『多田李衣菜 〜シンデレラ・ザ・ストラマーの軌跡〜』 (26)

・実際の企業・団体には一切関係ありません
・このSSは完全なフィクションです。

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 2011年、東京。業界最大手の芸能プロダクションで、体重41000gのアイドルが産声を上げました。

『“ロックなアイドルになりたい”、なんてほざく小娘は吐いて捨てるほどいたよ。
 大概そういうやつはギターがちょろっと弾けて、“歌には自信があります!”とか言うんだが、だったらレコード会社と契約しろって話だよな。
 
 だけど李衣菜は一味違ったよ……楽器はまともに弾けないし、はじめは歌も下手だったんだ』

 当時の日本の音楽シーンは、“キャッチー”と形容される、無害で甘ったるい音楽が主流を占めていました。音楽番組の出演アーティストの8割はアイドルグルーで、ヒットチャートの上位も同様でした。
 
 ロック業界も長い停滞期に入っており、“日本のロックは死んだ”、“そもそも生まれてすらいない”などの批判に晒されていました。

『ポッドキャストで音楽チャンネルを聴いてたんだけど、MCが“次の曲です”って言っても、おんなじやおんなじや思て。
 
 元々好きだったバンドも、ドラマとかアニメとか、ゲームでタイアップされるうちにポップになっちゃってさ。
 まさに、“売れてからはどうでもいい”』

 多田李衣菜は、はじめ平均的なアイドルとしてソロデビューしました。ファースト・シングル『Twilight Sky』は賛否両論でしたが、セールス的には一定の成果を上げました。

『当時は“ファッキンポップソング”ってこき下ろす人もいたし、ファンの間でも意見は別れているけど、わたしは一番好きな曲よ。
 
 ちょうど就職活動の時だったから、“I love you because you are you”なんて言われて、イチコロだったわ。どんな時でも自分らしくいるって、そういう精神もロックとして成立するんじゃないのかしら?』

 その後は散発的にライブやユニットでの活動を行なっていましたが、ある日、彼女に転機が訪れました。
 木村夏樹との出会いです。

『プロダクションの庭でギター弾いてたら、だりー(多田李衣菜の愛称)がみくと一緒に歩いてきてさ。アタシの演奏を褒めてくれたんだよ。

 で、お前はどうなんだって感じでギターを持たせたんだけど……』

 一部のファンの間では、多田李衣菜は2歳からギターを始め、5歳の頃にはArctic Monkeysの「Brainstorm」Creamの「Crossroads」などを弾いていたと信じられていますが、事実ではありません。

『コードは適当でいいからって言ったら、シールド引っこ抜かれてさ。
“音が出ないんだけど、コレ壊れてるんじゃないの?”って………。

 それがきっかけで、オフの日とか一緒に練習するようになったんだよ』

 “特技:解散”と言われる多田李衣菜ですが、2人の関係は長い間続きました。

 多田李衣菜がギターを手に舞台に上がるのはもうしばらく後のことですが、本格的なロック・シーンへの参入は、おそらく彼女自身の予想よりも早くにやってきました。

 前川みくのとのユニット、*(アスタリスク)の結成です。

『日本の、文化祭の延長でミュージシャンやってるやつとか、ポップミュージックなんか糞食らえって思ってたんだけどさ。
 ✳︎は一目で気に入ったよ』

『なぜですか?』

『あいつらが活躍するたびに、ニュースでファッキン美人のアナウンサーが(放送規制)って言ってくれるんだぜ? 最高に興奮するだろ』

 このユニットが脚光を浴びたのは、ある音楽番組でのパフォーマンスからでした。

『李衣菜チャンが本番前に、“口パクはやらない”って言い出したんだにゃ。
 “そんなのロックじゃない”って。

 それでマイクの代わりに、凛チャンと夏樹チャンが持ってきた花束を持って舞台に上がったのにゃ』

 生真面目な性格で知られる前川みくですが、10代の頃は一向に決まらない自身のデビューに業を煮やし、プロダクション内にバリケードを構築してストライキを起こすなど、
過激な行動をとっていました。

