比企谷小町「お兄ちゃんに本気を出させたらどうなるか」 (104)

八幡「ただいまー」

小町「おかえりー。お兄ちゃんまた直帰ー? たまには友達と遊んでくればいいのに」

八幡「帰りにじっくりジャンプ読んできたから直帰じゃねー。それにその友達がいねぇんだよ。言わせんな恥ずかしい」

小町「ハァ……そりゃあお兄ちゃんに友達がいないことくらい重々承知の上ですよー?」

小町「でも一度しかない高校生活、友達も出来ずにそんなもんでいいのかなーって小町的にはお兄ちゃんの寂しい青春を案じずにはいられないわけですよ……ってこの兄想い加減小町的にポイント高い!」

八幡「うるせぇ。大体放課後他の奴に気を遣いながらカラオケだのボーリングだので無意義に時間を使い潰すくらいなら俺は自室で無意義にダラダラ過ごすね」

小町「どっちにしろ無意義に過ごすことには変わりないんだ……」

八幡「それにな、小町。お前は前々から一つ大きな思い違いをしている」

小町「?」

八幡「俺はな、長年の経験から『友人など不要』と悟ったんだ。つまり作れないんじゃない、作らないだけなんだ。いいか、作らないだけだ。ここテストに出るからな」

小町「そんなに何度も強調されるとなんでだろ。小町、涙が溢れてきちゃうよ」

八幡「ま、俺は容姿も頭脳も体力もそれなりだしな。その気になれば友達百人くらい簡単に作れるんだよ。なんなら出会ったその日に富士山の上でおにぎり食べるまであるね」

小町「相変わらず恥ずかしげもなくそんなこと言うし……ネトゲの友達の話でしょそれ……」

八幡「おっと小町。フレンド登録してた人の部屋に入った瞬間『フレに呼ばれたんで失礼します^^;』って立ち去られた俺の傷口を抉るのはそこまでにしておけ? 泣くぞ?」

小町「いや……そんなネトゲのフレンドにすらフレンドと認められてないお兄ちゃんの話聞かされた小町の方が泣きそうだから……」

八幡「話は逸れたが、俺だって本気を出せば友達くらい作れるってことだ」

八幡「(もっとも重要なのは友達になる前よりもその後の方なわけだが…….やっぱりぼっちって最高だわ)」

小町「まあ小町的に見てもお兄ちゃんはその夏場の日向に一週間くらい放置して野良猫に見向きもされなくなった死んだ魚みたいな目さえなければそんなに悪くないと思うんだけどねー、せっかくなんだから本気出してみればいいのに」

