勇者「最期だけは綺麗だな」後編 (58)


※※※※※※



人間は天使でもなければ獣でもない。

だが不幸なことに、人間は天使のように振る舞おうと欲しながら、まるで獣のように行動する。



ブレーズ・パスカル




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【#1】漣

村娘「ありがとうございました~!」

「また来るよ~」

「ご馳走さま~!!」

バタンッ…

村娘「……ふぅ」

女将「お疲れさま。もう遅いし、今日はこれでお終い。後片付けしましょ?」

村娘「食器洗います!」

女将「うん、お願いね。今夜はお客さんが多かったから片付けも大変だわ……」フキフキ

村娘「遠くから来た人もいたね」カチャカチャ

女将「そうね。遠方から来た旅商人なんて久々に見た気がする。年々魔物は増えてるって言うし、あの人達も大変でしょうね」

村娘「一人は怪我してた。小さい奴に噛まれたって笑ってたけど、大丈夫なのかな……」

女将「きっと慣れているんじゃないの? 辞めるわけにもいかないでしょうから」

村娘「うん、子供が四人いるんだってさ」カチャカチャ

女将「あぁ、言ってたわね。そりゃあ危なくても辞められないわ……」フキフキ

村娘「奥さんも心配してるだろうなぁ。俺が魔物に喰われたら嫁は泣いて喜ぶとか言ってたけど」

女将「あははっ! あれは仲が良い証拠。だって四人も子供がいるんだから」

女将「でも、西側の教皇領から来たって言っていたから帰るまでが大変よ」フキフキ


村娘「この街で荷を下ろして、都で次の荷を積んでから帰るんだって話してた」

女将「西側から南側、凄い長旅よね。あれで笑っていられるんだから尊敬するわ」ハァ

村娘「最近は街の雰囲気も暗いから、ああいう人達を見ると元気になる」

女将「そうね。最近は何だか変な感じがする。どんよりしてると言うか、ねえ?」

村娘「うん。別に、街の人達が暗いってわけじゃないのに、何なんだろ……」

村娘「それに、この前は近くの森に星が降ったって聞いた。大したことなかったみたいだけど」

女将「何かの前触れなのかも」ポツリ

村娘「え?」

女将「そんな気がするだけよ? でも、すぐに良くなる。さっきの旅商人の話、聞いたでしょう?」

村娘「勇者が龍を倒したって話? 他のお客さんは全然信じてなかったけど……」

女将「噂話だって本人も言っていたけど、西側ではちょっとした騒ぎになってるって話よ?」

村娘「それが本当なら、何で早く伝えないのかな。なんかこう、正式な?」

女将「色々あるんじゃないの? 報告とか事実確認とか、ご挨拶とか。教皇領にいるのは嘘じゃないと思うけど」

村娘「(勇者ってそんなことまでするのか……)さっきの話、女将さんは信じたの?」

女将「信じたいのよ。でも、魔物は消えていないし、やっぱり噂話なのかもしれないね……」フキフキ


村娘「……」

女将「……最近、勇者のことをちょっと話してくれたじゃない?」

村娘「うん……」

女将「本当に、龍なんて怪物を倒せると思う? 龍を倒せるような人だった?」

村娘「分かんない。龍だなんて想像も出来ないし。だけど、何だろ……勇者は、戦うと思う……」

村娘「勝てるかどうか分からなくても、戦ってくれると思う。そんな人だったから……だから」

女将「……」

村娘「あたしも信じたい。そうなるって信じたい」ウン

女将「ふふっ、そうね。龍を倒してこの街にでも来たら、タダでご馳走したいわ」ニコッ

村娘「あははっ! でも、宮廷とかで食べたりするのかも……」

女将「とんでもなく偉い人に囲まれて?」

村娘「そう! お姫様とか貴族とかに囲まれて、こう、豪華絢爛な感じで、こんなお辞儀して」ササッ

女将「はははっ! だけど、本当にそうなるかもしれないね。こんな所には来ないか」


村娘「でも、そういうの苦手そうだったな……」

女将「庶民的?」

村娘「庶民的って言うか、何となく同じ匂いがしたんだ。気取った感じもなかったし」

女将「田舎生まれってことかい?」

村娘「うん、多分そう。あたし達みたいな暮らしに慣れてるみたいだった」ウン

女将「へえ、会ってみたいね」

村娘「あたしも会いたい。会って、お礼がしたい」ギュッ

女将「……大丈夫よ、きっと会えるから。生きていれば、必ず会える」

村娘「その時は、あたしも料理を作りたいな。何にもお返し出来なかったからさ……」

女将「なら、頑張って覚えないとね。半端な物は出せないよ?」ニコリ

村娘「ふふっ、はいっ!」

女将「ふふっ。料理を食べさせたくなるくらい、いい男だった?」

村娘「うん」カチャカチャ

女将「あら、即答?」

村娘「見た目に反して男らしかったし、体も案外がっしりしてたし、酒も飲まなかったし」


女将「カラダ、ねえ」ニヤニヤ

村娘「あっ、違う。全部見たわけじゃなくて、着替えてるのをチラッと見ただけなんだけど……」

女将「(若いわぁ)」

村娘「?」

女将「洗い物は終わった?」

村娘「あ、うん。じゃなくて、はい。洗い物は終わりました」

女将「じゃあ、今日は上がっていいわ。気を付けて帰りなさいよ?」

村娘「はいっ、今日も一日ありがとうございました!」ペコッ

女将「ふふっ、はいはい。また明日ね?」ニコ

村娘「お疲れさまでした!」

ガチャッ…パタンッ…

