【艦これ】潜水艦泊地の一年戦争(88)

地の文あり、独自設定あり。

同タイトルの完全版です。
SS速報ではR描写厳禁なので、こちらに引っ越しました。


 イクが大笑いしていた。

 イムヤがしかめっ面をしていた。

 ゴーヤがきょとんとしていた。

 ハチが軽蔑した目をしていた。

「変態なの!」

「……変態」

「変態でちか?」

「変態、です」

「違う! 誤解だ、本当だ、信じてくれ!」

 俺は必死で否定をするも、スクール水着を手に持った状態では、何を言っても説得力など皆無だった。

 俺の両手には、いま、充分に撥水加工の為された紺色の布が握られていた。古き時代のスクール水着というやつだ。肩や膝まで布の伸びたタイプではなく、脇や太ももが露出するタイプのもの。
 なるほど、確かに女性用の――否、女子用のそれを手に、力強く語る男がいたら変態だろう。そしてその男とは俺のことである。即ち俺は変態である。見事な三段論法に不備はない。

 ではない。


「いいか? これは単なる水着では、ない!」

 先ほどの説明を、今度こそ理解してくれと願いながら、もう一度繰り返す。

「露出した部分には空気の層を多段生成することにより高効率な断熱性を持たせることに成功している。それに伴って耐衝撃性、耐摩耗性も著しく向上した。海の中だけではなく、外でも一貫して着用できる性能になっている。

 当然布地の部分も最先端技術が施されていて、微細な繊毛によってミクロの泡を付着させ、あるいは消失させることによって、浮力の助力をこれまで以上に得られやすくしているわけだ。潜航と浮上に必要な時間を八割まで落とせるという試算が出ている。

 また新開発の形状記憶素材を各関節部に取り入れることによって、この水着はお前たちの動きの癖を認識し、それをサポートするような形へと変化をしていく。巡航速度も飛躍的に上昇するだろう」

 そこまで喋って、ハサミを取り出した。それを水着に当て、二度、刃を進める。
 当然水着には大きな切れ込みが入った。

「さらに! ある一定の間隔でナノマシンが縫いこまれていて、仮にこのように破れたとしても!」

 切断面を継ぎ合せて一撫ですれば、先ほどの切れ込みは跡形もない。指で触っても、歪な凹凸は感じられなかった。

「修復機構によって一瞬で修繕がなされる、機能美に溢れた最先端の制服、それがこの潜水艦娘専用制服なんだ! これをスク水と呼ぶことは、俺が許さん!」

 大上段からの熱の籠った演説。俺の目の前の四人も、思わず手を叩いていた。

「でも教官」

 ゴーヤが手を挙げた。

「なんでスク水なんでちか?」

 だからスク水ではないと言っているだろうに。
 たとえ見てくれがいくらスク水であったとしても、である。

「なんで? なんでって、そりゃ……」

 俺は口ごもった。なぜか。その理由を、俺自身がわかっていなかった。

 その無言はどうやら四人には決定的だったらしく、各々が視線を巡らせ、頷く。


「変態なの!」

「……変態」

「変態でちか?」

「変態、です」

 頭痛がしてきた。全て誤解だったが、誤解を解くような材料は、何一つ俺の手元には残っていない。

 新たな艦種として「潜水艦」が徴用されるとなったとき、人員の選定、訓練は勿論だが、その制服についても策定しなければならなかった。俺は計画立案の段階から深く携わっていたから、どのような機能が備わっているべきかについて、考えない理由はどこにもなかった。
 戦場において求められる機能は、まず第一に耐衝撃性。汚損にも強くなければならず、海の上ではなく中を往く潜水艦には、隠密性と断熱性も必要だ。
 そう言った諸処の要素を取捨選択……するのではなく、予算の関係で「全部載せ」してしまった結果、おおよそ量産には不向きな超絶機構の制服が誕生する運びとなった。シーレーンの確保にどれだけ防衛省が頭を悩ませているのかがわかる予算の使い方だ。

 だが、どうしてスクール水着なのかは、まるでわからない。

 実戦配備はまだ先の話で、それこそこの四人が結果を出してくれなければ、全てが水の泡。予算をペイするため、俺には何としてでもこの制服を四人に着せる使命があった。


「教官はやっぱりイクたちをそう言う目でみていたのねー」

 やっぱりってなんだ。栄養が全部頭ではなく胸に回ってしまったのか。
 あるいは余程訓練生時代のシゴキが足りなかったと見える。

「俺じゃねぇよ。機能や装備に関しては要望を出したが、まさかこんなかたちになるとは思ってもみなかった」

「まぁ、でも、そりゃ水着だとは思ってたけど」

 イムヤの弱弱しいフォローですら心に響く。
 水に潜る艦と書いて「潜水艦」なのだから、水着。それは確かに理に叶っている。抵抗の高い服を着て海の中を泳ぐのはナンセンスだ。そう言う意味では何ら恥じることはない、はずなのではあるが。
 それでも胸のところに名前を書く白ゼッケンはいらないと思うし、それになんというか、スクール水着という選定には他意が感じられてしょうがなかった。ならビキニがよかったとか、パレオ付がどうとか言うつもりは全くないのだが。

 有体に言えば、開発部の趣味に違いなかった。

「……とりあえず、申し訳ねぇが、着替えてもらっていいか。これからお前たちと泊地で暮らす一年は、お前たちの仮登用でもあると同時に、このスク水の試験の場でもあるんだ」

「あ、スク水って言ったでち」

「……」

 俺は何も知らないふりをした。

* * *

* * *

 二十分が経過しても、いまだに四人は戻ってこなかった。
 手の中のアメリカンスピリットは、残り二本までその数を減らしている。

 かかりすぎだと思ったが、俺は平均的な女子の着替えに要する時間を知らない。文部科学省の統計調査室をあたれば、そんなくだらない資料さえも揃うだろうか。
 いや、いきなり教官に呼びつけられ、その後の命令が「水着に着替えろ」では戸惑うのも当然だ。更衣室での俺への文句は想像したくない。しかし、悲しいかなこれも俺の仕事なのだ。

 真面目な話、着替えにかかる時間さえも割り出す義務だってあるのだった。本当に二十分もかかるのならば、警報が発令されてからでは間に合わない可能性が高い。逆に普段から水着で生活をして、不便がないとは言い切れない。
 そのあたりを逐一報告書に挙げ、制服の量産体制、及び潜水艦娘の徴兵体勢が万端整った際に、より効率的な運用を目指すための実験モデルが俺の率いる小集団の正体だった。
 イムヤ、ゴーヤ、ハチ、イク。彼女らとは訓練生時代に教えていた仲である。付き合いは長く、かれこれ二年、もうそろ三年目に突入する。艦娘適性がある子女の中でも、潜水艦はかなりのレアケース。上からもうまくやるようにと言い含められていた。


