海未「陽の昇る空」ことり「陽が沈む海」 (46)

 待ち合わせ場所の駅前に到着したのが予定時刻の十五分程前のこと。
 五分程待ったあたりでことりがやってきたのも大体はいつもの流れで、本日の遠出に胸躍る思いを早くも話し合っていたら、二人のスマホが同時に反応した。


「穂乃果ちゃん、体調不良で今日行けないって」


 先んじて手元にスマホを取り出したことりの言葉に、思わず眉根が寄る。
 自分の画面を見ると、穂乃果から急遽キャンセルする旨が記されていた。


「どうしよっか……」


 ことりの呟きは、同時に私の脳裏に浮かぶ疑問でもある。
 予定を後日に回すのか、でなけれは、このまま二人で出かけることになる……。

 高校最初の夏休み、たくさん思い出を作ろうと話し合って決めた一番目のイベント。
 はしゃいでいた先程までは気にならなかった蝉の輪唱が、季節を再認識させるかのように、急にはっきりと聞こえてきた。

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―――



 これが前日だったら、また今度違う日に行こうってなってたかも。
 ただ、お出かけする当日の話で、既に炎天下の中を頑張って駅前にまで来ているっていうのが、引き返す選択を躊躇させた。

 それに、もしここで今日はやめよっかっていう話になると、それもまた……。


「私のことは気にせず遊んできてと、穂乃果も言ってますから」


 最終的には、穂乃果ちゃんの言葉を持ち出した海未ちゃんの提案で、予定通り出発することに決まった。
 私も精一杯の笑顔で頷いて、二人並んで駅の改札を通る。
 ちゃんと楽しそうだって様子が表れるよう気を付けながら。

 私たちは仲が良い。
 私たち、穂乃果ちゃんと、海未ちゃんと、私。
 小さい頃からずっと一緒。
 三人の仲を疑うようなことはないし、胸を張って一番のお友達だって言い切れる。

 ただ、よく考えてみると、穂乃果ちゃんの笑顔がない私たち、っていうものを想像するのが難しかった。

 いつも三人一緒だったし、何かのタイミングで二人の組み合わせになっても、それは「今は二人」っていうだけのこと。
 だから普段、海未ちゃんと二人でいる時だって普通にできた。
 朝、駅前に集合した時もそう。
 今は二人でも、じきに三人になるから。

 だけど今日、穂乃果ちゃんが来ないってわかって、海未ちゃんとずっと二人って決まってから、少し違った。

 言葉にするのは難しいけど、海未ちゃんと私の間には、遠慮っていう見えない幕が引かれている。
 そんなイメージがある。

 海未ちゃんが大切なお友達なのは間違いない。
 でも、それとこれとは、またちょっと違うお話。
 穂乃果ちゃんと二人、っていうのとは違う、海未ちゃんと私の時にだけ生まれる何か。
 多分、そんなに良いモノじゃない。


「海水浴は久しぶりなので、楽しみです」


 電車で目的地へと向かう間、しばらく静かな時間が続いてから、久しぶりに声を聞いた。
 そうだね、って、私も久しぶりに声を出して、海にまつわるありきたりな思い出話を返す。

 黙っていても気にならない間柄、って言うけど、それは私たちにも当てはまると思う。
 ただ、似た表現で、黙っていても心地良い間柄、って言うと……どうなのかな。

 その答えが、当たり障りのない会話に終始した道中だったのかもしれないし。
 途切れがちな会話の中でも空気が歪まないよう、口角を上げることをずっと意識していた理由なのかもしれない。

―――



 真夏の行楽地となれば、辺り一面から鳴り響く蝉の声に劣らぬだけの、人々の賑わいが各所から湧き上がる。
 対照的に、一人先に着替え終わり、人ごみの中でことりを待つ私が感じていたのは、ここまでの道中からずっと継続している閑静さだった。

 嫌な気分とか、気まずさとか、そういった思いはない。
 ただ、言いようのない扱いの難しさ、立ち居振る舞いのぎこちなさが拭いきれず、外界の盛り上がりへと中々意識を向けることができない。


「眩しい……」


 思い出したかのように見上げた真夏の青空に浮かぶ太陽の輝かしさに、思わず声が漏れた。
 普段独り言など漏らすものなら恥ずかしさに狼狽えてしまうものの、今は行楽客の歓声が辺り一面から飛び交い、小さな呟きなど掻き消えてしまう。
 なのに、自分の声だけは、嫌にはっきりと届いた。