 このパフォーマンス以降、✳︎は『日本の労働者階級のメタファー』と称されるようになり、一躍スターへの道を駆け上がることになりました。

『いろんなひとが応援してくれたけど、いろんなひとから叩かれたりもしたにゃ。

“OωOver !!には聞いたひとを左翼化させるサブリミナルが巧妙に隠されている”とか、“夕映えプレゼントは日本の核兵器保有を訴える凱歌”とか、もう滅茶苦茶』

『“明るい空 見つけた一筋の光”、この光は大陸間弾道ミサイルを指していて、その後に続く“黄昏に染まる世界〜”からのフレーズは核の炎に包まれる世界を暗示しています。

一見ただのポップソングに聞こえますが、私ほどの人間なら歌詞の真意を見抜くことなど造作もないことですね』

『分別のつく大人なら悪意のある評論も受け流せるんだけど、分別のつく大人はアイドルになろうとは思わないでしょうね……。
彼女達はかなり辛かったと思うわ』

『我等は皆偶像になることを承認した。世界からの認識が本質と乖離した夢幻だとて、それを時には演じ切らねばならぬ……。

狂信者や、断罪者を騙る彼奴らの戯言でさえも、な……。

(通訳:仕事上誤解されることもあります。でも、あの人達は許せません!)』

多田李衣菜のアイドルデビューから3年、346プロダクションはLIVEバトルの生中継を番組として放映しました。

『説明するのがちょっと難しいんだけど、まぁ、最初はアイドルの中間試験みたいなもんだったよ。歌って踊って、観客にどっちが魂にグッと来たか選んでもらうわけ。

 でも思ったより視聴率が取れちゃったから、めちゃくちゃな対戦カードが組まれるようになったんだ。
 今週は仲間でも翌週は別のユニットにいてバトル、ってこともザラだったね』

 LIVEバトルで陽の目を浴びたアイドルもいましたが、プロダクションの強引なメンバー選出は、アイドル達の間に軋轢を生みました。

 そして多田李衣菜と木村夏樹、両者の関係も例外ではありませんでした。

『“どっちが真のロックアイドルか”……馬鹿げてるよね。
 でもプロダクションは涙が出るくらい観客思いだからさ、あの2人の友情とか思い出とか……そういう大切なものを無視して対立を煽ったんだ』

本人達は純粋にLIVEを楽しもうとしましたが、それぞれのファンが対立に同調し、2人のLIVEバトルは次第に過激なものになっていきました。

 木村夏樹のファンは多田李衣菜を『飼い犬が飼い主の手を噛みやがって』となじり、もう一方は木村夏樹を『電気工事のひと』、と小馬鹿にしました。

 2人はたびたび暴動を起こす観客達にうんざりし、LIVEバトルからの離脱を申し出ますが聞き入れられませんでした。

『結局プロダクションからサラリーをもらってるわけで、肝心なトコでは逆らえなかったんだよ。クソみたいな仕事だって笑顔でやるし、ダサい衣装も着るし、自分じゃ絶対書かないリリックだって歌う。

 でも、だりーと対戦カードが何度も組まれるのは、正直言って不愉快だった。

 同じプロダクションの仲間だぜ? 
 
