ヴィクトリカ「久城……私も、君のことが大切だ」久城一弥「ヴィクトリカ……」 (18)

「うーむ……」

ここは新大陸。陽は沈み、辺りは真っ暗。
ニューヨークの街にひっそりと建つ古びたアパルトマンの一室にて、耳を澄ますと、何やら1匹の小さな仔狼が唸っているようだ。

「久城の奴め……どういうつもりだ?」

人語を口にするこの小さな仔狼の名は、ヴィクトリカ。新大陸に渡る際に姓は捨てたので、ただのヴィクトリカである。

「気持ち良さそうに寝息を立ておって」

端正に整った顔立ちはビスクドールを思わせるほどに人間離れしており、しかしその声は枯れていて、まるで老婆が話しているようにも聞こえる。無論、彼女はうら若き乙女だ。

ヴィクトリカは長い睫毛を重たそうにパサパサ瞬きして隣で寝息を立てる青年を見つめていた。彼は彼女のパートナー、久城一弥だ。

「ひとの気も知らずに……ぐーすかと」
「むにゃ……ふふっ。ヴィクトリカったらグリンピースが鼻の穴に入ってるよ。いくら嫌いだからってそんなところに入れたら……」

あられもない一弥の寝言に、ピキリと。
陶磁器のようなヴィクトリカのこめかみに血管が浮き出て、丸くて愛らしい額を縦断するように、深い深いシワが眉間に寄った。

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「ほ、ほほう。この男……随分と愉快な夢を見ているらしい。そうか。それは何よりだ」

ヴィクトリカはとても頭が良い。
そんな彼女は一弥の寝言によって自分が夢の中でどんな辱めを受けているか理解した。
そしてヴィクトリカとても短気であった。

「グリンピースを御所望だな? ようし。待ってろ久城。いま、持ってきてやる」

ぴょんと寝台から飛び降りて、裸足のままペタペタとキッチンに向かう。
夕食の残りのグリンピースが入った皿を抱えてすぐに寝室へと戻る。そしておもむろに。

「ほら、久城。お望みのグリンピースだ」

ぷくぷくした指先で一粒緑色の豆を手に取って、一切の躊躇いもなくそれを一弥の鼻の穴に突っ込んだ。しかし、彼は目覚めない。

「ふがふが……」
「くふっ。片方だけでは寂しいか? ならば、もう片方の鼻の穴にも詰めてやろう」

ヴィクトリカは容赦がなかった。
仮に鼻の異変に気付いた一弥が飛び起きたとしても、彼女は決して許しはしない。
たとえ夢の中であっても、乙女の鼻の穴にグリンピースを詰めた罪は重いのである。

「ふむ。我ながら傑作だな」
「ふごっ……ふごっ……」

まさしく悪魔のごときヴィクトリカの魔の手によって、一弥は両方の鼻の穴にグリンピースを詰められて、呼吸困難に陥った。
苦しげに呻く一弥を見下ろして満悦に浸る。

申し訳ありません!
グリンピースではなく、正しくはグリーンピースでした。
確認不足ですみません。

以下、続きです。

「どうだ? 苦しいかね、久城。君は悔い改めねばならん。この私を夢の中で穢したことはこの罰で許してやってもいい。そんなことより、この私が隣に寝ているのにすやすや先に眠るなど、たとえ神が許したとしてもこの私が……」
「くしゅんっ!」
「あいたっ!?」

説教の最中に盛大なくしゃみをかました一弥の鼻に詰まったグリーンピースは当然吹き飛び、恐ろしい速度でヴィクトリカの丸い額に直撃した。瞠目した彼女の目に涙が溜まる。

「い、痛いのだ……」

ぽたり、ぽたりと、大粒の涙が頬を伝う。

「い、痛いのだあああうああああんっ!!」
「な、なに!? どうしたのヴィクトリカ!」
「痛いったら痛いのだあああああ!!!!」

これには堪らず久城も飛び起きた。
彼は寝ぼけ眼を擦りつつ、現状を確認。
室内には泣きじゃくるヴィクトリカだけ。
強盗が押し入ってきた形跡はない。ならば。

「よしよし。怖い夢を見たんだね」
「うがあああっ!? 違う! 違うぅ!」
「大丈夫、大丈夫。もう怖くないよ」

一弥の勘違いはヴィクトリカの怒りに並々と油を注いで燃え上がらせた。大事故である。
初期消火に失敗したとはいえ、一弥のその後の処置は的確で、ぎゅっと小さなヴィクトリカを抱きしめて、その背中を撫でてやった。