 思い返せば、ことりと二人で遠方まで出かけるのは稀な出来事と言えた。
 趣味や嗜好面で重なる部分が少ない私たちだから、出かけるきっかけとなる明確な理由が少ない為かもしれない。
 それこそ、今回のような季節柄のイベントは、常に三人でのものだった。
 共通の趣味を通じて自然と盛り上がる、といったことができない今回のようなイベントに、ことりと二人で赴くのは、記憶にあるだろうか。


『いつも海未ちゃんと一緒にいるのが不思議だね、って言われることがあるの』


 以前、ことりがそんな話をしてきた。
 同様のことは私も言われたことがあったので、特に何も思うことはなく、おかしいねと言い合いながら笑い飛ばしてその場は済んだ。

 ことりと私は随分違う、というのは、お互いに自覚していた。
 似たような性格の面々で集まることの多い女子間では、珍しい組み合わせだということも。
 それでも日常において、ことりと一緒にいることを疑問に思うことはなかったし、おそらくことりも同様のはず。
 全てを照らす太陽が常に私たちと共にあったからだろうか。
 私たちの関係性は、ただ輝いているように見えた。

 だからこそ、今日、空高くに離れてしまった陽の下に晒されたことで、二人の陰影が明確に映るのかもしれない。

「お待たせ」


 時間にしては短いながらも激しい陽光に当てられ、早くも思考が眩みかけたタイミングで、ことりの控えめな声が響いた。
 振り返ると、互いにビーチで初お披露目しようと決めていた、ことりの白い水着姿があった。


「……わ! 素敵ですね!」


 ことりならば自身に似合う水着を選んでくるとわかっていたものの、予想よりずっと素敵な姿で驚いた。
 お陰で微睡みかけていた頭はすっかり冴え、鬱屈していた気分も立ち昇ってくる。


「えへへ、ありがと……。海未ちゃんもカワイイねっ!」

「いえそんな、色合いのマッチングと控えめな装飾が可愛らしいことりの方がよっぽど可愛らしいです」

「海未ちゃんも露出は抑えめだけど、大人びてる雰囲気が素敵だし、何より青色が凄いピッタリ!」

「もう、褒めてくれるのはいいですから……シートを広げられる場所を探しに行きましょう」

「うん!」

 ことりの水着姿は素直に可愛らしいと思った。
 道中とは違う、無理に捻り出すのではない自然な感情と言葉に安心して、普段通りの私たちに一瞬だけ戻ることができた。

 そう……ことりは本当に素敵な友人。
 そんな相手に対して、一方的な遣り辛さを覚えてしまう私は、薄情な人間なのかもしれない。


「さあ、行きましょう!」


 周囲の歓声に掻き消えてしまわぬよう、意識して声を張り上げた。

―――



 砂浜にシートを広げられるスペースを見つけて、荷物を置いて、せっかくだからって奮発してレンタルした大きなパラソルを設置する。
 準備が整ってから、私たちは二人揃って海へと向かった。

 穂乃果ちゃんを含めた三人で出かける時は、誰かが残って荷物番を担当することが多かった。
 でも今日は、貴重品は全部ロッカーに置いてきたから大丈夫。
 それに、今別行動を選ぶと、必死に意識しないようにしているぎこちなさが表に出てきちゃう気がするから……。


「じゃあ一緒に海入ろっか!」


 いつもなら、海未ちゃんがまず最初に荷物番を名乗り出て、先に遊んできたらって言ってたかもしれない。
 そうならないよう、少し強引に連れ出しそうとしたのが良かったのかな。


「はい、行きましょう」


 一緒に行動する流れに持っていくことができて、胸を撫で下ろした。

「つめたいー!」


 海に足を踏み入れると、海水浴に来たっていう実感が身に沁みてきて、気分も高まってくる。
 隣では海未ちゃんも楽しそうにしていて、海中で足先を動かしながら水の抵抗を確かめていた。


「ひゃっ!?」

「あっ、水飛びましたか?」


 海未ちゃんが一歩深くまで踏み込んだ時に飛んだ水が顔にかかった。
 お返しとばかりに手で海水を掬って、海未ちゃん目がけて腕を振った。


「くらえー!」

「ひゃぁっ!? やりましたね!」


 負けずと海未ちゃんも身を屈めてから、掬った海水を浴びせてきた。
 海水浴場らしい遊び方に、私たちは声を上げて笑った。

 ただ……私の声は乾いてなかったのか、少し心配だった。

 互いに海水をかけあうと言っても、私たちの応酬は、雫が数滴身体に飛ぶ程度のこと。
 普段だったらそれこそ両手で目一杯水を掬ったり、はしたなさを忘れて全力で足で蹴り上げたりもしていたけど、今はそうはならない。
 思い切りよい行動ができるまでのきっかけが、私たちには必要になるから。


