和久井留美「一人、料理を探す」 (21)


夏。日差しも強くなり、蝉の輪唱が聞こえる街の中。
私は一人、また食事処を探して歩いていた。

今日はお弁当を作って来る気にはなれなかった。
理由は簡単だ。彼がいないからだ。

彼は今、仕事でドイツにいる。
この前はハワイに一緒に行けたけれど、そう連続で行けるものでは無かった。
私は日本に残り、レッスンを中心にアイドル活動をしていると言う訳だ。


「……暑いわね」


日差しが否応無しに、肌に刺さるような勢いで照りつける。
湿度も高く、汗が体にへばり付いて流れて行かない。
夏らしいと言えばそうなのだけれど、これは少し暑過ぎる。今日は今年一番の猛暑と謳われている。
今日は絶対に、涼しい物を食べよう。
私はそう決心して、人の雑踏の中を歩き始めた。

しかし、こんな暑い日でも食事処の行列は絶えない。
特に、涼しげなメニューやスタミナがつきそうな料理を出す店には必ずと言っていいほど人が並んでいた。
後者の方は特に問題は無いけれど、前者は私にとって少し問題だった。



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「人、多いわね……」


どこもかしこも人、人、人。
立地の良い場所に事務所とレッスン場はあるけれど、本当に毎日祭りでもやっているんじゃないかと思う程に人がいる。
この前撮影で行った場所や、ハワイなんかはもっと落ちついた場所だったのだけど。

私は歩く。汗をかきながら雑踏を横切り、道幅の狭まった道に出る。
ようやく落ちつく事が出来た。路地をそのまま歩き、食事処が無いか探す。


「……あるけれど、カレー屋さんにからあげ屋さん、中華屋さん……違うわね……」


この小道に隠れるようにして存在する店はある。
しかし、私が所望するような店は見つからない。

今日は絶対にサッパリとしたものが食べたい。ただ冷やし中華というのもストレート過ぎる。
最近は、洋食ばかり食べていたし……。


「あら?」


そう悩んでいた私は、一軒のお店を見つけてしまった。



「……うどん屋さん」


寂れた外観。日本家屋を模した黒塗りの柱と所々剥げた土壁が、和食屋らしさを出している。
看板には北九州うどんと書いてあった。店の前に置かれた看板にも、九州の醤油が売りだと書いてある。
九州の醤油は甘いと聞いた。その醤油を使って食べるうどんは、果たしてどんな味なのか。
うどんならば、ざるうどんという手もある。それならすんなりと胃に入ってくれるはず。
私は、少しこの店に興味が湧いた。

行列は出来ていないかった。私は何の躊躇いも無くその店の入り口へ向かう。
入口は大きな硝子がはめられた黒の引き戸だった。私はその入り口から店内を見渡す。
カウンター席が六つ程しか無い小さな店だ。だけど、奥には階段があった。二階部分もあるのかしら。

そうして、店内を物色している間にも、狡猾にその店は私を引き込もうとする。
鼻孔を撫でて通り過ぎて行く甘く、豊かなダシの匂い。
そしてうどんを茹でる、あのむせるような蒸気が換気扇から漂ってきたのだ。
私はそれを吸ってしまった。唾液を分泌させ、頭の芯を満たすようなその匂いに、私は誘われる。
あぁ、匂いだ。

幸い、カウンター席には二、三人しか人は座っていない。
ここにしよう。私は決意して、引き戸を開け店に入った。



「いらっしゃいませ。おひとり様ですか?」


店に入ると初老を過ぎているであろう女性が私を出迎えた。
一人だという事を告げると適当に空いているカウンターに座るように言われたので、私は一番奥のカウンターに座る事にした。

メニューを広げて何を食べるのかを熟考する。この一時も、食事の大事な時間だ。
少々画質の荒い写真がいくつも貼られたメニューも、中々味が有って良い。


「ん……」


私の目が、あるメニューを捉えた。
昼のセットメニューと呼ばれる、小さな丼物とざるうどんのセットだ。

セットとなる丼物には、かしわ丼、かきあげ丼、チキン南蛮丼という物があった。
かしわ丼は鶏の出汁で炊かれた味ご飯の上に、甘く煮た鶏、金糸卵と海苔が添えられた物だ。
親子丼の一種とも言えるかも知れない。これも北九州で見られる料理だ。

しかし、この店の売りである醤油を楽しむというのなら、これを頼むのは避けた方が良いのかも知れない。
うどんと丼、どちらも同じ味になってしまって味に変化が無くなってしまう。
そうなると、必然的にかきあげ丼と南蛮と言う事になる。

男性に喜ばれるとしたら……チキン南蛮かしら。
ただ頼むのは良いけれど、食べきれるか……。



「お決まりですか?」


先程の店員が水を持って注文を聞きに来た。
私はどちらかに決断しようと、店員の方に向き直って注文しようとした。
その時、調理場が見えてしまった。ちょうど、店主らしく男性が天ぷらをあげようとしている所だった。


