【ミリマスSS】家に帰れば琴葉が待っている (20)


俺には愛する嫁がいる。

田中琴葉って可愛い嫁がいる。

彼女は昔アイドルだった。今では女優の肩書きの、そんな女性を生涯の伴侶に出来たのは
俺の人生において最大のラッキーイベントだったと誰彼構わず自慢できる。

というか誰でもいいから聞いてくれ。俺はこの幸せを自慢したくって仕方がない。

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それぐらいにうちの嫁は可愛い。

嫁自慢だ、嫁馬鹿だ。

きっと目に入れたって痛くないし、彼女との間に子供が出来たらその子もきっと可愛いだろう。

……まぁ、この辺はお互いの仕事の都合もあるけれど、

とにかく生真面目で、しっかり者で、公私を共に頼りにできて、
二人っきりになるとちょっぴり寂しがり屋で照れ屋の甘えんぼさんな所も自慢になるが可愛いのだ。


そんな愛する妻に帰宅途中でメールを入れる。

電車の中で揺られながら、彼女に「もうすぐ帰る」と連絡する事がどれ程至福な時間な事か!

欲を言えばこの瞬間が永遠に続いて欲しいものだけれど、
そうすると彼女の「お帰りなさい」が聞けなくなるので電車は定刻通り走るがよろし。

二人の愛を祝福しながらダイヤよ今日も回りたまへ!


――ってな間に電車が駅へと到着する。

くたびれた乗客達と一緒になって俺は揺るぎない大地に足を降ろす。

そのまま素晴らしいステップで改札口を通り抜け、

自転車置き場から愛車を素早く見つけ出し、

その使い込まれたサドルに尻を乗せると軽快にペダルを漕いで風に乗った。

頬を打つ夏の夜風は妙に生暖かい。

明日は雨になるかもな……とか考えながら走る姿はどこから見ても家路を急ぐ良き夫だ。


そうとも二人の愛の巣たる我が家には可愛い琴葉が待っている。

俺の帰りを今か今かと時計をチラチラ待っている。

エプロン姿で菜箸握って愛情あふれる晩御飯、
その完成タイミングに合わせて玄関を開けるのがデキる男の証明そうじゃないか!


