ミカサ「844のパラドックス」(127)

——844年。ウォール・マリア山奥にて。

エレン「ミカサ……?」

グリシャ「ああ、お前と同い年の女の子だ」

グリシャ「この辺りには子供がいないからな、仲良くするんだぞ?」

エレン「うん……。そいつの出方次第だけど」

グリシャ「エレン……、そんなんだから友達が一人しか出来ないんだぞ……」コンコン

グリシャ「ごめんください。アッカーマンさん、イェーガーです——」ガチャ

——845年。シガンシナ区に突然現れた全長60メートルにも及ぶ超大型巨人により開閉扉が破壊された。
その後に示し合せたように出現した鎧の巨人により、ウォール・マリア南方の扉までもが破壊されてしまい、
人類はウォール・マリアを放棄。その活動領域をウォール・ローゼまで狭めた。

——846年。領土奪還作戦との名目で、兵士たちと共に難民化したマリア及びローゼの住民たちが作戦に駆り出されるが失敗。
この際、人類の約二割の命は巨人に蹂躙され、残された人々は狭い壁の中で生き抜くことができた。

——そして現在。847年。
第104期訓練兵団編成の日。

キース「貴様は何者だ!」

アルミン「ハッ! シガンシナ区出身! アルミン・アルレルトです!」

教官A「……おお、やってるな。お前も訓練兵の時は初っ端からアレだったろ?」

教官B「はい……あの恫喝には何の意味が……?」

教官A「通過儀礼だ。過去の自分を否定させ、まっさらな状態から兵士に適した人材を育てるためには必要な過程だ」

教官A「すなわち、その通過儀礼を終えた者には必要ない」

アニ「……」

ユミル「……! …………ッ!」プルプル

エレン「……」チラ

ミカサ「…………」zzz

エレン(ね、寝てやがる……、しかも立ったまま……)

エレン(あいつ、教官の目が怖くないのか……?)

教官A「恐らく二年前の地獄を見てきた者たちだ。面構えが違う」

教官B「あの……、一人、物凄く顔が引きつっている子がいますが……」

教官A「武者震いだろう。やっと兵士として訓練できるのだから、彼らが歓喜するのは当然のことだ」

教官B「成程……」

キース「次ッ! 貴様は何者だ!」

ジャン「ハッ! トロスト区出身、ジャン・キルシュタインです!」

——第104期訓練兵団編成の翌日。
訓練兵たちは全員兵服を着て、訓練場に集められていた。

キース「まずは貴様らの兵士としての適性を見る!」

キース「既に知っているだろうが、我々兵士は、この立体機動装置を用いて巨人と戦わなければならない!」

キース「即ち、立体機動を使いこなせない者は、囮にも使えん!」

キース「この訓練装置は簡素なものだが、貴様らの適性を把握することができる」

キース「全身のベルトを使ってバランスを取るだけだ。これさえできない者は、早急に開拓地に移ってもらうぞ!」

教官A「——これはまだ初歩の初歩だが、この段階から立体機動の素質は見て取れる」

教官A「見ろ、あの子たちだ」

サシャ「ブランコみたいで楽しいですねこれ!」ビョーンビョーン

コニー「すげえ! なんだこれすげえ!」クイクイッ

教官B「……あの子たちは確か、山奥の村出身の」

教官A「ああ。例年でも、彼らと同様に山奥に住んでいた者たちの方がバランス感覚が優れているという統計がある」

教官A「ま、元気があるのはとてもいいことだ——おっ」

ジャン「コツさえつかめば、簡単だな……」

クリスタ「うわわっ……! ……やった! できた!」

エレン「うぉっ、くっ……よしッ!」

教官A「——今期はできる者が多いようだ」

教官B「! あの、彼女は……」

教官A「……ああ。素質というものだろう、あれは」

教官A「人並み以上にできることがあれば——」

教官A「人並み以上にできないこともある」

ミカサ「……?」プラーン

キース「何をやっているミカサ・アッカーマン! 上体を起こせ!」

ミカサ「! あ、くッ……!」ジタバタ

ミカサ(こんなの……どうすれば……)

——女子宿舎にて。

サシャ「申し訳ないんですけど、私はあれ、感覚で成功したのでコツとかは……力になれずすいません……」

ユミル「寧ろ私は教えてほしいね、例えばあんな恥かいても正気保っていられるコツとかよ!」

クリスタ「ちょっとユミル! 失礼でしょ!」ズツキ!

ユミル「くぼっ!」

ミカサ「……いや、私の方こそ無理を言ってしまった。あれができなければ、お話にならないのは事実だから」

クリスタ「手伝えることがあったら、いつでも言ってね?」

ミカサ「うん。ありがとうクリスタ」

ミーナ「あ、そういえば、彼女も上手いって言われてたよ。名前は確か……」

アニ「姿勢制御のコツ……?」

ミカサ「うん。アニはすっごく上手いって聞いた。ので、ご教授願いたい」

アニ「ふうん……」

アニ「……悪いけど、アンタが期待してるような助言はできそうにないね」

アニ「人には向き不向きというものがあるから。それをたった一言の助言で乗り越えられるとしたら、そいつは余程の天才だ」

ミカサ「そう……」

アニ「……」

アニ「一つ聞いていいかい?」

ミカサ「……何?」

アニ「あんたはウォール・マリアから移住してきたんだろ? なら、巨人の恐ろしさも知っているはずだよね」

アニ「なのに……どうして兵士を目指すのさ」

ミカサ「…………」

ミカサ「分からない。ただ、私には何もないから」

ミカサ「だから、周りに合わせているだけ……なのかも」

アニ「……ふうん」

アニ「……見た限りでは、アンタ、筋は悪くなさそうだ」

アニ「重心がずれているのか……後は装備の故障か、だろうね。理由があるとすれば」

アニ「一度入念に整備しておきな。そうすれば、まあ、運が良ければ上手くいくと思うよ……」

アニ「あんたならできるよ……ミカサ・アッカーマン、だったね」

——翌日。

キース「ミカサ・アッカーマン、覚悟はいいな?」

キース「立体機動装置を操ることは、兵士としての最低条件だ。それができなければ開拓地に移ってもらう」

ミカサ「はい……」

ミカサ(失敗すれば、終わる)

ミカサ(全てが、終ってしまう)

ミカサ(私には何も残されていない……それでも)

ミカサ(ここにはクリスタやサシャ、それにアニ。優しい人たちがいっぱいいる)

ミカサ(私は、此処にいたい)

キース「始めろ」

ミーナ「ハッ」キイ、キィッ

ミカサ(何が何でも成功させる……!)ギギギ、ピタッ

サシャ「おお!」

クリスタ「やったっ!」

アニ「……」

ミカサ(できた……ッ)

