梓「嘘つきは恋のはじまり」(96)

  

〈中野side〉


人は嘘をつく生き物です。
最初に嘘をついたのはいつだったでしょうか。
歯医者さんが怖くて「歯なんて痛くない」と言った時でしょうか。
それとも、除夜の鐘を聴いてみたくて、「まだ眠くない」と強がった時でしょうか。
幼い頃から大人になっても、小さな嘘を積み重ねて生きていくのが人間というものです。

こんな話をするのには理由があります。
今日、部室にいくと唯先輩がやる気を出していたのです。
なんでも昨日家でとても上手く弾けたらしく、それを私達に聴いて欲しいということです。
律先輩も唯先輩につられてか、やたらやる気を出してくれたみたいで、今日は存分に練習できそうです。

でも困ったこともあります。
今日は朝から風邪気味で、熱っぽいんです。
でも、それを口にするのは野暮というもの。
やる気になっている唯先輩に申し訳ないですし、私自身練習したいという気持ちもあります。
だから、澪先輩が私の顔を見て、「ちょっと赤いけど大丈夫か」と訊いてくれたとき、
「唯先輩が練習する気になってくれて、感慨深くて……」と小さな嘘をつきました。

練習はかなり長い間続きました。
かなりきつかったですが、ここまで熱の入った練習は久しぶりでした。
体調が悪かったからこそ、頭を空っぽにして演奏に集中できたのかな?
私のギターもいつも以上に走っていた気がします。

楽しい練習も終わり、帰り道。私はなんとか平常を装っていました。
まず律先輩と澪先輩が離脱。
それから唯先輩とムギ先輩と別れる場所につきました。
お別れの挨拶をしようとしたとき、ムギ先輩が言いました。

「私、ちょっとこっちに用事があるんだ。
 唯ちゃんは先に帰ってくれる?」

唯先輩はちょっと寂しそうにムギ先輩を見た後、「バイバイ」と言って去っていきました。
ふたりきりになった後、ムギ先輩に「何の用事ですか?」と聞きました。
ムギ先輩は無言で私のおデコに手をあてました。

「やっぱり……大丈夫?」

 

〈中野side〉


傘を思うところに持っていくのがこんなに難しいなんて知りませんでした。
できるだけ濡れないように右に左に微調整しますが、二人共傘に収まるようにするのは難しくて。
歩幅も少しだけ違うから、左右だけじゃなく、前後にも気を遣わなくてはいけなくて。

ムギ先輩だけ雨にあたらないようにしようかとも思いました。
けど、そんなことをしても喜んでくれる人ではありません。

私はムギ先輩の心の内を考えるのが億劫でした。
傘を買わないように言ったのは私です。
だから、今こんなふうに二人が濡れているのは私のせいです。

でも、そういうわけにもいきません。
今日はムギ先輩との関係修復のためにきたのだから。
私は覚悟を決めて、おそるおそる先輩の顔を見ました。

ムギ先輩はほんのすこしだけ俯いていました。
視線を斜めに落として、なんだか愛おしそうに。
地面を楽しそうに見つめながら、軽快に歩いていたんです。

笑っているのでも喜んでいるのでもない、その顔の意味するところはきっと「期待」。
今日のお出かけをよほど楽しみにしてくれていたのでしょう。

私が見ていることに気づいたムギ先輩がこっちを向きました。
傘を差したまま、目があって、無言のまま。
そのまま、3分ぐらい歩きました。

いつの間にか、二人の歩幅は綺麗に重なっていました。
肩は相変わらず濡れていましたが、さっきまでの嫌な感じはもうありませんでした。

私はいつもムギ先輩がするように、微笑んでみました。
すると先輩も真似して微笑んでくれました。

歩いて10分ほどで目的の場所につきました。
私達がきたのは東急ハンズ。6階建てで、日用雑貨の類なら何でも揃うお店です。

先輩は身の回りにあるちょっと変わったものが好き。
だからハンズです。

思った通り先輩は目を輝かせてくれました。

1回の特設手帳コーナーから真剣に見入っています。

ムギ先輩はゆるキャラが表紙の手帳を指さして、「このキャラクターは何かな?」と訊きました。
私はケータイで素早く検索してあげました。
キャラクターの来歴を話してあげると、先輩はふむふむと真剣に聞いてくれました。
それから次の手帳を見て……。

