない事だが、外出したいのにできないというのは寂しすぎる。

「うーん……」

それともう一つ心配なのがお金だ。
今のところ生活用品をそろえるためのお金は貰えたが、いくらまで貰えるのか上限が分からない。
これから相当かかるであろう食費を請求しても良いものだろうか。

「はあ……」

結局、解決策も何も思いつかないまま部屋についた気苦労の絶えない上条であった。

八月十日。
上条の心配をよそに、割と問題なく平和に暮らせていた。
インデックスは引きこもりではないが無類のテレビ好きで、お出かけはそんなにしなくてもいい人種だった。
それには完全記憶能力があるにもかかわらず、道に迷うほどの方向音痴というのもあるようだ。
経済的な問題についても、土御門に相談したところ、億とか法外な金額じゃなければ遠慮なく請求してもいいと言われ、
試しに三十万程請求したら問題なく貰えた。
逆に少し申し訳ないぐらいだった。
経済面の問題は、クリアされたと言っていいだろう。

「じゃあ行ってくる」

「いってらっしゃいなんだよ」

テレビに釘づけのインデックスの言葉だけの見送りを聞いて、上条は玄関の鍵を閉めた。

外出の目的は買い物。
その道中、

「久しぶりね」

「おう」

肩まである茶色い髪に整った顔立ち、半袖の白いブラウスにサマーセーター、灰色のプリーツスカートという装いの少女、
御坂美琴と遭遇した。

「ひょっとしてアンタもマネーカードを探しているわけ?」

「ここ数日、第七学区のあちこちで落ちていると噂のやつか?」

「そうそれ。何だ、アンタ意外とミーハーなのね」

「お前が疎いだけじゃねぇの。俺は買い物に行く途中なだけなんだけど」

「そう。じゃあ買い物行く前にひと勝負しましょうか」

「はあ。またそれか」

六月の中旬ぐらいに不良に絡まれているところを助けてから、出会うたびに喧嘩を吹っ掛けられるようになった。
なぜかはよく分からない。

「ほんじゃま、どっか広いところを見つけなきゃね」

「あのー、俺の都合は」

「いいじゃない。ひと勝負くらい」

普通は駄目だと思う。
断ろうと思えば断れない事もないが、断固として嫌という訳でもないから、結局流されるままに勝負してしまう。

「ところでさ、マネーカードをばらまく理由って何だと思う?」

確かに、一体全体何の目的があるのやら、噂を知ってから気にはなっていた。

「うーん、お金持ちの贅沢な遊び、ではないだろうし、正直分からねぇな。お前はどう思うんだよ?」

「私はついさっき知ったばかりだし分からないわ。
 あと私には、お前じゃなくて御坂美琴って名前があるんだけど、そこんところ分かってる?」

デジャヴだ。

「そいつは悪かったな、御坂」

「分かればよろしい」

ただまあ、そんな彼女は一応目上の立場である自分をアンタ呼ばわりするし、敬語も使わない。
それらを気にした事は特にないので、注意などはしないが。

「あ」

と、御坂が何かに気付いたみたいだった。

「どうかしたのか?」

「え?いや、なんでもないなんでもない」

どう見てもなんでもあるときの反応だが、深く突っ込むつもりはない。

「さいですか」

適当な雑談をしながら、二人は戦う場所を探す。

「もういいよな」

「……仕方ないわね」

戦える場所を見つけてから数分で、能力の出所である前髪に触れられ、またしても負けてしまった。

「じゃあな」

「今度会ったら、また勝負だからね」

「忙しくなかったらな」

とか何とか言いつつ、結局毎回勝負を受けてくれる辺り、意外と優しいというか、器がでかいと思うところもある。

「くっそー」

もう二、三十回は勝負してきたが、一度たりとも勝てた事はない。
どころか、一撃ヒットさせたことすらない。
あの少年には右手に自分の電撃すら打ち消せる謎の力が宿っているみたいだが、
それにしたって無様な結果しか出せていない事は屈辱だ。
だからこそ、どうしても勝ちたい。
だから、何度も何度も勝負を吹っ掛ける。
その度に、もう決着ついているだろ。と言われるのだが、
こっちも一撃も喰らってないから負けじゃない。引き分けだ。と言い張れば、
じゃあお前の勝ちで良いよ、もう。と言って、適当にはぐらかす。
そして次回の勝負で一撃加えるなどはしないのだ。

どこまでもカッコつけで鼻につく。
いっそのこと一撃加えてくれれば、こっちも引っ込みがつくかもしれないのに。
一撃加えられなくとも、能力が封じられた時点で負けだという事は分かっている。
引き分けだなんて屁理屈だと分かっている。
だけど、あしらうだけで終わらせるから、こっちもつい屁理屈を言って甘えてしまう。
あっちにも用事などがあるかもしれないのに、それを考慮せずにムキになってしまう。

「はあ……」

いつか――いつかあの少年に勝利することが出来れば、その時に謝ろうと思う。
おそらくそれは、まだまだ先の話だけど。

「……帰るか」

御坂が所属する常盤台中学校は名門女子校であり、生徒は寮で暮らすことになっている。
門限もあるので、いつまでもぶらついている訳にはいかない。

八月十五日。
相変わらず平和な日々が続いていた。
インデックスとはこの五日間、二回ほど外出したが、幸い知り合いと会うことはなかった。
正確には見かけた時点で、迂回して避けたからだが。
しかし、このまま危ない橋を渡り続けるわけにも行かない。
どうにか部屋の中にずっといてもらってほしい。
考えた上条は、インデックスが最近ハマっている、超機動少女(マジカルパワード)カナミンのDVDを買って、それを見てもらうことにした。
外出を制限するのではなく、部屋の中にいた方が楽しいと思わせるのだ。
その作戦は功を奏して、インデックスは一日中DVDに釘付けになっている。
というか、寝ても覚めてもDVDになりつつあり、逆に不安でもあるが。

「じゃあ行ってくる」

「いってらっしゃい。今日は帰ってくるの遅くなっちゃだめだからね」

先日の御坂と会った時、戦ってから買い物をしたものだから、帰宅がちょっと遅くなったのだ。

「おう」

上条は軽い返事をして、玄関の鍵を閉めた。

最近外出する理由が買い物だけなのが寂しい。
遊びに誘われる事もあるし誘う事も出来るのだが、インデックスに何かあった時の緊急事態のことを考えると、どうにも遊びに踏み切れない。

なんて事を考えながら歩いていると、

「お」

オープンカフェで女の子と仲良くランチしている御坂を見つけた。
ただその相手の女の子が、どう見ても御坂と瓜二つだ。双子なのだろうか。
ちょっと気になるところではあるが、姉妹水入らずに割って入るのもアレだし、話しかけたことで勝負を挑まれたら面倒くさい。
そう決意した時に限って、

「……あ」

たまたま御坂と目があった。
これはアウトかな、と思うも、このまま無視して歩く。

「ちょっとー、何で無視するのよ」

案の定、御坂に呼び止められた。
これで無視するのは気が引けるので、諦めて彼女達に近付く。

「どうも」

一応、御坂の双子に挨拶した。

「どうもです。とミサカはフランクに挨拶を返します」

「お、おう」

随分と変わった口調の女の子だ。
中でも一番気になるのは、一人称がミサカなところだ。
自分の名前が一人称な人はいるが、名字を一人称にするのはなかなか珍しいと思う。
まさか御坂ミサカではないだろうし。

「にしても、御坂に双子がいるなんて初めて知ったよ。ここまで瓜二つってことは、一卵性双生児か?」

御坂にそう尋ねると、

「ちょっと来て」

御坂に手を引かれ、双子からある程度距離を取ったところで、

「その……」

深刻な様子で何かを切りだそうとしている。
何か様子がおかしい。

「何かあるんなら、気にせず相談してくれよ」

「……あの子ね、双子の妹でも何でもないの」

「……どういうことだ?」

「あの子は、私のクローンなの」

「く、クローン?」

「ええ。遺伝子が全く同じなんだもの、似ているのは当たり前ってこと」

「な、何でクローンがいるんだよ?」

「それは……」

そこから御坂は淡々と話し始めた。
幼いころにDNAマップを学園都市に提供したこと。
それが原因で超電磁砲量産計画『妹達』(シスターズ)が水面下で進んでいた事。
しかし学園都市が誇る世界最高のコンピューター『樹形図の設計者』(ツリーダイアグラム)の予測演算の結果、
能力的には劣化コピーしか作れないことが判明し、計画は中止したらしい事。

「でも、中止になったんだからクローンがいるのはおかしいし、そもそも人間のクローンは国際法で禁止されているはずだろ」

「そんなこと分かってるわよ。
 だから私も凄く動揺して……とりあえず朝からあの子を尾行してるんだけど、ああやってなんか妙にくつろいでいて……」

「何であの時は放っておいたんだ?」

「え?何のこと?いつのこと?」

「マネーカードの話をしながら歩いていた時の事だ」

「あ、ああ、あの時ね。あの時はあの子を見たんじゃなくて、ちょっと友達を見かけただけ。
 ……マネーカードを探していたのか、地面を這いつくばっているところを」

「あ、ああそうか。何か悪かった」

「いや、いいんだけど……」

そりゃあ、そんな友人の姿を見れば、声をかけにくい気持ちは分かる。

「だから、さ。ちょっとお願いがあるの。いつもお願いするのは私の方だけど、今回だけは本当にお願い」

「そこまで頼まれなくても、困っているなら、俺が出来る範囲で助けるぞ」

「……ありがとう。それじゃあお願い。あの子を尾行してほしいの。私は私でちょっと調べたい事があるから」

「分かった。何かあったら連絡したほうがいいか?」

「そうね」

「じゃあ赤外線」

「う、うん」

そうして御坂と赤外線をして、一旦別れることとなった。

「あなたはお姉様のボーイフレンドか何かでしょうか、とミサカは分かり切っている事をニヤニヤしながら尋ねます」

クローンがリラックスしながら紅茶を飲んでいるテーブルに戻ると、開口一番そんな事を言われた。
しかもニヤニヤしながら、という割には完全な無表情だった。

「御坂との関係性は俺自身よく分からないな。少なくともボーイフレンドではないけど」

「そうですか。とミサカは適当に相槌を打ちます」

その口調どうにかならないのかと思う。

「ところで、ミサカに一体何の用でしょう、とミサカは警戒しつつ尋ねます」

御坂の話だと直接クローンかどうか尋ねたらしいし、隠しても意味ないだろう。

「御坂から話は聞いた。お前がクローンという事とか『妹達』計画の中止とか。
 俺がここに居るのは、御坂にお前の監視を頼まれたからだ」

「なるほど。ZXC741ASD825QWE963’とミサカは念の為パスの確認を取ります」

「は?」

「やはり実験の関係者ではないようですね。
 ミサカの監視を勝手にするのは構わないですが、何か質問されても答えませんし、いずれ撒かせてもらいます、
 とミサカは宣戦布告してみます」

「……そうすか」

「……」

「……」

会話がない。
会話をする必要はないが、どうにも気まずい。

「……お前は御坂と違って、大人しいな」

「それは暗にお姉様がうるさいと言っているのでしょうか、とミサカはあなたの皮肉について指摘します」

「いや、そういうつもりはないけど」

「ということは、ミサカが落ち着いた大人の女性であるという意味で褒めたという解釈でよろしいですか?
 とミサカは否定的な意見を言わせない雰囲気で尋ねます」

「お、おう。その解釈で間違いないよ」

「それは嬉しいです、とミサカは社交辞令に対して社交辞令で返します」

「……」

会話が疲れる。
やはり口調もそうだが、妙にとぼけているというか、何も考えずに脊髄反射で喋っている感じがする。

「ところで一つだけ言っておきたい事があるのですが」

「何だよ?」

「ミサカは財布を持ち合わせていないので、代わりに払ってほしいのです、
 とミサカは猫撫で声でかつ上目遣いでお願いしてみます」

例の如く猫撫で声でもないし無表情だし上目遣いでもないが。

「何で持ってないんだよ」

「どうせ実験があるので。本当はお姉様に支払ってもらうつもりだったんですが、とミサカは言い訳をします」

「分かったよ。払えばいいんだろ、払えば」

「ありがとうございます。とミサカは感謝の言葉を述べます」

「そのかわり、監視は続けさせてもらうぞ」

「勝手にどうぞ。ですがミサカは絶対に逃げ切りますがね、とミサカは改めて挑発します」

そんな感じのやりとりをした後に上条はランチ代金を払い、ミサカと共にオープンカフェを後にした。

「お前はさ、オシャレとかしてみないの?姉の方は寮則だからとか言って年中制服みたいだけど」

「実験がありますしお洒落などする必要がありません。
 大体、それを言うならあなたも制服のようですが、とミサカは逆に聞き返します」

「俺はあんましオシャレとか興味ないからな。それに制服の方が、服を買うより経済的にも良いし」

「そうですね。多分、ミサカも経費削減なのでしょう、とミサカはあなたの意見に乗っかります」

「そっか」

「一つだけ尋ねてもいいでしょうか」

「別に良いけど」

「なぜそんなに親しい感じで話しかけてくるのでしょうか。ましてや初対面なのに、
 とミサカは出会ってからの疑問を口にします」

「沈黙が何となく気まずいから」

「ミサカは別に沈黙でも平気です。それにミサカとあなたの関係は赤の他人でしかありません。
 そんなミサカと話して楽しいですか、とミサカは尋ねます」

「そこまで楽しい訳じゃないけど、沈黙よりは」

「随分適当なんですね、とミサカはある意味で感心します」

「お前ほどじゃないけどな。黙れって言うなら黙るけど」

「いえ、雑談ぐらい構わないです、とミサカはあなたに対してわずかに心を開きます」

なんて雑談を交わしていた、その時だった。

「悪い。電話だ」

「いえ、構いません」

着信は御坂からだった。

「もしもし」

『勝手なこと言うようで悪いんだけど、もう監視は止めて、家にでも帰って』

「え?何で?」

『ちょっと色々分かってさ。とにかくお願いだから、もう監視しているその子や私にかかわらないで』

「……そっか。分かった」

『うん。本当にごめん』

それで通話は終了した。

「誰からだったんですか」

「お前の姉から。なんか知らんが、お前の監視はもうやめてくれだって」

「そうですか。ミサカは一向に構いませんが、とミサカはあなたを振り切る手間が省けたことが嬉しくて顔を綻ばせます」

「おう。つーことで、じゃあな」

上条は踵を返して歩き始めた。

先程の電話の御坂は、他人を巻き込まんとするような様子だった。
だから電話では下手に抵抗しなかった。
しかし、だからと言って御坂を放っておくことはできなかった。
とはいえ無闇にクローンを監視し続けても意味がない。
タイマンなら逃がさない自信はあるが、なにせ『妹“達”』。クローンが一体なわけがない。
何らかの方法で別のクローンに連絡を取り、監視の邪魔をさせてくるのは明白だ。
だから一旦帰るフリをして、こっそりと監視をすることにした。

不安点は二つ。
一つは監視しているクローン自身に監視がばれないかということ。
御坂は自身の体から常に電磁波が出ている。
その反射波で、妙な動きをするモノを察知できる。
ただし、御坂の場合は超能力者。御坂の話ではクローンは異能力者(レベル2)程度。
御坂ほど敏感じゃない可能性もある。

二つ目は、クローン計画が発生している事を学園都市は分かっているはずなのに、黙認している事だ。
学園都市は絶えず人工衛星で監視されている。
何者かが侵入した場合はもちろん、学園都市内のイザコザだって分からないわけがない。
つまり、学園都市がクローン計画を見逃し、詳細不明の実験の手助けをしている可能性がある。
人工衛星によりクローンを監視している事がばれれば、学園都市から邪魔が入るかもしれない。学園都市を敵に回すかもしれない。
もとより、それは夏休み初日にインデックスを助けると決めた時に覚悟した事ではあるが。

不安を抱えつつも、秘密裏に監視し始めてから二時間。
監視されていることに気付かないフリをしているのでなければ、ばれていないはず。
二時間も監視している以上、さすがに学園都市にはばれているはずだ。
それでも何のモーションもないのは、クローンが監視されていることなど取るに足らないと考えているか、何か別の目的でもあるか。
どちらにせよ、このままクローンを放ってはおけない。

ちなみにクローンのここまでの行動は、ただ学園都市内を徘徊するだけ。
それが実験だとは思えないから、おそらくは実験はまだ始まっていない。

と、そんなことを考えていた時だった。
ポケットの中の携帯が震えた。
出してみると、ディスプレイには御坂の文字が表示されていた。

「もしもし」

『もしもしじゃないわよ。家に帰れって言ったのに、そんなところで何やってんのよ』

「え?」

上条は周囲を見回す。
何かの邪魔をされても対応できるように、周囲には気を配っていたつもりだったが。

『周り見回したっていないわよ。大体、そんな人混みで私がアンタを視認できる距離にいたら、アンタだって気付くでしょ』

もっともだった。
彼女が言うほど人で溢れている訳ではないが、現在位置は裏路地でも何でもない普通の街道。
それなりに人はいるし、大した隠れ場所もない。地上なら近くにいれば気付くはず。
となると――上条は無言で上を見た。

『ようやく気付いた?』

「ようやくって、普通気付かないっつーの」

御坂は数多く建っているビルの内の一つの壁に直立していた。

「お前こそ、そんなところで何やってんだよ」

『答える筋合いはないわね。いいから、家に帰りなさい』

「無理だ。絶対帰らない」

『……降りるからちょっと待ってなさい』

言うが早いか、御坂はビルの壁を駆けて裏路地方面に回ってから、降りてこっちまできた。

「とりあえず移動するわよ」

御坂に手を引っ張られて、人が少ないところに移動した。
話の内容が他人に聞かれてはまずいからだ。

「で、何を意地になって帰らないとか言っている訳?」

「法を犯してまでクローンを使った何らかの実験。裏に何かある。だから放っておけない。それだけだ」

「……あのさ、元はと言えば動揺してとはいえアンタに相談した私が言うことじゃないんだけどさ。
 私はアンタを巻き込みたくないの。私の問題は私で解決する」

「そんな事分かってる。分かった上で放っておけないって言ってんだよ」

「……何でわかってくれないの?私の立場になって考えてよ。そしたら分かるでしょ」

「分かるよ。でもそれはお前の理屈だ。逆に聞くが、お前が俺の立場なら、この状況を黙認できるのかよ?」

「それは……屁理屈言わないでよ」

「とにかく、俺は帰らない。それよかなんか調べてきたんだろ?電話の様子からして、何か掴んで来たんだろ?
 それを教えてくれ」

「……ああもう!」

御坂は少しキレ気味で、

「いいわよ。教えてあげるわよ。話を聞いてブルってもらった方が早いわ!」

そうして御坂はキレ気味のまま話し始めた。

話の内容はこうだった。
中止となった『妹達』で生み出されたクローンは、超能力者第一位の一方通行(アクセラレータ)を
『絶対能力者』(レベル6)へと進化(シフト)させるために利用されることになった。
どう利用するかと言えば、一方通行を全部で二万体の妹達と戦わせて殺させる。

「本当は私を一二八回殺せれば、一方通行はそれで『絶対能力者』になれるはずだったんだけど」

「御坂を一二八人確保は不可能だから、中止になった『妹達』を流用したって訳か」

「そういうことよ。実験内容は要するに一方通行による二万通りのクローンの虐殺。
 そしてそれを黙認している学園都市。黙認している以上、風紀委員や警備員への相談も無意味。
 そもそも物的証拠がない。最終手段で証拠としてクローンを連れて行こうとすれば、邪魔が入るのは明らか。
 ね?今回の件がヤバいことは分かったでしょ?」

「なおさら放っておくわけにはいかなくなった。つーか、だったらその一方通行って奴をぶっ飛ばせばいいだけじゃねーか」

「話聞いてた?一方通行も私と同じ超能力者で……ってそっか!アンタは超能力者である私に勝ち続けているんだもんね!」

「声が大きいって……」

上条の指摘に御坂はブンブンと頭を振って、両手で顔を挟むように叩いて、

「けど、一方通行は別格よ。能力は『ベクトル操作』。
 運動量・熱量・光・電気量といったあらゆる種類の“向き”を皮膚上の体表面に触れただけで自在に操る事が出来る。
 正体分かったって突破口が見つからないような反則級の能力なの。
 あっちの攻撃は全部有効なのに、こっちの攻撃は無効どころか全部反射されるのよ。
 そんな怪物に、一体どうやって勝つって言うのよ」

「能力の理論なんて関係ない。俺の右手は、それが異能の力なら無効化できる。お前も散々見てきただろ。
 俺なら右手のみ、攻撃が届く」

「あ、アンタの右手にはそんなトリックがあったの?」

「ああ。つーことで、実験場所を教えろ。俺がそいつを止める」

「ちょ、ちょっと待ってよ!何でアンタは怯えないの?
 下手に実験にかかわれば、関係者に消される可能性だってあるかもしれないのに!
 仮に実験場所に行ったりしたら、一方通行本人に殺されるかもしれないのに!」

「大丈夫だって。俺だって御坂に何度も勝っているし、死にはしないさ」

「何の根拠があってそんな!アンタの右手が一方通行に届くかもしれないという事は分かる!
 けどそれは、どうにかして近付いて殴れる距離に入った場合の話!一方通行が簡単に近付かせてくれると思う!?」

「寧ろ近付くのは簡単だと俺は思う。
 今まで全部の攻撃を反射してきたってことは“避ける”という考えがないということだ。
 反射があるのに、殴りかかってくる人間に対してわざわざ何らかのアクションをするか?もちろん可能性の話だけど」

「理屈は分かるけど……じゃあいいわ。仮にそれで一発ぶち込めたとする。でもそれ以降どうするのよ?
 アンタの右手に警戒を示して遠距離から戦われたら?仮に近距離戦を挑んできたとしても、
 やつの能力でアンタに触れた瞬間、生体電気か血流を逆にされて、内側から弾き飛ばされるのよ」

「マジか。そんなことまで出来るのか」

「感心してる場合じゃないでしょ!……とにかく、アンタを一方通行と戦わせるなんて言語道断よ!」

「落ち着けって。俺はそんな長期戦を挑むつもりはない。むしろ超短期決戦、というか一撃で沈めるつもりだ」

「はぁ?」

ここまで言ってもまだ分からないのか、という感じだった。

「お前が言ったこと、不意打ちかつ一撃で沈める事が出来れば、全部解決できる」

「それは……そうかもしれないけど」

御坂は顔を伏せて、少しだけ間を空けて、

「やっぱり駄目。アンタを一方通行と戦わせるわけにはいかない」

「ならどうするんだよ?そんな非人道的な実験を放っておくって言うのか?」

「そんなわけないでしょ。手がないわけじゃないわ。だからアンタは、大人しく家に帰りなさい」

「じゃあそれを聞かせてくれ。じゃないと安心して帰れない」

「~~!あー、もう!」

御坂は髪を両手でグシャグシャしながら、

「こんなイカれた実験を手伝っている研究所や研究機関を片っ端から潰して行く。
 いくら学園都市が黙認してようが、物理的に不可能にしてしまえばどうしようもないでしょ?」

「……悪くない手だとは思うが、実験は現在進行形だよな?その間に何人のクローンが殺される?
 それに、潰していっても他の研究機関が実験を引き継いだら?」

「それなら……」

御坂は少しだけ逡巡してから、

「『樹形図の設計者情報送受信センター』からハッキングをして、『樹形図の設計者』に嘘の予言を吐かせる。
 この計画は『樹形図の設計者』の予測演算(シミュレート)に依存しているから、おそらくそれで一旦計画は止まる。
 それどころか、上手く行けば計画が中止になるかもしれない」

「そんな小細工、いつかはばれるだろ。それに――」

「分かってる。でも間違いなく最低でも混乱はするはず。その間に計画を破綻に追い込んでみせる」

「それじゃあ結局、破綻に追い込むまでのクローンについての問題が解決してないだろ。
 それ以前に、そんな重大犯罪をしようとしているお前を見過ごせない」

「犯罪とか言っている場合じゃないでしょ!
 私は……私が不用意にDNAマップを提供したせいでクローンが生まれて、一方通行のために殺されるようになった!
 ある意味私が殺しているようなものよ!そんな私が、もう道を選ぶ資格はないの!」

「それはネガティブに考えすぎだ。
 お前は筋ジストロフィーの子供達の事を考えてDNAマップを提供したんだろ?
 その善意を悪用している研究者達が悪いのであって、間違ってもお前のせいじゃない」

「だとしても!そもそもの原因は私!私が責任を取らなきゃいけないの!」

「違う!」

突然大声を出したせいか、御坂はびくっとした。

「何度も言わせんなよ!悪いのはお前じゃない!大体、お前の言った方法で計画を中止に追い込んでクローン達を上手く救えたとしても、
 そんな方法でお前が犯罪者になってまで救われたクローン達は嬉しいと思うか!?お前の友人はどう思う!?少なくとも俺は嫌だ!」

「じゃあ……じゃあどうすればいいのよ!?」

「だから、俺がやるって言ってんだろ。俺が一方通行をぶっ飛ばせば、それで済む話だろ」

「……もう、何なのよ……」

御坂は両手で顔を覆って、

「……そうね。分かったわ。考えたら単純な話よ。一方通行を倒せばいいんだもんね」

「そうだ」

「でも、それはアンタの役目じゃない」

「え?」

「私がやる」

言って御坂は上条の横を通り過ぎようとしたが、

「ちょっと待て」

上条は御坂が通り過ぎようとしたのを右手で制した。

「お前、まさか馬鹿なこと考えているんじゃないだろうな」

「何が?」

「自分があっさりと死ぬことで、一二八回殺しても、絶対能力者になんか辿り着けない。
 研究者たちに、価値がないと思わせようとしているんじゃないかって聞いているんだ」

「まさか。誰が進んで死にいくような真似するかっつーの」

「いや、もっと単純に、二万通りの戦闘シナリオに二万一通り目が介入することで混乱させようとしているとかか?
 どっちみち負けるつもりの奴に戦わせる訳にはいかないけどな」

「だから何言ってんの?勝ちに行くって言ってんでしょ」

「バレバレの嘘つくなよ。さっきまであれだけ一方通行の肩を持って、勝気のお前が回りくどい方法ばかり提案していたくせに」

「……鬱陶しいわね」

御坂はわなわなと震えて、

「だからさあ!残された道は限られてんのよ!どうしようもないのよ!もう私が死ぬしか!
 それしか今すぐにでも実験が中止になる可能性はない!」

目尻に涙を浮かべながら、御坂は叫んだ。
しかし上条は至って冷静に、

「何言ってんだよ。そんなの『樹形図の設計者』に再演算されたら終了だろ。
 それに、たとえ上手く行ったとしても、お前が死んで救われたクローン達や友達はどう思う?少なくとも俺は嫌だ」

「しつこいのよ!綺麗事ばっかり!だったらどうすればいいって言うのよ!」

「しつこいのはお前だ。再三言ってきたけど、俺が戦ってぶっ飛ばせばいいだけの話だろ。
 これほど単純で、実験を中止に追い込む可能性が高い方法はない」

御坂は何も言わない。いや、もう何も言えないのかもしれない。
上条は続けた。

「この実験は『樹形図の設計者』の予測演算に依存している。
 だったら、その演算に狂いを生じさせれば良い。ここまではお前も分かっていた事だ。
 けど、お前の言った方法じゃお前自身が救われないし、狂いを生じさせるにはちょっと弱い。
 その点俺なら、無能力者が超能力者をぶっ飛ばすという結果ほど、混乱を招くものはないだろ」

御坂は俯きながら小さな声で、

「……百歩譲って、アンタが一方通行に勝てたとする。
 でも、それこそ『樹形図の設計者』に再演算されたらおしまいじゃない」

「だったら、何度でもぶっ飛ばすだけだよ」

少しの間も開けずに宣言した上条に驚いたのか、御坂は顔をあげて涙目で上条を見つめ、

「……もう、何でアンタって、そんな理屈っぽいのにバカなの?」

「困っている人を助けたい。皆が救われるためなら手を貸したい。
 それがそんなにバカなことか?それでもバカって言うなら、俺はバカでいいさ」

「……そっか」

御坂は目尻に溜まっている涙を拭って、

「分かった。もう私にアンタを止める方法はない。その代わり、約束して。
 そこまで啖呵を切ったんだから、絶対に死なないで、一方通行をぶちのめしなさいよ」

「もちろん」

そして上条と御坂は作戦を練り始めた。

どうやらクローンは無計画に学園都市を徘徊していた訳ではなかったらしい。
一方通行との戦闘に備えて下見していた。というのが御坂の予想だ。
自分と御坂が再会した場所は、二一時ジャストに実験が行われる場所に近かった。
だとすると下見をしていたという御坂の予想は当たっているだろう。

肝心の実験がおこなわれる場所は、何の変哲もない路地裏。隠れられるような場所は、残念ながらない。
実験場所の路地裏につながる廃墟ビルの窓から飛び降りるぐらいしか、不意打ちは出来ない。
クローンにも協力してもらえば多少やりやすくなるのだが、
クローン達はあくまで、自らの事を実験動物だと強く自覚しているらしく、
実験の完遂を第一としているクローン達に協力を求めれば、却下されるどころか邪魔されるという結論に至った。

現在時刻は十七時。実験開始まであと四時間。
それは自分と御坂が出会ったクローン、九九八二号の実験開始時刻だ。
クローンの総数は二万体。殺すのが一日一人ずつでは約五五年かかる。さすがにそれでは時間がかかり過ぎる。
となると、一日に平均数十人は殺していると考えるのが妥当だ。
別の実験がどこかで行われていてもおかしくない。
が、学園都市が隠蔽している以上、おそらく今以上の情報はつかめない。
心苦しいが、九九八二号を救うことに専念した方が良い。
とはいえやはりあと五時間。作戦も決めたし、正直言って時間を持て余している。
ということで、

「ただいまー」

買い物をして、一旦帰宅した。
これから血みどろの決戦になるかもしれないのに、我ながら呑気なものだと思わなくもないが、
同居人に余計な心配をかけたくなかったのだから仕方ない。

「ただいまじゃないよ!朝から買い物に行って帰りが夕方って遅すぎるかも!」

ここで連絡の一つでもくれれば良いのにと言わないあたりが、機械音痴のインデックスらしい。

「ちょっと野暮用が出来てさ。ご飯作ったらまた行かなきゃいけない」

一応、何かトラブルに巻き込まれたらとかいろいろ考えて、念には念の精神で、出かけるときは作り置きをしておくのだが、綺麗に完食されていた。

「優等生のとうまが、夜遊びしようなんて珍しいね」

「夜遊びじゃなくて、野暮用だって」

「……ふぅん。ま、ちゃんと早く帰ってきてね」

「ああ」

上条は晩御飯を作ってインデックスと一緒に食べて、一七時四〇分に家を出た。

作戦は至ってシンプル。
実験場所の裏路地に通じる廃墟ビルの窓に隠れて、チャンスがあれば不意打ちを仕掛ける。
それが位置などの関係により出来ずに立ち往生し、クローンが殺されかけた時は介入する。
そして決戦になった場合、他のクローンや学園都市から介入があるかもしれない。
それは御坂が全部引き受けることになった。

二〇時二〇分から廃墟ビルの窓の近くにしゃがんで待機しているが、現在時刻は確認していないため、
というか携帯の光で位置バレの危険性を考慮して出来ないため分からない。
自分の感覚的には、二〇分ちょいくらいだと思うが。
なんて事を考えていたら、外からコツコツと足音が聞こえてきた。
ここで身を乗り出して確認して、一方通行であれば絶好の不意打ちのチャンスであるが、
クローンだった場合、身を乗り出すのは無駄になり、それどころか身を潜めているのがばれてしまえば、作戦の遂行は難しくなる。
よって二人が集まったとき、細心の注意を払って二人の位置などを確認し、チャンスとなれば不意打ちを仕掛ける。

「現在時刻は二〇時四八分です。
 第九九八二次実験開始まであと一一分四〇秒ですので、指定のポイントへの移動をお願いします」

少しだけ遠くから、クローンの声が聞こえた。
もう少しで実験が開始される。

今日はここまでです。
三巻の再構成と言うより、妹達編の再構成になってしまいました。
一応、一週間以内に投下が目標ですが、書き溜めはもうほとんどないので、いつ投下するかは分かりません。

>>1です。
『妹達』完結まで投下します。

「二一時になりました。これより第九九八二次実験を開始します」

その宣言から、おそらくは五分も経っていないはずだった。
しかし上条は、不意打ちを仕掛けるどころか、二人の位置を確認することすら出来なかった。
宣言直後から、ゴン、ガァン、ドン、ガギィン、ドガシャアと何かがぶつかったり壊れたりする音が響き渡り、
一応申し訳程度に明るかった裏路地が、突然真っ暗になったからだ。
おそらくはクローンが能力を使って電力系統に干渉したのだろう。

そして何も出来ずに身を潜めていると、サブマシンガンの音が響きガラスが割れるような音がした後に、走り去る足音が聞こえた。
走り去ったのは当然、クローンだろう。
一方通行が追いかける足音が聞こえないのは、それだけ余裕がある証拠だろう。

「……やばいな」

これで不意打ちプランは出来なくなった。
決戦するしかなくなった。
正確に言えばクローンの逃げた先によっては不意打ちのチャンスが訪れるかもしれないが、そんな都合よくチャンスが訪れる気はまったくしなかった。

「……ふぅー」

上条は一度だけ深呼吸して、足音がした方向へ駆けだした。

裏路地には投げ捨てられているサブマシンガン、一部分が割れているゴーグルがあった。
わずかではあるが血痕が残っていたため、クローンが逃げた方向も分かった。
そしてわずかな血痕を辿っている途中に、大きい爆発音が聞こえた。

「っ!」

血痕を辿っていたため割と慎重に走っていたが、もうそんな必要はない。
爆発音は近い。
全力疾走で駆けつけた先の操車場で見た光景は、

クローンの左足を掴んでいる一方通行だった。

「やめろ!」

不意打ちも何もなかった。
クローンはもうボロボロだったから。
殺されかけていたから。
真正面から挑むしかなかった。

「あァ?」

一方通行は怪訝そうな顔をしてこちらを見てきた。
クローンの左足から手を離しながら。

「おいおい、この場合、実験ってのは、どうなっちまうンだ?」

「あ、なた、は……」

「あァ?オマエ、アイツの知り合いかよ?」

一方通行がクローンのほうにわずかに体を向けて尋ねていた時、上条は鉄橋から操車場に飛び降りて、

「このやろう!」

落ちている砂利の一つ、大きめなものを一方通行へ投擲した。
砂利は一方通行の肩へ直撃して――反射されて上条の顔の横を切った。

「なンなンですかァ、あの野郎は。なンか気合い入ってるみたいだけどよォ、結局どうすンだよ?
 実験の秘密を知った一般人は口封じのために殺す、みてェなお決まりの展開かァ?
 勘弁してくれよ。人形ならまだしも、マジモンの人間殺すのは後味悪すぎるっつーの」

『ベクトル操作』。
聞いた通りの化け物のような能力だ。
投げられた砂利を跳ね返す方向も速度も自由自在。
投げた時の速度より速く、まっすぐに向かってきたものを変化して跳ね返す事も出来る。

「つーかよォ、実験の関係者とかオマエらの片割れとかがさァ、一般人を近づけさせないようにするもンじゃねェのかよ?
 ましてや昼ならまだしも、完全下校時刻を過ぎた、お子様は寝るような時間なンだからよォ。
 セキリュティぐらいしっかりしてくれや。どンだけ体たらくなンだっつーの」

真正面から殴りに行けば、馬鹿かコイツと油断する可能性はある。
か、一方通行が繰り出す一撃一撃が致命傷クラスなのは想像に難くない。
賭けに近い方法を試すには危険すぎる。

「……あーあ、クローンは答えないし、一般人も石ころ投げてから手は出してこねェし。
 おい一般人、石ころ投げたのは特別に許してやる。だから帰れ」

近付くのが駄目なら、挑発なりして近付けさせるのはどうか。
人が人を殺すためには、凶器も何もなければ、結局は身一つ。
一方通行も例外ではない。何もなければ、近付いて殴る蹴るなどしなければならない。
もっとも、実際問題一方通行相手では転がっている砂利ですら致命的な凶器になり得る。
挑発したところで遠距離からの攻撃を選択する可能性も十分ある。
どちらも可能性としては分が悪い。
だったら、

「なんでだよ」

「あァ?」

「お前は既に学園都市最強の超能力者だろ?クローン達を殺してまで絶対能力者になる必要がどこにある?」

言葉をぶつけるしかなかった。

「まァ、素人なら湧いて出る疑問だろうな。簡単な事だ。『最強』じゃあ喧嘩を売ってくるバカがいる。
 だがその先の絶対能力者、『無敵』になっちまえば、手の届かない存在になっちまえば、もう俺に挑もうなンてアホはいなくなる」

「かもしれないけど、それはクローン達を殺してまでなる事じゃないだろ。
 絶対能力者になりたいのなら、まっとうな方法でなれよ」

「偉そうに説教ですかァ?
 つーか実験に割り込ンでくるぐらいだから詳細知ってンのかと思ったら、案外そうでもねェみてェだな。
 よォーく聞けよ。この実験は『樹形図の設計者』通りにやっているだけだ。
 つまり、絶対能力者になるにはこれしかねェわけ。誰が好き好んで二万回も戦うかよ」

「ということは、クローンを殺す事自体はあまりよく思ってないってことだろ。
 だったらやめろよ。強制されている訳はないだろうから、大方口車に乗せられているだけだろ?
 これ以上続けると、本当に取り返しがつかなくなっちまうぞ」

「しつけェな。どうしてそこまでこだわる?別にオマエには何の害もねェだろ」

「害ならある。クローンが死んだら悲しい。御坂も悲しむ。だからやめろ」

「一つ一八万の模造品に慈悲の心を抱く方がおかしいンだよ。そンな理由じゃあ、実験を中断する訳にはいかねェな」

「本気で言ってんのか?」

「当たり前だろ」

「お前さっき言ったじゃねぇか。クローンならまだしも、マジモンの人間殺すのは後味悪いって。
 『まだしも』ってことは、積極的に殺したいとは思ってないってことだろ?
 それに普通の人間を殺すのも嫌なんだろ?お前は快楽殺人者でも何でもないんだろ?
 だったら、こんな馬鹿な事やめろよ」

「確かに俺は、クローンを殺すのが楽しい訳でもねェし、人間殺すのが好きな快楽殺人者でもねェ。
 喧嘩を売ってくるような馬鹿でも、命狙ってくるようなアホでも、気分が良ければ見逃す事もある」

だがなァ、と一方通行は区切って、

「人を殺すのに躊躇いはねェし、絶対能力者になるためならクローンを殺す事にもなンら躊躇はねェ。
 俺は善人じゃねェ。いい加減、的外れな説教は止めろ。これ以上続けると言うのなら、オマエを殺す」

月を背にしている一方通行は、ゆっくりと両手を水平に挙げて行く。

「もう一度だけ言ってやる。今ここで帰るなら見逃してやる。
 もっとも、逃げた先で実験関係者とかに殺されないのは保証できねェがな」

「……だったら、どうしてさっさと殺さない?」

「あン?」

「今の俺だってそうだけど、もっと疑問なのはクローンとの戦闘だ。
 その気になれば、三秒もあればお釣りがくるぐらい速攻で殺せるはずだ。
 なのに、そこにいるクローンも俺も生きている。お前はきっと、そんなに悪人じゃない。
 だから、お願いだから止めてくれ」

「……仕方ねェ。殺すしかねェか!」

地面を蹴った一方通行が、上条へ向かって発射された。
その速度は秒速にして二〇〇メートルに達していて、到底避けられるものでも、防げるものでもない。
一方通行はそう確信していたのだが、

「!?」

意味が分からなかった。
まず顔面に痛みがあって、月が見えて、何で月が見えるのかと言うと、
地面に仰向けに転がっているからであって、なぜ転がっているかと言うと、

「い……てェ」

痛み。
そんなものは超能力者になって以来、味わわなかった感覚。
なぜ痛いかと言うと、

「ま、さか……」

ぶっ飛ばされたから?なぜ?
あの少年を殺すのに意識が集中しすぎて、無意識に能力を切った?
いや、あり得ない。そんなことは、あり得ない。

「クソが……」

一方通行は右手で鼻から出ている血を拭いながら、ゆっくりと立ち上がった。
その直後だった。

追撃を加えんと接近していた上条の右拳が、一方通行の顔面に直撃した。

「ゴブァ!?」

殴られたことにより仰け反り数歩後ろへ下がる一方通行へ、上条はさらに、二、三発拳を顔面へ叩きこむ。

「が……!?」

拳が直撃する意味は相変わらず分からなかった。
が、とにかくヤバいと確信した一方通行は、脚のベクトルを操作して後方へ大きく跳んだ。
そして高く積まれているコンテナの上に着地する。

「もういいだろ。こんな馬鹿な実験止めろ」

散々殴っておいて何を言っているのか。
それはさておき、なぜ拳が直撃するのか。
こちらが能力を切っているというのはあり得ない。
だとしたら、あの少年側に何かあるとしか考えられない。
それは何か。

「……くそっ!大丈夫か!」

「ミサカ、は、だいじょう、ぶです。それより、なんであなたがここに……」

少年がクローンの下へ駆けより介抱している。
そこへどういうわけか、オリジナルである御坂美琴までやってきていた。

「御坂、お前、なんで……」

「特に妨害とかもないみたいだから、増援に来ただけよ。というか驚いたわよ。一方通行を何発かぶん殴れるなんて。
 しかも初撃は突っ込んでくる一方通行に対してカウンター決めるなんて、大金星でしょ。
 まあ何より、お得意の言葉責めが始まったのが一番だけど」

そうか。
あの少年一人でここまで辿り着いたのではなく、第三位のオリジナルの手助けがあって、
いや、あの少年にある謎の力に期待して、助けを求めて情報をリークしたのか。

「言葉責めって……お前、どこから見ていたんだ」

「アンタが鉄橋から飛び降りて一方通行に砂利を投げたとこぐらいからよ。
 支援したかったけど、言葉責めが始まるし、そしたら唐突に戦闘開始だしで手が出せなかったの」

そういえば、最近聞く噂で『第三位を軽くあしらえる人間がいる』というのがある。
いい勝負なら、第四位でも第七位でも、もしかしたら大能力者でもできるかもしれない。
しかし軽くあしらうことが出来るのは、第一位である自分か、第二位ぐらいだろう。
だが、自分はあしらった記憶なんてないし、第二位もおそらく自分と同じ『闇』に身を置く者。
噂になるほど表だって第三位とじゃれていたとは考えにくい。

「とりあえず、この子は私が安全な場所まで運ぶ。だからそれまで死なないでよ。
 まあ説得ができるものならしてもいいけど、基本はぶちのめすこと。分かった?」

「ああ。頼む」

となると、信じ難いがあのパッとしないツンツン頭のどこの高校かも分からない制服の少年が、第三位をあしらっていた張本人なのだろう。
現に親しげに会話していたし、そういえば『能力を打ち消す男』なんて都市伝説を聞いた事もある。
噂は所詮噂。都市伝説は所詮都市伝説。そう思っていたが、それが全部本当なら。
能力を打ち消せるなら、第三位の攻撃を流して『ベクトル操作』の自分の反射膜をも打ち破れる?

「……」

少年は無言で構えるだけで、こちらには何もしてこない。否、出来ないのだろう。
能力を打ち消すことししかできないから、手出しが出来ない。
では能力を打ち消す条件は何か。おそらく打ち消せる制限はない。
第三位の電撃を打ち消し、自分の反射膜も破れるのだから。
どうしたら打ち消されるか。半径数メートル以内に居る人間は問答無用でとか、おそらく距離の問題じゃない。
さっきまでゼロ距離で殴られていたのに、脚のベクトルを操作する事は出来たのだから。
そうだ。
よくよく思い出してみれば、殴られている顔面だけ、殴られている時だけ、反射膜が破られた。
それも考えてみれば、右手だけで殴られた。左手を使われなければ、蹴りもなかった。
『能力を打ち消す能力』があるのは右手だけか。ブラフではないのか。おそらくブラフじゃない。
あそこで左手や両足でも追撃できるのなら、それをフル活用してでも追い込みをかけるはずだ。
とはいえ、この仮説が正しければ右手は脅威であり、近距離戦は得策じゃない。
となると――、

「殴られた分、やり返させてもらうぜェ」

遠距離から攻撃する。
一方通行は、コンテナから飛んで電車のレールが走っているところに着地して、

「ふっとべ」

地面を一度だけ踏んで、いくつかのレールを強引に浮かせる。
それらを少年に向かって蹴り飛ばす。
一、二、三、四、そして五本、連続で発射したレールは、右に左にサイドステップしたりジャンプしたり伏せるなどして、あっさりと避けられた。

「やるじゃねェか」

驚きはしたが、最初の特攻をカウンターされた事を考慮すれば、想定の範囲内ではある。
ならば。

一方通行は後方へ跳び、今度はコンテナの裏に回り込んだ。
そして、

「これならどうだァ!?」

一方通行の蹴りによって、高くたくさん積まれているコンテナの一つが発射された。
縦横高さ約三メートルの立方体のコンテナ。
レールは形が形なので『向き』によっては避け易かったかもしれないが、
コンテナは良くも悪くも『向き』によって避け易かったり避けにくかったりはない。
ジャンプするには少し高いだろうし、伏せるスペースがあるほど小さくはない。
もちろん後退することによって避けられるはずもない。
しかし、まだ左右というスペースがある。
現に少年は、左に大きく跳ぶ事によって回避した。

「限界が見えてきたかなァ?」

コンテナでは左右に避けるスペースがある。
逆に言えば、それさえ潰せば。

「いくぜェ」

今度は両手を使って、コンテナを一気に二つ押し飛ばす。
縦と高さは約三メートル。しかし横は約六メートル。
無論、右寄りにも左寄りにもではなく、丁度中心にいくように発射した。
つまり、右に避けるにしても左に避けるにしても、約三メートルの移動が必要。
先程の攻撃の回避は余裕のあるものではなかった。これは避けられるはずがない。

「へェ」

避けられるスペースは、左右後方上下だけではなかった。
つまりは、前。
あの少年は前進することによって、斜めから発射されたコンテナが地面に到達するまでのスペースを潜り抜けたのだ。
しかし、理論上は可能な事でも、実際に高速で迫るコンテナの“圧”を前にして、
前進するという選択をとって避けきるなど、並の精神じゃできないだろう。
もっとも、これは上段にあるコンテナを飛ばしたからこそ。
下段にあるコンテナを飛ばせば、鋭角の隙間に潜り込むのも困難、一番下のコンテナを飛ばせば不可能となる。
しかし、

「いいねェ」

少年の瞳。
絶望や恐怖なんて微塵も感じていない。
ダメージを受けていないとはいえ、これほどの猛攻を受け続け、反撃する手段はない。
それなのに。
あの瞳は、負けないと、諦めないと語っている。
あれを見ていると、コンテナを飛ばすぐらいでは倒せない。
そう思ってしまうほど、強気な瞳。
だからこそ、必要になる。
あの少年を確実に倒せる、圧倒的な力が。

「今のうちに言っておこう。多分、オマエが人類で一番俺を追い詰めた。
 そして俺相手に一番しぶとく長く息をしている。
 だからこそ俺は考えた。オマエを確実に殺せる方法を。
 感謝するぜェ。俺はオマエのおかげで、新たな力の使い方に気付けた。その新たな力で、オマエを葬ってやる」

一方通行が両手を水平に広げる。
その直後から、彼を中心に風が渦巻き始める。

「くそっ!」

少年はこれからすることに勘づいたのか、背を向けて逃げ出したが、

「遅ェ」

風は一気に巨大化して、コンテナや砂利やらレールやら、とにかくなんでもかんでも巻き込んで、

「終わりだ」

風の向きを調整して、渦巻いていたコンテナやらの物体全てを、少年に向けて放った。
それは一瞬で少年や、彼が走っていた地上にぶつかり、全てを削り取った。

操車場にある全てのコンテナと幾千の砂利と数十本ものレールを飛ばし地面を削り取った結果、莫大な煙が巻きあがっていた。

「は」

やはり少年には感謝するべきかもしれない。
風を使った攻撃は、思った以上に強力だった。
しかし、まだだ。
こんなものは、学園都市にある風をそれなりに操った程度。
もっともっと、東京中、いや日本中、さらには世界中の風をかき集めて操作すれば。

「ははは……」

笑いが抑えきれない。
これだけの力があれば、もう絶対能力者などどうでもいい。
世界は、この手にある。

と、

「ごほっ、ごほっ!」

煙が晴れて、その中から少年が咳き込みながら出てきた。

「ははははは……」

笑いが抑えきれなかった。
ただし、これは手に入れた力に対する喜びではない。
避けられるはずもない必殺を受けてなお、少年が立ち上がったことに対するものだ。

「はぁ、はぁ」

「感服するぜ。そのしぶとさ」

少年は今度こそ無傷ではなかった。額と口の端からは血を流している。
だがそれだけ。死んでいないどころか、気絶すらしていない。
おそらくは、コンテナとレールは何とか避けて、どうしても避けきれない砂利は背中で受けたのだ。

「お前……それだけの力があって」

「まだ喋れンのか」

「それだけの力があれば、何だって誰だって守れるのに、誰だって何だって救えるのに」

「また説教か」

一方通行は両手を水平に広げる。
そして彼の頭上に風が集まる。

「何だって、そんなことしかできねぇんだよ」

「ふン」

一方通行の頭上で風が圧縮される。
その結果、眩い白い光が発生して――高電離気体(プラズマ)となる。

「答えてやるよ。何だってそンなことしかできねェ、か。それは、俺の能力が、破壊することにしか向いてねェからだ」

一方通行の頭上にある高電離気体は、摂氏一万度を超える。
下手に近付けば、直撃しなくても溶ける。
だから上条は、一見隙だらけの一方通行に近づけない。
だから一方通行は、余裕綽々で語り続ける。

「俺の能力は自らを守る事は出来ても、その他の一切合切には触れることすら出来ねェ。
 だから誰も守れねェし、何も救えねェ。それが答えだ」

言って、一方通行は高電離気体を放った。

「っ!」

少年は走った。後方へ。
しかしそれ以前に、高電離気体は速度が遅いうえに、制御化から離れると、たった数秒で空気中に溶けて消えた。

「今までの攻撃を耐えてきたオマエに、今ので仕留めるなんて百年遅ェな。オーケー。次だ」

一方通行は地面を思い切り蹴って数十メートルほど垂直に跳んだ。

「いくぜェ!」

そこから超高速で落下して行く。
当然、足を下にしたキック。
動体視力的にはカウンターを決められるとしても、物理的に受け止められはしないだろう。
その判断は正しかったらしく、少年は左へ跳んで避けた。
結果として、一方通行は地面に減り込み、

「アッヒャ!」

「!?」

一方通行は背中に風を集めて飛んだ。
ただし、地面を掴み上げながら。

「いくらなんでも、めちゃくちゃすぎんだろ!」

初めて少年がテンパった声をあげたと思う。
少年は浮かび上がる地面から、地上へ跳び下りる。

「――今度こそ」

一切の隙間がないため避けるのは不可能な“面”と受け止めきれいない“圧”。
今掴みあげている地面は、そういうものだ。

「――終わりだ」

しかし、そこで一方通行の計算外の出来事があった。
投げようとしていた地面が、唐突に砕け散ったのだ。

「コイツは……」

一方通行のすぐ横に、オレンジ色の直線の残像があった。
その答えは、

「御坂……!」

「ったく。めちゃくちゃするわね、あのモヤシ野郎!」

今のが噂に聞く、第三位の能力名にもなっている『超電磁砲』。
おそらくはレールか何かを殴って飛ばしたのだろう。
とにかく、掴んでいた地面はそれに貫かれて崩れ去った。
崩れ去ったと言っても、それは降り注ぐ瓦礫になるのだが、

「そこで大人しくしてなさいよ、アンタ!」

彼女の操る砂鉄が、降り注ぐ瓦礫から少年を守り切った。

一方通行は背中の風を解除して、ゆっくりと地上へ降り立った。

「助かったよ、御坂」

言葉だけは少女に向けられたものの、視線はずっとこちらを向いていた。

「全然。むしろ遅れて悪かったわ。……説得には失敗したみたいね」

「いや、まだだ」

「はぁ?」

「一方通行、お前さっき、何も助けられないし救えないとか言っていたけど、そんなことないだろ。
 そんなの、お前の考え方や気持ち次第だ」

少年を遠距離から攻撃すれば、少女が能力を駆使して守る。

「確かに、お前の能力では何かに触れることは出来ないかもしれない。
 けど、守りたいモノの盾になって、身を挺して守ることぐらいはできるだろ」

身を挺して守る。
つまり、少女を近付いて殺そうとすれば、少年がでしゃばる。

「結局、お前の心掛け次第なんだよ。だから、もうやめよう。こんな戦いに意味なんてないだろ」

「意味ならあるだろ」

「え?」

「オマエは実験を止めたくて、俺の前に立ち塞がっている。
 そして俺は、そンなオマエが邪魔だから、こうして殺しにかかっている。
 この戦いは、そォいう戦いだ」

「だからお前が、自発的にやめてくれればいい」

「出来ねェ相談だ」

「何でだよ!?何でそこまで意地を張る必要が……」

「ここまで、俺のためにクローンが一万弱死ンでいる。そのために俺は、実験をやめるわけにはいかねェンだ」

「それが本音か。でも、だったら、そんな考えは間違っている。だからもう」

「お互い、譲れねェンだ。だから、決着をつけようじゃねェか」

「何でそうなるんだよ!?」

「オマエが俺を倒せたら、俺はこの実験から手を引いてやる」

「な」

「だから、もう甘ったれた考えは捨てろ。ここにあるのは、勝つか負けるかだ」

「ちくしょう!何でそうなん」

「もういいわよ!ハナっから話が通じる相手なんかじゃなかっただけよ!」

御坂が上条の肩に手を置いて止める。
その時、一方通行も発射されていた。

「御坂!」

上条は御坂を突き飛ばす、のではなく、むしろ手繰り寄せた。

「え、ちょっと」

「俺から絶対離れるな!そして俺に身を委ねろ!」

「ひぇぇぇぇ!?」

上条は御坂を左半身で抱きしめるようになった。
その間一方通行は、上条達の回りを飛んだり跳ねたりしていた。

「やっぱ面白ェ。面白ェよ、オマエ!」

一方通行の狙いはシンプルなもので、二人とも『触れて』殺すことだ。
最初の攻防は、直線でいったからカウンターを貰った。
ならば話は簡単。動き回って惑わせ、ここぞというところで特攻を仕掛ける。
無論、最終的には直線的な特攻になってしまうが、ただ闇雲に真正面から突っ込むよりは、ずっと効果があるに決まっている。
そしてそれは、おそらく少年側も気付いている。
だからこそ少女をフリーにしないのだろう。
上等だ。二人まとめて殺す。

「これだけの速度で動きまわる俺を、捕らえられるかァ!?」

その直後に、一方通行は上条達の真後ろから特攻した。
左手を御坂の頭へ伸ばし、

上条が御坂と共にしゃがむことによって、左手は空を切る。
ならばと追撃の右手を繰り出すが、それも振り返りざまの裏拳気味の右手に阻まれる。

「クソが!」

一方通行は一旦退いて、再び縦横無尽に空間を駆け抜ける。

弾かれた右手がジンジンと痛む。
失敗した、と一方通行は思う。
右手側からの攻撃を、右手で止めるのは当たり前だ。
とはいえ左手で少女を抱えている以上、左手はあっても意味がない。ということだろう。
だとすれば、『能力を打ち消す能力』は右手にしかない事はほぼ確定か。
つまりは、右手さえどうにかすればいい。

一方通行は、今度は上条達の左側から特攻する。
当然、右手を左側に振ってまで何らかの対処をしてくるものだと考えていたのだが、

上条達は、無反応だった。

「なに!?」

もともと左側にはフェイントだけ入れて、すぐさま右側に回り込んでジ・エンドの構図を浮かべていた一方通行は、
何もしない上条達に対しても右側に回り込んでしまう。

「ご苦労さん!」

「ふざけ……」

上条の右拳が、一方通行のガードとしてクロスした両腕に直撃した。

「ク、ソが……」

ジンジンと痛む両腕を振りまわしながら、一方通行は再び動きまわる。

「まさか反射に慣れた一方通行が“ガードする”とはな……」

「に、人間としての、ぼ、防衛本能が出たんじゃないかしら」

「かもしれないな……。けど、だとするとヤバい。長期戦になるかもしれない」

ヤバいのはどっちだ。
左側からのアクションに対して、敢えて何もせず回り込んだ右側にカウンターを仕掛ける。
予知でもしていなければ無理なはず……。
いや、違う。
むしろ当然な反応かもしれない。
動くとは言え右側に『絶対の防御』があるのなら、左側から攻めるのは当然だ。
そして左側に誘導された『動く絶対の防御』を迂回され、右側から攻められる。という予見をしてもなんらおかしくない。
すでに『右手に何らかの能力がある』と看破されたのを考慮したのなら、先程の一連のやりとりは予知でも何でもなく、当然なものであるとも言える。
とはいえ、それを超高速で実行されているうえに、そのまま左側から攻められる可能性だってあった。
にもかかわらず、無視を決め込みカウンター。単に勝負強いだけだったのか。
それとも――。

「クソがァァァ!」

上条達の左斜め後ろ。
そこからスライディングで彼らの足を砕こうとするが、

「ひゃっ!?」

御坂をお姫様抱っこした上条のジャンプによりあっさりと回避される。

「おらァ!」

スライディングで彼らの下を潜り抜けた直後に無理矢理止まって、蹴りを放つ。
それを、既に御坂を下ろして自由になった上条の右拳が迎え撃った。

「ぐ……!」

声を出したのは一方通行。
痛かったのだ。
こっちは脚であっちは拳。力ならどう考えたって脚力の方が上なのに。

「おらぁ!」

「ぐあ!」

押し負けた。
だが、

「ざけンなァ!」

両手を振って風を上条達に叩きつけた。
彼らは一〇メートル強吹き飛ぶが、それでも地面をスライドして踏ん張った。

「チッ」

一方通行は舌打ちした。
絶大な威力を誇る風も、ろくにチャージもせず咄嗟に放ったものだから、あの程度。
それにしても、女一人を抱えてあの拳の威力。
体重移動やらがしっかりできた本物の威力はどれほどだと言うのか。

「ちくしょおォ……」

この状況を、それぞれの人物の詳細を知った第三者が見ればどう思うだろうか。
一方通行が有利だと思う人もいるかもしれない。
だが当の本人は、全然納得できていなかった。
これだけの力があるのに、おそらく右手に『能力を打ち消す能力』しかない少年相手に、ここまで苦戦している事を。

「大丈夫か御坂」

「あ、アンタこそ……」

結局だ。
結局、風なら何とかなるだろう。
あの少年も打ち消せない。少女が能力を駆使して強固な盾を作っても吹き飛ばせる。二人を一気に吹き飛ばせる。
だが、

「まだだ……」

まだ試していない手がある。
先程は有効だった手で。

一方通行は地面を蹴って垂直に跳ぶ。
そして、隕石の如く上条達目がけて落下する。

やはり少年達は大きく跳んで避けるという選択を取った。
しかし跳んだことに加えて落下の衝撃で大地は震える。
つまり、少年達の体勢もさすがに崩れて――、

「これで正真正銘、終わりだァ!」

倒れている上条達に、地を這うように超高速で特攻する一方通行。
本当に、本当に純粋に一方通行はこれで終わったと思った。

が、

「おおおおおおお!」

「な――」

少女を抱きかかえたまま転んで体勢を崩された。
それまでにもダメージを蓄積しているはずだし、神経をすり減らしていたはずだ。
それなのに。

すぐさま起き上がった少年も、地を這うように真っ向から突っ込んでくる。

「あァァァァァァァ!」

超高速というのは、相手にしてみれば脅威だろうが、こちらも咄嗟の反撃に小回りや機転が利かない。
もっとも、これまではその反撃を気にする必要などなかったのだが。

結局、一方通行も小細工なしの真っ向勝負に挑んだ。正確には挑むしかなかった。

しかし、やむを得ず真っ向勝負を挑むしかなかった者と、最初から真っ向勝負するしかなく、それを貫き通した者。
その差か、あるいはもっと単純に、運動能力とか動体視力とか筋力とか、そういう部分か。
あるいはそれら全ての要素か。

とにかく、上条の右拳が一方通行の出した左拳を押しのけて、そのまま顔面へと突き刺さった。

つまりは。

「終わっ……た?」

「ああ。終わった」

上条当麻の勝利という形で、激闘が決着した。

八月十六日。九時。

意識こそ失わなかったが重傷は重傷だった。
そのためまたしても『冥土帰し』と呼ばれる凄腕の、カエルによく似た顔をしている医者の厄介になり、一夜を病院の個室で明かした。

なかなかの重傷を負ったつもりだったが、医者にとってはこの程度軽傷だったのか、君の治療は退屈だと言われてしまった。
もっと酷い重傷を負えとでも言うのか。
そうなると人体を一部欠損しなければいけない気がするが。

御坂とはほんの少しだけ話して別れた。
現在はホテルに匿っているらしい逃がしたクローンと一緒にいるのだろう。
実験はストップするだろうか。
一方通行は、負ければ実験は降りると言っていたが、果たしてどうか。
でも、信じたい。あの局面で、嘘をつく必要などない。メリットなどない。
ということは、咄嗟の本心から出た言葉……のはずだ。
都合よく考え過ぎだろうか。
仮に降りなければ、またあの化け物と対峙することになる。
実際、戦ってみたら想像以上で、御坂がいなければ地面の持ち上げ攻撃を防げずに死んでいた。
そして今回は辛くも勝利したものの、一方通行には、勝つ手段があったはずだ。
例えば風。
あれを連発しているだけで良かったと思う。
もしかしたら、演算が複雑すぎて連発出来ないなど、事情があったのかもしれないが。
もしも次また戦う羽目になって、瀕死になったら、今度は医者の期待に添えられるかもしれない。

なんて冗談を考えていた時だった。

ドアのノックもされず、個室に一人の人間が飛び込んで来た。

「とうまぁ!」

白いワンピースに身を包んだインデックスだった。

「お、おはよう」

「とぉうむぁー」

物凄い巻き舌で迫ってくる。

「随分と激しい夜遊びだったんだね」

ベッドに寝ているところに跨られ、鼻先がくっつきそうな距離で、ものすごい棒読みで言われた。

「ま、まあな。でもなインデックス、男には、たまにはこういう危険な夜遊びも必要なんだよ」

我ながら意味不明な言い訳だった。
かといって真実を伝えたところでどうにもならないし、余計な心配は負わせたくない。

「さすがのとうまも、この状況なら噛みつきをかわせないよね?」

「いや、それはちょっと違うんじゃないかな。怪我人に対して噛みつきはないんじゃないかな」

「十分間頭を噛みつかれるか、一時間全身の至るところを噛みつかれるか、どっちがいい?」

いけない。
どうにもインデックスはかなりお冠のようで、宥めるにしても、今のコンディションではちょっと厳しい。

「どうしたら許してくれるんですかね?」

「なんで嘘ついたの?」

「え?」

いきなり真剣な瞳と語調になったインデックスを見て、思わず動揺する。

「う、嘘?」

「とぼけたって駄目なんだよ。夜遊びって何さ。とうまは、誰かを助けるためにここまでになったんでしょ?」

「な、なんで」

分かったんだ、と言う前に、

「分かるに決まってるんだよ。とうまの眼を見れば。だって、私だってそうやってとうまに救われたんだから」

「……で、でも」

「でも、本当の事を言ったら、巻き込んじゃうかもしれないとか思った?
 そうかもね。そうかもしれないんだよ。だから、詳しい事情までは聞かない。
 けど、夜遊びなんて嘘つかれたのは心外なんだよ。
 せめてそこだけは、俺は今から大切な人を助けに行くんだ、って。
 そこだけは本当の事を言ってほしかったかも」

「……ごめん。それは謝る。でもさ、そう言ったらやっぱりお前、気になって出てくるだろ?」

「行かないよ。私はとうまを信じているもん。どんなになっても、最終的には帰ってきてくれるって」

「……そっか。ごめん」

「分かればよろしいんだよ」

正直、インデックスに余計な心配をかけたくないとか、そんな言い訳をして、どこかで彼女を侮っていたのかもしれない。
彼女の言う事はもっともだ。
大切な人が頑張っている中、夜遊びなんて嘘をつかれて家で呆けていたら、真実を知った時、自分は何をしていたんだろうと思ってしまうだろう。
だが、人を助けにいったと分かっていれば『信じて待つ』事が出来る。
たとえそれが、心労にしかならないとしても、騙されてピエロになるよりはマシだ。
ここは考え方の違いかもしれないが、少なくともインデックスと自分はこのタイプらしい。

「ところで、私はおなかが減ったんだよ」

「見ての通り、今は料理できるコンディションじゃない。お金渡したらコンビニ、行けるか?」

「ば、ばかにしないでほしいかも!といいたいところだけど、一人では心細いんだよ……」

「うーん、そもそもインデックス、ここまでどうやってきた?」

前回の入院時は、ステイルや神裂と一緒にいたため、この病院に来ていないし位置も知らないはずだ。
機械音痴かつ方向音痴のインデックスが、ここに来れるものだろうか。
そもそもどうやって、この病院に自分が入院しているという情報を知ることが出来たのか。
人が入院すれば、まず始めに連絡がいくのは配偶者や家族だろう。
一人暮らしの人間が入院すれば、保護者や両親に連絡がいくだろう。
学校に行くような未成年なら、学校の担任の教師にも連絡がいくかもしれない。
上条の場合に当てはめると、まずは両親に連絡が行くのが順当だ。
ただ学園都市は、子供の入院をあまり親には伝えない傾向がある。
なぜかといえば、安全安心を謳う学園都市のイメージが悪くなる事を恐れているからだ。
さらに上条の場合、小さいころから病気や怪我での入院を繰り返していて、それが日常茶飯事だったため、連絡がいっても一々来ない可能性がある。
というより、来るなと言った事もある。
そんなたいしたことじゃないからと。来てほしいときは連絡すると。

要するに、親が来る事は、おそらくない。
となると次に可能性が高いのは、高校の担任の月詠小萌だろう。
少なくとも現時点では来ていないが、ひょっとしたら来るかもしれない。

さて、インデックスは結局どうやってきたのか。

「もとはるに連れてきてもらったんだよ」

「土御門が?」

「うん」

担任の先生から親しいであろう同級生へ、そしてインデックスへ、ということもあるかもしれないが、
多角スパイであるらしい土御門の場合、何かしらで自分が入院している事を知ってインデックスに伝えたのだろう。

「じゃあ土御門と少し話をさせてくれないか?」

「もとはるなら、私をここに送ってくれたあと、帰っちゃったよ?」

「え?何で」

「さあ。別に聞かなかったし、分からないかも」

「そうか……」

まあ、居ないのなら仕方ない。
あとで電話でもして聞くだけだ。

「それで、おなか減ったんだけど、どうしたらいいの?」

「どうしたらいいってなぁ」

一緒にコンビニ行ってくださいって、その辺歩いているナースにでも頼めばいいんじゃないか?
という冗談をかまそうとした、その時だった。

コンコン、と個室のドアがノックされた。

「すみません。どちら様ですか?」

下手にクラスメイトとかだったりしたら、インデックスとの邂逅は面倒なことになりかねない。
その場合は、インデックスに布団の中に隠れてもらうしかない。

「小萌先生と姫神ちゃんなのですよー」

先生と姫神。
姫神は、モニター越しでインデックスを知っているはずだ。
小萌先生は、基本的に人畜無害でお人好し。
判断に迷うところではあったが、

「どうぞ」

「大丈夫ですか上条ちゃん!」

「はじめまして」

園児服にしか見えないピンクの服と、ピンクの髪が特徴的な、どうみても小学生六年生にしか見えない合法ロリ教師、月詠小萌。
長いサラサラの黒髪に巫女服という出で立ちの姫神秋沙。
よくもまあこんな人間が患者との面会を許可されたものだ。

「大丈夫ですよ。それと姫神、はじめまして」

高校の担任の教師に連絡が行って、ここに来るのは何らおかしくない。
前回来れなかったのは、姫神関連でゴタゴタしていたのだろう。
だからこそ今回、姫神を連れて来たのかもしれない。

「む。いったいこの幼児体型のお子様と、黒髪ロングはどこの誰なのかな?」

「お、おい!失礼だろ、インデックス!」

「あなたこそ、一体どこの誰なのですか!」

「小萌。落ち着いて」

「この小さい人は俺の高校の担任の月詠小萌先生で、巫女服の人は姫神秋沙。どっちも俺の知り合いだから」

「む。そうなの?それならそうと早く言って欲しかったかも」

「まさかいきなりそんな失礼なこと言うとは思わなかったんだよ」

「上条ちゃん!この銀髪女の子は誰なのですか!?」

「小萌。この人はインデックスと言って。ここにいる上条君の知り合い。だから。少し黙っていて」

「ひ、姫神ちゃんはこの子の事を知っているのですか?」

「私、あなたの事知らないよ?」

「……この子は姫神ちゃんを知らないと言っているのですよ?」

「それは当然。それにはいろいろ。理由があって」

「あー。ちょっと待った」

このままだと話がカオスな方向へ流れかねないので、強引に割り込んで、

「とりあえず、小萌先生にお願いがあるんです」

「な、何です?」

「この子、インデックスと一緒に買い物に行って、料理を振る舞ってあげてくれませんか?お金は渡すので」

「え?どうしてですか?別にいいですけど」

一応理由は尋ねるが、既に了承してくれている辺り、お人好しが滲み出ている。

「インデックスはおなかが減っているみたいなので。インデックスも、それでいいよな?」

「ごはん食べさせてくれるなら、何でもいいんだよ!」

「そんなトントン拍子に!?……まあいいです。
 それじゃあ行きましょうか、姫神ちゃん、インデックス、ちゃんでよろしいです?」

「うん!それでいいんだよ、こもえ」

「ちょっと待って下さい」

「え?まだ何かあるです?」

「姫神と少しお話をさせてください」

「それは姫神ちゃん次第ですが……どうするです?」

「私も。お話してみたかったから。丁度いい」

「そうですか。では、今度こそ行きましょう。インデックスちゃん」

「うん!」

「ちょっと待って下さい。お金をまだ渡していませんが」

「構わないのです。先生の懐は、生徒にお金を出させるほど冷えていないのですよ?」

いや、その子はちょっと特殊で滅茶苦茶御飯を喰らうので、懐に余裕があってもヤバいかもしれません。
と言う前にそそくさと出て行ってしまった。

「ま、まあいいか」

「……改めまして。姫神秋沙です」

「え?あ……どうも。上条当麻です」

なんというか、マイペースな娘だなと思う。

「まず言っておく。どんな形であれ。アウレオルスから私を解放してくれたことは事実。だから。ありがとう」

ぺこりと、頭を下げられた。

「い、いや別に、俺のおかげというか、インデックスのおかげと言うか……。それより、『吸血殺し』は大丈夫なのか?」

「うん。私の首にかかっている十字架。イギリス清教から貰ったんだけど。
 あの子の修道服『歩く教会』の効果を一部抽出したもので。私の能力を。封印してくれているの」

「へぇー。便利なもんもあるんだな」

「そうだね。私も。驚いた」

「小萌先生には何か言ったりしたのか?」

「ううん。何も。小萌には。魔術師とか。知る必要ないもの」

「そうだな」

「小萌は優しい。何も言わない私を。居候させてくれる」

「先生は俺が知るなかで一番のお人好しだからな」

「私が知る中でも。一番のお人好し。だから。そんな小萌を泣かせないでね」

「もちろん」

「……多分。私の言っている意味。正確に理解してないと思う」

「え?」

「小萌はね。あなたのこと。息子ぐらいに思っているから。入院なんかして。あんまり心配かけるのも。駄目だからね」

「まあ、今後は入院しないように頑張るよ」

「……そう。じゃあ。お礼もしたし。小萌についても忠告はしておいたし。私はこれで」

「おう」

姫神が去ってやることがなくなってしまったので寝ていたら、個室のドアがノックされる音で目が覚めた。

「……どうぞ」

いつも通り常盤台の制服を着た、御坂美琴だった。

「えっと、一応、お見舞い。これ、クッキー」

「おう……」

こちらが眠そうな様子を見て悟ってくれたのか、

「ひょっとしたら寝てた?だったらごめん。起こしちゃったわね」

「いや、別に良い。それより、クローンはどうなった?」

「無事よ。そして、実験も中止に向かっているみたい」

「それは本当か?」

「ええ。私自身が何か情報を掴んだ訳じゃないんだけど、あの子たちにはミサカネットワークっていうのがあってね。
 脳波が同じだからこそできる芸当なんだけど、とにかくそのネットワークで実験中止が決まったという情報が、あの子たちの脳内で交換されたらしいわ」

「その情報って、どれだけ信頼できるんだ?」

「あの子たちの中には、まだ研究所とかにいる子もいる。そこから情報が漏れたみたい」

ならばそれなりに信頼できる……のだろうか。
いまいち判断ができない。

「御坂が匿ったクローンは?」

「もう出て行ったわ。
 あの子たちは、体を無理矢理急成長されたものだから、調整が必要になるの。
 でも学園都市だけじゃ調整する施設が足りないから、『外』にある協力機関にも送り出すみたい」

「……そうか。一方通行は?」

「分からないわ」

「そっか」

「それと……」

「それと?」

「あ、あり」

「あり?」

「ありが、とう」

「どうたいたしまして」

「っ……。じゃあっ!」

「ちょい待ち!」

「ま、まだ何かっ!?」

「何テンパってんだよ。御坂らしくない」

「あ、アンタのせいでしょーが!」

「えぇ?何が?」

「う、うるさい!」

それだけ言って、こちらの制止を振り切って御坂は出て行ってしまった。

何が悪くて御坂を怒らせてしまったのか。
謝りたくても、相手が何に怒っているのか分からなければ謝りようがない。
あとで電話かメールでもして聞くしかないか。

まあ、それはさておき。
実験中止は、本当に信頼していいものなのだろうか。
普通に考えて、いくらなんでも展開が早すぎやしないか。
絶対能力者の誕生は、研究者たちにとっては魅力的だったはずだ。
中止させるように最善を尽くしたつもりで、それが狙いどおりに言ったのは喜ぶべきことだが、こんなに早く中止になるのか。
何せ昨日の今日だ。
御坂に言えば余計な不安を募らせるだけだと思い言わなかったが、彼女はそこに違和感を抱いているだろうか。
抱いているとしたら、どう考えているのだろうか。
学園都市が実験を隠蔽していた事を考えると、学園都市には何か大きな野望があって、それが関係しているのか。
考えても、分からない。

「はあ……」

考えると疲れる。
ただこの溜息は、疲れと言うより、御坂に一つ言いそびれた事があるのが大きな理由だ。

実験は、色々歪んでいた。
もとの原因は、御坂がDNAマップを提供したことによる。
だから御坂は、自分のせいで『妹達』が一万弱死んだと気に病んでいた。
でも、御坂がDNAマップを提供したからこそ、『妹達』は生まれた。
笑って、泣いて、喜んで、悲しんで、怒ることができるようになった。
それだけは、誇っていいと思う。

それだけ言いそびれたのが、ちょっと残念だった。

これで三巻と言うか、『妹達』編の再構成は終わりです。
御坂と上条の出会いについて少しだけ掘り下げたものは、この三巻の再構成でやる予定でしたが、
ぶっこむタイミングを失ってしまったので、五巻の再構成でやりたいと思います。
あと白井黒子の登場は、おそらく六巻の再構成になるかと。
現状、書き溜めは四巻の六割ぐらいなのですが。

そして一つだけ。
このSSの再構成は、原作を超えるハッピーエンドをテーマにしています。
たとえば、上条が記憶を失っていなかったり、助かる妹達が若干多かったりします。
じゃあアウレオルス何で死んでるんだよ、という話ですが、一応理由はあります。
アウレオルスについても当初は、上条に助けられたインデックスを見て、目的を見失って自暴自棄になるのではなく、
寧ろ感謝して、イギリス清教に入って味方展開にしようかなぐらいに思っていたのですが、
いかんせんアウレオルスは強すぎるので、味方にしたら無双しちゃうし、敵のままじゃ敵わないし、
ということで原作同様退場させた方が良いかなと判断しました。
そして退場のさせ方についてなのですが、原作同様命だけは何とか助けようかとも思ったのですが、
どうも自分が書いたSSの流れからは、顔を変えて記憶を失わせるのは無理かなと思いまして、
自然な流れで退場させるには、自動書記状態のインデックスを見て恐怖して死んだ、しかないかなと思いまして、こうなりました。

次回の投下についてですが、上記のとおり『御使堕し』編の書き溜めは六割ぐらいあるのですが、結構短めになる感じなので、完成してから投下したいと思います。

>>1です。
エンゼルフォール編を投下します。

医者の治療がすごかったのか、重傷を負ったとはいえこれぐらいが妥当なところなのか、入院からたった三日で退院した。

退院してからは、まず電話で御坂に怒っている原因を聞いた。
何も怒ってないと言われた。
仕方ないので『妹達』が生まれた事だけは誇っていいと思う、と言った。
小さい声で、ありがとうと言われた。
どういたしまして、と言ったら電話を切られた。
その後電話やメールをしても一切出てくれないし、返信もなかった。
しつこいのもどうかと思うし、何か思うところがあるのだろうと判断して、あるタイミングで電話とメールを止めた。

次に電話をしたのは土御門。
まずインデックスを病院に送り届けてくれてありがとう、と。
その後、核心を尋ねた。

俺が入院した事を知っていたという事は、お前は、『妹達』を利用した実験を知っていたのか、と。
その問いに対する答えは簡潔で、

知っていた。

というものだった。
ではなぜ止めなかったのかと言われたら、止める力がなかった。と言われた。
ならば俺を利用してでも、と言えば、巻き込みたくなかったから。と返答された。
インデックスの時は俺を使ったじゃないか、と言えば、それはそれ、これはこれ。
そう何度もカミやんを利用するばかりじゃいけないから。と言われた。
そこからは堂々巡り。
それでも俺を、いや無理だ。このやりとりを何度続けたことか。
折れたのは向こうだった。
分かった。そこまで言うなら、次からはどんどん利用させてもらうぞ。と言われて、通話は終了した。
通話を終わらせたいだけの嘘の可能性は十分あり得たが、そう言われてしまうとどうしようもなかった。
というより、結局どれだけ駄々をこねたところで、舞い込んでくる情報量は土御門の方が多く、こちらに助けを求めるかどうかは彼次第なのだ。

ならばどうするか。
こちらが動いていくしかないだろう。
どう動けばいいかは、まだ分からないが。

八月二七日。
天気は快晴。
上条当麻とインデックス、そして上条の両親と従妹は海に居た。

こうなったのは、八月二六日にあった、雲川先輩からの電話がきっかけだった。

『ちょっとね。海に行ってほしいのだけど』

雲川先輩とは連絡先を交換していた。
だから電話が来る事自体は不思議じゃない。
ただ、内容がおかしい。

「海、ですか?」

『そう。海だけど』

ここ学園都市は東京西部にある。
当然、海に面していない為、海に行くには学園都市の『外』に行く必要がある。
しかし、学園都市は『外』に情報を洩らしたくない為、生徒が『外』に出る事を好まない。
その為に学園都市は、『外』に行くためには、三枚の申請書にサインして、血液中に極小の機械を注入して、保証人を用意しなければいけない。
という制約を生徒に設けている。
それなのに海に行けと言われ、それを雲川先輩に言われるのだから不思議だ。

「な、なぜですか?」

『一方通行を無能力者が倒したことにより、それが噂となって、この街に妙な混乱が生まれ始めている。
 その混乱を招いた本人に、とりあえず一旦「外」に出てもらって、その間に情報統制で混乱を治める』

「え?今なんて……」

なぜ。
なぜ雲川先輩がそれを?

「先輩、あなたは一体な」

『海の近くにある宿のチケットは送る。保証人となる両親にも。それじゃあ』

「ま、待って下さい、先輩!」

『何?』

「海から帰ってきたら、話しあいましょう。サシで」

この発言のどこにスイッチが入るきっかけがあったのか、未だに皆目見当がつかないのだが、
とにかく雲川先輩は、この発言から突如テンションが上がったようで、

『そうかそうか。そうだな。海から帰ったら話し合おう。二人きりで。私の部屋で。
 何なら、私のおっぱいを触ってくれても』

何なら以降の意味が分からなかったので、通話をこっちから切った。
その二時間後、二泊三日のチケットが来た。

来たチケットは二人分。
インデックスも連れて行けという事だろうか。

「どういう状況だよ、これ……」

電話をかけ直して聞けばいいのだが、なんかあのテンションの雲川先輩とは話したくない。
それに彼女の言っている事が本当だとしたら、とりあえずは従うべきなのだろう。
確実に本当とは言えないが、嘘だと完全否定することもできない。

「どうしたらいいんだか……」

仮に海に行くとして、そこにインデックスを連れて行っていいものだろうか。
とりあえず土御門にいろいろ相談してみると、雲川先輩が言う噂は聞いたことがない。
しかし嘘とも言い難い。ここは従っておいた方が良い。
もちろん、インデックスを一人にする訳にはいかないから、連れて行け。
ただし、海で泳いだりはしゃいだりする時以外は、『歩く教会』を常に着用させろ。
という回答を頂けた。

電話越しで聞いた感じでは、雲川先輩と土御門がグルとは思えなかった。
嘘をついているようにも感じなかった。
が、彼は多角スパイ。
彼にとっては嘘をつくことなど、息をするより簡単なことかもしれない。
つまり、真偽は分からない。
こうなるともう自分の判断しかない。
ということで、インデックスに海に行きたいか尋ねると、

「いきたい!ちょうどいきたいと思っていたところなんだよ!」

何でそんなテンションだったのかと言うと、どうやらテレビで海特集を見たらしかった。
ということで、その日にインデックスの水着を買い、二七日に、実は持っているだけで一度も使った事がなかったIDを初めて使い、海に向かった。

これが八月二七日に、上条達が海に居た経緯である。

上条には危惧している事があった。
両親にインデックスの事をどう説明したらいいか、である。
考えたが、碌な言い訳が思いつかなかった。
だからと言ってインデックスを置いて行くわけにもいかないので、半ばヤケクソで、
この子は留学生で俺の家にホームステイしているインデックス、と紹介しようと思ったのだが、

「おらっ、おらっ」

「冷たいよ、おとひめ。……やり返してやるかも!」

両親が自腹で連れてきた従妹とインデックスが、なぜか意気投合して海で遊び、父親に、あの子は誰か尋ねなくていいの?
と聞けば、別に良いんじゃないか。という適当な返答で済まされた。
インデックスとの邂逅を心配していたのが馬鹿らしい。

さて。

幸か不幸か、今年はクラゲの大量発生ということで、客足はほぼゼロだった。つまり、海はほぼ貸し切り状態だった。

「おにーちゃーん!一緒に泳ごうよー!」

ベリーショートの髪の毛に、胸の辺りに『たつがみ』と書かれたスクール水着を着てはしゃいでいるのは、従妹の竜神乙姫。

「泳ごうって言われてもなあ……」

別に泳げない訳でもないが、泳ぐ事が特別好きな訳でもないし、クラゲが大量発生しているというのに、海に入る気なんて起こらなかった。
そのため、砂浜にビーチパラソルを適当に立ててシートを敷いてくつろいでいた。

「もういいよ。とうまの意地っ張りなんて放っておいて、私達だけで遊ぼう」

そんな事を言っているのは、可愛らしいピンク色の水着を着たインデックス。

「……うん。そうだね。分からず屋のおにいちゃんなんて、大嫌いだ」

そうして再びはしゃぎ始める少女二人。
こちらとしてはむしろ、クラゲがいるかもしれない海でそこまではしゃげる意味が分からない。

「あらあら、当麻さん的には、泳ぐ姿を見せるのが恥ずかしいお年頃なのかしら?」

「ぶふぉ!?」

水着に着替えてやってきた母親の姿を見て、思わず噴き出してしまった。
セミロングの茶髪に、三十代には見えないほどの瑞々しい肌。
しかし一番驚くべき事は、着ている黒の水着。
イルカか何かをモチーフにしているのか、股間にあたる部分が尾ヒレのようで、胸にあたる部分の布の面積が極端に小さい。
極めつけに、紐が透明なビニールでできている。

「か、母さん!その水着はいくらなんでも際どすぎるだろ!」

「あらあら、当麻さん的には、母さんまだまだイケるってことかしら?」

今の発言をどう解釈をすれば、そうなるのだろう。
しかしそんな母親、上条詩菜を調子づかせる男が一人。

「いやあ母さん。物凄く似合っているよ、その水着。父さんも厳選した甲斐があった」

父親である、上条刀夜だ。

「この水着はテメェのセンスか!」

「コラ当麻!父さんに向かってその口の利き方は何だ!」

「いや、それについては謝るけど……この水着はないだろ!」

「あらあら、当麻さん的にはこの水着、似合ってないという事かしら……」

「そ、そんなことないよ、母さん!コラ当麻!母さん、少ししょげちゃっただろ!」

「別に良いわ!というか、クラゲ大量発生だって聞いてんだろ!?
 そんな水着で海に入ってクラゲに刺されたらどうすんだよ!
 つーか、保護者としてあそこではしゃいでいる女の子二人を止めるべきだろ!」

「あらあら、当麻さんてばひょっとして、母さんの事を心配してくれていたのかしら」

「コラ当麻!母さん、ちょっと嬉しそうだろ!」

嬉しそうなら、コラ当麻!と言われる筋合いはないと思うのだが。

「でも、あの子たちも大丈夫だし、せっかく着替えましたから、母さんも入ってきますね」

「え、ちょっと、おい!」

「まあまあ落ち着け当麻。そうそうクラゲに刺されることなんてないさ」

それはそうかもしれないが、入らない方が確実に安全なのに。
ちなみに乙姫にもインデックスにも注意はした。
それを承知で、彼女達は海ではしゃいでいるのだ。

「皆楽観的すぎなんだよ」

「せっかく海に来たんだ。楽しみたいと思う事の何が悪い?」

「悪くはないけどさ。ていうか、だったら父さんは何で海に入らないんだよ?」

「父さんは、母さんの水着姿をカメラに収めることに集中しなきゃいけないからな!」

「あっそ……」

もう勝手にしてくれ、と上条は不貞腐れてシートの上に寝っ転がった。

その後、クラゲを持ったインデックスに追いかけられ、天真爛漫な従妹と砂浜でプロレスごっこすることになり、
インデックスと従妹と母親の連合軍とビーチバレーをし(父親は審判、連合軍贔屓目)、
一日の締めくくりに父親から、ロシア土産だ、と言われてマトリョーシカをもらった。
そして母親も、インデックスについて特に言及はしなかった。
まとめると、割と愉快な一日を過ごした。

そんな風に散々遊びつくした後、海の家『わだつみ』で晩御飯を食べ、お風呂に入り、二四時になるころにはヘトヘトだった。

「うへぇ~」

さすがに疲れた。
だが、こういう疲れも悪くない。
なんやかんやで、久々に両親や従妹と再会して会話したり遊んだりしたのは楽しかったし、良い思い出になるだろう。

「……」

ボスン、と布団の上に倒れて、何とか布団にくるまってから五分もしないうちに、上条は寝入った。

八月二八日。天気は快晴。
上条は、首から下の違和感によって目を覚ました。

「あれ?」

「おにいちゃん♪」

上条はまず、これは夢だと思い、二度寝を決行した。しかし、

「あ、何で可愛い従妹とドキドキイベントの最中なのに二度寝するかな!?」

そう言われて、両方の頬を引っ張られた。

「ひ、ひふぁ、はふぇ?ふぉへはふへははい?」

「何言ってるか分からないから、ほっぺ引っ張るのやめたげる」

「これは、夢じゃないのか?」

「うん。もちろん現実だよ?」

「……いやいや、おかしいって」

とりあえず目覚まし時計を見て時刻を確認する。セットした時刻は七時。現在時刻は六時。
普通なら寝ている時間。よって、

「これは夢だな。おやすみ」

「だから夢じゃないってば!」

怒ったらしい彼女から、フライングボディプレスを喰らった。

「ぶへっ!ごほっ!」

「ご、ごめん!強かった?」

そんなに強くない。が、寝起きで意識がはっきりしていないところに喰らうとなかなかのものだった。
同時に、おかげで逆に意識がはっきりしてきた。

「けほっけほっ……オーケー。これは現実なんだな」

「うん」

「分かった。それじゃあ質問するぞ。お前は乙姫か?」

「当たり前じゃん」

「そっかそっか。何で俺の布団にいた?」

「従妹は朝になると、デフォで従兄の布団に居るものだよ。知らないの?」

「生憎聞いたことないな。そして拳骨していいか」

「やだ」

「じゃあ大人しく部屋に戻れ」

「やだ」

「オーケー。尻叩き一〇〇回の刑だな」

「何で刑が変わるの!?」

「ここにはインデックスもいるんだ!出てけ!」

「あーん、分かったよー。おにいちゃんのばかー!」

とりあえず威圧で従妹は追いだした。問題は、

「うーん、何か騒がしかった気がするかも」

目をこすりながら、白い修道服『歩く教会』を着ているインデックスが起きた。

「悪い、起こしちまったみたいだな」

「一体何だったの?」

「いや、ちょっとな」

インデックスはインデックスだった。この事から察するに、この状況は。

『わだつみ』の一階で、朝ごはんを食べるために上条とその両親、従妹、インデックスの一同が会した。
そこで上条は、驚愕の光景を目にした。

母親が、青髪ピアスになっていたのだ。

「か、母さん?」

青い髪の毛にピアスをしている男に、上条はそう呼んでみた。

「何かしら、当麻さん」

世界三大テノールでもびっくりするような低い声で返事された。

「……何でもない」

「あらあら、当麻さんは、意味もなく母さんを呼んでしまうほど、母さんが恋しかったのかしら」

そんな声で言われると、むず痒くて仕方ない。

「コラ当麻!母さん、嬉しくて困っているだろ!」

父さんは父さん、刀夜のまま。

「何でぇ。私には冷たいのに、詩菜おばさんにはお熱ですかい」

江戸っ子みたいな口調になっているのは『御坂美琴の姿をした』従妹の乙姫。

「もしかしてとうま、マザコン?」

軽蔑するような眼差しでこちらを見てくるのは、インデックス。

「インデックス。母さんの事、母さんに見えるのか?」

「え?」

質問の意味が分からないのだろう。インデックスは目を点にしていた。

「母さんの見た目について、どう見える?」

「そんなの、茶髪のセミロングの、いかにもマダムという感じの淑女だよ」

「本当に?」

「……どうしたの?」

「……いや、別に」

「本当にどうしたの?朝からおかしいよ、おにいちゃん。まだ寝ぼけてるんじゃないの?なんならもう一度ボディプレスを」

「それはいいから。もしやったら頭グリグリするぞ」

「わかったよう。やらなきゃいいんでしょ、やらなきゃ」

若干拗ねたようになる御坂、ではなく乙姫。

「まだ昨日の疲れが残っているのかもしれないな。今日はゆっくり休みなさい、当麻」

「……そうさせてもらうかな」

他にもおかしい事はたくさんあった。
『わだつみ』のおっさんが姫神になっていて、
仲居みたいなおばさんが御坂のクローンのようになっていて、
テレビを見れば、カエル顔の医者がニュースキャスターをやっていて、
中継先のレポーターが小萌先生になっていて、
気分転換でちょっと郊外を散歩すれば、女子高生の制服を着たおじいちゃんがいて、
杖をついてゆっくりと歩いているマッチョがいて、
交番に居る警官は小学校低学年ぐらいの子供で、
その辺のベンチでは、赤ちゃんが漫画を読んでいて、
その異様な状況を、誰も指摘していなくて、
まるで、皆の『中身』と『外見』が『入れ替わった』ようで。

これら全て夢じゃないとすれば。
こんなファンタジーな世界観が、リアルタイムで起こっているとすれば。
こんな中学生の妄想のようなことを可能にする現象に心当たりがあるとすれば。

「魔術……なのか」

魔術だとして、いくらなんでも規模がでかすぎやしないか。
数人が『入れ替わった』ようになるのはまだ分かる。
だが街中の様子と、テレビの中にまで影響があるという事は、少なくとも日本中で『入れ替わり』が発生していると考えられる。
さらにタチが悪いのは『入れ替わっている』自覚がないという事だ。
自分が『入れ替わり』の影響を受けていないのは、おそらく『幻想殺し』のおかげ。
インデックスがインデックスに見え、しかし彼女自身は他人が『入れ替わって』いる事には気付いていない事を鑑みると、『歩く教会』ですら、その影響を完璧には防ぎきれなかった。といったところか。

『歩く教会』は凄い防御力と聞いたが、実際のところその強度を垣間見た事がない。
防御力は『ぜったい』なんて言われてもピンとこない。
だがもし、それが科学で例えるなら、核兵器級の攻撃をも耐えうる性能で。
にもかかわらず、それを完璧にではないとはいえ打ち破る魔術だとしたら。

「もしかしてこの状況、かなりヤバいのか……」

現状、少なくとも周囲では『入れ替わり』しか起こっていないようだが、これが何かの前兆にすぎないとしたら。

「俺に出来る事は……」

なにかないのか。
そもそも、誰が何の目的でこんなことを……。

「すぅー、はぁー」

上条は一旦冷静になるため、一度だけ深呼した。
まずは整理してみよう。
自分の外見について、他人と自分の意識が一致していて、他人が『入れ替わった』事にも気付いている、上条当麻タイプ。
自分の外見について、他人と自分の意識は一致しているものの、他人が『入れ替わった』事には気付いていない、インデックス、父親タイプ。
自分の外見について、他人と自分の意識は『入れ替わった事に気付いていない』状態で一致していて、他人が『入れ替わった』事にも気付いていない、詩菜、乙姫、その他大勢タイプ。
今のところはこの三つに分類されるか。

とそこで、二つ確かめていない事がある事に気付いた。
どう『入れ替わって』いるのか、ということと、記録などはどうなっているか、だ。

AがBに、BがAに、という単純な『入れ替わり』が複数起こっているのか。
それとも完全ランダムにバラバラに『入れ替わって』いるのか。

上条はまず、青髪ピアスに電話をかけた。

『もしもしカミやん。何か用?』

「無能力者が第一位の超能力者ぶっ倒したっていう噂、聞いたことあるか?」

『あー、そうやね。女の子と話すと、大概その話になるかな。女の子って、噂や都市伝説好きやから』

「そっか。まあ用はそれだけだから。それじゃ」

『なんや、最近付き合い悪いと思ったら、電話もそっけないな』

「悪いな」

『ええけど。それじゃ』

電話してみて、聞こえてきた声は詩菜の声だった。
だが、一例だけでは何とも言えない。

「もしもし」

『も、もしもし』

御坂に電話をかけたつもりだが、声はおっさんだった。
ということは、完全ランダムで『入れ替わって』いて、青髪と詩菜はたまたまだったか。

「オーケーそういうことね。それじゃあ」

『ちょ、ちょい待ち。せっかくの電話なのに、それだけ?』

「まあな。声を聞きたかっただけだから」

『えぇ!?そ、それってどういう――』

「悪い。切るぞ」

御坂には悪いが、おっさんの声を聞き続けるのは趣味じゃない。

上条は気分転換のため散歩していた郊外から、父親達が遊んでいる海へ移動していた。

「あれ?おにいちゃん、休んでいるんじゃなかったの?」

乙姫は上条を見つけた途端、上条の下へ走りだした。

「どうしたの?もしかして寂しくなっちゃった?何なら、添い寝してあげてもいいんだよ?」

御坂の声でそう言われると、ちょっと違和感がある。

「添い寝は要らない。それより、乙姫か父さんや母さんが写っている画像が携帯とかにないか?」

「去年おにいちゃんと初詣に行った時の画像ならあるけど、それでもいい?」

「おう。頼む」

「了解しました!」

元気良く返事をして、携帯を取ってきた乙姫が見せてくれた画像には、鳥居を背にして乙姫をおんぶしている自分の画像だった。乙姫は、乙姫だった。

「ありがとう。助かった」

「よく分からないけど、感謝しているなら頭なでなでして」

「分かったよ」

言われた通り、乙姫の頭を右手で撫でてやる。

「えへへ」

そうして十回くらい撫でてやって、

「よし。行って来い」

「まだ!」

「あとどれくらいやればいいんだよ」

「あと七分!」

「それは無理だ」

「じゃあ今夜一緒に寝る!」

「それも無理」

「じゃあ、じゃあ」

「あとでお菓子かなんか買ってやるから」

「そんなのいらないもん!私はおにいちゃんと少しでも長く一緒にいたいの!」

「分かった。じゃあ今度の大覇星祭の時、一般開放される学園都市に来ればいい」

大覇星祭は一週間続けて行われる。土日は来れるはずだ。

「何で今は駄目なの!?」

「海にクラゲがいるから」

「昨日私たち刺されなかったもん!」

もうどうすればいいのか。
苦悩する上条の下へ、失念していたことが訪れた。

「もしかしてとうまって、シスコン?」

「……俺はシスコンでもマザコンでもない」

『歩く教会』から水着へ着替えた弊害か、インデックスが一方通行になっていたのだ。

「どうだか」

ジト目かつ低い声で言われた。姿かたちは一方通行で。
そのくせインデックスは、勘が鋭いから困る。
もう少し挙動不審になってしまえば、何か起こっている事に勘づかれる可能性はある。
一切遊ばずに『歩く教会』を着用してじっとしていろ、と言うこともできない。

しかし、その杞憂がどうでもよくなるほどの衝撃が、上条に襲い掛かる。

「あらあら。当麻さん、本当に大丈夫?『わだつみ』まで一緒に行きましょうか?」

母さん、もとい青髪ピアス。
つまり、女性でも際どすぎるあの水着が、青髪ピアスで再現されて――。

「うわああああああああああああああああああああああああああああああああ!」

乙姫なんて良かったほうだった。スクール水着の御坂なのだから。
インデックスから、正直つらかった。ピンク色の女ものの水着を着ている一方通行。
そのうえに、これだ。

これ以上彼女達を見ると、発狂して砂浜に彼女達を埋めてしまうと判断した上条は、叫びながら海から走り去った。

『わだつみ』の二階の自分の部屋に帰ってきた上条は、とりあえず布団を敷いて寝っ転がっていた。

「もうやだ……」

さっきの出来事は、多分人生史上一番衝撃的だった。
もう疲れた。

記録上までは『入れ替わり』が及んでいなかった。
『幻想殺し』で乙姫に触れたが意味なかった。

だが、それがどうしたというのだろうか。
よくよく考えて、発生しているのは『入れ替わり』だけだ。
それだけであって、誰かが死んだとか、災害が起こったとかいうわけではない。
それに大多数は『入れ替わり』に気付いていない。
つまり、いつもと変わらない日常を送っているのだ。
もしかしたら、時間で『入れ替わり』は終了するかもしれない。
だとしたら、この状況に自分が慣れればいいだけだ。

「寝るか……」

ひと眠りすれば、このふざけた幻想(せかい)も夢と消えているかもしれない。
そう願って、上条は目を閉じたのだが、

ポケットの中にあるバイブレータ設定の携帯が震えた。

「何だよ……」

寝る気満々だったので、若干不機嫌気味で携帯を取り出し、誰からの着信か確認すると、

「土御門……!」

そういえば土御門に確認するのを忘れていた。
何かと言えば土御門に電話をかけて相談していたため、無意識に避けていたのかもしれない。
それはともかく慌てて電話に出ると、

『へいへいカミやん、今どこにいる?』

「土御門、お前……」

その声は、土御門のままだった。

「お前は『入れ替わってない』のか?」

『その辺を説明する為に会いたいからさ、場所を教えてくれ。
 すでに行くと聞いていた海までは来ているんだが、どうにもカミやんが見当たらない』

「『わだつみ』って海の家にいるからな」

『オーケー。そういうことなら、今から俺とねーちんで行くから、待っていてくれ』

「ねーちん?ひょっとして神裂も?」

『まあな。じゃ、今から行くんで』

それで通話は終了した。

電話から五分もしないうちに、土御門達はやってきた。
誰にも『入れ替わっていない』金髪にサングラスにアロハシャツの土御門と、
長い黒髪をポニーテールに括り、Tシャツに片方の裾を根元までぶった切ったジーンズ、腰のウエスタンベルトには日本刀という格好の神裂が。

『わだつみ』の二階、上条とインデックスの部屋で、話が始まった。

「もうカミやんも異常に気付いているだろうが、その原因は、世界規模でとある魔術が展開されていることにある」

やっぱり魔術だったのか。
だがそれ以上にインパクトがあったのは、

「世界規模!?」

「ああそうだ。『入れ替わり』は世界中で起こっている」

「マジかよ……」

「だが残念なことに、現在展開されているこの魔術、英国図書館の事件簿にも記載されない未知の現象で、詳しい術式・構成も一切不明。
 仕方ないから、起きた現象の特徴から取って、便宜的に『御使堕し』(エンゼルフォール)と名付けたんだけどにゃー」

「『御使堕し』?」

「ねーちん、後は説明よろしく」

「はい」

慣れているのか、土御門の唐突なフリに一つも嫌な顔をせず、神裂が説明係を引き継いだ。

「『御使堕し』にはカバラの概念にある『セフィロトの樹』というものが関わっています。聞き覚えはありますか?」

「さあ」

実際には、ゲームで聞いたことあるかもしれないぐらいなのだが、それは魔術師にとっては聞いたことないのと同だろうから否定した。

「『セフィロトの樹』というのは、簡単に言えば身分階級表です。
 神様・天使・人間などの魂の位を十段階評価したピラミッド、と考えてもらえれば結構です」

「はあ」

「人や天使の数はあらかじめ決められているため、通常、人間が天使の位に昇ることはできません。逆もまた然りです」

「どこの位も満席状態ってことだぜい」

後は任せたと言ったくせに割り込む土御門。
しかし神裂は相変わらず嫌な顔一つせず、

「ところが、その天使が人間の位に落ちてきた訳です」

「その結果が『外見の入れ替わり』。このトチ狂った世界の現出ぜよ」

「天使ねぇ」

「ま、いきなり言われてもピンとこないだろうけどにゃー。
 だからまあ、天使なんて信じても信じなくてもいい。理屈なんてどうでもいい。
 要は『不思議な事が起こっているから止めなきゃいけない』と思ってもらえれば」

「土御門、面倒だからといって説明を放棄しないでください」

「いやいや、やっぱし必要ないっしょ」

「……つかやっぱり、この状況はどうにかしなきゃいけないものなのか」

「あれれ?珍しく弱気だな、カミやん」

「だって、実際『入れ替わり』だけで特に実害ないし、時間が経過すれば戻るのなら、もう放っておこうかなって思い始めたところだったから」

まあ精神的には実害だらけなのだが。

「カミやんにしては随分『読み』が甘いな。時間が経過すれば戻るかもしれないなんて、希望的観測をするとは。悪いが、時間経過で戻る事はないぞ」

「マジかよー」

「でも『やっぱり』ってことは、薄々放ってはおけないものだと覚悟もしていたんでしょ?」

「まあな。『入れ替わり』は単なる前兆で、その先に何かあるのかもと最初は思っていたんだけど」

「その考えの方向性は間違いではありません。『入れ替わり』は『本題』ではなく、単なる『副作用』にすぎません」

「じゃあその『本題』ってのがヤバいのか?」

上条の質問に対して、神裂は溜息を吐いて、

「やはり説明が足りないのです。天使が落ちてきたことの重大さを、まるで分かっていません」

「そりゃ分からないのが普通だぜい」

「どれだけヤバいんだよ?」

「たとえば、今回人の位に落ちた天使を捕獲して使い魔に仕立てれば、その天使を使役して町の一つを壊すぐらいは、朝飯前で出来てしまいます」

「……マジかよ。それはまずいな」

「そうそう。まずいんだよ。『入れ替わり』だって終わらないし」

「要するに、今回の事件を解決するには、天使を元の位に返さないといけません」

「そのために必要なのが、カミやん、お前の右手だ。数日前、どんどん利用させてもらうと言ったが、早速利用させてもらうぞ」

「それは構わないけど。だからわざわざ俺のとこに来たのか」

「ここに来たのは、何もカミやんの右手の為だけじゃない。というか、むしろ右手がついでくらいの勢いだ」

「インデックスを守りに来たとか?」

「それもあるが、もっと重要な問題があってここに来たのさ。
 今回の『御使堕し』による『歪み』、どうやらカミやんを中心に世界中に広がっているみたいなんだが、それでいて本人は影響を受けてないと来た。
 この意味、分かるか?」

「……俺が『御使堕し』を起こしたと?」

「その通り」

「けど俺は魔術なんて使えないし、影響を受けていないのは『幻想殺し』があるからだろうし」

「そうだろな。俺とねーちんは『幻想殺し』の存在を知っているから、カミやんが魔術を使えないのも知っているし、影響を受けていなくとも不思議じゃないと思える。
 そして実際、この目でカミやんを見ても、痕跡は見当たらない。つまり、カミやんは犯人じゃない。
 と、俺達は判断できるが……」

「……なるほど。分かってきたかもしれない。俺が今どんな状況に置かれているか」

「さすがに察しが良いですね。では聞かせてください。あなたが今、どんな状況に居るのか」

「土御門と神裂、俺にはお前達が、俺の知っている土御門と神裂に見える。つまり『入れ替わってない』ってことだ。
 どうして『入れ替わってない』のかというと、何とか防御したんだろ。
 現に、『歩く教会』着用時のインデックスは他人が『入れ替わった』事には気付いていないみたいだったが、本人は誰とも『入れ替わっていなかった』からだ。
 話を戻して、他にも何らかの防御によって『入れ替わっていない』魔術師は、犯人捜しをする。
 そこで浮かび上がってくるのが俺ってこと、なんだろう?」

「そうだにゃー。要するにカミやんは今、『御使堕し』の難を逃れた魔術師達から命を狙われているって訳ですたい」

「不幸だ……」

その時、神裂の眉がぴくりと動いたのに、上条は気付かなかった。

「でもまあ世界中て言ったって、大半の魔術師は影響をモロに受けて、『御使堕し』が発動している事にすら気付いていないから、そんなに多くはこないさ」

「……本当かよ?」

「本当だって。というか俺とねーちんだって、完璧に防げた訳じゃない。
 カミやんがさっき言ったインデックスとは逆のタイプ。
 影響下の人間には、俺はアイドルの一一一に、ねーちんはステイルに見えるらしい」

つまりは、自分の外見について、他人と自分の意識が一致しておらず、しかし他人が『入れ替わった』事には気付いているということか。

「じゃあ、何でお前達はその程度で済んだんだ?」

「一言で言うと、運が良かったんだぜい。
 あの『歩く教会』と同等かそれ以上のレベルの結界が張ってあるウィンザー城に出頭していたからにゃー。
 『距離』と『結界』。その二つがあってようやくこの程度で済ませる事が出来たってわけですたい」

「え?お前達、外国から来たの?」

「当たり前だろ。イギリス清教の人間なんだから」

だとしても、土御門は普段学園都市に住んでいるはずだ。
まあでも、一々言及することでもない。

「あれ?でも、そっか。朝の六時には『入れ替わって』いたしなあ。
 発生時刻によっては、もう日本に居てもおかしくはない……のか?」

「そんなことよりだ。やっぱり『御使堕し』から逃れた魔術師もいる訳で、そいつらは一目散にカミやん目掛けて遅かれ早かれここにやってくる。
 その魔術師達の誤解を解き、カミやんを守るためってのが、ここに来た二番目の目的」

「二番目かよ。じゃあ一番は?」

「魔術が発動できなかろうが影響を受けていなかろうが、結局のところ、あなたを中心に『御使堕し』が発動しているという事実は変わりません。
 つまり、あなたの近くにいる人が犯人である可能性が高いです」

この時点で。
少し嫌な予感がしていた。

「事態の深刻さは分かった。要するに『御使堕し』を止めて、天使を元の位に返せばいい訳だな。じゃあその具体的手段は何だ?」

「正確な術式は不明だが、これほどの魔術、単体ではできないと考えるのが妥当だ。
 となるとおそらく、結界なり魔法陣なりを使った『儀式場』を築いている可能性が高い。
 よって『御使堕し』を止める方法は二つ。『儀式場』を壊すか、術者を倒すか」

止めるには『儀式場』を壊すか、術者を“倒す”。

「なるほど。それでさ、影響を受けていない奴が犯人って、どうして断定できるんだ?」

「世界中にコンピュータウイルスをばらまくクラッカーがいたとして、そいつは自分のパソコンにウイルスを流すか?」

「あえて被害者を装う可能性は?」

「あり得ない訳じゃないが、メリットが少ない。術者は天使を落としたくてこの魔術を発動したと思われる。
『入れ替わり』は副産物であり想定外だろうし、大多数は『御使堕し』に気付いていない。
 わざわざ被害者を装うとは思えない」

「じゃあ、ただの素人が魔術って使えるものなのか?」

「一朝一夕では使えない。
 が、魔術とは本来ただの素人、才能のない人間のために生まれたものだ。鍛錬すれば使えるようにはなる」

「……そうか」

「どうかしたのですか?」

「いや、別に」

まだ、分からない。
断定するには早すぎる。
父親が『入れ替わっていない』とはいえ、この『御使堕し』を起こした犯人とするのは。

一応、狙われている立場のため待機命令を出された。いろいろ調べるのは主に神裂。
土御門はアイドルに見えてしまうので、その辺を歩くと人だかりが出来て調べるどころではないらしい。
そのため、土御門も護衛として近くに居る。

「なあ土御門」

「何だ」

「『御使堕し』が俺を中心に展開されているからって、俺の近くだって断定できる理由は何だ?」

「カミやんにしては随分とバカな質問だな」

「いいから答えてくれよ」

「ねーちんも言ったが、可能性が高いってだけだ。一〇〇パーセント身近の人間ってわけじゃない。
 要は上条当麻というパーソナリティを知っている奴が、カミやんを対象として魔術を展開したんだ。
 それは近くの人間の可能性の方が高いだろ?」

「そんなもんかな」

「そんなもんだ」

「『儀式場』っていうのは、どんなもんなんだ?」

「色々あり得る。きちんとした手順さえ踏めば、その辺の道路でもできるし、ビルまるまる一つを『儀式場』とすることもできる」

「じゃあ道路やビルが『儀式場』になった場合、壊すというのはどういうことだ?」

「そりゃあ規模によるが、たとえば道路に半径三メートルの魔法陣を描いて『儀式場』を作るとする。
 その場合、その魔法陣ごと道路を抉らないと壊したことにはならない。ビル全体が『儀式場』だったら、そのビルを倒壊させなきゃいけない」

「そうなると『儀式場』を壊すより、術者を倒す方が楽だな」

「そうだな」

「術者を倒すって、どういうことだ?気絶でもさせれば良いのか」

「それで済めばそれでいいが、それでも魔術が途切れないなら、術者自身を脅して魔術を止めさせるか、もしくは殺すかだな」

「そうか」

「ああ」

「時に土御門、お前、多角スパイなんだよな」

「ああ」

「記録までは『御使堕し』は干渉しないみたいだな」

「そうだが、一人でも随分調べたんだな」

「別に。ということは、お前もう気付いているんじゃないか?」

「何に?」

「俺の近くにいる人間が犯人とすれば、スパイという立場を利用して、既に調べたりしているんじゃないか」

「調べたが、それが何だ」

「結果は出たか」

「ああ、出ている」

「じゃあ、気付いているんだろ」

「刀夜氏が『入れ替わっていない』ことか?」

「やっぱり気付いていたんじゃねぇか。とぼけやがって」

「だが不自然な点がいくつかある。
 一つは、本人は『入れ替わっていない』が、他人が『入れ替わった』事に気付いていない事」

「ちょっと待て。お前親父と既に接触したのか?」

「してないが、ここからでも青髪がいるのが分かるが、それを指摘していない時点で気付いていないことは明白だろ。
 さっきも言った通り、今の現象は副産物であって、わざわざ『入れ替わり』に気付いていないフリをする必要もない。
 カミやんとしたことがそれぐらいも分からないとは、よほど動揺しているんだな」

「うるせえ。他の不自然な点って?」

「二つ目は、天使を落とす目的がないこと。三つ目は、魔術を使った痕跡がない事。
 とはいえ、ただの素人が『御使堕し』の影響で『入れ替わっていない』ところをみると、やはり刀夜氏が犯人である可能性は極めて高い」

「じゃあ何で放っておくんだよ?」

「誰が親友の親父を倒したいと思うんだよ。できれば『儀式場』を壊したい。
 不自然な点もあるしな。万が一間違いだったら、シャレにならない」

「……神裂は知っているのか?」

「教えていない。ねーちんは殺人が嫌いだから、滅多なことでは術者でも殺さないだろうが、何せ今回は規模が規模。
 個人の感情だけでどうにかなるレベルを超えちまっている。
 『儀式場』が見つからなくて切羽詰まれば、やむを得ず殺すかもしれない」

「でも、このままだとヤバいんだろ?」

「そう思うなら、何か手掛かりになるようなことを刀夜氏から聞いていないか思い出すか、今から直接聞きに行ってくれたらありがたい」

「……そういや先月、賃貸マンションから新築の一軒家に引っ越したらしい。こんな情報、何か役に立つか?」

「役に立つどころじゃない。そりゃあいきなりヒットかもしれない。地図はあるか?あれば早速そこへ行くぞ」

地図はあった。
だから親から鍵を借りて、徒歩では日が暮れる距離なので土御門と共にタクシーに乗って、引越し先の一軒家にやってきていた。
余談だが、運転手はおっさんだった。おっさんとおっさんで『入れ替わった』のかもしれない。

「なるほど」

家の中をくまなく見て回った後の、土御門の最初の一言がそれだった。

「間違いない。ここが『儀式場』だ」

ということは。

「やっぱり、親父が犯人だったって言うのか」

「そうなるな」

「でも不自然な点についてはどう説明するんだ?」

「それは多分、刀夜氏が『主犯』ではなく『共犯』かつ偶然だったからだ」

「は?」

「この家には様々なお守り、民芸品、オカルトグッズがある。
 もちろんここにあるのは、姫神が首からぶら下げているような十字架とは違い、所詮お土産レベルのものだ」

だが、と土御門は続けて、

「それらが風水的、陰陽的に正しい位置に重なると相乗効果が生まれてくる。
 たとえば、南向きの玄関には赤いポストの置物があった。
 『南』の属性色は『赤』。風呂場には『水』の守護獣たる『亀』のオモチャがあった。台所には『金』の守護獣の白い虎が。
 他にもこの家には、軽く三〇〇〇を超えるお守りが配置されている。
 これだけあれば、相乗効果で一つの大きな力になる。この家は、一つの神殿と化しているんだ」

土御門の言い分だと、正しい位置に配置されていなければ、相乗効果は生まれないと言うことになる。
ということはおそらく、お守りの位置が一つでも違えば何もなかったはず。
それなのに、現実『御使堕し』は発動している。

「何だよ、それ。つまりは何か。『御使堕し』はたまたま発動したって言うのか?」

「そうだ。『御使堕し』は意図せず発動したもの、だから刀夜氏は半端に影響を受けて、他人が『入れ替わった』ことに気付けなかった。
 天使を落とす目的がないという点についても、これで解消された」

「でも、父さんには魔術を使った痕跡がなかったんだろ?」

「今回の場合、魔力は必要ない。風水ってのは、大地の『気』をエネルギーにして式を動かすからな」

「じゃあ、父さんが完全に犯人……」

「まあそんな深刻になる必要もないぜい。この『儀式場』を壊せば、今回の事件は解決。『幻想殺し』は使えないけどにゃー」

「な、何で『幻想殺し』が使えないんだ」

「『幻想殺し』で『儀式場』を半端に壊すことにより、別の大魔術が発動するからだ」

「それはどういう?」

「お守りをずらしたところで『回路』が切り替わるだけで『失敗』はないんだ。
 お守りをどう配置したところで、必ず何かの大魔術が発動するようになっている」

「そんなことありえるのかよ?」

「俺も初めてみたよ、こんな状況。とにかく、お守りをずらしたりするなよ」

「でも、じゃあどうやって『儀式場』を壊すんだよ?」

「この家ごと全てのお守りを吹き飛ばす。それしかない」

「……そうか」

人の命と家一軒。
どちらが大切かなんて決まっている。

一旦外に出た上条と土御門。

「で、家ごと吹き飛ばすって、どうやって?」

「ねーちんの力を使う」

そう言って土御門は携帯を取り出し、電話をかける。

「あれ?」

土御門が神裂と通話している中、上条は異様な人間を視界に捉えた。
緩くウェーブのかかった長い金髪、ここまではいい。
問題は服装。
ワンピース型の下着にも似たスケスケの素材と、黒いベルトで構成された拘束服の上から赤い外套を羽織っていて、その上首にはリード付きの首輪という出で立ちの少女。
ステイルにしたって、神裂にしたって奇抜な服装だった。
つまり、経験則上、

「魔術師か……!」

そして今置かれている自分の立場。
上条刀夜が術者で、家が『儀式場』だと知っているのは自分と土御門のみ。
ということは、

「待て!そいつは術者じゃ――」

土御門の制止が合図だった。
赤い少女は、上条まで八メートルは空いている距離をたったの一歩で縮め懐に潜り込み、腰に差した鋸を抜いて左から右へ一閃する。

「――このやろうっ!」

思い切り屈むことで首を刎ねるための一閃を回避しつつ、足を払う蹴りを繰り出す。
しかし、赤い少女は後退することによってそれを回避し、上条から距離を取って、

「水よ、蛇となりて剣のように突き刺せ」

赤い少女の背後から、周辺に水気などないにもかかわらず、水が噴水のように飛び出す。
それは蛇のように何回かのたうった後、槍と化して上条に向かっていく。

対して上条がやる事は一つ。
右手を突き出して水の蛇を打ち消す。

その間に上条には、

タン、タン、という小気味いい足音が聞こえていた。
視界の左端には、わずかに赤い残像を捉えていた。
背筋には、悪寒が走り抜けていた。

上条の背後に回り込んだ赤い少女が、L字型のバールを振り下ろした。

「――っ!」

裏拳では間に合わない。
そう判断した上条は、とびこみ前転をする勢いで前方へ転がった。
赤い少女は道路上を一回転した上条の背後から、追撃を加えるために地面を蹴る。

「んなろ!」

上条は背後を一切見ないでその場でバク宙をした。
なまじ高速だった分、赤い少女は上条と道路に出来た空間を抜けてしまう。
これで逆に背後は取った、と上条は考えていたのだが、

バク宙から道路上に着地したころには、赤い少女は体勢を立て直していて、こちらへ特攻してきていた。

「上等だ!」

右手に鋸を逆手に持って突っ込んでくる少女に対して、首を刎ねる一撃だと読んだ上条は、身を低く沈めて右拳をアッパー気味に繰り出そうとする。
対して赤い少女は、

くるり、と時計回りして上条のアッパーを避けつつ、
逆手の鋸を、首を刎ねるために一閃――。

「く、そやろぉぉぉおおお!」

とにかく無理矢理体を捻り、赤い少女から見て右手側に倒れ込み一閃を回避する上条。
しかし、赤い少女は左手にバールを持って、既に振り下ろそうとしていて、

パァン!という銃声によって、赤い少女の振り下ろしたバールが中空で止まった。

「いい加減にしろ。それ以上彼に手を出すようなら、イギリス清教の魔術師として見逃すわけにはいかなくなる」

バールを避けるために道路上を数回転がっていた上条は、すぐに起き上がって銃声の源である土御門の方を見た。

「土御門、お前……」

土御門の手には、拳銃があった。
どうやら真上に向かって発砲したみたいだった。

「どこの所属の魔術師か知らないが、今お前が襲撃した彼は『御使堕し』を引き起こした犯人ではない」

「私はロシア成教『殲滅白書』のミーシャ=クロイツェフ。
 ところで問一。彼が『御使堕し』を起こした犯人ではないとする根拠は?」

「さっきお前の水の魔術を打ち消ししていただろ。それが功を奏して『御使堕し』の影響から免れただけだ」

「……賢答。少年、誤った解の為に刃を向けた事をここに謝罪する」

そう言ってミーシャは、ほんの少しだけ、会釈するように頭を下げた。

「……あ、ああ」

正直、殺されかけたのに明らかに言葉だけの謝罪で許せるわけないが、魔術師が横暴なのはインデックスの話とステイルから証明されているところだ。
これで怒るのは、もはや馬鹿らしい。

「問二。しかし、彼が犯人でないならば『御使堕し』は誰が実行したものなのか。
 騒動の中心点は確かに彼の周辺のはずなのだが、犯人に心当たりはあるか」

「心当たりどころか、すでに判明している」

「な、おい、土御門!」

こんな女に犯人を素直に教えれば、迷わず殺しに向かうに決まっている。

「大丈夫だって。下手に嘘つくよりは、ここは真実を教えた方が良い」

「私見一。いいから早く術者を教えなさい」

「落ち着け。術者も分かっているけど『儀式場』も分かっている。
 人を殺すよりは、『儀式場』を壊す方が精神衛生上良いだろ?」

「解答一。それはそうだが、術者を殺す方が時間的に速い。
 どちらも分かっているなら、術者を殺した方が効率的ではないか」

「て、テメェ!」

「落ち着けってカミやん。ここは俺に任せて」

「……っ」

「問三。なぜあなたがそこで憤慨する必要がある?」

「簡単な事さ。術者は、お前が襲った彼の父親だから」

ついに、言ってしまった。
本当に大丈夫なのか。

「私見二。彼が憤慨した理由は分かった。しかし、だからと言ってやる事は変わらない。
 この現象を放っておくわけにはいかない。よってやはり、術者を殺すべきではないか」

「だから、『儀式場』も分かっているんだって」

言って土御門は、上条の家を親指で指して、

「そしてその『儀式場』がこれ。術者である彼の父親は、ここから遠く離れた場所にいる。
 時間と効率を求めるなら、こっちを壊した方が早いと思うが」

「問四。『儀式場』はこの家の中にあるのか、それともこの家自体か」

「家自体だ」

「私見三。ならばやはり、術者の下へ行き殺した方が早いのでは」

「ここにはもう少しで『聖人』である神裂火織が来る。
 彼女の力を使えば、近隣住民に悟られることなく家を破壊する事が出来る。
 それでも意固地になって術者を殺すと言うのなら、俺とそこにいる彼と神裂が力づくで止めることになる」

「問五。これだけの現象を前に感情を優先で動くなど、正気か」

「正気も正気。術者が分かって『儀式場』が分からない場合は、お前の言い分は至極真っ当だが、
 今回はどちらも分かっていて、なおかつどちらも壊す手段がある。それでも従えないか」

「……解答二。分かった。それに従おう」

全ての話が丸く収まった、その時だった。

「無事ですか、上条当麻!」

神裂火織がいきなり目の前に飛び込んで来た。
視界に、ではなく、本当の意味で。
まるで、あらゆる災厄から身を盾にして守るように上条の前に立ち、

「上条当麻を狙う魔術師は……あなたですか!」

二メートルはある日本刀の切っ先をミーシャに向けてそう言った。

「おうねーちん、早かったけどちょっと遅かったな。話は既に丸く収まった」

「え……」

と漏らした後、

「す、すみません。戦意のない相手に刃を向けるなど……」

神裂は慌てて刀を腰に差して、

「……では、早速『儀式場』の破壊に取りかかりましょう」

「ちょ、ちょっと待てよ。こんなところで家を破壊したら、周囲にも被害が出たりしないのか」

「その心配はありません。この家だけをピンポイントで破壊します」

「で、でも近隣住民に気付かれて、通報とかされるんじゃ」

「さっきあれだけ派手にバトっておきながら、今更それはないっしょ」

そう言われると、ぐうの音も出ない。

「え?まさか、戦ったのですか?」

「戦ったってほどじゃない。殺されかかったもんだから、つい反射的に反撃しただけだ。正当防衛しただけだっつーの」

「別に責めているわけではありません。ただ、魔術師相手にまともに戦えたことに驚いただけです」

「だから言っただろ。カミやんは強いって。つーか、インデックス救う時に光線に打ち勝ったんだ。
 魔術師相手に戦えてもおかしくない。カミやんは戦闘において天賦の才がある」

「んなことねーよ。さっきの戦いも、防戦一方だった」

「私見四。雑談に花を咲かせず、さっさと『儀式場』を壊すべきではないか」

「そうですね。申し訳ありません。では早速、準備に取り掛かります」

「いやだから、準備って」

「大丈夫だってカミやん。
 ねーちんには『禁糸結界』っていう『認識を他に移す』魔術があって、それを使えば、家を壊したって近隣住民人にバレはしない。
 要するに、こっからはねーちんにおんぶにだっこでいいんだよ」

「土御門の言うとおりです。どうか私を信じて任せてください」

そう言われて、頭を下げられた。
そこまでされるとこちらとしても、

「分かった。よろしく頼むよ」

と言うしかなかった。

それから一〇分くらいだろうか。
ワイヤーで蜘蛛の巣状に包まれた我が家を破壊された。
具体的に言うと、一瞬で粉々に爆破された。

「すみません。実家を爆破することになってしまって」

神裂に、頭を下げられてそう謝られた。

「『御使堕し』を止めるには、家を破壊するか父さんを倒すしかなかったんだろ?
 じゃあ仕方ない。神裂はむしろ、『御使堕し』を止めたって誇るべきなんじゃねぇの」

「……あなたは優しいのですね」

「別に。それより、『御使堕し』は本当に止まったのか?」

ここいるメンバーはもともと『入れ替わっていない』から、いまいち実感が湧かない。
タクシーに乗っても、来た時のようにおっさんからおっさんパターンもあり得るから、
確かめるには影響を受けた青髪や御坂に電話をかけるか、海に行って母や従妹の様子を確かめるかのどっちかだ。

「本当に止まったか気になるなら、知り合いに電話をかけるのが手っ取り早いぜい」

「やっぱそうするか」

しかし、青髪と御坂には先程電話をかけてしまった。
青髪には付き合い悪いと言われ、御坂に対しては一方的に電話を切ってしまった。
何となく電話をするのは躊躇われる。
そうなると残されたのは、

「もしもし」

『もしもし、どうしましたか、上条ちゃん?』

『御使堕し』は『距離』と『結界』、二つがあってはじめて、ある程度影響から逃れることが出来る。
ならば『距離』も『結界』もない日本にある学園都市なら、おそらく全員が影響を受けていたと考えられる。
しかし、今電話に出た小萌先生は、小萌先生の声をしていた。

「いえ、特に用事などはないのですが、先日インデックスが世話になったことについて、お礼をしていないなと思いまして」

『そんなこと、全然気にしなくていいのですよ。……まあシスターちゃんの食べる量には驚きましたけど』

「本当にすいません。ましてや電話でなんて。本当は直接言うべきだって分かっているんですが」

『いえいえ、大丈夫なのですよ。それよりも上条ちゃんは、もっと自分の体を大切にしてくださいね』

「はい、分かりました。気遣ってくれてありがとうございます。それでは」

『はーい』

通話を終えた上条が携帯をポケットにしまうと、ミーシャを抱えた土御門が尋ねた。

「どうだった?」

「どうやら止まっているらしい。つか、お前こそミーシャ抱えてどうしたんだよ。舞夏が泣くぞ」

「よく分からないが気絶したみたいだ。あと人の義妹呼び捨てにしてんじゃねーよ」

「はいはい。そんじゃあ、俺は戻るわ」

「ちょっと待て」

そこらへんでタクシーを拾って帰ろうと思っていたのに、土御門が制止してきた。

「何だよ」

「せっかくだから、ねーちんと一緒に行けよ」

「え?何で」

「まったくです。意味が分かりません」

「あれれ?ねーちんてば、そんなこと言っていいのかにゃー」

「な、何がですか」

怪訝な顔をする神裂に土御門は近付いて、彼女の耳元で囁く。

「(ねーちんってば、先日カミやんがインデックスを命がけで救った件についてお礼の一つも言ってないっしょ?)」

「そ、それは……タイミングを失していただけであって」

「(だからこそ、これからタクシーの中の二人きりの空間の中で、お礼を言えばいい。
 まあ別にタクシーじゃなくても、ねーちんがおんぶして行くとか、そっちの方が早いし、経済的にもありがたいし、恩返しになるわな)」

「い、いえ、それはちょっと、どうなんでしょう……」

「(ねーちんが感じている恩ってそんなもんなの?インデックスを救っただけじゃないよ?
 インデックスを救ったことによりステイルやねーちんだって救われたっしょ?
 それだけじゃない。インデックスを救いたいと思った人間すべてを、カミやんはある意味救ったわけだ)」

「そ、それはそうですが、それを全部私に押し付けなくても」

「(さらに言うと、現在進行形でインデックスを守ってもらっているわけで。
 これからもインデックスを守ってもらうわけで。そんなカミやんにおんぶの一つもできないと?)」

「で、できないなんてことありませんよ。彼の方が了承してくれれば……。
 だ、大体ですね、私だって、出来れば自分の手で守りたいですよ。ただ、今は彼の下に居るだけで」

「(あー、そう言うこと言うんだ?出来たら私が守っていた。
 だからカミやんが現在進行形でインデックスを守っている事なんて知らんこっちゃないと。
 現在まで守ってきた事なんて関係ないと、そう言いたい訳だ)」

「そ、そんなこと言っていませんよ」

「あのー、帰っていいすか」

「ねーちん、帰って良いかって聞かれてるけど」

「ここで私に丸投げですか!?」

「あとはねーちんの気持ち次第だから。ほんじゃ」

そう言って土御門はミーシャを抱えたまま去って行った。

「……土御門に何言われたか知らないけど、あんなテキトー野郎に言われた事なんて気にしなくていいと思うぞ」

「分かっています。ですが、今回の場合は……」

「もしかしてなんか、俺が関わっていて、俺のせいだったりする?」

「め、滅相もないです。あなたのせいではなく、あなたのおかげでこうなってですね」

「やっぱ俺のせいか」

「ち、違います!私何か、日本語間違っていましたか!?」

「ぷ、はは!」

「……何がおかしいのですか?」

「いや、神裂ってきっとものすごいピュアなんだろうなって、土御門に耳打ちされている時と今のリアクションとか見て思っただけだよ」

「え、えっと」

「そのあたふたする感じ。
 正直、初めて会った時の神裂はあまり好きじゃなかった。
 というか、確か嫌いって言ったような気もするけど。
 まあ、あの時は少なくとも好感は抱いてなかった」

けど、と上条は続けて、

「土御門から聞いた話とか、今までのリアクションとか見て、ちょっとだけ見直したって言うか、勘違いしていたのかなって思った。
 機械みたいに、冷徹で無感情な人間だと思っていたけど、普通に動揺したり困ったりするんだなって。
 何かそれが嬉しくて、つい笑っちまった」

「つ、土御門が何か言っていたのですか?」

「殺人が嫌いだって話を聞いただけだよ。
 神裂なら、切羽詰まらない限りは『御使堕し』を起こした術者でも殺さないだろうって」

「それはまあ、そうですね。殺人が嫌だなんて、人間として当たり前だと思いますが」

「当たり前だよ。当たり前だけど、ステイルなら迷わず術者を殺しそうだし、あのミーシャってやつも、術者を殺すことに固執していた。
 インデックスの話からも、魔術師は横暴な奴って聞いていたから、魔術師なんて乱暴な奴しかいないと思っていたけど、神裂みたいな奴もいるんだなって、改めて思った」

「改めて?」

「本当の第一印象。土御門の部屋で神裂と向かい合った時は、丁寧な奴だなって思った。厳密には電話の時か。
 まあでも、話を聞いて行くうちに、親友を追いまわして記憶を奪おうとしている連中って分かって、印象が最悪まで落ちたけどな」

「……すみません」

「俺に謝られてもな。インデックスには、俺が入院している時に謝ったのか?」

「はい。泣いて頭を下げて謝って、許してもらいました」

「そっか」

「はい」

「……さっきは守ろうとしてくれてありがとうな。それじゃ」

「ま、待って下さい!」

「見送りなんていらないし、俺の事は何も気にしなくていいから。じゃあな!」

「あ……」

走り去っていく上条を、神裂は引きとめられなかった。

上条はその辺でタクシーを拾って三〇分以上かけて、海に戻ってきていた。

「おう当麻。戻ってきたのか。どうだった、新しい家は?」

「立派だったよ。けど、一つだけ聞きたい事がある」

「ん?何だ」

「何であんなにお守りやらなんやらがたくさんあったんだ?」

上条の問いかけに、刀夜は少しだけ黙った後、

「当麻、覚えているか。お前が幼稚園時代、何と呼ばれていたかを」

「疫病神、だろ」

覚えていないわけない。忘れるはずがない。おそらく右手のせいだが、とにかく不幸な人生を送ってきた。
鳥のフンがピンポイントで頭上に落ちてくる、のような小さな不幸から、通り魔に襲われる、歩道を歩いていたら車に突っ込まれる、大病を患う、などの大きな不幸まで。
鳥のフンなら自分にしか被害はないが、通り魔や車に突っ込まれるなどは、周囲に他人がいれば、その他人をも否応なく巻きこんでしまう。
病気なら、感染させてしまうこともある。
だから、周囲の子供やその保護者、ましてや自分の不幸武勇伝を噂で知った程度の大人たちですら自分を疫病神と呼び、避けたのだ。

「そうだ。それを、子供たちだけならまだしも、大人までもがお前をそう呼んで、避けた。
 それだけじゃない。疫病神は排除しなければと、陰湿な暴力までもがお前を襲った」

刀夜はあくまで無表情だった。その仮面の裏に隠れる、押し殺す事も出来ないほどの激情。
それだけは、我が子には見せたくない、という気持ちの表れだと思う。

「私は恐かった。お前の側にいると不幸になるなんて噂を信じて、お前を避けるどころか暴力を振るう人間が。
 だからこそ、迷信のない学園都市へ、幼稚園を卒園と同時に送った」

小学校時代から学園都市へ子供を送る大人は少なくない。
が、親の気持ちになって考えたらどうか。
親としては、少しでも長く子供と一緒に過ごしたいだろう。
それでも子供が行きたいと言った場合、その意思を尊重するか、もしくは親の方が学園都市で教育してほしいと願わない限り。
しかし、上条の場合はそのどちらとも違う。
上条が学園都市へ行きたいと願った訳でもなかった。刀夜や詩菜だって、上条を自分の手で守りたかったはずだ。
それでも、自分達では充分に守りきることが出来ないと判断して、泣く泣く学園都市へ送り出した。我が子を守りたいがために。

「しかし、科学の最先端である学園都市でさえ、お前の不幸は解明されなかった。
 お前の不幸は止まらなかった。以前のような陰湿な暴力がなくなっただけだった。
 私は、それだけでは満足出来なかった。お前の不幸を、根本から打ち破りたかった」

学園都市でも解明できなかった不幸を、どうしても打ち破りたいと思ったから。

「残された道は一つ、私はオカルトに手を染めた」

全ては、上条から始まった事だった。

「なんてな。お守りをちょっと買い漁ったぐらいで打ち破れる不幸じゃないことは分かっているさ。気味が悪いなら、全部捨てる」

上条が不幸じゃなければ、刀夜がお守りを買い漁る事もなく、偶然に『儀式場』ができて『御使堕し』が発動する事もなかった。
だからこそ、言わなければならない。二度とこんな間違いは起こらないように。

「いや、別に。気味が悪いなんて事はないよ。でも今後はいらない」

「当麻……」

「疫病神なんて呼ばれていたのは昔の事だから。
 今は、最高の友達と先生に出会えて、最高の学校生活を送れているし、こうして、家族と共に最高の夏休みの思い出が出来たし」

「当麻、お前は今、幸せなのか」

「ああ。だからもうお守りなんて買わなくていい。あんなの買うぐらいなら、母さんを温泉にでも連れてってあげろよ」

「……そうか。そうだな。今後はそうさせてもらうよ」

「おう」

そうして、ひとしきりの対話が終わった後、

「あらあら。男同士で何を語っていたのかしら」

「刀夜おじさんとは仲良さげにして、私とはお話ししてくれないのは何で!?」

「とうま、もしかしてファザコン?」

母親の詩菜。従妹の乙姫。そしてインデックス。
上条当麻の日常が戻ってきた瞬間だった。

これでエンゼルフォール編の再構成は終了です。
記録は入れ替わらない、火野神作は出てこないなど、基本的にはアニメ版を踏襲しました。

次回の投下は、早くても2月1日の深夜以降となります。

「にしたって、その体力は異常でしょ」

「普通の男子高校生よりは体力あるつもりだけど、異常ではないだろ」

「いいや、異常よ!この私が疲れたのに、アンタは疲れてないんだから」

「どんだけ自分を高い位置に置いているんだ」

「アンタ、能力は?」

「あるにはあるけど、身体検査(システムスキャン)では無能力者判定」

「はぁ?どういう意味よ?」

「さあね。俺自身もよく分かってない」

「……ますます言っている意味が分からないんだけど」

「別に良いだろ。それじゃ、俺はこれで」

「待って!」

「何かあるのか?」

「……アンタ、名前は?」

「上条当麻だけど」

「私は御坂美琴」

「……じゃ、今度こそお別れだな」

「待って!」

「……まだ何か」

一度ならず二度までも引き止められて、さすがの少年も怪訝な顔になっている。

「私と勝負して」

「はぁ?何で」

「アンタが強そうなのと、アンタの能力に興味があるから」

「それ俺にメリットある?」

「経験値が手に入るじゃない」

「ゲームじゃないんだから」

「いいから、勝負するったらするの!」

前髪からバチバチと電撃を漏らす御坂を見て、これは言っても聞かないタイプで、
反論して説き伏せるより、一回付き合って満足させた方が早いと考えた上条は、

「分かった。分かったよ」

「オッケー。盛り上がってきたじゃない」

この時点で盛り上がっていたのは、彼女だけだったりする。
とにもかくにも、これが御坂美琴という少女と上条当麻という少年の出会いであった。

>>1です。
白井黒子の登場、六巻になると言いましたが、やっぱり今から投下する海原編で出ます。

八月三一日。
ここ二日間『御使堕し』や両親の家がなくなったことの心労や、肉体的にも疲れがあったため無気力に過ごした。
だが、何も考えていなかった訳ではない。
むしろ、この夏休みでいろいろなしがらみが増えて、いろいろなことを考えてばかりだ。
そのしがらみの一つ、と言っていいかは不明だが、とにかく片付けなければいけない問題がある。

雲川芹亜。

通っている高校の先輩だが、先日の電話でそのポジションが正しいかどうかは分からなくなった。
学園都市は『妹達』実験を見逃すなど『何か後ろめたいこと』を抱えている。
その実験を知っている彼女が、学園都市の『裏』と繋がっていてもおかしくはない。
学校で対話するのは危険かもしれない。
だとすれば、今日決着をつけるしかない。

幸い、電話には出てくれたし、テンションも高かった。
約束は取り付けてある。

「いってくる」

七時四〇分。
同居人はまだ寝ているために返事が返ってこない事を分かっていながら、上条はそう言って雲川芹亜がいるマンションへ向かった。

八時〇五分。
常盤台中学女子寮の荘厳な食堂で朝食を終えた御坂美琴は、習慣になっている漫画の立ち読みに行こうと立ち上がった。

「みさかー」

声をかけられた。
その声の主は藍色と白のメイド服姿の給仕の少女。
名は確か、土御門舞夏。
彼女は繚乱家政女学校に在籍しているメイド見習い。
実習と称して女子寮の中で働いている中学生だ。
ちなみに常盤台の女子寮に送られてくるのは、ほんの一握りのエリートらしい。

「何よ」

「これから立ち読みしに本屋かコンビニに行くんだろー。
 だったら、いかがわしい漫画を買ってきてほしいー。
 少女向けで一八禁ではないものの妙に艶めかしいヤツー」

メイドのくせにタメ口で使い走りを頼み、しかもその内容も酷い。
こんなのがエリートだと言うのだから、メイドというのはよく分からない。

「あーあー、気が向いたらね」

よろしく頼むぞー、という声を背に、御坂は食堂を出て、長い廊下を歩いて玄関から外へ出る。
石造りの洋館みたいな学生寮のすぐ正面に、道路を隔てて二四時間営業のコンビニがある。
あとは信号が青に変わるのを待つだけ。

「あっ、御坂さんじゃないですか。おはようございます」

げっ、と嫌な気持ちを御坂は心の中だけで、何とか表に出すのをとどめた。

海原光貴。
年齢は自分の一つ上だっただろうか。
常盤台中学の理事長の孫にして、成績も良く体型もスマートで、イケメンと言える容姿を兼ね備えている人間だ。
その上理事長の孫という権限を振りかざしもしない。性格も良いのだろう。

「お、おはようございます」

「これからどちらへ?よろしければ、自分もご一緒してよろしいですか?」

「あー」

御坂は彼の事を嫌いではない。ただ、苦手なのだ。
地位も容姿も兼ね備えているのに傲慢にならず、あくまで『大人』として接してくるのが。

「どうしました?気分が優れないのですか?」

「べ、別にそんな事はないけど」

おかしい。
一週間ぐらい前から毎日毎日目の前に現れるようになった。
今までは街中でぱったり会えば少し立ち話をする程度だった。
夏が男を変えたのか。
今は積極的にアプローチをしかけられているような気がする。

「御坂さん?本当に大丈夫ですか?」

「だ、大丈夫、大丈夫。それで、何の話だっけ」

「これからどこかへ行くんでしょう?」

「あ、あーあーそうだったわね」

さて、ここで素直に立ち読みにいくとは言えない。
彼なら立ち読みに付き合った後に何か仕掛けてくるかもしれないからだ。
よって、この時点で理由を付けて何とか撒かなければならない。


「特にお急ぎの用事でないのなら、これから食事に行きませんか?近所に魚料理のおいしい店があるんですよ」

朝食の後に食事に誘うんかい、と御坂は心の中だけで突っ込む。
ともあれこの調子だと、やっぱり立ち読みのあとに何か言われるだろう。

「えーっと、誘ってくれるのは嬉しいけど、これからちょっと用事があって、
 下着売り場に行かなきゃいけないんだけど、ほら、男の人には厳しいでしょ?」

「いえ、全然。ご一緒しますよ」

寸分の狂いもなく、キラキラ笑顔で即答された。
素で突破された。

「いやー、でも、ほら」

やばい。
誤魔化す方法が何も思いつかない。
いや、思いついているには思いつているのだが、実行できる気がしない。
その辺の誰かを友達に仕立て上げて、その人と用事があることにして乗り切る。
これができない。
なぜなら学園都市の夏休み最終日は一般的に『先送りにしてきた宿題を消化する為引きこもる日』だからだ。
つまり子供達が主な学園都市では、人間があまりいないことを意味している。

「ほら、何ですか?」

「えーっと……」

無言の圧力。
これから五秒以内に何とかしないと断れる雰囲気ではなくなってしまう。
押し切られてしまう。
誰か、と御坂は周囲を見回して、

あの少年を発見した。

八時一二分。
上条は雲川芹亜のマンションへ行くために、常盤台学生寮の前を通るところだった。

「ごめーん、待ったー?」

甲高い声は正面から。
考え事をしながら、若干伏し目がちに歩いていた上条は、声の主を見定めるために顔をあげた。
直後。

ガバッ、と御坂美琴に抱きつかれた。

「お、おい、何の真似だ!?」

問いかけに対して、御坂は耳元で、

「(お願い。ちょっと付き合って)」

それだけ言われて手を取られて、

「ごっめーん海原さん!私、この人と用事があるの!」

大声で、一〇メートルほど離れているさわやかな男にそう言って、

「じゃ、行くわよー!」

走り出した。

八時二七分。
手を取られた状態で走りだされたので当然引きずられた訳だが、一〇分ほどで御坂は息を切らした。
おそらくは全力疾走だったので、当然と言えば当然だろう。

「さて、わけを説明してもらおうか」

「ちょっと待って。まずは、座れる場所に行きましょう」

もうこの時点で面倒くさいことに巻き込ませるんだろうなと直感した上条は、
雲川へ、午前中は無理かもしれません。午後からでお願いします。とメールを送った。

八時四三分。
街路樹が屋根のようになって日光を遮っているところにベンチがあった。

「さて、わけを説明してもらおうか」

そう言うと御坂にしては素直に説明を始めた。
海原光貴というさわやか男に付きまとわれている事。
何となく断りづらい事情がある事。
この一週間毎日のように誘われて辟易していた事。
友達と用事があることにして、あの場を乗り切ろうとした事。
目につく範囲には自分しかその対象がいなかった事。

「なるほどね」

大体事情は分かった。

「でも、とりあえずその海原って奴から離れる事は出来たんだろ。なら俺はもう行っていいか。俺にも用事があるからさ」

「アンタが用事あるなんて珍しいわね」

「失礼すぎるだろ」

「どうせ買い物かなんかでしょ。あとでも出来るじゃない」

「今日は違う。人と会う約束をしている」

「それってどうにかしてずらせない?」

「何でそこまでして俺を縛り付ける必要がある?」

「今回海原を撒いたのは『とりあえず』なのよね。
 もう二度と付き纏われないように、アンタと私の仲睦まじい様子を海原に見せつける」

「つまりは何か。カップルのフリをして、海原を諦めさせるってことか」

「そ、そういうことになるわね」

まあ理には適っている。
女友達とつるむだけでは、その場凌ぎは出来ても海原を諦めさせる事は出来ない。
いっそのこと、女が好きですという手もあるが、そんな嘘をつくのは世間体など考えて躊躇われるのだろう。
しかし、だからと言って、

「悪いけど、俺には無理。他を当たってくれ」

「な、何で!?」

「お前、卑怯だとは思わないのか?」

「卑怯?何が?」

「話を聞く限り、その海原って奴は多分、お前の事が本気で好きだろう。
 そんな真摯な奴を、偽装カップルで騙すなんて俺には出来ない。付きまとわれるのが嫌なら、はっきりそう言えよ」

「そ、そりゃそうだけど、説明したでしょ。はっきりとは断りにくいの。
 だからこうして、苦肉の策を取ろうとしているんじゃない」

「だからそれが卑怯だって言ってんだよ。大体、偽装カップルだって一時凌ぎだろ。
 一緒に居る所を定期的に見せつけないと、別れた可能性とか考えて、時間が経過すればまた積極的に来るかもしれないし」

「かもしんないけど……アンタ以外に心当たりがないわよ」

常盤台中学は女学校だ。学校内にいる男は、男性教諭ぐらいだろう。
しかし、それを恋人にするのは無理がある。
そうなると、学校外の男に頼るしかいない訳だが、学生は基本的に学校でのコミュニティが大半を占める。
上条だって学校外のコミュニティと言えば、インデックスにステイルに神裂に御坂に姫神に舞夏くらいだ。
しかもその内の四人は、魔術なんてものにかかわらなければ生まれなかった関係。
男に心当たりがないというのは、気の置けない相手という意味ではなく、物理的にだろう。

「なら俺の友達を紹介してやる。もちろん、乗ってくるかどうかは分からないけどな」

「な、何でそこまで意固地になって……私の事が嫌いなの?」

「ちょっと嫌いになったかもな。真剣な人間を平気で騙そうとするなんてどうかしている」

それだけ言って、上条はベンチから立ち上がり、

「どうする?俺の友達に協力を仰ぐか?必要ないって言うなら、俺に出来る事は何もない。帰らせてもらう」

「ま、待って」

御坂は立ちあがって上条の手を取って、

「ごめん。アンタの言う通りだと思う。紹介はしなくていい。けど、お詫びだけさせて」

上条は御坂の手を優しく引き剝がして、

「いいよ。用事があるから」

「それじゃ、後日埋め合わせだけでも」

「それもいいよ。じゃあな」

立ち尽くす御坂を置いて、上条は走り出す。

九時〇二分。
上条は走りながら、やっぱり今から行くので話し合いは俺が到着次第始めましょう。
と雲川先輩にメールを送った。
返信は二〇秒もしないうちにあった。
いちいちメールなんてしなくていいけど。来るのはいつでもいいし、学校でも気軽に話しかけてくれて構わない。
というか、休み時間になるたびに話したいけど。
みたいな感じだった。
なんかよく分からないが、今から行ってもいいという事だろう。
まあ駄目と言われても行くつもりだったが。

「すみません!」

具体的に名前を呼ばれた訳じゃない。
だが、明らかにこちらにかけられた声のように思えるし、そもそも、皆宿題をやるために引きこもっているので、人は少ない。
よって上条は、一度止まって声をかけられた方を向いた。

「御坂さんとの用事は終わったんですか?」

御坂に抱きつかれた時に奥に見えたさわやか男、海原だった。

「ああ、まあな」

「そうですか。いきなり失礼かもしれないですが、あなたは御坂さんの友達ですか?それとも、恋人ですか?」

「前者かな、どちらかと言えば。正確には友達ってわけでもないけど。少なくとも恋人じゃない」

「ならば、自分が御坂さんにアタックしても問題ないという事ですね?」

やっぱり、海原は本気で御坂が好きらしい。
上条当麻という人間は、男女問わず真っ直ぐな人が好きだ。
だから、海原の事を鬱陶しがっている御坂との恋はまず実らないであろうことが残念だ。
とはいえ、ここで自分が真実を伝えて諦めろというのは違う。
ここは素直に、今の自分の気持ちを言うべきだろう。

「問題ないだろ。俺が知る限りでは、恋人らしき人物はいないみたいだし」

「それは貴重な情報です」

「お前、恋人がいるかどうか分からないのにアピールしていたのか」

「ええ。だって、恋人がいるかもなんて考えて、尻込みしたって仕方ないですから。もちろん、本当にいた場合は身を退きます。
 仮にその恋人から御坂さんを奪う事が出来ても、彼女が幸せにならなければ、何の意味もないですから。
 彼女が笑っている事が、一番大事ですから」

これは思ったより真剣だ。
言動や雰囲気からは、御坂は彼のどこが気に入らないのかよく分からない。
無論、御坂に強制するつもりはないが。
相手がいくら真剣だろうが、好きでもない人と付き合うのは間違っている。
むしろ、それこそ相手に失礼だ。

「まあ、頑張れよ」

それだけ言って、上条は踵を返したが、

「待って下さい」

引き止められた。

「まだ何かあるのか。一応、俺にも用事があるんだけど」

「すみません。でも、どうしても一つだけ聞きたい事があって」

「何」

「御坂さんから自分の事で何か相談されたりしませんでしたか?
 されていたとしたら、彼女から自分の気持ちの答えを聞いていたりしていませんか?」

「相談されたし、答えと思われるような事も聞いた。
 でも、それを俺の口から言うのは違うだろ。どうしても教えてほしいって言うなら、教えるけど」

「いえ、それはあなたの言う通り、答えは本人から聞きたいので結構です。
 ただ、あなたが答えを知っているのかどうかが気になったので」

「そうか。じゃあ、今度こそ、もういいよな」

「ええ」

上条は再び踵を返して、走り出そうとして、

「さようなら」

ぞくっ、と背筋に悪寒が走った上条は反射的にサイドステップしてから振り返る。

「チッ」

舌打ちをして右拳を突き出しながら顔を歪めている海原。
サイドステップをしていなければ、延髄あたりに拳を喰らっていただろう。

「お前、何しやがる!」

上条の問いかけを無視して、海原は走り去る。

「待て!」

上条は、交差点の角を曲がっていく海原を追いかけて、同様に角を曲がった。

「のおっ!?」

海原は数メートル先でこちらを向いていた。
右手には黒い石でできたナイフのようなもの。
その切っ先が向けられている。
だがそれだけ。決して刺さる距離じゃない。
にもかかわらず、危険を感じ取った上条は右手を突き出していた。

キュイーン!と、甲高い音が響き渡った。
幻想殺しが異能を打ち消した音。

「チッ」

海原はまた舌打ちをして、再び背を向けて逃げ出す。

「逃がすか!」

上条は追いかけながら考える。
一体何が目的なのか。黒い石のナイフは何なのか。右手は一体何を打ち消したのか。

目的。
特定の誰かから恨みを買った覚えはないし、自分が狙われる要素など、インデックスぐらいしかないはず。
だとしたら、今追いかけている男は、海原の変装をした魔術師か。
だが、狙いがインデックスなら、わざわざ自分を狙う必要はない。
変装が出来るのなら、自分がどこかにでかけたところを見計らって、寮に押しかけて自分のフリをしてインデックスに近付けばいいはず。
ということは、狙いは自分か。

と、そこまで考えたところで、海原が走りながら黒い石のナイフの切っ先をこちらに向けてきた。
先程の打ち消しのやりとりから鑑みるに、あのナイフの切っ先からは『見えない異能の何か』が出ているのだろう。

上条は咄嗟に右手を突き出す。
しかし、今度は何も打ち消す事はなかった。
代わりに、車道の脇に駐車されていた車のドアが外れた。

「何……だ?」

おそらくは『見えない異能の何か』を外した結果だろう。
車のドアはへこんだりガラスが割れたりして壊れたのではなく、外れた。
車からドアという『パーツ』だけが綺麗に離れた。
単純な『破壊』じゃない。言うなれば『分解』か。
あれが人体に当たれば、おそらくは、その部分が抉れたようになくなる。

「やべえな」

逃げている海原と追いかけている自分の距離はそう離れていない。
にもかかわらず外したという事は『分解』の精度は相当大雑把だ。
それはある意味でとても危険だ。
『狙い』と『結果』が大きく違ってくるのだから。
闇雲に追いかけるのは、危険すぎるか。

と、その時だった。
ポケットの中の携帯が震えた。
誰だよ、こんな時にと思いつつ、上条は誰からの着信かを確認する。

「御坂……」

まず思ったのは、何だ御坂か。今構っている暇はない。無視しよう。だった。
そして携帯をポケットにしまいかけて、一つの可能性に気付いた。

狙いは自分じゃなく御坂なんじゃないか、と。

自分を狙うならば、土御門や青髪ピアス、吹寄制理などのクラスメイトに化けた方が油断を誘えるはず。
それなのに海原に変装したのは、彼が常盤台の理事長の孫であり、常盤台生が強く出られない事を利用して常盤台生に近付くためなのではないか。
だとしたら――、

上条は携帯の通話ボタンを押して、

「おい御坂!緊急事態っぽい!まだ外をほっつき歩いているなら、とにかく今すぐ寮に戻れ!」
『やっと出た!いい?落ち着いて聞いて!アンタは今狙われている立場なの!だから、今すぐ寮に戻りなさい!』

「え?」

御坂と言葉が被ってしまい、何を言っているのか聞き取りにくかった。

『え?じゃないわよ!いいから、アンタは学生寮に戻りなさいって言ってんの!』

「何で俺が!狙われているのはお前だろ!」

『馬鹿言ってんじゃないわよ!狙われているのはアンタ!
 私にここ最近接触してきていたのは海原じゃなく、海原に変装した男だったの!
 本物の海原はこっちで保護したから、街中で海原を見かけたら、とりあえず逃げて!』

「逃げても何も、今そいつと鬼ごっこの最中だよ!」

『えぇ!?アンタ今、逃げながら電話してんの!?』

「正確には俺が追いかけながら、だけどな」

『はぁぁぁ!?何やってんのよ!いいから大人しく逃げなさいよ!』

「野放しにしとく訳にはいかないだろ!」

『んなもん、風紀委員や警備員に任せときゃいいのよ!何でアンタは、自分の危険は顧みないのよ!』

「んなこと言われたって、別の人物に変装されたらおしまいだ!今ここで捕まえるしかないだろ!」

『だからそれはアンタの役目じゃないって言ってんでしょーが!
 ああもう分からず屋の熱血馬鹿!今から行くから待ってなさい!』

そこで電話を切られた。
待ってなさいと言われたって待てるわけない。
現状は流動的に変化していくのだから。
実際、

「ぬお!?」

電話に気を取られたせいか、上条は唐突に躓き前方につんのめりながらも、何とか転ばずに前を見据えた時には、

「死ねぇ!」

振り返って足を止めていた海原の右手の黒い石のナイフから『分解』が放たれ、それが顔の右を横切った。

「……やべえ、かな」

海原はこちらを睨みつけていた。
いきなり強気になったようだった。
じりじりと、こちらへ迫ってくる。

「ちくしょう!」

上条は背を向けて逃げ出す。
追跡者と逃走者が逆転した。

上条と海原の追走劇が始まる少し前。

上条に置いてきぼりにされた御坂は、揺らいでいた。
少年に軽蔑されたという事実。
その事実が、御坂を大きく揺さぶっていた。
少年に軽蔑されたのが、どうしてこんなにもダメージになっているのか、理解できない。
この正体不明の痛みから逃げてしまいたかった。
けれど、できない。
この痛みから逃げたら、さらに大きな痛みを伴う気がするから。

「……あーあ」

もう、漫画を立ち読みするような気分じゃなかった。
気分じゃなかったが、先は気になるし、数日後に立ち読みされつくしてよれよれになった週刊誌を読むのは嫌だ。
迷う。
こんな気分じゃ立ち読みしても楽しくないかもしれないし、逆に立ち読みすることによって少し元気が出るかもしれない。

「……これで決めますか」

御坂は灰色のプリーツスカートのポケットから、コインを一枚取り出し、親指で上に弾いた。
それを左手の甲で受け止めて、右手で覆った。
表なら立ち読みに行く。裏なら行かない。
御坂はそっと手をどけた。

「御坂さん!」

背後から大声で名前を呼ばれた為、びっくりしてコインを落としてしまった。
もっとも、驚いたのは声が大きいからだけじゃなかった。
その声が聞き覚えのある声だったからだ。
海原光貴。
早速本音を伝える機会がやってきてしまった。

御坂は意を決し、海原の方を向いて、

「逃げてください!御坂さん!」

唾でもかかりそうな勢いで言われた。

朝会った海原とは色々違った。
髪は乱れ、服は汚れ、顔には大量の汗が浮かんでいて、左腕には包帯が巻いてある。
とてもじゃないがさわやかとは言い難い。

「な、何、どうしたの!?」

「御坂さんやその周囲の人達が危険かもしれません!」

「何を……」

言っているのかと思ったが、一つの可能性に思い至った。
『肉体変化』能力者が、海原に化けて何かをしようとしている?

