少女「思い出消し屋も畳むかな」(114)

このSSは

男「思い出消し屋……?」
男「思い出消し屋、か」

の続編的なものです。
検索すればまとめが出ますので適当にどうぞ。

――思い出消し屋――

男「そりゃあまた、突然どうしたんだ」

少女「いや、突然というほどでは無かろう」

少女「嘗て思い出を食べる人外であった私にとっては旨みのある仕事であったが」

少女「お前を求める人外となってしまえば、それもなくなってしまう」

男「ああ、思い出が不味く感じるようになったんだっけ」

少女「うむ。恐らく極度の偏食となってしまったのだろう」

少女「時代の最先端を行く私だからな。現代っ子らしい特性を持ち合わせて当然というわけだ」ふんす

男「でも、料金はもらえるからいいんじゃないのか?」

男「一回千円をちょっと値上げして、さらに思い出は食べずに捨てとくとか」

少女「金など私には必要ない」

少女「傷つかず、汚れず、劣化せず」

少女「朽ちず、死なず、嗜好品を自分で調達できる私にとって金など不要なのだ」

男「……あれ、スマフォと家賃はどうするんだ。あとお菓子」

少女「それは知人に任せてある。……いや、知人外というべきなのか?」ううむ

男「払ってもらってるのか。無償で?」

少女「うむ。奴も数寄者だ。映画館の人外を名乗る年増なのだが」

少女「世話焼きの人外と言っていいほど甘い奴だよ。あの腐れ巨乳とはえらい違いだ」くっくっ

男「へぇ。一度お礼をしにいきたいな」

男「少女が世話になってるみたいだし」

少女「……む、他の女に会いに行くとか」

少女「それは構わんが、そういう話を私にするんじゃない」むすっ

男「あっはっは、ごめんごめん」わしゃわしゃ

少女「うむ、許そう」ふふん

男「……というか、お菓子代も払ってもらってるのか」

少女「というより、月のはじめに押し付けてくる。実に過保護だ」

 くっくっく、と機嫌よく笑った後、少女はもそもそと居住まいを正す。
 咳払いまでして、妙にそわそわした様子だ。

男「ところで、用事って何だったんだ

少女「――ああ、そうだ。今日はそれで呼び出したんだった」

少女「男よ。……その、ちょいと額を見せろ」

男「? 構わないけど」すっ

 何の突拍子も無いように思える要求に少し戸惑いながら、俺は素直に従う。
 しかし彼女は直ぐには動かない。目を閉じ、胸に手を当てて、浅く深呼吸をしている。

 化粧っ気の無い彼女の顔が、 頬紅を入れたようになっていく。
 口紅もグロスも無く、少し乾いた薄桃色の唇からもれるのは、ちいさな呼吸音。

 彼女の睫毛は長く生えそろっており、しかしながらその奥の瞳を隠すことは無い。
 黒目がちな彼女の目は、俺の姿をしっかりと捉えている。近くで見たら、俺の目と合わせ鏡になっていたりするのだろうか。

少女「――、よし」

 そうつぶやいた彼女の肩に、ぐっと力が入ったのを見た。
 その直後だった。彼女のしなやかな指先が、俺の額を冷やしたのは。

男「……、あれ?」

 ひんやりとした指先が、心地よい。
 指が額を冷やしている――というより、指に額の熱を奪われているような、そんな感覚。事実起こっていることは変わりないから大した問題ではないが。

男「あの、少女、さん?」

 他者の額を触る。人間が熱があるか軽く調べるくらいにしかやらないような、大したことの無い動作。
 しかし人で無い少女にとっては話は別だ。記憶とそれに対する感情を読み、奪い、食らう彼女にとっては。

