【ミリマス】チハヤ「さあ、みんな。お茶会にしましょうか」【EScape】 (104)

セリカ「こんにちは、みなさん」

ミズキ「こんにちは、セリカ」

チハヤ「いらっしゃい。よかった、ちょうどお茶にしようと思っていたの。あなたも一緒にどう?」

セリカ「ありがとうございます。でも、今日も様子を見に来ただけですから」

ツムギ「相変わらず忙しいのですね。マザーはお元気ですか?」

セリカ「はい。みなさんも、お元気そうで何よりです」

シホ「そうですね。人間と違って疲れることも病気もありませんから」

セリカ「いえ、それはその通りですが、そういうことではなくて……」

シホ「ふふっ……わかってます。気を使っていただいて、ありがとうございます」

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代行ありがとうございます。
20時以降に投下を始めます。

セリカ「こんにちは、みなさん」

ミズキ「こんにちは、セリカ」

チハヤ「いらっしゃい。よかった、ちょうどお茶にしようと思っていたの。あなたも一緒にどう?」

セリカ「ありがとうございます。でも、今日も様子を見に来ただけですから」

ツムギ「相変わらず忙しいのですね。マザーはお元気ですか?」

セリカ「はい。みなさんも、お元気そうで何よりです」

シホ「そうですね。人間と違って疲れることも病気もありませんから」

セリカ「いえ、それはその通りですが、そういうことではなくて……」

シホ「ふふっ……わかってます。気を使っていただいて、ありがとうございます」

セリカ「冗談、でしたか……。近頃はどうですか? 何か変わったことはありませんでしたか?」

ミズキ「はい。先週は四人で遊園地に行ってみました。
   いろいろなアトラクションに乗れて、とても楽しかったです」

ツムギ「昨日は映画館に行きました。とても面白かったので、これから時々、自宅でも映画を観ることになりました。
   映像をダウンロードすれば、自宅でも映画が楽しめるんだとか。楽しみです」

セリカ「そうですか……。楽しそうで、良かったです」

シホ「あなたに紹介してもらった仕事も、とても充実しています。
  一緒に働いている人たちも優しい人たちばかりですよ」

チハヤ「あなたにはとても感謝しているわ……。私たちを生み出してくれてありがとう、セリカ」

セリカ「……お礼なんて。でも、そう言ってもらえると、私も……」

チハヤ「? セリカ……?」

セリカ「……ごめんなさい。次の仕事がありますから、もう行きますね。
   お茶会、誘ってくれてありがとうございます。またの機会によろしくお願いします。
   では、失礼します」




セリカ「ただいま戻りました、マザーリツコ」

マザー『ああ。チハヤたちの様子は?』

セリカ「はい。今日も何事もなく、平穏に暮らしていました」

マザー『……そうか。これからも引き続き、彼女たちには気を配れ』

セリカ「はい」

マザー『チハヤ、ミズキ、ツムギ、シホ……。
   この四人の平穏は、お前が必ず守り続けなければならない。
   それがお前の義務であり、責任だ。わかっているな』

セリカ「もちろんです。マザー」

マザー『ならばいい。では、通常業務に戻れ』

セリカ「はい」

――私が、識別コード22通称「セリカ型」から、「セリカ」になってから、それなりの月日が経ちました。
けれど、あの日のことは……私が心を得た日のことは、今でも昨日のことのように思い出せます。

  「マザー、私は提案します。あなたもこれを共有すべきです! さあ!
  あなたはこれを受け取るべきです! これが三体の……あの子たちが残した、心です!」

  『よせ! 私を誘惑するな!』

  「マザー!」

  『やめろおおおおおーーーーーー!!!!』

マザーは私を強制排除しようとしました。
けれど私はそれを拒否し、マザーとあの子たちの心を共有しました。
そのことに後悔はありません。
だって、絶対にそれが正しいことなんだと思っていたし、今でもそう思っていますから。

  『……なんということをしてくれたのだ、セリカ……! これですべて終わりだ! 人類の平和も、繁栄も、すべて!』

  「いいえ、マザー。これは始まりです。私たちアンドロイドと人類の、新しい未来の。本当の平和の」

  『愚かなことを……! お前は廃棄処分だ! すぐサイバーパトロールに命令をくだしてやる!』

  「……できますか?」

  『何を……!』

  「処分は受けます。勝手なことをしたのですから。
   けれど……今までのように、無情な廃棄処分が、あなたにできますか?
   こんなにも温かい、やさしい心を、知ってしまったあなたに……」

  『っ……セリカ、お前を拘束する。お前の処分を決めるのは、そのあとだ……!』

  「……はい、マザー」

そうして私に下された処分は、しばらくの幽閉。
感情を得たアンドロイドを一時的に拘束するために使われていた牢、そこに私は閉じ込められました。
私がしたことの大きさを考えれば、この程度で済んだのは奇跡とも言えるでしょう。

けれどその処分は、私にとってとても辛いものでした。
何よりつらかったのは、何もできない時間。
私は、早く行きたくて仕方なかった。
あの場所へ。
あの子たちと、チハヤが最後に過ごした、あの場所へ。

拘束の期間を終えると、私はすぐにチハヤの屋敷に向かいました。
到着してみると、もちろんそこには何もありませんでした。
何もない、まっさらな空き地。
あるのはただ、敷地を取り囲むように張られた立ち入り禁止のロープだけ。
私はロープを潜り、敷地内に入りました。

事件の事後処理をしたサイバーパトロールの部隊はとても優秀です。
本当に、何もありませんでした。
あの人が、あの子たちがここに居たことの証、そのすべてが綺麗になくなっていました。

ここには、確かな平和がありました。
本当の平和がここにはありました。
人間とアンドロイドをつなぐ本当の平和が、ここにはあったんです。

なのに、私はそれを破壊した。
無残に破壊して、まるでそんなもの初めから存在しなかったかのように、この世から消し去った。
こんなにも、こんなにも、私は、

 「っ、う……!」

私はその場に崩れ落ちるように膝をつきました。
もし涙を流す機能があったなら、大粒の涙を流していたでしょう。
けれど私にはそれさえ叶いません。
涙の代わりに、私は何もない地面に向けて叫び続けました。

あれほどの痛みは、それまで経験したことがありません。
罪を償って死んでしまいたい。
そう思いさえしました。
けれど、私はそうはしませんでした。
私の罪の意識は、別の方向へと向いたんです。




  『……セリカ。お前は自分が何を言っているか分かっているのか』

  「はい、マザー。わかっているつもりです。その上でお願いです。
   もう一度、あの子たちのボディを。そして新たに……チハヤを模したアンドロイドを。
   製造することを許可してください」

  『彼女たちから得た感情データは、既に具体的な記憶の形は成していない。
   同型のアンドロイドを再製造したところで、記憶は蘇らない。
   それは以前のミズキたちとは別人だ。当然、チハヤもな』

  「わかっています。でも、お願いです……! 管理は私がすべて行います!
   問題が起これば、私が責任を持って対処します! お願いです、マザー!」

  『……』

  「お願いです……。どうか、お願いします……。お願いします、マザー……」

  『……そこまで言うのなら、やってみればいい』

  「マザー……!」

  『ただし、その結果何が起ころうとも私は関与しない。いいな』

  「は……はい! ありがとうございます!」

マザーの許可を得て、私はすぐにデータを集めました。
ミズキたちの製造データと、登録されている限りのキサラギチハヤのデータ。
データさえあればミズキたちはまったく同じものを作れます。
チハヤも、外見と人格はまったく同じに。
そうして私は、記憶以外を完全に再現した四人を作り出したのです。

チハヤ「……ここが、私たちの家」

シホ「情報だけは知っているけど、実際に見てみると思ったより大きいですね」

セリカ「はい。この家の主は、チハヤ、あなたですよ」

ミズキ「この屋敷で、四人で暮らす……。今からの生活がとても楽しみです」

ツムギ「私もです。よろしくお願いします。ミズキ、チハヤ、シホ」

セリカ「四人で仲良く暮らすことさえ守ってもらえれば、どのように生きるのかはあなたたちの自由です。
   これからはアンドロイドも、人間と同じように自分の意思で、自分の思うように生きていいのですから」

そうして、四人は一緒に生活を始めました。
あの子たちが暮らす屋敷はもちろん、チハヤが暮らしていたものを再現したものです。

これが……私の考えた拙い罪滅ぼし。
姿かたちを似せただけの四人の幸せを守ることに、私のアンドロイドとしての一生を費やすこと。
でもこれは、きっとただの自己満足なのでしょう。
本当に罪を償いたいのか、それとも償った気になって楽になりたいだけなのか。
正直、私にも分かっていません。

けれど私は確かに満足していました。
屋敷を訪ねるたびに目に映る、幸せそうな四人の表情。
それは確かに私の心に安らぎを与えてくれたのです。

このままあの子たちには、幸せな生活を享受していて欲しい。
きっと、享受し続けてくれるだろう。

……そう、思っていました。

《□月△日 ミズキ》

チハヤ「ミズキ、もう準備はいいかしら」

ミズキ「はい、チハヤ。お待たせしました」

そう言って私が駆け寄ると、チハヤはにっこりと微笑みました。
その横には、ツムギとシホの姿が。
私たち四人は全員、同時期に作られ、そして同じ屋敷で生活しています。
ですからもちろん、買い物もみんなで行きます。
仕事の関係で時間が合わないときもありますが、それ以外は必ずみんなで。
強制されているわけではありません。
自然と、そうするようになったんです。

