ライラ「夕焼けはソーダの味がする」 (66)


 モバマスよりライラさんのSSです。
 独自解釈、ファンタジー要素などありますためご注意ください。

(※番外編的エピソードなので、本作単体でもお楽しみ頂けます)


 前作です↓
小日向美穂「アホ毛が無いっ!!」
小日向美穂「アホ毛が無いっ!!」 - SSまとめ速報
(http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1526048861/)

 最初のです↓
小日向美穂「こひなたぬき」
小日向美穂「こひなたぬき」 - SSまとめ速報
(http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1508431385/)


SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1526056349


 そのアパートは四畳半一間の木造モルタル、風呂なしトイレ共同の築ざっと半世紀。

 唯一の自慢は都心にもかかわらず家賃が四桁台という安さ一点突破ぶりで、
 平成も終わるご時世によくまあ生き残っていたと思うほどのまさに「建つ骨董品」。

 ――というのが、おおかたの評となりましょう。


 一体どこのどなたが管理しているものか存じ上げませぬが、大層オンボロで住民ゼロにも関わらず、
「入居者募集」の看板を今なおしぶとく掲げておられます。
 今にも崩れそうなその佇まいは、住宅街の一角で道祖神のように半ば風景と一体化しておりました。

 掲示される家賃の数字は下がる一方で、近頃はついに水道光熱費の合計をも下回りそうになる始末。

 ただ古いだけならまだしも、どうしてそこまで値下がりを続けるのかと申せば――――


???「デル、でございますか?」

不動産屋「そうなんだよお客さん。あのね、もちろんおたくの懐事情も十分承知してますよ」

不動産屋「けどねぇ、何も知らない外人さんにそんな胡乱なとこ押し付けるのも騙すみたいでアレじゃない」

???「ほぉー……」

不動産屋「ぶっちゃけ、悪いこと言わないからもっとマシなとこにした方がよろしい。安かろう悪かろうにも限度がありますわな」

???「ですがわたくし、ここよりお高いところのお家賃は、お出しできないでございますです」

不動産屋「それだったらほら、都下のベッドタウンとか、ちょっと離れれば相場の低いとこは幾らでもあるわけだし」

???「もっとお安いおうちはありますですか?」

不動産屋「それは…………ちょっと無いと思うけど」

不動産屋「…………本当にいいのかい?」


ライラ「はいー。ライラさんは、ここに決めましたですよー」


ライラ「――ところで、『デル』ってなんでございますですか?」


 雨が降れば雫が漏れる。

 風が吹けば屋根ごと軋む。

 火でも付いたらたちまち黒焦げに違いなく、耐震性など言うも愚か。


 極めつけに、夜が来たら女性が泣くのです。


メイド「お嬢様……」

ライラ「おー、セ…………メイドさん、でございますね?」

メイド「はい。私のことはここではただ、メイド、とお呼びくださいでございます」

メイド「申し訳ございませんです。このような場所しかご用意できず……」

ライラ「そんなことはー。ええと、このような時は……気にすんな? でございますか?」

メイド「ええ、とっても日本語がお上手でございますです!」

ライラ「うふふ。メイドさんにたくさん教えてもらいましたですからー」フンス


メイド「それではお嬢様、私は追っ手に対処するでございますゆえ」スチャッ!

ライラ「おぉー。お気を付けるのでございますよー」

メイド「抜かりはありませんです。お嬢様はご安心してお休みなさいませ!」シュババッ


ライラ「いってらっしゃいませー」


    「うぅっ……」

    「うっ、うっ、ううっ」

    「うぅううぅ~~……っ」


「……? どなたか、いらっしゃいますですか?」


 扉を開けても、外に人影は無く。

 ひょうひょうと吹く夜風が、声に聞こえたものでしょうか。

 さにあらず。

 声は確かに悲しみを乗せ、涙に濡れて響きます。

 一室以外はがらんどうのアパートに、他の誰もおりますまいに。


 何故に泣いておられるものか。
 声だけ聞こえたとて、どうともしようがなく。

 尽きせぬ夜泣きの調べと共に、今は眠るほかないのです。


 ああ、成る程。

 デルとは日本語で「何やら不思議なことが起こる」という意味なのですね。
 まどろみの中にあって、ただ納得するのでした。




 ――ねぇ、聞きました? あの幽霊屋敷に、誰かが住み着いたんですって。

 ――聞いた聞いた。やだねぇ、ただでさえ縁起の悪い場所だってのに。

 ――きっとまたろくなことにならないと思うわよ。

 ――そうよねぇ。だって、あそこには――――


 とにもかくにも、極東に根を下ろした身の上。
 着の身着のままの来日ゆえ、足りぬものも数多くございます。

 とりわけ、食べもの。
 それと日本のお金。

 メイドさんの蓄えもございますが、あまり頼るわけには参りません。
 幸い近所に商店街がありましたため、どこかお手伝いできる場所がありますまいかと、てろてろと巡るのでした。