 その右手は、記憶に触れる右手。思い出を掴み、奪い取る右手。
 いかに瑣末なものであろうと、いかに重大なものであろうと、区別なく思い出を握り締め、口へ運ぶ右手――

少女「……、っ、あ、ぅ」

 ――、だが。
 少女の表情筋が、固まる。整った顔が、ほんの僅かながら崩れる。

少女「ぅぅ、あ」ぽろっ

 ぴくぴくと震える彼女の頬に垂れた水滴が揺れる。
 涙に当たった光が、きらきらと反射した。

男「……っ、少女! 何が――」

 彼女の涙の理由として思い当たるものが、一つ。
 彼女は人外としての在り方を変えてから、俺の記憶に触れていなかった。

 触れる機会が無かったわけではない。さっきのように、頼まれればいつでも喜んで俺は額を突き出すだろう。
 そして彼女は以前、俺の記憶を見るのが怖いと言っていた。

 そんな彼女が覚悟を決めたような顔で俺の記憶に触れて、その後、涙を流す。
 ならば、彼女が危惧していた何かが、そのとおりになってしまったということか。

少女「ぃ、いや、なんでも、ない」

 慌てた様子で少女は手を離し、そのまま目をこする。
 こすったことによる炎症とで、余計に目が赤くなっていた。

男「なんでもないなんてこと、ないだろ」

 自分でも珍しいと思うが、少女の発言を否定した。
 あからさまに何かあった様子だ。恋人として、彼女を愛している存在として心配するのは妥当だろう。

少女「なんでもないんだよ、お前にとっては。これは私自身の責任だ」

 震える声。弱々しくも、悲痛に叫ぶ声。
 彼女自身の責任だと本人が言っても、俺の記憶を見たあとでこんな状況になれば、その一端は俺にあるのではないか。

少女「すまないな。今日は一度、帰ってくれ」

少女「……暫く、考えたい」

 俯いて、少女は部屋の奥に向かう。
 その背中を抱きしめることも、肩に手を置くことも、声をかけることも。

男「……分かった。またな」

 できなかった。

――翌日、高校、昼休み――

ポニテ「ヘロォーウナース!」

男「看護婦になった覚えは無いんだが」

ポニテ「あるぇ、通じなかったかー」

男「相手に通じるかどうか判断つかないうちは止めといたほうがいいぞ」

ポニテ「むー……だが断るっ!」

男「それは元気よく言う台詞じゃない」

ポニテ「まあそれはさておいてさ、放課後空いてる?」

男「いや、今日も通い旦那で忙しい」

ポニテ「おおう……、健気ですね」

男「……そりゃあ、恋人で、あいつのこと好きだからな」

黒髪「相変わらず、仲がいいんだね。二人とも」ひょこっ

ポニテ「あ、黒髪ちゃんもヘロォーウ!」

黒髪「へ、へろー?」

男「ほらもうネタが通じないどころかテンションにも引いてるじゃねえか」

黒髪「あはは。でもやっぱり、ポニテさん見てると元気になるよ。クラス変わったのがまだ残念」

黒髪「それで、何の話してた?」

ポニテ「あ、えっと、その」

 こちらの顔色を伺うように、ポニテが視線を送ってくる。
 ……? 何を躊躇う必要があるのだろうか。

男「俺が少女の恋人で、少女を愛してるから通い旦那って話」

ポニテ「いっ!?」

黒髪「……」

 黒髪の表情が、固まる。
 ……あ、そうか。これ地雷か。

 俺、黒髪の事振ってたからな。
 自分でも何で気づかなかったのか、不思議なくらいである。

ポニテ「あ、あの、黒髪、さん?」

黒髪「あのね、男」

 額を軽く押さえて、黒髪はため息を吐く。
 とりあえず、悪いのは俺だ。叱責を覚悟して、耳を傾ける。

黒髪「……一応ふっきれたつもりだけど、ちょっと未練あるんだから」

黒髪「自分で振った女の子には、その辺注意してね?」

男「あ、ああ。悪かった」

 一応、分かってはいるつもりだったが、失念していた。
 某一方的に好意をぶつけて満足してる人外に付きまとわれているせいだろうか。

黒髪「っていうより、そういう話なら、少女さんのところに行く、ってだけでよかったんじゃないの?」

男「……それも、そうだよな」

黒髪「わざとそういう話をして、私にストレスを与えようとか」

男「そこまで性格悪くない、はず」

 否定しようと思ったが、少女や巨乳辺りならやりそうだ。
 影響されて無意識のうちにやってしまった、というのもありえる。

ポニテ「男は昔からいい奴だけど、なんか雰囲気変わったからねー」

黒髪「うん。去年の春、一学期の中ごろとか、終わりごろから」

男「……そうなのか?」

ポニテ「なんというか、こう、大人しくなった?」

黒髪「うんうん。ポニテさんへの突っ込みもキレがなくなってきたし」

男「去年の一学期の後半っていうと」

 妹っぽいのと黒髪を振って、少女に二度目の告白をしたころ。
 ……いや、これは駄目だったか。

男「妹っぽいのの件でごたごたしてた頃かな」

 俺が洗脳されてくるくるぱーになった後、高校の前で妹っぽいのが土下座した話。
 もしかしてくるくるぱーになった後遺症でもあるのだろうか。脳をいじられたわけだし。

ポニテ「妹、っぽいの? あれ、男って一人っ子だったよね。あとっぽいのって何?」

黒髪「そっか、ポニテさんには話して無かったね」

男「話が長くなるから割愛。そういう何かが居たって考えてくれ」

ポニテ「うおぅ、何かホラーな感じ」

黒髪「……でも、男の雰囲気が変わったのはもっと後だったと思うんだけど」

黒髪「ええと、確か、その一ヶ月くらい後」

 一ヵ月後。妹っぽいのの件の後、何があっただろうか。

 その直ぐ後に少女の店に行って、少女にからかわれて、思い出を食べた少女が赤面して。 
 妹っぽいのの件のお礼で、少女が飽きるまで話をすることになって。

 毎日毎日少女と話して。
 他愛も無い話をして、少女の昔話を聞いて、お菓子を食べて。

 ――俺が、想いに気づいて。
 それを伝えて。

男「――、あ」

 一度振られたのが、丁度そのころか。

――思い出消し屋前――

男「……」

 幾度かノックをしてみたが、鍵は開かない。
 外出しているのか、体調不良など何らかの事情で動けないのか、……あるいは、開けたくないのか。

 一番可能性が低いと思われるのは三つ目。
 二度目の告白の前でさえ、鍵が開いていたのだ。
 
 体調不良、というのも無いとは思う。
 人外が体調を崩すなど滅多に無いことで、彼女の生き方を左右するようなこともそうそうあるものではない。

 ならば外出していると考えていいだろう。
 特に美味しいとも感じないアイスを買いにいっているのか、あるいは巨乳に何か相談しているか。

 ……今まで、この時間に少女が外出していることなんて一度も無かったけど。
 それでも、それくらいしか考えられなかった。

女!「おや、おやおやおや、男さんじゃないですか」ひょこっ

男「……さも奇遇であることを装ってるけど、恒常的にストーキングしてるだろ」

巨乳「これでも彼女にしては抑えているほうですよ。放って置くと男さんの家の中でエンカウントしますよ」

男「嫌なRPGだな。敵が一種類ってところも嫌だ」

女!「それは構いませんが、男さんが大好きです」

男「話が飛びすぎだ」

巨乳「それで、男さん。こんな人気の無いところでどうしたんですか。私を誘い込んで襲うんですか」ぽよん

男「少女の部屋の前でするわけ無いだろ」

巨乳「あら。それじゃあ場所を変えましょうか」

男「そういう問題じゃ無い」

男「少女に会いに来たんだけど、留守みたいでな」

男「どこかで見かけなかったか?」

巨乳「見てませんね」

巨乳「ああ、でももしかしたら私の谷間に隠れてたり」

男「ねーよ」

女!「私は男さんしか見えません! 恋は盲目なので!」

男「……ああ、うん。慣れてきた」

 彼女の好意が、冗談や嘘の類ではなく本物であることは分かる。
 初めのころは、それに応えられないことに罪悪感を感じもしたが、こうも安売りされると段々どうでもよくなってくる。