自転車は夜を裂いて走る。

立ち漕ぎしたい気持ちを堪えてギュンギュン走る。

脳内じゃシチュエーションに合わせた爽やかなBGMが流れ続け、
俺は"好きだ"と叫びだすタイミングに合わせて愛妻の名前を絶唱した。


「琴葉ぁーっ!!」


ただし、当然心の中で。

これは夫としての嗜みである。

どれだけ愛する者に飢えていても、良き夫である為には
ご近所さんの噂になるような醜態を晒してはいけないのだ。


なんて事をやってるうちに角を曲がる。

俺達の家がそこに見える。

新築のお洒落な戸建てが並ぶ中、
そこだけ時代に取り残されているかのようなアパートはある種の趣があって雰囲気が良い。

これぞ現代の同棲時代である。

俺は全く世代に掠っちゃいないからホントの所は良く知らんが。


しかし「ただいまっ!」と玄関を開ける事は出来る。

そりゃもう勢いよく開ける事が出来る。

日頃の酷使で底のすり減った革靴をその場で脱ぎ捨てて、
俺は外遊びから戻った夏の少年よろしくドタドタ音を立てて走り、

「琴葉、俺だ、帰って来たよ!」

もう正直辛抱堪らなかった。

何てったってエプロン姿の愛妻が台所で俺を待っているのは間違いないのだから。

料理中の彼女に後ろから抱き着いて、そのまま押し倒してしまいそうな俺が、
けれども台所に一歩入った所でその体を小さく強張らせたのにはワケがあった。


部屋が、台所が暗い。

琴葉の姿が見えなかった。

カーテンの閉め切られた室内じゃ冷蔵庫がブーンと唸っていた。

換気扇が動いていた気配も感じられず、流しや蛇口も乾き切って、
何より自分以外の気配を感じられないのが俺には不思議で不気味だった。


「……こ、琴葉ぁ?」


堪らず名前を呼んでみる。

正面の暗がりの奥で何かが光る。


「お帰りなさい」

次の瞬間目が眩んだ。

突然部屋の灯りが点いたせいだと気付けるまでにはラグがあった。

部屋の奥から女性の声が聞こえてきて、


「お帰りなさい。お仕事お疲れさまでした」

「うん、ただいま。いやぁ~今日も大変だった」

「エアコンの温度は快適ですか?」

「うん、丁度いい具合だ。……そうそうお弁当美味しかったよ」

「お風呂の準備はどうしましょう?」

「風呂か、うん! すぐ入れるの?」

「今からだと少し時間が掛かります」

「待つよ、待つ。ビールでも一杯やりながらさ」


俺は冷蔵庫を開けながらそう答えた。

手の平から伝わるキンキン具合が浮かれた思考を落ち着かせる中で、
「どういたしまして」と返事をする彼女の声も機械みたいに冷たかった。

……部屋の電気を消しっぱなしでいたりしてたもんな。
もしかすると今日は機嫌が悪いのかもしれない。


「なあ」

「はい」

「やっぱりお風呂の準備は自分でするよ」


俺は返事を待たずに立ち上がった。

風呂場へ向かう途中に呼び止められるような事にもならなかった。

浴槽の掃除をしている間も彼女の態度が頭から離れず居心地の悪さを感じていた。

一種の後ろめたさだった。

スポンジが浴槽の中を滑る。

俺は彼女の気分を害する何かを知らないうちにしていたのか?

何か隠し事をしている気分だった。

スポンジはなおも浴槽を磨く。


「そうだ」


俺はハッキリと思い出した。

いや、正確には彼女と向き合う気持ちの整理をつけたのだ。

シャワーから噴き出す水が真っ白な泡を洗い流し、
ソレはモヤモヤした気持ちと一緒に排水溝へ流れ込んだ。

===

壁のパネルを手動で操作して最後の仕上げを完了する。
時間が来れば浴槽の用意が出来た事を機械が教えてくれるだろう。

そうしてそのまま台所へ戻ると彼女の姿は見当たらず、
代わりに稼働ランプのついた一台の電化製品が視界の中央に置かれていた。

帰宅した時からずっと机の上にあったソレは水筒ぐらいの大きさで、
俺は感情を抑えた静かな声で筒状の家内に語りかけた。


「もういい、もう、十分だ。……プログラムは終了、命令だ」

「分かりました。仮想嫁人格プログラムを終了します」


――合成音声の返事の後、途端に俺は一人になった。

一人暮らしの寂しさを紛らわそうと流行りに乗って買ったソレは、
こちらの問いかけに対応して家電のスイッチを入れてくれたりだとか、
部屋の電気を自動でつけてくれたりだとか、ニュースや音楽、ネット検索ととにかく色々してくれるが。


「……ひと肌を与えてくれはしないんだよな」

俺は溜息と共に独り言ちた。

同時に床にしゃがみ込んだ。

誰が愛妻を持った良き夫だ。

これじゃあただの妄想一人暮らし野郎以外の何者でもない人間じゃないか!


そうとも俺は一人暮らし、年齢=彼女無しの何処にでもいる孤高のロンリーガイでしかない。

可愛い嫁なんて嘘っぱちだ。幸せな結婚生活は幻想だ。

田中琴葉? はっ! あんな有名人がどうしてこんな俺のもとに、
俺の彼女に、俺の嫁さんになるなんて現実あったりするもんかよ!!


