杉山「大野なんて死ねばいいのに」 (60)

何処までも対等だと信じていた友達に劣等感を抱き始めたのはいつからだっただろう。

「東京から転校してきた大野けんいちです。」

まだこのこの学校の制服を持っていないという大野の身を包んでいた紺色の制服が、この田舎の中学校には不相応すぎて、変に浮いていたのを覚えている。


大野「杉山!」

杉山「大野!お前なんで…!」

HRが終わってすぐさま、俺の席に駆け寄ってきた大野を見て、椅子がはじけるほど思いっきり席を立ってしまった。
身長も伸びてるし、声変わりもしている。
でも大野は何年越しに見てもやっぱり大野のままで。
変わらない親友の姿を突然目の当たりにして俺は胸が詰まるほど嬉しかった。

大野「俺、この秋からまたこっちの学校通えるようになってさ」

杉山「なんで先に言わねえんだよ!言ってくれれば駅まで迎えに行ったのに!

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大野「驚かせたかったんだ、まさか同じクラスになれるとは思ってなかったんだけど」

杉山「めっちゃ驚いたわ!また大野と同じ学校に通えるなんて…」

大野「おいおい、いい年して泣くなよ」

杉山「泣っ、泣いてねーよ馬鹿」

大野「はは!」


ポンポンと肩を叩いてきた大野の手が大きくなってることに気が付く。
成長期の真っ只中だ。当たり前だろう。
でも俺は無意識にごくたまに届く近況報告の手紙の奥に、いつも小学生の姿のままの大野を見ていた。
突然こうして成長した姿で再開して嬉しい半面、今までは昨日のように思い返されていた思い出もどこか遠くに見えるようになってしまった。


「やば、超かっこいい…」

ふと背後に、そんな息をのむような女子のつぶやきを聞く。

「東京から来たんでしょ?あの制服どこのだろ」

「杉山君の知り合いなんだ」

目の前のこの硬派な男がまたしてもこうして女子の間で話題になってるところも昔と何も変わらなくて、なんだか笑えてきた。

杉山「早速話題になってるじゃねえか」

大野「転校生なんて誰だってそんなもんだろ?」

そう大野は何でもないように笑って見せたが、転校生、確実に大野はそれだけじゃなかった。
男の俺からみても大野は男前だ。
髪の毛は真っ黒でサラついてるし、背は高く(同じくらいだけど)スタイルもいい。
転校生というのは、女子の目を嫌味なほど引く大野という男を構成する要素の一因にしかすぎなかった。

大野「お前サッカー部入ったんだろ?俺も入るよ。」

杉山「ほんとか!?でも大野、東京でサッカー部入ってなかったんだろ?」

大野「お前いないのにサッカーなんてする気になるかよ」

杉山「キモイこというなよ~。じゃあ東京でお前、何してたんだ?」

大野「んー…。実はさ、俺向こうに行ってから宇宙に興味持ち始めて。それに関して色々…な。」

大野はほんの、ほんの少しだけ照れを孕んだ声で、それでいてまっすぐこっちを見てそう言った。

杉山「へえ、船はもういいの?」

大野「海もロマンあるし好きなことには変わりないけど。宇宙って海より気が遠くなるほど広いんだぜ?なんかさ、いいだろ。」

杉山「うーん、でも宇宙って遠すぎて逆に意識できないんだよなぁ。」

大野「お前にもいつか教えてやるよ。…宇宙のロマン。」

そういって大野は窓の外を向いた。
サッカーボールが転がってる校庭なんかよりもずっとずっと上の空を見上げていた。
そん時あの頃はいつも同じもの追っかけてたのになぁと、ぼんやり考えた気がする。



大野は途中からサッカー部に入ってきたにも拘わらず、俺以外の誰よりもサッカーが上手かった。
期待を裏切らない大野の姿に俺は高翌揚感を覚えた。
途中から惰性になっていた部での活動が大野のおかげで日々の楽しみに変わった。
俺はそれがたまらなく嬉しかったし、負けないように練習を積み重ねていった。

大野との再会も束の間、夏休みの明けにはすぐに中間テストが待ち受けている。
俺は運動が得意だし好きなのであったが、勉強もわりかし得意であった。
理系科目は他の奴が唸っているところもわりかしすんなりと理解できてたし。
結構点数とれたと思った科目が後日返ってきた個人成績表で学年1位の点数であることを知ることもあった。
大野も頭がいいことは知っていたが、もちろん最初から負けるつもりで勉強するような俺でもなかったし、他の誰でもない、大野には負けたくないという思いで
テスト前の部活動停止期間はこれまでにないほど、一心不乱に勉強した。

結果からいうと、俺は大野に惨敗であった。
俺がその時し得ることが出来た最大級の努力と、最高のコンディションで勝ち取った高得点の数々は、軒並み大野に抜かされていったのだ。
これでだめならと掲げた数学の97点は、大野の満点に一瞬で塗りつぶされた。

満点。これはかなり堪えた。
98でも99でもない、100。唯一の三桁。
一つも間違いがない。
つまり俺には大野の上限が、みえない。


ここまで来ると、何となく諦めという空気が俺の中に漂い始めた。
きっと俺が次のテストに向けて毎日勉強して得意の数学で満点をとったところで、大野も満点を取れば永遠に敵わないのだ。
それにあいつは俺の半分以下の努力でそれを成し遂げてみせるに違いない。
俺だって勉強だけやってるわけにはいかない。
他のどんなところでも俺はあいつに張り合っていたかったから。

そんな中だが、一教科だけ大野に俺が勝った科目がある。
国語だ。
最後の最後に返された教科で点数も特別に高かったわけじゃなかったからどうせと思っていたのだが、
大野が頬を赤らめながら見せてきた点数は俺のものよりも6点だけ低かった。
たかが6点。
でもこの6点でどれほど俺の心が舞い上がったのか、あいつは生涯知ることはなかったのだろう。

「今回の数学のテスト、まじで難しかったよなあ。平均点40点台前半だし…。」

「あの最後の問題とか解かせる気ねーだろ。ってうわ!杉山97!?半端ねー…」

点数を覗き見てきたクラスメイトにそんな声をかけられたところで俺は一ミリも嬉しくなかった。
そんなものより、隣の席の女子に数点差で負けた国語の点数のほうが数倍誇らしかった。

後日、俺は教科ではなく総合点による学年二位の座を手にしていたことを知るのだが、
そのずっと上に一位の大野がいることを知っていたのでその二位には何の価値も喜びも感じなかった。

「杉山君はテストどうだった?」

ひょいと隣の席の女子が覗き込んできた。

「ああ…。」

「えッ!?学年二位!?杉山君めちゃくちゃ頭よかったんだね…すごーい」

「…なんもすごくねーよ二位なんて」

「なにいってんの!一位でも二位でもどっちも十分凄いわよ」

「え?」

「えって…だから二位でも別にいいじゃない。杉山君凄いわね。」

飽きれたような目線を向けて褒めてくる女子の言葉を、俺はその時あそのまま飲み込めなかった。


大野「杉山、部活行こうぜ」

テスト期間も完全に終わり、停止させられていた部活動での活動も再開した。
テストでは大分悔しい思いをさせられたが、だからといって大野が最高のライバルであり親友であることには変わりはないわけだし。
サッカーではまだ俺のほうがすこしリードしている。
俺はそう思っていた。

「中間も終わったしお前ら気持ち切り替えてがんがん行けよ。今後の練習試合で動きが良かった奴は一年でも公式戦に出すからな。」

「「「はい」」」

大野がこっちを見てガキ大将みたいな顔で笑いかけてくる。
俺もそれに言葉なく、だが確かに頷き返した。


二学期の中間テスト後から隣の席の女子と話す機会が増えた。
会話内容は正直どうでもいいようなことばっかで、でもそんなどうでもいいようなタイミングで話かけてくる女子というのも少なくて。

