【艦これ】大井「今晩寝かせるつもりはないわ」 (24)


 何事にも得手不得手というものは存在する。

 運動が得意な人間がいる一方で、勉強が得意な人間がいるように、個々のちからは千差万別。そしてそれは、決して単純に数値で測れる要素にのみ顕現するわけではない。
 たとえば私は感情を表情に出すことが不得意だ。そうである、らしい。そんな意識はなかったのだけれど、先日あの男に――訂正。「提督」に――言われて、私は一旦自らの歩みを止めた。

 秘書艦の仕事に愛嬌は不要だ。そして、これまで提督や他の艦娘たちとの間で、コミュニケーションに困ったことはない。姉妹仲よく滅多に喧嘩せず、海軍学校での後輩関係にある鹿島や香取は慕ってくれているし、至って順風満帆である。
 提督だって別段苦言を呈したわけではないのだ。あくまで雑談。日常のちょっとした一コマ。あんまり笑わないよな、とか、その程度のもの。

 悩む必要なんてない、はずだった。


 はてと考え、なるほどあるいはと熟慮の末に、そういう可能性もあるかもしれないと至る。もし「それ」が「そう」なのだとしたら、私の背負う罪業はあまりにも大きいのではないか。
 別段善良な人間を気取るつもりはない。とはいえ偽悪的なふるまいとも縁遠い。
 ただ、私は私に背いたことはないという自負があった。そのように生きてきたし、これからもそうして生きていく。

 海沿いの故郷が深海棲艦の襲撃によって壊滅して、WAVEへの道を決めたことも。
 第一期の被検体として艦娘計画へ身を捧げたことも。

 ……指輪を謹んで辞退したことも。

 私はちいとも後悔したことがないのだ。

「北上さん」

 北上さんはベッドの上で横になりながら、自らの顔と蛍光灯の間を遮る形で本を掲げ、けたけた笑いながら読んでいた。腕が疲れないものだろうか、と思う。
 きっと彼女はおおよそ私とは違う人種なのだ。笑ったり、泣いたり、怒ったり。感情の発露の先にこそ快楽があるのだというふうに、力いっぱいに表情を変える。いまだってそう。眼尻に涙さえ浮かべて、私の存在などお構いなしに。
 劣等感こそないけれど、そこには確かに羨望の情があった。そして、羨望があるということは、私は少なからずそうなりたいと思っているのだ。彼女に近づきたいと考えているのだ。


 全てが完璧だと思えるほど自惚れてはいない。けれど、今の自分の不足や欠点と真正面から向き合うのは、それもまた非常に勇気のいること。

 それでも。あぁ、それでも、勇気の向こうにしか、一歩踏み出した果てにしか、私の望む未来が待っていないというのだとすれば。
 そうすべき責任が私の背後にあるのだとすれば。

「……」

「どしたの、大井っち」

「……私って顔に出ないタイプかしら」

 その質問は一体どれだけ意外だったのだろう。北上さんは目を数度しばたかせて、困ったように笑った。

「うーん。まぁ、どっちかって言えばそうじゃん?」

「そう。……そうなのね」

「どったの? なんかあった?」

「なんかあったというか、あいつが……」

「大井っち」

 小さく窘められる。あぁ、そうだ。癖になってしまっている。

「提督が」

「そっか。なるほどね」

 北上さんは大きく頷いて、そこでようやく本を降ろした。
 ベッドの上に胡坐をかいて、こちらに向き直る。


「大井っちは確かに顔に出ないタイプだと思うよ。でも、意志の疎通が難しいって感じでもない」

 それは姉妹艦の欲目なのでは? 言った私に、北上さんは手をひらひらと振って否定した。

「雰囲気にさ、出るから」

「雰囲気……」

 振り返っても自覚は生まれなかった。けれど、北上さんの言っている意味は理解できる。近寄りがたかったり、道を訊かれやすかったり。あるいは動物や子供に好かれたり、嫌われたり。誰しも他者には得難い「雰囲気」を生まれ持っている。