男「仕方ない、出直すことにするか」

巨乳「んー、……ははぁ、なるほどなるほど」

男「何だいきなり」

巨乳「いえいえ、事の次第を一通り覗かせていただいたのですが」

巨乳「確かに少女さんのせいといえば少女さんのせいですし、男さんのせいといえばそうなんでしょうねえ」

男「……何をした?」

巨乳「いえいえ、ただちょこっと検索をかけただけです」

男「どっかの人外の能力か?」

巨乳「はい。全知の人外ですね」

男「聞いて想像する限りだと随分チートなんだが」

女!「私の男さんへの愛も反則級ですけどね」

 ……なんだろう。俺の少女への愛も霞みそうな気がしてきた。

巨乳「そこで、今の少女さんの状況やらなにやらを全てお教えすることも出来るのですが――」

男「何か、対価が必要なんだろ?」

 しかも、とびっきり嫌な理由に基づく。
 前回は、少女が嫌がるようなことをしたいから俺の貞操をよこせ、だったか。結局あれは未遂に終わったが。

巨乳「はい。例によって、少女さんが嫌がることを」にっこり

男「……俺にしか害が無いものじゃ駄目なのか」

巨乳「ええと、前回までならそれもアリだったのですが」

巨乳「今の私は、男さんには全く興味がありませんので」たぷたぷ

 ……どうでもいいし、むしろありがたいくらいではあるが。
 面と向かって言われると、こう、くるものがある。

女!「では、男さんの変わりに私が、というのはどうでしょう」

女!「巨乳さん、私に何でもして下さって構いませんので、男さんを助けてあげてください」ぺこり

巨乳「んー、男さんは鈍感ですね」

巨乳「いえ、もしかしたらコレで分かったら過敏なのでしょうか。私は最初からネタバレされてるので分かりませんが」ぽにょり

男「何の話だ」

巨乳「いえいえ」

巨乳「ああ、女さんの提案は受けませんよ。それを許してしまうと、実質男さんは今後ノーコストで私を頼れることになりますから」

女!「そ、そこをなんとか……、できませんか」

 聖母のような笑みを浮かべる巨乳に懇願する女は、祈りを捧げる信者のようにも見えた。
 本来、そうするべきは、俺だというのに。

女!「下僕のように扱っていただいても構いません。サンドバッグにしていただいても構いません」

女!「……男さんに、二度と会えなくなっても。男さんへの愛を叫ぶことができなくなっても」

女!「男さんを想う事ができなくなっても、構いませんから」


男「ちょっと待て、それは――」

女!「大丈夫ですよ、男さん」

女!「またちょっと、生まれ変わるだけですから」

 そういって、女は笑ってみせた。明るく、華やかに、頼もしく。
 ただ、俺は知っている。人外としての核が変わろうとしているときの、彼女を。

 嘗ての彼女、俺が『妹っぽいの』と読んでいた頃の彼女が、自らを再構築する際。
 酷く衰弱し、立つこともままならないほどであったことを。

 そうして変わった彼女の核は、『男を一方的に想い続けること』。
 少女のことを愛している俺に好意を寄せ、特別になりたくて、叶わぬ恋と知ってこその、妥協。

 そこまでして得た今の核を、そんなに、簡単に。
 どうせ生まれ変わるからと言っても、今の彼女にとってはかけがえの無いものだというのに。

 何故そこまで、と言おうとしたが、それに対する答えは既に聞いている。

 好きだから。



巨乳「何度も言いますが、それは嫌です」

巨乳「欲しくも無いものを対価だといって押し付けられても、甚だ迷惑ですから」にこっ

 その言葉を聞いて、残念に思うよりもほっとした。
 少女のことも気になるが、女にそこまでさせるほどのことじゃないだろう。

男「そ、そうそう。明日になれば少女もいるだろうし、その時来るよ」

男「気持ちはありがたいけど、女にそこまでさせるわけにはいかないし」

女!「優しいですね、男さん。そんなところも愛してます!」ぐっ

男「……はは」

 そう、大したことじゃない。
 会いにきたら留守だった、というだけの話。巨乳の手を借りるほどの事じゃない。

巨乳「いえ、そういうわけにもいきませんよ」たぷん

巨乳「少女さんにとってはちょっと大事みたいですからね、これ」


男「……そう、なのか」

 本当だとしたら、それは不味い。
 巨乳の先程の発言からして、おそらく責任は俺にあるだろう。

 少女のせいでもあるとは言っていたが、俺のせいでもあることには変わりない。
 全て背負って解決してやりたいところではあるが、巨乳に頼むとそうはできない。

 ……そういえば。
 少女も昨日、突然涙を流したとき、それは自分の責任だと言っていた。

 少女が泣いてしまったのと、今留守にしている――否、この場にいない理由は、 同じなのだろうか。
 とすると、少女が泣く直前に見ていた俺の記憶が問題なのだろうか。

 かといって、何故泣かせてしまったのかなんて皆目検討もつかない。
 少女があそこまで取り乱すようなことは、記憶に無いはずなのだが。

巨乳「言っておきますが」

巨乳「男さん独りでは、解決できませんよ」ぷるんぷるん

 しきりに胸を揺らしたり揉んだりと忙しい巨乳が、柔和な笑みを浮かべて言う。
 ……こいつ、少女に嫌がらせをしたいからといってわざと自分を頼らせようとしてないだろうな。

ちょいと忙しくなるので暫く更新できそうにありません。ご了承ください。


巨乳「という訳で、仕方がありませんので特別サービスです」ぷるん

男「……?」

巨乳「とうっ」

 巨乳の右足が振り上げられるのが視界の隅に映った。
 ――瞬間、鈍痛。

男「っ、こ、ぉ、ォ……!」

 蹴られた。
 場所は伏す。

巨乳「こんな程度の見返りで、とっても大きなヒントをあげましょう」たぷたぷ

 ……滅茶苦茶満足げな顔をして語る巨乳。
 そりゃあ、女性で、かつ身体があまり重要ではない人外となれば、この痛みは分かるまいよ。

女!「……だ、大丈夫ですか、男さん」さすさす

男「どさくさにまぎれてどこさすってやがる」

女!「ちんちんですが」

 その通りであった。


巨乳「そうですね、映画館の人外に会うといいでしょう」

巨乳「彼女ならきっと、助けになってくれるはずです」

 映画館の、人外。
 少女が言っていた、お人よしか。

巨乳「……いつまで足ぷるぷるしてるんですか? 新手のエクササイズか何かですか」

男「いや、それはいい。それで、どこに行けば会える」

巨乳「いや、そこまでは教えませんよ」しれっ

男「……おい」

巨乳「何ですか。玉が潰れるくらいの強さで蹴らせて頂ければ考えますが」

男「……いや、やめとく」

 玉が潰れることより、考えておくという発言が怖い。
 そこまでされて、やっぱり教えないなどと言われた日には魂の宝石が濁りそうだ。

――自宅前――

男「……うーむ」

 巨乳や女と別れてから、考えながら家路に着いたものの。
 結局映画館の人外を見つける方法は、思いつかなかった。

 呼ばれ方からして、映画鑑賞が趣味だったりしそうではある。
 ならば近場の映画館を一通り覗いてみるとか、レンタル屋に来るのを待ってみるとかが妥当に思える。

 しかし、俺はそもそもそいつの顔を知らない。
 仮に同じ場所に居合わせたとしても、それではすれ違いに終わるだろう。

男「……どうしたものかな」

 巨乳に土下座でもして、せめて風貌だけでも教えてもらうべきだろうか。
 そうしてでも、俺は映画館の人外に会わなければならない。

 そんなことを考えながら、自宅の戸を開ける。

――×××――

 そこにあったのは、薄暗闇の中にずらりと並ぶ席。
 そして、真っ白に光るスクリーン。

男「……、は?」

 思わず、声が出た。
 何だこれは。確かに、俺は自宅の玄関に入ったはずだ。

 なのに目の前に広がるのは、座面が折りたたまれている椅子。
 そして、その椅子がずらりと配置されている階段状の段差と、椅子の正面で白く輝くスクリーン。

 これは、まるで。
 映画館。

 自宅の玄関に入ったと思ったら、映画館に入っていた。
 何を言っているか分からないと思うが、俺も分からない。……誰に言っているのだろう。


「――、あれ、人間?」

 不意に、声が聞こえた。
 同時に、すんすん、すんすんと空気の擦れる音が聞こえる。が、姿は見えない。

「おうい、こっちこっち。K列の12番」

 言われて、傍にあった座席を観察する。
 背面に書いてあるのは、『N-24』。N列24番。

 ここが普通の映画館と同じなら、俺から一番はなれたところにある最前列の角の席は『A-1』だろうか。
 ならば、ここから四段くらい下りた列の真ん中に、声の主はいる。

 一歩踏み出しても、足音は無い。
 毛足の長い絨毯が、音を食い殺していた。

 すんすん、すんすんと何かを嗅ぐような音と、俺の心音。
 そして、嫌な耳鳴りだけが聞こえていた。

童女「っはは。凄いなあ。本当に人間だ」

 目的の席に到達すると、そこにはちいさな女の子。
 ……いや、女の子、なのだろうか?

童女「ということは、誰かから私の話を聞いたのかな? あの子か、あの子か、それとも?」

男「少女と、巨乳から」

童女「ん? ええと、『孤独』……じゃなくて、『恋』ちゃんと『全能』ちゃんかな」

 全能、というのは巨乳のことだろうか。……だとすると、孤独は以前の、恋は今の少女ということか?