「部活大変そうだね。」

杉山「お前らバレー部も結構大変そうだな。」

「まあ多少はね?今外走らされてるんだ。杉山君は水分補給?」

杉山「ん、まあそんなとこ。てかお前歩いてていいのか?顧問にどやされるぞ」

大野「杉山~!早く戻ってこいよ」

「ふふっ。杉山君も大野君にどやされるわよ?」

杉山「そうだな、じゃあ頑張れよ」

「お互いね!」

軽く手を振られたので俺も振り返した。
くるりと向こうを向いて走り去った女子の背中をほんの数秒だけ見送って俺も大野のところに駆け出していく。

大野「何立ち話なんかしてんだよ」

杉山「悪かったって。ほんの数秒だろ?」

俺がそういった後、腕を組んで足でボールを踏みつけたまま転がしていた大野が何か言いたげな顔をして、数秒遅れで口を開いた。

大野「…もしかして、彼女か?」

杉山「ばっ…んなわけねぇだろ!てかお前もそんなこと言うようになったんだな」

大野「ふーん。でも疑っても別に不自然ではないだろ?俺だってそんぐらい思うよ」

杉山「そ…そういう大野はどうなんだよ。好きなやついねーの?」

大野「んなもん居るわけねぇだろ」

杉山「だよなー」

大野が怪訝な目がふっと緩ませ、まぁいいや、いこうぜと駆け出していくあとに俺も続いていった。


大野に家くれば?と言われたのは、ある日曜日である。
日曜日は基本的に部活が午前中までなため、午後は大野と過ごすことが多かった。
いつもは俺の家で漫画読んだり公園で日が暮れるまで喋ったり、とまぁべつに大野の家に行ってたとしても何ら不思議では無かったのだけど、そういえば大野が静岡の戻ってきてからこの時まで一回も大野の家に行っていなかった。
引っ越しの準備が終わったんだろうと勝手に推測していた。

杉山「お邪魔しまーす」

大野の家はあるアパートの一室だった。
玄関に入った瞬間、何となく前に大野が住んでた家のような広さはないと思ったけどいきなりそこに言及する気にはなれなかった。

大野「今日母さんがさ、飯食ってけばっていってたから食ってけよ。」

杉山「あ、いいの?じゃあもらうわ。大野の母さん飯上手いんだよなー」

大野「部屋そこだから。」

杉山「おう」

昔の大野の部屋といえば、サッカーボールが転がっていて、漫画が置いてあって、あとは無造作にたたまれた布団が転がっているくらいだった。

でももう、サッカーボールは転がって居なかった。
代わりに書籍や雑誌、それから難しそうな紙の束が部屋のあちこちに積み重ねてあるのを見つける。

大野「ごめんな散らかってて、引っ越してきたての時はもう少し綺麗だったんだけどな」

杉山「本当か?この段ボール引っ越しの時から出しっぱなしだったんじゃねーの?」

大野「それはそう」

杉山「あ、そ…」

気まずげに頭をかいている大野を横目に、部屋の隅に積み重ねってあった雑誌を一冊手に取ってベッドに腰掛けた。

杉山「いいなぁベッド、俺毎日大野の家に泊まりにきちゃおうかな。」

大野「ぜってー来んなよ」

手に持った雑誌の表紙に並んだ文字に目を泳がせると、良く分からないけれどなんだか物理という二文字は追える。

杉山「うわなんだこれ、めちゃくちゃ難しそう」

思わずそうつぶやくと大野も隣に腰掛けてきた。

大野「笑っちゃうよな、俺理科、満点逃したんだぜ。」

そう自嘲気味に笑った大野に嫌味か?と問いかけたくなったが、大野は俺のあの時の心境なんて知る由もなく。

俺は黙ってその横顔を眺めた。
大野は東京を知っている。
東京がどうとかじゃなくて、外の世界を知っているんだ。
学校内なんか、俺なんか競争相手にすら思っていなさそうな瞳だった。
俺は手に持った到底理解不能な雑誌開き、そして、大野に対する劣等感や焦燥感がまた酷く湧き上がってきたのに気がついて慌てて本を閉じた。

杉山「…なぁ大野、教えてくれるんだろ?俺に宇宙のロマン。」

大野「聞いてくれる気になったか?」

杉山「聞きたくないなんて最初から誰も言ってないだろ。」

俺は、できるだけ大野が見ているものを一緒にみていたいと思ってたし、大野だって俺に同じ夢を見てほしいと思っているに違いなかった。
これは驕りでも何でもない、ただの確信。

大野「…離れてても」

そこで不自然に大野が言葉を途絶えさせた。
何かを思い出していようだった。

杉山「え?」

大野「離れていても空は繋がってるっていうだろ」

杉山「…。」

大野「俺さ、そんな言葉それまで気にも留めたことなかったんだけど、引っ越してからやっと意味が分かって」

杉山「…大野」

大野「東京の地面ってさ、すげえ込み合ってるんだよ。足ばっか。しかも超忙しそうなの。駅だって道だってどこもかしこも人人。見上げる空も狭く見えた。」

大野「でもさ、ビルをかき分けた向こうって、本当に広くて障害もなくて。」

大野「俺思ったんだ、空ってすごいよなとか、あの雲どこから来たんだろうとか。」

大野「考えたら止まらなくなった。親にねだっていろんな本買ってもらったしこの俺が図書館にばっか行くようになったんだぜ?向こうの友達と遊ぶこともそっちのけでそればっかだったよ。」

大野「次第にさ、思い始めたんだ。空の外側って、宇宙って、何なんだろうって。」

そう言って曇らせていた顔を変えて大野が前を向いた時、そうか、と思った記憶がある。
俺や静岡を恋しく思っていた大野は、きっと繋がっているであろう空を見上げて俺たちに思いを馳せていたんだ。
でもそれがいつからか俺たちよりももっと向こうの向こうへの情熱にすり替わっていったんだ。

大野「これもよく言うだろ、宇宙に比べたら俺なんてなんてちっぽけなんだろうって。本当にそうなんだよ。ちっぽけなんてこ言葉でもまだまだ大きいくらいだ。」

なにか、俺には大野の中に宇宙よりも深い闇が見えた。

杉山「…大野」

大野「ん?」

杉山「思い悩んでることがあったらすぐ言えよ」

大野「…サンキュ」

その夜、俺は大野の家で晩飯をご馳走になった。
大野の父さんは、帰ってこなかった。

2学期末に向けてのテスト期間、気がつくと俺は国語の勉強ばっかりするようになっていたと思う。
もちろん他教科もがっつりやったけどどうしても大野の顔が横切るとモチベーションが低下してしまうのだ。

結果、二学期末テスト、俺はまたしても大野に惨敗をした。
しかし、溜息とともに抜け落ちる力でそれをどこか受け入れている自分がいることに気が付いた。
何処までも負けず嫌いだった頃の自分が怒っているような気がしたが、仕方ないことなのだと、酷く諦めとともに達観していた。

俺は今回も国語でだけ大野よりも高い点数を取ることが出来た。
国語なんてつまらないものだと思っていたのに、俺はこの時から国語がなんだか好きになってしまった。
大野は、このテストでまたしても数学の満点、さらに理科でも満点を記録した。
授業中にふとこぼした理科教師の大野への驚嘆が、前回の時には周囲が気が付かなかった大野の天才性を認知させることになる。

その結果授業後、大野の席の周りに数人の人だかりができ、そいつらは大野に成績表を見せてほしいとしつこくねだった。
はじめは渋っていた大野が根負けし、その華々しい成績が収められた一枚の紙を机の上に取り出すと軽い歓声が上がる。

「凄すぎるよ大野君!」

「うちのテストでこれならどこの高校でも入れるんじゃない?」

「そういえば…杉山君はたしか二位だっけ?」

「二人とも一緒に勉強とかしてるの?」


俺と大野はいつだって一緒だった。
二人で一つみたいな、そんな言葉がまるで似合っていた。
でもこの時無意識に思った。

なんで大野と俺をいちいち比較するんだよ

声にならないようにぐっと奥歯を噛みしめてそのまま自席で寝たふりをしていた。
本当は誰よりも大野と自分を比べていたのは、自分だということをわかっていながら、
俺はクラスメイトへのイラつきを抑えられなかった。


大野が部の選抜チームのメンバーに一年ながら抜擢されたのは、ある寒い日のことだった。。
大野は名前を呼ばれたとき、一瞬で険しい表情を見せたあと、そのまま力強く返事した。

なんで、という思いが強かった。
俺は大野に負けないサッカー選手になりたかった。
勉強で諦めるという道を見出した分、俺には大野に勝つ手段がこれしかなかったというのに。

その時後ろから「杉山は選ばれなかったんだな」というつぶやきが聞こえた。
気が付いたときには酷く腹が立っていて胸倉つかんで引き上げたそいつの頬をぶん殴っていた。

そいつは事実を呟いていただけであって、俺はただの無茶苦茶な八つ当たりをそいつにしてただけに過ぎないことに気が付いたのは、血の気の引いた大野の顔をみた時だった。

結局俺は無期限に部活動に参加することを禁じられ、そのまま部を去った。
大野は俺が部活に行かなくなった後を追って驚くぐらい何の躊躇もなく部活を辞めてきた。

大野はあくまでも俺と一緒にいるつもりだった。
俺は大野に何も言わなかった。
ただ申し訳なさはすごく感じていたように思う。


こうなると俺の大野への劣等感はますます大きく膨れ上がってきた。
二人で廊下を歩いているのに大野だけ騒がれることも日常茶飯事だし、皆口を開けば大野大野。
俺はといえばそんな大野と何もかも比較され続ける役を担い続けてきた。
いっそもっと背が低ければ、運動もめちゃくちゃに音痴なら、勉強も中途半端にできなければ。
大野に対する対抗意識さえなければ。
俺は素直に大野に尊敬の念を抱けていたのかもしれない。
そんなことを常に考えるようになっていた。

