岡部「俺は鈴羽を――お前の事を救えたか……?」鈴羽「――」 (52)

初めに言っておこう。
これは一人の男の記録である、と――



――きっと未来を変えてね、今みたいな自由な世界に変えて――

今でも脳裏に焼き付いているこの言葉。
彼女はそう言って、俺達に未来を託して行ってしまった。
けっして俺達の手に届かない、遠く。遥か遠い場所に。
彼女の最期はとても良いものだったとは言えず、惨く、哀しく、救われなかった。

そんな救われなかった一人の少女。
この記録はそんな少女に関する、とある冬の一幕。


あらかじめ言っておく、この記録は決して美談なんかじゃない。
この記録の主役であるその男は誰かを救える程、ご大層な救世主でも無ければ。
世界の支配構造を変革するような野望を持つ、
マッドサイエンティストでもなんでも無かった。

もっと泥臭く、ただ足掻いて、現実を叩きつけられて。
それでも尚、足掻き続けて。救いを求め続けた、

どこにでもいて、それでいてどうしようも無い一人の男で、
そしてこれは、男が忘れる事の出来なかった一人の少女との記録だ。

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~おしながき~

・地の文多め(読みづらかったらゴメンネ)
・当SSはオカリン(44)が鈴羽(18)とラブラブチュッチュするSSです(多分)


2036年1月――季節はあの2009年の出来事から巡って、
丁度冬を回り始め、寒くなる頃合いだ。

――俺は今自宅の鍵を閉め、ある場所に向かっている。
何故そこに向かっているかというと、そこでとある知人と会う事になっているからだ。


「……。」


こうして何も考えずに歩いていると、あの2009年での出来事を思い出す――

電子レンジ(仮)から始まり、タイムマシン争奪の為SERNまで介入してくる事になった、
時間を越える俺の――俺達の戦い。あれから25年近くも経ったのだと思うと感慨深いものがある。

繰り返される時間の中で死んでしまうまゆりを救い、
本来、β世界線で死んでしまう筈だった紅莉栖も、
β世界線で紅莉栖を救えなかったという執念を得た俺の協力もあり。
紅莉栖を救った世界線――SG(シュタインズ・ゲート)世界線に到達する事には無事成功した――

当初の目的だったまゆりの死も回避し、
憧れの人だった紅莉栖も救えて、俺の大事なラボメン達が救われた世界。
何も思い残す事は無い筈なのに――ポッカリと穴が空いてしまったかの様に、
俺の心の中は今もなお、空虚な想いで満たされている。

……原因はわかっている。
あの世界線での〝彼女〟が救われていないからだ。


「ここは昔も今も変わらんな……。」


昔の事を思い出していると、時が過ぎるのを忘れてしまう。
俺はいつの間にかブラウン管工房の前まで辿り着いていたようだ。
ふと、ラボの方を見てみると明かりが点いている。どうやら先客がいるらしい。


「お、あいつらもう来てたのか……ってもうこんな時間か……。」


腕についている時計を見ると、待ち合わせ時刻から10分も過ぎてしまっていた。
むっ……物思いにふけっていた所為で、少し歩行速度が落ちてしまっていたのだろうか。


「あいつ怒ってるだろうな……。」


そう思いながら階段をあがると、話し声が聞こえてくる。
一人は若々しい女性の声で、もう一人は少し年のいった男性の声だった。

「入るぞ。」


そう言ってドアを開けると、懐かしい光景が目に入った。
昔と寸分変わる事の無い、あのラボの空気だ。

……最近はここに来る事は昔に比べ少なくったが。
時々こうして皆遊びに来る為。天王寺さんに家賃を今も払い続け、残してもらっている。
まゆりが時々掃除しに来てくれるらしいので、埃も無く綺麗なものだった。


「あ、オカリンおじさん!遅いじゃんか!
 もう待ち合わせの時刻から10分も過ぎてるんだよ!?」


俺がラボの中を見て懐かしんでいると、一人の少女がこっちに向かってくる。
その表情は般若の様――とまではいかないが、怒りの表情でみたされている。


「あぁすまんすまん。少し物思いにふけっていたら遅れてしまってな。
 ほら。侘びの印と言っては何だが、持ってきたお土産でも食べて機嫌直してくれ。な?」

「えっ?ホント!?何かなあ!
 オカリンおじさんがあたしにプレゼントなんて!」


プレゼントなどとは一言も言ってないのだが……。
この少女――阿万音鈴羽は、俺が持ってきた土産物のフルーツ(実家の)
の入った紙袋を受け取ると、ガサゴソと音をたてて物色しだす。


「もう、鈴羽ってばお土産貰って喜ぶのはわかるんだけどね?
 お父さんは女の子ならもう少し、お淑やかな反応をとって貰いたいのだが?」


そう言って奥から、樽のような体を揺らして男がやってくる。

「お淑やかなんてあたしにはムリーっ!
 オカリンおじさんの(フルーツ)美味しーっ!……もぐもぐ!」

「オカリンのが美味しいだなんて……鈴羽……はしたない娘……っ!」


こいつの、俺の中で二番目に付き合いが長い男の、橋田至――通称ダルの
HENTAI紳士っぷりは相も変わらずで、思わず笑いがこみ上げてくる。
勿論嘲笑の笑いでは無く、心の底からの喜びから出る笑い声だ。


「ふっ……お前も相変わらずだな、ダル。」

「それはお互い様っしょ?
 でもオカリンは厨二病抜けちゃったし、ちょっと変わっちゃったかな?」


流石にこの年齢になってまで厨二病はな……。
心の中で呟いた為、あえて声には出さなかった。


「ところで気になってたんだけどさ。
 オカリンおじさん、あたし達に用事ってなんだったの?」


土産のフルーツを食べ終わったらしい鈴羽が、
フルーツの紙袋を畳みながら俺に質問を投げかける。

……え?紙袋?まさかとは思うがこいつ全部食べたのか……。
ダルと由季さんの分も考えて。後、三つ程用意してあったのだが……。
現役女子高生の胃袋恐るべし……。


「そうそう、僕も気になってたんだよね。
 僕達家族三人でじゃなくて、僕と鈴羽に来て貰いたい……だなんて。」


俺が困惑して質問の存在をすっかりと忘れていると、
ダルが俺に向かって再度質問を投げかけてきた。

――そうだった。鈴羽の言動に引っ張られて、つい気が緩んでしまっていたが。
俺はこいつに――ダルに話さなければならない事がある。

「……鈴羽。悪いんだが、ダルと二人っきりで話したい事がある。
 すまないが少しの間だけ、外にいてくれないか?」

「ええー!?あたしの事も呼びつけといてそりゃあ無いっしょ!?
 大体今、外寒いじゃん!あたしに凍えて待てって言うの!?」

「あぁ、すまんすまん……だがラボに他に部屋と呼べる部屋も無いしな……
 そうだな……これで暖かい物でも買ってくれ。余っても返さなくていいぞ。」


そう言って、鈴羽のその小さな手に五百円硬貨を握らせる。
渡す時にその手に触れたら何故だか少しドキっとした……。


「むぅ……何それ……そんなに出てって欲しいのーっ……?
 ……もうっわかったよ……10分くらいでいい?それ以上は待てないよ。」

「わかったわかった。それだけあれば話はつく……と思うぞ。多分。」


鈴羽は自分だけが話に入れて貰えない事に不満を感じていたのか。
ブツブツと独り言を言っていたが、やれやれといった表情をしてラボから出た。


「で、オカリン。話って結局なんなのよ。
 わざわざ鈴羽を出て行かせて僕に話って?まさか……。」


まさか?こいつ俺の話そうとしている事が既にわかって――


「オカリンに娘はやらん!!」

「ダ、ダル?お前は何を言っている……?何を勘違いしてるか知らんが俺は――」

「いくら鈴羽が18歳でケコーンおkだからってそりゃねーよ……オカリン。
 物事には順序ってもんがあるじゃん?もっとこう……僕としては、
 我が家で色々学んでから、鈴羽には旅立って欲しいのですよ。
 ……ハッ!……もしかしてまゆ氏と牧瀬氏の告白を断ってきたのって……。」


こいつ全然わかってねー!いや、わかっていないのは俺の方だったか……。
こいつはそういう男だった……妄想力の高いHENTAI紳士……。
しかもそれが自分の娘とくれば、より深く考えてしまう筈……。
だが違う!違うんだ……ダルよ。悪いがそんな話がしたいんじゃない。

