【咲-Saki-】和「…浮気者」咲「泥棒猫…」【京和?】 (779)

このスレは

好きだ好きだといわれ続け最初は嫌だったが段々満更でもなくなってきて付き合ってあげても良いかな
と思ったら他の女と付き合い始めて「アンナニスキダッテイッタノニ……」と病んでいく京和SS下さい><

この発言を元に作られた病み前提の即興スレです

ヤンデレや重い女の子が苦手な人はブラウザバックお願いします



前スレ
http://ex14.vip2ch.com/news4ssnip/

SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1373676822

あれ…前スレ間違ってる…申し訳ない…

【咲-saki-】和「…浮気者」【京和?】 - SSまとめ速報
(http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1370070429/)


―― コンコン

「…ん?どうぞ」

―― ガチャ

「…京ちゃん、晩御飯出来たっておばさんが…」

「あー…そっか…」

「京ちゃん?」

「…悪い。まだ良いや」

「…どうしたの?何かあった?」

「いや…なんでもない」

「…なんでもないって顔じゃないよ」

「それでも…今はほっといてくれ。明日からは普通にするからさ。だから…」

「…やだ」ギシッ

「咲…?」

「京ちゃんが話してくれるまで…私、ここ動かないから」

「…いや、でも…」

「良いの?このままだったら可愛い可愛い幼馴染が餓死しちゃうんだよ?」

「自分で可愛いとか言うなって」クスッ

「…ま…それなら仕方ないかな」

「咲が頑固なのは知ってるし…それに前みたいに漏らしそうになられても困るからな」

「あっあの時の事は言わないでよぉ」カァァ

「はは。悪い悪い」

「もう…っ!…それで…何があったの?」

「いや…まぁ、端的に言えば振られただけなんだけどさ」

「振られた…?」

「そ。見事、玉砕。嫌いとまで言われたぜ」ハハッ

「…京ちゃんが…」

「まぁ、俺も色々、がっつき過ぎたんだろうなぁ…」

「…そうかな…?」

「そうだって。まだあの事件から立ち直っていないだろうに…好きだとか言ってる時点で苦手意識持たれてもおかしくないのに…」ハァ

「…好きだって…そう言ったの?」

「あぁ…まぁ…はっきりと言った訳じゃないけど…あの反応だともろバレだっただろうなぁ…」

「そう…なんだ…」

「私にもまだ言ってくれた事ないのに…」ポソッ

「…咲?」

「ううん。なんでもないよ」フルフル

「それで…原村さんが嫌いって…?」」

「あぁ。まぁ、面と向かって言われた訳じゃないけど…はっきり大嫌いって言って…」

「ってなんでバレてるんだよ…」

「そりゃ…まぁ…京ちゃんだし」

「…そんな分かりやすかった?」

「多分、気づいてないの原村さんだけなんじゃないかな」

「あー…実際、部長たちには気付かれてたっぽいしなぁ…。まぁ、背中押したりしてくれたし、それはそれで良かったんだけど」

「へぇ…そう…なんだ…」

「んで…まぁ、身分不相応な恋に敗れた京太郎は落ち込んでる訳ですよ」

「高翌嶺の花って最初から分かってたのになぁ…途中から調子のりすぎて…このザマだ」ハァ

「京ちゃん…」ナデナデ

「あー…悪いな」

「ううん。いいよ。京ちゃんだって私が辛い時こうして撫でてくれたし…」

「それより…泣いちゃっても良いんだよ」

「ばっ!そ、そこまで情けなくないっての!」

「でも…脈なしなんでしょ?」

「まぁ…そりゃ…なぁ…」

「だったら思いっきり泣いて…吹っ切った方が良いんじゃない?」

「そりゃそうだけど…でも、お前の前で泣くのはプライドが許さない」

「え…どうして?」

「俺にとっちゃお前は手のかかる妹みたいなもんだからな。妹の前で兄貴分が泣いたり出来ないだろ」

「妹…妹かぁ…」

「あー…嫌か?」

「ううん。嫌じゃないよ。………今は」

「ん?」

「それより…これからどうするの?」

「どうするって…?」

「麻雀部。そのままだと居心地悪いでしょ?」

「そうなんだよなぁ…和も俺が麻雀部に居たら来づらいだろうし…退部すっかなぁ…」

「そんな!勿体無いよ!」

「でも…麻雀部にとって俺と和のどっちが大事かって言えば、そりゃ和の方だろ」

「和がいれば団体戦にだって出れるし…いや、それどころか、インターハイ出場だって夢じゃないんだぜ?」

「それは…そうかも…しれないけど…」

高嶺で引っかかるのかよ…すまん…














「それで…原村さんが嫌いって…?」」

「あぁ。まぁ、面と向かって言われた訳じゃないけど…はっきり大嫌いって言って…」

「ってなんでバレてるんだよ…」

「そりゃ…まぁ…京ちゃんだし」

「…そんな分かりやすかった?」

「多分、気づいてないの原村さんだけなんじゃないかな」

「あー…実際、部長たちには気付かれてたっぽいしなぁ…。まぁ、背中押したりしてくれたし、それはそれで良かったんだけど」

「へぇ…そう…なんだ…」

「んで…まぁ、身分不相応な恋に敗れた京太郎は落ち込んでる訳ですよ」

「高嶺の花って最初から分かってたのになぁ…途中から調子のりすぎて…このザマだ」ハァ

「京ちゃん…」ナデナデ

「あー…悪いな」

「ううん。いいよ。京ちゃんだって私が辛い時こうして撫でてくれたし…」

「それより…泣いちゃっても良いんだよ」

「ばっ!そ、そこまで情けなくないっての!」

「でも…脈なしなんでしょ?」

「まぁ…そりゃ…なぁ…」

「だったら思いっきり泣いて…吹っ切った方が良いんじゃない?」

「そりゃそうだけど…でも、お前の前で泣くのはプライドが許さない」

「え…どうして?」

「俺にとっちゃお前は手のかかる妹みたいなもんだからな。妹の前で兄貴分が泣いたり出来ないだろ」

「妹…妹かぁ…」

「あー…嫌か?」

「ううん。嫌じゃないよ。………今は」

「ん?」

「それより…これからどうするの?」

「どうするって…?」

「麻雀部。そのままだと居心地悪いでしょ?」

「そうなんだよなぁ…和も俺が麻雀部に居たら来づらいだろうし…退部すっかなぁ…」

「そんな!勿体無いよ!」

「でも…麻雀部にとって俺と和のどっちが大事かって言えば、そりゃ和の方だろ」

「和がいれば団体戦にだって出れるし…いや、それどころか、インターハイ出場だって夢じゃないんだぜ?」

「それは…そうかも…しれないけど…」

「でも…京ちゃん、麻雀好きなんでしょ?」

「まぁ…そうだけど…でも、麻雀そのものは部活に入ってなくても出来るしな」

「最近だとアプリもあるし、ネット麻雀だって充実してるし…リアルで打ちたいなら雀荘だって…」

「…そんなのダメだよ」

「原村さんの為に京ちゃんが退部するなんて…絶対ダメ」

「…咲?」

「…それより…私にいい考えがあるんだけど…」

「考えって…」

「京ちゃんが退部しなくて、原村さんとも必要以上に気まずくならなくて…部長さんの夢も叶えられる方法」

「…本当にあんのかそんなの?」

「京ちゃんは私のこと信じられない?」

「いや…そんな事ないけど…」

「だったら…私ともっかい付き合おう?」

「……は?」

「…ダメ?」

「い、いや、ダメっていうか…どうしてそんな結論に達するんだよ」

「だって、私と京ちゃんが付き合ったら、原村さんも安心出来るでしょ」

「まぁ…もう興味がないってそう思われるだろうけど…」

「それで京ちゃんも原村さんとギクシャクしないで済むし、部内の空気だって悪くならないし…良い事ずくめだよ」

「そもそも…お前はそれで良いのかよ?」

「え?どうして?」

「どうしてって…お前が言ってるのって偽装交際だぞ?」

「噂だって立つし、色々冷やかしだって…」

「そんなのもう中学で慣れてるもん」

「…咲…」

「それに…私…嫌じゃないよ?」

「京ちゃんだったら…例え偽装でも…大丈夫だもん」

「いや…でも…」

「…京ちゃんはまだ原村さんの事好き?」

「そりゃ…まぁ…」

「だったら…原村さんの為にも…偽装交際…しよ?」

「そうすれば…全部、上手くいくんだから」

「…本当にそう上手くいくかな…ぁ」

「大丈夫だよ。私が京ちゃんに嘘吐いた事がある?」

「それとこれとは話が別だろ」グイー

「うにゃ」ノビー

「でも…有難うな。相談に乗ってくれて…少し気も楽になった」スッ

「…これくらいお安い御用だよ」

「ま…偽装交際の件はとりあえず…脇に置いとこうぜ」

「でも…」

「明日…もし、俺が顔を出す事で…部の空気が悪くなるみたいだったらさ」

「え…っ?」

「…悪いけど…頼めるか?」

「…うんっ」

「…本当、ごめんな。俺に出来る事なら…何でもするから…」

「大丈夫だよ。困った時はお互い様だもん」

「それに…」

「…ん?」

「ふふ…なんでもない。それよりほら、夕飯食べよ」

「おう。そういや今日なんだっけ?」

「酢豚だって。私も手伝ったんだよ」

「そりゃ胃薬用意しといた方が良いな」

「もうっ!京ちゃんったら!」

小ネタ投下予定だったのは終わりー。
という経緯なので、京太郎はまだ和の事が好きです。
今からちょっとご飯食べてくるので、帰ってきたら本編の続きも書くよー


「…ただいま戻りました」

そんな私が家へと戻った頃にはもう夜の九時を大きく過ぎていました。
しかし、ダイニングは暗く、家からは物音らしい物音がしません。
ただ無機質な家電製品の駆動音だけがその空間を支配していました。
それに私は小さく肩を落としながら、テーブルの上にレジ袋を置きます。
そして、その中から材料を取り出し、料理を始めるのでした。

「……」

その間、私は勿論、無言です。
誰もいない家の中で独り言を言うほど私は酔狂ではありません。
しかし…今日の私はその主義を曲げたくなっていました。
まるで一人で居るという事を認めたくないように…口から言葉が飛び出してしまいそうになるのです。

―― …もう宮永さんは…家に帰ったでしょうか…。

それを抑えこむ私の脳裏に浮かんだのはさっき別れた彼女の事でした。
私と同じく家事を担っている宮永さんもまたきっと今頃は夕飯の準備をしている事でしょう。
でも…きっとそれは私のように…一人ぼっちではありません。
今日はお父さんが帰ってくるのが早いと言ってかけ出した彼女は…少なくとも一人ではないのです。


―― いえ…もしかしたら…須賀君も一緒かもしれません。

夜遅くまで部活をしていた宮永さんを心配して須賀君が迎えにいってもおかしくはありません。
そのままの流れで三人で食事をする事になる可能性は、決して低いとは言えないでしょう。
もしかしたら…そのままお風呂まで入って…部屋で二人っきりになっているかもしれません。
そして…その後、二人は… ――

「…あ…」

瞬間、私の指先に熱が湧き上がります。
それにふと視線を下げれば、そこには真っ赤な何かが漏れだしていました。
まるでインクのように鮮烈なそれは不恰好に切り揃えられたナスの上に転々と滴っています。
それを数瞬ほど眺めてから、私はようやく包丁で指を切ってしまったのだと理解しました。

「……どう…しましょう…」

そうポツリと言葉を漏らしながら、私の身体は動きませんでした。
勿論、私にだってそれが早く消毒し、止血しなければいけない事くらい分かっているのです。
少なくとも今夜使う予定であった茄子の上に置きっぱなしでは味が堕ちてしまう事でしょう。
しかし、そう理解しながらも私はぼぅっとそれを見つめたまま、動く気になれません。


―― 普段なら…こんな事ないのに…。

幼い頃から包丁の使い方を叩きこまれたのですから。
普段は決してこんなミスはしませんし、茄子だってきちんと均等に切りそろえる事が出来るのです。
しかし、今の私はまるでそれが嘘のように不器用で、普段出来ている事が上手く出来ません。
その理由を反射的に探った瞬間、私の脳裏に恋人繋ぎをする二人の姿が蘇ったのです。

「いやっ!」

それを振り払おうと動かした手から包丁がすっぽ抜けました。
そのままステンレス独特のガシャンという音を鳴らしながら、それはフローリングの上で暴れます。
数秒後、それは音と共におとなしくなりますが、私の胸は決して穏やかではありませんでした。

「あれは嘘…あんなの…見間違え…聞き間違えです…」

ブツブツとそう漏らす言葉は、何か意味のあるものではありませんでした。
そうやって言葉にしたところで決して現実は変わらないと私は理解できているのです。
しかし…それでも私はそれを止める事が出来ません。
まるで孤独で惨めな自分を誤魔化すように独り言を呟き続けるのです。


「夢…夢なの…だから忘れて…違うんです…」

ですが、どれだけ言っても胸のざわつきは収まりません。
さっきまで平静を装えていた分のゆり戻しが来たかのように…私の心は揺さぶられているのです。
まるで大嵐に悲鳴をあげる家屋のような心に、私の手は反射的に顔へと伸びました。
そのまま視界を閉じるように両手で顔を隠した瞬間、私は自分の指先から血が流れている事に気づいたのです。

「あ…あぁぁ…」

けれど…須賀君はそれを心配してはくれません。
勿論、知ったら…彼は何を置いてもまっさきに私の所へと来てくれるでしょう。
しかし、須賀君が今、いるのは…私の傍ではないのです。
アレだけ可愛いって…好きだって言ってくれた私の傍にいなくて…私を…護ってもくれません。

―― でも…知らせれば…知れば…きっと…飛んできてくれますよね…?

だって、彼は身を呈してストーカーから私のことを護ってくれたのです。
自分が死んでしまうかもしれない恐怖と戦いながら、私の事を護ってくれたのです。
きっと今だって…私が怪我をした事を知らせれば、誰よりも早く私の傍に駆けつけてくれるでしょう。


「電話…電話…しないと…」

追い詰められた私にとって、それは唯一の救いでした。
ふらふらと震える足を動かしながら私はカバンへと近づくのです。
そのまま血が流れ出るのも構わずに…私はそこから携帯を取り出しました。
そして慣れない手つきで電話帳を開き、そこにある須賀君の番号を押したのです。

―― 後は通話ボタンを押せば…須賀君はきっと来てくれる。

そう思いながらも私の指が中々、それを押す事が出来ません。
あとほんの少し力を入れればそれで電話が行くはずなのに…私はそれが出来ないのです。
フルフルと指先を震わせながらのそれは…私も内心…分かっているからなのでしょう。
もし、須賀君の携帯から宮永さんの声がしたら…立ち直れないと…そう理解しているのです。

「私…は…」

そんなの夢だと…幻だと信じていました。
あんなのたちの悪い冗談だって…二人の悪戯なんだって…そう思いたかったのです。
しかし…そうやって自分を誤魔化すのも…もう限界に達していました。
私は…私は…もう…それを…自分でも…理解していたのです。


―― 須賀君は…須賀君は、もう…私の事なんて…どうでも…良いんです…。

そう思った瞬間、私は膝からガクリと崩れ落ちました。
瞬間、硬質な音を立てて、携帯が手から溢れてしまいます。
しかし、今の私にはもうそれを拾う気力なんてありません。
ただ、その事実に打ちのめされるようにして、ぼぅっとし続けるのです。

―― どうして…?

別に…須賀君から見放されたところで…私がこんなにショックを受ける理由はありません。
そもそも須賀君は私にとって高校から新しく追加されたファクターに過ぎないのですから。
彼なしの生活をしてきた時期に戻ると思えば、それは決してマイナスではありません。
どれだけ酷く見積もってもプラスマイナスゼロになっただけなのです。
しかし、今の私は…ゼロどころか…まるで絶望の淵に立たされたかのような心境でした。

―― 私…は…。

宮永さんの打ち方に気づいた時だって…私はこれほどの無力感を感じてはいませんでした。
まるで先に希望も何もないような…真っ暗な絶望感もなかったのです。
アレだけ…ショックで辛かった宮永さんとの邂逅よりも遥かに強い感情。
これまで私の人生の大半を占め、アイデンティティでもあった麻雀をバカにされたよりも辛いそれは… ――


「あは…あはは…」

その瞬間…私はようやくその原因に気づきました。
まるで世界が終わったようなその絶望感の理由を…ようやく理解したのです。
いえ…それはもしかしたらもっと以前から分かっていた事なのかもしれません。
しかし、私は…ずっとそれから…目を背けて来ました。
気恥ずかしさや体面というものを気にして…向きあおうとしなかったのです。

「私…須賀君の事が好きだったんですね…」

それは…ゆーきに向けるそれとは似ているようで…大きく違うもの。
友人に向ける親愛の情ではなく…異性に向ける恋慕の情だったのでしょう。
けれど…私は経験の無さからその違いを理解出来ず…また理解したとしても目を背け続けてきました。
結果…私は須賀君を傷つけ…そして…奪われてしまったのです。
いつの間にか麻雀よりも大事で…大きく育っていた人の事を…私は奪われてしまったのです。


「あ…あぁぁ…」

その瞬間、私の目は決壊したように大粒の涙をこぼし始めました。
それが一体、何の涙なのかは私にも分かりません。
須賀君を傷つけた後悔から来るものなのか、或いは宮永さんに奪われた悲しさなのか。
しかし…それでも…はっきりと…残酷なくらい分かる事がひとつだけありました。


―― もう…取り返しが…つきません…。

今更…それに気づいた所でもう遅いのです。
私は…私は一番大事な人を傷つけ、そして見放されてしまったのですから。
今から彼の告白に応えても…須賀君が困ってしまうだけでしょう。
彼の心の中にはもう…私ではなく、宮永さんがいるのですから。

「須賀君…須賀君…須賀君…っ…」

ですが…私はそれでも諦める事なんて出来ませんでした。
痛みの走る胸の奥は…理不尽だと…そう泣き叫んでいたのです。
だって…私たちは本来ならば両思いだったのですから。
それが…ほんの少しすれ違っただけで…こうも結果がズレてしまった。
勝者と敗者が逆転し…もう元には戻らないくらいに。

「須賀君…好きです…好き…なんです…」

きっと私にはそうやって好きという資格はないのでしょう。
こうやって本来あるべき結果からズレたのは私の責任なのですから。
あの告白からも須賀君は私に優しくしてくれましたし、手を差し伸べもしてくれました。
ですが、私はそれら全てを無碍にして…ついには彼に失望されてしまったのです。
そんな女に…彼の事を好きという資格はありません。
ただ…一人で泣きじゃくり…孤独に過ごすのがお似合いなのでしょう。


「いや…いやぁぁ…」

しかし、それでも私はその現実を認めたくありませんでした。
後ほんの少し気づくのが早ければ…あり得たはずの未来を思って…痛みに胸を震わせているのです。
それから逃げるように胸元を押さえ、首を振りますが…現実が変わるはずがありません。
既に私は須賀君から見捨てられ…こうして一人ぼっちになってしまったのです。
その辛さに私の涙は止まらず…ただひたすら泣き続けていました。

「私…は…」

それが収まった頃には…もう日付が変わるギリギリになっていました。
胡乱な目で携帯を見れば、そこには着信を告げる点滅があります。
きっと両親がまた泊まり込みになった事を知らせてくれたのでしょう。
それならば…もうここにいる理由はありません。
両親がいないなら…わざわざ料理を作る理由なんてないのです。

―― じゃあ…何をするの…?

ふと胸中に浮かぶその言葉に私はふらふらと立ち上がりました。
その身体が一体、何をするつもりなのかは分かりませんが…しかし、しなければいけない事は分かっているのです。
どれだけ辛くても…苦しくても…私が今の生活が好きなのですから。
それを護る為には…私は一分だって時間を無駄にはしていられません。

「麻雀…麻雀…しないと…」

そう呟きながらカバンを掴んだ私は、そのままゆっくりとダイニングから出ました。
そのままフラフラと階段を上がり、自室へと戻った私はそのままベッドへと倒れ込みたくなります。
そして…現実から逃げるように…休息を求める身体を癒したいと…そう思いました。
けれど…私にはそうやったところで泣き腫らした目は冴え、眠れないのは目に見えていたのです。


―― だったら…私がするべきことなんて…一つだけじゃないですか。

そう自分に言い聞かせながら、私はそっとカバンをベッドへと投げ捨てました。
そのままきっと顔をあげる私の脳裏に…父の言葉が蘇ります。
『優勝できたら長野に残る事も考える』というそれを事実にする為には…ここで頑張らなければいけません。
あれだけ圧倒的だった藤田プロよりも強い天江選手。
その人を倒さなければ…優勝どころかインターハイに行く事すら難しいのですから。

―― 優勝…してみせようじゃないですか…!

私にしては珍しく強い語気の篭ったそれが逃避であるという事くらい私にだって理解出来ていました。
しかし、失恋の痛みと絶望に崩れた『原村和』が縋れるのはそんなものしかなかったのです。
これまで私の人生を楽しく彩ってくれた麻雀くらいしか…私を慰撫してくれるものはありません。
そう言い聞かせながら、私はふらふらとノートPCへと近寄り、ネット麻雀を始めます。

―― けれど…その結果は散々なものでした。

どれだけ平静を装い、目標にすがったとしても、それは強がりでしかないのでしょう。
私の思考は相変わらず敗北感に彩られ、失恋を強く引きずっているのですから。
結果、私はろくに集中する事が出来ず、何時もであれば見えているはずの待ちも見えません。
それに何とかギリギリのところで保っていた心が焦りを覚え、そしてそれがまたミスへと繋がり… ――

―― そして私はその日、十回連続ハコワレという…かつてないスコアを記録したのでした。



終わりー
和にとって不幸だったのは恋愛経験のなさと恋に対する幻想が強すぎた事だと思う
自分の抱いたそれが恋と一緒か分からない内に、咲ちゃんが登場してどうしていいか分かんない内に逆転されちゃった訳だから
今までまったく異性に興味持たずに麻雀一本でやってきた子の反応としては割りとあり得るものかな?と思ってる

明日も今日ほどじゃなくても頑張る所存ー

霞「彼らはね、咲のSSが好きなのではないのよ」

霞「自分の姿を須賀くんに重ね、咲キャラたちと絡みたいだけなの」

初美「そうなんですかー?」

霞「そうよ。須賀くんはかわいそうだわ。京豚の、自己投影の犠牲になってしまったせいでいろいろな人に嫌われてし亦野だから・・・」

霞「京太郎SSの『京太郎』を、『俺』に置き換えて御覧なさい」

霞「つまりは、自己投影なの」

霞「ほとんどのSSで、違和感なく話が進むはずよ」

初美「うわー・・・ほんとうなのですよー」

霞「こういったスレにはね、ただちにふんふむを召還しなくてはならないの」

霞「『悪』をのさばらせてはいけないのよ」

すまん…昨日書くって言ってたってけどちょっと夏風邪悪化したっぽい…
本当は今日も書きたかったんんだけど完全にダウンしちゃって無理だ
申し訳ないけれど夏風邪がちゃんと治るまで続きは延期させて下さい
終盤も終わりに近づいてきてるのにこんな体たらくで本当にすまん


―― その日の私の目覚めは最悪に近いものでした。

昨夜の私は十回連続トビという狙っても中々出来ないスコアから逃げるようにベッドへと潜り込んだのですから。
打っている最中に泣きたくなった回数なんて両手の指では足りません。
普段であればそこそこの的中率を誇るはずの読みもまったく出来ないどころか、自分やる事なす事全てが裏目に出ていたのでした。
それでも泣かなかったのは、その前に思いっきり泣いて涙が枯れていた所為なのでしょう。
そうでなければ…私はきっとまた涙を滲ませていたに違いありません。

―― 起きたく…ありません。

しかし、自分が泣かなかったなんて言う事は私にとって何の救いにもなりませんでした。
だって、私はそんな事関係ないくらいにボロボロになり…起きる気力さえ湧き上がらないのですから。
失恋の痛手と麻雀での惨敗。
その二つがまるで重石のように私の身体にのしかかり、ぼうっと瞼を開く気力さえ出て来ません。

―― 何とか…しなきゃいけないのに…・。

そうやって落ち込んでいる暇がない事くらい私にも分かっていました。
こうして私が時間を無駄にすればするほど全国は遠のいていくのです。
そうなれば…私はきっとこの長野から離れて東京へと行く事になるでしょう。
しかし、そうと分かっていても私の身体は活力を湧きあがらせず、ベッドの上に横たわったままでした。


―― このまま…時間が止まってしまえば良いのに…。

勿論、現実はそんな事あり得ません。
時間というものは誰にも平等なのですから。
どれだけ明日を拒んでも…それは必ずやって来るものなのです。
故に、それは決してあり得ない幻想でしかなく…普段であれば簡単に跳ね除けられる考えでしょう。
しかし、今の私は弱音にも似たその考えが広がっていくのを止められないくらい…弱り切っていたのです。

―― ガチャ

そんな私の耳に部屋の扉が開く音が聞こえました。
ノックの音は聞こえませんでしたが、それは恐らく両親のものなのでしょう。
私は結局、キッチンの片付けもしないまま、私は部屋へと逃げ込んだのですから。
滅茶苦茶になったキッチンの様子を見て、何事かと心配してくれたのでしょう。

―― でも…動きたくありません…。

両親へと不必要な心配を掛けてしまった責任を果たす為には…今すぐ瞼を開いて起きるべきなのでしょう。
そして、少しずつベッドへと近づいてくる母か父に謝るべきなのです。
ですが…どれだけ意識がそう言っても、私の指一つ動かせません。
まるで心が現実を拒否しているかのように、目を開ける事すら出来なかったのです。


―― ギシッ

それに胸中でため息を吐いた瞬間、私の耳にベッドが軋む音が聞こえました。
それはきっと母か父が私のベッドの脇に腰掛けた音なのでしょう。
相手が誰なのかはまだ分かりませんが、ただ私の事を起こしに来た訳ではないようです。
けれど、そう理解しながらも、私の瞼は未だ動かず… ――

「ほら、そろそろ起きろよ」

―― …え?

瞬間、聞こえて来た声に私は反射的に目を開きました。
だって、それは私にとって考慮すらする余地がなかったものだったのですから。
どう考えてもあり得ないその声に私は強い困惑を覚えたほどです。
その衝撃は鈍った私の身体を突き動かすには十分過ぎるものだったのでした。

「って、もう起きてたのか」

そんな私の視界に入ったのは…見慣れた一人の男性の顔でした。
その整った顔立ちを優しげな笑みで彩るその顔を…私が見間違えるはずがありません。
キラキラと輝く髪も、すらりと通った鼻筋も、暖かいその瞳も、冗談ばっかり言う唇も、シャープの顔のラインも。
私がずっと…ずっと傍に居て…助けて欲しいってそう思った人のものなのですから。

「おはよう。今日はちょっと寝坊助だな」
「あ…あ…あぁぁ……っ」

そう言って私の髪をそっと撫でる彼 ―― 須賀君の手にはまったく遠慮がありません。
まるで常日頃からそうしているかのように私の頭を撫でてくれるのです。
しかし、私は…彼とはそんな関係ではありません。
あくまで私と須賀君は友人関係であり…彼の隣は宮永さんに奪われてしまったのですから。
彼がどれだけ気安いタイプとは言え、恋人でもない女性の頭を理由なく撫でるほどありません。
だからこそ…私の心はまず真っ先に困惑を思い浮かべるべきなのでしょう。
そもそも彼がこの場にいるという事自体が明らかにおかしいのですから。

―― 須賀君…須賀君…っ!!

けれど、私は…そんな事まったく心に浮かばせる余裕がありませんでした。
今の私は胸の底から湧き上がるような歓喜の波に埋め尽くされていたのです。
望外の喜びという言葉を体現するようなその強い感情に…私は疑問なんて投げ捨ててしまいました。
彼がここに居てくれるなら…それで良い。
須賀君が私の事を助けに来てくれたのなら…疑問なんて必要ないと…そう思って… ――

「どうした?怖い夢でも見たのか?」

そう言って私の目尻をそっと拭ってくれる須賀君の手は…とても優しいものでした。
その指先が微かに濡れているのは、多分、私の涙の所為でしょう。
疑問すら浮かばないくらい心の中を埋め尽くした感情は、そのまま涙となって私の外へと排出されているのでした。
まるで頭の中で処理出来ないほどに膨れ上がった感情を、何とか整理しようとするような生理的反応。
それを止めようとしても止められず…私はまた須賀君の前で泣き顔を晒してしまうのです。


「大丈夫。俺はここにいるから…何も怖くないぞ」

そんな私に優しく言い聞かせる言葉が逆効果だって…彼はきっとわかってはいないのでしょう。
だって、そんな風に優しくされたら私はまた嬉しくて仕方がなくなってしまうのです。
胸が熱くなって…湧き上がる感情に全身を震わせてしまうのですから。
自然、漏れだす涙の勢いも強くなりますが、彼は飽きずに何度も私の頬を拭ってくれました。

―― もう…泣きたくなんて…ないのに…。

私はもう…気づいてしまったのです。
自分が須賀君の事を異性として好いていた事を…恋人になりたかった事を自覚してしまったのでした。
そんな相手にボロボロに崩れた泣き顔なんて晒したくはありません。
ですが、私の中から溢れ出る感情の波は止まらず、涙もまた勢いを決して緩めませんでした。
まるで須賀君にもっと構って欲しいと言うように…ポロポロと大粒の涙をこぼしてしまうのです。

「う…あ…ぁぁ…」

そんな状況が…十数分も続いたでしょうか。
ようやく感情が一段落した私の涙はその勢いを弱めました。
けれど、それは決して私の中にある歓喜が弱まった事を意味しません。
寧ろ、処理能力を超えた余剰分が収まってきた事により…自分の内面に意識を向ける余裕が出来るのです。
結果、私は自分が今、どれだけ嬉しくて幸せなのかをはっきりと感じ…横たわる身体をブルブルと震わせてしまうのでした。


「落ち着いたか?」
「…はい。お見苦しいところをお見せしました…」

そんな私を優しく見下ろす須賀君にそう言いながら、私はそっと布団を引き上げました。
顔の半分を隠そうとするその仕草が子どもっぽい事くらい私にも理解できているのです。
しかし、だからと言って…また泣き顔を見られた気恥ずかしさはなくなりません。
きっと今も目が赤くなっている事を思えば、そのまま完全に顔を隠してしまいたくなるのです。

―― でも…流石にそれは不誠実ですし…。

優しく私のことを慰めてくれた人から顔を背けるだなんて失礼にも程があります。
それに何より…私自身、須賀君から目を背けたくありません。
もし…私がほんの少し目を離した隙に彼が消えてしまったら…と思うと…それだけで背筋が冷たくなるのですから。
また…さっきみたいに絶望の淵に立たされ気力を根こそぎ奪われるような感覚は味わいたくありません。
そんな私にとって何より優先するべき事は…須賀君をこの場に留める事でした。

「そ…それで…須賀君は…どうしてここに?」

そう言葉を紡ぐのは決して疑問が強くなってきたからではありません。
未だ私の胸は強い歓喜に彩られ、浮かれているままなのですから。
微かに生まれ始めた隙間も、それを失うかもしれない不安が詰め込まれ、疑問が入る余地はないのです。
それでもそうやって須賀君に尋ねたのはあくまで時間稼ぎの為の話題でしかありません。


「そりゃ…和を起こしに来たんだけど…」
「私を…?」

そんな私の問いに須賀君は不思議そうにそう答えました。
まるでどうしてそんな事を聞かれるのが分からないと言わんばかりのそれに私の理解は及びません。
だって、ストーカーの事件が解決して以来、須賀君が私の家に上がった事はないのですから。
今日だって私は招待していませんし、両親だって彼を招く理由がありません。
ましてや、一人娘の寝室に、須賀君を送るだなんて、到底、思えず…私は布団の中で首を傾げました。


「それに…須賀君ってなんだよ。昔みたいな呼び方してさ」
「…え?」

けれど、その疑問は次の須賀君の言葉に一瞬でかき消されてしまいました。
何せ、私はこれまで須賀君を『須賀君』以外の呼び方で呼んだ事なんて一度もないのです。
ゆーきと違って、私は決して人と距離感を詰めるのが得意なタイプではないのですから当然でしょう。
少なくとも、出会って二ヶ月も経っていないのに…下の名前であったり、ニックネームで呼び合うような仲になれるはずがありません。

―― でも…嘘を言っているようには見えなくて…。

ごく自然に疑問を口にする須賀君の顔には嘘は見当たりません。
そうするのが当然であるかのように彼は「昔の呼び方」と口にしているのです。
まるで私の知らない内に時間が進んでしまったかのようなそれに私の頭はクラクラしました。
彼の言葉と私の記憶、そのどちらが正しいのか分からなくなった私の中で困惑が強くなっていくのです。


「何時もみたいに京太郎とかアナタって呼んでくれないと拗ねるぞ」
「…ふぇ…・?」

瞬間、私の耳に届いた言葉に…私の思考は完全に固まってしまいました。
だって…それは……わ、私と須賀君が…け、け…結婚しているような言葉なのですから。
けれど、私と須賀君はまだ結婚できるような年齢ではない以上、そんな事あり得るはずがなくって…。
あ、いや、でも…い、嫌って訳じゃ…た、ただ早いかなってそう思うだけで…子どもとかもういるんでしょうか…。
出来れば男の子と女の子の二人が良いなって…後、お家を立てるなら白い家で…お庭には大型犬を飼いたいです。
私、昔から引越しばかりでペットを飼った事がなくって…子どもの情操教育にも良いって聞きますし… ――

「そもそも今の和だって須賀なんだからさ。そういう他人行儀なのは禁止」
「は…うぅ…」

まるで逃避するようにそこまで考えた私にトドメを刺したのは須賀君の言葉でした。
疑いの余地もないくらい…私と彼が結婚しているという現実を感じさせるそれに私の思考は完全にショートしたのです。
まるで理解が追いつかないそれに…私はどうしたら良いのか分かりません。
私にとっては…数年、下手をしたら十年近く時間が飛んでいるのですから…それも当然でしょう。

―― でも…でも…嫌じゃ…ありません…。

私だって女の子です。
麻雀の人生の大半を捧げてきたとは言え、初恋の人と結婚するという未来を夢見た事くらいはあるのです。
それが現実になっている今の状況は狼狽えこそすれ、決して嫌なものではありません。
どれだけ困惑して訳が分からなくても…私が須賀君の事が好きなのは決して変わらないのですから嫌な訳がないのです。


「あ…あの…」
「ん?」

それでも私はフリーズを続け、また数分の時間を無駄にしてしまいます。
しかし…私の夫だと言う彼は、そんな時間の無駄を惜しまず、私の整理が終わるまでじっと待っていてくれました。
そんな須賀君に口を開きながらも…私はどうしたらいいのか分かりません。
聞きたい事が一杯で…何から聞けば良いのか、まるで分からないのです。

「落ち着いて一つずつ言えば良いよ。俺は何処にも行かないからさ」

そんな私の気持ちを感じ取ってくれたのでしょう。
須賀君は優しく私の頬を撫でながら、そう言ってくれました。
まるで子どもに言い聞かせるような優しいその口調に私はまた涙が漏れそうになってしまいます。

「あ、でも、ちゃんと京太郎かアナタって呼んでくれないと応えないぞ」
「う…」

それを抑えた瞬間、悪戯っぽく言われるその言葉に、私は思わず言葉を詰まらせました。
一体、今がどんな状況なのかは分かりませんが、それは私にとってハードルが高い事だけは確かなのです。
須賀君呼びからいきなり呼び捨てかアナタ呼びだなんてランクアップし過ぎでしょう。
しかし…ここまで私の事を真摯に考えてくれている人に、何一つ返せないのはあまりにも情けなさ過ぎます。
そう呼ばないと応えてくれないと言う大義名分もあるのですから…ここは少しだけ勇気を出して…それを口にするべきでしょう。


「あ…あ…アナタ…?」
「どうした?」
「は…ぅ…ぅぅ…っ」

瞬間、沸き上がってきたゾクゾクとした感覚に私は思わず声を漏らしてしまいます。
須賀君に「アナタ」と呼んでちゃんと応えてもらえた瞬間、私の胸の中に実感が沸き上がってくるのですから。
あぁ…本当に私は須賀君と…ううん、京太郎君と結婚したんだなって…そう思える実感が…胸を埋め尽くすのです。
そして、それは堪らない幸福感を呼んで…私の胸に浮かんだ疑問や困惑を根こそぎ消し飛ばすのでした。

「アナタ…っアナタぁ…」
「はは。今日の和は甘えん坊だな」

そんな感情がもっともっと欲しいとばかりに京太郎君の事を呼ぶ自分。
それは甘えん坊と言われても致し方ないものでしょう。
だって…今の私はまるで迷子になっていた幼子が親を求めるようにして…彼の事を呼び続けていたのですから。

―― …ううん…私…きっと…迷子だったんです…。

だって、私は…こんなにも大事な事を見失っていたのです。
こんなにも幸せで暖かな『現実』を知らず…辛い過去にばかり目を向けていたのですから。
そんな私を『現実』へと引き戻してくれた夫に…私はそっと身体を近づけ、腰の辺りにぎゅっと抱きついてしまいます。
それに京太郎君は小さく笑いながらも拒まず、私の頭を優しく撫で続けてくれるのでした。

お昼御飯作らないといけないからちょっと休憩
今日明日は今まで休んだ分、がっつりやるつもり
もうエンディングまで数えるほどしかないけど、素敵なハッピーエンド目指して頑張る


―― あぁ…それに…とっても暖かいです…。

そうやって京太郎君に…夫に頭を撫でられるだけでも身体がぽかぽかと暖かくなります。
けれど、それ以上に私の胸を揺れ動かしていたのは抱きついた彼の身体の温かさでした。
かつて一度だけ感じたことのあるそれは今回も私の心を和ませ、そして嬉しくさせてくれるのです。
さっきの恐ろしさがまるで嘘のように安定した自分に…私はふと胸中で自嘲気味な笑みを浮かべました。

―― 私はもう…夫がいないと…ダメなんですね…。

私にとって京太郎君はもう精神安定剤の一種なのです。
彼が傍にいなければ、私は落ち着かず、ろくに麻雀一つ出来ません。
ですが、そんな自分が…決して嫌ではないのです。
そうやって夫へと依存していく自分を京太郎君が受け止めてくれるってそう信じているからでしょうか。
私は安心して彼に寄りかかる事が出来…甘えんな自分さえも肯定する事が出来たのです。

「どうした?今日は本当に何時もよりも甘えん坊だな」

そんな私をからかうように言うその声は、けれど、心配そうなものを滲ませていました。
きっと夫も何時もと様子の違う私の事を心配してくれているのでしょう。
それが嬉しくてつい頬を緩ませてしまいますが…私はなんと言えば良いのか分かりません。
さっき私を苦しめていたのは、あくまで『幻』であって、夫にそれを伝えても困るだけでしょう。


「夢を…夢を見ていたんです…」
「夢?」

しかし、それでもそうやって言葉を紡いだのは…自分の中の不安を根こそぎ消してしまいたかったからです。
さっきのそれがもう過ぎ去った『過去』に過ぎないのだと…ただの『夢』に過ぎないのだと、嬉しければ嬉しいほどに不安を大きくする自分に言い聞かせたかったのでしょう。
そんな行為に夫を付き合わせるのが申し訳ありませんが…さりとて聞かれた以上、無視は出来ません。
後で出来るだけサービスしてあげる事で、報いとするべきでしょう。

「…アナタが宮永さんと…付き合って…私は…一人で…」
「俺が咲と?」

そう思いながらポツリと漏らす言葉に京太郎君は信じられないようにそう聞き返してくれました。
まるでそんな現実などなかったかのようなその表情に、私は胸の奥からふっと安堵の感情を湧きあがらせます。
やっぱりアレは夢であり…私の妄想に過ぎなかったのだと、そう言うような夫の仕草に…私はようやく心から安心する事が出来たのでした。

「そんなのあり得ないって。そもそも…俺が最初っから和にベタ惚れなのは知ってるだろ?」
「…えぇ。知ってます」

勿論…そんなのは知りません。
未だ寝起きで記憶が混乱しているのか、そんな記憶なんて頭の何処を探しても存在しないのです。
しかし、心外そうに言う夫を疑うほど、私は愚かではありません。
きっと京太郎君は昔からずっと私の事を一途に思い続けてくれたのでしょう。


―― そうです…それが…正しい事なんです。

私達は想い合っていたのですから…こうして愛を深め、結婚する事が当然の未来だったのです。
私が…失恋して…宮永さんが夫の恋人になるだなんてそんなのあり得ません。
きっとそれは私の疑心が生み出したただの妄想なのでしょう。
そんなものに一々、囚われて、心を揺れ動かしていたら、何も出来ません。

「私の事…愛してますよね…?」
「愛なしで結婚するほど酔狂な男じゃないつもりだぞ」

しかし、そう言い聞かせながらも…私はつい夫にそう尋ねていました。
もう不安なんてないはずなのに、これが『現実』なんだって…そう確定したはずなのに…まるで怯えるように尋ねてしまうのです。
そんな私の怯えに…京太郎君も気づいてくれたのでしょう。
私の視線を合わせるようにベッドへと倒れこみながら、私の頭を撫でていた手を背中へと回してくれるのでした。

「俺は和の事を世界で誰よりも愛してる」
「は…わ…ぁ…」

そのまま私の顔に触れてしまいそうな距離ではっきりと言い切ってくれる夫の姿。
それはとっても凛々しくて…そして胸の奥がゾクゾクするくらい嬉しいものでした。
普段の三割増しは格好良く見えるだけではなく、はっきりと愛してると言い切ってくれたのですからそれも当然でしょう。


「何なら今ここでキスしても良いぞ」
「そ、それは流石に…」

悪戯っぽく言う夫の言葉に、私はそっと目を背けながらそう応えました。
それは決して間近で見る京太郎君の顔が思いの外整っていて、ドキドキした…なんて事だけではありません。
幾ら何でもここでキスなんて段階が飛躍し過ぎてついていけないのです。
いえ…既に結婚までしているのですからキスなんてとうの昔に過ぎ去っているのでしょうが…私にとってはその記憶はなくて…。
それに今の私は寝起きで口の中が臭いかもしれませんし…そんな口でキスなんて出来ません。
いえ…別にディープなくちづけを期待している訳じゃなくて…で、でも夫婦ならそういうの普通かもしれませんし…口臭で嫌われたりするのは流石にちょっと… ――

「本当に?」
「あ……」

そんな私にぐいっと顔を近づける夫に…私は視線を惹きつけられてしまいます。
視界一杯に広がったその顔は…まるで私の世界が夫に埋め尽くされているようでした。
いえ…実際、私の世界の殆どは京太郎君のものなのでしょう。
こうして彼とベッドに横になっているだけで…私は幸福感を得て…ずっとこのままでいたいとそう思ってしまうのですから。

「ズルい…です…」
「はは。悪いな」

それでも拗ねるようにそうやって返したのは私の顔が強い熱を持っているからです。
きっと今頃はまるで熟したりんごのように肌が真っ赤に染まっている事でしょう。
それをこうして間近で見られてしまうのはやっぱり恥ずかしく、中々に耐え難いものでした。
しかし、私の身体は決して夫から逃げようとはせず…寧ろ自分から温もりを求めて近づいていくのです。


「んで…今日はどうする?」
「今日…今日…ですか…?」

そんな私を抱き締めながら、夫はそう尋ねてくれました。
けれど、私はその言葉にどう答えれば良いのか分かりません。
未だ私の意識は高1のままで、今日が何日かどうかさえ分かっていないのですから。
普段、二人で何をしているのかさえ知らない私が、予定を立てられるはずがありません。

「折角の休みなんだし…デートでもするか?」
「で、で…っデート…ですか…?」

何の毛なしにその響きに私はつい声を震わせてしまいます。
だって、それは私にとってついぞ京太郎君と出来なかったものなのですから。
宮永さんが邪魔してくれたお陰で、台無しになったそれがようやく出来るという期待に胸がトクンと跳ねてしまいます。

「それともDVDでも借りて家でのんびりするか?」

とは言え…夫のその申し出もかなり魅力的でした。
そもそも私はあまり外に出るのが好きなタイプではないのです。
外に出たら一部がとても目立つ私はジロジロと人に ―― 特に遠慮を知らない男性の視線へと晒されるのですから。
それに今の状況もまだちゃんと理解できている訳ではありませんし、今日くらいゆっくりするべきなのかもしれません。


「で…デート…したいです…」

その二つのどちらが良いかを悩む私が最終的に選びとったのはデートの方でした。
勿論、家でのんびりするのも捨てがたいですが、それは別に今日じゃなくたって出来るのです。
それよりは折角の休みのようですし、デートに時間を割いてみたい。
そう思ってゆっくりと漏らした声は、まるで小鳥の囀りのような小さなものでした。

「ん?なんだって?」
「あぅ…ぅ…」

それは顔を間近に近づける夫の耳にも届かなかったのでしょう。
それに顔をさらに赤く染めながら、私はそっと俯きました。
瞬間、湧き上がる羞恥心に無言を貫きたくなりますが、そうやって沈黙したところで何も解決出来ません。
それよりは早く京太郎君に思いを伝えて…この状況から脱するべきでしょう。

「私は…アナタとデートが…したいです」
「だったら…何時までもこのままじゃいられないな」
「きゃっ」

そう決意しながらはっきりと言葉にする私に夫は笑いながら、身体を起こしました。
自然、京太郎君に抱きとめられていた私まで強引に身体を引き起こされてしまうのです。
それに小さな悲鳴をあげながらも…私は決して嫌ではありませんでした。
なんだかんだ言ってこうやって強引にされるのが、私は性に合っているのかもしれません。


「ほら、顔洗って歯を磨かないとな。それとも…それも俺がやってやった方が良いか?」
「そ、それくらい一人で出来ます!」


冗談めかして言う夫の言葉に私は頬を膨らませながらそう応えました。
そんな風に言っても、さっきまで子どもじみた反応ばかりしていたのですから、あまり説得力はありません。
実際、夫もクスクスと笑って、面白そうにしていました。
それがなんとなく悔しいのはやっぱり負けず嫌いな気性の所為でしょう。
主導権を握られるのは別に構いませんが…あんまりからかわれると負けた気がして悔しくなってしまうのです。

「それだったら早く起きないとな」
「あ…」

そう言いながら夫は私からそっと手を離しました。
瞬間、遠ざかっていく温もりに私はついそう声をあげてしまいます。
そのまま手を伸ばしそうになった瞬間、私はようやく自分のしようとしていることに気づきました。
これではまるで一人では何も出来ない証拠のようではないか。
それにまた顔が羞恥の色を浮かべるのを自覚しながら、私はゆっくりと身体を動かすのです。

「…ふぅ」

そこにはもうさっきのような重苦しさはありませんでした。
寧ろ、身体は活力に溢れ、どんな事だって出来そうな気がするのです。
きっと今なら宮永さんに勝てるとそんな荒唐無稽な事だって思い浮かばせる万能感。
それを齎してくれた愛しい人に私はつい…微笑みを向けてしまうのでした。


「なんだ。からかわれるのがそんなに嬉しかったのか?」
「ち、違います!」

そんな私にニヤニヤといやらしい笑みを返す夫に私は再び頬を膨らませました。
ついさっきまであんなにも優しかったのに、隙あらば人のことをからかおうとするのは一体、どういう事なのか。
勿論、そんな意地悪な夫も、須賀君の一部だって分かっているつもりですが、やっぱり納得は出来ません。
別に怒ったり機嫌を損ねたりするほどではありませんが…拗ねているという自己主張だけは欠かさないのです。

「ほらほら、拗ねてないで…な」
「う…」

そんな私に夫はそっとその手を向けてくれました。
下向きに差し出されるそれは私につかめと言う事なのでしょう。
それを理解しながら言葉を詰まらせるのは…そうやって手を握った経験も殆どないからです。
変に寝汗をかいて手がべたついたりしているかもしれないと思うと…すぐさまそれを掴む事は出来ません。

「お手をどうぞ。お姫様」
「…もう。これだけで許したりしないんですからね」

そんな私の背を押したのは夫の芝居めいた言葉でした。
私の事をお姫様と呼ぶそれに…ついつい頬が綻んでしまうのです。
勿論、そう呼ばれるのは気恥ずかしいですが…それよりも嬉しさの方が強かったのでした。
それはきっと…その呼称がついに自分のものになったからなのでしょう。
宮永さんから…京太郎君という宝物を取り戻せたという実感に私はつい寛大な態度をとってしまうのです。


「じゃあ、許してもらえるように一杯、キスしないといけないな」
「そ、そういうエッチなのはいけないと思います…」
「じゃあ、許してくれるか?」

瞬間、試すように尋ねる夫に…私はほんの少し逡巡を浮かべました。
別に怒っている訳ではありませんが、夫からキスをされるのに興味が無いと言えば…決してそうではないのです。
私だって普通の女の子なのですから…初恋の人とのキスに憧れない訳じゃありません。
けれど、その為に許さないと言ったら、その真意を見透かされてしまいそうで…私は中々、首を横には振れなかったのです。

「…仕方がありませんね。これっきりですよ?」
「はは。有難うな」


結局、私はヘタレてしまいました。
キスを経験する絶好の機会だったのにも関わらず、そうやって夫の事を許してしまったのです。
そんな自分に一つ自嘲の笑みを向けながら、私はそっとベッドから立ち上がりました。

―― まぁ…機会は幾らでもありますし…。

別に…これで終わりだなんて事はないのです。
私と夫は既に結婚して…二人っきりの家庭まで築けているのですから。
今日は休日らしいですし、キスをする機会だって幾らでもあるはずです。
も、もしかしたら…それ以上の事だって…その…不可能ではないでしょう。
いえ、私は京太郎君の妻なのですから…それが普通なのです。


―― が…が…頑張らないと…!