男「……思い出を食べる人外が、どうして『孤独』ってことになるんだ」

童女「あれ、全能ちゃんがつけた呼び名のほうが浸透してるの? あの子の方が露出多いからかな」むむむ

男「君の事は、映画館の人外だと聞いているけど」

童女「うん。それも全能ちゃんにつけてもらったんだ。素敵でしょ?」


 質問の答えにはなっていない。
 はぐらかされたのか、天然なのかは分からない。が、今重要なのはそこではない。

男「……少女に、『恋』に、何かあったらしい」

男「彼女に何があったのか、どうすればそれを解決できるのか、教えて欲しい」

童女「いいよ。また明日来たら、教えられることは全部教えてあげる」

 ……いやにあっさりと、受け入れられた。

男「あ、ありがとう。ええと、お礼は何をすればいいかな」

童女「いらないいらない。大丈夫、誰かにおせっかい焼くの、楽しいから」

 これ、本当に人外か。
 あるいは本当は巨乳が特殊なだけで、他は皆彼女のようにお人よしなのだろうか。

男「ありがとう。それで、ここってどうすれば来れるんだ」

童女「あれ、知らずに来れたの? 私に会いたいと強く思いながら、どこか扉を開ければ来れるよ」

男「人外ってそこまで出来るものなのか?」

童女「年季が違うからね。ふふっ」


男「……ええと、ちなみに、おいくつ?」

 百歳以上の少女が『年増』と言う人外。
 人外に年齢を聞くのが失礼か分からないが、自然と腰が引ける。

童女「ん? んふふー、人類が生まれたのはいつだったかなー」

 外見相応な、無邪気な口調、明るい声。
 悪戯に笑って見せているが、冗談に思えないのが恐ろしい。

男「お、おう。ええと、それじゃあ、また明日」

童女「はいはーい。あ、出口は入ってきた扉の向かい側ね。本来の行き先に着くから」

 つまり、自宅の扉を開けた俺は、自宅の玄関に着くことになるのだろうか。
 ……応用次第でどこでもドアになったりしないかな。これ。

――翌日、朝――

童女「あれあれ、学校は?」

男「さぼった。それどころじゃないからな」

童女「うーん……、まあ、いいか」

童女「それじゃあ、始めよう。さあさあ座って座って」

 外見相応に声を弾ませて童女が言う。
 促されるまま、童女の隣の席に座った。ふんわりと、せっけんの香りが鼻腔をくすぐる。

童女「私の能力は、他人の『物語』を映像化して共有すること」

 スクリーンに数字が映し出される。

童女「記憶や感情だけなら他の人外にも出来ないことじゃないけど、私は相手がどこにいてもそれが出来る」

 3。

童女「……あとほら、他の子は口頭伝達しかできないけど、映画にしたほうが楽しいじゃん」

 2。

男「なるほどね。じゃあ俺は、これから少女の物語を観る事になるのか」

 1。

童女「そうそう。――それじゃ、はじまりはじまり」


過去少女『……、はぁ』

 スクリーンに映し出されたのは、少女の姿。
 部屋の中で、淡い光を放つ塊を手に、呆然としている。

過去少女『何で、まだ持ってるんだろうな、あいつの思い出』

 となると、今彼女が手にしているのは俺の思い出。
 あの日、少女によって抜き取られた、少女と俺が会って、俺が少女に始めて告白するまでの思い出。

 当時の俺の、少女に関する全ての思い出。

過去少女『分かっちゃいるさ、もう取り返しがつかないことなんて』

過去少女『でも――、でも、あいつは』

過去少女『私を愛してくれている。愛してくれている、はずなんだ』

過去少女『だからコレをいつまでも持っていても仕方が無いし、意味も無い』

 自分に言い聞かせるようにして、少女は独白する。
 眉間に皺を寄せ、目をきゅうっと瞑り、口を開く。ちいさな唇が、その光る塊に触れようとしたところで、

 ――インターホンの音が、鳴り響く。


過去少女『っ、と、と。興ざめだな。また今度にしよう、うん』

 そうつぶやいた少女の顔は、心なしか安堵したようにも見えた。
 少女の手元から俺の思い出がふわりと消え、とたとたと玄関へ向かう音。

過去少女『はいはい。客か、冷やかしか』

『客であり、まあ、冷やかしでもあるな』

 少女はその返事に眉をひそめながらも、ゆっくりと玄関の戸をあけた。
 そこに立っていたのは、少女よりも少しだけ背が高い、眼鏡をかけた女の子。そして、俺と同程度に背が高い青年。