ミカサ「うっ、え、うぁッ……!」グルン

キース「……!」

ミカサ「ぐっ、まだ……、まだ、やれます……!」

キース「降ろせ」

ミカサ「あ……」

ミカサ「私は……私は……」

キース「カロライナ、アッカーマンとベルトの交換をしろ」

ミーナ「ハ、ハッ」

ミーナ「ミカサ、これ……」

ミカサ「……うん」

ミカサ「……!」

ミカサ(何で……。急に、できた)

キース「貴様の使っていた装備の一部が破損していた。この金具が壊れるなど聞いたことないが——」

キース「新たに整備項目に加える必要がありそうだ」

ミカサ「!」

ミカサ「で、では、適性判断は……?」

キース「……問題ない、修練に励め」

ミカサ(やった……! 私は、ここにいられる。居場所がある——)

ミカサ(私は、独りぼっちじゃない)

キース(特別優れている、というわけでもなさそうだが……)

キース(この壊れた装備で、一時は体勢を保った)

キース(……ミカサ・アッカーマン、か)

キース(今期は、金の卵が多いようだ)

サシャ「……」コソコソ

サシャ「はふっ、はふっ……!」モグモグ

キース「…………」

キース「問題児も、多いようだが……な」

サシャ「うひぃ!」ボコッ!

——右手に浅く握った木剣を携え、ミカサはアニに肉迫する。
重心を低くし、極力足を浮かせずに疾走するその姿に隙はない。
よくこの短期間でここまで成長できたものだと褒めてやってもいいほどだろう。
しかし、その技術をミカサに教えた師匠は一歩、いや二歩三歩先を行く。

アニ「ふっ——!」

ミカサ「……ッ!」

滑らかな動きでアニはミカサの突進を躱す。
柔法の要領で受け流され行き場を失くしたミカサの身体はその後、軽い足技で簡単に崩された。
ミカサの手を離れ、くるくると虚空を舞う木剣を、アニが軽くキャッチし、告げた。

アニ「勝負あり、だね」

——入団より一年が経過。

ミカサ「やはりアニは強い。この半年で私も成長したつもりだったけど、全然敵わなかった」

アニ「いや、私はたった半年でここまで成長できるアンタに驚かずにはいられないよ」

アニ「後は筋力があればね……」チラ

ミカサ「……!?」ビクッ

ミカサ「筋トレ地獄は……、筋トレ地獄は勘弁願いたい……!」

アニ「アンタが非力すぎるんだよ……」

アニ「……まあ無理強いはしないけどさ」

アニ「アンタがいきなり弟子入りを申し出てきたときは、何事かと思ったけどね」

ミカサ『——アニ、弟子にして欲しい』

アニ『…………は? どうして私が』

ミカサ『……私は、弱い。すごく弱い。なので、強い人物から教えを請うことにした』

ミカサ『勿論、タダとは言わない。夕食のおかずを毎日少しづつ譲ってあげる』

ミカサ『だから、お願い……!』

アニ『……面倒だ、他を当たってくれ』

ミカサ『そこを何とか頼むっ。私は強くなりたい、そして、104期生の女子の中で一番強いのはアニだと判断した』

ミカサ『勿論、アニの訓練の邪魔をしたりはしない。対人格闘の訓練がある日に一時間、いや三十分つきあってくれるだけで構わない……!』

アニ『…………』

アニ『私の経験則に基づくと、そういうことを言ってくる奴は、絶対に引き下がらないんだよね』

ミカサ『……! 何故ばれた……!?』

アニ『……おかずはいらないよ。そのかわり、私からは何も教えない。訓練につきあってやるだけ』

アニ『だからアンタの目で見て、盗んで覚えなよ。そういう条件なら……まあ、いいよ』

ミカサ『勿論っ。感謝する……!』

アニ「——アンタさ、ここに来る前は何してたの?」

ミカサ「野菜作りと……、あと編み物とかしてた」

アニ「可愛いらしいね……」

ミカサ「今度、教えてあげよう」

アニ「いや、いいよ……」

ミカサ「遠慮することはない。日頃のお礼だ」

アニ「どうも……」

アニ「……休憩はこの辺にして、そろそろ再開しようか。今度は私がアンタを襲う番だね」

ミカサ「うん」

ライナー「——おーい。アニー、ミカサー」

ミカサ「ライナーだ」

エレン「よう」

アニ「エレンも……どうしたの、二人して」

ライナー「いやな? こいつがミカサと——」

エレン「わー! ライナー言うなって!」

ミカサ「……? 私がどうかしたの、エレン」

エレン「い、いや、気にしないでくれ! こいつの戯言だ」

ライナー(何だよエレン、ミカサと話す口実を作ってほしいって言ったのはお前だぞ?)

エレン(言ったけど! これじゃあ勘違いされちゃうだろ! こんなんじゃ、まるでオレがミカサに——)

ライナー(ミカサに?)

エレン(……告白でもしようとしてるみたいじゃないか!)

ライナー(え!? 違うのか? 俺はてっきり)

エレン(違うっつーの! ああ、お前に相談したオレが馬鹿だった……)

アニ(あからさまに挙動が不審だこいつら……。それにしても……)

ベルトルト「……」

アニ(さっきからベルトルトの無言の視線が痛い)

ライナー「でもあんな切り出し方されたら俺でなくても勘違いするぞ——」

アニ(ライナーは気づいた様子ないし)

アニ(まあ、私もあまり人の事言えないんだけど……)チラ

ミカサ「???」

エレン「実はさ、ライナーがアニと組んでみたいって言いだしてな」

ライナー「は? なんで俺——」

ミカサ「……そうだったのか、気がつかなくてごめんなさい、ライナー」

ライナー「お、おう?」

ミカサ「私は今まで、ずっとアニを独り占めしてた」

ミカサ「だから、アニと組みたかったライナーは寂しかったんだ」

ミカサ「アニ、ライナーと組んであげて」

アニ「別に構わないけれど……」

ライナー「俺の意思に関係なく話が進んでしまった……」

アニ「……どんな目的があったのかは知らないけど」

アニ「組むからには本気でやるから覚悟しときな」

アニ「最近はあまりでかいやつと組んでなかったからね」

アニ「丁度、土産もある」

ライナー「」

ミカサ「エレン、余り者同士、一緒に組もう」

エレン「お、おうッ」

ミカサ「……でも、私の実力ではエレンについていけないかもしれない」

エレン「そうか? 見た限りだと、お前はアニと互角じゃないか」

エレン「オレじゃ、すぐに蹴り飛ばされちまうよ」

ミカサ「第三者からではそう見えるかもしれない。しかし、実際は弄ばれてるだけ」

ミカサ「まずアニは、木剣を奪うことではなく、相手の動きを止めることを第一に優先して動く」

ミカサ「だから、隙を突くという行為自体が難しい」

エレン「あー確かに」

アニ「はあ——ッ!」

ライナー「ぐぼぁ!」


ミカサ「——アニは意外と恥ずかしがり屋。一度縺れてアニが私に圧し掛かるような恰好になったとき、顔を真っ赤にしてた」

ミカサ「そのせいで私もその、少し……恥ずかしい想いをした……」

エレン「へえ、アニにもそんな面があったのか」

エレン(……ってあれ? 何でオレはミカサとアニについて意気揚々と語り合っているんだ? いや、語っているのは殆どがミカサだが)

エレン(うーん、女の子と深くかかわったことないからこういう勝手がわからねえな。アルミンに聞いたら教えてくれるかな?)

