愛「ママなんて、だいっきらい!!」 (122)


アイマスDS
日高愛(13)
6/25生まれ



SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1372144006

愛はそう叫んで家を飛び出した。

舞「愛! 待ちなさい、愛!」

呼び止める母の声も聞かずに。

愛「ママのばか……」

駅前の繁華街。
白い息を吐きながら、たくさんの人たちが行き交う。
そんななか愛はひとりでガードレールに腰掛けていた。

ケンカのきっかけはいつもと同じく他愛のないことだった。
テレビを見て一人暮らしっていいなぁと漏らした愛を舞がたしなめ、それに愛が反発。
あとはヒートアップすると誰にも止められない似たもの親子。言い合いはすぐに沸騰した。

そして愛はケータイやサイフが入ったお気に入りのポーチをひっつかんで、家を出てきたのだ。

愛「ママが悪いんだから……あんなふうにいわなくたって……」

呟いた言葉が端から白く溶けていく。

愛「さむいな……」

少し落ち着いてきた愛は自分の肩を抱いた。

男A「ねえねえ、キミひとり?」

愛「えっ?」

男B「お、ほんとに可愛いじゃん。つか子供?」

愛「っ……あたし、子供じゃありません!」

——あなたはまだ子供なんだから。
母の台詞を思い出して愛は反射的に叫び返した。

男A「まぁまぁ、いいじゃん。寒いっしょ? ちょっとあったかいもんでも食べに行かない?」

男B「あーそうだね、そんな薄着だと風邪ひいちゃうよ」

不躾な視線で男らは少女の体を眺めた。
なんだか怖くなって、愛は辺りを見回す。
誰もこちらを見ていない。

男B「ほら、行こうよ」

男A「あったかくなれるよ〜汗かいちゃうくらい」

野卑に笑いながら手を引かれ、愛は抵抗する。

愛「やっ、やめてください」

男A「だいじょぶだいじょぶ、キモチ良くしてあげるよ」

男B「そーそー。もうこんな時間だし、まずは晩ご飯食べようよ」

愛「い、いや……」

いつもみたいな声が出ない。
愛は引っ張られて転びそうになった。

「——おー待たせたか、すまんすまん」

突然現れた青年がその愛の手をとり、何気なく男らからかばう。

男B「あ?」

??「あれ、なんか妹が世話になりました? すんません、よく叱っときますんでー」

愛「え、あっ」

男A「はぁ? オイ——」

??「ほら、行くぞ。帰ったら説教だからな。じゃ、すんませんしたー」

青年は愛の手を引いて歩き出す。
置き去りにされた男らが反応するより先に人混みにまぎれる。

??「いきなりごめん、俺は765プロのプロデューサー。君は876の日高愛、だね?」

愛「は、はい。765プロって、天海春香さんの……」

P「そうそう」

歩きながら彼は名乗り、着ていたコートを愛の肩にかけた。

P「さっきの、知り合い……じゃないよな」

愛「違います、いきなり声をかけられて……」

急に震えが来て、愛は歩けなくなってしまった。
彼は落ち着いて人の流れから逸れた。

P「もう大丈夫だよ。で、えーと連絡は、っと」

ケータイを取り出すプロデューサーに愛はしがみついた。
そうしないと立っていられなかった。

愛「ごめんなさい、少しだけ……」

P「あー、ええと、うん」

少し動揺したような彼は、ためらいがちに愛の髪を撫でた。

———
——


P「……落ち着いた?」

声をかけられて、愛はそっと離れてはにかんだ。

愛「はい! もう平気です」

P「よかった」

少女をベンチに座らせて彼は自販機に向かう。

借り物のコートをずりあげて座ると、尻が冷たくて寒かった。

P「はい。ココアでよかったかな。あ、コート敷いちゃっていいよ。寒いだろ」

でも、と愛が食い下がると、彼は安物だから、と笑った。
好意に甘えた愛は少し暖かくなった。
なんだかその暖かさが彼の優しさそのものなようで、嬉しくなってにこにこしてしまう。

P「それで、どうしてあんなところに?」

隣に腰を下ろしながらなんでもないように彼は聞いたが、状況からなにかしら普通でないことは察しているようだった。
愛の表情が曇る。

愛「あの、ええと……」

P「うん、とりあえず君がここにいることを親御さんと事務所に連絡しようか」

愛「それはっ……」

P「どっち?」

愛「え?」

P「連絡してほしくないの、どっち?」

愛「あ、えっと、ママには秘密にしてほしいです……」

家出か、とプロデューサーは胸中でため息をついた。

P「悪いけど、秘密にはできない。君とお母さんの間になにがあったとしても、お母さんは君のことを心配してるからね。
 でも、その連絡は事務所のほうからしてもらおう」

愛「えっ!?」

少女が反対するより早く、彼はケータイを耳にあてた。

P「……、もしもし、765プロです。いつもお世話になっております。すいません、先ほどそちらの日高愛さんを保護しまして、……はい。はい、そうです」

P「……はい。はい、お願いします」

愛「ど、どうなったんですかっ?」

P「うん、ちょっと社長同士で話すらしい。君は、」

愛「あたし、愛です。愛って呼んでください!」

P「あぁ。ごめん、えーと、愛は家に帰りたくないんだよな?」

愛「はい……。今は、ちょっと、ママに会いたくないです」

P「あんまり俺が立ち入る話じゃないけどさ、お母さんを許してあげなよ」

愛「えっ? あたしが、ママを許すんですか?」

P「ごめん、電話だ。え、社長!? もしもし、話がついたんですか?」

愛「あれっ電話だ。もしもし?」

石川『私に感謝しなさい。そしてあなたの思うようにしなさい。あなたが、選ぶのよ』

愛「えっ? ど、どういうことですか?」

石川『うふふ。あなたがママとケンカしたままの子供でいるか、それとも大人になるのか。あなたが選びなさい』

愛「よ、よくわかんないです」

石川『そう。それでいいのよ。悩みなさい。悩んで、あなた自身で答えを見つけなさい。あなたの隣にいる大人が、相談に乗ってくれるわ』

愛「プロデューサーさんが……?」

石川『そうよ。さあ選びなさい。自分の家に帰るか、彼の家に泊まるか!』

愛「え? ええええええっ!!?」

その大音声に掻き消されたが、隣でプロデューサーも大声を出していた。

P「はいィ!? 俺が、預かるんですか!?」

高木『うむ。なに、君の負担を増やすつもりはないよ』

P「そういう問題ではないと思いますけど」

高木『これは君のひとつのチャンスでもあるのだよ。別事務所のアイドルの心情を把握するという、ね』

P「しかし……」

高木『我々は君を信頼している。君はこの稀にもない機会を取りこぼす男かね?』

P「……っ! ですが、」

愛「プロデューサーさん! よろしくお願いします!!」

P「了解しました……」

彼女の意思を聞くべきです、と食い下がろうとしたプロデューサーは、社長にまで届くくらいの愛の声に、諦めて承諾した。

愛「おじゃましまーす!」

P「はいどうぞ。汚い部屋だけど」

愛「わぁーあたし、男のひとの部屋って初めてです!」

P「そいつは光栄だな、っと」

きょろきょろする愛をよそにプロデューサーはネクタイを取って上着を脱いだ。

P「えーと、コート貸してくれる」

愛「あ、はい! あのっ、ありがとうございました!」

P「気にしないで」

コートを掛けて、彼は少し困った顔をした。

P「……親戚の子供、とかに見えるかなぁ」

愛「え? どうしたんですか」

P「いや。あー……そこらへん座ってて。あ、雑誌とかはどけていいから」

言いながら彼は床に放られていた部屋着を取り上げた。

愛「プロデューサーさん?」

P「ちょっとトイレで着替えてくる」

愛「あっ……」

顔を赤らめた愛を見ずにプロデューサーは扉を閉めた。

高木『——これでいいのかね?』

石川『ええ。あの子もいつまでも子供ではいられない。あの子には成長してもらうわ』

高木『君は変わらないな。昔から強引すぎる』

石川『あら。そういう高木くんはひとを操るのがほんとうに上手になったわよね』

高木『人聞きの悪い言い方はやめてくれたまえ』

石川『いいえ。あなたにその意図がなくても、ひとはまるであなたの望みを叶えるように動くわ』

高木『いつもそう上手くはいかないさ』

石川『あなたは種火。絶えることのないあなたの熱が、まわりを焚きつけ、そして大きな炎を燃え上がらせるの』

高木『そんなふうに言われたのは初めてだね。どうしてそう思うんだい』

石川『うふふ。私も、あなたに火をつけられた一人だからよ』

———
——

P「えっとー……」

プロデューサーは心中で頭を抱えた。
難問が彼を悩ませているからだ。
風呂である。

愛「すごいですねプロデューサーさん! 雑誌たくさんあります!」

P「あぁ、うちのアイドルが出てるやつはね、買ってきて残してるんだ」

愛「見てもいいですか?」

P「いいよ。あのさ、風呂なんだけど……」

愛「はい! あたし、もう一人で入れますよ!」

鼻唄を歌いながら、ぱらぱらとアイドルが写る雑誌を眺める愛。

P「ああ、うん。そいつは良かった。で、どっちから入る?」

少女は思春期の微妙な年頃であって、その扱いには慎重を期さねばならない——と彼は考えていた。
しかし、男の後に入るのがいやか、後に男に入られるのがいやか、彼には量りかねたのだ。