村娘「(わ、霧で真っ白……って言うか寒いっ。これだと、雪が降るのも近そうだ)」


村娘「……行こ」

トコトコ…

村娘「(皆、帰って来てるかな。最近はあんまり忙しくないみたいだけどーーー)」

ピチャッ…

村娘「(水溜まり? 雨なんて降ったっけ? よっと)」タンッ

スタッ

村娘「(帰り道は足が軽くなる。仕事にも慣れてきたし、街にも慣れてきた)」

村娘「(あの狩人って人が来てからは何もないし、妹も前より良くなった。あれから結構経つけど……)」ピタッ

村娘「今頃、どこで何してるんだろ」

シーン……ヒュゥゥ…

村娘「………寒いっ。入ろ」

ガチャッ…

村娘「ただいま~!!」

パタンッ…


【#2】日々

村娘「ただいま~!」

トテテ

少女「お帰りなさい!」

村娘「ただいま! 皆いる?」

少女「うん、今日はお姉ちゃんが最後だよ?」

村娘「そっか。ご飯はもう食べた?」

少女「ううん、皆で待ってた」ニコッ

村娘「えっ!? 帰りが遅い時は先に食べててって言ったのに……でも、ありがと」ニコリ

少女「うん!」

彼女達の日常は、何かに脅かされることなく緩やかに過ぎていく。

皆、同じ村の出身で気心の知れた仲。境遇もあって、その結束は固い。


「いただきまーす!」


この十代半ばから十代後半、年若い女性のみが住む家は、空き家を買い取ったもの。

彼女達は難民である為、移住などの面倒な手続きや審査はあったが、出すものさえ出せば、普段は顰めっ面の役人達も笑顔で迎えてくれた。

それは決して安い買い物ではなかったが、勇者に半ば強引に手渡された金貨袋に与えた打撃は微々たるものだった。

以来、その金には一切手を付けず、大事に保管してある。いざという時の為に。


「今日はどうだったの?」

「料理屋はお客さん多かった。そっちは?」

「忙しいよ。また一人辞めたんだ。親戚を頼って都に引っ越すんだってさ」

「また!? あんたのとこ、道具屋だよね? この前も一人辞めたって言ってなかった?」

「うん。人手が足りなくて大変なんだよ。まあ、だから私を雇ってくれたんだろうけどね」

「私らも都に引っ越す?」

「え~、折角街にも慣れてきたのに?」

「都になんか行っても居場所ないって。この街くらいが丁度良いよ」

「そうだけどさ、そういう話を聞くと考えちゃうでしょ?」

「分かるけど、あんまり流されない方が良いよ。今の生活には満足してるし」

「お姉ちゃん、おかわり!」

「はいはい、ちょっと待っててね」

食卓を囲み、今日一日の出来事を語り合う。

噂話、近頃の住民の様子、近所付き合い、危険な場所、安い衣服の話。

互いに知り得た情報を交換し、明日に備えて床につく。これが、彼女達の日常。


しかし翌日、異変が起きる。

男女合わせて六名の児童が、夕暮れ時になっても家に帰って来ないという。

その児童達は、街の私塾や教会の創設した学び舎に通っていたため、帰り道に行方知れずとなったと考えられた。

常駐する兵士達が街の隅々まで捜索したものの発見には至らず、街の外に出た可能性があるとして、速やかに街周辺の捜索が開始された。

幸運なことに五名は無事に保護されたが、残った女児一名だけが見つからなかった。

保護された五名の説明では、数日前に森に落ちた星を見に行こうとしたようだ。

その途中で魔物に遭遇、六名は散り散りになって逃げ出したという。

聖水は所持していたようだが、あまりの恐怖で混乱し、それどころではなかったようだ。

叱りながらも安堵の涙を流す両親達の傍で、顔面蒼白のまま兵士の説明を受ける女性が一人。

彼女は涙さえ流さなかった。全身の血液が凍て付いたかのように硬直している。

彼女は後悔した。

昨夜、妹が友達に誘われて遊びに行くと話した時、何処に行くのか聞かなかったことを。


そうしていれば、未然に防げたかもしれない。

しかし他の児童の話では、始めは普通に遊んでいたが、内一人が突然言い出したのだという。

その児童の両親が我が子を連れて来て何度も謝罪したが、彼女の耳には何も聞こえなかった。

地面に額を擦り付けて謝罪する父親を見ても、許してと懇願する母親を見ても、父の平手打ちを食って泣く子供を見ても、彼女の体は冷え切ったままだった。


その後ろで、兵士達が話している。

魔物から逃れたのだとしても、あの小さな体では遠くまでは行けない。女児の体力を考えれば、そう長くは持たない。

季節は冬間近。日が暮れるのは早い。一刻も早い救出が求められる。

捜索範囲の拡大が議論され、森の捜索も視野に入れることとなる。

議論の末、夜までに見付からなければ捜索は中断、明日の朝から捜索を再開することが決定した。

その旨を報告された時、彼女は自ら捜すと言い出したが、当然のように止められた。

その場では大人しく従ったものの、収まりがつくものではなかった。


(夜まで……)

ほんの数時間の内に妹が見付からなければ、捜索は明日となる。

既に死亡している可能性など欠片ほども考えたくはなかったが、妹の死が脳裏を過ぎる。

妹は防寒着など着用していない。その状態で、夜を越せるかどうか分からない。

妹は聖水など所持していない。今この瞬間、魔物に襲われているかもしれない。

生命を脅かす要素は捨てるほどにあるが、安泰の要素など一つもない。

考えれば考える程、望みは削られていく。

(もし見付からなかったら、私が……)