過去眼鏡女『……、おや?』

過去少女『何を呆けた面をしている。人外を見るのは初めてか? 若造』

 目を大きく開いて呆然としている眼鏡女に対し、少女は呆れた様子で応えた。

過去眼鏡女『――驚いた。君や私のような存在は、珍しく無いのか』

過去少女『聞いた話によると、世界人口の一、二割は人外だそうだぞ。……ほれ、何をしている。上がれ』


過去少女『さて、説明は要るかな』

過去眼鏡少女『ああ。思い出消し屋って、何をするんだ』

過去少女『うむ。さくっと完結にいうとな、特定の事物に対する感情を消すんだ』

過去少女『昔の失敗を思い出して風呂の中で泡を吹くことも、失恋を思い出して枕を濡らすことも無くなる』

過去青年『……、へぇ』

 青年が、初めて口を開く。
 ……その目は、深く、暗く、濁っていた。

過去青年『最近の客にさ、大学生くらいの女は居なかったかな』

過去青年『多分、俺と目鼻立ちは似てると思うんだけど』

過去少女『ん? ああ、あいつか。割と面白い思い出を持っていたな。姉か何かだったのかな、代用品くん』

過去青年『……どこまで知ってる』

過去少女『君の姉が知っていることまで』にやり


過去青年『……ふぅん。おい眼鏡女。これは本物だ』

過去青年『姉さん、最近晴れ晴れとした表情になってきたし』

過去眼鏡女『ほう。君があそこまでやらかしたにもかかわらずか』

過去少女『あ、あれってやっぱり君の仕業だったのな』

過去青年『……』

過去少女『心配するな、誰にも口外しないさ』

過去少女『新人、……む、新人外にしては、期待できそうだからな』

過去青年『……は?』

過去眼鏡女『……うん?』

過去少女『……あれ、違うのか』


少女『……まあそれは置いといて。お前らは何を消して欲しい』

少女『それとも、君の姉の話が聞きたかっただけか?』

青年『ああ、そんなところ。手間をかけさせたな』

少女『そうかい。じゃあとっとと出て行け』

眼鏡少女『――いや、待った』

眼鏡少女『君。何か大きな悩みを抱えているようだな』

少女『――、そうだとして、誰が貴様に話すものか』

眼鏡少女『そう言うな。それにな、話を聞くのは私ではなく、こいつだ』

青年『……、は?』

眼鏡少女『呆けているようではあるが、頭が回るやつでな』

眼鏡少女『ほら、青年よ。君も男なら悩んでいる女の子をほうっておくものでは無いぞ』

青年『ああ、はいはい』

少女『信頼できん。帰れ』

青年『それは、実際に相談してからでは遅いのか?』


青年『俺達の事が信用できないというのもわかるけど』

青年『何も、相談に対するアドバイスを丸呑みしろとは言わないさ』

青年『聞いてから、君の頭で考えて、妥当だと思えたらそのとおりにすればいい』

少女『それは、そうだが』

青年『それにさ、悩みって口にするだけでもすっきりするものだぞ』

青年『思い出す、口に出す、耳に入れる、認識する、って結構多くの手順を踏むからな』

青年『噛み砕いて、自分の悩みをはっきりさせるにはもってこいだろう』

少女『……ふむ。まあ、いいか』

少女『貴様のアドバイスとやらが頼りにならなければ、その場で思い出を引き抜けばいいことだし』


少女『……改めて言うのも恥ずかしいものだが』

少女『やんごとなき事情があってな、恋人の思い出をごっそり奪ってしまった』

少女『私に対する感情全てをな』

青年『そりゃ、何でまた』

少女『告白された当時は、ええと、その気が無かったものでな』

少女『さくっと諦めてもらうためだ』

青年『なるほど。そう考えるといろいろ応用利きそうな能力だな』

少女『で、それにもかかわらず、奴は懲りずに私の前に現れた』

少女『そこまでされたら私も折れるさ』


青年『思い出を全部奪ったのに、まだ好意を持ってくれてたのか』

少女『……そう、そこが問題だ』

青年『その好意が、本物かどうか分からない、と?』

少女『ああ。本人はそう言ってるし、行動にも鬱陶しいほど現れている』

少女『……だが、本当のことが、わからない』

少女『白状するとな、自分の能力がどの程度強力なのか、測り損ねている』

少女『思い出、記憶や物事に関する感情を廃絶する能力。それは分かるのだが――』

青年『――つまり、抜き取ったのが君と過ごした過去への感情なのか、君そのものに関する感情なのかわからない、と』

少女『……うむ』


少女『相手の腹のうちなんて気にしても仕方が無い、上っ面しか見えないんだから』

少女『と、考えてみようとも思ったのだが』

少女『あいにく、私は触れるだけでそいつの記憶を読めるし、感情もある程度分かるようになってきた』

青年『――何だ、簡単だ』

青年『見てしまえばいいじゃないか。気が引けるっていうなら寝ているときにこっそりやるとか』

少女『阿呆め。それが出来れば苦労しない』

少女『怖いんだよ。……あいつに、もし、好かれていなかったらと思うと』

青年『だから、簡単だって言ってるだろう』

少女『――、何?』


青年『行動に鬱陶しいほど出ていたんだろう? 君への好意が』

少女『まあ、そうだが』

青年『それに、好きでもない相手に告白するなんて意味が無い』

青年『罰ゲームとか、何か思惑があって、とかだったら早いうちに破局してるだろ』

青年『もし君に対する感情を失ってるなら、思いやりもなくなってるだろうから』

青年『利用するだけ利用して、捨てられるのが落ちだ』

少女『……っ』

青年『でも、そうなってない』

青年『ということは、違うと言うこと』

青年『少女さん。……君は、君の恋人に愛されている』

青年『だって、君を愛していない人が、君を愛していると偽る理由が無いから』


少女『そう、だよな』

少女『はは。冷静に考えてみればそうだ』

少女『私はこんなにも美しいからな。恋に悩む姿も官能的ではあるが、延々と悩んでいても面白みが無い』

少女『天真爛漫可愛い系美少女路線で行って見るためにも、とっとと問題解決といこう』

青年『そうそう。ほら、こんな美少女に告白するなんて、よっぽどの好意がないと気が引けてしまう』

少女『うむ。全くだな。参考にさせてもらおう』

少女『あ、君が言っていることは正しいが、君の事は嫌いだからな。口説くなよ』

青年『そりゃ手厳しい。――じゃ、頑張れよ』


 ふっ、とスクリーンが暗くなり、場内にちいさな明かりがぽつぽつとともり始める。
 隣を見ると、童女が大きく伸びをしていた。

童女「休憩時間。やれやれ、暗いところにずっといると眠くなってきちゃうからね」

童女「でもまあ、もう分かったんじゃないかな。この物語の結末は」

 悪戯に微笑む童女。
 質問と言うより、確認のための発言だと言うような顔。だが、

男「……、いや、分からない」

 この後、少女は俺の額に触れて、涙を流す。
 そこまでは分かるが、涙を流す理由が分からない。

 だって、俺は少女を愛している。
 この青年が言うとおり、少女の悩みは杞憂に終わる筈だ。

 そう考えていると、童女はぽかんと目を丸くした後、眉間に皺を寄せる。
 外見に似合わぬ鋭さが、その視線にはあった。

童女「ああ、なるほど。完璧に自覚が無いわけだ」

童女「じゃあ面倒くさい。教えてやる」

童女「あんたは、――少女を、愛していない」

童女「少女の事が好きだったのは、以前のあんただ」


男「……いやいや」

 何を言っているんだ、こいつは。
 真剣な表情で言っているところ悪いが、俺は少女を愛している。

男「だって、少女だぞ。あんなに可愛くて、面白くて、美しくて、可愛げがある少女だぞ」

男「それを愛して無いなんて、あり得ないだろう」

童女「有り得る」

 すぱり、と言い放たれる。

男「それに、俺は少女の恋人だぞ」

男「愛していなきゃ、恋していなきゃ、好きじゃなきゃ、恋人になるはずもない」

童女「その理由がある」

 それは、俺の言葉を。

男「……だいたいな、告白したのは俺からだ」

男「告白されたから何となく付き合う、なんて馬鹿はいるが、何となく告白する馬鹿はいない」

童女「なら、あんたは馬鹿だ」


男「だから」

童女「でも」

男「俺は」

童女「あんたは」


男「――少女を、この上なく、愛している」

童女「あんたは少女を愛していない」

男「――少女は、誰よりも俺に愛されている」

童女「少女は、少なくとも君には愛されていない」

 全てを、叩き潰していった。


男「――、どうして、根拠は」

童女「簡単だよ。男君、それはとっても簡単なお話だ」

童女「『孤独』、『恋』、『少女』、彼女の能力は、絶対」

童女「だれがどうあがいても、取り返しがつかない」

童女「思い出を奪うんじゃない。思い出と『無』を入れ替えるんだ」

 聞きたくない。

童女「私達人外の力っていうのは複雑だから、明確に表現するのは難しいんだけど」

童女「思い出が奪われた結果として、何もなくなるのならまだ取り返しがつく」

童女「無くなったところにまた、別の何かを置けばいいから」

童女「でも残念なことに、そこには既に『無』がある」

 聞きたくない。

童女「あとから何を置こうとしても、前提として『無』なんだ」

童女「だからね、男君」

 その先を、言うな。

童女「――あんたは、未来永劫、少女を愛することは出来ない」


男「そん、な」

 いやまて、それはおかしい。
 俺が少女に思い出を抜かれてから、何日たってると思っている。

男「でも俺は、少女を、愛している」

童女「そうだね、でもそれは本心じゃない」

童女「あんたは彼女が好きだから彼女を愛しているんじゃない」

童女「嘗ての君が彼女を愛していたから、今の自分もそれにならおうとしただけ」

男「……っあ、ぐ」

 言い返せ。反論しろ。違うと言い切れ。
 けれど、俺の口は、言葉をつむげなくなっている。

童女「あんたの過去も観てみたんだけど、妹っぽいのちゃんにでも影響されたんじゃないかな?」