エレン(——しかし)

ミカサ「でも、この前アニは——」

エレン(細い黒髪に黒い瞳、少し浅黒い肌色。それにこの口調……)

エレン(やっぱり、あの“ミカサ”だよなあ……。オレの事、流石に覚えていないか)

ライナー「ここだッ!」シュ!

アニ「——甘いね」

アニ「せぃ——ゃッ!」

ライナー「どわあ!」

——対人格闘訓練終了後。宿舎ロビーにて。

ライナー「いてて……」

エレン「大丈夫か、ライナー」

ライナー「ああ……慣れてるからな。それで、ミカサと話すことはできたか?」

エレン「何故かミカサからアニについて一方的に語られた」

ライナー「ほう……」

エレン「おいおい、興味があるのか?」

ライナー「ないといえば嘘になる」

アルミン「……あれ、エレンにライナーじゃないか。とっくに食堂に行ったのかと思ってた」

エレン「アルミンにベルトルト。いや、食前の一休憩さ」

ベルトルト「大丈夫かい、ライナー」

ライナー「ああ、傷薬は塗ったから、三日もすれば治るはずだ。別段問題はない」

ベルトルト「無理はし過ぎないようにね」

ライナー「分かってるさ」

アルミン「じゃあ、僕たちは先に食堂に行くね」

エレン「……あ、ちょっといいかアルミン」

アルミン「ん、何かな?」

エレン「いや……大したことじゃないんだが、女の子とスムーズに話すどうしたらいいと思う?」

アルミン「え? んー、難しい質問だね……。やっぱり、共通の話題を見つけることかな」

エレン「共通の話題か……」

ライナー「ベルトルトはどう思う?」

ベルトルト「……そうだね、やっぱり話の聞き役になってあげることだと思うな」

エレン「うーん……」

ライナー「——納得がいかないようだな、エレン」

エレン「うーむ、そういうわけじゃないんだけど」

ライナー「あの二人は少し受け身になり過ぎだな。積極的に話しかけるのも悪くないと思うぞ」

エレン「数打ちゃ当たる……ってことか?」

ライナー「言い方は悪いが、まあそういうことだな」

ライナー「実は少し気になる女の子がいたんだが、その子に積極的に話しかけてみるとな、俺にだけ特別優しかったんだ」

エレン「ん、そりゃあ両想いってことか?」

ライナー「確定とはいえんが、多分そうだろうな。それに気づいたら、少し恥ずかしくなって最近はあまり話せてないんだが」

エレン「図体に似合わず初心な奴だな」

ライナー「余計なお世話だ」

エレン「……ま、相手が誰なのかは知らないけど、応援するよ」

ライナー「ああ、ありがとよ」

——翌日。立体機動訓練にて。

ジャン「——うォらア!」ズバッ!

ジャン「そらッ、どうしたエレン! 遅ェじゃねえか!」

エレン「うるせえよジャン!」ゴォオオオオオ!

エレン「ッ! でェやッッ!」ザクッ!

エレン「……斬撃は、俺の方が深いぞ!」

ジャン「チッ、イラッとくるぜ!」ギュルルルルル!

ミカサ「見つけた……!」

ミカサ「アニ! 右方四十五度の方向!」

アニ「ああ……了解ッ」

ミカサ「————っ!」ゴォオオオオオ!

ミカサ「せぃ——ッ!」シュビッ!

アニ「——シッ!」ザンッ!

——訓練終了後。

ミカサ「ハァ……ハァ……」

アニ「……」

マルコ「お疲れ、二人とも。はい、水」

アニ「ああ、どうも」

ジャン(先を越された……! マルコの野郎!)

ライナー「ふぃー、訓練後の水は身体に染みるな」

コニー「風呂上がりの父ちゃんみたいだな、ライナー」ダハハ!