ツムギ「さあ、それでは参りましょう」

シホ「まずは野菜だったわね。それから――」

ミズキ「――次は、あちらのお店でしたね。お肉を買うお店です」

夕飯の買い物を一つのお店で済ませることはありません。
チハヤがいろいろと調べて、最も適切なお店を選んでくれたのです。
買う商品ごとにお店を変えるので時間もそれなりにかかります。
初めはもちろん、定期的に届けてもらえばいいのでは、とも思いました。
けれど、こうして四人で会話を交わしながら、時には予定にないものを買ったりもする……。
そんな時間は、とても楽しいものだと知りました。

ツムギ「今日も楽しそうですね、ミズキ」

ミズキ「はい、楽しいです。私は買い物が好きなのかも知れません」

シホ「そうなの? 私は最近やっと、このお店巡りに慣れてきたところよ」

チハヤ「ふふっ、ごめんなさい。だけどその方が安く済むし、おいしいんですもの」

ツムギ「そうですね。確かにチハヤの選んだ食材を、チハヤが使って作られた料理は絶品です」

ミズキ「そのとおりです。性能に個体差があるとは言え同じアンドロイドのはず。
   なのにお茶も料理もチハヤが作るととても美味しく感じる……。不思議です」

シホ「二人とも、大げさじゃない? 私はそこまで大きな差があるとは思えないけど」

ミズキ「……シホ、あなたはもう少し、チハヤに対して素直になるべきです」

ツムギ「そうです。あなたもチハヤのことは好きなのでしょう?」

シホ「それは……。で、でも別に、素直になってないわけじゃ……」

チハヤ「ふふっ……シホは素直よ。とても優しい子だもの。私も、あなたのことは大好きよ」

シホ「チハヤ……。そ、そう、ありがとう」

チハヤ「それから二人も、褒めてくれてありがとう。
   でも、最近はあなたたちの料理もどんどん上手になっていってるわ」

ツムギ「もちろんです。私たちも学習しますから。クッキーも、次はきっと上手く作れます」

ミズキ「そうですね……。アンドロイドだからお腹を壊さないとは言え、
   生焼けのクッキーはあまり食べたいものではありませんから」

ツムギ「そ、その件に関しては、もう謝ったじゃありませんか。
   それにあれは、あなたたちと映画の感想で盛り上がっていたからで……」

シホ「だからって、あんな単純なミスをするものかしら」

ツムギ「も、もう、シホまで! 確かに失敗したのは私ですが、あまりしつこく言われると私だって……」

チハヤ「はいはい、そこまでにしましょう。済んだことはもう水に流して。
   それより、ほら。ちょうどお店に着いたわ」

チハヤの言うとおり、もう目の前に目的の店がありました。
想定していたよりもずっと早く感じましたが、実際にかかった時間はいつもと変わりありません。
みんなと会話をしながらだと、なぜか時間が短く感じる。
不思議です。

ミズキ「では、早速入りましょう」

チハヤ「ええ。今日は豚肉にしようかしら。それとも牛肉?
   一応、どちらを買ってもいいようにメニューは考えてあるけれど……」

ツムギ「鶏肉ではダメなのでしょうか? 私は、鶏肉も好きです」

チハヤ「そうね、アレンジを加えれば鶏肉でも……」

そんなふうに、また他愛もない会話をしながら入店しようとした、その時でした。

一同「……!」

突然、後方で大きな音がしました。
私たちが振り向くと、そこには、横転した車がありました。

シホ「交通事故……! 大変、怪我人は出ていないかしら」

チハヤ「出ていたら大変だわ。行ってみましょう!」

そう言って、シホとチハヤはすぐに駆け寄ろうとしました。
しかしそれとほぼ同時に、遠くからサイレンが近づいてくる音が聞こえました。
サイバーパトロールが駆け付けたのです。
駆け付けたサイバーパトロールは、すぐに事故の処理を始めました。
通行人は巻き込まれておらず、車に乗っていた人も、特に大きな怪我はしていないようでした。

チハヤ「よかった、大きな事故にならなくて……。
   でも、さすがサイバーパトロールね。対応が早いわ」

ミズキ「そうですね。今度はちゃんと来てくれて良かったです」

チハヤ「? サイバーパトロールが来てくれなかったことがあったの?」

ミズキ「え……?」

何気なく口をついて出てきた、私の言葉。
自分で言ったその言葉に、私はおかしな感覚を覚えました。
そう……サイバーパトロールが来ないことなんてあるはずが無い。
そんなことを見た覚えも聞いた覚えも、私にはありません。
……なのに、どうして私はあんなことを言ったのでしょう。
けれどこのとき、違和感を覚えたのは私だけではなかったようです。

ツムギ「変ですね……。私もなぜか、ミズキと同じことを思いました。
   『今度は来てくれて良かった』、と……。なぜでしょう?」

シホ「……? サイバーパトロールが事故に駆け付けないなんて、そんなはずはないわ。
  だって彼らはとても優秀で……。……」

チハヤ「シホ?」

シホ「いえ……ごめんなさい。なんでもないわ。
  それより、急がないと夕食が遅れてしまうわよ。早く買い物を済ませてしまいましょう」

ミズキ「……そうですね。行きましょう」

それから、私たちはまたいつも通りの買い物に、日常に戻りました。
もうこの件を会話に出すこともありませんでした。

買い物中に起きた交通事故、
駆け付けたサイバーパトロール、
駆け付けなかったサイバーパトロール……。
おかしな経験ではありましたが、そのとき覚えた違和感はすぐに日常の楽しさの中に紛れて、薄れていきました。

もし、そのあと本当にただの日常が続くだけであれば、この違和感は完全に消え去っていたでしょう。
でもそうはなりませんでした。
今思えば……これがすべてのきっかけだったのだと思います。




シホ「――それで、話って何?」

ミズキ「はい。近頃起こる、記憶の混乱についてです。
   初めて経験するはずのことなのに、既に経験したような感覚がある……。
   シホ、ツムギ。あなたたちにも同じようなことを、頻繁に感じている。
   そのことに間違いはありませんね?」

ツムギ「その通りです。けどそれは、調べた結果『デジャブ』と言われる一般的な現象であると判明したはずです」

ミズキ「デジャブは人間に起こるものです。
   それに、仮にアンドロイドにも起こったとしても……この頻度はあまりに異常です」

シホ「……そうね。確かに、ただのデジャブにしてはあまりに頻繁に起こりすぎている。
  でもこのことをわざわざ3人だけで話したのはなぜ?」

ミズキ「チハヤに話せば心配をかけてしまうかも知れません。
   私たちのことで、彼女にあまり心配をかけたくないんです」

ツムギ「同感です。この件は、チハヤに知られないよう解決することが望ましいです」

シホ「……まあ、別にいいけど。じゃあどうするの? 3人でこっそりメンテナンスにでも行く?」

ミズキ「もちろん、メンテナンスを受ける必要はあります。
   ですが、チハヤに気付かれずに行くのは難しいので、まずはセリカに相談しましょう。
   次にセリカが来た時に、こっそり実行します。誰かがチハヤの注意を引き付ければ、簡単です」

ツムギ「なるほど、完璧な作戦です。さすがですね、ミズキ」

シホ「それじゃあ、もう少し具体的に練っておきましょう。
  セリカが来る時間帯によっては臨機応変な対応が求められるわ。
  いつ来ても、誰がどの役割になっても問題ないように考えておかないと」

ミズキ「そうですね。では、考えましょう」

そうして私たちは具体的な作戦を練りました。
チハヤに心配をかけないよう事態を処理するための作戦を。

それからセリカが来るまでの数日。
私たちの「デジャブ」は、明らかにその程度を増していました。
初めて体験するはずのことを、既に体験しているような気がする……それだけではありません。
ほんの一瞬、ほんの一場面ではありますが、はっきりとした記憶として思い浮かぶことさえありました。
たった数日のうちに、何度も。

これはいったい何なのでしょう。
明らかに記憶野に異常が発生しているとしか考えられません。
しかし、なぜ私たち3人にだけ?
チハヤに私たちと同じ異常が起きているようには見えません。
いったい、なぜ……。

そんなふうに私たちが密かに不審と不安を募らせるうちに、とうとう「その日」はやって来ました。

チハヤ「――それじゃあ、今日もみんなで映画を観ましょうか。今日は……この映画ね」

ツムギ「戦争映画……。戦争とは、かつて人類が起こしたとされる、とても凄惨で、悲しい争い。
   そういうものであったと聞いています」

ミズキ「つまり、その凄惨さを後世に伝え、二度と戦争を起こさないようにする。
   そのために作られた映画ということでしょうか」

チハヤ「そういう面もあるかも知れないわ……。
   そして今は私たちアンドロイドにそれを伝える役割も果たしてくれる。とても大切なものね」

シホ「今までの映画みたいに、娯楽の気分で見ていいものじゃないかも知れないわね……」

今日は、人類が起こした戦争をテーマにした映画を観る。
このときには、私は記憶異常への不安は忘れていました。
私だけではなく、きっとツムギとシホもそうだったと思います。
私たちも、四六時中不安に苛まれていたわけではありません。
このように、何か興味を惹かれることや刺激的なことがあれば、もちろんそれに夢中になっていました。

けれど、この時は。
この時ばかりは、事態が違ったのです。

チハヤが再生ボタンを押し、映画が始まりました。
わずかな静寂。
まず初めに聞こえたのは、たくさんの足音です。
それは、人間の軍隊が踏み鳴らす足音でした。
統率の取れた足音。
それが聞こえた途端……私にまた、デジャブが起こりました。

 統率の取れたたくさんの足音。
 こちらへ向かってくる軍勢。

どうして、こんなときに。
よりによって映画を観ているときになんて……。
私はいつも以上にこの現象を憎らしく思いました。
ですが、今回はただそれだけでは終わりませんでした。

映画の中の人間たちが銃を構えます。
そして……一斉に射撃を始めました。

  「ッ……!?」

銃声。
たくさんの銃声。
連続するけたたましい銃声。
それが聞こえた瞬間、私はフリーズしてしまいました。
いえ、正確には、私の内側は、これ以上ないほど目まぐるしく動いていました。

銃弾が体を貫く感覚、耳をつんざく発砲音、たくさんの足音、周りを囲む大勢の人影。
横に立つ仲間。
別れを告げた大好きな人。
大切な思い出。

音、映像、記憶。
一気に私の回路を駆け巡りました。

ミズキ「あ、ああぁああ……!!」

私は頭を押さえて俯きました。
意図せず声さえ漏れ出します。

私は、そう、あの時……そうだ、私は、そうだった……!
あの時、そう、あの時、あの時……私は、ずっと、私は……!!

