トラベラーズウィンド(119)

 僕らは恋ではなく旅をやり直す。
 風に吹かれながら、イタズラ小僧のように汽笛を吹き鳴らして走りながら。

三十一歳の春、家も仕事も放り出したままだ。
こっそりと旅に出た日。いや逃げ出した日は記念すべきものにしようと贅沢を恐れずに、
そう豪快にいこうと、開く前の市場につい駈け込んだ。
旅は意外と入用なのだ。ああきっとそう、違いない。

例えば非常に長持ちするまずい食。
例えば汽車の止まった瞬間に上げる狼煙のための薪、
煙草なんかじゃ弱いだろう。
例えば知り合った一生涯の女に渡すための指輪も、それは当然ないといけないな。

一つきりの車両、仕切り一枚、車掌も一度だけ汽笛で歌う。
席は十二人分、遠慮しながら何人座れるだろう。
今は僕一人しか乗客はいなかった、一番乗りだった。

何処へ行こうか、もう決めていた。人のいない場所だ。
廃れた町でも未開の大自然でも、海の底でもいい。
同じように窓を見ながら、きっと目まぐるしく想像力を働かせている友人に向かって僕は帽子を振った。
君が、僕自身がどこの駅で降りるのか、知る筈もないけれどさ。

 それにしてもこの汽車はやけにスムーズだ。
 進路を妨げるものもなければ、ふざけて路に石を置く輩も居ない。
 燃炭も水もほどよく詰まっている。音で分かるさ。

 また一つ駅にて止まった。そして今度は、新しく誰かが乗り込んでくる。
 僕は相手に気を遣って煙草の火を消すような仕草をした。

「あら。ねえ、こんにちは、こんばんは。あなたも一人かしら」

コートを畳んだ婦人に向かって僕は手袋の先を三本立てた。
「いいや、妻子ともに元気でやっている」
落ち着いて答える僕に、
彼女は、それこそゆっくりとした様子で横に座り質問を続けた。
「奇遇ね。ちょうど私、夫に不義理を立てたら殺される約束しちゃったの」
おっかないことを言うなあ。
だから、お互い安心できるわね。
話し相手で良かったら、どうかしら?
僕らはお互いに――僕はわざわざ手袋を外して――左手の指輪を見せ合ってから笑った。
彼女はびっくりしたふりをしてくれた。

「光栄です。楽しい旅行になりそうだ」
「なりそうだ、じゃなくて『しなくちゃ』というのが私の口癖なの」
「へえ、それは、旦那さんがさぞ苦労していることでしょう」

 彼女はまたも尋ねた。「ねえ」
「お名前を聞くのは、淑女に反すると思う?」
 僕は喜んだ。
「ちっとも。僕は八分ぐらいの紳士だけど、あなたと二人なら丁度いいとさえ思えるよ」
「まあ」と彼女は口を手で覆った。

「私はエリザベスっていうの。ベティーって呼ぶのはあの人だけだから、だめよ」
可愛らしく笑うエリザベスに浮かれてしまう。
僕はうっかり言い淀んでしまった。

「僕はフランソワ……ああしまった、いや、ロバートさ。よろしく」
「もう、本当に八十点の解答ね」
どうやら彼女の機嫌は損ねていないようだった。
「で、エリザベスはどこへ向かうつもりだい」
「ベティーでいいわよ」と彼女は地図を出してみせた。「ほら」

僕は彼女の膝に広げられた地図をまじまじと見るような真似をしなかった。

「ほら! ここに行くつもりなのよ」
「本当は昨日行きたかったの。でも夫が倒れて一日看病していたわ」
僕は黄ばんだ地図に黒い丸を見つけた。
そして少しがっかりしたのを心の底に隠して、喜んだ振りをした。
「ベティーの旦那が早く良くなるように恨まなければいけないね」

「こんな――馬車で行けるような――大都会まで一人にさせて向かわそうなんて運命とは何と惨たらしいものだ」
でも、と僕は付け足した。
「でも、おかげで近しい人が増えてしまった。僕は感謝もしなければいけない」

そうしなくちゃいけない、と彼女を真似て言い切った。

「ロビン、あなたとはきっかり十年前に出会いたかったわ」
「僕も――そうだよ」
涙ぐむ仕草を向けて、声音を変えた。

「……いやしかし、僕はこんな近くで降りるわけにはいかなくてね」
「前途多難な夫婦に、洋々たる未来を祈り捧げましょう」
「嬉しいわ、ロビン」

「僕は婚約する前に牧師をしていたのです」
「―-もちろん結婚しても良い身分でしたが、変に決まりが悪くて、……青かったですね」
「今は村の子供たちの講師をしています」
「だから教えを説く術を一度も捨てたことはないのです。きっと御利益がありますよ」

最後は茶化して、現物的なことを言ってのけた。
エリザベスはそっと笑って、二十分もしないうちにコートを抱えて降り立ってしまった。
「私の名前はね、本当にエリザベスなのよ。ありがとう、名の知らぬ紳士よ」
そう言いながら間も無く出立したがる汽車の窓越しに僕らは手を振りあった。

彼女の姿が見えなくなって、僕は笑った。

先までエリザベスが座っていた場所にだ。
「ばかじゃねーの。トラベラーズテイル(法螺話)というものを知らない田舎者がよ」
「まるで疑うことも知らない」

「まったく、やめられないなあ」

がらんがらんの汽車には僕と車掌しか居合わせてなかった。
次の駅まで、きっかり十分。確かに体が覚えていた。
風が車体を後押しするように吹いていたことを、外の稲穂が教えてくれた。

一つ目終了

2

さらさらと雨が降ってきた。こういう日は気持ちいい。
体力の奪う涼しい風が朝からやってくると、
どうも曇り空の癖に気分が舞い上がってしまう。

ところでこんな天候だからこそ、新しい乗客が乗り込んでくるとは、果たして考えられるだろうか。

実際に来たのだから反証するまでもなかった。

「どんな本を読んでいるのですかな」

重みのある声が響いた。
車両に上がり込んだ瞬間に一定の振動のみしか来なかったから、また三人だけだと分かった。

僕と、秘密を守る車掌と、この新しい乗客のたった三人。
僕はすこぶる愛想良く答えた。

「ええ、シラノ・ド・ベルジュラックです」
「ほお、シラノ・ド・ベルジュラック」彼は繰り返した。

「良かったらご一緒しませんか。隣へ。なに、一節終わったところです。ちょうどいい」
見ると彼は大男だった。
どっかりと腰を下ろし二席分を占領してしまった。

「いやあどうぞ宜しく」
「静かな旅も良いものですがな、残念、私は五駅と少ない足取りでしてな」

「僕も似たようなものです。本を読むしか退屈を晴らせない」
何せ、この空き具合、と車両を手で巡らせる。
大男はおもむろに頷いた。

「しかし私は学がない。一つ小説を読もうがストーリーが理解できない」
「本好きの知己がよく嬉々として語ってくれるのを聞くからこそ、この語彙も増すものです」

内心でげらげらと笑う。
「ほう、ではこれこそぴったりの勉強本じゃあありませんか」
僕はそれを差し出す。
そして自分の読んでいた箇所に挟んであった紐を抜いた。

「おや!? これではどこまで読んだか分からなくなってしまった」
予想通り、大男は困った顔をした。
「何とわざとらしいものだ。こんな分厚いものを手渡してどうするおつもりです?」

「それは進呈しましょう。一期一会の旅の友に」

「重い愛ですな」

膝に本を乗せて彼は頬を掻いた。ああ、彼の髭は逞しい。

「いいやあ。実はさっきも若き婦人に祈りを捧げたところだったのですが」
「すぐに降り立ってしまわれましてね。つい次に会う友には、何かお渡ししたいと思っていた所なのですよ」
「ハハ、なんとまあ、そんな心遣いではこんな腹でも満たされてしまう」

 大男はゆったりとナップザックを隣に下ろし、背もたれに身を委ねた。
「では、あなたの友人のように、僕が語り上げてみせましょう」
「なあにこれぐらい軽いものです、何度も目を通すほど好きでしたからね」
 ふふ、と笑った。どちらともなく雨を忘れていた。