「その話、詳しく聞かせて!」

海原は若干錯乱していて、話を聞き出すのに少々手こずったが、大体事情は分かった。
海原を襲った人物は、褐色の男で『肉体変化』能力者ではない事。
名はエツァリとかいう外国人である事。
どうやって変装したのかというと、海原の左腕の皮膚を一五センチほど剥いで、それを使って変化していったのを目の前で目撃した事。
殺されそうになったので、『念動力』(テレキネシス)で体の動きを分子レベルでガチガチに固め、一種のコールドスリープ状態になって事なきを得た事。
そして、パソコンと携帯端末のモニタ表面に『念動力』で作った薄い膜を貼り付けて画面の内容を逆算して、様々な情報を盗んだ事。
ここまでは約一週間前の出来事である事。
盗んだ情報によって、御坂とその周囲の世界に危機が迫っている事を知り、ようやくこうしてここまでなんとかやってきた事。
そしてそのメインターゲットが、あの少年である事。

「そういうわけなので、逃げてください、御坂さん」

そういうわけにはいかなかった。

「そのエツァリとかいうのが、あなたに変装したのを一週間も見抜けずに野放しにして、上条当麻を危険にさらしている私が、ここで退く訳にはいかないのよ」

「変装を見抜けなかったのは仕方ない事です。そんな過ぎ去った事を考えていても仕方ない。あなたは、自分の身を――」

その言葉は最後まで続かなかった。
御坂が海原の首筋に触れて、スタンガン程度の電流を当てて気絶させたからだ。

「ごめんなさい」

独り言のように呟いて、救急車を呼んでから、その場を離れて少年に電話をかける。

『分解』の精度は大雑把だ。
つまり、ジグザグに走って逃げるのは意味がない。
海原としては真正面を狙って『分解』を放ったとしても、実際は右に左に上に下に、逸れる可能性があるのだから。
ならば小細工は無用。ひたすらまっすぐ最高速度で逃げるのが最良の道。

「くそっ!」

だが、真っ直ぐ逃げれば『分解』が当たらないというわけではない。
依然危険な状況であることに変わりはない。
『分解』は何より、見えないのが厄介だ。
対抗しようにも、もう少し詳細が分からなければどうしようもない。

「こうなったら……」

以前説教された事だし、ここは一つ頼るしかないか。

「出てくれよ……!」

上条は左手で携帯を操作して電話をかける。
コール音が一、二、三、四、五、六、七、八、九、

『も、もしもし、とうま!?な、なに!?』

「良かった。出てくれたか」

ひょっとしたら海原は囮で、本命はやっぱりインデックスの可能性も考えていたが、少なくとも今のところは無事のようだ。

「いいか、インデックス。前から何回も言ってきたけど、インターホン鳴らされても不用意に出るなよ」

『とうま、私には完全記憶能力があるんだよ。
 もう分かっているから、そんな口酸っぱくして言わなくてもいいかも』

「そうか。それじゃあもしも危機に陥ったら、ベランダから土御門の部屋に行けよ」

『……もしかしてとうま、追われているの?』

勘の鋭いインデックスの事だ。ここまで言われれば何かを感じ取ってもおかしくはない。

「ああ。今、黒い石でできたナイフのようなものから見えない光線みたいなのを出してくるやつに追いかけられてピンチだ」

そう言うと、二秒ほどの沈黙ののちに応えがあった。

『それは多分、黒曜石かも。鏡で星の光の反射によって放たれる槍……トラウィスカルパンテクウトリの槍だと思う』

「そのトラウィスなんたらの槍の対抗法は?」

『その「槍」は金星の光を黒曜石のナイフによって反射されたものだから、屋内に入るか、「鏡」たる黒曜石のナイフを汚して反射を遮るかだね。
 まあ、とうまの右手なら壊すのが早いかも』

「屋内に入ったら、その建物を外壁から『分解』されて生き埋めになる可能性は?」

『人間の使う「槍」はあくまでレプリカだから、そこまでの威力はないかも。
 といっても、何十発も「槍」を建物に当てれば、崩れるだろうけどね』

「つーことは結局、完全に誘いこまなきゃ意味ないってことか」

しかし、槍を使う海原本人が、弱点を分かっていないわけがない。
屋内に逃げ込もうものなら、一緒に屋内に入ってくる訳などなく、時間がかかろうとも屋外から生き埋めにしようとするはずだ。

「オーケー。大体分かった。ありがとうな。インデックス!」

『礼には及ばないかも。そんなことより、ちゃんと無事に帰ってきてよね』

「ああ!」

力強く返事をして電話を切ったところで、背後からガンゴン!と金属がぶつかる音がした。
ガードレールに『槍』が当たったらしく『分解』されたようだった。
それを見る限り、やはり精度は大雑把なうえ、連射も出来ないみたいだ。
あとは、どうやってあの『槍』を無効化するか。

九時二三分。

最終的に上条が逃げ込んだ場所は、建設途中のビルの工事現場だった。
まだ鉄骨で骨組みされているだけの状態の。

「終わりですね」

互いの距離は約五メートル。
きっと海原は、追い込んだと判断してそう言ったのだろう。
しかし、こちらとしては、

「何言ってんだ。こっからが始まりだろ!」

上条は手近にあるシャベルを掴み取って、近くにあったセメント袋に突き刺す。
そして思い切り振り回した。袋の中に入っていた灰色の粉末が辺り一面に撒き散らされる。

「チッ!」

この灰色の粉末は視界を奪っただけではない。
ナイフの反射による『槍』を防ぐためのものでもある。
と即時判断した海原は、灰色の世界から脱出する為に後退しつつ、ナイフについた粉末を拭う。

だが当然、人間後ろに下がるより前へ向かう方が速くなるようにできている。
海原が後退して灰色の世界から脱出しきる前に、前進した上条の右拳が唸りを上げる。

「くっ!」

灰色のカーテンを引き裂いて飛んでくる右拳を、海原は屈んで回避する。
顔面に来る一撃だと読んでの行動だった。
だが上条の攻撃はそこで終わらない。上条の右脚が、屈んだ海原に向かって放たれる。

咄嗟に両腕をクロスして何とかガードしつつ後ろに転がった海原は、同時に灰色の世界から脱出できた事を知り、ナイフを軽く拭ってから角度を調整する。
灰色の粉末の中、シルエットが見える。
それだけで十分。

「終わりです!」

『槍』が放たれた。
調整された角度によって放たれた『槍』は、上条の下半身のどこかを貫くはずだった。

「な……に?」

しかし、それは叶わなかった。
上条が、左手で持っていたシャベルを縦にして、擬似的な盾にしていたからだ。
『槍』はシャベルに直撃し、その効果によりシャベルの先端だけが柄から分離する。
直後に柄だけのシャベルを投げ捨てた上条が、灰色のカーテンを突き破ってくる。
狙いはもちろん、ナイフだろう。

「くっ!」

『槍』は連射出来ない。
よって海原は、回避行動するしかなかった。

「逃がすかよ!」

上条は深追いしてくる。
おそらくは、微調整が必要な事も見抜かれている。
そう判断した海原は、回避に徹する。
徹しつつ、『槍』での反撃のチャンスを窺う。

「やめろよ。その『槍』はもう通じない。タネは全部分かっている」

ハッタリだ、と海原は言いたかったが、言えなかった。
今までの上条の行動が、『槍』を避けるために的確だからだ。
海原はヤケクソで、互いに動き回っているため『狙っていては』当たるはずもない『槍』を放つ。
たまたま当たる事を願って。
しかし、そうそう都合よくあたるはずもなく、上条には鉄骨の影に隠れられてしまう始末だった。

「車に『槍』を当てた時、ドアが外れたけど、それだけだった。
 向こう側の、もう片方のドアは外れなかった。
 そこから考えられる事は、『槍』には貫通性がない事。
 だから、ただのシャベルですら、盾にする事が出来た」

海原は、それを黙って聞くことしかできなかった。

「俺が鉄骨の影から影に動きまわっていくとしたら、お前はどうする?
 鉄骨に当ててしまえば『分解』が作用して骨組みが崩れるぞ」

「だから何ですか?」

「そうなると、戦いどころじゃなくなるだろ。
 それどころか、最悪鉄骨に押しつぶされて二人とも死ぬ。
 そんな狙いが不安定な武器だと、アクシデントがいつ起こってもおかしくない」

「だから、このナイフを封印しろと?」

「そうだ」

「随分素直ですね」

「昔から嘘はつけないタイプだからな」

「残念ですが、あなたの理論には穴があります」

「自分は逃げて遠距離から『槍』を放ち、この工事現場ごと俺を潰します、ってか?」

「……そうです」

分かっていて、なんでこんなにも堂々としているのか。

「残念ながら、それは上手く行かない。今度俺に背を向けようものなら、俺は確実にお前を仕留める」

自信満々の宣言が嘘だとは思えなかった。
彼が昔から嘘をつけない正直者とか、そういう部分ではなく、雰囲気からそう思ってしまう。

「……そうですか。分かりました。では、こうしましょう」

海原はナイフを上に掲げて『槍』を放った。

「な、にを……」

「始めましょうか、デスマッチを!」

『槍』を受けて『分解』が作用したのだろう、鉄骨の一つが落ちてきた。

「さあ、出てきてくださいよ!このままだと二人とも死にますよ!」

「正気じゃねぇな、この野郎!」

上条は早期決着の為、鉄骨の影から飛び出して一直線に海原へ向かう。
が、

「――ちくしょう!」

上条は海原まであと一メートルと言うところで、無理矢理止まって左へ跳ぶ。
直後、上条が二秒前までいた座標に鉄骨が落ちてきた。
その二秒後には、また別の鉄骨が海原の背後二メートルの位置に落下し、大地を震わす。
もはや戦いどころじゃない。
ここは一旦、この場から脱出することに専念しなければ。

「逃がしませんよ」

海原は上条を逃がさないように殴りかかっていく。
さすがの上条も回避が精一杯で、逃げる余裕がなくなる。

「ばかやろう!このままだと俺もお前も死ぬぞ!」

「そう思うならあなたがさっさと死んでくれればいい!そしたら自分は助かります!」

「ふざけんな!」

叫ぶ上条の下に、彼の不幸体質が作用しているのか、やたらと鉄骨が降り注ぐ。
鉄骨を避けることに集中すれば海原の攻撃の回避が疎かになるし、逆もまた然り。
だがどちらを避けることに集中するかなんて決まっている。
鉄骨は一発でも当たれば少なくとも致命傷、最悪即死。
海原の攻撃は打撃にすぎず、何発か食らったところで致命傷にはならない。

よって上条は、鉄骨を避けることに専念して、一、二、三本、ステップを駆使して避けたところで、

海原の反時計回り飛び蹴りが襲い掛かった。

「――くそっ!」

咄嗟に両腕をクロスしてガードを敷いてクリーンヒットだけは免れたものの、
回転飛び蹴りの衝撃は相当なもので、一メートルほどぶっ飛ばされて鉄骨に背中を強打する。

「か、はっ」

背中を強打したことによって、肺から息が吐き出される。
しかし息を整えている暇などない。海原は出口へ向かっている。
狙いはきっと、安全圏から『槍』を放ち鉄骨の骨組み完璧に崩壊させ、自分だけを生き埋めにする事。

「させるかよ!」

駆ける。
海原へ、ではなく、先程投げ捨てた柄だけのシャベルへ。
下手に追いかけて鉄骨に阻まれるより、柄だけのシャベルを投擲した方が確実と判断したからだ。

「おらぁ!」

上条が思い切り投擲した柄だけのシャベルは、海原の背中を射抜くコースだった。
海原もそれに気付いたが、回避動作をしても間に合わない速度だった。
しかし、

投擲の軌道上に落下してきた鉄骨によって、柄だけのシャベルは弾かれ海原を射抜く事はなかった。

「マジかよ――」

そして安全圏に達した海原は、角度を調整して『槍』を放つ。
上条にではなく、鉄骨の骨組みの上部分に向かって。
無論、上条に『槍』を止める術などなかった。
結果、『槍』は骨組みへ直撃し『分解』が作用する。
つまり、決定的な倒壊。

ズッドォォォォォン!と、上条は落下してきた大量の鉄骨群に呑みこまれた。

「終わりましたか」

目の前には莫大な煙が渦巻いていた。
さすがにあの鉄骨群に呑みこまれて無事なはずがない。
海原はそう判断して踵を返す。

ズシン!という音が聞こえた。
きっと積み重なった鉄骨がずれて地面に落ちただけだろう。
そう判断したから、海原は振り返る事もなく悠々と歩いていた。

続いて、カン、カン、という、まるで鉄骨の上を歩いたような音が木霊した。
ここで初めて違和感を覚えた海原は振り返ろうとして、

後頭部に何かがぶつかり痛みを感じた。

「何が!?」

海原は今度こそ振り返る。
直後に顔面に飛来してきた何かを避けられずに喰らって仰け反る。

「が……!」

海原が怯んでいる間に、既に彼の懐へ潜り込んでいた上条は、

「言ったはずだぞ。今度俺に背を向けようものなら、確実に仕留めるって」

上条の右拳が海原の顔面へ放たれた。
それはこれ以上にないクリーンヒットで、右拳を受けた海原は数メートルほど吹っ飛んだ。
同時に、彼が右手に持っていた黒曜石のナイフは解き放たれ、上条の足下に転がった。

「さて、お前の正体を聞かせてもらおうか」

足下まで転がってきた黒曜石のナイフを右手で触れて壊しつつ尋ねる。

「……っ」

切り札の黒曜石のナイフを壊されたからか、海原は逃げだそうとするが、

「な――」

唯一の出口には、少女が立ち塞がっていた。
茶髪のショートカットの前髪から、電撃をバチバチさせている少女が。

「御坂、さんが、なぜここに」

動揺する海原の顔面にはヒビが入っていた。

「答える必要ないわね。あと気安く名前呼ばないでくれる」

「諦めろ。もうお前に逃げ場はない」

「……そのようですね」

「つーことで、教えてもらおうか。お前の正体と目的を」

「その必要はないわ」

なぜか返答は御坂からあった。

「え?」

「私が全部あとで教えてあげるわよ。そして聞かせてもらう。魔術師とか禁書目録の事とかをね」

「な……」

一体どうやってそれらのことを、と上条は驚嘆するが、

「まさかあの男……自力で脱出して……だから御坂さんがここにいるのか……」

海原は合点がいっているようだった。

「でも、どうやって自分の情報を盗み得たというのですか?
 あの男は『読心能力者』(サイコメトラー)ではないはず……」

「『念動力』の力を見誤ったようね。あれは応用すれば、パソコンや携帯端末のモニタからも情報を読み取れるのよ」

「……まさか、そこまでとはね。さすがに大能力者と言ったところでしょうか」

二人が勝手に話を進めている間、上条は考える。
今の会話から鑑みるに、本物の海原はこの男に捕まるも、どうにかして脱出して情報まで盗んだ。
その情報を御坂にリークした。
その情報には、魔術師やインデックスの事も書かれていた。
だから御坂は、魔術師や禁書目録について聞かせてもらうなどと口走った。といったところことか。
だがそれでも、目の前の男の目的が見えてこない。
御坂の電話や今の話を聞く限りでは、やはり狙いは自分だったと考えるのが妥当だ。
ならば自分に近しい人間に変装するのが普通だ。
海原光貴なんていう知り合いの知り合いに変装するなんて回りくどすぎる。
御坂を篭絡して、彼女に自分を殺させようとしたのか。

「ということで、一発ぶちかまさせてもらうわよ」

「待て、御坂。どうするつもりだ」

「どうするつもりって、一発電撃浴びせて拘束する以外にある?」

「駄目だ。俺はまだこの男から聞いていないことが多すぎる」

「だからそれは、私が全部教えるって言ってんでしょーが」

「盗んできた情報を事後報告気味に御坂から教わるより、ここで本人から聞いた方が早いだろ」

「このクソ野郎が、嘘をつくかもしれないじゃない」

「その時はお前がフォローを入れてくれれば良い」

上条がそこまで言ったところで、御坂はギリッ、と歯噛みして、

「一体何なのよ、アンタは!アンタ、この男に殺されかけたのよ!
 恩を着せるつもりはないけど、私が電磁力で介入しなければ、鉄骨に押しつぶされて本当に死んでいたかもしれないのよ!
 それを……何でアンタは、そんな平然としてんのよ!」

今にも雷撃の槍を放ちそうな御坂に、上条は諭すように言う。

「……別に平然としている訳じゃない。
 ただ、ここで暴力を振りまいてこの男を一時的に退けたところで、根本的な解決にはならない。
 根本的な解決をする為には、冷静になって情報を聞き出し、それを分析する必要がある」

「んなこと……分かっているわよ。けど、その情報が私にはあるって言ってんでしょ。
 この男と話すことによるメリットって何?電話でも言ったけど、この男の標的はアンタ。
 隙を見てアンタを相討ち覚悟で殺しにかかる可能性だってあるのに」

「要するに、この男とこれ以上話すのは危険かもしれないからやめてほしいってことか」

「……そうよ」

思ったより心配をかけてしまっているのだろうか。
エツァリにおそらく黒曜石のナイフ以上の切り札はない。
あれば使っているだろうから。
二対一なら、まず負けないとは思うが。

「……分かった。ここは御坂に従う。けどその前に一つだけ聞きたい事がある」

上条は目の前の男を見据えて言った。

「御坂が好きだってことも、嘘だったのか」

その言葉にいち早く反応したのは御坂だった。

「ちょっと、アンタ、何言って」

「御坂、少し黙ってくれ」

「っ……」

「俺には今一つ分からない事がある。
 俺を狙うなら、俺のクラスメイトとかに化けた方が早いのに、御坂の知り合いに化けた事だ」

「それは私が『上条勢力』にカウントされていたからであって」

「御坂、俺は今、海原と話しているんだ。口出しするな」

「……なんで、なんでよ」

不満そうではあったが、御坂はそれ以上騒がなかった。

「御坂の知り合いに化けたのは、御坂に近付きたかったからじゃないのか」

男は沈黙を続ける。
それでも上条は、最後にたたみかけた。

「どうなんだよ、海原」

上条の目の前にいる男は海原ではない。
それでも上条は敢えて、彼を海原と呼ぶ。

「……いけませんか」

「あん?」

「自分が御坂さんを本気で好きになっちゃいけないんですか」

「それが本音か」

「ええ、そうですよ。自分だってこんな真似はしたくなかった。
 自分は、この街が好きだったんです。一月前、ここに来た時からずっと。
 たとえこの街の住人になれなくたって、御坂さんの住んでいるこの世界が大好きでした」

海原の本音はそこで止まらない。

「でも、やるしかなかった。『上』があなたと『上条勢力』を危険だと判断したから!あなたが全部壊したんだ!
 あなたがもっと穏便でいてくれたら、問題なしで報告して、静かに引き下がれたのに!」

上条には海原の言っている意味の半分も理解できなかった。
何となく分かるのは、海原はどこかの組織に属していて、上司に命令されたから仕方なくやった。
ということと、御坂とその周囲の世界が本当に好きだった事くらいだ。

だが、それだけ分かれば十分だった。

「結局、お前は魔術師ってことで良いんだよな?」

「何を今更」

「どうして魔術師ってのは、自己中心的で悲劇のヒロインぶっているアマちゃんしかいないのかね」

「……分かっていますよ。すべては自分が弱いせいだってことぐらい。でも、もう遅いんですよ。自分にはもう……」

海原は拳を握り締める。
それは悔しさによるものでもあるし、上条に一矢報いるためでもある。

「コイツ……!」

海原がまだ戦う気があるのを敏感に察知した御坂は、電撃を迸らせたところで、

「手を出すなよ、御坂」

上条に制止された。
御坂にとっては、制止を大人しく受け入れる必要はなかったが、妙な強制力を感じて電撃を引っ込めた。

「もう遅いから、御坂や俺に手をかけるしかない、ってか」

上条も右手を固く握り締める。

「そんなことねぇよ。そんなもんは思い込みだ。そんな幻想、ぶち殺してやる」

その言葉が合図だった。
上条と海原は同時に地面を蹴る。
そして二秒もしないうちに、互いの右拳は交錯して、互いの左頬に突き刺さった。

ピキリ、と海原の顔面のヒビが広がり、ボロボロと崩れていく。
そこから浅黒い肌が見え始めたところで、海原は仰向けに倒れた。

「アンタ、大丈夫なの!?」

殴られた上条の身を案じて、御坂が駆けよってくる。

「大丈夫だ」

上条がそう返事をしたところで、

「負けました、ね」

倒れている海原が呟いた。

「負けたってことは、自分はここで止まれたってことですね。
 御坂さんも傷つけずに、その周囲の世界を壊す事もなかった。そういうことですね」

そんな言葉を聞いて、上条は思う。
きっと海原は、本気で自分を殺すつもりだったのだろうけど、無意識のうちに実力をセーブしていたのではないか。
殺すつもりなら、背中からの不意打ちの初撃。あれは『槍』の方が良かったはずだ。
いくら狙いが大雑把でも、あの至近距離なら当たるだろう。
比べて拳なんて、直撃したところで致命傷にはならない。
背を向けて逃げているときだって、もう少し『槍』をちゃんと狙えたはずだ。せめて掠らせるぐらいは。
本気は出せなかったから、鉄骨が降り注ぐデスマッチを仕立てあげた。
そこまでしても、敗北した。
つまり、海原にしては退く為の大義名分が出来たのだ。

「きっとね。攻撃は、今回限りでは終わりません。
 自分みたいな下っ端が一回失敗した程度で『上』は退かないでしょう。
 むしろ、余計に危険視するかもしれません。
 あなたや御坂さんのところには自分以外の者が向かうでしょうし、最悪、自分にもう一度命令が下るかもしれません」

海原はそこで一旦区切って、問う。

「守ってもらえますか、御坂さんを」

その問いに、御坂が何かを言いかけたのを上条が制止する。

「いつでもどこでも誰からも何度でも。
 このようなことになる度に、都合のいいヒーローのように駆けつけて、守ってくれると約束してくれますか」

問いかけに対して、返事は即答だった。

「ああ。任せろ」

「……頼みましたよ」

海原はそれだけ言って、眠るように気を失った。

「……さて、あとは海原をどうするかだな」

通常なら風紀委員や警備員に通報すれば済む話だが、魔術師の身柄とはどうなるのだろう。
彼は悪者であって裁かれるのは当然なのだが、魔術の存在が明るみに出れば、科学世界は混乱するのではないか。

本来はただの一般人である上条が、そんな事情を鑑みる必要はなかった。
そういう事情を把握してどうにかするのは、プロの世界に身を置く者の役目だ。

「うーん……」

上条は唸りつつ、とりあえず海原の後頭部と顔面に飛ばした靴を拾って履いたところで、ポケットの中の携帯が震えたのを確認した。

「お」

電話ではなくメールだった。送り主は土御門。内容は、
海原は俺が回収しておくから放っておいていい。それとあとで『御使堕し』編の事後報告メールもしてやる。
というものだった。

「マジでどうなってんだ。アイツの情報量……」

思わず呟いてしまう。
メールから鑑みるに、この状況もリアルタイムで見られているのだろうか。
もしそうなら、プライバシーどこいったという感じだ。
……まあ、それは一旦置いておくとして。
本当に海原を放っておいてもいいものだろうか。土御門の回収より先に、一般人が見つけたりすれば……。

「あれ?」

違和感に気付いた。
建設途中のビルが崩れたという大事故が起こったのに、御坂しか来ていない。

「まさか……」

情報統制でもされているのだろうか。そうじゃなければ、野次馬の一人や二人来ないと逆におかしくないか。

「御坂」

「え?な、何?」

「何ぼーっとしてるんだよ」

「ぼ、ぼーっとなんてしてないわよ!私がアホの子みたいな言い方やめてよね!」

「そんなつもりはないけど。ていうか、そんなことよりだな。御坂、ここまでどうやってきた?」

「ど、どうやってって、何でそんな事聞くのよ?」

「これだけの騒ぎで人がまったく来ないのっておかしいと思わないか?」

「な、なるほど。言いたい事が分かったわ。
 でも、人が来ないのは、宿題を消化する為に学生が引きこもっているからじゃないの」

「……なるほど」

言われてみれば、そんな気もしてくる。
それでも野次馬が一人も来ないというのは珍しいだろうが、まったくあり得ないとまでは言い切れない。

「私がここまで来たのは、まず高い所に登って、俯瞰によってアンタと海原の追いかけっこを発見して、急いで駆け付けただけ。
 私が到着したタイミングは、アンタが鉄骨群に潰されそうになった時。ホント危機一髪だったんだから」

「分かっている。助かったよ。サンキューな」

「~~!え、ええ」

なんか言葉遣いが御坂らしくないが、まあ気にするほどの事でもないだろう。

「……で、こいつはどうする訳?」

「知り合いが回収するって」

「そ、そう」

何か突っ込まれる可能性も考慮していたが、意外と何もなかった。

「それじゃあ、少し落ち着ける場所にいきましょう。できれば、人の少ないところへ」

そうか。と上条は悟った。
きっと御坂がぼーっとしていたのは、海原について何も突っ込まなかったのは。
自分に対して魔術師やインデックスについて尋ねることで頭がいっぱいだったからだ。と。

九時四六分。

自販機が近くにあるベンチに、上条と御坂は腰掛ける。

上条は緊張していた。
結局、流れのまま海原を放っておいてしまうくらいには。
これから根掘り葉掘りいろいろ聞かれるのだろう。
巻き込みたくないと思っていたが、知られてしまっては仕方がない。
真実を話すしかない。その上で、なるべく巻き込ませない。
嘘をつくのは苦手なのだ。

「聞かせて、もらいましょうか。これまでの事を」

上条は知っている事とこれまでの事を話した。
魔術師はその名の通り、魔術という得体のしれない異能を扱う人間のこと。
インデックスという少女を巡って、魔術師が学園都市に侵入したこと。
インデックスを救うことにより、魔術師と和解したこと。
インデックスを救った時に、姫神秋沙という少女を間接的に救ったこと。
救ったインデックスは、自分の部屋で保護していること
『御使堕し』についてはまだまだ分からない事が多いため割愛した。

「と、いうことなんだけど」

直後だった。
御坂の右の平手が顔面に向かって飛来してきたのを、右手で受け止めた。

「な、何でビンタ?」

「アンタが何もかも一人で抱え込んで誰にも頼らない馬鹿だから」

「誰にも頼らないって、インデックス救出の時は、頼る暇すらなかったし」

「うるさいわね。そんな正論知らないわよ」

どうやら相当お冠のようらしい。

「大体、その時頼る暇がなくても、こうして事後報告は出来るでしょーが。何で教えてくれなかったのよ」

「いちいち聞かなくても分かんだろ。巻き込みたくなかったからだ。御坂が俺の立場なら、素直に話したか?」

「話さないわよ、多分。けど、それはアンタの理屈。
 逆に聞くけど、アンタが私の立場なら、何で黙っていたんだと思わないわけ?」

「それは……」

かつて同じような事を御坂に言った身としては、今の言葉は重かった。

「もういい。分かったわ。私は寛大で器が大きい人間だから許してあげる」

「お、おう」

御坂の右手から力が抜けたのが分かったため、上条は右手を放す。
直後だった。

「んなわけないでしょーが!」

再び飛来してきた右の平手を、今度は左手でガードすることによってダメージを免れる。

「一発ぐらい受けなさいよ」

「ふざけたこと言うな!大体、左頬は海原に殴られたから痛いんだよ!せめて右にしろ!」

「分かったわ、よ!」

「本当にやるんじゃねえー!」

叫びつつも、左の平手もしっかりと右手で止める上条。

「あー、ムカつく!」

「……もう絶対手を放さない」

呟く様な宣言に深い意味はない。
ただ、平手をいちいち受け止めるのが面倒だから、そもそも平手を放たせないためだ。

「?」

顔を真っ赤にして俯く御坂に対して、どうしたんだという疑問を上条は持つが、大人しくなってくれたのはいい事なので、無理に突っ込まない事にした。

一〇時〇三分。
俯き始めてから約五分。
見た感じ、落ち着いてきたようなので、

「よし。次はこっちの番だ。本物の海原が盗んで来たという情報について、教えてもらおうか」

言うと、御坂はこくりと頷いて、淡々と語り始めた。

海原だった男――魔術師の目的は、上条とその周囲の世界を壊すこと。
周囲の世界とは、具体的には禁書目録の少女やイギリス清教の魔術師、常盤台の超能力者、吸血鬼に対する切り札であること。
それはもはや『上条勢力』として危険視されていたこと。
変装することによって内部腐敗を狙っていたこと。
魔術師の本名はエツァリで、彼が所属する組織は、アステカ方面であること。

「アステカ、か」

上条は魔術についてはほんの一端を知っているだけにすぎず、アステカと言われても詳しい事は何一つ分からないのだった。
でも、そんな些事はどうでも良かった。

「結局、御坂を巻き込んだのも、俺のせいだな」

巻き込ませないどころか、むしろ自分のせいで巻き込んでしまったようなものだった。

「アンタ、それ本気で言ってんの?」

「冗談に見えるのかよ。俺がお前と関わらなければ、勢力として看做されず平和に過ごせたってことだろ」

「――ふざけんじゃないわよ!」

怒号と共に飛んできた頭突きを、今度こそ上条は避けることが出来ず、鼻っ柱にまともに受けた。

「な、にを」

「悪いのはアンタじゃなくて襲ってきた魔術師でしょーが!そんな簡単なこともわっかんないわけ!?」

「それは……」

「それにさっき、アンタあの男と約束したじゃない!
 私を守ってくれるって!だったら約束を守り通せばいいだけでしょ!
 アンタが原因で私が巻き込まれても、アンタが立ち上がって救えばいいだけの話じゃない!
 いい!?巻き込んでしまうかもしれないとかいう憶測で私を遠ざけるなんて真似したら、絶対に許さないから!」

そこまで言われて――そこまで言わせて、上条は申し訳ない気持ちでいっぱいになった。

「……悪い。お前の言う通りだ。俺がバカだった」

「……分かればいいのよ」

掴んでいる両手を通して、御坂の全身から力が抜けて行くのが分かった。

「……もう叩かないから、手を放して」

「あ、ああ」

素直に手を放す。

「……」

「……」

訪れる沈黙。
上条はそれが気まずかったので、

「一方通行の時と言い、鉄骨に押しつぶされそうになった時と言い、今と言い、御坂には助けられっぱなしだな」

「……別に、たいしたことはしてないわよ」

素っ気ない。

「……まあ、魔術については他言無用で頼むぞ」

雰囲気的に、話を切り上げるしかなかった。

「うん。分かってる」

「……じゃあ、俺はこれから用事があるから、これで」

「うん」

その時だった。

「お姉様」

声は後ろから。
上条は振り返ったが、誰もいなかった。

「ありゃ?」

と、上条が間抜けな声をあげた時には、一人の少女が上条と御坂の間に割って入っていた。

「な、なん、誰だ?」

「初めまして殿方さん。
 わたくし、お姉様の唯一無二のパートナー兼『露払い』を務めております、白井黒子と申しますの」

「は、はあ」

白井黒子と名乗る少女は、御坂と同じ常盤台の制服を纏い、左肩の下辺りには風紀委員の腕章、茶色い髪をツインテールにしていた。
おそらく中学一年生ぐらい。

「ちょっと黒子」

「お姉様は黙っていてくださいですの!お姉様に手を出そうとする不埒な輩は、風紀委員として見逃せませんの!」

そう啖呵を切った白井は、手を握ってきた。

「……おかしいですわね」

「黒子、まさかとは思うけど、アンタ今『空間移動』(テレポート)しようとしなかった?」

白井はテレポーターだったから、気配もないうちに間に割って入られたのか。

「そうですけど、なぜか出来ませんの」

「ああ、それ多分、俺の右手のせい」

「はぁ。右手に何かあるんですの?」

「それよりも」

割って入った御坂の声が若干怒りめに聞こえるのは気のせいだろうか。

「あー・んー・たー・はー、空間移動でコイツをどうするつもりだった?」

笑顔だったが、どう見ても作られたもので怖かった。

「もちろん、空間移動で脳天から地面に落下してもらおうと――」

「黒焦げの刑じゃあーっ!」

バヂィ!と超至近距離で電撃が放たれるが、白井は空間移動で避けたようだった。
空を切った電撃は何とか右手で処理した。

「お、おね、お姉様の電撃を……」

自分達より数メートル離れた位置で、白井が口をパクパクさせていた。
右手で電撃を打ち消したところを見て驚いたのだろう。

「で、でで、ででで、でも、そ、そんなことより、お、おお、おね、おねえ、お姉様が」

いくらなんでも動揺しすぎだろ。

「お姉様が、こ、この殿方を、か、かか、庇ったのはなぜですかーっ!」

後半は雄叫びと言っても良かった。
それぐらい大きい声でうるさかった。

「うっさーい!」

御坂も同様の感想を抱いたようで、前髪から白井に向かって電撃が繰り出される。
しかし、先程と同様に電撃は空間移動であっさりと回避された。

「コイツとは色々事情があんのよ!」

「じ、事情って一体なんですのーっ!」

「だからうるさーい!」

三度放たれる電撃に、それを空間移動で避ける白井。

「用事があるんでしょ。アンタはもう行きなさい」

「お、おう。とりあえず大変そうだけど、頑張れよ」

「ええ」

「二度とお姉様に近付くなですの!」

「黒子ーっ!」

御坂の絶叫を背に、上条はいよいよ雲川芹亜のマンションへ向かう。

一〇時一二分。

「と、ところで、しょ、少々真剣に尋ね、尋ねるの、ですが、あ、あの殿方は、ガチで何、何なんですの?」

上条が去ってから一分後、黒焦げになった白井は、息も絶え絶えになって尋ねた。

「えーっと……」

さて、どう答えよう、と御坂は困った。
二週間前ぐらいまでなら、知り合い、またはライバルと言っても良かったかもしれない。
だが今は、恩人へとクラスチェンジしてしまっている。
ここで素直に恩人と答えてしまえば、じゃあ何で恩人なの?という話になり、『妹達』について触れなければいけなくなってしまう。
黒子には『妹達』について教えていないから、それはまずい。

「お姉様?」

「いやー、だから、それはね」

というか、自分は何を返答に困っているのだろう。
恩人と言っては駄目なのなら、恩人と言わなければいいだけだ。
知り合いでいいのだ。
それなのに、何をこんなに――

「あのー、もしかしてあの殿方が、件の『アイツ』さんですの?」

「はっ、へっ、えっ、件のって、ど、どういうことよ?」

「ものすごく動揺していらっしゃるようですが、お姉様、事あるごとにアイツが~、アイツが~、って呟いていますの」

「え?ま、マジで?」

「マジですの」

「……アンタの言う通り、アイツって言うのは、あのツンツン頭の男の事よ」

「やはりそうですか。
 ところでお姉様、今朝八時ちょい過ぎくらいに、あの殿方に抱きついたのは何だったんですの?」

「なっ、何故それを……っ!?」

「他の方々は知りませんが、わたくしは見ていましたの。寮の眼前でのあの出来事を」

「にゃろぉ……」

噂になるのを恐れて、あの場からさっさと立ち去ったと言うのに、よりにもよって一番見られたくない奴に見られるとは。
……いや、正確には二番か。寮監に見られて罰を受けるよりはマシかもしれない。
もっとも、黒子に気付かれている以上、寮監に気付かれている可能性も十分あり得るのだが。

「あー……」

寮監にばれているかもしれないと思い始めると、どんどんテンションが下がっていく。

「一応言っとくけど、あれは海原を撒く為の苦肉の策。他意はないわ」

寮監を一緒に説得する為に、黒子には事情を分かってもらった方が良い。

「あー、そういえばいましたわね。あのカンニング野郎、ちょっと権力があるからってお姉様に近付きやがって」

黒子が海原の事をカンニング野郎と呼ぶのは、彼がアステカの魔術師から情報を盗んだように、
テスト問題を作るパソコンから情報を盗み取るという卑劣な行為をしているからだ。
もっとも、それだけの図太さ、ずる賢さがあったからこそ、アステカの魔術師に捕われても生還し、なおかつ情報を盗むという荒業が出来たのだろう。

「ですがお姉様、海原を撒くためなら、わたくしを誘ってくれれば良かったですのに」

「女じゃ一時凌ぎで意味ないでしょ。アイツとカップルのフリをして、二度と寄せ付けないようにしようとしたのよ」

「ですから、わたくしとカップルになっていただければ」

「私はアンタと違ってノーマルなの。というかむしろ、アンタと噂になる方が、海原と噂になるより嫌よ」

「なぁーんでですのーっ!黒子は……黒子はこんなにもお姉様を想っているのにーっ!」

「だー・かー・らー・うるさいっつーの!」

「あっぴゃーっ!」

黒焦げの白井に、さらなる電撃が叩きこまれた。

「あー、何発もぶっ放したら喉渇いた」

なんてことを呟きながら、御坂は自販機に向かっていく。

「お、お姉様、もしかして、またジュースを失敬するつもりですの?」

「当たり前でしょ」

御坂は自販機をバンバン叩きながら、

「コイツは私が新入生の時、一万円を呑んだポンコツなのよ。まだその分のツケは残りまくっているし」

「……」

そう言われると、敬愛補正もあって、白井としては強く出ることができない。

「さーて、いくわよー」

御坂はその場でトントンと、軽いステップを刻み、

「常盤台中学内伝、おばーちゃん式ナナメ四五度からの打撃による故障機械再生法!」

ちぇいさーっ!という掛け声とともに、反時計回りのハイキックが自販機の側面に叩きこまれた。
直後に、ガタゴトとジュースが落下する音がした。

「ヤシの実サイダーとかラッキー。さっすが私、強運ね」

プルタブを指で開けて、ごくごくと飲み始める。
白井はそれを見て、間接キスがしたいという欲望にかられるが、それ以上に気になる事が出来た。

お姉様にとって『アイツ』――ツンツン頭のあの少年は、間違いなく特別な存在として彼女の心に居座っているという事だ。
少なくとも、無意識に呟き、偽装カップルの相手として選んでしまうくらいには。

「ちっくしょー!あの類人猿めがー!」

「ぶふっ!ま、またアンタはうるさいわね!」

奇声を上げて仰向けに倒れていた白井が立ち上がるのを見て、
飲んでいたヤシの実サイダーを噴き出しつつ電撃を放とうとするが、白井にとってはそんなこと関係なかった。

ツンツン頭の少年、もとい類人猿。
はっきり言ってめちゃくちゃムカつくが、男に対して免疫がないままだと、後々碌な野郎に引っかからないとも限らない。
その点、あの人畜無害なお猿さんならば心配ないだろうし、ついでにそのヘタレぶりを見て男性全般に幻滅してくれれば、
そこに付け込んで慰めて、お姉様を篭絡できる可能性があるかもしれない。

と、高速演算したところで御坂の電撃が叩きこまれて、白井は完全に気を失った。

一〇時一六分。

「あのさ」

『何ですかにゃー』

上条は雲川のマンションまでの道中、土御門に電話をかけていた。

「何で俺には、自分がスパイだってことばらしたんだ?」

上条がこう質問するのにはわけがあった。
実は御坂には、一つだけ話していない事があった。
土御門がスパイということだ。
これは、御坂とベンチで話す数分前に、土御門から、
俺がスパイである事はばらすな、というメールが来た事による。
メールが来たということは、監視されているだけじゃなく会話すら聞かれていたと考えられる。
本格的にプライバシー侵害だ。
……まあ、それは一旦置いとくとして、いや、本当は置いておけないが、話を進めるために一旦置いておく。

御坂にばらすなと言ったのは、単純にスパイという立場上の問題もあるのだろう。
だからそれは納得できる。
ではなぜ自分にはばらしたのか。
成り行き上、というのはあるだろう。だがいくらでも誤魔化す事は出来たように思える。
それなのに、教えてくれた。

『簡単な事だよ。カミやんの事を信じているからさ』

「……それだけ?」

『それだけっつーか、まあ誤魔化すのも大変そうだし、
 ばらしたほうが逆に動きやすいかなとも思ったからっていうのもあるけど、一番は信じているからかにゃー』

「それなら、御坂に教えても良かったんじゃ……」

『いやいや、俺と第三位は顔見知りでも何でもないし、ばらすことにメリットはない』

「……そんなもんかね」

『そんなもんっすよ』

「……もう一つ質問なんだけど、結局お前は雲川先輩と繋がってんのか?」

『繋がってねーけど。あのさ、もしかしてカミやん、これから雲川先輩の部屋行くつもり?』

「行くつもりだけど。お前どこまで知ってんだよ」

『カミやん、きっと勘違いしているだろうから言っとくけど、俺が監視していたのは海原に変装していた魔術師だぞ』

「……え?マジで?」

『マジだにゃー。その反応だと、自分が監視されていると思っちゃってたかー』

ふざけんな、と思ったが土御門の言い分は確かに通る。

「つーか、それなら助けに来いよ。それ以前に、学園都市から追い出しておけばよかったじゃねぇか」

『こっちにもいろいろあるんだよ。でも、助けに行けなかったことについては済まない』

もっと飄々と何か言ってくると思っていたら、案外素直に謝罪されたので、逆に拍子抜けだった。

「……まあ、いいけどよ。海原は回収したのか?」

『ああ。まあ俺が回収した訳じゃないけど』

「インデックスの時のテレポーターか?」

『そうそう。先輩系巨乳女子高生のテレポーターに回収してもらいました』

「……はあ」

『何その呆れた感じ。言っとくけど、俺は舞夏一筋だから』

聞いてねーよ。と思いつつ、話を本題に戻す。

「俺を監視していない事は分かった。けど、それなら何で雲川先輩のところへ行くことが分かった?」

『簡単な推理だ。先日、雲川先輩から電話が来た。と俺に相談したな。
 カミやんならその時点で疑問を抱くはずだ。何で「妹達」のこと知っているんだ、ってな。
 それとチケットが二人分来たというところから、魔術についても何か知っているんじゃないかと思ったはずだ。
 そうだろう?』

「……ああ」

なんか心理がすごく見透かされている気がする。

『土御門と話し合おうとしても何かはぐらかしてきそうだ。じゃあ雲川先輩と話し合おう、と思ったはずだ。
 そして雲川先輩は、カミやんのお願いを絶対聞くと思った。
 だから近々、話し合いが設けられるかなと薄々思っていた。
 まさか、それが夏休み最終日だとは思わなかったけどな』

「ちょっと待てよ。今の推理で疑問が二つある。
 一つは、雲川先輩が俺のお願いなら絶対に聞くと思ったって言うのと、もう一つは、夏休み最終日だとは思わなかったってところだ」

『雲川先輩については自分で考えろ。
 夏休み最終日だとは思わなかったってのは、『御使堕し』での心労があるだろうし、学校で聞くと思っていたからだ。
 いやー、でもよかった。歩きながら電話しているのは分かっていたが、家路についているんじゃなく、
 雲川先輩のトコ行こうとしているのに気付けたってのは助かった』

「助かったってどういう意味だよ?」

『カミやんは頭いいんだからさ、少しは考えてみようぜ』

「なんだよ」

不満げに呟くも、上条は考える。
二〇秒ほどの熟考ののち、

「もしかして、俺が雲川先輩に余計な事を言う可能性があったからか」

『正解。では、カミやんが考える、余計な事とは?』

「お前がスパイってこと」

『半分正解。俺と雲川先輩は“本当に繋がっていない”。雲川先輩には俺がスパイだってことは知られていない。
 だからカミやんが下手打って、俺がスパイだってばらされていたら面倒だった』

「半分正解って、もう半分は?」

『ま、もう半分は分からなくても仕方ないな』

そう言って、土御門は続ける。

『雲川先輩は、魔術についても詳細を知らない』

「え?」

『正確には、全く知らないわけじゃないけどな。
 “学園都市の能力者とは全く違う法則の異能を扱う連中がいる”ことを知っているぐらいだ。
 今のカミやんの知識と変わらないぐらいしか知らない』

「でも、俺のところにチケットは二人分来たぞ」

『そりゃあ、カミやんが“謎の女の子と同棲している”ことぐらいは掴んでいるさ』

「……結局、雲川先輩は何者なんだ?」

『それは、雲川先輩本人に聞くといい。念を押すが、俺がスパイってことと魔術については聞くなよ。
 科学サイドの事なら、俺より詳しいだろうから「妹達」については、存分に聞けばいい』

そこで電話を切られた。
同時に、雲川先輩がいるマンションの前に着いた。

一〇時二一分。

インターホンを押した。
「ちょっと待ってほしいけど」とインターホン越しに言われ一〇分ほど待たされた。
そして出てきた雲川は、

「えっ……と……」

目のやり場に困った。
肩より少し黒い長髪と体は濡れていて、淡いピンクのバスローブに身を包んでいたからだ。
頬は桜色に上気し、大きい胸の谷間が見えるためなおさらに。

「どうした?」

「どうしたじゃないですよ。なんですかその恰好」

「シャワーを浴びただけだけど」

「何も俺が到着した途端に入らなくてもいいじゃないですか」

「私がシャワーを浴び始めたのは、インターホンが鳴らされる一〇分前くらいだけど。
 で、お前がバッドタイミングで来たのを一回お風呂から出て答えて、こうして今出てきたわけ」

「……じゃあ、俺が悪いんすかね」

「そうなるけど」

はっきり言われてしまうと、こっちが悪い気がしてくる。

「なんかすみません」

「別にいいけど。まあ立ち話もなんだから、上がると良いけど」

「……お邪魔します」

そうしてリビングへ招かれた直後だった。

「お前もシャワー浴びる?」

「ぶふっ!?」

思わず噴き出した。

「な、何を言って……」

「だって、制服は汚れているし、汗ばんでいるようだし、左頬は少し腫れているし、例のごとく『不幸』によって不良にでも絡まれたか?」

どうやらアステカの魔術師と戦った事までは知らないらしい。

「まあ、そんなところですけど、別にシャワー浴びるほどじゃないです」

「そうか。なら言い方を変えるけど。
 そんな汚い恰好で歩かれるとフローリングが汚れるし、ソファーに座られればソファーが汚れる。
 要するにこの部屋が汚くなる。それは困るから、シャワー浴びてこい」

「で、でも、汚いのは服であって、シャワーを浴びる必要性は」

「汗臭いけど。それだけ汗臭いと、この部屋に汗の臭いが移る。だから入れ。制服は洗濯してあげるから」

意地でもシャワーを浴びさせたいらしい。

「洗濯した制服はどう乾かすんですか。着替えの服だってないでしょう」

「制服を乾かすのなんて学園都市製の洗濯乾燥機でイチコロだけど。着替えの服もあるから、安心していい」

「着替えって、どんなのですか?」

「心配性だなあ。普通のTシャツにトランクスに男物のズボンだけど。
 ボクサーパンツの方が良いなら、それもあるけど。どっちがいい?」

「……トランクスでいいです」

ここまで言われると、反論する材料はなかった。
なんで男物の下着と服があるのか疑問だが、もう質問するのも面倒くさい。

「……分かりました。では、お言葉に甘えさせてもらいます」

「うんうん」

上条は雲川に案内されてバスルームへ向かう。

一〇時四五分。
さっきまで雲川先輩がシャワーを浴びていたと思うと、少しドキドキしないでもなかったが、
シャワーを一〇分ほどで済ませて上がり、用意された着替えを着てリビングに戻る。

「上がりましたー。……っぶふっ!」

二度目の吹き出し。
理由は単純。
ソファーに寝そべってくつろいでいる雲川が、淡いピンクのネグリジェ姿だったからだ。

「せ、先輩、その恰好……」

近付いて改めて見ると、ネグリジェは生地が薄いのか、透けてブラジャーやパンティーまで見える始末だった。
率直に言うと直視できなかった。

「ただの寝間着だけど。ここは私の部屋なのだから、どんな格好をしようが自由でしょ?」

「そ、そうですけど、俺と話し合いを設けるって分かっているんですから、何もそんな恰好じゃなくても、もっと別のがあるでしょう……」

「いいじゃない。これが楽なんだもの。私と上条の仲でしょ?」

「仲でしょ?て言われても、ただの先輩後輩関係だし、親しき仲にも礼儀ありって言うじゃないですか」

「だからこれが、私なりの最大の礼節だけど」

疲れる。

「そんなことより」

雲川はおもむろに立ち上がって、上条の左頬に右手で触れる。

「せ、先輩?」

雲川先輩の右手は、ひんやりとしていて柔らかくて気持ち良かった。
腫れて熱を持った左頬にだからなおさらだ。

「大丈夫?痛くない?」

「だ、大丈夫です……」

なんだろう。
いつもクールだった雲川先輩が、上目遣いで猫撫で声ほどあざとくない、優しく暖かい声をかけてくるのは、とんでもなく破壊力が高い。

「そう。大丈夫ならいいのだけど」

「は、はい」

右手が引かれた。

「こう言っちゃ酷いかもしれないが、お前にとってはそれぐらいの怪我、日常茶飯事かな」

「かもしれません」

「まったく。私としては、お前にはなるべく傷ついてほしくないのだけど」

「俺だって傷つきたくないですよ。ところで」

ここが雑談から話し合いへの転換点にする、と上条は本題を切りだす。

「先輩は、どうして『妹達』計画の事を知っていたんですか?」

「突然だな。まあいい。とりあえずそこへ座るといいけど」

「はい」

答えて、上条はソファーに座る。雲川も寝そべるではなく足を組んで座る。
若干偉そうだが、話し合いをする気はあるようだ。

「なぜ知っているかを説明するには、まずは私の立場から説明した方が分かりやすいだろうけど」

やはり、ただ者じゃない。

「私は、一二人いる学園都市統括理事会の一人に、ブレインとして雇われている」

「な、え?」

学園都市統括理事会といえば、学園都市の運営に携わる、トップの一二人で構成されている委員会で、
学園都市の司法や行政、軍事から貿易まで掌握する学園都市において最も重要な人物達ではなかったか。
その内の一人に、ブレインとして雇われているとはどういうことか。
そもそも、ブレインとは何か。まさかそのままの意味で『脳』だとでも言うのか。

「先輩は、学園都市統括理事会とコネクションがあるってことですか?」

様々な疑問点の中で、まず一番知りたい事を質問する。

「そう言ったつもりなのだけど」

「じゃあ、学園都市統括理事長については何か知っていますか?」

「知らない、というのがこの場合適切かな。
 ここに住んでいる学園都市に居る住人と同程度の認識しかないけど。
 学園都市統括理事長は、この学園都市を築いた人で、窓のないビルに籠城しているってことしか知らない。
 お前が聞きたいのは、こんなことじゃないでしょ?」

「え、ええ」

「では話を戻すけど。ブレインというのは、そのままの意味で『頭脳』ってことだ。
 私は統括理事会の一人の頭脳を務めている」

「それは、具体的にはどういうことですか」

「そいつの職務を代わりに担っているだけだけど」

ついに雲川先輩は、統括理事会の一人を『そいつ』呼ばわりした。
雇われの身というが、これでは彼女の方が偉そうではないか。

「それと職務以外に、『原石』の研究というのもやっている」

「それはどういったことですか」

「話し合いというよりは質疑応答だな。ま、こうなることは想定済みだけど」

なんてことをいってから、雲川先輩は続ける。

「『原石』はどうやって生まれるのかとか、『原石』には一体どんな能力があるとか、そういったことの追究だけど」

「……」

上条はここで迷った。
姫神について何か聞くかどうかだ。
姫神は学園都市にいるが、もとは魔術師アウレオルス=イザードに匿われていた存在だ。
土御門に魔術については言及するなと釘を刺されている。
姫神の事を聞けば、間接的に魔術に触れなければいけなくなる。

「そうですか。じゃあ雲川先輩が学園都市の裏について知っていたのも統括理事会と繋がっていたからですね」

結局、姫神の事は何も聞かないことにした。

「そうだけど」

「『妹達』計画を実行する前に止める事は出来なかったんですか」

「出来なかったけど」

あっさりと放たれた言葉に、上条は反射的に言葉を紡ぐ。

「出来なかったってどういうことですか!?統括理事会は学園都市のトップじゃないんですか!?
 まさか、統括理事会はクローンを複製するどころか虐殺するなんて非人道的な実験を支援していたんですか!?」

少し興奮気味の上条に対して、雲川は至って冷静に、

「落ち着け。私は支援なんてしちゃいないけど。だがな、統括理事会は一つじゃない。
 私とお前が通う高校の数学教師、親船素甘の母親、親船最中という善人もいるが、大半は学園都市の『闇』に染まった者で構成されている」

そもそもが、愚問だったのだ。
『妹達』計画が、自分達が介入して一方通行を倒すまで見逃されていた時点で、上が腐っているのは明白だったのだ。

「……くそっ」

思わずそう漏らした。
先輩のニュアンスからして、先輩は止めたい側だった。
だが、止められなかった。止めなかったのではなく、止められなかった。

「先輩達ではどうしようもなかった事は分かりました。
 でもそれなら、俺に相談してくれればよかったじゃないですか。
 現に俺が一方通行を倒したことで実験は止まったんですから」

次にくる言葉が分かりつつも、言わずにはいられなかった。

「理由は二つ。
 一つは、単純に巻き込みたくなかったから。もう一つは、お前が一方通行に勝てる確信がなかったから」

巻き込みたくなかったから。
やはりお決まりの言葉だった。

「じゃあ、勝てる確信があったらば、巻き込んでくれましたか」

「どうかな。私としては可愛い後輩に傷ついてほしくないから、それでも最後まで言わなかったかもしれないけど」

「……そうですか」

これ以上先輩を責めたって仕方ない。

「俺が一方通行を倒した後、実験はすぐ中止になりましたよね。それは、一方通行が自主的に実験を降りたからですか?」

「違うけど」

「え?」

予想外の返答に、一瞬動揺してしまう。

「お前という無能力者が、一方通行を倒したという事実が実験関係者を惑わせたから、
 というのと、もう一つ、『樹形図の設計者』が大破したからだけど」

「え?」

『樹形図の設計者』が大破とは、どういうことか。

「大破と私が言うのは違うかな。私がミサイルをぶっ放して『樹形図の設計者』を撃ち落としたけど」

「それはつまり、実験のための再演算が出来なかったのが致命傷となって」

「そう。実験は中止になった。一方通行の意思は関係ないけど。
 そもそも彼は、君にボコボコにされたために丸一日ほど眠っていたようだしね」

「ただ何発か殴っただけなのに」

「一方通行は『反射』で生きてきたから、素の肉体は貧弱だった。
 お前の拳を数発も食らえば、そりゃあグロッキーにもなるけど」

言われてみれば、彼は華奢だった。下手すれば、御坂よりも。

「っていうか、聞きそびれそうになりましたけど、ミサイルぶっ放して『樹形図の設計者』撃ち落として良かったんですか?
 確かあれには、いろんな役割がありましたよね?天気予報とか」

返答は一秒も待たずにあった。

「良かったに決まっているけど。私が実験を止めるためにできたのはこれぐらい。
 お前がやった功績に比べれば、微々たるものだけど」

先輩は実験を止める為だけに、学園都市の利益とか損失とかを無視してミサイルまで放って、実験の中核を担っていた『樹形図の設計者』を撃ち落とした。

「先輩……」

先輩を責めていたのは、お門違いもいいところだった。
彼女は敵だらけの統括理事会の中で実験を完全に止める事は出来なくても、なんとかしようと精一杯の努力はしていたのだ。

「すみません。さっきは少し興奮して、先輩を責めるような事を言ってしまって」

「……ちょっとこっちに来てほしいのだけど」

「……はい」

拳骨でもされるのだろうか。
立ち上がって、先輩の側まで行く。
すると先輩はソファーの上に立って、

「上条……」

ギュッ、と抱きしめられた。

「ふぇ、ふぇんはい?」

丁度先輩の大きい胸の辺りに顔面が埋まり、上手く喋る事が出来ない。

「ふ、ふへはははっへはふ(む、胸が当たっています)!」

このでたらめな言葉を、果たして理解してくれているか。

「知っているけど。今の私は、いわゆる『ばかっ。当ててんのよ』という状態だけど」

「おふっ!?」

理解したうえでからかってきている。
上条はじたばたと暴れる。

「こら、暴れるな。胸が痛い」

「ふっ(うっ)……」

どうすればいいのか。
思春期真っ只中の男子高校生上条当麻としては、これ以上は理性が崩壊しないとも限らないのだが。

『これ、悪ふざけはそこまでにしないか』

謎の声はテーブルの下から。
直後に、雲川先輩の抱きしめから解放された。

「今日はいろいろとお話を聞かせてくださってありがとうございました!もう俺はお暇します!」

解放されてから開口一番そう言い放って、

「今日借りた服は後日洗って返すんで!それじゃあ!」

急いで先輩の部屋から飛び出した。

「あーあ、逃げられちゃったけど」

独り言のような呟きに、テーブルの下から応答があった。

『どう考えても、君のせいだがね』

「制服も渡しそびれちゃったし」

『そこが疑問なのだが、どうして彼がシャワーを浴びている間に洗濯してあげなかった?
 着替えなど用意しなくとも、その間に洗って乾かせただろう?』

「女心が分かってないなあ。彼の事だ。衣服を貸し渡せば、洗って返すというだろう。
 そうすれば、もう一度ここに来ることになるけど」

『……それは長期期間中や土曜日ならそうかもしれんが、今日は夏休み最終日だぞ。
 借りた衣服など、学校で返すことになると思わんかね』

テーブルの下にある携帯端末から、統括理事会の一人である貝積継敏の指摘を受けて、雲川は一〇秒ほど沈黙したのち、

「……恋は盲目というが、鈍らせるのは目だけじゃないようだけど」

『つまり、そこまで考えが回らなかったと?』

「だが待ってほしい。私が『学校での衣服のやりとりは目立つから、私の部屋に来てほしいのだけど』
 とか適当なメールを送れば、私の部屋に自然な流れでもう一度招く事が出来はしないか?」

『……まあ、どっちでもいいんだがね。与えられた職務をしっかりとやってくれれば。そんなことより』

「そんなことよりとは何だ」

『そんなことより』

雲川の不満げな反応を無視して、貝積は続ける。

『彼と同棲しているらしい少女や、学園都市の超能力とは違う謎の異能を扱う連中について尋ねなくて良かったのかね?』

「簡単なことだけど。彼も所詮、巻き込まれただけの被害者にすぎない。どうせ彼も大した事情は知らないだろう」

『だとしても、同棲している少女については、聞かなくても良かったのか?』

「いいよ。
 そんなこと詳しく知ったってイラつくだけだろうし、彼の事だから、ヘタクソな嘘をつきつつも、意地でも真実は教えてくれないだろうし」

『ふむ。まあ、君がそれでいいなら構わんが』

「構わんがじゃないけど。大体、お前が『原石』を調べたいというのに付き合って忙しいというのに」

『そこを突かれると痛いが、君も嫌々ではなく、興味があるから付き合ってくれているのだろう?』

「それは『原石』の研究が、彼の右手について繋がるかもしれないと考えているからだけど」

『だが君の考えでは、彼の右手は「原石」というカテゴリにまとめられるものではなかったのかね?』

「だが全く関係ないとも思わないけど。というか、そんなことはどうでもいい」

『どうでもよくはないと思うが』

「どうでもいいんだよ、そんなことは。今一番大きな問題は、私は彼に嫌われていないかどうかということだけだけど」

『……おそらく大丈夫なのではないか。
 「樹形図の設計者」を撃ち落とした事によって実験を止める一要因を作った事は、好感度アップにつながったと思うが』

「そうか?お前もそう思うか?」

『だが先程の君の行為は行き過ぎだ。襲わせて既成事実でも作らせたかったのか?』

「そんなわけないけど。そんな強引な手で篭絡するつもりは毛頭ない」

『ならばなぜあんなことをした。思春期の男子は簡単に理性を崩壊させるぞ』

「さすが、男の意見は貴重だけど。しかし抱きついたことに裏はない。
 ただ単に、しおらしくしていた彼が、どうしようもなく愛おしくなっただけだ」

その言葉に、貝積は若干呆れた調子で、

『……そうか。まあ青春するのは構わんが、やることはしっかりやってくれよ』

「分かっているけど」

一一時〇二分。
勢いのまま先輩の部屋から飛び出して、制服を忘れたことに気付いた。
しかし飛び出した手前、戻るのは気まずい。

「……どうしようかなー」

制服の予備はあるし、置いてきた制服については、
明日学校に持ってきてくれませんか。
とでもメールを送れば済む話だから、そこまで気にする事はないのだが。

「にしても……」

あの先輩の抱きしめは何だったのか。
健全な男子高校生としては、理性があと一歩で崩壊しかけるぐらい興奮はしたが……。
もしかして、もしかすると、先輩は自分のことを好きだったりするのだろうか。
そう考えれば、話し合いを絶対に受けてくれると思ったという土御門の言い分に説明がつく。
バスローブ姿で出迎え、風呂上がりにはネグリジェ姿でいたことも、アピールだとしたら……。

「……なーんて、あるわけないか」

自意識過剰だろう。
先輩とは学校ですれ違えば挨拶をする程度の中で、良くも悪くもない。
連絡先も知っているが、ほとんど電話やメールもしたことない。
今日が出会ってから一番喋ったと思うくらいだ。

「あ」

冷静になって気付いた。
制服は、自分がシャワーを浴びている間に洗って乾かせたはずだ。
にもかかわらず、なぜわざわざ着替えを用意してくれたのだろうか。

それに、テーブルの下から聞こえてきた、おそらくは老人の声。
あれは何なのか。
タイミングからして、その老人は部屋の中の様子を知っていたと思えるが、だとしたら恥ずかしすぎる。

「まあ……いっか」

恥ずかしいが、今更気にしたって仕方ない。
そう割り切って、上条は買い物をして帰路についた。

一一時五五分。
上条がスーパーの袋を引っ提げて部屋に戻ると、インデックスがいなかった。

「おいおい……」

どこかに出かけた訳ではないはず。
普段から不用意に出歩くなと口を酸っぱくして言っているし、出かける用事もない。
御坂の話だと、アステカの魔術師は単体で潜入していたはずだから危機はないため、土御門の部屋に避難する理由もない。

「どういうことだ……」

海原の言っていた通り、早くも新たな敵が来たのか。
にしたって、いくらなんでも早すぎやしないか。

「待てよ……」

アステカ系じゃなければ、全く違う系統の新たな魔術師がインデックスを攫ったのか。
よくよく見ると、部屋は荒れていないが、ベランダの網戸が開け放たれていた。

「……くそっ!」

買ったものをその辺において、上条はインデックスの携帯を探す。

「……ない」

ということは、おそらくはインデックスが持っている。
だったら簡単だ。GPSで位置を割り出せる。

「待っていろよ、インデックス!」

携帯を操作して、インデックスの位置を検索する。

一二時一〇分。
とあるビルの屋上。

「その修道服を脱いでもらおうか」

そう告げたのは、全身を黒のスーツで包み、右手には梓弓を備えた男――闇咲逢魔。

「おとなしくその指示を聞く必要はないかも」

告げられて、反論した少女はインデックスと呼ばれる。
修道服『歩く教会』を身にまとい、頭には一〇万三〇〇〇冊の魔道書を蓄えている。

「では、少々痛い目を見てもらうぞ」

闇咲は梓弓を備えている右手をインデックスへ向けて、

「――衝打の弦」

容赦なく放たれた衝撃波をまともに受けて、インデックスの体が数メートルは吹っ飛んでコンクリートの床を転がった。

「けほっ、けほっ、こ、こんなことをしたって、私にダメージは通らないんだよ」

法王級の防御力を誇る『歩く教会』の前では、よほど強力じゃない限り、あらゆる物理も異能も通さない。

「そんなことは百も承知。
 だが、直接的なダメージはなくとも、今のように吹っ飛ばし、地面を転がせることくらいはできる。
 それには多少なりとも痛みは伴うだろう。少なくとも、むせるくらいにはな」

「だからって、私は絶対にこの『歩く教会』は脱がないんだよ」

「……ここに来るまでの道中、説明したはずだ。私には魔道書の知識がいる。
 それが欲しいだけで君自体に用はない。傷つけはしないと」

「私も、ここに来るまでの道中、説明したかも。
 魔道書は、並の人間に耐えられるものではないって。
 私の頭の中の魔道書の知識を盗もうとするなら、なおさら退く訳にはいかないんだよ」

「魔道書が並のモノではないことも分かっている。その上で欲しいと言っているのだ。
 別に良いだろう。苦しむのは君ではなく、私だ」

「苦しむのが私じゃなく、あなただからいいって理屈は意味不明かも。
 とにかく、絶対に魔道書の知識は渡さない!」

「賢い選択とは思えないな。大人しく従っていれば、痛みを伴う事はないのだが。
 まあ、仕方ない。はいと言うまで続けさせてもらおう。――衝打の弦」

放たれた衝撃波により、インデックスの体が数メートル宙を舞い、貯水タンクに激突した。

「かはっ、ごほっ」

「辛いだろう」

コツコツ、という足音。吹き飛ばされたために開いた距離を、闇咲はゆっくりと詰める。

「最後の忠告だ。
 ここで私の指示に従わなければ、自発的に、『魔道書の知識は渡しますので、やめてください』というまで、これまでの事を繰り返す」

インデックスに逃げるという選択肢はなかった。
闇咲の機動力の前では逃げ切れずに簡単に捕まってしまうからだ。

「無理、なんだよ」

「残念だ」

再び衝撃波が放たれ、インデックスの体が宙を舞った。

一二時二〇分。

「インデックス!」

上条はビルの屋上へつながる扉を開け放ちながら叫んだ。

「だいぶん早かったな」

そう告げる黒いスーツの男の傍らに、インデックスが横たわっていた。

「テ、メェ……」

上条の頭が一瞬で沸騰しかける。

「だ、いじょうぶ、なんだよ、とうま……」

インデックスの弱々しい声を聞いて、上条は完全にキレた。

「クッソやろおおおぉぉぉがぁぁぁあああああ!」

叫び、コンクリートを蹴って駆ける上条。
対して闇咲は、梓弓を備えている右手を上条の方へ向けて、

「断魔の弦」

見えない空気の刃が放たれた。
それは何の対策もしなければ、鉄筋コンクリートであろうとも容赦なく両断する圧縮空気の刃。
それに対して、上条はただ、拳の形を作った右手を突き出す。

「な、に――」

驚愕したのは闇咲。
ガラスが割れるような甲高い音と共に、空気の刃が打ち消されたためだ。

「――風魔の弦!」

闇咲は地面にビーチボールほどの空気の塊を放ち、それを斜め四五度の角度で踏んだ。
直後に、彼の体が一〇数メートル後退する。

「インデックス!大丈夫か!」

闇咲に距離を取られた上条は『歩く教会』に触れないように、左手だけでインデックスを起こす。

「大丈夫って、言っているんだよ?」

確かに目立った外傷や出血はない。しかし汚れてはいるし、声は弱々しかった。

「すぐに終わらせるから、少し待ってくれ」

「違う。違うの、とうま」

何が違うのか知らないが、それ以上インデックスと話すつもりはなかった。
一刻も早く、目の前の男をぶちのめして帰ることしか考えられなかった。

「なるほど」

イギリス清教がわざわざ保護させるぐらいだから何かはあると思っていたが、まさか魔術が打ち消されるとは思わなかった。

「何がなるほどだ」

「こちらの問題だ。何も気にする事はない」

しかし、魔術が通じないとなると、取れる手段は一つしかなかった。
闇咲は右手から梓弓をはずしてコンクリートの床に置いた。

「肉弾戦はそれほど得意ではないのだが、仕方ない」

一方上条としては、この展開は願ったり叶ったりだった。
おそらくは一撃目で魔術を打ち消されたことにより、魔術は通じないと考えたのだろう。

「速攻でぶっ潰す!」

まず駆けたのは上条。
一〇メートル以上はある距離を五歩、時間にして三秒弱で詰め、懐に入ったところで顔面へ向かって右拳を放つ。
が、

パシィ!と闇咲の左手によりあっさりとキャッチされた。
それどころか、反撃の右拳が放たれる。

「くっ」

バシン!と、上条も左手で右拳をキャッチした。

――何が肉弾戦は苦手だ。めちゃくちゃ力強ぇじゃねぇか!

焦る上条。
しかし闇咲の体つきから考えれば、肉弾戦もそれなりにできるのは不思議なことではなかった。

「ふっ」

闇咲の右脚が、上条の腹部を蹴るために動く。振り子のように後ろに振られる。

「させるかよ!」

前方に振られた闇咲の蹴りを、右足で太腿辺りを蹴って勢いを殺した。
直後に、上条と闇咲は同時に両手を振り払って、バックステップして距離を取る。
ゼロだった二人の距離が、五メートルほどに開く。

「もうやめて、とうま!」

インデックスの声で一瞬気が逸れた上条の下へ、闇咲が仕掛けた。
闇咲は五メートルもの距離を一瞬で詰めて連続でジャブを繰り出す。
上条はそのジャブを回避といなしによってやり過ごしながら後退する。

「とうま!」

やめてとでも言いたのかもしれないが、生憎あちらが攻めてきている以上、こちらも手を抜いている余裕はない。

「ふん!」

掛け声とともに顔面に向かって飛来してきた左拳を、顔を右に振って避ける。
闇咲の攻撃はそこで終わらない。
意識を刈り取るための右脚のハイキックが、側頭部を狙って放たれる。

――受けたらヤバい!

そう判断した上条は、ガードはせず屈むことによってハイキックを回避して、バックステップを数回して後退する。

「とうま!」

「何だよ!今まともに対応できる状況じゃねぇんだ!」

インデックスが叫び、上条が叫び返している間にも、闇咲は詰めより拳や蹴りを繰り出してくる。

「とうま!その人は悪い人じゃないの!」

「ああ!?」

闇咲の攻撃を何とかやり過ごしながら、無理矢理言葉を放つ。

「そりゃ、どういう意味だ!?お前をボコボコにしたやつの何が悪くないってんだ!」

「その人は、ある女性を助けたいがために、私の魔道書の知識を欲しているみたいなんだよ!」

「何!?」

「違う!断じて違う!」

突如、闇咲が大きな声を上げた。それに伴い、攻撃も若干大振りになる。

「その人、私を梓弓で打ちながら言っていたもん!」

梓弓というのは、さっきこの男が右手から外したものだろう。

「『私はただ、魔術師は何でもできる事を証明したかっただけだ。二度と挫折したくなかっただけだ。
 女一人救えないがために、この夢を諦めるわけにはいかない』って!」

「違う!」

一際大きな声をあげて、闇咲の右ストレートが飛ぶ。

「――いまいち、よく分からねぇけど」

大振りの右ストレートを左手でいなして掴み取り、

「とりあえずテメェには少しだけ大人しくなってもらおうか!」

左前隅に崩しながら、前回りさばきで踏み込み体を沈め、右手で闇咲の背広の襟を掴んで、そこから背負い上げて投げた。

「ごはっ!」

豪快な背負い投げをされてコンクリートの床に強く体を打ちつけた闇咲は、間もなく意識を失った。

「気絶させるつもりはなかったんだけどな」

「とうま!」

インデックスが駆けよってきて抱きついてきた。

「大丈夫?」

「そりゃこっちの台詞だ」

「私は大丈夫なんだよ。何せ『歩く教会』があるんだもん」

「そういう問題じゃないだろ。衝撃とかは完全に殺し切れないんだろ?
 後ろから撃たれてベランダに引っかかったこともあるんだから。そしたら、痛みだって多少は伴うはずだ」

「そうだけど、そんなのとうまの直接的ダメージに比べれば微々たるものなんだよ」

「……本当に大丈夫か?」

「うん。それよりも、この人のことなんだけど」

「要するに、こいつはなにがしたいって?」

「女性を救いたいって思っているんだと思う」

「女性を救うのに、インデックスを連れ去った理由は?」

「私の頭の中の魔道書の知識を欲しているみたい。
 おそらくその女性は、魔術的な『呪い』か何かに苦しめられているんだよ」

「……よく分からねぇけど、だったら俺の右手でどうにかなるんじゃないのか」

「……かもしれないね。
 でも感情を昂ぶらせて漏らしただけの断片的な情報だけじゃ何とも言えない。
 しっかりと話を聞いた方が良いかも」

「そうと決まれば、と言いたいところだが、このまま起こして暴れられたら困るな」

よって拘束するためのロープか何かをどこかから調達したいところだが、
その間に魔術師が目を覚まして暴れられては、インデックスでは抑えられないだろう。
逆にインデックスに調達させるのも難しい。

「どうするの、とうま」

調達するにしても暴れられた時に抑えるにしても、あと一人必要だ。
魔術師が絡んだ事例において、頼れる人間は二人しかいない。

「土御門を呼ぶか」

いつ魔術師が目覚めるかも分からないので早速土御門に電話をかけたが、
おかけになった電話は電波の届かないところにあるか電源が入っていない為かかりません的なアナウンスが流れ、かからなかった。

「肝心な時に出ないな」

「じゃあもう暴れられるのを覚悟で起こしちゃう?」

「待て。もう一人、いるんだ」

「え?」

「御坂美琴。会ったばかりの時に説明しただろ。超電磁砲の」

「ああ。とうまに負けてばっかりの娘だね。でもみことを巻き込む訳にはいかないんじゃないの」

「さっき、魔術師に追いかけられているって電話で言っただろ?
 実はその魔術師の狙いは俺と俺の周囲の皆を殺す計画だったから、御坂も巻き込まれて、魔術について知ることになったんだ」

「そうなんだ。でも、だからってみことを巻き込む訳にはいかないかも」

「そうしたいのは山々だが、拘束する為のロープか何かを調達してもらうだけだし、協力してもらわないと仕方ない」

「……仕方ないね。分かったんだよ」

「かけるぞ」

上条は御坂へ電話をかける。

一二時三五分。

「これでよかったわけ?」

御坂は早かった。
まともに走ってきて階段を使って昇ってきたわけではなく、磁力を使いこなして飛んできたからだ。

「おう。サンキュー」

御坂からロープを受け取ると、

「私に任せて」

インデックスがにゅっ、と手を出してきた。

「本当に大丈夫か?」

「大丈夫なんだよ。信じて任せて」

「……分かった」

インデックスにロープを渡した。直後、

「(ちょっと来なさいよ)」

小声でつぶやかれて、首根っこを引っ張られる。
そしてインデックスと数メートルの距離が開いたあと、

「あのシスターが禁書目録って娘?」

「禁書目録でも間違いはないけど、俺はインデックスって呼んでいる」

「ふーん。あの娘がねぇー」

「……何だよ、その反応」

「別に。アンタがあの娘に手を出さないか心配なだけよ」

「ばっ、何言ってんだよ!」

「大きい声出さないでようるさいわね。冗談よ、冗談」

「下らない冗談言うんじゃねぇよ。特に用がないなら戻るぞ」

「待って、待って。今のはほんの冗談だって言っているでしょ」

「……まだ何か聞きたい事が?」

「あるに決まってんでしょ。ていうか、人をパシっておいてその態度はないんじゃない?」

そう言われると弱いところもある。

「すみません。どうぞなんなりとお申し付けください」

「わけ分かんないキャラ演じなくていいから。あの男も魔術師ってやつ?」

「ああ。名前まではまだ知らないけど」

「拘束する意味は?追い出すか風紀委員か警備員に通報すればいいじゃない」

「いやちょっとな。
 インデックスによるとあの男、ある女性を助けるためにこの学園都市に乗り込んで、
 インデックスの頭の中にある一〇万三〇〇〇冊の魔道書のうちの一冊を盗もうとしたらしい」

「……うん。よく分からない」

「俺も自分で言っていてよく分かってない。
 だからあの男を拘束したのち起こして、詳しい事情を聞こうと思ったんだけど」

「ていうか、私がいれば拘束なんてしなくとも電撃で麻痺らせたりとか出来なくもないと思うんだけど?」

「舌も麻痺らせたりしないだろうな」

「あ……」

「あ、じゃねぇよ。大体、なるべく傷つけたくないだろ」

「そう言えばアンタは、そういう男だったわね」

とそこで、

「とぉーまー」

インデックスが不機嫌そうに後ろに立っていた。

「何みこととイチャイチャしているんだよ」

「ばっ、馬鹿言ってんじゃないわよ!誰もイチャイチャなんてしてないわよ!」

過剰な反応を示したのは御坂の方だった。

「ちょっと話しあっていただけだ。それより、ここにいるってことは、拘束終わったのか?」

「……終わったよ。手首だけだけど」

相変わらず不機嫌そうだったが、とりあえず今は闇咲をどうするかが先だ。

一二時四〇分。

「おい、起きろ」

上条は胡坐の状態で座らせている闇咲の肩を揺さぶる。

「んん……」

「目を覚ましたみたいね」

闇咲は動こうとして、手首を縄で結ばれてどうしようもない事を悟った。

「……何のつもりだ」

「そりゃこっちの台詞だ。アンタの目的を詳しく教えろ」

「教える必要がない」

「あるんだよ。またわけの分からない理由でインデックスを狙われたらたまらないからな」

「わけが分からなくはない!私は、夢を諦めない為に魔道書が必要だと言っているんだ!」

「じゃあ、その夢ってのを詳しく聞かせろよ」

ここまでのやりとりで、闇咲は思った。
わざと挑発するような事を言って、言葉を引き出させたのではないか、と。

「説明して何になる?」

「救えるかもしれないんだよ。その女性を」

「何?」

「あなたも見たでしょ。とうまが魔術を打ち消したのを」

そう言えば、と闇咲は思わず瞠目した。

「そういうこと。俺の右手は、それが異能の力なら、超能力だろうが魔術だろうが何でも打ち消す。
 その女性が『呪い』らしきもので苦しんでいるっていうなら、問題ないはずだ」

「だから、詳しい事を説明してほしいんだよ」

「……ふっ」

闇咲は呆れた。
目の前にいるお人好し達にも、女一人助けるのに理由を求めていた自分自身にも。

「詳しい事など何もない。私はただ、魔術的な『呪い』で苦しめられている一人の女性を救うために魔道書を欲しただけ」

「じゃあ」

「君の右手なら何とかなるかもしれない。だから、手を貸してくれるか」

「お安い御用だ。だが、その前に、インデックスに謝ってもらおうか」

「分かった」

闇咲はインデックスの方を向いて、

「すまなかった」

会釈するように頭を下げた。

「ううん。いいんだよ。魔道書に毒されることもなくなって、本当に良かった」

あれだけ梓弓の攻撃を喰らっておいて攻撃した張本人を気遣えるなんて、なんという聖女だろう。

「よしっ。それじゃあ行きますか。その女性を救いに」

「ちょっと待って」

ここで今まで黙っていた御坂が口を開いた。

「えーと、そちらの魔術師さんは、『外』から来たのよね?
 じゃあその救いたい女性も、『外』にいるってことにならない?」

「その辺は問題ない。私には魔術がある。
 少年は私の手首に紐を解いて、お嬢さんか禁書目録のどちらかに梓弓を持ってきてもらいたい」

「私が取ってくるんだよ」

「透魔の弦」

闇咲が唱えると、彼の体が透けて見えなくなった。

「すげーな、おい」

「でも、電磁波の反射波では探知できるから、姿が見えなくても赤外線レーザーとかサーモチェックでアウトになるはずなんだけど……。
 黒子からは建設途中のビルが倒壊したことによる第三級警報(コードイエロー)が発令しているとしか聞いてないわよ」

「侵入者がいたとすれば、第二級警報(コードオレンジ)になってもおかしくないのに、って言いたいのか?」

「うん」

「それはそうだ。私は風魔の弦を駆使して外壁の上に立ってから、今の魔術を使ったのだから」

「なるほどね。確かにそれなら、少しの間監視衛星には映るかもしれないけど、侵入と脱出は可能そうね」

「海原に至っては、変装があったから堂々と侵入と脱出を繰り返していたのかもな」

「……学園都市のセキリュティって、案外たいしたことないのかもしれないわね」

「かもな」

「そもそも、今の状況だって監視衛星があるから“異常”があることぐらい明らかなのに、そこはどうなってんのかしら」

「いろいろ事情があるっぽいな」

「そんなことより」

科学一色の話題でついていけなかったインデックスが、いよいよ割って入った。

「これでこの人は難なく脱出できるってことになったんだから、
 あとはとうまと私の外出手続きを済ませるのと、『外』での待ち合わせ場所を決めないと」

「あん?お前はいかなくてもいいだろ、インデックス」

「何言ってるんだよ。私はとうまがいないとごはんも食べられなくて困っちゃうかも。それに『外』のごはんにも興味あるし」

「悪い、御坂。インデックスを俺が帰ってくるまで預かってくれないか」

「……しょうがないわね。今日はどれだけ私に貸しを作るのかしら」

「いつか埋め合わせは必ずするよ」

「分かったわ」

「ちょ、え、何勝手に話進めているんだよ!私はとうまと」

「はいはーい。いい子だから私と一緒に行きましょうね~」

インデックスは御坂に首根っこを引っ張られてフェードアウトしていく。

「さて、じゃあいろいろ決めて、諸々の手続き済ませて、行きますか!」

上条当麻と闇咲逢魔は、いよいよ女性を救うために動き出す。

これで五巻の上条サイドは終わりです。

>>1です。
ようやく一方通行サイドの書き溜めが終わったので投下します。
しかしながら、展開は原作と同様で再構成の意味がない感じになってしまいました。
それを踏まえたうえで、どうか温かい目で読んでいただけると幸いです。

八月三一日。
〇〇時〇〇分。

とある路地裏で、コンビニで大量の缶コーヒーを購入した帰りの一方通行は、合計一〇人もの不良達に襲撃されていた。
襲撃されていたが、

「ぐああ!」

攻撃を『反射』され地面をのたうちまわって苦しんでいたのは不良達の方だった。

「ち、っくしょおおお!」

不良の一人が、往生際悪くナイフを持って一方通行へ向かう。

「ぎゃああ!」

しかし、響いた悲鳴は一方通行ではなくナイフを突き刺した不良の方だった。
それもそのはず、不良のナイフの全体重を乗せた一撃はあっさりと『反射』され、手首の骨を折ったのだから。

結局不良達一〇人の襲撃は、一方通行を殺すどころか、傷一つつけることすらできなかった。

「あン?」

一方通行は、いつのまにか自分を取り囲む喧騒が沈黙している事に気付いた。
ふと後ろを振り向くと、不良達が地面にのたうちまわっているのが見える。

「ふン」

一方通行にとって、不良達の襲撃は少しうるさい通行人とすれ違った程度でしかない。
襲撃されたことに、これといった感情は抱かない。トドメを刺そうなんて思わない。
一方通行は、再び前を向いてゆっくりと歩きだす。

「……牙剥いたバカ見逃すなンて、俺の人格じゃねェンだけどな」

一方通行は歩きながら首を捻る。
不良達を見逃したのが、自分でも分からなかった。
以前までも、不良達を見逃す事は気まぐれでたまにあったが、今は気まぐれで見逃した訳じゃない。
どうしようもない無気力感があるのだ。

「やっぱ、何かが変わったンだろうな」

独り言をつぶやきながら、一方通行は考える。

「……分っかンねェな。一体何が変わったってンだ?」

ただ、変わったきっかけは分かる。
それは間違いなく、二週間ほど前にツンツン頭の謎の少年に敗北したことによるだろう。
さらに言えば、敗北したことに加えて、『樹形図の設計者』も撃ち落とされて実験が中止になった事だろう。

あれから自分を取り囲む世界も変わった。
具体的には、不良が頻繁に襲撃を仕掛けてくるようになった。
以前からあったが、ここ最近は酷い。
だからと言って、困るような事は全くないが。
襲い掛かってくる不良達は、決まってこう言う。

『へへっ。テメェ、無能力者に負けたんだってな。学園都市中で噂になってんぜ』

つまり、これが頻繁に襲われるようになった原因。
相対したからこそ分かるが、実際のところ少年は無能力ではなかった。
少なくとも第三位を軽くあしらい、自分の『反射』を無効化できる右手を持つ超人だ。
それなのに無能力者という事は、おそらく身体検査で反応が出ないのだろう。
炎を出すなど、分かりやすい能力ではないから。
もしくは情報統制で、わざと自分に馬鹿どもを襲わせるように仕向けているか。
まあ、どっちでもいいのだが。
ただ言えるのは、負けたからといって『反射』がなくなった訳ではない。
よって、あの規格外の右手以外では、何人たりとも自分の体に傷一つつけることすら出来ないことに変わりはないのに。

「なァーンなーンでェーすかー?」

自分の無気力感と、襲ってくる馬鹿どもの馬鹿さ加減に対する、疑問と呆れ。
一方通行は腕を組んで歩き続ける。

「わわっ!これはとんでもない現場に遭遇してしまったかも、ってミサ」

なんかだいぶ後ろでやけに響く甲高い『声』が聞こえたので、空気の振動を『反射』して余計な音を全てシャットアウトした。
そして路地裏を抜けて大通りに出る。

しばらくは考えながらかつ余計な音を反射して歩いていたからだろう。
背後で、頭から汚い水色の毛布を被っているだけの、見た目一〇歳前後の少年か少女が、自分に向かって何か言っているのに気づくのが遅れたのは。

一方通行は一旦止まって空を見上げてから、試しに音の反射を切ってみることにした。

「――いやーなんというか、ここまで完全完璧無反応だとむしろ清々しいんだけど、
 歩くペースとか普通っぽいから、悪意を持って無視しているわけではなさそうだし、
 もしかして究極の天然なのかなー、ってミサカはミサカは首を傾げてみたり」

マシンガントークとはこのことかというぐらい言葉を並べたてられた上に声は甲高いため、まず抱いた感想は、鬱陶しい、だった。
よって一方通行は、(声の高さからおそらく)少女を置いて歩き出した。

「あれれ、ひょっとしてなかったことにされている?ミサカのことは見えていない妖精扱いなの?
 ほらほら、ミサカはここにいるよー、ってミサカはミサカは自己の存在を猛アピールしているのに存在全否定?」

あまりにもうるさいので、もう一回音を反射しようとも思ったが、

「待て……ミサカだと?」

一方通行は足を止めて、小走りで自分を追いかけてきた毛布少女に向かって、

「オマエ、その毛布取っ払って顔を見せろ」

「え?ぇ、えっと、まさかこんな往来で女性に衣服を脱げというのは些か大胆が過ぎるというか、要求として無茶があるというか……ほんき?」

「毛布は衣服じゃねェし、こンな往来つっても今は深夜。人なンてまともに歩いちゃいねェンだよ。分かったら顔見せろ。
 さもなきゃ無理矢理剥ぐぞ」

「わ、分かったからそのマジな目やめて、顔見せれば良いんだよね、ってミサカはミサカは確認を取ってみる」

「分かってンなら早くしろ」

「う、うん、ってミサカはミサカは返事してみる」

少女は、フードのように被っている毛布を右手でめくった。

「こ、これでいい?ってミサカはミサカは尋ねてみる」

「……あァ」

間違いなかった。
『妹達』の顔にそっくりの少女、ただし見た目は体の大きさと同じで一〇歳前後。
『妹達』の“残り”か。

「おい」

「何、ってミサカはミサ」

口調が終わる前に、一方通行は食い気味で、

「オマエ、何でこンなところに一人でいやがる」

「ようやくまともな会話が出来そうだ、ってミサカはミサカは歓喜に震えてみたり!」

「大体、何でそンなにうるさくてチビでガキなンだ?」

「と思ったら、一方的に罵倒されるだけで会話のキャッチボール成立まではまだまだ遠い道のりかもしれない、ってミサカはミサ」

「いいから、余計な事は一切喋らずに、俺が聞いたことだけ答えろ」

「は、はい、ってミサカはミサカはアナタの睨みに恐れ慄きながら首を縦に振ってみる」

「ミサカの検体番号(シリアルナンバー)は二〇〇〇一号で『妹達』の最終ロットとして製造されたの。
 コードもまんま『打ち止め』(ラストオーダー)。
 本来なら実験に使用されるはずだったんだけど、途中で中止になっちゃったから、ミサカはまだ調整が終わってないのね。
 製造途中で培養器から放り出されちゃったから、こんなにチンマリしちゃっているの、ってミサカはミサカは事情を説明」

よく喋るというのはうるさいが、情報を聞き出すのは楽だ。

「オマエのことはよォーく分かった。それで、俺にどうしろってンだ?」

「実験の要であったアナタなら、研究者と繋がりがあると思うから、コンタクトを取ってもらいたいの。
 今のミサカは肉体も人格も不安定な状態なので、できればもう一回培養器に入れて『完成』させてほしいわけなの、
 ってミサカはミサカは小首をかしげて可愛らしくお願いしてみる」

「他ァ当たれ」

「いえーい、即答速攻大否定、ってミサカはミサカはヤケクソ気味に叫んでみたり。
 でも他に行くアテもないので、ミサカはミサカは諦めないんだから」

このガキはどういうつもりなのか。
『妹達』は脳波リンクによって記憶を共有させていたはずだから、自分が一万人弱の『妹達』を殺しているのは知っているはずなのに。
それとも、製造途中の彼女には脳波リンクの機能がなかったのだろうか。

〇〇時五一分。
一方通行は我が家である五階建ての学生寮の階段を昇っていた。
打ち止めも付いてきていた。

「うぉあー、ステキなところにお住まいだったのねー、ってミサカはミサカは感心してみたり」

「どこが。一般的などこにでもあるごく平凡な学生寮だろォが」

「自分の部屋、自分の空間があるって素晴らしいもの、ってミサカはミサカは瞳をキラキラさせながら補足説明してみたり」

「あっそ。どうでもいいけどよォ、オマエどこまでついてくる気?」

「さっき言ったよ?ミサカは諦められないって。だからお世話になります、ってミサカはミサカは頭をぺこりと下げてみたり」

「はァ?」

「御馳走になります、ってミサカはミサカへ三食昼寝オヤツ付きを希望」

屈託のない笑みで言われたが、こちらとしては面倒以外の何物でもない。

「他ァ当たれ」

「だからさっきから諦められないって言ってるじゃん、ってミサカはミサカは念を押してみたり」

もう口を動かすのも面倒なので無視することにした。

「あ、待って。アナタの部屋ってどこ?ってミサカはミサカは質問してみたり」

無視。

「むむ……。――電磁性ソナー起動、周波数三二〇〇メガヘルツにて発振、
 現状、当フロアの一室に不審物を手にした人影を五人確認、ってミサカはミサカは報告してみたり。
 これはひょっとするとアナタの部屋なのかも、ってミサカはミサカは助言してみる」

一方通行は例の如く無視して自分の部屋の前、三一一号室のところまで歩いたところで、

「どうやらオマエのハッタリ、案外的を射てたみてェだぜ」

まずドアがなかった。
そして部屋の中はぐちゃぐちゃだった。

「うわっ、ってミサカはミサカは絶句してみたり」

一方通行は目の前の光景に、ほんの一瞬、息をとめた。
結局はこれが自分の能力の本質。
自分は徹底的に守り抜くが、逆に言えば自分以外は何一つ守れない。

「くだらねェ」

一方通行は土足のままで自分の部屋に入り込んだ。
特に感慨はなかった。自分を取り巻く現状を考えれば、別段不思議なことではない。

「あ、あの」

「何だ」

一方通行はひっくり返されたベッドを、
足のベクトルを操作して軽く蹴りあげることによって器用にひっくり返した。

「風紀委員や警備員に通報しなくてもいいの、ってミサカはミサ」

「面倒臭ェ」

通報によってここを襲撃した犯人は捕まるかもしれない。
だがそれで自分に対する襲撃が終わる訳ではない。
明日は別の、明後日はそのまた別の人間が襲撃してくるだけだ。

「で、オマエどうすンの?勝手に寝泊まりする分には構わねェが、はっきり言ってここより路上の方が安全かもしンねェぞ」

ダメもとだったが、布団部分が多少引き裂かれているぐらいだったため使えると判断し、一方通行はそのままベッドの上に転がりこむ。

「それでもお世話になります、ってミサカはミサカは決意表明してみる」

「何で?」

「誰かと一緒にいたいから、ってミサカはミサカは即答してみたり」

一方通行はベッドの上で少し黙りこんだ。
ぼんやりと天井を眺める。

「勝手にしろ」

「それじゃお邪魔します。
 うーん、綿が飛び出しているけど、このソファーで我慢するしかないか。
 一応宣告しておくけど、寝込みを襲うのはNGなんだからね、ってミサカはミサ」

「寝ろ」

「むむ……」

一方通行は目を閉じた。暗闇の中、もそもそと打ち止めが動く音が聞こえる。
埃っぽい空気に慣れていないのか、こほっこほっと咳のような音も聞こえた。
それらの音もやがてなくなり、完全な静寂が訪れた。

一四時〇五分。
一方通行は空腹で目が覚めた。
辛うじて壁に引っかかっている時計を見て、昼食の時間を過ぎている事に気付き、
とりあえず起きて何か食べようと思いベッドから体を起こした直後、

「あ、ようやく起きた。
 おはようございますってかもうこんにちはの時間なんだけど、とにもかくにもお腹がすいたので何かごはんを作ってくれたりすると、
 ミサカはミサカは幸せ指数が三〇程アップしてみたり」

ベッドにもたれかかっていた打ち止めが超至近距離で言ってきた。

「朝からうるせェな」

「もう昼過ぎだよ、ってミサカはミサカは的確なツッコミを入れてみる」

「つか、何でこンな近くにいるンだ。オマエはソファーで寝てたンじゃねェのかよ」

「一一時半くらいからアナタを起こそうと思っていろいろしていたんだけど、
 まったく起きなかったから疲れてベッドにもたれかかっていたの、ってミサカはミサカは苦労をアピールしてみたり」

「そりゃあご苦労さン」

『反射』は睡眠中も適用される。
安眠用に『音』も反射してしまえば、外部刺激によって一方通行を起こすことは不可能だ。

「そう思うならごはんを提供してほしいな、ってミサカはミサカは懇願してみる」

一方通行は打ち止めを無視してベッドから出て玄関へ向かう。

「あれー?台所はそっちじゃないと思うんだけど、ってミサカはミサカは正しい台所方向を指さしてみたり」

「何で俺がメシ作らなきゃなンねェンだ。俺がそンな事する人間に見えンのかよ」

「そこは意外性を出すためにエプロン装備の家庭的一方通行を期待して、ってあれ?」

冗談を無視して歩いていく一方通行の後ろを、待ってーと追いかける打ち止めであった。

一五時〇五分。
とあるファミレス。

「いらっしゃいませー。二名様でよろしかったですか?」

「よろしかったですー、ってミサカはミサカは元気よく返事をしてみる」

「では、こちらへどうぞー」

ウエイトレスは若干笑顔をひきつらせていたが、どうやらこんな汚い毛布少女でもがミレスで昼食は摂れるらしい。

一方通行と打ち止めは窓際の席に案内された。
このブザーを押せばウエイトレスさんが飛んでくるのね、とか言ってそわそわしている打ち止めをよそに、
一方通行はなんとなく窓の外を眺めて、

背を丸めて通りを歩いている男と目があった。

「アイツ……天井亜雄」

目があったからか、天井は慌てて駐車場に停めてあった青いスポーツカーに乗ってどこかへ走り去った。

天井亜雄という男は、二〇代後半の研究員で、絶対能力進化実験を最後まで推し進めていた人間だった。
しかし実験は中止になったため、スーパーコンピュータの予測演算は狂っているとされ、
実験推進派は、今でも膨大なデータの山に隠されたバグを探すために連日格闘しているはずだが……。

「なになにどうしたの、ってミサカはミサカは聞いてみたり」

「オマエの探し人がいたンだよ」

「探し人?ってミサカはミサカは首を傾げてみる」

研究員を探しているのではなかったのか。
とはいえ、ここで下手に研究員を見つけた事を言ってしまえば、じゃあ追いかけよう!なんて言われて面倒なことになりかねない可能性もある。
むしろ今の状況の方が、楽と言えば楽か。

「……いや、何でもねェ」

「そう。ならいいけど、ってミサカはミサカは内心では何かあるだろと勘繰ってみる」

特に言う事はないので何も言葉を返さなかった。
それでも打ち止めは、一人で喋り続ける。

「ここ最近寝ても疲れが取れない、ってミサカはミサカは愚痴ってみたり」

そりゃあ未完成だからじゃねェの。と思ったが、下手に会話につながったら面倒なので、特に反応は示さなかった。

「もう無視するのはデフォなのね、ってミサカはミサ」

そのタイミングでウエイトレスが水を運んで来たので、一方通行は適当に注文を済ます。
それに倣い打ち止めも注文を済ました。

「あ、あの、今更なんだけど、ミサカの分も払ってくれるんだよね、ってミサカはミサカはおそるおそる確認を取ってみる」

「あァ」

これ以上騒がれると面倒なので、初めからファミレスの料理代くらい払ってやるつもりだった。
奨学金と実験協力でお金は腐るほどある。
なんなら打ち止めに数百万くらい分け与えてもいいぐらいだ。
二度と付き纏わないでくれるなら。

「ありがとう、ってミサカはミサ」

「感謝してンなら、少し閉口してくンねェかな」

「分かった、ってミサカはミサカはしょげてみたり」

何を落ち込む必要があるのか、よく分からない。

しかし打ち止めは、二分もしないうちに再び口を開いた。

「アナタでも普通に食事をしようとするのね、ってミサカはミサカは感心してみたり」

「あァ?」

「アナタの場合は店のドアを蹴破って、食べるものを食べたら窓を破って悠々と食い逃げしそうなイメージがあったので、
 ってミサカはミサカは正直に言ってみる」

「俺はそこまで非常識じゃねェよ。金にも困ってねェしな」

別に打ち止めの言う事を実行できない訳ではない。
ただ、実験も中止になってバックに居る組織もないから、派手に動くと色々面倒になる。
それでも無理矢理『社会』に歯向かうことは可能だ。
そして最終的に全人類を敵に回したって勝てる。核ミサイルの雨でも平気だ。
だがその後に待っているのは原始人のような洞穴の生活だけ。
人間として最低限の営みをするためには、結局は集団の中で生きなければならない。
という説明が面倒くさかったので、適当に『俺は常識と金がある』の一言で済ませた。

「分かったら黙ってろ。今度勝手に喋ったら、オマエの分の金払わねェぞ」

その言葉が案外効いたのか、打ち止めはそこから喋る事はなかった。

一五時一五分。

「お待たせしましたー」

打ち止めが黙り始めてから数分後、ウエイトレスが打ち止めの分の料理を運んできた。
が、いつまで経っても料理に手を出さない。
一瞬、猫舌で熱いものは食べられなくて冷めるのを待っているのかとも思ったが、うずうずしている様子を見ると、そういうわけでもなさそうだ。

「食わねェのか、それ」

問いかけに、打ち止めは答えなかった。
何度か瞬きをして、こちらの顔色を窺っているようだった。

「あァ、別に俺の質問には答えていい。答えたくないなら、答えなくてもいいけどよォ」

「こ、答えなかったら、お金払わないとかない?ってミサカはミサ」

「ねェよ」

「……誰かとごはん食べるの初めてだから、一緒にいただきますっていうのをやりたいから、
 ってミサカはミサカは希望を言ってみたり」

「あァそォ。けど、俺の料理が運ばれてくるまでに冷めるかもしンねェぞ」

「それでもいい、ってミサカはミサカは微笑んでみたり」

結局、一方通行の前に料理が運ばれて来たのは、打ち止めの料理が運ばれてから一五分も後だった。
打ち止めの前に置かれた料理は、すっかり冷めていた。
それでも少女は、嬉しそうに笑っていた。

「美味しい、ってミサカはミサカは評価してみたり」

「こンなもン、冷凍レトルトフリーズドライのオンパレードじゃねェか。しかもそっちは冷めてンだろォが」

「けど美味しいものは美味しいし、ってミサカはミサカは満足してみたり。
 それに、誰かと食べるごはんは一味違うって、ミサカはミサカは精神論を述べてみる」

「……あのさァ、本当なら昨日の時点で聞いておくべきだったと思うけどよォ、オマエ、どういう神経してンだよ。
 俺がオマエ達に何やったか覚えてねェのか?」

「ミサカは残ったすべてのミサカと脳波リンクで精神的に接続した状態だから、もちろん覚えてる」

即答だった。

「でも、だから何って話。
 ミサカ達は『ミサカネットワーク』という巨大な大脳を支える脳細胞のようなもの。
 単体が死亡したって、ネットワークそのものが消滅する事はない。
 ミサカの最後の一人が、消えてなくなるまでは」

淡々と述べる少女に、一方通行は嫌悪感さえ抱いた。
人間とは全く異なる構造をした宇宙人のように見えてしまって。

「――って、ミサカはミサカは考えていたんだけど、気が変わったみたい」

「……はァ?」

「ミサカは教えてもらった。一人一人の『ミサカ』の命にも価値があるって。
 他の誰でもない、この『ミサカ』が死ぬことで悲しむ人もいるんだって」

一方通行の頭の中で、あの少年の言葉が反芻される。

『害ならある。クローンが死んだら悲しい。御坂も悲しむ。だからやめろ』

「だからもうミサカは死なない。これ以上は、一人だって死んでやる事は出来ない、ってミサカはミサカは考えてる」

宣言。
それは、一方通行の行ってきた事を決して許さないという、一生あの時の事を忘れないという恨みのもの。

「ァ……」

一方通行は、思わず背もたれに深く沈みこんだ。
そのまま天井を見上げて、息を吐く。
知らなかった。
今まで、そういった感情を抱かれている事には気付いていても。
目の前で、面と向かって本人に糾弾された事がなかったから。
だからこそ、その痛みを知らなかった。
そして、今まで人形のように扱ってきた『妹達』が、
そういった痛みを与えてくる人間だったなんて事に、全てが終わるまで気付く事が出来なかった。

「でも、ミサカはアナタに感謝してる。アナタがいなければ実験は立案されなかった。
 命なきミサカに魂を吹き込んでくれたのは、アナタなんだから」

先程とは正反対の言葉だった。
まるで、自分を受け入れるかのような。
それが、とてもイラついた。

「論理的じゃねェな。産んでも殺したら、プラマイゼロだろォが。どういう神経していたら、それで納得できンだよ」

「だってアナタは、本当は実験なんてしたくなかったんだと思ったから、ってミサカはミサカは推測を述べてみる」

「はァ?」

「だってアナタは、すぐにはミサカを殺さなかった。その気になれば、三秒もかからないで殺せるはずのに」

またしても、あの少年の言葉が反芻される。

『今の俺だってそうだけど、もっと疑問なのはクローンとの戦闘だ。
 その気になれば、三秒もあればお釣りがくるぐらい速攻で殺せるはずだ』

「だから何だってンだよ」

「ミサカ達の恐怖心を煽って、ミサカ達の実験に参加する意思を刈り取ろうとしていたんじゃないかな、
 ってミサカはミサカは解釈したり」

「はン。そりゃあ都合のいい解釈すぎンだろ」

「そうかな。
 お姉様と話した九九八二号からの情報だと、アナタは少年もお姉様もその気になれば殺せたはずなのに殺さなかったって聞いた。
 それはアナタ自身、ここで実験を止めてほしいって無意識に願っていたからじゃないの、ってミサカはミサカはアナタに問い詰める」

「なわけねェだろ」

自分を擁護するような意見を、自分を貶める方向で否定する。
自分は一体何をやっているんだろう、と思う。

「でもミサカの推測が正しかったとしたら、ミサカにも非はある」

今自分が否定したばかりなのに、でも推測が正しかったとしたら、とはどういうことだろうか。

「ミサカ達はアナタのサインに、たったの一度も気付いてあげる事が出来なかった、ってミサカはミサカは後悔してみる。
 でも、もしも、あの日、あの時、ミサカが戦いたくないって言っていたら、ってミサカはミサカは終わった選択肢について語ってみる」

「くだらねェ」

長々と持論を展開した打ち止めを、一方通行は一蹴した。

だってそうだ。
素早く殺せるのにさっさと殺さなかったのは、恐怖心を煽って実験に参加する意思を奪うなんて解釈に至るのは普通じゃない。
恐怖心を煽るだけ煽って最終的にはトドメを刺すサドの変態ならいそうなものだが、
それは殺す側が楽しんでいるだけなのであって、殺される側に拒否させるためのものではないだろう。
少年に負けたのも、実力的に劣っていただけだ。
風を使っていても、第三位が磁力を駆使して吹き飛ばされても助かっていた可能性だってある。

と、なんで自分は、こんなにも自分を貶める意見を必死に考えているのだろうと思ったところで、

ごとん、という鈍い音が響いた。
打ち止めがテーブルに突っ伏した音だった。

眠いとか疲れたとかいう理由ではないのは一目で分かった。
額には珠のような汗が浮かび、呼吸はだいぶ荒い。

「オイ」

「こうなる前に……研究者とコンタクトを取りたかったんだけど……ミサカはまだ……肉体的に未完成な状態だから……
 本来なら培養器の中から出ちゃいけなかったんだけど……それでも……騙し騙しでやっていけたんだから大丈夫かなって……
 ミサカは考えていたんだけど……見通しが甘かったかなぁ……」

意識が途切れ途切れになるのか、打ち止めはやけにゆったりとした口調だった。
しかし、自分にはどうする事も出来ない。
『ベクトル操作』という能力では、誰も守れないし何も救えない。
生き残るのは自分一人だけ。

一方通行は伝票を取って席を立つ。

「あれ、どっか行っちゃうの?まだごはん余っているのに」

「あァ、食欲なくなっちまったからなァ」

「そっか……ごちそうさまっていうのも言ってみたかった、ってミサカはミサカは溜息をついてみる」

「そりゃあ残念だったな」

一方通行はそれだけ言って、レジの方へ向かった。
打ち止めを残して。

「何でこンなとこに来ちまったンだァ?」

一七時一五分。
一方通行の目の前には、実験を立案し『妹達』を製造した研究所。
ここならば、未完成の打ち止めを今からでも調整する為の培養器がまだ残っているかもしれない。

あの場で出来る事は何もないから、あの場から立ち去った。
出来る事を探して、ここまでやってきた。
一方通行は研究所の敷地へ一歩踏み出す。
たった一人の少女を救うために。

一方通行はドアを蹴破って堂々と研究所内に侵入した。
自分のIDが生きているとは思えなかったからだ。

研究所内は計算室といった感じの内装だった。
四方の壁を埋めるように業務用冷蔵庫のような量子コンピュータがあるが、型遅れの実験品を流用しているようにしか見えない。
少なくともこれで『樹形図の設計者』の代わりは担えないだろう。
窓のない部屋の中を無数のモニタが照らし出していて、大量のデータ用紙は床が見えなくなるほど機械から吐き出され、冷却用のファンの音だけが室内に満ちている。
部屋の真ん中で、白衣の女性がテーブルの上に座って機械から蛇のように吐き出されるデータ用紙を手にとって、赤ペンで何かをチェックしていた。

「あら、お帰りなさい、一方通行。ドアは壊さずとも、キミのIDはまだ九〇日ほど有効だったのに」

ドアを蹴破ったことは、音などで分かっていたからだろう。
白衣の女性は、特に驚いた様子もなく平然としていた。
芳川桔梗。
二〇代後半の彼女は、特に化粧などはしておらず、服も色の抜けた古いジーンズに擦り切れたシャツ、綺麗なのはシャツの上から羽織っている白衣だけだった。

「なァ、妹達の検体調整用マニュアルってどれだ?培養装置と学習装置(テスタメント)の両方だ。
 あと、検体調整用の設備を一式借りンぞ。理由は聞くな。
 実験の凍結で未払いのままになっている契約料だと思ってくれりゃあいい」

「少し待ちなさいな。どうしてキミが知っているのかしら?
 わたしですらも、つい三時間前にやっと気がついたというのに」

「あン?」

「だから、これの事でしょうに」

言って、芳川は持っているデータ用紙をひらひらと振った。
よくよく見ると、それは学習装置のスクリプトだった。
妹達は特殊な培養装置によって、およそ一四日で製造される御坂美琴のクローン体だ。
その人格も普通の『学習』では形成できない。期間が短すぎるからだ。
よって、妹達は人格と知識を学習装置、実質的には洗脳マシンによって電気的に入力される。
つまり今、芳川が持っているものは妹達の心の設計図である。

「何だ、『樹形図の設計者』のバグを探してンじゃなかったのか。
 いつになったら終わるか分からねェ途方もねェ作業ご苦労さンと思っていたのによォ」

「ええ。『樹形図の設計者』のバグ探しなんかよりも、重要な問題だもの」

「はァ?何言ってンだ?」

「そういう反応も無理ないかもしれないわね。キミには説明していなかったものね。
 最終信号(ラストオーダー)と呼ばれる特別な個体の事を」

芳川の言葉に、一方通行の眼が見開かれる。

「その様子だと、やはり接触したのかしら。となると、あの子はまだこの街の中にいるのね」

芳川は手の中の赤ペンをくるりと回し、

「わたしが今やっているのは、妹達の人格データの中にあるバグの洗い出し。
 正確には人為的な命令文だから、ウイルスとでも呼ぶべきかもしれないけど」

そう言って、テーブルから降りて椅子に座り直す。

「そもそもあの子は、実験のために作られたものではないの。それはご存知?」

ここで一方通行は、打ち止めの発言を聞いてからのかねてよりの疑問を口に出す。

「おかしいとは思っていた。俺が実験で殺す検体は二万ジャストなはず。
 それなのにあのガキは、二〇〇〇一って言いやがった。
 予備なのかとも思ったが、それなら一体しかいないのは釈然としねェし、そもそも普通の妹達と人格と肉体も違うのに、予備が務まるとも思えなかった。
 だからと言って、自分は実験のシナリオに必要な個体ですって言い張るガキに問い詰めても仕方なかったから放置していた。
 あのガキの存在意義は何なンだ?」

「あの子はね、言ってしまえば安全装置のようなものなの」

「安全装置だァ?」

「ええ。思い浮かべて御覧なさいな。
 二万人もの能力者を用意したうえで、仮に彼女達が反乱を起こしたらどうなるか。
 能力者でも何でもないわたし達スタッフでは手に負えないでしょう?」

「そのための切り札が、あのガキだってェのか」

「ええ。ミサカネットワーク、という言葉に聞き覚えはあるかしら?」

ミサカネットワーク。
妹達の間で繋がっている脳波リンクのようなもの。
ネットワークそのものが巨大な意思を持っていて、各『ミサカ』を操る術もあるらしい。

芳川は、自分から質問しておいて一方通行の返事もないうちに言葉を続けた。

「あの子の脳に一定の電気信号(パルスシグナル)を送ることで、
 ミサカネットワークそのものを外部から操作することによって、
 非常時には二万すべての『ミサカ』に対して停止信号を送る事を可能とする。
 これによって、妹達は絶対にわたし達を裏切れなくなる」

故に、と芳川は一旦息を吐いてから、

「全ての妹達の司令塔となる最終信号は、自由であってはならない。
 そのために、あの子は敢えて未完成な状態に留めてある。
 本当は意識もない植物状態が望ましいのだけれど、ミサカネットワークに接続する為には、一定以上の自我がなければならなかった」

「つまりは、呼吸をするだけのキーボートってわけか」

さすがに、劣化コピーしか作れず凍結した計画を実験に流用するような連中だ。

「で、あのガキについたバグ、っつーか、ウイルスってェのは?」

「実験終了後も最終信号はここの培養器で秘密裏に預かっていたのだけど、一週間ほど前に異常な脳波が計測されてね。
 慌てて培養器のある建物に行ってみれば、もう設備は内側から破壊されてあの子は逃亡した後だった、という訳」

芳川はデータ用紙を指先で撫でながら、

「その時は何が起きたか分からなかったわ。原因不明の暴走という方向で、とりあえずウチのスタッフ達が捜索する事になったの」

風紀委員や警備員に通報しなかったのは、実験がいくら上層部に黙認されているとはいえ、大っぴらに公表していいものではないからだろう。

「いくらインドアなオマエらでも、あンなチビクソガキを一日二日、百歩譲って三日程度なら分かるが、一週間も捕まえられないなンて、体たらくにも程があンだろ。
 まして、あのガキは一万の妹達を統括する管理者なンだろ?危機感なさすぎだろ」

「そう言われるとぐぅの音も出ないのだけれど。
 作ったシステムの完成度に自信があった故に油断していたのね。
 まさか逃げ出すなんて思っていなかったのよ。
 元々あの子は培養器の外では生きてはいけないはずだったから、甘く見ていたところもあったのかもしれないわね。
 ……まったく、この七日間を生き延びていたというのが既に誤算だわ。
 そんなに強く作ったつもりはないのだけれど、情が移ってしまったのかしらね」

「……」

「今にして思えば、暴走はあの子の一種の防衛反応だったのでしょうね。
 何者かが最終信号の頭に不正なプログラムを上書きした。
 それを防ごうとした行為が、研究所からの逃亡。
 おそらくあの子自身は自分がなぜ研究所から離れることになったのか、その理由に気付いていないのでしょうけれど」

「けどあのガキは、逃げるどころか研究者とコンタクトを取りたがっていたぞ」

「何ですって?」

「だァからァ、あのガキが、アナタには研究者と繋がりがあるからコンタクトを取ってほしいとか言って付きまとってきたンだったつーの」

「……どういうことなのかしら」

芳川は顎に手を当てて何かを考え始めた。

「で、その不正なプログラムってのは何なンだ?どうせロクなモンじゃねェだろうけどよォ」

「まだ調べている途中だから確実ではないのだけれど、今のところ分かっていることからの予測できる症状は、
 人間に対する無差別な攻撃、ってところでしょうね」

「そりゃあつまり」

「ええ。キミの予測している通りだと思う。
 ウイルス起動は九月一日午前〇〇時〇〇分〇〇秒。
 定刻と共にウイルス起動準備に入り、以後一〇分で起動完了。
 ミサカネットワークを介して現存する全妹達へ感染、そして暴走を開始。
 そうなったらもう誰にも止められないわ。
 それが原因で、三度目の世界大戦だって起こるかもしれない」

現在、一万強もの妹達は学園都市の『外』――世界中で体の再調整を行っていると聞く。
学園都市に残っているのは、一〇から二〇だったか。
学園都市に残っている妹達の暴走は風紀委員や警備員で何とかなるかもしれないが、
世界中に散らばっている妹達の暴走を止めるのは時間的にも距離的にも量的にも不可能だろう。
妹達は体格こそ女子中学生にすぎないが、彼女らには能力と銃器がある。
学園都市では能力が、風紀委員や警備員にとっては銃器を相手にするのだって当たり前だろうが、『外』の一般人にとっては、脅威以外の何物でもないだろう。
つまり、妹達による一般人の大量虐殺。
それによって、妹達は粛清され学園都市は糾弾されるだろう。
世界中から侵攻されるかもしれない。
しかし学園都市もただ滅ぼされるのを待つわけがない。きっと対抗するだろう。
結果、芳川の言う通り、三度目の世界大戦に発展する可能性もある。
その先に待っているのは、世界の終わり。

「すげェなァ、オイ。
 そンなことになるって分かっていて、今の今まであのクソガキを放置か。
 今からでも風紀委員や警備員に通報した方が良いンじゃねェの?」

「キミも分かっているでしょう?通報が出来ない事は」

「そりゃあ通報することによって、クローンがいたことがばれて、最終的には学園都市“内”でちょっとしたパニックが起きるかもしれねェ。
 一万強もの妹達は、暴走するかもしれなかったという可能性だけで処分されるかもしれねェ。
 だがそれだけだろ。世界の終わりと、一万強と一人の命。
 天秤にかけた結果どっちが良いかなンて、小学生でも分かるだろォが」

「そう言われると、返す言葉はないのだけれど。
 あの子に逃げている自覚はないのでしょうけれど、基本行動パターンに、ミサカネットワーク内にある『実験中の証拠隠滅マニュアル』でも使っているのでしょうね。
 あの子、基本的に路上生活らしいから、お金のやりとりはないし、IDを使用する事もないから、データが残らないのね。
 衛星の死角になるゾーンもあるし、警備ロボットも迂回ルートさえ避ければ映像にも引っかからない。
 ああ、キミがあの子と別れてからどれくらい経っているのかしら?
 まさかロリコンに誘拐とかされていないでしょうね」

一見して自分の都合しか考えていないようなセリフだが、純粋に打ち止めの事を心配しているような声色でもあった。

芳川桔梗という女性は、甘い人格の持ち主であった。
遺伝子レベルで同じ顔をしているため見分けがつかないのが当然の妹達を必死になって覚えようとし、
彼女達に検体番号ではなく人間らしい名前をつけようとしていたこともあった。
しかし、結局それは甘さであって優しさではない。
本当に優しい人間ならば、あの少年や第三位の少女のように、実験を止めようと立ち上がるはずだから。

「でも『逃げろ』という無意識下の命令はわたし達『研究員』にしか適用されないようね。
 現にキミには警戒心を見せていないようだし。キミを使えば、存外何とかなるかもしれないわね」

誰がこんなやつらの駒になるかとばかりに、一方通行は話題を変える。

「で、そのウイルスをあのガキにぶち込ンだ愉快な馬鹿は誰なンですかァ?」

「天井亜雄」

「……何だと」

天井が犯人ならば、学園都市をうろついている意味が分からない。
事件発生から一週間も経っているのだから『外』に逃亡してしまえば良いのに。

「事件直後のタイミングで姿を消した研究員は一人だけ。有給を使うというメールは届いているけれど」

「それだけで?」

「彼は頓挫しかけていた量産型能力者(レディオノイズ)計画の元研究員で、実験に妹達を代用する際にウチへ転属したスタッフ。
 その専門は学習装置を用いた人格データ作成。彼以上に妹達の精神に詳しい者はおらず、
 管理上の問題から彼の目を盗んであの子の頭に追加コードを書き加える事はほぼ不可能だし、
 失踪直前には彼が学習装置を使っている姿を目撃している人がいるの。
 何故か、使用ログは消されていたのだけれどね」

「成程ねェ」

要するに条件的には天井しか打ち止めに細工は出来ない訳だ。
一つ疑問として、ウイルス発動まで一週間待つ理由は何かというのがあるが、それを芳川に問い詰めても仕方ない。

「で、結局オマエはここでデータを眺めているだけで何か意味あンのか?
 ガキの頭ン中にあるウイルスはどう止めンだ?」

「それを今調べているのでしょう」

わずかに焦燥しているのが分かる。
それもそうだろう。
打ち止めの頭の中身は学習装置さえあればいくらでもいじくり回せるが、リミットまであと数時間という今の状況で、
ワクチンプログラムを作り出し打ち止めを見つけて注入出来る可能性は、五分五分かそれ以下だ。
ならばどうするか。

「まァ、いざとなりゃああのガキを処分するのが手っ取り早く安全で確実な手段だわなァ」

「そうならないよう努力するしかないわ。もちろん、キミもね」

「随分愉快なこと言うンだな、オマエ。俺ァ妹達を一万人弱殺してきた張本人だぜ。
 俺みてェな悪人に、人助けなンかできやしねェよ」

「そうかしら。
 キミはあくまでわたし達が仕向けた実験を機械的に行っていただけでしょう。
 『妹達を殺さずに絶対能力になる方法』があったら、キミは誰も殺さなかったでしょう?」

芳川の核心を突くような言葉に、一方通行は押し黙る。

「でも、だからと言ってキミに強制はできない。わたしにはそれだけの力がないから。
 キミの人生はキミのもの。キミがやりたいようにやるべきだもの」

内心では猫の手も借りたいはずだろうに平然と言ってのける芳川の目を、一方通行は見つめる。
それでも芳川は、一切顔色を変えることなく告げる。

「ただ言えるのは、研究員であるわたしには、あの子は捕まえられない。
 けどわたしとキミが組めば、何とか道は開けるかもしれないの」

芳川は企画書でも入っていそうな大きな封筒を二つ手にして、

「今キミに出来る事は二つ。
 一つは街な中に潜伏している天井亜雄を捕獲してウイルスの仕組みを吐かせる事。
 もう一つは起動前のウイルスを抱えた最終信号を保護する事。
 好きな方を選びなさいな。もちろん強制ではないけれど」

芳川は二つの封筒を一方通行に手渡す。
一方の封筒には、天井のここ最近の動向をまとめたレポートが、
もう一方の封筒には、データスティックと超薄型の電子ブックのようなものが入っていた。
データスティックには『検体番号二〇〇〇一号・人格要綱/感染前』と書かれたラベルが貼ってある。
おそらくは打ち止めの人格データが詰まっているのだろう。

「まァ、どっちをとりゃ良いかなンて、誰でも分かるわなァ」

一方通行と呼ばれる少年の能力は『ベクトル操作』。デフォは反射。
その力は、彼自身は守り抜くが、それ以外は何も守れない。
むしろ壊すことに向いている。
一方通行はそれを弁えたうえで、

人格データの収まったデータスティックと電子ブックの入った封筒を選びとった。

「笑えよ。どうやら俺は、この期に及ンでまだ救いが欲しいみてェだぜ」

「ええ、大いに笑って差し上げましょう」

芳川は、真っ直ぐに一方通行を見据えて、

「キミの中にまだそんな感情が残っているとすれば、それは笑みをもって祝福すべき事よ。
 だから安心して証明なさいな。キミの力は、誰かを守れるという事を」

一方通行は返答の代わりに宣言する。

「俺はオマエ達、研究者のために働く。だからそれに見合った報酬は用意してもらうぜ」

「ええ。あの子の肉体の再調整ならわたしに任せなさい」

芳川の言葉を背に、一方通行は研究所を後にする。

一八時〇〇分。
誰もいなくなった研究所で一人、芳川桔梗は息を吐いた。
この土壇場で一方通行が訪ねてきてくれた事は奇跡だった。
彼がここにやってこなければ、為す術もなく世界は崩壊していただろう。
もっとも、最終信号が力尽きる可能性もあったが。

一方通行が最終信号を探しに行った以上、自分の役目は『天井を捕らえてウイルスコードを吐かせる事』だが、この場に留まることにした。
慣れない追撃戦に奔走するより、自分でコードを解いた方が早そうだと踏んだから。
しかし。
実際問題、膨大な人格データの中から、いくつあるかも分からないウイルスコードを一つ残らず探し出す作業は相当に骨が折れる。
間違って正常なコードを削除しても駄目。
記憶系コードなら思い出を失う程度で済むが、自律神経系コードを傷つければ命を落とすことになる。

「……ふう」

芳川はデータ用紙から顔をあげて、一方通行の決意について考える。
彼は己がやってきたことと向き合う覚悟を決めて一人の少女を救おうとしている。
それを踏みにじりたくない。

「結局甘いのよ。わたしは決して優しくない」

そう。一方通行の決意を踏みにじりたくないなんて、結局は言い訳に過ぎない。
『甘え』にすぎない。
本当に優しい人間なら、一方通行に協力を仰いだりしない。
たとえどれだけ不利だろうとも、一人で決着をつけるだろう。
芳川は、そんな甘い自分が大嫌いだった。
だからこそ、一度でいいから、優しくなってみたかった。

「さて、わたしもわたしで自分を壊す時がやってきたのかしらね」

芳川は再びデータ用紙と向き合う。

一八時一八分。

一方通行は街を駆ける。
行き先は打ち止めと別れたあのファミレス。
あの状態で移動できるとは思えない。
もっとも、追い出されている可能性もあり得るのだが。

そしていよいよファミレスの前に到着した一方通行は思う。
何かが変わろうとしている。
否、何かを変えられるかもしれない。

一方通行はファミレスへ一歩踏み出す。

一方通行は店内に入り店員を無視して、広くない店内を見回して、打ち止めがいないことを確認した。

「マジで追い出されたのかァ?」

そりゃああんな汚い毛布少女を残しておくのは営業的にまずいだろうが、人道的に追い出すのはどうかと思う。
自分が人道を語れる立場ではないのは分かっているのだが。
それとも、救急車でも呼んだか。
いずれにしても情報を収集しなければ始まらない。
追い出すにしたってこのファミレスで一時的に保護するにしたって救急車呼ぶにしたって、店員の印象には残っているはずだ。

「オイ」

一方通行は店員の一人を捕まえて、

「空色の汚ェ毛布を被った一〇歳ぐらいの茶髪のアホ毛が生えている女の子どうした?」

「え、えーと」

「昼過ぎに俺と一緒にいたガキの事だ」

自分の見た目も、白髪に真っ赤な眼という、我ながらインパクトはある方だと思う。
こんな自分と汚い毛布少女、印象に残っていないはずがないはずだ。

「あ、あの、それなら、白衣の男性が身内だからとおっしゃったので、引き渡しました」

白衣の男性。
きっと天井亜雄だ。
昼食時、この辺りをうろついているのを目撃したし、打ち止めに身内はいない。

「それは何時頃だ?」

「四時半過ぎぐらいだったと思います」

「チッ」

舌打ちして踵を返してファミレスから出て行く一方通行に店員は少々怯えたようだったが、彼にとっては知った事ではなかった。

空はもう夕暮れから夜に変わりつつあった。

一方通行は顎に手を当てて考える。
天井が打ち止めを攫った理由。
放っておいてもウイルスは起動するはずなのに、わざわざ攫う意味とは何か。

「待てよ……」

確か芳川は言っていた。
あの子が一週間も生きている事自体誤算、と。
もしも打ち止めが勝手に力尽きれば、それはそれで妹達へウイルスが感染する事はなくなる。
そして別れ際の打ち止めの様子。
虫の息だった。
天井にとって打ち止めに死なれては困るはずだ。
だからと言って培養器がなければどうしようもないと思うが、精神的に手元に置いておきたかったとも考えられる。

「違ェな」

今考える事は攫った理由ではない。
打ち止めを攫った天井がどこにいるかだ。
だが生憎と、天井のここ最近の動向のレポートは研究所。
ともすれば、やるべき事は一つ。

一方通行は携帯を取り出して芳川に電話をかける。

「天井があのガキを四時半過ぎに連れ去ったらしい。まだ学園都市に居ると思うか?」

『何ですって?なぜ最終信号を連れ去る必要が』

「今の論点はそこじゃねェ。天井がまだ学園都市に居るかどうかだ」

その一言で、芳川は冷静を取り戻したようで、

『……そうね。今は六時半過ぎだから、既に二時間弱経過している。
 よって学園都市に残っている可能性は少ない、と言いたいところだけど、今回ばかりはわたし達に運が向いているようね』

「どういう意味だ?」

『キミは知らないでしょうけど、正午前に第七学区の建設中のビルが倒壊したおかげで第三級警報が発令されたの。
 それと今日の明朝ごろと一時過ぎぐらいに、学園都市の外壁の上で、わずかな時間だけど怪しい人影が確認されてね。
 さらに言えば、一二時から一時までに白い修道服を着たシスターを攫った怪しい人影も確認されて、二時ごろには第二級警報が発令されたの』

「何言ってっかよく分かンねェンだけど、要するに『テロリストの侵入の可能性がある状態』の第二級警報が発令されたから、
 学園都市への出入りは完全に禁止されて、天井はまだ学園都市から抜けてねェって言いてェのか」

『そういうことになるわね。さらに言えば、検問を恐れているのなら、その学区からも逃れられないはず』

「ふゥン、ならよ」

一方通行は、一つの建物の名を告げる。

『……確かに、そこには一度も行ってないようね。天井亜雄なら、真っ先にそこへ行きそうなのに』

「真っ先に思い浮かぶような場所は避けて通るモンだ。
 だが人間、切羽詰まれば詰まるほど、行動はドンドン単純になっていくモンだろ」

それだけ言って、一方通行は電話を切った。
向かう先は、一つの研究所の跡地。
かつて、超能力者『超電磁砲』の量産型能力者の開発を行っていた施設。

「くそっ!」

とある研究所の跡地の側に停めたスポーツカーの中で、天井亜雄は思い切りハンドルを叩いた。

失敗した、と天井は思う。
本来ならば最終信号の頭にウイルスを注入した時点で、速やかに学園都市の『外』へ逃げている手はずだった。
『外』には学園都市の『敵対勢力』のメンバーが待っている。
なのに……。

「くそっ!」

切羽詰まった現状の元凶は最終信号だ。
最終信号にウイルスを注入したら、彼女は逃げだした。
培養器の中でないと長生きできない肉体なのに、だ。
死なれては、ウイルスが妹達に感染する事もなく、破壊工作は失敗し、それを許さない学園都市の『敵対勢力』は、
自分の逃亡の手助けを断るどころか、粛清してくるだろう。
だからせめて、最終信号の命を救うために捕えたのだが、培養器がないと何もできない。

「頼む!あと少しだけでいい!ウイルス起動まで保ってくれ!」

結局、天井に出来る事は祈る事だけだった。
現状、彼はただでさえ切羽詰まっている。
それなのに。

「あ、れは……」

天井にさらなる災いが降りかかろうとしていた。

「な、んで」

天井が見ているのはルームミラー。
そこに反射して映っているのは。

「一方……通行」

何であんな化け物がここにいるのか。
分からない。何が目的かは分からない。
分からないが、何かをしようとしているのは分かる。
狙いは自分か最終信号か。
どっちにしたって譲れない。
だからと言って、何が出来るという訳でもない。
懐に拳銃はあるが、そんなもの『反射』の前では意味をなさない。
ならば、残された選択肢は一つ。

「逃げるしかない……!」

震える指でエンジンキーを挿して、勢いよくスポーツカーを発進させる。

「ふン」

乱暴に発進するスポーツカーを見て逃げられている事が分かっても、一方通行は至って冷静だった。

一方通行は軽く地面を蹴った。
それだけで彼の体は砲弾のような速度で発射されて、スポーツカーを追い越し、その前に立ち塞がった。

運転席の天井は慌ててハンドルを切ったようだが、時すでに遅かった。
スポーツカーは曲がり切る前に一方通行へ突っ込む。
常人ならばぐちゃぐちゃに潰れているところだが、反射がある一方通行には傷一つない。
潰れたのはスポーツカーの方だけ。

「い、ぎ、く……」

スポーツカーではもうどうにもならないと悟ったのか、天井は運転席から飛び出して逃げ出す。

「落ち着けよ、中年。みっともねェっつの」

一方通行は開きっぱなしだった運転席のドアに手をかける。
ベクトルを操ってドアだけを車体から強引に引きちぎると、背を向けて走っている天井に向かって投げた。
野球の投手のようなオーバースローではなく、
道端に空き缶を投げ捨てるような動作で投擲されたドアは一直線に天井に向かって、彼の背中にクリーンヒットした。

「あ、が……」

天井はそのまま前方に倒れた後、ドアの下敷きになった。

「手間ァかけさせやがって、クソガキが」

最初から打ち止めを研究所につれていっていれば、こんなことにはならなかった。
もっとも、研究所につれて行かなかったのは、打ち止めがどういう位置にいるか分からなかったからなのだが。
何はともあれ、こうして打ち止めに辿り着く事が出来た。
汗だくではあるが、息はある。
携帯で時刻を確認すると、二〇時〇三分。
ウイルス発動までのリミットもあと四時間ある。

とりあえず芳川に報告をする事にした。

「ガキを保護した。顔に電極がついてンだが、これは剥がさねェ方が良いのか?」

『それならおそらく、妹達の身体検査用キットだわ。
 肉体面と精神面の健康状態を表示しているだけのものだから、剥がしてしまっても問題ないわね』

「電極から伸びたノートパソコンにあるBC稼働率ってのは何だ?」

『それは最終信号の脳細胞の稼働率ね。ブレインセルでBC』

人間の脳細胞の動きを一つ残らず監視しているなんて尋常じゃない。
この小さな機械だけで出来るとは思えない。

「なァ、この機械を使ってガキのウイルスを駆除できねェのか?
 ここからガキを連れ帰るにしても、結構時間がかかるしよォ」

『無理ね。それはあくまで表示するだけのモニタにすぎないもの。
 書き込みをするには、専用の培養器と学習装置が必要になるのよ。
 でも大丈夫。わたしは今、培養器と学習装置を持ってそっちに向かっている最中だから。
 キミが研究所へ引き返すよりは、時間を短縮できると思ってね』

研究員は逃げられるんじゃなかったのかと一瞬思ったが、この状態の打ち止めがまともに動けるわけないし、
万が一逃げられても、自分が捕まえれば良いだけだ。

「ウイルスコードの解析は終わってンのか?」

『八割方と言ったところかしらね。
 解析が終わった後に駆除用のワクチンコードを書かなければならないから、
 正直なところ結構ギリギリなのだけど、間に合わせて見せるから安心して』

「本当に大丈夫なのかよ?」

『何とかするわ』

と、芳川にしては力強い返事だなと思った、その時だった。

「み、サ――――――」

不意に、ぐったりとしている毛布少女の口が動いた。

「み、さか、は……みさ、ミサカ、は――――――」

目を閉じたまま、唇だけが動いている。
だが専門家である芳川がやってこない限りはどうしようもないのだが、

「み、さ―――カ、ミサ、カはミサ、カはミサカはミサ、カはミサカはミサカは
 ミサミサミサミサミサミサミサミサミサkdnsveamteloazlitspoei」

「オイ芳川!ガキが何かおかしい!」

『落ち着いて。一から順に説明して……まさか』

「どうした!?何がまさかなンだよ!」

『……ウイルスコードかもしれないわ、それ。もう起動準備に入っているんだわ』

「はァ!?ウイルス起動は午前零時じゃ――」

言いかけて、気付いた。
考えられる可能性は一つ。
天井がダミー情報を流したのだ。

「オイ、どうすりゃいい!?」

ウイルスは起動準備から一〇分で起動完了する。
残り時間は九分強と言ったところか。
それだけの時間では、ウイルスコードを調べ終わりワクチンを組むのは絶対不可能だ。
そもそも、芳川はまだ到着すらしていない。

『残り時間ではどうしようもないのは分かるでしょう?キミの手で最終信号を処分するしかないわ』

結局、それしかないのか。
ここまでやってきて、よりにもよって、結局は壊すしかないのか。

『もうどうしようもないわ。
 ここで殺さずに暴走したら、それはそれで処分されるし、処分しなくても力尽きるかもしれないわ。
 だったら、せめてキミの手で処分してあげなさい』

芳川の言う事はもっともなのだろう。
どの道打ち止めは死ぬしかなくなる可能性の方が高い。
だったらせめて、世界を救った方が良い。
世界中の人間と一人の命。
天秤にかけるまでもなく、どちらを取るかなんて、小学生でも分かる。

「クソッタレがあああああああああああああああああああああああ!」

結局最強なんて言ったって、何かを壊す事は出来ても、何かを守る事は出来ない。
『ベクトル操作』なんて、運動量・熱量・電気量などの力の『向き』を変換することしかできない。
思いつく事なんて人の皮膚に触れて、生体電気や血液の流れを逆流させるぐらい――

「……待てよ」

何かに引っかかった一方通行の頭の中で、思考がめまぐるしく回っていく。

制限時間は九分強。助けは呼べない。手元にはデータスティックと電子ブック。
収まっているのはウイルス感染前の人格データ。『ベクトル操作』。
必要なもの。学習装置。電気的な方法で脳内の情報を操る装置。電気信号の制御。
ワクチンプログラム。膨大な人格データの中からウイルスコードを見つけ削除する。
時間内にウイルスを削除できない場合。打ち止めを殺すしかない。
殺さない為には。ウイルスを削除するしかない。その為にやる事は二つ。
一つ目は、打ち止めの膨大な人格データの中から、ウイルスコードだけを検出。
二つ目は、打ち止めの脳内の電気信号を操り、検出したウイルスコードを削除する事。

そこまで考えて、引っかかった何かは確信へと変わる。
生体電気の逆流。
これを応用すれば。

「質問があるンだが、脳内の電気信号さえ制御出来りゃあ、学習装置がなくてもあのガキの中の人格データをいじくる事は出来るよなァ?」

『……キミ自身が、学習装置の代わりをするとでも言いたいの?無理よ。いくらキミでも、人の脳の信号を操るなんて」

「俺の能力は『ベクトル操作』だ。反射はデフォなだけで、操作だってできンだよ。
 実際、そうやって妹達を殺した事もあったしなァ」

とはいえ、実際に他人の脳の信号なんて操った事はない。
絶対に成功する自信も確証もない。
だが、やるしかない。
打ち止めを殺したくないのなら、この場にあるものだけでどうにかするしかない。

『できっこないわ。
 仮にキミの力で最終信号の脳内を操る事が出来ても、ワクチンプログラムが完成していない以上、ウイルスを完全に駆除することは不可能』

「そンなもンは、データスティックと今のガキの頭の中の人格データを照合して、浮き彫りになった余計な部分を消しちまえばいい」

『理論上は可能かもしれないけど、制限時間はあと数分なのよ!
 できっこないわ!無謀な事はやめなさい!最終信号を処分しな』

「できるさ」

発言の途中に割り込んで来た力強い言葉に、芳川は思わず息を呑んだ。

「俺を誰だと思ってやがる」

『一方通行!』

携帯が何かを言っていたが、一方通行はもはや聞いていなかった。
一方通行はデータスティックを電子ブックへと差し込む。
画面に表示される膨大な量のテキストを読破するのに五二秒。
頭の中で反芻するのに四八秒。自分の記憶と画面を照らし合わせるのに六五秒。
準備は整った。
ぐしゃり、と手の中にある電子ブックを握りつぶす。
そこで一方通行は、ほんの数秒目を閉じた。

感染前の人格データを使って、余分なデータをすべて上書きするこの方法では、感染後に得た記憶や思い出も、全て修正用データに上書きされてしまう。
つまり、自分と出会った事は忘れてしまう。

一方通行は目を開けて、デフォルトの『反射』を解除し、助手席に沈む打ち止めの額に触れる。

「このクソガキが。人がここまでやってンだ、今更助かりませンでしたじゃあ済まさねェぞ」

ウイルス起動時間は二〇時一三分。タイムリミットは残り五二秒。

「コマンド実行!削除!」

始まった。

「alaiaijeanteutcweyuブルーをイエローへ変換」

感染前と感染後のデータを照らし合わせた結果、上書きすべき修正データは、三五万七〇八一。
ここまででわずか六秒。

「コード21を波形■■■■■■■■へ変換した後にルート13を通り■■■■――」

凄まじい速度で『危険度が高い』とされるコードが、片っ端から塗りつぶされていく。
残りのコード数は、十七万三五四二。
残り時間は、二六秒。

「■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■」

いける。
ウイルス起動準備の方に先を越されていた分は、最早完全に追いついた。
これならばギリギリで修正が完了できる。
残りコード数は五万九八〇二。
残り時間は一五秒。

しかし、ここで不測の事態が起きた。

「邪魔を、するな」

倒れていたはずの天井が、いつの間にかここまでやってきていて、手には拳銃が握り締められていた。
普段の一方通行なら何も恐れる場面ではないが、今は違う。
脳内の信号を操るために全力を注いでいるので『反射』はできない。
残りコード数は二万三八九一。まだ手は放せない。

残りコード数はわずか一〇二。
残り時間もわずか二秒。
それでも完了するまでは手を放せない。
反射も避ける事も出来ない。

「邪、ばを、す、ぐなっ」

無情にも、拳銃の引き金が引かれた。
一方通行に出来たことと言えば、ほんのわずかに頭を引く事だけだった。

パァン、という銃声の直後には、弾丸が一方通行の眉間に突き刺さっていた。
弾丸を受けた衝撃で一方通行の体は大きく仰け反り、打ち止めの頭から手が放れて、

「Error.Break_ code_No000001_to_No357081.
 不正な処理により上位命令文は中断されました。
 通常記述に従い検体番号二〇〇〇一号は再覚醒します」

危険なコードの全ての上書きが完了された。

「はは、やった?」

どういう訳かは分からないが、一方通行は反射を使わなかったようだった。
半ば自暴自棄になって放った弾丸だったが、殺せるとは思わなかった。

「最終信号は……」

一種の錯乱状態だった天井は、ようやく少しだけ冷静さを取り戻して、

「コード000001からコード357081までは不正な処理により中断されました。
 現在、通常記述に従い再覚醒中です。繰り返します――」

その言葉を聞いて、天井は再び錯乱状態に陥り、

「う、あああああああああああああああああああ」

少女に銃口を向けた。

「――させるかよォ、クソッタレがァ!」

起き上がった死体が少女を庇うように手をかざしたのと、天井が引き金を引いたのは同時だった。
弾丸は少年のかざした手に当たり反射して、綺麗に銃口に吸い込まれた。
その衝撃で拳銃は爆発し、手の皮膚は裂けた。

「が、ああ!く、くそ、何で……」

一方通行が生きていたのは、銃弾が眉間に直撃するまでのわずか一秒にも満たない誤差の間に打ち止めの治療が完了し、
土壇場で『反射』を取り戻したからに他ならないが、今の彼にはそれを説明する余力も気もなかった。

「今更、お前みたいな人間が、何を……」

「分かってンだよ、俺達がクズだってことぐらい。
 だがなァ、それがこのガキを殺していい理由にはならねェだろうが!」


叫ぶ一方通行は、内心焦っていた。
天井を殺さなければ、打ち止めを救ったことにはならない。
しかし現状では、もうあと数秒も保たない。

「あァァァ!」

触れれば血流を逆流させて体を内側から爆発させる悪魔の手が天井に伸びるが、天井はそれをギリギリで避けた。
避けた、というよりは、恐怖のあまり咄嗟に横へ跳んだために、幸運にも一方通行の手が空を切ったにすぎないのだが。

そしてそこで、一方通行は倒れた。

二〇時二〇分。
天井亜雄はしばらく放心状態だったが、道路に倒れてから立たなくなった一方通行を見て、立ち上がり、倒れている一方通行の頭を軽く小突いた。

「『反射』は切れているか」

ウイルス起動に失敗し、学園都市と敵対勢力の板挟みになっているので、一刻も早くここから逃げるべきなのだが、危険な芽は摘んでおいた方が良い。

「死ね」

左手で、予備の拳銃を一方通行に向けて、引き金を引こうとしたところで、

「そこまでよ」

背後から声が聞こえた。
そう思った時には、銃声がして、直後に腹部から痛みを感じて、

「芳川、桔梗」

何とか首だけで女性の姿を確認したところで、天井は膝から崩れ落ちた。

二〇時二五分。
意識を失っていた天井は目を覚ました。
ゆっくりと周辺を見回すと、ステーションワゴンがあって、その後部ドアのところで、培養器の操作をしている芳川桔梗の姿を確認した。
自分のスポーツカーの助手席を見ると、最終信号はいなかった。
おそらくは培養器に移されたのだ。

「あぁ、くっ」

呻き声をあげて何とか上体だけを起こす天井に芳川は気付いたようで、
ステーションワゴンの後部ドアを閉めて、スタスタと天井に近付いていく。

「ごめんなさいね。わたしってどこまでも甘いから。
 急所に当てる度胸もないくせに見逃そうとも思えなかったみたい」

「どうやって、この場所を……?」

「一方通行の携帯電話、まだ通話中なのだけれど。携帯電話のGPS機能が、こんなところで役に立つとはね」

「何故だ?」

カタカタと震える左手で、天井は芳川へ銃口を向ける。
それでも芳川は一切怯まず、天井へにじり寄る。

「何故って、何が何故なのかしら?」

「お前は常に、リスクとチャンスを天秤にかけてきたはずだ。それなのに、何で……」

「わたしはね、本当は研究者になんてなりたくなかったの」

「は?」

「学校の先生になりたかった。
 生徒の顔を一人一人覚えていて、困った事があったら何でも相談を受けて、たった一人の子供のために奔走できるような、優しい先生に」

もっとも、と芳川は区切ってから、

「こんな甘いだけのわたしが何かを教える立場に立ってはいけないと自覚しているから、断念したけれど」

それでも、と言いつつ、天井の前に立った芳川はゆっくりと地面に片膝をついて、地面に座り込んでいる天井と目線を合わせる。

「きっと、未練が残っていたのでしょうね。
 わたしは一度でいいから、甘いのではなく優しい事をしてみたかった。それだけよ」

言って芳川は、右手に持っていた拳銃の銃口を天井の胸へ押しつける。
一方天井も、左手の拳銃の銃口を、芳川と同じように胸へ押しつける。

「一人で死ぬのが怖いのでしょう?ならば道連れにはわたしを選びなさい。
 子供達に手を出す事だけは、わたしが絶対に許さない」

「……やはり、お前に『優しさ』は似合わない」

互いの拳銃の引き金にかかっている指に力が加わる。

「お前のそれは、もはや『強さ』だよ」

そして、銃声が二つ鳴り響いた。

九月一日。
〇〇時〇〇分。

「手術完了。うん、皆御苦労さまと言ったところだね?」

その声で芳川は目を覚ました。目の前にいるカエルにも似た顔をしている手術衣の男性を見て、芳川は施術されたことを自覚した。

「……わたし、生き残ったのね」

「当然だね?誰が執刀したと思っているんだい?」

冥土帰し。芳川は彼以上の医者を知らない。

「といっても、正直危なかったんだけどね。生きている以上は何が何でも助ける僕でも、死者を蘇らせる事は出来ないからね。
 なにせ至近距離から心臓に直結する冠動脈を撃たれたんだから。あの白い少年に感謝するといい」

「どういうこと?」

「さあね。彼には血流操作の能力でもあったんじゃないかな?
 まるで見えないホースでもあるかのように、破れた動脈の口から口へ行ってきも漏らさず血を通していたよ。
 君が手術室に向かうまで意識のない状態にもかかわらず、能力を使い続けたみたいだね?」

「じゃあその彼と、ラストオー……少女はどうなったのかしら?」

実は芳川は天井を最初に撃った直後に、救急車を呼んでいた。

「少年の方は、脳に深刻なダメージを負ったようだね。少なくとも、計算能力には影響が出るね?」

「それじゃあの子はもう……」

ベクトルを操作するどころか、一番簡単な反射すら出来ないかもしれない。

「まあ、問題ないだろうさ。僕は患者に必要なものは何が何でも揃えるのが信条でね。
 “一万ものクローン体を作った並列演算ネットワーク”を使えば、少年の脳の欠損部分を補わせる」

「待って。あのネットワークは同じ脳波の波長を持つ者だけで作られているわ。
 波長の違う一方通行が無理にログインすれば、波長の合わない彼の脳は焼き切れるはず」

「もちろん、その辺も考えている。双方の波長を合わせる変換器、デザインとしては内側に電極を付けたチョーカーと言うところかな?」

そんな簡単にいくものなのか、と思う。

「ラストオーとかいう少女の方も心配しなくていい。幸い、ウチでも似たような子供を預かっているからね。検体番号九九八二号を始め、何体かね」

「培養器まで用意しているの?」

「言ったはずだよ。僕は患者に必要なものなら何が何でも揃えるってね」

飄々と言ってのける冥土帰し。

「さて、と。僕はもう行くけど、君はどうするんだい?」

「どうする、とは?」

「今回の件は『上』に知られたみたいだね?研究所は解体、実験は完全に中止、つまり君は解雇。無職という訳だね?」

研究者としても生きていけないという事は、今の話を聞く限り分かる。
もっとも、研究者なんて頼まれたってごめんだが。しかし、そうなると、

「他に、どんな道があるかしらね?」

「道なんていくらでもある」

それは投げやりな言葉じゃない。何せ、何かを壊すことしか出来なかった少年は、人間を二人も救ったのだから。

「ねえ」

「なんだい?」

「彼を助けてあげて。できなかったら、わたしはあなたを許さないわ」

人間、その気になれば変われるという事を、体を張って証明した少年に、絶対に助かってほしいから。
対して、一見プレッシャーにしかならないような言葉を受けた冥土帰しは、余裕綽々で告げる。

「誰に向かって言っているんだか。あそこは僕の戦場だよ?
 そして僕は必ず戦場から帰還してみせるね。今までずっと一人で戦ってきた患者を連れて、さ」

そうして冥土帰しは、手術室から出て行く。
その後ろ姿を見て、芳川は眠るように目を閉じた。

これで一方通行サイド終了です。

>>1です
>>181
エツァリにおそらく→海原にはおそらく
>>187
御坂を巻き込んだのも→御坂が巻き込まれたのも
>>225
毛布少女でもがミレスで昼食→毛布少女でもファミレスで昼食

まだ六巻再構成終わっていないのですが、もうそろそろ一か月になりますので、とりあえず少し投下しておきます。

九月一日。早朝。

「疲れた……」

学生寮で一言、そんな事を呟く上条当麻。
彼が朝っぱらから疲弊しているのには理由がある。

八月三一日に、闇咲逢魔という男と戦ったのが発端だった。
成り行きで、学園都市の『外』にいる闇咲が助けたいという女性を助けるために、雲川先輩から借りた服から制服に着替えて昼過ぎに学園都市を出た。
順調にいけば夕方には戻れるはずだったが、第二級警報が発令されて、出入りできなかった。
つい先程、その警報が解除されたのだが、いつ解除されるか分からなかったので、徹夜で学園都市の情報をチェックし、ようやく学園都市に戻ってきた次第だった。

情報をチェックしたところによると、学園都市の外壁の上で怪しい人影が二度も確認されたことと、
学園都市の中で白いシスターが黒い背広の男に攫われているのが確認されて、第二級警報が発令されたらしい。
要するに闇咲の事だった。

外壁の上でわずかな時間とは言え、侵入者の痕跡が残れば、警備強度(セキリュティコード)が上がるかもしれないと考えた上条は、
学園都市からは自分が先に出て、その後に『外』で闇咲と合流した。
この順序が逆なら女性を救う事は出来なかったが、おかげで寝不足だ。
洗濯をしていないので雲川先輩に衣服を返せそうもない。
そこまで気にしてもいないが、土御門から『御使堕し』についてのメールも来ない。
闇咲を拘束した時の電話の着信の履歴から、かけ直してくる事もなければ、メールの一つもない。
本当に携帯のバッテリー残量がゼロで、未だに充電していないのなら仕方ないが。

第二級警報が発令された後、御坂から電話があった。
アンタ学園都市に入れないかもだけど、このシスターどうすんの?

御坂に預かってもらえたら楽だったのだが、学生寮とは大体、基本的に部外者の寝泊まりを禁止している。
しかし学生側としても、寮則なんて厳格に守っている方が少ない。
自分もインデックスを居候させているし、土御門もよく義妹を招いている。
だが常盤台は名門校だけあって、寮則は厳しいらしく、どうにも誤魔化してでも預かる事は出来ないらしかった。
それ以前に、常盤台の寮は二人一部屋で、しかも白井黒子とペアなので、どの道預かることは不可能らしかった。
他に知り合いがいないインデックスは、小萌先生の家に厄介になるしかなかった。

学校が始まるまで、あと約二時間。
下手に仮眠をとると寝過ごす危険があるし、夏休み明けなので始業式とホームルームで終わる午前授業なので、帰ってきてから昼寝の方が無難だろう。
それに小萌先生が、インデックスをここまで送ってきてくれると電話で言ってくれたので、迂闊に寝ていられないのだ。

学校開始まであと約一時間というタイミングで小萌先生はインデックスを連れてやってきた。
小萌先生から『ちょっとお話したいので、先生の車で一緒に学校へ行きましょう』と事前に言われていたので、
朝ごはんを食べ終えていた上条は、宿題などを持ってインデックスと入れ違いで学校へ向かう。
インデックスの朝食は作ってあるし、準備は万端……なはずだ。
寝不足だから、何かポカをやらかしている可能性もあるが。

明るい緑色の、丸っこいデザインの軽乗用車の中で、運転中の先生は切り出してきた。

「先生としては、上条ちゃんや姫神ちゃんが自ら話してくれる事を期待していたのですが、どうにもシラを切り通すつもりっぽいので、ここで尋ねておきます。
 あのシスターちゃん、もといインデックスちゃんは一体何者なのですか?」

話があると言われた時点で、ひょっとしたらと覚悟はしていたが、まさか本当にこういう展開になるとは。
どう答えるべきか。

「……すみません。今は言えないです。
 でも決して疚しい事があるとかじゃなくて、事情を話してしまうと、先生が巻き込まれるかもしれないんです。
 名前も知らない赤の他人なら、何も気にせず巻き込めますけど、先生には傷ついてほしくないから、言えません。」

迷った挙句、本音で隠し通すことにした。
インデックスや御坂には事情を話さなすぎて説教された事があるが、誰でも彼でも事情を話せばいいというものではない。
インデックスは当事者、御坂はある程度までかかわったからこそ、だ。

小萌先生の性格は分かっているつもりだ。
こちらが断固として黙秘を貫けば、折れてくれるはず。

「上条ちゃんが入院したのは、インデックスちゃんが関わっているのですか?」

「それにインデックスは関わっていませんが、その件についてもお話はできません」

「……そうですか」

小萌先生は、左右にボタンが付いている少し特殊な形のハンドルを操りながら、

「上条ちゃんは本当に嘘が下手ですね。
 上条ちゃんは先生の事を分かっているつもりかもしれませんが、先生だって上条ちゃんの事は分かっているつもりなのですよ。
 赤の他人だろうが親しい人だろうが、巻き込ませないってことくらいは、です。でも、いいです。
 上条ちゃんが先生を想ってくれているのは本当の事だって分かりますから。
 先生は信じて待ちます。ですから、いつかきっとお話ししてくださいね?」

「……はい」

「ところで話題はすっぱり変わるのですが、実は今日、姫神ちゃんが我が校に転入してくることになったのです」

「あ、はい」

正直、どういうリアクションをとればいいか分からない。

「あれ?全然驚きませんね。まあ、いいです。
 先生が言いたい事は、現時点で既に知り合いである上条ちゃんは、姫神ちゃんがクラスに馴染めるように上手くやってほしいという事なのです」

「ああ、そういうことですか。もちろんですよ」

「良い返事なのですよ。まあ先生としては、一抹の寂しさもあるのですが」

「どうしてですか?」

「学生寮に入ってしまうからなのですよ」

「ああ、なるほど」

「姫神ちゃんはですね。霧ヶ丘女学院に所属していたのですが、ある時を境に能力が検知されなくなったので、霧ヶ丘を追い出されたのです。
 そこで先生が、我が校へ転入するのを勧めたのですよ。だから寂しいって言っても、原因は先生なのですよ……」

聞いてもいないのに語り出す先生。
まあそれだけ、姫神の事を気にかけていたのだろう。

「それにしても分からないのが、能力が検知されなくなったことについてなのですよ。
 姫神ちゃんは特に困っているようではないのですが、一体どういうことなのでしょうか」

多分それは、姫神が首からかけている十字架の効果により、能力が封印されているからだろう。
姫神が何も言わないのだから、自分が勝手に言ってしまっては駄目だろう。

「でも、能力が検知されなくなったからって追い出すなんて、霧ヶ丘も酷いですね」

「まったくなのです。能力ばかりに注目して、生徒の事をまるで尊重していないのです。
 ……って、他校の校風や方針に憤っても仕方ないのですけどね」

確か霧ヶ丘は、単純に能力開発分野だけなら常盤台に肩を並べる名門学校で、
常盤台が汎用性に優れたレギュラー的な能力者の育成に特化しているのなら、
霧ヶ丘は再現するのが難しいイレギュラー的な能力者の開発のエキスパートだと聞く。
確かに姫神の能力は珍しいだろう。何せ世界に数十人といない『原石』だ。

「ま、ウチには生徒の事を重んじてくれる小萌先生がいるから大丈夫ですね」

「おだてても何も出ないのですよー」

そうは言うものの、車を運転する小萌先生が照れたように微笑していたのは一目で分かった。

一方、朝食を食べ終えたインデックスは、ある事に気付いた。
昼ごはんがない。

「ど、どうしよう。未曾有の大ピンチかも」

実は大ピンチでも何でもなく、始業式の為、昼には帰宅出来る上条が意図的に作り置きをしなかったのだが、
一般常識が欠落しているインデックスには、そんな事は分からない。
上条にミスがあるとすれば、今日は始業式という日で昼には帰れるから昼飯の心配はするな、とインデックスに忠告しなかった事だろう。
彼が寝不足でなおかつ小萌に話があると言われ、少なからず動揺していなければ、こんなことにはならなかったかもしれない。

「……やるしかないかも」

上条から何度も何度も何度も、勝手に出歩くなと釘を刺されているが、昼ごはんがないから仕方ない。
修道服姿のインデックスは意を決し玄関を開け放ち、外の世界へ踏み出す。
上条がどこに行ったかは分かる。
ガッコーだ。
ただ、そこまでの道順が分からない。
闇雲に歩けば、迷いに迷って道端に野垂れるのが関の山だろうし、それこそ上条に迷惑がかかってしまう。
だが誰かに案内してもらい、一直線にガッコーに行って上条と再会し、ずっと一緒にいれば上条が心配する事もないし、昼ごはんの心配もなくなる。
万事解決だ。

そうと決まれば、案内してもらう誰かを探さなければいけないのだが、上条以外に知り合いなんて、ほんの数人しかいない。
ただ幸運にも、数人しかいない知り合いに、有力な人物がいる。
隣人、土御門元春。
上条当麻の親友であり、通っているガッコーも同じらしい。
八月十六日には、上条が入院している病院にも案内してもらった。
彼ならば、ガッコーへ連れて行ってくれるはず。

インデックスは、土御門家のインターホンを押す。
数秒してから出てきたのは、

「どうしたー」

藍色と白を基調としたメイド服を着た、土御門舞夏だった。

「もとはるはいないの?」

「いないぞー。何故かは知らないけどなー」

「まいかはもとはるの妹なのに、兄の居場所を知らないの?」

「妹だからって、兄の事を全て知っている訳じゃないぞー。
 逆に聞くけど、インデックスは上条当麻の事何でも知っているのかー?」

「それは……知らないけど……だって、私はとうまの妹じゃないし」

「でも同棲しているよなー」

「ど、同棲って言うか、同居かも」

「顔を真っ赤にして照れ気味で言われてもなー」

「て、照れてなんかいないかも!」

「分かったってー。そんなにムキになるなー」

「むぅ~」

「で、結局何のようだー?兄貴と連絡を取りたいのなら、取ってやらない事もないけどなー」

「ほんとに?実はね、とうまのガッコーに行きたいんだけど」

「上条当麻の学校に?何で?」

「とうまがね、お昼ごはんの作り置きをしていかなかったんだよ。
 だからね、ガッコーに行って、とうまのキョーシツに行って、ずっととうまと一緒にいて、お昼になったらごはんを一緒に食べようと思うんだよ」

「お、おおー……すばらしいなー」

ここで舞夏は、インデックスの発言に対して二割の謎の感動と、自身の八割の悪戯心によって、ある提案をする。

「よし分かったー。上条当麻の学校なら兄貴に聞かずとも、私が案内してやるぞー」

「ほんとに!?ありがとうなんだよ!」

「ただし」

と言いながら、舞夏はインデックスを指さして、

「そんな目立つ修道服では、上条当麻の教室どころか学校にすら入れないだろうから、着替えるぞー」

「それぐらい分かっているんだよ。今着替えてくるから、ちょっと待っていてほしいかも」

そう言って部屋に戻ろうとするインデックスを、

「待ちたまえー。私服に着替えたって、制服だらけの学校では目立つに決まっているだろー」

舞夏は引き止めたが、インデックスはきょとんとして、

「じゃあどうするの?」

「ふふん。心配はいらないさー。すべてこの舞夏様に任せたまえー」

そう言って胸を張る舞夏に、インデックスは相変わらずきょとんとしつつ、

「分かったんだよ」

とりあえず返事だけはする。その直後、

「ではでは、一名様ご案内ー」

舞夏はインデックスの手を引っ張って、土御門の部屋に招き入れた。

学校に到着した。
先生は分厚いクリアファイルを持って運転席から降りる。
上条も薄っぺらの学生鞄を持って降りる。

「そのクリアファイルの中身は何ですか?もしかして抜き打ちテストとかじゃないですよね?」

「予習復習をしっかりする上条ちゃんならば、たとえ抜き打ちテストがあっても問題ないと思いますよ」

しかし夏休みをドラマチックかつアクロバティックかつファンタスティックかつエキセントリックに過ごしてきた上条は、
夏休み後半は予習復習などやっておらず、やったのは宿題だけだったりする。

「もっとも、先生は学生時代にやられて嫌だと思った事はやりません。これは学校のお仕事とは違うのです。
 大学時代の友人から論文の資料集めをお願いされていまして、そっちのお手伝いなのですよ」

どうやら抜き打ちテストではないらしい。

「これはですね、AIM拡散力場についての文献なのです」

AIM拡散力場。
AIMはAn_Involuntary_Movement、つまり無自覚ということであり、能力者が無自覚に発してしまう微弱な力のフィールド全般を指す言葉だ。
たとえば、電撃使いの微弱電波や念動力による圧力、発火能力の熱量などだ。
もっとも、精密機器を使わなければ人間には観測できないレベルらしいのだが。
研究が進めば、能力者の気配や種類、強さまで分かるようになるらしい。

「先生って忙しいんですね。姫神の事気にかけたり、資料集めたり」

「おまけに誰かさんには、詳細不明の大食いシスターちゃんを押しつけられますしね」

そこを突かれると痛い。

「……すみません」

「冗談なのですよ。でも、先生の事を大変だと思うなら、先生に心配事をさせないでくださいね?」

そこで小萌先生と別れた。

教室に入ろうとしたが、引き戸の前に青髪ピアスが立っていて入れなかった。
彼の身長は一八〇センチもあり、体格も割とがっしりしているので、無理には通るのは少しきつい。
仕方ないのでもう一つのドアから入ろうと、横を向いて歩き出そうとしたところで、

「おいカミやん!小萌先生の車で一緒に登校とはどういう了見や!」

「うげ!うるせぇな!」

青髪の声は物凄く低いので、頭に響くという事はないが、かわりに重くのしかかられた印象があった。

「うるさいやないで!夏休みやたらと付き合い悪いなと思ったら、小萌先生とイチャイチャしてやがったんか!」

胸倉を掴まれてぐわんぐわんと前後に揺さぶられる。

「ま、待て!ご、誤解だ!と、とりあ、とりあえず、落ち着いて、話そう!」

強い力で前後に揺さぶられ酔いそうになったので、どうにかして話し合いに持ち込もうとする。

「仕方あらへんな」

意外にも一発で大人しくなってくれた大男。とりあえず窓際の後ろの方にある席に着く。青髪は隣の席なので、隣に座って、

「で、どういう事情が?」

さて、話し合いに持ち込んだのは良いが、小萌先生の車で一緒にここへきた経緯を説明するには、インデックスについて触れなければいけない。
そうなると魔術についても触れなければいけない。だが、それは駄目だ。どうしたものか。

「実は今日、ウチのクラスに転入生が来ることになっていてだな。その転入生と俺が知り合いだったから、クラスに馴染めるようにって話を車の中でしたんだよ。
 朝って時間ないだろ?だから先生の車の中で話し合いする事になったんだよ」

「それだけ?たったそれだけの事で、小萌先生に送ってもらったんか?というかそれだけの内容だったら、電話でええやん」

「先生も今朝思いついたことだから」

「いやだから、電話でええやん。そもそも、小萌先生から送ってあげますよーって、電話があって送ってもらうことになったんやろ?」

「電話より口頭の方が間違いないし、小萌先生は優しいから、どうせだから話しついでに送ってあげますよってことになったんだよ」

「電話より口頭の方が間違いないってほどの話ではないと思うけど、まあ小萌先生は優しいから、そういうこともあるかもな。しかも小萌先生は、カミやんにお熱だし」

どうやら穏便に済みそうだ。

「まあ小萌先生については不問にするけど、転入生と知り合いってことは、転入生についてある程度は知っているってことやろ?どんな人なん?」

「そりゃ来てからのお楽しみだ。どうせあと数分もすれば先生と一緒にやってくるだろ」

「何で勿体ぶるんや!教えてくれや!」

「うるさいな。もう少し声のボリューム下げて話してくれよ」

「このやろう!小萌先生と一緒に登校というハッピーイベントを満喫しておきながら、そのテンションの低さは一体――」

「うるさーい!」

一喝によって青髪の言葉を遮ったのは、肩甲骨くらいまである黒髪に巨乳の吹寄制理だ。
彼女はこちらへずんずんと近寄ってくると、

「小萌先生小萌先生って馬鹿じゃないの!大体貴様、小萌先生に現をぬかしている割に授業を真面目に聞いている訳でもないし、
 提出物は碌に出さないし、それらがたたって補習を受けて、先生の期待に添えないことばっかりしているじゃない!」

正論を吐く吹寄だったが、こと青髪に対しては、その正論は無意味である事を上条は知っている。なぜなら、

「何言うてんねん!小萌先生はなあ……賢い生徒より手のかかる生徒が好きなんや!
 事実、吹寄みたいな優秀な生徒より、僕の方が先生に構ってもらえているし!例外はカミやんだけや!」

この通り、構ってもらえれば何でもいいという、独特の考え方をしているからである。
まあ、賢い生徒より手のかかる生徒の方に情熱を注いでいるというのは、分からなくもないが。

「貴様、アホじゃないの?」

呆れる吹寄に対して、青髪はさらにヒートアップして、

「アホで結構!僕の人生の一番の楽しみは、小萌先生との絡み!授業を真面目に聞かなければ注意されるし、提出物を出さなければ叱られるし、成績が悪ければ補習になる!
 けどそれは、小萌先生と過ごす時間が増えることを意味している!だから夏休みの宿題も、やってきたけど敢えて全部忘れてきた!
 怒られて、補習を受けるという流れ狙いで!宿題やってきたことで褒められることと迷ったけど、一時の至福と、
 補習時間の至福、天秤にかけた結果、補習時間の至福で決定し――」

「もう黙れ、ド変態!」

もはや似非関西弁すら忘れて熱弁する青髪に、吹寄が広めのおでこで頭突きをかました。と同時に、チャイムが鳴った。

チャイムが鳴ってから約五分。小萌先生がこない。
どうでもいいが、土御門の席も空席だ。

「カミやんさー、小萌先生こないんだけど、どういうことや?」

俺に聞かれても、と思うが、教室にいるクラスメイトの中では、自分が小萌先生と最近一緒にいた人物だ。
上条が何か関係あるかも、と邪推されても仕方ないかもしれない。
事実、静まり返っていた教室の中で響き渡った青髪の一言により、クラス中の視線を集めてしまっている。
先程のやりとりはなかなかの大声だったため、あの時教室にいたクラスメイトは、自分が小萌先生と一緒に来た事は知っているからだ。
だが、知らないものは知らないので、

「分からねーよ。大学時代の友人のためにAIM拡散力場についての資料がどうのこうのって言っていたから、それ関係かも」

「本当にぃ~?」

「何を疑っているんだよ」

「そういやさっき、転入生がどうのこうのって言ってなかった?」

という、席は割と離れている吹寄の突っ込みに、青髪は乗っかって、

「そっか。転入生連れてくるのに遅れているんやな」

その一言によりクラス中に『転入生がいる』という失念されていた事実が思い返され伝播し、

「転入生って誰だろうなー。女の子なら良いなー」

「たとえ女の子だとしても、アンタなんかには関係ない話じゃない」

「なんだとこのブス!テメーだって、転入生が野郎でも、縁なんかねーんだよ!」

「なにおう!?」

なんて、クラスで良い感じの男女がそんなやりとりをして、

「はいでましたー。恒例の痴話喧嘩ー」

「はぁ!?だ、誰がこいつとなんか……!」

「そ、そうよ!私だってお断りだわ!」

と、いい感じの二人を茶化す奴もいれば、

「ちっ。イチャイチャしやがって。リア充爆発しろ」

「イチャイチャすんのは良いけど、ここですんなって話だよな」

とぼやく奴もいて。
そんな感じで、教室中が軽く沸いたところで、

「うるさいわよ、貴様ら!先生だっていろいろあるんでしょう。少々遅れているぐらいで騒いでんじゃないわよ!」

吹寄の一喝により、軽く沸いていた教室が静まり返る。

「(さすが吹寄やね。あれだけ騒がしかった教室が一瞬で静かになってしもうた)」

「(元はと言えば吹寄から始まった騒ぎだけどな)」

まあ、その責任を感じて一喝したのかもしれないが。

「遅れてすみませんなのですー」

吹寄の一喝から一分後。
小萌先生がガラッとドアを開けてやってきた。
後ろには、この学校の制服を着た姫神もいた。

お、おい誰だあれ、まさかあれが転入生?
などと軽くざわめく教室の中、小萌先生が教壇に立って構わず話しだす。

「軽くサプライズ気味の紹介をしたかったのですけど、時間が押しているので仕方ないのです。
 上条ちゃんから聞いている人もいるかもしれないですが、このクラスに転入生が入ることになりましてですねー。
 先生の隣にいる女の子がそうなのです。
 見ての通り薄幸美少女なのです。おめでとう野郎ども、残念でした子猫ちゃん達。では姫神ちゃん、自己紹介を」

「姫神秋沙です。よろしく」

「ということなので、皆姫神ちゃんと仲良くしてあげてくださいね。
 それでは、この後始業式もあるので、廊下に移動してくださいなのです」

先生の指示通り、皆席を立って廊下へ向かって行く。
青髪も立ちながら、

「カミやん、あんな美人な女の子と知り合いって何があったん?」

「錬金術師に監禁されていたところを間接的に助けただけだよ」

「はぁ?何を電波なこと言うとんねん。真実を教えてほしいんやけど」

「ありのままの真実を話したんだけど」

「ほーん。教える気はないってことやな。ほんなら仕方ない。姫やんと仲良くなって直接聞くわ」

「ご勝手に」

馬鹿正直に教えられないと言っても、しつこく食い下がられそうだから、あえて非現実的な事を言って呆れさせる。
面白がって掘り下げられる危険もあったが、どうやらうまく呆れてくれたようだ。
もっとも、今言った非現実的な事は、非現実的ではあるが真実なのだが。

と、そんなやりとりをしつつ廊下に並んだところで、

「上条ちゃんは先生と一緒にちょっと来てもらうところがあるので、こっちへ。皆さんは始業式へ行っていてください」

「な……カミやん、お前はまた……小萌先生とイチャイチャする気か!」

上条は大声で叫ぶ青髪の胸倉をつかみ上げて、しかし小声で言い返す。

「(廊下でそんな事大声で口走んな!俺だって分からねーよ!むしろ説教でもされるんじゃないかと内心ビクビクしてんだよ!)」

「説教って……ご褒美やないかーっ!」

「うるさいわね!いいから黙って始業式に行くわよ、この恥さらし!」

なぜか吹寄が割り込んできて青髪に頭突きをかまし、彼を物理的に黙らせた。

「さあ行きなさい。上条当麻」

「お、おう。とりあえず助かったわ」

ひとまず落ち着いたが、一体小萌先生は自分に何の用があるのだろうか。

とりあえずここまでにします。
続きは完成次第です。

>>1です。
ようやく完成したので、投下します。

>>138
俺の近くだって断定できる理由~という文の前に、『御使堕し』の犯人が、を挿入

>>144
近隣住民人の、人を削除

>>250
行ってきも漏らさず→一滴も漏らさず

インデックスは舞夏に案内されて上条が通う学校へやってきていた。
しかし教室には辿り着けなかった。
月詠小萌に見つかって、帰るように言われたからだ。
タクシー代として二〇〇〇円札も貰った。
だが強制送還はされなかった以上、ここで帰る気は毛頭ない。
毛頭ないが、おなかがへった。
昼ごはんがないどころか、正直朝ごはんもおざなりだったせいだ。
よってインデックスは、食堂にやってきていた。

「む、あれは……」

丸テーブル一つにパイプ椅子四脚をワンセットとしたものが一〇〇セットほどある食堂の隅にあったのは、食券販売機。
確か、お金を入れてボタンを押すと食べ物の引換券が出るやつだ。
漫画で読んだ事がある。

インデックスは、小萌から貰った二〇〇〇円札を販売機に躊躇なく突っ込む。
そしてボタンを押そうと手を伸ばしたが、

「……あれ?」

ボタンがない事に気付いた。
液晶のモニタには、商品の値段表が表示されているだけ。

「ど、どうしよう……」

モニタがタッチパネルになっているだけなのだが、機械音痴のインデックスは気付かない。
液晶の端っこに『取り消し』ボタンがあるのも気付かない。
お金を飲み込まれた事実に打ちひしがれて、呆然と立ち尽くすインデックス。
と、そんな彼女の肩が、指先でトン、と叩かれた。

小萌先生曰く、この学校の制服を着たインデックスが、この学校に侵入してきたらしい。
昼ごはんがない事に気付いて、それを指摘する為にここまで来たらしい。
一応タクシー代として二〇〇〇円を渡したものの、それで本当に帰ったか怪しいものなので、保護者である自分に協力を求めたらしい。
具体的には、インデックスを見つけて、強制的に送り返してほしい、ということだった。

「そういうわけなので上条ちゃん、インデックスちゃんなのですけど、どこにいると思うです?」

「まずはお腹を満たすために、食堂にでも行ったんじゃないですかね」

それよりも、何でこの学校の制服を着ているのかが気になる。
先生に聞いたところ、むしろ先生が聞きたいのです、と言い返された。
となると、本人に聞くのが一番早いだろう。

「まったく。上条ちゃんはインデックスちゃんにどういう教育をしているのですか」

「再三にわたって勝手に外出するなとは言ってきたんですがね。
 何がどうなってここにいるか、俺にも分かりませんよ。
 インデックスは一人じゃここに来られないはずだから、多分誰かに案内されたってところが妥当な線ですかね」

それが誰かと言えば、心当たりは一人しかいない。土御門だ。
なぜか教室にもいなかったし、何かを企んでインデックスをここへ招いたのかもしれない。

「土御門がいなかったんですけど、やつは一体どうしたんですか?」

「そう言えばいませんでしたね。でもお休みの連絡は受けていないのです。ひょっとしたらお寝坊さんなのかもしれないです」

ますます土御門が怪しい気がしてきた。
上条は食堂への歩を早める。

インデックスは振り返った。

「あの……ボタン、押さなきゃ」

控え目な様子で言ってきたのは、太腿くらいまである茶色の混じった黒い髪のストレートに、フレームの細い眼鏡をかけた少女。
ちなみに胸の膨らみ具合はなかなか大きく、全然控え目じゃなかった。

「ボタンなんてないかも」

「えっと……」

少女は少し困ったような顔をして、

「モニタを直接指で触ればいいの……」

「そんなことしたって、意味ないんだよ。テレビに触ったって、中の人には何の変化もないもん」

「……」

少女は無言で販売機の前に立って『取り消し』ボタンを押す。
するとモーターの音がした後、呑みこまれた二〇〇〇円札が吐き出される。

「どういうことなの、これ」

「えっと……モニタを指で触ればいいだけなんだけど……」

「もしかしてこれ、テレビじゃないの?」

「うん。これはテレビじゃなくて、食券販売機だよ」

「それは分かっているんだよ。そうじゃなくて、何で画面を触っただけでお金が戻ってきたかを知りたいんだよ」

「あの……もしかして……タッチパネルを知らない、の?」

「たっちぱねる?」

「うん」

そうして少女は、タッチパネルという機能が存在する事を説明し、
じゃあさっきのもう一回やってというインデックスのお願いを素直に聞き入れ、
目の前の食券販売機にお金を入れて、取り消しボタンを押して戻すという行為を実演した。

「すごいんだよ!かがくはここまで進歩していたんだね!」

「タッチパネルなんて、珍しくもないと思うんだけど……」

「そうなの?
 でも私は初めて知ったし、あなたがいなければ、こもえから貰った二〇〇〇円を無駄にするところだったかも。
 だから、ありがとうね」

「えっと……どういたしまして」

少女は少しだけ照れたように笑った。

「そう言えば名前を聞いていなかったかも。私の名前はインデックス。あなたは?」

「……風斬氷華」

インデックスと風斬は特になにも注文しないまま、食堂の席の一角を勝手に陣取って世間話をしていた。
というよりは、インデックスの愚痴を風斬が聞いているという構図なだけだった。
インデックスは愚痴に夢中で、空腹であることなど抜け落ちていた。

「それでね、なぜだか分からないんだけど、今日に限ってお昼ごはんの用意がされていなくってね。
 だから、とうまに会うためにここまでやってきたんだけど」

「やってきたんだけどって……学校は基本的に、部外者は入ってきてはいけないところだから……勝手に来たらその、とうまって人も困っちゃうんじゃあ……」

「でも、ひょうかだって入ってきてるよ?」

「私は……大丈夫なの。転入生だから、制服を持っていないだけだし……」

「じゃあ私も転入生になる」

「……えっと」

そんな簡単になれるものでもないので、風斬は眉を寄せて困った顔をする。

「それで、転入生になるにはどうしたらいいの?」

「……少なくとも、今すぐになれるものじゃないんだけど……」

「じゃあどうすればいいの?」

ここで押しが強くツッコミに慣れている御坂美琴のような人間なら『いや帰れよ』の一言で終了させられるだろう。
しかし、押しが弱い風斬は、その一言を言えず、

「ま、まあ、制服はこの高校のものだし、何とかなるかもしれないね……」

「転入生にならなくても大丈夫なの?」

「う、うん」

多分、とインデックスが聞こえないような非常に小さな声で付け加える。

「あ、いんで――」

食堂の入口で、インデックスの名を呼ぼうとした小萌を上条は、右手で口を塞ぎ、左手を腰にまわして引き止める。

「(先生、ここはちょっと様子を見ましょう)」

半袖の白いセーラー服に紺色のスカートを穿いているインデックスは、見慣れない少女と一緒に、ここから二〇メートルは離れている席に座っていた。
角度も関係しているのか、あちらの少女達はこちらには気付いていない。

「(いきなり何するのですか上条ちゃん!早いとこインデックスちゃんを保護しなければいけないのですよ!)」

とか言いつつ、なんだかんだ小声になってくれている。
まあ、体の方はがっちり固定していないと今すぐにでも動き出しそうだが。

「(先生、あれ、インデックスの向かいに座っている眼鏡をかけている女の子、霧ヶ丘女学院の制服だと思うんですが、どう思います?)」

眼鏡の女の子は、半袖の白いブラウスに赤いネクタイをしていて、スカートは青色。
確かあれは、霧ヶ丘女学院のものだったような気がする。
自称『女生徒制服評論家』の青髪か、かつて在学していたという姫神なら分かるかもしれない。
だから、そんな姫神と暮らしていた小萌先生ならば、知っているかもしれない。

「(ええ。確かにあれは、霧ヶ丘女学院の制服ですね。でも、なぜでしょう。
 彼女のような部外者がふらふらと入れるはずはないのですが)」

制服こそこの高校のものだが、見た目はどうしたって目立つインデックスの侵入を許している時点で、説得力に欠けている発言だと思う。

「(転入生は姫神だけですか?)」

もしかしたら、他のクラスや学年にも転入生がいるかもしれない。と思い尋ねるが、

「(はい。この学校全体を通して、転入生は姫神ちゃんただ一人だけです。
 ですから、あの眼鏡ちゃんは侵入者で間違いないのです)」

侵入者なのは確定。
となると、あの女の子はインデックスを狙って変装した悪人か。
それとも、たまたまこの学校に迷い込んだ霧ヶ丘女学院の生徒が、インデックスとおしゃべりしているだけか。
どっちも考えにくい。
インデックスがここに来たのはたまたまだ。
インデックスを狙うのなら、予知でもしない限り、この学校にやってくることはまずあり得ない。
だからと言って、霧ヶ丘女学院の生徒がここに迷い込むなんて、方向音痴なんてレベルじゃない。
それともやはり、予知と変装が出来る魔術師がインデックスを狙ってやってきたのか。

「(上条ちゃん?心臓がバクバク鳴っているのですよ?)」

先生とは密着している状態だから、鼓動が聞こえていてもおかしくない。
あの女の子は敵なのか。ただのアホな一般人なのか。
人がここまで神経をすり減らしているというのに、インデックスときたら――

「あ」

とうのインデックスは親しげに眼鏡少女と話し込んでいる。
インデックスの方は完全に心を開いているように見える。
ということは、安全なのかもしれない。

「(行きますか、先生)」

「(もちろんなのですよ。インデックスちゃんも眼鏡ちゃんも保護して、然るべきところに還さないといけないのです)」

「インデックス!」

「あ、とうまだ!」

インデックス達のところまである程度近付いて名前を呼ぶと、インデックスは満面の笑みで席から立ち上がってこっちへ小走りで来た。

「えへへ。ねえとうま聞いて。私ね、『ともだち』が出来たんだよ!」

「そこの女の子の事か?」

「うん!」

一方小萌先生は、その少女に名前を尋ね『風斬氷華です』という返答を貰っていた。彼女の事は小萌先生に任せておけばいいだろう。

「で、お前がここに来た理由は何だ?」

一応確認のため、聞いてみた。

「こもえから聞いてない?昼ごはんがないことに気付いて、これはピンチかも、と思ったからなんだよ」

「あのな、インデックス。今日は始業式とホームルームで終わるから昼前には帰れるんだ」

「そんなの知らないもん」

開き直られたら、もう呆れるしかない。

「ここに来た手段は何だ?」

「まいかに案内してもらったんだよ」

「……なるほどね」

土御門が怪しいとは思っていたが、犯人は妹の方だった。

土御門舞夏は、学園都市の繚乱家政女学校に通う中学生だ。
当然、魔術やインデックスなんかとは縁がない……はずだったのだが、魔術にも精通していて自分達の事情を把握している土御門に近しい人間と言うことと、
舞夏自身も勘が鋭い事も手伝って、インデックスと同居している事がばれてしまっていた。
ばれてからは、作り過ぎた料理のおすそわけや、客観的な料理の評価を得るためと称して料理をインデックスに食べさせるために、頻繁に自分の部屋を訪ねてきていた。
どうやらインデックスの味覚は確からしく、的確なアドバイスを貰えると、舞夏は喜んでいた。
こちらとしても膨大な食費の一助になるので、ギブアンドテイクで非常に助かっていたのだが、ついに舞夏はインデックスを外に解放するという暴挙に出た。
魔術については伏せて、不良に絡まれたら危険だからとか適当に理由を付けて、とにかくインデックスはなるべく外出させたくない旨は分かっているはずなのに。
これは後で問い詰めなければいけない。

「その制服はどこから調達した?」

「まいかから借りたんだよ」

何で舞夏がここの高校の制服を持っているのか。
少し考えて、あの変態兄貴がコスプレでもさせようとしたのかもしれない。
という結論に至る。
これも舞夏に直接問い詰めれば解決する話だ。
舞夏には、あとでいろいろ尋問するとして、

「大体事情は分かった。でもさっきも説明した通り、今日は昼前には帰られるから帰れ」

「えぇ~。せっかくガッコーまで来たのに、帰るなんて勿体ないかも」

「勿体ないじゃねぇよ。あれだけ勝手に出歩くなって言ってきたのに、昼ごはんがないからって、ここまで来やがって」

「ふ、ふざけてなんかないもん。ごはんがないのは餓死につながる由々しき問題なんだよ!」

「由々しくねぇよ。昼ごはん抜いたくらいで餓死なんてする訳ないだろ!」

「うぅ~。とうまの分からず屋!ひょうかも何か言ってやってよ!」

インデックスは風斬に支援を求めるが、

「あの子なら、小萌先生に連れられてどっかに行ったよ」

「むぅ~」

「小萌先生からお金は貰ったんだろ。タクシー拾って帰れ」

「帰れない。『たくしー』なんて乗れないもん」

「分かった。俺が拾って住所言うから、インデックスは寮に到着したらお金を運転手に渡して、お釣りを貰うだけでいい」

「嫌だ!帰りたくないもん!」

「わがまま言うな!お前がここにいるとややこしくなるだろ!」

上条はインデックスの手を引っ張って強引に学校から追い出そうとするが、

「嫌だ!痛いんだよ!」

喚くインデックス。
このままだと誰かが駆けつけて、いたいけな女の子に暴力を振るおうとしている暴漢にされかねない。

「こらーっ!何をやっているんですか上条ちゃん!」

恐れていた事態が早速起こった。
風斬を追い出したのか、それともどこかに匿ってきたのか、
とにかく食堂に戻ってきた小萌先生は、自分の手を掴みインデックスから放して、

「先生はインデックスちゃんを送り返せとは言いましたが、暴力に訴えろとは一言も言っていないのですよ!」

「誤解です先生!インデックスが、帰りたくないってわがまま言うから、とりあえず連れだそうとしたまでです!」

「でもインデックスちゃんは痛がっているじゃないですか!もっと穏便には出来なかったのですか!」

どうすりゃいいんだよもう、と目の前の幼女二人に、上条は心の中で頭を抱える。

「分かりました。もう帰れなんて言いません。
 だから校外で昼まで大人しく待っているか、小萌先生がどこかに匿ってください」

「それでいいですか、インデックスちゃん」

「……うん。分かったんだよ」

話し合いの結果、インデックスは校門周辺で待つ、ということになった。

始業式はもう終わりそうなのだが、とりあえず小萌先生と体育館へ向かう。

「あの風斬とかいう女の子はどうしたんですか?」

「それがですね。
 先生が先導して保健室に招き入れようとしたのですが、保健室のドアを開けて振り返った時には、もういなかったのですよ」

「それはつまり、逃げられたって事ですか」

「何なのですかその棘のある言い方は。
 いくら先生でも、すぐ背後にいる人間が逃げ出したら、気配が消えた事や足音などで分かるのですよ」

「でも先生が気付かないうちにいなくなったんですよね」

「だから先生も疑問なのですよ。まるで『最初からいなかった』感じなのです。
 少なくとも、気配なく先生の背後から消えたのは確かです」

「風斬は空間移動能力者だったとか、そういうオチかもしれませんね」

それならば、学校への侵入も容易だろう。

「かもしれないのです。あとで彼女の身元を調べなければいけません」

インデックスに風斬の事を聞けばと思ったが、インデックスには超能力とか、どうせよく分かってないだろうから聞いても無駄だろう。

インデックスは、校門近くの金網のフェンスに寄りかかって上条を待っていた。

「どうしたの……そんな暗い顔して」

か弱い声が聞こえた方を向くと、そこには小萌に連行されたはずの風斬が立っていた。

「聞いてくれる?」

「うん」

そうしてインデックスは話し始める。
先程の上条とのやり取りを。

「とうま、かなり怒ってた。いつもは優しいのに。もしかして、嫌われたのかな」

どころか、もともと自分の事なんて嫌いだった可能性すらある。
視線を落として沈み込むインデックスに、しかし風斬は告げる。

「そんなことないと思うよ。やりとりを聞く限りでは、あなたのことを真剣に思っていると思う」

「私の事を大事に思ってくれているってこと?でもそれなら、ケンカにはならないと思うんだよ」

「そうかな。ケンカできるってことは、逆に言えばケンカするほどの仲だってことだと私は思うな」

「どういうこと?」

「ケンカしないってことは、逆に言えば自分のやりたい事を我慢して、相手の事だけを考えてってことでしょ。
 それでもケンカしちゃったら、それっきりで、仲直りも出来ないままその人との関係が終わっちゃう。
 そんな薄氷みたいな関係、良いと思う?」

「そんなの、嫌だよ。私は、とうまとずっと一緒にいたい」

「そう思えるなら、きっと大丈夫だよ」

風斬が優しく言うと、インデックスは、無言で風斬の胸に飛び込んだ。

学園都市には、いくつか門(ゲート)がある。
その内の一つに、通行許可証が提示されていない為の不法侵入者の反応があった。

『これより先は関係者以外の立ち入りは認められていません』

のアナウンスのあと、同じ旨の警告が英語で繰り返される。
しかし不法侵入者――ボサボサの金髪に褐色の肌、服装は漆黒のゴシックロリータの二〇代後半と思しき女は、警告に構わず闊歩する。

『通行許可証を提示の上、所定の手続きを――』

警告のアナウンスは最後まで続かなかった。
ゴスロリ女が白いチョークのようなオイルパステルを取り出し無造作に振った直後に地面が盛り上がって、
数分後には、その周囲がめちゃくちゃに破壊し尽くされたからだ。

学園都市には窓のないビルがある。
ドアも窓も廊下も階段もないそのビルは、空間移動系の能力がなければ出入りも出来ない。
そんなビルの中心に、巨大なガラスの円筒器が鎮座している。
直径四メートル、全長一〇メートルを超す強化ガラスの円筒の中は赤い液体で満たされている。
広大な部屋の四方の壁は全て機械類で埋め尽くされ、そこから伸びる数十万ものコードやチューブが床を這い、中央の円筒に接続されていた。
そんな円筒の中には、手術衣のような緑色の衣服を着て、足下まである銀髪をなびかせている『人間』が逆さで浮かんでいた。
学園都市統括理事長、アレイスター。
その『人間』は男にも女にも、子供にも大人にも、聖人にも囚人にも見える。
その『人間』は自身の生命活動を全て機会に預けることで、計算上ではおよそ一七〇〇年もの寿命を手に入れていた。
脳を含め全身はほぼ仮死状態で、思考の大半も機械によって補助していた。

「そろそろかな」

アレイスターが呟いた直後、円筒の正面に二つの影が現れた。
一人は空間移動系能力『座標移動』(ムーブポイント)を操る少女。もう一人は、金髪にサングラスをしてアロハシャツを着ている男。

「警備が甘すぎるぞ。遊んでいるのか」

「遊んでなどいないさ。プランを短縮する為に――」

「ふざけるな」

言って男――土御門元春は、手に持っていたレポートを円筒へ押しつける。
レポートには、隠し撮りの写真がクリップに留められていた。写真に写っているのは、侵入者のゴスロリ女だ。

「シェリー=クロムウェル。こいつは流れの魔術師ではなく、イギリス清教『必要悪の教会』の人間だ。アウレオルスの時とはわけが違うぞ」

土御門は苛立った調子で続ける。

「魔術師は魔術師が裁かなければいけない。アウレオルスの時は、流れの魔術師であることとステイルと神裂がいたから何とかなったが……」

「なったが?」

アレイスターは挑発するように先を促す。

「十時教所属の魔術師を科学サイドの人間で討てば、波風が立つ。情報の漏洩を恐れているのは、何も科学だけじゃない。魔術側もそうだ。
 情報が漏洩する危険があるから、ということを口実に、イギリス清教、いや、魔術サイド全体が攻め立ててくるかもしれない。
 下手をすれば、戦争に発展するかもしれないんだぞ」

「先に仕掛けてきたのはあちらだ。こちらに非はない」

「非ならあるだろ。警備にもっと力を入れれば、シェリー程度ならどうとでもなった。わざわざ侵入を許して、お前は一体何を考えている?」

土御門の問いに、アレイスターは何の返答もしなかった。土御門は舌打ちして、

「俺はシェリーを討つ。魔術側の人間が魔術師を討てば、立つ波風も少しは小さく」

「君は手を出さなくていい」

「何だと!?」

アレイスターの発言に、土御門は正気を疑った。

「お前は一体、何を考えて……」

「プラン二〇八二から、二三七七までを短縮できる。それだけだ」

アレイスターがプランという単語を口にする場合、該当するものは一つしかない。

「虚数学区・五行機関の制御法か」

虚数学区・五行機関。
学園都市が出来た当初の『始まりの研究所』と呼ばれているが、今ではどこにあるのか、そもそも本当にあるのかも分からない幻のような存在。
噂では、現在の工学でも再現不可能な『架空技術』を抱え、また、学園都市の裏側からその全権を掌握しているとさえ言われている。

「制御法を早いところ掴む為だけに、今回、シェリーの侵入を許したってことか」

「世界を引き裂くほどの暴れ馬だ、手綱は出来るだけ早く掴まないといけないだろう?」

そう言って淡く笑うアレイスターの感情を土御門は理解できなかった。
喜怒哀楽が感じられないわけではない。喜怒哀楽全てが入り混じっているのを感じたからだ。
感情は理解できなかったが、理屈は分かった。その上で、土御門は問いかける。

「お前、本当に戦争を未然に回避する自信があるのだろうな」

「その自信は君が持つべきだろう。舞台裏を飛び回るのは君の仕事だ。その為のスパイだろう」

ちくしょうが、と土御門は吐き捨てる。この場でコード類を抜いたり、円筒をぶち抜いたりしたって、何の意味もないだろう。
謀反を起こされたらあっさりとやられてしまうほど、目の前の人間は甘くない。
つまるところ土御門は、アレイスターの言う通りにするしかなかった。

始業式とホームルームを終えた上条は、急いでインデックスが待っている校門へ。

「待たせたなインデックス。って、どうも」

小萌から逃げおおせた風斬までいた。
上条は咄嗟に会釈して、風斬も会釈し返した。

「とうま……」

インデックスは、ほんの少しだけ暗い顔をしていた。
それを見た上条は、

「悪い。さっきは言い過ぎた」

インデックスへ向けて、軽く頭を下げて謝った。

「私の方こそごめんなさいなんだよ」

インデックスも、頭を下げて謝ってきた。
それを見た風斬が、

「仲直りできて良かったね」

「うん!」

パァ、とインデックスは明るい笑顔を浮かべた。
その笑顔が向けられているのは、自分ではなく風斬だ。

「そんじゃ、帰りますか」

「え、帰るの?」

「帰る以外にどうするんだよ」

「だ、だって……」

「言いたい事は、言わなきゃだめだよ」

風斬がインデックスに優しく言う。

「もっとひょうかと一緒にいたい。ひょうかと一緒にどこかに遊びに行きたい」

「あ、私……あの……」

オロオロしているところをみると、事前に打ち合わせたとかではなく、本当にインデックスにアドバイスをしただけらしい。
それは置いといて、さて、どうしようか。
ここまでのインデックスの風斬に対する態度を見る限り、インデックスは完全に風斬の事を信頼しているようだ。
インデックスが信じたのなら、それを否定したいとは思わない。自分が見る限りでも、悪い人間とは思えない。

「分かったよ。それじゃあ三人で飯でも食いに行くか」

「うん!」

満面の笑みは、今度こそ自分に向けられた。
まあ、この笑顔が見られたのは、素直に嬉しい。

「でもその前に、まずは寮に帰ってインデックスの着替えだ」

「えー、めんどうくさいかも」

「面倒くさいじゃねぇよ。そんな恰好していると、青い髪の毛にピアスしている変態に馴れ馴れしく絡まれるかもしれないぞ」

「……どういうこと?」

「要するに、その恰好じゃややこしいから、私服に着替えようってことだ」

「もうおなかが減りすぎて、それどころじゃないかも」

「そ、それは……わがままがすぎるんじゃないかな」

「……ひょうかがそう言うなら、とうまの言う通りにする」

助かった風斬。と思うと同時に、自分の言う事は聞かないのに、風斬の言う事は一発で聞いたことが、
何か釈然としないというか、なんというか……、

「とうま?どうしたの?」

「あ、いや、なんでもない。それより、どうしてもおなかが減っているんなら仕方ない。コンビニでおにぎりでも買って帰るぞ」

インデックスの事だから、多少の買い食いで満腹になるはずがない。

コンビニに入って、上条はおにぎりが並べられているところへ行き、インデックスと風斬はお菓子コーナーをうろついていた。
インデックスは基本好き嫌いがないので、おにぎりの具は何でもいいはずだ。
だったら、経済的には安いものを買う方が良い。
上条は適当に、ツナや具なしの塩むすびなどを手に取った。
その時だった。
服の端を軽く引っ張られる感触があった。