「教官! イムヤ以下三名、更衣より戻りました!」

 敬礼とともに四人が現れる。当たり前だが、全員スクール水着姿で。

 直立の体勢をこそとっているものの、イクを除いた三人は、どこか落ち着きがなさそうに思える。逆にイクはその豊満な体を惜しげもなく曝け出し、腰に手をついての仁王立ちさえしてしまいそうだった。

 イムヤとゴーヤ、そしてハチは上にセーラー服を羽織っていた。あれは艦娘が一般的に身に着けているものと同様の素材で作られている。耐摩耗性や撥水性が強い。防寒機能も十分だ。
 寒い……わけではないだろう。四月の陽気が上から降り注いでいる。ならば、やはりというべきか、恥ずかしいのだ。

 俺だって直視すべきかせざるべきか、迷っているのが本音である。それでも、先ほどのイクではないが、おもむろに視線を逸らせばこいつらの肢体を意識していることになる。それを認めるのは非常にまずい。
 個人の尊厳としても、教官の立場としても。

「あの、教官」

 ハチが手を挙げた。

「あー、言い忘れていたが、もう教官はやめてくれ。今月の一日付で、泊地を預かる『提督』の肩書を貰った」

「あ、そうなんですね。おめでとうございます。
 で、あの、提督」

「どうした」

「セーラー服、上だけじゃなく、下はないんですか? やっぱりちょっと、はっちゃんは恥ずかしく思います」

「あー、あたしも気になる、かも」

 イムヤも追随する。俺は口角が引き攣る感覚を覚えた。

「悪いが、上だけだ。下……まぁスカートだな。それを穿くと、致命的に水中での抵抗が強くなって、航行速度がガタ落ちだそうだ。上ならそれほど影響がでねぇっつーことなんだが」

「うー、脚がすーすーするよぅ」

 不安げに露出した太ももを触るゴーヤ。申し訳ないが、そこに関しては、俺の具申の及ばない範域だ。

「うひひひひっ! 三人ともイメクラみたいなのー!」

「……?」

「?」

「っ!」

 空気が凍る音が聞こえた。多分、俺と……ハチ、お前もか。
 初見から思っていたとしても、決して考えないようにしていたのだが。どうやらイクは空気を読む気がないようだった。まぁ今に始まったことではない。慣れてしまったといえば慣れてしまっていて、その事実は俺たちの間の年月を感じさせた。

 スク水の上からセーラー服を羽織っているというその恰好は、どう考えても常人の発想の限界を超えている。フェチズムの極みというか、カリフォルニアロールというか。煩悩の合わせ盛り感が視覚を通じて俺の脳をびしばしと叩いていた。
 イクは大笑いしていたが、それどころではないのが俺とハチである。イムヤとゴーヤはきょとんとしているばかりで、俺は二人に「そのまま真っ直ぐ育ってくれ」と願った。


「提督、そのっ……はっちゃん、ちょっとあっつくなってきました。から、脱ぎますです、はい」

「……おう、そうするといい」

 知らんふりするのがこの場合の優しさだろう。

 ハチはその場で制服の上を脱いだ。イクに負けずとも劣らず、豊満な肢体が露わになる。
 正直目のやり場に困る光景だった。

 こいつらと数年の付き合いがあって、まるで親戚の娘みたいな扱いをしていた俺でさえこう思ってしまうのだから、実戦投入されてからだとどうなるのだろう。初対面の提督と艦娘同士で、何か間違いが起こらないとも限らない。
 俺の仕事はそのあたりをきちりと記述することだ。報告することだ。ということはつまり、俺が覚えてしまった劣情すらも下敷きにしなければならない。

 誤魔化すことは簡単だった。簡単だったが……将来的な問題を見てみぬふりをしてまでやるべきことでは、ない。この仕事にはそれくらいの重責はある。


「てーとく? なにぼんやりしてるんでちか?」

 少し拗ねたような眼でゴーヤが俺を見ていた。シャツの裾をくいくい引っ張っている。見破られたか、どうなのか。少しばつが悪そうになりながらも四人へと向き直る。
 あぁ……「まるで親戚の娘みたいな」? 「何か間違いが起こらないとも限らない」? どの口で言っているのだか。

「とりあえず、各自の荷物は既に部屋へと届いている。今日は荷解きと、近くの地理を覚えるところから始めてくれ。本格的な訓練は明日から行う」

 はーい、と元気のいい返事が前から聞こえてきた。

* * *


* * *

 俺にあてがわれた執務室は十畳ほどの広さだった。スチールのラックと、テーブルが置かれている。取調室にも見える簡素な部屋だ。
 隣室は俺の居住空間となっていて、扉一枚で行き来ができる。そちらにはベッドやテレビ、クローゼット、冷蔵庫などが備え付けられていた。

 潜水艦娘たち四人はそれぞれ一人部屋があてがわれている。訓練生時代は相部屋だったから、かなりの待遇改善といってもいいだろう。この泊地の下見には俺自身も同行しているが、悪いつくりではなさそうだった。
 そもそもが大きな建物ではない。二階建てで、嘗ては小中合同の学校だったと聞いた。人数が減少して廃校になったのを再利用しているというわけだ。

 ネット回線を確認し、パソコンを立ち上げる。軍の人事課含め、お歴々は新しい「潜水艦」の未来に興味津々であるらしい。連絡の確立をあらためることは何よりも重要だった。 不手際がないようにしなければ俺の首が飛ぶかもしれないのだ。
 勿論それは俺だけの問題ではない。俺を教官として、さらには提督として推薦してくださった田丸三佐の顔に泥を塗るような真似はできないし、それ以上に俺を慕い、こんな僻地まで着いてきてくれたあの四人の期待に応える義務が俺にはある。


 戦いの訓練などをしなくとも、あいつらは楽しく真っ当に生きていけたはずだった。選択肢があってなかったような俺とは違って、高校生活を笑いあって過ごすこともできた。そしてそれを選ばなかった。
 ……俺が選ばせなかったのだ。彼女らへの期待を口にし、同情も惹いた。手練手管は若干歳の少女たちには覿面だったろう。