サシャ「でもライナーの言う通り、ただの水でも運動した後は美味しく感じますよ」

ジャン「お前とっちゃ、何でも美味いだろうよ」

ジャン「あんな飯でもすげえ美味そうに食うほどだからな」

マルコ「ははは」

エレン「……」

エレン「なあ、マルコ。お前は最初に目標を見つけても、他に譲っているように見えたんだが……」

エレン「憲兵団になりたいんだろ? 点数が欲しくないのか?」

マルコ「……うーん」

マルコ「技術を高め合うためには競争も必要だと思うけど、どうしても実践のことを考えてしまうんだ」

マルコ「遅い僕が注意を引きつけるべきだとか、獲物を譲ってそのアシストするべきだとか……」

マルコ「なんでだろ、今回は殺傷能力を見る試験じゃないのに」

マルコ「憲兵団になりたいのに。……ずっと、憧れていたから」

エレン「……成程な。即ち、お前は根っからの指揮役なんだよ」

エレン「適役だと思うぞ? そういう効率的な考え方とか、さっきみたいに気が回るとことかさ」

エレン「オレなら、お前が指揮する班に入りたいね」

コニー「そういや俺も、今日はマルコが分かりやすく指示してくれたおかげで、いつもよりタイムが縮まったな……」

サシャ「私もマルコの班がいいです。マルコは優しいですし……それに、生き残れそうな気がします」

マルコ「そ、そうかな……。ありがとう三人とも」

ジャン「トロスト区襲撃想定訓練の班か? それなら俺も、マルコにあやかりたいな」

ジャン「間違っても死に急ぎ野郎の班には入れられたくないな。十秒も生きていられる気がしねえ……」

エレン「ちょっと待て……、そりゃあ誰の事だ?」

ジャン「心当たりがあったら、それであってるよ」

マルコ「はは……まあまあ二人とも」

サシャ「また始まったいましたよ、ジャンの遠回しな愛情表現が……」

ライナー「良く飽きないな二人とも……」

ジャン「誰かさんにもマルコを見習ってほしいものだぜ。例えばこの俺のアシストをするとかよぉ」

エレン「死んでもゴメンだ……」

マルコ「……僕はジャンの方が指揮官に向いてると思うな」

サシャ「え!? ジャンがですか?」

エレン「そんなわけないだろ」

ジャン「そんなに俺の下につくのが嫌か……。マルコ、どうしてそう思うんだ?」

マルコ「うーん」


マルコ「ジャンはさ、強い人ではないから、弱い人の気持ちが良く理解できる」

ジャン「……なんだそりゃ」

マルコ「それでいて現状を認識する能力に長けているから、今何をするべきか明確に分かるだろ?」

マルコ「——まあ僕もそうだし、大半の人たちはそうだと思うけどさ」

マルコ「それでも、自分と同じ目線から放たれた指示なら、切実に届くと思うんだ」

エレン「…………」

ジャン「……あー、そりゃどうも」

マルコ「何の根拠もなしに言っているんじゃないさ」

マルコ「さっきの訓練でだって、ジャンはエレンと勝負をしながら、自分の周りにいた皆の様子を把握していただろ?」

マルコ「周囲の状況を把握していなかったら、あれだけの速度を出すなんて、とても怖くてできないよ」

マルコ「誰にだってできることじゃないよ、そういうのって」

サシャ「……ほえー。ジャンって、意外と凄かったんですね」

コニー「右に同じだ」

ミカサ「……」

ミカサ「……弱い人、か」

アニ「…………」

ミカサ『——私は、弱い。すごく弱い』

アニ「……アンタも」

アニ「アンタみたいなのも、珍しいと思うよ」

ミカサ「……?」

アニ「自分の弱さを受け入れて、それを変えようとするなんて、それこそ誰にだってできることじゃないから」

アニ「……私は、自分の弱さをそう簡単に受け入れるなんて、絶対にできないと思う」

ミカサ「……自分の、弱さを」

ミカサ「…………」

——夕食前。

ミカサ(……私は、どうしたいんだろう)

ミカサ(何のために、ここにいるんだろう)

ミカサ(自分の弱さを、変えるため?)

ミカサ(————本当に?)

ミカサ(私は、逃げるようにして、開拓地からここにやってきた)

ミカサ(何かを、何かを求めて……)

ミカサ(それは——何故?)

ミカサ(……いけない、そろそろ夕食の時間だ。行かないと)

女子A「——ってゆーかさー、最近ミカサの奴、うざくない?」

ミカサ「……!?」ササッ

ミカサ(咄嗟に隠れてしまった……、そんなことする必要ないのに……)

女子B「ミカサー? 誰それ?」

女子A「ほらー、あの黒髪で無口のさー」

女子C「ああ、あの子? あの子、何考えてるか分かんないからあたし苦手なんだよねー」

女子B「ああーそれわかるー」

ミカサ(陰口、というやつだ。アニは成績が上がると言われるものだから耳にしても気にするな、と言ってたが……)

女子A「だしょー? それに最近、よく成績上位の奴とつるんでてさー。なんなのアレ、自分が弱いからって、自己満足?」

女子C「特にアニの奴とよく一緒にいるよね。殆ど無理矢理お願いしたらしいけどさ」

女子B「マジ? アニ、迷惑してるだろうねー」

ミカサ(ッ!?) 

女子A「ま、何考えてるか分かんない奴同士、お似合いだろうけどね」

女子B「キャハハっ」

ミカサ「…………」

ミカサ(私が、アニに迷惑を……)

ミカサ(私は、ただ……)

ミカサ(私は……)

ミカサ(…………)

——食堂にて。

クリスタ「……ミカサ、遅いね」

ユミル「大方、迷子にでもなったんじゃねーのか?」

サシャ「ハハハ……」

アニ「……」

ミーナ「み、皆ッ!」

クリスタ「ミーナっ? どうしたの、そんなに慌てて。忘れ物は取ってこれた?」

ミーナ「そんなことはどうでもいいの!」

ミーナ「実はッ、ミカサが——!」

アニ「……!」

——教官室にて。

キース「——逃亡者か」

キース「別段、珍しいことでもない。例年でも何人かいた」

キース「そしてその全員が、開拓地に戻って行ったな」

クリスタ「み、ミカサは逃げ出したりするような子ではありません!」

キース「ほう? ではこの状況をどうやって説明する、レンズ訓練兵。誘拐されたとでもいうのか?」

キース「カロライナ訓練兵。アッカーマンの私物まで、全て持ちだされていたのだろう?」

ミーナ「はい……」

キース「兵士を止める云々の選択権は全訓練兵にあるが……」

キース「しかし、逃亡者というのならば、処分は免れぬだろうな」

クリスタ「そ、そんな……」

教官A「シャーディス、決めるのは早計だろう。もう少し待ってみたらどうだ、何か事情があるのかもしれないしな」

キース「しかし……」

クリスタ「お願いします!」

ミーナ「私からもお願いします!」

アニ「……お願いします」

ミーナ(あのアニが……変わったんだね)