「どうした?」

インデックスかと思って振り返ってみれば、いたのは姫神だった。

「あれ?どうした、姫神。お前も買い食いか?」

「ううん」

姫神は首を横に振った。
じゃあ何でここにいるんだ、とさらに尋ねる前に、姫神が切り出した。

「小萌から話は聞いた。風斬氷華が私達の学校に入ってきたって。それでちょっと。気になる事があって」

「気になる事?」

「上条君も。小萌から話は聞いているはず。転入生は私一人なのだけど。小萌曰く。風斬氷華は。自らを『転入生』と名乗ったらしい」

そうだ。小萌先生から、転入生は一人しかいないと聞いた。
だから、風斬は転入生なわけがない。それなのに転入生と名乗ったという事は、

「風斬が、嘘をついているってことか」

確かに、風斬については未だに詳細が不明瞭なところが多い。
でも、彼女が嘘をつくような人間には見えない。

「そういうことになってしまう。でも。私はもっと。そういう次元の話じゃないと思っている」

「……どういうことだ?」

「小萌から聞いたと思うけど。私はかつて。霧ヶ岡女学院に通っていた。そこで風斬氷華の名前を見た事がある」

同じ学校に通っていたのだから、名前ぐらい見た事があっても不思議ではない。
結局何が言いたいんだ、という前に、

「でも。名前しか見たことがないの。彼女の名前はテストの上位ランカーとして。学校の掲示板に張り出してあっただけ」

「……別におかしいことじゃないだろ。何が言いたいんだ」

「風斬が何年何組に在籍していたか。どんな容姿をしているのか。ましてや能力なんて。誰も知らないの」

「……意味が分かんねぇんだけど」

「私も。分からない事だらけだったから。気になって先生に聞いたことがあるの。
 そしたら。こっそりと教えてくれた。風斬氷華は『正体不明』(カウンターストップ)と呼ばれていると」

そして、と姫神は続けて、

「いわく。風斬氷華は。虚数学区・五行機関を知るための鍵だと」

その一言に、上条は眉をひそめた。
虚数学区・五行機関。
学園都市最初の研究機関だとか、現在の最新技術でも再現できない『架空技術』を抱えているとか、
学園都市の運営を影から掌握しているとか、いろいろ噂になっている奴だ。
でも所詮、噂は噂。
存在しているかも分からない眉唾ものの虚数学区・五行機関を、知るための鍵もクソもない。

「にわかには信じ難い話だな」

「うん。私もどこまでが本当かは分からないから。だからこそ。忠告で済ませている」

ただ、と姫神は続けて、

「風斬氷華について。名前しか知らなかったというのは。それだけは事実。
 私だけではなく。大半の生徒が。小萌から聞いた話によれば。
 先導する小萌の背後から。音もなく忽然と消えたらしいし。だから。気をつけてね」

それだけ言って、姫神は立ち去った。
結局彼女は、忠告をする為だけに、ここまで来たのだろうか。

駅前の大通りは、大勢の中高生でごった返していた。
それもそのはず、今日は九月一日で、どこの学校も夏休み明け一発目で始業式だけで学校が終わる為、昼過ぎの街には学生達が一斉に解放されるからだ。
とりわけ、大手デパートが集中する駅前の一角には多くの人々が殺到する。
常盤台中学の一年生、風紀委員でもある白井黒子は、そんな雑踏の中を歩いていた。
風紀委員とは、対能力者用の治安部隊である。彼らは全員能力者かつ学生で構成されている。
これに対して、次世代兵器を手にした教職員による治安部隊を警備員と呼ぶ。
そして治安を維持する部隊なのだから、その責務は当然、学園都市の内側でのイザコザを治めるだけでなく、『外』からやってくる侵入者の撃退などもしなければいけない。
つまり、白井黒子が雑踏の中を歩いているのは、そういう理由だった。

「いましたわね」

白井は一〇メートルほど先にいる人影を見て、それから携帯電話の画面に映る顔写真を確認した。
ターゲットを確保する為には、通常なら応援を呼んで、人払いを済ませてからだが。

白井はポケットから、信号弾が込められている銃身の太さが直径三センチ以上もある拳銃を取り出し、真上へ向けて発砲した。
直後、七メートル上方で、閃光が瞬いた。

「ひ、避難命令だー!」

悲鳴や怒号を上げながら、学生達は近くの建物へ逃げ込んでいく。
そんな中で一人、ターゲットの外国人の女だけが突っ立っていた。
日本語が通じるか分からないが、面倒なので日本語で言う。

「自身が拘束される理由は、わざわざ述べるまでもないですわよね?」

外国人の女までの距離は約一〇メートル。
そんなに余裕のある状況ではないはずなのに、女は気だるげにしているだけだった。
面倒くせぇな、いちいち手間かけさせやがって、という雰囲気が見て取れる。
やっぱり日本語が正しく通じていないのかと思った、その時だった。

白井の背後で、地面が勢いよく爆発した。

「がっ……!」

爆発の衝撃により、白井は地面を数メートル転がった。
しかし呑気に倒れている場合ではない。
白井は即座に起き上がるが、

「……っつ」

足首に痛みが走った。
見ればアスファルトが『顔面』の形に隆起していて、そこの『口』にあたる部分に噛まれるように、足首が挟まっていた。
それを見て、白井は思わず戦慄した。してしまった。

白井の能力は空間移動。
三次元的な制約にとらわれず、自在に虚空を渡ることのできる力だ。
しかし、この能力には弱点がある。
空間を移動する。言葉にすれば簡単だが、
それを実行するには、一一次元上にある自分の座標を計測し、そこから移動ベクトルを計算しなければいけない。
要するに、頭の中でする計算が、発火能力などの比較的メジャーな能力より桁違いに難しいのだ。
それゆえに、激痛・焦燥・不安・混乱などで計算能力が少しでも鈍ってしまうと、まともに力を使う事が出来なくなってしまう。
今の白井は、それらの要素をほとんど満たしてしまっていた。

「くっ……」

能力も使えず、だからと言って地力だけでは縫いとめられた地面から抜け出せず、白井は絶体絶命のピンチだった。

「私に反逆される理由は、わざわざ述べるまでもねぇよなぁ」

外国人の女は、外国人なのに意外にも日本語でそんな事を言った。

「あんな目立つ避難命令なんて、私を捕まえに来ましたって自己紹介しているようなものじゃない」

避難命令の事を知っていた?
知っていた上で、こっちが避難命令をした時点で、外国人の女は何らかの力を使って反撃してきたということか。

「不意打ちじゃない時点で、テメェの負けは決まっていたのよ。ツインテール」

何か言い返したいところだが、そんな余裕もなかった。
爆発した地面。そこから、二メートル以上の長さの『腕』が生えている。
アスファルトや自転車やガードレールなど辺り一面のにあったものを寄せ集めて、
粘土のようにこねまわして形を整えたような『腕』は、容赦なく白井に向かって振り下ろされる。
それでも白井は、諦めて目を閉じるなんて事はせず、アスファルトから抜け出そうと足掻いて、

ズドドドド!と、どこからともなく飛来してきた数本の黒い鞭が、振り下ろされた『腕』を中空で縫いとめた。

「これは……!」

驚きで目を見開く白井の前で『腕』に突き刺さっていた黒い鞭は、内側から『腕』を引き裂いた。
それだけに留まらず、黒い鞭は、白井の足首が挟まっている付近のアスファルトも綺麗に砕いた。
枷から脱出した白井は、即座に空間移動を実行して、距離をとる。

黒い鞭からは、蜂の羽音を数百倍大きくしたような不可思議な音がしていた。
その理由は、黒い鞭の正体が、砂鉄を磁力で集めて振動させたものだからだ。
こんな芸当が出来るのは、白井が知る限りでは、一人しかいない。

「お姉様!」

黒い鞭の出所を見つつ叫ぶ。
それに応えるように、コインが弾かれたような小さな金属音と、

「私の大切な後輩に、手ぇ出してんじゃないわよ、クソアマ!」

叫びの直後、御坂の親指を起点として、コインが音速の三倍で射出された。
それはもはやオレンジ色のレーザーと化して、砂鉄のチェーンソーによって大雑把に引き裂かれた『腕』を木端微塵に吹き飛ばした。

「チッ」

これだけの戦果をあげておきながら、御坂は舌打ちをした。

「逃げられたか。でもまあ、もう大丈夫よ、黒子」

御坂は白井の下へ歩み寄って、

「ごめんね、黒子。
 もうちょっと早く駆けつけられたら、怖い思いもさせずに済んだのに――って、いきなり抱きつくんじゃ――」

いきなり胸に飛び込まれたので、引き剥がしそうとしたが、震えている事に気付いて、そのまま胸を貸すことにした。

「アンタは何でもかんでも一人で解決しようとしすぎんのよ」

「ごめんなさいですの。チンタラやっていると捕まえる機会を逃すかと思いまして。
 自信もありましたし、どうしても自分で捕まえたいという思いが先行してしまいましたの」

「そっか。まあ、自信をもつことはいいことよね。
 でも、何でもかんでも全部抱え込む必要ないんだからね。
 もっと私を頼っていいんだから。
 頼ってくれるってことは、それだけ信頼してくれているってことにもなるから、迷惑かけるとか、巻き込ませたくないとか、考えなくていいんだからね」

そう言って、黒子の頭を撫でる御坂だったが、

「(ぐへ。ぐへへ。今日の黒子は震える子羊ですの。
 さすがのお姉様でも、弱った黒子を引き剥がそうとは思わないみたいですわね。
 これぞ千載一遇のチャンス!お姉様の慎ましい胸の谷間を思う存分――)」

なんかブツブツ言っているのが聞こえた。
変態はどこまでいっても変態だった。
御坂は丁重に白井を引き剥がして、軽く電撃を浴びせた。

インデックスが着替えている間に、舞夏から携帯を通して事情聴取をすることにした。

「インデックスを解放した理由を簡潔に述べろ」

『本気で聞いているのかー?』

「当然だ」

『あの子がどうしても上条当麻に会いたいって言うからなー。
 私はあくまでも、その一助をしたにすぎないー。あとはまあ、面白そうだったからなー』

「インデックスの気持ちに応えたかった気持ちと、面白そうって気持ち、割合は?」

『二対八』

「……ウチの高校の制服を持っていた理由は?」

『兄貴が、私にコスプレをさせようと発注したからだなー。
 まあ私としては、メイドはコスプレじゃないからと、一発ぶん殴って黙らせたけどなー』

「お前の美学とかはどうでもいい。言ったはずだよな。インデックスはなるべく出歩かせたくないって」

『でもずーっと家で一人は可哀想だろー。たまにはいいじゃないかー』

舞夏は魔術などを知らない。
傍から見れば、自分は過保護に見えるのかもしれないが、

「あとで拳骨な」

『いいけど、そんなことしたら兄貴が切れるぞー』

「その場合は、兄貴ともどもぶん殴ってやるよ」

『もうただのドメスティックバイオレンス宣言だよなー』

「とにかく、拳骨制裁決定な」

『じゃあ上条当麻と会わないようにするー』

と、そこで電話を切られた。

「……いつか絶対拳骨ぶち込む」

決意して、上条はインデックスの着替えが完了するのを待つ。

黒子から事情聴取した結果、外国人のゴスロリ女が学園都市に侵入している事が分かった。
しかもその侵入者は、正面から『門』を突破したらしい。
『第一級警報』(コードレッド)も発令されているらしい。

「結局、あの女が扱っていたチカラは何なのでしょう?」

「……さあね。ロクなもんじゃないってことだけは確かみたいだけど」

適当にはぐらかす御坂だったが、彼女には心当たりがないでもなかった。
学園都市の超能力とはまったく違う種類の異能を、御坂は知っている。
魔術。
魔術を扱う人間を、魔術師と呼ぶ。
魔術師がここへ来たのはおそらく、禁書目録、もしくは上条当麻を狙ってきたのだろう。
昨日、つまり八月三一日に、上条を狙ってアステカの魔術師が暗躍していたし、
上条の話によれば、禁書目録と呼ばれる少女も、頭の中に一〇万三〇〇〇冊の魔道書とやらを記憶しているらしく、魔術世界から狙われやすい存在らしい。
と、ここまで思い返して、何だか少しだけ腹が立ってきた。
狙われやすい存在とはつまり、守ってもらえるような対象になりやすいという事だ。
インデックスという少女は、常に上条に守ってもらえるということ。

「あー……」

「どうしましたの、お姉様?」

なんで私がこんな事でイラつかなきゃいけないのよ。と御坂は自身の前髪をいじくる。

「別に何でもないわよ」

イラついても仕方ない、と御坂はここまで考えた事を整理する。
外部からやってきた異能を扱う連中は魔術師だと思っていいだろう。
まさか学園都市の『外』で、超能力開発が成功しているとは思えない。
そして魔術師がやってきた理由。
それもやはり、あの少年か禁書目録の少女を狙ったものとしか思えない。
となると、やる事は一つ。

御坂は携帯を取り出して、上条に電話をかける。

「これが噂の地下世界なんだねー!」

白いワンピースに着替えたインデックスは、初めて見る光景にはしゃいでいるようだった。

「地下街な」

上条、インデックス、風斬の三人は、地下街にやってきていた。
ここにきた理由は、何となくである。

「さて、まずは地下世界のごはんを堪能するんだよ!」

「さっきおにぎりを五個も食べたのに……お腹壊さないの?」

「何言っているんだよ。あんなのは前菜かも。これからメインディッシュを頂くんだよ!」

「飯食うのは良いけど、高いところは駄目だぞ」

「そんなところは希望してないんだよ。質より量かも!」

「風斬は何か希望とかあるか?」

何気なく聞いたつもりだったのだが、風斬はビクッと肩を震わせて、インデックスの陰に隠れて、

「わ、私は、どこでもいいです……」

「どうしたの、ひょうか?とうまは恐くないよ。優しいよ?」

「そ、それは、分かっているんだけど……」

「いるんだけど?」

「私にも分からない……どうしてこんなことをしているのか……」

理由は分からないけど何となく避けられる、というのはなかなかに辛い。
とポケットの中にあるマナーモードの携帯が震えた。
取り出してディスプレイに出ている名前を見て、電話に出ようとしたが、
ここは地下街なので近くにアンテナが設置されていないところではまともに使えないので、

「悪い。そこにある『学食レストラン』にでも入っていてくれ。
 先に頼んでいてもいいけど、あんまり高いものは頼むなよ。出来れば一〇〇〇円以内で頼む」

「先にって、とうまはなんで一緒に入らないの?」

「電話に出るためだと思うよ……」

「そういうことだ。まあすぐ戻ってくるよ」

幸い、地下街には入ったばかりなので、すぐに地上へ戻る事が出来る。
逆もまた然りだ。

「じゃ、ちょっと行ってくる」

上条は地上へ向けて走り出す。

シェリー=クロムウェル。
イギリス清教の対魔術部隊『必要悪の教会』のメンバーにして、カバラの石像の使い手でもある彼女は、口元に笑みを浮かべながら街を練り歩く。

シェリーが歩いた後の近くにある自販機、ガードレール、街路樹、清掃ロボット、風力発電のプロペラの支柱などには、白のオイルパステルによって落書きが施されていた。

「さて」

ある程度落書きを終えたところで、シェリーは一度だけ拍手した。
それを合図に、落書きの全てからピンポン玉くらいの『眼球』が発生する。
さらにシェリーは、葉書サイズの黒い紙を取り出して、

「自動書記。標的はこいつで良いか。……何て読むんだ、こりゃ」

黒い紙に書かれた人物の名前は読めなかったが、そんなことはあまり関係なかった。
シェリーは黒い紙を適当に放り投げる。
放り投げられた黒い紙はひらひらと地面に落ちる。
直後に、幾千もの眼球が黒い紙に一斉に押し寄せ、喰らいついた。
そうしてものの数秒もしないうちに、『風斬氷華』と書かれた黒い紙は跡形もなく喰いつくされた。
黒い紙を収めた無数の眼球達は、四方八方へと散っていく。
理由はもちろん、標的を見つけるためだ。

「あまり待たせんなよ、エリス」

上条はすぐさま地上へ出て、だいぶ待たせたであろう小萌先生からの着信に出る。

『もしもし上条ちゃん。ようやく出てくれましたね』

「すみません。地下街にいたもので」

『そうでしたか。なら仕方ないですね』

「それで、一体何の用ですか?」

『今からお話することは、大事なことなのでよく聞いてくださいね』

と、小萌先生は前置きをしてから、語り始めた。

『カザキリヒョウカさんについてなのです』

上条は思わず眉をひそめる。姫神からの忠告。
そして小萌先生がわざわざ電話してきて、前置きまでして、やはり風斬には何かあるという事だろうか。

『結論から言うと、カザキリヒョウカさんは人間ではない可能性があります』

「え?」

思いもよらない一言だった。

「それって一体、どういうことですか?」

『カザキリさんは転入生ではないので、彼女が我が校に入ってきたのは侵入者扱いなのです。
 よって先生は、カザキリさんの身元を調べようと思い、まずはいつどこから侵入したのか、学校の監視カメラを確認したのですが、どこにも映っていませんでした』

確かに不可解ではあるが、空間移動系能力者なら、いとも簡単になせる業だ。
小萌先生の背後から唐突に消えたのにも、説明がつく。

『それと、先生の背後から突如消えた事を鑑みると、やはりカザキリさんは普通の人間とは思えません』

たったそれだけのことで、人間じゃないと断言できる小萌先生が分からない。

「今言った事、空間移動系能力者ならできるじゃないですか」

『上条ちゃん、姫神ちゃんから話は聞いたのですよね』

なんでこのタイミングで姫神の話がと思ったが、直後に、小萌先生の言いたい事が分かった気がした。

「風斬は霧ヶ岡女学院では『正体不明』と呼ばれていたからってことですか?」

『です。空間移動系能力は希少な部類ではありますが、この街の住人なら大半は説明できる能力を持つ人間が、
 誰にも知られていなかったなんて、考えにくいですよね』

「でも、まったくあり得ない訳ではないじゃないですか」

自身の右手に宿る能力、幻想殺しも、この街ですら解明・説明できない能力だ。

『もちろん根拠はそれだけではないのです。
 空間移動系能力者は、学園都市でも数人しかいないってことはないですが、それでも希少な部類の能力です。
 書庫(バンク)を知り合いの警備員に調べてもらったところ、空間移動系能力者にカザキリヒョウカさんの名前はありませんでした』

「じゃあ風斬は、一体何者なんですか?」

『AIM拡散力場の集合体だと思うのですよ』

またしても思いもよらない返答に、上条はやはり眉をひそめるしかなかった。

「それって、どういう……」

『AIM拡散力場、簡単に言えば、能力者が無自覚に発する力のフィールドのようなものですね』

「知っています。ですが、風斬がそれの集合体だっていう意味が分かりません」

『学園都市には一八〇万もの能力者がいますよね。
 AIM拡散力場は、一人では微弱なものですが、それが一八〇万も集まれば、大きな力になると思えませんか?
 人間一人を「そこにいる」と錯覚させるぐらいには、です』

一つ一つは弱い力でも、それらが集まれば大きな力になる、という理屈は分かる。
だがそれが、人間をいると錯覚させる、ということに繋がりはしないと思う。

「……すみません。よく分からないです」

『上条ちゃん。人間って、機械で測ったらいろんなデータが採れますよね?』

「……はぁ」

先生が何を言いたいのか、さっぱり分からない。

『熱の生成・放出・吸収。光の反射・屈折・吸収。生体電気の発生と、それに伴う磁場の形成。
 酸素の消費と二酸化炭素の排出。質量や重量……などなど、あげればキリがないと思います。
 そこでです。あくまで推測なのですが、今挙げた人間らしいデータが全て揃った時、そこに「人間がいる」ことになりませんか?』

「……」

『人間らしいデータと簡単に言っても、それはとても膨大です。
 ですが、一八〇万もの力が一つに集まり重なり合えば、一つの意味をなすかもしれません。
 体温は発火能力者の、生体電気は電撃使いの、肌の感触を念動使いの、声を音波能力者のAIM拡散力場が作っているとしたら』

「人がいたから体温を感じたのではなく、体温を感じたから人がいると錯覚したってことですか」

『そんな感じです』

「……でも、風斬は至って普通の人間にしか見えないですよ」

『生まれた時から自分が人間だと思い込んでいれば、彼女は自分の存在に何の疑問も持たないはずですよー?』

あっさりと言われた一言に、上条は何も言えなかった。

『それでですね。一つだけ、問いたいのです。カザキリヒョウカさんを、どう思いますか?』

小萌先生の質問の意図はよく分からなかった。
なんとなく分かるのは、自分を試しているということだけだ。

「風斬は」

小萌先生が今まで言ってきた事は、あくまで仮説だ。
仮説だが、正しかった場合は、風斬は人間ではなく物理現象の一つと言うことになる。
それを弁えたうえで、上条は告げる。

「インデックスが初めて自力で構築した関係です。
 そしてインデックスは、そのことについて喜んでいます。
 俺はそんな関係を見守っていきたいです。
 人間か人間じゃないかなんて、問題じゃない。
 大事なのは、インデックスがどうしたいか、俺がどうしたいか、風斬がどうしたいか、だと思います」

『……そうですね。先生も、それが良いと思います。一つだけ言っておきます。
 くれぐれも、カザキリヒョウカさんを泣かさないようにしてくださいねー』

そこで、電話は切れた。

上条はインデックス達のところへ戻り、給食みたいなランチを食べた後、ゲームセンターへ寄っていた。
地下街にはもともとゲームセンターが多く、インデックスも外観を見ただけで、入りたいと言ったからである。

「ねぇひょうか。『ぷりくら』ってやつやろうよ。とうま、お金ちょうだい!」

お金を渡すと、インデックスはどこに機械があるかも知らないくせに、風斬の手を引っ張って走っていく。
そんなほのぼのとした光景を見て思う。風斬は人見知り気味の普通の人間にしか見えない。
昼食をすませた『学食レストラン』でも、インデックスと仲良さげにしていた。普通の女の子だった。

しかし小萌先生の仮説が正しければ、風斬は右手で触れれば消えてしまうかもしれない。
迂闊に右手で触ったらとんでもないことになるかもしれない。

「……気をつけないとな」

呟きながら、上条はインデックスが走って行った方向へ歩いていく。

プリクラを撮るための筐体の中で、インデックスが切り出した。

「さっきも言ったけど、とうまは悪い人じゃないよ?何をそんなにびくびくしているの?」

「あ……うん。違うの。あの人が嫌いとか、怖いとかじゃないの。
 私もよく分からないけど、なにか、静電気がいっぱい溜まっているセーターに触ろうとしているみたいな感じで……」

「……ふぅん」

『せーでんき』というのがよく分からないし、上条の事が嫌いではないと分かったので、インデックスはそれ以上追及しなかった。

電話をかけたが話し中だった為、俯瞰で上条当麻を見つける作戦に変更した。
御坂は一旦白井と別れて、とあるホテルの給水タンクの上から、学園都市製の双眼鏡を使って三六〇度見回したのだが、上条当麻の姿を発見できなかった。

「……これでもダメか」

街中に歩いているのを見つけられないとなると、考えられる可能性は二つ。
学生寮やレストランなど、とにかく屋内にいるか。もしくは、地下街にいるか、だ。

「どうしよう……」

もう一度電話をかけるか。
上条の事は諦めて、黒子についてあげるべきか。

「……決めた」

御坂は黒子の下へ戻るために、磁力を操って街中を飛び回る。
ただしそれは、上条に危機を伝えるのを諦めたわけではない。
危機を伝えるという考え自体を根本から改めたからだ。
つまりは、白井黒子と共に、侵入者のゴスロリ女を迎撃すればいい、と。

ゲームセンターでひとしきり遊んだ後、今日はもう解散するか、ということになった。

「楽しかったんだよ、ひょうか!またね!」

「う、うん、じゃあ、ね……」

疑問があった。風斬は一体どこに帰るのだろうか。霧ヶ岡女学院の学生寮だろうか。

「ねーねーとうま。今日は楽しかったんだよ!」

隣で歩いているインデックスは、とても嬉しそうにそう言った。

「よかったな」

そして、インデックスが浮かべるその笑顔を、絶対に壊したくない。
風斬は、インデックスの友達だ。

「これがガッコー生活かぁ。楽しいかも」

「普段は、午後も授業があるからこんなに遊べないし、期末にはテストもあるし、
 学校行事の準備とか練習とか大変だし、いろんな人と付き合って行かなきゃいけないし、いいことばかりじゃないぞ」

「でも、一人よりはずっと楽しいと思うかも」

少し切なげに、インデックスはそう呟いた。

「……かもな」

改めて思う。インデックスには風斬が必要だ。今日の様子を見る限りは、風斬だってインデックスの事を嫌いではないはずだ。
と、慌ただしい様子の風紀委員の腕章を付けた女子高生とすれ違った。

「あれ?今の何?誰の声?」

「どうした」

「今、声が聞こえたんだよ。女の子の声」

「……もしかして」

上条は振り返る。予想通り、風紀委員の女の子はこちらへ歩いてきて、

「そこのあなた!人が呼び掛けているのに何をそんなにのんびりしているの!」

「すみません。もしかして、念話能力(テレパス)ですか?」

風紀委員が出張ってくる場合は、学園都市に何らかの異常が起こっている時だ。たとえば、侵入者がいる場合などだ。
しかし口頭で避難命令をすれば、侵入者に『避難命令をしている』というのを悟られてしまう。
ここは地下街でゲームセンターが多く雑音も多いので、口頭では効率も悪い。
侵入者に悟られず、なおかつ的確に効率よく避難命令をするには、念話能力が最適だろう。

「そうです。分かっているのならさっさと避難してください!」

しかし自分には『声』は聞こえなかった。
それはおそらく、彼女の念話能力が見えない『糸』を通すタイプだからだ。
多分、その見えない『糸』を右手で打ち消してしまったから『声』が聞こえなかったのだ。
だが、それをいちいち説明する気はなかった。

「あ、いや、避難って、何が起こっているんですか」

聞くと、少女はいらだった様子で、

「ですから、念話能力で聞こえているでしょう!?現在、この地下街にテロリストが紛れ込んでいるんです。
 第一級警報も発令されています。九〇二秒後には捕獲作戦も始めるために、隔壁を降ろして地下街は閉鎖します。
 これから銃撃戦になるのでさっさと逃げてください」

早口でそんな事を言われた。

「テロリスト……」

侵入者と聞くと、思わず魔術師を浮かべてしまう。

「そうです。当のテロリストに捕獲準備を知られるといけないので、音に頼らない念話能力の私が入り用になったんです。
 だからあなた達も騒ぎを起こさないで、自然に退避してくださいね」

「てことは、テロリストの顔やらは分かっているってことですか」

「それは一般人のあなたが知る必要はないことです。とにかく、自然な感じで迅速に避難してください」

言って、少女は引き続き避難勧告をする為に立ち去った。

「結局、危ないから出て行けってこと?」

「そうなるな」

ただ、一つだけ危惧する事がある。
今は非常事態なので、警備員辺りが、地下街の出入り口で検問を敷いているだろう。
インデックスにIDはあるが、果たして銀髪碧眼少女が何の問題もなく通れるだろうか。
海に行った時は通れたが、不安で仕方ない。
とはいえ、これから銃撃戦が始まる地下街に居続けるわけにもいかない。
結局は、避難を選択するしかなかった。

「……待てよ」

少々強引なやり方になるが、御坂を経由して空間移動の白井を呼んでもらえば、インデックスを穏便に避難させる事が出来る気がする。
空間移動系能力者には、一度にテレポートできる質量や移動距離に個人差はあるが、
風紀委員を務めるぐらいだし、女の子一人を地下街から脱出させることぐらいはできるはずだ。
その場合、白井に何か勘繰られる可能性があるが、そこはどうにかして誤魔化せばいい。
なんなら御坂にも頼みこんで、彼女からも誤魔化すのを手伝ってもらえばいい。
地下街のため通話は困難だが、アンテナが設置されているところの近くならば、なんとかいけるはずだ。

そうと決まれば、とアンテナを探そうと思った、その時だった。

『――見ぃっつけた』

女の声だった。
声の聞こえた方を見ると、そこには壁があった。
しかし壁が喋っている訳ではない。
壁から眼球が出現して、そこから声が出ているのだ。

『禁書目録に、幻想殺しか。どちらにしようかしら。迷っちゃうわね』

「こ、れは……」

上条が少し引いている中、インデックスは冷静に眼球を見つめていた。

『――ま、全部ぶっ壊しちまえば手っ取り早いか』

「こいつ……」

この感じ。
魔術師だ。きっとこいつが侵入者なのだろう。と直感する。
それを裏付けるように、インデックスが口を開いた。

「土より出でる人の虚像――そのカバラの術式、アレンジの仕方がウチの教会と似ているね」

ウチの教会とは、必要悪の教会の事だろうか。

「ユダヤの守護者たるゴーレムを無理矢理に英国の守護天使に置き換えている辺りなんか、特に」

何を言っているかさっぱりだ。

「これは亜種だけど、神は土から人を創り出したという伝承から、探索・監視用に眼球部分のみを特化させた泥人形を作り上げたんだと思う。
 本来は一体のゴーレムを作るのでも大変なはずだけど、これは一体あたりのコストを下げることで、大量の個体を手駒にしているんじゃないかな」

と、インデックスの口上がひとしきりした直後だった。
水風船が割れるような音と共に壁にあった眼球が内側から弾け飛び、

「――っ!」

「きゃあ!」

ガゴン!という轟音と共に、地下街全体が大きく揺れた。

「インデックス!」

上条は叫びながら、インデックスを抱き寄せる。
その間にも、天井からは粉塵がぱらぱらと落ちてきて、全ての照明が消える。
数秒遅れて、非常灯の赤い光が周囲を照らし出すが、あまりにも心許ない。
さらに数秒遅れて、低く重たい音が響いてきた。
おそらくは隔壁が降ろされた音だった。
それが、これは危険と判断した警備員が自発的に降ろしたものなのか、先の震動により意図せず降りてしまったものなのかは定かではない。
確かなのは、

「……閉じ込められたかもしれないな」

ということだけだった。

念のために他の出口を探したが、徒労に終わった。
階段やエレベーターは隔壁で封鎖され、ダクトは元より人が通れるようなサイズではない。

「なあインデックス。今回の襲撃者の女って、必要悪の教会の人間なのか」

「アレンジの仕方が似ているだけってことだから何とも言えないかも。
 でも、イギリス清教の可能性も否定はできないんじゃないかな」

「イギリス清教だったらおかしくないか。俺はともかく、何でインデックスを狙うんだ?」

「分からないかも……。でも多分、教会の命令とかではないだろうから、個人の意思でここに来たと思う」

じゃあもう、本人に聞くしかないだろう。
土御門に聞きたいところだが、ただでさえ電波状況が悪い地下で、
アンテナが震動によって少なからずダメージを受けているだろう今は、まず電話なんて出来ないだろう。
正直、インデックスの身内である必要悪の教会のメンバーとは戦いたくないのだが、襲ってくるのなら仕方ない。
迎え撃つしかない。

「あ、あの、とうま?」

「何だよ」

「そろそろ放してほしいかも……」

顔を真っ赤にして小さい声のインデックス。
一方上条は、そこでようやく自分がインデックスを抱き寄せていた事を思い出した。

「あ、ああ、悪い」

上条は優しくインデックスを解放する。
なんてことをしていた時だった。

カツーン、カツーン、とローファーで歩いた時のような足音が暗闇から聞こえてきた。
上条は念の為インデックスを庇うように彼女の前に出る。
その間にも、音はどんどんと近付いてきて、音までの距離約二メートルで、ついにその姿が露になった。

「あ」

先に気付いたのは上条の方だった。
常盤台の制服の少女が二名、こちらへ近付いてきていた。

「あ」

次に気付いたのは御坂。
その直後に、白井もあまり気にくわない存在である上条当麻に気付いた。

「御坂。ちょっと話がある」

「奇遇ね。私もアンタに話があるのよ」

「え?何ですの、お話って。わたくしとそこの銀髪碧眼娘はどうすればいいんですの」

「まったくなんだよ」

「「すぐ終わるから」」

なんて言って、愛しのお姉様と類人猿は端っこの方でこそこそ会話し始めた。
なぜだかはよく知らないが、隣にいる銀髪碧眼娘も少し不機嫌そうだった。
しかし銀髪碧眼娘の事など、どうでもいい。

「(おいおいおいおい、冗談じゃねぇですのよ。
 お姉様の唯一無二のパートナーであるこの白井黒子を除け者にして秘密を共有しようなどとは、たとえお天道様が許しても、このわたくしが許さないですの。
 ていうか、何なんですのあの類人猿は。お姉様の心に居座りやがって。羨ましいんだよ、コノヤロウ)」

なんかブツブツ言っているツインテールに対して、何もツッコめないインデックスだった。

白井が恨みのオーラを発している中、端っこでは、

「(魔術師が攻めてきたっぽい)」

「(何でアンタがそれを?)」

「(ついさっき、宣戦布告のようなものをされた。
 俺とインデックス、どちらを壊すかで迷うみたいな事を言っていた)」

「(やっぱり狙いは、アンタかあのお嬢ちゃんってわけね)」

「(御坂のほうこそ、何で魔術師が侵入してきている事を知っているんだ?)」

「(実際に対峙したから。逃げられちゃったけどね。外見は金髪にゴスロリ、褐色の肌の外国人女だったわ。
 使っていた魔術は石の『腕』。分かるのはこれぐらいかしらね」

インデックスの話では、ゴーレムがどうのこうのと言っていた。
ゴーレムと聞いてイメージするのは、石で出来ている無骨なやつだ。
御坂と対峙した時は、その『腕』部分を特化させて出現させたという事だろうか。

「(情報ありがとう。魔術師とは俺がやる。御坂は、インデックスを頼む)」

「(いやいやいや、相手の狙いはアンタとあの子両方なんでしょ?だったら、アンタも避難するべきでしょ)」

「(じゃあ誰が魔術師を止める?)」

「(風紀委員や警備員でしょうよ。アンタが馬鹿正直に魔術師とやるのはリスクが高すぎる)」

「(……いや、そんな理由じゃ俺は退けない。
 狙いは俺とインデックスなんだろうが、俺達のせいで周囲にも被害が及んでいる。
 今地下街に閉じ込められた人たちがそうだ。
 だったら、その責任を取って、魔術師と決着をつけるのは俺であるべきだ)」

「(またアンタは一人で抱え込もうとしている訳?
 確かにアンタの理屈は分からなくもないけど、悪いのはあっちでしょ。
 アンタが気負う必要なんてどこにもない)」

「(魔術師は弱くない。警備員や風紀委員で止められるとは限らない。
 でも俺の右手は、異能の力を扱う連中にとっては絶大な効力を発揮する。
 ましてや今回の、おそらく相手はゴーレムを操るだけだろうから、ゴーレムさえ崩せば勝機はある)」

「(……どうあっても私の言う事を聞く気はないのかしら?)」

「(悪いな。代わりに、お願いがある)」

「(私の言う事は聞かないくせにお願いがあるですって?)」

「(ああ。御坂にしか頼めない事だ)」

学園都市では超能力開発を授業に盛り込んでいる。
そのため、学園都市では能力が高ければ高いほど、頭が良いということを意味している。
つまり、超能力者第三位の御坂は、学生の中では三番目に頭がいいということになる。
その聡明な頭で、御坂は上条が言いたい事を理解した。

「(黒子を使って、あの子を地下から脱出させるのね。そのボディーガードを私に、ってことかしら)」

「(そうだ。
 俺には幻想殺しがあって白井の空間移動を受け付けないから、地下から脱出する事は出来ない。
 だから、インデックスを地上に逃がしてやって、さらに御坂に守ってほしい)」

「(冗談抜きで、今私に『借り』がいくつあるのかしらね)」

「(いつも勝負を受けて立ってやっているんだ。それでチャラにしてくれ)」

「(んなもん、とっくにチャラになっているわよ)」

「(冗談だよ。埋め合わせはいつか必ず。とにかく、頼んだぞ)」

「(はいはい)」

そうして上条と御坂は解散して行動を開始する。

白井黒子の一度に空間移動できる距離、質量の限界は、それぞれ八一・五メートルと一三〇・七キログラムで、
御坂とインデックスを同時に地下から脱出させることが可能だった。
もっとも、インデックスは最初『とうまが行くなら私も行く!』とかなんとか喚きいていたのだが、『大丈夫だ。俺を信じろ』の一言で強引に黙らせた。
その後、怖い顔をしている白井と渋い顔をしている御坂と共に地下街から空間移動で消えた。
あとは、魔術師を止めるだけ。

「っていっても……」

どう動くべきか。
正直見当もつかない。
しかも心配事が二つあった。
一つは、相手が自分の事を幻想殺しと呼称した事だ。
このことからおそらく、相手は幻想殺しが異能を打ち消す事を知っている。
それだけでも厄介なのに、よりにもよって相手が使う異能はゴーレム。
御坂から聞いた話だと、その辺にあるモノを無理矢理合体させて『腕』はできていたらしい。
となると、幻想殺しでその『腕』を殴った場合、消失するのではなく合体が崩れるだけだ。
規模によっては倒壊に巻き込まれる危険がある。

二つ目は、相手が『全部ぶっ壊しちまえば手っ取り早い』と言った事だ。
狙いが自分とインデックスなら『全部』ではなく『どっちも』などがふさわしいはずだ。
では『全部』とは何か。
学園都市の街と住人の事を示している、というのはおそらくない。
それなら、自分達を『見つける』必要はないからだ。
何もかも壊してしまえば、それで自分達も壊したことになるのだから。
となると、考えられるのは、自分達以外の特定の個人、または集団がいた場合か。
個人ならやはり、学園都市統括理事長辺りが怪しいか。
御坂に興味がない辺りを見ると、超能力者が狙いではない、か。
なぜか身内のインデックスを狙っている事だし、土御門も案外標的だったりするかもしれない。
集団ならば、統括理事会辺りか。
もっとも、侵入者は外国人らしいから、日本語のニュアンスを正しく使いこなせていないだけかもしれないが。

と、ここまで考えたところで、再び地下街が揺れた。
数秒遅れて、暗闇の先から銃声や人の怒号らしきものも聞こえ始めた。

「へっ……」

上条は思わず笑っていた。
それはインデックスと別れた事によってインデックスと自分、地上か地下、どちらを狙うかで自分を選んでくれたからだ。
インデックスの危機が去ったので幸か、代わりに自分が危険なため不幸か。
もっとも『眼球』は消えていたため、インデックスが脱出した事を知らないだけかもしれないが。
そして、どう動けばいいかも分かった。
上条は銃声や怒号のする方へ向かって走り出す。

シェリー=クロムウェルは銃声と硝煙の渦巻く戦場を優雅に歩いていた。
彼女の前方には、巨大な石像があった。
石像は地下街のタイルや看板や支柱などを無理矢理丸めて粘土のように形を整えたもので、高さは四メートルにも達していた。
そんな石像に相対するように、漆黒の装甲服に身を固めた警備員が並んでいた。
彼らは近くの喫茶店のテーブルやソファなどでバリケードを作り、そこから顔を出してライフルを撃つ。
装填の隙を見せないよう三人一組になって、一方のチームが装填している間は他のチームが射撃をする。
要するに、銃弾の雨が途切れる事はない。

のだが。

「品がないわね」

シェリーは呟きながら、右手に持っているオイルパステルを振るう。
それが命令文となり、巨大な石像がゆっくりと歩を進める。

もともと地下街の通路が狭いせいもあるが、石像は移動する隔壁のようなものだった。
石像の後ろにいるシェリーには、一発の弾丸も通っていなかった。
そして弾丸を一身に受けている石像は削られていくものの、決定的な倒壊はしない。
なぜなら、削られたところから自動的に補修されていくからだ。
石像の近くにある壁のタイルがひとりでに剥がれ、削られた個所へくっついていく。
削られた個所からは、磁場でも発生しているのかもしれない。

「くそっ!」

業を煮やした警備員の内の一人が、手榴弾のピンを抜いた。
もちろん、石像の股下をくぐるように投げるためだった。
しかし、

「エリス」

その様子を見逃さなかったシェリーがオイルパステルを振るった。
それに呼応して、石像――ゴーレム=エリスは大地を踏み鳴らす。
震動によって、投げようとしていた手榴弾が警備員の手から零れおちる。
無論、ピンが抜いてあるものだ。

「――」

悲鳴どころか、息をつまらせる暇すらなかった。
警備員の手から落下した手榴弾が爆発し、周囲に血飛沫が舞った。

一足遅かった。
二〇人弱の警備員が重傷を負っていた。
ゴーレムの規模がどれほどのものかは知らないが、仮にこの地下通路の高さや幅を埋め尽くす大きさぐらいのものなら、
警備員の武装程度では太刀打ちできないのも頷ける。
警備員と言っても、その正体は『教員』だ。
一応訓練は受けているものの、本物の戦闘のプロである魔術師に勝てないのも無理はない。

「そこの少年……ここで何してんじゃん……」

どこかで聞いた事のある声だった。
声の主、額から血を流している髪を後ろで束ねている女性は、壁にもたれかかっていた。
そんな彼女に近付いてみると、

「黄泉川先生!」

通う高校の体育担当の先生だ。普段は緑色のジャージを着ている。

「お前は……確か、月詠センセのとこの……上条だったか。一体ここで、何してんじゃん?」

まさか魔術師とタイマン張ろうとしています、とは口が裂けても言えない。

「友達が……まだこの地下に残されているかもしれないんです。そいつを探しているんです」

「心がけは大変立派だが、今はそんなこと言っている場合じゃないじゃん。まずは自分の命を大切にするべきじゃん……」

言って黄泉川先生は、ヘルメットをこちらに投げつけ、

「気休めにしかならないと思うが、ないよりはマシじゃん」

「……すみません!」

気遣いはありがたかったが、黄泉川先生含む警備員達が傷ついたのも、ある意味自分のせいだ。
責任をとらなければいけない。決着をつけなければいけない。

「おい!待て、上条!」

黄泉川の制止を振り切って、上条は走り出す。
おそらくは、魔術師が向かった方へ。

「くそ!誰かそこの少年を抑えろじゃん!」

しかし、周りの警備員は重傷で歩く事さえ困難だったため、上条を止めることは不可能だった。

二分ほど走って曲がり角を曲がったところで、ついにその姿を発見した。
漆黒のゴシックロリータにボサボサの金髪、チョコレートみたいな茶色の肌の外国人の女性。
側には、ゲームで見るようなゴーレムが鎮座していた。

「あらこんにちは。テメェは幻想殺しね。禁書目録は一緒じゃない、か」

「狙いは何だ?」

どう攻めるべきか。
魔術師を殴りにいけば、間違いなくゴーレムがそれを阻むだろう。
それでは駄目だ。
幻想殺しで打ち消しても、倒壊した岩石などが危険だ。
だからこそ、考える時間稼ぎと、もしかしたら何か答えてくれる事を願って聞いた。

「簡単な事よ。火種が欲しいのよ。戦争を起こす火種が。
 そのためには、人を殺したり、街を壊したり……だからまあ、まずは死ね。幻想殺し」

意外にも目的が聞けたが、それはあまりにも危険すぎるし、時間稼ぎの意図は失敗した。
魔術師のオイルパステルが振るわれ、直後にゴーレムが大地を踏み鳴らす。

「おおおおお……!」

相当震動したが、それでも上条は二本の脚で踏ん張り切った。
ゴーレムの左ストレートが飛んでくる。
本来は震動で体勢が崩れたところを、左ストレートで潰すつもりだったのだろう。
だが踏ん張り切った。
あとは飛んでくる左ストレートを、右手で迎え撃つだけ。
振り下ろされたものなら打ち消した直後に岩石に潰されただろうが、正面からの攻撃なら、大した被害は出ない。

――いや、違う!

魔術師は自分の事を幻想殺しと呼称している。
異能を打ち消す力が右手にある事を知っているはずなのだ。
知っている以上、これでは決定打にならない事も分かるはずだ。
まずは幻想殺しがどの程度か測る、ではない。
魔術師は『死ね』と言っていた。これは決めにきている。

「弾けろ!」

シェリーの掛け声に呼応して、ゴーレムの左ストレートは、上条の一メートル手前で爆発した。

「ぐあっ!」

決めにきていると直感した瞬間両手で顔と胸をガードしながら後ろへ跳んだが、遅かったのかもしれない。
爆発によって飛んできた数個のバレーボール大の石を、身体中に食らった。

「一発限りの騙し打ちは、そんなもんで終わっちまったか」

そんなもんというが、致命傷は避けたもののダメージはかなりのものがあった。
それに一発限りとは、致命傷を与える機会、という意味ではそうかもしれないが、これからの戦闘においては、まだまだ有効だ。
警戒して今以上に距離をとる事は出来る。
しかしそれでは、こちらも攻められず、勝つ事も絶対にない。
近付けば、地面を揺らされ体勢を崩されたところに爆発する『腕』が飛んでくるだろう。
分かっていても、ノーダメージでやり過ごせるとは思えない。
このままやってもジリ貧だ。

「お前……」

「お前でなくてシェリー=クロムウェルよ。イギリス清教、必要悪の教会の魔術師。
 ま、禁書目録が術式のアレンジが似ているとか言っていたから、必要悪の教会所属というのは分かっていたかしら?」

「なんでインデックスと同じ協会に所属する魔術師がインデックスを狙う?」

「さっき言ったわよ。戦争の火種が欲しいって。
 頭がなかなかにキレるって聞いていたけど、そんなこともないのかしら?
 それとも、時間稼ぎのつもりかしら?」

やはり、シェリーは自分の事をある程度調べてきているようだ。

「戦争の火種ってどういうことだ?」

「これ以上教えるのはあまりに無意味ね。テメェはどうせここで死ぬんだし。
 本当に時間稼ぎなら、それに付き合う義理もねぇしなぁ!」

シェリーがまたしてもオイルパステルを振るった。
直後にエリスが大地を踏み震動させ、その場で左腕を振るった。

――どういうことだ?

今、ゴーレムまで大体八メートルはある。
いくらゴーレムの腕が大きくて爆発があるとはいえ、そこからではまともにダメージを与えることなんて出来ないはずだ。
だが、無駄なアクションを取らせたとも思えない。
ならば、答えは。

「こ、のっ!」

震動により体勢が崩れたとは言わないまでも、直立不動ではいられなかった上条は、ほとんど転がるように右へ大きく跳んだ。
直後、ゴーレムの左腕から拳だけが分離して放たれ、上条が二秒前まで居た座標に直撃した。
跳んでいなければどうなっていたかなど、言うまでもなかった。

「へぇ。勘も鋭いって聞いていたけど、どうやらそれは本当のようね」

あらかじめ適当なタイミングで拳だけが分離するようにセット。
そして腕を振るわせ、遠心力によって岩という凶器を放たせた、というところだろう。
爆発が出来たのだから、これぐらいはできても不思議ではない。
そして、これでは遠距離戦も臨めない。
もともと広くない地下通路。両腕を使って放たれれば、食らってしまうかもしれない。
しかも拳は既に修繕されている。もう次が来るまで時間もない。

――やるっきゃねぇ!

パターンは決まっている。
まず、本命の攻撃の前に体勢を崩すために大地を揺らしてくる。
そりゃそうだ。
自分だってシェリーの立場なら、ワンパターンと分かっていてもそうする。
だがそれは、とてもシンプルな方法で、ある程度は回避できる。

例の如く、大地が揺らされた。
その直前に、上条はジャンプしていた。

「その程度でどうにかなるとでも!?」

確かに、ジャンプで体勢を崩されるのを回避できる程度など、わずかなものだ。
せめて最低でも三、四秒の滞空時間はないと震動の完全回避は出来ない。
当然、ジャンプの着地後も大地の揺れは収まっていなかった。
しかし上条にとっては、一瞬でも揺れを回避できれば充分。
揺れている地下通路を、上条は駆ける。

「――身体能力が高いってのも、本当みたいね!」

だがゴーレムを爆発させれば終わり。
おそらく爆発される前に触れる算段なのだろうが、そうはさせない。
そう考えて、シェリーはオイルパステルを振るおうとしたが、

ヘルメットが飛んできた。
それも顔面を狙うように。

「チッ!」

オイルパステルを振るう前に、シェリーは顔を振ってヘルメットを避けた。
その一瞬の隙に、上条は右手でゴーレムに触れた。
能力を打ち消した音が響いて、ゴーレムは崩れ去っていく。
ヘルメットを投げてシェリーに一瞬の隙を作らせたのは当然、上条だ。
上条は止まらず、シェリーを殴るために駆け抜ける。
しかし、

「残念でした」

上条の足はシェリーまであと一メートルというところで、ガクン、と唐突に止まった。

「が、あっ……!」

白井黒子の時と同じように、上条の足は『顔面』の『口』に当たる部分に噛まれるようだった。
シェリーは万が一ゴーレムを突破された時のために、罠を張っていたのだ。

「今度こそ死ね」

上条の背後で『腕』が建造され、振り下ろされる。
上条は右手で地面を殴り『口』から解放された後、横に全力で跳んだ。
直撃は避けたものの『腕』が振り下ろされた余波に煽られて、上条は一メートルほど転がる。
そうしてうつ伏せになってしまったところに、

「そらよっ!」

避ける事もガードする事も出来なかった。
為す術もなく、走ってきたシェリーに思い切り頭を蹴られた上条は、額から血を噴き出しながら地面を転がった。

「体を動かすのはあまり好きじゃないけど、今のクリーンヒットは快感だったわね」

言いながら、シェリーは上条の頭を踏みつけた。
が、

「いっ……つっ……」

唐突に足首に痛みが走ったシェリーは、思わず目線を自分の足首にやろうとしたところで、

「おおおおおおおおおおお!」

上条が力を振り絞って頭を一気に振り上げ足ごとシェリーを押し倒して、彼女の体の上に馬乗りになった。

「形勢逆転だな」

「押し倒してしまうぐらい、私に興奮してしまったという事かしら?」

この状況で、シェリーは減らず口を叩いた。

「まずは、どうして戦争を起こしたいのか、聞かせてもらおうか」

「事情聴取はわたくし達の仕事ですの」

いつの間にか、白井黒子が上条の隣に立っていた。

「まさか、お前の仕業か、ツインテール」

シェリーは白井を睨む。

「ここにいる人間がわたくしと殿方さんとあなたの三人だけのこの状況を考えれば、わたくし以外にあり得ない事は、聞かなくても分かりますわよね?」

「生意気なクソガキ」

「生意気なクソババアよりはマシですの」

「そんなことより」

女の口喧嘩に上条は割って入って、

「俺の質問に答えろ、シェリー」

「だからそれは、わたくし達の仕事ですの。そもそもまず、馬乗りを止めてくださいまし。
 わたくしは不純異性交遊を促したつもりはありませんのよ」

「悪いな、白井。それはできない。お前はまだ地下に閉じ込められている人達の避難を優先させてくれ」

言い切る上条に、白井は溜息をついて、

「殿方さんも重傷じゃありませんか。早くそこのアマからどけて、警備員から治療でも受けてくださいですの」

「仕方ないわよ。こいつ、私に興奮してしまっているんだから」

「この期に及んでまだ減らず口ですの?どう見ても、あなたごときに興奮しているようには見えないのですが」

「お前さっき不純異性交遊がどうのこうのと言っていたじゃない」

「言葉の綾というものですの」

「いい加減にしてくれないか」

額から流す血で、左目の視界がほぼ潰れてしまっている上条は少し怒ったように、

「白井は未だ地下に閉じ込められている人の避難を手伝ってくれ。そしてシェリーは俺に質問に答えろ」

「だとさ。これから私とセックスしたいから二人きりになりたいんだろ。察しろよ」

もっとも、日本には性行為を見られて興奮するとかいう変態もいるらしいけど。
でもこいつはノーマルらしい。安心したよ。とシェリーは相変わらず減らず口をやめない。

だが確かに、シェリーと二人きりになりたいという感じは白井にも何となく分かった。
もちろんエロ目的ではなく、何か、もっと違う意味で、だ。
だからと言って、重傷者の類人猿も、テロリストの確保も放っておくわけにはいかないのだが……。

「白井、俺を信じてくれないか」

信じてくれないかと言われても困る。
実際そこまで追い込まれたのだし、最悪再び逆転されるかも分からない。
しかし、類人猿に空間移動は使えないからどけさせることはできない。
物理的に羽交い締めにしたら、それこそ逆転する機会をゴスロリに与えてしまう。

「仕方ありませんわね。人を呼んできます。テロリストの確保をすれば、避難をする必要もなくなりますし」

「そうだな。頼む」

白井がここまで来たのは、たまたま鉢合わせした後ろで髪を束ねている女性警備員に、『とある少年があっちにいったじゃん。避難させてやってくれ!』と言われたからだ。
その女性警備員と出会ったところに戻り、何人か警備員を連れてくれば、馬乗りになっている類人猿を物理的にどかせて、テロリストを拘束する事が出来るはずだ。

「くれぐれも、油断して取り逃がしたりはしませんように」

「ああ」

上条の返事を聞いて、白井は空間移動でその場を去る。

「いよいよ私とセックスできるな」

「何で戦争を起こしたいんだ?」

オイルパステルは右手で触って壊した。
おそらくこれでゴーレムの召喚は出来ないはず。
出来たら、今すぐにでも召喚しているはずだ。

「私を解放してくれないかしら。そうじゃないと服も脱げない」

「何で戦争を起こしたいんだ?」

「もしかして脱がしたいのかしら?」

何だ、この余裕は。
こちらの動揺を誘うために強がっているだけか。

「……まさか、オイルパステルに予備があるのか?」

「気になるなら、私に体をまさぐればいいじゃない」

この余裕。予備がなければできない芸当ではないか。
だが、本当に予備があれば、こんなにあっさりと身体中を調べていいなんて言うだろうか。
もちろん、駄目なんて言えば自分が怪しいと勘繰る事を考えて、あえて強気に出たのかもしれないが。

「……予備があるなら、どこにあるか答えろ。答えなきゃぶん殴る」

「胸の間に挟まっているわ」

「……本当か?」

「本当よ」

どうにも胡散臭い。
さっきから無理矢理下ネタ方向に持っていこうとするところが、特に。
それに、オイルパステルを壊されれば、おそらくゴーレムの召喚は出来ないはずだ。
それではこの状況から抜け出せても、何も出来ないではないか。
だったら、とりあえずは殴られた方が、逆転の芽はあると考えるのが普通だ。
しかし、シェリーの胸は小さくはない。挟めるか挟めないかで言ったら挟めるだろう。

「あ、あの……」

遠慮がちな弱々しい声。
この声の主は。

「風斬!何でここへ!」

「あ、だって……」

風斬の登場で、上条はほんの一瞬動揺して力が抜けてしまった。
その一瞬の機会を、シェリーは逃さなかった。

シェリーは右腕に渾身の力を込めて、抑えつけている上条の左手ごと地面からわずかに浮かせる。
その状態から仰向けだった腕を一八〇度回転させて、袖口に隠しておいた予備のオイルパステルを滑らせて右手へ。
手首のスナップだけで刹那の時間で魔法陣を書き上げゴーレムの『腕』を召喚。
上条へ振り下ろす。

「――っ!」

上条は振り下ろされた『腕』をシェリーから飛び退く事で回避。
『腕』は勢い余ってシェリーを潰す、なんて間抜けな展開にはならず、ぴたりとシェリーの鼻先数センチの位置で止まる。
だが、チャンスだ。
このまま右手で触れて『腕』を壊せば、シェリーは『腕』を作っていた岩達の下敷きになる。
そう思って、上条は特攻しようとしたが、

ズズン!と地下通路が揺れたことにより、それは叶わなかった。

「くぅ……」

今までのゴーレムが踏み鳴らしたものとは違う震動だった。
短い大きな揺れではなく、長く大きくはない揺れ。
理由は明白だった。今まさに、目の前で、ゴーレムが地面から出現したのだ。
今の揺れは、ゴーレム出現に伴う余波による揺れだった。

「まさか、虚数学区の鍵がわざわざ出向いてきてくれるなんてねぇ」

虚数学区の鍵。
それは、姫神が言っていた――

「風斬、逃げろ!」

上条は風斬に向かって叫ぶが、当の本人はきょとんとするだけ。

「二人仲良く地獄へ送ってやるよ」

その間にも、ゴーレムの右手が地面を殴って瓦礫にして、その瓦礫を掴んで風斬に投擲する。

「ちくしょう!」

上条は回避で精一杯だった。
風斬を庇う余裕などなかった。
その結果は如実にして現れた。

ゴッシャア!と壮絶な音と共に、風斬の体は大きく後ろへ吹き飛んだ。

「風斬ぃ!」

上条は思わず風斬の下へ走っていた。
そして側まで駆けよって、その足が止まった。

「ぁ……」

傷口を見て、上条は絶句した。
頭の左半分がなかった。ただ、上条が真に驚いたのは、そこではない。
なくなっている頭の左半分は、空洞になっていた。
肉も骨も脳髄も何もなく、血は一滴も流れていなかった。

そんな光景を見て、上条は小萌先生の仮説を思い出す。
カザキリヒョウカは、AIM拡散力場の集まりなのではないか、ということを。

「う……」

風斬は呻き声のようなものをあげて、静かに起き上がった。
彼女の頭部から、正確には頭部の中にある小さい長方形で構成された三角柱からは、
カチャカチャとキーボードを叩いているような音が流れていた。

「あ……れ……私……」

風斬はゆっくりと左手で、空洞になっている頭の左半分の縁に触れた。

「あ、れ……何、これ……」

何か違和感に気付いた風斬は、そのまま縁を触り続けて、

「きゃっ」

風斬の左手を押しのけて、頭の左半分が再生し始めた。

「い、や……いやぁ!」

違和感が一瞬にして爆発した風斬は、錯乱状態になってシェリーの方へ走りだしていた。

「待て!風斬!」

再生の一部始終を見て動揺した上条は、風斬が走り出したところでようやく我に返った。
が、風斬を引き止める事は出来なかった。
風斬は普通の人間ではない。小萌先生の仮説は現実味を帯びた。
小萌先生の仮説通り、AIM拡散力場の塊ならば、右手で触れてしまえば打ち消してしまう。
そう思って逡巡したため、完全に出遅れた。

一方、上条と同じく風斬の一部始終を見てさすがに動揺した硬直したシェリーも、
これまた上条と同じく風斬が走り出したところで我に返って、エリスに命令を送った。
命令を受け取ったエリスの腕が唸る。

ゴーレムに殴られた風斬の体がピンポン球のように地下通路を跳ねまわった。
その結果左腕は半ばから捻じ切れ、脇腹もぐちゃぐちゃに潰れていた。
それでも、

「ぅ……ああ……」

風斬氷華の体は、蠢いた。

「ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!」

その事実に発狂した風斬は、シェリーに目もくれず、通路の奥へ走り去っていった。

「面白い。まずは虚数学区の鍵から沈めるか」

シェリーがそう言ってオイルパステルを振るうと、ゴーレムは天井を殴りつけた。
そうして崩れ去った天井の建材の一部は、上条達の追撃を阻むバリケードとなる。

「風斬……」

呆然と立ち尽くすことしかできない上条の下へ白井が警備員を連れてやってきたのは、それから数分後の事だった。

>>309
上条と同じく風斬の一部始終を見て→上条と同じく再生の一部始終を見て
動揺した硬直した→動揺して硬直していた

薄暗い地下とは異なり、地上は太陽が眩しいくらいに照りつける炎天下だった。
しかも廃墟ビルの屋上に立っているために、その暑さはなおさらだった。
廃墟ビルの上にいるのは、インデックスと御坂だ。
理由は単純で、地下からの不意打ちを受けないようにする為だ。
廃墟ビルが下から破壊される事もあるかもしれないが、その場合は磁力を駆使すればどうとでもなる。

「あっついね」

傍らにいるインデックスが、そんな事を呟いた。

「そうね」

御坂もそれに同調する。

「みことは、とうまのこと、心配?」

「……まあ、心配していないと言ったらウソになるわね」

かつて最強の超能力者やアステカの魔術師を退けた彼なら、きっと大丈夫だとは思うのだが、今回も絶対に勝てる保証はどこにもない。

「そっちは?」

「大丈夫だと思う。とうまは信じろって言っていたもん。それに、なんだかんだでいつもちゃんと帰ってくるしね」

その言葉は嘘ではないのだろう。
ただ、その割にはどこかそわそわしている様子が窺える。
決して矛盾ではない。心配するのが当たり前なのだ。

にしても、だ。帰ってくるとは言ってくれる。
上条の話とインデックスに食事をおごった時に聞いた話から、馴れ初めと同居しているらしいのは聞いた。
正直ショックだった。
なぜショックかは分からない。
ショックと言えば、地下での上条とインデックスのやりとり。
信じろ、と上条は言って、喚いていたインデックスは、その一言で大人しくなった。
そのやりとりが示すものは、絆や信頼だ。
よくもまあ見せつけてくれたものだ。しかもそんなインデックスを守るのは自分。
なんかちょっとだるい、という気持ちが、ひょっとしたら顔に出ていたかもしれない。
無論、それでインデックスを守ることに手を抜くつもりは毛頭ないが。

「きゃあ!」

地下通路をがむしゃらに走っていた風斬は、足がもつれて派手に転んだ。
そこへ、

「よお」

ゴーレムの左手に乗った褐色の肌の女が、いびつな笑みを浮かべながらやってきた。

「ひ……」

風斬は、殴られた時の激痛を思い出して反射的に逃げだそうとしたが、恐怖と焦りのあまり、足が動かない。
そんな風斬に向かって、ゴーレムは右拳を振るう。

「いやああああああ!」

叫ぶ風斬は倒れたまま転がって拳のクリーンヒットだけは免れたものの、拳が地面に直撃した余波だけで、地面を何メートルも転がった。
眼鏡は割れ、衣服は剥がれ、皮膚が削れた。

「う、ぐう……」

うめく風斬の体は、やはり例の如く再生していく。削れた皮膚はもちろん、衣服や眼鏡といったものまで。

「まあ、致命傷ですら再生したのだから、今程度のダメージで絶命するわけないよなあ」

平然と言ってのける女。まるで、どれくらいで壊れるのか試してみよう、みたいな調子だった。

「どう……して……こんな……酷い事を……」

「私が標的とする人間の中で、あなたが一番手っ取り早そうだったから。それだけよ」

「何……それ……」

「あら失礼。人間ではなかったわね。あなたはただの化け物だものね」

「化け……物……」

「何その反応。あなたが化け物じゃなければ、何が化け物だって言うの?
 致命傷受けたのに即再生して走り回るやつが、普通の人間な訳ないでしょう?」

「あ……なたは……どうして……そんなにも……」

「おいおい何だ、その顔は。化け物を殺そうとする私の何が酷いって言うの?
 大体、テメェみたいな化け物の居場所なんて、存在するのかしら?」

決定的な一言を言われて、風斬は何も言えなくなった。
こんなにも自分の命を軽く扱われ、化け物呼ばわりされて、屈辱のあまり涙が流れ止まらなかった。
こんなにも悔しいのに、この事態を打開できない自分の弱さが情けなくて、流れる涙に拍車がかかった。

「ついに泣きだしたよ、コイツ。
 あなたみたいな化け物が、一丁前に死ぬのが怖いとでも思っているのかしら?」

「う。うぅ……」

「こんな訳の分からないモノを抱えているなんて、本当、科学ってのは狂っているよなあ」

褐色の女性の言葉なんて最早耳に入っていなかった。
風斬の中で、今日の思い出が走馬灯のように思い出される。
今日初めて学校へ行った。だから、自分が転入生だと思い込んでいた。初めて他人と喋った。だから、インデックスと仲良くなれた。
初めて。そう、何もかもが初めてで、今日より過去の記憶がなかった。
なんでその事に気付かなかったのか。分からない。分かりたくもない。
ただ一つだけ言えるのは、自分は化け物であるという事。
そしてこんな化け物がインデックスと仲良くする事は、もう二度と出来ないという事。

風斬はインデックスと撮ったプリクラを胸に抱きながら、背中を丸めて泣き続けた。

「ま、なるべく一瞬で楽にしてやるように努力はしてやるよ。とりあえずはミンチだな」

風斬は絶望の中、思った。死にたくない。と。
だが、それ以上に、この先誰にも必要とされなくて、
顔を合わせただけで皆から石を投げつけられるような存在として生き続けるぐらいなら、
いっそのこと死んだ方がマシかもしれない。と。

オイルパステルが振るわれ、ゴーレムの拳が風斬に向かって繰り出された。
風斬はこれからくるだろう地獄のような激痛に身を固めていたが、覚悟していたような激痛はやってこなかった。
その代わり、

風斬を潰すために放たれたエリスの右拳が内側から弾け飛び、その衝撃がビリビリと伝わってきた。

「あぁ?」

命令によってエリスをあえて爆発させる事はあるが、今はそんな命令はしていない。
虚数学区の鍵をプレスする為に拳を放らせたはずなのに。

「また会いましたわね。テロリストさん」

いつの間にか、ツインテールが虚数学区の鍵の隣にいた。
という事実に気を取られたからか。背後から迫る一つ影に気付くのが遅れた。

ガラスが割れるような甲高い音が響いたと思ったら、エリスが崩れ去った。

「これ、は――!」

幻想殺し。
が、もう遅い。
エリスの左手に乗っていた事が仇になった。
エリスが崩れ去るのと連動して、シェリーも落下して地面に叩きつけられる。

「く……そがぁ!」

エリスが崩れたことにより舞う粉塵の中、シェリーは倒れ伏したまま一瞬でエリスを召喚する魔法陣を書く。
震動と共に、エリスが召喚される。
煙が晴れる。

「どう……して……」

「あん?」

「どう……して……私なんかを……助けたんですか……」

風斬の疑問は、シェリーも同様に抱いた。

「ったく。そうだよ。なんでテメェらは、そんな化け物を助ける?
 そいつが死んだところで、誰も悲しまねぇだろうが!」

二人の疑問に、風斬を守るように彼女の前に立っている上条は、シンプルな答えを告げる。

「インデックスの友達だからだ。風斬に何かあったら、インデックスや俺が悲しむ」

上条の言葉に、シェリーは数秒間絶句した後、

「冗談だろ?テメェは化け物に感情移入するのかよ?
 それとも、女の形を成しているのなら何でもいい変態なのかテメェは!」

煽るようなシェリーの言葉に対して、上条は一秒の間も空けずに、

「馬鹿じゃねぇのか、お前」

「ああ?」

「そういう問題じゃねぇんだよ。
 風斬はインデックスの友達だ。普通の人間じゃないからって、その事実に変わりはない。
 だから何かあったら悲しいし、守りたいと思う。
 大事なのは、風斬という『存在』と、そこから派生する『繋がり』だ!」

「……気持ち悪いわね。もういいわ。テメェら全員、ここで死ね」

シェリーがオイルパステルを振るい、ゴーレムが動き出す。

「……に、逃げてください!あの人の狙いは私です!二人を巻き込む訳には――」

「何をおっしゃっていますの?学園都市の治安を守るのが風紀委員の務めです。
 学園都市の治安を脅かし、あまつさえ住人を傷つけようとしている輩を放っておくわけにはいきませんの」

「そもそも、二人じゃねぇしな」

「え?」

風斬が疑問の声を上げた、その時だった。

「きゃっ」

視界が潰されるほどの閃光が、シェリーと自分達を照らし出した。

「これ……は……」

「警備員」

上条の言葉通り、閃光の正体は三〇人ほどの警備員が構えている銃に取り付けられたフラッシュライトだった。
彼らの中に無傷な者はいなかった。頭や体には包帯を巻いて、腕や足は引きずっていた。
病院のベッドにいてもおかしくない人達ばかりだ。
側にいる少年もそうだ。
身体中は傷だらけで、着ている制服はボロボロで、頭には包帯が巻いてあった。
ツインテールの風紀委員の少女は、特に目立った傷はなかったが、足に包帯が巻いてあった。
それでも、皆が皆、立ち上がってくれた。
誰のために、何のためにかなど、言うまでもない。
だからこそ、疑問だった。
何でこんな自分を、助けようとしているのか。
自分が普通の人間でない事は、少年が説明しているはずだ。
自分を利用して囮にでもしていれば、今頃あの女は捕まっていたかもしれないのに。
余裕もない状況でわざわざあんな危険な女の前に躍り出てきたのか。

「どうして……」

呟くような風斬の一言に、上条が反応した。

「何度も言わせんな。お前という存在が大切だからだよ」

「私が……大切……」

「そうだよ。ここにいる全員が、お前を助けたいと思っているんだ。
 分かったらその涙を拭って前を見ろ。胸を張って誇りに思え」

「私……この世界に……いていいんですか……」

「ああ。あいつを捕まえたら、またインデックスと三人でどこか遊びにいこう」

「気持ち悪いわね本当に。鳥肌が立ったし吐き気もする。
 そんなに仲良しごっこがしたいなら、まとめて地獄に送ってやるわよ!」

「鼻息荒くしているところ悪いのですが、すでにチェックメイトだと思いますの」

「何?」

「挟み撃ち」

上条は簡潔に事実を述べた。

「俺達にゴーレムをけしかければ、警備員がお前を撃ち抜く。
 警備員にゴーレムをぶつければ、俺達がお前をボコボコにする」

幻想殺しの言う通り、確かに現状挟み撃ちをされていた。
前方には幻想殺し、ツインテール、虚数学区の鍵、後方には警備員達。

「おとなしく降参したらどうですの?降参の証は、その石像から降りて両手をあげてくださればいいですの」

「違う」

白井の提案を、上条は否定して、

「降参するなら、右手のオイルパステルを地面に落とせ」

上条の宣告を受けて、シェリーは無言でゴーレムの手から飛び降りる。
その行為に危機を察知した上条はシェリーに向かって駆けだすが、遅かった。
シェリーが迅速に書き上げた魔法陣を中心として、地面が崩落したのだ。

「くそっ!」

崩落に巻き込まれないように急ブレーキをかけた上条は、
崩落に巻き込まれて闇の中に溶けていくように消えるシェリーを見つめることしかできなかった。
後に残ったのは、崩れ去るゴーレムと、何メートルあるかも分からない空洞だけだった。

「やられましたわね」

駆け寄ってきた白井がそんな事を言った。

「下には地下鉄の線路が走っているみたいだな……」

だが、危険を冒してまで地下鉄の線路に降りざるを得なかったところを見ると、それなりに追い込まれていたと考えるのが妥当だ。
ゴーレムも二体以上の召喚は出来ないのだろう。
出来ていれば、挟み撃ちにだって対応出来るのだから。

「おい、上条!」

黄泉川先生が空洞の向こう側から、大声で名前を呼んできた。

「何ですか!?」

「お友達はもう助けたんじゃん!だったら、お前はもう避難するじゃん!」

そう言えば友達を助けるとかいう嘘をついた気もする。
もっとも、その嘘は今となっては真実となったが。

「そうですわね。そろそろ民間人のカミジョーさんはお暇するべきですわね」

「……そう、だな」

禁書目録は一緒じゃない、か。
という発言から鑑みるに、シェリーが自分達の動向を完璧に把握していた訳ではないのは明らかだ。
だが再び『眼球』を使用され、インデックスの位置が補足されないとも限らない。
そのための保険として御坂にお願いしたのだが、任せっぱなしにする訳にもいかない。
これからシェリーが地下でどれだけ暴れても、自分だって生き埋めになるだけだろうから、おそらく、インデックスを仕留めに地上へやってくるはずだ。
警備員達や、シェリーの足に金属矢で擦過傷を付けたり手榴弾を空間移動することによってゴーレムの右腕を吹き飛ばした白井がいるなか、
自分や風斬を狙うとは考えにくい。
もっとも、それを言い出したら一度シェリーを退けたらしい御坂がいるところを狙うとも限らないのだが。
しかし、これ以上黄泉川先生や白井の忠告を無視して地下に残り続けるのもきつい。
それに自分達も地上へ出てインデックスと合流すれば、シェリーとしては標的が一か所に集まった事になる。
その機を逃さない手はないだろう。
一か所に集まるのはまとめてやられるリスクもあるが、代わりに守り合うことができる。
とにかく、地上で最終決戦だ。

暗い地下鉄の構内を、エリスが歩いていた。
エリスの左手には、シェリーがいた。
なぜ地面を歩かないのかと言えば、幻想殺しに触れられたことにより地面から数センチ浮遊する術式を壊されたからだ。
術式がないと、震動をまともに受けてしまうからだ。

構内でゴーレムを作り上げる前に、眼球を放ち標的の位置は掴んだ。
標的の側には茶髪の超電磁砲もいたが、戦術次第では充分勝機はある。
あるが、とにかく忌々しい。
脳をいじって人工的に開発された能力者。
致命傷を受けても再生する化け物。
そんな化け物を守るとかほざく人間ども。
皆この街が、科学世界が悪い。憎い。

「潰すぞ、エリス」

エリスとは、元々はゴーレムの名前ではない。
二〇年前死んだ、一人の超能力者の名前だった。

風斬氷華は人間ではない。
一〇年前のある日。
彼女は気がつけば『街』に立っていた。
『街』と言っても、学園都市ではない。
しかし、座標的には学園都市と全く同じ位置に存在する。
学園都市に住む一八〇万人もの能力者達が放つAIM拡散力場によって作られた、見えざる『陽炎の街』だ。
『陽炎の街』には影や重さ、空気の流れがなく、どこまでも薄っぺらだった。
時折風に吹かれた蝋燭の火のように、ビルも街路樹も人間も揺らいで、ノイズを散らす。
もしもAIM拡散力場を視認できる人間がいたら、『陽炎の街』は学園都市にぴったりと重なるように存在しているのが分かるだろう。
風斬氷華はAIM拡散力場が作り上げた街の中にすむ、AIM拡散力場で作られた人間だった。

風斬はなぜ自分が『陽炎の街』に立っていたのかは、未だに分からない。
自分の持ち物の中から名前などの個人情報を知った。
『陽炎の街』にいる人々は、その場その場の役割に応じて人の姿形から性格・記憶までが適した形に変化していく。
たとえば、風斬が道行く女子高生に話しかけると、その瞬間に彼女の姿は警察官へと変貌する。
『風斬氷華の疑問に答える』という役割を果たすために姿形が変わっていく人達。
それを見て風斬は恐くなった。自分の行動が『陽炎の街』に居る人間の心や体を塗りつぶしているような気がしたから。

何故自分だけがそうした『変化』に巻き込まれないのか。
最初は分からなかったが、少しずつ予想は固まっていった。
『陽炎の街』の人々は『役割』に応じて姿形変えて行動する。
つまり、誰かが『役割』を与えない限りは、誰も動かず『街』の機能が停止してしまう。
自分はゼンマイだ。
たとえば風斬がコンビニでジュースを買おうとすると、コンビニの店員が動き、
ジュースの配送業者が動き、冷蔵室に電気を通す発電所が動き、
ジュースを作る工場が動き、ペットボトルの回収業者が動く。
『陽炎の街』の住人たる『歯車』達は、風斬という『ゼンマイ』によって作用される。
『陽炎の街』の住人は、命のない人形ではなく、れっきとした命を持つ人間だ。
自分がどう行動しても別の誰かの人生を狂わせてしまうのが怖かった。
怖かったから、風斬は『陽炎の街』から逃げ出したかった。
しかし、下手に動けば他の人々を巻き込んでしまう。
だから、何もせずに立ち尽くして見ていることしかできなかった。
同じ座標にあるのに、決して触れられないもう一つの街――学園都市という『外』を。
自分の存在は、学園都市の人々には気付いてもらえない。
学園都市の学生達の目の前に立っても彼らの視界には映らないし、手を伸ばしても体はすり抜けてしまう。
それでも風斬は、薄々無理だと分かっていても、学園都市の住人とコンタクトを取ろうとすることを諦めなかった。
だからこそ、食堂で銀髪少女の肩に触れられた時は驚いた。

「風斬、お前はどこか安全なところへ行け」

風斬の知らないところで何かの偶然が重なって、ようやく皆と笑いあえるようになった。
自分が化け物であるという記憶を封じてでも守りたいと思える、大切な宝物になった。
だけれども、これからやろうとしている事は、その宝物を手放すことになる。
それ以上に大切な、決して失いたくないモノを守るために。

「嫌です……」

「じゃあ、あのゴーレムと一緒に戦うって言うのか」

「はい。こんな私でも……囮くらいにはなれます。私、どうしても『あの子』を助けたいんです」

少年から話は聞いた。
『あの子』が狙われているという事を。

「……分かったよ。ただし、囮じゃ駄目だ。一緒に戦って、インデックスを守ろう」

「はい」

そうは言うが、自分の正体を知れば『あの子』は絶対に引くだろう。
それでも、自分の力を一二〇パーセント、化け物の力をいかんなく発揮しなければ、あのゴーレムには太刀打ちできない。
それでいい。たとえ『あの子』に拒絶されることになっても、その笑顔を守れるなら。

黒子から電話があった。
これから地上に出てくると思われるテロリストを地上で迎撃したいので、場所を教えてほしいと。
つい先程までとある廃墟ビルの屋上にいたのだが、今はインデックスの『喉が渇いたかも』の一言で、
廃墟ビルを降りてまで自販機を探している最中だ。
つまり、現在進行形で動いているので、正確な位置は分からない。
とはいえ大体の住所は教えられるし、まあゴーレムが出てきて争いになれば、その騒ぎを察知して駆けつけられるはずだ。
という旨の返事をしておいた。

「ねぇみこと。何がお勧めなの?」

学園都市で売っている缶ジュースは、基本的に大学や研究所でなどで作られた『試験品』で、普通とは異なるジュースが多種多様に売っている。
しかし、ほとんどが地雷ばかりで、純粋なお勧めは正直ない。
『ガラナ青汁』と『いちごおでん』の二大地獄を始め、九割はまずいジュースしかない。
よって消去法でお勧めするのは、

「私はヤシの実サイダーが好きかな」

あとは『スープカレー』が味的には悪くないが、夏に飲むものではない。

「じゃあそれ飲んでみる!」

インデックスは自販機のボタンを押して、落ちてきた音を確認すると、缶ジュースを取りだして、

「見て!私、一人でジュースを買えたんだよ!」

「そう。よかったわね」

自販機で缶ジュースを買うなんて、小学生でもできることだ。
ましてや完全記憶能力があるのなら、できないほうがおかしいくらいだ。
それなのに彼女は、基本的に機械類の操作が致命的に出来ないらしい。
その辺のメカニズムは分かっていない、と上条から聞いている。
でもまあ、笑顔が可愛くて癒されたから、もうどうでもよかった。

「ありがとうね。みこと」

「うん。どういたしまして」

お礼を言われたのは、ジュースが奢りだからだろう。
インデックスはプルタブに一五秒ほど悪戦苦闘した後、何とか開けて無事に飲むことに成功したようだ。

「ぷはーっ!ごちそうさまなんだよ!」

三秒で缶ジュースを飲みほしたインデックスは、ゴミ箱を探し始めた。
その時だった。

ゴトゴトと、足下にあるマンホールが揺れ出した。

「――まずいかも!みこと!」

インデックスは空き缶を放り捨てて御坂に飛びつく。
直後だった。

御坂がついさっきまで立っていた場所が爆発した。
爆心地からは、岩の『腕』が伸びていた。

「きやがったわね……!」

敵はこちらを狙える術があると聞いて、どこでも戦場になってしまう可能性を考慮して、なるべく人通りが少ない場所を選んだつもりだ。

御坂が好戦的な笑みを浮かべる中、インデックスの眼が音もなく細まっていた。
イギリス清教第零聖堂区『必要悪の教会』禁書目録としての膨大な知識が意識の底から浮上する。
一瞬で情報は整理され、目の前の敵の正体を浮き彫りにする。

――基本理論はカバラ、主要用途は防衛・適性の排除、抽出年代は十六世紀、ゲルショム=ショーレムいわく、その本質はと無形と不定形。

ゴーレムと聞くと、石や土で出来た無骨なものを想像しがちだが、実際のカバラでは、
神様は土から人を作ったとされていて、その手法を人間が真似た不完全な代物がゴーレムである。
つまりゴーレムとは、もともとは『できそこないの複製人間』なのだ。

――応用性あり、オリジナルにイギリス清教術式を混合、言語系統はヘブライから英語へ変更、人体各部を十字架に照合。

ただし、目の前のゴーレムはただのヒトガタとは違う。
一つ上の存在――人とよく似た天使を組み立てようとしているみたいだ。
頭部、右手、左手、脚部をそれぞれ十字架の先端に見立て、各部に対応する四大天使の力を配分して、
より戦闘に特化した泥と土の人形を作り上げようとしたのだろう。
しかし、人間程度では天使の力を操り切れなどしない。完璧な天使などは作れないのだ。
それでも、充分危険な存在であることに変わりはないのだが。

ズドン!と、ゴーレムの足踏みにより大地が震動する。
上条ですらギリギリ体勢を崩し切らなかったレベルの震動により、インデックスは愚か御坂までふらついてしまう。
その間に、ゴーレムの右拳がインデックスへ向かって繰り出される。

「やっば――」

御坂は能力名にもなっている『超電磁砲』を放とうとしたが、コインは震動で落としてしまっていた。
雷撃の槍ではどうにもならないだろう。
やはり『超電磁砲』や砂鉄などの物理を伴う攻撃でない限り、ゴーレムをどうにかすることはできない。

「こんのっ!」

砂鉄の盾では貫かれてしまうし、磁力で金属類を寄せ集めた盾でも盾ごと押しつぶされてしまう。
そもそも、磁力で金属類を寄せ集める暇もない。
すると出来る事は、黒子を助けたように砂鉄で拳を縫いとめるぐらいだ。
御坂は砂鉄をゴーレムの拳目がけて放つが、

「TTTL(左方へ歪曲せよ)」

一言。
インデックスが言っただけで、ゴーレムの右拳が大きく左へ逸れた。
そのせいで砂鉄は空を切り、何もない空間を薙ぎ払ったゴーレムは、しかしその勢いを逆に利用して、左拳を放つ。

「CFA(上方へ変更せよ)」

だがその左拳も軌道を曲げて、インデックスの頭上を通り過ぎる。

「PIOBTLL(左脚を後ろへ)」

バランスを無視してゴーレムの左脚がいきなり後ろへ動いた。
拳を振り上げたところで重心を失ったゴーレムはそのまま後ろへ倒れてしまう。

「ちょっと、すごいじゃない……」

御坂が舌を巻く中、インデックスは後方へ数歩跳びながら周囲の状況を確認する。
術者は見えるところにはいない。
となると、術者はどこか見えるところから遠隔操作しているか。ゴーレムの五感を介して遠隔操作しているか。
どちらにせよ、遠隔操作であることに変わりはない。
そこに付け入る隙がある。
強制詠唱(スペルインターセプト)。
原理は単純。魔術の命令とは術者の頭の中で組み立てられる。
ならば術者の頭を混乱させることができれば、その命令の妨害も可能だ。
たとえば、頭の中で暗算をしている人の耳元で、デタラメな数字を囁いて暗算を妨害するように。
インデックスに魔術は使えない。
しかし、敵の魔術を逆手にとって自爆をさせる事は出来る。
無論、それはインデックス並の知識があってこそ。
ただのド素人が彼女の真似をしてアルファベットを囁いたって、何の意味もない。
インデックスが放つアルファベットには、頭文字のみ発音することで詠唱の暗号化と簡略化の意味がある。

しかし、これでは攻撃をやり過ごす事は出来ても、ゴーレムを壊す事は出来ない。
通常、この手のゴーレムには『シェム』と言われる、暴走の時のために『指先で軽く拭っただけで全機能を停止させる』安全装置がついている。
が、そんなものをおいそれと他人が触れられる場所に設置をしているわけはない。
『シェム』はおそらく、体内にある。
では、どうやってゴーレムを止めれば良いか。
答えは単純。壊せばいい。

「みこと!あのゴーレムの体の九〇パーセントを二秒以内に吹き飛ばす事は出来る!?」

「……なかなかの注文、つけてくれるじゃない!」

しかし、御坂は出来ないとは言わなかった。
彼女は地面に両手をつけたあと、万歳をするように一気に振り上げた。
その軌跡に合わせて、黒い鞭のようなものが現れる。

一方、倒れていたゴーレムも起き上がって、右拳を大きく後ろへ振るう。
それを見たインデックスは強制詠唱で割り込みをかけようとしたが、

いつの間にか遠隔操作から自動制御に変更されていた。

「まずいかも――!」

強制詠唱は術者がいなければその効果を発揮しない。
強制詠唱で騙すのは、人間であって、心の無い無機物には一切通用しない。
ゴーレムの右拳が、インデックスへ向かって振るわれる。
インデックスには完全記憶能力や膨大な知識はあっても、ゴーレムの拳を真正面から受け止める力や、避ける術はない。

「――私の事、無視してんじゃないわよ!」

御坂の親指から、彼女の能力名にもなっている『超電磁砲』が放たれる。
それは音速の三倍でゴーレムの右拳へ一直線に向かって、撃ち抜いた。

「助かった――けど、それじゃあ九〇パーセントには程遠いかも!」

「それが助けられた人の第一声!?普通は『ありがとう』でしょうが!
 ていうか、今のは拳をぶち飛ばすためのもの!
 ちゃーんと作戦は考えているから、美琴センセーに任せておきなさいって!」

御坂はインデックスを庇うように、彼女の前に立つ。
大量の砂鉄を渦巻かせながら。
ゴーレムと少女達の距離は五メートルほど。

「さっきのアルファベットでゴーレムの攻撃を逸らしていたのは、もう使えないの?」

「うん。遠隔操作から自動制御に切り替わっちゃったからね」

だが、その分複雑な行動もできなくなる。
『操作』なら右拳で殴れ、とか、まずは足踏みして震動させる、とかできるが、自動制御では、基本的な命令しか実行できない。
とにかく攻めろ、とか、慎重にいけ、などだ。
それでも割り込まれるより自動制御にした方がいいと判断して、自動制御に切り替えたのだろう。

「あ、遠隔操作に切り替わった!」

何が狙いなのかは知らないが、切り替わった以上は強制詠唱の餌食だ。
ゴーレムの左腕が真上に上がる。
インデックスは言葉を紡ごうとするが、すぐに再び自動制御に切り替わった。

「え?」

ゴーレムの左腕が振り下ろされる。
しかし、この距離では体が大きいゴーレムでも届かない。
そう思っていたのだが、

ゴーレムの左拳が、腕から分離してロケットパンチのように放たれた。

――なんで!?

『拳を飛ばす』のは『操作』に値するほどの複雑な操作にカテゴリされる。
ゴーレムが行うには、術者の命令が必要なはずだ。
自動制御では、出来るはずもないのに。

「みこと!遠隔操作が自動制御に――」

「大丈夫!こういう時のための私でしょーが!」

御坂はインデックスに適当に叫び返すと、飛来してくる拳へ砂鉄を放つ。
ただし、切り裂く為ではない。拳にこびりつかせるためだ。

「ちぇいさーっ!」

砂鉄がこびりついた状態で飛んできたゴーレムの右拳を、掛け声とともに反時計回りハイキック。
瞬間、砂鉄でコーティングされたゴーレムの右拳は巨大超電磁砲となって、ゴーレム本体へ蹴り返された。
音速の三倍のそれを鈍重なゴーレムが避けられるはずもなく、まともに喰らって轟音と共に崩れさる。

「す、すごいかも……」

インデックスは素直に驚嘆した。
敵の攻撃をただ防ぐだけではなく、逆に利用して火力不足を補う反撃。
しかし、それでもゴーレムの体の九〇パーセントの破壊には至らず、再生を始めていた。

「今のうちに逃げるべきかも!」

あの一撃でも破壊できなかったところを見ると、これ以上やったってこっちが消耗するだけだ。
再生している隙に逃げるのが吉だ。

「その必要はないわ。アンタも見たでしょ?砂鉄でコーティングすれば、あらゆるものは私の超電磁砲の媒体と化す」

つまり、と御坂は続けて、

「あのゴーレムの本体を砂鉄で覆ってぶん殴れば、それで終わりなのよ」

つまり、これが御坂の作戦だった。
単純明快だが、御坂レベルの地力があってこそのものだ。

「さあて、決めるわよー」

御坂はいまだ再生途中で下半身と胴体しかないゴーレムを砂鉄で覆いつつ駆けて行き、懐に入った。
直後だった。

ゴバッ!と、ゴーレムが爆発した。

「みことー!」

爆発の衝撃によって吹き飛ばされ地面を転がった御坂の下へ駆けよろうとするが、

「こないで!」

命に別状はないみたいだが額からは血を流し、制服に覆われていない部分は擦り傷だらけだらけの御坂は叫び、インデックスの動きを止めた。

「大丈夫……私は大丈夫だから……」

『れーるがん』の弾丸にされるくらいなら、と考えて自爆させて道連れを狙ったのだろう。
自爆は複雑な操作にカテゴリされる。
実際、御坂がゴーレムの懐に入る直前に、自動制御から遠隔操作に変わっていた。
タチが悪いのは、完全な自爆でない限り、自爆作戦は何度でも行える事だ。
端的に言って『さてつでコーティングしてれーるがん』作戦は、もう使えない。

「もう逃げよう!みこと!」

このままやってもこちらが消耗していくだけだ。
ゴーレムの再生が完了するまでの間に、逃げるのが吉だ。

「いや、あれぐらいなら――!」

破壊しきれる。
既に巨大電磁砲と自爆によって、見た目体の七〇パーセントを失ったゴーレムに向かって、御坂は右手と左手、それぞれコインを真上に弾いた。
しかし、それが超電磁砲となって放たれる事はなかった。
ゴーレムを中心として風が渦巻き、コインがゴーレムへ吸い込まれていったからだ。

「いきなり何!?」

「ゴーレムの再生機能を限界まで引き上げたのかも!
 でも再生が終わればこの風はやむはずだから、とりあえずはそれまでの辛抱なんだよ!」

「……そう」

御坂は四つん這いになりながらゴーレムに吸いこまれないようにしつつ、

――でも、このままじゃいけないわね。

自爆によって砂鉄コーティングアタックは無理。
物理を伴わない雷撃の槍でも無理。
一〇〇パーセントの状態からでは、コインでの超電磁砲も火力不足。
砂鉄で切り裂くのも、決定打は与えられない。
超電磁砲の連射も、風の吸いこみによって不可能。
ならば、周囲のあらゆる金属類を集めて放つぐらいか。
しかしそれも、あえて自爆することで避けられるかもしれないし、その後の再生の風によって金属類を集める事も難しいかもしれない。

インデックスの言う通り、逃げるべきなのかもしれない。
少なくとも自分達の安全という点では。
しかしそれでは、この街の住人達が危ない。
標的がいくらインデックスやあの少年とは言え、道行く住人達には一切危害を加えないとは限らない。
いや、あの図体で歩かれるだけで、完全な無害であるはずがないのだ。
ここは退けない。

「……とりあえず、アンタだけでも逃げて」

「アンタだけって……みこと一人でこの化け物とやり合うつもりなの!?」

「そうよ。せめて、アイツとの約束だけは守りたいし」

ゴーレムは多分、二体以上は出せない。
出せるなら、さっさと自分達の位置を捕捉して、少年のところにも自分達のところにもそれぞれ向かわせていれば良いのだから。
出し惜しみをしているとも思えない。
黒子からは、挟み撃ちにされた状態では逃亡を図ったと聞いた。

「……それはできないんだよ」

「はぁ?何でよ!?」

「だって、私が一人で逃げたのを術者が確認したら、それこそゴーレムを一旦崩して再び作って、私を仕留めようとするだろうから」

「……それもそうね」

それ以前に、このゴーレムを自分の足止めにすることによって、術者自身がインデックスをボコボコにする可能性だってある。

「二人で勝とうよ。みこと」

「あれ?二人で逃げるっていう選択もあるけど?」

「それじゃあこの街の人達を巻き込むから駄目って気付いたんだよ」

「そう。ならいいけどさ。勝とうよって言うぐらいなんだから、何か秘策でもあるんでしょうね?」

「ないよ」

即答だった。

「アンタねぇ……じゃあどうするわけよ」

「秘策なんて大げさなものはないけど、突破口なら見つけたんだよ」

「突破口?」

「自動制御なのに『拳を飛ばす』なんて複雑な動作をしたトリックが分かったんだよ」

御坂としては、ちょっと何言っているか分からない、という感じだったのだが、

「どういうことよ?」

「一瞬だけ遠隔操作に変わったのがずっと疑問だったんだけど、きっとその一瞬の間に『拳を飛ばせ』って命令が出たんだよ。
 その命令が完了するまでは、たとえ途中で自動制御になっても関係ないんだよ」

そこまで言われても、正直よくわからない。

「で、それが分かったからどうだって言うの?」

「自動制御から遠隔操作に変わる一瞬で、強制詠唱で隙を作って戦いを有利に進めるんだよ。
 上手く割込められれば、すぐに自動制御に切り替わったって、強制詠唱の効果が完了するまでは適用されないから」

「……もう全然ついていけないんだけど、スペルインターセプトってのは、アルファベットの羅列をしていた、あれ?」

「うん」

「それで隙を作るっていうのは分かった。けど、結局勝ちきれなくない?」

「うん。勝ちきれないよ」

「アンタは本当に何なのよ……」

「根競べだよ。私達とあのゴーレムの」

「根競べ?」

「とうまが来たら、あんなの右手で一発なんだよ」

「そういうことか。でもそれって、二人で勝つとは言わなくない?」

「勝つってことは、何も相手を倒すってことだけじゃないんだよ。今回の私達の『勝ち』は、とうまが来るまで粘る事」

「オッケー。分かったわよ。その勝負、乗ったわ」

そうして、再生が完了したゴーレム達と二人の少女が向かい合う。

学園都市の一画がとても騒がしい。
どう考えたってゴーレムと御坂達が抗戦しているせいだ。
しかし、上条はその現場に向かう事が出来なかった。

「あなたは絶対に通さない」

シェリーが立ち塞がっているからだ。
白井と風斬は先に行った。
何の変哲もない路上で、シェリーまでは六メートルほど。
走って殴りにいくのは簡単だ。
しかし、シェリーの足下に魔法陣らしきものが書いてある。
ぶん殴りにいけば、その魔法陣が発動するのだろう。
どんな罠が仕掛けられているかは分からない。
落とし穴かもしれないし、石柱が飛び出してくるのかもしれない。
魔法陣を消そうと足下に右手を伸ばせば、隙が生じてしまう。

――別ルートからいくか?

無理にこのルートからという必要はない。急がば回れということわざだってある。
だが、回りこまれれば無駄になるし、問題を根本から解決するには、どの道シェリーをどうにかするしかない。

上条は無言で地面を蹴って駆けだす。
シェリーの足下にある魔法陣を狙って。

シェリーの足下の魔法陣に右手で触れると、甲高い音と共に消滅する。
しかし、シェリーの思惑通り、隙が生じる。

「ハッ!」

シェリーの全力のキックを、上条は何とか両腕をクロスしてガードすることによってクリーンヒットは免れる。
ゴロゴロと後ろに何度か転がりつつも、その勢いを利用してすぐに立ち上がり、果敢にシェリーへ向かっていく。

しかしながら、シェリーの速記と上条の足では、前者の方がやや速い。
シェリーがトラップの魔法陣を書き終えた直後に、上条の右手がそれに触れて打ち消す。
その隙に今度はストレートではなく横合いからのキックが襲い掛かる。

「――ッ!」

左腕で敷いたガードに、顔面狙いの右足のキックが直撃する。衝撃により横合いへ転がる上条へ、

「そぉらよ!」

追撃のキックが襲い掛かる。
まだまともに体勢を立て直していない上条は、もはや四足歩行のようになりつつ、とにかく前方へ転がった。

「チッ!」

結局キックを空振ったシェリーが舌打ちをしている間に、上条は起き上がって拳を放つ。

「クソが!」

両腕のガードにより顔面ヒットは免れたシェリーは、しかし拳の勢いに負けて仰向けに倒れる。
だがそれはわざと。
あえて倒れることによってチャンスだと思わせたところへ、仰向け状態で書いた魔法陣トラップの餌食にするためだ。

「誰がそんな手に引っかかるかよ」

シェリーの意図は見透かされていた。
それもそのはず、シェリーの速記と仰向け状態でも魔法陣を問題なく書ける事は、地下で露呈してしまっている。

「さすがに簡単にはいかないか……」

意図は見透かされたが、不利になった訳ではない。状況は五分五分だ。

「うふふふふ。あなたはここで大切な人達が死んでいくのを待つだけよ」

――ちくしょう。

足りない。
シェリーを倒すにはあと一手足りない。
人でもいい。武器でもいい。とにかくあと一手何かがなければ、倒し切れない。
もう頭の中に勝利の方程式は出来上がっているのに。
遠距離から攻撃して、隙を作るか、オイルパステルを落とさせればいけるのに。
それを実行する道具がない。

戦況は五分五分でも、精神的にはシェリーが優位に立っていた。
上条は立ち尽くし、シェリーは微笑む。
時間が刻一刻と過ぎていくなか、一つの異変があった。

突如として、シェリーの右肩からゴスロリの服が千切れ舞った。

「が……ああ……」

呻き声をあげながら、シェリーは右腕を垂らしオイルパステルを落とした。
彼女の右肩からは、赤い液体が溢れ出ていた。

「もしかして……」

一つの可能性に気付いた上条は、次の声でそれを確信に変える。

「いけ!カミやん!」

シェリーの背後から土御門の声。
姿はシェリーで見えないが、彼が銃を撃ったので間違いないだろう。

「行け!って、シェリーを倒すだけではゴーレムは消えないのか!」

大声で尋ねると、大声で返答があった。

「ああ!だから早く行け!」

地上に出た時、まず土御門に電話した。
そしたらお決まりのアナウンスが流れ繋がらなかったのは、あとで聞くとして。

「分かったよ!あとは頼んだぞ!」

それに対する返答はなかったが、まあ大丈夫だろう。
上条は全速力で騒がしい方へ向かっていく。

シェリーが倒れた時点でゴーレムは自動制御オンリーになってしまうのだが、
遠隔操作と自動制御が頻繁に切り替わっていたため、インデックス達はその事実に気付いていなかった。

「ぶっち抜けぇぇぇえええ!」

通算八発目の超電磁砲をぶっ放し、ゴーレムの四分の一を破壊する。
もちろんそれでは致命傷にはならず、風を渦巻かせてゴーレムは再生する。

「まだ来ないの、アイツ……!」

超電磁砲の媒体となるゲームセンターのコインだって無限にある訳じゃない。
残りは数枚程度。超電磁砲がなくなれば、粘ることすら困難になる。

「大丈夫だよ。とうまはきっと来る!」

再生が完了したゴーレムは、少女達へ向かって拳を放つ。
自動制御であるためインデックスは何もできず、御坂は九発目の超電磁砲を放とうとして、

風斬氷華の隕石のような両足飛び蹴りがゴーレムの顔面へヒットした。
その反動で、ゴーレムは真後ろへ倒れ、風斬は大きく弧を描きながらインデックス達の前に立った。

「ひょうか!?」

ゴーレムに蹴りを喰らわせたのもそうだが、さらに驚くべき事があった。
風斬の右脚が、膝からなくなっていたのだ。
あんな石の塊にあれだけの勢いでぶつかっていったのだから当然なのだが、傷口からは血も流れていなければ骨もなく、ただの空洞だった。

「何……」

御坂も驚きの声を上げる中、風斬の右脚は再生されていく。
普通の人間では到底あり得ない光景だ。

「ひょうか、それは一体何……?」

インデックスの頭の中には死者をも扱う魔術の技術・知識が山ほど入っている。
それでも、目の前の状況を説明する事は出来ない。

と、ヒュンという風を切るような音と共に、白井黒子がインデックスと御坂の背後に現れた。

「ちょ、ちょっと、この子は一体何なの!?」

出現したばかりの白井に、御坂は早速疑問をぶつける。

「よく分かりませんの。ただ、そこの白い……インデックスさんでしたっけ、それと、カミジョーさんのお友達らしくて」

「友達!?アンタ、この子の友達なの!?」

御坂は風斬の背中を指さしながら、インデックスに尋ねる。

「うん……でも……」

インデックスが言葉を詰まらせていると、

「ごめんね」

風斬はそう切り出して、

「今まで騙していて、ごめんね」

風斬本人だって、自分が人間じゃない事はつい最近自覚した事なので悪意があって騙した訳ではないのだが、それでも彼女は続ける。

「もう分かったと思うけど、私は、人間じゃないの。傷ついたって、すぐに再生するような化け物なの。
 だから、囮ぐらいにならなれるから、あなた達は逃げて」

「私が囮になるから逃げてですって……?」

わなわなと震えながら、御坂が叫ぶ。

「ふざけんじゃないわよ!それで逃げ仰せられたとしても、何も嬉しくないわよ!」

御坂に続き、インデックスも、

「そうだよ!『ともだち』を見捨てるなんて出来ないんだよ!」

「何、で……」

風斬は肩を震わせながら、震えた声で、

「私は……あの石像と同じなのに……何で……」

「どうでもいいわよ。そんなこと」

風斬が、人間じゃない事で悩んでいるのを、御坂は『そんなこと』と切り捨てて、

「アンタがアイツとインデックスの友達だってんなら、なおさら置いて逃げるわけにはいかないでしょーが」

御坂に続いてインデックスも、

「そうだよ。ひょうかが普通の人間じゃないとしても、ひょうかが私の『ともだち』だっていう事実は変わらないんだよ」

風斬の中で、あの少年の言葉が思い出される。

『風斬はインデックスの友達だ。普通の人間じゃないからって、その事実に変わりはない』

「あなた、カザキリさんでしたっけ?少々卑屈に考えすぎじゃないですの?
 地下でもカミジョーさんに言われたじゃありませんか。いい加減、囮がどうとかいう考えはやめませんと」

最後に、白井はこう締めくくった。

「誰一人欠けてはいけませんの。皆で勝って、皆で笑ってハッピーエンドを迎えましょう」

「……ありがとう、ございます」

ツインテールの子はともかく、インデックスはショックを受けているはずだし、茶髪の子に至っては、そもそも今の状況を全然把握できないはずなのに。
皆、化け物の自分に優しい言葉をかけてくれた。こんな優しい人達を、あんな石の塊に殺させはしない。

「いきます!」

風斬は思い切り地面を蹴って、既に立ち上がっていたゴーレムへ向かう。
ゴーレムはただ『標的を倒せ。邪魔者はすべて排除しろ』の簡単な命令を実行する。
向かってくる風斬に、その大きな拳を振るう。

「危ない!」

「ひょうか!」

叫んだ時には、時すでに遅し。ゴーレムの拳は風斬にモロにぶつかった。
普通の人間なら、その時点でただの肉塊と化していただろうが、風斬は違う。
ゴーレムの拳を、彼女は真正面から受け止めていた。

「すごいかも……」

「でも、あのままじゃあ……」

風斬は確かに拳を受け止めていた。
ただ、余裕が全くないのは見ただけで分かる。
拳を受け止めている両腕と両脚、踏ん張っている地面にヒビが入り、今にも押しつぶされそうになっている。
もう片方の拳を振るわれれば、風斬は粉々に砕け散ってしまうだろう。

「みこと!」

「分かってる!とりあえず超電磁砲を――」

「大丈夫ですわよ」

焦るインデックスと御坂を、白井が自信ありげに言った。

「実はですが、携帯を繋ぎっぱなしにしていたんですの。
 お相手はカミジョーさんなのですけれども――もうすぐ、こちらに到着するみたいですから」

その言葉の直後だった。
少女三人の横を、上条が駆け抜けていき、

「これで終わりだ!」

風斬に止めを刺そうと振るわれていた拳に、上条は右拳をぶつける。
一歩間違えれば複雑骨折にもなりかねないのに、決して臆さず、一瞬のためらいもなく。

拳と拳が激突した瞬間、上条の拳から血が噴き出した。
しかしそれは、キザキザの岩肌を殴ったためにすぎない。
ゴーレムの拳自体は、幻想殺しによって完璧に勢いを殺されていた。
それだけにとどまらず、拳を起点としてゴーレムに亀裂が入っていき、最終的にはガラガラと音を立てて崩れ去った。

今回の上条と御坂のダメージは、冥土帰しにとってはかすり傷を治すようなもので、二人とも入院するような事はなかった。

「悪いな、御坂。そんな怪我を負わせちゃって」

「今回私が怪我しちゃったのは、単純に私の実力不足。アンタが悪いと思う事じゃないわ。
 むしろ、アンタとの約束守れなかったらどうしようと焦ったくらいよ」

一通りの治療を受けた上条と御坂は、夕暮れの病院の屋上で今日一日の事を振り返っていた。

「約束なんて大げさなものじゃないだろ。もとはといえば俺が無理言ったんだ。
 たとえインデックスが危ない目にあっても、御坂を責めるはずないだろ」

「そう言ってくれると、助かるんだけどね。ところで、聞きたい事がいろいろあるんだけどさ。
 まず聞いておきたいのは、アンタ、黒子と連絡先の交換した?」

「したよ。白井が御坂とインデックスのところに一番早く辿り着くと思って、連絡取れた方が、戦況が分かったりして便利かなと思ったし」

「……そうね。なら仕方ないわね」

「仕方ないってなんだよ」

「知らないわよ」

逆切れ気味で言われたが、意味が分からない。

「聞きたいことの二つ目。アンタらの友達だって言う、眼鏡のあの子は何?明らかに人間じゃないわよね?」

「……彼女は、AIM拡散力場の塊なんだ」

「……マジ?」

「ああ。彼女自身がそう言っていた」

地下から地上に出てくる間に、自らの正体を自覚した風斬から、話を聞いた。
小萌先生の仮説は当たっていたのだ。

「まあ、それならあの光景も説明できるかもね」

御坂が言う『あの光景』とは、風斬の右脚が再生したシーンの事だ。

「聞きたいことの三つ目。魔術師はどうなったの?
 ゴーレム崩した後に、魔術師は俺が倒したから大丈夫だとか言っていたけど」

それは土御門に聞かないと分からないのだが、土御門に、自分がスパイであることはばらすなと言われているので、説明のしようがない。

「いやまあ……知り合いの魔術師が引き取ってくれたよ」

「知り合いの魔術師って誰よ?」

「ステイルとか、神裂とか?」

「何で疑問形なのよ。つーかそいつら、インデックスの記憶を消そうとしていた奴らじゃなかったっけ?」

「でも和解したし、そいつらも必要悪の教会のメンバーだし、今回の襲撃者の魔術師も、同じメンバーだし」

「何それ。確かインデックスも、必要悪の教会のメンバーなのよね?じゃあ何で、同じメンバーを狙ったのよ?」

「戦争を起こしたかったらしい。何で戦争を起こしたかったのかまでは聞けなかったけど」

「……なーんか、さっきからアンタにしては言っている事がちぐはぐね」

「……仕方ないだろ。俺だって全知ってわけじゃないんだから」

「まあいいわ。じゃあ聞きたい事の四つ目。
 今回の件で、黒子はある程度魔術に関わってしまったけど、それでも魔術の事は隠し通す?
 それとも、いっそのこと話した方がいい?」

「……白井が追及してくるようなら、話しても構わない。追及してこないなら、わざわざ話す事はないだろ」

「分かった。そういう方向性でいくわ。そっちは聞きたい事とかある?」

「そうだな……『樹形図の設計者』が撃ち落とされたのは知っているか?」

「うん。一応ね。むしろ、アンタがそれを知っている事に驚いたわ」

雲川先輩の事は言っていいのかどうかよく分からないので、ここは一旦誤魔化すべきだろう。

「色々調べたんだよ。正直、実験中止決定があまりにも早すぎたんじゃないかと思ってな」

「私もそう思って、あれから色々調べたのよ。そしたら、『樹形図の設計者』が撃ち落とされたって分かってね」

何でそんな事まで分かったのか疑問だったが、御坂レベルなら能力を応用した電子的ハッキングができるのかもしれないし、
下手に聞いていって、こっちがどうやって調べたのか掘り下げられたら困る。

「そっか。安心したよ。これで実験が再開される事はまずないって分かっているってことが分かったから」

「……私の事、気遣ってくれていたのね」

「そりゃあな」

「……」

何故か黙りこくる御坂。

「……どうした?疲れが出てんのか?」

「……違うわよ。それより、実験って単語で思い出したんだけど、マネーカードがばらまかれていた理由って知ってる?」

「知らないな。なんだ、実験が関係していたのか?」

「うん。実験を止めようと尽力していた人がいてね。その人が、マネーカードをばらまいていたの。
 マネーカードをいたるところにばらまく事で、普段人目のつかない路地や裏通りに意識を向けさせる。
 それで学園都市の監視カメラの穴を人の目で埋めるつもりだったのよ」

「へぇー。実験を止めるためにそこまでした人もいるんだな。
 学園都市は比較的腐っているみたいだけど、住人はまだまだ捨てたもんじゃないな」

「そうね。他に質問は?今日のことで何か聞きたい事は?」

「ない……かな」

「そう」

話が一区切りついたので、

「じゃあ、俺はインデックスと風斬のところへいくよ」

インデックス達は病院のロビーにいるはずだ。

「私は、もう少し風に当たっているわ」

「そうか。それじゃあな」

「うん」

御坂の返事を聞いてから、上条は病院の屋上を後にする。

「はぁ……」

御坂は病院の屋上の手すりにもたれかかりながら、溜息をつく。

今回、上条や黒子やカザキリさんが来なければ、インデックスを守り切れなかったかもしれない。
今回のような事がまたあれば、インデックスどころか、自分の命まで落としてしまうかもしれない。
そうならないためにはどうするか。
強くなるしかない。
しかしそれは、未知なる敵との戦いに身を置くことが前提だ。
平穏な日常を送るのに、黒子の風紀委員の手伝いをするのに、これ以上の力は必要ない。
でも、少年やインデックスが再び狙われる時が来る可能性は充分ある。
けれども、自分に彼らを助ける義務も必要もない。
だが、その時自分はどうしたいと思うだろうか。
きっと、彼らの力になりたいと思うだろう。
その時、このままの自分で後悔しないか。

「……つーか、何をこんなに深刻に考えているんだか」

ネガティブに考え過ぎだ。
今回は相性が悪かったと言っても過言ではない。
自信を失ってはいけない。
それに、一人で戦わなきゃいけないルールなんてない。
力になるという事は、一方的なものではない。
少年やインデックスの補助で良い。
出来ない事を、互いに補い合えばいいのだ。
アステカの魔術師との『あの約束』もあるし、彼はきっと自分を守ってくれる。

「あぅ……」

なんか『あの約束』を思い出したら、妙に恥かしくなった。
顔が真っ赤になっているのが自覚できる。心臓の鼓動が速くなる。
これは一体、なんなのか。
分からないと言えば、黒子と連絡先を交換したと聞いた時に、ちょっとイラついた事や、
実験が早急に中止になった事を気遣ってくれていたのを知った時、嬉しかったことも、なぜなのかが分からない。

「……疲れた」

考えると疲れる。
そうじゃなくても昨日と今日いろいろあって、肉体的にも疲れている。

「……帰るか」

上条が去ってから数分して、御坂は病院の屋上をあとにする。

「上条ちゃん?先生に何か言う事はありませんか?」

インデックス達の下へ行こうとしたら、小萌先生と姫神の二人に捕まって、病院の廊下で尋問を受ける羽目になった。

「えーっと……」

小萌先生は顔こそ笑っているが、目が笑っていない。
選択を少しでも間違えれば、お叱りされるに決まっていた。
まあ多分、テロリストと真っ向勝負を挑んだ事が、黄泉川先生辺りから報告され、
一歩間違えれば死んでいたかもしれないのに上条ちゃんは馬鹿なんですかなんでいっつも先生を心配させるんですか!
みたいなことを言われるだろう。
言われない為にはどうすればいいか。
まさか魔術について説明して、しかも狙われていたから正当防衛したまでです、なんて言えない。

「黄泉川先生から聞いてないですか?友達を助けるために、どうしてもですね……」

「気持ちは分かりますが、それは上条ちゃんの役目ではないのです!
 何のために警備員や風紀委員がいると思っているのですか!
 一歩間違えれば死んでいたかもしれないのに上条ちゃんは馬鹿なんですか!なんでいっつも先生を心配させるんですか!
 上条ちゃんはお勉強こそ出来ますけど、どうにもどこかネジが緩んでいるみたいですね!」

予想通りの台詞にプラスアルファでありがたいお言葉。

「小萌。ここは病院。気持ちは分かるけどもう少し落ち着いて」

小萌先生のヒートアップを止めてくれたのはありがたいが、気持ちは分かるのかよ、と思わず突っ込みを入れたくなるのをこらえる。

「……まったくもう」

小萌先生は腕を組んで、頬を膨らませていじけたようになった。

「……では、俺はこれで」

「ま、待って下さいなのですよ!」

インデックス達のところへ向かおうとしたら、先生に引き止められた。

「な、何でしょうか先生。できればもう説教は勘弁願いたいのですが……」

「それはもういいのです。いつか先生との個人授業をぶち込むことで許すのです」

「小萌。それは職権濫用じゃあ」

姫神に完全同意だ。

「いいのです!先生を心配させた罰なのです!」

「……まあ。それも仕方ないかもね」

そこで折れるなよ!とまたしても突っ込みを入れたくなったが、入れたら入れたでさらに話がこじれそうなので止めておく。

「でも。それって罰というよりは。小萌の個人的願望が含まれている気がする」

「にゃにをバキャなこちょを!」

おそらく、何を馬鹿な事を、と言おうとしたのだろう。

「というか、個人授業とか、そんなことよりですね。分からないことがいくつかあるのですよ」

「分からない事?」

思わず聞き返す。

「はい。分からない事は考えても分からないので口に出す必要はないのですが、
 胸に抱えたままでは気分が悪いので、上条ちゃんに聞いてもらいたいのですよ」

先生の言う通り、分からない事は確かにあった。
御坂に聞いても仕方ないから、彼女には聞かなかったが。

小萌先生は人差し指を立てながら、

「まず一つ目。
 件のカザキリヒョウカさんは、どうして上条ちゃんの近くに『出現』したのでしょうか?
 AIM拡散力場は学園都市中に満たされているので、街の中ならどこに出現したっておかしくないのに、です。
 それにも拘らず、上条ちゃん達の近くに現れ続けたのは何故なのでしょうか。
 まあ、偶然と言われればそれまでなのですけどね」

続いて、と小萌先生は中指を立てて、

「二つ目。
 姫神ちゃんの言う『カザキリヒョウカは虚数学区・五行機関の鍵を握る』とは結局何だったのでしょうか。
 これもあくまで霧ヶ丘の先生の話であって、そもそも眉唾ものの虚数学区・五行機関の鍵なんてなくて、
 ただのデマだったと言われれば、それまでなのですけど」

最後に、と小萌先生は薬指を立てて、

「三つ目。
 テロリストさんは何故、今日『出現』したばかりのカザキリヒョウカさんを狙ってこられたのでしょう。
 学園都市に居る私達ですら、今日初めて知ったのに、です。
 とはいれ、これも因果のない偶然と言われれば、それまでなのですけど」

小萌先生と同じ疑問を持っていた。
特に疑問なのは三つ目。
そもそも、なぜ標的の中に風斬がいたのか。
警備員などは退けただけなのに、風斬に対しては『虚数学区の鍵』と呼称し、殺すことに軽い執着を見せた。
このことから、風斬は自分やインデックスと同格扱いで標的だったと思われる。
一体なぜなのか。

「しかして実際、こんなにも偶然が重なるってあるんですかねー」

きっと、偶然じゃない。
学園都市には、深い闇が巣食っている。
その闇が、今回の事件を引き起こさせたのかもしれないと考える方が、まだ自然だ。

「先生の話はそんなところなのですよ。
 上条ちゃんも今日は疲れていると思うので、個人授業とか、詳しい事は後日話しましょう」

「これで満足か?」

窓のないビルの中枢。
液体で満たされた円筒の中で逆さに浮かんでいるアレイスターに向かって、土御門は吐き捨てるように言った。

「かくして人間は駒のように操られ、また一つ虚数学区・五行機関を掌握する為の完成に近づいたという訳だ」

虚数学区・五行機関。
その正体はAIM拡散力場そのもの。
学園都市にいる一八〇万の学生が無自覚に発している力が織りなすモノ。
五行機関は有害か無害か、それすらも分かっていない。
分かっている事は、不安定である、ということだけ。
不安定だから、普段は機械で計測しなければ分からない程度の力であるのだが、一定の衝撃を加えれば、爆発的に力を増してしまうかもしれない。
そして『一定の衝撃』を、どの程度にすべきかも分からない。
つまり、虚数学区・五行機関に対して、どこまで踏み込んでいいのかも分からず、何が起こるのかも分からないのだ。
では、分からない事だらけの虚数学区・五行機関を制御するためにはどうすればいいか。
その答えは単純。鍵を用意すればいい。
そして、その鍵こそ。

「風斬氷華。
 彼女だって虚数学区の一部分とは言え、人為的に自我を植え付けて実体化の手助けをするなど、正気の沙汰じゃない」

食欲などの生命体の本能が生み出す欲求は『生きるための』『死を遠ざけるための』シグナルとして生み出される。
つまり、生死を知らない、概念がない存在には、本能や自我といったものは芽生えない。
風斬がまさにそれだ。いや、それだった。
今は『幻想殺し』という存在を知ってしまっている。
虚数学区にとって唯一の脅威となり得るモノ。
『幻想殺し』という『死』を教え込めば、心を持たぬ存在に自我を受け付ける事が出来る。
それこそが、風斬が上条を無意識に避けていた理由だ。

「無自我状態より自我がある方が御しやすい」

「そのために、世界が緩やかに狂い始めた事は分かっているのか」

常軌を逸しているのは、何も風斬に自我を植え付けた事だけじゃない。

「今回の一件、理由はどうあれイギリス清教の正規メンバーを警備員や風紀委員、あまつさえ超能力者の手を借りてまで撃退した。
 聖ジョージ大聖堂のお歴々はこれを黙って見過ごすとは思えない。
 まさか、この街一つで魔術師達に勝てるとは思っていないだろう?」

「魔術師どもなど、あれさえ掌握できればとるに足らんよ」

アレイスターの発言に、土御門は眉をひそめる。
なぜそこまでして、虚数学区・五行機関にこだわるのか。

「……まさか」

土御門は、ある一つの結論に至る。
虚数学区・五行機関は、赤外線や高周波のように、そこにあるのに見る事も聞く事も出来ない。
人間とは別位相に存在する、ある種の力の集合体によって構成される生命体。
その存在を、魔術用語で言うとすれば。

「天使……だと言うのか?」

そして、虚数学区の住人――風斬が『天使』と表現されるならば、彼女達が住んでいる『街』とは、

「お前は、人工的に『天界』を作り上げるつもりか!?」

「……」

土御門の問いに、アレイスターは無言だった。

人工的に『天界』を作り上げる……と言っても、
科学的な力のみで作られるなら、それは『天界』や『魔界』などの既存の言葉では表現できない。
カバラにも仏教にも十字教にもヒンドゥーにも表記されていない、まったく新しい『界』が生まれるだろう。
そして『界』の完成は、あらゆる魔術の破滅を意味している。
今のところは未完成の虚数学区の鍵が完成し虚数学区が制御されれば、魔術師は学園都市の中では魔術を使えなくなる。
いや、能力開発がさらに発展し世界中に拡大して、あらゆる人々が能力者になってしまえば、世界はAIM拡散力場で覆われる。
そしたら、世界中の魔術師は一切機能しなくなる。

「待てよ……」

違う。
準備は、とうの昔にできている。
上条の手によって救われた一万強もの『妹達』は、治療目的で世界中に点在する協力機関に送られている。
学園都市に残っているのは、三〇体いないぐらいだろう。
虚数学区のアンテナたる能力者は配備された。
あとは虚数学区を制御して、新たな『界』として起動すれば。
魔術師は魔術が使えないただの人間と化し。
科学サイドはその気になれば世界を征服できる。

と、ここまで考えたところで、アレイスターが口を開いた。

「君が何を考えているのかはよく分からないが、私は教会世界を敵に回すつもりなど毛頭ない。
 『天使』や『天界』などと言われても、私には何が何やらさっぱり」

「ぬかせ。お前以上に魔術に詳しい人間がこの星にいるか」

土御門はアレイスターを睨みながら、

「魔術師、アレイスター=クロウリー」

二〇世紀には、歴史上最大の魔術師が存在した。
彼は世界中で最も優秀な魔術師であると同時、世界で最も魔術を侮辱した魔術師とも呼ばれていた。
魔術の侮辱とは、極めた魔術を捨てて、一から科学を極めようとした事だ。
何を思ってそうしたのかは、誰にも分からない。
ただ、理由なんて関係ない。
世界一の魔術師とはつまり、魔術文化の代表と同義だった。
そんな存在の彼が魔術を捨てて科学に頼った事は、科学文化へ白旗を挙げたようなものだ。
つまるところ、魔術より科学の方が優れていると言っているようなものだった。
故に、アレイスター=クロウリーは魔術に誇りを持っている全世界の魔術師を敵に回した。

「……駄目だ。俺にはお前の考えていることなど分からない。
 いや、まったく予想がつかない訳じゃないが、そこから考えうるあらゆる可能性を考えた場合、真相が見えてこないと言った方がいいか」

新たな『界』を創り出そうとしているのは、きっと間違いじゃない。
ただ、それが最終目的だとは限らない。
そこまでやって、ようやく『大きな何か』の下準備が整うだけかもしれないし、やっぱり『界』を創り出して、魔術師を不能にするのが目的かもしれない。

「まあどれだけ理屈を並べ立てたところで負け惜しみにしかならないが、一つだけ忠告しておく」

「ほう」

「幻想殺しを利用するというのなら覚悟しろ。
 生半可な信念で立ち向かえば、あの右手はお前の世界(げんそう)を喰い殺すぞ」

土御門が告げた直後、空間移動能力者が現れる。
彼女は土御門をエスコートして、窓のないビルの中から空間移動で脱出する。

誰もいなくなった部屋の中で、逆さに浮かぶ人間は呟く。

「私の信じる世界など、とうの昔に壊れているさ」

風斬は病院のロビーにあるソファの上に正座させられていた。
その理由は、同じくソファの上で正座しているインデックスから説教を受けていたからだ。
説教の内容は、なぜ『普通の人間ではない』という理由だけで自らを化け物と言って、自分や上条を遠ざけようとしたのか。
自分達が、普通の人間じゃないというだけの“つまらない理由”で、風斬を見限ると思ったのか。
思ったとしたら、それは怒るべき事でもあるし、悲しむべき事でもある。
普通の人間じゃないということだけで、見限るような人間だと思いこんだ風斬にとても腹が立つし、
見限るような人間だと思われた事がとても悲しかった。
そして何より、自分達が風斬の『ともだち』であることに揺るぎはないという事を。
おおよそこんな感じで十数分説教されたのち、

「ひょうか、何か言うことない?」

「……ごめんなさい」

「分かればよろしいんだよ。
 次何かふざけたこと言ったら、いくらひょうかといえど、噛みつかなきゃいけないかも」

噛みつくとはどういうことか。
ゴーレムと真正面から相対した風斬でも、若干の恐怖を覚える。

と、その時、風斬の輪郭がぶれた。

「え?何?大丈夫?」

心配そうに聞いてくるインデックスに、風斬は微笑みつつ、

「うん。私は、超能力の塊みたいなものだから、不安定なの」

会話の間にも、風斬のぶれは酷くなっていく。

「不安定って……ひょうかはどうなるの?」

「少しの間だけ、見えなくなるだけだよ……」

その言葉に、インデックスは泣きそうになる。

「大丈夫。本当に、見えなくなるだけだから……死ぬわけじゃないんだよ。
 私は、一八〇万もの人達によって支えられているんだよ。
 皆が生きている限り、私だって存在し続けられる。
 姿が見えなくなっても、触れ合う事が出来なくても、私は、あなたを見守ることが出来るから」

「そんなぁ……」

もはや大粒の涙を流しながら、インデックスは弱々しい声をあげる。

「泣かないで……私、あの人に言われたの。また三人で遊ぼうって。
 だから、その時まで、ここは、笑ってお別れしたいの……」

風斬はインデックスを抱き締めつつそう言った。

「分かった。約束だよ?また三人で、とうまと私とひょうかの三人で遊ぼうね?」

インデックスは無理矢理笑って、風斬も笑って答える。

「もちろん」

これで六巻再構成は終了です。

八月三一日から九月一日にかけてはなかなかにハードだった。

九月二日には、雲川先輩から借りていた衣服を返却し、学校に登校してきた土御門と色々な話をした。

まずは、シェリーが戦争を起こしたかった理由について。
一言で言えば、それは復讐のようなものだった。
シェリーにはかつて、エリスという友達がいた。エリスは超能力者だった。
なぜ超能力者であるエリスと魔術師であるシェリーが友達だったのかと言えば、
二〇年前、魔術と科学が手をつなぐ、という動きがあり、とある施設で出会ったからだ。
お互いの知識や技術を使い、超能力と魔術を組み合わせた新たな『異能使い』を生み出そうとした。
そこでシェリーは、エリスに魔術を教えた。
超能力は、大前提として脳を開発しなければどうしたって使う事は出来ないが、魔術は、やり方さえ分かれば誰でも出来る。
もちろん、高度な魔術を使用するには鍛錬を積まなければならないが、簡単なものならすぐに出来る。
だからエリスは、シェリーに教わった簡素な魔術を試してみた。
その結果、エリスは体中から出血しだした。悲劇はそれで終わらなかった。
魔術知識の漏洩を恐れて『騎士派』の人間が施設を襲撃した。
科学と手をつなごうなんて考えていたのは、イギリス清教の中でもほんの一部署だったからだ。
エリスは、騎士達からシェリーを逃がすために傷つくと分かっていながらもさらに魔術を使い、挙句騎士達から棍棒(メイス)で殴られ死んだ。

エリスが体中から出血しだしたのはなぜか。
問うと、土御門はこう答えた。

超能力者に魔術は使えない、と。
魔術とは才能のない人間のために生み出されたもの。
だから、超能力という才能のある人間が魔術を使うと、体に過負荷がかかる、らしい。
エリスの犠牲よって判明した事実だ。

だが、それなら逆恨みではないか。
エリスが傷ついたのは、話を聞く限りでは事故に思える。
むしろ悪いのは、止めを刺した『騎士派』とやらではないのか。
そう言ったら、カミやんの言う事はもっともだが、シェリーなりに現状を危惧したのさ、と言われた。

シェリーは悲劇を体験したからこそ、現状を危惧した。
科学サイドの人間である上条と、魔術サイドの人間であるインデックスが同じ空間に住んでいる事。
これではまた悲劇が起こるかもしれない。
だからこそ、上条かインデックス、またはそのどちらも殺すことによって住み分けをしなければと考えた。

しかし、それじゃあ話が噛み合わない。
悲劇を起こしたくないからって、戦争になったら、それこそ悲劇だ。
そう言ったら、人間そう簡単には割り切れないのさ、と言われた。
要するに、シェリー自身、迷っていたらしい。
戦争を起こしたいと思っていた。でも、戦争になって魔術師や超能力者が死ぬのも嫌だった。
最初から、シェリーの気持ちは、ぐちゃぐちゃだった。
だから、手っ取り早く学園都市を壊したりはしなかったのかもしれない。
シェリーの学園都市侵攻の動機は大方分かった。
しかしながら、疑問が一つ残る。
小萌先生も言っていたが、風斬を狙ったのはなぜか。というより、狙えたのはなぜか。
この疑問に土御門は答えるのを渋っていたが、根気良く粘って引き出した返答は衝撃的なものだった。

虚数学区・五行機関は存在している事。
虚数学区は安全か危険かも分からない不安定な存在である事。
そのため鍵が必要で、それが風斬氷華である事。
鍵たる風斬氷華を制御しやすくするために、様々な方策をした事。
具体的には、シェリーに『虚数学区の鍵』の存在をばらし、上条当麻と接触させて自我を与える事。
それを考えたのは、学園都市統括理事長アレイスター=クロウリーである事。

ふざけんな。
そこまでして虚数学区を制御する必要があるのか。
そうやって怒りを露にしたら、土御門に呆れられた。
だからカミやんには話したくなかったんだ。
お前、こう言ったらアレイスターをぶん殴りたくなるだろ。
だが以前にも言った通り、カミやんには幻想殺しがあり空間移動が効かないから、窓のないビルに入る手段はないぞ。
たとえあっても、アレイスターには指一本触れられないだろうがな。
結局、今の俺らにはどうすることもできない。虚数学区をいち早く制御したい理由も分からないしな、と。

そこまで言われて、シェリーや風斬についてはもう何も言えなくなった。
だから、次に気になる話題へ。

海原、もといエツァリはどうなったのか。
これに関しては、すごく簡素な返答。学園都市で仕事することになった。
魔術師が学園都市で仕事ってどういう事だ。仕事の内容って何なんだ。
問いかけても、どういう仕事かは教えてくれなかった。

仕方ないので『御使堕し』について話題を移す。
堕ちてきた天使は誰に宿っていたのか、ということについて。
結論から言えば、天使はミーシャ=クロイツェフに宿っていた。
根拠は、気絶した彼女の体を調べた結果、『天使の力』(テレズマ)が宿っていた痕跡があったかららしい。
他にも、ミーシャがあまりにも早く日本へ到着した事なども、根拠の一つに挙げられる。
大多数は『御使堕し』の『入れ替わり』にすら気付かず、気付いた者も、そもそもこの現象は何か、犯人は誰かなどを一から考えなければいけない。
考えたら普通、魔術師の仕業だと思うだろう。
もちろん、調べていけば『御使堕し』の影響を受けていない上条当麻という人間が日本にいる、
という事は分かるが、その結論に至り日本にやってくるまでには、かなりの時間を要するだろう。

ではミーシャの場合はどうか。
彼女の場合は、堕とされた当人(人と言っていいのか)だから『御使堕し』、というよりは、人間界に堕とされたことにいち早く気付ける。
天使の行動原理はとにかく『正しい場所に帰還する』だから、この現象が何かとか、考えるはずもない。
ただ『儀式場』を壊すか、術者を倒せばいいと考えるだけ。そして天使の感知力は異常だ。
その感知の力で持って、上条が怪しいと看破し、ロシアから日本まであんなに早くやってきた。
というのが、土御門の論だった。

土御門達が早く来られたのは、上条と面識があったり、イギリス清教が学園都市とつながりがあったりと、いろいろなバックボーンがあったからだ。

ミーシャに宿っていたテレズマは『神の力』(ガブリエル)。
四大天使の一つで、普通の天使とは比べ物にならないらしい。
神裂の話では、天使が宿っている人間を使えば、街一つの破壊は朝飯前。
では『神の力』ならばどれほどの事が出来るのか。
聞いてみたら、地球の半分は火の海に出来るとのことだった。
世界の半分ではなく、地球という天体の半分を火の海にする。
お土産魔法陣を破壊せず、あのまま人間界に留まっていたら、それが現実になっていたかもしれなかった。

まあ、大事にならずに済んだというわけだ。だが、疑問が一つあるんだ、と土御門。
疑問?と聞き返すと、カミやんに言っても仕方ないんだけどな。でも、抱えたままじゃ気持ち悪いから言うわ。と。

『神の力』を宿していた赤い少女、ミーシャ=クロイツェフ。
しかし、ミーシャ=クロイツェフとは偽名で、本名はサーシャ=クロイツェフだった。
魔術の仕事において偽名を名乗るのは珍しい事ではないが、ロシアの女性がミーシャを名乗るのはあまりにも不自然だ。
なぜなら、『ミーシャ』とはロシアでは一般的に、男性名であるミハイルのニックネームだからだ。
偽名って本来、本名が知られたくないから名乗るんだろう。
でも、ロシアの女性がミーシャなんて名乗ったら、偽名である事は一発で分かる。
日本で例えるなら、女性が、私は太郎です、って言っているようなものだ。
問い詰めない限りは本名を知る術はないが、偽名で本名を隠している事実はすぐに分かる。

確かにそれは疑問だな、と同調すると、土御門はこんな事を言いだした。
『ミーシャ』って、一口に言ってもいろいろある。
ロシアでは男性名ミハイルのニックネーム、英語圏ではマイケル、そして、大天使ミカエルに由来するものでもある。
だが、サーシャに宿っていた天使は『神の力』。
よって『神の如き者』(ミカエル)から、ミーシャを名乗ったというのも無理がある話だ。

と言われても、何がなんだかよく分からない。
土御門は、多分何かあると思うんだが……まあ、こんなところが『御使堕し』の分かっている事の全てだ。
ということで、この話題は終わった。

最後に、土御門から忠告を貰った。
魔術師を科学サイドの人間が裁いてはいけない。これがどういう意味か分かるよな。
どうしてもという場合は仕方ないが、なるべく科学サイドの人間は巻き込むなよ。
あと、俺が電話に出ない時は、どうしても出られない時だ。出なかった時は、潔く諦めてくれ。

こちらも忠告しておく。
お前の妹、やんちゃすぎ。そのせいでインデックスが危ない目にあった。ちゃんと躾ておけ。
そう言ったら、軽く喧嘩になった。

聖ジョージ大聖堂は、大聖堂とは言うものの、ロンドンの中心街にあるたくさんの教会のひとつにすぎない。
なかなか大きな建物ではあるが、ウェストミンスター寺院、聖ポール大聖堂などの世界的観光地と比べると、格段に小さい。
イギリス清教始まりの場所と言われるカンタベリー寺院とは比較にすらならない。
そもそも、ロンドンには『聖ジョージ』と名のつく建物はたくさんある。
教会はもちろん、デパートにレストラン、学校などにも。
それどころか『聖ジョージ大聖堂』でも一〇以上はあるかもしれない。
『聖ジョージ』は国旗のデザインにかかわる程有名なワードなので無理もない。
その聖ジョージ大聖堂は、元々『必要悪の教会』の本拠地だった。これは良い意味ではない。
教会の人間のくせに汚れた魔術を使い、イギリス国内の魔術結社とそこに所属する魔術師の徹底的な殲滅・処分を業務とする『必要悪の教会』の面々は、
イギリス清教の中では厄介者だったため、イギリス清教総本山と呼ばれるカンタベリーから左遷される形で与えられたのが、この聖ジョージ大聖堂なのだ。

しかし、窓際の一部署に過ぎかなった『必要悪の教会』は、成果を上げ続けた。
その結果、英国国教という巨大な組織の中で信頼と権限が積み上げられた。
今でもイギリス清教の心臓部はカンタベリー寺院だが、実質的な頭脳部は完全に聖ジョージ大聖堂となっていた。

築三〇〇年を軽く越す石造りのアパートが左右に立ち並ぶ道を、赤い髪の神父と黄金の髪をなびかせる少女が歩いていた。

「最大主教(アークビショップ)」

赤い髪の神父――ステイル=マグヌスは、隣を歩くイギリス清教第零聖堂区『必要悪の教会』のトップに声をかける。

「せっかく地味な装束を選ったのだから、仰々しき名前で呼ぶベからずなのよ」

簡素なベージュの修道服に身を包んだ、青い瞳に白い肌の見た目は一八歳ぐらいの少女は日本語で言った。
何より異様なのは、彼女の身長の二・五倍はある金髪だ。
それだけの髪をずるずると引きずっているのではなく、くるぶしの辺りで一度折り返し、
頭の後ろにある大きな銀の髪留めを使って固定した後に、さらにもう一度折り返しているのだ。
それでも腰の辺りまで届いている。

何故日本語なのかは分からないが、こっちも合わせて日本語にする必要はない。
彼女にはローラ=スチュアートという名前があるが、立場上呼び捨てなどは出来ないし、
ローラさんやローラ様では何か気持ち悪いので、最大主教で統一させてもらう。

「……それで、一体何の用件でしょうか?
 わざわざ大聖堂に呼び出すほどの用件ならば、周りに聞かれたくない話なのでは?」

今は朝。
通勤途中の会社員などがそれなりに歩いている。

「せっかちね。この私と共に歩めることを耽楽せんとは思わないのかしら?」

思わない。いいからさっさと用件を話せ。
と心の中だけで毒づくステイルだったが、とりあえず気になる事を聞く。

「……一つだけ尋ねますが、貴女はなぜそこまで馬鹿な喋り方をしているのですか?」

「……え?お、おかしいの?日本語(ジャパニーズ)とはこんな感じではないの!?」

なんかものすごく動揺している。

「日本語は日本語ですが、現代人が使うものではないですね」

「な、なぜ!?文献やテレビジョンなどの参考資料をもとに勉学に励みて、さらに本物の日本人にもチェックを入れてもろうたのに……」

イギリス清教の日本人と言えば、ステイルには心当たりが二人しかいない。
神裂は真面目だから、半端な古語を使っていれば、それはおかしいと指摘するはず。
だとすれば。

「……もしかして、土御門の奴ですか?」

「そ、そうなのよ……」

「……あんな義理の妹に本気で欲情している危険人物を日本人の基準にしないでください」

動揺するローラは、持っている日傘で顔を隠すようになった。構わずステイルは追撃する。

「というか、ここはイギリスですし、英国語(クイーンズ)で話せばいいじゃないですか」

「い、いいの!今日はたまたま調子が悪しきだけよ!」

「はぁ。まあ貴女の日本語についてはどうでもいいので、早く『仕事』の話をしていただけませんかね」

「あ、あなたから指摘しておきながら、どうでもいいとはどういう」

「話をしていただけませんかね」

「……」

いじけたようになったローラは、無言でメモ用紙のような紙を二枚と、黒のマジックを取りだした。
ルーンのカードを扱うステイルには、それを何に使うかはすぐ分かった。
ローラは黒マジックで二枚の紙に簡素な模様を描いたあと、一枚をステイルに渡す。

「通信用の護符、ですか」

『声に出さねど思うだけで音聞き出来ようものなのよ』

どうやら仕事の話をしてくれる気になったらしい。

『「法の書」の名は知り足るわよね』

なぜか心の声までバカみたいな日本語だが、もはや突っ込む気にもならない。

『魔道書ですね。僕の記憶が正しければ、著者はエドワード=アレクサンダー。
 つまりはクロウリー。原典は今、ローマ正教のバチカン図書館にあるはずですが』

『では「法の書」の特徴は知りえるかしら』

『クロウリーの著書ということで、様々な学説がありますね。
 「法の書」は彼が召喚した守護天使エイワスから伝え聞いた、人間には使えない「天使の術式」を書き記したものだとか、
 開かれた瞬間に十字教の時代は終わりを告げ、全く新しい次の時代がやってくるとか。
 しかし最たる特徴と言えば、誰にも解読できないということでしょうか』

『法の書』は誰にも解読できない。
だからこそ様々な学説があり、その全てが予測でしかないのだ。

『では、何人たりとも読めん「法の書」を解読できる人間が現れんとしたら、どうする?』

『何ですって?』

『オルソラ=アクィナス。ローマ正教の修道女なのだけれど』

冗談を言っているような顔には見えない。そもそもこんな冗談、誰に何の得もない。

『ローマ正教は、「法の書」を勢力争いの道具に使うつもりなのですか?』

魔術は基本的に科学を敵視している。
勢力争いとは、もちろん科学に対抗することであるし、同じ魔術サイドのイギリス清教やロシア成教を退け、魔術世界のトップになる事でもある。
とはいえ、ローマ正教は信徒を二〇億人にも抱え、既に十字教最大宗派と言われているのだが。

『いや、そうではなしにつきなのよ』

『何故そう言い切れるのですか』

『「法の書」とオルソラ=アクィナスの二つが天草式十字凄教に盗まれたから』

「何ですって!?」

思わず声に出して驚くステイル。通行人の視線が刺さる。

『天草式はかなり小規模な宗派。そんな彼らが力を求めて「法の書」を欲してもおかしくないでしょ?』

『それはそうかもしれませんが……そもそも、バチカン図書館で厳重に保管されている「法の書」が盗まれる訳が』

『そうね。バチカン図書館に厳重に保管されていれば、ね』

『どういう意味ですか?』

『ローマ正教は国際展示会を開くため「法の書」を日本の博物館に移送していたのよ』

『そこを狙われて掠め取られたってことですか』

『そういうことになるわね』

『馬鹿げている……』

『まったくね。もっとも、それは当事者であるローマ正教の奴らが一番痛烈に自覚しているだろうけど』

『では、今回の仕事は恥も外聞もなくこちらへ協力の打診をしてきたローマ正教の尻拭いですか』

『いいえ。やつらは己が手で事を収めたいみたいなのよ。
 そもそも、旧教(カトリック)を腐らせたる――というより、「旧」などと付けさせてしまった愚図どもに施しを与える気なぞ毛ほどもなしなのよ』

ローマ正教は自尊心が高いので気にくわないのは同感だし、十時教宗派的にはライバルでもあるので、
助けを求めてこないのなら、助ける必要など本来はないのだが、

『……ですが「法の書」が解読され天草式が絶大な力を手に入れれば、我々イギリス清教も危険では?』

ローマ正教を助ける助けない以前に、こちらにも危険が及ぶ可能性があるので、ローマ正教のメンツなど無視して介入したほうがいい。

『ええ。だからまあ、ステイルには介入はしてもらいたるわよ。協力・支援という形でね』

魔道書の原典(オリジン)は、どうあっても破壊する事は出来ない。無論『法の書』も。
今回の問題を解決する方法はいくつかあるが、もっとも簡単なのは天草式の殲滅か。
殲滅しなくとも天草式から『法の書』とオルソラを取り返すだけでもいい。
とにかく、『法の書』の解読を阻止しろ。が今回の仕事らしい。
しかし、ローラはまだ何か言いたげだった。その様子を汲んで、ステイルは尋ねる。

『僕の仕事は「法の書」解読阻止だけではないのですか』

『今回「法の書」を盗みしはどこだったかしら?』

さっさと用件だけ言ってほしいのに、ローラはいちいち遠まわしに言ってくる。

『天草式でしたよね。それが?』

『鈍いわね。天草式と言えば、神裂火織でしょう?』

言われて、ステイルは一瞬でローラの言いたい事が分かった気がした。

『かつての部下だった天草式がローマ正教と敵対していると知った神裂が、天草式に手を差し伸べようとしているということですか?』

世界に二〇人といない聖人である神裂の存在は、科学で言うと核兵器に等しい。
彼女の手綱をイギリス清教が手放し、あまつさえローマ正教の人間を討ってしまったら。
最悪ローマ正教との争いに発展するかもしれない。

『まだ確定ではなしだけど、少なくとも現状、連絡は取れんのよ』

しかし、神裂の性格を考えると、後先考えず天草式を助ける可能性は高い。

『最悪、あの神裂と戦えという事ですか?』

『場合が場合ならね』

簡単に言ってのけるが、こちらの身にもなってほしい。

『今回のステイルのメインのお仕事は、神裂を止める事よ。方法はいずれでも構わないわ。
 「法の書」とオルソラを救出してもよし、交渉で天草式を止めるもよし』

と、いつの間にか聖ジョージ大聖堂の目の前まで来ていた。

「さて、詳しき話は中で掛け合いましょうか」

どうやらお仕事の話はもう少し続くらしい。

九月八日。
シェリー侵攻から、特に何事もなく一週間が経過した。
このまま平和が続けばいいと上条は思っていたが、

「何やってんだ、お前」

「僕としても、君の手を借りるのは癪なんだけどね」

学校が終わって寮に帰ったら、なんかよく分からないがステイルがいた。
インデックスは『歩く教会』を着用していて、

「私もあんまり気が進まないんだけど、イギリス清教からの正式な勅命があってね」

そう言われても全然分からないので、詳しい話を聞いた。
『法の書』という魔道書があり、それが解読されると魔術世界が揺らぐかもしれないという事。
そんな『法の書』と、それを解読できるという触れ込みのオルソラ=アクィナスというローマ正教の修道女が、天草式十時凄教に攫われてしまった事。
ローマ正教の人間が『法の書』とオルソラ救出に動き始めている事。
元・天草式トップである神裂火織との連絡が取れなくなっていて、さらには天草式に加担するかもしれない事。
イギリス清教は表向きローマ正教に協力するという形で本件に関わるが、最優先事項は神裂が余計な真似をする前に問題を片付ける事。

「大体話は分かったけどさ、今回の問題に俺が必要あるのか?」

それに、科学サイドの人間は魔術サイドの人間を迎撃してはいけないらしい。
とはいえ、今更自分が魔術サイドの人間と戦ってはいけないのではないかというつもりはないが。

「だから、僕だって癪だと言っているだろう。だけど、君が彼女の保護者なんだから仕方ないだろう」

「必要なのはとうまじゃなくて私なんだけど、私にはとうまを同伴させなきゃいけないらしいんだよ」

なるほど。

「どうしても今回の件にインデックスが必要なのか?」

「必要だから、こうしてこんな貧相な学生寮まで足を運んで、君が帰ってくるのを待っていたんじゃないか」

「ああ、そうかい」

本当にこの赤髪神父ときたら、いちいち鼻につく物言いだ。

「君、人助けが大好きなんだろう。良かったじゃないか。今回も思う存分助けると良い」

「それは否定できないかも」

別に大好きじゃない。
人が困っているのを見たら、もしくは知ったら、助けたいと思う事は普通だろう。

「で、助けるって、具体的にどうすんだ?天草式とかいうやつらがいる本拠地にでも乗り込むのか」

「その辺の話は、学園都市から三キロほど離れたところにある『薄明座』で、ローマ正教の人間と合流したあとだ」

夏休み初日から九月一日までの間に、一体制服を何着潰しただろうか。
オルソラを助ける方法は分からないが、どの道天草式との戦闘は避けられそうもない。
その戦闘で、無傷で済むとは限らない。むしろ、無傷で済む確率の方が低いだろう。
制服は無料じゃない。どころか高い。だから、制服で行くのは止めておく。
オレンジ色のTシャツに、グレーのズボンに着替える。
ただ、傷ついてボロボロになるから買い替えなきゃいけない、という前提なのが、なんか少し情けない。

「今のうちに忠告しておくけど、間違っても右手で『法の書』に触れるなよ」

今は廃劇場である『薄明座』の跡地までの道中に、ステイルにそんな事を言われた。

「はいはい」

魔術業界についてはよく知らないが、話を聞く限りでは『法の書』は争いの種にしかならない気がする。
その観点から見れば『法の書』は破壊した方がいいのだろうが、
『法の書』の破壊により余計な混乱が生まれてしまったらと考えると、迂闊に破壊はしない方がいいとも思える。

「つーか、結局インデックスが必要な理由が分からないんだけど」

「魔道書の問題に、魔道書の専門家はいた方がいいだろう」

「だからって、インデックスを危険に晒してもいいのか」

「僕だって本当は嫌だよ。でも、上司の命令なんだから仕方ない」

「上司の命令だからって、インデックスを危険な場所に投入することに対して、反発とかはしなかったのか?」

「したところで何の意味もない。ともすれば、早々と今回の問題を解決した方が良い」

「お前なあ――」

「まあまあ」

どんどんヒートアップしていく上条と、あくまでも冷めたステイルの口論に、インデックスが仲介に入る。

「心配してくれるのはありがたいけど、『歩く教会』もあるし、大丈夫かも」

なんて事を言いながら、上条の左腕に抱きついて、

「それに、いざとなればとうまが守ってくれるもん」

そう言って、上条に懐く。
その様子を見たステイルの眉が微かに動くが、上条とインデックスは気付かない。

「お、おい、インデックス?」

「なあに?いろんな人間を救ってきたくせに、私は守らないなんて冗談は言わないよね?」

「そりゃもちろんだけど、だからってこんなにくっつかなくても」

「……とうまは、私とくっついているのがそんなに嫌?」

潤んだ上目遣いはずるい。これじゃあ、嫌なんて言えない。もっとも、嫌じゃないけども。
というか、こんな浮ついた感じでいいのか。ふとステイルを見てみると、

鬼のような形相になっていた。

「嫌じゃないけどさ、ステイルがなんか怒っているみたいだから、とりあえず放れよう」

「なんでステイルが怒っていたら放れないと駄目なの?」

「何か知らんけど、目線が怖いからだよ。くっつく前はあんな目してなかった。
 てことは、くっついていることに腹を立てているんだろう。
 これから戦いだってあるかもしれないのに、緊張感の欠片もない様子が気にくわないんじゃないか」

「うーん……じゃあ、戦いになるまでくっついているのは駄目かな?」

「戦いになってからじゃ遅いだろ。咄嗟に動けない」

「分かったんだよ。でも、もうちょっとだけ」

「もうちょっとだけだぞ!」

ステイルが大声で念を押したが、結局『薄明座』に到着するまでインデックスは放れなかった。

上条ら三人は薄明座に到着後、アニェーゼ=サンクティスというローマ正教の少女と合流し、ここまでの経過を聞いた。

「ウチと天草式の分隊で小競り合いを繰り返している内に、オルソラは消息不明になっちまいました。
 天草式が確保しちまっているかもしれませんし、その辺を彷徨っているかもしれません」

ローマ正教ということはイタリア人なのだろうが、なぜだか江戸っ子みたいな日本語だ。
おかしいのは言葉遣いだけではない。
見た目は十三、四歳といったところか。赤毛をたくさんの三つ編みにしていた。
そこまではいい。
着ている修道服は指先が隠れるほどの長袖のくせに、スカート部分は太腿が見えるほど短い。
履いているコルク製のサンダルは、厚底が三〇センチもあった。歩くと、パカパカと馬のような足音が鳴る。
正直、馬鹿みたいだと思う。
魔術師は奇抜な格好をしなければいけないルールでもあるのか。
まあ、今まで見てきた魔術師の中では、まだマシな方かもしれないが。

「状況は大体分かったけど、何で日本語なんだい?」

ステイルの突っ込みはもっともだ。

「いえ、まあ、英国語も出来るんですが、どうしてもイタリア語の訛りが出ちまいますから。
 普通ならあんま気にしないんですけど、何せ相手がイギリス人ですからね」

「別に僕は構わないけど。何ならこちらがイタリア語に合わせようか?」

「それはやめてください。
 イギリス訛りの母国語なんて聞いちまったら噴き出しちまって仕事になりません。
 こういうのは、共通の外国語である日本語を使うのが良いんですよ。
 お互いに言葉遣いが変なら、喧嘩になんないですから」

喧嘩になんないって、ステイルが構わないって言っているのだから、素直に英国語を話せばいいのではないか。
もっとも、英国語で話されたら会話についていけなくなるので、日本語はありがたいと言えばありがたいのだが。
とはいえ、純日本人の自分を前に、その日本語は構わないのか、という疑問はある。
アニェーゼが話す日本語と、訛りのある英国語は、一体どっちの方が可笑しいのだろうか。
まあ、アニェーゼの話し方で自分が吹き出す事はないので、日本語で何の問題もないが。
それにしても。

「インデックスやステイルは、割かし正しいっていうか普通の日本語だよな。
 ステイルの場合、母国語である英国語はもちろん、イタリア語も話せるみたいだし。
 ひょっとして、何カ国語も喋れるのか?」

今更になって、インデックスに尋ねる。

「当たり前なんだよ。今のグローバル化のご時世、数カ国の言語くらい操れないと生きていけないかも。私だって喋れるしね」

科学音痴が何を言うか、といいたいところだが、喋れる言語は日本語しかないので何も言えない。

「ちょっと待って下さい。それって、私の日本語が言外におかしいって言っちまっていませんか」

言っちまっています、と上条は心の中では本音を曝け出しつつ、

「いや、別に、そんなことは」

我ながら、結構簡単に嘘をつけるようになったと思う。
もっとも、それが相手に通じているかは分からない。
黄泉川先生相手には状況も相まって通じたみたいが、御坂にはちぐはぐと言われたことを考慮すると、
嘘はまだまだすぐにばれるようなものでしかないのかもしれない。

「まあ、いいです。
 いえ、あなたにとっては腹立たしいかもしれませんが、あなたは日本語しか喋れないようですし、どうかここは拙い日本語でも我慢しちまってください」

手痛いカウンターパンチを貰った気がした。
心の中で、我慢しちまいます、と呟く。
いやまあ、別に我慢ではないけど。

「では、日本語で話を進めよう。オルソラが消息不明という事だけど、そんなに遠くにはいないんだろう?」

「ええ、おそらくは。
 ですがさっきも言った通り、天草式に確保されちまっている可能性もあります。
 まあ、探すにしても天草式は叩き潰しちまった方がいいとは思うんですが」

「お宅でも叩き潰せないほど、脅威とは思えないんだけどね」

「私達もそう思っていたんですがね。
 数や武装ではこちらが上なんですが、連中は地の利を生かして引っ掻き回してきやがるんですよ。
 日本はやつらの庭みたいなもんですからね。
 言い訳にしか聞こえないと思いますし、責められても、返す言葉はありませんけど」

「ふむ……」

考え込むステイルは、インデックスにちらりと目線を移す。
その目線を受けて、インデックスは訳知り顔で語り始める。

「天草式の特徴は『隠密性』だよ。母体が隠れ切支丹(キリシタン)だからね。
 十字教を仏教や神道によって隠して、儀式と術式を挨拶や食事の作法の中に隠して、
 天草式なんてものは、最初から存在しなかったように全ての痕跡を隠し通す。
 あからさまな呪文や魔法陣は使わない。一見どこにでもあるモノを使って魔術を使役するんだよ。
 だから、プロの魔術師でも術式を解析して対抗策を練ったりするのは、相当難しいかも」

「となると、偶像のスペシャリストってところかな。近接格闘戦より遠距離狙撃戦の方が得意そうだね」

「ううん」

ステイルの分析をインデックスは即座に否定して、

「天草式は鎖国時にも諸外国の文化を徹底的に取り入れていて、洋の東西問わず様々な剣術を融合させた独自の格闘術も身につけている。
 彼らは日本刀からツヴァイハンダーまで振り回せると思う」

「なかなかに万能だな。厄介じゃないか」

まったく会話に入れないが、とにかく天草式はプロの魔術師でも手を焼くような相手という事だろう。

「それで、『法の書』およびオルソラ=アクィナスの捜索範囲はどこまでなのかな。
 僕たちものんびりはしていられないだろう。どこを探せばいい?」

「あ、いえ、捜索はこちらで行っているんで大丈夫です。
 人海戦術はウチの専売特許でしてね、今も二五〇人体制でやっていますので」

「うん?では、僕らは何をすればいい?」

「そちらにしかできない事、つまり『学園都市』を探してほしいんですよ」

学園都市とイギリス清教にはつながりがある。
それほど親密なものではないが、まったくないローマ正教より、学園都市に入りやすい。

「なるほどね。でも、その必要はない。
 ここまで来る間にオルソラ=アクィナスらしき人物とすれ違ったりはしなかったからね」

「そうですか……」

アニェーゼは落ち込んだようになった。
アテが一つ外れたのだから、無理もないかもしれない。

「そんなに落ち込む事はないかも。仮にオルソラが天草式の手にあってもね」

「なぜ、そう言い切れるんですか?」

「隠密性に優れた天草式なら、わざわざ動いて敵に姿を悟られるなんて真似は避けるはずだから」

「それでは、天草式はどうやって私達から逃げ切るって言うんですか?
 まさか、ほとぼりが冷めるまでずっと一か所に留まっていると?」

「ううん。そんなことしなくても、とっても便利な術式があってね。といっても、日本限定術式だけど」

「日本限定術式?」

思わず上条が呟く。

「うん。一瞬で遠方に移動できる術式――『縮図巡礼』。
 簡単に言えば、日本中に特殊な『渦』が四七か所あって、その間を自由に行き来できる『地図の魔術』」

「ちょっと待って下さい。だったら、なおさら早く天草式を見つけちまわないとヤバいじゃないですか」

「それがそうでもないんだよ。『縮図巡礼』を使うには、星の動きが大きく影響していてね。
 つまり、決まった時間にしか使えないんだよ。使用制限解除は日付変更直後から五分間」

「そうか。確かにそれなら、今動いて俺達に動きを悟られるぐらいなら、深夜零時まで待って『渦』で行方をくらませた方がいいと考えるな」

「うん。でも今言った通り『縮図巡礼』を使えるのは五分間だけだし、そもそもとうまの右手で『渦』を破壊できれば、もう心配はいらないかも」

「右手?」

アニェーゼが怪訝な顔でインデックスを見る。

「とうまの右手には、異能を打ち消す能力があるんだよ。だから右手で『渦』に触れれば、多分『渦』は使えなくなる」

「へぇ。そうなんですか。そいつはすごいですね」

とは言いつつも、感情は伴っていないようだ。

「『渦』に触れればって『渦』の場所が分かるのか?」

日本全国で四七か所という事は、各都道府県に一個ずつということだろう。
そこら中にあるという訳ではないはずだ。

「その前に一つだけ確認したいんだけど、ローマ正教の捜索範囲はどこまで?」

「この辺を中心として、半径一〇キロにピッチリ包囲網を敷いています」

「分かったんだよ。じゃあとうま、地図が出るピコピコ貸して」

携帯電話のGPSのことだろうか。
携帯電話なら、インデックスも持っているはずなのだが。
まあ、いい。
上条はこの辺の地図を表示してから、インデックスに携帯を渡す。

「……操作できない。とうま、私が言う通りに操作して」

言われた通り、インデックスの指示に従って代わりに操作する。
やがてインデックスは、ある一点を指差して言った。

「ここだよ」

夜。
日本のとある海岸で、銀色の甲冑に身を包んだ騎士達がテトラポッドに横たわっていた。
彼らは辛うじて意識だけはあるものの、体はとても動かせなかった。
騎士達の中の一人が、口だけを動かし、一人たたずんでいる人間に語りかける。

「分かって、いるのか。貴様が今、牙をむいたのは一体誰なのかを。三つの約と四つの地を束ねた連合国家そのものだぞ」

騎士達の腕にはUnited Kingdom、日本語訳をすれば『連合王国』と書かれていた。
イギリス清教の『騎士派』の人間が持つ肩書だ。

「私もその一員です。
 ローマ正教やロシア成教などの他宗派ではなく、同じイギリス清教内でのトラブルなら、上のお方がどうとでもしてくれるでしょう」

騎士の発言に答えた人間――神裂火織の言葉に、何の返答もなかった。騎士は完全に気絶したのだ。
このままではテトラポッドからずり落ちて海に沈んでしまうかもしれないが、潜水術式は解除されていないし、
気絶した状態で海に落ちようとも溺れ死ぬことはないだろう。
と、背後に気配を感じた神裂は、ゆっくりと振り返った。

「よう、ねーちん」

「土御門」

イギリス清教の人間がここにいるということは。

「私を止めに来ましたか」

神裂は刀の柄へと手を伸ばす。

「やめよーぜい、ねーちん。お前じゃあ俺には勝てねぇよ」

テトラポッドに横たわっている騎士達を誰が倒したかは、彼の立場や今ここにいる、つまり騎士達を蹂躙する光景を見ただろうから、分かっているはずだ。
それなのに、俺には勝てない宣言。

「お前は強いが、人を殺せない。そして能力者の俺は、お前と戦うために魔術を使っただけで死にかねない。
 さて、この勝負、どの道俺は死ぬんだが、俺を殺して先に進む覚悟はあんのか」

カタカタと、神裂の刀の柄を掴む手が震える。
神裂は、人を死なせないために、守るために、救うために魔術を操り戦う人間だ。
勝っても負けても人が死ぬ争いなど、彼女にとっては悪夢以外の何物でもない。
ましてや相手が土御門となると、なおさらだ。
イギリス清教に入りたてだったころは、世話になったから。

「なーんて、そんな身構えなくてもいいぜよ。
 大体、ねーちんが本気を出せば、なるべく傷つけないように俺を気絶させるぐらい、ワケないだろうし。
 それに、俺はねーちん個人を止めるようには言われていない。
 ねーちんが問題を起こしそうな事柄に先回りして排除しろとは言われているけど。こっちにはこっちの仕事もあるし」

「仕事……」

「ローマ正教と天草式がドンパチやっている隙に、横から『法の書』の原典を掠め取って来いっていう、ありがたい命令ぜよ」

「それは、イギリス清教と学園都市、どちらの命令ですか」

「そんなもん、常識で考えれば分かると思うぜい。魔道書について知っていて必要としているのがどっちかぐらいは分かるだろ」

「……そうですか」

そこから数秒の沈黙の後、

「私はもう行きます。上へ報告したければご自由に」

「そうかい。のびている連中は俺が回収しとくぜい。警察に回収されても面倒だし」

「恩に着ます」

律儀に頭を下げる神裂に、土御門は一言、

「んで、ねーちんは結局、イギリスから遠路はるばる何しに来たんだにゃー?」

頭を上げた神裂は、数秒の間を空けてから答える。

「――さあ、本当に、何がしたいんでしょうかね。私は」

夜。
天草式がいまだにローマ正教の索敵に引っかからない事を考えると、インデックスの予想通り、
日付変更直後に『渦』で逃げるつもりで、今は大人しくしていようと思っているからか。
オルソラも見つかっていない事も考えると、やはり天草式の手にあるのだろうか。

ローマ正教の人間が『渦』があるかもしれないポイントに向かうと、天草式らしき人間が二人ほどいたらしく、今は泳がせているらしい。
ということで。

「とりあえず、あなた達は仮眠でも取っちまってください。天草式に何か動きがあれば、私が伝えますので」

アニェーゼの指示により、上条達は『薄明座』跡地の駐車場に展開されているテントで仮眠を取ることにする。
当然のようにインデックスと同じテントの中で寝ようとしたが、ステイルが『君に話がある』とか言ってきたので、ステイルとテントの中で寝ることになった。
インデックスは一人で寝ることになった、
ちなみにインデックスが眠るテントには、ステイルのルーンのカードが貼り付けられまくった。

「何だよ。話って」

上条はテントの中で寝転がりながら尋ねる。

「別に。特にないよ。あの子から君を引き離すための嘘にすぎないからね」

あの子とは、脈絡からしてインデックスの事だろう。
確かに、女の子と一緒に寝るという事はモラル的に良くないという意見もあるのかもしれないが、

「いやでも、既にインデックスと一つ屋根の下で暮らすようになって、もうそろそろ二ヶ月経つんだけど」

「そんな事は分かっている。だからこそ、こういう時は間違いが起こらないように引き離しているんじゃないか。いいから黙って眠れ」

めちゃくちゃだ。
というか、何でステイルは今でもこんなに自分に冷たいのだろう。
ここに来るまでにインデックスに懐かれた時も、怒っていたようだったが。

「……」

考え方を変えようか。
ステイルが冷たい原因を究明するより、これからどうやってステイルと仲良くなるべきか。
……いや、仲良くなる必要なんてあるのか。
もう面倒くさいから、何で怒っているんだって、真っ向から聞いてみるか。

「なあ」

「何だ。黙って眠れと言ったはずだが」

「仕方ないだろ。俺はどこでも眠れるような人間じゃないんだ。時間も時間だし」

時刻は二〇時を過ぎたくらい。
大体零時くらいに眠る習慣があるので、眠れと言われたってそう簡単には眠れない。

「そんな温い事を言って、いざという時に使いものにならなかったら、君ごと焼き尽くすからな」

「何でお前、そんなに俺に厳しくあたるんだ」

「君と僕が仲良しになる必要がどこにある?」

「仲良しになる必要とかじゃなくて、純粋にお前の俺に対する態度が疑問なだけだ」

「もともと敵対関係だったんだ。僕の態度は何もおかしい事はない」

「神裂はそんなことなかったぞ」

「あれは甘いんだよ」

「……だとしても、やっぱりお前の態度は酷いと思うぞ」

「じゃあ、僕にどうしろと?」

「普通に接してくれよ」

「これが僕の普通だ」

「嘘つけ。お前、神裂にもそんな態度取るのか」

「取るよ」

「嘘だな」

「ああもうしつこいな!君が眠れないのはどうでもいいが、僕の睡眠まで妨げられている事は分かっているか!」

「仕方ないだろ。お前が素直じゃないからいけないんだよ」

「分かったよ。これから僕は、君に優しく接すればいいんだろう!?」

そういうわけでもないのだが、まあ、もういいか。諦めて、上条は眠るよう努めようとしたところで、

「一つ、聞いておこうかな」

予想外にも、ステイルが話しかけてきた。

「何だよ」

「三沢塾であの子を救う時、君は土御門の作戦を聞いてそれに従った。
 でも、その時君は、僕の『魔女狩りの王』を知らなかった。それなのになぜ、あんなにも簡単に素直に作戦に従った?」

「……本気で聞いてんのか、それ?」

「ふざけて聞いている様に思うか?」

思わない。

「もちろん、作戦を聞いた時点では『魔女狩りの王』が炎の巨人だなんて知らなかった。
 でも、詳しく聞いている余裕なんてなかったし、必要もなかっただろ。土御門を、お前と神裂を信じただけだ。
 理由なんてそんだけだ」

「『信じる』なんて、そんな一言で、詳細も分からない僕達に命を預けたって言うのか」

「当たり前だろ。あの時の俺達の気持ちは『インデックスを救いたい』でまとまっていたんだから」

「……そうか。では君は、何で命を懸けてまであの子を救おうと思ったんだ」

「理不尽な目にあっていたあいつを、どうしても助けたかったから助けた。それだけだ」

「君って奴は、やっぱりおかしいんだな」

「やっぱり、って何だ。つーか、お前だってインデックスを救うのにはあれだけ必死だっただろうが」

ステイルと神裂はインデックスに敵対してまで。インデックスの記憶を一年ごとに消去してまで。
彼女の命だけは救おうとしていた事は、いまだに納得できるものではない。でも、理解ならできなくもない。
ステイルや神裂が取った選択は常軌を逸していて、正しかったなんて今でも思わないが、それはそれで相当の覚悟があって、インデックスを救うという一点は、揺らいでいなかった。
三沢塾での救出戦で、それは分かった。

「必死だったよ。当たり前じゃないか。あの子は、僕の生きる意味なんだから」

生きる意味。それが、どれだけの重い意味を抱えているかは分からない。

「……もし、今回の一件で、神裂と戦うことになったらどうするんだ?」

命をかけて同じ人間を救った同胞。それが、今回敵になるかもしれない。

「やるよ」

即答だった。

「僕はね、あの子を守るためなら何でもやるって決めているんだ。
 あの子の見ている前でも、あの子の知らない所でも。ずっと昔に誓ったんだよ。
 『――安心して眠るといい。たとえ君が全てを忘れようとも、僕は何一つ忘れずに、君のために生きて死ぬ』と。
 そのためになら、誰でも殺す。生きたまま燃やす。死体になっても焼き尽くす。
 天使が相手だろうと、神が相手だろうと、灰に帰させてやる」

「……」

ステイルの覚悟を聞いて、上条は絶句することしかできなかった。
冷静な上条なら、ここで突っ込みを入れられたかもしれない。
たとえば、その割にはインデックスが暴走して光線を出した時、茫然自失としてたじゃん、とか、
上司に逆らえずに今回の一件にインデックスを危険な目に巻き込んでんじゃん、などだ。
だが、それ以上に上条は揺らいでいた。
インデックスをここまで思っている人間がいて。
そんな人間を差し置いて、自分はインデックスと一つ屋根の下で同居していて。
違う。
そこに負い目がある訳じゃない。
何か違う。
胸が痛い。
突き刺すような痛みであり、重くのしかかられるような痛みでもある。
これは一体、何だ。

「つい余計な事までしゃべってしまったな。でも、もう何も喋らないから、話しかけるなよ」

言われるまでもなく、もう何かを喋る気力はなかった。眠ることもできなかった。

二三時二〇分。

「泳がせていた天草式の人間に動きがありました」

ということで、結局ろくに眠れないうちに招集された。
『渦』のポイントである『パラレルスウィーツパーク』の手前で、大量のシスター達と一緒に並んで立つ。

「とうま、眠れた?」

「眠れなかったけど、大丈夫だ」

ステイルの決意を聞いてから、心のもやもやしたものが取れないが、引きずっている場合ではない。
思考を切り替えろ。

「未だにオルソラが見つからない事を考えると、オルソラは天草式の手に中にあると考えるのが妥当でしょう」

銀の杖を持つアニェーゼは、作戦内容を告げる。

「二三時三〇分に我々の主力体が囮になって正面から突入します。あなた方はその間に、別口で内部を探索しちまってください」

二三時二七分。
パラレルスィーツパークの職員用出入り口に近い金網フェンス辺りに、上条、ステイル、インデックスの三人はやってきた。
パラレルスウィーツパークは、大規模な菓子専門テーマパークの一角だ。
七五店舗の菓子店がある。物は人を隠すにはもってこいだ。
残り三〇分で『渦』の破壊と、『法の書』の探索、いるかも分からないオルソラの救出。
なかなかのハードスケジュールだ。

「とうま、今のうちに言っておくけど、無茶はしないでね」

「ああ」

「ほんとにほんとだよ?」

「大丈夫だ」

「ほんとにほんとにほんっとぉーに、無茶しちゃだめだよ?」

「しつこいぞ」

あほみたいに念を押してくるインデックスを受け流しながら、ちらりとステイルの方を見やる。
何とも言えない表情をしている。
今なら分かる。
ステイルが自分に冷たいのは、インデックスと自分が親しげにしているからだろう。
無理もない。
もし自分とステイルの立場が逆だったら。
嫉妬からついつい冷たい態度を取ってしまうかもしれない。
……嫉妬?
自分とステイルと立場が逆だったら、ステイルに嫉妬していたとするなら。

――俺は、インデックスのことが

思考はそこで途切れた。
一般用出入り口の方から爆発が起きたからだ。

「おいおいマジかよ……」

ここからでも見える大きな火柱を見て、上条は呆然としたように呟く。

「これぐらいの陽動で日和るんじゃない」

ステイルに冷静に指摘される。あれだけの火柱があれば、後々通報されたりするのではと一瞬思ったが、
神裂が実家を壊す時にやったように、騒ぎにならないようにする何らかの魔術があるのだろう。
とか何とか予測していたら、インデックスが、

「大丈夫。『人払い』が発動しているみたいだから、一般市民の通報とかで騒ぎにはならないよ」

まるで自分を安心させるかのように言ってくれた。青い顔でもしていただろうか。

「『人払い』?」

「うん」

施術した特定範囲への立ち入りを限定する術式で、無意識下に干渉することで興味を逸らして、無関係な人間をその地点へ立ち寄らなくさせるの。
理屈としては、風水の理論を応用しているね。地脈や龍脈のエネルギーは山とか川とかの地形によって『力の流れ』が変わるから、
この惑星では地形によって『居心地の良い場所』と『そうでない場所』に分けられることになるの。
そして人間は自然と『居心地の良い場所』に流れていく。
この『流れ』を利用して、意図的に居心地の悪い流れを形成することで『人の寄り付かない空間』を形成するわけだね。
ポピュラーな術式だから、多くの魔術師が習得しているんだよ。と、超絶懇切丁寧な解説をしてもらった。
それだと結局、遠目から見た人には通報はされるのではと思ったが、通報によって現場に来た人達は何も出来ないのだろう。

「『人払い』なんて常識中の常識なんだけどね」

ステイルが憎まれ口を叩いてくる。
うるせえ。そんなこと言い出したら、お前らだって完全記憶能力で脳の八五パーセントが埋まって、
一年ごとに記憶を消さなきゃ死ぬなんてバカみたいな嘘を真に受けたくせに。と思う。
でも、自分が『魔術の常識』を知らない事を考えると、ステイル達が『脳の構造』について知らなかったのも無理はないのか。
……いや、無理なくない。『魔術の常識』と対になるのは『超能力の常識』だ。
『超能力の常識』を知らないのは分かるが『脳の構造』を知らないのは、勉強不足としか思えない。
ましてや大切な人の命にかかわるなら尚更。言語は何カ国も喋れるくせに『脳の構造』について調べはしなかったのか。
まあ『魔術の常識』と対になるのが『科学の常識』と言われればそれまでだが。
どの道『魔術の常識』を知らないぐらいで煽ってくるなら『超能力・科学の常識』をステイルが知らなかったら、その時はこちらも鬼の首を取るような勢いで馬鹿にしてやろうか。

「とうま、何か余計なこと考えてない?」

お前は読心能力者か。

「余計な事を考えている場合じゃないぞ。気を引き締めろ」

インデックスの発言を鵜呑みにしたステイルが釘を刺してくる。実際に余計な事を考えていたものだから、何も言い返せない。
とにもかくにも、確かに今は余計な事は考えず作戦に集中しなければいけない。

フェンスを乗り越えて園内に侵入してからわずか二分後。
どうやら陽動は完璧にはいかなかったらしい。
上条達は天草式の少年少女四人に囲まれていた。
正確には、上条のところに少女が一人、インデックスとステイルのところに少年が一人、少女が二人マークしていて、
上条と、インデックスとステイルの間に、天草式の少年少女達が割って入っているという構図だ。

ステイルはルーンのカードをばら撒きながら、

「上条当麻!死にたくなければこれを持っていろ!」

インデックスを引き寄せているステイルが、懐から何かを取り出し、数メートルは離れている自分へ向かってその何かを投げつけてきた。
訳も分からず左手でキャッチしてよく見てみると、それは銀の十字架のネックレスだった。
と、デッキブラシぐらいの長さの細身の両刃剣を持った自分をマークしていた少女が斬りかかってきた。

「とうまっ」

インデックスが声を上げるが、当の上条は縦に横に振るわれる剣を、紙一重で避けていく。

――面倒だな。

物理攻撃相手では、幻想殺しは何の役にも立たない。
ただの肉弾戦ならまだしも、武器持ち相手には分が悪い。
ここは逃げるべきだ、と算段し始めたところで、

インデックスとステイルが少年の槍のような武器に貫かれるのが見えた。

「え!?」

インデックスには『歩く教会』があるから大丈夫ではなかったのか。
まさか、あの槍みたいな武器が『歩く教会』を貫ける程の威力を備えていたのか。

「人の心配をしている場合ではないと思いますよ!」

目の前の少女が左手で持った剣を突き出してくる。
上条はやっぱりそれを紙一重で避けたところで、

インデックスとステイルが揺らめき、消えていくのを見た。

「なんだ、ありゃ!?」

何らかの魔術の一種か。
でも、インデックスには『歩く教会』があるから魔術の影響を受けないのでは……、

――って、呑気に考えている場合じゃねぇな。

よく見たら血痕などはない。
ということは、どんな方法かはよく分からないが、ここから安全に離脱したのだろう。
となると、少年少女の標的がどこへいくかなど目に見えている。

「俺は囮かあー!」

一対四、しかも武器まで持つ戦闘のプロ相手では分が悪すぎる。
絶叫しながら、上条は背を向けて全速力で逃げる。

逃亡、というのは願ったり叶ったりの展開ではあった。
日常的に不良に絡まれては逃亡の繰り返しで、体力と脚力にはちょっと自信があった。
あったが、やっぱり相手もプロ。そう簡単に逃げ切れはしなかった。
ただ、インデックスとステイルを捜索することにしたのか、四人の内、三人は散開した。
残った一人は、自分をマークし続けているポニーテールの少女。

――仕方ねぇ。

上条は急ブレーキして振り返って、少女と相対するように仁王立ちした。
それに合わせて少女も上条から数メートルの距離で一旦止まって、

「逃亡はもうやめるんですか?」

「ああ。呑気に鬼ごっこやっている場合じゃないからな」

「素手と武器持ちでは、圧倒的な差があると思いますけど」

「だろうな。俺だって本当はやりたくない。けど、仕方ない。時間がないから」

「あなた、日本人ですよね?ローマ正教の人間ではないですよね?一般人ですよね?
 私は、できれば一般人を傷つけたくないのですが。大人しく投降していただけませんか」

「散々斬りかかってきておいて今更そんなこと言うか。つーか、傷つけたくないとか思うなら、お前が投降しろよ」

「……分かりました。交渉決裂という事ですね」

言うが早いか、少女が斬りかかってくる。上条はその一撃を何とか避けながら思う。
ステイルから貰った十字架まるで役に立たねぇ。
姫神が首から下げている十字架みたいに『歩く教会』の力を抽出したものではないだろう。
幻想殺しを持っている自分には作用しないだろうし、それはステイルも分かっているはず。
持っているだけで天草式から攻撃されない、免罪符になる、というわけでもなさそうだ。
十字架を持っている事は、少女だって見て分かっているのに斬りかかってくるのだから。
結局、十字架の意味は分からないし、この局面は自力で乗り切るしかない。

少女は何度でも斬りかかってくる。
できれば一般人を傷つけたくないとか言っていたのが嘘としか思えない勢いだ。
両刃剣だから峰打ちはないので、当たれば流血は確実だ。
しかしながら、このままいけば体力的に消耗するのは少女の方だ。
剣を振りまわしているのと、ただ避けるのでは、運動量が違う。
とはいえ、このまま持久戦をしていたらいつ決着がつくか分かったものじゃない。
増援だって来る可能性がある。チンタラやっている暇はない。
だが、特に策はないどころか、剣を避けるので精一杯だ。

と、少女が剣を後ろに引いた。
突きを繰り出そうとしているのが一目見て分かる。
これまでの攻撃を散々避けられたのにもかかわらず、大振りの技を繰り出そうとするのは、
きっと、敢えて避けさせ隙が出来たと思わせ、こちらの反撃を誘うためだ。
ならば、逆に利用してやる。

上条は体を左に捻る事で突きを回避しつつ、右拳を放つ。
少女は身を低く沈めて右拳を回避しつつ、上条の右側をすり抜ける。
直後に、靴底で急ブレーキをかけて時計回りをしながら左手の貴族用の剣(ドレスソード)を振り抜く。
これで終わった、と少女は確信していたが、ドレスソードは空を切った。

「な!?」

少女が驚きの声を上げたのも無理はない。
なぜなら、上条が相当高いバク宙をしていたからだ。
全力の右ストレートなら、体重移動などの関係でバク宙にシフトは出来なかった。
罠だと予想してフェイントで済ませていたからこそ出来た芸当だ。

「ふっ!」

息を吐き出す音と共に、オーバーヘッドキックの要領で、宙を舞う上条の右足が少女の脳天目掛けて振り下ろされる。
少女は空いていた右手でガードを試みるも、振り下ろされた右足の威力は相当なもので、右手ごと少女の脳天を叩いた。

ゆらり、と少女が前方に倒れてうつ伏せになる。
少女を踏まないように上条は着地し、直後に少女の背中に馬乗りになって、右手で頭を、左手で左手を抑える。
そのまま脳天に直撃していれば気絶していただろうが、右手のガードは意外と大きな意味を持ったようだった。

「武器を手放してくれ」

分かりました、と素直に手放しはしなかった。
きっと、一般人であるが故に、一線を超えはしないと思っているのだろう。
それは正解だ。いくら敵でもそこまでする気はないし、やれと言われてもやりたくない。
が、あまり甘い事を言っていられる状況でもない。
増援が来て形勢逆転されたら、シャレにならない。

「そうか。じゃあ、ごめんな」

上条は左手を少女の口へ、右手はポニーテールを掴む。
そして、ぐいっと引っ張った。

「んー!」

少女はあまりの痛みに絶叫しようとするが、上条が左手で口元を抑えているため叶わず。
じたばたして、ドレスソードを手放し、もともとフリーの右手と合わせて両手で上条の右手を解こうとする。

――予想通り。

髪の毛を引っ張られたら、誰だって痛い。
きっと、まずは髪の毛の引っ張りをやめさせようと思うだろう。
そうなると、剣を放り出して両手で自分の右手を取り払おうとするはず。
その隙に剣を奪えばいい。と考えたのだが、うまくいきそうだ。

上条は素早く両手を放し、左手で剣を拾い上げる。

「重っ!」

軽いとは思っていなかったが、思ったより重かった。
これでは遥か遠方に投げ飛ばす、という事は出来ない。
といって、近くに放り投げれば再び少女の手に戻ってしまう。
となると、選択肢は二つ。
一つは、どこかに隠すか。もう一つは、ハンマー投げ、または円盤投げの要領で無理矢理遠くへぶん投げるか。
後者は肩とか腕とか腰とか痛めるかもしれないが。
どっちにしろ、まずはまだ気絶はしていない少女から逃げ切らなきゃいけない。

上条は少女の背中から立ち上がって背を向けて走り出す。
少女も、ポニーテールを抑えつつ涙目になりつつ立ち上がり、上条のあとを追う。

――やっべぇかも!

