千早ちゃんと伊織ちゃん (46)

こちらはアイドルマスターのSSです。

以下の点に留意してお読みください。

1, この作品は『アニメ版アイドルマスター』の二次創作物です。

2, こちらは『アニメ25話以降で劇場版以前の時間軸』を想定しております。そのためアニメを観た後ですと、より楽しめる……かもしれません。

3, 地の文ありの一人称視点で話が進んでいきます。

以上です。

それでは、ゆるりと始めていきます。

SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1528736835


それは、とある夕暮れ時の事務所で起こった出来事でした。

「──ちょっといいかしら」
「……何かしら?水瀬さん」
「アンタに大事な話があるのよ──千早」

同じ事務所の仲間だけれど、あまり積極的には話さない。
少なくとも私──音無小鳥の知る限り、二人だけでいる所を見たのは両手で数えられるくらいしかありません。

これは、そんな二人のお話です。


この頃は確か……765プロが一丸となって挑んだ『765プロ2ndライブ』が大成功に終わってちょっと経ったくらい、だったでしょうか。
みんなの人気が再び爆発的に高まったのと比例して、お仕事の量も一気にググーンと増えました。このまま順調にゆけば、全員がAランクアイドルになるのも夢じゃない……そんな所にまで来ていたんです。

皆の頑張りが認められ、沢山のお仕事をいただけて、それぞれが自分の夢に向かって走り続けていられる。

これは事務所としてはもちろん、みんなの事をずっと応援してきた一人のファンとしても、と~っても喜ばしい事なんです……なんですけど、その分事務所に居る時間もガクンと減ってしまいました。

それでも、プロデューサーさんや律子さんの頑張りもあって、一時期よりは余裕のあるスケジュールを組めてはいるんです。
だけど、ほんのちょっと前までは、いつもみんながいて賑やかだった事務所が、なんだか本当に静かになっちゃったなぁ……なんて思っちゃうんです。あ、もちろん心の端っこで、ですよ?

──でも、事務員の私がこんな事ではいけませんよね。それは分かっているんですけど、ね。


この日も、溜まりに溜まった領収書を整理している私を除けば、事務所にいたのは千早ちゃん一人だけ。ぽつねんとソファーに腰掛け、何やら熱心に読み込んでいました。
ちょ~っと気になったので、後でコーヒーを持っていきがてら聞いてみると、どうやら次の新曲の譜面だそうで。午前の打ち合わせ中に貰ったばかりで、家に帰るまで我慢できなかったみたいなんです。

それにしたって仕事とレッスンの間にポッカリと空いた時間を、休憩じゃなくて譜読みに使っちゃう所が、何とも千早ちゃんらしいわ♪ ──って、ほっこりしてたのはナイショにしておいてくださいね?

例え会話が無くたって、一人きりの時とは全く違う、温もりある静けさがとても心地良くて──そんな時って、いつも以上に仕事がはかどる気もします。


そこへ、ガチャリとドアの開く音が響きました。


あら、今日は確か来客の予定はなかったはずだから、宅配便?それとも……ウチの娘の誰かが戻ってきたのかしら?と、自問する間に、覚えのある声が聞こえてきました。

「戻ったわよー」

ふふ、この可愛らしい声は──きっと伊織ちゃんね。

小鳥 「はーいっ♪」

一声大きく返事をして、入り口へ向かいます。

なにしろこれだけ765プロが盛況だっていうのに、事務員は私一人しかいないんですよ?もし万が一伊織ちゃんじゃなかったら、そのまま受付手続きもしなくちゃいけないんですからね。人手不足も深刻なんです……。

