三船美優「陽だまり」 (84)

※モバマスSSです

http://i.imgur.com/uwYELBg.jpg
三船美優(26)

SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1373304093

 昔の私は控えめだった。
 いや、臆病だったと言える。
 人の前に出たり、人の上に立とうとすることが出来なかった。
 そんなことはもっとふさわしい人がやってくれる……
 私はやらなくてもいいんだ。

 そう思っていた。

 『アイドルになりませんか?』

 その言葉を聞いた時は驚いた。
 目の前にスーツ姿のサラリーマン……私よりも随分若く見える。

 何を言っているのだろう?
 よく知らない男性から声をかけられたりすることはあったが、このような誘い文句は初めて聞いた。

 「結構です……」

 いつもは、うつむき気味にこう言うと大抵の男の人は諦めてくれた。
 こんな暗い女を誘うより、もっと可愛い女の子は山ほどいるのだから。

 しかし、あの人は違っていた。
 何があっても諦めない。
 私の顔を覗きこむように目を合わせてくる。

 『あなたじゃないとダメなんです』

 その言葉にはっとした。
 思わず彼の目をみる。
 父以外の男性の目をこんなに見るのは初めてだったかもしれない。
 少なくとも他の人達とは違うように感じた。

 彼は少年のような無邪気な笑顔を私に向ける。

 『やっと見てくれましたね』

 「……そ、そういうつもりじゃ」

 『やっぱりそうだ。あなたはもっと輝けそうです』

 輝く……? 私が……?

 すると彼は名刺を取り出し、さらさらと何かを書くと私に握らせた。

 『気が向いたらここに連絡してください。それじゃあ』

 そして、彼はあっけないほど早く人混みの中へ消えていった。

 アイドルという職業について知らないわけではない。
 華やかな衣装を着て、満面の笑みでステージを駆け回る。
 テレビでみたニュージェネレーションという子達がまさにそうだった。
 カクテル光線を浴びて歌う彼女たちこそ本当に輝いていた。

 私がそんなことをするなんて想像出来ない。
 誰もそんなものを望んではいないだろう。

 もらった名刺をゴミ箱に捨てようとして、手が止まる。

 『あなたじゃないとダメなんです』

 彼のその言葉が思い返される。
 本当に私なんかでも必要なんだろうか……

 翌日、彼と花巻空港の中のレストランで落ち合った。
 これから東京に帰るらしく、便が出るまでの時間に会ってくれるらしい。

 私は運ばれたアイスコーヒーに目を落としたまま俯いている。

 なんと切り出せばいいのかわからない。
 ただ一言が言えない。
 時間だけが無情に過ぎていく。
 彼は何も話さない。じっと黙っている。
 忙しいのに、こんな面倒くさい女に捕まって怒っているのだろうか?
 恐る恐る顔を上げる。

 彼は私の目を見るとにこりと微笑んだ。

 『気にしなくていいですよ。ご自分のペースで話してください』

 その言葉に自分の中の凍っていた何かが溶けるような気がした。
 気付かないうちに言葉が出ていく。


 「私に……できますか?」


 アイスコーヒーの中の氷がからんと音を立てて落ちた。

 送迎デッキから彼の乗った飛行機を見送る。
 手には一枚のCDを持っていた。
 彼が去り際に渡したもの。


 『ここに来るまでに聴きまくったCDです。よかったら差し上げますよ』


 『林檎と檸檬』というタイトルの切り絵が美しいCD。
 村下孝蔵さんというらしい。

 私は家に帰って何度もそのCDを聞いた。
 透明感のある綺麗な声。
 そして、日本の原風景が浮かんでくるような美しい歌詞。

 とりわけ『陽だまり』という曲が一番響いた。

 https://www.youtube.com/watch?v=LXrbdIPHe5Q

 ネットで調べてみると『めぞん一刻』という漫画原作のアニメの主題歌になったとか。

 そういえば学生の頃、友人にその漫画のヒロインに雰囲気が似てると言われたことがあった。
 なんでも未亡人のアパートの管理人とかで、学生時分の私にその雰囲気はどうかと思うが……
 