『いっくよー海未ちゃん!』


 いつもならこういう時、穂乃果ちゃんが真っ先に動き出していた。
 基本的に遠慮がちな海未ちゃんも、髪が一瞬でびしょ濡れになるくらいの水を浴びせられたら、流石にムキになってやり返していた。


『やりましたね!? お返しです!』

『うえー口に入った! ほらことりちゃんもくらえー!』

『やぁん! こっちも負けないもん!』

 海未ちゃんが相手の時、どこまでふざけたり構ったりしていいのかなっていう、アプローチの度合いで迷うことがある。
 でも天真爛漫な穂乃果ちゃん相手なら、私も最初から遠慮なんてせずに何だってできた。
 そうやって穂乃果ちゃん相手に戯れている流れの中でなら、海未ちゃんにだって同じように接することができた。


『海未ちゃんもそれー!』

『ことりまで! 容赦しませんよ!』


 全身を思いきり動かして、波もバシャバシャと激しく鳴り響く、楽しくて気持ちよい時間。
 周りの人たちがそうしているように。

 ただ、今は少し違う。


「えーい」

「ほら、ことり」


 声を上げ、表情は楽し気にしていても、指先を少しだけ海面に差し入れる程度じゃ、相手にかける水の量だってたかが知れる。

 まるで私たちがいる場所だけ、人込みで賑わう中に生まれた空洞みたい。
 髪がまだ乾いているのも、日差しが強いからって理由じゃない。

―――



 海水浴場に到着してからそう時間は経過していないうちに、早めのお昼を取ることになった。

 海に入ってからも取り立ててすることが見つからず、体感時間がとにかく長い。
 何より、普段は今日以上に激しく体を動かしているにも関わらず、いつも以上に疲労感が強い。
 肉体的ではなく、精神的な原因であることは疑いようがなかった。

 貴重品を預けていたロッカーまで戻る道中で、さほど濡れていなかった身体は早くも乾こうとしていた。
 海水浴場においては醍醐味とも言える真夏の猛暑が、急に怠さを訴えかけてきたかのようで、気が滅入ってしまう。


「どうぞ、ことり」

「ありがと」


 疲労感は強いものの、食欲は互いに少なく、注文したのはかき氷だけ。
 ミルク練乳をことりに手渡してから、ブルーハワイを口に運ぶと、茹だるような暑さを一瞬だけ忘れさせてくれる冷たさを体内から感じることができた。

 真夏の海水浴場という環境では、どこもかしこも楽しそうな声で埋め尽くされていて、食事処もまた顕著な一例。
 食事中の私語をはしたないと指摘する無粋な声なんて皆無で、食べ物を口にする合間を見つけては弾む声が飛び交っている。
 お行儀よくしている行楽客など、せいぜい私たちくらいのものだった。


「おいしいね」

「はい」


 たまに口にする言葉に嘘はない。
 楽しい、面白い、美味しい……全て本心からの発言。
 ただ、今日のような猛暑日とは真逆に、発言に篭る熱量が少ないというだけのこと。
 その事実こそが、大切だということ。

 客の回転も早いこともあって、軽食を済ませた私たちは足早にお店を離れることにした。


「この後どうしよっか」

「そうですね……」


 帰るには流石に早く、発案するだけでも、まるで楽しくないと代弁しているようで、ことりに悪い印象を与えかねない。
 しかし、二人で行う何かしらを考え付く自信もなかった。
 私はこの手の交友に関して、ただでさえ主体的に考えるのが苦手なところがあるから……。

『せっかく海来たんだからバナナボート借りようよ!』


 この場に穂乃果が居たならば言い出しそうなことが自然と思い浮かんだ。
 実際に行動に移すかはともかく、場を動かしてくれるのは、いつも穂乃果だった。


『えぇ~怖くないかなぁ』

『借りるにしても、どのくらい料金がかかるんです? そもそも貸し出している場所があるのですか?』

『どうだろ? とりあえず調べてみればいいじゃん!』


 突飛な発案でも、立て続けに発言しては行動に移す穂乃果に振り回されて、私たちは退屈する暇なんてなかった。
 結局右往左往するだけに留まっても、全力で動き回り、様々なことを思いのまま言い合ったりする時間が楽しかった。
 それが私たちだった。