 企画はヘロインやってんのかと思ったよ』


 ですが皮肉にも、LIVEバトルによって多田李衣菜は再び舞台の中心に躍り出ました。


 72回目の対戦で木村夏樹に勝利した多田李衣菜は、夏樹のファンから『ギターもロクに弾けないくせに笑わせるな』と中傷されました。
 
 そして次の対戦で木村夏樹に敗北すると、彼女自身のファンが同様の中傷を浴びせました。それ以降、多田李衣菜はギターの練習に没頭するようになり、驚異的な演奏技術を身につけました。

『半年前まで3つのコード進行でもたもたしてたのに、LIVEバトルの後は別人みたいな……アタシが驚くようなリフを見せてくれたよ。まるで十字路で悪魔と契約したみたいだった。

 アタシも必死で食らいついていったよ。それで勝ったり負けたりしてるうちに、前みたいな2人じゃいられなくなった』

 プロダクションが作り上げた対立は観客だけでなく、両者の心も蝕んでいきました。

『ギター以外は誰も信じられなくなってた。ツーリングに誘われても、“コイツはアタシに練習をサボらせるつもりじゃないか”って思って。

 オフの日もオフじゃない日もスタジオに籠もって、ひとりぼっちで演奏漬けだよ』

『次のおやすみは何しようって聞いても、ギターの練習ギターの練習って、そればっかりだったにゃ。

 でも李衣菜チャン、全然たのしそうじゃなかった。
 無理矢理ギターから引き離そうともしたけど、“みくちゃんは私がなつきちに負けてもいいの!?”って言われちゃって……』

勝負の決着は最後までつきませんでした。
 暴徒と化したファン・アンチの行動が社会問題化し、放映から2年10ヶ月後、LIVEバトルが解体されたのです。

『推しを勝たせるために必死だったんだ。
 ネット掲示板に中傷文を書いたり、ファンを装ってスプレーで落書きとかはまだ可愛いモンだよ。

 ひどいやつは教会に放火とか、キャッツファンに暴力を振るったりとか、ヒーローイベントに爆破予告を出したりとか……俺の友達も何人か逮捕された。

 そういう行為が推しを一番裏切ってるんだって、どうして気付かないんだろうな』

 不毛な闘争から解放されたアイドルを待っていたのは、社会からの冷遇でした。
 LIVEバトルの影響を経済問題、政治不安にまで拡大解釈する自称専門家が、彼女達に容赦ない批判を浴びせたのです。

『ボクほどのカワイさになると、その気がなくても日本社会が動揺してしまうんですよ!』

 美城プロダクションの株価は急降下し、所属アイドル達は日本での活動場所を失っていきました。
 そこで、プロダクションはアイドル達を海外へ送り出しました。これが後のジャパニーズ・インヴェイジョンのはじまりです。

『出稼ぎ労働なんて言うひともいたけれど、私達は世界でやっていく実力があったわ。
 むしろ日本が狭すぎたのよ……いろんな意味で、ね?』

『実質利用料金0円でパリに帰省できたから、今はなんとも思ってないよ〜』

 多田李衣菜は自身と、冴島清美(Gt)、涼宮星花(Ba)、ライラ(Dr)の4人でバンドを結成し、ニューヨークに拠点を移しました。
 伝説のロックバンド、Four Pieceの誕生です。

『“日本人のアイドル・グループと契約するから面倒見ろ”って言われたときは、耳を疑ったよ。
 ウチはハードロックが中心のレコード会社だったよな? 何言ってんだコイツって』

『彼女達がシングルを出したとき、みんなこう思ったわ。
 “高校生野球チームがメジャーリーグに来ちゃった”って。

 でも彼女達の演奏を聞くと、他のバンドが高校生レベルに感じたわ』

 多田李衣菜と冴島清美による、ツインギターサウンドの奔流。
 涼宮星花の折り鶴をつくるような、丁寧かつ繊細なリードベース。
 ライラの独創的かつ容赦のないドラミング。

 多田李衣菜の、“クイーンはガールズバンド”、“ディープ・アップル? 知らないバンドだね”など、不遜な発言も大衆を湧かせました。

 彼女達の成功で味を占めたプロダクションは、“送り出し先”をアメリカに絞るようになりました。

『Blue Napoléons、Engine(炎陣)、Triad Primus、Vivid Color Age……。
 同世代のポップ・アイドルグループにとっては悪夢だっただろうな。
 