「帰(けえ)ってくれ」


 がらがらぴしゃんっ。

 けんもほろろ、とはこのことでしょうか。
 お弁当屋さんは一目見るなり、きっぱり扉を閉じてしまいました。


 はてさて、何か無礼なことでもしてしまったのでしょうか?
 考えてもさっぱり。なにぶん遠い異国の地なものですから、異邦人にはわからぬ符丁や作法があるのやも。
 とはいえ誠実なることは、言葉ならず態度にて示せるというもの。

 たとえ砕けるにしても、まずは当たらねば道は拓けますまい。
 そう決意して商店街を巡りに巡り――


「間に合ってるよ」

「うちでは募集してません」

「残念です」

「あんた引っ越した方がいいよ」


 これがまた、全て玉と砕けた次第でございますな。


ライラ「おー……」

ライラ「お仕事、できないでございますねー」

ライラ「これでは、ごはんが食べられないでございます……」

  カー カー

ライラ「夕焼け、まっかっか……」

ライラ「カレーの匂いがしてきますです……」

ライラ「公園の鳩さんは、ごはんがあるでございますか?」

ライラ「……おなかがすいてしまったですねー」


???「ねえ」


ライラ「はいー……?」

女の子「あの、さっきはごめんね。お店に来てくれた子でしょ?」

ライラ「?」

女の子「ああ……その。あたし、商店街の弁当屋の子なの」

女の子「信じらんないよね。お父さんてば、なんにも言わずに追い返したんでしょ?」

ライラ「ああー……それはきっと、わたくしが何か無礼を働いたものかとー」

女の子「そんなことない。余所者で色々面倒だからってあんなことしたんだよきっと」

ライラ「おー」

女の子「それでね。余計なお世話かもしんないけど……」ガサガサ

女の子「お弁当。あ、廃棄とかじゃなくて、あたしがお小遣いでちゃんと買った奴だよ」

ライラ「!!」

女の子「どうかな? 気にしないで、奢りってことでいいから」

ライラ「い、い、いいのでございますですか?」


女の子「――――そっか、ドバイから……。……あれ、ドバイってどこらへんだっけ」

ライラ「もぐもぐもぐ、んぐんぐ、ふぉの、ふっほ」

女の子「あ、いいよいいよゆっくり食べて」

ライラ「ごっくん。……ふー、ごちそうさまでございますです」

女の子「? まだ半分残ってるよ?」

ライラ「これは、わたくしのメイドさんの分ですねー。二人で来たのでございます」

女の子「あ、じゃあもう一つ買っとけば良かったね」

ライラ「よいのでございますよー。とっても幸せでございます」

女の子「そう? ――あ、それじゃこれもどうぞ。溶ける前に食べちゃって」

ライラ「? これはー……?」

女の子「ソーダアイス知らない? そのまま齧っていいよ」

ライラ「なるほどー……しゃくっ」

ライラ「!!!」

ライラ「おぉおぉお……!? しゅわしゅわで、甘くて……!?」

女の子「気に入ってくれた? なら良かった!」


女の子「だけど、ごめんね。お父さん達のこと」

ライラ「どうして謝るのでございます?」

女の子「だってせっかく遠くから来たのに、あんな態度でさ」

ライラ「それは……良くないことでございますか?」

女の子「そうだよ! 下町人情なんて嘘っぱち! 結局みんな身内にしか優しくないんだから」

ライラ「おぉ……わたくしは、それもよいことと思いますです」

ライラ「みなさま、家族を守っていますです。お身内が一番というのは、当たり前でございますねー」

女の子「怒ってないの?」

ライラ「怒ることなんて、ありませんですねー。立派なひとたちでございます」

女の子「……ふふ、優しいんだね。ごめんね。あと、ありがと」

女の子「でも……あのアパートを引っ越した方がいいっていうのは、ほんとだと思うの」

ライラ「?」


 その子は、件のボロアパートについて教えてくださいました。

 デルとは、幽霊(シャバハ)が現れるということだそうなのです。

 なんでも、元々ずっと前にそのアパートで暮らしていた女性なのだとか。
 なにかとても哀しいことがありまして、その御方は、生きてゆくのに疲れたと申します。
 それで、真っ赤っかな夕間暮れの刻に、御自身で命を。