彼女は夜になっても見付からなければ自ら捜しに行こうと考えていた。

勇者に渡され、今は床下に隠している武器を持って行くことも検討した。

短剣か、槍か、他には何があるか。

しかし、それも無駄に終わった。彼女の様子を不審に思った兵士の一人が見張りに付いたのだ。

彼女にはもう、祈る他になかった。

何処の誰に祈りを捧げれば良いのか分からなかったが、ただただ祈り続けた。

妹に何が起きているとも知らずに。


【#3】星

「……んぅ」

少女は森にいた。

どうやら気を失っていたようで、巨大な岩の上に横たえられた状態で目が覚めた。

空は夕暮れ間近、早く帰らなければと立ち上がったが、地面はかなり離れている。

岩の上を歩き回ってみたが、安全に降りられる場所はない。

何故こんな場所にいるのだろうと疑問に思ったが、少女に衣服に付着した汚れの方が気になった。

(汚しちゃった。お姉ちゃんに怒られるかもしれない……)

そんなことを考えながら汚れを叩いたが全ては落ちず、少女は途方に暮れる。

此処が何処かも分からぬまま座り込み、再度、何が起きたのかを思い返す。

友達と遊んでいたこと、内一人の男の子が森に落ちた星を見に行こうと言い出したこと。

大人に見付からないように隠れて街を抜け出したこと、森の近辺で魔物に遭遇したこと。

魔物が自分を追ってきたこと。明確に死を意識したこと。眼前に迫った牙。


「……」

ぶるりと体を震わせながら、そっと胸に手を当ててみると、早鐘を打つ鼓動がある。

(生きてた……でも、どうしよう)