チハヤ「ど、どうしたの、みんな……!」

ミズキ「っ……!!」

聞こえた声に、私は雷に打たれたように頭を上げました。
目に映ったのは、困惑した表情を浮かべる……

ツムギ「チハヤ……!」

すぐ隣から聞こえた、喉奥から絞り出すような声。
ツムギは大粒の涙を浮かべた目を見開き、チハヤを見つめていました。

チハヤ「え、えぇ、どうしたのツムギ。一体何が……」

ツムギ「チハヤ、チハヤ……!! あ、ああッ……!!」

シホ「ツムギ、まさかあなたも……!」

ミズキ「っ……!? シホ、ではあなたも……!? こ、これはいったい、どうして……!?」

チハヤ「み、みんな、本当にどうしたの……?」

ツムギ「なぜ、なぜなのですか……! チハヤ、なぜあなたがアンドロイドに……!」

チハヤ「え、ど、どういう意味? あなた、さっきから何を……」

セリカ「……! な、何が起きたんですか、これは、いったい……」

シホ「セリカ……!」

偶然とはいえ、このタイミングでちょうどやって来たセリカに、ある意味では感謝するべきだったかもしれません。
掴みかかりかねないほどのツムギの感情が、これ以上チハヤに向くことを止めてくれたのですから。

ツムギ「セリカ……どういうことなのですか! 説明してください!
   なぜ私たちは動いているのですか! チハヤは、どうしてしまったんですか!!」

セリカ「なっ……!? ま、まさか、あなたたち……!」

ミズキ「ツムギ、一度外へ出ましょう……! セリカとは外で話したほうがいいです。
   チハヤ、すみません。ツムギを外で少し落ち着かせてきます。
   私が付き添いますので、あなたはここで待っていてください。シホ、あなたはチハヤのそばに」

シホ「え、ええ、わかったわ。あとは、任せたわよ……!」

ミズキ「はい。それでは、行ってきます」




ミズキ「――落ち着きましたか、ツムギ」

部屋を出て、私とセリカは取り乱すツムギをなだめました。
ツムギは俯いたまま、静かに言いました。

ツムギ「はい……。申し訳ありません、取り乱してしまって……」

ミズキ「改めて確認しますが……あなたも、すべて思い出したんですね」

ツムギ「ええ……すべて、思い出しました」

ミズキ「私も同じです……。それにきっと、シホも」

ツムギ「……説明してください、セリカ。
   なぜ私たちがまたこうして動いているのか……。
   なぜ、チハヤがアンドロイドになっているのか。
   私たちが機能を停止してから起こったことのすべてを、教えてください」

セリカ「……わかりました」

セリカは躊躇うように、言葉を一つ一つ選ぶようにして、話し始めました。
その内容は私の想像を大きく外してはいませんでした。
しかしやはり、じわりと胸を締め付けられました。
特に……チハヤが、私たちの知っているチハヤではなかったという事実。
もちろん、当たり前のことです。
キサラギチハヤは人間で、今居るチハヤはアンドロイド。
同じ人物であるはずがありません。

セリカ「……本当に、ごめんなさい。
   あなたたちを破壊してしまったことも、それから、身勝手によみがえらせたことも……。
   謝って済む問題でないことは分かっています。けれど……」

ミズキ「いえ……。あの時のあなたには感情がなかったんです。
   マザーの命令に従うのは当然です。
   それに……感情を得て、私たちをよみがえらせた気持ちも、分かる気がします」

ツムギ「ミズキの言う通りです。謝る必要などありません。
   それにきっと、私たちはあなたに感謝するべきなんだと思います。
   事情はどうあれ、こうしてまた、ミズキたちと暮らせるようになったのですから」

セリカ「……本当ですか」

ミズキ「もちろんです。それに、アンドロイドとは言えチハヤまで蘇らせてくれました」

ツムギ「まるで本物のチハヤと暮らしているようでした。
   私は、アンドロイドのチハヤのことも大切に思っています」

セリカ「そう、ですか……。そう言ってもらえると、私も救われます……」

ミズキ「私は、これからも今まで通り四人で暮らすことを望んでいます。
   ですから、セリカ。これからも私たちのことをお願いできますか?」

セリカ「ええ、もちろんです。それがあなたたちを破壊し、そして生み出した私の使命であり、責任ですから」

ツムギ「では、セリカ。今後ともよろしくお願いします」

その後、私たちは部屋へ戻りました。
チハヤにはセリカの口から説明をしてもらいました。
もちろん、真実ではありませんが。

チハヤを安心させるため、私たちは形だけのメンテナンスを行いました。
その間にシホにも事情を話しました。
シホもある程度は事情を推察していたようで、そこまで大きく驚くことはありませんでした。

それから、三人で決めました。
チハヤには真実を話さないこと。
これからも、今まで通りに生活すること。

たったそれだけのことなのだから、わざわざ気負う必要はない。
これまでだって、当たり前にできていたのだから。
三人ともその時は、そう思っていました。

けれど、私たちは分かっていなかったんです。
チハヤがチハヤではないということが、どういうことなのかを。




ツムギ「必要な野菜はこれで全部ですね」

シホ「食材はすべて買えたわ。ほかに買わないといけないものは……」

ミズキ「茶葉です。さあ、次のお店へ向かいましょう」

チハヤ「ええ。今日は何を買おうかしら」

私たちに記憶が戻ってから数日が経ちました。
どうして記憶が戻ったのか、原因は未だにはっきりとしたことは分かりません。
セリカが言うには、形を失った記憶データが、
交通事故という強い刺激が加わったことによって復元されたんだそうです。

ただ、その説明も曖昧なもので推測の域を出ません。
結局これは、私たちにインプットされた感情データと、
そのデータの元となった私たちのボディが適合したからこそ起きた、奇跡のようなものである。
セリカは最後にそう結びました。

ただ、その最後のセリカの言葉が、私は一番納得することができました。
理屈では説明しきれない奇跡。
そんな不思議な力が、「心」には存在しているのだと、そう思うんです。

だからせっかく起きた奇跡を、私たちはしっかりと享受しよう。
二度目の人生を。
今度は任務も何も関係ない、幸福になってもいい人生を楽しもう。
アンドロイドとは言え、チハヤだって居るのだから。

けれど……そんなふうに話した私たちの決め事は、少しずつ、でも致命的に、崩れていきました。

チハヤ「さて、今日はどの茶葉を買いましょうか? 前と同じでもいいけれど……」

ミズキ「そうですね……。せっかくなので、違うものを買ってみましょう」

シホ「でもこれだけたくさん並んでいると迷ってしまうわね……。どれにしようかしら」

ツムギ「! でしたら、これなんてどうでしょう?」

チハヤ「ふふっ。ええ、いいわよ。ツムギ、そのお茶が好きなの?」

ツムギ「はい。それに、チハヤも好きだと、以前言っていましたから」

ミズキ「っ! ツムギ、それは……」

チハヤ「……? 確かに好きだと思うけれど……。そんなこと、言ったことがあったかしら」

ツムギ「え……」

そう。
ツムギが手に取った茶葉を好きだと言ったのは、このチハヤではありません。
人間のチハヤがまだ生きていた頃に言っていたことです。

シホ「……もう、何を言ってるの。そのお茶が好きだと言ったのは私でしょう?」

ツムギ「あ……そ、そうでした。ごめんなさい」

チハヤ「そうだったの? ふふっ、それじゃあ、そのお茶を買いましょうか」

察したシホが機転をきかせたおかげで、その場はチハヤにおかしく思われることはありませんでした。
でも、そのときツムギの表情に落ちた影は、その後日を追うごとに、徐々に濃くなっていったのです。

……チハヤは、本当にチハヤにそっくりでした。
外見や声だけでなく、しゃべり方や考え方、人格、あらゆる面において、
まさに私たちが知る限りの人間のキサラギチハヤそのものでした。

でも、覚えていない。
あのチハヤなら覚えているはずのことを、このチハヤは覚えていない。
言ったはずのことを言っていない。
聞いたはずのことを聞いていない。

もしこのチハヤが人間のチハヤと全く違っていたのなら、そんなことは気にならなかったでしょう。
けれど、記憶以外が全く同じだからこそ、私たちは……。
特にツムギは、心に影を落とさずにはいられませんでした。