「これは面白い小説でしてね」
「シラノという大男とその従妹のラブストーリーなのですよ」

「私みたいに?」
「え? ええ、そうあなたみたいに」

「でも彼は人のものとは思えない鼻をしていた」
「だからみんなに笑われていたのです」

「しかしシラノという男は紳士でいて豪胆、芸にも秀でまさに仮面の舞踏会ならでは人気が絶えないでしょうね」


「まあ一発で彼と分かるでしょうが」

 彼は顔をしかめた。「私には才能なんかないよ」
僕は水を口に含んで、喉を潤した。
外は風が少なくて寂しくなった。

「しかし彼女、つまり従妹のロクサーヌは彼の理解者だった」
「もっとも彼女の目線で愛があったようには見えませんでしたけどね」
「いいや。それでもいいじゃないか!」
満足そうに僕は続ける。
「ですがそこで間男が出てきます」
「ロクサーヌに恋心を抱く……名前は何でしたかね。まあいいでしょう」
「才能の代わりに若さと美貌を持った青年です。まあ、別にどうでもいいのですけどね」

「一番の驚きは、シラノとその青年は友達になってしまうことですが」

彼は聞き入っている。

「そういえば、僕の名前もシラノというんです」
「正確にはサイラスですけどね、こじつけてみましたよ」

あなたは、何といいますか。穏やかに僕は尋ねた。
「こんななりだけどね。クリスチャンっていうんだ」
「いい名前じゃないですか」

「いいや、とても大っぴらに話せないよ」
「私は友人を裏切ってしまった。そしてこんな場所まで逃げている」

「……友と思っているのは私だけかもしれない、神に祝福されても心は濁っていたんだ」
大柄な体は少しだけ丸くなった気がした。

僕は大仰に語る。
「……はシラノという友人の協力のおかげでロクサーヌの心を手に入れましたけどね」
「最期は彼女より先に戦地で死に別れたそうです」
「それも……当然の報いですかね?」

「ああ、そうだとも。償いに一生を掛けるほど私は自分に厳しく当たれない」
「逃げる道を選ぶしかないんだ」

後、二駅ほどだ。距離はまばらだけども、遠くはない。
「じゃあ気分が晴れたら、その時に考えればいい」
「僕は友人に辛い選択を押し付けたことはないからね。これからも、変わらずだ」

クリスチャンは暗い顔のまま呟いた。
「なら、何か明るい話をしてくれよ。私は顎が重くて敵わない」
「例の婦人の話でも聞きたい、かな――」

尻すぼみだったけど、
最後の句まで告げたクリスチャンに僕は色々と話した。

例えば先の乗客も僕もお互いに結婚していて、
実は僕の方が惚れてしまいそうだったこと。

彼女の口癖が面白かったこと。

十年前に出会いたかったと彼女は話したけど、僕は十一年前にはもう婚約していたこと。
(勿論、クリスチャンに僕が牧師をしていたなどとは伝えてはいない)

僕はカレッジを出た時にはキスも終えていたこと。

彼女の名前が女王のそれだったこと。


そして二人を混同しそうになったクリスチャンに笑いながら訂正を入れたことを。

逆に、少し落ち着いてからはクリスチャンも自分の事をぼそぼそと語り始めた。


本の内容を喜んで話す友人は一回り以上も下の甥っ子であること。

自分はもう二十三になるというのにふらついていて、伴侶の一人も同い年の友も居ないこと。

僕が年上だと知ってひどく驚いたこと。

甥っ子が恋を抱いた幼き少女がクリスチャンの方を向いていて、傷つけたまま逃げたこと。

その少女が告白をした甥っ子を手酷く振ったことも。

僕は「そんなこと」をどうでもいいと言わなかった。

「誤解でも何でもない恋を、あなたは捨てたのですね」

「あなたに何が分かります。彼は大切な兄の子であり、それ以上に何よりも、私たちは友達だった」
「私が二人に近づかなければ良かった。これが正しかったんだ」
「その通りだ。まるで間男のように狡い」
「これで青い少年少女が結べば大団円に違いないだろう」そのガキが少女とくっつくとは思えないけどね。


 雨が少し止んできた。

一駅過ぎたが誰も乗ってこなかった。
そこが閑散とした駅だったからだろう。

「その本を読んで、また必要が無くなればこの汽車に置いて行けばいい」
「まあ恐らく、誰もが読んだことがあるほどのものだろうから、盗まれることはないだろう」
「また僕が取りに来るさ」

僕がいつもこの汽車に乗っていると言う事実はこの際、脇に置いておく。
「さあ、もう降りなさい。恋人同士ではないのだから、熱い抱擁はなしだ」
「さあ! もう出立してしまうぞ。何て気の置けない車掌なんだ! 早く」
舌打ちをして僕は帽子を振ろうとする。

クリスチャンは一言も言わずに本とナップサックを抱えて出て行った。
良かった。
本が濡れる心配はなかった。


彼の姿が見えなくなって、僕はまた一人ぼっちのような気持ちに駆られた。

「しかしだなあ。俺としても若い女性に好かれたぐらいであんなに取り乱す時期があったのだろうか、ねえ?」
無骨な車掌は、当然のごとく返事をしなかった。

「ちなみにさ」
「シラノって最終的にロクサーヌに、あの間男のセリフを諳んじて自分が仕立て上げたってことばらしたんだよ」
「男らしいのに、そこだけはがっかりだよなあ」

あの物語の最後は確か、
シラノが「天国に持っていくのは心意気だけさ、それだけは汚れない」と言いながら死ぬシーンだった。

「俺だったら鉄球を抱えて空に引っ張られないようにするかな」

「……おい、今のは笑うとこだぜ、無視するな」

曇り空は鼠色を少し掻き分けて、青いのが見える。


「俺は何個、偽名を使わなきゃいけないのか」
「まったく楽しみだろうなあ、あんたには」

次の駅は普通、乗り換える人が降りるのだが、
今日は一泊、予約していた友人の家に招待されるとしよう。

「それじゃあ、また明日」
そう言いながら僕は、手作りの標識を置いた。
<指定席>と表記してある。
気休めだけれども、車掌は文句を言わなかった。見えていなかったのもあるだろうけど。


駅では猫が横たわって欠伸をしていた。燕も喜んで羽の重い虫を食んでいる。
煙草が窓から捨てられたのを見えた。
きっと汽車の頭から投げられたものが。

二つ目終了。続き、需要あるかな?

いや、何でもないよ。弱気になっていたんだ、僕は。

  3

3

「やあアン。元気そうでなによりだよ」
「よく来てくれたわ、ルパン」
「相変わらずばかをやっているのね」

玄関で迎えてくれた彼女は、僕の二番目の、いや三番目の理解者だった。

ルパンと呼んでくれ、などという気のずれた発言を、
昔馴染みという理由で受け取り、けして軽蔑などしなかった。

ただ一つ「親の付けた名前はどうするの」と聞いたのを僕は無視する羽目になってしまったけれど。

ついでに言えば僕はルブランの一番の愛読者なんだ。
これを聞いたら卒倒するようなキングの一番の愛読者が居るかもしれないけど、
残念ながら狙った表現じゃあないよ。


「まただよ。今度は汽車に乗りながら旅行客を装っているんだ」
「僕は人に好かれてしまうからね」

アンは笑って奥まで案内した。
「さ、入りなさいよ。パパ、ルパンが来たわよ!」

腰の重い老人は、支えて貰いながらも一来訪者に敬意を惜しまなかった。
僕が娘に対する不義のボーイフレンドだったのに、だ。

「くつろいでいきなさい」
彼はそれだけ言って奥へ引っ込んでいった。


「ごめんなさい。きっとあなたが誰なのか分からないのよ」
「そうだと思った」僕は苦笑した。

一家の主がもてなすのを当然と思うかは別の話だ。
アンが彼の後ろについていき、彼女に支えられながらも老人がお盆を持って来たのを見て、ははあ台所に通じているのかと僕は分かった。

そして少しの罪悪感が訪れた。

彼は盆をダイニングテーブルに置き、去っていった。
いきなり席に座る僕に出されたマグをよく見ると水だった。
「何だい、この仕打ちは」
「ごめんなさい。きっとあなたが分からないのよ」
アンは笑いながら自分だけはいつの間にか温かい紅茶を頂いていた。
うわ、隣にはアンの母が居るじゃないか。