季節は廻り二年になった。
大野とはまた同じクラスだった。
正直、別のクラスにしてくれと初詣で願ったくらいには少し距離を取りたかったのだが。
でも、大野は杉山杉山と決まって横に並んでくる。
誰がどんなに大野を慕おうとも、たとえ俺が大野を呼ばなかったとしても。
杉山と後を追ってくる大野だけが、俺がわずかばかりの自尊心を保っていることができる唯一の理由だった。
大野にズタズタにされていた心を、大野で繋ぎとめていたのはなんだか馬鹿らしいと思う。

1年の二学期、隣の席だった女子もまた、同じクラスになった。
クラス割表が貼られたときにすぐにそいつの名前を見つけて内心ほっとしたような気分になったのをよく覚えている。



そいつは大野の隣の席になった。



大野は俺とその女子が仲いいことを知っていた。
だからだろう、他の女子に話かけられたときに比べ、大野の対応が柔らかかった。

嫌な予感がした。

だって大野に特別扱いされて淡い期待を抱かずにはいられない女がこの世に存在するとは、思えなかったから。

こいつだけは絶対に取られたくないと、そう強く思い始めたのは五月の…ちょうど大野がクラスリレーのアンカーに満場一致で選ばれたときらへん。
今思えば、あれが純粋な恋だったのか、単に大野にとられたくなかっただけなのかはわからないけど。

杉山「一緒に帰ろうぜ」

「いいよ」

生まれて初めてだった。
女に自ら好かれようと努力したのは。

大野をほっぽいて一緒に帰った。
大野との約束をドタキャンしてデートした。

そして中二の夏

杉山「…いいか。」

その女子を家に招いた。
姉も親も出計らっていて家には二人きりだった。
肩に触れた手が震えている事に気が付かれる事だけが怖かった。



大野「杉山!」
はっと大野に起こされて目を開けるとそこは自分の部屋だった。
さく日の情事を思い起こすような夢を見ていて、まさか変な寝言でも言ってないだろうかと不安になったが、大野の普段通りの表情を見ているとその心配はないようだと感じた。

杉山「あっ…俺寝てたか?」

大野「寝てたよ。てかもう遅いし俺そろそろ帰るよ。」

杉山「あのさ、大野」

大野「あ?」

立ち上がった大野を俺は思わず引き留めていた。


杉山「今日泊ってかね?色々話したいことあるし。」

大野「別にいいけどよ…明日学校だぞ?」

杉山「大野ん家に荷物取りに行こう。一緒についていくから。」

大野「あー…いや、いい。俺走って行ってくらア」

杉山「おう」

大野は立ち上がったそのままで家を出ていった。
大野はいい奴だ。昔から。
こんな俺のわがままにもいつも付き合ってくれる。
劣等感に押しつぶされそうになっても一緒にいるのは、コイツがいい奴だったから。

大野は40分ほどでまた戻ってきた。
大分息を切らせていた。
ただいまとか言いながら俺の部屋の床に寝そべった。
そのままの態勢で視線だけこっちに向けた大野に「で?」と言われて俺は何処から何処まで話そうかとその時初めて考え始めた。
あの時は、漠然と話したいと思っていただけだったのだ。

杉山「お前のさ、席の女子いるだろ?」

大野「うん。」

杉山「…俺、あの子と付き合ってる。」

大野「…そうか。」

いつから?と大野は俺に静かに尋ねた。

杉山「はっきりと口に出したことはないけど」

大野「え?それ付き合ってるっていうの?」

杉山「…。」

大野「なんかあったんだな。」

大野は体を起こした。
薄ら笑ってるその顔には、好奇心や興味が滲んでいる。

杉山「その…したんだよ。最後まで。」

大野「え?最後?なんて?」

杉山「ああ!だから!ヤったんだよ!」

大野「…マジ?」

杉山「…マジ。」

大野は天井のほうを向いてマジかよ…と呟いた後、早くね?中二だぞと俺の肩をがたがた揺すった。

大野の鬼気迫ったような表情に、なんだか笑えてくる。
この部屋で、あの女子に覆いかぶさった時に脳内を過ったのは、好きだと思った女との目の前の光景よりも大野のことだった。
大野がまだ知らないことを一足先に俺が知る、なんてそんな馬鹿げた優越感。
大野がまだ触れたことのない場所。
感触。
感覚。
音。
温度。

そんなことをいちいち確認しては思うたびに体の熱は加速して、傷ついた心が埋まっていくような気がしたのだ。

なあ、と肩に捕まった大野の手を取ると大野が眉を顰める。

杉山「お前、女に触ったことないだろ」

大野「…。」

杉山「男のこんな手なんかよりさ、柔らかいんだぜ。」

大野「…あっそう」

杉山「声もめちゃくちゃ高ぇし、髪も長くてさらさらしてるし、甘い匂いするし。」

大野「…。」

杉山「お前モテるんだから彼女でも作ればいいのに。せっかく
のイケメンがもったいないぜ?」

大野「興味ねぇ」

杉山「馬鹿言うなよ、お前女子と話すの苦手でビビってるだけだろ?何なら俺が紹介してや…」

大野「興味ねぇっていってんだろ!!」

至近距離で大野が突然叫んで、びっくりした。
けっと俺の手を払いのけて大野が立ち上がる。

大野「…お前、避妊は?」

杉山「…。」

大野「避妊したよな」

杉山「…してない」

大野「マジで最低だなお前!!!」

また大野がでかい声を出した。

こんなに大声を出しまくってる大野も久しぶりに思えた。

大野「外にだしたよな」

杉山「…。」

大野「あっごめん…泣けてきた」

全然泣きそうにもない大野に俺が宇宙を感じた、というと今度は頭を思いっきり殴ってきた。

杉山「痛ッてぇな」

俺の胸倉をつかんで圧し掛かってきた大野に睨みつけられる。
喧嘩なら昔は幾らでもしてたが、この年になって大野に手をあげられるとは思ってなかったから若干ビビって、俺はごめんなさい、と早口で呟いた。

大野「いいか、お前あいつがもし妊娠してたらまず俺に言うんだぞ。」

杉山「…は?何でだよ」

大野「そんなことになったらお先真っ暗だ。俺が完璧に何とかしてやる。」

そう、冗談みたいなことを大野はまるで冗談じゃないかのようにいってのけた。
結局その女子は妊娠してなかったわけだけど、今でももしあの時妊娠してたらどうするつもりだったのか気になることがある。


夏休みが終わると秋も暮れ、やがて冬が訪れた。
年末年始は足早に過ぎ去り、冬休み中に進路に向けての三者面談が行われる。

「杉山君は非常に成績優秀ですね。これならここら辺で一番の進学校も目指せば余裕で手が届くと思います。」

向かい合わせに座っている先生は、柔らかい表情だった。

暗い気持ちで向かった三者面談だったが驚いた。
先生は俺の意に反し俺を褒めることしかしなかったのである。

「部活動辞めた件も、僕は杉山君が理由もなく人を殴る子じゃないって分かってるから信じてるよ。殴られた方は普段から素行も悪いし…」

あの件に関しては、俺が100%悪いのだが、俺を信じて褒めてくれる先生に余計な事を言う気にはなれなかった。

「杉山君は優秀です。」

俺、一番じゃないですけど。

「文武両道で本当に素晴らしいですね。」

万年二位なんですけど。

「ぜひご家庭でも話し合ってどのあたりの高校を志望するのか考えてください。」

努力してもこれなんですけど。

「杉山君ならどこにでも行けますよ。」

…俺、大野に勝てなくても

結構認められてたのしれない、と思った。
その日の夕方、俺は彼女と若干遅めの初詣に行った。

もう大野と離れられますようにとは願わなかった。

新学期。
新しい学年で皮肉なことに大野と俺はクラスが離れた。
願わなかったとは言え、若干ほっとしている自分がいることも確かだった。

俺の彼女は、またしても大野と同じクラスだった。


大野「杉山、お前高校決めた?」

帰り道、当たり前のように下駄箱で俺を待ち伏せてた大野にそう尋ねられる。

杉山「うん、お前は?」

大野「俺も決めた。」

そう言って大野が続けていった高校名は、まさしく俺の志望校であるこのあたりで一番の進学校であった。

杉山「やっぱりお前もか?」

大野「絶対杉山ならここ志望するって思ってた。絶対一緒に受かろうな。」

前のほうを向きながら首に巻いてたマフラーを握りしめるあの時の大野の姿を今でもヤケに覚えている。

杉山「おう!」

受験なら、たとえ大野に勝てなくても受かる事が出来るんだ。


そう言って、受験勉強を本格的に始めたのだが、俺は
夏休み目前になって急にエンジンが切れてしまった。
あえて理由をあげるとすれば、大野と張り合うことをやめたからだろう。
まだ大野に勝とうと思っていた最初のテストでは、少しでも休んでいる間に差をつけられるのが嫌で嫌で仕方なくて、一心不乱に机に向き合っていた。