教官A「私からも頼む。アッカーマンは教えがいのある良い生徒なんだ」

キース「貴方まで……。分かった、こうしよう」

キース「消灯時間まで宿舎からの外出を許す。だが、行動は常に三人以上で行うこと」

キース「その条件を踏まえた上で、消灯までにアッカーマンをここに連れてこい」

キース「当然だが、消灯以降の外出は認めない。……いいな?」

三人「ハッ!」

——食事終了後の食堂にて。

ミーナ「——なんてことになっちゃったんだ」

クリスタ「だからお願い! ミカサを探すの手伝ってほしいの……!」

ライナー「……分かった、手伝」

ユミル「はあ? なんだそりゃ」

ユミル「大体よ、自分の意思で消えたんだろ、ミカサは」

ユミル「だったらほっとけよ。本当に心配をしているなら、な……」

ユミル「あいつが冷静になれば、勝手に戻ってくる可能性もあるわけだしよ」

サシャ「ユミル! なんですかその言い草は! 仮にも同じ釜の飯を食べた仲間でしょう!」

クリスタ「……サシャ、怒らないであげて。ユミルの言わんとすることも分かるから」

サシャ「でも——」

クリスタ「ただ、私は放っておけない」

クリスタ「……私には、ミカサの気持ちが分かる」

クリスタ「……ミカサは、私と似てるから」

クリスタ「ミカサは迷っているんだと思う。仲間とは違う自分について、そして自分とは違う仲間についても……」

クリスタ「なら、私はあの子の味方でいたい。背中を叩いて、彼女の手助けをしてあげたいの」

ユミル「…………」

クリスタ「…………」

ユミル「……女の子同士の、温かい友情ってか?」

サシャ「ユミルっ」

ユミル「分かったよ。それに、お前らだけじゃあ心配だしな」

ユミル「女神さまの温かい心に免じて、喜んでお手伝いしてやるよ!」

クリスタ「……ありがとう、ユミル」

ユミル「はっ、感謝しろ感謝しろ」

ライナー「当然、俺も手伝うぞ。ユミルの言う通り、お前たちのこともある」

アルミン「力になれるかは分からないけれど、僕も手伝うよ」

ジャン「俺もだ。やっぱりミカサの奴が心配だからよ」

エレン「ああ、意見を合わせるのは癪だが、ジャンの言う通りだ」

コニー「そうだぜ! それに、こういうときに力を貸すのが仲間ってもんだろ!」

マルコ「僕も、皆に声をかけてみるよ。もしかしたらミカサを見た人がいるかもしれないしね」

ライナー「ベルトルト、お前はどうする?」

ライナー「強いてるわけじゃない……だが、人数が必要だ」

ベルトルト「……勿論、僕も助力させてもらうよ」

クリスタ「皆も……ありがとう」

ミーナ「ほら、アニも」

アニ「……ありがとう」

ライナー「な……!? アニ、悪いがもう一度言ってくれ!」

アニ「……ふん、二度は言わないよ」

ジャン「べ、別に、お前らの為じゃないんだからな! 勘違いすんなよッ」

コニー「うわぁ、キメェ」

ユミル「きも」

クリスタ「ごめんジャン、私もちょっと引いた……」

ジャン「」

ベルトルト「……でも、この広い訓練所のどこを探すっていうんだい?」

クリスタ「女子宿舎にはいないと思う、さっき私達で随分探したけど姿がなかったし……」

ジャン「男子宿舎にもいないだろうな。夕飯前だろうと、いたら流石に誰かが気づくだろ」

コニー「俺は馬鹿だけど、流石に食堂にはいないってことぐらいは分かるぞ」

アルミン「残っているのは、訓練場か……後は裏山くらいかな」

アニ「訓練場はともかく、裏山だったら鬼門だね」

ユミル「なら、女子が訓練場で、男子が裏山でいいんじゃないか?」

ライナー「やはりその配役が一番だと思うが、流石に女子だけで固まるのは危険だろう」

サシャ「あの……それなら誰か護衛をつければいいのでは?」

マルコ「アニとユミルがいれば、大丈夫な気もするけど……」

アルミン「それでも、もしも、ってことがあるからね。うーん、そうだな……」

アルミン「じゃあ、コニーとマルコと僕で護衛をしよう。僕はともかく、成績上位の二人がいれば、大丈夫だと思う」

アルミン「マルコは、聞きこみが終わったら、合流してくれ」

マルコ「分かった」

アルミン「……それに、力のない僕じゃあ、迷惑かけちゃうかもしれないからね。僕は自分にできることをするよ」

エレン「アルミン……そんなことは」

クリスタ「そんなことないよ。頼りにさせてもらうね」

アルミン「えっ? う、うんっ」

ライナー「!」

ライナー「そ、それじゃ俺も——」

ベルトルト「ライナー……」

ライナー「冗談だ」

マルコ「ははは……」

アニ「全く、アンタは……」

ミーナ「それじゃあ、消灯一時間前に、もう一度ここで落ち合うことにしよ」

ライナー「了解だ、そんじゃいくぞお前ら」

ジャン「ああ」

——午後八時、訓練所裏山にて。

ライナー「女子たちにはああ言ったが、流石にこの馬鹿広い裏山を俺たちだけで回り切れるか……?」

ベルトルト「それに、三人以上で行動しろという制限もあるし」

ジャン「立体機動装置が使えれば、話は違うんだろうけどな……」

エレン「流石にそいつは無理だと思うぞ、さっき倉庫を確認してきたけど、厳重に鍵がかかっていた」

ジャン「だよな……」

ライナー「しかし幸いなのは、ミカサも立体機動装置を持っていないってことだ」

ベルトルト「そう遠くにはいっていないだろう、ということだね?」

ライナー「ああ」

ジャン「それにしても、三人以上で移動しろということは、俺たちは固まって動かないといけない、ってことだよな」

ベルトルト「そうだね、その制限が一番足を引っ張る……」

ライナー「ふむ……どうしたものか」

エレン「……」

エレン「なあ、教官はさ、ミカサの失踪を報告しに来た“女子たち”に、固まって行動しろって言ったんだよな?」

ライナー「そうだろうな。それがどうか……、……!」

ジャン「成程な。即ち、俺達“男子”は、単独で動いても構わない、ってことか?」

ベルトルト「強引な解釈だけど、そうなるね」

ライナー「考えたな、エレン……それでいこう」

ライナー「よし! 俺は北を探る。ベルトルトは南、エレンは東、ジャンは西を頼むぞ!」

エレン「任せろ!」

ジャン「ま、俺がいりゃあ、お前らが探し終える前に、見つけちまうだろうがな」

ライナー「ミカサを見つけることができなくても、一時間たったら下に集合しよう」

エレン「ああ、気をつけろよ、皆」

ジャン「そう言うお前もな、死に急ぎ野郎」

ベルトルト「ハハ……それじゃ、また後で」

ライナー「おーい、ミカサー! どこにいるんだー! 皆心配をしてるぞー!」

ライナー(……うーむ、ここまで探していないということは、こっちではないか……)

ベルトルト「————」

ベルトルト(散々意識を耳に傾けながら歩いても、風の音と草木の音しか聞こえない……)

ベルトルト(流石に物音を一切立てないなんて無理だろうし、こっちじゃないみたいだ。一度戻って合流するかな)

ジャン(……明かりがないから視界は悪いが、道は意外にしっかりしているな……獣道か?)

ジャン(だったら、ここに長時間留まるのは危険だ……! ミカサの奴、無事なのか!?)

ジャン「ミカサー! いるなら返事をしてくれー!」

——同時刻、訓練所裏山東側にて。

ミカサ(……)

ミカサ(——寒い)

ミカサ(——お父さんも、お母さんも、もうこの世界にはいない)

ミカサ(——それに私は、友達にまで迷惑をかけて)

ミカサ(——幻滅したかな)

ミカサ(——最後の居場所も、失った)

ミカサ(——私が、もっと)

ミカサ「——もっと、強ければ」

ミカサ(————結局、私は独りぼっちだ)

ミカサ「……う、くッ…………ヒグッ……」

エレン「——おーいミカサーッ! どこだ!?」

ミカサ「…………!」

エレン「ミカサー!」

ミカサ(……エレンだ。探しに来て、くれたのかな……)

ミカサ(でも、合わせる顔がない……。私は……)

ミカサ(私は——)

ミカサ(——私は、自分勝手だ)

ミカサ(今すぐ、エレンの元に駆け寄りたい)

ミカサ(それで、ごめんなさいって謝って……)

ミカサ(それで、またいっぱいごめんなさいを言うことになるんだろうけど)

ミカサ(でも、皆はきっと私を叱ってくれる。私がここにいることを確かめさせてくれる)

ミカサ(それなのに……)

ミカサ(背反するもう一つの気持ちがそれをさせてくれない)