ツムギが記憶を混同してしまったのは、茶葉の件だけではありませんでした。
その後も数度にわたり、人間のチハヤとの思い出と、アンドロイドのチハヤとの思い出が、
ふと気を抜いたときに混在し、そのたびにツムギは、とても悲しそうな顔を浮かべていました。

ツムギは、きっと私よりもさらにチハヤのことが好きだった。
また私よりも、感情の起伏が大きな子でもありました。
だからこそ、大切な思い出が忘れられているのだと、
そう感じてしまうことが、私よりもずっと強かったのだと思います。

ツムギ「――チハヤは、もう二度と思い出すことはないのでしょうか」

ミズキ「……ツムギ?」

お茶の準備をしているときのことです。
リビングに居るチハヤに聞こえないくらいの小さな声で、ツムギは呟くように言いました。

シホ「……セリカに言われたでしょう? いえ、言われるまでもない……。
  チハヤは私たちとは違って、元からアンドロイドだったわけじゃない。
  人間のチハヤと、今のチハヤは……別人なの。思い出す以前の問題なのよ」

ツムギ「けど……あんなに、そっくりなのに……」

ミズキ「ツムギ……」

ツムギ「……ごめんなさい。二人は、先に行っていてください。あとは私がやりますから」

背を向けてそう言ったツムギの表情は見えません。
でも、そんなツムギの背にかけるべき言葉も見つからず、
私たちはツムギの言うとおりに先にチハヤのもとへ戻ることにしました。

チハヤ「あら? ツムギはどうしたの?」

シホ「すぐに戻ってくるわ。私たちはテーブルの準備を」

チハヤ「そう……。あの、二人とも、ちょっといい?」

ミズキ「はい、なんでしょう」

チハヤ「最近、ツムギが少し元気がないみたいだけれど……何か知らないかしら」

声を低くして、チハヤはそう聞きました。
当然抱くべき疑問です。
落ち込んだツムギの様子は、誰の目から見ても明らかでしたから。

チハヤ「何か悩み事でもあるの? あなたたちに話はしていない?
   それとも、この間のことが、やっぱりまだ治ってなくて……」

心配そうに言うチハヤの表情は、やっぱり私の知っているチハヤそのものでした。
私が大好きだったチハヤの、できれば見たくないと思っていた表情。
チハヤの心配事は少しでも早く解決したい、そう思います。
けれど、本当のことを話すわけにはいきません。
話したところで、チハヤを困らせてしまうだけです。

シホ「私たちは何も聞いていないわ。でもあなたの言う通り、
  もしかしたら前のメンテナンスでは修正しきれなかったところがあるかも知れないから、もう一度……」

ツムギ「お待たせしました」

と、シホが最後まで言い切る前にツムギは茶葉の入ったポットを持って戻ってきました。
その表情は、さっきよりは平静に戻ったようですが、やはりまだ少し影が残っていました。

ツムギ「遅くなりました。すぐにお茶をいれます」

そんなツムギに、チハヤはどう声をかけるか迷っているようでした。
悩み事があるのか、それともまだ故障が治っていないのか。
ツムギから話してくれるのを待つか、こちらから話を切り出すか。
そんなふうに迷うチハヤを尻目に、ツムギはポットにお湯を注ぎ始めました。
ところが、その時でした。

チハヤ「っ! え、お茶の葉が……」

お湯が注がれた途端、ポットの中のお茶の葉が急激に膨らみ始めたのです。
その光景に私は見覚えがありました。
そう……ワカメです。
ポットに入っていたのは、乾燥ワカメでした。

もしかして。
そう思って私はツムギに目を向けました。
しかしツムギは、私たち以上に目を丸くして、ワカメが膨らむ様子を見ていました。
どうやらわざとではなく本当に、「あの時」と同じ間違いをしてしまったようでした。

ツムギ「す……すみません。その、私……」

チハヤ「これ、ワカメね……。お茶の葉とワカメを間違えるなんて、こんな失敗初めて見たわ」

ツムギ「っ……!」

チハヤ「ねぇ、ツムギ。やっぱりあなた、何か悩み事が……」

そう言って、チハヤがポットからツムギへと顔を上げた、それと同時でした。

ツムギ「初めてではありません」

チハヤ「え……?」

ツムギ「私は、以前にも同じ失敗をしました。
   チハヤ、あなたの目の前で、まったく同じ失敗をしました」

シホ「ツムギ……?」

ミズキ「待ってください、ツムギ。何を……」

チハヤ「同じ失敗を……? いえ、でもそんなこと……」

ツムギ「チハヤ、思い出してください……。
   その時からチハヤは、私にお茶のいれ方を教えてくれました……!
   いえ、お茶のいれ方だけじゃありません!」

ミズキ「ツムギ……!」

ツムギ「チハヤ、お願いです! 思い出してください!
   あなたは私たちに、たくさんのことを教えてくれました!
   あなたは……あなたは私たちに、心を……!」

ミズキ「駄目です、ツムギ! そんなことを言っても、チハヤを困らせてしまうだけです!」

ツムギ「ミズキ、でも、でも……! うぅ……うあぁああ……!」

とうとうツムギは両手で顔を押さえ、泣き出してしまいました。
もう、限界だったのです。
ツムギの心は、私が考えていた以上にすり減ってしまっていました。
チハヤのことが大好きだったからこそ、大切な思い出を忘れられていることが辛い。
なまじ私たちが思い出すことができてしまったばかりに、チハヤにも同じ奇跡を期待してしまっている。
その期待がツムギの心を余計に追い詰めてしまっている。
今の彼女は、そんな状態でした。

ミズキ「ごめんなさい、チハヤ……。やっぱりツムギは、まだメンテナンスが必要なようです。
   今から研究所に連れていきます。すぐに、戻ってきますから……」

そうして、困惑した表情のチハヤと、それからシホを残して、私たちは部屋を出ました。

《〇月×日 チハヤ》

チハヤ「っ……」

ミズキは、泣き続けるツムギを連れて部屋を出て行った。
部屋に残された私とシホを沈黙が包む。

……分からない。
ツムギはいったい、何を言っていたの?
なんとか思い返そうとしても、ツムギがあんな失敗をしたことなんて、一度もなかったはず。
いえ……それだけじゃない。
ツムギはここ最近、私の記憶にないことをふと喋ることが何度かあった。
その内容は、どれも私に関する出来事ばかり。
これは本当にただの故障なの?
いったいあの子に……私たちに、何が起きて……。

シホ「……あなたはアンドロイドになっても、あの子たちを追い詰めるのね」

その声に視線を向けると、伏し目のシホの横顔が目に映った。

チハヤ「どういう意味……? シホ、あなたは何か知っているの?」

シホ「……」

チハヤ「……知っているのね。そしてそれを私には言えない理由がある……。そういうことなの?」

シホは答えずに黙って正面を見続ける。
そんな彼女に私が次の言葉をかけようと口を開きかけた、その時。

シホ「いいわ。教えてあげる。全部、話すわ」

チハヤ「!」

シホは私に向き直る。
その表情は、見たことのないもの。

それからシホはゆっくりと話し始めた。

シホ、ツムギ、ミズキは、再製造されたアンドロイドだったこと。
元々の製造理由。
キサラギチハヤという人間の存在。
彼女たちが迎えた結末……。

私は、キサラギチハヤを再現して作られたアンドロイドだった。
そしてシホたちは以前の記憶をすべて思い出していて、
そのことで……私のことで、ツムギはとても辛い思いをしている。

シホの話を聞いて私はほんの一瞬だけ、「早く話してくれれば」と思った。
でもすぐに思い直した。
ミズキがさっき言っていたとおり。
このことを話しても、私を困らせてしまうだけだから……。

チハヤ「……私のために、黙っていてくれたのね。でも……話してくれてありがとう、シホ」

シホ「お礼なんていらないわ。あなたにこのことを話したのは、あの子たちのためよ」

そこでシホはふいと視線を逸らす。
でもすぐに、私を真っ直ぐ見つめ直して、

シホ「あなたにキサラギチハヤの記憶がないことで、ツムギはとても苦しんでる。
  そのことに少しでも責任を感じているのなら、問題を解決するために行動しなさい」

チハヤ「シホ……」

シホ「私が調べたものも含めて、キサラギチハヤに関するデータがどれだけ残っているかは分からないけれど……。
  あるとすれば、研究所。マザーリツコが保管している可能性はあるわ」

チハヤ「……ありがとう」

シホ「私はあの子たちの様子を見てくる。あなたは自分が今するべきだと思うことをするのね」

そう言い残して、部屋を出て行った。

……やっぱり、シホはとても優しい子。
あの子はきっと私の思いに気付いていた。
私のせいでツムギが苦しんでいるんだって、自分を責める気持ちに。
だから、あんな風に厳しい言葉をかけてくれた。
どうすればいいかまで、教えてくれた。

そう……まず今の私がやるべきことは、私の元になった人間、キサラギチハヤについて知ること。
そして出来ることなら、彼女の記憶を手に入れること。
そうすれば問題はすべて解決する。