「……天ぷら、あるんですか?」

「あ、それでしたらメニューの後ろの方に……あら、やだ。抜けてたのね。ごめんなさい。
 はい、こちらのメニューをお使い下さい」


私は見てしまった。
店主が慣れた手つきで海老に粉をつけ衣に通し、そして揚げている所を。


私は店員から正しいメニューを貰い、まだ考え中だと断ってから、厨房の様子を観察する事にした。
店主が、海老の尻尾がしっかりと、見栄え良く開くように調整しながら油に投入している。
海老がじゅっと、弾けるような音を立てて油の中で踊るように震える。
その音は、まるでカーテンコールを受けるような歓喜に満ちた音だった。

私が固唾を飲んで見守っていると、店主は少し太めの菜箸の先端を衣の液に浸し始めた。
そして、海老と並行するような向きで菜箸を左右に振り、海老の上に衣の液を落として行く。
花を咲かせるという揚げ方だ。少し前、テレビの料理番組で見た技法だった。
そうする事によって海老に飾りのような衣が付き、見栄えもよく、そしてタレが衣に絡まり味も強く押しだせるようになるのだ。

海老に、どんどん花が咲いていく。あの甘美な音をあげながら、海老が衣を纏う。
衣がぱらぱらと広がって行くその光景は、正に花が咲くという表現がピッタリだった。

私は海老が揚がるまで、あの弾けるような心地の良い音に耳を傾けながら、ずっと観察していた。
そして、二分程経ってからだろうか。店主が他の調理を終えて、揚げ物調理に戻ってきた。
細い菜箸で、海老をしっぽの付け根から持ちあげた。海老はピンと、折れる事なく地面と平行になっている。
油で体を輝かせ、まるで黄金のような色を讃えるその芯の通った姿を見ただけで、どんな至福の食材なのかは容易に想像できる。
私は思わず息を飲んだ。


天ぷらくらいであれば食べきれる。
しかし、これを頼んでも良いのだろうか。
私はアイドルだ。モデルのような仕事内容も多い。油分の多い物を食べてしまっては……。

そんな事を考えつつ、私は店員に視線を合わせてこちらに来させていた。
そして、淀み無く注文を言う。


「はい。何にしましょうか」

「ざるうどんに……天ぷらのセットを……」

「はい、かしこまりました。麺の量、ただいまの時間無料で大盛りにできますが?」

「普通でお願いします」

「はい、かしこまりました」


頼んでしまった。
私は当初心に決めていたメニューを急きょ変更し、天ぷらを頼んでしまったのだった。
……レッスンをすれば、その分は消費できるはずだ。
私は自分に言い訳をして、料理が完成するのを待つ事にする。


私の注文をうけて、店主がうどんを釜に入れ、そして天ぷらを揚げ始めた。
釜がふつふつと蒸気をあげ、フライヤーからは先程の軽快な音が鳴っている。
南瓜、インゲン、若竹……色彩豊かな食材が油の中で踊り、私を目から飢えさせる。
あぁ、待ち遠しい。私は空腹を幸福に感じながら、それをなるべく顔に出さないように我慢してひたすらに待った。


「はい、お待たせしました」


料理が運ばれてきた。深めの皿にうどんが盛られている。
麺は光沢を放っているが、表面が少し粗く見えるせいか柔らかいという印象を受ける。
一体どんな食感なのだろう。

そして、問題の天ぷらだ。
南瓜の上に海老が乗り、それを枕にするように他の野菜が盛られている。
まるで扇のように美しく並んでいる。
余分な油を切られてもなお衣は黄金色に輝き、それでいて素材の色も損なわれていなかった。


私は箸を取り、両手をちゃんと合わせた。
そして薬味をつゆの中に入れてうどんに箸をつけた。
表面は粗いが、箸で掴むとするりと抜けてしまいそうだった。
私は麺を落とさないようにつゆにつけてすする。

柔らかい。印象の通り、麺は柔らかかった。
冷水できゅっと絞められているにも関わらず、歯で噛むとほろりと切れていく。
讃岐うどんなどにあるあの弾力とコシと相反するように、一度噛んだだけで呑みこめてしまう程麺は柔らかかった。

しばらく噛まずに、舌で食感を確かめる。
もちもちとまるで耳たぶのような食感が舌に伝わる。
それを確認した後、私はまた麺を噛み締めた。舌の周辺からうまみが広がっていく。

つゆの味とはっきり区別できるくらい、うどんの味が際だってる。
何と形容したらいいのだろう。この食感と味。
ぷるんとした、豊穣な旨みと言ったら良いのだろうか。とにかく、うどんの味は予想以上に濃い物だった。
東京という、水があまり良くない場所でこんな味が出せるのかと私は心の中で驚いた。
私は一しきりその味を楽しんだ後、ゆっくりと呑みこみ小さく息を吐いた。