 四人が優秀だったのは事実だ。でなければ、俺もここまで遮二無二にはならなかった。優秀な人材が集まりませんでした、第一次潜水艦計画の見直しを希望します――そう俺に言わせなかっただけの逸材なのだ、彼女たちは。

 思わずぼんやりとしてしまっていた。既にOSは起動し、ログイン画面を映し出している。
 と、そこで扉が控えめにノックされた。三回。続けて二回。合計五回のノックが、ある種の符丁であることを、俺はとっくに理解している。

「……入れ」

「……えへへ」

 照れくさそうに、ゴーヤ。格好は先ほどまでと同じスクール水着に、上だけがセーラー服。やはりあまりにも場違いに見える。眩暈がするほどに。

「他の奴らは?」

「荷物を広げてるよ。あ、でも、やっぱり足りないものも多くって、あとで買い物に出たいって言ってた」

「買い物? 歩いてかなりかかるぞ」

 確か、地図上では徒歩で一時間近くかかったはずだ。

「うん。だから、てーとくの車を貸してほしいでち。ほら、イムヤが」

「あぁ、言っていたな、そういえば。免許取ったと」

「安全運転させるからさ。ね、お願い!」

「まぁ別にいいが、気をつけろよ。慣れない道なんだし」

「もちろんでち! それに、慣れる必要もあるでしょ? 最低でも一年はここに住むことになるんだし」

 一年、か。長いようで、しかしきっと、日常の中に溶け込んでしまえば一瞬なのだろう。こいつらと過ごした訓練生時代の数年間が一瞬だったように。

 ポケットからキーケースを取り出そうとしていると、ゴーヤはてくてくとこちらへ近寄ってきた。少し頬が紅潮している。意地悪そうな笑み。なんとなく考えていることがわかって、わかってしまって……期待している自分もいて。


「なんだ」

 だから、そんなあからさまなことを問うてしまう。

「えへへー」

 ゴーヤは一度笑うと、椅子に座っている俺の、さらに股座の間に座ってくる。大したサイズのない椅子はそれだけで窮屈で、必然、ゴーヤの尻と俺の下半身、背中と俺の胸板が密着するかたちになる。
 それだけでは飽き足らず、まるで猫が毛繕いをするかのように、その桃色の髪の毛を俺の首筋に擦り付けてきた。ふわっと潮の香り。午前中は海に潜っていたから、そのせいだ。
 俺はそのにおいが嫌いではなかった。ゴーヤのものである、というのがその理由の大半を占めていた。

「んー、てーとく分の補給でちっ」

 口の中で、もう一度「てーとく」と転がすゴーヤ。これまで「教官」と呼んでいた俺たちの関係性は、だからといって変わることはない。
 手持無沙汰になったのと、触られっぱなしというのもなんだったので、ゴーヤの腹に手を回した。スクール水着の滑らかな、それでいて少し肌に引っかかる独特の質感。


「えへへー」

 くすぐったそうに身を捩じらせる。本気で避けないのは、止めてほしくない証左。俺はそのまま腹をまさぐるのを続行した。
 日がな一日海に潜っているからか、見てくれは少女然としているにも関わらず、ゴーヤの体は引き締まっている。余分な脂肪があまりついていない。それでも筋肉が硬いわけではなく、しなやかでよく伸び縮みする。これは生まれ持った天性の資質だ。

「あんなこと言って、結構スクール水着、好きなの?」

「別に、普通だ」

「でも、イクとかハチのおっぱい、見てたでち」

 首元で囁かれると、なぜだかぞわりとした怖気が走る。もしかしたらゴーヤがこの部屋を訪ねてきたのは、案外これを言いたいがためではなかろうか。
 まじまじと見ていたつもりではないが、気にならないと言えば嘘になる。それが悲しい男のサガというものなのだ。
 ……もちろん、こいつに対してそんなことを言えるわけもない。


「二人はおっきいもんね。……ゴーヤのは、もう飽きちゃった?」

 腹に回していた手が、ゴーヤの手に誘導されて、上へ上へとあがっていく。
 そっとスクール水着とセーラー服の隙間に差し込まれた。

 少し張りのある生地の、その奥にある柔らかさが、俺の指先に確かに感じられる。

「……あは」

 これまでとは声色の違うゴーヤの笑み。

「最近ご無沙汰だったしね」

 ゴーヤの下半身の柔らかさと、俺の股間の怒張。どちらか一方が押し付けているという状態ではなく、どちらも互いに。爛れた空気が俺たちの間に一瞬で満ちる。

「てーとくも悪い男でち。教え子に手を出すなんて」

 鎖骨に軽い口づけが交わされる。せめてもの抵抗として、ゴーヤの胸の先端を引っ掻いてやった。

「誘ってきたのは、お前からだろう」

「襲ってきたのはっ、んっ、てーとく、でちっ」

 マウントの取り合いをするつもりはなかった。確かに教え子に手を出した俺が、万人の意見を俟つまでもなく、悪いに決まっている。
 だが、悪人だと後ろ指を指されてなお後悔しないほどの魅惑が、俺の目の前の桃色には有り余る。それだけはこの身を以て保証してもよい。


「ふ、んぅ、てーとく」

 差し出された唇にこちらの唇をあわせてやる。と、ゴーヤは俺のうわっつらを一舐めして、飛び跳ねるように椅子から降りた。

「んふー」

 努めて意地の悪い表情を作っているのが明白な、ゴーヤの表情。

「おい」

「これは罰でち。おっぱい星人のてーとくには、ちょっとだけおしおきが必要でーち!」

「お前なぁ」

「でも、本当にもう時間だもん。あんまりイムヤたち待たせるのもあれだし」

「変に感づかれてもまずい、か」

「まぁもしかしたら、とっくにばれてるかもしんないけどね。さすがに少しも気づかれてないとは、ゴーヤは思ってないかな。イムヤは潔癖だから、知らんぷりしてるけど。ハチはむっつりだし、イクは……」

「イクは?」

「同じ人間とは思えんでち」

 さもありなん。


「わかったわかった。悪かったよ。ほれ、鍵だ。もってけ」

「ありがとっ、てーとく!」

 鍵を受け取って、ゴーヤがとことここちらへやってくる。

「続きは夜にゆっくり楽しもうねっ」

 それだけをぼそりと告げて、ゴーヤは手を振りながら走って部屋を出ていった。
 残された俺は一人、頬杖をつきながら、パソコンにログインする。少しだけ……いや、見栄を張っても仕方があるまい。だいぶ、かなり、「そういう」サイトにアクセスしたくなる衝動が迸るも、一応ゴーヤに操を立てておくべきだと判断。メールチェックにとどめる。