一体、二人がどういう…その…性的な関係を築いていたのかは知りませんが、私の経験はまったくのゼロなのです。
これだけ私に優しくしてくれた夫の要求には出来るだけ応えてあげたいと思えども、知識も何もない私には頑張るという何の保証もない言葉を思い浮かべるしかありません。
そんな私の身体は自然と緊張し、京太郎君の手をぎゅっと握りしめてしまうのです。

「…どうかした?」
「いえ…何でもありません」

瞬間、私の事を心配してくれる夫に、私はつれない言葉を返すしかありませんでした。
幾ら何でも…その…せ、性交渉の事を考えて緊張しているだなんて恥ずかしすぎて言えません。
デートという単語だけでそういう事を考えてしまうだけでも恥ずかしいのに…緊張しているだなんて言えるはずがないでしょう。
もし、京太郎君にその…淫乱だとかそんな風に誤解されてしまったら私は本当に生きていけなくなってしまいそうなのですから。

「そっか。ま…気が向いたら何時でも言ってくれよ」

それほどまでに私に依存されている夫はそう軽く言いながらゆっくりと歩き始めました。
様子のおかしい私を気遣うようなその歩幅に私はつい後ろで笑みを浮かべてしまいます。
それはこうした仕草一つ一つにも…夫の優しさが見える自分に誇らしさを…そしてそんな優しさを絶え間なく私に注いでくれる京太郎君に愛しさを覚えたからでしょう。
そんな感情の波に突き動かされるようにして私の足は軽く動き出し、そして… ――


「…あれ…?」

次の瞬間、私の視界に入ってきたのは扉を開いた先にある壁などではありませんでした。
見慣れた天井が私の視界一杯へと広がっていたのです。
まるで暗雲のようなそれがどうして見えるのか、私にはまるで理解出来ません。
だって、私はついさっき夫と一緒に部屋を出ようとしたばかりなのですから。
それなのに…どうしてまた布団の中で天井を見上げているかなんて分かるはずがないでしょう。

「……アナタ?」

そう呼びかけながら、私が上体を起こしても、誰も応える人はいませんでした。
シィンという静寂だけが部屋の中を支配し、帰ってくるのは沈黙だけなのです。
それに私は首を傾げながら、そっとベッドの縁から足を垂らしました。
そのまま床を踏みしめて立ち上がった瞬間、クラリと頭が揺れてしまいます。

―― やっぱり…私は京太郎君がいないとダメですね…。

夫が目の前にいないだけでつい不安になって、バランスさえ覚束ない自分。
それに自嘲を向ける心は…寂しさで満ちていました。
だって、さっきまで一緒にいてくれた夫が…今、私の傍にはいてくれないのですから。
私の心を誰よりも、そして何よりも勇気づけてくれる愛しい人が…見えないのです。
ついさっきのようにそれを受け入れて喜びへと繋げる事なんて出来ません。


―― 大丈夫…大丈夫ですから…。

きっと今の京太郎君は…デートの準備をしてくれているのです。
昨日、ろくに寝れなかった私が途中で倒れて、ベッドに運んできてくれたのでしょう。
また変に記憶がこんがらがっているだけで…さっきのそれは『現実』なのですから。
私の助けを求める声が聞こえれば、夫はきっと…私の傍へと駆けつけてくれるはずです。

「アナタ…アナタ…」

そう思ってフラフラと部屋から抜けだした私が何度も夫の事を呼びました。
しかし、部屋だけではなく、家の中全ては静寂に支配され、人の気配なんてまるでありません。
念のため、二階の部屋を全て確認しましたが、それらは無人で、両親が帰ってきた様子さえ見当たりませんでした。

「そうだ…一階…一階にさえ降りれば…」

きっと夫に会える。
その気持ちを抑えておく事は私には出来ませんでした。
今の私にとって…そんな余裕なんて欠片もないのですから。
精神安定剤にも等しい夫の姿が見えないだけじゃなく…その気配すらないのです。
まるで…あの辛く苦しい『幻』へと戻ってしまったかのような感覚に…寒気が走って止みません。
それから逃れる為には…京太郎君に慰めてもらうしか無い。
そう思いながら一階へと降りた私に…玄関に並ぶ一足分の靴が… ―― 私が使う学校指定の靴が飛び込んできたのです。


「…どうしてですか…?」

そんなもの…もうとっくの昔に使わないはずです。
だって、私と夫は既に結婚しているのですから。
同い年の私達が結婚しているということは最低でも18にはなっている事でしょう。
けれど、高校に通いながらの結婚なんてまずない以上、とうの昔に卒業していると考えるのが自然です。
しかし…どれだけそう言い聞かせても、その靴は私の視界から消えず…依然として存在し続けていました。

「あぁ…きっと…あの人の悪戯ですね…」

きっと出かける時に私の靴を出してびっくりさせようとしてくれているのです。
うえ、未だに悪戯っ子のような面を持つ夫の悪戯に違いありません。
そう言葉にしたら…私は少しだけ気が楽になりました。
後でこんな悪戯をした事に対して、少しは怒ってやらなければいけない。
そう思いながら、私は小さく笑みを浮かべました。

―― でも…帰ってきた時の為に…お茶の準備だけでもしておきましょうか。

勿論、色々と言いたい事はありますが、まぁ…それも些事です。
原因が分かった以上、あまり固執し続けるようなものではありません。
それよりも私にとって重要なのは、今、夫がこの家にいないという事実なのです。
きっと私が倒れた所為で、買い物などの為に動かなければいけなくなったのでしょう。
まずはそれを労う為にも、お茶の準備の一つでもしておかなければいけません。


―― それが終わったら…携帯で連絡しましょうか。

そして…夫に言うのです。
早く帰って来てって…寂しいって…そう素直に。
アナタの奥さんが一人で悲しいって伝えれば…きっと彼は一も二もなく全力で帰ってきてくれるでしょう。
そんな彼にお礼を言いながら…愛していると…私も素直に返しましょう。
あの時…夫が私を元気づける為に紡いでくれた愛の言葉に…今度こそちゃんと返すのです。
そうすればきっと夫は今日一日ずっと私の傍に居てくれるでしょう。
一時たりとも私の傍を離れず…今みたいに寂しくなるような事はなくなるのです。

―― ガチャ

そう思いながらリビングへの扉を開いた瞬間…私の目にかつてない光景が飛び込んできました。
調理途中だったのか、キッチンにはまな板と食材が出しっぱなしで、そこからは真っ赤な血の跡が点々と伸びているのです。
その終着点には携帯が転がり、チカチカとメールの着信を知らせる光を放っていました。
まるで誰かが逃げ出して…そのままにしていたような光景に私はズルズルとその場に崩れ落ちていくのです。


「あ…あ…あぁぁ…っ」

そんな私が漏らす言葉は…まるで驚きに固まったかのように単調なものでした。
いえ…実際、私の心は…今までにない強いショックを受けていたのです。
だって…それは…それは私の『現実』が…嘘だったとそう告げるものだったのですから。
あの幸せで暖かな『現実』の方が『幻』で『夢』であったと…残酷なまでに私に突きつける…証拠だったのです。

「嫌…嫌…違う…違うの…こんなの…こんなの違う…」

そんな光景を認めまいと私は自分で頭を抱えてそう言い聞かせました。
しかし、どれだけそうやって自分に言い聞かせても…目の前の光景は変わりません。
昨夜…私が自分の感情に気づき…失恋の痛手に打ちのめされた時のままの光景が目の前に広がっているのでした。

「こんなの…現実じゃありません…違う…私は…京太郎君と結婚してるはずなんですから…私は幸せで…彼に愛されていて…」

それから逃げるように私は両手で瞳を隠し…俯きます。
けれど、それでも…私はあの幸せな世界に戻る事は出来ません。
まるで亀裂の入ったガラスのように崩れ…剥がれ落ちていくのです。
その度に私の心は悲鳴をあげますが…その崩壊は決して止まってはくれません。
まるで夢から覚めるように…これが『現実』だと実感し…アレが『幻』であったのだと理解させられるのです。

「止めて…いや…止めて…ぇ…」

自分の幸せであった世界さえも奪われる。
その恐ろしさに私は何度も懇願の言葉を紡ぎました。
しかし、私の理性はそれを聞き入れず…自分を騙す事を良しとはしません。
他でもない自分自身に辛い現実を突きつけられるその痛みに、私はまた涙を漏らし始めました。


「助けて…助けて…アナタ…」

そんな私に縋れる人は…もう一人しかいませんでした。
どんな時でも私の事を助けて、勇気づけてくれる…最高の人。
まさにヒーローと言っても過言ではないその人を…私は何度も呼びました。
けれど…その人は…どれだけ呼んでも…決して私のところには来てくれません。
私が今…辛くて仕方がないのに…幸せがどんどんと崩れていっているのに…そんな事ないよって…愛してるよって…そう言ってくれないのです。

「大丈夫…伝えれば…伝えれば…そう…大丈夫だから…」

それはもう悪あがきである事くらい私にも理解できていました。
私の理性はもう目の前のこれが現実であると理解しているのです。
否定しているのは往生際の悪い感情ばかりで、それだっていつまでも続くものではありません。
しかし…だからと言って…そう簡単に諦める事なんて出来ません。
私の幸せを奪うような現実を受け入れるなんて…出来っこないのです。

―― だから…携帯で…連絡さえ…すれば…。

そう胸中で言葉を紡ぎながら、私は再び床の携帯を拾い上げました。
そこにはゆーきからのメールが入っていましたが、私はそれを無視します。
それよりも今は京太郎君に…愛しい夫に連絡するのが先なのですから。
後で確認出来るメールの事なんて一々、構ってなんていられません。


―― でも…もし…ダメだったら…。

瞬間、浮かんできた思考は昨夜と似たものでした。
ここで連絡してしまうと…否応なく現実を突きつけられる事になるのです。
しかも、他でもない夫の手で…私の『現実』は粉々になってしまうでしょう。
その恐ろしさは…決して言葉に出来るものではありません。
コレ以上、追い詰められてしまったら…私はもう…おかしくなってしまいそうだったのですから。

―― でも…でも…私…。

昨夜は…それでなんとか思いとどまる事が出来ました。
けれど、今の私にはもう…とどまっている余裕なんてなかったのです。
こうしている今もドンドンと崩れていく『現実』が、私を急かしているのですから。
それを護る為には…もう躊躇している暇はない。
そう言い聞かせながら、私は携帯から電話帳を呼び出し…通話ボタンを押したのです。

―― プルルル

そのまま携帯を耳に当てれば、そこから無機質な通話音が聞こえます。
それにドキドキと心臓を鳴らしながら…私はじっと彼の応答を待ち続けました。
一回…二回…三回…とコール音が鳴る度に私の鼓動はより大きくなっていくのです。
それが四回目に達した頃、ガチャリと言う音と共に通話が繋がりました。


「…はい。もしもし…?」

その声は眠気を引きずったものでした。
しかし…それでも私にとってはとても嬉しいものだったのです。
だって…それは夫が私に答えてくれたものなのですから。
少しばかり気怠そうな声音だって、そんな状況でも私に応えてくれたと思えば、喜ばしいもののように映るのです。

―― でも…何て呼びかければ良いのか…。

連絡するので頭の中が一杯で私はそれから先の事なんてまったく考えていませんでした。
半ば衝動任せの弊害が目に見えて現れるその状況に、私は言葉を詰まらせるのです。
しかし、こうして私から連絡した以上、何か言わなければいけません。
せめて私が私であるという事だけでも伝えなければ夫も心配してしまうでしょう。

「あの…あ…アナタ…」
「ん…こんな朝早くからどうした?」

そう思っておずおずと問いかけた私の呼び方に、夫は何も言わずに聞き返してくれました。
疑問を挟まずに私の事を心配してくれるそれに私の胸はジィンと震えます。
まるで感動に胸を埋め尽くされるようなそれは私が勝利した証なのでしょう。
目の前の光景に負けず一縷の望みに賭けたが故に…私はそれに打ち勝つ事が出来たのです。


―― あぁ…やっぱり…こんなものは嘘っぱちだったんですね…。

目の前に広がる悲惨なリビング。
それこそが嘘であり、私の『現実』こそが本当だったのです。
そう確信めいた思いを強める私の口からは中々、言葉が出て来ません。
しかし、それでも夫は急かす事はなく、私の事を待ち続けてくれているのです。
それに比べれば…どうして京太郎君が外で寝泊まりしているかなんて些細な事でしょう。
私にとって重要なのは…夫の反応が『現実』と大差ないものだったという事なのですから。

「京ちゃん、そろそろ起きないとダメだよ」
「…え?」

しかし、瞬間、私の耳に信じられない声が届きました。
それは…間違いなく宮永さんの声でしょう。
でも、そんな事あるはずがありません。
だって、今は…まだ朝の7:00にもなっていないような時間なのですから。
妻である私が夫の傍にいないのに…宮永さんが傍にいるだなんてあり得るはずがないのです。

「あ…ごめん。電話?」
「ん…だから、また後でな」

しかし、どれだけそう言い聞かせても、その耳障りな声はなくなりません。
電話しているのなんて一目で分かるはずなのに…そうやって夫の手をとるのです。
ですが、そんな彼女に私は怒りを感じる事はありませんでした。
さっきゆっくりと修復されていった『現実』が今度こそ粉々になっていく感覚に…深い絶望へと突き落とされていたのですから。

「それで…えっと…和で良いんだよな?」
「え…えぇ…」
「あー良かった。何時もと違う呼び方されたからちょっとびっくりしたぜ」

その声にはもうさっきのような眠気はありませんでした。
きっと夫は割りと寝起きの良い方なのでしょう。
『現実』の方でも決して寝起きが悪い訳じゃない私を起こすくらいにしっかりと起きれる人なのですから。
けれど…それはもう私にとって何の救いにもなりません。
どれだけ『現実』と目の前の彼の行動が一致しても…もう私の『現実』は修復なんて出来ないのですから。
微かに残った希望さえも夫自身に…いえ…須賀君に打ち砕かれ…儚く散ってしまったのですから。

「…和?」
「あ…いえ…すみません。間違え…ました…」

そう言って私は答えも待たないままにブツリと通話を切ってしまいました。
そのままダラリと腕が垂れ下がり…再び携帯が床へと転がっていきます。
それを虚ろな目で見ながら…私は今度こそ何もする気力が起きませんでした。
完全に『現実』を砕かれてしまった私の目の前にあるのは…辛く苦しい ―― それこそ夢のなかに逃げたくなるような…本当の現実だったのですから。

「あは…あは…あははははっ…」

そんな私の口から漏れるのは乾いた笑い声でした。
無味乾燥で何の感情もこもっていないそれは…虚しくリビングへと響きます。
何処か機械的にさえ聞こえるそれを…私はどうすれば良いのか分かりません。
止めるべきなのか、或いは、このまま漏らし続けるべきなのか。
それを判断する気力さえ失った私には…ただただ暗い現実だけが残ったのです。

―― 私は…どうすれば良いんでしょう…?

その問いに答えてくれる人はどこにもいません。
私を導いてくれるはずの両親も、勇気づけてくれるはずの親友も、護ってくれるはずの初恋の相手もいないのですから。
ただただ…本当に一人である事を知らせるその現実に私はまた頬を歪めてしまいます。
けれど、不思議と涙だけは漏れず、私はただ…ぼーっとその場に座ったまま過ごしていました。

―― どうして…こうなったんでしょう?

勿論…そんな事、一々、考えなくても分かっています。
私が気づくのが遅かったから…素直になれなかったから…こうして私は大事なものを取りこぼしたのです。
けれど…私はそれを認めたくありませんでした。
唯一、私の心を護ってくれていた『現実』さえもが、砕け散った今…それを認めたら…後には何も残りません。
ただただ…自分の事を責めて…手遅れなのだと悲しむ日々だけが残るのです。

―― ホントウに?

瞬間…沸き上がってきたその言葉に私はぎゅっと手のひらを握りしめました。
そんな事は…いけない事です。
間違いなく人の道を外れて…後ろ指を指されるものなのですから。
それは否定されるべき事であり、寧ろ、軽蔑される事でしょう。

晩御飯の準備とかしてくるんでちょっと小休止ー
同じ場面ばっかりくどくどやってごめんね
ただ、ここは割りと重要な部分だからもうちょいやらせてくれると嬉しい


―― けれど…私は…。

そう。
もう私は…知ってしまったのです。
須賀君に愛される事の喜びを、自分の心に素直になる心地良さを、心通わす充足を、自分の胸に秘めた愛しさを。
そして何より…彼に依存している自分を…自覚してしまったのです。
そんな状態で…彼の事を諦められるはずがありません。
例え、『現実』が本当の事でなかったとしても…そこで感じた猛毒は既に私の全身に回りきっていました。

―― 須賀君を…取り戻すだけ。そう…それだけ…。

それは決して非難される事ではないでしょう。
だって…そもそも私たちは心通わせていたのですから。
その状態に戻るだけであり…何ら人に嫌われる事ではありません。
寧ろ、悪いのは私たちの間に入り込んできた宮永さんの方なのです。
これから私がしようとしている事はその間違いを是正するという、謂わば正義の側に立つものでしょう。

―― えぇ…悪いのは…宮永さんです…私は…何も悪くない…。

きっと…きっと須賀君だって私のことを本当は待ってくれているはずなのです。
だって…『現実』の中の彼はあんなにも私に優しくしてくれていたのですから。
そんな彼が簡単に心変わりするはずがなく…きっと宮永さんに騙されているのでしょう。
私はそれから彼を解放しようとしているだけで…悪いのは須賀君を束縛してる宮永さんの方です。


―― それで…戻すんです…全部…正しい方向に…。

あの『現実』は確かに夢でした。
私の頭が創りだした都合の良い世界だったのです。
しかし、だからと言って、それを目指す事が決して悪い事ではありません。
寧ろ、そうする事で…彼も幸せになるはずなのです。
だって、あの世界の須賀君の表情は晴れ晴れとしていて、とても幸せそうだったのですから。
しかし、こうして私が蹲っているままでは、きっと須賀君はあんな風に幸せにはなれないでしょう。

―― だって…宮永さんは…酷い人なんですから。

私から色々なものを奪っていった彼女は…酷い人なのです。
皆の前では大人しそうな顔をしていますが…彼女は平気な顔で私の邪魔をして…今も彼の傍に居続けているのですから。
そんな人と結婚して、須賀君が幸せになれるはずがありません。
きっと利用され続けて…最後にはゴミのように捨てられてしまう事でしょう。

―― それを…それを助けてあげられるのは私だけ…。

皆は宮永さんの本性には気づいていません。
私だけが…彼女に様々なものを奪われた私だけがそれに気づいているのです。
それなら…こうして躊躇している暇なんてありません。
今すぐにでも行動して…私は須賀君の事を奪い返し…全てを『現実』へと戻さなければ… ――



「っ…!」

瞬間、私は自分の思考がおかしな方向に進んでいるのに気づきました。
それにハッと息を飲む私の口からはいつの間にか荒い吐息が漏れだしています。
まるでほんの数瞬の間に疲れきったようなそれに私はそっと壁に身体を預けました。
けれど、身体の中に横たわるような倦怠感はなくなりません。

「違い…ます。あんなの…私…じゃ…私じゃない…んです…」

それでもポツポツと漏らすその言葉が一体、誰に向けているものなのか私自身にも分かりませんでした。
ただ一つ確かなのは…それは真実味の欠片もないただの良い訳だという事です。
だって…数秒前まで思い浮かべていたそれは…間違いなく私の心から出たものなのですから。
決して誰かに強要された訳ではないそれをどれだけ否定したところで…私自身すら騙す事が出来ません。

「…違います…私は…私は…」

そうわかっていながらも…そうやって無意味な言葉を紡ぐのはさっきの自分を決して認めたくなかったからなのでしょう。
まるで私の暗い部分を寄せ集めたようなそれは…宮永さんに全ての責任を押し付ける醜悪なものだったのです。
だから、と自己肯定に走り…須賀君を奪い返す事を正義とのたまうとんでもないものだったのでした。
まるで思考のタガが外れたようなそれがどれだけ本心に近かろうとも…頷く訳にはいかないのです。


「あ…あぁぁ…っ!」

しかし、その一方で…私の心はそれを求めていました。
楽で安易な道へと進もうとする弱い私は…確かにそれに頷いていたのです。
それを認めまいとして声をあげても…何の意味もありません。
ジワジワと染みこんでくるような本心というなの狂気に…私は少しずつ侵食されていったのです。

―― こんな自分なんて…嫌なのに…っ!

明らかに思考の方向性を間違え、道を踏み外した自分。
それに理性が強い拒絶を発し、私の心が真っ二つに割れそうになります。
しかし、私はそんな自分の胸を抑える気力もなく、ただ、フローリングの上に横たわっていました。
その視界に何かが映っていますが…それを判別するだけの思考能力はもう私にはありません。
ジワジワと這い寄ってくる自身の狂気に抗うのに…精一杯だったのです。

「須賀君…助けて…助けて…下さい…」

そんな私の口から漏れだすのは三度目の救難信号でした。
須賀君へと助けを求めるそれは、しかし、今回も届きません。
だって、私の携帯はもう…須賀君との通話を切ってしまったのです。
今の私を救ってくれる唯一の人を…私はまた拒絶したのでした。
故にその言葉は一番届いて欲しい人には届かず…それどころか、誰の耳にも入らない無意味なものでしょう。
しかし、それでも私は壊れたレコードのように何度も彼の名前を呼び続けました。
それは遅刻した私を心配したゆーきが連絡をくれるまで続き…その間に私は… ――

……
…………
………………

―― その日の私が一体、どうやって過ごしていたのかまったく分かりません。

ただ、誰かに目に見えた心配をされていなかった辺り、きっと平静を保てていたのでしょう。
もしかしたらゆーきなら気づいたのかもしれませんが、彼女は私に殆ど近づいて来ませんでした。
その代わり、じっと須賀君の事を見たり、物思いに耽っている事が多かったのです。
普段とは明らかに違うその様子を私は心配するべきだったのでしょう。
しかし、彼女に聞かれたくない事を山ほど抱える私は…どうしてもゆーきに声を掛ける事が出来なかったのです。

―― それに…私自身、それどころではありませんでした。

宮永さんを排除してでも…須賀君の事を取り戻したい。
そう思う自分の狂気に気づいた私はそれを抑えこむ事で必死だったのです。
一歩間違えれば須賀君にまで牙を剥きそうなそれを…決して表に出す訳にはいきません。
そんな私が彼女の事を気にかける余裕はあまりなく…寧ろ、ゆーきから距離を取りたいというのが本音でした。

―― だって…そうしたら…あの『現実』が見れるんです。

一人でぼぉっとしている最中に…私の意識は白昼夢を見る事が多くなりました。
それは必ず須賀君と…ううん、『夫』と仲睦まじく過ごす夢だったのです。
幸せで暖かなそれを…私はどうしても拒めません。
本当の現実が辛くて悲しい分、逃げるようにして…『現実』へと没頭してしまうのです。

ごめん。再開してすぐだけど集中力途切れて来たっぽい
今日はもう休んで、明日も本気出す
出来れば今週の前半までに終わらすつもりなんで、良ければ付き合って下さい


―― だから…部長の言葉にもきっと素直に従う事が出来たのでしょう。

週末に予定された合宿に向けての問題提起。
そこで私はリアルとネット麻雀の違いを指摘されていました。
それを解消する為にひたすらツモ切りを繰り返すように指示されましたが…そんなもので強くなれるなら誰だって苦労はしません。
きっと普段の私であれば、部長の言葉に反発を覚えていた事でしょう。
しかし、今の私にとって一人で牌と向き合え、話しかけられる事も少なくなるその練習方法はありがたい事だったのです。

―― そうしている間にも…白昼夢が見れるんですから。

勿論、そうやって『現実』へと逃げこんでも何の解決にもなりません。
ただ、現状維持を繰り返しているだけなのだと私も気づいていました。
しかし、それでも私にはその幸せな『現実』が必要だったのです。
今も尚、滲み寄る自身の狂気を拒む為に…拠り所となるものが必要だったのでした。

―― だけど…そんな私の前で宮永さんは須賀君の手ばかり取って…。

パソコンが使えないという彼女の為に、須賀君は懇切丁寧にその使い方を教えていました。
しかし、それでも宮永さんは時折、彼に説明を求め、教本を読み込む須賀君の邪魔をするのです。
その度に私の白昼夢も途切れ、ついつい二人を意識してしまうのでした。
結果、私の肌に染みこむ狂気の勢いは強くなり、ぎゅっと手に力を込めてしまいます。


―― きっとそんな二人を意識してしまう私が悪いのでしょう。

そもそも宮永さんは須賀君の恋人であるですから。
多少、その手を取ったところで誰が非難出来ると言うのでしょう。
須賀君自身が嫌がっているならともかく、彼は献身的に彼女の面倒を見ているのでした。
そんな仲睦まじい様子の二人を外野から見て…邪魔だと思う私が悪いのです。

―― でも…どうして…?

私なら…あんな事はしません。
寧ろ、教本なんて必要ないくらい懇切丁寧に教えてあげます。
始めたばかりの初心者かつ初めての公式戦という事もあって一番辛い立場にいるのは須賀君なのですから。
それを支えてあげるのも恋人としての役割でしょう。
しかし、宮永さんはそんな須賀君を支えられてはおらず…それが私には目障りで仕方がありません。

―― 私を選んでくれていれば…私さえ…。

私だって…決して非の打ち所のない女性という訳ではありません。
実際…彼の事を深く傷つけてしまったのですから、宮永さんより酷い女性でもおかしくはないのです。
しかし、私と彼女にとって大きな違いは、それを改善する意図があるかないかでしょう。
一度、大事なものを失った私には…もうそれを手放さない為に努力する覚悟が出来ているのです。
今からでも須賀君が私のことを選んでくれれば…私は彼に心から奉仕し、その人生を支える事でしょう。


―― 少なくとも…宮永さんよりは…彼の為を思っているはずです。

ですが…須賀君の傍にいるのは私ではありません。
彼に選ばれたのは…宮永さんなのです。
その事実が辛くて…苦しくて…私は何度も『現実』へと逃げ込みました。
あるべきはずの未来を夢見て…私は自分を慰撫する事しか出来なかったのです。

「和…?」
「…あ…」

そんな私の目に入ったのは心配そうに私を見る須賀君…いえ、夫の姿でした。
私の隣に座りながら、教本を広げるその姿は不思議と様になっているように見えます。
多分、それは私が京太郎君の事を好きだからなのでしょう。
今にもおかしくなりそうなくらい…いえ、少しずつおかしくなっているくらい私は夫の事を愛しているのです。

「ふふ…っ」
「ん…?」

そんな自分が嬉しくて、そして誇らしい。
そう思うのは夫が私の思慕に応えてくれる人だと分かっているからでしょう。
何せ…夫はこんなにも面倒くさくて…重苦しい私を受け止めてくれているのですから。
どれだけおかしくなっても…須賀君はともかく…『夫』だけは私を見捨てない。
それが分かっているが故に、私はつい笑みを漏らしてしまうのです


―― そう…夫さえ居れば私は大丈夫…。

それは猛毒にも等しい考えだということは私にも理解できていました。
そうやって夫に傾倒すれば傾倒するほど…現実が辛くなるだけなのだと分かっているのです。
しかし、それでも…私にはもうこの『現実』しか残されてはいません。
私が私である為には…この『現実』に縋る道しかないのです。

「大丈夫ですよ。私は…大丈夫です」
「そう…か?でも、顔色が悪いみたいだけれど…」

それはきっと現実の所為です。
だって、『現実』の私は夫に添い寝をして貰って、仮眠を取ったばかりなのですから。
ちょっとばかりゴツゴツして…でも暖かなその枕は不思議と安心する事が出来ました。
普段はエトペンがなければ眠れない私が、あっという間に夢に堕ちて…現実へと帰ってきてしまうくらいにそれは素晴らしいものだったのです。

―― でも…現実の私はろくに眠れていないままで…。

ボロボロになったスコアから逃げるようにベッドへ潜り込んでから起きるまでの時間は普段よりもかなり短いものでした。
その上、私は『現実』が崩れていき…最後の希望すら砕かれたショックをまだ引きずっているのです。
そんな私の顔色はクラスメイトには分からなくても、夫である京太郎君に分かる程度には悪いのでしょう。
そしてそれが私の大事な『現実』にも影響を与え、夫にも心配させているのです。


「ちょっと昨日、眠れていなくて…」
「あぁ、そういや朝も間違って電話してきたっけ」
「えぇ…迷惑を掛けてすみません…」
「良いって。丁度、起きなきゃいけない時だったし、モーニングコールとしちゃ最高だったよ」

そう言って謝罪した私に夫は優しく笑ってそう言ってくれました。
不出来な私を許してくれただけじゃなく、最高と言ってくれる彼に私の頬は自然と緩んでしまいます。
あぁ…やっぱりこの人と結婚してよかったと…心からそう思っている事を知らせる私の表情に夫は微かにその頬を赤く染めました。
まるで気恥ずかしくて堪らないと言うようなその仕草が可愛らしくて、ついつい抱きしめてしまいたくなるのです。

「でも、それなら部室で寝ておいたらどうだ?」
「それは…」

勿論、それを考えない訳ではありませんでした。
しかし、今日の私はエトペンを持ってきてはいないのです。
ゆーきの連絡でようやく動き出す気力を得た私にとってリビングの片付けをするのが手一杯だったのですから。
今にも世界が終わってしまいそうな無力感の中で、忘れ物をしなかっただけでも御の字と言えるでしょう。

―― あ…でも…夫の腕枕なら…。

多分、眠れるはず。
そう思った私が口を開こうとした瞬間、私は夫が手に持つ教本の存在に気づきました。
例え、これが私の脳が創りだした身勝手な『現実』ではあれど、私は京太郎君の邪魔をしたくありません。
宮永さんと同じように彼の手を取るだけの女性にはなりたくなかったのです。


「…いえ、時間もありませんし…頑張ります」
「そっか。でも、無理はすんなよ。ここで和が倒れちゃ元も子もないんだからな」

そう言って、夫は励ますように笑ってから、視線を教本へと戻しました。
それでも時折、私に視線をくれるのはきっと私を心配してくれているが故でしょう。
そんな夫に笑みを向けながら、私はツモ切りの作業へと戻りました。
本当は…『現実』でくらいもっとお話したかったですが、夫も夫でやるべき事があるのです。
何より、そうやって無言を楽しむ事も夫婦生活の醍醐味と言えるのですから、あまり嫌ではありません。

「う…うっ…」

―― …え?

瞬間、聞こえてきたその声に私は驚きを隠せませんでした。
だって、それは私にとって、異物と言っても良いくらいのものだったのです。
夫と私だけの幸せな『現実』には決してあってはいけないものだったのでした。
それを夢だ幻だと自分に言い聞かせても…耳の奥に張り付くような泣き声は消えません。

「咲…?」
「あっ…」

それに夫も気づいたのでしょう。
その視線を教本からあげて、そっと声の方へと目を向けました。
私ではなくその声の主に…宮永さんを見るその仕草に私は胸を詰まらせます。
それに自然と声が漏れ出し、手が夫の方へと伸びますが…京太郎君はそれに気づいてはくれませんでした。


「どうしたよ」

そう言って宮永さんへと近づいていく夫を私は見送るしかありませんでした。
本当は引き止めたいのに…行かないでってそう言いたいのに…私の口はその言葉を漏らしません。
朝にはアレだけ意味のない言葉を紡いでいたのに…まるで理性が邪魔するように私は無言を貫いていたのです。

―― …どうして…?

そんな私に浮かぶのは…まったくもって身勝手な疑問でした。
私は…私は夫の事を思って…その手を煩わせないようにしたのです。
それなのに…どうして私ではなく…宮永さんの方へと行くのか…理解出来ません。
そもそも…これは私の『現実』であり、宮永さんが入り込む余地なんてないはずです。
彼女に何もかも奪われた私の聖域なのですから…宮永さんだけはあってはいけない存在で… ――

「和?」
「あっ…」

瞬間、聞こえてきたその声は部長のものでした。
それに小さく声をあげながら…私はようやくそれに気づいたのです。
これが『現実』などではなく…本当の現実である事に。
私の心は白昼夢になど浸ってはおらず…夫は須賀君であったのです。


「…大丈夫です。すみません…」

誤解していた私を気付かせてくれた部長さんにそう返しながら、私は再び無心でツモ切りを繰り返します。
しかし、どれだけそれを繰り返しても…今までのように白昼夢には浸れません。
それはきっと…目の前で泣きじゃくる宮永さんを須賀君が慰めながら、色々と説明しているからでしょう。
ついさっき教本から得たであろう知識を披露するその顔は何処となく得意げで…そして楽しそうでした。

―― それは…私のものなのに…。

それを見るだけであれば…私はきっとこんなにも心を揺れ動かしたりはしなかったでしょう。
しかし、それは今、私でもゆーきでもなく、宮永さんに向けられている。
そう思っただけで私の心は張り裂けそうな痛みを訴え、歯の根をぎゅっと噛み締めました。
ですが…それでも私の痛みは収まりません。
いえ、寧ろ、仲の良い二人の姿を見ていると強くなっていく一方だったのです。

―― …辛くて苦しい…です…。

そんな二人の姿なんて見たくないのに…辛くて仕方がないのに…私は目を背ける事が出来ません。
どれだけ卓に視線を向けようとしてもついつい二人の方へと視線を向けてしまうのです。
それに痛みを覚える心が、優しい『現実』を求めますが、私はそれに浸る事が出来ません。
まるでさっきのそれで夢が覚めてしまったかのように…私の意識は身体に縛られ続けているのでした。


―― 宮永さん…ですか?彼女の所為…なんですか…?

そんな私に思いつく原因と言えば、それくらいしかありません。
だって、私は須賀君やゆーきのいる教室でもあの『現実』へと戻る事が出来たのですから。
それが今、こうして出来なかったのは、宮永さんがいるからでしょう。
あの目障りな人が居る限り…私は唯一残された希望にさえ縋る事が出来ないのです。

―― どうしてそんなに私の邪魔をするんですか…っ!!

瞬間、湧き上がる怒りにジクリと狂気が染みこんでくるのが分かります。
しかし、それでも…私は彼女のことを決して許す事が出来ませんでした。
これまで私から色んなものを取り上げた私に唯一、残った希望でさえも彼女に穢されたのですから。
私にとっては彼女はもう障害を超えて、排除すべき対象になりつつありました。

―― 宮永さんが居る限り…私が…『現実』に戻る事さえ出来ないのなら…。

私を私であるギリギリの部分で思い留まらせてくれている唯一の希望。
それさえも彼女が奪うというのであれば…それはもう排除するしかありません。
例え、どんな手を使っても…私は須賀君を…ううん…夫を取り戻すのです。
あらゆるものを取り上げられてしまった以上…私に残されているのはそんな道しか… ――


―― ダメです…そんな事したら…須賀君にも嫌われて…。

そこで少しだけ冷静になれたのは、須賀君が私の元へと戻ってきてくれたからです。
もし、宮永さんを実力で排除しようものなら…彼はこうして私のところに来てくれなくなってしまうでしょう。
それよりももっと穏やかに彼の心を取り戻す方法を考えなければ… ――

―― 違う…そうじゃありません…。

そう言い放つ心の声はとても弱々しいものでした。
思考を静止する力も殆どないそれは…きっと私自身でも分かっているからでしょう。
狂気の進行はどうあっても押し留める事が精一杯で、自分だけでは根絶なんて不可能な事を。
それから解放される為には夫を取り戻す事しか道がない事を…私も理解しているのです。

―― それに…何より…さっきの私は…。

明らかに現実と『現実』を混同していました。
それは私の創りだした『現実』がリアリティあふれるものだという事も無関係ではないでしょう。
しかし、一番、大きいのは…恐らくそれを区別する能力が私の中で欠如していっているのです。
まるで『現実』が現実になって欲しいと…そう言うように…私はその二つを混ぜあわせ始めていました。
さっきだって少し考えれば分かる点は幾つもあったはずなのに、私は部長に言われるまでそれに気づく事はなかったのですから。
私は恐らく…本格的におかしくなって来ているのでしょう。

ちょい休憩ー
何か凄いスランプ気味で筆が走らない…
もうすぐエンディングって時に失速しまくりでごめんなさい


―― でも…私は…。

もうおかしくなるしか…道が残されてはいません。
それ以外のものは全て宮永さんに奪われてしまったのですから。
私が私である為に必要なものは…もう全部、彼女の所為で粉々になってしまったのです。

――それを…悪いとは言いません。

恐らく宮永さんだって…何か悪意があった訳ではないのでしょう。
けれど…それは私だって同じです。
私だって…おかしくなろうとしてなっている訳じゃありません。
ただ…追い詰められた結果そうなっているだけで…私も出来ればそれを回避したいのです。

「和…やっぱり帰った方が良くないか?マジで顔色やばいぞ」
「…そう…ですね」

ですが…それもこのままここに居れば難しい。
そう思った私は心配する須賀君の言葉に頷きました。
このままここに居ても…私はきっとろくに集中出来ないでしょう。
それよりは…家に帰って一人で練習した方が遥かにマシなはずです。


「うん。その方がいいわ。見るからに体調は悪そうだもの」
「すみません…」

私の背中を押すように言う部長に私は小さく謝りました。
折角、私の為にどうやって練習すればいいかを考えてくれたのに私はそれをろくに活かす事が出来なかったのですから。
これがまだ本当に体調不良であれば、私も少しは気が楽であったのかもしれません。
しかし、私は体調不良というよりは精神の安定を欠いているだけなのです。

「…合宿までに…形にしてみますから…」
「あんまり気負い過ぎないでね」

そう言葉を付け加える私に、部長はあっけらかんと言ってくれました。
けれど、三年生で最後の公式戦という事もあり、一番、焦っているのは部長のはずなのです。
それを感じさせない優しい言葉が、きっと部長が生徒議会長になった理由なのでしょう。
それに感謝を強めながら、私はそっとカバンを取り、部室から出て行きました。

―― ゆーきがいなくて…良かった。

また学食にタコスを買いに行っている彼女がいたら、きっと余計な心配をさせてしまった事でしょう。
こうして部活も早退するだなんて今まで一度もなかったのですから。
しかし、私はもう…宮永さんと須賀君が一緒にいる空間に居たくありません。
それだけで私の思考がおかしくなって…狂っていくのが分かるのですから。


―― 後で…メールだけでも送っておきましょう。

宮永さんが視界からいなくなった所為か、少し平静を取り戻した私はそう心に決めました。
結局、なんだかんだ言って朝のメールにも返信出来ていませんし…そもそも今日だってろくに会話していないのです。
このままなし崩し的に疎遠になっていく…なんて嫌ですし…ここはちゃんとフォローのメールを入れておくべきでしょう。

―― でも…その前に色々と家事をしなければいけませんね。

幾ら体調が悪くても、やるべき事は山積みなのです。
昨日一日分をほぼサボってしまった私には料理や洗濯など家事仕事が数多く残っているのでした。
まずはそれらを始末しなければ、自室で個人練習も出来ない。
そう思いながら帰宅した私を迎えたのはシィンと静まり返った我が家でした。

―― きっと…今日も遅いか泊まりになるんでしょうし…。

別に…両親に対して期待していた訳ではありません。
二人の仕事が忙しく私に構う事も出来ないほどだと言う事くらい理解できているのですから。
しかし…しかし…それでも…私は内心、自分を止めて欲しかったのです。
どうにも出来なくなる前にダメだって…おかしいんだって…二人に叱って…引き戻して欲しかったのでした。
けれど…そんな想いが現実に伝わるのであれば…私は最初からおかしくなったりはしません。


―― それに…私には…これだけあれば大丈夫…ですから…。

勿論、両親は私の事をちゃんと愛してくれているのでしょう。
それはあのストーカー事件の時だって…しっかり伝わってきているのです。
しかし、それでも二人にとって私は大事であるというだけで決して最優先するべきものではありません。
ですが…私には…私を絶対的に優先して優しく受け止めてくれる最高の『夫』がいるのです。

「ふふ…もう…アナタったら…」

そうやって夫と会話しながらの家事は決して苦ではありませんでした。
どんな家事も夫との生活の為だと思えば、何時も以上に進んでやりたくなってしまうのです。
そんな私を手伝うと夫は何度も言ってくれましたが…傍で見てくれているだけで私は大助かりでした。
実際、私は寝不足気味なのにもかかわらず、簡単に家事を済ませられたのです。

「味の方はどうですか…?そう…良かった」

料理も昨日からは考えられないくらい完璧で、味付けだってばっちりです。
それでも夫の舌に合うか分からずに尋ねた言葉に、彼は笑顔と共に最高だと応えてくれました。
それに緩んだ笑みを向けながら、私もついつい食が進んでしまいます。
昨日から殆ど食欲がなかった所為もあってか、私は最終的に何時もの二倍近くをたいらげたのです。


「べ、別に…これくらい運動すればすぐに消費出来ますし…む、胸は関係ないでしょう、胸は…」

そんな私をからかう夫の言葉に、膨れながら私は洗い物を終わらせました。
既に掃除と洗濯もやりきったので後はもう自室で麻雀の練習くらいしかする事がありません。
ですが、それはこうして私の傍にいてくれている夫に構う事が出来ない事を意味するのです。
そうやって妻である私が夫の事を放っておいて良いのだろうか。
そう思うと中々、それを実行に移す気にはなれません。

「う…いや、別に……はい…それは…その通り…ですけど…」

しかし、夫は私が思っていた以上に厳しい人だったようです。
このまま一緒にリビングでノンビリしようと思っていた私を叱り、麻雀の練習へと向かうように言ってくれました。
それに渋々ながらも従うのは、夫の言葉が正しいと私も理解できているからです。
合宿までに形にするように頑張るとそう言ったのですから…その言葉を翻さずに済むように、出来るだけ努力するべきでしょう。

「じゃあ…私は今から練習しますけれど…すねないでくださいね?ふふ…っ」

そう釘を刺すように言う私に夫が拗ねた言葉を返しました。
それに一つ笑いながら、私は自室の卓へと向き直ります。
そのまま部活でやっていたようにひたすらツモ切りを繰り返す作業は決して苦痛ではありませんでした。
寧ろ、宮永さんが目の前にいないだけでこんなにもスムーズになるのかと思って…ついつい何時間も繰り返してしまうのです。


―― そろそろ…でしょうか。

しかし、どれだけ順調でもそうやって集中を続ける事なんて出来ません。
最初の頃は順調なのもあって集中を維持出来ていましたが、流石に数時間も経つと話は変わります。
何より、そろそろお風呂の準備もして寝るのも視野に入れなければいけない時間でした。

―― 今頃…夫は何をしているんでしょう?

そう思った私が微かに周囲を見渡しましたが…まだ夫はそこにいませんでした。
どうやらひたすらツモ切りを繰り返した疲れもあって、私はまだあの『現実』には戻れないようです。
それが少しばかり悲しいですが…夫は決して私を見捨てません。
私が望んだ時には必ず…傍にいてくれるのですから不安に思う必要はないのです。

―― じゃあ…須賀君は…?

「っ…!」

瞬間、浮かんできた言葉に私は胸に強い痛みを走らせました。
まるで心が強い感情の奔流に押し潰されるようなその感覚に私は身体を強張らせるのです。
それから逃げる為に思考を必死に逸らそうとしますが…その成果は芳しいものではありませんでした。
一度、頭の中に浮かんだその言葉はあまりにも強烈で…そして辛いものであったのです。


―― 別に…須賀君の事なんて…どうでも良いじゃありませんか。

だって、私には夫がいるのです。
彼よりも私の事を一番に考えて、何時だって傍にいてくれる最高の人がいるのですから。
須賀君はただ…そのモチーフになっただけで…別人でしかありません。
しかし、どれだけそう言い聞かせても胸の痛みは強くなる一方で…手首の痛みも相まって私はついに牌を取り落としてしまったのです。

―― …私は…。

私が好きなのは…須賀君ではありません。
私の心が創りだした夫の事が好きで…だから、彼の事を気にする必要なんてないのです。
それが皆にとって幸せであり、最高の結果を生むのですから。
彼の事なんて…寧ろ目障りだと…嫌いだと…そう思うべきなのでしょう。

「……」

しかし、そうと分かっていても…私はそれがどうしても出来ませんでした。
ふと浮かんだ須賀君の姿は…私の愛する夫のものよりも遥かに強烈なイメージだったのです。
まるで私に優しくしてくれる夫が虚像に過ぎないと教えるように…その像ははっきりとしたものでした。
その悔しさに私は手首を抑えながら、きゅっと歯を噛み締めます。


―― …少し休憩しましょう。

そう思って席を経った私は…顔からベッドへと倒れこみました。
しかし、そんな私の事を夫は慰めてはくれません。
まるでそれは須賀君の役割だと言うように…鳴りを潜めたままなのです。
結果、精神を安定させてくれる彼がいなくなった私に…不安という暗い波が襲い掛かってきました。

―― 負けたら…私は…。

ここには居られなくなります。
恐らく父が薦めた東京の進学校へと転校する事になるでしょう。
ゆーきや須賀君と離れ離れになって…また一人ぼっちになってしまうのです。
その不安と恐ろしさはどれだけ転校を繰り返しても慣れる事はありません。
友達と離れ離れになるだけでも辛いのに、もし転校先に馴染めなかったらと思うと…それだけで眠れなくなてしまうくらいに。

―― でも…その方が…良いのかもしれませんね…。

ここで私が居たところで…私はきっと何時か宮永さんの事を害する事になるでしょう。
もしかしたら須賀君にその狂気と怒りを向けてしまうかもしれません。
ですが、引越しをすれば…少なくとも犯罪を犯すような結果にはならないでしょう。
何より、二人から遠ざかれば…私は思うがままに、夫に甘える事が出来るのです。


―― …でも…でも…。

そう分かっていても…私は…私はどうしてもそれが選べませんでした。
ゆーきと出会い…須賀君と出会ったこの長野の地に私は愛着を感じているのです。
何より…二人から離れたくはないと…心が強く訴えているのでした。
私には…夫さえいれば良いのに…それで皆、幸せになれるはずなのに…それを認めまいとするように…活力が沸き上がってくるのです。

―― …もうちょっと…やりましょう。

それが暗い活力である事くらい私にだって理解できていました。
決して湧き上がらせてはいけないものだって分かっているのです。
しかし、それでも私は…どうしても衝動めいたそれを否定する事が出来ません。
部長の為だとか…ゆーきの為だとか理由をつけて…また卓へと向き合うのです。

―― それから…結局、右手がビキビキになるまで同じ動作を繰り返して…。

それでも尚、逃げるように打ち続けた私が気づいた頃にはもう夜の十一時も回っていました。
しかし、両親が帰ってきた気配はなく、家の中は静まり返ったままです。
携帯も見ていないので分かりませんが、またきっと泊まりなのでしょう。
それに一つため息を漏らしながら、私はお風呂の準備と二人分の食事を保存する為に席を立ちました。


「あ…っ」

瞬間、クラリと地面が揺れたかと思うと、私の身体は膝から崩れ落ちました。
まるで緊張の糸が切れてしまったようなそれは、私の身体が思った以上に疲弊していた証でしょう。
これはもうお風呂の準備をせず、シャワーだけで済ませた方が良いのかもしれない。
そんな風に思いながら立ち上がった瞬間、私の視界に携帯が映り込みました。
とりあえず両親が帰ってくるのか来ないのかだけを確認しようと思った私がその画面を開けば、そこには何通かの新着メールがあったのです。

「ゆーき…」

そこには私が思っていた通り、泊まりを告げる両親のメールと…そして私を心配するゆーきからのメールがありました。
辛いなら返信は良いと最後に結ぶそれに、私は感謝の言葉を返すべきなのでしょう。
ですが、今の私は気持ちも身体もとても疲れていたのです。
故に私はそのメールに返事をしない事を選び…そしてその瞬間、もう一通メールがあることに気づいたのでした。

「…須賀君…っ」

勿論、それそのものは珍しいものではありません。
宮永さんの登場で彼と疎遠になるまでは日常的に私たちはメールを交わしていたのですから。
ですが…今の私は胸の内が喜びが波打ち…感動で震えていました。
久しぶりの彼からのメールに疲労も吹き飛び…私はそのメールを急いで開封するのです。

夕飯作ってくるんでちょい休憩
なんかこー自分の中で面白く出来ないっていうか、「これは読んでると胃が痛くなるな…」感がないんだよね
今までもずっとあった訳じゃないんだけど今日の乏しさは凄くて中々、筆が進まない感じ

後、昔は咲ちゃんと切磋琢磨してたけど全国で負けられない戦いを強いられた結果、勝利だけをリスペクトするようになったヘルカイザー和を京ちゃんかタコスが麻雀で元に戻そうと奮闘するSSオナシャス


―― そこには私の事を心配する旨が書かれていました。

その文面こそ短いものでしたが、そこに込められた気遣いは決して小さなものではありません。
見ているだけで私の気分が上向き、身体に活力が漲ってくるくらいです。
さっきのような後ろ暗いものではなく…正しい方向へと向かおうとするそれに私は思わず笑みを浮かべてしまいました。

―― 須賀君の…須賀君の声が聞きたい…。

そんな私に一番、沸き上がってきた欲求は彼の声を求めるものでした。
須賀君に電話を…その心配を解いてあげて…そして少しだけお話がしたい。
そう思った私は反射的に電話帳を開きました。
そのまま須賀君の欄へと勢い良く移動し、通話ボタンを押す直前で私はふと冷静になったのです。

―― …落ち着きなさい。電話をするような要件なんて…私にはないんですから。

今の時代、ほとんどの要件は正直、メールだけで事足りるのです。
電話をする事なんてよっぽど急ぎでも無い限りは殆どないでしょう。
ましてや、私を心配するそのメッセージはメールで送られてきたのですから、その返事をメールで行うべきです。
ここで下手に電話を掛けてしまったら、重苦しい女性だと思われかねません。
だからこそ、私はその欲求を抑えこむべきなのです。


「……」

しかし、そうと分かっていても、私の指は電話帳を閉じる事がありませんでした。
そのままじっと固まったまま何とか用事を捻出しようとしているのです。
そうまで必死になっているのはきっと夫の姿が見えない事と無関係ではないのでしょう。
須賀君の事を意識してしまった瞬間、ふっと消えてしまった夫の代わりにするように…私は須賀君の事を求めているのでした。

―― それが自分勝手にも程がある考えだという事くらい理解できていました。

けれど…それでも私は須賀君の声が聞きたかったのです。
その欲求は…どれだけ理性が否と叫んでも、収まる事がありません。
そんな自分に苦笑めいた感情を向けた瞬間、私の指が滑り、スクロールボタンを押下しました。

―― これは…。

その瞬間、私の目に入ったのは、須賀君の実家の電話番号です。
変なところで真面目な彼は赤外線通信用のプロフィールにちゃんと実家の番号まで記載していたのでしょう。
そして、それは携帯のアドレスや電話番号と一緒に私の携帯に送られ、しっかりと記録されていたのです。
けれど、普通の電話番号よりも遥かに下にあるが故に、今までろくに意識した事はなかったそれを見ながら…私は小さく生唾を飲み込みました。


―― これを使えば…もしかしたら…。

最近はストーカー事件も増えてきて携帯電話の方には非通知拒否の機能が一般化されてきました。
けれど、普通の固定電話の方にも、その機能が普及しているかと言えば答えは否です。
そもそも頻繁に買い換えるようなものではないのですから、それも当然でしょう。
勿論、須賀君の家はどうなのかは分かりませんが…今の私にはそれが賭けてみる価値があるように思えたのです。

―― ダメです…そんな事をしたら…。

まるで悪質なストーカーのような所業だと…私も理解できていました。
その被害者である私にとってそれがどれだけ恐ろしくて唾棄すべき事なのか分かっていたのです。
ですが、須賀君の携帯に非通知で電話を掛けるよりも…よっぽど可能性がある。
そう思ったら…どうしてもその誘惑を振り払えず…私はつい通話ボタンを押してしまいました。

―― 大丈夫です…繋がったら繋がったらで…「間違えました」と一言言えば良いのですから。

少しばかり首を傾げさせるかもしれませんが…間違い電話なんてそれほど記憶に残るものではありません。
覚えていても今日一日くらいで、寝ておきた頃には忘れている事でしょう。
私がやろうとしている事は所詮、それだけの可愛らしい悪戯なのです。
それに…そもそも今時、非通知の電話を取る家庭なんてそれほど多くは… ――


「はい。須賀です」
「ひぅ…」

その瞬間、私の耳に一般的な男性のものよりも、少しだけ高い声が届きました。
女の子と言うほど高くはないけれど、何処か幼さを残す心地良いそれに私は小さく悲鳴のような声をあげてしまいます。
だって…それは私が待ち望んだ人の…須賀君の声だったのですから。

―― ど、どど…どうしましょう…!?