まぁ、大丈夫なんですけどね……多分。

伊織 「あら、小鳥。出迎えなんていい心掛けじゃない♪」

にひひ♪とこちらへ笑いかけていたのは、やっぱり伊織ちゃんでした。うんうん、あんな可愛らしい声を、私が聞き違えるなんてあり得ないもの♪

小鳥 「おかえり、伊織ちゃん。随分早く終わったのね」

伊織 「フッフーン♪ このスーパーアイドル伊織ちゃんにかかれば、あれくらいの仕事はオチャノコサイサイよ。トントン拍子に進んだわ」

予定では確か、あと一時間くらいはかかるはずだと思ったけど……そんな疑問が顔に出てたんでしょうね、伊織ちゃんは胸を張って答えてくれました。

小鳥 「うふふ、さすが伊織ちゃんね。何か冷たいものでも飲む?」

伊織 「……大丈夫よ、それくらい自分でやるから。それより、ちゃっちゃとその仕事片付けちゃいなさいよ!」

ちょっとだけぶっきらぼうな言い方に聞こえちゃうかもしれませんけど、視線が一瞬机の上に向かったのを見逃したりは致しません。私、これでも結構目敏いんですよ!

小鳥 「えぇ、わかったわ♪」

伊織 「……じゃあ、頑張りなさいね」

そう言ってくれた伊織ちゃんは、足早に冷蔵庫の方へと向かいました──ほんのり染まったかわいいほっぺを隠すように。

私は私で、その心配りが嬉しくて、つい口元が緩んじゃうの止められません。これはちょっと~、他所様にはお見せできないんですけれど~……まぁ、ここは事務所内ですからね、良しとしときましょう!


さぁて、ここからもう一頑張りといきますか!ぐいーっと背筋を伸ばしながら、領収書の山が待つ机へと体を戻しましょう。

伊織 「あら、千早もいたのね」
千早 「おかえりなさい、水瀬さん」

伊織 「……相変わらずマメね~、アンタも」
千早 「水瀬さんこそ。早く終わるのは熱心な証、でしょう?」
伊織 「にひひ♪ まぁね、否定はしないわ」

と思ったのですが、これは……なんともレアなツーショット!
普段あまり見かけない二人は、一体どんな話をするのかしら?自然と体もそちらの方へと──。

やっぱりお仕事──歌の話とか?案外プライベートな事かもしれないわ。でもでも、あの二人なら静かに座ってるだけでも絵になるし、それはそれで良いかも……あぁっ、わからない!もう仕事なんか放っぽりだして、千早ちゃんと伊織ちゃんの事、もっとずっと見守っていたい!
でもそれはダメ!ダメなのよ、小鳥ぃ~……目の前にでーんと積まれた領収書が許してくれません。

それはそれは甘美な誘惑を何とか振り切って、私は目の前の小憎たらしい紙山との戦いへと戻っていくのでした………うぅぅ。


そこからしばらく、二人の間ではゆっくりとした時間が流れていたことでしょう。

ペラペラと雑誌か何かを捲る音、時折交わされる一言二言の短いやり取り、ちょっと恥ずかしそうな、小さな笑い声──きっと街外れの隠れ家めいた喫茶店が似合うに違いありません。今度のグラビア案に、って律子さんに提案してみようかしら……。

──私の方はといえば、これまでにないくらいの速さで、忙しなく書類を処理していましたけど。


ところが、その時間は唐突に終わりを告げたのです。


“それ”が起きたのは、領収書の山がようやく三分の一くらいは減ったかなぁという頃合いでした。

伊織 「──ちょっといいかしら」

パタンと本を閉じたような音の後に、さっきまでとはうってかわった真剣な調子でそう続いたのです。

千早 「何かしら?水瀬さん」
伊織 「アンタに大事な話があるのよ──千早」

ちょうどその時、私は肩をグリグリと揉みほぐしながら休憩しようかなと思っていた所でした。
そこへ、そんな思わせ振りに切り出されたら、一体何事かしらと気になって気になって、もう仕方ないじゃありませんか!なんて良いタイミングなのかしら!


それでなくたって、普段は見れない二人の、とーっっっても貴重な絡みなんです。それを放っておいて仕事に戻るなんて、そんなもったいない事できますか!?いいえ、私にはできません!

それに、もしもですよ?もしも万が一にも気まずくなったりしちゃったら、間に入って何とかするのが、お姉さんである私の義務でしょう!?えぇ、義務でしょうとも!