 チャートのトップ10の常連が、数ヶ月で一気に閉め出されちまったんだ。
 でもしょうがないよ、才能がモノを言う世界だし』

 日本での偏見から解放されたアイドル達は、アメリカでの自由な音楽活動を満喫しました。
 中にはアイドルの枠を超えて、メタルやラップの世界で活躍する者もいました。

『LAは最高だったぜ! メタルが差別されねェからなァ!
 幻覚キノコの所持容疑で何度も捕まったけど……』

 デビューシングル「For Peace」で全米2000万枚を叩き出したFour Pieceでしたが、音楽の方向性の相異から活動数ヶ月で解散になりました。
 多田李衣菜はしばらく音楽活動を休止しようとしましたが、プロダクションは矢継ぎ早にユニットを組ませました。

 結局、渡米してから数年の間に彼女はいくつものユニットを経験することになりました。

『当時の日本のプロダクションはアイドルに独自性を要求するくせに、一方では皆規格化されて取り替えがきくものだとも思っていたんだ。
 だから無責任にユニットを大量に作り出すし、簡単に捨てたりもできるんだ。

 彼女達が成功して、ますます調子に乗ったんだろうね』

『アイドルの気持ちには鈍感なくせに、消費者やタチの悪いカプ厨の動向には敏感なのよ。
 私はみくりーなこそ至高だって信じてたから、プロダクションにきっかり346回抗議の手紙を送ってやったわ』

 短いスパンで繰り返される加入と離脱に、多田李衣菜は次第に精神をすり減らしていきました。

『行きつけのカフェに、あの多田李衣菜がいてさ。
 俺はファッキン幸運だと思って、Tシャツにサインを書いてもらおうとしたんだ。

 そしたら、“どこの誰の?”って言われたんだ。ゾッとするくらい冷たい声で。
 俺は彼女が哀れでたまらなくってさ、Masque:Rade時代のサインしか貰えなかった』

『テレビを点けるたびに別のユニットにいたような気がする。
 あのプロダクションはマジ(放送規制)だよ。

 最近また新しいレーベルを立ち上げたんだって?
 日本人は偉くなるとWABISABIの精神を失ってしまうのかな』

 同時期、木村夏樹は炎陣の活動で渡米していましたが、多田李衣菜と仕事をすることはありませんでした。

『会おうと思えば会えたんだけどさ、お互いにLIVEバトルを引きずってたんだよ。
だりーを嫌いになったんじゃねぇよ……アイツが傷つくんじゃないかって、それが怖かった』

 極端に流動的なユニット編成に苦しんだのは、多田李衣菜だけではありませんでした。
 2015年からはじまった「スターライトステージ」では、新たなユニットが1ヶ月間に100以上生み出され、所属アイドルは非人道的なスケジュールの下LIVEに臨みました。

『衣装はどんどん雑になっていくし、ストレスで顔とか体型が変わっちゃう子もいたよ。
 杏はちょくちょくガス抜きしながらやってたけど、みんなは真面目だったからね〜』

 双葉杏は、日毎に消耗していく仲間達を救うためにアクションを起こします。
 国際非営利人権団体、『Dual Leaves(以下、リーブズ)』の創設です。

 児童労働の禁止、不当な労働契約の撲滅を掲げる団体は他にも多数ありましたが、リーブズには活動初期から強力な支援者が現れました。
 ジャパニーズ・インヴェイジョンで煮え湯を飲まされていたライバルレコード会社、芸能事務所が、我先にリーブズへの出資に名乗りを上げたのです。

『結局、正攻法じゃ346プロに勝てなかったんだよ。
 例の労働問題はまさに渡りに船ってカンジで、みんなそこに集中砲火を仕掛けたってわけ』

 世界で3番目にリッチな非営利団体になったリーブズは、積まれた金で立場を変える弁護団、口先だけで生きているロビイスト、デモ以外にすることがないプロの市民など、心温まる仲間達の協力の下、プロダクションを提訴しました。