どれも熱心に見ていましたが、先輩が特に注目したのは黒柴の手帳でした。
表紙で2匹の黒柴がじゃれあっていて、365ページにそれぞれ違う黒柴の写真が白黒で印刷されています。
値段は少し高めの3000円。

手帳をひととおり見てから2階の食器雑貨コーナーへ。
白鳥を象った銀のフォークや象がデザインされた木製のスプーンなどを先輩は興味深そうに見ていました。

3階、4階、5階も同じように時間をかけてまわりました。
ムギ先輩がはしゃいでいるだけなら退屈だったかもしれません。
でも、先輩は何かと私に質問してくれたので、私は色々教えてあげることができました。
このやりとりを通じて何か信頼関係のようなものが芽生えている気がして、私は嬉しかった。

5階でカレンダーをみているとき、私は嘘をつきました。
「お手洗いに行くから、ここで見ていてほしい」と伝えて、お手洗いには行かずそのまま1階へ降りました。
ムギ先輩へのプレゼントとして、あの黒柴の手帳を買うためです。

5階へ戻るとムギ先輩はレジに並んでいました。
手には和紙と細いリボンを持っていました。
何に使うのか聞いてみると、「押し花で栞を作ろうと思って」と教えてくれました。

6階を制覇する頃にはすっかり夜になっていました。
当初はハンズ以外もまわる予定だったのですが、雨だったのでハンズ一本に絞ったんです。
時間が余ることを危惧していた私としては、嬉しい誤算でした。

ハンズから出ると、もう真っ暗でしたが、雨もやんでいました。
私は先輩を連れて夜ご飯を食べに、ネットで調べたイタリアンレストランへ。

オーダーを済ませ、料理が出てくるまでの間に、私は黒柴の手帳をムギ先輩に渡すことにしました。

「あの、これを受け取って欲しいんです」

「あら、これは?」

ハンズの袋に入ったそれを見て、ムギ先輩は不思議そうな顔をしています。
今更になって、ムギ先輩にまた嘘をついてしまったことを後悔しました。

「ごめんなさい。さっきトイレに行くって嘘をついて買ったんです」

でもムギ先輩は笑ってくれました。

「そういう嘘なら、私は好きよ」

「……開けてもらえますか?」

「うん‥…あら、これ……」

「はい。ムギ先輩が見てたあの手帳です」

「手帳……ありがとう梓ちゃん」

口で「ありがとう」と言ったムギ先輩。
でもどこか違和感がありました。
なんだか嬉しそうな、そうでないような……。

「あの、ムギ先輩。何か気に入りませんでしたか」

「どうしてそう思うの?」

「ちょっと言い淀んでいたように見えたので」

「……梓ちゃんに嘘はつけないね」

「えっと……」

「実は来年の手帳はもう買ってあるの」

「そうでしたか……」

「あっ、そうだ! いいこと思いついちゃった!」

「なんですか?」

「手帳交換しない? 
 私が使う予定だった手帳をあずさちゃんが使うの。
 ……もし良かったらでいいんだけど」

「えっと……いいんですか?」

「もちろん!」

「それじゃあ、お願いします」

「なら、明後日学校にもっていくから」

こうして私とムギ先輩は手帳を交換することになりました。

ご飯を食べ終わった後、ムギ先輩と別れました。
この日のお出かけはこれで終わりです。

今回の投下でおしまい
では、

 

〈中野side〉

 
あのお出かけの後、特別何かが変わったわけではありません。
強いていうなら、元通りに戻ったというところでしょうか。
私とムギ先輩の距離はこの前までのぎこちないものではなく、ただの仲の良い先輩後輩に戻りました。

