【ミリマス】静香「黙して語らず」志保「されど雄弁」 (18)


そもそも明け透けに考えれば、模範的な食生活と習慣的な運動に加えて

最低限の快適な睡眠時間も確保した生活を送る一介の女子中学生が、

医師から一切の問題を発見されない優良健康体として

花丸を貰えるなんて1たす1が2になるレベルで当然至極の帰結であり、

そうなると生物学的分類上雌雄の分かれた生き物なれば

持ちうる最後の欲求を解消せんと本能が疼くもまた摂理なのだという話で。

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「結局何が言いたいかっていうと、私達みたいな思春期街道真っ盛りが夜な夜な自慰に耽ったって、
それはむしろ"していて当然しなきゃ悪い!"ってレベルで当然だと思われてるんだって話」

なんてことを一気にまくし立てた後で、
静香は「迷惑だわ」と持っていた週刊誌をテーブルの上に放り出した。

その際、閉じられなかった問題のページを見てみれば、
『765、思春期アイドルの性事情』『無垢なる笑顔の裏で実は……』なんて幼稚な煽り文が並んでいる。


そうして、「馬鹿みたいね」とこちらが思ったことを口に出せば。

「でしょう? 珍しく意見が合うじゃないの」

静香が意外そうな顔になって言うので私はそれを訂正した。

「そうじゃなくて、こんな記事に一々突っかかってるのが馬鹿みたいって言ったつもり」

「は?」

「プロデューサーさんが言ってたでしょ? こういうのは私達の調子を揺さぶる目的の記事だから、
反応してたらそれこそ相手の思うツボだ……って」

「……あの人、そういうタメになる話してたかしら?」

「右から左に抜けたんじゃない? もしくは聞いてるふりのせいで忘れたか」


言って、私は再び宿題に目を落とした。

劇場内の多目的室、畳張りであることから見たままに
『和室』と呼ばれている部屋の窓からは気持ちのいい風が吹いて来てる。

梅雨が明けたばかりなので少々湿った空気だけど、
運ばれてくる土の香りは案外と心を和ませことに効果的だ。


「待ちなさいよ志保。今のは一体どういう意味?」

だけど、そうした情緒を感じ取れない粗雑な心の持ち主はいるもので。

「別に。言った通りの意味よ」

「それって私が悪いってこと? 言われた通り馬鹿ってこと?」

「受け取り方は自由でしょうね。その雑誌の記事と変わらないわ」

「……だったら言った通りじゃないの」

「だから、そう言ってるじゃないの」

本当に煩わしいのである。

私の目の前では数式が象形文字へと生まれ変わっていく不可解な現象がまさに起こっていて、
今はその原因の究明及び解決に頭を捻っているところだと言うのにだ。


「志保っ! ちゃんとこっち向いて!」

「静香、テーブル揺らさないで」

大声と共に彼女の拳が台を揺らし、私はペン先から生まれてしまった悲劇を
無かったことにしようとペンケースの消しゴムに手を伸ばす。


が、指先が触れるか触れないかのところでお気に入りの肉球消しゴムは突然横から奪われた。


「ちょっと、いきなり何するのよ?」

顔を上げれば相手は口元を歪めて私を睨んでいた。
少なくとも被害者はこっちのはずなのに。

「私を無視するからでしょう!? 何?
さっきから人を逆撫でするようなコトばっかり……もしかしなくて喧嘩売ってる?」

「……悪いけど時間も持ち合わせも今日は無いの」

「買う買わないは私の方だっ!!」

「こっちの消しゴム盗っておいて?」

「返すわよ! ちゃんと話を聞いてくれれば!!」

何が不満なのか怒鳴るように返事をした後で、
静香はぜぇはぁと件の週刊誌の上に私の肉球消しゴムを置いた。

当然取り返すために右手を伸ばす。

「待ぁった!」

――が、今度は上から押さえつけられ、私の右手は彼女の右手の下になった。

静香の両目が鋭くなる。

面倒事に巻き込まれた実感で思わず鈍い溜息が出る。


「それで、答えて貰いましょ?」

随分とドスが効いた声で目の前に座る彼女は言った。

見るからに私に怒りを向けていて、力のこもった右手の圧からも、
どうにも感情が昂っている事が理解できた。

ただ幸いにも――と言うべきか、こういう時の対処方法を私は知らないワケじゃない。

なぜなら怒れる静香と宥めるプロデューサーさん、といったやり取りを間近で多く見て来たから……

そう! 彼女と向き合う時に大切なのは、誤魔化そうとしない正直さと誠実な気持ち。


「分かった。静香を馬鹿にしたの。下らないゴシップに振り回される姿が傍目に面白かったから」

「なっ!?」

「でも待って、それだけじゃないわ! 記事を読んでる時のアナタの反応はとっても可愛かった。
真っ赤になったり目を伏せたり……初めはなんだろうな? って思ってたけど、内容を見せられて納得した。
こういう下世話な話題に純なところ、アナタのイメージに合ってて良いと思う」


私は彼女に答えながら、しおしおと力の抜けていく静香の右手の下から自分の右手を抜き出した。

そうして、完全に肉球消しゴムを取り戻すと。

「でも、まぁ、後ろめたい交際があるワケでも無いことだし、
今後はこんな誰にだって当て嵌まる噂話に一喜一憂する姿を人前で見せるのは慎むことね」

言って、優しく微笑みかけてあげる。

我ながら完璧なフォローの仕方だった。

なのに静香はテーブルの上に身を乗り出し
「はぁ? はぁぁっ!? 何様のつもり!!?」なんて私に食って掛かったのだ!


「冗談、冗談! 冗談じゃないわっ!! 志保はこの記事ちゃんと読んだ!?

悪徳とか言う記者の憶測で私たちの恋人の有無を書き散らして、
それが居ないなら一人で慰めてるとか根も葉もないふしだらな妄想を書き殴って!!