「琴葉、琴葉っ、琴葉ことはぁ……!!」

ただ、ただ、そう考えれば考える程に彼女の事が脳裏に浮かぶ。

頭の中で処理の出来る、考えられる範囲が彼女の事で溢れていく。

写真で見つけた琴葉のあの笑顔が、テレビで見かけたあの動きが、
CDから聴いたその歌声が、琴葉、琴葉、琴葉の事で俺の内側がギチギチと一杯に埋まっていく、

幻想でもいい、妄想でもいい、

彼女の事を力一杯抱きしめたくて俺の両手は虚しく宙を切った。


その時だった。背後で「ただいま」と声がした。

俺は弾かれたように振り返った。


「ただいま。今帰って来たよ」


そこには一人の女性が立っていた。

少女の頃の面影を残して美しく成長した女性が。


「律子さんの車で送って貰ったら意外に時間かかっちゃって。コレは北海道に行ってたお土産で……って、机のそれ」


彼女の視線がさっきまで『仮想琴葉』だった家電に止まって不機嫌になる。


「……もしかしてまた、私が居ない間にくだらない遊びをしてたんじゃ」

「くだらないとはなんだ!」


俺は強がりながらそう叫んだ。

膝を立てて、立ち上がって、
長期の県外ロケから戻って来た愛妻の傍へと近づくと、


「琴葉が家にいないっていうこの三日間、俺がどれだけ寂しい思いをしたと」

「電話なら毎日してたのに」と彼女は完全に呆れた顔で言った。

「それでもっ、男は寂しいんだ!」俺は今一度自分の意見を主張した。

「そういうの、女々しいって言うの」

「じゃあ琴葉は寂しくなかったのか?」


彼女の言葉を遮るようにして俺はこちらから問いかけた。

荷物を持ったまま琴葉が固まる。その目線が居心地悪げに床に向かい、


「……それ、二人がプロデューサーとアイドルの時からずぅっと思ってたんですけど」


言って、彼女は紅潮した頬を見られまいとするように俺から顔を背けてしまう。


「そういう事を私の口から言わせるの……。ズルい」

「プロポーズは俺からしたじゃないか」

「だからズルいって言ってるのに!」


彼女がとうとう頬を膨らませる。

が、その可愛い癇癪は俺の飢えた心を刺激する最大級の悪手だった。


「こ、琴葉ぁっ!」

「きゃあーっ♪」


もう我慢のレベルを超えていた。問答無用で琴葉を抱きしめた。

背中に回した両手が薄いシャツ越しに彼女の下着のラインに触れる。

互いの目線が合った瞬間、どちらともなく突き出された唇を恥ずかしげなく重ね合って。


「ん、んぅ……。さびしかったぁ」


今夜の予定が今決まった。ひょっとすると前から予約されてたかもだが、
とにかく、俺達が愛を確かめ合っていると丁度お知らせ音が鳴り響いた。

風呂の準備が整った合図だった。

琴葉が名残惜し気に俺から距離を取り、その潤んだ瞳をこちらに向けて小さく言った。


「……ん、私汗が気になる」

「そんな事言ったら俺だってさ」

「アナタもまだ入ってないの?」

「だって仕事から帰ったばっかりだぞ」


すると彼女は恥ずかしそうにはにかみながら、


「――私、お風呂入りたいなぁ」


その指先がこちらのシャツをしっかと握りしめていたから、
次の瞬間、俺は琴葉をお姫様抱っこで抱え上げた。

彼女の腕が首に回る。

こちらへと心身共に任せきった嫁の願いを叶えずして何が愛妻想いの夫かと!


「全くお前は可愛いなぁ!」


琴葉が珍しくドヤ顔を見せる。
照れ笑いを隠し切れない真っ赤な顔だ。

そんな彼女の確かな重みを感じながら、
しかし、俺は改めて自分の幸福ぶりを振り返ってみて考えるのだ。


俺には愛する嫁がいる。

家に帰れば琴葉って可愛い嫁と会える。

そうして、この幸せな生活を末永く続けて行ければいいと思っているし、
その為ならきっと明日からも、毎日を懸命に生きて行けるだろう――ってね!

===
以上おしまい!

交流会だったりなんだったりで色々と刺激を受けて久々にこんな感じの話を書いた。

最後までお読みいただきありがとうございました。

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