こうして熱く燃える使命感を胸に秘めた私は、二人の様子をこっそりと窺うことにしたのです。


さて、そ~っとパーテーションの陰から覗きみると、ちょうど楽譜を置いた千早ちゃんが、伊織ちゃんの方へと向き直った所でした。

ふ~良かった~、初めからじっくりと見れちゃうわね。ちょっと不謹慎ですけど、だんだんワクワクしてきちゃいました。この胸の高鳴りが聞こえちゃわないか心配なくらいです……なんて♪

と、一人気楽な私でしたが……。


千早 「それで水瀬さん、話って──」
伊織 「それよ」

先を促そうとする千早ちゃんの言葉を、静かに遮る伊織ちゃん。

人の話にはいつもしっかりと耳を傾けている、普段の彼女らしからぬ振る舞いに、私は思わず固まってしまいました。


千早 「………………ぇっと」

それは千早ちゃんも同じだったみたいです。目を真ん丸にしてましたけど、すぐに気を取り直して話しかけます。

千早 「……あの、それって、一体何のこと?水瀬さん」
伊織 「その『水瀬さん』ていう呼び方のことよ」

後で思い返した時には『この切り返しの早さは、アイドルのお仕事で鍛えられた賜物かしらん』と感心したものですが、この時の私はもう頭の中が真っ白で、情けないことに全く反応できませんでした。


そこで伊織ちゃんは、すらりと伸びた脚を組み替え、ふぅーと大きく息を吐きだします。その姿はすごく堂に入っていて、とても一回りも年下の娘とは思えません。

伊織 「まどろっこしいのは趣味じゃないから、単刀直入に言うわ」

伊織 「──千早、アンタはこれから私のことを名前で呼び捨てになさい」

な、なんとぉ……!思いがけず飛び出した提案に、私は息をするのも忘れて見入ってしまいます。


勿論、そんな私を他所に話は続きます。

千早 「……貴女が突然そんな事を言い出した理由を、聞いてもいいかしら?」
伊織 「理由?そうね……」

その顎に手を添え考える素振りを見て、私の頭の中に『無尽合体キサラギ』のワンシーンが浮かびました。威圧的であるけど、どこか気品を漂わせる姿に、思わず見とれてしまいそう……伊織ちゃんって、本当に私より年下、よね?

伊織 「年上のアンタが、年下の私を、名字に“さん付け”で呼んでるっていうのに、年下の私は年上のアンタを名前で呼び捨て──これが知れたら、この『スーパーアイドル伊織ちゃん』のイメージってものが崩れちゃうから……かしら」

千早 「……それだけ、なの?」
伊織 「そう?これだけあれば、充分じゃない?」

一転おどけたように肩を竦める伊織ちゃんに対して、今度は千早ちゃんが顎に手をあて、ふぅむ……と考え込んでしまいました。


さっきまでの私のワクワクは、これから一体どうなっちゃうのかしらというハラハラに変わっていました。

ああ、お茶でも持って行って間に入るべきかしら、それとも、もう少しこのまま様子をみておいた方が……と、焦り逡巡する私を余所に、当事者である二人はどこまでも落ち着いていました。

伊織 「ま、何にしても、この伊織ちゃんのことを“伊織”って呼んでいいって、他ならぬ私が言ってあげてるんだから。こんな事は滅多にないのよ?とにかく、アンタは黙って言う通りにしとけばいいのよ」

