変わった口実 (13)

 がちゃん、と部屋の外で音がする。今更窓を開けて音の正体を確認するようなことはしない。
その音の正体はよくよくわかっている。今まで何度聞いてきた音だろう。初めこそ面喰って何事かと
アルミサッシのガラス戸を開けていたものだが、今となっては、直接見ずとも窓の外に落下する白熱灯
の軌跡が脳裏に自然と再生される。

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 1Kのアパートの一階、私の部屋の前には街灯が立っている。街中に整然と立っている洒落た街灯とは
違う。ハイウェイにそびえ立つクローンのように無機質なオレンジ色の光とも違う。古ぼけた笠に錆びた
鉄柱、そして白熱灯の明かりがどこか物憂げに見える、そんな街灯だ。人通りのほとんどない、郊外の
アパート群の隙間にぽつんと、場違いとも言えるほど孤独にそれは立っている。

 空虚な破壊音の後、私の部屋は一段階明度を落とす。緑色の薄いカーテン越しに差していたほのかに
白い光はなくなり、完璧に近い闇に対抗するのは空気清浄機の青い電源ランプだけとなる。いつもの
ように白熱灯の最期をやり過ごすと、私はようやく本格的な眠りにつく。私は少し神経質な性質で、夜中
に白熱灯の割れる音なんかがすると(それがたとえ窓の外からであっても)どうしても眠りから覚めてしまう。
だからこうして街灯の割れる音を聞き、そうした後に眠るような生活形式がいつのまにやら根付いてしまって
いたのだった。

 勘の良い方は既にお気づきだろうが、私の部屋の外に立つ街灯はよく壊れる。もう少し正確な言い方を
するならば『毎日、私の部屋の時計がAM0:38になると、街灯の白熱電球が笠ごと落下する』のだ。そして
がちゃん、と音をたてる。春の夜の風音や秋の虫の声に混じって、がちゃん、と無機質に。そして数瞬、
あたりは静寂につつまれる。しばらくの後、思いだしたかのように恐る恐る虫はキュッキュッと鳴き始め、
風は舞う。私はその瞬間に愛着すら覚え始めていた。私は私の部屋の外で街灯が落ちるのが、好きだった。

 街灯の話をしたのだから、あの女性のことについても少し話さなければなるまいと思う。夜中に落ちた
街灯をなおし続けている、あの女性のことだ。彼女は14歳にも見えたし、27歳であるようにも見えた。
背は低く、薄く化粧をしている。肩のところで切りそろえた黒髪を躍らせながら、危なっかしげに笠を
固定し、新しい電球を取り付けては帰っていく。空が焼けるころにいつもやってきて、夕闇に紛れるように
消えていく。雨や雪、風の強い日なんかは休む。しかしそれでも彼女はずいぶん熱心に街灯をなおしに
通っているように見えた。ただ、それでも毎夜街灯が落ちることを考えると、彼女の修理の腕はどうにも
褒められたものではないようだ。

 その日私が部屋に戻ってカーテンを開けると、いつものように窓の外では彼女が街灯を直していた。脚立の上でふらふらと、
しかし絶妙にバランスをとっている。私は彼女が高い脚立の上から転落することなど、この一年で見たこと
がない。私はポットの紅茶を注ぎながら、彼女の仕事をぼんやりと眺めていた。せわしいようなのんびりと
しているような不思議な動作で、彼女は街灯をつつきまわしている。やがて作業の全行程を終えると、彼女は
脚立を一段ずつゆっくりと下り始める。その途中で私は彼女と目が合う。いつもそうするように、彼女が恥ずかしげにはにかむので
私もあいまいに笑ってそれに倣う。そうして彼女は夕刻へと消えていく。

 ある晩私は彼女が私の部屋にいる夢を見た。私はベッドに腰かけて、サイドテーブルにあるカップを時折すすっていた。
彼女は彼女でふたりがけのソファにちょこんと座り、やはりその手にはマグカップがあった。彼女が何事かを楽しくお喋りして、
私はそれに相槌を打っていた。私は彼女にいつもそうするように、やわらかく、どこかぎこちなく笑っていた。とても幸せそうだった。
だからだろうか、その夢から覚めたとき、私は少し泣いていた。

 街灯の落ちない夜は突然にやってきた。私はAM1時になってようやくカーテンを開けた。そこには真新しくピカピカとした鉄柱と、
頑丈そうな笠と、曇りなく輝く白熱灯があった。皮肉なもので、街灯の落ちる夜よりもそうでない夜のほうが、よっぽど私を
驚かせた。私は玄関でサンダルをひっかけ、思わず外に飛び出した。裏口に回り、真新しくなった街灯の下に立つ。右手をあげて鉄柱
に触れてみたが、そこには夜の冷たい感触が感じられるだけだった。

 そこで私は数多くのことを理解した。まず一番最初に、市は余計なことをしてくれたもんだなあと思った。鉄柱の後ろの石垣にある
ごちゃごちゃとした仕掛けを見て、彼女は私に好意を持っていたのだということを知った。そして同時に、しばらく前に見た夢の続きも
知った。最後に、立派になった街灯を見上げて、彼女はもうここに来ないのだということを知ったのだった。

終わりです
最後まで読んでいただいて、ありがとうございました

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