八幡「外人が見たら発狂しそうなくらいながったらしい形容詞の羅列で俺の心を抉るのはやめろ。ほれにな、小町」

八幡「人間、時には頑張り過ぎないことも大切なんだ……」

小町「少なくともお兄ちゃんが人間関係で頑張ってるところ小町ここ数年見たことがないんだけど……」

八幡「いいんだよ、俺は今の生活気に入ってんだから。じゃあ俺もう部屋行くけど、お前もそんな女子力(笑)高まりそうな本ばっか読んでないで受験勉強頑張れよ」

小町「はいはい……。あーもうほんとにあのごみぃちゃんは……」

小町「せーっかくあんなに楽しげな人達に囲まれ……てはいないか……。あんな楽しげな人達が側にいるんだからもうちょっと頑張ったらいいのに」ペラ…

小町「……ん?」

小町「誰でも出来る簡単催眠術? 頭空っぽで夢詰め込めそうな人ほど効果アリ……?」


小町「これだ……!!」

由比ヶ浜「ゆきのん、やっはろー!」

雪ノ下「あら、今日は随分早いのね」

由比ヶ浜「え? いつもと同じくらいと思うよ?」

雪ノ下「そう? ……ああ、今日は妙にこの部屋の空気が新鮮と思ったら比企谷くんがまだだったのね。また平塚先生に呼び出されてるのかしら」

由比ヶ浜「ううん、今日ヒッキー学校来てなかったよ。夏風邪かなぁ」

雪ノ下「へぇ……『比企谷くんは風邪を引かない』とよく言うものだけれどね」

由比ヶ浜「ヒッキー限定のことわざなんだ……」

由比ヶ浜「そ、それでさ。ゆきのんがもしよかったら部活終わったあと一緒にヒッキーのお見舞いとか……」

雪ノ下「……そうね。一応この前私が体調を崩したとき由比ヶ浜さんと一緒に来てくれたわけだし、私もお見舞いくらいはしてあげるのが道理……かしらね」

由比ヶ浜「やった! じゃあ帰りにケーキ買って行こー!」

雪ノ下「仮にも病人のお見舞いにケーキというのはどうなのかと思うけれど……」

コンコン

雪ノ下「……どちらにせよその前に、依頼の方が先のようね」

由比ヶ浜「だね。まああんまり遅くならないうちに終わらせ……」

ガラガラ

八幡「おっす、悪いな。遅れて」

雪ノ下「」

由比ヶ浜「」

八幡「な、なんだよ。人の顔を見るなり固まって……。俺の顔に何か付いてるか?」ゴシゴシ


雪ノ下「嘘……」

由比ヶ浜「あり得ない……」.

八幡「?」

雪ノ下「比企谷くんが……」

由比ヶ浜「ヒッキーが……」

雪ノ下・由比ヶ浜「堂々と休める口実がありながら学校に来るなんて……」

八幡「ちょっとその反応は酷過ぎない?」

由比ヶ浜「ヒッキー……大丈夫? 何か悪いものでも食べた?」

雪ノ下「比企谷くん……。私が言えたことではないけれど、休息は人間に必要な行為よ。今は、ゆっくりと休んだ方がいいわ」

八幡「なんだろう。こんなに人に優しくされたのって初めてな気がする」

雪ノ下「本当に……その、大丈夫? 熱にうなされたままここまで歩いてきた……なんてことないでしょうね」ピタッ

由比ヶ浜「わわ! ゆきのんが本気でヒッキーのこと心配してる!」

雪ノ下「熱はないみたいだけれど……念の為にCTスキャンでも撮ってもらった方が……。……ッ!?」

由比ヶ浜「ど、どしたの?ゆきのん」

雪ノ下「目が……目が……」

由比ヶ浜「目が? 目がどうしたの……。……!?」

雪ノ下「比企谷くんの目が……」

由比ヶ浜「ヒッキーの目が……」

雪ノ下・由比ヶ浜「濁ってない!?」

八幡「ああ。今たぶん涙で潤んで三割増しくらいに輝いて見えるんだと思う」

由比ヶ浜「たたたたた大変だよゆきのん! 一大事だよ! 百年振りの世紀末だよ! 泣けと言われても私笑えそうにないよ!」

雪ノ下「落ち着きなさい由比ヶ浜さん。こういう場合は……そう、素数を数えればいいと前に平塚先生に教わったわ。1.3.5.7.9……」

由比ヶ浜「ゆきのんがテンパってる!?」

八幡「お前ら、今材木座並みにキャラがブレまくってるからな」

由比ヶ浜「ヒッキーのせいだよ! どうしたの!? 本当に何があったの!? よく考えたら態度もなんかいつもと違うし!」

雪ノ下「そうね。もしあなたが比企谷くんになりすましている誰かだとするならばお粗末な変装ね。……覚えておきなさい。本物の彼はそんな生きた人間のような目はしていないわ」