降りる手段がない。それ以前に、どうやって岩の上に登ったのだろうか。

幾ら考えてみても少女には分からない。

その時、背後に何かが降り立った。

音が大きい、少なくとも鳥ではない。近付いてくる足音は獣ではない。

恐る恐る振り向くと、そこには

「目が覚めたようだな」

素っ裸の少年がいた。

「何で裸なの?」

他の何よりも、少女にはそれが気になった。


【#4】無頓着

少女「何で裸なの?」

猿王「着る物がないのだ……」

少女「(びんぼうなのかな。かわいそう)」

猿王「何かくれ。寒い」

少女「うん、いいよ? これあげるから腰に巻いて?」ファサッ

猿王「……助かる」クルクル

少女「変な喋り方だけど、偉い人のところの子?」

猿王「中々鋭いな。だが、偉いのは吾輩だ。親が偉いわけではない」

少女「わがはいってなに?」

猿王「主に偉い人が使う言葉だ。僕、俺、私、様々あるが、吾輩の場合は吾輩を使う。偉いから」

少女「ふうん、わたしは少女。わがはいの名前は?」

猿王「猿王だ」

少女「ましらおう」

猿王「そうだ」


少女「王様なの? 子供なのに?」

猿王「子供なのに王様なのだ。天才だからな」

少女「ふうん。天才って、いつも裸なの?」

猿王「………そうだ」

少女「そうなんだ……」

猿王「……うん」

少女「ましらおうが、わたしを助けてくれたの?」

猿王「そうだ。少女よ、獣には気を付けろ。お前のような女子は立ち所に胃の中だ」

少女「うん、とっても怖かった……助けてくれてありがとう」

猿王「獣が怖ろしいと分っていながら、何故森になど近付いた」

少女「お友達がね? 森に落ちた星を見に行こうって……だから……」

猿王「落ちた星? 何だそれは?」

少女「二日くらい前、大きな音が鳴ったの知らない?」

猿王「(二日前と言えば……)」

少女「どうしたの?」

猿王「おそらく、落ちた星とは吾輩だ。あれは確かに落ちたと言える」


少女「?」

猿王「しかし助かったぞ。お前ならば大丈夫そうだ」

少女「大丈夫って?」

猿王「お前は良い人間だからな。褒めて遣わす」

少女「何を言ってるかよく分からないけど、ありがとうこざいます? で良いの?」

猿王「よいのだ。寂しかったし……」

少女「お友達いないの?」

猿王「いや、此処には友人に会いに来たのだが、その友人が吾輩を忘れていたのだ。いきなり吹っ飛ばされるし……」

少女「喧嘩しちゃった?」

猿王「そうではない。友人は己のことさえも分からぬようだった……どうすべきか……」

少女「もう一回会いに行ったらいいよ。会わなきゃ仲直り出来ないから」

猿王「……そうだな。そうしてみよう。悩んでいても仕方がないからな」

少女「お友達もわがはい? 王様?」

猿王「此方ではそうなっているようだ。時の流れとは、斯くも残酷なものか……」

少女「?」

猿王「少女よ。また会えるか? 一人は寂しくて駄目だ」


少女「裸じゃなかったら良いよ?」

猿王「承知した」

「お~い!!」

「何処だ~!! 返事をしてくれ~!!」

猿王「お前を捜しに来たようだな。送り届けようかと思ったが、まあよい」

少女「でも、どうしよう。降りられないよ……」

猿王「掴まれ」

少女「えっ?」

猿王「さあ、早く」スッ

少女「……う、うん」

ギュッ

猿王「行くぞ」

少女「でも高いよ? ねえ、やっぱりやめよう? こんなの危ないよ……」


猿王「心配は要らん」タンッ

少女「!!」ギュッ

フワリ…

少女「…………?」

猿王「言っただろう。心配は要らんとな」

少女「魔法を使えるの!?」

猿王「静かに。吾輩が見付かると厄介なことになる」

少女「……ましらおうは凄いね。小さいのに」コソッ

猿王「凄いから王なのだ。それから、吾輩の一族は皆小さい。これが普通なのだ」

少女「へえ、そうなんだ。でも、魔法使えるなんてうらやましいなぁ……」

猿王「(そうか、この人間は魔術を使えないのか。なんと不憫な……)」

少女「泣いてるの?」

猿王「違う。泣いてない」

少女「はなみず出てる」

猿王「これはあれだ、寒いからだ」

少女「服着た方がいいよ?」


猿王「……そうだな」

スタッ…

猿王「辺りに獣はいない。此処で待て」

少女「ましらおうは?」

猿王「吾輩は森に残る」

少女「そんなの危ないよ!! 一緒に行こう? お父さんとお母さんが心配するよ?」

猿王「……」

ガサガサ…

「お~い!!」

「向こうから声が聞こえたぞ、行ってみよう」

猿王「……明日の昼、服を着て迎えに行く。吾輩のことは誰にも話してはならんぞ」

少女「でもーーー」

猿王「また会おう、美しき魂を持つ者よ」タンッ

少女「まって!」

「いたぞ!!」

「おーい、皆!! こっちだ!!」

「無事で良かった。さあ、帰ろう」

少女「う、うん。心配かけてごめんなさい……」

「やれやれ、見付かって良かった。さあ、早く森を出よう」

「誰か先に戻って、この子の姉に知らせてやってくれないか」

「俺が行く。皆、気を付けるんだぞ」


少女「(ましらおう………)」

ここまでとします。


【#5】冒険の後に

その夜、兵士に連れられて無事に帰宅した少女を、姉は笑顔で出迎えた。

てっきり叱られるとばかり思っていた為、若干の戸惑いはあったものの、姉の顔を見て安堵する。

しかし、それも束の間。

兵士に向かって何度も頭を下げる姉の姿を見て、自分がどれだけのことをしたのかを知る。

酷く申し訳ない気持ちになり、叱られずに済んだと安堵した自分を強く恥じた。

そして、こうも考えた。姉はどんな気持ちで自分を待っていたのだろうか。

もし逆だったら、姉が外へ出たきり帰らなかったら、姉が魔物に襲われたと聞いたら。

それを想像した途端、とてつもない喪失感と恐怖が小さな体を揺さぶった。

少女は居ても立ってもいられず姉の足にしがみつくと、堰を切ったように泣き出した。

姉はそんな妹の姿を見て、そっと頬を撫でる。

「おかえり、もう大丈夫だからね」

少女はその夜、姉に抱かれて泥のように眠った。


翌日。

いつもなら姉に連れられて私塾に行くのだが、今日一日は大事を取って休むこととなった。

とは言え、姉は仕事を休むわけにも行かず、正午前には仕事に向かった。

そのため、姉や他の姉達(血縁ではない)が帰って来るまでは留守番。

昨日の件もあり、少女は昼間を過ぎても家からは出ず、掃除や整理整頓などをしていた。

特別、何かを言われたわけではない。

姉も他の姉達も、昨日の件には触れず、いつも通りに接してくれた。

無事を喜ぶだけで、叱りもせず怒りもしなかった。それが、少女をより一層自省させたのだった。

「後は……」

掃除も終わり、他に何か出来ることはないかと考えていると、扉を叩く音がした。

直ぐには扉を開けず、窓からこっそり来訪者の姿を確認すると、見慣れぬ少年が立っている。

見るからに上流階級、えらく高価そうな服装、気取ったように杖まで持っている。

(お家、間違えたのかな……)