「ダル、すまないが今日は真面目な話があって来たんだ。」

「……オカリン、もしかしてマジな話?」


ダルが俺の顔をじっと覗き込んでくる。
その表情からは普段のひょうきんでとぼけた色は感じられない、
ダルにしては珍しくも真面目な顔をしていた。


「あぁ。マジ、だ。」

「……わかった。聞くお、オカリンの話。」


普段のこいつははふざけている様だが、昔から真面目な時はちゃんとしている。
そして今のこいつはそれでいて1児の親であり、45歳の中年紳士だ。
その貫禄を感じさせるその姿に、俺はある〝悩み〟を打ち明けてみようと思った。


「あぁ聞いてくれ……実は――」



俺はα世界線での鈴羽の事をダルに話した。
そして俺自身が長年感じていた〝悩み〟の事も。


「話は大体聞かせた貰ったお。昔オカリンから色々聞かせて貰った話だよね、それ。
オカリンの言うリーディングシュタイナー(以下、RS)のお陰で、僕も朧げながら覚えてるわけだけど……。」

「……。」


俺はダルの話を黙って聞いていた。
口を挟む事も出来たが、ダルの目が口を挟むなと言っている気がしたからだ。


「オカリンそんな事考えてたのか。α世界線の鈴羽が救われていない、と。」

「そうだ。」

まゆりは救えた。紅莉栖も救えた。
そして、こうして時間が経ってしまったが、鈴羽も誕生してあの時の年齢まで成長した。
色々なラボメン達の苦悩は経てきたが、それでも皆救えたと思っていたこの世界線――

だがずっと心の中で疑問に思っていた事があった――
紅莉栖は再会した時を皮切りに、少しづつだが思い出していった。
ダルは今言った様に朧げながら覚えており。
まゆりは時々あの繰り返した日々を夢として思い出す。他のラボメンもそうだ。


だが鈴羽が――鈴羽だけがあの時の事を、あの夏の出来事を思い出す事は無かった。
いつか思い出すかもしれない。まだ物心もついて無いからわからないだけだ。
そんな風に自分に思い込ませて18年が過ぎた。鈴羽はあの時と同じ年齢になっても欠片も思い出す事は無い。

それでわかった事がある。
別の生まれ方。別の育ち方。そしてそれに伴い別の考え方をもって育った鈴羽は、
けっしてあのα世界線の鈴羽とは同一の存在では無いのだという事に。

ならば俺達のやってきた事は何だったんだろう?
ディストピアも、第三次世界大戦も起こらない平和な世界に、
鈴羽を誕生させる事が出来た筈だったのに……。

俺は――α世界線からβ世界線に飛んだ時、既に鈴羽を殺してしまっていたのだろうか?

「だからずっとこの世界線で暮らさせてやりたいだなんて都合のいい事は言わない!
 一日だけ……一日だけでも〝あの鈴羽〟に平和な世界を見せてやりたい!
 お前のやった事は無駄じゃなかったと教えてやりたい……!」


気が付くと俺は冷静さを失い、声を荒らげていた。
もう止まらなかった。高ぶっていた感情を抑えられない。
自分でもこれから最低な事を言おうとしているのはわかっている。
だがそれでも止まる訳にはいかなかった。俺自身がそれを許さなかった。


「だから――」

「オカリン、落ち着いて。」

「す、すまない……少し熱くなってしまったようだ……。」


俺の言おうとしている事をダルに静止される。
顔のてっぺんまで熱くなった俺に対して、ダルのその冷めた目を見られると。
少し、高ぶっていた感情が抑えられた。


「オカリンの気持ち、わからないでも無いよ。
 α世界線での鈴羽の事はRSで思い出せる出来事の中でも、一番記憶に残ってる。
 だから、あの鈴羽が救われないって思うと胸が張り裂けそうだお。」

「それなら――!」

「でもそれとこれとは話は別。鈴羽は僕にとっても由季にとっても大事な娘なんだ。
 それをオカリンは――お前は!僕たちの鈴羽に――」






「α世界線の記憶を植え付けようだなんて何を考えてるんだお!?」




「……っ。」


激しく怒りのこもったダルの声色に、思わず目を背けてしまう。
わかっている……わかってはいるが……それでもそうしなければならないんだ。


「いくら僕でも堪忍袋の緒が切れたお!オカリン正気!?
 この世界戦の鈴羽にα世界線の記憶を植え付けるって事はさ。
 それは今、僕らの知っている鈴羽じゃない別の鈴羽になるって言う事。」
 
「あぁ、わかっている……。」

「本当にわかってんのかお!!それはつまり
 今の鈴羽を殺してしまうかもしれないって事だぞ!?」


ダルがついにキレた。机を強く殴ったのか、凄まじい音が室内に鳴り響いた。
当然だ、こんな事を頼まれたら友人とはいえ怒り狂うに決まっている。
だがそれでも話をやめるわけにはいかない。


「そんな事くらいわかっている……!俺だってこの世界線の鈴羽の事も大事に思っている!
 だが鈴羽が成長する度、あの時の鈴羽の年齢に近づく度……
 俺は現実を突きつけられる……今の鈴羽と〝彼女〟は違うと……!」

「それがわかっているならどうして……!」

「それでも俺は……俺はあの世界線での鈴羽を救いたい!
 平和になったこの時代を見せてやりたいんだ……!
 頼むダルわかってくれ……一日だけでいい。一日だけで……。」

「一日だけでいいから人の娘の脳を弄らせてくれって?
 ……ふざけんじゃねーお!!!!お前ホントにマッドサイエンティストになっちまったん?
 厨二病は卒業したと思ったら、今度は真性ですか?悪いけど付き合ってらんねーお。」

「待て!待ってくれダル……!」

ダルが行ってしまう。こいつはラボから出ていく気だ。
多分、今ここから出て行ったら。こいつは二度と、俺に鈴羽を会わせ様としてくれないだろう。


「第一、オカリンさ。救う救うって散々っぱら言ってるけど、
本当に救われたいのはオカリンの方じゃないのかお?」

「違う……俺は……っ!」


確かに俺だって少しくらい救われたいと思う心はある。
でもそれ以上に大事なラボの仲間を救いたいと思うこの気持ちは、
そんな、俺自身の小さな想いと比べられる様な次元じゃないんだ。


「そうじゃないんだ……俺はただ……鈴羽を救ってやりたいだけなんだ……。
前の世界線の記憶を持つ俺には、鈴羽を救わなければならない責任があるんだよ……。」

「……これはかなり重症ですね。わかりません。
僕の知らない内に、なんか随分と傲慢になっちまったな、お前。
これは少し頭を冷やしてじっくりと考える時間が必要だと思われ。」

「ダル……?」

「……じゃあ僕は行くお。オカリンはさ、
もうα世界戦での事は忘れて自由に生きてもいいと思うんだ。
落ち着いたらまた連絡くれお。僕達待ってるからさ。」

「ダル……俺は……。」


そういうとダルはラボから出て行ってしまった。
俺はやはり……間違っているのだろうか……。

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体重を掛けて、ラボの階段をのっしのっしと僕は降りていく。
……もうそろ体重落とさなきゃ駄目かな。僕にもいい加減、娘と嫁がいるんだしね。
それにそろそろ体重が減らなくなる年齢だしなぁ……。
そう思って、階段を降りきるとそこには鈴羽が缶コーヒーを飲みながら待っていた。


「あ、父さん。オカリンおじさんとの話は終わった?」

「うん、待たせたね。やっぱりオカリンが言う事だけに
 想像通りの大した事ない下らない話だったお。」

「ふーん……そうなんだ。」


半分は嘘で半分は本当。オカリンの提案は下らないと思ったけど、
僕自身、聞いていて心が傷んだ話なのは事実だ。
α世界線の鈴羽も僕の娘である事に変わりはないしね。


「それじゃあ帰ろうか。」

「うん。」


ラボに背を向けてその場を後にする。
……当面はこのラボに来る事も、オカリンと会う事も暫く無いだろう。
あいつには少し、冷静さを取り戻してもらわないと……。
まゆ氏にでも頼んでみようかな……牧瀬氏は……流石に怒るよな……。


「あれ?どしたん鈴羽ー!」


少し歩いていると、鈴羽が僕の後を歩いていない事に気づいた。
後ろを振り向くと鈴羽はラボの前で立ち尽くし、顔を見上げてラボを見ている。
鈴羽も何か思うところがあるのだろうか?鈴羽には他の世界線の記憶は無いはずだけど。
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「ううん!何でもなーい!今行くー!」