 だとしたら、今の私たちは、いつもの「私たち」とは違うのかもしれない。

 特に何をするという案が出ないまま、場所取りをしていたシートまで帰りついてしまった。


「どうしよっか」


 ことりが先程と同じ問いを繰り返す。
 けれど返す案は出てこない。

 陽光は強くとも、日差しから逃れたいという欲求はそこまで強いわけではなかった。
 それでも、まるで自然な動作だというように、私はパラソルが作る日陰の中に潜り込み、シートへと腰を下ろした。


「……またロッカーまで財布などを戻しに行くのも億劫ですから、私はここで待っていますよ」


 返事を待たずに、上着を肩にかけ、貴重品を受け取ろうと手を差し出した。


「ことりは、どうぞ、海で遊んできてください」

―――



 抑え込もうとしていた噛み合わなさは、既に漏れ出しつつあって、どうにも出来そうになかったから……かもしれない。
 特に悪いとか残念といった気持ちは無くて、自分から別行動の案を出す必要がなかったことに、ただホッとした。


「……一時間くらいで戻ってくるね」


 口にした時間は、よくよく考えたら随分と長かったかもしれない。
 一方で、それくらいの時間、一人で心休まる時間が欲しいっていう願望があったのかな。


「お気を付けて」

「うん」


 短いやり取りを残して、大きな浮翌輪だけを手に、私は一人で海へと向かった。

「はぁ……」


 溜め息が自然と零れちゃう。
 今日みたいなお出かけ日和とは似つかわしくない、重苦しい空気が体内に溜まるのを、少しでも外に逃がしたかったのかも。

 静けさが欲しくて、人で溢れかえっている浜辺付近から離れる為に、沖合いの方まで少し泳いだ。
 賑わう声が遠のいただけ、自分の世界に集中できそう。
 浜辺からある程度距離を取ったところで、浮翌輪の中に腰をスッポリ入れて、仰向けに近い格好で海に浮かんだ。
 まるで海上の漂流物になった気分で全身から力を抜いて、流れのままに漂っていると、それだけでどこか気が楽だった。


「……ぷっかぷか…………ぷっかぷか…………」


 波の揺れに合わせて、鼻歌とも言えない呟きでリズムを取る。
 解放感が全身を包み込んで、同時に、貯めこんでいたかのような疲労感がどっと押し寄せてきた。

(ホント、ちょっとしたことだと思うんだけどなぁ)


 海未ちゃんと私は、ほんの少しだけ、お互いを大事にし過ぎているんだと思う。
 具体的にどうというわけじゃなくて、わかりやすく言うなら、穂乃果ちゃんと比べて。

 穂乃果ちゃんは、思ったままのことを私たちにぶつけてくれる。
 それ自体は良し悪しあるとしても、同じことを私も返しても大丈夫なんだ、っていう理由が生まれる分、遠慮する気持ちは払拭できる。

 海未ちゃんは後ろから人を支えるタイプで、引っ込み思案なところもあるから、全体的に奥ゆかしい。
 私も私で、自分に自信がないから、基本的には誰かについていく性格をしている。
 だからこそ、前を行く存在が身近にあれば、似た傾向と歩幅を持つ私たちの相性はバッチリで、何よりも心地良いものになる。
 反面、海未ちゃんと私だけが残された時は……今日みたいになるんだってわかった。


「あとちょっとなんだけどなぁ……」


 実際に言葉にしてみても、何も変わりはしない。
 浮翌輪に浮かぶ私を揺らす波のリズムのように。

(今日は、本当に楽しみだったのに……)


 昨日は三人で大はしゃぎする明日に胸が弾んで、満足に睡眠時間が取れなかったくらいだった。
 遠く響く笑い声と、周囲を包み込む波音をBGMにして、一人漂っているのはどうしてだろう。

 改めて考えてみる。
 海未ちゃんと二人でお出かけするのは、楽しみなことじゃない?
 ……ううん、そんなことはない。
 想像すればとても楽しみだし、また一緒にどこかに出かけたいって思ってる。
 例え今日、今、私がどう感じていても、これは本当の気持ち。


(あとちょっとだけ)

(見えない幕を引いて、もうちょっとだけ、近付くことができたら)

(穂乃果ちゃんみたいに……いつも三人でいる時みたいに、二人きりでも……)
 

 空を見上げる格好ではどうしても太陽が視界に入って、満足に目を開けることができない。
 思わず目を瞑っても、降り注ぐ日差しは激しく、瞼を透過してくるかのよう。


(……眩しい…………)