尚も扉を叩く少年を無視することは出来ず、少女は扉を開けた。


【#6】腹の虫

ガチャ…

少女「どちらさまですか?」

猿王「吾輩だ」

少女「だれ?」

猿王「だから、吾輩だ。昨日、迎えに来ると言ったはずだが?」

少女「……あ~っ!! ましかおう!!」

猿王「ましらおうだ」

少女「ましらおう」

猿王「そうだ」

少女「服着てるから、だれだか分からなかった。あと、すっかり忘れてた」

猿王「そうだろうなとは思った」

少女「せっかく来てくれたけど、わたし、行けない。心配かけたくないから……」

猿王「構わん。事情は知っている」

少女「(お姉ちゃんから聞いたのかな?)」

猿王「お前と話したい。無理にとは言わないが、駄目か?」

少女「遊びには行けないけど、お家で話すだけなら大丈夫だよ?」


猿王「いいのか!?」

少女「いいよ? 服着てるし。ちゃんとお家に帰って着てきたんだね」

猿王「……うむ。では、邪魔するぞ」

パタンッ…

猿王「……」

少女「どうしたの?」

猿王「人の家に入るのは久々でな……」

少女「お友達のお家には行くんでしょ?」

猿王「むう、あれを家と呼べるかどうか……洞窟と言った方がよいかもしれん」

少女「ふうん。よく分かんないけど、こっち来て?」

猿王「う、うむ」

トコトコ…ガチャ…パタンッ

猿王「暖かいな」グゥ

少女「だんろがあるからだよ。ちょっと待っててね? 座ってて良いよ?」

猿王「(暖炉とはなんと前時代的……いや、魔術が廃れた結果の産物か……)」トスン


少女「お鍋を、よいしょっ」カタンッ

コトコト…コトコト…グツ…グツ

少女「よし。お皿、ふかいやつ……」

猿王「(……この音、何故だが分からんが落ち着くな。懐かしくもある)」

少女「はい、どうぞ。熱いから気を付けてね」

カチャ…

猿王「何これ」

少女「野菜とお肉を、お肉の出汁とかで煮込んだやつ。お昼にお姉ちゃんが作ったの」

猿王「いや、何故ーーー」

少女「お腹空いてるんでしょう?」

猿王「……」

少女「どうしたの?」

猿王「お前の分はないのか?」

少女「わたしは食べたばっかりだから大丈夫」ニコッ

猿王「(まさか、吾輩をもてなす為に自分の分まで差し出しているのか?)」


少女「食べないの? おいしいよ?」

猿王「(ここまでされては食さないわけにはいかんな)有難く頂こう」

モグモグ…

猿王「これは……」モグモグ

少女「おいしい?」

猿王「……うん。おかわりしてもいい?」

少女「作りすぎたって言ってたから大丈夫だよ?」

猿王「(そんな嘘を吐いてまで……)」グスッ

少女「何で泣いてるの?」

猿王「泣いてないが? それより少女よ。吾輩に何か出来ることがあれば、何でも言ってくれ」

少女「何でも?」

猿王「さあ、何でも言え。魔術だろうが何だろうが吾輩直々に教えてやろう」

少女「う~ん、そうだなあ……じゃあ、泣かないで?」

猿王「……」

少女「……ましらおうって泣き虫なんだね。男の子なのに」


【#7】友達の友達の話

猿王「美味かった」カチャ

少女「た、たくさん食べたね。こんなに食べて大丈夫かなぁ……」

猿王「す、すまん!!」

少女「ううん、いいの。ましらおうが美味しそうに食べてるの、嬉しかったから」ニコッ

猿王「……」

少女「ほっぺた赤いね」

猿王「これはあれだ、元からだ……」

少女「ふうん、そうなんだ」

猿王「……うん」

少女「あ、そうだ。話したいことってなあに?」

猿王「友のことだ……」

少女「お友達って、喧嘩したって言ってたお友達?」

猿王「少し、聞いてくれるか」

少女「うん、いいよ? 聞かせて?」

猿王「……奴には昔、世話になってな。悪さばかりしていた吾輩を救ってくれたのだ」


少女「悪さって何をしたの?」

猿王「才能に溺れたのだ。自分以外の人間を見下して、思うがままに暴れ回った」

猿王「空を駆け、風を吹かせた。為す術なく逃げ惑う人間を、空から嘲嗤った」

猿王「そんな時、奴が現れた。自分より優れた存在などいないと信じていた吾輩は、奴に挑み掛かった」

少女「喧嘩?」

猿王「喧嘩にもならなかった。奴は強く、そして賢かった。何より、器が違った」

少女「うつわ」

猿王「度量というやつだ。心の大きさ、人を受け入れることの出来る人間だった」

少女「やさしい人ってこと?」

猿王「……そうだな。奴は優しすぎたのだろうな」

少女「?」

猿王「……吾輩は奴に負けた。負けて、目が覚めた。それ以降、奴と吾輩は友となった」

猿王「そして吾輩達は、嘗ての吾輩のような、傲慢で愚かな人間を成敗したのだ」

猿王「結果として吾輩達は勝った。しかし、吾輩はそこに残ることは出来なかった」


少女「悪さしてたから?」

猿王「うむ。留まることは、吾輩自身が許せなかったのだ」

少女「ちゃんと謝った? そうしたら、許してくれるかもしれないよ?」

猿王「……そうだな。しかし、吾輩には出来なかった。それに、謝るべき人々はもう逝ってしまった」

少女「どこに?」

猿王「……遠い遠い場所だ。もう、謝ることも出来ん」

少女「そっかあ……」

猿王「その後、吾輩は奴に頼み込み、此処ではない場所へ逃れた。逃れて、眠りについた。他の者達と同じように」

猿王「その別れ際に言われたのだ。自分がいよいよとなったら、お前を呼ぶとな」

猿王「しかし、今の奴は己のことすら正しく認識出来ていない様子だった」

少女「(なに言ってるか分かんないや)」

猿王「おそらく後継者絡みだとは思うのだが、今の世に、奴を継ぐ者など居るかどうか」

少女「こうけいしゃ」

猿王「役割、権限、財産などを受け継ぐ者だ。跡継ぎとも言う」

少女「ふうん、むずかしいね……」

猿王「奴には、その後継ぎがいない。それが非常に大きな問題なのだ。このままでは……」


少女「ましらおうじゃダメなの?」

猿王「吾輩では駄目なのだ。相応しい魂を持った人間でなければならん」

猿王「実はお前と別れた後に再び会いに行ったのだが、様子は変わらなかった」

少女「まだ仲直り出来てないの?」

猿王「聞く耳を持たぬのだ。何を言っても通じない。ちぐはぐだ」

少女「一回怒ったらいいよ。人の話は聞かなきゃダメだよ! って」

猿王「そう言ってやりたい気持はある。しかし、吾輩が怒ったら話にならんのだ」

少女「じゃあ、そうだなあ、待ってあげたら?」

猿王「待つ?」

少女「お話を聞いてくれるまで待つの。何か言われるかもしれないけど、そこはガマン」ウン

少女「喧嘩しちゃったり相手が怒ってる時はそうした方が良いって、お姉ちゃん言ってた」

猿王「……行ってくる」

少女「えっ?」

猿王「行って、待つ。奴が吾輩の言葉に耳を傾けるまで」

少女「そっか、頑張ってね!」ニコッ

猿王「………うん、頑張る。良ければ、見送ってくれないか」


少女「いいよ!」

猿王「そ、そうか。それは助かる」

トコトコ…ガチャ…

猿王「少女よ、世話になった。姉上にはお礼を言っておいてくれ。出来ることなら自分で言いたいが、今は時間がない」

少女「うん、分かった」

猿王「ではな」

少女「まって」

猿王「?」

少女「叩いたりされたら逃げなきゃダメだよ? 叩くのは、ちがうから……」

猿王「………うん」フワッ

少女「飛んで行くの?」

猿王「結構遠いからな」

少女「そっか。あのね?」

猿王「?」

少女「お友達も大事だけど、暗くならない内にお家に帰らないとダメだよ?」

猿王「っ、さらばだ! また会おう!!」


少女「行っちゃった……」

ここまでとします。


【#8】晴天

(曇天も突き抜ければ晴天だ)