剣を持っていない分、追いかけてくる少女の足はやたらと速かった。
あれだけの一撃を受けて、軽い脳震盪になっていてもおかしくないのに、フラフラせず一直線に向かってくる。
対して、こちらはさっきまでなかった重りをつけて走っているようなものだ。
こちらも遅くなっている。このままではすぐに追いつかれる。
この剣を持って戦う、という訳にもいかない。
引きずって刃毀れさせるのも無理だ。
どうせ切っ先だけだし、手首にも負担がかかるし、走るのもさらに遅くなる。
とすれば、

「こんのぉ!」

走りながら、渾身の力で剣を少女の方へ放り投げた。
剣が直撃して少女がリタイアすれば最高。
避けられても、剣は少女の後方へいくわけだから、それを拾いにいってもよし。
剣を放っておいてそのまま追ってきてもよし。
最悪なのは剣がキャッチされる事だが、それが現実になりそうだった。

体を半端に回転させて遠心力で放ったからか、剣は回転しながら少女に飛来していった。
別にそれは良かった。
ただ、回転の勢いが、擬音で言うと、クルクルクルクルゥー!ではなく、フォン、フォンで、平たく言うとゆっくりとしていた。
なんかあのままだと、冷静になればキャッチできそうだった。

悪い予感は的中した。
少女は飛来してくる剣をしっかりと掴みとった。柄の部分を。

――やっちまった!

クナイを逆手で投げるように投げれば良かったかなと一瞬後悔したが、回転しながら飛んでくる剣を取れたなら、真っ直ぐ飛んでくる剣も取れるだろう。
何が失敗だったかと言えば、少女に向かって剣を投げた事だった。
こんな風になるんだったら、割と真面目に剣を持って戦った方が良かったかもしれない。
せめて、少女の方ではなく横にでも放り投げれば良かったかもしれない。
とにかく、状況は振り出しに戻った。こうなったらもう、意地でも逃げ切るしかない。
決意して、上条は限界を超えるべく地面を素早く何度も蹴るが、

「きゃっ!」

背後で少女の悲鳴が聞こえた。
走りながら振り返ってみると、少女が黒い修道服の人間にのしかかられていた。

――どうする?

このまま逃げ切るか、戻って様子を確認してみるか。
普通なら前者なのだが、あの修道服はローマ正教のものだと思うと迷う。
だって、ローマ正教のシスター達は、おそらくこっちに来られない。
それなのにローマ正教の修道服ということは、あれはオルソラかもしれないから。

迷ったが、まさか天草式の人間がローマ正教の者に変装して、なんてことはないはず。
少女の自分への追走を阻んだことからも、それだけは確実なはず。
となると、あれはオルソラか、ローマ正教のシスターがたまたまこちらに紛れ込み、助けてくれたかのどちらかだ。
ということで、戻って確認することにした。

少女にのしかかっていたのは、やはりローマ正教の黒い修道服を着た人間だった。
両手は後ろに回され手枷がされていた。天草式に捕縛されたオルソラの可能性が高い。
手枷だけならば、見張りがいなければ走り回るぐらいはできる。
今は天草式だって余裕がないはずだ。
見張りもローマ正教と自分達の迎撃に駆り出され、その隙にオルソラが脱出したのかもしれない。

「オルソラか?」

インデックス、ステイル、ミーシャ、海原、シェリー、アニェーゼ、皆日本語を喋れていたし、理解もしている。
魔術師とは、数カ国語喋れるのが標準っぽいので、日本語で尋ねた。
何より、英語を喋る事が出来ない。

「むー!むー!」

「え?」

くぐもった呻き声のようなものしか聞こえない。
と思っていたら、修道服の人間が、顔だけをこちらに向けた。
青い瞳に白い肌、髪の毛は見えない事から、インデックスやアニェーゼと違って、フードに収まってしまうくらいのショートカットなのだろう。
口元には、ガムテープとは違う布みたいなのが貼られていた。
その表面には、崩れた漢字のような得体のしれない記号がびっしりと書かれていた。
どうやらそのせいで声を出せないみたいだ。

「ちょっと大人しくしてくれ」

言って、右手の人差し指でオルソラの口に貼られている布をなぞるように触れる。
間接的に唇に触れられたシスターは、少しビクッとしたようだが、直後に自然に剥がれていく布を見て、安堵したようだった。

「あ、あの、あなた様は、一体、どなた様なのでしょう?」

日本語ではあったが、少々ヘンテコだ。アニェーゼよりはマシだが。
オルソラか?の返答はまだ貰っていないが、自分の事を知らないローマ正教のシスターは多分、オルソラぐらいだ。
シスター部隊は、協力しているイギリス清教の傍らにツンツン頭の日本人がいる、ということぐらいは把握しているはずだから。

「詳しい事は話すと長くなるから、あとで。今言えるのは、俺はあなたを助けにきたってこと」

「え、えっ、と、あの」

「パニックになるのは分からんでもないが、まずは避難だ」

上条は、オルソラの口に貼られていた布と同様に記号が羅列されている手枷に、右手で触れる。
直後に、手枷は粉々に砕け散る。

「いくぞ。――と」

天草式の少女は気絶しているが、いずれ目を覚ます。
その時のために武器は剥奪しておこう。

上条は右手で剣を拾って、左手でオルソラの手を掴んで走り出す。

景気良く走り出したのは良いものの、その辺をうろついている天草式の人間のせいで、思うように動けない。
パラレルスウィーツパークの正面出入り口に行ければ、戦火の中心であるとはいえ、なんとかオルソラをローマ正教に引き渡せるはずなのに。

特殊移動法は日付変更直後から五分間。
現在時刻は右手が剣で、左手がオルソラで塞がっているため確認していないが、少なく見積もっても一〇分は経過しているはず。
残り二五分、どこかに隠れてやり過ごすのが、自分達の身を案ずるならば一番だろう。
携帯でインデックスと連絡する手もあるが、絶対に出るとは限らないし、向こう側が呑気に電話に出ている状況ではない可能性だってある。

「あ、あの……」

息を切らしながら、オルソラが切り出す。

「あなた様は、一体……どなた様、なので……しょう」

オルソラへの説明も足りてないし、疲れているようだし、とりあえずどこかに身を潜めようか。

「あそこでいいか」

その辺にあった屋台の陰に隠れた。
せっかくだから剣もここに置いておこう。とゆっくりと剣を地面に置く。
そして座る。オルソラも隣で、地べたにもかかわらず正座した。

「あの、あなた様は一体、どなた様なのでしょう?」

三度尋ねられる。

「上条当麻って言うんだけど」

それから、ここまでの大体の経緯を説明した。

「今更なんだが、あなたはオルソラ=アクィナスさんで良いんだよな?」

「ええ」

今更の確認に対して、オルソラは穏やかに返答してくれた。

「事情は大体分かったのでございますよ。
 それでは確認なのでございますが、あなた様はイギリス清教からの協力要請があって、
 天草式から私と『法の書』の奪還を手伝うことになったのでございましょうか」

「そういうこと」

「ということは、あなた様はローマ正教ではなくイギリス清教の筋をお持ちなのでございますか」

「そんな大それたものはないかな。
 インデックスがイギリス清教に所属しているからそこの味方をしているだけで、特にコネとかはない」

「そうで、ございますか」

呟いた後、オルソラは何故か安堵したように笑って、

「左様でございますよね。
 あなた様のような方は、教会世界に関わりを持たない方がよろしいに決まっているのでございましょう」

どうコメントしたらいいのか。
そうだね、なんて言ったらインデックスを救った事を否定しているのと同じだし、
そんなことないよ、とも、オルソラの雰囲気から言えない。
何だか、教会世界を憂いている――いや、失望しているといった感じか。

「あら?」

オルソラは何かに気付いたような声を出して、

「あなた様の左ポケットから、紐のようなものが飛び出しているのでございますよ」

オルソラに指摘されて、左ポケットに目をやる。十字架の紐が飛び出していた。

「あー、そっかぁ」

この十字架は多分、首にかけるタイプだ。
だからかもしれない。少女が遠慮なく斬りかかってきたのは。
首にかけていれば、何か違っていたかもしれない。
社員証だって、持っているだけでは守衛に止められて会社に入れない。
首から提げるなどして見せつけることによって、初めて会社に入れる。

「どうしたのでございましょうか?」

「ああ、いや」

オルソラに十字架の意味を聞いてみたら、何か分かるだろうか。

「これ、ステイルから『死にたくなければ持っていろ』って貰ったんだけど」

左手でポケットから十字架を取り出して、オルソラに見せながら、

「首にかけなきゃ意味ないのか?」

「……そう、でございますね」

なんか微妙な反応だ。

「ん?結局どうなんだ?」

「いえ、その十字架はおそらく、イギリス清教のお偉方が御用意した一品だと思うのでございますが、
 それをあなた様の首にかけたところで、あまり意味はないかと思ったのでございますよ」

じゃあステイルは、大して意味もない十字架を渡してきたのか。
『ないよりはマシ』程度のモノなのか?

「あなた様は学園都市の人間なのでございますよね?」

「そうだけど」

「……やっぱり、ステイルさんの意図が分からないのでございますよ」

では自分が持っていても仕方ないのか。
とか何とか思っていたら、ブチッと十字架の紐が千切れた。
するすると十字架が紐をすり抜けて地面に落ちる。

「うわっ。なんか不吉だな……」

「そうでございますね。これで、その十字架はほぼ意味をなさなくなったのでございますよ」

「……そっか。ちなみに、この十字架はオルソラが首からかけていれば、結構な意味があったのか」

何気なく聞いた一言に、オルソラははっとした表情をしてから、

「ええ。大変な意味を持ったのでございますよ」

「俺にはあまり意味がなくて、オルソラには意味があるのか」

「その十字架を誰かにかけてもらう行為は、イギリス清教の庇護を得る――つまり、洗礼を受けてイギリス清教の一員になることを意味しているのでございますよ」

返答を受けて、なるほど、と思う。
自分がイギリス清教の一員になって、天草式にそう思われたところで、自分を攻撃することに変わりはない。
ローマ正教だろうがイギリス清教だろうが、オルソラや『法の書』を狙う者は皆敵なのだから。
だからオルソラは、あまり意味がないと言ったのだろう。あまり、どころか、ほぼない気がするが。
しかし、ステイルがいくら自分に冷たいからといって、まさか本当にほぼ意味がないものを渡すだろうか。
いや、そもそも、この十字架は自分のために用意されたものなのか?
自分のために用意してくれたのなら、学生寮――せめて作戦実行前に渡してくれてもいいはず。
まさか戦闘になるかもしれないのを想定していなかったわけではあるまい。
単純に忘れていた可能性もゼロではないが、まずないはず。
ということは、つまり十字架は、もともと自分のために用意されたものではない?
ならば、誰のために?
既にイギリス清教の人間であるインデックスのためでは、当然ないはず。
ローマ正教のシスター達の者でもないだろう。
彼女達の一人をイギリス清教のメンバーにしたところで、天草式相手には意味がない。
ただ、ローマ正教からイギリス清教のメンバーになる事自体は、大きな意味があるだろう。
そう言う意味で、オルソラは大きな意味があると言ったのだろう。
と、ゴチャゴチャ考えても仕方ないか。
オルソラの言う通り、首からかけられなければ、どうせ意味はない。

「どうするかね、これ」

手元の十字架に目を落としながら、上条はふと呟く。

「あの、お願いがあるのでございますが」

言いながら、オルソラは上条の十字架を持っている方の手を両手で包みこんで、

「この十字架、あなた様の手で私の首にかけてもらえないでございましょうか」

「えーっと……」

一瞬のうちにいろいろ言いたい事が出来た。

「まず、紐が千切れた以上、首にかける事は出来ないんじゃ……」

「結べば何とかなると思うのでございますよ」

あっさりと言われて、まあ確かに、と納得するしかなかった。

「でも、俺の一存でやっていいのかどうか……」

結局この十字架は誰のためのものか分からないし、
少なくとも今は自分に託されている以上、はいどうぞ、と簡単には渡せない。

「……駄目でございましょうか」

「いやだから、俺の一存でやっていいかどうか分からないし、オルソラだって、ローマ正教からイギリス清教のメンバーになるんだけど、それはいいのか?」

「もちろんなのでございますよ」

「うーん……」

「……駄目でございましょうか」

「……じゃあ、折衷案として、とりあえず十字架をオルソラに預ける。
 イギリス清教のステイルとローマ正教のアニェーゼとかに再会して許可貰ったら、首にかける。じゃ、駄目か?」

「……分かったのでございますよ」

紐と十字架のセットをオルソラに渡す。
十字架を受け取ったオルソラは、それを大事そうに胸に抱いたあと、袖の中にしまった。

携帯で時刻を確認する。
バックライトの光があるが、遮りながらかつ少しの時間ならば、まず見つからないだろう。
そもそも、散々オルソラと雑談しているし、今更そこまで気にする事でもない。

二三時五一分。
あと一四分で『縮図巡礼』は使えなくなり、ひとまずオルソラが遠くへ行く事はなくなる。

「オルソラはさ、何で『法の書』を解読しようと思ったんだ?」

「どういうことでございましょうか」

「今回の事件って、オルソラが『法の書』を解読できるってことじゃなければ、起こらなかったんじゃないかなって。
 こんな争いごとになるような危ない本なんだろ?」

「なるほどでございます。もっともな疑問でございますね。
 それに答えるには、まずは魔道書の原典とはどのようなものかから説明しないといけないのでございますが、
 イギリス清教の方々からは、どの程度の説明を受けているのでございましょうか」

「全然だよ。魔道書の原典は破壊できないとか、基本的なことしか聞いてない」

「それが分かっているのなら話は早いのでございますよ。
 魔道書の原典は破壊できない――地脈や竜脈などを利用して、半永久的に活動を続ける自己防衛魔法陣を形成してしまうからなのでございます。
 ですが、それが突破口にもつながるのでございますよ」

「突破口?」

「はい。原典が一種の魔法陣であるのなら、それを崩すように一定の配置で文字や文節を付け足すなどすれば、
 魔法陣の機能を逆手にとって、自爆させる事も可能なはずでございましょう」

「つまり、オルソラは『法の書』を自爆させるために、解読しようとしたってことか?」

「はい。魔道書の力なんて誰も幸せにしないのでございますよ。
 魔道書の力を巡って争いしか起きない――ですから私は、魔道書を壊すために、その仕組みを調べてみたかったのでございます」

そこでひとまず会話が終わり、沈黙が訪れる。

沈黙を破ったのは、遠くからの轟音だった。
びくり、とオルソラが反応する。

「多分、シスター部隊が何かやったんだろう」

あれだけの火柱を出せる連中だ。

「心配だけど、ここまで来たら俺達はここで隠れていよう。日付変更から五分粘れば、人数的にこっちが勝つだろうから」

神裂のようなエース級がいない限りは。

「……今更なのでございますが、私の口の封と手枷を右手で触れただけで解いたのは、何だったのでございましょう」

「俺の右手さ、異能の力を打ち消す事が出来るんだ。
 だから、異能の力でできた産物は触れただけでぶっ壊せるって訳。
 逆に言えば、あれが普通の手枷とか、ただのガムテープだったりした場合は、ああはいかない」

「はあ……ということは『法の書』も触れただけで破壊できるのでございましょうか」

「多分な。つーか、本当は俺も『法の書』を破壊したいんだけどな。
 『法の書』の破壊によって、余計な混乱が生まれたら、それはそれで駄目だなと思って。
 穏便にオルソラを救うって方向性でまとまったんだよ」

「そうで、ございますか」

「でも、オルソラの話を聞いて、やっぱ『法の書』を破壊した方がいいと思った」

「え?」

「だってオルソラは、こんな目にあっても『法の書』を破壊するって目的を諦めていない。
 それなのに俺ときたら、余計な混乱を生みたくないから破壊はできないなんて。
 きっと、心のどこかで怯えていたんだろうな。『法の書』の破壊により、魔術師から狙われるんじゃないかとか」

「あなた様の考えはもっともなのでございますよ。
 『法の書』を破壊すれば全世界からの魔術師から狙われてもおかしくないのでございます。
 そこに恐怖を抱くのは当然の感情なのでございますよ」

「でもオルソラは、そのリスクを負ってでも『法の書』を破壊しようと今も頑張っている。自分が恥ずかしくなったよ」

「そんな……だってあなた様は、一般人でございますよ」

「そんなの関係ない。『法の書』の破壊は余計な混乱を生むかもしれないから破壊はしない方がいい。
 とりあえず『法の書』の解読を阻止できればそれで良い。それが最善だ。なんて、違う。
 本当の最善は『法の書』を破壊して、その後の余計な混乱も防ぐ、だ」

「……そうでございますね。大変素晴らしい考えだと思うのでございますよ」

「『法の書』の破壊のために、俺に出来る事なら手を貸してやりたい」

「気持ちだけで嬉しいのでございますよ。あなた様がこれ以上の危険を負う必要はないのでございますよ」

「いいんだ。俺がやりたいんだよ」

「……では『法の書』を破壊する為に一緒に頑張るのでございますよ」

「ああ!」

上条が力強く返事をしたのと同時に、

「そこに隠れている人間、大人しく出てくるのよな」

男の声。
どう考えたって自分達に向けられたものだった。

「(俺だけが出て行く。オルソラは隠れていてくれ)」

上条はそれだけ言って、返事も待たずに屋台から飛び出す。

「おいおい、隠れているのはお前だけじゃないだろう?」

「バレバレってわけか。でも、オルソラを渡すわけにはいかないな」

「何だ。逃げたオルソラ嬢はそこに隠れているのか。というか、お前は一体誰だ?」

「答える義理はないな。大体、お前の方こそ誰だよ?」

目の前の男は細く長身で、サイズの合わない大きなTシャツとジーンズを穿いている。
二〇代中盤と思われ、髪型は意図的に毛先を尖らせていた。
髪の色は黒をさらに黒く染めたようで、履いているバスケットシューズは靴紐が異常に長く、一メートル以上はあった。
首には革紐のような素材のネックレスがかけてあって、そこには直径一〇センチぐらいの小型扇風機が五つほどぶら下がっている。
右手には、全長一八〇センチ強ぐらいの長さの、表面が波打った大剣があった。
まとめると、今まで出会った人間の中でもトップクラスに奇抜な格好だった。

「天草式十字凄教教皇代理、建宮斎字――」

「上条当麻ぁ!」

建宮が名乗った直後に、彼の数メートル後方から、ボロボロのステイルが叫んでいた。

「何をやっている!早く逃げろ!」

そんなこと言われたって、オルソラもいるし逃げるわけにはいかない。

「後ろの神父様の言う通りだと思うのよ?オルソラ嬢を置いて逃げるのなら、深追いはしないと約束しよう」

「ステイルをボロボロにしたのはお前か?」

「……退く気はないみたいなのよな。そうかそうか。そんなに死に急ぎたいのなら仕方ねえ。今日がお前さんの命日だ」

直後。
建宮は上条までの数メートルの距離を一瞬で詰め寄り、右手の大剣を振り下ろす。
建宮は、これで終わったと確信していた。何せ相手は、ここにいる理由は不明だが、ただの素人なのだから。
しかし、そんな建宮の思惑とは裏腹に、両断は紙一重で避けられた。

「何!?」

両断を避けられたことで動揺する建宮に、カウンターの右拳が襲い掛かる。

「チッ!」

建宮は舌打ちをしながら、一瞬で数メートル後退する。
当然、上条の右拳は空を切る。

「上条当麻!オルソラを確保しているのなら、オルソラを連れて逃げろ!君ではそいつには勝てない!」

確かに、剣という異能を伴わない武器を扱う相手は、かなり相性が悪い。
しかし、

「どうせ逃げ切るのだって無理だ!だったら応戦した方がいいだろ!ていうか、インデックスはどうした!?」

「大丈夫だ!『歩く教会』もあるし僕もいる!だから逃げろ!」

だったらさっきやったあの幻を見せるような術で手助けでもしてほしいものだ。
自力じゃ無理だって言っているのに。

「呑気に会話している暇があるのよな?」

建宮が再び仕掛ける。
わずかではあるがステイルと上条の会話を黙って見ていたのは、上条の評価を改めた上で、どう攻めるか考えていたからだ。
ただの素人かと思っていたが、ただの素人がここにいるわけがないのだ。
目の前の少年には何かある。現に一太刀は避けられた。と。

建宮は、初太刀と同じように、上条の前で大剣――フランベルジェを上から下に振り下ろす。
上条も紙一重でそれを避ける。

「とうま!後ろ!」

いつの間にかステイルの側にいるインデックスが叫んだ。

――分かってる!

先程の少女と同じだ。敢えて避けさせ、反撃を誘う罠。
上条はその場で思い切り伏せて、背後からの横薙ぎの一撃を避けつつ、建宮の足を払うために水面蹴りを繰り出す。

――硬え!

水面蹴りは建宮の脛にクリーンヒットしたが、明らかに蹴った感触が人体ではなかった。
強いて言うなら、氷の塊を蹴ったようだった。もちろん建宮は転ぶどころか痛がりすらしなかった。
とにもかくにも一旦退こう、と上条はすぐさま立ち上がってバックステップを何度かして建宮から距離を取る。

「これも避けられたか。お前さん、案外やるじゃねぇのよ」

まるっきり上から目線だった。それだけ余裕があるという事だろう。
実際、こちらの攻撃が効かない。多分、防御の魔術か何かがあるのだ。
だとしたら、有効な攻撃は右手だけだ。

「とうま!」

インデックスがこちらへ走って来る。

「馬鹿!こっちにくるな!」

「おおっと」

建宮はそんなインデックスの目の前に躍り出て、

「男と男の戦いを邪魔しちゃいかんのよなあ」

容赦なくフランベルジェを横に薙いだ。
フランベルジェはインデックスの腰辺りにジャストミートして、

「しっかりと受け取れよぉ、英国紳士!」

まるで野球のバットを思い切り振り抜くように、両手でフランベルジェを振る。
インデックスはその勢いに押されて、一直線にステイルの方へぶっ飛ばされる。

「ステイル!」

ドゴォ!という壮絶な音が響いた。
ステイルがインデックスをキャッチした音だ。

「禁書目録には絶対防御に等しい『歩く教会』がある。あれを盾にして戦われたら堪らんからなあ」

「建宮、テメェ……」

上条は怒りを露にしたが、

「建宮斎字ぃぃぃいいい!」

それ以上に、ステイルが雄叫びをあげた。彼は周囲にルーンのカードをばら撒いて、

「原初の炎、その意味は光、優しき温もりを守り厳しき裁きを与える剣を!」

轟!とステイルの右手で炎が渦巻き剣を象る。

「死ねぇぇぇえええ!」

ステイルの右手から、建宮目がけて炎の剣が投擲される。

「おいおい、今更そんな攻撃が当たると思ってんのよ?」

言葉通り、建宮は余裕綽々といった様子で、炎の剣を回避。
標的に当たる事のなかった炎の剣は、地面へ落下して爆発した。

「くっ……」

爆発により周囲が白煙で覆われた。ステイル達は愚か、建宮すら見えない。

「上条当麻!上だ!」

ステイルの声。上条は咄嗟に前方へ転がる。
直後に、白煙を裂いてフランベルジェの切っ先を下にしていた建宮が落下してきた。
あと一・五秒遅ければ、串刺しになっていただろう。
しかし、空ぶったことにより、フランベルジェは地面に深く突き刺さっていた。

「どうせ誘いこみの罠だろ!」

上条はバックステップで距離を取る。

「お前さん、ずば抜けて勘が良いな」

言いながら、建宮はあっさりとフレンベルジェを引き抜く。

「そんじゃあ次は、とっておきを披露してやるのよ!」

目の前まで詰め寄られる。そして今度は横薙ぎの一撃。
それを思い切り屈んで避けたところで、

「がっ……あぁ」

脇腹に重たい衝撃があった。サッカーボールサイズの氷の塊が直撃していた。

「魔じゅ、つ……」

がくん、と上条は地面に片膝をつく。
建宮は、フランベルジェを真上に振り上げ、上条に止めを刺すべく振り下ろす。
その直前で。

「燃え散れ!」

ステイルの二本目の炎の剣が建宮向けて放たれた。

――おいおい、冗談だろ?

目の前の少年がイギリス清教の手伝いか何かだという事は、今までのやりとりから推察できる。
特に禁書目録なんかは、少年の事を下の名前で呼び、戦いのさなかについ飛び出してきてしまうほど彼の事を心配していた。
そんな少年ごと自分を焼き尽くすつもりか。

「付き合ってられんのよ!」

少年と共に燃やし尽くされる必要などない。避けてしまえば、燃えるのは少年だけだ。
味方の炎で焼け死ぬなんて、なんて残酷な終わり方だろう、と建宮は横へ逸れつつ上条を憐れんでいたが、

炎の剣は少年が翳した右手に触れた途端、消滅した。

「何、だ?」

思わず建宮が呟く中、上条がゆっくりと立ち上がって、

「ステイル、『魔女狩りの王』は出せないのか?」

「出したところで、あまり意味はないんだよ。この状況ではね」

「そうか」

何だ。少年、上条当麻だったか、はルーン魔術師の特徴を分かっていないのか。
イギリス清教の神父、ステイルは、上条当麻を自分ごと焼き尽くそうとしたし、上条当麻もステイルの魔術について分かっていない。
つまり、彼らは碌に連携を取れない。
唯一の懸念、とまでは言わないが、気になるのは、炎の剣が消滅したところ。
たまたま炎の剣が上条当麻の手前で消えた、なんてことはあり得ないだろう。
ステイルが、直撃の直前で消した、なんて器用な真似をしたとも思えない。
違う。直撃はしていた。上条当麻の右手に。手前で消えてなんかいない。
ということは……、

「じゃあ今みたいに、俺ごと焼き尽くすつもりで炎の剣を投げ続けてくれ」

「何!?」

常軌を逸している。
身のこなしや勘の良さは常人ではないようだが、だからと言って炎の剣を避け続けられる保証なんてないのに。

「ああ。言われなくてもそのつもりさ。この子を傷つけた代償はその身で償ってもらう」

ステイルは禁書目録のために戦う。
ならば、上条当麻は何のために戦うのか。

「やるぞ!ステイル!」

「当たり前だ!」

そうして、上条が駆けだす。

ステイルは『魔女狩りの王』を出せないではなく、出しても意味がないと言った。
といことは『魔女狩りの王』には行動範囲に制限があるのだろう。
いや、ひょっとしたらステイル自身に制限があるのかもしれない。
思えば、彼が魔術を使役する時、必ずカードのようなものをばら撒いていた。
あれが、彼が魔術を使役する為の下準備だとすれば。
常に移動しながらの今回のような戦闘では、力を発揮できなくなる。
まして今回の場合は、インデックスを庇いながらだ。
建宮相手にボロボロにされても無理はない。
だが逆に、今考えている事が正しければ、ステイルは防衛戦では絶大な力を発揮する。
オルソラを連れてステイルの近くにいれば『魔女狩りの王』で楽に粘れる。
建宮以外に何人来ようとも。ローマ正教のシスター軍団が天草式を倒すまで。
ともすれば、

「オルソラ!ステイルの近くにいくんだ!それまでの足止めは俺とステイルでやる!」

「させんのよ!」

建宮が屋台に向かうが、当然上条が割って入る。ステイルは三本目の炎の剣を出している。
オルソラは上条の指示通り屋台から飛び出し、ステイルの方へ向かって行く。
上条からステイルの特徴は聞いていたために、迷わずに。

「なめるな!」

建宮は、体は上条の方を向けたまま真横にスライドしていく。その先にはオルソラ。

「オルソラ!」

上条がオルソラの方へ駆けだす。と同時、ステイルが炎の剣を投げる。
方向は建宮がスライドした先、オルソラも巻き込まれる可能性が高いコースだ。

「何やってんだ、ステイル!」

「『法の書』解読阻止が出来れば、何だっていいのさ!」

「オルソラ嬢ごと……!」

上条と違ってオルソラは死なせるわけにはいかない。
建宮はフランベルジェを水平に構えて、対火炎術式を即興で組み上げる。
その甲斐あって、炎の剣はフランベルジェにぶつかって数秒後には鎮火した。
が。

「ごふっ!」

脇腹に上条の右ストレートが突き刺さった。

――まさか、オルソラを使った陽動!?

その割には、上条当麻は焦っていた。まさか演技だったのか。
大体何だ、この衝撃は。対衝撃用術式は張ってあったし、不発ではないはず。
さっきの水面蹴りではいかんなく効力を発揮していたのに。

建宮は拳を喰らったことにより真横へ数歩よろめく。
そこへさらに追撃を加えんと、上条が迫る。

「こ……の!」

建宮はよろめきつつもフランベルジェを横へ一閃。
その一撃は先程と同じく二段構えの攻撃。
そして上条も、先程と同様に屈んでフランベルジェの一閃を避けて、脇腹に氷の球を受けた。
しかし、咄嗟に放ったために威力が弱かったのか、上条はそこで止まらず、拳を繰り出す。

「がっ!」

拳を顔面に受けた建宮は後ろへ数歩よろめく。
そこへ追い打ちをかけるように炎の剣が飛んでくる。
切羽詰まっていた建宮には、冷静に対処する余裕などなかった。
ステップで何とか直撃だけは免れるものの、地面へ着弾した爆発の余波に煽られ転がる。
フランベルジェも、そこで手放してしまう。

「く、そ……」

フランベルジェを取り戻さなければ、と何とか立ち上がろうとした時には、既に上条が目の前まで駆けて来ていて、

上条の全力の拳骨が建宮の脳天に落とされた。
その衝撃で、建宮は顔面を思い切り地面に打ち付け、それきり動かなくなった。

ステイルは気絶している建宮の手足、胸板、背中、額にルーンのカードを貼りつけ、座らせた。
その状態から少しでも動こうとすれば、即座にルーンのカードが反応し着火、建宮の体を火ダルマにするらしい。
凶悪な術式だ。

「これで建宮はもう何も出来ない」

「じゃあ次はどうする?オルソラを連れてローマ正教と合流するか?」

「その必要はない」

やけにはっきりと言う。

「……何で?」

「ローマ正教のシスター達には、彼女達なりの連携がある。そこに僕達が加わっても、連携を乱すのが関の山だろう。
 ましてや君の右手は魔術を打ち消してしまうんだからなおさらだ。
 それに、現天草式トップの建宮は拘束した。天草式の統率は崩れる。じきに決着がつくはずだ」

淡々とまくしたてられて、何も言い返す気にならなかった。
そこまで言うのだから、無理にローマ正教と合流する事もないだろう。

「それじゃあ決着がつくまでここで待機ってことか?」

「そうなるけど、君はもう帰っていいよ。今回の事件はオルソラをローマ正教に引き渡せば終わりだ。それは僕がやるからね」

ステイルはおそらく防衛戦ならかなり強い。
仮に決着が長引いて天草式が何人かここにきても、問題はないだろう。

「じゃあお言葉に甘えて、帰るか、インデックス」

と、インデックスの方を振り返った、その時だった。

「とうまー!」

とんでもない形相のインデックスが飛びかかってきた。

「うぉおー!?何だよー!?」

飛びかかってきたインデックスの顔面を左手でがっしりキャッチして頭蓋への噛みつきを阻止。

「一体何様のつもりなのかな、とうまは!
 ただでさえでっかい剣を持った、それも本物の魔術師相手に拳一つで立ち向かうなんて尋常じゃないよね!
 とうまは私を心配させて楽しむ変態さんなのかな!?」

要は小萌先生と同じ調子で怒っているのか。
ぶっちゃけ死闘なら夏休み初日から始業式の日まで何度かやってきたから、今更そんなことを言われてもという感じなのだが、
インデックスは自分が演じた死闘を直接目撃するのは今回が初めてだから、怒るのも無理はないのか。
とまあ、今思った事をそのまま言ったらさらに喚くだろうから、やめておこう。
ここは下手な言い訳はせず、素直に謝っておくか。

「心配かけてごめん」

「分かればよろしいんだよ。でも、謝っている人が怒っている人にアイアンクロー決めているって、どういうことだろうね?」

「それに関しては正当防衛を主張したい」

「大体さ、俺ごとやれ、って何?完全に常軌を逸しているよね?正気の沙汰じゃないよね?狂気の沙汰だよね?
 本当にとうまごと、ううん、とうまだけ焼け死んでいたら、私、発狂していたかも」

怒りが再燃しつつある。何とかしなければ。

「いやもう、本当にごめんとしか言いようがないです」

「本当にごめんと思っているのなら、アイアンクローをやめてほしいかも」

「やめても噛みつかないと約束するのなら」

「それは保証できかねるんだよ」

「いつまで漫才をやっているつもりかな」

ステイルに突っ込まれた。

「早く帰れ」

「インデックス、帰りにアイス買ってやるから許して下さい」

「仕方ないね。今回だけは特別だからね」

「はい。肝に銘じておきます」

アイアンクローを解く。直後だった。

「そんなわけないんだよー!」

前言をガン無視したインデックスの噛みつきが上条へ襲い掛かるが、
彼はそれをあっさりと回避してインデックスの背後に回り込んだ後、左腕で彼女の胴をがっちりとホールドする。

「よーし、帰るか」

「むぅ~」

まんまとしてやられたインデックスは最早唸るだけ。
上条は左腕でインデックスを抱えながら帰ろうとしたが、

「待ってほしいのでございますよ」

オルソラに呼び止められた。

「ん?何だ?」

「その……」

何かを言いたそうにするオルソラ。

「あ、もしかして……ごめんなさい!」

「何を唐突に謝っているの、とうま」

「きっとオルソラの言いたい事は『私を陽動に使うなんて……酷いのでございますよ』だろ?だからごめんって」

「気色悪い声でクソみたいなモノマネは止めろ。吐き気がする」

そこまで言わなくても、というレベルの罵倒をするステイルに対して上条は、

「うるせー。元はと言えばステイル、お前が炎剣をオルソラの方に投げたから、結果としてオルソラを陽動にしたみたいになったんじゃねーか。
 俺はそんなつもりなかったんだから、本気で焦ったんだぞ」

「あれ、そうだったのかい。それは知らなかったよ。では、建宮に拳を放ったのは、機転を利かせたってことか」

「そうだよ」

「なるほどな。では、俺が敗北したのは、たまたまだったってわけか」

建宮の声だった。

「何だ。もう目を覚ましたのか。タフな奴だ。ま、何も出来ないと思うがね」

「そのようなのよな」

「あの!」

オルソラが大きな声を出した。大人しい人間だと思っていたから、少しびっくりした。
オルソラは上条の方を見つめて、

「あなた様が私を陽動に使ったつもりがないことは分かっているのでございますよ。
 あの時、必死に私の方へ駆けてくる表情を見れば、一目瞭然なのでございます」

「いてっ!」

上条が唐突に声を上げる。

「どうした?」

「……何でもない」

「ならいちいち騒ぐな」

ステイルの角度からは見えないのだろうが、インデックスをホールドしている左腕を、現在進行形で彼女の両手でつねられている。

「私が言いたいのは……」

と、オルソラが続く言葉を紡ごうとした時、

「イギリス清教と外部協力者のお方ですね。こちらの戦闘が終わったので増援に来たのですが……どうやら決着がついたようですね」

いつの間にか背の高いシスターがやってきていて、そんな事を言った。
傍らには背の低いシスターもいる。
背の高いシスターはオルソラの方を見ながら、

「シスター・オルソラもいるようですね。神の敵は……拘束しているようですね。では、両名の身柄をこちらに」

そこでさらなる異変があった。
どこに隠れていたのか、突如として槍を持った少女が現れて、上条目がけて突進して槍を放つ。
そのあまりの唐突さに、誰もの反応が遅れた。ただ一人を除いて。

少女に狙われた当人である上条は、インデックスを投げながら放たれた槍を最小限の動きで避けつつ、左手で槍の中腹をキャッチ。
そのままぐいっと引き寄せて右手を放つ。
思わぬ反撃に少女はぎょっとしつつも、槍を持っている右手を手放して非常に滑らかに反時計回りにターン。
上条の拳が空を切る中、少女は左手で槍を掴み直しながら、右足でハイキック。
上条の顔面へ放たれたそれは、彼の右手にキャッチされる。
同時、ガラスが割れるような音が響く。

「なっ――」

耐衝撃用術式を破壊された少女が驚きの声を上げた時には、上条が右足で少女の腹を蹴っていた。
左手で槍を、右手で足を掴まれ、割ときつい姿勢だった少女は為す術もなく蹴りをモロに喰らって地面に転がる。
少女はすぐに立ちあがろうとするが、槍を投げ捨てた上条がそれより早く少女に馬乗りになる。

「どうやら天草式の残党のようですね」

汚物でも見るような目で、背の高いシスターはそう呟いた。

「ステイル、暴れられたら堪らないから、建宮にやっているやつ、この子にもやってくれよ」

「やれやれ」

ステイルは面倒くさそうに上条と少女のところへ近付いて、少女の体の至るところにルーンを貼りつける。

「この状態から少しでも動こうとすれば火ダルマになるから、気をつけておいた方がいい」

少女に宣告して、ステイルは立ち上がる。
上条も馬乗りを止めて立ち上がる。

「では、神の敵の身柄をこちらに」

背の高いシスターが催促してきた。
オルソラに至っては、既に背の低いシスターによって手を引かれていた。

「ちょっと待ってほしいのよな」

ステイルの手によって立ち上がらされた建宮が、口を開いた。
しかし、ステイルは無視して背の高いシスターの下へと建宮を引っ張っていく。
建宮の方も、言葉を発し続けた。

「このままオルソラ嬢をローマ正教に引き渡してしまったら、ローマ正教に殺されちまうのよな!」

大きめの一言は、その場にいる全員の動きを止めた。

「……戯言だね」

一瞬訪れた沈黙を最初に破ったのはインデックスだった。

「彼は今、言葉を武器にしただけ。天草式の基本戦術は“偽装”。嘘だって平気でつくんだよ」

つまり、建宮の言葉に耳を傾ける必要などない。
さっさと連行してしまえ、ということだ。

「戯言かどうか、一度よく考えてみるといいのよな!
 そしたら分かる!我らが『法の書』など必要としていないという事が!」

「神の敵の言葉に耳を貸す必要はありません。早く身柄をこちらに」

背の高いシスターが矢継ぎ早にステイルを促す。
しかしステイルは、あくまでもマイペースだった。

「少し考えたら分かるはずよな!
 世界最大の十字教宗派のローマ正教に喧嘩を売ってまで、我らが『法の書』を欲しがっていると、本当に思うのか!?」

「何をしているのですか!早くそいつを黙らせなさい!」

背の高いシスターが段々とヒートアップしていく。
しかしステイルは、建宮を黙らせようとはしなかった。
建宮は叫ぶように言葉を続ける。

「『法の書』は絶大な力を持つと言われている!だが、力を手に入れたところで何になるって言うのよな!
 身内以外誰にも知られる事のない本拠地で隠れ潜んで来た我々が、今更大それた力を欲しがると思うか!」

「もういいです!」

背の高いシスターは業を煮やしたようで、ステイルから建宮をひったくって、彼の腹を思い切り殴りつけた。
さすがの建宮も言葉を出せなくなったが、

「まだ分からないんですか!」

仰向けに倒れている少女が建宮の言葉を引き継ぐように叫ぶ。

「十字教最大宗派である世界のトップ、二〇億人もの信徒を抱えるローマ正教が、『十字教の時代の終わり』なんて望んでいる訳がないじゃないですか!」

天草式の少女の言いたい事を理解したステイルとインデックスは目を見開いた。
少女はなおも叫び続ける。

「ローマ正教にとって『法の書』の力を引き出せるオルソラさんは、邪魔な存在でしかない!
 このバランスの中で満足しているのに、変化を望むはずがないから!
 ましてや、この時代のトップに君臨しているんですよ、ローマ正教は!」

「そこの愚図も黙らせて、私達に身柄をよこしなさい!」

背の高いシスターが怒気を上げて要求する。
少女の一番近くにいる上条は、状況をようやく理解するも、どうしていいか分からず立ち尽くす。

「……もういいです!私がやります!」

背の高いシスターは、建宮の首根っこを掴んで引きずりながら、上条と少女の下へ。
と、上条が少女を庇うように立ち塞がった。

「……何か?」

背の高いシスターが怪訝そうな顔で上条を見据える。

「天草式の奴らが言う事には説得力がない訳じゃなかった。
 でも、手放しで信じるにはいくつか疑問点もあるから、どうするか迷っている。
 だから、まずは迷いを消す」

「何を言いたいのか分かりませんが、まずそこをどけてもらえますか」

「オルソラ!」

背の高いシスターを無視して、上条はオルソラへ呼びかける。

「お前はどうすれば安全なんだ!?お前自身の言葉が聞きたい!」

「シスター・アンジェレネ!シスター・オルソラを連れて行きなさい!」

背の高いシスターは、背の低いシスター――アンジェレネへ命令する。

「で、ですがシスター・ルチア――」

「いいから、連れて行きなさい!」

「は、はぁい」

背の高いシスター――ルチアの気迫に押されて、アンジェレネはオルソラを強引に連れて行こうとするが、

「オルソラ!」

上条が再度呼びかける。

「私は――」

アンジェレネに引っ張られながらも、オルソラは呟くように口を開いて、

「あなた様の側に寄り添いたいのでございます――!」

決意の表明。
その直後、オルソラはアンジェレネの手を振りほどいて上条の下へ走る。

「シスター・アンジェレネ、何をしているのですか!早くオルソラを捕まえなさい!」

「は、はぁい」

舌足らずの情けない声で返事をして、アンジェレネはオルソラを追いかける。

「ステイル、止めろ!」

上条はステイルへ指示を飛ばすが、ステイルは何もしなかった。

「おい、ステイル!……くそっ!」

ステイルが何もしないので、上条は仕方なくオルソラの下へ駆けるが、

「やめろ!上条当麻!」

大きい声で制止されて、上条は動きを止める。
その間に、もたもたしていたアンジェレネを差し置いて、ルチアがオルソラを捕らえた。

「ひとまず、シスター・オルソラを本隊の方へ連れて行きましょう。逃げられては敵いませんから」

「天草式の二人は良いんですかぁ?」

「どうせ二人だけでは何もできないでしょう。最優先はあくまでシスター・オルソラです。行きますよ。シスター・アンジェレネ」

「は、はぁい」

「待ちやが――」

「上条当麻!」

「……何で、何で止めるんだよ!」

「僕たちの仕事はもう終わりだ。終わりなんだよ」

ステイルが呟く中、二人のシスターはオルソラを連れて暗闇へと消えて行った。

まだ七巻分終わってないので、とりあえずここまでです。

「……どういうことか説明しろ、ステイル」

「どういう事も何も、僕らのお仕事は『法の書』の解読の阻止。
 オルソラがローマ正教に戻った以上『法の書』が解読される危険はなくなったんだから、僕達がやるべき事はもう終わりだろうが」

「でも……オルソラはどうなる?殺されるのを黙って見過ごせって言うのか?」

「何を熱くなっている?
 オルソラは君に助けてほしそうではあったが、天草式の言う事が本当だと決まった訳じゃないだろ。
 だから君も、天草式に貼っている僕のルーンのカードを右手で解除しないんだろ。
 僕もまだ解除する気はないしね」

ステイルの言っている事が図星だったので、何も言えなくなる。

「仮に天草式の言う事が本当だとしても、やっぱり僕達の出る幕はもうない。これ以上はローマ正教内部の問題だからね」

「ローマ正教の問題だから、俺達がこれ以上介入するとイギリス清教とローマ正教の争いに発展するかもしれない、ってことか?」

「理解しているのなら、これ以上喚くな」

一見非常に思えるが、ステイルの判断は至極真っ当なのだろう。
戦争が起こってしまえば、それこそ何人もの人間が死ぬ。
そもそも、天草式の言っている事が本当とも限らない。
本当だとしても、死ぬのはオルソラだけ。
何人死ぬか分からない戦争と、一人は確実に死ぬが、それで終了する問題。
天秤にかけた結果、どちらがいいかなんて誰でも分かる事だ。
だからと言って。

「……じゃあ、俺が勝手にオルソラを助けに行く分には問題ないのか?」

オルソラが死んでいい理由にはならない。

「駄目だね。君にはあの十字架を渡したはずだ。あれはウチの最大主教が直々に用意した一品でね」

それから、オルソラが言ったように、あの十字架を首にかけられたものは云々と説明され、

「君は十字架を首にかけている訳ではないから、今の君は厳密に言えばイギリス清教徒ではない。
 が、その一歩手前ぐらいではある。
 今の君が下手をうてば、イギリス清教との争いに発展する可能性は無きにしも非ずだ」

そうか、と上条は悟った。
あの時、オルソラが言いたかった事。
十字架を首にかけてもいいか、ステイルに確認してほしかったのだ。
そして仮に、許可を得てオルソラに十字架を首にかけていれば、彼女は晴れてイギリス清教徒となり、こうはならなかっただろう。
だって、イギリス清教のメンバーなら『メンバーを殺させない』という大義名分ができて、ステイルだって動いてくれただろうから。

「十字架なら、オルソラに渡したから俺はフリーだ。イギリス清教に迷惑はかけない。だから俺は行くぞ」

上条はステイルを真っ直ぐに見据えて言った。
対してステイルは至って冷静に、

「なるほどね。確かにそれなら、イギリス清教に迷惑はかからない。君を止める理由はなくなるね。
 だが現実問題として、君一人で何が出来るって言うんだ」

分かっている。

「ローマ正教のシスターは二五〇人いるという話だった。
 君は、そいつら全てを相手にしてまで、オルソラを救えると言うのか?」

そんなことは、分かっている。
素人はもちろん、喧嘩慣れしている武装無能力集団(スキルアウト)、超能力を扱う人間相手でも、幻想殺しが効果を発揮して、一対一なら勝つ自信はある。
しかし、二五〇人も相手にして勝てるほど、幻想殺しは万能ではない。

「君が死ねば悲しむ人間だっている。その人達の気持ちを考えたうえで、それでもオルソラを助けに行くと言うのなら、僕はもう何も言わないよ」

自分が死ぬことで悲しむ人間。両親や乙姫、小萌先生。親友である青髪や土御門も悲しむか。
御坂や舞夏、姫神や吹寄などクラスメイトも悲しむかもしれない。さすがに自意識過剰か。
ちらりと、インデックスの方を見やる。
何か――上手く形容できないが、強いて言うなら切なげな表情だった。
少なくとも、喜びなどのプラスの意味での表情ではなかった。

「まー少年、そんな思い詰めなくても、これさえ剥がしてくれれば、俺と五和で何とかしてやる。何せ我らには、戦う理由があるからな」

建宮が割と陽気な声でそう言った。
五和というのは、自分が倒した槍の少女の事だろうか。

「戦う理由?」

「囚われた仲間とオルソラ嬢を救いに行く」

「アンタら天草式が、オルソラを救いに行く理由は何だ?」

「理由なんてねぇのよ。強いて言うなら、元女教皇(プリエステス)ならこうするから、だろうな」

天草式曰く、なるべくローマ正教の息のかかっていない場所である日本に逃げ込んで来たオルソラは、偶然出会った自分達に助けを求めてきた。
元女教皇――神裂は『救われぬ者に救いの手を』を魔法名、つまり信念にしていて、その信念を守るために自分達はオルソラを助けた。ということらしい。

何で神裂が天草式を脱退したのか、少し気になるところではあるが、今の論点はそこではない。

「なら、オルソラは何でアンタらからも逃げた?」

天草式の少女にタックルを仕掛けたことから、オルソラは天草式からも逃げていたと思われる。

「我らの事を信じ切れなかったんだろうよ。
 『世界最大の十字教宗派に喧嘩を売ってまで、私の事を助けるはずがない。見返りに「法の書」の解読方法を要求される』とな」

「……」

「この期に及んで、我らの目的がやっぱりオルソラ嬢と『法の書』で、世界を変えようとしていると疑っているのか?」

「……」

「そもそも我々は『法の書』を盗んじゃいない。『法の書』が盗まれたと言うのはローマ正教の演技よな。
 オルソラ嬢だけが消えたら『彼女はローマ正教から亡命した』って可能性が出てしまうが、『法の書』とセットなら、
 オルソラ嬢の失踪は誰でも誘拐だと思ってしまう」

なおも無言で立ち尽くす上条に、建宮は、

「お前さん、イギリス清教の協力者なら、ある程度事情は知っているんだよな?
 話を聞いた時点で、おかしいとは思わなかったか?『法の書』は重要なモノ。
 それを、見世物用の偽典ならともかく、展示する為に原典を日本に持ってくるってこと自体あり得んだろうよ。
 日本に原典展示して何になるっていうのよな。仮に本当に持ってくるとしたら、警備だってもっと厳重にするはずよな。
 我らが本気で『法の書』を獲りにいったとしても付け入る隙もないくらいに。
 さらに言えば、本当に盗まれたとしたら、取り返すための人員がこれっぽっちって言うのもおかしいのよな。
 これでもまだ、我らを疑うか?」

「……分かった」

上条は、建宮の方へ歩いていく。

「何をするつもりなのよな?俺はルーンを解いてほしいんだが。それは、あの神父にやってもらわなければ」

「俺の右手、異能なら何でも打ち消すから」

言って、上条は右手で建宮の体に貼りつけられているルーンに触れていく。

「……おお、マジでその右手、異能を打ち消すのよな。なるほど、炎を消したのもその右手か」

建宮はブンブンと肩をまわしながら、遠くに置いてあったフランベルジェのところまでいって拾い上げる。
その間に、上条は少女――五和のルーンのカードも解除する。

「……これが、対衝撃用術式が破られたトリックですか」

五和は感心したように呟いて、上条が投げ捨てていた槍を拾い上げる。

「ほんじゃま、我らは行ってくるのよな。大丈夫。我らが必ずオルソラ嬢を救いだす。だから少年、お前は安心していていい」

「何言ってんだ。俺も行くんだよ」

その言葉に、誰もが息を呑んだ。ただ一人を除いて。

「何を言っている。無駄死にするつもりか」

まずはステイルが言った。

「そうよな。右手に異能を打ち消す能力がある程度では、二五〇人相手ではどうにもならんぞ」

続いて建宮。

「あなたに敗北した私が言うと説得力ないですが、さすがに無理ですよ」

五和にまでやんわりと止められる。

「それを言うならアンタらは?たった二人で、何が出来る?」

「作戦がある。大規模な集団の最も弱いところ――移動時、そこを突く」

「それに、日本は私達天草式にとって庭でありホームです。勝機がない訳ではありません」

「移動時?……オルソラはすぐに殺される訳じゃないのか?」

上条の疑問に答えたのはステイルだった。

「ああ。同胞であるオルソラを殺すには『手続き』を踏まなければいけない」

「『手続き』?」

「ああ。『法の書』を解読してその力を使って世界を変えたのならともかく、現時点ではオルソラには何の罪もない。
 だから、宗教裁判によってレッテルを貼ってからじゃないと、オルソラは殺せないのさ」

「宗教裁判?」

「まあ、神明裁判と言うべきかな。
 何らかの手段を用いて神意を得ることにより、物事の真偽、正邪を判断することだ。
 たとえば、焼けて真っ赤になった棒をオルソラに握らせる。
 彼女が無罪なら、主が守ってくださるから火傷は負わない。
 逆に火傷を負えば、彼女は守るに値しない人間だと判断された、というわけだ。
 しかし、火傷を負って当然だ。だからこそ、火傷を負わなくても難癖をつけられる。
 つまり、どの道、試された者は必ずレッテルを貼られるようになっている」

「だから『手続き』か」

「そうだね。この『手続き』のために、ローマ正教は一度ローマへ戻って、準備を整えないといけない」

「奴らが日本からローマにわたる時、そこが特攻を仕掛けるチャンスって訳よな」

「……そっか。じゃあ、攻めるとしたら移動時ってことで決定として、それはいつごろになるか分かるか?」

「だからお前さんは――」

建宮の言葉が途切れる。
上条の背後から、インデックスが唐突に抱きついたのを見て、思わず言葉を詰まらせたからだ。

「ねぇとうま。何でとうまは、そんなに背負いこんじゃうの?」

震えるような声で語りかけてくる。

「これは魔術世界の問題なんだから、とうまが無理に関わらなくてもいいんだよ」

インデックスの語りかけに対して、上条は特に反応しない。

「全ての魔術師の問題はとうまが解決しなきゃいけない、なんてルールはないもん。
 目の前で起きた問題を何でも解決できる人間なんていないんだよ。
 とうまは誰かに頼っても、任せてもいいんだよ。
 目の前の家が火事になって、中に幼い子供が取り残されていたからって、とうまが飛びこまなきゃいけないなんて決まりはないでしょ?
 だから……」

インデックスは言葉を詰まらせる。その理由は、誰でも分かるものだった。
無論、一番近くにいる上条にも。

「禁書目録の言う通りだと思うのよな。あとは我らに任せておけ」

建宮が胸を叩く。

「……別に、アンタらが信用できないとかじゃない。誰かに頼ることに、任せることに引け目がある訳でもない」

「じゃあ何で!?」

大声を出したのはステイルだった。

「もう分かるだろ!君が死ねば、その子は悲しむんだぞ!その子を悲しませてまで、オルソラを助けに行く事がそんなに大事か!」

「俺は死なない!」

ステイル以上の大声で、上条は叫ぶ。

「約束する!俺は絶対に死なずに、インデックスの下へ帰ってみせる!それなら文句ないだろうが!」

あまりの気迫に、建宮と五和は思わずたじろぎ、ステイルは押し黙る。

「インデックスの言う事は分かる。目の前で起きた問題を解決しなきゃいけないルールなんてない。
 確かにそうだよ。でも、俺はオルソラに言われた。『あなたの側にいたい』って。
 俺はその言葉に背を向けたくない。信頼を裏切りたくない」

火事の家があって、その家の中に子供が取り残された現場に居合わせたら、命を張ってその子供を助けに行かなければならない、なんてことはない。
一番賢明なのは、一刻も早く消防署に連絡を入れる事だ。
だが、もしも、その子供が、自分が助けに来る事を信じてくれているとしたら。

「これは俺のワガママだ。でも、ここでオルソラを助けに行かなきゃ、俺はきっと納得できない。
 だから頼む。絶対に死なないって約束するから、俺も行かせてくれ」

「……とうまには敵わないね」

インデックスは上条の背中から離れつつ、

「本当は分かっていたんだけどね。とうまが人助けモードに入り切っちゃって、何を言っても聞かないって」

そう言って笑っていたが、どう見ても無理に作った笑みだった。おまけに涙目でもあった。

「でも、こうなったら仕方ないよね。助けよう、オルソラを。私達の手で」

「……え?ちょっと待て、インデックス。私達って何だ?」

「私達は私達だよ。とうまとステイルと天草式の人と私」

「私って、お前が付いてきてどうするって言うんだ?」

「どうするって、一緒に戦うに決まっているかも」

まさか三沢塾の時のようになるつもりか。
でも『あれ』は、幻想殺しで触れたからどうにかなったはず。

「一緒に戦うって、どうすんだよ。シスターどもに噛みつくつもりか」

「馬鹿か君は」

ステイルが割り込んで来た。

「その子は魔術が使えなくても、魔道書の知識を使いこなす。たとえば強制詠唱。
 術式を操る敵の頭に割り込みを掛け、暴走や発動のキャンセルなどの誤作動を起こさせるものだ。
 先程の二人のシスターを例にとって見ようか。
 小さい三つ編みのそばかすシスター、アンジェレネだったかな、は腰のベルトに四つの硬貨袋を提げていたね。
 あの中には硬貨が一杯に入っていて、砲丸程度の重さはあるだろう。
 多分、あれを飛ばして戦うのだろうが、あれなら強制詠唱で割り込みをかけて、硬貨袋の制御を奪える」

だから、アンジェレネは敵にならないって言うのは分かるね、とステイルは続けて、

「猫目でガーターベルトをしているシスター、ルチアだったか、聖職者にあるまじき恰好だが」

ステイルには言われたくないだろう。

「木製の車輪を抱えていたね。あれはおそらく『車輪伝説』を基にしている。
 あの車輪を爆散させて数百もの木片にして、それを飛ばして相手を攻撃するものだろう。
 飛ばしっぱなしではなく、再生もするはずだ。しかし『歩く教会』の前では無意味だ。防御面は安全。
 攻撃面は四つもある硬貨袋を制御すれば、ルチアも倒せない事はない」

「……でもそれなら、多人数相手にはどうにもならないんじゃねぇのか」

「使えるのは強制詠唱だけではない。『魔滅の声』(シェオールフィア)というのがある。
 教徒の信仰する教義の矛盾点を徹底的に糾弾するもので、一時的に声を聞いた者の自我を崩すものだ。
 これは集団心理を利用するから、同じ思想を持つ人間がある程度集まった状況下では大きな効果を発揮する。
 ローマ正教のシスター達なんていいカモだ。今回の場合、君なんかよりよっぽど強いだろうね」

「……だからって、インデックスを連れて行く訳には」

「その子の気持ちも考えたらどうだ。君の力になりたい、一緒に戦いたいんだろ。
 無謀な挑戦をするワガママの代わりに、その子を連れて行くぐらいしろ」

「……でも、イギリス清教は干渉しちゃいけないんだろ」

「それに関しても問題ない。オルソラに十字架を渡したんだろ。
 その時点で、彼女は半分イギリス清教徒だから、助けに行く正当な理由にはなる」

「首にかけた訳じゃないぞ」

「十字架を持っていれば問題ないさ。あとは、どうとでもなる」

「……じゃあ、ここにいる五人で助けに行けるってことか?」

「そうだ」

「……なら、これからどうするか、話し合おう」

作戦は決まった。まずは囚われている天草式の面々を助ける。
天草式が囚われていると考えられる根拠は、建宮を生け捕りにしようとした事だ。
殺すつもりなら、ルチアとアンジェレネで、あの場で殺していても良かった。
それをあえて連行するに踏みとどまったのは、オルソラと一緒に裁判にかけて、
『天草式と結託して「法の書」を盗み出した』というリアリティを出すためと推測される。
天草式を助けた後は、現在ローマ正教が潜伏していると思われる『オルソラ教会』へ乗り込む。
その際に、ステイルのルーンのカードを周囲に貼りつける。
『オルソラ教会』とは、オルソラが世界三ヶ国の異教地で神の教えを広めた功績により、特別に自身の名前を冠する事を許され建造中の教会だ。
完成すれば日本国内で最大規模の教会になるらしく野球場と同じ位の大きさらしい。

ローマ正教がオルソラ教会に留まっていると考えられるのは、大人数での移動という弱点を軽減する為に、今は結界を張って籠城していると推測できるからだ。

攻めるのは移動時じゃないのか、と聞いたら、オルソラは『手続き』によってしか殺せないが、殺さない限りは何をやっても大目に見てもらえる。
つまり、オルソラに暴力を振るっている可能性がある。それを移動時まで放っておく訳にはいかないだろ。とのことだった。
何でそれを教えてくれなかった?とは聞かなかった。皆、自分を止めるために色々言ってきた。
オルソラが痛めつけられていると知れば、さらに説得が難しくなると思い、あえて言わなかったのだろう。

「あの……」

作戦会議終了後、自分が倒したポニーテールの少女――浦上というらしい、が、まだ捕まっていないかもしれない、ということになって、
浦上が倒れていると思われる現場に向かう途中、五和に話しかけられた。

「本当に行くのですか?私達が天草式の皆を助け出し、イギリス清教も協力することになって、勝機は充分ある状況になりました。
 あなたが無理する必要はないのでは?」

「言ったはずだ。助けに行かなきゃ、俺が納得できない。そしてオルソラも、俺を信じていてくれるとしたら、それに応えたいんだ」

五和は思う。真面目に言っているとしたら、少し現実が見えていなさすぎる。
確かに、身のこなしや反応などはかなり良く、腕力などの力自体も高い水準ではあるだろう。
しかし、やはり彼はプロではなく、一対一ならともかく多対一では何ともならないはずだ。
天草式の皆を助け、禁書目録やルーン魔術師が全力を尽くしても、二五〇人全員をカバーする事は出来ない。
彼にはシスターを一人ずつ相手にさせる、なんてことはできない。
彼が危機に陥ったところを、助けられるとは限らないのに。
限らないのに……何故だか、彼なら大丈夫、彼ならやってくれる。
人数差なんて覆して、オルソラを救うことを現実にする。そんな気もする。

「良かった。どうやら囚われていなかったらしい」

五和が考えごとをしている内に、浦上が倒れている現場に到着した。
建宮は未だに気絶していた浦上を起こして、持ってきていたドレスソードを彼女に還しつつ事情を説明。

「では現在はイギリス清教と少年――上条当麻さんは味方なんですね」

「そういうことよな」

建宮に確認を取った浦上は、上条の目の前に立って、

「さっきまでは互いにいがみ合っていましたが、今は同盟関係を結んだという事で」

浦上は右手を出す。

「ああ、よろしく」

上条も同様に右手を出して握手をする。

「よし!それじゃあまずはウチの連中を助けるところから始めるのよな!」

いよいよ作戦決行だ。

オルソラ教会はようやく外壁を築き終えたところで、周囲にはいまだに足場や梯子などが残っていた。
内装は何もなく、ステンドグラスが嵌めこまれる予定の窓はぽっかりと空いている。
説教壇の後ろには、壁に立てかけられる予定の十字架が無造作に置かれていた。
人工の灯りはなく、何もない窓からわずかに差し込む星明かりしか存在しない大聖堂の中で、漆黒の修道服を着たシスターが二四〇人、無言で佇んでいた。
彼女達は輪を作るように、そしてその輪を何重にも囲むように立っている。
各々の手には剣や槍などの武器、巨大な歯車や鉤爪などの宗教的な儀式用具などが握られていた。
そんな彼女達の輪の中心で、悲鳴が上がった。

「随分と女を捨てちゃっている悲鳴ですねぇ。みっともないとは思わないんですか?」

アニェーゼ=サンクティスが、オルソラ=アクィナスに一方的に言葉をぶつける。

「この教会の名前も変えなくちゃいけませんね。こんなブタとかロバみたいな名前つけちゃ笑い物にしかなんねぇですから!」

オルソラは何も答えられない。彼女は今、床の上に倒されている。
衣服の破れやファスナーの壊れ具合を見れば、彼女が酷い暴力に曝されてきて、言葉を発する気力もないことが分かる。

どす、という重たい袋を蹴飛ばしたような音。
アニェーゼがオルソラの腹部を蹴った音だ。

「……ぁ、はっ……」

「まあ、逃げ出したくなっちまうのも分かりますけどね。
 枢機卿というジジイどもが出席する宗教裁判(インクジション)という名のおままごとで処刑されるなんて、あまりにも馬鹿らしいですからね」

どうしてこんなことになったのだろう、とオルソラはぼんやりとする頭で考える。
『法の書』をはじめとする魔道書の原典は、誰にとっても邪悪でいらないものだった。
誰もがどうにかして処分したいと思っていた。
だが魔道書の原典は人間の手では処分できなくて、だから封印という方法で厳重に保管するしかなかった。
自分は、それをどうにかしたかっただけなのに。ローマ正教だって『法の書』はいらないのに。
なのに、どうして、何がどうなって、こんなことになっているのか。

「それにしても、随分と頼れるお友達が少なかったみたいじゃないですか。
 まさか、たまたま現地で会った天草式なんぞに協力を求めちまうとはね」

アニェーゼは手に持っている『蓮の杖』(ロータスワンド)の下端でオルソラの腹を叩き、足でオルソラのふくらはぎを蹴る。

「追い詰められて最後に縋ったのは小汚い国で育った見知らぬ東洋人ども。
 だーめですって。あんな聖典も読めない仔豚さん達なんかに期待しちゃ。
 そんなもんに大事な命を預けちまうから、こんな目に遭っちまうんです。
 もっとも、所詮獣は獣、知能が致命的に足りないばっかりに、最後の最後で反逆されかけたみたいですがね。
 シスター・ルチアの報告によると。
 ツンツン頭の東洋人、何ですかね、あのヘアースタイルは!ウニにでもなりたかったんですかねぇ!」

アニェーゼが言っているのは、あの少年の事だろう。

「しかしながら、結局は獣同士で潰し合って最終的にあなたが私達の手にある以上、奴らはバカだったってことですね。
 知能が低いだけあって、あっさり騙されやがりましたからね」

「だま、された……?あの方たちは、騙、されたので、ございますか……。あなた方に……協力、したのではなく……」

オルソラの発言に、アニェーゼは「はぁ?」といった顔をしつつ、

「そんなのどっちだっていいでしょうが。あなたはこうして私達に捕まっちまっているんですから」

「そうで、ございますか」

と、オルソラはほんの少しだけ口角を上げた。

「ナニ笑ってんですか」

「いえ……ただ、思い知っただけなので、ございますよ。私達、ローマ正教の本質が……どういうものなのかを」

何を言っているのか、と眉を顰めるアニェーゼに、オルソラは途切れ途切れになりながらも言葉を続ける。

「私達は、騙す、ことでしか、行動出来ない……のでございましょう。
 協力者の心を騙し、私を処刑、するために、出来レースの裁判で、民衆を騙し、それが……神の定める、正しい行いなのだと……自分自身さえ騙して……」

もっとも、とオルソラは続けて、

「私にしても、偉そうな事を言えた立場では……ございません。
 私が最初から、天草式の皆さんを信じていれば……こんな大事には発展しなかったでしょう。
 彼らの計画通りに……私は逃がしてもらえて、天草式の方やイギリス清教の方、そしてあの少年にも……危険は及ばなかったはずで、ございましょう」

選択肢は他にもあった。
初めて少年に助けてもらった時、こちらからきちんとした事情を説明していれば良かった。
天草式と少年の対決に仲介に入ることだってできた。
戦闘が終わってからも、自分の現状をもっと主張すれば良かった。
もっと早く十字架を首からかける許可を得ていれば良かった。
それなのに、自分の中途半端な猜疑心によって全てを疑ってかかり、中途半端な行動をして、こんなことになってしまった。
こうなったのは自業自得だ。
だからこそ、オルソラは笑みを浮かべたのだ。自嘲の笑みを。

「こんな醜い私達に対して……彼らは信じることによって行動するので、ございますよ。
 ……人を信じ、想いを信じ、自分を信じ……どこまでも、駆けつけて、くれるのでござい、ましょう」

大事なのは信じる事だ。
自分が碌に信じていなかったくせに、相手には信じてもらおうなんて都合が良すぎる。
自分が信じてこそ、相手も信じてくれる。そこで初めて、信頼関係が築かれる。
そんな当たり前の事が、彼らには出来て、自分には出来なかった。
結局、今回のお話は、そういうことなのだろう。
信じることによって行動していれば、お話の結末は変わっていたのかもしれない。
アニェーゼの言う通り、こんな簡単な事にも気付けなかった未熟者の自分の名を冠する教会など建てては笑い物だ。

「綺麗事をほざくな!」

アニェーゼの蓮の杖の下端がオルソラの鳩尾を叩く。
痛みによって苦悶の表情を浮かべるオルソラは、最早悲鳴を上げることすら出来ない。
それでもオルソラの口は開かれ、弱々しいながらも、言葉だけは紡がれていた。

「綺麗事では、ないのでございますよ……」

オルソラは上半身だけを起こして、大きめな胸の前で両手を合わせながら、

「彼らには元々……戦う理由などなかったので、ございますよ。
 それでも……見ず知らずの私のために奮闘して、くれたのでございます。
 この事実以上に、魅力的な贈り物が、この世のどこに存在するのでございましょう」

オルソラの祈りをささげる様子を見て、アニェーゼは動く事が出来なかった。
オルソラが、綺麗事ではなく本心から感謝しているのが分かるからだ。
今のオルソラの祈っている姿は、ただの素人でも「あ、この人は今、感謝しているな」と理屈抜きで分かるレベルのものだ。
ただの素人でも分かるのだから、同業者であるアニェーゼなら尚更だ。
彼女が動けないのは、本当に感謝しているオルソラを見て、怒りでも呆れでもなく恐怖心を抱いたからだ。
動けないのは何もアニェーゼだけではない。
オルソラが見える位置にいる周囲のシスターも同様だ。
これがオルソラ=アクィナス。
世界三カ国の異教地に教えを広めたものの祈り。

そして。

突如として、教会内に甲高い音が響き渡った。

「な……んだ……?」

音もそうだが、それ以上の異変がある。

「結界が、こわ、れた?くっ、アエギディウスの加護の再確認!それから周囲の索敵!
 くそっ、まさか天草式が解放でもされちまったんですか!?」

アニェーゼの命令により、シスターの何人かが外に出た。

それから五分が経過して、外に出たシスター達が戻ってくる事はなかった。

「決まり、ですね」

戻って来ないという事は、謎の襲撃者に倒されたという事だ。
アエギディウスの加護は、個人では破壊できるレベルではない事。
捕らえた天草式の面々は、同じ敷地内の別の建物の中に一〇人ほどの見張りを付けて監禁している事。
そして、天草式のリーダーらしき人物と、女一人は捕えていない事。
天草式の見張りから何の報告もない事を総合して考えると、

「天草式の奴らが復活したとみて間違いないでしょうね」

一〇〇パーセント天草式とは言わない。
本当にどこか別の組織が襲撃してきた可能性もないわけではない。
しかし、こんな島国で、ローマ正教に喧嘩を売って来るような連中はまずいない。
いるとすれば、一番の敵である科学サイド――、

「まさか……」

あの少年?
そういえば、右手が異能を打ち消すだとか何とか言っていたような……。
あれはイギリス清教の協力者だから、干渉してこないと思っていた。
ルチアの報告でも、イギリス清教の神父に止められたとか。
それを振り切って来たのだとしたら、マジで豚やロバ並の知能だ。

「私の護衛を除く全てのシスターは迎撃に行っちまってください!
 これ以上反逆されると面倒なので、殺しちまって構いません!」

二三〇人のシスターは一斉に教会を飛び出す。
一〇人はアニェーゼ護衛のために残った。

程なくして、教会の外が騒がしくなり始めた。
と、ドスン、と重い袋が落ちてきたような音が聞こえてきた。
音源は窓の下。そちらを見ると、人影が二人。
窓から侵入したのだろうが、碌に明かりがないため詳細は分からない。
と、二つの影はそれぞれ左右に分かれて闇に紛れて消えた。

「五人ずつに分かれて、影を追っちまってください!」

命令を受けたシスターたちは、迅速に行動を開始する。

「一応、私も準備しておきますか」

アニェーゼは履いているサンダルの厚底を外し、杖を両手で抱きながら詠唱を始める。

「万物照応。五大の素の第五。平和と秩序の象徴『司教杖』を展開」

詠唱と共に杖の先端で屈む天使の羽六枚が展開されていく。

「偶像の一。神の子と十字架の法則に従い、異なる物と異なる者を接続せよ」

アニェーゼは完全に展開した杖を両手で抱きつつ、しゃがみこんで祈りを捧げる。

深夜。神裂火織はとあるビルの屋上にいた。
そこからはオルソラ教会が見える。さらに言えば、オルソラ教会の周囲のドンパチも見える。
神裂はその光景を見て、特になにをする訳でもなかった。
彼女は、天草式の味方をするつもりも、彼らと敵対するローマ正教を斬るつもりも最初からなかった。
ただ、天草式の真意を見届けたかった。自分が信じていた通りかどうか。結果は、見ての通りだ。

「感謝感激雨霰ってとこですかい?」

背後からの声に、神裂はゆっくりと振り返る。

「土御門」

土御門は神裂の隣まで行って手すりに寄りかかりながら、

「良かったじゃん。かつての仲間達が私利私欲でオルソラを誘拐した訳じゃないって分かって」

その言葉に、神裂は思わず顔を綻ばせてしまう。
しかし、ちらりと横目で土御門がニヤニヤしているのを見て、すぐに表情を引っ込める。
神裂は照れを隠すために、あえて硬い口調で、

「そちらは終わったのですか。確かこの機に乗じて『法の書』の原典を横から掠め取るのではなかったのですか」

「ねーちんも随分と意地悪言うようになったなー。大体、事の顛末は分かっているくせに。
 天草式は『法の書』を盗んじゃいない。ローマ正教の自作自演による冤罪だった。
 日本に持ち込んだ『法の書』は偽典だろうよ。原典は今もバチカン図書館の奥の奥さ」

ものすごく適当な調子だった。土御門の真意がどこにあるのか、いまいち判断がつかない。

「んで、満足できたのかい?」

「……ええ、予想以上の結果です。彼らなら、私がいなくても天草式は正しき道を進めるでしょう。彼らは、とても強くなりました」

「ふうん。おそらく苦戦しているだろうけど、助けにはいかないのかにゃー?」

「私には、彼らの前に立つ資格などありません。それに、今の彼らには私の力はもう必要ないでしょう」

神裂は、わずかに寂しそうに、しかし誇らしげに言った。
対して土御門は、そんな彼女を見て笑いをこらえるようになっていた。

「……何ですか」

土御門の様子を見て、神裂が訝しげに聞く。

「いやいや、天草式はそれでいいとしてさ、カミやんを巻き込んじまっていることについてはどう考えているワケ?」

う、と神裂が言葉を詰まらせる間に、土御門がたたみかける。

「大体『御使堕し』で家を壊した謝罪と、禁書目録救出のお礼もまだだろ。さあて、ねーちんはどうやって詫びるつもりなんだにゃー?」

「く、口だけで終わらせるつもりはありませんから」

「お、大胆発言頂きました!じゃあ具体的には何すんの?」

「あ、あなたにそれを言う必要性を感じません」

「あれあれ?人には言えない事をするつもりですかにゃー?」

「そんなわけないでしょう!というか何なんですか!あなたは私をからかいに来たんですか!」

「え?何言ってんの?当たり前じゃん」

「あ、当たり前って……!」

開き直られて、なんか逆に怒るに怒れなくなって何も言えない神裂に、土御門は容赦なく言葉を浴びせかける。

「ところでさー、その手にある包帯は何なの?
 まさか戦いが終わった後に気絶した仲間にこっそり手当てでもしてやるつもりだったとか?
 手当てが終わった後に頭をそっと撫でて小さく微笑んでから静かに立ち去ろうとか考えてんの?
 おいおいマジかよ。そんなベッタベタの王道路線をいまどきやる奴がいるのか!?しかも、そんな真顔で!」

ビキリ、と神裂のこめかみが唸った。
先程までは怒りを一八〇度通り越して何だか怒れなかったが、さらに一八〇度で見事に一周して、感情が怒りに戻った。
そしてそれを敏感に察した土御門は、

「あ、ああいや、ねーちんの考えている事は大変素晴らしいと思うぜい。
 ベタベタの王道ってことは、ベタベタの王道になるくらい良いってことだからにゃー。
 うん、うんうん、下手に奇をてらうより王道の方がよっぽどいいよね!」

とにかくフォローをかますが、神裂の怒りが収まる事はなかった。
この後、土御門がどうなったかなど言うまでもない。

コツコツ、と二つの足音が前方と後方から聞こえてきた。アニェーゼは祈りを止めて前方を見据える。

「へぇ」

アニェーゼは感嘆の声を上げた。

「悪い。遅くなっちまったな、オルソラ」

ツンツン頭の東洋人の少年がこちらへゆっくりと歩いてくる。つまり、五人のシスターを倒したということだ。
自分達シスターの本職はシスターであり、魔術師ではない。それでも、魔術を扱えない訳ではない。
魔術が本職の天草式に振り回されてしまったのは分かる。だが、ただの少年に、五対一で負けるほどヤワではない。
となると、少年がただ者ではないということだ。しかも、傷を負った様子は見受けられない。
後方から来るもう一人は、二重瞼が特徴的な槍を持った少女。彼女は天草式だろうから、シスター五人を倒した事はおかしいことではない。

「いやはや参っちまいましたね。天草式はともかく、お猿さん相手に五人もやられちまうとは」

「随分と余裕だな。やっぱりその杖か」

「ええまあ。罠も張ってある事ですしね」

上条はアニェーゼとその周囲を注意深く見つめる。見たところ何もない。
ブラフの可能性もあるが、何らかの魔術的罠が仕掛けられているのかもしれない。

「五和!オルソラを頼むぞ!」

「は、はい!」

五和の返事と同時、上条が駆けだす。

「汚らわしい猿が!近付くんじゃねぇですよ!」

アニェーゼの右手の杖の下端が、大理石の床を叩く。
直後だった。

「がっ……ごがっ!」

鈍器で殴られたような衝撃が頭頂部を襲った。
不意の一撃を喰らって、上条は走った勢いのまま盛大に前方へ転がって倒れる。

「一気にいきますよぉ!」

ガンガンガン!とアニェーゼは蓮の杖の下端で、大理石の床を連続で叩きまくる。
それに連動するように、うつ伏せに倒れている上条の背中、左腕、左脚、右脚、右腕に衝撃が叩きこまれた。

「が……ごっ……ごはっ!」

「上条さん!」

悶える苦しむ上条を見て、アニェーゼの背後から特攻する五和だったが、

「メスブタは黙って這いつくばっていてください!」

アニェーゼは蓮の杖を真横にある大理石の柱にぶつけるように振るう。
直後、五和は真横からの衝撃を喰らって横合いに弾き飛ばされる。

「くっ……!」

対衝撃用術式を張ってあった五和は、弾き飛ばされつつも、何とか倒れずに踏ん張ったのだが、

「ハイ、ハイ、ハイ、ハイ!」

アニェーゼは掛け声とともに、蓮の杖で大理石の柱をめちゃくちゃに叩きまくる。
それに合わせて、踏ん張った五和の身体中に無数の衝撃が叩きこまれる。

「か……は……」

いくら衝撃に強い術式で体を覆っているとは言え、さすがの猛ラッシュに五和もふらつく。

「打たれ強いですねぇ。何か防御の術式でもしているんでしょうが……これで止めです!」

アニェーゼが蓮の杖の下端で床を思い切り叩く。
すると、もはや悶えるような声すらなく、五和は音もなく膝をついてから倒れた。
首の後ろに衝撃を受けたためであった。

「気絶しちまったようですが、目覚めて動き回られたら面倒ですから、もう少し痛めつけておきますか」

アニェーゼは懐からナイフを取り出し、杖の側面を切り裂く。
その一秒後には、うつ伏せの五和の背中に深い切り傷が走った。

「……あ、あああああああああああああああああああああああああああ!」

痛みで強制的に覚醒させられた五和の悲鳴が、教会中に響き渡る。

「アハハハハハハハハハハ!」

五和の悲鳴に負けず劣らずのアニェーゼの笑い声。

「ち、くしょうが……」

四肢に衝撃を叩きこまれ、頭を叩かれた事によってフラフラな上条は、何とか立ち上がろうとするが、

「誰が立って良いって言いましたか!」

例の如く蓮の杖の下端で床を叩き、上条の頭に衝撃が叩き落とされた。

――く、そ……。

頭に二度も衝撃を受けて、朦朧とする意識の中、五和が床を跳ねまわっているのを見た。
アニェーゼが杖を床に叩き続けている。
ここまで攻撃を受けて、そして、五和が攻撃をされているのを見れば分かる。
杖が傷つくのに連動して、対象の座標に攻撃が現出するのだ。
それまでにわずかなタイムラグがあるようだが、それを計算に入れて攻撃する事も出来るだろう。
学園都市の空間移動能力者のように複雑な演算を伴わないなら、これだけのパフォーマンスができるのもおかしくはない。
しかしながら、今回の場合は二対一。
座標攻撃は、自分と五和に同時に攻撃をしなかったことから、同時に複数の座標に攻撃は出来ないはず。
だから一対一ならまだしも、二対一なら焦ってもおかしくない。ましてや今回は挟み撃ち。
にもかかわらず、冷静に対処されたことを鑑みると、アニェーゼはシスターの中では別格なのだろう。
事実、立ち振る舞いが他のシスター達――少なくとも先程戦った五人とは違う。
先程の五人のうちの二人は、ルチアとアンジェレネだった。
二人の魔術はステイルから聞いていたから、車輪を爆発される前に幻想殺しで車輪を壊し、
アンジェレネが飛ばしてくる硬貨袋を避けたり幻想殺しで止めたりで、その二人は楽勝だった。
残る三人も、倒した二人と違い近接戦闘タイプだったから、比較的容易に倒せた。
修道服なんて動きにくい服だったこともあってか、天草式と違って、動きが遅かったからだ。
単純に武器の性能の違いはあるだろう。
だが、倒してきたシスター達があの杖を使ったところで、ここまでの戦果は挙げられなかっただろう。
アニェーゼだからこそ、ここまで追い詰められている。
伊達に二五〇人のシスターを束ねている訳ではなかった。
だからと言って、油断はしていなかったのに……。

五和が床を跳ねまわり続ける。
転がっている五和の座標に、的確に衝撃を叩きこみ続けている。
いたぶられている。

――止めなきゃ。

上条は立ち上がろうとするが、無情にも体は動かなかった。
今の彼は脳震盪で意識が混濁し、バランス感覚が麻痺しているからだ。

「い、つわ……」

その声は蚊ほどもなく、誰にも届かなかった。
そして、上条の意識は深く沈んでいった。

「……もう、やめてほしいので、ございますよ」

アニェーゼは蓮の杖で床を叩くのをやめる。
オルソラに足を掴まれて懇願されたから、ではない。
単純にさすがに疲れたのと、もうこれ以上いたぶる必要はないと考えたからだ。

「私なら、大人しく処刑、されますから……この方たちには、もう手を出さないでほしいので――」

「嫌です」

オルソラの願いをアニェーゼは食い気味で一蹴して、

「噛みついてきたのはあちらの方ですよ。私は正当防衛をしているまでです」

「……もう、よいのでございます……!」

これ以上は何を言っても無駄だと判断したオルソラは、這いつくばって上条の下へ行こうとするが、

「ナニ勝手に動いてんですか!」

憤怒したアニェーゼのサンダルが、オルソラの右手を思い切り踏みつけた。
その痛みによってオルソラが短い悲鳴を上げる。と、

「やめろ……!」

意識を取り戻した上条が、オルソラのところへ這い寄って行く。

「へぇ。てっきり気絶しちまったもんだと思いましたが、意識があったんですね」

アニェーゼを無視して、上条は這い続ける。

「そうですか。そんなにシスター・オルソラに未練があるのなら、裸に剥いちまっても構いませんよ」

言って、アニェーゼはオルソラの右手から足をどける。
アニェーゼの足という枷が外れたオルソラは、上条の下へ這いよる。

「ほんと、シスター・オルソラには呆れちまいますね。自ら猿のところへ向かうなんて。
 私達のルールじゃ、洗礼を受けたローマ正教徒以外の人間と結婚しちまったら獣姦罪だっていうのに」

「……関係、ないのでございますよ。私は、もう二度と、あなたと同類などと、呼ばれたくないのでございますから……」

「言いますねぇ。でも、ってことはつまり、あなたは本当にその猿に惚れちまっているってことですか。
 本当に獣姦罪成立じゃないですか。おままごと裁判にかけなくても、ブタ箱行きですね」

「言ったはずでございます。私は、もう二度とローマ正教徒と呼ばれたくはないと。それに……自分自身を、騙せませんから……」

「……そうですか」

何を思っているのか、アニェーゼはそれっきり何も言わなくなり、上条とオルソラが互いに這い寄っていくのを黙って見つめていた。

そして、ついに距離をゼロまで縮めた上条の右手とオルソラの左手が触れ合った。

「こんなに……ボロボロになって……」

「それは、あなた様の方なので、ございますよ」

と、そんな二人を引き裂くように繋がれている手のところに蓮の杖による衝撃が叩きこまれる。
が、

甲高い音が響くだけで、繋いだ手は解かれなかった。

「チッ。右手、ですか」

明らかに手ごたえがなかった。
右腕に衝撃を叩きこんだときは手ごたえがあった。
ということは、手首から先、本当に『手』にしか打ち消す能力は備わっていないのだろう。
と、アニェーゼは分析する。

「……もう、よいのでございますよ」

オルソラは、上条へ語りかける。

「今回のお話は、結局は私の疑心が招いた自業自得の産物、なのでございますよ。
 これ以上、私のために傷つく必要など、あなた様方には、どこにもないのでございます」

オルソラは、上条の右手から手を放し、

「あなた様方は、見ず知らずの私のために、立ち上がって、戦ってくれたので、ございましょう。
 それだけで……それだけで充分なのでございますよ。
 あなた様方のような人々と接していられた事実を、私は大変誇らしく思います。
 私は、大変な幸せ者だったのでございます。もう満足していますから……ですから」

オルソラは、泣きそうな顔で、

「私はもう、あなた様方が傷つく姿を見たくないのでございます」

「……オルソラの気持ちはよく分かった」

その上で、上条は告げる。

「でも、俺は絶対にお前を諦めないぞ」

上条は、一度放されたオルソラの左手を掴み直して、

「オルソラが、俺達が傷つくのを見たくないように、俺達だってオルソラが傷つくのを見たくない。
 疑心が招いた自業自得の産物?知らねぇよ、そんなもん。
 自業自得だったとしても、死んでほしくない人間には死んでほしくねぇんだよ」

オルソラの左手を握っている右手に力が宿る。右手だけではない。四肢にも力が戻る。頭に血液がめぐり始める。

「それに、俺達は傷つくために戦っているわけじゃない。お前のために傷ついているわけでもない。
 俺達は、お前に死んでほしくないと思っている俺達自身のために戦っているんだ。
 その過程で傷ついているのは、俺が弱いからなのであって、お前は関係ねぇよ」

「む、むちゃくちゃでございます」

「むちゃくちゃなもんか。仮に、お前と俺が逆の立場なら、お前はどうしていた?」

その一言で、オルソラは何も言えなくなる。

「お前がいなきゃ、意味ないんだよ。お前が死んで俺達が生き残ったって、そんなのはバッドエンドにすぎない。
 俺、ステイル、インデックス、天草式、そしてお前、この全員が生き残って初めてハッピーエンドなんだよ」

言って、オルソラから手を放し、ゆっくりと立ち上がる。

「俺は死なない。約束する。だから、お前も約束しろ。
 何が何でも生き残って、皆でハッピーエンドを迎えようって――!」

「……はい」

頷くオルソラの頬には、一筋の涙が伝っていた。

「いやあ、素晴らしいですねぇ」

アニェーゼはわざとらしく拍手をしながら、

「感動しちまいましたよ。……あまりの頭の悪さに」

アニェーゼはナイフを構えて、

「俺は死なない、ねぇ。では、見せてもらいましょうか。本当に死なないのかどうか」

ぞくっ、とオルソラの背筋に悪寒が走った。
と同時に、アニェーゼがナイフで蓮の杖の側面を切って切って切りまくる。
対象の座標に斬撃を繰り出す時にするそれは、誰を狙っているものかなど一目瞭然だった。

上条の身体中に、無数の切り傷が走った。
その傷から血が噴き出し、上条は倒れ込む。
鮮血は大理石の床に瞬く間に広がって行き、上条は血だまりの中でピクリとも動かない。

「い、いやあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!」

オルソラが、今までのどの悲鳴よりも大きい悲鳴を上げた。

「アハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ!」

オルソラの悲鳴に負けず劣らずの大笑いをするアニェーゼ。

「俺は死なない!ってカッコつけてから一分もしないうちにこのザマですか!アハハハハ!今世紀最大のギャグですよ!」

アニェーゼが腹を抱えて爆笑している中、オルソラは血だまりの中で正座して、太腿の上に上条の頭を乗せる。

「上条さん……」

辛うじて息はあるようだが、このままでは出血多量で死ぬだろう。
しかし、今の自分にできる事は、何もない。

「どんな気分ですか?」

爆笑していたはずのアニェーゼが、いつの間にか背後やってきていて、そう言ってきた。

「せっかく死ぬ覚悟が出来ていたのに、その猿に半端に焚きつけられちまって生きる希望が湧いてきたところで、
 自分のせいで人一人の命が消えていく様子を見て、どんな気分ですかと聞いているんです」

悪魔か、とオルソラは心の中だけで歯噛みする事しかできない。

「無視ですか。まあ、いいです。ところで、気付いていますか?教会の外の喧騒が止んでいることに。
 つまり、戦いが終わったという事ですが、一体どちらが勝ったんでしょうねぇ」

嘲るような笑みは言外に、どちらが勝ったかなんて分かり切っている、と言っていた。

「その猿曰く、その猿とイギリス清教の不良神父と禁書目録、天草式とあなたが生き残る事がハッピーエンドでしたね。
 残念でしたね。その真逆で。まあ、厳密に言えばバーコードと禁書目録は生きているでしょうけどね。
 今頃はどこかのホテルでしっぽりとやっているんでしょうかねぇ!」

想像しただけで気持ち悪いですねぇ、ブタの交尾なんて!と、アニェーゼは高笑いする。

「うっ、うっ……」

オルソラは涙を流した。
辛すぎる。
自分が無力な事が。
自分のせいで少年が死んでいくことが。
天草式が死んでいくことが。
自分が招いた悲劇に、こんなにも他人を巻き込んでおいて、それなのに自分は何も出来なくて――!

「良かったですよ。絶望感をしっかりと味わってもらえたみたいで」

いつの間にか無表情になっているアニェーゼは、あまり感情のこもっていない声でそう言った。

「まあ、このクソッタレな世界は、こんなもんですよ。希望なんか信じているのは、ただのガキです」

アニェーゼは、オルソラの前にナイフを放り出して、

「辛いでしょ。そのナイフで自決しちまっても構いませんよ。
 その辛い気持ちのまま、おままごと裁判にかけられて処刑なんて、あまりにもあんまりですから」

アニェーゼが同情や憐れみで言っているのではない事は分かっていた。
彼女は、楽しい事が終わって、もうなんか冷めて、自分をローマ正教に連れ帰るのすら面倒だと思って、だから自決してください、と言っているのだ。

何て理不尽な、と正常な人なら思うだろうが、今のオルソラは違った。
もう、いい。どうせ処刑されるのだから、ここで死んだって何も変わらない。
オルソラは、ナイフを手にとって、自らの首筋に持っていったところで、

教会の外壁の一部が爆発した。

「一体何事ですか!?」

アニェーゼは爆発した壁の方を見る。オルソラも、ナイフを持っている手を止めてアニェーゼと同じ方を見る。そこには。

「やれやれ。俺は死なないと息巻いておきながらそのザマか。まったく、とんだ大法螺吹きだね」

イギリス清教の神父、ステイル=マグヌスが立っていた。

「な、んで、イギリス清教が……」

「ローマ正教内だけの問題に干渉しているのか、とでも言いたいのかな」

「分かっているならなぜ!?内政干渉とみなしちまってもいいんですか!?」

「ああ、残念ながらそれは適応されない」

ステイルはわざとらしく肩を竦めて、首を左右に振りながら、

「いや、本当に残念だよ。僕だってここまでしてオルソラを助ける羽目になったのは想定外なんだ」

「まったくもって意味が分かんないんですが……」

アニェーゼが眉を顰めるのに対して、ステイルはにやにやしながら、

「オルソラ=アクィナスはイギリス清教の十字架を持っている。オルソラ!」

ステイルが呼びかけると、オルソラは訳も分からず十字架を袖の中から取り出した。

「ほらね」

確かに、オルソラは十字架を持っているようだが、

「ほらねじゃねぇでしょうが。首にかけていなければ意味はありません」

「そうでもないさ」

「……何を言っているんですか?」

「その十字架は、オルソラの首にかかって“いた”んだよ。
 その後、何らかの理由でひもが千切れたので、仕方なく袖の中に持っていた。そうだろう?オルソラ?」

そこでステイルのやりたい事を理解し、生気をわずかに取り戻したオルソラは、

「……はい」

「……そんなの、嘘でしょうが」

「嘘だという証拠はない」

「本当だという証拠もないでしょうが!」

「そうだね。では、そこら辺をじっくり審査する為に、オルソラを処刑すべきではないと思うのだが、どうだろうか」

もはやステイルの喋り方が鼻について仕方ないアニェーゼは、ついにキレながら、

「どうだろうかじゃねぇでしょうが!そんな訳の分からない詭弁でどうにかなると思っているんですか!
 大体、オルソラが死んじまったところで、そちらには何の損害もないでしょうが!黙っていれば解決する問題を、何で引っ掻き回しまうんですか!」

まくしたてるアニェーゼに、ステイルは至って冷静に、

「だからこちらも想定外だと言っているだろう。仕方ないじゃないか。そこの素人が不用意にオルソラの首にその十字架をかけてしまったんだから。
 その時点で、オルソラはイギリス清教徒。彼女の死を黙って見過ごすわけにはいかなくなった。それだけだ」

「どこまでも屁理屈を……!」

「大人しくオルソラを渡してくれないかな。別にいいだろう?『法の書』解読の危険はないんだから。大事なのはそこだろう?
 オルソラが生きようが死のうが関係ないなら、僕達としてはオルソラを助けたいし、問題ないと思うが?」

「……いいえ、オルソラはイギリス清教徒じゃありません。仮にそこの猿がオルソラの首に十字架をかけていたとしても、それは正式なものではありません。
 イギリス清教の教会の中で、イギリス清教の神父によって、イギリス清教の様式に則ったものじゃないですから」

「……意固地だねぇ、君も。では、僕達とローマ正教、勝った方がオルソラをどうするか決める、で、どうだい?」

「どうだい?じゃねぇでしょうが!何でそうなるんですか!」

「いちいちうるさいんだよ、クソガキが」

「な……」

いきなり態度が豹変したステイルに、アニェーゼは驚きを隠せない。

「君達がやんちゃをやったおかげで、こっちは聞き分けのない熱血馬鹿がオルソラを助けに行くとか言いだして、
 そのせいであの子もついて行くとか言いだして、苛立っているんだよ」

「何を言って……」

「分かったら、さっさとオルソラを寄越せ」

ステイルの纏っている雰囲気が明らかに変わった。素人でも分かるそれは、多少の場数を踏んできたアニェーゼにはなおさらだ。

「くっ……」

あの神父が堂々と仁王立ちしているところを見ると、シスター達は倒された可能性が高い。
天草式は総勢でも五〇名程度、あの神父と禁書目録を入れても、二〇〇人の差はあるはずなのに、何をどうやってその人数差を覆したのか。
あの神父がとんでもないエースとは思えない。
彼はボロボロだし、シスター・ルチアの報告から、天草式のリーダーと同程度だと予測できる。
禁書目録も、強制詠唱などの小細工は使えるらしいが、彼女自身強力な魔術が使える訳ではないと聞いている。
聖人級の助っ人でも連れてきたのか。どの道、状況はこちらが圧倒的に不利だ。
こちらが倒したのは、猿一匹に天草式が一人、天草式のメンバーが一人も特攻してこないところを見ると、
天草式もかなり消耗したのかもしれないが、少なくとも神父は健在。
禁書目録も『歩く教会』があるから、健在と考えられる。

「どうやって……シスターどもを倒しちまったんですか?」

どうせ返答はないだろうが、尋ねずには、口に出さずにはいられなかった。

「元々僕は、次々と場所を変えて攻め込むより、一か所に拠点を作って守る方が得意なんだ」

意外にも返答があった。
そう言えば、彼はルーン魔術師だった。
禁書目録のテントに馬鹿みたいにカードを貼っていた。
確かに、ここの結界を破り奇襲を仕掛ける前に、ルーンを大量にオルソラ教会の敷地に仕込んでおけば、彼はその力を十二分に発揮できるだろう。
しかし、発揮できたとしても、シスターの本職は魔術師ではなく、彼が魔術師の中でも強い部類だとしても、この人数差を覆すに至るとは思えない。
と、そんなアニェーゼの疑問を知ってか知らずか、ステイルが口を開く。

「もっとも、それだけで君達を倒せたわけではない。ここまでやれたのは、天草式のおかげだよ」

「天草式が、頑張ったとでも言いたいんですか?」

「まあね。とはいえ、戦闘面で頑張った訳じゃない。戦略面で頑張ったんだよ」

「どういう意味ですか」

「そこにある物全てを利用した多重構成魔法陣。それで僕の切り札が強化されてね。
 まあそう言う訳で、シスター共を倒して、こうしてここに立っていられる訳だ。
 とはいえ、その代償として僕はもう魔力が切れているし、天草式も疲弊しきっているけどね。
 動けるのは禁書目録ぐらいだが、彼女に君と戦わせるつもりはないから安心したまえ」

ならば、勝機はあるかもしれない。何せこっちは無傷。
人数が多くても、蓮の杖の性能を最大限に生かせば。

と。

「ようやくか」

上条当麻が、立ち上がった。

「は、はは、面白ぇじゃねぇですか……」

立ち上がれるような状態ではないはずなのに立ち上がってきた少年を見て、アニェーゼは思わず笑ってしまう。

――まだだ。まだ、チャンスはある。

この少年に止めを刺せば。
今度こそオルソラの精神を崩壊させ、魔力切れの神父を叩きのめして、弱っている天草式を全員叩く。
やってみせる。
もう二度と、あんなところへ戻ってたまるか。

「じゃあ、今度こそ散ってください!」

ガン!と蓮の杖の下端を床に叩きつける。
上条の真上から彼の頭頂部目がけて衝撃が叩きこまれる。
はずだったが。

上条が真上に掲げた右手によって、それはあっさりと打ち消された。

――読まれ、た?

いいや、違う。きっとマグレだ。
アニェーゼは連続で衝撃を叩きつけた。真上からではなく、様々な方向から。

しかし。
その悉くが、上条が動かす右手によって阻まれる。

――マグレ、じゃない?

だが、なぜいきなりこんなにも攻撃が読まれ始めた?
焦るアニェーゼは後退する。
それに合わせて、上条はゆっくりと歩き出す。

「く、くるなぁ!」

後退しながら、なおも連続で衝撃を叩きこむアニェーゼだったが、上条はそれら全てを打ち消し、歩きながら、

「……オルソラが『法の書』を解読しようと思ったのは、力を手に入れるためではなく、処分しようと思ったからだ」

「だから何なん、ですか!」

上条の体を狙って放つ衝撃は金輪際当たりそうもないと判断したアニェーゼは、衝撃を上条の前方の座標に現出させる。
こちらへ歩いてきたら『設置』した衝撃にぶつかる寸法だ。

「分かっていて、オルソラを処刑しようと思ったのか?」

しかし、上条が前方へ突き出した右手によって『設置』した衝撃も打ち消される。

――これも、駄目ですか……!

何があったのかは知らないが、身体を直接狙うのも駄目。罠も駄目。どうする。

「あなた、オルソラの言葉を真に受けちまったんですか?彼女のブタみたいな豊満な体に当てられちまったんですか?」

アニェーゼはあくまで冷静を装って、後退しつつ上条を挑発する。

「オルソラが嘘をついていて、本当はやっぱり『法の書』で力を手に入れようとしている、って言いたいのか?」

「そう考えるのが妥当でしょうが」

「どうしてそこで信じる事が出来ねぇんだよ。
 お前達がオルソラを信じていれば、こんなことにもならなかったし、『法の書』も安全に処分できたんじゃねぇのか」

「……知ったような口を利くなぁー!」

突如半狂乱になったアニェーゼは、とにかく上条へ向けて衝撃を何度も何度も何度も叩きこむ。
が、今の上条にはそんなヤケクソのような連撃は通じない。
振り回される右手によって、全ての衝撃は打ち消される。

「信じる信じるって、馬鹿の一つ覚えみたいに!温室育ちの猿がほざいてんじゃねぇですよ!」

激昂するアニェーゼの脳裏に浮かぶのは、ミラノの裏通り。
レストランの裏手、ゴミ箱の中、捨てられた肉の残りから、這いずるナメクジを落とし、ネズミの死骸の抜け毛を落とし、
ゴキブリのもげた羽を落とし、ぐちゃぐちゃと、噛み潰していただけの日々。

「この世界はクソッタレですよ!だから、この世界に住んでいる人間だって信用なんかできやしません!
 信じられるのは、我らが神と教えだけです!」

渾身の衝撃を叩きこんで、打ち消される。
アニェーゼは直前までの猛ラッシュによって息を切らしながら後退して、

こつん、と壁にぶつかった。

「あ……」

その事実に気付いた時には、上条もアニェーゼの目の前までやって来ていて、

「この世界はクソッタレ、か。まあ、分からなくもないけどさ。決して、悪いことばかりじゃないだろ」

「あなたに何が分かるんですか……!」

どうする。
杖で直接殴ろうとしたって、右手で止められれば、それでジ・エンドだ。
だからと言って、衝撃を叩きこんでもどうせ通じないだろう。

「俺だって、それなりの不幸に晒されてきたつもりだから、お前の気持ちがまったく分からない訳じゃない、と思う」

「あなたの言う不幸なんてどうせ、外を歩いていたらにわか雨に当たった、程度でしょう?」

「さすがにその程度ではないよ。でも、お前からしたら、大したことないのかもしれない。少なくとも親には恵まれたしな」

それでも、と上条は続けて、

「そんな俺でも、この世界はクソだと思って、親以外信頼できなかった時期があった。
 全てに絶望して、生きるのが嫌になった時だってあったよ」

けど、と上条は続けて、

「そんな時、従妹が俺に懐いてきたんだ。最初は鬱陶しかったけど、徐々に打ち解けていった。
 俺が初めて築いた信頼関係だった。嬉しかったよ。この世にも希望があると思えたよ」

「……結局、あなたは恵まれていただけじゃないですか」

「かもしれないけど、あの時従妹を拒絶していたら、こうはなっていなかっただろう。
 俺も心を開いて、対等に接したからこそ、信頼関係を築けたんだ。そして思った。
 誰も信用できないからって拒絶したって、そんなの、自分がもっと辛くなるだけだって」

「――」

そして。
虚を衝かれたようになって呆然としていたアニェーゼの顔面に右拳がぶつかった。
そのまま右拳に押されて頭部を背後の壁にぶつけたアニェーゼは、気絶して倒れた。
それを見届けた上条も、膝をついて倒れた。

温かくて柔らかい手に前髪を撫でられる感触で目を覚ました。

「お、起きてしまわれましたか。このまま立ち去るつもりだったのですが」

「……あー」

何回か入院した事のある病院の個室である事は速攻で理解した。

「とりあえず、神裂は何でここに?」

上条は上半身だけを起こして尋ねる。

「あれ?よく見たら書き置きあるじゃん」

と、上条はサイドテーブルにあったメモを手に取ろうとするが、それより速く神裂の手がメモを取って丸めてしまった。

「こ、こうして直接話す機会ができたのですから、この書き置きはもう必要ないでしょう」

「いやまあ、神裂がそこまで言うなら、それでいいけどさ。結局、神裂は何でここに?」

「事後報告、というか、オルソラ=アクィナスの動向などを伝えに来たのですが……私では駄目だったでしょうか」

「え?駄目じゃないけど、何で?」

「……いえ、私がここにいることに疑問を感じているようでしたので……」

そりゃあそうだ。
学園都市の病院に魔術師がお見舞いに来るなんて普通ではない。
学園都市とイギリス清教は繋がりがあるらしいから、これは特例なのかもしれないが。
それにしたって事後報告するなら、今回の場合はステイルではないか。
もっとも、天草式も関わったから、そこの元トップの神裂もまったくの無関係ではないだろうが。

「いや、何も神裂じゃなくてもと思ってさ。ステイルとかは何やってんだ?土御門はこの件については何も知らないのか?」

「ステイルは最大主教に今回の事件の顛末の報告のためイギリスへ帰りました。
 土御門は今回の件に関わってはいましたが、今どこで何をやっているかまでは知りません」

「なるほど」

だから消去法で神裂がここに来た、ということか。
天草式の誰かでも良かったのではと思うが、これ以上そこについて拘泥する必要もない。

「じゃあ、事後報告、お願いします」

「は、はい」

律儀に頭を下げてきた上条に、神裂はお辞儀返して、

「オルソラ=アクィナス、および天草式本隊はイギリス清教の傘下に入る事で話を収めました。
 これはローマ正教の報復・暗殺を防ぐという役割が大きいようです」

「ってことは何か、これからもオルソラの危険な立場は変わらないのか?」

「いえ。イギリス清教側は、オルソラの持っていた偽の『解読法』を魔術世界中に公開しました。
 それが誤訳と分かれば、彼女が『法の書』絡みで追われる心配はないかと」

「え?オルソラの解読法は間違っていたのか?」

「ええ。実は『法の書』は解読法が一〇〇通り以上あるんです。
 『法の書』は誰にも読めないのではなく、誰でも読めるですが、誰もが間違った解読法に誘導されてしまう魔道書でして」

「オルソラも、その間違った解読法の一つに誘導されたって訳か」

「はい」

「それは、どうやって判明した事実なんだ?」

「あの子……禁書目録の頭の中には、現在まで判明した『法の書』の偽の解読法すべてがあります。
 まずはオルソラに『法の書の真実』を伝えて、オルソラから解読法を聞き出し、禁書目録の頭の中の数ある解読法と照らし合わせたのです」

「……オルソラの解読法が正しかったらヤバかったんじゃないのか?それ」

「ええ。オルソラも最初は逡巡したらしいです。
 ですが、ウチのトップが説得したらしく……もしかすると、オルソラの解読法はどうせ間違っていると確信していたのかもしれません。
 『法の書の真実』を知っていれば、それも無理ないかと思われます」

「んん?んんー?」

「どうかしたのですか?」

「そうなってくると、今回の話が根本から意味が変わってくるような……?」

今回の事件は『法の書』解読阻止がメイン、……イギリス清教のメインは今目の前にいる神裂の暴走の可能性を摘み取る、だったが。
ローマ正教が必死だったのは分かる。
オルソラの解読法が間違っていたのは結果論であって、実際に解読法を聞いてみるまでは間違っているかどうかは分からない。
そんな不確定因子は殺しておいたほうがいい、という考えは合理的ではある。
しかし、こちらは違う。
最初から解読される危険はなかったと、必要悪の教会のトップは思っていたのだとしたら。
何でステイルやインデックスにローマ正教に介入するよう命令したのか。

「……そうですよね。やっぱりあのクソアマ、尊敬するに値しませんよね」

「え?」

「……ウチのトップは、見た目こそあの子に似ている節もありますが、性根は腐っていますからね」

「もしかして、インデックスにの体に『首輪』を仕掛けて、ステイルや神裂を縛り付けたのが、必要悪の教会のトップってことか」

「ええ。そうですね」

もしかすると、トップに就く様な人は、どこか汚いのが普通なのかもしれない。

「すみません。はしたないところを見せてしまって」

独り言の事を言っているのだろうか。
まあ、神裂らしくないと言えば、らしくない独り言だったが。

しかしながら、必要悪の教会のトップも外道となると、今回の問題にイギリス清教を介入させた真意は、どうせまともなものではない。
今後も、インデックスを巻き込むような命令を飛ばすかもしれない。
現状、そのトップを直接殴りに行く、というのはさすがに無理だ。
となると、自分がインデックスを守り通すしかない。

「……だいぶ話が逸れちゃったから戻すけど、結局『法の書』はどうなっているんだ?」

「『法の書』の原典は、今もバチカン図書館にあると思われます。
 こちらに持ってきたのは偽典、それで、わざと紛失して、天草式に罪を被せようとしたのでしょう」

魔術世界ってのは、かなりドロドロなのか。

「五和って子は大丈夫か?アニェーゼに痛めつけられているのを止められなかったんだけど」

「大丈夫ですよ。彼女が傷ついたのは、彼女の実力不足が原因です。あなたが気に病む必要はありません」

「……そっか」

そう言ってもらえると、わずかに救われた気がする。

「事後報告、ありがとうな」

お礼を言って、上条は上半身を再びベッドに預ける。

「ええと、その、まだお話は……」

「ん?まだ何かあるのか?」

「すみませんでした」

唐突に頭を下げられたが、何が何だか分からない。

「えっと、何で頭を下げているんだ?何のことに対して謝っているんだ?」

「一身上の都合で、色々ご迷惑をおかけしてしまったから、といいますか……」

「神裂に迷惑をかけられた覚えはないぞ」

「いえ、かけてしまっているんです。
 あなたは本来、私達に守られるべき一般人であるはずなのに、こんなに重傷を負わせてしまいました」

「……」

「生来、私は他人様に迷惑をかけやすい性質なのですが、あなたに関しては単に頭を下げれば良いという次元ではなくてですね……」

「そこまでにしてくれないか」

「え?」

「そんな風に謝られる覚えはないよ。
 神裂から見れば、俺は本来守られるべき存在だとしても、神裂のせいで傷ついたわけじゃないんだし」

「ですが、天草式が関わった以上……」

「だからやめてくれよ。俺は今回、やりたいようにやった結果、重傷を負っちまっただけだ。
 天草式が関わったからとか、そういう問題じゃない。
 だから、これ以上謝らないでくれ。なんだかこっちが申し訳なくなってくるから」

「……分かりました。ですが、それでは私の気が済まないので、何かお詫びをしたいのですが」

そう言われても困るのだが、神裂は意外と強情タイプな気がする。
無理に断れば、いやそれでも!となるかもしれない。別にお詫びをされて困ることなどないのだし。

「うーん、じゃあ、一つ教えてほしい事があるんだけど」

「はい。私に教えられる事ならば、何でも」

「男と一緒にどこか出かけるとしたら、神裂は、どこに行きたいと思う?」

「……それは、いわゆる『デート』をするとしたら、どこがいいかってことでしょうか?」

「いや、まあ、そんな浮ついたのをするつもりじゃないんだけど。
 とある女の子に借りを作りまくったから、埋め合わせをしようと思っていてさ」

「……そうなるとやはり、その彼女にどこに行きたいか聞くのが一番良いかと思いますが」

「やっぱり、直接聞いた方が早いよな。埋め合わせなんだから、可能な限り向こうの要望を叶えるべきだよな」

「……すみません。力になる事が出来なくて」

「いや、いいんだ」

「これでは、私の気が済みません」

やはり強情か。

「じゃあ、そうだな。俺が退院して、都合が合う時があれば、料理を教えてくれ」

「私に教えられる範囲で、尽力させていただきます」

イギリスには雨季や乾季といったものはないが、代わりに年中通して天気がコロコロと変わりやすい。
ロンドンでは、四時間程度で天気が変わるのは常識。
よく晴れた日にも折り畳み傘を持って歩いている人は珍しくない。

現在、ロンドンの街では夕立が降っていた。
とはいえ、この街の人々には雨だからお出かけ中止、という考えはない。
ただでさえ狭い歩道には、色とりどりの傘がぎゅうぎゅう詰めになっている。

うっすらと湿る霧のような雨の中を、ステイル=マグヌスとローラ=スチュアートが並んで歩いていた。
ステイルは黒い傘を、ローラは白地に金刺繍の紅茶のカップみたいな傘を差していた。

「ランベス宮に帰るだけなら、運転手でも回してくればいいのでは?」

「雨の厭い人は、この街では住んでいられずなのよん」

ローラは楽しそうにくるくると傘を回しているが、それは偏見だ。
少なくともステイルは雨があまり好きではない。
傘を差しても体は濡れるし煙草は湿気るし、いい事なんてない。
ちなみに現在、ローラへ今回の事件の顛末の事後報告の最中だ。
どうも彼女は、一か所でじっとしているのが苦手らしく、報告なり作戦会議なりは歩きながら、
というパターンが非常に多い。
いちいち奇襲や傍受を防ぐための細工をしなければいけないので面倒なので、報告や会議は然るべきところでやりたいものだ。

「ローマ正教側はこの件に関して、アニェーゼ=サンクティス以下二五〇名の武装派閥の独走、という形でケリを着けるつもりですね。
 あくまで彼女達が勝手にやったことで、ローマ正教全体としてはオルソラを暗殺する気はなかったと弁明したいようです」

「内の部下の手綱を掴み切れねば、お咎めナシとはいかないはずなんだけどね」

ローラは指先で髪をくるくるといじっている。

「思えば、あなたはローマ正教の真意を全て知っていたようですね。
 だったら何で最初から、オルソラ=アクィナスをローマ正教から救い出せと命を下さなかったんですか」

「私としては、別にいずれでも良かったからよ」

「……それは、今回の件で僕達がオルソラ救出に成功しようが失敗しようが、どの道『法の書』が解読される事はなかったから、ということでしょうか」

「ええ」

「……だったら何であなた自らがオルソラに十字架を渡せなんて指示を出したんですか。
 なんだかんだ言って、最初から助ける気マンマンじゃないですか」

「うっ」

「増援がやけに少なかったのも気になりますね。
 まあ大方、日本海の洋上辺りにでもこっそりと『必要悪の教会』の大部隊を配置していたから、こちらへは人員を割けなかったんでしょう?
 『十字架の一件』を口実にして、オルソラを連れてローマへ移動するアニェーゼ部隊を強襲する為に。
 まったく、何を恥かしがっているんだか」

もっとも、作戦中はステイルとしてはオルソラへ十字架を渡す意味が分からなくて、
素人が死んだらあの子が悲しむだろうと思い、『イギリス清教の庇護の下に居る』と思わるためにその素人へ十字架を渡していたので、
一歩間違っていれば、その強襲作戦は失敗に終わっていたのだが。

「ううっ!ち、違いたるわよ!私がこの件に横槍を入れたるは、あくまでイギリス清教の利益のためなのよ!」

なんか顔を真っ赤にして否定している。

「では、その利益というのは?」

「……早々に受け流してくれちゃって。神裂火織よ」

一転して、ローラは急に大人びた表情になって、

「神裂は強大な力を持ち、良質な正義感を持つが故に、独断専行で動きかねなきものなのよ。
 今回も、実は相当危険なところまで踏み込んでいたのよ」

「騎士団が海岸線でボコボコにされた件についてでしょうか」

「そうよ。騎士団ですら歯が立たない。神裂は力で止めるには厳しい存在。
 強引に止めようとすれば、こちらも相当の被害が出るのは必至。だからこそ、暴力以外の新たなる足枷が必要なのよ」

「新たなる足枷……」

「ええ。天草式という『絆』は大いに益体する。
 さも『言う事聞かねば危害を加えたる』というマイナスの足枷ではなし、
 『言う事聞きし内はローマ正教から守りたる』というプラスの足枷が使えるの。
 私達が天草式に対してマイナスなる事を強要すれば、神裂も反発せしめたでしょうけど、プラスなる事を勧めたれば反発などするはずがない。
 ね、かくも美味しい利益はないでしょう?」

にっこりと微笑むローラに、ステイルは寒気を感じた。
ローラは一見能天気に見える時もあるが、彼女はやはり必要悪の教会のトップであり、あの禁書目録の仕組みを作り上げた、冷酷な管理者なのだ。
ローラは人の感情・理性・損益・倫理という様々な『価値観の天秤』を掌の上で転がす。
たとえば今回の件。
神裂を上手く縛り付けるために、天草式を助けたのは分かる。
しかし、オルソラを助けた理由がいまいち分からない。
オルソラの『法の書』解読法は間違いだった為、無理に『保護』する必要はない。
また、オルソラを助けたことで、神裂のように縛られる人間はいない。
確かにオルソラは布教活動で功績を挙げ、彼女の名前がついた教会を建ててもらえるほどになっていたが、
神裂のような組織・集団を束ねるほどのカリスマ性があるとは思えない。
もしそうなら、暴動や離反を恐れて、簡単に暗殺なんて企てられるはずがない。

――女狐が。

ステイルは心の中で毒づく。
ここで一つでもオルソラを助けた打算的な理由が思いつけば、ローラは損得で物事を決める人間だと判断できる。
が、実際は今回のように、神裂を縛り付けるという利益の裏に、オルソラを救うという何の得もない行いもする。
結果として、ローラは悪い人ではない。となってしまう。
だから、離反や謀反などは出来ない。ずるずるとローラの下で働くことになってしまう。
あるいは、それが狙いなのかもしれないが。

これで七巻再構成終わりです。

今更だし、ここまで読んで来た人は既に分かっているかと思いますが、このSSでは上条だけではなく敵も強化されています。
今回のアニェーゼは、それが顕著だったかと思われます。

それにしても新約7巻、読んでない人もいるかもしれないのでネタバレは避けますが、土御門好きの私としては、なかなかの衝撃を受けましたね。
早くも次、どうなるかが気になります。
そして、新約4巻を読んだ後辺りから思い始めたのですが、新約入ってから、なんか全体的に暗いと言うか、陰鬱と言うか、
殺伐としていると言うか、結構すっきりしない終わり方が多い気がします。
新約6巻はギャグで締めたからか、結構読了感は良かったのですが、今回の新約7巻は、まさしく新約っぽい終わり方でした。
個人的には。

旧約は「複雑な問題を抱えた魔術師なり能力者なりを、主人公が真正面から叩いていく話」がテーマなのに対し、
新約は、結構痛み分けな印象があります。
今更になって、新約と銘打った意味が分かってきた気がします。

>>1です。
上条視点からの上条vs一方通行を投下します。

「……仕方ねェ。殺すしかねェか!」

地面を蹴った一方通行が、上条へ向かって発射された。
まるでミサイルのように突っ込んでくる一方通行に対して、上条はただまっすぐに拳を突き出す。

「!?」

一方通行が、上条のカウンターを喰らって、地面を数メートル転がった。

――今しかねぇ!

カウンターを決めてしまった以上、戦いの火蓋は切って落とされたも同然。
ここで決めなければ、一方通行から手痛い反撃をされる可能性が高い。

「クソが……」

一方通行が右手で鼻血を拭いながら立ち上がっているところに、上条は追撃の拳を加える。

「ゴブァ!?」

殴られたことにより仰け反り数歩後ろへ下がる一方通行へ、上条はさらに、二、三発、拳を顔面へ叩きこむ。
しかし、それが限度だった。

「が……!?」

殴られ、よろめいている一方通行は、脚のベクトルを操作して後方へ大きく跳び、高く積まれているコンテナの上に着地した。

「もういいだろ。こんな馬鹿な実験止めろ」

決め切れなかった以上、言葉をぶつけるしかない。

「……くそっ!」

一方通行からは何の反応もなかった。
仕方ないので、クローンのところへ行く。

「大丈夫か!」

「ミサカ、は、だいじょう、ぶです。それより、なんであなたがここに……」

何でと言われても、詳しく説明している暇はない。
と、御坂がこちらへ駆けてくるのが見えた。

「御坂、お前、なんで……」

「特に妨害とかもないみたいだから、増援に来ただけよ。というか驚いたわよ。一方通行を何発かぶん殴れるなんて。
 しかも初撃は突っ込んでくる一方通行に対してカウンター決めるなんて、大金星でしょ。
 まあ何より、お得意の言葉責めが始まったのが一番だけど」

「言葉責めって……お前、どこから見ていたんだ」

「アンタが鉄橋から飛び降りて一方通行に砂利を投げたとこぐらいからよ。
 支援したかったけど、言葉責めが始まるし、そしたら唐突に戦闘開始だしで手が出せなかったの」

この間、何か考え事でもしているのか、一方通行は手を出してこない。

「とりあえず、この子は私が安全な場所まで運ぶ。だからそれまで死なないでよ。
 まあ説得ができるものならしてもいいけど、基本はぶちのめすこと。分かった?」

「ああ。頼む」

御坂がクローンを背負って戦場から離脱する姿を見てから、上条は身構える。
言葉をぶつけるのも駄目。こちらから攻撃も出来ない。
だからと言って、何の抵抗もせずに死ぬわけにはいかない。

「殴られた分、やり返させてもらうぜェ」

一方通行は、コンテナから飛んで電車のレールが走っているところに着地して、

「ふっとべ」

地面を一度だけ踏んで、いくつかのレールを強引に浮かせたものを蹴り飛ばす。数は五本。
上条はそれを、サイドステップとジャンプと伏せにより避けきる。

「やるじゃねェか」

一方通行は後方へ跳び、今度はコンテナの裏に回り込み、

「これならどうだァ!?」

一方通行の蹴りによって、高く積まれているコンテナの一つが発射された。
縦横高さ約三メートルの立方体のコンテナ。レールは形が形なので『向き』によっては避け易かった。
しかし、コンテナは良くも悪くも『向き』によって避け易かったり避けにくかったりはない。
ジャンプするには少し高いし、伏せるスペースがあるほど小さくもない。
もちろん後退することによって避けられるはずもない。それならば、

上条は左へ大きく跳ぶ事によってコンテナの弾丸を回避する。

「限界が見えてきたかなァ?」

多分、次の一手は。

「いくぜェ」

ボッ!とコンテナが一気に二つ押し飛ばされた。
縦と高さは約三メートル。しかし横は約六メートル。
無論、右寄りにも左寄りにもではなく、丁度中心に来るように発射されている。
つまり、右に避けるにしても左に避けるにしても、約三メートルの移動が必要。
上下後方に、左右も駄目となったらば。

迫りくるコンテナの“圧”に怯えつつも、それを抑えつけて上条は前方へ転がり、コンテナが地面へ到達するまでのわずかなスペースを潜り抜けた。

「へェ」

どうにかやり過ごしているが、今の攻撃も詰める事が出来る。
今の攻撃を回避できたのは、上段にあるコンテナを飛ばしたからこそ。
下段にあるコンテナを飛ばせば、鋭角の隙間に潜り込むのも困難、一番下のコンテナを飛ばせば不可能だ。
状況は限りなく絶望的だが、諦めるわけにはいかない。

「いいねェ」

ここまで遠距離攻撃を徹底されているとなると、右手に『異能の力を打ち消す能力』があることを看破しているかもしれない。
少なくとも、何かある事は掴み、近距離よりは遠距離からの戦闘の方が確実、と考えているのだろう。
噂や都市伝説には詳しくない方だが、『能力を打ち消す男』や『第三位を軽くあしらえる能力者がいる』という噂が流れている事は知っている。
それらの噂を一方通行が知っていて、先程御坂と話していた様子から、『こいつがあの噂の第三位すらあしらえる能力を打ち消す男』か、と判断できなくはない。
さらに言えば、右手でしか一方通行を殴っていないことから『能力の打ち消し』は右手にしかない事も看破しているかもしれない。

「今のうちに言っておこう。多分、オマエが人類で一番俺を追い詰めた。
 そして俺相手に一番しぶとく長く息をしている。だからこそ俺は考えた。オマエを確実に殺せる方法を。
 感謝するぜェ。俺はオマエのおかげで、新たな力の使い方に気付けた。その新たな力で、オマエを葬ってやる」

一方通行が両手を水平に広げる。
その直後から、彼を中心に風が渦巻き始める。

「くそっ!」

風は一気に巨大化して、コンテナや砂利やらレールやら、とにかくなんでもかんでも巻き込んでいく。
あんなものを飛ばされたら、避けようがない。逃げるしかない。
間に合わないと分かっていながらも、上条は一方通行から背を向けて走り出す。

「遅ェ。終わりだ」

一方通行が風の向きを調整して、渦巻いていたコンテナやらの物体全てを、上条に向けて放った。
それは彼が走っていた地上にぶつかり、全てを削り取った。

操車場にある全てのコンテナと幾千の砂利と数十本ものレールが地面を削り取った結果、莫大な煙が巻きあがっていた。

「ごほっ、ごほっ!」

致命傷となりえるコンテナとレールだけは何とか避けて、体を丸めて砂利を背中で受けて、何とか生き残りはした。
ただし、ダメージは相当なものだ。

「ははははは……」

一方通行は笑っている。なぜだかは良く分からない。

「感服するぜ。そのしぶとさ」

「お前……それだけの力があって」

「まだ喋れンのか」

もう説得とかじゃない。ただ、どうしても言わずにはいられないから、言う。

「それだけの力があれば、何だって誰だって守れるのに、誰だって何だって救えるのに」

「また説教か」

一方通行は両手を水平に広げる。そして彼の頭上に風が集まる。

「何だって、そんなことしかできねぇんだよ」

「ふン」

一方通行の頭上で風が圧縮される。その結果、眩い白い光が発生して――高電離気体(プラズマ)となる。

「答えてやるよ。何だってそンなことしかできねェ、か。それは、俺の能力が、破壊することにしか向いてねェからだ」

一方通行の頭上にある高電離気体は、摂氏一万度を超える。下手に近付けば、直撃しなくても溶ける。
だから一方通行に近づけない。逆に、一方通行は余裕綽々で語り続ける。

「俺の能力は自らを守る事は出来ても、その他の一切合切には触れることすら出来ねェ。だから誰も守れねェし、何も救えねェ。それが答えだ」

言って、一方通行は高電離気体を放つが、それは彼の制御化から離れると、たった数秒で空気中に溶けて消えた。

「今までの攻撃を耐えてきたオマエに、今ので仕留めるなんて百年遅ェな。オーケー。次だ」

一方通行は地面を思い切り蹴って数十メートルほど垂直に跳んだ。

「いくぜェ!」

そこから超高速でこちらへ落下してくる。足を下にしている。あれに対抗して拳を放っても、こちらが拳を痛めるだけだ。
そう判断して、横へ大きく跳び、一方通行の落下を回避するが、

「アッヒャ!」

地面にめり込んだ一方通行が奇声を上げながら背中に風を集めて飛んだ。ただし“地面を掴み上げながら”。

「いくらなんでも、めちゃくちゃすぎんだろ!」

一方通行が掴み上げた地面の上に居た上条は、迷わず地上へ跳び下りる。地面を無理矢理引っこ抜いた結果か、表面がギザギザになっている

「――今度こそ」

一切の隙間がないため避けるのは不可能な“面”と受け止めきれいない“圧”。
一方通行側からはこちらは見えないだろうが、見える必要はない。あれを放たれたら、一貫の終わりだが、

――どうする!?

何も思いつかない。

「――終わりだ」

そうして、地面が投擲される直前で。オレンジ色の光線が、地面を貫いた。

「御坂……!」

「ったく。めちゃくちゃするわね、あのモヤシ野郎!」

おそらくはレールか何かを殴って『超電磁砲』にして飛ばしたのだろう。
とにかく、一方通行に掴まれていた地面はそれに貫かれて崩れ去った。崩れ去ったと言っても、それは降り注ぐ瓦礫になるのだが、

「そこで大人しくしてなさいよ、アンタ!」

御坂の操る砂鉄が、降り注ぐ瓦礫を悉く切り裂いて上条を守った。

一方通行は背中の風を解除して、ゆっくりと地上へ降り立った。

「助かったよ、御坂」

背を向けながらお礼をする。失礼だと思いつつも、目の前の最強の能力者から目を逸らす訳にはいかないから仕方ない。

「全然。むしろ遅れて悪かったわ。……説得には失敗したみたいね」

「いや、まだだ」

「はぁ?」

「一方通行、お前さっき、何も助けられないし救えないとか言っていたけど、そんなことないだろ。
 そんなの、お前の考え方や気持ち次第だ」

一方通行は無言だ。

「確かに、お前の能力では何かに触れることは出来ないかもしれない。
 けど、守りたいモノの盾になって、身を挺して守ることぐらいはできるだろ」

一方通行は、まったく反応しない。

「結局、お前の心掛け次第なんだよ。だから、もうやめよう。こんな戦いに意味なんてないだろ」

「意味ならあるだろ」

「え?」

「オマエは実験を止めたくて、俺の前に立ち塞がっている。
 そして俺は、そンなオマエが邪魔だから、こうして殺しにかかっている。この戦いは、そォいう戦いだ」

「だからお前が、自発的にやめてくれればいい」

「出来ねェ相談だ」

「何でだよ!?何でそこまで意地を張る必要が……」

「ここまで、俺のためにクローンが一万弱死ンでいる。そのために俺は、実験をやめるわけにはいかねェンだ」

「それが本音か。でも、だったら、そんな考えは間違っている。だからもう」

「お互い、譲れねェンだ。だから、決着をつけようじゃねェか」

「何でそうなるんだよ!?」

「オマエが俺を倒せたら、俺はこの実験から手を引いてやる」

「な」

「だから、もう甘ったれた考えは捨てろ。ここにあるのは、勝つか負けるかだ」

「ちくしょう!何でそうなん」

「もういいわよ!ハナっから話が通じる相手なんかじゃなかっただけよ!」

御坂が自分の肩に手を置いてきた。
その時、一方通行も発射されていた。

「御坂!」

上条は御坂を突き飛ばす、のではなく、むしろ手繰り寄せた。

「え、ちょっと」

「俺から絶対離れるな!そして俺に身を委ねろ!」

「ひぇぇぇぇ!?」

上条は御坂を左半身で抱きしめるようになった。
その間一方通行は、上条達の回りを飛んだり跳ねたりしていた。

「やっぱ面白ェ。面白ェよ、オマエ!」

一方通行の狙いはおそらく、自分達二人とも『触れて』殺すことだ。
だからこそ、御坂はフリーにしない。
最初の攻防でカウンターを決めているから、まず正面からは来ないだろう。
ならばどうするか。
自分なら、後方、上方、左方、左方と見せかけた右方のどれかから攻める。
後半二つは『右手に異能を打ち消す能力がある』と看破している場合だ。
きっと、一方通行は看破している。少なくとも、しかけてはいる。

「これだけの速度で動きまわる俺を、捉えられるかァ!?」

背後で声がした。と感じた直後には、御坂と共にしゃがみこむ。
頭上で一方通行の左手が空を切る。追撃の右手も、振り返りざまの裏拳で阻む。

「クソが!」

一方通行は一旦退いて、再び縦横無尽に空間を駆け抜ける。

何とかやり過ごした。
が、御坂を抱いている事、今の攻撃も右手で阻んだ事を考慮すれば、『異能の打ち消し』は右手にしかないと確信しているはずだ。
だったら、次はどうする?どうくる?

極限まで神経を研ぎ澄ませた上条は、一方通行が左側から特攻してくるのを感じた。
あとは、これがフェイントかどうか。選択を誤れば、待っているのは死だ。

――フェイントだ!

一方通行が、単純に左側から特攻するよりは、それと見せかけて反対の右側に回り込んで、殺そうとする気がしたから。

「なに!?」

動揺する一方通行の顔面が右手側に見えた。

「ご苦労さん!」

「ふざけ……」

上条の右拳が、一方通行のガードとしてクロスした両腕に直撃した。

「ク、ソが……」

一方通行は両腕を振りまわしながら、再び飛び跳ねる。

「まさか反射に慣れた一方通行が“ガードする”とはな……」

「に、人間としての、ぼ、防衛本能が出たんじゃないかしら」

「かもしれないな……。けど、だとするとヤバい。長期戦になるかもしれない」

次はどうくるか。後方から奇襲して失敗して、左と見せかけて右から仕掛けて失敗して、その次は。

――上か。左か。

上に行くとすれば、まずは高く跳ぶはずだ。
実質、上からの一撃はそこまで神経をと尖らせる事はない。
となると、残りは左方か。
ただ、単純に左側から攻めるか?
もっと細かく、たとえば、右斜め後ろとか、左斜め後ろとか。

「クソがァァァ!」

苛立っているのか、声が左斜め後ろから聞こえた。
声があるのとないのとでは、対応のしやすさには雲泥の差がある。
あとは、狙いが上半身か、下半身か。さっきは上だったから――、

「ひゃっ!?」

御坂をお姫様抱っこしながらジャンプして、一方通行のスライディングを回避する。

「おらァ!」

一方通行はスライディングから無理矢理止まって、蹴りを放つ。
それを、既に御坂を下ろして自由になった上条の右拳が迎え撃った。

「ぐ……!」

声を出したのは一方通行だ。
脚力と腕力なら、脚力の方が上なのが普通だが、ここは元々の身体スペックの差が出たか。

「おらぁ!」

上条の拳は、そのまま一方通行の足を押し退けるが

「ざけンなァ!」

一方通行が咄嗟に振るった両手から突風が放たれた。
が、やはり咄嗟だからか。
一〇メートル強は吹き飛ぶが、地面をスライドして何とか踏ん張れた。

「チッ」

一方通行は舌打ちした。
しかし、依然厳しいのはこちらだ。
今の風は咄嗟だからこそ踏ん張れたが、逆に言えば、咄嗟ではなくしっかりとチャージされて放たれれば、どうしようもない。
御坂が盾を作ろうが、盾ごと吹き飛ばすだろう。
しかも、先程のあれが限度とは思えない。あんなのはおそらく、学園都市にある風を多少操った程度だ。
どこまでできるのかは知らないが、仮に世界中の風を操れるなんてなれば、
それこそ、自分達を殺すどころか、この街一つを丸ごと破壊できるかもしれない。

「大丈夫か、御坂」

「あ、アンタこそ……」

何てやりとりをしている間に、一方通行は地面を蹴って垂直に跳ぶ。
そして、隕石の如く上条達目がけて落下する。

上からの攻撃。妥当ではあるだろう。
どうしようもないので、御坂と一緒に大きく跳んで避ける。
ドゴン!と一方通行が地面に直撃した衝撃で、大地が揺れる。

「これで正真正銘、終わりだァ!」

倒れている自分達に、地を這うように超高速で一方通行が特攻してくる。

一方通行落下の衝撃で、体勢を崩された。
ギザギザの地面を転がって擦り傷を負った。
それ以前に、これまでにダメージを蓄積しているし、神経も磨り減らした。
それでも。

――千載一遇のチャンスなんだ!

さすがにここまでくればこれで決まると思ったのだろうか、真正面から特攻してくる。
これがおそらく、自分が反撃を喰らわせる事が出来る最後のチャンスだ。

「おおおおおおおおお!」

すぐさま起き上がって、地を這うように真っ向から一方通行に挑む。

「あァァァァァァァ!」

超高速というのは脅威だ。
だがその分、向こうだって咄嗟の反撃に小回りや機転が利かないはずだ。
もっとも、これまではその反撃を気にする必要などなかったのだろうが。
とにかく、これで決めなければいけない。

そして。

上条の右拳が一方通行の出した左拳を押しのけて、そのまま顔面へと突き刺さった。

つまりは。

「終わっ……た?」

御坂が呆然としたように呟きに対して、

「ああ。終わった」

上条は簡素に答えた。
上条当麻の勝利という形で、激闘が決着した。

これで終わりです。

>>1です。
これから投下する八巻再構成も、五巻の一方通行サイドと同様、原作とほぼ同様の展開になってしまいますが、温かい目で読んでいただけると幸いです。

常盤台中学は、学園都市の中でも五本の指に入るほどの名門校だ。
同時に、世界有数のお嬢様学校であり、その入学条件は極めて厳しい。
某国の王族の娘をあっさり不合格にして、国際問題に発展しそうになった逸話すらある。
学校の敷地は隣接する他の四つのお嬢様学校と共用になっている。
互いに費用を出しあって、強固なセキリュティ体制を作るためだ。
並の学校の一五倍以上の敷地を持つ共用地帯『学舎の園』。
外観は洋風で統一されていて、地中海に面した小さな街を丸ごと持って来たような空間。
道路標識や信号機などのデザインも違う。

「石畳の道路に大理石の建物……非効率の極みですわねー」

九月一四日。
残暑厳しい午後の校庭の真ん中で、陸上選手のようなランニングと短パンを着用している茶髪ツインテール少女、
白井黒子は遠く離れた校舎を眺めつつ、手をパタパタさせながら呟いた。
現在、彼女は能力判定の競技中である。

『記録・七八メートル二三センチ・指定距離との誤差五四センチ・総合評価「5」』

「あー、絶賛大不調ですの」

大不調とは言うが、総合評価の「5」というのは、五段階評価中の「5」である。
凡人からしてみれば、今の白井の独り言は嫌み以外の何物でもないだろう。

「大きくて重たいものを遠くに飛ばすの苦手なんですのよね。五〇メートル前後ならミリ単位で修正できますのに」

元々、彼女の能力の限界値は飛距離が八一・五メートル、質量が一三〇・七キログラムであるが、この能力において、飛距離と質量の間に因果関係はない。
質量を小さくしてもその分、飛距離が伸びる訳ではない。
逆に言えば、どんな物体を飛ばすにしても、飛距離の限界に近いラインを狙うと、どうしても精度が落ちる。
加えて精神状態によって白井の能力値は激変する。
最初からギリギリに近い注文を、この暑さの中でこなせと言われても、精度が落ちるのは当たり前だろう。
とまあ、こんな感じで言い訳を考えているから、いつまで経っても超能力者になれないのだろう、と白井が自嘲していると、

「あら白井さん、機械が弾きだした数字に一喜一憂しているようでは、底が知れてしまってよ」

婚后光子がからかってきた。学年は白井の一個上。
サラサラの黒髪ロングに、白井と同じ体操服、右手には扇子を持っている。
彼女は大能力者の『空力使い』(エアロハンド)で、物体に風の『噴射点』を作り、ミサイルのように飛ばす事を得意とする、トンデモ発射場ガールである。

「人の落ち込みっぷりを見てからかってくる時点で、あなたの器の小ささが大暴露されていますのよ」

「まあまあ、良い風を送って差し上げますから、拗ねないでくださいな」

言って、白井に向かってパタパタと扇子を扇ぐ。

「余計なお世話ですの」

白井は鬱陶しそうに婚后から顔を逸らすが、当の婚后はそれを全く気にせずに、

「いえいえ、お世話するのはこれから。
 わたくし、今度『派閥』を作ってみようかと思っていまして、白井さんもよろしければどうです?」

婚后が言う『派閥』とは、ようは遊びのグループみたいなものだ。
ただし『義務教育終了時までに世界で通用する人材を育てる事』を目標に掲げる常盤台中学で『派閥』を組むということは、絶大な意味を持つ。
常盤台中学内は愚か、学校の外にまで、大きな派閥に入るだけで一種のステータスとなる。
創設者となれば、得られる名声は並のものではない。
さらに、強能力者以上しか在籍しない常盤台のお嬢様が徒党を組むとなれば、『直接的な力』も大きい。

「結構ですの」

「白井さん、あなた、ステータスがほしくないのですか」

「別に」

と、白井はあっさりと言いのけてから、

「もしかして婚后さん、ステータスのために『派閥』を作り上げようとしていますの?」

白井の言いたい事が分からない婚后は、きょとんとした顔で、

「当たり前ではありませんか」

はぁ、と白井は溜息をついてから

「そういうことなら、辞めておいた方が無難ですの」

「な、何を……」

その時だった。
ゴドン!という轟音と共に、敷地全体がギシギシと揺さぶられた。

「こ、これは……」

音源は校舎の裏手にあるプール。つまり、間に校舎を挟んでいる。
それにも関わらず、水滴が細かい霧のようになって校庭のここまで降り注いでいる。

「な、何事ですの!?」

「そう言えば、確かあなたは二学期からの転入組ですものね。
 だったら、ご存知ないかもしれませんが、あれが常盤台のエースですのよ」

常盤台のエース。
超電磁砲。
御坂美琴。

「手前勝手をしたいがために派閥を作れば、お姉様は即座に止めに入りますわよ。
 あなた、あの馬鹿げた一撃を真正面から受ける覚悟はありますの?」

「ということがあったんですのよ」

常盤台中学にある三つのシャワールームの内の一つ。
主に放課後、学校から街へ出る前に身だしなみを整えるための校舎付属のシャワールーム『帰様の浴院』で、
白井は校庭での出来事を、仕切りを挟んで隣にいる御坂に報告する。

「あー、水飛沫ってそっちまでいってたんだ。あれでも目一杯セーブしてんだけどねー」

とんでもない事をさらりと言ってのける。
さすがお姉様、と白井は心の中で御坂を褒め称える。

「いい加減、プールに水を緩衝材に使わなくても機能する測定器用意できないのかしら。
 こっちはプール相手じゃイマイチ手ごたえつかめないのよねー。
 しかも手加減してんだから、全力の一撃の測定は出来ていない訳だし」

何やら愚痴っているようだが、彼女が言っているのは贅沢な悩みだろう。

「カミジョーさん相手なら、本気でぶっ放せますのにね」

と、白井は冗談半分で言ってみたのだが、

「そうねー。アイツだったら、私の計測も捗るのにねー。
 いっそのこと、私の身体測定の時は、アイツを招いてくれないかしら。
 私専用の計測機器なってくれたらいいのにねー」

白井は一瞬で後悔する。
自ら言っておいてアレだが、嫉妬で身を焦がしそうだ。

「と、ところでお姉様」

何の脈絡もなく、話題を強引に変更すべく、白井は切り出す。

「これから、わたくしと一緒にお出かけしません?」

「いいわよ」

白井と御坂はランジェリーショップにやってきていた。

「用のある店って、ここだったのね」

「生活必需品ですからね」

こぢんまりとした店舗は暗い色合いの内装をしているが、飾られている色とりどりの下着が、その落ち着いた雰囲気をぶち壊している。
その代わり、商品はやたらと目立っていて、印象には強く残る。

「あ、お姉様。あちらでディスプレイされている上下セットなどどうですの?」

「表面八〇パーセント以上が透けたレースの下着とか、最早ウケ狙いでしょ。誰があんなの着るかっつーの。
 つーか、私にお勧めなんてしなくていいから、自分の下着を早く選びなさいよ」

「いえいえ。お姉様にしてもパステル調色彩の子供っぽいぶかぶかのパジャマはそろそろ卒業して、この際、買い替えてみるのはいかがですの?」

「余計なお世話よ。というか、なーんで私の下着を知っているのかしらー?」

御坂は白井の耳を引っ張りながら尋ねる。

「べ、別に良いじゃありませんの。お姉様にしたって毎日わたくしの下着をご覧になっているではありませんか」

「アンタがスケスケのネグリジェを着ているからでしょーが!」

なおも引っ張られ続ける耳の痛みに、白井が快感を覚え始めた時だった。
ふと、その快感が消えた。
何事ですの、と白井が御坂の方を振り返ると、ドキッっとするほど真剣な御坂の横顔があった。

御坂の目線の先を辿ると、どうやら外にある飛行船の側面にあるニュースを眺めているらしいことが分かる。
ニュースの内容は、アメリカがスペースシャトルの打ち上げ成功というものだった。

「最近多いですわよね。スペースシャトルの打ち上げ」

「そうね」

と御坂は適当な調子で返答してから、

「そんなことより、下着選び、早く済ませたら?」

「え、ええ」

ほんの少しだけ、御坂の態度がおかしいと思いつつも、白井は下着選びを再開する。

白井は手に取った下着を御坂の前で見せつけ、羞恥で赤く染まった彼女の顔を楽しむというプレイを散々してから、下着を購入。
御坂は何も購入せずにランジェリーショップを後にする。
あとはお姉様との帰り道を楽しむだけだったのだが、

ポケットの中に入れてあった携帯が着信メロディを発した。

「ったく、誰ですの。せっかくのお姉様とのデートを邪魔する奴は」

ふざけたこと言ってんじゃないわよ、
と御坂の突っ込みを無視して白井はぼやくが、相手によって着信メロディを変えているため、誰が相手なのかは見当がついている。
この着メロは『仕事用』のもの、つまり、風紀委員からだ。

白井はポケットから携帯を取り出す。
といっても、折り畳み式やスライド式のガラケーではない。
直径一センチ、全長五センチほどの口紅のような円筒だ。
上部のボタンを押すと着メロが止まり、巻物のように側面のスリットから薄く透明な本体が滑り出てくる。
ちなみにこれ、サイズが小さすぎて、なくしやすい、ボタン押しづらい、モニタ見にくい、の三拍子がそろっている。
これだけ不便なのを分かっていて、それでもこの携帯を白井が使っている理由は、彼女が『未来好き』だからである。
せっかく科学技術が『外』より二、三〇年も進んでいるのに、『外』と同じ形態、スペックのモノを使うなんて勿体ない。

「はいはい。白井ですのよ」

『あれ?随分と不機嫌ですね。どうしたんですか』

電話から聞こえてきた少女の声は、非常に甘ったるい。

「どうしたもこうしたもありませんの。せっかくのお姉様とのデートを邪魔しくさりやがって」

『つまり、御坂さんの貞操を守れたってことですね。一安心ですよ』

「切りますわよ」

『待って下さい。ちょっとした冗談じゃないですか』

「では、早く用件を」

白井が促すと、電話越しの風紀委員の少女――初春飾利が用件を話す。

『ということで、一七七支部に来て下さい』

それで、一方的に通話が切れた。

「申し訳ありませんお姉様。その、大変申し上げにくいのですが、無粋な風紀委員の馬鹿が仕事を入れてしまって」

「ううん。大丈夫よ。いってらっしゃーい」

「一切の未練がないことに本気で涙しますわよ、わたくし。では、お姉様もお気をつけて」

と、白井はバスターミナルへ向かおうとして、

「黒子、仕事だから仕方ないのは分かるけど、早めに帰れるように努力しなさい。
 夜になったら、天気が崩れるかもしれないから」

御坂はそう言って、学生寮の方へ向かって行く。

「お……姉様……」

今の忠告はおかしい。
学園都市は三基の人工衛星を打ち上げており、その内の一基『樹形図の設計者』は完全なシミュレートマシンとして機能しているはずだ。
天気予報も例外ではないので『かもしれない』などという事はあり得ない。
となると、

「……まずは、一七七支部へ行くのが先ですわね」

今は分からない事を考えていても仕方ない。まずは、目の前にある問題を解決しなければ。

「ねぇとうま。何でこれで明日の天気が分かるの?」

寝間着を着ているインデックスが、テレビを指差して尋ねてくる。

「日本地図に切り株の年齢の年輪みたいなのが描いてあるだけなのに」

「それは等圧線って言って、気圧の山とか谷とか見て、雲が出来るかどうか大雑把に調べているんだよ」

「ふぅん。って、あれ?地形による天変の読み込み?
 ……ってことは、学園都市はもはや人工的な手法で風水読みを実現してしまっているんだね!」

突っ込むのが面倒なので、ここは何も言わずにそっとしておく。

「でもさ、天気予報のお姉さんって時々外れた事言ったりするよね?おっちょこちょいなの?」

「天気予報つったって完璧じゃないからな。
 最近までは完璧だったんだけど、今は演算装置が壊れちまっているから」

えんざんそうち?と首を傾げるインデックスに、詳しい説明をする気はない。

一九時三〇分。
白井は右肩の下あたりに風紀委員の腕章をつけて、第一七七支部の扉を潜る。

「初春」

白井は、パソコンの前に座っている、頭に花飾りを乗っけている少女を呼び掛ける。
初春以外には出払っているらしく、彼女以外には誰もいない。
だからこそ、自分を呼びつけたのだろう。

「状況は?」

「はい。これなんですけど」

初春は白井へパソコンのモニタを見せるようにずれる。

「防犯カメラの映像です」

そこには、初春の報告通り、強盗の様子が映し出されていた。
六人がかりで被害者に襲い掛かり、キャリーケースを盗んでいる。
それを見る限り、行きずりの犯行ではなさそうだ。

「ここ、見てください」

初春はパソコンを操作して映像を拡大する。
キャリーケースの端っこにエンブレムがあるのが分かる。

「これは……」

「第二三学区のエンブレムですね」

第二三学区は、航空・宇宙分野の施設で占められているのが特徴の学区だ。

「型番から調べてみたんですけど、キャリーケースは学園都市製で間違いないみたいです。
 高気密性と各宇宙線対策を施した特殊なケースみたいです。地球上ではあんまり必要ないモノですよね」

「宇宙旅行でもするつもりでしたの?被害者は第二三学区の研究員とかですの?」

白井の疑問に、初春は首を左右に振りながら、

「分かりません。被害者も犯人を追って現場から消えてしまったので」

「なぜそんな危険な真似を?」

「頭に血が上って……とかでしょうか。そういうわけで、被害届もまだなんですよ。これって警備員の方で犯人確保に動けますかね」

白井は顎に手を当てて、映像を注意深く見る。
被害者は、携帯ではなく無線機でどこかと連絡を取っている。

「……被害者も相当怪しいですわね」

白井はそう結論付けて、

「初春!犯人の逃走ルートは!?」

「あ、はいっ。車を乗り捨てて地下街に入ったみたいです。
 現在、原因は不明ですが信号機がトラブっていて渋滞が起きていますから。
 車での移動を諦めたんですね。って、どこ行くんですか!?」

「手っ取り早く犯人を捕まえて問い質した方が早そうですから、ちょっと行ってきますの」

「でも、犯人グループはカメラの死角をついて地下を逃走していますよ?場所の特定がまだ……」

「わたくしを誰だと思っていますの。地下だろうがどこだろうが関係ありませんわよ」

白井は空間移動で街を転々と移動しながら考える。
地下街の出入り口は数が決まっている。
その中で強盗犯が人目を避けて選びそうなルートと言えば。

『白井さん!犯人に動きです。地下街「エリアセール」出口A03から地上へ出たようです』

「分かりましたの」

初春のオペレートによって現場へ急行した白井は、そこで強盗犯が裏路地に入って行くのを見た。

「あれですわね」

呟いた直後に、白井は強盗犯が逃げ込んだ裏路地の真上の座標に空間移動する。
そしてそのまま、強盗犯の一人にドロップキックをかます。

「な、なんだ……!」

動揺している強盗達を無視して、白井は空間移動をさらに二度実行する。
一度目は強盗の一人の前に、二度目は、その強盗の体に触れて、だ。
強盗の体の空間移動先は、強盗犯三人の真上。

「う、うわあ!」

情けない声をあげて、為す術もなく、強盗犯三人は白井が空間移動した強盗犯の体に押しつぶされた。
これで五人を倒した。残るはキャリーケースを持っている一人。

「く、くそっ!」

キャリーケース持ちは、懐から拳銃を出して白井につきつける。
しかし、

「あらあら。そんな物騒なモノをお持ちになって」

既に白井は空間移動で、キャリーケース持ちの鼻先まで来ていた。

「終わりですの」

左手でキャリーケース持ちに触れて空間移動を実行。
キャリーケース持ちは逆さまになって、既に折り重なって倒れている強盗犯のところへ脳天から落下した。

その後白井は、爪先で強盗犯を蹴って意識の有無を確認。
無かったものの、手錠と落ちていた廃棄ケーブルで拘束しておいた。
先程付きつけられた拳銃は、学園都市から見ればローテクなもので、明らかに『外』のものだった。
そんな外部犯が欲しがった肝心のキャリーケースには鍵がかけてあった。
つまり、中身の確認は出来なかった。

「……まあ、いいですの」

中身を確認してどうこう考えるのは自分の仕事ではない。
自分の仕事はここで終わり。あとは警備員の仕事だ。
ということで、警備員の到着をキャリーケースに腰かけて待っていると、

ポケットの中の携帯が着信メロディを鳴らした。

「こ、この音はっ!」

愛しのお姉様のものだ。即座に電話に出る。

『もしもし黒子』

「はい」

『ちょっと頼みたいことあるんだけど、もう仕事は終わった?』

「い、いえ……」

『あーそう。ごめん、邪魔しちゃったね』

「い、いえ!頼み事というのは一体何ですの?」

『なんか抜き打ちで部屋の検査があるって聞いてさ。
 私物隠しておいてくれないかなーって思ったんだけど、他を当たってみるわ』

「あ、お、お姉様!?」

無情にも、通話は切れた。

「~~!もう、最悪ですの!」

こんな野暮用でお姉様の役に立てないどころか、あまつさえ他の人への頼みごとを許してしまうなんて。
こんなことさえなければ、お姉様とのデートを堪能していたのに……。

「ん?」

ふと、気付いた。
お姉様も、抜き打ち検査があると分かっていながらも帰る事が出来ない事情がある?