愛「えーっと、一番風呂はプロデューサーさんにお譲りしますっ」

ただし愛はなにも考えていなかった。

P「あ、うん」

プロデューサーは風呂に入った。

プロデューサーと入れ代わりに風呂に入った愛は、

愛「はぁーっ……」

ゆっくり身体をお湯に沈めた。

愛「よそのお風呂だ……」

いつもより近い壁を見つめて、ぼうんやりと考えを巡らす。
ケンカのこと、社長のはなし、そして、

愛「かっこよかったなぁ……」

プロデューサーのこと。
愛にとって、彼はまるで颯爽と少女を救い出す王子様のようだった。
心臓がどきどきしていることに気付いて彼女は手足をばたつかせた。

愛「う、嘘っ! あたし、もしかしてプロデューサーさんのこと……?」

ラブソングで歌われるような恋を知ってはいても、そんな気持ちを抱いたことはなかった。
だから少女は勘違いしたのだ。
自分は恋をしていると。

愛「〜〜っ!」

この勘違いが後に自分自身をひどく傷付けるとも知らずに、愛はお湯を掻き混ぜた。

愛「ありがとうございますぅ〜」

お風呂から上がった愛はへろへろとプロデューサーに声をかけた。
彼は手帳への書き込みを中断して、首を傾げた。

P「え、大丈夫?」

愛「はいぃ〜だいじょーぶです〜」

P「ほんとか……?」

彼はグラスに水を入れて少女に手渡した。
こくこくとそれを飲み干す。

愛「ぷはっ。ありがとうございますっ」

P「それじゃ、そろそろ寝ようか」

愛「はーい」

P「悪いけど、枕は俺のでガマンしてくれ。シーツは替えがあったんだけどさ」

もともとベッドに敷かれていたシーツは今はソファにかけられている。

愛「えっと、あたしがこっちで寝ればいいんですよね」

そういいながらソファに近付く愛。

P「いやいやいや! 君はベッドだよ。俺がソファ」

愛「えっ? そんな、ダメです! プロデューサーさんがベッド使ってください!」

P「いや待って、ムリだから、お客さんで女の子で、しかもアイドルをソファに寝かせるとか、いろいろダメだろ?」

二人はしばし押し問答した。
結局、頭を下げたプロデューサーに愛が折れて、彼女はベッドに入った。

P「じゃ、おやすみ」

愛「おやすみなさーい!」

ソファに寝転がって暗い天井を見上げたプロデューサーは少し愛のことを気にかけた。
見知らぬ男の部屋でいきなり寝付けるだろうか。

愛「ぐーっ……涼さん、なんですかそれぇ……むにゃむにゃ」

心配は無用のようであった。
やはりいろいろあって疲れていたのだろうとプロデューサーは思った。
そして、それは彼も同じであったので、

P(明日は……送っていって……)

予定を反芻しているうちに、眠りに落ちていた。


こうして、珍味な関係の二人の共同生活が始まったのだった。

ちょっと中断

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愛は走っていた。
お姫様みたいなドレスを着て、マネキンだらけの夜の街を駆けるのだ。
自分の手を引くのは王子様らしい。顔は見えない。
夢だ。

愛「ど、どこに行くんですか!?」

夢の中で自分がそういうのを愛は俯瞰していた。
まったく妙な話だが、彼女は走りながらその自分自身を少し離れて眺めているのだった。
愛ははっと振り返る。
恐ろしい薄闇がぼりぼりと街を喰らいながら追いかけてきている。

愛「な、なにあれ!?」

手を引く男は振り返らない。
得体の知れない恐怖に、愛の背筋をいやな汗が滑り落ちる。
街を埋め尽くすマネキンがけたけたと笑っている。

愛「……プロデューサーさん? プロデューサーさんじゃないんですか!」

男に向かって呼びかける。
しかし振り返らない。

がらり、と足元が崩れた。

愛「!」

あ、と言う間もなく、愛の体が闇に落ちていく。
彼女が握っていた手は肩から外れて腕だけになっていた。
男は頭上でけたけたと笑っている。
マネキンだ。
プロデューサーじゃない。

———
——


愛「ッ!」

がばりと起き上がる愛。
べっしょりと汗をかいている。

愛「はぁ……はぁ……」

まだ暗い。
どきどきと暴れている心臓を鎮めるように胸に手をあてる。
ぱちんとキッチンの明かりがついた。

P「水、飲む?」

愛「ぷ、ろでゅ……さ、さん」

P「はい」

グラスを受け取って水を飲む。
プロデューサーもイスに座って杯を傾けた。

愛「あの、すみません、起こしちゃったみたいで」

P「いや? 問題ないよ」

少し落ち着いた少女は湿った下着の感触に身じろぎした。

P「また寝たらいいよ。まだ早いだろ」

愛「あの、シャワー借りても、いいですか?」

P「もちろん」

愛はシャワーを浴びた。
悪夢の記憶は排水溝に流れていった。
さっぱりした愛がリビングに戻るとプロデューサーはニュース番組を流しながらぱちんぱちんと爪を切っていた。

愛「ありがとうございました」

P「気にしないで」

愛「なにか怖い夢を見たみたいです」

P「そっか」

ソファにぽすんと尻を落とす愛を視界のはしにとらえながら、プロデューサーは爪を捨てた。

P「平気?」

朝の彼は言葉が少ない。

愛「えっと、はい! もう怖くないです」

P「そう」

眠くないか聞いたつもりだったプロデューサーだが、聞き直すこともなく爪切りを片付けて、よし、と頷いた。

P「じゃ、朝ご飯食べようか」

愛「はいっ!」

P「たしかージャムがあったはずー……お、あったあった。はい、苺ジャム」

愛「いただきまーす!」

二人は朝食にトーストを食べていた。

P「や、イスがふたつあってよかったよ」

愛「雑誌が座ってましたけどね! でも、どうしてふたつなんですか? あっ、もしかして彼女さんとか……」

P「違う違う」

彼は苦笑した。

P「このテーブルとイスは事務員の音無さんに貰ったんだよ。ひとつでいいですって言ったんだけどイスいっこだけあっても、って言われてね。
 まぁ、どうして音無さんがふたつ持ってたかは知らないけど。セットだったんじゃないか?」

愛「そうだったんですか! ソファとかとは感じが違うなぁーって思ってたんです」

P「ああ、ソファは社長が下さったんだ。というか、この部屋自体、社長に紹介してもらったんだよな」

愛「社長さん、優しいんですね!」

P「まあね。いまいち考えを読み切れないところはあるけど……今回のこととか」

愛「あたしも、うちの社長が考えてること、よくわかりません」

P「まぁなにか考えがあるんだろう。俺たちが知らなければならないなら、そう言うはずだからね」

愛「うーん、そーかなー?」

P「……たぶん」

プロデューサーはコーヒーを、愛はオレンジジュースを飲んだ。

P「さて、今晩だけど、仕事は何時まで? 都合がつけば迎えにいくけど」

愛「何時だろ……」

P「えっと、スケジュール管理は、」

愛「うちにはプロデューサーさんがいないので、みんな自分でやってるんですよ! えへんっ」

P「うん……で、愛の今日の予定は……?」

愛「ええーと、まなみさんなんて言ってたっけ? とりあえず事務所にいけばわかります!」

P「そうか……。じゃあ、わかったら連絡してくれ」

プロデューサーは愛に連絡先の書かれた名刺を渡した。
それから二人は——プロデューサーはトイレで——着替えて部屋を出た。

P「おはようございます」

愛を送ってから事務所に出勤したプロデューサーに、すすすと音無小鳥が近づいた。

小鳥「プロデューサーさん、愛ちゃん預かってるらしいじゃないですか」

P「音無さん耳早すぎでしょ……」

小鳥「ふふふ、私の情報網をナメてもらっては困ります」

P「社長から聞いたんですか?」

小鳥「いえ、ぴよぴよネットワークです」

P「なんですかそれ。まぁそうなんですよ、いろいろ大変です」

小鳥「そうでしょうねぇ。でも可愛いでしょう?」

P「そこらへんはやっぱりアイドルですからね。ウチの子らのほうが可愛いって思うのは身贔屓なんでしょうけど、それはともかく素地はいいですね。
 どういう磨き方をすれば一番輝くのか……」