「だけど」

「あぁ、うん。わかるわ。えぇ。わかるから」

 みなまで言われなければわからない愚か者と思われたくなくて、私は意識的に、かつ念入りに、北上さんの言葉を叩き切った。
 雰囲気は、表情よりも随分と伝わりにくいから。
 普段のそのひとを見ていないと、あっさり流れ過ぎてしまいそうなほどに些細な変化だったりするから。

 北上さんが私と遊びに行って、脚が疲れたタイミングを見計らって休憩の提案をしてくれるのはそういうことだし。
 私が北上さんの入りたいお店へ言われずとも向かえるのだってそういうこと。


「……なるほどね」

 額に手をやった。

 となれば、つまり、やはり、薄ら感づいていたことではあるのだけれど。

「私のせい、ということになるのかしら」

「全部じゃないと思うけどね」

 北上さんのフォロー。それは裏を返せば、いくらかは私の重大な過失が含まれているということでもある。

「あたしたちはさー、言葉で喋ってんじゃないんだから。意味で喋ってんだから」

 廊下から怒鳴り声が聞こえてきた。
 クズだとか、カスだとか、クソだとか、聞くに堪えない罵声。それがこの泊地の長に向けられた言葉だとは、まさか間違っても外の人間には想像し得ないだろう。
 どうやらよくない背中を見せてしまっていたらしい。

「それを教えてあげるのも大人の――ってほどじゃないか。年長者の? 人生の先輩の? 役目ってやつっしょ」

 頭が痛い。胃がむかむかする。
 それらを押し込んで、立ち上がる。


「手伝おっか?」

「……その時が、来たら。まずは自分でやるわ」

「ん。がんば」

 私は今、どんな顔をしているだろうか?

 北上さんの部屋を殆ど飛び出すように出て、廊下を往く。大股で、足早になるのを抑えつけようとしても、感情はピストン式に心臓を動かす。まるで本当にこの体がそっくりそのまま艦船になってしまったかのよう。
 まさかこの身におわす船の神様も、ご照覧くださっているというのかしら?

 廊下の先には霞と提督がいた。指をさして、何事かを怒鳴りつけている。頭一つ分以上背丈の低い彼女に対しても、提督はやんわりと困ったように微笑んで、「悪い悪い」と頭を下げる。
 それを見ると心が痛んだ。

「あ、大井秘書艦! 聞いてください、この男ったら!」

「か」

 一言目で思ったよりも強く言葉が出たので、私は思わず息を呑んで、自分を落ち着かせるためにもゆっくり「すみ」と続けた。

「あまり、怒鳴るものではないわ」


「え、あ、すみません。響いてましたか」

 違う。そんなことを言っているのではないのだ。

「……どうかしたの?」

「この男が」

 霞の物言いに体が震える。言葉を差し挟むことはしないまでも。

「印を押してなかったんです。沿岸警備部と、神祇省の御霊課に送る書類の。ほら、来月に近代化改修が控えてますから」

「大井」

 困った顔をして提督がこちらを見た。

「どうやら俺が書類の山に埋もれさせてしまっていたらしくてな。こってり絞られちまったよ」

 私は垂れてきた前髪を耳の後ろへと送った。意識的に。そうでもしないと、目の前の男に小言の一つや二つが漏れてしまいそうだったから。
 あんなに、あれほど、よく言っておいたのに。そういうのは私に回せば、全部万端滞りなく、済ませてあげるというのに。

「……あれほど気を付けてくださいと言っているでしょう。霞も、なるべくそう言う事務仕事は、私に頼みなさい。提督はそういうことが随分と不得手なのよ」

 何事にも得手不得手はあって。
 誰しもがそうであることを、誰しもが理解しているとは言い難く。

「……まぁ、大井さんがそう言うなら」

 霞はどこか釈然としない様子だったが、怒りもひいたのか、それともこちらを立ててくれたのか、廊下を曲がって消えていく。


「すまんな」

「本当ですよ、全く」

「世話をかけてばっかりだ」

「……まぁ、別にいいわ」

 提督が驚いた顔をしていた。眼を真ん丸にしたかと思えば、すぐに目を細めてこちらを睨みつけてくる。なに、顔にご飯粒でもついているというの?