そういうと鈴羽は、こっちに向かって小走りで向かってきた。
その姿は小動物みたいでとっても可愛らしかった。
うーん、我が娘ながらベリーキュートですな!ドゥフフ……。


「ねえ父さん。」


追いついてきた鈴羽が、僕に向かって訪ねてきた。


「ん?何?」

「あたしもオカリンおじさんの力になれないかな?」


鈴羽は鈴羽なりにオカリンの事を心配しているらしい。
あの短い出来事でも案外わかるのだろうか?
これだから女の勘というものは恐ろしい。我が娘ながら背筋が凍る想いだ。


「なれるさ、きっとね……。」


なら僕が我が娘に掛けてやれる言葉は一つだ。
鈴羽が何かしたいって思うなら、させてやりたいのが親心というもの。
それがたとえ、僕にとって心苦しい選択だったとしても。


「うん……ありがとっ。父さん……。」


そういうと鈴羽が僕に向かって抱きついてきた。
む、むほー!大胆不敵!わ、我が娘とはいえこの豊満なボディーは……。
お、お父さんたまらないよ……はぁはぁ……。
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あれから何時間が経過しただろうか……。
俺はいつの間にか床から移動して、ソファーに座っているらしい。
何も考える事が出来ずただ呆然とし、時間だけが過ぎていく。

――俺は何をやっているのだろう……
ダルがラボを離れて、俺の悩みを拒絶されて……。
やはり俺は間違っていたのか?今の鈴羽の事を考えると実行すべきでは無いのか……?


そうやって自己嫌悪に陥っていると、俺の懐から軽快なメロディが流れ出した。
……電話?誰からだろう?とスマホの着信画面を見る。


「鈴羽からだ……あいつ、何で……。」


鈴羽はあの話をしている時、ラボに居なかった。
やはり、話にいれてやらなかった事を怒っているのだろうか?
なんにせよ出ない訳にもいかない。俺はスマホの通話ボタンを押した。

「もしもし……。」

「あ、オカリンおじさん?
 出てくれたんだ!正直出ないかと思った!」


やはりいつもの鈴羽だ。
明るくて元気でダルの娘とは思えない程可愛くて……。
声を聞くとやはり別の彼女の事を思い浮かべてしまう。
そんな事、この鈴羽にとっても失礼だとわかっているのに。


「オカリンおじさんさー……ちゃんと聞いてる?」

「あぁ、すまんすまん。聞いてなかった。」

「もー……。」

考え事をしていた所為で、鈴羽の話を聞いていなかったからか。
鈴羽の声色から怒りを感じられた。
電話越しで、頬を膨らませて不貞腐れた姿を想像する。
なんだかハムスターみたいで可愛いなと思った。

「あのさ。話っていうのは……
 ……実はあたし、オカリンおじさんと父さんの話、聞いちゃってたんだ。」

「……!?な、何ぃ!?」


電話越しとはいえ、つい驚いて大声をあげてしまう。
思わず驚きすぎてソファーから転げ落ちてしまうくらいに。


「わぁ!?ビックリするなぁもう……。」

「す、すまん……だがビックリしたのはこっちの方だ。
 ……聞いていたのか?あの話を……。」


まさか盗み聞きされているとは……いや、好奇心の強い鈴羽の事だ。
自分がハブられたと思ったら、より俺達の話を聞いてやろうという風になる筈……。
外に飲み物を買いに行くフリをしてずっと、玄関先にいたのだろう。


「うん……オカリンおじさんの言う様に、
 α世界線の私の事については実感が無いけど……。
 父さんが昔、話してくれた別の世界線の話だったからね。少しは理解出来た。」

「そ、それで……お前はどうして俺に電話してきた……?」


鈴羽もきっと話を全部聞いていたなら、あの提案についても聞いた筈。
ならば電話を掛けてきた理由なんて限られるだろう?
俺の非道な提案に対して罵倒の言葉を浴びせるか。もしくは――


「オカリンおじさんが望むなら、私は協力してもいい。」

「鈴羽……。
 ……ダルや由季さんにはこの事を?」


ダルには既に断られている。たとえ鈴羽が了承してくれたとしても、
ダルと由季さんの事を考えると踏ん切りがつかなかった。


「父さん?父さんと母さんは関係ないよ。
 これはあたしがしたいと思った事だから。」

「関係ないわけあるか……わかっているとは思うが、
 お前の身体はお前だけのものじゃないんだぞ……。」

「……わかってるよ。確かに母さんには言ってない、
 どうあっても了承してくれそうには無いからね。けど……。」

「けど……?」

「父さんは、薄々……だけど勘付いてたと思う。
 それでいて、あたしがやろうとしてる事に対して後押ししてくれた。」

「ダルが……。」


あのダルが……?信じられない……あいつは本気で怒っていたはず。
だから絶対に協力を得られないと思っていたのにどうして……?


「……オカリンおじさんに対して、父さんが何を言ったのかはよくわからなかったけどさ。
 あたしが本気で何かをしたいって思った時には、いつだって後押ししてくれてた。
 たとえ父さん自身が反対していたとしても、その気持ちを飲み込むんだあの人は。」

「………。」

「それと同時に、きっと父さんはオカリンおじさんの事も助けてあげたいとも思ってるはずだよ。
 こんな方法は間違っているって思っているだろうし、
 あたしに万が一があったらって考えるから、絶対に口には出さないだろうけど。」

「……ダルの話はわかった。
 だがお前は本当にいいのか?もし失敗したら――」」


失敗したら一日だけで無くそれ以降も、α世界戦の鈴羽のままかもしれない。
そう続けてはとてもじゃないが言えなかった。


「くどいよ。男に二言は無いって言うでしょ?
 女に二度も言わせ様とするなんてサイッテー!しっかりしてよね岡部倫太郎!」

「……!?」


激励の為か、俺の名前を鈴羽はフルネームで言った。
どうにも〝彼女〟の姿とダブって見えて――いや電話なのだから聞こえてか。
そのお陰か俺の中の倫理観という、最後の一線は吹き飛んだ。


「……わかった、頼む。
 俺に鈴羽を……あの世界線の鈴羽を救わせるチャンスをもう一度くれ!」

「……別の世界線のあたし、か。この年齢になってもずっと覚えているなんて、
 オカリンおじさんにとってよっぽど大きな存在だったんだね……
 ちょっと妬いちゃうな。」


鈴羽は何を勘違いしているのだろうか……。
俺とあいつはそんな関係では無いぞ断じて!
ただ……ラボメンの仲間だからな……大事な事に変わりはない。

「さて……そうと決まればあいつに連絡しなくてはな……。
 あいつの協力なくては高性能なガジェットは作れん……。」


もしも俺が粗雑品を造ってしまった所為で、
失敗して鈴羽が犠牲になるなんて事になったら目も当てられない。

記憶や脳に関してはあいつは専門家だ。
きっと望み通りの出来に仕上げてくれるだろう。
俺は恥を忍んで、何年も連絡を入れてないあいつの番号に連絡を入れた。


「俺だ。ついにお前の出番が回ってきたようだぞ。
 機関からの妨害にも耐え、最終作戦ラグナロックが――
 あぁ!すまんかった!久しぶりに電話して恥ずかしかったんだ!!
 つい出来心なんだ!頼むから切らないでくれええええええええ!!」

「オカリンオジさん……さっきまであんなに格好つけてたのに……。」

本日の投下は以上です。
一応終盤までの展開は書き溜めしてあるのですが、肝心の終盤がまだまとまらないので
書き溜めに追い付かない様、スローペースで投下していきます。

「さて、本日が作戦決行日だが……
 ちゃんとあいつは来てくれてるだろうか……。」


あれから数週間の時が経過した。とても長い数週間だったが、
これまでの苦しみに溢れた18年間に比べればマシだと思い、飲み込んだ。
そして今日はあいつが、アメリカから日本に来ている日。
時間通りならもうラボに――この扉の向こう側にいる筈だ。


「………。」


ドアノブに手をかけ、いざラボに入ろうとしようとする俺の手が止まった。
この作戦の目的の為とはいえ、彼女と再会するのは些か勇気がいる。
何せ彼女とは数年も会っていないのだ。それも機会が無かったとかそんな理由じゃなく。
意識して会わずに、もっと言えば避けていた。だからあわせる顔が無い……。


「何?今更怖気づいたわけ?
 オカリンオジさんの決意ってその程度だったんだ。ふーん……」


鈴羽が細目でこちらを睨みつけてくる。鈴羽が怒るのも無理は無い。
何せ自身の命が掛かった実験をこれからするという決意を、自分は固めてきたというのに。
目の前の俺が彼女に会いたくないという理由だけで、物怖じしてたらいい気分はしないだろう。


「昔の女に会うのが怖いんだ。このチキン。」


口が過ぎるぞ鈴羽。第一、なんだ昔の女とは。
俺とあいつはそういう関係じゃないぞ。多分違ったと……思うぞ……?