今はと言えば、テストで大野に負けても人並以上にできていればそれでいいと思うようになっていた。
周りがどんなに大野大野と騒いでも、彼女が俺を杉山君と呼んでくれればそれでよかった。

今日はいいや。
明日やろう。
疲れてるし…

気が付けば、毎日そんなことを言っていた。
当然俺の点数は思うように伸びない。
対して大野は順調に勉強を進めているようだった。

終業式の前日、先日に受けた外部模試の結果が返却された。

大野と俺の偏差値は、10つ以上も違っていたのだった。
また俺の中に焦りがつのり始める。

帰り道の途中、大野に点数を見せろと言われて、まさか拒否することもできず。
大野は丁寧にその成績表を見た後、黙ってそれを俺に返した。

大野「杉山、夏休みあれば成績なんて幾らでも伸びる。むしろお前最近全然やってないみたいだったのにこの点数とれれば凄…」

杉山「虚しくなるだけだから、やめてくれよ。」

ひたすらに自分がかっこ悪いと思った。
この発言含めて何もかもがかっこ悪い。
惨めな気分で仕方なくなた。

大野が少しだけ気まずそうにそうフォローをいれてきても、ちっとも救われない。

杉山「…俺帰る。帰って勉強でもするよ。」

大野「…ああ。頑張れよ」

帰り道なんて同じなのに絶対困らせたに違いない。
でも大野は俺の背中を黙って見送っていた。
俺はそのまま部活動を夏前で引退した彼女の家の前の公園に向かった。

「…杉山君、どうしたの?」

公園の柵に座り込んでいた俺を、公園に面している部屋の窓から見つけて彼女がすぐに近づいてくる。
驚いたような表情を浮かべている彼女は帰ってすぐに着替えたのか、制服ではなくすでに部屋着だった。

杉山「…ちょっとな。それよりさ、お前の家今日家族の人いるの?」

「え?いや…夜まで帰ってこないわよ。」


杉山「…あがってもいいか?」

彼女はしばし黙った後、ゆっくりと頷いた。

大野「いいか?だからそうなると今引いたこの線がこの三角形の…」

杉山「…。」

大野「聞いてんの?」

杉山「っああ、ワリ…聞いてた聞いてた」

大野「ほんとかよ。じゃあ今言った所までといて見せろよ。」

杉山「…。」

大野「聞いてねぇじゃん!」

8月も中盤に差し掛かった頃、暫く声を聞いていなかった大野から電話がかかってきた。
一人家の中でずっと根詰めてて辛いから、気晴らしに俺んちで勉強しないかとのこと。
本当はこの日以前にも大野から何回か電話はかかってきていたみたいだった。
気が付かなかったのだ。
俺が勉強もせずに彼女に会いに外をふらふらしていたから。

そんな自分の行いから、頑張って勉強している大野に引け目を感じてしまい、母さんに大野君から電話あったわよ、と言われてもかけなおす気になれなかった。

でも一度知ってしまうと、なかなか逃れられない快楽というものがあって
勉強なんかよりよっぽど楽で楽しくて幸せで。
現実逃避でしかないことは分かっていた。
それでも…

大野「…お前、勉強してんの?」

杉山「し、てる」

大野「してないだろ。フラフラ外でてんのもどうせ図書館とかじゃないだろうし」

杉山「うっせーこれからちゃんとやるよ」

大野「…何してんだ?」

杉山「…。」

大野「…彼女か。」

そのまま黙り込む俺に大野はみっともねぇな、とかこれだから俺は嫌なんだよとかぶつくさ文句を言い始める。
大野の言っていることは 至極当然のことのように思えた。
それでも無性に腹が立って仕方なかった。

杉山「…見下してんだろ俺を」

大野「は?俺はお前と一緒に高校行きたくて…」

杉山「あーそうだよな心配かけてごめんな、ちゃんと勉強するからさ」

大野「思ってねぇだろ、杉山」

杉山「…何」

大野「お前の彼女だって受験あるんだろ、別れたほうがお互いのためじゃねぇの」

大野の言葉は、別に思い感じで発されたものではなかったけど、だからといって他人事だと軽く発されたものではないようだった。

だからこそ、

杉山「ごめん。俺それだけは考えらんねぇ」

そんな俺に大野はため息をついて精々冬にでも焦ることだな、と参考書に目を落とした。


夏休みが終わる頃だった、突然彼女が冷たくなりだしたのは。

話しかけてもどこかいつも上の空でいるようになった。
どこか俺じゃなくて遠くを見つめるようになった。
時々泣き出しそうな瞳でいるところを見つけるようになった。
そんで、ついに好きな人が出来たから別れたいと、涙を頬に一筋落とした。

好きな人、あいつの好きな人は俺だったのに。
好きな人が出来た、あいつはそういった。
はっきり言葉にされなくてもなくても暗にもう好きじゃないと伝えられていることは明白だった。
俺は他クラスの事情なんて分からなくて、同じクラスの大野にそれっぽいやつの存在を聞いてみたのだが、大野は分からないと首を振るだけだった。


それからまた俺は大野への劣等感を抱えつつ、元、彼女のことを忘れるためにまた勉強に打ち込むことになる。
大野はたぶん、受かるだろう。
確信に近かった。
じゃあ俺が落ちたら?
…考えただけで鳥肌が立ってきた.

残暑が掻き消えて、秋が深まった。

夏休みにもっとやっておけばよかったという後悔がつのっていく。
だがそんな後悔をしている暇すらない。
俺は大野に大分差を取られていて、それを埋めることが全くできていなかった。

今のままだと少し苦しいぞ、と教師に言われる。

その傍らで大野のほうは、大分余裕そうだなという言葉を聞く。

模試の結果を握りしめた。
慌てて開いて判定を指でなぞる。

C。

可能性としては十分だと、人は言うかもしれない。
でも。
大野に与えられているアルファベッドは、A。

当たり前だ。あんなにあいつはまじめにやっていたのだから。

単語帳を広げながら帰路につく。
俺はまた、重圧や劣等感に憑りつかれるようになっていた。


大野「杉山、滑り止めの私立みにいかね?」

寒いと両手をこすりながらそう大野が俺に言ったある冬の日。

杉山「お前に滑り止めなんて必要あるの?」

大野「そりゃ落ちないつもりで勉強してるけど何があるかわかんねぇし。」

杉山「…どこでもいい、第一志望以外のこと考えたくねぇ」

また楽な方に流れようとし始めるかもしれない自分が怖かったのだ。

大野「わかった。じゃあすべ滑り止めここな。内申おまえも足りてるだろ?」

杉山「えっ、大野までそんな簡単に…」

大野「べつになんだっていいよ。」

だって落ちるつもりないし、と自信ありげに微笑んだのは大野は、やっぱり今の俺には嫌味なほど眩しかった。


大野と俺の元カノが一緒に居たという情報が流れてきたのは入試直前の日だった。
持っていた単語帳を思わず地面に落としてしまったくらいに動揺した。

大野に直接尋ねると「ああいたよ」と軽く返された。
告白されてた、断ったけどな。
と白い息を吐く。

あまりにも当たり前のように、そして俺の元カノもたくさん寄ってくる女の一人でしかないと、そう俺には聞こえた。

言葉を探して、見つからなくて。

俺は自宅で一人延々と泣き続けた。

大野という男はとにかく死角がない男だ。
才能にあふれていたし、顔もスタイルも良い。
運動神経も抜群で正義感が強く、それでいて謙虚だし親しみやすい面も持ち合わせていた。