 こんな素敵な曲があるなんて思いもよらなかった。

 一ヶ月後、私は再び花巻空港へ向かっていた。
 わずかばかりの手荷物、羽田行きのチケット。
 そしてこのCDを持って…… 



もう少しだけ続きます。

今日はここまでです。
残りは後日書きます。

花巻空港から羽田行きの直行便はないようです。
調査不足で申し訳ないです。
ご指摘ありがとうございました。

飛行機をやめ新幹線に修正します。

>>12
※修正


 翌日、彼と盛岡駅の中のレストランで落ち合った。
 これから東京に帰るらしく、新幹線が来るまでの時間に会ってくれるらしい。

 私は運ばれたアイスコーヒーに目を落としたまま俯いている。

 なんと切り出せばいいのかわからない。
 ただ一言が言えない。
 時間だけが無情に過ぎていく。
 彼は何も話さない。じっと黙っている。
 忙しいのに、こんな面倒くさい女に捕まって怒っているのだろうか?
 恐る恐る顔を上げる。

>>14
修正

 改札口から彼の姿を見送る。
 手を振る彼に私は、静かにおじぎをすることしか出来なかった。

 私は手に一枚のCDを持っている。
 彼が去り際にくれたものだ。


 『ここに来るまでに聴きまくったCDです。よかったら差し上げますよ』


 『林檎と檸檬』というタイトルの切り絵が美しいCD。
 村下孝蔵さんというらしい。

>>16
修正

 一ヶ月後、私は再び盛岡駅へ向かっていた。
 わずかばかりの手荷物、東京行きの切符。
 そしてこのCDを持って…… 

 事務所に入って三ヶ月がたつ。
 私は日々レッスンに追われていた。
 当然である。
 いきなり素人がステージに出られるほど甘くはない。
 レッスンもはじめての経験で戸惑ってばかりいた。
 しかし、私はこの生活が本当に楽しかった。

 早朝、人もまばらなビジネス街を抜けて裏路地の雑居ビルに入る。
 裏路地とは言っても盛岡の繁華街より断然広くて賑やかな場所だった。

 冷たい扉に手を掛ける。鍵はかかっていなかった。
 恐らく誰かまだ残っているのだろう。

 「おはようございます……」

 歩みを進めると足に何かが当たる。瓶のようなものだ。

 「ワインの瓶……?」

 応接室のパーテーションの隙間から覗く。
 ソファに礼子さんが横たわり、机には志乃さんが突っ伏していた。

http://i.imgur.com/NSZ0aX3.jpg
高橋礼子(31)

http://i.imgur.com/eACNakh.jpg
柊志乃(31)

 恐らく、ここで飲み明かしていたのだろう。

 礼子さんも志乃さんも私の事務所の先輩に当たる。
 実際、年齢も5つ上なのだが。
 二人とも妖艶な雰囲気の女性で週刊誌のグラビアでは引っ張りだこだ。

 普段は大人の雰囲気が漂ういい人たちなのだが、惜しむべきは酒癖が悪いところだ。
 私の歓迎会を四次会まで行い、朝5時まで帰れなかったのは記憶に新しい。

 「礼子さん、またお腹出して寝てる……」

 礼子さんに薄手の毛布をかけ、志乃さんには大きめのバスタオルをかけてあげた。

 床に散らばったおつまみの袋や、ワインボトルを片付けていると不意に扉が開いた。

 「あら? 早いのね?」

 「おはようございます、留美さん」

 この人は和久井留美さん。
 ここで出来た私の最初のお友達だ。

http://i.imgur.com/lfT4sfC.jpg
和久井留美(26)
 
 元秘書という経歴とその凛とした出で立ちに男性ファンも多い。
 知的な印象からも報道番組のアシスタントをやったりしている。

 同じ年ということも手伝って、彼女は私に親身になってくれた。
 よくお買い物に付き合ってくれたりする。
 いろいろ服や日用品を選んでくれたり頼もしい。
 ペットショップのウィンドウで、一時間近く子猫を見ていたりと可愛い一面も持っている。

 留美さんは私の言葉に少しだけ眉を潜ませた。

 「ほら、また敬語になってる」

 「ごめんなさい……でも、事務所に入ったのは私が後ですから……」

 「そんな事はここでは無用よ。わかった? 美優」

 「は……ええ、ありがとう……る、留美」

 「よく出来ました」 
 
 私は彼女のこの笑顔が大好きだ。

 事務所の掃除、お花の水換え、トイレや給湯室の掃除をひと通り終える。
 別に強制されてるわけはない。私が望んでやっていることだ。
 取り柄のない新人であればこれぐらいはやらないと申し訳が立たない。