 今や何号室であったのかは定かではございません。

 ただその御方の魂は今でもあそこに囚われ、一人寂しく泣いておられます。


 アパートに越してきた方々は、以前にも幾人かおられたそうな。
 しかし彼らはどうしたことか、お体やお心を病み、皆すぐに出て行ってしまいました。

 このアパートが「デル」危ない場所だと知れ渡るに十分な出来事でございましょう。

 となれば、新たに入った異国の小娘などは、存在自体が恐怖なのやも知れませぬ。


 お化け屋敷に住む者もまた、お化けの仲間に違いないと。


   〇


メイド「お嬢様!」

ライラ「おー、メイドさんですねー。おかえりなさいです」

メイド「この私も聞きましたです。皆、お嬢様を邪険に扱うのだとか……」

ライラ「よいのですよー。仕方ありませんです」

メイド「よいことなど無いのでございます! 今しばしお待ちを、私が直接話を……!」

ライラ「――こほん、」


ライラ『おやめなさい、と言っているのよ』

メイド『! しかし!』

ライラ『いいのです。理由があるんだもの』

ライラ『私はここでは異邦人。守られようなどとは思っておりません』

メイド『お嬢様……』

ライラ『今日、一人の女の子にとても親切にして頂きました。それだけで十分だわ』

ライラ『あの優しいお気持ちを忘れず、私なりにここの方々に歩み寄ってみます』


メイド『……無力な私めをお許し下さい。もとはといえば、ここに住むと提案したのも……』

ライラ『もう、あんまり弱気にならないで。私なら大丈夫だから』

ライラ『それよりほら、お弁当を頂いたのよ。半分残していますから、あなたもお食べ』

メイド『そんな、なんと勿体ない! 私のことなど気にする必要はありません!』

ライラ『あなたは家族よ。家族がお腹を空かせるのを見ていろと言うの?』

メイド『……いただきます』

ライラ『はい、どうぞ』



 日がとっぷりと暮れ落ちて、やはり泣き声はどこからともなく。

 叫ぶように、訴えるように、或いは呪うように。
 とても高い場所から落ちて砕けるような、冷たく凍てついた声でした。

 お布団の中で思い出すのは、遥かなる月夜の砂漠。

 砂を攫って吹き荒び、ついには還る場所を忘れた風の、高く細き哀哭に似ておりました。



   〇


 さてお仕事を探さねばなりません。
 翌日、コンビニエンスストアで求人案内なるものを頂き、ぱらぱらめくることしばし。
 雇っていただける場所を探しながら、お昼の商店街をてろてろ歩いておりましたところ、目の前でどなたかが困っておられます。

 大きな荷物を持ったお婆様が、お腰を痛めているのでした。

「もし、そこなお方ー。何かお困りでございますですか?」
「あら、あなた……」
「わたくし、ライラと申しますです。お化けさんではございませんよー」



「ふぅ……ありがとうねぇ。助かったわぁ」
「いえいえー。お役に立てて、よかったでございますです」

 おうちまでお荷物を届けたところ、なんとお礼に麦茶とおせんべいを頂きました。
 これもお恵み。半分を取っておいて、ありがたくご馳走になったのです。

 お婆様は、何故か申し訳なさそうなお顔をしていらっしゃいました。

「……ごめんなさいねぇ。私達、ライラちゃんのことを誤解してたのね」

 ささやかな街でございますから、お化け屋敷の住人のことは誰にでも知れ渡っていましょう。
 ですが、それで腹を立てる筋合いもありますまい。

「うちは昔からやっているお店が多いから、いつどこで何があったかもよく知っていてねぇ。
 よそから来た人にも、冷たくしちゃうことがあるのよ……。
 いけないことだとはわかってるけど、やっぱりねぇ、年寄りは頭が硬くって」

「よいのですよー。家族の皆さんに一番優しくするのは、悪いことではございませんです」

 お婆様は、何か眩しいものを見るような、どこか不思議そうな目をなさいました。


「そうねぇ。家族が一番大事だわ」
「はいですー」
「だけどライラちゃんは、私みたいな他人にも親切なのね。私達はあなたに冷たくしたのに……」

 その理由は、とても簡単なことです。

「他人さんなんて、いないのですよ」
「どういう意味?」
「国があり、街があり、民がいる。それは、一つの大きな家族でございます。
 それだけで人は尊く、やさしく、大切なものなのでございますです」