「そんな訳ないだろう……入るぞ。」


自分でも何だかよくわからなくなってきた。
俺は混乱した思考を頭から振り払うと、意を決してドアを開けた――

「ハロー岡部倫太郎、久しぶりね。最後に会ったのはいつだったかしら?
 それとも……あの頃みたいに鳳凰院凶真と言う呼び方の方がお好み?」

「―――。」


そこには彼女が、俺が昔救った一人の女が――牧瀬紅莉栖がそこにいた。
もう彼女も43歳なるが、それでもあの頃と変わり無い。
美少女――とは流石にもう言える年齢じゃないが、それでも美しい姿だった。


「久しぶりだな紅莉栖。まさか本当に来てくれるとは思わなかったよ。
 それと、この年齢になって鳳凰院は勘弁してくれ……俺だって流石に卒業している。」

「あらそう。それはごめんなさい。まぁ何はともあれ、
 岡部が珍しく久しぶりに頼みこんできたんだもの。
 そりゃあ私としても、こっちに戻るのもやぶさかじゃないし?」

「……いや、本当の事言うとね。会うつもりは無かったの。
 だって岡部、私とまゆりの事避けてたでしょ?」

「………。」


確かに事実、まゆりと紅莉栖の事は避けていた。
自分でも身勝手な理由だとは思うのだが、彼女達の命を救う事が出来たと思う反面。

それと同時に彼女達と会って会話をする度に、
救う事の出来なかった鈴羽という存在を、どうしても意識してしまうからだ。


「まぁそのお陰か、向こうで色々と研究が捗ったのは事実だけどね。
 ただ研究ばかりで過ごしてきたせいか、
 人生のパートナーが見つからないのだけは困りものなのよねー……。」


ズキリ、と心を抉られる。
俺は知っているからだ。彼女達二人の俺への想いを……
俺はその想いに対して、無視を決め込む事で踏みにじったのだ。


「すまない……。」

「何謝ってんのよ?
 もしかして私があんたの事を好きだとでも思った?自意識過剰乙!」


この年齢になっても@ちゃんねらーである事には変わりないんだな……。
どうやら厨二病を卒業して、変わってしまったのは俺だけらしい。
内面では寧ろ昔のまま取り残されてしまったというのに、外面だけ変わってしまったというのは皮肉な話だ。

「それで、やるんでしょ?実験。」

「あぁ、そのつもりだ。もう機材は揃っているのか?」

「当然。岡部に連絡を貰ってから、何週間経ったと思ってるのよ。
 ほらこれ。一応基本は完成してるから、後は岡部の記憶を元に調整するだけ。」


そういうと紅莉栖は肩に背負ったショルダーバッグからあるものを取り出す。
それはまるでヘッドホンの形をしている様に見えた。


「まるで、と言うか。まんまヘッドホンでは無いか。
 もっとこう……他に無かったのか?未来ガジェットらしいものは……。」

「形なんて何だっていいでしょうが。
 それにこれは敢えて〝あのガジェット〟を模倣して造ったのよ。
 あの時使った仕組みが、今回の実験で応用出来そうだったから。」


「タイムリープマシン、か。」


タイムリープマシン――こいつのお陰でまゆりの死を一度は回避し、
ラボメン達に助けられ、結果的に言えばこのSG世界線に辿り着く事が出来た。
だが元を正せば、こいつと電話レンジ(仮)があんな事になった元凶とも言える。
そんな因果なマシンを似せて作るとは紅莉栖も性格が悪い。


「それで?これは一体どうやって使うんだ。」


実験を始める前に一応仕組みを聞いておきたい。
頼んでおいて何だが、細かい仕組みは実はよく知らないのだ。
紅莉栖の事だから大丈夫だとは思うが、万が一危険な代物なら
実験の中止も視野に入れなければならない。

「うーん……詳しい説明をすると長くなるんだけど――」

「すまん……出来るだけ簡潔に頼む。」


俺は恥を承知でそう答える。何しろ脳科学者の、
それでいてその分野の中でも特に選りすぐりの天才が、この牧瀬紅莉栖だ。
もしも専門用語で細かい説明をされてはこちらが持たない。


「仕方ないわね……。」


紅莉栖は呆れ顔で俺を一瞥すると、
一呼吸置いてから今回の実験の説明を始めた。


「今回のこのガジェット……じゃ言いづらいわね。
 仮に、メモリアリープマシンとしましょう。このメモリアリープマシンは、
 名前の通りその仕組みが、タイムリープマシンととても似ているの。」

「ふむ……。」


メモリアリープマシン――直訳すると記憶跳躍装置となる訳だが。
語呂合わせにしてもちょっと意味が通らない。
いくらなんでも無理があるのでは無いだろうか?
紅莉栖のネーミングセンスの無さに、つい苦笑いしてしまう。


「……何よその目は!
 ほ、他に良い名前が思いつかなかったんだからしょうがないでしょ!
 人が説明してる所に水差すなぁ!……とにかく。」


恥かしさからか、紅莉栖は顔面を紅潮させ目を反らす。
しかし一つ咳払いをした後。その表情はまた真剣なものに戻り、紅莉栖は話を続けた。

「仕組みとしては単純よ。海馬に蓄積された記憶を数値に変換し、
 その変換された電気信号を対象者の脳に送り込む事で、その記憶を思い出させる。
 ここまではどちらのガジェットも仕組みとしては同じね。」

「例えばこれがタイムリープマシンの場合。
 送られる記憶データは対象者本人の記憶であり、送信先は過去の対象者である。
 過去の自分に現在の自分の記憶を上書きする事で、擬似的に時間逆行を可能にした。」

「そしてこれがメモリアリープマシンの場合。
 記憶の送信先は対象者自身なのだけど、送信される記憶は対象者本人の物では無い。
 当然ね。対象者の本来知りえない記憶を思い出させようというのが、
 このマシンの目的なのだから。」 

「存在し得ない記憶をどうやって用意するかと言うと、
 私は、元となる記憶データを人工的に造り出して代用する事にした。」

「ただ脳波を数値として解析する事が出来ると言っても、それにも限度がある。
 人間の記憶を一から造るなんて芸当、いくら私でも不可能。
 もしも実行するとなると、膨大な量のプログラムが必要になってしまう。」

「だから一から記憶を造り出すのでは無く、
 鈴羽の知らない記憶――α世界線での記憶を持つ者の記憶を土台にして、
 本来存在し得ない、α世界線の記憶データを擬似的に造り出す事にした。」

「つまり岡部、リーディング・シュタイナーを持っていて
 他の世界線の記憶を色濃く覚えているあんたの記憶が、
 〝α世界線の鈴羽の記憶〟のベースとして最適なのよ。」

「……とまぁ、長々と説明させて貰ったけど。簡単に言ってしまえば
 岡部の記憶からα世界線の鈴羽の記憶を再生するって言う話ね。
 メモリアリープマシンの説明としては大体納得して貰えたかしら?
 そうと決まれば、そろそろ実験準備に取り掛かりましょう。」

紅莉栖は説明しきったという表情で実験の準備を始めようとしていた。
ラボのPCにメモリアループマシンのヘッドフォン部分を接続する。
だが俺は、未だ納得出来ない部分があるので反論した。


「いやいやいやいや!待て待て待て!確かに理屈は理解した。理解したが、だ。
 そう都合良く記憶が定着するのか?本人の記憶じゃなく他人の記憶を元にしたなら、
 拒絶反応くらい起こりそうなものだが。」

「まぁ岡部の記憶丸々上書きするというなら話は変わってくるけど、
 あくまでこの世界線の鈴羽の記憶をベースにして、
 α世界線の記憶を補完させる程度だから問題無いと思う。」