 半身は海に浸かっていても、身体は熱を帯びていく。


(…………暑い……………………)

―――



 すぐ目の前の光景、なのにまるで別世界のように、周囲の賑わいを縁遠く感じる。
 パラソル一つで作られた日陰でも、たったそれだけで、陽の当たる外界との明確な隔たりが生じているようだった。

 その隔たりの内側でことりを見送った後、一人腰を落ち着けている間、病床の穂乃果と連絡を取った。
 病床と大げさに言っても、所謂夏風邪の軽い症状で、直前までキャンセルを渋る程度という話だったから、文面から見れば至って普段通りの様子だった。


≪私の分までことりちゃんと思い切り楽しんできてね!≫


 文面から感じられる穂乃果らしさに笑みが浮かぶ。
 同時に、文面を意味を噛み締め、思考は煩悶する。


(思いきり、楽しんで……)


 果たして、ことりと二人の今日、一つでも思い切った行動を取れただろうか。
 ことりもまた、思いのままに取った言動が、果たしてあっただろうか。

 もしも今日、いつも通り三人で出かけていたら……。
 そんな現実逃避じみた想像へと勝手に傾いてしまう。

 きっと、穂乃果の奔放な言動に対して、いらぬ心配とわかっていても、口煩く指摘したり気を回したりと忙しなかったに違いない。
 水辺なのだから十分注意しなさい、事前に身体のケアをしなさい、人が多いのだから周囲に気を配りなさい……そんな風に。
 穂乃果相手の場合、はっきりとした物言いをしなければならないという側面もあって、自然と遠慮のない振る舞いをすることになるから。

 一方でことりは、丁寧に、繊細に、優しく相手をするのがデフォルトだった。
 どちらが良いという話ではなく、単なる性格の相性という話。
 言える相手と、そうでもない相手という違いは、確かに存在する。


(ことりを大切にしている、だからこそ……)


 交友関係において、本心をありのまま表す行為は、互いを示し合うことへと繋がり、結果的に互いを深く理解できる。
 穂乃果に対して、私はそう捉えていた。

 だからこそ、なのだろう。
 ことり相手に気遣いを優先してしまう私は、私自身をありのままぶつけられず、ことりもまた……。

(……そろそろでしょうか)


 物思いに更けていた思考を現実に引き戻して、現在時刻を確認する。
 一人になってから、早くも一時間が経過しようとしていた。
 ことりも防水の腕時計は身につけていたから、そろそろ戻ってくる頃合いだろうか。
 今度は入れ違いで私が海に向かうことになる。


(どうして、入れ違いにならなければいけないのでしょう)


 先程は気疲れから解放されたことで、一安心する気持ちが強かった。
 しかし一度落ち着いた為なのか、改めて考えた時、意識的に距離を置こうとしていることが心底無益に思えてきた。


(本当は、ことりとだって……)


 眼前いっぱいに広がる浜辺と、遠く続く海面とのコントラストに目を向ける。
 大勢の行楽客に紛れ、ことりが戻ってくる姿は、まだ見つけられそうにない。

―――



「…………んぅ」


 気の抜けた声が意図せず漏れた。
 靄のかかっていた意識がハッキリしてくる。
 若干の気怠さを感じるけど、頭はむしろスッキリしている。


「うん?」


 しばらくの間、何が何だかよくわからなかったけど、すぐにわかった。
 海に漂っているうちに、ちょっと眠っちゃってたみたい。
 昨日寝不足だったのが今になって影響してきたのかな。

 浮翌輪の上に半ば仰向け状態っていう体勢のまま、辺りを見回してみた。


(あれ)


 思っていた光景と少し違う。
 浜辺との距離が大分離れていて、周囲には人影が無く、たくさんの遊泳客の姿は随分と小さく見える。
 あんなに賑わっていた喧騒もほとんど耳に届かない。

 流されたんだ、って理解した途端、心音が大きくなった。


「だいじょうぶ、だいじょうぶ」


 声に出して平静を保つ。
 浮翌輪を掴む両手に篭る力が強い。
 吐く息が震えた気がした。

 もう一度周囲を見渡すと、浜辺とは逆方向に、危険海域を示すブイが浮かんでいるのが見えた。
 ブイを越えたわけじゃないから、まだ危ない所まで流されたわけじゃない。
 浮翌輪だってあるし、カナヅチってわけでもないし、普通にしていれば自力で泳いで戻ることだってできる。
 別に慌てる程のことじゃない。
 むしろ慌てたせいで、体勢を変える時に浮翌輪を手離したり、変に力が入って足が攣ったりする方が危険だから。