それから月日は流れ、12月。
私は軽音部での日々を楽しんでいました。

以前より唯先輩と律先輩も積極的に練習してくれるようになり、
部活は楽しいだけではなく、やり甲斐のあるものに変わっていきました。

唯先輩が変わったことはもうひとつあります。
練習を始める少し前に、唯先輩はかじかんだ手をムギ先輩に差し出します。
するとムギ先輩は両手でその手を温めてあげます。

ぬくぬくと気持ちよさそうにする唯先輩。
最初は気にならなかったこの習慣ですが、
いつも気持ちよさそうにしちえる唯先輩を見ているうちに、気になって仕方なくなりました。

あの右手と左手に包まれたら、どれくらい暖かいんでしょうか?

そんな疑問を持っても、実際にムギ先輩に頼む勇気はないですし、
2人の邪魔をするのも悪い気がします。
だから私は、ムギ先輩がいれてくれた紅茶のカップを両手で包み込み、かじかんだ手を温めました。

12月も過ぎ、1月。
ムギ先輩から貰った手帳を本格的に使いはじめました。
赤い表紙の立派な手帳。

純が手帳を見て「高そうな手帳だね」って言ってました。
実際高価なものだと思います。
私には少し不釣り合いなくらい。

使ってみると髪質からして普通の手帳とは全然違っていました。
ボールペンが滑るように走ってくれるんです。

手帳に書いていったのは、純や憂と遊びに行く約束、テストの予定、親との約束。

ある日、部活で手帳を出す機会がありました。
冬休みにみんなで何度か集まらないかという話。
私が赤い手帳を出すと、ムギ先輩はそれに気づいて、こっちを見て笑いました。
それから、私があげた黒柴の手帳を取り出しました。

ムギ先輩とはずっと部活で一緒です。
笑顔だっていつも見ています。

でも、ストレートに私にだけ向けられた笑顔は、あのお出かけ以来で。
私の顔はみるみる真っ赤になってしまったんです。

赤くなったとことを律先輩にからかわれましたが、その場はやり過ごしました。

その日、家に帰ってからムギ先輩について考えました。

確証は持てませんが、私がムギ先輩に感じているこの気持は恋ではないと思います。
私自身、恋なんてしたことありませんが、
恋ってもっと恋焦がれて相手のこと意外考えられなくなるものだと思います。

私の中でムギ先輩は特別になりつつありますが、
ご飯の時もお風呂の時もムギ先輩を考えてる、なんてことはありません。

だからこれはきっと恋じゃない。
頭のなかでそう整理しました。

そして2月が終わり、3月。
3年生の卒業式も終わり、私も数週間後には2年生になります。

ある部活のない日。
私は部室に行きました。

ちょっと感傷に浸りたい気分だったんです。
あと1年でこの日々も終わってしまうんだって。

楽しい時間も、後1年しかないんだって。

部室には先客がいました。
ムギ先輩です。

先輩は私があげた黒柴の手帳とにらめっこしていました。
なぜ部室にいたのか聞いてみると、先輩も後1年でこの日々が終わってしまうと思うと、
部室に行きたくなってしまったそうです。

ムギ先輩も同じことを考えてるんだってわかって、私はなんだか安心しました。

先輩はそれから「やることがなかったから、バイトのシフトを考えてたんだ」と教えてくれました。
ムギ先輩の手帳を覗いてみると、びっしりと予定で埋まっています。
結婚式に出席とか、パーティーに出席とか、きっと家の用事なんでしょう。
家の用事がない日は、バイトが沢山。

私は自分の手帳を見せて「先輩は大変ですね」っていいました。
「遊びに行く暇もないですね」って。
「そうだね。また遊びにいきたいのにね」とムギ先輩は少し淋しげに笑いました。

ちょっと疲れた感じの寂しそうな笑顔。
先輩のこんな笑顔を見たのははじめてです。
ムギ先輩といえば、大人っぽく微笑んでたり、子供っぽく笑ってるイメージがありました。