「そういうもの……なのか?」


俺は脳科学者という訳では無いので、細かい理屈はわからない。
そんな無知な俺には、紅莉栖の説明はもっともらしく聞こえるのだが、
本当にそんな都合良くいくものなのだろうか?
俺が半信半疑の表情で見ていると紅莉栖がすかさず補足した。


「それに人間の脳って物は案外いい加減なもので、記憶に穴があったり不自然な所があると、
 無理にでも足りない部分があれば、それを想像や妄想で補完しようとするもの。
 まぁ要するに最終的に試してみなければ結局、良いか悪いかなんてわからないのよ。」
――――――――――――――――――――――――――――
―――――――――――――――――――――
――――――――――――――――
――――――――――
――――――
――

「……よし。これでOK、と。
 調整は整ったわ。これでいつでも実験を開始出来る。」


そういうと紅莉栖は、パソコンでの調整が終わったのか。
先程まで叩いていたキーボードから手を離し、こちらに振り向いた。
どうやら一応は俺の記憶から、α世界線の鈴羽の記憶データは造れたらしい。


「それじゃあ実験を始める前に岡部には改めて言っておくわね。
 このマシンで創り出されるα世界線の鈴羽――阿万音さんは、
 岡部の記憶を元として新たに生み出された阿万音さんであって、明確には本人では無い。」

「だから場合によっては、本物の阿万音さんには有るべき筈の記憶が
 無い事に気づいて。それが原因で自己の崩壊に繋がるかもしれない。」

「わかっている……。」


これから自分が、どれだけ危険な事をしようとしているかは充分に理解している。
もしかしたら自己の崩壊によって、鈴羽の精神が壊れてしまうかもしれないのだ。
この世界線の鈴羽の為にも、そんな事態だけは避けなければならない。


「そしてあんたの提案通り、阿万音さんは今日一日を終えると元の鈴羽に戻ってしまう。
 これもいいわね?わかってるとは思うけど、これはとても残酷な事。」

「これは鈴羽の為の措置だとは思うけど、阿万音さんからしてみれば
 希望をちらつかせておいて、一気に絶望を叩きつけられる様なものよ。」

「……っ。」


わかってはいたものの。やはり紅莉栖に事の本質を突かれると。
少し、怖気づいてしまう。だが心は既に決まっている――


「それも全て俺は受け入れる……。
 俺はこの日まで、鈴羽が生まれてこの18年の間、
 苦しみ抜いて出した結論だ。変えるつもりは無い。」

「……そう、わかった。あんたの決意がそこまで固いというのなら、
 私はもう止めない。……でも一つだけ聞いてもいいかしら?
 あんたは阿万音さんを救わなきゃって思ってるのよね。」

「だからそう言ってるだろう……他に理由がいるのか?」

「……別に。ただちょっとあんたのキャラじゃないと思っただけよ。」


紅莉栖は何を言いたかったのだろうか、俺はラボメンの事を大事に思っている。
そのラボメンの事を救いたいと思うのは当然じゃないか。


「……まぁいいわ、これに関しては岡部の問題だし。
それと、鈴羽もこの事については同意済みって事でいいのかしら?」

「紅莉姉さん……うん、私はそれで構わない。それにもう決めた事だから、今更退かないよ。」

「そう……今から岡部がやろうとしてる事は、
 あなたの姿を借りて他の女に会おうって割と最低な行為なんだけど、
 あなたは本当にそれでも構わないっていうのね?」


紅莉栖……こいつは一体何を勘違いしてるんだ……?
俺にとって鈴羽が友人の娘であるように、鈴羽にとっても俺は彼女の父親の友人でしかない。
確かに俺は鈴羽の事を大切に思っているが、それはあくまで子を見る親の気持ちの様なもの。
鈴羽も俺の事を慕ってくれてはいるが、きっとそれは俺と似たような感情だろう。

それをこの女は何を邪推しているのか‥…。
やはりこの年齢になっても恋愛脳のスイーツ(笑)っぷりは変わらないな……。
そんなんだからいい年齢して独身なんだ貴様は!


「うん……だってそうしないと、オカリンおじさんは前に進めそうに無いから……。
 それにあたしだってこのままは嫌だよ。
 オカリンおじさんには今のあたしを、ありのままで見てもらいたい……。」

「わかった。それだけ意思が固いならもう私から言う事は何も無い。
 それじゃあ今度こそ実験を始めましょうか。
 ……これでとうとう私も、マッドサイエンティストの仲間入りね……。」

実験を始める為、鈴羽の頭には
ヘッドホン――メモリアルループマシンの受信装置が
取り付けられ、パソコンの前にに座らされている。
これで後はパソコンのデスクトップ上にある実行ボタンを押すだけだ。


「―――。」


俺は自身の決意を高めるため、深く息を吸い込み。
精神を集中させ、高らかに宣言をした――


「これより作戦名――オペレーションウルドを開始する!」


俺はエンターキーを叩いて、プログラムの実行を選択する。
オペレーションウルド――過去を司る女神作戦。
過去をもう一度、という名目で付けたが、まさかこの作戦名をこんな場面で再び使う事になるとは。

――プログラムが何やら数値を刻み動き出す。
これでもう正真正銘、後戻りはできなくなった……。


「オカリンおじさん。」

「うん?どうした。」


プログラム実行までの僅かな時間、鈴羽に声をかけられる。
その表情からは一抹の寂しさが感じられた。


「これが終わったらさ……本当の私を見てね。αでもβでも無い今の私を――」


鈴羽の手が小刻みに震えていた。
やはり危険の伴う実験、鈴羽のような普通の少女が恐怖を感じないはずが無いのだ。
俺は彼女の細く綺麗な手を握ると、安心させてやりたくて一言呟いた。


「――ああ勿論だ。」


そうだ。俺はこれが終わった後の事も考えなければならない。
過去を清算し、未来に生きなければならないのだ。

「――!」


パソコンに接続されている受信装置からの電波を脳が受け取ったのか。
鈴羽の体がビクリと跳ねた。その感覚が気持ち悪いのか、鈴羽の表情は苦痛に歪んでいる。


「あ……あっ!あぁ――っ!!」


鈴羽の瞳は焦点を失い、激しくあらぬ方向を泳いでいる。
そしてやがてその苦しみに耐えられなくなったのか。
その痛々しさに耳を塞ぎたくなる程に大きな悲鳴をあげて、
鈴羽は自身の座っている椅子から崩れ落ちた。


「――鈴羽!!」


慌てて鈴羽の元に駆け寄り、体を抱き起こす。
――息はしている。死んでしまった訳ではない。
だが事態は深刻だ……。鈴羽の表情からは苦悶の色は消えたが、
代わりに意識を失ってしまっている。


「鈴羽!鈴羽……!!おいしっかりしろ!!
頼むから目を覚ましてくれ!お前にもし万が一でもあっては俺は……俺は……。」


――最悪な展開が頭に浮かんだ。
鈴羽がこのまま目を覚まさなかったら……。
肉体としては死んでいなくとも、その精神が死んでしまったとしたら……?
もしもそうなったらダルや由季さんに申し訳が立たない。
それに俺自身、そんな結末にだけはなって欲しくなかった。


「……んっ。ここ、は……。」


俺の必死な呼びかけか。
それとも鈴羽自身の意思が強かったのか。鈴羽が目を覚ましてくれた。

よかった――自分が引き起こした事ながら、俺は身勝手にも安堵する。

「あれ……岡部倫太郎じゃん。どうしたの?そんな顔して。
 まるで一週間ロクに食料にありつけなかった野良犬が、
 やっと餌にありつけたみたいな顔してる。顔がくしゃくしゃだよ?」

「というかか何であたし、君に抱き抱えられてるわけ?
 状況がよく読み込めないんだけど……。」


岡部倫太郎――
今コイツは紛れもなく俺の事をごく自然にフルネームでそう呼んだ。
しかも口調もあの夏の時のままだ。つまり今のこいつは――


「鈴羽……鈴羽……!!」


気が付くと俺は鈴羽を抱きしめていた。
この場には俺達以外に紅莉栖もいて俺達の事を見ているのだが、
そんな事はもう頭に無く、俺は恥も外聞も無く強く抱きしめる。


「わわっ!?ちょっと……!?お、岡部倫太郎!?
 いきなり抱きつくなんて大胆だなー……。強く抱きしめ過ぎだって!苦しいよ!
 ……ってあれ?どうして泣いてるの?」