「……」

 着任当日では大したメールは来ていなかった。それも当然か、とパソコンを閉じる。大きく伸びをし、椅子から立ち上がった。
 四人の買い物についていくべきだったか。僻地ではやることも特にない。うーむ、どうしたもんか。


 こんこん。控えめなノック。
 俺は思わず腰のホルスターへと手をやった。この泊地には、俺たち以外はまだ誰もいないはずだった。
 だが物取りがいちいちノックをするだろうか。そう考えて、体を弛緩させる。着任当日であるがゆえの予期せぬ来訪者など、いくらでも心当たりはあった。

「ごめんください、広報部のものです」

 あぁ、なるほど、そういうことか。胸をなでおろす。
 潜水艦の新規徴用に関して、それなりの戦果や作戦遂行における役割が求められることは当然として、それらの功績を広く内外に知らしめる必要があった。
 対深海棲艦の軍備費用は増加の一途を辿っており、艦娘制度という民間からの徴用も含めて、一般市民が納得できるだけの広報は必要不可欠だ。それが多少なりとも虚飾にまみれたものであったとしても。

「おう、入ってくれ」

「失礼します」

 やってきたのは薄紫色の髪の毛の少女だった。正しく水兵の格好で、カメラを首からぶら下げている。
 向こうは俺の顔に見覚えなどないようだったが、逆にこちらは彼女のことを知っていた。

「お初にお目にかかる。間違っていたら申し訳ないが、貴女は青葉海士長か?」

「や、これはお恥ずかしいです。青葉のことを知っておられるとは」

「艦娘として任務に就きつつ、同時に広報部の活動も一線でこなす仕事ぶりは聞いている。うちの教え子たちからも『青葉さんくらい熱心に働け』と言われる始末だ。いやはや、和製『スターズ・アンド・ストライプス』は伊達ではない」

「あはは。そんな、特別なことはしていません。ただ趣味が高じただけです」
 あと、申し訳ありませんが、年度替わりで昇進を致しました。今は三曹です」

 青葉は階級章をちらりと見せた。

「これは申し訳ない」

「いえいえ、頭を挙げてください。それに、そちらのお噂もかねがね聞いておりますよ。新進の潜水艦部隊を率いる、将来有望な司令官であると。同期よりも数年早くの三尉とは、並みではありませんよ」

 教え子に手を出したことまでは、さすがに話題になってはいるまいな。


「まだ正式な徴用ではありません。あくまで仮設置です。ここから一年、あるいはもっとの年数をかけて、確かな運用のかたちを作り、昇格してもらわなければなりません。
 青葉さんがこちらへ窺ったのも、その件であると推測しますが」

「慧眼ご明察、そのとおり。青葉はいま、全国を回って艦娘に関するニュースやトピックスを中心に記事にしておりまして、世間一般では『艦娘通信』などと呼ばれているのですが、今回はその一環としましてですね」

「あぁ、はい。聞いたことはもちろんあります」

「いえ、それに加えて、田丸三佐からの書簡も預かっておりまして」

「三佐から? 直截ですか?」

「ええ。そちらにはなにも?」

「はい。連絡は来ていないのですが」

 メールチェックで見逃したか? いや、まさかそんな。

「密書ですからまさか封は開けられません。ご確認のほど、よろしくお願いいたします」

 と、青葉は俺に一枚の封筒を差し出した。簡素だが、丁寧に蜜蝋で封がしてある。……丁寧すぎて怪しくなるくらいに。

「それと、潜水艦の艦娘たちはどこですか? インタビューをしたいのですが」

「あぁ、すいません。いまさっき入れ違いで街へと買い物に出かけましたよ」

「なんと」

 封を開ける。便箋が、都合二枚、入っている。直筆。文字は確かに田丸三佐のもので間違いないようだった。
 さっと目を通して……うん。うん?

「まぁゆっくりしていかれたらいい。もうすぐ最後のバスも出てしまう。一緒に食事を摂りながら。どうです」

「いやぁご一緒したいのはやまやまなのですが、おかげさまで多忙な身でして」



「あー、それなんだがな、『青葉』」



 嘆息を一つ。階級は青葉のほうが下だ、こんな状況になってしまえば、最早敬語をいつまでも使う必要もないだろう。
 青葉は少したじろいだ、ように見えた。こちらの雰囲気の変わったのを察したに違いない。記者は時流を読むのがうまい。それは要するに、人の機微に敏いということに他ならない。

「いい報せと悪い報せ、どっちから聞きたい」

 スターズ・アンド・ストライプス。アメリカ風に尋ねるのはせめてもの余裕の表し方だった。


「……いい報せ、からで」

 警戒心を露わにした青葉の返答。そりゃそうか、と俺は思う。

「よかったな、明日からは随分と楽になるぞ」

「……それは、どういう」

「悪い報せのほうだが」

 青葉の言葉をぶった切って、俺は続けてやった。

「これから一年、よろしく頼む」

 非常に申し訳ないことなのだが、で始まる文章には、予算の逼迫、議会での反対、からの過半数の賛成をとれなかったことが大まかに記されていた。見切り発車で動いていた潜水艦計画は、今年一年を以て凍結、最悪の場合解体もあり得る、と。
 不幸中の幸いは二佐が諦めていなかったことだ。潜水艦の意義は、確実に、存在する。俺も彼も、そこだけは違えたことがない。

 これは戦争ではなく政争だった。争いの場には、それぞれの流儀がある。銃を撃ち、血を流すのではないかたちで、決着をつけなければならない。
 期間は今年いっぱい。その間に、世間と議会を動かすような成果を、あるいは戦果を。広報のために青葉をつける。潜水艦たちと、青葉と、なんとかして存在価値を示してほしい。

 いや、示さなければならない。

 末尾はそう結ばれていた。


「……ははっ」

 乾いた笑いが出る。
 なんだこれは、まるで馬鹿みたいじゃないか。何のために俺はあいつらを鍛えてきたというのだ。何のためにあいつらは、楽しい友人関係を反故にして、輝かしい学校生活をふいにして、こんな!

 俺は机に拳を打ち付けた。スチールの机が、僅かに曲がる。それ相応の痛みが拳を襲っているが、知ったことではない。

「青葉、お前に選択権はねぇ。俺と一緒に四人を騙せ。世間を騙せ。あいつらの存在価値をでっち上げろ。汗も涙も、何もかも、ひとつ残らず無駄にゃあしねぇぞ……!」

 床に膝をつける。手のひらをつける。額を擦り付ける。

「頼むっ……!」

 青春を犠牲にしたあいつらに、俺ができることなどそう多くはない。だから、せめて、犠牲の上にようやく手にすることのできたものは、それくらいは、俺が、いや、俺でなくてもよくて、誰かが、誰か、あいつらのために、せめて何かを!