なんとなく、なんとなくですが、
こんなムギ先輩を見れるのは自分だけのような気がしました。

だから私は、赤い手帳を差し出しました。

「……なぁに?」

「あの……私の予定のない日で空いてる日はないですか?」

「どうしてそんなこと聞くの?」

「空いてる日があったら、遊びにいきませんか?」

「いいの?」

「はい」

「と……それじゃあ……」

ムギ先輩は少し考えるそぶりをしました。
それから、

「直接書いちゃっていいかな?」

「はい」

「じゃあ、ここに……と」

先輩は素早く書いて、手帳を閉じて、私に返しました。

「ムギ先輩?」

「私、もう帰るから」

なんだったんでしょうか?
先輩は逃げるように帰ってしまいました。
手帳を開くと……ありました。

4月1日のところにデート。
え? デート?

私はその日からムギ先輩のことしか考えられなくなりました。
ご飯を食べていても、お風呂に入っていても、
先輩のことしか考えられなくなってしまったんです。

 

〈琴吹side〉

 
お出かけしたあの日から、梓ちゃんのことが気になって仕方ない。

以前と変わらないように私に接してくれる梓ちゃん。
多分、無理とかはしていなくて、あれが梓ちゃんの自然体なんだと思う。
梓ちゃんの中で、もう貸し借りはないということなんだろう。
普通のちょっと仲の良い先輩後輩。
それが梓ちゃんの決めたちょうどいい距離なんだ。

でも、私には未練があった。
梓ちゃんともっと仲良くなりたい。
自然にお出かけできる関係になりたい。
もっと一緒に遊びたい。

けど、私と梓ちゃんは先輩と後輩だ。
私が何かを頼めば、梓ちゃんは頷いてくれるかもしれないけど、
そこには年上と年下という力関係が働いてしまう。

梓ちゃんだって同じ学年の憂ちゃんや純ちゃんと遊ぶほうが気が楽だろう。
だから、私は良い先輩になろうと決めたんです。

11月になってから、唯ちゃんと2人でお出かけする機会があった。

私と唯ちゃんは波長が合っていると思う。
一緒にいると安心できる。
自分の思ったとおりのことをしても受け入れてくれる。
それは唯ちゃんも同じみたいで、やっぱり波長が合っている。

冬になってから、唯ちゃんは練習の前、
かじかんだ手を私に温めて欲しいと頼んでくれるようになった。

私はそのお願いが嬉しかった。
ひんやりとした手を暖めると、唯ちゃんの心も元気になっていくのがわかる。
私は、それがうれしい。

ただ、気になることがある。
梓ちゃんの視線をたまに感じるのだ。

いつも梓ちゃんに抱きついている唯ちゃんが、私にくっついているから面白くないのか。
それとも単純に混ざりたいのか。
私にはわからない。

わからないけど、私は梓ちゃんの手を温めてあげたいと思った。
先輩想いの後輩の手を、私の手で温めたいと思ってしまった。

いつの間にか、梓ちゃんは私にとって特別な存在になっていたみたいです。

この気持ちが恋かはわかりません。

唯ちゃんの手には触れられるのに、梓ちゃんの手には触れられない。
唯ちゃんとはお出かけできるのに、梓ちゃんとはお出かけできない。

近寄れないか欲しくなる。
そういう「ないものねだり」に近い気持ちかもしれません。

ただ、それでも、あの視線を感じるたび、私の頭は梓ちゃんのことで埋め尽くされてしまうんです。
もう一度、あの日みたいに一緒にいられたらいいのにな……。

幸いなことにチャンスは巡ってきました。

先輩たちの卒業式も終わった頃。
部室で予定を立てていると、梓ちゃんがきてくれました。
そして、お出かけの約束をしました。

私は大胆にも梓ちゃんの手帳に「デート」なんて書いてしまったんです。
4月1日のところに書いたから、冗談で済ませてもらえるとは思います。

でも、梓ちゃんはきっと戸惑ったことでしょう。
実のところ、自分自身、どうしてデートなんて書いたのか、はっきりした理由はわかりません。

でも、たぶん……梓ちゃんに私を見て欲しかったんだと思います。
好きな子に意地悪せずにはいられない子供みたいに、
私は梓ちゃんにかまって欲しかったんです。

 