 ある程度、掃除を終えると練習着に着替えてストレッチを行う。
 レッスンは午後からなので準備をしておくに越したことはない。

 すべてのメニューが終わる頃には昼近くになっていた。
 私は休憩がてら事務所でソファに座ると脇に置いてある雑誌に目を通した。
 今月発売になったファッション誌。
 そこには事務所のアイドルがモデルとして出ているからだ。

 「やっぱり、綺麗……楓ちゃん」

 高級ブランドの新作バッグを抱えた女性。
 ミステリアスな雰囲気が写真全体を引き立たせている。
 彼女は高垣楓ちゃん。
 年は私よりも一つだけ下なのだが、ずっと大人っぽい。

http://i.imgur.com/3TsY6fp.jpg
高垣楓(25)

 抜群のプロポーションと惚れ惚れするような整った顔立ちから、20代の女性に人気のカリスマモデルだ。
 女の私ですら思わず見とれてしまう。

 一度だけ楓ちゃんに高級ショップに連れて行ってもらったことがある。
 私のコーディネイトをしてくれるというのだ。
 見立ててくれた服はどれも憧れの素敵な服ばかりだった。
 
 「これって……私に似合いますか?」

 『とっても似合いますよ……コーディネイトはこうでねえと……ふふっ』


 楓ちゃんのこういう部分は未だによくわからない。


今日はここまでです。
ペースが遅くて申し訳ないです。

出来る限り時間をとって進めるようにします

 「おはようございまー!!」

 元気よく扉が開くとと同時に女の子が入ってくる。
 小学生アイドルの龍崎薫ちゃんだった。

http://i.imgur.com/yKRmXeZ.jpg
龍崎薫(9)

 「おはよう、薫ちゃん。今日も元気ね」

 「あっ!! 三船さん、おつかれさまでー!!」

 そう言って私のもとに駆け寄ると健康的な白い歯をにいっと見せる。
 この子の元気な姿を見ているだけでこちらも元気が出てくる。

 「あのねあのね! かおる、きょうね、プールで25メートル泳げたんだよ!!」

 「まあ、すごいじゃない。頑張ったのね」

 軽く頭を撫でてあげると満面の笑みを返してくる。
 本当に可愛い子だ。

 しかし、こうみえて彼女もまた売れっ子なのだ。
 朝の子供向けバラエティから、連続ドラマの子役までもこなす。
 私のほうが年上とはいえ、キャリアや実力では天地の開きがあった。

 でも、仕事を離れるとごく普通の元気な女の子なのだ。

 「じゃあ、そんな薫ちゃんにご褒美あげるね」

 「えっ? なあに?」

 私は給湯室の冷蔵庫から箱を取り出して、彼女に渡す。
 そこにはシュークリームが入っていた。

 「わあっ! 美味しそう!! もらっていいの?」

 「どうぞ、召し上がれ」

 「三船さんはいらないの?」

 「私のぶんは気にしなくていいのよ。遠慮なくどうぞ」

 薫ちゃんはシュークリームをひとつ取り出し、しばらく見つめている。
 そして、おもむろに半分に割った。

 「じゃあ、半分こ! いっしょに食べよー?」

 気配りのできる優しい子だ。

 「ふふふ、ありがとう、薫ちゃん」
 
 「えへへへっ」

 それからしばらく私は薫ちゃんとのおしゃべりを楽しんだ。

 「龍崎! 龍崎はいるか!」

 扉が開け放たれると同時にジャージ姿の女性が入ってきた。
 私は女性に向かって、人差し指を自らの唇に当てた。
 薫ちゃんは私の膝を枕にして寝息を立てているからだ。

 「なんだ?……眠ってるのか?」

 「ええ、今日は学校のプールの授業があったらしくて」

 「やれやれ……」

 そう言って軽く頭をかくと私の向かいの椅子に座った。

 彼女はベテラントレーナーさん。私たちの指導をしてくださるトレーナーさんの一人だ。
 皆、親しみを込めて「ベテさん」と呼んでいる。
 彼女もまた私と同じ年で、立場は違えどよく目をかけてくれる。

http://i.imgur.com/M070rfv.jpg
ベテラントレーナー(26)