俯いて考え込んだままの千早ちゃんに、彼女はあくまでも高圧的に続けます。

それを見て私は、

──何だかいつもの伊織ちゃんらしくないな。

漠然とではありますけど、そのように感じました。


伊織 「……ああ、そうそう。それともう一つ」

指を一本ピンと立てて、いかにも『今ちょうど思い付いた所だけど──』みたいな体で言葉を続ける伊織ちゃん。

伊織 「アンタ、他人行儀に名字で呼んでる娘が、他にもいるでしょ?やよいとか雪歩とか響とか。ついでだから、この際そういう娘達も名前で呼ぶようにしなさいよ」

伊織 「──アンタは不器用なんだから」

ふい、と顔を逸らしながらも、彼女はそこまで一息に言い切りました──自分の時よりも、ほんのちょっぴりだけ小さな声で。


うふふ、やっぱり伊織ちゃんは伊織ちゃんでした。
問題は、千早ちゃんが気づいたかどうかですけど……優しい彼女の事です、きっと大丈夫でしょう。

この言葉を聞くと、千早ちゃんはひとつ大きく頷き、ゆっくりと顔を上げました。
その柔らかな微笑みを見て、私は確信しました──うん、きっと大丈夫。



千早 「ねぇ、“水瀬さん”」
伊織 「……何よ」

──“水瀬さん”。

あえてそう強調して呼びかける千早ちゃんの声は、けれどどこまでも優しげでした。

千早 「私も率直に言うわ──貴女の言う通り、あまり器用な方じゃないから」

千早 「それに、少し前の私だったら、きっと今の貴女の言葉を黙って鵜呑みにするだけだったと思う。だって、その方が楽なんだもの」

千早 「でもね、今の私は、そうはしたくない。これから関わる全ての人達と、ちゃんと向き合っていきたいって思ってるから──貴女達が思わせてくれたから」

そして、正面から自分の想いをぶつける彼女の姿は、

千早 「だから私は、貴女の本当の気持ちが知りたい。貴女の口から、貴女の言葉で、言ってほしいのよ」

とてもとても千早ちゃんらしいものでした。



顔を逸らしたまま目線だけを送る伊織ちゃんと、
逸らす事なくまっすぐに見つめる千早ちゃん。

そんな二人の根比べはすぐに決着がつきました。

伊織 「はぁ……まったく、かなわないわね」

伊織ちゃんがあっさりと降参しちゃったからです。


伊織 「あ~あ、最近丸くなったと思ってたけど、頑固なところは変わらないのね」
千早 「貴女こそ、相変わらず素直じゃないわ」
伊織 「あら、言うようになったじゃない♪ 」
千早 「えぇ、おかげさまでね♪」

そう言って微笑みあう二人。見ているこっちまで、あったかい気持ちが溢れてきそうで──やっぱり私の心配は杞憂だったようです。


伊織 「──今日ね、取材があったんだけど」

そう前置くと、彼女は話し始めました。なぜ彼女がこんな芝居を打ったのかを、その想いを。


伊織 「ある雑誌の月イチ連載モノ、だったかしら?五、六回の連載を通してアイドルの人と成りに迫るっていう、まぁよくあるやつだったんだけどね」

その連載なら私もよく読んでますよ。とある老舗アイドル雑誌の大人気長寿企画の事でしょうね。
これまでの活動の軌跡やアイドルに対する思いとか、一人一人のアイドルの事をガッツリ掘り下げる、かなり硬派なやつなんです。一個の質問で一回の掲載分が終わっちゃったりするような、もうファンには堪らないくらいの濃ゆ~い企画モノなんですよ。

そのファン垂涎の企画に、我らが765プロから記念すべき第一号として選ばれたのが、今回の伊織ちゃんという訳なんです。
この間、律子さんが『確かに読者の評判は良いんですけど、取材される方は戦々恐々、気を遣ってしょうがないんです』って、愚痴ってましたっけ……それだけ突っ込んだ質問が想定されたという事でしょう。

あ、件のインタビューが載る号は近日発売予定ですので、是非ともご贔屓よろしくお願いしますね♪



伊織 「その内の一つに、こんな質問があったの──【あなたにとって所属事務所とは何ですか?】ってね」

あら?アイドル個人に焦点を当てているコラムだけに、そういう質問は珍しいですね。普段は本当にアイドルだけを掘り下げていくんですけど……ウチの事務所はみんな仲良しって、評判だからなのかしら?