正直、そうやって須賀君に繋がるだなんて私は期待していても想像してはいませんでした。
だって、そんなの普通であればあり得ないはずの確率なのですから。
けれど、まるで今まで私にそっぽを向いていた神様が今だけは微笑んでくれたように…その電話は繋がってしまったのです。
それに私は強い狼狽を浮かべ、予定していた言葉を放つ事が出来ません。

「あの…どなたですか?」

そんな私に不安を覚えたのでしょう。
尋ねるその声には警戒心が浮かんでいました。
それに私の緊張はさらに強くなり、さらに何も言えなくなってしまうのです。
ただ、間違いでしたとそれだけで良いのに…私はその一言がどうしても言えません。


―― けれど…その電話を切る事も出来なくて…。

何せ、その向こうには須賀君がいるのです。
流石にその息遣いまでは聞こえませんが…しかし、確かにその向こうに彼の存在を感じるのでした。
そこには宮永さんの陰なんて…一切、感じません。
今、この電話は私と彼だけの…完成された世界なのです。

「用件がないなら切りますよ」
「……」

そんな私に須賀君は諦めずにそう尋ねてくれます。
さっきよりも警戒心を強く浮かばせたそれは、きっとこれが悪戯電話の類だと思っているのでしょう。
しかし、それでも最後通告するその優しさに私は頬を緩め、そして胸を痛めました。
きっと今の彼は不安を飛び越えて、迷惑しているのでしょう。
ですが、そうと分かっていても…いや、分かっているからこそ、私は一言も漏らせなかったのです。

―― だって…もしバレてしまったら…嫌われてしまうじゃないですか…。

それは…それは決して許容出来ません。
今でさえ辛くて苦しいのに…須賀君に嫌われると思っただけで胸が押しつぶされそうになるのですから。
それが現実になってしまう様なんて想像はない私にはただただ沈黙を護る事しか出来なかったのです。


―― ブツッ

そんな私に数秒ほど待ってから須賀君は通話を切ったのでしょう。
ブツッと言う特徴的な音の後に、ツーツーという無機質な音が続きました。
けれど…私はそれを聞いても尚、携帯を耳から離す事が出来ません。
そのままじっと固まったまま…携帯を耳に押し付けていたのです。
それは勿論、そうしている間にまた須賀君の声が聞こえるのではないかと期待していたからではありません。
ただ…拒絶混じりの音に…少しだけ私の頭が冷静になったのです。

―― 私…なんて…なんて事を…。

アレだけ私が恐れたストーカーのように無言電話をした自分。
それは決して許されるべき事ではなく…彼に嫌われても仕方のないものでしょう。
けれど…今の私が恐れていたのは…それではないのです。
最初の一言を除けば私は殆ど話してはいませんし…バレる要素なんてほぼないのですから。
寧ろ…私が恐れている原因は…私の中にあったのです。

―― 私…どうしてこんなに…嬉しいんですか…。

私はただ…須賀君の声を聞いただけです。
ろくに会話もせず…彼に迷惑を掛けてしまっただけに過ぎません。
しかし、それでも…今の私の胸はトクントクンと心地良く脈打ち、全身に歓喜を広げます。
夫と接する時には決して感じられないその高鳴りに…私の理性は警鐘を鳴らしました。


―― だって…こんなの…私…癖に…なってしまいます…。

ただ須賀君に迷惑を掛けてしまっただけなのに…私はそれを喜んでいるのです。
あの瞬間だけ…彼の全てを独り占めしたという感覚に…身体中が戦慄いているのでした。
勿論、そんなのはただの錯覚であり、現実に即していない事くらい私にだって理解できているのです。
しかし、それでも私の中の歓喜は収まらず…ずっと尾を引いているのでした。

「…お風呂に…お風呂に入りましょう」

そんな胸の高鳴りを誤魔化すようにして私はそう言葉を紡ぎました。
そのまま歩き出す足には…もう疲労なんてありません。
寧ろ活力に満ち溢れ、今にも駆け出してしまえそうだったのです。
まるで彼に迷惑を掛けたのが嬉しくて堪らないと言わんばかりのそれに…私は自嘲を浮かべました。
しかし、それでもさっきの歓喜は消えてはくれません。
いえ、それどころか…おかしくなった頭を冷やそうと冷たいシャワーをかぶっても…一向に消えてはくれず… ――

―― そして私はこの日から少しずつ道を踏み外し始めたのでした。

……
…………
………………


―― 次の日から私は部活に顔を出さなくなりました。

一応、その名目上は『一人で集中して練習したいから』というものです。
それは言い訳ではありますが、完全に口からでまかせという訳でもありません。
実際、目の前に宮永さんと須賀君がいるだけで…私の集中は掻き乱され、どうにかなってしまいそうだったのですから。
勿論、それを知っている訳ではないでしょうが、部長もそれを許可してくれ、私は合宿まで部活を休む事になりました。

―― でも…本当の理由は…須賀君の事をもっと知る為です。

放課後、急いで学校から帰った私は一通りの家事を終わらせて再び学校へと戻るのです。
そのまま部活が終わって出てくる彼の姿を物陰から待ち続けるのでした。
季節はもう梅雨入りし、じっとりと汗ばむ熱さが不快ではあります。
けれど、それも須賀君を知る為だと思えば、決して我慢出来ないものではありませんでした。

―― そう。私はもっと彼の事を知りたかったのです。

私は須賀君の事をあまりにも知りません。
そもそも彼がどんな家に住んでいるのか、家族構成はどんなものなのかさえ知らなかったのです。
ですが…こうやって須賀君の後をつけるようになってから…私はそれを少しずつ理解し始めていたのでした。


―― 勿論…それだけじゃありません。

ここ数日で彼が一体、どんな距離まで近づけば不審がるのかまで私は把握し始めていたのです。
それは…間違いなく宮永さんだって知らない情報でしょう。
だって、それは彼をストーキングしなければ、決して知り得ないものなのですから。
きっと世界で私だけが知っているその情報が…どれだけ私の喜ばせてくれたか分かりません。
それだけでもう私の世界は鮮やかに彩られ…宮永さんにも勝った気がするのです。

―― だから、今は須賀君の隣にいる彼女もそれほど目障りではありません。

学校から帰る時、須賀君は必ずと言って良いほど宮永さんを自宅まで送り届けます。
その最中に一緒にコンビニに寄って買い食いする事もありますが、基本的には直帰でした。
仲良く顔を合わせながら話す二人の姿に嫉妬しないかと言えば答えは否ですが、しかし、以前ほど心揺れ動かしたりはしません。
それは私が彼女も知らない須賀君を沢山知っているからでしょう。

―― きっと宮永さんは…彼が迷惑電話にどう対応するか知りません。

心から迷惑がり、警戒する須賀君なんて彼女が知る由もありません。
最初から須賀君と親しく、今もまた仲睦まじいが故に…宮永さんにはそれが見えないのです。
ですが…私は…いえ、私だけが…そんな彼の姿を知っているのです。
その優越感は私の心を軽く浮き上がらせ、胸をすぅっと楽にしてくれました。


―― もっと早くから…こうしておけば良かったです。

そうすれば、私はあんなにも苦しむ事はなかったでしょう。
一人孤独に泣いて…悲しみに打ちひしがれる事もなかったのです。
少なくとも今の私は決して悲しみも苦しみもありません。
そうやって須賀君の事を知れば知るほど…『現実』の『夫』も鮮烈になり、より彼に近づいていくのですから。

―― 今はもう…ずっと一緒です…。

須賀君を見ながら、須賀君の姿をした夫と一緒にいるという矛盾した状況。
しかし、今の私はそれを楽しむ事ができていました。
いえ…より正確に言えば、楽しめるほどにおかしくなっていたのです。
けれど、今の私にはもうそれがいけない事だという意識が薄れきっていました。
自分を護る為に仕方のない事だと、ギリギリのところで踏みとどまるのには必要な事なのだとそう開き直っていたのです。

―― でも…だからこそ、私は合宿の間、普通に過ごす事が出来たのでしょう。

数日ぶりに顔を合わせる麻雀部の仲間。
そんな彼女たちに何時も通りの表情を見せられたのは、私が一線を踏み越えてしまったからなのです。
でも、きっと皆はそんな事は知りません。
私のストーキング被害にあっている須賀君だって…私が元気になった理由は知らないでしょう。
不審者の存在にこそ気づいてはいるでしょうが、その正体が私だなんて彼はきっと想像もしていないはずです。


―― だからこそ…今の間に一杯、須賀君の事を知らなければいけません。

この状況が長く続く訳ではない事くらい私にだって分かっているのです。
今は何一つ証拠も残してはいませんが、長く続けば続くだけ知られるリスクというものは増えるのですから。
出来れば私に疑念が向けられる前に、最低でもそれが確信へと変わる前にストーキングからも手を引かなければいけません。
そして、そう思う私にとって…合宿中というのは堪らない情報の宝庫だったのです。

―― だって…須賀君の部屋のゴミ箱だって漁る事が出来るんですから。

彼もまた私たちと同じように合宿棟で寝泊まりしてくれているのです。
泊まっている部屋そのものは別ですが、ふとした時間に彼の部屋に行く事はそう難しい事ではありません。
勿論、そこは彼のプライベートスペースというには物足りませんが、普段は手に入らない情報が沢山あるのです。
それに私は狂喜しながらもバレないように立ち回り続けました。

―― お陰で…また私は須賀君に近づけました…。

擬似的な共同生活も数日続けば、ゴミ箱を漁るまでもなく、今まで見えなかったものも見えてきます。
彼がどんなものが嫌いだとか、お風呂上りにどんな風になるとか…数えきれないくらい新しい須賀君が見えてくるのでした。
それらは私の気持ちを上向かせるだけではなく、その立ち位置までも少しずつ変えさせていました。


―― その中でも代表的なものが宮永さんに対するスタンスでしょう。

私が傍にいると須賀君は遠慮しているのか、宮永さんに近づいてはきません。
つまり…私が宮永さんと一緒にいれば、彼は少しずつ彼女と疎遠になるのです。
無論、それは全体から見れば微々たるものであり、恋人という地位に収まった彼女にとってはそう痛いものではないのかもしれません。
ですが、それだって長く続けばどうなるのかは分かりません。
ダムがほんの小さな穴から決壊するように…私の小さな嫌がらせが何時かは実を結ぶかもしれないのです。

―― ふふ…私…嫌な女ですね。

きっと今の私は悪女と呼ばれても仕方のない醜悪な姿をしているのでしょう。
しかし、それでも私はそれを止めるつもりはありませんでした。
だって…私はそうやって宮永さんから須賀君を奪われたのですから。
少しずつ…ジワジワと這い寄るようにして私の居場所を盗まれてしまったのです。
そんな彼女に…遠慮なんてする必要はありません。
そもそも…その程度で付け入られるような隙を作る方が悪いのです。

―― にしても…宮永さんは何処でしょう?

そんな楽しい合宿も今日が最終日。
明日にはまた普通の学校生活が始まるのです。
ある意味では今日が勝負どころとなるのですが、宮永さんは朝早くから合宿棟を抜けだしていました。
もしかしたらまた迷子になっているかもしれないからを探せと部長から命じられた私は合宿棟の脇にある滝近くまで来ていました。
しかし、宮永さんの姿は一向に見えず…私は小さくため息を吐くのです。


―― こっちじゃないのかしら…。

宮永さんを探しているのは私だけではありません。
命じた部長を始め、ゆーきや染谷先輩も探し回っているのです。
けれど、未だ宮永さんを見つけたという連絡は入っていません。
ならば、その捜索を適当に打ち切る訳にはいかないでしょう。
普通ならば朝早くからこんなところには来ないとおもいますが…宮永さんの場合は決してないとは言い切れません。
それくらい彼女の迷子癖は筋金入りなのです。

―― あれ?

そんな私の視界に茂みで隠れた小さな道が見えます。
むき出しになった土の上に点々と並ぶ石畳は昨日までは気付けませんでした。
ですが、そんな道に私が今、気付けたのは、その茂みがまるで誰かが通った後のように枝が折れていたからです。

―― 一応…探しておきましょうか。

そうやって茂みに隠れる道が一体、どれだけの間、放置されていたのかは私には分かりません。
少なくともその入口は獣道もかくやと言った風体で、あまり入りたくはありませんでした。
しかし、その茂みにここ最近、誰かが入ったのは間違いない事なのです。
それが宮永さんかどうかは分かりませんが、念の為にチェックはしておくべきでしょう。


「よいしょっと…」

そう言いながら分け入った道は思ったよりもしっかりとしたものでした。
どうやら入り口の茂みだけが急成長したようで、一度入れば違和感なく歩く事が出来ます。
それに強い安堵を浮かべるのは今の私は浴衣を着たままだからでしょう。
流石に茂みの生い茂る道をずっと歩き続けるには今の私の服装は不的確なのです。

―― でも…これ何処に続いているんでしょう

「よいしょっと…」

そう言いながら分け入った道は思ったよりもしっかりとしたものでした。
どうやら入り口の茂みだけが急成長したようで、一度入れば違和感なく歩く事が出来ます。
それに強い安堵を浮かべるのは今の私は浴衣を着たままだからでしょう。
流石に茂みの生い茂る道をずっと歩き続けるには今の私の服装は不的確なのです。

―― でも…これ何処に続いているんでしょう?

これが主要な建物に向かう道であれば、幾らなんでもあんな風に入り口が分からなくなるまで放置されるはずがありません。
滝も近い事ですし、恐らく何処かの休憩所と言った所なのでしょう。
しかし、そうは思いながらも、私は微かに興奮していました。
まるでちょっとした冒険をしているような気分に、好奇心が疼き、ドンドンと先に進んでしまうのです。

「あ…」

そんな私の視界が急に開けたと思うと、そこには木造の休憩所がありました。
しっかりとした造りなのか、未だ朽ちる様子のないそこには一組の男女がいます。
遠目からではありますが…それが宮永さんと須賀君なのは一目で分かりました。
それに…私は楽しかった気分がさぁっと引き、胸の奥底から怒りが沸き上がってくるのを感じるのです。

―― …一体…どういうつもりかは分かりませんが…。

こうして朝早くから抜けだして人に心配させただけではなく、須賀君と逢引している宮永さん。
そんな彼女に怒りを感じるのはきっと人として当然の事でしょう。
きっと他の皆だってここに居ればきっと私と一緒に怒るに違いない。
そう思いながら、私は一言文句を言おうと二人の元へと近づき、その唇を開いて…… ――






























「ねぇ…京ちゃん。キス…しない?」






























なんかこー…コレじゃない感が半端ない
どう見ても完全にドツボにハマって、どうすりゃ良いのかと…
最初に想定してたストーリーからはそれほど外れてないんだけど…悪戯電話のところとか蛇足もいいところな感じががが

ちょっと今日は休んでこれからどうするか決める
もしかしたら今日一日分の投下全部書き直しになるかも
そうなったらまた終わりが遠のくけど…本当にごめん
ここまで来てエタらせたりしないんで、もうちょっと待っててくれると嬉しいです

ここのところの展開では、和の中で色々巡ってるからね、外部刺激や他者との緊張がない以上「胃が痛くなる」事態を望むのが難しいんじゃないかな。
和の中で進む異常性に対して痛々しい印象は持てるけど、それを暴いたり突っつく優希なり咲なりの能動的な動きない以上、やはり自己完結型ストーリーで終わってしまう。
といってもここまで和中心にしてその孤独を描いてきてるのも、今後の展開におけるカタルシスを狙っているとも見えるけど、
それに対して>>1が行き詰まったりフラストレーションを感じているなら、前の咲みたいに幕間扱いで他の人の視点も書くと、
読者視点ですれ違う思惑とかが見えて胃が痛くなると思う。
一言でいうとそろそろ小ネタ希望。

>>249に凄い納得した
一応、自分で波は作ってるつもりだけど、基本的に和の内面掘り下げてばっかりだから単調に見えて面白くないのか
一応、少しずつおかしくなっていく過程を書きたかったんだけれど…もうちょっとキャラとの衝突があっても良かったかな
下手に原作に沿わせようとした結果、どっちつかずの微妙なものになっちゃったのは、俺がヘタレだった所為です、ごめんなさい…
一応、これから最後の修羅場になる予定ではあるけれど、ちょっと時間空けて考えてみる
皆ありがとう
明日は本編の見直しやってると思うけど、もし、書くとしたらさらっとタコス側から見た和の変化を掘り下げると思う

池田ァ!!危ないから座ってろ!!!!
それはさておき、やっぱりこの前の投下分全部ナシにして>>187から書きなおしにする
最初は展開的に被るけどちょこちょこ修正してるだけなんで気にしないで下さい
部室出るまでは一緒な感じだから、既に呼んでくれてる人はそこまで読み飛ばして大丈夫だと思う
それじゃ、今日もちょこちょこやってきます


―― だから…部長の言葉にもきっと素直に従う事が出来たのでしょう。

今日の部活は最初に合宿に向けての問題提起から始まりました。
それは昨日、私と宮永さんが部長に強くなりたいとそう訴えたからでしょう。
それぞれの打ち方を良く見ているそれは、ありがたいと心から言えるものでした。
しかし…だからと言ってひたすらツモ切りを繰り返して強くなれるはずがありません。
きっと普段の私であれば、部長の言葉に反発を覚えていた事でしょう。
しかし、今の私にとって話しかけられる事も少なくなるその練習方法はありがたい事だったのです。

―― そうしている間にも…白昼夢が見れるんですから。

勿論、そうやって『現実』へと逃げこんでも何の解決にもなりません。
ただ、現状維持を繰り返して…いえ、それさえも出来ていないのだと私も気づいていました。
しかし、それでも私にはその幸せな『現実』が必要だったのです。
今も尚、滲み寄る自身の狂気を拒む為に…拠り所となるものが必要だったのでした。

―― だけど…そんな私の前で宮永さんは須賀君の手ばかり取って…。

パソコンが使えないという彼女の為に、須賀君は懇切丁寧にその使い方を教えていました。
しかし、それでも宮永さんは時折、彼に説明を求め、教本を読み込む須賀君の邪魔をするのです。
その度に私の白昼夢も途切れてしまうのは…やはり私にとって二人が重大な位置にいるからでしょう。
どうしても二人揃うと嫌なものを感じて…無理矢理、現実へと引き戻されてしまうのです。

―― きっとそんな二人を意識してしまう私が悪いのでしょう。

そもそも宮永さんは須賀君の恋人であるですから。
多少、その手を取ったところで誰が非難出来ると言うのでしょう。
須賀君自身が嫌がっているならともかく、彼は献身的に彼女の面倒を見ているのでした。
そんな仲睦まじい様子の二人を外野から見て…邪魔だと思う私が悪いのです。

―― でも…どうして…?

私なら…あんな事はしません。
寧ろ、教本なんて必要ないくらい懇切丁寧に教えてあげます。
始めたばかりの初心者かつ初めての公式戦という事もあって一番、緊張する立場にいるのは須賀君なのですから。
それを支えてあげるのも恋人としての役割でしょう。
しかし、宮永さんはそんな須賀君を支えられてはおらず…寧ろ邪魔ばかりしている。
それが私には目障りで仕方がありません。

―― 私を選んでくれていれば…そんな事はないのに…。

私だって…決して非の打ち所のない女性という訳ではありません。
実際…彼の事を深く傷つけてしまったのですから、宮永さんより酷い女性でもおかしくはないのです。
しかし、私と彼女にとって大きな違いは、それを改善する意図があるかないかでしょう。
一度、大事なものを失った私には…もうそれを手放さない為に努力する覚悟が出来ているのです。
今からでも須賀君が私のことを選んでくれれば…私は彼に心から奉仕し、その人生を支える事でしょう。

―― 少なくとも…宮永さんよりは…彼の為を思っているはずです。

ですが…須賀君の傍にいるのは私ではありません。
彼に選ばれたのは…宮永さんなのです。
その事実が辛くて…苦しくて…私は何度も『現実』へと逃げ込みました。
あるべきはずの未来を夢見て…私は自分を慰撫する事しか出来なかったのです。

「和…?」
「…あ…」

そんな私の目に入ったのは心配そうに私を見る須賀君…いえ、夫の姿でした。
私の隣に座りながら、教本を広げるその姿は不思議と様になっているように見えます。
多分、それは私が京太郎君の事を好きだからなのでしょう。
今にもおかしくなりそうなくらい…いえ、少しずつおかしくなっているくらい私は夫の事を愛しているのです。

「ふふ…っ」
「ん…?」

そんな自分が嬉しくて、そして誇らしい。
そう思うのは夫が私の思慕に応えてくれる人だと分かっているからでしょう。
何せ…夫はこんなにも面倒くさくて…重苦しい私を受け止めてくれているのですから。
どれだけおかしくなっても…須賀君はともかく…『夫』だけは私を見捨てない。
それが分かっているが故に、私はつい笑みを漏らしてしまうのです

―― そう…夫さえ居れば私は大丈夫…。

それは猛毒にも等しい考えだということは私にも理解できていました。
そうやって夫に傾倒すれば傾倒するほど…現実が辛くなるだけなのだと分かっているのです。
しかし、それでも…私にはもうこの『現実』しか残されてはいません。
私が私である為には…この『現実』に縋る道しかないのです。


「大丈夫ですよ。私は…大丈夫です」
「そう…か?でも、顔色が悪いみたいだけれど…」

それはきっと現実の所為です。
だって、『現実』の私は夫に添い寝をして貰って、仮眠を取ったばかりなのですから。
ちょっとばかりゴツゴツして…でも暖かなその枕は不思議と安心する事が出来ました。
普段はエトペンがなければ眠れない私が、あっという間に夢に堕ちてしまうくらいにそれは素晴らしいものだったのです。

―― でも…現実の私はろくに眠れていないままで…。

私がベッドに潜り込んでから朝起きるまでの時間はいつもよりも遥かに短いものでした。
その上、私は『現実』が崩れていき…最後の希望すら砕かれたショックをまだ引きずっているのです。
そんな私の顔色はクラスメイトには分からなくても、夫である京太郎君に分かる程度には悪いのでしょう。
そしてそれが私の大事な『現実』にも影響を与え、夫にも心配させているのです。

「ちょっと昨日、眠れていなくて…」
「あぁ、そういや朝も間違って電話してきたっけ」
「えぇ…迷惑を掛けてすみません…」
「良いって。丁度、起きなきゃいけない時だったし、モーニングコールとしちゃ最高だったよ」

そう言って謝罪した私に夫は優しく笑ってそう言ってくれました。
不出来な私を許してくれただけじゃなく、最高と言ってくれる彼に私の頬は自然と緩んでしまいます。
あぁ…やっぱりこの人と結婚してよかったと…心からそう思っている事を知らせる私の表情に夫は微かにその頬を赤く染めました。
まるで気恥ずかしくて堪らないと言うようなその仕草が可愛らしくて、ついつい抱きしめてしまいたくなるのです。

「まぁ…顔色も悪いし、今日は無理せずに部室で寝ておいたらどうだ?」
「それは…」

勿論、それを考えない訳ではありませんでした。
しかし、今日の私はエトペンを持ってきてはいないのです。
ゆーきの連絡でようやく動き出す気力を得た私にとってリビングの片付けをするのが手一杯だったのですから。
今にも世界が終わってしまいそうな無力感の中で、忘れ物をしなかっただけでも御の字と言えるでしょう。

―― あ…でも…夫の腕枕なら…。

多分、眠れるはず。
そう思った私が口を開こうとした瞬間、私は夫が手に持つ教本の存在に気づきました。
例え、これが私の脳が創りだした身勝手な『現実』ではあれど、私は京太郎君の邪魔をしたくありません。
宮永さんと同じように彼の手を取るだけの女性にはなりたくなかったのです。

「…いえ、時間もありませんし…頑張ります」
「そっか。でも、無理はすんなよ。ここで和が倒れちゃ元も子もないんだからな」

そう言って、夫は励ますように笑ってから、視線を教本へと戻しました。
それでも時折、私に視線をくれるのはきっと私を心配してくれているが故でしょう。
そんな夫に笑みを向けながら、私はツモ切りの作業へと戻りました。
本当は…『現実』でくらいもっとお話したかったですが、夫も夫でやるべき事があるのです。
何より、そうやって無言を楽しむ事も夫婦生活の醍醐味と言えるのですから、あまり嫌ではありません。

「う…うっ…」

―― …え?

瞬間、聞こえてきたその声に私は驚きを隠せませんでした。
だって、それは私にとって、異物と言っても良いくらいのものだったのです。
夫と私だけの幸せな『現実』には決してあってはいけないものだったのでした。
それを夢だ幻だと自分に言い聞かせても…耳の奥に張り付くような泣き声は消えません。

「咲…?」
「あっ…」

それに夫も気づいたのでしょう。
その視線を教本からあげて、そっと声の方へと目を向けました。
私ではなくその声の主に…宮永さんを見るその仕草に私は胸を詰まらせます。
それに自然と声が漏れ出し、手が夫の方へと伸びますが…京太郎君はそれに気づいてはくれませんでした。

「どうしたよ」

そう言って宮永さんへと近づいていく夫を私は見送るしかありませんでした。
本当は引き止めたいのに…行かないでってそう言いたいのに…私の口はその言葉を漏らしません。
朝にはアレだけ意味のない言葉を紡いでいたのに…まるで理性が邪魔するように私は無言を貫いていたのです。

―― …どうして…?

そんな私に浮かぶのは…まったくもって身勝手な疑問でした。
私は…私は夫の事を思って…その手を煩わせないようにしたのです。
それなのに…どうして私ではなく…宮永さんの方へと行くのか…理解出来ません。
そもそも…これは私の『現実』であり、宮永さんが入り込む余地なんてないはずです。
彼女に何もかも奪われた私の聖域なのですから…宮永さんだけはあってはいけない存在で… ――


「和?」
「あっ…」

瞬間、聞こえてきたその声は部長のものでした。
それに小さく声をあげながら…私はようやくある事に気づいたのです。
これが『現実』などではなく…本当の現実である事に。
私の心は白昼夢になど浸ってはおらず…私が夫だと思い込んでいた男性は…現実の須賀君であったのです。

「…大丈夫です。すみません…」

誤解していた私を気付かせてくれた部長さんにそう返しながら、私は再び無心でツモ切りを繰り返します。
しかし、どれだけそれを繰り返しても…今までのように白昼夢には浸れません。
それはきっと…目の前で泣きじゃくる宮永さんを須賀君が慰めながら、色々と説明しているからでしょう。
ついさっき教本から得たであろう知識を披露するその顔は何処となく得意げで…そして楽しそうでした。

―― それは…私のものなのに…。

それを見るだけであれば…私はきっとこんなにも心を揺れ動かしたりはしなかったでしょう。
しかし、それは今、私でもゆーきでもなく、宮永さんに向けられている。
そう思っただけで私の心は張り裂けそうな痛みを訴え、歯の根をぎゅっと噛み締めました。
ですが…それでも胸の奥から走るひび割れのような痛みは収まらず…寧ろ、仲の良い二人の姿を見ていると強くなっていく一方だったのです。

―― …辛くて苦しい…です…。

そんな二人の姿なんて見たくないのに…辛くて仕方がないのに…私は目を背ける事が出来ません。
どれだけ卓に視線を向けようとしてもついつい二人の方へと視線を向けてしまうのです。
それに痛みを覚える心が、優しい『現実』を求めますが、私はそれに浸る事が出来ません。
まるでさっきのそれで夢が覚めてしまったかのように…私の意識は身体に縛られ続けているのでした。

―― 宮永さん…ですか?彼女の所為…なんですか…?

そんな私に思いつく原因と言えば、それくらいしかありません。
だって、私は須賀君やゆーきのいる教室でもあの『現実』へと戻る事が出来たのですから。
それが今、こうして出来なくなっているのは、きっと宮永さんが須賀君の手を取っているからでしょう。。
あの目障りな人が居る限り…私は唯一残された希望にさえ縋る事が出来ないのです。

―― どうしてそんなに私の邪魔をするんですか…っ!!

瞬間、湧き上がる怒りにジクリと狂気が染みこんでくるのが分かります。
しかし、それでも…私は彼女のことを決して許す事が出来ませんでした。
これまで私から色んなものを取り上げた私に唯一、残った希望でさえも彼女に穢されたのですから。
私にとっては彼女はもう障害を超えて、排除すべき対象になりつつありました。

―― 宮永さんが居る限り…私が…『現実』に戻る事さえ出来ないのなら…。

私を私であるギリギリの部分で思い留まらせてくれている唯一の希望。
それさえも彼女が奪うというのであれば…それはもう排除するしかありません。
例え、どんな手を使っても…私は須賀君を…ううん…夫を取り戻すのです。
あらゆるものを取り上げられてしまった以上…私に残されているのはそんな道しか… ――

―― ダメです…そんな事したら…須賀君にも嫌われて…。

そこで少しだけ冷静になれたのは、須賀君が私の元へと戻ってきてくれたからなのでしょう。
そうでなければ…私はきっと宮永さんを排除する為の方法を真剣に考えていたに違いありません。
しかし…それをギリギリのところで思いとどまれたところで一体、何が違うのか私自身にも疑問ではありました。
だって…どれだけ言い訳しても私にとって彼女が目障りで仕方がない事には変わりがないのです。
それを排除しなければ…私が決して幸せになれないという事実は…揺るぎません。

―― でも…そんな事をしたら…。

そう言い放つ心の声はとても弱々しいものでした。
思考を静止する力も殆どないそれは…きっと私自身でも分かっているからでしょう。
狂気の進行はどうあっても押し留める事が精一杯で、自分だけでは根絶なんて不可能な事を。
それから解放される為には夫を取り戻す事しか道がない事を…私も理解しているのです。

―― それに…何より…さっきの私は…。

明らかに現実と『現実』を混同していました。
それは私の創りだした『現実』がリアリティあふれるものだという事も無関係ではないでしょう。
しかし、一番、大きいのは…恐らくそれを区別する能力が私の中で欠如していっているのです。
まるで『現実』が現実になって欲しいと…そう言うように…私はその二つを混ぜあわせ始めていました。
さっきだって少し考えれば分かる点は幾つもあったはずなのに、私は部長に言われるまでそれに気づく事はなかったのですから。
私は恐らく…本格的におかしくなって来ているのでしょう。

―― でも…私は…。

もうおかしくなるしか…道が残されてはいません。
それ以外のものは全て宮永さんに奪われてしまったのですから。
私が私である為に必要なものは…もう全部、彼女の所為で粉々になってしまったのです。


――それを…悪いとは言いません。

恐らく宮永さんだって…何か悪意があった訳ではないのでしょう。
けれど…それは私だって同じです。
私だって…おかしくなろうとしてなっている訳じゃありません。
ただ…追い詰められた結果そうなっているだけで…私も出来ればそれを回避したいのです。

「和…やっぱり帰った方が良くないか?マジで顔色やばいぞ」
「…そう…ですね」

ですが…それもこのままここに居れば難しい。
そう思った私は心配する須賀君の言葉に頷きました。
このままここに居ても…私はきっとろくに集中出来ないでしょう。
それよりは…家に帰って一人で練習した方が遥かにマシなはずです。

「うん。その方がいいわ。見るからに体調は悪そうだもの」
「すみません…」

私の背中を押すように言う部長に私は小さく謝りました。
折角、私の為にどうやって練習すればいいかを考えてくれたのに私はそれをろくに活かす事が出来なかったのですから。
これがまだ本当に体調不良であれば、私も少しは気が楽であったのかもしれません。
しかし、私は体調不良というよりは精神の安定を欠いているだけなのです。

「…合宿までに…形にしてみますから…」
「あんまり気負い過ぎないでね」

そう言葉を付け加える私に、部長はあっけらかんと言ってくれました。
けれど、三年生で最後の公式戦という事もあり、一番、焦っているのは部長のはずなのです。
それを感じさせない優しい言葉が、きっと部長が生徒議会長になった理由なのでしょう。
それに感謝を強めながら、私はそっとカバンを取り、部室から出て行きました。

―― ゆーきがいなくて…良かった。

また学食にタコスを買いに行っている彼女がいたら、きっと余計な心配をさせてしまった事でしょう。
こうして部活も早退するだなんて今まで一度もなかったのですから。
しかし、私はもう…宮永さんと須賀君が一緒にいる空間に居たくありません。
それだけで私の思考がおかしくなって…狂っていくのが分かるのですから。


―― 後で…ゆーきにもメールを送っておきましょう。

結局、私は彼女が送ってくれたメールに返信一つ出来ていないままなのです。
勿論、朝からろくに話せていないので、ゆーきに口頭で返事をしている訳でもありません。
まるで少しずつ彼女とも疎遠になっているようなそれに、私もまた危機感を覚えていたのです。
今度こそ絶対に忘れずに…ゆーきにメールを送らなければいけない。
そう心に決めながら、私はそっと足を早め、旧校舎から出たのです。

「あ…」
「…あ」

そんな私の前に現れたのは食道の袋を手に持ったゆーきでした。
私に驚きの視線を向けるその顔に私は気まずさを感じます。
ついさっきああやって心に決めたものの…こうして直接、彼女を前にすると何を言って良いのかわからなくなるのでした。

「…のどちゃん、帰るのか?」
「えぇ…少し…体調が優れなくて…」

そうやって彼女に嘘を吐く自分に嫌気が差しました。
部長ならまだしも…ゆーきは私にとって親友といっても良い立ち位置にいるのですから。
実際、何度も彼女に助けられた事を忘れるような自分の姿に…自己嫌悪を感じるのです。
そして、それは疲弊した私の心にとっては重く…早くこの場から逃げ出したいと思わせるのでした。

「…その前に…ちょっとお話して良いか?」
「それは…」

そんな私を呼び止めるゆーきの視線は、とても真剣なものでした。
恐らくそれだけであれば、私は彼女を振りきって家に帰る事も出来たでしょう。
けれど…そこに微かに焦りのような感情が浮かんでいるのです。
まるでこの場を逃したらもう手遅れになってしまうと言うようなそれに私は言葉を詰まらせました。

「構いませんよ。でも…手短にお願いします」

結局、私が選んだのは珍しい姿を見せるゆーきに付き合う事でした。
けれど、そこには微かに刺が浮かび、苛立ちを見せる声音になっていたのです。
勿論…私だって…ゆーきにそんな声を向けたくはありません。
ですが、私の心は朝から打ちのめされ…不機嫌さを多い隠す余力もなかったのです。

「のどちゃんは…このままで良いのか?」
「…何がですか?」

瞬間、聞こえてきたその声に私の声音は刺々しさを増しました。
わざと主語を欠くようなその言葉に…私の心が苛立ちを強めたからでしょう。
それはきっと…ゆーきが何に対してそう尋ねているか私自身が知っているからです。
ゆーきがこうやって私に言うくらいに私が後悔している事なんて一つしかないのですから。


「京太郎の事…このままにしておきたくないんだろ?」
「っ…!」

しかし…そう分かっていても…私の本心を射抜く彼女の言葉に私は同意出来ませんでした。
寧ろ、心の中は反発で溢れ、ギュッと歯の根を噛み締めるのです。
まるで自分の触れてほしくない傷に触れられたようなその反応に…私は務めて冷静になろうとしました。

「何の事だか…さっぱり分かりません」
「のどちゃん…」

そんな私に選べる言葉なんて…拒絶混じりのものでしかありませんでした。
だって、そこはまだ私にだって直視できない深く苦しい傷なのです。
私を少しずつ暗い狂気の底へと誘う深いものなのでした。
そんなところに触る話題を続けられたら…私はまたおかしくなってしまう。
そう思う私が、とぼけるような言葉を返すのは決しておかしな話ではないでしょう。

「このままじゃ…本当に…宮永さんに京太郎の事取られちゃうじぇ…」
「…っ…!!」

しかし、ゆーきの次の言葉はそんな場所を構わずに抉るものでした。
まるで傷口に塩をすり込むような残酷で現実を直視させる言葉に…私の目尻は熱くなってしまうのです。
けれど…そうやってゆーきの前で泣いたりする訳にはいきません。
ただでさえ、不機嫌な声で彼女に八つ当たりしているのですから…それ以上に迷惑なんて掛けたくなかったのです。


「…別に…それの何がいけないんですか?」
「…のどちゃん…お願いだから…正直になってくれ」
「私は最初から正直です。ゆーきの方こそ…少し変ですよ」

ですが…そうやって自分を取り繕えば取り繕おうとするほど私はドツボへと嵌っていくのです。
自分を過度に護ろうとする所為か、普段は言わないような強い言葉を彼女へと向けてしまうのですから。
そんな風に…言いたくないはずのに…もっと何時もみたいに仲良くお喋りしたいのに…それがどうしても出て来ません。
まるで頑なになった心がそれを拒絶しているように…私は刺々しい言葉しか返す事が出来ないのです。

「…そうだな。私も変なのかもしれない。でも…のどちゃんはもっと変だじぇ」
「…私が?」
「いっつも京太郎の事を見て…宮永さんが一緒にいると…すぐさま辛そうな顔をしてる」

そんな私の様子を言い当てる彼女の言葉に…私はろくに反論する事が出来ませんでした。
実際…私は自分でもそうやって馬鹿げた反応をしている自覚はあるのですから。
けれど、それを他人から言い当てられるのは辛く、そして恥ずかしい事だったのです。
それに私の心がまた固まっていくのを感じた瞬間…私の口はまた勝手に言葉を紡ぐのでした。

「ところ構わずにベタベタする二人が不愉快なだけです。何か特別な感情がある訳じゃありません」
「…のどちゃん…っ!」

そんな私にゆーきも苛立ちを隠せなくなってきたのでしょう。
私の名前を呼ぶ彼女の声は荒れたものになっていました。
今まで私に向けられた事のなかったそれに頑なになった心が怯みそうになってしまいます。
しかし…事ここに至って態度を軟化させられるようであれば…私はきっと最初から彼女に対して刺のある言葉を向けたりはしなかったでしょう。


「何度、言われても…私の答えは変わりません」
「もう…そうやって嘘を吐かないでくれ…ううん…嘘を吐いても良いから…!せめて自分に正直になってよ!」

それを証明するような私の言葉に…ゆーきは縋るような言葉を漏らしました。
それはきっと…私の事を心から思ってくれているが故のものなのでしょう。
私と対立しても良いと身を砕く覚悟で、この頑なに認めまいとする愚かな私を是正しようとしてくれているのです。
それそのものは…勿論、有難く、嬉しいものではありました。

―― けれど…今更、素直になって…何が変わるって言うんですか…。

そう。
そうやって好きだって認めたところで…私の状況は何も変わらないのです。
既に宮永さんは須賀君と付き合ってしまったのですから。
私が望む場所は既に奪われ…なくなってしまったのです。
そんな状況で素直になっても…傷口を深め、苦しくなってしまうだけ。
朝の苦しさから未だ脱しきれていない私にとって、それは決して看過出来るものではありませんでした。

「…話はそれで終わりですか?」
「違う。まだ終わってない!まだ…のどちゃんが認めるまで…」
「…っ!」

そしてまた…それを突きつけようとするゆーきに対する不快感も…そろそろ限界に達していました。
勿論、彼女が良かれと思って、私の為に動いてくれているのは…ちゃんと伝わってきているのです。
けれど、それらは私にとっては正しいが故に…残酷なまでに心を傷つけるものだったのでした。
そんなものを延々とループするように聞かされて…我慢なんて出来る訳がありません。
ついにブツリと頭の中で何かが途切れた音が聞こえた私は…噛み殺した感情を吐き出すように口を開いたのです。


「いい加減にして下さい…っ!!もう…しつこいんですよ!!」
「のど…ちゃん…」

はっきりとした怒りを吐き出す私にゆーきが目尻に涙を溜めました。
まるでもう数瞬後には泣きだしてしまいそうな彼女の顔に私の胸が張り裂けそうな痛みを放ちます。
ですが…限界に達した私の感情はもう止まりません。
まるで今までに溜め込んだ苦しみや悲しみを全て彼女にぶつけようとするように…声を荒上げた声を放つのです。

「別に…私が彼の事が好きでも…嫌いでも…!ゆーきには関係のない事でしょう!!」
「それ…は…」

そんなの…無茶苦茶もいい所です。
だって…彼女は私たちの共通の友人なのですから。
そんなゆーきにとって、私達がギクシャクするというのは決して無関係な話ではありません。
ですが、彼女は私の勢いに気圧されたのか、言葉を詰まらせ、そっと俯きました。

「でも…私…嫌だよ…京太郎とのどちゃんが…こんな風になるだなんて…嫌だよぉ…」

そう言った頃には…もうゆーきも限界に達したのでしょう。
その目尻からポロポロと涙をこぼし、泣きじゃくり始めました。
まるで子どものようなその姿に私の感情はさっと冷め、冷静さを取り戻します。
けれど、冷静になった私の頭は…ゆーきに謝罪するよりも先に…自己正当化の言い訳を探していたのでした。


「…あぁ…そうなんですね」

瞬間…私の頭の中に浮かんできたのは…つい一週間前の光景でした。
あの時…須賀君は最悪と言っても良いタイミングで部室へと戻り…私の言葉を聞いたのです。
勿論、それだけであれば、私は何の悪意も感じず、ただ、タイミングが悪かったのだとそう思う事が出来たでしょう。
ですが、あの時の彼女は…私を挑発するように何度も須賀君の事を訪ねてきたのです。
そう…今みたいに…私の神経を逆なでし…決定的な言葉を漏らさせようとしたのでした。

「ゆーきも…須賀君の事が好きだったんでしょう?」
「…っ!」

そう思うのは別に彼女の不自然な追求だけではありません。
だって、彼女はあの時、「のどちゃんなら京太郎の事を任せられる」ってはっきりとそう言ったのです。
私を須賀君に任せるのではなく、須賀君を私に任せるというその言い回しは…ゆーきもまた須賀君の事を憎からず思っていなければ出ないものでしょう。

「ち…違う…私は…」
「またこの近くに須賀君がいるんですか?」

そう言って周囲を見渡す私の胸には…もう疑念しかありませんでした。
私と須賀君が決別する大きな転機となった機会を…目の前の彼女が創りだした。
そう思うと親友だと思っていたゆーきの事すら信じられなくなり、敵意に満ちた声を帰してしまうのです。
そんな私にゆーきが涙を漏らしながら違うと言いますが…信じられるはずがありません。
だって…信じてしまったら…私はもう自己正当化の理由すら失ってしまうのですから。


「或いは宮永さんに私を引き離してくれってそう頼まれたんですか?どちらにせよ…良かったですね、狙い通りになって」
「のどちゃん…!話を…話を聞いて…!」
「っ…!」

自分の言葉がもう敵意ではなく悪意に満ちたものになっている自覚は私にもありました。
私にだって…頭ではゆーきがそんな事をする子ではない事くらい分かっているのです。
ですが…もうそれを受け入れるには…心がもう限界だったのでした。
辛くて苦しくて…それを他人にぶつけて…どうにか逃れようとする衝動しか…私の中にはなかったのです。

「触らないで!!」
「きゃっ」

だからこそ…私に縋るように手を伸ばすゆーきを…反射的に振り払ってしまいました。
瞬間、バランスを崩した彼女の手からタコスが入っていたであろう袋が飛んでいってしまいます。
そのまま近くに流れ小川にポシャと落ちたその袋は…水に濡れて沈んで行きました。
自然、その中にあったであろうタコスにも水が侵食し、食べられる状態ではなくなったでしょう。

「あ…」

それを見ながら私はまだ気まずそうに声を漏らす事が出来ました。
しかし…うちひしがれたようにその場に蹲りしゃっくりをあげるゆーきに…謝罪の言葉が出て来ないのです。
そうしなければいけないって分かっているのに…今がまだ…ギリギリ間に合う時期だって…そう理解しているのに…私の口は完全に固まってうめき声一つ漏らせません。


「…っ!」

そんな私に選べるのは…その場から逃げ出す事だけでした。
私の身勝手な感情で傷つけてしまった親友から…それに繋がる自己嫌悪から…私は必死に逃げようとしたのです。
ですが…どれだけ一生懸命走っても…それらはまるで鎖のように私を縛り付け…逃がしません。
寧ろ…そうやって逃げれば逃げるほど…私の脳裏に傷つき、涙を浮かべるゆーきの姿が鮮烈に浮かび上がるのです。

「はぁ…はぁ…」

そんな私が逃げ込んだ家には…まだ人の気配がありませんでした。
昨夜、二人とも泊まりになると言っていたのできっとまだ両親とも仕事をしているのでしょう。
それが私にとって幸運か不運かで言えば…きっと後者です。
きっと二人が居れば、親友に八つ当たりをして傷つけてしまった私の事を叱ってくれるはずなのですから。
けれど、私の非行を是正してくれる両親の姿はなく…私は自らの傷を慰める為に…『現実』へと逃げこむしかなかったのです。

「聞いて…聞いて…下さい…京太郎君」

勿論、『現実』に住む夫は…私の異常にすぐさま気づいてくれました。
玄関に座り込み…どうしていいか分からなくなった私を抱き…ポツポツと漏らす言葉に相槌を打ってくれるのです。
その優しい姿は頼もしい反面…頼りすぎてはいけないものだと理解出来ていました。
しかし…今にも泣き叫んでしまいそうなほど追い詰められた私には…最早、夫にしか頼れる存在がなかったのです。


「うん…うん…それで…それでね…」

そしてそんな私を夫は優しく接してくれました。
辛いと苦しいと同じ言葉を何度も繰り返す私を嫌な顔一つせず受け入れてくれるのです。
さっきのゆーきに負けないくらい泣きじゃくる私の頭を撫でながら…辛かったね苦しかったねって慰めてくれるのでした。
それに…私は自分をギリギリのところで押し留めてくれていた留め具がバキバキと砕けていく音が聞こえたのです。
ですが、私にはもう後戻りなんて出来るはずもなく…ただただ、彼に甘え続け…苦しさを訴え続けたのでした。

「私には…もう…アナタしかいません…」

そう。
私には…もうあんなにも私の事を思ってくれていた親友がいないのです。
彼女を傷つけただけでなく…悪しように罵った私にはゆーきの友人である資格はありません。
高校に入るまでは…誰よりも大事であった友人の手を…私自ら手放してしまったのです。
須賀君と同じように…私はまた取り返しの付かない事をして…大事なものを取りこぼしてしまったのでした。


「でも…でも…私は…幸せですよ…」

それは須賀君を傷つけてしまった時と同じくらいに辛く、そして苦しい事でした。
しかし、逆に言えば私にはまだ…夫がいるのです。
こうして愚かな私を受け入れてくれる唯一無二の人がいるのでした。
間違いなく私の理想を体現したであろう優しいその人がいれば…私はいつでも幸せなのです。

「お待たせしてすみません。さぁ…ご飯にしましょうか」

そう言う私に微笑みかけながら、夫は先導するように先へと進んでくれるのです。
その大きくて逞しい背中を見ながら、私はそっとリビングへと入りました。
そこはやっぱり朝から何一つとして変わってはおらず、シィンと静まり返ったままです。
ですが、その静寂の中で夫の優しい声を聞き取る私にとって、それは決して嫌なものではありませんでした。


「ふふ…もう…アナタったら…」

そうやって夫と会話しながらの家事は決して苦ではありませんでした。
どんな家事も夫との生活の為だと思えば、何時も以上に進んでやりたくなってしまうのです。
そんな私を手伝うと夫は何度も言ってくれましたが…傍で見てくれているだけで私は大助かりでした。
実際、私は寝不足気味なのにもかかわらず、簡単に家事を済ませられたのです。

「味の方はどうですか…?そう…良かった」

料理も昨日からは考えられないくらい完璧で、味付けだってばっちりです。
それでも夫の舌に合うか分からずに尋ねた言葉に、彼は笑顔と共に最高だと応えてくれました。
それに緩んだ笑みを向けながら、私もついつい食が進んでしまいます。
昨日から殆ど食欲がなかった所為もあってか、私は最終的に何時もの二倍近くをたいらげたのです。

「べ、別に…これくらい運動すればすぐに消費出来ますし…む、胸は関係ないでしょう、胸は…」

そんな私をからかう夫の言葉に、膨れながら私は洗い物を終わらせました。
既に掃除と洗濯もやりきったので後はもう自室で麻雀の練習くらいしかする事がありません。
ですが、それはこうして私の傍にいてくれている夫に構う事が出来ない事を意味するのです。
そうやって妻である私が夫の事を放っておいて良いのだろうか。
そう思うと中々、それを実行に移す気にはなれません。

「う…いや、別に……はい…それは…その通り…ですけど…」

しかし、夫は私が思っていた以上に厳しい人だったようです。
このまま一緒にリビングでノンビリしようと思っていた私を叱り、麻雀の練習へと向かうように言ってくれました。
それに渋々ながらも従うのは、夫の言葉が正しいと私も理解できているからです。
合宿までに形にするように頑張るとそう言ったのですから…その言葉を翻さずに済むように、出来るだけ努力するべきでしょう。

「じゃあ…私は今から練習しますけれど…すねないでくださいね?ふふ…っ」

そう釘を刺すように言う私に夫が拗ねた言葉を返しました。
それに一つ笑いながら、私は自室の卓へと向き直ります。
そのまま部活でやっていたようにひたすらツモ切りを繰り返す作業は決して苦痛ではありませんでした。
寧ろ、宮永さんが目の前にいないだけでこんなにもスムーズになるのかと思って…ついつい何時間も繰り返してしまうのです。

―― そろそろ…でしょうか。

しかし、どれだけ順調でもそうやって集中を続ける事なんて出来ません。
最初の頃は順調なのもあって集中を維持出来ていましたが、流石に数時間も経つと話は変わります。
何より、そろそろお風呂の準備もして寝るのも視野に入れなければいけない時間でした。

―― 今頃…夫は何をしているんでしょう?