 と――
 故郷に残してきたお父様とお母様は、よく語って下さいました。

「……ライラちゃんは、どこか遠いところのお姫様なのかい?」
「うふふー。ただの家出娘でございますです」



「――そうそう。あのアパートはずいぶん昔からあってねぇ。
 長いこと色んな子が下宿してたんだけど、十年ばかし前だったかねぇ――」

 お婆様は、あそこで起こったことをいくらか詳しく知っておられました。
 おせんべいと麦茶、とても美味でございます。
 それらを頂きながら、お話をじっくり聞きます。

 そして、ぺっこりお辞儀をしたのち、お婆様のおうちを辞するのでした。
 なんとタッパー二ついっぱいのオコワ? を頂いたのでございます。
 お婆様が採ってこられた山菜やきのこの入った、旨味たっぷり栄養たっぷりのほかほかご飯でございますです。
 なんたる素晴らしき恵みでございましょう。日本式のお礼を勉強しておいて良かったと思うこと甚だしい次第です。


   〇


 泣き声は、夜毎に強く、近くなっているようでございます。

 さもあらん。実際にこちらに近付いているのですから。

 お婆様より聞きましたところ、お化けさんの住んでいたお部屋がわかりました。
 一階、一番東側の角部屋だそうなのです。
 こちらの借りた部屋は正反対、一番西側の角部屋でございます。

 夜が来るごとに、その方のお部屋から一室一室、こちらに近付いていたのでしょう。


 かちゃり、とお隣のドアが開く音。
 薄い壁の向こうで泣き声がひとしきり響き、ず、と引きずるような足音がして。
 ぱたり、とドアの閉まる音と共に、今宵の夜啼きは収まるのでした。


   〇


 アルバイトの募集をしている場所はいくつかあるのですが、条件が合致しません。
 すぐに入れるところは無く、入れそうなところも外国人は募集していないなどです。
 これはいささか難しいことになって参りました。

 昨日のオコワでお腹いっぱい力いっぱいでありながら、商店街の真ん中で立ち尽くすのです。

 こうなると、砂漠の真ん中に立っているような気持ちが致しました。


「なあ、金髪のお嬢ちゃん」

 声に振り向くと、見たことのあるお方が立っておられました。
 最初に訪った、あの親切な娘さんのおられる、お弁当屋さんのご主人でございます。


「あー……どこから言やいいのか」

 彼はどこかばつが悪そうに頭を掻き、思い切ったように腰をくの字に曲げました。

「すまなかった。あんたの苦労に知らん顔しちまってた」
「いえいえー、謝るようなことなどー」
「正直、またすぐにどっか行っちまうと思ってたんだ。でも違ったな。
 こっちが勝手に気を揉んで邪険にしてたんだから世話ねぇ話だ」

 で――と彼は頭を上げます。

「バイトが間に合ってるのは本当なんだ。人手は足りてるし、誰か雇うほど景気が良い商売でもねぇ」
「おぉ……」
「けどな、ちょっとした店番とか軽い手伝いをしてくれたら、二人分の弁当くらいはお礼できると思う」
「おぉお……!」

 そこから、風向きが変わり始めたのでございます。


 お弁当。
 お肉、お魚、お野菜、お茶。

 どこもささやかなお店でございますから、人を雇うには及びません。
 ですが誰にでもできる簡単なお手伝いで、売り物を少しずつ分けてくださるというのです。

 メイドさんにそれをお伝えして、まずは二人で商店街のお手伝いさんから。

 極東の見知らぬ地に、大きな足掛かりが出来たのでございました。


不動産屋「ああ、いたいた、お姉さん!」

ライラ「……? おうち屋さん、でございますか?」

不動産屋「不動産屋ね。いや、あの後ツテで色々探したんだけどさ」

不動産屋「あったよ! 今のとこと同じくらい安い部屋!」

ライラ「おぉー」

不動産屋「ちょぉっと千葉に入っちゃうんだけどね。同じ木造でも、六畳でトイレもキッチンもあるし」

不動産屋「バランス釜で良ければ風呂だってある! で、中央線で新宿から一時間くらい。どうだい?」

ライラ「それは……とっても素敵でございますね」

ライラ「ですが、ごめんなさいです。そのおうちは、他のお方にあげてくださいませ」

不動産屋「……そうかい」

不動産屋「お姉さんは、ここが気に入ったのかい?」

ライラ「もう少し、ここにいたいと思ったのでございます」

不動産屋「わかった。そこも、移ろうと思えば明日にも入居できるようなとこだから。気が変わったらいつでも言うんだよ!」




「どうして?」


「どうしてあなたは、ここにいるの?」




 ぱち、と夜遅くに目を覚まします。
 耳元でどなたかが、何か囁いた気がしたのです。

 身を起こすと、隣でメイドさんが眠っております。

 他の誰も、気配すらございません。

 その夜は誰も泣きませんでした。



「ああライラちゃん、おはよう!」
「おはようございますですよー」
「ごめんねぇ手伝わせちゃって」
「よいのでございます。なんでもいたしますですよー」
「ライラちゃーん! あそぼー!」
「おっとっと、もう少し待ってくださいませー」