伊織「ま、結局アイドル個人と所属事務所の関係なんて、そんな大層なモンでもないとは思うけどね。だって、そうじゃなきゃ移籍なんて軽々しくできないじゃない?」

伊織「でも、質問されたからにはしっかり答えたわ──こうあるべきって一般論から私自身の考えも含めて、しっかりとね」

伊織 「……ちなみに千早だったら、何て答える?」

腕に抱いたウサギちゃんを優しく撫でながら、ちらりと千早ちゃんを窺います。

千早 「私だったら、か。そうね……」

それは……私も気になるわ。千早ちゃんだったら、何て答えてくれるのかな、って。



俯いたまま、少し考える時間が必要かしらとも思いましたが、すぐに顔が上がりました。

どうやら、答えは見つけられたようです。

千早 「……私にとってここは、765プロの人達は」

千早 「家族のように大切な存在──ううん、もうひとつの家族、かしらね」

口に出すとちょっと照れちゃうけれど……と呟く千早ちゃんのほっぺは、ちょっぴり紅くなっていました。


でも、それは千早ちゃんだけに限った話ではありません。

伊織 「そんなに気にする必要ないわ……だって、私もそうだから」
千早 「え?」
伊織 「だぁかぁら!……私も、おんなじように答えた、って言ってるのよ!」
千早 「……あ、そ、そうなのね、はは……」
伊織 「そうなのよっ!──ふんっ」

って伊織ちゃんは、悟られないようにそりゃもうすごい勢いで顔をプイッと背けたんですけど、それは正面から見ればの話。
だから、向いたほっぺが同じく真っ紅に染まっていたのも、私の位置からだとバッチリ見えちゃったの。ゴメンね、伊織ちゃん。

伊織 「…………」
千早 「……あ、はは……」

結局、まぁこういう感じで、しばらく二人してモジモジ照れあってたんです。ごちそうさま。


少しして落ち着いたのか、伊織ちゃんの方から口火を切りました。

伊織 「──こほん。ともかく、そんな話の後だったからかしら。事務所に戻ってあんたと話してた時に、ふと思ったのよ。“水瀬さん”なんて他人行儀に呼ばれるのはもう嫌、ってね」

伊織 「でもね、あんたって変な所が頑固で、おまけに不器用じゃない?だから、少し強引にでも呼ばせないとダメ、って思ったの」

そこで思わず苦笑しちゃう伊織ちゃんの気持ち、すごくよくわかるんです。なんたって、ウチの事務所は一筋縄じゃいかない娘ばかりですものね♪

千早 「……私、そこまでではないと思うけど」
伊織 「ま、知らぬは本人ばかりなり、ってね」
千早 「もぅ……」

──あぁもうっ!オーバーに肩を竦める伊織ちゃんも、ちょっぴりふくれてる千早ちゃんも、どっちも可愛いわ!



伊織 「とにかく『とっかかりさえ作っちゃえば、後はもうなし崩し的にイケるでしょ』って思ってたけど──まさか、あの千早に見抜かれるとはね」
千早 「ふふ、結構分かりやすかったわよ?」

そうですね、千早ちゃんの言う通り。でもそれは、普段の彼女を知っているからこその言葉。知らない人には絶対に見抜けなかったでしょうね。

伊織 「……なんでよ。私の演技はそんなに安っぽくないはずよ」
千早 「えぇ、確かにね。これが他の誰かだったら、きっと見抜けなかったと思う」
伊織 「だったらなんで──」