猿王は友の待つ場所を目指して空を駆ける。

眼前に広がる澄み切った世界は、鬱屈とした地上の空気を一切寄せ付けない。

焦燥と不安は掻き消されはしないが、慰めにはなった。

(これで三度目。次こそは必ず。待っていろ、友よ)

迷いを振り切るように速度を上げる。

だが、それでも付きまとう何かがあった。

敵意に満ちた友の声、混じり気のない殺意に満ちた炎。己のことさえ認識出来ぬ程に濁った魂。

嘗ての高潔な輝きは失われ、そこには暗澹とした虚が広がるだけだった。

何もかもに絶望したように、何かに塗り潰されたかのように。

(友よ、何故だ)

何故、もっと早く呼んでくれなかったのだ。そう思わずにはいられなかった。

自己が定まっていない不安定な状態では、幾ら助けたくとも助けられない。


しかし、希望が潰えたわけではない。

(まだ、人間は滅びていない)

人間の敵、悪魔の王のように振る舞っていながら、未だに人間を滅ぼさずにいる。

それは、守護者としての意識が僅かにでも残っているからではないのか。

もし完全に失われているのなら、この世は炎に包まれ、人は灰となっているはずだ。

何より、自分以外の王は此処にはいない。つまり、全ての封印が解けたわけではない。

(友は自身の意思で、吾輩を呼び寄せた)

その事実が希望を繋いだ。

一度目は吹き飛ばされ森に墜落し、二度目は炎に耐え切れずに退避した。

魂に負った傷は癒えていないが、友を見捨てるつもりはない。恩に報いる覚悟はある。

(……)

三度目は、待つと決めた。

何があろうと、何をされようと、この声が届くまで叫び続けよう。

可能性は限りなく低いだろうが、あの時の輝きが微かに残っていると信じて。


【#9】大成

(そろそろか……ぬ?)

もう一息かと思われた時、何かが見えた。

真白い粒のように見える得体の知れないそれは、王位と比べても遜色ない魔力を内包している。

距離があるとは言え、こうして目視出来るまでに気付かなかったことに、猿王は違和感を覚えた。

(あれは、何だ)

即座に停止し、様子を見る。

真白い何かには動く気配はない。あちらも、出方を窺っているようだ。

敵意はないようだが友好的ではない。魔力を隠さずにいるのがその証だ。

威圧とまでは行かないが警戒はしている。

しかし、現れた目的が分からない。戦意はなく観察しているだけだ。

出来ることなら関わり合いになりたくはないが、そう言うわけにもいかないだろう。

あれ程の魔力を持つ存在が、魔力を感知出来ないと言うことはまず有り得ない。

つまり、此処を通ると分かっていて現れたのだ。何の用もなく現れるはずがない。

何かがあって、此処へ来たのだろう。


(追われても面倒だ。確かめる他にない)

意を決して距離を詰める。出来るだけ速度を落とし、敵意がないことを示す。

すると、白い何かも同じ速度で接近し始めた。姿形は少女のようだが油断は出来ない。

(意図も容易くやっているが……)

膝丈まである一枚布で出来たような衣服は、この強風の中にあって微動だにしていない。

服の性質上、仮に場所が地上で静止していても僅かに動くであろうことは分かる。

それが揺れもせずにあるのは、あの真白い少女が気流を操作していると言うことに他ならない。

確かに並外れた魔力を有している。だがそれ以上に、あれ程までに緻密な操作を出来る使い手はそういない。

(吾輩の生きた時代にはいなかった存在だ。それ以降に生まれた新たな王位とも思えない)

小さな器の中にある未知に目を凝らす。

そこには、遥か以前から知っているような不可思議な感覚があった。

(肉体は人間のものだ。魔術で姿を偽っている様子もない。しかし、あの魂の波形は一体……)