そう思った私が微かに周囲を見渡しましたが…まだ夫はそこにいませんでした。
どうやらひたすらツモ切りを繰り返した疲れもあって、私はまだあの『現実』には戻れないようです。
それが少しばかり悲しいですが…夫は決して私を見捨てません。
私が望んだ時には必ず…傍にいてくれるのですから不安に思う必要はないのです。

―― じゃあ…須賀君は…?

「っ…!」

瞬間、浮かんできた言葉に私は胸に強い痛みを走らせました。
まるで心が強い感情の奔流に押し潰されるようなその感覚に私は身体を強張らせるのです。
それから逃げる為に思考を必死に逸らそうとしますが…その成果は芳しいものではありませんでした。
一度、頭の中に浮かんだその言葉はあまりにも強烈で…そして辛いものであったのです。

―― 別に…須賀君の事なんて…どうでも良いじゃありませんか。

だって、私には夫がいるのです。
彼よりも私の事を一番に考えて、何時だって傍にいてくれる最高の人がいるのですから。
須賀君はただ…そのモチーフになっただけで…別人でしかありません。
しかし、どれだけそう言い聞かせても胸の痛みは強くなる一方で…手首の痛みも相まって私はついに牌を取り落としてしまったのです。


―― …私は…。

私が好きなのは…須賀君ではありません。
私の心が創りだした夫の事が好きで…だから、彼の事を気にする必要なんてないのです。
それが皆にとって幸せであり、最高の結果を生むのですから。
彼の事なんて…寧ろ目障りだと…嫌いだと…そう思うべきなのでしょう。

「……」

しかし、そうと分かっていても…私はそれがどうしても出来ませんでした。
ふと浮かんだ須賀君の姿は…私の愛する夫のものよりも遥かに強烈なイメージだったのです。
まるで私に優しくしてくれる夫が虚像に過ぎないと教えるように…その像ははっきりとしたものでした。
その悔しさに私は手首を抑えながら、きゅっと歯を噛み締めます。

―― …少し休憩しましょう。

そう思って席を経った私は…顔からベッドへと倒れこみました。
しかし、そんな私の事を夫は慰めてはくれません。
まるでそれは須賀君の役割だと言うように…鳴りを潜めたままなのです。
結果、精神を安定させてくれる彼がいなくなった私に…不安という暗い波が襲い掛かってきました。

―― 負けたら…私は…。

ここには居られなくなります。
恐らく父が薦めた東京の進学校へと転校する事になるでしょう。
ゆーきや須賀君と離れ離れになって…また一人ぼっちになってしまうのです。
その不安と恐ろしさはどれだけ転校を繰り返しても慣れる事はありません。
友達と離れ離れになるだけでも辛いのに、もし転校先に馴染めなかったらと思うと…それだけで眠れなくなてしまうくらいに。

―― でも…その方が…良いのかもしれませんね…。

ここで私が居たところで…私はきっと何時か宮永さんの事を害する事になるでしょう。
もしかしたら須賀君にもその狂気と怒りを向けてしまうかもしれません。
何より…私はもうゆーきの事をあんなにも傷つけてしまったのです。
泣かせるほどに彼女を傷つけた私が…ここにいる理由なんてもうないはずです。

―― …でも…でも…。

そう分かっていても…私は…私はどうしてもそれが選べませんでした。
ゆーきと出会い…須賀君と出会ったこの長野の地に私は愛着を感じているのです。
何より…もう会えば辛いだけだと分かっているのに二人から離れたくはないと…まだ心が強くそう思っているのでした。
私には…夫さえいれば良いのに…それで皆、幸せになれるはずなのに…それを認めまいとするように…感情の波は途切れないのです。

―― …もうちょっと…やりましょう。

それが自己満足に過ぎない事くらい…私にも理解出来ていました。
決して湧き上がらせてはいけない…自分勝手なものだって分かっているのです。
しかし、それでも私は…どうしても衝動めいたそれを否定する事が出来ません。
結局、部長の為だとかそう理由をつけて…また卓へと向き合い…それから…結局、右手がビキビキになるまで同じ動作を繰り返すのでした。


……
…………
………………


―― 次の日から…私は一人でいる事が多くなりました。

ゆーきもあそこまで酷い事を言われて…私に話しかける気もなくなったのでしょう。
次の日…学校に行った私に彼女は目も合わせてくれなくなっていました。
その瞳は真っ赤に充血し、彼女が一晩中泣いていた事を私に知らせます。
ですが、私はそんなゆーきに何も言えず…距離を取るだけでした。

―― そんなゆーきに…須賀君が話しかけますが…。

見るからに元気のないゆーきの事を、須賀君も心配しているのでしょう。
彼は幾度となくゆーきに話しかけ、宮永さんがクラスへとやって来た時も彼女のことを気にしていました。
けれど、ゆーきはそんな彼に何も言わず、辛そうな笑みで誤魔化すだけです。
そんな痛々しい彼女が見ていられなくて…私はそっと視線を逸らすのでした。

―― いえ…私にも…分かっているのです。

私は…嫉妬していました。
須賀君に心配してもらえているゆーきに…嫉妬していたのです。
自分が傷つけてしまった事も棚にあげて…彼女のことを羨んでいたのでした。
そんな浅ましい自分が嫌になりますが…しかし、その感情は決して止まってはくれません。
まるでどんどん道を踏み外すように…私の心を埋め尽くすのです。


―― 私だって…辛いのは同じなのに…。

そう思えるような資格なんて私にはありません。
私は加害者であり、ゆーきはあくまでも被害者なのですから。
そもそも今日だって平静を装って過ごしているのですから…彼が気づかなくても責められる訳がないでしょう。
しかし、そうと分かっていても…私の心は身勝手な感情を止めません。
私はおかしくなりそうなくらい須賀君の事を思っているのに…どうして私だけ気にかけてくれないのかと…そう思ってしまうのです。

―― 息が詰まりそうなくらい…苦しいです…。

そんな私を助けてくれるのは…やっぱり愛しい夫でした。
目の前の現実に虐げられた私をぎゅっと包み、好きなのは私だけだって…愛しているのは私だって…そう言ってくれるのです。
その甘い囁きに私がどれだけ救われて…そして苦しめられた事か。
それがなければ私は今すぐ狂っていてもおかしくはありませんでしたが…しかし、同時にその囁きによって…私は少しずつ道を踏み外していたのです。

―― きっと…ゆーきに対して嫉妬してしまうのもその所為でしょう。

だって、そうやってゆーきを心配する須賀君は夫と同じ姿をしているのですから。
いえ、姿だけではなく、その声も性格も逞しさも一緒なのです。
そんな彼が…私ではない別の女性に優しくしていれば…嫉妬してしまうのもおかしな事ではありません。
しかし、だからと言って今の私の感情が肯定される訳がなく、私は悶々とした時間を過ごすしかなかったのです。


「…ふぅ」

そんな私にとって唯一の救いは、部活に出なくても良いと部長から言われた事でしょう。
特に集中力が重要な私の特訓は部室でやるメリットがあまりないのです。
寧ろ、部室に居れば自然と宮永さんやゆーきの姿が目に入り、集中をかき乱されてしまうでしょう。
それは私にとって大きなデメリットであると…部長が悟ってくれたのかは分かりません。
しかし、どうであれ…部活に出なくて良いというのは今の私にとって天からの救いに思える事でした。

「そろそろ…お買い物に行かなければいけませんね」

そう呟く私の視界に入っているのは私を優しく抱きしめる夫と夕飯前を指し示す時計でした。
放課後になってすぐ学校から帰って来た所為で、そろそろ夕飯の買い物をしなければいけないのです。
けれど、私にとっては…正直、それが億劫でなりません。
何せ、心地良い静寂で満たされた家とは違い、外は雑音が多すぎるのですから。
夫を維持し続けるのも難しく、時にはぐれてしまう事もあったのでした。

「今日も美味しいご飯を作ってあげますからね」

しかし、それでも買い物を欠かす訳にはいきません。
だって、私が夫にしてあげられる事なんてそれくらいしかないのです。
男性好みの美味しい料理を作って、彼にそれを振る舞うくらいしか甘えっぱなしの私には出来ません。
だからこそ、私は気怠い身体に鞭打つようにしてソファから立ち上がり、家の外へと歩き出すのです。

もうちょいでキリのいい所まで行けそうだけどちょい休憩
とりあえずタコスファンの皆はごめん
これ終わったら次は京タコスレ書くんで許して下さい…

>>283
男心を掴むには胃袋を掴むのが一番って言うしな


「少しずつ湿気もマシになって来ました。そろそろ夏も近いんでしょうか」

そんな話を夫とする私に道行く主婦の人々は怪訝そうな目を向けたりはしません。
それはあくまでも妄想の中で紡いだ言葉であり、本当に口から出したものではないのですから。
私の身体は現実にありますが、意識は今、『現実』の中で夫を手を繋いだままなのです。
それに笑みを浮かべながら心地良い『現実』の中で会話を続ける私はいつも通りスーパーで買い物を済ませました。

―― 後は帰るだけですけれど…。

用事を済ませた私にはこのまますぐに帰るという選択肢しかありません。
ですが、それを逡巡させたのは、今日、両親が帰ってこれるというメールでした。
久しぶりに三人揃って食事が取れるかもしれないと思ったら夕食の準備だけでは味気ないです。
どうせならば、何処かでデザートでも買っておきたい。
そう思った私に夫から一つの提案がありました。

「あぁ…それも良いですね」

夫が提案したのはこの前、テレビで紹介されたケーキ屋さんへと赴くというものでした。
ふんわりとしたシフォンがオススメだというその店に、私も興味をそそられていたのです。
ここから少し離れた場所にはなりますが、常日頃から買い物を欠かさずしている私の荷物はそれほど多くはありません。
今から言ってもそれほど疲れたりはしないでしょう。


「アナタの分もちゃんと買ってあげますからね」

そう微笑みながら言う私に、夫は嬉しそうな笑みを返してくれました。
きっと彼も私と同じでシフォンケーキを気にしていたのでしょう。
一体、どんな味がするんだろうと楽しそうにする夫は今にもスキップを初めてしまいそうでした。
そんな夫が何処にも行かないように、『現実』の中でしっかりと腕を絡めながら、私は件のケーキ屋さんへと近づき… ――

「…え?」

瞬間、そこから出てくる見覚えのある姿に私は思わず声をあげてしまいました。
今までのように『現実』の中で声をあげるのとは違い、はっきりと言葉にするそれも…致し方ない事でしょう。
だって、そこには仲睦まじく腕を組み、一つの袋を持つ宮永さんと須賀君の姿があったのですから。

―― な、何を…しているん…ですか…?。

勿論…そんなもの決まっています。
もう部活が終わってもおかしくない時間なので、二人で帰り道にケーキ屋さんに寄ったのでしょう。
独特なロゴの入った半透明の袋もそれを肯定していました。
ですが…私はそれを見ても尚、目の前の光景を信じる事が出来ません。


―― だって…夫は今…私と手を繋いでいるはずで…。

そう。
夫が愛してくれているのは世界でただ一人、私だけなのです。
そんな夫と手を組んで良いのは…妻である私だけでしょう。
ですが…それなのに…宮永さんは幸せそうに…須賀君と手を組み…甘えるように身体を預けているのです。
まるで今が幸せの絶頂期なのだと疑いもしていないその表情に…私の心は悲鳴をあげました。

―― 私は…あんな顔を出来るでしょうか…?

…そう尋ねなくても答えなんて分かり切っていました。
そもそも…夫は私の理想の形ではありますが、あくまでそれだけなのです。
夫から与えられる幸せは決して嘘ではありませんが、さりとて真実でもないのです。
そんな私が…あんな風に心から幸せそうな笑みを浮かべられるはずがありません。
きっとどれだけ幸せになったとしても…私が浮かべられるのはきっと歪んだものでしょう。

―― 瞬間、夫の姿がぼやけて…。

まるで私の不信に呆れたように、その姿が曖昧になっていく愛しい人。
それに私は『現実』の中で待ってと何度も叫びました。
しかし、夫の姿がどんどんと揺らぎ…そしてふっと消えていくのです。
後に残されたのは一人絶望に打ちひしがれ…友人も何もかもを失った孤独で愚かな女性だけ。


―― 私…は…。

そんな私にとって選べる選択肢は二つありました。
このまま家へと逃げ帰り…再び『現実』へと戻る道。
逆に…私にまだ気づいていないらしい二人の後をつける道。
ですが…そんな選択肢に迷う必要なんてきっとないのでしょう。

―― だって後をつけても…きっと苦しいだけなのですから。

再び夫を失い、強引に現実へと引き戻された私にとって…二人の姿は劇薬もいい所です。
恐らくこのまま後をつけても心を痛め、また夫に慰めてもらう羽目になるだけでしょう。
しかし、そうと分かっていても…私は踵を返す事が出来ませんでした。
まるで…迷っているかのように二人の後ろ姿をじっと見つめ、その場に立ち尽くしてしまうのです。

「……」

結果、私が選んだのは…二人の後をつける事でした。
まるで誘蛾灯に吸い寄せられる虫のようにふらふらと二人の後をつけてしまうのです。
そんな自分が哀れでみっともないという自覚こそありましたが…最早、どうにもなりません。
歩き出した足は止まらず…二人に少しずつ近づいていくのです。


「今日も大変だったねー」
「大変だったのはお前の説明ばっかりしてた俺の方だと思うぞ」
「えー…私も頑張ったもん」

そんな私の前で二人は掛け合いを始めます。
呆れるような須賀君に甘えるような宮永さんという構図ではありますが…しかし、彼のそれは決して本心からのものではないのでしょう。
だって、彼の顔は呆れるようにしながらも、優しげな笑みを浮べているのですから。
まるで頑張った宮永さんの事を誰よりも知っているのだと言うような暖かいその表情に私の痛みは強くなりました。

「いい加減、操作くらい覚えろって」
「うー…そうなんだけど…」

そこで言葉を言い淀むのは宮永さんは重度の機械音痴だからでしょう。
今時携帯すら持っていない彼女にネット麻雀限定とは言え、パソコンの操作を覚えろというのはハードルが高いのです。
しかし、だからと言って、それは須賀君の手を取って良い事にはなりません。
大会前で大変なのは、須賀君の方も同じなのですから。

「ま、俺で良ければ幾らでも教えてやるけどさ」
「ごめんね…京ちゃん」

しかし、須賀君はそんな事まったく思っていないかのようにあっけらかんと笑いました。
まるでそうやって迷惑を掛けられる事を喜んでいるようなその表情に私は理解出来ません。
相手は恋人とは言え、宮永さんは見るからに彼に対しておんぶ抱っこなのです。
見ている限りではまるで須賀君の献身に報いてはおらず、ただ甘えているだけなのですから。
そんな彼女が受け入れられるどころか…喜ぶような笑みを浮かべるだなんて…理解出来るはずがないでしょう。

ごめんなさい、またちょい離席します
今度は二時間くらいで戻ってくる予定
後、>>285誰がうまい事言えと


「気にすんなって。そもそも、俺は咲に感謝してるんだぜ」
「…感謝?」
「あぁ。咲が入ってくれたお陰で和たちが大会に出られる目処がついたからな」

そう言う須賀君の表情は心から嬉しそうなものでした。
晴れ晴れとして何処か誇らしそうにも見えるその姿には一片の嘘も悪意もありません。
きっと彼は心から宮永さんに感謝し、「気にするな」と言っているのです。

―― でも…私は…そんな風には…思えません…。

しかし、それが私の胸を突くように感じるのは…私が宮永さんの事を敵視しているからでしょう。
宮永さんの参加を心から喜ぶ彼とは違って…彼女に消えて欲しいと…そう思っているのです。
勿論、それは麻雀部も決して例外ではありません。
例え、今年が部長の最後のインターハイだとしても…もう宮永さんの姿を見たくない。
そう思う私にとって、須賀君の言葉は自らの器の小ささを自覚させるものだったのです。

「…そう…なんだ」

そんな私の前でポツリと呟かれる彼女の言葉は暗いものでした。
しかし、一体、彼女が須賀くんの言葉の何が気に入らなかったのか私には分かりません。
だって、彼の言葉は宮永さんにストレートに感謝を告げるものだったのですから。
そこに声を暗く沈ませる要素があったとは到底、思えなかったのです。


「それに…お前を助ける事で役立たずの俺が結果的に皆のサポートになれるんだ。こうして頼られるのも悪くねぇよ」
「京ちゃん…」
「っ…!」

瞬間、自分を卑下する須賀君の言葉に私は思わず飛び出してしまいそうになりました。
だって…そんな事は誰も思っていないのです。
須賀君が役立たずだなんて思っている人はきっと麻雀部の中に誰一人としていません。
部長だって須賀君の事を信じているからこそ、宮永さんのサポートに回したのでしょう。
ですが…彼はそれに気づいていないのか、自嘲気味にそう言葉を漏らし、笑みを浮かべました。

「…京ちゃんって根っからのパシリ気質だよね」
「パシリって…お前なー」

しかし、そんな須賀君に…宮永さんはフォローしません。
下らない冗談で誤魔化すようにポツリとそう言葉を漏らすのです。
それに…私は強い怒りを感じました。
私だったら…すぐさま慰めて…その自嘲を必要ないものだと正してあげるのに…彼女はそれをしないのですから。
そんな人が須賀君の恋人に相応しいとは…私にはどうしても思えず…理不尽な怒りが沸き上がってくるのです。

「せめて保護者って言えよ」
「へぇ…毎朝、起こしてもらってそういうこと言うんだ?」
「別に起こしてもらわなくても起きられるっての」

そう肩を落とす須賀君の言葉は事実でしょう。
実際、彼は宮永さんと復縁するまでは自分で起きていたのですから。
特に遅刻なんてしなかった彼が、今更、宮永さんの手を借りる必要があるとは思えません。


「京ちゃんは分かってないよ」
「何がだ?」
「今時、毎朝、起こしてくれる幼馴染って貴重なんだよ?希少価値なんだよ?ステータスなんだよ!?」

「お、おう」

少しずつ声を荒上げる宮永さんに須賀君も気圧されたのでしょう。
頷くその姿はぎこちなく、その声も硬いものになっていました。
けれど、そこに驚きがないのは、恐らくこうして強気に迫る宮永さんが初めてではないからなのでしょう。
部室の彼女はまだ臆病な文学少女と言った体を崩していませんが、須賀君と二人っきりの彼女は意外と自己主張が激しいタイプなのかもしれません。

「…京ちゃんは私に対して色々と感謝が足りないと思いまーす」
「こうしてケーキ買ってやった奴に対してなんて言い草だ…」
「えへへ…ありがとうね、京ちゃん」

そう言いながら宮永さんはぎゅっと須賀君の腕を抱き寄せました。
両腕で優しく抱えるようなそれは甘えるような仕草にも映ります。
けれど…私にとってそれは顕示するものに他なりませんでした。
須賀君が自分のものだと…彼の隣は自分の居場所だとそう示すような仕草にしか思えなかったのです。

「でも…私はそんな京ちゃんが好きだよ」
「っ!」


瞬間、ポツリと漏らすその声は冗談めかしたものでした。
その顔もニコニコと笑って…真剣そうなものは何処にもありません。
しかし…それでも…私には、私にだけはそれが伝わって来ました。
彼女は本気でそう言っているのだと…心から須賀君の事を好いているのだと言う…はっきりとした感情が。


「このタイミングで言われてもなぁ…」
「あんまりときめかない?」
「つーか、パシリとかそういう意味にしか聞こえないっての」

そして、それは須賀君には伝わっていないのでしょう。
呆れたように肩を落とすその姿には呆れるようなものばかりでした。
一切の緊張を浮かばせないその表情は呑気と言っても良いくらいなのかもしれません。
それに私が小さく安堵するのは…もし、彼が額面通りに受け取っていたら…どうしていいか分からないからでしょう。
もし…須賀君が宮永さんに向かって…愛の言葉を返していたら…それこそ私は気が狂ってしまいそうだったのです。

「うん。勿論、そういう意味で言ってるし」
「こんの!」
「きゃんっ」

瞬間、怒ったような声をあげながら、須賀君の左手が宮永さんの頭に触れました。
そのまま髪の毛をくしゃくしゃにする彼に、彼女は小さな悲鳴をあげます。
しかし、そこに決して嫌そうなものがないのは、宮永さんがそれだけ彼に心を許しているからでしょう。
例えじゃれあいとは言え髪の毛を乱されても許せるくらいに…彼女は須賀君の事を好きになっているのです。

「…でも、それだけじゃないよ」
「咲…?」

瞬間、聞こえてきたその声はさっきとは比べ物にならないくらい真面目なものです。
それに須賀君を足を止め、彼女の表情を見た時には…もう辺りは住宅地でした。
黄昏時のその場所には私達以外に人の気配はなく、遠く離れた二人の姿がよく見えます。
それに私が見つからないか不安に思った瞬間、宮永さんは須賀君へと向き直り…その唇をゆっくりと開いて…… ――
















































「ねぇ、京ちゃん。キス…してみない?」


































今日は終わりー
中断ばっかりで申し訳ない
明日というか今日は出来たらやるつもりだけど確約は出来ない感じ

後、タコスは下手に女性として非の打ち所のないのどっちが傍に居たからそういう自己評価低そう
浮気されたら自分が魅力ないのが悪いって思い込んで、泣いてすがったりするんじゃないかな
或いは恋人に満足して貰えるように自分で自分の身体開発したりとか
そんな風にどんどん深みに嵌っていって最後には性奴隷として飼って貰いたがるタコスのSS誰かオナシャス!!!

乙ー

でもそれってむしろ部長っぽくね?
タコスはひたすら京ちゃんに甘えまくるイメージ


―― 何を言っているんですか…?

私にはそんな宮永さんの言葉がまったく理解出来ませんでした。
だって、ここは人通りが少ないとはいえ天下の往来の真っ只中なのです。
住宅地でもある場所で普通はキスなんてしません。
どの家の窓から見られているか分からないのですから、当然でしょう。

―― それに…そんな…は、早すぎ…です。

私が須賀君の事を傷つけてしまってからまだ一ヶ月も経っていません。
そんな時期にもうキスをするだなんてあまりにもふしだらでしょう。
普通はもっとこう順序立てて愛を深めていくのが一般的なはずです。
少なくとも…私にはどうしてこのタイミングで宮永さんがそんな事を言い出したのかまったく理解出来ませんでした。

「いや…お前なー」

そんな私にとっての救いは須賀君がそれに対して拒絶反応を示したことです。
呆れるようなそれはきっと彼も私と同じ価値観を持ってくれているからでしょう。
それに私はそっと胸をなでおろし、思わず安堵の溜息を吐きました。


「京ちゃんは私とじゃ…嫌?」
「嫌って訳じゃないけど…でも…」

けれど、宮永さんはそんな須賀君を見ても引きません。
まるでここで勝負をつけるのだと言わんばかりにグイグイと踏み込んでくるのです。
それに彼が困ったような顔を見せますが、彼女は躊躇すら見せませんでした。
寧ろ、その言葉を遮るようにして手早く口を開くのです。

「私は…京ちゃんとキスしたいよ」
「咲…」

そのストレートな言葉に、須賀君はその表情を真剣なものへと変えました。
きっと彼は今、彼女が本気であるという事を悟ったのでしょう。
その脳裏では宮永さんの申し出にどう応えるべきかの思考が展開されているはずです。
そして…私はそれを外野から見ているだけで…何も出来ません。
彼の出した答えがどうであれ…私は二人に声を掛ける事も出来ないのです。

―― せめて…ここが住宅地でなかったら…!

さっきの大通りであれば、まだ二人に話しかける事だって出来たでしょう。
しかし、こうして住宅地の中に入られてしまったら私がここにいる事が不自然になってしまうのです。
ここは私の家とは反対方向で普通であれば立ち寄るような区域ではないのですから。
流石に二人を付け回していたと思われる訳ではないでしょうが、怪しまれるのは確実でしょう。


―― でも…それでも…私は…!

それで犠牲になるのは精々が私の体面くらいです。
二人がキスをする現場を見せられるのに比べれば、全然、なんてことはありません。
しかし…そう分かっていても…私の足は二人の元へ進みませんでした。
どっちの方が大事かなんて分かっているはずなのに…まるで縫い付けられたかのようにその場から足が離れないのです。

「ごめん。それなら…俺は尚更、キスなんて出来ない」

そんな私の耳に後に届いたのは宮永さんを拒絶する言葉でした。
数十秒ほどの逡巡の後、はっきりと拒絶するその表情は真剣そのものです。
その答えを出すまでに彼が強く思い悩んだ事を知らせるそれに私の身体から緊張が抜けて行きました。
ふっといつの間にか強張っていた身体から力を抜けば、そこには幾つもの冷や汗が浮かんでいます。
梅雨のじっとりとした熱さに浮かぶそれとは違った冷ややかな汗の感覚に、私は荒い息をあげながら、そっと胸を抑えました。

「俺は…まだ和の事が…」

―― …え?

瞬間、聞こえてきたその声に私の視線は再び二人へと釘付けになります。
そのままじぃっと見つめるものの、その先は彼から出て来ませんでした。
それも…当然でしょう。
だって、須賀君の唇は…宮永さんの唇によって塞がれ…二人のシルエットは完全に一つになっているのですから。


―― え…なん…で…?どうして…?

恐らく須賀君が見せたほんの僅かな隙を狙ったのでしょう。
ここからかいま見える彼の表情は驚きに固まっていました。
しかし、私は冷静になれたのはそこまでです。
そこから先は…もう…訳がわからなくて…思考が完全に固まってしまったのです。

―― どうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうして!?

須賀君は宮永さんを拒否していたはずなのです。
キスなんて出来ないって…彼なりに答えを出したのですから。
しかし、彼女はそれを尊重しないどころかその場で破りすて、彼の唇を奪った。
その光景に…私は目を見開いて…ぎゅっと指先を握りこんだ拳を震わせます。

―― そんなの…そんなの…どうして…!?

しかし、どれだけ驚きと怒りを表現しても…目の前の光景は変わりません。
宮永さんは須賀君が固まっている事を良い事に…その唇を奪い続けているのです。
私も知らない…彼の唇の感触を…味わいながらも…穢しているのでした。
そう思ったら…私はもう…我慢出来ません。
そんなふしだらな宮永さんに一言言わなければ気がすまないと言うように…震えていた足が一歩踏み出したのです。


「っ!!」

けれど…それは次の瞬間には再び固まってしまいました。
それは…彼女の視線が一瞬、私のことを射抜いたように見えたからでしょう。
最初から私のことに気づいていたかのようなその視線に…私の足は竦み上がりました。
今まで一度も味わったことのない凄みに…「お前はそこにいるのがお似合いだ」と言わんばかりのその視線に…私は抗えなかったのです。

「あ…あぁぁ…っ!」

結果、私に出来るのは…ただ屈辱感を感じる事でした。
こんなにもおかしくなるくらいに好きな人の唇を蹂躙されるのを…ただただ見ている事しか出来ないのです。
それに私の唇から声が漏れますが…しかし、それも小さく抑えられたものでした。
まるで今、宮永さんの邪魔をしてしまったら…死んでしまうと言うように…私の身体は悲しみの声すら低く抑えていたのです。

―― それが宮永さんに聞こえたのかすら私には分かりません。

ですが、既に宮永さんは私から視線を外し、そっと瞳を閉じていました。
その頬を紅潮させるその表情はとてもうっとりとしていて心地良さそうです。
二人の会話を聞く限り、それは宮永さんにとってもファーストキスなのですから当然でしょう。
きっと…好きな人とのキスはどんなものにも負けないくらい幸せで心地良い気持ちにさせてくれるのです。


―― じゃあ…私は…?

私は…私は…須賀君の事が好きです。
その気持ちはきっと宮永さんにだって負けてはいません。
しかし、そんな私に…彼がキスをしてくれる事はないのです。
既に須賀君は彼女の恋人になり…私の傍から去ったのですから。
だから…きっと…私はもう二度と…あんな風に…幸せそうな表情をする事が出来ないのです。

―― アナタ…アナタ……っ!!

それが我慢出来なくて…私は心の中で愛しい人を呼びました。
けれど…私を何時も慰めてくれるその人は…私の前に現れてはくれません。
いえ…きっと現れたところで…私は自分の心の傷を癒す事は出来なかったでしょう。
だって…どれだけ現実味があるように感じられても…『夫』が私の妄想が生み出したものに過ぎないのですから。

―― それに…私は…キスの感覚を知りません…。

今まで私を抱きしめたり、頭を撫でてくれる感覚は経験したのもあって簡単に妄想する事が出来ました。
けれど…どれだけ書物を読み解いても…キスの感覚がどういうものかはまったく分からないのです。
そんな私が…『夫』相手に幸せなキスを出来るはずがありません。
きっとキスを強請ったところで、空虚で悲しいだけ『接近』があるだけなのでしょう。


「んふ…ぅ」

その想像に堪らない敗北感を感じる私の目の前で宮永さんの顔がゆっくりと離れて行きました。
その頬を赤く染めたまま濡れた瞳を開くその姿は、艶っぽささえ感じるものです。
同性である私の目から見ても、艶めかしいと思えるそれに男性である須賀君が耐えられるはずがありません。
その頬を宮永さん以上に赤く染めながら、彼はそっと視線を背けるのです。

「…どうだった?私とのキス」
「そういう事この状況で聞くなっての」

ですが、そんな須賀君を宮永さんは手放しません。
その頬を幸せそうに蕩けさせながら、甘くそう尋ねるのです。
まるで勝ち誇るようなその表情に…私はぎゅっと歯を噛み締めました。
しかし、相変わらず私の足は棒立ちになったままで…気恥ずかしそうに返す須賀君に声を掛ける事すら出来ません。

「嫌だったら…止めるけど」
「嫌じゃねぇよ」

自然、続く会話に…私の胸は強い痛みを訴えました。
さっきまでの逡巡とは違い、即答で返すそれは、きっと紛れも無い本心なのでしょう。
須賀君は…突然、しかも…無理矢理キスされたのに嫌がっていないのです。
それはきっと彼もまた彼女のことを憎からず思っているからでしょう。
そう思うと私の目尻はじわっと潤み…ポロポロと涙を零すのでした。


「でも…だからこそ、自制しなきゃいけないだろ。まだ気持ちの整理もついてないんだから」
「私は構わないよ?」

そんな私に…須賀君は気づいてはくれません。
いえ、それどころか、その表情を真剣そうなものに変えて宮永さんを見つめ返すのです。
その頬を微かに赤く染めながらのそれは彼の意識にあるのが宮永さんだけだと言う事を私に教えました。
それが…私には苦しくて苦しくて…もう涙が止まらなくなってしまうのです。

「俺が構うんだよ。…前みたいに生半可な気持ちで頷いて…咲を傷つけたくないし」
「京ちゃん…」

そして、それとは対照的に宮永さんの表情は幸せそうなものでした。
それは須賀君が彼女のことを大事に思っているが故の言葉なのですから当然でしょう。
私だって同じ立場であれば舞い上がり、回りの事なんて何も考えられなくなってしまうはずです。
しかし、だからこそ…それが私に向けられていないという悲しさに痛みが強まり…涙が大粒へと変わっていくのでした。

「俺は俺なりに…咲の事大事に思ってるんだ。だから…もうちょっと待っててくれないか?その時は俺の方から…キスするからさ」
「…うん。待ってる…」

そう言って…須賀君は宮永さんの髪をそっと撫でました。
言い聞かせるようなそれに彼女は顔を綻ばせながら頷きます。
きっと宮永さんの胸は幸せ一杯で、私の事なんて忘れてしまったのでしょう。
ですが…私はもう…それに安堵を感じる余裕すらありませんでした。
悲しみと敗北感に自意識すら崩れ落ちそうな私は…もう自分を護る為にはその場から逃げ出す事しか出来なかったのです。


―― それから…どうやって私が家へと帰ったのかは分かりません。

ですが…帰った時にはもう髪の毛はボサボサで…顔も涙でぐしゃぐしゃになっていました。
みっともなさすぎていっその事嘲笑の対象になってしまいそうな自分の姿を…私は笑う余裕すらありません。
逃げるようにして家へと飛び込んだ私はそのまま玄関先でズルズルと崩れ落ち、壁に背を預けるような状況だったのですから。

―― アナタ…は…もう…無理…ですね…。

それでもまだ私の事を癒してくれる夫の存在があれば、私はまだ立ち上がる事が出来たのかもしれません。
ですが、それはもう私の心の何処を探してもありませんでした。
きっと…それは『夫』が虚像であると頭だけではなく、心でも理解してしまった所為でしょう。
どれだけ夫が優しくても…私には彼とキスをする事が出来ない。
その事実に心が歪み…最早、妄想に浸る事すら出来なくなっていたのです。

―― 私は…私は…。

唯一の拠り所すら奪われた自分。
しかし、それは…私の中の狂気を抑える歯止めすら消えてしまった事を意味していました。
重圧の消え去ったそれは今までの鬱憤を晴らすように胸の底から湧き上がり、私の頭をクラクラと揺らし、自意識を変質させていくのです。
しかし、私はそれに抗うつもりはなく…ただただ、変わっていく感覚に…身を委ねていました。


―― 私は…私は…悔しい…です…!

それはキスをしている光景を宮永さんに見せつけられたからだけではありません。
こんなになるまで好きになった人を…私は下らないものの為に取り落としてしまったのです。
見栄や羞恥心…そして人への優しさなんてものの為に…私は今、こんなにも傷ついているのですから。
それなら…もうそんなものは要りません。
こんなにも私を苦しめる原因が自身の理性だったというのであれば…私はもう…そんなもの必要ないのです。

―― だって…私は…私は…こんなにも…須賀君の事が好きなんです…!

私はさっき…自覚しました。
いえ…自覚…させられたのです。
自分がどれだけ須賀君の事が好きなのかを…無理矢理、宮永さんに見せつけられてしまったのです。
勿論、これまでも私は自分の感情の大きさには気づいていました。
けれど、それが狂気に身を委ねても良いと思えるほどだなんて想像して…いえ、決して認めようとはしなかったのです。

―― でも…そうじゃないと須賀君が手に入らないのであれば…。

もう他のものなんて要りません。
友人も麻雀も家族も…社会性も…夢に見たあの幸せを再び手にする為であれば…安い代償でしょう。
『自分』すら容易く投げ捨てる事が出来た私にはもうそれらは障害ですらありません。
寧ろ、それは自分から彼に捧げてしまいたいと思える供物だったのです。


―― だって…須賀君はそういう女性が好きなんですよね…?

私はこれまで須賀君の事を思って一歩引いて来ました。
けれど、彼が選んだのはそうやって彼に迷惑をかけまいとした私ではなく我侭で面倒な宮永さんの方なのです。
さっきだって須賀君の意図を汲まずに、自分の感情だけを押し通した宮永さんの方なのでした。
それなら…私が容赦をする必要なんてありません。
きっと須賀君はそんな私の事を気に入ってくれるのですから…もう自分の事を抑える必要なんてないのです。

「ふふ…あは…あはははははっ」

その瞬間、私の中に浮かび上がってきたのは堪らない開放感でした。
今まで理由をつけて抑えこんできた様々な感情が私の身体を駆け抜け、血肉となっていうのが分かります。
まるで重い枷から身体が解放されたようなその感覚に、私は思わず大きな笑みを浮かべました。
それはきっと…私の思考と同じく狂気染みたものなのでしょう。
ですが、私はそれでも構いませんでした。
自分がおかしくなればなるほど…私は自分の愛情の大きさを自覚出来るのですから。

―― そう…私のこれは…愛なんです。

宮永さんに負けないなんてものではありません。
彼女のそれよりも…ううん…きっと全世界の誰よりも大きくて強い愛情でしょう。
そして…間違いなく須賀君はそれを受け止めてくれるはずです。
だって、私たちは結婚しているくらいに…想い合っていたのですから。
勿論、それは夢でありますが…そんなものは些細な違いでしょう。
想い合っていた二人が結婚するのは至極、当然で当たり前なのです。

お昼作ってこなきゃいけないからちょっと休憩
出来れば今日中にエピローグないしその前くらいまでは行きたい


―― そのためには…まずは邪魔者を排除しないといけませんね。

私の脳裏に浮かぶのは宮永さんの姿でした。
しかし、今の彼女はまだ有用です。
私が長野に…須賀君の傍にいる為にも、宮永さんの力は必要不可欠なのですから。
故にどれだけ鬱陶しくても彼女を排除する事は出来ません。
ですが、コレ以上、私と結婚している彼の傍に宮永さんがいるのは許容出来ませんでした。

―― それに…彼女にも屈辱を味わって貰わないと…。

ただ、排除するだけでは飽き足りません。
私がされたような屈辱を…彼女にも味わって貰わなければ気が済まないのです。
少しずつ大事な人が奪われていく感覚に…私がどれだけ絶望し、苦悩したか。
それを与えた彼女に…私はそっくりそのまま…同じ事を返すのです。

―― ガチャ

「…どうした?」
「あ…」

そんな私の耳に扉が開く音と共に父の声が届きました。
そちらにふっと視線を向ければ、そこには私を心配そうに覗きこむ父の顔があるのです。
真面目さを浮かばせる硬いその顔にはっきりと心配を浮かばせるのは、それだけ私の事を案じてくれているからでしょう。
それは私にとって嬉しいものでありましたが…けれど、もう…既に『手遅れ』なのです。


「いいえ。何でもありませんよ」
「…本当か?またストーカーとかそういうのは…」
「ふふ…もう心配し過ぎです」

だって、私はもう覚悟を決めたのです。
どんな手段を使っても須賀君を取り戻すんだって…そう腹を固めたのですから。
それはもう父に何を言われようとも曲がる事はありません。
もし、父がそれを邪魔するのであれば、私はきっと家族でさえ簡単に『排除』しようとするでしょう。

「あ…でも、夕飯はもう少し待ってくれますか?まだお料理していなくって」
「…いや、良い。お前には何時も迷惑をかけているからな」

そう言いながら立ち上がった私に父も安心したのでしょう。
その顔をほんの少し綻ばせながら、肩から力を抜きました。
目に見えて安堵するその姿に私の顔にも笑みが浮かびます。
それはここ最近で取り繕う事に慣れた所為か、自分でも分かるくらいに晴れやかな笑みになりました。

「あいつが帰ってきたら、久しぶりに外食でもしよう」
「良いんですか?」
「あぁ。折角の家族団欒だ。たまには豪勢に行こう」

そう言う父の顔は微かな笑みが浮かんでいました。
その表情をあまり変えない父からは珍しいその反応は、きっとそれだけ家族三人が揃って食事を摂る日を楽しみにしてくれていたのでしょう。
どれだけ仕事で忙しくしていても、父の心の中には家族がいる。
それが嬉しくて、私もまた笑みを深め、リビングへと歩き出しました。


―― 私もそんな風な家庭を須賀君と築きたいな…。

そんな私に浮かんでくるのは、彼の事でした。
いえ、私の頭の中に、須賀君が出てこない時なんて一時たりともありません。
どんな微かなものだって私はそれを須賀君に絡めてしまうのです。
私を慰める為の『夫』とはまた違った自分の思考に胸を踊らせながら、私は振り返って父のカバンを受け取りました。

―― それから一緒にリビングへと入って…。

それから過ごす時間はあまり歓談が長続きするものではありませんでした。
そもそも私も父もあまり口数が多い方ではなく、話題の引き出しだって多い訳ではないのですから。
しかし、それでもその時間を楽しいと思えるのは、そうやって父と話すのが久しぶりに思えるからでしょう。
実際はこうして腰を据えて話すのはストーカー以来なはずなのですが、私にとっては数年ぶりに思えるのです。

―― それはきっと…ここ最近の私が激動と言っても良い状況に置かれていたからでしょう。

めまぐるしく変わる状況にただただ流され何も出来なかった自分。
しかし、私は今、それに対して立ち向かう覚悟を決めたのです。
もう流されるのを止めて…物事へと立ち向かう勇気を固めたのでした。
そんな私にとってそれ以前の自分というのは最早、過去の遺物でしかありません。
どうしてあんなに下らない物に拘っていたのかとさえ思える自分の姿は最早、遠い思い出に思えるほどでした。


「あ、一つ聞きたいんですけれど…」
「ん?どうした?」

きっとそれを父は知りません。
知らない間に娘が完全に道を踏み外し、狂ってしまった事なんて想像してはいないのでしょう。
幾ら父が聡明とは言え、普段から接していない娘の変化に気付けるほどではないのです。
けれど、私にとってはそれは好都合でした。
普段から『良い子』であった分、私には信用と信頼だけは無駄にあるのですから。
それらが切れるギリギリまで無茶をしたところで両親という枷は機能しないでしょう。

―― でも…もう…私、悪い子なんです。

自分はもう人の道を外れている。
そう思う程度の理性は私の中には残っていました。
けれど、それが私にとって何かの抑止力になるかと言えば決してそうではありません。
そんなものはもうとっくの昔に砕け散って、チリも残っていないのですから。
私の中にあるのはただ一つ須賀君へのあふれるような愛と欲求、そして宮永さんへの憎しみだけ。
それ以外は最早、些細なものでしかなく、私の口を開く事すら止められなくて… ―― 

「睡眠薬って何処にありましたっけ?」


……
…………
………………

ぎゃふん…ちょっと訂正








「あ、一つ聞きたいんですけれど…」
「ん?どうした?」

きっとそれを父は知りません。
知らない間に娘が完全に道を踏み外し、狂ってしまった事なんて想像してはいないのでしょう。
幾ら父が聡明とは言え、普段から接していない娘の変化に気付けるほどではないのです。
けれど、私にとってはそれは好都合でした。
普段から『良い子』であった分、私には信用と信頼だけは無駄にあるのですから。
それらがなくなるギリギリまで無茶をしなければ『両親』という枷は機能しないでしょう。

―― でも…もう…私、悪い子なんです。

自分はもう人の道を外れている。
そう思う程度の理性は私の中には残っていました。
けれど、それが私にとって何かの抑止力になるかと言えば決してそうではありません。
そんなものはもうとっくの昔に砕け散って、チリも残っていないのですから。
私の中にあるのはただ一つ須賀君へのあふれるような愛と欲求、そして宮永さんへの憎しみだけ。
それ以外は最早、些細なものでしかなく、私の口を開く事すら止められなくて… ―― 

「睡眠薬って何処にありましたっけ?」


……
…………
………………


―― 麻雀部の合宿はとても楽しいものでした。

久しぶりに会った皆は私のことを快く受け入れ、歓迎してくれたのです。
それは宮永さんも同じで、私に晴れやかな笑みを向けてくれました。
あの日、私にキスを魅せつけた人と同じとは思えないその表情に私もまた笑みを返します。
その奥にある狂気をひた隠しにするその笑みの意味を、彼女はきっとまだ理解していないのでしょう。

―― でも、私にとってそれは宣戦布告も同じでした。

必ず私が須賀君を取り返し、…あの時の宮永さんのように幸せな笑みを魅せつけてみせる。
その感情を込めたそれは宣戦布告以外の何物でもありません。
勿論、それが彼女に伝わっていなくても…私には関係なんてないのです。
私がやりたいのは正々堂々とした戦いなどではなく、手段を選ばない『戦争』なのですから。

―― だから…宮永さんの傍にいるのも苦ではありません。

宣戦布告を終えたとは言え、私はまだ準備が完全に整っている訳ではありません。
こうして合宿に来る前に必要なものを揃えておきましたが、合宿中は最後に必要な条件をクリア出来ないのです。
しかし、だからと言って合宿という時間の中で仲を深める二人を指を銜えて見ていられるはずがありません。
それを防ぐ為にも私は彼女の傍に近づいて、須賀君と二人っきりにはさせなかったのです。


―― それをゆーきが複雑そうな目で見ていましたが…私には関係ありません。

何だかんだ言っていまだ仲直り出来ていない彼女にとって、宮永さんと仲良くなっていく私の姿が複雑に映るのでしょう。
それはきっと昔の私であれば抑止力に働いたのだと思います。
けれど、今の私にとってはそんなもの何の関係もありません。
どれだけゆーきが傷つこうと須賀君さえ傍にいれば…私は幸せになれるのですから。

―― それに…友達なんて…決して一生続く訳じゃありません。

そう思う私に浮かんできたのは阿知賀で仲良くなった皆の事でした。
あの時…親友と言っていいほど仲良くなった皆と私はろくに連絡が取れていません。
それはきっと…ゆーきも同じでしょう。
どれだけ友人と仲が良くても、それは一生、続きません。
所詮は一時、馴れ合うだけの関係に過ぎないのです。

―― でも、夫婦ならそうじゃありません。

父と母がお互いの事を深く想い合っているように…夫婦の絆は永遠なのです。
それを須賀君と結ぶ為であれば、何時か途切れてしまうであろう関係を犠牲にするのだって吝かではありません。
いえ、寧ろ、そんなもので須賀君が手に入るのであれば、私はきっと喜んでそれらを差し出していた事でしょう。


「また来たいな、この合宿!」

そんな私の耳に届いたのは宮永さんの声でした。
近くに流れ落ちる滝の音に負けないようにはっきりと言ったその言葉に私は宮永さんに視線を向けました。
私の数歩先を歩く彼女は背中しか見えません。
しかし、この合宿そのものを心から楽しんでいるのが伝わって来ました。

「県大会に勝てば全国大会前にもう一度合宿があるそうです…」

そんな彼女に言った言葉は微かに目が泳いだものになりました。
幾らタガが外れたとは言え、私は決して麻雀が強くなった訳ではないのです。
いえ、思考というものに大きなウェイトを置く私は逆に弱くなっているのかもしれません。
それなのに合宿中に私が命じられたのはエトペンを抱いたり、ツモ切りを繰り返したりと効果があるかどうか微妙なものばかりです。
正直、強くなった実感なんて得られるはずもなく、私の不安は少しずつ大きくなっていたのでした。

「じゃあ、また来られるんだ」
「……」

そんな私にとって彼女の言葉は有難いものでした。
まるでまたこうして皆と合宿出来る事が既に決まっているようなその言葉はきっと深く考えているものではないのでしょう。
しかし、だからこそ言い切れるであろうその言葉に、私は呆れながらも頷いていました。


「…そうですね」

そこに込められた意味は、きっと彼女と違うものでしょう。
勿論、私もこの合宿を楽しんでいたのは確かです。
しかし、私が本当の意味で楽しみにしていたのはそれではありません。
次に合宿があるとしたら…その時はきっともう須賀君が私のものになっている。
そう思うと背筋がゾクゾクして…胸の中が喜悦と期待に満たされるのです。

「ぜひまたここに」

そう言った私の前で宮永さんが振り返りました。
そして私の方へと手を延ばすのは、不安だからでしょう。
合宿初日、今と同じように飛び石を渡っていた彼女は足を滑らせて川へと落ちたのですから。
その手を取るのは癪ではありましたが、今はまだ友達面をしていなければいけません。
そう自分に言い聞かせながら、私はそっと宮永さんの手を取り、にっこりと笑みを浮かべました。

「おーい!咲ー和ー!」

そんな私たちの耳に届いたのは須賀君の声でした。
それに視線をそちらへと向ければ飛び石の先に須賀君の姿が見えます。
既に制服に着替えているのは、もうそろそろこの合宿場から発たなければいけない時間だからでしょう。
もう…楽しかった合宿の時間は終わりに近づいているのです。


「あ、京ちゃんっ」
「ちょ…!危ないって!」

それに少し感慨にふけったのがいけなかったのでしょう。
宮永さんはぱっと私の手を離し、須賀君の元へと駆け出しました。
それに反応が遅れた私を彼女がそっと振り返りますが、その歩みは止めません。
残り数個の飛び石を飛び越えて、恋人の元へと行こうとして… ――