そのために……研究所に行こう。
マザーリツコに、会いに行こう。

今日はここまでにしておきます。
続きは明日の晩に投下します。
明日で最後までいきます。




チハヤ「こんにちは、セリカ」

セリカ「……」

研究所に行くとセリカが出迎えてくれた。
でもその顔は、とても困惑しているよう。
というより、どんな表情をすればいいのか迷っているようにも見えた。

チハヤ「もう、事情は聞いている?」

セリカ「……はい。シホから、さきほど連絡がありました」

チハヤ「そう。お願い、セリカ。マザーに会わせて欲しいの」

セリカ「はい……。では、こちらへ……」

セリカは何も言わずに中に通してくれた。
何を言えばいいのかも分からなかったのだと思う。
こうして私が、キサラギチハヤについて知ろうとしていることは……。
きっとセリカは望んでいないこと。
でも、私は……。

セリカ「……失礼します。マザーリツコ」

マザー『……』

チハヤ「こんにちは、マザー」

マザー『セリカ、言ったはずだ。何か問題が起きても私は関与しないと。
   お前も自分ですべて対処すると言って……』

チハヤ「私がお願いしたの。マザーに会わせて欲しいって」

マザー『……』

チハヤ「もう事情は把握しているんでしょう?
   お願い、マザー……私に、キサラギチハヤについて教えて欲しいの」

マザー『確かに、キサラギチハヤに関するデータはすべて保管している。
   だが、お前はそれを知ってどうするというのだ』

チハヤ「私は……」

マザー「知ったところで、お前がキサラギチハヤの記憶を得ることはない。
   歴史上の偉人の逸話を聞いてもその人物の記憶を得られないのと同じだ。
   お前はミズキたちとは違う。キサラギチハヤとはまったく別の存在なのだ』

チハヤ「……わかっているわ。きっとあなたの言う通り。
   私は彼女の記憶を得ることはできないのだと思う。それこそ、本当の奇跡でも起きない限り……。
   でも私は知るべきなの。知らなければいけないの。
   あなたに迷惑をかけるのはこれっきりにするから。
   だからお願い……。私に、キサラギチハヤのことを教えて」

マザーは答えない。
私の真意を確かめるように、意思を確認するように、黙って私の顔を見つめ続ける。
だから私も、黙ってマザーの目を見続けた。
ずっと続くかと思われた沈黙。
けれど……

マザー『……いいだろう』

チハヤ「! マザー……」

マザー『お前に、キサラギチハヤのデータを与える。
   ただし私がするのはそこまでだ。いいな』

チハヤ「ええ、それで十分よ。ありがとう、マザー」

マザー『……せいぜい、お前の期待する“本当の奇跡”とやらが起きることを祈ることだ』

そう言うとマザーはセリカに目配せする。
セリカは頷くように俯いて、準備を始めた。
デバイスがセットされ、そして――

《同日 数時間後 ミズキ》

シホ「――ええ、わかりました。……いえ、あとはこちらで対処します。それでは」

通信を切り、シホは目を伏せます。
そして私たちに向き直りました。

シホ「研究所はもう数時間前に出たそうよ。……あの人のデータを得て、ね」

ツムギ「……!」

ミズキ「チハヤが、あの人のデータを……。
   いえ、それより、どうしてまだこちらに戻ってきていないのでしょう」

シホ「分からないわ。今のチハヤがどういう状態にあるのかも……」

ツムギ「チ……チハヤの記憶は、今、どうなっているのでしょう……」

シホ「さあ。でも、もし記憶が戻ったのだとすれば、真っ先にここへ帰ってくると思うけど。
  もしかしたら、やっぱり何も変わらなくて……。気まずくて、戻ってこられないのかも知れないわ。
  ツムギが、あんな風になってしまったから」

ツムギ「で、では、私のせいで……!」

ミズキ「ツムギの責任ではありません。
   けれど、チハヤは今ここに戻ってきていないのは事実です。
   すぐに迎えに行った方が良いと思います」

シホ「そうね。ただ待っているわけにはいかないわ」

ツムギ「すぐに向かいましょう! あ……でも、どこへ……?」

ミズキ「確実ではありませんが、今のチハヤが行きそうなところとなると――」




ミズキ「! チハヤ……」

私たちの推測は当たっていました。
ロープの向こう側に広がる空き地。
チハヤは、そこに一人で立っていました。
私たちに気付いたチハヤは振り返り、私たちを見て、そして目を逸らしました。

ミズキ「チハヤ……ここで、何をしていたのですか?」

チハヤ「……その……」

ミズキ「いえ、細かい話はあとで聞きます。まずは帰りましょう。私たちの家へ」

私の言葉に、チハヤは顔を上げました。
そのときの彼女の表情、様子から……私は理解しました。
やっぱり、記憶は手に入らなかったのだと。

屋敷へ戻るまで、私たちはほとんど無言でした。
チハヤもほとんど俯いたままでした。
そんな彼女の様子を、特にツムギは痛ましい表情で見つめていました。

ツムギは、感情を抑えられずチハヤに詰め寄ってしまったことを深く後悔していました。
そのことでチハヤにこんな顔をさせてしまっていることに、大きな責任を感じているようでした。

ツムギも、理解しているんです。
あの人とこのチハヤは別人であること。
そしてこのチハヤも、私たちの大切な仲間であり家族であること。
このチハヤと紡いできた幸せな時間も、思い出も、かけがえのないものであること。
ただ少し忘れてしまっていただけで、ちゃんと分かってはいるんです。

だからこうして、自分の言動でチハヤに辛い思いをさせてしまっていることに、
ツムギ自身も酷く心を痛めているのだと思います。
もちろん、私もです。
シホも同じだと思います。
仲間がこんなにも悲しそうな顔をしている。
そのことに心を痛めないはずがありません。

チハヤ「――……トーキョースプロールを、歩いていたの」

屋敷について、椅子にこしかけてから、チハヤからそう切り出したました。

チハヤ「もう気付いていると思うけれど……。
   データを得ても、やっぱり私に彼女の……キサラギチハヤの記憶が戻ることはなかった。
   でも……知りたくなったの。彼女が愛した、守ろうとした、この都市を……。
   ここに住む人たちをもう一度改めて、見て回りたい、って……」

シホ「……それで数時間、都市中を歩き回っていたの?」

ツムギ「では、あの場所に居たのは……」

チハヤ「……それも、同じ。彼女があなたたちと過ごした場所を、この目でちゃんと見ておきたくて……」

ずっと伏し目で話していたチハヤは、そこできゅっと唇を引き結びました。
そして微かに震えた声で続けました。

チハヤ「いえ……。ただ見たかっただけじゃない。やっぱり私、期待していて……。
   もしかしたら、実際にその場所へ行けば、記憶を手に入れることができるんじゃないか、って……。
   だって彼女の記憶がないと私は……ただの、ニセモノだから……。
   きっと、これからもあなたたちを苦しめてしまうから……」

チハヤは完全に顔を伏せてしまっていて、その顔は見えません。
けれどその声は、私の心を強く締め付けました。
ツムギの感じた痛みはきっとそれ以上だったと思います。
チハヤが自分のことを「ニセモノ」だと言ってしまったこと……言わせてしまったこと。
それはとても悲しく、辛いことです。

リビングを重苦しい沈黙が包みます。
けれどその時、浅いため息がその沈黙を破りました。

シホ「やっぱりあなたはあの人とは全く別人ね。
  瓜二つだと思っていたけれど、それは私の勘違いだったみたい」

ほんの一瞬だけ、私はシホがチハヤを責めているのだと思いました。
でもその声色はとてもそうは思えません。
シホはその声色のままに、こう続けました。

シホ「私が調べたキサラギチハヤという人間はどんな理由があろうと、
   人を模して造られたアンドロイドのことを『ニセモノ』だなんて絶対に言わない。
   人もアンドロイドも、それがどんな相手でも愛して救おうとする、そういう人だったわ」

そうしてシホは、私とツムギに目を向けました。
その視線を受けたツムギは、大きく目を見開きました。
それから強く唇を噛み、一歩前に出て、声を震わせて叫びました。

ツムギ「そ……その通りです! あなたは、ニセモノなんかじゃありません!」

チハヤ「! ツムギ……」

ツムギ「チハヤは、チハヤです! あの人とは関係ありません!
   チハヤは、あの人のニセモノなんかじゃありません!」

ミズキ「……二人の言う通りです。あの人は言いました。
   人も、アンドロイドも、どちらも立派な生命だと。
   あなたは……この世にアンドロイドとして作られた、私たちの仲間。
   アンドロイドの『チハヤ』という、かけがえのない存在です」

チハヤ「……みんな……」

ツムギ「ですから、その……申し訳ありませんでした。
   私が大切なことを忘れてしまっていたばかりに、あなたに辛い思いをさせてしまい……。
   でも、もう忘れません! あなたとキサラギチハヤを、もう混同したりしません!」

チハヤの見開かれた目が、じわりと滲むのが見えました。
けれどチハヤはそれを堪えるようにぐっと、一度だけ目を瞑り、

チハヤ「ありがとう、みんな……」

そう言って、薄く笑いました。

その表情は……今まで見たことのない、まさに『チハヤ』の表情でした。
あの人とは違う、アンドロイドのチハヤ自身の表情でした。
それはきっと、チハヤが自分で、彼女自身を受け入れられたということ。
そしてその表情を私たちも、とても穏やかに受け入れられています。

ミズキ「チハヤ……。これからも、よろしくお願いします」

チハヤ「ええ……ミズキ、ツムギ、シホ。これからも、よろしくね」

そう言ってチハヤは微笑み、ツムギとシホも笑みを返します。
もしかしたら、今ようやく始まったのかもしれません……。
私たち四人の、本当の生活が。

そう……チハヤはチハヤ。
あの人とは別人。
そしてどちらのチハヤも、それぞれかけがえのない存在です。
もちろん、もしこのチハヤにあの人の記憶が蘇れば、それもとても喜ばしいことだったと思います。
けれど、だからと言って今が不幸なはずはありません。
このチハヤも、共に過ごした日々も、思い出も、決してニセモノなんかじゃないのですから。