小鳥「もう! プロデューサーさんはすぐプロデュースすることを考える!」

P「いや仕事ですからね、癖みたいなものです」

小鳥「愛ちゃんだってひとりの女の子なんですよ? プロデューサーさんと会う時はオフなんだってこと、わかってあげてくださいね」

P「はあ、了解です」

小鳥「あ、私にできることがあればなんでも言ってくださいね!」

P「あぁ頼りにしてます」

小鳥はにこりと笑って給湯室へ消えた。

P「あ! 音無さん、皆には内緒にしといてください、一応」

小鳥「はーい」

P「ごめん、遅くなった」

愛「お疲れ様ですっ。だいじょうぶですよー! 涼さんと絵理さんがいてくれたので」

涼「あの、こんにちは」

絵理「どうも」

P「ああ、こんにちは。律子さんにはお世話になってるよ」

涼「あ、律子姉ちゃんを知ってるんですね」

P「もちろん。律子……いつもはこう呼んでるんだけど……は厳しい先輩だからね」

談笑する彼に、真顔で絵理が声をかける。

絵理「……あの」

P「ああ、君も知ってるよ。ELLE、だね」

絵理「……!」

愛「すごーい! プロデューサーさん、なんでも知ってるんですねー!」

絵理「ストーカー……?」

P「断じて違うから! ライバル事務所について調べるのは当然だろ?」

涼「へ、へぇー、ほ、ほかにはどんなことを……?」

P「ん? まぁELLEが876さんでデビューする前から知ってはいたよ。俺は君まで辿り着けなかったけどね」

絵理は少し居心地悪そうにした。

愛「え! 765プロが絵理さんをスカウトしようとしてたってことですか!」

P「いや、俺が個人的に動いてただけ。興味があってね。でも会社に話を上げるより先にデビューされちゃったんだよ」

絵理「涼さん」

涼「あ、うん。えっと、愛ちゃんはあなたの家に……?」

P「ああ、そうだね。俺が預かってる」

愛「預かられてますっ!」

涼「本当、なんですね。……えと、愛ちゃんのこと、よろしくお願いします」

絵理「よろしくお願いします?」

P「うん、俺にできることはするよ」

愛「それじゃプロデューサーさん、帰りましょー!」

P「そうだな。それじゃあまた」

涼「お疲れ様です」

絵理「お疲れ」

愛「涼さん絵理さんありがとうございました! また明日ー!」

同僚が見えなくなってから、涼は手を下ろした。

涼「優しそうなひとだったね」

絵理「一安心?」

涼「そうだね。よかった。じゃ、私たちも帰ろうか」

絵理はこくりと頷いた。
手元のスマホをちらりと見る。

『業界での評判は悪くないみたいですね。部屋の特定も済んでますが、どうします? センパイ』

絵理「とりあえず観察を続けてくれると嬉しい?」

表示されていた文章にぼそりと音声入力で返信。

涼「? 絵理ちゃん何か言った?」

絵理「おなかすいたかも」

涼「ふふっ。なんか食べていこっか」

また頷く絵理のスマホに、

『このサイネリアにお任せあれ! デス』

と表示された。

愛「ふんふふんふ〜ん♪」

鼻唄を歌いながらスキップを踏む愛。

P「愛、それよく歌ってるな」

愛「え、あれ、そうでしたか? なんの歌かわからないんですけど、好きなんですっ!」

P「へえー。そういやご飯食べた?」

愛「いいえ! どこか、寄ってきますか?」

P「うん、なんか持って帰ろうか」

牛丼をテイクアウトして、二人は家で食べた。

P「今日はどうだった?」

プロデューサーはそう尋ねて、熱いお茶をすすった。

愛「はい! 今日はダンスレッスンをたくさんしました! 来週オーディションがあるので、それに向けてのレッスンです」

P「オーディションか。何のやつか、聞いてもいいのかな」

愛「音楽PVに出演するひとを決めるんです!」

P「ん、あぁあれか」

愛「知ってますか? もしかして765プロから誰か出る、とか」

P「大丈夫、みんな撮影とスケジュールが合わなくてな。応募はしてないよ」

愛「さすがですね! あたしは予定まっしろですっ」

P「これからだな」

愛「あっ! あの、今日社長に荷物を渡されて……、服とかそういう、うちにあったものなんですけど」

P「ふうん。あぁ、お母さんが届けてくれたのか」

愛「……たぶん」

P「それはよかった。昨日はとりあえずぱっと買ったけど、毎日そうするわけにはいかないからな」

愛「そ、そうですね!」

P「さて、そうすると次は洗濯だけど……」

プロデューサーはまた愛の出方を窺った。

愛「はい」

P「ええと、洗濯なんだけど」

愛「はい」

P「うーん……、その、いいかな?」

愛「はい?」

P「や、その、一緒に洗濯して、いいのかなって」

愛「はい! ……あっ」

ようやく気付いて、少女は顔を赤らめた。

P「えっと、」

愛「あのっ!」

羞恥心を吹き飛ばすような大声にプロデューサーの鼓膜が震える。

愛「あの、はい、あたしはだいじょぶです」

P「そ、そっか。じゃあ、とりあえず、洗濯は愛に任せてもいいかな……?」

愛「そう、ですね、はい、あたしがやります」

気まずい沈黙。

P「あー、そうだ、そのオーディションって、あの二人と受けるの?」

愛「いえ、あたしだけですっ」

P「そうなんだ。うん、頑張って」

愛「はいっ!」

共同生活の難所をまたひとつ処理して、その日の食事は終わった。

次の日の夕方。
プロデューサーは高木社長に声をかけた。

社長「おお君。すまないね、話そうと思っていたのだが、なかなか時間が取れなくて」

P「いえ」

社長室のソファに、テーブルをはさんで向かい合って、ふたりは腰をおろす。

社長「どうだね? 順調だと聞いているが」

省略の多い社長の問いに、プロデューサーは少し苦みを混ぜた笑みを浮かべた。

P「アイドルと暮らすなんて、楽しくないわけがありませんよ」

主に精神的に苦労してはいるが、学ぶことも確かにある。
大変ではあることを言外に示しながら、今回の件について感謝しているという意図を、社長はわかってくれたらしかった。

社長「苦労をかけるね」

P「辛苦を以って修学となす、ですから」

社長の哲学のひとつを彼がにやりと笑って口にすると、社長もさすがに頬をゆるめた。

P「それで、そろそろ詳細を確認しておこうかなと思いまして」

軽くアイスブレイクしてから本題に入る。

社長「ふむ。では、君の考えから聞こうかね」

P「はい。まず、日高愛を語るうえで外せないのがその母——日高舞です」

プロデューサーは自分がどのように状況を把握しているかをまず語る。

引退して今なお業界に、世間に絶大な影響を残している、アイドル史上最高にして最強の、まさにトップアイドルのなかのトップアイドル、日高舞。
アイドル候補生の娘がその存在を意識しないはずがない。
なにせアイドルの理想として掲げられるのが自分の母親なのだ。
愛からすれば、どうしても比較されてしまい劣等感を叩き付けられる相手だろう。

そして、その彼女が家出をしたというならば、原因は十中八九そのコンプレックスにある。

だから彼は、知ってはいても日高舞のことを愛との話題にはしなかった。
きっと彼女はそれをいやがるだろうからだ。
そして一度心を閉ざされてしまうと、再び開くのは容易ではない。