「きゃっ!」
「あー…」

瞬間、宮永さんが足を滑らせるのは自明の理という奴でしょう。
そもそも宮永さんはあまり運動神経が良い訳ではない私と比べても悲しくなるくらいに運動音痴なのです。
そんな彼女が後ろを振り返りながら飛び石を渡ろうとすればどんな事になるかはすぐさま想像がつくでしょう。
それに須賀君が呆れたような声を漏らすのも決して無理はない事なのです。

「ったく…しゃあないなぁ…」

しかし、そんな人でも見捨てられないのが須賀君の良い所でしょう。
彼は呆れるように言いながらもピョンピョンと飛び石を越え、宮永さんの所に近づきました。
そのまま川の中に尻餅をつく彼女にそっと手を伸ばす姿はとても手慣れたものです。
幼馴染である彼にとって、そうやって宮永さんの世話を焼くのはもう慣れたものなのでしょう。


「ふふ…っ」

少し前であれば私はそんな二人に嫉妬を禁じえなかったでしょう。
しかし、今の私の口から漏れるのは紛れもない笑みでした。
ですが、それは決して目の前の二人を微笑ましく思っているからなどではありません。
そうやって二人が仲睦まじい姿を見せられるのが今日までだと思ったら…ついつい笑みを浮かべてしまうのです。

「大丈夫か?怪我は?」
「ないけど…冷たい…」
「って…ばっ!そ、そのまま立ち上がるな!透けてるんだって!」

きっとそう言って自分の制服を脱いで宮永さんに手渡す須賀君の頬は赤く染まっていました。
まるで女性の肌に免疫がないその姿は、まだ二人の関係がそこまで行っていない証でしょう。
そう思うと無性に私は嬉しくなって、浮かべる笑みをさらに深いものへと変えました。
けれど、そうやって浮かべる笑みは、きっと歪んだ狂気じみたものでしょう。
それに二人が気づかない内に私はそれを引っ込め、何食わぬ顔で彼らに合流しなければいけません。

「大丈夫ですか?」
「うん…ごめんね、原村さん」
「良いんですよ、気にしないで下さい」

どうせ宮永さんの幸せは今日で終わるのですから。
それを前にして一つや二つのイベント程度で目くじらを立てるほど私は狭量ではありません。
寧ろ、それら全てを台無しにした時の快感と達成感を思えば、歓迎すると言っても良いくらいでした。
けれど、そんな歪んだ感情を表に出す訳にはいかず、私は何食わぬ顔で首を横へと振るうのです。


「それよりこのままだと風邪を引きますし、早く戻りましょう」
「うん…」

勿論、私は例え宮永さんが体調を崩したところで知った事ではありません。
ですが、今は県大会を目前に控えた大事な時期。
今の状況で体調を崩されてしまうと私の長野残留がさらに遠のく事になるのです。
もう季節は完全に梅雨入りしてじっとりとした熱さを感じるようになったとは言え、警戒するに越した事はありません。

「そうだな。それに部長たちも準備終わって、まだかってお冠だったし」
「そ、そんなに…?」
「そう言えば…時間見ていませんでしたね」

最後に合宿回りを散策したいと言い出した宮永さんに付き合ってそのまま部屋から出たので私達は白地の浴衣のままなのです。
手荷物一つあれば話は別かもしれませんが、完全に手ぶらなままでした。
結果、携帯を持ち歩く余地はなく、適当に散策している間に結構な時間が経ってしまったのでしょう。
それをようやく思い出しながら、私はそっと肩を落としました。

「ま、咲が迷子になったって言ったらいつもの事かって許してもらえるんじゃないか?」
「私そんなに迷子になってないもん…。ね、原村さん?」
「…ノーコメントで」

冗談めいた須賀君の言葉に頬を膨らませる宮永さんに返す言葉を私は持ちませんでした。
残念ながら彼女はこの合宿中で数回迷子になるくらい筋金入りの方向音痴なのです。
ちょっと目を離した隙にひょいひょいとあさっての方向へと進んでいくその姿はわざと迷子になっているとさえ思えるくらいでした。
そんな彼女に部長たちも呆れたのか極力一人での行動を禁じたくらいです。
だからこそ、私は自然と宮永さんの傍に居られるようになったのですが…まぁ、それはさておき。
ともあれ、彼女は小さな子ども以上に目を離せない存在であるのに間違いはありません。


「原村さんまで…良いもん。それなら京ちゃんと手を繋ぐから」
「…っておい。何の関係があるんだそこに」

そう言いながらも須賀君は宮永さんの手を拒んだりしませんでした。
寧ろ、水で冷えた手を自分から包み込むようにそっと握ってあげるのです。
そうして合宿棟へと向けて歩き出す二人の隣に並びながら、私は笑みを絶やしません。
まるで微笑ましそうなそれを二人へと向け続けるのです。

「…仲が良いんですね」
「あー…まぁ…その…付き合ってる訳だしな」
「えぇ。知っていますよ」

えぇ。
そんな事はもう嫌ってくらい知ってます。
それに打ちのめされ、傷ついた回数はもう両手の指では足りないくらいなのですから。
しかし、それも今日で終わりだと思えば、最早、傷つく事はありません。
だって、私はそれよりももっともっと凄い事を彼にしてもらう予定なのですから。

「仲睦まじくてとっても羨ましいです」
「原村さんにもきっと良い人が見つかるよ」
「そうですね」

いいえ。
もう私には見つかっているんです。
私の人生を捧げても良いって思えるだけの人はもう私の目の前にいるんですから。
それを邪魔している宮永さんにはそんな事言われたくはありません。
ですが、私はそれをおくびにも出さず、彼女の挑発めいた言葉に小さく頷きました。


「あ、そろそろ見えて来ましたよ」

そう言って私が声をあげた頃には木々の間から合宿棟が見えていました。
外見こそ古びていますが、中は立派なその建物の中には温泉も完備されています。
ここ最近の少子化で生徒を集めるのに学校側も必死なのでしょう。
広々とした和室もセンスが良く、とてもリラックスして部活に打ち込む事が出来ました。

「宮永さんは先に温泉に入ってきた方が良いんじゃないですか?事情の説明は私がしますし」
「うーん…でも…」
「そうしとけよ。そのままじゃ風邪引くかもしれないし」

そこで宮永さんの状態を思い出した私は、そう提案します。
それに彼女が迷うような仕草を見せるのは、私と須賀君を二人っきりにしたくはないからか、或いは部長たちをコレ以上待たせたくないからか。
しかし、どちらにせよ、須賀君の援護もあれば、断る事は出来ません。
渋々と言った様子ではあれど、宮永さんはそっと頷き、合宿棟の中で別れました。

「さて…それじゃ俺は…」
「あ、須賀君。ちょっと良いですか?」

そこで私とも離れようとする彼を私は呼び止めました。
それに振り返る須賀君の表情は気まずそうな表情に染まっています。
どうやら彼は私と二人っきりになるのを避けているのかもしれません。
しかし、千載一遇の好機と言っても良いこの状況を私が逃すはずがなく…彼に須賀君に向かってゆっくりと口を開くのです。


「実は…また最近、変な視線を感じるようになって…」
「なんだって?」

瞬間、須賀君は驚きながらも、その表情を引き締めました。
かつて見たのと変わらない真剣なその表情に、彼がいまだ私の事を大事に思ってくれているのが伝わってきます。
それについつい笑みを浮かべそうになりますが、この状況ではそれはあまりにも不自然です。
そう自分に言い聞かせながら、私はそっと顔を俯かせ、ぎゅっと浴衣の裾を握りこむのでした。

「もしかして…例のストーカーか?」
「分かりません…でも、また差出人不明の手紙が届いて…」

心配そうに私に聞くその言葉には疑念はまったくありません。
既に一度あった事なので、それが嘘なんてまったく思ってはいないのでしょう。
或いは私が嘘を吐くなんて想像すらしていないのかもしれません。
どちらにせよ、私にとって好都合なのは変わりがなく、私は胸中で笑みを深めながら震える言葉を紡ぎます。

「お願いします…また…助けてくれませんか…?」
「分かった。俺に任せろ」

そんな彼の信頼を利用し、踏みにじるのに自責を感じないかと言えば嘘になるでしょう。
ですが、それさえも私にとっては最早、些事でしかありません。
最後に須賀君が私の傍にさえ居てくれれば…その過程にある苦しみも悲しみも全て肯定されるのですから。
少なくとも私はそれだけ彼の事を幸せにするつもりですし、須賀君もまたそれに応えてくれると信じているのです。


「ありがとう…ございます。私…とっても不安で…」
「あぁ。わかってる。でも…もう大丈夫だからな」

そう言いながらも、須賀君は以前のように私の事を抱きしめるどころか撫でる事さえしてくれませんでした。
それはきっと恋人である宮永さんに遠慮しているからなのでしょう。
そう思った瞬間、胸の痛みが強くなるのと同時に、暗い喜悦が湧き上がって来るのは…私がそう遠くない内にその場所に入り込めるからです。
それほどまでに須賀君に強く思われる位置に私はもう少しで手が届くと思えば…嬉しくって仕方がありません。

「とりあえず…手紙を見せたいので解散した後、私の家に寄ってもらって良いですか…?」
「そうだな。俺も手紙を見ておきたいし…」

それを抑えながらの言葉に、須賀君は素直に頷いてくれました。
私を元気づけようとしてくれているのか力強いその首肯に、私は小さくため息を漏らします。
彼に安堵を告げる為のそれは、決して100%演技という訳ではありません。
私の立てた杜撰な計画の中で一番の難所をあげるとすればここだったのですから。
決して負ける見込みが高かった訳ではありませんが、一つ条件がクリアされた現実に私は思わずため息を漏らしてしまうのです。


「須賀君さえ居れば安心ですね」
「はは。持ち上げ過ぎだっての」

そう言って気恥ずかしそうに鼻頭を掻く姿は可愛らしいものでした。
まるで子どものように照れを見せる彼に私はもう我慢出来ません。
微笑ましそうな笑みを顔へと浮かべてしまうのです。
それに須賀君は頬の紅潮を強めながらそっと視線を背けました。

「まぁ、その信頼に答えられるように頑張るつもりだけどな」

そう付け加えるその言葉は照れ隠しなのでしょう。
しかし、それが私の胸を震えるほど嬉しくさせてくれるものでした。
勿論、彼は私の信頼の本当の意味には気づいてはいません。
ここまでそうやって振舞ってきたのですから…気づくはずがないのです。
ですが、それでも私を幸せにしてくれると言う信頼に応えるというその言葉は決して色褪せません。
思わず涙を漏らしそうになるほど嬉しいその言葉に私はそっと目尻を拭ってしまうのです。

「それより…ご両親や優希にはもう相談したのか?」
「実は…まだなんです…」

そんな私を真正面に見据える須賀君の言葉に私は首を横へと振りました。
勿論、私のそれは狂言なのですから、相談なんて出来るはずがありません。
それに例え出来たとしても、私はきっと真っ先に彼に対して相談した事でしょう。
今の私にとって誰よりも優先すべきは彼の事であり、親や親友の事なんてその次なのですから。

「ちょっと今、ゆーきとは喧嘩してて…親はまた仕事が立て込んでいるみたいで…」
「…そうか」

私の言葉に須賀君が深く突っ込まないのは合宿前からギクシャクしていた私達に気づいていたからなのでしょう。
実際、彼は合宿中もゆーきを元気づける為に良く話しかけている姿を見ました。
そうやって気にかけてもらえる彼女が羨ましくて仕方がなかったのも昔の話です。
もう少しすれば彼の心の殆どを私が占めるようになるのですから、一々、羨望なんて覚えてはいられません。


「仲直りする為に俺が出来る事があれば何でも言ってくれよ。力になるからさ」
「…ありがとうございます」

私を元気づける為か、気軽に「何でも」と口にする彼に私は思わず口が滑りそうになってしまいました。
それなら私と付き合って欲しいと…感情をそのままストレートに出してしまいそうになったのです。
しかし、ここで今、そんな事を口にした所で、彼は首を縦に振ってはくれないでしょう。
既に須賀君は宮永さんと付き合っており、二股をするような不誠実な人ではないのですから。
そんな彼に首を縦に振らせるのには入念が準備が必要だと私は言い聞かせ、漏れそうになった感情を飾り気の無い謝礼の言葉へと変えるのでした。

「あら…須賀君」
「あ、部長」

そんな私たちの間に現れたのは制服姿の部長でした。
その手に荷物を持っている辺り、もうこの合宿棟を後にする時間が近づいているのでしょう。
それに微かな危機感を覚えるのは私が準備出来ているとは言いがたいかたです。
勿論、前日から帰る準備はしていましたが、私はまだ着替えすら出来てはいません。
既にエントランスへ部長が降りてきている思えば、私は今すぐ部屋へと戻り、着替えを始めるべきなのでしょう。

「宮永さんは見つかったの?」
「えぇ。ただ川に落っこちたんで今、温泉で暖まってます」
「…あの子も大概、ドジよね」

そんな私の前で部長は呆れるようにそう言いました。
けれど、それが決して嫌そうなものではないのは、それを愛嬌だと捉えているからでしょう。
ですが、私も同じように捉えているかと言えば答えは否でした。
この場にいる誰よりも彼女の本性に近い私には…アレはわざとに思えるのです。

晩御飯休憩
ちゃんと進んでるけれど、進んでなくて今日中にエピローグ手前とか絶対、無理になってきた
それどころか7月中の完結すら危うくなってきた感がふつふつと
出来るだけ早めに完結出来るように頑張ります


―― だって…須賀君はとても世話好きな性格をしているのですから。

何だかんだ言って面倒見の良い彼の視線は多少、危なっかしい方が独占しやすいのです。
実際、彼女はそうやって合宿中でも彼の手を取り、甘えているのですから。
それが無意識なのは、はたまた意識的にやっているのかまでは分かりません。
しかし、その事をずっと幼馴染という位置に居続けた宮永さんが理解していないはずがないと私には思えるのです。

―― でも…今はそれに感謝していますよ。

そうやって宮永さんが『お手本』を見せてくれたからこそ、私も彼に甘えられるのです。
下手に自分を抑えこんだりせず、須賀君にストレートに感情をぶつければ良いと学習したのでした。
きっとそれがなければ私は今も悶々とし、苦しんでいた事でしょう。
結果的にではあれどそれを取り払ってくれた事だけは素直に感謝出来ました。

「それより和も早く着替えてらっしゃい。最終日とは言え、夕方までばっちりやるわよ」
「…はい。分かりました」

部長の言葉に素直に頷きながら、私はそっと歩き出しました。
今日でこの合宿棟とお別れとは言え、まだ合宿が終わった訳ではありません。
荷物を部室に運んでからまださらにここから打ち始めるのです。
もう県大会までもう一週間を切っている今、時間の猶予はないと部長も考えているのでしょう。


―― それは私も同意見です。

そう。
私には時間が圧倒的に足りません。
私は県大会に向けての練習をするのも、須賀君から宮永さんを引き剥がす事も完璧にこなさなければいけないのですから。
正直、その為に色々と準備してきたとは言え、それらを成功させる自信はありませんでした。
しかし、眼の前に迫ってきたそれらを前にして私の足が竦んだりはしないのです。
寧ろ、心の奥から湧き上がる活力に身体が力を漲らせているように思えました。

―― 今の私ならきっと大丈夫と…そう思えるくらいに。

その原動力は須賀君への愛でしょう。
気が狂うほどの彼への愛しさが私の身体に力を与えてくれているのです。
それに笑みを浮かべながら、私は軽い足取りで部屋へと戻り、制服に着替えました。
そこに帰って来た宮永さんの準備も手伝って… ―― 

―― 結果、私達が部長と合流したのはそれから30分ほど先になったのでした。


……
…………
………………


「ふふ…っ」

そうやって笑みが漏れてしまうのは私の傍に須賀君が居てくれているからです。
勿論、そこには宮永さんの姿もゆーきの姿もありません。
合宿が終わった後、私のことを気遣ってくれた須賀君は私を送ると言ってくれたのです。
それに宮永さんが難色を示しましたが、彼は平謝りしながらも譲りませんでした。

―― それはきっと私があまり大事にしたくないとそう汲み取ってくれたからでしょう。

そんな彼の優しさだけでも嬉しくて堪らないのに、今の私は微かに日が落ちかけた道を二人で歩いているのです。
かつてはゆーきと一緒に三人で歩いたその道を…今度は…二人っきりで肩を並べるようにして。
その嬉しさはもう私の中には収まりきらず、我慢しなければと分かっていても、ついつい笑みとして零れてしまうのでした。

「…ん?」

そんな私に須賀君が不思議そうな目を向けるのも無理は無い事でしょう。
だって、今の私はまたストーキングされ始めているという設定なのですから。
それなのにまるで嬉しくて堪らないと言うような声を漏らして、怪しまれないはずがありません。
しかし、彼はそれを口にする事なく、疑念を抱いた様子も見せませんでした。
それは彼が純真だと言うよりは、これまでに培ってきた信頼関係の結晶でしょう。
これまで健全に仲良くなっていったが故に、須賀君は私のことをこんなにも信じてくれているのでした。


「あ…いえ…須賀君が傍にいると心強いなって…」
「はは。まぁ、俺でも壁くらいにゃなれるからな」
「そんな事…ないですよ」

冗談交じりにそう言う須賀君に私はそっと首を振りました。
実際、私はこうして彼の傍にいるだけで心の底から安堵する事が出来ていたのです。
それは私が須賀君の事が好きだ…というだけではないでしょう。
須賀君が私の事を信頼してくれているのと同じように、私もまた彼の事を信じているのです。
何時、どんな時だって私の事を護ってくれると…心から。

「それにしても…ごめんな。また事件に巻き込まれたのを気づいてやれなくてさ」
「いえ…私が黙っていた事ですし…」

そんな私に謝罪する言葉に胸が強い痛みを訴えます。
既に計画を実行に移す事に対して迷いはないとは言え、自責さえも振り払った訳ではないのです。
そうやって須賀君に謝罪されると騙しているのを自覚して胸が痛みを訴えるのでした。
けれど、最早、ここまで来て引き返す事なんて出来ません。
例えどれだけ辛くても…私にはもう須賀君を手に入れる道しか残されていないのです。

「何より…こうして手を貸してくれているだけで…私は嬉しいです」
「そっか…それなら良かった」

それを押し隠しながらの言葉に、須賀君はその顔を綻ばせました。
何処かほっとしているようなその表情は、私が嬉しいと言ったからでしょうか。
それに私も笑みを浮かべた瞬間、視界の端に見慣れた家が映り込んだのです。


―― もうちょっと歩きながらお話していたかったんですけれど…。

だって、こうして歩きながら二人で下校するだなんてまるで恋人同士みたいなのですから。
これまでまったく須賀君と出来なかったそれをもっと楽しみたいという気持ちはありました。
しかし、須賀君は私の家を知っていますし、今更、遠回りなんて出来ません。
それに何より、こうして家が近づけば近づくほど私は期待を強めてしまうのです。

―― ふふ…今からでも胸がドキドキしっぱなしで…。

それは須賀君が上手く罠に掛かってくれるかという不安や緊張も混じっていました。
しかし、一番はもう少しで彼が私のものになってくれているという期待が大半であったのです。
今の私にとっては一分一秒が待ち遠しく、足も早まってしまいそうになりました。
それを何とか抑えながら、私は家の鍵を開き、中へと彼を招くのです。

「お邪魔します」
「ふふ…どうぞ」

何処かおずおずと家の中に入ってくる彼に私は小さく笑みを浮かべました。
彼はストーカー事件が解決する間近にはもう自分の家とそう大差ない気安さで入ってくれていたのです。
今の彼にはその気安さはありませんが…きっと何れはそれを取り戻してくれる事でしょう。
だって…彼はこれから毎日、この家に帰ってくる事になるのですから。


「お茶淹れますね」
「いや、そんな気を遣わなくっても…」
「良いんですよ。須賀君はお客様なんですから」

半ば強引にそう言いながら私はリビングへと足を進めました。
そのままガチャリを開いたその先にはやっぱり気配はありません。
両親が忙しいと須賀君に言ったのは決して嘘ではなく、二人は数日ほど家に帰れるかどうか分からないと言っていました。
かつてはそれが内心、寂しくて仕方がありませんでしたが、今はそのお陰で彼を招き入れる事が出来たのです。

「須賀君は座ってて下さい」
「…ん。それじゃ頼む」

既に彼に対する想いで頭と心を埋め尽くした私には、もう寂しさなんてありません。
あるのはただ両親が不在という好条件に対しての感謝でした。
元々、勝算こそ少なくはなかったものの、これはどれだけ条件を整えても失敗もあり得たのです。
賭けと言っても良いそれに勝ったという現実に私は強い歓喜の感情を感じ、信じてもいない神様に感謝を告げたくなりました。

―― でも、焦りは禁物ですよ。

ここから先は幾つか自分でも練習してきたとは言え、何が起こるか分からないのです。
出来るだけ乱数は排除するように立ち回りましたが、私の運の悪さは折り紙つきなのです。
本来であれば結ばれるはずであった人を横からかっさらわれた事を思えば、どれだけ順調でも油断なんて出来ません。
一歩間違えれば全てが台無しになってしまうかもしれないと思えば、慎重になりすぎる事はないのです。


―― そんな私が選んだのはグリーンティーでした。

そのままでは苦くて飲めないそれであれば、粉末状にした睡眠薬の味も誤魔化せるでしょう。
また飲み終わった後のカップに白い粉末が残っていても普通は砂糖だと思うはずです。
問題は出来上がったグリーンティーに睡眠薬を仕込むタイミングではありますが…それは何度か自分で試してベターなものを見つけてありました。
カフェインも睡眠薬の効果を阻害するほどではないので、後は練習通りに動けば大丈夫。
逸る自分にそう言い聞かせながら、私はそっと白い粉を混ぜ、須賀君へとそれを差し出したのです。

「はい。どうぞ」
「お、ありがとう」

そう言いながら須賀君は冷たいグリーンティーを一気に煽りました。
ぐいっと飲み込むその勢いは思ったよりも強く、私の心配が杞憂であった事を知らせます。
恐らく今日が普段よりも蒸し暑かったという事も+に働いたのでしょう。
荷物を運んで額に汗を浮かべた彼は一も二もなく飛びつくほどに冷たいものに飢えていたのでした。

「うげ…苦い…」
「もう…ちゃんとお砂糖かシロップを入れないとダメですよ」

しかし、次の瞬間、須賀君の顔は口を開け、苦虫を噛み潰したように歪みました。
元々お砂糖を入れるように調整されているグリーンティーをそのまま飲んだのですから当然です。
ましてやその中には睡眠薬まで入っていたのですから尚更でしょう。
そんな彼に注意するように言いながら頬を緩めたのは決して安堵だけではありません。
子どもっぽい彼の仕草に私は和み、そして可愛らしいとそう思っていたのです。


「私の分でリベンジしてみますか?」
「いや…良いや。それより…普通の麦茶をくれ…」

念の為シュガーポットの砂糖にも睡眠薬を仕込んでおいたのですが、どうやらそれは使う事はなさそうです。
彼は口を開いたまま、私に普通のお茶をリクエストしました。
それに小さく笑みを浮かべながら、私は冷蔵庫へと歩き出し、冷水筒に入ったお茶を取り出したのです。

「どうぞ。…今度は一気飲みしちゃダメですよ?」
「もうそんな事しないって」

それを戸棚から取り出したコップと一緒に差し出せば、彼はバツが悪そうに視線を背けました。
きっと彼もさっきの失態は恥ずかしいと思っているのでしょう。
それでも私から素直にコップを受け取った須賀君に、冷水筒から麦茶を注いであげました。
それを彼は急いで口に含みましたが、グリーンティーの苦味は中々、引いたりはしないのでしょう。
幾分、マシにはなったようですが、その顔は未だ苦々しそうに歪んでいました。

「…おかわりいりますか?」
「…頼む」

そう言って私にコップを差し出す彼に私は二度三度と麦茶を入れてあげました。
その度に彼の表情は少しずつ和らいだものになっていくのです。
それは少しずつ嬉しくなっていきますが、さりとて何度も何度も彼に麦茶を薦める訳にはいきません。
結果、数回もした頃には須賀君の顔から苦そうなものは引き、ふぅと小さなため息を漏らすのでした。


「それで…手紙の事だけど…」

そこで真剣そうな表情に戻る彼の言葉に私は小さく頷きました。
もう少し世間話などをして時間を引き伸ばしておきたかったですが、こうして切りだされた以上、仕方ありません。
元々の目的がそれを見せるというものだった以上、ここで話題を変えても怪しまれるだけでしょう。
それに…例え、世間話が使えなくても、ここは私の家。
時間稼ぎなんて幾らでも出来るのです。

「部屋に置いてあるので…取ってきますね」
「あぁ。頼む」

そう言って立ち上がった私はリビングから出て、二階へと上がりました。
そのまま部屋へと入った私はベッドに腰掛けて時間が経過するのを待ちます。
勿論、そうやって稼げる時間は五分、長くても十分程度でしょう。
しかし、早い人であれば、それくらいから既に睡眠薬の効果が出始めるのです。
既に須賀君が薬を飲んだ以上、待てば良いだけなのですから気も楽でした。

―― とは言え…一人だとやっぱり寂しいですね…。

折角、同じ家の中に須賀君がいるのに、一人で部屋にとじこもっている自分。
それが必要だと理解しながらも、私の心は寂しさを訴えていました。
もっと須賀君とお話がしたい。
早く須賀君と触れ合いたい。
強く須賀君を感じたい。
そんな欲求が休みなく浮かんで止まりません。
しかし、それを現実にする為にも今の私は我慢するしかなく、悶々とした気持ちでベッドの上で時間の経過を待ち続けました。


「すみません。置いてあった場所を忘れてしまって…」
「あ…うん…」

数分後、机の上に置いてあったそれを手に持ってリビングへと降りた私を迎えたのは微かに遅れた須賀君の声でした。
さっきよりも少し間延びし、小さくなったそれが既に薬の効果が彼に現れ始めているのを私に感じさせるのです。
ですが、頭を振って眠気を追いだそうとする気力がある以上、まだ油断は出来ません。
少なくとも須賀君が出歩く事が出来ない頃まで時間を稼がなければ安心なんて出来ないのです。

「大丈夫ですか?」
「大丈夫。それより…手紙を…」
「…はい。こちらです」

恐らく気を抜けば眠気が襲ってきてしまいそうなのでしょう。
はっきりと表情を引き締める彼に私はそっと手紙を差し出しました。
そこには何の変哲もない茶封筒に『原村和様』とだけ印字されています。
未だ閉じたままのそれは勿論、私が準備したものでした。

「中身は…?」
「まだ…見ていません。怖くて開けられなくて…」
「そりゃそうだよなぁ…」

首を左右に振るう私に須賀君は納得してくれたのでしょう。
小さく首肯を返しながらサワサワと手紙を探り始めました。
その角っこまでもを指で押すその表情は真剣そのものです。
けれど、そこには少しずつ睡魔の陰が見え始め、彼の思考を侵食し始めているのが分かりました。


「とりあえず…中に硬いものは感じないな。あったとしても紙だけだと思う」
「そう…ですか」

そう判断する須賀君の言葉は決して間違ってはいません。
実際、その中には紙しか入っていないのです。
それに俯き加減になりながら、私はそっと次の言葉を待ちました。
それは勿論、時間稼ぎの一環でしかありませんが、彼にはそうは見えないのでしょう。
私を気遣うように見つめるその視線からは私を心配してくれているのがはっきりと伝わってくるのですから。

「とりあえず俺が内容を確認するよ。だから…開けて良いか?」
「…お願いします」

そう言いながら私は立ち上がり、カウンターに並ぶ小物入れからハサミを取り出しました。
それを彼に手渡せば、須賀君は慎重にその封筒を切っていきます。
そのまま彼はその封筒を逆さにし、中から白地の紙を取り出しました。
内側へと織り込むようなその紙にはずらりと文字が並んでいるのが裏側からでも分かります。

「…なんだこれ」

それを広げた彼の第一声は、疑問を強く浮かべたものでした。
それも当然でしょう。
だって、そこに書いてあるのは無数の意味のない言葉の羅列なのですから。
不規則に私が頭の中に浮かんだ単語をギリギリまで書き並べたそれはいっそ狂気すら感じるものでしょう。
ですが、だからこそ、それは須賀君をこの家に留まらせる事が出来るものなのです。


「…何が書いてあったんですか?」
「わっかんねぇ…暗号かこれ?」

そう言いながら、須賀君は私にそれを手渡してくれました。
それを受け取った私はじっくりとそれを読み、時間を稼ぐのを忘れません。
その間、考えこむような仕草を見せる私を須賀君は根気よく待ってくれました。
しかし、そうしている間に彼の吐息は少しずつ荒くなり、瞳もまた胡乱なものへと変わっていくのです。

「…分かりません。規則性はないみたいですけれど…ただ、嫌がらせにしちゃちょっと変だと思います」
「俺達には分からない何かの規則性がある可能性が高いって事かな…」

勿論、規則性なんてありません。
それはあくまでも暗号のふりをしただけの怪文書でしかないのですから。
そうやってお互いに考えこむ事で時間を稼ぐ事を目的としたそれに意味などあろうはずもありません。
それに何かしら意味があるのだとすれば、この場に須賀君を一秒でも長く留めるというその存在意味だけでしょう。

「とりあえず…これがどういう規則性があるのか考えてみな…ふぁ…あぁ…」

そして、そうやって念入りに時間を稼ごうとする私の作戦は少しずつ功を奏し始めているのでしょう。
そう口にする彼の口から大きなあくびが漏れだしたのですから。
まるで我慢出来ないと言わんばかりのそれに私は須賀君の限界が近づいている事を悟ります。
それに思わず笑みを浮かべてしまいたくなりますが、あまりにこやかな反応をしすぎると疑われるかもしれません。
だからこそ、私は最後まで気を抜けないと自分を戒めると同時に、その笑みを心の奥底へと押し込んだのです。


「ごめん…何か…さっきから妙に眠くてさ…」
「合宿疲れが来たんですよ、きっと」
「そう…かもなぁ…」

そんな私の前で須賀君の言葉がどんどんと間延びしていきます。
まるでさっきのあくびで我慢が決壊したかのようなそれに私は気遣うような声を返しました。
それに須賀君が返す声には、殆ど思考の残滓を感じられません。
ほぼ反射に近いその反応に私は勝利の確信を得ながら、そっと口を開くのです。

「無理せず、ちょっと休んでいけばどうですか?」
「でも…」

それでも完全に思考能力がなくなった訳ではないのでしょう。
須賀君は拒絶するようにそう言葉を紡ぎました。
ですが、今更、そんな事を言われても、この好機を私が逃がすはずがありません。
多少、強引でもここで休んでもらわないといけないのです。

「私は大丈夫ですよ。ほら、肩を貸して下さい」

そう言って立ち上がった私は須賀君の肩を強引に掴み上げました。
それに彼もまたゆっくりと立ち上がり、ふらふらと歩き始めます。
けれど、その行く先はリビングに置いてあるソファなどではありません。
私たちの足はリビングから出て二階へと上がっていくのです。


―― 普通であればその違和感に首をかしげるでしょう。

しかし、十錠近い数の睡眠薬を飲まされた彼には最早、そんな判断能力はないのでしょう。
私が先導するのに合わせてフラフラと足を動かしてくれていました。
思ったよりも従順なその様子に、私は苦もなく上へとあがりきる事が出来たのです。
最悪、眠った彼を何とか上にあげようとしていたのですが、思いの他、順調に進んでいる。
その状況に私が我慢出来なくなったのは…彼を自室へと連れ込んだ瞬間でした。

「あは…ぁっ」

喜悦混じりのその声に、けれど須賀君は反応しません。
既にその足は殆ど動かず、ズルズルと私に引きずられているだけなのです。
それでもその瞳が開いている辺り、まだ起きてはいるのでしょうが、それももうすぐ閉じきる事でしょう。
それに抑えきれない喜びを感じる私は力の入っていない重い身体をベッドへと運び、彼を優しく横たえてあげるのです。

「のど…か…」
「大丈夫ですよ…安心して下さい」

そんな彼が最後に呼んだのは私の名前でした。
それが一体、どういう意図を持ってして紡がれたのかは私には分かりません。
謝ろうとしたのか、或いは罠である事に気づいて糾弾しようとしたのか。
しかし、どちらにせよ、私の答えは変わりません。
もう数秒ほどで眠りに堕ちるであろう須賀君に応える言葉なんて一つしかないのですから。


「私が…宮永さんよりも須賀君の事を幸せにしてあげますからね…」

その言葉が彼に届いたかどうかは分かりません。
私にとって確実なのは…そう言った瞬間、彼の瞳が閉じきったという事だけなのですから。
とは言え、どちらにせよ、それが私にとっては些事以外の何者でもないでしょう。
今の私にとって大事なのは…今すぐ机から手錠を取り出して、彼の四肢をベッドに拘束する事なのです。

「ふふふ…ふふ…っ…あははっ」

最早抵抗しない彼の身体を伸ばし、一つ一つカシャンとベッドに繋いでいく。
その度に私の胸は堪らない喜悦を湧きあがらせ、口から歪んだ笑みを漏らすのでした。
さっきまで我慢していた分を思いっきり発散しようとするようなそれは中々、止まりません。
みっともないと分かっていても、私はずっと狂った笑みを浮かべ続けるのです。

「あぁ…須賀君…須賀君…っ」

それが収まったのは須賀君の身体をベッドに拘束し終わって数分もした頃でした。
ようやく彼を手に入れた実感が胸を焼き、満足感に身を震わせるのです。
それにまた一つ我慢が出来なくなった私は眠る彼の胸へと飛び込み、その胸板に頭を預けるのでした。


「須賀君のここ…とっても安心します…」

その声は勿論、彼に届いてなどいません。
私がベッドに彼の身体を繋いでいる時に何一つ抵抗しなかった彼は文字通り泥酔しているはずなのですから。
ですが、それでも私は構いませんでした。
だって、それは彼に聞かせようとしたのではなく、あふれんばかりの感情がそのまま言葉になったものなのですから。
喜悦と満足感に満たされた私の心はそうやって言葉にしなければどうにかなってしまいそうなくらいにギュウギュウで…そして幸せだったのです。

「これでもう…ずっと一緒ですね…」

勿論、これは私の計画を完遂へと導く為の第一歩でしかありません。
まだまだ山場はこの後にも控えていて、私のしなければいけない事は沢山あるのです。
しかし…こうして須賀君を閉じ込めた今、それらを乗り越える事は決して難しい事ではありません。
後は宮永さんがやっていたように彼の優しさに漬け込めば…きっと私が望んだ通りの結末を得られるのです。

「大好きです…須賀君…」

そう言いながら私は彼の唇に顔を近づけたくなりました。
しかし、そうやって欲望に身を任せた結果、私が消費するのはファーストキスなのです。
既に宮永さんに彼のファーストキスを奪われている以上…それを無闇に消費したくはありません。
そう自分の衝動を思い留まらせながら、私はそっと彼の胸に顔を埋め直しました。


―― まだもう少し起きるまでは時間が掛かるでしょうし…。

それに起きた時にはきっと須賀君もお腹が空いているのです。
こうして傍に居ても何も出来ない訳ですし、美味しいご飯を用意しておいてあげるべきでしょう。
そう理解しながらも、私の身体は彼から離れません。
まるでようやく手に入れた宝物を確かめるように全身を摺り寄せ、身体全体で須賀君の事を感じようとしていたのです。

―― その度にゾクゾクとしたものが走るのは…きっと快感なのでしょう。

私が身体を摺り寄せているのは世界で一番、大事な人なのです。
この人の為ならば自分すら投げ捨てられるって…そう思えるくらい愛しい人なのでした。
そんな人の身体と制服越しとは言え擦れ合うのですから、気持ち良くないはずがありません。
そしてその度に身体が興奮とは違うもので熱くなり、吐息が荒くなっていくのが分かるのです。

―― これは…これは…ダメです…。

それが一体、何なのかくらい私にだって分かりました。
それはきっと欲情なのです。
こうして身体をこする事で…私は彼に愛しさだではなく…穢れた欲望まで向け始めているのでした。
けれど、私はまだそれに身を委ねる訳にはいきません。
キスならまだしも…それは彼の優しさに漬け込む大きな武器になり得るのですから。
それをするのは須賀君の意識が戻ってからでなければ計画が破綻してしまいます。

―― 後ちょっと…後…ちょっとだけ…。

しかし、そう分かっていながらも私の身体は須賀君から離れません。
まるで離れたら彼がまた宮永さんのところへと言ってしまうと言うように彼に自分の身体をすり寄せるのです。
それが幸福感だけでなく、欲情を強めると分かっていても…私はまるでマーキングするように須賀君を抱き続け… ――

―― 結局、私は二時間ほどそうやって過ごし、幸福感に浸り続けたのでした。

今日は終わりー
色々と力尽きた
のどっちの作戦は色々と穴があるけど、中の人の即興能力じゃこれが限界なのです
決して和がダメな子な訳ではないのです…

>>306
部長は浮気疑い始めたらそれこそ調教してしまいそうだなぁ、と
あ、勿論、悪女スレみたいな部長も大好きです
あのスレみたいな胃の痛くなる展開書きたいけど中々難しいなぁ…

後、明日はちょっと書けそうにない
明後日は余裕があったら頑張る
エロシーンは書くつもりないので期待しないでください
後、次から京太郎に視点変更しようと思ってるんだけど…別に大丈夫かな?
それともこのまま和の視点で突っ切った方が良いだろうか?

乙です

投下中だと水さすようで言わなかったけど
>>374の和の「嫌がらせにしちゃ?」
しちゃ、って急にくだけた言い回しになってちょい違和感感じたかなぁ

あと泥酔はお酒で酔って寝るって意味だからこの場合昏睡じゃね?

>>396
そこは最初、京太郎のセリフだったんだよね…
それを書いてる途中で和のセリフに変えたから修正出来てなかったんだと思う、すまない
後、昏睡の指摘ありがとう
思い返してもなんで泥酔って書いたのか分からない…
他にもちょいちょい削除し忘れてたり誤字だったりしてるんで投下するほどではないけど、ちょっとした余裕があるときに修正版書くかもしれない

後、京太郎でも大丈夫そうなので、明日は京太郎視点で書くよ
皆ありがとう

和「やっと二人きりになれましたね、京太郎君…」
首「…」


―― 覚醒する意識の中で俺が真っ先に感じたのは恐ろしいまでの気怠さだった。

今は結構、寝起きは良い方ではあるが、昔は低血圧で幼馴染に起こしてもらわなければ起きられなかった。
そんな俺でも感じたことのないほどのその気怠さは覚醒しようとしている意識を逃がすまいとしているようである。
お陰で意識は胡乱なままで、目を開く事さえ出来ない。
半ば目覚めているはずなのに寝ているという何とも言えない境地に今の俺はいた。

―― 次に俺が感じたのは温かさだ。

何処か安心するような優しい熱。
それが俺の身体の上にふわりと覆いかぶさっている。
しかも、それは柔らかく、俺の触覚までも楽しませてくれた。
毛布とは決して違うその感覚は少しだけ重いが、決して重苦しいというほどじゃない。
寧ろ、それはその熱の元をより俺に密着させると思えば魅力的にも思える。

―― けれど、俺はそれが何なのか俺には分からなかった。

その熱も柔らかさも俺には俺に何とも言えない既視感をくれる。
それに首を傾げるが、胡乱なままの意識では答えには到達出来ない。
その答えを得るには目を見開くしかないのだろう。
しかし、それが分かっていても俺の目は決して開かなかった。
泥のような倦怠感に支配されているのは俺の身体だけではないのである。


―― 手足を動かすどころか…目を開く事も出来ないなんて…。

微睡みに浸った俺の意識に届くのは、ドロドロとした身体の感覚だけだ。
まるで筋肉がそのまま泥か何かに変わったかのようなその感覚に俺は軽い疑問を覚える。
それを困惑へと繋げる事がなかったのは、優しい熱のお陰だろう。
それが何かは分からないが無性に安心するその感覚に、俺は平静を保つ事が出来たのである。

「ふふ…ちょっと…大きくなっていますね…」

―― ん…?

そんな俺の耳に届いたのは聞き覚えのある声だった。
まるで水のヴェール越しに聞こえるような遠いものではあれど、それを俺が聞き間違うはずがない。
それは間違いなく原村和 ―― 俺の恋人の友人であり、部活仲間のものなのだろう。
それをすぐさま理解出来るくらいに意識が回復しつつあるのを自覚しながらも、俺の中でまた一つ疑問が生まれた。

―― 和…?

彼女について大事な事が何かあったはずなのだ。
決して忘れちゃいけない…大事な用件があったはずなのである。
しかし、それが今の俺には思い出せない。
しなければいけない事が忘れたその何とも言えない焦燥感。
それに急かされるようにして俺の意識は一気に覚醒へと向かい、倦怠感から解き放たれていく。


―― 俺は何を…忘れて…あっ!

瞬間、俺が思い出したのは彼女の危機だった。
彼女は俺に助けを求め、俺もまたそれに応える為にここにいるのである。
それをすっかり忘れていた自分に胸中で舌打ちをしながら、俺の意識は身体に指令を飛ばした。

―― こうしてられるか…!

さっきの声が和のものだとするならば、きっと彼女は傍にいる。
しかし、それが決して無事であるかどうか分からないのだ。
今の状況がどういうものか出来るだけ早期に理解し、行動しなければいけない。
そう思った俺の意識が身体に幾つもの命令を送るが、その反応は芳しいものじゃなかった。
悲しいかな俺の身体は意識以上に異常なようで、ろくに反応を返さない。


「く…ぅ…」

それでも何とか瞼を開いた俺の視界に飛び込んできたのは見慣れない色使いの天井だった。
優しい色使いをされているそれは、間違いなく俺の部屋でも、咲の部屋でもない。
恐らく、これは和の家の天井なのだろう。
それに少しだけ安堵を感じるものの、安心は出来ない。
何せ俺の視界はまだ全然はっきりせず、身体も動けないままなのだから。
明らかに異常をきたしているその原因を突き止め、和の安否を確認するまでは気を抜く訳にはいかない。

「…あら…起きたんですか?」

瞬間、俺の視界に優しい桃色がふっと映り込む。
桜色よりも濃くて、赤色よりは薄いそれはきっと和のものなのだろう。
俺の耳に届く暖かな声音もそれを肯定していた。
それに胸の安堵が強まるのは、そこには異常めいたものはなかったからだろう。
少なくとも、彼女は無事であり、苦痛や悲しみを感じるような状況にないのだ。

―― 強いて言えばあまりにも優しすぎるのが気になったけれど…。

さっきの和の声はまるで小さな子どもに対するもののように暖かくて優しいものだった。
母性すら感じられるくらいのそれは正直、違和感を禁じ得ない。
だが、それは彼女が無事であるという事に比べれば些細なものだろう。
それよりは今は状況把握に務めるべきだ。

「の…ろ…か…」
「ふふ…大丈夫ですよ。ちゃんと私が…傍にいますからね…」

そう思って漏らした俺の言葉は舌足らずなものだった。
目を見開く事が出来たとは言え、倦怠感がいまだ抜けきったわけでもないのだから当然だろう。
だが、そんな俺の情けない声に和は耳元で囁くような甘い声で応えてくれる。
それに背筋がゾクリとしたものを感じる中で、俺は上に覆いかぶさったその感覚の源にようやく気づいた。


―― もしかしなくても…これって和…だよな?

その声の近さと言い、視界に映り込んだ桃色の近さと言い、そうとしか思えない。
だが、本来であればそんな事あり得るはずがないのだ。
これが咲や優希であれば、俺もまだ冗談の類と受け止められたかもしれない。
しかし、俺の目の前にいるのはそう言った冗談とは無縁な和なのである。

―― 何より…俺は和に嫌われているんだ。

それを思い出すのは未だに胸が傷んだ。
ほんの一ヶ月前、俺は和に振られたばっかりなのである。
それは真正面からのものではなく盗み聞きのようなこずるい手段ではあったが、しかし、だからこそ、アレが彼女の本心なのだろう。
ストーカー事件の後に告白するだなんて無神経な事をやった俺を彼女が嫌いに思うのも無理は無い。

―― 最近は…それでも話しかけてくれるようにはなってきたけれど…。

それも俺は咲と交際している事を伝えてからだ。
もう自分には興味ないからだと分かったからこそ、少しずつ以前のような関係に戻りつつあるのだろう。
それが嬉しい半面、少しだけ寂しいのは、俺がいまだ和の事を引きずっている所為か。
そんな女々しい自分に一つ自嘲を湧きあがらせながら、俺はもごもごと鈍い動きながらも口を開いた。


「らいじょふ…か…?」
「えぇ…私は大丈夫ですよ。須賀君が護ってくれてますから」

―― …護る?

その言葉に疑問を深めるのは、俺が何も出来ていないからだ。
再び現れた不穏な陰に助けを求められながらも、俺はまったく何も彼女の助けになれていない。
それなのに俺が護っているとは一体、どういう事なのか。
まるで理解出来ない俺の視界が少しずつはっきりとしたものになっていく。
それを状況把握の為に天井ではなく周囲に向けた瞬間…俺の口から驚きの声が漏れた。

「え…?」

俺の視界に映り込んだのは銀色の鎖だった。
それは俺の手首についた銀色の輪っかへと繋がり、同じようにベッドの支柱へ結びついた輪っかを結んでいる。
まるで俺を束縛するようなそれは…ドラマなどで良く見る小道具だ。
しかし、逆に言えばそれはドラマなどでなければ見かけないものである。

「あ、これですか?ふふ…良く出来ているでしょう…?」

それに驚き固まる俺の視界にふっと細い指先が映り込んだ。
そのまま銀色の輪 ―― 手錠をすっと撫でる手つきは、まるで愛しいものに触れるようである。
何処か艶っぽさすら感じさせるそれは俺の手首にも届き、なんとも言えない興奮を感じさせた。
しかし、それに俺はさらなる困惑を強め、今がどんな状況なのかまったく分からなくなる。


「最近はオモチャの手錠と言っても結構、頑丈に出来てるんですよ」
「…オモチャ…?」

そんな俺をさらに追い詰めるような言葉に、俺はそう聞き返す。
手首に触れる硬質な感覚は本物そのもので多少の力ではビクともしそうにない。
試しに少し引っ張ってみたが、未だ復調しきったとは言いがたい身体では傷ひとつ着けられそうにもなかった。
内心、予想していたとは言え、知りたくなかったその現実に俺は助けを求めるように和に視線を送る。

「これは一体…ろおいう…」
「ふふ…ふふふ…っ」

その言葉が最後まで声にならなかったのは…俺の視界に映った彼女の顔が今までに見たことがないものだったからだ。
ほんのりと上気した頬は緩み、笑みを見せる唇はテラテラと輝いている。
トロンとした目は和の心地良さを俺に伝え、幸せそうにも見えるくらいだ。

―― けれど…一番、特徴的なのはその奥にある瞳だった。

それだけであれば俺は彼女の表情に引きこまれこそすれ、言葉を失う事はなかっただろう。
普段の和とは無縁な何処か退廃的な色気にドキドキしたかもしれないが、あくまでそれだけだったはずだ。
しかし…今の彼女が俺に向けるその目は…恐ろしいほどに俺しか見ていない。
まるで世界が俺しか存在しないかのように…俺だけにしか向けられていないのだ。


―― 和は…こんな瞳をしていたか…?

いや、そんなはずはない。
少なくとも俺が知る和はこんな風に底抜けの暗闇のような淀んだ瞳をするような子ではなかったはずだ。
決して快活という訳ではないが、正しい方向に向かい、その為の努力を惜しまないのが原村和という少女なのである。
しかし、今の彼女にはその片鱗すら伺えない。
まるで自ら暗い方向へと堕ちているように…その身体に退廃的な空気を纏っていた。

―― これは…誰だ?本当に…和なのか?

勿論、俺の知る彼女が全てであると言うつもりはない。
しかし、普段からは想像もつかないその姿に…俺の心は思わずそんな言葉を漏らした。
まるで目の前の現実を信じられないというような言葉に…俺の身体が身震いする。
ほんの少し眠っていただけで自分の知らない世界に迷い込んだような錯覚に、俺の背筋に嫌な予感が這い上がってきた。


「寒いのですか?もっと…温めてあげますね…」
「うぁ…っ」

そう言いながら…和は俺の身体に絡みつく。
動かない身体を手放すまいとするようなそれに俺の違和感がさらに大きくなった。
和はこんな事をする子ではないし…何より俺は嫌われていたはずじゃなかったのか。
しかし、どれだけそう思っても目の前の現実は変わらず…俺の困惑だけをただただ大きくしていく。

「ふふ…私の身体…どうですか?魅力的…ですよね?」
「……」

そんな俺に尋ねてくる彼女の言葉に、俺は返答する事が出来ない。
いや…驚きに意識は覚醒し始め、身体にも力が戻りつつあるのだから、しようと思えば出来るのだ。
しかし、それに答えるには、あまりにも多くのものが邪魔し過ぎているのである。
羞恥心は元より困惑や違和感ばかりが思考を埋め尽くし、どう答えれば良いのか分からない。
結果、俺は彼女に沈黙だけを返す。

「言わなくても分かりますよ…ここ…とっても大きくなっていますから…」
「く…ぁ」

だが、和はそんな俺の機嫌を損ねたりしなかったらしい。
幸せそうな甘い声を漏らしながら、俺の下腹部をそっと撫でる。
そこには俺の意識よりも幾分、早起きな俺のムスコがいるはずだ。
所謂、朝勃ちという状態に陥ったそこを彼女の手は優しく撫でる。

―― おかしい…!幾らなんでもおかしいって…!!