八幡「ひでぇ……。別に、いつもよりしっかり寝たからかなんか体調いいし。だからいつもと違ってみえるだけじゃないか?」

雪ノ下「そんな程度であなたの目が蘇生したというの?まるで信じられないわね」

八幡「なにその局所ザオリクみたいな言い方」

由比ヶ浜「とにかく今日はもう帰った方がいいよ! ちゃんとあったかくして寝るんだよヒッキー! 暑くても今日はクーラーは控えてね!」

八幡「もうも何も今来たところなんだが……お前は俺のお袋か」

雪ノ下「大丈夫よ。あなたがいない方が私たち二人で上手くやっていけるわ」

八幡「『あなたがいなくても私たち二人で上手くやっていけるわ』の聞き間違いだと信じるよ、俺は」

八幡「まあ……そんなに言うなら今日は大事を取って休ませてもらうが……何かあったらメールでも電話でもなんでもしろよ。じゃあまた明日な」

雪ノ下「……」

由比ヶ浜「……」


ガラガラ

平塚「おいちょっと聞いてくれ! 今さっき比企谷そっくりの生徒とすれ違った!」

由比ヶ浜「……」

平塚「いやー……そっくりさんっているんだな! まるでドッペルゲンガーに対するドッペルライナーというかシャドウというか……。この場合シャドウは比企谷だろうが……」

雪ノ下「……平塚先生」

平塚「? どうした? 雪ノ下、そんな影人間みたいな顔して」

雪ノ下「あれは、そっくりさんではなく、比企谷くん本人……らしいです」

平塚「は? いや……あいつにあんな生気に満ちた目は出来んだろう……」

由比ヶ浜「……」

平塚「で、出来んだろ……?」

雪ノ下「……」

平塚「う、うわああぁぁぁぁ……(椅子から転げ落ちる)」

飯食べて来るです

由比ヶ浜「はぁ……」

由比ヶ浜「(今日もヒッキーの様子がおかしい……いや、おかしいのはいつもだけど……)」

由比ヶ浜「(いつもは休み時間いつも寝てるのに今日は次の時間の予習してたし……)」

由比ヶ浜「(ヒッキーのこと考えてぼーっとしてたら気付いたらジャン負けしてジュース買いに行ってるし、優美子の言ってたレモンティーは売り切れてるし……)はぁ……」

由比ヶ浜「どうしちゃったんだろ、ヒッキー……」

三浦「ちょっと結衣遅いしー。あーしもう喉カラカラなんだけどー?」

由比ヶ浜「ご、ごめんね。なんだか混んでて……それで……」

三浦「えー? レモンティー売り切れで代わりにコーヒー牛乳!? あーしもう完全にレモンティーの喉になっちゃってたんだけどー」

葉山「まあまあ、売り切れなら仕方ないよ」

三浦「……あーあ、あーし昼休みに飲むのはレモンティーだけって決めてたのに……」

八幡「おーい」

由比ヶ浜「……ヒッキー?」

三浦「は? なに? ヒ……キタニ……だっけ? あーし今機嫌悪いんだけど、なんか用?」

八幡「いや、さっき自販機でボタン押す時にぶつかられて間違ってこれ買っちゃったんだけどさ」

八幡「俺、レモンティーそんなに好きじゃないし……よかったらそれと交換してくんない?」

三浦「うっそマジで!? って……開封済みとかなら絶対ヤなんだけど……」

八幡「そんなわけないだろ……。じゃあコーヒー牛乳とレモンティーでトレード成立な」

三浦「やったー! なんだ、あーしあんたのこと変な奴かと思ってたけど結構いい奴じゃん? ヒキタニ?」

八幡「ジュースの交換くらいでそこまで言うか……。それと俺の名前はヒキタニじゃない、比企谷だ」

葉山「……」

八幡「どうした葉山、そんな鳩がアンチマテリアルライフル喰らったような顔して」

葉山「いや……比企谷がこういうことするのはちょっとその……意外だったというか……」

八幡「そーかな? ……まあ、俺はコーヒー牛乳が飲みたい、三浦はレモンティーが飲みたい。Win-Winの取引だったしな」

葉山「それもそうか……まあ、そうだな。比企谷らしいよ」

海老名「は……隼人くんと比企谷くんが熱い視線を交わし合ってる……。あ、新しい!!」

三浦「だから姫菜ちゃんと擬態しろし……でも確かになんか今日のヒキタニ雰囲気違うくない? なんてーか特に……目の辺り?」

海老名「だよねだよね! いつものやさぐれ感MAXの比企谷くんと隼人くんもいいけど今日の雰囲気の比企谷くんと隼人くんも……イイ! これは隼×比企だけじゃなく新たに比企×隼の可能性も……」