〈中野side〉

 
ムギ先輩は女の子同士が仲良くしているところを見るのが好きです。
そんなムギ先輩ですが、ただ遊びに行くことをデートとはいいません。

デートと言えば、キスのイメージがあります。
ドラマや映画の見過ぎでしょうか?

けど、私とムギ先輩のキスというと、モヤがかかってしまい、うまく想像できません。

そもそもムギ先輩が私を好きになったとは、とても思えません。
感傷的になっていたとき、空気を変えたくて、デートなんて書いたんだと思います。
4月1日のところに書いたから、あとから冗談にできるからって。

それでも私は、そうでない可能性を考えずにはいられません。

たとえばもし、本当にムギ先輩が私のことを好きだったら、
私はどうすればいいのでしょう?

告白されたら?

いきなり唇をうばわれたら?

考えても考えても、考えはまとまりません。

はっきりわかってることもあります。
先輩の泣いてる顔は見たくないと思います。
それに付き合ったとして、一緒にいるのは楽しいと思います。

けど、そんな消極的な理由で付き合うことはできません。
先輩に失礼ですし、きっと長続きはしません。

考えても仕方ないのに、私は考えることをやめられません。
本当に先輩のことで頭がいっぱいになってしまったんです。

デートの前の夜になってもそれは同じで、私は全然眠れませんでした。

ふと、自分の右手を見つめました。
掌を見つめているうちに、あの時の気持ちを思い出しました。
あの2つの手で、この手を温めてもらったら、どんな感じなんだろうって。

私はその状況を鮮明に想像することができました。
少し赤くなって、俯き加減で手を握るムギ先輩。
ムギ先輩の手はほんのり湿っていて、私の手はすぐに温かくなる。
「もういいかな」と言うムギ先輩に、私は左手を差し出す。
今度は左手を大事そうに包み込むムギ先輩。
左手が暖かくなっていく中、私の意識は微睡みの中に消えました。

 

〈琴吹side〉

 
朝9時の待ち合わせでしたが、梓ちゃんが来たのは10時でした。
何度も頭を下げる梓ちゃんに、私は言いました。
「待ってないって言うのも夢だったから」って。
すると梓ちゃんはクスっと笑って「待った? なんて聞いてないです」と言いました。

今日は私がエスコートする番です。
本当はテーマパークに遊びにいくつもりでしたが、予定変更して大きな公園に行くことにしました。

梓ちゃんの顔を見て、私はすぐにわかりました。
今日は寝不足なんだって。
たぶん私が「デート」だなんて書いたから、色々考えてしまったのでしょう。
嘘が許される日だからいいなんて私は考えてしまいましたが、
梓ちゃんは真剣に受け止めてしまったのでしょう。

だから、せめて梓ちゃんにゆっくりしてもらいたいと思い、公園に目的地を変えたんです。

私はちょうどいいベンチを見つけると、梓ちゃんにベンチで待ってもらって、クレープを買って来ました。
梓ちゃんはやっぱり眠たそうです。
クレープを食べてゆっくりしていると、そのまま眠ってしまいました。

すーすーと寝息をたてる梓ちゃん。
私が嘘の日に書いたイタズラが、梓ちゃんを苦しめてしまったのかもしれない。
そう思うと少し心苦しい。
でも、それ以上に嬉しく思ってしまう。
梓ちゃんが私のことで、本気で悩んでくれたんだって。