「……」

 青葉の無言が、ただただ恐ろしい。

「……資料」

「えっ」

「だから、資料です。四人の。それがなくちゃ、はじまりません。美談をところどころに挟んで、あとは専門的な戦略的意義も交えて……なんですか、そんな目で青葉を見て」

 一体どんな目を、顔を、俺はしていただろうか。青葉は確実に俺を蔑むように見ていたが、その顔に宿る決意は、俺の希望的観測でなければ――それを願うばかりだが――本物だった。

「青葉も結局、逃げ場はなさそうってことですから」

 短くそう言って、袖をまくる。
 感謝の言葉を俺は何度も何度も呟いていたと思うが、忘我の情が圧倒的に強く、仔細は覚えていなかった。

 とにもかくにも、こうして俺たちの一年戦争が始まったのだった。


* * *

「ご飯、作れるんですね」

 テーブルに頬杖をつきながら青葉が呟いた。テーブルの上には大きなボウルに入ったサラダが中央に構えている。キッチンの炊飯器は驚くなかれ十合炊きで、そばに茶碗が六つ。ちなみに米は少しだけ玄米が混ぜ込んである。
 コンロが三口なのも嬉しかった。丸く形を整えた合挽き肉は常温に戻している最中で、もう少しで焼く頃合いだろう。サツマイモのポタージュは、あとは温めるだけ。人参のグラッセもあるがあいつらは食べるだろうか。
 祝いの日はとりあえず洋風を出しておけとは母の言葉だ。甘んじて従うことにした結果が今日のメニュー。

 青葉はサラダからセロリをひとかけら手に取って、ドレッシングを掬い、口の中に放り込んだ。「あ、おいしい」。意外そうな言葉は言われ慣れているものの、ゆえの辟易もまたある。


「これ全部手作りですか?」

「ドレッシングとグラッセはな。ハンバーグも、まぁ手作りっちゃそうなるか。ポタージュはレトルトだけど」

「ほえー」

 しゃくしゃくしゃくしゃく。小刻みにセロリを齧る音が響く。兎のようだな、と思った。無言でじっとこちらを見てくるところなどが、実家のロップイヤーにそっくりだった。

「栄養管理も俺の仕事だからな」

「なんでもできるんですねぇ」

「できるようにさせられたんだよ。予算と日程の都合上、俺がなんでも一人でこなさにゃならん」

 本当は事務系と技術系の部下も配属されるはずなのだが、実験艦隊の不遇なところである。

「それで料理も、と」

「料理は嫌いじゃねぇし、あいつらは放っておけばスナック菓子ばかり喰いやがる」

 甘味やら清涼飲料水やら、全てが体に悪いなんて暴論を吐くつもりはなかったが、変に栄養価が偏ったりカロリー過多になっても困る。お目付け役は必要だった。


「保護者ですね」

「実にな」

 青葉はセロリをぽりぽり鳴らしながら、今度こそ俺から目を離した。
 青いリングファイルが彼女の手元には四冊置かれていて、それぞれに潜水艦たちの経歴や身体能力、学業成績、精神鑑定の結果などが記載されている。
 本来は完全なる秘匿情報なのだが、開示請求に対して判を押すのは提督たる俺の仕事だった。青葉がうまいこと話を膨らませて記事を書くためには、やはり、充分なバックボーンが必要となる。

「まぁ、うまく使ってくれ」

「そりゃもう。ですが青葉個人としましては、直接面と向かって会話をして、人となりを知ることこそが重要だと考えてます。勿論事前の情報収集は必要ですけどね。
 文字には血が通っていません。こう言った資料は特に、です」

「記者が書き起こしたルポやら新聞やら、あるじゃねぇか」

「はい。ですから、本来血の通わないはずの文字を組み合わせ文章にし、そうして血を通わせ活き活き色づかせることが、記者のみならず文筆家全般の使命なのですよ。所謂一つの才能ってやつです」

 使命感。職業倫理。それは多分に大事なことだ。人は容易く一線を踏み越える――踏み外してしまうから。

「さて、そろそろ時間だ。一緒に飯、運んでくれ」

「わかりました」

 青葉はトレイに食事を乗せて、隣の食堂へとテキパキ運んでいく。


「司令官、一ついいですか?」

「ん? どうした」

「繰り返しますが、青葉は取材において、何よりもナラティブであることを重視します。それが記事に魂を吹き込むと信じているんです。
 そして、それは、あなたも対象です」

 ぴたりと脚を止めた青葉は、首だけを捻って、肩越しに俺へと視線を送っている。

 真剣なまなざし。俺も、意識して脚を止める。

「あなたの言葉と土下座が嘘じゃないってことくらいは青葉にもわかります。潜水艦のコたちが不憫だってのも納得できます。
 その上で、言います。嘘はつかないでください。あなたがどんなに下種な人間だろうとも、どんな下心があったとしても、包み隠さず青葉に伝える。それが手伝う条件です。その上で、青葉は仲間になります」

「……今言うんじゃねぇよ。飯が冷めるだろうが」

「……そうですね。失礼しました」

 俺たちは歩き出す。前を向いて。

「俺はそういう人間に見えたか」

 下種で、下心があって。
 私利私欲のためにあいつらを、年若い、世間知らずの子女を、使い潰そうとしていると。


「人間だれしも少なからずは」

 青葉はさりとて興味がなさそうに言う。「そういうもんじゃないですか?」。
 深い含蓄がその言葉にはあった。それは限りなくフラットな態度だった。フラットであろうとする態度でもあった。

 使命感。職業倫理。俺は青葉の背中を見ながら、口の中で呟いてみる。

「例えば外面は滅法よく、しかし腹の中には常に他人を貶める算段を働かせている人間がいるとしましょう。意識的にか、それとも無意識的にか。司令官はどちらのほうがより悪人だと思いますか?」

 食堂のテーブルには格子柄のクロスが敷かれている。椅子は五つ。青葉のぶんを勘定に入れていなかったから、一つ足さなくてはならない。

「意識的にだな」

 俺は即答した。そして皿と器を並べていく。ことん、ことん。セラミック製の食器の奏でる音は軽い。
 質問の意図はわからないまでも返答は必須。彼女は俺を手伝うと言ってくれたが、それは決して信頼や信用と同義でない。俺と青葉を結びつけているのはそういった清廉さに非ず、しがらみだとか上下関係だとか損益だとか、もっと現実と地続きにある何かだ。