これが夢であれば、俺もまだ納得出来ただろう。
だが、俺の意識はさっき覚醒したばかりで、これは決して夢などではないのだ。
しかし…それを認めるのには目の前の状況はあまりにも異常過ぎる。
目が覚めた瞬間、拘束されているだけではなく、俺の男性器を和が弄るだなんてあるはずがないのだから。


「私の身体で興奮してくれたんですよね…?嬉しい…」
「そ、れは…」

実際、彼女の身体は魅力的だ。
出るところは出ているし、締まるべきところは締まっている。
見るからに抱き心地がよさそうなその身体で自家発電した事だって恥ずかしながらあるのだ。
けれど、それを彼女に知られるのはあまりにも恥ずかしい。
泣きじゃくる彼女を抱きしめて慰めた瞬間に邪念を抱いていた事なんて和にだけは知られたくなかったのだ。

「良いんですよ…男の人って…そういう生き物なんですよね?」
「う…」

けれど、そんな俺の言葉を遮るように和が優しく言ってくれる。
まるで俺の邪念を受け止めるようなそれに、俺はなんと返せば良いのか分からない。
彼女の言葉が事実な以上、違うと言っても恥ずかしがっているようにしか聞こえないだろうし、そうだなんて言える訳もないのだから。
結果、俺の唇から漏れるのはうめき声に近いものだけで…肯定も否定も出来ないままだった。

「そ、それより…これは一体…どういう事なんだ?」

そんな俺が選べるのは話題を逸らす事だけだった。
自分でも情けないと思うものの、未だ俺はろくに状況を把握できていないままである。
明らかに分の悪い押し問答よりは、和がどうしてこうなってしまったのかを知るべきだろう。
そう思っての言葉は微かに震えていたものの、最初の頃に比べればしっかりとしたものになっていた。


「どういう事って…?」
「いや…それは…色々ありすぎて一言では言えないんだけれど…」

けれど、和は俺の言葉を上手く把握してくれなかったらしい。
その首を小さく傾げながら、俺にそう尋ね返す。
その仕草は可愛くて仕方がないが、けれど、今の俺はその感情に浸っている余裕はない。
あまりにも聞きたい事が多すぎて、まずはそれを伝えるのに必死だったのだ。

「とりあえず…俺はどうしてこうやってベッドに拘束されてるんだ?」
「そんなの…私が須賀君の事を愛しているからに決まっているじゃないですか」
「…はい?」

そんな俺の疑問に和はまるで何を当たり前の事をと言わんばかりに答えてくれる。
しかし、それは俺の疑問をさらに深めるだけのものだった。
何せ、俺は和からはっきりと嫌いだと言われていたのである。
そんな彼女が俺のことを愛しているだなんて信じられるはずがない。

「…和が…俺の事を?」
「えぇ…心から…愛しているんです」

そう思って再び尋ねた俺の言葉に、和は頷いた。
力強いその仕草に嘘は見えず…俺の困惑が強くなっていく。
実際、こうして俺の身体に絡みついているのだから…それは本当なのだろう。
少なくとも和は好きでもない男にこんな事が出来るタイプではないのは確実だ。
寧ろ、彼女はどちらかと言えば男性が苦手で、俺に対しても最初はかなり警戒していたのだから。


―― 和が…俺の事を好きだって…?

そんな彼女が示したはっきりとした好意に…俺はどうしたら良いのか分からない。
勿論…嬉しいのは確かなのだ。
未だ和に未練を持ち続けている俺を、その言葉は救われたような心地にしてくれたのだから。
嫌われてなかったという事実に安堵が浮かび、胸をなでおろしたくなるくらいである。
だが、それに浸る事が出来ない理由というのは俺の中には幾らでもあった。

「でも、俺には咲が…」

そう。
例え、部活の空気を悪くしない為のものとは言え、俺は咲と付き合っているのだ。
そして…俺が自意識過剰でなければ、咲は俺の事を好きでいてくれている。
俺が咲の事をそう思っていないのも理解しながらも待ってくれている幼馴染の事を俺は裏切りたくはない。
既に一度、彼女とすれ違っている以上、コレ以上の不義理はしたくなかったのだ。

「勿論、そんな事分かっていますよ」
「なら…」
「だからこそ…こうしているんじゃないですか」
「…え?」

瞬間、聞こえてきた声は底冷えするようなものだった。
さっきまでの甘いそれとはまったく違うそれに俺の表情は強張る。
憎しみと怒りに満ちたそのドロドロとした敵意は勿論、俺に向けられたものじゃないのだろう。
だが、そうと分かっていても、俺の身体が強張ってしまうくらいに…それは恐ろしいいものだった。


「私は咲さんよりも…須賀君の事を幸せに出来ます」

自信に満ちたその声も、俺の知る和からはそぐわないものだった。
決して彼女は自己評価が低い訳ではないが、自信満々という訳ではないのだ。
努力は目標を口にしても、こうして根拠の不確かな自信を口にするようなタイプではない。
それに何より…普段の和ならば前提を履き違えるような言葉を口にはしないだろう。

「…問題はそういう所にあるんじゃないって和も分かっているんだろう?」

確かに…和の言葉は一理ある。
俺は未だ彼女に未練を持っている以上、和と付き合う方が正解なのかもしれない。
でも、既に俺は咲と付き合っているのだ。
未だ俺の事を想い続けてくれている恋人の事を裏切って、和と付き合う事なんて出来ない。
例えどれだけ和の方が優れていたとしても、俺は咲の事もまた大事に思っているのだから。

「…本当に…ダメなんですか?私のものに…なってくれないんですか?」
「あぁ。悪いけど…俺には咲がいるんだ」

これがまだ咲と付き合う前であれば、俺は飛び上がって喜んだ事だろう。
それくらい俺にとって原村和という少女は大きな存在だった。
だからこそ、涙ぐんで震えるような声を紡ぐ彼女に胸が痛む。
しかし、ここで和に甘い顔をしてしまったら…きっと誰もが不幸になるのだ。
それを思えば、ここで未練を断ち切る方がまだ気持ちも楽だろう。


「仕方ない…ですね」

その声は未だ悲しみを滲ませるものだった。
けれど、そこには震えるようなものはなく、涙ぐんでいる訳でもない。
俺の拒絶に傷ついているのは確かだろうが、彼女もこうなる事は予想していたのだろう。
ちゃんと俺の気持ちを理解してくれたのか、和はそっと俺に預けていた上体を起こす。
それに俺は安堵の溜息を吐いて… ――

「え?」

瞬間、俺が驚きの声をあげたのは和がそのまま自分の制服に手を触れたからだ。
そのままゆっくりととボタンを外していくその姿に、俺の目は見開いてしまう。
勿論、俺だってそれを見てはいけないと理解しているのだ。
だが、少しずつ顕になっていく白い肌に俺の鼻息は荒くなり、突然始まった彼女のストリップに目を奪われてしまう。

「ふふ…」
「っ!」

そんな俺が視線を逸らす事が出来たのは誇らしそうな和の声が原因だった。
まるでそうやって俺に見られる事が嬉しくて堪らないというようなそれに俺の顔は赤くなる。
さっきあんなに格好つけたのに…コレじゃクズもいい所だ。
そう思った俺は逸らした先で目を閉じて、情報を遮断しようとする。


―― だけど…布擦れの音はやけに大きくて…。

目を閉じても、俺の意識は和へと注がれているままなのだろう。
彼女が脱いでいるであろう音を敏感に感じ取り、脳へと伝えてしまうのだ。
それを俺は拒絶しようとするものの…やっぱり男の本能というものはどうしようもない。
理性では聞いてはいけないと分かっているのに…どうしても耳を傾けてしまうのだ。

「見ても良いんですよ?」
「み、見ない…!」

そんな俺を誘惑するように和が甘い声で言葉を紡いだ。
聞いたこともないような淫らなそれに身体がウズウズとしてしまう。
けれど、ここで和の姿を見てしまったら、俺はなし崩し的に彼女のことを受け入れかねない。
そうなったら後は三人とも不幸になるような結末しか残されてはいないだろう。
それだけは認める事は出来ないと俺は歯を食いしばり、彼女の誘惑に耐えようとした。

「私は須賀君のものなのに…見てくれないんですか…?」
「ぅ…」

その声は俺の耳元で囁かれていた。
甘く小さなそれはまるで近くに和がいるという事を知らせるようである。
その上…そこに込められた甘い響きが耳孔に反響し、ゾクリとしたものを感じてしまう。
冷たい興奮と言っても良いそれに俺は思わず声をあげながらも、噛み締めた歯を離す事はなかった。


「今…シャツを脱いだところですよ?今、目を開けば…私のブラ…見えちゃいます…」
「……っ」

だが、そんな無反応な俺に和が諦める事はなかった。
俺の耳元に顔を近づけながら、自分の状況を伝え続ける。
ただでさえ甘い声にさらなる艶を加えるその言葉に、俺の興奮は強くなった。
だが、それでも俺は目を開く事はなく、和の誘惑を拒み続ける。

「私の髪と同じ桃色のブラジャー…どうですか?勝負下着なんですけれど…須賀君の意見…聞いてみたいです…」
「……」
「これに反応しないって事は…須賀君は中身にしか興味が無いって事なんですね…もう…スケベなんですから…」
「……」

そんな俺を好き勝手言うのも和の作戦なのだろう。
俺が反論したのを突破口に、こちらの我慢に風穴を開けるつもりなのだ。
そうと分かっているが故に…俺はその言葉に返事を返す事が出来ない。
ただただ沈黙を護り、理性を維持する道しか俺には残されていなかったのだ。

「でも…須賀くんなら…良いですよ…。私のおっぱい…須賀君にだけ見せてあげます…」
「ごくっ…」

けれど、それでも…瞬間、聞こえてきた音に俺の我慢は揺らいでしまう。
何せ、俺の好みのタイプは和のようなおっぱいの大きな女性なのだから。
まさに理想のおっぱいと言うべきサイズを誇る和が目の前でブラを脱ぎ、その乳房を晒していると思うと思わず生唾を飲み込んでしまうくらいだ。
幾ら、咲の事を大事に思っていても…こればっかりはどうしようもない。


「ふふ…そんなに見ようとしないなら…ほらぁ…」
「わぷ…っ」

瞬間、俺の顔に何か柔らかいものが押し当てられる。
ふわふわとマシュマロをもっと柔らかくして張りを銜えたような感覚。
それが肌を擽る度に俺の口から声が漏れ出てしまう。
驚き混じりのそれに歯の根が緩んでしまうのを感じるが…それも仕方のない事だろう。
だって、それは今まで俺の感じたことのないものであると同時に…内心、ずっと憧れていたものなのだから。

―― こ、ここここここれって!?和の…おっぱい…!?

勿論、俺が和の事を好きになったのはそれだけじゃない。
彼女の麻雀に対して真摯な態度や時折、見せる柔らかな態度に惹かれていった方が大きい。
だが、しかし、それでも…決してそれが無関係という訳ではないのだ。
何時か触れてみたいとそう夢想していたそれが今の俺の顔を包み込んでいる。
それを思うとどうしても事実を確認したくなって…目元までが緩んでしまうのだ。

「どうですか…?おっぱいで顔をぎゅってされる感覚は…」

そんな俺の耳元に届いた声にパンツの中のムスコがビクンと反応する。
俺が思い浮かべた想像が決して嘘ではないと知らせるその声にさっきから動悸が一気に強くなっていった。
ドキドキと鼓膜を揺らすようなそれに身体がどんどん熱くなり、股間に血液が集まっていくのが分かる。


「私はちょっとチクチクってしてこそばゆいですけど…でも…須賀君の事感じられて…嬉しいです…」
「う…ぅ…」

それでも目を開かない俺を追い詰めるように、和がそんな殊勝な言葉を紡ぐ。
さっきよりも幾分甘くうっとりとしたそれは、きっと彼女の本心なのだろう。
和はきっと本気で…こうして俺を胸で抱きしめるのを嬉しく思ってくれているのだ。
しかし、だからこそ、俺はそんな彼女を拒まなければいけない。
ここで俺がヘタレてしまったら…傷つけるのは咲だけではなく和も一緒なのだから。

「じゃあ…今度は…スカートを脱いでいきますね」

だが、そんな俺の気持ちを彼女は汲んでくれないらしい。
俺に自身のバストを押し付けたまま囁くように言い放つ。
また一歩、裸へと近づいていく彼女に俺の興奮はさらに強くなり、ムスコが痛いほど勃起を始める。
だが、それは和も同じなのだろう。
少なくとも、柔らかな胸越しに伝わってくる彼女の鼓動は、俺に負けないくらい激しいものだった。

―― それなのに…どうしてだ?

そもそも恥ずかしがり屋な和がこんな事平然と出来る訳がない。
普段の彼女であれば俺に抱きつく事さえ恥ずかしがっている事だろう。
だが、今の和はそれを数段飛ばすようにしてどんどんとエスカレートしていく。
まるで必死に俺の事を絡め取ろうとしているように…その言葉も仕草もどんどんと淫らなものへと変わっていっているのだ。


―― でも…俺にそんな価値なんてないだろ…?

俺は所詮、そこらにいる男子高校生に過ぎない。
体力にはそこそこ自信があるが、勉強は人並み程度だし、顔だって飛び抜けて良い訳じゃない。
少なくとも和みたいに立派な女性に想われるほど凄い奴じゃないのだ。
だが、彼女はそんな俺が欲しくて堪らないと言わんばかりに…恥ずかしいはずなのに…どんどん過激になっていく。

「もう私…ショーツ一枚になっちゃいました…殆ど…裸ですね」

それがどうしても理解出来ない俺に和の声が届いた。
彼女がついにスカートさえも脱ぎ去ってしまった事を知らせる声に俺の鼻息はひときわ荒くなっていく。
そもそも顔を包むように和の胸があるのだから酸欠気味なのである。
その上、興奮を擽るように言われたらそれも仕方のない事だろう。

「んふ…私のおっぱいの中でハァハァって…興奮してくれてるんですね」

だが、それでもそうやって彼女にはっきりと言われるのは恥ずかしい。
勿論、和はそんな俺を嫌ったり失望したりはしないのだろう。
それは嬉しそうなその声音を聞いていれば嫌でも伝わってきた。
しかし、それでもその言葉は男のプライドという下らないものを刺激し、俺の顔をさらに赤く染めるのである。


「それなのに…まだ私の事見てくれないんですか?まだ…宮永さんに義理立てするつもりですか?」
「……」

そんな俺に告げる言葉は俺に縋るようなものだった。
まるでそうやって拒み続ける俺が悲しくて仕方がないというようなそれに俺の胸がズキズキとする。
良心が痛むようなそれに、しかし、俺は従う訳にはいかない。
どれだけ同情心が疼いても、俺だけは彼女に手を差し伸べる訳にはいかないのである。

「…そうですか。それなら…私も…もう遠慮なんてしませんから」

その言葉は何処か冷たいものだった。
まるで覚悟を固めたようなそれに、俺の心は嫌なものを感じる。
しかし、ここで口を開いてはさっきまでの努力が水泡に帰してしまう。
何より、こうして覚悟を固めた彼女に何を言っても無駄だろう。
そう思う俺の耳に最後の布擦れの音が届き…そして彼女が裸になった事が伝わってくる。

「ほら、須賀君の好きな…私の裸ですよ。一糸纏わない…生まれたままの…私です」

それに興味をそそられないと言えば嘘になるだろう。
俺は何度だってそれを妄想し、自分で自分を慰めてきたのだから。
しかし、それがどれだけ魅力的でも、俺は拒み続けるしかない。
それが俺が和に出来る唯一の責任の取り方なのだから。


「じゃあ…須賀君も…私と同じように裸になりましょうね…」
「っ!」

瞬間、聞こえてきたその声はもう躊躇しないものだった。
まるでもう吹っ切れたと言わんばかりのそれと共に、俺の胸元に和の手が伸びる。
それは間違いなく和が俺を脱がそうとしているが故のものなのだろう。
それを拒もうと身体が反射的に動くものの、ガチャガチャという硬質な感覚に阻まれてしまった。

「無駄ですよ。須賀君の四肢はもう全部ベッドに繋いでしまったんですから」

そんな俺に勝ち誇るように言いながら、和は作業を続ける。
一つ一つ丁寧に、まるで味わうようにボタンを外すその仕草に、俺はゾクゾクとしてしまう。
これからされる事への期待を混じらせるその反応を、俺の理性は必死に拒んだ。
しかし、それでも既に身体に点った興奮の熱を消す事は出来ない。

「本当は私も…こうした形じゃなく…愛しあいたかったんですよ…でも…須賀君が私を拒むから…仕方がないんです…」

まるで言い訳するようにそう言いながら、和は俺のYシャツを開いた。
そのまま彼女は俺の肌着に手を入れ、それをゆっくりと上へと動かしていく。
そんな和の手と擦れる俺の肌がゾクゾクするのを堪えながら、俺は必死にどうすれば良いか考えていた。
何せ…聞いている限り、和はもう…俺とセックスする腹を決めてしまったのだから。


―― そんなの…認められる訳ないだろ…!

それは決して和のことが嫌いだからとかじゃない。
寧ろ、大事に思っているが故に…俺はそうやって彼女とセックスする事を認められなかった。
恋人がいるのに違う女性とセックスするだけでも不誠実なのにそれは俺を引き止めるだけのものなのだから。
それがまだ効果的ならばまだしも…身体を重ねた程度で心変わりするはずがない。
つまり和が今からやろうとしている事は無意味で…まったく無駄な事なのだ。

「っ!止めてくれ…!そんな事したって俺は…」
「分かってますよ…えぇ…分かってます…」

結局、我慢できずに静止を訴える俺に和も理解してくれたのだろう。
肯定の言葉の言葉を返しながら、その身体をそっと離した。
瞬間、俺の顔を埋め尽くしていた彼女の乳房が消え、息苦しさが消える。
それに安堵した瞬間、和の顔が下へとずり下がり、その手がベルトに掛かった。

「須賀君も…私とエッチしたいんですよね…?ここももう…こんなになってます…」
「それ…は…」

そう言う和の視線は俺の股間へと注がれていた。
さっきからガチガチに勃起したままのそれは制服をぐいぐいと押し上げ、その存在を主張している。
和の言葉を肯定するようなその反応に、俺はどう返して良いか分からなくなった。
けれど、その間も和の手はカチャカチャと作業を進め、俺からベルトを剥ぎ取っていく。


「須賀君なら…良いですよ。私…愛してますから。須賀君の事…大好きですから。だから…」
「そんな事したって…無意味だって…分かってるだろう!」
「無意味なんかじゃありませんよ。私が須賀君の初めてになって…私の初めてが須賀君になるんです。それだけで幸せになれるんですから」

それでも何とか説得しようとする俺の言葉は和にはまったく届いていない。
まるでそれだけが自分の残された道だと言わんばかりに…それだけしか見ていないのだ。
そんな痛々しい和の姿に胸が痛むが…このままではお互いに不幸な結果しか呼ばない。
それを防ぐ為にも…俺は何としてでもここで和を思い留まらせなければいけないのだ。

「お、俺は…初めてじゃない」
「…え?」
「俺は童貞じゃないって…そう言ったんだ」

そんな俺の脳裏に浮かんだのは、さっきの和の言葉を否定するものだった。
勿論、これまで咲以外に女性に縁のなかった人生を送ってきた俺が童貞じゃないはずがない。
咲相手にも答えを出せないままの状態が続いている俺は、自分からキスをした事だってないのだから。
けれど、それでも和を思い留まらせる可能性があるのなら…嘘だって吐いてやる。
そう思っての言葉に和の身体は強張り、まるで凍ってしまったかのように固まった。

「嘘…ですよね?そんなの…冗談ですよね?」
「…嘘じゃない。本当の…事だ」

数秒後、和が紡いだのはまた震えるような声だった。
不安定で落ち着かないその声音は、彼女の苦しみと悲しみをストレートにぶつけられているようである。
それに心がグラグラと揺らぐが、その嘘は吐き通さなければいけないものだ。
和の為を思うなら…決して曲げてはいけない嘘なのである。


「嘘…嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘ウソウソウソウソウソウソウソウソうそうそうそうそうそうそうそうそうそ…」
「の…どか…?」

だが、それは思った以上に…和を追い詰めるものだったらしい。
ベルトに触れていた手で顔を覆いながら、和はひたすら、ウソだと呟く。
まるで壊れたテープのようなその反応に俺の背筋はゾワゾワとした寒気を感じた。
それはさっきのような興奮ではなく…怯えなのだろう。
俺は今、目の前の和に…つい昨日まで何処にでもいる普通の女の子だったモノに怯えているのだ。

「ふふっ…あは…あははははっ」

そんな俺に答えたのはタガは外れたような笑い声だった。
明るい感情でこれでもかと彩られたそれには気味悪さしか感じない。
それはきっとそこにはあるべき理性や意思というものがなく…ただ感情しかなかったからだろう。
まるでケダモノのあげる笑い声のようなそれに…俺の怯えは強くなった。

「須賀君の初めてが奪われた…また…また宮永さんに…あの人に奪われた…っ!」

そこでようやく俺は自分の失策を悟った。
俺の言葉は和を思い留まらせるどころか…追い詰めるだけだったのである。
だが…そんな事を今更理解したところでもう遅い。
俺の言葉で…さらにおかしくなった和は…その濁った目を俺に向け…ニィと笑った。


「それなら…私はそれ以上に…気持ち良くしてあげますから…」
「和…」

嘘だと…俺はそこで言うべきだったのだろう。
けれど、目尻に涙を浮かべながらも…笑う彼女に…それを言って良いか分からなかった。
そんな事を言えば…また和を追い詰めるだけなんじゃないだろうか。
そう思うと俺は彼女の名前以外に何も言えず…沈黙を続けてしまう。

「そうじゃないと…また奪われちゃう…また取られちゃう…それは嫌…嫌…」

そんな俺の前でブツブツと呟く彼女の手が…俺のズボンを脱がし切った。
後に残るのははパンツだけで…他にはもう何もない。
だが、それを理解していても…俺は次に何をすれば良いのか分からなかった。
手錠は頑丈で…説得もろくに通じない。
そんな彼女を思い留まらせるに足るものなんて…俺にはもう思いつかなかったのだ。

「ふぁん…っ」

数秒後、俺はついに下着までズリ降ろされ、彼女の前にムスコを晒してしまう。
血管が浮き出るくらいにバキバキに張ったそれは下着からブルンと飛び出し、ピクピクと震える。
まるで早く触って欲しいと訴えるようなそれは、今まで自分でも見たことがないほど興奮していた。
それは恐らく初めてのセックスの予感が力を与えているのだろう。
そんな情けないムスコを理性が抑えようとするが、反り返ったそれは萎える気配さえも見せなかった。


「これが…須賀君の…」

そんなムスコの姿に和はゴクリと喉を鳴らす。
まるでその迫力に飲み込まれているような反応に俺は神に祈った。
出来れば和がここで怖気づいて欲しいと…思いとどまって欲しいと…信じてもいない神に…心から祈ったのである。

「じゃあ…まずは…指でご奉仕しますね…」
「うあ…ぁ」

だが…普段から不心得者な俺の祈りなんて神様に通じるはずがない。
和が固まっていたのも数秒の事で…その後には彼女の手が俺のムスコに触れる。
自分のものとは比べ物にならないほど柔らかいそれにビリリと強い快感が駆け上がった。
それに理性が何とか堪えようとするものの…ギリギリまで張った男性器の欲求は決して堪えきれるものではない。

「絶対に…宮永さんより気持ち良くしますから…だから…だから見捨てないで下さい…」

―― 結局、薄れゆく理性の中でそう縋る言葉を聞きながら…俺は幾度となく彼女に射精させられ、その身体を無理矢理、味あわせられたのだった。



……
…………
………………


今日は終わりー
なんでただの脱衣シーンであんなに尺取ってるんだろうな俺
それよりも京ちゃんが和に調教されて咲ちゃんよりも気持ち良いって言わせられるシーンとかに力を入れるべきだったな、と反省
まぁ、エロシーンなんて書けないんですけど



次は何時頃になるか分かんないけど出来るだけ早い目に投下する予定
後、2、3回で完結…出来れば良いなぁ…

レイプされると妊娠する可能性が高くなるとかよく聞くけど逆レイプの場合はどうなるんだろうか

京豚はキモいんだよ 神聖不可侵である百合漫画の咲に手を出すんじゃねえ チンポ脳どもが
百合は神聖なもので 男は汚いの わかる? お前らのしてることは いちゃついてる女の子達に うんこ投げつけて喜んでるようなものなんだよ

あと 咲が百合漫画じゃないとか言ってる奴はアニメ見てないだろ 麻雀興味ないから 原作は知らないけど あんな百合百合してる素晴らしいアニメの原作が百合漫画じゃないわけがない それに 作者も百合好きらしいし 咲が百合漫画だというのは 紛れもない事実

それに 百合が世間ではマイナーだとか 言ってる奴がいるけど そんなわけ ねーだろ なのはやゆるゆり らきすたがどれだけ人気だとおもってんだよ こんな当たり前のことも理解できずに 性欲のためだけに喚き散らすから京豚は馬鹿にされるんだよ

ジャアアアアアアアアアアアアアアップwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww

霞「彼らはね、咲のSSが好きなのではないのよ」

霞「自分の姿を須賀くんに重ね、咲キャラたちと絡みたいだけなの」

初美「そうなんですかー?」

霞「そうよ。須賀くんはかわいそうだわ。京豚の、自己投影の犠牲になってしまったせいでいろいろな人に嫌われてし亦野だから・・・」

霞「京太郎SSの『京太郎』を、『俺』に置き換えて御覧なさい」

霞「ほとんどのSSで、違和感なく話が進むはずよ」

初美「うわー・・・ほんとうなのですよー」

霞「こういったスレにはね、ただちにふんふむを召還しなくてはならないの」

霞「『悪』をのさばらせてはいけないのよ」

ふんふむは立ち上がらなくてはならない。


今現在、ふんふむは荒らしという不当な扱いを受けている。


弾圧に屈してはならない。悪を許してはならない。




私は、このスレッドに正義の言霊を書き連ねた。

今後、悪にとり憑かれた京豚スレが現れた場合、このスレの言霊たちを思い出して欲しい。

そして、粛々と『浄化』に勤めていただきたい。繰り返すが、ふんふむは荒らしではない。

愛であり、警告であり、怒りであり、悲しみである。

豚ではない!

なにこの連帯感
そういうの嫌いじゃないわ
あ、明日、投下します

>>469
レイプされると妊娠率あがるのは命の危機に反応して生殖本能高まる為らしいから逆レなら関係ないんじゃないかな?
ただ、ヤンデレには常識が通用しないから一発ヒットも有り得そう

>>486
ゴミみたいなSSを書くな京豚が
てめーのやってる事は立に対する背信行為だ
今すぐ謝罪しろ

ふんふむは立ち上がらなくてはならない。


今現在、ふんふむは荒らしという不当な扱いを受けている。


弾圧に屈してはならない。悪を許してはならない。




私は、このスレッドに正義の言霊を書き連ねた。

今後、悪にとり憑かれた京豚スレが現れた場合、このスレの言霊たちを思い出して欲しい。

そして、粛々と『浄化』に勤めていただきたい。繰り返すが、ふんふむは荒らしではない。

愛であり、警告であり、怒りであり、悲しみである。

>>486
咲-Saki-キャラをオモチャにするんじゃねーよ糞が

>>486
ヤンデレからの逆レの時点で命の危機に直面してる様なものだし某同人みたいに精子が躍起になるかも知れないな

>>490
ふーん。キチガイか?


―― 和は決してそういう事が上手な訳ではなかった。

そもそも彼女はこういう事は初めてで、性的知識が豊富って訳でもないのだ。
寧ろ、こういう事を忌避するような潔癖気味の傾向さえあったのである。
そんな和が、縛ってろくに動けない男相手とは言え、上手に出来るはずなどない。
彼女が失敗して痛みを感じた回数は片手では足りないくらいだ。

―― でも…それでも気持ち良かった。

勿論、彼女はぎこちなく、失敗する事も少なからずあった。
でも、俺もまたそういう盛りであり、性的経験に飢えていたのである。
どれだけ微弱な刺激であろうとも、眼を見張るような美少女に奉仕されていたら興奮もしてしまう。
結局、俺は彼女の身体で四回射精させられ、その内、二回は膣内に放つ事になったのだ。

「はぁ…はぁ…」
「う…あ…ぁ」

そんな彼女は今、俺の身体にそっとのしかかっていた。
初めてで無理した所為か、その肩は大きく動き、必死に酸素を求めている。
しかし、それでも身体を冷ます事は出来ないのか触れる彼女の素肌はじっとりと汗ばでいた。
紅潮した肌を微かに震わせるその姿は可愛く、何とも庇護欲をくすぐられる。


―― でも…和は…。

そう。
ついさっきまで俺がされていたのは所謂、レイプという奴だ。
抵抗出来ないまま射精させられ、人としての尊厳を弄ばれたのである。
勿論、和は俺に対して異常なまでに尽くそうとしてくれたし、気持ち良かったのだが…まぁ、それはさておき。
ともあれ、俺が合意もなく、和に襲われたという事実は変わらない。

―― どうすりゃ…良いんだろうな。

そんな彼女に俺が掛けるべき言葉というのは…一体、何なのだろうか。
それはどれだけ考えても、俺の頭じゃ分からない。
でも、このまま沈黙を保ったままで良いとは到底、思えず…俺は何か言おうと口を開いた。

「…大丈夫…か?」

そう尋ねる言葉がどれだけ馬鹿らしいものなのか、俺にだって理解している。
今も尚、主導権は和が握っているままであり、俺はただ彼女がするのを受け止める事しか出来ないのだから。
しかし、それでも、そうなってしまうまで和の事を追い詰めたのは間違いなく俺である。
だからこそ、荒く息を吐く和の事が心配で…俺はついそう尋ねてしまった。


「ふふ…」
「ん?」

そんな俺の耳に届いたのは小さな笑い声だった。
吐息と共に漏らすようなそれに俺が聞き返せば、和は胸板にうずめていた顔をこちらへと向けている。
じっとりとした脂汗を拭う事もなく、俺を見上げるその顔はとても嬉しそうに見えた。
少なくとも苦痛なんてものは影も形も見えない事に、俺は安堵を覚える。

「やっぱり…須賀君は優しいですね」
「…んな事ないよ」

本当に優しければ、もっと良い方法があったはずなのだ。
和を追い詰めず…やんわりと彼女を説得する事が出来たはずなのである。
けれど、俺がやった事と言えば、和を追い詰め、射精させられただけ。
それが自嘲となって胸を突き、俺に落ち込んだ声を漏らさせた。

「普通なら…こういう状況で相手の事を心配したりしませんよ」
「和…」

瞬間、彼女が漏らした笑みはいつも通りのものだった。
さっきのように追い詰められたが故の狂気のものではなく…俺の知る原村和の笑みだった。
それに彼女の名前を呼べば、和はそっと俺の顔へと手を伸ばす。
そのまま頬を包み込むように触れながら、彼女は優しく俺を撫で始めた。


「そんな須賀君だから…私はこんなにも好きになったんです…」
「…ごめん」

そう謝罪する言葉には沢山の意味が込められていた。
ついさっき追い詰めた事も、和の好意に気付かなかった事もひっくるめて謝罪するそれに彼女はほんのすこしだけその笑みを曇らせる。
それはきっと…そこにある一番の意味が、彼女の好意に応えられないものだと知ってのものなのだろう。

「俺はやっぱり…和と付き合えない」

勿論…それを期待する自分がいないと言えば嘘になる。
だが、こうして身体を重ねる事になって…俺は確信した。
俺が傍にいても、和の狂気が加速するだけで…ろくな結果にはならない事を。
このまま彼女を受け入れても…俺はきっと和の期待には応えられない事を…俺は悟ってしまったのである。

「勿論…こんな事になってしまった責任は取る。だけど…俺は…やっぱり和とは友達であった方が…」
「良いんですよ…」
「えっ…」

その瞬間、和の顔が俺の顔へと近づいてくる。
そこに浮かんでいたのは、何もかもを許すような優しげな笑みだった。
何処か母性すら感じさせるそれに…俺は妙な違和感を抱く。
何かがおかしいと本能が警鐘を鳴らすが…しかし、俺はそれに気付けない。
何か気付かなければいけない事があるはずなのに…意識はそれを拒むようにスルーし続けているのだ。


「何も…宮永さんと別れてくれだなんて言いません。ただ…私の傍に帰ってきてくれれば…それで良いんです…」
「でも…それは」

ただ、それだけであるならば…と思う気持ちが俺にもあった。
しかし、毎日、一緒に居てそれだけで済むはずなどないのである。
俺は既に和の味を知ってしまったのだから。
こうして関係が続く中で、俺はどうしても期待し…そして彼女も迫ってくるだろう。
その時にまたさっきのように和を拒めるとはどうしても思えなかった。

「そうしてくれるなら…私は須賀君に美味しいご飯と私の身体をご馳走してあげます。男の人は…そういうの…好きでしょう?」

けれど、それでもその暖かな言葉は俺の心にジワジワと入り込み、決意を揺さぶる。
まるで期待してしまう醜い俺ごと受け入れてくれるそれに…ついつい頷いてしまいそうになった。
だけど…そうやって頷いたところで、俺は最終的に和を傷つけるだけだろう。
自分の身体すら捧げるような彼女の好意に応えられるほど、俺は迷いなく和の事を愛してやれない。
以前ならばまだしも…俺の傍には咲がいて…そして恥ずかしながら俺は少しずつ幼馴染に惹かれているのだから。

「…ごめん」
「そう…ですか」

だからこそ紡いだ俺の言葉に和は小さく俯いだ。
今にもキス出来てしまいそうなくらい間近に迫った顔を曇らせるそれに胸がズキリと痛む。
未だに和に未練を残す俺の心が、彼女にこんな顔をさせてしまった事に苦しんでいるのだ。
けれど、それはもう消し去らなければいけない自分である。
こうやって和のことを拒んだ以上、残していたら皆不幸になる感情なのだ。


「それなら仕方ないですね…」

そう言いながら和はそっとその両手を枕元へと伸ばした。
そのままゴソゴソと何かを探すその仕草が一体、何を意味しているのかは分からない。
胸の中にはこのまま解放されるのではないかという期待はあるが、それが実現するとは思えないのだ。
こうして身体を使ってまで絡め取ろうとした彼女がここで諦めてくれると思うほど、俺はもう楽観的にはなれないのである。

「じゃあ…これを見てくれますか?」
「…え?」

けれど…そんな俺にとっても、目の前に差し出されたそれは予想外なものだった。
銀色で四角いフォルムをしたそれは所謂、ビデオカメラという奴なのだろう。
その脇に着いたモニターを広げたそこには…さっきの交わりが鮮明に映し出されている。
恐らく俺が起きる前からセットしてあったのであろうそれに俺は呆然としてしまう。
それはただ目の前の光景が信じられないからだけではなく…彼女の意図を察する事が出来なかったからだ。

「良く撮れているでしょう?私の顔まで…ばっちりですね」

そう。
枕元から撮影されたそれは俺の顔を殆ど映していないのだ。
代わりにそこに映しだされていたのは裸になった和である。
俺の上で腰を振るい、少しずつ艶めいた声をあげるその様が…まさしく無修正で映しだされていた。
そんなものを俺に見せて一体、どうするつもりなのか。
それがどうしても分からない俺の前で、和が再びニコリと微笑んだ。


「もし須賀君が私に従ってくれなかったら…私はつい悲しくて…これをネットに流してしまいそうです」
「っ…!」

瞬間、ゆるやかに漏らされた言葉に俺は背筋を凍らせた。
だって、それは暗に従わなければ、これを流出させると…和はそう言っているのである。
勿論、それが流出した所で、俺の顔なんて殆ど映っていない以上、何ら問題はない。
だけど…それはあくまでも…俺に限った話なのだ。

「そうなったら…私、生きていけませんね」

そう。
これが流出してしまったら…和は何も知らない世間の人間から非難され、軽蔑される事だろう。
いや、下手をしたら警察が動きだすような大事件に発展するかもしれない。
その中で…この繊細で傷つきやすい少女がどれほど傷つくのか…俺には想像もつかなかった。
下手をしたら…本当に和は自分の命を絶ってしまうかもしれない。
その想像に俺の背筋は凍え、表情が強張った。

「でも…須賀君は私の事…護ってくれますよね…?」
「あ…」

その声には…無上の信頼が溢れていた。
ここまでした自分を決して見捨てられないという確信がその言葉にはあったのである。
だけど…俺はそれを拒むべきなのだろう。
そんなもの流出させた和の責任なのだと…そう切って捨てて…下らない考えだと教えてやるべきなのだ。


―― でも…もし…本気だったら…。

いや…恐らく和は本気だ。
そうでなければこんな監禁まがいな真似をして俺をレイプしたりしない。
既に和はグレーゾーンを踏み切って、クロの世界へと入り込んでいるのだ。
そんな彼女が…今更、自分可愛さに躊躇するはずがない。
俺を手に入れる為に彼女は一度、自分の身体を投げ捨てているのだから。

―― その後、彼女がどうするつもりなのかは俺には分からない。

けれど…決して無事では済まない事は確かだ。
それを容易く想像できる選択が出来るかと言えば…答えは否である。
こうして監禁者と被監禁者という関係になっても…俺はまだ和の事を心の何処かで好いているのだから。

―― こうして拒んでいるのだって…俺は和の事を想っているからだ…。

そんな彼女を谷底に突き落とすような真似を出来るほど…俺は決断力に溢れた人物じゃない。
寧ろ、普段から咲にヘタレだとそう罵られているような男なのだ。
一番、被害が少ないと分かっているその非情な選択をどうしても選べない。
けれど、咲を裏切るような言葉も紡げないまま、無為に時間だけが流れていく。


「何を迷うんですか…?ここで頷けば…毎日、気持ち良くなれる上に…皆、幸せになれるんですよ…」
「……」

そう囁く彼女に…俺はそれが俺たちだけの問題ではない事を悟った。
こんなものがネットに流出したら…麻雀部の存続だって危うくなる。
恐らくほぼ確実に出場停止、下手をすれば部活動の停止だってありえるだろう。
今更ながら気づいてしまったそれに…俺はもう…拒む事が出来なかった。

「…分かった…」
「…あぁぁっ…」

その言葉に和は嬉しそうな声で答えた。
まるでその身体をブルリと震えさせるほどの歓喜を見せる彼女に…俺は身体からふっと力を抜く。
恐らく和を拒む為に無意識の内に入っていたのであろうそれが虚しく霧散していくのだ。
それに完全に自分が陥落してしまったのを感じる俺の顔を和が愛しそうにゆっくりと撫でる。

―― でも…その目からは涙が溢れていた。

それは自分の思い通りになった事の喜びなのか、或いはついに踏み越えてはいけない一線を超えてしまったが故なのか。
あくまで他人でしかない俺にはどうしても分からない。
しかし…それでも…それが決して正しいものではない事くらいは伝わってくる。
まるでわずかに残った理性を洗い流すようにその涙は痛々しく、そして悲しいものだったのだから。


「和…もう…抵抗なんてしないから…手錠を外してくれないか?」

だからこそ紡いだ俺の言葉は、諦観に溢れていた。
もう抵抗しても無駄なのだと…既に俺は蟻地獄へと嵌ってしまった後なのだそう認めてしまったからなのだろう。
けれど、そんな俺にも…一つだけ出来る事が…いや、するべき事がある。
それを果たすまでは…俺は心の奥から湧き上がる疲労感に身を委ねる訳にはいかないのだ。

「じゃあ…その前に…須賀君から誓いのキスしてくれますか…?」
「誓い…?」
「えぇ…絶対に私のことを裏切らないって…そう信じられるように…須賀君から…キスを下さい…」

泣きながらそう交換条件を出す和に俺はほんの少し逡巡する。
既にファースト・キスはこの前、咲に奪われているとは言え、自分からするのは初めてなのだ。
さっき無理矢理、童貞を奪われたばかりの俺にとって、それはほんの少しばかりハードルが高い。
その上、俺の身体は拘束されっぱなしで…ろくに動かせないのだから、迷って当然だろう。

「ん…」

けれど、その躊躇いも、幸せそうに目を閉じて、俺を待つ和の顔を見たら吹き飛んでしまう。
例え、その頬を歪んだ陶酔と幸福感に紅潮させていても…和はとても可憐で…そして綺麗なのだ。
そんな彼女に今にも触れ合いそうな距離でキスを強請られたら…我慢なんて出来るはずがない。
心の中で咲に謝罪しながら、俺はそっと首を起こし、和の唇に顔を近づけていく。


「ふゅぅっ!?」

その唇がそっと和に触れた瞬間、彼女の手が俺の首の後へと回った。
そのまま顔を無理矢理持ち上げるようなそれに俺は驚きの声をあげる。
しかし、俺を捉えた和の手が手心を加える事はなく…ちゅっちゅと何度も粘膜を触れ合わせた。
まるで子どもが親愛を必死に伝えようとするようなそのキスに俺の思考も少しずつ蕩け、胸が再び興奮を浮かばせる。

「ふふ…っキスって…とても良いものですね…。我慢していて…正解でした」

数分後、俺の唇から離れた和は、うっとりとしながらもそう言葉を口にする。
セックスの最中にもキスだけはしなかったので、彼女にとってこれはファーストキスなのだろう。
それに値するものであったかは途中から受け身であった俺には疑問ではあるが…その顔には辛そうなものは何もない。
それに安堵を覚えた瞬間、俺の頭は優しくベッドへと戻され、和の腕はそっと枕元へと伸びた。

「では…今、ご褒美をあげますね」

そう言って和は俺の手錠に小さな鍵を突っ込んだ。
そのままカチャカチャと数回ほど音がした瞬間、それは口をパカリと開く。
拘束能力を失ったそこから解放された手は微かに痺れ、ジィンとした感覚を広げた。
ずっと同じ姿勢のまま固定されていたのだから、それも当然なのだろう。


「大丈夫…ですか?辛いところ…ないですか?」

そんな俺に心配するように言うその言葉は和の本心なのだろう。
彼女とて、出来ればこんな手段は取りたくなかったはずだ。
それは申し訳無さそうなその瞳を見れば良く分かる。
けれど、和にとってはそんな逡巡すら二の次で…大事なのは俺を手に入れる事だったのだ。

「…あ…」

そんな彼女に…俺がこれからどうしてやれば良いのかは分からない。
和の感情に対して…俺はちゃんとした答えを持っていないのだから。
しかし、それでも…俺は未だ涙の跡を残す和の頬を拭ってやらなければいけない。
そして…俺がこんなになるまで追い詰めてしまった彼女の事を…ぎゅっと抱きしめてやらなければいけないのだ。

「和は…バカだ…」

こんな事をする前に…色々と道はあったはずだ。
俺の誤解を解く道だってあっただろうし、優希に相談する道だってあっただろう。
けれど、和はその道を選ばず…ただ、俺みたいな何の価値もない男を手に入れる為に…道を踏み外した。
そんな彼女を…俺はバカと罵るのは…何も彼女を責めているからじゃない。


「こんな事をする前に…やるべき事は沢山あっただろ…」

勿論、そんな事は和が一番、良く知っているはずだ。
和は俺なんか足元にも及ばないくらいに頭が良くって、そして理性的なのだから。
そんな彼女がこんな強引な手段を取るほどに…苦しんでいた。
日常ではごく普通に生活しながらも…裏ではおかしくなるくらいに…苦しみ、悲しんでいたのである。

「…どうして…泣いているんですか?」
「自分が…情けないんだよ…」

でも、俺はそれを気づいてやれなかった。
それは身近に手のかかる咲が居たから…なんて言い訳にはなるまい。
俺は…あれほど好きだなんだと言っていた和の変調に気づいてやれなかったのだ。
そんな自分が情けなくて…俺の目尻からもいつの間にか涙がこぼれ出す。

「…泣かないで下さい…わ、私…須賀君に悲しんで欲しかった訳じゃ…」
「…分かってる…」

和だって…そうやって感情を押し殺していたのは…何もこうして俺に泣いて欲しかったからじゃない。
寧ろ、心配かけまいと必死で…・自分の事を取り繕っていたのだ。
そんな事くらいは俺にだって分かっている。
でも…そんな和の優しさをこうして無駄にしてしまった今…俺は悲しくて…情けなくて仕方がなかったのだ。

ぬあー駄目だ
やっぱ>>512から書き直す

「大丈夫…ですか?辛いところ…ないですか?」

そんな俺に心配するように言うその言葉は和の本心なのだろう。
彼女とて、出来ればこんな手段は取りたくなかったはずだ。
それは申し訳無さそうなその瞳を見れば良く分かる。
けれど、和にとってはそんな逡巡すら二の次で…大事なのは俺を手に入れる事だったのだ。

「…あ…」

そんな彼女に…俺がこれからどうしてやれば良いのかは分からない。
和の感情に対して…俺はちゃんとした答えを持っていないのだから。
しかし、それでも…俺は未だ涙の跡を残す和の頬を拭ってやらなければいけない。
そして…俺がこんなになるまで追い詰めてしまった彼女の事を…ぎゅっと抱きしめてやらなければいけないのだ。

「ごめんな…俺…和をこんなにさせて…本当に…最低だ…」

そうやって謝られたところで、和が困る事も…俺には分かっていた。
しかし、それでも…俺は和に対して謝る事しか出来なかったのである。
大事な部分が壊れてしまったその身体を抱き締めながら…彼女の涙を拭いながら…謝罪する俺。
そんな俺に…和は困惑するような表情を見せながらも…そっと頭を撫でてくれた。


「じゃあ…その分…護って下さい…一生…護り続けて下さい」
「…あぁ」

ただ感情を自責の感情をぶつける事しか出来ない俺を和は受け止めてくれた。
その上で耳元で囁くその声に…俺は抗う気力を持たない。
もう俺の心は諦観と自責に満ちていたのだから。
その両方を慰撫する提案に抗えるはずもなく力なく頷いた。

―― 勿論…その果てでどうなるのかは俺にも分からない。

こうして和に屈した先で、俺に見えるのは破滅だ。
けれど、俺はそれを出来るだけ回避するように立ちまわるべきだろう。
こうして壊れてしまった和がまた元に戻れるように…俺は最大限努力するべきなのだ。
その為にはもう…咲の事を構ってやる余裕はない。
手のかかる幼馴染の事は心配だが…俺はそれ以上に手のかかる和の面倒を見なければいけないのだから。

「ふふ…まるで…プロポーズみたいですね…」
「そう言うのは…また今度な」

そう覚悟を決めたとは言え、さっきのそれをプロポーズと言われるのはやっぱり抵抗があった。
正直、今の俺には明日からの生活だって想像出来ないし、何より俺は頷いただけなのである。
勿論、こうして和を選んだ以上、責任を取るつもりではあるが、さっきのそれはあまりにも格好悪い。
何より…まだプロポーズなんて出来る年頃ではないのだから、後日改めて俺からという形の方がお互いに良いだろう。


「じゃあ…須賀君の事…アナタって呼んで良いですか?」
「ぅ…」

けれど、胡乱な瞳を鈍く光らせる和に俺の言葉は届かなかったらしい。
その頬を幸せそうに緩ませながら、俺に尋ねてくる。
勿論、俺にそのこそばゆい呼び方を拒否する権限などあろうはずもない。
俺の弱みは既に和が握っている以上、俺には従う道しかないのだから。

「…二人っきりの時だけな」
「えぇ…勿論です…二人だけの…秘密の呼び方ですね」

それでも被害を最小限にする為に紡いだ言葉に、和は上機嫌に頷いた。
それは恐らく『二人だけの秘密』 という響きが嬉しかったというよりも、彼女が元々そのつもりだったからだろう。
首肯する和の仕草には躊躇いはなく、また嬉しくて堪らないといったものだったのだから。

「さぁ…アナタ。まずは…ご飯を食べましょう?」
「もう出来ているのか?」
「えぇ」

そんな彼女はそっと俺の腕を抱き寄せながらベッドから立ち上がらせようとする。
それに従いながら言葉を紡げば、和はニコリと笑みを見せた。
普段の彼女とは違う何処か誇らしげなそれは褒めて欲しいと言っているようである。
それだけを見れば…何時もよりも少しだけ子どもっぽいだけの和に、けれど、安堵する事は俺には出来なかった。


「アナタの好物…一杯、作ってるんですから」
「それは嬉しいけれど…先に着替えないと…」

そう。
俺は殆ど制服も肌蹴たままで和は裸なのだ。
そんな状況で、家の中を出歩くのは流石に恥ずかしい。
何より出るところは出て引っ込むところは引っ込んでいる和の身体は目に毒なのだ。
正直、その艶やかな肌が視界で揺らぐだけで、四回は絞られたムスコが元気になってしまいそうなくらいに。

「別に良いじゃないですか。この家は私とアナタだけですよ」
「親御さんは…?」
「勿論、今日も泊まりです」

ニコリと笑う和の言葉は誇らしそうなものだった。
そこにはストーカー事件の際に垣間見せた寂しさはない。
まるで俺だけが居れば世界が幸せなのだと言わんばかりな笑みを見せている。
それに微かな寒気を感じながらもまったく恥部を隠さない彼女に興奮が高まり、一部分が膨張しそうになっていく。

「い、いや、でも…ストーカーだっているんだろ?そいつにもし和の裸を見られたら俺は…」
「ふふっ」

それでも何とか説得しようとした俺の前で、和が小さく笑った。
さっきのような誇らしそうなものではなく、ついつい漏らしてしまったと言わんばかりのそれに俺は首をかしげる。
一体、そんな風に笑われるような変な事を言ってしまっただろうか。
そう思い返すものの、彼女の身を心配する俺の発言は場違いなものとは思えなかった。


「ストーカーなんて最初からいませんよ」
「…え?」

瞬間、聞こえてきたその声を俺は最初、信じる事が出来なかった。
それも当然だろう。
だって、和はあのストーカー事件で、とても恐ろしい目にあったのだから。
下手をすれば男性恐怖症になってもおかしくはないほどのその体験を利用するだなんて到底、思えない。

「脅迫状も…何もかも全部私の自作自演です」

だが、そんな俺の思考を打ち砕くようにして和は再び言葉を口にする。
現実を無情なまでに知らせるそれに俺は崩れ落ちてしまいそうになった。
それは決して和が俺に対して嘘を吐いていた事がショックだからだけではない。
トラウマさえも利用出来てしまうくらいに…今の和がおかしくなっている事が…辛くて仕方がないのだ。

「それより…私の事…心配してくれてるんですね…」
「ぅ…」

そんな俺の身体に和がそっと寄りかかってくる。
身体そのものをすり寄せるようなそれに俺は否応なく和の身体の柔らかさを意識してしまうのだ。
自然、下腹部でムスコがムクムクと起き上がり、海綿体に血が巡っていく。
そんな自分を何とか抑えこもうとするものの…俺の胸板に押し付けられる柔らかな双丘にはどうしても勝てなかった。


「嬉しいです…胸の奥が…弾けてしまいそうなくらいに…」

そう言ってうっとりと微笑む彼女から俺はそっと目を背けた。
そんな幸せそうな和を見ると、今度は自分から襲いかかってしまいそうだったのである。
しかし、こうして和を支えるコトを選んだとは言え、俺はそこまで吹っ切った訳じゃない。
流石に自分から和を求めるのは未だ恋人である咲への手酷い裏切りにしか思えず、俺は目を背けたのだ。

「だから…良いんですよ」
「…えっ?」

そんな俺の耳に届いたのは俺の首筋に手を回す和の声だった。
まるで自分の方へ俺の顔を導くようなそれに視線を向ければ、そこには何もかもを見通すような瞳がある。
俺の中の薄汚い欲望すら見透かしているようなそれは…気まずくて仕方がない。
だが、まるで底の見えない井戸ような濁った瞳には妙な力があって…俺の意識はそこへと引きずり込まれていく。

「私のコトが欲しくなったのなら…いつでも言って下さい。私は…アナタの妻なんですから」

そう言いながら自慢げに微笑む和の中で、俺達はもう結婚しているらしい。
けれど、俺はそれに対して、反論する事も出来なかった。
それは決してドンドンと既成事実をエスカレートさせていく彼女のことが恐ろしかった訳じゃない。
寧ろ、俺の欲望ごと受け止め、肯定しようとしてくれている和に対して胸が詰まり、ムスコが反応してしまったからだ。


「それとも…アナタは責められる方が好きですか?私は…不勉強ですけれど…でも、アナタが望むなら…」
「い、いや!今は…良いから!」

その言葉と共にさらに擦り寄ってくる和を俺は何とか引き剥がした。
それは少しだけ乱暴なものになってしまったのが心苦しいが仕方がない。
何せ、そうやって和の事を引き離さなければどうにかなってしまいそうなギリギリのラインだったのだから。
打ちのめされた身体を奮い立たせるような欲望に、俺はもうちょっとで負けてしまいそうだったのである。

「そ、それより…飯食べようぜ。俺もお腹すいたし…さ」
「ふふ…そうですね…」

それを誤魔化そうとする俺の言葉に和は嬉しそうに笑った。
まるでそんな俺のごまかしなんてお見通しだと言わんばかりのそれに、少しだけバツが悪い。
とは言え、この状況で和を騙せるような話題なんて思いつくはずもなく、俺は力なく肩を落とした。

「その後は一緒にお風呂に入りましょうね…」
「え…?」

そんな俺の腕を愛しそうに抱きなおす和に、俺は言葉を失った。
正直、目の前で裸になられているだけでも辛いのに、このうえ一緒に風呂なんて入ったらどうなるのか。
それこそ火を見るよりも明らかであるが故に…和は反論を許さない。
スタスタと俺を引っ張るように歩き…部屋から引きずりだされていく。
その後、リビングに降りた俺は和に抱きつかれながらテーブルに並ぶご馳走を一つ一つ丁寧に口に運ばれて… ――




―― 結局、その後の風呂で我慢出来なくなってしまった俺はその日、原村邸に泊まる事になってしまったのだった。




今日は終わりー
土曜か日曜には完結させたい所存ー


―― それからの俺の生活は少しだけ様変わりした。

朝、咲に起こされてから学校へ。
そのまま気心の知れた友人たちと話しながら青春を過ごす。
昼休みは咲と一緒に昼食を食べ、放課後になったら彼女と一緒に部活へ顔を出すのだ。
それが終わった後は咲を家まで送り、俺もまた住み慣れた我が家へと帰る。

―― でも、いつも通りなのはそこまでだ。

その後、俺は和の家へと足を運ぶ。
それは彼女が俺にそうして欲しいと望んだからだ。
出来るれば毎日…自分に会いに来て欲しいと…和は俺にそう言ったからである。
勿論、彼女自身を人質に取られている俺に拒否権などあろうはずもない。
結果、俺は幼馴染や親に嘘を吐きながら、今日もこうして和の家を目指している訳である。

―― それに申し訳なさを感じないかと言えば嘘になる。

俺だってこんな状況が正しいとは欠片も思っていないのだ。
こんな風に咲や親に嘘を吐き続けるような関係が永遠に続く訳がないのだから。
しかし、そうと分かっていても…完全に絡め取られた俺は、和の家に向かうしか無い。
その現実に小さくため息を吐きながら、俺は夕暮れ時の住宅地で肩を落とした。


―― せめて…咲にだけは…伝えたいんだけれど…。

純粋に俺に対して好意を示してくれている幼馴染。
そんな彼女に対して、俺はまだ答えを保留したままだった。
勿論、恋人面しながらも裏では彼女を裏切っている今の状況が最低である事くらい分かっている。
だが、和は俺が咲を振る事さえも許さなかったのだ。

―― 和はそれをインターハイで優勝しなければ長野に居続けられないからだって言っていたけれど…。

勿論、それは嘘じゃないのだろう。
和自身の口から語られるそれはとても悲しい響きであり、嘘など欠片も見当たらなかったのだから。
その為に…咲の力を利用しようとしている和に思う所がない訳じゃないが…しかし、理解出来ない訳じゃない。
既に犯罪行為を犯し、俺のことを脅迫している彼女にとって、それはもう割り切った事なのだろう。

―― でも…多分、それだけじゃない。

そう思うのは和が咲の事を誰よりも意識しているからだ。
俺の傍にいる時でさえ明確な敵意を浮かべる咲の事を…和がただで済ませるとは思えない。
恐らく…和はジワジワと咲の事を傷つけるつもりなのだ。
それらしく聞こえる正当化の理由を掲げて…少しずつ咲を締め上げようとしている。


―― でも…俺に何が出来る…?