「ううっ……久城、酷い。久城、嫌い」
「はいはい。ごめんね。でも傍に居るよ」

ヴィクトリカの罵声もなんのその。
久城一弥はやんわりと受け流した。
彼はガラス細工のように繊細なヴィクトリカの取り扱いを完全に熟知しているのだ。

「ひっく……久城」
「ん? なあに、ヴィクトリカ」
「もう痛いことしない?」
「痛いことなんてしたことないだろう?」
「……嘘つき」

一弥が無自覚なのはヴィクトリカとて理解している。それでも不満は収まらない。
潜在的な不満も相まって、彼を糾弾した。

「久城」
「今度はなんだい、ヴィクトリカ」
「そもそも君は何故寝ている?」
「何故ってそりゃあ、今日も一日お仕事で疲れたから、眠くなるのは当然でしょう?」
「私の隣でもか?」

潤んだ瞳でじっと見つめる。一弥は微笑み。

「うん。君の隣だからぐっすり寝れたよ」

それは正答であっても、正解ではなかった。

「そうか……よくわかった。久城は……私のことなど、どうでも良いのだな」
「ヴィクトリカ?」
「もういい……寝る」

それっきり、くるりと反対側を向いて、ヴィクトリカは不貞寝した。枕を濡らして。
一弥はそんな彼女の悲壮感漂う背中に手を伸ばしかけて、しかし、触れたら壊れそうで怖くて、何も出来なかった。ただ声をかけた。

「ヴィクトリカ、どうしたの?」
「別にどうもしない」
「でも君、怒ってる」
「怒ってなどいない」

ヴィクトリカはもう怒っていない。
ただただ、ひたすらに、悲しかった。
自分が彼にとってそういう対象に思われてないことが悔しくて、ひたすらに惨めだった。

「怒ってないなら、どうして泣いてるの?」
「ぐすっ……自分で考えたまえ」
「ごめんよ、ヴィクトリカ。僕には君のような溢れる知恵の泉は存在しないんだ」

知恵の泉など、無意味だと、不貞腐れる。
ヴィクトリカの知恵の泉をもってしても大切な相手の気持ちすら、わからないのだから。

「もしかして、君にもわからないとか?」
「私にわからないことなどない」
「僕にはあるよ。数えきれないほど、沢山」

一弥はヴィクトリカの背中に向けて、静かな口調でわからないことを打ち明けた。

「まずは、ヴィクトリカのこと」

ヴィクトリカは一弥の大切な人だ。
もうかなり付き合いは長いし、どんな女の子かは理解している。しかし、全部はわからない。
心の底までは見透かせないし、そもそも失礼だろうから、そこまでするつもりはない。

「それから、僕自身のこと」
「なんだ、それは。どういう意味だ?」

一弥の言葉に思わず聞き返してしまう。
振り返ると、彼はやや俯いていて、申し訳なさそうに下がった眉にかかる黒髪を見て、咄嗟にヴィクトリカは一弥の頬に触れた。

「久城、情けない顔をするな」
「ごめん……ヴィクトリカ」
「ちゃんと話を聞くから、顔をあげたまえ」

労わるように触れるヴィクトリカの手にそっと自分の手を重ねて一弥は胸中を吐露した。

「僕は君のことを大切に想っている。それは本当のことなんだ。でも最近、隣で寝ている君を見ていると……その」

ヴィクトリカはそれだけで理解した。
灰色狼の末裔の頭脳は伊達ではないのだ。
普段ならば、邪な煩悩を抱いた一弥をおちょくるところではあるが、ぐっと堪えた。

「どうした、久城。続きを話したまえ」
「でも、これ以上は……」
「いいから。私は君の話が聞きたい」

躊躇う久城の目を真っ直ぐ見つめて、ヴィクトリカは話の続きを促した。

「あのね、ヴィクトリカ。僕はどうしても君に嫌われたくないんだ。だから怖くて……」
「なんだ、さっき私が嫌いと口にしたことを気にしているのか? 無論、本意ではないとも。久城ならば、その程度理解していると思っていたが……わかった。はっきりと明言しよう。私が君を嫌うことなどありえないと」