 ひょいひょいと商店街を渡り歩き、お店番、ご近所への配達、荷物持ちなどをしていきます。
 一つ一つはすぐに終わるのですが、続けて一気にとなると、少しだけ時間がかかります。

 こういうことは初めてでしたので、とても楽しい経験でございました。
 その上食べるものを頂けるのですから、人の縁とはやはり恵みそのものでございます。
 これは、久しぶりにお腹いっぱい食べることができそうでした。

 やがて日も暮れかけ、ぱんぱんの袋を両手に提げ、二人家路を歩きます。

 しかし、その前にひとつ――


「メイドさん。少しだけ、お部屋に一人にしてくださいますですか?」
「? 大丈夫でございますが……何を?」
「お話をしたいひとがいるのです。日が暮れるまででよいですからー」



 カラスさんがカァカァ鳴く時間。傾いたようなアパートは静まり返っておりました。
 キィキィ軋む床板を踏み、がたつく扉に鍵を差し込んで、古畳の香る四畳半へ入ります。

 二組のせんべい布団以外には何もない自室。
 その中心にちょこんと正座して、ソーダのアイスを二つ起きました。

「お待たせしましたです」

 お客様が先に入っておりました。
 彼女は人の形をしておりませんでした。


 お婆さんが語るに曰く、首を括ってしまわれたのだとか。
 その通り、彼女の首はひどく伸び、蛇の巻き付いたような生々しい痣が残っておりました。
 目と舌は突き出て、よじれた喉からひゅぅひゅぅと濡れた吐息が漏れております。

「一度お話をしたいと思っていたのでございますね」
「…………」

 こちらの声は届いていると信じます。

「申し遅れたですね。わたくしライラと申します。イッシンジョウのツゴウで、ドバイより参りましてございます」

 ――あなたのお名前は、なんと仰いますですか?



「どうして」

 答える代わりに、彼女は掠れきった声で問い返しました。

「どうして、いかないの」

 出て行って欲しかったのでしょうか。
 そのようには思えませんでした。

「わたくし、知らない方とお話をするのが好きなのでございます。
 日本の方々ともお話するために、日本の言葉をたくさん勉強したですねー。
 あなたは幽霊様のようでございますが、それでもこうして、お話ができますです」

「…………」

「あなたが、お話を聞いて欲しいように思えましたです」


 でろんと伸びた首は、据わらぬままに垂れ下がっております。
 それがなんだか歪んだ「?」マークそのものに見えました。

 アイスを一つ、そっと勧めます。
 長い話になりそうなら、お互いまずは一杯、ならぬ一本と参りましょう。


「おおかたの話は、聞いているんでしょうに」

 こちらがソーダアイスをしゃくりと齧ると同時、彼女は沈黙を破りました。


「お婆さん達から聞いておりますです。何か、夢を持っておられたとかー……」

 そしてそれが、何かの形で破れてしまわれた、とか。
 如何なる夢だったのかまではわかっておりません。
 だけどきっと、この方が命を懸けるに値する夢だったのでございましょう。

 彼女の首が、くくっ、と痙攣いたします。自らを嘲るようでした。

 遠い泣き声だけではわかりませんでしたが。
 こうして相対してみると、姿かたちこそ違っていても、やはり一人の女性なのです。

 言葉もあれば、想いもまたございます。


「歌手になりたかったの」



   〇


 これはきらびやかなる大都会、東京の片隅にあった挿話でございます。

 夢を持つ女性がおりました。彼女の声は宝石のようで、放たれる歌はとても美しかったといいます。
 いずれは歌で身を立てたい。自分だけの大きな舞台で、世界中の人にこの歌を届けたい。
 幼少の砌(みぎり)よりそう思っておられた彼女ですが、周りは必ずしも歓迎しませんでした。

 なんとなれば彼女の故郷は、都会から遠く離れた小さな田舎町。
 そこで生まれ、そこで育ち、そこで家庭を築いて生きていくのが尊ばれます。
 地元単位のネットワークは鎖のように堅固で、彼女の人生に絡みつかんばかりでした。