 「どうしたんですか、ベテさん? レッスンはまだだと思うんですが……」

 「ああ、次のライブに向けての衣装合わせをしておきたくてな」

 「そうだったんですか……」

 「まあ、寝てるのなら仕方ない。無理に起こすほどの急ぎでもないからな」

 私は薫ちゃんの頭を撫でながらつぶやくように言った。

 「こんな小さな子でも、立派にアイドルなんですね」

 「それが龍崎の望んだ道だからな」

 ベテさんはぶっきらぼうに答える。

 「薫ちゃんはすごいです……この子がいるだけでみんな明るくなる……私にはできません」

 「そうか……?」

 「ええ……礼子さんも、志乃さんも、留美さんや楓ちゃんだってみんなすごいです」

 「……」

 「みんな輝いてる……私には何もない……」

 その言葉にベテさんはガリガリと頭を掻いた。

 「三船、自信過剰になりすぎるのは良くないが、己を過小評価しすぎるのは成長の阻害になるぞ」

 「すいません……」

 「確かに今のお前では、彼女らには遠く及ばない」

 「……」

 「だが、彼女たちもPに見出されてこの道に進んだ人間だ。お前と同じようにな」

 「……はい」

 「だとしたら、お前にも我々にはない何かを持っていると言える」

 「そんな……」

 「あの男はそれなりに人を見抜く目を持っているな。そこに関しては全幅の信頼を寄せている」

 「……」

 ベテさんは身を乗り出すようにして私に尋ねる。

 「ところで、Pはお前をスカウトした時なんと言ったのだ?」

 スカウトの時……
 そうだ、忘れもしない……


 『やっぱりそうだ。あなたはもっと輝けそうです』
 

 輝く?……どういう意味だろう?
 薫ちゃんや留美さんたちのほうが私より輝いている。
 ベテさんは不意にふっと笑った。

 「なるほど……なあ、三船?」

 「はい……」

 「私達トレーナーはお前を磨くことができる。だが、それだけではダメだ」

 「……どういうことですか?」

 「どんなに磨いたところで本物の輝きには叶わない。大切なのは輝きたいという意志だ」

 「……よくわかりません」

 ベテさんはおもむろに立ち上がり、私の肩を二度、ポンポンと叩いた。

 「今はわからなくていい。いずれお前にもわかる時が来るだろう」

 難解な暗号を差し出されたような気分だ。
 本物の輝き?……意思……?
 思い悩む私を尻目に、ベテさんはぐっと伸びをすると大きく息を吐きだした。

 「さて、あの酔っぱらいどもを片付けてくるか……」

 そう言って、礼子さんと志乃さんが寝ている応接室に向かう。

 「起きろ! 柊!」

 ぺしぺしと頭を叩く音が響く。
 さすがベテさん。年上にも容赦無い。
 パーテーション越しに寝ぼけたような志乃さんの声。

 「いたーい……ベテちゃん……いたの?」

 「いたの、じゃない! 何時だと思ってるんだ? 高橋も起きろ!」

 「むーん……もう飲めないわよ……うふふ」

 「いい加減にしろ! シャワーを浴びて目を覚まして来い!」

 「あらぁ? ベテちゃんも一緒に入ってくれる?」

 「だ、誰が入るか! こ、こら! 離せ! 柊!」

 「さあさあ、お互いに洗いっこしましょうね〜」

 
 シャワー室から悲鳴が響き渡ったのは5分もたたないうちだった。
 ベテさん、お疲れ様でした……


今日はここまでです
熟女プロにならなくて申し訳ない
でも、僕は礼子さんも志乃さんもだいすきです

 しばらくしたある日、私はいつもの様に事務所の扉を開けようとノブに手をかける。
 ふと、廊下奥の部屋から物音がした。
 ……泥棒? そんな考えが頭をよぎった。

 恐る恐る近づく。
 この先にあるのはボイトレ室だ。
 何故こんな所に?