などと考えている間にも、距離は縮まる。

結局正体は見抜けぬまま、互いの顔がはっきりと見える距離で静止した。


猿王「吾輩は猿王。お前の名は」

巫女「私は巫女。猿王、貴方は王位と言われる悪魔で間違いはない?」

猿王「(悪魔か……)うむ、そうだ」

巫女「何故、人間の姿をしているの?」

猿王「吾輩は魔術で姿を変えられる」

巫女「それは、王位の悪魔なら誰でも可能なの?」

猿王「吾輩が知る限り、それが出来るのは吾輩しかいない」

巫女「……そう」

猿王「お前はそれが聞きたくて此処に?」

巫女「それもあるけれど、私は確かめに来た」

猿王「確かめる? 何を?」

巫女「貴方が敵か否かを確かめに来たの」

猿王「お前の敵になるつもりないぞ。お前もそうであったら助かる」

巫女「私のではなく、人間の敵か否かということ。私が貴方の敵となるかは、これから決める」

猿王「(やはり、忘れ去られているのか。確かな歴史など、最早誰の中にも有りはしないのか)」


巫女「答えて欲しい」

猿王「人間と敵対する意思はない。その行く末にも興味はない。戦は、もう沢山だ」

巫女「……では、龍に接触を計る理由を知りたい。二度に渡って撃退されても接触を止めないのは何故?」

猿王「見てたのか?」

巫女「貴方が此方に現れてから、ずっと見ていた。でも、目的が分からなかった。以前現れた王位とは違うから」

猿王「以前? 何も感じないが、吾輩以外にもーーー」

巫女「もう居ない。何処にも」

冷淡な声だった。

何処にも。それはつまり、異界に封印したわけではなく存在を消し去ったと言うこと。

返答次第ではお前もそうする。そう言われているようなものだった。

猿王「……現れたのは誰だ」

巫女「羅刹王」

猿王「お前がそうしたと言うのか? 奴は人間にしか殺せないはずだ」

巫女「違う。私ではない」

猿王「お前以外にも、王位を消し去る程の力を持った人間が?」


巫女「居る。正しくは居た」

猿王「……ならば尚更、敵にはなりたくないな」

猿王「そもそも、人間と敵対する意思はない。と言うか、これ以上は関わりたくないのだが?」

巫女「答えを聞いていない」

猿王「接触する理由か? 友人だからだ」

巫女「その目的は何?」

猿王「友を救う。吾輩はその為に来た」

巫女「貴方は龍の封印が弱まったから現れたのではないの? 羅刹王のように」

猿王「違う。吾輩は呼ばれたのだ」

巫女「ちょっと分からない。詳しく話して欲しい。それから、嘘は吐かないで欲しい。嘘はもう沢山だから……」

猿王「それなら、お前の話も聞かせてくれないか? 吾輩にも、お前が分からないんだ」


巫女「……分かった」

猿王「そうか、それは助かる。吾輩は嘘を吐かないから安心してくれ」

巫女「……」

猿王「どうしたんだ?」

巫女「私、嘘は吐かないけど隠すかもしれない」

猿王「構わないさ。話せることを話してくれればいい」

巫女「……ありがとう」

猿王「礼はいいよ。吾輩は、お前が正直な人間で良かったと思っているんだ」

何やら思い詰めた様子の巫女に笑って見せたが、彼女の表情は曇ったままだった。

猿王への警戒心は先程よりは薄れているようだが、何か別の脅威に怯えているようにも見える。

それは此処ではない場所の、此処には居ない誰かを強く思っているようだった。

巫女「……」

猿王(心此処に在らずか。それ程の力を持ちながら何を悩む。いや、だからこそか……)

巫女「……」

猿王「取り敢えず、降りてから話そう。その格好で雲の上にいるのは流石に寒いだろう」


二人は焚き火を挟み、互いの知識的空白を埋めるように言葉を交わした。

生きた時代、人間として存在する時代が異なる二人の知識には大きな隔たりがあった。

まず、巫女は自身の成り立ちから話さなければならなかった。

名のない何かであった頃に見ていた景色、人々の祈りと呪詛、そして墜落。

人は神を目指すことを諦め、縋り付く為に彼女を神へと堕とし、遂には地上に引き摺り落とした。

神と呼ばれた何かは肉体を得て少女となり、彼と出会い僧侶となる。

成長と喪失、爆発と別離。巫女は淡々と現在に至るまでの二つの旅路を語り終えた。

猿王は過去を語った。

遠い過去、若年ながらに人を超越し、その力に溺れ、振り回され、人を嘲ったこと。

そんな自分を龍が打ち負かし、封じることをせずに諭してくれたこと。

その後は龍と共に、後に悪魔と呼ばれる支配者達を封じる戦いに身を投じたこと。

進化した全ての人間が支配者として振る舞っていたわけではないこと。

極僅かな間とは言え、異なる種族が共存していた時代は確かにあったこと。

その長きに渡る戦いの終わりに、龍に願い異界での眠りについたこと。

そして今、友の声に応えて目覚め、友を救うべくこの世界に舞い戻ったことを。


巫女は現在を語る。

その歴史は今や歪められ、進化した人間は総じて悪魔とされていること。

人間は自らの罪を嘘で埋没させ、その積み上げた嘘こそが歴史となったこと。

そして、一部の人間達は進化を目指し、過去と同様の過ちを繰り返そうとしていること。

人間は過去を知らないが故に、また再び同じ道を歩もうとしている。

真実の隠蔽、罪なき時代の訪れ。

(やはりそうだったか。だが、虚しいものだな)