その為の道具に成り下がっている自分に…俺は幾度と無くそう問いかけた。
しかし、その言葉は無駄に胸の中に響いて…答えなど呼び起こさない。
結局…俺にだって分かっているのだ。
誰も傷つけない選択なんて無理だって事を…どちらかを犠牲にしなければ、誰も護ってやれない事を…俺も理解しているのである。

―― でも…まだ…まだ可能性は0じゃないはずなんだ。

まだ…和が正気に戻ってくれれば…可能性はある。
二人が手を取って…インターハイを目指す道だってあるはずなのだ。
そんな理想めいた考えを脳裏を横切り…ろくに行動を起こす事が出来ない。
結果、俺に出来るのはただ和の言いなりになる事で…迷いながらも彼女の家のインターフォンをそっと押し込んだ。

―― ガチャ

「アナタっ!」
「うわっ」

瞬間、俺の胸の中に一人の女の子が飛び込んでくる。
制服の上にそのままエプロンを着けた彼女はまるで弾丸のように扉から飛び出し、俺へと一直線へと向かうのだ。
そんな彼女 ―― 俺の妻であるらしい原村和を俺は驚きの声をあげながら抱きとめる。
それに安心したのか、和は一つ吐息を漏らしながら、俺の胸の中にスリスリと頬を擦るのだ。


「おかえりなさい…っ」
「…ただいま」
「ふにゅぅ…ぅ」

そのまま幸せそうに言う和に、俺は小さくそう返した。
それに和がさらに目元を蕩けさせる姿に俺の胸は興奮を浮かばせる。
それを見て見ぬふりをしながら、俺はそっと和の背中に腕を回した。
そのまま彼女の背中を撫でる俺に、和は甘えた猫のような可愛らしい声をあげる。

「でも、危ないから飛び出すのは止めろって」
「ふふ…大丈夫ですよ。ちゃんとアナタだって確認してから飛び出していますから…」

そう和が言うものの、やっぱりあまり安心は出来ない。
この家は決して俺たちだけのものでもないし、和はつい先日までストーカー被害に悩まされていたのだから。
もし、何か間違って、親御さんに抱きついてしまったら、言い訳だって大変だろう。
そう思って何度も注意したのだが、和がそれを聞き入れてくれた事は一度もなかった。

「それより…早く入りましょう?私たちの家に…」
「…あぁ、そうだな」

誘う和の言葉に俺は小さく肩を落としながらも従った。
そっと彼女の背中を解放し、和が離れられるようにしたのである。
瞬間、和は小さく笑ったかと思うと、俺の腕をぎゅっと胸の谷間を抱き込んだ。
そのまま先導するように歩く彼女に従って、俺は原村邸の玄関へと足を踏み入れる。


「今日もお料理一杯、頑張ったんですよ」
「そっか。それは楽しみだな」

そんな俺に小さく振り返りながら、和は自慢げに言葉を漏らす。
まるで小さな子どもが褒めて欲しいと言外に訴えるようなそれに返した言葉は嘘ではない。
彼女の料理はとても美味しくて、また今も発展途上にいるのである。
日々、俺の嗜好に合わせてくれる彼女の料理は本当に楽しみだった。

「でも、まだ出来ていないので…座ってゆっくりしてて下さい」

とは言え、俺は咲を家に送ってすぐに和に会いに来たのである。
ついさっき別れてから一時間も経ってはおらず、その間に買い物から料理まで出来るはずもない。
だが、育ち盛りでもある俺の身体は既に空腹を訴え始め、小さく腹を鳴らしている。

「いや、俺で良ければ手伝うよ」

そんな状態でゆっくりなんてしておられるはずもない。
俺の身体はもう飢えて、早く和の手料理を味わいたくて仕方がなかったのだ。
それに何より、和一人にだけ家事を任せて、他人の家でふんぞりかえるような度胸は俺にはない。
未だ原村邸に入る事に緊張を覚える俺にとって、じっとしている方が逆に辛かったりもするのである。


「でも…お仕事大変でしたでしょう?」
「…」

そんな俺に返す和の言葉に…俺はなんと言えば良いのか分からない。
それは…和がその言葉を本気で言っているからだと…俺は理解しているからだ。
彼女は本気で…俺が仕事から帰ってきたばかりだと思っている。
少なくとも…つい一時間前に別れてしまった事なんて完全に忘却しているのだ。

―― 彼女がおかしいのは…それだけじゃない。

俺も…最初はただの冗談か表現のたぐいだと思っていた。
しかし、こうして数日一緒に過ごしている間に…和が本気でそう思い込んでいる事に気づいたのである。
今の和にとって、俺は最愛の夫であり、この家は俺が汗水たらして手に入れた城なのだ。
そしてその事実は俺が何を言っても歪む事はない。
俺が同級生であり、親御さんが頑張って買った事実を完全に消去した彼女には…何を言っても無駄だったのである。

―― でも、学校での和はコレ以上ないくらいに『正常』だった。

いや、寧ろ、おかしくなる前よりも社交的で明るくなった。
まるで自分の狂気をこの時間にぎゅっと詰め込んだように…学校での和は普通の少女として生活している。
優希の奴とも仲直りし、クラスや部活の中にも溶けこみ始めているその姿を見て、俺が違和感を覚えたのは一度や二度ではない。


―― それが良い事なのか悪い事なのかは…俺には分からない。

勿論、少しずつ社交的になっていく和の変化は喜ばしいものだ。
優希の奴とも仲直りした事に、俺は心から安堵している。
だが、その一方で…こうして二人っきりの時の和はどんどんとおかしくなっていく。
まるで心のバランスを取ろうとするように…思い込みを激しくしていくのだ。

「アナタ?」
「あ…ごめんな」

でも、俺はそれにどうしてやれば良いのか分からない。
その無力感に浸っていた俺の反応が遅れた事が気になったのだろう。
和は俺に気遣うように尋ね、その瞳に心配を浮かばせていた。
そんな彼女に俺の心労の原因が和だと言う訳にはいかない。
結果、心配するその声音に、俺は首を振りながら答えるしかなかった。

「和があんまりかわいいから見惚れてた」
「も、もう…アナタったら…」

そう言いながらも和は朱色を頬に交わらせる。
そのままついっと視線を背けるが、その頬は嬉しそうににやけていた。
勿論、和だって俺の言葉が冗談だと分かっているのだろう。
それでも我慢出来ずに浮かべる喜悦の感情に俺もまた笑みを浮かべながら、リビングへと足を踏み入れた。


「まぁ、どれだけ疲れてても和の手伝いくらいは出来るよ」

その言葉は和の思い込みを暗に肯定するものだった。
日々、少しずつおかしくなっていくような和の背中を押すものだったのである。
それはきっと…してはいけない事なのだと鈍い俺にもなんとなく理解できていた。
しかし、下手に現実を突きつけても、和はまったく信じないし…もしかしたら追い詰めるだけになるのではないだろうか。
そう思うと俺はどうしても突き放す事が出来ず…そうやって迎合の言葉を紡いでしまう。

「じゃあ…お皿を並べたりして貰って良いですか?」
「勿論。そのくらいお安い御用だ」

そんな俺に和が指示してくれるのは子どもでも出来るような仕事だった。
だが、コレ以上の仕事を任されたところで、俺には何も出来ない。
何せ、俺は今までろくに料理なんてしたことはなく、家事全般の経験値が圧倒的に不足しているのだから。
そんな俺が下手に手を出したところで、幼い頃から家事を任されてきた和の邪魔をするだけだろう。

―― だけど…もうちょっと色々出来るようにならないとな。

ここ最近の俺の立ち位置は部員と言うよりは雑用に近いものになっていた。
買い出しとなれば真っ先に手を挙げるし、掃除やお茶淹れなんかの細かい仕事は率先してやっている。
それは皆に大会に集中して欲しいから…と言っているが…まぁ、半分は嘘だ。
勿論、完全に嘘ではないが…それよりも大きいのは咲の事だったのである。


―― 俺は…アイツに何もしてやれてない…。

未だ事実を話せていない幼馴染。
そんな咲に…俺は最近、メールすらろくに返す事が出来ていない。
こうして原村邸にいる時は、携帯を手に取る事さえも許されないのだから。
唯一、和の監視を逃れられるのはトイレの中だけではあるが、それだって毎回行ける訳じゃない。
それにあの寂しん坊で甘えん坊な咲が傷ついていない訳がないのだ。

―― だから…せめて雑用くらいは…。

そう思う俺の行動はきっと自己満足なんだろう。
咲の事を思うならば…もっと早くに彼女に本当の事を伝えるべきなのだ。
しかし、そう分かっていても…俺は贖罪にもならないような行為ばかりを繰り返している。
そんな自分に強い自嘲を湧きあがらせながら、俺は戸棚へと近づき、和が指定した皿を取り出していく。

「後は味見もお願い出来ますか?」
「あぁ…うん、大丈夫。すげー美味しいよ」
「ふふ…良かった…」

その間にも俺達の仮初の夫婦生活は続いていく。
それだけであれば良いものを…まるで新婚そのものなそのやり取りに…俺の自嘲は薄れていった。
まるで自分の醜さから目を背け、和に依存するようなそれに…しかし、感情は止まらない。
ダメだとわかりながらも…俺の意識もまた幸せな和との生活に引きずり込まれていくのである。


「じゃあ後は盛りつけて…完成です」
「おぉぉ…」

そう言って和が運んでくる料理は立派なものだった。
ほんの一時間ちょっとで作ったとは思えないそれらは見ているだけでも食欲をそそる。
それを感嘆の声という形で表現する俺に和が小さく笑った。
何処か微笑ましそうなその表情に俺は気恥ずかしさを覚えながら、料理をテーブルへと運んでいく。

「それでは…頂きます」
「…頂きます」
「はい。どうぞ…」

数分後、並んだ料理の前で俺たちは手を合わせながら夕食を開始する。
けれど、俺の前には未だ箸やスプーンが置かれてはいない。
代わりに俺に触れ合いそうなくらい近くに座った和に、スプーンを差し出されるのだ。

「さぁ、アーンしてください」
「う…」

そう言いながらお漬物を差し出す和に俺は言葉を詰まらせる。
こうした生活が何日か続いているとは言え、やっぱりアーン攻撃というのは気恥ずかしい。
そういったバカップルめいたやり取りに憧れた事はあるが、それはあくまで二次元の事。
実際に現実となって目の前に現れるとくすぐったくて仕方がないのである。


「なぁ…やっぱり…俺の分はナシなのか?」
「えぇ。アナタにお食事をさせてあげるのは…私だけなんですから」

そんな俺の言葉に和は穏やかな笑みを浮かべる。
でも、それは一片の反論すら許さない穏やかさだった。
まるでこれが自分のするべきことなのだと硬く信じているが故の穏やかさに俺はそっと肩を落とす。
だが、それでも給餌のような真似を強要されるのは我慢出来ず、俺は小さく口を開いた。

「いや…でも恥ずかしいって…」
「二人っきりなんですから…大丈夫ですよ。どんなアナタだって…私は受け入れてあげますから…ね」

有無を言わさないその言葉に、俺は今日もまた抵抗を諦めるしかなかった。
こうして和が譲らない以上、俺が選べるのは和に従うという道だけ。
それに…そろそろ俺の空腹も限界で、我慢出来そうもなかった。
結果、俺は恥ずかしながらも、差し出された箸に食いつくしかなく… ―― 

「…あーん」
「はい。あーん…」

そう言って俺に食事を運ぶ彼女の手つきはもう手馴れていた。
ここ数日の給仕でコツを掴んだのか、あまり違和感は感じない。
流石に自分と食べる時と変わらない…とまでは言わないが、食べづらいとも言い切れない不思議な感覚。
それに顔を赤く染めながら、俺は運ばれる料理を咀嚼し、空腹を訴える胃袋へと落としていく。


「ふふ…アナタ…とても可愛いです…」
「俺としては格好良いと言ってくれた方が嬉しいんだけどなぁ…」

そんな俺に母性でも擽られたのだろう。
優しげに微笑む彼女の口からは何とも不名誉な言葉が飛び出した。
勿論、それは決して悪い意味で言っている訳ではないのだろう。
しかし、そう思いながらも可愛いと言われるのは我慢出来ず、俺はそっと肩を落としたのである。

「アナタが格好良いのは何時もの事ですから…」
「そりゃ何とも…嬉しいけれど…さ」

励ますようなその言葉はきっと和の本心なのだろう。
真横から俺を見据えるその瞳には陶酔が浮かんでいるのだから。
だが、その奥にある暗い輝きもまた俺だけに向けられているのを見て、疑うはずはない。
しかし、だからこそ、こうした歪な状況になっていると思えば、心から喜べるはずはなく、俺はぎこちなく言葉を返した。

「それに…普段、格好いいからこそ可愛さが引き立つというものですよ」
「ギャップ萌えって奴?」
「ギャップ…もえ?何ですかそれ?」

そんな俺の言葉に話題は少しずつズレていく。
それに微かに安堵しながら、俺達は下らない会話を続けた。
かつて…一番、俺達が親密であった頃に戻ったような下らないそれに心が安堵を覚える。
しかし、彼女がおかしくなってしまったという事実だけはどうあっても覆らず…俺の心に重苦しくのしかかったままだった。


―― そんな俺達が食事を終えたのは一時間ちょっと経った頃だった。

二人分の食事を一つの食器でやっているのだ。
その速度は自分たちで食べるよりも遅くなるのが当然だろう。
その上、和の料理は基本的に多めに作られており、俺でさえお腹が一杯になるくらいだ。
それらを食べきって一段落するまでに一時間は早い方だろう。

「ふぅ…」
「ふふ…どうでした?」
「今日も最高のご馳走だったよ」

文字通り一息ついた俺にお茶を淹れる和の言葉に、俺はそう賛辞を送った。
実際、今日の夕食も俺の味覚に合わた素晴らしいものだったのである。
正直、下手な定食屋で食事するよりかは和の手料理を味わった方が遥かに良い。
そう思えるほどの出来は俺にとって『最高』と言っても過言ではないものだった。

「何時もありがとうな」
「嬉しい…」

それでもまだ上を目指そうとしてくれている。
そんな和に俺はそっと手を伸ばし、頭を撫でてやった。
それだけで彼女は顔を蕩けさせ、甘い声を漏らす。
それに俺は笑みを浮かべながら暖かなお茶をゆっくりと飲み込み、一杯になった腹を落ち着かせた。


「では、お風呂掃除してきますね」
「…あぁ。分かった」

そんな俺の傍から和が離れる数少ない時間。
その一つに風呂掃除があった。
それをしに席を立つ和を俺は見送りながら、そっとため息を吐く。
そのままズボンのポケットから携帯を取り出せば、そこにはメールの着信を知らせる表示があった。

―― 咲…か。

恐らく県大会に向けて練習を続けている最中、気晴らしに送ってきてくれたであろうそれに…俺は携帯の画面を閉じた。
恐らく…数日前の俺であれば和がいない間にその返事を書いていただろう。
だが、こうして咲を裏切り続けている間に…それが正しいのかさえ俺には分からなくなっていた。
こうして下手にメールを返さずに…ちゃんと突き放した方が咲の為になるのではないだろうか。
そんな思考が脳裏を過ぎり…俺はメール返す事さえ出来なくなり始めていた。

―― なんで…こうなったんだろうなぁ…。

俺は…俺は、誰も傷つけたくなかった。
少なくとも…誰かを傷つけるつもりなんてなかったのである。
だが、今の俺はこうして暗に咲の事を傷つけ…和の妄想に手を貸していた。
そうする以外の方法を奪われたとは言え…咲から逃げ始めている自分に強い自嘲が浮かんでくる。


―― 多分…和の目的はそれなんだろう。

心の何処かが壊れたとは言え…和はとても頭の良い子だ。
こうしてどっちつかずの状況に、俺が咲の事を避け始めるのも予想しているのだろう。
それは…時折、俺に見せる満足気な…それでいて支配的な笑みからも伝わってくる。
けれど、そう理解しながらも、俺にはそれに抗う事が出来ない。
雁字搦めにされた感情は和の思い通りに動き…咲のメールに返信する事を億劫になり始めていたのである。

―― とりあえず…皿でも洗うか。

そうやって自分を責めていても仕方がない。
逃避に近いその考えに背を押された俺は和の代わりにシンクに並んだ食器を洗っていく。
一枚一枚を丁寧に洗ったそれを食器乾燥機の中に放り込んだ頃には和が風呂から上がり、リビングへと戻ってきた。

「おかえり」
「もう…またアナタったら…」

そんな和に告げた言葉に、彼女は不満そうな声で返した。
それは俺が一人で洗い物を済ませてしまったからなのだろう。
とは言え、一人でリビングに待たされていたところで思考は悪い方向にしかいかない。
それを防ぐ為にも、また和の手を必要以上に取らない為にも洗い物くらいはしておくべきだ。


「アナタはゆっくりしてくれれば良いのに」
「それは俺のセリフだっての」

そもそも俺はそれほど疲れている訳じゃない。
学校の勉強にはちゃんとついていけているし、部活でだって雑用がメインだ。
大会に向けて真剣に打ち込んでいる和たちほどは疲れちゃいない。
だからこそ、俺からすれば和の方がゆっくりして欲しいというのが本音だった。

「それよりほら、勉強手伝ってくれよ」
「…はい」

けれど、それを和が決して聞き入れない事くらい俺にも分かっている。
だからこそ、俺はすぐさま話題を変え、和を手招きしながら、机の上に宿題を広げた。
それを一体、おかしくなった和がどういう風に見ているのかは分からない。
しかし、彼女も俺に従うようにして宿題を広げ、黙々とそれを解き始めた。

「なぁ、和、この問題って…」
「それは…」

そんな俺達の間に流れる会話と言えば、そんなものが殆どだ。
けれど、それでも和は嬉しいのか、顔を綻ばせながら答える。
その教え方は理路整然として分かりやすく、納得出来るものだった。
お陰で一時間もたった頃には予習も済ませ、完全な空き時間が出来る。


―― いや…出来てしまうと言った方が近いかもな。

そう思うのは机の上を片付けながら、俺をチラリと見る和の目が期待しているからだ。
明らかに俺に何かを乞うようなそれに…俺は全力で気付かない振りをする。
その先に待っているのがどれほど甘美で気持ちの良いものだとしても…俺はそれに気づく訳にはいかないのである。

「ねぇ…アナタ」
「ん?」

しかし、それでも迫ってくる和を止める事は出来ない。
そう思うのは…和がそっと俺の首へと手を回し、顔をのぞき込んだからだろう。
その頬を赤く紅潮させながら寄りかかるその顔に俺はドキッとしてしまった。
何せ、そこにあったのはいつものように可憐で美しい原村和ではなく、艷やかで色気を滲ませる一人の女性だったのだから。

「お風呂…入りませんか?」
「あー…」

そんな彼女の言葉に俺は即答する事が出来ない。
それは勿論、それからどうやって逃げるかを模索しているからだ。
何せ、ここで聞かれているのは『一緒に』お風呂に入らないか、という事なのだから。
それは俺にとって全力で回避しなければいけない事だったのである。


―― 正直…耐えるなんて無理だ…!

これまでも俺はなし崩し的に和と一緒に風呂へと入る事になった。
けれど、その度に俺は我慢出来なくなり、和の事を…その…女性として求めてしまっているのである。
その肌の柔らかさを、バストの張りを、そしてその下にあるアソコの気持ち良さを知った俺は…分かっていてもそれを止める事が出来ない。
流石に自分から襲いかかる事だけは今まで堪えられているものの、それも今日はどうなるか分からなかった。

「い、いや、一人で入るよ」
「ダメですよ。アナタの身体は…私が洗うんですから」

そう思いながらの言葉に和はその瞳を鈍く光らせながら近づいてくる。
まるで有無を言わさないその仕草に、俺はそっと視線を逸らしてしまった。
それは勿論、今にもキスしてしまいそうな距離にまで近づいてきたのが気恥ずかしいというのも無関係ではない。
だが、何より大きいのは…俺に近づく和の濁った瞳が恐ろしくて仕方がなかったからだろう。

―― 人間は…あんな目を出来るのか…?

狂気に浸った人間の目。
日々、その底知れぬ暗さを強めるそれは覗き込んでいるだけでもおかしくなってしまいそうだったのである。
まるでその瞳に全てを委ねてしまいそうになる感覚に、俺は耐えられない。
だが、そうやって逃げても和の視線は俺から離れず、じぃぃと俺の事を見つめてくるのだ。


「…分かった」
「ふふ…っ」

結局、その日もその圧力に耐えられなかった俺が首肯と共にそう呟く。
それに和が浮かべるのは陶酔に満ちた笑みだ。
でも、それはさっきのような幸せで堪らないというものとは…少しだけ違う。
それは俺が今日もまた和の思い通りになった事を喜ぶ…支配的な歓喜だったのだ。

「もう…素直じゃないんですから…私は何時どんな時だってアナタのものですよ?」
「…分かってる…けど…」

既に何度も過ちをおかしている以上、俺がやっているのは意味のない事だ。
だが、そう分かっていても…俺は素直に頷く事が出来ない。
例え、和がそれを求めてくれていると理解していても…俺がやっているのは咲への裏切りなのだ。
誰よりも俺の身近にいてくれた幼馴染を裏切りたくはないという気持ちはまだ俺の中にもあったのである。

「でも…今日も私の事…選んでくれましたよね」
「っ…!」

瞬間、聞こえてきたその言葉は俺の逡巡を読み取ったようなものだった。
それに弾かれたように内面から和に意識を向ければ、そこには蕩けた笑みを浮かべる彼女の顔がある。
まるで絶頂に達しているようなその幸せで気持ち良さそうなそれに、俺はあっという間に引きこまれ、ゴクリと生唾を飲み込んでしまった。


「私…とても嬉しいです…アナタが傍にいてくれるだけで…とっても幸せ…」
「和…」

うっとりと言葉を漏らす彼女はそっと俺の腕を抱き込んだ。
そのままそっと椅子から離れていく彼女に俺の身体は抵抗出来ない。
スルスルと立ち上がらせられた身体は、先導する彼女に従って洗面所へと連れ込まれる。
三畳ちょっとの空間に洗濯機や洗面台、脱衣カゴなどを置いたそのスペースは決して広くはない。
寧ろ、人二人が一緒に入ると手狭と言っても良いくらいだろう。

「だから…こんなに幸せにしてくれるアナタに…一杯、お返ししたいんですよ…」

だが、和はそんな中で幸せそうに俺に身体を寄せる。
そのまま俺のボタンを外し、ゆっくりと服を脱がしていく彼女に俺は一人で出来ると突き放すべきだったのだろう。
だが、俺の身体はまるで魅入られたように動かず…和にされるがままになっている。
その口から言葉一つ漏らす事も出来ず…

「だから…私の事を想うなら…一杯、求めて下さい。女として…妻として…私はアナタの事を満たしてあげたいんです…」

そう和が囁いた頃には俺の服は完全に剥ぎ取られてしまっていた。
下着一つすら身に着けていない俺に…和がその頬をさらに紅潮させる。
清楚な顔つきの彼女がそうやって頬を染めるのは可愛らしいが…それは恥ずかしさなどではない。
裸になった俺に和が向けているのは欲情にも近い興奮なのだ。
その証拠に…和の視線は俺の下腹部へと向けられ、その瞳に浮かべた期待を強めている。

                       _
                   /)/ノ,>    す  嵌
                   | lン.)っ   で   っ
                   |/ .〈/    に.  て
                      l   )    泥.  い
                   |iii||||||    中  る
                     |iii||||||        :
                    |ii||||||||      首.  :
                ┌|ii|||||||||      ま   :
       、~"イイ__   /iiii|||||||||||     で   :
      ゝ:::::::::::レヘ .|__「iii|||||||||||||      :   :
;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;イ::::::::</(ン ,_,<||||||||||||l'';;;;;;;,,,,,   :

;;:;:::;;;;;:::,,,;;;ム;/);;;モヽ u (ニ'ヘ||||||||l;;;::;;;;;;;..''':;;;,
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ちょっと休憩ー
もうエンディング入ってるから修羅場はありません
後はらぶらぶちゅっちゅだけしか待ってないからあんまり期待はしないでね


「さぁ…私の事…脱がせて下さい」
「でも…」

そのまま紡いだ和の言葉に、俺は何とかそう返す事が出来た。
しかし、和の表情は変わらず、俺に欲情を伝えてくる。
それに充てられたように俺のペニスも大きくなり、ゆっくりと反り返っていった。
そんなムスコに彼女は何も言わず、ただただ見つめ続ける。
それに結局、俺は根負けして…彼女の制服にそっと手を掛けた。

「あ…ん…」

瞬間、和が嬌声とも嬌声ともつかないような声をあげる。
それに俺の身体は否応なく口から熱い吐息を漏らしてしまった。
はぁはぁと熱気がこもるそれに和はエンディング漏らしてしまった胃を浮かべる。
何処か勝ち誇ったようにも思えるそれは、俺がさらに絡め取られ、堕ちていくのが分かっているからなのだろう。

「こうして脱がされると…アナタのものだって実感して…凄い…ドキドキします…」
「…俺も…ドキドキするよ」

それに無力感を感じながらの言葉は決して嘘じゃない。
何をしても無駄なのだと、和の言うとおりにするしかないのだと思いながらも…俺は今のシチュエーションに興奮している。
それは決して和の肢体が男子高校生には魅力的過ぎるから…だけではないだろう。
そうやって彼女の期待に応えた後に、和が俺を気持ち良くしてくれる事を身体はもう理解しているのだ。


「お揃いですね…ふふ…とっても嬉しいです…」

そう言いながら和は自分の身体を隠そうとしない。
寧ろ、胸を張るようにして少しずつ顕になる肢体を見せつけてくる。
まるで自分の身体が魅力的であるを自覚しているようなそれに俺はゴクリと生唾を飲み込んだ。
これがもう少しで…自分のものになる。
そう思うと張ったムスコがピクピクと反応し、今にも先走りが滲みそうになった。

「だから…今日も一杯、サービスしてあげますね」
「い、要らない…って」

そう拒絶するのは俺の最後の理性だ。
そこで頷いてしまったら…俺は自分で定めたラインすら踏み越える事になってしまうのだから。
だが、そんなものは和にとってはお見通しであるらしい。
全裸になったその身体を俺に密着させる和には拒絶に対する悲しみや寂しさなんて欠片もなかった。

すまん、投下中に悪いが>>560はさすがに意味わからんから突っ込ませてくれ

はぁはぁと熱気がこもるそれに和はエンディング漏ら してしまった胃を浮かべる。


「じゃあ、入りましょうね」
「う……」

ただ、勝ち誇るような笑みを浮かべながら、お風呂場への扉を開く和。
そんな彼女に手を引かれながら、俺もまた茶色のタイルへと踏み出す。
瞬間、俺を暖色系の空間が迎え入れてくれた。
何処か安心させるようなその色に、けれど、俺の身体はまったくリラックスしない。
寧ろ、条件反射のように身体を興奮させ…透き通るような和の肌を見つめてしまう。

「さぁ…アナタ、こっちへどうぞ」

そう言って和が招くのは正面にある椅子だ。
灰色の小さなそれに俺はおずおずと座る。
瞬間、彼女はそっとシャワーのコックをひねり、俺の身体へと温水をかけ始めた。
それは胸から始まり、少しずつ肩へと移動し、最後には俺の髪へと行き着くのである。

「良い子ですから…目を瞑ってて下さいね」
「そこまで子どもじゃないって」

そう言いながらも俺はそっと目を瞑り、彼女にされるがままになる。
ここまで来てしまった以上、和に逆らっても無駄だ。
そう思うのは…きっと諦観だけではなく興奮も関係しているのだろう。
俺自身…この先に待っているであろうものを期待して…こうして風呂場に足を踏み入れたのだ。
それを思うと情けなくて涙が出てきそうになるが…俺の興奮はそれでも冷める事はない。

「痒いところはないですか?」
「…大丈夫」

そんな俺の髪にシャンプーを掛けながら、和がそう囁く。
そのままシャワシャワと泡立てるその指先は力強く、そして気持ち良い。
丁度良い力加減で刺激してくれるそれはとても丁寧で、隅から隅まで洗ってくれる。
少なくとも俺がするよりも上手であろうそれに身体がリラックスしていった。

>>562
Σえなんだこれ
ごめん。なんでこうなったのかまったく理解できないけど書きなおす
ありがとう。










「さぁ…私の事…脱がせて下さい」
「でも…」

そのまま紡いだ和の言葉に、俺は何とかそう返す事が出来た。
しかし、和の表情は変わらず、俺に欲情を伝えてくる。
それに充てられたように俺のペニスも大きくなり、ゆっくりと反り返っていった。
そんなムスコに彼女は何も言わず、ただただ見つめ続ける。
それに結局、俺は根負けして…彼女の制服にそっと手を掛けた。

「あ…ん…」

瞬間、和が嬌声とも嬌声ともつかないような声をあげる。
それに俺の身体は否応なく口から熱い吐息を漏らしてしまった。
はぁはぁと熱気がこもるそれに和は穏やかな笑みを浮かべる。。
何処か勝ち誇ったようにも思えるそれは、俺がさらに絡め取られ、堕ちていくのが分かっているからなのだろう。

「こうして脱がされると…アナタのものだって実感して…凄い…ドキドキします…」
「…俺も…ドキドキするよ」

それに無力感を感じながらの言葉は決して嘘じゃない。
何をしても無駄なのだと、和の言うとおりにするしかないのだと思いながらも…俺は今のシチュエーションに興奮している。
それは決して和の肢体が男子高校生には魅力的過ぎるから…だけではないだろう。
そうやって彼女の期待に応えた後に、和が俺を気持ち良くしてくれる事を身体はもう理解しているのだ。


―― でも…どうしてか髪は洗い流される事はなかった。

念入りにしっかりと洗われた泡は俺の目元近くにまで垂れてきている。
故に俺は目を開く事が出来ず、状況を把握する事も出来ない。
けれど、近くに和は存在する事だけははっきりと感じるのである。
一体、この間に和は何をやっているのか。
それが分からずに首を傾げた瞬間…俺の腕に柔らかな感触が押し当てられた。

「うあ…っ」
「今日はこのまま…おっぱいで洗ってあげますね…」

そう言って俺の耳元に囁く声に、俺はそれが和の胸である事を知った。
柔らかでプリプリとした張りのある感触もそれを肯定している。
だが、だからと言って、俺の興奮が収まる訳じゃない。
寧ろ、こうしている間にもドンドン高まり…ペニスの付け根を熱くするのだ。

「の、和…っ!」
「どうですか…?エッチな動画で…ちゃんと勉強したんですよ…」

それを拒むように声をあげる俺に、しかし、和は離れない。
寧ろ、その魅力的過ぎる身体を俺に押し付け、揺すって来るのだ。
それに微かに泡だった感触を肌が感じるあたり、本当に洗っているのだろう。
しかし、そんなもの俺にとっては何の慰めにもならない。


「アナタもドキドキして…ここももう…こんなになってますね…」

瞬間、和は俺のペニスにそっと触れ、表面を撫でる。
甘く擽るようなそれにガチガチに勃起したムスコが耐えられるはずがない。
その浅黒い肌をピクピクと震わせて、自己主張を繰り返す。
まるでもっと触って欲しいと訴えるようなそれに、しかし、和は答えずにそっとその手を離してしまった。

「でも…これはただ洗っているだけですから…ね」
「ぐ…ぅぅ」

そう言って和は俺に密着させた身体を揺すり始める。
だけど…そんな洗い方なんて普通はしない。
それは一部の性風俗で使われている極限定的なものなのだから。
しかし、和はそんなのお構いなしに…俺の柔らかな双丘を押し付けてくる。
その感覚に俺の身体が興奮を高めるのを、俺は必死になって噛み殺そうとした。

―― でも…駄目だ…!

まるで自分の身体全部を使って愛撫するような和の奉仕。
それに俺の理性がどんどんと緩み、興奮が強まっていく。
しかし、和は俺のムスコには触らず、それ以外の部分だけを洗っていった。
それは恐らく、和が俺を焦らしているからなのだろう。
俺から何かアクションを起こさせる為に…こんな淫らな方法まで勉強し始めたのだ。


―― こらえろ…堪えるんだ…須賀京太郎…!

しかし、それに負ける訳にはいかない。
ここで和を求めてしまったら…それこそ俺を止める歯止めはなくなるのだから。
意地でも理性でも…体面でも…何でも良い。
このままなし崩し的に和へと飲み込まれない為にも…俺はここで耐えなければ… ――

「じゃあ…最後はここですね…」

そう言って和が俺の腰にそっと触れる。
それはさっきまで俺の身体に触れていた部分よりもむっちりとしていて、肉付きが良かった。
まるで太もものようなそれは俺の下腹部に絡みつき、密着する。
自然、それは俺のペニスにも触れて…熱く滾ったそこを刺激した。

「大変です…これじゃ…アナタが動いたら…私、犯されちゃいそうです」
「う…」

その瞬間、和が囁くその声に…俺は小さく声をあげてしまった。
それはその言葉が俺が淫らな想像を湧きあがらせるのには十分過ぎるものだったからである。
恐らく…今の和は対面座位のような格好で俺の腰に座り…洗おうとしてくれている。
だが、後ほんの少し動けば…それはただの奉仕ではなく…セックスへと様変わりするのだ。


「後ほんのちょっと腰を浮かされちゃったら…アナタを洗っている間にヌレヌレになっちゃったアソコに…ずぷぅ…ってぇ…

それを何とか堪えようとする俺の耳元に…和の間延びした声が届く。
はぁはぁと荒い吐息と共に鼓膜を揺らすそれは俺を誘惑しているのだろう。
だが、そうと分かっても、俺には何も出来ない。
まるでその誘惑の言葉が聞きたいと…そういうように俺は耳を塞ぐことすら出来なかった。

「でも…私も本当は…欲しいんですよ。アナタの事洗いながら…準備できちゃうくらいに…興奮しちゃったんですから…
「は…ぁ…はぁ…!」

そんな俺が…和の言葉に抗えるはずもない。
そもそも耳元で俺の理性を囁く彼女には何の制限もないのだから。
ただただ、俺を誘惑し続け、動くのを待ち続けば良いだけなのである。
そんな彼女に対して…視覚を閉じる俺は受け入れる事しか出来ない。
それでも一分ほどは耐えたものの…ついには素股を始める和に俺は我慢出来なくて…  ――







―― 結局、俺はそのまま和の事を自分から求め…最後のラインまで超えてしまったのだった。




今日はここまでー
ソーププレイするのどっちが書きたかった
反省はしていない
一応、明日にはエンディング終わらせてエピローグとオマケやるつもり
よろしければお付き合い下さい


―― やっちまった…なんて思うのは和に対する冒涜なんだろう。

しかし、そう思いながらも、俺はその感情を抑えこむ事が出来なかった。
本来であれば…俺は決して自分からは和を求めるべきではなかったのだから。
せめて咲に答えてやれない事を伝えるまでは我慢するべきだったのである。
しかし、俺は結局、和の誘惑に負け…こうして自分から彼女に襲いかかってしまった。

―― 勿論、そういう風に誘導されたんだけれども…。

だけど、それは言い訳だ。
本当に咲の事を大事に思っているなら幾らでも拒む事は出来たはずなのだから。
けれど、俺は結局、和に従い続け、最後のラインまで譲ってしまった。
まるで咲の事なんてどうでも良いかのように…俺は… ――

「んふ…ふ…っ」

そこまで思い浮かべた瞬間、俺の腕に頭を載せる和が小さく笑った。
風呂から上がってから何も身に着けていない彼女は今、俺と共にベッドに寝転んでいる。
艶やかなその姿に風呂あがりの良い匂いが組み合わさり…見ているだけでも妙にドキドキとしてしまった。
それから目を背けながらも、腕枕をする俺は和から逃げる事は出来ない。


「アナタの身体…私と同じ匂い…」
「ぅ…」

そんな俺の身体を和がそっと撫でる。
彼女と同じく裸のまま寝転がる俺にとって、それは紛れもなく快感だ。
ゾクゾクと走るそれに思わず声をあげ、身を強ばらせてしまう。
特に下腹部に生えるそれは三回も射精させられたのにも関わらず、またムクムクと持ち上がりそうになっていた。

「くす…っまだ…足りないんですか?」
「いや…足りてる…はずなんだけれど…」

幾ら若さに満ち溢れた男子高校生と言えども、三回も射精を続ければ落ち着くはずだ。
実際、さっきまでの俺は落ち着くどころか、自分の見せた失態に落ち込んでさえいたのだから。
しかし、今のペニスを見て、それを信じる人はいないだろう。
まるで身体が和には逆らえないように…一目で分かるような勃起し始めているのだから。

「あんなに私の子宮に一杯…種付けしてくれたのに…」
「ご…ごめん…」

途中で抜くつもりだった…なんて言い訳にもならない。
ケダモノになった俺は和に乞われるがままに三度とも膣内で射精していたのだから。
主導権を握っていたはずなのに…結局、何時もと変わらないその結果に俺は思わず謝罪の言葉を紡いでしまう。


「あら…どうして謝るんですか?」
「それは…」

和の中では、俺達は夫婦なのだ。
幾ら学生 ―― しかも、まだ高校1年生の状態で膣内射精してしまったからだなんて言える訳がない。
そう言い淀む俺に和は優しい笑みを向け続ける。
まるで俺のしてしまった事を全て受け入れるようなそれに…俺の自責の感情は少しずつ薄れていった。

「夫婦なんですから…膣内射精が当然でしょう?」
「い、いや…決してそういう訳じゃないんじゃないかなぁ…って…」

とは言え、和の言葉をそのまま肯定する訳にはいかない。
確かに普通のカップルよりはそういうハードルが低いのは確かである。
だが、世の中には夫婦になっても経済的な面から避妊を続ける人たちもいるのだ。
ましてや俺達は本当はまだ学生なのだから…ギリギリまで避妊は続けるべきである。

「アナタは…私と…子どもを作りたくないんですか…?」
「そ、そんな事ないって」

瞬間、俺の耳に届いたのは底冷えするような声だった。
まるで亡者の囁きにも似たそれに背筋が冷や汗を浮かべる。
まさにゾッとするそれに俺は慌ててそう返した。
しかし、それでも和の冷ややかさは変わらない。
さっきまでの幸せそうな表情を投げ捨てて…冷たく俺を見据えてくるのだ。


「…まさか…浮気相手が…」
「それ…は…」

そんな和の誤解を解く為にも、俺は即答するべきだったのだろう。
そんな人はいないと俺はすぐさま言うべきだったのである。
しかし、俺の脳裏に浮かんだ幼馴染の姿が…それを阻んだ。
まるでそれだけは言ってはいけないと言うように…俺の口は言葉を詰まらせたのである。

「…アナタ…?」
「うあ…っ!」

その瞬間、俺に襲いかかってきたのは柔らかなものが絡みついてくる感触だった。
むき出しになった肌にスルスルと密着するそれは和の手足なのだろう。
まるでタコか何かのように艶かしく動くそれらはあっという間に俺の身体を閉じ込めた。
それは勿論、痛みを感じるものではないが、しかし、興奮を擽るには十分過ぎるものである。

「アナタは…私の事…愛してくれていますよね?」
「勿論…だ。俺は…和の事が好きだよ」

そのまま俺の耳元に囁く和の声に、俺は迷いながらも頷いた。
ほんの数日で和に傾倒していっている俺の心は以前、抱いていた和への好意を蘇らせ始めている。
勿論、それよりも同情や、彼女には俺がいなければダメなのだという意識の方がまだ強いが、それも何れは逆転するだろう。
それを日々、自覚する…いや、させらている俺にとって、その言葉は決して嘘じゃない。


「好きじゃダメです。ちゃんと…愛してるって言って下さい」
「それは…」

だけど、和は俺にさらにその上を求める。
好きではなく、大好きでもなく、愛してるという最上級の言葉を…欲しているのだ。
だが、それにすぐさま応えてやれるほど…俺はまだ色んなことを吹っ切った訳じゃない。
咲の事だって…俺の胸には未だ消えた訳ではないのだから。

「…やっぱり浮気相手がいるんですね…やっぱり…宮永さんなんですか?あの人の事がまだ忘れられないんですか?宮永さんが…宮永さんが…っ!」
「の、和…」

そんな俺の態度が気に食わなかったのだろう。
和の声は少しずつ語気を荒くして、俺を抱きしめる。
その力は信じられないほど強く、俺の身体がギリギリと悲鳴をあげるくらいだ。
その細腕の何処にこんな力があったというのか。
そう思うほどの力に俺は和の名前を呼ぶが、彼女の手が緩む事はなかった。

「アナタの奥さんは私なんです…私なんですよ…だから…アナタは私だけを見なきゃ…愛してくれなきゃダメなんです…アナタが考えるのは何時だって私の事じゃないと…っ」

その言葉はもう論理的なものでさえなくなっていた。
まるで俺に言い聞かせようとしているようなそれは今まで微かに残っていた正気さえも失っている。
さらに濁ったその瞳にはもう光なんて何処にもなく、狂気の色だけを湛えている。
だが、そんな彼女を悲しいと思うのは…和の声が縋るようなものだったからだろうか。
捨てられるのを恐れる子どものようなそれに…俺の胸はズキリと傷んだ。


「…勿論…だ。俺は…和の事だけを…考えて…」
「嘘…嘘です…アナタの心にはまだ…まだ宮永さんが…」
「っ…」

瞬間、俺を抱きしめる力がさらに一段強くなる。
その柔らかな肢体をさらに押し付けるようなそれに俺の口から痛みの声が出そうになった。
だが、それを俺が何とか噛み殺すのは、それに和が悲しむと思ったからである。
その是非はさておき…和は和なりに俺の事を愛してくれているだけなのだ。
決して俺の事を傷つけたいとも痛めつけたいとも思っている訳じゃない。

「…愛してる…よ」
「…え?」
「和の事…愛してる…から」

そう思った瞬間、俺の口から…言葉が漏れた。
痛みに掠れそうになりながらもはっきりと伝えたそれに和の力がふっと緩む。
だけど、それに安堵していられないのは…また咲の事を裏切ってしまった所為か。
少なくとも…和に愛していると告げた一瞬…俺の中にはもう幼馴染の姿はなかったのだから。

「あ…あぁ…あぁぁ…っ」

だが、それに自責を感じている暇はない。
そう思うのは力が抜けた和の身体が、ブルブルと震えだしたからだ。
まるで今、ようやく自分がやってしまった事に気づいたようなそれは…とても痛々しい。
その瞳に微かな正気が戻り始めている事も…その印象をさらに加速させている。


「ご…ごめんなさい…っ!私…私…っ!」

そう言いながら俺を抱きしめる和にはもうさっきのような怪力はない。
そこにあるのは今にも振り払えそうなくらいの弱々しさだけだ。
けれども、俺はどうしても…そんな和を振り払う気にはなれない。
和をこんなにしてしまった原因である俺に…振り払えるはずなんてなかった。

「…良いんだよ。悪いのは…俺なんだからさ」

そう言いながら抱きしめ返した彼女の身体は少しだけ冷えていた。
それはきっと一糸纏わずにベッドに入っているからではないだろう。
長野はもうじっとりと汗ばむ季節へと入り、今も暖かいくらいなのだから。
そもそも今もこうして裸で暖めあっている和の身体がそんな風に冷え込むはずがない。

「ごめんなさい…私…不安で…」

だからこそ、和のそれはきっと本心なのだろう。
和は…その身体が冷え込んでしまうくらいに…不安で苦しかったのだ。
そう思うと居ても立ってもいられなくなり…俺は和の事を抱き返す。
そのままそっと肩を撫でる俺に和の身体は少しずつその震えを収め始めていた。