と、唐突に背中から地面へ落っこちたことによって、その思考が途切れた。

「は……?」

背中から落ちた理由は分かる。
腰かけていたキャリーケースが消えたからだ。
さながら、座っている椅子を思い切り引き抜かれたかのように。
しかし、キャリーケースが消えた理由が理解できない。

「何が……」

起こったのか。
分からないが、とりあえず上半身を起こしたところで、

ぶちり、と右肩辺りに何かが食い込んだ。

「が、あぁっ……」

一体何が、と白井は自身の右肩を見やる。
太い針がバネのように渦を巻き、グリップは白い陶器のような素材でできている、ワインのコルク抜きが刺さっていた。
ぽたぽたと、白井の右肩から鮮血が滴る中、路地の入口に一つの影があった。
影の正体は少女。
背は白井よりやや高い程度。髪は頭の後ろで二つに束ねてまとめてある。
霧ヶ丘女学院の冬服、青い長袖のブレザーを腕に通さず肩に乗っけているだけで、ボタンも留めていない。
ブレザーの下にはブラウスがなく、代わりに胸囲には薄いピンク色の布が巻いてあった。
腰にはベルトがあるが、スカートを留めるためのものではなく、ただの飾りのようだ。
右手には長さ四〇センチ強、直径三センチ程度の軍用懐中電灯。
おそらく高校生の彼女の傍らには、ついさっきまで腰かけていたキャリーケースがあった。

「それにしても使えない連中ね。
 使えないからキャリーケースの回収という雑用を任せたのに、それすら出来ないなんて」

状況を把握しきれていないが、とりあえず目の前の女が、強盗犯達と関わりがあることは分かった。
つまりは、敵なのだろう。
そして、腰かけていたキャリーケースを消したのも、肩にコルク抜きをぶち込んだのも、おそらくは――、

「あなた、空間移動能力者ですの?」

白井の問いかけに、女は微笑みながら、

「さすがに気付くのが早いわね。似た系統の能力者だからかしら?
 もっとも、私は貴女とはタイプが少々違うの。不出来な貴女と違って、いちいち物体を手で触る必要なんてない」

これで『一切の気配なく遠距離からキャリーケースを空間移動した謎』は解けた。

「さしずめ『座標移動』(ムーブポイント)といったところかしら」

余裕そうに不敵に微笑む女を見て、白井は黙考する。
発言から、彼女は自分の事を知っていると思われる。
殺すつもりなら心臓や脳にコルク抜きをぶち込めばいいのだから、そのつもりはないのだろうが、ここを通す気もなさそうだ。となると、

「わたくしに……何かご用でも?」

白井はズキズキと痛む右肩を抑えながら、ゆっくりと立ち上がって尋ねる。

「ええ、そうね。だから、戦う気とかは全くないの」

「戦う気がない方が、攻撃を加えるとはどういうことですの?」

「一応、ね。こうでもしないと、大人しく話を聞いてもらえないかと思って」

「……そう、ですわね。ですが――この程度では、わたくしは止まりませんのよ!」

いまだに目的ははっきりしないが、女が敵である事だけは確実だ。手加減をする必要はない。
白井は、太腿に巻いてある十数本の金属矢が差し込んである革のホルダーから、金属矢を数本、女の体に刺さるように空間移動する。

「甘いわよ」

女は数歩後退する。それだけで、白井が空間移動した金属矢は空を切り地面へ落ちる。
その間に、女は右手の軍用懐中電灯を動かす。
直後に、白井が倒し拘束した男達が、彼女の真上に空間移動される。

「甘いですわよ!」

白井は空間移動で男達の雨から逃れる。と同時に、女にドロップキックを仕掛ける。
白井が空間移動した先は、女の上だ。
攻撃と回避を同時にやってのけた白井の反撃は、しかし女がさらに後退することによって回避される。
しかも、それだけでは終わらなかった。

「あ、ぐ……!」

地面へと着地した瞬間、脇腹に痛みが走った。
見ると、金属矢が突き刺さっていた。

「……ぁ」

全身から力が抜けていく。両脚がカクンと折れて、そのまま地面に倒れ込む。

「言ったでしょう?私の座標移動は、貴女みたいに物体に手を触れる必要はないって」

簡単な理屈だった。
女は、白井のドロップキックを避けた後、落ちていた金属矢を座標移動で白井の脇腹に叩きこんだだけの事。

「そろそろ話を聞く気になった?」

「……何、を、馬鹿な……ことを……」

「強情ね。では、勝手に話すとしましょうか」

女は、キャリーケースに腰かけて足を組んでから、

「どこから話しましょうか。まずは、貴女がどこまで知っているのか調べましょうか」

女は軍用ライトを弄びながら、

「『レムナント』」

聞きなれない単語に、白井は眉を顰めることしかできない。

「知らないようね。では『シリコランダム』も難しいかな」

白井にとっては、やはり聞きなれない単語だ。

「難しいようね。では『樹形図の設計者』の『残骸』(レムナント)って言ったら分かるかしら?
 壊れてなお、莫大な可能性が残されたスーパーコンピュータの『演算中枢』(シリコランダム)と言えば」

「何を……言って……」

「『樹形図の設計者』が大破している事を知らないのね。では、御坂美琴が関わっていた『実験』も知らないのかしらね?」

女が言っている事についていけないが、仮に彼女の言う通り、『樹形図の設計者』が壊れていたとして、なぜそこでお姉様の名前が出てくるのか。『実験』とは何か。

「さっきから……何を……」

「貴女、なーんにも知らないのね。けれど、断片は覗いているはずよ。今から約一ヶ月前、操車場がぐちゃぐちゃになっていたでしょう?」

約一ヶ月前。操車場。
それらのワードで思いつくのは、八月一六日、とある操車場での現場検証。
コンテナはそこら中に散らばり、レールは横たわっているものもあれば、地面に突き刺さっているものもあった。
地面の表面はなぜかギザギザのところがあった。
まるで、無理矢理引きちぎったような感じだった。
そして、その日を境に『最強の超能力者が無能力者に倒された』という噂も流れ始めた。
さらに、現場にはゲームセンターのメダルが数枚落ちていた。
それが誰のものであるか、白井には見当がついていた。
これらから導き出される答えは。

「八月一五日、操車場で最強の超能力者と何者かが争い、そこにお姉様が加わっていた……?」

「辿り着いたわね。ならば、お友達になってあげてもいいかな」

つまり、今の自分の推測は正解という事だろうか。
しかしそれでも、目の前の女の言っている事の一〇分の一も理解できている気がしない。
ただ一つ、目の前の女がロクでもないのは分かる。
ここで逃す訳には、いかない。

白井は、太腿のホルダーに差しこんである残りの金属矢全てを女に向けて空間移動しようと、自身の太腿に手を伸ばすが、その前に女の座標移動が発動した。
どす、というくぐもった音。

「残念だわ。お友達になれなくて」

地面に横たわる白井をよそに、女はキャリーケースを引っ張って悠々と立ち去る。

病院には入院患者のためのお風呂場がある。
緑色のジャージを着た体育教師、黄泉川愛穂はお風呂のドアに背を預けていた。
そのドアの向こうからは、二人の子供の声が聞こえる。

『ばしゃばしゃばしゃー、ってミサカは狭い浴槽の中でバタ足してみる。小さい体を有効活用した屋内レジャーかもー」

『おいクソガキ、クソ狭い中で暴れてンじゃ』

『ばしゃばしゃばしゃー』

『おいヨミカワァ!何で俺がこのクソガキのバタ足攻撃なンざ喰らわなきゃなンねェンだよォ!』

会話が振られてきた。

「小さい子供の場合はお風呂で溺れる危険もあるから、誰かが監督してあげないと危ないじゃん」

『ならオマエが監督すらいいじゃねェか!
 つーか、いくらこのガキが小っこいからって、溺れるなンて間抜けな事にはならねェよ!』

「ようやく風呂に入れるようになったんだから、ちゃんと体は洗っとくじゃん」

昔馴染みで現在入院中の研究員、芳川桔梗から子供達の面倒を見るように頼まれた。
一人は脳に重傷を負ったらしく、つい最近まで意識不明だった。もう一人は、アホ毛が特徴の少女。
彼らの詳細を聞きたかったのだが、芳川も入院患者であり、詳しい事情も聞けないし、断りようもなかった。

『人の話聞いてンのかァ!』

『まあまあ、そうカリカリしなさんな、ってミサカはミサカは宥めてみたり』

『誰のせいだと思ってンですかァ!?』

『ぎゃーっ、顔面にダイレクトにシャワーはやめてー!ってミサカはミサ』

『じゃあ黙れ。風呂には大人しく浸かってろ』

『酷いよ、ウイルスコードにやられかけた時は体張って立ち上がってくれたじゃない、
 ってミサカはミサカはあなたに訴えかけてみる』

『あ?オマエ、今何て言った?ウイルスコード?』

『しまった、ってミサカはミサカはお口をチャック』

『しまったじゃねェよ。何でオマエがあの日の事を覚えてンだ!?
 頭ン中のウイルスコードを修正した時に記憶も全部失ったンじゃねェのかよ!』

『えーと、ミサカはネットワークで記憶を共有しているから、ミサカ単体の記憶がなくなってもバックアップがあるから問題ないかも、
 ってミサカはミサカは可愛らしく舌を出してみる』

『オマエ……何でそれを早く言わねェンだよ!?』

『いやあ、言うタイミングが見つからなくて、もうこのままでいいかな、
 ってミサカはミサ――ぎゃあー、だから顔面にシャワーダイレクトはやめてって言っているのにー!』

「はしゃぐのは良いけど、ほどほどにじゃんよー」

一応忠告はしておくが、まあ心配はないだろう。

「お二人さんへ伝言じゃん。ちょっくら私は警備員の仕事に行ってくるじゃん」

返事はなかった。
ばしゃばしゃばしゃ!と浴槽のお湯がまき散らされる音だけが聞こえる。
もう一度言う気はないので、このままお仕事へ行く。

決死の思いで常盤台学生寮の自室に戻ってきた白井はバスルームに入って、
右肩に刺さっているコルク抜き、左脇腹、右太もも、右ふくらはぎに刺さっている金属矢を、空間移動で抜いていく。

「あ……ぐっ……」

血が溢れ出てくる傷口に包帯を巻いていく。
その片手間で、初春のところへ電話をかける。

『とりあえず注文の調べ物はしておきましたけど、本当に大丈夫なんですか?』

初春には寮に帰る前に一度電話をしておいた。
そこで、自分が負けた事、キャリーケースが奪われた事、『樹形図の設計者』についての情報を集める事、
空間移動能力者がいたので素性を調べる事、そいつの逃走ルートを可能な限り予測してほしい事など。
ついでに、受けた傷の事は他言無用にしてほしいとも。

「大丈夫ですの。それより結果を」

ここまで派手に負傷した事がばれれば、戦力外通告を受ける事は免れられない。
お姉様が関わっているかもしれないこの案件、ここでリタイアする訳にはいかない。

『……はい。まず空間移動能力者についてですが、書庫に検索をかけた結果、学園都市には白井さん含めて五八人ほどいるみたいです』

「で、わたくしが伝えた特徴と合致するのは?」

『霧ヶ丘女学院二年、結標淡希。画像、送りますね』

その数秒後、携帯に届いた画像を確認する。

「間違いありません。この女ですわ」

『白井さんと同じ、大能力者ですね』

「他に情報は?」

『空間移動能力者は、同系統の能力者を空間移動できないみたいです。そうなんですか?』

「知りませんの。わたくしだって同系統の能力者と会うのは初めてですから」

しかしこれで、結標が自分の体を壁や地面に埋めなかった理由が分かった。

『あとはですね、結標は二年前、時間割の中で能力を暴走させて大怪我を負っているみたいです』

結標は大の男数人を一気に移動させていた。
おそらく五〇〇キログラムはあるはずだが、あれだけの質量を触れずに移動させる化け物が、
自分と同じ大能力者止まりなのは、その辺に理由があるのかもしれない。

『キャリーケースの方ですが、盗難被害者を確保しました。
 奪われたキャリーケースは第二三学区から別の研究機関に送られる途中だったようです。
 被害者は雇われた“運び屋”だった事が判明、読心能力者に記憶を読ませましたが、ケースの中身については何も……』

「運び屋?何かのプロですの?」

だから被害者も、被害届を出さなかったのか。

『みたいですね。強奪犯の素性は今のところ不明です。
 白井さんの目撃した武装からしても外部の人間が関与している事は間違いなさそうですが。
 ひょっとすると学園都市に敵対する外部組織かもしれません』

「敵対する外部組織……」

そんなものと繋がっている結標は一体何者なのか。

『未確認情報なのですが、結標は「案内人」と言われています。窓もドアもないビルの』

学園都市統括理事長の本拠地。窓もドアもないビルは一切の出入り口が存在しない。
そのため、利用するには空間移動を扱える『案内人』が必須だという噂だ。
その噂が真実で『案内人』が結標だと言うのなら、彼女が一般人では知り得ない事情に精通し、特殊な人間との接点を持っていてもおかしくはない。

「まあ、その辺は捕らえてから聞くことにしますの。逃走ルートの予測は?」

『率直に言って出来ていません。空間移動が使えると道路の制約なんて関係ないですし。
 それは、白井さんが一番分かっていると思いますが』

「分かっていて、あなたを信頼して予測してほしいと頼んでいるんですのよ、わたくしは」

『おだてられても分からないものは分からないです。ですが、ヒントならあります』

「ヒント?」

『セキリュティの死角を通るなら、その死角を全部調べれば良いんですよ。
 学園都市全域に比べれば、死角エリアの方が面積狭いですから』

「簡単に言ってくれますわね。この怪我人相手に……」

そもそも、入れ違いになったら徒労に終わってしまう。

『怪我人相手とか言うのなら、大人しくリタイアしてください』

ぐぅの音も出ない。

『言っておきますけど、私は白井さんのことが心配なんですからね。
 本当はリタイアしてほしいと思っているんですからね』

「……すみませんの。どうか怪我の事は誰にも言わないでくださいまし」

『仕方ないですね。はい。分かりました』

普段は頼りない花飾り少女にこうも押され気味なのは、自分が弱っているからだろうか。

『それと、死角エリアを調べるのを推奨したのは、白井さんだからですよ。
 白井さんならできるって。私も白井さんの事を信頼していますから』

「おだてても何も出ないですわよ?」

『えー、出ないんですかー、ブーブー』

わざとらしいブーイングに、思わず苦笑してしまう。

「『樹形図の設計者』については?」

『それについては何も。今も衛星軌道上に漂っていることになっています』

「……分かりましたの。いろいろ助かりましたわ」

『いえいえ』

通話が終了した。

通話を切った直後に、部屋に誰かが入ってきた音がした。
と言っても、その人物は限られている。
お姉様か、抜き打ち検査があるらしいから、寮監のどちらかだ。

「黒子?」

お姉様だったようだ。

「仕事はもう終わったの?」

「え、ええ。お姉様は?」

「私はまだね。今は忘れ物を取りに来ただけだから。またちょっと出かけてくるわ」

「では、わたくしも一緒に行きたいですの」

「大丈夫よ。アクセサリー集めに行くだけだから」

慌てた様子はないが、だからこそ、逆に怪しい。

「じゃあ、行ってくるわね」

「お待ちくださいな」

夕暮れに、自分に言ってくれた台詞を思い出しながら告げる。

「雨、降らないといいですわね。近頃の天気予報はアテになりませんから」

その一言に、さすがに息を呑んだようだ。
それから少しの沈黙の後に、先程までより柔らかい声がやってきた。

「そっか。……心配してくれてありがとうね。なるべく早く帰れるように努力はするわ」

パタン、とドアを開閉した音が聞こえた。

「……さて」

分からないことだらけではある。
何となく分かるのは、結標とお姉様には何らかの関わりがあり、『樹形図の設計者』は本当に壊れており、
結標がその『残骸』を集め、お姉様も『残骸』(アクセサリー)を集めている。
それを相談してくれなかったのは、巻き込ませないためだろう。
それでも。
お姉様のために何かしたい。彼女の抱えているものを少しでも軽くするために。
白井黒子という個人が御坂美琴のために何かをした事実など残らなくてもいい。
全然別の人間に手柄が渡ってしまっても構わない。
たとえお姉様が、自分が首を突っ込む事を望んでいなくとも。一番敬愛する人に嘘をついてでも。
こんな血みどろの非日常から日常を取り戻してみせる。
そのためには。

「行きますわよ」

血まみれのバスルームを磨いて裂けた衣類を処分し、代わりの制服を着てから空間移動で女子寮から裏通りに脱出する。

『有力情報ですよ、白井さん』

二〇時三〇分。街中を空間移動で飛び回る白井の耳に当たっている携帯電話が言う。

『どうも例の結標淡希には、白井さんのように自分の体を連続移動させることはなさそうです。
 二年前の暴走事故というのは、結標が肉体を空間移動させた時に、壁に足が埋まったことっぽいです。
 それ以来、彼女は頻繁に校内カウンセリングを利用していますし、一種のトラウマになったのではないでしょうか』

「その線は高いですわね」

戦闘中、結標は自身の体を空間移動させなかった。
体を移動させるまでもなかったのかもしれないが、外部の人間にキャリーケースを回収させるより、最初から結標自身が盗んだ方が早いのに、
それをしなかったのは、そういうことなのだろう。

『といっても、まったく出来ないわけではなく、決死の覚悟で二、三回は出来るかと思われます。
 ただし、それ以上やろうとすれば体調を崩して空間移動はできなくなり、それでも無理にやろうとすれば、
 二年前のように壁か地面にでも埋まって自滅するのではないでしょうか』

「おそらく、そうなるでしょうね。ということは、己の肉体の空間移動はここぞという時にしか使えない」

『はい。それなので、おそらく逃走も徒歩かと思われます。そうなってくると、予想逃走ルートは――』

初春の予想逃走ルートの報告の最中だった。
雷が落ちた時のような轟音と共に、ビルとビルの間の一角が光を放った。

「あれは……」

交通や店舗の営業時間など、基本的な時間設定が学校に合わせてある学園都市は、日が落ちると早々に表通りから灯りが消えるため、都心に比べると人口の光は少ない。
満天の星空が広がっているため、落雷が起きるような雲も一つもない。
となると。

「お姉様!」

思わず叫びながら携帯の通話を切る。
お姉様の前に今の姿を晒してはいけないと思いつつも、体を止める事は出来なかった。

建設途中のビルだった。そのビルの入口の前にはマイクロバスが横倒しになっていた。
その周囲には三〇人近い男女が倒れていた。その雑踏の前には、御坂美琴が立っていた。
彼女の目線の先には、右手にキャリーケースを持っている結標淡希が立っていた。

「いい加減、諦めたらどう?」

「随分と焦っているのね」

目の前の光景はきっと、お姉様が創り出したものだ。つまり、倒れている人間はお姉様が倒したのだろう。
結標は、それを目の前で目の当たりにしているはずなのに、あくまで余裕ぶっている。

「そんなに『残骸』を組み直されて『実験』が再開されるのが怖いのかしら?」

結標の挑発めいた発言に、御坂は無言で前髪から火花を散らすだけ。

「別にいいじゃない。“あれら”は『実験』のために作られたんでしょう。だったら、本来通りに壊してあげればいいのよ」

「アンタ、それ本気で言ってんの?」

「本気も何も、結局貴女は私と同じで自分のために戦っているんでしょう?」

「……そうね」

結標の言っている事を肯定して、御坂は言葉を続ける。

「『樹形図の設計者』の『残骸』を掘り返そうとしたり、私欲のためにそれを強奪する馬鹿が現れたり、
 アイツと収めた『実験』を蒸し返されそうになって――何より、後輩を巻き込んでしまったことに、私はムカついている!」

その一言に、御坂の役に立つように、足だけは引っ張らないように策を練っていた白井は思考を止める。

「あの馬鹿、私が気付かないとでも思ったのかしら。入室届も出さずに、部屋は滅茶苦茶で、応急キットがなくなっていて、
 医者にもいかずに下手な手当てを自分でやって、そんな自分の身を差し置いて私に気を遣って!」

自分を傷つけたのは結標ではあるが、それでもお姉様の発言の意味は半分も理解できないだろう。
そしてお姉様は、自分がここにいる事は知らない。
だとすれば、その叫びは誰に対するものか。
自分には内緒で。
アクセサリーを探しているなんてバレバレの言い訳まで用意して。
天気が崩れるかもしれないと濁した言葉で何度も警告を与えてくれて。
たった一人で、今の今まで、何のために動いているか。

「ええ、そうよ。私は私利私欲で戦っている!私の大切な後輩と!
 それを傷つけやがったアンタと!この最悪の状況を作り出した自分自身にムカついて!
 だからこそ、それを清算するために戦っている!」

結標はただ黙って、御坂の言葉を聞いている。

「この一件が『実験』を発端にしたものだって言うのなら、その責任は私にある。
 大切な後輩が傷ついたのも、アンタが私の後輩を傷つけてしまったのも、
 それが全部、私のせいだって言うのなら、私は私の義務と権利を使ってアンタを止める!」

つまり、お姉様は自分の味方でも結標の敵でもない。
彼女は、全員を止めるために誰とも一緒にならずに孤独で戦う事を選んだ。

「もう、終わりにしてやるわ」

御坂の宣言に対し、結標はあくまで余裕ぶる。

「優しいのね。別に貴女が『演算中枢』を作った訳ではないのに。
 大人しく自分も被害者だと言っていれば、わざわざ戦わなくても済んだのに」

「だけど、アンタが戦うきっかけになったのが、私達の実験のせいだって言うのなら。
 絶対能力進化実験にしても、それ以前の量産能力者計画にしても」

レベル6シフト。レディオノイズ。何のことかさっぱり分からない。

「貴女の、ではなく、妹達と最強の能力者の『実験』でしょう?
 ……もっとも、その様子だと『仲間』から話は聞いていたのね。私の『理由』を。
 ならば分かるでしょう。――私は、ここで捕まる訳にはいかない。どんな手を使ってでも逃げ延びさせていただくわ」

言葉の最後の方だけは真剣だった。

「させやしないわよ!」

御坂が雷撃の槍を放つ。その直前。
結標の座標移動によって、彼女の前方に一〇人ほどの人間が出現した。
それは、結標の姿を覆い隠すには充分だ。

「ワンパターンね!そんなスッカスカの盾!」

御坂が結標とぶつかるのは今が初めてではない。
何度かの諍いを経て、御坂は一つの答えを得ていた。
結標は人間の体やその辺の物体は能力を使って目晦ましなどとして散々利用するくせに、自身の体は移動させない。
いつも走って逃げていた。
明らかに効率が悪いし、今だってここまで追い込まれる前から能力を使って逃げれば良いのに、それをしないということは、結標は己の肉体の移動はできないという事。
極めつけに、書庫には事故の事が記録されている。

そして、雷撃の槍は物理を伴わない分、様々な形に変化できるし、人間ごと貫くことだってできる。
御坂は構わず雷撃の槍を放とうとするが、

「いいのかしら?」

人間の盾の向こうから、この場にはふさわしくない明るい声。

「この中には、私達とは関係ない一般人も混じっているのだけど」

こんなの苦し紛れのブラフだ。だが、一般人が混じっている確率もなくはない。
その思考が、御坂の攻撃にブレーキをかける。
その間に目晦ましとして利用された人間達は地面へ落ちる。
奥に居るはずの結標の姿はなかった。

「……ああ!」

御坂はその場で一回だけ地団太を踏んだ。
結標の盾にされた人間達に一般人はいなかった。みな、御坂が倒した結標の仲間だった。
結局騙されて、まんまと逃げられた。
御坂は周囲を見回して、結標が目に見えるところにはいないことを確認すると、能力を使ってビルの壁を伝って昇っていった。

「さて」

ここからは自分の番だ、と白井は空間移動でその場を離れる。
同じ空間移動能力者の自分なら、御坂美琴の追撃を逃れるためにどこへ飛び込むか。

真っ暗の病室で、御坂美琴によく似た少女が起き上がった。
彼女は御坂の遺伝子を使って作られたクローン、検体番号九九八二号だ。
彼女の能力は『欠陥電気』(レディオノイズ)。
オリジナルの万分の一にも満たない力と計画名からその名がつけられたが、要は御坂と同じ『電撃使い』(エレクトロマスター)で、平たく言えば電気を操る能力だ。
同時に、同じ波長の脳波を持つ者なら電気的な通信を行える能力者でもある。
正確には、能力者“達”。検体番号からも分かる通り、御坂のクローンは一体ではない。
元は二万体で、とある実験により一万弱減ってしまったが、とある少年の活躍によって、残りの一万と少しが救われ、その全員が体の治療のために病院に世話になっている。
とはいえ、一万以上の、それもクローンなんて特殊な事例の患者を学園都市にある病院だけでは賄えなく、ほとんどは外部の協力機関に預けられている。
九九八二号のように、学園都市の内部に留まっている個体は少数だ。

ところで、療養中の九九八二号が何故ベッドから起き上がる必要があったのか。
その答えは、現在、九九八二号の下には世界各地の施設に送られた妹達と、
それら全てを管理・統合する検体番号二〇〇〇一号『最終信号』からの情報を照らし合わせた結果、
無理をしてでもどうにかしなければならない状況が起こっているからだ。

現状、どうやら世界各地で宇宙開発の名目でシャトルの打ち上げを実行、
その真の目的は『樹形図の設計者』の『残骸』の回収であり、
それが本当なら、『樹形図の設計者』が再び組み直され『実験』が再開される恐れがある。
ただし、復元には核たる『演算中枢』が必要であり、それは学園都市にある為、
学園都市の『残骸』をどうにかすれば、何とかなるかもしれない。
が、過剰な遺伝子操作と成長促進制御の副作用の治療中である妹達では、『残骸』を巡って戦うどころか、
満足に運動をすることだってできやしない。
自分達では何もできない、となると、誰かに助けを求めるしかない。
困った時はいつでも頼りなさい、アンタは私の妹なんだから。
と一方通行を倒した後にお姉様に言われたが、お姉様は既に行動を開始しているらしい。
お姉様は自分に責任があると思って、本気になれずに手古摺っているらしい。
では誰に助けを求めるか。
実は、お姉様曰く、一方通行を倒したのはお姉様ではなく、あの時実験最中に介入してきた、あの少年らしい。
名前は上条当麻というらしい。
お姉様ですらどうしたって勝ち目がない一方通行に勝った少年なら、間違いなく頼りになる。
何より、その少年の一言によって、死ねないと思うようになったのだから。
出来れば巻き込みたくはない。
しかし、このまま黙っていて実験が再開されれば、言い方は悪いが、頼んでもいないのにあの少年は助けに入ってくるに決まっている。
だったら、そこまで問題が大きくなってしまう前に、今ここで助けてもらった方が、双方にとってプラスだ。
図々しい考えかもしれないし、そもそも自分達の問題は自分達で解決するべきなのだが、他人任せの現状、綺麗事を言える身分ではない。
綺麗事を実行するには、ある程度の実力を伴っていなければいけないのだ。

学園都市の生徒の大半は、通っている学校の寮に住んでいる。
あの少年が着ていた制服の高校の学生寮は、もう調べてある。
何号室とかは、郵便受けや部屋のドアの上などにある表札的な物で分かるはずだ。

九九八二号が代表して少年の下へ向かう。
彼女は実験によって相当のダメージを負ったので、全妹達の中でも一際衰弱しているのだが、
彼女のいる病院が、少年が住んでいる学生寮に一番近いため、そういうことになった。
九九八二号がいる病院は二〇〇〇一号もいるのだが、彼女は元々未完成な個体なので、運動能力は期待できない。

九九八二号は着替えを済ませると、

「それでは、ミサカはあの少年の下へ向かいます、とミサカ九九八二号は宣言します」

九九八二号は、もはや正規の出入り口を使わずに、窓から飛び降りる。
二階分の高さなど、仮にも軍用兵器として作られ、様々な戦闘マニュアルが一通りプログラムされている妹達にとっては何の問題もない。
そうして無事に着地してから、走って、走って、走って、学生寮に辿り着いて、
郵便受けで七階に住んでいる事を確認して、エレベーターで七階まで昇って、
ドアの前まで走って、止まって、インターホンを押して、少年が出てきたところに開口一番、

「お願いがあります、ミサカと、ミサカの妹達を助けてください、とミサカはあなたに向かって頭を下げます」

「分かった。どうしたらいい?」

少年が即答する背後で寝間着を着た少女が溜息をついた。
呆れのように聞こえたが、同時に安堵のようなものにも聞こえた。
まーた始まった。けれど、それでこそ少年だ。とでも言いたげな。

結標淡希は、とあるビルの四階に空間移動していた。
そこはピザの専門店だった。客は何人かいたが、突然出現した結標に驚く者はいなかった。
空間移動能力者が能力を使って入ってきただけ。とでも思っているのだろう。
超能力が当たり前の学園都市だからこその考えだろう。
窓際で、御坂が周囲を見回してから、ビルの壁を伝って昇っていくのを確認する。

「ふぅ……」

結標は安堵の溜息を吐いた。
おそらく、高いところから俯瞰で見て自分を探すつもりなのだろうが、屋内にいれば、窓際に立ったりしなければまず見つからない。
良かった。
これで、距離は近くてもいいから御坂の死角に入り込み、自分を見失った事を安全な場所から確認するという目的は達せられた。
あとはゆっくりと自分が逃げられる道を探せばいい。

「うっ……!」

安心した途端、猛烈な吐き気に襲われた。己の体を移動した副作用だ。
二年前の事故のせいで、今では己の体を空間移動すると壮絶な緊張と恐怖に襲われる。
だから、極力自分の体を移動させたくない。

「……ふぅ」

何とか吐き気を抑えこんで、息を落ち着かせながら思考する。
精神衛生を考慮するなら、座標移動で自分の体を移動させるのは、あと三度くらいが限界だ。
御坂美琴は、高いところから俯瞰で自分を探すだろうから、地上を走るのはまずい。
ならば、地下を通って逃げるしかないか。とあれこれ計画を立てていると、

ドブッ!と、右の肩にコルク抜きが突き刺さった。

「あっ……ぐっ!」

これは、先程自分が風紀委員の少女に対して攻撃に使ったものだ。

「お返ししますわ。わたくしの趣味には合わないので。ついでにこちらも」

聞き覚えのある声がしたと感じた時には、脇腹、太股、ふくらはぎに激痛が走った。
どれもこれも、心当たりがあり過ぎる箇所だった。

「は……が……」

結標は呻き声を上げながら振り返る。
店内の店員や客達は殺伐とした空気を感じ取ったのか、一目散に出口へ殺到した。
そんな中、上品なクロスを掛けられたテーブルの上に、白井黒子が不敵な笑みを浮かべて腰かけている。

「……やって、くれたわね。でも、こういう、子供みたいな仕返しは、嫌いじゃないわ」

結標はキャリーケースに腰かける。ダメージにより歩くどころか立っているのも辛いからだ。
が、それは白井も同じ。テーブルの上に腰かけているのは、立っているのも辛いからだ。

しかし、二人の距離は一〇メートル前後で、空間移動、座標移動、どちらにとっても『圏内』である為、動けなかろうが関係ない。
双方とも、その気になれば勝負を仕掛けられる中、白井が切り出す。

「まずいですわよね。こんな騒ぎになってしまったら、お姉様はここへ駆けつけてしまいますの」

白井の言う通り、まずいと結標は思う。
巻き込むつもりなら、最初からここへ連れて来れば良かったのだから、御坂美琴を頼る気はないのだろうが、
向こうが騒ぎを察知して、勝手に駆けつけてくる可能性は高い。
逃げるか。貴重な自分の体の移動をここでするべきか。

「言っておきますが、逃げるのも無理だと思いますのよ。
 何のために、そっくりそのままコルク抜きと金属矢をお返ししたのか、考えてみてくださいな」

「……まさか」

自分と同じ状況を作ることによって、行動を読みやすくするためだとでも言うのか。

「ちなみに、二年前の暴走事故の事も知っていますの。
 それから鑑みるに、貴女自身の空間移動は良くてあと三回くらいでしょうか。
 対して、わたくしは何回でも移動できる。逃げたところで能力を使えなくなって自滅するのがオチだと思いますが」

小娘が、と結標は心の中で毒づく。
こちらの距離の限界は八〇〇メートルだが、あくまで事故前の通常時の場合だ。
今の状況では、せいぜい三〇〇メートル前後が限界だろう。
あちらは確か、八〇メートル前後が限界で、今なら五〇メートルぐらいが限界かもしれないが、回数に制限がない。
白井の言う通り、逃げるのも厳しいとなると、

「私の勝利条件は、貴女を排除するしかないという事かしら」

「そういうことですわね。対して、わたくしは二つ。わたくしが貴女を倒すか、お姉様の到着まで粘り切るか」

「……解せないわね」

こんな会話は必要ないと思いながらも、尋ねずにはいられなかった。

「何故、今の奇襲で私を殺さなかったの?脳でも心臓でも金属矢でぶち抜けばよかったのに」

「……先程の貴女とお姉様のやりとりを、物陰から覗いていたんですの」

「だからここへ辿り着けたのね。
 ……じゃあ、何、まさか貴女は、御坂美琴が思い描く身勝手でおセンチな世界を守りたいから、とでも言うのかしら?」

馬鹿にしたような結標の問いかけに、白井は即答する。

「ええ、守りたいですわよ。守りたいに、決まっていますの」

結標との戦闘で深いダメージを負った。ここまで辿り着くために何度も空間移動をして消耗した。
残りの体力は少ない。喋るのだって辛いのに、それでも白井は続ける。

「確かに、お姉様は身勝手ですの。わたくし達の事情なんてこれっぽっちも考えていない。
 こんな土壇場でも、破壊によって全てを速攻で終わらせるのではなく、わたくしはもちろん、
 ここまでやらかした貴女の身をも助けようと、本気で思っていますのよ」

白井の口は止まらない。

「ですが、だからこそ、この期に及んでまだ何とかならないかと願うばかりに余計な苦労を一人で背負うお姉様の負担を!
 わたくしは、軽減したいんですのよ!それなのに、不意打ちで貴女の脳天を金属矢でぶち抜いて!
 死でさっさと幕を下ろして!お姉様の願いを踏みにじる事を!この白井黒子が良しとするとお思いですの!?」

思いの丈を吐きだす白井の肩から脇腹から血が滲みだす。傷口が開いてしまったからだ。

「ですから……争いなんてやめません?これ以上、命を削り合ったところで双方にとって何のプラスにもならないと思いますの。

ともすれば間抜けとも思える白井の提案に、しかし結標は乗っかった。

「そうね。このままでは、互いにとって何のプラスにもならない。もう少し続けましょう。ガールズトークを」

「昔々、ある所に、強大な能力者と組織がありました」

半分冗談の提案に乗っかられて、逆に白井は面を食らった。
これから、日常に帰るため、結標を日常に帰すために血みどろの戦いをしなければならないと考えていたから。
とはいえ、願ったり叶ったりの展開でもある。正直な話、こちらはもう限界なのだ。
このままお姉様がやってくれば、今度こそ平和に事が終わるかもしれない。

「組織はその能力者の数を増やせばもっと大きな力が手に入ると考え、たくさんのクローンを作る事にしました」

だが、結標にとってはこのままではまずいはずだ。
それなのに、こちらへ語りかけるという事は、それだけの何かがあるのか。

「ところが、結果は散々でした。出来上がった哀れな子羊はオリジナルの一パーセントの力にも満たない、とんだ出来損ないだったのです」

結標が何を考えているかは分からないが、油断はできない。
一歩も動けなくとも、手の中にある軍用ライトを動かせば、不意打ちを仕掛ける事なんていくらでも出来る。

「何故クローン達は失敗作に終わってしまったのかしら?オリジナルと遺伝子レベルで寸分違わず、脳の構造だって同じはずなのに」

ポケットの中にはチューブ型の止血剤があるが、不意打ちの可能性を考えて、血を止めることすら出来ない。

「ということは、脳の構造以外の何かが関係しているってことにならない?」

結標の言いたい事が全然分からない白井は、ただ黙って語りを聞くことしかできない。

「能力の発現に人間の脳を使う必要なんてあるのかしらね?」

「何を……言っていますの?」

学園都市で開発されている能力とは、量子論的な考えを飛躍させたものだ。
『自分だけの現実』(パーソナルリアリティ)という、意図的に歪めた演算機能と判断能力を使って現実の観測と分析を行う。
その結果に応じて、極めてミクロな世界の確率を不自然に変動させることで何らかの現象を生み出している。

「『自分だけの現実』が、人間以外に適用されるとでも?」

「だって、現象を観測するぐらい、人じゃなくても可能でしょう?たとえば、人間の機能を持つ演算装置を使えば、どうかしら?」

「貴女まさか、その機械の心臓部に能力を宿すつもりですの!?誰がそんな戯言を」

「ええ、この程度では無理でしょうね。でも『樹形図の設計者』があれば、予測はできる。
 人間の代わりに超能力を扱える個体は存在するのか。私はそれを知りたいの」

絶句する白井を置いてきぼりにして、結標は尋ねる。

「ねえ白井さん、貴女は初めてその能力を手に入れた時、どんな気分がした?」

結標は自分から聞いておいて、白井の返答を待たずに続ける。

「私は正直、恐ろしかったわ。他愛ない空想で人を簡単に殺せてしまうこの力が。それでも、仕方ないと思っていたわ。
 この能力がいずれ研究・解析されて世界のどこかで役に立っていくと言い聞かせて耐えてきた」

それなのに、と結標は続けて、

「ヒトじゃなくても、私じゃなくてもいいのなら、何故私にこんな力を与えたの?」

結標は軍用ライトを腰のベルトに差して、

「白井さん、貴女にだってあるはずよ。能力なんて怪物に振り回されて他人を傷つけてしまった事が。
 思ったはずよ。何故自分がこんな力を持ってしまったのかって。私には分かる。だって、私達はとても似ているもの」

結標は、白井へ向けて右手を差し出すように伸ばして、

「どう?私と共に真実を知る気があるのなら、私は喜んで貴女を招待する」

「お断りですわ」

即答だった。

「……え?」

「貴女の言う事は一理あるかもしれませんの。ですが、そのためにこれだけの事をやらかしたことは評価できません」

「そ、それぐらいは分かっているわよ。でも、私達以外にも超能力を持つモノがあるかどうかを調べるためには」

「それに何の意味がありますの?」

結標の言葉を遮った上で、白井は続ける。

「まあ、これからの子供達のために可能性を追求しているんだったら、まだいいですわよ。
 ですが貴女は、自分のことしか考えていない。
 既に能力を宿しているわたくし達に今更どんな可能性が提示されたところで、何の変化もありませんのに」

大体、と白井はさらに続けて、

「能力が人を傷つける、という考え自体が間違いですの。そんなのは使う人次第でしょう」

白井は左手で肩を、右手で脇腹を触りながら、

「力が怖い?傷つけるから欲しくない?寝言は寝てから言って下さいの!
 口ではそう言いながら!わたくしにこんな怪我を負わせたのはどこの誰なんですの!?
 能力があろうとなかろうと、貴女が目的のために平気で人を傷つける人間であることに変わりはないでしょう!」

白井はそこまで叫んだところで、ぐらり、と揺れてテーブルから落ちて倒れた。

結標の頭の中で、これまで自分がしてきたことと、白井の一言がぐるぐると巡る。
そして気付く。白井の言う通り、自分が人を傷つける人間であることは、永遠に変わらないと。

「は、あああああああああああああああああああああああああああああああ!」

結標は両手で頭を抱えて絶叫する。
そんな彼女を中心として、椅子やテーブルなど、店内にあったあらゆる物体が飛び交った。
即ち、能力の暴走。

「あああああああああああああああああああああああああああああああああ!」

暴走は二〇秒ほどで終了した。
結標は息を落ち着かせてから、

「殺す。絶対殺す!」

キャリーケースから降りて、倒れている白井の下へ歩み寄り、仰向けにして馬乗りになって、首に手をかける。

「よくも!よくも私を壊してくれたわね!貴女がいなければ、私はまだどうにでもなったのに!」

逆恨みも甚だしいが、今の白井には喋る気力すらない。無論、結標の手を振りほどく力も。
このまま死を待つしかないかと思われたが。

警備員のパトカーのサイレンが聞こえてきた。

「……そうね。どうせ動けそうにもないのだし、ここは退いておきましょうか。
 離れた場所にいても、私は貴女を殺せるのだから」

結標はゆっくりと立ち上がって、

「私の座標移動の最大重量は四五二〇キログラム。逃げながらでもここへ叩きこめるわ」

そうなると自分の命どころか、このビルごと崩壊させる事も出来るだろう、と白井は予測する。

「それじゃあね。白井さん」

結標は、キャリーケースを引っ張って悠々と立ち去った。

「最悪、ですの……」

結標を取り逃がした上に、空間移動もできなければ歩くことすら出来ない。このまま処刑を待つだけ。

「お姉、様……」

真っ先に思い浮かんだのは、やはり御坂美琴だった。
別に小さい頃の幼馴染とか、家族ぐるみで付き合いがあるとか、そういう事情はない。
御坂と知り合ったのは常盤台中学に入学してから、つまり今年の四月からだし、特別な取り決めがあった訳でもない。
最初は学校の中でたまに顔を合わせるだけだった。ただ、それだけで思い知らされた。
礼儀とは、自分を飾るのではなく、相手に安堵を抱かせるもの。
作法とは、相手に押し付けるのではなく、自分から導いてあげるもの。
教養とは、見せびらかすためではなく、相手の悩みの聞くためのもの。
誇りとは、自分のためではなく、相手を守る時に初めて得られるもの。
これらを口うるさく一方的に説教されたのではなく、見ていれば分かった。
一見、乱暴で雑に見える御坂の行いは、こうした基本事項を弁えたうえで崩しているだけに過ぎない。
路上の喧嘩にすら『決闘の流儀』(フラーズダルム)を代表とした、様々な戦いの作法を汲んでいる節がある。
上っ面だけを真似て土台が分かっていない自分とは大違いだ。

ミシリ、と空間が音を立てた。
おそらく、もう一〇秒もしないうちに四五二〇キログラムの質量が空間を超えて襲い掛かってくる。
もう、結標からの攻撃は避けられない。
だから、せめて、どうか巻き込まれないように、間に合わないでほしい、と白井は願う。が、

ゴバッ!と、オレンジ色の直線が白井の横数メートル地点を射抜いた。

「こ、れは……」

どう見ても超電磁砲だった。そして、それだけでは終わらなかった。

「お願い!アンタの拳で、アイツを連れ戻してあげて!」

お姉様の声がした。そう思った時には、射抜かれて穴があいた床から、一人の少年が飛び出した。

「か、みじょーさん!?」

少年はそのまま、歪み始めていた空間に右拳を突き出す。
当然、そんなことでどうにもなるはずなどないのだが、どういうわけか、拳はそのまま空間を突き抜けた。

「あ……」

目の前の光景に絶句するしかなかった。
少年の右手には能力を打ち消す能力が宿っているらしいが、ビームとかそういうエネルギーやら目に見えるモノならともかく、
進行中の空間移動という現象すら強引に打ち消せるとまでは思わなかった。
少年は床に着地すると周りを見回してからこちらへ駆けより、

「大丈夫、じゃないみたいだな。結標とか言う奴もいないみたいだし。遅れて悪かった」

「……呆れますわね」

遅れて悪い。なんて、普通出てこない。だって、少年はまったく自分達の問題に関係ない。
そもそも、助けに来られた事自体、助けに来た事自体、異常なのだ。

「とりあえず救急車呼ぶぞ」

少年が電話をかける。白井はそれをぼんやり見ながら、思う。
助けに来られたのはよく分からない。今更お姉様が助けを求めたとは思えない。
が、助けに来た理由は何となく分かる。きっと、問題を解決したいと思ったから、助けに来たのだろう。
九月一日に共闘した時に、それはよく分かった。

「カミジョーさん」

電話を終えた上条に、白井は呼びかける。

「何だ」

「お願いがありますの」

どうせもう巻き込んでしまっているのだから、甘えてしまおう。

「結標を、止めてくださいまし」

「ああ。最初からそのつもりだ」

そこでようやく御坂がやってきて、

「黒子!」

泣きそうな御坂の顔を見届けた直後、白井は意識を失った。

事態はどんどん悪化していた。まず、ビルが倒壊する音が聞こえなかった。
超電磁砲を持ってしても、白井という個人を助けられる可能性はあるが、ビルの崩壊自体を止める事は出来ないはずなのに。
とにかく、ビルが崩壊していない以上、白井は死んではいないだろう。心は砕かれ、精神は打ちのめされ、体調は最悪。
とにかく目的を持たないといけないのに、無線機からは警備員と思しき人間から、仲間が捕らえられた旨が聞こえるだけ。
極めつけに、

「おいおい、何の冗談ですかァ」

周囲をビルに囲まれた広い道で、一つの人影に立ち塞がられた。

「クローンどものネットワーク経由であのガキの元にいろンな情報が流れてきて、ソイツがあのガキども全体にかかわる事だっていうから、
 仕方なく街に出て来てみりゃよォ、一体何だァこりゃあ!?せっかく人が脳に電気流して杖まで付いて死に物狂いでやってきたっつーにのよォ」

白髪に赤い瞳、首筋に黒いチョーカーを付けて、右手には卜字トンファーのような現代的デザインの杖、白とグレーのボーダーの服、

「何だァこの馬鹿みてェな三下は!?オマエは俺をナメてンですかァ!?」

学園都市最強の超能力者、一方通行が、そこにいた。

「え……あ……」

結標はあまりの動揺で、碌に言葉が出てこない。
一方通行の方は、なんで結標なんかが相手なんだと嘆いていたが、こちらにしてみればその台詞は、そっくりそのまま返してやりたかった。
場違いにも程がある。
たかがこの程度の騒ぎで、自分みたいなちっぽけな能力者の下に出現するなんて、大盤振る舞いすぎる。
どれくらいスケールが違うのかと言えば、子供の喧嘩を止めるために空爆で国ごと吹き飛ばすようなものだ。
つまるところ、もう終わりなのだ。

「……そうよ」

「あァ?」

「私は知っている!今の貴方には演算能力がない!」

一筋の光明を見出した結標は、勝ち誇ったようになって、

「そうよ!そうだわ!私は“あの人”の近くにずっといたから、学園都市の内情について多少は詳しい!
 貴方は、八月三一日に能力を失っている!それだけじゃない!八月一五日には無能力者に敗北している!
 もう最強と呼ばれたかつての貴方はどこにもいないのよ!」

「はァー」

結標の宣告に対し、一方通行は溜息をついて左手を頭に当てる。
その姿は、何言ってンだ、コイツ。という風に見て取れた。

「本気で言ってンのか、オマエ」

「当たり前じゃない。だって、能力が使えるなら、そこに突っ立ったままなのはおかしいじゃない。能力が使えないから、突っ立ったままなのでしょう?」

嘲るような調子の言葉に、一方通行は目を細めながら、

「本気で言ってンだとしたら、脳味噌入ってンのか疑いたくなるな」

「……何を」

「確かに俺は、八月一五日に謎の少年に敗北した。八月三一日には、脳にダメージを負った。
 今じゃ電極使って外部に演算任せている身だ。あのクローンどもの電波の届かねェトコに入っちまったら演算補助も出来ねェし、
 回復した力なンざ元の半分ある分っかンねェし、コイツのバッテリーはフル戦闘で使えば一五分も保たねェよ――」

だがな、と一方通行は続けて、

「――俺が少年に負けたからって、弱くなったからって、別にオマエが強くなった訳じゃあねェだろォがよ、あァ!?」

一方通行が首筋のチョーカー、つまり電極のスイッチをオンにする。直後だった。
ドゴン!という轟音が響いたと感じた時には、杖を投げ捨てた一方通行が目の前まで迫って来ていた。

「ひっ――!」

結標は思わず、キャリーケースを盾にするように自身の前に出す。
体を移動させるさせない以前に、演算する暇すらなかった。が、キャリーケースなど一方通行にとっては紙切れも同然。
一方通行が出した拳は、キャリーケースなどあっさりと貫いて、そのまま結標の腹部に突き刺さる。

「吹っ飛べェ!」

一方通行が振り抜いた拳に押されて、結標の体は遥か彼方へ吹っ飛んでいった。
こうして。
『残骸』を巡る事件はあっけなく幕を閉じた。

九月一五日。八時。とある病室。

「それで結局、ヨミカワが『外』に出て『科学結社』をかいう外部組織をぶっ潰してきたんだって。
 天井亜雄とも接触があった組織とかで、だから『樹形図の設計者』についても詳しかったんだって、
 って、ミサカはミサカはネットワークを通じて得た情報を報告してみたり」

何故だかは知らないが、カーテンにくるまっている打ち止めがそんな事を言っている。

「あァそォ」

「でもってミサカは気付いてしまったの」

「朝方帰ってきて眠ィから、後にしてくンねェかな」

言って、一方通行は布団を被って耳を塞ぐ。
以前までは、周囲がうるさい場合は音を反射すればいいだけだったのだが、今はそれをやると無意味にバッテリーを消費してしまう。
通常モードで反射できるのは、紫外線などの最低限の項目だけだ。

白井に結標のことを託された後、白井の携帯から、彼女と同じ風紀委員である初春とかいう少女から予測ルートを聞いて、
それを辿ってみたら、広い道路で結標らしき少女がぶっ倒れていた。
一応、警備員と救急車は呼んでおいたが、キャリーケースらしきものはどこにもなかった。
どこかの誰かが、結標を倒してキャリーケースを奪還、もしくは破壊したということだろう。
という旨の報告を、九月一五日の放課後に白井のお見舞いがてらした。

「さ、さささ、さあお姉様。この白井黒子にウサギさんカットのリンゴを食べさせる至福の時間がやって参りましたわよ」

「うるさい黙れ何で昨日の今日でもうそんなに活力溢れてんのよ!絶対安静って言葉に意味分かってんの!?」

上条が立ち去った白井の病室では、二人の少女がそんなやりとりをしていた。

「大人しくしてほしければウサギさんリンゴを食べさせてくださいですの。
 先程まで居たカミジョーさんだって、家庭的な女の子の方が好みではありませんの?」

「……そ、そう、なのかな。アンタ、本当にそう思う?」

「にゃろおおおおおおおおおおおおおおお!」

超適当に言ってみただけなのに初心な反応をされて、白井は発狂する。
昨日のシャワータイムでも、こんな事があったような気がする。
同じようなミスを繰り返すなど、不覚にも程があった。

「ちょ、ちょっと、落ち着きなさいよ!」

御坂に強引にベッドに押し付けられて、白井はようやく落ち着きを取り戻した。
会話が途切れ、静寂が訪れる。
そうして白井は、御坂が自分の傷を見て痛ましそうな顔をしている事に気付いて、

「何となく、ですの」

「え?」

「何となく、気付かされましたわ。あの夜立っていた場所が、お姉様の戦っている世界なんですのね
 わたくしには、何がなんだかさっぱりで……いいえ、こうしている今だって、何も理解していません。
 きっと、今のわたくしではどうにもならないのでしょう。無理について行こうとした結果、このザマですの」

「……ごめんね」

「何を謝っていますの。わたくしが傷ついたのはわたくしが弱いからですのよ。お姉様は関係ありません」

「でも……」

「わたくしは、自分の負った責任ぐらいは自分で果たせますのよ。
 お姉様に背負ってもらっては、わたくしの誇りはズタズタですの」

ですから、と白井は続けて、

「お姉様は笑っていてくださいな。その笑顔があれば、黒子は何度でも立ち上がろうと思えるのですから」

分からないことだらけだ。
今回だってそうだし、八月一五日もそうだし、九月一日の出来事も。
それら全てに、お姉様は関わって、八月一五日は分からないが、少なくとも今回と九月一日はあの少年も関わった。
さっきまでのお姉様と少年は、傍から見ていると、私達は分かり合っていますよ、という風に見えた。
二人だけの秘密があるように見えた。
何で自分にも教えてくれないのか。答えは簡単、巻き込ませないためだろう。
それはつまり、巻き込んだら危険な目に遭わせてしまう、と思われていることを意味する。
今の自分では頼ってもらえない。だったら、頼られるようになるまでだ。
それまでは、お姉様が抱えている事情は敢えて聞かない。

「ん……ありがと」

お姉様のいる場所まで、辿り着いてみせる。
ただ一つ、今ある場所と目の前にある笑顔を守るために。

これで八巻再構成は終わりです。
ちなみに、エンデュミオンおよびロードトゥエンデュミオンの再構成はしないつもりです。
劇場版の方は、単に理解しきれていない、特典小説の方は再構成のしようがないくらい、かなりスムーズに展開していると思うので。
アンサンブルも持っていない、というのもありますが。
まあ、つもり、なので、もしかしたら劇場版のBDを買った後に、いつかするかもしれませんが。

>>1です
今更ですが誤字脱字多くてすみません
今後は一層気を付けて投下したいと思います

学園都市では、九月一九日から二五日の七日間にわたって大覇星祭が催される。
大覇星祭は、言ってしまえば大規模な運動会である。
学園都市に存在する全ての学校が合同で体育祭を行う、というものだ。
今日は開催日の一九日。早朝ではあるが、街の中は既に大覇星祭参加者の父兄達で溢れかえっている。
そんな人混みの中を、二人組の男女と一人の少女が歩いていた。
男性の方は上条刀夜。上条当麻の父親だ。
地味なスラックスに、袖を肩まで捲りあげたワイシャツ、ネクタイは緩めてあって、革靴は履き潰されている。
女性の方は上条詩菜。上条当麻の母親だ。
長いワンピースの上にカーディガンを羽織っている。
そしてもう一人、少女の名は竜神乙姫。上条当麻の従妹に当たる。
茜色のカットソーに小豆色のミニスカート、スニーカーを履いている。
適当な雑談をしながら歩く彼らの前を、ドラム缶のような自律警備ロボットの上に、ちょこんと座っているメイド服の少女が横切った。
彼女は野球場で見る売り子のように、お腹のところで支えたトレイを首の後ろに回した紐で固定している。
トレイの上には弁当らしきものがあり、

「あー、メイド弁当、学園都市名物メイド弁当はいらんかねー。
 繚乱家政女学校のメイド弁当、正確にはメイド見習い弁当はいらんかねー」

あまりの売り文句に唖然としている上条夫婦。一方乙姫は、

「何であの子、ロボットに乗っているのかな?」

もっともな疑問だ、と刀夜が思う中、乙姫が持論を展開する。

「歩きたくないのかな。でも、あんなくるくる回っている上にずっといたら、眼ぇ回るよね」

もっともな意見だ、と刀夜が思っていたら、ドン!と誰かにぶつかられた。

「きゃっ!って、すみません、ぶつかっちゃって」

ぶつかってきたのは、見た目大学生くらいの女性だった。
淡い灰色のワイシャツに、漆黒の細長いパンツ。

「いえいえ、大丈夫ですよ」

刀夜が許す旨を述べた途端、女性は友好的な笑みになって、

「いやあ、これだけ広いと迷ってしまいますよね」

どうやら彼女は、あまり人見知りしない性格らしい。

「失礼ですけど、常盤台中学ってどの辺にあるかご存知ですか?」

ご存知ないが、パンフレットを持っているので調べてみる。

「とき、とき……ないなあ。正式なパンフレットに紹介文がないということは、一般公開されていないのでは?」

「えっ!ホントですか!じゃあ美琴のやつはどこにいるのよーっ!」

みこと、というのは妹の名前だろうか、と適当に考えていると、パンフレットを覗きこむためか、不意に女性が接近してきた。

「とき、とき……ホントにないよ、どうしよーっ!?」

特に待ち合わせ場所を決めていなかったのか、女性は切羽詰まった声を上げる。
開会式前の今、携帯の電源は切ってある可能性が高いので、連絡も取れないだろう。
と、無防備な女性の頬が、刀夜の無精ひげが生えた頬とぶつかりそうになる。
そのため、刀夜は慌てて顔を逸らしたのだが、

「あらあら、刀夜さん“また”ですか?」

「か、母さん?またとは何かな?」

「あら、あらあら、言わないと分からないのかしら?
 道端で女性とぶつかってお知り合いになり、その後の無自覚な言動・行動で良い雰囲気になるだなんて。
 これで何度目かしら。そんなに私を怒らせるのが楽しいのかしら」

『こわーっ!だけど軽い嫉妬もちょっと可愛らしいし、ここはどう動くべきか!?』と、現状を打破するか享受するか悩んでいるところで、

「あ、おにいちゃんだー!」

乙姫が勢いよく走りだす。彼女がおにいちゃんと呼称する人間は一人しかいない。
息子である上条当麻だ。乙姫が走って行った先を見てみる。
人混みの中で、黒いツンツン頭に半袖短パンの体操服の息子が歩いていた。
隣には、ランニングに短パンの陸上競技用ユニフォームの少女がいた。
彼らは何か世間話でもしているようだ。人混みなのと距離がある為、内容までは聞こえない。

「あ、美琴ちゃんだ」

隣の女性が呟いた。どうやら探し人は息子の隣にいる少女のようだ。
詩菜も乙姫が走って行った先の上条に興味が逸れたらしく、刀夜は脱力する。

刀夜が脱力している時、上条は従妹にタックルされていた。
正確には、従妹の『おにいちゃんに抱きつきたい』という気持ちが先行しすぎて、勢い余った抱きつきがタックルと化していただけなのだが。
とにかく、そういうことで、

「な、何、誰よその子?」

「従妹だよ。ほら、自己紹介しろ」

促すと、乙姫は腰に抱きついたまま、

「おにいちゃんの従妹やらせてもらっています、竜神乙姫です。よろしくお願いします」

「よろしく、って言いたいところだけど、まずはそいつから放れようか」

「それはできないんです。私は、定期的におにいちゃんに触れておにいちゃんエナジーを吸収しないと死んでしまうんです」

訳の分からない一秒でばれるような嘘はやめろ、と上条が注意する前に、

「ふーん。そうなんだー。でもそれは、今じゃなくてもいいんじゃないかなー?」

あえて嘘に乗っかった上で放れるように促す御坂の前髪からはバッチンバッチン音が鳴っている。
どう見てもブチギレまであと数秒前という感じだ。作り笑顔が怖い。

「乙姫、とりあえず放れようか」

乙姫はその辺の空気は読める子だ。と、上条の期待通り、乙姫は上条の腰から放れるが、

「おねえちゃんは、私に嫉妬しているんですか?」

ぶふっ、と御坂は噴き出す。

「な、何を言って」

「隠さなくても分かりますよー。でもこの様子だと、おにいちゃんの彼女ってわけではなさそうですね」

「な、あ、当たり前じゃない!」

「ま、おにいちゃんは勘や察しは良いくせに、乙女心には鈍感ですからね~」

「あ、アンタ、私がコイツの事好きだっていう前提で話してない!?」

「違うんですか?」

「違うって言ってんでしょーが!」

バチバチィ!と八つ当たりに近い電撃がこちらへ飛んできたので、右手で打ち消す。

「危ねーなぁ、おい」

「な、何よ。元はと言えば、その子が変な事を言いだすから……」

「今のが超能力ですかー。すっごいなー」

乙姫は電撃にびびっておらず、むしろテンションが上がっているようだった。

「もうそろそろ開会式ですかね。では、最後に言っておきますけど、私に嫉妬はしなくていいですよ。
 将来、おにいちゃんとは一緒に暮らす予定ですけど、付き合って結婚しても構いません」

「な、何言って……!」

御坂が狼狽している間に、乙姫は走り去っていく。
その先を目で追いかけて、両親の姿を発見する。
父親の方は何故だかは知らないが口をパクパクさせている。
母親の方は頬に片手を当てている。あれは怒っている時の表情だ。
やっぱり何故だかは分からない。
両親の隣には、女子大生らしき人がいる。隣にいる少女の顔とよく似ている。
御坂と似ている女性は、あまり上品ではないニヤニヤとした笑みを浮かべている。

「あ、ママだ」

「え、ママ?」

「あ、いや、ママって言うのは子供のころの名残で、そのまま学園都市に来たから思わず出ちゃったけど、決して親離れできていないとかでは」

「あの人、お前の母さんなのか。パッと見二〇代前半だから、年の離れた姉なのかと思ったぞ」

「ああ、そっち」

「というか、別にママ呼びでもいいじゃねぇか。何を恥ずかしがっているんだか」

「は、恥ずかしがってなんかないわよ!」

どう見ても言い訳を並べるくらいは恥ずかしがっていたが、そこをつつくと無駄に会話が長引きそうなので黙っておく。

「ていうか、そんなことより、あの子と一緒に暮らすって何?」

「知らん。俺も初めて聞いた」

「じゃあ何、おにいちゃんと一緒に暮らすとか、勝手に言っていただけってこと?」

「ああ」

上条の返事を聞いて、御坂はホッ、と安堵したような息を吐いた。何故かは良く分からない。
そんなこんなで、七日間にわたる学園都市総合体育祭『大覇星祭』が始まる。

開会式が終わったのは一〇時三〇分だった。
約一〇分後には最初の種目が始まるため、自校の校庭にある選手控えエリアで待機しているのだが、

「うっだー……やる気なぁーい……」

青髪ピアスが地面に大の字になってぼやく。
どうやらものすごく疲れているらしいが、それは何も彼だけではない。クラスメイト全員がそんな感じなのだ。
なぜこうなっているのか、青髪曰く、前日の夜に馬鹿騒ぎして一睡も出来なかったうえに、開会式前にも、
どんな戦術を取れば他の学校に勝てるかでクラスメイト全員でモメて、体力をゼロにしてしまったらしい。
らしい、というのは、もちろん上条は前日に馬鹿騒ぎをしていないし、開会式前も御坂と雑談していて、クラスの事はよく知らなかった為だ。
ちなみに、御坂と雑談していた事を言えば、
こっちがモメてでも戦術練っている間に一方そのころお前はラブコメを満喫とか何考えてんですかーっ!
とか何とか、青髪を中心として男子諸君に言われるに決まっているので黙っておく。
幸いにも、そう言えばお前、開会式前何やってたの?と聞かれる心配はなさそうだが。

「にゃー、テンションダウンは致し方ないぜい。
 何せ開会式では一五連続校長先生のお話に、怒涛のお喜び電報五〇連発。
 むしろカミやんが平気そうなのが異常なんですたい」

そう言う土御門は、学園都市のとある高校に通う一般生徒、に見せかけて、実は魔術にも科学にも精通する多角スパイだ。
短い金髪をツンツンに尖らせ、薄い色のサングラスをかけて、首元にはアクセサリーがジャラジャラついている。
あまりにもスポーツマンシップに則っていない気がするが、突っ込む気はない。

「体力馬鹿の青髪や土御門までこのザマか」

特に土御門は、こんなことでへこたれてはスパイなんて勤まらなさそうだが、このザマでいいのか。
もっとも、そもそも単純にやる気がないだけかもしれないが。

「相手は私立のエリートスポーツ校らしいし、こりゃもう駄目ですな……」

ネガティブな事を言う青髪。

「だからって諦める理由にはならないだろ」

「上条の言う通りよ!」

上条の意見に賛同する声があった。その声をした方を見ると、吹寄制理が立っていた。
彼女は半袖短パンの上に薄手のパーカーを羽織っている。
腕のところには『大覇星祭運営委員・高等部』と書かれている。

「何で疲れているのかよく知らないけど、相手がエリート校っていうのを免罪符にして手を抜くのは許さないわよ!」

何で疲れているのかよく知らないという事は、たった今来たところなのだろう。
大方、運営委員の仕事で遅れてきたというところか。

「上条なんてこんなに不幸なのに、それを理由に手を抜かずに全力で生きているのよ!貴様らはそれを見習いなさい!」

褒められているように聞こえるが、憐れまれているようにも聞こえる。
吹寄の事だから悪気はないのだろうが、複雑な気分だ。
とにもかくにも、そんな吹寄の叱責を受けたクラスメイト達の中の一人が、ぽつりと呟く。

「不幸でも頑張っていれば吹寄からの好感度が高くなるのなら、俺は不幸の方が良かった」

上条にも吹寄にも失礼な発言に、吹寄が爆発する。

「な、何を言っているのよ!そりゃあたしは、上条の事を人間としては好きだけど、恋愛感情がある訳では……!」

いつもは冷静沈着な吹寄が慌てふためく。
その様子を見たクラスメイトの男子と一部の女子がさらにだるそうな顔になる。
青髪なんかは、

「男っ気を一切感じさせない鉄壁要塞吹寄を唯一屈服させるフラグ建築士上条当麻……」

「意味不明なこと言ってないでシャキっとしなさい!」

吹寄は青髪の襟首を掴んで無理矢理立たせる。

「そこまでにしておこうぜ、吹寄」

上条は吹寄の手を掴んで青髪の襟首から放させる。

「な、上条はこれでいいの?」

「ま、仕方ないだろ。頑張れるやつは頑張る、でとりあえずやろう。無理してやらせても、力を発揮できる訳ない。
 競技は何も棒倒しだけじゃないし」

だからって諦める理由にはならない発言は、反射的に出ただけだ。

「……一理あるわね。分かったわ」

吹寄は上条の言い分に素直に従う。

「言っておくけど、俺はやる気あるからな」

「分かっているわよ。頼りにしているわ」

ちょっと良い雰囲気を醸し出す上条と吹寄を見たクラスメイトの男子と一部の女子はついに舌打ちをしだす。
青髪なんかは、

「はぁー。カミやん死なないかなー」

もちろん本気の発言ではないのだが、吹寄は真に受けて、

「貴様!同じ学校で学ぶ学友になんて事を言うの!大体、貴様と上条は親友なんでしょ!
 あたしとしては、なんで貴様みたいな変態と上条がつるんでいるのかよく分からないけど!」

「吹寄、青髪は冗談で言ったんだぞ」

「あ、え、ホントに……!?」

みるみるうちに赤くなった顔を両手で覆う吹寄。
こういうピュアすぎるところが、彼女の良いところであり悪いところでもある。
一方青髪は、

「どんだけカミやんのこと好きなんだよ……」

「だから違うって――」

「その辺にしておけ」

顔から両手をどけて青髪に噛みつく吹寄を上条は制止する。
これ以上、吹寄にまで無駄に体力を消費されたら困る。

「青髪は、普段はどうしようもない変態で馬鹿だけど、いいやつなんだよ」

「カミやん、それ全然フォローになってないにゃー……」

という土御門の言葉を無視して、上条は体育館の方へ向かって行く。

「ちょっと、どうしたのよ、上条」

「体育館の裏の方から声が聞こえたような気がして……」

上条は体育館の壁にぴったりとくっつき、端から首だけ出して体育館裏の様子を窺う。
吹寄もそんな上条の隣から、彼の体にぴったりとくっつく形で、上条と同様に様子を窺う。
健全な思春期男子高校生である上条としてはドキドキしない事もないのだが、吹寄の方は無自覚らしい。
ここで指摘するとこっちが変に意識しているみたいでアレなので、あえて指摘しない。

「ですから!ウチの設備や授業内容に不備があるのは私達のせいであって、生徒さん達には何の非もないのですよ!」

「ふん。設備の不足はお宅の生徒の質が低いせいでしょう?
 結果を残せば、統括理事会から追加資金が下りるはずですから。
 もっとも、落ちこぼればかりを輩出する学校では申請も通らないでしょうが。
 まったく、失敗作を抱え込むと色々苦労しますねぇ」

日当たりの悪い体育館裏手にいたのは、白の短いプリーツスカートに、淡い緑色のタンクトップ、
両手にはピンク色のポンポンを持った、要するにチアリーダーみたいになっている小萌先生と、スーツを着込んだ男性だった。
他校の男性教諭だろうか。

「生徒さん達には失敗も成功もないのですよ!あるのは個性だけなのです!
 皆は一生懸命頑張っているのに、それを自分達の都合で切り捨てるなんて!」

「それが力量不足を隠す言い訳ですか。そんなことをしているから、いつまでも失敗作のままなんですよ。
 これからやる棒倒しでも、手加減はするつもりですが、そちらの愚図な失敗作どもが弱すぎた場合は、どうなるかは保証できませんので、その辺はあしからず」

「なっ……」

言葉を詰まらせている小萌先生を置いて、男性教諭は悠然と立ち去る。

どうやらあの男性は、これから行われる棒倒しの対戦校の男性教諭らしい。
男性教諭はボロクソに言っていたが、正直、無能力者というレッテルをずっと貼られ続けて、
そこに特別な負い目がある訳でもない上条にとっては、ダメージはあんまりないのだが、

「……違いますよね」

ぽつりと、小萌先生が呟く。

「皆は、落ちこぼれなんかじゃ、ありませんよね」

俯いたまま。震える声で。
今までの罵倒は、全て自分のせいで降りかかったものだと言っているようで。

「上条……」

「ああ、分かってる」

グッ、と上条は無言で拳を握りしめる。吹寄と自分だけだろうと、何が何でも勝ってやる。
そう決意して振り返ると、そこにはクラスメイト達が立っていた。

「皆、聞いていたのか」

問いかけに対して、クラスメイト達は肯定も否定もなく、首を縦にも横にも振らなかった。
だが、見れば分かる。皆聞いていた。そして、皆の気持ちがどうなったのかも。
自分達は計画性がなく自爆はするし、相手がエリート校だからと言って諦める程度の、まさしく男性教諭が言うところの、失敗作かもしれない。
しかし、大好きな小萌先生が――彼女は何も悪くないのに、自分達のせいで泣かされたのを知って黙っていられるほど、腐ってはいなかったらしい。
特に青髪ピアスなんかは、既にギラギラとした異様な威圧感を放っている。
普段はどうしようもない変態野郎だが、今回に限っては頼もしく見える。

「ぶちのめすぞ」

上条の静かな宣言に、やはりクラスメイト達は無言だった。
が、気持ちが一つになっているのは、言うまでもなかった。

御坂美琴は、これから上条達が対戦する『棒倒し』の競技場の学生用応援席にいた。
理由は単純。なんとなく気になったからだ。
プログラムを見る限り、対戦相手はスポーツ重視のエリート校らしい。
対して、上条が通っている高校は至って平凡みたいだが、

「はい?」

校庭に、明らかに異様な威圧感を放っている集団を見て、御坂は目を丸くする。
上条当麻を中心にして横一列に並ぶその集団は、棒倒しというよりは戦国時代の合戦一歩手前という感じだ。
所々に立てられた棒は、兵団の持つ槍か何かに見える。

普通に考えるならエリート校が勝ちそうなものだが、この様子だと分からない。
皆が思っている評価を覆して、少年の方の高校が勝つかもしれない。
最強の超能力者を倒した、あの時のように。

「……やだやだ、何を唐突に照れてんのよ私!」

とある場面を思い出して顔を真っ赤にしながら悶える御坂をよそに、棒倒し開始のアナウンスが入る。
いよいよ、対戦が始まる。

棒倒しでは、二つのグループに分けられる。
自陣の棒を守る役と、相手の棒を引きずり倒す役だ。
上条は後者の役割に当てられた。
能力ありの大覇星祭の競技では、異能を打ち消す幻想殺しはそれなりの力を発揮する。
攻めて突破口を開くのもありだし、守りで敵の攻撃を受け切るのでもいい。
今回の棒倒しでは、どちらかと言えば後者の方が適任に思えるが、そうならなかったのはクラスメイトの大半が幻想殺しを知らないからだ。
別におかしい事ではない。皆が皆、それぞれの能力を把握している訳ではない。
皆が皆、それぞれの中間や期末テストの点数を知らないのと同じだ。
さらに幻想殺しの場合は、周りに異能者がいなければ存在すら分からないような受け身の能力だ。
知らないのも無理はないどころか、知らない方が普通なのだ。
そういうわけで、上条や青髪のような比較的体力のある男子は攻めの役を請け負うことになった。
彼らは八〇メートル前後先にある敵陣へ切り込んでいく。

一方、横一線に配置された敵陣営からキラキラと光が連続で瞬く。
その正体は、能力者による遠距離攻撃だ。無論、上条の右手は有効だが、範囲は右手だけ。
全弾いちいち打ち消していたら一向に前に進めないため、基本は避けながら、どうしても避けられない攻撃だけを打ち消していく。
そんな上条に並走する青髪は、

「行きますよーカミやん。お高くとまった腐れエリート集団が放つ、あの二枚目オーラ。
 お笑い専門のわたくしめが、見事木端微塵に打ち砕いて見せましょう!」

バレリーナみたいにくるくる回転しつつ遠距離攻撃を回避していく。
後方支援の迎撃もあるとはいえ、今までの攻撃を回避だけでやり過ごし、
幻想殺しがある自分と同じペースで走って(と言っていいのか)いるのは、なかなか凄い事だと思う。
大変気持ち悪い動きだが、頼もしいのは頼もしいし、普通に走れと言ってペースを崩されたら困るので放っておく。
そうして、上条達特攻組は敵陣へ突っ込んでいく。

結論から言うと、上条達は競技に勝った。
やる気一杯の上条達が気合と根性だけで押し切った、というわけではない。
どれだけやる気を出したところで、真正面から無策でやって勝てるほど甘くない。
では、何故勝てたのか。全ては参謀吹寄のおかげだった。
まず、係を三つに分けた。『土煙を上げる弾幕係』、『土煙に紛れて棒を倒す係』、
『土煙を上げる号令や、土煙の中にいる味方を撤退させるタイミングを伝える念話能力(テレパシー)係』に。
そうして上条達は実際の競技で、両軍が激突する寸前で持てる全ての能力(スキル)を地面に放って土煙を上げ、敵軍の視界を奪って奇襲を仕掛ける電撃戦に出たのだ。
教員達は砂埃が舞うのを防ぐために競技開始前に散水していたが、地面の土を丸ごとすくいあげるような攻撃までは対処しきれない。
途中、土煙を上げる号令の念話能力が届かず、不幸にも先に突っ込んでいた上条が、味方の弾丸にふっ飛ばされかけたり、敵軍にタコ殴りにされかけたりした。
されかけたりなので、実際にはされていない。
味方の弾丸は打ち消したし、敵軍のど真ん中ではタコ殴りにしようとした奴らを返り討ちにして散々暴れた。
終わってみれば、上条は無傷だった。
しかしながら、余計な苦労を負ったことには変わりない。
疲れた……と、上条は校庭の外に出るため選手用出入り口へ向かうと、半分涙目の小萌先生が救急箱を抱えて立っていた。
自分は無傷だが、他のクラスメイトには擦り傷だらけの奴もいる。

「ど、どうして皆、あんな無茶してまで頑張っちゃうのですかーっ!
 大覇星祭は皆が楽しく参加することに意義があって、勝ち負けなんてどうでもいいのです!
 せ、先生はですね、こんなボロボロになった皆を見ても、ちっとも嬉しくなんか……」

何か訴えているが、ここは多くを語らないのが美徳だと、生徒達は三々五々に散っていく。
上条は無傷なので、やはり他のクラスメイトと同様、小萌先生をスルーしていく。
どうでもいいのだが、むしろこういう時こそ頭を撫でてやれば小萌先生は喜ぶのではないか。
先生本人はちっとも嬉しくないとのたまっているが、涙目になってしまうくらい嬉しがっているのは明白だ。
それなのに普段は所構わず小萌先生小萌先生うるさいどうしようもない変態の青髪ですら、ここはあえてのスルーという事実。
何故変にカッコつけるのか。分からなくもないが、そこは素直になっとけよと。
まあ、本当にどうでもいいのだが。

これから次の競技までは自由時間だ。
多分、これからの競技を勝ち抜く作戦会議とかはないだろうし、とりあえず乙姫とでも屋台を見て回るか。
と上条が一般用応援席へ行こうとした時、

「待って」

吹寄に左腕を掴まれた。

「ん?どうした?」

「あたしの指揮のせいで上条が危ない目に遭ったから、一言謝っておきたくて」

棒倒しの事を言っているのか。

「別に吹寄のせいじゃないだろ。念話能力が届かなかったのは、ただの事故だ」

「でも、あたしの作戦であんな危険な目に……」

「だが、こうして無傷だし、吹寄の作戦がなければ、俺達は勝てなかったかもしれない。
 だから、気にする事なんて何もないぞ」

「……上条は、優しいね」

「別に。それより、運営委員の方は大丈夫なのか?」

「うん。大丈夫。気遣ってくれてありがとう。……ほんとに、ごめんね。それじゃ」

「ところで、俺とお前が一緒に暮らすって何だ?」

教室に財布と携帯を取りに行ってから携帯で乙姫と連絡を取り、屋台へ向かう道中で尋ねる。

「言葉通りの意味だよ?おにいちゃんが学園都市を卒業して、私が高校を卒業して親元を離れたら、一緒に暮らすの」

「……何で?」

「おにいちゃんと私は、一緒にいるのが当たり前だから。家族みたいなものだね。むしろ、一緒に暮らさない方がおかしいの」

乙姫は上条の事が好きだが、それは恋愛感情ではない。
そんなものは軽く超越した、家族愛のようなものである。
家族のように一緒にいるのが当たり前。だから一緒に暮らす。
乙姫の思考回路は、ごくごく単純なものである。
そして、だからこそ、上条に恋人が出来ようが何だろうが、問題はない。
何せ、乙姫にとっては家族が増えるだけにすぎないのだから。
そのため、乙姫は嫉妬をしないし、相手にもする必要はないと言える。
ただし、あまり構ってもらえないと、拗ねる事はあるが。

「……うーん、まあ、言われてみればそうかもしれないな」

上条としても乙姫の事は好きだし(もちろん恋愛感情ではない)、一緒に暮らす事を拒む理由はない。

「で、おにいちゃんはおねえちゃんとはどういう関係なの?」

唐突に話題が転換したことに、上条は特に突っ込まず、

「知り合いだよ」

「でも、おねえちゃんの方はおにいちゃんのこと好きそうだったよ?」

「そうかぁ?あいつ、活発そうな見た目通り滅茶苦茶活発で、最近はそうでもないけど、
 夏休み中盤くらいまでは、出会うたびに勝負吹っ掛けてきたんだぞ」

「それは多分、照れ隠しだよ」

「……だとしたら、もう少し穏当なのがいいけどな」

なんて雑談をしながら屋台へ向かう上条達だったが、通行止めの看板がそれを阻んだ。

「あちゃー。一応別ルートがあるか聞いてみるか」

上条は看板の側に立っている警備員の女性――九月一日にもお世話になった黄泉川愛穂に声をかける。

「屋台へ行くには、どこを迂回したらいいですか?」

「一番近いトコで、西に三キロ地点にある地下街の出入り口から横断出来るじゃん」

「三キロかぁ……」

ここから三キロも離れている地点を使ってこちらと屋台を往復すると、次の競技の大玉転がしに間に合わなくなるかもしれない。

「悪い乙姫。屋台へ行くのはまた今度な」

「……神様の馬鹿」

拗ねるようになる乙姫に上条は彼女の頭をポンポンと軽く叩いて、

「まあまあ。また余裕がある時に、な。昼間で余裕がなかったら、ナイトパレードでも一緒に行こう」

上条の提案に、乙姫は目をキラキラと輝かせて、

「うん!」

御坂美琴は街を走っていた。
学園都市の第七、八、九学区全域を競技範囲とした借り物競走の最中だからである。
当然ながら交通機関の使用は禁止。
競技場から出発し、指定の物品を探しだし、元の競技場へ戻るというルール。
能力使用が認められているのが普通の体育祭とは違うところなのに、『干渉数値5以上の能力使用は禁止』という制限まである。
御坂の力ではどう調整してもオーバーしてしまう数値だ。
つまり、御坂はこの競技において能力は使えない。

御坂は手の中にある紙切れを確認する。
そこには『第一種目で競技を行った高等学生』と書かれている。
この条件でパッと思い浮かんだのは、あの少年である。
そのため、御坂はその少年を目指して走っている。

少年の予定はプログラムで把握している。
次の競技の『大玉転がし』までは、時間に少し余裕がある。
その自由時間を、普通ならどう過ごすか。
やっぱり、競技を見に来た親とどこかへ行く、というのが妥当なところだろう。
少年の場合、乙姫とかいう従妹とどこかへ行くかもしれない。どこへ行くのか。
どこかの学校の競技を見に行く、というのもあるかもしれないが、多分、行くとしたら屋台だ。お祭り気分を味わうなら、そこがいいはず。
少年が棒倒しをやった競技場から最も近い屋台、そこへ行くまでの最短ルートを割り出せば。

――頼むわよ、ホント。

ここまで考えた事は、あくまで予測に過ぎない。
さっさと大玉転がしの競技場に向かっているかもしれないし、一般用応援席で親と雑談でもしているかもしれない。
その不安を拭うために、御坂は予測ルートをとにかく走る。
と、その先に、ついにあの少年の姿を発見する。
どうやら通行止めに巻き込まれたらしい。ご丁寧に従妹と一緒のようだが、そんなのは関係ない。

御坂はそのまま、少年の手を掴んで強引に引っ張って行く。
御坂が掴んでいる方の逆の手を従妹と少年は繋いでいるため、従妹も連鎖的に引っ張られて行く。

「お、おい御坂!」

「お願い!私に協力して!」

こう言う風に頼まれると、少年は断れないタチなのはよく知っている。

「わ、分かったから!とりあえず一旦止まれ、乙姫が――ぐおっ!」

一体何だ?と御坂はちらっと少年の方を見やる。すると少年の背中には、従妹がおぶさっていた。
器用にも、走っている最中に少年の背中に跳び乗ったらしい。

「私なら大丈夫ですから、おねえちゃんはガンガン進んでください!」

「もっちろん!」

「ちょっと待て!俺の意思はーっ!」

上条の叫び声を無視して、御坂は全力で走る。

結局流されるままに、乙姫をおんぶしながら競技場のゴールテープを切った。
直後に、待機していた運営委員の高校生が、御坂に大きめのスポーツタオルを頭からかぶせ、ドリンクと酸素吸入用ボンベを手渡す。
テキパキとした動きをするなあ、と思っていたら、よく見るとその高校生は吹寄だった。
と、吹寄もこちらに気付き、

「上条……その子は一体……」

「これは従妹の乙姫。ほら、自己紹介しろ」

「おにいちゃんの従妹の竜神乙姫です」

「そ、そう、そっか。従妹なんだ」

ふぅ、と吹寄は溜息をついた。安堵しているように見えるが、一体何なのか。
一方、なぜか御坂はイラついているようで、

「もうアンタに用はないわ。さっさと次の大玉転がしの競技場にでも行ったら?」

「なんでそんなにドライなんだよ」

「自分で考えたら?」

ひたすらにドライな御坂に、上条は少し意地悪をしたくなったので、

「御坂、ちょっとあっちへ行こうか」

上条は乙姫を背負ったまま、御坂を引っ張って吹寄から距離を取る。

「これ、借り物競走だよな」

「そ、そうだけど、それが何か?」

御坂は顔を真っ赤にしながらぶっきらぼうに答える。

「ルールでは、第三者の了承を得て連れて来るんだよな。
 だが俺は了承していない。はっきり言って、お前はルール違反をしている。
 ここで俺が吹寄――さっきの運営委員にそれを言えば、お前はルール違反によりさっきのゴールは白紙、再び競技に戻るか、最悪失格かもな」

と、脅してみるが、無論本気ではない。
どっちみち頼まれていたら了承するつもりだったし、本気で告訴するつもりなら、吹寄から距離を取る必要もない。
これは、さすがに少し横暴すぎる御坂にお灸をすえるための冗談に過ぎない。
のだが。

「事後承諾が駄目とは、決まっていないじゃない」

ここまで開き直られると、そうか、こりゃ一本取られたな、と思えるから不思議だ。

「おねえちゃん、そういうのは屁理屈って言うんだよ?」

背中の乙姫の突っ込みを受けて、御坂はドリンクを手渡してきた。

「わ、分かってるわよ。だ、だから、ここまで付き合ってくれたお詫びに、こ、このドリンクあげるわよ!」

それだけ言って、顔を真っ赤にした御坂は表彰台の方へ行ってしまった。

「それ飲んだら、おねえちゃんとの間接キスだね」

「……まさか、御坂はそれを意識して顔を真っ赤にして恥ずかしがっていたのか?」

「お、さすがのおにいちゃんでもそれは分かったか。でも、どうでもいい人なら、そんなに意識する事もないよね」

「何が言いたい?」

「おねえちゃんはおにいちゃんに対して、少なからず好意を持っている。
 さっき不機嫌だったのも、あの巨乳さんとおにいちゃんが会話しているのを見て、嫉妬したからじゃないかな。
 おねえちゃんは将来、ヤンデレってやつになるかもしれないね」

勝手に持論を展開していく乙姫に、上条は呆れて、

「あんまりうるさいと……落とすぞ?」

「はい、すいません、黙っています」

さて、そろそろ競技場に行かないと大玉転がしに間に合わなくなるかもしれない。
自分一人なら走って行くところだが、乙姫がいるのでバスを使って行くか、と歩きながら考えるが、

「でもさー、仮におねえちゃんが本気でおにいちゃんの事が好きだった場合、どうするの?」

黙っています宣言から一〇秒後にはこれだから困る。

「ちなみに私は、おねえちゃんならおにいちゃんの伴侶になってもいいと思っているよ」

「勝手に話を進めるな。あっちからのアクションがない限り、俺はどうもしないよ」

「ふうん。じゃあ、聞き方を変えよう。おねえちゃんに告白されたらどうするの?」

「断るよ」

「じゃあ、あの巨乳さんに告白されたら?」

なぜそこで吹寄を挙げるのか、疑問に思いつつも素直に答える。

「断るよ」

「おねえちゃんは可愛いし、巨乳さんは美人だと思うんだけど、おにいちゃん、好きな人でもいるの?」

「……どうかねぇ」

「何で他人事なのかなぁ?」

「……今まで、あんまし恋愛に現をぬかしている余裕なかったからなあ」

上条は幼少期、不幸というだけで両親以外のすべての人間から忌み嫌われてきた。不幸と人間の悪意に晒されてきた結果、上条の精神は崩壊した。
自殺しようとまで思ったぐらいだが、それでは両親を悲しませる、という理由だけで、抜け殻のように漠然と生きた。
そんな時に、従妹の乙姫と出会った。もちろん、乙姫も上条の不幸に巻き込まれた。
この時点で、普通の人間は上条には近づこうとはしなくなるのだが、乙姫は違った。
不幸に幾度巻き込まれようと、上条と一緒にいる事をやめなかった。不幸に巻き込ませるのが嫌だった上条から、近付くなと警告されても、だ。
だから『俺と一緒にいたら不幸になっちまうのに、何で一緒にいようとするんだよ!』と尋ねた。そしたら、

『決まっているよ。おにいちゃんと一緒にいたいから』

実にシンプルな答えだった。理屈なんてなかった。ただの感情論だった。
しかし、だからこそ、上条の壊れてしまった心に響いた。この時初めて、上条は両親以外に信頼できる人間を見つけた。
……とまあ、乙姫のおかげで今の上条があると言っても過言ではない。出会ってなかったら、いまだにただの抜け殻だったかもしれない。
しかし、幼い時に受けた心のダメージはやはり大きく、人を信じることが、上条には精一杯なのだ。
少しませた園児なら好きな人の一人や二人でき、『婚約』やキスぐらいしているかもしれない。
しかしながら、同世代の人間は愚か大人にすら嫌われてきた上条には、当然ながらそんな経験はない。
小学校からは学園都市に来たが、両親と離れ離れになって不安ばかりが募って、やはり人を好きになる余裕はなかった。
もっとも、思春期男子高校生として性的欲求はあるため、体を密着されたり、おっぱいに顔を埋めさせられたりするとドキドキはする。
だがそれは、あくまでオスとしての本能のようなものであり、恋愛感情ではない。
その辺が細かくは分からなくとも、なんとなく分かった乙姫は、

「……そっかぁ。そうだよねぇ」

と、一言だけ呟いた。なんか、しんみりしてしまった。

「……かく言うお前は、好きな人とかいないのか」

「いないよ。私は、おにいちゃんがいれば満足だからね。好き嫌い以前に、おにいちゃん以外眼中に入ってないって感じかかな」

「……大丈夫かよ、お前」

「おにいちゃんこそ、このままでいいの?ま、私はおにいちゃんがいれば、どうでもいいんだけどね」

そう言って快活に笑う乙姫。過去、この笑顔に救われたのだ。

茶髪のツインテール少女、白井黒子は大覇星祭には参加していない。
数日前に起きた、とある事件で受けた傷が完治しておらず、今も体のあちこちに包帯を巻いている状態だからだ。
そんな絶対安静の彼女は現在、病院を抜け出して大通りにいた。
服装はいつもの常盤台の制服だが、車椅子に乗っている状態だ。
ただし、白井が自分で車椅子を動かしている訳ではない。
白井の車椅子は、風紀委員の同僚、初春飾利が押している。
半袖Tシャツに黒のスパッツ、頭には造花の飾りを乗っけているお花畑少女、初春は、

「いやあ、私達が炎天下で頑張っている中、エアコンの効いたお部屋で白井さんが一人ぼっちで休養している姿を想像すると、いてもたってもいられなくなっちゃって。
 白井さんにもお仕事手伝ってほしくなってしまったんですよ~」

語調こそさわやかにのんびりと癒される感じだが、内容は明らかに喧嘩を売っていたため、

「……素敵すぎる友情をありがとうですわ。
 傷が完治したら真っ先に衣服だけを空間移動して素っ裸にして差し上げますから、心の底から楽しみにしていてくださいですの」

と言ったものの、大覇星祭という大イベントの中、一人きりでゴロゴロしている事に退屈を覚えていたため、初春の強引な連れ出しは嬉しいところもあった。
ただ、それを知られるのは死んでも回避したいが。
と、そんな白井の耳に、競技場のアナウンスが聞こえてきた。
デパートの壁に取り付けられた大画面のものだ。
生中継ではなく、少し前の競技のハイライトを流しているらしい。

『四校合同の借り物競走でしたが、やはりと言うべきでしょうか、常盤台中学の圧勝でした。
 中でもトップ選手は他に比べて七分以上も差をつけた状態でのゴールという快挙を成し遂げ――』

画面に映るのは、どこかの陸上競技場。

『一位を獲得した御坂美琴選手は、ゴール後も体勢を崩すことなく、まだまだ余力を感じさせる姿を見せてくれました』

何の気なしに大画面を眺めていた白井の両目がクワッ!と見開かれる。

「お姉様、嗚呼お姉様、お姉様!やはり完全なる圧勝という形で、この白井黒子を身悶えさせてくれますのね!
 生はおろか録画すら出来なかったこの不出来なわたくしをお許しくださいですの!」

白井さん、気持ち悪いです、というあまりにストレートすぎる初春の言葉が耳に入らないくらい、
白井は興奮していたのだが、直後に映った画面によって、とある事実に気付く。

御坂美琴が、あの少年の手を握って競技上を走り。
ゴール後は、御坂が口を付けたスポーツドリンクを、あの少年が譲り受けているのを。

「あんのやろぉぉぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」

「ちょ、ちょっと白井さん!落ち着いてください!そんなに暴れたら、傷口開いちゃいますよーっ!」

幸いにも、大玉転がしでも勝利することができた。
が、上条はそこである事に気付いた。

土御門が、競技に参加していない。

何も大玉転がしだけではない。
よくよく考えると、最初の棒倒しの時もいなかった。
選手控えエリアでは確かにいたのに、本番の競技の時にはいなかった。
サボりか。それとも。

「ねぇ上条、土御門がどこ行ったか知らない?」

吹寄も土御門がいない事に気付いたらしい。

「知らない。あいつのことだから、サボりもあり得るにはあり得るが……」

「……大覇星祭って、サボるくらいつまんないかな……」

吹寄は少しだけ俯きながら、訥々とした口調で、

「絶対に大覇星祭に集中しなくちゃ駄目なんて強制はできないし、リタイアするって言うなら止められないけどさ。
 やっぱり、企画を立てて今日まで頑張ってきた身としては、皆に参加して、楽しい思い出を共有してもらいたいと思うの。
 わがままかもしれないけど」

吹寄がどういう理由で大覇星祭の運営委員になったかは知らない。
が、誰に押し付けられた訳ではなく、自分から立候補した以上は、やっぱり吹寄なりに成功させたい理由があるのだろう。
放課後遅くまで残ってでも、他の友人と一緒に自由時間を過ごせなくなってでも。
そこまでの『想い』を、

「……わがままなんかじゃねぇよ」

一言だけ、述べる。すると吹寄は、顔を上げて、

「……そう、かな」

「そうだよ」

皆が皆、全身全霊一〇〇パーセントの力で全競技に臨むべきだ、とまでは思わない(もちろん、それが理想ではあるが)。
だが、せめて参加ぐらいはすべきだ。

「何らかの事情があってリタイアするならまだしも、サボりは駄目だ。だから、ちょっと土御門と連絡を取ってくる」

無論、まだサボりと決まった訳ではないが。
上条はそれだけ言って、控室においてある携帯を取りに行く。


土御門の携帯は、電源は入っているようだ。
しかし、なぜだか電話に出てくれない。

「……何なんだ」

何回かけても、電話に出てくれる気配がない。
意図的に無視されている。

「……上等だよ」

電話に出ないのなら仕方ない。
直接探し出すまでだ。

土御門は意外とすぐに見つかった。“ステイルと一緒に”街を走りまわっているところを強引に捕まえた。
この時点で、ひょっとしたら、という不安はあったのだが、話を聞いて、それは確信に変わった。

「この街に魔術師が乗り込んだ。そいつをどうにかしないといけない」

「今の学園都市は、一般来場客を招くために警備を甘くしているだろう?」

「その隙を突いて、この中に魔術師が侵入しているってわけだぜい」

「てことは、お前は競技をサボっていたんじゃなくて」

「そう。侵入した魔術師を追いかけているってわけだにゃー」

「……お前が競技に出ていない理由は分かった。じゃあ、魔術師が侵入した理由は何だ?まさか、インデックスを狙って」

「いいや、今回は違う」

ステイルの否定に、土御門が続く。

「魔術師達が、この街でとある霊装を取引しようとしているんだにゃー」

「達?一人じゃないのか」

「現在、確認されているだけでも二人いる。ローマ正教のリドヴィア=ロレンツェッティ。
 そして彼女が雇った運び屋、オリアナ=トムソン。両方女だ。
 さらに、彼女達の取引相手である人間が最低一人はいるはずなんだけど、こちらは判然としない。
 ロシア成教のニコライ=トルストイが怪しいが、確認は取れていない」

「で、霊装とやらの取引を、何だってよりにもよって学園都市でやるんだ?」

「学園都市の人間が魔術師を無闇に迎撃してはならない、って言うのは前に言ったよな。
 そして同時に、オカルト側の十字軍や必要悪の教会も、無闇に学園都市の領域に踏み込んではならない。
 つまり、ここ学園都市は、どちらの勢力も手を出しにくい場所なんだぜい」

「大覇星祭期間中でなければ、警備体制の関係で、リドヴィア達の行動もかなり制限されていただろうが、
 今は一般公開によって半端に警備を緩めなくてはいけないから、この機に乗じて大胆にも乗り込んで来たって訳だ」

「なるほど。でも、それならステイルみたいに、必要悪の教会のメンバーをこっそり潜り込ませる訳にはいかないのか?」

「僕は『上条当麻の知り合いだから、個人的に遊びに来た』という大義名分が使えるが、他の魔術師達は呼べない。
 魔術師達を多く乗り込ませれば『では我々も』という魔術組織が出てくる。
 魔術サイドは、基本的に学園都市を嫌っている。そいつらが、学園都市の中で暴れる可能性があるんだ」

「というわけで、今回の問題で動けるには、オレとステイルだけってわけですたい」

「ん?俺の知り合いだってんなら、神裂はどうなんだ?神裂って、滅茶苦茶強いんだろ?」

「そりゃ使えたら使うんだがにゃー」

「今回は、ちょっとした事情がある。神裂が使えない事情がね」

「使えない事情?体調でも悪いのか」

「違う。今回、取引される霊装は『刺突杭剣』(スタブソード)っていうんだが、そいつの効果は――あらゆる聖人を一撃で即死させるモノなんだ」

しかも、と土御門は続けて、

「実際に切り裂く、突き刺すなどしてダメージを与える必要はない。
 相手が聖人なら、距離に関係なく、切っ先を向けただけで殺す事が出来る代物だ」

「何だよ、それ。反則級のアイテムじゃねぇか」

「そうだよ。だから取引を止めなきゃいけない。この取引が成功してしまったら、戦争につながるかもしれない」

「聖人っていうのは、魔術業界では核兵器に等しい存在だ。
 敵軍の聖人だけを殺して、味方を保護するだけでも状況は変わる、という事実だけで、戦争は起こしたいやつは起こす。
 実際には、戦況が変わっても勝敗まではそう簡単に揺らがないとしても」

「そういうわけで、戦争に発展させない為にも、取引を止めなきゃいけない」

今回、狙いはインデックスではないらしい。
しかし、戦争が起こり、それが日本にまで飛び火してきたら、結局はインデックスも危険だ。
ステイルの言う通り、取引を止めなければいけないだろう。

「で、これからどうやって探す?」

上条が作戦会議を始めようとすると、土御門が、

「カミやん、今のうちに言っておくが、オレらはお前を巻き込むつもりはなかった。電話を無視したのも、それが理由だ。
 でも失敗だったよ。カミやんを本気で誤魔化すなら、電話に出て、腹を壊してトイレに籠っている、とでも言った方がマシだったかもしれない。
 現にこうして、見つかっちまったんだからな」

「今更巻き込むとか巻き込まないとか、どうでもいいだろ。世界に危機にのうのうと運動会やっている方が、よっぽど辛い」

「そういう感じの事を言うと思ったから、カミやんに見つかった時点で、今回のあらましを話したんだ。
 取引を阻止するより、カミやんの説得の方が難しいだろうからな」

「……何が言いたいんだ?一刻も早く、取引を阻止するのが優先じゃないのか」

「まあ聞け。オレらが言いたい事は、素人であるカミやんを巻き込ませたくなかったってーのと、今後も巻き込ませるつもりはないってこった」

「ああ、そうかよ。じゃあ、話を進めようぜ」

しかし、土御門は語りを止めない。

「だが勘違いしないでほしいのは、カミやんが頼りないとか、足手まといだとかは思っていないってことだ。
 むしろ、魔術師にとってはジョーカーな存在だから、協力してほしいぐらいだ」

「……なら、何で巻き込ませないことに固執しているんだ」

「オレらはプロで、お前は素人だからだよ」

「プロとか素人とか、今更関係あるのか」

「今更、と言われれば、確かに今更だが、それでも言わせてもらう。関係あるんだよ。
 こちらの業界で起こった問題は、こちらの業界の人間が解決すべきだからな」

「そうか。じゃあ、話を進めようぜ」

やれやれ、どうやらここまで言っても通じなかったらしい、とステイルは肩をすくめながら首を左右に振る。
土御門も溜息をついて、

「……まあでも、オレも心のどこかでカミやんの協力を望んでいたんだろうな。
 大玉転がしの競技場の近くのルートを避けなかった時点で」

ある種弱音のようにも聞こえた。
思えば、土御門が積極的に自分を頼ったのは、たったの一度だけ。インデックスを救う時だ。
一方通行の実験を知っていても、頼らなかった。
その後は散々利用すると言っておきながらも、利用された試しがない。
八月の終わりの海では、自分とインデックスを守る事、『御使堕し』の犯人を見つけることが目的だったし、九月一日にはむしろ助けられた。
そんな彼が思わず、協力を望んでいたのかもしれない、と口走るからには、今回はヤバいのかもしれない。
もっとも、上条には『法の書』事件の解決の一端を担うなどの実績がある。それも弱音の背景になっているのかもしれない。
夏休み最終日には、『上条勢力』を恐れたアステカの魔術師が攻めてきたぐらいだ。

「……何か、良い作戦とかあるのか」

ごちゃごちゃした考えを振り切って、上条は尋ねる。

「今のところはないぜい」

「なら、俺に考えがある――」

ということで、この街に乗り込んで来たらしい魔術師達の探索を始めることになった。
とはいえ、手掛かりはイギリス清教から受信したというオリアナとリドヴィアの画像のみ。
これだけで、闇雲に探して見つかるとは思えない。
それなので、御坂のように高いところに昇って俯瞰で見つける作戦を提案した。
この作戦は、見つけるところまでは上手くいったとしても、そこに辿り着くまでに見逃す可能性がある。
ルートを予測しても、それが当たる確率は高くない。御坂並の機動力があって、初めて有効活用できる作戦だ。
しかし、これは一人でやる場合の問題。幸い、今回は三人だ。一人が見つけて、残りの二人に連絡すればいい。
そういうわけで、

「そこから南西に、二〇〇メートル先ぐらいにいる!」

オリアナは金髪碧眼の外国人だ。一般開放しているとはいえ、外国人はそう多くない。
黒髪が主な日本人ばかりの中では、やはり目立つものだ。そのため、すぐに見つかった。

追跡はプロの仕事、ということで、上条が携帯でオペレート役、ステイル、土御門が追跡役なのだが、

「おい!何やってんだ!」

長さ一・五メートル、幅七〇センチメートルほどの看板らしきものを脇に挟んでいる、
金色の巻髪に作業服のオリアナが、追跡班のステイルや土御門に背を向けるたびに、彼らは追跡をやめてしまう。
一度姿を見逃せば、また追いかけてくれるのだが。

『にゃー。どうやら『人払い』を応用した術式がかけられているみたいだぜい。
 どうもオリアナの背中を見るたびに、追いかける気がなくなっちまう』

「そこまで分かっていて、どうにかならないのか」

『オペレート役のカミやんと追跡班のオレを入れ替えるのが手っ取り早いかにゃー。
 カミやんが幻想殺しでオリアナに触れてしまえば、それで術式は解けるはず』

「触れるって……どうやって?」

借り物競走のフリで自然とオリアナに触れられればいいのだが、自分のヘタクソな嘘では見破られるだろう。
ステイルは恰好が恰好なので追手だと分かるのは普通だが、体操服姿の土御門にも気配や雰囲気を察して背を向けて逃げているぐらいなのだから。

『強引にやるしかねーにゃー。思い切ってぶん殴っちまえ』

「だから、どうやって?」

『大丈夫。ステイルを使って上手く誘導してやる』

土御門と役を交代した。上条は普通の通りで待機している。
土御門の指示は主にステイルに対して飛ぶ。
オペレートを聞いていれば分かるが、明らかに自分がしてきた指示より的確で素早い。
役を入れ替わったのは、オリアナの術式を破壊するためだけでなく、こうして的確で素早い指示を出すためでもあったのかもしれない。

『カミやん!今から約五秒後にオリアナがカミやんの前を横切る!そこを叩け!』

確かに、目の前は曲がり角だ。

「五秒後って、簡単に言うけ――」

『カミやん!今だ!』

文句を言う暇もなく、その時は訪れる。
上条は反射的に前進して、

金髪碧眼の女性が目の前に飛び込んで来たところへ、右拳を繰り出す。

「!?」

上条の右拳は綺麗にオリアナの左頬にヒットして、彼女はその衝撃で倒れ伏す。
同時、甲高い音が響く。幻想殺しが異能を打ち消した音だ。

「伏兵がいたってトコかしら……!」

オリアナはすぐに立ち上がって、ざわめく通行人達の間をすり抜けて行く。

「逃がすかよ!」

上条はオリアナの背中を追いかける。

――しつこい!

ツンツン頭の少年と赤髪の神父が追跡してくる。
今は何故だかいないが、金髪でサングラスの男もいずれ合流するだろう。
どういう理屈かは知らないが『表裏の騒静』(サイレントコイン)が壊された以上、自力で逃げ切るしかない。

ツンツン頭の少年は、追跡の仕方からしておそらく素人、神父の方は見た目通り、プロだろう。
金髪でサングラスの男も、恰好こそ体操服姿だが、プロの匂いがする。
プロ相手となると、普通に逃げるだけでは撒けない可能性が高い。
ならば、方針を変えるまで。

――ま、そんなに甘くない事は予想していた事だしね。

オリアナは、バスターミナルの方へ飛び込んでいく。

上条とステイルも遅れてバスターミナルへ飛び込む。
横幅は三〇メートル、奥行きは数百メートルほどありそうな空間に、たくさんの大型バスが所狭しに並んでいる。
あちこちには金属の柱が立っていて、整備場全体がトタンか何かで覆われている。
ここならば、隠れてやり過ごす事も出来るかもしれない。
と見せかけて、こちらが探している最中に、入れ違いにバスターミナルから脱出してしまうかもしれない。

「どうする?」

「とりあえず僕はここでルーンを貼って待機する。君は奥へ進んでこのターミナル内に隠れているかもしれないオリアナを探せ」

「分かった」

と、上条はステイルの案に従って奥へ進むが、

轟!と、青白い爆炎が天井から降り注いできた。

「罠か!」

真上に繰り出した右拳によって、降り注いできた青白い炎を打ち消す。
しかし、安心はできなかった。
直後に、自律バスの車体下から野球ボールくらいの土の塊が飛び出してきたからだ。
それは車体下から出てきた途端に、急激にホップするのと同時、ジャギッ!と表面から石の針が飛び出して、ウニのようになって顎目がけて襲い掛かってくる。

「っ!」

上条は拳骨をするように、ウニのような土の塊を上から叩きつけるように殴って打ち消す。
それから前進すると、今度は正面から黄色い炎の槍、左右からは風のギロチンが襲い掛かってきた。

「笑えないアトラクション満載だな、おい!」

叫びながら、右手を前に突き出しつつ前進することによって、正面からの炎の槍を打ち消す。
左右の風のギロチンは駆け抜けた上条の背後でぶつかり合うだけ。
続いて天井から、アドバルーンほどの氷の塊が五つほど落ちてきたが、もはや右手を使わず、全力で駆け抜ける事によってそれらすべてを回避する。
自律バスが並んでいる一角を抜ける。

「いた!」

バス用の大型洗車機が並んでいる、洗車場に飛び込むオリアナが見えた。
上条はオリアナを捕まえるために走るが、それを阻むように土の津波が襲いかかって来る。
幅的にも高さ的にも避けられるものではないし、何かの陰に隠れたところで、それごと押しつぶされるだけだ。
ならばどうするか。簡単だ。
上条は、向かってくる津波に真正面から、ただ右手を突き出すだけ。

上条の右手が津波にぶつかった瞬間、ガラスが割れるような音と共に、津波は空気中に溶けて消えた。
視界が開ける。洗車場に飛び込む。

「……くそっ!」

オリアナの姿はどこにもない。
洗車場の壁に、暗記する時に便利な単語帳のページが貼り付けられていただけだった。
諦めきれない上条は洗車場を捜索して、陰に隠れる形であった裏口を発見するも、どこに逃げたかまでは分からなかった。

オリアナ=トムソンはちらちら後ろを振り返りながら、表通りを歩いていた。
どうやら撒けたようだが、それは一時的に過ぎない。
この街に、動ける魔術師と、謎の素人がいることに変わりはない。
そして、その謎の素人こそが、現時点では一番厄介かもしれない。
プロっぽさがない分、気配で気付くのも難しいし、服装も体操服のため目立たない。
何より、一撃を貰って『表裏の騒静』も破壊された。
今回の作戦を無事に成功させるためには、不確定因子は排除しておきたい。
となると、やはり、次の手を打っておいた方がいいか。

念のためにちょくちょく後ろを振り返りながら考え事をするオリアナは、ふと、玉入れにでも使うのであろう籠を運んでいる男子生徒を捉えた。

――あれ、使えるかもしれないわね。

オリアナは、単語帳を取り出して口で一ページ千切ってから、男子生徒に気付かれないように籠に近付き、千切ったページを貼りつけた。

立ち往生していても仕方ないので、とりあえずステイルのところへ戻ると、土御門も合流していたところだった。

「悪い。オリアナを逃がしちまった」

「気にするな。相手は『追跡封じ』(ルートディスターブ)の異名を持つオリアナだ。
 素人のカミやんが捕まえられなくても、誰も責めやしない」

「……いや、本当に悪い。代わりという訳じゃないが、手掛かりになりそうなものを持ってきた」

上条は、左手で板ガムサイズの単語帳のページを土御門へ手渡す。

「洗車場の壁に貼ってあった。魔術的なものだろうから、左手で剥がして持ってきた」

「罠の可能性は考えなかったのかい?」

ステイルは上条に尋ねる。
単語帳のページには、読みにくい筆記体で『Soil Symbol』と、青色で書かれている。
これだけでは“素人目から見れば”罠だと判断してもおかしくなさそうだが。

「考えたが、既に効力を失っていると思ったんだ。オリアナを追いかけている時、土の津波にも襲われたし。
 それって訳すとしたら『土の象徴』って感じだろ?だから、土の津波を打ち砕いた後だから、大丈夫かなって」

理に適っているように聞こえるが、その実、上条の台詞には断定がない。

「……少々慎重さに欠ける気がするけどにゃー」

と、土御門が呟くように言うと、上条も多少は自覚があるのか、ばつが悪そうに、

「……でも、効力を失っていると思えたんだよ」

思えた、って何だ。と土御門とステイルは疑問に思う。
それでは、結局は自身の勘頼りではないのか。
……まあ、現状そこに拘泥している場合ではない。

「そうか。ま、ファインプレーだよ、カミやん。これがあれば、逆探知できるかもしれない」

土御門は、人差し指と中指で挟んだ単語帳をひらひらと振ってそう言った。

土御門元春は魔術を使えない。
使えない、といっても根本的に魔術を知らないという訳ではなく、使うと、体が内側から破裂してダメージを負う。
使うたびにダメージを負う魔術を“使える”と表現する人間はまずいないだろう。
というわけで『逆探知の魔術』を使うのは土御門ではない。
土御門は、地面にオリアナが残したページを置いて、その周囲にテキパキと円を描き、色取り取りの折り紙を配置する、だけだ。
実際に術式を発動させるのはステイルだ。

「よし。終わったぜい。ステイル、後は頼む」

土御門に言われて、円陣中心で片膝をついて祈るようになるステイルを、少し離れたところで、上条と土御門は眺める。

「――風を伝い、しかし空気ではなく場に意思を伝える」

ステイルの詠唱の直後、円陣の周囲に配置された折り紙がひとりでに動き出して、円の上を回りだした。

上条は、それをただ黙って見ていた。



「あん!」

表通りを歩くオリアナは唐突に喘ぎ声を上げた。
通行人の何人かが不審そうな眼を向けるが、オリアナは気にしない。

――風を伝い、しかし空気ではなく場に意思を伝える、ね。お姉さんには筒抜けよん♪

オリアナは、にやりと、笑みを浮かべた。

「ごっ、がぁぁぁああああああああああ!」

いきなり、ステイルの体がくの字に折れ曲がった。
地面に描かれつつあった地図のラインも、全て四方八方へ飛び散った。

「カミやん!ステイルの体を殴れ!」

殴れ、と言われたので、上条は腹を中心にくの字に折れ曲がっているステイルにさらにボディブローをかました。
ステイルが地面に崩れ落ちる。咄嗟の事だから力加減も何もなかった。仕方ない。

ともあれ、それで一応の異常は収まった。
ステイルはしばらく荒い息を吐いていたが、やがて汗でびっしょり濡れた赤い髪を手でかき上げると、

「逆探知をすると発動する迎撃術式の一種、みたいなものか……」

もっとも、その後の君のボディブローの方が効いたけどね、と嫌みを言われた。
上条が何も言えない間、土御門は折り紙を拾って指で触った後、

「逆探知の防止術式なら、『理派四陣』の魔法陣たるこっちにも影響がありそうだが……そんな痕跡はない。
 となると、ステイルの魔力が読まれている、ってところが妥当なところか。
 その上で、ステイル個人の魔力に反応して作動するような迎撃術式が組まれていたんだろうさ」

「僕の魔力を個人識別して封じにかかる迎撃術式か」

「つまり、ステイル個人をピンポイントで攻撃できるってことか」

「魔力ってのは、術者の練り方次第によって質と量は変わるモンだが、それだけでは完璧な迎撃術式は組み上げられない。
 にもかかわらず、出来ているってことは、何かあるはずだ」

「僕はルーンを扱う魔術師だが、たとえば、アステカの魔術を使おうとすれば、迎撃術式は機能しない。
 魔力パターンを一つ封じる程度で安心するようなプロは、まずいない」

「でも、魔術ってそんな何パターンも極められるものなのか?」

「そりゃまあ、大抵は一つの事に特化しているモンだが……どうもしっくりこないぜい」

ステイルと土御門は沈黙する。上条も、魔術については門外漢なので、何も言える事はない。
やがて口を開いたのは、ステイルだった。

「……もしかして、生命力じゃないか?」

「なるほどにゃー。魔力は複数パターンが存在するが、生命力はオンリーワンだ。そこを読めば、迎撃術式も組める、ってわけか」

「迂闊にルーンを配置するべきじゃなったね。
 しかし、生身一つで生命力の探知・解析・逆算・迎撃をやってのけるなんてね」

自尊心の塊みたいなステイルが、ある種褒めたような言い分をするという事は、オリアナとは思ったよりも強大な相手かもしれない。

「術式そのものを逆算して迎撃が入るなら、『理派四陣』とやらのサークルを描いた土御門に向かうはずだが、
 それがないということは、やはり僕の生命力に反応しているのだろう」

「じゃあ、オリアナの奴、逃げながらステイルの生命力を探知して逆算して迎撃術式を組んだってことか」

「それが彼女一人で出来たら、彼女はもっと有名になっているはずだ」

つまりステイルは、そんな事は出来るはずがない、と言外に言っている。

「だけど、現実に出来ちまってんじゃねーか」

「だから、何らかのトリックがあるんだろう。そのトリックの正体はおそらく……いや、だが、アレを所持しているとはとても……」

「いや、オレも同じ事を思っていたところだ」

「本気かい?確かにアレなら、今までの疑問を全て解決できるが……そうなると、奴は魔術師ではなく魔道師ということになるぞ」

「はてさて、本当にそうかにゃー。それだったら、オリアナは魔道師です、という情報を耳にして然りだ。
 ところが、そんな情報は出回っていない」

「ちょっと待てよ」

二人の会話についていけない上条は、いよいよ割り込む。

「アレって何だよ?」

「魔道書の原典だよ」

あっさりと口にされる事実に、上条は戦慄する。
魔道書の原典とは、とにかく危険なモノで、実際、九月の初めには『法の書』を巡ってドロドロの争いをした。
そんな魔道書を使いこなすとなれば、その実力は、一体どれほどのものなのだろうか。

「逃げながらもステイルを迎撃出来たのは、魔道書のおかげってことか」

「そうとしか思えないが……」

まだ何か引っかかっている様子のステイル。

「魔道書の原典を所持している可能性だってなくはないが……普通じゃない。一冊持つだけでも、汚染は尋常じゃない」

確かに、インデックスも、魔道書の汚染がどうのこうのと闇咲の時に言っていた。

「だにゃー。つーことは、まだ何かあるんだ……」

土御門は、オリアナが残していったページを眺めて、

「もしかしたら、このページ一つ一つが魔道書の原典の代わりかもしれねーにゃー」

「……何を言っている?」

ステイルと同じ事を、上条も思った。だって、ページはどう見たって本じゃない。

「ちゃんとした魔道書を書くなら、不眠不休で取りかかったとしても、薄いので三日、
 分厚いモノなら一ヶ月はかかる訳だが、別にちゃんとしている必要はないだろ。
 魔道書は、言っちまえば超高密度の魔法陣だ。オリアナにとって重要なのは、魔法陣化した魔道書の効果だろ?
 本の体裁なんてどうでもいい、他人には読めなくてもいい、走り書きのメモをページに記して、即興の魔道書にしたってことじゃねーのかにゃー」

「何だ、それは。『速記原典』(ショートハンド)とでも言うのか」

「魔道書を所持しているよりは現実的と思わないか」

「……まあ、そうか。魔法陣化した魔道書の効果を引き出すことが出来れば、あり得なくはないのか」

「何にせよ、自動迎撃術式を破壊しなければ、ステイルは碌に魔術を使えない。
 破壊はカミやんの右手に任せるとして、問題はどこにあるかだ」

「オリアナが持っているんじゃないのか」

上条の疑問に対して、ステイルが言う。

「もちろんその可能性もあるが、どちらかと言えば、仕掛けられている可能性の方が高いと思うけどね」

「『速記原典』の細かい発動条件が分からないから何とも言えねーが、オリアナはステイルの生命力を探るために、
 設置型の罠をこの整備場に配置して、掴んだ生命力を自分の元に送る自動魔法陣も用意して、事を進めている。
 なら自動迎撃術式も、どこかに仕掛けてある可能性の方が高い、と考えるのが合理的だろ?」

「じゃあ、設置してあると思われる自動迎撃術式を手分けして探すのか」

上条の疑問に、土御門は緩く首を横に振って、

「いや、こんな板ガムサイズの単語帳のページを見つけるのは至難の業だ。普通に探していたら、日が暮れちまう」

「なら、どうするんだ」

「ステイルに、魔術を使ってもらってどこから妨害がやってくるかを知るしかない」

「……それはつまり、ステイルにもう一度苦しんでもらうってことか」

「そうなっちまうにゃー」

言いながら、土御門は折り紙と赤の筆ペンを取り出して、折り紙を筆ペンで真っ赤に染め上げる。
その後、真っ赤に染められた折り紙を地面に押し付け、テーブルを布巾で拭くように折り紙を動かす。
あっという間に、地面に直径二メートルほどの朱色の円が描かれた。

「『占術円陣』。誰の魔力も通っていない未使用の魔法陣だ。
 コイツは、迎撃魔術の魔力に反応する形で起動し、どこから魔力が飛んできたのか、その方角と距離を逆算してくれる」

「ふぅん。ではやろうか」

これから苦しむ羽目になると言うのに、ステイルは平然としていた。
これが、今回の問題に対するプロの覚悟なのか。

ステイルは懐からルーンのカードを取り出し『占術円陣』の中心に踏み込み、魔術を使役した。
直後、絶叫が響き、人の倒れる音がした。

地面に倒れたステイルは動かない。
息はあるようだが、まともな体調ではないだろう。

土御門は、そんなステイルを気にも留めず、

「『占術円陣』に反応ありですたい。方角は北西、距離は三〇二メートルってところかにゃー」

土御門は携帯のGPS地図で、その場所を検索していく。

「……ステイルは、大丈夫なのか?」

「プロの魔術師なら、術的な攻撃には耐性がある。オリアナが仕掛けた術式は『妨害』がメインだし、命に別状はないはずだぜい」

ステイルが傷ついたのはある意味、魔術を満足に使えない土御門のせいでもある。
しかし、そこを責められるはずもない。
土御門のこめかみからは血が滴り、脇腹には血が滲んでいるからだ。
おそらく『占術円陣』のためだろう。
魔法陣を描いただけで、魔力を使わずに魔術が使えるなら、インデックスだって使えるはずだ。
しかし、インデックスが魔法陣による魔術など使ったところを見た事がない。
使えるなら、使うべき時は何回かあった。闇咲に襲撃された時、『法の書』事件の時。
その際に使わなかったという事は、魔法陣をちゃんと起動させるには、魔力が必要になるということだろう。

「お前は大丈夫なのか、土御門」

「大丈夫じゃない、とは言えない。ステイルが傷ついたのは、オレのせいだ。
 オレがちゃんと魔術を使えていれば、こんなことにはならなかった。
 だから、ステイルの捨て身に報いるまでは、弱音なんて吐く資格はない」

「……そうか」

もはや、何も言える事はなかった。

可能な限り外に騒ぎを漏らさない為、倒れたままのステイルをどうする事も出来なかった。
向かう場所は、とある中学校の校庭の真ん中。あと一〇分もしないうちに、そこで『玉入れ』がある。
既に競技の準備が終わっている競技場にどうやって潜り込むかを土御門から聞いて、上条は先に現場へ向かう。
土御門は、自身の傷の手当てがあるからだ。
競技が終わってからでは駄目だ。オリアナの迎撃術式は一般人にも牙を剥く可能性があるらしいからだ。

上条は競技場の近くで、泥の水たまりの上に寝て何回か転がる。
その間に、土御門も追い付いて、上条と同様に泥だらけになる。
これで、体操服はパッと見てどこの学校のデザインのものかは分からなくなった。

泥だらけの上条達は、次に裏門を見張っている警備員に話しかける。

「すみませーん!オレこれから競技なんすけど、この格好で出場しなきゃダメでしょうか!?」

「は、はぁ。まいったな。替えの体操服は用意していないのかね?」

「あるんすけど、部室の中です!」

「では早くしろ。競技まであと四分もないぞ。ああ、すまない。
 規則なので、一応IDを確かめさせてもらう。すぐ終わるから」

警備員はボールペンサイズの細長い円筒を取りだした。
円筒のてっぺんのボタンを押すと、側面から透明な画面が飛び出した。
掌を押し当てることで、指紋、静脈、生体電気信号パターンなどを読み取る、学園都市の簡易ID照合器だ。

「はーい、っと」

土御門は、軽い調子で返事をしながら、泥だらけの掌を押し当てる。

「ああ!なんかエラー出ちゃいました!」

「な、き、きちんと手を拭いてから使わんか!」

警備員は慌てて照合器を操作するが、泥を吸った読み取り部分はエラー音を出し続けるだけだ。

「くそ、今、正門の方から機材を回してもらうから……」

「時間がないっす!オレらこれから部室に向かって着替えてから入門上に向かうんすよ!?」

「……仕方ない。通りたまえ」

「ありがとーございまーす!」

こうして、上条達は堂々と裏門を潜った。

「さすが、嘘が上手いな。潜入方法は聞いていたけど、俺一人だったら、突破できなかったかもしれない」

上条は、おそらく着替えがあるだろう保健室に走る中、土御門を称賛する。

「カミやんは嘘が下手だからにゃー。IDの照合器を壊すのも躊躇いそうだし」

「そうだよ。アレ、いくらするんだろ」

「なーに、あとでイギリス清教にでも弁償させればいいんだにゃー」

飄々と言ってのける土御門に、苦笑いするしかない上条だった。

「よりにもよって、戦う相手が常盤台かよ……」

泥だらけの体操服から着替えて、選手入場のあとひっそりと中学生の群衆に紛れこんだ上条は、辟易したように言う。

「能力干渉レベルを総合するとホワイトハウスを攻略出来るって噂だし、こりゃ流れ弾にも気をつけなきゃいけないぜい」

ただでさえ状況は切迫しているのに、流れ弾にも気を配らないといけないのは大変だが、泣き言を言っている場合ではない。

「『速記原典』ってのは、単語帳のページなんだよな」

「確定ではないが、おそらくは」

「だったら、玉を入れる籠の支柱にでも貼りつけてあるのか」

「それが妥当なところだにゃー。
 玉はついさっきばら撒かれたらしいから、ステイルが迎撃術式にやられた時は、倉庫の中にあった。
 となると、倉庫の方に『占術円陣』の逆探知がいかないとおかしい。しかし、そうじゃなかった。
 つーわけで、単語帳のページが仕掛けられているのは、しばらく前からこの競技場に設置されていた籠の支柱の可能性が高い」

「あの籠はおそらく借り物。ここまで搬入してくる間に、こっそり仕掛けたってところか」

「だろうな」

なんてことを話している内に、位置について、という号令が発される。
いよいよ、この場にいない敵との戦いが始まる。

競技開始直後に、中央にある籠に向かって両校の生徒達が走っていく。
のだが。

「いきなりかよ!」

こちらの陣営をまとめて薙ぎ払うためか、常盤台の迎撃陣営から色取り取りの閃光が襲い掛かってくる。
上条はあるものを打ち消し、またあるものは避ける。
土御門も、魔術を使役したことによるダメージを感じさせないような軽やかな動きで閃光を回避するが、
大半の生徒は吹き飛ばされ、地面に着弾した閃光は衝撃波と砂埃を撒き散らす。
砂埃が舞わないように事前に散水してあるのだが、地面を抉り取る閃光には、まるで意味を成さない。
それだけの威力がある閃光に吹き飛ばされた生徒達はフラフラしているものの、目立った外傷はなかった。
どうも吹き飛ばしたのと同時に、常盤台の別の能力者達が『空気風船』(エアバッグ)や
『衝撃拡散』(ショックアブソーバ)などの防護系の能力を使役したらしい。
敵側の面倒まで見る世話好きのお嬢様達だ。
しかし、上条の右手はそんな心遣いを打ち消してしまうかもしれないし、
土御門は魔術を使役した時に出来た傷口が開いてしまうかもしれない。

「ちくしょう!フォロー入れてくれるぐらいなら、そもそも攻撃の威力を弱めてくれりゃあいいのに!」

「まったくだぜい。だが、嘆いている暇はない。二手に分かれて籠へ急ぐぞ!カミやんは右から、オレは左だ!」

横一直線に等間隔に並べられている一〇本の籠へ、上条は右、土御門は左から向かうが、
お嬢様達の猛攻は止まらないため、思ったように進む事は出来ない。
……そもそも玉入れとは、玉を多く入れる競技であって、相手に玉を入れさせない競技ではないのだが。
もっとも、そうでなければ能力ありの大覇星祭の醍醐味がなくなってしまうが。

大覇星祭では、借り物競走のように能力の使用制限はあっても、禁止はまずない。
今回の玉入れは能力使用の制限も緩いらしく、大抵の能力者は全力でやっている。
常盤台のお嬢様であってもそれは例外ではなく、猛攻は依然として続いていた。
この緩い制限の中で、制限が課せられるのは一部の第大能力者か超能力者ぐらいだろうが、常盤台には超能力者が二人もいる。
一人は心理掌握という、精神系能力者らしいのでそこまで気にする事はないが、もう一人の電撃ビリビリ娘は、バリバリ戦闘向きで厄介だ。

なんて事を考えながら、ようやく一番右端の籠の近くまでやってこられた。
三メートルはある籠の支柱を中心に周りながら下から上に、二往復ぐらい見る。
……ページらしきものは貼られていない。

お嬢様の攻撃を何とかやり過ごしながら、二本目、三本目と調べていくが、やはりページらしきものは貼られていない。
本当にページなんて貼ってあるのか。貼ってあるとして、それは支柱部分ではなく底や籠部分ではないのか。
籠に貼ってある、という前提だが、そもそもこの前提からして間違っているのではないか。
という不安が湧きでてくるが、今は残った籠を調べるしかない。

四本目の籠を調べるところに差しかかったところで、思わず立ち止まる。
籠の近くに、御坂がいる。
玉を籠に放り込むために、籠に近くにいるのは当たり前なのだが、籠にページが貼ってあったら、籠の近くにいることは危険なのだ。
学園都市ではベストセブンの強さを誇る超能力者であろうと、魔術には耐性がない。
御坂であろうと、危険は危険だ。

「……っ、アンタ、こんなところで何やってんのよ!」

御坂に存在を気付かれた。

「ちょっと野暮用で……」

釈明しながらも籠をよく見ると、板ガムサイズの単語帳のページらしきものが貼ってあるのが見えた。

「野暮用って何よ」

「御坂、そこから離れろ」

「はぁ?何言ってん――」

「いいから」

上条の静かな、しかしなまじ感情的ではないからこそ従わざるを得ないような指示に、御坂は籠から距離を取りながら、

「な、何よ。借り物競走の借りがあるからアレだけど、本来なら、高校生が紛れ込んでいることを運営委員に言ってもいいんだからね」

「あとで事情は説明する。だから今はそこでじっとしていてくれ」

そうして、上条が籠に近づこうとした、その時だった。
上条達が紛れ込んだ中学校の方から放たれた攻撃が、籠へ直撃して倒れ始めた。
普通にやっては敵わないから、籠から玉を出すためか、流れ弾が当たっただけなのか、
籠を倒すことによって競技の一時中断、または仕切り直しを狙ったのか、分からないが、とにかく籠は倒れ始めた。
御坂のいる軌道へ。

「御坂!」

「大丈夫だっつーの!」

御坂は籠に向かって手をかざす。

「ふんっ!」

掛け声と共に、倒れかけていた籠がピタリと止まる。
そのまま押し返して立てようとしても、また攻撃に晒されて倒れるかもしれないし、周辺には生徒がいるため無闇に倒しては危険だ、
と判断した御坂は、磁力を駆使して籠を数メートルの高さまで一旦持ち上げて、人のいないところへと放り投げた。

ズドン!という轟音と共に大地が少し揺れた。

「ふぅ」

一仕事終えた御坂が息を吐いている間に、上条は投げられた籠へと近づいて、衝撃の事実に直面した。
籠の支柱に張り付けられていた紙は、単語帳のページではなかった。
『野義中学校備品』と書かれている。

――なら、五本目!?

上条は踵を返して五本目の籠へ行こうとしたところで、ピーッ!という笛の音が鳴った。
競技一時中断の合図だ。

『皆さん、その場で動かないでください。トラブルがあったので、倒れた籠を起こしてから競技を再開します』

というアナウンスがあったが、知った事ではない、と上条は五本目の籠へと駆ける。
煙が巻き上がっているため、その煙に紛れ込みながら、五本目の籠へと巧みに近付き、

調べた結果、ページらしきものはなかった。

「……なんで」

土御門の方に当たりがあったのか。
土御門のところへ行って聞こうと思ったら、

「カミやん、ページは見つからなかったのか」

土御門が近くまで来ていた。

「なかった。その口振りだと、そっちも?」

「ああ。なかった」

なら、支柱に貼ってあるという考えが間違っていたのか。
と、

「ふ、吹寄さん!?」

よく知っているクラスメイトの名前を呼ぶ声は、四本目の籠の方から。
何があった?と上条と土御門は四本目の籠はある方を見やる。
煙は既に晴れているも、若干砂埃が舞う中、上条達の眼に映ったのは、

倒れている籠の側で、ぐったりとした様子で倒れている、吹寄制理だった。

「なん、だ?」

倒れている吹寄の周囲には、実行委員が二名いた。彼らはおそらく、籠を起こすための人員だろうが……。

「くそっ、やられた。カミやん、早く吹寄に触れるんだ!オレは救急車を呼ぶ!」

「まさか……」

「そうだ。やられたのさ。オリアナの『速記原典』に!」

「……くそっ!」

上条は、仲間の一人が倒れたことにより動揺している実行委員の間に割って入って、倒れている吹寄を抱き抱える。
直後に、幻想殺しが異能を打ち消した音が木霊するが、吹寄の体に力は戻らない。
上条の右手は異能を打ち消せても、異能によりダメージを受けたという結果までは打ち消せない。

「な、何だ、君は!?」

実行委員が何か言っていたが、上条には聞こえていなかった。
なんだ。どうしてこうなった。思い返せば、原因はすぐに分かった。自分の不注意で、吹寄は傷ついたのだ。

四本目の籠に近付こうとした時、籠の支柱には謎の貼り紙があるのが見えて、御坂が近くにいたから、離れるように促した。
その後、自分達が紛れ込んだ中学校の方から飛んできた攻撃によって籠は倒されようとして、しかし御坂の手によって籠は遠くへ放り投げられた。
その籠へ近付き、既に確認していた謎の貼り紙がページではなかったから、五本目の籠へ移った。
ここが間違いだった。
三六〇度から支柱を見た訳ではなく、一側面を見ただけで、ここにページはないと判断してしまった。
なまじ謎の貼り紙を確認していてからこそ、それをページだと思い込んでいて、しかし実際には違っていて。
そこまで調べたら、誰だって調べた気になるだろう。
謎の貼り紙さえ確認していなかったら、もっとちゃんと調べていただろうし、
籠が倒れていなかったら、見えない角度に存在していたページも見つけられただろう。
そう。これは、不幸の偶然が重なった、と言えなくもない。
しかしながら、注意さえすればどうにかなった問題でもある。
責任はやはり、自分にある。

上条は、吹寄をゆっくりと地面に降ろしてから、地面に伏せて支柱の裏側を見てみる。
『野義中学校備品』の貼り紙から正反対の位置に、ページは貼ってあった。

「くそったれが!」

上条は地面と支柱の隙間に右手を滑り込ませてページを乱暴に掴み取った後、支柱を思い切り叩いた。
びくり、と近くにいた実行委員が震える。

「ちょ、ちょっとアンタ……」

そんな中で上条に近付いていた御坂は、おそるおそる上条へ話しかける。しかし、上条は何の応答もしない。

「もしかして……」

「救急車は既に呼んである。アンタらは教職員を呼ぶのと救急隊員の誘導をやってくれ」

御坂の言葉は、上条のところへ接近していた土御門の、実行委員への指示によって遮られた。
土御門の登場は、本来なら誰だコイツ、となるが、突然の出来事に見た目は取り繕っていても、内心は動揺していた実行委員は、大人しく指示に従った。

「あ、あなたは、誰?」

実行委員が走り去る中、御坂は突然割って入ってきた金髪グラサンへ素性を尋ねるが、彼は無視して、

「カミやん。吹寄は冥土帰しがなんとかしてくれる。だから今は」

「分かってる」

支柱を思い切り叩いたせいか、赤く腫れるのを通り越して出血すらしている右手を固く握り締めて、上条は立ち上がる。

「ぶちのめす」

宣言する上条の阿修羅のような表情に少なからず怯んだ御坂は、金髪グラサンの素性とか、
今目の前で起こっている異常とか、そもそも何で少年がこんなところにいるのかとか、そんなものは全部吹っ飛んで、
何も言えなくなってしまった。
その間に、上条と土御門は競技場を後にする。

苦しい。
吹寄制理は朦朧とする意識の中で、そう思った。
どうしてこうなった。
二人の実行委員と籠を持った瞬間、突如として力が抜けた。
それからすごく苦しくなって、何故かは知らないが上条当麻に抱きかかえられた瞬間、ほんの少しだけ楽になった。
……どうしてこうなった。
体調は万全に整えてきた。
何回か競技はこなしてきたものの、アフターケアもしっかりしたから、日射病という線は薄いはず。
日射病になったことがあるから分かるが、実感としても、この苦しさは日射病とは違う気がする。
それに何より、

自分を抱きかかえてくれた上条当麻の表情が、ただの日射病に対するものとは思えなかった。

あの表情は、予想外の事が起きた、という感じだった。
しかしそれは、まったく予想外の出来事が起きて驚いているのではなくて、ある程度は予想していたものの、その予想を超えられた、という感じだった。
彼は、何かを知っていて。彼は、何かに後悔していた。
すごく知りたい。が、それ以上に、

――嫌、だな。

上条当麻が、残る大覇星祭の日程を、あんな表情で過ごし続けるかもしれない、と思うと、たまらなく嫌だ。
皆に楽しんでもらうために、自分は今まで運営委員としてやってきた。
それなのに、よりにもよって上条当麻が俯き続けるなんて、絶対に嫌だ。
たとえわがままだとしても。やっぱり、誰にとっても大成功であってほしい。
だから。

吹寄は、緊急外来の出入り口を抜けた後に、カエル顔の医者が見えた瞬間、担架の上で開口一番、かすれた声で、

「……大覇星祭を、成功させたいんです。特に、上条当麻には、楽しんでもらいたいんです。
 だから――私を、元気にさせてください」

吹寄のお願いに、カエル顔の医者は少しだけ微笑んで、一言だけ告げた。

「もちろんだね」

自律バスの整備場の地面に、ステイルは座りこんでいた。
先程から定期的に行き来するメンテ技師をやり過ごすために、この死角にじっと潜んでいる。
いつもなら『人払い』のルーンを使えばそれで済むのだが、今はそんな基本的な魔術すら使えない。

――少し切り札を失った程度で、このザマか。

ルーンのカードを防水加工(ラミネート)して無効化させないようにしたり、蜃気楼による回避術式を考案したりした。
しかしそれは、『切り札を奪われないようにする』努力であって、切り札を奪われてしまった状態で戦うことを想定した努力は怠ってきた気がする。
これだけの醜態をさらして、自分は今後『彼女』を守れるのだろうか。
今回は取引の阻止だが、狙いが『彼女』だったらと思うと、ぞっとする。

と、胸のところにある携帯電話が震えたことで、思考は途切れた。
取りだしてディスプレイを確認すると、土御門と表示されている。
ステイルは通話ボタンを押して携帯を耳に当てる。

『カミやんがオリアナの「速記原典」のページを破壊した。何か体調に変化はあるか?』

言われたところで実感がないので、ルーンのカードを一枚取り出して魔術を使用してみる。
全身に襲いかかる拒絶反応のようなものはない。

「……いける。問題はなさそうだ」

『そうか。ならオレが用意しておいた「理派四陣」で探索を頼むぜい。使い方は分かるよな?』

「みくびるなよ」

土御門が描いた円と四方を固める折り紙、この陰陽を用いた配置方式そのものは理解できないが、術式を起動させるのなら難しくない。

「しかし、そちらは大丈夫なのかい?オリアナの迎撃術式は競技場の真ん中に設置されていたんだろう?
 潜り込んだのなら、競技が終わるまでは不用意に抜け出せないんじゃないのか?」

『問題ないにゃー。オレ達はもう競技場の外にいるぜい』

「どうやって?」

『オレ達の目の前で、生徒達が一人やられちまった。そいつは重度の日射病ってことで病院に運び込まれた。
 その騒動に紛れて退場したって訳だ』

声が、いつものふざけた調子ではなかった。

「上条当麻は、荒れているか?」

『荒れているなんてモンじゃない。不用意に話しかけたら八つ当たりでぶん殴られそうなぐらいだ。
 つーわけで、そろそろ反撃に出たい。倒れちまった生徒さんにも、申し訳が立たないし』

それで通話は終了した。

人の行き交う大通りの真ん中で、オリアナは電光掲示板を見上げていた。
そこで報じられているニュースは、玉入れで急病人が出た、という非常に簡素なものだった。
あくまでも、表面上は。

「……これは、予想外の展開、かな」

呟いて、オリアナは電光掲示板から目を話して、歩き出す。
脇に挟んだ物へ、手の指を喰いこませながら。

やってしまった
>>511
生徒達が一人やられちまった→生徒が一人やられちまった

現状、書き溜めがvsオリアナ一戦目の途中なので、今回はここで投下を終了します

>>1です
完結してから投下しようと思っていたのですが、一区切りついたので投下します
誤字脱字については脳内補完しながら読んでいるのだと思いますが、どうしても分からない場合は、ここは何?と聞いてください
また、ここの日本語おかしくね?こっちの表現の方が的確じゃね?と思った時も指摘してください

>>505
「時間がないっす!オレらこれから部室に向かって着替えてから入門上に向かうんすよ!?」

正しくは

「時間がないっす!オレらこれから部室に向かって着替えてから入場門に向かうんすよ!?」
です

『オリアナは第七学区・地下鉄の二日駅近辺に居る』

理派四陣を起動してオリアナを捕捉したステイルの声は、スピーカーモードの土御門の携帯から。

「いくぞ!」

素人であるはずの上条が先導するように走り出す。
魔術を使った反動のダメージがあるとはいえ、プロである土御門が気を抜いたら置いていかれそうな速度で上条は走る。

『北方向へ動いているみたいだ。道は……三本に分かれているが、どれかはまだ』

「一番右の道だ!見つけた!」

上条の声に気付いたのか、二〇メートルほど先に居るオリアナは振り返って上条達の姿を確認すると、慌てて脇道へ逃げていく。

「逃がさねぇ!」

上条達も脇道に入っていく。いざ入ってみたら、脇道は短かった。
すぐに、表通りとは違って小規模のテナントばかりが並び、アーチ型のアーケードが備え付けられている閑散とした通りに出た。
横一直線に伸びる通りで、オリアナは左の道を走っていた。上条達も迷わず左へ走る。
直後に、後ろからやってきた自律バスに追い抜かれた。

「くそったれ!」

オリアナの近くにバス停がある。この局面で、バスで逃げられるとまずい。案の定、オリアナはバス停についているボタンを押す。
自律バスはバス停の前で止まり、オリアナは開いた自動ドアからバスの中へ。

「待ちやがれ!」

当然、そんなことでバスが止まるはずもなく、上条達とバスの距離はどんどん広がっていく。
今からタクシーを呼んだって間にあうわけないし、他のバスに乗って追跡というのも無理な話だ。
過ぎてしまったバス停のボタンを押しても止まりはしない。
運転手がいれば、バスの背後から両手を振って後を追いかければ気を利かせて止まる事もあるかもしれないが、生憎と追いかけているバスは自律バスだ。
ここで逃げられたところですべての決着がつく、というわけではないが、悔やんでも悔やみきれない。

「ちくしょう!」

「なあカミやん、あのバスって乗客いなかったよな?」

質問の意図がよく分からないが、土御門が無意味な質問をするとも思えない。
上条は、追い抜かれた時の一瞬の光景を思い出してみて、

「……多分、いなかった」

「多分?」

念を押してくる土御門に、上条は二秒だけ考えて、

「……いなかった。いなかったよ。多分、この近くで目玉競技でもあって、皆それを見るために降りたんだ」

よって、バスの中に乗客がいないという状況は充分あり得る。

「そういうこともあるな。よし、なら安心だ」

そう言って土御門は、未だに通話状態の携帯を耳に当てて、

「自律バスの整備場で、バスの側面にルーンを貼りつけていたよな?オーダーだ。
 車体番号5154577に貼りつけたカードを吹っ飛ばせ」

応答は迅速だった。

ゴバッ!と、自律バスの側面から勢いよく炎が噴いた。一秒遅れて車体がさらに爆発し、車体後部が横滑りした。
道路に対して真横になった自律バスは、そのままの勢いで横転。火ダルマとなった巨大な金属の塊が、地面を数メートルスライドする。

「あちゃー。電気カーかと思っていたが、どうやら天然ガスとかも使っているハイブリッドカーだったみたいだにゃー。
 念の為乗客確認しておいてよかったぜい」

「いや、そんなことより」

「まあ店の人間は皆出稼ぎ中だろうし、衛星や無人ヘリの目線はアーケードが塞いでくれている。
 騒ぎになる心配はない。ああ、バスの弁償もイギリス清教に押し付ければ良いから、気にする事はないぜい」

「何でそんな冷静なんだ!魔術師って言ったって、根本的には人間だろ!オリアナ死ぬぞ!」

上条の切羽詰まった発言に、土御門は鋭い眼光になって、

「いやいや、そりゃあプロを舐め過ぎってもんだぜい」

直後だった。燃え盛るバスから水の竜巻が発生して、一瞬で炎を鎮火させた。
鎮火のあと水の竜巻も消えてなくなり、そこから金髪碧眼の爆乳女が現れる。

「な?“あの程度”で倒れるほど、魔術師は甘くないんだよ」

土御門の言葉に同調するように、水の竜巻のせいか、全身をうっすらと濡らしたオリアナは、

「そうね。魔力を使い意思を通した炎ならともかく、ただの物理的な燃焼だけでは、お姉さんを熱くする事は難しいかな。 
 もっとも、少々焦って濡らしちゃったけど。見てみる?下着までびちゃびちゃだよ」

この期に及んで出てきた冗談に、上条は腸が煮えくり返そうになりながら、

「テメェが仕掛けた術式で、全然関係ない人間が倒れたぞ」

「あなたには言い訳にしか聞こえないと思うけど、お姉さんも、一般人を傷つけるつもりはなかったのよ?」

オリアナは単語帳の一ページを口で千切りながら、

「こういうのとは違って」

ガキン、とグラスとグラスの縁をぶつけたような、澄んだ音が響いた。
何だ?と上条が眉を顰めた時、

「がっ……!」

土御門が、悶絶するような声を上げて倒れた。

「土御門!」

上条は慌てて駆けよる。

「あら。てっきり怪我を負っているのはあなたの方だと思っていたけど……使い道を誤ってしまったかしら」

オリアナの唇にある単語帳の一ページには、青い筆記体で『Fire Symbol』とある。

「多少は耐性があるようだけど……それだけではお姉さんの手管には敵わないわよ?」

「テメェ!土御門に何をした!」

「再生と回復の象徴である火属性を青の字で打ち消しただけ。
 音を媒介に耳から体内へ潜り、一定以上の怪我を負った人間を昏倒させる術式よ。
 さっきの鈴の音が発動キーなのだけど……あなたは大して怪我をしていなかったようね」

オリアナの言葉を聞いて、上条は土御門の体を右手で撫でるが、何の変化もない。
というより、消しても即座に効果が復活しているようだ。
こちらの術式はステイルを襲った迎撃魔術とは違って、ページを潰さなければ効果が消えないようだ。
一定以上の傷がある人間を例外なく昏倒させる術式となると、土御門の怪我をある程度治さない限りは効果が消えないのだろう。
土御門を治すことは自分には出来ないから、出来る事は一刻も早くオリアナからページを奪う事だ。

上条は土御門を気にかけながらも、オリアナを睨みつける。

「お姉さんは目で犯される趣味はないのだけど」

言いながら、土御門の昏倒の原因であるページを風に乗せるように放る。
ページは風に流されて、どこかへ飛んでいく。

「テメェ!」

「彼はお姉さんが良いと言うまでずーっとお預けよ?彼はどこまで保つかしら?案外、短い方だったりして、ね?」

限界だった。怒りが振り切った上条は勢いよく走りだして二秒半でオリアナの懐に飛び込む。

「ふっ」

息を吐きだす音と共に、オリアナの脇に挟んである板が振るわれる。

「なに!?」

『刺突杭剣』が入っている板を武器として扱われると思わなかった上条は、脇の下から腰までの左半身を叩くカウンターをモロに受けて倒れる。

「うふ」

笑みと共に、丁度板の角が鳩尾を叩く軌道で板が振り下ろされる。

「――っ!」

上条は転がって振り下ろされた一撃を回避して、すぐさま立ち上がる。
ガン!と板が地面を叩いた音が響いた。喰らっていたら、最低でもヒビは入っていただろう。

しかしながら、解せない。
『刺突杭剣』が入っている板を、あそこまで容赦なく振りまわせる事が。一撃目はまだ分かる。
不意打ちとして機能したし、仮に避けられたとしても空を切るだけだから、板は傷つかない。
だが二撃目は、威力こそは及第点だろうがスピードはそれほど速くない。
事実避ける事が出来たし、避けられたことによって板は傷ついたはずだ。
常識的に考えて、取引の物品を傷つける覚悟で武器として使うだろうか。
まさか、絶対に避けられない、と思っていた訳ではあるまい。
一撃目はクリーンヒットしたところで、致命傷どころか大ダメージにすらならない。
とすれば、地面に倒れてしまったところで二撃目は避けられないどころか、避けられる可能性の方が高いと考えてもいいくらいだ。
もちろん、あの板丸々『刺突杭剣』というわけではないだろう。
おそらく本体は、『刺突杭剣』の形がくり抜かれた長方形の木製の板か何かに嵌めこんで、布でぐるぐる巻きに包んでいるのだろう。
つまり、板の角が傷ついたって『刺突杭剣』自体は無事なわけだ。
ガラスなどで出来ている訳でもないはずだから、少々振りまわしたところで破損することもない。
だが、だとしても、取引に扱う物品を武器に使うなど、やっぱりおかしい。
厳重に包装されている『金』を誰かに届けることがあったとして、
どうせ『金』は傷つかないから少々乱暴に扱っても届けさえすれば大丈夫だ。と思う奴はいないはずだ。
普通は、とにかく無事に届ける。最悪地面に落としたりても大丈夫。と保守的に考えるくらいだろう。
それ以前に、そもそも、板を武器として使用する事自体おかしい。
たとえば、取引の品が拳銃などの武器で、その取引を妨害する奴らに追い詰められて、手持ちは何もなかったから、
やむを得ず取引に使う武器を使用した、というならまだ分かる。
しかし、オリアナは違う。
中身の『刺突杭剣』を取り出して扱うならまだしも、そのまま板として使うのは使い勝手が悪すぎる。
なぜなら、板の角を急所に当てるなどしない限り致命傷を与えるのは難しいし、攻撃範囲は及第点だとしても、スピードが足りないからだ。
それにオリアナは、自分達に追いつかれはしたものの追い詰められた訳ではない。
現に土御門の動きは現在進行形で封じているし、オリアナ自身傷ついている訳でも、極端に弱っている訳でもない。
むしろ、余裕さえ感じられる。
つまるところ、オリアナが板を武器として使用するのは、あまりにもおかしい。
となると、考えられる可能性は二つ。
一つは、オリアナは、取引さえ成功すれば過程はどうでもいいと考えるような人間という可能性だ。

「どうしたの?攻めてこないの?
 日本では草食系男子とかいう言葉があって、それが流行っていると聞いたけど、あなたもそれなのかしら?
 だったら、こちらから攻めようかしら」

言ってオリアナは、単語帳のページを口で千切る。
直後、彼女の左手に黒い剣のようなものが握られる。

「これは影の剣だけど、剣と言っても致命傷になるものではないから、安心していいわよ?」

振るわれた左手の剣は一気に七メートルほど伸びて、上条の足下の影へ。
上条はそれに対して右手を、突き出すのではなく、屈んで自身の影に触れる。
影の剣は上条の影に刺さって――幻想殺しが異能を打ち消す音を響き渡らせただけだった。

「……んー?」

ほんのわずかに眉を顰めたオリアナは、続いて火の玉を飛ばす。
不規則に揺れて向かってくる火の玉を、上条はオリアナの方へ前進しつつ回避する。
しかし、火の玉には追尾機能がある。
素通りされた上条の背後で一瞬だけ動きを止めた後、彼の背中へ一直線に向かって行く。
完全に不意打ちであるはずの火の玉へ、上条は走りながら振り返りもせず裏拳を振るう。
まるで背中に目でもついているような、図ったようなタイミングで振るわれた裏拳は火の玉へ直撃。
瞬間、火の玉は煙すら残さず消え去った。

――この坊や!

勢いを緩めず向ってくる上条へ、オリアナは咄嗟に板を右から左へスイングする。
上条はその直前にジャンプしながら体を反時計回りに回していて、

上条の回転飛び蹴りが、板と真っ向からぶつかった。

「くっ」

蹴りの威力に握力が耐えられなかったオリアナの手から板が放たれ、地面を二メートルほどスライドする。

「おらぁ!」

間髪いれずに、上条は右拳をオリアナの顔面に向かって放つ。
オリアナは顔を左へ振ることによってそれを回避し、
先の衝撃でまだビリビリしている左手で空を切った上条の右腕を掴みぐいっと引っ張って、右手で胸倉を掴み、

「ジャパニーズ式、一本背負いー」

ふざけた掛け声と共に上条の体が宙に浮いて、直後にはアスファルトへ背中から思い切り叩きつけられていた。

「ごっ……がぁ……」

肺からすべての息が吐き出された。
呼吸が困難になり、激痛で悶えることすらできない。

「あむ」

単語帳の一ページが口で千切られる。
直撃した者の意識を奪う風の槍『昏睡の風』(ドロップレスト)が、至近距離で倒れている上条へ放たれる。
これで終わりだ、とオリアナは確信していたが、

翳された右手に『昏睡の風』の先端が触れた途端、甲高い音と共にかき消された。

「……なんなのかしら」

ここへきて。
オリアナは『表裏の騒静』が破壊された時のことと、影の剣、火の玉、『昏睡の風』が悉く、
おそらくは無効化されたことについてしっかりと考えるため、後退して上条から距離を取る。
その間に上条はゆっくりと立ち上がり、息を整えつつオリアナを見据える。

「言ったはずよ。お姉さんは目で犯される趣味はないって」

冗談を言いながらオリアナは思考する。
少年は魔術をどこまで無効化できるのか。
今までの魔術はいわば牽制用。
一般人を殺す趣味はないので、強力なものを使うつもりはなかったが……。

「動くと死ぬわよ」

オリアナがページを噛みちぎった直後、彼女を中心として円陣が描かれ、その外周から四方八方へレンガ敷きのような巨大な紋様が広がる。
紋様は上条の立っているところを追い越して地面を駆け巡るが、

上条が屈んで紋様の一端に触れただけで、連動するように紋様の全てがかき消える。

――なるほど、ね。

『明色の切断斧』(ブレードクレーター)が打ち消されたとなると、自分の手持ちの魔術はほぼ打ち消されるだろう。
と、アスファルトに背中から叩きつけられた事を思わせないような勢いで、少年が向かってくる。

「回復早いわね。でもお姉さん、元気な男の子は嫌いじゃないけど、がっつきすぎるのはあまり好きじゃないかな」

「うるせークソビッチ!」

上条の拳による猛ラッシュを、オリアナは時にいなし、時に避けつつ後退する。
拳は見切れるし当たる気はしないが、作戦を練っている余裕まではない。

「ヒドいなあ。お姉さんは一途だよ?」

気を付けていれば、拳が当たる事はない。
だが逆に言えば、気をつけていなければ拳は当たってしまう。
おそらく体術はほぼ互角。
こちらには魔術があるが、少年側も(おそらく)魔術を無効化する能力がある。
魔術はアドバンテージにはならない。しかし、それは少年側も同じ事。
敵を知るために学園都市について調べてきた。
学園都市の能力者は、能力を二つ以上は使えないらしい。
無効化という能力がある以上、炎を出したりなどはできないはずだ。
つまるところ、この戦いはどちらの格闘術が上かによって勝敗が決まる。

「女性の命である顔面を狙ってくるなんて容赦ないわね」

「知ったこっちゃねぇよ!嫌だったら土御門を治して取引諦めて学園都市から出て行け!」

「それはできないわね――っつ」

右足の爪先に、痛みが走った。

「ガンガン突くだけじゃないのね。危ないところだったわ」

「チッ!」

上条の、踏みつけによってオリアナを地面に縫いとめる一撃は、彼女が足を引く事によってかする程度に留まった。
プロであるオリアナにとって、この程度の奇襲は想像の範囲内だ。
それでも完全に避けきることができなかったのは、上条の攻撃がそれだけ速いということだ。

――評価を改めないといけないかしらね。

受け流していればその内向こうの体力が切れて反撃する機会が訪れると考えていたが、このままだとちょっとした拍子に足を掬われるかもしれない。
などと考えながら顔面狙いの拳を、顔を左に振ることで避けるが、

「――っ!?」

ぴたり、と右拳が丁度顔面の真横で止まり、直後に止められた拳はそのまま横へ振るわれた。
突然の出来事にガードすら出来なかったオリアナは、拳をモロに喰らって体を傾げる。

「あ……ぐ……」

それでもオリアナは踏ん張って倒れる事はなかったが、その間にも左脚を軸にして放たれた上条の回し蹴りが、顔面に向かってくる。

今度はギリギリで両腕クロスガードを敷きクリーンヒットだけは免れるも、蹴られた衝撃で後方へ数歩ふらつく。
そこへさらに追い打ちのようにやってきた飛び蹴りを何とかガードするも、
あまりの威力にふらつくどころか足が地面から離れて数メートル後方へ飛ばされる。
足が再び地につきスライドする前に、街路樹に激突して息が強引に吐き出される。
作業服の第二ボタンしか留めていないが、その第二ボタンが弾け飛ぶ。
一気に決めに来る上条へ、オリアナは魔術を行使する。
オリアナの眼前に直径三メートルはある火の玉が出現し、直後に爆発する。
爆発と言っても、辺りに爆風がまき散らされるのではなく、上条の方向にだけ幾千もの火の槍が扇状に飛んでいくモノだ。
猪突猛進の上条は、今更方向転換も出来ないし爆発からの距離も短かったため、完全に避けきるのは不可能だと判断して、
火の槍を幻想殺しで消せるだけ消して数発の直撃には構わず進み、オリアナへ右拳を放つ。
ダメージを受けつつも構わず進んできたのが予想外だったのか、オリアナは驚愕の表情を浮かべたが、
きっちりと拳を避けつつ、反撃の蹴りを脇腹に喰らわせる。
蹴りの手ごたえは確かにあった。しかし、

「っ、放しなさい!」

しっかりと足を掴まれたオリアナは、足を降ろす事が出来なくなる。
仕方ないので、切り替えて単語帳を口に持っていく。
その間に上条はオリアナの足を掴んだままジャンプして、彼女の足を軸に自身の四肢を器用に絡めて締めつける。
オリアナはバランスを崩して仰向けに倒れ伏す。

「こん、のっ!」

足4の字固めをかけられた形になったオリアナは、この状況から抜け出すためにページを噛みちぎる。
火の槍を受けたことと、何かと言えば右手をかざしていた事を考えると、魔術無効化は右手にしかないと思える。
よって、右手に触れない魔術はおそらく有効。

地面から吹き荒れる突風により、オリアナと彼女の足を締めつけている上条が数メートルほど宙に浮く。

「エッチなあなたにはお仕置きよ!」

上条という重りがあるにもかかわらず、オリアナは上条が絡んでいる足を真上に上げる。
落下最中に振り下ろして街路樹に叩きつけようとするが、上条はあっさりと締め付けを解き、右拳を放つ。
オリアナも、自由になった方とは逆の足を振るってキックを繰り出す。
リーチ的にはオリアナの方に分があったが、攻撃が早かったのは上条の方だ。
つまり、上条とオリアナの攻撃は空中で互いに交差し、直撃した。
二人はバランスを崩して受け身も取れずに地面に落ちる。
激痛に悶えた後の復活が早かったのは上条の方だったが、攻撃の選択肢が多いのはオリアナの方である。
上条がオリアナへ拳を放つより先に、オリアナが倒れたままページを口で千切って魔術を発動させる。
上条の足下から数本の石柱が発生し、彼の体を叩いた。
石柱は役目を終えた後、上条の右手に触れる前に勝手に消える。
しかし、それでも上条は倒れない。

「まだお姉さんと続けたいの……?」

「ああ、テメェが倒れるまでは、な」

今回の仕事上、これ以上少年に付き合うのは得策ではないと判断したオリアナは、逃走用の御魔術を発動する。
魔術によって発生した風は、オリアナを包みその辺の建物の屋上へと届ける。

「待ち、やがれ……!土御門にかかっている術式は……」

「術式の効果は二〇分。あとは自動的に切れるわよ」

そうしてオリアナは、屋上を伝ってどこかへ行ってしまった。

オリアナが『刺突杭剣』を置き去った時点で『二つ目の可能性』が現実味を帯びてきた。
土御門は時間が経過するまでどうしようもないので、板の包帯を解いてみる。

結果、ただの看板だった。

「……」

この可能性は考えていたが、ショックは大きかった。
オリアナが無遠慮に板を振るえた二つ目の可能性。
そもそも板には『刺突杭剣』が入っていない、だ。
オリアナが『刺突杭剣』を持って歩いている時点で違和感はあった。
『刺突杭剣』を持って歩いている意味が分からなかったからだ。
どう考えたって、取引の時間まで屋内で待機していた方がいい。
それなのにオリアナが歩き回る理由は、

――オリアナは囮……?

リドヴィアが本物の『刺突杭剣』をどこかで取引しようとしているのか。
とりあえず上条は、うずくまっている土御門へ自分が考えている事を報告する。
しかしながら、土御門に何かを考える余裕はなく、上条にステイルへ連絡するよう促す。
上条の携帯にステイルの番号は記録されていないから、土御門が自分の携帯を操作して上条に渡す。

「もしもし」

『あれ、おかしいな。僕の携帯の表示は土御門なんだが』

「土御門から携帯を借りた」

『そういうことか。まあ、いい。ちょうど僕も君達に連絡をしようと思っていたところだ』

「連絡?」

『ああ。イギリス清教から連絡があってね。
 取引の品が『刺突杭剣』じゃない、というより、そもそも取引自体初めからない、ということが判明したことをね』

「何だって!?」

『声を荒げるな、うるさい。詳しくは自律バスの整備場の近くのオープンカフェで話そう』

それだけ言われて、通話は一方的に切れた。

オリアナは臨時に設けられているクロークセンターで着替えを受け取った後、適当な脇道で着替え始めた。
看板がない今、作業服は少し目立つからだ。
オリアナは勝負服に着替えつつも、リドヴィアと魔術による通信をする。

『何の報告ですか?毎回毎回異なる通信方式で連絡を入れられると、受けるこちらの苦労も増えるのですが』

「悪いけど、これはお姉さんのポリシーみたいなものだから、譲れないかな」

オリアナは一度使った魔術は使わない、という自分ルールを課している。
もっとも、彼女が使う『速記原典』は色、名前、角度、数秘的分解を取り入れていて、
組み合わせは乱数的になり、厳密には二度同じ魔術は使えないのだが。

「とりあえず第一段階が終わったから、その連絡だけ。道中色々あったけど、一応チェックポイントは全部済ましてあるわ」

『色々というのは、どのようなもので?』

「いやん、エッチ」

『ふざけているなら切りますので』

「ああ、待って。ちょっとした冗談じゃない」

オリアナが慌てて止めると、リドヴィアは数秒沈黙したのちに、

『で、色々というのは?』

「男の子に蹴られたり顔ぶん殴られたり服のボタン壊されておっぱい見られたり」

『……修道女にあるまじき発言なので』

「事実なんだから仕方ないじゃない」

リドヴィアは溜息をついたのち、

『それで、ダメージの方は?』

「はっきり言って、なかなかかな。看板も奪われちゃったしね」

『あの、それは』

「たった一戦で、色々な術式を使っちゃった。温存しておきたかった奴もあったんだけどね。
 まあ、それだけの敵に巡り合えたってポジティブに考えるよう努めるけど。あなたのように、ね」

『あの、ですから』

「大丈夫。ダミーがばれたところで今回の仕事は失敗、というわけではないもの。
 今回の仕事は何が何でも達成する。皆が幸せになるなら、ね」

土御門をおんぶしてステイルと合流するころには、土御門にかかっていた昏倒術式も解けていた。
ステイルは上条におんぶされている土御門を見て、

「やれやれ、揃いも揃って素人におんぶに抱っこか。僕達もまだまだだね」

「ぐぅの音も出ないにゃー」

土御門は上条の背中から降りて、

「だからまあ、恩を返していこう。オレはその内に、ステイルは今だ。カミやんの火傷を治してほしい」

「ステイルってそんなことできるのか?」

「僕が治癒できるのは火傷限定だけどね」

「こんな目立つところでは治療は出来ない。脇道にいくぞ」


上条の治療が終わり、三人はオープンカフェの席に着く。
まずはステイルが切り出した。

「『使徒十字』(クローチェディピエトロ)。こっちの言葉ではペテロの十字架、と言ったところか」

「平たく言うとペテロの墓に立てられた十字架だな」

土御門は上条の治療中にイギリス清教からの連絡に目を通していたらしく、今の状況をきちんと理解しているようだった。

「どんな効果があるんだ」

「『使徒十字』を立てたエリアは、もれなくローマ正教の支配下に置かれる。それがこの学園都市であっても例外ではない」

「支配……」

というのはどういうことだろうか。
上条が尋ねる前に、ステイルが喋る。

「『使徒十字』による支配とは、『使徒十字』が立てられたところには指向性のある魔力が充満して、
 常にローマ正教にとって都合よく話が進むようになる。ということだ。
 そこでローマ正教徒がギャンブルをやり続ければ、不自然に勝ち続ける、と言った具合にね。これがどういうことか分かるか?」

「ローマ正教徒が勝つ続ける裏で、ギャンブルで負けて苦汁を味わう人間が出てくる……?」

「そうだね。しかも『使徒十字』はそれだけで終わらない。
 タチの悪い事に、負けた側の人間も『ギャンブルで負けて良かった』と思うようになってしまう」

「……何だよ、それ」

それでは『何かが起きたから幸せ』ではなく、『たとえ何が起こっても幸せだと感じる』ようになっているだけだ。
そんなのはただの錯覚だ。

「現状、科学サイドと魔術サイドのパワーバランスは均衡だが、『使徒十字』により学園都市がローマ正教に支配されたら、
 均衡は崩れ世界は魔術サイド、というよりローマ正教一色になるだろうな」

「今回の事件は『刺突杭剣』の取引ではなく、ローマ正教が『使徒十字』によって学園都市を支配できるかどうか。
 つまり、取引相手なんか最初からいなかった。どうりで取引相手については影も形もつかめなかった訳だぜい」

「このままだと学園都市は支配されてしまう。
 だから、止めるよ。と言いたいところだが、上条当麻に今一度確認しておく。
 そこまでボロボロにされて身に沁みて分かったと思うが、下手をすれば命を落とすかもしれない。
 それでもやるかい?」

心配してくれているとは思えなかった。
多分これ“も”、自分が死ねばインデックスが悲しむかもしれない、と配慮しての事だろう。
『法の書』事件の時、自分が死ぬ可能性が高い事を考えて、オルソラを助けに行くのをやたらと止めてきたし、
説得が失敗と見るや、インデックスを巻き込みたいはずがないのに、
せめて彼女の意思を尊重して、彼女を連れて行かせたくない自分を説得した。
結局、ステイル=マグヌスという男は徹頭徹尾インデックスのことしか考えていないのだろう。
それが分かった上で、告げる。

「やるよ。やらせてくれ。絶対に足は引っ張らないし、死にもしない。しぶとさには自信があるし」

「残念だったな、ステイル」

残念と言うからには、土御門もステイルの信念を分かっているのか。

「ふん、仕方ない」

と言いつつも、ステイルは少しだけ微笑んでいた。

時刻は一三時過ぎ。
上条刀夜と詩菜、竜神乙姫の三人は街を歩いていた。

「さて、と。少し遅くなってしまったがお昼御飯の場所取りをしよう」

学生と親に一般開放による客がごった返す大覇星祭期間中では、お昼御飯一つをとっても場所取りが必要なのである。
しかし詩菜にはそんなことより気になる事があった。

「……どうも、さっきから当麻さんの姿が見えないような気がしてならないのだけど」

「それは私も思っていたんだが……乙姫ちゃんは何か知らないか」

「うーん、おにいちゃんのことだから、どこかで人助けでもしているんじゃないの」

下手な遅刻の言い訳じゃないんだから、と普通なら思うだろうが、こと息子なら充分あり得る事だ。
そんな雑談をしながら昼御飯を食べる場所を探していると、

「もしかして美琴ちゃん、パパが来られなくてムクれてる?」

「別に。今ロンドンにいるんでしょ。だったら、無理して来られたって嬉しくないし」

開会式前に出会った女子大生――ではなく彼女の探し人であった美琴とやらの母親である御坂美鈴と、彼女の娘が会話しているのが見えた。
女子大生に見える人間が一児の母親だと知ったのは、息子と従妹と美鈴の娘が会話している最中に、いろいろと雑談したからだ。

「うんうん。その不機嫌そうな声を聞いたら、パパ喜ぶんじゃないかな。
 こんなにも娘に思われているんだって。でもー、美琴ちゃんにとっては好都合だったかもねー」

「どういう意味よ?」

「だって美琴ちゃん、好きな男の子がいるんでしょ?これ聞いたらパパきっと面白い反応見せてくれるわよ」

「ぶっ!?」

御坂はいきなり噴き出した後、顔を真っ赤にして、

「ど、どこからそんな話出てきた!?」

「どこからって、開会式前に黒いツンツン頭の男の子と一緒に歩いているところから」

「私が男子と一緒に歩いていたら、その男子の事好きだって飛躍しすぎでしょーが!」

「えー、違うのーん?常盤台って女子校よね。普段から男の子とは関わり合いにならないし、関わる機会もない。
 だったら、男の子と一緒に歩いているっていうだけでも結構なことだと思うけど」

「そ、そうかもしんないけど、だからと言って私がアイツの事を好きだと結びつけるのは……!」

「根拠はそれだけじゃないのよーん。
 あの男の子の従妹が紛れ込んでからの会話は大きかったから全部聞こえていたけど、
 その時の様子からして美琴ちゃんったら、恋する乙女になってたもんねー」

「な、何よそれ!結局アンタの感覚の問題じゃない!」

「そうだよー。でもー、恋をしている女の子の様子は、おんなじように恋をして結婚した私には分かるんだなーこれが。
 ましてや、私は美琴ちゃんの母親だよ?娘の機微が分からないはずがないじゃない」

最後の一文はもっとシリアスな場面で言ってくれた台詞なら感動できたかもしれないのに、
今は自分をからかうための材料にしているからムカつきしか感じない、と御坂は前髪から電撃を漏らしながら思う。
そして娘の機微が分かるなら、これ以上そのお喋りな口開くのやめろやと思っているのも分かっているはずだが、美鈴は止まらない。

「今夜、競技が終わった後にナイトパレードがあるみたいだけどどうするのよ。
 もしかしてその電撃を上手く使って二人だけのイルミネーション♡とか演出するつもり?」

「ば、ばっかじゃないの!?アンタのセンスって最悪ね!」

と、そんな母娘の会話劇を眺めていた上条夫妻と乙姫の存在に気付いた美鈴の方が、娘を連れて近付いてきて、

「あー!さっきはどうもありがとうございました。おかげでこの通り、美琴とも合流する事が出来まして」

「いえいえ。私達は何もやっていませんよ」

御坂は美鈴の袖を引っ張る。
「この人達ってどちら様?」という無言のメッセージを受け取った美鈴は答える。

「この人達はね、美琴ちゃんが気になっている男の子の親御さんだよー。ほら美琴ちゃん、アピールアピール!」

「うるさい黙れ!ていうかいい加減美琴ちゃん言うの辞めろ!」

叫びながら御坂は思う。そう言えば開会式前に母がこの人達と一緒にいるのを見た。
そして乙姫とかいう従妹が加わってからの会話は全部聞こえていたという。
ということは……、

バチバチバチバチ、と静かに漏電しながら萎れていく御坂に、母親は構わずに、

「昼食はもうお済みですか?よろしければ私達とご一緒しません?小さな喫茶店を見つけたんですよ」

今のところ詩菜が作ってきてくれた弁当を食べる場所は見つけていない。
飲食店に弁当を持ちこんで食べるのは、場所不足になる大覇星祭期間中では咎められない。
よって、特に断る理由もないため、

「こちらはあと一名増える予定ですが、それでもいいのなら」

「むしろ好都合ですよ。ねー美琴ちゃん」

美琴ちゃんと呼ぶのを――おそらくはちゃん付けを辞めろという直談判はまるで通じていなかったらしい。

「母さんもそう言う事でいいよね、って、母さんがまたものすごい顔になっている……」

振り返ると心の底からがっかりした顔の詩菜がいて、刀夜は少しひるむ。

「もう、刀夜さんったらいつもこんなのばっかり。私にどうしてほしいのかしら。バスケットごとお弁当を投げつけてほしいのかしら。
 あらあら。可哀想に、まったく関係ない当麻さんや乙姫ちゃんまでお昼ご飯抜きになっちゃうわよ?」

何でキレてんのー!?と刀夜は思わず数歩後ずさる。
そりゃあちょっと転んだ拍子に相手方の胸を揉んでしまったとかなら分かるが、この程度の雑談でここまで嫉妬されても困る。
反面、裏を返せばそれだけ愛されているということだから、嬉しい事は嬉しいが。
と、刀夜は誰かとぶつかった。

「うわっと!す、すみません!」

すぐさま振り返って頭を下げた刀夜の目に飛び込んで来たのは、白い肌の大きな胸だった。
近距離だった為、まるで胸を覗きこむような姿勢になってしまっている。
胸元から鼻先までの距離、約四ミリ。ヤバい!と、刀夜は即座に頭を上げる。

「ほ、本当に申し訳ありません!うああー、一方その頃真後ろから迫りくる母さんの視線が痛い~……」

おそらくものすごいことになっているだろう背後の様子を確かめる度胸がないので、刀夜は改めて正面に居る女性と目を合わせる。

「いえいえ。こちらこそごめんなさい。こういった人混みには慣れていなくて」

変則的な金の巻髪に碧眼、白い肌に西洋系の顔立ち、スタイルは抜群の女性だった。

「お姉さんなら気にしていないから大丈夫――と言いたいところですけど、年下風情が『お姉さん』はありませんよね」

では、と告げて女性は去っていく。人混みの中へと、溶けていくように消える。
あれほど際立つ容姿と、むせ返るような色気を纏わりつかせておきながら。まるで、誰にも気付かれないように。
刀夜は、しばらく金髪の女性が消えていった方角を眺めていたが、

「あらいやだ。刀夜さんたら、そんなに私に夜空のお星様に変えてほしいのかしら?」

「い、いや母さん、違うんだよ。
 私は決してあの女性に見惚れていたとかそういう訳ではなくだからそのつまりあれだ色々とごめんなさいでしたーっ!」

言い訳が途中から謝罪に切り替わっている刀夜を見て、御坂は誰にも聞こえないような小声でつぶやいた。

「(息子と違って、父親はダメダメそう……)」

そんな風に、彼らが他愛のない時間を過ごす中、事態は進んでいく。
安全な傍観者など一人もいない、常に危険をはらむ当事者達しかいないこの街で、
大覇星祭はさらなる盛り上がりを見せていく。

書き溜めはここまでなので、これで今回の投下は終了です。

原作の扉絵みたいな次回予告をやっているSSがありますが、それがやりたいのでやってみます。

「刀夜さん、私……」
上条当麻の母親――上条詩菜

「大丈夫だ。当麻は、約束は絶対に守る男なんだから」
上条当麻の父親――上条刀夜

「そりゃあ私だって本当は……でも、おにいちゃんにとって『それ』が幸せだと言うのなら、私には止められない」
上条当麻の従妹――竜神乙姫

乙です
次回予告の空白は1行より4、5行くらい空けた方がそれっぽく見えると思いますです

>>1です
>>531
自分も次回予告レス投下してから、なんか味気ないなと思いましたので、今回は5行ほど空けてみます

オリアナとリドヴィアの目的は分かった。だからと言って、やることは変わらない。
理想はオリアナを捕獲してリドヴィアの潜伏先を聞くことだが、

「『追跡封じ』の異名を持つオリアナと馬鹿みたいに追跡戦をしたって仕方ない。
 わざわざ敵の得意分野に合わせる必要はない」

「じゃあ、どうすんだよ」

「『使徒十字』によって学園都市の支配をしたいのなら、さっさとやるべきだろう?
 だが現状、されていない。なぜか。おそらく複雑な使用条件でもあるんだろう」

「その『使用条件』が分かれば、こっちが先回り出来るかもしれない。霊装の調査はさすがにカミやんにはできない。
 調査が終わるまで、家族とランチでもしたほうがいいにゃー」

「ランチって言われてもな……」

学園都市の危機に呑気にランチする気にはなれない。
仮にするとしても、服装は着替えで何とかなるとして、競技に出てない事や、傷の言い訳をどうするかという問題がある。
親や従妹に下手な嘘なんて、必ずばれてしまう。
その旨を言ってみると、

「無理して家族とランチしろとは言わないが、何かしらお腹の中に入れたおいたほうがいいぜい。
 いざという時にしっかりと全力を出し切ってもらうためにも」

「分かったよ。なら、俺はどこに待機していた方がいい?」

「どこでもいいぜい。必要になったら連絡入れるし」

方針は決まった。

小さな喫茶店で御坂親娘と一緒に上条が来るまで談笑していた時だった。
ポケットの中のマナーモードの携帯が震えた。取り出して見ると、表示には『当麻』とある。

「もしもし、どうした、当麻」

『もう昼御飯の場所取りは終わった?』

「ああ、終わったぞ。お前の知り合いの美琴ちゃんとその親御さんとも一緒だ」

『御坂の事か?』

「ああ」

『……そうか。悪いんだけど、そっちにいけそうもない』

「……なぜだ?」

『詳しくは言えない。もう気付いていると思うけど、競技に出ていないのも「それ」が理由だ』

「……そうか。では、一つだけ確認させてくれ。当麻にとって『それ』は、競技に出る事よりも大切でやりたいことなんだな?」

『うん』

「危険は伴うか?」

『伴わない、とは言えない。けど、俺は大丈夫だから。約束する』

「……分かった」

そう言って、刀夜は通話を切った。

「すみません。どうやら息子、ここには来られないようです」

まずは御坂親娘に釈明する。

「いえいえ、そんな。でも美琴ちゃんは残念ねー」

などと息を吐くように娘をからかう美鈴だったが、何の反応もない。
いつもなら二言以上で言い返してきそうなものなので、どうした?と娘の顔を見やると、何やら考え込んでいるようだった。

「どうしたの?美琴ちゃん」

「……別に」

少なくともからかいなんて気にならないくらい、何かを気にかけている。
こうなったのは、上条当麻が来られないという電話がきっかけだ。
でも、少年が来られないのがショックで言い返す元気もない、という訳ではないのは分かる。
娘が押し黙っているのは、そういう理由ではないのは分かる。が、何を思っているかまでは分からない。
いや、何も娘だけではない。全員が全員、異様に気分が落ちている。
単に息子や従兄と御飯が食べられないから、という理由ではなさそうだ。

「刀夜さん、私……」

何だか切な気な詩菜は、隣に座っている刀夜にしなだれかかる。

「当麻は大丈夫だと言った。ならば大丈夫さ。当麻は、約束は絶対に守る男なんだから」

刀夜は詩菜の肩を優しく抱く。
何やら重苦しい雰囲気になっているのを、美鈴は打ち破る事が出来なかった。
結局、楽しいはずのランチが味気なかったのは言うまでもなかった。

土御門から連絡が来るまですることがない。
そのため土御門達が『使徒十字』について調査している間に、独力でオリアナを探した方が並行作業になっていいかとも考えたが、
土御門の言う通り、逃げるのが得意なやつを何の策もなく追いかけるのは無駄だと思う方が勝った。
それに、オリアナが囮という可能性もある。
リドヴィアに至っては影も形も掴めない――おそらくどこかに待機しているからだろうが、
オリアナは待機をせずにわざわざ学園都市を歩き回っている事を考えると、やはり囮の可能性は高いのではないか。
そう考えて、ここは大人しく土御門の連絡を待っている。
だが、ただただ待つだけなのも勿体ないと思うので、吹寄が入院している――つまりは、冥土帰しがいる病院へ。
目的は吹寄のお見舞いと謝罪だ。あの医者なら、吹寄の治療はとっくに終わらせているだろう。
その考えは正しかったようで、吹寄への面会はあっさりと許可された。

「上条……?」

突然の訪問に、吹寄は面食らったようだった。
体調は悪くなさそうだ。

「どうしたのよ、その傷……」

吹寄の言葉には返答せず、上条は頭を下げて、

「すまなかった。俺のせいで、吹寄が傷ついちまった」

「俺の、せい……?」

ということは、

「私は、日射病で倒れたわけじゃないのね」

「ああ」

「なら、私は何で倒れたの?」

超能力が起因しているとは、何となく思えない。
何か外的要因があって、それを上条は知っていて、関わっていたと考えられる。

「それは言えない。納得できないと思うけど、これで納得してほしい」

そう言われても、納得なんかできるはずもない。
だが、問い詰めたところで答えてくれるとも思えない。
だから。

「じゃあ、代わりに約束して。大覇星祭を、精一杯楽しんで」

「分かった」

絶対に果たせない約束ではない。
さっさと今回の問題を解決すればいい。
決意して、上条は病院を後にする。

楽しくないランチが終わった後、御坂は上条の従妹である乙姫と街を歩いていた。
話したい事があって、御坂から誘ったのだ。

「アイツが何で来られなくなったか、何か知らない?」

「知らないです」

「じゃあ、何か予想はある?」

「おにいちゃんのことだから、人助けでもしているんじゃないですか」

「そう……」

これを言ったら不安にさせるだけだと思うから言いたくなかったが、言わずにはいられなかった。

「確かにアイツなら、人助けもあり得るでしょうね。でも、もっと危険な事に関わっているかもしれない。
 それでも、『それ』を辞めてほしいとは思わないの?」

彼の父も、危険は伴わないのか、と尋ねたぐらいだ。
おそらくは電話越しの雰囲気で、息子がただならぬ事に関わっているのではと察したのだろう。

「アンタなら……止められたんじゃないの?」

御坂の問いかけに乙姫はしばらく何も言わなかったが、やがて、

「そりゃあ私だって本当は……でも、おにいちゃんにとって『それ』がやりたいことだと、幸せだと言うのなら、私には止められない」

敬語じゃなかった。思わず飛び出た本音だからか。

「……そうね」

少年はきっと、『それ』がやりたい事だとも、幸せだとも言っていなかっただろう。
しかし、少なくとも競技に出ず、中学生の競技に紛れ込むくらいには、少年はやりたい何かをやっている。
少年はそういう人間だ。
きっと。
『それ』を止めるなんて、少年にとってはこれ以上ない不幸で、無粋にしかならないのだろう。
だったら。

「せめて、協力ぐらいしたっていいわよね」

「おにいちゃんはそれも認めないんじゃないですか。巻き込みたくないとか何とか言って」

「知ったことじゃないわね。あっちがやりたいことやっているのに、こっちにはやりたいことやらせないなんて認めない」

「ふふっ。そうですね」

乙姫は少しだけ微笑んだ。

「つーかさ」

上条は携帯越しに土御門に尋ねる。待ちきれなくて土御門に電話をかけたのだ。

「『刺突杭剣』の取引は実はなかった。だったら、神裂を参加させる事は出来ないのか?」

『ねーちんには別件がある。残念ながら今回の問題について今更参加させる事はできない』

「そうか……『使徒十字』についてはいまだに何も掴めないのか」

『掴めたには掴めたが、一つ引っかかるところがあってだにゃー』

土御門曰く、『使徒十字』は星座を利用して起動する霊装らしい。
しかし、今の時期に『使徒十字』を日本で使おうとしたところで、起動するはずがないらしい。

「けど、使えない霊装を持ってくるか?」

『だからきっと『時期と場所のズレ』をクリアできる条件があると思うんだがにゃー。
 それさえ分かれば、先回り出来る可能性が高まるんだが……』

「……そもそも、オリアナがこの街を歩き回っている理由って何だ?」

『囮、もしくは『使徒十字』を使うポイントを探しているか、あるいはその両方か。
 『使徒十字』は夜空の星の光を集めて発動する、いわばパラボラアンテナみたいなモンだし』

「お前、さっき星座利用説は否定していたじゃねーか」

『でも、それしか考えられない。
 まさか「使用条件」を分かっていなかったなんてアホな展開はないだろうし。
 てことは、何か抜け穴のようなものがあるんだ……』

土御門は苦悩しているようだった。

「いつでもどこでも使えると仮定したら?」

『仮定してもポイントは分からない』

「星座を利用するってつまり、星の光を利用するってことだろ?
 だったら高いところとか、周囲に高い建造物がないところとかじゃないのか」

『そりゃそうなんだが、それを虱潰しにってのもにゃー』

「だったら……インデックスに相談するって言うのは?」

こと魔術知識に関してなら、インデックスの右に出る者はいない。
もちろん巻き込みたくなかったので今の今までインデックスの「い」の字も出さなかった訳だが、
行き詰った現状を打破するには、これしかない気がする。

『駄目だ』

即否定された。

『禁書目録を巻き込ませたくないとかいうレベルの話じゃない。
 正式な命令でもない限り、禁書目録を動かすのは学園都市が危険だからだ』

どういう事だ、と尋ねる前に土御門が続けた。

『禁書目録には「外」にいる魔術師から、彼女を中心として半径一キロ程度の探索魔術がかけられている。
 その探索魔術の範囲に魔術師の魔力が引っ掛かれば、学園都市内では魔術師が紛れ込んでいる、ということになり
 「では我々も」といった輩が出てくる。そういうやつらは大抵科学サイドを憎んでいる。
 口実によって侵入されたら、まず間違いなく荒らされる。今回の事件の説明の時に、ステイルも言っていただろう?』

土御門の言い分だと、電話で話をするぐらいならセーフそうだが、インデックスは電話が苦手だし、
今回の事を知れば「私も協力したい」とか何とか言いだすに決まっている。
そうなると宥めすかすことは難しく、のこのこと現場に出てこられたら……、

「……インデックスの協力も仰げない、か」

『ステイルも反対するだろうしな』

「こういう言い方はしたくないんだが、お前の立場なら、学園都市の監視カメラとか、監視衛星とかの映像は確認出来たりするんじゃないのか」

『前者なら出来るしチェックもしているが、監視カメラの映像を見てから現場に向かったところで、動いているオリアナは捉えきれない。
 監視衛星の映像は常にはチェックできない。それにチェックできたところで、っていうのもあるな。
 オリアナが囮なら、追いかける事自体が既に掌の上で踊らされていることになっちまう』

それでもオリアナを捕まえてマイナスなんていうことはまずないだろう。
考えるよりも行動すれば活路を開ける、かもしれないが、ステイルも土御門も自分もやられっぱなしだ。
考えもなしにどうこうできる相手、問題ではない。

『ん?なになに……』

どうやら近くにいたステイルと何かを話しているらしい。何を話しているかまでは分からない。
依然通話中の電話を切ってしまっていいか判断に迷うところなので、とりあえず耳にあてたまま待ってみる。
時間にして数十秒ほどだろうか。土御門がこちらに戻ってきた。

『有力情報だ。ステイルが今、英国図書館で「使徒十字」の調査をしていたオルソラとシェリーから連絡を貰ったんだが――』

学園都市に潜り込んで大暴れしたシェリーは、てっきり刑務所のようなところにでも幽閉されているのかと思ったが。
それにしてもオルソラと調査などとは。性格が正反対の二人は上手くやっていけているのだろうか。
上条がどうでもいい事を考えている間に、土御門の言葉が続く。

『――何でも「使徒十字」は八八星座全てを使い、世界全土で自由に発動できるらしい。そして肝心のポイントだが――』



星座を利用するということは、夜になるまでは何の問題もないということだ。
それに、今からポイントに待ち伏せたって待ちぼうけになるだけだろう。
星が見え始める直前の時間帯に待ち伏せるのがベストだ。
無論ポイントは一ヶ所ではないが、結局ここしかないだろう、というポイントは割り出せているし、
待ち伏せが失敗しても『使徒十字』を発動させる事はどっちみち出来ないだろうと思える『理由』がある。
よって上条は、再び冥土帰しがいる病院に舞い戻って来ていた。
簡単な治療を受けるためだ。

「ふむ。また君は厄介事に巻き込まれているんだね?」

「ええ」

「ま、事情は聞かないけどね。君を安心させるために言っておくけど、死なない限りは助けてあげるからね?」

「ありがとうございます」

短期間による入院のしすぎで、もはや上条当麻専用の個室と化している部屋のベッドに、上条は全身を預ける。

「そう言えば、一つ伝言を預かっているよ」

「伝言?誰からですか」

「御坂美琴さんから」

何をどうやったら医者に伝言を残せるのか。手段は不明だが、理由は分かる気がする。
御坂とは玉入れの時に出会っている。高校生が中学生の競技に紛れ込むなんて異常だ。
どうせ何かあるんでしょ、私にも事情聞かせなさいよ、と思っているのかもしれない。
その予想は当たった。

「『聞きたい事があるから、すぐに連絡よこしなさい。よこさなかったら二四時間耐久追いかけっこだから』だそうだよ?」

御坂の場合だと冗談に聞こえないから困る。

「連絡しても、な……」

上条は頭を掻きながら渋る。

「君の事情に彼女をどう関わらせるかは置いといて、とりあえずは連絡した方が賢明だと思うけどね?」

かもしれない。
連絡しなかったことで後にどやされるより、しっかりと説明した方がいいかも。

「分かりました。では、屋上でも行って電話かけてきます」

「いいや、君は休んでいていいよ。僕が代わりに連絡してあげるよ。連絡先は教えてもらったからね」

そこまでするとは。正直屋上に行くのは面倒だったので、上条は冥土帰しの言葉に甘える。

「お願いします」

それから五分もせずに御坂がやってきた。少し開いていた窓を開けて。

「お前は虫か」

「人を気持ち悪いものに例えないでくれる?――と、そんなことより」

御坂はベッドの近くにある椅子に勝手に腰かけながら、

「単刀直入に聞くわ。また魔術師絡み?」

「まあな」

「アンタが入院に追い込まれるとなると、相手は相当強いのかしら?」

「強いね。反則的な魔術があるとかじゃないけど、手札をしっかりと揃えてきている。これといった対抗策も特にない」

「ふーん。なら、私にも協力させなさいよ」

なら、とは言うが、どう言ったところで、どうせ最後には私にも参加させて、と言っただろう。

「それは出来ない。勘違いするなよ。御坂が役に立たないとかじゃない。
 科学サイドの人間が魔術師を倒しちゃいけないんだ」

「はぁ?何でよ?」

「それを口実に魔術師が学園都市を攻撃してくる。当然学園都市もサンドバックじゃないから、対抗する。
 そしたら最終的には、戦争になってしまう。九月一日に乗り込んできた魔術師――シェリーって言うんだが、
 あいつの目的は科学と魔術の間で戦争を起こさせるのが狙いだったらしい」

「何よ、それ。あっちから仕掛けてきておいてこっちは何も出来ないなら、こっちはやられ放題じゃない。
 そんなの、やったもん勝ちじゃない」

「だから、学園都市の味方の魔術師――イギリス清教の魔術師が乗り込んで今も奮闘している」

「でも、ならアンタは?アンタだってこっちの住人でしょーが」

「どうやら俺は特例らしい。インデックスの保護者という立場だからかもしれない」

「それじゃあ、私には何も出来ないの?」

「残念ながら」

告げると、御坂は目に見えて落ち込んだようだった。

「御坂が落ち込む事はない。御坂は俺の分まで大覇星祭を楽しんでくれ」

「楽しめって言われたって、アンタがこんな目に会っているのを知って楽しめる訳ないじゃない」

「俺は関係ないだろ」

「関係あんのよ」

少しだけ口を尖らせている。何だか不機嫌なようだ。
せめて大覇星祭を楽しんでほしい、というのは本音なので言い方を変えてみる。

「俺は御坂が大覇星祭を楽しんでくれると嬉しいな。御坂が楽しんでいる大覇星祭を守るためなら、って頑張れるから」

「な、な……」

御坂は顔を真っ赤にして、

「何でそんな恥かしい台詞を平然と言えんのよーっ!」

などと叫びながら、窓から飛び出して行った。

「……俺だって平然と言った訳じゃないけどな」

御坂を元気づけるために恥を忍んで言ったのに。
まあ、いいか。

やらかした。
病室を窓から飛び出して地面に着地した後しばらく走って気を落ち着かせた御坂はそう思った。
だが、あんなことをいきなり言われたら、そりゃあ照れる。
何にしても、しばらくは顔を見るどころか声を聞くのも避けたい。
多分、顔が真っ赤になって下手したら熱が出そうだから。
一時期――『実験』を止めてくれた直後は何だか恥かしくて電話にも出られなかった。
八月の終わりに「声を聞きたかったから」ということで電話がかかってきたが、あれは何だったんだろうか。
……なんだか思考がどんどん変な方向に進んでいく。
今考えることは、そういうことじゃない。少年は、大覇星祭を守るため、と言った。
ということは、少年やインデックスが狙われているのではなく、学園都市そのものが危機に陥っているとでも言うのか。

――だったら、尚更楽しんでいる場合じゃないけど。

巻き込みたくないとか、少年の個人的な感情ではなく、科学サイドの住人は魔術師を倒してはいけないというバックボーンがある以上、
さすがにワガママを貫き通して少年に協力する、ということはできなさそうだ。

――結局、指を咥えて待っているしかないってワケ?