童女「思い出は捨ててはいけないから、取り戻そうとした」

童女「結果、取り戻した――と、自分に嘘をついた」

童女「自分は少女が好きなんだ、という自己暗示を自分自身にかけた」

童女「……まだ何か言い返せるなら、端から叩き潰してやるけど」


男「……、だって」

 だって。

男「あれじゃあ」

 少女が。

男「可哀想じゃないか」

 自らの歪んだ性格を自覚し、それゆえに誰かに好かれることを望めなかった女の子。
 その子が恋をして、負い目を感じて、望まぬ拒絶をして。

男「可哀想じゃ、ないか」

童女「そのせいで、あの子は人間じみた幸せを知って」

童女「人間じみた絶望を知った」

童女「人を信じて、裏切られた」

男「じゃあ、あのままのほうがよかったって言うのかよ」

童女「当然」

 分かっていた。
 自己満足に過ぎないなんてことは。


 目の前の童女が言うとおり。
 自分を騙して、少女を好きになった。

 執拗に『少女が好きだから』『愛しているから』『恋人だから』と。
 自分に言い聞かせて、それらしい行動をしてきた。

 さらに言えば、その同情さえも本物と言えない。
 そういう環境の女の子がいれば、きっと可哀想だろう、という捏造。

 それは少女のためではなく。
 どこまでいっても、自分のため。自分が善人でありたい、思い出を無かったことにしてはいけないという自己満足。

男「だれかを、愛する資格が無いのは」

童女「そう、君のほうだ」

童女「……もう危ないな、これ」

童女「最後の慈悲だ、男君。巨乳ちゃんと『強運』、さっきの映画の女の子には近づくな」

――自室――

男「……」

 俺は、少女を愛していない。

男「それでも」

 少女を、愛していたい。

 これは嘘ではなく、真実。
 自分を騙しているのではなく、こればかりは、譲れない。

 嘗ての自分のために。今の少女のために。
 それは、間違いじゃないはずだ。

 誰かのために何かをするのは間違いじゃない。
 過去の自分を認めることは悪いことじゃない。

男「だけど」

 そのために誰かを騙すのは?
 騙し通せば問題ないだろう。ただ、少女のような人外相手には難しい。

 ……そもそも、俺は自分を騙していた。
 それならば相手を騙しているという意識も無くなる。疑われたら一発だ。


男「俺は、俺は」

男「――俺は」

 どうすればいい。
 どうすれば、彼女を救い、自分を救うことができる。

 彼女を騙す。それは不可能だ。
 
 自分を騙す。……可能ではある。
 自分は幸せだ、と騙す。それで自分だけは救われる。

 それで、問題ないのか?
 俺は少女を愛していない。心の底では、なんとも思っていない。

 ならば少女を無視して、自分を幸せにしたほうがいい。
 誰に責められることもないだろう。少女をよく知る童女に止められたのだ。

 それでいいんじゃないか。
 少女のことを思ってのことだ、などといえば、客観的に見れば悪いことじゃない。

 ロマンチックではないが、お互いを不幸にすることにロマンはないだろう。


男「……でも」

 何なんだ。
 何なんだ、これは。

女!「おっとこ、さぁーん!」がばぁ

男「ぐっ!?」がくん

女!「暗いお顔ですねー、そんな陰のある表情も妖しくて大好きですけど」ぐりぐり

男「……ああ、女か」

 もう驚かん。こいつがいつでも俺の傍に居る事は分かりきっていることだ。
 そして、その傍らに、巨乳がいることも。

巨乳「あらあら、男さん。映画館の人外には会えましたか」たぷん

男「会えたよ。結果、このざまだ」

巨乳「あら。優しく甘いあの子なら、と思ったのですが」

男「あの子は優しいさ。少女のためを思っている」

巨乳「なるほど。確かに、貴方より数段優しいですね」にっこり

男「……」


男「それと、お前に近づかないように、とも言われてた」

巨乳「? ……ああ、そういう」

巨乳「男さん、これ以上無いってほどに適合してますからね」

 適合。
 何の話やら。

女!「巨乳さん、男さんに変なことはしないでくださいね」

女!「二本足じゃ歩けなくしてあげますから」

巨乳「人外に物理攻撃は大して効果ないのですが」

女!「有効になるまでするだけです。問題ありません」

巨乳「あらま、人外殺しの人外が聞いたらどう思うでしょうか。もう居ませんけど」

巨乳「大丈夫ですよ。まず説明するだけですから」


巨乳「さて、男さん」

巨乳「あなたの願いを叶える方法が、一つだけあります」

男「……願い?」

巨乳「ええ。貴方が真にあの子を愛するための方法が、一つ」

男「あ、ああ。……どうすれば、いい」

巨乳「思い出を消す、奪うという能力は、取り返しがつきません」

巨乳「奪った思い出が手元にあっても、元に戻すことは出来ませんから」

巨乳「――ただの人間、ただの人外では、ね」

男「……ただの?」

女!「そうですね。人間に出来ないのは男さん自身が分かっていますし」

女!「人外でもまあ、無理でしょうね」


男「……ちょっと待て。それじゃあ手詰まりじゃないか?」

 人外、要するに巨乳のようなやつに出来ないことが俺に出来るとは到底思えない。
 
巨乳「ですからね、男さん。発想を変えるんですよ」

巨乳「何も男さんが変わる必要はありません」

巨乳「――少女さんを、作り変えてしまえばいい」

 少女を、人外を、作り変える。
 それはつまり――核を、変えるということ。アイデンティティを粉砕し、新たに作り変えること。

巨乳「先に話題に出た、人外殺し」

巨乳「彼女の能力は、対象の人外の核を一瞬で壊し、再構築も許しません」

巨乳「そして私は彼女の能力を持っている。――劣化版として、ね」


男「劣化、ってことは」

男「壊れるまでに時間がかかって――再構築できる」

巨乳「はい」にっこり

巨乳「つまり、彼女を叩き壊して、新しくする」

巨乳「その際、心、感情を読む能力を失えば」

男「誰も、俺が少女を愛していないことを、証明できない」

男「そうすれば、俺はまた」

巨乳「はい。『少女を愛している』ことになりますね」


 それならば。
 少女を愛し、幸せになるという目的は、達成される。

 少女の核を破壊することになるが、その核というのは俺を求めること。
 ならば関係はあるまい。彼女の望みをかなえることにも繋がる。

 だが。

男「――それは、駄目だ」

巨乳「あら。もしかして、作り物の罪悪感にまだ悩まされていると?」

巨乳「あなたはあの子に何の感情も抱いていません」

巨乳「ですから――」

男「違う」

男「だって、俺は少女を愛していなければいけない」

男「なら、少女がどうなっても構わないなんてことを、明確にするわけにはいかない」


 俺は自分を騙せる。
 少女を変えてしまえば、少女だって騙せる。

 だが、少女を変えてしまえば、変わった少女は俺が今の彼女をないがしろにした証拠となる。
 例えば、犯行現場がはっきりと映っている映像を見せられ、自分は何もやっていないと言い張れるだろうか。

 そういうことだ。
 目の前に少女がいれば、俺は少女を騙せない。少女に対して罪の意識を感じることが無くても。

男「――前の俺に、悪いだろ」

 少女を愛していた、嘗ての俺が。
 善人たらんとしていた、偽善者の俺が、それを許さない。

巨乳「……あの、言ってることおかしいってわかってますか」

男「分かってるさ。でも仕方ないと思うんだ」

男「童女、映画館の人外と会ってから」

男「耳鳴りが、酷いんだ」

――思い出消し屋前――

 巨乳、女と別れて走り出して。
 ノープランでここまでやってきた俺を待っていたのは、少女ではなく。

眼鏡少女「――やあ、少年」にんまり

 童女が言うには――強運、だったか。
 どういった能力の人外なのだろう。巨乳による命名なら、もっと分かりやすかったのかもしれないが。

男「何で、お前がここにいる」

眼鏡少女「おや、君は私を知っているのかい?」

男「……答えろ」

眼鏡少女「ああ、私はな。何となくここにいれば面白いことが起こる気がして」

眼鏡少女「結果として、同属っぽいのに会えた」にぃっ

男「人間だぞ、俺は」

眼鏡少女「いいや、君はひとでなしだ」

眼鏡少女「私にはよく分かる。私と同じ、腐りきったクズの匂いと、淀みきった色の目は隠せるものじゃないさ」

男「根拠は、どこだ」

眼鏡少女「全く無いが、私は勘も運もいいのでな」くっくっ


男「強運、ねぇ……」

眼鏡少女「ああ。全部が全部、都合よく動いてくれる」

眼鏡少女「私はやりたいようにやっていればいい」

眼鏡少女「この前会った、胸部に無駄な脂肪がついた奴には『ご都合主義の人外』何て言われたがな」

 なるほど。この上なく便利そうな能力ではある。
 最も、それ以上にぶっとんだ能力を人外を俺は知ってるし、その人外も多分こいつの能力を持っているが。

男「……それはそうと、そこ、邪魔なんだが」

眼鏡少女「……ああ! 君があれか、こいつの肉バイブ」

 こつこつ、と部屋の扉を叩く眼鏡少女。
 とはいえ、まず訂正すべきことがある。

男「いや童貞だぞ俺」

眼鏡少女「おや、失礼」


男「で、退け」

眼鏡少女「ああ、多分この思い出消し屋とは会えないぞ」

眼鏡少女「ちょくちょくからかいに来ているんだが、ずっと居留守みたいだし」

 そんなことは知っている。
 分かりきっている。

眼鏡少女「大体さ、どうせ君、結局思い出消し屋のことを愛していないんだろう」

眼鏡少女「愛してるんだったら、こいつも引きこもって無いだろうし」

 頭が、痛い。
 痛い? ……よく分からない。

眼鏡少女「ああ、そうだ。何なら私と付き合うか」

眼鏡少女「思い出消し屋と私、結構似てると思うぞ」


 頭の中がごちゃごちゃごちゃ。
 ……身体。俺は、今どんな姿勢をしているのだろうか。

 立っている? 座っている?
 背筋は伸びている? 猫背?