「珍しいな」

 ようやく通じた。私はその言葉を受け、これ見よがしに大きく溜息をついて見せて、

「わかっていることだもの。書類仕事は私の仕事だから。今までも、これからも。いまさら一枚や二枚増えたところでね」

「助かってる」

「別にいいのよ」

 理解しなさい。言外にそう籠めて、同じフレーズを繰り返す。三度目を言わせないでと。

 私だってあなたに随分と助けられたのだから。
 勿論そんなことは決して言えやしないけれど。

 ……言えたら、楽になれるのかもしれないけれど。


 この男は事務処理こそからっきし。ただ、その分決断力と判断力に優れ、なにより本部の狸たちとさえやりあえる平衡感覚を持っている。海軍と言えど一枚岩ではない。艦娘を良しとしない派閥も確かに存在するのだ。
 霞は知っているのだろうか? 提督は中央で行われた会議に出席していて、こちらへ戻ってきたのは昨晩の遅く――あるいは、今朝の早く――であるということを。

 いや、それも含めて、秘書艦である私の力不足なのかもしれなかった。

 私が不必要なまでに強い言葉で当たるから、それを真似する子供たちも出てくる。提督はまるで構わないさというふうにあっけらかんとしているけれど、果たしてそれが本心なのか。
 「提督」の肩書は飾りではなく、特にこのご時世では、責任は依然と比べて随分と増している。耐え兼ねて逃げ出した人物さえいるとの噂。WAVE内でも、まことしやかに流れる風説はいくつもあった。

「お帰りなさい。首尾は上々だった?」

「落ち着くところには落ち着いたよ。ただ、まぁ……」

「疲れたでしょう」と私は一歩先んずる。「お湯を張ったほうがいい? それとも、先に横になる?」


 鞄を受け取ろうとしたが、自分で持つと断られた。そこまで困憊していない、というアピールに違いなかった。
 言葉を変えればただのやせ我慢。強がりだ。

「……はは」

 困ったような笑み。

「どうしたもんかな」

「存分と悩みなさい。どちらも準備はできているわ。あぁ、お湯は少し、追い焚きしたほうがいいかもしれないわね」

 がちゃり。重厚な音、と相反するように滑らかに動く執務室の扉。提督は鞄を机の上に、外套を衣紋掛けへとつるし、体を放り投げるように椅子へと座った。

「ふぅ……」

 ずるずる、ずるり。体が椅子からも落ちていく。まるで溶けだした氷のようだった。

「何をやっているの、だらしない。他のコに見られたら示しがつかないでしょ」

 言いつつ、扉を念入りに閉める。がちゃん、と確かな音。あるじの帰りを待ち望んでいたらしい。
 振り向いた私の目に映るのは、提督のくつくつ笑い。口元を手で隠してはいるが、心底愉快そうな、嬉しそうな。


「そうだな、お前になら見られても平気か」

「はぁ? 急にどうしました?」

 全く、くだらない冗談もほどほどにしなさい。

 と、私はそう言おうとして、実際言いかけて、けれど「くだら」で急停止した。言葉だけではない。動作が。もしかしたら鼓動さえ止まっていたかもしれない。
 反面、思考は回る。肉体と精神はリソースを奪い合っている最中だった。そして趨勢は圧倒的な局面だった。

 体温が上がる。

 頬が熱い。

 言ったのは私だ。

 私が言ったようなものだ。

「他のコ」だなんて、まるでそんな、正妻気取りじゃあないの!

「……今更か。くくっ、さんざっぱらだらしない姿も見せてきたしなぁ。ケツも拭いてもらった」

 こちらのことを提督が気にも留めていなかったのは不幸中の幸いだったかもしれない。彼は目の上に手をやって、背もたれではなく座面に背中を預けていた。最早座った姿勢とは言えなくなっている。

 私は息を吸った。吐いた。細く、長く。気づかれないように。


「まだ言う気? ちょっとセンチメンタルが過ぎるわね」

「あぁ、すまんなぁ。確かにそうかもしれん。感傷に浸りすぎる……よくないな、これは」

 どうやらだいぶやられてしまっているようだ。張り詰めた緊張の糸が、ここにきてぷつり、はじけ飛んでしまっている。
 とはいえ、それはいい傾向なのかもしれない。自分一人で抱え込まれるよりも、ずっといい。