「うん、落ち着いて……落ち着いて……」


 状況の整理ができて、高鳴っていた心臓は次第に大人しくなってきた。
 ただ、代わりに、慎重に行動しなくちゃダメ、下手に動いちゃいけない、って意識で、手足が思うように動かなくなった。

 自由の利かない自分自身にどうしたらいいかわからない。
 真夏の猛暑を無視するように、身体が冷たくなってくる。

 浜辺で賑わう人たちの声はほとんど聞こえてこない。
 私の息遣いと、波が私をゆっくりと沖合いへ流していく音だけが、繰り返し響いていた。

「ことり」


 聞こえたと理解するより早く顔が動いた。
 割合海深くまで出て遊んでいる人波の中に一人、こっちを見ている影がある。


「ことり」


 こっちへと一直線に泳いでくる姿がよく映るようになるに連れて、固まっていた手足が脱力していった。


「……海未ちゃん」

「結構遠いところまで泳いでいたんですね」


 私を支える浮翌輪に軽く手をついて、泳いで来た海未ちゃんが一息ついた。
 一人じゃない、誰かが近くにいるって実感したことで、今度こそ本当に落ち着くことができた。

「すみません。時間が気になってしまい、勝手に探していました」

「時間?」


 そう言えば一人で海に入る前、一時間くらいで帰るって言った記憶がある。
 腕時計を確認すると、思っていた以上に時間を大きく過ぎていた。
 空を見上げたら、心なしか太陽の位置も、意識が途絶える前と違う場所に浮かんでいるような気がする。
 今更ながら、時間を気にする余裕も無かったってことなのかな。


「時を忘れるくらい満喫していた、ということかもしれませんけど」

「うーん、というか、浮翌輪に横になってるうちにちょっとうたた寝してたみたいで」

「うたた寝していたのですか?」

「まあ、ちょっと。えへへ」


 こうして普段通り話していると、さっきまでは本当に大したことなかったのにって改めて思った。
 目覚めた直後、一瞬パニックになりかけたり、恐怖で身動きが取れなくなっていたのが、今になるとちょっと恥ずかしい。
 勝手に一人で照れ臭くなって、誤魔化すように笑ってみた。

「何しているのですかっ!」


 直後、予想もしなかった怒声に驚いて、身体がビクついた。


「え」


 浮かべていた笑みは、一瞬で引っ込んだ。

「海の深い場所に一人でいるというのに眠るだなんて危険極まりないじゃないですか!」

「……え、うん……」

「もし浮翌輪から落ちていたらどうなっていました!? 寝起きで頭が回らなかったり身体の自由が利かなかったり海水を飲んで呼吸がままならない状況に陥ってもおかしくないんですよ!?」

「……うん……」

「海で事故が起こるなんてニュースは毎年のように流れてますよね!? ことりだって理解した上で準備してきたのでしょう!?」

「……実はちょっと寝不足で、」

「体調管理を怠るのはまだしもその上で取る行動ではありませんっ!」


 堰を切ったかのように捲し立てる海未ちゃんの姿にとにかく唖然とした。
 ここまで怒る海未ちゃんは、普段だってそうそう見ることはない。

 ただ、怒られているのは私なのに、この時考えていたことは……。
 ああ、今は他に誰もいないけど周りに人がいたら注目されてたかな、とか、全身濡れて髪型も違う海未ちゃんは随分印象が変わるな、とか……。
 なぜかそんな、全然関係ないことを思い浮かべていた。

 しばらくの間海未ちゃんらしいお説教が続いてから、ようやく言葉が尽きたみたいで、大きく開いていた口を静かに閉じた。


「わかりましたか?」

「うん」


 私の反応が薄かったからなのか、海未ちゃんはどうにも煮え切らない表情をしていたけど、諦めたかのように溜め息をついた。
 行きますよ、って反転して、腰かけて浮かんでいた私ごと浮翌輪を引っ張っていく。
 私も、うんって返事をして、されるがままにしていた。

 ……何ていうか……実感がなかった。
 間違いなく私に対して怒っていたことはわかっていても、それが本当のことなのか、本当に私相手だったのか、わからなかった。
 だって初めてだったから。


(初めて海未ちゃんにこんなに怒られた……)


 お説教することが多い海未ちゃんでも、怒るかのように本気で叱ることなんて滅多になかった。
 たまに私に注意する時も、悪戯をたしなめるような態度だったから。
 慎重に、優しく、傷つけないように、って、気遣っていることが伝わる様子で。