どうやら玄関を潜った瞬間に、予め決められていたパーティーの
サプライズを冷や水(アンの家では食前酒の習慣はなかったのだ)で切ったのだ。

「再会を祝えないなんてひどい友達を持ったものだ」
「それとも招待されただけでもありがたいと思うべきなのか?」

「あ、肉の味付けは薄めでお願いします。酒が欲しくなるので」


「もうママ。これからお夕食なのにクッキーなんか出しちゃだめよ」
「え? これは酸っぱくて人気の商品って……」
「ちょっと、舌が麻痺したからって手作り以外はいけないわ」
日が落ちる寸前までにテーブルは埋め尽くされ、数十分後に残りはソースさえも見えない皿だけになった。
そこにはグラスのみだった。

会話のための少しの間を作ろうとすると、僕はすぐに水差しに手を伸ばす次第だった。

「ねえルパン、あなたがいつまでもふらふらするのは勝手だけど」
「いきなり電報を寄こされても困るわ。悪戯だと思ったじゃないの」

その通りだった。
だが僕は悪びれず尊大に言い放った。
「文面が悪かったかい。いや、僕が一年も連絡を怠っただけか」
「これでも一人暮らしのゴミ箱に誰かを呼べるほど僕は気安くないんだ」
「安っぽいプライドだよ、ほんとに」

「十年の間違いでしょう? あなたの本名なんか最後に見たのはハイスクールの日以来よ」

アンが怒っているようには見えなかったけれど、僕は本心から謝った。

「いいや。顔が変わりすぎて残り九年はちゃんと顔を合わせていたんだよ」
「……君は気付かなかったけどね」

「ルパンは変装の名人だというからね」
アンはそう溜息を吐いた。

「ま、まあ一年ぐらいは音沙汰が無かったかもしれないね」


向こうで声が聞こえる。
リビングと応接間は繋がっている。
もうアンの両親は寝に入った時間だとは思っていた。
意外と興奮しているらしく、二人で眼鏡を掛けながらポーカーをしていた。

「マリーには勝てないな」
どうやら勝った方がシャッフルし、負けた方が配るらしい。
公平、なのだろうか……。
「あら、またやっていたの」灯篭を持ってアンは両親の間をわざわざ照らしてやる。

「どれ、ルパンさんや。付き合ってくれないか」
マリーと呼ばれたお婆さんはそそくさと離れた。
長テーブルと同じ長さのソファが二つ向かい合っていて、お爺さんが、
つまりアンの父親の右肩を見遣ればピアノに埃がかかっているのが見えた。


「ぜひとも」
僕は伝説のイカサマ師となったつもりで、その勝負に挑んだ。

夜は長く、僕らが気兼ねなく腕を叩けるようになるには些か時間が足りなかった。


「おや、おかしいですね。……フラッシュだ」
「おおう、またかい」彼は降りることもせず、ベットしては僕に負けた。

「手が疲れたでしょう。たまには僕がシャッフルをしますよ」
あ、ああぜひ頼むよ。
彼がそういった時に「そろそろ寝なさいよ」とアンがやってきた。

「何時だと思っているの」
「アン、起きていたのか。明日は早いのだろう。もう寝なさい」
彼女は憤慨した様子で言った。「ええ、もちろんよ」
 
行きましょう、と僕にも声を掛けたが僕はその場に踏み止まった。
「いや、もう少しだけやっていくよ」
「大丈夫、君の家族を寝不足で死なすつもりはないから」


「なかなか分かっているじゃないか」

アンが扉を潜っていく。
僕らは仕切り直しとでも言うようにお互いのチップをポットから取り出し、
二分して、五枚のカードを渡しながらゲームをスタートした。

「手加減して下さいよ」

僕は何度も五枚のカードを彼から貰いながら楽しい夜を過ごした。

空が白んできてアンが様子を見に来た。
「ルパン、あなたって全然変わらないわね。まるで紳士になっているじゃない」
「学生時代のあなたからは大違い」

彼女は嫌味を言っているわけではないと知っている。
「そりゃあね。僕も大人になったってことだよ」

「そういえばあなた、ねえルパン。明日の予定なんかはどうしましょう」
「あ、そうだったパパ、コーヒーを持って来たの」
「うふ、当然よこれぐらい」

「ああ、ちょっと黙っていてくれ、ごめん」僕は声を張り上げた。


イカサマ? カードをすり替える? とんでもない。
手元のカードはツーペア、十分な手だ。

けれどその中身は七と三のペア、それに一人ぼっちのエース。
情けないが勝負すべきか――お爺さんの方は三枚替えていた、負ければ通算十七回目の黒星となる、その可能性がある。

「ううん」
五分ぐらい、素人のように僕は手札と睨み合い、唸っていた。
「ああ、そういえばアン、今は何時だい」
僕は口から何が出ているのか分からない。

「もう五時よ。それで、今日どこか寄りたい場所はないかしら?」
手札を弄りながらも、僕はひょんなことを口走った。
殆ど無意識だ、瞳はカードとポットに向いている。
―-テーブルの真ん中少し左手に置いてある臙脂色のポットに。
「へえ、どこか寄りたいのかい」

老人は手札を晒した。えっ、いつ僕は「勝負」なんて言ったかな。
「良かったら資料館でも案内しようと思っていたの」
「でも疲れが癒されていないなら後日でもいいわ。日は長いしね」
そう彼女は言った。

僕は頭を抱えたくなるのを堪え五枚を控えめに放り投げた。
いいさ、もともと欲しくなかったんだから、なんて言い訳をしておこう。


決着は、ついた。有終の美を飾らせてはくれないらしい。

「アン、それはいい提案だと思うけど、僕は今日ここを出るよ?」
「出るって何処へ?」

僕がケトルまで寄り白湯を飲む分には文句がないらしい。
「あなた一か月は邪魔になるって言ったじゃない。私じゃなかったら殴られているわよ」
そう言いながら彼女の微笑ましかった雰囲気は徐々に消えていく。

「一か月の旅とは言ったけどさ、一か月の停泊とは言ってない」
「さすがにそこまで厚顔じゃあないさ」
老人にお辞儀をして、紙のケースに放り投げた自分のそれごと丁寧に直していく。
「じゃあ、ちょっと早いけど行こうかな」

礼儀を忘れたアホウドリのようにコートを引っ手繰って玄関に向き直した。
汽車の音がこんな澄んだ空からこそよく響いていた。


「そうそう、アン。殴るのは勘弁してくれよ」

「でも、友達を辞めるなんて言わないでくれ」
「もうルパンなんて呼ばなくていいから」

五月の雨をまた受けて、駅では僕の声が誰にも届くことはなかった。
またやってくる、次々の友人に灯を渡すように、彼は汽笛を鳴らした。
湯気は出ていたのに車内は寒くて仕方ない。


「そういえばさ、俺がこの旅を一か月で済ますなんて嘘をついてしまったのは失敗だったかな」
昨日は僕も含めてここまで三人しか乗らなかっただけの汽車(車掌を含めれば四人か)は、
今日も相変わらず閑古鳥が鳴いている。

いや繁盛してもおかしい話だけど、そんな感じだった。

「忘れていたよ。あんたもおはよう」
僕はコートを羽織った際に、帽子の中に隠したパンを齧った。湿気ているからか、苦い。

けれど美味しい。
「僕の理解者は、二位がなんと僕自身なんだよね」
しんみりと僕は残りを毟りながら口に運んでいたものだから、つい口調が変になった。

そして独特の匂いに気を遣ると、前からは湯気が立っていた。
よく知っている香りだ!