眼鏡少女「……その、何かしら反応をくれ」

眼鏡少女「私にも恋人もどきはいるが、もどきだからな」

眼鏡少女「同属だから興味がわいたというだけだし、別に君とずっこんばっこんするのもやぶさかではないぞ」

男「……どう、ぞく」

 同属。誰が。俺が。誰と。目の前の眼鏡少女と。
 俺は、彼女と同じ、

眼鏡少女「そう。君は、ひとでなしだ」

 ひとでなし。ひとではない。人間ではない。
 ――人外。

男「――ぁ」

 そういうことか。
 この感覚は、この耳鳴りは、この頭の混濁は。

 脳が妙に熱くなり、身体から切り離される。
 切り離された身体の感覚を、掴めない。


眼鏡少女「おや。反応するところ間違えて無いか」

眼鏡少女「こんな美少女が、つきあってやってもいいと言っているのに」

 身体が思考にぶらさがっている。
 二者をつなぐ紐がみちみちと音を立てる。

男「……ぁ、ぉ」

 口が上手く動かせない。身体の動かし方がいまいち分からない。
 キーボード上のキーの配列が全て滅茶苦茶になっている、といえばいいだろうか。

眼鏡少女「……ん? 何だ。雰囲気変わったな少年」

眼鏡少女「戦いの中で進化するタイプの主人公か」

 文脈など気にする必要はない。
 一応、返事には、なってるんだ。言え。

男「俺、は。しょう、じょが。好きだ」

眼鏡少女「……」ぽかん

 くそ、歯切れが悪い。
 でも、もう少し。動かせる。


男「俺は、少女が、好きだ」

 よし、よし。
 しっかり動く。紐は、まだ切れないが。

眼鏡少女「っく、は」

眼鏡少女「っぎゃははははは! っひゃっはははは!」ばたばた

 ばしんばしんと腿を叩く眼鏡少女。
 ひいひいと息を切らしながら、涙目になってこちらを見る。

眼鏡少女「お前、最っ高に馬鹿だろう!」

眼鏡少女「思い出消し屋が引きこもってるのは、お前が愛していないから」

眼鏡少女「タイミングから見て、それは確実だろう?」

 全くもって、その通り。
 ……いや、≪違≫う。


男「俺は、少女の事が、≪好≫きだ」

 みちみちぎりぎりぷちぷちぷち。
 紐が裂け、細くなり、繋がる繊維はあとわずか。

眼鏡少女「……いや。だから」

眼鏡少女「馬鹿じゃあないのか。お前がどういう理由で嘘をついていたかは知らんが、その愛は偽りなんだろう」

眼鏡少女「心を読む能力をもつ彼女に、そんな嘘が長々と――」

男「俺は、≪少女の事が好きだ≫」

 そう、少女の事が好きだ。
 誰が?