 彼女はそれを嫌い、大喧嘩の果てにお家と絶縁なさいました。


 身一つ夢一つ、天涯孤独で見知らぬ都へ。
 新天地と、自らが輝ける場所を求めて。

 その決意と努力は並々ならぬものだったでございましょう。

 けれど――結論から申しますと、哀しい結果に終わりました。
 十数年後の今となっては、誰もが知るところでございます。

 これは輝かしき立志伝ではございません。
 灰色の砂漠にひっそり眠り、掘り出されるのを待つ宝石の物語なのです。


   〇


「そりゃあもう酷い男だったのよ。『君とならスターを目指せる』だなんて、けっ!
 いい加減なことばかり言って女をとっかえひっかえ!」

「他の子もそう。足の引っ張りあいに陰口の叩き合い。
 のし上がりたければ女を磨けばいいのに、他人を下げることに必死の性悪ばかり!」

 いつしか彼女の弁は滑らかになって参りました。
 語るや語る、堰を切ったが如く身振り手振りも交えて。
 長年の鬱憤があったのでございましょう。
 或いは、お話を聞き届ける誰かが欲しかったのやもしれません。

 何十年もずっと。

「お偉いさんもクズばっかよ。カネに目がくらんだヒヒジジイの思惑一つでみんなひっくり返って、
 そういう軋轢やしがらみですり減って、最後は食い潰されてポイなの。そういうもんなの」


「でも……でもねぇ」


「本当に凄い子だって、いたのよ」




「時々、思うの。あの子達はどこへ行ったんだろうって」

 視線は遠く、ここではない何処かへ向けられます。

「歌ったり踊ったり……歌手だけじゃなくて、アイドルって言うのかしら。
 華やかで明るくて、見ているだけで笑顔になって。
 そんな、いわゆる『本物』の子達だって、この目で何人か見てきたのよ」

 いずれにせよ、十年も前でございます。
 移ろいゆく時の中で、全てが過去のままというわけには参りません。

「私には行けない場所があって、彼女たちはそこで輝き続けているのかしら。
 それとも私みたいにすり潰されて、今もどこかで泣いているのかしら……」


 そう呟く彼女のお顔を、じっと見つめております。

「――お姉さんは、とても綺麗な目をしておられますですね」


 いつしか彼女は、生前の姿に戻っておりました。
 実体なき幽霊でありますれば、気持ち次第で見た目も変わるのでしょう。

「そんなことないわ」
「あるでございます。わたくしもお母様に『ライラの瞳は宝石のよう』と褒められましたですが、
 同じくらいでございます。優しくて、穏やかな光ですねー」

 日は暮れてゆきます。電気代の節約のため、少しでも明るいうちは明かりを点けません。
 夕陽が濃くなって、座敷の色を異界のように変えてゆきます。

「わたくしもあなたと同じでございます。家出をしてしまったのですねー。
 そうしなければきっとわたくしは、お父様とお母様に守られるだけの人生でございました」

 そして、何か無いかと。

 己が己でいられる、何か自分だけの特別な場所が、どこかに。

 それはまだ、見つかっていないのでございますが。



「ふふ」

 と、お姉さんは微笑しました。
 なにか、憑き物が落ちたかのようなお顔でございます。

「不思議ね……何か、楽になったわ。馬鹿みたいね。
 これほど長くここにいて、話し相手が欲しかっただけだなんて」

「お話は大事でございますよー。話さなければわからないこと、たくさんです」

「そうね。……ありがとう、なんだかすっきりしちゃった」

 と、お姉さんの体が薄まっていきます。
 ああ、いってしまわれるのですね。
 どんな奇術よりも不思議なことが、今目の前で起ころうとしております。

 お姉さんは、ここではないどこかへいこうとしているのです。

 彼女は薄まる体をそのままに、こちらを見据えて言います。




「ねえ、あなたもこっちへ来ない?」



 西から差し込む血まみれの陽が、座敷をべっとり赤く染めております。
 
 黒い影が長く伸びますが、差し向いに座る彼女は影を持ちませんでした。

 お姉さんは、お母様のように優しき微笑を浮かべたままでございました。



「そちらへ、でございますか?」
「だって、ここは悲しいことばかりよ。泣きたいことだらけじゃない。
 好きなように生きられないから、あなたはここまで来たのでしょう?」

 薄ぼんやりした手が差し伸べられます。
 指先まで慈愛に満ちた手つきでございました。

 その手を取ると、もう後戻りは出来ないのでしょう。

「…………」
「さあ。大丈夫、寂しくないわ。私がいるもの」

「……ごめんなさいです」



「だって、そこはきっと、遠すぎるですから。わたくしは……あぁ。
 日本の言葉が、まだ上手くないですね。ごめんなさいです――」


『――まだ、何も成し遂げていないのです。いつか、お父様やお母様にもまた会いたい。
 私が私であると自信を持って伝えられるその日まで、自分の足で歩みたいのです』

『たくさん笑って、泣いて、生きて、生きて、皺くちゃのお婆ちゃんになりたい。
 そしてその頃には、ドバイも日本も大切な故郷だと、胸を張って言いたいのです』


『だから、貴女と共には行けません。ここが好きなんですもの』



 座敷にそぐわぬ異国の言葉を、彼女はいかなる胸中で聞いておられましたでしょうか。
 意味は通じずとも、きっと意図は伝わりましたでしょう。
 手をそっと下ろして、一人だけで立ち上がるのでした。