三浦「だから鼻血拭けし……」

由比ヶ浜「……」

由比ヶ浜「ってことがあって……」

雪ノ下「そう……。あり得ないわね。比企谷くんが自分から進んでそんなことをするなんて太陽が西から昇ろうとあるはずがないわ」

平塚「だが事実だ……。私もあの目で私の授業を真剣に聞いているあいつの視線を受けていると立ちくらみを起こしそうだった……」

平塚「奉仕部での活動の結果あいつのゲスな性格がとうとう改善の兆しを見せてきた……と好意的に捉えたいが……」

雪ノ下「余りにも突然過ぎる変化で眩暈がします」

平塚「それにしても当の本人が来ないのでは話にならんな。由比ヶ浜、何か比企谷から聞いてないのか?」

雪ノ下「そうね。今までの彼なら放課後に他に用もないのだし由比ヶ浜さんより先に来るのが常だったけれど」

由比ヶ浜「それがヒッキー……」

平塚「?」

由比ヶ浜「て、テニス部に入る手続きを済ませてから行くって……」

雪ノ下・平塚「!?」

平塚「比企谷がテニス部!? あり得ないだろう! なんだその組み合わせは!!」

雪ノ下「確かにこの学校は運動部と文化部の掛け持ちは可能だけれど……前にも話したけど、彼に集団行動が可能だとはとても思えないわ」

由比ヶ浜「わ、私もそう思う……けど、さいちゃんにあの後なんか話してたよ……」

平塚「比企谷に対する戸塚効果を考えても……あり得ないな、誰だあいつは」

雪ノ下「比企谷くんの皮を被った誰か、でしょうか」

由比ヶ浜「あくまでもあれがヒッキーとは認めないんだ……」

ガラガラ

八幡「悪い悪い、ちょっと戸塚と話し込んじゃって。……あれ? 平塚先生、また何か依頼すか?」

平塚「比企谷……少しじっとしてろ」ブチッ

八幡「ちょ、ちょっと……なんで俺の髪の毛抜くんですか」

平塚「ふむ……パラサイトに寄生されてはいない……。とすると……比企谷、最近妙なパズルでも完成させなかったかね?」

八幡「別に闇がもう一人の自分を作ったりしてないから大丈夫ですよ……」

雪ノ下「比企谷くん。由比ヶ浜さんから聞いたけどテニス部の件、本気なの?」

八幡「おう。でも安心してくれ、こっちの方の活動もちゃんとやるし」

八幡「なんというか……無性に身体を動かしたいというかなんというか……。とにかく、なんかもったいない気がしてな」


平塚「うっ……め、眩暈が……」

由比ヶ浜「先生! しっかりして!」

雪ノ下「そ、そう……。それなら……私もあなたの選択を止める権利なんてないけれど……」

由比ヶ浜「ゆきのんが特に何も言い返さずに認めちゃったし……」

平塚「比企谷が自発的に人と関わろうとすることは喜ばしいことのはずなんだが……」

雪ノ下「なんというか、不気味ね」

八幡「うん、お前のストレートな物言い嫌いじゃないけどそう真顔で言われるとさすがに心に来るものがあるんだが」

八幡「ところで俺がいないうちに何も依頼はなかったのか?」

雪ノ下「え、ええ。特に何もなかったけれど……」

八幡「そうか。じゃあ俺ちょっと勉強しとくわ。これまでの遅れを取り戻さないとな」ドサッ

雪ノ下「数学の参考書……。比企谷くん、あなた……数学は捨てた、とか言ってなかったかしら?」

八幡「ん? ああ、いや。まだ受験まで時間もあるしほら、やれるだけのことはやってみようかなってな」

雪ノ下「」

平塚「比企谷。病院に行こう、な?」

八幡「な、なんだよ……。皆やる気出せっていうからちょっとやる気出してみたのに……」

雪ノ下「平塚先生……由比ヶ浜さん。ちょっと」コソッ

雪ノ下「こんなこと、比企谷くんの性格から言って長続きするとは思えません。どうせ三日もすれば元通りになっているでしょうし……ここは一つ、様子を見てみるということでいかがでしょう」