 こんな風に、本心からの感情を露わに晒すのは、穂乃果ちゃん相手の時しか見たことがなかった。

 先を行く海未ちゃんは、大きな浮翌輪を掴みながら泳ぐのに手間取っていた。
 何度か手を滑らせて、その度に浮翌輪を掴み直しつつ、こっちに背を向けながら呟いた。


「ちょっとしたことで注意し過ぎだと思いますか」

「……ううん」

「口煩いとはわかっていますけど……心配だから、言ったんです」

「…………うん」


 また海未ちゃんが手を滑らせて、浮翌輪から離れる。
 前を見て泳ぎながら浮翌輪を探す手が彷徨っている。

 いつもだったら、大丈夫かな、いいのかな、って迷って、結局何もできなかったかもしれない。
 でも今は、考える前に自然と手が伸びて、海未ちゃんの手を握った。

 ずっと進行方向を見ていた海未ちゃんがこっちを振り向いた。


「こうしたら離れないから」


 私の言い訳に対して、納得したのか、どうなのか。
 何も言わないまま海未ちゃんはまた前を向いて泳ぎ始めた。

 そこから浜辺までは手間取ることなく、一直線に戻ることができた。

―――



 来た時とは逆に、帰りの準備を先に済ませたのはことりだった。
 しかし、最寄り駅に続く帰路への方向ではなく、再び浜辺の方へと向かって一人歩いていく。
 遅れて支度を済ませてから後を追うと、浜辺の縁にある段差に腰かけている姿を見つけた。
 近付いて声をかけてみるも無反応で、海を見つめたまま微動だにしない。
 仕方なしに私も隣に腰を下ろし、今日一日泳いでいた海の表面に浮かぶ波を眺めた。


「暗くなってきたね」


 天高い位置で眩しく輝いていた太陽も今は沈みかけ、空模様は橙から紺へと移っていく。

 そう短くもない時間、ずっと無言で海を眺め続けている理由はわからない。
 ただ、こうしているこの時間に対して、疑問は感じなかった。


「暗くなりましたね」


 やがて陽は水平線の彼方へと姿を消し、空は海と同じ色になった。

 暗闇と共に、静寂が辺りを包み込む。
 日中あれだけ賑わっていた行楽地も、今は人影がちらほら映る程度。
 どちらのものともつかない、小さく息をつく声が、はっきりと響いた。

「今日みたいに二人で遠出するの、初めてかもしれないね」

「今朝方、同じことを考えていました」


 駅前で待ち合わせをして、穂乃果がキャンセルすることを知り、二人で出かけることを決めたのが、最早遠い昔のことのように感じられた。
 特筆する出来事なんて何一つ無かったのに、今日という一日は、とても長かった。


「海未ちゃんからあんなに怒られたのも、初めて」


 内心、ドキリとした。

 私たちは衝突したり言い争うことがあっても、後々は何事も無かったかのように済ませてきた。
 平穏な関係を維持する為に、注意を重ねて、気遣って。
 にも関わらず、普段だったなら表に出さぬよう隠していたはずの話題を、明確に示されたから。

 横目で隣を確認する。
 ことりは前を向いたまま、海の様子を眺め続けていた。

「……ことりからスキンシップを受けたことは、これまでもありましたけど……」


 呼応するように、私もまた、日頃なら口に出さなかったことを、勇気を出して返した。


「うん。その場の流れの中じゃなくて、海未ちゃん相手に、っていうのは……そうかも」


 スキンシップというものは、女子にとってありきたりでも、私にとっては照れが先んじてしまう、ハードルの高い行為だった。
 その一方で、行為自体への憧れは、内心抱いている。
 そんな天邪鬼精神を打ち破ってくれる唯一の相手が穂乃果で、こちらの意図を知ってか知らずか、遠慮ない態度で私の内なる欲求を満たしてくれるのが常だった。

 ことりの場合は、また違うやり方で、その手の行為と距離を置きがちな私の意図を汲み取ってくれていた。
 例えば穂乃果とことりが触れ合う流れで、私に対しても親密な態度で触れ合ってくれる、という風に。
 それが穂乃果からのおこぼれだとわかっていても、十分に有り難かった。