「さとし、頑張ってきてね。」

杉山「…おう」

俺がすごいだなんて口先だけではいくらでもいえるけど

大野「おはよう!ちゃんと受験票持った?」

大野と俺が並んでいる以上、大野よりも俺を選ぶ人がいないことなんて、少し考えればわかりきったことだったのに。

杉山「…もちろん」

笑うことにすらしんどさを感じた。
まさか、寝不足なんかじゃないだろうなと大野に顔を覗き込まれる。
目が赤いと言われて、気のせいだろと顔を伏せた。

大野「…あ、雪だ。」

大野がポツリと呟く。
空気は冷え切っていて指先がかじかみそうだった。
ポケットの中で作った握りこぶしに、去年の初詣で買った合格祈願を握りしめる。
我ながら女々しいと思った。
傷なんてまだ一ミリだって埋まっていなかった。

なかった。

切符で改札を通ってホームに出ると、真っ白い空から雪が落ちてくるのがみえる。
ちょうど電車が出ていったところだった。

大野「あーあ行っちゃった。まあ時間に余裕あるし。」

独り言のようにそう呟いた大野に俺は返事をしなかった。

落ちる気は、しなかった。

大野が落ちる気も、しなかった。

一緒に受かろうなと大野は言ったけども、一緒に受かったら
また今のままが続くのだろうか。
高校大学とズルズル一緒に居続けて

もしかしたら一生、


電車が向こうから迫ってくる。
いっそこのままホームに落ちてしまえば全部終わるのかもしれない。
そうだ、このまま…

大野「杉山」

杉山「っえ」

ふいに手を掴まれた。

目の前で電車が停車する。

大野「お前震えてるぞ」

掌を大野にぎゅっと包まれた後、大野の手が遠くなる。
カイロを握らされていた。

ホームに落ちなくったって

大野「…そんな緊張すんなよ」

俺が

大野「お前なら絶対受かるから」

コイツが受かるであろう第一志望に落ちてしまえば



数学の試験。
俺は白紙の解答用紙と向かい合っていた。

数か月の血のにじむような努力が一瞬で溶けて漏れ出した。
俺が落ちたことを知った親の顔が浮かんだ。
友達の顔が浮かんだ。
大野の顔が浮かんだ。

でも妄想の中の俺は、そんな周囲の反応とは裏目に悲しんだ振りをしながらも笑いを堪えていた。


テスト後、大野はスッキリとした顔立ちだった。
やり切ったに違いない。

俺も、うっすら笑いを浮かべていた。

テスト後、大野はスッキリとした顔立ちだった。
やり切ったに違いない。

俺も、うっすら笑いを浮かべていた。


落ちた、そう静かに呟いた俺に大野は背を向ける。

大野「じゃ、学校戻んぞ。」

そしてそのままスタスタと歩き始めた。
さきほどまでは穴が開くほど凝視していた受験票を、いとも簡単にポケットの中で握りしめて大野は合格者の校内へ続く列から離れていく。

杉山「…は?」

大野「なにぼさっと突っ立ってんだよ、戻るぞ」

杉山「…お前、なにいってんの?」

大野「お前こそなに言ってんだよ。」

杉山「馬鹿じゃねぇ!?お前、俺に合わせて合格までなかったことにすんの!?あんなに勉強してたのに!!」

大野「受かったどの高校に行こうとも俺の自由だろ」

杉山「私立なんて親にどんだけ迷惑かけると思ってんだよ!!あほなこと言ってないでさっさと列ならべ!」

大野「ならばねぇ」

>>26 抜けてた

試験から四日後、ずらりと並んだ受験番号のであるはずなない番号を目で探す。

落ちた、そう静かに呟いた俺に大野は背を向ける。

大野「じゃ、学校戻んぞ。」

そしてそのままスタスタと歩き始めた。
さきほどまでは穴が開くほど凝視していた受験票を、いとも簡単にポケットの中で握りしめて大野は合格者の校内へ続く列から離れていく。

杉山「…は?」

大野「なにぼさっと突っ立ってんだよ、戻るぞ」

杉山「…お前、なにいってんの?」

大野「お前こそなに言ってんだよ。」

杉山「馬鹿じゃねぇ!?お前、俺に合わせて合格までなかったことにすんの!?あんなに勉強してたのに!!」

大野「受かったどの高校に行こうとも俺の自由だろ」

杉山「私立なんて親にどんだけ迷惑かけると思ってんだよ!!あほなこと言ってないでさっさと列ならべ!」

信じられない

なんで?

滑り止めの高校なんてめちゃめちゃ遠いし

進路なんてそもそも他人に依存させるものでもない

薄々思ってたけど

こいつちょっと…

杉山「おかしいよ」

大野「…。」

杉山「お前頭、おかしいよ」

その時初めて、俺は大野の傷ついたような表情を見た気がする、




卒業式は淡々と行われた。
大野は大量の女子群に体中からボタンを引きちぎられていた。
上着や卒業証書まで取られて、しまいにはベルトやワイシャツのボタンまで奪われていた。
搾られるだけ搾り取られた大野の死にそうな顔が、ちょっと気の毒だと思ったのを覚えている。

桜の降る校庭。
もう二度と通うことのない校舎。
大野が転校してきた日のことを思い出す。
俺たちは、あの頃よりももっと背が伸びた。
大野の制服も、(ボロボロだけど)他校の制服で浮いていたあの頃に比べてずっと馴染んでいた。

帰ろうぜ、と掠れた声で呟いた大野についていこうとしたら、後ろから不意に名前を呼ばれた。
振り返ると数人の女子がいる。

「あの…ボタン、残ってますか?」

そう言った女子は卒業式で涙を流した後なのか、目の周りが若干腫れていて瞳が潤んでおり、頬は赤く染まっていた。

杉山「大野のならもう…」

「そうじゃなくて…杉山君の」

杉山「…俺?」

こくこくと名前も知らない女子たちが頷く。

杉山「あ…少し…」

友達と押し付けあったたった一つ残った残骸はまだ俺の学ランの前を心細く繋ぎ止めている。
第二ボタンは、未練がましく過る女のことを思うとなぜか千切る気になれていなかった。

「あの…第二ボタン、あげる子いますか?」

中央にいた女子にそう恐る恐る見上げられる。

一瞬喉に呼吸が詰まる。
手放したくないと、そう思ってしまった。
でもこんな物を残しておく必要性なんて本当は一ミリも無かった。
思い出にいつまでも縋っているわけにもいかない。
恋が死んだって、人生は続いていく。

杉山「いないよ」

ひと思いに第二ボタンを千切った。
ずっと逃げていた思い出を[ピーーー]ようだった。
たった一つのつながりを失った学ランは、その瞬間、つながることをやめた。

ボタンを受け取った女子はありがとうと俺に向かってお辞儀をする。
そして何かを言いたげに暫く俺の顔を見つめていたがうっすら涙を浮かべた顔で少しほほ笑むと友達を連れて俺の前から立ち去った。

名前も知らない女子。
もう二度と会うこともないのだろう。

大野「…モテるんだな」

杉山「お前にだけは言われたくねーよ」

大野「俺にもくれよ」

杉山「え」

人にはもうなんにもあげられないような恰好をした男が何をいうのだと思った。
ボロボロのくせにやけに桜が似合っていてムカついた。

杉山「もうボタンねーよ」

大野「んーそうだな」

じゃあ時間くれよ、と大野が言う。
俺は黙って頷いた。

もうこの道を通って家に帰ることも、滅多にないんだろうな、そう大野がつぶやいた。
学校なんて嫌いでしかなかったが、そう思うとほんの少し寂しい。

杉山「この公園で馬鹿みたいに日が暮れるまで喋ることも、な」

帰り道の途中にあるブランコとベンチだけの寂れた公園。

大野「じゃあ今日で最後にしようぜ」

大野が俺の返事も聞かずにベンチに荷物を放ってブランコに腰掛けた。

杉山「…ほんと大野ってバカだよな」

俺も大野の後を追う。

大野「は?なんだよ。別にいいだろ」

大野はやけに楽しそうだった。

杉山「そうじゃなくて」

隣に腰掛けた。

杉山「お前さ、こっちの学校来てから怒られたことなんかなかったのに、一回職員室でめちゃくちゃ怒鳴られてただろ。」

大野「…。」

無言で大野が地面を蹴った。
砂埃が舞う。
ブランコが揺れ始めた。

杉山「点数、すっげーよかったのに入学書類受け取りにいかなかったから高校側から学校に連絡来たんだろ?噂になってたぜ、なんでわざわざ変な遠い私立なんかに通おうとするんだって職員室で担任に怒鳴られてたって」

大野「俺の勝手だろ、そんなん」

少しだけ揺れているブランコでばつが悪そうに大野が言った。

杉山「親にはなんて?」

大野「…そう、とだけ」

杉山「それだけ?」

大野「諦められてんだろ」

どういう意味だよ、そう問いたかったが俺も何も言わずにブランコを小さく揺らし始めた。

大野「そういうお前だって」

杉山「え?」

大野「数学、白紙でだしたんだろ」

ひゅ、と喉の奥から呼吸が漏れ出す音がした。

大野「学校に高校側から返却される答案、杉山のが白紙だったって、お前も職員室呼び出されたんだろ」

知ってたのか、大野は知っていたのか。
ギコギコ大野はブランコを揺らし続ける。
俺は気が付くと無意識のうちに両足で地面をとらえて揺らし始めたばかりのブランコを止めていた。
曇り空が広く続いている。
今にも雨が降り出しそうだとぼんやり思った。

知ってて、大野は今まで俺に何も言ってこなかったのか?