「あぁすまん……つい。」


……俺は泣いているのか?鈴羽の体から手をそっと放し、確かめる。
指で頬をなぞってみると、目から熱いものが溢れていた。


「ホンっと君は泣き虫だなぁ。あたし何か泣かすような事したっけ?」


俺から放れた鈴羽は、起き上がり立ち上がった。
鈴羽はとぼけた様に悪戯っぽく笑っている。やはりその姿は昔のままだ。
ダルも紅莉栖も鈴羽も昔のまま……か。
ならば折角だ、この機会に俺もちょっと昔に戻ってみるか――

「……フゥーッハッハッハ!よくぞ帰ったなバイト戦士よ!
 わけもわからず困惑しているだろうから、教えておいてやろう。
 お前がタイムマシンに乗ってから色々あってな――」


俺は鈴羽に、鈴羽がタイムマシンに乗った以降の事を話して聞かせた。
β世界線に行ってまゆりの死を回避し、SERNのディストピアを回避した事。
そしてSG世界線に到達した事、紅莉栖を救った事も。
鈴羽自身の事に関しては。RSの発動によりα世界線の事を思い出した、と言う事にした。


「あら?厨二病は卒業したんじゃなかったかしら?」


紅莉栖が横から茶々を入れてくるが、それは無視した。
何故かニヤニヤと気持ちの悪い笑みをしているが気にしない。


「え、ええー!?あれからに、25年後!?そんなのあ、あたし聞いてないよ!?
 しかもこの体はSG世界線……だっけ?のあたしの体だなんて……。
 というかRSって、岡部倫太郎特有のものじゃなかったの?」


RSが発動した。という事に関しては完全に嘘なのだが、
俺には鈴羽にお前は今日一日で消える、
α世界線の鈴羽の記憶を持った別人――とはとても言えなかった。


「いや、確かに俺はRSの能力が人よりも強く、前の世界線の記憶を完全に覚えている事が出来る。
だが、RSは人々の誰もが大なり小なり持っているものだ。
完全には覚えていなくとも、夢やデジャブなどの様な感覚で常日頃感じている。」

「そこにいる紅莉栖だってリーディング・シュタイナーがあるから、
 少しづつではあるが、あの世界線での記憶を思い出していったんだ。」


紅莉栖が黙って頷く。


「そうだったんだ……それなら納得。それじゃあやっぱりここは?」

「現在時間は西暦2036年――
 だが未だにSERNによるディストピアは起こっていない。
 お前の望む平和な世界が実現したんだ。」

「そっか……本当に今は、あたしが元居た西暦2036年と同じ時代なんだね……。
 通りで二人とも老けてる訳だ。あたしは最初、余りのショックで
 岡部倫太郎と牧瀬紅莉栖が一気に老け込んだのかと思ったよ。」


そんな訳あるか。こいつにはあの頃の俺が、
そこまで心労で老け込む程に神経質な奴に見えてたのか?


「でもこれからどうしよっかな~……。
 今のこの時代はSERNによるディストピアも誕生してない訳でしょ?
 平和になったのはいいけど、何だか一気に目的を失っちゃった。」


鈴羽は嬉しそうで、それでいてどことなく切なげな表情をしていた。
                 タイムトラベラー
運命に逆らい、自身の使命を果たした時の反逆者――
                          タイムトラベラー
そして元々あった居場所は〝無かった事〟になり失った、時の漂流者――


その存在理由を無くしたこの鈴羽が、何故だか消えてしまいそうに感じて――


「え?ちょっ……岡部倫太郎……?」


気が付くと俺は鈴羽の手を握っていた。
鈴羽はどう反応していいかわからないのか、どぎまぎしている。
気のせいかその頬は少し紅潮していた気がした。


「……なあ鈴羽。少し外歩かないか?
 俺が案内するよ。お前に平和になった世界を見せたいんだ。」


鈴羽に手を貸してやりたいと思った。彼女の心の支えになりたかった。
だから俺は――鈴羽の手を強く握りしめる。

「そっか……本当に今は、あたしが元居た西暦2036年と同じ時代なんだね……。
 通りで二人とも老けてる訳だ。あたしは最初、余りのショックで
 岡部倫太郎と牧瀬紅莉栖が一気に老け込んだのかと思ったよ。」


そんな訳あるか。こいつにはあの頃の俺が、
そこまで心労で老け込む程に神経質な奴に見えてたのか?


「でもこれからどうしよっかな~……。
 今のこの時代はSERNによるディストピアも誕生してない訳でしょ?
 平和になったのはいいけど、何だか一気に目的を失っちゃった。」


鈴羽は嬉しそうで、それでいてどことなく切なげな表情をしていた。
運命に逆らい、自身の使命を果たした時の反逆者(タイムトラベラー)――
そして元々あった居場所は〝無かった事〟になり失った、時の漂流者(タイムトラベラー)――

その存在理由を無くしたこの鈴羽が、何故だか消えてしまいそうに感じて――


「え?ちょっ……岡部倫太郎……?」


気が付くと俺は鈴羽の手を握っていた。
鈴羽はどう反応していいかわからないのか、どぎまぎしている。
気のせいかその頬は少し紅潮していた気がした。


「……なあ鈴羽。少し外歩かないか?
 俺が案内するよ。お前に平和になった世界を見せたいんだ。」


鈴羽に手を貸してやりたいと思った。彼女の心の支えになりたかった。
だから俺は――鈴羽の手を強く握りしめる。

「え?うん…………そうだね、お願いするよ。案内して?」


鈴羽は少し考え込むと、俺の手を握り返した。
俺はそれを確かめると紅莉栖に向き直り言った。


「少し外を歩いてくる。少し遅くなるかもしれないから――」


『今日はここでお別れだ』と、
謝罪の言葉を続けようとすると紅莉栖の言葉で遮られた。


「わかってる。私の事はいいから、今日は阿万音さんに付き合ってあげなさい。
 私も久しぶりに色々見て回りたかった所だし、気にすんな。」

「……呼び出しておいてすまないな、それじゃあ行ってくる。」

「えぇ、いってらっしゃい。」


紅莉栖に見送られ、俺達はラボを後にする。去り際の紅莉栖は優しい微笑みを浮かべていた。
少しくらい俺の身勝手な行動に怒ってもいいだろうに。
と少し申し訳なく思いつつも、その気遣いがありがたかった。
――――――――――――――――――――――――――――
―――――――――――――――――――――
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――――――――――
――――――
――

「うわ~!本当に平和な世の中になったんだー!
 SERNの刺客も街を徘徊してないし、至る所に仕掛けられた監視カメラもどこにも無いやー!」


鈴羽がラボから飛び出したかと思うと、そこら一帯を小走りで走り廻る。
嬉しいのはわかるがもう少し落ち着こう、な?
今のお前を他人が見たら、確実に変な人だと思われるぞ……。


「どうしたのー!岡部倫太郎もこっち来なよー!あはは!」


全く……今のお前は18歳の現役女子高生かもしれんが、
俺はもう40過ぎたおっさんなんだぞ……もう少し年寄りを労わってくれ。


「―――。」


――だが、鈴羽が心の底から嬉しそうなのは何よりだ。
あの夏の時も、俺達と過した日々を何だかんだ楽しんでくれていたとは思うが。
ここまで全てから解放されたかの様な、自由な笑顔を見せる事は無かった。


「はしゃぎ過ぎだ!中学生かお前は!まったく……。
 ……はしゃぐのもいいが、はしゃぎ過ぎない様にな?
 他にも色々なところを見せないんだ。こんな所で息切れしてもらっては困る。」

「えぇ~?あたしはこんな事で息切れしたりしないよー。
 岡部倫太郎みたいにおじさんじゃないんだからさ。あたしは戦士だからだいじょーぶ!」

「お前な……。」


鈴羽の天真爛漫な微笑ましさと、
あまりの言動の失礼さに思わず苦笑してしまう。

鈴羽は一つ深呼吸をすると、俺へと向き直って言った。


「さてっと……一通り平和な空気も感じたとこだし、そろそろ行こっか」

「鈴羽はどこか行きたい場所はあるか?」

「え?あたし?うーん……そうだなー――」

「しかし鈴羽よ……。」

「うん?ふぁにぃ?」


チョコレートパフェを口いっぱいに頬張った鈴羽が返事をする。
夢中で食べているからか、口元はチョコレートソースまみれだ。


「……むぅ。ほら拭いてやる。」


本題を切り出したかったのだが。これは流石に気になったので、
適当に店に置いてあるナプキンを手に取って、口元を拭ぐってやる。


「えへへ……ありがとっ。」


口元も綺麗になってすっかりさっぱりした鈴羽が、屈託のない笑みを浮かべて礼を言う。
子供っぽいこの行動は、ある種精神的な幼さを感じるのだが、
鈴羽が行うと何故だか嫌味が無く、とても可愛らしく思えた。