平塚「そうだな……。それにもし仮に比企谷が本当にやる気を出した……というのであれば、教師として喜ばなくてはならない。とにかく、しばらく様子をみよう」

由比ヶ浜「はい……」

・・・・・

審判「ゲーム! 葉山・戸部ペア!」

比企谷「くそ、あともう少しだったのにな……」

葉山「いや驚いたよ。テニス部に入ったとは聞いてたけどまさかここまで強くなってるとは思わなかった」

戸部「マジマジ! だって俺比企谷クンのサーブ反応できねーもん! やばかったわーマジ隼人いなかったら負けてたわー」

戸塚「本当にすごい上達ぶりだよね、八幡!」

葉山「前みたいな搦め手ならともかく、正攻法でここまで追い詰められるなんて……俺ももっと練習しないとな」

八幡「なに言ってんだ、お前は本業サッカー部だろ。普通テニス部の俺が勝てない方が『もっと練習しなきゃ』って思うところなんだよ」

葉山「……」

八幡「……ん? どうした?」

葉山「いや、なんというか……変わったな、比企谷」

八幡「またそれか……なんか最近よく言われる」

葉山「よく分からないけど……ここ最近のお前は確かに、変わったよ」

八幡「そうかな……」

葉山「……ああ」

葉山「前に」

八幡「?」

葉山「課外活動の時、『比企谷とは仲良く出来なかったと思う』って言ったの、覚えてるか?」

八幡「……ああ、そんなこともあったな」

葉山「なんだか上手く言えないけど……今の比企谷となら、仲良くできそうな気がするよ」

比企谷「は?」

葉山「じゃあ俺行くよ。また後で!」

比企谷「……なんだったんだ」

・・・・・

雪ノ下「……ごめんなさい、由比ヶ浜さん。上手く聞き取れなかったわ。もう一度お願い」

由比ヶ浜「だからね、もう最近のヒッキーがもうおかしいの……ヒッキーがヒッキーじゃないの……」

由比ヶ浜「隼人くんとも翔くんともいつの間にか仲良くなってるし……優美子なんてヒッキーのことハッチなんて呼んでるんだよ!?」

雪ノ下「……どう考えても比企谷くんとあの人達はコールタールと水みたいなものだと思うのだけれど……」

由比ヶ浜「隼人くんは最近のヒッキーとなんか馬が合うみたいだし、翔くんはこれまでの友達と違うタイプのヒッキーと話すのが面白いみたいだし、優美子は優美子でヒッキーのことなんか気に入っちゃってるみたいだし姫菜は姫菜だし……こんなの絶対おかしいよ……」

雪ノ下「海老名さんはブレないのね……」

由比ヶ浜「うう……もう何が何だか……」ユーガッタメール!

由比ヶ浜「あ、小町ちゃんからメール……」

雪ノ下「内容は?」

由比ヶ浜「ヒッキーのことで話があるから駅前のマックまで来て欲しいって……」

雪ノ下「行きましょう」

由比ヶ浜「そ、そうだね! あ、でも部活……」

雪ノ下「……今日は中止にしましょう。どの道こんな気分では依頼者の人に失礼よ」

由比ヶ浜「だ、だよね! うん! 急ごう!」

由比ヶ浜「催眠術!?」

小町「はい……」

雪ノ下「まったく……素人療法でそんなものを試すなんて、相手が比企谷くんじゃなかったら一歩間違えれば大変なことになってたところよ、小町さん」

由比ヶ浜「あ、ヒッキーならいいんだ……」

小町「小町、まさか本当に効くなんて思ってなくて……」

由比ヶ浜「頭空っぽな人にこそ効果大とか……確かにヒッキーいっつもぬぼーっとしてるし……」

雪ノ下「効果覿面、だったでしょうね」

小町「最初のうちは驚きこそしましたけどお兄ちゃんが変わったんならいいと思ってたんですけど最近はお兄ちゃんがお兄ちゃんじゃないみたいで毎晩解除の暗示を掛けてるのに……」