「そう……」
「ごめんなさいです。わたくしはまだ、時間が欲しいのでございます」
「……そうね。あなたの人生は、まだ始まったばっかりだものね」

 お姉さんはやはり、どこかすっきりしたような顔付きでおりました。

「いつか、お土産のお話をいっぱい持っていきますです」
「ええ、待ってるわ。だけどゆっくり来てね。ずっと、ずうっと長く待たせてね。約束よ」



 ああ、消える。

 くっきりと見えたその姿が、今や蜃気楼のように揺らぐのです。

 魂の行き場はどこなのやら、そう考えるとたまらなくなり――


「歌を、教えてくれませんですか」


「歌?」

「はいでございます。お姉さんは、歌がお好きでございますから」

「……」

「何か、わたくしでも歌える歌を、一つ教えて欲しいのでございます」

「それは残酷なお願いよ」

「何か、あなたと約束した証が欲しいのですよ」


 お姉さんは困ったように微笑しました。
 日本語の歌ですゆえ、あまり難しいものは歌えません。
 束の間のやり取りの後、この国に伝わる歌を一つ、やっとこさ覚えることができたのです。




 ゆうやけこやけでひがくれて

 やまのおてらのかねがなる

 おててつないでみなかえろ

 からすといっしょにかえりましょ




 いつの間にか、四畳半には一人だけ。
 拙くも歌い上げた頃には、彼女の姿はどこにもありませんでした。

「……いってしまわれたのですねー」

 後にはもうごく普通の座敷があるばかりでございます。
 残るのは食べ終えたアイスの棒と、最後まで手付かずだったもう一本のアイス。

 袋を開くとアイスは表面が融け始めていて、液体の流れを形作りながらも、悲しく綺麗な夕陽を照り返します。

 それはきらきらと輝いていて、故郷で見たどんな宝石よりも色鮮やかに見えたのです。
 夕映えを含むように、しゃく、と一口齧りました。

 やっぱりソーダ味で、だけどほんのちょっとだけ、しおっからいのでございました。


  ―― 数日後


美穂「出るアパート?」


芳乃「左様でしてー」

美穂「……あのう、出るっていうのはひょっとして」

小梅「幽霊……だよ?」

美穂「やっぱり!?」

芳乃「曰く、悲しき因縁があったとー……。何か出来ることがあればよいのですがー」

小梅「やっつける、とか……追い払うのじゃなくて、お話を聞けたらな……って」

美穂「ででででも、ゆ、ゆゆゆゆ幽霊……」

芳乃「着きましてー」

美穂「わああっいかにもっぽい古さーっ!?」ビクーッ



美穂「だ、だ、だ、大丈夫だよね? 芳乃ちゃんと小梅ちゃんがいたらなんとかなるよね?」ビクビク

小梅「ふぇへへ……美穂ちゃん、こわがり……たぬきなのに……」

美穂「怖いものは怖いのっ!」

芳乃「さてー……」

芳乃「ふむー?」

小梅「あれ……?」

芳乃「どなたか中におられますー」

美穂「どなたかって誰? 幽霊っ!?」メカクシ

芳乃「いえー……そのようなものではー」


  ピンポーン


ライラ「はいでございますー」ガチャ

美穂「ひぃい!? き、金髪の…………あれ?」

小梅「人間……だね」

芳乃「もし、あぱーとのお方ー。ひとつ尋ねたき儀がございましてー」

ライラ「おー、わたくしにご協力できることでございましたらー……」

 カクカク シカジカ

芳乃「ほー」

小梅「わぁ……」

美穂「そ、そういうことがあったんだ……」

ライラ「そうお話ししてくれたのでございますよー」

ライラ「お姉さんは、もういってしまわれたでございます。怖いことはありませんですよー」

小梅「……すごい……ね」

芳乃「見事。やはり、お人柄にこそ神は宿るのでございましょうー」

ライラ「?」

ライラ「みなさまは、お化けさんとお話するお仕事の方々でございますか?」

ライラ「あ、聞いたことがあるでございます。ごーすとばすたーず? というものではー?」

美穂「あ、ううんっ、違うの。私達は――」



ライラ「あいどるでございますか?」

美穂「うんっ。すっごく楽しいんだよ! 歌ったり、踊ったりして」

ライラ「おー。歌ったり、踊ったり……」

ライラ「わたくしも、日本のお歌をひとつだけ覚えましたです」

芳乃「なんとー。どのようなー?」


ライラ「まだへたくそかもしれませんですが、このような――――」


美穂「きれいな声……」