「おい、何コーヒーなんか飲んでいるんだよ!」
「俺の分はないのか、めちゃくちゃ喉に詰まるんだぜ、これ」
この渋すぎる男は何を思って、こんな朝早くから汽車を走らせたのだろうか。
「とりあえずさ、昨日さ、宿止まったんだけど、聞いてくれよ。なあ」

僕の長ったらしい話は、新しい友人が乗り込んでくるまで続いた。
結局マリーさんと、あれアンの父の名前が出てこない、まあいいか。
とにかく、その二人には脱帽だった。


「ああいう、阿吽の呼吸というものを是非ともやってみたいと思うわけよ、分かるかい」
人は騙せても、意思の疎通ができないカードをどうやって騙すことが出来るんだい。

「参った」

少しして、僕が十八回目のそれを呟く。
「またカードを配らなければいけないのかい?」とでも言うように溜息みたいな汽笛が聞こえた。

三つ目終了。誤字発見……。

4

夏は暑くてどうしようもないが、それは汽車の中で瞑想していようと同様だった。
僕はがらがらの駅を幾度も通り越しては、
何日目か分からない旅の続きを堪能していた。

もう夏ならば三か月は経っていることになる。
今日も今日とて、笛が鳴る。


一つ分の月に三回ほど、ホテルに泊まっては垢を流す。
汽車で過ごす時は物置のような所で隠れては物音を立てないようにやり過ごし……ああ何か昔読んだ物語を思い出した。
何食わぬ顔をして駅を降りてからまた乗り込むのを繰り返していた。

懐かしかったあの無口の車掌はあれから出会っていない。

南へ北へと、西へ東へと走り続け、
線路はずいぶんと曲がりくねりながらも景色を楽しませてくれた。
いや、そんなに曲がりくねることはなかったけどさ。

もちろん中には綺麗で整った車両を探検した時もあったし、
乗客の流れるような勢いは目で追う楽しみと疲労感を僕に与えてくれた。


あの高級な一日は確かこんな感じだった。
誰かの鼻っ柱も土産話も、まったく……お高くつくぜ、トラベラズテイルだけにな。

……! おお、今の表現はすごく気に入った。

「やあ今日も絶好の一人旅日和だ」

今回の僕の旅は少し目的が違う、ちょっとしたヴァカンスだった。
といってもお土産を頼まれただけだけど、普段は同じ道を離れるのも悪くない。
散財というほど懐に響かない旅の企画に心も浮かれていた。

それにしても綺麗で広い車両だ、あんな物とは大違いだ。

数日前、一緒に乗っていた輩に言われたのだ。
ああ、勿論あの古錆びた汽車の方でだ。
「都会の方では美味しいお菓子や、美味しい葉巻や、美味しい酒が売っているのですよ」
「中にはわざわざそこまで材料を買いに走る店主も居るそうだとか」
何を営んでいるのかは聞いていないが、
彼は、すごく欲しいんですよと態度に出していた。

「その三つのどれが好みなんだい」
僕は呆れて言った。
「いいやあ、俺も何度も食べ尽くしたと思っていたのに、次々と新しいのが出る次第でね」
「え、本当に買ってくれるんですか!?」
「ならあなたの感性に任せるのが旅の楽しみでしょう、俺はまたこの汽車に乗ってあげますよ」
「何、里帰りでしてね、気に咎めるほどじゃない」


「ずいぶんと厚い皮ですね」

もちろん、彼の鞄についてのコメントである。
自然体で僕らは会話を繰り返していた。
車掌も煙草、という言葉には異常に反応しては、時々出てくるそれに合わせて汽笛を鳴らしていた。

「ああ、そうだ。俺も田舎の土産を持ち寄ってやりますから、それでおあいこってことで」
いらないね。

僕は「それは素晴らしい」と大仰に合いの手を入れた。
彼はその後にふらりと降り立った。
乗る時も降りる時も、足音一つなかった。


猫のような奴だった。

そして彼が降りた瞬間を見届けると、僕の空想は現実に戻った。
そうだ、ついでにどこかのんびりした喫茶に行こうか。

これこれ、これこそが旅の楽しみだよ、と車掌に話しかけようとした。
けれど、よく考えればここは豪華な三本仕立ての汽車内であった。
失念していた。
誰にも見られていないのに僕は一人、自粛する。


僕が窓辺を見ていると声が聞こえた。
「相席しても構わないかい」
歪な感じで椅子が揺れた。
グワンと平衡感覚が崩れた、まるで貧乏人が高級車を乗り回しているようだった。

あれ、どこか変な表現だったかな。

「指定席に居なくてもいいのかい?」
僕は久しぶりに動揺して疑問符を付けた。
その二人組の片方が言った。
「よく分からないんだよ、だから困っていてナ、何しろこんな汽車に乗るのは初めてでサ……」

背の高い方(クリスチャンよりは低く、僕よりは高いぐらい)が丁寧に喋り、
彼の腰巾着は目つきが鋭くて背も低く、顔を伏せていて、有体に言えば悪人面だった。


その時に僕は怪しいなという感性に従って
「では席を探すのを手伝ってあげましょう。ささ、切符を見せてください」
と言っても良かった。

「ええ! どうぞ」
しかし僕はナイフを突きつけられていた為に首肯するしかなかった。
「ヘヘ、お兄さん、気前がいいね」

僕がそんな言葉で喜ぶとでも思っているのだろうか。
相手は、言葉とは裏腹に、僕が今にも叫ぶのではないかという恐怖に駆られているようにも見えた。

この暑いのにコートで居るのはそのためか。
獲物が袖で見え無いようにして彼は当たり障りもない話をした。

僕が大っぴらに喋れるとしたら背の高い紳士と目付きの鋭い小僧と称するしかない。
足して二で割ればちょうど僕だな、と思えるぐらいには余裕だった。
どちらの配分が色濃いかはご想像にお任せしよう。

「悪いことは言わないからそれを下げてくれないかな、叫ぶよ?」
「おっと、何を言いますかお兄さん」
刃物が余計に突き当たった。
「別に悪いことをしようという訳じゃねえんだって、お話しようや」
むしろ無言になるというものである。

「そうだね、見たところ同業のようだし」
「物騒だな。誰が同業者だ」
背の低い方は、声も低く重かった。

「違うのかい。僕はどう見たって移送中の囚人なのだけど」
僕はバッジを取り出した。
少し古いが本物だ……といってもこの二人が実際に見たことがあるかは知らないけど。
「ありゃあ、お兄さん、先輩でしたか」
「そいつは失礼をした。で、どんな罪状なのか聞きたいな」

「牢に放り込むのもばかばかしいような罪さ」
「そう、結婚詐欺とか誘拐詐欺とか、名前の詐称とかね」


「金を盗んだりはしないのか」
「勿論だとも! 盗みは良くない。嘘は良くてもね」
嘘吐きは泥棒の始まり、というが僕はちゃんと反省しているからその点は大丈夫だ。
悪い事と分かっていてやるんだからね。
「生れた時にはもうママンを騙していたよ。マンマ(飯)と言ったのに、自分のことを呼んだと勘違いしやがった」

「そりゃあ俺たちもだ、なあ、あんた気に入ったよ」
「年上にお兄さんと呼ばれる方が肩苦しかったね」
僕は懐の拳銃の形をぽんぽんと確かめる。
どう見ても形が浮かび上がるんだけど、彼らは鈍いのかな。
兎も角も胸板が厚いのも考え物だ。性格にはお腹周りもだけど。

「俺はヒットだ、お兄さん。こいつはクールっていう世紀の大怪盗さ」
「どうも有名人。ピッツァーティとでも呼んでくれ」

「ピッツァーティはどこへ行こうとしているんだい」
躊躇ったが僕は脂肪に突き刺さるナイフに視線を移して
「お巡りさんのところへ」とだけ呟いた。

「へえ!? よもや俺らの所在をバラすわけないよね、そう願いたいもんだ」
「違うさ」


僕は瞬時に嘘のストーリーを作っていった。
僕は囚人、罪は詐欺罪で人殺しなどはしない。
――それは素敵だ、口から出任せも悪くない。
投獄されたが移送中に脱走し、貯金が消えて再び牢へ向かう際中
……これだ! よし、と僕は口を開いた。

「ピッツァーティ、じゃあどうして」
「決まっているさ、この身形を見て思わないかい?」
「みすぼらしい生活に逃げる為さ。金を使い込むような性格でね、むしろ有難い、ヴァカンスというわけさ――」