雪ノ下「はぁ……。簡単に掛かるのに解くのは難しいだなんて。本当に面倒臭いわね……」チ

由比ヶ浜「ゆきのん今舌打ちしなかった!?」

雪ノ下「気のせいよ」

小町「それでお二人にお願いというのは……勝手なお願いだとは思うんですけど、どうにかお兄ちゃんを元のお兄ちゃんに戻して欲しいんです」

雪ノ下「……」

小町「本当に勝手なお願いだとは思うんですけど小町、あのお兄ちゃんよりもいつもの頼りない高2病なお兄ちゃんの方が……うぅ……」

由比ヶ浜「そ、そうだよね! あんなのヒッキーらしくないもんね!」

雪ノ下「つまり小町さん。あなたの依頼は『比企谷くん(改)を元の比企谷くん(屑)に戻して欲しい』ということでいいのかしら?」

由比ヶ浜「なんだろ、今変なカッコが見えたような……」ゴシゴシ

雪ノ下「最初に言っておくけれど小町さん。その依頼は承知しかねるわ」

由比ヶ浜「ゆきのん!?」

雪ノ下「由比ヶ浜さん。奉仕部の活動理念とは依頼人の依頼をそのまま叶えることではない。前に言ったわよね」

由比ヶ浜「う、うん……」

雪ノ下「前の比企谷くんと今の比企谷くん。どちらの方がより社会に適した人間かは……言うまでもないことでしょう」

由比ヶ浜「それは……確かに……そうだけど……」

雪ノ下「今の彼が真人間としての道を歩み始めた以上、それを妨げることは奉仕部の活動理念に反するわ。だから……その依頼は、受けることが出来ない」

小町「……」

小町「そう……ですよね。お、おかしいなー。小町、元々お兄ちゃんにそうなってほしくてあんなことしたはずなのに……」ポロ…

雪ノ下「……」

小町「あ、あれ? なんでだろ。あ、これがダメな子供の成長を目にした親心って奴なんですかね? あはは……」

由比ヶ浜「小町ちゃん……」

小町「あ、あー! 気付けばもうこんな時間だ! 早く帰らないとお兄ちゃんが飢え死にしちゃうなー! なにしろお兄ちゃん最近よく動くようになってよく食べますから! それじゃ! 小町お先に失礼します!」

雪ノ下「小町さん、あの……」

小町「いえいえ! いいんですよ! 小町的にもあっちのお兄ちゃんの方が友達に自慢できたりしちゃったり!? それじゃ、ちょっとなんだかいろいろ変わっちゃいましたけど、これからもどうかお兄ちゃんと仲良くしてあげてくださいねー!」

雪ノ下「……」

由比ヶ浜「ゆきのん。本当に……これでいいの?」

雪ノ下「……なんのことかしら。主語がないとなんの話かよくわからないのだけれど」

由比ヶ浜「ヒッキー、最近奉仕部に来る日も減ったし……」

雪ノ下「それでも依頼が来た時はメール一つ送れば駆け付けてくれるでしょう」

雪ノ下「依頼も前みたいに捻くれた手段で解決することもなく、正攻法で、誰もが納得するようなやり方で終わらせて……」

雪ノ下「事が終わった後に彼一人、嫌われ者になるような事もなくなった」

雪ノ下「あなたは、そんな今の彼が受け入れられないの?」

由比ヶ浜「そうじゃない……そうじゃないけど……!」

由比ヶ浜「ゆきのんのばか! 格好付け!」

雪ノ下「……ふぅ」

雪ノ下「……」

雪ノ下「(由比ヶ浜さんが教室で友達と過ごしてから部室に来るまでの間、友達もいないからそのまま部室に来た比企谷くんがまた不毛な事を言い出して、私がそれをあしらって……)」