千早 「だって、貴女は人のために怒れる優しい人だもの。自分だけのためなら、あんな言い方はしないはずだわ」

伊織「んなっ!?」

あ~あ、そんな火の玉豪速球をぶつけたら……。

せっかく落ち着いた伊織ちゃんのほっぺが、みるみる真っ紅に戻っちゃいました……ううん、それ以上かも。


でも、それも仕方のない事かもしれません。
千早ちゃんに、まっすぐ目を見つめられてあんな事を言われたら、私だってきっと……。

千早 「だから、私のためにありがとう──伊織」
伊織 「………………どういたしまして」

だって、二人がこの事務所をそんな風に想っててくれただなんて──それがまるで自分の事のように嬉しいんですもの。

例え不器用でも、一歩ずつでも、歩み寄ろうとする二人。見てると何だか、目頭がジーンと熱くなってきました。嫌だわ、最近めっきり涙腺がゆるくなっってきちゃって……。


でも、その反面ちょっぴりうらやましい気持ちもあるんです。

今すぐにでなくても構わないから。
いつか私のことも──“小鳥”って呼んでほしいな。


おしまい

はい。

一応ここで一区切りですが、この後もう少しだけ続きます。
よろしければ、お付き合いください。


さてさて、少し時間が経ちまして。

千早 「──さてと、私はそろそろレッスンに向かおうかしら」
伊織 「あら、もうそんな時間なの?」

二人はあれからポツポツとお話してたみたいですが、どうやら千早ちゃんには次の予定が近付いてきたようです。
いつの間にやら、結構時間が経っちゃってたのね。


──えっ?その間、私が何をしてたか、ですか?

もちろん仕事してましたよ、当たり前じゃないですか!
まだまだ勤務時間中なんですからね。てんこ盛りになってた領収書の山も、あと三分の一もないくらいになるまで頑張りましたとも。

………時折聞こえてくる千早ちゃんや伊織ちゃんの笑い声をBGMにしながら。

控えめだけど、楽しい気持ちが伝わってくるような心からの笑顔を浮かべている二人。そんな光景を脳内で補完しながら、私は黙々と領収書を仕分けしてたんです。


…………………………………………でも私だって混ざりたかった。



本当は、仕事なんて放っぽりだして二人と一緒におしゃべりしたかった!お茶でも飲みながらガールズトークに花を咲かせてみたかったの!!

いいえ、今からでも遅くはないわ!伊織ちゃんからどんな話をしてたのかを聞き出して……ああっ!でもダメ!ダメよ、小鳥!あなたはみんなのお姉さんなんだから、ちゃんとしてないと……でも、ちょっとくらいなら良いんじゃ……。

千早 「今日は楽しかったわ。ありがとう、水……伊織」
伊織 「そうそう、その調子よ♪ ま、アンタなら心配いらないとは思うけど、ほどほどに頑張んなさい」
千早 「ふふっ、そうね。根を詰めすぎないようにするわ」

伊織 「じゃ、いってらっしゃい」
千早 「……いってきます」

んんっ、こほん!──あら、そうこうしてる内に千早ちゃんの支度が整ったみたいですね。


まっすぐドアの方へ──と思ったらくるりと振り返って、なんとこっちに向かってくるじゃありませんか。
何か忘れ物かしら?ああ見えて千早ちゃんも案外うっかりさんですからね、ふふ♪

千早 「あの、すみません……いま話しかけても?」
小鳥 「えぇ、大丈夫よ。ちょうど切りがいい所だから。何か忘れ物でもしちゃった?」

千早 「いえ、えっと……そういう訳じゃあ、ないんですけど……」

う~ん、何だか歯切れが良くないけど……指もモジモジさせちゃって、一体どうしたのかしら?

小鳥 「どうしたの?いいのよ、ゆっくりで」
千早 「そうですね、はい、では失礼して……すぅー、はぁー」

すぅーと吸って大きく吐いて──。深く深~く深呼吸する千早ちゃん……そんなに真面目な話なのかしらんと、私も思わずゴクリと息を呑んでしまいます。


千早「いってきます──こ、小鳥、さん」


小鳥 「…………………へぇっ?」

この時、あまりに予想外な言葉に、私は思わず変な声を出しちゃいました。

見やれば、千早ちゃんのほっぺがほんのり紅くなってます。そうよね、千早ちゃんも結構恥ずかしがり屋さんなのよね。

千早 「あ、その……やっぱり、いきなり名前で呼ぶなんて失礼……ですよね。本当にすみません……」

なんてズレた事を思ってる内に、みるみる千早ちゃんの表情が曇っていくじゃあありませんか!あわわわわ……どど、どうしましょう、何か──何か言わないと!