杉山「俺、お前の考えてることがわかんねぇよ…」

大野「…普通に考えてそれは俺のセリフだろ」

分からなかった、何を考えてるかなんて。

なんで大野はこんなにも平然としていられるのだろうか。

なんで何も聞いてこなかったのだろうか。

なんで何も聞いてこないのだろうか。

何考えてんだよ、と言った割に大野のつぶやきは独り言に近かった。

昔は、お互いの考えてることなんて手に取るようにわかったのに。

杉山「…変わったんだろうな、俺もお前も」

ぽつんと頬に雨粒が当たった。

大野「…変わってねーよ、なんも」

俺には大野が、認めたくないだけの子供に見えた。

乗り継ぎ二回、電車に揺られて2時間。
車両は混雑しておらず、座席に座ることが出来ることだけが救いだった。
入学式へ向かう車内。
俺はこれからの三年間を思い、どうせこうなるならあそこに入っていればよかったとげんなりしていた。


大野「毎朝こんなに早起きしなきゃいけないのキツイな」

杉山「合格したのに入学辞退したのが悪いんだろ」

大野「お前が白紙で出さなきゃよかったんだよ」

杉山「なんで俺に合わせてお前が…」

大野「あ、乗り換えだぜ」

俺の言葉をぶった切るようにやってきた乗り換え駅。
わざと大げさにため息をついて見せた俺も降り過ごすのは嫌だったので勝手に進みだしてしまう大野についていった。

遅延して乗り換え失敗したら最悪だな、とか考えてるうちに電車がやってくる。

これから毎日大野と往復4時間か…
そう考えるとげんなりしてきた。

大野「これから毎日一緒に往復四時間か」

げ。
同じこと考えてた。

杉山「で、でもさあお前に彼女でもできたら一緒に帰らない日もあるんじゃねぇの?」

大野「…かもな」

杉山「かもな!?」

思わずでかい声で聞き返した。

大野「は?なに驚いてんだよ。まだわかんねーのにかも以上のこと言えるかよ」

違う、俺はかもに驚いていたわけじゃなかった。

杉山「…お前、彼女作るかもしれないの?」

大野「文句あっかよ」

杉山「別に…」

その時から二年前だったか、俺は大野に彼女なんて興味ないと殴られていたのでどうせこの時もいらないとでも返ってくると思っていたのだ。

だからその反応が予想外だっただけで。
別に、杉山杉山言ってた大野がそうじゃなくなる日が来るかもしれないことに、何か思ったなどでは絶対ないのだ。

高校でも大野は人気があった。
今まで通り、いやそれ以上だったかも。
いうまでもない。

でも彼女を作るかもと宣言していた割には結局特定の女子と仲良くするようなことを大野はしなかった。

そうせ女子なんてみんな大野が好きになるに決まってるんだ。
そう思っていて、俺も親しい間柄の女子を作ることを避けていた。

この頃大野は俺によくこんな話をした。
宇宙に行こう、俺は物理学者になる。お前は宇宙飛行士になれ。

馬鹿だと思った。
俺が宇宙飛行士になんてなれるわけがないと。

それでも大野はうるさかった。

お前ならなれる、俺は宇宙を知りたい。

曖昧に返事をしたふりをして、俺は本心ではまともに取り合っていなかったが大野はそんな俺を見抜いていて毎日のように俺を宇宙へと誘った。
そんなに熱い宇宙への夢を小学生の時から追いかけてる大野を、俺は羨ましいと思っていた。



人生の転機がいくつかあるとすれば、ここがその一つだろう。
もし時が巻き戻せるなら。
そんな俺らしくないことを今では毎日考える。
もし時が巻き戻せるなら、俺は大野の誘いを断らないで大野の家に行くだろう。
そうして、くだらない話を夜までするだろう。

高校一年の夏休み、俺は元カノに駅前で遭遇した。
なんだか大野に会いたくなくて、糞暑い中で外をプラプラしてた日のことだった。

「アイスコーヒーで、ミルクとガムシロップをひとつずつ」

ぼーっとしていた俺に杉山君は?とそいつは促した。

杉山「えっと…じゃあオレンジジュース」

何も考えてなくて、元カノに出くわした時から動揺しっぱなしだった俺は思わず嫌いではないけどいつもなら絶対頼まないようなものを頼んでしまった。

「…同じ高校なんでしょ」

大野君。

やけに覚えのある声でそう言われて苦しい記憶がフラッシュバックして視界が一瞬ちかちか光った。

杉山「あ、あぁ」

「合格した県内でもトップクラスの大人気進学校蹴って…杉山君と同じ片道二時間かかる微妙な私立通い?」

杉山「…噂って広まるもんだよな」

「杉山君も杉山君で意味不明よね。十分合格圏内だったのに解答白紙で出すなんて。ほんと、なにしてんのよ…」

杉山「…。」

「まぁ、あらかた大野君と離れたかったって理由でしょうけど。」

失礼します、とオレンジジュースが目の前に運ばれてくる。
カランと音を立てた氷。

完全に読まれている。
何かを言わないと、そう思って口を開いたが、否定の言葉も言い訳も全く出てこなかった。
目の前の女は俺の様子をみて勝手にしゃべり続けた。

「凄いわよね、まさかあいつでも合格した第一志望…自分のために蹴るとは思わなかったでしょ。」

でもね、

「あんたには多少隠してたみたいだけど、この件だけのあいつが行き過ぎてたわけじゃない。あいつは…もとからそういう男よ」

聞かせてあげましょうか?とそいつはほほ笑む。
明るく髪の毛を染めている、大野をあいつ呼ばわりしたそいつは、まるで俺の記憶とは別人のようだった。

レスありがとう、見てる人がいると励みになる

あいつが…大野君が最初に話かけてきたのはあんたと同じクラスだった時の…そうだ、あんたと話すようになって割とすぐ。
でもそのときはね、別に何もなかったのよ。
たまーにあんたの話するだけ。


頬杖をつきながらそっと目の前の女がうつむく。
大野が好きだと泣いていたあのころの面影は、もうない。


今思えばあれは私の杉山君への気持ち、探ってるようだった。

でも付き合い始めてからはそういうのなくなったかな、その時は単純に杉山君に遠慮してるんだろうなって思ってた。

それが…3年の夏休み、そいつは急に私の前に現れた。

え、と思わず声が漏れる。
話は続いていく。

はじめは偶々だった、いや…そういう風をあいつは装っていたのね。
道端で話かけられても教室でも話す仲だったし、別に不思議じゃなかった。


でもそれがだんだん頻繁になってきて、ある日ついに待ってる、って言われたの。
それからは早くて…流されるように突然手を握られて、そのまま抱き寄せられた。

あんな男にさ、求められて断れる女はいないわ。
断言できる。
まあ求められてたなんて、今思えばとんだ勘違いだったんだけど。

驚いた。
怒りを通り越して、ただただ唖然とした。
家にひきこもって勉強していたと思っていた大野が頻繁に待ち伏せ、なんて面倒なことをしてたこと。
それを頻繁に彼女に会ってた俺に全くばれないように行ってたこと。
この女は求められてたことが勘違いだといった。
じゃあ大野はなぜ?