いい感じに辻褄が解けてきた。さあ、どうするか。

「――まあ、僕が馬車から抜け出せたというよりも御者のミスだろうね」
「車輪が外れて外に放り出されると、一目散に僕らを捕まえようとしたかと思ったらね、何て言ったと思う?」
「まさか警察官にコーヒー豆を買ってくれたら刑を軽くしてやると言われたんだ」
「嘘みたいだろう!? 何、ムショの水は不味いというじゃないか?」
「本当にねえ、焼け石に水だろうよ」
二人はその話に耳を傾ける。ヒットが聞いてきた。
「そんなに不味いのかい? 俺らもあやかりたいものだ、捕まったことが無いからさ」

こういう時は何故か焦る。
札の持ち主から聞いた話を思い出すのに必死だった。
「僕にとっては絶品だったねえ、世間の人は口を揃えて不味いとほざくけど」
「そもそも僕ら庶民は手足を動かすのに忙しくて、口には黒パンを詰めるしかない」
「要するにあいつらは牢に入りたがらないように必死で操作しているのさ」
「少ない情報をね」

「まあ、確かに」


僕は色んな人間を騙してきたけど、
その際に必ずと言ってもいい程、声の調子で人は呆気なく騙されることがある。

「どうでもいいけど君たち幾つ?」
「一応僕もこんな成りだけど、三十路に入ったばかりの若輩だからねえ、できるだけ『年上の』意見を聞きたいんだ」
途端に二人は慌てた。
世間話における恥を指摘されたような感じで。

「え、いや冗談でしょうお兄さん。あ、本当に兄貴だった」
「嘘八百じゃないのか」

「それは、さておくよ」
「でさ、二人は犯罪を侵すんだろう? 友人からすると止した方が良いよ」
「リスクとかも考えなきゃ。それにさ」と僕は付け足した。

「こういう汽車に限って何故か、声が筒抜けなんだ」
「電報を走らせに駅に留まったが最期、もう終わりだと思うよ」
周りでは沢山の扇がこちらを向いていた。
目が見えなければその色も伺えなかった。

「代わりに僕の大事な宝石をあげよう」
「看守さえも見逃させた呪いの形見さ。きっとお金に代わるよ」
「兄弟で仲が良いんだし、楽しく方々の旅を楽しんでくれ」

そうして指輪の入った小包を渡すと、二人は消えた。

駅員が切符を切りに来たのも一因だったのだろう。

僕は拳銃を取り出して引き金を抜きタンポポを一輪咲かせると、
それを銃口から抜き取って駅員に渡した。
切符を彼らのポケットに滑らしてしまったのはばかだったかもしれない。
お土産代を払うのが嫌だったのでそのままうやむやにしようと決めた。

さて、僕がそれを誤魔化せたかどうかはご想像にお任せするよ。

ようやく美しげなる世の外に舞い降りると
夕焼けさえも人の波に流されてしまい、
その日付で帰路につくのは厳しいと土産を片手に立ち尽くしてしまった。

そこで手元に余った金額で何とか安い民宿に泊まることに決めると、僕は立地の悪そうな屋根を探し歩いた。


結果だけ言っておくと味わいのあるなかなか素敵なホテルだった。
何より料金はタダだったし、愛想のいいホテルマンが羽毛布団を用意してくれて
――とりあえず土産よりも贅沢な代金分のサービスをしてくれたんだ!
それだけさ。

だからどうして、その素敵なホテルでクールに出会った時には「あ」然としたね。
後ろからヒットに睨まれて僕は動けなくなってしまった。
つまり「引っ手繰る」兄弟をどうやって揉め事を起こさないように対処するかだったんだ。

その後は、だって?
君は何を言っているんだ、ばかばかしい。

一緒に談笑して酒を酌み交わし、自慢のスリテクニックを使って僕だけ水だけを飲んでいただけだ。
んでもって、彼らが泥酔し(クールが「いらっしゃいませ」と笑顔で言う姿は見物だった)、
ふと酔っ払いの免罪符で何されるか分かったものじゃないと気づいたのは内緒だ。

彼らはお土産を漁る真似も僕を嬲るようなこともしなかったから
―-出会い頭に盗み返そうと思っていた指輪はそのままに、またあの豪華な汽車に乗り込んだ。


それの相場も書いてやったメモを残して、だ。
車掌なら勿体ないと怒るだろうかね。

「いや、もうこりごりだね」
「だから都会は嫌なのさ、僕はゆっくりと寂れた旅を楽しみたいんだ、これでまた人嫌いに拍車が掛かっちまったよ」

例の懐かしくも振る錆びた世の中に舞い戻ると、僕は開口一番にそう言った。
いやあ、まいった、本当にまいった! なんてね。
「……次の駅で降り、そこの村で休むといい」


「え」
今、僕は脳の中の千は下らない単語の綴りを忘れてしまった。
「……」
喋ったかと思うと、彼は口をすぐに閉ざして水差しを手に取った。
暑苦しくてどうしようもないのに、けれどこの世はすごく心地よかった。
山が見える。羊の鳴き声と共に線路をゆっくりと擦る音が収まってきた。

駅が見えてくると車掌は人が居なくても一度は汽笛を鳴らすようにしていた。
それは当たり前だけど僕には良い目印になった。

降りる際に、僕が土産を窓から投げ込んで
――彼が煙草を捨てるタイミングに合わせて――やると、ちょうど胸元に当たり足元に落ちただろう。
もしかしたら替えが切れた時点だったかもしれない。
駅から去る列車を眺めていると汽笛が数回鳴っていたが、それが喜びだったのか、或いは何かの抗議なのかは定かではなかった。

「いつから囚人護送列車になったんだろうね」
僕が列車の隅っこで寝泊まりしていると見つけたのは、非常に雑多な、恐らく車掌の思い出なのかもしれなくて
……そりゃ六十年以上も暢気に列車を走らせてはいないよなあ、と感心していた。

「さて、さて、この百エーカーはありそうな牧場や森林とやらの、どこに小屋の一つを見つけられるのかね」
まあいいかな。
ついでにさ、忘れていたとあなたが勘ぐるお土産の交換だけど、
それもその筈で、完全なる僕の声真似だったりするんだ。
日頃の感謝を僕は言葉にしたくないタイプでね。


バレているかって? まさか!
自分の倍はする年齢の老いぼれ車掌如きに気付かれでもしたら、僕も形なしだよ。

四つ目終わり。

詰まんねえぞって一言でも行ってほしいの名

5

わずらわしい木枯らしが服の裾に入り込んできた。
何で軽装の時に限ってやってくるのだ、あいつらは。
蓑虫が木の葉を必死で集めているのに、とろとろし過ぎて見るに堪えなかった。
新緑も何とか枯れ果てることが出来たようである。
(葉っぱのフレディーでもあっただろう。深雪の前の夕方に枝を離れたダニエルみたいなものだ)
また次の樹になるため土の養分に、或いは虫たちの糧となるのだろう。

「それにしてもばかみたいだな」
僕は何度か車掌に気の利いたことを言うし、
いつもなら彼は余りに寡黙なものの汽笛では陽気に答えてくれていた。

けれど今日は少しばかり彼に負い目がある。


怒っているふりをしながら、僕は喋り続けた。

「俺がこんなハードボイルドな旅を楽しんでいるのに、話しかけてきた奴が少ないなんてありえないだろう」
「うたた寝をしている内にさ、見ろよ、この分厚い小説」
「ご丁寧に封筒に入れた手紙を栞代わりに入れてやがる」
「ばかみたいだ、正直さという意味でな」

車掌は振り返ったような気がした。

「俺はこんな湿気た学のないヤローの手紙なんざ読む気はないね」
欠伸を吐き出して、ほうと窓を見る。
いつもこれだ。
この内装は見飽きてしまった。

「――というか最近さ、食っちゃ寝を繰り返しているせいで太ったみたいだ。体が重いよ」
ピッツァーティの再来である。
僕は、話しかけるのにも疲れて、本とその「栞」を手に取る。
「で、牧場に降り立ったのは良いけど、聞いてくれよ」


「とんでもない姉妹が居たんだ」
「歳が三十以上も離れているんだぜ!」
「二人だけで生活しているんだとよ、生憎と俺は年上なんて嫌いだがね」
「当たり前って? そうだな」