小鳥 「い、いやいや、ちょ、ちょっと待って!少しびっくりしただけだから!……少しだけ!少しだけ時間をちょうだい、頭を冷やす時間!」
千早 「は、はい……」

『落ち着け、落ち着くのよ、小鳥~……年上らしく冷静に、冷静になるの……』と、心で唱えて自分を落ち着かせます。

──ふぅ。うん、これでひとまずは大丈夫です。少しは回り始めてくれた頭で、状況を整理していきましょう。


今のって──“小鳥”って呼んでくれたのって、千早ちゃんの方から一歩踏み出して、歩み寄ってきてくれた──そういう事ですよね。


それがすごく……すっごく嬉しいです!もう言葉にできないくらい、すっごく!


せっかく落ち着いてきたのに、その後から後から嬉しさが湧き上がってきて、逆にパニックになっちゃいそうでした。
ここで口を開けば、奇声をあげて跳び回っちゃうかも……必死になって堪えてた私の気持ち、皆さんなら分かってくれますよね?

千早 「……あの、こ……音無さん?」

でも、黙ったままじゃ誤解させちゃうわよね。よし、ここは千早ちゃん式に、すぅー、はぁー……と大きく深呼吸です。

────よし。


小鳥 「ありがとう、千早ちゃん」
千早 「……え?」

小鳥「今、私の事名前で──『小鳥さん』って呼んでくれたでしょう?私、とっても嬉しかったのよ」

小鳥 「まぁ確かに突然だったから、少し戸惑っちゃったけどね、お姉さんびっくりしちゃった、うふふ♪」

千早 「……すみませんでした。やっぱり私──」

小鳥 「だから、もう一回言ってくれる?今度こそ、ちゃんと応えるから♪」

一瞬きょとんとした彼女ですけど、すぐにピンときたみたいですね。今度は満面の笑顔で言ってくれました。

千早 「いってきます──“小鳥さん”」

うんうん、やっぱりアイドルはこうでなくっちゃ♪その晴れやかな顔につられて、きっと私も笑顔になっている事でしょう。

小鳥 「いってらっしゃい、気をつけてね♪」
千早 「はい!」

その笑顔に相応しい弾むような返事で応え、千早ちゃんはレッスン場へと駆けていきました。


小鳥 「うふふ……♪」

嗚呼、堪えようにも自然と頬がゆるんでしまいます。

だってだって、千早ちゃんのあの笑顔、とっっっても可愛かったんですもの!まだ事務所のみんなにしか見せられないなんて勿体無いくらい!
できれば、写真を撮って、額縁に入れて、見せびらかして歩きたいくらい素敵だったわ!!

──んっ、こほん。度々失礼しました。
好きな事の話となると、どうにも一人で盛り上がってしまうんですよね、昔から。


そして私は、こうも思うのです。

あの笑顔を、もっとたくさんの人に、自然と向けられるようになれたら、それはとっても素敵な事だな──それを私が少しでも手伝えたらな、って。

そう考えると、やる気と元気がグングン湧いてきます。領収書整理の後に待っている大量の仕事だって何のその、お茶の子さいさいチョチョイのチョイよ、ってなもんです!

小鳥 「よぉーし、やるわよ~!」

もうこの勢いでさっさと片付けちゃいましょう!と、気合いを入れ直した私は、手始めにしぶとく残った領収書の山へと手を伸ばしたのでした。


おしまい



はい。

これで今度こそ本当におしまいです。長々とお付き合いいただきましてありがとうございました。

読んでくださった皆様が、少しでも楽しめたのであれば幸いです。

最後に一点だけ補足をさせてください。

各キャラの台詞、その行間に関してですが、

千早「──」
伊織「──」

と、くっついている所はポンポンとリズミカルに。


千早「──」

伊織「──」

こう離れている所はゆっくりと読んでいただけると、
感覚的なものではありますが筆者の意図したい形に近いのかなと思います。

よろしければお試しください。


お付き合いいただき、ありがとうございました。

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