 耳を澄ましてみると、それは物音というより何かの音楽のようだ。
 ゆっくりと扉を開けて中を覗き見る。
 そこにいたのは……

 「Pさん……?」

 私の言葉に彼がゆっくりと振り返る。
 アコースティックギターを持って座っていた。

 「ああ、三船さん。おはようございます」

 「ずいぶん早いんですね? もしかしてまた、徹夜ですか?」

 「ええ、ちょっと書類がまとまらなくて」

 彼はへへっと笑いながら頭を掻いた。
 年の割に子供っぽい仕草をする。
 私も部屋の中に入り、彼の向かいの椅子に座った。

 「ギター……お弾きになるんですね?」

 「下手の横好きというやつですよ。煮詰まるとこうして一人で弾くんです」

 「へえ……」

 「あっ、みんなには内緒ですよ。多分からかわれますから」

 「ふふふ、わかりました」

 その言葉に笑顔を見せる彼。
 私はこの人の怒った顔を見たことがない。
 どんな状況でも、私には笑顔を見せてくれる。
 いつも遅くまで残って辛いはずなのに、辛いと弱音を漏らさない。
 礼子さんや志乃さんに強引に飲まされても、困った顔はしても決して断らない。

 一度、私が雑誌の撮影で酷いミスをした。
 カメラマンさんやスタッフさんに多大な迷惑をかけてしまった。
 それでも、彼は私を叱らない。
 それどころか、一緒に頭を下げてくれた。

 私がそのことを彼に詫びると、いつもの笑顔でこう言った。

 『大丈夫ですよ、次は挽回しましょうね!』

 その笑顔に私は何度も救われた。
 そして……その笑顔が大好きになっていった。

 ゆっくりとチューニングしながら音を合わせる。
 ボロロンといった音色が心地いい。
 見た目にはそれなりにサマになっている。

 「Pさん、どんな曲を弾くんですか?」

 「古い曲ばかりですね。最近のはよくわかりませんが」

 「村下孝蔵さんは?」

 「大体いけると思います。細かいコードは忘れてるかもしれないけど」

 「是非、聞いてみたいです」

 「いいですよ。どの曲いきましょうか?」

 もちろん、私の大好きなあの曲だ。

 「じゃあ『陽だまり』で……」

 「昔、三船さんをスカウトした時に渡したCDにありましたね」

 「はい。私、この曲が大好きで……もう、毎日聞いてるんです」

 「そんなに気に入ってもらえると嬉しいですね」

 「今では歌詞も完全に覚えちゃいました」

 「じゃあ、歌ってみます?」

 「えっ?」

 「僕が弾くんで、三船さんはそれに合わせて歌ってみてください」

 しまった……迂闊な一言を言ってしまった。
 私はあまり歌が得意ではない。

 「で、でも……私、歌はちょっと……それに男性の方の歌ですし」

 「大丈夫ですよ。僕もギターが上手いわけではありません。今なら僕ら以外には誰もいませんから」

 「ううぅ……」

 押し切られた格好になったが、ここまで来たら腹をくくるしかない。

 歌う前だからと言うわけではないが、私はあがり症である。
 はじめの音がうまく出せるだろうか? 外したら笑われるんじゃないだろうか?
 そう考えると萎縮して余計に外してしまう。
 レッスンでもベテさんは練習だから外しても構わないというが、それでも緊張してしまう。  

 「三船さん」

 不意に彼が見かねて声をかけた。

 「一度、深呼吸しましょうか?」

 「はい……」

 二度三度、大きく呼吸する。
 深呼吸のお陰ではないが幾分、落ち着いたような気がする
 彼の方を見るといつもの様に微笑みかけてくれた。
 それが一番私を落ち着かせた。 

 「僕は歌で大事なのは、上手い下手じゃないと思っています」

 「と言うと?」

 「どれだけ、気持ちを込められるかです」

 「気持ち……」

 「三船さんはこの歌が大好きなんですよね?」

 「はい……」

 「この歌を知ってほしい、誰かに伝えたい……そんな感じで歌ってみてはどうですか?」

 「……」

 考えもしていなかったことだ。
 当然、歌唱技術が上手ければ人の心にも伝わる。
 気持ちだけでそんなに変わるものだろうか……
 でも、不思議と彼の言葉は受け入れられた。
 今までに感じたことがないほど落ち着いた、ゆったりとした気分になる。