「気にするなよ。…仕方ないって」

和が一体、どういうつもりなのかは分からない。
だが、俺は未だに咲に本当の事を言う事を許されず、偽装交際を続けているままなのだ。
それを正気を半ば失った和が不安に思わないはずがない。
幾ら俺に命じた事とは言え、何時か俺が離れていってしまうのではないかと恐ろしく思っているのだろう。

―― それに何より…。

「明日は…一世一代の大舞台…なんだもんな」


そう。
明日は県大会…つまり和にとって、大勝負が待っているのだ。
長野に残留出来るか出来ないを決める最初の一戦が待ち受けているのである。
それに…幾らインターミドルチャンプに輝いたとは言え…不安に思わないはずがない。
きっと今の和は不安と重圧に押し潰されそうになっているのだろう。

「俺なら…幾らでも受け止めてやるからさ。だから…気にするな」

俺だって和と別れたくはない。
色恋沙汰を抜きにしても、俺は和の事を大切な仲間だと思っているのだから。
何より和がいなくなると麻雀部の皆が悲しむ。
最近、和と仲が良い咲だって和が引越しするとなれば、泣くだろう。
今も尚、泣き虫な幼馴染を裏切っている俺にとって、それは決して看過出来る事じゃない。


―― だけど…一番の理由は…。

犯罪行為に躊躇なく手を染めるようになった和。
そんな彼女の傍から俺がいなくなってしまったら一体、どうなるのか…想像もつかない。
だが、きっと内々で処理出来るような範囲を超えてしまう事だけは明らかだ。
もしかしたら…和が人を傷つける事だってありえるかもしれない。
そんな不安が胸を過ぎる俺にとって、そうやって和の不安を受け止めてやる事しか出来ないのだ。

「アナタ…」
「ほら…泣くなって。可愛い顔が台無しだぞ」

そう言いながら俺はそっと和の目尻を拭ってやった。
だが、微かに濡れた目尻はそれで元通り、という訳にはいかない。
拭っても拭っても後から溢れるようにして小さな水の珠が目尻に浮かび上がってくるのである。

「アナタが…嬉しい事ばっかり言ってくれるからです…」
「俺には…これくらいしか出来ないからな」

それを幾度となく拭い去る俺に和がふっと笑った。
拗ねるようなその口調とは裏腹に嬉しそうなその笑みに俺の顔も綻びそうになる。
しかし、そんな俺の口から飛び出すのは自嘲めいた言葉だった。
俺がもっと麻雀が上手ければ…色んな面で和のサポートが出来たはずなのである。
或いは家事が出来れば和の手を煩わせる事も少なくなっただろう。
しかし、俺にはそのどちらもなく…ただただ彼女の不安を受け止めるしか出来ない。

「明日…応援してる。だから、一緒に頑張ろう」
「…はい…」

それでも、一緒に頑張ろうと言った俺の言葉は嘘じゃない。
俺だって…そのままの自分で良いとは思っていないのだ。
勿論、それだけで全部の事が出来るとは思っていないけれど…出来る事は全部やる。
そう決意を固める俺にとって、明日は和ほどではなくても頑張らなければいけない一日なのだ。


「今日は…私が寝るまで…このままで良いですか…?」
「…あぁ。大丈夫だ」

そんな俺の耳に届いた声は安堵しきった和の声だった。
微かに心地良ささえ感じさせるそれに…俺は小さく頷く。
どの道、何時も和が寝るまで付き合わされているのだ。
それにこうして抱き合うという要素が加わったところで、特に疲れも不快感も感じない。
まぁ…一つ修羅場めいたものを超えて安堵したペニスがまた張り始めているけれど… ――

「我慢出来なくなったら…眠ってる私の事をレイプしても良いですよ」
「し、しないっての」

そんな俺に冗談めかした言葉を向ける和に、俺は多少、どもりながらもそう答える。
幾らなんでも眠っている相手の事を犯すほど俺はケダモノじゃない。
さっき三回も射精したのだし、我慢出来る範囲…のはずだ。
まぁ…何時もより寝付きが悪いかもしれないけれど…俺の睡眠時間よりも和の睡眠時間の方が大事だろう。


「…残念です…」
「馬鹿な事言ってないで…ほら、眠っとけ」
「ん…っ」

そう言いながら、俺はそっと和の背中を撫で始める。
ゆっくりと上下に擦るそれに和の目が少しずつトロンとしていく。
快感とも欲情とも違うそれはきっと彼女の中で眠気が強くなってきたからだろう。
しかし、それでも和は瞼を閉じる事はなく、俺の事をじぃっと見つめる。

「卑怯です…こんな事されちゃったら…眠くなっちゃいます…」
「そりゃその為にやってるんだからな」

明日は和にとって勝負どころなのだ。
それを寝不足で負けました、なんて情けない結果にはさせてやりたくない。
そう思いながらの俺の手に少しずつ和も押され始めたのだろう。
その瞼はゆっくりと閉じていき、身体もまた暖まっていった。

「アナタ…愛してます…」
「…俺もだよ」

最後にそう言いながら、和の目は完全に閉じきった。
そのまま安らかな寝息を立てる彼女を背中を俺は何度も撫で続ける。
少しでもその夢見が良くなるようにと思いながらのそれに和は安らかな寝顔を見せてくれた。
可愛らしいその顔に俺は小さく笑いながら、そっと部屋の時計を見上げる。


―― もうそろそろ…日付も変わるなぁ…。

和も眠った事だし、そろそろ俺も帰るべきなのだろう。
基本的に家は放任主義とは言え、流石に外泊続きは不安にさせてもおかしくない。
今のところは何も言われていないが、それだって何時まで続くかは分からないのだから。
それを少しでも先延ばしにする為にも帰れる時には帰っておくべきなのだ。

―― でも…もう和は寝てしまったし…。

俺はこの家の鍵が何処にあるのかも知らない。
自然、俺がこの家から出ようとすれば、その扉の鍵を開けっ放しになってしまうのである。
だが、ついこの間までストーカー被害にあっていた和の家を開けっ放しになんて出来ない。
親御さんたちは今も出張で当分帰ってこれないみたいだし…俺の代わりに扉を締めてくれる人もいないのだから。

―― 本当…どうするべきなんだろうな…。

今はまだこれで良い。
俺は原村邸に泊まる余地もあるし、和が眠るまで傍にいてやれる。
だけど、和のご両親が出張から帰ってきた後にもそれが続けられる訳がない。
その時に…おかしくなった和がどんな反応をするのか…俺にはまったく予想がつかなかった。


―― 俺が…和の親御さんたちに認められるのが一番なんだろうけれど…。

しかし、和から聞いている話によると親父さんはかなり厳格な人だ。
そんな人の前に恋人ですと顔を出したところで、態度が頑なになるだけだろう。
もしかしたら強引に和を東京の進学校へと転校させるかもしれない。
そのリスクを考えれば…安易に両親に紹介してもらう…という手段も取れなかった。

―― 問題は…山積みだな…。

これから先…俺が和という少女を守っていく為にはどうするべきなのか。
俺にはまったく分からないし…見えてこない。
俺に分かるのは自分が悲しいほど無力で、今まで何の努力もやってこなかったという事だけだ。
しかし、それでも…俺は和の事を裏切る訳にはいかない。
咲の事を裏切ってまで…選んだ彼女を俺は絶対に護り通さなければいけないのだから。

―― とりあえず…親に連絡を入れておこうか。

今日もまた泊まりになるという事を伝えよう。
そう思って携帯に手を伸ばした俺の目に入ったのは、メールの着信を知らせる表示だった。
それに携帯を操作すれば、二通の新着メールが受信ボックスに並んでいる。
けれど、俺はそれをすぐさま開く気にはなれず…呆然と差出人の名前を見ていた。

あ、やばい
咲ちゃん携帯持ってないじゃn
あばばっばばばばばばb

よし、この世界線では京ちゃんとカップルプランで契約したって事にしよう
そもそも京ちゃんと咲ちゃんがクラスメイトじゃない時点で、最早、原作投げ捨ててるし仕方ない
今更、こんな事に気づいてごめん投下再開します


―― 咲…。

そう。
そこに並んでた差出人の名前は両方共、俺の幼馴染のものだったのである。
だが…いや、だからこそ…俺はそのメールを開く事が出来ない。
せめてメールに目を通すくらいはしなければいけないのに…どうしても気まずくて開く気になれなかったのだ。

―― …ごめん…。

普段、咲はメールなんてしない。
あいつは機械音痴で、携帯だってつい最近、契約したばかりなのだから。
メールを打つのだってまったく慣れておらず、一通作るだけでも十数分掛かる事だってザラだ。
それでもこうして俺に対してメールを打ってくれる咲を無視するのは…心が痛む。
だけど…俺にはもう咲に応えられるような男ではなくなってしまったのだ。

―― いや…それは言い訳だ。

結局、俺は逃げているだけなのだ。
重苦しいものを感じさせるようになった咲から…逃げ始めているのである。
勿論、咲は何も悪くはなく…俺が勝手に後ろめたさを覚えているだけだ。
しかし、そんな自分が最低だと理解していても…どうしてもメールを開くのを先延ばしにしてしまう。


―― …俺は…。

そんな自分に自己嫌悪を感じながら、俺は手早く親宛のメールを完成させる。
それを送信してからすぐに俺は携帯の電源を切ってしまった。
まるで咲のメールそのものをなかった事にするようなそれに自嘲を強めながら、俺はそれをベッドの脇へと投げ捨てる。
そのまま真正面へと向き直れば、そこには俺へと身を委ねる和の顔があった。

―― …そうだ。俺には…和がいるんだ。

それが自己正当化に近い考えだと理解していた。
和がいるから…和に手が掛かるから…咲に構えないのだと言う最低な考えなのだと…俺も分かっていたのである。
実際に俺の余暇の殆どは彼女に取られているとは言え、こうして手隙になる時間がない訳じゃない。
その間に咲にメールを返す事は…決して不可能ではないはずだ。
しかし…俺はその現実から逃げるように和を抱きしめ…その柔らかさに意識を向ける。

―― それに和も…それを望んでいる。

さっきの和は何時も以上におかしかった。
それこそ完全にタガが外れたように俺に迫り、言葉を強請ったのである。
そんな彼女にもし、咲とのメールが見つかってしまったら今度こそ微かな正気を取り戻す事さえ出来なくなるかもしれない。
それを防ぐ為にも…俺は… ―― 



―― 和の事を…護らなきゃ…いけないんだ。

その言葉はとても曖昧なもので、逃避の為のものだった。
どれだけそう口にしても、俺が咲を裏切り、傷つけている事には変わりがない。
けれど、追い詰められれば追い詰められるほど…俺の中でその気持ちが強くなっていく。
まるで咲から逃げる分…和へと傾倒していくように…俺は彼女を護る決意を固めていくのだ。

―― …それはきっと和の思惑通りのものなのだろう。

だが、そうと分かっていても俺の感情は和の方へと傾き、思考は自己正当化の域を出ない。
そう思った俺は小さくため息を吐きながら、そっと目を閉じた。
瞬間、鋭敏になった触覚が和の柔らかさを脳へと強く伝えてくるが、それに目を向ける訳にはいかない。
下手に意識してしまったら俺の身体は興奮し、眠気から遠ざかってしまうのだから。

―― 俺だって…明日はそれなりに忙しいんだ。だから…。

しかし、そう思いながらも、俺の身体には中々、眠気がやってこない。
興奮で熱くなった身体は和の事を求め続けているのである。
それをどれだけ否定しても…和の味を覚えた身体は止まらない。
結局、俺はそのまま数時間ほど悶々とし続け… ――



―― 結局、殆ど眠れないままに次の日の朝を迎えたのだった。


……
…………
………………


―― ふふ…全てが…全てが順調です。

そう思うのは、私の誘惑に夫は屈し始めているからでしょう。
彼は少しずつ私を求めるのに遠慮がなくなり、欲求にも素直になってきているのです。
ここ最近は強請らずとも彼の方からキスしてくれるようになりましたし、愛撫だって積極的でした。
勿論、それは辛いものから逃げる為に私に傾倒しているが為なのでしょう。

―― でも…それで良いんですよ…。

そうやって宮永さんの傍が居心地悪くなれば…自然と彼は私の傍に来て…そして求めてくれる。
その狙い通りに動いてくれている夫の事が私は愛しくてたまりません。
勿論、彼がこんなにも私を求めるようになってくれているのは自責が故でしょう。
ですが、それでも…それを発散する先に選んだ女性を、夫が蔑ろにするはずがないのです。

―― 分かりますよ…少しずつ…私のことを好きになってくれているのが…。

自分の醜い欲望や感情まで受け止めてくれる相手。
そんな人を嫌いになれるほど夫はひねくれ者ではありません。
寧ろ、とてもまっすぐで暖かな人なのですから。
そんな彼の心の中で少しずつ私が増えていると思うと…それだけで胸の中が一杯になりそうなくらいです。


―― 実際…私が『普通』を演じられているのはそのお陰なのでしょう。

壊れてしまった『私』には日常を送る事が出来ません。
そんなものより私は夫の事が大事で…四六時中傍に居たくて仕方がないのですから。
ですが、それでも今の生活を維持する為には『普通』を演じる必要があるのです。
そう思った私が生み出した仮面はとても強固なものでした。
自分でも別の人格なのかもしれないと思うほどのそれはごく自然に『原村和』を維持する事が出来たのです。

―― でも…それももう少しで用済みかもしれませんね。

今の私は東京に来てました。
それは県大会で敗退したからではありません。
私達清澄は優勝候補であった龍門渕を破り、東京へ…インターハイに来ているのです。
しかし、インターハイでも私たちの敵は少なく、順調に勝ち上がり続けていました。

―― 優勝も…夢ではないかもしれません。

最初は…正直、その目標を実現出来るかは分かりませんでした。
そんな目標に私は今、手が届きそうな場所にまで来ているのです。
勿論、これから先、相手はどんどん強くなっていく一方なので油断は出来ません。
ですが、それでも…浮かれる気持ちを落ち着かせられませんでした。


―― だって…もうすぐ宮永さんともお別れですから…。

そう。
インターハイで優勝さえすれば…宮永さんにもう用はありません。
父が一度言った言葉を翻すとは思えませんし、三年は清澄に通い続ける事が出来るでしょう。
そうなった時に…私にとっては…彼女は障害でしかありません。
いえ、本音を言えば…今だって私は彼女を排除したくて堪らないのです。

―― 未だ夫の傍にうろちょろして…っ!

勿論、それは仕方のない事だと分かっていました。
宮永さんにいつも通りのパフォーマンスを発揮して貰う為に…見逃さなければいけない事だったのです。
しかし、それでも私にとって彼女は愛しい人の近くを飛び回る小うるさいハエにしか思えません。
彼と愛しあう際にもふと思考を過る彼女の事を私はすぐさま叩き潰したかったのです。

―― そうなったら…夫の心は私だけ…私だけの…ものなんです…。

未だ宮永さんの陰を残す夫の心。
そんな彼女がいなくなれば、私は今度こそ彼を完全に手に入れる事が出来るでしょう。
そうなったら・・・もう仮面なんてつけている必要はありません。
私たちは本当に幸せな夫婦として…一歩を踏み出すのですから。
その時が待ち遠しくて…私はつい軽い足取りで歩いてしまいます。


―― さぁ…早くホテルに帰って…夫との愛の記録を見ましょう。

最初の日以来、私は夫との情事を隠しカメラで撮っていました。
それは勿論、後に宮永さんに見せてあげる為です。
彼女を…私が味わった以上の絶望へとたたき落としてから…排除する。
その為に作った動画は私のとって宝物と言っても過言ではないものでした。

―― 何せ…こっちでは夫と触れ合う事が出来ませんし…。

彼もまた清澄の部員なのです。
残念ながら結果は出ませんでしたが、応援や細やかなサポートとして東京に着いて来てくれていました。
しかし、かと言って、周りに人の目がある以上、あんまりいちゃつく訳にはいきません。
インターハイが終わり…宮永さんを排除出来るまでは、外ではあくまでも部活仲間であり続けなければいけないのですから。

―― でも…大丈夫でしょうか…。

夫のような年頃の男性は、一日性処理をしなければかなり辛いと聞いています。
勿論、自慰までは禁じていないので、恐らく彼もまた自分で処理してくれているでしょう。
宮永さんがいなくなったらそれも禁止するつもりですが…まぁ、それはさておき。
私と日常的に愛を交わす夫がオナニーだけで満足出来るか不安だったのです。


―― もし、我慢出来なくなったら…勿論…私は受け入れてあげるつもりですけれど…。

ですが、夫は基本的に我慢強い人です。
ここ最近は私の誘惑に負け始めているとは言え、それでも踏みとどまり続けたのですから。
そんな彼が下手に私に義理立てして我慢しないとも限りません。
それはそれで嬉しいですが…しかし、それは私を不安にさせるものでもあったのです。

―― だって、夫はとても素晴らしい人なのですから。

ここ一ヶ月で夫は大きく様変わりしました。
家事の手伝いくらいしか出来なかった彼は、今では一人でそれらをやり通す事が出来るようになったのです。
特に料理の面での成長は著しく、最近ではゆーきに手作りのタコスを作ってくるようになりました。
その上…顔だって格好良くて…困っている人を見捨てられない夫は、素晴らしいの一言に尽きるでしょう。
そんな彼にまた宮永さんのように思い違いをした虫が寄ってこないとも限らないのです。

―― …そうですね。ちょっと…時間を作ってみましょうか。

そんな私に浮かんできたのは、さっきとは異なるものでした。
唐突に不安になった私にとって、彼の性欲処理は優先するべき要件になっていたのです。
いえ…正直に言えば、それは不安だけではありません。
私自身もまたお腹の奥にじわぁぁと愛しさが広がっていくようなあの膣内射精の感覚を…味わいたくてたまらなかったのでした。


「あっ」

その想像に疼きを走らせるお腹を私がそっと撫でた瞬間、視界の端に見覚えのある金色が映り込みました。
まるで日輪のようなキラキラとしたそれを私がいまさら、見間違うはずがありません。
それは間違いなく私の愛しい人のものでしょう。
そう思った私が、そちらへと顔を向けて…足を進めた瞬間… ――

「…え?」

私の視界に入ったのは…抱き合う男女の姿でした。
勿論、男性の方は私が愛する夫です。
しかし、もう片方の女性が誰なのかは私には分かりません。
巫女服を身に纏っている辺り、恐らく永水女子の選手だと思うのですが…その童顔気味な顔を見たことはなかったのです。


―― それに私にとっては…どうでも良い事でした。

私にとって重要なのは…その人が私の夫と抱き合っているという事だけなのです。
いえ…それどころか…彼女は熱っぽく夫を見上げ…制服を握りしめていました。
まるで彼の事を離したくないと言うようなそれに私の頭の中が真っ赤に染まります。
一気に嫉妬と怒りの色で染まった私には…もう自制する余地なんてありません。
バキバキと音を鳴らすようにして平静の仮面を砕き…その奥にある狂気の顔をの覗かせて…… ――













































「…浮気者」



























これにて完結ーお疲れ様でした
全国編?んなもんないよ!!!
ちょっと休憩したらオマケやります

こっから先なんて書いたらマジで血みどろの戦いにしかならないんで…流石にガチで殺し合いする咲キャラ書くモチベとか絶対維持出来ない
なので中途半端なのは分かっていますがここで完結とさせて下さい
もし、原作で全国編終わった時に電波が降ってきたら、また続きは書きます

あ、ちなみに最後は姫様です
転びそうになったところを京太郎に支えられて貰って、気まずさに固まっていました
そこから意識しちゃって少しずつ惹かれて行くとか王道ですよね!!!!


―― 私にとって京ちゃんは苦手な相手だった。

幼稚園が一緒だった縁で知り合った京ちゃん。
でも、当時の私にとって彼はあまり好ましい相手じゃなかった。
それは彼が当時から強引かつお節介焼きだったからだろう。

―― 私は良いって言っているのに…外に連れ出した事なんて数知れない。

幼い頃から控えめで運動の苦手な私にとって、それは鬱陶しくて堪らない事だった。
幾ら運動の時間だと分かっていても、私にとっては目の前の絵本を読む事の方が大事だったのである。
しかし、京ちゃんはそんな私のパーソナルスペースを幾度となく侵し、近寄って来た。
どれだけ嫌がっても京ちゃんは私の手を繋いで…そして、一緒に遊んでくれたのである。

―― 今から思えば…それは先生の点数稼ぎだったんだろうけれどさ。

京ちゃんは子どもの頃からおませさんだった。
当時からおっぱい好きの傾向を見せていた彼は新任のおっぱいの大きな先生にメロメロだったのである。
私に構ってきたのも私ではなく先生に格好良い所を見せたかったからだろう。
それが当時の私に分かっていたかは覚えていないけれど…でも、デレデレする京ちゃんを見てイライラしたのは良く覚えていた。


―― 私にも…きっと分かっていたんだろう。

当時の私にとって友達と呼べる人は京ちゃんだけだった。
他の皆は付き合いの悪い私なんて放っといて、それぞれ仲の良い子と遊んでいたのである。
そんな輪の中に京ちゃんと一緒に入っていった事はあるが、あくまでそれだけ。
彼らとの付き合いは京ちゃんを通じてのものでしかなく、一人の時に誘ってくれる人がいなかった。

―― それでも鬱陶しいと思っていた京ちゃんが…私の中で変化したのはある事件があったからだ。

その日、私はいつも通り一人で本を読んでいた。
運動の時間だと言うのに一人部屋に篭って、本の世界に没頭していたのである。
そんな私に話しかけてきたのはその幼稚園の中でも飛び抜けて乱暴で、そして身体の大きな子だった。
良く先生に殴りかかっていた姿も見るその子に何を話しかけられたのかは良く覚えていない。
しかし、それでも私が上手くその子に返事を返す事が出来なかった事ははっきりと記憶していた。

―― それがその子には気に入らなかったのだろう。

急にムスっと拗ねるような顔つきになった彼はいきなり私の読んでいた本を取り上げた。
それに私は最初は呆然としたものの、数秒後にはハッとして何とかその本を取り返そうとしたのである。
だけど、私とは二回り以上も違う彼の手から、本を取り返せるはずがない。
それでも必死になって手を延ばす私が鬱陶しかったのか、その子は私の事を突き飛ばした。


―― それを見ていたのが京ちゃんだった。

瞬間、私の耳に届いたのは京ちゃんの怒声だった。
押しが強かったものの、決して声を荒上げる事のなかった彼の初めての声。
それに私が身を竦ませた頃には、京ちゃんは彼に近づいた。
そのまま本を返せと言う京ちゃんをその子はからないの言葉を返したのである。

―― そして次の瞬間には喧嘩が始まった。

お互いに手加減せず、取っ組み合い、殴りあうその光景。
それに私が泣きだして少しした頃にはようやく先生たちも騒ぎに気づいたらしい。
取っ組み合う二人の間に入ったものの、本気で殴りあう二人は中々止まらなかった。
結局、数人がかりで引き離された頃には二人の顔はあざが出来、目尻には涙が浮かんでいたのである。

―― 私は泣きじゃくりながらも…出来るだけ先生に説明した。

そのお陰か、京ちゃんはそれほど深く怒られる事はなく、すぐさま先生たちから解放された。
そんな彼に私は何を言えばいいのか…まったく分からなかったのである。
ついこの間まで内心、疎ましく思っていた相手に助けられた私には彼に掛ける言葉が見当たらなかった。
そんな私に…京ちゃんは小さく笑いながら、そっと手を差し伸べてくれたのである。


―― そして…「ほら、遊ぼうぜ」って…京ちゃんは言ってくれた。

いつも通り私を誘う彼の言葉に私は頷いていた。
いつものように嫌々ながら引っ張られるのではなく…自分の意思で。
彼と一緒に遊びたいと…私はその時、始めてそう思ったのだ。

―― それからも…京ちゃんは幾度と無く私のことを助けてくれた。

昔から道を覚えたりするのが苦手な私を探してくれた京ちゃん。
本を忘れてしまった私に夜中まで付き合ってくれた京ちゃん。
男の子にからかわれて泣いていた私を助けてくれた京ちゃん。
それらはもう幾らあげてもキリがないくらい沢山だ。
自分でももう覚えていないくらい沢山…私は京ちゃんに助けて貰っていたのである。

―― そんな私にとって京ちゃんはヒーローだった。

いつの間にか私は京ちゃんにべったりになっていた。
幼稚園側も手のかかる私を積極的に見てくれている子がいるという事で二人セットのようにして扱ってくれたのである。
それがとても嬉しかったのは…今でも鮮明に思い出せるくらいだ。
当時の私にとって京ちゃんと一緒に過ごす日々は…世の中がキラキラと輝いて見えるくらいの幸せなものだったのである。


―― そのままじゃダメだって気づいたのは私は小学校高学年になった頃。

京ちゃんが優しいのは私だけじゃない。
困っている人に手を貸さずにはいられないお人好しな彼は、沢山の人におせっかいを繰り返していたのだ。
まだ小学校低学年くらいまでは…それで良かった。
助け助けられの恩義は友情にしかならず、そのまま恋愛に発展する事などなかったのである。
しかし、女の子は男の子よりも遥かに早熟で…そしておませさんなのだ。
その頃にはもうお人好しの京ちゃんを恋愛対象に見ている子が現れ始めたのである。

―― そんな彼女たちの抑止力になっていたのは私だった。

京ちゃんは幼稚園から一緒に居た私の事はとても大事に思ってくれていた。
それはきっと私が普通よりも手のかかる子であった事と無関係ではないのだろう。
そんな私は京ちゃんにとっても放っておけない子だったらしく、出来る限り、傍にいてくれた。
私にとって一番の親友は京ちゃんで、そして京ちゃんにとってもそれは同じであったのである。

―― でも…私はそれに我慢出来なくなりつつあった。

それは…まぁ…私もまた女の子だったから…という事なんだろう。
誰よりも傍に居てくれて、優しくて…何より格好良いヒーローの親友ではもう我慢出来なくなったのだ。
私もまた他の女の子のように京ちゃんに恋をし、彼を独り占めしたくなっていたのである。
そんな感情の変化が何時起こったのかは私には分からない。
もしかしたら私は最初っから京ちゃんに恋をしていたのかもしれない…と思うくらいに…私はいつの間にか彼の事を好きになっていたのだ。

ぬあー…ごめん、訂正します





―― それを見ていたのが京ちゃんだった。

瞬間、私の耳に届いたのは京ちゃんの怒声だった。
押しが強かったものの、決して声を荒上げる事のなかった彼の初めての声。
それに私が身を竦ませた頃には、京ちゃんは彼に近づいた。
そのまま本を返せと言う京ちゃんにその子はからかいの言葉を返したのである。

―― そして次の瞬間には喧嘩が始まった。

お互いに手加減せず、取っ組み合い、殴りあうその光景。
それに私が泣きだして少しした頃にはようやく先生たちも騒ぎに気づいたらしい。
取っ組み合う二人の間に入ったものの、本気で殴りあう二人は中々止まらなかった。
結局、数人がかりで引き離された頃には二人の顔はあざが出来、目尻には涙が浮かんでいたのである。

―― 私は泣きじゃくりながらも…出来るだけ先生に説明した。

そのお陰か、京ちゃんはそれほど深く怒られる事はなく、すぐさま先生たちから解放された。
そんな彼に私は何を言えばいいのか…まったく分からなかったのである。
ついこの間まで内心、疎ましく思っていた相手に助けられた私には彼に掛ける言葉が見当たらなかった。
そんな私に…京ちゃんは小さく笑いながら、そっと手を差し伸べてくれたのである。


―― でも、私にはそれを伝える勇気なんてなかった。

私には…分かっていたんだ。
誰よりも京ちゃんに近かった私には…彼が私の事をそういうふうには見ていないって事を。
手のかかる妹程度にしか思っていないって…そう理解していたのである。
だから…私はその気持ちに蓋をして…押し込めた。
今はまだその時じゃないって…京ちゃんに女の子として貰えるまで待つべきだって…そう思って。

―― だからこそ…私は自分を磨きはじめた。

料理を本格的に学び始め、寝坊助気味であった京ちゃんを起こせるように早起きに。
そんな私の変化に京ちゃんは最初、戸惑っていたみたいだった。
けれど、少しずつそれを受け入れてくれた彼の生活に『私』が入り込んでいく。
クラスの人気者で誰にも優しい京ちゃんが…私抜きでは生活できなくなっていくのだ。

―― それは、これまで京ちゃんに依存しっぱなしの私にとって新しい喜びだった。

そして…私はすぐさまそれに虜になった。
京ちゃんに頼られるように、私から依存するように…自分を磨き始めたのである。
それに著しい成果が出たとは…あんまり言い難いけれど…しかし、私は以前のように京ちゃんに頼りっぱなしではなくなった。
彼に頼った分を多少は返せるような女の子になれたのである。


―― でも、京ちゃんの意識はそれでも変わらなかった。

京ちゃんにとっては私は相変わらず手のかかる妹のままだった。
勿論、それは私の迷子癖なんかが変わらなかった事と無関係ではないのだろう。
私が努力した分、二人の関係は密接に結びついたものの…それだけだ。
私は未だ京ちゃんの恋愛対象にはなれないままに…中学校へと進学したのである。

―― そこでも京ちゃんは人気者になった。

それだけであれば…私はまだ安心する事が出来ただろう。
でも…最悪なのが…私と京ちゃんのクラスが離れてしまったという事だ。
小学校でもずっと一緒であり続けたのに…私は中学最初の一年で…幼馴染から引き離されたのである。
そして距離が出来る二人の間に…分別も何も分かっていない泥棒猫が…少しずつ入り込んできたのだ。

―― 京ちゃんの事なんて何も知らない癖に…。

そういう人たちは大抵、京ちゃんの事なんてろくに理解していない人たちだった。
ただ、京ちゃんの顔とか優しさとか家柄とかに引かれて尻尾を振っているだけの売女である。
京ちゃんの事を理解しているのは…幼馴染である私だけ。
幼稚園からずっと彼と体験を共有出来る私だけが…京ちゃんの事を本当に理解できているんだ。


―― だけど…当時の私にはそれに気づくのにちょっと時間がかかっちゃった。。

その当時の私にとって、京ちゃんと引き離された事だけがショックで冷静さを失っていたのだ。
否応なく彼と距離が出来る感覚に…私は打ちのめされていたのである。
京ちゃんの周りに私ではない女の子が増え、彼とろくに会話も出来ないという現実に…強く落ち込んでいたのだ。
その内、私は家の中の雰囲気が急激に悪くなっていくのに合わせて…ご飯も食べられなくなっていたのである。

―― それが改善したのは…ある雑誌を見つけたからだ。

一人トボトボと中学から帰る道すがら、立ち寄った公園に捨てられていたのは低俗な雑誌だった。
ゴシップなんかを中心に扱うそれを私は普段であればゴミとして見ていた事だろう。
いや、実際、私は途中までそれをただのゴミとして認識していたのだ。
それが変わったのは…それをゴミ箱に捨てようと拾いあげた私の目に、『盗聴器』という文字が入ったからである。

―― それは私にとって天啓にも近いものだった。

何せ、それがあれば私は京ちゃんの事を知る事が出来るのだから。
例え、距離が離れていても、京ちゃんがそれを持ってくれている限り…知り続ける事が出来る。
それはもう…日々、一人でいるのに疲れた私にとって抗えるものではなかった。
結果、私はそれを後生大事に家へと運んで…パラパラと目を通し始めたのである。


―― そこには簡単な盗聴器の作り方が書いてあった。

勿論、作りが簡単な分、傍受出来る範囲はそれほど広くない。
けれど、それでも同じ校舎にいれば彼の存在が感じ取れる。
その喜びに…私は心から打ち震え…そしてその通りに材料を揃え、作り始めた。
料理は人並み以上に出来るようになったとは言え、手先が不器用な私は何度も失敗を繰り返したのである。
けれど、数回のチャレンジを経て、私はようやく満足出来るレベルの盗聴器を完成させる事が出来たのだ。

―― それを京ちゃんに手渡すのは簡単だった。

多少、疎遠になったとは言え、私は京ちゃんにとって親友のままだ。
何より、京ちゃんは心の…ううん、愛情の篭ったプレゼントを蔑ろにする人じゃない。
彼が携帯を買い換えたのに合わせてプレゼントしたストラップを彼はすぐさま携帯につけてくれた。
お陰で私は彼の事をどこでも感じられるようになり、私の心労も大分、収まったのである。

―― それは京ちゃんが誰かになびく気配が欠片もなかったからだろう。

私の大好きな幼馴染は鈍感だ。
隣にこんなに彼の事が好きな子がいるのにまったく気づいてくれないんだから。
そんな京ちゃんが有象無象の誘惑に靡いたりするはずがない。
私よりも彼の事を知らない野良猫なんかに心を奪われるほど、京ちゃんは鈍くはないんだから。


―― でも…それだって何時まで続くか分からない。

少なくとも…以前のように自分が抑止力には働けてはいないのは確かだ。
お陰で京ちゃんの周りには彼の事を何も知らない馬鹿女ばっかりが集まってきている。
それを散らす為にも…ここらで誰が彼に一番、相応しいのか教えてやらなければいけない。
そう思った私は…二年次、一緒のクラスになった京ちゃんに告白したのである。

―― それを京ちゃんは受け入れてくれた。

勿論、それは遠回しな…それこそお試しみたいなものだった。
しかし、例えそうでも何とも思っていない相手に、京ちゃんは頷いたりはしないだろう。
実際、その後、幾つも送った盗聴器入りプレゼントからは告白を断る彼の声も届いていた。
そんな中、私の告白だけを受け入れてくれたのは…京ちゃんもまた理解してくれているからだろう。
京ちゃんの事を幸せに出来るのは私だけだって…幼馴染の女の子が一番だって…そう分かっているんだ。

―― でも…それは周りの下らないやじのお陰で終わっちゃった。

きっと皆は私たちの事に嫉妬していたんだ。
私達があんまりにも仲が良いから…世界で一番、幸せな夫婦になれるって分かってたから…邪魔したんだろう。
それにどれだけ私が腸を煮えくり返らせたかは…自分でも良く覚えていない。
ただ、確かなのは…それによって折角、少し前進した私たちの関係がギクシャクし始めた事だけ。


―― そのまま空中分解を防ぐ為にも…私は京ちゃんと一回、別れなきゃいけなかった。

京ちゃんは私の事を…とても意識してくれていた。
恋人同士になって始めて…京ちゃんは私を女の子として見てくれていたのである。
それを手放すのは…正直、涙を飲むほど悔しいし…悲しかった。
けれど、それを無理矢理続けていたら、京ちゃんの方から別れ話を切り出されてしまうかもしれない。
その想像だけで涙が出てくる私は…自分から京ちゃんとの関係を清算するしかなかったのだ。

―― でも…それがいけなかったんだろう。

別れた後、結局、私と京ちゃんは疎遠になってしまった。
クラスでは同じなのに以前のように積極的に話したりしなくなったのである。
それでも彼に渡したプレゼントのお陰で、京ちゃんの近況を知る事が出来た。
だからこそ、私はそこで気が狂ってしまいそうな不安に怯える事なく、京ちゃんの心が落ち着くまで待つことが出来たのだ。

―― 清澄に入ったのも…京ちゃんがそこに行くって…そう知ってたから。

そうして私たちは距離を取ったまま、一緒の高校に進学する事になった。
そこでも京ちゃんは人気者で…私の事をやきもきさせる。
もう私の事なんて忘れちゃったんじゃないかって…私が一緒の高校に進学したことを知らないんじゃないかって…そう思うと苦しくって仕方がなかった。


―― でも、私のことを一番、揺さぶったのは原村和っていう…特大のメス猫の事だ。

そのメス猫は…最初、京ちゃんの事なんて何とも思っていなかった。
明確に目立った敵対心こそ持っていなかったものの、苦手意識はしっかりと持っていたのである。
だからこそ、私は彼女の態度に苛立ちながらも…明確に排除しようとはしなかった。
この子だけは絶対に京ちゃんと付き合ったりはしないってそう分かっていたからこそ…私は見逃してあげたのである。

―― でも…ダメだよね、ちゃんと害獣は駆除しておかないと。

そうやって私が目溢ししている間に…そのメス猫はどんどんと京ちゃんと仲良くなっていく。
それだけならばまだ良いものを…京ちゃんに媚びた視線を向け始めるようになったのだ。
一時期は校内で夫婦だと囃し立てられていた彼女の事を…私は決して許す事が出来なかった。
それは…京ちゃんがそのメス猫に…惹かれているって…そう分かっていたからだろう。

―― 確かに…原村さんは…今までの売女に比べればマシな部類だと思う。

幼稚園で京ちゃんが好きだった先生を彷彿とさせるスタイルの良さ。
それに相まって料理上手や控えめな態度は人を引き付けるのに十分なものなのかもしれない。
だけど…それでも原村さんは…あのメス猫は、ケダモノなのだ。
私と京ちゃんの間に入り込んできた異物なのである。
そんな奴に…京ちゃんが情けを掛けてしまったら…誤解しちゃう。
おっぱいが大きいくらいしか取り柄がない癖に…京ちゃんの恋人になれるんだって…夫婦になれるんだって…思い違いをしちゃうんだから。


―― 京ちゃんにはもう私って言う…幼馴染がいるんだから…原村さんの居場所なんてないのにね。

でも…彼女はそんな私の居場所を奪うようにどんどん京ちゃんと仲良くなっていった。
私がかつてから予約していた場所を…少しずつ侵食し、その穢らわしい身体で京ちゃんに滲み寄ってくるのだから。
まるで梅雨のカビのようなそのしつこさに…私はもう我慢出来ない。
今まで京ちゃんに言い寄ってきた有象無象のように…脅して京ちゃんに近寄れないようにしてやろう。
そう思った矢先に…私の目についたのは…原村さんを熱っぽく見つめる一人の男の子だった。

―― その人の背中を押すのは思いの外、簡単だった。

何せ、相手はあのメス猫のファンであり、そして異常なほどの執着心を示していたのだから。
その精神性はまったく理解出来ないけれど、京ちゃんの素晴らしさを教えてあげると顔を真っ赤にして怒りを見せる。
そのまま我慢出来ないと言わんばかりに走り去る男の背中を…私は暗い笑みと共に見送った。
これで私が手を汚す事はなく、京ちゃんの隣からあのメス猫を排除出来ると…そう思っていたのである。

―― でも、あの泥棒猫は…思った以上にやり手だった。

すぐさま被害者ぶって京ちゃんに泣きついたあの女は…危険な事件に彼を巻き込んだ。
お陰で京ちゃんは病院に運ばれるほどの大怪我を負う羽目になってしまったのである。
それを京ちゃんの家に仕掛けた盗聴器から知った時には…私がどれだけ恐ろしかった事か。
良かれと思ってやった事でもし京ちゃんが死んでしまったらどうしよう。
そう思うと私はその日、眠れなくて…学校に行く気も起こらなかった。


―― そして次の日、面会しても怪しまれない時間にすぐさま駆け込んで…。

そうやって久しぶりに対面した京ちゃんは…いつも通りだった。
その頭に包帯を巻いている様は痛々しかったものの…特におかしな様子はない。
それに安堵しながらも…私は我慢出来なかった。
あんな女の為にどうして命を賭けるような真似をしたんだって…そう罵るように言ってしまったのである。

―― それを…京ちゃんは受け止めてくれた。

いや、それどころか疎遠になっていた事を詫び、再び仲良くしたいと…そう言ってくれたのである。
彼がそんな風に思ってくれているだなんて欠片も思っていなかった私は…それが涙が出るほど嬉しかった。
そんな私を京ちゃんは慰めて…そして私に一杯、話をしてくれたのである。

―― そのほとんどは私も理解している事だった。

近況を伝えようとする彼の言葉は盗聴を続ける私にとって既に過去の情報だった。
だが、それでもそれを京ちゃんから伝えられるのは…やっぱり嬉しい。
また再び仲の良い幼馴染へと戻れる事を予感させるそれに…私は幸せを感じながら…耳を傾け続けたのだ。


―― そして…私は余計にあの泥棒猫の事が許せなくなった。

京ちゃんは…誰かを護る為ならば多少の無茶でもしてしまうような男の子なのだ。
そんな事さえ知らないあのメス猫が…京ちゃんの寵愛を受けるだなんて許せるはずがない。
それに何より…あの泥棒猫は京ちゃんのお見舞いにさえ来ようともしなかったのだ。
自分の所為で傷ついてしまった彼に対するあまりにもひどい仕打ちに…私はもう我慢出来ない。

―― だからこそ…私は二人の邪魔をするように徹底的に立ちまわった。

常日頃から京ちゃんのクラスに顔を出すようにしたし、出来るだけ彼の手を取り続けた。
勿論、京ちゃんと疎遠になっていた時期は一人で過ごしていた私にはもう以前のように迷子癖もない。
しっかりしているとは言わないまでも、ポンコツと京ちゃんにからかわれていた頃の宮永咲でもないのだ。
だけど、私と疎遠になっていた幼馴染は…それを知らない。
だからこそ、京ちゃんは私の演技にあっさりと騙され…再びその時間を私に費やしてくれるようになった。

―― それがどれだけ嬉しくて…そして愉快だった事か。

私が京ちゃんとの仲を取り戻せば取り戻すほど…あの泥棒猫は悔しそうな顔をするのだから。
本来ならば私のものだったそれを盗もうとしていたのに…そうやって苦しそうな表情を見せるのである。
それを見る為ならば、私はどんな事だって厭わずに行動する事が出来た。
デートの前日には冷水をかぶり続けてわざと風邪を引いた事だってそうだし…あれほど嫌いだった麻雀を部活にする事だってそう。
私は泥棒猫に奪われたものを奪い返す為ならば…嫌いなものと向き合う事だって容易く出来たのだ。


―― それは途中まで順調だった。

私から大事なものを奪おうとする泥棒猫にプレッシャーをかけ続ける日々。
それはとても愉快で…楽しいものだった。
ただ排除するのではなく、徹底的に自信とプライドをすりつぶすそれにどれだけ暗い喜びを得たか分からない。
けれど、それは…京ちゃんが泥棒猫に振られ…私が再び彼の恋人に戻った瞬間に…最高潮に達していた。

―― それからの日々は…幼稚園の頃と変わらないくらいキラキラしていた。

京ちゃんと再び恋人になり…大手を振って歩ける日々。
文字通り夢にまで見たそれに私は心を蕩けさせ…幸せに浸っていた。
その前では嫌いな麻雀をしなければいけないという事さえもまったく気にならない。
それが京ちゃんと恋人を続ける条件なのであれば、寧ろ進んでやりたいと…そう思えるくらいだったのだ。

―― ふふ…それに…京ちゃんも私の事…少しずつ意識してくれて…。

失恋の痛手というものは京ちゃんの心に隙間を作ったのだろう。
そこに入り込むような私の優しさに…少しずつ彼は私を異性として意識してくれるようになったのである。
中学の頃とはまったく違うその変化に…私は一人で歓喜し、涙すら漏らした。
これでようやく私も京ちゃんも幸せになれるんだって…そう思って…心震わせていたのである。


―― でも…それはまたあの泥棒猫に奪われた。

どうやらあのメス猫は…本格的に勘違いしていたみたい。
京ちゃんがあんまりにも優しすぎるから…自分の事を愛してくれるってそう勘違いしちゃったのだ。
それだけなら…それだけならまだ良い。
だけど…あの泥棒猫は…私が大事にとっていた京ちゃんの初めてまでも奪い去って…っ!!

―― しかも…脅迫まで…!

京ちゃんの優しさに漬け込んで…彼を自分のものにしようとするその手口。
それに私は思わず受信機を握り潰してしまった。
文字通り自分の全てを捧げて、京ちゃんを絡め取ろうとしていいのは私だけなのだから。
京ちゃんの事を世界の誰よりも理解している私だけが…それを許されているのである。
少なくとも…原村さんみたいなメス猫に許されるはずがないのに…彼女はそれを踏み越えたのだ。

―― それに私は憎しみを超えて…殺意を覚えた。

そのまま包丁を持って、二人のところへ乗り込もうと思った回数は数知れない。
しかし、今、こうして殺傷事件を起こしてしまったら一番に疑われるのは京ちゃんだ。
既に一度、ストーカー事件で彼に迷惑をかけている私には…それは出来ない。
だからこそ、私はその機会をじっと待ち続け…こうして彼女と『友達』を続けているのだ。


―― だって…京ちゃんは仲良くしてって…そう言ったんだもの。

友達の少ない私の事を気にしてくれたのか、或いはメスネコの事を気に掛けたのか。
京ちゃんはあの泥棒猫と仲良くして欲しいと、あのケダモノと出会ったばかりの私にそう言った。
それは京ちゃん以外に言われたのであれば、絶対に拒絶していたものだろう。
だけど、世界で誰よりも愛しい幼馴染が私にそう言うのであれば…その時までは『友達』を続けてやろうと…そう思うのだ。

―― それに…その方が絶望も大きいでしょう?

「ねぇ…『和ちゃん』」
「何ですか、『咲さん』」

私の呼びかけに泥棒猫はにこやかに応えた。
非の打ち所のないその笑みはきっと誰もが魅了されるものだろう。
でも、私は知っている。
私だけは…その奥にある狂気を知っている。
メラメラと煮えたぎり…自分も愛しい人すらも…燃やしつくしそうな炎がある事を…私にだけは伝わってくるのだから。

―― 『和ちゃん』も…『そう』なんだよね。

この泥棒猫もまた…京ちゃんへの愛しさ故に道を踏み外したのだ。
その気持ちだけは…正直、共感しない訳じゃない。
私だって今の自分が決して正気と言えない事くらい分かっているのだから。
しかし、だからこそ…私は決して『和ちゃん』とは相容れない。
水と油のようにお互いを弾き合い…愛しい人の隣を奪い合う道しか残されていないのだ。


「私達、『友達』だよね」
「えぇ。そうですよ」

その言葉はとても空虚なものだった。
それはきっとお互い分かっているのだろう。
もうすぐお互いが血を血で洗うような戦いをしなければいけない事を。
友達になんてなれない事を…理解し合っているのだ。

―― ふふ…でも…和ちゃん、私…知ってるんだよ?

この泥棒猫は…インターハイで優勝しなければいけない。
そうしなければ長野に居られないという足かせをつけてここに来ているのだ。
対して私には…そんな条件はまったくない。
お姉ちゃんに会いたかったのは事実だけれど、それは別に団体戦に拘る必要はないのだ。
個人戦への出場が決まった今、待っていればお姉ちゃんには絶対に会えるのだから。

―― じゃあ…私が決勝で負けちゃったら…どうなっちゃうのかなぁ…?

そうなったら、きっとこのメス猫は東京行きだ。
そうならなかったらならなかったで京ちゃんとの情事を親にばらしてやれば良い。
あそこの両親は頭が硬いタイプだから、やっきになって二人を引き離そうとするだろう。
その時に、この泥棒猫が完全に発狂するかもしれないけれど…私には関係ない。
その間、京ちゃんさえ保護しておけば、後は勝手に自滅するのだから。


「決勝、楽しみだよね」
「えぇ」

その言葉に頷く泥棒猫に私は笑みを浮かべる。
そうやって笑いあう二人はきっと和やかな雰囲気に見えている事だろう。
だけど、実際、私たちの心はドロドロとしたもので溢れ、けん制を続けているのだ。

―― ねぇ…もうちょっと待っててね…京ちゃん。

もうちょっとで…この薄汚い泥棒猫から助けてあげるから。
それが終わったら…ちょっと私のお部屋でお休みしようね。
そして…この泥棒猫に穢された身体を…私が隅から隅まで綺麗にしてあげる。
ちょっとそれに時間がかかっちゃうかもしれないけど…でも、大丈夫だよ。
私は京ちゃんの下のお世話だったら平気で出来ちゃうんだから。
そうやって…数ヶ月も暮らせば…浮気症な京ちゃんだって分かるよね?
京ちゃんが本当に必要とするべきは誰なのか…その身体に教えこんであげる。
大丈夫…ちょっとつらいかもしれないけれど…それは私が京ちゃんの事を愛してるからなんだから。
それが終わった後には…ちゃんと二人とも…幸せになれる未来が待っているんだからね。













































「あぁ…本当に…楽しみだなぁ…」
























そんな訳でこれにて全ての投下終了です
ぶっちゃけ最後まで勢いだったので矛盾ばっかりだと思います
そもそもラスボス咲ちゃんの予定じゃなかった時点で伏線とかおざなりだから最後のオマケは本当に蛇足感満載ですみません
でも、ラスボス確定で寝取られた以上、有耶無耶にしとくのはアレかなーと思って書ききりました

しかし、これ本当に潰し合う未来しか見えないな…
本当にタコス大勝利なんじゃないだろうか

結局今回の話って親友には切り捨てられ、好きな人は奪われた優希が一番哀れだと思う
でも当初の予定通り優希がラスボスなら咲さんがやってた事って全部優希がやってたはずだったのか……

>>674
あ、咲さんがラスボスになった時点でプロット書き換えたんでそれはありません
ストーカー事件も全部偶然でした
優希がラスボスだった場合、失恋する京太郎にタコスが告白して純粋に付き合う二人に和が水を差す形になりました
優希は病んだりせず自分が望む結果に笑顔を見せながら、胸の痛みを押し殺すENDの予定でした
本編とどっちが不憫なのかはわからん

姫様もなぁ…
最初は「京太郎さんをヤンデレから守ってみせます!」って純粋な正義感で行動してるのに
いつの間にか独占欲と依存心の塊みたいな超ヤンデレになっちゃいそうだしなぁ…

お前ら終わった後にそう妄想を掻き立てられるような事を…
特に>>716とか凄い書きたくなったじゃないか
悔しいからまた色々と一段落ついたら永水ルート書くよ
それまで適当にネタを書いてくれると拾ったりするかもしれない

このSSまとめへのコメント

1 :  SS好きの774さん   2013年09月03日 (火) 22:38:31   ID: J_7FOcBQ

ここまで来ると逆に清々しいな京豚

2 :  SS好きの774さん   2013年09月03日 (火) 22:38:31   ID: J_7FOcBQ

ここまで来ると逆に清々しいな京豚

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