学園都市のいたるところに設置されている監視カメラをちょっと拝見して、
やっとこさ少年が病院に一度寄ったらしいことを掴み、カエル顔の医者に連絡先まで教えたのに。

「だああーっ、もうっ!」

協力したいが自分には何も出来ない。少年には楽しめと言われている。
だったらもう、楽しむしかないではないか。それが今のベストな選択なのだ。
我ながらアホみたいな思考回路だと思うが、仕方ない。割り切ろう。
こうして御坂は、日常へと舞い戻って行く。

日曜日になるたびに足を運んでいた教会の、年老いた優しい神父さんは、
いつだって幼い自分の目線に合わせて、ゆっくりと、分かりやすく、同じ事を口にしていた。
人のためになる事をしなさい、と。
人のためになる事とは何だろう、といつも――今だって悩んでいる。
道に落ちている空き缶を拾ってゴミ箱に捨てた。
道に迷っている人に話しかけて道案内をした。
どうしても運んでほしい物品があると頼まれたら、それを目的地まで届けたりした。
これら親切な行いは、必ずしも『人のため』になるとは限らない。
自分が空き缶を拾うことで、清掃ボランティア活動によって施しを得ているホームレスの人々は、拾う分がなくなって困ってしまうかもしれないし、
自分が道案内をしたその人が、無事に辿り着いた目的地で何らかの事件に巻き込まれるかもしれないし、
自分にどうしても届けてほしいと頼まれた物品の正体が、人殺しの道具かもしれない。
たとえ自分が望んでいなくとも、心の底から誰かの役に立ちたいと思っていても、悲劇が起きる可能性はある。
この世界には様々な人と思惑があり、故に予想もしなかった形で、守りたかったモノをその手で傷つけてしまう。
だが、自分の行動が裏目に出るかどうかは分からない。そこが難しい。
裏目に出ると分かっていれば、やれなければいいだけだし、出ないと分かっていれば、やればいいだけだが、現実はそうではない。
裏目に出るかどうか分からない状態で、行動を選択しなければいけない。
現実ではその上、裏目に出るかどうか分からない事象に人の命が関わることもある。
そんな時、いつも迷う。迷ってしまう。だから迷わない為に、基準点が欲しかった。
絶対の基準点を――ルールを作ってくれるのなら、誰だって何だって良いから。

一七時五〇分。
第二三学区にある実験空港の滑走路で、上条当麻とオリアナ=トムソンは相対していた。

「よお、待っていたぜ」

まるでデート相手でも待っていたかのような気楽さだった。

「ここにいるということは『使徒十字』の『使用条件』を分かった上で、ポイントに待ち伏せってトコかしら?」

上条は体操服、オリアナは黒のキャミソールに、簾のように縦に裂かれた淡い紫色のスカート、腰には水着に使うようなオレンジ色のパレオが巻いてある。
上条は病院で軽い治療を受けて休憩もしたので、ダメージはある程度回復している。
オリアナも回復魔術でも使ったのか、頬が腫れていたりはしなかった。

「まあな。その証拠に、警備員とかとは会わなかっただろ?ウチの仲間がこの舞台を用意してくれたんだ」

土御門はスパイという立場上、学園都市統括理事長、つまり学園都市で一番偉い人と繋がりを持っている。
彼が理事長に頼んで、戦場となると予想された二三学区の警備員などを排斥してもらったのだ。

「こちらも一般人を傷つけるのは避けたかったから助かったわ。坊やだけなのはどうして?」

「どうせ俺とあいつらじゃろくな連携が取れない。特に俺とステイル――というより魔術師の相性って悪いし」

嘘ではない。
もっとも、これ以外にも理由は二つほどある。
その内の一つは、オリアナ相手には上条だけの方がいいかもしれない、という結論に至ったからだ。

オリアナと戦った時、土御門は昏倒していたのだが、実は辛うじて意識があったらしく、その状況下でオリアナの魔術を分析していたらしかった。
土御門曰く、オリアナの『速記原典』は五大元素と様々な座相法則やページ数の数秘的分解の組み合わせで、無数の魔術パターンを構築・操作するものだろう。
ただしその乱数的な組み上げ方のために本人以外の誰にも記述内容を理解できず、厳密な意味で同じ魔術は二度と使用できないと思われる。
とのことだった。
ある程度ダメージを負ったのにもかかわらず昏倒術式を使われなかった理由はそれだったのだ。
そして思い返してみれば、確かに、同じような魔術は使われなかった。
だたし、とそれには注釈があった。
二度同じ魔術が使えない、というのは寸分違わず、という意味であって、少しでも変えれば、似たような系統の魔術が使えるということ。
一定以上のダメージを受けたものを昏倒させる術式、を例に挙げると、
一定以上のダメージの『一定』の値を変えれば昏倒させる術式は使える、ということだ。
これでは土御門はまたしても昏倒されるかもしれない。
そして昏倒している土御門を狙うという戦い方をされると不利になる。
そもそも、オリアナの『速記原典』は彼女のインスピレーションが尽きない限り、様々な魔術が使われるのが予想される。
たとえば、炎を操る魔術師の炎を暴走させる、水の牢で閉じ込める、などだ。
その点、上条の能力は『打ち消し』。
イレギュラーな能力な分、火は水で消す、雷なら避雷針で逸らす、もしくは絶縁体でやり過ごす、
といった分かりやすい対策のイメージも難しいし、昏倒させる術式も打ち消せる可能性が高い。
だからこそ、上条は単独でここにいる。

だからと言って素人の上条に重大な戦いを任せるのか?
という疑問の答えは、上条が志願したというのもあるが、もう一つの理由にある。
上条達は最終的に、オリアナは囮、『本命』はリドヴィア、という結論を下した。
だから、ステイルと土御門には『本命』の方を追ってもらっている、というのもあるのだ。
仮にオリアナの方が『本命』だとしても、最後に笑うのはこちらだと確信できる『理由』がある、
というのも上条が一人で戦える理由の一つだ。

「じゃあ、お姉さんとの相性も悪いの?」

「最悪だろうな。関係ない人間を平然と巻き込むテメェなんぞとは」

「お姉さん、言葉責めされる趣味はないんだけど」

「俺だってねぇよ」

「んー、でも解せないかな。いくら連携取れないからって一対一に持ち込むなんて」

「テメェなんざ俺一人で事足りるってことだよ」

「慣れない挑発なんかしちゃって、可愛いわね」

つい数時間前の少年なら、これでぶちギレて襲い掛かってきそうなものだったが、今は至って冷静だ。

「一つだけ言っておく。今回は俺達の勝ちだ。テメェらの敗北は決定している。
 だから、『使徒十字』を置いて帰るのなら、見逃してやる」

この少年は何を言っているのか。
虚勢を通り越して謎の言語でも喋っているかのように聞こえる。

「どうしたの?現実逃避でもしたくなっちゃった?お姉さんの胸で甘えたい?」

「本気で分かってないのか。だとしたらおめでたいな。パッパラパーだ。
 魔術業界から足を洗って、フラワーショップの店員にでもなった方がいいんじゃないか」

魔術業界の「ま」の字も知らなそうなくせして随分と言ってくれる。少年の口調がナチュラルに辛辣になっている。
これは虚勢ではない。心の底から勝利を確信している人間の話し方だ。

「多分、俺達の予測は当たっている。現にこうやって鉢合わせている訳だしな。
 当たっていなくとも、学園都市を支配しようとしているのなら、まず間違いなく俺達に負けはない」

少年達が絶対に負けはないと言える重大な何かを、見落としているとでも言うのか。

「テメェにとっての敵はステイルと土御門と俺、だけじゃねぇぞ。
 それを正しく理解した上でやろうってんなら、相手になってやる」

少年はファイティングポーズを取る。

「待ってよ。お姉さんは何も争いに日本まで来てわけではないの」

「今更何を」

「最初の戦いの事なら、お姉さんもマゾではないから一方的に殴られるのはイヤで正当防衛したまで」

「……大人しく帰ってくれるのか」

「それは出来ないわ。せっかく皆を幸せにする絶好のチャンスだもの」

「『使徒十字』の効果の事を言ってんのか」

「それ以外に何が」

「『幸せにする』じゃねぇだろ。『幸せだと感じるようになる』だけだろうが。そんなのはただの錯覚だ」

「それに何の問題があるの?」

「何?」

「錯覚でも何でも、幸せならいいじゃない。少なくとも、不幸よりは」

「いいや、駄目だね」

即座の否定に、オリアナは面を食らう。

「押しつけられた『幸せ』なんて、俺はまっぴらごめんだね。
 『幸せ』は勝手に決められるものじゃない。自分で決めるモンだろうが」

「坊やは、知らないからそんな事を言えるのよ……」

オリアナは端整な顔を歪めながら、

「この世には、想像の出来ない展開なんて一杯あることを!親切からの行動が裏目に出てしまうことだってあることを!
 けれど、裏目を恐れて行動しなければしないで悲劇は起きることを!
 こんな不条理な世界より、基準点があった方が良いに決まっているじゃない!」

ここまでずっと余裕を保っていたオリアナが初めて曝け出した思い。

「決まってはいねぇよ」

それを上条は一言で一蹴して、続ける。

「人間の数だけ、価値観や主義主張、思惑があるんだ。トラブルが起こったって何にもおかしくない」

「だからそのトラブルをなくすために――」

「ふざけんな!」

オリアナの言葉を、上条の怒号が遮る。

「トラブルがあるってことは、逆に言えばトラブルになるぐらい大切だってことだ!
 その大切なモノを、譲れないモノを、上から塗りつぶすなんて真似は認められない!」

「じゃあ何!?悲劇はあってもいいってこと!?」

「そんなわけねぇだろ!悲劇なんて起きない方が良いに決まってる!
 だがテメェの方法じゃあ、それぞれが大切にしている譲れないモノを踏みにじるのと変わらねぇ!」

オリアナが言葉を差し挟む前に、上条が続ける。

「『幸せ』になるのに『使徒十字』なんて使う必要なんざねぇんだよ!
 トラブルによる悲劇が起こって困っている人がいたら、迷わず救えばいい!
 救ったつもりの行動が裏目に出たんなら、もう一度救えばいい!
 自分の思いが全部裏目に出たのなら、そしたら今度はその裏目から救いだせば良い!
 たったそれだけのことなのに、他人の人生をテメェが途中で投げ出してんじゃねぇよ!」

上条は、最後に告げる。

「――テメェはどっちを選ぶ!?一回失敗したからって全てを他の何か誰かに投げだすのか!
 たとえ失敗しても、何度でも立ち上がって何度でも手を差し伸べてみるのか!」

「……ふふっ」

オリアナが笑った。
ただしそれは、余裕を感じさせるようなものではなく、どこか吹っ切れたような、素の笑みに見えた。

「Basis104(礎を担いし者)」

魔法名の宣言から、単語帳のページ全てをリングから噛み破る。
まるで骨付き肉に思い切りかじりつくように。数十枚のページが一気に解放される。

「決着をつけましょう」

紙吹雪が舞う。

「我が身に宿る全ての才能に告げる――」

呼応するように、舞っている紙吹雪がオリアナの右手へと集約される。
右手に集まった紙吹雪は、純白に輝いていた。

「――その全霊を解放し、目の前の敵を討て!」

オリアナの右手から、純白の光が放たれた。
白い光は上条に辿り着くまでの軌道上のアスファルトを引き剥がして吸いこんでいく。
そんな攻撃を前に、上条は悟る。

これを打ち消したら打ち消したで、吸いこまれたアスファルトが内部から暴発する。

だからと言って、打ち消さなければ吸いこまれてグチャグチャのミンチになるだけだ。
アスファルトを吸い込めば吸い込むほど大きくなっていくそれは、避ける事は意味がないと思えた。
オリアナの魔術の集大成だ。
追尾機能がある気がするし、だとしたら逃げれば逃げるほど『解放』の威力が強くなってしまう。
早いうちに打ち消した方がいい。
答えは決まった。

向かい来る光を、上条は躊躇いなく殴る。直後、

ドバッ!と。
白い光の中で圧縮されていたものが一気に噴き出した。

空気とアスファルトが織り成す石の嵐が、上条の全身をくまなく叩いた。
覚悟を決めていたところで、ダメージは相当なものだった。
何とか踏ん張る、というよりは踏ん張ることしかできなかった。
オリアナが駆けてくるのが見える。見えるだけで、体は全く動かない。
そして。

オリアナの蹴りが上条の腹の中心に正確に叩きこまれ、後方へ数回転がった。

時刻は一七時五八分。
あと二分で、世界は劇的に変わろうとしていた。

一つの戦いの決着後。
オリアナは倒れている上条に背を向けて夕刻の赤から夜の紫に変わりつつある空を眺めながら、物思いに耽っていた。
自分のやり方は本当に正しいのか。
『使徒十字』は、様々な主義や主張、価値観や思想などを上手にまとめてくれるものだと思っていた。
だが、上手にまとめると言うよりは、少年が言うように、塗りつぶす、踏みにじる、という表現の方が正しいかもしれない。
それでも、幸せならいいはずだ。
いいはずだが、自分の主義主張価値観思想が塗り潰されるのは、本当に幸せなのか。
基準点がなければ、悲劇は起きる。でも、だったら救えばいい。
悲劇は起きないが、仮初の幸福の中で生きるか。
悲劇が起きても、そこから救い出して、最後には本当の幸福を皆で分かち合って笑いあうのか。
結局は、その二択なのだろう。
その二択で、少年は後者という、たったそれだけの話。

ガリッ、とアスファルトが引っ掻かれる音で、オリアナの思考は途切れる。

「ガッツを出して立ち上がって、まぐれでお姉さんを倒せたとしても、『使徒十字』による支配は止められないわよ。
 お姉さんがここに立てた『使徒十字』は、偽物だから」

世界が変わるまで残り一分半もない。今から本物を探してどうにかするなど到底できない。
だからオリアナは、背を向けたまま決定的なネタバレをした。
のだが。

「『外』にいるリドヴィアには……ステイルと土御門が向かっている」

「な……」

と、オリアナは思わず驚きの声を上げて振り返っていた。
と同時に、少年がここに一人でいる理由を理解した気がした。

「まさか、私が囮だと、持っていた『使徒十字』を偽物だと見抜いたうえで……!」

上条が無言で上体をゆっくり起こしていく中、オリアナは問い質す。

「でも、私が囮と見抜けても、本物が『外』にあるとまでは……どうして!?」

「『使徒十字』の効果範囲……およそ二〇〇キロ四方と聞いて……、
 ポイントによっては『外』からでも学園都市を支配できるって分かれば……その結論に至るのは難しくない」

いや、と前言を打ち消しつつ、

「『刺突杭剣』の取引にしても、『使徒十字』を発動させるにしても、時間までどこかで待機していた方が良いのに、
 まるで私を追ってくださいと言わんばかりに学園都市をぶらぶら散歩していたら、
 “学園都市に目を向けさせようとしている”ように見えんだろうが。極めつけに、テメェは逃げるのが得意ときた。
 もうこれはお前を囮にして『本命』は『外』でやると考えるのは普通だろうが」

「『外』だと魔術師に手を出され放題だと考えれば、私が囮でも『本命』も学園都市内でやるものだと考えるのが――」

「逆だろ。『外』なら魔術師に手を出され放題だから……学園都市内でやる方がまだ安全。
 だから……まさか『外』でやるわけがない……という方向に誘導できる。
 囮を用意するほど周到なのに……『外』からなんて合理的じゃない、と思わせるために。
 いいや……学園都市内でやるのだって……安全じゃない。
 テメェらにとってはアウェーなんだ。学園都市の『外』も中もあんま変わんねぇだろ。
 ってか、むしろ『外』の方が安全なんじゃねぇのか」

もちろん、と上条は続けて、

「断定した訳ではなく……あくまで予想だから……こうやって……こっちには俺が来ている訳だが」

「くっ……でも、リドヴィアだってそう簡単には――」

「関係ねぇよ」

上条はオリアナを遮って、

「言ったはずだ。俺達には負けはないって」

告げた直後だった。
強烈な光が地上から瞬き、夜の闇をも一気に拭い去った。
光の正体は、学園都市の至るところに飾り付けてある、電球、ネオンサイン、レーザーアート、スポットライト、その他ありとあらゆる電飾だった。

「――これはっ!」

「現在時刻は一八時ジャスト」

上条当麻は既に立ち上がっていた。

「ナイトパレードが始まる時間だ。その様子だと、知っていて侮っていたんじゃなく、知らなかったみたいだな。
 どっちみちアホの極みだと思うけど」

「これが……あなたが強気だった理由なのね……」

「言っただろ。テメェらの敵はステイルと土御門と俺だけじゃないって」

これだけの光があれば『外』のポイントでも問題がない。

「大覇星祭。星を冠する祭典は伊達じゃなかったってことだよ。これで分かっただろ。『使徒十字』を置いて諦めて出ていけ」

「……いいえ。まだよ」

オリアナはしっかりと上条の方へ向き直って、

「あなたを倒し、学園都市をある程度破壊すれば……」

「魔力による支配だけでなく、いよいよ物理的に破壊までしちまうのか。
 悲劇がどうのとか、『幸せ』がこうのとか言っていたのに、もはや支離滅裂だな」

オリアナは何も答えなかった。
無言で、今度こそ上条へ止めを刺すために駆ける。

「――いいぜ」

上条も、応える。

「テメェが俺を倒し、ある程度の破壊でナイトパレードを止めて、『使徒十字』を発動して、皆を『幸せ』にできると、本気で思っているのなら――」

腹部を狙って繰り出された蹴りを、体を捻って避けて、

「――まずは、その幻想をぶち殺す!」

放った右拳を、顔面にクリーンヒットさせるという形で。
拳を食らったオリアナは数メートルも吹っ飛び、地面を数回転がった。
それで気を失ったようだった。

『お、電話に出られるという事は、そっちも勝利したのかにゃー』

オリアナをぶっ飛ばした直後に、土御門から電話がかかってきた。

「そっちも、電話がかけられるってことは」

『んにゃー。ばっちり勝利したぜい。つっても、ナイトパレードが始まるまでは粘られたんだが。
 ナイトパレードによって動揺したところに一気にたたみかけた』

「それで、『本命』はそっちだったのか」

『ああ。リドヴィアは捕獲。本物の『使徒十字』も確保した。直にイギリス清教が連行しに来る』

上条の、ステイルと土御門の、学園都市の、完全勝利が証明された瞬間だった。

陽は完全に落ちて、ナイトパレードが華やかに行われている中、三度病院である。
『オリアナはこっちで回収しとくから置いといて』と言われた。
この状況で救急車を呼んだら、オリアナもだが、荒れた滑走路とか見られてややこしい事になりそうだったため、
割とボロボロの中、自力で病院まで舞い戻って来たのである。

「はぁ……」

手当てが終わり個室でベッドに身を預けている上条は溜息をつく。
『三つの約束』を反故にしてしまったからである。
厳密に言えば、三つともまだこれから達成できなくはないのだが、彼女達はそれでは納得しないだろう。
なんて事を考えていたら、まずは彼女達の一人、吹寄制理がやってきた。

「大丈夫?何かやってほしい事とかある?」

吹寄の生命力が高いのか、冥土帰しの治療が凄いのか、彼女はもう元気を取り戻しつつあるように見えた。

「……いや、その、明日から大覇星祭を楽しむつもりなので、怒らないで頂けるとありがたいかな」

『三つの約束』の内の一つ、大覇星祭を楽しんで、を守れなかった。

「何を言っているのよ。何か事情があるんでしょ。だったら仕方ないじゃない」

吹寄は上条の手を優しく握りつつ、

「大覇星祭を楽しんで、なんてもう言わない。あたしは、上条に無理してほしくない。
 上条が元気なら、それだけで十分だから」

そこまで言われると、逆に申し訳なくなってくる。
だがそれを言うのは吹寄にさらなる重荷を背負わせるみたいになるので、

「悪い。気遣いありがとう。無理でも何でもない。
 俺だって吹寄が頑張って準備してきた大覇星祭を楽しみたいんだ。
 なるべく早く復帰して、精一杯楽しませてもらうよ」

「……もう」

言葉は続くことなく、きゅっ、と自分の手を握る手の力が少しだけ強くなった。
それから両親と従妹が来るまで、無言でそのままの状態で過ごした。

両親と従妹が来た瞬間、吹寄は病室から出て行った。
あの子は誰なんだ?と父に問われ、同級生と答える前に、乙姫に殴られた。
ナイトパレードに行こう、という約束を守れなかったのだから仕方ない。

「約束守れなかったから罰ゲームだよ」

「この有様を見て罰ゲーム要求するとは鬼か」

「やりたい事やった結果でしょ」

ぐぅの音も出ない。

「『私の言う事を何でも一つ聞く』で。内容はまだ決めてないし、いつ執行するかも未定だけど」

「限度を考えろよ」

「もっちろん」

ない胸を張る乙姫。大丈夫か。本当に大丈夫か。

「当麻さん」

母が一歩歩み寄ってきた。

「母さんは、当麻さんには危ない事には首を突っ込んでほしくないと思っている。
 たとえそれが当麻さんのやりたいことでも。
 今回は無事だったようだけど、今後も絶対に無事に帰って来られるって保証はないもの」

今までなら強気に、ないけど大丈夫だよ、と返事をしただろうが、ここ最近、考えは変わりつつあった。
一対一なら勝つ自信があった。超能力者第三位の超電磁砲に勝てるというのも根拠の一つだった。
が、ここ数ヶ月にあった戦いを振り返ると、独力で勝った戦いなど今回と闇咲ぐらいだ。
それ以外は、勝てなかったどころか命を落としていたかもしれなかった。
特に、アニェーゼとの戦いは本気で死にかけた。
インデックスと一方通行との戦いは、助力がなければ間違いなく死んでいた。
率直に言って、自惚れていたのだ。
もちろん、気持ちはいつでも死なないつもりだ。
しかし、これだけボロボロになっておいて、俺は死なない、は無責任すぎる発言ではないか。
返事を躊躇っている間、母が切り出す。

「……違うの。ごめんなさい。こんな事を言いに来たんじゃなくて……。
 当麻さんがやりたい事をやるのが、最高の親孝行というのは分かっているんだけど……」

「おにいちゃんに罰ゲームの執行を言い渡します」

その口調は至って真剣だ。

「おにいちゃんは幼少期と学園都市に来てから二年ほどは不幸に見舞われ続けた。
 入院だって何度もした。けれど、さすが学園都市と言うべきか、入院は徐々に減っていった。
 けれど、ここ数ヶ月、何度か入院しているみたいだね。このハイペース入院はなぜか。教えなさい」

毅然とした乙姫と葛藤する母親を前に、これ以上事情を隠すのはフェアじゃないと判断した上条は、打ち明けた。

「実は――」

「――ってことなんだ。魔術なんて信じられないかもしれないけど、全部本当だ。
 最後に言っておくけど、決してやらされたわけじゃない。すべて俺がやりたいからやった事だ」

両親から見れば、息子が嘘をついているかどうか分かる。これは嘘をついていない。
ということは、息子の発言は本当の事なのだ。

「いいや、信じられないなんて事はないぞ。私達一般人から見れば、学園都市の超能力だってファンタジーだしな」

「ふぅん。おねえちゃんがおにいちゃんに惚れたのは、『実験』の阻止がきっかけだね」

開示しろと命じられたのはここ数ヶ月の入院の原因なので、入院した事件ならば科学サイドの事件についても、もれなく説明せざるを得なかった。
無論、事細かには伝えていないが。

「それにしても魔術か。『原石』とは違うんだな?」

「うん」

「刀夜さんね、出張先で『原石』の女の子とあった事があるんだって」

女の子、の部分を強調して言ったのには、果てしてどんな意図がある事やら。

「まあまあ落ち着いてよ、詩菜おばさん」

乙姫が詩菜を宥める中、刀夜は空気を変えるためか、

「そ、そう言えば……出張先――イタリアで修道女と出会ったな。
 確か二月。擦り切れた白い修道服を着ていたな。……そうだ。
 名前は、当麻がついさっき言っていた、リドヴィア=ロレンツェッティだ」

イタリアと言えばローマ。ローマと言えばローマ正教だから、リドヴィアと接触してもおかしくはないのか。

「ちょっと待って。それってこんな人だったか」

今回の問題の解決にあたる前に、オリアナとリドヴィアの顔の画像は携帯に保存した。
上条は刀夜にリドヴィアの顔を見せる。

「ああ、そうだ。この人だ」

出会って大丈夫だったのか、という問いは無意味だ。
こうして目の前に刀夜が立っている時点で。

「あの人、魔術師だったんだなあ。全然悪い人ではなかったが」

「魔術師はゲームに出てくるような分かりやすい悪人ではないよ。
 今度また俺が大切に思っている領域を傷つけるようとすることがあれば戦うけど、そうじゃなければ、別に争いなんてする必要はないんだ」

「……分かったわ。でもなるべくなら、戦うなんて方法ではなく穏便に済ませてね。くれぐれも、無理はしないで」

詩菜の忠告に「うん」と素直に頷いた。

両親と乙姫が去った。が、まだ目下最大の問題が残っている。

「とうま~」

大覇星祭期間中だろうが、インデックスには留守番してもらっていた。
せめて保護者役がいればいいのだが、小萌先生に押し付けるのは申し訳ないし、御坂は競技に出ている。
もちろん自分も競技があるので、インデックスに付きっきりは出来ない。
普通の平日でも、学校が終わるまではインデックスを一人にしているが、逆に言えば、学校が終わればずっとインデックスと一緒だ。
しかし、大覇星祭期間中は、インデックスを一人きりにしてしまう時間が伸びてしまう。
だからせめて、自分がちゃんと目をつけられるナイトパレードぐらいは一緒に行こうか、と約束していたのだ。
今は両親にインデックスの事を教えたから、明日からは両親が帰るまでは、インデックスを任せれば良いかもしれない。
幸いなことに、海で知り合っている事だし。

「八月の病院で私言ったよね。せめて何をやろうとしているかくらい言えって」

どうやらインデックスは、ナイトパレードに行こう、という約束を破った事より、
何も言わなかった事の方に腹を立てているようだ。

「い、いや、今回は事情があってだな……」

今回の事件と、インデックスには相談できなかった事情を説明する。

「ふ~ん。今回“は”ってことは、いつもは何なのかな?」

「いつもは、突発的に事態に遭遇するから、相談する暇もない」

「大体、とうまの言い分なら、ケータイデンワーとかで遠距離からアドバイスぐらいなら出来たかも!」

「俺だってそうしたかったよ。けどお前、携帯苦手だし、事件が起こっていると知れば」

のこのこと、なんて言い方をしたら切れるに決まっているので、

「我慢できずについ出てきただろ」

「むぅ~」

言い返せない辺り、インデックス自身、出て行っただろうと考えているのだろう。

「ただ、ナイトパレードに行こうって誘っておきながら、このザマなのは謝る。ごめん」

頭を下げる。
何か言うまでは頭を上げまい。
そう考えていたら、

ガブリ、と頭に噛みつかれた。

「いってーっ!」

痛い。めちゃくちゃ痛い。割と本気で噛みつきで魔術師と戦えるんじゃないかと思えるぐらい痛い。

「ようやくとうまに噛みつけたかも!」

「ちょっと待っていくら俺が悪いとは言えこれはなーい!」

上条の絶叫が病室に木霊する。
日常が帰ってきた事は嬉しいが、何もこんな形でなくとも、と思う上条であった。

これで大覇星祭編は終了です
原作よりナイトパレードの時間を三〇分早めました
以下、次回予告です



「え?マジで?」
学園都市に住む無能力者の高校生――上条当麻





「スパイが彼を傷つけるような事があれば、私は躊躇なくスパイを殺すけど。たとえ彼に憎まれることになるとしても、ね」
学園都市統括理事会メンバーの一人、貝積継敏のブレイン――雲川芹亜





「では、私にご奉仕させていただけないでございましょうか」
元ローマ正教で現イギリス清教のシスター――オルソラ・アクィナス





「ごっはん♪ごっはん♪ごっ・はっ・ん~♪」
禁書目録を司るイギリス清教のシスター――インデックス





「……私の事、ナメてんですかねぇ」
ローマ正教のシスター――アニェーゼ・サンクティス





「こんのクソ猿がぁーっ!」
ローマ正教の司教――ビアージオ=ブゾーニ

口調については、乙姫は天真爛漫、詩菜は物腰柔らかそうなイメージで書いています
乙姫が御坂に敬語だったのは、乙姫は御坂の事を年上と判断したからです
乙姫の年齢は原作では不明ですが、御坂と同級生かそれ以下だと思っています
このSSでの乙姫の年齢は、13~14歳くらいだと思ってください

注意書きをしていないのはあえてです。注意書きは一種のネタバレのような気がするので
他の理由としては、一から一〇までこういう風に展開して行こうというのは決めていない為、はっきりとした注意書きは書けない、というのもあります
それとこのSSは原作の再構成がメインであって、ラブコメメインではないので、カップリングについての注意書きはいらないとも思っていました
万人受けはしない展開・要素(同性愛、18禁、NTR、グロ描写、人が死ぬ、オリキャラなど)もするつもりはないので、やはり特別な注意書きはしませんでした
もっとも、人によっては、ここは万人受けしない展開に当てはまるだろ、と感じる描写はあるかもしれませんし、
上条の記憶が残っていることに伴って、上条が乙姫を信頼する理由などの若干のオリ設定がありますが、
私はそこまで過激な描写はしたつもりはないので、ご容赦ください
また、今後も万人受けはしない展開・要素をぶち込むつもりはないので、注意書きはしません
万が一ぶちこむとしたら、その時の投下前に注意書きをするので、ご理解ください

ただ、質問に答えておくとすると、今のところは上琴にするつもりはありません
それどころか、誰ともくっつかないかもしれません

>>1です
>>157の「アンタ、能力は?」~さすがの少年も怪訝な顔になっている。 はカットで脳内補完してください
レベル0だって能力があるんだから、能力があるのにシステムスキャンでレベル0判定って至って普通の事ですね
正直これは結構なミスをしたかなと反省しています

あとは>>277のインデックスの台詞の、「ふ、ふざけてなんかないもん」もカットで

まだ11巻の再構成が終わっていませんが、とりあえずキリのいいところまで投下しようと思います

お見舞いに来た小萌先生から『来場者数ナンバーズ』のカードを貰った。
『来場者数ナンバーズ』とは、お金を払って専用カードを貰い、そこに大覇星祭の総来場者数を予想して記入するものだ。
あとは、実際の記録に近いものから順位が決まる。
このルールだと、宝くじのように当選者なしでキャリーオーバーなんてことはない。
必ず一等、二等、三等と当たる人が出てくるのだ。
しかし上条には『福引の類には一等賞はない。あるのはせいぜい三等賞まで』という偏見がある。
だから、普段は福引の類をやらず『来場者数ナンバーズ』も積極的にやりたいとは思わなかったのだが、
せっかくのお見舞いの品をないがしろにするのも気がひけたので、やってみた。
『来場者数ナンバーズ』に当選者の公表はない。そのため、本当に賞品が贈呈されているかは怪しい。
よって、一応本気で予想はしたものの、あくまで娯楽のつもりで何の期待もしていなかったのだが、

『おめでとうございます。来場者数ナンバーズ指定数字に一番近かった上条当麻様には、賞品である「北イタリア旅行五泊七日ペアの旅」を贈呈します』

大覇星祭最終日の夜、インデックスと共にクラスの打ち上げを終えて帰宅すると、
ドアのポストに巨大な封筒とメッセージカードが入っていて、そのメッセージカードの文面がこれだった。
巨大な封筒の中身は、旅行に際しての必要書類だった。

「え?マジで?」

おかしい。
生来、自分はどちらかと言えば不幸な人間だ。
そんな自分が、一等賞に当選するなどあり得ない。
せめて三等賞ぐらいならまだしも、一等賞はおかしい。
確かに『来場者数ナンバーズ』のシステムなら、誰かは必ず賞品を手にする。
誤魔化しはなく、本当に賞品を贈呈しているだけの話かもしれない。
が、だとしても、よりにもよって一等賞が自分?どうもしっくりこない。
ドッキリなのか。それとも、何か作為があるのか。後者なら、誰に何のメリットがある?
一方通行を倒した後、とある事情で『外』に追い出されたが、そのような事情があるのか。

「……待てよ」

イタリアと言えばローマ、ローマと言えばローマ正教、ローマ正教と言えば、自分が『法の書』事件、『使徒十字』事件などに関わってきた因縁の相手。
これは、自分を危険視したローマ正教からの宣戦布告――招待状か。

「いやいや、そんな馬鹿なことがあるわけが」

自意識過剰にも程がある。
仮にローマ正教が自分を危険視していたとしても、こんな回りくどい方法を取る必要はない。
直接宣戦布告すればいいし、もっと言えば、暗殺しに来たりする方が自然だ。
考え方を変えよう。
そもそも何で自分は一等賞に当選したのか。
『来場者数ナンバーズ』をやったからだ。
では、何故やったのか。福引の類は普段はやらない。
やったのは、小萌先生からカードを貰ったからだ。
貰わなければ『来場者数ナンバーズ』に挑戦することなく、当たる事もなかっただろう。

「……考えれば考えるほど怪しい気がしてきた」

その時は気にならなかったが、今にして思えば、
お見舞いの品に『来場者数ナンバーズ』のカードを持ってくるのって何か変じゃないか。
お見舞いの品を持っていかなきゃと思っても、普通、果物とか花とかじゃないか。
お見舞いの品のために、わざわざカードを買うのっておかしくないか。

「……だとすると」

小萌先生が作為の黒幕とは考えにくい。
おそらく先生はカードを誰かから貰ったのだ。
拾った可能性もあるが、彼女の性格上ネコババしたものを他人に委ねる事はないはず。
よって、誰かから貰ったが正直いらなくて、でも捨てるのも勿体ないと思っていたところで、自分が入院したからお見舞いの品にしちゃえ、と考えたのではないか。
月詠小萌は上条当麻にカードを渡すだろうと見越した何者かが先生にカードを渡し、最終的に自分にカードが届くよう仕向けることは可能そうではある。

「……うーん」

今のところ考えつく選択肢は四つ。
作為だと疑いつつも、純粋に賞品だと信じて旅行を決行してみるか。
作為だと仮定して、作為の目的を探るために小萌先生にカードの出所を聞いてみるか。
作為だと仮定して、色々知っていそうな雲川先輩に聞いてみるか。
作為だと仮定して、色々知っていそうな土御門に聞いてみるか。

「……よし!」

よくよく考えたら、別に一つに絞る必要なんてない。
まずは小萌先生に電話をかけることにした。

小萌先生にどうやってカードを入手したのか聞いてみたら、『結標ちゃんから貰ったのですよー』とのことだった。
意外なところで意外な名前が出てきたので動揺していたら『結標ちゃんに変わりますかー』となって、結標と会話する羽目になった。
どうやら、なんと今度は結標を居候させているらしかった。
知り合いの後輩を傷つけたという事で結標に良いイメージはないが、小萌先生はその辺の事情を知らないまま居候させているのだろう。

仕方ないので結標にカードはどうやって入手したのかと聞くことにした。
道端に倒れていた結標のために救急車を呼んだ時、彼女は終始気を失っていたので、こちらとしては面識があっても、あちらはないはずだ。
よって、知り合いの後輩を助けたことが気にくわなくて復讐の作為を仕込んだ、とは考えにくい。
そもそも結標は自分が知り合いの後輩を助けた事自体知らないはずだ。
つまり、結標に動機はない。
いいや、仮に復讐だとしても、こんな回りくどい事をする必要はない。
御坂から聞いた断片的な情報だから確実な事は言えないが、結標の性格上、格上相手以外は真っ向から叩き潰すタイプな気がする。
ましてや結標が有する空間移動系の能力は、相手の脳や心臓に異物を叩きこむだけで勝利を掴めるのだから、やはりここまで回りくどい事をするとは思えない。

とりあえず初対面を装って結標にカードの入手経路を尋ねると、『来場者数ナンバーズ』の受付をしていた同級生から貰ったとのことだった。

「分かりました。ありがとうございました。失礼します」

動機が復讐じゃない可能性も、もちろんある。
その場合、結標自身が黒幕で『同級生』から貰ったというところから嘘かもしれない。
結標は関係なくて『同級生』が黒幕で、結標が同居している小萌先生に渡すと見越して、という可能性もある。
結標と『同級生』が結託している可能性もある。
さすがに小萌先生は作為に無意識に組み込まれていたとしても、黒幕ではないだろう。

次は雲川先輩に電話をかける。

「夜分遅くにすみません。少しお話ししたい事が――」

『全然構わないけど。だがそうだな。
 電話だと電話代がかかるし顔見えないし、ここは私が奢るからどこか食事でもしながら、というのはどうだろう?』

「い、いえ、そこまでしてもらわなくても……」

『そうか……』

何か知らないが、しょげたようだ。

「その、相談したい事が俺の被害妄想かもしれなくて、あんま人に聞かれたくなくて」

『そうかそうか。では私の部屋でならオーケーだな。大丈夫。私が手料理を振る舞ってあげるけど』

「そこまでしてもらう必要はないんですが……」

『上条は、私の事嫌いか?』

本題に入れない。

「そんなわけないです。先輩すごく美人だし、スタイル良いし、優しいし」

『そんなストレートに言われたら照れるけど』

そう言う割には、声色に変化はない。

「本音を言っただけです」

『すごく嬉しいけど。……で、相談とやらは何だ?』

今一瞬、老人の声が聞こえたような気がしたが、一体何なのだろうか。
気になるところではあるが、このまま本題に入る。

「実は――」

これまでの考えを説明して、自分が一方通行を倒した後みたいな事情があるのか尋ねる。

『私が知る限りではない。ただ、何者かの作為があるのは間違いないけど』

「……断言ですか」

『決定的な理由が一つある。
 「外」の福引の類は知らないが、少なくとも「来場者数ナンバーズ」に関しては、お前の偏見通り三等賞までしかないけど』

「本当ですか?」

『本当だけど。三等があるのは、疑いを避けるため。
 上位の等賞が軒並み無いと噂になれば、本当に賞品贈呈されているのかと疑われるが、
 三等を貰った人がいれば、どこかに一等や二等も貰った人がいるんだろう、となるけど。
 大体、賞品が海外旅行の時点で、それはないと考えるのが普通だけど。
 「外」への知識や技術の漏洩を恐れる学園都市が、わざわざ「外」に出る機会を与えるはずがない』

言われてみれば、確かにそうだ。
せめて国内ならまだしも、国外に出す機会を与えるのは不自然すぎる。
何でこんな簡単なことに気付かなかったのか。

『ただ、作為と言っても悪い作為とは限らない。お前に感謝している者が感謝の気持ちで贈ったものかもしれないけど』

その発想はなかった。

『お前が「来場者数ナンバーズ」をやったことを知り、等賞の賞品を知り、なおかつ金がある人物なら、
 「来場者数ナンバーズ」にかこつけてチケットを贈ることは可能ではあるけど』

「感謝の作為なら、こんな回りくどい事する必要ありますかね……」

『照れ屋なのかもしれないけど』

「……その場合だと、素直に旅行に行った方がいいですよね。
 でも、実際のところはやっぱり得体がしれない。用心するなら行かない方がいいですかね」

『そうだな。行かない方がいいけど。もっとも、ペアの相手に私を選んでくれるのなら』

「ありがとうございました。失礼します」

なんか話が変な方向にこじれそうだったので強引に通話を終了した。

「切られたけど……」

とあるマンションの一室で、雲川芹亜は呟いた。

『そりゃあ切られるだろう。結論は出たのだから』

雲川の呟きに呼応するように放たれた老人の声は、ガラスのテーブルの上に置いてある端末から。

『まったく。私が介入しなければ、少年はいつまで経っても相談が出来なかったろうな』

「仕方ないけど。電話がかかってきたというだけで飛び上がるほど嬉しかったんだから」

『ふむ』

普段の彼女なら、一国の主クラス相手だろうと緊張の欠片も見せない。
そんな彼女がここまで乱されるのだから『恋』というのは恐ろしい。
まず初めの応答から取り乱し気味で、中盤は持ち直したものの、終盤は欲望が爆発していた。
まあ、それはどうでもいいのだが。

『少年が考える作為についてだが、君が提起した良い意味の作為というのはまずないだろう。
 少年の不安を少しでも軽減する為に言ったのだろうが。それで、作為について君はどう考える?』

「『魔術』とかいう、超能力とは全く違う法則の世界が関わっているとしか思えないけど」

『だとしたら、魔術世界の人間が作為を仕込んだのか』

「魔術師とやらがどこまでやるのかは知らないが、学園都市のセキリュティは甘くないはずだけど。
 侵入して多少暴れるぐらいならまだしも、作為を仕込めるとまでは思えない」

『では、どうやって?』

「スパイがいる、ということだろうけど」

『……なるほど。見当はついているのか?』

「怪しいのが一人いる。が、引っかかる点が一つある。だから今は言わないけど」

それに、と雲川は続けて、

「私の予想が正しかったとしても、私にはそいつをどうすることもできないけど。
 私がそいつをどうにかしたら、『彼』が敵になってしまうから」

雲川の言う『彼』とは上条当麻の事だ。
スパイをどうにかすると、上条当麻が敵になる。
ということは、

『君の見立てでは、スパイは上条当麻の親しい者というわけか』

「そうだけど」

『だがスパイだという説明をすれば、何とかなるのではないのか』

「スパイだったから、という理由だけでは弱いけど。
 スパイが彼の親を殺したレベルの背景がなければ、スパイをどうにかすれば彼は敵になるだろう」

もっとも、と雲川は芯の通った声で付け加える。

「スパイが彼を傷つけるような事があれば、私は躊躇なくスパイを殺すけど。たとえ彼に憎まれることになるとしても、ね」

端末越しで雲川の宣言を聞いた老人――貝積継敏は思った。
これが俗に言うヤンデレという奴か。上条当麻もとんでもない女に好かれたものだ、と。

土御門に電話をかけて、これまでの考えと経緯を説明すると、

『やっぱ行動する前に考えるカミやんに回りくどい方法は駄目だったにゃー』

「……それはつまり」

『ああ。全部オレが仕組んだ。結標にカードを渡したのもオレだし、ドアのポストに海外旅行ペアチケットをぶち込んだのもオレだ』

ということは、結標も嘘をついていたのか。土御門につかされたのか。

「……なんで」

『イタリアでローマ正教が何かをやらかそうとしているみたいだ。何をしようとしているかまでは分からない。
 ただ、そのやらかそうとしていることが割と大がかりな可能性が高い。
 「使徒十字」による学園都市の支配が阻止されて、焦っているからだ。
 そこで念の為、魔術師の天敵であるカミやんを現場に向かわせるためさ』

なんだろう。
何かあったら俺にも協力させろと言ってきたが、何か釈然としない。
勝手に決められたからだろうか。

「だったら直接言えよ。何でこんな回りくどい事を」

『「上」からそうしろって言われたんだよ。だから仕方なくやった。「上」の意図は知らない』

嘘か真か判断がつかないが、拘泥しても仕方がない気がする。

「……結局、俺はイタリアへ行った方がいいのか」

『そうしてもらえると助かるにゃー。禁書目録を付き添いで連れて行くんだぜい』

行け、とは言わない辺りが何ともいやらしい。
何か起こるかもしれないという、あまりにも不確定な情報だが、そう言われたらローマ正教なら何かやらかしそうだし、
何か起こるかもしれないと知った以上、放っておくのはもやもやする。
問題が目の前に出されると放っておけない自分の性格を理解したうえで発言しているとしか思えない。

「インデックスを?ローマ正教とのバトルになるかもしれないのに?」

『モーマンタイ。禁書目録には「歩く教会」と強制詠唱とか魔滅の声があるし』

『法の書』事件の時、ステイルにも言われたことだ。

『それにイタリア語の通訳としても必要だろ?魔術知識も豊富だし、連れて行って損はない。
 そもそも学園都市にインデックスを置いて行けるか?』

「……行けないな」

ちなみにパスポートはインデックスのIDを貰う時に一緒に貰った。
いつかイギリスから召喚命令などがあるかもしれないし、念のためにということだった。

「イギリス清教からの増援とかはあんのか?」

『残念ながらステイルとねーちんとオレはいけない。代わりに、天草式十字凄教の面々がイタリアへ赴く。
 オルソラの引っ越し作業の手伝いも兼ねてだ。カミやんもオルソラの家に行くといいぜい』

それからオルソラの家の住所を言われたのだが、メモするのが面倒だったためインデックスに代わってもらった。

九月二七日。
イタリアのマルコポーロ国際空港からバスを経由して、オルソラの家があるキオッジアへ。
オルソラの家は大きな通りから一本小さな道へ入ったところにあった。
近くには海水の運河が流れている。薄いベージュ色のレンガ造りの五階建てのアパートメント。
オルソラの部屋は四階にあるらしい。
エレベーターがないので、スーツケースを引きずりながら四階まで上がる。
オルソラの部屋の前まで来たところで、思った。
土御門が知っているかどうかは知らないが、オルソラの電話番号を聞いてアポイントを取っておくべきだったのではないかと。
まあ、今更考えたところで仕方ないか。インターホンすらないので、ドアをノックしてみる。
数秒して出てきたのは、真っ黒な修道服に頭から足首まで包まれたオルソラだった。

「あら。なぜあなた様がここにいるのでございましょうか?」

オレンジ色のTシャツに濃いグレーのズボンという装いの上条は、ここまで来た経緯を説明する。

「まあ。遠路はるばるお疲れ様なのでございますよ」

オルソラはぺこりと頭を下げた。
ローマ正教が何かをやらかす前に引っ越しをしたいらしい。
天草式はそのための手伝い兼護衛である。

「そう言う訳で、家にあげてもらえると助かるんだけど。もちろん、その代わり引っ越しの手伝いでも何でもやるからさ」

「何でも、でございますか」

オルソラは右手を頬に当てて、

「では、私にご奉仕をさせていただけないでございましょうか」

「ぶふっ!?」

いきなりな発言に、上条は噴き出す。

「どうしたの、とうま?」

「何でもない……」

ご奉仕と聞いてエロい意味で捉えてしまった自分が恥ずかしい。

「どう見ても何でもある時の反応かも」

「やめて。もうこれ以上つつかないで」

「あなた様が何故噴き出したのか、良く分からないのでございますが、どうぞ、上がってくださいなのでございますよ」

オルソラの部屋の中には天草式のメンバーが何人かいた。
肩まである黒髪に二重瞼、ピンク色のタンクトップに淡いピンク色のスラックスの五和もいた。
神裂と違って至って普通な格好なのが落ち着く。
一方『歩く教会』という純白の修道服に身を包んでいる、必要悪の教会ではどうなのか知らないが、
少なくとも日本では目立つ格好をしているインデックスは、

「やったよ、とうま!オルソラがね、お昼ご馳走してくれるって!」

引っ越しのため冷蔵庫や冷凍庫の中身を空にしたいらしく、余った食材で料理を振る舞うとのことらしい。
どうやらオルソラの言うご奉仕とは、お昼御飯をご馳走してくれる事らしい。
悪く言えば残飯処理かもしれないが、これも引っ越しの手伝いだ。
インデックスには天職と言ってもいいだろう。
彼女はテーブル前の椅子にお行儀よく坐り、右手にフォークを、左手にナイフを持って、
『ごっはん♪ごっはん♪ごっ・はっ・ん~♪』とご機嫌に口ずさんでいる。
こちらは特にやる事がないので、『法の書』事件でボロボロにさせてしまった五和に謝罪をすると、
『いえいえ。あれは私が未熟者であったからで上条さんに責任はありません』と健気な事を言われた。
神裂の言った通りだった。
『悪いな』と言って、オルソラの手料理を待つためにテーブルに着くと、五和以外の天草式連中が、
『あちらから話しかけられるなんてやったじゃないですか!』
『今の謙遜はポイント高いですよ!』
『だが会話をつなげられなかったという点では残念だ』
『いやいや、謙遜が五和のチャームポイントでしょう!』とか何とか騒いで、
五和が『待って下さい。私が上条さんに好意を抱いている前提で持て囃してないですか?私は上条さんに恋愛感情は抱いていませんよ』
と天草式の面々に釈明するのが聞こえる。
そりゃそうだろう。自分が五和に好意を抱かれる謂れはない。

残飯処理なんて思ってごめんなさい。
オルソラが美味しそうなパスタを振る舞ってくれて、上条は心の中で謝罪した。
見た目は一〇〇点で、実際に食べてみたら、これまためちゃくちゃ美味しい。味も一〇〇点だ。
しかも、時間も大してかかっていない。
余った食材かつ短時間でこのクオリティの料理が出来ることに感動する。
高級食材で時間をかけたら、一体どれほどの料理が出来上がるのか。
もっとも、時間はかければかけるだけいいというものでもないだろうが。
パスタだけでは終わらず、デザートのアイスまで頂いた。
アイスを綺麗な丸型に掬うあのスプーンで二杯分ほど。
インデックスはアイスが入っている容器ごと、スプーンで言うとざっと三〇杯はありそうな量を食べていた。
インデックスがアイスを食べている間に『アイスを掬うアレ、名前なんて言うんだ?』
『アイスディッシャーでございますよ』などと他愛のない雑談をオルソラと交わす。
やがてインデックスがアイスを食べ終えると、本格的にオルソラの引っ越しの手伝いをした。

荷物は意外とあり、荷造りが終わるころには夜になっていた。

「お二人とも、お疲れ様でございました」

「あれだけ美味しいお昼をご馳走になったんだから、手伝いなんて安いぐらいだよ」

「嬉しい事を言ってくれるのでございますね。……では、私はこれで。
 機会がありましたら、ロンドンのお部屋にも招待するのでございますよ」

「おう。オルソラも、学園都市に来る事があったら招待するよ」

そう言って、上条は手を振りながらインデックスと共に歩き出す。
オルソラも手を振りながら、護衛の五和と共に上条達とは反対方向へ歩き出す。
今日は特に何もなかった。このまま何も起こらずに残りの日程が終わればいいのだが。
などと上条が考えていると、

「こ、れは――」

インデックスが何かに気付いた時、上条の全身にも悪寒が走りぬけていた。
第六感が告げている。何か来る、と。

「伏せて!」

インデックスが叫んだのと、上条がオルソラを伏せさせるために彼女のところへ走ったのは同時だった。
やや後に、インデックスの声に反応した五和がオルソラを地面に押し倒す。
そんな彼女達のすぐ横の地面が、唐突に穿たれた。

「――狙撃か!?」

銃声のようなものは聞こえなかったが、地面に残る跡は弾痕に似ていた。
五和がオルソラを押し倒していなかったら、オルソラは謎の狙撃に射抜かれていただろう。

「俺は狙撃手をぶちのめしてくる!五和とオルソラとインデックスを連れて逃げてくれ!」

五和ならば何とかしてくれるだろう。
弾痕から、狙撃手がいるおおよその方向は分かる。
もっとも、魔術で弾道を曲げている可能性は否めないが。

上条は走り出そうとして、道路に沿って流れている運河から飛び出してきたのと、五和とオルソラの後方から迫る、
真っ黒な修道服に身を包み右手には槍を持った襲撃者がやってきたのを視界に捉えた。

「チッ!」

狙撃が心配だが、まずは二人の襲撃者を何とかせねばなるまい。
上条は一瞬の躊躇いも見せずに槍の襲撃者の方へと駆ける。
当然槍の襲撃者は、向かってくる上条へ向けて槍を放つが、それは体を捻ることであっさりと避けられ、
それどころか左手で槍を掴まれ引っ張られ、挙句の果てには顔面に右拳を貰い吹っ飛んだ。

「五和!」

上条は襲撃者から奪い取った槍を五和へと投げる。五和は槍使いだ。
普段彼女が使っている物とは規格が違うだろうが、きっとある程度使えるだろう。
その考えは正しかったようで、槍を受け取った五和は運河から飛び出してきた襲撃者を、たったの一振りで運河までぶっ飛ばした。
しかし、そこまでだった。
二人の襲撃者を捌くにあたり、どうしてもオルソラへ手が回らなかった。
オルソラの胸の中心に赤い点――レーザーポインターのようなものの照準が合わされ、

「AATR(狙いを右へ)!」

放たれた凶弾はオルソラのすぐ右へ逸れた。強制詠唱、いや魔滅の声というやつか。
どっちかは知らないが、とにかくインデックスに助けられた。

「助かったぞ、インデックス!」

「狙撃手なら済ませておくから、とうま達は逃げて!」

絶対防御に等しい『歩く教会』があるからと言って、そうはいかない。

「五和とオルソラは逃げろ!俺はインデックスと一緒に後で行く!」

「とうまぁ!?……もうっ!」

文句を言いたげだったが、ひとまずは狙撃手を優先する方が先だと考えたのか、インデックスはアルファベットを囁いた。
ややあって、少し遠くの方から呻き声のようなものが聞こえた。

「……とりあえず済ませたけど、逃げろって言ったのに逃げなかったのは何でかな?」

「お前を放っておけるわけないからに決まってんだろ」

「私には『歩く教会』があるんだから大丈夫かも」

「分かった上でに決まってんだろ」

「……も、もうっ」

インデックスは顔を赤らめながら上条から顔を逸らす。

「まぁまぁ。大変仲が睦まじいのでございますね。羨ましいのでございますよ」

「まだ逃げてなかったのか」

「上条さんが逃げ出さないのに、私達が逃げ出すわけにもいきませんし。
 というかインデックスさんの言う通り上条さんは逃げて、私が残るべきであってですね――」

五和の言葉はそこで途切れた。運河の方から轟音が響いたためだ。
さっき運河から飛びかかってきた奴を五和が沈めたが、まさかそいつが何かやったのか。
見やると、個人でやったレベルとは思えない光景が広がっていた。
運河を割って浮かび上がったのは水晶でできたような巨大な帆船。
運河の幅は二、三〇メートル程あるはずだが、それよりも大きく、左右の道路を強引に砕きながら膨らんでいく。

「まさか、これが……」

ローマ正教がやろうとしていた『何か』なのか。だとすれば、先程までの襲撃者はローマ正教の者か。
などとあれこれ考えていると、おそらくイタリア語で何かを喚き散らしながらインデックスにしてやられたらしき狙撃手が、通りから飛び出してきて水晶の帆船に飛び乗った。

「今は逃げよう、皆!」

インデックスの言う通りだ。
上条達は今もなお膨張し続ける帆船に巻き込まれないよう背を向けて逃げ出そうとしたが、
帆船の膨張速度の方がそれより早く、地面を砕いて飛び出してきた船体の縁に引っ掛かる。

「ひゃあ!?」

「きゃあ!」

「くっ!」

「の、おお……!」

船体の縁に乗っかる形となって、そのまま一五メートルほど真上に押し上げられる。
この高さから落ちたらひとたまりもない。

「五和、対衝撃用術式ってのは、この高さの落下衝撃にも耐えられるか」

上条の言わんとしている事を即座に理解した五和は、

「はい。ですが、人を抱えて飛び降りるのはさすがに厳しいです」

「インデックスでも駄目か」

「……インデックスさんには『歩く教会』がありますから、何とかなるかもしれませんが」

「危険ではございますよね」

「『歩く教会』はただ堅いだけじゃなく、衝撃を吸収・分散させるものだから大丈夫なんだよ」

彼女達の言い分をまとめると、インデックスなら多少の危険は伴うが飛び降りても大丈夫っぽい。
だったらこんな得体のしれない船にいるよりは、飛び降りた方が何倍もマシなはずだ。

「五和、インデックスを抱えて飛び降りてくれるか」

「……インデックスさんが良いのなら」

「何言ってるんだよ!飛び降りても平気とは言ったけど、とうま達をここに置いて行く事は平気じゃないかも!」

「……五和、頼む」

「……はい、分かりました。ごめんなさい、インデックスさん」

「あ、ちょっと、いつわ!?」

五和はインデックスを半ば無理やり抱きかかえて地上に向かって飛び降りた。
『あとで説教かもーっ!』という絶叫が聞こえてきた。

「……悪いな、オルソラ。お前をここに残す羽目になっちまって」

「何を言っているのでございましょうか。
 襲撃者――おそらくはローマ正教の方達の狙いは私でございましょう。
 だとすれば、私があなた様方を巻き込んでしまったのでございます。
 謝罪しなければならないのは、むしろ私の方でございます」

「……なんかすまん」

これは逆にオルソラを追い詰めてしまったか、と上条は反省しつつ、周囲を見回す。

改めて見ると、その巨大さを実感する。
こんなのが運河から飛び出てくるのは物理的にあり得ない。
そんな現象を起こせるのは、魔術しかない。
船体は、パッと見は水晶やガラスのようだったが、こうして近くで観察してみると氷に近い気がする。
ただし触ってみても冷たくはない。
とはいえ水は〇度で凍るから氷は冷たいもの、というのは一気圧下の常識であり、一定の条件下では沸点や凝固点が上下する。
場合によっては二〇度の氷や八〇度で沸騰するお湯なども存在しえるのだ。
ましてや魔術を使えば、二〇度の氷なんて容易く生み出せるかもしれない。
幻想殺しで触れても特に変化がないのは、魔術で作られた、というだけで魔術的――つまり異能の力は宿っていないからだろう。
と、船がガクンと揺れ、隣でふらついたオルソラが倒れてきた。
船が揺れたせいもあって、普段なら女の子が倒れてきた程度など踏ん張れる上条も、オルソラに押し倒される形となる。

「ご、ごめんなさいなのでございますよ」

「いや、仕方ないよ」

オルソラは慌てて上条の上から避けようとするが、船が再び揺れる事によってなかなか上条から離れられない。

「す、すみません」

段々とオルソラの顔が赤く染まっていくのをよそに、上条は不安を覚えていた。

――もしかしてこの船、進んでんのか?

船は元々揺れるものだが、明らかにただ揺れているというレベルではない。
さっきからベキゴキと何かを砕くような音が聞こえる。
この船は周囲の物を砕きながら強引に進んでいるために、こんなにも揺れているのではないか。
だとしたら。

「オルソラ!この船が進む先に橋はあるか!?」

未だ上条の上でもぞもぞしていたオルソラは、上条の突然の質問に対してきょとんとした顔になって、

「はぁ。ヴィーゴ橋がございますね」

「ならヤベェじゃん!悪い、オルソラ!」

上条は己の上でもたついているオルソラを丁重に横に避けて素早く立つ。
そして揺れる船体のせいで立てないオルソラをお姫様抱っこして、近くの船室に飛び込む。
その一〇秒後、巨大な震動があった。船が橋を砕いて運河を飛び出したようだった。

こんなに暗い中、海に飛び込んでもどこに向かっていけばいいか分からないし、衣服を着て泳ぐのは厳しい。
脱げばいいだけかもしれないが、夜の海はきっと冷たいだろう。
存外温かいかもしれないが、溺れる危険性もあるし、やはり泳いで陸まで行く気にはなれない。
よって、とりあえず身を隠してチャンスを窺うしかなかった。

「これが、ローマ正教がやらかそうとしていた『何か』なのか……」

外も氷だったが、中も氷だった。通路も壁も天井もドアも蝶番も、全て。
厳密に言えば氷かどうかは分からないが、とりあえず今は氷としか言いようがない。

オルソラと隠れた場所には砲台がいくつか並んでいた。もちろん氷でできている。砲弾らしきものはない。
もっとも、魔術なら砲台から魔力のエネルギー弾とか出せるのかもしれないが。

「こんな船があったとは、私は知らなかったのでございますよ」

船に乗る前のいざこざから考えて、オルソラを狙ってやったのは分かる。
『法の書』絡みで動機もある。が、オルソラ一人のためにここまでするか。
オルソラがどの程度魔術を使えるのかよく知らないが、アニェーゼ部隊や天草式の連中よりは弱いはずだ。
少なくともこんな船を用意する必要はないだろう。
自分とインデックスがいなければ、最初の狙撃で終わっていたはずだ。
はっきり言ってしまえば、オルソラはここまでしなくても簡単に殺せるだろう。
だとすれば、オルソラを殺すのはついでであって、主目的は別にあるのか。
と、オルソラが窓の外を見つめているのに気付いた。
オルソラに倣って窓の外を眺めると、自分達が乗っているのと同じ規模の氷の帆船が一〇隻ほど海の上に浮かんでいた。

「……この船は敵の本拠地ではなく、その一部に過ぎなかった、ということでございますか」

「元々本隊がこっちにあったのか、キオッジアじゃ狭すぎて展開できなかっただけなのか」

一隻だけでも手に余るのに、さらに規模が増した。ますます逃げ場がなくなった感じだ。
やはり海上での途中下船は諦めて、港に着くまで粘るしかないか。
あまりのスケールのでかさに現状はどうにもならないので、上条はわずかに脱力したが、

「……足音?」

「はい?」

オルソラが上条の呟きに反応する。上条は己の口元に人差し指を立てて当てた。
静かに、という意味のジェスチャーだ。
やがて、コツ、コツ、と上条の呟き通り足音のような音が聞こえてきた。

「(念の為隠れるぞ)」

「(どこにでございましょう)」

砲台が何台か並んでいるが、人が隠れるには心許ない大きさだし、そもそも砲台は壁際に並んでいるので身を隠せない。
身を隠すためのスペース確保のために砲台をずらせばずらした痕跡が残る。
これだけある部屋の中の砲台が多少ずれていたぐらいでは気付かない可能性もあるが、今からずらす余裕もないだろう。
オルソラの問いかけに、上条は無言でドアの横を指差した。

「(……まさか)」

「(そのまさかだよ)」

ドアの横は、ドアを開けた時に死角となる。上条とオルソラはドアの横でスタンバイする。
こんな方法が本気で通じるとは思わない。
ドアを開けた時に生じるわずかな隙間から見つかるかもしれないし、気配だって感じられるだろう。
だが、何もせずただ見つかってしまうぐらいなら。
古典的だし子供騙しの気休め程度にしかならなくても、隠れた方がマシではあるはずだ。
相手がドアを開けた瞬間に不意打ちを仕掛けるのも考えたが、そう簡単に成功しないだろうし、
仮に成功しても、巡回が帰ってこないという事実から新手がやってくるかもしれない。
結局、この船から穏便に脱出するには、この局面は相手を倒すのではなくやり過ごすのがベストなのだ。

そしてその時が訪れた。ドアノブが回され、ドアが開く。
勢いよくでも、ゆっくりでもなく、普通の速度でドアは開かれた。
上条達は息を殺して気配を絶つことにひたすら集中していたが、

「……私の事ナメてんですかねぇ」

聞いたことのある声がした。
そう思った時には、目の前に見覚えのある少女が躍り出て来ていて拳を放ってきたところだった。
顔面狙いの右拳を、上条は左手でキャッチする。
拳を止められて顔を不快そうに歪めた少女は、続けざまに左足を上条の股間目がけて放つ。
が、今度は右手に阻まれた。

「見つかっちまった以上は仕方ねぇ」

上条は少女を突き飛ばすように拳と足を掴んでいた両手を放す。
狭い部屋の中で体勢を崩した少女へ、上条は一歩踏み込んで、

「おぶへぇ!?」

オルソラによる背後からのタックルを受けて前のめりに倒れる。
その拍子に空を切った右拳はパーに開かれ、支えを得るために何かを掴まんとして少女の剥き出しの左脚を掴み倒れた。
その結果どうなったかと言えば、

うつ伏せに倒れる上条の背中にはオルソラが乗っかり、少女も仰向けに倒れている。
平たく言えばオルソラの大きめの胸が背中にダイレクトに当たり、目の前には白いショーツがあった。
上条のせいで倒された少女の穿いている下着だ。

「オルソラ!?一体全体何を思ってタックルなんてしたんだ!?」

「ここで反撃してしまえば、あなた様もローマ正教に仇なすものとして断罪されてしまうと思ったのでございますよ」

「今更そんな事……俺は既に『法の書』事件でも『使徒十字』事件でもローマ正教と敵対しているんだぞ」

「ですが、あなた様の存在はまだ明るみには出ていないかと思うのでございます。
 イギリス清教の方々も、きっとあなた様が関わった痕跡を消すように根回しをしているはずでございましょう。
 今ならまだ、私と一緒にいたところをたまたま巻き込まれたということで、あなた様だけは助かるかもしれないのでございます」

「なるほどね。けど、俺は既にこの船に乗る前に襲撃者を退けちまったし、そもそも俺だけが助かっても、納得なんか出来ねぇよ。
 前にも言ったけど、全員が生き残って初めてハッピーエンドなんだ。
 お前が生きてなきゃ意味ないんだよ。そこんところ忘れんなよ。
 今度私が死んでもあなた様が助かるなら、とか抜かしたら、一発拳骨かますからな」

「……はい。分かったのでございますよ」

と、ここまで静観していた――というよりはこんな状況にもかかわらず、
まるで自分など眼中にないという調子で会話していた上条とオルソラに呆気にとられていた少女が切れた。

「……いつまで人の下着見ながらイチャイチャしてんですか!この変態発情ニホンザルがぁーっ!」

少女――アニェーゼ=サンクティスの右足が上条の頭に何度も放たれた。

背中にオルソラがいなければ、素早く立ち上がって反撃できる。
だからオルソラに早くどいてくれと頼んだのだが、

「待って下さい。シスター・オルソラの言う通り、ここで私に反撃すればそれこそ一巻の終わりですよ」

「そう言うからには、反撃さえしなければお前は俺達を見逃してくれるとでも言うのか?」

「私以外の誰かに見つかった場合は知りませんが、私は見逃してやってもいいですよ。ただし、こちらの条件を呑んでもらいますがね」

何が何だか分からないが、現時点でアニェーゼが船に乗っているだろう他のメンバーと通信などをした素振りはない。

「脅しではありませんが、断った場合は素直に人を呼びます。
 その場合、泳いで逃げるしかねぇと思いますが、陸まで何キロあるか分かったモンじゃねぇですし、バチャバチャ泳いでいたら砲撃されるのがオチでしょうが」

どう聞いても脅しだ。

「条件を呑むか呑まないか、どちらを選択すれば助かる確率が高いか、猿でも分かりますよね」

相変わらずサディスティックな口ぶりだ。

「……その条件が自殺しろとかじゃなければ、とりあえず聞こうか」

最初殴りかかってきたのは殴られた恨みからだろうか。
何にしても今は敵意を感じないし、とりあえずはアニェーゼの言い分を聞いてみるしかない。

「まずは簡単な状況説明からしちまいましょうか」

アニェーゼは砲台の上に足を組みながら座っている。
背中が大きく開いたドレスみたいな修道服を着ているのだが、それは太股の半分くらいまでしかなく、脚がかなり露出されている。

「貴方達が乗り合わせたこの船は『女王艦隊』の護衛船の一隻です。
 『女王艦隊』というのは、アドリア海の監視のために作られた艦隊です」

「アドリア海の監視……それだけのためにこれほど大きい施設を作る必要があるのでございましょうか?」

「今ならもっとコンパクトにできるかもしんないですけど、『女王艦隊』が造られたのは数百年前、
 常に監視を続けなくちゃなんないほど、アドリア海の治安が危ぶまれていた時代の事ですから」

それに、とアニェーゼは続けて、

「他宗派の牽制っつー意味合いもあんでしょうね。近頃は魔術サイドの組織図にも揺らぎが出ています。
 どこかの猿のせいで。それを整えるためにも、でかいイベントが欲しかったんでしょう」

「……たかが牽制のためにオルソラを手にかけようとしたってのか」

「牽制すら危ぶまれる、と思ったんですよ。
 貴方達はローマ正教のプロジェクトを破ったのでブラックリストに載っていますし、
 片方は禁書目録を連れて日本から、片方は天草式という戦闘集団を連れて来たんですから。
 まるで『女王艦隊』の牽制を邪魔に来たかのように」

ブラックリストに載ってしまったのなら、オルソラが先程言っていた、ここで仇なさなければ助かるかもしれない、という線はほぼないだろう。

「私はローマ正教の方々が何かをやらかす前に引っ越しの準備をしにきただけなのでございますよ。天草式の皆様はその手伝いでございます」

「何かやらかす、ですか。じゃあやっぱり、何か掴んでいるってことじゃないですか。
 果たして本当に『何か』としか分からなかったのか、甚だ疑問ですが」

「イギリス清教は何か掴んでいたとしても、少なくとも俺達はローマ正教が何かやらかしそうってことしか知らされていない」

「誰が喋って良いって言ったんですか。私が良いというまで猿は黙っていてください」

元から辛辣な発言が目立つアニェーゼだが、どうもさっきから当たりが強すぎる気がする。

「シスター・オルソラの言い分は一応筋が通っていますが、貴方はどうしてイタリアに?素直に言わないと六万回蹴った後に人を呼びます」

「俺が正直に言ったとしても、お前が嘘だと判断したら」

「そんな使えない指摘はどうでもいいんですよこの猿が。
 今度余計なこと口走ったら、その股の間についている汚らわしい棒と玉をすり潰した後に人を呼んで、大量の人間に嬲られてもらいますから」

もう何を言っても罵倒しか返って来ないのか。
とにかく機嫌を損ねたらおしまいだ。ここはアニェーゼに乗っかるしかない

「そうだな。余計な事だったかもしれない」

「かもじゃなくて余計な事だっつーんですよ」

「そ、そうだな。余計なことだったよ。
 俺がイタリアに居るのは、オルソラと同じくイギリス清教から命令があったからだ。
 ほら、学園都市とイギリス清教って繋がっているだろ?」

土御門がスパイという事は、きっとばらしてはいけないだろうからこう説明した。完全に嘘ではない。
土御門だってイギリス清教から受けた命令を自分に促したのだろうし、間違いではないはずだ。

「……だとすると結局、貴方達の意思はどうであれ、貴方達は私達の陰謀を止めるためにここに派遣されたってことじゃねぇですか」

「つっても、個人や小規模宗教集団で何とかなるレベルじゃないだろ。イギリス清教の予想は超えていたんじゃねーのか」

「私が喋って良いっていう時以外は喋んなって言いましたよね。どんだけ学習能力ないんですか。
 せっかくあなたに合わせて日本語喋ってんのに、それすらも理解できませんか。
 まあ猿だから仕方ないですかね。猿に日本語分かれってのも酷な話だったかもしれません。
 すみませんねぇ。どうやら私の配慮の方が足りなかったみたいで」

言われ放題すぎだが、機嫌を損ねたらおしまいなので何も言えない。

「ま、貴方の言う通り、サル一匹とシスター・オルソラと猿山集団じゃ、『女王艦隊』は手に負えねぇでしょうし、
 ひとまず貴方達もある意味被害者ってことで納得しておきますか」

ここで『そうだよ!俺達ごときじゃどうにもならないよ!』なんて言ったらわざとらしすぎるので黙っておく。

「さて、状況説明も終わり貴方達の事情も聞けたわけですし、本題に移りましょうか」

アニェーゼは足を組み直しながら、

「ここで貴方達を見逃す代わりに、シスター・ルチアとアンジェレネ。私の部下ですが、彼女達を助けてやってほしいんです」

上条は横目でちらりとオルソラを見る。アニェーゼに喋るなと言われているので、オルソラに尋ねてほしいのだ。
オルソラも上条の意思を汲み取って、

「あの、どういう事でございましょうか?」

直後だった。
アニェーゼが突如立ち上がり、上条の顔面へ蹴りを放つ。
上条はそれを、顔を左に振ることで避ける。空を切った脚は上条の右肩に乗っかる。

「……えっと、どういうことでしょうか?」

思わず敬語で尋ねる上条は、視線を横へ流す。白いショーツが丸見えだからだ。

「アイコンタクトがムカついたんです。だから、もう自由に喋っちまって構いません」

アニェーゼは上条の右肩から足を降ろして砲台に腰かける。

「ここは一種の労働施設も兼ねているんです。というか、むしろその側面の方が強いですかね。
 私みてぇな罪人、失敗者などを集め、ローマ正教が受けた損失分を支払うためです。
 だから船には私の部隊のシスター達もたくさん乗っています」

「助けるっていうのはどういうことだ?」

上条が尋ねると、アニェーゼは驚いたような顔になる。

「……どうした?」

「い、いえ。まあ貴方達が助かるには条件を呑むしかありませんし、当然の反応ですね」

何やら一人で納得しているようだが、一体どんなことを考えたのだろうか。

「シスター・ルチア、アンジェレネは一度ここを脱獄して再び捕まりました。そのため、罰を受けているんです」

「罰というのは……もしや、脳の構造を砕くのでございましょうか」

「そうですね。魔術を使えないようにするためには、殺すか思考力そのものを奪っちまうのが手っ取り早いですからね。
 そのため、彼女達には『加工』が施されようとしています。それを妨害してください。
 そうすれば貴方達は彼女達に付き添う形で脱出できる。猿でも出来る簡単なお仕事でしょう?」

「ですけど、脱獄術式は既にローマ正教側にもばれているのでございましょう?」

「『女王艦隊』ではこれから大仕事があります。
 詳しい事は私も知りませんが、そちらに人員を割くので一人二人の脱獄は気にしていられないんですよ」

「お前や他の奴らは脱出しなくていいのか」

上条の発言に、アニェーゼはまたしても驚いたような顔になって、

「何なんですか貴方は。ロリコンなんですか?」

「どっからそんな結論が導き出された」

「自分の発言を反芻してみれば分かるでしょうが」

「分からねぇ。つーか、そんなことはどうでもいい。お前達は脱出しなくていいのかって聞いているんだけど」

「しませんよ。
 最低限の衣食住は保障されていますし、象徴的役割である私に至っては、ある程度の自由すら認められていますしね。
 それなのにシスター・ルチアやアンジェレネときたら、最初の脱獄の時に『いずれ必ず助けに来ます』とか抜かしちゃって。
 ほんと、滑稽でしたよ」

相変わらずの辛辣な口調であったが、後半の方はなんとなく嘘だとしか思えなかった。

「大体、人の話を聞いていなかったんですか?
 一人二人の脱獄は気にしなくても、一気に二五〇人も減るのは見逃せねぇでしょう。頭大丈夫ですか?」

「分かった上で聞いているに決まってんだろ。
 むしろ二五〇人が一気に減った方が、それこそ大仕事とやらに支障を生じさせられるんじゃないのか」

「……呆れますね。
 そこまで言うなら片っ端から『俺と脱獄しない?』って誘ってみれば良いんじゃねぇですか。
 さっさとシスター・ルチア、アンジェレネと脱獄した方が賢明だとは思いますがね。
 私は断っておきます。意外とここの環境悪くないので」

「悪くないってのは、どの程度で?」

「そんな事を知っても何にもならねぇと思いますが……そんなに知りたいですか?」

「知りたい」

上条があまりにも素直なので、アニェーゼは仕方なくといった調子で話し始める。

「ここは労働施設ですが、私は労働が免除されています。
 艦隊に拘束されてはいますが、艦隊の中を自由に行き来する事が出来ます。
 一日三食に食後のデザートもあります。結構いい環境でしょう?」

確かに『悪くない』とは言えるレベルではあるかもしれない。
しかし、こんな息がつまりそうな艦隊に拘束されている時点で『結構いい』とは言い難いと思える。
もっとも、日本での自由な生活と比べた場合の見地だが。
比較対象とするのなら、この艦隊の中で労働させられているらしい他のシスターを比べるべきだろう。
ということで、

「他の奴らは?」

「さっきも言った通り最低限の衣食住は保障されていますが、平均にして一日一八時間労働。
 作業内容自体は単純ですがね。それでも貴方の誘いは断るでしょう。
 シスター部隊のリーダーである私が屈服している以上、私達ではどうにもならない、と思っちまっているでしょうから」

なるほど他のシスターに比べアニェーゼは相当優遇されているようだ。
アニェーゼが元々部隊を率いるような人材だからか。それとも何か別の理由があるのか。

「さて、もういいでしょう。
 死にたいのなら勝手に動いちまって構いませんが、生きたいのならシスター・ルチア、アンジェレネを助けて一緒に脱獄した方がいい。
 たったそれだけの話です。彼女達を助けるというのなら、私もある程度協力します。つっても、陽動のために旗艦へ行くだけですがね」

色々言いたい事はあった。けれど、ひとまずは。

「もちろん、まずはルチアとアンジェレネを助けるよ」

アニェーゼの話によると『女王艦隊』は自動制御。
乗組員の大半はシスター部隊。しかし船も一〇〇隻近くあるから、一隻あたりはほぼ無人。
魔術的な防御システムはあるが、上条の右手なら問題なし。とのことだった。
魔術的な防御システムを打ち砕けば、そこから他の奴らに見つかるのではないかと不安だが、だからと言ってそれに怯えたところで事態は進まない。
やるしかないのだ。

「万が一見つかっても、何とかなると思うのでございます」

オルソラが不安を拭うように言った。

「基本、ローマ正教はプライドが高く相手を見下す傾向が強いのでございます。
 私達はブラックリストに載っているとのことでございましたが、
 いくら私達でもこの艦隊の前ではどうする事も出来まい。と思っているはずでございます。
 ですから、艦隊に捕らえた時点で勝ちを確信し、念のために私達を拘束する人材すら碌に寄越さず、
 私達に協力するつもりでいたアニェーゼさんしか来なかったのでございましょう。
 もちろん、他の人達は労働させられていて、アニェーゼさんが自由に動けるというのもあったのでございましょうが」

牽制すら危ぶまれると警戒した割に、とは思っていたが、見下し傾向があったからだったのか。
しかしながら、オルソラは至って謙虚で優しいし、リドヴィアも直接話した事はないが、父いわく悪い人ではないらしいとのこと。
アニェーゼやオリアナは人を馬鹿にしたような発言はままあったが、見下しとは少し違う気がする。
アニェーゼは、どんな過去があったのかは知らないがよほど人を信頼出来ないようで、
裏切られるのを怖がっているのか、人を拒絶しているように見受けられる。
人を拒絶する為に。人を避けるために。
その気持ちが辛辣な発言という形になって出ているだけのような気がする。
オリアナは見下すというより、単に相手を馬鹿にするのを楽しんでいるだけに見える。
両者とも相手を見下して罵倒することにより自尊心を保っているようには見えない。
だからと言って、両者のそんな性格は決して褒められるものではないが。
そもそもオリアナはローマ正教に雇われていただけで、純粋なローマ正教徒ではなかったが。

「見下し傾向は艦隊の中で私達が動き回る事にも当てはまるのでございましょう。
 きっと、私達が少々動きまわったところでどうにもすることはできない。と考えている可能性の方が高いと思うのでございます」

「……ありがとう。少し楽になったよ」

アニェーゼが多少の太鼓判を押したところで、不安は大きかった。
何せ相手は一〇〇隻の船だ。見つかってまともに相対すれば勝てるはずなどないのだから。
でも、オルソラのおかげで少し楽になった。

現在、ルチアとアンジェレネが幽閉されている三階部分のとある部屋に向かっている最中である。
そこまでの道中は特に何もなかったのだが、

「……最後の最後に面倒くせぇなぁ」

ルチアとアンジェレネが幽閉されている部屋の前に、氷で出来た鎧が立っていた。
大きさは三メートルほどもあり、手にはメイスのようなものが握られている。
もっとも、それは問題ではない。
氷の鎧を動かすのにはきっと魔術が必要なはず。
だとすればこの船そのものとは違い、幻想殺しで容易に崩せるはずだ。
問題はその先。氷の鎧が崩れたことによって大きな音が響く。
ルチアとアンジェレネが幽閉されている部屋に、彼女達以外の人間がいるとしたら。

「少なくとも、ルチアさんやアンジェレネさんに魔術的な処置を施す術者が何名かいるはずでございましょうが……私に任せてほしいのでございますよ」

見た者を幸せな気分にしてくれるにっこり笑顔なのだが、

「えっと、信じていいのか」

「はい」

良い策は思い浮かばない。
だからと言ってここで立ち往生しても仕方ない。

「そうか。なら、信じるぞ」

言って上条は身を潜めていた曲がり角から飛び出す。
氷の鎧の懐に踏み込み、右拳を繰り出す。
氷の鎧は一つのアクションすらできず右拳を喰らい、崩れ去った。
一足遅くオルソラがやってきて――いきなり扉を開く。

氷の鎧が崩れた音を聞いてだろう。扉の前には五人の男が立っていた。
奥には黄色い袖やスカートの修道服を着用しているシスター・ルチア、アンジェレネ。
五人の男は細く不健康そうだった。漆黒の修道服を纏っている。
見たところ武器らしきものは持っていないし、これなら一人でやれるかもしれない。
上条が一歩踏み込んだところで、

「動かないでください」

オルソラが割って入るように、おそらくイタリア語で何か言った。

「これ、どうやって壊したと思います?」

オルソラは足下に散らばっている氷の鎧の成れの果てを指差す。
オルソラが何を言っているかは分からないが、雰囲気的に、
強力な兵器を持っているフリによる脅しで切り抜けようとしているのではないか。
目の前にいる奴らが、幻想殺しを知らないならば通じる可能性はある。
ブラックリストに載っているぐらいなのだから、知っていてもおかしくはない、
というより知っているのが普通に思えるが、ローマ正教は見下し傾向が強い。
見下しているからこそ、見下している相手の詳細なんて知らなくてもおかしくない。
事実、オリアナは知らない風だった。
もっとも、ブラックリストに載ったのが『使徒十字』阻止からだったら知らなくて当然だし、オリアナは純粋なローマ正教徒ではないが。
それならそれで、自分がブラックリストに載ってから一週間経過した程度だから、ローマ正教の全ての人に情報が浸透していない可能性は十分あり得そうだ。

オルソラは袖の中に手を入れて、

「ま、待て!分かった!そちらの要求を呑もう!だから、助けてくれ!」

男の中の一人がおそらくイタリア語で何か喚いた後、両手を挙げた。
言語が分からなくとも、ジェスチャーの意味は分かる。

「お手数ですが、彼らを拘束してください」

日本語で、にっこり笑顔で言われた。

オルソラは『秘密兵器を持っている』ハッタリをしているため、男達に不用意には近付かない。
だから自分が男達の手足を縛るしかないのは分かるのだが、いかんせんこの船にはロープになるようなものはない。
そのため仕方なく男達のズボンのベルトを外して代用した。
男のベルトを緩めるなどという気持ちの悪い体験は、本当にこれで最後にして欲しい。
男達の拘束が終わると、オルソラは息を吐いて袖から手を抜いた。
表面以上に緊張していたのだろう。

「さて、助けに来たのでございますよ」

オルソラがイタリア語で何か言う。
イタリア語だと状況が把握できない為、

「オルソラ、日本語で頼む」

「はぁ。分かったのでございます」

そんなやりとりをしている中、ルチアとアンジェレネは警戒しているようだった。
ルチアは猫のような鋭い目を細めてこちらを睨みつけ、アンジェレネはそんなルチアの腰辺りに抱きついている。

「まったく意味が分かりません。貴方達がここにいるのもそうですが、私達を助けるメリットも見当たりませんし」

ルチアがイタリア語で何か言った。
日本語で頼むと要求したのに、随分と意地悪だ。
仕方ないのでオルソラに翻訳してもらった。

「一から説明すると長くなるから端折らせてもらうけど、俺達はこの船に巻き込まれた。
 だからここから出たいんだが、その為にお前達の術式が必要ってアニェーゼから聞いた」

ここでアニェーゼの名前を出すと彼女の裏切りが拘束した男達にばれるのだが、出さなければルチアとアンジェレネを説得できない。

「し、シスター・アニェーゼに、ですか?」

聞き覚えのある名前に、アンジェレネはわずかに警戒を解いたようだ。
が、ルチアがアンジェレネの頭を上から押して、

「シスター・アンジェレネ!異教徒の言葉です。罠の可能性も考慮しなさい」

オルソラに翻訳してもらうプロセスを踏むのが馬鹿らしいと思ったのか、今度は日本語だった。

「すっ、すみませんっ!でも、この人達がシスター・アニェーゼに会っているとすれば、もしかすると、あっちの方も……」

「ですから、それも希望の話でしょう!彼らはシスター・アニェーゼと私達の関係を知っています。
 その上でこちらの食いつきそうな嘘をついているだけかもしれないでしょう!」

相も変わらず魔術師とは疑い深い生き物だ。

「……あのなぁ」

「では逆に、あなた達は何故私達がここまで来たとお考えでございましょう?」

言おうとした事を、オルソラが言ってくれた。

「あなた達を助ける以外に、私達がここまで来るメリットが、この部屋のどこにあるのでございましょう?」

さすが異教の地で教えを広めただけのことはある。
今の反論は自分にも簡単にできたが、先程のブラフはできないだろう。

「助ける価値がないなら素直に見捨てている、ということですか……。分かりました。そちらの言い分にも一理ほどはあるでしょう」

脱獄術式とは、海底コースターらしい。
ただしそれを使うためには修道服の拘束機能を破壊しなければいけないらしい。
だったら右手の出番だと言いたいところだが、右手で触れた途端に修道服が四散してルチア達を下着姿にしてしまうかもしれないので、
彼女達が自力で修道服を一部破損させて機能を奪うのを待つことになった。

「これで今度こそシスター・アニェーゼと一緒に脱出できるんですね!」

ペンで修道服に穴をあけて拘束機能を奪う作業を終えたアンジェレネが嬉しそうに言う。

「それで終わりにしたくはありませんが、まずはシスター・アニェーゼの保護が最優先でしょう」

「シスター・アニェーゼとはいつ合流できるんでしょうかね」

「そう簡単にはいかないでしょう。おそらく、彼女も極秘で動いているのですから」

「……悪い。アニェーゼは、多分来ない」

告げると、二人の表情が目に見えて変わった。

「何で、ですか?だって、シスター・アニェーゼと会ったんでしょう?それでお願いされたんでしょう?私達を助けてって」

「アニェーゼは、お前達を助けるために旗艦に行って陽動になるって言っていた」

「冗談ではありません!私達が危険を冒してまで脱獄しようとしたのは、それを防ぐためだと言うのに!」

ルチアが叫ぶ。しかしこちらも、そう言われたところで何が何だか分からないのだ。
それを表情から察したのか、ルチアは、

「もしかして……この『女王艦隊』が何をする施設か分かっていない……?」

「労働兼監視施設、とアニェーゼさんは仰っていましたよね。あとは牽制の意味合いがあるとか」

「ああ。そう言っていたな」

「違います」

ルチアは即座に否定して、

「『女王艦隊』は旗艦『アドリア海の女王』に収められた、同名の大規模魔術および儀式場を守るための護衛艦隊です。
 私達に課せられた『労働』とは、その下準備です。
 たかが監視や労働や牽制の目的だけで、これだけの大施設が必要となると本気で思ったのですか!」

「『アドリア海の女王』……」

「私達も詳細までは知りません。分かっている事は、大規模魔術『アドリア海の女王』は旗艦で行われる事。
 その発動キーとして『刻限のロザリオ』という別の術式が関わっている事」

そして、とルチアは区切った後に、

「『刻限のロザリオ』には、シスター・アニェーゼが使われるという事です」

使われる、という人間に対しては不穏なワードに眉を顰めている間に、ルチアは、

「先程言った通り詳細は分かりませんが、シスター・アニェーゼを使用するのは絶対で、少なくとも脳は破壊されると」

「……あいつ」

ルチアの言い分が正しければ、アニェーゼは嘘をついてまで、自ら危険な事に飛び込んでまで、ルチア達を助けようとしたことになる。
と、

轟音と共に、船体が大きく揺れた。それに伴って、上条達は倒れる。

「もしかして……撃たれた!?俺達の動きがばれたのか!?」

「ばれたとしても、味方艦ごと沈めるなんて……」

オルソラの言う通りだ。
自分達の動きが目障りだから排除するのだとしても、一隻あたりはほぼ無人だとしても、味方ごと沈めるなんて常軌を逸している。

「いいえ!護衛艦の素材は海水です!アドリア海が干上がりでもしない限りはいくら壊れても修復・造船は可能です!」

それにしたってこれだけの船を造るのは大変だろうし、少ないとはいえ味方も乗っているのに。

「クソッタレ!」

脱獄術式の海底コースターは、まずは船底に行かなければいけないらしい。
しかし今から行ったところで間に合う訳もなく、他の艦からの多角的な砲撃に幻想殺しで対応しきるのも無理な話だ。
砲撃はなおも続き。

為す術もなく、船は砕かれ、海に沈んでいった。

「『聖バルバラの神砲』……。一体、何に向けて撃っているんですか」

『女王艦隊』の旗艦『アドリア海の女王』、四角錐の部屋でアニェーゼは尋ねる。
相手は首に四本のネックレスを提げて法衣を纏ったローマ正教の司教、ビアージオだ。

「分かっている癖に。決まっているだろう。ネズミの排除だよ」

「味方もいるのに、ここで無理に排除する必要はなかったでしょう」

「よその艦を乗り継いでここに辿り着かれたら困るだろう?」

砲撃の音は既に止んでいた。
これが示す事は、船の撃沈が完了したということ。
沈む前に術式によって脱出していなければ、まず助からないが……。

「彼女達の脱獄術式に縋るのは楽観が過ぎないか」

「……全て筒抜けってわけですか」

「安心したまえ。『刻限のロザリオ』の適性は君だけだ。
 多少の背信があっても君をどうこうする事はない。ネズミ排除も済んだ訳だしな」

アニェーゼは舌打ちの一つすら堪えて、何とかわずかに眉を顰める程度に留めた。
ビアージオは、そんなアニェーゼの表情を眺めて満足そうに微笑み、

『ビショップ・ビアージオ!緊急です!』

首のネックレスに提げられている数十の十字架の一つから声が聞こえる。

「何だ?」

『三七番艦撃沈後の下部に巨大構造物の反応あり!船の残骸を回収しているようです!』

「……分かった」

巨大構造物。個人で用意できるレベルとは思えない。となると。

「天草式、だったか。だから早めに潰しておけと言ったのだ。まったく、どいつもこいつも使えない連中ばかりだ」

「船ごと容赦なく沈められたのは流石にビビったのよな。でもまあ、何とか間に合って何よりなのよ」

「ローマ正教って基本、正気じゃないんだなって思ったよ」

一度は海に沈んだ上条がこうして建宮と呑気に会話できているのは、天草式製の上下艦に回収されたからだ。
オルソラにルチアやアンジェレネ、さらには他の人達も全員回収したらしい。

「それよりもとうま、体は平気なの?」

「まあ大丈夫だよ。それよりも大事なのは、これからどうやってアニェーゼを助けるかだよ」

「何を言っているのかな、とうまは。そろそろ自分の身を省みるということを覚えた方がいいかも」

「だから、まずは詳しい話をルチアとアンジェレネから聞かないと」

「無視?それともナチュラルに聞こえていないの?」

インデックスのこの手の説教は長いと決まっている。
まともに相手しているとあっという間に翌朝になってしまう。

「よく分からんが、ルチア嬢達から話を聞くなら、まずはあの拘束服をどうにかする方が先だろうな。
 そのためにはお前さんの右手が最適だが」

「幻想殺しで触れた途端に、修道服がバラバラになって、彼女達が下着姿になってしまう」

「その問題を解決する為に、一つ妙案があるんだが」

妙案でも何でもなかった。
目隠しをされた状態で、ルチアとアンジェレネに触れる。
もっとも、これだけでは天草式の男子面々に晒されてしまうため、四方を暗幕で囲んだところで、だ。
付き添いにはオルソラとインデックスの二人。

「くっ。こんな……何でこんな恥辱を……」

そんな真面目に恥ずかしがる事もないんじゃないかと思う。
というか、そっちが下手に緊張するとこっちも緊張してくる。

「まあまあ。上条さんは目隠しをされているので、あなた達の下着を見ることはないのでございますよ」

誰もが分かり切っている事を改めて口にするオルソラ。

「そんな改めて言葉にしないで下さいよう」

アンジェレネが多分、涙目になって言った。

「すぐでございますよ。一瞬一瞬」

オルソラはそう言って上条の右手を掴んで、まずはルチアに触れさせる。
甲高い音が響いて、するすると修道服が落ちる音が聞こえて、きゃあああ!というルチアの悲鳴が響き、
落ち着くのでございますよ、とあくまでマイペースにオルソラが言って、
ようやくルチアが落ち着いてきたところで今度はアンジェレネに触れさせられて、
やっぱり悲鳴が響いて、オルソラがマイペースに落ち着かせた。

ここからバラバラになった修道服を安全ピンで縫いとめる作業がある為、ルチアとアンジェレネは引き続き暗幕の中だ。
暗幕の外で上条は目隠しを外して尋ねる。

「さて、お前達はアニェーゼを助けたいんだよな。そのために具体的にどうするかの考えはあるのか?」

「……つかぬ事を聞きますが、なぜあなたはそんなにやる気満々なのでしょう?」

ルチアから疑問の声が上がった。

「私達はかつての敵同士。船を出るときは私達が必要だったから助けようとした。
 ですが、脱出できた今、私達に関わる必要はもうないでしょう」

「放っておくとアニェーゼは最低でも脳は壊されるんだろ?だったら、放っておけないだろ」

「……ですから、シスター・アニェーゼも敵だったでしょう!
 ましてやあなたは、シスター・アニェーゼに痛めつけられたのでしょう!?」

「だったら何だ。そんなのがアニェーゼを見捨てる理由にはならないだろうが」

「……意味が不明です」

「そうだよ。とうまなんていっつも意味不明なんだよ」

横合いからインデックスが口を挟んで来た。

「とうまはね、散々理屈をこねくり回すくせして、最終的には感情に従って動くんだよ。
 考えた結果、それがどれだけ無謀な事か正しく理解したとしても。
 それまで垂れた講釈は何だったのってレベルでね。とうまはお勉強こそできるけど、間違いなくおバカさんだよ」

割と酷い言われようなのだが、図星と言えば図星なので何も言えない。

「それでね、とうまはものすっごぉーく頑固なの。一度決めたら梃子でも動かない。
 私達がどれだけ説得しても舌をフル回転させて説き伏せて、最終的には、『うるせぇ!俺はやるったらやるんだ!』って、やっちゃうんだよ」

だからまあ、とインデックスは締めに入る。

「私は今回の事情全然分かってないけど、助けるとか助けないとかっていう話なら、もうそこの段階を論ずるのはあまりにも無駄かも。
 どうせ最終的に、とうまは『やる』ってことになるんだから。さっさと具体的な助ける手順を考えた方が手っ取り早いんだよ」

完全に諦観しているインデックスの発言に乗っかって、

「そうで、ございますね」

今度はオルソラが喋り出した。

「私が言うのも恥ずかしいのでございますが、私を助けるためにあなた達シスター部隊に歯向かったおバカさんでございますもの。
 まともな理屈は通じないのでございましょう」

「……分かりました。協力を頼んだつもりはありませんが、ついてきたいのなら勝手についてくればいいです。
 ですが、あなた達が危機に陥っても私達は助けないのであしからず」

「それで構わないよね?とうま」

「もちろん。けど、まさかお前までついてくるつもりじゃないよな」

「とうま?ふざけたことほざいていると頭蓋骨噛み砕くよ?」

「いくら『歩く教会』でも、海に沈むのはヤバいんじゃないのか」

「それは皆同じかも。なんで私だけ蚊帳の外にされなきゃいけないの。大体何で沈むのが前提なの」

「万が一の事考えてだよ」

「とうまがベストを尽くして私が海に沈まないように守ってくれたらいいかも」

「……でもなあ」

「上条さん、あなた様もわがままを通すのでございますから、インデックスさんのわがままを聞き入れないのは無理があると思うのでございますよ」

「さっすが、オルソラは話が分かるんだよ。それに比べてとうまときたら……あーイライラしてきた。
 そう言えば私を強制的に船から降ろしたことについてまだ説教してなかったね」

「助けてオルソラ」

「あなた様と一緒に居たかったのにいられなかった。そこからくる怒りなんて可愛いものでございましょう。
 大人しく甘受するしかないのではないでしょうか」

「オルソラの後押しもある事だし……いただきます!」

そしてインデックスが飛びかかってきた。

オルソラの後押しを受けたインデックスは未だかつてないほどしつこかった上、
誰一人として助けてくれなかったため、背後に回り込んでがっちりホールドし続けるしかなかった。
それでそのままの状態で、自分達の騒ぎを知って、ルチア達がアニェーゼを助けたいと知った天草式も協力することになって、
アニェーゼを助ける作戦を練ったのである。

「東洋人というのは、基本的に頭がおかしいのでしょうか……?」

この場に居る人間全員が敵だった集団の親玉を助けに行くことに賛同していることを、ルチアには理解しがたいのだ。

「し、シスター・ルチア。協力してもらうのにその言い草はないんじゃないですかぁ?」

「頼んだ覚えはありません」

なんてやりとりをしている凸凹シスターコンビを、オルソラは見つめながら、

「こうして客観的に見ると、ローマ正教徒がどれだけ疑い深いのか分かるのでございますね」

「まったくだよ。人を疑うのなんて疲れるだけだろうに。人を信じる事の方がよっぽど簡単だろ」

「とうまは極端すぎなんだよ。いずれ詐欺にでも引っ掛かりそうな勢いかも」

「それは信じる心につけこんで騙す詐欺師が悪いのであって、人を信じる事自体はいいことだろ」

「こんな感じでとうまはああ言えばこう言うんだよ。分かる?
 助けるか助けないか論じていたら、こっちが折れなかったら翌朝になっていたかも」

と、インデックスはシスターコンビに話を振る。
インデックスときたら、さっきから直接言い返すんじゃなく、他人を味方につけて攻めようとしてくるからタチが悪い。

「……そ、そんなに頑固なんですかぁ?」

「うん。馬鹿みたいに頑固なんだよ。オルソラを助ける時も私含めて四対一で説得したけど全く折れなかったもん。
 ルチアもアンジェレネも何か言ってやってよ」

「私は既に言いましたよ。頭おかしいって」

なんでこんないじめに遭っているんだろう、と上条は心の中だけで疑問に思う。
と、

「よし。それじゃあ、そろそろ出陣するのよな」

建宮は立ち上がって、それに合わせて天草式の面々も立ち上がって建宮の下へ集まり、

「我らが女教皇様から得た教えは?」

建宮が問う。
天草式の面々は大声で答えた。

「救われぬ者に救いの手を!」

作戦はこうだ。
まずは『女王艦隊』へ、自爆を前提とした無人軍艦を囮としてぶつける。
その隙に上下艦で旗艦『アドリア海の女王』へ乗り込む。
と見せかけて、実は上下艦も囮で、本命は自爆前提の無人軍艦の中に忍ばせる。
要は一つ目の囮は見抜かれるのを前提とした二重の囮作戦だ。

その作戦は何とか成功した。
氷の船の一つに乗り、天草式により木のアーチが船から船へ架けられる。
旗艦へ辿り着く為にはあと数隻は跨がなければいけないが、そこへ立ち塞がったのは、アニェーゼ部隊のシスター達だった。

「……あいつらは、アニェーゼがどうなるのかは知らないのか」

上条は近くに居るルチアに尋ねる。

「詳しい事は分からなくとも、無事では済まない事くらいは分かっているはずです。それなのに……!」

ルチアは奥歯を噛んだ後、仲間であるシスター部隊へ向かって木製の車輪を投げ飛ばした。爆発する車輪を。

「――!」

シスター部隊にとっては仲間であるルチアの術式を知らない訳はないはずだ。
しかし、ほとんど不意打ち気味であったからか、車輪はシスター部隊の中心で爆発し、爆発によって散らばった木片が彼女らに大打撃を与えた。

「このバカ者どもが!こんな事をしている暇があったら、なぜシスター・アニェーゼを助けるために動けないのですか!?」

ルチアが手をかざすと散らばった数千もの木片が、彼女の手元へ集まって再び車輪の形を成していく。
直後に、砲撃音が炸裂し、船の腹にでも当たったのか、甲板全体が大きく揺れた。

「まさか……また味方ごと俺達を沈める気か!」

上条が叫ぶ間にも、砲弾は次々に飛んできた。
その内の一つがマストへ直撃し、ゆっくりと倒れていく。
倒れている最中のマストへさらに砲弾が直撃し、破片となって甲板に居る人間達へ降り注ぐ。
破片と言っても、一つ一つが業務用冷蔵庫より大きいものだ。
戦いどころではなくなった。
各々は揺れる甲板で降り注ぐ破片を避けるので精一杯だった。
ルチアは車輪の爆発による木片で破片の軌道を逸らし、アンジェレネも四つの硬貨袋を飛ばしてぶつけて軌道を逸らす。
上条がインデックスとオルソラを引っ張って走り回る。
こんなことをしていても、いずれ沈められる。
次の船へ木のアーチを架けて、避難しなければいけないのだが。

「シスター・アンジェレネ!」

ルチアのアンジェレネを呼ぶ声。上条はアンジェレネの方を見やる。
アンジェレネは走っていた。根本的には仲間でも、今は敵であるシスター部隊の一人へ。
破片に押しつぶされる地点に居て、にもかかわらず動けなくなっている一人へ。

アンジェレネは四つの硬貨袋を飛ばして、破片にぶつける。
軌道を逸らすための硬貨袋は、ぶつかった途端に弾け飛んだ。
硬貨袋の限界が超えて破れたのだ。
よって破片の軌道は逸らしきれず、いまだシスターの一人は安全とは言えなかった。
だからアンジェレネは、もはやただ走ってそのシスターを突き飛ばした。
代わりにどうなるかなど、言うまでもなかった。

硬貨袋がぶつかったことで完全にではなくともわずかに軌道が逸れていたからか、
辛うじて直撃は免れたものの、すぐ横に落下した破片の衝撃の余波を浴びて、
アンジェレネの小さな体は宙を舞って、背中から甲板に落下した。

「シスター・アンジェレネぇぇぇえええ!」

いつも冷静、というより冷血なルチアが取り乱したように叫んでルチアの下へ駆けより抱きかかえる。
今は敵であるアンジェレネに助けられた当人はおろか、シスター部隊全員が呆然と立ち尽くしていた。

「……シスター・ルチア……」

アンジェレネの声は弱々しい。

「……シスター・アンジェレネ……っ!」

「そんな、顔、しないでください。私は、死にませんから……」

途切れ途切れのアンジェレネの言葉は続く。

「だって、皆で、帰るんです、から。
 シスター・アニェーゼも、私達も、戦っている皆も……。皆、一緒に……」

周囲は砲撃音で騒がしく、アンジェレネの声は弱々しかったにもかかわらず、不思議と彼女の声は届いた。

「ええ……ええ!」

力強く頷くルチアの下へ、砲弾がやってきた。
直撃すれば女子二人など肉片も残さず吹き飛ばす、魔力が宿る氷の砲弾が。

ルチアは砲弾があと数秒で着弾するころになって、ようやく砲弾が迫ってきていることに気付き、
アンジェレネを抱えて回避行動を取ろうとして、間に合わないと悟り、

横合いから割り込んで来た少年の右手が、氷の砲弾を掴み取って砕いた。

「……あなた」

ルチアが呆然とする中、上条は大きく息を吸って、

「アンジェレネは、自分の身を挺してお前達の仲間を庇ったんだぞ!敵も味方も関係なく、皆で一緒に帰りたいって!
 それに比べてローマ正教の奴らは、俺達をお前ら事葬ろうとしているんだぞ!
 テメェら、本当にこのままでいいのか!?アニェーゼを助けるべきじゃないのかよ!?」

シスター部隊へ言葉を叩きつける。

「そ、それは、私達だって……助けたいですよ……!」

シスター部隊の一人が言う。

「だったら、アニェーゼを助けに行こうぜ。旗艦『アドリア海の女王』へ!」

「無理ですよ……!シスター・アニェーゼでもどうにもならないのに、私達ごときでは何もできません!」

「出来る出来ないじゃねぇ!やるかやらないかだろうが!そして、アニェーゼを助けたいのなら、やるっきゃねぇだろ!」

砲弾の雨は未だに止んでいない。そのいくつかが直撃し揺れる船の上で、上条は宣言する。

「――俺は行くぞ。皆で一緒に笑ってハッピーエンドを迎えたいから」

上条は見据える。旗艦『アドリア海の女王』を。

ひとまずここまでで
出来れば11日までに11巻再構成を終わらせたいと思っています

そして投下の目安についてなのですが、たとえ書き溜めがあまりなかったとしても、最低でも月と日がぞろ目の日(8月8日など)には投下します
もちろん、気分が乗ればどんどん投下しますが

「ようやくこの仕事も終わりだな。たかが街一つ破壊するのにここまで手間がかかるとは」

天井まで一〇〇メートル以上はある四角錐の部屋で、ビアージオ=ブゾーニは愚痴を吐くように言った。

現状、砲撃の音は止んでいない。
それはつまり、敵対勢力を葬り切れていないことを意味する。
無理もない。
『女王艦隊』を束ねる男の職制者達は、シスター部隊と違って戦闘には不向きだ。
とはいえ、それは予想の範囲内だ。思ったよりも使えなかったのはシスター部隊の方だ。
艦での訓練を受けていないのだから当然と言えば当然なのだが。
だからこそ、職制者以外にも船上専門の部隊を配備しろと申告したのに、
上の連中は『女王艦隊』の性能だけで安泰だと判断し、申告を突っぱねた。

「上も下も役立たずばかり。まったく、損な役回りを押しつけられたものだ」

言ってビアージオは、部屋の中央にある直径七メートルの透明な球体に身を預けているアニェーゼの方を睨む。
透明な球体の正体は『アドリア海の女王』起動のキーだ。
『刻限のロザリオ』発動時には、透明な球体の中は氷で満たされる。
適性のある修道女を凍結し、修道女が入った氷の球体ごと魔術的に砕くために使われる。

「とはいえ、だ。この期に及んでまだ図々しく誰かに期待しているその表情を見ることができた。なんとか不満を抑えられそうだよ」

「……私が何に期待しているですって?」

「とぼけなくてもいい。何故砲撃の音が木霊しているのか。一体誰が何のためにやってきているのか。分かっているだろう?
 もっとも、我々に楯ついた以上、その希望はここで打ち砕かれることになるだろうがな」

アニェーゼは嫌悪感から顔を背ける。
ビアージオはそれを満足そうに眺めて、

「部品に感情は必要ない」

結局、シスター部隊が執った選択は、あくまで敵対だった。
天草式のメンバーは五〇人程度しかない。対して、シスター部隊は二五〇人もいる。
単純な人数差もあるが、そもそも戦いの場である『女王艦隊』自体ローマ正教のホームだ。
これだけ見れば、天草式側が圧倒的に不利に思えるが、実際は違った。
むしろ、天草式の方が押していた。
理由はいくつかある。
上条の説得は完璧には通じなかったが、揺さぶる程度の効果はあったこと。
シスター達は労働してきたことにより、動きが鈍かったこと。
今回の戦場である『女王艦隊』は、シスター部隊にとっても厄介であること。
一人あたりの戦闘力なら、天草式の方が高いこと。
天草式はこういった集団戦に慣れていること。
そもそも、踏んで来た場数もシスター部隊より多い事。
これだけの理由があって、少なくとも上条、インデックス、オルソラの三人を旗艦への道を作る余裕があった。

「先に行け!できたらこいつらと一緒に後で行くのよな!」

オルソラが木の橋の術式を使い、旗艦までのアーチを架ける。

「約束する!絶対にアニェーゼを連れて帰る!」

上条は建宮に言って、木の橋の上を全力で駆けていよいよ旗艦へ踏み込む。
一〇〇メートルクラスの船がゴロゴロある『女王艦隊』と比べても、その二倍はあると思われる大きさだった。

船内に入るために、インデックスは一番近くにあったドアへ手を伸ばしたが開かなかった。

「魔術的な錠がかけられているね。待ってて。今解除するから」

「魔術的なら俺の右手の出番だろ」

上条は氷のドアを思い切り殴る。
瞬間、ドアどころか周囲の壁まで一気に吹き飛ばされた。
殴った一点を中心に、一辺が三メートル四方の正方形に切り取られる。

「何だ、こりゃ」

「この船はブロック構造で出来ているみたいだね。必要最低限な部分だけ切り取って、ダメージをなるべく抑えるように。
 だからドアだけじゃなくて周囲の壁も壊れたけど、この船全体が一気に壊れることはなかったのかも」

インデックスの解説の直後だった。
甲板から氷が山のように盛り上がる。左右と後方から取り囲むように。
それがバキバキという音と共に西洋風の鎧へと形を変えていく。
一体二体では済まない。三〇程の氷の鎧。

「さすがにまともに応戦するのは無謀か」

悟った上条はインデックス、オルソラと共に逃げるように船内へ。
追ってきた鎧は入口に殺到し、詰まった。

「ラッキーでございますね。今の内に逃げ切って――」

オルソラの言葉が途切れる。
氷の鎧は詰まりながらも無理矢理進もうとしたためか砕けて、
その後ろから残骸を踏みしめて残っていた氷の鎧が入ってきたからだ。

「逃げよう!」

言われなくてもそのつもりだ。
だが、あれらはいつまでもどこまでも追ってくるだろう。
自分一人なら逃げ切れる自信があるが、今はインデックスとオルソラがいる。
彼女達のためにも、氷の鎧は早めに排除しておきたい。
通路はしばらく一直線。
この旗艦『アドリア海の女王』は三メートル四方の立方体から成るブロック構造で出来ている。
それらは右手で砕く事が可能。
となれば。

上条は右手で右の壁を殴る。
三メートル四方で氷が吹き飛び空間が出来る。
上条は振り返って、その空間が左斜め二〇度くらいに見える位置で立ち止まり屈む。

「何をしているのでございましょう!?」

オルソラは奇行に走ったように見える上条の首根っこを掴もうとするが、

「待って!とうまのことだもん!無策なわけがないんだよ!」

インデックスが止めに入る。
そうこうしている内に、氷の鎧は上条の眼前に迫り、

上条が右手で床に触れただけで、床が三メートル四方で一気に消滅した。

ドドドドド!と、氷の鎧達は三メートル四方の落とし穴と化した空間に沈んでいく。
上条はそれを静観することなく、右手で右の壁に触れ、出来た空間を目処にして三メートル後退して、再び床に触れる。
上条のすぐ前に再び三メートル四方の落とし穴が出来上がり、氷の鎧第一陣の残骸を足場にしてやってきた第二陣もその空間へ沈みこんだ。
それで全滅だった。

オルソラが、上条がスマートに氷の鎧を全滅させた事に目を丸くしている中、上条は振り返って言った。

「行こうか。アニェーゼのところへ」

アニェーゼの居場所についてインデックスは分かっているようだった。
『アドリア海の女王』発動に介入するなら最適な場所は決まっているから、だそうだ。
ただ、『刻限のロザリオ』について気になる点があるらしい。
何でも『アドリア海の女王』はそれ単品で発動させる事ができるため、『刻限のロザリオ』などという術式は要らないらしい。
となると、『刻限のロザリオ』は『アドリア海の女王』を補助や強化するものなどの可能性があり得る。とのことらしい。
いずれにしたってアニェーゼを使うと言うのなら、それは認められない。
やることは変わらない。

インデックス先導で船内を駆け回った上条達は、やがてホールのような広大な空間に辿り着いた。
目の前には両開きの巨大な扉。

「この扉、防御術式が仕込まれているね。おそらくは聖ブラウシスの伝承に則っているよ。
 入室許可のない者がこの扉に触れようものなら、氷の中に引きずり込まれちゃうかも」

「異能が関わっているなら、理屈なんて関係ない。右手(これ)で十分だ」

上条が扉へ右手を叩きつけると、扉は跡形もなく消滅した。
直後だった。
周囲の床から氷の柱が飛び出し、形を変えて氷の鎧になった。

「またかよ……!」

理屈上落とし穴作戦はまだできる。しかし、今回は通用するとは限らない。
先程は狭い通路一直線だったからいいものの、この広い空間では迂回ができる。
無論、どこまで自律しているのかにもよるが、そもそも床を不用意に打ち消せば自分も落ちることになるかもしれない。
何か目処のようなものがなければ実行するのは危険だ。
となると、実力行使しかない。

「俺がや――」

「CAH(狙いをこちらへ集中)!」

インデックスがアルファベットを叫んで走り出した。
追いかけるように鎧が一斉にインデックスの方へ向いて走り出す。

「とうまとオルソラはアニェーゼを!こっちは私が引きつけるから!
 大丈夫!強制詠唱でばっちり割り込めるし『歩く教会』もあるから!」

待て!という暇もなく、インデックスと氷の鎧はどこかへ行ってしまった。

「ちくしょうが!さっさとアニェーゼ助けてインデックスも助けるぞ!」

「はい!」

上条達はいよいよ消滅した扉の先の領域へ踏み込む。

四角錐の部屋にある氷の球体に背を預けているアニェーゼは突然の出来事に驚いていた。
両開きの巨大な氷の扉が、一瞬にして消滅した。
莫大な力で粉々に破壊したのではなく、まるで初めからそこには扉などなかったのではと思わせるような感じだ。
こんな現象が起こせるのは、アニェーゼが知る限りでは一人しかいない。
なくなった扉の方を見つめる。
多少のいざこざがあったらしく、その人物が入って来るまでに少しのタイムラグがあった。
入ってきたのは思い浮かべたあの少年だけではない。
かつて自分が扱っていた『蓮の杖』を両手で持っている修道女まで居る。

「まったく。貴様達はどこまでやらかせば気が済むのだ」

少年と修道女を迎え入れたのは、豪奢な法衣に身を包んだビアージオ。

「俺達にここまでやらかさせたのはそっちだぞ。大人しくアニェーゼを解放してくれれば、こっちも戦う理由はなくなるけど」

「生意気な口を利く猿だな。解放も何も、シスター・アニェーゼは我々ローマ正教の所有物だ。所有物をどう扱おうと我々の勝手だろう」

「アニェーゼは物じゃない。アニェーゼが望まないことを強制的にやらせるのは認められない」

「シスター・アニェーゼが『刻限のロザリオ』の鍵になる事を望んでいないという前提はどこから来ている。
 強制的ではない。ローマ正教のために、彼女はこれから偉業を成し遂げようとしているのだよ」

「その偉業ってのが何かは知らないが、どうせロクなことじゃないだろ。
 それに、偉業だからってアニェーゼも納得しているとは到底思えない」

「ならば、本人に確認してみようか」

ジロリ、とビアージオがこちらを睨みつけてくる。
望んでいると言え、と目が訴えている。
正直に言って。
『助かりたい。またシスター達の面倒をみたい』と思ってしまっている。
両親を殺されて、路上生活を始めて、ローマ正教に拾われて。
そこでルチアやアンジェレネといったシスター達と出会った。
クソッタレな世界で巡りあった幸運。だから、何よりもその幸運を守りたい。
けれど、自分は罪人だ。罪人が幸運を守りたいなどとわがままを言っていいのか。
今も自分のせいで、たくさんの人が戦って傷ついている。
今ここで、ビアージオの言う通り、私は望んでここに居ると言えば。
諦めて帰ってくれるだろうか。この戦いは終わるだろうか。
ちらり、と少年の方を見てみる。

「……あ」

思わず声を漏らしてしまった。
照れすら覚えるくらい、少年はこちらを見つめていた。
そして悟った。
あの少年は、自分が何を言ったところで、それは本心じゃないと決めつけるだろう。
本当に『刻限のロザリオ』に使われるのを望んでいるのなら、少年が何を言ったところで突っぱねられる。
でも、現実助かりたいと思ってしまっている。
この状況で、偽った回答をして少年にそれを否定されたら、折れてしまう気がする。
どうせ折れてしまうぐらいなら、早めに本音をぶちまけてもいいだろうか。

「私は……」

悩んだ末、アニェーゼは結論を下す。

「私は、望んでここに居るんですよ。貴方達なんて助けでも何でもない。邪魔者はさっさと消えてくださいってば」

アニェーゼが選択した答えは拒絶。
理由は単純。この戦いを終わらせたいからだ。
ルチアやアンジェレネは罰が与えられるだろうが、殺されはしないだろう。
多分ここで必死になって説得すれば、少年やオルソラや天草式だって助かる。
説得に失敗する可能性もあるが、このまま戦い続けてビアージオ率いる『女王艦隊』に殺されるよりはずっと高い可能性だろう。

アニェーゼの返答を聞いて、ビアージオは満足そうに微笑み、上条は落胆して、

「そっか。残念だよ。お前に恨まれることになって」

少年の言っている意味が分からなかった。
それはビアージオも同じようで、彼も怪訝な顔をしている。

「けど、俺はお前を助けるよ。お前に恨まれることになったとしても」

自分の和訳が間違っているのか。少年の言っている意味が理解できない。
ビアージオも同じようで、

「何を言っている?」

と尋ねる始末だった。

「何だ。日本語が喋れるのに理解はできないのか」

「日本語の問題ではない。猿でも話せるような言語を我々が理解できない訳ないだろう。
 いいか?貴様はわざわざシスター・アニェーゼの真意を聞いた。そしてシスター・アニェーゼは『望んでここに居る』と答えた。
 にもかかわらず、助けるとはどういうことだと聞いているのだ」

「だから言ってんだろ。助けるのはアニェーゼの意にそぐわない。
 にもかかわらず助けたら、アニェーゼにとっては迷惑以外の何物でもない。
 恨まれて当然だけど、恨まれるのが残念だって。恨まれて得な事なんてないからな」

まあ、俺はアニェーゼの言っている事は嘘だと思ってんだけどな、と上条は付け加えた。

「言い方はともかく、俺達に助かる道標を教えてくれたり、ルチアやアンジェレネの助けを依頼したり、根は優しい人間だろうから」

「……シスター・アニェーゼに恋心でもあるのか?」

「まだ分からないのでございますか」

口を挟んで来たのはオルソラ。

「人が人を助けるのに大仰な理由など要らないのでございますよ。
 助けたいから助けたい。それが人間という生き物でございましょう。
 そして、アニェーゼさんがここにいる事を望んでいたとしても、
 少なくともルチアさんやアンジェレネさんはアニェーゼさんを助けたいと仰いました」

オルソラの言葉を引き継いで、再び上条が口を開く。

「だから助ける。アニェーゼが望まなくとも、ルチアやアンジェレネ、俺達がそうしたいから」

アニェーゼはここで思い出した。
オルソラを庇うように立ち上がったあの時、少年は何と言っていたか。

『俺達は、お前に死んでほしくないと思っている俺達自身のために戦っているんだ』

つまりは、そういうことなのだろう。
相手の事情なんて知らない。助けたいから助ける。だったら何で真意を問うたのか。
いや、真意を問うたのはビアージオだが、とにかく、なぜ真意を黙って聞いたのか。
疑問に思わなくもないが、多分、一応自分の気持ちを知りたかっただけなのだろう。

「ふん。分かったよ。猿と会話するだけ無駄だということが」

ビアージオは思考を停止したようだ。

「猿はともかくシスター・オルソラも日本語など使いやがって。――邪魔をするというのなら消させてもらう」

ビアージオは首のネックレスに両手を持って行く。
ブチブチと、ネックレスから十字架が引きちぎられる。

「――十字架は悪性の拒絶を示す」

ビアージオは両手の指の隙間に挟んだ、合計八本の十字架を上条達のところへ投げ放つ。

十字架にどんな効果があるのか。爆発でもするのか。
でもここは重要な部屋のはずだ。爆発なんてしたらこの部屋だって危険なはず。
ということは、ピンポイントで自分達を狙うような魔術か。
分からないが、

「退がるぞ!オルソラ!」

上条はオルソラの手を引っ張って後退する。
その判断は正しかった。
目の前で八本の十字架が長さ三メートル、太さ四〇センチまで一気に膨張してぶつかりあった。
後退していなかったら、八本の十字架に身体中を叩きつけられた――というよりは押しつぶされていただろう。

「――シモンは神の子の十字架を背負う」

ビアージオの言葉が聞こえたと思った時には、既に横倒しにされていた。オルソラも。
魔術的攻撃なのは分かる。だが、何をされたのかが分からない。
右手で打ち消すにしたって、何を打ち消せばいいのか分からない。

「――十字架は悪性の拒絶を示す」

声が聞こえたので何とか首だけでビアージオを見ると、大量の十字架を自分達の上に投げたようだった。
キラキラと、たくさんの十字架が瞬いているのが見える。
膨張する十字架の雨。食らえばどうなるかなど言うまでもない。

――くっ!

上から下に体に不自然な圧力がかかっている。
先程の攻撃は重力を操る魔術か。もしもそうなら、

「お、おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」

とにかく、上条は右手を上に掲げようとして――膨張した十字架が上条達へ降り注いだ。

「少し早いが、そろそろ始めるか。シスター・アニェーゼ」

「え……」

「これ以上邪魔をされるのはもうたくさんだ。さっさと始めて歴史に名を残そうと言っているのだよ」

ビアージオの言葉のあとに、氷の球体に変化が生じた。

「さあ調整に入るぞ。『刻限のロザリオ』と『アドリア海の女王』の双方の魔力をそれぞれ君と同調させればそれで終わりだ」

氷の球体に穴が空いた。中に入れという事だろう。
少年とオルソラは潰された。最早助けは来ないだろう。
アニェーゼは決心して氷の球体に入ろうとしたところで、

「待てよ……」

あの少年の声が聞こえた。

「まだ、終わってねぇぞ」

ビアージオもアニェーゼも、声の方へ向き直る。
十字架が地面にぶつかった衝撃で舞い上がった煙が晴れる。
額から血を流しながらも、オルソラを左手で抱き寄せた形で直立している上条がいた。
上条はオルソラを解放して、十字架が突き立ち横たわっている中を抜けて駆けだす。

「――シモンは神の子の十字架を背負う」

『装備品の重量を肩代わりさせる』魔術が上条に向かって発動される。
『女王艦隊』にいる人間全ての重量、二五〇人強の重量が上条の上から下へ襲い掛かる。
当然、死にはしないまでも倒れて動けなくなるほどの重量だが、

上条が右手を上に掲げただけで、魔術は打ち消される。

「不愉快な右手だな。――十字架は悪性の拒絶を示す」

次々と放たれる膨張する十字架を、上条はもはや右手を使わず前進しながら避ける。

「こい、つ――」

上条に目の前まで迫られて、ビアージオは右手で顔を、左手でネックレスを庇う。

「そんな隙だらけのガード、何の意味もねぇよ!」

顔とネックレスが庇われたなら、それ以外を狙えばいいだけの事。
上条はビアージオの腹部にパンチを決め、ビアージオが体をくの字に曲げたところに追撃の左拳を側頭部へ。
ふらついたところに猛ラッシュを仕掛ける。
そして決定的に倒れかけたところで、

「これで終わりだ!」

上条の渾身の右ストレートが、ビアージオのネックレスと十字架の束を叩いた。

「さて、これでひとまずアニェーゼはもう大丈夫になるのか」

アニェーゼとオルソラに尋ねる。その内答えたのはオルソラだけだった。

「おそらくは。インデックスさんに聞いてみれば分かるのでございましょうが」

「この球体を破壊すれば、インデックスを狙っている氷の鎧も消えるか」

「それをすれば、この船自体が壊れるのではないでしょうか」

会話はそこで途切れた。後ろで音がしたからだ。ビアージオが立ち上がる音が。

「こんの、クソ猿がぁーっ!」

十字架を失ったために普段使っている魔術すら使えないボロボロのビアージオが、怨嗟に満ちた表情で特攻してくる。

「しつけぇな。おっさんは黙って眠っていろ!」

上条にとってやぶれかぶれのおっさんの突進など、脅威でも何でもない。
カウンターの右拳をビアージオの顔面にピンポイントにぶち込み、今度こそ完璧に気絶させた。

「さて、今度こそ終わったと思うけど……球体を壊せばこの船が壊れるとしたら普通に帰るしかないけど、
 そうなるとこの船を放っておくことになるけど、それってどうなんだ?」

「私以外にも、『刻限のロザリオ』の適性に当てはまる人間は探せばゴロゴロいるでしょうし、放っておくのはまずいでしょうね」

ようやくアニェーゼが口を開いてくれたが、内容はネガティブなものだった。

「それ以前に、どうやってこの船から出るのでございましょう?」

言われてみれば、である。ぶっちゃけ先導するインデックスについて行っただけなので、道のりを覚えていない。
とはいえ、その点についてはアニェーゼがいるから大丈夫だろう。

「道のりなんて知りませんよ。私はワープでここに来たんですから」

なんだと!?と一瞬思うが、それならばアニェーゼやオルソラは簡単に脱出できるだろう。

「インデックスはワープできるか?」

「『歩く教会』はあなた様の右手のような無効化なんて効果はないのでございます。要するにワープはできるのでございますよ」

安心した。幻想殺しがある自分はワープ出来ないだろうが、それで構わない。
この船を放っておくことが出来ないのなら、壊さなければいけない。それをやるのは、自分しかいない。

「じゃあ、オルソラとアニェーゼは先に脱出してくれ。その後天草式と合流して天草式とシスター部隊と上下艦で待機。
 こっちはインデックスと合流したらインデックスに事情を説明してそっちに送りだす。インデックスと合流したら、天草式の通信用護符で連絡をくれ」

念の為、自分でも使える通信用の霊装を、あらかじめ受け取っていたのだ。

「そしたら俺が球体に触れて船壊すから、海の中から拾ってほしい。ビアージオも」

「あなた様って人は……人に自己犠牲は止めろと言っておきながら……本当に困った方でございますね」

「ま、いいんじゃねぇですか。シスター・オルソラと違って、完全な自己犠牲ってわけでもねぇですし。
 心配しなくても、あれだけ切り裂いて生きていたんだし、海に沈んだくらいどうってことねぇでしょう」

切り裂いて、とは『蓮の杖』の切り裂き攻撃の事だろうか。

「まーたとうまは、めちゃくちゃなことを言っているんだよ」

扉があった方から声が聞こえたと思ったら、インデックスが視界に入った。

「インデックス、お前……倒して来たって言うのか?」

「私を舐めないでほしいんだよ。あんな氷の塊に一〇万三〇〇〇冊の叡智が負けるはずないかも」

「まあ、何でもいいや。その様子だと話は聞いていたみたいだな。だったら話は早い。オルソラ達と共に脱出してくれ」

「……あとで噛みつきだからね」

「何でだよ」

「多分、あなた様のことが心配でたまらなくて、何であなた様が沈まなければいけないんだっていう理不尽さが恨めしくて、
 やり場のない怒りをどこにぶつけたらいいか分からなくて、ついあなた様にそう言ってしまっただけなのでございましょう」

「オルソラは黙ってて!」

インデックスは顔を真っ赤にして叫ぶが、

「はいはい。貴方達が仲良しのは分かりましたから、さっさと行きますよ」

アニェーゼがインデックスの首根っこを掴んで歩きだす。

「シスター・オルソラも行きますよ。こんな難破船に乗っていたら危ねぇですし」

そうして歩き出す彼女達に、上条は声をかける。

「やっぱり、望んでここに居るって言うのは嘘だったんだな」

その一言に、アニェーゼは止まって、しかし振り返りもせず、一言だけ言った。

「うっさいです。バーカ」

明るい声だった。それを聞いて、良かった、と思った。

連絡が来るまでしばらくの待機。

「貴様、自分がしでかした事を分かっているのか」

仰向けに倒れたままのビアージオが話しかけてきた。
立つことはなさそうだが、そもそも喋る元気があったことが驚きだった。

「これだけの大人員と戦い、これだけの大艦隊を沈め、何よりこのビアージオ=ブゾーニという司教を葬るこの状況、危機感を覚えぬ者はいない」

大勢の人間と大量の艦隊の中に自分を並べる辺り、自尊心の高さは尋常でない事が窺える。

「貴様が敵に回したのは、二〇億の信徒と一一三ヶ国の集まりから成るローマ正教だ。
 近いうちに、学園都市に暗殺者が向かう可能性も高い。ひょっとしたら『ヤツ』も動くかもしれん。
 そうなったら、貴様にはもう『死』しかない」

「そんなこと言われてもな」

そのタイミングで連絡が入った通信用の護符を左手で持って耳に当てながら、上条は球体に右手で触れる。

「それならそれで、迎え撃つだけだ。間違った事をしているつもりはないからな」

『アドリア海の女王』が崩れ、『女王艦隊』が崩れる。少年は再び、アドリア海へ沈んでいく。

これまでの死闘に比べたらマシだが、それでもビアージオ戦でのダメージに二度も海に沈み、元気ではなかった。
イタリアへ来たのは観光ではなくローマ正教の陰謀を止めるためだったので、この疲労が溜まった状態から学園都市へ帰還する。
それだけなら仕方ないのだが、なんと時速七〇〇〇キロの超音速旅客機で帰れなければいけないらしい。
日本まで一時間とちょっとしかかからない。
それってどうなのという感じだが、おそらくはロクなものじゃない。
体にGやらなにやらの負担が多大にかかるに決まっている。
まあ、普通の旅客機で何時間もかけて帰るのも、それはそれでだるいのだが。
とまあいろいろ考えたところで超音速旅客機に乗る事は決定しているらしく、選択権は無かった。

ロンドンのランベスの一角に、イギリス清教の女子寮がある。
その女子寮の一室で、古風なダイヤル式の電話で通話をしている女性がいた。
神裂火織。相手は土御門元春だ。

「なるほど、分かりました。つまりまたあのクソアマがロクでもない策を巡らしたという訳ですね」

神裂はキオッジアで展開された『女王艦隊』について、土御門からの報告を受けてそう結論付けた。

『いや、そんなことは一言も言ってないんだけどにゃー』

「もしかして、相手が最大主教だからってビビっているのですか」

『だって一応上司だし。悪いようには言えないにゃー』

一応、という辺り、土御門もあまりローラの事が好きではないのかもしれない。

『つーか、そんなことより、今回もカミやんに大迷惑を――』

神裂はそこで受話器をダイヤル式電話に戻した。
からかってくるのを聞かない為だ。
しかし、土御門の魔の手から逃れたところで、上条当麻に迷惑をかけた事実は覆らない。
土御門から事件のあらましを聞いた感じ、イギリス清教が手を回して作為的に上条当麻を巻き込んだ感じなので、
自分には非はないはずだが、やはり迷惑をかけたことに変わりはない。
以前、料理を教えるとか何とか約束した気がするが、まだそれを果てしていないのに、借りはどんどん膨らむ一方。
もうどうすれば少年に恩を返せるのか、真剣に悩み頭を抱えたところで、チャイムの音がなった。
もう深夜なのに、こんな時間に訪ねてくるとはどんな非常識だと心の中で愚痴りながら、神裂は玄関の扉をあける。
そこにいたのは、

「た、ただいまでございますよ」

両手に旅行鞄を持って、背中にザックを背負い、さらにたすき掛けのようにスポーツバッグの肩紐を下でているオルソラだった。
どうやらこの重装備で鍵すら取り出せなかったから、チャイムを鳴らしたらしい。

「あなたの荷物は先にここへ送ったはずでは?何でそんなに重そう――」

言っている途中で気付いた。今回の事件は、要はアニェーゼを巡る事件だ。
少年の手によってアニェーゼは救われたが、救われた以上、ローマ正教には戻れない。
ローマ正教に戻れないならば、ローマ正教以外のどこかにお世話になるしかない。
そして、アニェーゼを尊敬しているシスター達は、アニェーゼについてくるだろう。

その考えは当たったようで、オルソラの肩辺りから、小動物のように少しだけ顔を出すアニェーゼと目があった。

「後からもっと大勢来るので、この寮も賑やかなるのでございますよ」

賑やかどころかシェリー辺りならキレるんじゃないかと心配になるレベルだった。




「結局、ブゾーニの馬鹿は失敗。しかも『アドリア海の女王』まで破壊される始末。二度と再現は出来ない。
 そしてそのA級戦犯はイギリス清教に捕まる始末。このストレス、どうしてくれようかしら?」

バチカンにある聖ピエトロ大聖堂。
その中を歩く二人の人間の女性の方が愚痴をこぼす。
一方、もう一人の老人の方は、

「しかしな。イギリス清教の横槍自体予想外だったとはいえ、そうでなくとも問題点はいくつもあった。
 ビショップ・ビアージオはどの道成功しなかっただろう」

「関係ないっての。私がやれっつったコトはやんの。この期に及んでその基本すら理解してないの、アンタ」

「誰に向かって口を利いているか、理解は追いついているか」

老人から圧力が発せられる。物理的なものではない。頭を下げざるを得ないような感覚的な圧力だ。
しかし、女性の方は至って平然としていた。平然として、言ってのけた。

「ローマ教皇でしょ。それがどうしたの?」

あっさりと、圧力なんてものは吹き散らされた。

「ローマ教皇なんてただの記号と、代えが利かない唯一無二の存在である私達。比べるまでもないでしょ」

老人――ローマ教皇は何も言い返せない。
彼女の言っている事が事実だからだ。

「『――神の右席』。教皇程度では響かぬか」

「私が属するのその『枠組み』を知っているってだけでも結構なコトよ?それでも満足できないんだ?」

じゃらり、と金属を擦る音。
女性の口から十字架が垂れていた。女性の舌にはピアスが留められ、十字架が下がった細い鎖が繋がっている。

「コイツに目を通してサインしなさい」

女性はローマ教皇に書類を押しつける。

「この私に命令形か」

「アンタもいずれは用意するつもりだったのを、私が早めてあげるだけよ」

「しかし……」

ローマ教皇は躊躇いを見せる。

「彼の者は単に主を知らぬだけだろう。異教への信仰は罪だが、知らぬだけならまだ救いはある。
 何もここまでやらなくとも」

「この私に否定形はない」

女性は一言で断じる。

「私がやれっつったコトはやる。誰が相手でもそれは変わらない。だから早くしなさい」

ローマ教皇は書類を手にしたまま、小さく頷くことしかできなかった。

「よろしい♪」

ご機嫌な様子で、女性は突如として消えた。
ローマ教皇は書類に目を落とす。書類にはこうある。

『Toma kamijo.
 Potrebbe investigare urgentemente? Quando lui e pericoloso, lo uccida di sicuro』

和訳すると『上条当麻。上記の者を速やかに調査し、主の敵と認められし場合は確実に殺害せよ』。
実質的にはローマ正教が総力を挙げて、たとえ『神の右席』を使ってでも確実に申請を行うための申請書類だった。
命令は、五日も待たず実行される。




次回予告

「ありがとう。――感謝のしるしに、黒焦げにしてあげるわね」
常盤台中学の超能力者『超電磁砲』の少女――御坂美琴





「皆が我慢してるから我慢しろ?そんな同調圧力で押し留まるなんて日本人だけがやってりゃ良い。
 皆が我慢してるからって私は止まらない。私が納得する為にも!」
『神の右席』の一員――前方のヴェント





「分かった。じゃあ、もういい。俺は殴ってでもお前を止める。
 お前に虚しいだけの復讐なんてしてほしいくないから!何より、俺が大切に思っている領域を守るためにも!」
学園都市の無能力者――上条当麻





予告では出しませんでしたが、一方と木原ももちろん出ます

九月三〇日。
衣替えのために、学園都市の全学校は午前授業となる。
一八〇万の学生を抱える学園都市では、たかが衣替えでも一大イベントだ。
採寸や注文は大覇星祭前に済ませてあるため、実質的には新調した冬服のやりとりが服飾業界と学生の間で行われるだけなのだが、
そうであっても一八〇万もいれば大混雑する。
もっとも、実際一八〇万の学生全員が冬服を新調する訳ではない。
入学時に購入した冬服のサイズが問題ない学生は、衣替えとは縁がなくなる。
衣替えとは縁がない学生にとって九月の末日であるこの日は、ただの午前授業だ。
上条当麻も衣替えとは縁がない学生の一人だった。
そんなわけで、上条は本日最後の小萌先生の化学の授業を受けた後、真っ直ぐと学生寮に帰った。
今日はこの後インデックスの服を買いに行くという予定がある。
彼女の服は夏物しかないため、これからを考えて、秋物の服を買いに行こうと思い立ったためだ。
今まではクラスメイトバレや万が一の事件・事故に巻き込まれるのを避けるためにインデックスを極力外出させなかったが、
前者に関しては大覇星祭の打ち上げにインデックスを参加させた事で問題なくなった。
経緯としては、土御門に『ウチのクラスメイトならノリ良いし、インデックスも打ち上げに参加させてみれば?』
『そりゃあ大覇星祭期間中はインデックスをずっと一人にして寂しい思いをさせたから、
楽しい思いはして欲しいけども、そう簡単にインデックスの存在をばらしていいとは』
『大丈夫だって。まず青髪は女の子なら喜ぶだけだし、つーか野郎全員は問答無用でウェルカムだろうし、
インデックスとは顔見知りの小萌先生に姫神だっている。オレもサポートするし』
『でも吹寄という難関が。根掘り葉掘り聞かれたらどうする』
『イギリスからのホームステイとでも言えば良いにゃー。別にウソでもないし』
みたいなやりとりを経て、インデックスを打ち上げに参加させ、結果クラスに五秒で馴染んだという感じである。
よって、クラスメイトとばったり遭遇しても何とかなると思うが、あの時は全員浮かれていたのもある。
冷静な状態のクラスメイトと街中で遭遇し、
『あれ?女子禁制の男子寮に女子がホームステイっておかしくね?』となって色々聞かれたら辛い。
もっとも、そこまで考えても『ま、どうでもいいか』となるかもしれないが。
むしろ危険なのは『冷静に考えたら何で上条だけ女の子と同棲してんだよ』と男子共に逆恨みされることかもしれない。

衣替えの大混雑を考えれば無理して行く事もないのだが、言っても受け取りだけだ。
服を買うのにモタついたしたとても、午前授業で浮いた時間分が相殺される程度だろう。
だったら今買うのも、今日以降で普段の授業の放課後で買うのも変わらない。
理由はもう一つある。
上条は基本的にファッションに無頓着だ。
そのため、ファッションにある程度明るいと思われる助っ人を頼んである。
件の助っ人は御坂美琴なのだが、彼女は超能力者という立場上、色々な研究機関に出向くことが多い。
平たく言えば彼女は結構忙しい身分だったりする。
彼女のスケジュールを考慮して、たまたま今日が空いていた、というのもあるのだ。
まとめると。
インデックス、御坂と一緒にこれから服を買いに行くということである。

「やだーっ!降りない絶対降りないこのスポーツバッグの上はミサカの敷地だ!
 ってミサカはミサカはアナタの抱えるバッグの上で正座しながら強気の抗議をしてみる!」

病院内に面倒臭い口調の少女の声が響き渡る。

「オマエ……っ!人が肩で担いでいるバッグの上ではしゃいでンじゃねェ!人が病み上がりだっつー事実を忘れてンのか!?」

少女の声に叫び返したのは、元気な少年の声だ。
少年の方は一方通行。アルビノのような白い肌に白い髪に反して、瞳は赤。灰色を基調とした衣服を着用している。
右手にはロフストランドクラッチのような現代的デザインの杖をつき、左肩にスポーツバッグを提げている。
見た目一〇歳前後の少女の方は打ち止め。
肩まである茶色い髪のてっぺんには、アホ毛が一本堂々と生えている。
空色のキャミソールの上から男物のYシャツを羽織っていた。

八月三一日に頭に弾丸を受けて入院していた一方通行は、一ヶ月を経てようやく今日退院だった。
傷が完治したわけではない。やれる処置は全部施したためだ。
弾丸を受けたことにより砕けた頭蓋骨の破片によって傷つけられた脳の後遺症は未だに残っている。
今も首のチョーカー型電極により機能の一部を補っていなければ、能力を使えないどころか日常生活だってままならない。
もっとも、あれだけの重傷、生還しただけでも奇跡的ではあるが。
そんな彼らを正面玄関へ先導しているのは芳川桔梗。
元研究者で、一方通行や打ち止めが入院する羽目になった元凶の一人である女性だ。
八月末日になけなしの『優しさ』を振り絞り打ち止めを救うために奔走、天井亜雄と相対し心臓付近に弾丸を受け、一方通行らと同様今まで入院していた。

「はいはい。今はいいけど出入り口では他人の迷惑になるから、降りなさいね」

「今も良くねェよ!」

突っ込む一方通行を無視して、芳川は黙々と進む。
打ち止めはスポーツバッグの上で正座を解いて足をご機嫌そうにパタパタと振っている。

「おい芳川!遊ンでいいってンなら、オマエがこのスポーツバッグを運べ!」

「最終信号とスポーツバッグは別にワンセットではないわ。
 最終信号はキミに懐いているのだから、わたしがスポーツバッグを運んでも、最終信号はキミにまとわりつくだけだろうけど」

「ミサカを綿飴みたいな言い方するな!ってミサカはミサカは言い方に訂正を求めてみる!」

「うるせェクソガキは黙ってろ!芳川、それでもいいから運べ!とにかく重くて困ってンだよ!」

「む、レディーに対して重いとは何て酷い言い草だ!ってミサカはミサ」

「だからクソガキは黙れっつってンだろ!」

「わたしこう見えて病み上がりだから」

「俺だって病み上がりだ!」

「ミサカも病み上がりです!ってミサカはミサ」

「だからうるせェ黙れって何度言わせりゃ分かンだよォ!」

病院内だと言うのに迷惑な程騒がしい一同は、ようやく正面玄関に着いた。
一方通行は芳川が呼んだ、待たせているタクシーの運転手に、

「トランクを開けろ。バッグごとこのガキ仕舞うからよォ」

「ミサカお荷物扱い!?ってミサカはミサカは戦慄と共に後部座席に逃げ込んでみる!」

ようやく煩わしい重さがなくなった、と一方通行は溜息をつきながら、後部座席へトランクの軟禁から避難した打ち止めのところへスポーツバッグを投げ込む。
スポーツバッグをぶつけられた打ち止めの『ふぎゅ』という呻きを無視して、一方通行は後部座席の真ん中にドカリと座る。

芳川はそんなドタバタを見て、人数的にまだ余裕のある後部座席をスルーして助手席へ。
彼女は『小さい方は車に慣れてないので吐くかも』という運転を丁寧にする裏技を使用した後、行き先を告げる。
十中八九吐くかも発言自体は嘘だろうが、決して吐かないとも限らないと考えた一方通行は、近付いてくる打ち止めの顔を遠ざけながら、

「どこ向かってンだ」

「わたしの知り合いが働いている学校。待ち合わせよ」

「何のためだ」

「キミ達とわたしの寝床を確保するためよ」

学園都市に住む学生のほとんどは、学生寮を利用している。
パン屋や見た目小学生の独身教師のアパートに居候というケースもあるが、それは稀だ。
この街で学校含む能力開発機関の枠から抜ける事は、同時に寮という住所を失うことでもある。
それでも一方通行が学校へ行くという選択を捨てているのは、もう二度と絶対能力について関わりたくないからだ。
量産能力者計画から絶対能力進化実験は中止になったが、学校に通うことで『特殊開発研究室』が設けられ、また新たな実験が企画されるかもしれない。
そうならない為には、一方通行という魅力的な研究材料を前にしても目の色を変えないような学校を慎重に選ぶ必要がある。
そんなところが存在するのかどうかは怪しいが、学園都市内部で学校を利用しなければ、路地裏の武装無能力者集団のように生きて行くしかない。
学園都市の中でも一際特殊な一方通行や打ち止めは、学園都市の外に居場所がない。
学園都市の中だろうが外だろうが、そう簡単に一方通行と打ち止めは受け入れられない。
だからこそ芳川は、そんな一方通行らでも受け入れてくれる知り合いのところへの居候という選択を取った。

「研究者のところか」

「違うわ。学校の先生よ」

「学校の先生の知り合いなんて、ヨミカワぐらいしか知らないかも、ってミサカはミサカは意見を出してみる」

「正解」

一方通行は思う。
黄泉川は自分達の立場を『ある程度』芳川から聞いて知っているはずだ。
その上で、居候を了承しているのなら。

「チッ」

一方通行は舌打ちをした。
もっとも、芳川の言っている事が本当だとはまだ決まっていないが。

Seventh mist。
七月一八日に虚空爆破(グラビトン)事件の一件で被害を受けた洋服店だが、今では完璧に修復されていた。
余談だが、九月一日にあったシェリー侵攻の際の地下街の爪跡も、大覇星祭前には完璧に修繕されているのには驚いた記憶がある。

実際に店内に入ったのは御坂とインデックスだけである。
別に男が入っていけない訳ではないが、男性客は少ないに決まっている。
店内では男は浮くに決まっているので、上条は外で暇を潰していた。





おしゃれな服の値段の相場がよく分からない上条当麻から貰った予算は三万円ほど。
とりあえずこれで出来れば三着ほど買ってほしい、というのが少年のオーダーだった。
率直に言って、三万円で三着だと良質なものは買えない。

「ねぇみこと、カナミンみたいな服ないの?」

「そんなコスプレみたいな服、あっても外で着られるモンじゃないでしょ」

とは言ってみたが、インデックスは修道服で歩き回る事もあるらしく、今更カナミン程度はなんてことないのかもしれなかった。
インデックスの現在の恰好は、幸いにして白のワンピースに薄手のカーディガンを羽織っている形だが。

インデックスと雑談を交わしながら、洋服をチョイスしながら、御坂は物思いに耽る。
虚空爆破事件時、少年に友達の初春飾利を助けてもらった。
その時も少年は、当然の事をしただけという顔をして、多くは語らず去った。
それからもいろんな事があった。
木山春生と幻想猛獣(AIMバースト)と争った幻想御手(レベルアッパー)事件に、
テレスティーナ=木原=ライフラインが暗躍した乱雑解放(ポルターガイスト)事件。
絶対能力進化実験阻止に、ケミカロイドを利用した革命未明(サイレントパーティー)事件。
思惑渦巻く学芸都市で『雲海の蛇』(ミシュコアトル)や『太陽の蛇』(シウコアトル)とぶつかった。
七月の頭にあったロシアに能力実演旅行へ行った時は、陰謀を止めるために魔術師と奔走した。
大覇星祭二日目には木原幻生とぶつかり、暴走させられ、また少年に助けられた。
これで少年との貸し借りはゼロになったどころか、こちらがまたしても借りを作ったので、
インデックスの洋服選びの手伝いをして欲しいという頼みを快諾し、こうしているのである。
けれど、こんなのじゃまだまだ借りを返した事にはならない。
もっと少年の役に立って借りを返すイベントは発生しないかと考えながら、御坂は洋服選びを続ける。

月詠小萌は職員室で溜息をついた。
原因はスチール製の机の上に散らばった進路希望調査票。
高校一年の段階での調査は厳密なものではなく『将来どんな仕事に就きたいか』くらいのものだ。
具体的に進学や就職、進学するならどこの大学のどこの学部学科を狙うのか、
就職するならどんな職種のどこの企業へどんな手順へアタックするか、といった話はもう少し先の話なのだが、

「はぁー……」

小萌は頭を抱える。
土御門元春は『メイドの国へ行きたい。そしてクーデターを起こし、このオレが軍師になって薄幸メイドを女帝にする』と真面目な筆跡で書かれているし、
青髪ピアスは『モテたい』と調査票の枠からはみ出るくらい大きな字で書かれている。
最近の若者は夢や希望がないとか妙に悟っているだけで努力もしないとか偉い人から分析されていた気がするが、土御門青髪の両名はそれとはまた次元が違う問題だ。
おそらく両名は調査票を適当に済ませるためにふざけて書いているのではなく、極めて本気で書いているから困る。
対して真面目組の調査票と言えば、たとえば上条当麻は読みやすい字で『警察官』とある。
困っている人を助けたい、正義感が強い彼にはピッタリな職業だろう。
吹寄制理などは『公務員、もしくはナースさん』と書かれている。
堅実な彼女の性格上、公務員という安定な職業は彼女らしい。
一方で『ナースさん』というのは、大覇星祭で倒れた際に医者に助けられたからだろうか。
『看護師』ではなく『ナース』と書いて『さん』をつける辺り、ちょっと可愛らしい。
普段はあまり女の子らしさを感じさせない彼女だが、時折垣間見せる女の子らしさ、というより子供っぽさが少し愛おしい。
姫神秋沙は『葬儀屋』という、人気職業ランキングには名を連ねないような事を書いていた。
彼女は優しい人格者なのだが、こんな将来の夢があるのは知らなかった。
一時期は同居したこともあるのだが、彼女は少し掴めないこところがある。寡黙だからだろうか。
料理が上手なので、その方面へ行ってみるのもいいかもしれない。
あとは具体的な展望がまだ見えていないのが普通な高校一年生にしては妥当な内容だった。
『お金を早く稼ぎたいから就職』『大卒の資格が欲しいから進学』といった感じだ。
一部『上条当麻のフラグ建築を止めたい』『吹寄さん並におっぱいが大きくなりたい』
『小萌先生の生態について研究したい』『玉の輿に乗りたい』などというのもあるのだが。
と、緑ジャージの爆乳女教師、黄泉川愛穂が近付いてきた。

「おっすー。何か悩んでいるようだけど、どうしたんじゃん?」

「……ちょっと皆の進路希望調査票がですね。いろいろ困りものなのですよ」

「ふーん。ちょっと見して」

「あ、ちょっと、黄泉川先生!?」

黄泉川は小萌の制止を振り切って調査票を数枚掴み取って内容を見る。
一応生徒のプライバシー的なあれがあるので、小萌はぴょんぴょん跳ねながら調査票を取り返そうとするのだが、
割と高身長な黄泉川が腕を上に掲げて調査票を見ているため、小萌では天地がひっくりかえっても取り返せない。
やがて黄泉川は、

「あはは!」

お腹を抱えて爆笑しだした。

「ど、どうしたのですかー?」

小萌はいきなり大笑いしだした黄泉川を見てオロオロする。

「ど、どうしたって、この調査票、見て、笑わない、奴の方が、いないじゃんよー」

黄泉川は未だに笑いながらプルプルと震える手で小萌に調査票を返す。
一体誰の調査票を見て笑ったのか。
調査票を見てみると、土御門と青髪を始めとする、よりにもよって変なのばっかりだった。
それにしたって笑いすぎだと思うのだが……。

「何でそんなにセンセは冷静じゃんよ?」

「黄泉川先生が笑い過ぎなのですよー」

「センセが冷静すぎなんじゃんよー。……あ、分かった」

黄泉川はようやく落ち着いてきたようで、笑いすぎで滲んだ目尻の涙を拭いながら、

「センセは自分とこのクラスメイトに慣れたんじゃない?
 私のクラスはクッソつまらない優等生ばっかりだから、こういった馬鹿回答に免疫ないじゃんよ」

そう言われてしまうと、そんな気がしてこないでもない。

「つまらない優等生って何なのですか。優等生なら喜ばしい事じゃないです?」

「喜ばしいことじゃないじゃんよ。何ならセンセと担任変わりたいぐらいじゃん」

「よく分からないですが、贅沢な悩みなんじゃないです?」

「じゃあ言うけど、センセだって実際手のかかる生徒の方にご執心じゃん?」

「そ、それは……」

否定できないところがある。

「ですが先生は、だからと言って優等生相手に手を抜いている訳ではないのです」

「分かっているって。けど、私の気持ちも分かってくれたじゃん?」

「そう、ですね……」

結局、上手い具合に言いくるめられた気がする。

「さて、それじゃそろそろ行くとしますか」

「黄泉川先生が言っていた、例の子供達が来るのですか?」

「そういう事。ちょいと厄介な事情を抱えているんだけど、それぐらいの方が私は好みじゃん」

「先生もちょっとついて行くのですよ」

小萌は黄泉川の手を掴んで一緒に職員室を後にする。

とある高校の校門近く。
一方通行達は待ち合わせをしている黄泉川と会った。
ただ、その黄泉川に付属してもう一人、小学生にしか見えないピンク髪の少女が佇んでいた。
月詠小萌と名乗る少女は、打ち止めと同じくらいの身長だ。

「黄泉川、このガキはオマエの隠し子か」

「な、何を言っているのですか!?先生は先生なのですよ!」

何か言っているが、意味が理解できない。

「黄泉川、通訳しろ」

「月詠センセは大学を卒業して教員免許取得して学園都市にやってきた、正真正銘の教師じゃんよ」

「……芳川、通訳しろ」

と指示してみたが、反応がない。
ちらっと見てみると、少し目をギラつかせ薄く微笑んでいた。
この笑みは研究者魂に火が点き始めた危うい方の笑みだ。
どうやら芳川にとっても目の前のピンク少女は思わぬ同行者だったらしい。
この状態の芳川とは会話にならないだろう。というか、会話したくない。
結局通訳がいないので、一方通行は二秒だけ考えて、

「細胞の老化現象を抑える研究が完成していたって訳か」

「えっと、そうではなくてですね……」

「あるいは研究は未完成で、この人はそれらを解析する為に捕獲された生体サンプルなのかも、ってミサカはミサカはシリアス顔で持論を展開してみる」

「黄泉川先生!助けてくださいなのですよ!」

「センセーさぁー、高校生くらいからこんなやりとり人生で何万回もしてきたんじゃん?何でいまだにアタフタしてんの?」

「回数なんて関係ないのです!というかこんな風に憐れまれたことなんて初めてですし!」

「……これからはこの黄泉川先生が君達の世話をするじゃんか。
 部屋は余っているから居候が出来ても問題なし、何も気にする事はないよん」

いろいろ面倒臭くなった黄泉川は、話の流れを強引に変える。
誤解を解くように抗議してくる小萌は、頭をくしゃくしゃに撫でながら黙らせる。

「……俺を取り巻く環境がどンなモンかは分かってンだよな。
 深夜に火炎瓶を放り込まれる程度だと思ってンなら考えが甘ェぞ。
 俺を匿うってのは、学園都市の醜い暗部を丸ごと相手にするってことだ」

「だからこそじゃんよ。警備員の私としては、そっちの方がやりやすい」

沈黙が訪れる。
小萌だけが『あれ?ひょっとして先生、場違いです?』と不安げになっている。

「死ンでから文句を言うンじゃねェぞ」

「大丈夫だよん」

「オマエの名前が『連中』のリストに登録されることだってあるかもしンねェ」

「その不良グループを更生させるのが私の仕事でね。
 助けるべきガキを怖がっていたら、最初の歩み寄りも出来ないじゃんよ」

一方通行は溜息をついた。打ち止めもそうだが、黄泉川もやはり馬鹿だった。
やはり、というのは、入院時代に数回会っている黄泉川へ同様の印象を抱いていたからだ。

「ま、良かったよ。第一印象よりは思ったより助けるのが簡単そうで」

「本気で言ってンのか」

黄泉川が言っているのは、更生できるかどうかの話だろう。
ただ、自分は一万人弱の人間を殺している。芳川からそこまでは聞いていないらしい。
でないと、いくらなんでも『簡単そう』などとは言わないだろう。

「だってそうじゃんよ。なんだかんだ、私を気遣っている節がある」

一方通行は、もう一度溜息をついた。
現状を確かめられない馬鹿は、やはり手に負えない、と。

ロンドンのランベス区には『必要悪の教会』の女子寮がある。
見た目だけなら通りに面した石造りのアパートメントとほぼ変わらない。
実は一世紀単位の歴史があるとは思わないだろう。

「最大主教は……何でこんな複雑で面倒臭いものをいただいてくるのでしょうか」

『必要悪の教会』の女子寮の換衣所で、ドラム式の洗濯機のアース線を接続しながら神裂は呟く。

「なぜって……イギリス清教と学園都市は繋がっているんでしょう?だから学園都市からご機嫌取りの品物が贈られてくるんじゃねぇんですか?」

推論を述べたのはアニェーゼ。彼女の推論は実は結構当たっていたりする。

「め、面倒なんかじゃないですよう!この全自動洗濯機がないと、洗濯の度に別棟の洗濯機へ衣類を運ばなきゃいけなくなっちゃいます!
 そんなことになったら……私は、私は……!」

喚いたのはアンジェレネ。彼女はアニェーゼに付き従うシスター部隊のメンバーの一人で、背が小さく、とても非力である。
ついこの間までは、この女子寮にもそれほど人はいなかったのだが、今は二五〇人強の人間が住んでいる。
衣類の量は結構なものになり、非力なアンジェレネは冗談抜きで衣類に押し潰されるかもしれない。
にもかかわらず、洗濯機の準備は神裂に押し付けっぱなしである。

「シスター・アンジェレネ、みっともないですよ」

アンジェレネを冷静に注意するのはルチア。アンジェレネと同じくシスター部隊の一人で、女性にしては背が少し高め。
それに比例して胸も少し大きい修道女である。

「だ、だってぇ……シスター・オルソラと……シスター・オルソラも洗濯機の方がいいですよね?」

同意を求められたおっとり系シスターさんのオルソラはにこにこ笑顔で、

「ええまあ、そうでございますね」

本気でそう思っているのか、はたまたアンジェレネに同調しただけの生返事かは分からない。
一方、アンジェレネに同意すら求められなかったシェリーは、

「洗濯なんて川でやりゃいいじゃない」

アンジェレネの嘆きをまるっきり無視した発言だった。
こうしたサバサバしたところが、アンジェレネがシェリーを苦手とし、同意を求めることができなかった所以だった。
絶望の表情を浮かべるアンジェレネだったが、意外にも神裂の方から助け舟が出た。

「流石に川では環境面を考えて問題があるでしょう。それに、もうすぐ終わりそうです」

アンジェレネの表情が、パァっと明るくなる。説明書に目を通しているオルソラは、

「ボタンを押せば、あとは機械が勝手にやってくれるようでございますね」

「今の科学技術はそこまで進歩したのですね……と、できました」

ついに耐震補強具や落雷対策装置の設定を終えた神裂が立ち上がり、洗濯機を壁際に押し付ける。

「せっかくですし、動いているところを見てみたいのでございますよ」

「深夜ですよ。洗濯機を動かすような時間帯ではありません」

神裂はオルソラの提案を一蹴するが、

「説明書には消音設計だから夜でもオッケーと書かれているのでございますよ」

食い下がるオルソラから、神裂は説明書を見せてもらう。

「フォンとかデシベルとか書かれていますが、意味は分かっていますか?そもそもそれ以前に、今日の洗濯物はすべて保管庫へ収納済みでしょう」

そもそもそれ以前に、ここはイギリス清教『必要悪の教会』の女子寮で一般人が住んでいるわけでもあるまいし、
消音設計だろうがそうでなかろうが、あんまり周囲に迷惑かからないのでは?とアニェーゼ達新参組は思ったが口にはしなかった。

「保管庫は三重の魔術錠で守られているから解くのはかったるいし、かけ直すのはもっとやっていられないわよ」

「と、いうことです。洗濯物がないのですから洗濯機は使えません。明日も早いのでもう消灯しましょう」

神裂はシェリーに同調して就寝を促すが、

「洗濯物ならあるのでございますよ」

言うが早いか、オルソラは修道服を脱ぎ始める。

「な、何をやっているのですか!わざわざ洗濯物を増やす必要はないでしょう!そういう行動は新入りにも悪影響を及ぼし――ほら見てください!
 アニェーゼ達も修道服を脱ぎ始めたじゃないですか!」

しかしオルソラは聞いていないようだった。それどころか、

「日本の浴衣とはとても脱がしやすそうな構造をしているのでございますね」

と言って、淡い紫色の浴衣に藍染の帯という格好の神裂の帯へ手をかける始末だった。

「お、オルソラ!?」

神裂が狼狽した時には、既に帯は解かれていた。
そのせいで神裂の浴衣の前面が解放され、彼女の綺麗な肌が露になる。
一方、オルソラは目を丸くして、

「神裂さんは下着を穿かない派でございますか?」

「浴衣とはそういうものなのです!」

とは言うものの、彼女は普段から、下はともかく上はつけていない人種だった。
とにもかくにも、こうして洗濯物はある程度集まり、オルソラはそれを放り込んで、ボタンを押す。
その直前だった。

「おい極東宗派」

この場において『極東宗派』に当てはまりそうなのは自分しかいない、と自覚した神裂は答える。

「今は抜け忍状態ですが、何か」

神裂の二の舞にならないようにオルソラから距離を取っていたシェリーは――彼女の恰好は薄手の黒いネグリジェのため、
浴衣と違いそう簡単に脱がされはしないのだが、オルソラのマイペースぶりが元々苦手な彼女は、

「染物とか普通に洗ったら脱色するんじゃないのかしら」

シェリーの的確な指摘に、オルソラ以外の人間の動きが止まる。

「――って、肝心要のオルソラがまたマイペースぶりを発揮して……っ!」

洗濯機に一番近いどころか、もうボタンに手をかけつつあるオルソラが止まらなければ、帯はもれなく脱色されてしまう。
神裂は急いでオルソラを洗濯機から引き剥がすが、ほんの少し遅かったらしい。洗濯機が静かに稼働し始める。

「ああ!」

焦る神裂は、停止ボタンを押せば済むのに思い切り叩いてしまった。
聖人の腕力に、ある程度丈夫な洗濯機でも耐えられずフタが開いてしまい、

幸いにも、まだ注水の段階だったため帯が脱色されることもなく、遠心力によって水が解放されることもなかった。

「よ、よかった」

へなへなと腰を落とす神裂に、シェリーが突っ込む。

「何が良かったのよ。正しい手順で止めたわけでもないのに、そのままでその洗濯機は大丈夫なのかしら」

はっ!?と神裂は洗濯機を見つめる。
注水は止められ、洗濯機はうんともすんとも動いていない。
ボタンが押された後に正しい手順以外でフタが開いてしまったので、緊急で動作を停止するシステムが発動しただけなのだが、

「こ、故障……した……のでしょうか……?」

神裂が呆然と呟く中、黙っていなかったのはアンジェレネだ。

「そ、そんな……うそ、ですよね?洗濯機がなかったら、今度洗濯当番になったら、私は……私は……」

アンジェレネが膝から崩れ落ちる。
そんな様子を見て、神裂、アニェーゼ、ルチアの三人がいたたまれなくなる。
シェリーは大きな欠伸をした後、自室へ。
オルソラは『またローラ様に洗濯機を貰えばいいのでございますよ』と無茶なことを言った。

教職員向けに建てられたマンション。
黄泉川の部屋は一三階にあるらしかった。

「停電になると大変なのが欠点かな」

エレベーターの中で黄泉川が呟く。

「けど、一階や二階に比べれば襲撃の機会は減るわね」

「建物ごと吹っ飛ばされた場合は、上の階の方が被害はデケェけどな」

かつてはそこまではされなかったが、これからもそこまでされないという確約などない。

「見た目的に結構高級そうなマンションだけど、公務員ってそんなに給料貰っているの?ってミサカはミサカは素朴な疑問を口にしてみる」

「このマンションは建築方面の実地試験を兼ねた施設だから、家賃のいくらかは大学側が出してくれるじゃん。
 あと警備員って基本的に無給だけど、あっちこっちで善意のサービスがあるじゃん。
 スーパーのお肉が安くなったりするとかね。だから安月給でも、案外何とかなるわけ」

なんて雑談を交わすうちにエレベーターが一三階に到着する。
一行はエレベーターから降りて、黄泉川の部屋へ。

「おぉー、ってミサカはミサカは部屋の広さに感動してみたり」

打ち止めが感動するのも無理はないかもしれない。
4LDKの部屋は広いだけでなく、整理整頓が行き届いている。
深夜に一人で酒を煽ってテーブルの上にはビール缶が転がっていそうなイメージがあった一方通行は、少し目を見張る。

「……愛穂、また勤め先で始末書を書かされたのね」

呆れたような調子で芳川は呟く。
それを受けて、黄泉川はギクリとしながら、

「な、何の事じゃーん?」

「どういう意味?ってミサカはミサカはソファーでゴロゴロしながら尋ねてみる」

「愛穂は昔から、問題が起きると部屋の整理整頓をする癖があるのよ。
 しかも後先考えずにとにかく片付けまくるから、これだけ整理整頓されているのに、後になって部屋の鍵なくしたとかいう事態にもなるのよね」

なんか変わったというか意味不明な癖だな、と一方通行は漠然とした感想を抱く。

「それが次の職場を一緒に探してやっている恩人に対する言葉じゃんかよー?」

黄泉川と芳川は、どうも二人で話すときは若干ながら言動がガキっぽくなっている。
それぐらい昔からの付き合いなのかもしれない。実際、芳川は昔からと言っている。

芳川は、リビングから繋がっているキッチンの方へ目をやると、

「台所の方も相変わらずみたいね」

「おいおーい!整理整頓の悪癖は認めるけどそっちを指摘されるのは癪じゃんよーっ!
 桔梗だって私が出した料理は美味そうにバクバク食べていたじゃんか」

「作り方さえ知らなければね」

芳川と黄泉川がキッチンの方へ向かう。
打ち止めは興味が惹かれたのか、彼女達の後へトテトテついていく。
一方通行は大した興味はなかったのだが、流れでついていく。
飛び込んできた光景は、あんまり使われていなさそうな調理器具の数々と、バリバリ稼働状態の五台の炊飯器だった。

「……まさか、一人一台とかいう冗談は言わねェよなァ?」

「もちろん」

黄泉川は炊飯器を一つずつ指して、

「炊飯器っていうのは炊く、煮る、蒸す、焼くと何でもありじゃん。
 だから、これがパンを焼いていて、それがシチューを煮込んでいて、あれが白身魚を蒸しているじゃん」

黄泉川はメロンみたいに大きな胸を堂々と張る。
その様子を見つつ、芳川は一言で断じた。

「ナマケモノ」

「そんなこと言うなら桔梗は食べなくてもいいじゃん」

黄泉川はいじけたようになった。

「それは困るわ」

「じゃあいちいち文句付けるなじゃんよ。
 大体、炊飯器は準備さえしておけばボタン一つで勝手に料理してくれるし、火を使わないから昼寝していても問題ない優れモノじゃん」

「愛穂は昔から、小麦粉があればどんな残りものでもお好み焼きに出来るとか言って大型ホットプレートを買って来たり、
 圧力鍋さえあれば一生分の献立を作れるから他には何もいらないとか喚いたり……何にしても極端すぎるのよ」

「ちゃんと味と栄養と満腹感は得られているんだから問題ないじゃんよー。
 調理器具をあれこれ揃えるのは面倒だし、何でもできる万能の一品が欲しいじゃんか」

前者に関しては一理ある、後者は料理をした事がないので知らない、というのが一方通行の率直な感想だった。

「まあミサカは美味しければ何でもいいかな。
 それより気になるのが、電気代とかどうなっているの、ブレーカーとか落ちたりしないの?ってミサカはミサカは心配してみる」

「そりゃあ電気代は普通より高いけど、その分ガス代とか浮くから、まあプラマイゼロってトコじゃん。
 ブレーカーも問題なし。一応高級マンションだからね」

「なら良かった。けどあれだね。やっぱり男の人にとってはちゃんと料理している奥さんを見たいんじゃないかな。
 ヨミカワが結婚できない理由はここにあるのかも、ってミサカはミサカは指摘してみる」

何気に爆弾を投下した後、打ち止めはソファーの方へ走っていった。
『だから言ったでしょ。作り方も重要なのよ。愛穂は少し苦労して作る楽しみを覚えた方がいいわ』
と諭す芳川だったが、かくいう彼女の専攻分野は遺伝子分野であって、
作っていたものはおよそ二万のクローンだったりすることを考えると、あんまり笑えないコメントなのであった。

昼食は済ませてきたにもかかわらず、インデックスが『おなかへった』とほざき出した。
インデックスは見た目一四歳程度の少女。
この年頃の女の子なら、成長期を考慮してもお寿司一〇貫も食べればまあ満腹になるだろうと思うのだが、インデックスはその程度では到底満足しない。
どころか、成長期真っ只中の男子中高生はおろか、力士ですら真っ青の量のありとあらゆる食物を食らう。
リーズナブルな飲食店でも五桁は確実、ヘタすれば六桁に届くかもしれないレベルである。
そうならない方法は三つしかない。
食べ放題の店へ行く、『時間内に食べきればタダ!』みたいなチャレンジメニューがある店へ行く、自炊、である。
ただ、インデックス相手では自炊でもそれ相応の面倒とコストがかかる。
食べ放題の店へ行くのは、良心が痛む。
一九八〇円で食べ放題だったとして、元を取るためのチョイスをするのではなく、
純粋に好きなものを満腹になるまでチョイスする食べ方なら、常人なら七〇〇円程度、成長期の男子中高生でも一〇〇〇円程度だと思う。
コンスタントに元を取れるのは余程大食いに自信がある人か、力士ぐらいだろう。
そんな中インデックスなら、元を取るのは当たり前、ヘタすれば万越え分食べるかもしれない。
せめて二五〇〇から三〇〇〇円分ならばまだいいが、万越え分食べられて悲鳴を上げさせてしまうのは忍びない。
だからまだインデックスと一緒には食べ放題に行ったことがない。
その点、チャレンジメニュー店は『食えるものなら食ってみろ』と喧嘩を売っているのだから、
お言葉に甘えて喧嘩を買ってインデックス先輩は悉く叩き潰してきた。
現在までの戦績は一二戦一二勝。ついたあだ名が『飲み干す者』。
飲食業界では静かに広まりつつある脅威である。
ちなみにインデックスが叩き潰してきたチャレンジメニュー店はもれなく出入り禁止になった。
時間制限はいろいろあるが、インデックスは五~一〇分で余裕をもって食べ終わる。
そして『おかわりは?ねぇおかわりは?』とおかわりを要求する始末だったから、まあ無理もないだろう。
いくつかの飲食店でこれだけのパフォーマンスをやって、
正直全飲食店のブラックリストに入って出禁になってもおかしくないと考えていたのだが、案外そうならない。
『あそこは食われたとしても、俺のところのチャレンジメニューはそうはいかない。かかってこい』
とでも思っている可能性もあるが、多分、そうではない。
これは反省すべき点なのだが、日本人は自分を高めて順位を上げるのではなく、他人を蹴落として相手の順位を下げて安心しているイメージがある。
何が言いたいかというと、インデックスの被害を受けた店が、
『見た目一四歳程度の銀髪碧眼娘には気をつけろ』という親切心からの通達をしておらず、
むしろ『俺の店も被害に遭ったんだからお前の店も被害に遭え!』と考えて、あえて通達していないのではないか、ということだ。
単純に、インデックスについての情報が伝わるネットワークがないだけかもしれないが。
いずれにしても、入ったこともない飲食店で出禁もたまにあるが、少し探せばインデックスがチャレンジメニューにチャレンジできる店は案外ある。
ということで、

「んじゃ、チャレンジメニューがある店を探すか?」

「探す!」

即答するインデックスを尻目に、上条は御坂へ尋ねる。

「御坂はどうする?」

「え、私も一緒に行っていいの?」

「逆に何かダメな理由が?……あー、でもあれか。
 もしかして常盤台って恋愛禁止で恋人かどうかの事実に関係なく、
 男と一緒にいるところを目撃されたら問答無用で罰とかいう漫画みたいな学校なのか」

いや、待て。その割には御坂にやたらと絡まれてきた。
八月三一日には恋人の『フリ』も頼まれたし、罰の心配はあまりにも今更過ぎる。
となると、恋愛禁止なんてルールはない、もしくは罰を恐れていないかのどちらかと思われるが、

「もしかして御坂、寮監をはじめとする教諭達をその強大な能力で黙らせているのか?」

「ばっ、バカ言ってんじゃないわよ!一人で勝手に喋るだけ喋って、
 いきなり黙って何かを考え出したと思ったらぶっ飛んだ結論出してさ、アンタの中で私はどういう存在なのよ!」

今まで散々上条に喧嘩を吹っかけてきたことを鑑みれば、上条が出した結論もあながち外れていないかもしれない。

「まあまあ落ち着くんだよ」

インデックスが御坂を宥める。

「だ、大体、寮監に楯突くなんて畏れ多いこと……考えただけでも身の毛がよだつ」

御坂は両腕をお腹のあたりで組んでブルブル震えだす。
よく分からないが、どうやら常盤台女子寮の寮監は超能力者でも恐れるほどの存在らしい。
つまり、大人達を黙らせられるから罰を恐れてないわけではないらしい。

「じゃあ恋愛禁止なんてルールはないわけだ。なんか早とちりしちまったみたいだな」

「何が『じゃあ』なのか分からないけど、常盤台は恋愛禁止よ。」

あれ?と上条は首を傾げる。
では、なぜ御坂は寮監に叱られるリスクを冒してまで絡んでくるのだ?
その旨御坂に聞いてみると、彼女は顔を真っ赤にしながら答えてくれた。

「あ、あのねぇ、私とアンタを見て恋人だなんて誰も思わないわよ。じ、自意識過剰なんじゃないの?
 アンタと一緒にいるところを目撃されたって、これこれこういう事情があったからです、
 って普段の行いが良くて信頼度MAXの私から説明すれば、寮監たちも納得してくれるんだから。
 男と一緒にいたら問答無用で罰なんて理不尽な学校、現実にあってたまるか」

一部若干耳を疑うところがあったが、まあ御坂がそういうのだからそうなのだろう。

「そうか。なんか悪かったな。でも、そうか……」

そもそも最初に恋愛禁止だと思ったのは、八月三一日、海原に恋人がいると思わせるための『フリ』をするのに、なぜわざわざ一度海原から離れたのか。
目の前にいる海原にその場で見せつければいいのに、だ。
きっとそれは、常盤台の寮の前だったから、というところから来ている。
事情を説明すればいいとしても、いくら自称普段の行いが良くて信頼度MAXの御坂でも、
『あのツンツン頭は海原を撒くためのスケープゴートで彼氏でも何でもないので許してください。テヘっ☆』
では、さすがに無理があると思ったのだろう。恋愛禁止なら、海原と一時的に恋人になり、
それをあえて見つけてもらい叱られることによって別れたら手っ取り早かったのではないかと思わなくもないが、
それでは一度叱られなければいけないし、常盤台理事長の孫という海原の立場上、大人達も海原に逆らえず恋人関係を容認してしまうことを恐れたのかもしれない。
合点がいった様子の上条へ、御坂は不審そうに、

「何よ、その思わせぶりな感じは」

「何でもないよ。それより、結局御坂も一緒にご飯を食べられるってことでいいのか」

「そっちがいいのなら、こっちは何の問題もないわ」

「よし。それじゃあ行こうか。チャレンジメニューがいるお店探しへ!」

『おー!』とインデックスが拳を振り上げる。一方御坂は『え?』と固まるしかなかった。

一方通行は寝転がっていたソファーの上で目を覚ました。

「……寝ちまったか」

時計を見ると、ソファーに寝転がってから一五分ほどしか経過していないのが分かる。
おそらく、点けっ放しになっていたテレビからの音で目が覚めたのだろう。
ここ最近、ふとした刺激でも起きてしまう癖がついた。しかし、こんなことでは不意打ちには対応できない。
今誰かに攻められていたら、殺されていただろう。
一方通行は誰もいないリビングで『気ィ抜きすぎだ、クソ馬鹿』と自身を戒めつつ首を左右に振った。
かつては『反射』の能力が睡眠中でも適用されていたため、遠距離からスナイパーに撃たれようが、
核爆弾を落とされようが問題なかったのだが、今はそうはいかない。
それどころか、チョーカー型の演算補助デバイスがなければ老人並のことしかできない。
平たく言うと、歩行は杖必須でゆっくりと、計算や会話も可能ではあるが遅く、舌も満足に回らなくなる。
チョーカー型電極のバッテリーは、歩行以外は人並みの生活と紫外線などの最低限の項目の反射ができる通常モードで四八時間、
能力使用モードだと一五分しかない。
予備はないので、最低でも四八時間――二日に一回は充電しなければいけない。
電力消費を抑えるために完全OFFにしようものなら、要介護一歩手前になってしまう。
電力が底を尽きずとも、地下深くに潜り込む、妨害電波を撒き散らされてもアウトだ。
能力自体は最強でも、これだけの制限があっては笑い話にもならない。

「……シャワーでも浴びるか」

ネガティブなことばかり考えて沈んだ気分を変えるため、一方通行はソファーから立ち上がり脱衣所へ向かう。

「ヨミカワは何でそんなにおっぱいが大きいの?ってミサカはミサカはバスタオルで体を拭かれながら聞いてみる」

なんかドアの向こうからクソガキの声が聞こえてきた。
ドアに手をかけていた一方通行は手を放す。

「何でって言われても分からないじゃんよ。強いて言うなら、多分、よく食べ、よく遊び、よく寝たからかな」

「そんなことではそこまで大きくならないわ。遺伝子学的にありえない。ドーピング的な何かをしたんでしょう、愛穂」

遺伝子学的にありえないとか絶対テキトー言っているに決まっていた。

「あのさー、胸なんて脂肪の塊、ドーピングして大きくするものではないじゃん。
 サイズが合うブラジャー探しにも苦労するし、胸が大きくて得することなんてないじゃん。
 正直、私はこのおっぱいを分けられるものなら分けてあげたいよ」

「そ、それはミサカに対する当てつけと宣戦布告と受け取っていいんだな!
 ってミサカはミサカはヨミカワにガンつけてみる!」

「無自覚に持たざる者を傷つける……愛穂が結婚できない理由の一つね」

「いやいや、子供はまだこれから大きくなる可能性あるじゃん。
 というか今から変に大きいほうが気持ち悪いし、焦ることないっしょ。でも桔梗は……まあ、ご愁傷じゃん♪」

その語尾はちょっと高かった。多分、先程ボロクソ言われた仕返しができて嬉しいのだろう。
そんなことはどうでもいい。
『愛穂……覚えておきなさいよ』という芳川の恨み言の直後に、一方通行はドア越しに叫んだ。

「おいクソ馬鹿ども!風呂あがったンならさっさと服着て出やがれ!いつまで待たせンだ!」

『おっとそいつはすまなかったじゃん。めんごめんごー』と黄泉川の絶対にすまないと思っていない軽薄な声が、
芳川は『一方通行、今すぐ愛穂の胸をもぎ取ってちょうだい』とか怖いことを言う始末。
最後にクソガキの『い、いったいいつから聞いていたの、ってミサカはミサカは顔を真っ赤にしながら確認を取ってみる』
とかいう声が聞こえた。
この馬鹿どものノーガードっぷり何とかならないかと、一方通行は心の中で頭を抱えた。

「ということがあったの、ってミサカはミサカは事後報告してみる」

黄泉川のマンションを出たすぐそこの通り。
空色のキャミソールに男物のYシャツを羽織っている打ち止めは、リハビリを兼ねて散歩中のミサカ九九八二号と遭遇していた。
九九八二号は、おでこに電子ゴーグルをつけている。肉眼では見えない電子線や磁力線などの情報を視覚化するためだ。
これだけが若干異質で、恰好自体はベージュ系のブレザーに紺系チェック柄のプリーツスカートと、常盤台の冬服そのものだった。

「その報告ならば既にネットワークを介して全ミサカへ配信されているためわざわざ口頭で言い直す必要はないのでは?とミサカは当然の疑問に対して確認作業を行います」

「たまには通常五感を介したコミュニケーションを取って時計の誤差みたいなのを補正する必要があるの!ってミサカはミサカはもっともらしい理屈をつけてみたり!」

「もうもっともらしい理屈をつけてみたりって言っちゃっているじゃん、とミサカは呆れ顔で肩を竦めて首を左右に緩く振ります」

とは言うものの、呆れ顔でもないし肩を竦めてもいないし首を左右に緩く振ってもいなかった。
打ち止めを除く妹達は、全体的にアクションや感情表現が少ない傾向がある。特に表情の変化のなさは折り紙付きである。
九九八二号は目の前のマンションを見上げて、

「しかしこの辺りをブラブラと散策していたらオートロックにより締め出されて呆然と立ち尽くしていたとは間抜けですね、
 とミサカは煽ってみます」

見た目はともかく役割的に考えたら打ち止めの方が立場は上なのだが、九九八二号は構わずボロクソだった。

「悪いのはミサカじゃなくて融通の利かないオートロックだもん!
 電子錠のくせにミサカの力が効かなくてピーピー音が鳴って鬱陶しい!ってミサカはミサカは憤慨してみる!」

「『電撃使い』の力を受けてもびくともしないというのは褒めるべきことではないでしょうか、とミサカは客観的評価を下します。
 それに比べて上位個体(あなた)ときたら……とミサカは額に手を当てて絶望の色を浮かべながら溜息をつきます」

例によって額に手を当てていないし絶望の色を浮かべてもいないし溜息もついていない。
散々馬鹿にされてしばらく唸っていた打ち止めはやがて九九八二号のおでこにあるゴーグルを指差した。

「他のミサカは全員それを持っているのに、ミサカだけはそのゴーグルを持っていないの、ってミサカはミサカは羨望の眼差しを送ってみたり」

「あのミサカはあのミサカ、このミサカはこのミサカです、とミサカは暗に諦めろと告げてみます」

「そんな『よそはよそ、うちはうち』的な理屈では納得がいかない!
 一回ぐらい貸してくれたっていいじゃん大人気ないぞ!ってミサカはミサカは常套句に常套句で返してみる!」

「検体番号と見た目で言えば確かにミサカの方が大人ですが、実際生後の差などさほどありませんし、役割的にはあなたの方が上司でしょう、とミサカは正論を吐きます」

「じゃあ上司命令だ!そのゴーグルをミサカに貸したまえ!ってミサカはミサ」

「嫌です、とミサカは上司のパワーハラスメントを食い気味で遮ります」

打ち止めはボッコボコにされて、しばらく『ぐぬぬ』と唸っていたが、

「ねぇ九九八二号、ちょっとお辞儀してみて、ってミサカはミサカはお願いしてみる」

「まさかとは思いますが、ミサカが下げた頭からゴーグルをひったくるつもりではありませんよね、とミサカは釘を刺します」

「……」

「まさか本気でそんな子供騙しでミサカからゴーグルを奪えると思ったのでしょうか、とミサカは上位個体の浅墓さに逆に同情します」

黙りこくる打ち止めは、やがて涙目になり、

「うわーん!九九八二号の馬鹿ーっ!ってミサカはミサカは明後日の方向へダッシュしてグミュ!?」

打ち止めが言葉を最後まで続けられなかったのは、言葉通り明後日の方向へ走り出して、直後に電柱にぶつかって倒れたからだ。
一人相撲で自滅しただけなので、こちらに非はまったくないのだが、さすがに大の字になって倒れているのを放置しておくのは忍びない。

「あの、大丈夫ですか、とミサカはしゃがんで上位個体の顔を覗き込みながら一応の安全確認を」

「隙ありーっ!ってミサカはミサカは突然起き上がって九九八二号のおでこからゴーグルを華麗に奪取!」

まさか、わざと電柱にぶつかって倒れて気絶したフリをしたのか。

「ふっふっふー。まだまだ青いな九九八二号、ってミサカはミサカは勝ち誇ってみる。
 最初のお辞儀を断られるのは想定済みの上でのこの一連の流れ、すべてはミサカの掌の上で踊っていただけに過ぎないのだよ、
 ってミサカはミサカはほくそ笑んでみたり」

「分かりました、演習ですね、とミサカは学生鞄の中からサブマシンガンを取り出します」

「ただのミサカがこのミサカに敵うとでも?ってミサカはミサカは挑発しつつ猛ダッシュ!」

打ち止めは両手を水平に広げて飛行機の真似事のようなものをしながら、猛スピードで逃げていく。

「いいでしょう。下剋上です、とミサカ九九八二号はここに宣言します」

鬼ごっこが始まった。

ほんの一〇分ほどのシャワーを終えた一方通行は、ソファーで談笑しながらくつろいでいる黄泉川と芳川に当然の疑問を投げかけた。

「あのクソガキはどこ行った?」

「割り当てた部屋にいないの?……いないんだ。じゃあ遊びにでも行ったんじゃない」

黄泉川の意見は楽観的過ぎるとしか思えなかった。
自分やあのクソガキは研究材料として重宝する。
空間移動や記憶操作で黄泉川達に気付かれない、自覚がない内にさらわれていても不思議ではない。
仮に本当にただ遊びに行っただけだとしても、外の方がずっと危険だ。
自分達の事情をそんなに知らない黄泉川は仕方ないとしても、芳川の危機感のなさは酷すぎる。
一発ぶん殴りたいくらいだが、一〇分ほどとはいえ自分も目を離していたのは事実だし、ここで芳川を糾弾したところで打ち止めが見つかるわけでもない。
最悪精神を操作されている可能性もある。その場合、黄泉川らと会話することに意味はない。

とりあえずやれることからやる。
一方通行は携帯のGPSサービスで打ち止めの位置を検索する。
結果、案外普通にポイントが表示された。
ポイントは少しずつ動いている。ポイントが動く速度から考えると、足で走っている感じか。
と、見ていた携帯が着信画面に移り変わった。表示されたのは『クソガキ』の文字。

「おいクソガキ、勝手に出歩いて何やってンですかァ?」

『あのね、ミサカは今九九八二号と追いかけっこをしているの。
 今すぐは帰れないけど晩ご飯は作っておいてね、ってミサカはミサカはお願いして……じゃあね!』

有無を言わさず通話が終了して、一方通行は思わず携帯を握り潰しそうになった。
黄泉川も芳川の危機感のなさもだが、何より厄介なのは、狙われやすい当人が狙われやすい存在だという自覚がないことだ。