P「そして、このコンプレックスを克服させて、彼女を飛躍的に成長させようとしているのが、876プロの石川社長、ですね?」

彼も石川社長の辣腕ぶりの噂は聞いている。
おそらくこの機会に多少荒療治になろうとも、愛には成長してもらおうという魂胆だろう、と彼は推測していた。そしてそれは事実その通りである。

社長「ああその通りだ」

ここまでが正しいということは、石川社長から高木社長へと依頼があり、その結果プロデューサーに指示が回ってきたというのは簡単に推測できる。

部外者の彼にアイドルを任せるという判断は、石川社長がいかに高木社長を信頼しているかということであり、
またいかに偶然から生まれた機会を最大限に活かそうとするかということでもある。

P「その上で自分のするべきことはなにか」

この機会を利用できるのは石川社長だけではない。
アイドルに携わる者として、今回の件は大きな経験となるに違いない。
また今後のための飛び石を置くことにもなるだろう。

つまり、彼は個人的な優しさや親切心だけでなく、プロデューサーとしてこの件を解決することに意味があるということなのだ。

社長「私の考えも君と同じものだよ。それでは、問題となるのはなにかというと、」

P「プロデュース業との優先順位の兼ね合い」

打てば響くようなやりとりに社長も笑いを漏らした。
それはプロデューサーの答えが正解であったことを表してもいる。

社長「そうだね。律子くんにも少しは頼るとしても、回せることは私のほうに回してくれたまえ」

P「いいんですか?」

社長「今回は私のわがままでもあるからね。遠慮しなくてもいい」

P「わかりました。とはいえ、愛の仕事に付き添うわけではないので、そんなに時間はとられませんが」

社長「君の仕事ぶりについては把握しているつもりだよ。この件が片付くまで、残業はできないと思ったほうがいい」

P「……たしかに、そうですね、これはなかなか」

社長「はっはっは! まあ頼ってくれたまえ君ィ!」

これからしばらくの間のことについて、律子と会議してから、プロデューサーは876プロに向かった。

石川「あら。どちら様? 今日はもう閉店よ」

髪の長い美人がおどけたように迎えた。

P「すいません、765プロです」

石川「ああ! あなたが高木くんの秘蔵っ子ね」

うふふ、と実に愉快そうに笑って、石川社長は彼を眺めた。

P「あの、日高さんを迎えに来ました」

石川「あの子今お手洗いなの。待つ間、こちらへ座って待っているといいわ」

彼は言われた通りにした。
すると、正面に社長が座った。

石川「緊張した演技が得意なのね。そんなことしなくても、私は警戒したりしないわ」

P「いえ……。あの、日高さんを、」

石川「どうするつもり、なんてつまらないことは聞かないわよね? あの子にはトップアイドルになってもらう。あなたにも、」

社長はじいっと彼と目を合わせた。

石川「手伝ってもらうわね」

プロデューサーはごくりと喉を鳴らした。
気を抜いていたつもりはなかった。
だが相手は、油断すれば一瞬で沼の底に引きずり込まれる罠と、複雑に絡み合ってほどくことのできない不可視の鎖が跋扈するこの業界で、
なお剣を振るって突き進み、一目置かれるほどの人物なのだ。
生半可ではない。

彼は見事なまでに呑まれ、主導権を取られていた。

石川「手伝ってもらえるわよね?」

P「……はい」

押し潰されるように彼がうなずくと、彼女はにんまりと嬉しそうに笑った。
そうするとさっきまでのプレッシャーのようなものが霧散して、世間話でもしているかのような雰囲気になるのが不思議だった。

社長がすっくと立ち上がるのと、愛が部屋に戻ってくるのが同時だった。

愛「あ! プロデューサーさん、お疲れ様です!」

P「あぁ、お疲れ……」

石川「それじゃあ気をつけて帰りなさい」

愛「はい! お先に失礼します!」

プロデューサーも挨拶して事務所を辞した。

愛はなんだかどきどきしていた。
自分はプロデューサーのことを好きなのだと思っているから、仕事の合間にも彼のことを考えていたのだ。
そして、その彼とふたりで暮らしているのだということに、どうしても心臓がうるさくなってしまうのだった。

P「——愛。愛?」

愛「はいっ! あ、な、なんですか?」

ぼうっとしていた愛は呼びかけられてはっと我に帰った。

P「いや、お風呂上がったから、どうぞ」

愛「あっ、はっはい!」

どたばたと愛は風呂へ向かった。
プロデューサーは軽く首を傾げたが、気にせずにビールの缶を開けた。

ふたりは晩御飯を済ませた。

P「オーディションへの準備は順調?」

愛「そですねー、トレーナーさんには、悪くないけどもう一歩欲しい、みたいなことを言われました」

P「ふむ……」

愛「そうだ! プロデューサーさん、あたしのダンス見てみてくださいよ!」

P「え。それは、」

愛に協力することは高木社長からの指示でもあるし、石川社長にもそうすると言ってしまった。
それでも言葉に詰まったのは、自分がダンスを教えられないとかいうことではなく、彼がより将来的な方向性に対して責任を持てないというためであった。

愛「だめですか? 一回だけでいいんですけど……」

しかし愛のほうはそういった展望に関してアドバイスを求めているというわけではないようだったので、

P「いや、いいよ。明日の予定を教えてくれるか? 場所を押さえとくから」

気軽に彼は了承し、段取りを打ち合わせた。
愛はうきうきしていつもより長く起きていた。

再度中断

地の文多くて読みにくかったら申し訳ない

翌日。

絵理「……それで、今日は765のレッスンルームに?」

876事務所で愛と絵理は話していた。
涼は仕事でいない。

愛「はい! あっ、もしよかったら絵理さんも一緒にどうですか?」

絵理「私も? ……いい、かも」

愛「やったー!」

無邪気に喜ぶ愛を横目に見ながら、絵理は手元のスマホを撫でた。

絵理(サイネリアの裏付け、とれる良い機会?)

液晶画面の向こうで金髪を頭の横でふたつにくくった少女がみょうちきりんなポーズを決めた。

P「……それで、水谷さんもレッスンを?」

絵理「はい」

P「今度のオーディションに出るのは愛だけだって聞いてたけど……」

愛「絵理さんもプロデューサーさんに見てもらいたいんですよ!」

P「えぇ……? 俺ほんとにダンスとかわからないんだけどな」

レッスンルームで、着替えたふたりを前にプロデューサーは頭を掻いた。

愛「だいじょうぶです! プロデューサーさんを信じてますから!」

満面の笑みの愛に観念して、プロデューサーはダンスを始めるよう言ったのだった。

愛「1・2・ターン、1・2・ターン、右、左、ぐるぐる、ターン!」

絵理は息を整えながら、愛のダンスを見ていた。
奔放かつしなやかであり、すこぶる勢いがある。
そもそも、なんと楽しそうに踊ることか。

愛「1・2・1・2・ターンからひねって、ジャンプ!」

ひとつひとつの動作はけして洗練されている訳ではない。
しかしそれが、全体で見たときにはなめらかな躍動感に繋がるのだ。

P「どう思う?」

隣に立って笑顔で愛のダンスを眺める彼に、なんだか絵理は無性に腹が立った。

愛はあなたのじゃないのに。
私たちの仲間なのに。
どうしてそんなに、楽しそうなの。
どうして愛も——嬉しそうなの。

絵理「元気、です。細かいところまで気をつければもっと良くなる?」

P「そうだな。そういえば君のダンスはELLEの頃から、指先まで意識の通ったきれのあるダンスだったね」

絵理「……やっぱり、ストーカー?」

P「違うって!」

苦笑するプロデューサー。
絵理は清涼飲料水を口に含んだ。

P「俺はダンスのことはわからないけどさ、」

絵理「……?」

P「あれが一番、愛の魅力を表してるんじゃないか、って思うんだよな」

絵理「愛ちゃんの、魅力」

P「君も言ったように、元気で楽しそうなところ、だな。なんて、俺は愛のプロデューサーじゃないんだけど」

朗らかに笑う彼を見上げて、絵理もすこし頬をゆるめた。

愛(プロデューサーさんと絵理さん、仲よさそうにお話してる……)

ダンスしながらふたりを見た愛の胸がちくりと痛んだ。
なんだか、やだな——

愛(? どうして、そんなふうに思ったんだろ?)