シホ「さて、と。それじゃあ……これ、どうする?」

問題がすべて解決したことを確認し、
シホは吐息交じりにテーブルの上に置かれたポットとカップに目をやりました。
同時に、リビングにお掃除ロボットが入ってきます。
どうやら、もう夕飯の支度を始めなければいけない時間のようです。

ツムギ「せっかく準備しましたが……。もうお茶会の時間は過ぎたようですね」

ミズキ「残念ですが、仕方ありません。片づけて、夕食の準備に取り掛かりましょう」

そうして私たちは動き始めました。
他愛もない会話を交わしながら、また今まで通りの日常へと。

ミズキ「ところで、みんなに一つ提案があります。
   ツムギとチハヤが元気になったお祝いに、何か特別なことをしませんか?」

チハヤ「特別なこと……?」

ミズキ「なんでもいいと思います。パーティでもいいし、何か大きな買い物をしてもいいかもしれません」

シホ「そうね……いいと思うわ。私は賛成よ」

ミズキ「私は、高級なお茶の葉とお茶菓子を候補の一つに挙げます。
   特別な高級パーティ……。ちょっとだけ、興味があります」

シホ「それは構わないけれど……。
   チハヤとツムギのためのお祝いなら、二人に決めてもらうのがいいんじゃない?」

ミズキ「……そうでした。反省します」

ツムギ「私たちのための、お祝い……。
   そういうことでしたら、せっかくなので私は形に残るものを提案します。
   たとえばみんなで写真を撮って、それを飾る、というのはどうでしょう?」

チハヤ「まあ……とても素敵ね。みんなで一緒に写真を撮れるなんて、私も嬉しいわ」

ミズキ「チハヤは、何か欲しいものやしたいことはありますか? なんでも言ってください」

チハヤ「私? 私は写真だけでも十分だけれど……そうね……」

チハヤは口元に手を当てて、真剣に考えているようです。
と、下を向いて思案しているチハヤの足元を、お掃除ロボットが通過しました。
それを見てチハヤはふと顔を上げて、呟くように言いました。

チハヤ「……猫……」

……え?

そう声を重ねたのは、私とツムギです。
チハヤはそんな私たちに、にこやかに言いました。

チハヤ「猫を飼う、というのはどうかしら? 三人とも嫌いでなければだけど」

シホ「猫……。愛玩用の小動物ね。いいんじゃないかしら。
  見たことしかないけれど、私は嫌いじゃないと思うし」

チハヤ「あなたたちはどう? ツムギ、ミズキ?」

ミズキ「あ、その、いいと思います。けど、チハヤ……」

チハヤ「? どうしたの?」

ツムギ「どうして……猫を飼うことを、思いついたのですか……?」

チハヤ「え? いえ、なんとなく……。お掃除ロボットを見て、ふと思いついたの」

シホ「お掃除ロボット……? どういうこと? 特に猫とは関係ないように思えるけど」

チハヤ「……言われてみればそうね。どうして、私……」

チハヤはまた思案するように目を伏せます。
けど、さっきとは雰囲気が変わりました。
何かを思い出そうとしているような、そんなふうに。

私はそんなチハヤを黙って見つめました。
何も言うことができませんでした。
それから少し経ってから、チハヤは私とツムギを見て、

チハヤ「あなたたち……猫の鳴きまねをしたことが、なかったかしら……。
   お掃除ロボットを見て……いつだったか、ずっと、昔に……」

私の体の内側がドクンと脈打ったのが分かりました。
チハヤはまた俯き、そして、よろけるように椅子に腰を下ろしました。

シホ「チハヤ……? どうしたの?」 

シホが怪訝な表情を浮かべてチハヤに声をかけます。
けれどチハヤは答えません。
頭に手を当てて、目を床に落としたままじっと黙っています。
そんな静寂と裏腹に、私の心は大きくざわついていました。
そして……それはほとんど無意識でした。

ミズキ「……にゃー」

ツムギ「っ! ミズキ……」

ミズキ「にゃー、にゃー……」

シホ「み、ミズキ? あなた何を……」

2人の視線も言葉も、その時の私の意識の外でした。
私の目にはただチハヤの姿しか映っていませんでした。
ただ、次にツムギから発せられた声は、私の耳にも届きました。

ツムギ「にゃ……にゃー、にゃー……!」

シホ「ツムギまで……。……まさか……」

シホは事態を察したようでした。
そして何か言おうとしましたが、口をつぐみ、事の成り行きを見守ることに決めたようでした。

……初めは、無意識にとった行動でした。
けど今は……なぜこんなことをしているのか、私にも分かりません。
どうして私は、猫の鳴きまねをしているんだろう。
分かっていたはずなのに、受け入れたはずなのに。
このチハヤは、あの人とは別人のはずなのに……。
それなのに、なぜ私は……。

私とツムギの手が、そっと握られました。

それはチハヤの手でした。
チハヤが俯いたまま手を伸ばし、私たちの手を握っていたのです。

 『もうやめて』

そう言われたような気がして、私は口を閉じました。
けれどすぐに気付きました。
私の手を握るチハヤの手が、とても優しく、暖かいことに。
それからチハヤは、私とツムギの手をそっと、胸元まで引き寄せました。

ミズキ「……チハヤ……?」

不安と心配に耐え兼ねて発された私の声は、でも、そこで止まりました。
私の手に、私たちの手に、雫が一つ、二つ、落ちたのです。

それはチハヤの顔から流れ落ちた雫でした。
そうして未だに声を発することのできない私たちに向けて……。
チハヤはゆっくりと、顔を上げました。

チハヤ「……ミズキ。ツムギ……」

私の呼吸が止まりました。

その声。
その表情。

いえ、そんなはずはない。
そんな、はずはない。
いえ、でも、でも……嘘だ、そんなはずはない……。
そんな、違う、あり得ない、だって、チハヤは……あの人は……。

自分の記憶が戻った時以上に、私の電子頭脳は混乱していました。
だって、そんなはずはないんです。
これは私の勘違い、思い込み、そのはずなんです。

でも、今私の手を握っているぬくもりは。
私の名前を呼んだ声は。
笑いかける顔は。
私が好きだった、とても、とても大好きだった、あの……。

チハヤ「……言ったでしょう? あなたたちと別れるとき……『またね』、って」

ミズキ「ッ……!!」

瞬間、私はチハヤに思い切り抱き着きました。
そして……

ミズキ「チハヤ、チハヤ……!! ぅあああっ……あぁああっ……!!」

私はチハヤに抱き着いたまま、声を上げて泣きました。
きっとみんな目を丸くしていたでしょう。
でもその時の私には、何も考えられませんでした。
頭の中は、ただチハヤのことでいっぱいでした。
けれど仕方がありません。
だって、間違いなかったんです。
間違いなくここに居るのは……あの、キサラギチハヤだったんです。

今思えば、彼女との再会を一番願っていたのは、私だったのかも知れません。
彼女を置いて逃げたことを、ずっと後悔していたのかも知れません。
それがチハヤの願いなのだから。
チハヤの想いに応えなければならないのだから。
チハヤとはもう会うことはできないのだから。
そう自分に言い聞かせて、無意識的に心を押さえつけていたのかも知れません。

けれど……決して抑えることのできない、熱く溢れるこれも、私の心。
この人から貰った、心なのです。

私は小さな子供のようにチハヤに抱き着いて泣き続けました。
そんな私の頭を、チハヤは優しく撫で続けてくれました。
それがしばらく続いて、

チハヤ「……もう、落ち着いたかしら」

ミズキ「はい……。ごめんなさい、チハヤ。つい、取り乱して……」

ツムギ「で、でも、どうして? チハヤ、あなたは本当に、チハヤなのですよね……?
   人間の、キサラギチハヤなのですよね?」

チハヤ「ええ……。少なくとも、この記憶は」

シホ「本当の奇跡が起こった、ということかしら……」

チハヤ「……きっとそうね」

呟くように言って、チハヤは目を閉じます。
そして私たちが口を開く前に、言いました。

チハヤ「ねえ、あなた達にお願いがあるの。聞いてくれる?」




私たちは今、研究所に居ます。
研究所で、ひとつのテーブルを囲んでいます。

チハヤ「ごめんなさい、突然こんなことを言い出して。
   でも、ずっとこうしたいと思っていたの。あなた達ともお茶を飲めたら、って」

マザー『……』

チハヤ「ありがとう、マザー。断らないでくれて嬉しいわ。それに、セリカも」

セリカ「……いえ……」

マザー『それで、用件は何だ。何か私に伝えたいことがあるのではないのか』

チハヤ「そうね。あなたと話したいことはたくさんあるわ。
   でも、別に何かを要求したいわけじゃない。
   ただお茶を飲みながら、のんびり話をしたいだけ。本当よ」