私が大野君を好きになるのにそう時間はかからなかった。
それであんたと別れた。
それでいいと思ったの。
もともと勉強してたあんたなのに私に会うために夏休みなんて大事な時期にしょっちゅうふらふらしてたし、お互いのためだなって。
そう私は罪悪感に蓋をしてた。

それでね、ある日あいつに告白したの。

そしたらあいつ、返事も言わずに私を押し倒した。

誰もいない放課後の教室。

俺は、言葉が出なかった。
愕然とする。
興味ないんじゃなかったのかよ、頭の中で反響する。


『杉山は…どんな風にお前を脱がした?』

そう言いながらあいつは私を脱がしていった。
答えずにいたら、なぁって何度も尋ね直して。
その顔が切羽詰まっててあまりにも泣きそうだったから、そんなに杉山君に嫉妬してるのかなって、その時はふわふわした頭で考えてたわ。

ずっと何かを探してるみたいだった。
だんだん取り調べでもされてる気分になったもの…

私が少し反応するたびにここを杉山が、とか杉山は、とか。

結局一回も私の名前は呼ばなかった。

終わったあと、私を後ろから抱きしめたまま、あいつは泣いてた。
そして私のどうしようもない…誰にもバレたくない秘密を耳の中にささやいた。
何も言われなかったけど、このこと誰かに言ったらばらすぞ。そう脅されてるに等しかったわね。
直前から思えばあり得ないほど声が冷え切っていたのを覚えてる。

私はそのことを誰にも言わずに今日まで生きてきた。
でももう、時効でしょ?
あんた以外にこのことを言うつもりもない。

はっきり言ってあんなの異常よ。気持悪い…

なんにも実感として湧き上がらなかった。
想像すら思い浮かばない。
ただ、大野なんて[ピーーー]ばいいと思った。

これを大野に振られた女の妄言だと、切り捨てることもできたはず。
いや、そうできたならそうすべきだったのだ。
そして未来永劫に聞かなかったことにして忘れてしまえばよかった。
でもそれを俺は嘘だとは思えなかった。

最後に女は俺に「ごめんね、」とひとことだけ謝った。
もうとっくに怒ってなんかなかったけど、許せるわけなんてない。



フラフラと金も置いていかずに喫茶店をでた俺は、そのままの足で大野の家に向かった。

道中、いろんなことを思い出した。

あいつが転校してきた日のこと、サッカーのレギュラーにあいつが選ばれた日のこと、夢を初めて語られた時のこと、部活をやめたこと、これまでのずっとあいつにどうしてもテストで勝てなかったこと。

大好きだったはずなのに、いつからか劣等感に押しつぶされて
大野が俺を追い越すたびに自己否定の渦に駆られて

それを思春期の些細な悩みだと、そう思うことは俺にはできなかった。

逃げることもできなかった。
いや、中途半端に逃げようとして、でも俺は大野に求められればその気持ちを無下にすることができなかった。

そして小学生の時のこと。
何も考えずに一緒いた。
いつでも対等だった。
お互いに同じくらい相手を思っていて、いつまでも一緒にいたいと願っていた。
喧嘩したり、上級生相手に共闘したり。

大野との純粋な思い出のすべてが、今の俺たちにはもうないものだと気が付いて

もう、全部辞めよう

そうぼんやり空を見上げた。
何処までも繋がっているらしい正午の空は、嫌味なくらいに快晴だった。


とあるアパートの一室の玄関でインターホンを鳴らすと、大野がすぐに出てきて。
誘いを断ったくせに突然来た俺は大野に何かしら言われると思ったが、別に何かを聞かれることもなく案外あっさり中に通された。

部屋に入るとそれまで大野は机に向かっていたようで回転椅子が出しっぱなしになっているのをみつけ、そのまま部屋を見渡すと、そこら中に積み上げられている雑誌が初めて来たときの数倍の数に膨れ上がっていることに気が付く。

ふと、部屋の隅にボールが転がって居ることに気が付いた。
それはまるで小学生の時に使っていた物のようだった。
いや、もしかしたらあれは本当にそうだったかもしれない。

急にどうしたんだ?と言われて、やけに穏やかな表情で微笑まれる。
反吐が出そうだと思った。


杉山「…教えてくれよ」

聞かなきゃよかったんだ

杉山「お前が」

杉山「ずっと、ずっと何考えてるのか」

半分叫んだような声が喉から掠れ気味に出た。

大野の顔が冷めていく。
冷水でも浴びたように。
大野は俺を追い越してそのまま部屋の中へ進むとなにも言わずにベッドに腰掛けた。

ぶっきらぼうにお前も座れよ、と言われる。

部屋に入った瞬間から頭に上っていた血が若干引いた。
その場に座り込むと今度は横に来い、と言われる。
どうするべきか、一瞬迷った。
縁を切るつもりでやってきたのに傍に座っていいものなのか。

でも縁を切るよりも、俺はちゃんと大野と話がしたかった。

かたいフローリングからケツを持ち上げ、ドスンと大野の隣のベッドに腰掛ける。
大野は膝の上で組んでいた指を組み替えて、それから俺のほうを見た。

大野「俺の考えてること?」

杉山「そうだよ。」

大野「そういわれてもなア」

確かに、漠然としたことを聞いている自覚はあった。
それで大野が俺に黙っていたような聞き出したいことを、聞き出せるとも思えなかった。

杉山「俺、さっき会ったよ、元カノに」

あの時どこから切り込めば正解だったのか、今考えても良く分からない。
この日で関わることをやめるには、俺達は一緒に居すぎたのかもしれない。



大野が一瞬動揺を抑えきれないように目を泳がせたのに気が付いた。
ほんの些細な仕草だった。
それに気が付いてしまう自分を憎たらしく思う。

杉山「…後ろめたいことでもあるわけ?」

大野「…全部聞いたんだろ」

杉山「ああ」

大野がぐしゃりと前髪をつぶした。

大野「…お前がちゃんとやることやってたら、俺は邪魔するつもりはなかったよ」

杉山「…やり方が汚すぎるだろ」

大野「それにあの女、ろくでもない女だった」

杉山「余計なお世話なんだよ!」

大野「俺はお前のためを思って…」

杉山「なら!」

あくまでも大野が俺のためだと言い張るのなら。

杉山「なら…俺と別れろって、あいつを脅せばいいだけだっただろ。なんであんなことまで…」

大野がバツが悪そうに口を結ぶ。
そしてその顔が、歪んだ。
笑っている、そうわかるまでに時間を要したのは、涙を我慢してるのか、漏れる声を抑えているのかわからなかったから。
いや、本当はどっちもだったかもしれない。
途端に大野が弾けたように声をあげて笑い出す。
突然のことに俺は声も出せずにいると、ひとしきり笑った大野がこっちを見た。

大野「…そこまでわかっててさ、まだわかんないの?」

大野「俺、お前の事大っ嫌いなんだよ」

杉山「…。」

大野「気に食わなかったんだ、いつも一緒に居たのに俺が東京にいっても平然としててさ。」

大野「お前に付きまとってたのも、女とったのも、全部そう。」

大野「高校離れたら、また東京と清水時代に逆戻りだろ?だから勉強してほしかったし。女と遊んでフラフラして、それ俺に自慢してきたことも根に持ってたし。」

大野「あーあ、でもそれも今日で終わりだな」

杉山「良かった」

大野「は?」

隠してる、そうあの女がいった割にはべらべらしゃべり続ける大野。

杉山「まさか俺、好きだなんて言われるんじゃないかと」

俺がそう笑って見せると、大野は酷く困惑したように言葉を詰まらせた。
口から言葉が、勝手に溢れ出してくる。



杉山「ずっと俺も思ってたよ、気持ち悪いって」



杉山「いくら仲良いって言っても俺にも友達は居るしさ、ちょっとべたべたしすぎ。」

杉山「最初は東京からこっち戻って来たばっかでまたこっちに馴染むのキツイだけかな?って思って一緒に居てやってたけど。」

杉山「だんだんお前に対しての誤解がつのってった。」

杉山「だからお前があいつのこと抱いたって知った時、めちゃくちゃ腹立ったけどなんか安心したよ。」

大野の掌を掴んだ。

杉山「だって俺、お前は男にしか興奮できないと思ってたしww」

こわばってた大野の腕から、ふっと力が抜けるのがわかった。

杉山「ずっと変な目で見られてる気がしてて本当に気味悪かったよ」

杉山「でもよくよく考えればありえない話だよな、お前が俺をそんな目で見るなんて」

杉山「だって小学生の頃からの友達だぜ?親友面しといてさ、こうやって触ったり肩組んでたり抱き着いてきたり、そういう時も裏では俺のこと、変な目で見てたことになるんだろ」

杉山「本当、気持ち悪い。しねばいいと思う。」

一瞬時が止まったような感覚に陥るほど、大野の表情は動かなかった。

言葉を止めた後、時計の秒針の音だけがその部屋で揺れ動いているような気さえする。

杉山「…なんてな!ま、実際そうじゃなかったわけだし…」

杉山「も、いいだろ、おわりで。」

もう二度と俺に関わらないでくれと、そう気持ちを込めた言葉だった。

握っていた手を投げだして立ち上がり見下ろした大野は、なにも言わずにゆっくりと頷く。
いや、それは俯きに近かった。

部屋を出ていったときに足元にぶつかったサッカーボールが、そんなわけないのに俺を引き留めているように思えて。

杉山「じゃあな」

最後の別れの言葉が大野に届いていたかなんて知る由は、もう俺にはない。

大野『杉山!サッカーしようぜ』

え?大野?