『ミシシッピ・プロダクションの問題はシンデレラ達だけでなく、全世界の子ども及び労働者にとって普遍的なものです。
 私達は生涯をかけてミシシッピ・プロダクションを追及していくつもりです』

『ミシシッピ・プロダクションは日本のガールズをハントして、合衆国で無理矢理芸能活動に従事せていたんだ。
 奴隷制度は姿を変えて存続していたってことだよね。同じ合衆国民として情けないよ』

 346プロダクションは1人当たり200万ジュエルの支払いと、不当労働と見なされる活動一時間あたりスタドリ5本の現物支給で和解を提案しましたが、リーブズは応じませんでした。

 判事や裁判官の頭を札束ではたき合う泥沼の裁判が始まり、判決は会津名物の赤べこのように揺らぎました。

『みんな裁判が長引くことを期待してたんだ。あの頃の合衆国の経済はウォルト・ディズニーばりに凍りついていたけど、裁判所の中じゃドル札が焦げつく匂いさえしてたよ』

裁判は2年ほど続きましたが、最終的にはリーブズ側の勝利で幕を下ろしました。

『判決の内容はよく覚えていませんが、これはアメリカ資本主義の歴史的な転換点になったと私達は確信しています。
合衆国万歳!』

シンデレラ達はガラスの靴をプロダクションに残して、束の間の休息を得ました。

 ユニット加入の脅威から解放された多田李衣菜でしたが、日本には戻らず、ホテルとカフェ、公園を往復する生活を送っていました。

『近所の子どもにギターを教えたりしていたわ。
彼女を見ていると、なんだか悲しい気持ちになったわ……子ども達は無邪気によろこんでいたけれど……』

 彼女がロック・シーンに復帰したのは翌年の早春。
 ほのかな陽気が、雪を溶かしはじめる季節の頃でした。

『リンカーン公園で弾いてたら“ギター上手ですね”って声をかけられて……。
 相手にギターを貸してみたら、シールド引っこ抜いて“音が出ねぇ。壊れてんじゃない?”って言われたの。
 2人でしばらく笑って……ちょっとだけ、泣いた』

 再会した多田李衣菜と木村夏樹はRock the Beatを結成し、不朽の名作「Jet to the Future」を世に送り出しました。

『単純な歌詞に聞こえるけど、彼女達の通ってきた道を考えるとメチャクチャ深い曲なんだ。
 “理由欲しがる弱さなんて 夜の片隅に置いていくのさ”……人生を安直に生きているやつは、このフレーズの意味なんて一生わからないだろうな』

『Jet to the FutureのCDはすごいよ!
 初回限定のフィギュアを舐めてるだけで最高なんだ!!』

 そして今年のフジロックフェスティバル。遂に2人が日本に帰ってきます。

『“おかえり”。それ以外どんな言葉を重ねても、無駄になっちゃうね……』

『だりなつが最高だってやっと世界が認めたんだよおおおおおお!』

『ほかの参加バンドも気の毒だね。
 チケットはRock the Beatのファンが買い占めちまうから』

『いろいろあったけど……それも全部ロックってことで!

 みんなー! 日本で待っててねぇーっ!!』

取材・編集・制作:346プロダクション

>>10
72がなんだか

体重41000g…

ジョー・ストラマーの名前の由来

“1975年、それまでは“ウッディ”・メラーだった通名を“ジョー・ストラマー”に改め、友人にもその名で呼ぶよう強要した。この“ストラマー (Strummer)”という呼び名はサイドギターという彼のポジションを示すものだが、自虐的な面もある(左利きの彼にドッグが右利きとしてギターの演奏方法を教えたため、結局コードをかき鳴らす (strum) 程度にしか上達しなかった)。”


作者のにわかっぷりがわかるタイトルだなw

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