 だから今日、他でもない私相手に、ことりから手を取ってくれたことが……。

「あそこまで感情を表に出すのって、穂乃果ちゃん相手の時くらいだよね」

「そうですね。ちゃんと言わなければ反省しませんし……それに……」


 ここからは、いつもだったら言えなかった。
 だけど、今日は……。
 思い切って、伝えたい。


「この人なら本音を口にしても大丈夫だと……本音を伝えたいと、思える相手ですから……言えるんです」


 遠慮や気遣いという言い訳で、本心を明らかにすることを恐れる、臆病な私。
 そんな弱い私を打ち破ってくれる大切な相手が、私にとって穂乃果と、そして……。

「……私は嬉しかったよ」


 また、ドキリとした。

 横目で伺うと、ことりは俯きがちに、私を見ていた。
 私も、ちゃんとことりへと顔を向けた。


「穂乃果ちゃんみたいに、私のこと、ちゃんと怒ってくれたから」

 心の奥深いところで、声にならない声が漏れたことがわかった。
 ああ……。
 私たちはきっと、こういうことだったんだ、って……わかった。

 初めて浮き彫りになったことりと私。
 二人だけで見れば、どうしたらいいのかわからなかったり、足踏みしたりと、戸惑ってばかり。
 ただ、そうした噛み合わなさは、もっと踏み込み、歩み寄り、僅かに存在する隙間を埋めたいとお互い思っていたからこそ生じた衝突だった。
 どうしようって首を捻って悩んでいる、そんな変な形で、私たちの足並みはずっと揃っていたんだ。

 夜は深まり、陸から海へと流れていく風は涼やかで、真夏の猛暑を忘れさせた。
 浜辺から見る夜の海は暗く、空との境界はわからない。
 その光景を、ことりと私はずっと眺めていた。


「……暗くて、静かだね」

「はい」

「こういう海も、良いね」

「……ええ」


 時に交わす言葉は長く続かない。
 それでも問題はない。
 無理に言葉を紡ぎ出す必要もない。

 今日一日、ことりと共に行動する中で、無言でいる時間が多かった。
 けれどこれからは、二人の間に静寂が流れても、そこに込められる意味は違うものになる……。

 そんな気がした。

―――



 待ち合わせ時間の十分くらい前に集合場所へと到着したら、やっぱり先に海未ちゃんが待っていた。


「お待たせー」

「いえ、私も今来たところですし、まだ時間前ですから」


 さあ出発だって歩き出したところで、二人のスマホが一緒に反応して、それぞれ自分の画面を同時に確認した。


≪二人だけ遊ぶのやっぱりズルイ! 私も行きたかったー!≫


 穂乃果ちゃんからの文句の文面が予想通り過ぎて、二人一緒に笑い合った。


「一人だけ夏休みの宿題に手を付けてないのがいけないんですよ」


 口に出した台詞通りの内容を海未ちゃんが返信した。
 厳しいようだけど、これは海未ちゃんなりの愛の鞭。
 だから私も調子を合わせて、穂乃果ちゃんに優しい愛の鞭を送っておいた。

「でも、宿題やってないからって理由で穂乃果ちゃんを誘わなかったの、やっぱり悪かったかなぁ」

「正当な理由ではありますよ」

「だって本当の目的を隠す為に嘘ついてるみたいだし」


 そう聞いて、一旦考え込むようにしていた海未ちゃんだけど、すぐに納得したような顔で指を一本立てた。


「まあ、サプライズの為に誕生日プレゼントを本人に内緒で用意する、というのも正当な理由じゃないですか」

「うーん……確かに!」


 そう言って、もう一度二人で笑い合う。

 次に控える夏休みイベントに向けた、海未ちゃんと二人で行う準備。
 どちらともなく自然と言い出したこと。

 いつも通りの三人じゃない、二人きりのお出かけだけど、とても楽しみなことに変わりは無かった。
 だから、気が昂ぶっていたせいでちょっとだけ寝不足なのは、海未ちゃんには秘密にしておこう。

 これまでとこれからを比べても、表面的には何も変わってない。
 これまでと同じ仲良しの私たち。
 穂乃果ちゃんと、海未ちゃんと、私。

 だけど、もしこの先どんな二人になっても、「私たち」が変わることはない。
 いつでも、ずっと、大切な関係の私たち。
 そういう予感がある。


「では改めて行きましょうか」

「うんっ!」


 思い出をたくさん作ろうと話し合った夏休み。
 空の高い場所で輝く太陽は眩しく、蝉の鳴き声は色々なところから聞こえてきて、季節の色をくっきりと浮かび上がらせている。

 まずは今日、海未ちゃんと二人、とびっきりの思い出を作れたらいいな。

終了です
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