九州のうどんは、柔らかいらしい。
私は新しい発見をしながらまたうどんを口の中に入れた。
今度はつゆの味を見る番だ。

つゆの味は基本的に醤油、みりん、出汁だったはず。
対比は出汁が一番多いはずだけれど、それでも醤油の味は際立つ。
私は神経を集中して、つゆの味を確かめる。

甘い。醤油独特のえぐみというか、そういうものをあまり感じない。
出汁の旨みを邪魔せず、溶けあって自分の良い所を押し出しているような、そんな感じだ。

しっかりと味わう。苦みは無い。
普段食べているつゆが、うどんに絡み、呑みこむ最後まで味を残していく味の主役だとするならば、
このつゆはうどんをつるりと流してくれる潤滑油のような、そんな脇役も兼ねた役割を果たしてくれているような印象だ。
醤油一つ違うだけでしっかりと差異が出るなんて。私は調味料の大事さに改めて感心した。

この普段食べ慣れないうどんを私は楽しみながら咀嚼する。
ざるうどんの涼しげな空気が鼻を抜けていくのも、また心地良かった。



「ふぅ……次は、これね」


四分の一程うどんを食べ終わり、私は天ぷらを食べる事にした。
塩があったので、最初は塩で食べて見る事にする。
海老に塩を振り、先端を小さく一口かじる。

衣が歯に当たり、そして砕かれる。軽快な音を立てて衣が崩れた。
雪を踏みしめた時よりも、もっと軽く弾けるような音を立てて。

そして衣を噛み締める。甘みが口中に咲くようだ。私はまたゆっくりと噛み締める。
最初の一口をゆっくりと味わい呑みこむと、私はもう一口かじりついた。
今度の一噛みは中に隠された海老を味わう為の物だ。

口の中に海老が入った。噛む前に少しだけ舌で海老を転がしてみる。
海老にはかなりの弾力があった。ハリと言っても良いくらいだった。
ぷりぷりとした楽しげな食感が口の中で転がる。

そして、満を持すように私は海老を噛み締めた。
プツッと、心地の良い食感。私はそれをどんどん噛み締めていく。
細切れになった海老は、プツッ、プツッと食感を変えず、どんどん広がっていくようだった。

海老はほんのりと甘く、そしてするりと呑みこまれていく。
生のあのとろりとした食感も良いけれど、こうした食べ方の方が好きかも知れない。
天ぷら、正解。


うどんと天ぷらを交互に食べていく。
若竹のコリッとした食感も、インゲンのシャキッとした食感もまた楽しい。
南瓜の味は濃厚で、何故だかまたうどんを頬張りたくなってしまう。

この南瓜は、ご飯にも合うかも知れない。
天丼にしてつゆを上からとろっとかけて食べる。きっとおいしい。間違いない。

夏野菜の茄子が無いのは少し残念な気がしたけれど、満足。
何だか、洋食を食べる時よりも私は楽しんで食べているような気がした。



「ごちそうさまでした……」


私は箸を置いて、小さく溜息をつきながら食事を終えた。
席を立ち、先程の店員さんを呼んで会計をする。


「ありがとうございました……あら、お客さん……」

「何ですか?」

「何処かで、見たような……」


私は少し恥ずかしくなって、店員さんに言った。


「さぁ……まだ、それは勘違いだと思いますよ」


会計を終えて、私は引き戸を開けて外に出る。とても、清々しい気分だった。
空はまだカラッと晴れていた。私は空を見上げて、その眩しさにはにかんでみた。


揚げもの、少し自信が無かったけれど……やってみようかしら。
私はそんな風に、前向きに物事を考えた。

ふと、視線を落としてみると目の前に猫がいた。
影でひっそりと寝転がりゆっくりと瞬きをしていた。

可愛らしい。私はしゃがみこんで猫に手をゆっくりと伸ばす。
猫は人に慣れているのか、何の抵抗もせず私の手を受け入れた。
毛並みは柔らかく整っている。どこかの飼い猫だろうか。それならば、この態度にも頷ける。
しかしもしそうだとするならば、暑いのに好きこのんで外に出るこの猫はかなりの偏屈者なのかも知れない。
目を細めて撫でられているその偏屈猫は、一しきり体を触らせると突然立ち上がり、塀の上に登って何処かへ去ってしまった。


私はなんだか、和やかな気持ちになった。
やっぱり、猫は良い。可愛い。
私に、アレルギーが無ければ……。


「……はくしょんっ」


しまった。あれだけでアレルギーが反応してしまっている。
これは三日間鼻水が止まらない。せっかくおいしい物を食べて猫にも会えたというのに。
今度は少し複雑な気分で、私はその店がある道を後にしたのだった。



「……くしゅんっ」


薬、買って帰りましょう……。

和久井留美「食べる、という事」
和久井留美「食べる、という事」 - SSまとめ速報
(http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1377988581/)
の続きです

初期稿ボツるのもなんだから、続きとして投下しました……
ちょっと短いですがこれで終了です。

孤独のぐ留美って言われて、ちょっとクスッと来ました

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