挙句の果てには同性同士で禁断の愛だとかオフは一人エッチに明け暮れてるとか言いたい放題言われ放題っ!!」

「根拠のないハレンチスクープでしょ? 気にする必要無いじゃないの」

「大有りでしょ! これを読んだファンの人達からどう思われちゃうと思ってるの!!」

まるで百メートル走の直後のように静香がぜっぜと息を切らす。

私は考え込むようなポーズを決め、
そんな命を全力燃焼させているおませで小粋なおしゃまガールに思いついたことを言ってあげた。


「最上静香はむっつりすけべ」

「そこに北沢志保も並ぶんでしょ!」

「私はむっつりじゃなくて恥じらいなのに……」

「恥知らずとでも言いたいのかっ!」

彼女の怒りは窓を揺らし、私はその騒々しさに黙って両の瞼を閉じる。


「静香、少し落ち着いたら?」

「だぁれが油を注いでるの……!?」

声に応じて目を開ければ、畳に膝立ちした静香はわなわなわなと肩を震わせ、
今にも飛び掛からんとする野獣のような眼光で私のことを捉えていた。

……ぞくりと背筋が震えて来る。

「やだ、ちょっと、座りなさいよ」

私に百合の気は無いのだから、このまま押し倒されるのは喜ばしくない展開だ。

そこで何とか鎮めようと声を掛けたが、悲しいかな、獣は人語を解さない。

怒れる静香は四足歩行ですぐ隣にまでペタペタと這って来ると、
そのまま前足を私の両肩に押し付け据わりきった眼(まなこ)でこう唸った。


「志保ならどう答えるってのよ?」

「……はぁ?」

「こういう質問をされた時に、志保ならどう答えるのかって訊いてるのよ」

黙考、暫し仮定の波にたゆたう私。


「勿論恋人はいないって答えるわね」

すると静香は勝ち誇ったように胸を反らし。

「ほら見なさい! ほらほら見なさいっ! 今、たった今この瞬間、
北沢志保が自慰沢志保であることの証明が見事成ったじゃない――に゛ょ!!」

――得意満面で言い放つ彼女を私は畳に投げ飛ばした。

一瞬のうちに押さえ付けられた静香が潰された猫のような悲鳴を上げる。

攻守は流れるように移り変わり、マウントを奪った私は彼女の肩に手をついて凄む。

「……さっきから大人しく聞いてれば人の名前で随分おちょくってくれるじゃないの。
お望みならゴシップ記事の通り、百合沢を名乗って続けるわよ?」


とはいえ、この台詞は説明するまでもなくただのブラフ。

以前仕事で練習した寝技がこんなところで役に立ったことには驚きながら、
私としてはこの下らない論争を早々に終わらせて宿題を進めたいのだから。

その為に妄執に駆られる彼女の悪ふざけに悪ふざけで返したのだ。

流石の静香もこうまでされれば平静さを取り戻すだろう。

「やだ、ごめん、ごめんなさい……!」

実際、思った通り彼女は謝りながら顔を背けた。


その際に耳元から流れる艶やかな乱れ髪は静香のなだらかな頬にかかり、

釜揚げされたばかりのうどんを想わす白肌は湯気立つように朱に染まって、

怖気るように震える唇が「し、志保……」と手探るように開閉する。


さらには自らを押さえつけている私の両手に手を重ね、