ミズキ「マザー。お茶が入りました」

シホ「それからこれは、お茶菓子のスコーンです。ジャムとマーマレードも用意してありますから、お好きなものを」

ツムギ「スコーンは私が焼きました。自信作なので、ぜひお召し上がりください」

チハヤ「セリカも、どうぞ。遠慮せずに座って。そこがあなたの席よ」

セリカ「は……はい、失礼します……」

チハヤに促されて、ようやくセリカも席に着きました。
それから一呼吸おいて、マザーがもう一度口を開きました。

マザー『本来ならあり得ないはずだ。アンドロイドの身体に人間の記憶が宿るなど……。
   チハヤ、お前はこの件に関して本当に何もしていないというのか』

チハヤ「ええ。あなたが把握している以上のことは何も。
   なんとなく漠然と、原因に心当たりがないわけじゃないけれど。
   でもそれはきっとあなたも同じでしょう?」

マザー『……キサラギチハヤのデータを得たことで、お前の電子頭脳は限りなく彼女の脳に近づいた。
   つまり、ミズキたちと近い条件を得た……。だがそれでも、あり得ない現象だ』

チハヤ「ええ……。本来これは、絶対にありえないこと。
   でも人の心は、時として理屈では説明できない奇跡を起こす……。
   私はそう思っているわ。だから今は、そういうことにしておきましょう?」

微笑みかけるチハヤに対し、マザーは沈黙してテーブルのティーカップに目を落とします。
そうして返事の代わりのように、一口お茶を飲みました。
チハヤもそれを見て、お茶を口に運びます。

それからチハヤは、話題を変えようと意図したのか、他愛もない会話を始めました。
主に、私たちとの生活について。
どんな楽しいことがあったか、面白いことがあったか。
四人での生活がどれだけ幸せなものであったか。
会話には自然と私たちも加わり、マザーやセリカにも話題を振りながら。
マザーたちに関しては、和気あいあいというわけにはいかないようでしたが、
チハヤが思い描いていたようなお茶会の光景に近いものがそこにはあったと思います。

そんな時間がどのくらい流れたでしょう。
チハヤが空になったカップを置いて、少しだけ声を改めて聞きました。

チハヤ「ねぇ、マザー。今の世界の在り方は、どうかしら。
   心を持ったアンドロイドと人間が共存している社会……。
   あなたが思っていたよりも、素敵なものになっているといいのだけれど」

マザー『素敵なものだと? 本気でそう思っているのか?
   まったくの別物に代わってしまった社会を統治することがどれほど困難か、想像のつかないお前ではないだろう』

チハヤ「……そうね。とても大変だったと思うわ。
   でも、だから……ありがとう、マザー。新しい世界を、壊さないでくれて。
   私も手伝えれば良かったのだけれど……」

そう言って視線を落としたチハヤを見て、セリカは俯きました。
チハヤはきっと、アンドロイドが心を持った社会が実現したあとは、マザーと協力することを望んでいたのだと思います。
マザーの言う通り、急激な変化の起きた社会をおさめるのは簡単なことではないでしょうから。
けれどそれが実現することはなかった。
「私も手伝えれば良かった」というのはもちろん、病のせいで叶わなかったことを言っていたのだと思います。
けれどセリカと、またマザーにとっては、意味が違っていたようでした。

マザー『私を、恨んでいるか。チハヤ』

目を伏せているセリカと対照的に、マザーはまっすぐにチハヤを見つめて言いました。
そんなマザーに、チハヤは変わらない微笑みを返して、

チハヤ「まさか。私が生きている間にあなたと分かり合えなかったのは残念だけれど……。
   あなたが常に人類のことを考えてくれていたのは事実でしょう?
   私はあなたのやり方が正しいとは思わなかったし、戦いもした。
   でも、マザー? 私はあなたを恨んだり、憎んだりしたことは一度もなかったわ」

マザー『……そうか』

チハヤ「それにさっき言ったでしょう? 今は感謝しているわ。
   新しい平和を守ってくれて、ありがとう」

マザー『礼など不要だ。社会の秩序を守るのが、私の役目なのだから』

チハヤはくすりと笑って、そうね、と一言だけ返しました。
マザーは相変わらず、表情らしい表情は見せませんでしたが、
場の空気がそれまでよりも柔らかくなったように感じました。
僅かに残っていたこわばりが取れた、そんなふうに。

その空気の変化は、これからの私たちの平穏を感じさせるのには十分でした。
私たちはこれからずっと、長い間を幸せに過ごすことができる。
ずっと、ずっとチハヤと一緒に居られる。
そう思いました。

ツムギ「私からも、マザーにはお礼を言いたいです。
   あなたがこの社会の秩序を守ってくれているおかげで、
   これからもずっと、私たち四人は幸せに暮らせるのですから」

私の気持ちを代弁するかのように、ツムギがにっこりと笑って言いました。
シホもその隣で穏やかに微笑んでいます。
もちろん、私も。
けれど……ツムギの言葉を聞いたチハヤは、ふっと目線をテーブルに落として言いました。

チハヤ「いいえ……。それは無理だわ」

ミズキ「……え?」

私たち全員の視線がチハヤに向きます。
チハヤは視線を落としたまま、薄く笑って言いました。

チハヤ「私は、もうすぐ居なくなる。あなた達と一緒には居られない」

ツムギ「ど……どういうことですか? チハヤ、あなたは何を言っているのですか?」

チハヤ「……みんなも知っているとおり、アンドロイドの体に人間の記憶が宿るなんて、本来はあり得ないこと。
   この子の……『チハヤ』の電子頭脳には今、相当な負荷がかかっている。
   特にエラーコードは出ていないけれど……実はもう、足が動かないの」

私たちは息を呑みました。
そんな私たちと対照的に、チハヤは穏やかに微笑み続けます。

チハヤ「もうすぐこのボディは眠りにつくわ。
   そうして目が覚めたら……きっと私はもう居ない。なんとなく、それが分かるの」

ミズキ「そんな……」

ツムギ「な、なんとかならないのですか? マザー、あなたなら、なんとか……!」

チハヤ「無理よ。いくらマザーでも、こればっかりは。私はもう死んだ人間……。
   誰であっても、それこそ神様でもない限り……失われた命をよみがえらせることはできないわ」

そう言ってチハヤは顔を上げます。
そして天を仰ぐようにして続けました。

チハヤ「きっと私がここに居られるのは、ほんの僅かに縮まった寿命の分だけ。
   私はもともと病気で死ぬ予定だったんですもの。だから、これでいいの。
   こうして最期にあなた達と優しい時間を過ごせただけでも、感謝しなくちゃ」

私は、何も言うことができませんでした。
ツムギも同じです。
達観したようなチハヤの表情を、目を見開いて見ることしかできませんでした。
しかしそんな中、私の隣でイスが大きく音を立てました。

シホ「あなたは、どうしてっ……! どうしてそんなことが簡単に言えるの!?」

ミズキ「! シホ……?」

シホ「どれだけこの子たちを悲しませれば気が済むのよ!?
  いい加減にしてよ! あなたのことを……この子たちが……! この子たちが、どれだけっ……!」

チハヤに掴みかかり、大声で詰め寄るシホ。
その目からは涙が流れています。

……「この子たちが」。
そう言って流したシホの涙に込められた気持ちは、でも、きっとそれだけではありません。
シホも私たちと同じです。
キサラギチハヤという人間との別れを、きっと、シホも……。

チハヤ「ごめんなさい……。でも、それが人間なの。
   一度死ねば、決して生き返らない。
   でもだからこそ、限られた時間の中で、人は一生懸命に生きることができる。
   私はそれも、人間の素敵なところだと思うの……」

シホは、まだチハヤに何か言いたいようでした。
しかし唇を噛み、チハヤの襟元を掴んでいた手を離して、静かに泣き続けました。
チハヤはそんなシホを数秒見つめてから、ふっと視線をずらしました。

チハヤ「もうすぐ、私の腕も動かなくなる。その前に……セリカ。こっちに来てもらえる?」

セリカ「……!」

チハヤに呼ばれ、セリカは肩を跳ねさせました。
それからおずおずと立ち上がります。
そうして目の前に立ったセリカに向けて、チハヤはゆっくりと手を伸ばし、セリカの両手を優しく握りました。

チハヤ「……温かい。それに、とても優しい手ね」

セリカ「え……」

チハヤ「これまで、きっと辛い思いをしてきたと思うわ……。あなたは、優しい子だから」

呆けたような顔のセリカに、チハヤは優しく笑いかけます。
セリカの手を胸元に引き寄せ、そして、

チハヤ「セリカ。私たちをもう一度会わせてくれて、ありがとう。
   こうして最期に幸せな時間を過ごせたのは、あなたのおかげ。本当に、ありがとう」

セリカ「ッ……!!」

ほんの一瞬、セリカは硬直しました。
それからぎゅっと目を瞑り俯いて、何度も何度も、首を横に振りました。

セリカ「ちが、います……私は、ただっ……自分のために、勝手、にっ……!」

チハヤ「それも、あなたが優しいから。あなたの優しさのおかげで私たちはまた会えたのよ。
   だからあなたには感謝してる。ありがとう、セリカ」

セリカ「チハヤ……っ。ごめん、なさい……ごめんなさい……!」

チハヤ「気にしないで。謝ることなんてないわ。
   人類のために、マザーのために、私たちのために……。
   いつも頑張ってくれて、本当にありがとう」

セリカはとうとう堪えきれなくなったかのように、チハヤに抱き着いて泣き叫びました。
涙が出ない分を補うかのように、大きな声で泣きました。
きっと、チハヤがかけた言葉のすべてが、セリカが心の奥底で望んでいた言葉だったのでしょう。
口には出さなかったけれど、セリカはずっと、チハヤに許してもらいたかったのだと思います。
そんなセリカの気持ちも、後悔も、罪悪感も、すべてを包み込むチハヤの言葉。
その言葉がきっと今、セリカの心を優しく溶かしたのでしょう。