愛「——あっ」

気を取られた愛は足をもつれさせて尻餅をついた。

P「大丈夫か?」

少し慌てて駆け寄ってくるプロデューサーを見て、なぜか嬉しくなってしまう愛。

P「ちょっと休憩するか」

愛「いいえ! へいきです! もっと見ててください!」

P「うん、見てるけど、むりしないでくれよ」

愛「はい!」

すぐさま起き上がって、ダンスを再開する。
それを見守るプロデューサーの背後で、絵理はすいすいとスマホを撫でた。

絵理『大丈夫、かも。思ってたより、ちゃんとしてる?』

サイネリア『ええ〜つまんないデスね。男の欲望丸出しで愛ちゃんをprprしようとしてるんだとwktkだったのに〜』

絵理『それは即通報するレベル?』

サイネリア『デスヨネー』

P「そろそろ休憩にしようか」

愛「まだまだいけますよ!」

P「ムリさせたら俺が石川社長に怒られちゃうよ。それに、やりすぎてオーディションに影響が出たら愛も困るだろ?」

愛「はーい」

休憩を挟んで、ふたりはしばらくレッスンを続けた。

愛と絵理を876プロ事務所に送って、プロデューサーは765プロ事務所に戻って律子とミーティングしていた。

律子「それで、結局たいしたアドバイスはしなかったんですか」

P「そりゃあ。俺トレーナーじゃないし」

コーヒーを一口含んで、律子はじろりと彼を見た。

P「なんだよ。社長の許可は出てるぞ」

律子「そんなんじゃありません。それより、ふたりのダンスはどうでした?」

それくらいの情報、もらっといてもいいでしょう? と律子は付け加えた。

P「ああ。ふたりともけっこうレベル高かったぞ。そのうえで、それぞれ特徴的だった」

律子「どんなふうに?」

P「愛は躍動感で群を抜いている。動きの大きいダンスで本領を発揮し、また抑えることでギャップも出せるな」

律子はメモを取りながら頷いた。

P「水谷さんはまずダンスがきわめて正確だ。そして、見るひとをきちんと意識した細やかなアクセントが特筆に値する」

律子「……末恐ろしい子らですね」

P「そうだな。特に水谷さんは経験のアドバンテージもあるしな。今後、表現がさらに幅広くなると、脅威かもしれない」

律子「今の実力としては、まだ?」

P「さすがにそれは。身贔屓を差し引いても、うちのほうが断然、だな」

律子「それ、ふたりには」

P「言わないよ。言うわけないだろ。ただ……」

律子「ただ?」

P「正直、愛のポテンシャルが読めない」

律子「へえ。珍しいこともあるもんですね」

P「買い被らないでくれ。でももし、愛に最高のシチュエーションを与えたら、どこまで行くのか……」

律子「楽しそうですね」

P「わかる?」

律子「そりゃあそれだけにやついてれば」

P「え、俺にやついてたか」

律子「ええ、かなり」

P「うちの皆はある程度、成熟しちゃったからな。こんなふうに、どう伸びるのかを想像するのは久しぶりなんだよ」

律子「そんなこと言ってたら春香が拗ねますよ」

P「勘弁してくれ」

愛「ただいまー!」

涼「おかえり。あれ、絵理ちゃんは?」

愛「なんか寄るところがあるって」

涼「そうなんだ」

ばさばさと荷物をロッカーにつっこんでソファに座った愛に涼はお茶を出して自分も腰を下ろした。

涼「特訓の成果はどう?」

愛「特訓?」

涼「765プロでダンスレッスンしてきたんでしょ?」

愛「はい! でも、プロデューサーさんにダンス見てもらっただけですよ?」

涼「そうなの? へえー。オーディションへの自信にはつながった?」

愛「えーっと、そうですね! プロデューサーさんがそれでいいって言ってくれたので!」

涼「愛ちゃんはあのひとが好きなんだね」

にこにこした涼のその発言に愛は跳び上がった。

愛「なななっ、なんのことやらららっ!」

涼「顔真っ赤だよ愛ちゃん」

座り直した愛はスカートの裾をにぎにぎした。

愛「あ、あのぅ……あたしって、やっぱりプロデューサーさんのことが、す、好き、なのかなぁ……?」

涼「えっ違うの?」

愛「なんだかよくわからなくて……涼さんも絵理さんも好きだけど、プロデューサーさんはちょっと違うっていうか……、どきどきするんです!」

涼「なるほど……。愛ちゃん、それは恋だよ!」

愛「こ、恋ですかっ」

涼「好きなひとのことを考えるとどきどきしちゃう……いいなぁ恋って素敵だなぁ」

愛「ふあぁ、なんだかあたし、暑くなってきました!」

涼「それで、いつ言うの?」

愛「? なにをですか?」

涼「やだなー、告白だよコ・ク・ハ・ク♪ プロデューサーさんに愛ちゃんの気持ち、まだ伝えてないんだよね?」

愛「そ、そんなこと……い、いえるわけないですっ!」

涼「うんうん。愛ちゃんも恥ずかしがるようになったんだね」

愛「なんかシツレイな言い方ですね涼さん」

じとっと愛に見つめられて、涼は笑ってごまかした。

涼「あ、絵理ちゃんからメールだ」

ケータイで返信を打ち込み出した涼をみるともなしに見ながら、愛はひとつのことを考えていた。

愛(告白、告白かぁ……)

帰りがけにプロデューサーは小鳥に話し掛けられた。

P「どうしました?」

小鳥「いやぁ、愛ちゃんは元気かなーと」

P「音無さん、やけに愛のこと気にしますね? まぁ、特に問題ないです。でも、そろそろ問題を解決する糸口を見つけないと、と思ってますよ」

小鳥「舞さんとのケンカですか…」

プロデューサーは頷いた。

P「音無さん、なにかいいアイディアありませんか」

小鳥「そうですね…。まずは愛ちゃんの素直な気持ちを聞いてみるべきなんでしょうね」

P「素直な気持ち」

小鳥「はい。舞さんをどう思っているのか、どうしてほしいのか……。愛ちゃんには愛ちゃんなりの、考えがあるはずなんです」

P「なるほど。さすがですね」

小鳥「いえいえ。私はふたりに仲良くいてほしいだけですから」

その言い方にプロデューサーはひっかかりを覚えたが、

小鳥「それじゃ、引き止めてすいませんでした。お疲れ様です」

P「あ、いえ。お先に失礼します」

考える前に、小鳥は仕事に戻り、彼も帰路についた。

その晩。
ふたりは風呂を済ませた。

P(さて、どうやって愛の素直な気持ちを聞き出すか……)

愛「あの、プロデューサーさん」

P「おうっ? どうした」

愛「その、えっと、……明日のオーディション、もし合格したら……」

P「うん?」

愛「あ、あたしの気持ち、聞いてもらえますかっ!?」

P「え!? 聞かせてくれるのか!」

愛「は、はい! ちょっと恥ずかしいですけど…」

P「そんなことないさ。すごく嬉しいよ。いやーよかったよかった」

愛「よかった、ですか?」

P「ああ。どうやって愛の気持ちを教えてもらおうか、悩んでたからな」

愛「そ、それって…、〜〜っ!」

耳まで真っ赤にして、愛は慌ててベッドに飛び込んだ。

愛「ごっごめんなさい! 今日はもう寝ますっ!」

P「うん、そうするか」

胸のつかえがとれたプロデューサーも、安心してソファに横たわった。

愛「あの。プロデューサーさん」

P「ん?」

電気の消えた部屋で、ふたりは小さな声を交わす。

愛「あたし、明日のオーディション、がんばります」

P「おう」

愛「応援、してくれますか?」

P「もちろん。愛ならできるよ」

愛「ありがとうございます。えへへ、嬉しいな……」

P「じゃあそろそろ寝よう。おやすみ、愛」

愛「おやすみなさい、プロデューサーさん」

翌日、オーディション当日。

P(そろそろ、オーディションが始まってる頃か……)

プロデューサーは事務所で時計を見上げた。

P(がんばれ、愛)