意を決したかのように力を込めると日向で雪が溶けだすよう瞼を閉じて相対して。

「…………んっ」

「謝りながら受け入れるなぁっ!!」

私は咄嗟にそう叫ぶと躊躇いがちに差し出された唇から飛び退るようにして距離を取った。

と、同時に上体を起こした静香が親の仇を見つけたとばかりに口を開き。

「ちょっと志保! 勇気を出したのにその態度は何よっ!!」

「何よも何も当然でしょ!? 女同士でキスしようだなんて、アナタ頭がおかしいんじゃないの!?」

「はぁ? はあぁ!? そっちが先に――何かそういう雰囲気にしたんじゃない!!」

「だからって流されるようなもんじゃないでしょ!」

「だって本気で迫られてると思ったから! あの時の志保の顔は本物だった!」

「そんなの演技に決まってるじゃない!」

「じゃあその演技が本物だったんでしょ!」

言われて迂闊にも口を閉じる。

な、何よ、こんな時に言わなくても――!


「そっ、それは……私の演技を褒めてるワケ?」

すると静香の方も気まずそうに。

「べっ、別にそういうつもりで言ってないけど……。志保がノーマルだったらそうじゃないの」

「それは、誓って私はノーマルだし」

「ならそういう事で良いじゃないの」

「でもノーマルだからってさっきの話……。
一人でするのがどうだとか、そういう証明には繋がらないんだから!」

そう、そうだ、そうなのだ――例え現時点で恋人がいないことが、
イコール私の一人エッチ狂いであることの証明には成り得ない。

……そうして、微妙な雰囲気になってしまった私達の間に奇妙な静寂が訪れる。

この話題を続けるかどうか否か、互いに切り出せない状況のまま無益に時の砂は落ちて。


「……ね、ねぇ、そっちに行くわ。で、でも! ヘンなことするワケじゃないから警戒しないで欲しいんだけど――」

そのうちに言い出しっぺの始末をつける為か、
静香はそう宣言するとおずおずと歩いてきて私の隣に正座した。

妙な緊張、息の詰まる空気、私も思わず姿勢を正して彼女の動向に注視する――。

「…………志保、最後に訊きたいことがあるの」

「なっ、なによ改まって」

「あのね、アナタが百合じゃないことは理解したし、自慰沢で無いのも理解したわ」

瞬間、根の乾かない失礼な舌を引っこ抜いてやろうと思った自分の粗暴さに恐れおののく。

が、無理やりにでも気持ちを落ち着かせ。


「そ、そう? それは良かった……!」

「でも、そうすると大きな疑問が一つだけ残る。私、それだけはどうしても確認したい」

「……疑問?」

「そう。どうしても気になることだけれど、今を逃せば尋ねるチャンスも無さそうだから」


引きつった笑顔を向けた先では真剣な表情の静香が待っていた。

……一体何がそんなに知りたいのか?

彼女が周囲の人気を確認し、こっそりこちらに耳打ちする。


「い、一日に三回って多い?」


尋ねる静香は耳まで真っ赤、私も黙って羞恥を受け入れた――。

===
以上おしまい。

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