雪ノ下「(うっかり比企谷くんのトラウマを抉ってしまって、また彼の自虐が始まって)」

雪ノ下「(どう反応すればいいのか戸惑ってたらまた本気なのか冗談なのか気持ちの悪い笑みを浮かべるものだから罵ったりしているうちに由比ヶ浜さんがやってきて)」

雪ノ下「……そうね」

雪ノ下「楽しかった」

・・・・・

八幡「あれ、雪ノ下。学校以外で会うの久しぶりだな」

雪ノ下「……そうね。それで比企谷くんはテニス部の帰りかしら?」

八幡「まあな、今日はちょっと早めに終わらせて友達と買い物行ってきた帰りだ」

雪ノ下「友達……ね。前までのあなたからならとても言わないような言葉ばかり聞いてなんだか頭痛がするのにももう慣れたわ」

八幡「俺もお前のその刺々しい言い方にももう慣れたよ……」

八幡「お前可愛いんだからもう少し言葉柔らかくしたらいいのにな……」

雪ノ下「……」

八幡「? どうした? いきなり黙りこくって」

雪ノ下「比企谷くん。あなた……少し前までのあなたとすっかり変わった、という自覚はある?」

八幡「またそれか……」

雪ノ下「私の知っているあなたは捻くれていて、素直じゃなくて、そんな軽い言葉をぽんぽんと吐き出すような性格ではなかったと思ったけれど」

八幡「ん……。まあ、そうかもな。自分でも不思議だ。なんでだろうな」

雪ノ下「……あなたは、この前までの自分を、どう思っているの?」

八幡「そんなの自分じゃよく分からねーけど……。まあなんというか……暗くて、卑屈っぽくて、なに考えてるか分からねー奴……って戸部とかは言ってたけど……」

雪ノ下「……そうね。確かにあなたはそんな人だった、けど」

雪ノ下「良いところ……と言っていいのか悩むけれど、上っ面だけ見ていた人には分からないところもあったわ」

雪ノ下「人に気を遣うくらいなら一人でいいなんて知ったような事を言いながら、そのくせいつも人の事を気にして」

八幡「……」

雪ノ下「最後には自分が責められるのが分かっていながらも私には考え付かないような可笑しなやり方で誰かを救って」

八幡「……」

雪ノ下「そんな捻くれたあなたとする不毛な会話、私は好きだったわ」

八幡「……」

雪ノ下「……変ね。私も小町さんにあんな分かったようなこと言っておきながら」

雪ノ下「私は、前のあなたに戻って来て欲しいなんて思ってる」

八幡「雪ノ下、その……」

雪ノ下「なんて、ね。ごめんなさい、言ってみただけだから」

雪ノ下「……テニス部、頑張って。応援してるわ」クルッ

八幡「……雪ノ下!!」

雪ノ下「えっ?」

・・・・・

小町「いやー、雪ノ下さんを飛び出してきた車から庇ったはいいけどそのまま電信柱に頭から突っ込むなんて……なんていうかお兄ちゃんらしいですよ」

雪ノ下「本当にごめんなさい……私がうっかりしていたばっかりに」

小町「いえいえ! 検査してみましたけど別に何も異常はないみたいですし、軽い脳震盪らしいですからすぐ起きると思いますよ!」

由比ヶ浜「その……なんていうかさっきはごめんね、ゆきのん」

雪ノ下「いいのよ。私も少し……いえ、冷静じゃなかったわ。ごめんなさい」

小町「そーれにしても最近マシな顔になったと思ったのに寝顔は前と変わらないんだねーお兄ちゃん」つんつん




八幡「うるせぇ……。小町、顔突き回すのはやめろ……」

由比ヶ浜「ヒッキー!?」

雪ノ下「……気が付いた? 比企谷くん」


八幡「あれ……? 雪ノ下……由比ヶ浜……? 何処だ……ここ……痛っ!」

由比ヶ浜「わ、わ! ま、まだ無理に起きない方がいいよ!!」

雪ノ下「そ、そうね。かなり強くぶつかったのだし……まだしばらく横になっていなさい」

八幡「なんだか嫌に優しいな……。なんだここ……病院?」

小町「覚えてない? お兄ちゃん、車から雪ノ下さんを庇って電柱に頭ぶつけて運ばれたんだよ」

八幡「マジかよ……。全然覚えてねぇ……っつーか……」

八幡「ここ最近の記憶がねぇ」


小町「……」

由比ヶ浜「……」

雪ノ下「……比企谷くん。ちょっと目を見せなさい」ぐいっ

八幡「な、なんだ? ちょ、雪のし……近い近い近い近い!!」