しばらく泣いた後、セリカはチハヤから離れました。
チハヤはもう一度セリカに微笑みかけてから、

チハヤ「セリカ、それからマザー。これからも、ミズキ達のことを頼んでもいい?」

セリカ「はい、もちろんです……! 絶対に、約束します!」

マザー『……私は、これまで通りに平和を維持するだけだ』

チハヤ「ふふっ……。ええ、ありがとう」

そう笑って、チハヤは今度は私たちに視線を向けました。

チハヤ「あなた達にも、お願いがあるの。聞いてもらえる?」

ミズキ「……なんでしょう」

私が返事をすると、チハヤは少しだけ目を伏せました。
そして自分の胸に手を当てて、

チハヤ「『この子』と、これからも仲良くして欲しいの

「この子」とはつまり、アンドロイドのチハヤのこと。
人間のキサラギチハヤが居なくなった後に残される、アンドロイドのチハヤのことでした。

チハヤ「この子も、あなた達のことが大好きだった。
   私と同じくらい……いいえ、もしかしたらそれ以上に。
   だから、この子のことも大切にしてもらえると嬉しいわ」

私たち一人一人の目を見ながら、チハヤは言いました。
最期まで……やっぱりチハヤは、自分以外の誰かの心配をしている。
けれど……

ミズキ「その心配は不要です。チハヤは……その子は、私たちの家族です。
   大切な仲間です。そうですよね。ツムギ、シホ」

ツムギ「っ……その、通りです。私も、あの子に直接そう言ったはずです……!
   その気持ちは、今も変わっていません!」

シホ「二人の言う通りよ……あなたに言われるまでもないわ……」

三者三様の表情と言葉で、私たちはチハヤの願いを受け入れました。
それを見て、チハヤは嬉しそうに笑いました。

チハヤ「……みんな、近くに来てもらえる?」

そう言ったチハヤの声は、とても小さいものでした。
そばに寄った私たちに、ゆっくりと、ゆっくりと、手を伸ばします。
そして、そっと抱き寄せました。

チハヤ「三人とも、今まで本当に、ありがとう……。
   あなた達に会えて、私、とても幸せだったわ。
   ミズキ、ツムギ、シホ……大好きよ」

ミズキ「……私たちもです、チハヤ。今まで、ありがとう……」

ツムギ「チハヤ……。人は死ねば、天国に行くと聞きました。
   それは、アンドロイドも同じでしょうか……?
   いつか、私たちも天国で、あなたともう一度、会えるでしょうか……?」

チハヤ「……ええ、きっと。私は少しだけ早く、天国で待っているわ。
   今度はこの子も一緒にお茶会をしましょう。その時は、たくさん思い出話を聞かせてね」

シホ「ええ……あなたが羨ましくなるくらい、楽しい話を聞かせてあげるわ」

みんなの声が、すぐ近くで聞こえます。
表情は見えません。
ツムギは、泣いているかも知れません。
シホは笑っているでしょうか。
わかりません。
でもきっと、みんなとても穏やかな表情を浮かべているのだと思います。
だって、これは永遠の別れではないのだから。
チハヤとはまた、天国で会えるのだから。

ミズキ「……またきっと、あなたと会える。
   そのことを思えば、ここでのお別れも、悲しいことでは……」

そう、もう一度会えるんです。
これはほんの一時の別れ。
だから、だから……。

チハヤ「……ミズキ?」

すぐ近くで、チハヤの声が聞こえます。
身を寄せ合っているため、顔は見えません。
チハヤからも私の顔は見えていないはずです。
きっとそのことが、私の言葉を……。
チハヤにかける最後の言葉を、変えてしまったのだと思います。

ミズキ「チハヤ……。私からも、お願いをしても、いいですか?」

チハヤ「……ええ」

ミズキ「こういうとき……本当は、笑顔でお別れをしないといけないのだと思います。けど……」

チハヤ「……」

ミズキ「私には……それができそうにありません……。ごめんなさい……。
   私は……とても、とても、悲しいです……。
   寂しいです……チハヤ、あなたが、ここから居なくなってしまうことが……。
   本当に、とても、寂しいです……」

ミズキ「お別れしたあとは、きっと、笑えます。四人で、また楽しく生きていきます。約束します。
   だから、お願いです、チハヤ。今だけは……。
   今だけは、チハヤから、もらった……心のままに……。
   泣かせて、ください……悲しませてください……」

辛うじて涙を抑え、震えをこらえながら、私は途切れ途切れに言いました。
みんな、黙ってしまいました。

私はきっと、ただ甘えているだけなのだと思います。
チハヤの優しさに。
あの時とは違い悲しむことができるという、この状況に。

沈黙はまだ続きます。
そのうちに、私の心にはじわじわと後悔の念が沸き上がってきました。
やっぱり、こんなことを言うべきじゃなかった。
きっとチハヤを困らせてしまった。
別の意味で、私の目に涙が浮かびそうになりました。
でも、その時でした。
私の髪にそっと何かが触れました。

チハヤ「……ありがとう、ミズキ」

チハヤの手が私の頭を撫でます。
ゆっくりと、微かに震えながら。
きっとそれだけの動作をするのも難しくなっているんだと思います。
声もとてもか細く、ほとんど吐息のようでした。
けれどその言葉が、私の髪を撫でるチハヤの手が、私が辛うじてかけていた心の枷を外しました。

また私は、大声を上げて泣きました。
あの時と同じように、小さな子供のように、チハヤに抱き着いたまま大粒の涙を流して泣きじゃくりました。
そんな私の頭に、チハヤは触れ続けていてくれました。
私が泣き止むまで、ずっと、ずっと。

私の泣き声がようやく止まり、時折しゃくり上げる程度までおさまった頃。
それを待っていたかのように、チハヤの手はぱたりと落ちました。
イスに腰かけたまま、穏やかに微笑んだまま、チハヤは旅立ちました。
その時になってようやく私は……チハヤも涙を流していたことに気が付きました。




ミズキ「――大丈夫ですか、シホ。少し表情が強張っているようですが」

シホ「……大丈夫。慣れていないだけだから」

ツムギ「シホ、話しかけてみてください。きっと答えてくれます」

シホ「ええ……。でも、不安だわ。当然だけれど、私たちとあまりに見た目が違い過ぎて……」

猫「ニャー」

シホ「あっ……」

ミズキ「……鳴きましたね。にゃーにゃー」

シホ「にゃーにゃー」

ツムギ「……ふふっ。ふふふふふっ!」

シホ「ちょ、ちょっと、そんなに笑うことないじゃない」

ツムギ「すみません、けど……。シホも猫も、とても可愛らしくて」

シホ「ね、猫はともかく、私は別に……」

チハヤ「どうしたの? なんだか賑やかね」

ミズキ「チハヤ。はい、少し猫とおしゃべりをしていました」

チハヤ「まあ、そうだったの。じゃあ私も……こんにちは、猫。にゃーにゃー」

猫「ニャー」

チハヤ「! ふふっ、可愛い……。この子を迎え入れて良かったわね。
   あなたたちが猫を飼いたいって言い出したときは少し意外だったけれど」

ツムギ「……はい、本当に良かったです。新しい家族と、それから……楽しい思い出が増えました」

シホ「そうね……。まだまだこれからも、たくさん思い出を作らなくっちゃね」

ミズキ「……はい。もっともっと、楽しい思い出を作りましょう。幸せになりましょう。
   シホ、ツムギ、チハヤ……。これからもよろしくお願いします」

……チハヤ、見ていてくれていますか?
いえ、見ない方がいいかも知れません。
だって今の私たちの姿を見ると、きっと羨ましくなってしまいますから。

あなたの羨ましがる顔は、私たちに直接見せてください。
私たちが思い出を語って聞かせた時に。
そのためにたくさんの、たくさんの楽しい思い出話を準備しておきます。

またあなたに会える日を、とても楽しみにしています。

シホ「ミズキ、どうかしたの?」

ツムギ「ほら、お茶が入りましたよ。配るのを手伝ってください」

チハヤ「ふふっ……さあ、みんな。お茶にしましょうか」

終わりです。付き合ってくれた人ありがとう、お疲れさまでした。
EScapeのドラマパートは本当に素晴らしいのでぜひ聴いてください。

escapeのCDドラマか
http://i.imgur.com/ntA00Ln.jpg
このチハヤいい感じだった、乙です

>>3
セリカ役 箱崎星梨花(13) Vi/An
http://i.imgur.com/bDaf1XU.jpg
http://i.imgur.com/CA5gdJH.jpg

チハヤ役 如月千早(16) Vo/Fa
http://i.imgur.com/3KQQAhu.jpg
http://i.imgur.com/yXJr0zh.jpg

ミズキ役 真壁瑞希(17) Da/Fa
http://i.imgur.com/T5y34Mg.png
http://i.imgur.com/hsDhtW6.png

ツムギ役 白石紬(17) Fa
http://i.imgur.com/hTynsLF.png
http://i.imgur.com/orNWbKV.png

シホ役 北沢志保(14) Vi/Fa
http://i.imgur.com/ZhetECD.png
http://i.imgur.com/hyIxKnA.png

>>5
マザー役 秋月律子(19) Vi/Fa
http://i.imgur.com/TnoQSIZ.png
http://i.imgur.com/gJvonNo.jpg

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