 現実が伸身した先にあるそれらが楔となる関係を、けれど悪だと、正しくないと、拒むだけの若さは俺には最早ない。俺はすっかりとこの世に染まってしまった。どうやら青葉もそうであるらしい。
 好都合極まりない。俺たちは夢の世界に生きているわけではないのだから。

「罪を憎んで人を憎まずというが、ありゃ嘘だと俺は思うな。本当に憎むべきは……」

「意識、ですか」

 冷蔵庫を開けても? キッチンへと向かった青葉の声が届く。お茶をとりますよ? 俺は「あぁ」と二つ返事。

「衝動的な殺人よりも、欲望にまみれた痴漢の方が、意識の分だけ醜悪だ」

「なるほど」

 青葉は二リットルのペットボトルのお茶を持ってきた。左脇で抱え、右にはコップ。

 この一連のやり取りがどんな意味を持ち、役割を果たすのか、いまだに曖昧だ。それでも勝手に打ち切ることは許されないだろう。これは青葉なりのインタビュー、あるいは口頭試問なのだ。


「誤解を招いても困るので、最初に前提をお話ししておきますが……青葉は、別段司令官がどれだけの悪漢であったとしても、気にはしません。いや、気にはしないというのは語弊がありますね。『それ』と『これ』とは別であると青葉は思っていますから」

 それは嘘ではないにしろ見栄なのだろう。青葉、彼女の僅かばかりの逡巡を見抜ける程度には、俺も十分政治の世界が似合うようになってしまった。
 フラットであろうとするその態度が、なにに由来するものなのか、短いかかわりでは全く判断がつかない。責任感。職業倫理。可能性ならばいくらか思い当たる。そこから派生して、彼女の性格も。

 軍人だから、上官の命令は絶対的であると考えているのかもしれない。上意下達は組織の常だ。それがあるからこそ俺たちは、心配を頭から排除して行動に移すことができる。
 あるいは、ジャーナリストとしての矜持だろうか。ナラティブであることを重視するということは、俺の言葉を重視するということだ。言葉、つまりは表現。思想と理念。青葉のそれが混じりこまないようにするための、妥当な態度。


「ジャーナリズムというものは、真実をただ書き出すことにその本質があるわけではないと、そう信じています。真実は多面体の様相を呈しています。球体なのは、あくまで事実のみ」

 確固たる事実が、万人において同じ効用を示すとは限らない。

 コップがテーブルに置かれていく。俺から見たその円筒形は、灰色に青い釉薬が塗られた磁器。しかし青葉に向いた面はどうだろうか。
 無性に居心地の悪さを感じていた。逃げてはいけない。それはわかる。だが、青葉のその目が俺を責めたてているようで……。


 朦朧とした俺の意識を現実に強く引き戻したのは、イムヤからのコールだった。泊地の通信網は自由に使用できる。傍受に強い秘匿通信。
 この、連絡が頭に鳴り響くという感覚はまだ慣れなかった。顔を顰めると、青葉が「大丈夫ですか?」と尋ねてくるが、俺はなんともないふりをして「通信だ」と答える。情けない姿は見せたくなかった。

 バーチャル・ウインドウを呼び出す。グループ・チャンネルを起動。回線をオープンへ。

「どうした?」

『帰ってきたよ。いま部屋。車の鍵返そうと思ったんだけど、執務室にいないみたいだから』

 イムヤの声が空間に響き渡る。回線のオープンは本当ならばあまり推奨はされないが、頭に響くよりかはこちらのほうが随分と楽だ。

『提督、どうしたの? いまイクたちは戦利品のお披露目で忙しいのー!』

『ゴーヤ、そんなのいつ着るのよ』

『お子様のイムヤにはまだまだ早いでーち』

『ハチはハチで嵩張るもの買いすぎなの!』

『大丈夫。本棚も買ったから』

『うそっ? どこにあるの?』

『注文。明後日には届く、はず』


 ひたすらに上機嫌そうな声。戦利品……そんなに沢山買って来たのか?
 まぁ金なんて使わなければ黴が生えるばかりだ。どうせ泊地周辺では使う機会など滅多にない。可能な限りのびのびとやれたほうがいいに決まっている。

「あいつら呼ぶぞ。ファイルは片しておいた方がいいな」

『誰かいるんでちか?』

 あぁ、そうだな。青葉の紹介も済ませてしまわなければ。

「それはおいおいな。とにかく飯だ。早く降りてこい」

『いえーい!』

 ゴーヤが叫んだ。どたどたばたばた、宙に浮かんだウィンドウから、慌ただしい音がする。

『きょーおの ごっはんは なーんでーちかー』

『待って! 待つのね、提督! イクが当ててみせるの!』

『あんまり慌てると転んじゃうよ?』

『ご飯は逃げないと、思います』


「うるせぇ」

 通話を叩き切った。姦しいと言う字は女が三つ。さらに一人増えているのだからなおさらどうしようもない。
 青葉がこっちを見ていた。驚きに目を丸くして、俺と視線が合うと、困ったように笑う。

「凄いですね」

「だろう」

「青葉も高校生だった時がそりゃありましたが、あそこまででは」

「体力が有り余ってんだ。体育会系だからな」

「なるほど」

「青葉、悪いが自分の椅子を持ってきてくれ。隣の隣が物置だ。そこにあるはず」

「あ、はい。わかりました」

 ファイルを小脇に抱え、青葉が部屋の外へと出ていこうとして、

「……青葉」

「……?」

 俺は思わず彼女を引きとめていた。


 きょとんとした顔で、どうかしましたか? と小首をかしげている。何か言葉を返さなければまずいのだが、しかし、考えなしの行動であったことは確かに認めなければならない。

 下種。悪漢。
 ナラティブ。言葉。思想と理念。

 事実。

 なによりの真実。

 その一連の流れが切り替わったことは、俺にとっては幸運であり、同時に不幸でもあった。このまま恙なく終わらせることができるのであれば、無論それに越したことはない。けれど改めて話題を蒸し返されるのは御免だった。
 いまここでケリをつけるべきなのではないか。その咄嗟の判断が青葉を呼び止め、僅かの躊躇から二言目がでない。