 ……自らの思考の裏を読まないように、読まないようにと注意するそのさまは、あたかも地雷原を往く行いにも似ている気がした。決定的に異なるのは、敷設したのが誰かということ。
 剣呑な話ではない。ただ、私が恥ずかしいだけ。

 そしてそれが目下のところの難題なのだ。

「甘えっぱなしだ」

「違うわ」

 即応だった。見事すぎて、思わず私は、自らの口へ手をやってしまう。そんな声が出るとは生まれてこのかた知らなかった。あまつさえ、反射でなどとは。

 甘えているのは、私もなのよ。


 何事にも得手不得手というものは存在する。私は自らの欠点として、とにかくコミュニケーションの表象が鋭利だった。もしくは、硬質的で、冷えている。この身に宿した艦船の温度。
 それをよくないとは知りつつも、思いながらも――あぁ、やっぱり、そうなのだ。私は甘えていた。私のことをわかってくれる。わかってくれているから。そう思って、怠慢を働いた。

 それが単なる私の傲慢さならばどれだけよかっただろう!

 優しさと能力に付け込んで、甘えて、それに胡坐をかいて、後輩たちへの示しもつかずに風紀を乱し、それでも提督は、この男は、こいつは!
 嫌な顔一つしないで!

 きっとこいつが曙や、霞や、満潮や、あるいは新参で打ち解けていない艦娘たちとも問題なく接することができるのは、わかっているからなのだ。それが彼女たちなりのねじくれたコミュニケーションの発露であったり、「艦娘」としての心構えが身についていないゆえの青さだったり、ともかくそうやった呑みこめる大器が胸中にはあって、こんな不得手だらけの私と接するのと同じように、彼女たちとも接することができる。


 私だけを見てという願いはあまりにも自分勝手すぎた。けれども当然の願望のようにも思えた。

 だから私は指輪を受け取らなかった。

 受け取る権利がないとも思った。

「泣くなよ。参っちまうじゃねぇか」

「泣いてません。泣いてないわ。どこを見てるのよ」

 私は服の袖で目元を力いっぱい拭って応えた。

 なにより業腹なのは、私のこの気持ちさえも、こいつは理解しているに違いないということなのだ。

 だから、

「……暑苦しいのよ」

 いつの間にか近づいて、私を抱きしめることさえ躊躇がない。

「突き放してくれてもいいが」

 できないことをわかっていて、そういうことを言うんだから。

 コミュニケーションはどこまでも不全だった。いや、寧ろ逆か。私たちは文字ではなく意味で会話し、その目的は達せられているのだけれど、それでも私は不完全燃焼に陥っている。
 特別になりたいなんて贅沢はいわない。それでも、他のコたちと同じ列に並びたくも、ない。


「……ねぇ」

「なんだ」

「私、あなたが好きよ」

「……ありがたいが、唐突だな」

 困った声。してやったり、僅かな勝利の高翌揚さえ感じる。

 奇妙な感覚。怒りにも似た。

「顔が好き。声が好き。背格好が好き。性格が好き。
 残しておいた好物を食べる表情が好き。仕事で詰まったときにペンで顎を押さえる仕草が好き。判を押そうとしても少しだけ斜めになるところが好き。卸したてのシャツと制汗剤の混じった匂いが好き。毎週金曜日に私がクリスマスに贈ったネクタイをつけてくれるところが好き」

 私は、随分と自らの言葉を適切に表現することが不得手だから。
 たとえば小説家のように、エッセイストのように、詩人のように、想いをかたちにすることは到底できなさそうなので。

「羅列するわ。覚悟しておいて」

 お疲れのところ申し訳ないけれど、私は最早、今晩寝かせるつもりはなかった。


――――――――――――――
おしまい。

リハビリ。
罵倒勢がなぜ罵倒するのかと考えていたら大井の話になりました。

待て、次作。

R展開は?

>>21
このレス見るまで自分がRのほうに投稿していたことに気付かなかったなんて……

>>22
今、お詫びとしてオマケパート投下するって言った?言ったよね?よし待ってるわ!

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