大野『なにぼさっとしてんだよ』

ここどこ?

大野『は?どこって…学校だろ』

え?小学校?

大野『なんか今日のお前おかしくね?ま、いいや。早くこいよ!』

こいよって…お前そっちは…

長い夢をみた。

Tシャツが肌にへばりつくような暑さにうなされて目が覚める。

永遠に小学三年生が終わらない、そんなありえない夢。

窓の外では、その日も昨日と何も変わらずに一日は始まっていた。
蝉の声が途切れることなく聞こえてくる。
部屋の白い壁紙も、天井の消してある電気も、時間の流れも、俺も、何も変わっていない。
窓から青々と広がる空に大きく分厚い入道雲が浮かんでいるのが見えて、俺は通り雨でも降るかもしれないと、そう思ったのだった。


家の中で電話の鳴る音がした。
暫くするとパタパタとスリッパで廊下を小走りする音がして、電話の呼び鈴がとまった。

ゴトリ、

なんの音だろうと考えた。

そしてあぁ、受話器を落とした音かもしれないと、そう頭の隅っこで考えた。

「…とし、さとし!」

バタバタ大きな音を立てて母さんが部屋に飛び込んでくる。

皮肉なことにあいつとのどんな思い出よりも、一番鮮やかに思い出すのは、この時の記憶だった。

「大野君が…亡くなったって…」

大きい音を出してやってきたくせに、その事実を俺に告げたその声は、やけに小さく震えていた。

本当は、分かっていた。
大野の俺を見つめるときのやけに優しい目を。

俺を嫌いだなんてそんな嘘をついた大野が思っていることを。

分かっていて、わざと一番最低な言葉を一つずつ選んで大野を傷つけようとした。

大野の俺に対する執着心は確かに客観的に見れば気持ち悪い。

でも、大野の気持ちそのものを気持ち悪いと思ったことは、本当は一度もなかった。

俺は、大野を傷つけてどうしたかったんだろう。

大野を傷つけることで自身の大野に対する怒りを鎮めたかったのだろうか。



葬式は大野の家族の意向により、家族内だけの密葬で行われたが、俺や元入江小3-4のメンバーも参列させてもらえた。

喪服なんて一番似合わないような連中が、泣きながら真っ黒い装いに身を包んでいるのは、異様な光景にも思える。
山田が「アハハー同窓会だじょー」と騒いであの関口に殴られていた。
学年が上がってクラスが離れた奴、中学では同じクラスだった奴、隣の中学へ行った奴。
皆久しぶりに集まってなんだか忘れていた事を思い出した。

大野の遺体は、嘘みたいに綺麗だった。
死因は、手首からの流血による出血多量死だという。
大野の母さんの帰宅が遅かったこと、浴槽のなかだったこと、切り口が動脈に沿った縦方向だったこと。
いろんな要因はあったが、どうやら大野が手首を切ったのは、あのすぐ後らしかった。

大野をころしたのは、刃物でも大野でもない。


間違いなく…


霊柩車に乗せるため、みんなで持ち上げた大野の棺が思っていたよりもずっと軽くて、思わず泣きそうになる。
俺に泣く資格なんかないというのに。

大野の人生に意味はあったのだろうか。

あんなに宇宙宇宙と言っていたくせに、俺に拒絶されて簡単にその命を投げ出した大野。

そういえば高校だってそうだ、あんなに努力していたはずなのに、あいつはそれを簡単に投げ出した。

そこまで俺を想っていて、なぜ大野は、俺に好きだと言わなかったのだろう。
あんなにへたくそな嘘をついてまで隠したい気持ちだったのだろうか。

教えてくれよ

そう呟いても目をつぶったままの大野は俺に返事をしなかった。



火葬場につくと大野の母さんがやってきて、俺に一枚の封筒を差し出した。
見覚えのある封筒だった。

大野が、東京にいる間に文通に使っていたものと同じデザイン。

杉山「あの、おばさん。大野の部屋にある本もらってもいいですか」

「宇宙とか…物理の本よね?」

杉山「…俺」

「…いいわよ。きっとそのほうがケンちゃんも喜ぶわ。」

おばさんは、そういって俺に優しく微笑んでくれたが、俺は内心ドキドキで仕方がなかった。
もし大野が両親宛の遺書に俺のこと書いてたら。

大野の両親は俺を生涯許してはくれないだろう。


きっとおばさんは大野と清水に二人だけで戻ってきて心細かったに違いない。

これからはこのひとは、ひとりかもしれない。

「さいごのお見送りをお願いします」

棺のふたが開けられる。
正真正銘、これが最後だと思うと不思議な気がした。
いつだってあんなに一緒にいたのに。
東京に行くのとはわけが違う。

16の俺には、突然突き付けられた永遠という言葉は重すぎた。

棺に群がったみんなが口々にお別れの言葉を口にする。
俺が近づくと、なぜかそいつらは一斉に棺から捌けた。

「…大野」

衛生上良くないことは知っていたが、死にはしないだろうと思い大野の死に顔に口づける。
これは決して愛のキスなんかじゃない。

俺は大野を愛してると思ったことなんて、たったの一度もないのだから。
ただ、これは、一遍しかない生涯を俺にささげた哀れな男におくる、弔いの言葉のかわりだ。

杉山「…俺まだお前の事嫌いだよ」

頬に伝った一筋の涙に、俺はその時気が付かないふりをした。



後日、大野のお母さんに呼び出された俺は驚く。
家は寂しげにガランとしていて、かわりに大野のお父さんがいたのだ。
大野がこっちに戻ってきてからは、一回も見たことがなかった大野の父さん。

杉山「おばさん、おじさんと…」

「あら、ふふ。勘違いさせちゃってたわね。もともと離婚なんてしてないわよ?」

大野の母さんは、大野を生んだだけあって綺麗だ。

え、ならなんで清水に。
そう言おうとして、止めた。
聞かなくてもわかった。
きっとたぶん、最初から…

「こっちに来たのはね、完全にケンちゃんのわがまま。普段わがまま言わないような子な
のに、清水に行けないならもう何もしないなんて言ってきかないものだからお父さんと相談してこうしたの。」

「だから私、東京に戻るのよ、今は引っ越しの準備中。」

大野の父さんは、そこにある段ボール全部けんいちの本だから車で一緒に送っていくよと俺に笑った。

「だからね、今日から暫く杉山君にも会えないわけだし…最後にケンちゃんとのお話、聞かせてほしいな。」

ケンちゃんは、どうだった?
最愛であろう息子を失って泣き叫ぶでもなく静かに笑うこの人が、夜にひっそりと泣いているだろうことを思うと胸が痛い。

杉山「あいつは…皆から好かれてましたよ」

「杉山君は?」

杉山「へ?」

「杉山君は、ケンちゃんのこと好きでいてくれたの?」

杉山「…はい」

俺は、その時嘘をついたつもりでいる

「ありがとうね」

新しい住所は教えてもらったものの、俺はいまだに大野の墓の場所すら知らないし、おじさんやおばさんにも会っていない。

そして、大野の遺書もまた、開くことが出来ていなかった。

そして現在。

俺は大学院を卒業後、宇宙飛行士の卵として研究所に勤めている。
今日は大野の命日だ。
研究所に就職することが出来れば開けようとずっとしまっておいた封筒を手に取る。

緊張して封を開ける手が震えていることに気が付いた。

軽く深呼吸をしてパリッと糊を剥がす。


指を封筒の中に滑り込ませて一枚の便せんをとりだした。
恐る恐る開く。
几帳面な字が、ならんでいた




ずっと好きだった。
俺のかわりに夢なんか叶えないでくれ。
お前なんか俺の後を追って死「ねばいいのに




あいつは俺にこんな我儘堂々と押し付けてくるようなやつじゃなかったけど、
文面を見た瞬間あ、大野だと思う。
俺はその手紙を迷わずゴミ箱に放りこんだ。

誰の恋が死のうが、人生は続いていく。
ポケットから取り出した煙草に火をつけた。
それから深く深く煙を吸い込んでふーっと息を吐きだした。

大人になんてなりたくないものだと、そうニコチンでくらくらしながら俺は思った。

俺はまた今夜もあいつの夢を見るのだろうか。

杉山「頼むからさっさとしんでくれ…」

いや、これはお願いなどではない。

杉山「大野なんてしねばいいのに」

ただの祈りだ。

終わりです。
大野杉山コンビの杉山の没落を想像してただけなのに書いてるうちに大野がただのサイコパスホモになってた…
ここまで見てくれてた暇な人がいたらありがとう
モチベがでたらまた何か書こうと思うのでその時はよろしくお願いします。

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