 青葉は俺のことを知っていた。俺が青葉のことを知っているよりも、その量や質は多いだろう。きちんとした準備をした上で調査に臨むのは、記者ならば当たり前の態度のように思う。
 あぁ、だから俺は確信を抱いているのだ。全てを知られたうえで、何事もなかったかのように流すことは、誰のためにもならないと。
 そして青葉もそれを理解しているからこそ、ああいう話題を振ってきたのだと。


「……」

「……」

 無言。互いに。

『お腹空いたのねー!』

 イクの声が上階から聞こえてくる。どんだけ大声なんだ、あいつは。

 俺はため息をついて、

「……悪い。なんでもない」

「……そうですか」

 極めて冷静な振る舞いで、青葉は部屋を出ていく。俺も冷静に努めようと深呼吸。息を細く、深く、吸って吐く。

 さて、そろそろ冷蔵庫から出した肉も常温に近づいていることだろう。出てくる順番が違うとあいつらはすぐに文句を言う。素早い手つきで一気に五人分を作るのは、最早慣れっこになってしまったが、今日は加えて青葉もいるのだ。
 フライパンを温めて、スープも同時にやって、グラッセは冷えているほうが温度の差が口の中で楽しいか? おっと、ドレッシングをさかさまにしておかなければ。


「ぐうっ!」

 キッチンへ向かおうとして、思わず足が縺れる。つんのめってサラダに顔面を突っ込まなかっただけマシだろう。
 俺は椅子の背もたれに手をやって、イクたちがやってくるまでのおおよそ十秒間は、そこに全体重を預けようと心に決める。




 失ったはずの左足が、ここまで痛むのは久しぶりだった。

――――――――――
ここまで

プロットが整ったので再開します。
モチベが上がるので褒めたり貶したりしてください。

1スレで終わらせることを目標に頑張りますが、期待は厳禁。
あと、濡れ場が今後出てくるので、苦手な方は非推奨です。


「重巡洋艦、青葉です。階級は海士長。『艦娘通信』を発行してまして、名前くらいは聞いたことがあると自負しております」

「イムヤ二等海士です。艦種は潜水艦。伊号の168で、イムヤ。よろしくお願いします」

「同じくハチ。はっちゃん、とお呼びください」

「ゴーヤでち。食べ物じゃないよ?」

「はーい! イクなの! 青葉さんに会えてすっごい嬉しいの!」

 夕食と聞いて降りてきたときよりも、随分と四人は嬉しそうだった。それだけ青葉のネームバリューが絶大だったということであり、俺はその点において、彼女を見縊っていたことを自覚する。
 イクからは握手を求められ、ハチからはサインをねだられ、青葉は困ったような、それでいてまんざらでもなさそうな表情をしている。そろそろハンバーグが焼きあがるというのに席に着く気配すら見えない。


「なんで青葉さんがここにいるんですかっ?」

 興奮した様子でイムヤが言う。青葉は俺に振り返った。流石に弁えている。説明をするのならば、それは俺の仕事だった。
 どのみち、少し長い話にもなる。立ち話で済ませるつもりはなく、ならば食事を摂りながらと、俺は着席を促す。

 もとより四人に真実を明かすつもりはなかったけれど。

 それに関しては、ある程度の大筋は青葉と検討してある。彼女もそうしたほうがいいと同意はくれた。殊更に詳らかにするメリットは、こと今回のような事態においては、皆無と言っていい。
 未来のことはわからない。わからないことで不安にさせる必要がどこにある? それくらいならばいっそ黙ったまま、目の前の訓練に集中してもらった方が断然ましというものだ。

 長期的な計画、中期的な計画、短期的な計画とあって、それらは戦略、戦術、戦法と対応している。あいつらはあくまで兵士であり、訓練生に過ぎない。今はとにかく短期的視野に基づいて、新環境に慣れること、その中の訓練を通して能力を上昇させなければ。

 未来を見据える必要がないとは言わないが、現状その役目は俺だけのものだった。そのための「提督」の肩書だ。


「今年度、一年を通して、青葉にはお前らの活動を追ってもらうことになった。潜水艦は現状では対外的には秘匿されているが、いずれお披露目の時が来る。どうやら上は、大々的に鳴り物入りで発表するつもりらしい」

 四人が顔を見合わせた。緊張が生まれたのだとすぐにわかった。

「別に珍しいことじゃねぇだろう? お前らだって、中学高校とスポーツ記者に追われてきたはずだ」

「まぁそりゃそうだけどさー」

 イムヤは頬を掻く。今更照れることには思えなかったが、ドキュメンタリーの材料にされるのは、少し勝手が違うのかもしれない。

「え、じゃあ、青葉さんもこの泊地に住み込みってことでちか?」

「そうなるな。部屋はいくらでも余ってるから問題はないし」

「新鮮ですね」

「あはーはーはー! 今日はお祝いの酒盛りなのー! 提督、ビール開けてもいーい?」

「座れ」

 危うく冷蔵庫へと向かいそうになったイクを着座させる。お前は距離の詰め方が極端なんだよ。そもそもまだ未成年だろうが。


「そんな堅っ苦しいこと、今更言うのはなしでちよ」

「記念日というのは何事においても大事だとはっちゃんも思います」

「お前らなぁ……」

 青葉はお前らの取材に来ていると話した傍から飲酒をするやつらがいるか。勿論そんなことを記事になぞできないが、こいつらは世間と離れた生活が長いせいか、内輪の盛り上がりがそのまま世間に通用すると思っている節がある。それでは困る。
 俺はため息をついたが、その実こいつらの飲酒はどうでもいいことだった。明日に響かない程度に、ゲロを吐かない程度によろしくやってくれるのであれば。

「イムヤ、助けてくれ」

 唯一の良心に助け舟を求めると、困り顔で目を逸らされた。無慈悲。

「わかったわかった。ただし、飯を食ってからにしろ。青葉もお前らとシラフで話したいだろうし、俺も酒が入るまでの青葉と話したいことがある」

「えっ? あ、その、青葉お酒はちょっと……」

 潜水艦たちから「えー」という抗議の声が上がる。

「なんだ、下戸か」


「ていうわけではないんですが、すぐ寝てしまうたちでして。お風呂とか、その日のメモのまとめとか、全てを終わらせてからじゃないと飲まないように決めているんです」

 なるほどな。確かに、ナラティブを重視する青葉にとって、単純に書き出された文字列はあまり意味を持たないだろう。ボイスレコーダーの音声も然り。
 仕事の邪魔はできない。四人もそのことをわかっているようで、少し意気消沈しているようだ。