ミカサ(——全部、きっとだ)

ミカサ(都合のいい感情を皆に押しつけて……)

ミカサ(私が中途半端だから……私が、弱いから……)

ミカサ(……なんて、愚かだ)

ミカサ(私は……結局、逃げ出したいんだ。この現実から、この世界から——)

エレン「……? ミカサ、か?」

ミカサ「……!」

ミカサ(名前を、呼んでくれた……)

エレン「ミカサッ! やっぱりミカサじゃないか! 漸く見つけた……!」

ミカサ「…………!」

ミカサ(見つけて、くれた……)

エレン「大丈夫かミカサ! 怪我とかしてないよな!? 誰かに変なことされてないよな!?」

ミカサ「…………」

エレンが力強く、がっちりと、ミカサの肩を掴む。
しかし、痛みはない。逆に不思議と、その手はミカサの肩に馴染んだ。
——思わず、質問に答えるのを忘れてしまった。
エレンが捲し立てるように聞く者だから困惑してしまったというのもあるが、それ以上に……、

ミカサ「エレン、その傷——」

エレンの右頬辺りに深く刻まれた、横一文字の傷跡に目が行ってしまったからだ。

エレン「……ああ、少し枝で切っただけだ。大した怪我じゃない」

ミカサ「で、でも……」

エレン「いいから」

ミカサ「…………」

エレンの強い口調に押し黙ってしまう。
……何と言えばいいのだろう。
様々な事柄に関して、謝るべきか、感謝を述べるべきか……。

ミカサ「え、あ、え、エレン……」

思考が纏まらないままに、話を切り出そうとする。

エレン「いいから」

だがまた——しかし先ほどとは違い優しい口調で——制されてしまう。

エレン「……オレも、隣、座っていいか?」

ミカサ「あうっ、……うん、どう、ぞ」

エレン「んじゃ、失礼」

よっ、と軽い声色で、ミカサとの間にほんの少しだけ距離を空け、背中を木に預けてエレンは胡坐をかいた。
膝を抱え込むようにして座るミカサと、顔が同じ高さにあった。

エレン「……」

エレンは小さく空を見上げる。
星が散りばめられた宝石のように輝く空は、幻想的だ。
でも。

エレン「今日は、月が見えないな」

ミカサ「……うん」

エレン「知ってるか、ミカサ。父さんが言ってたんだけどな、月ってのは毎日、形を変えてるんだって」

ミカサ「形を……?」

エレン「ああ。今日だって月が見えないのはな、別に月が消えたんじゃなくて、今日はまるで見えない形をしているだけなんだ」

エレン「——だから、見えなくても、月ってのは空の向こうにあるんだ」

彼は目を輝かせて、父から聞いたという話を語る。
その姿は、いつもの彼からは想像できないような、一人の少年の姿だった。

エレン「……オレの夢、知ってるよな?」

ミカサ「……うん。巨人を駆逐する、って、有名」

エレン「他にいないんだよなあ、同志……」

エレン「まあ、その話は置いといてだな……、実はその夢には続きがあるんだ」

エレン「いや、続きというか……、巨人駆逐の夢が割り込んできた、っていうのかな」

エレン「——オレは、巨人を駆逐した暁には、アルミンと一緒に外の世界を探検するんだ」

ミカサ「外の……世界……」

エレン「ああ、外の世界は凄いんだぜ? この壁の中にはないものが、いっぱいあるんだ!」

エレン「炎の水、氷の大地、砂の雪原……。そんなものをオレは見てみたいんだ」

エレン「——それを見た者は、この世で一番の、自由を手に入れたものだと思うから」

エレン「だから誰に、どれだけ馬鹿にされようと、オレはやる……!」

エレンの瞳に強い闘志が宿る。
どれだけの地獄を見てきたかもしれないその金色の瞳に、強い決意を垣間見る。
……この世の大半の人が、弱い者ならば。
この少年は数少ない、強い人だ。

ミカサ「……」

それに比べて私は、と考えてしまう。
そんな思考を振り払って、ミカサは静かに瞳を閉じた。
そうしないと、また心の拠り所を求めてしまう。
責任の在り処を、探してしまう。

ミカサ「…………」

心臓の鼓動と、風に揺れる草木の音色が聞こえる。
そんな音に耳を傾けていると、エレンが突然言った。






エレン「——なあ。オレのこと、覚えてないか?」





初めに、なんだその含みのある言い方は、と思った。
次に、私はエレンとどこかで会っているのか? と思った。
だから、当たり障りないように、こう答えた。

ミカサ「……分からない」

それは、今の自分を表現するのにぴったりな言葉だった。
分からない。
私には分からない。
何も、分からない。
私は、何も、知らないのだから——。

エレン「そっか……」

ミカサ「……ごめんなさい」

エレン「いや、四年も前の話だ……忘れるのも、無理はないさ」

エレン「……」

ミカサ「……」

エレン「なあ——」

刹那。
————グァ、ルルルルルル……!
そんな低い唸り声が、聞こえた。

エレン「ッ!」

エレンの行動は速かった。
彼はミカサを突き飛ばして、彼女に圧し掛かったのだ。

ミカサ「……!?」

咄嗟の出来事に、ミカサは対処ができない。
いや、ここは対処できなくてよかった、というべきか。
耳を劈くような獣の咆哮が聞こえたのは、エレンの首元に鋭い牙が肉迫してきたのと、ほぼ同時だった。