車掌は、彼の知り合いと思しき人物が牧場に居なかったことに驚いているのだろう。
いや、僕だって驚いているよ。
何せ歓迎されるどころか一日中逃げ回ったんだから。

草っぱらにて僕はでっかい牛を見つけた。
鼻息を荒くして暢気なかれが必死で追いかけてきた。
僕は牛歩という言葉を思い出しつつも、闘牛をいなすように上着を赤いチーフに見立てて、さっとかれの後方に回った。
僕の動きも相当に遅かったけどさ。

おや、と思ったのはかの暢気な牛(僕はジョンと名付けようと思う)がとっことっこと野を駆けていき
――闘牛のように――僕のことを忘れてしまったのだ。
ジョンの来た方向を見たが、とんと静かであり自分が悪い事をした気分になった。


「これでは牛泥棒と勘違いされても仕方ないぞ!」
一人で思いきり(違う、密着した二人きりでお互いに重い足を引きずりながらだ)叫んだ時にはもう、
どうみても国の境でもありそうな森に辿り着いてしまっていた。

牛だからまあ、手持ちの鈴を使って何とか誘導したが、
僕がジョンを食べながら歩き続けても駅に辿り着けるか不安だった。

おいおいカウボーイかよ、ここが荒野じゃなくってありがたいなあ。
湖の近くで薪に火をつけた後、ジョンに寄り添うように眠りについた。

翌日、僕が経験してきた中で最も素敵な快晴だった。

木陰の――葉が紅く染まっているそれが藍色を落とす白んだ空と合いまた美しかった
――横で冷たい水を啜るどころか、僕はつい、そのままに飛び込んでしまいそうだった。
夏が過ぎたばかりで頭がばかになっていたのかもしれない……。
 ジョンは正しい道のりを知っているのか、すぐに旅立とうと草を食み終わり、
僕の服を引っ張った。

そしてすごい力で引っ張られ転げ落ちるのも何度か……。

僕らがただ単に回り道をして昨日を無為にしていたのか、割にあっさりと牧場の敷地にまで戻って来られた。
どうやら杭を甘く打っていたようだ。
所々に栗鼠が齧った跡があり、皮を剥され細く哀れな柵は、もはや薪にでもするしかないだろう。

「見つけたよ。姉さん、姉さん! ジョン・ドウが見つかったわ!」
けたましい声が聞こえた。
背が低い七歳程度の少女が呼びかけて、まず真っ先に母親と思しき女性が遠目だが駆け寄ってくるのが見えた。
僕とジョンが歩いていくと「ヘイ」なんて手を振ってくる。

僕も振り返してみせた。

「というか、君の名前は本当にジョンだったんだな」
「いやあ、俺も探偵になるべきだったか」

そんなことを言って間もなく僕は苦笑した。
いざ、という時に笑うしかなくなるんだよなあ……

ジョンは僕の靴の先端をその後ろ足で踏んづけると、立ち止まってぶるぉおんと――闘牛のように――吠えた。


「でかしたわね、ウシ!」
「さあて、ジョン・ドウ! 覚悟しなさいよ、この牛泥棒めっ」
「お巡りに突きだすだけじゃ済まさないからな!」

「はあ、どういうことだい? ――」
一杯喰わされた、と言うべきだったのか。
ジョン・ドウ(名無しの権兵衛)とは僕のことだったのだ。
そういえば、リチャード・ロウという貴族が被害者で、ジョン・ロウが人殺しの犯人の暗喩だと聞いた気がする。
「――僕が牛泥棒とは失礼な、こうして送り届けてやったのは僕なのにさ」


ねえ、ジョンと言ってもかれは足をどけてくれなかった

「うちのオウシは皆、悪い奴が大嫌いなのよ!」
誇らしげに言う女の子の後ろで母親が肩を掴んで「どうも」と頭を下げた。
彼女は分かっておりますよ、とばかりだったので僕の怒りは爆発せずに済んだ。

「共に一夜を明かした癖に、僕のことを裏切るつもりかいジョン?」
「あら、マゾヒストなの? 家畜と寝たら家畜ごと殺さなきゃいけないのよ」
「残念だわ、ホモは罪を償わなきゃ!」

母親が「こら、言い過ぎでしょ」と重なるように
僕は「聖書の読み過ぎだ! いつの時代のことを言っている」と噴火した。「ジョンを殺すというのか? こいつは良い奴だぞ、それはもう俺を悪人だと見抜くぐらいにはな。番犬に丁度いいじゃないか、勿体ないなあ」
女の子は唸った後で、「ごめんウシ、ごめん姉さん」とジョンの頬を撫でた。

そうか

誤解が解けるとようやく僕は「姉さん」という単語に反応した。
顔に少しだけ皺が寄っていることを除けば美人の彼女は、
あろうことか、この生意気な女の子のお姉さん(あるいは従姉だろうか)なのだ。

茫然としながらも、僕はジョンの足がどけられてお姉さんと生意気な妹さんに家まで運ばれた。
恨み言が届くならば「俺は男には容赦しないぞ、ジョン」とだけ。

「ええ、ええ、旅をしてございますのよ」
唾を吐くのはさすがに気が咎めた。
ぶっきらぼうに牛舎にてジョンを探していたが、どいつもこいつも同じ顔にしか見えなかった。
全部で十数頭居たが、これらを全部あの姉妹(?)が育てているようだ。
大人しい顔をしているが、全てが憎らしい顔つきをしていた。

牛の癖に、ジョンの癖に……いやジョン・ドウは自分なのだがそれも仕方ないのだろうか。

ペストが流行したのは今よりもかなり前ではあるが、
それでもこと過疎地域の人々は慎重になっていた。

よりにもよって旅人はペストを連れてくる、という話を鵜呑みにしているのだ。

ただし、これは合っている。
けれども僕がペストを連れて来るよりも、衛生面の優れたこの村で、どうやってペストが流行ると思うのだろうか。

昨日に訪れたあの池を見ればすぐ分かる。
他にドブネズミが入り込むような場所は、この牛舎か二人の住む家(物置のようでもあった)のみだった。
広大な土地と心優しき村人が余所者に冷たいのは当然だろう

……牧場を降りて、森の反対側へ行き車掌の知り合いを確認しようと話をしたが誰も取り合ってくれなかった。


そんな僕をお恵みなさったのは、例の姉妹だった。

やはり

ミス

「あらあ、じゃあアフリカとか言ったことがあるのですか?」
「インドは、チュウゴクは? もしや、アメリカとかはどうなのですか!?」
姉さんの方であるローランは掃除をしながら僕に質問を浴びせていた。

妹の方は乳搾り終えたバケツを一つずつ運び
「どうせ、その辺の列車に潜り込んでいるだけでしょ」と嘲笑った。


「ええ、エドガーさんの言うとおりざます、ワタクシはそんな遠くへは行ったことはありませんね」
煮え湯を飲まされているようだった。
いや、白湯ならばそれに越したことはないけどさ。
一応、僕は人々が嫌うような苦い薬草に舌をべーっと突きだすような子供ではない。

「そうですか、残念ですね」
「次に旅立って、戻ってきたら、異国の話をできるようになっておきますよ」
お世辞でもローランは喜んだ。
そしてきっとエドガーは茶々を入れるのだろう。
「真に受けちゃ駄目だよ、姉さん! 旅人が語る物は必ず法螺話なんだから」ホラね。
「少しは信用してくれよ、な、エドガー」
もう怒っていないザマス

自分の寝床の代わりに彼女たちは条件に、軽い農作業を手伝うように言ってきた。

「父が亡くなってしまって、従業員さんたちもどこかへ行ってしまったんです」
「薄情ですよね、しょうがないからもうここも売ってしまおうと思っていたんですけど」

「最近なのですか。身寄りは?」

「一応叔父が居たのですけど蒸発したきりで」
「それでも、村の子どもたちの中にはエドガーと仲良くしてくれるだけでなく」
「うちの手伝いをしてくれる子も居るんですよ」
ローランは既に次の作業に移っていた。
「なら収入源も限られているのですか」
「ええ、あの子の前では言いたくないけど……実は喪服さえもケチってしまうんです」
「酷い娘でしょう。私たちも薄情に変わりはないんです」

僕は慰めを一言も口にしなかった。

「お金を持って、どこで暮らしていくつもりだい」

「読み書きは出来ますよ?」
「父の残した本はどれも面白くて、おかげでエドガーも」
なら、……安心だろうか?