サイネリア「ふんふふ〜んふん♪」

ぱたぱたとキーボードをタイプするサイネリア。
今は髪も下ろし、ジャージ姿である。
眼前に置かれた三枚のディスプレイには、たくさんのウィンドウが開かれている。

サイネリア「ん〜、実況に変化なし。それにしても、住んでる家をスネークさせるなんてセンパイも甘やかしすぎじゃないデスかね〜」

音声が文字になって絵理とのトークSNSに表示される。

絵理『万一の保険のつもり? でも、もう辞めていいよ』

即座に返信。

サイネリア「はいはぁい、了解しました!」

へんてこなポーズを決めて、サイネリアはプロデューサーの家を監視していたプログラムや掲示板、ハックウィザードなどを終了させていった。

サイネリア「センパイ、今どこにいるんですか?」

絵理『愛ちゃんのいるフロアのトイレ』

サイネリア「なにしれっと潜入してるんデスか!?」

絵理『愛ちゃんの近くにいてあげたくて?』

サイネリア「……まぁ、いいデスけどね。それで、オーディションのほうはどうなってるんです?」

絵理『たぶんもう少しで終わる?』

サイネリア「そですか。ま〜合格してるといいですね」

絵理『うん』

きわめて簡素な、そっけないとも言える返事に、しかしサイネリアは絵理の優しさや昂揚感、緊張感、それに愛しさのようなものを読み取った。

絵理『そろそろ結果が出たかも。こっそり見てくる?』

サイネリア「は〜い、報告待ってマス」

絵理との通信が終わって、少女は椅子に座ったまま大きく伸びをし、

サイネリア「ふわぁ〜っ。ひとまず寝よっかなぁ」

ベッドに倒れ込んだ。
そしてそのまま眠りについたのだった。




オーディションが終わった。



P「!」

プロデューサーは着信を告げたケータイを慌てて掴んだ。

P「もしもし」

愛『プロデューサーさん——受かりましたっ!!』

P「本当か! よかった」

事務所から出て、廊下の壁にもたれかかりながら、彼は安堵の声をもらした。
そのままずるずると座り込みそうになるのを意思のちからで踏みとどまり、

P「おめでとう。愛ならできると思ってたよ」

愛『ありがとうございます! プロデューサーさんのおかげです!』

しばらく興奮のままに話をしていた。
すると、電話の向こうで少女が言い淀んだ。

愛『あの、あたしの、気持ちなんですけど……』

P「ああ! うん、家に帰ってから、ゆっくり聞くよ。いつも通り、迎えに行くから」

愛『はいっ!』

事務所へ帰る道すがら、愛は口がほころぶのを止められなかった。

——プロデューサーさん、喜んでくれた。

——あたし、プロデューサーさんと恋人になっちゃうのかな?

そう思うとどきどきしてしまって、思わず手足をばたつかせる。

——恋人になったら、ふたりでデートしたりして。ああ素敵だな!

甘い夢想に胸をときめかせて、愛はスキップを踏むのだった。

プロデューサーの部屋で、ふたりはテーブルを囲んでいた。

P「これ、買ってきたんだ。おめでとう愛」

愛「うわぁケーキ! プロデューサーさん、ありがとうございます!」

P「じゃあ食べながら話をしようか。オレンジジュースでいいかな」

愛「あっはい!」

ぱくぱくとケーキを食べる愛。

愛「ん〜っ! おいしいです!」

P「それはよかった」

愛「それで、あの、あたし、」

P「ああ、うん」

愛「ええと、あの、」

P「落ち着いて。ひとつずつでいいよ」

その言葉に愛は頷いて、ゆっくり深呼吸した。
そして言った。



愛「あたし———プロデューサーさんのことが好きですっ!!」



愛がおそるおそる目を開くと、

P「え……」

プロデューサーは呆然としていた。

愛「え?」

P「ち、ちょっと待ってくれ。それ、どういう……」

愛「あ、の。あたし、すなおな、きもち、あれ?」

P「気持ちって、それのことか……。まじか……」

彼が頭を抱えてしまって、愛もどうしたらいいかわからなくなってしまった。

こんなはずじゃなかった。
こんなはずじゃなかったのに。

愛「プロ、デューサーさん」

呼びかけられて、彼はなんとかといった様子で顔を上げた。

P「愛……。その、すまん、俺は」

愛「あ……」

がらがらと、幸せな夢が崩れていく音が聞こえる気がした。

P「思うんだが、その、たぶん、俺が、身近にいたからってだけなんじゃないか。だから、なんて言ったらいいのか……」

そんなことで、君のアイドル生命を終わらせるべきじゃない。
彼がそういった主旨のことを言っているのを、愛はぼうんやりと見ていた。

——あたし、

——ふられたんだ。

そう気付いた愛の、まんまるな目からぽろりと涙がこぼれた。


愛「……め、なさ……っ!」

P「愛、」

どんな声を出せばいいのかわからない、といったふうなプロデューサーが立ち上がりかける。
しかしそれより早く、

愛「——ごめんなさいっ!!」

叫んで、椅子を蹴立てて、愛は外へと飛び出した。
いつかと同じように。

虚をつかれてとっさに動けなかったプロデューサーのケータイが着信音を鳴らす。

P「もしもし」

小鳥『あ、プロデューサーさん! 愛ちゃんオーディション受かったそうですね!』

P「ああ、ええ」

心ここにあらずといった彼の様子に、

小鳥『どうしたんですか?』

そうして、彼は彼女に今あったことを説明した。

小鳥『……わかりました。プロデューサーさん、今何をすべきかわかりますか?』

P「なにも……どうすればよかったのかも……」

小鳥『追い掛けるんですよ! 早く!』

P「でも俺、愛になんて言えばいいのか……」

小鳥『そんなこといいんです! わかりませんか、今は冬で、夜なんですよ! 女の子をひとりで外に出していいわけないでしょう!』

P「……そう、ですね。寒いですからね」

意志を取り戻したように力強く頷くと、コートをひっつかんで彼は愛を追った。

プロデューサーは、走りながら愛へと電話をかける。
しかしそれが取られることはなかった。

P「愛……!」

愛がどこにいったか、まるで手がかりはなかった。
彼はとりあえず876事務所を目指した。
たどり着くと、ちょうど絵理が出てくるところだった。

絵理「? お疲れ様です?」

P「愛はっ、はぁ、げほっ、はぁ、愛は来てないかっ」

私服で汗をかいてる彼を不審そうに見ていた絵理は、その言葉になんらかの緊急事態を察して顔色を変えた。
素早くスマホを取り出して愛へと電話をかける。

絵理「……」

通話中を告げるアナウンス。
ぴくりと眉根を寄せて絵理は耳からスマホを離した。
今度はトークSNSを呼び出し、

絵理「サイネリア!」

『きゃぴるん☆ ネリア様はおやすみしています!』

援護を頼もうとするが、召使をかたどったアプリが応えるのみでサイネリアとも連絡がつかない。

絵理「……愛ちゃんはここには来てません。なにがあったんですか」

プロデューサーは、自分の言葉が愛を傷つけて、それで出ていってしまったと説明した。
愛の気持ちについては省いた。

端正な顔をうっすらと怒りに染めながらも、絵理は彼を責めることはせずに淡々と、

絵理「私はネットで愛ちゃんの足どりを追います。あなたは街を探してください」

と役割分担した。
ふたりは連絡先を交換し、プロデューサーはまた走り出した。
事務所に戻ってPCを立ち上げながら、

絵理「頼んだ」

と呟いた。
デスクに置かれたスマホに返信が表示される。

サイネリア『もうハック検索はランしてマス! 似ちゃんねるのほうはこれからエサ撒きデス、センパイ!』

絵理「私も目撃レスを探す」

ブラウザを呼び出してぱたぱたとタイプ。
渋谷、池袋、新宿と実況掲示板を覗いていく。

サイネリア『愛ちゃん、……失恋しちゃったんデスかね〜』

絵理「わからない?」

短く即答。

サイネリア『………』

絵理「愛ちゃんはたしかにあのひとに好意を抱いてるみたいだった? でも、彼のほうは愛ちゃんを、どうしてもアイドルとしてしか、」

話しながらも目はスレッドを読みあさる。

サイネリア『見れない、ですか。見事にすれ違ってマスね』

絵理「愛ちゃんは今回はあきらめるべき? 愛ちゃんが家に帰れば、あのひとと会うこともそうなくなるし、ダメージは少ない?」

サイネリア『………。なんかセンパイ、厳しくないデスか?』

絵理は一拍動きを止めた。
すぐにタイプを再開する。

絵理「誰の恋でも叶うわけじゃない。私は愛ちゃんがこれ以上傷つかないで欲しいだけ。この話はここまで?」

画面の向こうでサイネリアが意味不明なポーズをとって了解した。

愛は走っていた。
周りを歩いているひとたちはまるでマネキンのように生気がない。
いつかの夢のように手をひいてくれるひとはいない。
手をひいて、一緒にいてくれたひとには、愛は手が届かなかったのだ。