小梅「……でも……ちょっとだけ、寂しそう……」

ライラ「うふふ、おそまつさまでございましたです」

ライラ「あいどる、頑張ってくださいませです。お姉さんもきっと、応援してるでございます」



美穂「ねえ、芳乃ちゃん、小梅ちゃん……」ポソッ

芳乃「お考えになっていることが、わかりまするー」ポソソッ

小梅「いい……と思う。わたし、賛成……」モニョモニョ

美穂「うんっ。それじゃ、相談してみるね!」

小梅「わたしも……電話してみる……ね」


美穂「ねえ、ライラちゃん。もし良かったらなんだけど……」


小梅「もしもし……プロデューサーさん? うん、小梅……あの子じゃないよ……」

小梅「えっと、ね……相談が、あるの……」


   ―― 後日


メイド『さすがはお嬢様ですっ! さっそく大きなお仕事を手に入れるとは!』

ライラ『私は凄くなんてないわ。良い人達のご縁に恵まれたのよ』

メイド『それでもです。お仕事のお給料も入って、お家賃も払えるようになり……』

メイド『といいますか、女子寮へのお誘いも来ているではございませんかっ!』

ライラ『ええ、そうね』

メイド『ここよりずっと新しくて、しっかりしたところです。お嬢様、急ぎそちらへ引っ越しの手続きを――』

ライラ『そのことだったら、丁重にお断りしたわ』

メイド『そうですか、良かっ…………は? い、今なんと?』

ライラ『お断りしました。もうここに住んでるじゃない』



   ――お嬢様。日本へ向かう計画の件ですが、差し当たりの宿として、東京のここなど……。

   ――まあ、とっても年季の入ったお屋敷なのね。ここを使ってしまっていいの?

   ――い、いえ、丸ごとではなく……その、一室のみとなるのですが。

   ――なるほど、おトイレくらいの広さなのね。わかりました、十分です!

   ――申し訳ございません。資金も考えた上で、目立たず騒がれずとなれば、ここが最適だったもので……!

   ――いいわ、あなたの選択でしょう? それが間違いだったことなんて、一度だってありませんもの。


メイド『な、何故!?』

ライラ『だって、ここを気に入っているんだもの!』

ライラ『あなたが選んで、わたくしが決めた家よ? こんなに素敵なお城が他にあって?』

メイド『お嬢様……』

メイド『うぅっ、ご立派になられて……!』

ライラ『こらこら、泣いてはいけませんよ』



ライラ『それより、今夜はお友達が遊びに来るの。お部屋の準備はできているかしら?』

メイド『はい。ちゃぶ台にガスコンロに、各種食器に調理器具など、抜かりありません』

ライラ『さすが! 私も食材の用意は済ませているわ』

ライラ『ええと、ヤマギシさんとこの牛コマとカシマさんとこの長ネギと白菜、それにコンドウさんとこの焼き豆腐とアダチさんとこの卵と……』

メイド『頂いたのですか?』

ライラ『まさか! ちゃあんと自分の稼ぎで買ったのよ。ちょっぴりオマケしてもらいましたけど♪』

ライラ『――スキヤキを作るんですって! 私、日本のスキヤキなんて初めて!』



美穂「ライラちゃん、お邪魔するねー!」

蘭子「祭壇に捧げる真紅の欠片をここに!(訳:私達もお肉持ってきました!)」

輝子「フヒ……エノキ、しめじ、しいたけ……キノコなら、任せろ……」

周子「〆のおうどんもあるよー」

紗枝「ええ出汁のきいた割り下の素もありますえ~♪」

響子「あ、メイドさんもいらっしゃったんですね! お邪魔しますっ、おいしいすき焼きを作りましょうね!」

  ワイワイ ガヤガヤ


メイド「いらっしゃいませでございます! 少々狭いかもしれませぬが、ささ、どうぞどうぞ!」

ライラ「デザートにソーダ味のアイスも揃えてございますよー」



 雨垂れが漏れ、風にも揺れて、火にも地震にもきっとよわよわなアパートがございます。
 まるで道祖神のような、静かで古びた建物です。

 夜になればお化けが現れ、妖しき声の木霊する、誰も寄り付かぬ恐るべき魔境でございましたが――

 今となりては笑い合う声と共に、じんわり明かりの灯る、あたたかな場所でございます。


 ~おしまい~

 以上となります。お付き合いありがとうございました。
 依頼出しておきます。

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