一日の作業は至って簡素だった。
起床、朝食、牛の放牧、牛舎の掃除、村で買い物をしてようやく夕食。
洗濯は調理中の空き時間には終わっているらしく、
エドガーに至っては空が青くなってきた時間にはもう目を覚まして本棚から取り出し、
姉が起きるまで家を見張っているようで、

……僕が一頭もいない羊小屋の雨漏り修理をしていると、まるでその生活に溶け込んでいるように村人は見えていたようだ。
「男が居る。あの土地を買い取れない」と。


「ですから、誤解を生む前に出払って旅に出ようと思っているんです。あなたみたいに」

牛ばっかりは、買い手がつかなかったために肉になることになった。

「乳牛も種牛も人間には関係ないって感じで嫌なの」
「最終的にはウシも人の餌だよねって気分悪くなるの!」

「エドガー……」ローランは窘めるに至らず、たたらを踏んでいた。
荷物は纏めてあったが、どことなく覚束ない二人の様子がありありと分かった。
「そんなに離れたくないのなら……」

僕は彼女に頭を軽く叩かれる、
「いいんです、もう決めた事だから」

だから恭しく、背筋を正した。親愛なるウェールズ姉妹様、と。
「ではわたくしが手助けできることといえば、道案内ぐらいでございますか」

エドガーは驚いてみせた。「嘘でしょう?」
「悪党のように思われるのは嫌だからね」
釈然としないだろう。
きっと僕らはお互いを信用していなかった間柄で、初めて取り決めた約束だった。
「約束するよ」
お金の工面はしなかった。それは姉妹を侮辱することになる。
「ジョン・ドウ! きっとよ、きっと」
もとより小さな子供なのだ。僕はそれを思い出した。
もちろん、僕を疑おうとしても怒るつもりはさらさらなかった。「もちろんだとも」

「じゃあ、一週間後に権利証を引き渡すことになっていますので、その日に」
「分かった、いいよ。それじゃあこの生活もあと七日というわけか」
 アンの家に泊まった時は僅か一昼夜のみだったな。

「ところで、権利証なんて大事な物、盗まれたりしないのかい?」
「村人がそんなに善人に僕は見えないけど」

「私たちも権利証の場所は知りませんよ。あの本のどれかの栞になっているのですから」
「へえ、燃やされたら一環の終わり――」
「その時は、新しく作ればいいだけです。印鑑は父の墓に入れましたけど」
――なるほど、墓荒らしをしたと思われるわけか。「それは良い考えだ」
「村の人たちも、悪人どころか素敵な人たちですのよ。少なくても体を迫るような下劣なんかは村には一人も居ませんもの」
「年上は勘弁だからね」
僕は本心を言ったつもりだが、茶化したように聞こえたようだ。それこそエドガーのいうように。
「あら、振られちゃった」

僕らは夜空を歩いていた。
久しぶりに自分の足を使って歩いていて、本当に放浪の旅をしているようだった。

「本当に、出発するのかい?」

「まさか泥棒をするなんて思わなかったけどさ」
「あの土地を引き換えにしたら、彼らも大体採算が取れると思いますの」

寝息を立てているエドガーをおぶって、僕とローランはすっかり村を離れていた。
村人の連絡が来ないような国境付近の駅まで。
「何でかね、ここの老いぼれた車掌は人が良いからさ」
「何も言わずに乗せてくれると思うよ」
「僕は足止めでもしておくかな……来るわけないと思うけどね」
 ふふ、と笑ってローランは「ありがとう」と僕の腕に手を添えた。

「エドガーがね、あなたの法螺話をいつか小説に書いてやろう、って意気込んでいましたよ」
「それは、それは」
彼女の背中に妹を乗せてやった。
駅から出る。左手には大牧場、その奥北西には懐かしき森が見えた。
森を抜ければ牧場よりも大きめの村が広がり、こんな空の下で良い子たちは寝息を立てているに違いない。

僕はたくさんの人々にジョン・ドウと呼ばれて、


いや思いきりその名を叫ばれながら一昼夜逃げ惑ったが、全く悪い気分はしなかった。

「しかも妹の方は人を詐欺師だとか感情のないロボットだとか手元にある小説を見せて来るんだぜ」
「『まるであなたそっくりね』、だとよ!」
「こっちは人形劇の主人公でもあるまいし、何を戯れた話ばかりするかね、と言ってやったさ」
身長がぎりぎり俺の方が上だったしな。
「ついでに言えば姉の方はインディアン見たさに、インドに行くんだってさ」
「どっちも下らないセンスを持っていると、俺は笑いを堪えたね、ああ、違う一笑に付してやったね」


けれど、彼女たちが僕に下した評価は概ね正解だ。
例えば、好きになった人間を罵倒するところとかさ。
指輪を「引っ手繰る」兄弟にくれてやらなかったら、ということを少しだけ考えてしまったよ。

まあ、僕は旅を罵倒することはないから、堂々と、
「大好きな旅にお荷物は要らないからさ、鈍臭そうな姉の方は木端微塵に撥ね付けてやったさ! やれ、やれ」
と呼吸をするように言い切った。

少しだけ急き込みながら。

「夏が過ぎたと言っても、冷たい夜の池に飛び込むのは、まさにばかみたいだけどね」

ヘッ……。
列車の中でクシャミが聞こえても、恐らくそれは君の聞き間違いだろう。

五つ目終了。ちなみにTRAVELLER´S WINDって書きます。
Lが一つ多い? 気のせいだ。

6

さて、半世紀を迎えた旅も、一区切りを置かなければいけないようだ。
僕は墓の前で手を合わせた。

僕の見た目はおよそ五十歳というのもまだ恥ずかしいほどに幼すぎる、
せいぜい十八、九歳の青年のそれだろう。

白い花を供えると、別の場所では、同じように誰かが涙を拭いている姿が見えた。

喪服姿で女性が泣いているのだ。
誰が支えてやらなければいけないのだろうか。

風の音に僕は返事をした。
「分かっているよ、見過ごすわけがないだろう」
年寄りはお節介なのだ。若者は刺激を求めているし、それ以外だって何かしら必要である。


愛や趣味や、逃避行さえも。

「こんにちは」


その女性に僕はごく穏やかな声を掛けた。
「旦那さん、ですか」

「僕は友人を」

「ええ、五十年近く共に過ごしたやつでね」

「無口なのに気が合うんです」

僕の態度で怒るに怒れないのか、彼女はただただ泣いていた。
「ふざけてなんかいません、死人の前で嘘をつきたくはありません」

ただただ穏やかな声を出す。凪の上を通る溜息のようなそれを。

「これでも不自由な体に生れてきたんです。」

「……この痩せた体にはヤニもアルコールも染みずに育ってきたし」
「え? 当たり前って――いいや、あなたよりも歳を取っています」

「嘘ではないですよ」

それに酒も塩もコーヒーも煙草も、
皆を我慢しながら生き続けなければいけない。

拷問のような日々を旅の景色で誤魔化してきたんだ。

彼女の手を握ってやって、僕はどうにか励まそうとした。
生憎とそういう礼儀を僕は知らなかったのだ。

見知らぬ人の片手は温かく羨ましかった。


「何、笑っているんですか」

都合の良い話だな、と彼女は自嘲していたのかもしれない。
こんな子供相手になどと……けれども僕は話し続けた。

誰かに聞いてほしかったのかもしれない。

「そう、疑う気持ちも分かります」

「僕はあなたよりも遥かに背が低い。背伸びしている子供みたいでしょう」

「誠実さを見せるなら、こんなことをせず花を添えるだけでいい」


「そうですよね……?」

僕は手を合わせた。

墓の前に供えられたものが目に入る。
そして、墓の名前を見て……僕は思い出したかのように鞄を弄った。

すっかり茶色になってしまった「栞」には蝋の削られた跡があった。
同じ本を二つも並べるつもりはない。
一番奥には青い花、手前には二つの異なる本。

その三角径の中央に、僕はそれを置く。

クリストファー・テディ・ウェールズのために、僕は頬を濡らした。

ふと、あの小さな汽車に乗りたいという思いが強まってきた。
今なら車掌を務めてやってもいい気がしてきた。

今度こそ一人なのだろう。
オオカミ少年のように、葉っぱのフレディーのように、経緯はどうあれ孤独を手に入れてしまう。
むしろ、誰かがやらなければいけない役目を仰せ遣わされるなんて、十分じゃないか。
きっと悠久の時間の中で自分を騙しながら、僕は旅を続けるに違いない。
時には乗客に自分を偽り、からかいながら。
自分を偽り……。