エレン「うッ——!?」

千切れんばかりの勢いで、エレンは首を傾ける。
刃と見間違えてしまうほどに鋭い牙は、容易く、エレンの首元に巻かれたマフラーの一部を食いちぎった。

エレン「うォ……らッ!」

隙ができたその一瞬に、返しざまの回し蹴りをエレンが叩きこむ。苦しげな嗚咽が木々に反響した。

エレンはすぐさま立ち上がり、ミカサの手を強引に掴んだ。

エレン「逃げるぞッ! ただの野良犬みたいだが……今の俺たちじゃとても戦えない……!」

エレン「それに、仲間でも呼ばれたら面倒だ! 奴の方が速いし……兎に角距離を取るぞ!」

ミカサ「……! わ、分かった……っ」

——どれだけ走っただろうか。
——どれだけ逃げただろうか。
エレンは表情からしてまだ余裕がありそうだったが、非力なミカサの足腰はもう既に震えていた。

エレン「……ここまでくれば、少しは安心だろ。少し、休むか?」

ありがたい提案だった。
しかし、

ミカサ「だ、大丈夫……。わ、たしは、大丈夫……」

それに甘えているようじゃ、駄目だ。
逃げちゃ、駄目なんだ。

エレン「……分かった。でも、きつくなったら言えよ」

ミカサ「う、ん」

後方から再び獣の小さな足音が聞こえた。

エレン「——!」

——甘く見積もっていたわけじゃなかったが。

エレン「思っていたより速い……ッ! 急ぐぞ、ミカサ!」

ミカサ「分か、った……!」

——ああ、結局。
私は誰かに、迷惑をかけないと生きていけなんだ。

エレン「……不味いな。もう追いつかれた」

ミカサ「…………」

息を潜めて草木の裏に姿を隠す。
だが、嗅覚の鋭い野良犬相手では、見つかるのも時間の問題だろう。

エレン「……ミカサ、お前はここに隠れていろ。オレが奴を何とかする」

ミカサ「え……っ! む、無理に決まっているっ、無茶は止めて……!」

エレン「……」

エレン「勝てば生き残れる。戦えば勝てるかもしれない」

エレン「でも」

エレン「……戦わなければ、勝てない」

エレン「オレ達は、戦うしかないんだ……!」

そう言って、エレンは草木の影から飛び出した。

エレン「——!」

エレン「で——ェッ!」

先手必勝、いや、先手必殺と言わんばかりの気迫と共に、野良犬の鼻頭に、足の爪先を叩きこむ。
衝撃が足にじんじんと伝わってくる。
そんな痛みをこらえて、足をそのまま振り抜いた。
嗚咽や悲鳴を上げる間もなく、犬の身体は吹き飛ばされた。

エレン「……気絶してくれたか」

その事実にエレンはようやく安堵する。
これで、安全に下山ができる——。

ミカサ「エレンッ! 後ろ!」

エレン「——え?」

振り向くが、一歩遅かった。
——牙が皮と肉を抉ろうとする鈍い音が響く。
右腕の傷口から、鮮血が溢れた。

エレン「ぐッ……がああ……!?」

ミカサ「エレン!」

エレン「ッ——、ミカサ! ここを離れろ!」

ミカサ「え、エレン……?」

エレン「逃げるんだよ! こいつ、さっきのやつよりもさらに速い! 危険だ!」

ミカサ「で、も……それじゃ、エレンは!」

エレン「……オレはいずれ、巨人を駆逐するんだぜ?」

エレン「たかが犬っころに、負けられるかよ……!」

エレン「こんな所、で……死ねる、か……!」

ミカサ「あ……う……」

直感、だが、ミカサには分かった。
エレンをここに置いていってしまえば、取り返しがつかなくなることくらいは。

ミカサ「……!」

地面に転がっていた石を掴んだ。
それを投げて、あの犬に当てることができれば——、
エレンを助け出すことができるかもしれない。
選ぶべき選択肢がどれかなんて、最初から分かっているのだ。
——でも、体の方が言うことを聞いてくれない。
背中は嫌な汗が吹き出て気持ち悪いし、石を握った手だってずっと小刻みに震えている。
それでいて意識のほうは急かすように早鐘を鳴らすものだから、タチが悪い。

エレン「ミ、カサ……? なにを……」

今すぐここから逃げ出したい。
でも……。
ここで逃げたら。
これまで過ごした日々を、総て裏切ったことになってしまうような気がした。

ミカサ「……それだけは、嫌だ……!」

それに気づいた瞬間、不思議な浮遊感が体を包んだ。
いつの間にか、汗も震えも止まった。
ならば後は為すべきことを為すだけ——。
ミカサは瞼を閉じた。外れる気がしない。
彼女は腕を振りかぶり、そして————

——エレンは、過去の自分を見ていた。
具体的には、九歳の頃の自分。
幼き日の自分のそばには、黒髪の少女がいた。
名は——

エレン「ミカサだろ、お前。オレはエレン。父さんの診療の付き添いできた」

エレン「……まあ? お前の態度次第じゃあ、友達になってやってもいい」

そう言ってエレンは、軽く手を差し出した。

ミカサ「……」

ミカサ「……変な人」

エレン「」

超上から目線だった当時の彼に勿論非があるが、ミカサに対する第一印象は正直最悪だった。
一瞥されるだけで、その手が握られることはなかった。

エレン(……でもその日、一緒に過ごして、楽しかったな)

エレン(アルミン以外と、始めて友達になれた気がしたんだっけ?)

エレン(……)

エレン(でも、あいつ……オレのこと、覚えてなかったな……——)

エレン「——……う、あ?」

エレン(身体が、重い。……オレは、気絶でもしちまってたのか?)

エレン(あの後、どうなった? 確か腕を咬まれて、それで……それで、ミカサが)