――むっ、何故だか少しときめいたぞ……。
いかんいかん……このままではいけない扉を開いてしまいそうだ。
俺は兼ねてからこの場所に来てから、切り出したかった本題を切り出した。


「なあ鈴羽思うんだが……いきなり、この2036年ツアー最初の場所が、
メイクイーンというのはどうなのだ……?」


俺達はあの頃フェイリスがオーナーをしていたメイド喫茶――メイクイーン+ニャン2に来店していた。

メイクイーンと言っても、あの頃とは客層も従業員であるメイドも変わってしまっている。
フェイリスは未だに裏方として活躍しているようだが、あの頃働いていた人間はもう店内にはいない。

「だってあの2009年の秋葉原で知ってる場所なんてたかが知れてるしー。
 あたしが居た2036年の秋葉原とも全然違うんだもーん!」

「そ・れ・に~……あの頃はここに来る事は無かったんだけど、
 実は一度来てみたかったんだよねー。」

「………。」


そう言えば鈴羽をメイクイーンに連れて行ってやった事は無かったな……。
思えば鈴羽とは俺が個人で会う事は会っても、
ラボメン総出で集まる事は少なかった様な……。
何故だかあの時の俺の、気の利かなさに少し申し訳がなくなった。


「ほらー!また暗い顔してるー!
駄目だよ?この年齢でそんな辛気臭い顔ばっかしてちゃ!
ストレスでいつ倒れても知らないよ~?そんな辛気臭い顔には……こうだ!」

「あむっ!?……甘い。」


怒った鈴羽は何を血迷ったのか、
チョコレートパフェの中身を掬ったスプーンを口に突っ込んできた。
口いっぱいにチョコレートソースのほろ苦い甘さと、バニラアイスの優しい甘みが広がる。
――しかしこれ……関節キスなのでは?どうしてもそれを意識してしまう。


「どう?美味しい?」


そして鈴羽は恥ずかしげもなく、そう聞いてきた。
この表情からするとこいつ、そんな事欠片も考えてないんだろうな……。
何だか40代にもなって童貞丸出しの思考回路が恥ずかしくなる。


「あ、あぁ……美味いぞ。うん――。」


本当は味なんてわからなかった。
甘味だけは感じたが、俺の思考回路は別の事で頭がいっぱいだ。


「そう……よかった。」

「―――。」


本当に嬉しそうな鈴羽の表情を見ていると、
何故だかさっきまでの恥ずかしいと感じていた気持ちも、どうでもよく思えてくる。
この幸せな時間がいつまでも続けばいいのに――

投下終了

「あー楽しかった!
 メイクイーンがこんなに楽しいなら、昔も遊びにくればよかったなー。」


俺の横を歩いている鈴羽が、身体を伸ばして嬉しさを表現する。
だがどうやらあの頃に来れなかった事に対して、悔いが残っているらしく
何やらぼやいて少し残念そうにため息を吐いた。


「いくら楽しかったからってパフェ三杯にオムライスは食い過ぎだ。
 いくら若いからってそんなに食ったら太るぞ?」

「あたしはその分、運動するからいいんだもーんっ。」

「ははは……、……。」


さて、小休止も終わった事だし。
他にもこいつに見せたい場所はまだ残っている。
時間も押しているからそろそろ次の場所へ行く提案をしなくては。


「――なあ、折角だから。天王寺さんのところに寄って行かないか?
 あの人は鈴羽にとっても色々と馴染み深いし、挨拶に行くべきだと思う。」

「テン・ノ・ウジさん?」


鈴羽が惚けた顔をする。しかしふざけていってる訳では無さそうだ。
もしかしてこいつ本当に覚えてないのか?


「お前覚えてないのか?
 俺があの頃ミスターブラウンと呼び、お前がバイトをしていた――」

「あぁ!店長か!そんな名前だったっけ?」

「おいおい酷いな……バイトなら店長の苗字くらい覚えておいてやれよ。」


鈴羽の記憶力の無さについ苦笑いしてしまう。
そう言えば『店長』としか呼んでなかったなこいつ……。

そんな事を考えつつ、俺達は電車で天王寺さんの宅へと向かう為秋葉原駅に向かった。

「店長が居る所ってここ?ブラウン管工房じゃないの?」


俺達は電車に乗って秋葉原からここ――天王寺さんが住む本宅にやってきた。


「あくまであそこは天王寺さんの店ってだけだからな。
 ここが天王寺さんと綯の住んでいた本宅だ。」


俺は鈴羽にそう言うと、インターホンのボタンを押した。
軽快な電子音が鳴り響き、スピーカーごしから野太い男の声が出た。


「お。岡部じゃねえか!珍しいじゃねえかお前が家に用だなんてよ。」

「少し時間を取らせて貰ってもいいですか?」

「おう、あがんな!あがんな!茶ぐらいしか出せねえが歓迎するぜ。」


そう言うと天王寺さんは、インターホンを切った。
玄関ごしから、どたどたと大きな足音が聞こえてくる。
その足音が玄関前まで来た時には止まり、玄関の扉が開けられた。


「よお、久しぶりだな岡部。しばらく会ってない内に随分老けたじゃねぇか。」

「それはお互い様ですよ天王寺さん。」


彼こそはミスターブラウンこと、天王寺裕吾氏だ。
少ししわも増え、その立派な髭も白髪混じりだが。
この年齢になってもその巨体っぷりは相変わらずだ。


「立ち話も何だし、まあ上がれや。
 さっきも言ったように茶ぐらいはご馳走するからよ。」


天王寺さんの言葉に甘えて、俺達は天王寺さんの家にお邪魔した。

「で、そっちの嬢ちゃんは?」

「ダルの娘の鈴羽ですよ。」

「ああ……!あの鈴羽ちゃんか!あの頃はよく綯と遊んでたなぁ……。
 しかしまぁ、何というかでかくなったもんだ。色々と。」


どこ見てんだ。このおっさん……。
相手は自分の娘よりも年下の女子高生だぞ……。


「も~店長それちょっとセクハラだよ~?」

「は?店長……?……おい岡部ぇ~?
 お前もしかしてまーた俺に変なあだ名つけてんじゃねぇだろうな……。」


天王寺さんは最初、何だかわからないという風に唖然としていたが。
直ぐに俺を睨みつけるとそう言った。


「ち、違いますよ。」


天王寺さんが店長と呼ばれて訳が分からないのは当然だ。
なにせ、この世界線の天王寺さんは鈴羽と面識が無いのだから。


「ほ、ほら!一時期、萌郁をバイトに雇っていたじゃないですか!
 鈴羽はそれを知ってて、そう呼んだだけですよ。」

「お?そうか……そうだったな……ふぅむ……
 だが、どうにも妙なんだよなぁ。」

「妙、とは?」


天王寺さんは何か思い出せそうで思い出せない様な、
そんなもどかしそうな表情をしている。


「何だか鈴羽ちゃんに店長って呼ばれた時、妙にしっくりきたんだよ。
 鈴羽ちゃんは俺の店でバイトなんてした事は無いのによ。」


まさか……リーディングシュタイナー……?
RSは確かに誰しもが持っているものではあるがまさか天王寺さんも……?


「は、ははは。きっと気のせいですよ。そりゃあ鈴羽が子供の頃に
 ちょっとした遊びで、店のアルバイト紛いの事はしたかもしれませんが……。」


「あったかぁ?そんな事……。」


俺は嘘をついた。おそらく彼は昔の――前の世界線の記憶を刺激されて
思い出しかけているんだろう。だが、その記憶は思い出してもらっては少し困る。
彼とは出来れば、今までのような良好な関係を保ちたい。

勿論、思い出した所で、天王寺さんが
ラウンダーの取り締まり役――FBである事が漏れたわけでは無いので、
SERNに始末される――という事は無いだろうが、
これまで通りの関係を保つくのは難しくなるだろう。


「ほら……鈴羽も言ってやれ。」


天王寺さんは相変わらず、歯に何か詰め物でも詰まったかのような。
もどかしそうな顔をして考え込んでいたので、俺はそう鈴羽に小声で耳打ちする。


「え?あたし……?しょうがないなあ。」


取り敢えず合わせてくれ!そう天王寺さんに見えない様に手を合わせ、
鈴羽に向かってジェスチャーを取る。

「そうだよ店ちょ――天王寺おじさん!
 もうっ覚えてないの~?昔アルバイトしたじゃーん。
 ほら!MTBに乗ってさ?通勤したでしょ?」


うむ、なんとも苦しい言い訳だ。
これで天王寺さんが納得してくれればいいのだが。

――というか鈴羽よ。
お前それ前の世界線の事、話してねぇ?嘘つくの下手かお前!