思えば、ヴィクトリカは甘えていた。
献身的に尽くしてくれている久城に甘えて、彼に対しての配慮が足りなかった。
これまでの関係ではそれでもなんとか上手くいっていたが、これまで以上の関係を築くのならば、きちんと向き合う必要があった。

「久城……私も、君のことが大切だ」
「ヴィクトリカ……」
「私の抱くこの想いは、恐らく君が考えている以上に大きく、君が私に抱いているそれと同程度であると、私はそう思っている」

自分の感情を口で説明するのは難しい。
ましてや、これまでそうした意思疎通をしてこなかったのだから尚更だ。ツケを支払う。

「私は……久城。君のことが……」
「好きだよ、ヴィクトリカ」

一弥はやはり、ヴィクトリカに甘い。
過保護な彼が恨めしい。けれど、嬉しい。
自分の口でちゃんと言わなければならないのに、わかっているのに、甘えてしまうのだ。
恐らく、そんな相手はこの星のどこを探しても存在するまい。久城一弥だけが、特別だ。

「……いいかね、久城。君の不安は杞憂だ」
「本当かい?」
「ああ。私は君を絶対に嫌わない。約束だ」
「うん……わかった。じゃあ、言うよ」

小さなヴィクトリカの小指と自分の小指を絡めた一弥は、意を決して、彼女に伝えた。

「僕は君のお尻に触れてみたい」

一弥の願いはちょっとよくわからなかった。

「ああ、言っちゃった! 恥ずかしい!」
「く、久城……?」
「ああ、最低だ! 僕は日本男子なのに、婦女子に対してなんてことを! ごめんなさい!」

とうとう言ってしまったとばかりに赤面して己を恥じる様子に、ますます謎が深まった。

「要するに君は、話のお尻に触れたいと?」
「ごめんよ、ヴィクトリカ。やっぱりダメだよね。わかっていたんだ。だから僕はなるべくそのことは考えないようにして、毎日無心で寝ていたんだよ。これまで必死に我慢してきたのに、僕は……弱かった」

問いただすと久城は寝台の上で正座して、忸怩たる悔悟の念をぶちまけた。
恐らく、彼の手に短刀が握られていたならば十字に腹を掻っ捌いていただろう。
そのくらいの剣幕で土下座をした。

「本当に申し訳ない」
「いや、すまない。この私の知恵の泉をもってしても、君の抱える謎は解けない」

ヴィクトリカには理解出来なかった。
何故、尻なのか。どうしてなのか。
いや、文献によれば女の尻に興奮する男が一定数存在するという事実はたしかにあるが、他にも色々あるだろう。そう思い尋ねる。

「君にはもっと欲はないのか?」
「と、仰りますと?」
「たとえば、ほら、もっとこう過激な……」
「過激って? どんなことをするの?」

キョトンと首を傾げる久城。
まるで無垢な子犬のようである。
対するはちょっとませた仔狼。
なんだかすごくふしだらに思えた。

「いや、なんでもない。私は何にも、なーんにも知らないとも! さっぱりだ!」
「でも、知ってる口ぶりだったよね?」
「く、口答えするな! そんなことより!」

このままでは分が悪いと見たヴィクトリカは、話題を逸らすべく、彼の手を取って。

「特別に、お尻に触らせてやろう」
「っ……!」

己の尻に手を導いて、触らせてやった。
一弥は一瞬ポカンと間抜け面を晒したあと、すぐに真っ赤になって、口をパクパク。

「んん? どうした、久城。まるで金魚だな」
「だ、だって! だって!」
「そんなに私のお尻に触ってみたかったのか? くふっ。久城は本当に初心だなぁ!」

慌てふためく一弥を見て、ヴィクトリカの悪癖のスイッチが入ってしまい、小馬鹿にしたように嘲笑った。すると彼は、おもむろに。

「むむっ……えいっ!」

もぎゅっ!

「ふあっ!?」

マシュマロみたいなヴィクトリカのお尻を握りしめた。堪らず悲鳴をあげると彼は嗤い。

「フハッ! なんだい、ヴィクトリカ。さっきまでの余裕はどこにいっちゃったのかな?」
「く、久城……よくも……!」

ギリギリと歯軋りをして睨みつけるのだが。
灰色狼に似つかわしくないかわいい悲鳴をあげてしまったヴィクトリカの顔は真っ赤だ。

「どうだい、お尻も悪くないだろう?」
「ふむ。そのようだな。君はどうかね?」

ぎゅむっ!