愛「もう……いやだよ……!」

どこをどう走ったか覚えていない。
気付けば誰もいない公園に立っていた。
街灯のしたで、まるでスポットライトを浴びているようだった。

愛「あたしが、……アイドルだから、だめなのかな」

子供に見られたくない。
アイドルに見られたくない。
自分自身を見てほしい。
でも、愛にはもはや自分がなんなのかわからないのだ。

愛「あたし、あたしは、うっ、わかんない、ひっく、わかんないよう!」

確立しつつある自己というものが認められない。
その苦しみは少女の心を引き裂かんばかりであった。

愛「うわあああああああん!」

そしてついに、彼女は大声をあげて、泣き出してしまった。

P「はっ、はっ、どこに、はぁ、行ったんだ……!」

夜の繁華街をプロデューサーはさまよっていた。
ネットカフェや居酒屋の並ぶ通り、妖し気な女性が声をかける横丁、信号の点滅する交差点、何台もタクシーが停まっている駅前。
どこを捜しても愛は見つからなかった。

愛は財布も持たずに飛び出したので、店には入れないはずだ。
頬の痛くなるようなこの寒空のした、ひとりで凍えているに違いなかった。
そう、ひとりで。

「くそっ……」

自分を罵って、また走り出す。
足が痛くても、息が切れても、体が冷えても、見つけなければならない。いや、見つけたい。

「愛、今、行くからな……!」

空は灰色に曇りだしていた。

サイネリア『ありまシタ! これは当たりっぽいデス!』

絵理「!」

スマホの画面にURLがペーストされる。
すぐさま絵理はリンク先を参照して情報を確認する。
ローカルな掲示板のたった数レス。
だが、今はそのわずかな情報が光明に見えた。

サイネリア『地図を確認しました。整合性はありマスね。あっちの駅前では目撃情報がないので、いるとすれば、ここかこっちの公園とか? どうデスか?』

絵理「じゅうぶんっ」

言いながら絵理はプロデューサーに向けて猛然とメールを打ちはじめた。

泣き疲れて、ベンチにへたりと座ってぐすぐすしていた愛は、そのときようやくケータイが鳴っていることに気付いた。

愛「はい、もしもし……?」

小鳥『ああ愛ちゃん。よかった。私がわかるかしら』

電話をかけてきたのは愛の母親と親交のある音無小鳥であったので、愛は肯定して、

愛「どうしたんですか?」

と問うた。

小鳥『……プロデューサーさんとのこと、聞いたの』

愛はどきりとした。

小鳥『安心してほしいのだけど、わたしは愛ちゃんに、家に帰れなんていうつもりはないわ。
    ただ、……プロデューサーさんに関しては、あのひとを許してあげてほしい、というだけ』

愛「あたしがプロデューサーさんを、許す……?」

なんだか似たようなことを以前にも聞いた気がした。

焦燥や心配を見せることなく、静かに、慈しみをこめて小鳥は話す。

小鳥『ねえ愛ちゃん。お母さんも、プロデューサーさんも、愛ちゃんのことがきらいなわけじゃないの。好きだから、大切だから、こうやってすれ違ってしまうものなのよ。
    だから心配しないで、愛ちゃんは愛ちゃんのままでいてほしい』

愛「あたしの、まま」

小鳥『ええ。あなた自身を見つける、いいえ、見つけ直すこと。それが、鍵になるって、わたしは思う』

愛「わかり、ません。小鳥さん、あたしもう、なにもわからないんです」

小鳥『ごめんなさい。わたしに言えるのはそれだけ、わたしの役割はここまでなの。あとは、プロデューサーさんにお願いするわ』

少しだけ、小鳥は声に笑みを混ぜた。

小鳥『もう一度、プロデューサーさんに会ってくれるかしら?』

正直に言って、どんな顔をして会えばいいのか、なにを話せばいいのか、わからなかった。

それでも、前に進みたいと思った。
今逃げたら、それこそ子供だっていうことを認めることになるんじゃないか。
だから、向き合わなくちゃ。
辛いことを、受け入れなくちゃ。

そう、思った。

愛「わかり、ました」

小鳥『うん。さすがね。逃げ出したいようなことにこそ、踏みとどまって向き合う。舞さんも、いつもそうだった』

愛「え、ママ……?」

小鳥『それじゃあプロデューサーさんに場所を伝えるから、どこにいるか教えてくれるかしら』



と、そのとき。

P「——愛っ!」

公園の入口に、プロデューサーが立っていた。

小鳥『あら? 王子様を導く妖精を気取ろうと思ったんだけど。それじゃあ、がんばってね!』

電話が切れる。

プロデューサーは公園の真ん中へと、愛の立っているところへとゆっくり歩いてきた。
怯えたような愛の、その目許が赤いのを見て、ずきりと胸が痛んだ。
肩でしていた息をなんとか整える。

愛「………」

P「………」

いざとなるとなにを言えばいいのかわからない愛と、愛が無事見つかって心底安堵したプロデューサーは、黙って見つめ合った。

愛「えと、」

P「ごめん!」

愛「えっ!?」

プロデューサーは腰から直角に半身を曲げて頭を下げた。

P「俺が悪かった。愛の気持ちにきちんと向き合わなかった。本当にごめん」

愛「やめてください! 悪いのはあたしなんです!」

なんとか彼に頭を上げさせる。

P「言い訳はしない。俺は逃げた。そのことについて愛が怒るのは当然だ」

愛「あたし、怒ってなんていません!」

P「だけど、」

愛「あたしは! 自分の気持ちを勝手に言って、勝手にふられて、勝手に落ち込んでるだけなんです! プロデューサーさんが悪いことなんてないです!」

プロデューサーの言葉をさえぎって、愛は感情のままに累々と言い募る。

愛「なのに、自分はアイドルとしてしか見られてないのかなぁって、あたしはただのアイドルでしかないのかなって……っ!
  もうあたしには、自分がどうしたいのかも、どうすればいいのかも、よくわからないんです……!」

胸のうちの想いをとめどなく吐き出す愛。
それはとめられないし、とめようともしていないようだった。

そんな愛の様子に、プロデューサーは自分の頭をぶん殴りたい気持ちに駆られた。

——愛ちゃんだってひとりの女の子なんですよ? プロデューサーさんと会うときはオフなんだってこと、わかってあげてくださいね

俺はばかか。
ぜんぜんわかってなんかいないじゃないか。
少女の心理を知ったふりして、なにを解決できるって?