 「Pさん……お願いします」

 彼はにこりと笑って弾き始める。

 そこから先はどう歌ったのかは覚えていない。
 私が村下さんのような透明感のある声は、逆さになっても出しようがない。
 そこから何が伝えられるかはわからない。
 
 覚えているのは


 目の前にいる彼に、私の思いを伝えたいということ。


 歌詞に乗せて、気持ちを届けたい。


 ただ、それだけだった。

 あれ以来、私の中でも小さな変化が起きた。
 一番の変化は歌になって現れた。
 皆が集まってのボイスレッスンの日。 

 「こいつは驚いたな……」

 ベテさんがピアノを弾き終えるなり、歌っていた私に言った。
 ふと不安になる。
 
 「どこか……外してました?」

 「いや……今までとはまるで違う。格段に良くなってるぞ」

 「本当ですか?」

 ここに来て初めて褒められた。
 本当に良かった。

 「すごいじゃない、美優」

 留美さんが声をかけてくれる。

 「ありがとう。ちょっと、照れくさいですけど……」

 「元々、あなたもやれば出来たのよね。いよいよ、本領発揮かしら?」

 「そ、そんな……ひゃっ!」

 不意に後ろから抱きつかれた。
 志乃さんが私の顔を覗き込む。

 「よかったわよ、美優。私の次にセクシーだったわ」

 「わ、私なんて……まだまだで……」

 「自信を持ちなさい。それはこの事務所で2番目という意味よ」

 その時、背後で寒気がした……
 誰の視線なのかはある程度把握できる。
 ……礼子さんだ。

 「へえ……聞き捨てならないわね。私を差し置いて」

 「わ、私は言ってませんよ!」

 「そもそも志乃が1番ということが引っかかるわ」

 「あら? 言葉が足りなかったわね。あなたは美魔女枠だから該当しないの」

 「言ってくれるわね、同い年」

 「や、やめてくださいよ……お二人とも」

 でも、嬉しかった。
 皆に褒められるなんて思ってもみなかった。
 気持ちが変わるだけでこんなにも変わるものなのか?

 彼のおかげだ。

 いつも彼の言葉は水のように私の中に染みこんでくる。

 初めて会った時も、盛岡駅でも、そして今回も。

 これは、もしかして……


 「恋をしてるわね?」

 その言葉に思わずドキッとする。全身から汗が吹き出した。
 目の前には礼子さんの顔があった。

 「な、な、な、なんですか! きゅ、きゅ急に!!」

 「わかりやすい子ね。女が変わるなんて恋した時以外無いでしょうに」

 「ち、ちがいます!!」


 私は逃げるようにその場を去った。

 翌日、私は彼と営業に出かけることになった。
 営業といっても特別なことをするわけじゃない。
 レコード会社やテレビ局の偉い人のところに顔を見せるようなものだ。

 「大丈夫ですよ。必ず、お仕事につなげますから」

 彼は笑いながらそう言った。
 根拠はなにもないはずなのに。
 でも、私は彼ならやってくれる……そう確信していた。
 それこそ全く根拠が無いのだが。

 大通りに出て二人でタクシーを待つ。
 車の流れは多く、タクシーが来る気配もない。
 乗れたとしても渋滞に巻き込まれそうだ。

 「これは、弱りましたね……」

 彼はバツが悪そうに頭をかく。

 ふと、目をやると視線の先には銀杏並木が広がっている。

 「Pさん」

 「はい?」

 「時間はありますよね?」

 「ええ、余裕はありますが……どうしてですか?」

 自分でも微笑んでいるのがわかる。

 「せっかくですから、歩いて行きませんか? お天気もいいですし」

 「構いませんが……いいんですか?」

 「大丈夫です。行きましょう」

 彼と並んで銀杏並木を歩く。
 木漏れ日が地面に落ちて輝いている。
 吹き抜ける風が身体を包んで心地良い。


 アイドルとして輝けるのか。

 彼に対する思いが恋なのかどうか。

 今はまだ、そんなことはわからない。



 だけど、はっきり言える事がある。

 今はこの道を彼と一緒に歩いて行きたい。




 そして、これからも。




おわり


これで終わりです
最後駆け足のように終わってすいません。

村下孝蔵氏の曲はこれだけでなく「かざぐるま」「踊り子」など名曲が多くあります。
よかったら聞いてみてください。
ちなみに僕が一番好きな曲は「夢のつづき」です

読んでくださってありがとうございました。

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