「いえ、でも、皆さんの言うことにも一理あります。全部が終わったら声をかけますので、その時皆さんの都合がよろしければ」

「いえーい!」

「でーち!」

 イクとゴーヤが手を叩く。

「明日に残すなよ」

「大丈夫じゃない? 二人は強いし」

 あたしは弱いけど、とイムヤ。まぁ、大した心配はしていない。形式的にでも声はかけておかなければ、というくらいだ。

「ほら、お前ら、さっさと飯にするぞ。冷めちまう」

 ハンバーグのプレートを人数分用意して、俺たちは手を合わせた。

「いただきます」


 ナイフとフォークがぶつかりあう音をBGMに、俺はかねてより訊きたかったことを青葉に向ける。

「お前がやってる艦娘通信ってのは、結局広報部の仕事を肩代わりしてるのか? それとも従軍記者の扱いなのか?」

「んー、どっちでもない、って感じですかねぇ。厳密に言えば広報部の息はかかってるといいますか、検閲は入ってますよ。映しちゃだめな画像とか、文章とか、そのあたりは勿論確認してもらってます。
 ただ、別に次の取材はどこどこで誰々を、ってのは無縁です。基本的には」

 最後につけたしたのは、今回のようなことがあるからだろう。兵士なんてのは上層部の手足に過ぎない。青葉の言葉には少しばかりの悲哀と憤懣があった。

「広報部ってのは、海軍の」

「はい。防衛省広報部の下の、特務警備広報室、だったかな? 神祇省のことはよくわかんないです」

「提督、イクたちにもわかる話をするのねー」

「お前ら、座学でやっただろうが」

 俺が教鞭を執った日々を忘れたとは言わせねぇぞ。

「あはーはーはー」

 笑いでごまかすんじゃねぇ。


 艦娘は防衛省の海軍所属であるが、艦娘を生み出す方法――子女に嘗て存在した艦艇の付喪神を降ろすというもの――に関しては、完全に神祇省の技術となっている。ゆえに艦娘は単純に防衛省の旗下にあるわけではなく、寧ろ真逆で、極めてきわどいパワーバランスの上に成立している。
 あるいは、最初から今まで、一瞬たりとも成立したことなどなかったのかもしれないが。

 つまり、艦娘の運用は防衛省のみでは行えない。神祇省の技術供与がなければ、そもそもの根底が揺らぐことになる。
 しかし人は強欲で、気を抜けばすぐに権力の虜になってしまうから。
 防衛省も神祇省も、あわよくば艦娘を手中に収めたいと考えている。

 艦娘の全権を握るということは、これから先の国防を一手に引き受けるということでもある。敷衍してシーレーンを、海運を、経済を牛耳る糸口となる。
 嘗てならば一笑に付すことさえしなかったそんなお伽噺も、深海棲艦などという化け物が出没する現在では、それらは限りなく重要なトピックスだ。


「……あの、なら青葉さんも、艦娘はやっぱり『兵器』だって思ってるんですか?」

「……あー……」

 イムヤの質問は手探りのものだった。応ずる青葉も、返答を手探りで探している様子。

 艦娘は「人」なのか「兵器」なのか。艦娘という存在が生まれた当初から喧々諤々の議論が交わされ続けているが、いまだに単一の、統一の、見解は出ていない。

「防衛省は――というか、海軍は、ですね。兵器として扱いたいって魂胆が丸見えです」

「……それは、まぁ、はい。感じてます。
 でも、言ってもよかったんですか?」

「なにを仰いますやら。イムヤさんから訊いてきたんじゃないですか」

 青葉の言葉には、少なくとも字面ほどの厭味は感じられなかった。

「独立した個人に戦いを任せられないというのは、組織ならば仕方がないことかもしれませんけどね。あくまで海軍が計画を定め、提督が実行し、艦娘はそれに従っていればいいというドクトリンは、ある程度の一貫性はあるでしょう。納得もできます。
――青葉が艦娘でなければ」

 自らの手を握り、開いて、青葉は笑う。

「だって青葉、兵器じゃないですもん」


 兵士であり、兵器ではない。
 そこには彼女なりの向き合い方、矜持が見え隠れしていた。

 あくまで人間として生き、人間として職務を全うし、その上で殉ずる覚悟すらあれど、決して一発の弾丸、一山の火薬、一滴の重油ではないと。

「……でしょう? ねぇ、司令官」

 背筋が凍る思いをしながら、俺は鷹揚に頷いて見せる。あぁ、その通りだ、などとのたまいながら。

 左足が痛い。とっくに失って久しいそこが。
 幻肢痛は今も俺を苛んでいる。それから逃げようとした結果が今の俺なのに、その痛みは俺の選択が誤っているのだと突きつけているようで。

「……提督? 大丈夫ですか」

「痛む、でちか?」

 俺の演技も随分とお粗末だったらしい。脂汗が滲むのはさすがにどうしようもなかったか。
 ハンバーグを最後の一切れ口の中へと放り込み、サラダ、スープで嚥下する。味なんてわからない。それでも喰わねば体がもたない。


 なるべくテーブルに体を預けるように立ち上がった。

「すまん、少し部屋で休む」

「肩、貸すでちよ」

「いや……」

 俺の言葉が言い終わるより先にゴーヤが動いていた。俺の肩の下に体を入れて、全身で支えてくれる。

「悪いな。あとは女だけで仲良くやってくれ。
 ……酒盛りをするなら、一応声、かけてくれよな。調子も多分、すぐに戻るだろうから」

 最後のそれは嘘だった。調子が戻るはずなどないと、俺自身が微塵も信じていないのだから。

「歩けるでちか? 反対側も支えてもらう?」

「なんとか」

 ゴーヤの甘酸っぱい香りの中に、少しだけ汗のにおいも紛れ込んでいる。俺を心配そうに見上げて、視線が交わったことで安心したのか、ゴーヤはまた前を向きなおした。
 一歩、一歩、確実に歩いていく。


 脚が痛む。

 存在しない脚が。

 吹き飛ばされたはずの脚が。

 だが、痛みの根源はそこにはなかった。俺は知っている。知ったうえで、どうしようもできないでいる。
 罪悪感。

 愛してくれる彼女を、愛した彼女たちを、騙し、利用しているという事実が、俺にはどうしようもないくらいに耐え難かった。

――――――――――――――
ここまで

説明回。設定自体は「ギャルゲー的展開ktkr」と同一……というか全作同一。

待て、次回。

このSSまとめへのコメント

1 :  SS好きの774さん   2019年05月20日 (月) 06:13:31   ID: cQlM60uD

めっちゃ面白い❗
続きが気になります

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