「んあっ!?」

今度はこっちの番だとばかりに一弥のお尻を揉みしだく。男の癖にやけに柔らかい尻だ。
けしからんと思い、盛大にビンタしてやる。

「この! これでもか!」

パンッ! パンッ!

「きゃあっ!? きゃあああっ!?」

パンッ! パンッ! パンッ!

「これはグリーンピースのぶん! これは私を淫らな女に仕立てあげたぶん!!」

パンッ! パンッ! パンッ! パンッ!

「やめて! お尻が割れちゃう!?」
「知恵の泉が告げている……尻は初めから割れているとな」

格好良く決め台詞を吐くと、スッキリした。
見ると、いつの間に寝巻きが肌けたのか、一弥のお尻が露出していて、ヒクついていた。
月夜に照らされる尻穴は存外、美しかった。

「ん? これは……」

そこでふと、手に違和感を感じた。
見ると、そこにはグリーンピースが。
何気なくそれを手に取ったヴィクトリカは、一切の躊躇いもなく、それを一弥の尻穴に近づけて、そしてひと思いに突っ込んだ。

ずぼっ!

「んぎっ!?」
「フハッ!」

瞬間、ヴィクトリカは愉悦と共に理解した。
溢れる知恵の泉が告げている。謎は解けた。
なるほど。たしかに、尻とは魅力的である。

「と、取って! 取ってよ、ヴィクトリカ!」
「フハハハハハハハハハハハハッ!!!!」

悲しい哉、一弥の懇願はもはや届かない。
完全に理解してしまったヴィクトリカは、尻をくねらせて踊る一弥の尻に打ち込まれたグリーンピースを見つめて、この光景を生涯忘れないと誓い、Ah~……謎が解けていくのを感じながら哄笑し続けた。

「も、もう、出るっ!」

すぽんっ!

「あいたっ!?」

しかし、狂喜は唐突にやんだ。飛んだのだ。
ヴィクトリカの打ち込みが浅かったのが原因であり、彼女がもう少し尻穴に造詣が深ければ起こり得なかった不幸な事故である。

「ヴィ、ヴィクトリカ!? 大丈夫!?」
「う、ううっ……痛い、のだ」
「ヴィクトリカアアアアアアッ!?!!」

不運にも今宵二度目の凶弾に倒れ昏倒したヴィクトリカは、一弥の懸命な呼びかけも虚しく、朝まで目を覚ますことはなかった。

翌朝。

「んっ……あれ? 私は、たしか……」
「あ、起きた? おはよう、ヴィクトリカ」
「ああ、久城……おはよう」

目覚めると、一弥がそこにいた。
どうやら丁度朝食を作り終えたらしく、キッチンからは焼けたパンの香りが漂っている。

「さあ、ヴィクトリカ。朝ごはんだよ」
「む? あの忌々しい緑色の豆はどうした?」
「え? あ、ああ。実は昨日の夜小腹が空いちゃってね。全部僕が食べちゃったんだ」

昨日の夕食で残したグリーンピースについて尋ねると、一弥は慌てて誤魔化してきた。
ヴィクトリカはそうかと頷き納得した様子。

「ホッ。良かった。昨夜のこと覚えなくて」
「ん? 何か言ったかね?」
「ううん! 何でもないよ、召し上がれ」
「ああ、頂こう。と、その前に……」

たっぷり塗られたジャムのパンを囓る前に、ヴィクトリカはにやりと嗤って、言った。

「先にご馳走さまと言っておこうか」
「へ? ご馳走って、どういう意味?」
「無論、グリーンピースを喰らわせてくれてという意味さ。実に、美味だったぞ」

容疑者はダラダラと冷や汗を流して、目を逸らしながら、苦しい言い逃れをし始めた。

「た、たぶん、それは悪い夢だよ」
「ほう? 夢か。だが、それはあり得ない」
「ど、どうしてそう言い切れるのさ?」

ヴィクトリカは告げる。緑色の豆を掲げて。

「知恵の泉が告げているのだよ。夢ではないと。そして、ベッドのシーツに転がっていたこの凶器が、誰のどこから放たれたものか。犯人は久城、君だ」

その日以来ヴィクトリカは、香ばしくも仄かに甘い、緑色の豆が好きになった。


【GOSIKC GREEN・SWEET PEA】


FIN

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