分かっていても痛みはあった。

時代の全てが正しく語り継がれることはないだろうが、なかったことにするなどとは思わなかった。

猿王は思う。

過去を歴史として背負いきれないからこそ全てを覆い隠し、遂には隠したことすらも忘れ去ったのではないのか。

それは人という種そのものが選択した一種の自衛なのではないか。

だからこそ古き神々を廃し、自らの望む理想的な神を創り、崇めたのではないのか。

何故そうしたのかと聞きたいが、それに答える存在はこの世界にも異界にも存在しない。

全ては過ぎ去り、全てが埋もれた。

答えを知るのは此処には居ない魂。穢れた輪廻に呑まれ、澱み、獣となった者達なのだから。


猿王「……話は分かった」

猿王「多少の食い違いはあるが矛盾はない。お前は魔女とやらと戦うのか?」

巫女「その可能性が高い。魔女も龍と同様に相反する意識が混在している状態にある」

巫女「けれど、それでも崩壊せずに自己を保っている。その精神は驚異的と言う他にない」

巫女「老人は力が馴染むまでは時間があると言っていたけれど、それ以外の要素もあると思われる」

猿王「龍のように魔女も抗っているのか。人の滅びを切望しながら、それを否定していると?」

巫女「そうかもしれない。でも、どちらにせよ、爆発が起きる前に止めなければならない」

猿王「それは理解した。だが、吾輩に接触したのは何故だ?」

巫女「仮に魔女を止めることが成功しても、龍が死亡すれば封じられた悪魔が溢れる」

巫女「だから、貴方が龍に何をしようとしているのかを確かめる必要があった」

猿王「吾輩が龍に挑んでいると思ったのか?」

巫女「最初はそう考えていたけれど、二度の接触は奇妙だと感じた」

猿王「安心しろ、龍を死なせるつもりはない。だからこそ、吾輩は此処にいるのだ」


巫女「龍を存続させることは可能なの?」

猿王「勿論だ。封印はいずれ解ける。それは龍自身が誰よりも理解していただろう。それ故の継承なのだ」

巫女「(継承。龍はあの力を……継承の仕組みを熟知している?)」

猿王「継承の術は龍にしか分からないが、吾輩は友として、何としても目覚めさせる」

巫女「出来るの?」

猿王「出来るさ。お前や吾輩よりも賢い小さな友に助言を貰ったからな」

巫女「助言?」

猿王「吾輩を思い出すまで待つ。まだ残っているはずだ。でなければ、吾輩を呼ぶわけがない」

巫女「危険過ぎる。何か策をーーー」

猿王「如何なる策も力の前には意味を成さない。それにこれが三度目、次はないだろう」

巫女「でも貴方、魂が……」

猿王「それで良いのだ。もとよりこの世界で生きようとは思っていない。吾輩の生は戦と共に終わっているのだからな」

巫女「……」

猿王「話せて良かった。正直な話、此処へ来てからと言うもの寂しくて仕方がなかったんだ」

猿王「吾輩を知ってる者も、吾輩が知る者もいない。こうして過去を語れる者もな……」


巫女「生きていれば、また話せる」

猿王「……優しいんだな、神様なのに」

巫女「今は違う。神様はもう辞めた。ずっとずっと前に……」

猿王「そっか、そうだったな……しかし、創造された神か。小さいのに大変だな、巫女」

巫女「貴方も小さいのに頑張り屋さんだと思う」

猿王「小さくない。吾輩の一族はこれが普通なのだ」

巫女「一族? 他にもいるの?」

猿王「種族と言っても吾輩が猿王となってから生み出した者達。ゔぁならと呼ばれる猿族だ」

巫女「彼等は何処に?」

猿王「眠ったままだ。起こすつもりもない。この世界で目覚めさせるのは酷だからな……」

巫女「……そう」

猿王「では、吾輩は行く。吾輩には吾輩の、お前にはお前の目的がある。互いにこれ以上の干渉は止そう」


巫女「何故?」

猿王「期せずして協力関係になっていたわけだが、吾輩は人間の為に戦うつもりはない。この魂は友の為にある」

猿王「行動を共にしたとして、もしお前に何かがあっても、吾輩は友を優先する」

猿王「そこに差異があれば協力関係など容易く崩れる。安易な真似は首を絞めるだけだ。邪魔をしない。それが、互いに出来る最大の協力だ」

巫女「……」

猿王「……巫女よ、目的は違えど行き着く先にある未来は同じだ。健闘を祈る。さらばだ」

飛び立つ背には有無を言わさぬ覚悟があった。それは、過去に何度も見たことのあるものだった。

巫女は此処には居ない彼に思いを馳せ、飛び去る姿を見届けると、空を見上げたまま語り掛けた。

巫女「僧侶、聞いていたのなら分かると思うけれど、猿王は私達の敵ではない」

僧侶『良かった……』

巫女「ただ、猿王と行動を共にすることは出来ない。私が龍に接触するのは難しくなった」

僧侶『じゃあ、こっちに一度戻ってーーー』

巫女「それは出来ない。私は龍を、貴方達は勇者を、そう決めたはず。例の教皇庁の部隊は?」

僧侶『情報通り、北の山村に向かって進軍してる。辿り着くまであまり時間は掛からないと思う』


巫女「勇者は」

僧侶『いる。勇者が部隊を率いてる。でも、相変わらず魔女の姿が見えない。勇者の近くに存在を感じるのに……』

巫女「では、現れるのを待つ?」

僧侶『ううん。待っている時間はないよ。予定よりも早いけど、私達は部隊を何とかする。その間に龍をお願い』

巫女「もう、動けるの?」

僧侶『動けるって言ってるよ?』

巫女「違う。彼には聞いていない。貴方にはどう見えるのかを聞いている」

僧侶『ご、ごめんなさい。私から見ても大丈夫だと思う。でも、こんなやり方ーーー』

巫女「それはもう何度も話し合った。結果、貴方はそれを受け入れ、貴方は授けた」

僧侶『……』

巫女「おそらく、これが最後の戦いになる。僧侶、貴方も覚悟を決めたはず」

僧侶『……うん。そうだね。もう迷っている時間なんてない。やるしかないんだから』

巫女「やれる?」

僧侶『うん、大丈夫。ありがとう』

巫女「では、私も機を見て動く。僧侶、貴方に幸運を」

僧侶『貴方にも幸運を……じゃあ、またね』

そう言い終えると音声は消えた。すぐにでも動き出すのだろう。それ程までに進軍は早いようだ。

巫女もまた、北の山村へと向かった。戦いの終わりと、彼の生きる未来を胸に抱いて。

ここまでとします。

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