眼鏡少女「ああもう、くそ。やはり苦手だなこういうのは」

眼鏡少女「頭を使うのはやはりあいつに任せるべきだ。私一人のときはまた別の楽しみを――」

男「≪俺は、少女の事が好きだ≫」

 ぶちり、と切れた。


 身体から意識がずるりと抜け落ちる。
 意識だけが鋭敏で、身体の存在を感じない。

 生きていないが、活きている。
 死んだ目をして、活力に満ちている。

眼鏡少女「――へぇ」

 同時に湧き上がるのは、感動と感情。
 愛おしい。愛おしい。少女が、愛おしい。

 少しでも視界に納めたい。俺を見て欲しい。
 触れていたい。触れて欲しい。
 笑いかけたい。笑って欲しい。
 話しかけたい。話しかけて欲しい。
 一緒に、いたい。

眼鏡少女「これはこれで面白い」

眼鏡少女「ふむ、このことを言ったらあいつは悔しがるかな」にまにま

 よく分からないのが笑っているが、≪それは聞こえない≫。
 ……成功している。やはり、そういう能力か。


男「じゃあな。もう俺に用は無いだろ」

眼鏡少女「ああ。全く、愛の力というのはすばらしいね」

眼鏡少女「最も、私にとって都合がいい結果になったということは」

眼鏡少女「私なくしては起こりえない奇跡だったということなのだが」ふふん

男「全くだな、ご都合主義の人外め」

眼鏡少女「で、人外仲間ついでに君について色々個人的に興味がわいてきたのだが」

男「残念、俺はお前に全く興味が無い」

男「それに、今俺と話をしても惚気しか聞けないと思うぞ」

眼鏡少女「くっく、まあ、見かけたら声をかける程度にするよ」

眼鏡少女「――都合よく、わりとよく見かけることになると思うがね」にたり


男「……さて」

 少女に会いたいが、それには鍵のかかった扉が邪魔だ。
 叩き壊すことも、今の俺なら無理ではないとは思うが人の家の出入り口を壊すわけにもいかない。

 何せ扉だ。よからぬものが入ってきては困る。
 俺の目前に居るこいつとか。

眼鏡少女「で、君はどうするんだ。ピッキングでもするか?」

男「必要ない。そもそも、扉を開ける必要は無い」

 人外にとって、身体はさして重要なものではない。
 というより、あって無いようなものだというのは、実際に自分がなって感じたこと。

 あって無いようなもの、ということは≪俺の身体は無いも同然≫ということ。
 であれば、≪俺の身体ががここにあるという事実も無いも同然≫。

男「だって、≪俺は少女の隣に立っている≫」

 眼前の世界が霧になって消えた。
 否、消えたのは、俺の身体。

――思い出消し屋――

 ざぁぁぁ、という水音。
 むわりとした湿気を肌に感じながら、目を開く。

少女「……」

 そこに居たのは、呆然と立ち尽くす少女の姿。
 一糸纏わぬ玉の肌が、そこにあった。

少女「……ええと、だな」

男「……っ、あ、その」

少女「色々と言いたいことはあるぞ。何でここにいるか、とか、何で人外に、とか」

少女「何にせよ、ひとまずこの状況をなんとかしよう」

少女「――風呂場から、出て行け」

男「……っぃ、イエス、マム」

――思い出消し屋、客間――

少女「……あー、うむ」ほかほか

少女「私が色々と思い悩んで、珍しく自己嫌悪に浸ったりして」

少女「特に意味が無いのに風呂に入ってシャワー浴びたりしてみて」

少女「そこに突然のラッキースケベ、というのはどういう了見だ」

男「返す言葉もございません」

 見た目小学校高学年の女の子に土下座する高校三年生。
 なんだろう、思っていた展開と違う。

 普通もうちょっとシリアスにならないか。
 膝を抱えて泣いている少女の横に現れて、とか。

少女「……まあ、いい。それより」

少女「いくつか質問させてもらう。私もまだ混乱しているから、一つずつ問題解決といこうじゃないか」


少女「男よ。――お前は、私の知っている男か」

男「もちろん。変装とか、変身の類じゃない」

少女「では何故、人間ではない」

男「人外になったから」

少女「どうやって」

少女「人間が人外になる、など、方法は限られていると思うが」

男「多分、ご都合主義の……、少女が会った、眼鏡をかけた女の子の能力に後押しされて」

少女「! ……そうか、観たのか」


 嘆息し、数秒の後に少女は続ける。

少女「となると、あのお人よしに会ったってことだな」

 饒舌に。

少女「なら、もう私達は元に戻れないことは分かっているだろう」

 歯切れよく。

少女「私のせいで、私達は元に戻れないということはお前でも当然分かるだろう」

 吐き出すように。

少女「――何故、来た」

 泣き出しそうに。

男「何故って、そりゃあ」

男「君が、好きだから」


少女「……そうか!」

少女「いやあよかった。君が私を好いてくれてよかった」

少女「じゃあ今後も平和にいこうか」

 眉間に寄せた皺を伸ばして、ころりと笑顔を見せる少女。
 またその顔か。……また、その、崩れそうな。

男「逃げるな」

 だから、俺はずいと額を突き出す。
 その勢いのまま、少女の手首を掴み、俺の眼前へ。

少女「っ、な」

 目を丸くし、青ざめる少女。
 ぐいぐいと手を引き抜こうとするが、≪俺は少女が振りほどけない程度の力で掴んでいる≫。

少女「何、を」

男「信じろ」


男「俺は、ここまで変わった」

男「人を辞めて理屈を超えた」

少女「……駄目なんだ」

少女「分かっているだろうが、私の力は」

少女「人を辞めたところで、どうしょうも」

 そんなことは、百も承知。
 事実、万能の人外、尻拭いの人外である巨乳にすらどうにもできない。

 だが。
 そんなものは、知ったことではない。

男「俺を」

男「≪お前を愛する≫俺を舐めるな」

男「都合が悪ければ≪全部捏造して≫」

男「≪全部真実にしてやる≫」


少女「……一体、お前は何の人外なのだ」

少女「その自信は、どこから来るんだ」

男「多分、感じる限りだと」

男「理性で感情と身体を支配できるみたいだ」

少女「……、は?」

男「強烈な自己暗示みたいなもんだと思う」

男「少女が好きだと俺が思えば、魂の底から少女への想いが湧き上がってくるし」

男「少女の隣に居るんだと思えば、身体はそれに都合を合わせる」

男「……まあ当然、自分にしか効かないんだけどね」


少女「何だ、それは」

少女「私も大概だが、イレギュラーにも程があるぞ」

男「そうなのか?」

少女「腐れ駄乳や私、他の多くの人外は大抵他者の精神に干渉する能力を持つ」

少女「……自分にしか干渉せず、しかも身体も心も塗り替えるなど」

男「信じられないなら、確認してくれ」ぐっ

 話題を変えようとしている少女に、再び額を突き出す。
 少女の考えを尊重してやりたい気持ちもあるが、それでは駄目だ。

男「頼む。……逃げずに、俺を見てくれ」

少女「……っ」

 俺の記憶を、感情を読むことを恐れているのは分かる。
 しかし、ここで逃げても元には戻れない。

 一度、俺の少女への感情が死んでいることを見てしまっているのだ。
 俺の想いが本物でも、少女は俺を疑わずには居られない。

 だから、ここで。

男「俺を、見ろ」


少女「……いい、のか」

 指先を震わせながら、少女が言う。
 恐怖と希望が混濁したその表情は、普段の余裕を一切感じさせない。

少女「信じていいのか。期待していいのか」

 高価な菓子を目の前にした内向的な子供のように。
 何度も何度も、少女は確認する。

男「もちろん。何なら、食べてしまってもいい」

男「食われたところから、また創ってやる」

 他の人外にはできなくても、≪俺にはできる≫。
 しかもノーコスト。少女が望む限り、永遠に提供可能だ。

 そう考えると、本当に便利な能力である。
 愛しい人を永遠に幸せにできるなんて、夢のようだ


少女「……それは、本物の、感情といえるのか?」

男「何言ってるんだ。≪本人がそうだといって≫≪他の人もそうだといえば≫≪それは本物≫だろう」

 例えば、有名な画家の贋作があったとする。
 しかしそれを偽者であると証明する術が無く、本物であると十分に納得がいく根拠があれば、それは本物となる。

 世界とはきっと、そういうものだろう。観測者の判断次第でそのものの存在が決まる。
 もしも、ありとあらゆる手段を用いても観測不可能な物質があったとすれば、それは存在しないことになってしまう。

 実際の世界というより、認知上の世界。
 全人類が同じ物体を幻視すれば、その物体はもはや幻ではなくなる。

少女「……ああ。私も腹を括ろう」

少女「何、駄目だとしても二回目だ。流石に泣き出すようなことはあるまい――」


 かちり、かちりと秒針が囁く。
 途切れ途切れに空気を揺らすのは、少女のほんの少し荒くなった呼吸。

 少女の眉間に集まる皺を解そうとするかのように、橙色の光が窓から注がれる。
 静かに漂う埃が、ちらちらと輝いているような気がした。

少女「……よし」

 少女の呼吸音が聞こえなくなり。
 同時に、少女の右手、指先が、俺の額に触れた。

 じゃあ、駄目押しをしよう。
 ≪俺は少女を愛している≫。

 ≪少女への愛ならば未来永劫誰にも負ける気がしない≫。
 ≪恋愛対象として認識できるのは、全世界を探しても少女しかいない≫。

 ≪他の誰が不幸になろうとも、少女を幸せにする≫。
 ≪俺が不幸になろうとも、少女を幸せにする≫。

 ≪義務のためではなく、権利の有無に関わらず、少女を愛する≫。
 
 ≪なぜなら、俺は少女を愛しているから≫。


 感情の爆発を、奥底で感じる。
 この感覚は、精神を核とした存在であるからこそだろう。

 少女が愛おしい。

 この世界の誰よりも、どの時代の誰よりも、少女を愛しく思っている確証がある。
 今後の俺が恋愛対象として意識できるのは、少女だけだ。

 俺を含む世界を絶望の淵に追い込むことになろうとも。
 少女さえこの手で幸せに出来ればそれでいい。

 誰かに強いられたわけじゃない。まして、自分に強いられたわけでもない。
 例え誰かに禁止されても、自分で押さえ込もうとも、少女を愛している。

 なぜなら、俺は少女を愛しているから。


少女「……ぅ、あ」

少女「ああ」

少女「そう、だな、その通りだ」

少女「私はお前に愛されている」すっ

少女「人外による能力だろうが、紛れも無くお前の本心だ」きゅっ

 少女の手が俺の額から離れ、入れ替わりに身体がもたれかかってくる。
 そして俺の腰に回された両腕に答えて、俺は少女を抱きしめた。

少女「……満たされる、な」

少女「やはり私は、お前を求める人外だ」

少女「お前のいないところに閉じこもるなど、正気の沙汰ではない」ぎゅうっ


 小さく、細く、軽く、もろい身体。
 百年超を生き、今後永遠を生きる身体。

男「……純粋に、思うんだが」

少女「うん?」

男「捧げるだけでも、授かるだけでも、足りてないんだよな」

少女「……?」

 多分、俺に足りてなかったのはそこなのだろう。
 形を見せんとして注ぎ続けることなど、不可能。

 注ぐには、注がれるだけのものが必要。
 その補給には、誰かから注いでもらう必要がある。

男「というわけで、少女。お前が欲しい」

少女「……っ!」


男「それで、その代わりって言うのもあれだけど」

 相手を欲して、与えられて。
 けれどそれでは、向こうが枯れてこちらは破裂する。

男「俺の全てを、お前にくれてやる」

 ならば、こちらからも注ぐ。
 注ぎ注がれ、満たし満たされ。分かりやすい永久機関だ。

少女「く、っくく、いやはや」

少女「くっさいな。綺麗事というか、理想論というか」

 にんまりと口元を歪める少女。
 呆れた口調で、愉しげに嗤う。

男「ああ。自分でも驚いてる」

男「演技してたときの癖なのか、こんな言葉しか出てこない」

男「でも、≪自然に出てくるということは、これが本来の俺≫なんだろうな」


少女「――だがな、男よ」

少女「貴様はいまや人外、不死身の生き物だ。もちろん、私同様に」

少女「私に永遠を捧げ、私の永遠を捧げさせるだけの覚悟はあるのか?」にやり

 言っていることこそ質問のようではあるが、違う。
 少女はもう、俺が次に何をするかなんて分かりきっている。ゆえに、これは自信に満ちた確認なのだ。

男「もちろん」

 俺が正直に答えれば、その期待に応えることもできるだろう。
 けど、念には念をいれて。

男「≪そんな覚悟は、とっくに出来ている≫」

男「≪俺は少女に永遠を捧げるよ≫」


少女「……、ふふ」

 少女の頬にさした朱が、ほんの少し濃くなるのが分かった。
 まだ日は高いはずだけど、夕日に照らされたように赤い。

 同時に、次の瞬間は、俺の記憶に深く刻まれるであろう事が何となく察せられた。
 次に少女が発するのは、不死である俺の中で永遠を約束された記憶となる。

 ……うん。これは確信できる。
 だから、能力を使うまでもない。

 例え俺が、次の少女の言葉を胸に秘め。
 口外せず、記録にも残さず、記憶のみに留めたとしても。

少女「仕方ない、な。一度だけ言うぞ」

少女「私は、お前に――」

 永遠に、俺にだけ向けられた言葉として、活き続ける。

おわり。

とりあえずこれでこの男と少女の話はおしまいです。
個人的に世界観気に入ってるので、また何か別の主人公で書くかも。

質問等あれば受け付けます。

男の人間としての生活はどうなんだろ
蛇足になるか

>>109
男は既に人間ではなくなっているので、学校にも家にも行かずに少女といっしょです。
家族やら知り合いやらについては少女が男に関する思い出を抜いた後に巨乳がちまちま記憶改ざんして尻拭いしてます。

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