エレン「……」

顔を上げて最初に目にしたの、はこちらを覗くように見るミカサの顔だった。

エレン「無事……だったか」

よかった、と心中で呟く。
力を抜くと、後頭部のあたりに優しい温もりを感じた。
——エレンは気づいていないが、彼はミカサに膝枕をされている状態だった。

エレン「……?」

エレンの頬で、水が弾ける。
——それは、ミカサの瞳から零れた涙だった。

ミカサ「…………エレン、生きてる……?」

エレン「…………生きてるよ。言っただろ、オレは死なないって」

ミカサ「……でもエレン、腕、噛まれた」

ミカサ「頬にも、傷を負っていた……」

ミカサ「バイキンが入ったかもしれない……」

ミカサ「その所為で、病気になっちゃうかもしれない……」

ミカサ「それに……エレン、死んじゃってたかもしれない……!」ポロポロ

エレン「…………」

一つ、二つと、涙の雫がエレンの頬に落ちる。
思考がまだ覚束ない頭で、この状況をどうすべきかエレンは考えて——

エレン「……大げさなんだよなあミカサは」

考えて彼は、声を殺してなく少女の頭を、撫でてやることにした。

エレン「大体なあ、オレは仮にも兵士だぞ。犬に噛まれたぐらいで死んでたら、命がいくつあっても足りねえだろ」

ミカサ「……でもっ」

エレン「——あー、もう……この分からず屋」

エレン「…………オレは大丈夫だから、いくらでも迷惑かけてくれて構わない、って言ってんだよ」

エレン「それに、オレだけじゃない」

エレン「アニだって、クリスタだって……」

エレン「……みんな、お前に迷惑をかけられたいんだよ」

ミカサ「……ホントに?」

エレン「ああ。事実オレがそうだし……それがたぶん、友達ってもんだと、オレは思う」

エレン「だから、そんなことは、気にしなくて……いいんだよ」

ミカサ「…………いいの?」

ミカサ「いっぱい迷惑かけたし……、きっとこれからもかけることになる」

ミカサ「なのに、エレンは、みんなは……私の傍に、いてくれるの……?」

エレン「……ああ、当たり前だろ」

エレン「皆、好きでお前と一緒に居たいだけなんだから」

エレン「だから……離れてなんか、やらないからな」

ミカサ「……ぅ……ひぅ……ッ」

エレン「……皆、待ってる」

エレン「……だからさ、そろそろ帰ろうぜ」

エレン「————オレ達の家に」

ミカサ「………………うん、帰る……」

エレン「……」

小さな微笑みを浮かべて、エレンは薄く目を閉じた。
この世の全てを敵に回しても、自分はミカサの味方でいようと、そう思った。

キース「イェーガー。無茶をするものだな、貴様も……」

エレン「返す言葉もありません」

アルミン「全く、本当に死に急いでどうするんだ」

——あの後。
戻ってこない彼の様子を見に来たライナー達に担架で担がれて、エレンは宿舎へと戻っていた。

エレン「……」

アルミンに殴られた左の頬が痛む。
だが、それが不思議と心地いい。

エレン「アルミン」

アルミン「何だい、エレン」プイ

エレン「……ありがとな」

アルミン「……」

アルミン「……全く、君には敵わないよ」

ミカサは泣きながら駆け寄ってきたクリスタとサシャに抱きつかれ、少し困ったようにしながらも、結局彼女まで泣いてしまった。
その後、目元を腫らした姿のまま、ミカサはみんなに対して何度も謝っていた。
迷惑をかけてごめんなさい、と。
そして。

ミカサ「アニ……私——」

アニ「……アンタが無事だったのなら、それでいいよ」

ミカサ「アニ……っ!」

アニ「わっ……! 抱きつくなっ、子供かいアンタは……」

ミカサ「子供だから、アニに抱きつくっ」

アニ「…………しょうがない子だね、全く」

ミカサ(……やっと、分かった)

ミカサ(あんなことで傷ついてしまったのは……みんなのことが、大好きだったからなんだ)

ライナー「お、貴重なワンシーンだな」

ベルトルト「……」

ライナー「ベルトルト、お前も混ざってきたらどうだ?」

ベルトルト「……そんなこと、できるわけないだろ」

ライナー「まあな。アニのあんなに嬉しそうな顔、久しぶりに見た」

ベルトルト「ああ……僕もだよ」

ユミル「おーお、仲睦まじいこって」

クリスタ「でもミカサ、楽しそう」

マルコ「そうだね。それに、丸く収まって良かったよ」

クリスタ「うん、本当に……」

クリスタ「——ユミル、ありがと」

ユミル「……」

ユミル「え? なんだって? 聞こえなかった」

クリスタ「ふふっ……ううん。何でもないの」

ユミル「……ふん」

キース「……楽しそうなところ悪いが」

キース「ライナー・ブラウン、ベルトルト・フーバー、エレン・イェーガー、ジャン・キルシュタイン……以上四名は、私が提示したルールを破って、裏山を探索したようだな……?」

キース「貴様らは明日までに、反省文を提出しろ!」

ベルトルト「ハッ!」

ジャン「ま、やっぱそうなるよな……」

エレン「あ、あの教官! オレ、右腕が使えないんですが!」

キース「ならば左手を、両足を使え!」

エレン「」

ミカサ「……ん、ならエレン」

ミカサ「わ……私が、手伝ってあげない、こともない」

ミカサ「これでも字を書くのは得意、だから」

エレン「ほ、本当か! 助かる!」

ミカサ「助けるのは当たり前。その……友達……だから。気にしないでいい」

ジャン「! み、ミカサ、実は俺も——」

ベルトルト「はいはい、邪魔をしないようにね」

ライナー「アニ、お前は右足を頼む」

アニ「分かった」

ジャン「ちょ!? お前ら運ぶな運ぶなって!」

サシャ「楽しそうですねジャン! 私もお願いします!」ダイブ!

コニー「俺も行くぞ!」ダイブ!

ジャン「うわあああああ! 来るなあああああ!」

ライナー「ははははっ!」

アルミン(——皆、笑ってる)

アルミン(楽しそうに、心の底から)

アルミン(こんな残酷な世界でも、こんな風に、笑顔はどこにでも転がっている)

アルミン(ねえ。おじいちゃん、お父さん、お母さん)

ジャン「ぐぎぎ……重い……!」

コニー「おーいアルミーン! お前も早く来いよー!」

ジャン「は、はあ!? もう無理だッ、これ以上は!」

アルミン「…………ああ、今、行くよ!」

ジャン「ま、まさか、アルミン!?」

アルミン「行くよジャン!」

アルミン(——弱い僕たちだけど、この世界で、幸せになっても……いいよね)

キース「……イェーガー、ここからは自分の足で歩け」

キース「いつまでも運んでもらえると思うなよ」

エレン「え、あ……、ハッ!」

飛び上がるようにして、エレンはリフトから降りた。

キース「……そしてアッカーマン。貴様には明日より、三日の謹慎処分を言い渡す」

キース「勿論、反省文も提出してもらおう。イェーガー達の三倍、な」

ミカサ「ハッ……」

キース「だが、まあ……今は、イェーガーの手助けをしてやれ」

ミカサ「……私が、ですか?」

キース「文句があるのか? お前が負わせた傷だろうに」

ミカサ「い、いえ。分かりました」

ミカサ「エレン、摑まって」

エレン「……ン。ああ、ありがとよ」

——あの日繋げなかった少年の手。
その手を取って、強く握る。
互いを決して離さないように。互いを決して見失わないように。

ミカサ「……エレン」

独りぼっちだった少女と、傷だらけの少年は。
忘れてしまっていた人の温もりを思い出して、歩き出す。

エレン「なんだ? ミカサ」

凍えていた心も、今は不思議とあったかい。
長くは続かない幸せであろうけれど、それは確かにここにある。

ミカサ「……私ね」

火傷してしまいそうなほどに、顔が真っ赤になるのが分かった。
でも、勇気を出して言おう。
隠れることもなく、逃げることもなく。
夢を語ってくれた彼の瞳を強く見つめながら。
あの日の少年に伝えられなかった言葉を、伝える。

ミカサ「私、エレンの事が————」

宿舎へと繋がる帰り道。
そんな見慣れてしまった景色を、少しだけ遠回りして、お家に帰ろう。

おしまい。

レスくれた人も、読んでくれた人もありがとー。
この季節、熱中症には気をつけてね。

乙!
良かった

しかしこのミカサの状況がよくわからなかったんだが、強盗は来なかったってことでいいのか?
両親が死んだのは巨人のせい?

>>120さん
ごめん、言及してなかった。一応、
・ミカサの家に人売りが来ていない、そのためミカサは未覚醒状態。
・両親が死んだのはウォールマリア没落で内地に入ってきた巨人たちのせい。
・ミカサのみが憲兵団によって助けられる。
って設定。

このSSまとめへのコメント

このSSまとめにはまだコメントがありません

名前:
コメント:


未完結のSSにコメントをする時は、まだSSの更新がある可能性を考慮してコメントしてください

ScrollBottom