しばらくすると梓ちゃんが倒れてきました。
私は梓ちゃんのほうに身体を寄せて、支えてあげた。
肩がぴったりくっついて、腰のあたりも少し触れています。

触れている部分から、梓ちゃんの体温が伝わってきて、
とても愛おしい気持ちになる。

ふと、梓ちゃんの右手が目に入りました。
無造作にベンチに置かれた、梓ちゃんの右手。
その右手に触れてみたい、そう思った。

なんで触れたいと思ったのか考えているうちに、分かってしまった。

私は梓ちゃんに恋してるんだって。
もっとこの後輩に触れていたいんだって。

気づいてしまうと、もう止まらなかった。

顔が急に熱くなって、心臓の鼓動がどんどん高まっていく。
鼓動が肩越しに梓ちゃんに伝わらないか心配になる。

熱くなった頭で私は必死に考える。
これからどうすればいいんだろう。

このまま帰ってしまうことだって考えました。
照れくさくて、まともに遊びに行けないと思ったから。
もちろん考えなおしました。
いくらなんでも梓ちゃんに失礼だから。

この気持をストレートに伝えることも考えました。
でも、それは梓ちゃんにとってどうなんでしょうか。
梓ちゃんは先輩後輩の距離を選んだんです。
もし私が告白したら、この距離は永遠に失われてしまうかもしれません。

それでも、左肩から伝わる熱が愛しすぎて、気持ちを隠し通せそうになかった。

時計を見ると11時30分。
エイプリルフールは4月1日の午前中だけだと聞いたことがあります。

私は覚悟を決めて、梓ちゃんの肩を優しくさすりました。

私の嘘を聞いてもらうために。

「……ムギ先輩?」

「起きてくれた?」

「ごめんなさい……私寝ちゃって……」

「いいのよ。いい天気だもの」

「はい。暖かくて、いい気持ちです」

「ね、梓ちゃん、私ね」

「……?」

「梓ちゃんのこと、なんとも思ってないんだ」

「え……」

「あ、うそうそ。可愛い後輩だとは思ってるから」

「……」

「梓ちゃん?」

「今、何時ですか?」

「11時43分」

梓ちゃんの嘘からはじまった恋。
私は私の嘘で終わらせることにしました。

頭を切り替えて、お昼御飯のことを考え始めたそのとき、
梓ちゃんの右手が、私の左手に重なったんです。

  

〈中野side〉

 
人は恋をする生き物です。
最初の恋はお母さんのおっぱいでした。
夢中でしゃぶりついていたのを今でも覚えています。
積み木やジグソーパズルに恋をした時期もあります。
ギターへの恋はまだまだ続いています。

食べ物、玩具、音楽、人間。
あらゆるものに恋をして、やがて忘れていくのが人間というものです。

私の目の前にはムギ先輩がいます。
先ほど先輩は私に告白しました。
4月1日に「梓ちゃんのこと、なんとも思ってないんだ」って。

なぜムギ先輩がこんな遠回りな告白をしたかはわかりません。

嘘をついてみたかったのか。
それとも直接言うのは怖かったのか。
理由はわかりませんが、間違いなく告白です。
自惚れではないと断言できます。

ふと、ムギ先輩の白い手が目に入りました。
その手は小さく震えています。

私はその左手に、自分の右手を重ねました。
先輩の鼓動が私に伝わってきます。
とても早くて熱い鼓動。
きっと私の熱と鼓動もムギ先輩に伝わっていることでしょう。

この熱が恋なのかわかりません。

最近の私はムギ先輩のことばかり考えています。
先輩のことをもっと知りたいと思います。
一緒にいたいとも思います。
でも、これが恋かはわかりません。

私は恋なんてしたことないですから。

きっと先輩も同じなんでしょう。
だからあんなへんてこな告白をしてしまったんだと思います。

時計を見ると、12時5分。
エイプリルフールはもう終わりました。

私は恋の味をまだ知らないけど、
どうせなら、この人で知りたいと思います。

だから、私は覚悟を決めて伝えます。
私のほんとの気持ち。




「ムギ先輩、私と恋、はじめませんか」




終劇ッッ!!

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