僕は言葉を飲み込んだ。

『僕は感情のないロボットなのかもしれない』

『愛も悲哀も感じない。新しい指輪を買うつもりなんて毛頭ない』

『好きな相手には罵倒してしまうし、』

『どんなに些細な嘘だろうと、詐欺師と後ろ指向けられるのは分かっている』

『なあ、僕はお前のことなんか嫌いなんだよ』

『何時ぞやのようにジョンと呼んでくれ』


『今すぐにこんな舞台を茶化してくれよ』

 僕らはお互いにからっぽの話をしたがっていた。


 人生というものがない僕は、高架線の上で知り得た全てしか語ることができない。


 そこに、彼女の書く物語の中で、を追加できるかもしれないけど。


 できることなら彼女と一緒に歩いて行きたいけど。


 できれば、一緒に歳を取りたいけど。


 僕は人間の夢を見る。


 今までと同じように、詐欺師が旅を続けていくために。

オワリデス

即興で彼らの物語を書いたりしますかもです。あと、感想も欲しいです。
普段はホラー書いてます。卵どころかセイシの段階ですが。

今回は苛々した時に書いていた(資料イコール漫画、ないに等しい)ものを上げてみました。
始めてのSSって行数も文字数も難しいですね!!

完結しますた、に上げたのもわしですが、

やってもええかしら?

了承は虎変よ

A

わたしは時にやつの好意の視線を感じる時がある。

しかしながら、彼は人間ではなく、また天邪鬼である。

どうすべきものか。

それから人のことをエドガーではなくエジャーというのをやめてほしい。

「ジョンは旅を終えることとか考えてないの?」

彼女は僕に対してそんな酷なことを言ってくれる。

「どうして? それこそ、エジャーが作家をやめるのを僕が望んでいるみたいに、」

「というか、そういう嫌味を言っているようにしか聞こえないなあ」

手紙には何が書いてあったのか、それを教えるべきか悩んでいるところだった。

ジョンがここ数日は列車に乗っている姿をわたしは見ていない。
どういうことだろう。何十年も車掌をするのは飽きたと言うのか。
車掌……? むしろわたしがそれを兼ねているぐらいなのに。

僕たちは気づいていない。
旅の終わりが近づいてきていることを。
僕のような存在と、同じようなサイクルで彼女が人生を送っていいはずがない。
数年前の、僕の決断は帆を変え、軸をずらし、決して正しい方向には向かわせなかった。

「ねえ、Mrs.ウェールズ、」

「僕が旅を止めると、誰が困ると思いますか」

「悪いけど、わたしの仕事はもはや『趣味』、それとその口調もいや」

「……エジャー、僕は君に自由に生きて欲しいんだ」
「旅を続けるなんて老体に悪い」
「聞けば、孫だって生れたようじゃないか」
「それなのにどうして僕に『旅を終えること』を考えてほしいんだ」

「降りるべきなのは君なんだ」

彼女は黙りこくっている。

「僕はね、君が僕の生きてきた31年間を綴ってくれた、それだけで満足なんだ」

「けれど、君が自己犠牲をする必要なんかどこにもない」

「君は僕のことをノータリンとか、天邪鬼とか、寂しがりの坊やに見えているのかもしれない」

ふざけるなよ、と僕は声を抑えたつもりで、つい漏らしてしまった。

手紙はもはや雨に濡れ、風化しているだろう。

けれど、確かに覚えている。

わたしは特に感慨深い気持ちも得ず、ただただ車掌を見つめていた。
汽車はいつのまにか小奇麗でモダンで、少しばかり手入れに力がいるけれど、
十分わたし『たち』の手に余る物になっていった、―-そうでしょ?

「オーケー、分かった。降りる気がないなら君の家族でも呼ぼうか?」

「いつかはこうなると分かっていた」
「クリスの手紙を忘れたのか?」
「もういいんだ」
「もう……--」

「違う!」

わたしは、しわがれた声を張り上げた。

「わたしは、最後ぐらいあなたと旅を続けたいの」

「わたしの父さんの友人――あなたを造った人のように」

「せめてわたしが見続けていてあげたいの」

「恋でも愛でもない」

「命を粗末にする、わがままなのよ」

「あなたが私を追い払ってしまったあの日から、必死に」

「必死にそれだけを考えていた」

「そこが列車の上だろうと、どこだって関係なかったのよ」

気づけば、わたしは涙を流していた。
こんなものを見せれば、余計に彼の心が離れていくのに。

「本当は、一緒に暮らして、わたしのばかな小説を読んで」

「ばかな読者が、あなたと出会って」

「あなたが寂しくないように、わたしたちがあなたのことを忘れたくないように」

「それがどんなに残酷でも、続けて行こうと思っていた……」

「もう一度聞くわ、ジョン」

「旅を止める気はないの?」

僕は舌打ちをする。

唾、ではなくオイルを床に吐き出す。

その辺の壁に蹴りを入れる。

何せ、二十歳ぐらいのカラダなのだから。


それが答えだった。

「うせろよ、ババア」

終着駅です。アナウンスを無理やり連打する。乗客は困っているだろう。

どうでもいいけど。

翌日になって、

人々はまた列車に乗り、身内と談話しながら、穏やかに目的地を目指す。

切符を確認する車掌には目もくれず、

或いは、もしかしたら偶然にも

近くの人の会話に混じって、

ホラ話を吹かされるかもしれない。

手紙にはこう書いてあった。

「サイラスへ、心意気を持って天の門へ潜ろうじゃないか」

それは遺書ではなかった。

「わたしは、もう準備はできている」

老女は家族との穏やかな生活、そして心意気を与えられた。

車掌は汽車を手放してはいけないのだ。

どんな時でも。

Aオワリ

しつこいなあ、俺も

次B

B

その旅館で働いていた二人の青年は、
片方は背が高く質実剛健を表したような、もう片方は少しだけ臆病で真面目な
評判の高いホテルマンでした。

ある日を境に、その旅館は二階建ての部屋数二桁にも上らないような
まさに木がへし折れるほどに旅人が訪れ、ぎゅうぎゅうになりながら栄えたそうです。

その勢いに目をつけた二人は、ある宝物を質に入れ、改築することに決めました。

勿論、この旅館を見つめてきた呪いの――守り神の指輪に、

今朝も願をかけることを忘れずに。

ヒットは言います。

「なあ、どうしてお客様が増えたのか分かるかクール?」

「さ、さあ」

「一人に聞いてみようか。……どうも、おはようございます!」

旅人は、陽気になって応えました。

「ああん、そんなもの知らないよ」

「おや、どうしてですか」
「ワタクシどもとしても一層よき宿にしていきたいと考えていまして」

「だからだねい、この旅館を見つけるじゃん?」

「へえ」クールは畏まった様子。

「ああ、ここの名前! どこかで聞いたことあるな」
「ああ、ここの風貌! どこかで聞いたことあるな……ちゅうわけよお」

旅人は部屋に去って行きました。
ヒットとクールはお礼も忘れません。

「分からん」

「分からないな」

二人は頭を悩ませながらも作業をてきぱきとこなします。

「まあ、いいか」

「ああ」

まこと、めでぃあの影響とは恐ろしいものよ、と女王は呟いたり、そうでなかったり。

Bオワリ

あかん即興で角と似たような表現になってしまいがちやのねん

余談ですがベティーは田舎のおばちゃんが都会に出る時の簡素なドレスを着ているものと考え下さい。
お前らのカーちゃんだ、つまり。

ご不明な点が御座いましたら、『感想とともに』受け付けております

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