「MTB?なんだかいよいよ、よくわかんなくなってきた……。
 ……あぁ!考えるのはやめだやめっ!」


よかった。納得してくれた……
天王寺さんのIQが然程高くなくてよかった……。


「……ところで岡部よ。お前に家にあがって貰ったのは他でもねぇ。
 実はちょいとばかし聞きたい事があってよ……。」

「な、なんですか一体……?」


天王寺さんは俺の肩をがっちりと掴み、鈴羽から距離を取り言った。
――何故だか嫌な予感がした。もしかして本当は全て思い出していたのか……?
気づいていないフリをして俺達を家の中に連れ出して――


「おめえ鈴羽ちゃんとはどこまで言ったんだ?ええ!」


バンバン、と激しく背中を叩かれた。
5、60を超えているだろうに彼の力は凄まじく、叩かれた背中がヒリヒリした。

「岡部が女連れて俺に挨拶しに来たと思ったら、まさかあの鈴羽ちゃんとはなぁ……
 おめぇ一体どんな汚い手使ったんだ?えぇ?」

「な、何を馬鹿な!?別に俺と鈴羽はそんな関係では――」

「馬鹿なだとぉ?俺はな、岡部。橋田からよっく聞いてるぜ。
 お前鈴羽ちゃんに、昔から面倒見よく色々と世話してたらしいじゃねえか?ええ?」

「しかも鈴羽ちゃんも満更でもねえのか、この年齢になっても
 二人で食事に行ったりするらしいじゃねえか。」

「な――!」


ダルの奴!天王寺さんに余計な事を……!しかもあらぬ誤解を生んでいるではないか!
流石に二人きりで食事に行った事など断じてない!断じてだ!
食事会をするにしてもそれは『鈴羽と』では無く橋田家との食事会だ。
……まぁ頻繁に会っているというのは否定しないが。

「まったく羨ましい限りだぜ……
 そんなに慕ってくれる現役女子高生が今どれだけいる事か……。
 綯も昔は『お父さん、お父さん』って慕ってくれてたのになぁ。
 いつの間にか家を出て行っちまった。父さん寂しいぜ……。」


「す、す、す、鈴羽が俺に惚れている訳ないでしょう!?
 相手は18歳の女子高生で俺は44歳の中年ですよ!?」

「何言ってんだおめえ。結婚に年齢は関係ねーだろうが!
 俺とあいつも結構な年の差結婚だったんだ――よくある事だよ。」


天王寺さんは遠い目をしてお茶を啜った。
駄目だこのおっさん……もう『付き合っている』という妄想から、
『結婚を前提で付き合っている』という既成事実へとクラスアップしている……。


「???何の話?」


男二人が長時間、内緒話に花を咲かせているのを不審に思ったのか。
鈴羽がこちらに向かって聞いてくる。

天王寺さんは内緒話のつもりで話したのだろうが、
割と大きな声で喋ってる為、結構聞こえているだろう。


「いや何でもないんだ鈴羽!大した事じゃないぞ!ホントに……。」

「そうそう。気にする事ったねぇよ。
 男同士の秘密の会合だよな岡部!がはははは!」

「ふ~ん……そっか、わかった。」


鈴羽は口ではそうは言ったが、
どう見てもその表情は納得がいかないという感じだった。
だが悪いがこればかりはお前に言う訳にはいかない……俺の沽券に関わるからな……。

「それじゃあお世話になりました、天王寺さん。」

「お世話になりましたー、店ちょ――天王寺おじさん。」


余り長居するのも申し訳がないので、俺達は天王寺家を後にする事にした。
玄関を出て、玄関先まで見送りに来てくれた天王寺さんに二人で別れの挨拶を言った。


「もう少し居てくれてもいいんだぜ?どうせこれからも家に一人だしよ……。」


天王寺さんもすっかり丸くなったものだ。
昔だったらあまり長居するな、とでも言われそうなものだが。
やはり家で一人は堪えるのだろうか?今後は定期的に会うとしようか。


「いえ、俺達はこれから寄る所があるので――」


だが今日ばかりは遠慮させてもらうとしよう。
俺には――鈴羽には時間が無い。気が付くと時刻も今や夕方過ぎだ。
最後に俺は〝あの場所〟に鈴羽を連れて行かなければならない。


「そうか?それなら仕方ねーか。
 俺はそれを止める程、野暮じゃねーしよ。それじゃあな岡部、鈴羽ちゃん。」


「うん、それじゃあ。……あっそうだ!天王寺オジさん。
 ちょっといいかな?最後に伝えたい事があって……。」

「お?なんだい鈴羽ちゃん。」

「えっとね……
 『巡り巡って人は誰かに助けられて生きている。
 だから君も、いずれ誰かを助けてあげなさい。』……。」

「……!?」

「……なーんて!ビックリした?母さんからの受け売りなんだ。
 ちょっと大人ぽかったでしょ?あたしこの言葉が大好きでさ~。
 天王寺オジさんにも教えてあげたかったんだ。」

「お、おう。ありがとな……なんだか不思議な言葉だなそりゃ。
 初めて聞いたはずなのに、何故か不思議と随分昔に聞いた気がしてくるぜ……。」

「………。」

「――なあ、どうして天王寺さんにあんな事を言ったんだ?」


天王寺さんの家から離れ、再び秋葉原に向かう為に乗った電車の中。俺はそう鈴羽に尋ねた。
あの言葉は確か。α世界戦の鈴羽が橋田鈴として、若かりし頃の天王寺さんに伝えた言葉のはず。


「さあて、何でだろうね?
 昔の――前の世界線のあたしの事を覚えている人が居て欲しかったのかも。」

「それならここに俺がいるじゃないか。……ちょっと理由があってな。
 あまり天王寺さんに関しては、前の世界線の事を思い出して欲しくないんだ。」

「そうだったの?ごめんごめん!それに岡部倫太郎の事、忘れてた訳じゃないよ。
 確かに君は前の世界線の事を覚えててくれてる。
 ……でも君は、あたしが過去にタイムマシンで飛んでからの事はよく知らないでしょ?」

「それは……。」


確かにそれはそうだった。タイムマシンに乗って、
1975年に行った後の事を俺は詳しく知らない。
俺の知らない鈴羽……そのワードは何故か俺の心を強く揺さぶった。
俺よりも年齢を重ねて人生を終えた鈴羽か……どうにも複雑、だ、な……?ん……?待てよ……?

俺の中である一つの疑問がわく、俺は率直にその疑問を鈴羽にぶつけた。


「お前はタイムマシンに乗った後の事を覚えているのか……?」

「……変な事言うんだね。
 確かにあたしがタイムマシンで過去に向かった時、その記憶は消えてしまった。
 そして世界線の収束なのかどうかはわからないけど。最終的には記憶を思い出し、
 2000年代には自殺か病死などであたしは死ぬ――」

「でもさ。岡部倫太郎の言った通りなら、
 今のあたしにはリーディングシュタイナーがあるんだ。
 それならあたしが死ぬ前の出来事を思い出しても不思議じゃないでしょ?」

「そう、だな……。」


いや、それはおかしいんだ鈴羽。
お前は俺の記憶を元にあの鈴羽を再現した存在――。
なら何故こいつは俺の知っていない事を知っている……?

だがそんな事はこいつには話せるわけもない。
俺は納得した風に呟くと、鈴羽から目を逸らした。


「………。」


何かが引っかかるがわからない……俺は何か致命的な勘違いをしている気がする……。
考えても答えは出ず、俺の思考回路はぐるぐると空回りをし続けている。

その時、俺の思考を中断させるかの様に、
秋葉原に着いたという電車のアナウンスの声が鳴り響いていた。

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