「最終信号からの電話だったようだけど……何て?」

「あのクソガキ連れ戻してくる」

どいつもこいつも危機感がなさ過ぎて付き合っていられない。
確かに今は遊んでいるだけのようだが、これからさらわれない確約などない。
一方通行は杖をつきながら、マンションを後にする。

チャレンジメニュー一三戦目も見事な圧勝を決めて出入り禁止になった。当然のことなので何とも思わない。

「さて、どうする?もう少しどこかで遊んでいくか。それとも、もう解散にするか」

「あれやろう!『ぷりくら』ってやつ!」

「じゃあどっか筐体があるところ探さないと。まあゲーセンにあるか」

上条一行はゲームセンターを目的地として歩き出す。

「とうま、今日は晩ご飯もみことと一緒に外で食べようよ」

「晩ご飯って……今アンタ二キロのオムライス食べたばっかりじゃない……」

御坂がインデックスの食べっぷりを見たのは今回が初めてではなく、インデックスが食欲旺盛なのは知っているはずだが、さすがに呆れたようだ。
無理もない。自分も最初のころは驚いたものだ。今となっては当たり前だが。

「門限的に御坂と一緒に、っていうのは無理なんじゃないか」

「そうね。今すぐならまだしも、完全に夜になってからでは無理ね」

「『もんげん』っていうのがよく分からないけど……なら今すぐ行こう!」

「俺達が胃袋的に無理だよ」

「……そっか。残念なんだよ。ごはんは一緒に食べる人数が多ければ多いほど美味しいからと思ったんだけど……仕方ないね」

見るからにシュンとするインデックス。なんだかこっちまで悲しくなってくる。
インデックスにはいつも寂しい思いをさせているからこんな時ぐらいはわがままを聞いてあげたいが、やはり今はお腹いっぱいだ。
などと考えていると、御坂に制服の袖を軽く引っ張られた。

「(ねぇ、私の友達をインデックスに紹介するっていうのはダメかな)」

「(願ったり叶ったりではあるけど、インデックスは魔術世界に狙われやすい存在だ。
 遊んでいるところに魔術師がやってきて、それで御坂の友達を巻き込んだら申し訳が立たない。そもそも、インデックスのことをどう説明する)」

「二人でひそひそ何を話しているのかな?仲間外れは悲しいかも」

「プリクラ撮った後、何をして遊ぶか話していただけよ」

「だったら私も混ぜてほしいかも!」

御坂は『ごめんごめん』と言いながらカエルをモチーフとした携帯を取り出して操作し始めた。
歩きながらの携帯いじりはあまりよろしくないと思うので注意しようとしたその時、ポケットの中の携帯が震えた。
震えはすぐに収まったので、電話ではなくメールのようだ。
歩きながら携帯をいじる気は毛頭ないが、ひとまず誰からメールが来たのかだけ確認する。
相手は御坂だった。この距離でメールなど、先程の話の続きに決まっていた。
メールを開いてみると、

『私の友達は相手の事情を詮索しないし、巻き込んだとか巻き込まれたとか小さなことをいちいち気にしないわ』

案の定だった。
歩きながら携帯をいじるべきでないし、こんな話はインデックスのいないところでゆっくりとすべきなのだろうが、
ここまでインデックスを気遣ってくれているし、この流れをぶった切るのもあれだ。
インデックスと会話しながら、メールを打っていく。

『だとしても、やっぱり簡単には頷けない。巻き込まれることに対して御坂の友達が気にしなくてもこっちが気にする。
 こう言っちゃ悪いが、せめて御坂ぐらい頼りにならないとこっちも安心できない』

まあ御坂の友達の強さなど知らないが、超能力者級とは思えない。
メールを送信して、数秒経って御坂の携帯に着信し、彼女は文面を見て、何もないところで躓き転びかけた。

「み、御坂?」

「だ、大丈夫だから」

御坂はこちらから顔を背けつつ歩き出す。やがて新たなメールが着信する。

『私の友達舐めんじゃないわよ。と言いたいところだけど、綺麗事だけでどうにかなるほど現実は甘くないものね。
 分かったわ。携帯操作しながら歩くのはあまりよろしくないし、この話は一旦ここで打ち止めにしましょう』

文面を読み終わったときには、御坂は既に携帯を仕舞っていた。
それに倣ってこちらも携帯を仕舞う。直後だった。

「ごめんね。気を遣わせて」

インデックスが口を開いた。

「……何を言っているんだ」

「実は最初のひそひそのやり取り聞こえていたんだよ」

「……」

「そして示し合わせたように二人して『ケータイデンワー』を操作し始めたから、
 メールで何らかのやり取りが行われているんだなあと思って……私なら大丈夫だから、気にしないでほしいかも」

「……ごめん」

不用意だった。迂闊だった。逆にインデックスに気を遣わせてしまった。

「謝らないでよ。とうま達は何にも悪くないんだから」

インデックスには他にも友達がいないわけでもない。
風斬氷華。
彼女はAIM拡散力場の塊で、不安定な存在である。
AIM拡散力場は学園都市中に満ちているので、風斬は学園都市内ならどこにでもいるというか、
むしろ自分達が風斬の『中』にいると言ってもおかしくないかもしれないのだが……、
土御門の話からすると、風斬が『風斬氷華』の形を成して出てくるのは、統括理事長が『出現させよう』と思った時のみだろうと思う。
要するに、風斬とも簡単に会えない。連絡すら取れない。
クラスメイト達ならインデックスと友達になってくれるだろうが、やはり巻き込まれた時のことを考えると、だ。
インデックスを預かってくれる人なら小萌先生や両親などもいるが、余程の緊急時以外預ける気にならない。
神裂なら日本人だし何とか学園都市に住んでインデックスの世話をしてくれないものか。
半ば本気で土御門に相談しようかと迷い始めたところで、ゲームセンターに到着した。




一方通行はベンチで休んでいた。
完全OFFはもちろんだが、通常モードでも走るのは無理だ。
歩行は杖なしでもできなくはないが、あったほうが安定する。
とにかく、走ることはできない。
当然、元気に走り回る天真爛漫娘相手にまともに追いかけるだけでは追いつけない。
よって一方通行は、打ち止めの走る先を予測して先回りしようとしているのだが、ガキの考えることはよく分からず、うまくいかない。
そんなことをしている内に疲れてしまったため、こうして休憩している。
小さい脇道などには入れないと考えて、タクシーなどはあえて使わなかったが、もう使った方がいいかもしれない。
GPSを見ると、打ち止めはまだ走り回っているようだ。一体あのガキの体力はどうなっているのか。
本当に病み上がりなのか疑いたくなるレベルだ。
と、携帯の画面がいきなり着信画面に変わった。表示は『黄泉川』。

「何ですかァ?」

『随分帰りが遅いと思ってね。手伝ってあげようかなと』

打ち止めは現状遊んでいるだけ。よって黄泉川達も操られている可能性はないはずだ。

「そりゃいいや。ガキのGPS情報をそっちに送る。ちょっと車回してこい。
 ガキの近くに来たら徒歩で追いかけろ。オマエ確か体育教師だろ?ガキ一人くらい捕まえられるよなァ?」

『任しとくじゃん』

一方通行はそれで電話を切って、ベンチから立ち上がる。
黄泉川に任せっぱなしは不安なので、再び打ち止め保護のために動き出す。

風斬氷華は学園都市を歩いていた。
見た目としては地味な少女なのに、道行く人々の目を引いていた。
なぜなら、彼女の輪郭が時々ブレていたからだ。
けれども、よくよく考えたら、人間の輪郭がブレるなんて異常、もっと大騒ぎになっていてもいいはずだ。
『注目を浴びる』程度で留まっているのがおかしいはずだ。
なぜ、大騒ぎにならないのか。
答えは簡単。
ここ学園都市は、超能力と科学技術の街だからだ。
人間の輪郭がブレるという不自然な、異常な状況でも、大抵は拒絶されることもなく受け入れられる。
ただし。

「まったく、こんな精巧な立体映像なんか出しやがって。誰の仕業だ?随分と手の込んだ悪戯をしてくれる」

歩く風斬の目の前に立ち塞がった警備員がそんなことを言った。
警備員は風斬を見ていない。街の光景としては受け入れても、それは単なる現象の話。
この街では大抵のおかしな現象は、超能力と科学技術という言葉で片付けられる。
『あれは自分の知らない超能力・科学技術によって作られたモノなのだ』で納得される。
だから、風斬氷華はこうして街を歩くことができる。
誰がどう見ても人間ではなくても、排斥されずに受け入れられる。
それは幸運なのか。それとも不幸なのか。
風斬氷華は超能力または科学技術による立体映像と解釈され、心がある人間と認められているわけではない。
彼女は小さく笑う。
苦みや寂しさが混じった笑み。
その淡い表情は、大変人間らしいモノだったが、

「……また精密な幻像じゃないか。先生が照れるとでも思ったのか?」

これも受け入れられた。
一番大切な部分を除いて。

九月一日に風斬と行ったゲーセンとは違うゲーセンだが、ここのプリクラでもコスプレできた。
インデックスはカナミンの、御坂はゲコ太のコスプレで一緒にプリクラを撮った。
上条は普通に制服のままだった。
その後は先程の重い空気を忘れるように、音ゲー、レースゲー、格ゲー、パンチングマシンなど、いろいろ遊んだ。
そうしている内に常盤台の門限が近づいてきたということで、解散ということになった。
のだが。

「こんなところで命の恩人に逢えるなんて運命を感じざるを得ないかも、ってミサカはミサカは感動に打ちひしがれてみたり」

ゲーセンを出た直後のことだった。
御坂を幼くしたような顔をした少女へ、聞きたいことが一瞬でいろいろ浮かぶ。
『打ちひしがれる』とは、精神的な衝撃などで気力を完全になくさせる。意気消沈させる。
といった意味なので『悲しみに打ちひしがれる』のように使う。
『感動に打ちひしがれる』という使い方はちょっと違うんじゃないかとか、ミサカは、となんで二回繰り返しているのかとかだが……一番聞きたいのは、

「君は、何者なんだ?」

「詳しい話をするなら少し時間がかかるから、どこか座れるところで話そう、ってミサカはミサカは提案してみたり」

お腹はいっぱいなので、カフェやファミレスは勘弁だ。公園やベンチを探す。

とある公園のベンチで、ゆっくりと詳しい話を聞いた。
自身の正体は妹達検体番号二〇〇〇一コード打ち止めであること。
妹達が暴走した時、それを止めるための安全装置として製造されたこと。
ミサカネットワークのシステムを逆手にとって、ウイルスを打ち込んで妹達を暴走させようとした天井亜雄の魔の手から、
脳にダメージを負ってまで一方通行が救ってくれたこと。
その代償として、今は妹達の代理演算がなければ日常生活もままならないこと。
昨日まで入院していて、今日退院したこと。
現在は黄泉川愛穂のところに世話になっていること。
これらの情報に黙っていなかったのは御坂だ。

「何で一方通行が打ち止めを助けたの?」

「ミサカにもよく分からない。あの人の気持ちはあの人にしか分からないよ、ってミサカはミサカは当たり前のことを言ってみる。
 だから、本人に確認してみればいいんじゃないかな、
 ってミサカはミサカはあの人にコールしている状態の携帯をお姉様(オリジナル)に渡してみる」

しかし御坂は打ち止めから携帯を受け取ることはなかったし、携帯も通話状態になることはなかった。
代わりに、後方から味気ない音が聞こえてくる。
言うなれば、携帯のデフォルトの着信音のような。
ベンチに座っている上条達は、音源を確かめるために振り返る。
そこには、しかめっ面の一方通行がいた。
御坂が立ち上がり、前に向き直り、一方通行に背を向けたまま告げる。

「一方通行、ちょっと話があるから一緒に来なさい」

「……チッ」

一方通行は舌打ちをして、

「クソガキ、これ以上はしゃぎ回るンじゃねェぞ」

そうして御坂と一方通行はどこかへ行った。
今の状況をほぼ理解していないインデックスは、

「みことと『あくせられーた』はどうしちゃったの?」

一から一〇まで説明すると相当時間がかかるし、そもそも、説明する必要もないだろう。
これは御坂と一方通行の問題だ。代わりに、こう答える。

「ケジメをつけに行ったんだよ」

「けじめ?」

「気持ちをはっきりさせに行ったんだ。あいつらにとっては、大事なことなんだ」

多分、この一言だけではインデックスには分からないだろう。実際、小首を傾げている。
けれども、これ以上追及してくることはなかった。
詳細が分からなくとも、なんとなく御坂達の問題ということが分かったのだろう。

「ちなみにあなたは一方通行がミサカを助けたことについてどう思う?ってミサカはミサカは聞いてみる」

「さあな。さっき打ち止めが言った通り、一方通行の気持ちは一方通行にしか分からない。
 話を聞く限り、打算的な理由はなさそうだったけど。まあ、人助けは理屈じゃない。
 打算的な理由がなかったら、一方通行は打ち止めを助けたかったから助けたことになる。
 もしそうなら、一方通行は根っからの悪人ではなかったってことなんじゃないか。
 そういう打ち止め自身は、助けられたことについてどう思うんだ?」

「あなただから言うけど、というより言うべきだと思うから言うけど、
 たくさんのミサカ達が殺されたことについては、許してはいない、ってミサカはミサカは断言する。
 けれど、過去に過ちを犯したとしても、ミサカを助けた理由が分からなくとも、ミサカがあの人に助けられたことは厳然たる事実。
 だからミサカは、あの人のことが好き、ってミサカはミサカは告白してみる」

「そっか」

一方通行がかつてやっていたことは、やはりそう簡単に許されるべきではないだろう。
客観的立場の自分でもそう思うのだから、当事者であり被害者である妹達や御坂は、当然簡単には許せないだろう。
許せないのは当然。
だけど、せめて一方通行が打ち止めを救ったこと自体は、御坂にも認めてほしい。
そう思う。

しばしの沈黙が訪れるが、やがて打ち止めが口を開いた。

「ところでミサカは最初にも言った通り命の恩人であるあなたにも感謝しているから、
 何かお礼がしたいんだけど何すればいいの、ってミサカはミサカは本人に尋ねてみる」

「何って言われてもなあ……何もしなくていいよ」

「それじゃあミサカの気が済まないーっ!ってミサカはミサカは首を横に振ってみたり」

御坂にしても神裂にしても打ち止めにしても、どうしてこうも借りを返したがるのか。
こちらはやりたいようにやっているだけなのだが。

「んー……もし今後御坂に何かあった時には、力になってあげてくれ」

「それは当然、ってミサカはミサカは頷いてみる。で、あなたは何かないの?ってミサカはミサカは問い詰めてみる」

どうやら彼女も、どうしたってお礼をしなければ気が済まないタイプらしい。
こういうタイプには素直にお礼をされた方が早いのだが、打ち止めにできることなどあまりない気がする。
さて、どうしようか。と考え始めた時だった。

「とうまが喜ぶことをしたいんでしょ?だったら簡単かも。
 困っている人を見つけて、とうまにその人を助けさせればいいんだよ。
 とうまにとっては、それが幸せだからね」

ペットの餌付けみたいな言われ方をされて、もはや苦笑するしかなかった。

「困っている人かぁ。うーん……ミサカ今困っているの、ってミサカはミサカはゴーグルを見せつけてみたり」

打ち止めの話によると、何でもこのゴーグルは妹達のためのものなので上手に装着できないとのことだった。
そのゴーグルどこかで見覚えがあると思っていたのだが、なるほど言われてみればクローンがつけていたものだ。

「ゴーグルを固定するバンドの長さを調整すればいいだけだろうから、ちょっと貸してみ」

言われた通り、打ち止めはゴーグルを上条に差し出す。
上条は大体これぐらいだろうなと予想してゴムバンドの長さを調整して返す。
一発でフィットした。

「わーいわーい、ってミサカはミサカははしゃいでみたり!これであなたは満足したの?ってミサカはミサカは質問してみる」

「満足だよ」

正直なところ満足でも不満でもないが。

「それより、そのゴーグルクローンのなんだろ?どうやって調達したんだ?」

「演技力をいかんなく発揮してかっぱらってきたの、ってミサカはミサカは自慢してみる。
 ちなみに、あなたが直接助けた九九八二号からだよ、ってミサカはミサカは補足してみる」

それは泥棒なのか。はたまた妹達内でのじゃれあいみたいなものなのか。

「よく分からんけど、あとでちゃんと返すんだぞ」

「うん!ってミサカはミサカは元気よく返事してみたり!
 それじゃあミサカは行くね、ってミサカはミサカはバイバイしてみる」

「行くって、どこへ?」

「今九九八二号と追いかけっこの最中だから逃げるの、ってミサカはミサカは趣旨説明してから猛ダッシュ!」

「あ、ちょっと!」

一方通行は多分、御坂と話をつけた後、打ち止めを迎えにいずれここに戻ってくるだろう。
なのに、打ち止めがいないと分かれば、キレるかもしれない。
はっきり言ってそれは勘弁だ。
打ち止めを捕まえたいが、それではインデックスを一人にしてしまう。
打ち止めが走り去った方向とインデックスの方を交互にちらちらと見る。

「はぁ……行っていいよ、とうま。いずれみこともここに戻ってくるだろうし」

「……悪い!」

察したインデックスのお言葉に甘えることにする。

公園のベンチから五〇〇メートルほど離れた脇道で、御坂と一方通行は向かい合っていた。

「何であの子を助けたの?」

「さァな」

別に誤魔化しているわけでも何でもなく、本当に理由なんてない。
あの時は助けることしか頭になかった。
強いて言うなら何かが変わる、変えられると思ったからだが、それでは目の前の少女は納得しないだろう。

「自分でも助けた理由が分からないってこと?」

「あァ」

「何であの医者の病院へ預けるんじゃなくて、アンタが保護する形になっているの?」

「……成り行きだ」

「わざわざ一緒にいるからには、ちゃんとあの子を守るつもりはあるんでしょうね」

「わざわざ脳味噌に孔ァ空けてまで救ったガキだ。誰にも手は出させねェ」

「そう。ならいいわ」

もっと追及や糾弾があると思ったので、逆に拍子抜けだった。

「最後になるけど、一回しか言わないからよく聞いて。アンタが打ち止めを救ったことには感謝している。
 そもそも、妹達が生まれて絶対能力進化実験が始まったのは私のせいでもあるし、打ち止めの存在も今日まで知らなかった」

「俺だって八月三一日まで知らなかった。オマエが知らなくても無理はねェンじゃねェの」

「話の腰を折ってまでの気持ち悪いフォローありがとう。続けるわね」

いやはや慣れないことはするべきではないな、と一方通行は心の中で首を振る。

「その上、妹達も病院や『外』への協力機関に預けっぱなしという体たらく。
 私はアンタに上から偉そうに物言う権利はないかもしれない。
 だから――いつか私の準備が整うその時まで、あの子をよろしくお願いします」

御坂は一方通行へ頭を下げる。
一方通行が目を丸くして何も言えなくなっている間に、御坂は頭を上げて、

「それだけ。私先に戻っているから」

一方通行には御坂に追いつけるだけの運動神経は持ち合わせていない。
何か言う暇もなく、御坂の走り去っていく後姿を見つめるしかなかった。

打ち止めはどこに行ったのか。
残念ながら皆目見当もつかない。
どうやらクローンと鬼ごっこをしているっぽいことから考えると、表通りよりは脇道に入るだろうか。

「分っかんねぇな……」

少し恥ずかしいが、もう搦め手を使うしかないか。

「おーい、打ち止めーっ!お礼してほしいこと思いついたから出て来てくれー!」

叫んで呼ぶこと。しかし返事はなかった。

「やっぱ無理か……」

諦めかけた、その時だった。

「この子を呼ぶ声、どっかで聞いたことあるなーと思ったら、上条だったか」

声は後ろから。
振り返ると、そこには打ち止めを抱えた黄泉川先生がいた。

「この子に何の用っていうか、何でこの子のことを知っているのかな」

「それは……」

打ち止めの話によると、黄泉川先生は一方通行や打ち止めについて『詳しくは』知らないらしい。
多分、絶対能力進化実験のこととか八月三一日のことは言ってはいけない。

「さっき知り合ったんです」

「そっか」

ものすごくあっさりと会話が終わった。

「それより、お礼してほしいこと思いついたってことは、さっきのゴーグルの件では満足していなかったの、ってミサカはミサカは確認を取ってみる」

「いや、それはお前を見つけるための方便だ」

「ミサカを見つける?なんで?」

「一方通行キレるかなって思って」

「上条、お前、何で一方通行のことを知っているじゃん?」

また墓穴を掘ってしまった。
打ち止めは傍から見たらただの活発な子供で、街中で遊んでいるところを知りあった。
は通用しそうだが、一方通行とは、普通に知り合うのは多分あり得ない。
もう誤魔化すのも面倒だし、現在というか今日から一方通行らの保護者の黄泉川先生にならばらしてもいいんじゃないか。
ていうかむしろ黄泉川先生には事情を完璧に把握してもらった方がいいんじゃね。
と都合の良い事を思い始めた時だった。

銃器の発砲音のようなものが、インデックスが待っている公園のベンチ方面から聞こえた気がした。
それだけで、上条はもう走り出していた。

「あ、ちょっと上条!どこ行くじゃん!?」

「公園の方だよ!ミサカが指示するからミサカ達も行こう!ってミサカはミサカは促してみる」

訳が分からないが、とりあえず打ち止めに従って黄泉川もスタートを切った。

一人ベンチに座って上条ないし御坂を待っていたインデックスのところでは、

「君可愛いね~。よかったら僕たちと遊ばなーい?」

不良が絡んでいた。全部で四人。

「……」

こういった輩には無視するのが得策だと判断し、インデックスは不良達から露骨に顔を背け無言を貫くが、それが逆に癇に障ったらしく、

「テメェ、何無視してんだよ!」

不良の一人がインデックスの腕を引っ張り無理矢理立たせる。

「痛い!放してよ!」

「放さねーよ!」

「にしても、銀髪か。ビッチ茶髪やパツキンはたまに見かけるが、銀髪は新鮮だよな」

「つーか、白い肌に碧眼だし、こいつ純外国人じゃねぇの。閉鎖的な学園都市にはレアだろ、これ」

「人を物みたいな言い方して……私にはインデックスって名前があるんだよ!」

「何電波なこと言ってんだ、このガキ。あーあ、なんか萎えちまったよ」

「そうか?俺は好きだけどな、電波系女。あとメンヘラも」

「お前は趣味悪すぎなんだよ」

勝手に盛り上がっていく不良達へ、インデックスは嫌悪感から彼らを睨み付ける。

「けど俺、電波は嫌いだけど、こういう風に反抗的な女は好きだぜ。正確にはこういう風に気丈な女を服従させるのが、な」

不良の一人が振りかぶった。そして、

「待ちやがってください、とミサカは不良の横暴を止めます」

御坂美琴によく似た、というよりはまったく同じ声だった。声だけではない。服装や容姿に至るまで同じだった。
しかし、声の抑揚や口調、雰囲気が全然違う。御坂美琴と同じ声、姿なのに、彼女とは別人としか思えない謎の少女。
いいや、違う。少女には会ったことがある。九月一四日、突如部屋に訪ねてきて『助けてください』とお願いした少女だ。
御坂美琴の双子なのかもしれない。あの時は全く気になっていなかった。

水を差された不良達は『何だよ』と振り返り、直後に強張った。なぜなら、警告をしてきたと思われる少女がサブマシンガンを構えていたからだ。

「お、おい、あれヤバくね?」

「なんであんなゴツい武器を持ってんだ……」

「ちょ、ちょっと待て。冷静になれよ。ありゃオモチャかなんかじゃねーのか?」

「そ、そうだよな。普通に考えて、本物のサブマシンガンを持っているわけないよな」

それは合理的な考えでも何でもなく、ただの現実逃避に近かった。

「本物か玩具か、信じる信じないはあなた達次第ですが、やってみますか?逃げるなら今のうちですよ、とミサカはあらかじめ言っておきます」

「……胡散臭いな。本物だったら脅し文句は必要ねぇだろ」

「つーか、あれが本物のサブマシンガンだったら、それを使った時点で過剰防衛ってやつだろ」

「いや、それを言うならそもそもあいつは第三者なんだから、過剰防衛ですらないだろ」

「自分達に都合のいい解釈するばかりするのですね。嫌がる女の子に絡んでおいて、モラルやデリカシーが欠片もなさそうなあなた達が法律を語るなど片腹痛いです、とミサカは呆れます」

「この女、黙って聞いてりゃ……!」

空気がピリピリしたものに変わる。インデックスを掴んでいる不良以外の不良達が臨戦態勢に入る。
しかし、少女あくまでも冷静、というよりはマイペースに、

「サブマシンガンの弾は実弾ではなくゴム弾ですが、サブマシンガン自体は玩具ではありません。
 それを踏まえた上でやるというのなら、相手になりましょう、とミサカは最後通牒をします」

「ゴム弾、ってことはゴムってことだろ。なら大したことないんじゃね?」

「だよな。つかよく考えたら、あれを連射したらこの銀髪っ娘にも当たる危険があるだろ。つまり、本物だとしてもやつはあれをぶっ放せない」

「お前天才じゃね?」

ギャハハハハハハ!と下品に笑う不良達を、少女は無表情で見つめていた。

「じゃあ行きますか!」

インデックスを掴んでいる不良以外の不良三人が少女へ向かって走り出す。
少女の顔色は何一つ変わらない。

「向こうの銀髪碧眼の彼女に当たるリスクを考えて、というのは良い着眼点ですが、あなた達は基本の基本を忘れているようです」

少女の前髪からバチッ!と音が鳴る。

「ここは超能力が当たり前の街。武器は何も分かりやすい銃器だけではないのです、とミサカは電撃を放ちます」

少女の能力は欠陥電気。要は電撃使いなのだが、異能力者程度の力しかない。
オリジナルの御坂美琴の万分の一にも満たない力しかない。
が、そもそもそのオリジナルの最大出力は一〇億ボルト。万分の一でも一〇万ボルト。
に少女は満たないわけだが、それでも人間に対してなら十分すぎる威力である。
つまり、

「ぐああああああああ!」

電撃をまともにくらった不良達は、為す術もなく少し黒焦げになって倒れる。
それだけでは終わらない。

「さて、あなた方が見下したゴム弾、どれほどのものかその身をもって味わってもらいましょうか、
 とミサカは至近距離でサブマシンガンを突き付けます」

「や、やめ」

「あなた達があの女の子にやったことをやっているだけなのですが、そんなにいけないことなのでしょうか。
 いけないことだと思うのなら、なぜそれをあの女の子にやったのでしょうか。
 自分が嫌なことは他人にするなということを教わらなかったのですか、とミサカは問い詰めます」

「なん、だよ……なんなんだよ……!」

「会話にならないようですね。もういいです。因果応報です、とミサカはサブマシンガンの引き金を引きます」

ドドドドド!と銃口からゴム弾が放たれた。

ゴム弾は不良達へ一発も直撃することはなかった。少女がわざと外したためである。
それでも不良達は恐怖からしっかり気絶していた。

「さあ、彼女を解放してください、とミサカは宣告します」

「……ざけんな!」

追い詰められた残る一人の不良はインデックスを解放するどころか、左腕で彼女の首を後ろから締めるような形になる。
右手にはナイフを持って、

「武器を捨てて投降しろ。さもなきゃこのガキを殺す」

「逆です。彼女を解放しないのなら、今度こそ地面に倒れている屑どもにゴム弾をぶち当てます。
 ゴム弾の威力が分かっていないようなので忠告しておきますが、至近距離で食らえば骨折、最悪死亡もあり得るレベルです、
 とミサカは立場を弁えろと暗に告げます」

「やりたきゃやればいいさ。別に俺が痛い思いをするわけじゃない」

「……」

少女の顔から、わずかに失望の色が滲み出た。少女はサブマシンガンを捨てる。

「今度は服を脱げ」

不良の要求が調子に乗り出す。
少女はブレザーのボタンを一つ一つ外していき、やがてすべて外すと地面に落とした。
そこから少女は動かなくなる。

「何やってんだ。服を脱げって言ってんだろ」

「だからブレザーを脱ぎましたが、とミサカは」

「そうかそうか。分かったよ。分かりやすく言ってやる。素っ裸になれ」

少女は相変わらずの無表情で、今度はシャツに手をかけていく。ボタンを一つ一つ外していく。
その途中で、もうシャツの下の水色と白の縞模様の可愛らしいブラジャーが見える始末だった。
こんな理不尽な状況を作り出しているのは自分のせいだと強く自覚したインデックスは、

思い切り不良の左腕を噛んだ。

「がああああああ!?」

痛みに耐えられなくなった不良が腕の戒めを解いて絶叫する。
インデックスが解放される。

「こ、のガキ、舐めたマネしやがってぇぇぇえええ!」

インデックスは少女のもとへ走り、その後を追う形で不良がヤケクソ気味に駆け出す。
少女は前髪から電撃を出そうとして、

「ぐご!?」

素っ頓狂な声と共に、突然不良の動きが止まった。
原因は、とある少年に首根っこが掴まれたためだった。
不良は振り返る。直後だった。

少年の右ストレートが不良の鼻っ柱を思い切り叩いた。
不良は鼻血を吹き出しながら数メートルも転がって、完全に意識を失った。

現場を一から一〇まで見ていたわけではないが、
九九八二号の証言により不良達は、警備員である黄泉川に補導される運びとなった。

「怖い思いをさせてすまなかったな、インデックス。そしてありがとう、御坂妹。ほら、インデックスもお礼をするんだ」

上条の胸に身を預け、頭を撫でてもらっていた涙目インデックスは、

「うん。ありがとうね。クールビューティー」

「お二方とも、それはミサカに対する呼称でしょうか、とミサカは確認を取ります」

「クローンていうのは人目が憚れるだろ?けど何か良い呼称も思いつかないから、とりあえず御坂妹って呼ぼうと思うんだけど……ダメか?」

「クールでビューティーだからクールビューティーなんだよ」

「ミサカはこのミサカ九九八二号だけではありません。妹達全員『御坂妹』ということになるのでしょうか、とミサカは質問します」

「まあだから、暫定的に、ってことで。というかクールビューティーの方は?」

「クールビューティーは気に入ったので認めます、とミサカはシンプルなニックネームを許可します」

「なら俺もクールビューティーって呼んだ方がいいか」

「別に何でも構いません、とミサカは器の大きさをアピールします」

じゃあ御坂妹でいいやと思う。クールビューティーは少し長い。

「ところで素朴な疑問なのですが」

御坂妹はインデックスを指差して、

「結局彼女は――」

「はいはーい。妹はお姉ちゃんと一緒に帰りましょうねー」

御坂が御坂妹の発言を遮って手を取って歩き出す。

「まだ話は終わっていないのですが、とミサカは」

「お姉ちゃんから妹へ良い事を教えてあげよう。――空気を読みなさい」

「空気を……読む?『空気』という漢字は読めますが、そういうことではないですよね、とミサカはあーれー」

御坂の気遣いによって、御坂姉妹がフェードアウトする。

しかしこの場において御坂の妹はもう一人いる。打ち止めはインデックスを指差して、

「で、結局彼女は何者なの?ってミサカはミサカは実は一目見た時から気になっていたことを、九九八二号の意思を引き継ぐ形で聞いてみる」

黄泉川は不良共を連行したので、打ち止めは連れていけなかった。
御坂はもう来て帰ったのに、一方通行はまだ来ていない。早く来ないかなー、と思いつつ答える。

「この子はインデックス。イギリスから来て俺の所でホームステイしているんだ」

「インデックス……『目次』ってこと?ってミサカはミサカは人名っぽくない名前に驚いてみる」

「クソガキ!」

ようやく一方通行がやってきた。あと一五秒くらい早く来ていればと思う。

「帰るぞ」

「待って。銀髪碧眼のこの子、インデックスって言うんだって!どう考えても人名じゃないよね、ってミサカはミサ」

「やかましい。それを言ったらオマエだって人のこと言えねェだろ。人それぞれ事情があるンだから、余計な詮索はするンじゃねェ」

大方同意だが、この調子だと、打ち止めからいろいろな情報を聞いたことを知られるとキレるかもしれない。

「ウチのクソガキがデリカシーのねェことを言っちまったみたいだな。ほら、謝っとけ」

「えぇー、ってミサカはミサ」

「謝れ」

「うぅ、怖いよ……。ごめんなさい、ってミサカはミサカは謝ってみる」

「ううん。全然気にしていないから大丈夫だよ。アホ毛ビューティー」

「ちょっと待ってアホ毛ビューティーって何さ!ってミサカはミサカは酷すぎるあだ名にブチギレてみたり!」

「酷すぎるとは心外かも!アホ毛ビューティーにはクールビューティーからの正当継承と、
 美しすぎるアホ毛という、二重の意味を込めた素晴らしいあだ名なんだよ!」

「何を言っちゃっているの!?ってミサカはミサカは全然怒りが収まらない!」

多分インデックスは、打ち止めのことを御坂妹の妹だと思っている。
打ち止めの話によると、打ち止めの方が御坂妹含む妹達より役割的には上で、インデックスもその話は聞いていたはずだが、
まあ科学音痴のインデックスのことだから、理解できなかったのだろう。
その場合、見た目的には打ち止めが末っ子に見える。

「すまん!インデックスの代わりに俺が謝るから許してくれ!
 あと聞いての通りインデックスは打ち止めを馬鹿にしているわけではなくて、純粋に良いあだ名だと思ったみたいだ!どうか許してやってくれ!」

「うぅ~……恩人であるあなたがそう言うのなら仕方ない、ってミサカはミサカは大人になってみる」

どうにか収まったか、と安堵の息を吐く。

「帰るぞ」

一方通行が打ち止めの手を引いて歩き出す。

「えぇー。ミサカまだ遊びたい、ってミサカはミサ」

「ふざけンな、クソガキ」

「いつもガキガキって……ミサカには打ち止めって名前があるんだからね、ってミサカはミサカは念を押すんだけど聞いている?」

わいわいやりながらどんどん離れていく一方通行達に、インデックスは手を振って、

「じゃーねー、アホ毛ビューティー!」

『やっぱり許せないかも!ってミサカはミサ』『やかましい!』
という賑やかな掛け合いが聞こえてきた。あの一方通行が随分と丸くなったものだ。
打ち止め達を見送りながら手を振っていたインデックスが呟く。

「……楽しい時間はあっという間に過ぎちゃうね」

「……そうだな」

「私たちも帰ろうか」

「そうだな。もうそろそろ夜になっていくし、帰ろう」

上条とインデックスも、帰路につく。

「結局あの銀髪碧眼娘は何者なのでしょうか、とミサカは手を引かれながら何か知っている様子のお姉様に尋ねます」

「それより、何でアンタがあの場に居合わせたの」

「話を逸らさないでください、とミサカは」

「何でアンタがあの場に居合わせたの」

どうやらよほど聞かれたくないらしい。
分かっていることは、九月一四日に少年に助けを求めに彼の部屋を訪ねた時、何気に彼と一緒にいたこと。
上位個体から流れる情報からは、名前がインデックスということくらいだ。
目の前の姉はきっといろいろ知っているだろうと思うが、強情な彼女は意地でも答えない気がする。
だったら姉から聞くのは諦めて、直接少年かインデックスに聞いた方が早いだろう。
九九八二号はそう結論付けて、姉の問いに答える。

「ミサカは今、上位個体との演習中で、上位個体を追いかけていたら絡まれていたあの子を見つけたのです、とミサカは経緯を説明します」

「演習って何よ。サブマシンガンまで使って」

「ミサカのゴーグルが奪われたので取り返そうとしているだけです、とミサカは答えます」

「いやいや、やりすぎでしょうよ」

「相手は上位個体ですし、戦いにルールはありません、とミサカは自身の正当性を主張します」

「戦いって……演習じゃないの」

「そういうわけでミサカはゴーグルを取り返さなければいけないので手を放してもらえませんか、とミサカはお願いします」

「突っ込みはまるで無視か。……ゴーグルくらい、あげればいいじゃない。代わりの調達できないの?」

「それではミサカが負けを認めたことになってしまいます。
 それでは納得がいきません、とミサカは断固として取り返す意思を表明します」

「はぁ……分かったわよ」

御坂は手を放す。

「では、ミサカはこれで、とミサカは上位個体狩りを再開します」

何か物騒なことを言いながら、九九八二号は走り去っていった。
まあでも、元気そうで何よりだ。そう思いつつ御坂も帰路につく。

現象管理縮小再現施設で、サーシャ=クロイツェフは調べ物をしていた。

八月下旬、一日だけ記憶がない日があった。
その原因は、『御使堕し』という現象によって自分の中に大天使『神の力』が宿ったかららしい。
らしい、というのは、自分は記憶がなかったので、その事実を伝聞で聞いたからであるのだが……。
にわかには信じがたい。
大天使の『天使の力』の総量を体の中に収めるなど、たかだか一魔術師はおろか、聖人にだってできやしないはずだ。
しかしながら、自分の体の中から『神の力』の『天使の力』が見つかったのもまた事実だった。
というより、他の人達もその痕跡から、『神の力』が宿っていたと判断したらしいが。
よって、本来宿るはずがない『神の力』が宿った理由は誰にも分からない。
だからこそ、こうして文献に頼ることにした。

『この世で最も大規模な「天使の力」が人に宿ったのは、言うまでもなく受胎告知その時である。
 「神の子」の総量、つまりこの世界を支え導くほどの絶大な「天使の力」を胎に収めた場合、通常なら間違いなく爆死する。
 しかし聖母は神たる父性の対となる己の特性を最大限に――』

ふむふむ、と文字を追って頷いているサーシャは、背後から忍び寄る影に気付くのが遅れた。

「サーシャちゃぁん♪」

気持ち悪い猫なで声が聞こえたと思ったときにはもう遅かった。
両脇の下から飛び出してきた二本の手によってホールドされた。

「読み物に夢中で周りが見えていない勤勉家なサーシャちゃんに息抜きタイムだよー?って、ぬぅおおあ!?」

サーシャは腰に差していた金槌とL字の釘抜きを抜いて振り回した。
背後に人物には避けられたが、代わりにその辺のテーブルにインパクトした。
瞬間、そのテーブルはクレーター状に大きくへこんで爆発した。

「さ、サーシャちゃん?ここは事件現場を霊的に完全再現させている施設であって、
 備品をポンポンと壊されちゃうと、施設としての役割とかがね――」

「第一の解答ですが、始末書ならニコライ=トルストイ司教様へどうぞ」

「いやそれを書くのはサーシャちゃんなんですよ!ちくしょうでもそんなトボけた素振りもとってもラヴリー♪」

何か身悶えしているが、とても気持ち悪い。こんなのが上司で、とても残念である。
本名も知らない。上司自身はワシリーサと名乗っているが、ロシア民話におけるヒロインの名前を引っ張ってきているだけなので、本名ではない。
歳は二〇代後半らしいが、正確な数字は知らない。
女は謎が多い方が云々とか言っていたが、それって誕生日に誰も祝ってくれないだけでしょう、と言ったら半日は項垂れるような、残念な上司だ。
この残念な上司に、散々迷惑をかけられている。
ワシリーサは、読んでいた本を勝手に覗き込んできて、

「またカビ臭いの読んでいるわねー。あれかな、結局サーシャちゃんの体の異変の正体は掴めていないのかな?それなら私の身体検査で」

ワシリーサの言葉はそこで途切れた。
サーシャがワシリーサの頭頂部に金槌を振り下ろしたからだ。

「第一の質問ですが、金槌とドライバーならどちらがお好みですか」

「振り下ろしてから聞くことじゃないわねぇ。もうっ、サーシャちゃんったら相変わらずドSなんだからー」

両手を頬にあてて、腰をクネクネさせるワシリーサ。
気持ち悪いが、テーブルを粉々に破壊できる一撃を受けても顔色一つ変えないところに、実力差を感じる。

「私は別にドSではありません。貴様がいつもふざけているから制裁を加えているだけです」

「いやん。次は言葉責めぇ?」

もう無視しようと決意したサーシャは、再び書物に目を落とすが、

「サーシャちゃんに宿っていた『後方の青色』(ガブリエル)の『天使の力』は、下手すると一二使徒以上の総量だって話だけどー」

サーシャは無視して書物に目を通し続ける。

「『神の力』は受胎告知を引き受けた天使。しかも一二使徒以上の力を女性の体内へ押し込めたってことはー……、
 サーシャちゃんてばもしかして、お腹がふっくらしちゃってゴブゥー!?」

ふざけたことを抜かすワシリーサの顔面へ我慢できずノコギリをぶち当てたが、当のワシリーサは傷一つない笑顔だ。

「ごめんねぇ。日頃からそんなヘビーな拘束服を装備しているサーシャちゃんは、快楽ナシの子作りなんて耐えられないものねー」

サーシャは重度のセクハラにぶちギレそうになるのを何とか抑える。
ワシリーサの言うところの『ヘビーな拘束服』は、
赤いマントの下にスケスケのスーツと黒いベルトで構成された拘束服のことだが、これはワシリーサの指示だ。
まるで着たくて着ているみたいな言い方をされると、カチンとくる。
一応『「あらざる者」に体を乗っ取られそうになった際、最後の手段として自分で自分を縛るんだよー』
とか理屈をつけるのだが、どう考えてもただの上司の趣味だ。
本来ならこんなふしだらな拘束服など触れたくもないわけだが、
残念ながらワシリーサは直属の上司であり、書類上の誓約は守らなくてはならない。
無理に反発しようものなら、修道院とは名ばかりの営倉送りになってしまう。
だから仕方なく、我慢してこんな服を着ている。
そんな気持ちを察したのか、ワシリーサは、

「そんなに気に入らない?」

「第二の解答ですが、当然です」

「じゃあ衣装を変更しよう」

あっさりと言われて、少し面を食らう。

「今ねー、所用で学園都市の事とか島国のオカルト事情とかを調べているんだけどねー」

ワシリーサは自分の足元に置いてある古臭い鞄をごそごそと漁っている。
嫌な予感がする。
そうだ。
ワシリーサは何も『まともな衣装』とは、一言も言っていない。

「あのねー、日本には特有の文化があってねー」

扉の方を見る。厚さや堅さを計算する。

「ねぇサーシャちゃぁん。超起動少女カナミンって知っている?」

L字の釘抜きで重たい扉をぶち破って逃げた。
ワシリーサが満面の笑みを浮かべてベロンと広げている『衣装』を見て、迂闊にも涙が出るかと思った。
フランス経由で日本の怪しげなOTAKU文化を収集しているのは知っていたが、まさかあそこまでセンスが飛んでいるとは思わなかった。
この世の『あらざる者』との戦いは過酷を極める。
当然ながら、戦死することもあり得る。
その時、あんなハードな衣装を纏っていたらどうだろうか。
死んでも死にきれないだろう。末代までの恥だ。想像すらしたくない。
部署を変えたほうが良いかもしれない。
そう思いながら、サーシャは現象管理縮小施設から離れていく。

日常編と書き溜めはこれで終わりです
次回は11月11日更新になると思います

>>1です
まあ、あんまり目立ちたくないのでこれからも下げ更新でいきます
今更ですが、あわきんは腹パンで済みました

今回の投下は、最近ちょっと忙しいこともあって、かなり少ないです
また、多少の過激な描写があります
といっても、腕がちぎれたことを「腕がちぎれた」と表現するレベルにすぎません
原作の過激な描写(一方通行の妹達の殺し方など)と比べればたいした事はないぐらいです

一八時過ぎ。
日は沈み、雨が降り始めていた。

「わーい雨だー。雨雨降れ降れもっと降れー、ってミサカはミサカははしゃいでみたり!」

雨なんて体は濡れるし湿気でじめじめするし良い事なんてない、と一方通行は思う。
かつては雨など用意に反射できたが、今はできない。
傘は持ってきていなかったので、濡れるしかなかった。
早く帰りたいが走ることはできない。能力を使えばすぐだが、万が一のために使いたくない。
と、路肩に黒いワンボックスが止まった。一台ではない。立て続けに四台ほどが止まった。
その内の一台のスライドドアが開いて、白衣の男が出てきた。その顔には見覚えがあった。

「よぉ、クソガキ」

科学者、木原数多。
科学者と言えば牛乳瓶の蓋みたいな眼鏡をかけていて、やせ細っている体躯をイメージしがちだが、彼にはそのイメージはほとんど当てはまらない。
筋肉隆々というわけではないが、モヤシみたいに細すぎるわけでもなく、スマートで無駄のない体つき。
短い金髪に顔面には刺青が彫ってあり、両手には機械製のグローブが嵌められていた。
確かあれは、マイクロマニピュレータという、一〇〇万分の一メートルクラスの繊細な作業を可能とする精密技術用品だったはずだ。
ただ、木原数多の一番異質なところは、見た目ではなく身にまとっている雰囲気だ。
インテリな雰囲気など欠片も感じられず、代わりにビリビリ伝わってくるのは殺意だ。
しかも、その殺意自体も異常だ。
憎しみで意気込んでいるわけでもなく、快楽殺人者で人を殺すのが楽しいわけでもない。
木原数多にとって『殺す』とは、雑草を抜くのと同じだ。
邪魔だから。
その程度の考えで、気持ちで、人を簡単に殺すような、言ってしまえば気が違っている人間なのだ。
もっとも、それぐらい狂っていないと学園都市の科学者は務まらないのかもしれないが。
そんな木原数多は、一般人にしてみれば怖いかもしれない。
事実、打ち止めは自分の後ろに隠れてしまっている。が、自分にとっては何も怖くない。
木原数多は『闇』側の人間だが、そのランクは高くない。少なくとも、絶対進化能力実験よりは。
何てことはない。こういう時のためにとっておいた能力を使えば、この程度の闇なら問題なく退けられる。

「ここから一歩も動くンじゃねェぞ、クソガキ」

一方通行は打ち止めの返事も待たずに電極のスイッチをオンにして、木原のもとへ最短最速で突っ込む。
触れて生体電気や血液を逆流させるまでもない。
この突進を食らえば、ぐしゃぐしゃの肉塊になってそれでおしまいだ。
そう確信していたが、

「そりゃ悪手だろ、一方通行」

木原数多の拳が、拳骨をするように上から下へ振るわれた。
そして、

「がァ!?」

頭頂部を殴られた一方通行は顔面から地面に叩きつけられた。

「ははは。弱ぇー」

鼻の中心から痛みが広がる。
何が起こった。どうしてこんなことになっているのか。

「ま、仕方ねぇか。最強って言っても、所詮は学生(モルモット)の中での話だもんなぁ」

顔面から叩きつけられた影響で脳震盪にでもなっているのか、体を起こすことすらできない。
木原数多を見上げることすらできない。
体の内から吐き気が湧き上がってくるのを、何とか堪えることしかできない。

「標的を回収しろ」

木原数多の命令が飛んだ。
バタバタという足音から、ワンボックスから数人の人間が出て来て打ち止めの回収に向かっているのが分かる。
闇側の人間相手に、多少の能力や逃走スキルだけでは逃げきれないだろう。
回収させないためには、自分が何とかするしかない。
一方通行は無理矢理にでも体を起こそうとするが、木原数多の右足の爪先が腹部に突き刺さったことにより、それは叶わなかった。

「ごぼァ!?」

堪えていた吐き気はあっという間に限界を超えて、口から赤みがかった吐瀉物が撒き散らされた。

「チッ、汚ねぇなぁ、おい」

木原数多は革靴にかかった吐瀉物を地面に擦り付けることで落とす。

「回収完了しました」

木原数多の部下と思われる人間の声が聞こえた。
木原数多の命令からまだ三〇秒も経過していないはずなのに。

「先に行け。俺ァこのガキ殺してからいく」

「了解しました」

短い返事から一〇秒後、ワンボックスが走り去る音が聞こえた。
こんなにもあっさりと。闇に侵食された。

――ちく、しょうが……。

能力開発でもしたのか。それとも得体のしれない科学技術の賜物なのか。
理屈は分からないが、木原数多は自分にダメージを与えることができる。
そして体は言うことを聞かない。このままだと嬲り殺されるのは避けられない。
そうならないためには、この状況を打破するには、覆すには、第三者の介入が必要だ。
しかしながら、そう都合よく助けが来るはずがない。
そんなに世界が優しかったら、誰だって道を踏み外さない。
このタイミングで助けが来るというのは、奇跡に等しい。
奇跡とは、簡単には起きないから奇跡と呼ばれるのだろう。
だから、普通に考えたら、助けという奇跡は訪れない。
むしろ、助けが来ることの方が異常なのだ。
それでも、願わずにはいられなかった。

――起きろよ、奇跡(ラッキー)。俺はどうなったっていい。廃人になっても構わねェ。だから、せめてあのガキだけは――。

「そんじゃま、殺すか」

木原数多の靴底が、一方通行の頭を踏みつけるために持ち上げられて、

「が、ああ!?」

木原数多の呻き声が聞こえた。足しか見えなかった視界から足が消えた。
おそらく、第三者の攻撃が木原数多にヒットしてよろめき、正面からずれたためだろう。
では、その第三者とはいったい誰なのか。
疑問に思った直後に、

「一方通行!ベクトルをその白衣の男に行くように調整してください!」

聞き覚えのある声。それから銃声が木霊した。
銃声がしてから第三者の正体と意図を一瞬で理解した一方通行は、
弾丸が着弾するゼロコンマ数秒の間に、木原数多へ弾丸が向かうようにベクトルを調整する。
倒れたままの一方通行を覆っているベクトル操作膜を経由した弾丸は、サブマシンガンから放たれた時の速度以上で木原数多へ向かう。

「小賢しい!」

弾丸が直撃したような音や呻きなどは聞こえなかった。
結構な至近距離だったはずだが、驚くべきことに避けられたようだ。
一方で、事態が動いたことを察知した木原数多の部下と思しき黒い服に覆われた人間が銃器を持って、残っていた一台のワンボックスから三人ほど出てくる。

「させるかよォ!」

第三者は一般人よりは動けるし闇にもかかわっていた人間で超能力も宿してはいるが、
訓練を受けていると思われる闇の部隊相手に対抗できるほど強くはないだろう。
闇から足を洗っているから、まともな装備もないはずだ。
とにかく、このままでは状況が振り出しになる。

時間が経過して脳震盪が和らいだのか、それとも第三者を死なせるわけにはいかないという思いからか、
今までまともに動けなかった一方通行は起き上がって黒服の三人へ突っ込む。
まずは右手と左手で二人の黒服の顔面を殴る。
ブジャガ!と、水風船が破裂した時のように殴られた黒服の顔面が吹き飛んだ。
顔もマスクまで覆っているため表情は見えないが、
おそらくは怯えた表情を浮かべているだろう残りの一人の黒服の腹を蹴って遥か彼方へぶっ飛ばす。
そして、ワンボックスを片手で掴み上げ、
第三者からの銃撃を左手の甲から白いバリアのようなものを出して防いでいる木原数多へ、思い切り投げつける。
目視で投げられてから避けられるような速度ではなかった。
大きさ的にも、二、三歩のステップでは避けきれるようなものではなかった。
それでも、木原数多には直撃しなかった。
理由は単純だった。
ワンボックスを投げる直前から木原数多は舌打ちしながら始動していたからだ。
まるで、ワンボックスを投げる軌道を分かっていたかのように。
何事もなかったかのように、銃撃と白いバリアが拮抗し始める。
あの白いバリアに弾丸が直撃したところをよく見ると、溶けているように見える。
白いバリアは左手の甲、機械製のグローブから木原数多を覆うように縦長の放射状に放出されている。
何だかよく分からないが、あのバリアの前ではあらゆる物理は通用しなさそうだ。
もっとも、あのバリアは永久には放出できないだろう。むしろ、そんなに長持ちするとは思えない。
しかしながら、このままでは第三者の銃弾切れの方が早いだろう。
第三者には能力もあるが、それは強力なものではない。あのバリアで防げる範疇だろう。
そうなってしまったら、木原数多に反撃の機会を与えてしまう。
理屈は不明だが、近づいたら殴る蹴るの暴行を受ける。
だからと言って遠距離からの物理攻撃は通用しない。
となると、取るべき道は一つ。
と、ここまで考えたところで第三者のサブマシンガンから弾丸の射出が途切れた。
同時に木原数多が左手のバリアを解除して、右手を懐に入れる。
バリアは解除されたが、ワンボックスの投擲が避けられた以上、砂利は避けられるだろう。
ワンボックスのようにある程度大きい質量のものをぶつけようとすれば、再びバリアを出されるだけだろう。
木原数多を今すぐには倒せない。
となれば、まずは第三者を守るところからだ。

木原数多は懐から出した手榴弾を口でピンを抜いて第三者へ投げつける。
一方通行は第三者の前に躍り出て、爆発から身を挺して第三者を庇った。
もくもくと立ち込める黒煙を、一方通行は右手を振るって薙ぎ払う。
視界が開ける。
木原数多の姿は既になかった。

寮に帰ってきた。
たくさんはしゃいだせいで疲れたのか、インデックスが『眠たい』というので布団を敷いてあげると、すぐに布団へダイブして一分後には寝息を立て始めていた。
自分が布団を敷いている間に手洗いうがいは済ませたようだが、着替えてはいない。
寝顔を見ると幸せそうだったので、起こす気にはなれなかった。

「ふぁ~あ。俺も横になるかな」

身体的な負担はそんなになかったが、今日はいろいろとあったせいかなんとなく疲れた。
上条は自分の分の布団も敷いて、あくびをしながら横になる。
左手を頭の後ろにやり、右手で携帯を操作して送信済みメールを見る。

『こう言っちゃ悪いが、せめて御坂ぐらい頼りにならないとこっちも安心できない』

つい先日、イタリアで大規模艦隊を目の当たりにしてナーバスになっていたとはいえ、言い過ぎたかもしれない。
しかしやはり、魔術世界とはその気になれば街一つは破壊できそうな艦隊を出す輩という事実を認識しておいて、
超能力者クラスならまだしも学園都市で平和に暮らしている人間を、インデックスに不用意にかかわらせるわけにはいかない。
と、物思いに耽っていた時だった。
インターホンが鳴った。
こんな時間に誰だと思いつつ、何気にいつの間にか左の袖をインデックスに掴まれていたので優しく引き剥がしながら、立ち上がってドアの所まで行って開ける。

「お願いがあります。ミサカの上位個体を助けてください、とミサカは頭を下げます」

上条宅に妹達の一人が訪ねてくる少し前。
常盤台中学の女子寮の自室の机の前で、御坂美琴は着替えもせずに座っていた。
彼女は携帯の受信済みメールを見ていた。

『こう言っちゃ悪いが、せめて御坂ぐらい頼りにならないとこっちも安心できない』

正直言うと、このメールには腹が立った。
自分の友達はそんなにヤワじゃないと。
けれど、おそらく現実問題的には、少年の言っていることは正しい。
何せ超能力者である自分ですら、一人だけで解決できた事件は少ないし、大覇星祭二日目に至っては木原幻生に弄ばれる始末だった。
学園都市の闇だけでもこの始末なのに、学園都市の闇と同等かそれ以上と思われる魔術世界に、
白井黒子はまだしも初春や佐天、春上などはさすがに通用しないだろう。
だからあの時、煮え切らなかったがとりあえず話を終わらせた。
まあ、一番初めに強く思ってしまったことは『嬉しい』だったのだが。
大覇星祭二日目には、少年や自販機前で争った熱血野郎に救われた。
その時に少年の前で無様な醜態を晒してしまったわけだが、それでも頼りだと思ってくれていることが嬉しかった。

「あ~もう!」

メールを見ていろいろ考えたら顔が火照ってきたので空いている左手で扇ぐ。
駄目だ。
このままだと熱でも出てしまいそうだ。
御坂は携帯を閉じて机の上において、椅子の背もたれに体重を預ける。

「……」

今日あった出来事は、何も少年やインデックスと遊んだだけではない。
打ち止めと、そして一方通行とも出会った。
何も知らなかった。
打ち止めという個体が作られていたのも、一方通行が打ち止めを助けていたことも。
一方通行は打ち止めをなぜ助けたのか。彼自身分からないようだった。
なぜ分からないのか問い詰める気にはならなかった。
理屈ではなく感情優先で人を助けたことがある少年を知っているから。
むしろ、何か理由がある方がある意味打算的で、助けたいから助けるというのが自然なのかもしれない。
と、考えていたら着信があった。
画面に表示されたのは『妹』の文字。
どうやって登録するのかの問題をクリアする方法が思いつかず、妹達に携帯を買い与えることはできなかったのだが、
患者に必要なものは何でも揃えるがポリシーのカエル医者が、どうやったかは知らないが携帯を入手し、こうして自分と連絡を取れるようにしてくれたのだ。
それはさておき、何かあったのか。

「もしもし」

『お願いがあります。ミサカの上位個体を助けてください、とミサカは電話越しでは伝わらないと分かっていて頭を下げます』

一人の幼い少女を巡って、上条当麻と御坂美琴が動き出す。

冷たい雨が降りしきる学園都市の街の中を、黄色いシルエットが傘も差さずに歩いていた。
その細い線や体のラインから考えると、おそらくは女性。
彼女は、ワンピースの原型となったカートルという女性衣類を纏い、腰には革のベルト、
手首から二の腕にかけてはスリーヴと呼ばれる着脱可能な袖が取り付けられていた。
頭には一枚布の被り物によって、髪の毛は全部隠されていた。
歴史や考古学に興味があるものなら、一五世紀前後のフランス市民の恰好だということが分かったかもしれない。
もっとも、基調となっているのが派手な黄色のため、あまり原形は留めていないのかもしれない。
彼女が一歩一歩歩くたびに、ジャリジャリと金属が擦れるような音が聞こえる。
彼女の顔に取り付けられたピアスのものだ。
耳はもちろん、鼻、唇、に留まらず、瞼にまで穴が空けられていた。
そんな彼女を迎え撃とうとして気絶していく警備員から、彼女は無線機を拝借する。
無線機からは警備員と思われる人間の声が聞こえてくるが、彼女は無視して告げる。

「どうせこんな普通の回線にも割り込んでいるんでしょ。勿体ぶらずに出てきなさいよ、アレイスター」

ブツッ、とスイッチが切り替わるような音が聞こえた。

『何の用だ』

明らかに音質が変わっていた。以前よりクリアになっている。
もっとも、そんなことはどうでもいい。

「トボけなくていいわよ。統括理事会の顔を三つほど潰してきた」

『それが?』

「確か、統括理事会って一二人しかいないのよね」

『そんなものはただの記号にすぎない。補充なら利くさ。いくらでもな』

「問題発言よね、それ」

『ねじ伏せるだけの力もある』

「私はねぇ、アレイスター。アンタは実は存在しない人間なんじゃないかって考えていたのよ。
 立体映像か、もしくは死体の中に得体の知れない機械でも詰め込んで動かしているだけなんじゃないか、ってね。
 だから、アンタの意見の裏には統括理事会の総意が隠れている……って踏んでたんだけど、こりゃアテが外れちゃったかしら」

もう少し統括理事会の顔を潰してみるか、と女性は呟いた。
無線機からは制止も煽りもない。
どうでもいい。その程度では何の影響もない、と宣言しているようだった。

「まあいいわ。私の名前は分かっている?」

『さあな。賊については取り調べで聞くことにしているので』

「神の右席」

女は、世界最大宗派ローマ正教の暗部の名をさらりと口に出した。

『おや。テロ行為指定グループにそのような名前があったのか』

無線機からは、一切の動揺がなかった。

「ふぅん」

『名を売るための行為だとすれば、少々無謀が過ぎたようだが』

「シラを切るってコトならそれでもいいけど、今ここで命乞いをしなかったコトを最後の最後で後悔しないようにね」

『なぜ私が命乞いをする必要が?』

「あら。自分の街の現状を掴めていないのかしら。ああ、そっか。
 報告機能にも支障が出ているのか。失敬失敬、こちらの配慮が足りなかったわね。
 オペレーターまでぶっ倒れていてもおかしくないものね」

無線機からは反応がなかった。
女性は続ける。

「八割、は行きすぎかもしれないけど、まあ七割は倒れているでしょうね。直に一〇割全部倒れるコトになるだろうけど。
 警備員に風紀委員だっけ?そんなチャチなモンで身を守ろうとしているから、あっさりと首を取られんのよ。
 自分がもう終わりだってコトぐらいは分かっているのよね?」

『そういうことは実際に首を取ってから言ってほしいものだな』

「ここにきてまだ強がるか」

『君はこの街を甘く見すぎている』

「私がさっき言ったコト聞いていなかったのかしら」

『警備員や風紀委員を倒した程度で学園都市の防衛網を砕けたと、本当に思っているのか?』

まるで、元々風紀委員や警備員はお飾りでしかないような言い草だった。

「また問題発言よね」

『君はこの街の本当の形をまるで理解していない』

もはや会話になっていなかった。

『隠し玉を持っているのは君だけではない、ということだ。
 もっとも、君はそれを知る前に倒れるかもしれんがな』

「あっそ。何であれ、私に敵対するものは叩いて潰す。
 だから、この一晩で全てを潰してあげる。アンタも、学園都市も、幻想殺しも、禁書目録も!」

言って女性は、無線機を握り潰した。

窓のないビルの一室。
その中心に鎮座している生命維持装置に浮かんでいるアレイスター。
ここには照明はない。
よって普段は真っ暗かと思いきや、機械類のパイロットランプが照らし出す光によって、豆電球レベルの明るさはある。
現在、この空間は真っ赤に照らし出されていた。
モニタ一つ一つから表示される無数のエラーの集合体によってだった。
これはつまり、現在学園都市がそれだけの異常事態に蝕まれていることを意味していた。
ただ一人の魔術師によって。
『神の右席』の一名によって。
ほんの数十分で、学園都市の治安を司る警備員の七割弱が倒れている。
生体信号はあるので、心臓が止まっていたり脳が死んでいたりなどの『決定的な死』を迎えているわけではない。
が、ずっと目を覚まさなければ戦力的には死んでいるのと変わらない。
彼らが目を覚ます前にここが陥落すれば、立て直しは図れない。
街のあちこちから被害報告や増援要求などの通信が入るが、いちいちそれに答えるのも億劫だ。
街は死にかけている。
それでも、アレイスターは微笑んでいた。

「面白い」

その笑みは、喜怒哀楽のすべてに当てはまり、同時にどれにも当てはまらない説明不能の笑みだった。

「最高に面白い。こちらもようやく『アレ』を使う機会が訪れたか。
 時期は早すぎるが……プランに縛られた現状では、イレギュラーこそ最大の娯楽だしな』

アレイスターは、告げる。

「『猟犬部隊』(ハウンドドッグ)――木原数多」

『ういっす』

「虚数学区・五行機関……AIM拡散力場だ。少し早いが、ヒューズ=カザキリを使って『奴ら』を潰す。
 検体番号二〇〇〇一の回収は完了しているな。ならば、指定のポイントへ運び、学習装置でウイルスを打ち込め。
 早急かつ、丁重にな」

『りょーかい』

木原数多の軽い返事で通信は途切れた。
そして、アレイスターは笑って言った。

「さあ、久方ぶりの楽しい楽しい潰しあい(ショータイム)だ」

これで今回の投下は終了です
次回の投下は12月12日になると思います

一方通行は九九八二号と共にとあるホテルの一室にいた。
打ち止めに繋がる手がかりは何もない。
一方通行の能力には時間制限がある。
だからこそ、闇雲に探すのではなくダメージを少しでも回復するのも兼ねて、まずは作戦を練ることにしたのだ。
一方通行はベッドに腰かけながら、

「あのガキは、今すぐには殺されねェだろ」

九九八二号は床に体育座りをして、

「殺害ではなく回収だったからでしょうか」

「そォだ」

九九八二号は、四台のワンボックスが止まったあたりから物陰で見ていたらしい。
早めに踊り出なかったのは、黒服の奴らに敵うと思わなかったからとのことだった。
それが当然かつ結果的には最良の判断だっただろうから、特に言うことはない。
もしもあの時九九八二号が出て来ていたら、自分も彼女も殺されていたかもしれなかったのだから。
なぜあの場に居合わせたのかと言えば、追いかけっこをしていたからとのことだった。
言われてみれば、あのガキも追いかけっこをしていると言っていた。

「つっても、それはあくまで現状だ。
 殺害ではなく回収だった以上、おそらく『何か』に必要なンだろォが、用済みになっちまえば処分されるだろォな。
 そォじゃなくても、『何か』が命さえあればどォにでもなるなら、今にも手足ぐらいは弾かれるもしれねェ」

「上位個体を何かの目的のために利用するとしたら……おそらくはミサカネットワーク関連でしょう、とミサカは意見を出します」

「だろォな」

ミサカネットワークを、打ち止めを中心に利用すれば、天井亜雄がやろうとしていたように、
全世界のいたるところに散在している妹達を暴走させることが可能だろう。
しかし、木原数多がそんな陳腐なことをやろうとしているとは思えない。

「ミサカネットワークの利用方法……自分で言っておいてミサカにはあまり見当がつきませんが、
 確実に言えることは、天井亜雄のようにミサカ達を暴走させるか。あるいは、絶対能力に繋げるか――というところでしょうか」

代理演算によってこの一方通行の能力も、完全には程遠いとはいえ再現していることから、
健常な能力者の脳波とミサカネットワークをリンクさせれば、その能力者の強化も図れるかもしれない。
それには自分がつけている電極チョーカーのように、何かしらの変換器が必要だろうが、
つまり裏を返せば、脳波をリンクさせる技術があれば、能力者の強化が図れる事態になるかもしれない。
九月二〇日には、ミサカネットワークとウイルスを利用し、超電磁砲が暴走する事態に陥るという事態もあった。
もっとも、あれは妹達のオリジナルで、元々脳波が似通っていた超電磁砲だったからこそというのもあるだろうが。
現状、全員が全員ミサカネットワークの恩恵を受けられるわけではないはずだ。
だが一時的にならば、可能かもしれない。
『幻想御手』というものが一時期流行していた。
共感覚性を利用して使用者の脳波に干渉する音声ファイルで、複数の人間の脳を繋げた「一つの巨大な脳」状のネットワークを構成し、
樹形図の設計者に代わる高度な演算が可能な演算装置を作るためのものだったらしい。
『幻想御手』使用者は、同じ脳波のネットワークに取り込まれる事で能力の処理速度が向上し、
その幅と演算能力が一時的に上昇し、同系統の能力者の思考パターンを共有する事で、より効率的に能力を扱えるようになり、結果的に発現する能力が増大。
しかし同時に、使用者は個人差を無視した特定の脳波(『幻想御手』事件では、首謀者の木山だったか)を強要され続け、
脳は徐々に疲弊し、最終的に意識不明となったらしい。
要は副作用があるものの、他人の脳波を半強制的に共有する技術自体なら既にある。
そして木原数多をはじめとする科学者が、たった一人の絶対能力者を生み出すために、その他大勢を使い潰す可能性は大いにある。

「もしも絶対能力に繋げるためだとしたら、彼らが上位個体を連れ去った先は、かつて実験の時に使われていた研究所などでしょうか、
 とミサカは見当をつけます」

「可能性はある」

「では、研究所を片っ端から回るのですか、とミサカは質問します」

「……」

「一方通行?」

一方通行は目を閉じながら首を左右に振ってから、目を開いて、

「……オマエは、バカみてェにある研究所を片っ端から回っている暇があると思うか」

「……確かに、全研究所を回るとなれば、相当の時間がかかると思われますが……学園都市内にいるミサカ達で並行作業をすれば」

「駄目だ」

「なぜですか」

「もしも研究所に奴らがいれば、オマエらは為す術なく殺されンだろォが。
 あのガキは、これ以上は一人だって死ンでやることはできないって言いやがったンだ。だから死なせるわけにはいかねェ」

「……では、どうするのですか、とミサカは絶望的な状況に悲観しながら尋ねます」

「この街はクソッタレだ」

「いきなり何を……」

「実行犯の俺が言うことじゃねェだろォが……ここは絶対能力進化なンて狂った実験を見逃すよォな街だ」

そう。見逃す。監視衛星だってあるのだ、まさか実験の存在を知らなかったわけではあるまい。
つまり、学園都市の上層部――具体的に言えば統括理事会に、街のあらゆる情報自体は集まっているはずだ。
木原数多がどこへ打ち止めを連れ去ったか分かるかもしれない。
ただ、統括理事会に喧嘩を売れば、再び闇に身を堕とし、日常には戻れないだろう。
たとえ最終的に打ち止めを救えたとしても、一緒に暮らすなんて真似はきっとできない。

――何を甘ったれていやがるンだ、俺は。

こんな自分が。
一万人弱の人間を殺してきた自分が。
今更日常だなんて虫が良すぎる。

「統括理事会に喧嘩を売る」

「そんなことをすれば、犯罪者に」

「今更犯罪者もクソもあるか。あのガキを救うためにはそれしかねェ」

「上位個体は一方通行に懐いています。
 それなのに……仮に上位個体を救えたとしても、そこにあなたがいなかったら……意味ないのでは」

語尾に、わずかに感情が乗っていたような気がした。
事務的な口調もなかった。

「第一優先はあのガキの身柄だ。まず命を助けねェと、俺がいるいない以前の問題だしな。それに、一応、黄泉川に芳川だっている」

「……偉そうに啖呵切っていますが、あの白衣の男に勝てるのですか?とミサカは核心を突きます」

「風」

一方通行は端的に答えて続ける。

「理屈は分からねェが、やつの殴る蹴るは俺に通る。近距離戦は得策じゃねェ。
 あの白いバリアで、物理攻撃も通らねェ可能性は高ェ。なら残る道は一つ。エネルギーをぶつける」

「なるほど。一方通行を殴打できたのは、何らかの科学技術ではないのですか」

「ねェだろォな。そンな技術があるンなら、奴自身が動く必要はねェ。部下に任せりゃいい。
 それなのに奴が動いたってことは、俺を殴れるのは奴しかいねェ、と考えるのが妥当だろ」

「彼は一体、何者なのですか」

「木原数多。俺を開発した研究者の一人だ」

学園都市最強の能力者を開発した研究者とはつまり、学園都市で最も優秀な部類の科学者であることを意味している。
とはいえ、それはそこまで特別なことではない。少しでも一方通行の開発に携わった研究者など何人もいる。
木原数多も、その一人にすぎないはずなのだが。

「一方通行を開発したとはいえ、結局はただの人間。
 一方通行に暴行を加えられる理屈が分かりません、とミサカは頭を悩ませます。超能力開発でもしたのでしょうか」

「それもねェだろ。そンな超能力が開発できたンなら奴自身が動く必要はねェ。
 部下に超能力開発を施して任せりゃいい。さっき言ったのと同じ理屈だ」

「では、木原数多の所業は木原数多にしかできない、ということでしょうか」

「そォいうことだ。俺を殴れたのは、科学技術でもなければ超能力開発でもない、ただの技術ってことだろ」

「一方通行を殴ることができる技術とは何なのでしょうか」

「さァな」

何にしても、木原数多は一方通行に打撃を加えられるという事実は変わらない。

「だが、言っちまえば俺を殴れるって『だけ』の一発屋だ。
 オマエの不意打ちは食らった。ゴム弾もああやって白いバリアでガードした。
 俺の攻撃だって避けた。その時点で、奴は無敵ってワケじゃねェのは露呈している。
 奴は必ずこの手で潰す。オマエはあのカエル顔の病院で待機してろ」

「……分かりました。頼みましたよ、とミサカは頭を下げます」

九九八二号の情報を基にした一〇〇三二号の案内で、打ち止めがさらわれた現場に向かうということになった。
のだが、街中に警備員がいて、思うように行動できなかった。
警備員がこんなにもいる時点で、街に何らかの異常があると思われる。
そんな中で、警備員の目に留まれば、今日は大人しく家に籠っていなさいと言われるに決まっている。
そのため、警備員をやり過ごしながら、徐々に現場に向かっていた時だった。
警備員が倒れているのを見つけた。それも一人や二人ではない。
現場に向かうという意味では好都合だが、倒れている人間を放っておくのは忍びなかったので、目に映る警備員は全員、近づいて様子を伺うことにした。
意識はなかったが、目立った外傷はなく、息はあり、脈もあった。命に別状はなさそうだ。

「上位個体をさらった連中の仕業でしょうか、とミサカは尋ねます」

「かもしれないけど……」

上条には真っ先にもう一つの可能性の方に思い至った。
魔術師の仕業なのでは。魔術的――異能による現象の被害なら、普通は右手で打ち消せる。
にもかかわらず右手で触れても何も打ち消せなかった以上、異能はかかわっていない証拠であり、これは魔術師の仕業ではない、とは言い切れない。
大覇星祭で倒れた吹寄のように、既に被害が完全に完了している場合、その結果までは打ち消せないからだ。
警備員が街の至る所に駐在しているのは、街に異常事態が起こっている可能性が高い。
その異常事態とは『侵入者がいるから』と考えると合点がいく。

「かもしれないけど、何なのでしょうか、とミサカは言葉に詰まった理由を尋ねます」

「いや……とにかく、救急車を呼ぼう」

上条は携帯を取り出して通報する。すると、どうやら同じ症状の警備員が他にも大量にいるらしいことが分かった。
何でも、同様の通報が女の子から大量に来ているらしい。
しかも現場に向かうと、倒れている警備員しかおらず、通報者と思しき女の子はいないらしい。これは相当な異常事態だ。
そして、これだけの異常事態を起こせるのは、やはり魔術師ではないのか。
打ち止めをさらった連中がやった可能性は否定できないが、わざわざ警備員を倒していく理由が分からない。
単純に、避けていけばいいはずだ。
その点、魔術師なら力押ししそうだし、人を無制限に簡単に気絶させるような魔術を有している可能性だってある。
そんな魔術師が学園都市に攻め込んでくる目的と言えば。

――インデックス。

インデックスが心配になるが、打ち止めも助けなければいけない。
個人的には、侵入者がいて、それが魔術師で、そいつがインデックスを狙っているとしか思えないが、確実ではない。
確実でないのに、ここで打ち止め救助を放り投げてインデックスのもとへ向かうのは無責任すぎる。

「何かそわそわしているようですが、どうかしたのでしょうか、とミサカは心配します」

「……いや、この人たちを放っておいて打ち止め探しを再開するか、救急車を待つかで悩んでいるだけだ」

そう言うと、一〇〇三二号はこちらの瞳を覗き込むように顔をずいっと近づけてきて、

「本当でしょうか。ミサカには悩んでいるのは本当に見えますが、
 悩んでいる内容が救急車を待つかどうかということではないように見えます、とミサカはあなたが本音を言うように仕向けます」

「……えっと」

一〇〇三二号の勘が鋭いのか、自分の嘘が下手なのか。

「嘘をつかれるとミサカも辛いのです。どうか本音を言ってくれないでしょうか、とミサカはあなたの目を見つめます」

もう無理だ。元々嘘をつくのは苦手なのだ。

「……警備員もこんなにいることだし、おそらく学園都市に侵入者がいると思う。
 その侵入者が、インデックスを狙っていると思うんだ。なぜそう思ったのか、詳しくは言えないけど。
 だからインデックスが心配で、でも打ち止めも放っておけないし……と思った」

妹達はミサカネットワークで通じ合っている。だから妹達の一人に情報があれば、他の妹達に伝達することもできる。
打ち止めや九九八二号はインデックスの存在と容姿を知っている。
よって、目の前の一〇〇三二号もインデックスという存在について理解はできるだろう。

「インデックス……銀髪碧眼の彼女ですか。分かりました。
 一応、こちらもお姉様という助っ人がいますし、あなたは彼女のところへ行ってください、とミサカはあなたを促します」

「いいのか?」

「当たり前でしょう。元々ミサカのわがままだったのですから。
 早く行ってあげてください、とミサカは親指を立ててこちらは大丈夫のサインを出します」

「……すまない」

上条はインデックスがすやすやと眠っている寮へ向かって走り出す。

上条は走りながら土御門に電話をかけるが、お決まりのアナウンスが流れて繋がることはなかった。
最近、肝心なところで繋がらないイメージがある。
とはいえ、これでまた学園都市に侵入者がいて、その侵入者が魔術師である可能性が増した。
土御門が魔術師相手に行動を起こしているとしたら、電話に出られないのも頷けるからだ。
上条は次にインデックスに電話をかける。インデックスはただでさえ携帯の扱いが苦手な上に、眠っているはずだ。
それでも、今は電話に出てくれなければ困る。

――出てくれ。頼む!

祈りが通じたのか、意外にも五回目のコール辺りでインデックスは出てくれた。

『もひもひ、どうしたの、とうま?』

いかにも寝起きです、といった声色だった。

『というか、なんでとうまはここにいないの?』

「インデックス、よく聞け。多分だけど、学園都市に魔術師が侵入した。インデックスは『歩く教会』に着替えてくれ」

『……ほんと?』

「多分だから絶対じゃないけど、とにかく念のために着替えておいてくれ」

『わかった』

一気に声色が変わった。頭のスイッチが切り替わったようだった。

「それでなんだけど」

警備員が何の外傷もなくただ意識を失っている状態を魔術師の攻撃だと考える上条は、その症状をインデックスに伝える。
少しの沈黙があって、インデックスは答えた。

『多分……それは「天罰」だよ』

一〇万三〇〇〇冊の魔道書を記憶していて、こと魔術知識に関してなら右に出る者はいないはずのあのインデックスが、
魔術の問題に対して『多分』と濁した言い方をした。

「『天罰』?」

『ある感情を鍵にして、その感情を抱いた者を距離や場所を問わずに叩き潰す術式なんだよ』

「その感情ってのは、何にでも設定できるのか?」

『多分』

「だったら……」

侵入者である魔術師が敵である学園都市の人間相手に『喜び』を抱かせるとは思えない。
『哀しみ』を抱かせるのも非効率的だと思える。人間と『敵対する』中で、相手に最も抱かせやすい感情を考えるなら、

「『怒り』……敵対するのなら、怒らせることが一番簡単か……?」

『それ以上の可能性もあるね。怒らせるよりももっと前の段階。
 少しでも敵意や嫌悪感を抱いたのなら、問答無用で気絶させるとか』

「そんな便利な術式があるのか」

『普通の魔術のレベルじゃないよ。だけど、とうまが言った現象を説明するには「天罰」しかない。
 「天罰」は文字通り天が与える罰で人間ができるはずがないけど……それしか考えられないんだよ』

「倒れた人の意識を戻すには、その魔術師を倒すしかないのか」

『だと思う』

「分かった。着替えたら、寮の奴らを巻き込まないために人気の少ないところや広いところへ向かうんだ」

『うん』

魔術師の狙いがインデックスだとしたら、インデックスと合流すれば自然と魔術師と対面することになる。
そこで魔術師をぶっ倒せば、とりあえず警備員が気絶している問題は解決する。
『天罰』に対して幻想殺しが機能するかどうかはグレーゾーンだが、手を拱いている場合でもない。

上条は全速力で学生寮へ向かう。

御坂は街中を、電磁力を駆使して飛び回っていた。
あまりにも手がかりが少ないので、まずは一番高そうな可能性、絶対能力に関することだと判断し、絶対能力進化実験に使われた施設を回ることにした。
その道中で、倒れている警備員のために何度も救急車を呼んだ。
打ち止めをさらった連中の仕業とは思えない。
警備員に見つかるようなルートを通っているとは思えないからだ。
もちろん、警備員達は一日中出張っていたわけではない。
少年やインデックスと行動していた時には見かけなかったから、警備員達も夕方から夜にかけて出張ってきたのだろう。
だから、アクシデント的に一回や二回警備員に遭遇し捕まり、やむを得ず気絶させてしまったのなら分かる。
あえて殺さないのは、殺人だとその後の捜査が本格的になってしまうからだろう。
殺人だと、たとえ捜査が簡単に進展を見せなくても、しばらくは捜査が続くはずだ。
対して、ただの気絶ならば捜査に移ったとしても、何も見つからなければ有耶無耶になる可能性が高い。
というわけで、遭遇してやむを得なく気絶させた、というのはあり得るだろう。
ただし、それは一回や二回までだ。
何回か遭遇すれば、何かしらの理由で警備網が敷かれていると考えるだろう。
考えたら、避けようと思うはずだ。
避けようと思えば、完璧は無理だとしても、大体は避けられるはずなのだ。
車では避けようがないのなら、車を捨てて小回りが利く徒歩にすればいい。
少なくとも『遭遇したら撃破して進めばいい』と考えて闊歩するとは思えない。
警備員が倒れているのは、打ち止めをさらった連中の仕業でないとすれば。

――まーた、魔術師の仕業ってトコかしら。

九月一日の出来事を鑑みるに、魔術師なら、いちいち忍ばずに学園都市の中を堂々と歩き、邪魔者が立ち塞がれば叩き潰しそうなものだ。
そもそも警備員がこんなに出張っているのも、侵入者がいると考えれば説明がつく。
魔術師の狙いは、十中八九少年かインデックスだろう。
手を貸したいが、魔術師を学園都市の人間が倒してはいけないし、今回は打ち止め救出というやるべきことがある。
とりあえず危機が迫っていることだけ伝えよう。
御坂は携帯を取り出して、少年にコールする。

『歩く教会』に着替えたインデックスは、上条の言う通り人気のないところないし広いところを目指し、
雨粒に打たれながら大通りを走っていたが、黄色いカートルを纏った女性に行く手を遮られた。
その女性は、左右の対称が崩れるほどに顔面に無数のピアスをつけていた。
目元の化粧の強調具合は、まるで蛇に睨まれたようだと錯覚させるほどだった。
両手には一メートル以上はあると思われるハンマーが握られていた。
ハンマーと言っても、トンカチのような造形ではなく十字架を大きくしたような感じだ。
ハンマーの先端部分は有刺鉄線で覆われていて、グリップ部分は包帯がグルグル巻かれていた。
と、

「……っ」

インデックスは何の前触れもなく跪いた。
その様子を見て黄色い女性が口を開く。

「私の『本命』を食らっても意識があるのは、『歩く教会』のおかげってコトかしら。
 ま、まともに動くことはできなさそうだけど」

黄色い女性は邪悪な笑みを浮かべて、

「『歩く教会』……どこまで保つのか楽しみね」

ハンマーが振るわれた。

上条は走りながら、御坂からの電話に応じていた。
御坂の要件は、魔術師が侵入しているかもしれないから気を付けて、というものだった。
打ち止めを助けるために自分にも助けを求めたことは御坂には言ってない(というか言う暇もなく電話を切られた)と一〇〇三二号から聞いている。
御坂は自分が家でくつろいでいて、この街で起こっている異常を知らないと思ったのだろう。

「忠告ありがとう。けど、実は俺も――」

こちらもこれまでの経緯と、これからやろうとしていることを述べる。

「だから悪いけど、俺は打ち止めを助けに行けない」

『アンタは本っ当に……何でアンタがすまなそうにするのよ。
 元々私達の問題なんだから、アンタがすまなそうにする理由なんて一つもないじゃない』

むしろまたしても手を貸すどころか借りを作りそうだった私の方が謝りたいぐらいなのに、と御坂は続けた。

「その気持ちだけで十分だよ。ありがとう。そして本当にすまない」

『もう謝るの禁止!それ以上謝ったら怒るわよ!』

「すま……じゃなかった。分かった。そっちも――」

上条はそこで言葉を区切った。
ズゥン、という重低音が聞こえてきたからだ。
魔術師が何かやったに違いない。

『今の重低音……』

「魔術師が近いかもしれない。こっちが片付いたら、打ち止め救出に戻る」

『その前にこっちも終わらせるわよ。これ以上借りを作ったら、申し訳が立たないもの』

「心強いな。けど打ち止めをさらった連中の主犯格と思しき科学者は、一方通行を追い詰めたと聞いた。気を引き締めていけよ、御坂」

『分かってる。そっちもね』

「ああ」

通話を切って、上条は駆ける。

莫大な風を受けて、インデックスの体が宙に舞った。
そこへ魔術師がジャンプによってインデックスの真上へ。
追い打ちのごとくハンマーを振り下ろす。
ダゴン!とハンマーを食らったインデックスが地面へ減り込んだ。
叩きつけられたインデックスを中心として、半径一メートルの地面にヒビが入っていた。
『歩く教会』がなければ、即死どころか人の形すら残らないレベルの一撃だった。

「はは。さすがは『歩く教会』。これでも無傷か」

確かに外傷こそない。
が、

「けど、精神的な負担や『痛み』はあるわよね。それでこそ嬲り甲斐がある」

魔術師がやった攻撃はこれで三度目だった。
初撃は真正面からバットを振るようにハンマーを振るってインデックスを十数メートル飛ばした。
二撃目は、インデックスを舞い上げた後、彼女の足を掴んで地面へ向かって放り投げた。

「それに、いくら『歩く教会』といえど、攻撃を食らい続ければ消耗して、いずれは壊れるわよね」

『歩く教会』は、教会における必要最低限の機能を抽出した『服の形をした教会』である。
完璧に計算しつくされた刺繍や縫い方は魔術的意味を持ち、その結界の防御力は法王級。
布地はロンギヌスに貫かれた聖人を包んだトリノ聖骸布を正確にコピーした物で、物理・魔術を問わずダメージを受け流し吸収する。
無論、包丁で刺されたり拳銃で撃たれたりする程度では、ダメージなどない。
しかし、どんなに強力なものであっても、消耗はする。
包丁や拳銃なら万回やっても破壊には至らないだろうが、ミサイルだったらどうだろう。
一〇発そこそこなら余裕かもしれない。では、一〇〇発や一〇〇〇発になるとどうだろう。
『歩く教会』は超強力なモノであっても、無敵のモノではない。
インデックスは知る由もないが『御使堕し』も半端に食らっていることから、世界規模の魔術クラスには完璧に防御できないことも確認されている。
そして魔術師が繰り出す『本命』の魔術も、半端とはいえ食らっている。
半端とはいえ『歩く教会』を破る魔術を繰り出す魔術師の攻撃を、『歩く教会』だけで防ぎきれるとは限らない。

「次はもう少し強くいくわよ」

魔術師は一歩で、立ち上がったばかりのインデックスの懐に入って一回転する。
遠心力によって威力が増したハンマーは、インデックスの体を軽々と打ち上げた。
一撃目の強いライナー状の軌道と違って、フライのような軌道で宙を舞うインデックスへ、魔術師はジャンプして追撃する。
空中でハンマーを縦横無尽に振り回してインデックスをボコボコにしたのちに、ハンマーの先端をインデックスの腹部に突き刺す。
インデックスの体を真下にして地面へ落下していく。
バゴン!と落下地点から半径三メートルの地面がバキバキに砕けた。

「かはっ、けほっ」

インデックスはむせながら、お腹を抱えて悶絶していた。

「さっさとその修道服を脱げば、すぐに楽にしてあげられるケド」

「こほっ、けほっ……何を言っちゃっているのかな。楽にするも何も、あなたが学園都市から出ていけばいいだけかも……」

「ふーん。じゃ、死ぬまで苦しみを味わい続ければいい」

魔術師はハンマーを振り上げて――振り返ってハンマーを振り下ろした。
ハンマーによって剥がされた地面の破片が散弾のように放たれる。
背後から魔術師を殴り飛ばそうと接近していた上条当麻に向かって。

破片の散弾をモロに食らった上条は、数メートルもぶっ飛ばされて地面を何回も転がった。

「不意打ちなんて卑怯なコトしようとしたから、罰が下ったのよ」

不遜な態度でそんなことを言う魔術師に対して、上条は立ち上がって、

「何が罰だ。テメェが暴れまわっているだけだろうが」

「ふーん。私の『本命』は効かないってコトか。ま、予想はしていたけど」

『本命』とは『天罰』のことか。予想はしていた、ということは、幻想殺しを知っているのか。

「テメェは誰だ」

「ローマ正教『神の右席』、前方のヴェント。アンタとか禁書目録とか学園都市のすべてを潰しにきた」

ヴェントはハンマーをヒュンヒュン振り回す。
あのハンマーはおそらく魔術的なモノ。
しかし、グリップ部分には包帯、先端部分は有刺鉄線で覆われている。
包帯や有刺鉄線に魔術的意味が組み込まれていなければ、右手の効果は発動しない。
剥き出しになっているのはハンマーの先端部分の、上端と左右の両端だけ。
右手で触れられても大丈夫なように、ほぼコーティングされているようなものだ。
武器の無力化は、まず無理と考えていいだろう。

どう仕掛けるか悩み様子見の上条に対して、魔術師が仕掛ける。

「来ないならこっちから行くわよ」

魔術師はハンマーを左から右に水平に振るった。
こちらからは五メートル以上は離れているが、

――来る!

上条は右手を前に突き出して――バレーボール大の風の塊を打ち消した。

「ふーん。初見の攻撃に対しても難なく対処する、か」

魔術を打ち消した様子を見ても、一切の動揺がない。
やはり、幻想殺しのことは知っていると考えていいだろう。
ヴェントはさらにハンマーを、縦に横に斜めに数回振るう。
舌に繋がっている鎖も、振り回されるように揺れる。

ほとんど見えないが分かる。
バレーボール大の風の塊が、右から左からカーブを描き、時には真上から襲い掛かってくる。
上条はいちいち右手で対処しない。
ステップを駆使してすべての風の球体を避け切る。

「じゃあ、これはどうカナ?」

ヴェントは大きくジャンプした。
そのまま空中でハンマーを何度も振るう。
バレーボール大の風の球体がいくつも降り注いでくる。

「――っ!」

どう足掻いても完全なノーダメージで切り抜けるのは不可能だと悟った上条は、ヘタに動かないで直撃コースの風の球体だけ打ち消す。

「ぐ、お、あぁ……!」

至近の周囲へ着弾した風の球体の衝撃波が、多方向から上条の体を叩く。

「お次はー……こっち!」

風の球体の矛先は、今度は仰向けに倒れているインデックスへ。

「この野郎っ!」

インデックスには『歩く教会』がある。
風が当たったとしても、せいぜいほんの少しダメージが通るか通らないかだろう。
少なくとも致命傷には程遠い。と、頭では分かっていても、放っておけるはずがなかった。
上条は真上からの風の球体を、右手を真上に掲げることで打ち消す。
その隙にヴェントが上条の懐に入り込み、ハンマーの下端――つまりグリップ部分の下を、肘を入れるかの如く叩き込む。

「ごはっ!」

風の力でブーストでもしていたのか、上条の体は数メートルも吹っ飛び、地に足を着けてからさらに数メートルスライドしてようやく止まった。

「ぐ……!」

ハンマーの下端を叩き込まれた左脇腹を左手で抑え込み、膝をつきそうになるのを堪える。

「殺し合いの最中に他人を庇おうとするからそうなんのよ」

「……うるせぇよ」

上条は適当に言い返しながら策を練ろうとするが、ヴェントがまたしてもハンマーを振るう。
竜巻状の風が、上と左右の三方向から向かって来る。
後退すれば避けられるが、後退程度で避けられる程度の攻撃を放つだろうか。
先程の風の球体は軌道が変化した。
向かってきている竜巻状の風も、後退すると見越した上で、あらかじめ後方へ曲がるように放っていたら。
上条は覚悟を決めて前へ駆ける。直後だった。
三つの竜巻状の風は、急激に曲がった。前進した上条を狙うように。

「お、おおおおおおお!」

ヴェントは裏の裏を読んで、風を前方に曲がるように放っていたのだろう。
『読み』では完全に負けた。
今更後ろへは退けないし、右手を振り回したところで、消せるのはせいぜい二つまでだろう。
結局、出来ることなんて一つしかなかった。
そのまま前進。
風が『合流』する地点より前に滑り込むしかない!
上条は前方へ跳んだ。その一秒後に風が『合流』して爆風が吹き荒れた。
風に押されて、上条はヴェントの前まで紙のように飛んでいき、

「絶好球!」

ヴェントが水平にハンマーを両手で振るう。
上条は両手クロスのガードを敷いて、打たれ、数メートルも吹っ飛んで地面を何回も転がった。

「ちくしょう……」

上条はよろよろと立ち上がる。
両腕クロスガードの時、右手を前にしたためハンマーの有刺鉄線部分を右手で受けたが打ち消せなったため、有刺鉄線部分に魔術はかかわってないことが確定した。
右手の皮膚は削れたが、それ以上の違和感はない。骨にヒビが入っていたり、折れていたりはなさそうだ。
問題はあの剥き出しの先端部分。
てっきりあの部分に触れさえすれば武器を壊せるかと思っていたが、その割にはヴェントの思い切りが良すぎる。
九割方コーティングされているとはいえ、万が一を考えたら、遠距離から攻撃するのを徹底するのが普通だろう。
少なくとも自分なら、そうする。
にもかかわらず直接ハンマーで殴ることもあるのは、あのハンマーには魔術的要素は一切なく、今までの魔術はヴェントがハンマーを経由して出しただけかもしれない。
それ以前に、ヴェントの性格上、万が一など気にせずガンガン攻める気もする。
あのハンマーにどう対処すればいいのか。
とりあえず先程は、あのハンマーはただのハンマーだった場合を考慮して、ヘタに反撃するよりガードを選んだ。
先端部分を正確に叩ける自信がなかったというのもある。

「このままだと防戦一方ダヨ?反撃しなくていいの?」

ヴェントの言う通り、このままだと何もできずに終わる。
だからと言って、闇雲に突っ込んでどうにかなる相手ではない。
そもそも、まずインデックスをどうにかしたい。

「来ない、か。なら、一生後手に回り続けろ」

ヴェントがハンマーの先端を突き出しながら突っ込んでくる。
またしてもハンマーによる打撃攻撃をするつもりか。
ならば、やはりあのハンマーは魔術的なモノではないのか。
いいや。
仮にハンマーが右手で壊せるとしても、ここはヘタに反撃すべきではない。
ヴェントはハンマーを左手一本で突き出しながら突っ込んでくる。
そこへカウンターを仕掛けた時、ハンマーを引くように投げて右手へ移せば、タイミングをずらすことができる。
反撃を意図的に誘い出している。
そう判断した上条は、右手側に数度ステップする。
ヴェントが横を突き抜けていく。
その最中に。

「いい判断じゃない」

称賛があったと思ったら、振るわれたハンマーから風が吹き荒れ、剥がすように地面を砕き、散弾のような破片を体中に浴びた。
幻想殺しは風を打ち消すことはできても、風によって飛んでくる破片などの二次的現象は打ち消せない。
顔や胸はガードしたが、受けたダメージは少なくなかった。
一方で、着地していたヴェントはニヤリと笑って、

「まだまだこれからダヨ?せいぜい私のストレス発散のために頑張ってね?」

攻撃が再開される。

一方通行は統括理事会に喧嘩を売ることにしたと『妹』から報告があった。
確かに、今まで経験してきた学園都市の事件を鑑みても、統括理事会が腐っているというのは妥当な判断だろう。
しかしだ。
現時点では学園都市がルールだ。
いつかは反逆すべきだろうが、今反逆したら、犯罪者となるだけだろう。
犯罪者となった場合、少年院に拘留されるか、暗部に堕とされるか、
どうなるかは分からないが、いずれにしても打ち止めと一緒に居ることは出来なくなるだろう。
打ち止めの話だと、ヨミカワという高校教師の所に居候になっていて、
絶対能力進化実験にも携わったヨシカワとかいう研究者とも同居しているらしいので、
打ち止めの世話自体は問題ないだろうが……打ち止めとしては一方通行と一緒に居たいはずだ。
だから、一方通行には統括理事会に喧嘩を売ってほしくない。
とはいえ、一方通行が言っていたという『第一に優先なのは命』という理屈は正論だ。
それに、既に行動を開始している一方通行を止めるのは時間の無駄なだけ。
一方通行を止めたいのなら、統括理事会に喧嘩を売る動機を無くすしかない。
そのためには、一刻も早く打ち止めを救う。
もっとも、やれることは今までと変わらない。
絶対能力進化実験に使われた施設を回るだけ。

「あのモヤシ……少しは打ち止めの気持ちも考えなさいよね!」

少し大きな独り言を言いながら、御坂は街中を飛び回る。

学園都市で、武装をしている無能力者の集団はスキルアウトと呼称される。
学園都市には潜在的に一万人程のスキルアウトが存在しているものの、大半が寮を借りているが学校には行かない者、
学校に通っているものの夜だけスキルアウトとして生活している者である。
学校にも寮にも戻らない路上生活者は全体の一パーセントほどだ。
スキルアウトの中には、無能力者判定のストレスからか、能力者に対するコンプレックスからか、夜な夜な暴行などの犯罪行為を繰り返す凶悪な者がいる。
そういう奴らのせいで、スキルアウトのイメージは基本的に良くない。
そのイメージを大義名分にして、能力者による無能力者狩りが割とある。
そのため、スキルアウトにも能力者に対する反逆勢力が生まれつつあった。
そんな反逆勢力のスキルアウトの一人である、金髪に鼻ピアス、茶色いパーカーにジーンズの少年、浜面仕上は、

「なあ駒場、今がチャンスなんじゃねぇのか」

「……本来の計画とは大きく逸れるが……」

浜面の問いかけに陰鬱な口調で答えたのは、黒いジャケットに黒いズボンのゴリラみたいな大男、駒場利徳。

「本来の計画って、たくさん設置した『エラーにする必要性の低い問題』を棒火矢で起動させて、
 一斉にエラー報告を出させて、サーバーをダウンさせるってやつだろ。
 サーバーがダウンすれば、俺達が好き勝手暴れても警備員はやって来られない。
 この計画は、俺達が好き勝手暴れるためのお膳立てにすぎないだろ。
 好き勝手暴れる――能力者をぶっ潰すのが、本当の目的だろ?」

「確かに、能力者の反逆という観点から見れば今はチャンスだ。だが、今の学園都市は尋常じゃない。
 倒れているのは俺らスキルアウトも一緒だし、原因も不明だ。俺達も『原因不明の何か』に倒される可能性がある」

浜面に一部同調するも慎重な意見を出したのは、忍装束を現代の衣装に置き換えたような衣服に身を包んでいる半蔵。
具体的に言うとバンダナ、シャツ、ジャケット、ズボンが黒く、ブーツだけがシルバーだった。
さらに言うと、バンダナとシャツには、散りばめられるように銀色の菱形模様が入っていた。
半蔵の意見に対して、浜面は持論を展開する。

「学園都市の連中が、学園都市の人間を倒す意味が分からない。
 となると、学園都市の人間が倒れているのは、学園都市の人間以外の誰か、もしくは奴らの仕業ってことだろ」

「学園都市に侵入者がいるってことか?」

「そうとしか考えられない。
 実際、九月一日にゴーレムみたいな石の塊操っていた褐色ゴスロリ女という、学園都市が外部からの侵入を許したと思われる目撃情報もある。
 まあ、だから、明らかに侵入者らしき奴と遭遇したら、逃げればいい」

「逃げればいいって、逃げ切れるのかよ?」

「侵入者は学園都市の住人を気絶させるだけに留めている。おそらく、標的がいて、標的以外は興味ないとかなんだろう。
 だったら、逃げ切れる可能性は十分あるし、逃げ切れなくても気絶ですむかもしれない。最悪死んだら、その時はその時だ」

「……まあ筋は通っているが、推測だし不確実だな。駒場のリーダーはどう思う?」

この界隈のスキルアウトを束ねる駒場へ、半蔵は判断を仰ぐ。

「……動いてみるか……」

「リーダー!?」

「……浜面の言い分は分からなくもない。それに……今の状況は千載一遇のチャンスと言える。
 俺達の計画では……サーバーをダウンさせることは出来ても、警備員自体は動ける。
 極端な話、居合わせた警備員に現行犯を咎められ……応援を呼ばれることがあるかもしれん。
 そうなったら、念のために撤退はしなければいけなくなる可能性は高い。
 比べて……今主に倒れているのは、街中に出張っている警備員。
 計画を実行した時と今を比べると……今の方が動きやすいだろう」

「さっすが駒場!話が分かるぜ!そうと決まればアシを確保してくる!」

言うだけ言って、浜面は走り去ってしまった。
浜面はピッキング技術に長けていて、何かをするときはいつもその辺の車を盗んでいた。

「いいのかよ、リーダー」

「……割とすぐに計画を実行するつもりではあったが……能力者を倒すのは……少しでも早い方がいい」

元はと言えば凶悪な行為を繰り返すスキルアウト連中が悪いのだが、
その報復としての無能力者狩りの矛先は、普通に学校に通っている無能力者にも向けられる。
駒場は、それがどうしても許せなかった。

「……無能力者狩りを行っている能力者のリストは……既にある。あとは……迅速に片をつけるだけだ」

「……分かったよ、リーダー。速攻で終わらせよう」

「はぁ、はぁ」

上条は肩で息をしていた。対するヴェントは無傷。
どころか、『天罰』によって意識はあってもロクに動けないインデックスへ定期的に攻撃を加える余裕すらあった。

――ちくしょう。

助けは期待できないし、来たとしても『天罰』で気絶がオチだろう。
さらには、ヴェントの攻撃の起点になるだけだろう。
つまるところ、ここは一人でどうにかするしかない。
のだが、まるで突破口がない。それどころか、完全に遊ばれている。
殺そうと思えばいつでも殺せるはずなのに遊んでいるのは、『天罰』があって一対一は揺らがないからか。
付け入る隙があるとすれば、そこ。
上条は、策を練る時間稼ぎなどの意図も含めて、流れを変えるきっかけにしたいがために、口を開く。

「何で学園都市を潰そうとする?」

「はぁ?いきなり何」

「インデックスは有名だから、俺はローマ正教に喧嘩を売り続けたから狙うというのは分かる。
 でも、なら学園都市を潰すってのは何なんだ」

「もしかして、命は差し上げるから学園都市には手を出すなとか、そういう話にしたいのかな?だったら無理ね。
 そういう自己犠牲ヤローは大っ嫌いだし、他人の命令に従うのも気に食わないし、何より、科学が憎いから、学園都市は絶対に潰す」

科学側は魔術側に特別な干渉はしていない。
憎まれる理由なんてない、と思ったが、一つの先例が思い浮かんだ。
シェリー=クロムウェル。
彼女は過去に親友を失った悲しみを動機として、学園都市に攻め込んできた。
ヴェントにも過去に科学を憎むようになった出来事があったのかもしれない。

「何で科学を憎む?」

「答える義理はないわね」

言い放った後、ヴェントはこちらへ向かいつつハンマーを振るった。
左側からバランスボール大の風の球体がやってくるのが分かる。
そして悟った。ヴェントの次の手を。
左側からの攻撃を右手で処理させる隙を狙って、懐に入り込むつもりだろう。
ならば。
上条は向かい来るバランスボール大の風の球体に対して、体を左に捻って真正面から右拳をぶつけるのではなく、
時計回りに体を捻って、裏拳気味に風の球体を打ち消す。
そして、居合い斬りをする前のようにハンマーを構えたヴェントが正面に現れた。
風の球体を普通に対処していたら、背後を取られていた。

「チッ」

ヴェントは舌打ちをして、ハンマーを振るうことなく上条から距離を取る。
直後に、何の前触れもなくヴェントが吐血しだした。
一体何があったのか。
当のヴェントもハンマーを持ってない方の手で口を押えながら、驚愕の表情を浮かべている。
これはチャンスかもしれない。
が、吐血して驚愕の表情を浮かべたのがパフォーマンスの可能性はないか。
こちらの攻撃を誘い出すためのフェイクの可能性はないか。
などと考えて逡巡している間に、ヴェントがハンマーを地面に叩きつけて灰塵を巻き上げた。
上条はヴェントの意図が分からないために特攻を仕掛けることができず、灰塵が晴れるまでただ突っ立っていた。
灰塵が晴れた後、ヴェントの姿はなかった。

トマス=プラチナバーグ。
裕福な家に生まれ、何不自由ない暮らしを送り、高い教養を身に着け、ビジネスに成功し、
莫大な富と権威を手に入れ、学園都市統括理事会に三〇代後半という異例の若さで抜擢された。
彼は今までの人生でたったの一度も失敗しなかったし、これからも失敗などしないと確信していた。
いずれは統括理事長として学園都市を牛耳ることになる。
野心ではなく、ただ自然な流れとして、今あるベストを尽くせば勝手にそうなる。彼は純粋にそう考えていた。
そんな彼に、人生において初めてにして最大のピンチが訪れていた。
事の始まりは三分前ほど。
トマス=プラチナバーグの屋敷に一方通行が侵入した。
もちろん護衛や防衛システムは万全だった。
学園都市に謎の侵入者がいて、そいつが統括理事会のメンバーを三人殺したという情報があったため、むしろ通常より厳重なくらいだった。
しかし、学園都市最強の能力者の前には何の意味もなさなかった。
ものの三分で屋敷は侵略・制圧されたどころか、護衛から奪ったと思われる拳銃で四肢を撃ち抜かれる始末だった。
一方通行は執務室へ向かった。
超能力者は学園都市から多大な奨学金を貰っている。
また、一方通行の場合は様々な研究所に体を貸したことがあるため、その報酬もある。
お金は腐るほどあるのだから、金目当てではないだろう。統括理事会のポストが欲しいのでもないはずだ。
となると、一方通行の目的はおそらく、統括理事会などの上層部しか覗けないような『情報』だろう。
何の情報を欲しているかさえ分かれば交渉の余地はあったのに、一方通行には最初からその気がないらしい。
ギリギリ殺されていないのは、情報端末のロックに生体認証が使われている場合を考慮してか。
トマス=プラチナバーグは情報端末のロックに生体認証を採用していない。
もっとも、採用していたとしても、ロックの解除に使われた後、処分されるだろうが。
それが分かっていたから、トマス=プラチナバーグは無様に這いつくばって助けを呼ぼうとした。
芋虫のように、這って、這って、這って。執務室の方から足音が聞こえてきた。
ゆっくりと。
やってくる。
真っ赤な双眸を宿した、白い悪魔が。

「う、うわああああああああああああああああああああああああああああああああああ!」

トマス=プラチナバーグは泣き叫びながら床を這うが、所詮はカタツムリ並みの速度。
ゆっくりと歩く一方通行にあっさりと追い着かれ、銃口を向けられる。
その状況に陥ってなお、トマス=プラチナバーグは足掻く。

「何なんだよ、お前!私が一体何をしたって言うんだ!」

一方通行からすれば、ここで構わず鉛弾をぶち込んでも良かったのだが、彼はあえて答えた。

「絶対能力進化実験を見逃しただろォが」

絶対能力進化実験。トマス=プラチナバーグは、レポートで流し読みした内容を思い出して、その上で言った。

「別に見逃したつもりはない!私には何の関係もないから、放っておいただけだ!」

イカレた実験だとは思った。
DNAマップを利用された超電磁砲や、そのクローン達についても気の毒だとも思った。
だが、それを放っておいたところで自分の人生には何の影響もない。
止める積極的理由がなかったから。
ただそれだけ。
別に絶対能力進化実験を推奨していたわけでも、素晴らしいことだとも思ったことはない。
トマス=プラチナバーグの嘘偽りない本音だった。

「大体、実験の要の張本人に言われたくないんだよ!
 そこまで言うならお前が実験を自主的に降りていれば良かっただろうが!こっちに責任転嫁してんじゃねぇよ!」

「そりゃあ俺が悪いのは当たり前だ。だがなァ、それでオマエらが悪くないっていうのは筋違いだろ」

「筋違いだと……?」

一方通行があと数センチ指を動かせば死ぬ。
その状況で、もうどうせ助からない、殺されると思ったトマス=プラチナバーグは曝け出す。

「ふざけんな!一万弱の人間を殺してきたお前が!世界規模で見ても!歴史的に見ても類を見ない外道のお前が!
 俺が悪かったとして!殺す資格があると思ってんのか!」

もう一人称も変わって、半狂乱になっているトマス=プラチナバーグ。
虐殺の人数や規模で言うなら、絶対能力進化実験より酷いものは、歴史上たくさんある。
しかし、それはあくまでも事件レベルの話だ。
個人で、何の兵器も使用することなく生身一つで人を殺してきた数や、殺し方などの虐殺性を考えると、
一方通行は『負の意味』で歴史に名を連ねてもおかしくないレベルかもしれない。
トマス=プラチナバーグの『世界や歴史規模で見ても類を見ない外道』というのは、そこのことを言っているのだろう。
殺す資格なんてものは誰にもないので、その寝言は差し引いても、一方通行が外道というのは正論だった。
だから、一方通行は冷徹に言い放った。

「そォだな。俺は外道だ。だから、オマエが俺と比べたら悪くなかったとしても――俺はオマエを殺す」

引き金を引く。銃声が鳴り響く。
トマス=プラチナバーグの眉間に弾丸がぶち込まれた。

トマス=プラチナバーグの亡骸をまたぎながら、一方通行は先のことを考えていた。
さすが統括理事会だけあって、いろいろなことが分かった。
打ち止めをさらった連中は木原数多率いる『猟犬部隊』。
現在、正体不明の脅威が学園都市を襲っていて、その脅威を排除するために打ち止めを回収したこと。
さらには打ち止めをどこに連れ去ったのかまで分かった。
脅威を排除するために打ち止めを回収したのなら、逆に言えば、脅威を排除するまでは無事の可能性は高い。
回収である以上、すぐには殺されないという希望的観測は当たっていた。
具体的に打ち止めをどう使って『脅威を排除する』かまでは分からなかった。
気になるのは、打ち止めをさらう旨の作戦指令書の名前。
ANGEL。
天使。
天使なんて単語、今日日もののたとえでしか使わない。
まあ、これ以上考えても仕方ない。
多少の疑問は残るが、やるべきことと目的地は分かっている。武器も調達できた。
バッテリー残り時間は四分。目的地に着くまでに一分消費で三分。
一方通行はチョーカーのスイッチをオンにしようとして――

「何だ、ありゃあ……」



浜面がかっぱらってきたワゴンで、駒場と浜面と半蔵は標的の能力者のもとへ向かっていたが、

「……おい、外見てみろ」

と言ったのは、助手席に座っている半蔵だった。
運転席の浜面は運転しながら、後部座席の駒場は外を見やる。
そこに広がっていた光景は。



御坂美琴は相変わらず絶対能力進化実験に使われた施設を回っていた。電磁力を駆使して、跳び回っていた。
しかし、

「っ……!」

眩しさを感じて、御坂は一旦着地する。
一体何だ、と御坂は光源の方を見て、

「何よ、あれ……」



理由は不明だがヴェントは逃亡した。
先程の攻撃は防ぎきったが、ヴェントの優位には変わらなかったのに。
あの吐血は、演技ではなかった可能性が高い。
では、なぜヴェントは吐血するに至ったのか。
……分からない。
……とりあえず、まずはインデックスの安全を確保しなければいけない。
インデックスは多少衰弱しているものの、命に別状はなさそうだった。
冥土帰しの病院に直接電話を掛ける。
その時だった。
第七学区のほぼ中央、方向で言えば窓のないビルの方から、莫大な閃光が瞬いた。
上条は電話も忘れて、呆然と呟く。

「何だ、あれ……」



ヴェントは鉄橋の手すりにもたれかかりながら、現状について思考を巡らせていた。
吐血の原因は魔術的攻撃、ではない。
そこで思考は途切れた。
目の前に広がる光景が、あまりにも衝撃的すぎたからだ。

「あの野郎……アレイスター!」









学生が八割の学園都市では、完全下校時刻を過ぎれば、活気はあまりない。
加えて雨が降っているからだろうか、九月三〇日現在、極端に街は静まり返っていた。光もほとんどなかった。
そんな街の一角で、莫大な閃光が溢れる。
轟!と、光の中心点から無数の翼のようなものが吹き荒れた。
刃のように鋭い、数十もの羽。一〇メートルのものもあれば、一〇〇メートルのものもある。
それはビルの隙間を縫って何度かのたくった後、学園都市外に向けて放たれた。

第三学区にある、屋内レジャーだけ集めたビル。その中のVIP用のサロン。個室だが、3LDKを超える広さを有している。
そんな個室のテーブルに突っ伏して眠っていた滝壺理后は、ビクン!と大きく動いて目を覚ました。

「どうした滝壺。オーガズムにでも達したのか」

いきなりドギツイことを言ったのは、滝壺の向かいに座っている麦野沈利。
肩甲骨くらいまであるふわふわの茶髪に、美人と言っていい顔立ち。
黄色い秋物のセーターにクリーム色の半袖コートを着込んでいた。
脚はこれまた黄色いストッキングに覆われていた。
程々にムッチリな体型に、顔も良いので、言い寄ってくる男は後を絶たない。
後を絶たないのに、いわゆる彼氏がいないのは、下品な発言や短気な性格、
何よりも、常にストッキングを履いて誤魔化そうとするぐらいには脚が太いのをコンプレックスにしているのに、
よりによって、このムッチリ加減が良いとのたまう体目当ての男が多いからだろう。

「怖い夢でも見たとか?」

麦野に続いてまともなことを言ったのは、滝壺の斜向いで麦野の隣に座っている金髪碧眼に白い肌の女子高生、フレンダ=セイヴェルン。
服装は、紺色のベレー帽と制服、胸には赤いリボン、スカートは赤のチェックだった。

「夢って猫も超見るんですよね。ピクピク動いたりもするみたいですよ」

どうでもいい雑学を挟んできたのは、滝壺の隣に座っている茶髪のボブにふわふわニットのワンピースの絹旗最愛。
ニットのワンピースの丈はやたらと短く、かなり大胆に太股が露出されている。
しかもそれがわざとだから、タチが悪い。

「オーガズムに達したわけでも、怖い夢をみたわけでもないよ」

肩で切り揃えられた黒髪にピンクジャージの脱力系少女、滝壺は律儀に否定してから言う。

「南南西から、すごい信号がきてる」

普通の人なら、何言ってんだコイツ。となるが、滝壺の能力を考えると、ただの電波発言と切り捨てるには早い。
もっとも『方角から信号がきてる』というのは滝壺の口癖なので、さして重要な発言ではない可能性も十分あるが。
ということで、麦野は踏み込んだ質問をする。

「AIM拡散力場を感じたのか」

「うん」

「どれくらいの?」

「いまだかつて感じたことないくらい」

「南南西の方に絶対何かあると断言できる?」

「うん」

一頻りの問答を終えた麦野は、顎に手を添えて考える。
今、自分達は特に『仕事』があるわけでなく、暇と言えば暇だ。
あまりにも不確実ならともかく、滝壺は『絶対何かある』と断言している。
滝壺の能力は『能力追跡』(AIMストーカー)。
一度記録したAIM拡散力場の持ち主を、たとえ太陽系の外に出ても追い続け検索・補足出来るというものだ。
腕力自体は人並みよりはあるものの、近接格闘が得意なわけでもなければ、
フレンダのように武器を使いこなすわけでもない滝壺がこの『アイテム』に所属できるのは、ひとえに『能力追跡』が便利だから、ということに尽きる。
滝壺の能力からして、AIM拡散力場の感知に関してなら、かなり信用できる。
一つ難点があるとすれば、滝壺は『体晶』を使わなければ能力をロクに行使できないこと。
『体晶』は、意図的に拒絶反応を起こさせ能力を暴走状態にする為の薬品。
大抵の場合はデメリットしか生まない物だが、稀に暴走状態の方が良い結果を出せる能力者もいる。
それがまさしく滝壺なのだ。
ただ、使用者への負担は大きい。このままだと『体晶』に蝕まれて、いくら滝壺でもいずれ使い物にならなくなる。
能力が使えなければ、滝壺はガラクタも同然。
よって、使い物にならなくなるまでの『使い捨て』のつもりだったが……。
滝壺の能力は相当便利なので、居るに越したことはない。
確証なんて何もないが、未だかつてない程のAIM拡散力場に間近で触れることで、滝壺が普通に能力を使えるようになったりしないか。
そうなれば儲けもの、無駄足に終わっても、別に今までと何ら変わりない。
最悪滝壺が『崩壊』するかもしれないが、どうせ今のままでも能力をあと一〇回も使えば『崩壊』する。
だったら、プラスの方向に転がる可能性に懸けて、南南西に行ってみる価値はあるのではないか。

「……よし」

麦野は顎に添えていた手を解いて、立ち上がる。

「皆行くわよ。滝壺、案内して」

『アイテム』のリーダーは麦野で、実力的にもダントツなので、他の三人に逆らう余地はない。

学園都市の暗部組織『スクール』のアジトで、『スクール』のリーダー垣根帝督は、
第七学区のほぼ中央で瞬いている『光』を見つめて、傍らのソファーに座っている『心理定規』(メジャーハート)に尋ねる。

「おいおい、ありゃあ何だと思う?」

「さあ。アレイスターがまた何かをやったんじゃないの」

「何その興味ない感じ」

「だって興味ないもの」

何だこのつまんねぇ女、と垣根は呟いて、

「じゃああれを潰しゃあ、アレイスターの野郎に吠え面かかせられんのかね」

構わず『心理定規』に話を振った。

「知らないわよ」

ぞんざいな返答だったが、無視しなかっただけマシかもしれない。

「お前さあ、そんなんじゃモテないぞ」

「別にモテたいなんて思ったことないからどうでもいいんだけど」

「そうだな。お前は俺にさえモテればいいんだもんな」

「別に」

「照れなくたっていいんだぞ」

「この下らないやり取り、もう何回目かしら」

「とか何とか言って、実は俺とお喋りできるのが嬉しいんだろ?」

「その勘違い思考どうにかならないのかしら」

二人は軽口を叩きあっているが、実は垣根帝督の方は学園都市超能力者第二位『未元物質』(ダークマター)である。
たとえ『スクール』のメンバーでも、ナメた口を利くのは『心理定規』以外許されていなかったりする。

「まあ、潰すかどうかは一旦置いといて、暇だしちょっと行ってくるわ」

「いってらっしゃい」

突拍子もない垣根の言動や行動に慣れている『心理定規』は、反射的にそう言った。

「おいおい、なんかあれヤバいんじゃねぇか!?」

羽のようなものをたくさん生やした謎の光を見て、ワゴンの助手席で半蔵が慄く。

「大丈夫だって!あれの得体は知れないけど、攻撃らしきものを放ったのは学園都市外周だろ?俺らは大丈夫」

運転席の浜面が、割と冷静に言い放つ。
しかし半蔵としては、

「いやいやいや、一撃目はそうだったけど、次の攻撃からはどうなるか分かったもんじゃないだろ!?」

「落ち着けって半蔵!あれは多分学園都市側の産物だ。俺達を攻撃する理由がない」

「俺達を潰すために上層部が出したやつかも……」

「俺達如きを潰すのに、あそこまで仰々しいものを出すかよ。
 ていうか、学園都市には侵入者がいるはずだから、それの対抗策って方がよっぽど有力だよ」

「そもそも侵入者がいるってところからお前の推測じゃねぇか……」

「じゃあ学園都市内で気絶している連中の説明はどうつけるんだ?」

そう言われると言い返せないこともないけど、説得力ある意見はない半蔵。

「分かった。分かったよ。じゃあ駒場のリーダーに判断してもらおう」

後部座席で黙って二人のやり取りを聞いていた駒場は、

「……作戦続行だ……」

「おぉ……」

駒場の判断に、半蔵は分かり易く落胆する。

「……そう落ち込むな。……あの光の攻撃の矛先は学園都市外周。
 ……攻撃の矛先が……学園都市内のどこかだったら引くべきと判断したかもしれないが……現時点では続行だ」

……それに、と駒場は続けて、

「……浜面の『あれだけ仰々しいものを俺達如きに』という言い分も納得できる。
 ……あんな超能力者にも対抗できそうなあれを……俺達に使うのはコストパフォーマンスがあっていない。
 ……他のメンバーに作戦中止を連絡するのも面倒だしな」

「……クソッ!判断に迷った時はいつもこうだ!浜面の不確実だけど一応筋は通っている言い分に、駒場のリーダーが乗っかって!」

そんな感じで、半蔵はいつも損な役回りだった。

問題が山積している。
打ち止めの事、ヴェントの事、そしてあの羽を生やしている謎の光の事。
インデックスを運ぶ救急車を待つ時間がもどかしい。
と、

「……ひょうか」

インデックスがぽつりと呟く。

「え?」

「あの天使は、ひょうかなんだよ」

「天使って、あの光が?」

「うん。天使がひょうかなの」

この場面で価値の判断をするという意味の『評価』なわけがない。
インデックスの言う『ひょうか』とは。

「風斬だって言うのか?」

風斬氷華はAIM拡散力場の塊だ。
とすれば、AIM拡散力場に外部から干渉できれば、風斬を暴走させることも可能かもしれない。

「そうだよ。だから、止めに行かなきゃ」

インデックスは本気の顔をしている。あの天使が風斬というのはインデックスの中では確定らしい。

「止めるって……どうやってだよ」

見た感じ、超能力者が力ずくでも止められるかどうか怪しいレベルだ。
当然、完全記憶能力を有し、頭に一〇万三〇〇〇冊の魔道書を記憶している以外は普通の少女に過ぎないインデックスが止められるはずもない。
ましてや彼女は、ヴェントに散々いたぶられ、『天罰』だって半端に食らっている。

「あそこにいる天使と、それを統率している『核』は別の場所にあるんだよ。
 私は『核』の方に行ってみるから、とうまはヴェントをお願い」

「行ってみるって言ったって、その体で、どうするって言うんだ。
 『核』をどうしたら風斬を止められるんだ。というか、そもそも『核』ってのはどんな感じなんだ?」

「そこまでは……分からないけど……」

「分からないって、そんな大雑把でいいのかよ?」

「いいわけないよ!」

インデックスが叫んだ。

「いいわけない!けど、じゃあどうするって言うの!?誰がひょうかを止めるんだよ!?」

「……悪い」

インデックスだってボロボロで、情報が極端に少ない中で何とかしようとしているのに、問い詰めすぎた。
しかし、どうしたものか。
インデックスが分からないというのは、AIM拡散力場が絡んでいるからだろう。
逆に言えば、AIM拡散力場に詳しい者と一緒なら何とかなるのかもしれない。
自分は一緒に行けない。
他にインデックスのことを知っていて、AIM拡散力場に詳しくて、なおかつ万が一のための護衛役が務まるのは。

――御坂ぐらいしかいない。

しかし御坂は打ち止め救援の真っ最中だろう。
御坂を頼ることはできない。
あとは土御門ぐらいか。そう思った時だった。
ポケットの中の携帯が振動した。取り出して見てみると、表示には『土御門』。

「もしもし土御門!」

『……よう。カミやん』

声から察するに、少し弱っている様だった。
今までどこでどう暗躍してきて、どういう風に弱るに至ったのかは、あえて聞かない。
聞くべきことは、

「一体何の用だ」

『今……学園都市内に天使が出現していると思うが……そいつの止め方についてだ』

今一番欲しいと言えば欲しい情報だ。

『あの天使……確か『ヒューズ=カザキリ』は……最終信号を核に動いている』

何で打ち止めのことを知っているのかなどいちいち聞かない。
土御門の立場を鑑みれば、おかしいことではない。

『最終信号を止めるには……学習装置で彼女の脳に注入されたウイルスを駆除するしかない。
 しかし……一方通行から最終信号をもぎ取る為には「木原」が投入されるだろうが、その「木原」が学習装置を残しておくとは限らない。
 そうなった場合……方法は二つしかない』

一つは、と土御門は続ける。

『一方通行がどうにかする方法。しかしこれはあまり期待できない
 奴がかつてウイルスを駆除できたのは、ウイルスの事前情報があった上に、能力が万全だったからだ。
 事前情報はどこかで入手できるかもしれんが……時間制限がある中、
 一方通行に向けて放った「木原」……おそらくは木原数多相手にウイルス駆除成功はまず無理だろう』

聞き慣れない単語や改めて土御門の情報量に驚いたのもあって、彼の言っていることは完全には理解し難いが、
ここまでの話を要約すると、打ち止めの脳にウイルスが注入されたことによって、暴走風斬が出現。
打ち止めの脳の中のウイルスを駆除する方法は三つあって、一つは学習装置を使って、一つは一方通行によってだが、両者とも確実性に欠けるということ。

『二つ目は……禁書目録に頼ること……。ただし……彼女だけではAIM拡散力場でつまずくから……ガイドが必要だ。
 そのガイドに適役なのは……大前提としてAIM拡散力場について詳しい事。あとはできれば……強い事』

風斬を止めることと打ち止め救助は一直線で繋がる。
となると、御坂に協力を求めることができる。

「御坂で良いよな?」

『……まあ、ベターな選択肢ではあるが……』

御坂というのはこれ以上ない人選だと思ったが、土御門の反応は悪い。

『「木原」ってのは外道中の外道で抜け目がない。
 最終信号をさらったのが木原数多なら、特化しているのは一方通行だけだから、超電磁砲は有効ではあるが……、
 はっきり言って、第二位以上のファイブオーバー技術の引用とか、キャパシティダウンでどうとでもなっちまう』

いよいよ土御門が何を言っているのか分からなくなってきた。
唯一分かるのは、

「キャパシティダウンか……」

確か、一種の音響兵器を使い能力者の演算能力を大幅に阻害する装置だとか。
ニュースで見たことがある。

「キャパシティダウンなら、耳栓とかヘッドホンでどうにかなるんじゃないのか」

『そうだな……。分かった。禁書目録と超電磁砲で行こう。最終信号の場所は禁書目録が分かるはずだ」

「分かった。じゃあこれから御坂に電話をかけるから」

『待て。最後に一つだけ。……ナンバーセブンに出会った場合は、禁書目録達のところへ向かわせるんだ』

「ナンバーセブン……削板のことか?」

『ああ。あいつは世界最高の原石でキャパシティダウンは効かないだろうし、
 第二位以上のファイブオーバー技術を持ち出されても勝負することぐらいはできるだろうからな』

「だったら何で最初に削板の名前を出さなかったんだ」

『どこにいるか分からないって言うのと、アホだから大前提を満たしていない』

「……そ、そっか」

『……本来はオレ達魔術師だけでどうにかする問題なのに、巻き込んでしまって済まない。……悪いが、頼んだぞ』

「ああ。任せとけ」

土御門の口振りからするに、彼は学園都市の状況を把握しきってはいない感じだ。
学園都市内の状況をくまなく知っているのなら、
『一方通行から最終信号をもぎ取る為には「木原」が投入されるだろうが』
ではなく『一方通行から最終信号をもぎ取った「木原」は』と言うだろう。
ヴェントの事には一切触れなかったのもそのためだろう。
土御門は暴走風斬の出現によって、一方通行から打ち止めが誘拐されたのを確信して、電話をかけてきたのではないか。
まあ、いい。
方針は決まった。
上条は電話で御坂を呼びつけて、土御門のことは伏せて経緯を説明する。

「分かったわ。打ち止めは取り返して風斬さんも元に戻す。約束するわ」

「頼りにしているぞ」

と言ったら、御坂は突然漏電しだした。右手で打ち消して、

「……大丈夫か?」

「誰のせいよ……」

「え?まさか俺のせい?」

「他に誰がいるのよ」

「ちょっと二人とも!そんな場合じゃないかも!」

インデックスが割って入ることによって、二人の意識は彼女に向く。

「そうね。けどインデックス、アンタ本当に打ち止めの場所分かるんでしょうね?」

「任せてよ」

現在進行形でインデックスは『天罰』を食らっているはずだが、インデックスは少し元気になっている気がする。
もしかしたら『天罰』の効力が弱まっているのかもしれない。

「それじゃあ……頼んだぞ、二人とも」

「アンタもね」

「ひょうかと一緒にまた会おうなんだよ!」

一人と二人は、別々の方向へ駆け出した。

羽を生やした光。
先程その名詞を見たこともあってか、それはなぜか天使に見えた。
天使という名詞は、打ち止めをさらう旨の作戦指令書のタイトルで見た。
もしかすると、打ち止めをさらったのは、文字通りあの天使を顕現させるためだったのではないか。
だとすると、打ち止めはもう用済みか、最低でも用済み一歩手前だ。
急がなければ。
他の事なんて知ったことではない。
一方通行は能力をフルに使って全速力で目的地へ。





「そうか。あれが虚数学区・五行機関の全貌ってコトか!ナメやがって。
 そうまでして私達を貶めたいかぁぁぁあああああああああああああああああああ!」

ヴェントは絶叫しながら、鉄橋の手すりから跳び出した。
数十もの羽を生やしている天使へ向かって。



















ヒューズ=カザキリの顕現によって、様々な人間がそれぞれの思惑を持って動き出す。
学園都市は、魔術と科学が生み出した混沌に包まれていく。

これで今回の投下は終了です
次回更新はなるべく早く、できれば年内に、1日は忙しいかもしれないのであれですが、遅くても1月11日には更新します
風呂敷を広げた上に、いまだに数か月前に投下した次回予告の場面にすら辿り着いていませんが、
できれば次の更新で一三巻再構成完結させたいと思っています

乙です
超能力者大集合一歩手前か
いよいよ混沌としてきたな……
そういえば、上条は超電磁砲で、削板を「軍覇」って呼んでたはず

>>1です
>>697
ありがとうございます
次からそうします
>>689の後半と>>690の前半のレスで気に食わないところがあるので、次レスでちょっと修正したのを投下します

――御坂ぐらいしかいない。

しかし御坂は打ち止め救援の真っ最中だろう。
御坂を頼る事はできない。
では、どうする。
土御門に電話をかけたら、今度は出てくれるだろうか。
そう思った時だった。
ポケットの中の携帯が振動した。取り出して見てみると、表示には『土御門』。

「もしもし土御門!」

『……よう。カミやん』

声から察するに、少し弱っている様だった。
今までどこでどう暗躍してきて、どういう風に弱るに至ったのかは、あえて聞かない。

「あのさ土御門、相談なんだけど、第七学区の中心に『羽』見えないか?あれの止め方とか分からないか?」

『分かるも何も……オレはその天使の止め方について……カミやんに電話をかけた。
 いいかよく聞け。あの天使……確か『ヒューズ=カザキリ』は……最終信号を核に動いている』

何で打ち止めの事を知っているのかなどいちいち聞かない。
土御門の立場を鑑みれば、おかしい事ではない。

「ははっ、スゲーなぁ、オイ!ありゃあ一体何だ!?」

今は使われなくなったオフィスで、木原数多は歓声を上げた。
数百メートル先で、ビルとビルの隙間を縫うように『羽』がうねっている。
ここからは『羽』しか見えないが、なぜか『天使』という言葉が浮かんだ。
事務机の上に寝かせている最終信号の頭に学習装置でウイルスを流し込み、再起動させた途端にあの『天使』が出現した。
上層部から渡されたウイルスの名前は『ANGEL』。どう考えても無関係ではない。
科学とは無縁の存在が、科学によって顕現していた。
ついに科学はこの領域にまで踏み込んだのか。

「アレを使って学園都市の敵をぶっ潰すのが目的かぁ!?
 確かに、あんなモン用意すりゃあ、大抵の奴はどうにでもなっちまうだろうな。
 外周部に誰がへばりついていたか知らねぇが残念でした!」

木原数多が興奮して、周囲の五人の部下達が、『天使』の存在と木原数多のハイっぷりに戸惑っていた、その時だった。

ガッシャアン!と、一方通行がガラスを蹴破って、そのままの勢いで『猟犬部隊』の一人の顔面を蹴り砕いた。
ビチャビチャ!と血液が塗りたくられたように散らばった時には、
一方通行は『猟犬部隊』の一人の背後に回り込んで窓の外へ蹴り飛ばしつつ、
両手に持った拳銃を自身のこめかみに当てて何度も引き金を引く。
一方通行の能力を経由した弾丸は、『猟犬部隊』の二人に正確に叩き込まれる。
防弾装備があるため死にはせずとも、弾丸を食らってぐったりとしている二人に、
一方通行から投擲された拳銃そのものが二人の顔面に突き刺さった。
『猟犬部隊』の残った一人は、打ち止めを盾にしようとするが、

「させねェよ、バカ」

それより早く一方通行が残った一人の顔面を掴み、窓の外へ放り投げた。

「鮮やかなお手並みじゃねーか」

木原数多がわざとらしく拍手をして一方通行を称賛する。

「次はオマエの番だぜェ、木ィ原くンよォォォおおおおおおおおおおおおおおお!」

能力使用可能時間は、残り二分半。

個室サロンがあるビルから一歩外に出れば、滝壺の案内など必要なのが分かった。
ここから南南西――第七学区の方に、眩い『羽を生やした光』が見える。
麦野は光の方を指差して、

「滝壺が感じたのは、あれ?」

「うん。すっごくすごいのを感じる」

「結局何よ、あれ。結構やばいんじゃないの」

「まあ、麦野がいますし、超何とかなるでしょう」

「ここから第七学区は、徒歩で行くにはだるいわねぇ」

学生が八割の学園都市では、完全下校時刻を過ぎると公共機関もほとんど止まる。
バスや電車は使えない。
下部組織のメンバーも『仕事』でないと出向いてくれないかもしれない。

「結局、タクシーを呼ぶしかないんじゃないの?」

「そうね」

フレンダの言う通り、麦野はタクシーを呼ぼうと携帯を取り出すと、手の中の携帯が震えた。
ディスプレイを見て、麦野はうんざりした顔になって、ゆっくりした動作で電話に出る。

『ちょっと!電話に出るの遅すぎ!』

電話の相手は連絡係の女。

「私達これからやる事あるんだけど」

『こいつときたら!そんなの知らないわよ!これからアンタらには仕事をやってもらうの!』

「えー」

『えー。じゃないわよ!アンタら「アイテム」の仕事は学園都市内の不穏分子の削除・抹消でしょ!』

「ああーああー分かった分かった。まずいい加減に声のボリューム下げろ。うるさい。そしてさっさと仕事内容を言え』

『なっ……何なのその態度はーっ!』

「だからうるせぇ!仕事の内容さっさと言えつってんだろ!!」

ついに麦野までキレはじめる。

『ああ分かったわよ!言えばいいんでしょ!第七学区でスキルアウトが暴れている!そのリーダーの駒場利徳を潰しなさい!以上!』

「あ、ちょ、待て!」

麦野の制止は無視され、通話は無情にも終了した。

「あのクソアマ……!」

イラついた麦野が頭を掻いている間に、移動用として車一台を用意する旨のメール、
駒場の画像とパーソナルデータとより具体的なオーダーが送られてきた。

「何でスキルアウトなんてゴミ掃除をしなきゃなんないのよ……!」

怒れる麦野に触れるのは危険だと知っている面々は、彼女が落ち着いて次の指示を出すまで黙っていた。
やがて、

「私と滝壺とフレンダはあの『光』の所に行く。仕事は絹旗がやって。画像は送るから」

「「うん」」

「超分かりました」

これより『アイテム』が本格的に動き出す。

ヴェントは『天使』の出現場所に到着した。すると先客を発見した。
金髪にシックな服に身を包んだ、似非ホストみたいな少年が。
彼は『天使』の近くで、『天使』の様子をまじまじと観察していた。
少年はやがてヴェントに気付くと、直後に倒れはじめ――彼の背中から出現した白い六枚の翼の内の一枚が、数センチほどとはいえ彼の太股に刺さった。

――痛みによる強制覚醒か。

まさか『天罰』にそんな抜け穴があるとは、とヴェントは素直に驚く。

「テメェ……何しやがった」

「さあ。何をしたと思う?」

「あんまりナメた態度してっと……殺すぞ」

「やれるものならやってみろ」

その言葉を皮切りに、まずは少年が翼をはためかせてヴェントに突っ込む。
ヴェントはそれをジャンプによって回避して、突き抜けた少年に向かって竜巻状の風を放つ。

「何だぁ!そのそよ風は!」

少年は大きく翼を動かして真っ向から突風を放って、ヴェントの風を吹き散らす。

「……ごふっ!」

――くそ、また……。

ヴェントが吐血している間に、少年は翼から、ナイフよりも鋭い幾千もの翅を放つ。
その切れ味は刺さるどころか貫通してもおかしくない。
ヴェントは片手で口を覆いつつ、一蹴りで数十メートル滑空するように翅の範囲外に出る。

「遅ぇ!」

ヴェントの動きにしっかりとついてきていた少年が、左右の翼の一対を合わせて縦に振り下ろす。

「っ!」

横に跳ぶ事で紙一重で両断を避けるヴェントへ、二枚の翼が手の形に変化して迫る。

「気持ち悪い!」

ヴェントは後退によって迫る『手』を回避するが、なおも『手』はしつこく迫ってくる。
『天使』をぶち殺すためにも、ここは温存しておきたかったのだが、
業を煮やしたヴェントは、自身の体を独楽のように回転させて、ハンマーで『手』を弾く。
その弾かれた『手』から、新たに翼が飛び出した。

「!!」

さすがのヴェントも反応できなかった。
翼はヴェントの首に向かって、彼女の喉元二センチ前で止まった。
翼はすぅーっと、空気中に溶けるように消えていった。
消えた翼の先には、少年が倒れていた。『天罰』に屈したようだ。
麻酔なら自傷で一度耐え抜けば何とかなるかもしれないが、『天罰』は相手が敵意を抱き続ける間は継続的だ。
だから今になって、少年は倒れたのだろう。

「……チッ」

少年が倒れるのがあと少しでも遅れていたら、殺られていた。
少年はここで潰しておいた方がいいだろう。
しかし、魔術を使う度にこちらもダメージを受ける。
それが魔術的攻撃ではない以上、魔術を使う度にダメージを受ける現象は科学的なもの。
魔力に反応して自動的に迎撃できる、得体の知れない科学技術を使っているのかもしれない。
これだから科学は憎い。科学の事なんて、考えたくもない。
ともあれ、まずは少年を潰す。

ヴェントは倒れている少年に近付いて、

「おー。何か凄いな、これは」

新たなる人間の声。
ヴェントは声のした方を見る。
そこには、旭日旗のTシャツに白ランを羽織って、白い鉢巻きに白いズボンに白いスニーカーの少年。

「お、姉ちゃんもこの『光』を見て駆け付けたクチか?」

目が合った少年はずんずん近付いてくる。
この顔を見ても、嫌悪感すら一切抱いていないようだ。

「あれ、そこの倒れている兄ちゃん、どうしたんだ?」

どうやらこの少年、たった今来たばかりらしく、『天使』の事も、
自分が『光を掲げる者』(ルシフェル)紛いのガキを倒した事も、
そもそも自分が侵入者である事も、何もかも知らないらしい。
一見好都合に思われるが、こういう馬鹿の方が、案外こじれたりする。

――殺すか。

魔術なしでも、ハンマーは十分鈍器として機能する。
不意打ちで頭にぶち当てればいけるはずだ。
少年が屈んで倒れている少年の様子を伺っているところへ、思い切りハンマーを叩き込む。
ゴッ!と、後頭部にクリーンヒットして鈍い音がした。手応えもあった。
にもかかわらず、

「いって~。いきなり何すんだ」

少年は頭をさするだけで、気絶どころか出血すらしなかった。
本当に痛いのかと疑問に思える程だった。
驚くべき事はそれだけではない。
こうして殴られたのにもかかわらず、少年は自分に敵意を抱いていない。

「悪いが、オレは女子供と喧嘩する趣味はない」

これはとんでもない馬鹿だ。
殴られたのに無事なのは、学園都市の超能力が関係しているのかもしれないが、
敵意を抱かないのは、純粋に少年がイカレているからとしか思えない。
こういうナチュラルに頭がおかしくて『天罰』が通用しないのが、一番厄介な相手だ。
魔術を使えば殺せるかもしれないが、こんなバカガキに構って弱るのは馬鹿らしい。
こうなったら。

ヴェントはひたすらにハンマーを何度も振り下ろした。
少年が敵意を抱いた時点でこちらの勝ちなのだ。抱くまで殴り続ける。
抱かなくても何度もハンマーを食らえば、さすがにダメージは蓄積されるはずだ。
やがて、

ガシィ!と、ハンマーが受け止められた。
少年が掴んでいるのは、有刺鉄線の部分。
余程力が強いのか、まったく抜けない。

「チッ」

ヴェントは舌打ちをして、ハンマーを移動する魔術を行使してハンマーを取り戻し後退する。

「この倒れている兄ちゃんも、姉ちゃんがやったのか?」

あれだけの殴打を食らっておいて、少年は無傷だった。

「……だとしたら?」

「そういや、結局姉ちゃんは何者なんだ?」

「アンタに教える義理はない」

「ん、そうか。人に名を聞くときはまず自分から名乗るべきだったな。オレは削板軍覇。
 一応、学園都市のナンバーセブンをやっている」

「ナンバーセブン?」

「学園都市超能力者第七位ってことだ」

「能力は?」

「根性、だな」

駄目だ、コイツ。
さっきから言っている事がおかしい。

「オレは名乗ったぞ。さあ、姉ちゃんの名前は?」

「教える義理はないと言った」

「まさか、オレが名乗らなかったから名乗らなかったわけじゃないのか」

「……」

「無言は困るな。そんなに名前を知られたくないのか」

「……」

「分かった。もう姉ちゃんの名前はいい。それより、今の状況について詳しく知りたいんだが」

削板と名乗る少年は、仁王立ちで腕組みしながら、

「結局、この倒れている兄ちゃんと、この……女の子……どこの制服だったかなあ。とにかく、この女の子は、一体何だ?」

これはもしかすると、チャンスかもしれない。

「この『天使』は、学園都市を破壊するための兵器。だから、アンタの手で砕きなさい」

「兵器?この女の子が?」

削板は『天使』を数秒だけ眺めて、

「とてもそういう風には見えないぞ」

「馬鹿ね。こういう見た目にするコトで、油断を誘っているの」

「うーん。たとえそうだとしても、女の子に喧嘩を吹っかけるのはあまり根性ある事じゃないしなあ」

「アンタ見なかったの?この『天使』は、学園都市外周に攻撃を仕掛けていた!これは間違いなく兵器だ!」

おかげで学園都市外周に待機していたローマ正教の魔術師は全員リタイアしただろう。

「そう言われるとそうかもしれないな。しゃあねぇ。ここは根性出して、女の子と喧嘩してみるかね」

どうやら少年は渋々とはいえやる気になったらしい。
少年は拳を引いて、

「すごいパーンチ」

ふざけた掛け声とともに、拳が前面に出される。
謎の衝撃波が『天使』に向かうが、

『天使』の背中から生えている『羽』の一本が、衝撃波を明後日の方向に弾き飛ばした。
ドゴン!と弾かれた衝撃波がビルの一つに直撃する。

「おー、すげ――」

削板の言葉は最後まで続かなかった。
超高速で振るわれた『天使』の『羽』の一つが、削板をはたくようにぶっ飛ばしたからだ。
ぶっ飛ばされた削板はビルの一つに減り込み、灰色の煙が巻き上がる。
一方で、望んだ通りの展開になったヴェントは思わず笑っていた。
しかし、その笑みは直後に消える。

「逃げ……て」

弱々しい声は『天使』から。

「わ、たしは……こ、れ……自分じゃ……止められ……ないから……離れ、て……」

コイツは何を言っている。とヴェントが眉を顰めている間に、

「なるほどそういう事か」

煙の中から、額から血を流しつつも悠然としっかりとした足取りで削板が歩いてきた。

「嬢ちゃんは、自分の意思に反して誰かに操られているって事だな。――だったら、オレが根性で止めてやる!」

ドゴン!と砕くような勢いで地面を蹴った削板は、次の瞬間には『天使』の懐に飛び込んでいた。

「ちっとばっか痛ぇかもしれねぇが、根性で耐え抜け!」

削板の拳が『天使』の腹部に突き刺さる。
常人であれば卒倒モノの拳を食らって、しかし『天使』には通じない。
『天使』は削板の腰に抱き付き『光の繭』に包んだ後、爆発させた。
『天使』の攻撃は終わらない。
爆発を食らって膝をつきそうになる削板に『羽』でアッパーして彼の体を舞い上げた後、数本の『羽』でタコ殴りにする。
止めとばかりに『羽』で削板を叩き落として、ダメ押しで『羽』の先端を叩き込んだ。

あれだけの連撃を食らって、さすがに死んだだろうとヴェントは思っていたのだが、煙が晴れると、血まみれながらも少年は健在だった。

「強いな、嬢ちゃん。……オレも、もう少し根性出す」

白ランがどこかへ行ってしまった削板は、先程と同様に拳を引く。

「姉ちゃん。倒れている兄ちゃん拾ってどこかに逃げてくれ」

『天使』は一度引いた『羽』を再び削板に向かって伸ばすが、

「超すごいパーンチ!」

拳が前面に突き出されると同時、先程とは非にならない程の衝撃波が放たれ、伸ばされた『羽』を弾きつつ『天使』へ。
しかし『天使』もこの程度では怯まない。
『天使』は数本の『羽』を使って衝撃波を上に弾き、反撃の光の衝撃波を放つ。
地面を波のように剥がしながら襲い掛かる光の衝撃波に対して、削板は、

「超すごいパーンチ!」

で光の衝撃波を相殺後、数十メートルジャンプする。

「上から超すごいパーンチ!」

上からの衝撃波を、『天使』は『羽』を巧みに使って放射状に衝撃を逃がし、反撃の『羽』を数本伸ばす。
削板は、両腕を振り回して襲い掛かる『羽』を捌く。
やがて着地すると、結局あの姉ちゃんが倒れている兄ちゃんを拾っていない事に気付き、
なおも襲い来る『羽』を掻い潜って彼を拾って、近くのビルを壁から昇って屋上へ。
兄ちゃんはこれまでの戦いで衝撃波をいくらか浴びたはずだが、目立った外傷は倒れていた時と同じ、太股にしかなかった。

「姉ちゃんは大丈夫なのか……?」

ビルから地上を見る限りは、姉ちゃんの姿はない。避難しているといいが。

――それにしても。

『天使』との数度のやり取りで、ここら一帯がボロボロになった。
このまま戦い続ければ、被害は拡大していくかもしれない。
『天使』を止めるために周囲への被害を及ぼすのは、根性がなさすぎる。
だからと言って『天使』を放っておくわけにもいかない。
こんな時、右手に打ち消し能力を宿したあの少年がいたら、と思わず思いを馳せる。

――ま、無い物ねだりしてもしゃあねぇ。

周囲への被害はなるべく少なく『天使』は絶対に止める。
決意して、削板は少年を床に置いて、ビルから飛び降りる。

三組目の能力者狩りを終えて、浜面達は道路を挟んで向かいに止めてあるワゴンに戻る。
浜面が運転席へ、駒場が後部座席に右側から、半蔵が助手席に乗り込むために、左側に回り込んだ直後に、

「――!」

身を潜めていた人影から銃口を向けられた事に気付いた半蔵は、咄嗟に後退する。
パァン!という銃声が木霊する中、

「――逃げろ!駒場のリーダー!浜面!多分、暗部の人間だ!」

半蔵の血相を変えた表情と切羽詰った声を聞いて、浜面と駒場も身を翻す。
そして一歩二歩、三歩目を踏み出した時だった。
ドゴン!と、爆発したワゴンの爆風に煽られて浜面がアスファルトを数回転がった。
半蔵は反射神経と実際に銃弾を避け切った運動能力から、駒場も大きい体躯の割には爆風から逃れていた。

「野郎……自分だって爆発に巻き込まれるのに……」

「奴は特別な装備はしてなかった。多分、あの距離の爆発の衝撃に耐え得る能力があるんだろうよ!」

半蔵は浜面に肩を貸しつつ、どっしりと構えている駒場を見て、

「何突っ立ってんだリーダー!早く逃げようぜ!」

「……暗部の人間に目をつけられた以上……逃げたってどうせ捕捉される。……だから……ここは俺が食い止める」

「奴は多分大能力以上だ!いくらリーダーでも一人じゃ厳しい!ましてやおそらく暗部の人間なのに!」

「駒場舐めんな。よほどトリッキーか空間移動系とかの反則的な能力でなければ、大能力でも何とかなるさ。
 駒場の装備は知ってんだろ?パワーも速度も大能力の『肉体強化』と比べても遜色ねぇよ」

「けどよ。超能力者って可能性だってあるし」

「超能力者って言ったって、根本的に人間である事に変わりはないだろ。
 いずれぶち当たる壁だろうし、ここで暗部の一人ぐらい越えられないのなら、俺達はその程度だったって話だ」

「……グダグダ言い争ってないで……とりあえず二人は逃げろ」

「分かってる。俺達は現時点では足手纏いになるだけだろうからな。けど、準備ができたら助けに入る」

そうして浜面と半蔵はその場から去る。

炎の中から現れたのは一人の少女。
炎の中から出てきたくせに、ニットのワンピースにボブの茶髪、水を弾きそうな肌には、火傷や焦げ跡は一切ない。

「私はあなた――駒場利徳の処分を超任された者ですが、一つ提案があります。――あなた、私達の下部組織に入りませんか?」

突拍子もない提案を聞いて、駒場は自分の耳を疑った。眉を顰める駒場に、少女は、

「いえね。あなたのパーソナルデータを鑑みると、殺すのは少々面倒そうでしてね。
 『処分』というのは、何も息の根を止めるだけを言うのではないんですよ。
 今回の場合は、要はスキルアウトから司令塔であるあなたを超奪えば良いわけでしてね」

「……俺はスキルアウトからは降りない」

「超言っておきますが、あなたを殺すのは面倒でも、あなた以外に手をかけるのは超簡単なんですよ。
 あの浜面とかいうのとか、金髪碧眼の八歳の女の子とか」

「……貴様」

「立場を弁えましたか?でしたら超投降してください」

「……では誰が……無能力者狩りをしている能力者を止める?」

「警備員が超止めてくれるんじゃないですか」

「……止まってないから!俺達が動いている!」

「どれだけ喚こうが、あなたに超与えられた選択肢は二つ。死ぬか、私達の下部組織に入るか」

「……断る!」

駒場が地面を蹴って、少女までの距離数メートルを一瞬で埋めて飛び蹴りを放つ。
辛うじて両腕クロスガードを行えた少女の体は三〇メートルほど吹っ飛ぶが、
姿勢は崩さず足から着地して、火花を散らしながら道路のアスファルトをスライドする。
スライドの焦げ跡をなぞるように、駒場が列車の如く直進する。
少女は一五メートルスライドして止まったところで、足下のアスファルトを殴り砕き、バレーボール大の瓦礫を数個投げつける。

「甘い!」

駒場は、投げつけられた瓦礫を蹴り返し、少女がそれを蜘蛛の巣を払うように捌いている隙に懐に入り込み、側頭部を狙った蹴りを放つ。
少女はその蹴りを、上体を後ろに反らして回避。
追撃の回し蹴りを、反らした上体に逆らわずブリッジからの後方転回で回避する。

「ふん!」

駒場は足下にあったサッカーボール大のアスファルトの瓦礫を蹴って少女の腹へ叩き込む。
少女が瓦礫を受けて吹っ飛んでアスファルトの上を滑っている間にも、
駒場は助走をつけて七メートルもジャンプして、両足を揃えたドロップキックを放つ。
少女はアスファルトの上を転がってドロップキックを回避して、立ち上がる。
その間に駒場が右拳を振り下ろすが、少女は受け止め、追撃の左拳も受け止めた。
駒場としては少女に拳を受け止められた形になったが、構わずそのまま力を込め続ける。

「……これだから戦うのは面倒だったんですよ……!」

「……面倒程度では済まさんさ!」

ふんんんんんん!と唸る駒場は、掴まれている両拳に莫大な力を込めていく。
ベギン!と、少女の足下のアスファルトに亀裂が入る。

「……こ、の、超ゴリラ野郎が、調子に乗ってンじゃねェェェえええええええええええ!」

口調が変わった少女は、外側に拳を払い、前のめりになった駒場の顎に頭突きをぶちかます。
その流れで、仰け反っている駒場の腹部に拳を数発叩き込み、足を払って倒して馬乗りになる。
顔面を殴ろうとする少女に対して、駒場は両腕を敷くが、少女は構わず腕ごと殴る。
グシャゴシャベキ、と痛々しい音が響く。
そこへ、

パン!という銃声がして、少女の肩に銃弾が直撃する。
少女は銃弾の来た方向を見ると、

「駒場のリーダー!腕のガードを解くんだ!」

半蔵と呼ばれていた少年が叫んでいて、駒場が言われた通りにガードを解く。
そして、

少女の後方から迫っていた車が、躊躇なく少女を二〇メートルほど撥ね飛ばした。
車は仰向けの駒場の上をスレスレで走り抜けて、ドリフト気味に急停止する。

「大丈夫か駒場のリーダー!」

半蔵がボロボロの駒場に駆け寄る。

「早く乗れ!奴はまだ生きている!」

少女を撥ねた車に乗っていた浜面は、半蔵達を促す。
半蔵は駒場を後部座席に強引に車に押し込んで、自分も後部座席に乗る。

「よっしゃ!」

浜面はハンドルを回して方向を転換し、少女とは反対方向へ走り去っていった。

「超逃がしましたか……」

熊すら殺せそうな蹴りと銃弾を一発食らい、挙句の果てには車に撥ねられた絹旗だったが、無傷だった。

「……ああ、これは麦野から超折檻ですかね……」

考えただけで気が滅入る。
だからと言って、追いかけるのも面倒くさい。
はっきり言ってヘタな暗部よりは強い。
麦野にすればゴミ同然だろうが、なるほどわざわざ『アイテム』に仕事が回されるだけはあった。
真っ向から倒すのが面倒なら、人質を取るのが常套手段だ。
半蔵とか浜面とかいうのは、駒場と三人一組で行動しているらしいので、まあその二人を狙うのはあまり効率的ではないだろう。
駒場に助けられて懐いた少女、フレメア=セイヴェルンはできれば人質には使いたくない。
『アイテム』のメンバーであるフレンダ=セイヴェルンの妹だからだ。
フレメアを駒場のために人質に使えば、フレンダが『アイテム』を裏切る可能性がある。
その場合、フレンダを粛正する事はあまり難しくないだろうが、
たった四人しかいない『アイテム』の正規メンバーの一人を失うのは芳しくない。
となると、人質に取るのならスキルアウト連中に限られるか。
駒場利徳はスキルアウトとは関係ない無能力者の未来のために、暗部に真っ向勝負を挑んだ程だ。
人質作戦は成立するはずだ。
方針は決まった。

駒場、浜面、半蔵の三人はアジトの一つに帰ってきていた。

「大丈夫かよ、リーダー」

「……ああ。……それより……他の仲間に作戦中止を伝えてほしい」

半蔵は駒場の指示通り、携帯で作戦中止の旨のメールを一斉送信する。

「……いよいよ暗部に目をつけられちまったか」

実感が湧いてきた半蔵が、絶望した調子で呟く。

「……すまねえ。俺が作戦決行しようなんて言っちまったから。なまじ警備員が機能していないからこその暗部投入だろう。
 警備員が正常な時だったら、警備員が止めに来ただけで済んだのに」

「……浜面が謝る必要はない。……最終的にGOサインを出したのは俺だ。
……それに……今回の事で暗部が投入されるのなら……本来の予定通りサーバーダウンさせたとしても……暗部が投入されていたかもしれん」

……何より、と駒場は続けて、

「……奴らのメインターゲットは……俺だからな」

駒場の発言に、半蔵は眉をしかめる。

「おいおい、まさか『俺がいるせいでお前らに迷惑かける』とか水臭い事考えているんじゃないだろうな」

「……そうだ」

「冗談きついぜ、リーダー。迷惑なんてあるわけないだろ」

「……奴は……俺がスキルアウトから離れなければ……人質を取ると言っていた」

「人質?暗部のくせに格下の俺達に回りくどい事を提案するんだな」

半蔵がもっともな事を言うと、駒場は少女とのやり取りを説明した。
真っ向勝負で殺すのは面倒だから下部組織に入れ、と提案されたので断ったら、人質を取る事もできると脅された事を。

「……実際に戦ってみると……奴が面倒くさいと言っていた意味が分かった気がした。
 ……遠距離攻撃はなく……俺とは格闘で戦い……負け惜しみにしか聞こえないだろうが……多少は勝負になっていた」

「奴の能力は『肉体強化』なのか?」

「……おそらく……そうじゃない。……奴自身の身体能力が高まった感じではなかった。
 ……奴に触れた時……奴の体に触れた感じもなかった」

「……正直、リーダーの言っている意味がよく分からないんだが」

「……何か……奴の体を数センチの『膜』が覆っているような……そんな感じだ。……手応えが違うんだ」

「『膜』……奴が何かを纏っているようには見えなかったけど。でも確かに、俺が肩に当てた銃弾は弾かれていたな」

「……俺の予想では……体に大気を纏っているのだと思う。
 ……ただし……ワゴンの爆発を近くで食らっている事を考えると……酸素を纏っているとは考えにくい。

「酸素だとしたら、奴も燃えちまうモンな」

「……ああ。……しかし……空気中の成分を大別すると……窒素が約八割で……酸素が約二割……と考えると……奴は窒素を纏っているのではないか……と思える」

「なるほど。浜面はどう思う?」

半蔵は、ここまでほとんど喋っていない浜面に振ると、

「能力方面の話は、駒場の予想で大体当たっているんじゃないか。
 ただ、俺が気になっているのは、何で奴は半端な行動を取っているのかって事だ」

「言われてみれば、確かにな」

「だろ?待ち伏せできるくらいなら、ワゴンの近くにリモート爆弾でも設置して、
 ある程度離れた所から監視して、俺達が帰ってきたところでスイッチを押せばいい。
 それなのに、わざわざ駒場に交渉すらした」

「……それは……俺も思っていた。
 ……おそらく……こんな俺達でも『できれば』殺さずに能力者狩りを止めたい『理由』があるのだろう。
 ……実際奴は……『要はスキルアウトから司令塔であるあなたを奪えば良い』と言っていた」

「でもよ、確かに奴はガチガチに俺達を殺す気ではなかったかもしれないけど、手加減もなかったよな。
 死角から拳銃ぶっ放して来たり、ワゴン爆発させたり」

「……お前達の助けがなければ……俺もあのまま殺されていただろう」

「その辺がちぐはぐなのは多分、奴が適当なだけだろう」

「適当?」

「ああ。おそらく奴にも『上』の連中がいて、そいつから『なるべく殺さないようにスキルアウトの暴走を止めろ』とでもオーダーされた。
 しかし奴には、その理由が分からなかったし、『なるべく』だから、
 『まあ死んだら死んだでいいや。でもあからさまに殺そうとすると命令違反だしなぁ』と考えてああなった。 
 暗部にいる連中なんて、どうせ頭のネジ五本ぐらい飛んでいるだろうし」

都合が良すぎる解釈な気がするが、仮に浜面の言った事が正しいとして、

「俺達を『なるべく』殺さない理由……」

「それが分かれば、切り札になるとは言えないまでも、『交渉材料』にはなるかもしれないな」

『謎の光』の方があまりに騒がしかったので、『アイテム』のメンバーは『謎の光』から数百メートル離れた地点で下車して、
ひとまず麦野だけが『謎の光』の様子を見に行く事になった。
フレンダと滝壺は路地裏の壁にもたれかかりながら、無言で待機していた。
つまらない、とフレンダは口を尖らせる。

『アイテム』メンバーで集まっても、滝壺は大抵ボーっとしているか、目を開けながら鼻ちょうちんを作って眠っているかだ。
ほとんど、麦野と絹旗と自分の三人で駄弁っている。
滝壺は嫌いではないが、一緒に居て楽しいタイプではない。
もっとも、『アイテム』は仲良しこよしの女の子の集まりではない。
あくまでもビジネスパートナーのため、楽しさなんていらないのかもしれない。
とはいえ、ビジネスでも楽しいに越した事はない。

麦野は多分、自分達の事はビジネスパートナー程度にしか思っていないだろう。
滝壺に関しては『能力者追跡の道具』としか思っていないかもしれない。
絹旗も多分、特別『アイテム』メンバーに思い入れはない。
だけど、メンバーの誰かが危機に陥ったら立ち上がってくれそうな気もする。
滝壺はどうだろう。
せっかく二人きりの機会なので聞いてみようか。

「滝壺は『アイテム』の事、どう思う?」

フレンダの唐突な質問にも、滝壺は即答した。

「好きだよ。私の居場所、ここだけだから」

「……そっかぁ」

「ふれんだは?」

「私も好きだよ。麦野や絹旗、滝壺といると楽しいし」

さすがにこの流れで滝壺の名を出さない程、人でなしではない。

「まあ、でも――」

「でも?」

「――やっぱり、何でもない」

「気になるなあ」

滝壺は小首を傾げてはいるが、自分が言いかけた事の追及はなかった。
と、麦野からメールが送られてきた。
要件は言わずもがな、こっちへ来いとの事。

「行こう、滝壺」

「うん」

まあ、でも――いざとなったら自分可愛さに『アイテム』を裏切る事はあるかもしれないけど。

第七学区の一角。
『天使』――暴走風斬が出現している現場にようやく辿り着いた。
暴走風斬を中心として半径一〇〇メートルは瓦礫の廃墟と化していた。
あの瓦礫の中に、どれだけの人が生き埋めになっているのか。
と、上条は血まみれで倒れている削板を発見した。

「大丈夫か!」

上条は削板に駆け寄って抱き起こす。

「おう、カミジョーか……」

「……まさか、『天使』にやられたのか」

「やられたってわけじゃねぇよ。あの女の子は、誰かに操られているんだろ。
 それをオレの根性が足りずに、戻せなかったってだけだ」

「誰かに操られているって、どうしてそう思ったんだ?」

「『逃げて』『自分ではどうにもならない』って、あの女の子が言ったからさ」

削板がここにいるのは、『騒がしいから』という考えでやってきただけだろう。
詳しい事は知らないから、風斬のセリフから類推して行動しただけだろう。
打ち止めの脳に学習装置でウイルスを打ち込んだから、とかは知らないはずだ。

「軍覇は、『天使』を正気に戻すために戦ってボロボロになったって事か」

「情けないが、そういう事だ」

削板の凄まじいまでのポテンシャルは、暴走御坂を止めるための戦いの時に垣間見ている。
その時だって、化け物じみた電撃や磁力を操る御坂相手にダメージは受けたものの、勝負にはなっていた。
そんな彼が、ここまでボロボロに追い込まれた。
暴走風斬のポテンシャルはどれほどのモノなのか。

「今、俺の仲間が『天使』を正気に戻すために奮闘している。
 俺は、とある人間を探してやってきた。だからお前を病院に運ぶ事は出来ない」

「仲間、か。カミジョーの能力では何ともならないのか」

上条は風斬の方を見る。
背中にはいくつもの羽、腰まで届く茶髪は、一房だけ頭の横で縛って垂らしている。
知的な眼鏡に一切いじっていなさそうな長さのスカートに、青いブレザーと赤いネクタイ。
霧ヶ丘女学院の冬服。頭はがっくりと項垂れていて、半開きの口からは半端に舌が飛び出していた。
見開かれた眼球は上を向いており、どう見ても正常ではない。
極め付けに、頭上には光の輪っか。
綺麗な円盤型ではなく、ギアのように凹凸がある輪っかだ。

「……あいつは、風斬は少し特殊で、端的に言うとAIM拡散力場の塊なんだ。
 俺の右手じゃ、羽に触れた時点で連動して風斬本人も消してしまうかもしれない」

「よく分からんが、カミジョーじゃ無理って事か」

「悔しいが、な。俺には仲間を信じる事しかできない」

「そうか。カミジョーが探しているって人間は誰だ?」

「軍覇が知らない奴だし、詳しい説明している暇もない。
 とりあえず今は、お前の避難が先だ。立てるか?一〇〇メートルでもいいからここから離れて――」

上条の言葉は最後まで続かなかった。肩を貸していた削板を突き飛ばし、自身は横へ跳ぶ。
直後だった。
バガン!と、上条の頭を砕くために飛来してきていたヴェントのハンマーが地面を砕いた。

「せっかく楽にしてやろうと思ったのに」

「何だ。お前もここに来ていたのか」

「アンタよりも早くに、ね」

ヴェントは表面上こそ余裕に見えるが、よく見ると体の『芯』が通っていない。
弱っている人間が強がっているように見える。あの時の吐血は、やはりダメージになっていたのか。
とはいえ、厄介な敵である事に変わりはないだろうが。

「お前はここで何をやっている」

上条が質問すると、ヴェントは風斬を指差して、

「そこの『特大の淫婦』よりも醜く汚れた冒涜の象徴を殺しに来ているだけ」

ヴェントのたとえなど知った事ではないが、言いたい事、やろうとしている事は承服できない。

「風斬はやらせない」

「やらせない?そこの『化け物』は、十字架を掲げるすべての人々を嘲笑う冒涜の塊、存在自体が大罪なのよ。そんな『怪物』は、ここで消すべきだ」

「ふざけんな。冒涜の塊だと?そんな、テメェら側の都合で、友達を殺されてたまるかよ!」

「さっきからカザキリとか友達とか、バッカじゃないの?
 そこらの変態でも受け入れられないだろう、そこの『怪物』に名前を付けて友達だって?
 アンタ、とんでもない変態なのね。さすが日本人」

「普段の風斬を知らないくせに、知ったような口を利くんじゃねぇよ」

「普段のそいつなんか知ったこっちゃないわよ。アレイスターのコトだ。
 無害で役に立たないモノを作るはずがない。そいつには莫大な価値があるってコト。
 つまり、今までアンタが見てきた『普段』の方が、未完成不完全のイレギュラーだってコトだ!」

九月の初めに土御門から聞いた風斬の情報、そして先程の電話から聞いた話を総合して考えると、ヴェントの言っている事は正しいだろう。
だからこそ。

「だからこそ、風斬はやらせない」

「はぁ?」

「お前が言ったんだぞ。統括理事長が無害で役に立たないモノを作るはずがないって。
 そいつは多分正しいよ。だったら、風斬は操られているってだけだ。
 自分の意思に関係なく行動を強制されて、助けすら求める事ができないまま、
 テメェみたいな人間に化け物扱いされて殺されろなんて、認められるわけねぇだろ!」

ヴェントは弱っているみたいだが、未だ健在で強敵である事に変わりはない。
そこに風斬を庇いながら戦う、という条件が加わる。
しかも、操られている以上、風斬は無差別に攻撃を撒き散らす可能性がある。
右手で防ぐと、連動して本体も消してしまうかもしれないため、右手は使えない。
暴走御坂の一撃を受けて崩れたビルの一部に激突しても、額から血を流す程度で済んだ削板ですら、ボコボコにする攻撃だ。
右手以外のガードも無意味だろう。
食らえば即死どころか、直撃した箇所は綺麗さっぱり消し飛ぶ可能性の方が高い。
攻撃が来た場合、避けるしかないわけだが、手数は相当ある。
攻撃の速度も未知数。削板を追い詰める程なので、おそらく相当速い可能性が高い。
気分的には、前門の虎、後門の狼と言った感じだ。
現状、虎は多少弱っていて、狼も完全な敵ではないが、ダメージはこちらも蓄積している。
これほどの悪条件の戦いは、今までなかった。
それでも。

「やらせねぇぞ。風斬も、インデックスも、俺も、学園都市も、何もかも!」

この戦いは、負けられない。

「ここだよ!」

インデックスがとあるビルを指差して言った。
御坂はビルを下から上にかけて眺める。
地面には黒服に包まれた人間の死体が二つあり、上の方に窓ガラスが割れている階がある。
既に一方通行が侵入して暴れているのか。
だとすれば、統括理事会の誰かから情報を奪い取った可能性が高い。
遅かった。

「行こう、みこと!」

「ええ!」

しかし、沈んでいる暇はない。
十中八九、黒服達はビルの中で待機しているだろう。
さっさと蹴散らしてやる。

ビルから落とされたメンバーの処理のために、『猟犬部隊』の人間が数名、ビルから出た。
そこで鉢合わせたのが、常盤台の超電磁砲と謎の純白シスター。
消さなければ。
『猟犬部隊』の数名が手にある銃器の引き金を引くより早く、超電磁砲の電撃が彼らを射貫いた。
その後、倒れた『猟犬部隊』の銃器を、砂鉄を器用に操って切り裂く。

「あーあ。不謹慎だなあ、私」

『猟犬部隊』の人間は、薄れゆく意識の中で、そんな意味不明な超電磁砲の言葉を聞いた。

御坂とインデックスは正面切ってビルから侵入した。
エントランス。
当然ながら黒服達が待ち構えていたが、御坂には場違いと分かっていても感謝の感情があった。

――本当に、不謹慎だなあ、私。

一方通行は、おそらく既に犯罪者。
打ち止めだって救えていない。
魔術師の問題だってある。
何一つ解決していない。
だけど、インデックスの警護を任され、今、まさに、役に立っているのが、堪らなく嬉しい。
今まで少年にはさんざっぱら迷惑をかけてきて、借りばっかり作ってきた。
それを今、返済できている。
その機会を与えてくれた黒服達に、感謝してしまっている。
だから。

「ありがとう。――感謝のしるしに、黒焦げにしてあげるわね」

ぞくり、と言葉を受けた『猟犬部隊』は震え上がった。
感謝のしるしに黒焦げにしてあげる?『感謝』なのに、傷つけられる?
そんなの、矛盾以外の何物でもないではないか。
どういう過程を経れば、感謝から傷つける事につながるのか。
上司の木原数多も大概で、恐怖には耐性があるはずだった。
暗部の人間として、拷問にも屈さない訓練は受けてきた。
なのに、怖い。
だってそうだ。
木原数多は怖いが、雑草を引っこ抜くように人間を殺すという理屈は、まだ分かる。
『命』を軽んじているだけで、『邪魔だから排除する』思考プロセスは普通だ。
しかし、目の前の少女は違う。
感謝しているから黒焦げにする。
そんなの、ある意味で、木原数多をも超越する狂気。
木原数多は言っていた。
超能力者というのは、頭がおかしい。異常者だ。お前らには手に負えない、と。
だから一方通行の追跡は命じられなかった。
木原数多にとって『猟犬部隊』の人間の命は代わりが利く消耗品に過ぎないが、無駄に消費するのは効率的ではないからだ。
ともあれ。
このまま黒焦げにされるのは勘弁な『猟犬部隊』の人間は、銃器の引き金を引く。
しかし、またしても御坂の電撃がそれより前に彼らを射貫いた。

その後も、御坂は速攻でビルの中の『猟犬部隊』を蹂躙していく。

木原数多を殺すために、一方通行は右手を水平に振るって突風を放つ。
ロクに力を集めていないが、それでも人間一人を吹き飛ばすのは余裕だ。

「駄目なんだよなぁ」

ピー!と乾いた音が響いたと思ったら、風は吹き散らされていた。
一方通行が驚きで目を見開いている間に、木原数多が懐に入る。

「何驚いてんだぁ?ガキの浅知恵なんて簡単に対策できんだよぉ!」

木原数多の拳が一方通行の顔面を捉える。鼻血を吹き出しながら、一方通行は後方によろめく。

「クソが……」

「テメェの技は全部封殺されてんだ。大人しくさっさと死ねよ」

「オマエが死ね!」

一方通行は、足で床を一回タップする。
彼の足下のガラスの破片が、木原数多へ扇状に向かう。

「だからよぉ」

木原数多が機械製のグローブを嵌めた左手の甲を前に出す。
甲から木原数多を覆うように縦長の放射状に白いエネルギーのようなものが広がる。
ガラスの破片は、バリアと化した白いエネルギーにぶつかると、跡形もなく溶かされた。

「言っただろ。テメェの技は全部封殺されているってなぁ!」

木原数多は、今度はキックで一方通行を床に倒して、見下ろしながら、

「学習能力ないようだから教えてやる。あらゆる物理は、さっきの光の盾の前では通用しねぇ。
 腐っても第四位の超能力を引用したものだしな」

木原数多は白衣のポケットから、携帯電話を取り出して、ストラップの部分を数回押す。
ピーピー音が鳴る。さっき風を打ち消された時に聞こえた音だ。

「風もコレで通用しねぇ。分かるか?テメェが俺に有効打を与える可能性があるとしたら、光の盾を『反射』で越えられる近接格闘だけだ。
 つっても、テメェのスローな体術じゃ一〇〇年遅ぇだろうがな!」

ギャハハハ!と高笑いする木原数多へ、一方通行は急に起き上がって木原数多の手に嵌めているグローブに手を伸ばす。
グローブを破壊すれば、あのバリアは出せなくなるはずだ。

「だーかーらーよぉ」

二歩。
木原数多は全くの無駄なく二歩だけ後退して一歩通行の手を回避。

「一〇〇年、遅ぇ、つってんだろ!」

まず腹に右拳をぶち込み、左拳でアッパー、止めに回し蹴りで一方通行を壁までぶっ飛ばす。

「なぁ、分かっただろ?遠距離からの物理も、風も効かねぇ。
 万が一俺に攻撃が届く可能性がある体術は天と地の差。
 テメェに勝ち目がないのなんて、幼稚園児でも分かんだろ」

「……せェ」

「あ?」

「……うるせェつってンだよ!」

勝ち目のあるなしじゃない。
これは、何が何でも負けられない戦い。
一方通行は飛び起きて、木原数多へ果敢に向かって行く。

麦野の所に辿り着くと、そこには凄惨な光景が広がっていた。
まるで怪獣が暴れた後のようだった。
そんな荒れた街並みの中に、霧ヶ丘女学院の冬服の光っている女の子が一人。
その女の子の向こうに、ツンツン頭の少年と黄色い服の女性が向かい合って何かを言い合っている。

「麦野、結局これどういう状況?」

フレンダが質問すると、麦野は見てきた事を説明した。
まずナンバーセブンが『光の女の子』と争い、しばらくしてナンバーセブンが倒れた。
間もなくしてツンツン頭の少年がやってきて、ナンバーセブンに肩を貸しているところに、黄色い女が乱入。
現在に至る……らしい。

「街並みが壊れたのはナンバーセブンと『光の女』が争ったせいだね」

「つまり、あの『光の女』は超能力者第七位より強いって訳?」

「だね」

気楽に返事をする麦野だが、それって相当ヤバくね?とフレンダは思う。

「結局、超危ないんじゃないの?」

「お前は絹旗か。……多分、大丈夫よ。こちらから仕掛けない限り反撃もなさそうだから」

「なら、結局どうする訳?」

「『謎の光』の正体は十中八九あれでしょ。滝壺、どう?」

「うん。あれが私の感じたAIM拡散力場だよ」

「という事は、結局あの子は人間じゃないって訳?」

「三六〇度どこからどう見たって人間じゃないでしょ」

滝壺に聞いたのに麦野に答えられた。
まあ確かに、頭には歯車のような輪っかを浮かべ、背中にいくつもの羽を携えているモノに、
あれって人間じゃないの?は愚問だったかもしれないが。

「滝壺、何か影響受けたりとかある?」

「うーん。ない、かなあ」

「そう」

はぁ、と麦野は溜息をつく。
無駄足に終わる可能性の方が高いとは思っていたが、やはり徒労感は拭えない。

「どうするの、麦野」

「どうするって言ったってね。帰るしかないけど……」

当然と言えば当然の疑問なのだが、そもそもあの天使もどきの眼鏡女は何なのだ?
天使もどきのインパクトで忘れがちだが、あのツンツン頭と黄色い女も謎だ。
これは暗部の勘だが、見た感じ、少年は多少の、黄色い女は相当の修羅場を潜っている気がする。
そんな彼らが争う理由は何だ?現状はどうなっている?学園都市で何が起こっている?
ツンツン頭は制服を着ているのでどこかの高校生だろうが、黄色い女は何だ?
あの手に持っているハンマーも気になる。
よく見るとあの女、化粧は濃いしピアスだらけで汚い顔をしてい

「麦野?」

突如として倒れた麦野を、フレンダは思わず抱きかかえる。

「麦野?ちょっと、どうしたの?ねぇ」

軽く揺さぶってみるが、反応がない。
ただ、息も脈もあるし、瞳孔も開いていない。
脳や心臓が死んでいるわけではないらしい。
一体何が起こったのか。
何者かから攻撃を受けたのか。
暗部の自分達に――それも学園都市一八〇万いる能力者の中でも、たったの七人しかいない超能力者、
『原子崩し』(メルトダウナー)の麦野沈利に何も気付かせず昏倒させるなど、尋常ではない。
あえて殺さずに昏倒に留めているのが、逆に底知れなさを感じる。
自分達は一刻も早く避難した方がいいのではないか。
避難しようとしたところで、逃げ切れるのか。

「ふれんだ、むぎのを連れて早く逃げよう」

「……分かってる」

フレンダは滝壺と一緒に麦野を肩で担ぎながら思う。
なぜ自分と滝壺は昏倒させられていないのか。
ただ余裕があるだけなのか。
それとも、何か違う理由があるのか。

――待って。

おそらく敵は遠方から自分達を監視している。
となると、このままアジトへ帰れば、アジトの場所が割れる。
敵の狙いがアジトの居場所を知る事だとしたら。
殺さないのではなく、昏倒させるのが限界なだけの可能性もある。
自分達を昏倒させないのは、単純に麦野一人を昏倒させるので限界だっただけの可能性もある。
このまま真っ直ぐアジトへ戻るのは正しいのか。

「……絹旗をここに呼ぼう」

「どうして?早く逃げないと」

「このまま帰れば、アジトがばれるから」

「そういう時のために、アジトは複数あるんじゃないの」

「ばれないに越した事はないし、アジトに帰ったからって麦野を起こせなきゃ意味ない。
 ここを遠くから監視している麦野を昏倒させた奴をどうにかしないと。
 結局、アジトで袋叩きにされるのが最悪なパターンって訳でしょ?」

「けど、きぬはたは仕事中だし、仮に呼べても事態が好転するとは限らないんじゃ……」

「けど、じゃあどうするのさ……」

「……私、思うんだけど、むぎのが気絶したのって謎の襲撃者の仕業じゃなくて、
 あそこに見えるツンツン頭か黄色い女の人のどちらかなんじゃないかなって」

言われてみれば、麦野が気絶する直前の行動は、彼らをじっと見ていた事だ。
もしかしたら、彼らのどちらかが『自分を見つめた者を気絶させる能力』でもあるのか。
そんな反則的な能力を宿す事などできるのか。
できたとすれば、低く見積もっても大能力者以上、超能力者でもおかしくない。
しかし、そんな超能力者は聞いた事がない。
詳細不明の第二位か第六位がそんな能力で、あの二人のうちのどちらかがそうなのかもしれないが。

――でも、待って。

自分達がここへ来た時も、あの二人を多少は見つめた。
それなのに、自分達は気絶しなかった。
となると、麦野だから気絶したのか。
思考の泥沼にはまっていくフレンダは、思わず黄色い女の方をちらっと見て、

黄色い女の蛇のような眼光を見た瞬間、フレンダは気絶した。

「ふれんだ!」

滝壺は、突如気絶したフレンダを抱きかかえ、視線を感じて黄色い女と目が合い、気絶した。

ヴェントは何の脈絡もなく右を向いた。
上条も、思わずヴェントの視線の先を追う。
数十メートル先のビルの陰に、三人の女の子が倒れている。
ヴェントの『天罰』に引っかかったのかもしれない。
しかし、今は彼女達の事を気にかけている余裕はない。
むしろ、彼女達を本気で助けたいのなら、一刻も早くヴェントを倒すべきだ。
上条は視線をヴェントに戻す。
すると、既に彼女の姿はなかった。

――上か、後ろか。

まずは上を見る。案の定、ヴェントがハンマーで頭を砕こうと降ってくる。
上条は数歩の前進で、ハンマーの打撃はもちろん、余波の岩石もヴェント越しのため回避し、時計回りで裏拳を繰り出す。
裏拳読みで屈んでくると予想して、低めで。
対して、ヴェントが実際に取った行動は、高くジャンプして裏拳を避け、上条から距離を取る事だった。

「はぁ、はぁ。避けるなよチクショウ……楽に殺してやるから、さっさと死になさいよ」

息を切らしながら、あまりにも理不尽な事を言っている。

「クソが……。これだから科学は気持ち悪い!科学なんかを盲信しているアンタも!」

ヴェントがハンマーを振るうと、バランスボール大の風が二つ生み出される。
それぞれ別方向から襲い掛かってくるものかと思えば、数メートル手前の位置でぶつかる。
起こったのはシンプルな爆発ではなかった。
ボッ!とシャワー状に数十の風の錐が炸裂した。
避け切る事は不可能。
上条は右手を振り回して消せるだけ消す。当然、消せるのはたかが数本。
残った数十本の錐の内の数本が、上条の頬を、腕を、腹を、脚を掠める。
直接当たらなかった錐も、地面に直撃して余波を叩きつける。

「ぐ、うぅ……」

「う、おぇぇ!」

思わず膝をつきそうになりながらこらえる上条に対し、ヴェントは吐血して片膝をつく。

「……ようやく分かった。『天使』の出現に合わせて『界』全体に強制的な術的圧迫を加え、魔力の循環不全を引き起こすってコトね」

何を言っているのか理解に苦しむが、魔術を使うとダメージを受けるという事か。
だとしたら、ヴェントが倒れるまで耐えればいいという勝機が見えてくる。
とはいえ、耐えられるかどうかは怪しいし、現時点でも気を抜いたら倒れそうだ。
ヴェントもかなり弱っているようだし、ここで決めに行くしかない。
上条はヴェントの下へ駆け出す。

「近付いてくるな!」

ヴェントは反撃をするのではなく、上条から距離を取る。
ヴェントが向かっているのは、三人の女子が倒れている方向だ。
女子を人質にして無茶な要求をしてくる可能性がある。
それだけは避けなければいけない。
上条は、野球ボール大の石ころをヴェントに向かって正確に蹴り放つ。

「小賢しい!」

ヴェントは石ころをハンマーで弾く。
直後に、二つ目の石ころが脇腹に直撃して思い切り転んだ。
上条は一つ目の石ころを蹴った直後に、二つ目の石ころを拾って投げていたのだ。
ともあれ上条は、ヴェントが転んで悶えている間に、女子三人を庇うように立ち塞がった。

「ク、ソが……。何で見ず知らずの他人を庇うのよ……」

「その見ず知らずの他人を人質にしようとしたのは誰だよ」

「ああいえばこう言いやがって。だったら、見ず知らずの他人を庇って死ね!」

ヴェントはハンマーを振るって風の球体を放つ。
ただし、上条達を直接狙ったものではない。
風の球体の向かった先は上条達の近くのビルだった。
つまり、

砕かれたビルの外壁が、瓦礫となって上条達に降り注いだ。

決意を込めただけで実力差が埋まるなら誰も苦労しない。
一方通行はとにかく攻め続けるも、その悉くが回避され、何度もカウンターを貰い、そのうちにチョーカーのバッテリーが切れた。

「終わったな」

木原数多は老人並みのスペックに落ちた一方通行に暴行を加える。
その時だった。

御坂美琴(オリジナル)と夕方に見た銀髪碧眼の女子がオフィスに入ってきた。

「チッ、何で超電磁砲がここにいるんだぁ、おい」

超能力者の乱入に、木原数多が特別動揺しているようには見えない。
おそらく学習装置を持っているからだ。
学習装置がなければ、打ち止めの頭のウイルスを取り除けない。
学習装置を利用して、無茶な要求をするかもしれない。
ここは引き返してもらった方がいい。

「オリ、ジナル……」

「アンタの言いたい事は分かってる。学習装置を口実に脅すかもって事でしょ。
 大丈夫。最悪学習装置なしのケースを見越した上で、私達はやってきたんだから」

学習装置を口実に殺されたら元も子もない。
学習装置がある事に越した事はないので、半分は強がりだったが、ここはインデックスを信じる。
最悪自分達が失敗しても、カエル顔の医者なら何とかしてくれるだろう。

「どう、やって……救う気だ……」

「雑談はそこまでだ」

木原は倒れている一方通行に蹴りを一発叩き込んで黙らせると、

「強がりにしか聞こえねぇが……万が一って事もあるしな。ここは眠っていてもらおうか」

木原数多は白衣のポケットから小さい懐中電灯のようなものを取り出す。
彼はそれを御坂達へ投げつける。壁にぶつかったそれは、白い煙を撒き散らす。
煙の正体は催涙ガス。御坂はそれをモロに吸って眠りに誘われるが、

「……んん!」

御坂は自分の運動神経に走る電気信号を直接能力で制御する副作用の痛みで、強制的に覚醒状態を維持する。
どういう技術を使っているのか定かではないが、煙はピンポイントで御坂とインデックス付近にしか漂っていなかった。
御坂はインデックスの腰を掴んで煙の範囲外に出る。

「はぁ、はぁ」

インデックスは眠ってしまった。
打ち止めを救うカギになる彼女がこれではまずい。

「起きて!起きて!」

御坂はインデックスの頬をペチペチと叩く。

「参ったなぁ、おい」

その辺の雑魚ならともかく、超能力者を殺すと学園都市は多大な損害を被る。
つまり、殺せない。一方通行は殺す許可を貰っているので問題ないが。
超電磁砲の処理をどうしたものか。
木原数多が悩んでいると、一方通行が後ろから飛びかかってきた。

「うざってぇな」

まるで背中に目でもついているような動きで横に数歩移動して飛びかかりを回避しつつ、一方通行の背中に蹴りを叩き込む。
蹴られた一方通行は御坂達のところに突っ込んでいってもみくちゃになる。

「ア、ンタ……しっかりしなさいよ」

「言われるまでもねェ」

一方通行は無理矢理に体を動かして木原数多に突っ込んでいく。

「ああもう分かったよ。まずはテメェを徹底的に殺す!」

木原数多も迎え撃つ。

「起ーきーなーさーいー!」

御坂はインデックスの体をガクガクと揺さぶる。
すると、

「み、こと?」

「起きた!?」

「私、寝てたの?」

「催涙ガスを吸ったせいで眠ってしまった事が分からないのね。……詳しく説明をしている暇はないわ。打ち止めを救うわよ」

こうしている今も、一方通行は果敢に挑んでは殴られ蹴られ続けている。

「分かったんだよ」

インデックスは事務机の上に寝かされている打ち止めの前に立つ。やはりこの子が全ての『核』で、基本は天使の構築。
形のない『天使の力』を、人のイメージという『袋』に押し込め、シルエットを形作る。
クロウリーも所属していた『黄金』の魔術結社でも行われていた術式。
しかし、ここから先が分からない。
おおまかな全体図は分かっても、それがどんな部品で作られているのかが理解できない。
たとえるなら、木を削ってバイオリンを作っている職人に、電子部品を使ってエレキギターを作ってくれと頼まれたらできないのと同じだ。
先程は、ここまで考えて意識がすぅーっと落ちた。もっとも、ここから先は御坂に頼らなければいけない。

「みこと、『脳波を応用した電子的ネットワーク』って何?」

御坂はインデックスの近くで木原数多を注視しつつ、答える。

「発電能力者達が同一の脳波を使って、電子的なネットワークを構築する事」

御坂にとっては噛み砕いた回答で、学園都市の住人ならこの回答で理解できるのだろう。
しかし、科学音痴のインデックスには理解し難かった。
それでも、ニュアンスぐらいは分かった。インデックスは次の質問を飛ばす。

「『学園都市に蔓延しているAIM拡散力場』っていうのはどういう意味?」

「能力者が無自覚に発してしまう微弱な力のフィールドの事」

途中の解法を理解できていなくとも、正答すれば構わない。

「『脳波を基盤とした電子的ネットワークにおける安全装置』っていうのは?」

「それがその子、打ち止めの事よ」

「らすとおーだー……」

「分かりそう?」

御坂側からしても、インデックスが何をやろうとしている事がさっぱり分からないので不安なのだ。
だからインデックスは、安心させるために答える。

「うん。大丈夫なんだよ」

要は、街中に特殊な力が満ちていて、それを束ねるのが、この女の子。
彼女の精神を縛る事で特殊な力を捻じ曲げて『天使』を作っているだけ。
それなら、彼女の頭の中にある『結び目』を解けば良い。そのための具体的な方法は、

「歌!」

単純な言葉より伝わりやすい。一時間の説教を受けて泣かない人も、一分間の歌で涙を流す事もある。
リズムや音程を使って、多重的に感情をやり取りできるからである。

「歌って……そんなんで大丈夫なの?」

御坂はまだ不安のようだ。無理もない。自分だって、確証はない。
人の精神に干渉する術を持ってはいるが、こういう使い方は初めてだ。
それでも、

「できるよ」

インデックスは、澱みなく答えた。

「祈りは届く。人はそれで救われる。私みたいな修道女は、そうやって教えを広めたんだもん!」

一年以上前の記憶なんてない。
それでも、修道女だった以上、そういう風にやってきたはずなのだ。
そう信じている。

「私達の祈りで救ってみせる!この子も、ひょうかも、とうまも、学園都市も、何もかも!」

「くそ……」

さすがに三人の少女達を庇って瓦礫を被る何て真似は出来なかった。
三人の少女の中から一人、ふわふわ茶髪の少女だけを何とか引っ張り出した。
つまり、残りの二人は瓦礫に押し潰された。
きっと、巻き上がっている煙が晴れたら、瓦礫の隙間から赤黒い液体が見える事だろう。
しかし、落ち込んでいても始まらない。
せめて、このふわふわ茶髪の女子だけでも守り抜かなければならない。
上条はヴェントを見据える。
すると、ヴェントの目が驚愕で見開かれていた。
視線は自分ではなく、そのすぐ後ろの瓦礫に押し潰された少女の方に向けられている。
危険だと分かっていても、上条はヴェントの視線の先を見るため、振り返る。
そこには、

まったくの無傷の、二人の少女がいた。

「なん、だ?」

驚いた上条は、思わず声を漏らしていた。

「何で……何で無傷なのよ!」

ヴェントも怒っているようだ。
そんな二人の視界に、光る鱗粉のようなものが入った。
鱗粉は、まるで雪のように淡く、上から降り注いでいた。
今気付いたが、二人の少女は鱗粉に覆われている。
そしてこの鱗粉の色合いは、どこかで見た。
それもついさっきだ。
この色合いは。

上条は、答え合わせのために風斬を見やる。

「はは……」

上条は思わず笑ってしまった。
答えは正解だったからだ。
風斬は、無数の翼から鱗粉を振りまいていた。

「ははは……」

詳しい理屈や詳細なんて分かりはしない。
けれど、二人の少女が傷ついていない現状を説明するには、風斬が振りまいている鱗粉が守ってくれたとしか考えられない。
きっと、それで合っている。
あんな体にされて、自由を全部奪われても、風斬自身の意思で必死に抵抗して、身を削って最後の一線を守り抜いた。

ゴキンゴキン!とコンクリートを潰すような鈍い音が響く。
音は風斬の方から。おそらく、彼女の勝手な行動を停止させるためのコマンドだ。
風斬のシルエットは崩れ、再生する。
破壊と再生の繰り返しは、延々と相当な激痛と苦しみを伴うであろうに、風斬は鱗粉を止めない。
護る事をやめない。
少しでも不幸な人間を減らすために、決死の覚悟で力を振り絞り、一緒に戦ってくれている!