P「愛、ごめんな」

なにもできない、小さな女の子を泣かせるような情けない俺で。
そして、そんな自分を好きだといってくれて、

P「ありがとう」

プロデューサーはそっと、優しく愛を抱きしめた。
愛はついに言葉ではなく涙が止まらなくなってしまった。

ちら、と白い粒が空から舞い降りてきた。

愛「ゆき……」

P「ああ。……いっしょに帰ろう。愛」

そう言って、プロデューサーはずっと掴んでいた自分のコートを愛に渡した。

愛「あ、これ……」

P「安物で悪いんだけどな」

と、彼は眉尻をさげて笑った。
少女はコートを抱きしめて、

愛「……あたし、大好きです」

頬を染めた。

P「……俺もだよ」

プロデューサーも目的語を省略してそう応え、手を差し出す。
愛が黙ったまま、その手をとる。

そうして二人は手を繋いで、雪のなか帰路についたのだった。

絵理「……そうですか。いえ」

事務所で静かに絵理は電話していた。
相手はプロデューサーである。

絵理「はい。次はないですよ? ……当たり前です」

ちくりと釘を刺してから、電話を切る。
スマホをぽんとデスクのうえに投げて、絵理は伸びをした。

サイネリア『めでたしめでたし、デスか?』

ぴろん、という軽快な音とともにサイネリアの映るウインドウがポップアップする。

絵理「実はなにも解決してない? スタート地点に戻ってきただけ?」

サイネリア『そうかもしれないデスけどぉ〜! センパイとしては願ったり叶ったりですよね?』

ため息をついて絵理は頬杖をついた。

絵理「ようやくケンカの件に入れるからね」

サイネリア『にゅふふ、愛ちゃんがあの男とくっつかなくて、じゃないんデスか?』

愉快そうなサイネリアを絵理はじっとりと睨んだ。

サイネリア『睨まないでくだサイよ〜! それで、これからどうするんデスか?』

絵理『……もう、私にできることはないよ。ううん、最初から、なにもできなかったのかも』

サイネリア『……そんなこと、ないデス』

絵理「ありがと、サイネリア? たぶんね、私は嫉妬してたんだ。愛ちゃんと仲良くなった、あのひとを」

サイネリア『センパイ……』

絵理「ところで、サイネリア?」

サイネリア『はい、センパイ』

絵理「ずっと気になってたんだけど、すごい寝癖?」

サイネリア『みょげえええっ!? 早く言ってくだサイよ〜っ!』

絵理「サイネリア、だいなし」

サイネリア『うにゅにゅにゅ……、センパイのイジわるー!』

愛が寝静まってから、プロデューサーは電話をかけた。

P「もしもし」

小鳥『もしもし。落ち着きましたか?』

プロデューサーは軽くいきさつを説明した。

P「音無さん、いろいろすいませんでした。それと、ありがとうございます」

小鳥『いえいえ。そうですか、876の絵理ちゃんが……。愛ちゃん、今はプロデューサーさんの家にいるんですよね?』

P「はい。あ、もちろんケンカの話は忘れてません」

小鳥『いえ。それならいいんです。居場所を掴んでおかないと怒られちゃうので……』

P「舞さんに?」

小鳥『そうなんですよー……って、どうしてそれを!?』

プロデューサーは得意そうに忍び笑った。

P「やっぱりそうでしたか。愛を預かっているということも、石川社長から連絡がいった舞さんから聞いたんですね」

小鳥『うっ。かまかけだったんですか……。はぁ、ばれちゃったならしかたないですね』

P「小鳥さんが日高舞と知り合いとは知りませんでしたよ」

小鳥『知り合いっていうか、……まぁ舞さんとはアイドル時代からの仲なんです。それで、プロデューサーさんが預かるって聞いて、どういうひとかって聞かれて……』

P「舞さんからのアプローチが無さすぎると思ってはいましたが、まさかスパイがいたとは……」

小鳥『スパイ呼ばわりは勘弁してください〜っ』

P「あはは。冗談はともかく、舞さんは小鳥さんから愛の情報を得ていたというわけですか」

小鳥『自立しようとして反抗する子供を、叱っても甘やかしても成長しない、って舞さんは言ってました。だから迎えにいったりもしなかったんです。本当はすごく心配してるんですよ』

P「でしょうね。でなければ荷物を事務所経由で渡したりはしない。うん……そこに確証が持てて、少し安心しました」

小鳥『ホントは反則でしょうけどね』

いたずらっぽい笑い声がプロデューサーの耳をくすぐった。

小鳥『私のことを見抜いたプロデューサーさんにご褒美です♪』

P「ばれて焦ってたのに何いってんですか音無さん。それに、俺はそのゴホウビが無くても、そこまで心配していませんでしたよ」

小鳥『そっそうなんですかぁ〜?』

P「ええ。愛は母親を嫌いになってるわけじゃない。本当はずっと大好きなんです。だから、そんなに心配してないんですよ」

小鳥『まぁ愛ちゃんのことですからそうでしょうけど……』

P「そうだ、舞さんに黙っとくんでひとつ頼まれてくれませんか?」

小鳥『ふふ、言ったじゃないですか。私にできることがあればなんでも言ってくださいって』

P「助かります」

そしてプロデューサーは小鳥にある事を依頼して、通話を終えた。

翌朝。
ぐっすりと眠って元気になった愛は、ソファへと回り込んで、

愛「プロデューサーさん! おはようございます!!」

P「んぐ……、おうオハヨ……」

愛「見てくださいプロデューサーさん! いい天気ですよ!!」

窓に駆け寄り、カーテンを開けた愛は、美しい光景を見た。
昨夜積もった雪が、きらきらと陽光を反射して輝いている。

愛「わあ……っ!」

P「おお、きれいだな」

愛「はいっ!!」

隣に並んで、プロデューサーは寝ぼけた表情でその景色を眺める。

P「なあ、愛」

愛「はいっ」

P「お母さんのこと、キライか?」

思わず彼の顔を見上げる愛。
しかし彼は外を向いたままだ。

少しうつむいて愛は呟いた。

愛「ママは、たぶん、あたしのことがキライなんです」

P「なんでそう思う?」

愛「なんで、って……。あたしがダメな子で、子供で、ママの言うことを聞かないから……」

P「そっか」

ふたりは顔を洗い、いつものように着替えて、トーストを食べる。

P「それで、愛はどう思ってるんだ? 愛もキライか」

愛「………。そんなこと、ないですけど、でも」

P「俺が思うに、お母さんは愛のことをキライになったりしてないよ」

愛「どうして、そんなことわかるんですか」

拗ねたような問いにプロデューサーは答えずにノートパソコンを開いた。

愛「プロデューサーさん?」

P「まぁ聴いてみろって」

ある音楽ファイルを再生する。

スピーカーから重厚な前奏が流れ始めた。

愛「……?」


    ♪ひとつの命が生まれゆく


        二人は両手を握りしめて喜びあって幸せかみしめ


      母なる大地に感謝をする


愛「これ……ママの声?」

P「そう」


    ♪やがて育まれた命は


          ゆっくり一人で立ち上がって歩き始める


        両手を広げて まだ見ぬ煌き探す


P「君のお母さんがまだアイドルだった頃に、最後に残した歌だよ」

愛「ママの、最後の歌……」


   ♪Trust yourself どんな時も命あることを忘れないで


     Find your way 自分の進む道は必ずどこかにあるの


       未来の可能性を信じて諦めないで


愛「! こ、これって」

P「そう。愛がいつも歌ってた鼻唄のメロディだな」


    ♪想い出が折り重なってく…


        独りで寂しかった時にも あなたはいつも微笑みをくれた


      変わらぬ気持ち I felt all your love


P「おそらく、愛は赤ちゃんの頃からこの歌を聴かされて育ったんだろう。記録なんかじゃない、日高舞本人の歌を」

愛「………」

黙ったまま、愛はその歌声に耳を傾ける。
ぽた、と涙が落ちた。

愛「……っ…!」

母の歌を聞きながら、愛は泣いていた。
頬を伝う涙をぬぐうこともなく、静かに、音楽に集中している。


    ♪母のぬくもり 憶えている?


      父のおもかげ 憶えている?


   小さなあなたに願ったのは 愛し続ける優しさ


       そして決して揺るがない強い心持てますように


      hope your happiness——


そうして、伸びやかな声と壮大なアウトロで曲は終わった。

愛「………」

P「愛。家に帰ろう」

プロデューサーの優しい声に、愛は目を強くつむって、

愛「はい……っ!!」

心をこめて答えた。

都内某マンション。
愛は自分の家の前に立っていた。
隣にはスーツ姿のプロデューサー。
彼は彼なりに緊張していた。彼にとって日高舞とはまさしく伝説のひとだからだ。

ぴんぽーん♪

はーい、という声が聞こえて、ドアが開く。

舞「どちらさま……って、あら」

その伝説のひとが、目の前の娘に気付いて腰に手を当てた。

愛「……ママ、」

舞「あなたが高木くんとこのプロデューサーね。はじめまして、日高舞です」

P「はい。はじめまして」

プロデューサーは息を呑んだ。
日高舞は往年の映像と比べてもまるでくすみもかげりもない、美しい女性だった。
これが史上最強にして最高のアイドル——

舞「愛」

愛「あの、あたし、」

舞「——ごめんなさい」

愛が目を見開く。
プロデューサーも驚愕した。
彼女の母親は、自分の娘に頭を下げていた。

ごめんなさい。
その一言のなかにはさまざまな想いが込められていて。

愛「あたしもごめんなさい! ママ、ごめんなさい!」

その胸に飛び込んで、愛も謝った。
母は優しい表情で娘を抱きしめる。

舞「おかえり、愛」

愛「ママ……! ただいまー!!」

ふっと舞はプロデューサーのほうを向いた。

舞「あなたには本当に世話をかけたわね。ありがとう」

直立不動になって彼は返事する。

P「いえ。けっきょく俺はたいしたことできませんでしたし」

愛「そんなことないですよー! プロデューサーさん、本当にありがとうございました!」

愛の言葉に彼はすこし笑って肩をすくめた。

そして、愛は満面の笑みで言うのだった。



愛「ママ、だーいすきっ!!!」





おしまい

ありがとござましたー

うわーあぶねーギリギリじゃねーか
速報重くて焦った
愛ちゃん誕生日おめでとう!

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