雪ノ下「……」

雪ノ下「……」へたっ

由比ヶ浜「ど、どう? ゆきのん……」

雪ノ下「目が……」

八幡「あ?」

雪ノ下「目が、腐ってるわ……」

八幡「なに、お前は俺をどうしたいの? 死にたい気持ちにさせたいの?」

小町「帰ってきた……小町の、目の腐ったクズでゲスでどうしようもないお兄ちゃんが帰っでぎだぁぁぁぁ……」

由比ヶ浜「ヒッキーだ……捻くれた卑屈で陰気なヒッキーの目だぁぁぁぁぁぁぁ……」

八幡「お前らその辺にしとかないとマジで泣くぞ、わんわん泣くからな……」



八幡「ったくなんなんだ……あー、頭いてぇ……」

・・・・・

ガラガラ

八幡「おっす」

雪ノ下「あら、確か今日はテニス部へ行く日だと思ったけれど」

八幡「あー……あれな、戸塚には悪いことしたと思ったけど、やっぱ辞めた」

雪ノ下「……そう。そんなに急に辞めて、迷惑じゃなかったのかしら。まあ、テニス部にとってあなたが居なくなって生じた穴なんて五円玉の穴くらいなものでしょうけど」

八幡「うるせぇよ。まあ、団体競技ならともかくテニスは個人競技だしな。目下に大会もなかったし、戸塚にも事情話したら納得してくれた」

八幡「(あのウサギみたいな目を見てたら俺の鉄の意志も砕け散りそうだったけどな、ぐふ)……おいそこ、露骨に気持ち悪いものを見るような目やめろ」

雪ノ下「由比ヶ浜さんに聞いたけど、せっかくクラスでも友達が出来たのにまた一人に戻ったんですってね。正気?」

八幡「はぁ……だからな、友達ってのはなる易し続けるは難しなんだよ」

雪ノ下「?」

八幡「別に短い期間ちょっと遊びに行ったりするくらいの知り合い以上友達未満の関係になるなんてのは簡単なんだ」

八幡「向こうもこっちも距離感の探り合いで遠慮してるからそんなに強く拒絶されることもないし……もっとも、男友達に限るが……」

八幡「問題はその後の関係なんだよ、飯を一緒に食うだったり話す話題だったり趣味だったり、そういうので相手と『合わない』とその関係は長く続かねぇ。俺はそういうのが面倒でぼっちの道を選んだんだ」

雪ノ下「どうしてかしら、どう考えても社会不適合者の台詞なのに凄く胸に響く言葉だわ……」

八幡「まあ、どうやってこの俺があのリア充グループとそんな挨拶し合うような関係になってたかは知らんが」

八幡「笑顔であんなどうでもいい何が楽しいのか分からん会話毎日続けるとか少なくとも素面じゃ無理、むしろあんなの続けてたらいつか俺が壊れる」ドヤッ

雪ノ下「どうしてその言葉のあとに堂々とそんな顔が出来るのか分からないわ……」

八幡「まあこれが、俺だからな」

雪ノ下「そうね……。まったく、あなたらしいわ」

雪ノ下「……さっきのあなたの意見、私も概ね同意だけれど、一つだけ訂正しておきたいところがあるわね」

八幡「へぇ、何処だよ」


雪ノ下「どうでもいいような不毛な会話も、案外楽しいものよ。よく知っている人となら……ね」

八幡「雪ノ下……」

八幡「お前、幾ら由比ヶ浜ときゃっきゃうふふ的なメールの応酬してるかは知らんがこの俺の前で堂々とのろけるのやめろ。傷付くだろうが」

雪ノ下「はぁ……」

八幡「え、なにその俺に分数の掛け算教えるの諦めた小学校の先生みたいな目……」

雪ノ下「……なんでもないわ。本当に、あなたらしいって思っただけ」

八幡「お、おう……」

 軽く眉間を抑え、雪ノ下はまた手元の文庫本に目を落とす。
 いつまでも様子を伺うのも何なので、俺も暇潰し用に持ってきた文庫本を探索するべく教科書の海のサルベージ作業に集中する。

 だから、途切れ途切れに耳に届いたその声が現実のものなのか、それとも俺が勝手に風音か何かを聞き間違えたものなのかは分からない。

雪ノ下「でも私は……けれどね、そんなあなたが」


おわり

このSSまとめへのコメント

1 :  ルミルミ   2014年10月06日 (月) 19:33:17   ID: W7LNtX8i

正人間ヒッキー違和感ヤバス
読んでて楽しかった。

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