「良かった」

自分は馬鹿だ。風斬は危険な存在ではなかった。
自分でも守り切れなかった人間を救ってくれた、最っ高の友達だ。

「ありがとう、風斬」

上条は『届いている』と確信して、風斬にお礼を言う。
そして、告げる。

「今、インデックスがお前を助けるために動いてくれている。お前の友達だ。
 絶対に何とかしてくれる。だから、それまでは俺が何とかするから!風斬ももう少しだけ頑張れ!」

一方で上条とヴェントが口論をしている間に、物陰に隠れていた削板は、
ようやく少しは動けるようになったので、上条の背後にいる少女達を担ぎにやってきた。
瓦礫に押し潰された少女を見た時は、体が動かない自分は何て根性なしなんだと思ったが、
一体何が起こったのか、最終的に少女達は無傷だった。
ともあれ、そのおかげでこうして少女達を運びに来られた。
削板は、ピンクジャージの少女を右手に、ベレー帽の少女を左手で持って、背中にふわふわ茶髪の少女を乗っけて、上条の背中に語りかける。

「いまだに何が何だか分かったモンじゃないが、根性で勝ち抜けよ」

「ああ」

力強い返事をもらったのを確認して、削板はひとまず戦場から離れる。

バッテリー切れで能力が使えないとか、そういう問題を超えて、一方通行は徹底的な暴力を浴びた。
大の大人でも、ここまでボコボコにされれば立てないだろうに、一方通行は何度でも立ち上がる。

「はぁ、はぁ。ちくしょう、テメェ……」

単純な疲弊で、木原数多はついに肩で息をし始める。
そんな殺伐としたオフィス内に、穏やかな歌声が流れていた。
打ち止めを思いやる気持ちが、確かに伝わってくる。
きっと、打ち止めは歌声が救ってくれる。
ならば、あとは木原数多を殺すだけ。
とはいえ、このままでは勝てやしない。
だったら、今、ここで、勝てるように変わらなけばいけない。
リセットして、ゼロから始めてでも。
既存のルールはすべて捨てろ。
可能と不可能をもう一度再設定しろ。
目の前にある条件をリスト化し、その壁を取り払え。

「木ィィィ原ァァァあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!」

空間を震わせるような絶叫だった。
そして、

一方通行の背中から、黒い羽が勢いよく噴射した。

「何だ、そりゃあ……」

木原数多は一方通行の能力を開発に携わった事があり、彼の事を知り尽くしている。
だからこそ、反射膜の手前で『引く』事によって殴る蹴るを通した。
単純なトリックであるが、そのコンマゼロ以下のタイミングは、一般人には不可能な域だ。
それだけのレベルで、一方通行の何もかもを知り尽くしている木原数多が、目の前の現実には目を見開くことしかできなかった。
今までの単純な殴打では殺せない。
直感した木原数多は、懐から手榴弾を取り出しピンを抜いて投げつける。
一方通行は、特に回避動作には移らなかった。手榴弾は、一方通行の顔面に直撃して炸裂した。
にもかかわらず、

煙が晴れた後には、何のダメージも受けていない一方通行が突っ立っていた。

「おいおい……」

反射は既に失われているはず。
よって手榴弾が直撃すれば、即死は免れられないはずだ。
一方通行は得体の知れない状態になっているが、煤はついている。
『反射』をしていれば、汚れすらも『反射』するので煤もつかない。
つまり、手榴弾は間違いなく直撃している。
直撃していて一〇秒前と変わらないという事は、手榴弾程度はダメージにならないほど頑丈になっているという事。

「どうなってんだよ……」

狼狽する木原数多の顔面を、一方通行が掴み取った。

「こ、の野郎……!」

一方通行の力は『種類を問わず、あらゆるベクトルを制御化に置く』事にある。
彼がこうして反撃しているのは、この空間内にある何らかの力を利用しているからだろう。
しかしだ。
今の老人並みのスペックしかない一方通行では、まともな演算は出来ないはずだ。
まともな演算ができない以上、そういった力の利用は不可能なはずなのだ。
もっとも、それは科学的に考えての話。
では、それ以外の法則ならば。
オカルト。
イレギュラーの法則に、果たして既存の演算能力の話が通用するのか。

――新たな制御領域の拡大(クリアランス)の取得だと!?こいつ、『自分だけの現実』に何の数値を入力しやがった!?

思い当たる節と言えば。
この学園都市に満ちている力の代表格と言えば。

「AIM……おい、まさか、天使だの何だの、あの力の正体は――」

木原数多の言葉はそこで途切れる。
一方通行が手に力を込めて、鷲掴みしている木原数多の頭をミシミシと唸らせたからだ。
木原数多は、手足をだらりと下げながら、言葉を絞り出す。

「うっ、後ろ、気付いてんのかよ、化け物」

「ihbf殺wq」

ドォッ!と黒い羽の噴射が爆発的に増す。
掌から噴き出した説明不能の不可視の力が、木原数多を砕けた窓から外へ放り出す。
木原数多の体は音速の数十倍の速度で夜空を掻っ切り、プラズマ化によるオレンジ色の残像を引いた。

ヴェントの攻撃はだいぶキレが落ちていて、何とか対処できるレベルになっていた。
現在、魔術を使うとダメージを受けるようになっているらしいので、ヴェントがここぞという時にしか強い魔術を使えない事も手伝っていた。
しかし、機動力ではヴェントの方が上。こちらの攻撃もまったく届かず、攻め切る事はできなかった。
しばらくは拮抗した攻防が続いた。
やがて、

「はぁ、はぁ」

「ふぅ、ふぅ」

上条、ヴェント、両者とも片膝をついて息を切らしていた。
お互い、あとワンアクションが限界。
数メートルの距離で、二人は睨み合う。

「頑張るわね……」

「……そりゃお前の方だろ」

「当たり前でしょ。目の前に虫唾が走るほど不快なモノが転がっているんだ。アンタだって不快なモノが目の前にあったら耐えられないでしょ」

「お前にとっては不快でも、俺にとっては大切なんだ。大切なモノが奪われようとしているんだ。守るために頑張るに決まってんだろ」

「私だってそうだ!大切な弟が科学に殺されたから!こうしてここまでやってきた!」

ヴェントはいきなりヒステリックに喚き出した。

「弟が殺された?」

「そうだ!遊園地のアトラクションの試運転で、幼い私と弟は揃ってぐちゃぐちゃになった!
 誤作動を起こしたせいでね!何重もの安全装置、最新の計量強化素材、全自動速度管理プログラム!
 そんな頼もしい単語がずらずらと並んでいたのに、実際には何の役にも立たなかった!」

「……」

「そうして運ばれた病院には、私と弟、二人分の血はなかった。私達姉弟の血は、B型のRh-で、病理学的に珍しいモノだったから。
 方々に連絡しても一人分しか集まらなくて、最終的に、どちらか一人しか救えないってコトになった。
 そして私だけが生き残った!お姉ちゃんを助けてくださいって!そう言ったあの子は、そのまま見殺しにされたのよ!」

ヴェントの怒りは収まらない。

「科学は私達の道を奪い、その上、救いの術だと思っていた聖書さえ、こうして冒涜で塗り潰されようとしている!
 所詮、科学の本質なんてそんなモンよ!人の邪魔しかしない!だから私は、科学が嫌いで科学が憎い!
 科学なんてモノはぶち壊して、もっと温かい法則で世界を満たす!それが弟の未来を食い潰した私の義務だーっ!」

ヴェントの叫びは、大地を震わせたのではないかと錯覚させるほどだった。
それほどまでに、彼女は弟を死なせた事を悔いている。
自分のせいで死んでしまったと思い込んでいる。
彼女にとって一番の敵は、おそらく科学ではなく自分自身だ。
その手で守ろうとした者を守り切れず、のうのうと自分だけが生きている現実だ。
天罰術式。
自分に敵意を向けた者を、問答無用で昏倒させる魔術。
一見、とても便利な能力で、実際こと戦闘においてなら絶大な効力を発揮するだろうが、それには前提条件が必要となる。
天罰術式を発動させるには、敵意を浴び続けるように振る舞わなければいけない。
そのような環境に身を置かなければならない。
ヴェントは、全世界の人間から恨まれる人生を選んだ。
死んだ弟のために、そこまでしている以上、その覚悟は並大抵ではないだろう。
だが、

「そいつは間違っているよ」

一言で、上条はヴェントの生き方を否定する。
他人の人生を否定する。
それがどれだけ重大な事かを自覚しつつ、上条は続ける。

「医者は、二人とも助けたかったに決まっている。
 事故が起きたアトラクションの方だって、笑顔を作りたかったに決まっている。『殺した』なんて言葉は的外れだ」

「的外れだと?だったら、自分に置き換えて考えてみるといい。
 アンタの大切な人が、私と同じような境遇で死んだら、アンタはそいつらを恨まないのか!?」

「恨まない、なんて断言はできない。いいや、きっと、恨むだろう。
 けどな、復讐なんて道には絶対に走らない!そんな事したって何の意味もないから!」

「だったら、恨みを抱えて生きていくのか!?」

「ああ。復讐なんて誰の何の得にもならない事なんて、絶対にしない。
 きっと、死にかけていたお前の弟も、お前の幸せだけを願っていた!復讐なんてしてほしいとは思わなかったはずだ!」

「アンタに弟の何が分かる!?」

「ならお前は、自分が死にかけている状況で、それでもなお肉親のためにそいつを助けてって言っている奴が、本当に復讐を望んでいると思うのかよ!?」

「たった一〇歳にも満たない子供が、死にかけて意識が朦朧の状態で、目の前に傷ついた肉親がいて!
 そんな状態で決断しろと言われたら!誰でも首を縦に振ってしまうわ!
 それは何の価値もない子供の意見!血が足りなければ弟の方に回せば良かったのに!
 何なら私の血を使ってしまっても良かったのに!」

「価値ならあっただろ」

ヴェントを見据えて、上条は言葉を放つ。

「たとえ子供の意見だったとしても、弟の決断があったから、お前は今もこうして生きているんだろ!
 だったら価値はあったんだ!そしてのその価値は、お前が一番分かっていなきゃいけないんだよ!」

「そんな言葉が慰めになるか!?私は他人の未来を食ったのよ!」

「全く同じ境遇の人間に、今の一言を叫べるのかよ!?」

「ッ!」

ついにヴェントが言葉を詰まらせる。

「俺にはできない。だから言う。お前の生き方、やり方は間違っていると!」

「ふざけるな!私が決めた道を、そうそう簡単に捻じ曲げられてたまるか!」

大体、とヴェントは続けて、

「さっきアンタ、復讐なんて誰の何の得もないコトって言ったけど、そんなコトない!間違いなく私のためになる!」

先程までは弟のために復讐するみたいな言い方だったが、結局、蓋を開けてみれば、自分のためだ。
復讐なんて、身勝手な自己満足でしかない。

「お前のためになる、か。そうかもしれないけど、お前が満足するために皆が殺されるなんて、たまったモンじゃない。
 弟を失った悲しみでこんな事をしているのなら、大切なモノを失う痛みは分かっているんだろ?
 その痛みを分かっているお前が、他人にその痛みを与えるのはアリなのかよ?」

「その痛みを他人にも味わってもらうのが復讐ってモンでしょうが」

「お前さ、『自分だけが』って思っちゃいないか?辛い事の一つや二つ、皆抱えて生きている。
 それでも、どっかで泣いても、前へ進んでいるんだ。それなのにお前、何やってんだよ」

「何それ?皆も何か辛いコトを抱えているけど我慢しているから我慢しろってコト?
 嫌よ。そんな同調圧力で押し留まるなんて、日本人だけがやってりゃ良い。
 皆が我慢しているからって私は止まらない。私が納得する為にも!」

「分かった。じゃあ、もういい。俺は殴ってでもお前を止める。
 お前に虚しいだけの復讐なんてしてほしいくないから!何より、俺が大切に思っている領域を守るためにも!」

しかし、両者とも体力は既に限界。
最後の攻防が始まる。

「アンタなんかに……止められてたまるかあーっ!」

ヴェントは数十メートルジャンプして、風の塊を下に放った。
風の塊は地面に着弾後、竜巻となって地面を砕き、岩石を舞い上げる。
舞い上がった大量の岩石は、ヴェントの目の前へ。

「これで……死ねぇぇぇぇぇええええええええええええええええええええええええええ!」

ヴェントがハンマーを横に薙ぎ、大量の岩石が上条に向かって放たれた。
地上の上条から見れば、隕石の如く降り注ぐ岩石群。
上条は上着に手をかけて――上条を中心として半径一五メートルに大量の岩石が降り注いだ。

眠いので寝ます
続きは起きたら投下します

あと、リアルの方で就活やらテストやらあるので、今後はさらに更新が遅くなります
それでも、スレを落とさないために月一で投下しますが、かなり少なくなります

岩石の供給が途絶える――つまり竜巻が消えるまでの一分間、舞い上げられる岩石を放ち続けた。
ヴェントは着地後、血を吐いて片膝をつきながら、眼前に広がる光景を見て笑った。
二メートル程度だが、岩山ができていた。
ぐちゃぐちゃに潰れていてもおかしくないし、運良く辛うじて生きていても、あの岩山を脱出できず死んでいくだろう。
勝った。潰してやった。生意気なコトを言うガキを殺してやった。
残りはあの堕天使以下の化け物。
ヴェントは風斬の方を見て――風斬の方から、バレーボール大の光の玉が放たれた。
ヴェントは一瞬、回避動作に移ろうとして、やめた。
光の玉が自分を狙ったものではないと判断できたからだ。
光の玉は、岩山の方へ向かって行って、ごく小規模な爆発を起こし、岩山を少しだけ削り取った。
なおも二、三の光の玉が放たれ、同様に岩山を削り取った。
まさか、と思う。
まさかあの化け物は、少年が生きていると信じて、岩山ごと吹き飛ばさないように、小威力の攻撃で慎重に岩山を削り取っているのか。
ヴェントが呆然としている間にも、岩山は着々と削り取られ――ついにその瞬間が訪れた。
独特の甲高い音が聞こえたことで、ヴェントは我に返った。
彼女は音源――ほとんど削り取られた岩山の方を見て――岩山の隙間から右手が飛び出しているのが見えた。

「もういいぞ。風斬」

しっかりとした少年の声。
の後に、残っていた岩山がガラガラと音を立てて崩れ出す。
灰色の煙が巻き上がり、しっかりと二本足で立つ少年のシルエットが見える。
なぜだ。
少年の身体能力を考えると、序盤の岩石群は何とか避けて、中盤以降の岩石群は、
序盤に落ちてきた大き目な岩石の下に潜り込むなどして辛うじて生き残るのはまだ分かる。
しかし、あんなにピンピンしていそうなのは、いくらなんでもおかしい。
一体どんなトリックを使ったのだ。
疑問に思っている間に煙が晴れる。
少年の上着がなくなっていた。
いや、よく見ると少年の左手に上着がある。クッションに上着を使ったのかもしれない。
だとしても、そんなのは気休めにしかならないだろう。
せいぜいが、ザラザラの岩肌に皮膚を削り取られるのを防ぐくらいが関の山なはずだ。
少なくとも、あんな元気に岩石群をやり過ごせるわけがない。

「……しぶといわね」

「風斬のおかげだよ」

上条はボロボロの上着を投げ捨てる。その上着にキラキラとしたものが見えた。

「まさか……それ……」

「風斬の粒子」

少女を壁の瓦礫から守り抜いた光の粒子。

「けどそれは、アンタの右手で消えるはずじゃ……」

「俺は少しでも岩石を受ける衝撃を和らげるために、上着を被った。
 風斬の粒子は上着を覆ってくれたのであって、右手には触れちゃいない」

「なるほどね……」

「――いくぞ!」

上条が勢いよく駆け出す。
ヴェントも迎え撃つためにハンマーを持って地面を蹴る。

「「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」」

二つの叫びが重なる。
上条の右拳が、突き出されたハンマーの先端を正確に射貫いた。
ハンマーは跡形もなく砕け散るが、先端部分を覆っていた有刺鉄線はわずかに滞空する。
右拳はそのままの勢いで滞空していた有刺鉄線の塊を殴り飛ばす。

「――っ!」

右拳の皮膚を削られた事で顔を苦痛に歪める上条の鳩尾に、ハンマーを砕かれた直後に屈んでいたヴェントが手刀を突き入れた。

「ぐ……おぁ……!」

ヴェントの手刀はわずかながらに風を纏っており、上条の鳩尾に食い込むどころか、突き刺さっていた。
突き刺さったと言っても中指の第一関節程度なのだが、それでも相当な激痛だ。
上条は唇の端から血を垂らしながらも、突き入れられた手首をしっかりと掴んだ。

「……ようやく、捕まえたぜ……!」

「っ……放せ!」

ヴェントは刺さっている手の方で上条の鳩尾をぐりぐり掻き回しつつ、空いている方の手で風を纏った手刀を、喉を狙って放つ。
それを上条は右手でキャッチして、ヴェントの足を払って一緒に倒れた。
ヴェントが下敷きで仰向けに、上条が馬乗りをするような状態になった。
その際に突き刺さっていた方の手刀が鳩尾から抜けて、そこから血が流れる。
上条はそんな状況でも、ヴェントに追撃を仕掛けなかった。

「……何のつもり」

「何が」

「何で私を殴り殺さないのよ!」

「殺す気なんて初めからない」

「だったら何のつもりだ」

「お前を止めるつもりだ。何せお前の科学への憎しみは勘違いなんだから」

「知ったような口を利くな。私がここまでにどれだけ人生を費やしてきたか、アンタには分かんないでしょ。
 私のこれまでのすべてを、『勘違い』の一言で済ませられてたまるか」

「実際勘違いなんだから仕方ない」

「だから!仕方ないで済ませようとするな!殺す覚悟もないのなら黙って殺されろ!他人様の人生を、気軽に踏みにじるな!」

ヴェントの激昂を真正面から受けて、上条は首を左右に振って、

「駄目だよ。お前のこれまでの努力を、人生を踏みにじる事になるかもしれないけど、駄目なんだ。
 これからの人生を無駄にしないためにも、その要求は受け入れられない」

「これからの人生が無駄になるかどうかは私が決めるコトだ」

「お前の弟は、お前に幸せになってほしかったはずだ。だったら、復讐に人生を捧げる事なんてないだろ」

「復讐が私の幸せだ」

「幸せの形は一つじゃない。復讐だけが幸せって事はないだろ。こんな、お前も皆も何もかも傷つくのが、幸せなわけがないだろ」

「私を傷つけたのはアンタらでしょ」

「お前が攻めてきたからだろ。お前が普通に暮らしていたら、こんな事にはならなかった」

「どこまでも屁理屈を……!」

ヴェントがついに歯噛みして言葉を詰まらせる間に、上条は告げる。

「幸せの形は一つじゃない。と言っても、これからどうすればいいか分からないだろう。
 幸せを見つけるのは大変かもしれない。けど、俺も協力する。俺ができる範囲で、お前が幸せになれるように全力でサポートする。
 だから、頼むから復讐なんてやめてくれ」

懇願する上条に、ヴェントは涙目になって、

「何で……何でアンタはそこまで……私に構うのよ……!」

ヴェントは思う。
学園都市に侵入して、やりたい放題やって、自分を殺そうとした相手に、何でこんな言葉がかけられるのか。
そりゃあ、今までも弟のエピソードを聞いて同情する奴はいた。
復讐なんてやめろという奴もいた。
けれど、そいつらは自分が少し力や覚悟を見せつければ黙った。
にもかかわらず、この少年は決して折れない。
親友とか、家族でもないのに。赤の他人なのに。
殺せば簡単なのに、あくまでも言葉で解決しようとする。

「だって、悲しすぎる」

上条は切なげな表情になって、

「『天罰』のために他人から拒絶されるように生きて、人並みの幸せを味わう事も出来ずに、こんなにボロボロになって……。
 見てられないんだよ。お前を憎しみの呪縛から解き放ちたいんだ」

「く、うぅ、あぁ……」

ついにヴェントは涙を流した。
自分もボロボロのくせに、ボロボロにした本人を相手にここまで言える少年に、もう敵わなかった。
だって、分かってしまったから。
少年が自身の大切な領域を守るために、自分を止めるためだけの方便を並べ立てているわけではなく、
復讐を止めようとする自分に酔いしれているわけでもなく、心から自分に幸せになってほしいと思っているのが。
ここまで外道に堕ちた自分の人生を否定するだけでなく、復讐以外の道を見つけるために全力でサポートするとまで言ってくれた。

「ああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!」

感情の堰が切れて、ヴェントは声をあげて泣き叫んだ。
上条はそれを見て、ヴェントの上から退いて、彼女の横で大の字に仰向けになった。
いつの間にやら、雨は止んでいた。

バチャ、バチャと水たまりの上を歩く音が聞こえた。
こちらへ近付いて来るのが分かる。
仰向けに倒れているので空しか見えず、誰が何の目的で近付いているのか知らないが、とても救助とは思えなかった。
まったくの第三者が興味本位で近付いているとも思えなかった。
どうしても、新たなる襲撃者としか考えられなかった。
もう、戦える余力なんてない。
逃げるしかない。

上条は無理矢理体を動かして、ヴェントを左手で抱えて逃走を試みる。
しかし、

「待つのである」

誰かに肩を引っ張られて、そのまま地面に背中から倒された。
思わずヴェントを手放してしまい、彼女は地面を転がって呻いた。
そんな彼女を、青い長袖シャツの上に白い半袖シャツを重ね着した筋肉質の男が拾って小脇で抱えた。

「ヴェントを放せ」

「無理である」

男を無視して、上条はヴェントの手を掴む。

「放すのである」

「こっちのセリフだ」

「ヴェントをどうするつもりであるか?」

「できれば幸せにしてやりたいと思っている。お前の素性は知らないが、お前に明け渡すのが幸せに繋がるとは思えない。
 だから取り返そうとしている」

もっとも、素性は知らないと言っても見当は大体ついているが。
魔術師。それも同胞のローマ正教の、だろう。

「ここでヴェントを放したとして、科学サイドに捕縛されれば間違いなく処刑だがな」

「させねぇよ、そんな事」

一瞬の間もあけずに、上条は宣言する。

「分かったら、ヴェントを返せ」

「返せときたか。元々は我々『神の右席』のメンバーなのであるが」

「だったら寄越せ」

「めちゃくちゃな事を言うのであるな。しかし無理な話である。ヴェントには莫大な価値がある。『天罰』と言うな」

直後だった。
ぶちり、と肉を裂くような嫌な音が聞こえた。
音源はヴェントの方から。
一体何だ、と上条はヴェントを見つめる。
ヴェントは、掴まれている上条の右手に十字架を触れさせた。
ガラスが割れるような甲高い音と共に、十字架が砕け散る。

「……まさか、『天罰』の十字架を幻想殺しに触れさせたのであるか」

ヴェントは舌についていた十字架を鎖ごと引きちぎって、上条の右手に触れさせたのだ。

「という事は、ヴェントに価値はなくなった。お前らには必要なくなった。ヴェントを放せ」

「……そうか。そこまでだったのであるか。仕方ない」

男はヴェントを手放す。
ゆっくりと置いたわけではなくそのまま手放したので、ヴェントは地面に落ちて呻く。

「貴様の言う通り、ヴェントに価値はなくなった。好きにすると良いのである」

茶色の髪に白い肌の男は、背を向けて数歩歩いて、地面を蹴って視界から外れた。
上方向に行ったのでジャンプしたのだろうが、上を見た時には男の姿はなかった。

学園都市から数キロ離れた地点で、とある会話が行われていた。

「ヴェントがやられた。『天使』に学園都市の外周部に待機させていた別働隊もほぼ壊滅状態となった。
 我々の被害が七割を超えたため、上条当麻の追撃および学園都市の攻略は一時中断する。事前に貴様から提示された状況対処方法一覧にある通りである」

『ん?ヴェントの回収はしていないのですか?』

「『天罰』は幻想殺しに破壊された。何より、ヴェント自身が折れた」

『あのヴェントが折れた、ですか』

「そうだ。よって回収も諦めた次第である」

『まあ、ヴェントの性質「神の火」(ウリエル)あっての「天罰」、そして「天罰」あってこそのヴェント。
 我々の性質上、各々に調整された魔術以外は一切使えない。ヴェントにも「天罰」の霊装にも戦略的な価値はなくなった。
 それは分かりました。肝心なのは「折れた」というのがどこまでなのか。
 単純に今までの覚悟が消えて「神の右席」には使えない一般人レベルに堕ちただけなのか、ローマ正教から改宗しそうなレベルなのか。
 前者なら科学サイドの処刑から救わないといけませんし、後者なら我々の情報漏洩防止のために抹殺しなければいけません。
 どっちみち、回収せずに生かしておくという選択肢はあり得ませんねー』

「おそらく前者だが、上条当麻が処刑はさせないと言っていた」

『彼にそれほどの権限があるのですかー?』

「分からんが、今のヴェントを上条当麻から引き離すのは酷だと思ったのである。それに、『天使』から攻撃される可能性もあった」

あの『天使』は操られているようだったが、自らの意思で動いている節があった。
少なくとも上条当麻を守るためのアクションをした。
あの『天使』がヴェントを上条当麻の仲間になったと認識したら、という考えもあった。
『天使』は真正面からでは厳しすぎる相手だ。

『ヴェントを気遣っての事ですか。まあそこは現場に出た人の判断ですかねー。
 情報に関しては、既に捕縛されたリドヴィア=ロレンツェッティやビアージオ=ブゾーニから多少は漏れるでしょうし、
 七割を超える被害が出たら撤退しろとしたのも私ですし、仕方ありませんかねー』

もっとも、修道女のリドヴィアや司教のビアージオと『神の右席』のヴェントでは、情報量が違う。
リドヴィアやビアージオもそれなりのポジションのため、『神の右席』の枠組みやメンバーの名前、思想の断片ぐらいは掴んでいるかもしれない。
しかし、たとえば今、携帯で電話をしている茶髪に白い肌、
筋肉質な体に青のスラックスのズボンの後方のアックアの性質や具体的に行使する魔術、
電話越しの男、左方のテッラに対応する『天使の力』や容姿、性格などは知り得ない。
同じ『神の右席』のメンバーであるヴェントだからこそ知り得る情報が漏れる可能性もある。
それでもテッラがここまで軽薄なのは、仮に情報が漏れても問題ないという余裕の表れか。

「次はどう出る?何なら引き返して上条当麻の右腕とアレイスターを斬り捨てて来ても構わんが」

「やめておきましょう。潰すだけなら簡単ですが、どうも利用価値があるのですよ。
 たとえば、あの「堕天使」とか。倒すべき敵と残しておきたいものの仕分けをしておきたいのですよ。
 今やってしまうのは、博物館の中で戦闘を始めてしまうようなものです」

「戦場での略奪行為は賛同しかねるぞ」

『ははぁ。元騎士らしい発想ですねー。貴族様の口はお上品だ。出てくる言葉が違います』

「騎士ではない。傭兵崩れのごろつきである」

『戦場でのモラルを重視するごろつきねー。ま、ともあれさっさと引き返してください。
 「右方のフィアンマ」からの指示でもあるので』

「了解した」

アックアは通話を終了して、学園都市の方を一度だけ振り返った。
敵の事情にさえ胸を痛め、あまつさえ『幸せにしたい』とまで綺麗事をのたまった少年の顔を思い出しながら、彼は呟く。

「果たして、学園都市は貴様が思っているほど貧弱なのかね。左方のテッラ」

風斬の羽がすべて消えた。
インデックスがやってくれたようだった。
操り人形の糸が切れたように風斬が膝から崩れ落ちる中、上条はヴェントをおんぶしながらゆっくりと風斬に近付いていく。

「風斬……」

風斬はだいぶ消耗しているようで、ゆっくりとした動きで上半身だけを起こす。

「大丈夫か。どっか痛む所とかあるか。大丈夫なら、あとでインデックスに会いに行こう」

上条も、もうかなり限界なのでヴェントをゆっくりと置いてから、地べたに胡坐をかく。

「だめ、ですよ」

「え?」

「街が壊れたのも、あなたを含めいろんな人が傷ついたのも、全部、私のせいなのに。私だけが無傷なんて、おかしいでしょう!」

悲痛な叫びは続く。

「結局、私って何なんですか!?皆と一緒に居られない!少しでも近づけば壊してしまう!
 なら、何で私は生まれたんですか!AIM拡散力場に支えられているだけのくせに!能力者の人達の力でやっと存在している化け物なのに!」

風斬は、心を痛めている。
痛めるだけの心と優しさを持ち合わせている。
何が化け物だ。これほど人間らしい少女なんて滅多にいない。

「せっかくあの子に『友達』って言ってもらって、それで少しは人間らしくなれたと思ったのに!
 もう嫌です!私を殴って全部終わりにしてください!」

風斬は自分の右手の力を理解しているはずだ。
殴られたらどうなるか、分かっていて頼んでいるのだろう。

「そのお願いは受け入れられない。俺は、自分の体にどうして幻想殺しが宿っているかは知らない。
 だけど、少なくとも『友達』を消すためのモノじゃない。
 自分の『友達』を消してしまうぐらいなら、そんな右手はぶち切った方がマシだ」

「何を、言って……」

「俺はお前の言っている事の方がめちゃくちゃだと思うけどな。
 お前は自分の意思で誰かを傷つけ、何かを破壊したわけじゃない。操られていただけだろ。
 もちろん、操られていたからって何もかも許されるわけじゃないかもしれない。
 けど、お前はそんな中でも抗い、鱗粉で見ず知らずの少女や俺を救ってくれた。
 それは、お前の思い浮かべている『人間』とは違うのか。お前の中の『人間』は、それでもまだ足りないのか」

風斬は、俯いて何も言わなかった。
上条の言葉だけが続く。

「少なくとも俺は、お前の事を凄いと思っている。だからさ、そんなに落ち込むなよ。
 少女や俺を救った事は誇って良いんだ。胸を張って、インデックスに会おう」

ぐすっ、と鼻をすする音が聞こえた。
風斬はもう大丈夫だろう。
そう思って安心した直後に、上条は疲労から意識を失って倒れた。

「ちょっと、私を処刑させないとか幸せにするとか啖呵切ったくせにそのザマは何なのよ」

ヴェントは倒れた上条に往復ビンタをかまして無理矢理起こす。その状況を見て風斬はあたふたするが、何も言えない。

「……悪い。もう動けない」

「動けなくても電話くらいかけられるでしょ。私が処刑されないように融通が利く病院にでも電話かけてよ。
 処刑させないってぐらいなんだから、それぐらいのコネはあるんでしょ」

まあ、冥土帰しならほぼ確実に受け入れてくれるはずだ。上条は携帯を取り出す。
今更ではあるが、学園都市製だからか、それとも元々携帯とは頑丈なものなのか、
数々の戦闘を経て、時にはアドリア海に沈んでも正常に動く携帯には、もはや愛着が湧く。
ともあれ、冥土帰しの病院に電話をかけようとした、その時だった。

バゴン!と、上条達の間近に削板が着地した。着地した際に巻き上がる土煙で、上条達は咳き込む。

「あ、悪い悪い。女子達は彼女達の知り合いという連中に回収してもらったから、こっちきた。どうやらすべて丸く収まったようで何より」

「ごほっ、ごほっ。大丈夫か、それ。あの子達を強姦目的でさらったとかないか」

「ないさ。連中は女子達の部下だろうから」

「部下?」

「あいつらは汚いコトをやっている連中で、あいつらを回収した奴らはパシりってコトでしょ」

「あの子達は暗部とでも言いたいのか?」

「直感だけどね。ま、私の『天罰』を食らって倒れたけど」

そうか。あの時ヴェントが唐突に横を向いたのは、『天罰』に引っかかったのを感知したからか。

「多分そうだ。女子達は暗部だ」

「いいのかよ。暗部に引き渡しちまっても」

「暗部ってのは、褒めれらたモンじゃないとは思う。けど、そんな掃き溜めでも女子達にとっては立派な『居場所』なはずだ。
 その『居場所』を奪うなんて根性なしな真似、オレには出来ない。もっとも、女子達が悪さしているのを見かけたら、全力で根性出して止めるがな」

削板には削板なりの考えがあった。
ぶっちゃけその判断が合っているのか間違っているのか分からないが、今はそこに拘泥している場合でもない。

「なるほど。それじゃあお願いなんだけど、軍覇には俺を運んでほしい。ヴェントは風斬に。風斬、お願いできるか?」

「あ、はい」

「待ってよ。私はこの眼鏡女に運ばれるのは嫌よ。そんなコトになるぐらいなら、自分で歩く」

ヴェントは宗教的観点から見て風斬を異様に嫌っていたのを失念していた。
とはいえ、化け物などの罵倒をしなかっただけ、多少は心変わりしたのかもしれない。

「歩くって言ったって……」

結局ヴェントには外傷はほぼない。せいぜい石ころを当てたぐらいだ。しかし内側からボロボロに消耗したはずだ。
まともに歩く事ができるかどうかは疑問だし、歩くより風斬や削板が圧倒的に早いのは明白だ。どう考えたって運んでもらった方がいい。

「んじゃあ、オレが姉ちゃんを運んで、眼鏡の嬢ちゃんがカミジョーを運べばいいんじゃないか」

「万が一右手が触れる事を考えると、それもできな、い……」

上条の言葉が尻すぼみになったのは、ヴェントが着ている服の袖をちぎって、上条の右手に巻き付けたからだ。

「これで大丈夫でしょ」

何て事はない。要は右手と風斬の間に『異能ではないモノ』を挟み込めばいいだけ。
ヴェントのハンマーのグリップ部分や、上着により鱗粉の恩恵を受けたのと同じ理屈だ。

「ほら、早く行くわよ」

ヴェントは削板の背中に飛び乗って、上条と風斬を促す。

「それじゃあ、お願いする」

「は、はい」

風斬におんぶしてもらうと、温かくて柔らかくて、ほのかに甘い良い匂いがした。人間と比べても何の遜色もないと思う。

「レッツゴー!」

ヴェントの号令と共に、削板と風斬が地面を蹴った。まるで母のような温もりに包まれた上条は、高速移動中にもかかわらず寝息を立て始めた。

一方通行はうつ伏せに倒れ、歌い終えたインデックスも倒れた。
自分以外が倒れている状況に、御坂はあたふたする。
どうする。
打ち止めは一刻も早く病院に運びたい。
一分一秒が惜しい。
この後、新たな暗部の連中が来るかもしれないし、救急車を悠長に待つ気にはなれない。
しかし、気絶した人間三人を運ぶのはさすがに厳しい。
まず打ち止めを運ぶのは確定として、インデックスを取るか、一方通行を取るか。
インデックスは『歩く教会』とかいう超丈夫な修道服を着ているが、そんなの脱がされてしまえば終わりだ。
他方で、一方通行もバッテリーが切れているようなので、彼も丸腰同然。
迷うが、少年に頼まれたし魔術の存在は機密事項だ。どちらかと言えばインデックス優先か。

「……ごめん、一方通行。必ず戻ってくるから、少しの間待ってて!」

御坂は打ち止めとインデックスを抱えて、窓からジャンプで飛び出す。

一方通行は倒れたものの、意識はあった。
御坂が勝手に気絶したと勘違いしていたのだ。
とはいえ、指一本動かせないどころか声すら出せなかったので、どの道荷物にしかならなかっただろうが。

外にはもう羽が見えない。
本当にあの歌で打ち止めの頭の中のウイルスをどうにかしたらしい。
と、

『こんばんは。一方通行』

滑らかで穏やかな男の声だった。直接脳に届いていた。足音などは感知できなかった。
自分がボロボロだからか、彼が足音を立てずにこの空間にやってきたのかは定かではない。
また、一方通行は窓側を向いて倒れているため、声だけで姿は見えなかった。
一方通行は力を振りしぼって、せめて仰向けになって首を下に向けて姿を視認しようとするが、
『天使』がいなくなった事で光源が消滅し、オフィスは真っ暗で結局姿は見えなかった。

『精神感応系能力者を介して脳内で考えた事を直接やり取りできます。声を出す必要はありません』

『どォせ暗部だろォから、誰だなンて聞かねェ。何の用だ』

『面倒なので単刀直入に言いますね。我々と行動を共にしていただきたい』

『何でだ』

『学園都市は、ここが正念場です。下手をすると「落ち」ます。我々はこれに抗いたいので、貴方という特記戦力が欲しい。
 学園都市が完全に消えた場合、能力者に居場所はあるのか、またその他の技術についても』

現状、自分や打ち止めが学園都市の外には居場所がないだろう。
あったら、脳にダメージを受けた時点で外に出ている。
どれだけ醜かろうが、今はこの街を破壊されるわけにはいかない。

『一つだけ教えろ』

『何でしょう』

『今回の事件の首謀者は、統括理事長か?』

『回答するのは構いませんが、私の回答で貴方は納得できますか?』

『御託はイイから答えろ』

『さあ。私は末端ですから。ここに来ているのも「命令」があったからですし。
 理事長が黒幕かもしれませんし、違う人が黒幕かもしれません。
 もっとも、仮に理事長が黒幕だとしても、理事長を殺せば学園都市の運営は著しく滞り、待っているのは破滅。
 そう考えると、理事長が黒幕だとしてもそうでないとしても、貴方には何もできないと思いますが』

『……そォだな』

『では、もうよろしいですか』

『好きにしろ』

『良い返事です。では、どうぞよろしく、新人さん』

その言葉を皮切りに、一方通行の意識はすぅーっと落ちていった。

絹旗は下部組織の連中から催涙ガスを発注するも、実際にやってきた下部組織は催涙ガスを持ってこなかったどころか、
スキルアウトのリーダーを処分するオーダーの取り消しを言ってきた。
今回は『上』の命令にかなり振り回された気がするが、文句を言って何かが改善するわけでもなし、まあだるかったし、取り消しに関してはそこまで不満はない。
麦野達が向かった方の『謎の光』は、いつの間にか消えている。
絹旗は迎えに来た下部組織の車の中で揺られながら、考える。
今回のオーダー、『駒場利徳を「処分」せよ。ただし他のスキルアウトにはなるべく手を出すな』という事について。
麦野の能力『原子崩し』は、本来『粒子』又は『波形』のどちらかの性質を状況に応じて示す電子を、
その二つの中間である『曖昧なまま』の状態に固定し、強制的に操る事ができる。
操った電子を白く輝く光線として放出し、絶大なる破壊を撒き散らす。
要はビームをぶっ放すので、スキルアウトを難なく殺してしまう。
滝壺は、戦闘力は皆無に近いし、フレンダの武器は爆弾なので、やはりスキルアウトを殺してしまう。
結局、アイテムの中で丁度よくスキルアウトを牽制できるのは自分しかいないから、このオーダーをやらざるを得なかった。
それはさておき、なぜスキルアウト連中はなるべく殺さない方針なのか。
連絡係の女に聞いても、私も知らないの一点張り。
不可解ではあった。
もっとも、何の予測も付けられないわけではない。
余程の事じゃない限り、『人材』を失うのは、常識的に考えて良い事ではない。
スキルアウトの潜在人数は一万人。一八〇万分の一万、つまり一八〇分の一。
些細な数字と切り捨てるレベルではあっても、誤差の範囲内とまでは言い切れない。
学園都市は、学生がいる事で成り立つシステムだ。
少子化が進んでいる昨今、学園都市に入学してくる学生だって少なくなっていくだろう。
そんな中で、学生を殺すのは芳しくない。
ただ、それだけでは理由として弱い気もする。
個人的に『誤差の範囲』と言うには、一〇〇〇分の一や万分の一が当てはまると思うが、人によっては、一八〇分の一でも誤差の範囲と言い切る人もいるだろう。
そして学園都市は、一八〇分の一なら誤差の範囲と言い切る気がする。
となると、他にも理由がある。
スキルアウトと言えば、学園都市のヒエラルキーでは最下層に位置するが、それでも立派な能力者ではある。
能力などほとんど使えず、学園都市外の完全な一般人とは目に見える違いがなくても、
能力開発を受けているかどうかで、目に見えないところでは全然違うのだ。
知識もそうだが、最も違うのは能力者かどうかの違いだろう。
能力者というだけで、周囲にAIM拡散力場を放つ事になる。
AIM拡散力場については、いまだに全容が分かっていない。
もしも、AIM拡散力場に莫大な価値があるとしたら。

「はぁ……」

絹旗は思わずため息をつく。
スキルアウトはなるべく殺すな。『謎の光』の出現に消滅。
学園都市には、自分の知らないところで陰謀や思惑が渦巻いていて、自分はそれに利用されるだけ。
暗部の人間と言ったって、他の住人より闇を知っているだけで、利用される立場に変わりはない。
むしろ一般人の方が、いろんな意味で平和で幸せだろう。
闇を知っているし、大能力者だから、技術漏洩防止のために学園都市の外へ引っ越す事もできない。
『暗闇の五月計画』に巻き込まれた時点で、暗部以外の道を閉ざされ、逃げる事も出来ず、
このまま学園都市に使い潰されていくしかない人生。
自分が弱いだけだろうか。
甘えているだけなのだろうか。
このままでいいのか。
自問自答しても、答えはいつも同じ。
良くないけど、どうしようもない。
憂鬱な絹旗は、後部座席の窓に頭を預けながら、ただただ無言で車に揺られていた。

暗部連中は『駒場以外はなるべく殺すな』とオーダーされていると仮定して。
では、なるべく殺さない理由とは何か。
自分達スキルアウトは、学園都市では最底辺を生きる。
価値なんてないはずだ。
にもかかわらず、なるべく生かそうとするのは、こんな自分達でも何らかの価値があるからではないか。
では、何らかの価値とは何か。
学園都市の『外』にいる一般人と比べて、自分達は能力者という違いがある。
しかしその能力は無能力。目に見える現象を起こす事すらできない。
となると、能力者であること自体に、価値が存在するのかもしれない。
能力者であれば、たとえ無能力者でもAIM拡散力場を放つ。
AIM拡散力場に価値があるとすれば、なるべく殺さないのも頷ける。

「AIM拡散力場に価値がある……これが『暗部』との交渉材料に成り得るかね」

「ないよりはマシ、ってところかもしれないが、まあ、ないよりはマシだから」

「……次は……ボブカットの襲撃者の対策を練ろう」

「体表面に窒素を数センチ纏っている、って仮定だけど、だったら、半蔵が纏っている窒素ごと一発首をコキャっと捻ってやればいいんじゃないか」

「簡単に言うけどな、暗部の人間がそう簡単に隙を見せるかよ。言っとくけど、一回でも襲撃が失敗したら、俺は降りるからな」

半蔵は、今は凋落した忍者の末裔である服部家の子孫で、超有名な忍者である『服部半蔵』の名を継ぐもの。らしい。
五月の下旬に、郭という派手派手くノ一とのやり取りで判明した事実だ。
しかし、半蔵はその事を言っていなかった。
という事は、忍者である事をあまりばらしたくないのだと判断して、半蔵にはあえて聞かなかった。
代わりに、忍者についていろいろ調べた。
忍者とは、標的は最初の一撃で殺す。それに失敗したら、速やかに逃走するのがセオリーらしい。
半蔵が慎重な言動や行動が多いのは、根底に忍者の性質が染みついているからだろう。

「もちろん、それでいいさ」

「……待ってくれ。……殺すよりも捕まえて人質にする方がいいんじゃないか」

「まあ暗部の事だから、ヘマやらかした奴は容赦なく殺しそうだけど。ないよりはマシだろうな」

「……じゃあ……そういう方向性で行くか」

逆境にも屈さず、スキルアウト達の夜は更ける。

垣根帝督は『スクール』のアジトのベッドの上で目を覚ました。

「チッ……」

どういう能力かは知らないが、結局あの女に気絶させられた。
そのうえ殺されもしなかった。
だからこそ、おそらくは下部組織の連中が自分を回収してここまで運んできた。
それはそれとして、一体なぜ殺さなかったのか。

「……まあ、いいか」

殺さなかった理由を考えるのはやめた。
そんなものは、再開した時に聞けばいい。
まずは、あの女を調べる事からだ。



一方、『アイテム』のアジトでも下部組織のメンバーに回収された麦野、フレンダ、滝壺の三名が目を覚ました。
多少の時を経て、彼女達も垣根と同様の結論に至る。
ただし、彼女達はプラスアルファ、ツンツン頭の少年の事も調べる事にした。

冥土帰しは椅子に座りながら、受話器を通してある人間と会話していた。

「アレイスター、君はいつまで一方通行や打ち止めを使い回すつもりなんだい?」

『さあな。それよりも、最後まで保ってくれるかどうかの方が懸念されている。
 ベクトル制御装置にAIM拡散力場の数値設定を入力する作業は終えた所だが……もう片方の完成度が今一つでな。
 一方通行、最終信号、風斬氷華で三位一体とする方法もあるのだが、それでは甘い』

「僕の患者をおもちゃにするのはやめてもらいたいんだ」

『聞かなかったらどうする。いや、何ができる』

「分かっているさ。僕だって、ここまで力をつけた君に何ができるのか、分かっている。
 けれどね、それでも、あの子達は僕の患者なんだ。そして僕は医者なんだ。
 君が何者であれ、ここを曲げる事は出来ない」

真っ暗な診察室の中で宣言する冥土帰しに、アレイスターはただただ黙っていた。

「僕の覚悟がどれほどのものか分かるだろう?かつて僕に命を救われた君ならば」

冥土帰しもアレイスターも、しばらく何も言わなかった。
しばらく続いた沈黙を破ったのは、アレイスターだった。

「イギリスの片田舎で、死にかけていた私の命を繋ぎ止め、英国という国家から匿い、
 生命維持装置を与え、日本で学園都市という仕組みを作る手伝いをしてくれたのは、すべて貴方だった」

冥土帰しは、感謝されるために医者をやっているわけではない。
それなのに、アレイスターを止めるためとはいえ恩を売るような物言いをして、感謝されて、顔をしかめるしかなかった。

『後悔しているか』

「本気で尋ねているのかい?」

『遠隔操作で生命維持装置を止めるなら、今しかないぞ』

「僕を馬鹿にするのならいい加減にしてほしい」

『そうか』

アレイスターは、小さく笑ったようだった。

『私は、そう言ってくれた貴方をも敵に回さなければならないのだな』

「……どうしても、止まれないのかい?」

『貴方は私の理由を知っているはずだ。私はもう止まれない。そんな段階は過ぎている』

冥土帰しは、もう何も言えなかった。
その間に、アレイスターは言った。

『お別れだ、優しい優しい私の敵』

それで、通話は切れた。
最後の繋がりが消失し、あとには電子音だけしか残らなかった。
冥土帰しは、三〇秒は固まっていた。
我に返って、受話器を置いて、思う。

――忘れていないかい、アレイスター。君だって、僕の患者の一人だという事を。

この日、学園都市は正式に魔術集団の存在を肯定した。
学園都市の外――ローマ正教には『魔術』というコードネームを冠する科学的超能力開発機関があり、
そこから攻撃を受けたのだという報告書をまとめ、その日の内に世界各国のニュース番組で取り上げられた。
一方、ローマ正教は学園都市の内部で『天使』の存在を確認。
十字教の宗教的教義に反する冒涜的な研究が行われているとして、ローマ教皇自らが学園都市を非難した。
お互い一切譲らず、むしろ争いが激化するのを望んでいるかのようにさえ見えた。

争いが、始まるかもしれなかった。
学園都市とローマ正教の正面対立。
そこから波及して、世界で三度目になる大戦に繋がる可能性すら。

終わりです
次は一か月以内に来ます
予告はなしです

>>730のかなり少なくなるというのは、投下量が少なくなるという意味です

結果としてはオーライなんだが、完全に危機的な状況にある打ち止めよりインデックスを優先したのは違和感がある

>>1です
>>749
上条がって事ですよね
一応、打ち止め救出には御坂と一方通行も動いている、一〇〇三二号の後押し、
そもそも上条の中での優先度がインデックス>打ち止めという理屈はありますが、
違和感あると言われたら反論する材料は特にありません
今後はもっと違和感が少なくなるよう努力します

少しですが投下します

一〇月一日。九時三〇分。
上条当麻は例の如く真っ白な病室で目を覚ました。
ただ、いつもと違うのは、顔に包帯をぐるぐる巻かれている人間が、同じ布団の中で寝ている事だ。
手を見る限り、女性かもしれない。
一体何がどうなっているのか。
ナースコールで冥土帰しを呼ぶしかないな、と上条はナースコールボタンを押す。



冥土帰しが来て、開口一番尋ねる。

「あの、この方は誰なんですか?」

「ヴェントさんだね?名前と血液型とここの住人ではない以外の詳細は僕も知らない」

「ヴェントが何で俺のベッドで寝ているんですか?そもそも、この顔の包帯は?」

「彼女の顔面中に刺さっていたピアスを抜いたのさ。次に目を覚ました時にはもうその包帯は外していいけどね。
 なぜ彼女が君のベッドで寝ているかと言うと、彼女が君とずっと一緒に居たいというものだからね?
 僕は患者に必要なモノは何でも揃えるのがポリシーだから、こういう形になったわけだ。
 まあ、君の許可を取っていないけど、どうせ良いだろう?」

「ま、まあ……」

「僕はなぜ彼女が君と一緒に居たがっているか、本人からは聞いていないけど、こういう場合、相場は決まっているね?」

「何ですか?」

「しばらく人の温もりや優しさに触れずに生きてきて、人肌恋しい時さ」

そうか。
ヴェントは今まで『天罰』という術式のために、ずっと孤独だったはずだ。
その反動が、こうした形で表れているのかもしれない。
さらに言えば、もしかすると弟と自分を重ね合わせているのかもしれない。

「だからまあ、できれば彼女と一緒に居てやってほしい」

「分かりました。風斬や軍覇はどうなりましたか?」

「削板君も入院させたが、あの調子だと三日後には退院できるね?風斬さんは、インデックスさんの面倒を見ているね?」

「インデックス!?あいつも入院したんですか?じゃあ御坂も!?打ち止めも!?」

「まあまあ落ち着いて。インデックスさんは衰弱しただけで、目立った外傷はないよ。
 この一日でほぼ回復して、今では病院食を食べすぎてナースを困らせているぐらいさ。
 御坂さんはほぼ無傷で元気だ。打ち止めは弱っているけど、命に別状はない」

「良かった」

インデックスはヴェントに散々いたぶられた上に、『天罰』を半端に食らった。
その上、打ち止めを救うためにいろいろしたのだろう。
だから疲れて倒れただけで、物理的なダメージがあったわけではないらしい。
あとで御坂にお礼を言って、いろいろ話を聞こう。

「これ、今のうちに渡しておくね」

冥土帰しは上条に免許証サイズのカードを渡す。

「ヴェントさんのIDだね」

「こ、これ、どうやって?」

「言ったはずだよ。僕は患者に必要なモノなら何でも揃えると」

そうやって具体的な事は何一つ言わず、冥土帰しは病室を後にした。
改めて、冥土帰しはいろんな意味で凄いと思う上条だった。

その後、目を覚ましたヴェントと一緒に病院食を食べて。

「先生がさ、その包帯取って良いって言っていたぞ」

「だから?」

「取らないのか?」

「取ってほしい?」

何の駆け引きだよ、と思いつつも答える。

「取ってほしい」

「分かった」

彼女は顔の包帯に手をかけて、少しずつ取っていく。
やがて、包帯のヴェールの中から現れた素顔は、

「……」

思わず無言で見惚れてしまうほど綺麗だった。
くすんだショートの金髪に、吸い込まれそうなほど澄んだ青い瞳、整った顔立ち。白い肌。
女性は化粧で顔が劇的に変わる人もいるが、ヴェントも良い意味でそうだったらしい。

「な、何か言いなさいよ。無言で見つめるな、恥ずかしい」

「綺麗だよ。すごく綺麗だ」

「……アリガト。素直に嬉しい」

何だろう。
つい昨日この女性と戦っていたのが信じられない。

「と、ところで、『天罰』は破壊されて、もう皆は目覚めているのか?」

「何を今更。当たり前でしょ」

「そ、そっか」

「もう私には、ほとんど力はない。だから、ピンチになったら守ってね?」

「そのつもりだ」

上条はベッドに横たわって天井を眺めながら、考える。
これからしばらくはヴェントとも一緒に暮らす事になるのだろうが、さすがに学生寮で三人暮らしはきつい。
というか、経済的にも苦しい。
インデックスは一応保護の形なので、イギリス清教から援助してもらえているが、
ヴェントはイギリス清教から見れば敵なので、そこから援助はないだろう。
インデックスを養う大義名分として引き落とす援助額を増やせばいいかもしれないが、
急激に増やすと、何でいきなりこんな増えた、となるかもしれない。
インデックスもそうだが、ヴェントも魔術組織から狙われやすい存在だろう。
いや、ヴェントに至っては科学サイドの連中からも狙われかねない。
彼女達を守るためにも、バイトもしたくない。
どうしたものか。
と、ヴェントが自分の顔をじぃーっと眺めている事に気付いた上条は、

「そんな見つめられても困る」

「どうして困るの?」

「その……照れる」

「……カワイイ」

「……御坂に電話かけてくる!」

慣れない空気に、上条は病院に設置されている公衆電話に向かおうとする。

「私も行く」

ヴェントもついてくる事になった。

御坂に直接会ってお礼をする約束を取り付け、再び個室に戻る最中。

「一学生のアナタじゃ私と禁書目録を養うは大変だと思う。そこで提案なんだけど、アナタ、イギリス清教の知り合いとかいるでしょ?
 そいつを通して『神の右席』の情報を渡すコトで、報酬を貰えないかって思うんだけど」

ヴェントの発言は二つの意味で驚いた。
言葉遣いが柔らかくなっているのと、経済的な問題の事を考えていた事。

「なるほど」

となると、土御門を介するか。
いや、それだと彼がスパイである事がばれてしまう。
他に、イギリス清教の知り合いはいても、連絡先は知らない。
土御門に連絡先を教えてもらえば良いだろうか。
そもそも報酬を貰えるかどうかも怪しいが。
上条が頭を悩ませていると、それを察したヴェントは、

「もしかして、連絡先知らないとか?」

「……はい」

「んじゃあ、何とかして養って」

「はい」



いつ消えてしまうか分からない。
また消えてしまう前に謝りにいかなければ。
風斬はそう考えて、削板の病室を訪ねる。

「あ、あの、ごめんなさい!」

風斬は腰を九〇度曲げて謝罪した。

「待ってくれよ、嬢ちゃん。嬢ちゃんは操られていただけなんだろ?だったら、謝る必要なんてないさ」

「で、でも」

「嬢ちゃん、もしも本当に申し訳ないと思っているのなら、今度は根性発揮して操られるな。それだけ約束してくれ」

「は、はい」

「わざわざありがとう」

「は、はい!では、失礼しました」

恐縮しすぎている風斬に、削板は苦笑する。
風斬が病室を後にすると、削板は物思いに耽る。
あの金髪の兄ちゃんも、暗部だったのかもしれない。
姉ちゃん――もといヴェントを運ぶ時にビルの屋上に寄ってみたが、彼の姿はなかった。
あの状況でビルの屋上に気絶している男を運ぶのなんて、暗部にしかできない気がする。
それはそれとして、今度嬢ちゃんが万が一暴走した時には、止められるぐらい強くなっていなければ。
退院したら、修行でもしよう。

『アイテム』は、黄色い女性とツンツン頭の少年について調べた。
結論から言うと、少年についてはいろいろと分かったが、黄色い女性については何も分からなかった。
少年は、名を上条当麻と言い、平凡な高校に優秀な成績による学費免除で通っている。ただし、超能力自体は無能力者だった。
学園都市の暗部の情報網をもってすれば、学園都市内の事なら大抵分かる。少年の事が大体分かったように。
つまり、『分からない』という結論が出た場合は、九割方学園都市外の話と言っていい。
九月三〇日、学園都市にいる大量の警備員が気絶させられ、都市が機能不全に陥った事、統括理事会のメンバーが四人殺された事、
現在、学園都市が『魔術』というコードネームを冠する超能力を操る宗教団体の存在を認め糾弾している事から、
あの黄色い女性は宗教団体からの刺客、侵略者(インベーダー)だったと考えられる。
となると、上条当麻はその侵略者から学園都市を守ろうとした、と考えられる。
ここで一つ、分からない事が出てくる。
第三者という可能性は否めないが、黄色い女性が侵略者だったのなら、麦野達を気絶させたのは彼女の可能性が高い。
では、そんな彼女に相対する少年は、なぜ気絶しなかったのか。

「そもそも、気絶の条件って何だったのかな?」

第三学区にある、とあるビルのVIP用個室サロンの、四人で座れるテーブル席に座っている滝壺が言う。
確かに、問答無用で気絶させられなかった以上、何らかの条件があると考えられる。
少年はその条件に当てはまらなかったから気絶しなかった。
『アイテム』ですら気絶させられたのに、少年が気絶しなかった事を説明するには、それしかない。

「けど、黄色い女……面倒だから『イエロー』と呼ぶか。
 おそらくイエローは侵略者で、統括理事会のメンバーを四人潰した。
 何でそんな事が出来たかと言うと、大量の警備員を気絶させたから。
 そんでもって私達も気絶させられた。この事から、イエローは性別年齢国籍能力者非能力者関係なく、誰でも気絶させるんだろうね」

滝壺の真向いに座っている麦野の見解の後に、麦野の左隣に座っているフレンダが続く。

「結局、私は睨まれて気絶しちゃった訳よ。麦野や滝壺は?」

「私は特に何もされていないのに気絶した」

「私はふれんだと同じ、睨まれて気絶した」

ふむふむ、とフレンダは頷きながら、

「という事は、睨まれたから気絶した訳じゃない。私としては、見つめていたから説を挙げるけど」

フレンダの見解に、麦野が即座に反論する。

「見つめるも睨まれたからもないわね。街中の警備員が倒れたのよ。イエローがいちいち警備員の前に躍り出たと思う?
 そもそも、それだと上条当麻が気絶しなかった理屈が説明できないでしょ」

「警備員はイエローの手配写真を回して姿を見たんじゃない?
 気絶のトリガーはイエローを見つめた時間。それだったら単独でも大規模に人間を気絶させる事は可能だし、
 私とふれんだとむぎのが倒れたのにタイムラグが生じた事も、きぬはたが倒れなかった事も説明できる」

「だから、それだとイエローと何かを言い合っていた上条当麻が気絶しなかったのはおかしいでしょ」

「あ、そっか」

滝壺の天然ボケが炸裂した後も、視覚じゃないなら嗅覚や聴覚、もしかしたら精神に干渉する能力じゃないかとか、
そもそも超能力じゃなくて得体の知れない科学技術じゃないかとか、様々な議論が交わされたが、
どれもこれも近場にいた上条当麻が気絶しなかった説明がつかず、議論は停滞を迎えた。
しばらくの沈黙から、やがて口を開いたのは、滝壺の右隣に座っている絹旗だった。

「私が思うに、気絶のトリガーの正解は、これまでのどれかにあります」

九月三〇日、絹旗はスキルアウトリーダー駒場の処分に駆り出されていた。
そのためイエローについては、当日下部組織に運ばれて帰ってきた麦野達から聞いたのと、
その後に調べたのと、これまでの議論の情報しかない。だから今まで黙っていた。

「そして上条当麻は、それに当てはまっていなかったわけではないと思います」

絹旗が何を言いたいのか分からず、麦野が眉を顰め、滝壺が首を傾げ、
フレンダが興味津々そうにする中、絹旗は告げる。

「トリガーに当てはまっても上条当麻が気絶しなかったのは、彼に超理由がある。
 つまり、上条当麻に『能力を無効化する能力』がある、というのは考えられませんか?」

「絹旗……C級映画の見すぎね」

「いや、待って麦野」

絹旗の突拍子もない意見を一蹴する麦野に、フレンダが待ったをかける。

「学園都市の都市伝説で、『能力を打ち消す男』っていうのがある。それが上条当麻って言う可能性もあるかもしれない訳よ」

「フレンダ……アンタ都市伝説とか信じてんの?」

麦野は呆れて額に手を当てて首を振る。

「大体、私達を気絶させる能力を打ち消すほどの能力なら、無能力判定じゃないでしょ。
 それにイエローの能力を無効化するなら、私達が気絶したのは何でよ?」

ここでまた絹旗が意見を発する。

「上条当麻の無効化は、干渉系ではなく受身系なんでしょう。
 火を出す能力者が相手なら、放出された火を打ち消すことは出来ても、
 そもそも火を出させないのは超無理って感じなんじゃないですかね。
 そんでもって、そんな風に能力者にしか機能しない能力だから超無能力者判定。
 能力者の段階には一応定義がありますが、受け身で能力を消す事しかできないのなら、低能力者の定義にすら当てはまりません」

始めは少し馬鹿にしていたが、絹旗の言い分なら上条当麻が気絶しなかった説明がつく。

「多分、きぬはたが言っている事で当たってるよ。これですっきりしたね」

滝壺はそう言ってテーブルに突っ伏すと、五秒で寝息を立て始めた。

「無効化能力、ね」

こうして学園都市が健在している以上、少年はイエローを退けたはずだ。
少年は表の世界の人間だから、殺したかまでは不明だが、少なくとも撃退はしたはずだ。
超能力は一人一つまでしか宿せない。
イエローにとっては、『気絶させる』という切り札が通じなかったら、ただの少年に勝てなくともおかしくはないかもしれない。

「すっきりしないわね」

イエローにはリベンジしたかったのに、もうできない事。
仮にリベンジする機会があったとしても、おそらく自分では勝てない事に、ぽつりと呟いた麦野はイラつく。

「……そう言えば絹旗、駒場を処分できなかったオ・シ・オ・キまだしていなかったわね」

「……えーっと」

九月三〇日は麦野達が気絶させられたという事もあって、なんやかんやで有耶無耶になっていた事実を掘り返されて、
絹旗は内心焦りまくるも、特に言い訳の言葉が思いつかない。

「オ・シ・オ・キ・か・く・て・い・ね」

「超嫌だーっ!」

一目散に個室サロンから脱出する絹旗を、麦野が追いかけていく。
このドタバタ騒ぎでも、滝壺は健やかに眠っている。
そして取り残されたフレンダは、

「また滝壺と二人きり……」

絹旗がお仕置きされる様は面白いだろうが、追いかけていってお仕置きに巻き込まれる可能性は否めない。
そう考えると、ここに残り続けるしかない。
つまらない、とフレンダはがっくり項垂れた。

今回はこれで終わりです
次回の更新は2月22日か3月3日です

>>1です
このSSでは上条以外のキャラも強化されている人が何人かいます
ステイルのルーンは最初からラミネートされていて、
原作だとシェリーはエリス頼りのイメージですが、多少は格闘もできたり、
アニェーゼも、二対一でも蓮の杖を存分に使い上条と五和を翻弄し、
浜面も勉強はできませんが、所々で頭は回りますし、
木原数多もバッテリー切れで能力が使えなくなった一方通行にも余裕で対処しています
木原数多が能力切れ一方通行に対処できた事に関しては、このSSの一方通行は原作より弱体化が軽減されている、
つまり原作のように本能で戦っている感じではなく根性で戦っているので「一方通行らしさ」が残っているというのもあります
それで絹旗ついてなのですが、正直な話特別強化したつもりはありませんでした
ですが、考えてみると自動車に撥ねられて無傷はやりすぎたかもしれません

今後についてなのですが、今回はSS1巻のイギリス清教女子寮、それから上条と姫神と吹寄の問答から14巻の導入まで投下しようと思います
今回投下分に出るサーシャの口調は、新約8巻準拠になります
一方通行とスキルアウトについては、15巻再構成で

一〇月四日。
結局、ヴェントを無理なく養うメドが立たないまま、退院する。
私服の上条と修道服のインデックスとパーカーにジーンズのヴェントが、病院の正面玄関から外に出る。
すると、一人の男が仁王立ちしていた。

「土御門」

「よう、カミやん。ちょっと内緒話したいから付き合えよ」

このタイミングで内緒話というからには、十中八九ヴェントの処遇についてだろう。
土御門には、こうしてヴェントと一緒に居る経緯は教えていないが、まあ彼の立場なら知っていてもおかしくない。
こうして目の前に現れたという事は、己の立場についてバレても構わないと思っているのだろうか。

「分かった」

とりあえず返事をする。

「まあ、立ち話も疲れるし、公園にでも行こうぜい」

とある公園。
屋根付きで、木製のテーブル一つとベンチが複数並んでいる食卓のような東屋に、
インデックス、上条、ヴェントが並んで座り、土御門が上条の真向かいに座る。

「オレは土御門元春。イギリス清教から学園都市へ派遣されたスパイだ」

なるほど、どうやら土御門は多重ではなくイギリス清教のスパイという事にするらしい。

「で、お前に残されている選択肢は二つ。ロンドンのイギリス清教の女子寮に入るか、処刑塔に幽閉されるか」

「待ってくれ。ヴェントは学園都市で俺が守りたい。そのために、イギリス清教からの援助とか」

「ロレンツェッティとブゾーニからはどこまで聞き出した?」

上条を遮ってまで口を出したヴェントの声色は、少しだけ真摯なものになっていた。

「『天使の中には「神」が紛れ込んでいる』という思想の元、人間を縛り付ける『原罪』を消去し『天使』となるための法を求めている。
 神の『右側』――つまり対等に至るという目的を組織名として掲げている。
 最終目標は、神と同等の立場が得られる神の『右席』に座り、その力をもって更に別の存在『神上』に至る事。
 メンバーは『神の火』に対応する前方のヴェント、他にも後方、左方、右方、それぞれ『神の力』、
 『神の薬』(ラファエル)、『神の如き者』に対応するメンバーがいるだろう。と、ここまでだ」

「へぇ。まさか対応する『天使』まで知っているとはね」

「お前が前方で、対応する『天使』が『神の火』だったから、そこから当てはめて考えていっただけだろう」

「それもそうか。聞いた感じ、行使する魔術とかは知らなそうね」

「まあな。だからご教授願おうか」

「私が知っているのは、それぞれが冠している名前、容姿、性格。
 後方のアックアが『二重聖人』ってコトと、左方のテッラが使うのが『光の処刑』ってコト、
 右方のフィアンマが『聖なる右』を宿しているってコトぐらいだけど」

「さすが、元同僚だけあって興味深い情報を持っているじゃないか」

「テッラは、緑色の修道服を着ていて、白人にしては背が低め、頬がこけている痩せた男よ。
 異教徒への侮蔑が激しい、気持ちの悪いやつね。
 扱う術式『光の処刑』は、物の『優先順位』『強弱』を変更するというモノ。
 神話において『神の子』が『ただの人間』に殺された、つまり『本来の順位』が逆転してしまったコトの再現ね。
 『十字架を使った「神の子」の処刑』を模したミサにおいて、葡萄酒が『神の血』、小麦粉が『神の肉』の代替物だから、
 という理由で小麦粉を武器に用いている」

「なるほど」

土御門は頷いているが、上条にとってはずっと何が何だか状態だ。
ただ、聞いた感じ、左方のテッラとかいうのが使う『光の処刑』は反則レベルな気がする。

「アックアはその名の通り水属性を冠していて、得意魔術は水ね。
 見た目は、茶髪の筋肉隆々な白人で、ゴルフウェアみたいな服装をしている。
 英国出身のせいか、性格は紳士的ではあるケド。主な使用武器は棍棒(メイス)。
 私達は性質上、通常魔術は使えないけど、アックアは『聖母の慈悲』によって使える。
 しかも聖人。『神の子』とその親子関係にある『聖母』の力を併せ持つから、『二重聖人』って呼んでいる」

「半端じゃねーにゃー……」

上条としても、言っている事の半分も理解できなかったが、聖人は強いというのは分かる。
それが二重になっているのだから、半端じゃない強さなのだろうという事も。

「一番イカレているのは、悪意の捉え方がねじ曲がっているフィアンマね。赤を基調とした服装に、髪型はセミロング。
 見た目だけは普通の男。性格は傲慢。薄める『原罪』を取捨選択して、ある程度『知恵の実』を残しているから、火属性魔術に限って、人間用魔術も使える。
 『聖なる右』については、はっきり言って私も詳細までは知らない。正直、フィアンマに関しては表面的なコトしか分からない。
 武器を使ったところは見たコトがないけど、何かしら持っている可能性はある。確実に言えるのは、奴がリーダーで、最強というコト。
 何せ『神の右席』の中でも『右方』を冠しているぐらいだし」

敵意を抱いた者を問答無用で気絶させる『天罰』を扱っていたヴェント。
優先順位を入れ替える『光の処刑』を扱うテッラ。
二重聖人のアックア。
そんな彼らよりも強いとされる、ほぼ詳細不明のフィアンマ。
ヴェント相手にも、学園都市が魔術を扱う度にダメージを受けるような仕組みを発動させ、
強力な魔術を封殺された状態で、初めて多少勝負になったレベルなのに。
そのヴェントとの対決も、別に勝利したわけではない。
何とか和解に持ち込めただけだ。無論、そういう風に打算したわけではないが。

「『聖なる右』か」

土御門は呟きながら、インデックスの方を見る。
しかしインデックスも、首を左右に振った。

「禁書目録でも分からないんじゃ、お手上げだな」

「ごめんなさい」

「何もインデックスが謝る事はないんじゃないか」

「こういう時のための魔道書図書館なのに、役に立たなきゃ意味ないかも」

「そんな事ないって」

上条がインデックスを励ましている間に、土御門が口を開く。

「分からない事はひとまず置いといて、アックアの『二重聖人』ってのは、『処刑』に代表される『聖人の弱点』も二倍効くのか?」

「極端に弱いのは確実でしょうね。特化するように準備すれば、何とかなるかも」

「なるほど」

「これだけ喋った。もう情報は何もないし、イギリス清教に入ったって何もできない」

その言葉に、土御門はサングラス越しにヴェントを数秒凝視して、

「情報だけでは。イギリス清教の魔術師として戦力になってくれないと」

「言ったでしょ。私はもはやロクに魔術を使えない」

即座に反論されて、土御門はまたしてもヴェントを数秒凝視して、

「お前が『刻限のロザリオ』を作成・調整したという情報は聞いている。
 だったら、自分に使えるような霊装を作成・調整し、行使する事はできるだろ?」

「待ってくれ。ヴェントを再び戦場に引き込むのか?」

「いざとなればな。積極的に引き込むつもりはない。戦力にならない奴など、足手纏いにしかならないからな」

「だったら、学園都市で平和に暮らしてもらうのが誰にとっても幸せなんじゃないのか」

「学園都市も学園都市で危険だ。九月三〇日の一件で、学園都市の中の一部の連中から恨みを買っている可能性がある。
 それに、魔術世界からも狙われやすい存在だろう。それだけ、禁書目録にも危険が及ぶ可能性が高まるが。
 そもそも、禁書目録はヴェントについてどう思っているんだ?
 風の噂によると、禁書目録はヴェントに散々痛めつけられたと聞くが」

「謝ってもらったし、もう許したよ。罪を憎んで人を憎まず。何より、あの時のヴェントはただの迷える子羊だった。
 なら、修道女の私が救いに導かなければいけないし、あの時攻撃された事が、
 ヴェントが救いへ向かえる道標の一つになったのなら、って考える事にしたんだよ」

「なるほど。まあ本人がそう言うならそれで良いが。しかし、学園都市が危険という問題についてはどうする?
 ヴェント狙いの魔術師に巻き込まれる可能性については?」

確かに、土御門が言う問題はある。
少なくとも、ふわふわ茶髪とベレー帽の少女、そしてピンクジャージの少女。
ヴェントの勘では、彼女らは暗部で、削板もおそらくそうだと言っていた。
だとすると、彼女らに目をつけられる可能性は否定できない。
また、ヴェントを奪還しに、アックアがやってくるかもしれない。
加えて、住居と経済的な問題。やはり、学園都市でヴェントを守るのは無理があるのか。

「分かった。自分の身を自分で守れるくらいには魔術を使えるようになる。
 ただしそのためには、禁書目録の一〇万三〇〇〇冊の叡智を借りて、私専用の霊装を一から作る必要がある。
 少なくとも霊装が完成するまでは、学園都市にいる必要がある。
 もっとも、私のために禁書目録の同行も許可されるのなら、話は別だけど」

フッ、と土御門が笑った。

「そうか。なら仕方ない。暫定的に、学園都市での居住を許可してもらうようかけあってきてやる。
 霊装を作成するのに必要なモノがあれば、それも取り寄せよう。
 ただし経済的援助については、今後何か結果を残してもらわない限りは無理だ」

「結果を残す……どうしたらいい?」

「たとえば、そこにいる上条当麻。今後もローマ正教に狙われるだろう。
 いいや、『神の右席』のヴェントを撃退どころか懐柔した事を鑑みれば、次に動くのも同じ『神の右席』だろう。
 そいつを撃退する、とかすれば戦力として認めてもらえて、援助も出るだろう」

「分かった」

「なら、話は決着だ。解散しよう」

土御門が立ち上がる。

「ちょっと待て、土御門」

「どうした?」

「大丈夫なのか?イギリス清教からヴェントを連れ帰って来いとか命令されているんじゃないのか?」

「いくらでも言い様はあるさ。それより、結果が出るまでの生活について心配した方がいいんじゃないか?」

「そうか。じゃあ、そっちは問題ないって事でいいんだな?」

「ないぜい。そっちこそ頑張れよ」

「おう」

ヴェントの最低限の生活用品を揃えるために、そのまま買い物へシフトした後、寮に戻る。
晩ご飯を食べて、風呂に入って、歯を磨いて、寝る時間になる。

「……風呂場で寝るしかないか」

「何で?」

言わせにかかっているのか、純粋な疑問として発しているのか分からないが、まさかストレートに下品な事を言うわけにはいかない。

「だって、結構窮屈になるぞ」

「仕方ないじゃない。それに風呂場に寝られて風邪ひかれるのも困るし」

「インデックスはそれで良いか?」

「良いに決まっているかも。(……というか、私としてはとうまとくっつけてむしろラッキーくらいかも)」

「おやおや、禁書目録が何か言っているみたいだけど。アナタは聞こえた?」

「……聞こえてない」

「聞こえていたみたいね」

不自然な間と動揺を悟られたのか、嘘はあっさりと見破られた。

「ヴェント!?余計な事は言わなくてもいいかも!」

「思わず呟いた言葉が間違いだと否定しないってコトは、そういうコトなのね」

「それ以上何か言ったら噛みつくんだよ!?」

「落ち着けインデックス!」

このようなドタバタ騒ぎの後、結局三人で川の字で寝た。

イギリス清教の『必要悪の教会』に属する女子には、寮がある。
そこへ、とある少女が訪ねてきたとの一報を、神裂は受け取った。
サーシャ=クロイツェフ。ロシア成教が誇る魔術戦闘特化部隊『殲滅白書』の正式メンバー。
と言っても、魔術師同士の単体戦闘能力は『必要悪の教会』に比べると劣ってしまう。
しかし、サーシャは鋸や金槌など、イギリス製の対人用拷問霊装を備えて補強している。
実力あるエージェントと考えて差し支えないだろう。
かの『御使堕し』事件でその身に『神の力』を宿した事を考えると、潜在能力は『聖人』をも超えるかもしれない。
そんな彼女が、イギリス清教の女子寮にやってきた目的は何か。
現在、ローマ正教と学園都市は一触即発の関係にある事を考えると、政治的なお話かもしれない。
神裂は、サーシャとの対談に臨むために彼女を食堂へ招き入れる。
何せ寮なので、来客をもてなすような空間はなかったからだ。
せめての態度として、一対一で対談に臨もうと思ったら、サーシャに止められた。
結局、対談が物珍しいためか、食堂には女子寮の全員が介していた。

「質問ですが、やはりこの施設では魔術的な防衛策が施されているのですか」

「いいえ。この女子寮はイギリス国内の不穏分子をおびき寄せて叩くためのエサですから、意図的に防衛はしていません」

「質問ですが、ならば防衛策以外に何か魔術的な作業をこの施設内で行いませんでしたか?」

「女子寮のメンバーの中には、霊装保護のために保管用の術式を施している者もいます。
 ただ、ここまで漏れる魔力はほぼありません。何か気になる事でもあるのですか」

「解答ですが、何でもありません」

実を言うと神裂は、サーシャを招き入れる時に彼女の指先が不自然に震えていたのを目撃していた。
その症状が、今の二回の質問と関係あるのかもしれない。まあ、そこを深く掘り下げる必要もあるまい。
代わりに、気になっていた事を質問する。

「ここまで招き入れてから聞くのもあれですが、なぜこちらに?イギリス清教の代表なら、聖ジョージ大聖堂に控えていますが」

「解答ですが、そちらにはワシリーサ……有り体に言うと変態の上司が向かっています。
 本来はそちらの『会談』がメインであり、私はワシリーサの補佐という形でイギリスへ入国しています」

「ますます状況が掴めませんが。補佐役ならば、今まさに会談を行っているロシア成教代表の側を離れてはまずいのでは」

「解答ですが、ロシア側にも事情がありまして。
 イギリス側にとっては失礼な話に聞こえるかもしれませんが、私個人としてはこちらの方が重要と感じています」

この不安定な情勢下では、適当な理由ではロシア成教の魔術師はイギリスに入国できない。
だからサーシャは『会談』というイベントに乗じてやってきた、という事だろう。
きな臭くなってきた、と神裂は警戒心を強めるが、

「(あの、神裂さん)」

隣に座っていたアンジェレネが、耐えきれないといった調子で尋ねてくる。

「(この方は神裂さんのお知り合いですか。なんというか、とっても個性的な服装をしていますが)」

ビクゥ!とサーシャの肩が大きく揺れる。
彼女の恰好は、黒いベルト状の拘束服にスケスケの衣装、その上に赤いマント。
アンジェレネは一応声を小さくしていたが、元々食堂のテーブル一つ分挟んだ距離しかない上に、
耳の近くで手を添えて神裂にしか聞こえないように配慮していたわけでもなかったためか、
サーシャ本人に聞こえてしまっていたようだ。
神裂としては、まったくの赤の他人ではないが、知り合いとは言い切れない。
何せあの時のサーシャは、ミーシャだったのだから。
こちらとしては一応の面識があっても、サーシャにとっては初対面だろう。
日本で出会ったという記録で神裂火織という人間を表面的に知っていても、感覚的には初めてなのは間違いない。
その程度の間柄なので、サーシャの事など宗派と『殲滅白書』のメンバーである事しか分からない。
服装の意味なんて、知る由もない。
神裂は人差し指を唇に当てて、

「(詳しい事は知りませんが、何かあるんでしょう。私達天草式のように、服装にも魔術的意味を込めているとか。
 もしくは、ロシア成教に古くから伝わる伝統的な意味があるとか)」

分からないなりに、精一杯フォローをするも、

「(ええっ?私にはどうも、夜道に出没する変な中年男性にしか見えな――)」

「(アンジェレネ!言葉が過ぎますよ!)」

ぶるぶるぶる、とサーシャは小刻みに振動している。爆発を堪えているらしい。
その証拠に、『私だって好きでこんな格好をしているわけじゃ……』
『ロシア成教は変態の集まりじゃない……』
『ワシリーサ殺す……』という怨嗟が漏れ出ている。
ワシリーサといえば、サーシャが言うには『変態上司』らしい。
もしかしたら、ワシリーサに変態装束着用を強制させられているのかもしれない。
だとすれば、神裂としては同情の念を禁じ得ない。
こちらの上司も、変態ではないが外道的な意味でロクなものじゃないからだ。
ただしその上司は、外道なだけでなく、善い行いもする。そこがたまらなくむず痒い。

「……本日は皆様に質問があります」

自力で何とか調子を取り戻したサーシャが、告げる。

「この度のローマ正教と学園都市の間で起こる戦争――あなた達は、どちらの側に着くつもりですか?」



これまでの戦争と言えば、国と国のぶつかり合いだった。
しかし、これからあるかもしれない戦争は違う。
思想と思想のぶつかり合いになるため、国境は存在しない。
地球上どこでも戦場になる可能性がある。

「ここは良い街ですね」

サーシャは大きな窓から外を眺めながら言う。

「我々ロシア国内はとても緊迫した状況にあります。
 その点、ここロンドンではローマ正教や科学サイドのデモ行動がそれほど見受けられません」

イギリス国民はイギリス清教を、ロシア国民はロシア成教を信仰しなければいけないという制約はない。
イギリス国民でもロシア国民でも、ローマ正教を信仰している人間はいるだろう。

「どちらの側に着くかは、私達に決定権はありません。
 これからの動向について探りたければ、やはり聖ジョージ大聖堂に控えている最大主教の方に」

「質問ですが、本当にその通りですか?」

「何を……」

神裂も、アニェーゼも、ルチアも、アンジェレネも、シェリーも、シスター達も。
のんびり居眠りしているオルソラ以外の全員が、サーシャの一言に表情を訝しげにした。

「この戦争において、あなた達は本当にイギリス清教に従い続けるつもりですか?」

一同はサーシャの質問に対して、ただ黙っていた。

「補足説明しますと、神裂火織は元天草式十字凄教、
 アニェーゼ=サンクティスは元ローマ正教のアニェーゼ部隊という組織の象徴的立場にあるはず。
 その他『必要悪の教会』のメンバーの大半にしても同様。
 あなた達は目的を果たすためにイギリス清教に属しているだけであって、
 イギリス清教の人間だから『必要悪の教会』に加入したのではないのでしょう」

「……そうですね」

「さらに補足しますと、現在のローマ正教と学園都市の戦力はほぼ拮抗している、というのが我々ロシア成教の見解です。
 そこで勝敗を左右する要素としては、あなた達イギリス清教や我々ロシア成教といった、第三勢力の動向が大きいでしょう。
 戦争が起こった場合、どちらが勝者になっても、我々ロシア成教としては芳しくありません。
 もっとも、それはあなた達も同様でしょうが」

ローマ正教が勝った場合、魔術世界はローマ正教の一極支配になる。
科学サイドが勝てば、世界は科学一色になり、魔術世界は撲滅される、かもしれない。
そう考えると、ローマ正教が勝った方が良いだろう。
たとえローマ正教の一極支配を許す事になるとしても、魔術自体が撲滅されるよりはマシだ。
打算的に考えれば、ローマ正教に味方するのがセオリーだ。
ただし。
イギリス清教は魔術サイドの勢力であるものの、ローマ正教とは仲が悪く、学園都市とは繋がりがある。
加えて、サーシャが指摘した通り、イギリス清教内には神裂やアニェーゼという『傘下に収まっているだけ』の組織が無数に存在する。
個人にしても同様。
ステイル=マグヌスという男は、一人の少女を守れればどこでも良いだろうし、土御門元春という男も、義妹を第一優先にするだろう。
シェリーに至っては、純粋なイギリス清教徒でありながら、同じ組織のインデックスの命を狙った過去がある。
神裂火織も、ステイルと同様一人の少女のために動く可能性は高い。
また、彼女の場合は、天草式十字凄教がどうするかにもよる。
そもそもだ。
イギリス清教という枠組みで考えても、最大主教の事だから、
仮に学園都市側に味方して勝利した場合は、何か策を巡らせ損はしないようにするだろう。
つまり、イギリス清教は学園都市側に着く可能性も十分以上にある。
その場合、いくらローマ正教でもその連合には勝てない。
イギリス清教の選択で、世界の動向は変わるかもしれない。
だから、サーシャは探りを入れてきたのだろう。
あるいは、そこへ一石を投じる事によってイギリス清教の動きを分かり易い方向へ誘導するつもりかもしれない。

「私は」

ここへきて。
神裂は、戦争の勝敗よりも、戦争によって戦わなければいけない事を明確に自覚する。
神裂の魔法名は、『救われぬものに救いの手を』。
それなのに、場合によっては“殺すための戦い”をしなければいけない。
選択によっては、あの少年と『あの子』が掴み取った平和を引き裂くかもしれない。

「私は……」

打算を働かせて戦う事など望んでいないのに。

「私は……っ!」

殺すかどうかを選択しなければいけないのか。

「それなら大丈夫でございますよ」

その時。
歯噛みして言葉を出せなかった神裂の耳に滑り込んできたのは、今まで居眠りしていたはずのオルソラの声だった。
食堂にいた全員がオルソラを見る。どこまで人の話を聞いていたかは疑問だが、堂々とした声ではあった。

「質問ですが、大丈夫、とはどういう意味ですか?」

まず切り込んだのはサーシャだった。

「そのままの意味でございます」

さらりとした返答だった。考える素振りはなかった。あるいは、悩むほどでもないのか。

「たとえどのような情勢下であれ、私達のやるべき事は変わらないのでございますよ。
 救いを求めている人がいれば手を差し伸べ、痛みを訴える者がいれば癒し、争いを望まぬ者がいれば仲裁に当たる。
 それだけでございましょう」

「質問ですが、それができれば苦労はしません。補足説明しますと、これから始まる戦争は、そのような綺麗事では――」

「だとしても」

サーシャの言葉を遮って、オルソラの言葉が紡がれる。

「私達のやるべき事は変わらないのでございます。戦争が起きたからと言って、救いを求める者を拒む必要も、
 痛みを訴える者に鞭を打つ理由も、争いを望まぬ者に武器を持たせる道理もないのでございます」

「……」

きっぱりとした言葉に、サーシャは黙り込んだ。オルソラ=アクィナスは異教の地で十字教を広めるエキスパートだ。
周囲からの敵意、思想上の暴力、そういったものに幾度となく触れてきて、それでも武器を持たず、言葉だけで己の為すべき事を貫いてきた人間だ。

「私達は、知っているのでございます。絶望的な状況を前にしても、やるせない状況に直面しても、
 決して折れずに前へ進む事で解決してきた、小さな力を。
 味方の未来を守り救うだけに留まらず、敵の未来すら奪わずに、こうして一堂に集まる機会を与えてくださった、あの力を。
 私達は『彼』がそれを証明するのを見てきたのでございます」

『彼』と聞いて、それぞれがあの少年を思い浮かべて馳せる。
アニェーゼはぷいっとそっぽを向き、ルチアやアンジェレネ、シスターの面々は目を閉じ、シェリーは舌打ちをした。
そして神裂は……少年とのこれまでの出来事を思い出していた。

「では」

この場でただ一人、あの少年を知らないサーシャは尋ねる。

「結局、あなた達はどう動くつもりですか」

「私一人に、皆様がどう行動するかの決定権はございません。
 皆様はそれぞれのやるべき事、やりたい事をやるだけでございましょう。
 ――ただ、私個人としましては、勝ち負けの二元論などまっぴらごめんでございます。
 そこには存在しない第三の選択肢――そもそも誰も倒れない、というぐらいのハッピーエンドを用意しなければ、
 助けていただいた『彼』に申し訳が立たないと思うのでございますよ」

オルソラはにこにこ笑顔で、世界で一番の綺麗事を言い放った。

結局何も掴めませんでした、とだけ言って、サーシャは去った。
他の皆も、部屋に戻っていった。
神裂は、その後も食堂の椅子の背もたれに身を預けながら、しばらく天井を眺めていた。
己の為すべき事。やりたい事。
『聖人』はとても強い。
大局的な勝敗までは握れなくとも、局地的な戦況ならひっくり返せるほど。
その勝利は、連鎖的に大局をも揺るがす可能性がある。
それだけの影響力。
だからこそ、悩む。
そうやって悩む事が、傲慢だと思いながら。
自分は博愛主義だと思うが、それは『聖人』であり、強大な力を持ち、周りより余裕があるから、
その分だけ多くの人を救おう、という見方によっては見下しているとも取れる醜い性根によるものだ。
そんな自分からすれば、何の力も持たずに己を貫き他人へ手を差し伸べる、オルソラや『あの少年』の生き方はとても眩しく映る。

「神裂さん、紅茶を淹れたのですけど飲むのでございますかー?」

思考を遮るように、オルソラの声が台所から聞こえてきた。
てっきり全員部屋に戻ったのかと思ったが、どうやらオルソラだけはティータイムを楽しむつもりだったらしい。

「では、せっかくなのでいただいておきます」

基本的にオルソラは家事全般に対して間違いない腕を持っている。
オルソラが朝食を作る当番の日は、気分屋のシェリー以外は全員食堂にいるくらいだ。
もちろん、茶の淹れ方だって上手いに決まっている。

「お待たせしましたでございますよ」

コトン、とティーカップが目の前に置かれる。まだ返事をしてから三〇秒も経過していない。

「随分早いですね」

「正直な話、二人分淹れていたのでございますよ」

「私がもしいらないと言っていたらどうするつもりだったんですか」

もっとも、オルソラが淹れた紅茶なら、紅茶嫌いでもない限りは断る者はそうはいないだろうが。

「そうなったら私が二人分飲んでいただけでございます」

「……そうですか」

神裂は紅茶を一口飲んでみる。

「……とても美味しいですよ」

「ありがとうございます。ところで、少々落ち込んでいるようですが……どうしたのでございますか」

「己の鍛錬不足を恥じていたところです。
 私のような未熟者が、一時とはいえ天草式を束ねていたなどと……背筋がぞっとします」

「人とはそう簡単には熟せぬ存在でございましょう。
 主の教えを理解した気になるのは簡単ですが、真にその道を解するのは困難を極めるのでございますよ。
 かくいう私も、先程は随分と未熟な発言をしたと感じているのでございますけどね」

「そうですか?私は概ねあなたの意見に賛同できました。
 戦争が起きるからと言って、誰かを殺す事に固執する必要はない。私もその通りだと思います」

「概ね、でございますか」

「それがどうかしましたか?」

「いえいえ。神裂さんにもやはり戦う理由があるのだなあ、と思っただけでございます。
 そこで私としては気になるところがあるのでございますが……神裂さんの戦う理由には、『彼』も含まれているのでございましょうか?」

「まあ、そうですね」

『あの子』を保護してもらっているし、他にも恩がたくさんある。
それに、『あの子』は多分、少年の味方であり続ける。
ちょっと悔しいけど、恨めしいけど、羨ましいけど、『あの子』の選択を尊重したい。
そうなると、必然的に少年のためにも動く事になる。

「となると、建宮さんが言っていた『元女教皇には学園都市に想い人がいるのよな』発言は、やはり本当だったのでございましょうか」

がたーん!と神裂は椅子ごと後ろにひっくり返った。
床に倒れたまま彼女は叫ぶ。

「なっ、何ですかその出鱈目な発言は!?現天草式はどうなっているんですか!?」

「あら、出鱈目だったのでございますか?
 私が聞いた話は、一輪の花を携えた騎士団長が神裂さんを舞踏会に誘うために日本人街を訪れた際、
 建宮さんが『元女教皇は年上にリードされるより年下をリードする方がお好みなのよな』と前置きした後に、
 先程の一言を告げたらしいのでございますが」

「つまり建宮斎字が勝手に言った事じゃないですか!
 いいですかオルソラ、私はリードされるとかするとか以前に、舞踏会自体に興味ありませんし、上条当麻の事が好きでもありません!」

「あら。私は一言も上条さんとは言ってないのでございますが」

ぬぐっ!?と神裂は一瞬詰まるが、頭をフル回転させて言葉を紡ぐ。

「いやいや、学園都市の知り合いなど上条当麻ぐらいしかいませんし、
 先程までのサーシャとの会話の流れから、彼=上条当麻しかあり得ないでしょう!」

「そうでございますね」

オルソラはあっさりと認めた。

「でもこれで安心したのでございますよ。神裂さんは強力なライバルではなかったのでございますね」

「強力なライバル?」

神裂としては、オルソラと何かのライバルになったつもりはないのだが。

「えっと、何のライバルでしょう?」

「まあ、神裂さんったら、私にそれを言わせるのでございましょうか」

オルソラは頬に手を当てて顔を赤らめるが、まったく意味が分からなかった。




「――そういうわけなので、私が彼に直接頼みたいのですが」

「カミやんを動かすのに、アンタがわざわざ出張る必要はない。説明はオレがする。
 それに、アンタが出張れば『制裁』の重荷をカミやんにも背負わせる事になる。
 ただでさえ『巻き込む』のに、これ以上の重荷を背負わせるのは酷ってモンだぜい」

「ですが、『巻き込む』からこそ私が直接お願いするべきでは」

「カミやんは、どうしても必要な処置だからと言って他人が傷つくようなのは認めない奴だ。
 カミやんのためを思うなら、ここは出しゃばるべきじゃない」

「……では、お願いしてもいいですか」

「任せてくれ」

「それでは、私の反逆に対する『制裁』をお願いします」

「……言っておくが、こんな胸糞悪い事をするのは最初で最後だからな」

一〇月五日。
玄関の扉を開けると、土御門が待っていた。

「ようカミやん。一緒に登校しようぜい」

「今世界中で起こっているデモ騒動についてとかか?」

「ちゃんとニュースは見ていたみたいだな。まあそいつもあるけど、まずはこれからについてだ」

土御門と共に、エレベーターを利用して地上へ降り立ち、歩を進める。

「まずはすまない。オレ達裏方がしくじったせいで、カミやんに重傷を負わせちまった」

「俺がもっと強ければ重傷を負う事はなかった。お前らのせいだけじゃないだろ」

「なあ、もしかしてカミやんは、これから起こるかもしれない戦争が、自分のせいだって思っちゃいないか?」

土御門の質問に、上条は憂い顔になって、

「思っているよ。だって、今までは『大きな事件』に巻き込まれたり首を突っ込んだりしただけだけど、
 今回の『〇九三〇事件』は俺が中心の事件だったんだから。たとえそれが被害者だとしても。
 いいや、俺が今までローマ正教に喧嘩を売ってきたのが現状に繋がっているのなら、もう完全に俺のせいだよ。
 だからと言って、ローマ正教に挑んだ事を後悔はしていないけどさ」

「カミやんが悪くないとは言えないかもしれない。けど、背負いすぎるな。どう考えたって一番悪いのはオレ達裏方や実行犯なんだから」

「……ああ」

「だが、覚悟はしておけ。これからの喧嘩は世界の命運を変えるかもしれないと」

「背負いすぎるなって言ったそばからそれかよ」

「悪いな。だが、今のうちに自覚はしておいた方がいい。このままではこれからの局面は乗り越えるのは難しい、と」

「分かってはいるさ。だからとりあえず、テッラについて考えてみた。
 ヴェントの話だと、テッラは小麦粉をギロチンに変形させて、
 『人体を下位に、小麦粉を上位に』と詠唱して小麦粉のギロチンで人を斬っていたらしい」

上条の発言に、土御門はわざとらしく、

「おや、そこまでの話は聞いてないが」

「今朝方、温かくて目が覚めたらヴェントがくっついていた。
 このままだと寝られないから、ベランダで『神の右席』について改めて聞いた」

「ベランダで会話したのは、禁書目録に聞かせないためか」

「そうだ。けど、そうやって配慮したのにヴェントの奴ったらインデックスにばらしたんだ。
 どうしてばらしたのか聞いたら、『はっきり言ってアナタ一人じゃこれからはどうにもならない。
 どうにかするには他の人達に力を借りるしかない。そのために禁書目録にも協力してもらわなければ困る。
 何せアナタが死ねば私を幸せにしてくれる人はいなくなるんだから』とか言われた」

「ヴェントもだいぶカミやんにメロメロにされたモンだにゃー」

と、からかった後に、

「んで、禁書目録から勝手に突っ走ろうとしたのを説教コースだったとか?」

「そう思ったけど、意外にも説教はされなかった。けど宣言はされた。
 『とうまがそのつもりなら、私も強硬手段を辞さないかも!具体的には、これから何かあった場合は積極的にかかわっていくから!
 かかわるなって懇願されても、絶対にやめてあげない!それでフェアなんだよ!』って」

「ま、しゃーなしだぜよ」

「しゃーなくねーよ。お前、舞夏がそんな事言ったら居ても立っても居られないと思わないか?」

「そんな事より、テッラについての考えを聞かせてくれよ」

露骨に話題を逸らされたが、本筋がこれからの話であるのは確かだし、
このままの流れだったら、脱線しっぱなしになってしまっていただろう。

「じゃあ話を戻して……テッラは魔術『光の処刑』で優先順位を逆転して小麦粉のギロチンで人を斬る。
 でもそう『設定』した場合、順位の逆転が適用されるのは『小麦粉のギロチン』と『人体』だけで、
 それ以外のモノには影響がないんじゃないかと考えた。もし影響がなければ、盾になるようなもので切断を防げるんじゃないかと思う。
 ま、実際に相対してみないと分からないけど」

「その考えは良いんじゃないか。その考えが正しければ、攻撃にも応用ができる。
 たとえば、弾丸と魔術を同時に放てば、奴はどちらかしか防げない事になる」

「弾丸と魔術って……俺は拳銃も持ってないし魔術も使えないぞ」

「一人でやろうとするな。今後カミやんの戦いは、オレ達もなるべく参戦できるようにする。
 それと、これは放課後の道中に説明しようと思ったんだけど、カミやんは放課後、オレと一緒に日本を発ってフランスに行く」

上条は呆れから、もはや苦笑して、

「……あのさ、俺を使うのは一向に構わないから前もって説明してくれないか」

「だから放課後にフランス行くまでに説明しようと思っていたけどにゃー」

駄目だこりゃ、と上条は諦めて続きを促す。

「それで?」

「フランスに行って『C文書』を破壊してもらう。C文書――正式にはDocument of Constantine。
 効果は『ローマ正教信者の人に宣言した事を強制的に「正しい」と信じさせる』というものだ。
 今世界中で起こっているデモは、C文書によるものだ」

「もうすでに引き起こされた現象を、C文書とかいうのを破壊する事で止められるのか」

「すぐさまとはいかないが、止められるさ」

「そもそも、なぜC文書でデモを起こしたんだ?強制できるなら、もっと直接的な宣言をすればいいんじゃないか」

「C文書の効果が行き届かなかったのさ。本当は『学園都市は悪い連中だ』って信じ込ませたかったのに、
 無理に情報を刷り込ませたがゆえに、C文書の効果がデモという形で表出した」

「だったら、重ね掛けしないのは何でなんだ?」

「条件や難儀な点があるのさ。使用には地脈を用いる必要があって、当時のローマ教皇領か、
 教皇領の設備の遠隔操作を行う事ができるアビニョンの教皇庁宮殿からでしか効果を発揮しない。
 それと、一旦宣言してしまった事はC文書をもってしても取り消すのが難しいから、おいそれとは使えないという欠点もある」

「なるほど。つまり、重ね掛けされる前に破壊して、情報を刷り込まれたローマ正教徒を元に戻すって事か」

「そうだな」

「だったら、今すぐにでもフランスに行くべきじゃないのか」

「日本とフランスの時差を考えると、今行くのはタイミング的にベストじゃない。それに、学校だって行っておきたいだろ?」

「まあ、そりゃそうだけど……」

何せ入院などで出席日数が着実に減っているところだ。
出るに越した事はないが、世界が混乱しているのに、こんな調子で大丈夫なのか。

「そろそろ学校に着くな。続きは放課後だ」

「本当にいいのか?」

「いいんだよ。今行くのはタイミング的にベストじゃないんだって。
 飛行機は夕方に手配しちゃっているし。そんな事より、学校では今の話はするなよ」

「……分かった」

気持ちばかり焦っても仕方ないのかもしれない。切り替えよう。
そう思いながら、上条は校門を通った。

「お、カミやん、つっちー、おひさー」

土御門と一緒に教室のドアを抜けると、そうやって青髪に迎えられた。

「それにしても学園都市も物騒になったもんやねー。戦争なんてホンマ勘弁」

椅子に座ると、まず青髪がそんな事を言ってきた。
青髪だけではない。
校門から教室まで、そして教室内でも戦争になるかもしれないという話題で持ち切りだ。

「二人とも知ってる?街の入退場制限が厳しくなるから、社会見学なくなるかもって話やで」

「マジかにゃー。まあそんなに楽しみでもなかったけど、その分授業あるとかだったら、だるすぎだぜい」

「十中八九授業入るだろうけどな」

「あと警備員の先生達が対策練るから、中間テストもなくなるかもって話もあるで」

「マジかにゃー。ま、そっちは素直に嬉しいけど」

「どうだろ。その分期末テストの範囲が広くなったりするかもしれないし、テストがないのも一概に良いとは言えないんじゃないか」

「せやねー。けどやっぱ一番の問題は、回収運動や」

回収運動。
学園都市が戦場になるかもしれないという事で、保護者が子供を戻して地方に移ろうという動きだ。

「ボクの場合は薄情なのか放任主義なのか、電話の一本もなかったけどな。ま、あったとしても断ったけど」

「……小萌先生と離れるのが嫌だからか」

「それだと五〇点や。小萌先生は、学園都市から生徒がいなくなる事を気に病んでいる。
 小萌先生のストレスを軽減するためにも、たとえ学園都市が戦場になろうとも、ボクは小萌先生と添い遂げるつもりやでーっ!」

相変わらず絶好調なようで何よりだ。決して暗い雰囲気ではないが、戦争になるかもしれないからか、
どこか澱んだ空気がクラスとは言わず街中に漂っている中、青髪のブレなさにはこっちも元気づけられる。

「つっちーは、どうせ義妹の選択によるんやろ?」

「にゃー。舞夏が出ていきたいというならそうするし、残りたいというならオレも残るだけですたい。親なんて関係ナッシング」

「薄情者やなー」

「本当に子供の事を思うなら、子供の意思を尊重すべきだにゃー。つーか、オレんところも電話の一本もないし」

土御門と青髪の両名は、上条については尋ねない。
上条が学園都市に来た経緯を知っているからだ。
上条が学園都市にやってきたのは、望んだからではなく不幸を軽減するための措置に過ぎない。
本人が行きたかったから、親が行かせたかったから、といった理由ではなく、子供の安全と平和と幸福を最優先した結果だ。
不幸なんて観念のようなものに明確な基準や対処法などがあるわけはないが、
実際に学園都市にやってきて、上条が傷つくような目に遭う機会は減っている。
学園都市から別の所に移動すれば、減少した不幸が戻るかもしれない。
それは、上条はもちろん両親も望む所ではないだろう。
だから、上条は何も言われていない、と両名は判断している。

実際は、電話はかかってきたものの強制的なものではなく、選ばせるものだった。
学園都市に居たいかどうか聞かれたのだ。
即答で、学園都市にいると答えた。
単純に学園都市や皆が好きというのはあるが、守るべきモノを背負っている事や、
狙いが守るべきモノや自分になっている事も考慮している。
学園都市が戦場になるケースが多いのは、ひとえにその火種となるものが多いからだ。
インデックスやヴェント、そして自分。
自分達が移動したら、その移動したところに敵がやって来るだけだ。
そういう意味では、安全な個所など存在しない。
最近は学園都市のセキュリティが破られがちなのもあって、学園都市はそうでもないというイメージが根付き始め、
それが回収運動を活発にさせている一つの要因となっているが、考え方が逆なのだ。
学園都市のセキュリティが緩いのではなく、やってくる奴らが世界最高水準のセキュリティを破れるという話。
学園都市『だから』通り抜けられるのではなく、学園都市『ですら』通り抜けられる。
つまり、学園都市が通り抜けられる以上、どこでも通り抜けられるというわけだ。
どうせ破られるなら、最高のセキュリティを持つ学園都市に居続ける方が、まだ期待値が高い。
それに、学園都市は科学の象徴と言っていい。
それだけで、狙われる要因としては十分なのかもしれない。
とすれば、学園都市に残る連中には悪いが、火種となり得る自分達は、だからこそ学園都市に残って敵を引きつけた方がいいはずだ。

「皆はどうなんだろうな」

「学園都市の便利生活を知ってしまってから『外』で暮らすと凄く不便に感じるやろなあ。
 それに、地方だから安全とも限らんと思うし、不確実な安全と便利を天秤にかけて、即決できる奴はなかなかいないんやないか?」

「そもそも学園都市側も、技術漏洩を防ぐためにそう簡単に生徒が回収されるのを認めるとは思えないにゃー」

「ボクとしては、皆残ってほしいけどな。小萌先生を悲しませないためにも!」

「ははっ。そうだな」

青髪の相変わらずさに、思わず笑みが零れた時だった。吹寄が目の前に現れて、

「……あの、放課後に二人きりで話したい事があるんだけど……」

おぉ!?と青髪と土御門が過剰反応する。

「悪い。放課後は予定があるんだ。昼休みとかじゃダメか?」

「……分かった。じゃあ、昼食終わったら体育館裏に来て」

それだけ言って、吹寄は小走りで席に戻っていった。
同時にチャイムが鳴る。
小萌先生がドアを開けて入ってくる中、青髪が小声で囁いてきた。

「(いよいよ愛の告白かもしれんなあ。まったく羨ましい限りやでーっ!)」

「(小萌先生一筋のお前には関係ないだろ)」

適当に返しながら、思う。
愛の告白?
違う。
あれは。
あの纏っていた雰囲気は、以前にも見た事があり、味わった事がある。
そう。
御坂や母親に、隠していた事を問い質された時のような。

デモの事や吹寄に言われた事がちらつきながら授業を受けて、昼休み。
吹寄はパンを食べた後に教室を出ていった。
こちらも急いで弁当を食べて、青髪や土御門に冷やかされながらも体育館裏へ向かう。
体育館裏へ辿り着くと、吹寄は手を後ろに組んで立っていた。

「呼び出してごめんね」

「大丈夫だけど……いったい何の用だ?」

「うん、あのね……」

吹寄は、一〇秒ほど間をあけて、言った。

「上条が隠している事、教えてほしいの」

やはり、そうくるか。

「大覇星祭の時、上条はあたしが倒れたのを自分のせいって言っていたよね。あれって何なの?」

「教えられない」

「何で?」

「それも教えられない。それを教えたら、教えたくない事の一端を教えた事になる」

「……あたしだって、姫神さんとか、月詠先生とか、いろんな人に相談して、
 最近上条が学校を休みがちな事とかを鑑みて、悩みに悩み抜いてこうしているつもりなの。
 だから、分かっているつもりだよ。
 上条が、抱えている『事情』に巻き込ませないように気を遣っているって事ぐらい」

「俺が巻き込ませたくないと分かっていて、なお尋ねているって事か」

「うん」

「……そっか。でもさ、何を言われようと無理だよ。俺は、吹寄を巻き込みたくない」

「上条が抱えている事情は、お話したら絶対に巻き込まれるようなものなの?」

「絶対ではないけど、可能性としては跳ね上がる」

ましてや、ここ最近の自分の立場はより危険なものになっている。

「納得できないかもしれないけど、どうか分かってほしい」

「納得なんてできない。分からない」

吹寄は、首を左右に何回か振って、

「月詠先生は、上条を信じて話してくれるまで待つらしいけど、あたしは月詠先生みたいに大人じゃない。待てないよ。知りたいよ」

「……何で、そんなにこだわる」

「心配だからに決まっているじゃない」

「だったら、分かるだろ。俺だって吹寄の事が心配で――」

「あたしの事を本当に心配してくれているのなら」

吹寄は上条の発言を遮って、

「あたしの事を本当に気遣ってくれているのなら」

上条を真っ直ぐ見据えて、告げる。

「教えてよ。あたしにとっては『知らない』ことの方が、何倍も何十倍も辛いの」

「……それは、現時点での話だろ。俺がここで話すと、巻き込まれて後悔するかもしれない」

「いいわよ。後悔したって。しない後悔よりする後悔。あたしはここで溜め込むほうが、よっぽど後悔する」

今までだって、御坂や両親や従妹に打ち明けてきた。
けどそれは、いろいろ考えて、仕方なくの判断だ。
御坂は強い上に偽海原のレポートを読んでしまったから、両親や従妹には、隠すのは無責任だし不可能だと思ったからだ。
現状、よっぽどでない限り、もう魔術や学園都市の闇について打ち明けるのは危険すぎる。

「……俺を、困らせないでくれ」

「ごめん。わがままだっていうのは自覚しているわ。だからこそ、『あたしのためを思う』なら、あたしのわがままに応えて」

「……分かったよ」

パァ、と吹寄の顔が明るくなるが、

「吹寄のためじゃない。俺は俺のために事情は明かさない」

そう。
自覚したのだ。
自分は、吹寄のために事情を明かさなかったのではない。
事情を明かし、吹寄が巻き込まれ、彼女を守りきれなかった場合、自分が罪悪感を伴うのが嫌なだけなのだと。

「そっか」

吹寄は落胆するが、めげずにこう言った。

「でも、あたしだってそう簡単に諦めないわよ。あたしのわがままと上条のわがまま、どっちが頑固か勝負よ」

ずいっ、と吹寄が近付いてきたので後退する。
それに合わせて、吹寄はさらに詰め寄ってくる。

「上条が背負っている『事情』、あたしも背負いたい」

「吹寄が俺の『事情』を背負う事は、俺にとっては迷惑なんだ」

売り言葉に買い言葉のように、傷つけるような事を言ってしまう。

「上条はさっきから、あたしが巻き込まれるのを前提として考えている上に、
 何もできずに傷ついていくような物言いをしているけど、そうなるとは限らない」

「限らないけど、可能性としては高くなる。巻き込まれたら、為す術ないはずだ。俺だって、守り切れるとは約束できない」

「そこよね」

ビシッ、と吹寄に指差される。

「『守り切れるとは約束できない』……何で勝手に守り切れなきゃいけないのが前提になっているの?」

「何を……」

「そういうところ、ある意味傲慢だと思う」

上条に言葉を差し挟ませない勢いで、吹寄は述べる。

「上条は別に、神様でも何でもない。
 右手に特殊な力は宿っているかもしれないけど、根本的にはただの高校生でしょ?
 できる事なんて限られている。限られている中で、上条はきっと、できる事をやってきた。
 だったら、それでいいじゃない。あたしに事情を話すとか話さないとか、そんなの関係ないよ。
 できない事はできない。上条がどうしたってどう頑張ったって守れない時だって、あるよ。
 だから、守り切れない可能性を、気にしないでよ」

ただの事実。綺麗事という幻想を打ち砕いて、上条当麻のアイデンティティを傷つけると分かって、
上条を傷つける事で自分も傷つくと自覚して、吹寄は事実を突きつける。

「――だから、教えて」

「……傲慢でも何でも、巻き込みたくないし傷つけたくない。どうにもならない時もあるかもしれない。
 だからこそ、どうにもならない状況に繋がる可能性を、少しでも軽減したいんだ。
 どうせできない事もあるから気にするな、なんて無理だ」

「……そっか」

吹寄は数歩後退って、涙目で告げた。

「――あたしの負けね」

吹寄は目尻に溜まる涙を拭って、

「昼休みも多分もう終わるし、先に教室に戻っていて」

「……吹寄は?」

「あたしは、こんな顔で教室に戻るわけにはいかないから」

「……そうか」

保健室に行くのかトイレに行くのかは知らないが、傷つけた張本人が残っても仕方ないだろう。上条は踵を返して教室に戻る。

教室に戻ると、青髪に吹寄はどうしたと聞かれた。
気持ちが悪くなったらしいと誤魔化して、五時間目の授業に臨んだ後。

「上条君。お話があるから。ちょっと来てほしい」

今度は姫神に誘われた。

「おいおい、女たらしにもほどがあるやろ」

「そんなんじゃないから」

青髪の茶化しに、姫神は真面目な雰囲気で返した。
その雰囲気を察したのか、青髪にしては珍しく真顔になって、黙った。

「来てほしい、ってどこへ?」

「別に。私としては。本当はどこでも良いんだけど」

つまり、こちらを気遣っての配慮という事か。
姫神が自分を気遣ってしたいお話など、魔術関連としか思えない。
姫神は吹寄と仲が良い。吹寄は姫神にも相談をしていた。
これらから導き出される結論は。

――昼休みの俺と吹寄のやり取りを聞いていた。その上で、俺に魔術について話すよう説得する気か。

「一〇分間の休み時間では足りないだろうし、ふさわしい場所だってない。翌日以降にはできないのか」

「だめ。そんなには待てない。どうしてもというのなら。放課後少し時間をくれてほしい」

「放課後は時間がない。だからと言って休み時間内では話がまとまらない。授業をサボる気か」

「私はそうなっても。構わない。そして。次は体育だから。サボるなら。ここは空室になる」

「……分かったよ」

次の時間は体育なので、生徒達は体育館へ向かうために次々と出ていく。
そんな中で、土御門は肩を組み、囁いてきた。

「(魔術について話すかどうかは任せるが、いずれにせよオレの事はばらすなよ)」

土御門の言い草だと、まるで吹寄に詰め寄られた事を知っているみたいだ。
と、何か言う前に土御門は青髪と共に教室を出ていった。

皆がいなくなって、姫神と二人きりの教室。
チャイムが鳴って、姫神はいきなり核心をついてきた。

「吹寄さんに。魔術について教えてあげて」

「無理だ」

「もう。ある程度の段階は過ぎた。ある程度問い詰められた以上。上条君は。このまま何も話さなくとも。
 吹寄さんを傷つけてしまった。その事実に苛まれる。だったら。ちゃんとお話して。守り切れる可能性に懸けたほうが。精神衛生上良いはず」

「……確かに、それができれば、それが最良だろう。でも、多分無理だよ。そう上手くはいかない。
 命だけなら何とかなるかもしれないけど、まったくの無傷に済ますのは、きっと無理だ。
 実際、大覇星祭で守り切れなかった。これからの戦いは、さらに過激になる。綺麗事だけでどうにかなるほど、これからの戦いは甘くない」

「どうにかなるかならないかの問題じゃない。どうにかしようとするかしないかの問題。
 どうにかしようとして。それでも守り切れなかったら。誰も責めはしない。もちろん。吹寄さんだって。
 だけど。このまま無理に隠し通そうとするのは。吹寄さんも私も納得いかない」

「納得なんか、いかなくていい。それでも俺は、物理的に傷つけさせないためにばらさない」

「だめ。絶対に認めない」

自分も大概だが、姫神もかなり頑固だ。

「さっきも言ったけど。今の段階では。たとえこのままばらさなくとも。精神衛生上よくない。
 確かに。ばらす事にリスクはあるかもしれない。でも。守り切れる可能性も。もちろんある。
 ばらした上で守り切るのが最良だと。上条君も認めていた。守り切れない可能性が高いとしても。
 守り切れる可能性を無視して。吹寄さんを傷つけたままにするのは。友達として認められない。
 ハイリスクだけどハイリターン。そっちに懸けるべき」

姫神はこれで終わらず畳みかける。

「上条君は。応えるべき。綺麗事でも何でも。守り切れる可能性が低いとしても。
 一度巻き込んでしまった時点で。知りたいと望む者には。誠意と姿勢で応えるべき。
 それが。巻き込んでしまった者の。『何かある』と察せられてしまった者の。責任。
 うだうだ考えないで。ただひたすらに。ひたむきに。吹寄さんと向かい合うべき」

怒涛の言葉の奔流に、上条は何の言葉も返せない。

「現実論なんて。ぶち壊して見せてよ。
 守り切れなかったという明確な失敗を恐れて挑戦すらしないのなんて。だめ。
 挑戦しないと。守り切れた場合の成功は絶対に訪れない。
 ばらした上で守り切る。このたった一つの成功の可能性を。みすみす手放さないで。
 何も吹寄さんのためだけじゃない。上条君のためでもある。今のままだと。二人とももやもやするだけ」

「……ちくしょう。確かに、そうだ。その通りだよ」

現実的に、安全性を考えれば、ばらさないほうがいいのは明白だ。
だけど、それだと自分も吹寄ももやもやしたままになる。
それを解消するには、ばらした上で守り切るしかないが、達成できる可能性は低い。
しかし、しかしだ。
自分は、そんな可能性の高低を基準にして生きてきたわけではない。
どう動きたいか、という己が感情に従って動いてきた。
そして、動きたいと思った場合、現実的に可能かどうかを考えて、たとえ不可能に近くとも、動いてきた。
そんな生き方をしてきた。
となると、可能不可能はもはや焦点ではない。
次に焦点となるのは、吹寄と自分の感情。
どうするのが吹寄のために、自分のためになるのか。
考えたら、やはりばらした上で守り切るのがベストだ。

「分かった。吹寄には話す」

「うん。それがいい」

「けど、今日は時間がない。話すのは明日以降って事で――」

「それはだめ。そのままなし崩し的に。話さない事もあるかもしれないから」

「じゃ、どうすればいいんだ」

「今から。吹寄さんを携帯で呼び出す。私は教室の外で待っているから。お話して」

「分かったよ」

そうして少しだけ泣き腫らした形跡がある吹寄に、今までの事を話した。
ただし、土御門と雲川先輩の事は避けて。
そして、これからの事も少しだけ話した。
主に、今自分が背負っているモノについて、自分の立場について。
吹寄は相槌を打つだけで、ただただ黙って聞いてくれた。
やがて、話が終わると、

「そっか。そんな事があったんだね」

「ああ」

「話してくれて、ありがとう」

「それはいいんだけど、この街に居れば、危険かもしれない」

「上条や上条が保護している女の子達が狙われやすいからって話?
 それなら、関係ないわよ。あたしは安全を基準に生きてきたわけじゃないから。
 ――あたしは、この街と――かみじょ――皆が好きだから、出ていかない」

「……そっか」

吹寄が選んだ答えを、どうこうする権利はない。

「背負いすぎないでね、上条」

「ああ」

と、六時間目終了を告げるチャイムが鳴り響いた。

「お前、俺が吹寄と何を話していたのか知っていたような口ぶりだったけど、もしかして尾行でもしていたのか?」

フランスへ行くため、第二三学区に向かう道中で尋ねる。

「吹寄は大覇星祭にて巻き込まれた。そんでもってカミやんに介抱されて、しまいには見舞いまでされちゃーな。
 そんで最近の入院ラッシュとかを鑑みて、何かあると勘繰ってカミやんを問い詰める事は十分予想できた」

「なるほど」

吹寄を抱きかかえた時、土御門も近くにやってきていた。
しかしながら、あの時の吹寄は意識が朦朧としていた。だから土御門の事は何も聞かれなかったのだろう。

「インデックスとヴェントの所には舞夏を向かわせるんだよな?」

「呼び捨てにするな。ああ、向かわせる」

舞夏はインデックスの事を『上条当麻が保護している女の子』としか捉えていない。
どうしてそうなったのか、などは気にしてない。
今回のヴェントについても、存在を知ったところで深くは突っ込んでこないだろう。
だからこそ、インデックスに制服を着せて高校に向かわせるといった暴挙に出るなどといった事もあったわけだが。

「一晩で片付けばいいんだけど」

「もちろん長期戦にするつもりはない。ただ、C文書を扱うのに、その辺の下っ端にやらせるとは思えない。
 『神の右席』が出張る可能性もある。厳しい戦いになる可能性は考えておけ。一つ言えるのは、フィアンマはないだろうが」

「リーダーだからか?」

「ああ。しかもヴェントから聞いた性格から鑑みるに、やはりまだ出てくるとは思えない。
 出張るとしたら、テッラかアックアだろう。アックアについては何か考えてきたのか」

「どう考えても俺一人じゃ勝てない。速度的に攻撃を避けるのは難しいだろう。
 ガードしようにも、ガードした部位ごと破壊される。真正面からじゃどうしようもない。
 勝つには隙をついた不意打ちか、強力な仲間に頼るか、俺自身が人間やめるくらいじゃないとどうしようもないだろう」

「じゃあもしもアックアが相手だったら、撤退するしかないかな」

「撤退なんて、していいのか?」

デモが長引けば、最終的に世界規模で恐慌が起こる可能性もあり得る。
C文書が重ね掛けされれば、デモ以上の事が起きるかもしれない。
一刻の猶予もないはずだ。

「『神の右席』なんて、どいつもこいつも化け物なんだ。ヴェントだって、実際に街一つを落としかけた。
 そんな奴らと、たかだか一人二人でどうにかしようと思う方がそもそも間違いなんだ。
 二〇〇〇年の歴史があって、二〇億もの信徒がいるローマ正教の最終兵器だぞ。
 気負う必要はない。負けて当然、勝ったら儲けモンぐらいの気持ちでぶつかればいい」

「……そうなのかな」

「気持ちばかり焦っても仕方ない。気持ちだけでどうにかなるなら、誰も苦労しない。
 確かにC文書がさらに発動されれば、世界は更なる混乱に陥るかもしれない。
 だが、死んだらそこで終わりだ。何もできなくなる。素直に撤退すれば、一回状況が悪くなっても、やり直せる可能性は残る」

「……そうかもしれないな」

これ以上自分が不満を漏らしたって状況が好転するわけでもない。
土御門にこれ以上気を遣わせても仕方ないので、以降は黙っておくべきだろう。

「……一つ、これは希望的観測だが」

しばらく無言の道中だったが、土御門が唐突に切り出してきた。

「ヴェントの話だと、テッラには多分会話が通じない。オレ達の事など、猿以下にしか見ていないだろう。
 しかし、アックアは英国出身で、純粋なローマ正教徒ではないとの事だった。
 ひょっとしたら、何か理由があって『神の右席』に所属しているのかもしれない。話は通じる可能性は十分ある」

「……分かった。じゃあもしもテッラが相手なら戦って、アックアが相手なら会話を試みるよ」

「それがいい。通じなかったら、撤退だ」

「分かった」

そうしてまた無言が続き、一〇分後、二三学区に到着した。

今回はここまでです
このSSでは、吹寄は上条が好きなので、
好きな人の事は知りたい→能力を聞いて、上条の能力を知っている
ということになっています

次回は雲川姉妹と舞夏の会話と、御坂と美鈴の会話を投下したいと思っています

面白かった。が、原作と大差無い(つかほぼコピー)部分はもっと簡潔にするかサクッと割合してほしかった
要はオリジナル展開だけ描写するようにしてほしい。

>>1です
>>792
それは私も痛感していますので、簡潔にできるところは簡潔に、割愛できるところは割愛します
ですが、オリジナル描写だけというのはさすがに無理です

ほぼコピーになってしまう理由としては、二つあります
一つは、原作で出てきた設定を、オリジナル描写でなるべく万遍なく出すのを考えるのが面倒だったためです
二つ目は、ここはやりたい、外せない、というシーンです

まず1~4巻ですが、これらはそこそこ違うと思います
3巻再構成については、時期がずれているだけで、やっていることはほとんど変わりませんが
5巻再構成上条パートについては、これは正直、一つ目の理由、考えるのが面倒だったためです
一方通行パートについては、これは考えるのが面倒だったのと、外せないシーンだったためです
最初は丸々カットしようかなとも思ったのですが、打ち止めや芳川の初登場、打ち止めを取り巻く設定の説明、
一方通行の弱体化の軽減などあったので、これは外せないということになり、ああいう形になりました
続いて6巻ですが、これも理由としては上記の二つとも当てはまります
最初は早々にシェリーには退場してもらおうかなと思ったのですが、御坂とインデックスの共闘、
そこに、化け物と自覚してなお助けに来る風斬、というのをやりたかったため、原作同様もったいぶるような展開になりました
7巻も、やはり上記の理由二つとも当てはまります
最初は、さっさとローマ正教の企みに気付いた上条達が天草式と話し合って、
パラレルスイーツパークでアニェーゼ部隊と戦い……みたいにしようとも思ったのですが、
オルソラには一回ボコボコにされて、それでもなお「これ以上に魅力的な贈り物がこの世のどこにある」
からの上条ら見参、というのがやりたかったために、ああなりました
8巻は、5巻一方通行パートと同じ理由です
数少ない黒子の見せ場、結標の初登場、一方通行の無双などがあるため、外せないということになりました
9,10巻も、考えるのが面倒、かつやりたかったからです
小萌先生が泣いてからのエリート校相手に勝利、大覇星祭が大規模魔術を打ち破るなど
姫神は本来ならせっかくの出番だったのですが、何せこのSSでは小萌先生はインデックスの治療をやってないので、
儀式場を作る地盤がなく、しかも原作の姫神が傷つくシーンはあまりにも痛ましかったのでカットしました
逆に、土御門は便利キャラゆえに(まあ勝手に便利キャラにしてる面もありますが)出番が多すぎるのと、
無理にオリアナと戦わせてボロボロにしたくなかったのでカットしました
必要以上には傷つけない、という考えは、魔道書を垣間見ずにボロボロにならなかった闇咲や、腹パンで済んだ結標にも当てはまります
本来は吹寄も傷つけたくなかったのですが、上条のモチベーションアップ、
大義のためなら人を傷つけていいのかという切り口(これは結局使用しませんでしたが)、
何より前回の投下分、上条には何かある、と吹寄が決定づける材料としての役割として、原作同様傷ついてもらいました
説教が被っているのも、この説教が好きだったためです
11巻は、導入以外はほぼコピーですが、これは面倒なのと外せないからです
アニェーゼ部隊敗北に使徒十字使用に失敗したために、ローマ正教の本気度を示すためなのと、
女王艦隊がやられないと、ヴェントが動く動機がないかなと思い、ああなりました
12,13巻については、説教が被っているのは、この説教も原作の中で好きなためです
それ以外は、5~11巻再構成に比べたら、結構違いは出せたかなと思います
ヴェントを「敵の敵は味方」の立場ではなく、完全に味方にしたのは、ヴェントを素顔にしたかったからです
前回の投下分については、女子寮パートがこれまたほぼコピーでしたが、面倒だったのと、オルソラの綺麗事をやりたかったからです

長文になりましたが、今までの投下分については、おおよそこんな考えでした
今回は前回予告した通り、雲川姉妹と舞夏の会話、御坂と美鈴の会話、あとは超電磁砲四人組も少しだけ登場します

繚乱家政女学校は、あらゆる局面で主人を補佐できるメイドのスペシャリストの育成を目指している養育施設だ。
その中でも一部のエリートメイドは、学園都市内を縦横無尽に『実地研修』している。
今日もその『実地研修』を終えて、二人のメイドがジュースを飲みながら休憩していた。
一人は、紺色を基調としたメイド服に身を包み、ドラム缶型警備ロボットの上で正座していた。
もう一人は、黄色のインナーに黒のコルセット、黒いロングソックスに黄色のスニーカーという、
平たく言うと蜂みたいなメイド服に身を包み、ベンチに座っていた。

「相変わらずお前のメイド服は見ているだけで目がチカチカしてくるなー」

土御門舞夏の突っ込みに対して、雲川鞠亜は縦ロールにした黒髪を揺らしながら言い返す。

「こちらこそ、警備ロボットの上で正座しながらくるくる回っているお前を見て、目が回りそうだ」

「嘘をつけ嘘をー。お前の能力は『暴風車軸』(バイオレンスドーナツ)とか言って、戦う時はくるくる回るんだろー?
 私を眺めた程度で目が回るはずないだろー」

「まるで私がアホの娘みたいな言い方だな。……いいぞ。今日もいい感じで傷ついている」

「うわー」

舞夏は顔を引きつらせる。雲川鞠亜は、『才能がある』と自負している。
そして『才能があるとなかなか窮地に陥らない。だから、いざ窮地に立たされた時のための免疫をつけるため、
普段からプライドを折らない程度に傷をつける』という持論がある。
分かるような気もするが、単なるマゾヒストな気もする。
いずれにせよ、そうして『傷ついた』時の雲川鞠亜は、舞夏にとっては気持ち悪かった。

「何だ、その引き気味な表情は。本当にお前は、私を傷つけてくれるな」

と言って、にやりと笑う鞠亜。
このように、悪いリアクションをすれば喜ぶし、スルーしてもそれはそれで喜ぶから面倒なのだ。
このままだと無限ループに陥りかねないので、舞夏は何か話題を逸らす材料を探す。
やがて、丁度良さそうなのを発見した。

「自販機の前で陰鬱な雰囲気を醸し出している人、雲川のお姉さんじゃないかー?」

「確かに、姉だな」

「一体、何があったんだろうなー」

「さあな。まあ姉の事だから、上条当麻関連だとは思うけど」

「まさか上条当麻は、あんな女帝というニックネームが似合いそうな女までメロメロにしているとでも言うのかー?」

「上条当麻関連と言っただけで色恋沙汰とは言ってないんだが……。
 何だ、上条当麻関連と言ったら色恋沙汰なのは共通認識なのか?ま、いいや。
 お前の言う通り、なんか知らないけどメロメロなのは普段の反応からして間違いない。
 本人は隠せているつもりなのだろうが、正直バレバレだ。落ち込んでいるのは、大方、上条当麻に女の影が見えたとかだろう」

「ふーん」

とりあえず雲川鞠亜の気を逸らす事に成功したらしい。
にしても、上条当麻も随分罪作りな男だ。
自分が知る限りでは、上条当麻の事を好きな人間は二人いる。
もっとも、確証はない。あくまで自分の主観によるものだ。
一人は上条当麻が保護しているシスター、もう一人は御坂美琴。
銀髪碧眼に白い肌のシスターは、可愛らしい顔をしており上条当麻と同居している。
御坂はルックスが良く性格も明るく、最近は上条当麻との親交が頻繁にあるようだ。
若干男勝りで喧嘩っ早くて負けず嫌いなところが玉に瑕だが、一〇〇人いれば九九人はお付き合いをお願いするレベルだろう。
それぞれ、上条当麻と近しかったり、本人のスペックが高かったりする。
彼女達を差し置いて上条当麻を勝ち取るのは、険しい道かもしれない。
とはいえ、傍目から見る限りは雲川の姉も美人だし、頭が良さそうだし、何より胸の隆起が半端ではない。
あの胸でビンタしてやれば、大抵の男はどうにかなってしまうと思う。
とかなんとかアホみたいな事を考えていたら、件の姉がこちらへ近付いてくる。

「お前があの土御門の妹か」

「は、はいー」

雲川姉はこちらを品定めするように見てくる。
彼女とは初対面だ。
自分は雲川鞠亜から、兄貴と同じ高校に通う姉がいると聞いていた上に、雲川鞠亜と顔が似ていたから彼女の姉と判断した。
向こうがこちらを判断できたのは、兄貴か雲川鞠亜から断片的に情報を聞いていたとかだろうか。

「そうか。いつも妹がお世話になっているけど」

「お世話しているのは私の方だけどね」

お決まりの社交辞令に、雲川鞠亜があえて無粋に切り込んできた。
ここで、うわっうざっ、みたいな表情をしても喜ぶだけなのでしない。
それは雲川姉も分かっているようで、何も言わない。

「いえいえ、こちらこそー。兄貴がお世話になっているー」

「時に土御門妹、お前がご奉仕しているのは兄だけだな?」

なるほど、どうやら自分も恋敵の一人としてカウントされているらしい。
考えてみれば、親友の妹ポジションは脅威なのかもしれない。
もしくは、現時点でまったく好意がないとしても、今後メロメロにされる可能性を危惧しているのかもしれない。
もっとも、ポジションで言えば『高校の美人巨乳先輩』もかなり有利な気がするが。
確か上条当麻は、どちらかと言えば年上が好みではなかったか。

「もちろんだー。兄貴以外の殿方には興味ないぞー」

「堂々とブラコン発言か。さすが土御門だな」

「禁断の恋に走っている奴に言われたくはないだろうけど。ま、それはともかくとして、安心したけど」

雲川姉はそれだけ言って、振り返って手をひらひらしながら去っていく。
三人の女の性癖が断片的に公開されてしまった中、舞夏が疑問を呈する。

「あの人、最初の方、私を観察するように見つめていたけど何だったんだー?」

「もしかしたらお前を見てバイセクシャルにでも目覚めたんじゃないか?
 ……というのは冗談だけど。姉の上条当麻好きは筋金入りだ。
 ありゃ上条当麻以外は好き嫌い以前に眼中にない。
 さっきの質問、返答次第では恨みを買っていたかもしれないな」

「そんなこと聞いてねーよー。で、結局、私を見つめていた理由は何だー?」

「真面目に答えるとすると、警備ロボットの上で正座しながらくるくる回っているアホを直に見れば、誰だって物珍しげに眺めるだろ。
 もう少し自分がおかしい事を自覚しよう」

「そんな視線じゃなかったんだけどなー」

「いずれにせよ、私からは『物珍しかったから』以外の意見はないよ」

舞夏は内心、使えねーなーと思うも、口には出さなかった。
わざわざ傷つけて喜ばせるのは癪だからだ。
若干すっきりしないが、仕方ない。
兄貴に頼まれた、シスターとよく分からない女性の世話をしに行こう。

土御門舞夏。
繚乱家政女学校で実地研修をしているのだから、メイドとしてはエリートなのだろう。
それ以外は、情報や先程直にこの目で見た限りは、特筆すべきところはない少女だ。
土御門元春は、養護施設から舞夏を義妹として連れてこの街にやってきた。
土御門元春が、魔術世界からのスパイだとして、果たしてこれからスパイとして潜り込むのに、そんな足枷にしかならないような存在と一緒に来るだろうか。
無論、その不合理さが偽装工作の可能性はある。
スパイならそんな不合理な行いをするはずがない、という思考に誘導するための。
だから、それだけでは決定的な判断材料にはならない。
そこで注目したのが、現状の土御門と舞夏の関係だ。
これが調べれば調べる程、互いが互いを大切に思っている事が分かる。
舞夏の方は、先程の彼女自身の発言や妹のブラコン発言にも恥ずかしがらない様子から、義兄が大好きなのは改めて分かった。
それは不思議ではない。
家族仲が悪いとなれば、やはり義妹は偽装工作のために用意された道具と認識されるかもしれないからだ。
しかし、騙す方が騙される方に必要以上に入れ込む理由はない。
土御門は、明らかに必要以上に入れ込んでいる。
それすらも油断させるためのフェイクなのかもしれないが、あまりに不合理なのは否めない。
ただ、その不合理さを説明づける事もできなくはない。
土御門の心を揺り動かすような何かしらの出来事が舞夏との間にあって、本気になってしまった可能性だ。
何せ、自分がそうだったのだから。
『彼』の生き様を見て、凍っていた心が溶かされて、好きになった。
本物の感情に理屈なんてないんだと知った。
『彼』のためなら、何だってする。世界も敵に回せる。
土御門も、舞夏に触れてそうした心の変化があった可能性もある。
もしもそうなら、スパイとしては赤点だろう。
もっとも、『彼』を好きすぎるあまりにたまに支障が出ている点では、人の事を言えた義理ではないが。
いずれにしても一つ言えるのは、土御門と舞夏は羨ましいという事だ。
こちらはまだまだ片想いで、ライバルも多数だ。
具体的には、同居人の白いシスターや、最近新たに匿う事になったらしい謎の美人、黒髪セミロングで巨乳という、キャラ丸被りの後輩の少女とかだ。
ここまでくると、危機感を通り越して落ち込んでくる。

「はーあぁ……」

上条当麻を思い切り抱き締めたい。
そんな事を思いながら、帰路に着く雲川芹亜だった。

風紀委員第一七七支部。
テーブルを挟んで長いソファーが二つある応接間のようなスペースに、四人の少女が座っていた。
彼女達の話題は、回収運動についてだ。

「それで、あたしは学園都市でたくさん友達ができて、大好きな皆と離れたくないからって事で、
 帰って来いって電話バシッと断ってやったんですけど、皆さんはどうですか?」

黒髪ロングのストレートに花飾りがチャーミングな少女、佐天涙子が三人の少女に問いかける。

「私も断りましたよ。治安を維持する立場の私が、脅威から逃げていたら話になりませんから」

頭に花飾りを乗っけて甘ったるい声で答えた少女は、初春飾利。

「以下同文ですの」

茶髪にツインテールの少女、白井黒子は端的にそう言った。

「私も断ったわよ。主に佐天さんと同じ理由で」

茶髪のショートヘアに可愛らしいヘアピンをしている少女、御坂美琴はそう答えた。

「それはつまり、わたくしが学園都市に残るから残るという事ですわよね?」

「まあ、間違いじゃないわね」

「逆に、御坂さんが出ていくって言っていたら、白井さんは出ていったんじゃないですか」

「ま、まさかそんな、このわたくしが、治安を維持する責務を放り投げるなどあり得るわけが……」

初春の思わぬ突っ込みに、白井はあからさまに動揺して目を泳がせる。

「でで、でもお姉様は、実際に出ていかないという選択をしましたの。ね、お姉様?」

「うん」

「御坂さんが残ってくれて、あたしはすごく嬉しいです。何より、理由があたしと同じって事が。
 あたしは皆大好きですけど、御坂さんもあたし達の事を思っていてくれたんですね」

「それは私のセリフよ。別に今回の宗教団体の件だけじゃない。学園都市では、いろんな事があったでしょ」

御坂の一言に、その場にいる全員が思いを馳せる。

「学園都市はセキリュティの面では世界最高峰だと思うし、とっても便利だけど、その分、いろんな闇も抱えている。
 それは乱雑解放事件とか、フェブリの件で分かったと思う」

御坂の独白を、少女達は黙って聞いている。

「それでも、学園都市が好き、皆と一緒に居たいから、っていう理由でここに残る選択をしてくれて、すごく嬉しい。
 私こそ、皆ときっちり繋がっているんだなって感動したわ」

「御坂さん……」

「改めて、これからもよろしくね、黒子、初春さん、佐天さん」

「そ、そんな、こちらこしょよろしくお願いしましゅっ!」

改まった態度の御坂に、恐縮した初春が噛みながらおじぎをした。

「なんか、御坂さんに改まられると、恐縮しちゃうなあ」

佐天は照れたように右手で頭の裏を掻いてから、

「こちらこそ、よろしくお願いします」

深々とおじぎをした。

「言われずとも、黒子はずっとお姉様と一緒ですの!」

白井に至っては興奮して御坂に抱き付こうとする始末だった。
御坂はそんな白井を掌で押しのけ遠ざけながら、とある宣言をした。

「一つ約束しておくわ。この先、本当に宗教団体が攻め込んで来たら、私が皆と学園都市を守るから」

宣言に対して、初春は思わず見惚れて頬を赤く染める。
それを見逃さなかった佐天は、

「おやおやぁ、なんで頬を赤く染めているのかな、初春君」

「だ、だってかっこよくって……」

「初春もお姉様に魅了されてしまったようですわね。ですが、お姉様はわたくしのものっ!手を出すというのなら、いざ尋常に――」

「アンタのものでもないから少し黙ろうか」

御坂はチョップをかまして暴走しかけた後輩を止める。
一方で佐天は、うんうんと頷きながら、

「確かにかっこよかったし、御坂さんの気持ちはありがたいですけど、守られてばかりじゃないですよ。
 いざって時は、皆で戦いましょう。今までだって、そういう風にやってきたじゃないですか」

快活な笑顔で、そう言った。

「……そうね。いざという時は皆で戦いましょう」

「「「はい(ですの)!」」」

学園都市は危険かもしれない。
迫っている危機は少女達の想像を遥か超えているかもしれない。
だけど、決して悲観的な事ばかりじゃない。
少女達の絆は、より一層強くなったのかもしれなかったのだから。

御坂美鈴。
一児の母親にして、大学に通う女性。
大覇星祭の時などは、娘を徹底的にからかって遊んだりしていたが、それはそれくらい娘の機微が分かる、娘との距離感が近いからこそであった。
要は、御坂美鈴とは娘の事が大好きな人間なのだ。
そんな彼女の事なので、一〇月一日には娘のところへ電話をかけていた。

『率直に言うわ。美琴ちゃん、ママと一緒に安全な地方に移りましょう』

「断るわ」

『上条君がいるから?確かに恋愛は大事だけど、それ以上に大事なものってあるでしょ』

「そうね。だから、恋愛とかじゃない。私には、大事な友達がいて、この街がなかったら、皆とも出会えなかった」

御坂の脳裏には、佐天、初春、固法、湾内、泡浮、婚后、黒子。
そして、あの少年の姿が浮かんでいた。

「私はこの街が嫌いになれない。だから、出ていくなんて真似はできない」

『美琴ちゃんがそう思っていても、他の皆はどうなのよ?仮に、他の皆は出ていくって選択を取ったら?』

「私に皆をどうこうする権利はないから、ママの言う通りになっても止める事はできない。
 それでも私は、この街を捨てられない。だって、この街には思い出がたくさん詰まっているから」

『……美琴ちゃんは、学園都市を守りたいって事?』

「うん」

一秒の間もなく即答され、美鈴はしばらく沈黙したのち、

『……分かったわ。そこまで言うなら、無理に戻ってきてとは言わない。その代わり、約束して。――絶対に、何があっても無事でいて』

「言われなくても、最初からそのつもりだから。――じゃあね、大好きだよ、ママ」

御坂はそれだけ言って、電話を切った。

今回はこれで終了です

>>793で散々講釈を垂れてきましたが、今後について少し述べておきたいと思います
15巻は前半はともかく、後半は変えるつもりです
それに伴い19巻、さらにロシア編の一方通行浜面パートも変わる予定です
16巻も、そこそこ変えたいと思っています
イギリス編は、あまり変えようがないので、あまり変わらないと思います
スキーズブラズニルの時点でカーテナ=オリジナルの輸送を止めるというのも一瞬考えましたが
9000万対1とかやりたいですし、何より、イギリス国民が思ったより強いことをキャーリサが自覚するには
やはりカーテナ=オリジナルを持ち出した上で、でないといけないと思うので
ロシア編上条パートも、大きな変化はしないと思います
フィアンマに相対できる奴なんてそうはいないですし、フィアンマの想定していた悪意には全然足らない、
世界中の人間がフィアンマの力を削ぎ落とした、という展開もやりたいので
まあ予定なのでどうなるかは分かりませんが

14巻についてレスするのを忘れていました
特別これがやりたいシーンなどもないので、テンポよく行きたいとは思っています

新約は1巻は思い切り変えたいですね
2~4はどうしようもないですかね
特に4巻については、本当は加群を助けたいとか思いますが、そうなるとマリアンが戦乱の剣を持ち出す動機がなくなるのと、
鞠亜が上条に頼むシーンとか、上条の説教とか、そもそも加群自体生き残るのは本意ではないわけですし
いっそのこと加群の過去を変えればいいかもしれませんが
5,6は原作よりもスムーズに行きたいですね。科学パートは多分変わります
7は、前半は変えますが、後半は原作同様の展開に収束するかと思います
8は、フレイヤ戦が電車の上にはしたくないと思います
9は、もうやりたいことだらけの巻なので、旧約の5,8並に変わらないと思います

上条さんが別キャラなのは仕方ないにしろ
それにしても上条さんの行動原理がいまいち理解できない
守りきれないと自覚しつつも平気で事情を話したり
前の話で力のない人間は巻き込めないって言ってたのはなんだったのか
それもインデックスを守るって意志とかで首を突っ込んできてるわけでもない完全に興味本位の相手に対して
姫神が言ってることも完全に無茶苦茶だし
助けられない失敗を恐れて危険に巻き込まないようにしてるとか、どんな理論だよ
単純に相手のことを考えれば巻き込まないようにするのは当然
恋心とか関係なく友人を進んで危険に巻き込もうとしてる姫神ってなんなの?
何にしろ前回の投下は酷すぎる
それにヴェントは実際に統括理事会の人間を殺してるのに上条さんの一存で学園都市で保護することなんてできないだろうに
ヴェントの身の安全以前の問題だよな
普通に人を殺しておいて、のうのうと学園都市で暮らすとか言ってヴェントは一体なんなんだ?

792ですが、とりあえず

>>考えるのが面倒、かつやりたかったから
と全体的に捉えました。正直辞めちまえと言いたいとこですがまあいいです

ならやるなとは言いませんがコピー部分は【】とかで括るとかコピーは全体の何割程度か等の
何か解りやすい目印があればいいなあと思った。ぶっちゃけ5巻と8巻分は読み飛ばしたので

……がおそらく読みに来ることはもう無いので結局は好きにやって下さいでFAしときます。804や806みたいな方もウザいので

というか本文以外見たくない派なので且つこんなに長いなら
やっぱり理想郷でもハーメルンでも投稿サイトでやった方がいいんじゃないですか?
見落としでどっかで既にやってるとかならすいません


蛇足;.原作は新約4巻から切ったけど、最近何かまた面白くなってきたとのことなので
まとめとかがありかつ縁があったならその辺りからまた読ませてもらうかもしれませんね
その場合は原作コピーガンガンやってくれた方が逆に有り難いかも(笑)

>>1です
>>803
上条は今、スタンスがブレているという感じです
姫神が意地になったのは、危険がどうのこうのと言うより、吹寄を傷つけた上条にむかついたという感じです
ヴェントについては後々説明をいれて、軽く処断しますが、あなたが納得できるかどうかは分かりません

>>807
理想郷とかハーメルンとかの投稿サイト系は、名称を知っている程度で作者としても読者としても利用したことがないので、
ここでしかやってませんし、やるつもりはありません

今回は14巻終わりまで投下します

「C文書をフランスで使うなら、アビニョンにある教皇庁宮殿に向かわなければならない。これは朝言ったな」

時速七〇〇〇キロ出る飛行機の中で、土御門が普通の調子で言った。

「ああ」

「つまり、オレ達も教皇庁宮殿に向かってC文書使用を妨害する……と言いたいところだが、奴らも馬鹿じゃない。
 おそらく、C文書によって暴動を意図的に引き起こして、教皇庁宮殿への道を止めるだろう。
 だが、暴動行為をする奴は、させられているだけだ。まさか、ぶっ倒していくわけにもいかない。
 だから、教皇庁宮殿へは向かえない。ではどうするか。答えとしては、
 アビニョンとローマ教皇領……今のバチカンを結んでいる術的パイプラインを切断する、ということになる」

「そこで俺の出番って訳か」

通常の何倍ものGがかかっているが、土御門と同様、上条も平気そうだった。

「いや、カミやんではおそらく、パイプラインを切断できない」

「え?」

術的な、ということは、魔術的な、という意味ではないのか。魔術なら幻想殺しで消せるはずだが……。

「術的なパイプラインってのは地脈を利用しているわけだが、カミやんの右手じゃ、おそらく消せない。
 カミやんが地に手をついたって、地球が砕けるわけじゃないだろう?」

「それは、そうだけど……なんつーか、お前ら魔術世界で言うところの地脈って、
 魔術的な意味を込めているとか、そんなんじゃないのか」

全然うまく言えない。頭の中で少し考えて言い直す。

「何だろう。普通の地面に触れるだけじゃ、そりゃなんともならないだろう。
 でも、今回、パイプラインとして地脈を魔術的に利用するのなら、魔術的な力だけを打ち消すんじゃないのか」

「……いや、だからまあ、あくまでも『おそらく』なんだ。
 たとえば、人間の『生命力』だってオカルト的な力だが、カミやんは握手をしただけで人を殺せるわけじゃない」

「それだって同じことじゃないのか。普通の生命力には反応しない。生命力に異能の力が絡んだ時、異能の力だけを打ち消すとか」

「だとしたら、カミやんの右手の打ち消しは『問答無用』ではないことになる。カミやんの右手には、何か妙な『例外』がある」

結局、自分の右手は魔術的な地脈を打ち消せるのか、消せないのか。

「じゃあ、俺の右手が地脈を打ち消せないとしたら、術的パイプライン切断はお前がやるのか」

「そうなる」

「……それは、ダイナマイトでも使って物理的に破壊するのか、魔術を使うのか、どっちだ」

「後者だ」

「……なら、また傷つくのか」

「そうなるが、そんな顔するな。これは仕事なんだから仕方ない。仕事ってのは、辛くて大変で疲れるモンだろ」

「何で土御門なんだ」

上条は、渋面になって、

「『御使堕し』や大覇星祭の時は土御門が出張るのも分かる。日本国内の話だったから。だけど、今回はフランスだろ?
 それこそ、日本人より外国人の方がいいんじゃないのか。地理の詳しさとか、手続きとか」

「科学サイドの住民であるカミやんを動かすとなると、オレの方がどうしても都合がいいんだ」

「……もし俺が、俺を利用するなら土御門ではなく他の奴を寄越せってわがまま言ったらどうなる?」

「面倒としか言えないかな。オレとしては、たとえオレが傷つくのに胸を痛めていたとしても、どうか一緒に行動してほしいと思う。
 それが一番手っ取り早いからな」

「……そうか」

「そんな落ち込むなって。禁書目録に『とうまが危険な場所に行くのなら私は自殺するかも!』とか言われても困るだろう?
 まあ、たとえとして不適切かもしれないが、要は過剰に心配されても困るっつーか、できれば信頼してほしいって事だ」

「……そうだよな。悪い、ずっと気を遣わせっぱなしで」

「構わないさ。元々、カミやんに頼らないといけないオレ達が悪いんだし――っと、そろそろだな」

土御門は座席のベルトを外して立ち上がる。

「そろそろ?何が?」

「スカイダイビング」

端的答えられる。まさか、

「まさか、上空から飛び降りてフランスに入るのか?」

「おう」

おう、じゃねーよと思う。母はどうやらパラグライディングを嗜んでいるようだが、
自分はスカイダイビングなど、生まれてこの方やった事がない。

「ついてこい」

そう言うので、とりあえずベルトを外して立ち上がって、先導する土御門についていく。
辿り着いたのは、荷物搬入用の後部ハッチ。

「マジでか」

「マジだにゃー」

土御門にごついリュックサックを押し付けられる。多分、パラシュートだ。
リュックを装備する土御門に尋ねる。

「待てよ。こういうのって普通、ガイドと一緒に飛び降りるんじゃないのか」

「だって一般人は巻き込めないし」

「だったら、せめて最低限のレクチャーぐらい」

「早くリュックを装備しろ。さもなきゃ死ぬぞ」

土御門は壁についている大きなボタンに手をつけている。
おそらく、ハッチのドアを開けるボタンだ。

「ちくしょう!」

上条は、既にリュックを装備済みの土御門を見て、見様見真似で装備する。

「よし!じゃあレッツスカイダイビング!」

ボタンが押され、ハッチのドアが開く。
気圧の急激な変化と空気の流れによって、機内から外にかけて強風が抜けた。
それでも上条は何とか踏ん張れた。
七〇〇〇キロオーバーでハッチのドアを開閉すれば、吹き飛ばされるどころか機内が中からバラバラになってしまうはず。
にもかかわらずそうなってないのは、おそらく減速していたのだろう。

「――おいやっぱスカイダイビングなんて無理だって!こんなの死ぬ!」

「死なないって」

「ていうか一般人を巻き込めないってんなら、お前が俺のガイドになれば良かっただろ!」

「あ、その手があったか」

「お前マジか!」

「ぐちぐちうるせーにゃー。いいから黙って行け。男は度胸だ!」

直後、ケツを蹴られて押された。
いてっ、と思った時には、既に上空を舞う羽目になっていた。
テメェ土御門地上に降りたらボコボコにしてやっかんなああああああああああああああああああああああああああ!
という、上条の絶叫がフランス上空で響き渡った。

「当面の目的地は博物館だ」

地上に降り立ってからの土御門の最初の一言がそれだった。
本当は文句の一つでも言いたかったが、今はそんな場合ではない。

「ある場所をパイプラインとして成立させるには、どうしたって魔術的な要素が絡んでくる。
 とはいえ、たとえば道路に魔法陣を刻んだりしたら、目立ちすぎる。
 だから、目立たないように、自然にパイプラインを形成するのが理想だ。
 パイプラインを形成するには、いろいろ方法がある。たとえば、お守りをうまく配置するとか。
 ここまで言えば、カミやんならオレの言いたい事が分かるだろ?」

「お守りやら骨董品やらアンティークやらは、一般家屋にあれば目立つが、博物館にあるのは自然だからって事か」

「正解。そしてパイプラインを形成するなら、教皇庁宮殿から遠い方がいい。その方が、C文書の効果範囲が広がるからな」

「つまり、目指すのは教皇庁宮殿から一番遠い博物館ってことか」

「そういう事」



そうして見当をつけた博物館に辿り着くと、既に先客がいた。
緑色の制服に、痩せこけた頬。

「左方のテッラか」

「やはりヴェントから容姿を聞いていましたかー。この調子だと、私が扱う『光の処刑』のタネも割れているんですかねー」

タネが割れている可能性も考慮したうえで余裕な態度を決め込むのは、よほど自信があるのか。
タネが割れていると言えば、幻想殺しも同じだからか。
しかし土御門については未知のはずだが。

「パイプラインを切断しに来ると読んだうえでの待ち伏せか」

「そうですが、がっかりですねー。どんなエージェントが送り込まれてくるのかと思えば、子ザル二匹とは」

第一目的はあくまでC文書の破壊だ。
パイプライン切断は、そのための手段であって目的ではない。
ここは、一旦撤退もある。もっとも、テッラがC文書を所持している可能性もあるが。
どうするんだ、と上条は横目で土御門をちらっと見る。
すると彼は、拳銃を取り出して銃口をテッラに向けて、引き鉄を引く。
その直前だった。

「――優先する。弾丸を下位に、人体を上位に」

テッラの詠唱直後に、銃口から放たれた弾丸がテッラに直撃したが、弾丸は弾かれ、彼は無傷だった。
これが『光の処刑』。優先順位を入れ替える魔術。
テッラは笑みを浮かべ、土御門はズボンの左ポケットから、黒い折り紙で折られた『亀』を取り出す。
その『亀』は、水の塊になる。土御門がやろうとしている事が分かった。
弾丸と魔術。相反する二つの攻撃。自分達の推測では、優先順位を入れ替えるのは一つずつまで。
人体を上位にするなら、下位にできるのは弾丸か魔術のどちらかのみのはずだ。
回避でもしない限り、完全なノーダメージでは切り抜けられないはず。
見た感じ、テッラは体を動かすのは得意そうではない。

「――優先する」

一体どうするつもりだ。
上条が注視している間に、土御門の右手の拳銃から弾丸が、左手から水の塊が放たれる。
そして、

「――核兵器を下位に、人体を上位に」

弾丸は先程と同様に弾かれ、水の塊も、潤いと張りのある肌に落とした滴のように弾け飛んだ。

「大は小を兼ねる。核兵器が通用しない状態の私に、チャチな鉛弾や魔術が通用するはずありませんよねー?」

土御門のこめかみから一筋の血が垂れる。テッラは得意げに語り続ける。

「まあ、本当は私の術式に野蛮な科学兵器を持ち出すのは癪なんですがねー。仕方ありません。
 私の術式は優先順位を一つずつしか入れ替えられない以上、
 人体の強度以上の攻撃が二種類以上同時に来ると、防ぎきれないという癖がありますからねー」

今のテッラにまともにダメージを与えるには、核兵器以上の威力を持った攻撃が必要になるのだろう。
それか、幻想殺し。

「私はですねー、科学兵器の殺傷力は認めているんですよ。だからこそ、このような結果になっているわけですが」

ヴェントの話では、テッラは小麦粉をギロチンにして攻撃するらしい。
まだ迂闊には近づけない。

「皮肉なものですよねー。科学兵器の進化が、科学の対極に位置する私の強化につながっているなんて」

しかしながら、テッラが攻撃に転じる時には、人体の強度は元に戻るはずだ。
自分がテッラに攻めに向かって、テッラが自分の迎撃に転じた隙を土御門が衝いてくれれば。

「さて、それでは死んでもらいますかねー」

テッラは万歳をするように両手を挙げて、

「――小麦粉を上位に、核シェルターを下位に」

詠唱の直後に、上から巨大なギロチンが二つ振ってきた。
一つは、上条の二メートル手前に、一つは土御門の頭上に、彼を左右に真っ二つに両断する軌道で。
ゴガン!とギロチンが地面に直撃した。
その衝撃は大地を揺らし、生み出された灰塵と余波は上条を呑み込んだ。

たったの一撃で、体力と気力をかなり削ぎ落とされた。
二メートル手前からの余波でこの調子なのだから、両断は免れていたとしても、土御門は大ダメージだろう。
巻き上がる灰塵のせいで、テッラがどこにいるかは分からない。
逆にテッラ側は、とにかくギロチンを振り回していればいい。
撤退して立て直すにしても、この灰色の世界ではどの方向に走ればいいかが分からない。
だから、この場面では、ヘタに動かないのが最適解だろう。
上条は、目を瞑った。
この灰色の世界では、視力などあってもほとんど役に立たない。
だったら、視力に使う神経を、他の感覚に注ぐ。
ヒュン、という風を切る音が聞こえた。
横から――おそらくは五メートルほど横から聞こえた。
ギロチンが地面に直撃し、大地が揺れ、衝撃波が襲い来る。
灰色の煙の波は、先程よりは小さかった。
おそらく、先程より距離があったのと、そもそもギロチン自体も小さかったのだろう。
二本の足で何とか踏ん張る間にも、風を切る音が聞こえる。
それも一回や二回ではない。
ギロチンは、大地を千切りにするかのごとく何度も振り下ろされてくる。
そして。

テッラの連続攻撃は三〇秒で止み、一分後には煙が晴れた。
土御門と上条は片膝をつき満身創痍になりながらも、五体満足だった。

「手応えはなかったので五体満足だとは思っていましたが、虫の息のようですねー」

手応えがなかったのに、どうして攻撃をやめたのか。
上条が疑問に思っていると、続くテッラの語りによって、その答えは明かされた。

「立場もあるのですが、私は滅多に実戦に参加しないのでね。
 こうして『光の処刑』を存分に発揮できる機会は少ないものですから、
 できるだけ楽しみたかったのですが、所詮は子ザル二匹でしたかねー」

テッラのまるっきり上から目線の発言を受けて、土御門は目線を下げながら、

「ああ。所詮は子ザルさ。カミやんはともかく、少なくとも今のオレは、な」

率直に、土御門は実力不足を認めた。

「だからオレは、何でも利用するし、真っ向から太刀打ちしようとは思わない。オレの魔法名は『Fallere825』、背中刺す刃だ」

上条はまだ知らないが、魔法名の宣言とは、自分の覚悟を見せ付けるためのものである。
土御門は、背中に回って刃を突き立てるためならば、何でもする。

「お前のご期待には添えられないが、まあオレ達にそんな義理はないし、つまらない幕引きを迎えるとしようか」

直後だった。
テッラの腕から血が噴き出した。

「……は?」

あまりに唐突な出来事に、当のテッラは悲鳴の代わりに間抜けな声をあげて、腕をだらりと下がるだけだった。

「カミやん、テッラを殴り飛ばして懐を探って、C文書があったら破壊してくれ」

「あ、ああ」

呆然としていた上条は土御門の指示で我に返り、テッラに向けて駆け出す。

「く、クソザルどもがあああああああああああああああああああああああああああああ!」

アックアとフィアンマはともかく、ヴェントとテッラは通常魔術を使えない。
つまり、腕を回復させる魔術は使えず、腕を振るえず、ギロチンを振り回せない。
通常魔術を使えないのだから、専用にセッティングしていなければ、腕が要らない魔術も使えない。
優先順位を入れ替えて自身の肉体の強度を強化することはできるだろうが、幻想殺しの前では無意味。
腕が使えなければ、回避はともかく、攻撃も防御もままならない。

「――瓦礫を下位に、人体を上位に」

詠唱したテッラは、少しだけ走って足下の瓦礫を蹴り出した。
元々テッラは、体を動かすタイプではない。
方向としてはまぐれにもドンピシャだったが、スピードは速くなかった。
上条は回避動作に移らず、上着を脱いで、上着ごと瓦礫を払った。

「ち、くしょがああああああああああああああああああああああああああああああああ!」

やぶれかぶれになったテッラが、二発目の瓦礫を蹴り出そうとした時には、彼の眼前に迫っていた上条が、彼の顔面を殴り飛ばした。
その瞬間に、テッラの懐からC文書が飛び出した。
それを上条は、地面に落ちる前に空中で掴み取った。
直後に、C文書はさらさらの砂と化して、拳の隙間から風に乗って消えていった。

その後、実はフランス入りしていた天草式がやってきて、テッラを回収した。
上条と土御門は応急処置を受けてから、例の七〇〇〇キロもの速度を出せる飛行機で日本へ。
飛行機の中で、上条は当然の疑問を発する。

「結局、テッラの腕が潰れたのは何だったんだ」

「『オジギソウ』って言う、ナノデバイスを使ったんだにゃー」

「そうか。お前が『あの時』操作していた携帯端末は、ナノデバイスを操作していたのか」

「そうだにゃー」

ギロチンの連撃が終わった後、土御門は片膝をつきながら、携帯端末を操作していた。
テッラの位置からは瓦礫で見えなかったろうが、自分の位置からは見えていた。

「めちゃくちゃ強力なナノデバイスだな」

「つっても、風が吹いている間はロクに使えないけどにゃー」

「それは空気中に散布するタイプのナノデバイスの宿命だろ」

「まあそうだけどにゃー。今回は幻想殺しを警戒してか、
 よりによって直撃させるよりも余波で徐々に削ろうとしていたから、
 面倒になると思っていたが……灰塵のおかげで『オジギソウ』を堂々と散布できた。
 強者にありがちな調子こきの性格も相まって、最後はあっさりと片付いてよかった」

「その『オジギソウ』とやらは、常に持ち歩いているのか?」

「いや、結構貴重なモンだから、今回は特別に持ち出しただけだ」

「そうか。アックアやフィアンマにも通用するかな」

「どうだろうな。ま、過信はいけないだろうとは思うが」

「……そうだな」

上条はそこから黙った。
これからの強敵にどう対応していくか。
高速で流れゆく景色と、時差によって昼から夜に移り変わる空を窓から眺めながら、上条はただ思いを馳せる。

テッラがイギリス清教に捕まり、C文書は破壊されたようだった。
ローマ正教と、おそらくフィアンマは、いい気はしていないだろうが、アックアにとっては、願ったり叶ったりの展開ではあった。
個々の意思を塗り潰すような効果を持つC文書は忌み嫌っていたし、テッラは『光の処刑』の調整のために、民間人を平気で殺していた。
到底許せる所業ではなかったので、いずれ粛清しようと思っていた。
だからC文書の破壊も、テッラの拘束も、個人的にはむしろ良かった。
ただし。
上条当麻の右手も、そろそろ捨て置けない。
あれは、世界の混乱を招く元凶の一つとなっている。
放っては置けない。
近いうちに、学園都市に乗り込んででも、右手を破壊する必要がある。

以上で、今回分は終了です
五和の出番はバッサリカット、テッラ戦もあっさりで、五和好きやテッラ好きの方はごめんなさい
さらに言うと、五和については、16巻再構成でもあまり目立たない予定です
16巻分では主に、上条が幻想殺しについてどう考えているのかを掘り下げて、インデックスに聖女ぶりを発揮させ、
ヴェントを少し活躍させる予定です
その分、いずれどこかで五和を出して活躍させたいと思っています
テッラについては、命はあるので、どこかで出番があるかもしれません

テッラが通常魔術を使えないのにC文書を持っていた理由についてですが、これは、部下に持たせるより自分が持っていた方が安全だと判断して、
イギリス清教から送り込まれてくるエージェントや学園都市から送り込まれてくる兵器をある程度一掃してから部下に渡す算段だったと考えてください

次回更新は6月6日予定。15巻再構成です。その後、16巻再構成をやって、ヴェントを処断します

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